十人目の旅の仲間 (ひん(再就職))
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旅の仲間
プロローグ ブルイネンの浅瀬にて


見切り発車。


 四人のホビットと一人の人間が川辺を駆ける。

黒馬を駈る九人の恐るべき幽鬼ナズグルから逃れて東へ東へと走る旅路だった。

「頑張ってくだせえ旦那様ぁ!」

一人のホビット、フロド・バギンスは呪いの刃を受け、従者サムワイズ・ギャムジーの肩を借りながら息も絶え絶えに走ったが限界だった。

川を渡り切ればエルフの庇護を受け、傷を癒すことも出来るだろうが、敵は近い。

すぐそこだ。

浅瀬に脚を踏み入れ水を掻き分けて懸命に急ぐ。

「奴らが来たよアラゴルン! 追い付かれた!」

「いいから走れピピン!」

ホビット仲間のペレグリン・トゥックとメリアドク・ブランディバックは悲鳴を上げた。

ついにブルイネンの浅瀬で追い付かれてしまった。

先導していた人間のアラゴルンは、これまでかと剣戟を交える覚悟を決め脚を止めて剣を抜いた。

腕には自信があるが、ナズグル九人を相手取って生きていられる望みは薄い。

「駄目だよアラゴルン!」

「止まるな! 私に何が有っても止まらず行け!!」

ぼろ切れを纏い顔も覗けない忌まわしき追手を見据える。

力を欲し、果てなき欲望を冥王につけ込まれた九人の人間の王の成れの果て。

死してなお指輪の魔力に縛られた亡霊たち。

土手の街道に並ぶナズグルと向き合った。

「ここが死に場所か」

剣を握る力を強め殿を受け持つ。

追手との距離は馬が走れば一瞬で縮まる狭いものだ。

アラゴルンは望みが薄くても諦めない。

走り始めたナズグルを睨み付け、ホビット達を守る一心で吠える。

「さあ来い、むざむざやらせはせん!」

腹を締めて剣を構える。

水面を走る音が背中に近付いてくる。

ホビットの誰かかとも考えたが、違っていた。

「遅くなった」

「何者だ!」

反射で声の主へ剣を叩きつけるが、圧倒的な技量で捌かれ元の構えに強制的に戻された。

「剣は向こうに向けておけ。裂け谷のエルロンド卿に遣わされた迎えだ。ここは受け持つからお前さんも川を渡れ」

不思議な風貌な男だった。

傷口だらけの顔は老いを全く感じさせずエルフの血が入っているように見えるが耳は少し尖っている程度。

おおざっぱに短く切った髪も黒々としているし無精髭もちらほら生えている。

それにこんなに大柄でがっしりとしたエルフをアラゴルンは見たことがない。

頭の高さはアラゴルンより二つ近く上にある。

しかし人間というにはあまりに神秘の気配が濃く力がみなぎっている。

「相手は九人だぞ!?」

「粘るだけだ。あとは姫様がなんとかする」

腰に下げた剣を一気に抜く。

「その剣はっ!?」

とてつもなく禍々しい、柄から切っ先まで真っ黒の剣にアラゴルンは絶句する。

明らかに強力な呪いや魔法が掛けられた代物だ。

中つ国をさすらう旅の最中に多くの名剣宝剣を目にしてきたアラゴルンも、ここまで苛烈で震えるような魔剣は記憶にない。

「そう無理でもない、だろ?」

ここまでの曰く付きを涼しい顔で持っていられるのだから、この男は正当な所有者なのだ。

「すまないっ!」

この男ならあるいは。

そう願って背中を任せた。

素晴らしい速さで川を駆け抜け、あっという間にホビットと並んでブルイネンの浅瀬を渡りきった。

川辺には馬を引いたエルフの美姫が待っていた。

「こちらです。彼を乗せて下さい」

「旦那様、あと少しですよ」

ぐったりするフロドをサムが甲斐甲斐しく鞍に乗せてやる。

「アルウェン、彼は何者だ?」

川の中腹では男が正面に陣取り、馬から引きずり下ろしたナズグルに剣を振るって奮戦していた。

しかも信じがたいが九人を同時に相手にして優勢であった。

たくましい腕は唸りをあげてナズグルを弾き飛ばし、時に踊り子のごとき軽やかな足さばきで、一人だけで防波堤を成している。

「それは後で話しましょう。オーザン、もう十分です!」

美しくよく通る声でオーザンと呼ばれた男は片手を上げて応えると、猛然と攻め立てた。

一人も逃さず切りつけて、川に釘付けにした。

固唾を飲んで見守っていたアラゴルンはブルイネンの上流から激流が押し寄せているのに気付いた。

エルフの結界の一部が邪悪なものを排除しようとしているのだ。

「急げ!」

男は剣戟の中でアラゴルンと目を合わせ、最後にナズグルの首魁に痛烈な一撃を加え大きく怯ませるとこちらへ走り出した。

なんたる韋駄天か。

その速さたるや馬にも劣らない。

水面を滑るようにこちらに到着するのと、川中に取り残されたナズグルらが殺到する激流に飲み込まれるのは同時であった。

 

 




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エルロンドの目利き

パイプをふかしてバルコニーの手すりに寄りかかる。

漆黒の長刀を腰から下げて、ゆるゆるとくつろいでいた。

裂け谷に逗留する流浪の旅人オーザン。

訳あってここに招かれた客分だ。

「ここに居たか」

美しい黒髪を靡かせるエルフの男が部屋を訪れた。

中つ国ではずいぶんと少なくなった上位のエルフ、裂け谷の長、エルロンド。

先達にして偉大なる癒し手に敬意をこめてエルロンド卿とオーザンは呼ぶ。

フロドの治療に専念していた彼がここにいるなら、看病も終わったようだ。

「到着早々に用事を頼んで済まなかった。快く引き受けられて助かった」

「お気にならさず。これもまた、宿命のうちでしょう」

エルロンドも中つ国では力あるエルフの一人だが、清廉さ故に邪悪な気配に力を蝕まれる。

迂闊に裂け谷の聖域を出てホビットらを助けに行くわけにはいかなかったのだ。

「剣を見せてもらってもよろしいかな?」

オーザンはホビット達の直前に裂け谷を訪れた新参者だ。

自己紹介ぐらいは出来ても深い身の上話をする時間は設けられなかった。

お互いに知らないことばかりだ。

中つ国屈指の智者であるエルロンドに鑑定してもらえば、この剣の由緒もわかるやもしれない。

ただ、軽率に抜けば魔力に敏感なエルフが倒れることもありえる。

「できれば人目につかない場所がよろしいかと」

コートの中に隠していた剣を少し見せる。

鞘から迸る飢えた波動にエルロンドは顔をしかめた。

「……そのようだ。こちらへ」

エルロンドに導かれるまま、回廊を歩き、裂け谷の景色を堪能して移動する。

「初めはそなたがどのような来歴を辿り今に至るのか分かりかねた。血筋の複雑さ故だ。混血に問題はないがな。私自身も半エルフだ」

エルロンドの深い知見をもってしても、オーザンの身の上を測るのは容易でなかった。

崇高なエルフのようで、人間味にありふれた逞しき男。

混血にしても風変わりな経緯をたどっている。

「ただの混ざり物ですよ。なんのことはない」

「いや、古のエルフの欠片が君に見える。とても古い、地上にあった頃のふたつの木の輝きだ。祖にいにしえのエルフがおられるようだな」

「……祖父でしょう」

確かに祖父は神々しいほどに光に満ちたエルフだった。

気が遠くなる悠久の時、神々が地上を歩いていた神話の時代から生きているとも言っていた。

エルフとはこういうものなのだろうと思ったまま、やがて東夷やオークとの戦乱で少ない親族は散り散りになってしまっていた。

裂け谷のエルフを見るとその多くの弱々しさに驚いたものだ。

「モルゴスとの怒りの戦いで行方知れずになっていったつわもの達の一人だろうな。直々に教えを受けたかね?」

射抜くような眼差しを横から向けられて答える。

「ある日祖父が行方を眩ますまでは」

「それらはそなたの中で息づいている。大切にしたまえ」

それからいくつかの回廊を過ぎて鍛冶場に通された。

「ここなら魔力が外に漏れ出る心配はない」

格納庫も兼ねているようだ。

黄金の王笏、大粒のダイヤモンドが填められた銀冠など、並々ならぬ歴史を感じさせる物品がいくつも鎮座していた。

中でも、折れた剣にオーザンは目を奪われた。

古いが鋭利な刃は朽ちることなく、その時の姿で安置されている。

「その剣はナルシル。かつてイシルドゥアが冥王サウロンの指を切り落とし、ダゴルドアの会戦に終止符を打った」

エルロンドはひとしきり説明すると中央の炉の前の覆いを取り去った。

そこには剣を鍛えるための金床があった。

「さあ剣をここに。裂け谷の中でも最も神秘が強いものだ。安心してほしい」

ベルトから剣を外し金床に寝かせる。

中つ国では珍しい、片側にのみ刃付けをした反りのある剣だ。

全体像をまじまじとみつめたエルロンドは唇を震わせて青ざめた。

「まさかっ、かの剣はトゥーリンと共に眠っていたはずだっ!」

オーザンは剣をゆっくりと抜き、鞘の隣に添える。

四季を通して穏やかな裂け谷にそぐわぬ熱風が吹き渡った。

そこに手をかざしたエルロンドの顔はますます険しくなった。

「間違えようもない。始祖竜グラウルングを仕留め血を啜った鋼だ。どこでこれを?」

聡明なエルフは柄に触れる事を躊躇った。

それを剣が望んでいないと心に響いたのだ。

「かいつまんで言えば、神託の雷鳴と共に天より授かったものです。西で出会うものたちとの旅路に役立てよ、ということでしょう……」

「なんということだ……これもヴァラールの導きか」

エルロンドは放心して黒き刃を見つめる。

「どういう剣なのか、教えていただけるか?」

担い手として短いながらも付き合った身には聞こえる。

この剣は更なる解放を求めている。

その名を呼べと。

「この剣の元になったものには幾つかの呼び名がある。アングラヘル、黒の剣、ブレシルの黒き棘、そしてグアサング。最初の使い手ベレグの命を奪い、やがて勇者トゥーリンの命脈をも断った呪いのつるぎだ」

黒の剣。

これほどぴったりくる形容は他にはない。

「よろしければ名付けていただきたい。形を変えてまでやって来た新たな友も古き名ばかりでは辟易するだろうから」

エルロンドは迷った。

名は体を表し力を与える。

エルロンドほどのエルフが本性を言い当てることで、その性質を強調してしまう可能性もある。

しかし最終的には、目の前の、若き力あるエルフの末裔を信じて委ねることにした。

「……セレグセリオン。シンダール語で鮮血の英雄という意味だ」

「感謝します、エルロンド卿」

名付けられた魔剣セレグセリオンを握る。

黒光りの刀身に自分を映して名を呼ぶ。

「目覚めよセレグセリオン。俺がお前に相応しき舞台を整えよう」

瞬間、何かがオーザンの腕を突き抜けた。

あまりの衝撃と激痛に危うく離しそうになったがなんとか踏みとどまった。

「オーザン!」

剣が振動している。

目覚めた鳥のように鳴いているのか。

「平気です。セレグセリオンからの挨拶でしょう」

両の手のひらからは血が滴り落ちたがオーザンは笑って許し、剣を鞘に納めた。

熱風はいつの間にか収まっていた。

「……分かっただろう。その剣は使い手をひどく選ぶ。ゆめ忘れるな。ひと度選ばれたとしても、見放されれば命はあるまいぞ」

あまたの英雄の悲劇を知るエルロンドの警告に頷きセレグセリオンをベルトにかける。

「ええ、心掛けましょう」

漏れる気配をコートの裾で隠した。

これから会う者たちにこの魔剣は瘴気が強すぎる。

「戻るとしよう。そろそろ彼が起きる頃合いだ」

旅の主役たるフロド・バギンス。

彼がナズグルの刃の呪いから立ち直ったなら、会議が始まる。

中つ国の命運をかけた会議だ。

 

 

 

 




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エルロンドの会議

エルロンドに連れられ、オーザンは裂け谷を歩いた。

部屋から出たフロドが階段を下りていた。

「気分はいかがかな?」

「もう大丈夫です。ありがとうございました」

「それはよかった」

エルロンドは微笑み、神々しさにフロドははにかんだ。

「君がフロド・バギンスか。無事でなによりだ」

「あの、あなたは?」

戸惑うフロドの肩を抱いて前を向かせた。

「後で分かることだ。さあ、みんなが待ってる」

ホビットの小さな背丈は大きなオーザンの脇にすっぽりとはさまり、おぼつかない足元を支えた。

毒は抜けても体力が戻りきったとは言えない体を動かし、渓谷を望むテラスに歩いた。

柔らかな日が降り見通しがよく、すぐに彼の仲間たちが見えてきた。

「ガンダルフ!」

フロドがオーザンの手を離れて走り出す。

「おおフロド、無事じゃったか」

まず手前に魔法使い、灰色衣のガンダルフ。

好好爺然とした彼は背が高いのですぐにわかった。

「旦那様!」

「やった、フロドが起きた!」

「見りゃ分かるよピピン」

それから三人のホビット。

太りぎみな従者、庭師のサム。

パイプを咥え、気の抜けた顔でいたピピン。

神妙な顔をしているメリー。

親友たちはフロドの体にまとわりついて喜んだ。

「遅かったじゃないか、やっとお目覚めか」

偏屈そうなドワーフが言った。

樽のような体に斧を預けて座っている。

紅葉舞う奥のテラスに円座で据えた椅子には各種族の代表者がずらりと並ぶ。

人間、ドワーフ、エルフ。

その端にガンダルフと並んでフロドを座らせた。

その後ろでオーザンは手すりに寄りかかる。

空いていた穴にエルロンドが立つ。

「遠来の見知らぬ友、そして古き友よ。この度はよくぞ集まってくれた。ここに集いし全員にまずは感謝を述べたい」

深刻な面持ちに固唾を飲んで注目する。

「今日はモルドールの脅威の対策について話し合いたい。いま中つ国は破滅の淵に立ち、結束せねば奴らの力に屈し敗れる」

エルロンドは言葉を強め強調した。

「種族を問わず、同じ運命を辿る。フロド、指輪をここへ」

円の中央の石の台座を指し示した。

フロドは進み出て、ポケットから指輪を出してそこへ置いた。

一同の目の色が変わる。

「……本当だったか」

ゴンドールの大将、ボロミアが呟いたのをアラゴルンは見逃さなかった。

「力の指輪だと?」

集まった智者たちはそれが何であるか、おおまかに理解した。

強大な力を込められた魔法の指輪。

冥王サウロンが造りし驚異のパワーを秘めた道具だ。

「授かり物だ。モルドールに抗うために、ヴァラールが授けて下さったのだ」

ボロミアが立ち上がり身ぶりを交えて熱弁する。

「我が父デネソール執政の元、モルドールを退け諸君らの領地を守るためにゴンドールの民は血を流してきた。今度は敵の武器を利用してやるんだ!」

「指輪は従わん。サウロンを除いて、誰にも操れない」

力を欲するボロミアにアラゴルンは忠告した。

さすらい人(ストライダー)ごときが。貴様に何が分かる」

あらっぽくボロミアが言い捨てる。

「彼を侮辱するな。彼はアラゴルン二世、アラソルンの息子だぞ。君が本来忠誠を誓う相手だ」

闇の森のエルフ、レゴラスがこれに反論した。

侮るようだったボロミアの顔色がさっと変わる。

「アラゴルン? イシルドゥアの末裔か……」

「彼こそゴンドールの王位を継ぐものだ」

ゴンドールは過去に王が子を成す前に行方不明になって以来、長きにわたり執政が王を代行してきた。

アラゴルンはさすらい人に身をやつしているが、古きゴンドール王イシルドゥアの直系の子孫なのだ。

『座れレゴラス。その話は今はするな』

アラゴルンはエルフ語で止めた。

「ゴンドールには執政がいる。今さら王など必要ない」

苛立たしげなボロミアはアラゴルンを睨み付けてようやく座った。

アラゴルンとしても、この危機にその話題を持ち出すつもりはなかった。

 

「ともあれ、指輪は使えん。されど敵に渡せるはずもない」

止まってしまった会議の空気をガンダルフは仕切り直した。

「残る道はひとつ。葬るのだ」

エルロンドは宣言した。

「手間を省いてやろう」

せっかちなドワーフのギムリがさっと立ち上がり、帯びていた斧を振り上げる。

「無理だな」

オーザンは一応忠告したが聞く耳持たず、彼は斧を叩きつけた。

「ぐわああ!!」

ギムリが弾かれるように吹き飛んだ。

火花を出して斧は砕け散ったが、指輪は傷ひとつなくそこにあった。

転がるギムリを他のドワーフが起こしてやった。

「言わんこっちゃない」

「うるさい!」

目を回したギムリは憎まれ口を叩いて起き上がる。

ガンダルフはびくりとしたフロドに目をくれる。

「無駄だギムリ。我々の手には負えん代物だ。それを造った火山の火だけが破壊できる。つまりモルドールに潜入し、その炎の中へ指輪を投げ込まなければならないのだ」

自身もこれに類するサウロンの魔法の指輪を所持していた過去があるエルロンドは、知る限り唯一の破壊法を提示する。

「君たちの中の誰かがその使命を負う」

会議がざわつくいた。

「モルドールへ潜り込むだと? 入り口の黒門を守るのはオークだけじゃない。闇の力に満ち、息をするだけで胸を焼かれる毒の風と煙が立ち込める先にあるのは枯れ果てた不毛の大地だ。それに、あの眼が待ち受ける」

モルドールと幾度と抗争を繰り広げたゴンドールのボロミアは計画を否定した。

「一万の兵を送り込んでも太刀打ちできん。わざわざサウロンに指輪を届けてやるようなものだ」

首を振って断言する。

「エルロンド卿が言われたのだ。指輪を葬らねばならないと。それ以外に方法はない!」

レゴラスが立ち上がりボロミアの言葉を打ち消す。

「そこまで言うならお前は出来るのか!?」

エルフ嫌いのギムリが噛みついた。

「もししくじってサウロンに指輪が渡ったら我々は破滅する!」

「エルフに指輪を渡す位なら死んだほうがマシだ!」

ギムリが無関係なエルフに苛立ちをぶつけるとエルフの特使たちもそれを激しく非難する。

それを皮切りにそれぞれが主張を口々に言い出し、胸を付き合わせて怒鳴り合いが始まってしまった。

「やめよ! 今は言い争っている場合ではない!」

ガンダルフも止めに入るが会議はもう滅茶苦茶だ。

オーザンは途方に暮れているエルロンドから視線を移し、喧騒から外れたフロドを見ていた。

指輪を見て、ホビットはすっくと立ち上がる。

魔剣士は小さな背中に宿った大いなる決意を見届けようと思った。

「僕がやる」

聞こうとしない群衆をセレグセリオンを石柱にぶつけて魔力を響かせ黙らせる。

フロドに視線が集まる。

静かになった議場で勇敢なホビットは言う。

「僕が、やります。道は知らないけど」

誰よりか弱いホビットにこの決断をさせた議論者たちは押し黙った。

痛ましい決意を魔法使いは抱き止める。

「わしも重荷を分かち合おう。お前を見守っていく」

フロドの肩に手を置き、ガンダルフは告げた。

「私もゆこう。命を懸けて君を守る。剣に誓う」

アラゴルンは席を立ち膝をついてフロドに宣誓するとガンダルフに並ぶ。

「私も。弓で戦おう」

「俺は斧で」

レゴラスとギムリがそれにつづく。

含みのある視線のやり取りをするが、今は確執を忘れ仲間となった。

「これが会議の結論なら、ゴンドールは従う。フロドといったか。我々の運命は君の肩にかかったぞ」

かげりのある表情でボロミアも参加を表明した。

会議に落ち着きが戻ったところで、植え込みに向かってオーザンは呼び掛ける。

「そこの、太っちょのホビット。出てくるなら今だぞ」

会議を覗いていたサムが転がりこんだ。

朴訥としホビットに衆目が集める。

「おれも行きます」

ホビット庄から供をしてきた庭師はフロドの腕を掴む。

「そうだろうな。秘密会議にもくっついてきたのだから」

容易ならざる旅路とわかって供にならんとする、並々ならぬ忠誠心にエルロンドは感心して同行を認めた。

「待って! 僕らも一緒に行きたい!」

室内からホビットが飛びだした。

友人のピピンとメリーがフロドを囲む。

「賢いのがいなきゃ。だって、大切な旅なんでしょ?」

「賢いだって? それじゃお前は失格だぞ?」

「なんでさ!」

メリーが小突くとピピンが憤慨した。

「ここへ来るまでにもナズグルに追われてわかっておると思うが、危険で苦しい道になるのじゃぞ。着いてこれるか?」

厳しい眼差しでガンダルフは二人に釘を刺した。

「覚悟の上だよ。フロドをほっとけないだろ」

メリーは鼻息も荒く、強い決意で意志を示した。

「よかろう小さき友よ。いつか友情が役立つ日も来よう」

ホビットの絆の深さを知るガンダルフは朗らかに微笑んだ。

「俺で最後か」

成り行きを見守っていたオーザンが最後に名乗りを上げる。

「俺が混ざれば十人。サウロンと九人のナズグルとこれで釣り合いが取れる」

「ちょっと待て、お前は誰だ?」

会議に参加したもので唯一素性が知られてないオーザンにギムリが待ったをかける。

「俺はオーザン。神託に従い東の果てより流れ着いた」

「貴様、人間じゃないな?」

新参のオーザンを見定めるようにボロミアが目を光らせる。

「ふん、どこの馬の骨ともわからん奴を連れて行けるか。サウロンのスパイかも知れんぞ」

ギムリが鼻を鳴らして不信感を出す。

エルフの混血だとわかり嫌がったのだ。

「彼の身元は私が保証する。上古のエルフに劣らぬつわものだ」

エルロンドが取り持ったがレゴラスはまだ怪しんでいる。

ハーフのエルフはいなくもないが、オーザンのように何種もの混血は見たことがないのだ。

口にはせずとも警戒している仲間をアラゴルンが宥める。

「彼はフロドのためナズグル九人とたった一人で対峙した。すでに本心と実力は証明されている」

ホビットを除き全員が、ガンダルフまでも、絶句した。

指輪の魔力にとりつかれ、絶大な力を持って生きながら死んでいるサウロンの走狗。

生半可な剣では傷も負わせられず、強壮な戦士すらなすすべなく殺される恐怖の悪霊ども。

それがナズグルだ。

しかしオーザンの知ったことではない。

妨げるなら滅ぼすだけだ。

セレグセリオンの鞘を石畳に打ちつけた。

先ほどの不気味な熱風とはうってかわって清涼なつむじ風が吹き荒れる。

「信頼はこれから掴むさ。『微力ながら、道中の安全に力を尽くそう』」

エルフ語で嘘は言えない。

それを転用してオーザンは偽りなき誓いを立てた。

「それほどの戦士が仲間なら心強い」

レゴラスは破れぬ誓いで納得し、受け入れた。

仲間が集まりひとまず胸を撫で下ろしたエルロンドがガンダルフと目配せして朗らかにうなずく。

「よろしい。そなたらは指輪に結ばれし十人の仲間だ。さっそく旅の支度を始めよう」

 




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出発前夜

エルロンドは旅の仲間の親交を深める晩餐会をもうけた。

広間の長いテーブルいっぱいにエルフの料理と秘蔵の美酒を振る舞い荒野を渡る英気を養う。

滅多にありつけないご馳走の山にめいめいが騒がしく飛び付いた。

注がれた赤ワインにまず口をつけたオーザンはうなった。

「む、美味い」

鹿肉の香草焼きを大皿によそってもりもり食べる。

「悔しいがミナス・ティリスでもこれほどの名酒と出会うのは難しい」

貴族的なボロミアもワインの味については趣味が合うようだった。

「肉料理に合うな」

「ああ、このハムもたまらん」

ボロミアと二人で絶賛しながら、盛大に飲んで食べる。

「オーザンといったな。パイプも吸うし肉も酒も好きとはエルフらしくないな。弓を持たんようだし本当にエルフなのか?」

冗談めかしてボロミアが訊いた。

「さあな。別にはぐらかすわけじゃないが、分からんのさ。人間とエルフが集まった三十人くらいの村で狩りをして暮らしていたが、誰が父親かはさっぱりだ。長老の祖父だけは、はっきりとエルフだったがな」

つまり誰かとエルフの混血なのだとオーザンは言う。

「なぜ弓を捨てた?」

レゴラスはエルフらしく弓へのこだわりを見せた。

オーザンの帯びる武器は長刀のセレグセリオンと予備の短剣の二本だけ。

エルフは全員が達人と呼ぶにふさわしい名手だが、オーザンは持っていない。

「弓を使わんのは、矢を作るのが追い付かないほど全員が毎日毎晩オークと殺し合ってたからだ。今じゃあ剣の方が使いなれた」

オークははるかな古代に邪神モルゴス、またの名をメルコールがエルフを地下深くで歪め産み出した邪悪な生物だ。

略奪と殺しを好み、生きた人間を好んで食う。

そんな醜い化け物と、オーザンはずっと殺し合ってきた。

物心ついた頃には武器を持って祖父に訓練されていた。

矢が尽きれば弓で殴り、弓が折れれば剣で斬り、剣も駄目になったら、石で潰す。

最初に無くなる弓矢にこだわってはいられなかった。

「まるでモルドールにでも暮らしてたような口振りだな」

「もっと東で、もっとひどいところだ。どこから湧いてくるのか毎週オークを百は殺しても減らんのだ。最後は東夷とオークの連合軍がわんさかやってきて、火矢を掛けられるわワーグが突っ込んでくるわで、村はバラバラだ」

東夷とは中つ国の東の地方で乱世を繰り広げる血に飢えた蛮族の総称だ。

進歩のなさのわりに、まれにオークと手を組んで戦争を仕掛ける。

「冗談だろう?」

モルドールと接するゴンドールで兵を率い、国境で何度も戦うボロミアはオークの恐ろしさをいやというほどしっていた。

勇猛な武将で鳴らした彼も、たった三十の部下で毎日戦えと言われたらぞっとする。

それが東夷と手を組む悪夢など、正直信じたくない。

「さてな、好きに思ってくれ。ここに俺がいる。今はそれが事実だ。質問攻めが終わりならこいつを食べよう。ワーグの肉とは比べ物にならん美味さだ」

おどけて言った言葉にボロミアは吹き出した。

ワーグとは人間が馬に乗るようにオークが乗る事がある生き物だ。

荒れ地の国に生息する、狼を大きくして、オークにひけをとらない位に悪賢くしたようなけだものだ。

当然、食べるような相手ではない。

「おい嘘なんだろ?」

ボロミアが唖然として口をぬぐった。

「奴らときたら、臭いし筋が多くてな」

「頼むやめろ、聞きたくない」

オークと日常的に戦っていたと自称するオーザンが言うと本当に聞こえて食事の味が分からなくなってくる。

実際、本当なのだが。

「食わないのか。こんな上等なもも肉なんてもう二度とお目にかかれないぞ」

堪能する肉をレゴラスにも勧める。

「私は十分に楽しんでる」

エルフの食事は基本的に塩気が薄く、レゴラスはそちらを食べているが、今宵は客に合わせて濃い味付けを用意している。

せっかくそれが葡萄の濃厚な香りと調和しているのに食べないのは勿体ないくらいにだ。

しかし本人が望まないなら無理強いはしない。

「悪気は無いんだ。血なまぐさい所で育ったせいか、普通のエルフについては無知でな。この通りの名前も作法も中つ国のエルフと違う、はぐれもののたわごとだ。許せ」

エルフ特有の傲慢さの欠片もなくへりくだってレゴラスに詫びる。

エルロンドは流れ者のエルフが打ち解けつつあるのをじっと見ていた。

「みなの口に合ってなにより。それは2941年の五軍の戦いの年に取れた葡萄でな。仕込みも上手くいった自信作だ。ギムリ、その戦いにはそなたの父グローインも馳せ参じたぞ。飲んでみぬか?」

「おれに縁がある酒か。ワインはあまり好かんがそれならいただく」

エルフ嫌いなギムリもエルロンドに無礼を働くほど愚かではない。

それに父親ゆかりのものとあっては酒好きのドワーフは黙っていられない。

オーザンからグラスに注がれた赤ワインを見つめるとぐいっと煽った。

「エルフが嫌いだと飲む酒まで不味いか?」

「……こんなに美味いもんを不味いと言うほど腐っちゃいねえよ」

けなすように誉める難儀なドワーフにおかわりを注いでやる。

それも一口で飲んでしまったギムリに更に注いでやろうとして遮られた。

「ケチケチするな、瓶ごとよこせ」

オーザンの手からボトルをひったくるとらっぱ飲みでワインを減らしはじめる。

「ははは。そうも言われれば職人も喜ぼう。ワインはまだまだある」

おおらかなエルロンドは笑って追加のボトルを何本か従者に命じた。

エルロンドの娘アルウェンと語らうアラゴルンは談笑を終わらせガンダルフに尋ねる。

「人となりは分からないが彼には力を感じる。それに強い執念も。果たして信じてよいのだろうか」

「わしにも分からん。エルロンド卿の目を信じ進むしかあるまい」

はちみつ酒をチビチビ舐めていたガンダルフが答えに詰まって髭を撫でる。

責任感が強いアラゴルンはひとときを楽しみながら思案した。

「魔法で心を覗けないか?」

「もう何度もやったが弾かれた。並々ならぬ魔法への耐性があるようじゃ」

「もっと強いものはないのか?」

「あからさまに心を探るような強力な魔法は敵意と取られる。いたずらにかけてはいかん」

旅を預かる賢者と王の末裔は小声と視線を細かく交えて議論した。

実はエルフのオーザンには丸聞こえであったが、不穏なものでもなかったので放っておいた。

成し遂げねばならない難行で密偵を疑うのは悪いことではないのだ。

ホビットはそんなことなど露知らず、小さな体に酒が回って陽気になっていた。

だがうつむくフロドだけはこれからを思うと酒にも酔えずどこの会話にも入れなかった。

「怖いかフロド」

「ガンダルフは怖くない?」

「定めに挑むのはわしでも怖いとも。しかし未来を恐れて何もせんのはもっとも愚かじゃ。腹が減っているのに何も食べようとせんようなものじゃな」

新鮮なみずみずしいトマトを摘まんだ。

「僕はどうすればいいのかな」

ホビット庄を浮かべてはサウロンの目に塗りつぶされて、仲間たちと故郷の唄を歌えそうにはなかった。

「難しく考えるな。やると決めたなら今やれることをするのみ。まずはそのエールをぐいっと飲んでみよ。そしたら今夜はたっぷり眠るがよい」

「うん」

小振りなジョッキを傾け、冥王の恐怖を少しでも遠ざけた。

ジョッキ二杯飲んでも酒の味はわからなかったが、眠りに誘うには足りる量だった。

ホビットが酔いつぶれると夕食はお開きとなった。

各々があてがわれた部屋に戻り翌朝の出発に備えて荷物をまとめた。

何も無い土地での旅に慣れたオーザンは武器のほかには荷物と呼べるものは持っておらず、早々に支度を終えた。

まだ眠るには早い時刻だ。

部屋を抜け出て、月の光に浮かぶ美しい夜景を散歩する。

談話室に入ると暖炉で火を眺めるレゴラスがいた。

「もし飲み足りないなら、一杯付き合ってくれるか?」

厨房で仕込みをしていた料理人から分けてもらった酒の瓶を振ってみせる。

「もらおうか。仲間に誘われて断る理由はない」

さわやかなエルフは誘いを受けた。

「そう来なくちゃな。ギムリも入ってこいよ」

酒の匂いに釣られてこっそり後をつけていたドワーフを呼ぶ。

しこたま飲んだくれたはずのギムリが、開き直って柱の陰から体を出す。

気恥ずかしさをごまかすように憤って暖炉を囲む椅子に座った。

「まったく、妙に鋭いやつめ。いい酒を飲むなら俺も呼ばんか!」

ボロミアはギムリのすぐ後に談話室に来た。

散歩中に誘っておいたのだ。

「遅れてすまん、盾の手入れをしていた。俺で最後か?」

ボロミアはゴンドールのこととなると周りを見えなくなりがちだが、頭を下げることもいとわない実直な男なのだ。

「ストライダーは誘わなかったのか?」

彼はアラゴルンを気にした。

実権を握ってきた執政家のボロミアと真なる王族のアラゴルンとの確執は簡単には解決しそうにない。

「そいつは野暮な質問だぜ。恋人との別れを惜しんでるんだ。そっとしといてやろう」

オーザンは最後の椅子に腰をおろした。

借りてきた四つのグラスに酒を注ぐ。

透明な酒だがすさまじい酒精の強さで香りが一気に談話室に広がった。

極上のものだと誰もがわかった。

ギムリなどは早く口をつけたくてうずうずしている。

「早く飲もうや」

「そうだな」

吟味しながらグラスを掲げ乾杯と言おうとするオーザンに、ボロミアはまだ納得がいっていない疑問をぶつけた。

「待て。乾杯の前に聞いておく」

種も生まれも異なる起源のオーザンを探るのはもうやめた。

真っ向から挑む。

アラゴルンとの溝はあってもゴンドールを想う気持ちに嘘はない。

「お前は誰の味方だ。人間かエルフかサウロンか。はっきりと答えないなら、ゴンドールの大将としてこの酒を飲めん」

神託というあやふやな言葉でなく、オーザンの真意を知りたい。

レゴラスとギムリも同じ気持ちだった。

「俺は指輪を捨てる旅に出よとヴァラールに命じられただけだ。中つ国のどこかに肩入れする気はない」

ボロミアは明確にがっかりした。

オーザンはグラスを置いてセレグセリオンを握った。

「だがオークは殺す。皆殺しだ。例え何百年かけたとしても、必ず根絶やしにしてやる」

それはとてつもない怒りだった。

オーザンの怒りに共鳴したテーブルがきしみ、暖炉の薪が激しく燃え上がる。

ボロミアはたじろいだ。

オークは人間の敵だが、ただの憎悪にしてはオーザンのそれは並外れたものだった。

「戦って死ぬ仲間はよく見ただろうが、くつわを並べた無二の友が生きたままはらわたを食われるのを見たことは? まさかりで叩き殺される子供は? 村の仲間は何人も死んで入れ替わった。俺が生まれた時から生き残っているのは、長と俺だけだ。奴らには憎しみしか無い」

もちろん親兄弟も残らず殺された。

口調や表情こそ大人しいがあふれ出た感情は隠さない。

今すぐに誰かを斬り殺せと哭くセレグセリオンを撫でてなだめる。

「変な事を訊いて悪かった。俺はお前を仲間と認める。怒りを収めてくれ」

百戦錬磨の三人も冷や汗をかいた。

ボロミアは指揮官として、レゴラスとギムリは戦士として、多くの男と接してきた三人の背筋が震え上がるほど恐ろしい武者だ。

いっそオークが哀れに思える。

だからといって同情はしないが。

「ああ、私は信頼する」

「俺もだ」

エルフとドワーフもオークには何度も辛酸を舐めさせられた。

敵の敵は味方だ。

邪悪な生物を葬るのを生業とする手練れが仲間なら申し分ない。

「すまなかった」

「いいさ。俺がそんな些細なことを根に持つ小さい男に見えるか?」

セレグセリオンから手を放してグラスを持つ。

魔剣はキイとひと鳴きして、黙った。

「いや。新たな友に乾杯だ」

「乾杯」

ボロミアの音頭に合わせて四人でグラスを打ち鳴らした。

 

 




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霧降り山脈

馬に荷を載せ裂け谷を出た。

中つ国をふたつに分ける霧降り山脈に沿って四十日南下する予定だ。

事前に放っておいた斥候の情報をもとに、大筋の道のりは安全な旅が続いた。

やがて草地は山道へ変わった。

このままガンダルフの先導で霧降り山脈のひとつ、カラズラスの峠道を越える。

行く手に広がる雪化粧と冷気に挑む前に、体力を取り戻すための休憩を入れることになった。

荷物を下ろしてめいめいが憩う。

馬にも水と餌をやる。

サムが手早く火をおこして食事を用意する間にホビットにボロミアが剣を教え、それを一行が観戦するのが休憩の習わしになっていた。

面倒見がよい兄貴肌のボロミアにはピピンとメリーはよくなついた。

裂け谷で与えられた短剣はやや短いが彼らの体躯にはちょうどよい。

危険な旅路で役立つこともあるだろう。

「もっとよく見ろ。動く時はしっかり足を使え!」

「このっ! えいやっ!」

ひょこひょこ動く二人相手に危なげなく立ち回り、時に手を出して攻防の練習をしてやっていた。

怪我をさせない程度に手を抜いてあるので、安心して見ていられる。

本人は汗をかくほど頑張っているが、どっしりと構えたボロミアの剣術を素人のホビット二人では崩せない。

「この!」

思い切りよくピピンが飛んで突きこんだ。

「おっと!」

やや面食らったボロミアは体が覚えるままに剣を逸らして反撃してしまった。

「ああっ!」

ピピンが悲鳴を上げて剣を落としてうずくまる。

なにしろとっさにしたことで、思わぬ怪我をさせてしまったかとボロミアは冷めた。

「すまん、大丈夫か?」

気まずそうにピピンに声を掛けた彼に、メリーが体当たりを仕掛けた。

「今だ! やっちまえ!」

怪我の演技をやめて飛び起きたピピンも一緒になってボロミアを引き倒した。

二人で馬乗りになって軽い拳で殴り付ける。

戦争で体の隅々まで鍛えたボロミアにはホビットのパンチはとても軽く、大した痛手ではない。

それより余計な気を回さずゴンドールの大将をまんまと騙してくれたことが愉快だ。

ひさしぶりに気持ちがいい。

「ははは、敵わん。オーザン、お前も手伝ってくれ!」

レゴラスと二人で見張りに立っていたオーザンに助けを求めた。

いまのところオークの姿はない。

見張りを任せてよいかとレゴラスに目をやると頷いたので地図を丸めて枯れ草色のコートに仕舞い、ボロミアを起こしてやる。

「ひどくやられたな」

「ああ、いっぱい食わされた」

サムが淹れたお茶を飲みに焚き火へ行くボロミアと入れ替わりに空き地に立つ。

「これでいいか」

適当な枝を拾った。

杖にもならなそうな細い棒だ。

ささくれや小枝を取り除いて持ちやすくすると二、三回振って手に馴染ませる。

「その立派な業物は使わんのか?」

パイプを吸うギムリが片方の眉を上げた。

彼はオーザンの持つ並々ならぬ剣を見てみたかった。

「こいつは下手をすると二人の剣どころか腕がなくなっちまう」

セレグセリオンをベルトから外して岩にかける。

なにかの拍子に二人が触れたら何が起きるかわかったものじゃない。

「しかしただの枝で剣とは打ち合えんだろう。私の剣を使ってくれ」

アラゴルンは剣を貸そうとしたが断った。

たとえ遊びでもいたいけな若者に剣を向ける気にはならなかった。

「それこそ腕の見せ所よ。そら、遠慮するな。俺はここから動かないから攻めてみろ」

一歩も動けないほど狭い円を土に描いて入る。

「怪我しても知らないぜ?」

鼻息が荒いメリーが剣を向けてきた。

だが正しい使い方を知らない剣など恐れるに足らず。

「一太刀でも入れられたら、俺のパイプ草を全部くれてやるぞ」

「言ったな!」

それを侮りと受け取ったメリーが力いっぱいに振りかぶって突っ込んだ。

「やあぁっ!」

叩きつける短剣を迎え撃つのではなく、ぴたりと優しく添えて力を加えて軌道を変え紙一重のところを空振らせる。

「うわっ」

「力み過ぎるといなしに弱い。適度に力を抜け」

ピピンの刺突を棒の腹で正確に滑らせて外す。

「ばか正直に突いても払われて隙が生まれる」

脚を狙って払おうとすると手首に棒の先端でひと突きして剣を出だしで止める。

「見え見えだ。大振りは他の攻撃と混ぜて使え」

速く正確で、それでいて尖っていない動きがホビットを翻弄する。

目が後ろに付いているように、前後左右からの剣をかわしてしまう。

ホビットのつたなさもあるが、それ以上に常道を知り尽くした尋常でない手管だ。

それになにより、静かすぎる。

「どうなってる。魔法か?」

剣を使った稽古で打ち合う音が無い異常さにアラゴルンは気がついた。

「魔法ならそうと分かる。じゃがそんな気配はせんのう」

「ありえるのか?」

「神々に教えを受けた古きエルフならば、あるいはな」

魔法には誰よりも詳しいガンダルフが目を光らせているが、にわかには信じられない。

二人の頑張りにさらされても、棒は折れることなく短剣の攻勢をはねのけた。

「見たままが真実だアラゴルン。中つ国では忘れ去られたようだがな。この二人だって練習次第で身に付く」

勢い余って転がったメリーの背中を棒で軽く叩く。

「いてっ」

「焦らず急ぎ、柔らかに強くだ」

「だから、それをどうやるんだよ!」

「説明するのは難しい。俺も理解するまで時間がかかった」

棒でそばの枯れ木の幹を叩く。

棒よりはるかに太いそれが真っ二つに裂けたのをみて仲間たちの顎が落ちた。

「俺は覚えが悪い方だったからな」

「どこがだ! お前がいちゃ斧が要らんじゃないか」

ギムリがあきれてぼやく。

「隙あり!」

こっそりと後ろに回ったピピンが肩口目掛けて斬りつけた。

鎖帷子も着てないオーザンに当たれば流血は免れない。

「不味い!」

旅の仲間は深手を負う幻を見てひやりとした。

「甘い」

体を反転させて稼いだ僅かな隙間で、天を突くように棒を回転させて短剣を巻き上げ、上体を反らして避けきった。

両手でたくみに棒を操り呆気にとられて固まるピピンの喉に棒の先端を突き付ける。

実戦なら喉を刺されてピピンは死ぬ。

「惜しかったな」

「ええ!? いま斬れたよね!?」

一瞬の出来事に目と頭が追い付かなかったピピンが叫ぶ。

「勝ったと思い込むのは良くないぞ」

髪の一本も斬れてない。

それが現実だ。

それに、最初に決めたサークルから、オーザンは一歩も出なかった。

「ナズグルと戦ったっていうのもあながち嘘じゃなさそうだ。いったいどんな修練を積んできたんだ?」

湯気が昇るカップを持ったボロミアが岩に腰を下ろす。

「長老から習ったのさ。剣をあるとは思うな、斬ろうとするな、斬れるべくして斬れってな」

棒を小さく折って薪に変え、サムに手渡す。

ベーコンと豆の炒め物を作っている最中に火が弱まったようにみえた。

サムはどうも、と言って料理を続けた。

「それはなぞかけか?」

村が解散してから一人旅をしてきたオーザンにはボロミアの反応が懐かしい。

嬉しくなってよくしゃべった。

「初めは俺もそう考えた。だが本当に言ったままだった。それが出来れば枝は折れない」

「ますます分からんな」

「そりゃそうだ。分かれば出来てる。出来れば分かる。あいにく俺以外は分かった頃には死んじまったがな」

「腕前に加えて運の強さも有るなら言うことなしだ」

悲劇を嘆くより生き残った手腕をボロミアは褒め称えた。

「さあ出来た。フロド様、食事にしましょう」

スープと炒め物を作り終えたサムが皆に声をかけた。

サムの料理は美味い。

それだけで旅の気休めになる。

レゴラスと見張りを交代して岩場に立つ。

エルフの目に映る晴れた空は遠くまでよくみえた。

澄んだ空気を吸って東と南の空と大地を眺める。

賑やかに食事を楽しむ空気がそばにあるだけで嬉しい。

食器を持ったサムが苦労して岩を登ってきた。

「あんたも食べてくれよ。そのでっかい体じゃ腹が減るだろ? おれもそうだからわかるよ」

腹が出っぱったホビットがはにかむ。

「温かいうちに」

スープのカップとたっぷりのベーコンを刺した串を渡された。

「ありがとう」

塩と香草のみの味付けだったが、腹に染み渡るとても美味い食事だった。

ふと、故郷の村で女たちが作ってくれた塩気ばかりの食事が恋しくなった。

砂漠や不毛の地を旅した時は焼いただけの鳥やオークから奪ったよく分からない肉を食べていた。

裂け谷でエルロンド卿によって指輪の仲間と引き合わされるまで、ずっと一人だった。

オーザンは大きな背中を岩に預けずるずると座る。

古里を捨ててずいぶんと遠くまで来たものだ。

復讐と仲間の捜索に奔走していたはずが、何の因果か中つ国の山にいる。

「人生分からんもんだ」

遠くの雲を見てたそがれるオーザンも横までに談笑する仲間たちの輪から抜けたフロドがやってきた。

「やあ」

「どうした。ホビットにこの寒さは堪えるだろ。焚き火に当たってたほうがいいぞ」

フロドは指輪の魔力に苦しんでいるのか、裂け谷を出た日よりやつれた。

「その、話がしたくて。まだあなたの事を何も知らないから」

「俺のことか、別に構わないが。聞かせるような面白い話なんて無いけどなあ」

拒絶するわけではない。

人生の大半を彩る血みどろの殺し合いを語ったところで、なにかの慰みにはなるまいと、オーザンは思った。

「どうして指輪の仲間になってくれたのか、まだ教えてくれてないよ」

真意を計りかねる不安からか、指輪に通して首に提げた鎖を握る。

「そうだったな。別に秘密にするつもりはなかった」

セレグセリオンを撫でる。

時折こうしてなだめてやらないと、この魔剣は早く抜けと脈打つのだ。

「前に言ったが、オークのせいで村が滅びてな。行くあてもなかった。生き残りと復讐相手を探しても手がかりは無い。それから長い間探して半分諦めた時、晴れた日に雷に打たれたら西のエルフの谷、それだけ聞こえた。折れた剣を持ってたはずの手にはこいつが有った。それで俺は訊いて回りながら西に歩いた。で、着いたのがエルロンド卿の裂け谷だ。ちょうどブルイネンでお前と出会ったその日の朝だ」

魔剣を上手に黙らせたのでパイプ草を用意する。

「おーい、火種をくれるか?」

「ほらよ!」

ギムリが先端が赤く燻る薪の一本を投げて寄越したのを掴み取り、着火した。

火の着きが悪いが何度かふかすと落ち着く。

「オークがうようよいる所に行こうって話だ。今の俺にあつらえ向きの旅だろ? だから行くのさ。オークを斬るためにな」

言うべきはおおむね言った。

しかし指輪に弱ったフロドの心に巣食う、不安感の根っこは取り除けない。

「安心しろよ。旅の仲間を裏切ってまで守りたいものも欲しいものも、もう俺には無い。くたばるまで暴れてやるさ」

村の中ではひときわ長く生きたが守ることにも残すことにも失敗した。

死んではいないがすべてを失った男が生きているとは言えない。

「いいか、俺は俺の指輪の旅に失敗した。お前さんはこうはならんことだ」

敵を睨む眼、大地を掴む足、力強い腕、無双の剣、立ち向かう覚悟、そして沸き立つ心臓。

これらがあっても最も大切なものが無い。

目的が、守りたい人はもうどこにもないのだ。

ならばこれはただの八つ当たりだ。

血族のことごとくを失った男は、魂が朽ちるまで邪悪な生物を狩る鬼に変わった。

「俺と冥王との違いは人を憎むか否かの差しかない」

「……ごめん。僕、ひどいこと聞いたよね」

つらい話をさせてしまったと、フロドはうつむいた。

「気にしてねえから暗くなるな。お前に同じ思いはさせねえように、俺達はいるんだ」

おとなしく質素なホビットまでこの冥府魔道に堕ちるのは見るに耐えない。

指輪の所有者が辿った歴史の顛末を知ってそれだけ思った。

「目を閉じるとあいつがいて、日に日に大きくなっていく。段々ふるさとが思い出せなくなるんだ。このままなにもなにもわからなくなりそうだ……」

フロドの声が震え小さくなっていく。

「僕は怖くて仕方ないよ」

膝を抱えてうずくまった。

「怖い時こそ胸を張れ、最後の最後まで。お前の村はここに確かにある。お前はまだ一度も負けちゃいないぞ」

彼にはまだ守りたい場所がある。

「ホビットを嘗めたことを後悔させてやれ! 奴なんて指輪一個で大負けを今さら巻き返そうとしてる女々しい野郎だ、笑い飛ばせ!」

パイプを振りかざして煙を撒く。

「僕にもあなたみたいな勇気があればいいけど……」

「今の俺はただの捨て身だ。お前のように、なにかを守る志があって勇気と呼べる」

手当たり次第に斬るのは勇気ではない。

正気とも程遠い蛮勇だ。

「僕もそう思えるような強いひとになりたいよ」

「心は十分強い。そして体は俺達が守る」

戦いにはいくつかの役目がある。

剣を作るものや、暖かい家を用意しておくこと。

困難な仕事は一人にひとつでいい。

「もう戻れ。風邪をひく」

凍える肩を押し出して焚き火に戻らせた。

たとえ死するとしても、これが神々に与えられた使命なら従おう。

死をもって生きることは完成する。

命を費やすに値する目的を得ることはこの上なく嬉しいものだ。

オーザンは久しぶりの感覚を迎え入れた。

 

 

 




オーザンはハーフなのでレゴラスよりやや老けてる設定。
東で毎日争ってた最後の同盟にも不参加。

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峠へ

昼食を切り上げたレゴラスが見張りに戻ってきた。

「お前は行かなくていいのか?」

「ガンダルフはどうも信用してくれてないようだからな。俺みたいな怪しいのが一人でもいると気が休まらない」

疑り深いじい様だと、笑って煙を吐く。

「対話して信頼を勝ち得ようとはしてないようだが?」

「一人が永くてお喋りのしかたを忘れちまったんだ」

それらしくうそぶいてみたが涼しげな若いエルフは納得していないようだ。

「行動で語ればいい。いずれその機会が巡る」

パイプをふかして南の空を見る。

「なあ、誰か。あれが何だかわかるか?」

白い雲の合間に黒いものがあった。

パイプで指した方を全員が向く。

「雨雲だ。心配ない」

そこまで目が良くないギムリには雨雲にしか見えなかった。

「いや待て。ただの雲にしては速いぞ」

ボロミアは異変を察して荷物を拾った。

目を細めてレゴラスと彼方を見つめる。

先に形を見極めたのはオーザンだった。

「烏の群れ、だな」

「クレバインだ!」

その烏が任された役目をレゴラスは知っていた。

「なんだそれは」

中つ国に疎いオーザンは疑問に思ったが、それをレゴラスが教えるより先にガンダルフが叫んだ。

「サルマンの操る斥候じゃ! 隠れろ!!」

一同があわただしく動いた。

散らばっていた食器をサムが拾い、アラゴルンはガンダルフと馬を岩陰に誘導して伏せさせる。

荷物を抱えて植物や岩場の下に隠していった。

浮き足だって右往左往していたピピンにオーザンが指示を出す。

「ピピン、火を消せ!」

「わかったよ!」

水を貯めた革の袋の栓を抜いて焚き火に持っていく。

「水で消すと煙が目立つ、土をかけろ!」

ピピンは水袋を放り捨て、短剣で掘り返した土を火に被せる。

新鮮な空気が行かなくなった石組みのかまどから炎はすぐに消えた。

「もういい!」

ボロミアがピピンを抱えて草むらの中に飛び込む。

土を掘った短剣だけが残され、きらりと光る。

美しく細工された剣は土の上では間違いなく烏の目に止まるだろう。

迷っている暇はない。

「俺の宝物だ、無くすなよ!」

パイプをレゴラスに投げたオーザンは安全な隠れ場所から飛び出した。

「よせ! 時間がない!」

レゴラスの制止を振り切り、土煙を立てず飛ぶように走って落ちていた剣を掴んだ。

踏ん張って勢いを殺すと足元の土が舞う。

だから走り抜けて岩場の崖っぷちに飛びつく。

そしてそのまま痕跡を作らないように断崖から身を投げた。

この高さから転落したなら、空でも飛べない限りは助かるまい。

「なんてことだ……」

剣ひとつのために犠牲になることを迷わず決めたのだと理解してアラゴルンは呆然とした。

良き仲間になれると確信した矢先だ。

顔を手で覆い、冥福を祈る。

しかし一方のオーザンはちゃんと生きていた。

左手の握力にものを言わせ、絶壁からわずかに突き出た岩盤の突起に指を食い込ませている。

崖に生えた草に枯れ草色のコートを紛れさせる。

ゆっくり見上げ烏の群れに発見されていないと知った。

目下危ういのは腰のセレグセリオンだ。

このわがままな魔剣はオーザンがピピンの短剣を右手で持っていることに嫉妬して熱を帯び始めた。

こうなると、いつキイキイ鳴き始めるかわからない。

「いい子だから今はよせ」

短剣を足で挟み、拗ねる魔剣の柄を撫でて機嫌を直してもらう。

尖ってもいない柄がちくちくと指先を責めて血を啜っている。

触れさえすれば騒ぎ立てず、それだけで済むので好きなだけ吸わせる。

今はクレバインをやり過ごすのが先決だ。

上を伺いながら岩壁にぴったり張り付いて待つ。

やがて黒雲のように押し寄せた烏の群れは通りすぎていった。

迂闊に這い上がってうっかり見つかってはたまらないので、そのまましばらく様子見をしていると仲間たちがなにやら話し始める。

「まさか、こんなところで彼を失うとは……」

脱力した声はアラゴルンだ。

声の近さからして崖を覗いているようだが、オーザンが掴まっているのは抉れた内側なので死角になっている。

「僕のせいだ。僕が剣を落としたから!」

「自分を責めるな。あいつはそんなこと望まない」

めそめそしているピピンをボロミアが慰める。

「死なせるには惜しい奴だった」

湿っぽい声になっているのはギムリだ。

案外涙もろいのかも知れない。

「そんな、さっきまでそこにいたのに……」

「フロドよ、彼のためにも進まねばならぬ。立ち止まることは許されん」

死んだことにされて置いていかれそうなので、短剣をベルトに差してすいすいと崖をよじ登る。

地上に再び現れたオーザンに仲間たちは目を丸くした。

「勝手に俺を殺さんでくれ」

「オーザン! 無事だったか!!」

駆け寄ったアラゴルンは嬉しそうに肩を抱いた。

素直な男だ。

ボロミアはあっさりとしていたが、やはり嬉しそうであった。

「てっきり死んだと思ったぞ」

「あれぐらい地元じゃよくある」

仲間はオーザンの無事を喜んだが問題は他にある。

「それより、サルマンに位置を知られたか?」

「楽観はできん。急ぐのじゃ」

ガンダルフは冷ややかだった。

一人が早々に脱落しかけ、予定より厳しい旅路になる予感がしたのだろう。

地図を開いてぶつぶつ言いはじめる。

「ごめんなさいオーザン……」

おどおどしたピピンが縮こまりながら半べそで来た。

「男がめそめそ泣くな、涙が安っぽくなる。尻拭いならいくらでもしてやるよ」

それが仲間というものだ。

快活な笑顔で目を潤ませたピピンのもじゃもじゃ髪をかき混ぜ、剣を鞘に入れてやった。

「だが剣は大事なものだ、もうなくすな」

「うん。約束するよ」

「よし」

十人に戻った旅の仲間はカラズラスの峠を目指してまた歩き始める。

いくつもの峰を越えて、岩場の道は雪化粧に変わった。

膝まである雪に特に小柄なホビットは苦労して進む。

オーザンとレゴラスだけはその身軽さで雪の上を沈まずに歩いている。

「雪ってのは、冷たいんだな」

雪を掬ってみた。

あっという間に手のひらで溶けて水に変わる。

「見たことないのか?」

サムが意外そうに聞き返した。

「砂漠や枯れた土地ばかりうろついていたから、どんなものか忘れてた」

戦ってばかりで他のことを考えている余裕もなかった。

「何年生きている?」

ふとボロミアは気になって訊いてみた。

「正確には言えないが、生まれたのは恐らく二紀の終わり頃だから、三千と少しだな」

「私とそんなに変わらないんだな」

青々としたレゴラスは純血の、しかも王の息子だ。

神々の国へ移り住むことこそしなかった一族の末裔だが、古い血もかなり引いている。

今より老いることも病に冒されることもない。

「どっちにしろ気が遠くなるような時間だね。おれには想像もできねえや」

間のサムがぼんやりと感嘆する。

ホビットの寿命はおよそ百年。

対してエルフは心が錆び付くか、西方の神々の国へ旅立つまでほぼ永遠に生きる。

感覚が違う。

「見た目が違うがそれはなぜだ? しかもそんな髭が生えたエルフなぞ聞いたこともない」

神々に最初に創られた、人間とは根本からかけ離れた生き物と話すことをボロミアは面白がった。

「血の影響だろうな。ドゥーネダイン(人間)の血が混ざった俺は歳をとると老けるらしい。戦争以外で死んだ年上を見たことがないから寿命はどうなるか知らんが」

調べようにも知る手がかりが全員死んでしまったので答えは闇の中だ。

「家族を探すのはもうやめたのか?」

「諦めちゃいないが、希望は薄い。なにしろもう何十年も経った」

今は指輪を捨てる旅を優先する。

どこかで家族が生きていても、万全のサウロンが蘇ればご破算だ。

「いつか見つかるといいな」

「ああ」

ボロミアの言葉が慰めだとしても、オーザンは嬉しかった。

銀世界を背に男たちの友情は厚くなった。

切り立ったカラズラスの頂きが近くなるとさらさらの万年雪が深さを増し、ギムリやホビットはしきりに足をとられる。

踏んだ雪が崩れ、フロドがよろけた。

「わあっ!」

新雪の柔らかさに引かれて斜面を転がり落ちる。

全員が振り返った先で、二十歩ほど下ったところで止まった。

「フロド!」

アラゴルンが慌てて助けに戻る。

「大丈夫か?」

被さった雪をどけてやると体をまさぐって血相を変えた。

鎖を使って首にかけた指輪が転がった拍子にどこかへ飛んでいってしまった。

「指輪が……ない!」

「なに?」

転がった軌跡に視線をさ迷わせ、上のほうで見つける。

指輪は雪に混ざるように落ちていた。

近くにいたボロミアがそれを拾い上げる。

彼は魅入られたように指輪を凝視した。

指輪の魔力に誘惑されていた。

人の欲を増幅させて狂わせ、やがては冥王の魔力が精神を乗っ取るその手始めだ。

希代の英雄すら狂わせた誘いが、ゴンドールを守る力を常から求めるボロミアに牙を剥いた。

「渡すんだ」

万が一、ボロミアが乱心した場合に備えてアラゴルンは剣に手をかけて命じる。

アラゴルンと対峙したボロミアに反骨の意志があった。

まるで怨敵のように睨み付けたのだ。

それと知った仲間に緊張が走る。

「意地が悪いぞ、返してやれ」

後ろから伸びたオーザンの手が、さっと指輪を掠めとる。

握った指輪からなにやら声がする。

力が欲しければ応えよ、だったり、覇王にしてやる、といった大げさな内容だ。

しかし僻地で生きてきたオーザンはどれも興味をそそられず、下らないと一蹴した。

後ろでガンダルフが杖と剣を構えようとしている。

勘違いされる前にさっさとフロドに突き返した。

「それには中つ国の運命がかかってるんだ。気をつけてくれよ?」

「ああ、うん」

いそいそと首にかけ指輪を服の中に隠した。

「大したことじゃない。さあ歩いた歩いた!」

緊張の糸がほどけ、全員がまた歩きはじめる。

アラゴルンと最後尾で並んだ。

「指輪に触れてなんともないのか?」

「欲しいものが無いからだろうな。流石の指輪も死びとは誘惑しようがない」

喪失の悲しみに踏ん切りをつけ、強い欲もない。

オーク狩りの実力も間に合っている。

むしろ復讐に余計な手出しをされるのは気分が悪い。

「もしよければ、フロドが苦しそうなら代わってやれないか?」

「駄目だ。オークと出会えば怒りを思い出す。そういう時にサウロンに忍び寄られたら保証できない」

無理と即答する。

乗っ取られでもしたら、オークへの憎悪を反転され、人間を無差別に襲う怪物に変貌してしまうだろう。

最悪の可能性だ。

「フロドにしか出来ない」

心を保てるのは清廉な彼のみ。

清らかさだけが指輪への抵抗力になる。

オーザンには付け入る傷が多すぎた。

「……そうか。今のは忘れてくれ」

「はいよ」

もっとも、いたずらに指輪をはめようものならセレグセリオンが暴れて指を切り落としかねない。

他の意志が宿主の体にまとわりつくのを魔剣は極端に嫌うだろう。

「力があればとは思わんのか?」

ぼろぼろの灰色衣に剣を隠したガンダルフが待っていた。

「力があればどうなるっていうんだ? 今さら力を得ても遅すぎる。逆にむなしくなるばかりだ」

「その境地に至るか。悲しいのう」

ガンダルフは指輪の誘惑を跳ね返した孤独な男を憐れみ少しだけ信用した。

「考える時間ならたっぷりあったからな」

一人になってからの夜は長かった。

どうするか迷うたびに悩み抜いてここにいる。

「もし家族や友が生き返れるとしたら、どうする?」

ガンダルフは少し意地が悪い質問をした。

愛するものと指輪の旅を天秤にかけろというのだ。

「愚問だぞ灰色のガンダルフ。失ったものはもう戻らん。返ったとしてもそれは同じ形をした別の何かだ」

本性を暴く手口と承知の上で語気を強める。

それは思い出を穢すも同然だ。

大切なものだからこそ、安易に生き死にを入れ替えてもてあそぶのは許せない。

生と死の狭間で暮らしたオーザンは、生きていることと同じくらい死んだことを重んじる。

「それがサウロンのやり口じゃ。愛深きものはわかっていてもこれに弱い」

指輪の魔力により闇の勢力に堕したナズグルも、かつては人間の王として愛するものを守るために力を求めた。

しかし行き着いたのはサウロンに永遠に服従する終わりのない亡霊だ。

「そんなたわごとに貸す耳は無いから安心しろ」

「ならばよい」

ガンダルフは押し黙って足を速め前に行った。

峠は近い。

 

 




オーザンの集落は遠く毎日戦争していたようなものなので、最後の同盟も不参加です。

同時展開の
エログロ全開ハードコアチャンバラ破戒武侠伝
「剣戟魔界都市」もハイよろしくぅ!
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峠、そしてモリアへ

近づくほどにカラズラスの天候は悪くなった。

粉雪は大雪に、山風は猛吹雪に変化して一行に襲いかかった。

「こっちじゃ」

ガンダルフに従って道を辿るが、元から人一人分も幅がない小道は完全に雪で埋もれてしまった。

右も左も雪でいっぱいで、道を踏み外した荷馬は氷の亀裂に落ちた。

また誰が足を滑らせてもおかしくない。

オーザンとレゴラスが先行して危険を調べてはいるが、刻一刻と悪化する天候には逆らえない。

エルフの足ならすいすい歩けるが、人間やホビットやドワーフは腰まで積もった雪をかき分けて歩いている。

「この道はいつもこんな感じか?」

エルフの恩寵があるオーザンは寒さにも平然としているが、状況はかなり悪い。

「いや変だ。カラズラスは冬でも雪に閉ざされたりはしないはずだが」

地理に詳しいアラゴルンも首をひねる。

これだけの異常がたまたま通る時にだけ起きるとは考えにくい。

「崩れるぞ、下がれ!」

レゴラスの警告でアラゴルンが飛び退き崩落から免れた。

いよいよなにかの意思を感じさせる山の振る舞いにガンダルフは呪文を唱えてあたりを調べた。

「サルマンめの魔法か!」

カラズラスはサルマンに操作されていた。

サルマンの魔力が冷気を増し、風を狂わせているのだ。

「危ない!」

頭上からフロドめがけて氷塊が落ちてきた。

オーザンが間一髪で間に滑り込んで受け止める。

「むん!」

ひょいと崖下に投げ飛ばしたが事態は好転しない。

上にある大きな雪の塊が一斉に震えだした。

「おんなじ魔法使いならなんとか出来んか! ホビットが凍りつくぞ!」

氷が張り付いた兜で氷柱を受け流したギムリが風に負けじと吠える。

ガンダルフは杖をかざして唸っても雲は晴れない。

「わしらはこの世の規律を大きく乱す魔法は使ってはならぬと決まっておるのじゃ。しかし奴はその禁を破った上に山の力を利用しておる!」

対抗する魔法を使おうにも荒れ狂う山を鎮めるほど、力を出せない。

また上方で雪が崩れる。

「大きいのがくるぞ! しがみつけ!」

ボロミアがピピンとメリーを抱えて壁に身を寄せる。

他はせいぜい踏ん張ることしか出来なかった。

「南無三!」

オーザンの視界が白で塗り潰される。

大規模な雪崩ではなく圧死も滑落も避けられたが、大量の雪が降り注ぎ、背の高いオーザンでさえ首まで埋まってしまった。

「敵と会う前に全滅なんて冗談じゃねえぞ」

急いで手足を滅茶苦茶に動かして周りの雪を蹴散らすと手近なギムリから掘り返す。

「ぶはあああ! 助かった!」

雪溜まりから這い出すと凍った髭を揺らして服についた雪を落とす。

そして武器がないと慌てた。

「斧はどこだ! 俺の斧だ!」

「これか?」

「おお、よかった!」

先端だけ出ていた鉄の刃を見つけて引っ張りだしてやると大事そうに抱き締めた。

「サム! どこにいる!」

「ここですフロド様ぁ!」

助け合ってお互いを掘り起こし、なんとか全員の無事が確認された。

しかし道がまるでわからなくなってしまった。

いつ誰が滑落してもおかしくなく、一度話し合うことにした。

「ガンダルフ、ここは無理だ。引き返そう」

いの一番でアラゴルンは撤退を進言した。

現実的にこの有り様では通り抜けるまでに全員が生きていられる目は薄い。

回り道が必要だ。

「麓から南へ回るんだ」

ボロミアはローハンを経由する進路を提案したが、ガンダルフは首を横に振った。

「南はいかん。アイゼンガルドに近すぎる。ローハンが力を失い、あそこはサルマンに従うオークの巣窟になった」

この嵐で峠を封鎖したサルマンの狙いは経路の選択肢を潰すことにある。

だとしたら、南ではオークの大軍が待ち受けていることも考えられた。

「それではフロドを守りきれん」

勇敢なアラゴルンも十人の仲間ではどうやってもサルマンの擁する万のオークとは戦えない。

「ならオーザンはどうやって山を越えてきたんだ?」

「俺は出会ったオークを全部殺しながら南を抜けた。他に道は知らん」

これも参考にはならない。

一人なら無茶も出来るがフロドを守りながらとなると、正直厳しい。

「打つ手なしか」

ボロミアは露骨にがっかりした。

「いやひとつあるぜ」

行き詰まりを解決するのはギムリだった。

「モリアがある。地下をくぐり抜けよう!」

古い時代のドワーフは鉱石を探して霧降り山脈の地下を掘り抜いてモリア坑道を築いた。

築かれた地下都市はまたの名をカザド=ドゥームという。

カザド=ドゥームは長い期間栄えたが、鉱脈を追ってあまりにも深く掘り、ある怪物を目覚めさせた。

怪物によって王国は滅び、サウロンの手下のオークが徘徊する廃墟となった。

近年になってオークが減り再びドワーフが入植したが大部分は廃墟のままだ。

広大かつ複雑にトンネルは張り巡らされ、山脈の反対側に出る道もある。

そこを使おうと言う。

その難解さからガンダルフは経路から除いたが、今となっては唯一の道だ。

「門は閉ざされておるぞ」

ただし、過去にオークとの抗争で西側の入り口は封鎖された。

「モリアには親戚のバーリンがいる。歓迎してくれるさ」

入植者の一党はギムリの親類やゆかりの者だ。

しっかり休むことも出来る。

「バーリンか、懐かしい名だ」

レゴラスが微笑んだ。

とある出来事がきっかけでドワーフのバーリンとは話したことがあったのだ。

「知ってるのか?」

「ああ。友人だ」

いがみ合うエルフと親戚が交友があったとは知らず、ギムリが丸い目をさらに丸めた。

「むう」

ガンダルフはまだ悩んだ。

モリアにはいまだオークが隠れ、おそるべき怪物も眠っている。

悪と危険が潜んでいる場所をわざわざ通るのは避けたかった。

「フロドはもう限界だぞ」

アラゴルンの懸念はホビットだ。

ボロミアの盾を借りたオーザンが体で吹雪避けになっているが、いつまでも立ち往生していれば体の小さいホビット、特に弱っているフロドがすぐに凍え死ぬ。

「モリアをゆこう。南は見張られ山は塞がれておる。モリアに行くことまでもサルマンの策なら我らの死地となろうが、こうなっては仕方あるまい」

選択の余地はない。

ここで確実に全滅するより、危険を押してでもモリアの地下坑を抜けるほうがずっとましだ。

「良かった、地下なら雪は無いよね」

懐のピピンは歯を打ちならして言った。

「こんな所とっとと離れられるならなんでもいい。フロドがまずい、早く行こう」

メリーも友達を思いやった。

「油断するでないぞ。どんな苦難が待ち受けるかわからん」

サウロン復活の先触れか、中つ国はそこかしこに危険が蔓延っている。

闇の生き物の危険さを知るガンダルフは安堵する二人を戒めた。

「だが恐れることはない。化け物退治は俺の役目だ」

セレグセリオンに斬れないものはなく、なれば倒せるのが道理だ。

斬りようがない山よりは与しやすい。

「よし、では下山しよう。レゴラスとオーザンは前後でみんなを守れ」

アラゴルンの号令で十人は来た道を折り返した。

吹雪いてはいても、山頂から離れるほどに弱まっていくので容易であった。

いくつかの斜面と山道を下り、吹雪が遠のくまでカラズラスを離れる。

雪は岩に、岩は森に変わる。

麓にそってしばらく歩くと森が途切れた。

ガンダルフは西を見渡して一筋の道を探しだし、それに乗ってまた歩き始めた。

この道はモリアが健在であった頃、西方のエレギオンという都市との交易に用いられた。

エレギオンもモリアも滅び、荒れ放題にはなったがそのまま西門まで通じているので利用した。

夜になって、断崖に寄り添う不気味な湖に着いた。

川をせき止めて広がった湖ととてつもない高さの壁が行く手を阻む。

「ここがモリアの壁じゃ。わしらが裂け谷を出て途中から使った道がここまで通じ、シランノンの流れで終わる。目印の柊の木を見つけられるか?」

太陽と月がない時代に生まれたエルフは、星の僅かな光だけでも遠くまで見通せるようにヴァラールは作った。

その目は今のエルフにも受け継がれている。

夜の闇を見通し、オーザンとレゴラスはすぐにその木を見つけた。

霧降り山脈の切れ端の断崖に二本の柊に挟まれた石の細工があった。

「あったぞ、湖の向こうだ。なぜ柊なんだ?」

「柊の木はエレギオンの象徴だ。領土の終わりを示す。間違いない」

「なるほどな」

エレギオンはかつて柊郷とも呼ばれたが、全土の支配を目論むサウロンによって滅ぼされた。

同じエルフでもオーザンは知らないが、レゴラスは知っていた。

「左様。モリアとエレギオンの領地を結ぶ友好の証でもある」

湖のふちを回り、崖下を行く。

水面は黒く、深い。

「静かだな」

違和感を覚えた。

この大きさの湖なら、もっと魚や水飲み場に使う獣の気配があってもいい。

それらがないのはなぜだ。

「オークがいないのはいいことだろ。バーリンが上手くやったのさ」

再会に逸るギムリは聞き流した。

落石に備えて隊の中央部にいたが、やはり気になって最後尾のサムの隣に移動した。

「そんなでかくて案外怖がりかい?」

「怖がるのが俺の仕事だ。格好いいところは後で見せてやるよ」

サムの軽口にはウインクで返してやった。

太く高く育った樹齢数千年の柊は蔦がしがみつき、苔むしていた。

木の葉の影の暗がりの石壁に、確かに人の手で加工された痕跡が残っている。

「これじゃ。エルフの扉に違いない」

「これが扉? 取っ手も鍵もないぞ。どうやって開けるんだ?」

ボロミアが押しても開かない。

諦めて離れ星と月の明かりが差し込むと、壁に模様が浮き上がった。

「イシルディン……!」

細工の見事な精緻さにギムリとレゴラスがうめいた。

エルフが手を加えたミスリルが、星と月光に照らされると現れる特別な技法である。

この門はドワーフの石工とエルフの合作であることが伺えた。

浮かんだのは二本の柱が支えるアーチ。

それに囲まれた金床と鎚の紋章、八つの線が放射する銀の十字星、二本の木。

「金床がドゥーリン、星はエルフの王家、木はアマンの二つの木を意味しておる。ここで間違いない」

カザド=ドゥームが栄華を極めた当時のものが、サウロンの破壊を免れ手付かずであったことにガンダルフは喜んだ。

続いてアーチに刻まれた古いエルフの言葉を読む。

「フェアノール文字じゃな」

「なんて書いてある?」

覗きこんだフロドに急かされ目を細めて解読を試みた。

「どれどれ、モリアの領主、ドゥリンの扉、唱えよ、友、そして入れ。われ、ナルヴィ、これを作りぬ。柊郷のケレブリンボール、この図を描きぬ」

指で文字をなぞりつつなめらかに読みきったガンダルフの顔色はすぐれない。

「合言葉を言えば開くようじゃ」

「それで、合言葉は?」

当然ガンダルフは知っているものだと皆は思い込んでいた。

「それが、わからん」

ガンダルフは傍らの石に座った。

じっとして考えを巡らせているようだ。

フロドはがっかりしたというより信じられなかった。

「わからないって、だって魔法使いでしょ?」

「中から出るぶんには押せば開いたんじゃがな。わしにもわからんことぐらいあるわい。だから考えるのじゃ。みなも考えてくれ」

魔法使いはパイプを取り出して長考の姿勢に入った。

「頭を使うのは苦手なんだが……」

オーザンも傷痕だらけの顔をさすって考えてはみるが、いくさの毎日で覚えたのは罠の作り方や戦いのいろはだ。

仲間の知恵袋が駄目なら出る幕はない。

早々に諦めて見張りに立った。

どこでオークが見ているかわからず、目立つ焚き火はやめて調理が不要な保存食を配って食べる。

水辺でぼんやりしていたピピンは退屈しのぎに湖へ小石を投げ始めた。

何個か石が投げられ波紋が水面に広がっていく。

もうひとつ投げようとした腕をボロミアが掴んでやめさせた。

時間ばかりが流れる。

あれでもないこれでもないと単語を試し、果てはボロミアが剣でこじ開けようとしたが無駄だった。

ぴたりと閉じており切っ先も入る隙間がない。

因縁を捨ててアラゴルンと協力しても敵いっこなさそうだ。

「くそっ! 開け!」

「先人の技だ。破れん」

モリアの絶頂期の技術を伝え聞くギムリは悪あがきを諌めた。

「こう言っちゃなんだが、その扉は良くできてる。エルフとドワーフは仲が悪いんじゃなかったか?」

「損得が噛み合えばやりとりぐらいするわい」

「いがみ合いばかりじゃなくて、交易を通じて縁を結ぶこともあったのさ。互いの優れた技術を交換して武器の質を高めていたんだ」

レゴラスの弓には綺麗な装飾と綻びのない魔法が掛けられている。

ギムリの斧も剛健でかみそりのように鋭い。

「まあ、エルフも魔法だけは大したもんだったからな」

「ドワーフの工芸品もな」

二人は長所を認め合った。

それぞれの長所を生かせれば強固で鋭く、羽毛のように軽やかな魔法の武器も創れただろう。

「そんなこともあったが今はサウロンのせいで滅茶苦茶にされちまった」

「多くの戦士が散った。栄華は遠い昔だ」

遠い目で故人を偲ぶ。

無数の技術が失伝しサウロンを滅ぼして平和を取り戻したとしても、かつての栄光を復元するのは不可能だ。

「なあに、生きてりゃ明日がある。人さえいれば町も復興できるさ」

辺境では天変地異や襲撃で拠点が潰れ、一から始めるのは珍しくない。

自分の唯一知る世界が何度も壊れてもいちいち絶望などしない。

昨日までが崩れ去ったなら、また今日を積み上げていけば同じ高さに届く。

明日を夢見て信じ今日に命を賭けるのだ。

そうやって生きてきた。

己以外が死に絶えた今でも、それが間違いだったとは思わない。

「いつかあの扉も賑やかになる。昔みたいにな」

これは多くの種族の復活の旅だ。

「……昔?」

その単語が耳に引っ掛かったフロドが腰を上げる。

扉の前を行ったり来たりして考えを編み上げる。

「そうか、そうだ!」

「どうした?」

じっと考えていたガンダルフが顔を向けた。

「もっと簡単な話だった! 昔に造ったなら、交易で出入りする度に面倒な合言葉なんてやらない」

「一理あるのう。それで?」

「唱えよ、友と。そのままだ、友はエルフ語で言うとなに?」

フロドに訊かれるままガンダルフは答えた。

「メルロン」

積もった埃をこぼして、ドゥリンの扉は外へ動いた。

真っ暗な洞窟が待っている。

「開いたぞ!」

ボロミアは歓声をあげる。

湿った風が開かれた門から吹き出した。

「なんと、深く考えすぎじゃったか。言われてみれば、フェアノール文字を読めるオークはおらなんだ。昔はそのまま読んで出入りしておったのじゃな」

「よくやったフロド!」

アラゴルンと一緒に手柄を称えて胴上げしてやりたいが、それに参加してやれなくなった。

闇夜の湖と坑道の両方に異常がある。

「盛り上がってるところ水を差して悪いが、早く入らないとまずい。レゴラス、先頭を任せる。注意しろ!」

オーザンに勝るとも劣らない五感の鋭さで、暗闇でも立ち回れる。

笑顔を消して戦士の顔になったレゴラスが矢をつがえて洞窟に向ける。

「なんだってんだい?」

「いいから急げ」

サムの背中を押して行かせる。

ドゥリンの扉から吹いた風に混ざっていたのは辺境でいやというほど嗅いだ臭いだ。

ピピンの投げた石で湖に潜むものにも察知されたようだ。

暗い水面がこちらに動いている。

最後尾にフロドを置いてそろりそろりと一行は入っていく。

湖と門の間に立ち、裾をはらってセレグセリオンを抜いた。

真っ黒な刀身に月明かりが反射して濡れたように光る。

右手で握り、柄の先端に左手を添える独特の構え。

「来い」

静かだった水面がうねり、多数の触手が飛び出した。

人の胴ほどもあるみみずのような気味の悪い外見で、ぬらぬらしている。

「ふっ」

まっすぐこちらに来るのなら、オーザンには容易い獲物だ。

ひと呼吸のうちに四度の太刀で七本の触手を切り落とす 。

風を断ち音すら置き去りにする担い手に喜び、セレグセリオンは金切り声で鳴いた。

触手はオーザンの足元をすり抜け、門を潜ろうとしていたフロドの足首を捕まえた。

外へ引き摺られてていく。

「うわああ!」

手を伸ばすがマントの裾をちぎるだけに終わった。

「フロド!!」

剣を抜いたアラゴルンとボロミアが門から舞い戻った。

すぐにそこいらの触手に剣を叩きつけてフロドへの道を拓く。

吊り上げられたフロドの真下で水が割れ巨大な骸骨のような本体があらわになった。

それが真っ二つに開くとナイフ大の無数の歯が並んだ口になった。

指輪をフロドごと食おうとしている。

「させるか!」

湖に足を踏み入れ、豪快にセレグセリオンを叩きつける。

大顎の三割まで斬り込んだだけだが怪物はひるんで悲鳴を叫び口を閉じた。

「今だ!」

アラゴルンがフロドを吊り上げた触手に斬りつけ、解放する。

水に落ちたのをすかさずボロミアが捕まえて陸地に引き上げた。

まだオーザンは手を緩めない。

魔剣を操り嵐のように刃を繰り出して触手を断ち、怪物の頭から白い体液をほとばしらせた。

並みのオークならとうに死ぬ傷を与えてもまだ足りない。

痛がって暴れさせた触手を柳のごとくかわしては本体を滅多斬りにした。

「死ね」

化け物を生かしておくとまた誰かが犠牲になる。

オーザンは怪物をここで仕留める気だった。

怪物が苦しみもがき、力強い触手が何度も門にぶつかると石組みが揺らいだ。

岩が崩れ始め今にも門が潰れそうだ。

「もういい! 戻れ!」

アラゴルンが呼び掛けた。

「ちっ」

身を翻して飛び退き、湖から駆け戻る。

崩壊する門に間一髪で滑り込んだ。

直後に岩が降り注ぎ古代の扉は完全に壊れて塞がった。

「はは、やるじゃないか。ミナス・ティリスに戻ったら英雄譚に書き留めていいか?」

暗がりでボロミアが笑った。

彼なりの最大の賛辞だった。

「構わんが、格好よく書いてくれよ?」

セレグセリオンに付いた白い血を振って飛ばし、脂気もぼろ布で綺麗に拭く。

かなりの深手は与えたものの、いまいち殺した手応えはなかった。

出来れば倒したかったが全員無事ならそれでいい。

敵を斬ってご満悦の静かな魔剣を油断なく握ったまま周りを警戒する。

「なんなのあれ!?」

ピピンは震え上がってメリーに抱きついた。

わからんと、ガンダルフは答えた。

ガンダルフでさえ知らない生き物が地の底にはうようよいるのだ。

「山の下の暗い水の中からはい出てきたものか、追い出されてきたのか。この世の深い所にはオークどもよりもっと古くから存在し、もっといやなやつらがいろいろおるのじゃ」

水晶を杖の先端にはめこんだ。

「さあ行かねば」

それが輝き、魔法の光で辺りを照らした。

 

 

 




高評価に感謝。うめ…うめ…

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地底をゆく

魔法の光が灯り、採掘と整地を繰り返した坑道を照らし出す。

動くものは何もない。

あまたの鍾乳石から滴が垂れる合奏が響くのみ。

風に混ざった臭いはやや古い。

もしやと剣は抜いておいたがその必要はなさそうだ。

セレグセリオンを鞘に納め、コートで隠した。

「馬鹿に静かだな」

用心して盾を構えたボロミアがじりじりと進む。

「すぐにもてなし好きのドワーフが飛び出すじゃろう」

「怖がるこたあねえ、暖かい寝床と旨い食事が待ってる! 早くバーリンに会いたいぜ」

ギムリは大胆に魔法の光の中を奥へ伸びる階段に進む。

懐かしい建築様式と地下の空気で彼の胸は膨らんでいた。

その結果、不穏な兆候を見落とした。

「わっ」

恐る恐る歩いていたピピンの爪先が引っ掛かり、暗がりに転がり落ちた。

「大丈夫か?」

オーザンがそこまで降りて手を伸ばす。

「いてて……」

幸い怪我はしなかったが、もっとまずいものを見つけた。

「ん……うわぁあああっ!」

転んだピピンがぶつかったのは、眼窩に矢が突き立つ朽ちた死体だった。

躓いたのは白骨化した足だ。

「むぐ……」

すかさず口を押さえて黙らせた。

「静かに。死体に害はない」

無用に騒ぎ立てれば湖のように余計な災いを引き寄せかねない。

すぐにガンダルフが魔法の光を強めてより明るく照らすと、今まで影になっていた石柱や壁際にはおびただしい数の死体が倒れていた。

緊張の糸が張り詰めて自然にホビットを守る隊形に固まる。

ピピンも慌ててそこに潜り込んだ。

レゴラスがしゃがんで刺さった矢を抜いて調べる。

返しが片側一本の鏃、ボロボロの矢羽。

ある種族の使うものと酷似している。

「オークだ!」

レゴラスは合点がいった。

「知ってたなオーザン。だから私に注意しろと言ったのか!」

当の本人は囲みからひょいと道を外れ落ちている斧や死体の傷み具合を調べる。

双方入り交じる二十弱の死体の肉は骨から剥がれ、ドワーフの良質な鉄の装備がかなり腐食している。

少なく見積もっても年単位の風化のしかただ。

戦いで果てた勇敢な戦士の亡骸を奪還して弔う余裕もなかったことを意味するなら、モリアの状況はかなり悪い。

オークの死体はドワーフの死体より多いが、双方とも落ちている武器が不自然に少ない。

勝手に動いたのでなければ、程度が良かったものは生存者の戦利品になったと思われる。

「なぜ言わなかった」

予備の短剣でオークの死体をつつくオーザンにアラゴルンが詰め寄った。

「教えてたら入らなかっただろ? 手間を省いたんだよ。安心しろ、奴等が近くにいたら寝てても臭いで分かる」

「だとしても相談くらいしてくれ。仲間だろう」

「次からはそうする。それと、近くにはいないから武器を下ろしていい。緊張し過ぎると無駄に疲れる」

どのみち退路はない。

未だにギムリの親族が生きているか、かなり疑わしくなったとは言わないでおいた。

なにも暗くなる情報を言わなくてもいい。

生死はどうせ後で分かる。

「その言葉を信じるぞ」

拳を額に押し付けて感情を整理したアラゴルンが剣を鞘に戻す。

人一倍戦いに敏感なオーザンに従い、一行は武器を仕舞った。

「なんてこった……」

「まだ決まった訳じゃない」

斧を握ってうちひしがれるギムリに肩を寄せ、先を促した。

落ち着きを取り戻した仲間たちは階段を上って戦士の墓場を後にした。

煌々と輝く杖に導かれ霧降り山脈の地下深くを粛々と歩いた。

階段を上って降りて、均された道を下る。

「ずっと疑問だったんだが、元々強いサウロンがたかが指輪に拘る必要があるか?」

話には聞いていたが魔法らしい魔法を見たのは中つ国に来てからだ。

指輪の由来も秘められた力も知らない。

エルロンド卿にはサウロンが指輪を手にすれば甦り、中つ国が滅ぼされると教えられたが想像は漠然としている。

「魔法の指輪ってのは大した代物なんだな」

今恩恵に預かっている光の魔法も松明で代わりが利く。

サルマンが起こしたカラズラスの吹雪も元から自然の地形あってのものだ。

自分だけなら切り抜けられそうだったこともあり魔法に対する畏怖の感情がどうしても鈍い。

「一つの指輪には、サウロンの力の大半が詰まっておる。取り戻せば完全に復活するであろう。そしてサウロンが関与した力の指輪は全部で十九。それらはさしずめ、使用者の魂を奴に捧げる祭壇。魔力を蓄えた指輪のすべてが揃った暁には、その日が中つ国の最後になろう」

指輪について、ガンダルフはおさらいをすることにした。

サウロンの知識を共有すればボロミアとアラゴルンの仲間意識も強まると考えた。

「冥王サウロンも元はわしと同じくマイアであったが邪神メルコールの一番の部下になると、己のために力を使う邪悪な存在へと変わり果てた。メルコールが次元の彼方へ追放され闇の生き物は散り散りに逃げ、サウロンだけは野心を引き継いだ」

太古の時代、神々から教えを受けた偉大なるエルフの戦士すら次々と倒れるような神話の戦い、宝玉戦争のことだ。

ひときわ力があったメルコールという神はうぬぼれと欲望からアルダに大戦争を引き起こした。

モルゴスと蔑称をつけられた邪神はオークや邪悪な怪物を率いて中つ国の覇者となったが、激戦の末に異次元に放逐されて二度と戻れなくなった。

大地が波打ち、大陸が海に沈むような大混乱で力あるエルフの氏族もまたいくつも絶えた。

オーザンの祖もそのひとつと思われる。

「当時のエレギオンは高い技巧を誇り、魔法の品々を数多く産出した。持つ者の力を高め命を伸ばす指輪も作っておった。サウロンは彼らの技に目をつけ、正体を隠して接近した。邪法の知識を吹き込み、魔法の指輪をエルフに作らせたのじゃ。完成した強力な指輪はエルフに三つ、ドワーフに七つ、人間に九つ配られた。やがてサウロンはエルフから盗んだ技巧を用いてモルドールの滅びの山の火口ですべての指輪を支配する、一つの指輪を作った。しかし指輪の魔力を束ね無敵の覇者として君臨するはずが、いくらかの誤算が生じた」

当時の賢者は最善を尽くして痛ましい物語では終わらせなかった。

メルコールより遠回しでいやらしい手を好むサウロンのやり口に気がついたのだ。

「知っての通り、人間は欲に溺れて指輪の虜になったが、賢きエルフは意図を読んで指輪を隠した」

エルフの指輪を探して各地の集落をサウロンは攻撃した。

廃墟と化したエレギオンもそのひとつ。

サウロンは生き残りをとらえて拷問したが、彼らは誇り高く、指輪のありかを決して言わなかった。

彼らの気高い犠牲によって邪悪な計画は小さな綻びをみせた。

「頑強なドワーフはさらに例外でな、外からの影響をほとんど受けぬ性質をしておったので指輪の力を存分に使って莫大な富を築いた」

「たかが指輪にドワーフが負けてたまるか」

サウロンの誘惑にも打ち勝ったドワーフの矜持をギムリは口にした。

「その代わり果てしなき欲望に駆られ、骨肉合い食み自滅したのを忘れるでないぞ。掘りすぎて滅びたこのモリアがいい例じゃ」

頑固な悪い面をガンダルフは戒める。

「ともあれ、サウロンはドワーフから七つのうちの三つを取り返した。残りは竜の火で焼かれたか行方知れずになった」

「連合軍はなんとか奴を倒したが指輪は捨てられなんだ。当時のゴンドール上級王のイシルドゥアは指輪の誘惑に屈してしもうたのじゃな」

人間、エルフ、ドワーフなど、サウロンに反抗する者たちが種族の垣根をこえて同盟を組んで戦った。

いまでは反目しあう者が多々いることから、最後の同盟と呼ばれる一大決戦で勝利した。

しかし希代の英雄ですら指輪に囚われ、サウロンにとどめを刺し損ねてしまったのだ。

それから三千年が経った今では魔法の息吹は薄れ、当時の英雄に並ぶような傑物はいない。

「もうとっつぁんには会えねえだろうなぁ」

ホビット荘の父親を想い悲観的にサムが嘆いた。

うつむき気味の赤毛の頭をオーザンが大きい手のひらで撫で回す。

「なに暗くなってる」

「暗くもなるさ。おとぎ話の英雄や勇者が束になってやっと倒せたんだ。流石のあんたでも一人で敵う相手じゃない」

物語の勇ましい英雄と自身のぽっちゃりした腹を見下ろしたサムが愚痴っぽくなる。

「言っとくが旅を成功させりゃあ、後の世ではみんな英雄だ。お前も勇者扱いされるんだぜ? 剣の勇者サムワイズ」

申し訳程度にぶらさげた短剣を指して言う。

今のところ彼には重りにしか思ってなかろうが、使う心構えはしておいて損はない。

主人が弱りきった頃ならなおさら出番はある。

「からかうなよ」

「からかってねえよ。物事は良い方向に考えようや。もし復活しても使われてない指輪七つの分だけ弱いってことだろ? 完全復活よりましだ」

剣が使えるなら魔法全開で来られない限り、やりようはある。

苦境など見飽きた。

「絶望という文字はお前の頭には無さそうだ」

ボロミアが呆れ半分で歯を見せた。

「応、死んでもな。俺は勝てる戦いを諦めるのが嫌いだ。何回負けても勝つまでやめねえ」

皮肉には聞こえない。

故郷が滅びた最後の朝、オークと東夷の連合軍千人を迎え撃った戦士の数は、たったの五人だった。

それでも戦い抜いて生き延びた。

今もオークとあらば殺すし同胞も探している。

「左様、最後の一人まで諦めてはいかん」

ガンダルフは人の力を信じていた。

人は暗い時代を切り開き何度も危機を乗り越えてきた。

「失われた指輪の一つがあるという噂もあって、見つけたがっていたバーリンはモリアに来た。もしかするともう探しだしたかもな!」

「ドワーフのへこたれなさにも困ったものじゃ。その頑固さゆえ指輪を渡さず、冥王の力が削がれてなんとか倒せたのだから、一概には批判出来んがな」

楽観的過ぎるギムリに口をもごもごさせてガンダルフはため息をついた。

下に進路をとり深い中つ国の底、原始の闇の地へ一行は沈んでゆく。

「む……」

三つの通路に枝分かれする分岐点で行き詰まった。

「どれを行くんだ?」

アラゴルンが進路を仰ぐがガンダルフは自信なさげに眼を泳がせる。

「この場所は、記憶にない……」

彼はドゥリンの扉の時のように座り込んで考え始めてしまった。

鼻を使ってみると遠くから嫌な臭いがする。

オークの臭いだ。

風と臭いが流れていることにはガンダルフも気付いている。

深い知恵で考えを煮詰めている最中に余計な情報を与えて混乱させたくはない。

時間を使えるなら使っておく。

円座になって岩場に仲間と座る。

「やれやれ、次に穴を掘るときはもっと単純な造りにしといてくれ」

「鉱脈に沿って掘るのに計画なんて立てようがあるかい。簡単に言いおってまったく……」

「それよりお腹空かない? 僕もうペコペコさ」

ピピンはパイプで空腹を誤魔化していた。

裂け谷から持ち出した食料の大半を背負わせていた馬は崖から落ちて無くしてしまった。

サムの荷物に入れてあった堅いパンの欠片も湖のほとりで食べた。

「休めるときに休め。目を閉じているだけでも後々違ってくる」

オーザンは忠告しながら大胆に寝そべっていた。

硬い岩の上でもお構い無しに気持ち良さそうにしている。

「オークがどこにいるかも分からないのによく平気で横になれるな」

暗闇に隠れたオークに気をとられているボロミアは眼を閉じるのも恐ろしい。

「空腹はしかたない。代わりに座れる時は座り、寝れる時は寝ておくのは戦士の基本だ」

丸一日合戦していればどんな体力自慢だろうと疲れきる。

戦いの合間に休めない者から倒れていくのだ。

「あんたが生き残った理由がわかったよ」

心なしか細くなった腹を抱えたサムが言った。

そうは言いつつも皆に疲れがあって寝息を奏でる者がちらほら出始める。

各々で楽な場所に尻と背中を落ち着ける中、動く気配を感じて片目で見る。

オークではない。

フロドだ。

体を起こして静かにそばに行く。

「眠れないか」

フロドだけが離れた場所で眼を閉じては苦しそうに悶えて眼を開けていた。

サウロンとの狂気の綱引きで一番消耗しているはずだ。

「指輪か」

ふざけた野郎だ。

肩書きのわりにやることのみみっちい冥王に内心で悪態をついた。

「貸せ」

オーザンの唐突な申し出に、見守っていたアラゴルンは発狂したかとぎょっとした。

剣を抜くか迷った末、態度が落ち着いているので様子をみることにした。

「でも……」

彼なりの優しさだとしても、フロドは戸惑った。

内側が頑強で純朴なホビットだからフロドは苦しいだけで済んでいる。

屈強で欲の無いオーザンでも長時間指輪に曝されれば正気を失うかも知れない。

それはオーザンも承知している。

だから持たない。

「ただし持つのはこの剣だ。呪われた道具同士、よろしくやってくれるだろ」

セレグセリオンを腰から外し指輪の鎖を柄にかける。

魔剣は一度ぶるりと震え、もしや不味いかとオーザンは思ったが、サウロンの意識との戦いに力を割いたのか静まった。

大丈夫そうだ。

セレグセリオンの禍々しさとサウロンの邪悪な力が上手く相殺している。

移動しないならこれでいい。

フロドの隣に座り、間の岩を台座にして立て掛ける。

ここならフロドも安心するし、自分も見張っていられる。

「まだサウロンは見えるか?」

「見え……ない……」

恐る恐る眼を閉じたフロドが青い唇から言葉を紡ぐ。

「よし。そのまま何も考えないで寝ろ。ガンダルフが名案を思い付いたら俺が起こす」

小さな体で誰よりも強大な敵と戦っている。

彼には休息が要る。

疲れきっていたフロドは数秒で意識を途切れさせ、夢も見ない深い眠りに落ちた。

「あんたも休め」

「私はいい。お前こそ寝てくれ」

「皆が起きてる時は、大将には元気で居てもらわなきゃ困るんだよ。俺が見張りはしておくから。な?」

満点のウインクを送りつけてやるとアラゴルンも押し負けて眼を閉じた。

見回して全員眠っているのを確かめ、どうしたものかと一人ごちる。

先程から何がが近くに来ている。

オークとは違う臭いがする。

それ以外の敵対的な化け物にしては一定の距離から近寄ってこない。

だからといって何が潜んでいるかわかったものじゃないのが霧降り山脈の深い場所。

油断は禁物だ。

「……放っとくか」

狩り出しに離れても良くないので放置しておくことに決めた。

近寄ってきたら対処しよう。

ガンダルフはまだまだ頭を捻っている。

仲間が起きるような音を出さないように苦心してパイプに火を着け、ぷかぷか煙で遊んで時間を潰した。

 




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マザルブルの間

オーザンの感覚ではおよそ四時間でガンダルフは目を開けた。

四つの通路を見渡せる高台に座っていたレゴラスとアラゴルンもそれに気付いた。

アラゴルンはガンダルフの元へ、レゴラスは眠っている仲間を起こしに岩場を下った。

「どうだ?」

「道がわかった」

ガンダルフは腰を上げて杖に付いた砂埃を払う。

「ここは安全とは限らん。みなを起こそう」

カラズラスから歩き通しの疲れが催した深い眠りを妨げるのは気が引けたが、無用な危険は冒せない。

「ピピン、起きてくれ」

エルフに何度も揺すられてもピピンは寝言を口ずさむ。

「むにゃ……ぼく、朝ごはんはベーコンと玉子炒めがいいな」

「いつまで寝ぼけてんだ!」

「うぶっ、わわっ!?」

メリーが顔に水を掛けると慌てて跳ね起きた。

ギムリの歯ぎしりをものともせずにすやすや眠るようなピピンには手こずったものの、レゴラスはメリーと協力して全員を目覚めさせた。

ぴくりともせず死んだように眠っていたフロドの肩を揺らす。

疲れた彼を起こしたくはなかったがそうもいかない。

「起きろ。出発だ」

しばし目を開け閉めして、夢の世界からフロドは戻ってきた。

手を伸ばして起きるのを手伝う。

「夢は見れたか」

「分からない。でも、たぶん良い夢だった」

微笑んだフロドの顔色は幾分良くなり手を握り返す力もしっかりしている。

立った膝に力が戻っている。

フロドはまだ歩けそうだ。

「持てるな?」

オーザンは拾ったセレグセリオンから指輪を外して目の前にぶら下げる。

魔剣との押し合いが途絶えた指輪は懲りずに誘惑を始めた。

間髪入れずフロドはそれをもぎ取って首にかける。

目にはまだ勇気と光があった。

「上出来だ」

歴戦の戦士でも、一度離れた死地に戻るのは足がすくむ。

それを迷わずやってのけた彼に改めて敬意を抱いた。

「お前はもう弱いホビットじゃない。さあ行くぞ、腹に力を入れろ」

フロドをガンダルフへ押し出し、腰にセレグセリオンを差す。

「お先に」

「ちょっと待った」

後ろから追い抜こうとしたサムを捕まえた。

肩を組んで耳に口を寄せて囁く。

「俺に何かあればフロドを頼む」

「はあ? あんた強気なのか弱気なのかどっちなんだい?」

「大人は現実を見なきゃいけねえんだ。明るくな?」

ふざけた態度の中に、真剣なものを感じたサムは立ち止まった。

「長い旅だ、俺やガンダルフやアラゴルンが居ないこともあり得る。お前だけは絶対一緒に居てやれ」

「デブのホビットなんかが戦いの役に立つかい?」

自虐するサムの荷物を叩く。

フライパンや水筒がからから揺れた。

「戦いってのも剣を振り回すだけじゃねえ。お前にしか出来ないこともある。ナズグルに追われてもフロドを気遣えるお前だから言ってんだ」

一番の親友だし、上手い食事を食わせてやることはサムの得意なことだ。

そういう些細なことが本当に苦しい時こそ支えになってくる。

サムはこれまでの主従関係を思い出させられ心をくすぐられた。

「言われなくてもそうするさ」

鼻息が熱くなったサムが肩を振りほどいて進んでいった。

すっとアラゴルンが肩を寄せた。

「済まない。さっきのは私がやるべきだった」

「姫様と中つ国のことで頭がいっぱいだろ? 俺は気楽な手ぶらだ、助け合っていこうや。な?」

太い腕でアラゴルンの鍛えた背中を豪快に叩きニヤリと笑う。

アラゴルンもガンダルフも、人々の営みや国を守りたいという思いが強い。

故に窮地にあれば愛するものが多いほど余裕がなくなる。

こういうのは感情以外何もない自分の役割だ。

「どっちに行くんだ?」

ギムリがガンダルフに問う。

左は下り、中央は狭い平坦、右は登りの道が、ぽっかりと真っ黒な口を開けて待ち受けている。

ガンダルフは登りの道を選んだ。

「この道をゆく。穏やかで嫌な臭いがあまりせん。他は風の通りはあるが廃墟で新鮮な空気などかえって不自然じゃ。オークが新たな巣穴を開通させたのじゃろう」

「なるほど、道理だ」

レゴラスも相づちをうって賛同した。

間違いだったとしても、賢者に分からぬようでは誰にも解けない。

仲間たちは厳かに、しかし速やかに道を登り始める。

暗くて湿っぽいトンネルがずっと先まである。

中つ国を照らす太陽の下で暮らしてきた者たちは気が滅入りそうだったが、なんとか気持ちを奮い立たせて歩いた。

どれだけ歩いたのか議論しあったが、地下の暮らしに詳しそうなギムリの体感では一日と半分程度らしい。

「よくもまあこんなに深くに家を構えたもんだ。ペレンノール野より広いんじゃないか?」

ゴンドールのミナス・ティリス城下の広大な穀倉地帯と比べてボロミアが言った。

暗闇の中で彼の目には黄金の実りと放された家畜の様子がありありと浮かんだ。

少し広い回廊に出た。

丁寧に設計して岩盤から削って磨いたように平らな壁と天井だ。

「掘りも掘ったり数千年ってか。地底まで行っちまうわけだ……」

とてつもない手間をかけた空間に純粋に言葉が漏れた。

発掘に秀で優れた鍛冶師でもあるドワーフが、霧降り山脈の豊かな鉱脈を見つけてから費やした情熱たるや、言葉にし難い。

指輪の魔力もいくらか後押ししただろうが、それでも人の身に成せることではない。

「ぐふふ、こんなもんじゃない。広間ではあっと驚かせてやるからな」

同胞を誉められて誇らしげなギムリが唸るように笑った。

ギムリの言う広間には間もなく到達した。

それは、ガラスのように磨きあげた巨大な石柱が何十と並ぶ大部屋だった。

どこかの採光装置から差し込む太陽が全体像をうっすらと浮かび上がらせた。

天井も部屋の端も魔法の光も届かないほど広く、石柱は一本一本に丁寧な彫刻がされている。

床は平らに削られてどこにも角はない。

地上に残るどんな神殿や城もかなわない荘厳さで、モリア最盛期の繁栄を語るように途方もない規模だ。

風化している部分がとても少ないのが驚きだ。

地下にあって地上の風雨から守られたからだろう。

積み上がった砂の他に年代を感じさせる劣化が無い。

しかし廃墟となって久しい侘しさも同時にここにはあった。

間口に彫られたのは案内板だろうか、汚れているが二十一と読み取れた。

あと二十部屋はここに並ぶような広間があるのだろうか。

「こいつは驚いた……」

天井を見上げたボロミアが唖然となって呟いた。

「ああ……」

裂け谷とはまた趣の違う様相にさしものオーザンも感嘆した。

「どうだ! これがドワーフの宮殿だ!」

ギムリが自慢げに短い手足をばたつかせる。

オーザンは埃っぽいのを我慢して鼻で深く吸って辺りを嗅いだ。

「ギムリ、質問がある」

「なんだ? ドワーフの技は秘密だぞ?」

風景を眺めて変だと思った事を聞きたくなった。

「そうじゃなくて、親戚のバーリンの一味に俺の何倍もデカい奴はいるか?」

「何を言っとる、そんなドワーフいるわけなかろうが」

「まあ、そうだよな」

だとしたら、柱の上の方で埃を焦がして黒ずませている煤はなんだ。

床に積もった埃も薄すぎる。

まるで、オーザンの頭よりずっと上の高さで松明を構えた大きな怪物が通ったような痕跡だ。

オークの臭いは薄いが他に焦げた臭いがするのもどうしてだ。

「変な奴め。そんなことよりバーリンを探そうぜ、きっと広間のどこかにいるはずだ」

「うむ、ここを抜けるにはそれが早かろう」

ガンダルフが杖の光を左右に振って行くべき方向に見当をつけようとしている。

オーザンはある方向を指差した。

「それならあっちだ。ドワーフの臭いがする」

そちらを意識して魔法の光を集めると壁に面した部屋があった。

「あの小部屋か」

「そうだ。調べれば手がかりが得られそうだ」

広間と比べてると小部屋に見えるが、並みの家より大きい一部屋を小部屋とギムリが言うのも変な感覚だ。

古ぼけた木の扉を前にして、あることを悟った。

同じエルフのレゴラスも感じ取ったようだ。

霊魂の残り香を。

「よし入ろう」

アラゴルンが押し開き、ボロミアとガンダルフがなだれ込む。

そしてギムリも入ってそれらを見つけた。

明かり取りに穿たれた細い窓から差し込む光の中、真っ白な石の棺が鎮座していた。

「ひっ……」

ホビットの誰かが悲鳴を漏らした。

棺の周りにはここを枕に果てたドワーフの戦士の亡骸がたくさん横たわる。

壮絶な討ち死にだったことだろう。

ギムリが棺にすがり付いた。

「うぐ……そんな……バーリン、これはオーリか! オインはどこだ!?」

棺にはバーリンの名が刻まれていた。

墓に寄りかかって息絶えた者の背格好にも見覚えがあった。

残る伯父のオインを探して亡骸を漁った。

それでも彼が愛用した戦斧を持って倒れているドワーフは見つからない。

倒れている亡骸は全部調べたが全員が違っている。

家族の亡骸すら見つけてやれないことを強く悔しがった。

「オイン、オインはどこなんだ……」

夢見た親族との再会の望みはことごとく絶たれた。

ギムリは壁を向いて膝を着き、うつむくと誰にも顔を見せずにさめざめと泣いた。

怒りと哀しみに震える背中はありし日の自分を見ているようだ。

オーザンは何も言わないし言えない。

男にかけるべき慰めの言葉など存在しない。

男とは自分の力で立ち上がれるものだ。

ただ魔剣を抜いた。

敵討ちなら手を貸せる。

背中を一度叩いて一人にしてやった。

死してなお友のそばを離れないオーリが本を抱えているのにガンダルフは気がついた。

白骨化しかけた手を剥がして拾い上げる。

何度も刺され、滅多斬りにされ、焦げた跡もある表紙を捲る。

「ふむ」

ページはちぎれて残った部分も黒っぽく古い血のしみで汚れたりしていたりと、大部分は読めるような状態ではなかったが、なんとか単語の意味を拾って解読を試みた。

モリアの言葉と谷間の国の文字を

ページをめくってじっくりと黙読する。

「これはバーリンの一党の運命を記した記録のようじゃ。わしの推測するところでは、ほぼ三十年近い昔、かれらがおぼろ谷にやってきた時から書き始められたものと思われる。ページにはここにきてからの年度を示す番号がついているようじゃ。最初のページは一の三となっておる。だから最初から二ページ欠けているわけじゃ。では読みあげるぞ」

血で汚れた文字を指でなぞってなんとか読み解く。

「大門よりオークドどもを追イ払ヒ、部屋ヲ――守備セリ――じゃろう。――ワレラハ力戦シテ谷間ノ明ルキ――日ノ下デ多クヲ倒セリ、じゃろう。ふろいハ矢ニアタリテ討チ死ニセルモ、大物ヲ打チ倒シヌ。それから――鏡ノ湖ニ近キ草ノ下ニふろいハ――とあり、そのあとの語はにじんではっきりせぬ。次の一、二行も読めぬ。それからそのあとは――ワレラハ北ノハズレノ第二十一広間ヲノットリ、居室ヲ定メヌ。ココニハ――そのあとが読めぬが、採光筒のことに触れてあるようじゃ。それから――ばーりんハまざるぶるノ間に玉座ギョクザヲ定メタリ」

「ここが二十一広間だ。マザルブルの間とはこの部屋のことだろう」

オーザンが言った。

「さて、そのあとはもうずっと読めぬ所が多い」

ガンダルフがページを飛ばして目を細める。

「黄金とか、ドゥリンの戦斧とか、それに何とかの兜かぶととかいった単語が見えるだけじゃ。そのあとに――ばーりん、もりあノ領主ナル――とある。これで章が一つ終わっているようじゃ。いくつか星印があって、今度は別の手で書かれておる。ワレラハマコトノ銀ヲ見イダセリ――とあるのが読める。そのあとに――清錬――という言葉があって、それから何か書いてある……ミスリルか。それから最後の二行は――おいんハ第三深層ノ上部武器庫ヲ求メテか。一ヵ所にじんでわからぬが、西ノ方柊郷ノ門ヘ行ク、とあるな」

彼らは死者を出しつつも、一時はモリアの主導権を取り戻し、ミスリルの集積所か鉱脈やドワーフの財宝を見つけたのだろう。

そこから数ページはおなじような発見の喜びを書き綴った文だったのでガンダルフは飛ばした。

書き手が変わったのか、綺麗なエルフの文字で書かれていた。

だが内容は反対に暗いものだった。

「美しい書体で、よくない知らせを記さねばならなかったようじゃ。はっきり残っている最初の言葉は――悲シミ――じゃ。昨日ハ十一月ノ十日ナリ――もりあノ領主ばーりん、オボロ谷ニテ討タル。鏡ノ湖ヲノゾカントヒトリ出カケシガ、岩蔭ニヒソミタルおーくニ射コロサレヌ、ワレラハおーくヲ討チ取リシモ、サラニアマタノ……東ヨリ、銀筋川ヲサカノボリ……」

バーリンはかなり以前にオークに殺されたようだ。

そして敵討ちをしたが増援が川を登って対抗しきれなくなってしまった。

このページの残りはほとんど判読しがたいほどに涙で汚れ、震えた字で書かれている。

「ワレラハ門ヲトザシ――シバラクハ保チ得ン――それからこれは多分――恐ロシキ――蒙ル――残念じゃ。念願のモリアの領主の称号を帯びたのも五年に満たなかったようじゃ」

最後の結末を探して読み飛ばし、目的のページを見つけた。

「ワレラ出ヅルコト能アタハズ、ワレラハ脱ノガレ得ズ。橋ト第二ノ広間ハスデニカレラノ手中ニ落ツ。ふらーる、ろーに、なーりハカシコニテ討チ死ニセリ。続く四行は不鮮明で、わずかに――五日前ニ行キシ――と読めるだけじゃ。最後の数行にはこう書かれておる、池ハ西門ノ壁ニ達セリ。水中ノ監視者ハおいんヲ、捕トラフ。ワレラ出ヅルコト能アタハズ。イマハノ時来ル。太鼓ノ音、深キ所ヨリ太鼓ノ音――今ヤカレラ至レリ」

生き残った全員がこの部屋で立て籠り、そのまま扉を破られて討たれたのだろう。

「太鼓の音? 軍を動かす太鼓をオークが使ったのか?」

ボロミアが訊くがガンダルフは首を振った。

「何を意味するかは分からん。じゃがモリア奪回の試みはかくして潰えた。壮挙ではあったが、愚挙であったともいえる。時はまだ熟してはいなかった」

これがバーリン一党の辿った末路だ。

日誌の通りならオインは西の門でフロドを食おうとした怪物の魔の手にかかって命を落とした。

亡骸は食われたか水底に沈んだか。

「バーリン、オイン、オーリは私の知人でもあった。残念だ」

レゴラスが目を閉じて彼らの死後の幸福を祈った。

「ああ……」

旅が終わり次第、ギムリと共に湖の怪物を殺しに戻ると決め、最期まで見事に戦った戦士たちに短く黙祷を捧げた。

その一方、難しい言葉の連続で疲れたピピンは井戸に腰かけた白骨死体がおかしな角度で右手を出しているのが気になった。

好奇心がわいたら抑えられないホビットは、ついつい指先に触ってしまった。

思いもよらず死体はぐらりと傾いた。

それだけに留まらず、死体に絡まった鎖の先にあった桶は井戸の縁から揺れた。

「あっ」

ごく近い未来を予見したピピンは小さく短い悲鳴をあげた。

桶は鎖に引かれて井戸に吸い込まれていく。

しかしそれを見過ごすオーザンではない。

目で追えない無拍子で半歩踏み込み、抜いたままにしてあったセレグセリオンの刺突を繰り出した。

井戸に消えかけた桶の底を切っ先で突き刺し縫いとめる。

鎖に釣られて落ちそうになった死体は危ういところで丁寧に剣の腹で支える。

首がぐらぐらしたがなんとか持った。

「よかった……」

ほっとしたピピンの脇を不意に風が吹いた。

乾いた熱風。

セレグセリオンのいたずらだ。

「この駄剣が……」

最後のひと押しを受けた死体の頭部は止める間もなく井戸に落ちた。

鉄の兜を被った頭はからんからんとモリアの深層まで音を響かせて落下していった。

仲間たちはしんとなった。

「ごめんなさい……」

「この馬鹿者め!」

発端のピピンがガンダルフに震えて謝ったがもう遅い。

遠くのどこかから、トン、タプ、タプ、トン、とハンマーで何かを打つ音が響いた。

音で伝える地下の通信方法だ。

今の騒音でモリア中のオークにこの位置まで知られてしまっただろう。

「大勢来るぞ」

ざわめきを聞き取ったレゴラスが警告した。

「お出ましか。歓迎してやろう」

首なしになってしまった体を丁重に寝かせ、セレグセリオンに刺さった桶を捨てる。

レゴラスが弓を使えるように扉の前を開けて脇に立つ。

魔剣はまた騒ぎだした。

強敵が近いと特にうるさくなるのだ。

「うるせえ、今度ふざけた真似したら指輪と一緒に火口に捨てちまうからな」

悪ふざけが酷い剣の刃筋を睨んで何度か頭突きして抗議も一蹴する。

扉に張り付いて外を監視するアラゴルンが叫ぶ。

「オークだ!」

扉を閉めるとボロミアと協力して落ちている斧や槍を閂とつっかえ棒にして補強した。

アラゴルンとレゴラスは弓を構え、ボロミアは片手剣と盾を持つ。

ホビットはガンダルフの後ろでおっかなびっくり短剣を抜いた。

「いいさ、丁度暴れたかった」

ギムリは涙を拭い、立ち上がった。

怒りと哀しみが斧を握る力に換わる。

「来やがれオークども! ドワーフはまだここに居るぞ!! 目にもの見せてくれるわ!!」

バーリンの墓に飛び乗り、斧を振りかざして気炎をあげた。

「そう来なきゃ男じゃねえぜ」

鎮まったセレグセリオンを切っ先が左脚の横で床につくほど下ろして脱力し、右肩を柱に寄せて待ち伏せる。

すきま風にはオークの臭いが充満している。

全員が覚悟を決めて待ち構えた。

薄っぺらな扉が軋んで揺れた。

 




入門用の単語解説講座

イルーヴァタール(唯一神、創造神)
通称エル
地上世界(アルダ)を作った一番偉い神様。
中つ国に介入することはほぼ無い。

ヴァラール(神々、もしくは上級天使?)

男神の単数形はヴァラ。
女神はヴァリエア単数形だとヴァリエ。
創造神が作り、アルダを整えるために送ったりした神様たち。
アルダに生まれた人々にさまざまな知恵を授けて文化を教えたりした。
初代冥王メルコールはヴァラの一柱だったがヴァラ最強の力に溺れて即堕ちした。

マイアール(精霊、下級天使?)
単数形はマイア。
ヴァラールに仕える形の無い天使。
サルマンやガンダルフも元はこれ。
中つ国に派遣されて制限を掛けられて年寄りの姿になっている。
サウロンもメルコールに着いていったマイア。


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深淵に眠るもの

激しく扉を殴打されて木片が飛び散る。

閂が軋む。

扉に空いた穴にレゴラスの矢が飛び込む。

「ギャアッ!」

矢を受けたオークが悲鳴を漏らして離れていった。

レゴラスは素晴らしく早い連射で顔を覗かせたオークを仕留めた。

だが数は増えるばかりで、押し寄せるオークが入り口に続々と集結して扉を壊さんと雑多な武器で殴り付ける。

「来るぞ!」

アラゴルンも矢をもう二本放つと弓を捨てて剣を抜く。

お返しとばかりに突き出された弩が三つ。

「下がれ!」

ボロミアが身を挺して仲間の盾になろうとする。

発射された三本の短矢は横合いからオーザンが左手で掴み取った。

「うおっ!」

「はは、横取り御免っ!」

弩の強さによってはこの距離では盾で防げるか怪しかった。

処理出来るものは全部受け持つつもりで戦いに臨む。

扉が破られた。

「ほら、返すぜ!」

なだれ込むオークに矢を投げつける。

何匹かの腹を貫いて出鼻を挫き矢はばらばらに壊れた。

「掛かってこいやぁあ!!」

ギムリの雄叫びに呼ばれたオークが殺到する。

彼としては心行くまで乱戦のどつき合いを所望するのだろうが、あまり入り乱れるとホビットを守るこちらが不利となる。

「それはまた今度な」

少人数の戦いでは士気の高さよりも戦況を上手く操ることが勝利を得る鍵になる。

大声は囮としていい仕事だ。

「むんっ!」

セレグセリオンを両手で持ち、腰を思い切り捻ってオークの喉の高さで部屋の間口を横に一閃する。

こちらの前衛と斬り結ぼうと押し寄せたオークの尖兵数人の首が吹き飛び、あまつさえ振り抜いた先の石柱まで両断した。

恐るべきは腕前か剣か、双方が平然としている。

傾いだ柱はオークを潰しながら通路に倒れ、円柱の障害物に早変わりだ。

向こう側で後続のオークが乗り越えようと集まって騒いでいるが、円柱のすべすべしたなめらかさが幸いしてなかなか上がれていない。

端正込めて仕上げた内装が今やこんな使われ方をしていると当時のドワーフの細工師が教えられたら卒倒すること間違いなしだ。

「げほっ、めちゃくちゃだ。エルフってのは皆あんななのか?」

「エルフの名誉のために言うが、あれは私からしてもおかしい」

舞い上がる埃でむせるボロミアとレゴラスがひそひそ話をしているのが聴こえた。

「そこ、聞こえてるぞ」

精一杯頭と体を使って戦ってるんだ。

何が悪い。

「こらぁ!! おれの獲物をとるんじゃない!!」

真っ赤になったギムリが離陸しそうなほど手を振り回して跳び跳ねる。

「頼むから真面目にやってくれ!」

すっかり肩の力が抜けた様子のアラゴルンが言った。

全員がほどよい具合に力みが取れたようだ。

これでいい。

「俺が先頭に立つ。討ち漏らした奴を狙ってくれ」

円柱を奴らの方へ押し込む。

数十トンの岩石がゆっくりと動き出したが、後ろから押されているオークは逃げ場が無い。

慌てて抵抗する。

しかし止められない。

絶叫、悲鳴、ひきつった呼吸。

奴等の恐怖が擂り潰される感触が岩を伝う。

「ヒッ、押シ返セェ!!」

オークが必死に力を合わせるがオーザンの剛力の前になすすべなく石柱に飲み込まれる。

「怯えろ」

虫のように、家畜のように死ね。

闘争の栄誉も与えてやらぬ。

とどめに蹴飛ばして石柱を広間まで押し出す。

扉にたかっていた数十のオークはぐずぐずに潰れた果実のごとき死に様で床を汚した。

さしもの仲間たちも圧倒的な暴力に鼻白む。

「どうした! ドワーフを殺したなら次はエルフを殺してみろ!」

壊れた扉に仁王立ちで広間へ挑発する。

暗闇から返事の矢が雨のごとく翔んできた。

人間を針山に仕立てるそれも、何十万回と矢の前に立ち塞がり、同胞を守護してきた武芸者には無意味だ。

「かぁっ!」

袈裟懸けに空を斬る。

正面の空気が爆発した。

正確には途方もない剣の圧力に空気が押し退けられて弾けた。

技術もへったくれもない完全な力業で、全ての矢があらぬ方向へ落ちる。

一日の休息もせず鍛えに鍛えた肉体は形の無い風や音を斬ることも可能にしたのだ。

「ふん!」

二度と三度と試してもオーザンの体力の底は果てしない。

無駄だと知ったオークは肉弾戦に切り替えて広間のそこかしこから駆け出した。

錆と血で汚れた鉈や剣をかざして一直線に突っ込むオークなど良い的だ。

袈裟、逆袈裟、薙ぎの三太刀を振る。

団子になって来たその塊のままセレグセリオンが切り裂いてバラバラにした。

足元に死体が積み重なる。

軽装のオークが退いて、ドワーフの倉庫から奪った全身鎧と大盾で体を隠した大柄なオークが槍を出して死体の上を前進する。

交易用に作った大型の鎧を持ってくるとは、誰の入れ知恵か少しは頭を使えるようだ。

「はっ」

オーザンは鼻で笑った。

退いた軽装のオークが素早く助走して鎧の背中を駆け上った。

押せぬなら飛び越えようという肚だ。

「何匹か行くぞ!」

盾持ちの槍を捌きつつ、斬り上げた魔剣で上空のオークを股から真っ二つにして他は任せた。

降り注ぐ臭い血と臓物を避けて踏み込み、横一文字に斬りつける。

虎の子の鋼鉄の盾と鎧を薄紙のように黒き刃は通り抜ける。

黒い血に濡れたセレグセリオンは妖しく艶やかに輝いていた。

柄は手に吸い付いて理想の軌道を走り、何を斬っても刃零れや歪みはない。

相方としては最低だが剣としての機能は桁違いの業物だ。

鈍重なオークをあらかた片付け振り返ると、発奮するギムリを筆頭にマザルブルの間でも善戦している。

「うおおおおお!」

最後のオークの汚ならしい頭をかち割ったギムリが雄々しく勝鬨をあげる。

しかし勝ったと決めつけるにはまだ早い。

増援の気配だ。

そこにオークとは隔絶した重い足音も混ざる。

新手のオークにせっつかれ、広間の暗がりから巨体の怪物が現れた。

定説では、ヴァラの作りし樹の精霊のまがいものとしてモルゴスが作り出した生き物だという。

第一紀のモルゴスの軍勢の中に既にトロルはいたが、トロル独自での団体行動というものをしないためか、あまり歴史上にはトロルの事は出てこない。

歴史や暮らしぶりを細かに調べようとした者もいないため分かっていることは少ない。

石のように固い皮膚を持ち並の剣で歯が立たず、血はオークと同じく黒い。

また弱点として、日光を浴びると岩になるといった程度だ。

先頭を歩かされるトロルは厚い鉄板を繋げて体を日光からも守られている。

トロルは別段目新しいものではない。

闘争の日々ではオークが使役するトロルは飽きるほど斬殺してきた。

急所を防御する工夫をしてくる者も当然いた。

そのことごとくを仲間との連携で、あるいは一人でオーザンは粉砕した。

半円に囲まれたトロルが鉄材を継ぎ接ぎした棍棒を振り回して捉えようと床を叩く。

やっきになって床を割るが、軽やかに身を翻すオーザンに棍棒はかすりもしない。

床を砕く怪力は大したものだが、飛び散る破片がオークに跳ねて同士討ちになっているのにも気づいていないようだ。

「勝手にやってな」

部屋に押し入ろうとするオークの方がもっと厄介だ。

側方宙返りで横に振られた棍棒を飛び越え、回り込もうとしてきたオークの頭を着地で踏み潰す。

四方を取り巻くオークは下卑た笑いを浮かべる。

どちらが有利か分かっていない。

ただ間合いにたくさん収めたかっただけだというのに。

風を巻き起こす鉄槌と化した爪先はオークの頭蓋骨を粉砕した。

それを皮切りに大乱闘が始まった。

首をネジ折り、指を突っ込んで眼球を潰す。

兜の上から頭蓋を蹴り砕く。

四方の敵を時には盾にして捌き続ける。

常に囲まれているように場所を調整し、トロルはあからさまな同士討ちを嫌い二の足を踏んだ。

獣並みに半端な知性があるくせに、決断が遅い。

獣は迷わないがトロルは迷う。

それが弱点だ。

一撫ですれば二つの首が、二撫ですれば五つの首が宙を舞った。

鉄と血の暴風となってトロルを囲んでいたオークの群れを殲滅する。

今さらになって棍棒を構えたトロルだが、オーザンを殺すには遅きに失した。

叩きつける鉄塊を、半歩下がり上体を反らして紙一重で避ける。

再び棍棒を持ち上げるより先に、巨体に反して羽毛のような身のこなしでその上に飛び乗った。

「遅い」

コートをはためかせ、セレグセリオンを振り抜く。

禍々しい剣は期待通りに鉄板と顔面を食い千切りトロルの命を絶った。

トロルの胸元を蹴って地上に戻り、袖で魔剣についた脂やぶよぶよしたなにかを拭く。

ずしりと仰向けに倒れたトロルの頭部、上半分が転がった。

部屋に侵入したオークも退治し終わったようなのでそろそろ移動した方がいい。

声をかけようとして、どこかで岩が崩れる轟音が一帯を揺らした。

別動隊のトロルが他の地下通路から壁を壊したのだ。

もうもうとたちこめる煙に乗じてオークが次々と入り込む。

トロルとオークに前衛とホビットは分断されてしまった。

一体のトロルが体格に見合った大戦槌をフロドへ振り回す。

「ぬうっ!」

間に入ったガンダルフがとっさに魔法で白く透けた防壁を張りホビットを匿った。

取り囲んだオークもそれを攻撃して割ろうとしている。

「ぬあああ!!」

アラゴルン達も懸命にオークと戦うが次から次へと湧きだして手間取っている。

救援に行かねばならないが、しかし。

体を捻る。

今の今まで体を置いていた場所を矢が通過する。

オークの増援。

部屋の中と広間からの挟み撃ちだ。

モルドールの指示を受けたオークは野生のものとは一味違うようだ。

「くく、ははは、オークが一丁前に頭使ってんのか……上等だ」

馬鹿馬鹿しい。

ぞっとするような殺気を解放し、迫るオークの軍団を待ち受ける。

体当たりを弾き返して喉をえぐり、奪ったメイスを投げつけてすり抜けようとしたオークの頭を潰す。

もはや足場のどこにも死体があり、枯れ草色をしていたコートはオークの血でべったり汚れ全身が真っ黒に染まっていた。

「トロルを殺せレゴラス!」

オーザンが戦いながら中に指示を飛ばす。

彼らでは至近距離でトロルと力比べをしても勝ち目がない。

レゴラスの身軽さならトロルの急所を攻撃できる。

「承知した!」

曲刀の二刀流で優雅に戦っていたレゴラスが弓をとった。

「ギ……!」

まとめて放った二本の矢が四匹のオークの首を貫いて壁に縫い止める。

ガラスのような音を出してガンダルフの守りを割ったトロルの背中に矢を射って気を下に引く。

「はあ!」

ガンダルフがなけなしの魔法で衝撃をぶつけてトロルをよろめかせる。

勝機とみたレゴラスが壁を走りトロルの肩に跳び移った。

続けざまに矢を放ち、うなじに何本か突き立つ。

これが致命傷となり、トロルはオークを数匹巻き添えに絶命した。

ガンダルフが部屋の角で防壁を張り直しホビット達と立て籠っている間にレゴラスは高台に陣取った。

煙が収まりつつある室内を見渡し、手当たり次第に射殺す。

アラゴルン、ボロミア、ギムリの三人が息も絶え絶えになって維持する防衛線を援護する。

オークを駆逐する手間は格段に減り、数を削っていった。

反撃に転じたガンダルフと協調して、ついに横穴から出た別動隊のオークは全滅させた。

「全員無事か?」

アラゴルンが見る限り誰も怪我らしい怪我はしていなかった。

歴戦のつわものたちは上手くことを運べたようだ。

「外はどうなってる。暗くてよくわからんぞ」

オーリの日誌を拾うギムリの言うとおり、部屋の中からは広間が見えづらくなっていた。

「外にいたオーザンも気がかりだ。ここから出よう」

レゴラスは次なる敵に備え使えそうなものを拾ったりオークのものを奪って矢を補給した。

「行くぞ」

盾で体を覆ったボロミアを先頭に、魔法で照らしながら用心してじりじりと広間へ出る。

そして部屋を出た仲間たちは目を疑った。

「なんなんだこりゃあ……」

呆気にとられたボロミアは傷が増えた盾を下ろした。

暗いのではない。

血だ。

オークの血が辺りを塗り潰し暗く見せていた。

トロルとオークの死体が合わせて二百かそれ以上。

右も左も死体だらけだ。

「うっぷ……」

光景もさることながらひどい悪臭にサムがえずく。

「どこにいるんだオーザン!」

「ここだ」

アラゴルンの呼び掛けに応えたオーザンは死体の山に腰掛け、上から下まで真っ黒になっていた。

意外と近くにいたが、汚れ過ぎて死体に混ざっていたのだ。

オークの返り血で真っ黒に濡れた頭や手を振って水気を飛ばし、口に入ったものを吐き捨てる。

「退路は確保した。逃げるなら今だ」

積み上がった死体を蹴飛ばして道を開く。

ぐちゃりとブーツから血が染みた。

「あっちじゃ」

ガンダルフが道を示した。

「急げ。トロルよりデカいのがどこかに居るぞ」

あれだけ斬ってもセレグセリオンはまだうるさい。

そうまでして斬りたい相手がどこかにいる。

一行は出口を求めて闇の中を走り始める。

「いくつ倒した?」

短い足でえっちらおっちら走るギムリが訊いてきた。

「オークなんていちいち数えてられるか」

どうせすぐに増える奴等を数えたところで何になるというのか。

そんな習慣は無い。

「バーリンの仇はとれたか」

「ちょっとだけな」

ひと暴れしたギムリの心は少し落ち着いたようだ。

オークが退却して静かな上り坂を走る足元が揺れた。

揺れがどん、どん、と腹に響く。

「地震か?」

「いや違う。なんだこれは」

ボロミアとギムリが相談する。

ギムリに分からなければ誰も分からないと、仲間たちは困惑する。

「……なんだか太鼓みたいじゃない?」

太鼓の音。

オーリの日誌に書かれていたのはこれか。

ピピンの呟きで同時に全員が思い出した。

ガンダルフは蓄えた知識の内でその正体に心当たりがあった。

「深みより出たかドゥリンの禍、いや、バルログ!」

地下を掘りすぎたドワーフが目覚めさせてしまった神話の怪物。

ドゥリンの禍、すなわちバルログ。

邪神に従い秩序を焼き焦がす悪魔に堕したマイア。

ガンダルフのような戒めを受けずに力を振るえる暴虐の化身。

「敵う相手ではない、走れ!!」

広間を渡り疲れた体に鞭うってひたすら廊下を駆ける。

それなのにどうしたことか、太鼓の音色はどんどんと近くなる。

「やつの方が速い。このままでは追い付かれる!」

レゴラスの耳には怪速で迫る巨影の足取りが手にとるようにわかっていた。

モリアを抜けるまでに遠からず捕まる。

後方では橙色の陽炎が揺らめき通路の壁を彩りだした。

「俺が時間を稼ぐ」

「無理じゃ、よさんか!」

ガンダルフは反対した。

かつては竜と並んでモルゴス軍の主力を成し多くの光のエルフの勇士を葬った怪物に、今の世の人の身で抗えるとは到底思えない。

「きやつは上のエルフすら恐れた本物の悪魔じゃぞ」

「なおさら適任だ。ただのならず者なら死んでも旅に影響はない」

オーザンは飄々と言ってのけた。

そこには諦めも恐怖もない。

これが最善なのだと行く末を受け入れた、透き通ったもののふの顔つきをしていた。

それでガンダルフは大きな思い違いをしていたと気付く。

オーザンが立ち止まると仲間たちは足を緩めた。

ガンダルフはしゃがれ声で切り出す。

「手遅れでも言わせて欲しい。わしは弱かった。信じられなかったのじゃ」

杖を握るふしくれだった手は自己嫌悪で震えていた。

「……わしを許してくれ。中つ国ですら誰が味方か見分けがつかず、おぬしをサルマンの手先と疑っておった」

「そうか……」

過ちを認めるのには勇気が要る。

勇気を絞ったガンダルフの心からの懺悔に、オーザンはあることを告白することにした。

「分かってた。実際、アイゼンガルドでサルマンには誘われた。読みは正しい。ガンダルフは悪くない」

「なに? じゃあ最初から裏切ってたのか?」

ボロミアの食い付きがよかったのでつい吹き出してしまった。

「プッ、馬鹿言え。そうだったらとっくに皆殺しにして指輪を持ち帰ってるよ」

笑いをこらえて物騒なことを言いつつ、霧降り山脈を迂回した時の話をしてやる。

「誘いはすっぱり蹴った。そしたらやっこさんよっぽど頭に来たのかオークの軍団にしばらく追いかけられたぜ。笑えるだろ?」

自信たっぷりだったサルマンの吠え面を思い出すと今でも笑ってしまいそうになる。

「最高位の魔法使いを怒らせて笑っていられるのはお前ぐらいだ」

真顔でボロミアは呆れる。

冷や汗をかいたアラゴルンが説得を試みた。

「本当にいいのか」

「いいも悪いもあるか、必要なんだ。それに」

脈打つセレグセリオンを肩に担ぐ。

バルログが近づくほどに鼓動が増していく。

「こいつが斬れってさっきからうるさくて敵わん」

「だが……!」

食い下がったアラゴルンとまだなにか言いたげな仲間たちを手で制し、後ろを振り向く。

「湿っぽいのは嫌いだ。さっさと行っちまえ」

後ろ向きのまま手振りで乱暴に追い払う。

「……私は別れは言わん。必ず追い付け!」

言いたいことは山ほどある。

しかし歯を食い縛ってアラゴルンは仲間たちの背中を押して走り出した。

「せめてもの罪滅ぼしじゃ」

一人残ったガンダルフが杖を振って呪文を小さく唱えると、何かの魔法が薄もやとなってオーザンの体に巻き付いた。

「それは奴の操る炎や熱を遠ざける」

次にセレグセリオンの峰に触れた。

急激に老け込んだガンダルフがよろめいて肩で息をする。

背中は曲がり立っているのがやっとの有り様だ。

「剣にわしの魂を、注いだ。それなら、マイアすら、傷を負う」

首だけ動かして感謝の笑みを向ける。

「ありがとな。もう行ってくれ」

魔法使いは無力を噛みしめてオーザンの背中を瞳に焼き付ける。

「済まぬ……」

消え入るように詫びたガンダルフは仲間のあとを追いかけた。

それを見送ると体を動かして調子を確かめる。

「さあて……」

オークを狩って準備運動ができたからどこも快調だ。

目はよく見える。

耳もよく聞こえる。

腕もちゃんと力が入る。

足はしっかり大地を感じる。

体を守れる硬く厚い鎧がある。

敵を倒せる鋭く重い武器がある。

なにより絶対に護りたい仲間がいる。

魂と命を賭ける決意に値する志がある。

俺は失くしていた勇気をついに取り戻した。

「さあ来い」

一迅の風が背中を押す。

とても良い気持ちだ。

「今の俺は手強いぞ」

通路の曲がり角に迫る炎を睨み腹に力を入れた。

 

 

 




用語講座
魔法使い(イスタリ)
第3紀千年ごろにヴァラールの国から派遣された保安要員のマイア。
サウロンの敵対者に援助する。
ただし、フルパワーで戦って滅茶苦茶にならないようにかなり力を制限された上に人間の体で中つ国にやって来たので、怪我をすれば普通に死ぬ。
モチーフの色があり、能力も異なる。
五人いて序列は上から白のサルマン、灰色のガンダルフ、茶色のラダガスト、青のアラタールとパルランド。


同時展開の
エログロ全開ハードコアチャンバラ破戒武侠伝
「剣戟魔界都市」もハイよろしくぅ!
https://syosetu.org/novel/303761


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甦る悪鬼

爆炎が目に見えるあらゆる場所を埋め尽くした。

石が燃える。

風が燃える。

それは熱という概念そのもののように一帯を灼熱の地獄に変え通路は火の海と化した。

目がくらむような炎の壁だ。

その中から太鼓の音色を轟かせて何かがやって来た。

それがなんであるかは見えないが、大きな影のようでその真ん中に黒い姿があった。

人間の形をしたもので、人間よりずっと大きい。

オーザンの何倍も大きく、倒してきたトロルが小さく見える。

石柱の上まで焦がすわけだ。

力と暴威がその者の中に存在し、またその者の露払いをしているように思われた。

その者は火の絶壁のきわまでやって来た。

火はまるで雲がかぶさってきたかのように、光がうすれる。

ついでその者は炎の壁を越えた。

焔は迎えるようにごうごうと燃え猛り、それにからみつく。

黒い煙が渦を巻いて立ち上がった。

たなびく鬣に火がついて、その者の背後に赤々と燃え上がり全ての方位を焼き焦がす。

その者の右手には切先鋭い火の舌のような刃が握られ、左手には生き物のように鳴動する鞭が握られていた。

ガンダルフの魔法に隔たれた顔や服にこびりついた血糊が瞬く間に乾いて黒い粉が体から散る。

魔法の防壁に守られているはずの体を内からじわじわと蝕む。

原初の炎は神代の力そのものだ。

肉体だけでなく魂を焦がしていく。

脆弱な魂魄はバルログの吐息だけでも消しとんでしまうだろう。

「獲物に不足は無いよな」

いつもより艶がいい愛剣は肯定するようにぶるりと震えた。

この剣に口があれば、快なりと言ったことだろうか。

押し寄せる熱に逆らい踏み出した。

埒外の化生のものに温存も出し惜しみもすまい。

斬り伏せるつもりで渾身の一刀のみ。

不遜な男にバルログは剣を向けた。

炎の剣を水平に払う。

巨体からは想像できない速さだ。

距離をとる隙がない。

両手で保持したセレグセリオンを全力でぶつける。

一瞬すらつばぜり合いを保てずオーザンは吹き飛ばされた。

通路の壁に背中から激突して息を絞り出された。

「ぐっ!」

一合で理解した。

力比べは負ける。

腐ってもマイアだ。

格が違う。

続いて燃え盛る鞭が息を整える暇もなく飛んだ。

びゅうとしなった鞭が空中で十六に枝分かれして逃げ場を奪う。

鞭が絡まったら最後、右手の剣で串刺しにされる。

三本を弾いてひねり出した隙間に体を置いて無理やりかわし後ずさる。

避けに徹すれば不可能ではない。

炎剣が壁をかすめて彫られた芸術的なレリーフがどろりと溶けた。

バルログの炎剣は壁や天井を溶かして振り回せ、間合いを自由に使える。

狭い場所では勝ち目はない。

これではいずれ押し込まれる。

前方宙返りで炎剣を飛び越しセレグセリオンの間合いに強引に持ち込む。

勢いづかせないように奇襲する。

「らぁっ!」

着地に合わせて振り下ろした魔剣が黒いもやに包まれたバルログの左肩に埋まる。

マイアを斬るのは初めてであるが、万物は斬れるように斬れば倒せる。

確かに硬いが魔剣士の技巧はそれをしのいだ。

人の世に忘れられた神代の技はバルログの外殻を割り、切っ先から半分の深さまで刃を通して反対の腹へ振り抜いた。

溶岩の体液が噴き出しても追いすがる炎剣は鈍らない。

これがトロルならば臓物が溢れて絶命するものだが、バルログに痛痒すらも感じさせるには至らなかった。

中つ国に降り立ったバルログは形をとっているためセレグセリオンなら斬ることができる。

しかしマイアの本質はひたすらに膨大な魔力が圧縮されたものであり、元の形など無いに等しい。

事実オーザンの瞳に映ったバルログの霊体の傷は嘘のように浅く、筋が入っているだけだった。

「参ったな」

傷を負わせたくば肉体だけでなく魂を斬らねばならない。

しかし硬く厚い化身の肉体を斬らねば魂は斬れない。

でたらめな存在をまがりなりにも斬れているのはひとえにセレグセリオンのべらぼうな切れ味とガンダルフの命を吸ったおかげだ。

セレグセリオンは十全な技であればわずかに魂を傷つけられる。

神話の戦争を生き抜いた己に生意気にも傷をつけたちっぽけな半エルフに、バルログは激昂した。

がむしゃらに炎剣を振り回して荒ぶる。

オーザンの神がかった剣術をもってしても全ては受け切れない。

ガンダルフの魔法の防壁は奴から漏れでた熱や火の粉は防げるが攻撃の意図を込められた剣や鞭は、食らえば破られる。

床を蹴飛ばして壁を走り死地を逃れる。

岩壁をこすって迫る鞭を壁から天井へ駆け昇って振り切る。

バルログは獰猛に吼えた。

追いかけて剣を突き上げる。

明確な意図が欠けたぬるい動作を見逃すオーザンではない。

成熟したエルフの戦士には壁や天井すら大地と等しく、技が曇ることはないのだ。

逆さまになっていてもしっかりした足元がある。

天井を蹴って飛び下りざまに剣を握った指を削いだ。

着地して離れた直後に燃える血が降り注ぐ。

行き掛けの駄賃に斬った首筋から流れた体液だ。

流し斬りで殻の隙間を狙った攻撃はそれなりに痛手を負わせたようだ。

バルログは首に手をやって撫でている。

「それで倒せるなら苦労はねえよな」

奴の血がもう止まっている。

されど血が出るならいつか殺せる。

怒りに任せた炎剣に合わせて魔剣を振る。

同時に炎のマントに一歩踏み入れる。

刃をぶつけ合うのではなく、それを掴む手首の一部に繊細な剣さばきで滑りこませバルログ自身の腕力を利用して自滅させてやった。

バルログがひるんでたたらを踏んだ。

右手首に半分ほど切れ目が入っている。

「こちとらか弱いエルフだ、せいぜいインチキさせてもらう」

軽率の代償を支払った炎の悪魔の魂が先程より傷ついている。

正面からこの重さに逆らうのは難しいが流すことなら出来なくはない。

指を落とせたなら、手足ももぎ取れる。

殺せないまでも動けなくしたらどこぞの谷底にでも突き落としてさようならだ。

勝利条件が緩くなって勝機が見えてきた。

このまま引き付ける。

「かかってこい!」

しかし予想外の負傷をしたバルログはかえって冷静になった。

挑発に乗らず落とした指を拾って溶岩を接着剤にしてくっつけると、体をむずむずと揺らした。

ばさりと漆黒の翼が広がる。

周囲の炎を吸い込んで上体はさらに厚く太くなる。

「おいおい、飛ぶのは聞いてねえぞ……」

黒い翼が羽ばたく。

一本道に逃げ場は無い。

通路いっぱいの燃える体当たりを全身に浴びた。

押し込まれる。

廊下を突き抜けて背中で広間の石柱や小部屋を貫いた。

どこかの広間の天井を砕いて上層階へ運ばれる。

バルログが羽ばたく度に何かにぶつかり、脱出できない。

「があああああっ!!」

胸は炎に焼かれ、背中は岩に叩かれて苛まれた。

何かに引っ掛かって落ちるまでモリアを何層も突き破った。

土と岩と鉄の暴風でそこらじゅうで崩落と倒壊が起きている。

体のあちこちが痛い。

もうろうとした頭を振って居場所を探る。

くすんだ鎧や斧が棚に並んでいる大部屋だ。

オークが盗んでいないならミスリルの武器庫か。

そこに突っ込んで木っ端微塵にして止まったらしい。

木片と武器の欠片が手足に食い込んでいるのが痛みの原因か。

服は燃えた上に破けてひどい身なりになったが剣を放さなかっただけで上出来だ。

「これじゃあ格好つかねえな」

埋もれた体を起こして腹をくくる。

機を見て逃げる選択肢は消えた。

どこぞの風穴を通って地上に出てしてしまえば怪物は指輪を追って仲間たちの背中に食らいつくだろう。

なおさらここで仕留めねばならなくなった。

バルログが崩落した壁を突き破って潰し損なった獲物を抹殺しに戻ってきた。

鞭が柱を砕いて横薙ぎに飛来する。

とっさに剣を逆手で肩にあて盾にするが脚に力が入らない。

「ウゥ!」

踏ん張りが利かず鞭に撥ね飛ばされ壁に叩きつけられた。

乱れ舞う火の鞭をほぼ無意識で防ぐも芯まで響く衝撃が脳天を痺れさせる。

反撃しようにも距離を開けて鞭のみに徹されると足を殺されたオーザンにはなすすべがない。

オーザンも桁外れの頑健さを誇るが、古き上位者との地力の差が如実に表れはじめた。

まずは息を整えて足を癒す。

それから反撃に移る。

奴は油断している。

極めて冷静に戦況をそう分析し、体力を回復させるべく必死に防御に努める。

無数に別れて惑わす鞭を見切り本命の炎剣をかろうじて受けた。

不完全な技では力を流せず毬のごとく打ち上げられて天井に衝突する。

砕けた彫刻と共に地に落ちた。

奴の怪物ぶりを改めて認識した。

これがマイアか。

力も速さもまるで敵わない。

第1紀の前から生きるバルログにとってこの時代のエルフや人間など虫けらと同じで、弱者でしかない。

傲って当然だ。

人を噛み殺せる蟻などいない。

逃げ回っても踏み潰してしまえばおわりだ。

それだけ存在の格が違う。

はらわたのどれかが傷ついたのか喉から血がせりあがる。

「ぐ、ふ」

形勢は大きくバルログに傾いた。

今やオーザンは身体中がバラバラになったような痛みに襲われていた。

勝利を確信して悠然と闊歩するバルログを彼方に世界がぼやける。

血が流れた過ぎたのか、ぼんやりとつかの間の夢を見た。

昔の暮らしの夢だ。

兄をオークに殺された少女が村にはいた。

血縁でいえば自分の親戚にあたる。

エルフの血が濃く、厳しい実戦を経験して力強く育った彼女は復讐に命を賭けた。

良い戦士へと育って思うまま復讐を果たし、最後の朝に彼女は討たれ骸を晒した。

その死に顔が晴れやかだったか絶望だったかは覚えていない。

そういうことを沢山見てきた。

終わらない悲劇に空を呪ったりもした。

どれだけ悪態を叫んでも応えなかったのだから、ヴァラールはほかのことに忙しいのだろう。

敗北を認めて自死を選ぶにしても、そんな相手に命を返上してやるのはまっぴら御免だ。

戦うことを選んだ。

重々しいバルログが歩くといちいち炎が広がる。

火は好きじゃない。

特に誰かを燃やす火は。

家族を火葬した夜を思い出すから。

「俺はなんて、弱いんだろうな」

もっと力があれば守れたのだろうか。

考えてもわからなかった。

だから考えるのをやめた。

オークを殺している時だけは悲しさが薄れるとわかったら、躍起になって殺した。

手のひら返しで神託を信じたのは救いを求めてだった。

殺しても殺しても空っぽの心を満たせる何かが欲しかった。

サルマンに同盟を持ちかけられたときは野望の空しさをあざ笑った。

賢者を名乗るものが、箱庭を欲しがることに夢中でそこに何を作るかを考えていなかった。

大きいオモチャを欲しがる子供と変わらない。

裂け谷で仲間を得て、大いなる使命を帯びた旅が始まった。

それぞれ背負うものがある九人の勇者。

始めこそ態度が固かったが打ち解けていくらかの身の上話が済むと、彼らを守りたくなった。

自分には無い、誇りを持つものや愛するものがいるものに、同じ思いはさせたくない。

もう一度何かを守れるなら、今度こそ守りきってみせる。

節々がほどけそうな体を奮いたたせ、剣を杖にして立ち上がる。

「ここが俺の旅の終わりでも、お前だけは倒す」

目は見えるし手足も付いている。

まだ戦える。

血を吐き捨てて息を吸う。

魔剣が急かしている。

真なる解放をせよ。

決意をもって我が名を呼べ。

いままでにない強い意思の発露に戸惑いも驚きもしない。

両手で魔剣を握り、ただ告げる。

「目覚めろセレグセリオン、たんまり吸った分を吐きやがれ!」

 

 




仕事忙しいすぎぃ!
残業百時間とか頭きますよ…(憤怒)


同時展開の
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魔剣

どくりどくりと切っ先から柄まで波打つように脈が高まる。

セレグセリオンは笑っていた。

嬉しくて嬉しくて、キリキリと鳴いた。

まんまと極上の獲物が転がり込んで、あまつさえ自らお膳立てを整えたのだから。

その名を呼ばれ、何年も引き絞られた弓は解放された。

魔剣の真価は切れ味ではない。

何千年も土の下で自身の使い手を求めた。

きたる剣士が力及ばぬ若輩者であったならばどうしたものかと思い悩んだ末に、極限まで性能を引き出せる猛者がいないなら作ればよいと、新たな性質を己に付け足した。

斬られたものの魂を生き血から啜り上げ、使用者の闘気に応じそれをまとめて放出する。

骨が砕けようが肉が裂けようが御構いなしに動く凶戦士へと作り替えるのだ。

古代の英雄すらもて余した鋭刃を使うに相応しくなるまで。

「う、ぐ、がああああああっ!!」

剣から手のひらをつたって全身が弾ける。

受け止めきれないエネルギーは肌を突き破り血潮となって迸る。

肉体の負担を顧みずに行われる施しが体を破壊して命を消費していく。

強化が途切れた時どうなるかわからない、呪いと紙一重の祝福がオーザンに流れ込んだ。

不意に激痛が失せる。

祝福は体の痛みを消して代わりに活力が満ちていた。

ここで魔剣のもうひとつの効き目が働いた。

かつて邪竜を誅しはらわたを浴び、そこに宿った毒気に冒された魔剣は悪質な病を帯びた。

悠久の時間を土の下で過ごした病は熟し、活力を与えし剣士に天上の快楽と陶酔に誘う呪いへと知らず知らずより邪に変じた。

全身の肉と骨がぐずぐずにとろけ、風が肌をなぞるだけて絶頂の至福へと誘う。

吐き散らした血潮は甘露な美酒に変わり、躍り狂う鼓動のもたらす血の巡りは歌姫の美声より耳に染み入る、甘い甘い毒。

斬れば斬るほど心に垂れる毒も増していく。

すべては剣を愛し喜んで血肉を献上させるために。

使い手に愛などひと欠片も与えぬ。

正気に返り手放すことなどさせず、桃源の夢に落ちたまま骨の髄まで余さず食らう。

こうして墓から出た今生こそは生きとし生けるものを食って食って食らい尽くす。

定めた主はなく、強者から強者へ渡ればやがては持つもの次第で一つの指輪よりも中つ国を混沌に陥れるであろう。

あらゆる理性をふやかし洗い流す多幸感は使い手を夢幻の彼方に溺れさせ、殺戮にいそしむ傀儡の狂戦士に仕立て上げる、はずであった。

大願成就せり。

さあ振るえ。

我が意のままに一切合切を切り捨てよ。

狂乱の剣舞、いざ開演の時ぞ。

しかして、無邪気にほくそ笑むセレグセリオンに誤算があった。

どのような傑物もこの甘美な悦びには抗えまいと、そう侮った。

手にした剣士がいかなる誘惑にも燃え上がらぬ心を持つ破局した勇士であったことが、ただひとつの大いなる誤算であった。

「なるほどなァ、エルロンド卿が言う訳だな」

まやかされるものか。

桃色の霞に薄れてもどうして虚しさが消えようか。

酔いしれるだけでどうして怒りを忘れられようか。

瓦礫の山と化した心にようやく照らした太陽をどうして奪えようか。

せいぜい痛みを止めるだけにしかオーザンには効いていなかった。

読みを外したセレグセリオンは驚き、口惜しさを柄からひと吸いしてぎりぎりと鳴いた。

獣の歯ぎしりのように。

それも負け犬の遠吠えだ。

「たく、じゃじゃ馬め。何しようとしてんだ」

お仕置きをしてやるところだがオーザンも今はそれどころではなく、良い面もあった。

元通りに動けるようになったならそれで結構。

些細というには悪辣ないたずらを峰を指で弾くだけで許してやった。

壊れかけの体を誤魔化したさらなる酷使。

それぐらいしなくては亜神の化身に勝ちは拾えない。

どれだけ壊れたかを知る必要はない。

前に踏み出すことだけを魔剣は求めている。

だから望まれるままに実行する。

「行くぞ」

石畳を踏み砕いて風になった。

体が軽い。

隅々まで意のままに動き、片腕で斬り上げる。

先程までは望むべくもなかった理想的な軌道で極めてなめらかに動けた。

受けに回った炎剣をかちあげて弾く。

燃える巨躯の腰がぐらつき浮き上がった。

膂力もほぼ互角にまで、体重を差し引けばそれ以上に引き上げられている。

「はああああ!!」

セレグセリオンが送り出す生命力が四肢から飛散する。

炎とも光ともつかない粒子をまとって飛び上がり、裂帛の気合いを発して魔剣を振り下ろす。

バルログが炎剣を掲げた守りごと押しきった。

頭を両断するには至らずも、巻いていた片角をへし折った。

それに留まらず堅かった外殻を砕き割って深々と切り裂いた。

懐へ入り込んだ今、このまま一気呵成に畳み掛ける。

胴体と言わず腕や脚にも手当たり次第に斬りつけて反撃の芽を潰す。

太刀筋に流星群が乱れ打つ。

うっすら見える魂にみるみる傷が入っていく。

バルログは堪りかねて燃える黒翼をはためかせ大きく下がって逃げた。

「くそっ!」

決定的な一撃を与えたかったが火炎を含んだ熱風に踏みとどまるだけに終わってしまった。

鞭で牽制してオーザンを追い払う。

急いで外側の傷を再生させたバルログは戸惑っていた。

いかなる魔法か、ちっぽけなヒトがこれだけの力を手にしたは知るよしもない。

されど相手が誰であろうともバルログの戦術は変わらない。

打ちすえ潰し熱して焼き切るのみ。

生意気なだけの虫けらから敵となったことを認め明確な意思で殺すと決めた今もそれは不変の定理。

もう一度押し潰さんと翼を広げ、助走をつけて猛烈に飛翔した。

だがここは一本道ではなく、さっきまでのオーザンでもない。

側面にまわって軽々と避けた。

無防備にさらした背中を攻めるもさらに加速して逃げられた。

「待ちやがれ!」

逃げるバルログをオーザンが追った。

闇に軌跡を描いて猛追する。

空中で身をよじって器用な背面飛行を操り、炎剣と鞭で近づけまいとするが小回りの利くオーザンはそれを翻弄する。

壁も天井も、崩れる岩の一片すら足場に使ってバルログの手足を刻む。

ひと柱と一人はさながら暗黒の空を連れ立ち駆ける炎のほうき星と小さな流星だ。

出くわした不幸なオークやトロルを轢き潰し、時には部屋を壊しモリアに無理やり穴を増やして激闘が繰り広げられる。

柱は折れてミスリルの装飾が砕けた。

金剛石と黄金をあしらった秘密の宝物庫が誰にも知られないまま埋もれる。

ドワーフの知識と技術の結晶たる、七千年の歴史を誇るカザド=ドゥームが瓦礫に変わっていく。

逃げるバルログをどこまでも下へ追っていった。

やがて採掘用の坑道に行き着いた。

霧降り山脈の一番深いところのひとつ。

大昔に山に潰されて動けなくなって以来バルログが眠りについていた大穴がここにあった。

移動用に組まれた古い足場の傍らに、どこまでも真っ暗な奈落が口を開けている。

そこへトンネルをもみくちゃになって転がり落ち、離れて止まった。

両者は血と炎にまみれていた。

いち早く立ち上がりありえない方向に曲がった指を無理に戻してセレグセリオンを握り直す。

どこから血が流れているかももう分からない。

遮二無二走り出す。

未だ膝をついているバルログに疾走して斬りかかる。

「うおおおおおおおお!!」

喉も裂けよと雄叫びを上げて斬り結ぶ。

弾ける火花と溶岩を挟んで睨み合うバルログの唸りと反響する。

壮絶な形相で押し負けまいと踏ん張る。

得意の小手先の技でどうにかなる次元を越えている。

オーザンは焦っていた。

体を満たしている輝かしい全能感が遠のいていく。

時間が無い。

万物の創世記に生まれたマイアと所詮は半エルフのオーザンでは、命の総量が違う。

同じ力を使い続ければ先にオーザンの魂が燃え尽きるのは火を見るより明らかであった。

「だから、どうした!!」

魔力を帯びた左こぶしで顔面を殴り付ける。

空いた胸元を深く突き、峰に左腕を添えて体全体で振り抜く。

バルログの魂は現れた時の半分以下まで削れている。

倒すには今しかない。

このまま息の根を止める。

一人で怪物を道連れにするならいい条件だ。

無心に剣を振った。

中つ国に受け継がれた王道の剣術とはまるで異なる流れを汲む我流の技。

その正体は戦場で磨かれた恐るべき合理の剣。

体が流れるままに、斬るべくして斬る。

その間も降り注ぐ炎をことごとく避ける。

熱で構成された剣を半身を退いて睫毛に触れるかという瀬戸際で鮮やかに躱し、逆手で逆袈裟に一閃、目映く輝く刃を振り抜いた。

眉間を突いて仰げば、次に下段と中段の三段突きで俯かせる。

拳打、当て身、肘打ちを乱れ打ち、正面すら向かせずバルログに反撃の糸口を掴ませない。

予備の短剣を抜きざまに片眼に投擲する。

バルログの熱量に溶かされて飛沫となるが刹那の目眩ましとしては十分だ。

切っ先が真下から顎先を捉えた。

天を仰いだ喉を抉る。

終点まで出来上がった道のりを辿るだけのように無駄が削られた、完成された斬擊は更に速度を増していく。

強引な剣術とはうってかわって踊るように華麗な武は止まらない。

芸術的な手管を駆使してバルログを痛め付ける。

これが闘技場であったならどれだけの喝采が轟き幾年語られる詩になったことだろうか。

しかしここには詩人も観衆もいない。

誰にも観られずうたわれることのない戦いをふたつの影法師だけが知っている。

手の付けようがない猛威にバルログはプライドを捨てて逃げを選んだ。

膝をついて這いずってでもオーザンから離れようと必死に手足を動かして暗い方へ逃げる。

こんな無理が続く道理はない。

疲れきるまで堪え忍んだ暁には、取るに足らないヒト一人、必ず捻り殺してくれよう。

いずれ自滅すると見立てて一時の矜持より勝ちを拾う。

とにかくオーザンを消耗させるのだ。

傍らにあつらえ向きな亀裂があった。

霧降り山脈の岩盤の最下層が開いた割れ目だ。

逃げる背中を冴え渡る剣は滅多切りにするが脚を止められはしない。

バルログが石くれを蹴飛ばして崖から転がって落ちた。

「ちくしょうが!」

とり逃がしてはようやくここまで重ねた傷を癒される。

地底で見失ったら次はどこで旅路に横槍を入れるかも予想がつかない。

この状態がどれだけ持つかも怪しくなってきた。

追うなら今だ。

「逃がすかよ!!」

オーザンもまた亀裂に虚空に身を踊らせた。

炎を追ってどこまでも落ちていく。

深い深い、闇の中へと。

 

 




ヒロインじゃくてヘロイン魔剣。

ヴァラ様「そこそこ危ないけどコイツなら使えるっしょ(ハナホジ」

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先へゆくもの

仲間たちはやりきれない気持ちをおし殺してモリアの広間を東へ走った。

「なんで見捨てたんだ! みんなで戦えば勝てるよ!」

考えてを変えて止まろうとしたフロドの胸をアラゴルンが掴んで無理やりに走らせる。

「勝てん! 我々全員でかかっても絶対に勝てない。あれはそういう類いのものだ!」

アラゴルンは断言した。

勇敢な彼でさえ思い出すと背筋が凍る。

自分がオーザンの立場であったとき、あれだけ堂々と立ち向かえるだろうか。

「目的を見誤るな。我々は必ずや指輪を捨てねばならん。バルログに勝つことを目指しているのではない」

旅路に支障をきたさず最も多くの人数が無事にモリアを抜け出せるのがこの方法だった。

オーザンは捨て石になることを即座に理解して役目を実行した。

「彼の覚悟を無駄にしてはならん」

その勇気ある献身に報いるには誰も振り向いてはならない。

オーザンは死に立ち向かった。

悲しい眼をした傷だらけの好漢とは、もうきっと会うことはない。

あっさりし過ぎていて現実感がなかった。

ようやく理解できたフロドの目からポロリと涙がこぼれた。

「行きましょうフロド様。あいつのためにも」

足が止まったフロドの体をサムが押した。

「お別れも言ってないのに!」

「おれもです。さあ、行かないと!」

悲痛な嘆きに、レゴラスに肩を借りるガンダルフが悔しげに顔をしかめる。

磐石に思われた床が大きく揺れる。

オーザンとバルログの激闘を知らせる揺れだ。

あまりの激しさに第二広間を彩る黒曜石の柱がひび割れて欠片が飛ぶ。

「始まったか。崩れないよな?」

松明を持って先行するボロミアが見回して心配そうに言う。

「ドワーフの要塞は暴れたぐらいじゃ壊れん。たぶんな」

言いかけたギムリは続く揺れの大きさにやや自信を失い、答えを濁した。

仲間たちは広間を横切り唯一の出口に繋がる回廊を走る。

通路を飛び出したボロミアの前に、巨大な崖が口を開けて待ち受けていた。

うすら寒い風が吹く、無限に思える大穴だ。

「うおっ、と!」

あわや転落しかけたボロミアが松明を奈落に落とした。

どこまでも落ちていく松明にその身を凍らせる。

「ドゥリンの橋……ここを渡れば、外はすぐじゃ」

やっと追い付いたガンダルフがそう説明する。

非常に狭く手すりもない石造りの橋が一本だけかかっていた。

東から侵入を目論むオークに対抗して一人づつしか渡れないようにしてある防御機構だ。

もっとも、今となっては抜け道が掘られてしまい意味をなさないが。

「一人ずつだ。用心しろ」

どこかでの激闘の証か地面はまだ揺れている。

この深さでは落ちれば生きては帰るまい。

最後尾を守るアラゴルンの喚起に従って頼りない橋を恐る恐る渡っていく。

回り道してきた群れのざわめきがすぐそこまで来ている。

難所はこの細道で終わりではなく崖の反対まで伸びた急な階段を上り降りしていく。

「上にもいるぞ!」

ボロミアが機敏に動いて盾で矢を防いだ。

彼がいなければホビットの誰かは矢傷を負っていたことだろう。

二本の矢を同時に射る離れ業をレゴラスが披露した。

胸と眉間を射ぬかれたオークが横穴の踊場から暗闇に転落する。

しかしレゴラスが間引くより新手が湧くほうが早い。

このままでは上から狙われながら逃げるはめに陥ってしまう。

幸いにしてオークの弓は達者ではないが上からばらまかれるだけでも厄介だ。

「あれを抜けば橋は崩せるはずだ!」

ギムリがふしくれだった指で差す先に、一本の楔が橋の根元にある岩の継ぎ目にはまっていた。

橋が陥落した場合に使われるよりはもろとも破壊するために残された、自壊の起点となる要に打ち込んである。

「どうする。やるか!?」

レゴラスは弓を構えた。

アラゴルンはまた苦渋の決断を迫られた。

橋を落とせばこのままオークに追われることはなくなるが、同時に後ろのオーザンを完全に見捨てることでもある。

彼は残酷な選択を迫る運命を呪った。

「……やれ!」

苦しみながらもアラゴルンはまたしてもリーダーとして正しい判断を下せた。

「く……」

苦々しくうめき、殿でオークの矢を叩き落とす。

追い付くのを待っているという言を翻し約束を違えたようなものだ。

オーザンが事情を知れば笑って許すのだろうが、義理堅く潔白なアラゴルンにはそれがつらかった。

レゴラスはエルフの弓取りぶりをみせ一度目で楔を射落とした。

楔が外れると橋の基部の岩がぼろりと剥がれた。

それをきっかけにぐらつきが橋の全体に始まり各所で綻んだ石組みが外れる。

「オーザン……」

後ろ髪を引かれるアラゴルンはその上で足踏みしていた。

「橋が崩れるよ、急いで!」

飛び交う矢に身をすくめるピピンが手招きする。

「リーダーはしっかりしてくれてなきゃ困るぜ!」

一度は渡ったメリーが大胆にも橋を引き返してアラゴルンの手を引っ張り連れていく。

「っぁ……!!」

モリアにさすらい人の声なき声が無念をはらんで木霊する。

狙った通りに橋は完全に落ち、追手のオークは足止めされた。

横合いから弓矢を使う数匹もレゴラスの弓術に打ち負けて沈黙した。

崩れ行く足場を仲間たちは懸命に走り第一広間へ、そして大階段を上りきり東門に至った。

これが物見遊山なら連綿と受け継がれたドワーフの技巧に見惚れるような壮観を、見上げることなくいくつも通りすぎた。

西門とはうってかわって東の門は開け放たれたままにされていた。

オークの侵入経路に使われたのだろうか。

橋を落とした甲斐もあってオークを撒けた。

ここまで来れば一安心だ。

アラゴルンが門を出て回りの山の形から場所を判断するに、霧降り山脈の南北の峰と東に少しでっぱった連なりに挟まれた南東に出たようだ。

背の低い草が繁茂する間にたくさんの切り株が点在している。

森が途切れて開けた周囲の景色と地図を照らし合わせてよりはっきりした。

ここはおぼろ谷だ。

オークとの戦いで倒れたともがらを火葬に附す燃料として伐採した森は、以来高い樹木が育たなくなった。

ドワーフの哀しみが染み込んだ土地だ。

東門から少し離れると暗い水をたたえた湖があった。

長めの卵形で、谷の北側にある峡谷へ向けて深く突き刺さった槍の穂のような形をしている。

岩肌の割れ目から霧降り山脈の雪解け水が吐き出され、岩場からこんこんと湧きだす清水と合わさって滝をなしている。

峡谷の奥から段々の滝が湖に流れ込んでいる。

湖の名はケレド=ザラム。

湖の南の端は明るい空の下で影も届かないが、その水は暗い色をたたえている。

ランプのともる部屋から仰ぎ見るよく晴れた夕暮れの空のような深い藍色をしていた。

水の面は小波一つ立たず静まりかえる。

その周りはなだらかな草地が木一本生えていない湖の縁まで、ゆるい勾配を描いて途切れなく続いていた。

上古のドワーフ王、不死のドゥリンはこの湖を覗き込み、湖面に自分が王位につく幻影を見た。

それが切っ掛けになってカザド=ドゥームが作られたという。

以来ケレド=ザラムはドワーフの聖地として崇拝され、ドゥリンが初めて湖を覗いた場所にはこれを記念するドゥリンの石という石柱が作られた。

だが第三紀末には石柱の先は折れ、表面は風雨にさらされてひび割れ、刻まれていたルーン文字も薄れて読めなくなっていた。

雄大なるアンドゥインの大河の支流のひとつの銀筋川はこのせせらぎから始まる。

湖からいくらか下ったところで、一行は水晶のように澄んだ深い泉に行きあう。

泉の水は縁石からあふれ落ち、急な傾斜の石の水路をきらめきながら音をたてて流れていた。

「美味しそうな水だ。飲めるかな?」

「やめときな。言い伝えによると、この泉は冷たすぎて飲んだら腹を壊すんだ」

透明な水を見て飲んでみたくなったピピンにギムリが忠告した。

レゴラスは晴天を仰いだ。

「二日ほど経ったようだな」

白昼に造作もなく見つけた星の場所のずれから霧降り山脈の底で過ごした日数がわかった。

オークに追われバルログの気配に脅かされた仲間たちはもっと長く居たような気がした。

五体を地面に投げ出して休みたかったがこのあたりはアイゼンガルドのサルマンの斥候がいてもおかしくない。

長居は禁物だ。

安全なところまで重たい体を動かさねばならない。

「何者か! 姿を見せろ!!」

アラゴルンが剣を抜いて、東門に潜む輩によく通る声で命じた。

すわ敵襲かと、仲間たちが一斉に武器を取る。

こそこそと動くなにかが暗がりからこちらを伺っている。

「騒がれる前に捕まえて殺してしまおう」

情け容赦なくフロドは言った。

フロドが裂け谷から持ってきたつらぬき丸はオークが迫ると青くぼんやりと光る。

今は光っていないのでオークではなさそうだが、地下から這い出したものが良い存在であるとは考えられなかった。

「いや、待つのじゃ」

身を屈めて隠れたそれは、かつて指輪を所有したものの通りがかったビルボ・バギンズに盗まれ、すっかり気が触れた矮小で哀れな者だ。

指輪の力の残り滓に与えられた長寿をモリアの岩屋で過ごす惨めな生き方をしていた。

それがいかなる運命のいたずらか霧降り山脈に舞い戻った指輪を追って、オークも知らない抜け道を使いひそかに尾行していたのだ。

正体とそれにまつわるおおよその事情を知るガンダルフは諫めるがフロドのいらつきは収まらない。

「どうせろくでもない奴に違いないよ」

仲間を失ったばかりのフロドはガンダルフに突き放した言い方をした。

オーザンとの別れに落ち込んだフロドの心を指輪はさらに暗くしていた。

「だとしても安易に殺してはならぬ。どんな者にも任された役目がある。刺されると痛い蜂がわしらが食べる甘い蜜を集めてくれよるのと一緒じゃ。ヒトの場合はやや複雑に運命が絡んでおるがな」

その時が来るまで誰にもわからない。

そうたしなめた。

「大した悪さはできん奴じゃ。放っておけばよい」

仲間たちはガンダルフの助言を信じて渋々武器をしまった。

石でも投げてきたなら暗闇に光る腫れぼったい目玉をすぐに射抜いてやるつもりだったレゴラスも弓を下ろす。

地図と地形を見比べるアラゴルンは怪しい影のことを一旦忘れて進路を決める。

「急ごう。またオークが出ないとも限らん」

「ああ、もうあなぐらもオークも懲り懲りだ」

剣を離したボロミアが盾の表に刺さったままだったオークの矢を抜いて捨てる。

マザルブルの間で背中を託しあった二人は武人として互いに敬意を払える人間だとわかった。

アラゴルンは公明で誇り高く、ボロミアは義に篤い。

ただの上下関係に留まらず、かといって友情そのものがあるわけでもない。

戦友と呼ぶのが適当な間柄だ。

危険だと知るも指輪に惹かれるボロミアがゴンドールを守りたい一心であると知ってからアラゴルンも彼に心を開いた。

時とともに二人の確執は薄れつつある。

「腹が減ってちゃ戦えない。少ないけど食べてくれ」

なけなしの干し肉をサムが配った。

固くなってしまっているが何か食べないと肝心な時に力尽きてしまう。

自分の分を減らしてフロドには多目に渡していた。

強い顎で噛み砕いてすぐに食べおわったギムリはちっとも足りず指についた塩気を舐める。

歩きながら少しでも長く味わおうと、口の中でゆっくり噛みほぐして食べる。

水だけは銀筋川の清い水を飲めるのでそうして飢えをしのいだ。

一行は銀筋川の北側を流れに沿って南下した。

次なる中継地はアンドゥインと銀筋川が川下で交わる近の森にあるエルフの里だ。

 

 

 




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暗闘、そして

ほぼ垂直の壁面を蹴って真下へ加速する。

赤々と燃えて目立つバルログへまっ逆さまに。

ほうほうの体で落下する巨体の背中はがら空きだ。

絶好の好機。

一際強く加速して空気の壁を破り片羽根に一撃を浴びせる。

なりふり構わずのひと振りは万全とはいかずとも黒翼の七割がたに切れ込みを入れた。

片方だけちぎれかけて平衡を失ったバルログは体勢を大きく乱して壁に激突する。

苦し紛れに鞭で捕まえようとするがもうその位置にオーザンはいない。

「いい加減に往生しろや!!」

闇雲に四肢をばたつかせるバルログの死角を飛び回り、胴と言わず手足と言わず傷つけセレグセリオンに血を啜らせる。

苦悶の嗚咽を漏らす喉をかき切る。

バルログの体にまとわりついた炎が映る壁が消えた。

大きな空間に出たようだ。

オーザンも気を回す余裕はない。

血みどろでもみ合うオーザンとバルログは引かれるがままに地底湖に落ちるのだった。

水柱を立てて水中没すると湖の冷たさとバルログの熱量がせめぎあい、じゅうじゅうと水を沸かす。

さしものバルログも天敵の水には敵わず火が消える。

生命の証である炎を奪われるのはバルログにとって痛手となった。

これはたまらんと翼を閉じて腕で水を掻き浅瀬へ泳いで逃げる。

熱湯になった水面から顔を出したオーザンも後を追う。

体が壊れたのかガンダルフの魔法が残っているのか、熱さは感じない。

先に足がついたバルログは走って大洞窟を逃亡した。

遅れて岸に着いたオーザンも逃げ去った方向へ追走する。

真っ暗闇もエルフの目には昼間も同然だ。

バルログからべたべたした体液が滴り尾を引いて格好の目印になっていた。

傷を癒す暇など与えてたまるか。

羽毛のようだった体が、濡れて肌に張り付いた服の重さを感じる。

常に斬り続けなくてはセレグセリオンの祝福はじきに途絶える。

効き目が切れるか、それとも体が完全に壊れるか。

どちらも差し迫っている。

これは時間との戦いでもある。

焦りを圧し殺して湖畔の横穴から別の洞窟に入った。

この先が騒がしい。

神経を集中して用心深く、しかし大胆に突入した。

バルログの吐息だけが唯一の光源の暗い世界は奇怪な生き物が跋扈していた。

「なんだありゃ?」

とんでもない奇妙な光景だ。

水気を含んでぬらぬらとした黒い体表に変化したバルログの足回りに、オークとも全く異なる生物がたかっていた。

オーザンより大きいものから、ホビット並みとまちまちで、まぶたのないぎょろりとした目玉が三つだったり紫色の肌をしている二足の異形だったり、姿かたちにまとまりはなく不気味なことだけが共通している。

ここはいやはての石の土台。

エルフより先にアルダにいたものたち、名前を持たぬ者たちの住まう場所。

物知りなエルフや地下で暮らすドワーフにもほとんど知られざる妖しき地の果て。

ヴァラールがこしらえたのではない者らが這いずりまわる、何もない底の底だ。

闇でも光でもなく、名前を持つ者たちとは何の関わりも持たず、価値観も共有せず、ただ単に存在するのみ。

侵入者を拒む彼らはバルログすらなにするものぞと襲いかかった。

強靭な殻に防御を任せて歯牙にもかけず折れた片翼をひきずり少してもオーザンから離れようとした。

屈辱だが自由を得るためには我欲を捨て置く。

何を代償にあの非常な力を得ているかはわからずとも、長くは持つまい。

また弱るまで逃げの一手をバルログは選んだ。

名前を持たぬ者たちの掘ったトンネルに体を窮屈そうに縮めてまでいくつも穴を通り抜けた。

原始的な石斧や鋭い爪牙で挑む異形を難なく轢き潰していくが逃げ足はやや鈍った。

名前を持たぬ者たちに手間取るバルログの背中をほどなくして捉えた。

魔神は逃げ惑い、はるか昔に崩落した岩石を体当たりで突き破った。

そこには新たな空間が待っていた。

鉄と黒曜石で出来た柱から足場が螺旋に連なる階段を灯籠で輝く水晶が輪郭を照らす。

オーザンが横に十人並んでも裕に登れる幅の巨大な螺旋階段が垂直にどこまでも伸びていた。

バルログはそれに駆けつけた。

これぞモリアに隠された無限階段。

上は霧降り山脈のケレブディルの山頂から下は地底までを貫く。

ドワーフの建築物とされるが、いつからあるのか誰が何の目的で設えたのかも言い伝えにはならず、第3紀には実在を疑問視されて全てが謎に包まれていた。

霧降り山脈の地下を余さず戦場にしたバルログが果ての果てにあった無限階段に最後に逃げ込んだのも偶然ではなく必然なのやもしれない。

必死に逃げるバルログをオーザンが追撃する。

爪とセレグセリオンが何百合と打ち合う。

狭い場所ならオーザンの独壇場だ。

螺旋階段が存在する縦穴の壁から天井まで足場に使い猛攻を仕掛ける。

炎を失ったバルログでは縦横無尽に飛び回るオーザンを捉えられず傷が溜まっていく。

それからもうどれだけ戦ったのだろうか。

上から太陽の光が届くまで登って登って登り続けた。

体が重い。

まだバルログを葬るには至っていない。

砂塵舞い上げて螺旋階段を登るオーザンを異変が襲う。

「……?」

息を吸うとむせかえり、喉に熱いものがこみ上げた。

歯を食い縛っても耐えきれず、血の塊を口から吹いた。

「がはっ……」

視界も赤く眼からも血が流れている。

体のあちこちが激痛を発し始めた。

「いよいよガタが来やがったな」

体を包む光は残っている。

蓄えた力はまだ枯渇していないが本来負っていた傷がセレグセリオンの能力の範囲をはみ出した。

悦楽を覆すほどの苦痛を受けているということだ。

セレグセリオンの祝福をもってしても、ついに誤魔化しが効かなくなった。

ここまでよく持ったほうだ。

光のエルフの直系であり鍛え上げたオーザンの桁違いの生命力でなければ地底湖に落ちる前に体が壊れて息絶えていただろう。

「なんのこれしき……」

震える手を精神統一で抑えて息を整える。

これ幸いとバルログは距離を稼ぐと、無限階段の頂上に蓋をする木組みの格子を殴り壊して白日の元に出て行った。

「まずいな……」

皮が破れ血塗られた手で柱に寄りかかり、階段を地道に昇る。

階段の果ては天然の岩石をくり貫いて建てた塔に繋がっていた。

補修もされず野ざらしで風化したそれをバルログは容易く打ち崩して晴天のケレブディルの頂点に躍り出た。

高台によじ登ると行く手を見極めようと真っ白な雲海を首を巡らしている。

翼は奪ったが山を下られるとどうしようもなくなる。

「逃げるな臆病者! かかってこい!!」

綻びる体に鞭うって走り挑発する。

嘘のように剣が重い。

体が言うことを聞かない。

木屑を押し退け魔剣を地面に擦り付けて耳障りに鳴らす。

「うおおおお!」

何も考えず染み付いた動作をなぞる。

飛び上がり、ほとんど無意識で剣を振り抜くが踏み込みも力の練りも足りない。

いかにセレグセリオンといえど精彩を欠いた技ではバルログの外皮を断ち切れず刃が表面を滑る。

防御の動作も重く、いいように殴られなぶられる。

「があっ!?」

思い切り腹を蹴飛ばされた。

ケレブディルの白雪に血を撒き散らしもんどりうって壁に激突した。

塔の内壁を突き破って崖っぷちに倒れ伏したオーザンは割れた煉瓦に埋もれ、くすんだ意識でまだ手立てを探した。

何千回斬っても死なないなんておかしいだろうが。

道理から外れた化け物め。

どうすればバルログを倒せるんだ。

折れた足で立てるか。

胸が潰れた。

息が出来ない。

身体中で痛まない所なんて無いぞ。

くそ、頭が働かない。

腕は付いているのか。

たぶんまだ剣を持っている。

まだ俺は生きている。

倒す。

必ず倒す。

目はそこそこ見える。

片方の耳だって聞こえる。

奴とて決して不死身じゃない。

もうひと押しだ。

立ち上がれ。

さあ立て。

「ぐ、が……」

赤く染まった煉瓦を押し退け立ち上がった。

魔剣の加護も失せ、死んでいないのが不思議なほどの半死半生の有り様だ。

左耳は大半が千切れた。

手の指は折れるか曲がっている。

脛から骨が飛び出している。

肩や胸の形がおかしい。

浅く息をするだけで鼻や口から血が迸る。

ここまで追い詰められたのは生涯でも経験がない。

だがまだ生きている。

諦めてはあの世で待つ家族に合わせる顔がない。

「……まだだ。俺はまだ生きている」

死の縁をさ迷いながらも睨みを利かせ、なおも剣を引きずって抗うオーザンの姿に、バルログは恐れを覚えた。

二の足を踏む。

絶対的な死を前になぜ立ち上がる。

なにがそうまで駆り立てる。

なぜ絶望しない。

奥の手も破られもはや死に瀕した体を突き動かすそれはなんだ。

未知の執念にバルログは誕生から幾星霜を経て初めて恐怖という感情が芽生えた。

新しき世代でありながら、爆発力は上のエルフでも上位に比肩するものであった。

明暗を分けたのはわずかな格の差だ。

放置して去れば勝手に死ぬ。

しかし万が一、己にここまでさせた半エルフが生き延び、何らかの方法で生命の格を上げた場合、さらに恐るべき難敵に成長して再度立ち塞がる。

未来を慮ればこそバルログは逃げるのをやめた。

今後の安息のために、このケレブディルの頂で確実に止めを刺しておかねばならない。

「そう来なくちゃな。今から大逆転してやるぜ」

良い手を思い付いた。

正真正銘、最後の悪あがきを見せてやる。

セレグセリオンは手の中で短く低く不機嫌に鳴いてそれを否定した。

「とぼけんな。出来るだろ」

貯めていた血とイスタリの膨大な生命力までも長い攻防で解き放ったが、まだひとつだけ残っている。

それはこの命そのものだ。

むき出しの胸を曲がった親指で小突く。

エルフに約束された無限の命は、肉体が傷ついた今もなお燦然とここにある。

そいつを吸いとり煮詰めて使えばまだやれる。

明日はいらない。

三千年も生きたなら十分だ。

家族を護るために若さを捧げ、二十年と生きられなかった子供たちを思えば長すぎる。

光のエルフの血筋はさぞかし上等な燃料になるだろう。

命を吸い、肉体へ還元する。

セレグセリオンの特性ならやってやれなくはない。

いちかばちかの賭けをセレグセリオンは強く拒否した。

ただでさえすり減ったそれを使いきれば、オーザンの絶命は確定する。

セレグセリオンとてバルログを倒したいのはやまやまだが次なる使い手を期待出来ないこんな所で朽ち果てたくはない。

「いいからやれ」

構わない。

有無などいわせるものか。

契約の決定権は俺にある。

「お前に全部くれてやる。俺の命を燃やせ」

魔力をふんだんに含んだ血に宿った強制力が不退転の決意に反応して契約は強引に履行される。

血が燃える。

無尽蔵に力が汲み上げられる。

逆流する命の膨大さに肉体が弾けそうだ。

肉を通さずして意思だけで体が操れる。

古代のエルフはこんな身体をしていたのだろうか。

これならやれる。

「今さら逃げるなんて言うなよ。死ぬまで踊ろうぜ」

冷たかった指先に力が宿り、意識は明瞭に透き通っていた。

 

 




体バキバキ、寿命ゴリゴリ。

魔剣「お兄さん許して!」


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死闘の結末

不屈の闘志でより強靭に甦ったオーザンにドゥリンの禍は恐れをなした。

バルログが恐れ知らずの怪物であったのも今日までだ。

この日この時から理解を超えたものへの本質的な恐怖を知る。

「驚いたな、お前でも怖がるのか」

流れる血のひとしずくが稲光に化ける。

振り絞る命の輝きはバルログの魂を焼くだろう。

「安心しな。誰にも初めてはある」

雪を蹴れば稲妻のように跳び、操る魔剣は金色の輝きを帯びて星のように空を彩った。

まさしく墜ちゆく星だ。

これは燃え尽きる前に放つ一瞬の光。

目にもとまらぬ斬擊は真っ向から外殻を断ち割った。

たったのひと振りが今までの総算よりも痛烈にバルログを苦しめた。

袈裟斬りと斬り上げ、そして横薙ぎの基礎的な動作でさえ、オーザンの手にかかれば神速の必殺技となる。

古代の大英雄にもひけをとらない神域に昇華した技は華麗にして苛烈にバルログを攻め立てた。

爪牙と豪腕を巧妙に掻い潜り鋭い一閃を閃かせては離れる獅子奮迅の戦いぶりだ。

惜しむらくは厚い雲に遮られて地上の麓からは瞬く雷鳴しか見えないこと。

余人の目に触れていればとこしえに語られる勇ましい英雄譚の一節になっていたことだろう。

バルログが真っ赤な口から原初の炎を吐き出した。

ミスリルも融ける業火を浴びればオーザンの血肉は灰も残らない。

狭い山頂に逃げ場はない。

ならば前へ出るのみ。

壊れて底が抜けたブーツが岩盤をへこませて三歩踏み出す。

「ふんっ!」

溢れる気迫で吐いた炎に留まらず眉間から胸までを真っ二つに両断する。

余生を前借りして命の純度を高めた。

絶対的な上位者に抗うにはこれしかない。

肉体の回復はその余剰エネルギーが起こした副次効果に過ぎない。

剣は命を吸い力へと変換し、それは腕をつたって体にみちて巡り、アルダを構成する様々な因子と重なりあう。

オーザンにも想定外があった。

半エルフの体に流れる光のエルフの血とヌーメノールの血が同じ勢いで失われた時、魔力の濃いエルフの血ばかりが体に残った。

その結果、血の魔力に促され、始祖への先祖返りが起きた。

魂の均衡は一気に幽体へ傾いた。

さらさらと転がる雪の音、風の流れ、色、香り、セレグセリオンを形作る鋼の粒、そよぐ産毛、バルログの肉体の伸び縮み。

オーザンを取り巻くそれらが見え、聴こえ、感じた。

あまたの剣士や求道者が目指す真理、最後の憧れである剣心一体の境地にオーザンの身は図らずして至った。

しかし明日を捨て、ただ一刀に賭けるあり方はもはや只人の生きる道ではない。

化生も悪鬼も切り捨てる修羅だ。

オーザンは修羅となった。

「爺さんたちはこんな風に世界が見えてたのか」

見方によってアルダの大地は色味が豊かであったり、真逆に霊的な視野ではおぼろげであったりしていた。

そのどれもが同時に見えて理解出来ている。

上下左右に前後から岩の陰までよく見える。

古い時代のエルフやヌーメノール人はこんな風に本質を捉える能力が備わっていたのだろうか。

現代でどれだけ努力しても敵わないわけだ。

笑ってしまうほど根本からモノが違う。

「こりゃ反則だぜ」

精霊に近づいた目には見える。

めりめりと割り開かれた上半身の奥で、セレグセリオンにまとわりついてまばゆく燃える命がバルログの核を焼いている。

噴出した溶岩の血を後方に下がってかわし上段の構えに戻る。

時を戻すように再生するバルログの動きは緩慢だ。

時が緩やかに見えているのか本当に遅いのか。

どちらにせよ見えたままの速さなら、かわすも攻めるも叶うだろう。

急所を見抜く目と貫く刃があれば必ずや。

口に溜まった血の塊を吐く。

よく分からない白いもやになって消えた。

力に変換出来るものはすべて魔剣が貪欲に食らっていた。

痛恨の一撃をくわえる隙を探して摺り足で左右に振る。

奇しくもバルログも同じようにしていた。

業腹にもこの半エルフはマイアの魂に届きうる者だと軽挙を控え、技らしきものを使っている。

古代にもここまでさせる戦士は滅多にいなかった。

力を盗む忌々しい魔剣と触れあうのもやめた。

炎の吐息を右手に集め炎剣を形どり武器にする。

左右に火を吹いて炎の壁を立てた。

前後は絶壁。

勝者が決まるまでここからはもう離れられない。

「こちとら最初からそのつもりだ」

上等だ。

小刻みに足を進め、バルログの間合いに寄る。

炎剣の長さに入る寸前、オーザンは先に動いた。

先手必勝の気概に無限に汲み上げる力を乗せて解き放つ。

遅れて動いたバルログの攻撃の軌道を紙一重の見極めで避け、首筋に斬りつける。

炎剣がかすった肩から煙がもうもうと立ち、火傷を負うが構っていられない。

セレグセリオンを左手に持ち代えて疾風迅雷の切り返し。

磨かれた足運びで脇をくぐって斜めに移動してながら空きの横っ腹を薙ぐ。

苦し紛れに炎剣を振れば空回りさせて背中を斬る。

濁流にたゆたう水草のような軽妙さに鋼の鋭さを持ち合わせた剣戟で翻弄する。

どの体勢からどのような攻撃が出せるか、命中させるのに必要な速度と威力から逆算すれば繋がる動きはおのずと絞られる。

上段の構えから下段を出す馬鹿はいない。

万能の構えでも技の予兆を見抜く特別な目と膨大な経験から次の行動の予測を限りなく精確に弾き出し常に反撃を繰り出す。

すなわち、今のオーザンにはわずかに未来が見えている。

巨体に似合わぬ俊敏さのバルログと渡り合えるほどに技術と身体能力を高い次元で両立したオーザンだから可能な神業だ。

振り返ったバルログと入れ替わるようにすれ違いざまに斬り抜ける。

先の先と後の先を使い分けたゆるやかさと激しさの芸術的なあやつりように魔神はすっかり惑わされた。

セレグセリオンが妖しく踊り狂い極上の獲物をしゃぶった。

致命の隙をさらすまで、こうして攻めて攻めて攻め潰す。

バルログがひと振りする間に小刻みに何度も斬った。

ここで決めたい。

オーザンは今度こそ倒しにかかっていた。

されど戦場の経験という面でバルログとて決して劣るものではなかった。

大きく一歩を踏み出そうとして足を伸ばした瞬間、バルログが加速した。

今まで使わなかった膝や足首の関節まで用いて炎剣を素早く振ったのだ。

「なにっ!?」

これまでより一段も二段も速い。

一杯食わされた。

決め手を狙っていたのはオーザンだけではなく、欺くために今の今まで手を抜いていたということだ。

もっとも得意とする上段の袈裟斬りがとっさに出た。

打ち落とそうと粘る。

浮いてしまった上体でもなんとか受け止められた。

オーザンの上段とバルログの横払いがぶつかりあい、足を起点にして放射状の亀裂が走る。

四肢の骨が軋む。

天地創造の時代の力を秘めたバルログとまともに勝負すればこうもなろう。

「はあああ!」

つばぜり合いは体重が重く地力も勝るバルログが大いに有利で、このままではオーザンの敗けは決まっていた。

だが、人には先達から教えを受け継ぎ洗練されていく技がある。

それが勝敗の分かれ目だった。

力んだままさらに力をこめようとすればどんな達人でも隙が生まれる。

そのわずかな機微をオーザンは見切った。

止めを焦り潰しにかかったバルログが力むと完全に同時に炎剣をしゃがんでかわし、流れるように魔剣を下段で薙いで両脚を撫でた。

想定外の下段攻撃に腿をざっくりと裂かれて膝立ちを余儀なくされた。

転倒するのを嫌ったバルログは左腕で体を支えてしゃがんでいるのがやっとだ。

ここしかない。

最後の勝機。

全生命を腕に集中した。

器の魔剣から溢れた力が雷になって四散する。

それどころかオーザンの体は雷そのもののように瞬き紫電を放っていた。

命の波紋を研ぎ澄ませ炎剣を右腕ごと切り落とす。

これで無防備だ。

うつむいたバルログの体に下に飛び込み、全身のバネを跳ねあげて突きこんだ。

しかしバルログもさるもので、狙われると読んでいた胸に真っ先に力を集めて外殻をさらに厚く硬いものにしていた。

それは信じられないことにセレグセリオンを刃先から少ししか通さないほど重厚で頑丈であった。

「くっ!」

これではバルログの命に届かない。

もっとだ。

もっと力を。

後先の配慮なんてしなくていい。

「ぐ、ぎ、が……!」

体から筋がちぎれ血管が破裂する不吉な音が聴こえたが省みず、心血を注いで有らん限りの残った力で押し込む。

「うおおおおおおおおおおおおお!!」

尾根がゆらぐほどの雄叫びが蒼天に轟きセレグセリオンは最大に輝いた。

抵抗を破って一気に突ききった。

刃で触れてもわかるほどとても熱く、硬いものだったバルログの魂をそのまま押し切って貫いた。

セレグセリオンから炸裂するオーザンの生命力が木っ端微塵に粉砕して焼き尽くした。

粉々に割れた魂の欠片をセレグセリオンがちゃっかり食い尽くすのをみて、命を奪ったのだと確信した。

魔剣を引き抜くと魂が砕けたバルログが胸をおさえて二歩三歩と千鳥足でよろめく。

そして炎の悪魔は背後の崖から足を踏み外して転落した。

山腹に落ち、それきり動かなくなった。

それが、とてつもない圧倒的な威容を誇ったいにしえの魔神の最期だ。

邪神に仕えアルダを蹂躙したバルログは最後の一体の死をもってここに絶滅した。

「やったか……?」

念のため近くの岩を投げ落として頭にぶつけてみたが動かないので本当に死んだとみていいだろう。

「化けて出ないでくれよ?」

セレグセリオンを岩に刺して寄りかかって座る。

剣を手放した時から超人的な感覚は去っていく。

広がった世界を失うのは惜しくはあっても頭が破裂しそうなほど疲れたのでもうこりごりだ。

膝から下は服も燃えて無くなってしまった。

何年も履いて足に馴染んでいた靴も壊れてどこかにいってしまったので裸足だ。

「へっ、ざまぁみろってんだ」

悪態はつけるが腹も減ったし疲れはてた。

血が足りない。

「いてて……」

曲がった指を力任せに元の方向に戻し、折れて飛び出した骨は奥に押し込んで見なかったことにした。

古代エルフに片足を突っ込んだこの体ならなんとかなるだろうという適当極まる処置だが、焦げていない生地はどこにも無いので当て布も出来ない。

周りの肉が少し盛り上がって傷を埋め、出血は控えめになったのでこれでよしとした。

何か食べるものがないかと右肩の一部と腰周りしか残っていない上着の懐をあれこれと触って探す。

大半はモリアで紛れ込んだ石ころや板切れだったが、嬉しい誤算がひとつあった。

「んん……お、おお!!」

奥の奥に大切にしまっておいたおかげか、白いパイプは奇跡的に無事だった。

祝いの席で家族に贈られてから何百年も愛用している大事なパイプだ。

倒したワーグの牙と骨を削って組み合わせ作ったものらしい。

本当に大切な思い出の品だった。

壊れなくてよかった。

湖に落ちたせいかパイプ草は湿っていたが、バルログが残した溶岩のそばに袋から出して並べるとすぐに乾いた。

惜しみ無くたっぷりとパイプに草を詰めて、準備は万端だ。

服に刺さっていた長めの木片に溶岩の火を移してパイプに着火する。

ぷかぷかとふかして火をパイプ全体に落ち着かせる。

「へへ……」

雪が吹き散らされてむき出しになった、ごつごつした岩の上に大の字に寝転がり、口に吸い口を挟んで思い切り吸い込む。

「ふう」

達成感が胸にじわりと溜まる。

バルログの炎を火口に使ったパイプの味は格別のうまさだった。

しばらくぼおっとして空の青さを眺めていた。

高い空に大きな鳥が飛んでいる。

大鷲に見える。

あんな高さに鳥がいるなんて変だと思った。

大きい。

とにかく大きい。

錯覚でも見間違えでもなく大鷲は高度を下げて来ているのだ。

「やっぱりお前が面倒を引き寄せてるだろ」

頭上で岩に刺さったセレグセリオンをこつんと叩く。

ぶるりと震えて否定した魔剣は知らんぷりを決め込んだようだが、次から次へと難事がやってくるなんてさすがにおかしいだろう。

バルログの次は一体どんなマイアと戦えというのか。

「ああ、大きいな」

翼の端から端までバルログが横になったのと同じくらいはある。

大鷲は旋回して徐々に降りてくるとふわりと風を掴んでケレブディルの先端の岩に留まった。

一応戦えるように立っておくがパイプは咥えたままだ。

「疲れてるからもうちょっと寝かせてくれよ」

並外れて大きな金色の瞳は凛として真っ直ぐにオーザンの目を貫いた。

悠然としたたたずまいで厳かな雰囲気を羽の一枚一枚から溢れさせている。

仕草にもどこか品がある。

下手をすればバルログよりも格が高い何かであったが、死力を尽くしてくたくたのオーザンには遠慮も恐れもなくなっていた。

どのみち今の体調でより強大なマイアに太刀打ちはできまいと開き直った。

「戦ってもいいけどまずは休ませてくれ。大物狩りをしたばっかりなんだ。頼むぜ鳥さんよ」

「鳥ではない。我はマンウェに遣われしソロンドールの末裔グワイヒア。大鷲の一族の長である」

おもむろに口を開いた大鷲は威厳のある心地よく響く声で応えた。

この期に及んで驚くことはなかろうと踏んでいたオーザンもこれには意表を突かれた。

「中つ国の鷲は喋るのか……いやマイアなら普通か?」

鳥というものについて常識がひっくり返され、疲れも相まってごちゃごちゃしてきた頭をまとめるためにオーザンは小声で呟いた。

それはしっかりとグワイヒアの耳に入っていたが、大空の雄大なる王者は些細なことには拘らず聞き流した。

「エルフと人の合の子よ。胸がすくような素晴らしいものを見せてもらった。我らの仇敵であったバルログとの戦いよう、まことに見事なり。奴らはゴンドリン以来の我が一族の仇であった」

はるかな太古、邪神メルコールの健在であった頃、大鷲たちはエルフの隠れ里をバルログを筆頭とする邪悪な軍団より守護していたが、守りは破られ里は滅び去った。

時が流れ地形が変わり大鷲たちも代を重ねたがメルコールの配下への屈辱と怒りを忘れたわけではなかった。

当代の長グワイヒアは支配する空を巡っていた折に、憎きバルログめが何者かと戦っているのを見つけた。

それがオーザンだったというわけだ。

「見てたなら加勢してくれてもよかったんじゃないのか?」

「そなたのまれに見る奮戦にみとれてしまったのだ。そのような戦いに水を差すのも無粋であった。赦すがよい」

「……そうかい」

反論するだけ無駄のようだ。

オーザンにもマイアというものについてそれなりに分かってきた。

善悪で別れてはいるが、ガンダルフのように人の文化に触れるほどまめで細かなことを気にかけるマイアはいても少数派だろう。

このグワイヒアもバルログと根っこの部分では同じで自分勝手な奴らなのだ。

話が通じて暴れないだけいくらかはましという違いしかない。

超越者とはそういうものか。

考えてみればオーザンも蟻の気持ちを考えたりはしない。

「雪辱を代行してくれた礼に麓かエルフの里までそなたに翼を貸したい。どこへゆきたいか申せ」

こちらの許可を求める誠実さがあるだけこの大鷲のマイアは善良な方だ。

しかしそれも勘弁してほしい。

「空を翔ぶのは貴重な経験だし気持ちいいだろうな。だけど遠慮しとくぜ。あんたたちが立派な翼をもらったように、俺たちもヴァラールから陸を歩ける足をもらった。歩いて行ける」

地底にどれだけいたかはいざ知らず、山頂でバルログと戦っていた時間を加味しても仲間たちと別れてからそう経ってはいないはずだ。

まだまだ歩きで追い付ける距離にきっといる。

正直に言うとマイアに関わると厄介が増えそうなのでここいらでお別れしておきたい。

そもそも大鷲に乗って仲間のところまで移動したらすぐにナズグルとオークに見つかって指輪まで案内してしまう。

秘密の旅が台無しだ。

「足るを知るとは殊勝な心がけだ。ますます気に入った。あまり感謝を押し付けるのも野暮か。しかしこのまま帰しては一族の名折れとなる。どうか贈り物だけでも受け取ってくれまいか?」

言うが速いかグワイヒアはくちばしで尾羽を一本引き抜いた。

値打ちの付けようがないほど神々しいまでに存在感があり、つやつやした極上の羽だ。

それをオーザンの足元に置いて毛並みを整えた。

「そなたとの友宜のしるしだ。困った時にはそれを空に投げよ。中つ国のどこであろうと我が駆けつけよう」

「……ありがたく頂戴する」

まあこれなら悪くない。

抜いてしまったものを戻せとも言えないし置いて捨てていくと怒られそうだ。

これぐらいならベルトに挟んでおいても邪魔にはならない。

使い時が来ないことを願いつつ受け取り、残り少ない服の内側に丁寧にしまった。

「ではさらばだ我が友、鋼の勇者よ。また会う日まで」

さようならをいうだけで威厳たっぷりのしゃべり方をするマイアだった。

グワイヒアが羽ばたいて地面を離れる。

羽ばたきに起こされた風が強すぎてパイプの火種が吹き飛んで消えてしまった。

再点火しようにもバルログの残り火も一緒に無くなっていた。

偉業達成の風情もへったくれもない。

「……早く行けってか」

憎んでもしかたないのでオーザンは前向きに捉えた。

岩からセレグセリオンを引っこ抜いて傷だらけになった鞘に納め、雲の敷き詰められた水平線に落ちていく太陽を背にしてケレブディルを下り始める。

打ち合わせた予定では次の中継地は裂け谷と並ぶエルフの聖地ロスローリエンだ。

九人全員が無事であることを願いたい。

 

 

 

 

 

 




誤字報告兄貴三銃士
Libra23兄貴
三山畝傍兄貴
煉獄騎士兄貴
みそかつ兄貴

いつも感謝ァ!


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おぼろ谷を抜けて

短め。


オーザンを除いた一行は岩が並び立つ山の裾を抜けて巨大な森の隅の草地まで来た。

もう夕暮れ時。

夜は邪悪なオークが活発になる時間だ。

「今夜はここで休もう」

アラゴルンは今宵の夜営地を決めた。

「もう少し森から離れない?」

素早く荷物をほどいてパイプを用意しているピピンが言う。

ホビットたちが裂け谷より前に通った古森はこれと似ていて、かつてはさらに巨大な森林で、エルロンドによれば、今ホビット庄といわれるところからアイゼンガルドの西の褐色人の国まで、リスが木から木へ伝って行けたほどであったという。

そこには馬並みの大きな蜘蛛といった恐ろしい生き物がいた。

ここもエルフが昔から暮らすような古い森なら、他にもどんな怪物が潜んでいるかわからない。

近くで一夜を明かすのも危険な試みに思えてはばかられた。

「いや、ここがいい」

闇の森の王子は賛同した。

「ここならモリアからオークが来てもすぐ気付いて森に逃げ込めるし、森からおっかないものが出ても原っぱに出られる」

危険な森で生まれ育ったレゴラスにはそこまで怪物が出る気がしない。

むしろ心地よい気配がある。

「警戒するにこしたことはないが、ここまで離れれば追っては来んじゃろうて。オークどもは日の光を嫌う」

新鮮な風に吹かれてガンダルフの顔色はいくらかよくなった。

歩きづめだった一行は草の上に腰を下ろした。

焚き火の薪拾いやかまどをこしらえて冬場の夜を過ごす支度を整える間、誰も何も言おうとしなかった。

仲間を失ったばかりでは呑気なピピンにも仲間を賑やかす楽しいことは言えそうになかったのだ。

付き物だったガンダルフの昔話も無く、黙して火を囲み、サムが荷物をひっくり返して見つけたなけなしの硬いパンをちぎって配った。

夜目がきくレゴラスは木の上から見張りをしていた。

残りの皆で火を見つめてまどろむ。

哀しみの沈黙は夜風の冷たさに混ざってゆっくり染み渡った。

「もう、いいよな」

パンを懐に入れたギムリは立ち上がりモリアからずっと閉ざしていた口を開いた。

予備の戦斧を背負い直して踵を返した彼の目にはらんらんと燃える常ならぬものがあった。

「おい待て、何をしている?」

草を踏み分け、のしのし歩いてモリアの地底へと戻ろうとするギムリの肩をボロミアが捕まえた。

「俺はここで抜けさせてもらう」

疲れと空腹にも勝る強い衝動がギムリをつき動かしていた。

「旅をやめるのか? どこへ行く?」

「モリアだ。オーザンを見つけたらまた合流する」

ボロミアを振り払い背の高い草を斧で押し退ける。

「そこを今朝抜けてきたんじゃないか」

九人でここに居られるのは、オーザンを犠牲にしてまで成功させた命からがらの逃避行の成果だ。

それを無駄にしようとするのは止めねばならない。

ギムリの大声で眠りかけていた仲間たちはすっかり目を覚ました。

この騒動を収めようとガンダルフも疲れた声で呼び掛ける。

「よさぬか馬鹿者。命を粗末にするでない」

「馬鹿で結構! ドワーフの砦に仲間を置いていったんだぞ!? 見捨てられるか! 今からでも俺は戻る!」

バーリン、オーリ、オインの三人の親族の死を目の当たりにしたすぐ後に、また仲間の一人を失おうとしている。

見過ごせるものか。

ドワーフの聖地をオークに土足で踏み荒らされるのも友を失うのも、もうたくさんだ。

他の仲間の安全が確保できるまでは同行していたが、それも済んだとなればもう気持ちは抑えられない。

ドワーフは欲深で頑迷だが情が深い。

死すらも超越するそれにのっとり、ギムリはオーザンを探しにゆこうというのだ。

「やめろ、今さら遅い!」

ボロミアが羽交い締めにしたがすごい力で振りほどかれる。

「うるさい、あいつを一人で死なせてたまるか! 薄情ものめ!」

止めようにもギムリは興奮して斧を振り回しているので危なっかしくて誰も近寄れない。

「薄情だと? 俺だって行きたいさ! だが仮に奴を見つけてどうする。今度はオークを俺たちのところまで案内するか!?」

ゴンドールを預かる大将の彼には守るべき多くの臣民がいる。

モルドールに近くサウロンの脅威に常にさらされているゴンドールの人々を守る重責を忘れた日は一日も無い。

だからこそ情に流されて未来を捨てることは選べないのだ。

「彼は望まないぞ。むしろ怒るだろうな」

木から降りたレゴラスは感情の面からなだめてみようとした。

「半エルフに出来てエルフに出来ないのか。臆病風に吹かれたな!」

頭に血が上った様子で口から泡を飛ばした。

「やれやれ」

もはや何を言っても聞く耳をもたないようだと、レゴラスは早々に説得をあきらめて見張りに戻る。

ホビットたちが固唾を飲んで見守る中を、小さな体に中つ国で最も重い使命を課せられ、やつれたフロドは進み出た。

「もうやめて。僕らは旅を続けなきゃ」

この仲間はフロドを守るために集った九人。

故郷と家族を失ったオーザンは中つ国は縁もゆかりもない。

言葉を交わした友であるという義によって、中つ国を救おうと供をし、指輪を背負ったフロドを守るために命を賭けて殿を請け負った。

そのことで一番苦しんでいるのはフロドなのだ。

はたと我に返ったギムリは斧を立てて、その場に立ち止まった。

アラゴルンは膝を折って両肩を掴むとじっと目を合わせる。

「どうしても行くというなら止めはせん、私も同じ想いだ。だが忘れたか? モリアにはバルログがいる」

モリアを支配するバルログは生半可な剣では渡り合えぬ尋常ならざる魔物。

ガンダルフの警告に従い火山の噴火に等しく逃げるしかなかったことをアラゴルンはギムリによく思い出させた。

「彼とあの魔剣が敵わなければ、我々全員が力を合わせて当たったところで無駄骨だ」

唯一の望みはオーザンがバルログを下し、並み居るオークを蹴散らして追い付くことのみだ。

万にひとつの儚い希望だが、それにすがるしかない。

「わかってるさ、そんなこと。わかってる……」

落ち着いて振り返る余裕が親族と戦友の死別の哀しみを深くした。

ギムリの手から斧が滑り落ちて草に転がる。

「ああ、オーザン……許してくれ……」

胸の苦しみに耐えかねて、モリアに繋がるであろう大地にうずくまる。

この気持ちもどこかで戦うオーザンまで届けばよいのにと淡い祈りをこめ、声を圧し殺して名誉ある死も共に出来ないと心から詫びた。

「サウロンを倒そう。必ずや、我々の手で」

それが弔いであると。

熱を秘めた手でギムリの背中を叩きアラゴルンは立つ。

「皆も心に刻め。いたずらに命を捨てるのは私が許さん」

そう宣言して斧を拾い持ち主に手渡した。

「すまん」

体を起こしたギムリはしおらしくなった様子でそれを受け取り、仲間たちの輪に戻った。

「一件落着じゃな」

ガンダルフは胸を撫で下ろしてパイプに火をつけた。

騒ぎは鎮まり、でこぼこしていない場所で各々が横になった。

つらいことや恐ろしいことを沢山経験したが、明日も旅は続く。

体を休めるために、一人また一人と眠りに落ちた。

ギムリは火を見つめながら硬いパンを口に含んでふやかしてゆっくり飲み込む。

音のない夜はしっとりとふけた。

ボロミアと見張りを交代したレゴラスが、身を寄せあって眠るホビットをひょいと避けて火に当たりに戻ってきた。

配られたパンの一片をレゴラスはそのままギムリに差し出した。

「私の分も食べてくれ。今は腹が減ってなくてな」

「エルフの施しは受けん」

腹の虫は正直に鳴いているがこんな時でさえギムリは強がった。

「よく食べて休み戦いに備えろ。オーザンだったらきっとそう言う」

オーザンの声色を真似てレゴラスは言う。

真似はまったく似てなかったが台詞は響き、エルフとの溝を埋めるきっかけにはなった。

「……ありがとよ」

ぶっきらぼうにパンを受け取りばりばりと噛み砕いて飲み込んだ。

「どういたしまして」

レゴラスは爽やかに微笑み木のこぶに座ると弓を持ったままで目を閉じた。

邪悪な力が迫っているとは思えないほど星空は変わらず美しく、一行を見下ろしてまたたく。

九人から誰も欠けずに次の朝は迎えられた。

 

 




地底トンネルでどつきあいしてる頃。
ようはスコップひとつで山火事止めたるわって感覚なのでお通夜ムード半端ない。
アカンこれじゃ剣士が死ぬゥ!


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valeth2兄貴
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同時展開の
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うたかたの里

朝が来た。

夜明けと共に誰からともなく目を覚ました。

沸かしたお湯を皆で飲んで朝露に冷やされたぎこちない体を暖める。

体が暖まり頭もしゃっきりしてくると萎えていた気力がむくむくと膨らんでいくのを感じて、元気に出発した。

ロスローリエンのエルフの国は魔法で巧妙に隠されており、招かれざるよそ者がたどり着けることはない。

一行は森の奥へと入っていく。

向こうに見つけてもらい連れていかれるのが一番手っとり早いが、騒がしくしてはオークにも見つかりやすいのですいすいとはいかず、用心した足取りになった。

奥へ行くと森はどんどん鬱蒼として、差し込む日の光も細くなる。

「離れるんじゃないぞ。この森には恐ろしい魔女がいるって噂だ」

後ろを歩いていたサムとフロドを引き寄せたギムリは声を潜めて警告する。

「エルフの女王だ。凄い魔力を持っていて、彼女を見た者はその場で虜になり二度と戻っては来れん」

おっかなびっくり着いていくフロドに囁く声があった。

「フロド……」

はっとして辺りを見るがそれらしい人影はない。

「お前はこの森に災いをもたらしに来た。邪悪な指輪の運び手として……」

指輪の声もあって幻聴の境が曖昧になりつつあるフロドは動揺して足を止めた。

「フロド様? どうかしましたか?」

「いや、なんでもないよサム」

後ろでつっかえたサムが心配するがフロドは囁き声のことは言わなかった。

またギムリの後をついていく。

「ふん、他はまやかせてもこのギムリはまじないなぞには引っ掛からん。俺には鷹の目と狐の耳が……」

斧を両手で構え気丈に振る舞うギムリが口をつぐみ不敵さを引っ込めた。

鼻っ面に矢を突きつけられては剛胆なドワーフも軽口を叩けやしなかった。

囲まれている。

どこに居たのか、森の木陰に忍んでいたエルフの戦士たちが次々と現れた。

弓につがえた矢の先は一糸乱れぬ統率で旅の一行にぴたりと向いている。

「ロスローリエンの守り人よ、怪しいものではない。私はアラゴルン二世。一時の庇護と助力を求めたい」

アラゴルンは声を荒げず落ち着いて名乗る。

「先だってエルロンド卿より書簡が届いていよう。わしらは指輪の旅の仲間たちじゃ」

魔法使いはサウロンに抗う勢力の繋ぎ役として活動してきた。

ロスローリエンにも何度も訪れているガンダルフをみとめると頭領のエルフは警戒の色を解いた。

「知っている。馳男(ストライダー)か。アラソルンの息子だな。それと灰色のガンダルフとは珍しい客人だ」

中つ国を放浪する野伏の一団の棟梁として各地で闇の勢力と戦ってきたアラゴルンは名高い男であり、その名声はこのロスローリエンまでも伝わっていた。

「アラゴルン、この森は不吉だ。引き返そうぜ!」

ギムリが鼻を鳴らして不満をあらわにする。

「森の貴婦人の領地に入ったものは、許可なくしては出られない」

エルフの隊長は精巧な細工を用いた鎧をしゃなりと鳴らす。

「おふた方がお待ちだ。着いてこられよ」

前後をエルフの戦士が囲まれていざなわれるがままに森をより奥へとゆくが、よこしまなものはおらず不思議な感覚に襲われた。

そしてそれは森の中へ歩いて行くにつれて、いよいよ深まっていく。

時という橋を渡り、上古の世の片隅に足を踏み入れて、もはやすでに存在しない世界を今歩いているような気持ちに浸された。

裂け谷にも古い時代の記憶が残っていたが、ロスローリエンでは古きものが現世の世界に今なお生き続けている。

エルフが持つ三つの指輪の一つ、ネンヤの力によって守られており、悪による汚れや時による衰えの影響を免れた特別な土地となっていた。

聡明なエルフの指導者はサウロンの奸計を逆手にとり、指輪の力を正しく使い、アンドゥインを挟んだ対岸で勢力を強めるオークの穢れも寄せ付けない聖域を打ち立てたのだ。

この地に足を踏み入れることは人間やホビット、ドワーフといった定命のものにとっては危険であった。

エルフの生きる悠久の時の中に飛びいるようなことであるため、外界における普通の感覚と時の流れがずれて森を出たら何十日も過ぎていたりするのだ。

ゴンドール人やローハンのロヒアリムの間でささやかれる帰らずの森という噂はそれに尾ひれがついたものだった。

中つ国の歴史を紐解いてもエルフの聖域ロスローリエンの真実の姿をみたドワーフやホビットや人間はごくわずかだ。

「ロスローリエン。とうとう伝説の黄金の森にまで来たか。今が冬であるのが口惜しい」

目を奪われる美しさにボロミアはほうとため息をもらした。

目の前には高い木々が夜空に亭々とそびえている。

さしのばされた大枝は道の上にアーチを作り、その下には思いがけず不意に姿を現した水の流れもあった。

木々がのびのびと生やした葉の隙間からおぼろに差し込む明かりで見ると、木々の幹は灰色をしており、風に揺らぐ葉は朽葉色がかった金色を帯びていた。

この木はマルローンという。

マルローンとはエルフの言葉で金の木の意。

第三紀の中つ国ではロスローリエンにのみ生えていた樹木で、この木々のために、ロスローリエンは黄金の森やそれに類する名で呼ばれた。

堀の向こう側にはマルローン樹がところせましと生い茂った緑の丘を取り囲んで、緑の城壁が高々と聳え立っていた。

そのマルローン樹の丈の高いことといったら、ロリアンの地にはいってからこのかた、まだ見たこともないくらいだ。

高さがどのくらいあるのか見当もつかなかったが、夕闇の中に聳えているところは、生きている塔さながらであった。

これらのマルローン樹の何段にも分かれた枝々や、絶えずそよいでいる葉の間に、無数の明かりが緑に金に銀色にちらちらとまたたいている。

この神秘的で色とりどりの美しき里が、ロスローリエンに住むエルフたちの都、カラス・ガラゾンだ。

ハルディアが一行の方を向いて言った。

「ようこそカラス・ガラゾンにおいでになられた。これがロリアンのケレボルンの殿とガラドリエルの奥方の住まい給うガラズリムの都」

危険な時代における要塞都市であり、周囲は緑の城壁と堀に囲まれ、城門は南西側にのみ設けられている。

堀の周りには白い舗装路が敷かれ、城門へは白い橋を渡るようになっていた。

都の中にはランプで照らされたいくつもの階段と小道がある。

都の中のゆるやかな丘を登った頂上付近には芝生と噴水のある広場があり、その南側に生えている最も巨大なマルローン樹の上に、ケレボルンとガラドリエルの館があった。

謁見の間、樹身の下に置かれた二つの椅子には生きた枝を天蓋にして、二人の領主、夫のケレボルンと妻のガラドリエルが並んで座していた。

二人は客人たちを迎えるために立ち上がる。

たとえ強大な力を持つ王侯といえども、これがエルフの作法だった。

二人ともそれは背が高く、奥方も背の高さでは夫にひけをとらない。

古い時代の者は人間でさえ今よりずっと背が高かったのをこの二人は証明している。

また二人とも大変美しく、おごそかな空気をまとっていた。

全身白ずくめの衣装をまとっていたが、髪は奥方のは深い金色、ケレボルンは長い輝く銀髪であった。

一万年かそれよりもっと長き時を生きているがどちらにも老齢のしるしは見られない。

二人の目の深さにのみ歳の重なりがうかがわれた。

その瞳は星の光にきらめく槍のように鋭く、しかも深い記憶を蔵した井戸のように深々と見えた。

ガラドリエルはかつてヴァラールに反逆して神々の国(アマン)より西の海を渡り中つ国へと帰還してきたノルドールの指導者の一人だった。

現代ではロスローリエンの奥方と呼ばれ、中つ国に残るエルフの中で、もっとも力ある上のエルフの一人となっている。

中つ国でも特に高貴で尊い血筋の女王でありエルフの三つの指輪の一つ、水の指輪ネンヤの守護者として夫とロスローリエンの指導者を務める。

領主を自称することはないが周囲は偉大なる代表者とみとめているので同じことだ。

「ご苦労様でした、ハルディア」

奥方は戦士を労うとここまで案内した頭領は下がっていった。

「ガンダルフ。そのやつれようはどうしたのだ。まるで弱々しい。いや、語らずともよい」

夫のケレボルンは魔剣に命を吸わせ、みる影もなく弱ったガンダルフを気遣った。

ガンダルフとアラゴルンが代表して歓迎に感謝の言葉を述べようとする寸前、なににも分類できない透き通った原始的な神秘の雨が一行の心に降り注いだ。

これぞ卓越した魔法の神髄であろうか。

ある者はたじろぎ、ある者は揺るがずまっすぐに立って浴びた。

それは心理をなぞって読み、引き潮のように退いていく。

それだけでケレボルンとガラドリエルはここまでのことのあらましとそれぞれの胸中を理解した。

「早くも一人が失われるつらい旅になりましたか」

この二人の守護者はエルロンドの妻ケレブリアンの両親で、すなわちアラゴルンと恋仲のアルウェンの実の祖父母にあたる。

そのような繋がりもあって裂け谷とは密に連絡を取り合っている。

裂け谷を出た時は十人だったことは当然知っている。

「カザド=ドゥームで、バルログが出たのですね」

そして一行の心に影を落としているものも読み取った。

「わらわもかつてはあそこと親交がありました。山の下の強大な王の没落する日まで、上古の世のカザド=ドゥームの柱立ち並ぶ数々の広間のなんとみごとであったことでしょう。あの営みが破壊されてしまったのは残念でなりません」

胸を締め付ける苦しみに抗うフロドが目を伏せると、モリアの壁に踊る炎と太鼓の音がまぶたの裏によみがえる。

指輪のために、己を守るために快男児は身を投げ出した。

矮小なホビットがこのような旅に出たのがそもそもの誤りだったのではないか。

「そなたは後悔しているようだ。もっとよい道筋があったのではないかと。そなたは精一杯に勇気ある選択をしたのだ」

ケレボルンは毅然としてフロドの気持ちを汲み取り元気づけた。

上のエルフも若い時節には今よりもっとひどく混沌とした時代で苦い経験をしている。

「しかし希望を捨ててはなりません。今もまだケレブディルでとてつもないぶつかり合いが行われています。かの力の戦いを彷彿とさせる、大きな大きな命が燃えているのです」

ガラドリエルは目を閉じて心の瞳を馳せ、遠方から山頂を伺ったが、猛烈な熱量に眩まされてよくは見えなかった。

だが猛火とバルログがそれを振るうにあたう何者かが死闘を繰り広げているのはわかった。

「まさか……!」

これにはアラゴルンだけでなく、一行の全員が愕然とした。

霧降り山脈でバルログと張り合える者は二人といまい。

モリアで別れてかれこれ数日になるが、バルログと争いそんなにも生き延びている比類なきもののふがオーザンであればどんなに嬉しいか。

「ええ」

新しき時代の勇者の誕生にガラドリエルは微笑み仲間たちを励ました。

「彼は定めに抗っています。きっと、死の先をゆく者となりましょう」

果たして勝つのはオーザンか、それともバルログであろうか。

いずれにせよロスローリエンからは声援を送ることも叶わぬ願いである。

「至高なりしエルよ。どうか彼に加護を与えたまえ!」

アラゴルンはひざまずいて目をつむると万物の創造者、至高神イルーヴァタールに祈りを捧げた。

「ただならぬとは薄々思っていたが、それほどか。ゴンドールに居ればイシリアンも無事だったろうに……」

単身でバルログを討ち果たしたとなれば、不朽の伝説となろう。

ボロミアは唸りオーザンがゴンドールの騎士でないことを惜しんだ。

語るべきは語り終え、にわかに明るくなった一行へケレボルンは優しげに話しかける。

「少しはそなたらの心を癒せたようだな。さて、渡り鳥とて止まり木は必要だ。用意した天幕で次は体を癒すがよいだろう」

只人は樹上では落ち着くまいと配慮されてか地上に張られた天幕に領主の側仕えをしていたエルフの案内で送られる。

そこにはふかふかの寝具が十人分据えてあり、柔らかな白無垢の着替えまで置いてあった。

木を滑らかに削り出した机がそれぞれの寝具に添えられ、みずみずしい無花果や石榴が銀の皿に盛られている。

ホビットやドワーフの体に合う大きさで仕立てられた服も人数分用意してある

「天国ってこんなところなのかな?」

ピピンが着る服はさらさらとしてとても着心地がよく、裂け谷のものにも勝る。

「当たらずとも遠からずじゃのう。全てではないが、どことなく近しい雰囲気をしておるよ」

大昔にサウロンに対抗するため中つ国へ遣わされて以来、一度も帰らぬアマンをガンダルフは懐かしむ。

ロスローリエンはよそでは失われた、ヴァラールより学びし秘伝や技法を伝承し、二段も三段も上の技術を保っているのだ。

「いつか行ってみたいなあ」

「神様の国だぞ? 俺たちが生きたまま行ったらどうかしちまうんじゃないか?」

「そうかな?」

着替えて早速パイプを咥えたピピンとメリーは他愛もない話で盛り上がった。

別の天幕からギムリが体を揺すりながら出てくる。

「むう、あっちこっちがすかすかしてどうにも落ち着かん。もっとぎゅっとしたものは無いのか」

衣の出来が良すぎて不安になったギムリは取って付けた愚痴を言う。

エルフのすらりとした体躯と異なる、屈強な体を縦に縮めたドワーフが着てもちぐはぐにはならず、裾や腹回りもほど良い。

見ず知らずのドワーフに合わせて上手く仕立てられているのもロスローリエンのなせる技だ。

「似合っているじゃないか」

弓を置いたレゴラスは流石王子と言うべきか、見事に着こなしている。

「むず痒いのもそのうち慣れるさ」

ひねくれものの後ろに回り曲がった襟を直してやった。

「夕餉の支度をいたしますので、それまで沐浴で身を清め旅の垢を落とされてはいかがですか?」

木陰に控えていたエルフの男が浮世離れした微笑みで提案した。

ひとつひとつの仕草が丁寧で洗練されている上品な男だ。

やんごとないガラドリエルには劣るとしても、相当に歴史の重みが漂っているので上のエルフか。

形式的なものか弓を持ってはいるがお目付け役ではなく純粋に迷子を防ぐための気配りだろう。

外から来た土地勘の無いものには木々の狭間にある独特な町並みを迷わず行き来するのは難しい。

「ありがたい。壮麗な都にそぐわぬ汚れ姿で申し訳なく思っていたところだ。頂戴しよう」

アラゴルンは一礼して天幕のベッドで横になったまま動かないフロドを迎えに行った。

隣ではサムが付きっきりになって様子を見ている。

「サム、フロドの具合はどうだ?」

「旦那様は疲れておいでだ。モルドールに近づくほど奴の魔力が強まってる」

弱っていく主人の姿を我が身のように痛ましく思っていた。

「大丈夫、起きれるよ」

目を閉じていたフロドが起床する。

顔は蝋のように青白く血の気が失せている。

「無理はするな」

「平気だよ。ちょっと眠かっただけだ」

お世辞にも元気そうには見えず、その証拠に一歩目をつまずいてサムに抱き止められた。

「旦那様。安静になさってくだせえ」

「サム。僕はまだ歩ける」

「旦那様……」

フロドはかすんだ笑みを浮かべてきっぱりと言った。

「そうか」

どんな精悍な戦士も堕落させる誘惑に精神力だけで耐えている。

誰にも出来ないことだ。

その強さをアラゴルンは信じた。

サムと二人で左右から隠すように仲間たちの元へ天幕を後にする。

「では行こう。皆が待っている」

馳夫(ストライダー)の表情は硬い。

フロドがよろけ胸元で指輪がこぼれた瞬間、外からこちらを窺っていたボロミアの目が、それに釣られたのをアラゴルンははっきりと見ていた。

 

 




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長い一発と短いのを短間隔に投稿するのはどっちがいいのかこれもうわかんねえな

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ロスローリエンの夕べ

山頂で一服するのは諦めた。

額の生傷を拳でこすり気持ちを切り替える。

「……行かなきゃな」

パイプと草の革袋を丁重に懐へ入れ、セレグセリオンがしっかりベルトで留めてあるのを確かめると銀世界の急斜面に踏み出した。

焦げていた髪や服の端を風がさらっていく。

岩が迫る。

身投げ同然の崖もオーザンの人間離れした俊敏さを活用すれば走れなくはない。

落下の所々で速さに合わせて足をついて、水面を跳ねる飛び魚のように雪の上を自由落下に近い最大速度で走り、蹴られた雪がぱっと散る。

負傷しているが我慢すればいいだけの痛みより取り返しがつかない時間を優先して合流を急いだ。

道なき道の最短距離を東へ下りていく。

不意に膝から下の感覚が消失した。

「あらら?」

足がもつれ絡まり倒れる。

ついた勢いで頭から雪の中に突っ込み、小規模な雪崩を起こして流された。

上も下もなくもみくちゃになる。

突き出した岩場にあたって止まるまで斜面を転がり落ちた。

「ぶはっ」

雪を掻き分けてなんとか顔を出し、周りを掘って体を出そうとするが上手くいかない。

蛇のごとく腹這いでうねって雪溜まりの上に上がり、立とうとするが立てない。

足腰は鈍く痺れて言うことをまったく聞かなかった。

その痺れはじわじわと腰までのぼってくる。

感覚としては砂漠で流砂に吸い込まれていくようにも近いが、もっと重く抗えない。

息も苦しくなって突っ伏してしまう。

剣の修行が足りなかった若い頃には生死をさ迷う大怪我も何度かしてきたが、こんな感覚で苦しくなる経験はしたことがない。

一体体にどんな異変が起きたというのか。

「なんだよ……何が起きてやがる」

バルログに止めを刺す間際にセレグセリオンに一気に命を吸わせて放出したのが不味かったか。

それとも酷使に耐えかねた体のどこかが追加で壊れたのか。

心当たりが多過ぎて絞れない。

手の感覚も先の方から薄くなっていく。

倒れたまま目だけ動かして見たところ足も付いている。

そうこうしているうちに目も動かせなくなり意識が黒ずみ眠るように暗やみに落ちていく。

血が凍えるほど冷たい。

「こりゃやべえ……」

これが魔剣の代償か。

俺は死ぬのか。

死線は何度も超えた。

今さら死ぬのは怖くない。

しかし指輪の仲間たちだけが心残りだ。

指輪は奪われていないだろうか。

無事にロスローリエンへ着いただろうか。

オークは、サルマンは、サウロンは、フロドは。

そこでオーザンの意識は途絶えた。

 

 

 

 

 

 

木浴場に浴槽は置かれていなかったが最適な暖かさの透明な湯がこんこんと流れ落ちる樋があり、汗と埃を流して存分に肌を潤した。

体をしっかり温めるとフロドも心のくすみが洗われたように体調が改善されて足が軽くなった。

清潔な服を着て血をしっかりと巡らせ腹の虫もぐうと鳴いた。

「ふふっ」

空腹まで忘れていたのがおかしくてフロドは小さく笑った。

「お腹……空いたなぁ」

金色の木々が覆う天蓋をみているとメリーが抱きついてきた。

「やっと喋ったな。ずっと黙ってるから口が無くなったんだと思ってたぜ」

「もうすぐご飯だけど、それまでこの果物を食べてていいんじゃない? ほら、梨もあるよ」

すかさず銀の盆からピピンがいくつか果実を持ってきた。

「俺が剥きますよ」

サムが小刀を出してせっせと梨を剥いて切り分ける。

この四人だとホビット庄にいるような気がしてくる。

友達と一緒にいられるのが今はとても大きな幸せなのだとわかった。

「皆が居てよかった」

フロドは誰にも聞こえない小さな声でひとりごちた。

アラゴルンは小さき者の美しい友情に心奪われた。

「喜びも苦しみも分かち合える。心を許せる友はなんとも素晴らしいものだ」

重みに耐えてよくやっているフロドの隣に友がいるのは大きな支えだ。

心を通わせた幼なじみだから触れ合える痛みもあるだろう。

「メリーとピピンがついて来たのも間違いではなかったようじゃな」

ケレボルンと各地の様子を話し込んでいたガンダルフが戻ってきて微笑む。

果物を摘まんで紛れさせていたもののさして腹に溜まるものでなく、食事を今か今かと待っていた。

木の葉のせせらぎと共に、案内役が戻った。

「長らくお待たせしました。用意が整いましたのでご案内いたします。どうぞこちらへ」

待ちに待った食事だ。

突っ伏していた石の円卓からいの一番でピピンが飛び起きて駆け寄った。

「待ってました! もう僕、お腹と背中がくっつきそうだったよ!」

エルフには見られない活発な陽気さに案内役は目を細めて微笑んだ。

「ふふ、面白い表現ですね。ホビットの心の豊かさの表れでしょうか」

エルフはくすりと笑う。

呑気なピピンでもどきりとするほど無垢でいやみのない笑顔だった。

「さあこちらへ」

手振りを合わせて瀟洒な身のこなしで木々を繋ぐ足場へと誘った。

ホビットはすきっ腹をさすり、うきうきで案内についていく。

「どうにも嫌な予感がするぜ」

ギムリは半信半疑で椅子を立った。

裂け谷の時とは違い、やけに炊事の煙のにおいが少なかった。

宴会に付き物の酒と香辛料と油の香りもしないのが引っかかる。

それらはドワーフにとって穴堀りや加工品のこだわりと同じほど人生で重要なことだ。

「上のエルフの食べ物はドワーフの体には毒だと思うなら食べなくてもいいんじゃないか?」

「……食わんとは言っとらん!」

うそぶくレゴラスにからかわれたギムリはそっぽを向いて腹が鳴っているのを隠した。

「腹が減ってるんだ、形があれば何でも美味いさ。光のエルフとて霞を食べて生きているわけでもあるまい」

執政家に生まれても常に戦乱の厳しさに身を置いてきたボロミアとしては、美味いにこしたことはなくても腹に収まるならなんでもよかった。

わいわいと会食用に出された長机に座った。

「良いか悪いか分からぬが、知らせがある」

全員が着席して落ち着いたのを見届け、ケレボルンが切り出した。

「ケレブディルの頂での決戦が終わりました」

ガラドリエルは儚い口調で見たことを話した。

霧降り山脈の頂で巻き起こっていた炎と雷の嵐が収まり静んでいたと告げる。

ぴしりと緊張の糸が走り、空腹が飛んでいった。

「では、バルログとオーザンのどちらが勝ったのでしょうか?」

アラゴルンは訊きづらいことをあえて質問した。

「炎は絶えました。バルログは討たれ、滅されたようです」

仲間たちは色めき立つ。

上古の戦士も手を焼いたバルログを今世の半エルフが仕留めた。

詩人の饒舌な歌い口にも語り尽くせぬ栄誉だ。

「あいつめ、やったのか!」

思わず拳を握りしめたボロミアが感嘆する。

「しかしあれほど眩しかったオーザンの命の気配もまた、感じません」

続くガラドリエルの言葉に沸き上がる歓喜がさっと冷め、冷静さを取り戻した。

「相討ちであると?」

アラゴルンは笑顔を消して詳細を欲した。

「あるいは生きているのも感じられないほどに弱っています」

遠くの山と空を見つめたガラドリエルは命の兆しを見つけられなかった。

「なんということじゃ……」

なんとかオーザンが生きているとしても、その様子ではここまでやってこれるかは絶望的だ。

ガンダルフは額に手を当て俯いた。

「助けに行こう」

「駄目じゃ、西へは戻れぬ。オーザンがなぜ殿を務めたか思い出すのじゃ。我々はより安全に一刻も早く指輪を捨てねばならん」

フロドの提案を魔法使いははっきりと拒否した。

オーザンが生きていても、オークがひしめくモリアへ逆もどりするのは愚の骨頂。

飛び込むのはどんな道化も断るだろう。

「小さき者よ。そなたが信じた男はバルログに立ち向かい、見事討ち果たした。ならば今一度信じてもよかろう?」

ケレボルンもこれをたしなめた。

エレギオンがサウロンに攻撃されたとき、ケレボルンは軍勢を率いて抵抗し、その後エルロンドの軍勢と合流したが、サウロンの大兵力のためにエレギオンを救うことはできず失陥する辛酸を嘗めた。

苦楽を共にした友人を失いかける苦しみはいまだに記憶に新しい。

だが勝利を得るには大局を見失ってはならない。

「無事を祈ろうではないか。ガンダルフの言うとおり、指輪を捨てる事がなにより先決である」

そう締めくくると銀の蓋がされた皿が運ばれそれぞれの前に置かれる。

フロドは机を見つめて今すぐ探しに行きたい衝動に駆られる心をなんとか押し止め、オーザンになにもしてやれない無力を恨んだ。

隣のサムが肩を抱いて無言の中でフロドと共に悲しみと悔しさと戦った。

「耐え忍ぶこともまた戦いです」

ガラドリエルのとりなしで食卓の支度が再開し、整えられた。

「では、どうぞ御上がりなさい」

蓋を取り除かれた皿に並んでいたのは、平たいパンや小粒の木の実であったりと豪勢さの欠片も無い精進料理のようであった。

「ええ……」

期待していた炙り肉やスープのご馳走とは正反対の慎ましさにピピンは興ざめした声が出た。

ボロミアのような年かさのものはうまくその感想を腹の底に留めておけたが、油っ気を楽しみにしていたホビットやギムリは顔に出してしまった。

レゴラスやガンダルフ、それに裂け谷に関わりが深いアラゴルンはそれらが現代ではほとんど見ることが叶わないとても貴重なものであると知っており、別の意味で驚いていた。

「人間の食べ物と比べると、華やかさに欠けるやも知れぬな。落胆させてしまったか?」

ホビットとギムリのそれは王族を前にしてあまりに失礼な振る舞いだが、ケレボルンは気分を害さず鷹揚に苦笑して詫びた。

人間が普段食するものとの違いからこの反応も予想はしていた。

「食べごたえはないかも知れませんが、体にはよいものです。召し上がればおのずと分かりましょう」

ガラドリエルに勧められて、ピピンが平たいパンを頬張った。

粗びきの粉でできたパンは深い甘味でさくさくとしており、焼き菓子よりも香ばしくしっとりした味わいであった。

白い木の実は薄い塩味に整えられ、小粒だが濃厚な旨味で不思議と疲れがとれ気力が満ちる。

皆で夢中になって手と口を動かした。

「むむ……」

どれもこれも、油の滴るような肉以外は食べたくなかったギムリをしてけちのつけようがなく唸るばかりの逸品であった。

小さい体に流し込むように詰め込んで食べ終わってしまったピピンが気まずそうに訊く。

「あの、おかわりって……あります?」

味わったことのない美味には感激したが、食べ盛りの若者の腹を満たすには、量が足りなかったようだ。

「まあ。誰かがおかわりを欲しがるのを見るなんて何年ぶりでしょうか。構いませんよ。好きなだけお食べなさい」

長らく生きると食事への渇望が薄れ、ほどよく食べて終わりにしてしまう。

ぱくぱく食べる青い若さをガラドリエルは懐かしみ、微笑んで許可した。

「やった! じゃあ、はい! これとこれとこれ!」

満面の笑顔で給仕に空き皿を何枚も重ねて渡す。

許しがでると、仲間たちは我先に空になった皿を渡そうとした。

エルフは丁寧に受け取り、同じように盛られた皿をおごそかに持ってくると一人一人に手渡した。

否定的だったギムリまでこっそりおかわりしている。

「作り方を内緒で教えてくれないか?」

ボロミアなど調理法や材料を聞き出してちゃっかりゴンドールに持ち帰ろうとしていたがやんわりと断られていた。

みるみる元気になる仲間たちに、アラゴルンは目を見張る。

「これは……?」

ドゥーネダインの王家の伝承でこれに酷似した効果を持つ行軍用の兵糧があるが、ここまでてきめんなものではなかったはずだ。

うやうやしく運ばれてきたことといい、エルフにとっても重要なものではないだろうか。

「どれもこれも滅多に食べられない希少なものばかりじゃ。旅人に与えてよいのですかな?」

エルフの暮らしを知悉するガンダルフにはそれらが非常に貴重で門外不出の料理であると見抜いた。

パンの材料の穀物は、元々アルダからアマンへ渡る大いなる旅において長い旅路の助けとなるよう、ヴァラの一柱ヤヴァンナがアマンで育つ穀物の一種から作りだし、同じくヴァラのオロメを通じて与えられたものだった。

穀物は降り注ぐあらゆる光を栄養とするため、僅かな太陽の光のみで実を結ぶ。

また寒期を除けばどの季節に蒔いてもすぐに生育した。

ただし中つ国の植物の影の下では育たず、モルゴスが住む北方から来る風にも耐えられなかった。

そのためエルダールはこの穀物を守られた土地や、日の光が当たる空き地で育てた。

穀物にはアマンの強い生命力が含まれ、食す者にその力を与える。

今に受け継がれしエルフの至宝のひとつに数えてもよい大切なものだ。

「大いなる使命を託した客人にもてなしを惜しみなどすまいよ」

ケレボルンは銀の髪をさらさらと揺らして鷹揚に笑む。

ガラドリエルもケレボルンも食事はせず、葡萄酒の杯を置いてあるだけだった。

「しかし腹をいっぱいにしてしまってよいのかね。それは前菜だぞ?」

旧友や若き挑戦者の歓待に際し、エルフたちは人間の流儀に合わせて食事を用意していた。

つまりこの後に魚やスープというコースが続く。

「なんだって!?」

左手にパンを持ったまま右手で行儀悪く白い蜂蜜酒を飲んでいたメリーが、パンを皿に落とした。

「出来る限りのもてなしをしようとあらかじめ決めておった」

「見よう見まねですが、私たちに作れる精一杯の料理です」

上のエルフが再現するアマンの食事を味わえる。

全員で嬉しい衝撃を受けた。

 

 

 

 

 

 




用語解説・人種
エルフ編
アルダからアマンへ旅をしたのがエルダール
しなかったのがアヴァリ
エルダールの中で第一陣がヴァンヤール
第二陣がノルドール
第三陣がテレリ
無事にたどり着いたノルドールと少しのテレリがアマンヤール
諦めて引き返したり考え直して行かなかったものがウーマンヤール
神木のふたつの木が枯れる前にアマンに来たのでアマンヤールは光のエルフとも呼ばれる
ウーマンヤールはそれを見られなかったので暗闇のエルフとも言う
光のエルフはアマンでヴァラールから直接指導されたので技術レベルが頭おかしい
ふたつの木のウルトラパワーを浴びて暮らしたので体の強さもおかしい
英雄クラスは山並みのドラゴン仕留めたりした
ちなみにレゴラスはテレリの中の一派のシンダール族なので暗闇のエルフという分類

同時展開の
エログロ全開ハードコアチャンバラ破戒武侠伝
「剣戟魔界都市」もハイよろしくぅ!
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王と臣下

纏めると長すぎるし分けると短いから難しいねんな…
書き留めたから投稿がペースアップするゾ。


歓迎の晩餐会は色とりどりの料理と美しい弦楽器の調べに華やぎ、一行を大いに楽しませた。

どんなに飲んでも悪酔いしない極上の蜂蜜酒をたらふく腹に収めたピピンとメリーは、持ち前の明るさで楽士たちに話しかけて見たことのない楽器の使い方を覚えようとしていた。

エルフたちは短命な珍客を遠巻きに見ていたが、やがては純朴さにほだされて打ち解けた。

「この三ヶ所の弦を人差し指と中指と薬指で押さえて。そのまま右手の親指でなぞるのです」

隣に椅子を引いたエルフの女性が白くほっそりした手をピピンの手に重ねて指導していた。

よそ者に教えたことはなかったが、ホビットの善良さにあてられて心を開いた結果だ。

唇を舐めて集中するピピンは熱心に教えを乞い、ホビットの小さい手では難しい竪琴もすぐに上達していた。

「う~んと、こう……かな」

「はい。お上手ですよ」

エルフのそれとは比べようもないが素人にしては整った旋律が流れ、旅の仲間たちも感心する。

「やるじゃないか。ゆくゆくは吟遊詩人だな」

「ふふ、ホビットも捨てたものじゃなかろう?」

アラゴルンに古き友の一族を誉められて上機嫌のガンダルフが紫煙を吐く。

ちなみに先に挑戦したメリーはまるっきり駄目だったのですぐに諦めて交代した。

「ちぇっ、お前はそういう変わったことばっかり上手いよなあ。釣りもそうだし」

すいすい弾けるようになっていく親友を誉めるというより呆れたように見るメリーは言った。

「そういう一族だからね、僕のところって」

現にピピンが属するトゥック一族は数が多く、ずばぬけて裕福であり、代々風変わりな性質と冒険ずきな気質さえ備えた強い個性の持ち主を生み出す傾向があったからである。

若かりし頃に冒険に出たビルボ・バギンズも母方にはトゥックの血が流れている。

要すれば内向的なホビットらしからぬ多才で多趣味な変わり者の血族なのだ。

「焦ってはいけません。誰しも初めはつたないものです。メリーどのも百年も研鑽されればめきめき上達されましょう」

「人生かけた成長はめきめきって言うのかい……」

寿命はほぼ永遠のエルフなら百年や二百年など短いだろうが、ホビットの寿命は百年ちょっとだ。

上手くなる頃には生きてない。

「何事も極めるのは難しいものです。だからこそ自分のわずかな成長にも喜びを感じるのが大切なのですよ」

命に限りある者が悩むのと同じように、エルフにも長すぎる生ゆえに生じる悩みがある。

無限の寿命で最果てを探せば永遠の行軍にも等しいのだ。

ケレボルンにも若いみぎりには思い悩むこともあった。

「若人よ。星星の果てまでゆけども答えは見つからぬ。生とは何を答えとするかを考える日々なのだ」

「結果ばかりを求めては足元がおろそかになりましょう。時には立ち止まり道程を確かめるのも同様に重要なのです」

二人はもう追い求めたりはしない。

同胞の根付くロスローリエンの守護に意味を見つけたからだ。

「わしも死に瀕して、面白いことにサウロンを倒さねばという考えがより深まった。限りある生だからこそ真摯に生きるのじゃろうな」

制限により老人の姿をとるがマイアであるため不老のガンダルフも同意した。

セレグセリオンに命を吸いとらせて弱りきったガンダルフは生命の灯火が消え去り旅路の半ばで倒れるのを覚悟した。

ロスローリエンで秘法の一端である食べ物の恩恵にあずかり多少なりと癒されはしたが、その気持ちは未だ根強い。

「灰色のガンダルフが命を分けるに能う男に出会うとは、余にも分からなんだ。力を取り戻すまで休んでいくがよい」

オーザンの消息という心のしこりは取り除けないまでも、胸の内に落ちた影が薄まり癒えるまでカラス・ガラゾンに逗留することをケレボルンは許して結びの挨拶とした。

全員がよく飲みよく食べた。

身を清め腹がふくれたなら、次は睡魔の出番だ。

食後のデザートのほのかに甘いクッキーを食べてさっぱりとした渋味の黒いお茶を飲み干すと、あてがわれた寝室に三々五々に散っていく。

最後まで酒を飲み続けほろ酔いのギムリはレゴラスに支えられてベッドに寝転んだ途端、蜂蜜酒の瓶を抱えたままで高いびきで眠りこけた。

服の着心地にもすっかり馴染んだようだ。

一方で、落ち着けない者もいた。

モルドールの侵攻で王都に近い拠点を奪われたばかりのゴンドールを離れたボロミアは心配で眠れず、泉のほとりで悩んでいた。

ゴンドールの代表として会議に出席したが、ここまでの長丁場になるのは予想外であった。

弟ファラミアが率いる部隊はアンドゥインの岸を守れているだろうか。

静かな夜にはそういうことばかり考えてしまう。

「休んだらどうだ。ここなら安全だ」

「俺の部下は今も戦っている。一刻も早く戻りたい」

疲れはとれても不安は消えない。

「あのとき、奥方は俺に囁いた。指輪に頼らずともゴンドールを救う希望が残されているとな。だが俺には見えん。イシリアンも敵の手に落ち、それは潰え去った」

ガラドリエルは指輪への渇望を見抜き、それは危険で人の手に余ると警告した。

他にどうしろというのだ。

モルドールと対峙する人間の本拠地であるゴンドールの首都ミナス・ティリスの目と鼻の先にはサウロンの尖兵が迫っている。

とどめに古代の闇の力の体現者であるバルログの復活を目の当たりにして、ボロミアの戦意はばらばらに打ち砕かれてしまった。

危険と分かっていても指輪にすがるしかない。

天地を鳴動させたマイアが力の大半を込めた指輪を上手く操れたなら、オークの部隊など取るに足らず、鎧袖一触にできる。

「父は執政官として聡明で立派だが、モルドールの攻勢に多くの領地を失い統治は行き詰まった。民も絶望している。俺は父の意志を継いでゴンドールに栄光を取り戻したい」

ミナス・ティリス本来の営みは明るさをひそめ、笑顔が絶えて久しい。

「なあアラゴルン。ミナス・ティリスを見たことがあるか、ゴンドールの白い塔を。真珠と金のように光り輝き、朝の風に高く旗がはためく。夕べにはトランペットが帰宅の時を教えてくれる……」

愛した祖国が目に浮かぶ。

由緒正しきミナス・ティリスへの郷愁がとめどなくボロミアの胸に溢れた。

「遥か昔に見たよ。美しき白い都だ」

アラゴルンが隣に並んで座る。

放浪のさなか、立ち入ることはしなかったが七層もの城郭と切り立った純白の尖塔が目立つ巨大で荘厳な城は、ボロミアが誇りに思うのも頷ける。

「最盛期には今の何倍も人が暮らしていたそうだ。俺はそれを取り戻したかった」

それだけがボロミアの望みであった。

「だから指輪を破壊するのだ。我々だけは最後の最後まで諦めてはならん」

曇りなき眼差しでアラゴルンはボロミアを見つめる。

同じ恐怖を味わってなおも絶望的な先行きに気高さを捨てず挑む姿にボロミアは王の資質を見た。

元から地位や権力に固執していたのではない。

ゴンドールを託せるのか戸惑っていただけであり、アラゴルンは慈しみと勇気と深慮を併せ持ちそれに値する男だった。

心は決まった。

「いつか……いつの日か、共に都に戻ろう。白き塔の衛兵が叫ぶ。ゴンドールの救い主が戻られたと!」

「ああ。成し遂げよう。必ずや我々の手でゴンドールを、中つ国を救うのだ」

出会いの険悪さが嘘のように信義を結んだゴンドールの世継ぎと大将は手を取り合って固く誓いを交わす。

共にミナス・ティリスに凱旋し冥王の手先を放逐して人の世界に光を取り戻す。

そう約束した。

 

 

 

 




ボ「バルログヤバすぎィ!助けて王様…」


誤字報告
三山畝傍兄貴
ハーヴェスト兄貴
感謝ァ!


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さらばロリエン

旅の仲間たちはロスローリエンにしばらく居ることに決めた。

オーザンの合流を待つのも含めて、今の中つ国では貴重となった安心して休める場所のカラス・ガラゾンで疲れをとるのだ。

自分達の鍛練の合間にピピンとメリーに剣の稽古をつけてやるのも再開された。

剣を教えてやるには技術が違い過ぎたレゴラスとギムリはそれぞれどこかで自分の得物を整備したりしていた。

アラゴルンとボロミアは毎日のように剣と盾をぶつけ合って友情を育み、夜にはゴンドールの未来を語り合った。

ガンダルフは二人の領主と会合を重ねて中つ国の行く末やロスローリエンの目下の脅威についてイスタリとしての見識を交えた。

主人の好物を作りに調理場を借りに行ったサムは、何度も借りているうちに料理番のエルフと懇意になり、荒野でも作れるレシピをいくつも教わった。

熱心に覚え書きを記して習うサムに気を良くしたそのエルフは、それ以外にも汚ない水を飲めるように浄化する方法なども教えてやった。

これは後にフロドを大いに助けることになる。

そしてフロドは、仲間たちのようになにかをするということはないが、指輪の毒性を受けながらも聖域の成せる技か心を落ち着かせ過ごした。

裂け谷を出てから忘れていたような穏やかな暮らしに皆の心に潤いが戻った。

ピピンとメリーはここでの生活がとても気に入ったようで、隠居したらまた暮らしたいとまで言っていた。

三週間ほどそうやって過ごし、すっかり健康を取り戻したある日の夜。

その日だけ目が冴えたフロドは仲間にも秘密でベッドを抜け出した。

何かに呼ばれている。

そんな気がした。

「フロド様、どうしました?」

向かいのベッドで寝ていたサムだけが目ざとく気づいた。

心配されるのがいやで言い訳をした。

「夜風に当たりたくて。ちょっと散歩してくるよ」

「そう……ですか」

唐突に散歩をしたくなるには寒過ぎる時期だ。

きっと指輪にまつわる何かに呼ばれたのだと長年の付き合いでサムは感じたが止める根拠も無いので言い及ばなかった。

その代わりに主の様子をじっと窺った。

主従の絆を結んでいるフロドもまた同じようにサムの気持ちを読み取っていた。

嘘はあっさりと暴かれたようだ。

「お前に隠し事はできないな。一緒に行こうか」

連れだって出かけることにした。

 

マルローン樹の間を繋ぐアーチを上へ下へと歩いた。

エルフたちが寝静まったカラス・ガラゾンをぐるりと歩いて南側の斜面の庭に行き着いた。

窪地の底には枝を広げた木の形に彫った低い台座の上に大きくて浅い銀の水盤が乗せてあり、水差しを持ったガラドリエルがかたわらにたたずんでいた。

流れる泉の水を汲んで、ガラドリエルは水盤をなみなみとみたし、それから水面に息を吹きかける。

水がすっかり静まると、奥方は初めて口を利いた。

「ここにあるのはガラドリエルの鏡です。あなたたちをここに連れて来たのは、もしその気があれば、これを覗いてみられるとよいと思ったからです。さあ見てごらんなさい」

二人でおそるおそる鏡を覗き込み、さまざまな幻影を目にした。

ホビット庄の木々が切り倒され、フロドの家である袋枝路屋敷が掘り返される光景。

襲いかかるオークや鎖に繋がれて奴隷に身を落とした仲間たち、そして雪に横たわるオーザンのむくろ。

場面は目まぐるしく入れ替わる。

それに加えてフロドはゴンドールの前史らしき光景を目にした後、炎に縁取られたサウロンの目を見て、それが自分たち指輪所持者を探していることを感じ取った。

指輪を隠した胸元が痛んでたたらを踏む。

「じょ、冗談じゃねえ。オークとか鎖とか、ありゃあなんだってんだ!」

サムは鼻息をあらげて後ずさる。

「心を通じて私にも見えました。憤りはわかりますが慌てずともよろしい。それらは不確実な未来の可能性のひと欠片です」

「まだ起きてないってことですか?」

じめじめとした悪夢はとてもはっきりとしていて幻ではなく現実のように見えた。

「鏡は過去と今、それに時にはこれからを映し出す。あれらは指輪がサウロンの手に戻り中つ国の終局が訪れた未来。しかし悲観してはいけません」

鏡は行動の指針としては危険なものであり、賢者であっても生じた幻影が何であるかを正確に言い当てることは難しく、ものによっては幻影を防ごうとして行動することがかえって幻影の実現につながってしまうこともある。

「…………指輪とはなんなんですか? この指輪になにができるというんです?」

この騒動の発端とも言える指輪についてフロドは尋ねた。

ガンダルフも指輪の所有者であったビルボも細かいことは教えてくれなかった。

知りたいと思うのも当然だ。

「サウロンは初代冥王モルゴスの一番の部下で、それは強力なマイアでした。モルゴスの敗北と放逐を見たサウロンは己が身に同じことが起こらぬように奸知を練った。力を別の入れ物に納めて万が一の保険にしたのです」

邪智を巡らせ他の指輪を統べることで敵を減らし、ナズグルという手駒を増やしたことは言うまでもない。

滅びの山の麓でイシルドゥアに指輪をはめた指を切り落とされ、肉体が崩壊して討たれたかに思われたがしぶとく生き延びた。

三千年の潜伏を経てモルドールに舞い戻ったサウロンは堂々と名乗りを挙げ再び覇を唱えた。

「その指輪に残されたのは言わばサウロンの半身。それと比べればモルドールのバラド=ドゥーアに座するやつなど残りかすも同じこと。半分であっても途方もないものです」

指輪さえあれば、ヌーメノールが没落しエルフも衰退した中つ国の自由の民など凪ぎ払われてしまう。

待っているのは悪夢の殺戮だ。

「指輪が欲しいんですね」

首から鎖を外して手のひらに乗せる。

ボロミアが散々向けてきた感情と同じものがガラドリエルの声と視線の揺らぎに混ざっているのを察した。

上のエルフの王族とて誘惑からは逃れられない。

「あなたが指輪を得たら何をしますか?」

ガラドリエルもボロミアと同様に力そのものへの羨望があった。

より強くより美しくより幸福に。

当たり前の欲求であるがそう願えばすべからく指輪を求めてしまうのは万人をして絶ちがたい。

幽界のガラドリエルが魔力を解き放ち恐ろしく変貌していくのが指輪を所有しているフロドには見え、質問したのを後悔した。

「神代の力はあらゆる闇を祓える。オークもサルマンも恐れるに足りません」

神々しさは消えて吹きすさぶ魔力が輝きガラドリエルをまったく別の怪物のように見せた。

魔力の津波に膝を折られそうになるのをフロドは耐えたがサムは腰を抜かして尻餅をついてしまった。

「指輪に溜め込まれたサウロンの魔力を使いこなせば、穢れた大地を葬り砂漠を森に生まれ変わらせることも容易い。そしてその強さに誰もがひざまずく新たな王になり、妾が中つ国を永遠に統べるのだ!」

ボロミアから指輪を取り上げても傍目には影響されなかったオーザンが危惧していたのはこれだ。

力あるものが指輪に触れれば欲望をくすぐられてしまう。

力とは責任が伴う。

責任が心を狂わせる。

何もかも失ったオーザンだから指輪に誘惑されてもさして響かなかったが、それは例外だ。

神代の者は強靭にして清廉であるがゆえに毒される。

「さあ渡すがよい! ホビットよりよほど上手く扱えようぞ!!」

「渡せない。これは僕が捨てなきゃいけないんだ」

おぞましい形相で歩み寄るガラドリエルにフロドは断固たる決意を示し首を振った。

指輪は誰にも渡してはならない。

力あるものでは増幅される力も増える。

中つ国でもっとも力なき素朴なホビットが持っていなくてはならないのだ。

最上のエルフがひとつの指輪の虜にされてしまうのはサウロンが取り返し復活を遂げるのにも並ぶ最悪の筋書きだ。

もし正気を失ったガラドリエルに力ずくで奪われたなら、仲間たちやケレボルンを呼んでなんとしてでも取り返すつもりであった。

対峙しつつも逃げ出せるように身構えたフロドであったが、その懸念は取り除かれる。

これまで指輪の影響を受けた者との差異は支配に逆らうだけの地力がエルフの中でも格別なガラドリエルには備わっていたことだろう。

「う……はぁ」

ガラドリエルは指輪に手を伸ばすのをはたとやめて踏みとどまった。

守り導かなくてはならないはらからたち。

日増しに勢力を強めるオークの軍勢。

広い視野を持つガラドリエルが心を痛めるそれらにつけこんで誘うサウロンの魅了を押し退けた。

奥方は強い意思で顔を背けて下がり、忌むべき指輪を視線から外す。

「指輪の誘惑に打ち勝てた……」

栄華を極めその威光は光のエルフに比肩した絶頂期のヌーメノールの王でも抗えず操られてアマンに攻め込む愚を冒した囁きを、打ち破った。

しかしガラドリエルはこれを潮時と考えた。

「エルフの時代は終わりを迎えます。私はアマンへ去りましょう」

神秘が薄れゆくこれからの時代の主役はエルフではなく、きっと人間たちになろうと予見した。

「綺麗な瞳。これからあなたは多くの破壊と再生を見届ける。力あるものだけが大役を果たすのではありません。勇気は万人に等しく眠っています」

ガラドリエルはフロドの頬を撫でた。

あなたに幸福のあらんことを。

古きエルフ語でささやく。

「あなたの言うとおり、それは私達には背負えぬもの。でも支えることは出来ます。旅を助ける贈り物を用意いたしましょう」

肩の荷が降ろせたガラドリエルは柔らかく微笑み草葉を揺らさぬ軽い歩みで白いベールの向こうに去っていった。

「おっかない人でしたねぇ。おれ、取って食われるかと思ってちょっとちびったかも」

震える膝をなんとか立たせたサムが恥ずかしそうに言った。

「僕もだ。バルログよりよっぽど怖かったね」

冗談めかしたフロドの脚もガラドリエルの重圧から解放されると笑っていた。

月明かりにあたり漏らしていないのを各自で確かめ、天幕に帰って眠った。

そして翌日。

ガンダルフから出立の日取りが伝えられた。

「でも明日なんて急すぎない?」

ピピンはもう少し居てもいい気がしたが、もう三週間近くも滞在している。

「いや、最善じゃ。東のドル・グルドゥアの廃墟にオークが集結しておる。何をしでかすかわからん。待てるのもこれまでじゃ」

ロスローリエンの国境の見張りからオークの軍団が動きつつあると知らせが届いたからには絡めとられる前に囲みを出なければならない。

それに、いつ来るのかもわからない、もしかすると死んでいるオーザンをいつまでも待ってはいられないのだ。

期日になっても現れないオーザンへ、アンドゥインの下流、ゴンドールの都にて待つという伝言を生きていると信じる仲間たちは頼んだ。

モリアでは何もかも放り出して逃げたために荷造りはしなかった。

水と食料を荷袋に放り込めばそれで終わりだ。

いざ出立の朝、それぞれは思いがけずたくさんの贈り物を授かった。

まず全員にミナス・ティリスまで十分な量のレンバスというエルフの焼き菓子。

エルフの携行保存食だ。

一枚食べるだけで一日たっぷり歩けるほど活力が付き、走りながら食べることもできるほど扱いやすく、非常に美味い。

軽く持ち運びに適し、また葉に包まれたままで割れなければ何日でも効能が落ちない。

しかし中つ国にあっては常に貴重なものであったため、エルダールの間にあってもこれは困難な長旅を行く者や、怪我・苦痛で命が危険な者にのみ与えられる。

エルフから愛された個人が必要に迫られた際に与えられた僅かな例があるのみで、レンバスは基本的に人間には与えられなかった。

これはエルダールがレンバスを有限の命の者には広めないよう命じられていたためであり、有限の命の者が頻繁にレンバスを食すると、その命に倦み疲れてエルフたちの間に留まりたくなり、禁じられたアマンへ行くことを望むようになるからだと言われていた。

このレンバスをさらにしっかりと調理したものが、初夜のパンだ。

アラゴルンが驚くほどみんなの元気が出るのも道理であった。

次に自前で着ているガンダルフを除いた者にマントを羽織らせた。

聞けばガラドリエルとその侍女たちが手ずから織ったものだという。

軽くて暖かい、保温性に優れて快適な、絹のような布でできている。

色は一見灰色だが、光の加減で保護色のように周囲の風景に同化して見え、姿を隠すのに役立てることができた。

橅の葉のような形状に銀の葉脈が入った緑の葉のブローチが付いており、これで襟元を留められる。

エルフの衣服に慣れていたギムリもこの美しく整った仕上がりには唸らされた。

「もしかして、これみんな魔法のマントですか?」

不思議な手触りと気配がするマントを感に堪えないようにしげしげと眺めながら、ピピンがたずねた。

「どういう意味でそういわれるのか、わたしにはわかりませんが」

ピピンに着せてやっていたエルフが答えた。

なんと宴で宮廷楽士をしていた者だ。

「これは織りも上等で美しい衣裳です。この土地で作られたものですからね。葉と枝、水と石、われらの愛するロリアンの薄明りの下でのこういったものの色と美しさがこの衣裳にはあります。魔法が宿ったとするなら、われらは愛するすべてへの思いを、作るものの中に吹き込むからでしょう」

そう言ってまた微笑んだ。

「ありがとう。大切にするよ」

へそのあたりに抱きついて礼を言うピピンに呆気にとられたが、やがて彼もはにかみながら小さな友人を抱き返した。

モリアで鍋を捨てて逃げたサムは料理番から友情の証として特別に、重なって小さくしまえる大小の鍋、平らなフライパン、フライ返しとお玉を一式、なんでも切れる包丁、蝋と漆で防水した木箱に入れた岩塩の塊をもらって感激した。

ガラドリエルがフロドに贈り物として与えたのは水晶の小瓶。

ガラドリエルの泉に映じたエアレンディルの星の光が集めてあり、暗闇の中で望みを求める心に応えて光を発する。

ガラドリエルは小さな水晶の瓶をかかげた。

その手の動きにつれて、瓶はきらきら輝き白い光を発した。

「この瓶には宵と明けの明星、エアレンディルの星の光がわが泉の水に映じたのを集めてあります。あなたの周りを夜が包む時、これはいっそう明るく輝きましょう。暗き場所で、他の光がことごとく消え去った時、これがあなたの明かりとなりますように」

星となったエルロンドの父エアレンディルの光を留めた、二つとないノルドールエルフの至宝だ。

いかなる財宝もこれに勝るものはそうはない。

ガラドリエルは惜しみ無く手渡した。

「ドル・グルドゥア討伐に加われず申し訳ない」

「致し方ない。そちがいなくともハルディアなら上手くやれようぞ。壮健でな、ガンダルフ」

「ケレボルン殿も」

新しき友にも古き友にも別れの言葉を交わす。

一行がアンドゥインに通じる銀筋川の支流に案内されると三艘の小舟を浮かべてあった。

ピピン以外の泳げないホビットたちは引けた腰で別れて乗った。

この小舟もエルフが手ずから作ったもので、漕げば意のままに操れる。

「ではさらばお二方。此度の計らいまことに感謝いたします。何から何までありがとうございました」

アラゴルンは深々とお辞儀をして最後に小舟に乗りこんだ。

「落ちるなよ、泳げないんだろう」

「分かってるよ」

川が曲がってまでエルフたちが見えなくなるまで手を振っていたピピンと同じ小舟に乗ったボロミアは、金づちのホビットが落っこちて溺れないように気をつけて揺らさないように漕いだ。

波に揺られるギムリは今朝食べ残してしまったパンが今になって食べたくなって、ぼんやりそのことを考えていた。

「悪い所じゃなかったろう?」

ドワーフの事を理解し始めたレゴラスにはそれが哀愁のひとつだとわかった。

「ま、まあな」

図星をつかれてあたふたしながらギムリは返した。

「さらばロスローリエン。再びまみえんことを」

呟くアラゴルンを先頭に漕ぎだした小舟は流れに乗ってすいすいと川を下っていった。

 

 




主人公おいてけぼりで一部は終盤へ。
評価感想にいつも感謝!
同時展開の
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鋼が鉄であった頃

第二紀、サウロンが堕落したヌーメノール人やオークを率いてモルドールを建国した時期、はなれ山よりはるか東、リューンの地の彼方でオーザンは生を受けた。

一人の変わり者のノルドールエルフが放浪の旅で出会う者たちを匿ううちに人数が膨れた難民たちの作った簡素な移動式の集落で生まれたのだ。

母親はサウロンの支配を一度は受け入れたものの、途中で拒み離反したヌーメノールの一団の一人であった。

辺境ではオークや巨人、果ては竜の亜種まで怪物がひしめき、戦いで死に、病でも死んだ。

他の難民と合併が繰り返されて人間は入れ替わり、生まれた頃には父親は死んだとされて、母親も産後に弱った所を流感にかかってすぐに死んだ。

オーザンはどうやら集団の長を務めるノルドールエルフの血を濃く引いているらしく強靭に育った。

ヌーメノールと光のエルフの混血ゆえか、めざましい勢いで強くなるオーザンを次代の守護者にすべく長は厳しく教えた。

アマンでヴァラールから教えを受けた技を仕込み、しごきにしごいた。

幸い天賦の才があったオーザンでさえ再現は困難な神業をいくつも使えた長だが、神秘が薄い辺境では衰えていくのを感じていたのだ。

モルドールの脅威と忌まわしい記憶から逃げるように一団は東へ歩き荒野を渡った。

食うに困り飲み水にもこと欠いたが人間同士の野蛮な戦乱に辟易していた難民たちはそれを選び、耐え抜いた。

正確には大多数は淘汰されていったが、耐えられる者だけが生き延びたというところだ。

世代を重ねると過酷な環境は当たり前になり、その中でも逞しく命を繋いだ。

オーザンは戦える歳になると狩りに出かけ、それ以外の時間はひたすら鍛練に費やされた。

「下手くそめ。何度教えれば覚えるのだ。お前がやらねば皆が死ぬぞ。自覚を持たんか自覚を」

布の目隠しと耳栓をつけたオーザンは長に硬い木刀で前から後ろから滅多うちにされていた。

長は光のエルフにあるまじき乱暴さで無理難題をふっかけ、それを何年もかけて習得するのが習慣化していた。

「目と耳を塞いで出来るか!」

目隠しを投げ捨てたオーザンは吠えた。

大怪我はしないように手加減されているが、怪我で中断しないということは、オーザンの無尽蔵の体力ではいつまでも稽古は終わらないということだ。

かれこれ半日は殴られて全身が紫の打撲だらけだった。

「たわけが。いちいち目に頼るな。考えると惑わされる。肌で感じて反応しろ」

「無茶苦茶言いやがってこの爺……」

二百歳を過ぎたばかりのオーザンより何千年も経験を詰んだ古代のエルフは黒い長髪に一本たりとも白髪はなく若々しい見た目をしていた。

他の者のような旅の垢や汚れのない綺麗な姿を保っていられるのだから上古のエルフは反則じみている。

「目が使えれば違うか? 試してやろう……」

無造作に胸元に木刀を突き込まれた。

見えたが何も見えなかった。

正しくは、攻撃の意志が無く、消えたように気配が薄れてオーザンの思考が混乱した。

オーザンの巨体を動かすには心もとない棒が信じられない力でぶち当たり無様に転げて背中から岩に激突した。

「見えるように正面からしてやったのに、そのざまはなんだ」

オーザンはぐうの音も出なかった。

文句を言えば実力で圧殺されてしまう。

「……いつか殺してやる。くそ爺が」

「おお怖い怖い。続きをするぞ」

冷徹に引き締められた精悍な顔のエルフはそう言ってまた木刀で突き回した。

これが、オーザンが成熟するまでの日常だった。

魔法を教えろと言っても向いてないの一点張りで剣技しか教えようとしない師に苛立ちながらも、驚異的な粘りと忍耐で何十年何百年と剣を学んだ。

サウロンが最後の同盟に敗れ失脚したことに起因して、オークなどの邪悪な生き物は比較的に鳴りを潜めた。

しかし探せば洞窟なりには隠れているのでそれを探して狩り出し、練習台に一人で放り込まれたりは序の口だった。

隊列を作って砂漠を渡り歩く風変わりな商人との交易とオーク殺しの戦利品で武器は賄っていたが握る剣はその時次第だ。

オーザンが使えば筋力に鋼が耐えられずに何度も折ってしまうので、その都度未熟を罵られ殴られた。

歯を食い縛ってしごきに耐え、二千歳を数える頃にはオーザンの技量は長の片腕と言って差し支えないほど高まった。

背後から不意に殴られることももうない。

いくらか平和になったといっても毎日化け物に襲われる最悪の日々から五日に一度になった程度の酷い次元で、身を張る戦士たちはすぐに死んでしまう。

オーザンの次に年嵩の者は五百年も生きていなかった。

一人生き延び齢を重ねるオーザンは集落の中心から離れ、孤独を感じるようになっていた。

その分剣のみに打ち込んで誤魔化した。

馬すらひとのみにしてしまう巨大な蚯蚓の怪物の巣穴にわざと入り、心の中が真っ白になるまで剣を振り回して気分を晴らした。

オークもずいぶんと間引いたが戦いを生き延びた古参の個体はしぶとく屈強で、仲間を沢山殺された。

殺して殺されて時は過ぎる。

第三紀の中頃になるとサウロンが密かに甦り闇の生き物は勢いを増した。

中つ国での出来事なので知るよしもなかったが、なんとなくオークが手強くなっているように感じた。

しかしオーザンの手にかかれば一太刀で真っ二つにしてしまえるので大した問題ではなかった。

剣の鍛練はひと区切りして近頃は長と話すことが増えた。

反骨精神がようやく落ち着いたのを長は大人になったと見なしたようだ。

もっとも、十代で命を落とすのも珍しくない村ではオーザンはすでに年寄りのようなものだ。

そんな男独りの暮らしも狩りに出れば気のいい仲間に囲まれていた。

しかしながら歴戦の戦士たちはオーザンに頼ることを良しとせず、どうしても手に余る大蚯蚓のような大物を除いて自力で戦った。

成長の邪魔はすまいとそれを許し、手持ち無沙汰なオーザンは一人で淡々と修練に打ち込んだ。

危険が高まると抗争に敗れて名高いエルフの集団に庇護を求め、東方の難民は続々と集まった。

大所帯になり砂漠より東の草原に村を構えた最盛期には二百人か、もっと居た。

修練を見物しに来る少女が混ざったのはその時期だ。

村の上空に目玉と鱗の無いぬめぬめした気持ちの悪い翼竜が飛来した事があった。

放った矢も翼が孕んだ風に阻まれて届かず、急降下して村人をさらって大口で飲み込む怪物だった。

逃げ遅れて通りに立ち竦んだ少女が襲われようとした直前、オーザンが立ち塞がり怪物を鋼の大槍を投げつけて動きを止め、首への一撃で騒動を終わらせた。

その次の日から、集落から離れた草地で風を巻き起こして剣を振り回すオーザンの姿を、木陰に腰を下ろして飽きもせず日がな一日眺めるようになったのだ。

しまいには弁当持参で観戦し始めたのだから大した大物ぶりだった。

視線に気が削がれるほど繊細な育ちはしていないが、気にはなる。

そうしてオーザンから話しかけてみた事が全ての始まりだった。

「家に帰れ。うろちょろしてるとオークに食われちまうぞ」

「おじさんは何で狩りに行かないの?」

「おじさんか……」

黒い髪の少女はオーザンの言葉を全く無視して質問した。

新参の少女には食い扶持を稼ごうとしないろくでなしだと思われているようで胸が少し痛んだ。

「俺がいると皆の手柄をとっちまうから一緒にやらないんだよ。それと、俺はエルフじゃまだ若い方だ。おじさんはやめろ。オーザンと呼べ」

「へえ」

分かったのか分かっていないのか曖昧な返事で会話を打ち切ったのでオーザンも話す事が無くなった。

少女は口数が少なかった。

何日も話さないこともあったほどだ。

家族が心配するから帰れと言ってみたことはあったが、ここより安全な場所はあるのかと言い返された。

少女は口数が少ない分弁が立った。

腕利きのオーザンの観察力なら話さないなりに分かる部分もある。

たまに交わされる短い会話を何年も積み重ね、長や戦士たちに次いで親交がある相手になった。

少女は美しい女に成長したが家事の合間を盗んではオーザンの様子を眺めていた。

気が向けば切るだけだった伸び放題のオーザンの髪や髭を整えてやるようにもなった。

夕方は二人で獣道の轍を横並びで歩いて帰った。

かなりの長身に育った彼女も巨大なオーザンと隣り合うと子供のような身長差だ。

「オーザンは剣にしか興味がないの?」

「俺は他に生き方を知らん。剣に生きて剣に死ぬ。それ以外は考えてもよくわからん」

彼女は前に出るとオーザンに向かい合って通せんぼした。

「なんで生きてるの」

「そんなこと知るかよ。その日その日で俺はいっぱいいっぱいだ」

「楽しいこととか、無いの?」

今日の彼女はやけに饒舌だった。

夕陽の光を含んだ髪が肩のあたりで烏の濡れ羽色をしていたのを鮮明に覚えていた。

「質問攻めか、今日のお前は変だぞ」

「いいから答えて」

ぴしゃりとねじ伏せられた。

言うことを聞きやしない。

最近は特に。

若さとは頑固さなのだとしみじみ思う。

「あのな、戦って飯食って寝る。三千年そうやって生きてきた。今日も明日も同じことをやるのに楽しいもつまらんもない」

がむしゃらに師を追いかけた若年期まではいかなくとも、今だって寝ても覚めても剣、剣、剣だ。

年季がはいって落ち着きを手に入れても戦う事しか知らない。

昨年も、村の戦士たちでは太刀打ち出来なかった鉄鉱石の巨人を一人で倒しにいった。

長が居ればもっと楽にやれただろうに彼は一人で行かせたので、オーザンは二日二晩かけ、酷い怪我をしながら討ち取った。

そうやって、いつか敗北して死ぬのだろうと思っていたのだ。

その答えがお気に召さなかったようで、いつものすまし顔が不満そうになって拳で腹を叩かれた。

「意気地無し。怖がりなのね」

常に強くなりたいという気持ちに正直でいた。

しかし、それ以外のことには無頓着だった。

いや、どちらかというと考えないようにしていたというのが正しい。

知らないことに首を突っ込んで火傷をしても仕方がない。

複雑さは成長の妨げになる。

だからやめておいた。

そんな臆病さはきれいに見抜かれていた。

「私は怖くない。オーザンと一緒に探したい」

オーザンとて人の子。

向けられている感情は薄々わかっていた。

拳を片手で受け止める。

己の手と比べるととても小さくすっぽり包めてしまう。

ほっそりとしていて、剣ダコもない。

膝を曲げて顔の高さを合わせる。

たまたま目が合った村の子供が泣いてしまった事があったような顔だ。

「自分が何言ってるか分かってるよな?」

人間とエルフでは時の歩みも違う。

必ず別れが訪れるのだ。

賢い彼女にはそんなことわかりきっているだろうが。

「オーザンこそ、相手の正体がわからないからって村一番の戦士が逃げるの?」

凛とした瞳に真っ直ぐ見返された。

ああ、少女は大人になったのだなと、実感した。

「……そこまで言うなら受けて立つ」

新たな境地を見られるかも知れないなら、それも良いだろう。

請われたなら拒む理由はなかった。

第三紀の終わり、中つ国ではアラゴルンが長途の諸国遍歴の旅に出て、ソロンギルの仮名のもとにローハンのセンゲルとゴンドールのボロミアの祖父エクセリオン二世に仕えた頃に、オーザンは婚姻を結んだ。

剣に没頭して独身を貫いてきた男が急に結婚すると言い出したので、長は大層驚いたが祝福してくれた。

長の懐刀で次期指導者と暗黙の了解があったオーザンの婚儀は、貧しい村ながら晴天の太陽の下で華やかに行われた。

出会ってから十年かけてオーザンとイリスは夫婦になったのだった。

 




時間経つの早すぎぃ!
ネタを文にするだけで1週間とか死にたくなりますよ…

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愛知らぬ獣

短め。


所帯を持っても具体的に日常生活にさしたる変化はない。

オーザンが住んでいた天幕にイリスが実家から家具を移して一緒に住むようになったくらいだ。

新妻に甘い言葉のひとつも言えない男と分かっていたので、むしろ靡かせられるよう甲斐甲斐しく愛を注いだ。

手の皮が無くなるまで稽古に熱中したら優しく手当てをしてやり、腕によりをかけて食事を作った。

好き嫌いはせずなんでも食べるのだが実は好きなものの順位があったりして、普段より食い付きがいいのを覚えておいた。

夜に二人で向き合って薄い塩味に整えたスープを飲む。

痩せた土地で作った萎びた芋と小さい肉片を混ぜたものでもこの土地ではご馳走だ。

黒パンを浸して食べるイリスは噛み砕いて豪快に飲み込むオーザンを見つめると視線が重なったので急いで目を伏せた。

「なんで俺なんか選んだんだ? 他にも男はいる」

「ばか」

「馬鹿って、旦那にそりゃないだろまったく……」

結婚して半年が経ってもこの手の質問には答えてもらえた試しがない。

イリスがそう言うなら馬鹿な問いかけだったのだと追及しなかった。

食事を済ませると夕刻過ぎには床に入る。

オーザンの体では一人でもやや窮屈な寝台は二人で潜り込むととても狭い。

横になって狼の毛皮をなめした毛布を被るとオーザンはすぐに寝てしまう。

寝相はいい。

いつも小さく寝返りをうって壁際に体を向けるようになるだけだ。

その夜もオーザンはそうした。

オーザンが寝ていてなんでも許してくれるような目が閉じられている時、イリスは正直でいられた。

恐らくはオーザンは茶化そうとしないで受け入れるが、それはずるい気がしてはばかられた。

だから寝息が規則正しくなった夜半にだけ愛を囁いた。

「私、嘘をついてる。怖くないなんて嘘。あなたを想うといつも胸が苦しくて目が覚める」

毎夜の夢にオーザンが出る度、遠くへ行ってしまいそうな背中を手繰り寄せようとしていた。

焦がれすぎて眠れなかったこれは、恋であり愛なのだろうと彼女は自覚しながら大人になった。

こうして寄り添って眠れる夜がとても幸せだった。

男の中でも人一倍広い、オーザンの背中に額をつける。

「あなたが好き。大きくて熱が秘められた背中が大好き」

この日も夜風に乗せて気持ちを打ち明けたのだった。

「……」

オーザンは起きていた。

孤独に慣れて心が麻痺していたオーザンは片目だけ開けて黙って聞いていたが、もやもやとした気持ちは胸に残った。

さらに半年ほどして珍しく長が稽古を持ち掛けてきた。

小川のほとりでしばらくオーザンから自由に打ち込ませた長は感心した様子で間合いを切った。

「ほう、一皮剥けたな」

「どこがだ。全然駄目だろ」

オーザンは口を曲げた。

脳天を割って殺す気でやっているのに汗もかいてくれない相手に誉められても、からかわれているようなものだ。

石を投げつけ、口に含んだ砂で目潰しまでしたのに肌を砂ぼこりで汚すのがやっとだ。

「剣の性質が根本から変わっている。鉈から剃刀に持ち替えたようだ」

「知らん」

「謙遜も過ぎれば卑屈だぞ。見ろ」

木刀の消耗度はおおむね腕前に比例する。

激しく打ち込むと半日も持たずに砕けてしまっていた木刀が、罅は入ってしまっていても昼過ぎにまだ折れていない。

そして長の方も罅は同じだ。

受け方を手加減されているとしても、格段の成長があった。

「あんたに勝てなきゃ意味ないだろ」

「たわけ。ここぞという大一番以外捨てても構わん。私など遠くで光る星のようなものだ。ただの道しるべである星に行く必要など無い。目的にいかにしてたどり着くかが問題なのだ」

木刀の背を人差し指でつるりとなぞるとひび割れが直っていき、新品同様の姿に生まれ変わった。

いつもならどこからか削りだされた棒を産み出して引き寄せるのに、今日に限って初歩的な魔法を使った。

「気が遠くなるぜ」

壊れかけの木刀を置いて小川に入って豪快に水を被る。

初秋の水は少し冷たかった。

「お前には大きな進歩だ。あの娘を娶ったのは間違いではなかったな」

長も木刀を置き満足げに頷くと水を両手で掬い頭から被った。

同じ素材のはずの服は水を弾き、跳ねる水滴まで神々しく舞い散るさまは、光のエルフとは隅々まで祝福されし者なのだといやがおうにも思わされた。

汗と埃だけを流した長は水気を払い小岩に座る。

「して、生活はどうだ? 円満か?」

知りたいのは夫婦生活の中身だった。

オーザンと長の家は隣あっているのでこっそり様子を窺ってはいるのだが、いかんせん二人とも夜に会えば静かに寝てしまうだけなのであった。

光のエルフの五感にも限度はあるし魔法を使ってまで教え子の新婚生活を覗き見するのは気が引ける。

「どうもこうもねえよ。ただ、一日が長い」

剣を振るのに雑念は拭い去るものだとばかり思ってやってきたのに、一緒に暮らしているとイリスの事を忘れられない。

無心でいられないと毎日の鍛練が途切れ途切れに目覚める夜のように長く思える。

集中はしているのに頭の深いところでは目が冴える感覚だった。

「良いことだ。濃密な一日は磨耗した百年に勝る」

無自覚な集中力の増大が鍛練の成果を後押ししていると、長は見立てた。

もとからオーザンには怪力と上手さがあった。

今ではそこに円熟した丁寧さが足されて剣を生かす事を知り一段と磨かれていた。

以前の自分と対決すれば十中八九は勝ちを収めるほどに劇的な進化だ。

そしてさらに飛躍的な成長の余地が垣間見えている。

「変わったな。良い意味で、とても変化した。良い女に出会えたのを感謝しろ」

「してるさ……飯が美味い」

答えに窮したのを冗談で誤魔化した。

「イリスを愛しているか?」

「……」

核心を突かれて喉に言葉が詰まった。

言いたいことは言わせ、したいことはさせ、手荒にも扱わない。

だが何をもって愛していると言えるのか。

只人の何十倍も生きたが愛も恋も知らなかった。

年頃になると異性に胸が高鳴ると言うがオーザンがそうなるのは戦っている時だけだ。

きっと冷たい血が流れていて、そんなだから孤独だったのだろうなと一人でに納得していた。

「真似事でいい。学びとは真似だ。繊細に感じて為せばやがてそれらしくなる。それも剣と同じ」

オーザンに人としての姿を見失わせ、一振りの剣に作り上げてしまったことに長は責任を感じていた。

だから助言は惜しまなかった。

「今日は剣の稽古はやめるぞ。お前に夫婦というものを教育しよう」

古くから、モルゴスと敵対することを選んだ一部の人間とエルフの恋愛はそれなりにあり、不幸に別れた例も幸福に添い遂げた例も見聞きした経験を存分に生かし、あれはするなこれもやめろと言って聞かせた。

されど眉間に皺を寄せて教えても一向に理解は進まなかった。

結婚するまで人付き合いもまともにしていなかった男に女心は少しばかり敷居が高い。

知っているのは殺し方ばかりで人の喜ばせ方はまるっきり無知なのだ。

回りくどい説明をされても直感的に理解しかねる。

「もっと分かりやすく言えよ。つまり、俺は何をすりゃいいんだ?」

「感謝し、歩み寄れ。突き詰めれば夫婦に必要なのはそれだけだ」

遠い目で西の雲を見つめる長は端的に言う。

子細に教えるのは諦めた。

「答えになってねえだろ」

苛立ちを隠そうともしないで無礼な態度をあらわにしてオーザンは詰め寄った。

「自分で考えるのが肝要なのだ。良心から考えた行動に怒るようなら、はなからお前に求婚などせん。大胆にやってみろ。骨は拾ってやる」

具体的には何も分からないまま追い返されて帰路についた。

それはそれは熱心に考えて夕食中もうわごとのように呟いた。

「大胆に。大胆にか……」

「何か言った?」

「なんでもない」

イリスは感情をあまり顔に出さない。

時間を掛ければ別だがすぐに気持ちを汲み取るのは難しかった。

男の戦士たちなら剣を交えれば人となりや感情は簡単に浮き彫りになるのに、女とは難儀なものだと頭を悩ませた。

寝る時間になっても妙案は浮かばず床に入った。

このまま問題を先送りにするのは性に合わないので、あれこれ下手に考えるのはやめた。

剣と同じように考える。

こちらの手の内を知る難敵を倒したくば普段しないことで不意を打てばいい。

ベッドに腰掛けて入ろうとしたイリスを後ろから取っ捕まえて腕の中に抱き抱えた。

ままよと伸ばした手は強引だが怪我をさせまいと優しい力加減で毛布に包む。

腕の中の彼女は痩せた体をしていた。

「いつもはお前が背中に引っ付いてんだ。たまには逆でも良いだろ」

「……」

どうしてそれを。

いつもイリスは先に起きる。

途中で目覚めてもイリスは気がついて離れる。

ならば残る可能性はひとつ。

明言こそなかれども毎夜の一方的な睦み言もこのぶんでは聴かれてしまっていよう。

イリスは体を固くすると丸まって小刻みに震えた。

寝ている相手ゆえに言えた赤裸々な愛の告白は筒抜けであったと知った顔は羞恥で真っ赤に染まっていた。

「すまん。嫌だったならやめる」

「やめないで」

顔が見えないオーザンは嫌悪感でそうしているのだと思い外そうとした腕を逆に捕まえられた。

二人はしばらく黙っていて、それからオーザンは囁いた。

「俺にお前を愛せるかわからん」

イリスは勇気を出して手を掴んだ。

だからそれに応えてこちらも本当の気持ちを伝えなければとても不誠実で、いけないような気がした。

「だが愛してみようと思う」

今は分からない。

それでも努力をしたい。

それが偽り無い想いだった。

「ばかね、オーザン」

言わなくてもいいことをばか正直に白状したのをイリスはくすりと笑って指を絡めて手を握る。

こんな下手な男だから愛した。

こんな不器用な馬鹿だから愛し甲斐があるのだ。

「おうよ。俺は大馬鹿だ」

くすくす笑いあって夜は更けた。

 




誤字報告感謝ァ!
感想と評価も感謝感激。
この後どん底まで落ちると知ってて幸せだった頃を書いててつらいです…


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未来の種

オーザンは長に任せて放任していた村の会合にも顔を出して、村の人々とも関わりを持つようになった。

イリスの両親は既に鬼籍に入っていたが、健在であった兄の夫婦とは特に親交を深めた。

彼は物静かなイリスと反対に溌剌とした気持ちのいい若者で、村で娶った妻との間に男女一人づつ子供を儲けている有望な戦士である。

一匹狼の村の番人だったオーザンには大半の村人と同じく近づき難い印象を受け、幼い頃から苦手意識はあったが話してみれば存外に気安く打ち解けるのも時間の問題であった。

オーザンからしても剣という共通の話題があるので会話の種にも困らず話しやすい若者である。

軽く剣の手解きをしてみると、とても筋がいいのも気に入った。

今の世代の戦士たちを中心に時間を掛けてゆっくりと関わり、何をしているのか分からないが出鱈目に強いということしか知られていないオーザンを村人たちが知る機会になった。

稽古の時間は減ったのにいつもより身が入って上達は早まった。

疑問視した事すらなかった剣を執る理由を考えるようになったからだろう。

年々増えてやっかいになるオークの群れを間引く戦いにも手を貸した。

村では穏やかに接するがいざ先頭に立ち戦いに臨めば血に飢えた猛獣のような獰猛さで荒れ狂い、幾多の合戦を勝利へ導いた。

村人の反応も芳しく、驚異の猛将が味方である幸運を喜び絆を作った。

皆に認められた頃合いに長から戦士長の肩書きを与えられ戦士団を指導する立場になった。

歳も実力も遠く離れた若者を教えるのは不器用なオーザンには難しかったが、交流という面ではこれ以上なく正直に剣で語り合った。

仮面を剥ぎ取るまでしごけば性根が現れる。

実直な男は力強く実直な剣を使い、皮肉屋は相手を惑わす軽やかな技を無意識で使いたがる。

人柄を知った輩とくつわを並べて日々死線を越え苦楽を共にすると友情は育まれ、打ち解けるのもあっという間だった。

反目していた気難しい者すらオーザンの手腕を認め、冗談を言い合えるようにもなった。

勧められてパイプを嗜むようになったのもこの時期だ。

こうしてただ強いだけだった純鉄の心に情の温かみを加えて人間になろうと奮闘した。

それからまもなくオーザンの人生でも最大の転機が訪れた。

その日も早朝から日没まで指導に費やし、空腹で帰宅した。

手土産に貰ってきた戦士団の仲間が家で仕込んだ芋酒の甕を机に置く。

一口呷って急かすように鳴る腹の足しにした。

「もうすぐだから座って」

土間で料理していたイリスの顔色は悪くやや疲れた気配をしていた。

「おい、大丈夫か?」

「平気よ」

夕食を炊いた鍋を竈から机に移そうとして持ち上げると、足をくじいたわけでもなしによろけた。

鍋を取り落とし、中身の麦の粥を土間にぶちまけてしまった。

家事において失敗らしい失敗をしたことがないイリスが珍しく失態を演じたのを心配し怪我をしてないか調べる。

「火傷してないか?」

「……」

血の気が引いた青い顔で口を押さえて小走りで外へ出ていく。

追いかけると彼女は草むらにうずくまって嘔吐していた。

息づかいは荒く苦しそうだ。

「どうした? どこか苦しいのか?」

荒野から風に乗って病魔が飛んできたのか。

頑健なオーザンは風邪もひいたことがないが母親を病で亡くしたので他人事ではない。

長が魔法の守りを張っているそうだがそれだって万全かは分からない。

「大したことないの。ご飯、作り直すから少し待って」

「飯なんかどうでもいい。そんな顔色で平気なわけあるか。なにかの病気だ」

本人は大丈夫だと気丈に振る舞うので余計に不安に駆られ抱えあげる。

医者もいない辺鄙な村で誰よりも医療の心得がある長の家に運んだ。

間口にかかったすだれと木の扉を乱暴に蹴破って家に押し入る。

石と木で作られた質素な家が軋んで崩れかけるのもお構い無しだ。

「出てこい爺! どこに居やがる!?」

怒鳴り付けると奥の書斎から眉間に皺を作った長が顔を出す。

「大きな音がしたな。なにごとだ?」

「イリスが病気だ。調べてくれ」

「ここに寝かせろ」

ただならぬオーザンの狼狽ぶりに目を細めた長は居室中央の長い机を顎で指した。

長机の上の羊皮紙や小瓶を肘で乱暴に押し退けて作った場所にそっとイリスをおろした。

片目を閉じた長は頭から爪先まで食い入るように眼差しを注ぎ、かざした指先から魔力を流して体の内を隅から隅まで探った。

魔力の光が全身を包み安らかな眠りへ誘う。

荒かった息が整い光が指へ残らず戻って消えると、エルフは台所へ行った。

お茶を淹れて戻った彼は椅子に座って湯呑みをオーザンにも勧めた。

数種類の薬草を煎じたお茶は心を落ち着かせる効果がある。

「呑気に茶なんか飲んでる場合じゃねえだろうが。イリスは大丈夫なのか?」

「はは、そういう顔が出来るようになったか……」

「うるせえ爺、笑い事じゃねえんだよ。容態はどうなんだ。悪いのか」

長は机に肘をついて掌を合わせ、指先を重ねて妙に嬉しそうに感慨深く頷くばかりだった。

「逆だ、エルに感謝するがいい」

「なにが感謝だくそったれ。どんな病気かはっきり言え! 薬を作るなら俺が材料を採ってくる! ドラゴンでもなんでもぶち殺す!!」

オーザンは剣を抜かんばかりにいきり立つ。

無自覚に高ぶり放たれた魔力に痺れた屋根の木屑がはらはらと落ちる。

「いいから座れ。やれやれ、こんな察しの悪い小僧が父親とはな」

こんなに取り乱すオーザンは見たことがない。

大層な狼狽えぶりに呆れて手で制して落ち着かせる。

「子が腹にいる。気分が優れないのはその影響だ。体に問題はない」

そしてイリスの体調不良の真相を明かした。

「子? 誰のだ?」

突拍子もない発言に目を丸くしておうむ返しに聞き返した。

また長は呆れて顔を覆った。

「馬鹿者……お前のだ」

「俺の? 俺の子?」

いつからか常に保っていた戦いの呼吸や重心の置き方も何もかも忘れ、呆然と棒立ちでぽかんとしていた。

「そうだ」

「そうか……俺に子か……」

そう言われても何も実感が湧かなかった。

現実のこととは思えない。

夫婦が子供を持つのは自然なことだと知識はあっても自分で想像した事はなかった。

こめかみがもやもやする。

果たして戸惑いに混ざったこの感情は驚きか喜びか。

「俺はどうすればいいんだ? 喜ぶべきなのか?」

たまらず長にすがった。

「自分で考えろ。今夜はもう帰れ。温かくして寝かせてやるがいい」

親が子を愛する本能は、流石の長といえども零からは作り出せない。

己で感じるしかないのだ。

「あ、ああ」

虚ろな返事をしてイリスを抱いて家に帰った。

答えは出ないまま時は流れる。

家事をするなと言っても頑として聞き入れないイリスが大きくなった腹で食事や洗濯をするのにやきもきして過ごした。

エルフの体感時間にすれば十月十日はあっという間だ。

冬を過ぎて春が来た。

予見された日ぴったりに赤ん坊は生まれた。

魔法を駆使する長がイリスを注意深く見守って、出産という難事は事なきを得た。

長によってガイオンと名をつけられた男の子の誕生を祝い、イリスの親戚や戦士団の知人たちは祝賀会を開いてくれた。

オーザンはまだ愛について結論が出せていなかったが仲間が祝ってくれるのは悪い気はしなかった。

若者にせがまれて数々の強敵をどう倒したか教えたり、石を握り潰す芸を見せてお返しに楽しませた。

宴が終わり参加者がそれぞれの家に帰った後、オーザンは長に呼び出された。

「ガイオンにはエルフの血はほとんど遺伝しなかった。それがどういう意味か分かるな?」

「ああ」

オーザンは何年経とうが若々しく老いの兆しは無い。

しかし、人間の妻と息子は先に逝ってしまうだろうと、ガイオンを身ごもるイリスを見ながら予感していた。

生まれた息子に神秘の息吹が宿っていなかったのを感じてそれは確信に変わった。

エルフの血は混ざらず、ほとんどが人間として生まれたのだ。

一人で住む長の家は静かだ。

赤く燃える暖炉の薪がはぜる音しかしない。

「ヴァラールによってエルフと人間のつがいに運命づけられた摂理なんだろう?」

ワーグの牙から削り出した白いパイプに草を詰めて、暖炉の燃えさしで着火する。

イリスの兄が初めて一人で倒したワーグから得た大牙はとても手に馴染む良いものだ。

「そうだ。この世の理だ。お前は家族の死を見るだろう」

オーザンの何倍もの、とてつもなく長い生を過ごした長はどれだけの死を見てきたのだろうか。

紫煙の向こうで薬草茶を飲む長の背中が今は寂しげに見えた。

「親になった機会に、ひとつ問いを与える。人はいずれ死に、灰に戻る。なのになぜ今を苦しんでまで、あんなにも懸命に生きるのだと思う? 死ねば無に帰すと知りながら、なぜ生きるのか。それが解ければお前の求める答えは得られ、もうひとつ上に行けよう」

「剣がか?」

謎かけは苦手だ。

煙を吐いて暖炉の熱で乾いた唇を舐めた。

「剣も、お前の魂もだ。答えは私に言わずともよい。だが己の心で感じなければ、お前はならず者のままだ」

暖かくなる季節に逆行して厚着するようになった長は安楽椅子に座ってそう言った。

 




三山畝傍兄貴
ちくわぶ兄貴
誤字報告感謝ァ!

三山兄貴は投稿したら速攻で報告してくれるので毎回クッソたまげてる。

同時展開の
エログロ全開ハードコアチャンバラ破戒武侠伝
「剣戟魔界都市」もハイよろしくぅ!
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狂宴

ガイオンは病気もせずにすくすくと育った。

よちよち歩きからしっかりした足取りになると、父親の背中を追って木刀を持つようになり、素振りを教えてやった。

軽く細枝を振って薪を割る卓越した手本を見せてやればガイオンは目を輝かせた。

木の繊維の方向を正確に読み、薪の弱い部分に枝の強い部分をぶつけて斬る芸当ができるのはオーザンしかおらず、さぞや神秘的な技に見えたことだろう。

血を分けた息子が己の背中に憧れて追いかけるのはくすぐったくもあり嬉しくもあった。

充実した日常に反して状況は思わしくなかった。

ずいぶんと闇の勢いが強くなった。

はぐれオークがのさばりトロルや大ミミズが村の近くに時折迷い出た。

戦士団は対処に追われ、連戦の中でイリスの兄とその息子は命を落とした。

父と兄を殺されて復讐を決意した少女は厳しい鍛練で、母親に由来するエルフの隔世遺伝が目覚め、並みの男をしのぐ戦士に成長した。

男でも音を上げるとても厳しい鍛練を課したが彼女は眠っていた天賦の才と驚異の執念で食らいついて離さず、頂点のオーザンを除けば最も強くなった。

村を防衛する人員を残して周辺の敵を殺す精鋭班を率いらせ、共に狩りにゆけるまでになっていた。

しかしそれぞれが技量の向上に邁進しても犠牲は出てしまう。

戦士を育てるよりも死んでいく方が早く、戦士団の人数は減っていった。

増える犠牲者を弔う度にイリスは不安そうにしていた。

「俺は死なん。絶対に生きて戻る」

ベッドで隣に寝そべるイリスの頬を撫でた。

年を重ねても変わらず美しい。

波打つ艶やかな髪も嫌いではない。

仲間が死んだ無念が心を掻き立ててもこの匂いがオーザンを落ち着かせる。

「ガイオンを一端の戦士にしてやる約束だ。俺が嘘をついたことは?」

家を拡張して増やした部屋で眠る息子の心音が聴こえる。

「無いわ。でも無理はしないで」

「ちょっとの無茶は目を瞑ってくれよ?」

ふざけて額に口づけをするとイリスはオーザンの胸に頭をぶつける。

「ばかね」

「知らなかったのか?」

しばらくベッドでじゃれあった。

イリスと夫婦になって良かったと思える。

本心をさらけ出し合えるのは何物にも代えがたい安らぎを得られた。

家族がいるというのはいいことだ。

だがイリスはどうだろうか。

両親を亡くし、兄まで失った。

母親の顔も覚えていない己とは失う痛みが違う。

寡黙なイリスが一目も憚らず涙するのを葬儀で見た。

十分過ぎるほど苦しんだ。

もう奪わせてはいけないのだ。

「俺はずっとここにいる」

これが愛かは知らないが、自分だけでも傍に居てやりたかった。

淡い願いを踏みにじるように不穏な気配は日増しに強まった。

ガイオンが十歳の時、大きな嵐が来た。

村の近くの高台に隠れる見張りがオークの群れを見つけたと報告した。

エルフの混血で目がいい男の言葉は信頼出来る。

暴風雨に紛れて村を奇襲する魂胆だと判断して戦士団と出撃した。

雨でぬかるんだ土に残る足跡を苦労して現在位置を突き止めた。

オークは道に迷ったように宛てもなくさまよっていた。

地の理を生かして先回りし、逃げ場のない岩場の窪地で強襲をかけておよそ同数のオークを殺した。

熟練の戦士は危なげなく立ち回り怪我人も軽傷で死者は出なかった。

いくらか取り逃がしたが最近では上出来の部類だ。

荒天で危険を冒してまで生き残りを追わずとも良いだろう。

怪我人の手当てをしてやりあとは帰還するばかりとなったのに、オーザンは胸騒ぎがした。

姪の女戦士が報告に来た。

まだ息があるオークがいるとのことだ。

言わずとも止めを刺しておく彼女が報告に来たということは、なにか理由がある。

案内されて半死半生で倒れているオークの元へ赴くと睨み付けるオーザンを血でむせながらせせら嗤った。

小バカにした態度に企みを感じて洗いざらい吐かせると決め、手足を剣で抉り潰して拷問した。

苦悶のうめきをこぼしたオークは未だ自慢げに語った。

西の果てから号令がかけられ屈強なオークや百戦錬磨の東夷の傭兵が集いつつある。

しかし水が無くてはリューンの広大な荒野を渡れない。

砂漠に近い貴重な水源と貯蓄された食料を略奪するために村を攻撃するのだと捕らえたオークは白状した。

悪しき生き物を弾く厄介な守りの結界も人間の東夷ならば侵入できる。

邪悪を防ぐ魔法と剛剣のオーザンの二枚看板のどちらかを引き剥がせば恐れることはないと東夷の傭兵は持ちかけた。

オークは嵐を待ち、直前に戦士団にわざと見つかり村から引き離す。

東夷はその隙をついて村に残る戦えない老人や女子供を襲う。

オークの本隊がそれに続く手筈になっているのだと言った。

謀られたと悟ったオーザンは戦士団を連れてとって返し村に急いだ。

村には人間からの攻撃を想定した城壁や壕は無い。

待機していた戦士たちも懸命に立ち向かったがいかんせん少なく、東夷の数に押された。

魔法の力をほとんど失っていた長には村人を守りながらそれを維持する力量は残っていなかった。

結界が解けると隠れていたオークが入り込み、目につくもの全てを奪い、殺し、壊す狼藉を働いた。

際どいことは何度もあったがこの集落そのものを襲われたのは初めてであり、かつてない甚大な被害を被った。

オーザンが村に戻ったのは、東夷と入れ替わりにオークが略奪している真っ只中であった。

嵐の中で敵味方が混じり合う混戦の末に撃退はしたが村の被害は深刻なもので、駆けつけてオークを追い払ったオーザンが目にしたのは荒らされて無人となった我が家だった。

家族が拐われた。

その事実に血相を変えて村を飛び出した。

豪雨で消えかけた足跡と匂いを何日もかけてなんとか追い、オークが一時の拠点にした岩山を探した。

いくつかの拠点の中からイリスとガイオンの匂いがする洞窟を見つけ出した。

拐われた他の村人もいるはずだった。

入り口からは雨にも流されないほど濃厚な血の匂いが漂っていた。

抑えきれない猛りを破裂させて見張りのオークを殴り殺した。

戦士団の到着を待たずたった一人で薄暗い洞窟に飛び込み、そして地獄を見た。

頭をのこぎりで切り開かれて生白い脳が剥き出しにされた少女の頭部に向けてオークが一心不乱にしゃぶりついていた。

少女は泡を吹きテーブルに縛り付けられた体が脱臼するほどに痙攣していた。

複数の刺し傷を与え、傷を焼いて死なない程度の半端な止血処置を施した女を皮膚を貫く鉄鉤で天井から吊るして血のシャワーにするオークがいた。

既に事切れた少年の尻の肉を削ぎ落としてフライパンに乗せるオークがいた。

辛うじて生気のある少女の腹に手首まで腕を突き込みはらわたを捏ね回して引き千切り、絶叫に耳を傾け穏やかに堪能するオークがいた。

壁際に山と積まれた無数の死体にまたひとつ、骨までしゃぶったむくろを投げ捨てた。

誰も彼も見覚えがある。

拐われた村人たちだ。

オークはその場ではあえて殺さず捕まえて連れて帰り、日持ちのする食料として人を拐うことは知っていた。

知っていたなお虫酸が走るような、凄惨などという修飾では語り尽くせぬ酸鼻を極まる地獄絵図があった。

「敵だ! 殺せ!!」

苦痛と悲鳴と絶望に煮られた血潮を食らい非道な欲望を満たしていたオークはオーザンが部屋に突入した事に気がついた。

「……獣にも劣る……畜生共が……」

地獄の狂宴の参加者の悪意と犠牲者の惨状がオーザンの心の封じられた扉を打ち鳴らした。

弱者をいたぶり喰らう怪物達の醜悪さが、眠っていた修羅を目覚めさせる。

腹の底から沸き起こるこの感触は怒りだ。

脳裏には最早怒りしか無かった。

入り口の近くにいた、ハンマーで幼子の骨を爪先から胸まで砕いていたオークのうなじを抉り取り、脊椎を握り潰し、かがり火に投げつけて浄化する。

自覚すらなく絶命したオークの残りかすを蹴り砕いても逆立つ心は癒されない。

「死ね! 死に絶えろ!」

この世から一匹残らず殺さねばならないと、心の底から殺意を抱いた。

声無き慟哭に代わり斬撃と拳打が雄弁に語る。

一呼吸とせず、死ねと。

獣のような剛拳でオークの頭部がまるで熟し過ぎたトマトのように砕ける。

押し出された魔力が強い感情に形を持たされて吐く息は原始的な魔法の稲妻となり、意思を持ったように分散して、人肉を炒めていたオークも、妊婦を試し切りしていたオークも焼き滅ぼした。

少年の胸を深々と刺した刃物でかき混ぜていたオークは、超々音速で斬った瞬間に衝撃波で粉砕されて上半身が消滅した。

オーザンの心のようにオークの血で洞窟は真っ黒に染まった。

広場のオークを殺し尽くしても二人はいなかった。

無事であってくれと祈った。

「どこだ! イリス! ガイオン!!」

洞窟の奥まったところの汚い木の扉を蹴破って飛び込み、儚い望みは砕け散った。

机の上で手足を縛られた息子は頭にまさかりが深々と差し込まれ、一目で死んでいると分かった。

胸から下は残酷に貪られたように血みどろで、内臓が納められているはずの腹はぽっかりと穴が空いていた。

腕も脚も、胴体から切り取られていた。

幼い顔は想像を絶する痛みと恐怖に歪み、生きたままこの恐ろしい仕打ちを受けたことを物語っていた。

「なんだてめえは!」

粗末なベッドで小骨を齧っていた隊長格とおぼしきオークがだんびらを掴む。

「貴様ぁああああああ!!」

構えようとした錆びだらけのだんびらごと、額から股まで真っ二つに切断した。

オークは中身をばら蒔いて倒れる。

洞窟内は探し終わったのにまだイリスが居ない。

いるとすればこの部屋のどこかなのだ。

「どこなんだ……!」

鉤に吊られた大きな鉄の鍋があった。

人一人入れてしまえるほどに大きなものだった。

「まさか……」

悪い予感は当たってしまった。

ぐつぐつと煮込まれた何かを覗きこむと長い黒髪が浮いていた。

沸騰した汁が対流で動き変色した手首が新たに浮き上がった。

その手には銀の腕輪が填まっていた。

見間違えようもない、イリスに贈ったものだった。

わずかに遅かった。

「こんな……ことが……」

あと一日早ければ助けられた。

「うううううあああああ!!!」

自責の念と怒りは頂点に達し、錯乱して何もかもに火を放った。

目に付いた岩や木を滅茶苦茶に壊して走り抜けた。

戦士団の呼び声も振り切って人気のない山の麓で狂気の咆哮を上げた。

オークの襲撃は悪い夢で、目を覚ませばまた二人が家にいるのだろうと思った。

契りを結んで以来、細くはなろうとも決して見失わなかった絆が消えた。

オーザンの身体から、かけがえのない何かが抜けていった。

この世で最も大切な人への誓いは、もはや破れたのだと知った。

怒濤の如く押し寄せたやり場のない怒りと悲しみに五体は突き動かされる。

感情のままに繰り出された拳は、手近な樹の幹を一撃の元に木っ端微塵に粉砕した。

後悔、悲嘆。

これだけの力が在りながら、二度と手に入らないものを手離した。

まんまとオークに釣りだされた。

嵐のせいで気がつけなかったなどという自己弁護を考える気にもならない。

感情が混ぜ込まれて自分の輪郭すら曖昧になり、皮膚を張り裂こうと溢れる。

頭に再生されるのは、はらわたを生きたまま貪られた苦悶の表情を浮かべたかんばせをまさかりで断ち割られたガイオン。

そして、薄暗い洞窟で火にかけられた長い黒髪と銀の腕輪をはめた細い腕が浮いた鍋。

どんなに苦しみ絶望に溺れたことか。

空の胃から胃液が逆流して噴き出す。

混沌とした意識が狂気で染まる。

咆哮。

拳が樹木を打ち砕く。

荒れ狂う脈で血管が裂け、吹き出した鮮血が砂のキャンバスを彩る。

慟哭。

傷だらけの腕も意に介さず、血染めの腕を薙ぎ払う。

言葉にならない雄叫びを上げる。

殺す。

殺してやる。

応える者のない糾弾は虚しく響くだけだった。

激情で振るう剣は煤けた魔力の光条を纏い樹齢数百年の古木を貫き、一撃で砕けた。

爛れた腕を打ち付けた巨岩が割れて地響きを轟かせ転がる。

目に付くもの全てを壊し尽くし、暴れ狂い続けた。

お前たちを通して空の青さを知った。

唇が紡ぐ声で心を育んだ。

温もりに触れて思い出を綴った。 

温かい思い出にはいつもお前がいた。

イリスとの暮らしが生んだ色彩が粉々になっていく。

人であることを認めていた彩りを壊されていく。

こんな馬鹿なことがあるか。

やがて訪れる別れは覚悟していれど、このような無情な末路は話が違うじゃないか。

ふざけるな。

帰らぬ家族への哀しみを叫び天を呪った。

嫌だ。

嫌だ。

駄々を捏ね戻らないものに告げるべき別れを拒み、悶え苦しんだ。

もう一度登った朝日の中、長は森を訪れた。

探し歩く必要は無かった。

破壊の跡を辿ればオーザンは燃え滓のような姿を晒していた。

草木の緑色が消え失せ、焼け焦げた野原の中心に、叫びはて、疲れはて、幽鬼のように朧気な有り様で膝を付いていた。

「俺は……俺は……」

木立を消し飛ばし地形をも変えた鬼の眼には涙。

青白く血の気が失せて痩けた頬を伝う。

「……オーザン」 

長はそれを抱いた。

極限まで鍛えられていたオーザンの体はたったの数日で見る影もなく痩せ細り、今にも折れて倒れそうに弱々しく。

霞んだ瞳は虚空を向いている。

「済まない。私が至らぬばかりに」

食い縛った歯が唇を神聖な血で彩る。

自らの非力が取り返しのつかない悲劇を招いてしまった。

彼もまた、己の無能を呪い、悲嘆の焔に冷たく焼かれている。

腕に力を入れる事しか出来なかった。

服の中は驚くほど痩せさらばえていた長が肩を貸して村へ連れ帰った。

「全ての責任は私にある」

神秘の薄まりつつある時代にたった一人で結界を維持するのは息を止めて走り続けるのにも等しく、ノルドールエルフの有力者であっても困難で命を縮める行いだったのだ。

魔力を使うのは力を失うのと同義と心得ていた長は、オーザンにそうはさせまいと魔法を教えなかった。

アルダから魔法が去りゆく未来を予見して、魔法に頼らないように育てた。

「息子には表れなかったエルフの血が隔世で強く発現し、最も才覚に優れたお前に次代を託すつもりであった」

しかし戦乱は容赦なく若き芽を摘みとった。

「違う。俺のせいだ。俺が……」

初めて流した涙が顔を伝い胸を紅く汚している。

火が消された村に戻っても人はまばらだった。

誰より勇ましかった男がうちひしがれる痛ましい姿を遠巻きに戦士たちに見守られて家に帰った。

二人の残り香がする。

胸が締め付けられる。

残り香がして、しかし常にどこかにあった気配が途絶えている家は哀しかった。

ここが家だった。

だがもう違う。

イリスの優しい腕に抱かれて眠っていた日々には戻れない。

全ては動き出した。

イリスとガイオンの面影が胸の中で遠くなっていく。

窓から見える空にかかる暗い雲の向こうへ行ってしまう月のようだ。

真昼の月はよく見えない。

夜になり暗くなってからそれの明るさに気がつくのだ。

遠ざかろうとする月を掴もうと必死に手を翳して倒れる。

そしてこの感情を理解した。

締め付けられる衝動のままに、大きな体を丸めて涙で濡れた床を掻く。

「俺は……」

二人を愛していた。

「く、く、うぅ……うぁああ……」

一人の男の無垢な嗚咽が山小屋に響いた。

オークの大勢力に阻まれて囚われた村人の救出は全て失敗した。

戦士団も手痛い死者を出した。

だがもう止まらない。

敵にはここを攻め落とす理由が、こちらには引き下がれない怒りがある。

なにより、何代もかけて開拓した村を捨てては痩せた土地で村人は生きてゆかれない。

翌朝オーザンは生き残った戦士団の全員を集めた。

数にして五十も居ないが幾多の修羅場を潜った選りすぐりばかりだ。

「傭兵もオークも、殺し尽くす」

どれだけ希望を捨て去れば、人はここまで恐ろしくなれるのか。

悲嘆と失意で塗り固められたひくりともしない氷の形相に染み付いた、腕利きの戦士団も凍てつく果てしない怒り。

「皆殺しだ」

初めて本当の意味で父親になれた男は、その日に死んだ。

「殺せ!」

「殺せ!!」

血のあがないを求む戦士団の怒号は荒野に木霊した。

猛る憤怒の旋風は長にも止められない。

斯くして三千年かけて練り上げた弓は放たれ東夷とオークの連合軍との全面戦争が始まった。

 




ちくわぶ兄貴
麦刈兄貴
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オークぶち殺すマンの誕生。
過去編は次回で終わりっ!

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甦る刃

村人の生き残りの証言と偵察の結果から導き出された東夷の傭兵とオークの数は共に千人超。

防御機構を備えない村で万端に攻撃準備を整えた何倍もの敵を待つのは得策ではない。

戦意の高まりも手伝い、合議は打って出る結論に満場一致で至った。

さしあたり頭数を揃え欠員だらけの戦士団を再編成する。

戦士を育てるのは平時には大変な時間を要するが老域に達し引退した者まで剣を取った今ではなんの支障もなく済んだ。

収穫物の備蓄は根こそぎ強奪され、鍛冶職人などの非戦闘員は死に、女子供はほとんど拐われた。

受け継ぐ者も技術も糧も奪われた。

もう今の人数で暮らしは維持出来ず、口減らしをしてもとても足りない。

あらゆる希望は潰え、滅びるしかないのだ。

ならば一矢報いるべしと老若男女を問わず武器を掴み、村人は総員が戦士となってオーザンの揮下に加わった。

それでも百人を越さないが鉄の意思を持っていた。

衰弱が激しい長とどうしても戦えない怪我人や幼子を残し、オーザンと戦士は冷たい雨の降る暗い野原へ出撃した。

家畜小屋の隅まで暴いてかき集めた松脂と獣の脂を詰め込んだ麻袋はとても嫌な臭いがしたが雨にかき消されてオークの仲間のワーグにも見つからず洞窟までいけた。

見張りを殺し、麻袋に火を着けて阿吽の呼吸で一斉に投げつけ、見つけた全ての洞窟を炎の海に沈める。

蒸し焼きにされるのを拒んで脱出を図ったオークは槍や剣で滅多刺しにした。

オーザンは使い慣れた剣を置いた代わりに家の壁飾りになっていた大剣を使った。

身の丈近い長さの厚く重い鋼の塊ではオーザンの剛腕でも普通の剣の技は使えなくなったが、怒りの力を吹き込まれオークを何匹もまとめて叩き殺した。

火攻めの混乱が収まりかけるのを察すると風雨に隠れて戦士たちは速やかに退却した。

雑木林を移動しつつ集合すると運悪く何人かの戦士たちがまた命を落として還らなかった。

奇襲を受けた旨を東夷へ送ったオークの伝令も土地勘がある分先回りして仕留めた。

次に襲った東夷が天幕を張って陣を拵えたのは大ミミズでも地下を掘って来れない硬い岩盤に囲まれた丘。

百年に一度の激しさで雨と風と稲妻を振り撒く嵐に乗じ、村から略奪した物資で酒宴にいそしむ天幕に片端から乗り込み殺せるだけ殺して逃げた。

大勢を相手取る時は正面からぶつからず、分断して孤立した小集団から各個に倒していく狩りの鉄則を忠実に守っても、襲撃を察知した両軍が差し向けた追手を振り切れず、また何人かが大地に果てた。

エルフと人間が混ざる奇異な編成と装束の戦士の死体で村の生き残りの報復であると知った。

そうとわかると彼奴等は進路を村へ定めて全軍で進撃した。

今度こそ徹底的に焼き払い、禍根を断とうという腹積もりであった。

戦士団は道中に待ち伏せ何度も行軍を妨げたが犠牲を省みない前進に、再三の妨害も虚しく村の近傍の草地に展開を許してしまった。

家族を残した戦士も居る。

捨てては置けない。

この貧しい村こそが種も歳も異なる者たちを繋ぐ絆の表れなのだ。

戦士団は村を背に横並びに一列で立つ。

経験が足りなかった若者や初めから力不足だった老人や女はもう生きてはいなかった。

夜明けの太陽も朧気に荒れた天の下にどろどろと太鼓が響いてオークが突撃し、東夷は衝突の直前を嫌らしく狙いすまして矢を射った。

血に飢えた地響きの歌が押し寄せた。

弓を射返すがこちらの矢はすぐに尽きた。

オーザンに指導されてきた戦士団は使い込んだ盾や剣で防いでオークを蹂躙した。

諸国に散れば騎士の筆頭となるのも夢ではないつわものたちは目に見えた終わりを拒み定めに抗った。

歳を重ねた老練なオークをオーザンは優先して殺した。

囲いを破るだけならば被害は出ようが成せる。

しかし狙われているのは村だ。

進むことも退くことも叶わず血みどろの押し合いを続けるうちに、東夷が矢に仕込んだ毒が回り手負いの戦士が倒れていった。

庇い合って抵抗する部下を助けたい気持ちを圧し殺して迂回しようとする別動隊をオーザンは潰して回った。

昼を過ぎ、二度の攻勢を弾き返して生きていたのは僅か十五人。

対して敵軍の屍はおおむね七百。

切り札のトロルやワーグも健在で、東夷はほぼそっくりそのまま残っている。

三度目の攻防には村に残っていた長も馳せ参じた。

厚い衣を脱ぎ捨て、かつては神々しかった五体が今ではみすぼらしくなってしまったのを晒しながらオーザンの隣にやって来た。

矢はこれでもかと降り、戦士たちを針鼠にするか遮蔽物に釘付けにした。

ついに投入されたワーグやトロルに邪魔されてオーザンも自由に動きがとれず、村への到達を許してしまった。

両翼から騎馬を駆って攻め込んだ東夷の傭兵は強い酒を封入した壺を家の窓や間口から投げ込んだ。

灯された蝋燭や暖炉が酒精に燃え移り家具や床を燻らせた。

乾いた内側から燃えると脆く、けぶる白煙を焚いてあっという間に家々は燃えあがった。

そうでない家もトロルが打ち壊して回る。

炎に巻かれる村人を助けようと振り返った者は背中を斬られて死んだ。

重傷者や赤子は雨に濡れた家が出した煙と炎に焼かれ、苦しみあえぐうちに燃え尽きた。

オーザンも長も全霊を傾けて剣を振ったがとても手が足りない。

八方から雪崩をうって襲い来る敵を振り払うので手一杯だった。

こうしてあえなく村は消し炭となった。

住みかに宿った思い出も匂いも黒くべたつく灰へと変わり、ついに守りたいものは本当に無くなってしまった。

三度目の攻撃で村は占拠され、どしゃ降りの中を村の外れの丘へ退いた。

無様に逃げ出せたのはオーザンと長を含めてたったの五人。

残るべくして残ったような、村で最高の戦士たちだ。

口の減らない熟年の槍使いは子供の時から世渡りが上手で、その癖努力を怠らなかった天才肌。

人見知りなオーザンと戦士団の橋渡しを務め団結を築いた功労者だった。

寡黙な双剣士はどれほど苦しくとも顔色を変えたことの無い鉄人。

幼少から剣に身を捧げたという点ではオーザンに近く、口下手ながらよくなついた若者。

半エルフの副長は復讐のために血反吐を吐いて剣を修め、オーザンに次ぐ実力で無数のオークを血祭りにした。

イリスの姪で、血族の唯一の生存者。

いずれも世が世なら英雄と奉られる資質があった。

五人は墓標となった村を取り戻したい気持ちでひとつにまとまった。

そして四度目。

無意味と知りつつ、日の出と同時に斬り込んだ。

血と泥でぬかるんだ大地を駆けて勇ましく突き進み、千の敵に無謀な戦いを挑んだ。

屍山血河の激戦のさなかに槍使いと双剣士は弩を浴びせられ、立ったまま往生した。

副長は血溜まりの中でトロル三頭と激しくやりあっていた。

オーザンと長だけで背中を預け合って戦いを続け、敵を二百まで減らした。

手のひらの皮が捲れて肉が削れても大剣を振り、息を吸い、血に染まる混沌を泳いだ。

「……これまでか」

完全に包囲され同士討ちの可能性から飛び道具を使わない東夷とオークの槍をあしらっていると、長はぽつり言った。

見ると体の輪郭が綻びて実体を失いつつあった。

魔法を過剰に使い、魔法の神秘そのものの体まで対価に差し出したエルフの末路であった。

「お前はよくやった。本当に努力して、善き父親、善き戦士を目指した」

成果を認めることはあっても、こんな風に過程や頑張りを誉められるのは初めてだった。

入れ物が割れて中身が風に溶けようと漏れだし輝いた。

神代の神威にオークはおののき東夷も怯んだ。

「急になんだよ。何が戦士だ。二人も、村も、守れなかった。俺は……無力だ」

祖父の言葉を受けても自分を許そうとは思えなかった。

「驕るな。誰しも万能の勇者ではない。お前もまた完璧には程遠い。だが守りし者なのだ」

「俺の手には血に濡れた剣しか無い。それで誰を、何を守れと言うんだ!」

少ない友も部下も失った。

オーザンはここで終わるつもりだった。

しかし長には別の未来が見えていた。

「お前はまだ若い。傷は時が癒やす。そして見つけるであろう」

終生に渡り使っていた美しい白銀の剣は使い手の寿命を示すようにさらさらとほどけて朽ちていった。

「いずれマンドスの館で会おう。達者でな」

長の体を構成する光が爆発する。

その閃光の眩しさに誰もが目を閉じて腕で庇った。

長が居た場所から純白の烏が羽根を散らして飛び立った。

ガラドリエルよりも古く太陽と月が生まれるはるか前の星々の時代に目覚めたアルダの地で自由と探求を続け、そして死んだ。

死後のエルフが集められるアマンで待つと言い残し最古のエルフの一人はアルダを去ったのだった。

オーザンは何も考えられななかった。

体に染み付いた動作を無意識で繰り返しオークも東夷も斬った。

剣を投げつけ、石で殴り、喉笛を噛みちぎり、殺すことだけに全霊を費やした。

日没近くなって立っている者は誰もいなくなった。

築いた死体の山を歩き満身創痍の疲弊した体で生存者を探し、一人だけ見つけた。

「やったよ、私。誉めてよ兄さん……」

冷たくなった体を血の池に浸していた副長はまだ息があったが、こわばった指でオーザンの手を握りうわ言を言い続け、じきに永久の眠りに落ちた。

これで本当に一人になった。

とても疲れた。

誰もいない世界を生きていく自信は無い。

こんなに弱く脆い心ならいっそのこと死んでしまいたい。

死ぬなら首に剣をあてがい引き斬れば終われる。

だが安易に死は選べなかった。

黒こげた墓標が砂漠に飲み込まれ歴史の陰に消えても、家族や村の仲間が生きていた証を後世に残したくなった。

何もないところに生まれ、蜃気楼のように全ては崩れ去った。

儚い無数の塵に過ぎないのではないかとも思う。

それでも生き残ったことに意味があるとするなら、滅びゆく大地にも人の営みはあったのだと証明し続けてやる。

生き抜こう。

彼らは精一杯生きて、自分もそれに負けないくらい懸命に生きたのだと、永遠の眠りを迎え家族に胸を張って言えるその日まで。

オーザンは仲間の亡骸を探して埋葬した。

どうしても見つからない者は生きている望みに賭けて探しつつ、オークの後を追い西へ東へ大陸をさまよった。

人に害を為すならオークに限らず巨人も悪霊も滅ぼした。

贈られたパイプと錆びた大剣のみを携え、殺して殺して殺した。

正気でいたとはとても言えない修羅の道を駆け抜けた。

オークの断末魔を無数に天に捧げる旅路で色々な物事を見た。

喜び、悲しみ、怒り、出会い、別れ、生まれ、死ぬ。

あらゆる苦難に抗い紡がれる営みを見て、家族が生きた地平を、厳しくも美しい世界を守りたい。

改めてそう感じた。

いつしか打ちのめされ朽ちた鉄の心は再び立ち上がり、静かな熱意を帯びて鋼となった。

ある日しぶといオークの首領を断崖へ追い詰め、錆びて折れた大剣で首をはねた瞬間、晴天の真昼に雷に打たれた。

西へ行け。

エルフの谷、そこでお前は出会う。

何かにそう言われた。

手からは大剣が消え、新月の夜空にも勝る黒い鞘に納まったすらりとした剣が代わりにあった。

心臓が脈打った。

何が待つのか全くわからない。

底知れない黒い剣を持たせて何をさせようとしているのか。

しかし逆らいがたい威光を感じた。

福音か闇の誘いかはどちらでもよい。

進むべき道を決める唯一の手がかりであるこの導きに乗った。

槍使いの言動を真似て上手く人付き合いをこなしながら少ない情報を集めて西へ歩いた。

砂漠を越え、沼を渡り、草原を過ぎた。

長い道中オークを斬って剣を体に馴染ませた。

曲がらず欠けないのにとてつもない切れ味を維持する真っ黒な剣に、何かの意志が宿っていると知ると、剣はより意のままに操れるようになった。

鉄の塔に住まう悪に堕した魔法使いの同盟の誘いを蹴って谷を駆け、やがて裂け谷へ至った。

エルロンド卿は巡り合わせを信じて救援としホビットたちとアラゴルンに出会った。

これが、今に至るまでの全てだった。

 

 

 

 




書き溜めしてると後で見直して書き直すの無限ループから抜け出せない。
(ゴースト)ライター助けて!

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履き直したブーツ

もう交わることのない青くさく苦い思い出、遠く懐かしい夢を見ていた。

まだ見ていたいがそろそろ起きなければ。

凍った記憶に別れを告げて目を開けた。

星が近い。

いや、星に囲まれている。

まぶたを開けても閉じても光が目に飛び込む。

目は見えるが何も聞こえない。

しばらく待つと体が動かせるようになって周囲を見るが星の煌めきの他には何もない。

服も着ておらず手元にあったセレグセリオンも無い。

ここはどこだ。

確か、山をくだろうとして足がもつれて雪に突っ伏した。

それからの記憶が曖昧だ。

山腹で雪に埋もれて末期の幻覚を見ているのか。

誰もいない。

そうか、死んだのか。

まだ夢を見ている可能性より、その結論が一番しっくりくる。

虫けら一匹がマイア殺しを成し遂げるほど体を酷使して死なないでいられる方がどうかしている。

だが勝った。

フロドを守るという誓いを最後まで果たせず早々に死んでしまったという気持ちは強い。

それでも、やっと平穏を得た安らぎは否定できない。

死者は死者らしく、後はアラゴルンが上手くやると信じて任せよう。

しかし死んだとするとひとつ気になる。

「死ねばマンドスの館に集められるんじゃなかったのか?」

アマンの海辺に建つ、殺された者達の霊魂を司るヴァラのマンドスの館は死んだエルフの霊魂が集められる場所として知られ、エルフはここで待機の時間を過ごした後、望めばここから出てきて復活することができた。

エルフが不死とされるのはこのためである。

オーザンもそう聞いていた。

だとすればもう少しにぎやかなはずだが、この場所はどうやら話と違うらしい。

「手違いなんてよしてくれよ……?」

音もしない星の間でこの世の終わりまでパイプも吸えないまま立ち往生なんてぞっとする。

もしや命が燃え尽きたせいでアマンを飛び越してもっととんでもない場所、例えば夜の扉の向こうにある虚無の世界に飛ばされてしまったのだろうか。

次元の彼方へ追放されたモルゴスと同じ境遇に陥るなど勘弁して欲しい。

マンドスの予言に詠われた、歴史の果てに行われるという最終戦争ダゴール・ダゴラスの戦いでは、無限の牢獄を破る術を編み出したモルゴスが帰還して全ての闇の生き物と光に集う自由なる民が闘うらしい。

死した者もそれに合わせて甦るというのだからいつかは呼び戻されるのだが、一体何万年待たされるやら。

散々に地獄をさ迷わせられてこれとは酷い仕打ちもあったものだ。

「結構頑張ったんだがな……」

爺さんと会うのも大分先になりそうだ。

虚空にあぐらをかいて星のまたたきを漫然と眺望し、どうやって時を過ごそうかと構えた。

上も下もない場所での時間の潰しかたを思案していると、時空が震えた。

夜の空は一面が白に染め上げられ、世界はまばゆくも柔らかな光に溢れた。

太陽ではない。

実体のない光の渦。

もっと大きく力強い偉大なる存在が現れた余波だ。

とても離れているのに大きすぎて全体像が視界に収まらない。

バルログやグワイヒアといったマイアールが芥子粒と霞む威容。

さながら地表を這う蟻が大陸の巨大さを認識したようなものか。

光に満ち、いや、光そのものであるような、ヴァラールより高位の神威に眩暈がした。

「まさか、実在したのか……?」

万物の造物主、エル・イルーヴァタール。

何もかもを産み出した至高の存在であると長から教わってはいたが、実物を拝むのはもちろん初めてだ。

それどころかアルダの一個人で対面を果たした者などいるのだろうか。

「イルーヴァタールか……」

無限の波動は恐れ知らずの男をも内心痺れさせた。

信仰心など持ったこともないのに居ずまいを正してすっくと立ち上がる。

『褒美を与えたい』

創造神の声は音ではなく、ある日受けた神託とそっくりな思念で心に直接投げかけられた。

深い慈しみと許容を併せ持った、それはそれは優しく篤い意思が伝わってきた。

「いきなり褒美ときたか」

なるほど、神託とセレグセリオンはイルーヴァタールの仕業か。

ある一件以来、神々はアルダに直接介入することをやめた。

ヴァラールが事件の収拾に手を出せば望まざる変質をしてしまうとして、助言者のイスタリを派遣するなどに留めてアルダの住民に解決を任せた。

指輪の旅路でまさしく体験したことだ。

「それは、なんでもいいのか?」

すんでのところでフロドとナズグルに割って入れたのは出来すぎだったが、イルーヴァタールの予期した通りの必然だったのなら、なんら不思議ではない。

結局、全ての運命も命の行く末もイルーヴァタールの手のひらの上で回転しているだけだ。

そんなに気にしてくれたならあの時家族を助けてくれてもよかったじゃないか。

そう言いそうになった。

「例えば、誰かを生き返らせるようなことも簡単なんだろうな……」

らしくないそんなことを言うのはつらい夢を見たばかりなせいか。

つまらない恨み言の嫌味をつい口走ってしまった。

『そうして欲しいか』

無礼千万の物言いを創造神は許した。

血と涙を流して決した結末に抗い、全滅する運命を一人だけ乗り越えた男の心境を覗き見て、千々に破れた心の傷の痛みを知っている。

「いや、しなくていい。それは良くない。懸命に生きた結末をねじ曲げて何になる」

出来ないとは言わなかった。

実際やろうとすれば出来なくはないのだろう。

しかし既に結論の出た問答だ。

「死を冗談にしてたまるか。一度しかないから真剣に生きられるのに、いくら都合が良くてもやり直しなんて認められちゃいけない」

そんな簡単に覆るものなら、なんのために仲間たちはあんな運命を背負い悲壮な決意をして死んでいったのか。

痛みも喜びも糧に乗り越えて明日へ向かって生きていくのだ。

『かけがえのない家族を取り戻したくはないのか。家族への愛を忘れたか?』

「忘れたことなんて一度もない」

もう一度名前を呼ばれたい。

抱きしめて温もりを確かめたい。

偲ぶうちに何度もそう願った。

だがそれでもだ。

「誰も過去には帰れない。死者の積もった歴史()の上にいることを分かって生きるしかない」

『……生と死の狭間を弁えるか。お前を選んで正解だった」

命は生まれ、そして死ぬ。

全ては始まり、終わる。

創世の際にアイヌアたちと奏でた理を踏みにじれば、西の果てに閉じ込めた闇と混沌は逆流してアルダは滅茶苦茶になってしまうだろう。

それを理解し、エルフの血に定められた非業の宿命を断ち切ろうと運命に縛られぬ人間の血で抗う稀有な戦士。

人間でないが故に運命にぶつかり、エルフでないが故に打ち破る力を有する。

死する末路を一度ならず切り開き、幾度砕けても立ち上がる剛の者。

可能性だけでいえばセレグセリオンに飲み込まれ闇に堕ち、更なる惡の華を中つ国に芽吹かせることにもなりかねなかった。

しかしオーザンは怒りや虚しさに踏ん切りをつけ、バルログを倒しナズグルを追い払う働きぶりをみせた。

愛を知り、強欲でない、不屈の者だから成し得える役目を任せた慧眼に狂いはなかった。

神代の象徴である光のエルフの血を引き、人間の心を得た人間との混ざりもの。

神から人へ移ろう時代にこれほど相応しい存在もいまい。

『お前はエルフであり、人である。神から人に世界が手渡される節目の守護者に相応しい』

「もういいだろう。俺を休ませてくれ」

選ばれたる使命は果たした。

ならばもう平穏を得てもいいはずだ。

憩うことを望むオーザンの背筋を骨が潰れ砕かれたような痛みが通る。

「うっ!?」

負傷の痛みよりはるかに強く、命に関わる傷にも慣れたオーザンが短くうめくほどの苦痛が襲っていた。

屈強な精神力で悶えるのを堪え無様を晒さないように耐えるが、これはまるで下半身をちぎられようとしているかのようだ。

痛みの正体はイルーヴァタールが知っていた。

『長話はお前が持たぬな。現世に引っ張られて魂が裂ける。もう送り出そう』

「俺は死んだんだろう。どういうことだ?」

『否、死んではおらぬ。死の直前に時を限りなく緩めた。時を巻き戻して死者を甦らせれば、万物の流転は滞り夜の扉が破れてメルコールが舞い戻るが、止めるだけならばそうはならぬ』

従って、深刻な問題は起きない程度に遅らせて捻出したたまゆらの時に語りかけていた。

これは今際を引き延ばした泡沫の時間。

現世ではケレブディルの山腹でセレグセリオンが永遠の虚無に呼ばれるオーザンにバルログから吸い上げた命を流し込み、必死で阻止していた。

魂はあるべき肉体に戻ろうとアルダへ墜ちていく。

そう(本当の死に)はならないようにイルーヴァタールは天の狭間で固定してやっていたが、そんな事情は知る由もないセレグセリオンは肉体に命を注ぎ続ける。

それが(あだ)となり、イルーヴァタールの力と肉体の綱引きがオーザンを苦しめる。

急速に息を吹き返そうとしている今、長々と話していると魂は真っ二つに引き裂かれてしまうだろう。

『お前は戻り、旅の果てに仇を討つ。それが褒美になればよいが』

「仇だと? 村を襲ったオークに元凶が居るってのか? それは誰だ」

神は聞き捨てならないことを言った。

身を裂かれる痛みなどどうでもよくなる。

『いずれ知る。そこへ辿り着けるはずだ』

心と、剣と、それに相手。

胸に空いたままの復讐の穴を満たす欠片は揃った。

最高の報酬だ。

「いいだろう、やってやる」

イルーヴァタールに懇切丁寧に説明する気はさらさらないのを悟り、追及を諦めた。

『さだめの剣士よ、励むがよい』

光の大瀑布は明滅すると遠ざかり、背中がアルダへぐんぐんと引かれていく。

もう一度目を開けばそこは雪の上だった。

よく晴れた空は青く、さっきのようなたくさんの星たちはすっかり見えなくなっていた。

あれも夢だったのか。

まあ、今はどちらでもいい。

起き上がり五体を調べると手足は腐り落ちることなくしっかりと残っている。

蘇生がどれだけ体に負担をかけたのか物語るように、少し伸びて目にかかった髪には白いものが混ざっていた。

何百年も変わっていなかった顔も触るとやや老けたようだ。

些細な行き違いはあってもこの剣は助けようとしてくれた。

一人でも孤独ではない。

「よう。助かった」

せっかくつまみ食いしたバルログの命を受け渡してくれた黒鞘に礼を言ってひと撫でした。

このまま永久に雪中に埋もれてたまるかという思惑があったにせよ、手当てに救われて体はすっかり快調だ。

魔剣は勘違いするなと抗議するがごとく激しく震えて罵ったが労ってくれているのか指に噛みついたりはしなかった。

晴天を仰ぎ微かな星の位置を確かめると、なんと一月近くも寝ていたようだ。

セレグセリオンに叩き起こされるまで本当に死にかけていたらしい。

道理で腹が減っているわけだ。

先に行った仲間たちに追い付けるだろうか。

「まあ、やってみなきゃ分からんよな」

パイプとグワイヒアの尾羽根を腰帯にしっかり挟み、セレグセリオンをベルトに差し込む。

片方だけ残ったブーツが脱げていたので履き直す。

「行くか」

一歩二歩と脚を早める。

また急に脚から力が抜けないか用心して段々に加速する。

速度に乗って雪が積もった斜面を疾走する。

目指すはロスローリエン。

指輪の仲間を想い、一心に駆けた。

 

 





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ロリエンの攻防

旅の一行が出発したのちにロスローリエンはアンドゥインの流れを挟んだドル・グルドゥアを根城にするオークの軍勢の攻撃に曝されていた。

これが初めてではなく、サウロンの復活からこれまで何度も攻め寄せている。

ドル・グルドゥアはかつて体を失い亡霊となったサウロンがその名を伏せ潜伏していた古砦。

今ではオークの一大拠点になり、そこから出撃する軍勢に度々攻撃されているため監視を置いている。

今回も攻撃の兆しを察知して即応したハルディアは素早く陣形を組み対処した。

地の利を生かして巧みに戦うエルフに業を煮やしたオークどもは、森に火矢を射かけて火災を起こしてロスローリエンの戦士を炙り出そうとするのが常套手段になっていた。

火事のひとつやふたつは戦時には往々にしておこるものだが、ロスローリエンにとって森は国そのものであり意図的に燃やされるのは捨て置けない。

戦士の頭領のハルディアは約千人の部下を指揮し、消火と応戦に人手を振り分けて今度も上手く戦っていた。

ドル・グルドゥアの勢力との攻防を何度も経験している歴戦のエルフは最適な人員の配置で森の被害を最小限に抑えることに注力する。

ほぼ同数のオークが草地を駆けるがエルフの矢は外れない。

「予備人員で風上から消火にあたれ。矢を使いきったものはすぐに交代せよ」

窪んだ扇形に弓兵を配置して森に入らんとするオークの先頭へ集中攻撃をくわえ、侵入を阻止している。

統制がとれた部下の奮戦の甲斐あって戦況は優位に進んでいる。

この調子ならいつも通りにオークを追い返せるだろう。

そう、このままなら。

森を焼く戦術を使い出したようないやらしい生き物が今回に限ってなんの細工もせずに攻め寄せるだろうか。

隠れ場所にならず格好の餌食になる平地を右往左往するのは変だ。

奴らは補給線の概念もろくにもたず腹が減れば共食いで勝手に自滅するが、推測される軍勢より二千も少ないのは流石におかしい。

何もかも上手くいきすぎている。

胸騒ぎがした。

「各部隊から斥候を一名選び南北を探れ」

こういう勘は馬鹿にならない。

ハルディアは副官に命令を下した。

オークは残酷で狂った忌まわしい生き物だがトロルのように単純ではなく、獲物を殺すときに悪知恵を働かせる知能がある。

モルドールから指揮官を派遣されてなにかの策を練っていてもおかしくはない。

「思い過ごしならよいが……」

気を揉んでいたハルディアに帰還した偵察兵から最悪の知らせが入った。

「左右からオークの伏兵が現れました!」

ロスローリエンの結界に弾かれて辿り着けずカラス・ガラゾンには立ち入れなかったが、大回りしてハルディアたちの側面に出ることには成功した。

「数はいかほどか?」

「右翼にトロル二十を含めたオークが八百! 左翼にワーグとオークが千余り!」

正面の千のオークと足して約三千、ドル・グルドゥアに集結するのが観測された通りの動員数だ。

侮っていなかったと言えば嘘になるがそれでもここまで大回りをする戦術を使う前例は無かった。

防御を考慮していなかったがら空きの横っ面を思い切り殴り付けられた形だ。

「三方を囲まれたか」

「一度下がって体勢を立て直しましょう!」

副官が進言するが首を横に振る。

「ならぬ。退路はない」

即座に退却すべき窮地であるが、ここから撤退すれば隠れ里のカラス・ガラゾンまで追跡されてしまう。

結界に守られていてもその力は有限のため、包囲されひっきりなしにぶつかられたら旅人を迷わす守りはいずれ破られてしまう。

かといって半端に潰走しても部隊の再編をする間もなく背中を刺される。

退くに退けない袋の鼠だ。

「踏み留まれ! ロスローリエンを守るのだ!」

ハルディアは厳に命じた。

マルローン樹を遮蔽物にしながら矢を射かけられる優位は損なわれ、今度はオークが逃げ場を無くしたエルフに十字に矢を浴びせる。

山なりに飛来したオークの矢をハルディアは打ち落とした。

他のエルフたちも器用に払いのけるが、全員が無事とはいかない。

追撃を視野に入れ素早さを重視して軽装備で編成した部隊であるがために鎧に身を固めた歩兵はごく少なく、矢を防ぐ盾も足りない。

矢が掠める者や手足を射抜かれた負傷者も目立ち始め、整然としていた隊列は櫛の歯が欠けてゆくように防衛線に穴が開く。

正面の戦域で角笛が吹かれる。

エルフの部隊ではなくオークが吹き鳴らしたものだ。

それに呼応して三方のオークが一斉に突撃を行った。

エルフの戦士たちは弓を置いて剣に持ち替え突撃を破砕せんと肉弾戦に挑む。

千のエルフと三千のオーク混成軍団が入り乱れる大乱戦にもつれこみ、ついには陣の中央部で森がやや開けた場所で指揮をしていたハルディアの元まで敵は来た。

「臆するな! 戦うのだ!!」

浮き足立つ部下を鼓舞するハルディアも剣を抜いてすれ違いざまにワーグに乗ったオークの首を飛ばす。

流麗な剣技を操るが内心は焦っていた。

オークが伏兵と挟撃を使う。

それ自体は珍しいがあり得なくはない。

問題は絶妙な時機を弁えて兵を動かせる何者かが指揮をしていることだ。

それはすぐに判明した。

おぼろげな人影が戦場を練り歩き、側近の精鋭をやすやすと討ち取っていく。

それは黒いマントの下に灰色の長衣を纏い、頭には銀の頭全体を覆う兜を被って顔は見えず、やせさらばえた手には鋼の剣が握られていた。

縦長に開けられた兜の切れ込みでは鋭い無慈悲な目が燃えていた。

冷たい視線は獲物を捉え、次々にエルフの戦士たちを突き刺した。

それはそこにいるだけで周囲に甚だしい恐怖を与える。

サウロンの意志と指輪に従属する恐るべき幽鬼である。

「ナズグルめ。きゃつがオークを動かしていたか……」

疑問は氷解した。

生前は高名な諸侯やまじない師であったナズグルならば機を逃さず勘所を押さえる狡猾な指揮を執れたのも頷ける。

苦楽を共にした部下が司令部への侵入を防がんと果敢に挑みかかっては一刀で倒される。

「私がやる! 誰も手出しするでないぞ!」

ハルディアは指揮を中断してでも我こそナズグルを倒すべしと決意した。

部下を預かる身として鍛練を欠かさず、ひとかどの使い手たる自負がある。

第一にナズグルと間近で接触した者は黒の息と呼ばれる呪いに冒されることがあった。

ナズグルは実体を持たないため尋常の武器では傷つけることはできず、逆に斬りつけた剣は朽ちてしまい、斬り付けた者は腕から黒の息に冒されてしまう。

兵の数が多ければ倒せるというものではない。

ハルディアを見つけたナズグルはとげとげしい兜を向けてこちらへ進んだ。

「でやあああああ!!」

気迫を奮い立たせ、一騎討ちを仕掛ける。

名工が打った美しき鋭剣を携え魔力を剣と体に纏わせ加速する。

オークを操るナズグルさえ討ち取ればあとは雑兵。

狙うは大将首のみ。

「他愛なし」

人とは思えぬ剛力に剣を弾かれた。

毒々しい気配の鋼の剣を片手で操りハルディアの全力を受け止め、受け流し、反撃の剣が閃き舞う。

速く、重い。

技の完成度で僅かに勝るのみである。

尋常でない怪力と鋭さにも負けじとハルディアは食い下がる。

「むうっ!?」

馴染んだ剣を危うく取り落としかける。

何合かの打ち合いをしただけで四肢に力が入らない。

黒の息が恐ろしい早さで活力を奪っている。

直接体を傷つけたらと思うだに恐ろしい。

よもやこれほどに蝕む勢いが強く、地の力まで怪物じみているとはハルディアにも計算違いであった。

こうなれば悠長に丁々発止と斬り結ぶ猶予はない。

ただでさえ敗色が濃い実力差に加えてこれでは後手に回ればまず勝てぬと見切りをつけた。

逆転の一撃をナズグルの首に狙いを定め大胆に跳んで一か八かの賭けに出た。

「はぁああ!!」

もう一度魔力を行き渡らせた剣で首を左から薙いで右へ斬り抜ける。

窮地にも曇らぬ見事な技の冴えをしていた。

しかし、ナズグルが一枚上手であった。

乾坤一擲の掩撃は惜しくも見破られて高速の体捌きと首の捻りでかわされ、逆に胴を斬られた。

「仕損じた、か……」

ハルディアはその場に倒れた。

鎧を着ていたハルディアの傷は浅いが傷口から侵入した黒の吐息が猛烈に体力を削り、立つこともままならない。

体勢を建て直そうと這いずり、それでも剣を離さずにいた右手をナズグルは踏みつけその場に縫い留める。

「往生せよ。今際の時だ」

「おのれ……!」

ナズグルを睨み付けハルディアは迫り来る死を見据えた。




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追走

日付が変わるまでなんて待てねえ!投稿だ!


剣が胸に振り下ろされる、長い一瞬。

歯を食い縛ってハルディアは痛みに備えた。

「無念!」

ナズグルが抱える闇より黒い剣がそれを阻んだ。

「よう、しばらくぶりだな、黒の乗手さんよ」

腰巻き程度に成り果てた衣服のエルフが黒き剣を横合いから差し込んで、伸ばしに伸ばした右腕で弾いたのだった。

すかさず間合いを詰め、胸に腕を畳んで抱えるように剣を引き絞り、二度目の刺突を射つがそれはナズグルは後ろに跳んで逃げた。

「よく分からんが手を貸そう」

「どなたか存ぜぬがかたじけない!」

「こちらこそ、見苦しい格好で悪いな」

セレグセリオンの救命で蘇生し仲間を追って駆けに駆け、ロスローリエンまでやって来たはいいが結界に守られた人里には入れずに困っていた。

とりあえず森を東へ歩いていると煙とオークの臭いが混ざった戦いの気配を嗅ぎ、異変を悟って急行した。

到着するとナズグルがオークを従えまさに今エルフに止めをくれようとしていた。

万の理由に勝る状況に、一にも二にもなく抜刀して妨害したのだ。

「貴様……あの時の半エルフ!」

ナズグルにはオーザンは主から命じられた任務が達成される寸前に横槍を入れられた因縁の相手だ。

憎々しげな怨嗟の唸りが喉を鳴らして剥き出しの首筋に袈裟斬りで迫った。

「迂闊に間合いを詰めると命を吸いとられるぞ! 気をつけられよ!」

ハルディアは警告した。

剣の腕もさることながら帯びたる瘴気も非常に危険なのだ。

「心配ご無用」

危うさなら魂まで欲しがる独占欲の魔剣も負けてない。

オーザンの体に宿る命を吸おうと黒の吐息が吐き出されるが、やすやすと男を譲るセレグセリオンではなかった。

中央の構えからせりあげて鍔の近くで受け止め、魔剣の身に黒いもやを吸い込ませる。

底無しに魔力や命を飲み込む魔剣はぐるぐると鳴くと毒も呪いも食い尽くした。

無表情な兜の下でナズグルは驚愕した。

呪いを無力化する優れた魔剣の力もさることながら、厚く重く硬い大岩と押し合っているかのような印象を受ける。

力任せに押しても勝てぬと確信した。

「おいおい、ちゃんと朝飯食ってきたか?」

「……!」

軽口に付き合うゆとりはない。

押せど折れず、引かば敗れる。

当人たちにしか分からぬ刹那の妙。

練達の武芸者は剣が触れ合えば互いの実力を測れるがオーザンの底は見えなかった。

オーザンは拮抗した剣をわざと弛めた。

ナズグルは呼吸を外されて剣が逸れる。

「らあっ!」

肩口から体当たりして(たい)を崩し、兜の頬に頭突きを敢行した。

石頭が面頬をへこませる。

続けて泳がせた魔剣を走らせ脇腹をしたたかに斬る。

魔力の塊に近い存在のナズグルに刀傷としては浅くもセレグセリオンの魔力食いは覿面に効いた。

命を齧られて虚脱する。

傾いだ上体を戻さず、なりふり構わず呪いを蓄えた右の五指を差し伸ばす。

直に触れられようものならどんな病魔に冒されるかわかったものではなく、さしものオーザンも追撃を諦め飛び退いて触れ合える距離を捨てる。

指呼の間まで間合いを切った。

攻めるのは右腕を軸に頭上で天を衝く魔剣を構えるオーザン。

歩けばたった五歩の距離で八度も足捌きの幅と速さを切り替える幻惑の歩法でナズグルの眼を眩まし、セレグセリオンを迎え撃つべき機を見失わせる。

超常の手練れにとり、壱は壱ではなく、変幻自在に移ろう。

中つ国では廃れた技の猛威に直面したナズグルはまやかしもろとも串刺しにしようと腹を突いた。

ナズグルが見抜いた通り、遠近感を逆手に眼を騙すこれは、横の動きは鈍くならざるを得ない。

しかしこの技法を使うものとして、誰よりも弱点を熟知しているオーザンがその欠点を何百年も放置している道理はない。

破られる可能性も熟慮しているからこそ、奥義は奥義足り得る。

接地した両の爪先で土を蹴って膝下だけの挙動で右へ横滑りして、際どくも突きを避けきった。

「ふっ」

軽く息を吐いて上から無造作に打ち込んだ。

ナズグルは悪あがきで剣を払ったが突いてからでは一手遅い。

無垢な黒金は猛毒の白銀を押し退けて兜を掠めて闇の衣の胸ぐらを抉り取った。

闇が剣身に吸いとられる。

痛手を受けてもナズグルはまだ倒れない。

土の上を転がって這うように離れる。

無様を晒しながらも確固とした足どりで死地を脱した。

「いい根性だ。見直したぜ」

手先に囚われない芯の通った基礎が出来ている。

勘も良い。

闇の勢力らしからぬずいぶん真っ当な剣術と粘り強い肝の据わりように感心した。

黒の吐息の脅威がなくともこのナズグルは尋常ならざる使い手だ。

まとまって戦うことが少ないのかブルイネンでは連携に付け込める粗が散見されたが、一対一の戦いとなると、どうしてなかなか腕が立つ。

生きていればさぞや頼もしい味方であっただろうに、決して寝返らぬ手駒にされているのが惜しまれる。

力強い良い戦士だったのだろうなと勿体なさを感じた。

「抜かせ」

ナズグルは不愉快そうに言い捨て、剣の腹に人差し指と中指を這わせると暗く濁った毒々しいもやで刃をくるむ。

禁じられた邪法を交えてより悪しく、より黒々と。

呪詛と猛毒で塗り固めた剣の先が小指の爪ほどでも掠めれば命はない。

暗黒の刃を携え激しく斬りかかった。

さりとてオーザンは無窮の剣士。

特に恐れるでもなく華麗な受け太刀を披露して到達を遅らせ、身を開いてかわす。

磨いた剣術は人間大の敵にこそ発揮される。

「若いな」

剣が正直過ぎる。

間合いの内に入ったまま見切っていた。

「毒を塗ろうが剣は剣だ。当たらなきゃ意味ねえんだぜ」

ナズグルのそれより長大なセレグセリオンでも、反りを生かし十分に威力が乗った細やかな斬擊をしつつ前進し、体を押し付けるような接近戦を強要する。

やや大振りなナズグルは懐に入られ瞬刻に斬り込まれる魔剣に防戦を強いられた。

ナズグルが怪物なら、オーザンはそれらを狩りたてる鬼人。

剣技にしても単純な豪腕にしても、バルログを討伐せしめたこの男を越えるには神代まで遡らねばなるまい。

後ずさるナズグルを片手一本で司令部を襲っていたオークの集団にまで押し込み、逃げるか介入するか迷ったオークの首をむんずと捕まえて握りつぶす。

抑えずあえて体を流した慣性で躍動する三肢は周囲でどよめくオークのあばらを蹴り砕き、脳天を叩き潰した。

腰を据えた太刀筋から流れを途切れさせぬ流水のごとき鋭さと円やかさの両立に、ナズグルが何度仕切り直しても反撃の隙はない。

オーザンの剣技は頑丈さも膂力も圧倒的なバルログには破られたが、人間大の相手にはやはり際立ったものであった。

剣ではナズグルの相手をしつつ、残る手足でオークやワーグをくびり殺す実力差をまざまざと見せつける。

超絶の技巧を操り斬るほど強壮になる魔剣士と長期戦を演じるのはいかに魔性の暗黒騎士といえども分が悪い。

かといってオーザンにかかずらってばかりもいられない。

理性なきオークは適切に指揮せねば烏合の衆だ。

エルフとの練度の差は如何ともし難く、何かの拍子に形勢が逆転しないとも限らない。

機を急いたナズグルは勝負を仕掛けた。

「クアアアッ!」

オーザンの剣に触発されて生前を思い出したのか、ナズグルらしからぬ気合いを力と合わせて袈裟に鋼の剣を落とす。

それは踏み込みも速くとてつもなく重い。

受けごと押し斬る意気の太刀だ。

しかし、技には乱れ、すなわち静から動への力の流れに僅かに淀みがあった。

零から百の力を出すために、壱を経由したのだ。

無論、常人には見えぬ僅かな隙に過ぎないが、生憎と今戦っている男はまともではない。

対して、オーザンは技の兆しは無であった。

浴びているおどろおどろしい殺気と対極にある、意志の色を消した無欲の剣。

受けると見せかけて膝を落として大きく沈みこむのは、相対するナズグルにはオーザンの巨体が一瞬だけ消えたように見えただろう。

セレグセリオンはナズグルの剣をかわして刃先が鍔を掠めるように潜ってすれ違った。

ナズグルの剣はオーザンのこめかみを掠めて外れる。

魔剣の切っ先はナズグルの兜の装甲の隙間である喉へ。

必殺の威力とは裏腹に恐ろしく静かで、穏やかな剣であった。

いつぞやのピピンの不意討ちに応じた技を、殺害の意図を含めて昇華したものである。

「カアッ!」

されどナズグルもさるもの、体をのけぞり軌道から顔を外してのけた。

さらにオーザンは半歩踏み込み、突き上げたセレグセリオンを落として即座に兜割りに移る。

これを技で返すには力を練らねばならないが、その起点となる腰は体を無理に起こしたことで半端に浮いた。

反撃が叶わずともナズグルはまだ足掻く。

延び上がった体勢で爪先で出来るだけ後ろへ跳び、無理やり胸を張る反動で頭を逃がした。

火花を散らして振り抜いた魔剣が兜の表面を浅く撫でる。

続けて足を踏み変え左から切り上げる第三の太刀を放つが間合いがやや遠い。

息を整えて元の構えにぴたりと戻す。

やったのは兜だけだ。

胴は斬れたがやや浅い。

セレグセリオンの牙も同時に食らいついたので深手には違いないが致命的とまではいかなそうだ。

「良い勘してるぜ」

技の完成度に惜しい部分があるが機微を察する素養はとても優れている。

こればかりは磨こうとしても容易にはいかない。

踏んだ場数がものを言う。

ふと興味がおきて訊いてみた。

「どこの生まれだ?」

生気がない灰色がかった淡い青の瞳がひしゃげた兜の裂け目から一瞬見え、すぐに腕で覆い隠してしまったので確証を持つには至らないが顔つきはゴンドール人であった。

また魂の劣化も軽く、ナズグルの首魁の魔王のように肉体まで完全に霞となった亡霊になるほどの年代も重ねていないと思われ、もう千年経てば実力は逆転してもおかしくなかった才覚が嗅ぎとれる。

「…………」

ナズグルは答えなかった。

答える気がないのか、それどころではないのか。

中つ国で最も精強であるエルフたちは劣勢にあっても冷静沈着に個人で出来うる最善を尽くし、オーザンの乱入にオークの足並みが乱れた隙を逃さずものにする。

ハルディアを中心とした円形に入り交じった陣を一時捨て、外側の敵のみを攻撃してすり抜けた。

かわしきれずワーグに噛まれるなど少々の被害は被ったが、無策に殴り合いを演じるよりは何十倍も少なかった。

平々凡々な軍であれば乱戦になった挙げ句に隊列を放棄して各自で脱出を図ればただの潰走になるのみだが、ロスローリエンの兵団はまるでひとつの生き物のように統一された思考と戦術に基づいて動いた。

戦友を信じて背中の守りを捨てたエルフたちは死に物狂いで包囲の外に出ても、そのまま逃げはしなかった。

勇敢に攻め返したのだ。

すなわち、目の前の敵のみに集中して倒し、オークの包囲網の外へとすばやく脱したのちに反転し、逆包囲の陣を再構築したのであった。

人間には不可能な戦術も一対一ならオークなど圧倒する人外の能力と長年練兵を積んできた阿吽の呼吸がそれを可能にする。

こうなればオークの数の利は働かない。

段取りがひっくり返され頼りのナズグルもオーザンに釘付けにされ勝ち目は消えた。

個々の技量で上回るエルフはあっという間に盛り返してトロルもワーグも押し込めると、まとめて射かけて皆殺しにしてしまう。

「これまでか」

あわてふためき右往左往するオークに引き際を見たか、ナズグルは黒衣を翻し生き残りのオークの隊伍の向こうへ飛び退いた。

「この勝負、預けた」

ナズグルはサウロンより賜った黒馬に飛び乗り一目散に走り去る。

邪魔なオークを蹴散らす間に行かれてしまうだろう。

無駄とは知りつつオークの死体から長槍を奪って背中目掛けて投げつけたが、やはり察知されて弾かれた。

「チッ、駄目か」

必中と謳われるエルフの矢を斬り落とし、包囲網が薄い部分を正確に見抜くや馬首をめぐらせて猛然と突破するさまは、敵ながら天晴れである。

「ナズグルにしておくには惜しいな」

馬が疲れるまで追跡して追い詰め殺したいところだがその武勇に免じて見逃した。

もちろん勝利を前提としてだが、強敵には敬意を払い堂々と殺す。

それだけがオーザンの戦場の哲学だ。

それより今は目の前のオークを根絶やしにしてエルフの被害を減らすのが先だ。

それにいずれ機会もめぐってこよう。

あれがナズグルで己が指輪の一行である限り必ず。

「すまん。思ったよりやるもんで逃がしちまった」

顔を青くして樹の根に背中を預けたハルディアに一言謝った。

なにしろ敵の指揮官を討つ千載一遇の機会を私情で棒に振った。

なりふり構わず仕留めようとすればやれたのにだ。

「いや、素晴らしい腕前を見せて貰った。あれで逃げられたのなら武人として文句はつけられぬ」

ポケットから手のひらに収まる大きさの水晶の小瓶を出して栓を抜くと一息に飲み干した。

飲んですぐ死人の色をしていた顔色はみるみる改善され、浮かんでいた死相も完璧にとまではいかないが影を潜めた。

エルフの秘薬は素晴らしく効いたようだ。

「これは命の働きを強める。兵にもひとつずつ持たせてある。息のある者に飲ませてやって欲しい」

「わかった」

相互に助け合って手当てをしているエルフたちに混ざって近場の負傷者の懐から水薬を探し飲ませて回る。

かろうじて生きている虫の息の兵も見逃さず手当たり次第に飲ませ、一通り終わるとまだ呻いている者が残っており、傷口の回りが紫色に変色していた。

オークの矢に塗られた毒だ。

このままでは半日と生きられまい。

「おい、怪我人に毒が回ってるぞ」

「その薬にオークの毒は治せん。急ぎ都の癒し手に診せなくては」

ハルディアは死傷者の計算を生きていた副官のひとりに命じた。

副官はきびきびと走り回り、隊伍の生き残りをかき集めてすぐに調べ上げた。

報告された戦死者はなんと全体の二割にものぼり、傷を負っていない者はほぼいなかった。

「なんたることだ……」

壊滅的な現状にハルディアは惨憺たる気分を漏らした。

オークの矢には常に猛毒が塗ってあるので手足をかすめただけでも死に至る。

ロスローリエンの癒し手の技をもってすればそこまではいかなくとも快癒には時間を要する。

部隊の半数以上が矢傷や刀傷を負う甚大な被害が出てしまった。

ロスローリエンは守りきったが、これではドル・グルドゥアへの反撃に向かう計画は潰えたも同然であった。

エルフは全員が優れた戦士の素養を秘めているが、どうしても争いに向かない性分の者も多い。

決して大勢とは言えないロスローリエンの人口から新たに戦士を募って部隊を再編するのは困難だ。

領主より部隊を預かりながらまんまと罠にかかる失態を演じた責任をどう償うべきか頭を悩ませた。

「お互い大変だな」

オーザンもオークの矢に良い思い出は無い。

部下の死因でも特に多かった。

セレグセリオンに付いたオークの黒い血を膝の辺りの布をちぎって丁寧に拭い、鞘に戻す。

「つらいだろうがひとつ教えてくれ。ここはロスローリエンだろう。俺の仲間を知らないか? 灰色のガンダルフが一緒の筈だ」

とりあえず仲間で一番有名なガンダルフの名前を出した。

何かしらの手がかりが欲しかった。

「なんとそなたが。希望は残っていたか」

仲間、ガンダルフ、半エルフの武者。

ハルディアの中で糸がより合わさって絵が浮かんだ。

白雪の上、黒刀で業火を打ち払い屈強な戦士が恐ろしきバルログを下す勇姿だ。

「いやはや、そなたがオーザンが。なるほど、バルログを倒せたならナズグルなど赤子も同じであろうな」

ただの旅人にしては剣も風格も強靭過ぎる。

中つ国に二人といまい。

「よくぞ無事で。その若さで大したものだ」

重ねた歳はハルディアの方がずいぶんと上であるが単騎でバルログ退治など狂気の沙汰だ。

「疲れて一月も寝てたのは内緒だぜ。格好がつかねえ」

オーザンは片目を閉じて微笑んで手を差し伸べる。

オークの血が乾いたものがこびりついた手にハルディアはやや戸惑ったが、それに掴まり腑抜けた腰に渇を入れてどうにか立ち上がる。

「今世紀最大の偉業を成した勇者を誰が嗤おうや。我らを無恥と思ってくれるな」

モリアではバルログを倒し、今度はロスローリエンの守備隊を救った手柄を別段誇るでもないオーザンにハルディアはますます感心して、武骨で謙虚な人柄を気に入った。

いち武人として、畏敬の念すら覚える。

「思ってないさ。全員が勇敢な戦士だ」

柔らかくも真摯な眼差しでオーザンはそう返した。

「それで、どうなんだ? 俺の仲間は」

固まった血糊を軽く払った手でパイプを出して草を詰め、未だにくすぶるオークの火矢を拾って火をつけた。

「指輪の一行は、彼らはすでにこの地を離れた」

「……そうか」

オーザンは渋い顔で煙をくゆらせた。

薄々感じてはいたが、やはり仲間たちが発った後であった。

アラゴルンらが舟を漕ぎだしたのは、惜しくも二日前のことである。

 




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遅参

負傷者を連れ立つハルディアに案内されてロスローリエンの結界を抜け、オーザンはカラス・ガラゾンに到着した。

領主の館へと歩いていく筋骨逞しく背丈も並外れた異邦人へ住人たちは物陰から奇異の目を向けた。

破れた服から覗く全身の痣や裂傷や火傷に留まらず、エルフの個性である耳も片方を失って、落武者然としたむごい有り様だからではない。

それでも精悍さを損なわず毅然とした足取りで、黄昏に染まる黄金の木々にかけられたアーチを堂々と進んでいたからであった。

「着るものを用意させよう」

謁見にさしあたって身なりを整えさせてやろうとハルディアは思った。

鎧に貼り付いた血糊を拭うハルディアは従者に指示して服を持ってこさせた。

「助かる。お偉いさんに怒られちまうところだった」

靴は無いし、体のほとんどはもろ肌を見せている。

流石に裸まがいの格好で中つ国を代表する高位者と謁見をしては不味かろう。

小部屋に入り盆に貯められた水で顔や手の血を流し、いそいそと着替える。

縦にも横にも規格外な大男のオーザンにはエルフの柔軟な織物でもやや窮屈で布地に筋肉が浮き彫りになってしまったが、取りあえず身なりは繕えた。

丈は合っているので無理に動かなければはち切れたりはしないだろう。

「まったく、大男め。それが一番大きいものなのだ。明日の朝一番までには体に合った大きさが作れよう。それまで待て」

生地に負担をかけないようにぎこちない歩き方になったオーザンを見て鎧を脱いだハルディアは苦笑した。

控えめな刺繍が施された純白の生地が貼り付いて筋肉が浮き彫りとなったさまはまるで大理石の彫刻のようだ。

「ありがたい」

服があるだけ上等だ。

みずみずしい蔦を編んだサンダルまで貰えた。

セレグセリオンにも覆いの布を被せて隠し、足早に領主の元へと向かった。

オーザンの第六感は玉座へ近付くほどにいや増す魔法の息吹を感じ取った。

イルーヴァタールという無限の泉を見てしまった後では小さく思えるが、それでもこの時代の一個人が蓄えているものとしてはあり得ないほど強い。

天に愛されたる者の証明か。

「連れて参りました」

ハルディアはうやうやしく報告する。

領主は礼儀にのっとり立ち上がってオーザンを出迎えた。

厚みはさておいて目線はほぼ同じで、オーザンに近い背丈をしていた。

邂逅したガラドリエルは美しく、ケレボルンは年期を重ねた威厳があった。

故郷の荒野に生息した亜竜など捻り潰せる本物の巨竜やバルログの軍団が闊歩していた悪夢のような時代を切り抜け、かなりの場数を踏んだ練達者。

それだけでも敬意の対象になりうる。

「指輪の旅路に参加しているオーザンといいます。後れ馳せながら、参上しました」

偉大なる先達に敬意を示して言葉を選んで粛々とこうべを垂れた。

ガラドリエルはどことなく祖父に似ていた。

顔はまるっきり違っているのに、居ずまいや気配、存在の深度がその時代に生まれた者特有の波長をしている。

馴染みある威厳に郷愁を掻き立てられた。

魔力の糸が綿毛のごとき軽やかさで肌に触れ、心へ通じた。

セレグセリオンに身を委ねて一時は肉体を魔力そのものへ変じたオーザンには、心と体に何が起きているのかつぶさに理解していたが敢えてさらけ出した。

凄惨な記憶もバルログとの死闘も余さず見せ、ケレボルンとガラドリエルと目に見えないやり取りをした。

限りないはずの命を燃やし、未来を捨ててまで亜神を討ち果たした決死の姿を領主たちは共有した。

「……此度はバルログの討伐、そしてハルディアへの助力、いずれも大儀であった」

山を下りれば必ずや暴虐を働くバルログも、明確に害する意図を持ったナズグルも、そのどちらもロスローリエンに甚大な被害をもたらす危険な相手であった。

両者を下した剣士にはロスローリエンの領主として感謝と称賛の念に堪えぬ思いをケレボルンは開口一番に述べた。

「どちらも手間取り過ぎました。もう少し早ければ助けられた兵もいましょう」

由緒正しき領主と平民では、ひざまづくなりの然るべき態度で言葉を受けとるべきなのかも知れないが、服が弾けてしまいそうなのでやめておいた。

せっかく好意で貸された服を破って織った職人に恥をかかせてしまうぐらいなら、無作法者だと嗤われたほうがいい。

「そなたはよくやった。胸を張って面を上げるがよい」

立ち尽くすオーザンのありのままの姿に美しさと気高さが映されていると認め、ケレボルンは咎めたりはしなかった。

「大いなる犠牲を払い、ここまで来たのですね」

揺るぎ無い覚悟を裏付ける過去の記憶と今の姿をガラドリエルはそう形容した。

永久の命を持ちながらオーザンのように急激に老化するのは半エルフにしても異例であり、間に合わせの補填をした魂には異物が混ざった異様な有り様だ。

「大したことありません。中つ国の行く末にはそうするだけの値打ちがあったのです」

優しい思いやりがくすぐったく、力の無い笑顔を浮かべた。

人としての生きようという甘い考えは、あの嵐の夜に捨て去った。

生き延びてロスローリエンまで来れたのは少しの幸運と、魔剣の手助けがあったからだ。

絶体絶命の危機を二度も救ってくれたセレグセリオンを悪し様に言う気にはなれなかった。

太古の大戦争で武功を残した最上級の英雄である森の奥方の存在感に当てられたか、肝心の魔剣は腰でおとなしくしている。

存外にかわいいところもあるものだ。

いつもこうだとありがたいものを、と内心で呟いて布を被せた柄頭を撫でる。

「気高く謙虚な男よ。指輪の一行もそなたを心配していたぞ」

「特にアラゴルンはあなたのことを気にかけていました」

「仲間は無事でしたか?」

「ええ。九人とも怪我なくロリエンまで来られました」

上出来だ。

頑張った甲斐がある。

「功名話を存分に聞かせて欲しいが、それは次の機会にしよう。今宵は英気を養い仲間たちの元へ行かねばならぬ。重大なる旅路の途中であるゆえな」

「お気持ちはありがたいですが、一晩と言わず一休みしたならすぐにでもここを発ちたいと思います。仲間が待ってる」

一晩も時間を割くなどとんでもない。

死にかけから立ち直ってすぐ無理を押して走り通したのも仲間と合流したいがためだ。

ぐずぐずして彼らに魔の手が及ぶのを傍観するつもりはない。

「なりません。あなたの体は悲鳴をあげています。崩れかけた積み木に精神力の楔を打って無理に繋いでいるような状態なのです。どこがとは言いませんが、心当たりがありましょう?」

ガラドリエルは若き旅人が健全とは程遠い体調を押して仲間の元へ行こうとしているのを見抜いて気遣った。

単身でバルログを討てる者が万全の体調なら、ナズグルを逃がすこともなく森の外れで倒せていただろう。

事実、バルログに打たれて折れた左腕の感覚も鈍く、骨が飛び出していた足は元通りの速さではない。

人間離れした自然治癒力でも一月もの仮死状態から目覚めてたったの数日では本調子に戻るはずもない。

だがそんな体調でも行かねばならない。

故郷では間に合わなかった。

いてもたってもいられないのだ。

「しかし……」

「言い訳無用。たまには自分の体を心配なさい」

優しくも厳しい口調でぴしゃりと一喝され、反論が封じ込められた。

ガラドリエルに叱りつけられて反発できる者は中つ国のどこを探しても居ない。

「無鉄砲は若者の特権だ。しかし、今日だけは年長者の忠告を聞いてはどうだ?」

逸るオーザンをケレボルンは努めて冷静に諌めた。

「酷な話かも知れぬがガラドリエルの言うとおり、そなたはもう少し体を労れ。今無理をしても肝心な時に力が出せねば仕方があるまい」

過去と重ねてしまっているのも承知の上で堪えどころであると、気持ちを汲みつつ取り持つ。

ここまでさせては顔を立てないわけにもいかない。

「……わかりました。お言葉に従いましょう」

この場は退いた。

ひとまずこれで簡単な謁見は終わり、逗留に際して用意されていた地上の天幕に通された。

天幕はいくつか置かれており、仲間の数だけ寝台があった。

もぬけの殻の寝台を眺めているとロスローリエンで追い付けなかった悔しさと、全員が無事であったことへの安堵が沸き起こった。

「顔を洗うか」

考え過ぎても無駄に疲れてしまう。

教えられた場所で沐浴を終えて戻るとまた新品の服が籠に置いてあった。

着てみると大き過ぎず小さ過ぎず、なんとこの短時間で体格に合わせた服を一着仕上げてしまったらしい。

採寸すらしていないのに一体どうやったのだろうか。

職人の意地に驚嘆していると、守備隊長としての雑事を済ませてきたのか、血の臭いを落とし普段着に着替えたハルディアがやってきた。

「不自由は無いか」

天幕の傍の椅子に座り皿に盛られた果実から梨を掴んで囓りつく。

たっぷりの水気を含み爽やかな甘さをしていた。

「ああ。果物もうまい」

種も避けず芯ごと丸囓りにして残らず食べきる。

腹はまだまだ空いていて梨を与えられて目覚めた腹の虫がぐうぐうと鳴き始めた。

「夕食は間もなくだ。それまで我慢してもらおう。なにか欲しいものはあるか?」

「それなら、パイプ草があるか? 無けりゃ無いでいいけどな」

裂け谷でエルロンド卿から分けてもらった分も心もとないぐらいに減ってきている。

地底湖で水浸しになった挙げ句バルログに燻され、最後は一月も氷づけになってかなり味が落ちているが贅沢は言わない。

あまり期待せずに訊いてみた。

「ふむ……我らはパイプは嗜まぬが、交易の添え物がいくらか蔵にあったように思う。後で持ってこさせよう」

ハルディアは記憶を遡り、嬉しい答えを出してくれた。

意外にも手に入りそうである。

「おう、何から何まで悪いな」

「この程度で命の借りを返せたとは思わぬ」

ナズグルとの戦いで操った剣技は生きざまや性分を鮮烈に描き出し、ものの数分でオーザンという男の人間性を深く印象付けた。

命を救われたことを加味しても、熱を秘め、ぶ厚く粘り強いこの大男をハルディアは武人として好きになった。

「相応の礼は後程させて貰う」

ハルディアはそっぽを向いて行ってしまった。

口下手で不器用な男なりによくしてくれているのだ。

好意のあらわし方はぎこちないが、内面は似た者同士であることがオーザンも薄々分かってきた。

呼ばれるまでセレグセリオンを拭いたり、鞘を分解して内部の汚れを掃除して時間を潰した。

夜になってしばらくして使いのエルフがやってきた。

背の高いエルフの女だ。

謁見で領主の脇に控えていたから二人のどちらかの従者だろう。

「お待たせしました。よろしいでしょうか」

「ああ、行こう」

少し前に鞘を組み上げて今は外側を磨いていたところだ。

椅子を立ちベルトに吊るす。

会食にこんな物騒な剣を持ち込むのは無礼だとは思うが、かといってこんな問題児を置いてはいけない。

危険な特性が有るのに放置して失くしたでは済まされない。

第一に勝手に動いて追って来そうだ。

隅々まで綺麗になったからか、ご機嫌でころころと揺れていた。

斜面を登り回廊を渡る途中、エルフが振り返った。

「あなたを希代の勇者と見込んで、身勝手な申し出をしてもよろしいでしょうか?」

声と瞳には色濃い恐れを含んでいる。

「言ってみな」

この案内人は仲間たちの歓待も対応し、特にメリーとピピンの二人と楽器を通じて親しくなった一人。

朗らかで気の良いホビットたちはオークが蔓延る地へと向かっている。

「あの方たちを守ってあげてください。どうか、どうかお願いします」

自身の半分も幅がない彼女の肩は小さく震えていた。

ネンヤの指輪を用いたガラドリエルの結界に何千年も闇から守られてきたエルフは悪意を向けられることに弱い。

友情を結んだばかりの小さな友人たちが立ち向かわねばならない魔の国を思えば身震いするのも致し方ない。

閉じたロスローリエンに吹き込んだ新しい風が人知れず息絶えるのかと考えるだに恐ろしく、ただただ無事を祈っていた。

「心配しなさんな。端からそのつもりだ」

胸の前で細い指を絡めて組んだ手を握る。

争いに耐えられない、か弱い手。

こういう手を守ることが、今の己の使命だ。

「約束する。俺の命に代えても生かして帰す」

膝を曲げて目を合わせ、エルフ語で誓いを立てた。

この誓いが破れる時は死ぬ時だ。

早くも厳しい道のりになっているがしかし、誰も死なせない。

死なせるものか。

「ま、まずは飯にしようや。早く案内してくれ。飢え死にしちまいそうだ」

手を離して口角を上げ、ひょうひょうと先を促す。

「……はい!」

いささか勇気づけられ足取りが軽くなった彼女と並んで会食場へと歩いた。

 




すれ違いィ!

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混ざりもの

到着するとケレボルンとガラドリエルはもう座って待っていた。

ランプに照らされるテーブルに座り晩餐が始まると、水晶を切り出したグラスを満たす、薄く輝く透明な液体が始めに差し出された。

「これは?」

「兵に持たせる水薬の中でもさらに選りすぐった上澄みよ。一年に一滴あまりしか集まらぬ」

微笑むケレボルンが説明してくれた。

「このロリエンに居を構えて以来、蔵に蓄え続けた月の雫だ」

「そんな貴重なものをどうして俺などに」

領主たちでさえ蜂蜜酒を杯に入れているのに、よそ者が飲んでいては示しがつかない。

「久方ぶりの、それも傷ついた勇士の来訪だ。今使わずしていつ使う」

「あまりにも使い所が無いもので、ダゴール・ダゴラスまで出番は無いと思っておりました。お好きなだけ飲みなさい」

そもそも生まれついて病気をしないエルフの国で劇薬を使わねばならない重傷者は滅多に出ない。

対外的な争いを除けば普通の薬で事足りた。

「……ありがたくいただきます」

月光を吸うグラスを持ち上げる。

背中を押す人たちがこんなにもいてくれる嬉しさ。

指輪の旅はこれから更に苦しさを増すであろうが、孤独ではないことにオーザンは感謝した。

豪快に一息で飲み干すと、ほのかに甘い雫が渇いた体の芯に染み渡り潤す。

とげが刺さっていたように重苦しかった胸の痛みも引いて、体の節々が軽くなる。

力を練りきれない原因になっていた足腰の怠さも消え去ると腹の底から活力が湧いてくる。

逆を言えば、そこまで体は壊れていたのだと思い知らされた。

ガラドリエルの見立ては徹頭徹尾正しかった。

給仕が入れ替わりで皿を運び、テーブルには質素で淡泊な食を好むエルフが食べない精のつく肉料理がずらりと並んだ。

アラゴルンらに振る舞った薬じみた分類のものもあるが、テーブルの大半を埋めるのは熱い脂の旨そうな湯気を立てる皿である。

体に足りていない血肉を補うようなものをとハルディアから言い含められた給仕係の料理人が厨房で張り切った結果だ。

塩味とも甘味ともつかない旨みのある柔らかく炊かれた穀物の真っ白い粥。

張りがあって焦げ目の付いた皮から脂が滴る鶏肉の香草ソテーや甘辛い赤いソースがかかった白身魚のフライ。

薄い生地を焼いたものに巻かれた葉と肉の巻物。

細かく刻まれたほろ苦い緑の野菜と子牛肉に深みのある甘い汁気を絡ませた炒め物。

これは体に良く、そしてうまいぞと胃袋が叫び、それに従って手と口と喉を動かした。

ちゃんとナイフとフォークとスプーンを使い分けマナー上の違反をせず、残像が残るような恐ろしい速さで口に運んでは咀嚼して水薬で流し込む。

数秒で大皿を空にしていく勢いであった。

「見ていて気持ちがいいほど健啖であるな」

「ふふ」

夫妻は手品のような早業に口許を隠して笑った。

見たこともない食べ物が次々と運ばれては、あっという間にその皿を空にした。

満腹感を覚えたのはそんな勢いで小一時間も食べてからだ。

終いにデザートのケーキも四人分食べて食後のお茶も貰い、膨れた腹で天幕に戻れば一袋のパイプ草が寝台に添えてあった。

しっかり保存されていたのか、傷んだり香りが逃げてしまっていたりはしない。

それになかなか上等なものだ。

古いパイプ草はここで吸いきって革袋の中身を入れ換えてしまおう。

そう決めて歩きだした。

街頭の灯籠からパイプに火を移し、人気の薄い木立へ移動する。

薬と食事の効き目で治った体の具合を確かめておきたかった。

蘇生の手順が乱暴だったことで、体も色々と変わってしまっている。

一寸の技術差が明暗を分ける繊細な剣技に感覚の狂いは致命的だ。

覆いを払い静かに抜いたセレグセリオンは以前と変わらず掌から少しずつ血を吸っている。

気力が満ちた生き血はさぞ美味かろう。

いつものように軽く上段で構え、無造作に振り下ろす。

手も足も滑らかに動く。

好調時よりも体の反応が良い。

悪い影響は今はまだそこまで出ていないようだ。

これで成長したと傲れるほど若くもない。

これは選択した未来の兆しだ。

変に力を込めずとも剣の流れに乗せて、体に刻まれた連擊へ続く。

剣の運びは滑らかで風すらも斬られたことに気づかず音を立てない。

踊る魔剣はそよぐ風にふんだんに含まれた魔力を喰らい黄金色の木の葉を千々に裂いた。

風の流れが変わった。

「眠れないのですか?」

顔を上げるとそこにはガラドリエルが水差しを携えていた。

「いえ、寝床の具合は最高ですよ。腹ごなしがてら食後の一服を少々。浅ましく食べ過ぎた。お恥ずかしい限りです」

セレグセリオンを鞘に戻す。

これは人に見せびらかすには危険な代物だ

「なにを恥じることがありましょう。磨いてきた腕を振るう機会がやっと巡ったと給仕が喜んでいました」

血を流し傷ついた体は滋養を欲し、それこそ底無しに食べた。

オーザン一人で仲間たち九人全員が食べたより多く腹に入れてしまったのだから、大喰らいも極まったものである。

「その剣はトゥーリンのグアサングの分け身ですね」

奥方は過ぎ去りし太古へ想いを馳せた。

第一紀の残り香を放つ黒き鋼は古代の記憶の欠片。

人の運命を左右してしまうものは上古の時代において、忌まわしきグアサングのみではなかった。

それらの最たるものが至高の宝シルマリルである。

その宝玉もエアレンディルとともに天へ昇り、あるいは海中や大地の底無しの割れ目に没した。

今は遠い、昔の話である。

「その剣はいずれあなたを殺すやもしれませんよ」

「こいつでなけりゃバルログは倒せなかった。普段はじゃじゃ馬ですがいざとなれば頼りになる」

どれだけ腕が優れていても、剣が折れてしまえばおしまいだ。

多少素行が悪くともマイアを相手にしても折れなかった信頼できる相棒だ。

それに、セレグセリオンの祝福でバルログに迫る格へと押し上げられねば何度死んでいたかわからない。

「であれば言うことはありません。それが一期一会というもの。あなたの心が折れない限り、定めを果たすまでその剣はついてゆきましょう」

ガラドリエルにはオーザンに結ばれた残酷な未来が見えてしまった。

火を噴き煙が渦巻く赤の大地に満身創痍で赴くオーザンの背中。

天蓋に咲くは生命が溶けた蒼き稲妻。

漆黒の長刀を携える腕は刺々しい異形を象り背中は不自然に衣服を押し上げている。

もはや人とは呼べない有り様であった。

むごい夢に僅かばかり心を乱されたガラドリエルは繋ぎ目が綻ばせてしまい、オーザンは逆流した幻像を垣間見た。

なるほど、そうなるのか。

しかし自ら望んで決めた道に後悔などない。

オーザンは不敵に笑う。

己はしっかりとモルドールにたどり着けるのだろう。

それが知れたのなら儲けものだ。

「なら、暫くは一緒ですかね。これからもよろしく頼むぜ相棒」

哀愁、愛嬌、決意。

様々な背景をにじませるも決してそれを口にしない横顔にガラドリエルは同胞の幻影を見た。

「その髪と灰の瞳。竜ごろしの魔法剣士に生き写しです」

「祖父をご存じで?」

意外な接点に驚き、口からパイプを離した。

よくよく考えればなにも不思議ではない。

中つ国に残った古きノルドールエルフはごく少なく、同じ陣営で冥王軍と戦ったなら顔をよく知っているのも当然だ。

「忘れるものですか。かのマンウェから数々の叡智を授かった並ぶものなき戦士。操る剣は竜すらも鱗を薄紙のように切り裂かれ、冥王軍も恐れをなしたものです」

英雄たちのように名を挙げる機会には恵まれなかったが、神域に至るまでに研鑽した剣技を絶賛した。

モルゴスの軍勢を破ってもアマンへ戻ろうとはせず、生まれた地のアルダでまだ見ぬ何かを探す旅に出た一人のエルフ。

オーザンの記憶を読んでその末路を知り、偲んだ。

それだけの強者も神秘が去り行く時代の流れには逆らえず悲しき結末を迎えたのだ。

しかし一人の益荒男を残した。

「多くは語らない人でしたが意図は分かります。あなたは希望です。明日へ繋ぐともしびなのです」

強く雄々しく、優しい男に育てた。

喜びや絶望の紆余曲折を経たが、今は指輪の旅路に加わり営みの連鎖の守り人たらんとしている。

彼もまた、長い旅路の果てに希望を見つけたのだ。

「アマンにてまた会えましょう」

「……きっと祖父は怒る。くたばるのが早すぎだと」

オーザンは冗談めかして湿っぽくなりそうだった空気を変えた。

長は上のエルフらしく死後の復活が確約されている。

しかし妻と息子はエルフではない。

マンドスの館には居ないだろう。

再会の望みはない。

「あなたはこれを使わずともよろしいでしょう。この水鏡は迷い人が覗くもの」

ガラドリエルは盆に水を入れず、傍らに水差しを置いた。

彼女の言うとおり、迷いはない。

故郷も家族も無いのに、その復讐に邁進することに何を迷うことがあろうか。

立ち塞がるオークを斬り、モルドールに根差したサウロンを倒すのだ。

例えこの身が砕け命が擦りきれようとも。

「あなたのような若者が悲壮な決意をせねばならない。悲しいことです」

中つ国の年長者として、ガラドリエルは無数の兵と民の死を見送ったことに胸を痛ませていた。

この争乱が鎮まった暁にはアマンへ去ろうと決めたのはその痛みに耐えかねてだ。

「深く考えるなんてやめましょう。誰かがやらなきゃいけない。その誰かがたまたま俺だった」

人がいれば不和は生まれる。

しかし人の数だけ喜びもある。

ゆえに嘆きしか生まず人を絶望へ追い落とすかの冥王とは相容れない。

これは無慈悲なる神に支配された世界に引導を渡す戦いなのだ。

虚仮の一念で遥か格上のマイアを殺した。

ならば指輪無き冥王が倒せぬ道理があろうか。

悪しき者よ。

試したくばいくらでも試せ。

笑いたくば好きなだけ笑え。

だが待っていろ。

必ずやその嘲笑のことごとくを絶望と断末魔の叫びで塗り潰してやる。

「なに、一度は死んだ身。やれるだけやりましょう」

心と裏腹に気負わず砕けた笑顔で言うとマルローン樹の根に寄りかかり、流れる小川を眺めてしばしパイプを楽しむ。

ここは居心地がいい。

風も土も柔らかい。

正直に言うといつまでも安らいでいたい。

「……」

されどそれは叶わぬ願いだ。

俺には時間が無い。

パイプを持つ左手は肌が黒ずみ、固くなったかさぶたのようなものが浮いていた。

ややあってパイプに入れた草が全部灰になると小枝と布で軽く手入れをして腰を上げた。

革袋へ丁重にしまうと懐に納めて一礼する。

「では、そろそろ休みます」

「ええ。ゆっくりお休みなさいな」

本音を明かせば、悲運の戦士を庇いたい。

いや、旅を辞めろと言ってしまえればどんなに楽か。

たった一晩の宿。

ほんのそれだけがガラドリエルのなしうる最大の手助けだ。

「失礼します」

半エルフは踵を返して力強く夜に歩き出した。

死すらも知己となった今に至り、何を恐れるものがあろうや。

「……あなたは大いなる代償を支払うと知ってなお……」

比類無き覚悟に身を固めた勇者に慈悲と幸があらんことを。

天幕に戻るオーザンの煤けた背を見送るガラドリエルは目を細めた。

 

 




エルフ飯とお薬でデバフ解除からの全能力バフ
(時限爆弾有り)

誤字報告と評価感想に感謝ァ!


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希望を追って

出立の朝、夜明け前に目覚める。

寝台の隣に置かれていた籠に畳まれた服を着た。

暗い月の色をした上下と灰色の肌着。

もと着ていた服よりずっと上等で、痛みが消えた体を曲げ伸ばししても布が余ったり突っ張ったりしない。

指先の感覚が確かならこの服にはミスリルが使われている。

非常に滑らかかつ、しっとりとしている。

特有の青白い艶は処理で消されていたが肌触りは嘘をつかない。

ミスリルは魔法との親和性もさることながら、軽さと頑健さを両立する。

下手な鎧よりも防御力に期待できそうだ。

「良いのを貰っちまった。似合うかい?」

天幕の外で背筋を伸ばして椅子に座っていたハルディアに着こなしを見せびらかす。

エルフの針子が規格外なオーザンの体に合わせて一晩で仕上げた渾身の力作であろう。

これまた置いてあったブーツにサンダルから履き替え、若草色のマントを最後に被り、仲間たちと同じように葉っぱのブローチで留めた。

「気に入ったか?」

「ああ。二度と脱がんぜ」

半分冗談半分本気で言った。

少ない持ち物を懐に入れ、セレグセリオンを腰に吊るして準備万端だ。

「ふっ……こちらだ」

にこりとしたハルディアは顔を仏頂面に戻し地上の小道を示した。

それに従って道を進む。

右へ左へと生け垣とマルローン樹を避けて人気が少ない方向へ歩くと蔓と葉に隠された階段がぽっかりと地面に掘られていた。

辺りには誰もおらず霊廟のような静けさがある。

階段を下り、明け方の弱い光が届かない深さまで来るとオーザンの身の丈を越える大きな扉が忽然と現れた。

「ロリエンの歴史を紐解いてもここに立ち入る異邦人は初めてだ。許しを下さったお二方に感謝せよ」

鍵を刺して錠を開け、扉の一部に掌を当てて呪文を唱えた。

金属の鍵と魔法で封印された扉が奥へ退いた。

穴蔵に吊るされたランプに魔法の灯りがともる。

地下室はかなりの広さがあった。

扉から端までは三十歩はあるだろう。

「そのひと振りのみではなにかと不自由しよう。好きなものを持っていけ」

きらびやかに装飾された黄金のサーベル。

飾りっ気の欠片もない無骨で分厚い、怪異殺しの大剣。

護身用の小刀。

威力を上げつつ獲物に必中する魔法が刻まれた精緻な弓。

整然と並んだ聖なる武具は腕利きの鍛冶師が打った超一級の業物ばかりだ。

どれも強力な魔法がかけられており、仮に人の国へ運べたなら武芸者や王族がこぞって求めるであろう。

「いいのか?」

森の人々が暮らす樹上ではなくあえて地下に隠したここは武器庫にして宝物庫。

あるいは保管庫。

ロスローリエンにおいて秘中の秘。

魔法と鎖で固く封じられた、世に出してはならない妖剣邪剣の類いも幾振りも奥の檻に閉ざしてあった。

人知を超越したセレグセリオンと比べても見劣りしない、絶頂期のヌーメノール人が神への反逆に際し手ずから鍛えたものであろう。

「構わぬ。ただし、封がしてあるものには触らぬように。触れた途端に肩口から腐り落ちても知らぬぞ」

「わかった。それらには触らん」

閉じ込められた奥底にある爛々とした邪気に、ハルディアの言葉はただの脅し文句ではないとオーザンは悟った。

かつて、ヴァラールとエルフと人間の軍勢に主のモルゴス共々敗れたサウロンはヌーメノールの国、中つ国の西方の島へ連行され幽閉された。

ヴァラールへの命乞いが聞き届けられ、モルゴスのように虚無へと追放されなかったサウロンは長い年月をかけてヌーメノールの王たちに取り入った。

巧妙に心を操り、いずれ死する運命の人間を不死の繁栄に嫉妬させ、アマンへ仕向けた。

紆余曲折を経て、アラゴルンのはるか先祖のドゥーネダインを除き、企てに参加したヌーメノール人は島もろとも海の藻屑と消えた。

黄金時代には上古のエルフにも並ぶと称されたヌーメノール人たちはサウロンにそそのかされるがまま、神々を葬らんとして一体何を造りだしたのか。

考えるだにおぞましい。

ミスリルの柵に囲まれていても隠せない邪気に触れようとは思えなかった。

ともあれその手前にある品々は素晴らしい。

文句のつけようがない刀剣ばかりだ。

守備隊の兵が持っていた剣も悪くはなかったが、これらはそのひと回りもふた回りも強くしなやかであろう。

通路を練り歩いてめぼしいものを抜き、軽く振っては戻した。

やがて手に持つのもしないようになった。

「やめておく」

「なぜだ? 仕上がりに不足はなかろう」

さすがの名品たちで、好みのものが幾振りもあった。

しかしもう一本剣を持つのはやめた。

「浮気したら相棒が拗ねる」

剣を検分している間中、セレグセリオンは歩調より小刻みに不機嫌そうにゆらゆらと動いていた。

当たり前だ。

連れ合いの目の前で二人目の味見を悠々とされては良い気はしまい。

それに、剣からしてみればここは奴隷商人の所有する牢屋にも等しい。

魔性を晒してしまった後で魅了が効かなかった主が置いていかないか不安にもなろう。

「魔剣にほだされたか。その剣は危ういぞ」

ハルディアは当然の警告をした。

剣呑な意思を持った剣など、オーザンのように五体を御して紙一重の隙間を縫う剣術家には危険でしかない。

ひっそりと笑んでセレグセリオンの鍔を触る。

「やんちゃな剣と馬鹿な男。お似合いだろう?」

剣を使う度量が試されているなら望むところ。

危ない橋を渡るのには慣れっこだ。

セレグセリオンは指先を軽くひと噛みし、ふるりと震えて黙りこんだ。

まるで幼い頃のイリスを相手にしている気分だ、なんて言うと彼女に鼻で笑われるだろうか。

「数打ちの小刀を見せてくれるか? 投げ捨てても胸が痛まないやつがいい」

これから敵が多くなるだろう。

手数を増やしたい。

ナイフ投げも技の一環で修めているので身に帯びていて損はない。

あまりに晴れ晴れと言うものだから説得する気も失せたハルディアは無銘の短剣を手渡した。

「……魔剣に私の気持ちが負けたと認めるのは業腹だが」

純度の高い鋼だが特別な力もないし、重くもなく軽くもない。

「これだけ持っていけ。その剣も無銘に怒るほど狭量ではなかろうよ」

再び扉を闇の中に閉ざして二人で保管庫を出ると通常の武器庫へ行き、ナイフとそれをわき腹へ差し込めるホルスターを見繕った。

全身に武器を纏い、レンバスを詰め込んだ肩掛け鞄を背中に回した。

水筒にもなみなみと清い水を満たしてある。

夕べの食事はとても腹持ちがよく、朝になっても空腹にはならなかったので朝食は抜いた。

ロスローリエンに居られる時間も終わりが近い。

出立の挨拶をしに領主の館へ行く。

二人はまた立って出迎えた。

今度こそしっかりと片ひざをついて礼を尽くした。

「ゆくのだな」

「はい。昨夜のもてなしといい、ミスリルをふんだんに費やしたこの服といい、数々の格別の計らい、心から感謝します」

服の一部にあしらっているのではなく、全体がミスリルで織ってある。

金属だけで造られているなど鎖かたびらでもあるまいに、馬鹿げたことだが、そうとしかこの柔らかな服は思えないのである。

ロスローリエンにおいても特別なものに違いなかった。

「そなたは衣食に喜びを見出だせるのだな……」

オーザンの反応をケレボルンは喜び、そして少し羨んだ。

永い時の摩擦に擦りきれて心を病み、アマンへ去ってゆく同胞が何人もいる中で、日常的な食べることや着ることにこれだけ心を動かせる男が残っていた。

「しかし一体どのような技でミスリルを織り込んだというのでしょうか」

「イシルディンを見たことはあるか?」

純然たる疑問で訊かれたことにケレボルンは答えてやることにした。

私心で口にするのは憚られる秘技だが、再現不可能な技術を多少語ったところでまた人々が禁忌に触れたりなど到底できまいと思った。

幸いオーザンは口が固い。

「モリアの入り口で一度。たしか、ミスリルで絵柄を描く魔法だったと」

「それの応用だ。ミスリルを糸のように使った生地を用い、破れても自ずと直る」

古きロリエンに残された奇跡と神秘の装身具の最たるもの。

当時のノルドールの専門家だけがこれを造れた。

「それでは……」

細かい製造法も失われた布地をこの大きさで使えば、同じものは二度と作れないだろうに残した遺産を惜しみ無く使ってしまったのか。

もしやカラス・ガラゾンの家宝ではなかったのだろうか。

「言うな。これからのそなたに必要となろう。死地へ赴くともがらへ、余とロスローリエンからのささやかな贈り物だ」

ケレボルンは些末なこととして、追及を遮った。

満身創痍の背中を隠し、まだ傷を負おうと先へ進む勇姿に打たれた心に従ったまでのこと。

彼には物を与えることしか出来ない歯がゆい悔しさすらあった。

「私からはこちらを」

ガラドリエルからは水晶の瓶を授かった。

中身の輝く液体が何であるかは言うまでもない。

「昨夜の薬の残りです。ほんのふた口分しかありませんが授けます」

二人は旅の助けとなる全てを差し出した。

この期待に報いねばなるまい。

そう心に刻んで鞄へ入れた。

「命果てるまで、俺は諦めないと誓います。この世界は終わらせない」

最後の一兵になろうとも、何度でも運命に挑んでみせる。

改めて誓いを厳かに立てた。

「あなたは勇気を取り戻した。それは暗雲を切り裂き未来を拓く光になります」

ガラドリエルに手をとられ、すっくと立ち上がる。

温かく柔らかな指で彼女は指輪の仲間たちのいる東を示した。

「お行きなさい。希望の星たちを見失わないうちに」

「では、行きます」

行って来ますとは言わない。

帰って来れるかどうかは神のみぞ知る。

今はただ前へ進むだけだ。

背筋を伸ばし胸を張って堂々と館を出た。

いざさらば黄金の都。

太く高い木々を一瞥してカラス・ガラゾンを後にしようと南西の門へ向かう。

すると途中で軽装のハルディアが待っていた。

「陸を走るのだろう? 私が案内しよう」

韋駄天足のオーザンに並んで走れるのは彼だけだった。

「助かる」

都を出てすぐ、始めから最高速で走った。

風を追い抜き枯れ葉を舞わせて森を駆け抜ける。

ロスローリエンの森林の終わりまで森を知り尽くしたハルディアは同伴してくれたお陰で、無計画に銀筋川に沿って走るよりずっと近道できた。

一日でだいぶ見慣れた仏頂面に彼はうっすら汗をまとわせて領地の端まで見送ってくれた。

ここから先はオークもうごめく混沌の地だ。

「さらばだ」

「ああ」

感傷的に握手を交わしたりはしない。

男たちの流儀は実に乾いている。

だが熱い。

ハルディアはドル・グルドゥア攻めが、オーザンには指輪の旅がある。

それぞれ為すべきことを見据えて邁進する。

瞳と言葉を行き来させ、別れると互いに振り返らずに行く。

せせらぎに乗る仲間たちとの差はもう僅か。

モリアのような悪いことが起こる前に合流したい。

「間に合ってくれよ……」

セレグセリオンの帯がしっかりと締まっていることを確かめて、これまでよりも一層足を速めた。

 

 

 




お ま た せ
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用語解説
人間(ヌーメノール人)
ドワーフの次に目覚めた種族
メルコール陣営に居たのはほぼ全滅したので、味方しなかった善良な者(エダイン)の末裔。
大陸がめちゃくちゃになったので新しい故郷としてデカい島を西の海に造ってもらい、そこに移住してヌーメノールという国を建てた。
ヌーメノールはエルフと手を組んだら全盛期のサウロンを倒せるくらいまで技術も体力も進化した。
しかし連行したサウロンにそそのかされて信仰を捨て、アマンへ攻め込んだのでお仕置きで島は沈められた。

サウロンに乗せられず真面目にやってたヌーメノールは助けられたので生き残り、また大陸にやってきた者たちが一族経営でゴンドールとアルノールという国を作った。
それらの子孫はドゥーネダインとも呼ぶ。
アルノールはアングマールの魔王に滅ぼされた。
サウロンに与した人間もいる(黒きヌーメノール人)
アラゴルン、ボロミアはヌーメノール人。
オーザンの母親もサウロンから離反したヌーメノール人の一人。

同時展開の
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サルン・ゲビア

アラゴルンたちは流れに乗って銀筋川を下り、支流からアンドゥインの大河にたどり着いた。

ロスローリエンの巨大な森もすっかり山の向こうに遠ざかった。

雄大な流れをうまいこと下り続けられたならゴンドールの都ミナス・ティリスまで楽に行けるがそうは問屋がおろさない。

北部の丘陵からはドル・グルドゥアのオークが見張っているのでレゴラスの進言に従って何度も小舟を止め、川原の木立に引き込んで隠さねばならず、思うようには進めない。

川沿いの斜面に繁茂した枝葉が隠れるにはうってつけであったことが唯一の救いであった。

夕方には岸部に小舟を上げて一夜を明かした。

一行は遅れを取り戻そうと力強く櫂を漕ぎ、三日目には一つ目の難所に到達した。

危険なサルン・ゲビアの早瀬だ。

ここでは流れが急になり、また鋭く切り立ったいくつもの岩がまるで歯のように水面から突き出している。

遠目にもはっきり分かるほどうすら白く波が立ち、ここまで運んでくれた小舟が大変頼りなく思えてきた。

「無理だ、渡れっこないぞ!」

体が重く泳ぎが苦手なギムリは青ざめる。

金づち揃いのホビットも顔色も悪くした。

「エルフの船は水に沈みはしない」

落ち着いて漕いでいるレゴラスは言った。

その通り、エルフの船舶はいかに流れが激しく波が荒くとも絶対に転覆したりはしない。

「しかしそうだとしても、サルン・ゲビアを生きて通り抜けられることにはならぬ。今まで一人として通りぬけた者はいないのじゃ。用心せんとな」

あたりはなだらかで大変見晴らしがよく、敵対者が目を向ければ一目瞭然である。

急流に吸い込まれたら流れには決して逆らえず、オークに見つかっても並大抵のものではされるがままとなってしまう。

そのため船で通り抜けるには非常に危険な領域で、誰一人無事に通り抜けた者はいないと言われる。

「向こう岸にオークがいるぞ!」

レゴラスの第一報でボロミアは同じ舟のピピンとメリーを盾で庇った。

水路はやはり見張られていた。

南下する一行の左手に散開したオークが放った矢が山なりに水面へ降り注ぐ。

今許される行いは逃げの一手。

まごついてオークの毒矢を食らう前に、意を決して急流に飛び込むのだ。

しかして悪いことは往々にして重なるものである。

不穏な風にレゴラスは首を巡らせる。

「……悪しき気配だ」

すると大きな影が落下する雲のように降りて来た。

「見よ! ナズグルじゃ!」

魔法の防壁で矢を弾いていたガンダルフは初春の肌寒さの中で冷や汗をかいた。

高い空でナズグルがまたがったそれは翼を持った生きものだった。

鳥だとすればどんな鳥よりも大きな鳥で、羽がなく裸だった。

翼にも尻尾にも体にも一本の羽根も生えていない。

そして途方もなく大きな翼は角質の指の間の皮だけでできた水かきのようで、空の上からでもいやな臭いがした。

薄気味わるい体の作りからして、多分旧い世界の生き物だろう。

この世のどこか忘れられた冷たい山々の中にでもほそぼそと生き延びて、もうとっくにその時代は終わったのに、ぞっとするような高みの巣で、時期をはずれて最後の雛を生んだのだろうか。

これには悪に適した素質があった。

人馬を殺して楽しむけだものの素質だ。

これをサウロンが捕え、たっぷりのおぞましい肉で育て、遂には空飛ぶ大抵の生きものをしのぐほど大きくなった。

冥王はこれを乗りものとして召使いに与えた。

名もなきけだものは下へ下へと降りてきた。

聴くものの耳をつんざく不愉快な鳴き声を発し、それから指の間に水かきのように張った膜がある足で一行を掴まえようとした。

「卑怯もの! 降りてこい!!」

斧だけでは抵抗すらままならず矢を弾くので精一杯のギムリが吠えるが応答はない。

むしろ小馬鹿にして嘲笑うように悠々と旋回して狙いを定めているようだ。

左からは矢の雨。

真上にはナズグル。

ナズグルを目印にオークが更に集まる悪循環だ。

そして前方には急流が迫る。

この窮地で一等の武勲を立てたのはレゴラスだった。

「任せろ」

彼は冷静沈着に弓を構え、立て続けにオークを射殺した。

「……やるじゃねえか」

矢の雨にも負けじと速射する彼の弓は、最近ようやくエルフ嫌いが緩和されてきたギムリが正直に舌を巻く技量だ。

揺れる小舟から二矢をまとめて放ち、川向こうのオークの喉を射抜く神業を何度も披露し、指輪をもつフロドを狙い急降下した恐ろしき獣の翼を正確に射抜いた。

息を飲むような連射でエルフの矢を射られては怪獣も堪らない。

両翼を貫かれた恐ろしき獣は重心を崩し、あわや墜落というところでナズグルが巧みに手綱を操り、北の方角、すなわちドル・グルドゥアの方へ不安定に揺れながら逃げ去った。

少数ゆえに隊を統括していたのがナズグル一人であったことが幸いし、頭目が指示も出さず一目散に逃れたことでオークは動揺し矢が降り止む。

大将首のナズグルの退却に合わせてオークも散り散りになって退いていったのである。

水飛沫にしっとりと髪を濡らしたアラゴルンが三艘の船を見回す。

「皆無事か!?」

「大丈夫ですか旦那様?」

「なんとか……」

主を庇っていたサムの下からフロドは顔を出し、嫌な臭いが去った風を吸う。

だが息を整える暇もない。

先頭を司るボロミアが叫んだ。

「突っ込むぞ! 掴まれ!」

流れに乗ってしまった小船は急激に速度を増して岩の合間に吸い込まれる。

一行の船は激流に揉まれて揺られに揺られた。

船が沈まずとも乗る者が放り出されないという保証はどこにもない。

水面に落ちたが最後、岩に何度も体を打ちのめされて川へ沈むであろう。

上下左右がわからなくなるほど揺れ、酔ってしまう余裕もなく必死に船底に這いずり船にしがみついた。

悠然としたアンドゥインからうってかわってせっかちで慌ただしい。

頭の天辺から爪先まで冷たい水をかけられ、笹舟より頼りなく思える船に運命を託してじっと堪え忍んだ。

船底だけを見つめて伏せ続けどれだけ経ったのか、荒波が収まっているとボロミアは気がついた。

「!!」

体を起こして濡れそぼった髪をなびかせる。

どこまでも男気溢れるボロミアは船から落ちた仲間がいたなら、飛び降りてでも助ける気概であった。

憂いは空振りに終わり、後続もまた無事であると確かめた。

「抜けられたのか……?」

サルン・ゲビアを通りすぎたひとしおの喜びをにじませたアラゴルンが応える。

「ああ。やったぞ!」

泡立つ急流は仲間に恵まれ縁故の助けがあってやっと通過できる難所であった。

先行きの不安さが露になった地点でもある。

初めて尽くしの旅でもここまで運任せの行程は見越していなかった。

空飛ぶ獣をナズグルがああも乗りこなすとなれば道程の大半は見直しが必要かもしれない。

「死ぬかと思ったよ」

真っ青な顔をしていた筆頭のピピンはその緊張をほぐす一服を震える手で用意してパイプを嗜み始める。

親友のメリーにも吸わせてやっていた。

「立ち直るのが早いな、まったく……」

オークにナズグルに急流下りと、息の詰まるような経験を味わった心臓はまだ少し脈が早いままだというのに。

一周見回して脅威や危険が無いのが分かると、ボロミアも緊張の糸をほどいてゆっくり漕ぎだした。

「なあ、俺にも一口くれるか」

「いいよ。どうぞ」

力持ちのボロミアが漕ぐのを休めない代わりにパイプを吸わせてやった。

裂け谷での出会いは決して穏やかではなかったが積極的に仲間を庇う姿勢に偽りは無く、剣の稽古で触れ合ううちにピピンとメリーはすっかりボロミアと打ち解けた。

今では頼れる兄貴分だ。

「あれは斥候だ。本隊が仕向けられるまでにどれだけの時間があるか……」

より安全は道を行くにはどうするべきか、アラゴルンは思案した。

「ここまでオークが蔓延っていたとは想定外じゃ。道程を見直した方が良いかも知れんのう」

出来うる限り危険は避けたい。

方角からしてドル・グルドゥアから来たオークだ。

ロスローリエンに匿われて見失っていた一行を探して散発的な斥候を出していたところに運悪くひっかかったのだろう。

捕捉されてしまったのなら、道を変えねば次はもっと沢山のオークに待ち伏せをされる。

しかしここから陸路に切り替えると余計に時間を食って追い付かれる危険もある。

どうせなら速度を生かして突っ切ってしまいたいところである。

「ふむ、どうしたものか……」

どちらも不確かで悩みどころだ。

モリアといい、旅を始めてからこの手の選択を迫られてばかりだ。

「時は待ってくれないぞ。このまま行こう」

ボロミアが急かすように言ってしまうのも致し方ないことだ。

彼はエルロンドの会議に代表として出席するため一年も前にミナス・ティリスを出て以来、一日千秋の思いでゴンドールへの帰郷を待ち望んでいる。

当然その間の祖国の様子が聞こえようはずもない。

たった数日でも早く戻り、弟のファラミアとイシリアン防衛の指揮をとりたいと強く願っていた。

「そう答えを急ぐでない」

そうたしなめ、櫂を置いたガンダルフは神通力めいた何かで占っているのか、目を瞑って灰色の髭を撫でる。

膨大な知識を当てはめて計算した事例に思考を凝らすが妙案は浮かばない。

全体的に沈みがちな空気を破ったのはフロドであった。

「ボロミアの言う通り、思いきって速いほうが良い」

「軽挙は慎まねばならぬ。今はなるべく上手く事を運ばねば全て御破算じゃ」

さりとて現在知りうる事柄だけでは選択肢に優劣をつけがたい。

悠長に考えるのも追手のオークが待ってはくれない。

「しかし……思いきりも時には必要か……」

逃げるのもままならぬなら、せめて前のめりに。

決断力に長けた半エルフが今ここに居たならフロドを支持するだろうと魔法使いは感じた。

「どうやっても危険はつきものだよ」

生きている望みは繋がれども、オーザンを地底に置き去りにしたことは全員の心に暗い影を落としている。

特に、絶えず指輪の誘惑に脅かされ向き合い続けているフロドはこの旅が楽しい模様で進む希望は持っていなかった。

指輪を破壊出来れば御の字。

奪われたら敗北。

中つ国を賭けた勝負は始まっている。

どれだけの奇跡と犠牲が必要となるか予想できない旅なのだ。

「急いだ分だけ助かる命もあるかもしれない」

血の気が確実に減りつつあるフロドは強い語気で言った。

持てる財産は時間だけ。

長引けば長引くほどこの戦争が不利になるなら、急ぎすぎということはあるまい。

貴重な時間を短縮出来るならば多少の危険を冒す価値がある。

サルマンがモルドールに寝返った中つ国の現状を鑑みれば自由の民に残されたいよいよ時間は少ない。

「フロド、私は君の直感を信じる。運命を委ねよう」

アラゴルンはこの賭けに乗った。

指輪の所有者に働く、何がしかの力が運命を手繰り寄せると祈って。

「決まりか。では皆で力一杯漕ぐのじゃぞ」

選択した行動が引き起こすどんな未来もガンダルフは覚悟して受け入れた。

今はただ最善を尽くそうと。

「よし!」

結果的に意向に沿う形となったボロミアは漕ぐ手に力も入ろうというもの。

メリーと交代で漕ぎながらピピンはボロミアに尋ねる。

「そんなにゴンドールに帰りたいのかい?」

「ああ。壮麗な宮殿や吹き抜ける蒼い風。そしてそれを守る統率された部下たち。全てが俺の誇りだ」

こだわりの本質を見抜かれたことにやや困惑しつつ、自慢げに祖国のことを誉めそやした。

「へえ、綺麗な町なんだろうね。暮らしてみたいなあ……」

流浪の旅人が旅の果てに騎士になる類いのおとぎ話はそれなりにあるが、いざその大将となる人物と話していると感慨深い。

人間の国でも最大のものとなればゴンドールの都はさぞや栄えているのであろう。

「剣の腕が一人前になったら、ミナス・ティリスで衛兵にしてやろうか」

「いいのかい?」

人間の国で騎士になったホビット。

なんて格好いい響きだろうか。

きっと、ぴかぴかの剣や鎧を着て綺麗な旗を持つのだ。

「いいとも。ただし、俺の部隊は厳しいぞ?」

地底ではオークに囲まれ太古の魔神に追われて恐ろしい思いをしたのに、能天気でいられるピピンの明るさは素晴らしい。

良い意味で才能だ。

気持ちいい活発さにくすぐられてボロミアは自然に微笑みが零れ、分けてもらった元気を使って船を漕ぐ。

 

 




いつの間にかお気に入り千人越えてらぁ…
評価と感想にはいつも感謝してるゾ~

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野望

アイゼンガルド。

ローハンの言葉で鉄の砦という意味だ。

霧ふり山脈の南端ナン・クルニーアに位置する半天然の要塞で、その中心にそびえる黒鉄の巨塔がオルサンクの塔である。

ローハンの西に位置しており、角笛城と並んでローハン谷を見下ろす戦略的要所であった。

人間の国であるゴンドールやアルノールがヌーメノール島の頃の技術や国力を保てていた時期に建てられ、今もその姿を残す摩天楼。

南西部の蛮族の動向に目を光らせる監視塔として代々太守や兵員を置いていたが、その記憶はドゥーネダインの凋落と共に過去のものとなり、人員を引き上げて閉鎖されていた。

白の魔法使いはゴンドールの時の執政に補修と管理を受け持つという建前で鍵を借り受けを申し出るとゴンドールとローハンはこれを歓迎し、正式に住みかとした。

野心を隠して一つの指輪の探索をするには中つ国の中部の無人の塔はもってこいの拠点だったのだ。

同じ魔法使いのガンダルフにも悟られることなく下準備を進め、対峙して本性を暴かれるまで秘密裏に遺物の収集や邪法の研究を行った。

ガンダルフがグワイヒアの助力で脱出し、自由の民を裏切りモルドールと同盟を結んだことが完全に明るみに出たサルマンは地下に秘匿していたオークを公然と集め、アイゼンガルドとモルドールの同盟を組んだことも明らかとなった。

要塞の外周をなす天然の岩壁を加工して作られた円形の城壁の入り口は南に一つしかなく、堅固なアーチ型の城門とトンネルを備えている。

城壁はかなり厚く、内部に衛兵所や貯蔵庫をはじめとしたいくつもの部屋が穿たれており、この壁自体が大軍でなければ陥とし得ない砦であった。

アイゼンガルドの環に囲まれたすり鉢状の広場はかつていくつもの池と果樹がある美しい庭園であった。

しかしサルマンがアイゼンガルドの要塞化を推し進めた結果、緑は根こそぎ掘り返されて多くの立抗が穿たれてしまい、地下の洞窟群には工場や溶鉱炉などの多くの施設が設けられた。

地下施設には機械仕掛けの装置がめぐらされており、蒸気や火を噴射し、オルサンクの内部から稼働できるようになっている。

中央のオルサンクからは舗装された道が放射状に伸びており、道の両側には鎖でつながれた柱が並んでいた。

近辺の豊かな緑を伐採して得た薪を燃やして煙を吐く製鉄所では無数のオークが鋳溶かした鉄を型に流し込み、鎧兜や大振りな剣鉈を日夜量産している。

溶鉱炉に隣接した地下坑では、それらを装備するものを産み出していた。

生き物の生皮を剥いだようにぬらぬらとした脈打つ肉の房が幾つも吊るされている。

おぞましい肉袋、闇の子宮、外法の結晶。

それ以外に形容しがたい邪悪な肉塊の泥にまみれた膜を熟したものからオークが開け、怪物が続続と生まれ落ちていく。

なんと醜悪な牧場であろうか。

人の感性ではおよそ見るに耐えない悪鬼の拠点へとアイゼンガルドは成り果てていた。

その中から一匹の完成体を選んでサルマンは居城に呼び出していた。

肌は赤黒く、筋骨隆々で背筋は伸びた大柄の個体だ。

鼻が切り落とされたように潰れてのっぺりとした顔に荒々しい歯並びの口と黄色く濁った目がついている。

「オークがどのようにして生まれたか、お前は知らぬであろうな」

仕上がり具合は上々で知性もある。

「彼らはかつてエルフだった。暗黒の力に捕らえられ、拷問を受けて引き裂かれて今のような醜い化け物へと変わった」

初代冥王モルゴスは当時のアルダに生きていたエルフを捕まえてもてあそび、途方もない苦しみを伴って姿かたちを変えた。

魂まで狂ってしまったエルフはオークとなり、モルゴスの軍団の一翼を担った。

モルゴスが敗れサウロンが台頭しても仕える相手が変わっただけで、営みの破壊者としてアルダのどこにでもオークは蔓延っていた。

あらゆる秩序を破壊するように改造したオークをより強く、より操りやすくするため、サルマンはさらなる禁忌に踏み込んだ。

暗黒の魔法で生命を穢しきり、獰猛で強靭な肉体を生まれながらにして備えている。

サルマンはこれに、ウルク=ハイと名付けた。

モルドールのサウロンの軍勢にもアイゼンガルドのサルマンの軍勢にも、際立った巨漢はそれぞれ見られたが、どちらかが起源なのか、あるいは別の手段でに造られた別種のものなのかは不明である。

彼らの武装は通常のオークとは全く異なるもので、広刃の短い剣と、人間の物と変わらない大きさのイチイの弓で武装し、盾と冑には、白の手や白いルーン文字のSといったサルマンの印を帯びていた。

完成したウルク=ハイの出来の良さはすこぶるもので、並みのオークよりも肉厚で逞しい。

人間の戦士など一捻りにできよう。

「わしが手を加えた戦うオーク、ウルク=ハイよ。お前の主人は誰か?」

「サルマン!!」

力にかしずくだけのオークには期待できない忠誠心まで植え付けてある。

その個体は暫定的に隊長として、他のウルク=ハイを集めさせた。

鉄の鎧兜を着て剣鉈を持ち、頭や胸にはサルマンの印である白い手形を塗料で塗った。

いよいよ挙兵したのだと、サルマンが暗黒の陣営に加わったことを大々的に喧伝する意味がある。

サルマンはオルサンクを出て地下へ行き、雄叫びをあげたり唸ってたむろするウルク=ハイへやぐらに登って命を下す。

「奴らを狩り出せ。見つかるまで帰るでない。お前たちは苦痛も恐怖も知らぬ。人の肉の味を知れ!」

誰も彼もがぎらぎらとさせた眼光は戦意も高く、獲物の腸を求めていなないている。

恐れ知らずの強力な兵たちにサルマンは内心恍惚としていた。

この軍団が完成すれば目の上のこぶであるローハンは滅び、中つ国に敵うものなど居ない。

材料のオークや人間などいくらでも集められる。

闇に堕した魔法使いなどとガンダルフがいくら言おうが雌雄を決したあとでは負け犬の遠吠えだ。

「ホビットの一人が貴重なものを持っておる。ホビットどもは殺さず無傷で連れ帰れ」

最大の目標であるひとつの指輪を失くしてしまわぬように隊長に厳命した。

千年も探した至宝が指先に触れているのだ。

なりふり構ってはいられない。

「他は殺せ」

密偵から仕入れた情報ではエルフの王子からゴンドールの大将に留まらずその王位継承者まで同行しているそうだ。

早めに亡き者としておいて損はない。

それに、あの無礼千万な半エルフまで同行しているという。

その腕前を死なせるには惜しいと温情をかけてやったのに、蓄えていた純白の髭を半分も切り落としてくれた礼をたっぷりとして野晒しの死体にしても飽きたら無い。

「さあゆけ!」

目標はアンドゥインの南岸だ。

アンドゥインが流れ落ちてできている大瀑布はとても高くまっ逆さまに落ちるので、間違っても船で下れるようなものではない。

北はドル・グルドゥアのナズグルが警戒線を構築しているという情報がサウロンを経由して伝わっていている。

なれば南岸のどこかで船を降りて陸路に切り替える。

南方に逃げ、こちらの支配域を通るしかない指輪の持ち主を炙り出すなど朝飯前だ。

生意気で憎き半エルフには手を焼かされた挙げ句追撃も殺され逃げ切られてしまったが、そんな例外は二度と許さない体制である。

今度こそ指輪を我が物とする自信に満ち溢れていた。

「ホビットも半エルフも今に見ておれ。指輪さえ手にはいれば……」

指輪さえ手に入れば逆らえるものなどいない。

人も上のエルフも、あわよくばサウロンさえ出し抜いてみせる。

出撃するウルク=ハイを尻目にサルマンは皮算用を楽しんだ。

支度を終えていた二百あまりのウルク=ハイが重い足音と鎧が擦れる音を響かせて出陣していく。

漆黒の部隊は地下孔の組み木の足場をどしどしと駆け上がり、休まず百里を走る足で仲間たちを探しにアンドゥインのほとりを目指して開け放たれた鉄のアーチの門から出発していった。

 

 




出撃ィィィィィィ!!
ウルク=ハイと人間の戦闘力平均値は三対一ぐらいと想定
なのにアラゴルンがなぎ倒すのは伝説級の英雄だからということで…

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温もり

ご飯回


ナズグルの襲撃を退けると北側のオークは退いていき、表面上は穏やかな船旅に戻った。

かりそめの平穏だが旅は続く。

ピピンが手慰みに何匹もマスを釣り上げるとサムがそれで晩御飯に一品追加しようと言った。

船を岸に寄せ、夜営の支度だ。

日暮が近いと夜に備えて旅に慣れてきた仲間たちはそれぞれの役割を果たす。

全員で一晩凍えないですむ分の薪を拾い集め、辺りが安全かぐるりと歩いて確かめて夕食の支度だ。

今夜はベーコンとジャガイモとニンジンのポトフと焼き魚。

ロリエンで貰った岩塩を削ってすりこめばもう最高の旨さだ。

葡萄酒もついて川辺で食べられるともののなかでは最高級のごちそうになる。

朝と昼は川で不覚にも濡らしてしまった堅パンだけで過ごしているので皆よく味わって食べた。

ほどよい塩気が船旅の空き腹に染み渡る。

全員がちょうど腹一杯になる量を作れるサムの料理の腕があってこその喜びだ。

焼き魚の串と暖かいカップを持ったレゴラスは高い枝に腰掛けて寡黙に全周を警戒していた。

仕方がないが炊事の煙は目立つ。

これもオーザンがいれば半分ですんだ苦労なのだが。

これからの道行きは二つに一つ。

オークが跋扈し、旅人を惑わす死者の沼地を通る北へ行くか、アイゼンガルドの支配する南を通るか。

明日にはラクロスの滝に到達する。

それは小舟で乗り切れるような流れではなく、はるかミナス・ティリスからでさえ遠目に見えるような大瀑布なのだ。

どちらかの岸に降りねばならない。

近辺の地理に詳しいガンダルフやアラゴルン、ボロミアを交えて夕食がてらの会議となった。

「大所帯ではナズグルのあの獣に捕捉されるであろうな。北進は賢いとは言えぬ」

ガンダルフはパイプを吹かした。

「しかし南進してもローハンが約定を守り我らを助けるという保証はないぞ? アイゼンガルドに売られるやもしれん」

白パンをポトフに浸したボロミアは反論する。

ボロミアにとってアイゼンガルドをのさばらせているローハンはとくに信用に欠ける印象があった。

南へ進路を取れば次の補給地はきっとローハン王国になろう。

情報が流され待ち伏せを受けた暁には、アイゼンガルドの軍と僅かな仲間たちで正面からぶつかっては砕け散るのは明らかだ。

サルマンはあちらこちらに密偵を放ち、謀略は疫病のように蔓延している。

騎士の国と謳われたローハンでさえ闇の手管に操られていないとは限らない。

「そうは言っても北には行けん。ドル・グルドゥアが近すぎるぜ」

焼き魚をかじるギムリはオークとの鬼ごっこに戯れるのも飽き飽きだった。

川を渡りに来ないのはレゴラスの正確な弓を恐れてのことだろう。

「信じるしかあるまい。馬の司(ローハン)の誇りと矜持を」

五百年も前にゴンドールとローハンに結ばれた初代ローハン王、エオルの誓いが忘れられていなければ、確かな支援者となってくれることだろう。

アラゴルンはそれを信じたかった。

「しかしセオデン王はサルマンに操られておる。そう易々とはいかんじゃろうな」

ガンダルフは過去にローハンを都のエドラスで傀儡となったセオデンと対峙したが、力及ばず追放される憂き目にあっている。

味方になってくれるという希望も薄い。

「どのみち北に行ったらみんな死んじまうよ。迷うことなんてなにも無いじゃないか」

お鍋からおかわりをよそうメリーが言ったのが結論だ。

たかだか九人で世界の命運を決めようとするのが無茶な話で、もうなるようになれというのが彼の本心だ。

「賛成。今夜はお腹いっぱいになって眠れるってのが、たったひとつの確実なことさ」

ピピンはフロドには肉を多めに入れて渡してやった。

「明日のことは明日考えてもいいんじゃないかい」

フロドの容態を見守ったり料理をこなしたりで疲れぎみのサムは、やや投げやりに言って片付けを始める。

空になったお鍋を火から下ろして川で洗い、焚き火の火加減をみる。

そういった細々したことは進んでサムがやってくれていた。

彼にはフロドはもとより、旅の危うさなどよりロリエンで貰ったジャガイモや玉ねぎが傷まないかどうかの方が大事だ。

「とにもかくにも南へ行こう。オーザンが一人でやってこれたというのだから、ローハン谷はそこまで危うくはなかろう」

アラゴルンはあくまで同盟を重んじる。

それに、ナズグルがいるなら北部の地獄絵図ぶりは最前線にも劣らない。

彼とは強さで比較にはならないがローハンは彼一人で通り抜けられる土地ではあったという確証のみが目の前に残っている。

協力してセオデンにかけられたまじないを祓えれば大きな支援者となろう。

ならば行くしかなかった。

「決まりだな」

食べ終わったレゴラスが枝を揺らさず降りた。

辺りに動きはない。

獣も眠っているようだ。

丁寧に食器を洗い、サムに渡した。

「まさかとは思うが、ドワーフは少しばかりのオークに怖じ気づいたのかな?」

「ふはは、草っ原のオークなど斧の錆びにしてくれるわ」

いち早く食べ終え食後の一服をしながら丁寧に斧を研いでいたギムリは、レゴラスにからかわれても激することなく不敵に笑う。

ロリエンでの時間が二人を軽口を叩きあえるほど親密にしていた。

反目する種族の宿命を越えた友情を築きつつある。

ボロミアは腹ごなしにメリーに剣を教えてやった。

ピピンは一日中の釣りで疲れていたのでもう横になっており、メリーだけ教えるなら片手で足りる。

「そら、片手で相手をしてやろう」

「言ったな! 小馬鹿にしやがって!」

もう片手にはパイプを持って、余裕綽々でさばいている。

超人的なオーザンや英雄王の末裔であるアラゴルンの凄まじい技量に隠れてはいるが、彼もまた紛れもないひとかどの英雄なのだ。

ホビットが両手で力いっぱいにふる短剣を片手で受け止めたりいなしたりすることなど造作もない。

その気なら力任せに短剣を弾き飛ばしてしまうこともできるが、剣を操ることを体に教えさせるために疲れるまで相手をしてやった。

「もう疲れたか?」

「あんまりすると腹がへっちまうからな。今日はこれぐらいにしてやる!」

ホビットは手も足もでないでくたくたに疲れてしまったので、ロスローリエンから持ってきた梨を食べて負け惜しみを言った。

「はははは、その調子だ」

不本意な(オーザンとの)別れもあったが、アラゴルンとの和解もあった。

悪い旅では決してない。

ゴンドールに到着したなら旅から外れる予定でいたが仲間たちの居心地のよさにほだされて、最後まで一緒にいてもいいかもしれないと迷うくらいになった。

祖国を守れればこそだが。

サムは片付けをする一方で、岩の窪みに座ったまま食が進んでいないフロドに気をつかった。

「旦那様。ちゃんと食べないと持ちませんよ」

「ああ、食べるよ」

言われてから冷めた焼き魚を頬張ってポトフを飲んだ。

心ここにあらずといった様子がやや増えている。

食べきるまで隣ではべり、少しでも元気付けようとホビット庄の田園風景の話をした。

「うちに帰ったら庭で採れるベリーを食べましょう。甘くてきっと美味しい」

気の利いた台詞が言えないことを悔しく思うも、サムらしくて素朴な言葉だった。

「それから、ビルボ様やおらのとっつぁんも集まってパーティーを開くんです」

「うん……そうしよう……きっと」

下手な応援にフロドは苦笑すると夕食をかきこんだ。

サウロンとの綱引きは一人でしている。

しかし隣には親友が、回りには仲間がいる。

孤独だと思うのはもうよそう。

「明日も早いです。眠りましょう」

オークに追われ、ナズグルに襲われた仕上げに急流を下った。

蜂蜜より濃い一日で疲れたホビットたちは焚き火を囲んで目を閉じた。

四人の戦士と魔法使いは交代で寝ずの番をしながら、彼らの絆の深さを微笑ましく見守った。

 

 




主人公帰還まで秒読み
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下船

サムが朝食のオムレツを焼く匂いでフロドは目を覚ました。

そろそろエルフからもらった卵が悪くなってしまうので一気に使いきった。

つけあわせの野菜炒めも足すと全員が満腹になった。

追跡を逃れるために念を入れてしっかり土と落ち葉を被せ焚き火の痕跡を消した。

これが長い別れが始まる日の朝だった。

「行こう」

アラゴルンの音頭で船を川に押し出して乗る。

サムとフロドは彼と同じ船に乗って漕ぎ出した。

朝が終わり昼になってもオークは来なかった。

ありがたいが油断大敵。

慎重に行く。

待ち伏せに適した断崖に挟まれ狭まった所を通るときは仲間たちは弓をとったり盾を手元に置いていたが、何事もなく通り抜けた。

そしてゴンドールの領地に入る事と船旅の終わりを告げる物と出会う。

アンドゥインの流れにその近くに運ばれるにつれ、二本の巨大な柱は塔のようにそそり立ってフロドを迎えた。

アラゴルンはフロドの肩を叩いて教える。

「フロド、見ろ。アルゴナスの門だ」

黙したまま脅かすように両岸の断崖に沿って立つ灰色の大きな大きな姿は、巨人のようにフロドには思われた。

次いで彼は、この二つの岩が事実人の姿に作られたものであることを知った。

古代の技の巧みと力の働きを受け、その二つの像は、往時茫々たる歳月の風雨に耐えて、はじめて彫られた時の威風堂々たる姿を今も留めていた。

足の小指でさえ身長の何倍もする威容に仲間たちは放心するように見上げた。

「伝説の古代の王たちにやっと会えた。私の先祖だ……」

血筋の尊さを自慢するような男でないアラゴルンが誇らしそうに言った。

一つの指輪に誘惑され意思を挫かれてしまったが、それでも一度はサウロンを倒した英雄に格別な感情を抱き畏敬の念を持っていた。

深い水の中に築かれた巨大な台座の上に石に刻んだ二人の偉大な王は立っていた。

兄王イシルドゥアと弟王アナーリオンの姿が彫刻された巨大な石像。

アンドゥインはこの像の間を抜け、ネン・ヒソイルの湖に流れ込む。

この像はゴンドールの領地の北辺を示し守護するために、千六百年も過去のゴンドール王、ローメンダキル二世により建造された。

ひび割れた眉をしかめ、かすんだ目で威圧するように依然として北の方を見おろしていた。

いずれの像も左手をあげ、警告するかのように掌を外に向けている。

右手にはそれぞれ剣と斧が握られていた。

またそれぞれ頭上に崩れかけた兜と王冠をかぶっている。

偉大な力と威厳をとどめ、二人の王は消滅した国と消えかけた国を今なお背負い、物言わぬ守り手となっていた。

畏怖の念に襲われて、フロドは身を縮め、船が近づいても目を閉じて上を見上げようとはしなかった。

公然とゴンドールに王位は不要とでもいうような発言をしたボロミアさえも、やや憧れのような表情で見上げている。

見るものを圧倒するそれだけの威容がこの建造物にはあった。

小さな木の葉のように波間を漂う華奢な小船が、ヌーメノールの番人のとこしえの影の下を飛ぶように通り過ぎるときには、その頭をかがめるのであった。

こうして一行はアルゴナスの門の暗い割れ目に入っていった。

続くのはネン・ヒソイル。

エルフ語で霧の冷水の意を示す湖だ。

エミン・ムイルの山々に囲まれた、南北に細長い長円形の湖。

大河アンドゥインが北側の峡谷から流れ込み、湖の南端からラウロスの大瀑布へ向かって流れ出る。

せばまっていた川は一気に拡がり、長円形の湖、水うす青きネン・ヒソイルとなる。

湖の周囲を取り囲む険しい灰色の山々は、その山腹を木で覆われていたが、頂には何もなく、陽の光に冷たく光る。

一番遠い南のはずれには三つの峰が聳えていた。

そのうち真ん中のはあとの二つから離れていくらか前に出ていて、川の中に島のようにそそり立っていた。

流れる水は薄青くきらめきながらその島を両の腕でかき抱くようにしていた。

ラウロスの様子は遠くかすかに、しかし殷々と響きわたって、遠雷にも似た轟音が風に乗って聞こえてきた。

今後行く道は三つ。

ラウロスを避けて南北のどちらかに上陸するか、滝の北側の側面にある、偉大な王たちの時代に作られた北の登り道と呼ばれる大階段を辿り、ラウロスの下へ降りるか。

川を下り続けるのは愚作。

北は最短の道となろうがオークの支配地域。

やはり昨日話し合いで陸路で南を行くのが正しいようにアラゴルンには考えられ、そちらの岸に小舟をつけた。

仲間たちは、特にボロミアはくたびれた様子で船を降りた。

ギムリがせりだした崖の下に岩に囲まれて南の丘から死角になった窪みを見つけた。

道からもやや離れ、ここでこっそり夜を過ごせば敵に悟られる恐れは減る。

焚き火を小さくすれば明かりの漏れも気にするほどではないだろう。

各々で荷物を置いたり好きな場所に腰かけた。

「ボートを隠したら少し休もう」

「アラゴルン。まずいぞ、嫌な気配だ。何かが来ている」

そこに偵察を兼ねて地形を見回ってきたレゴラスが待ったをかけた。

「ナズグルか?」

「ナズグルじゃない。胸騒ぎがする。すぐにここを離れて北から行くべきだ」

彼は南西からやってくる悪意を感じ取っていた。

「正気か? エミン・ムイルの山越えはそれは楽しい旅になるだろうな。切り立った岩が迷路のように続く難所だぜ。しかもその先は更なる地獄だ。鼻の曲がるような臭気を漂わす一面の沼地が広がってる。正しい道を知らないと通れない。迷ったが最後、朽ちる事なき死者の仲間入りだ」

跳ね起きたギムリが斧を担いで鼻息を荒げる。

彼は沼地が嫌いだ。

ぬかるんで穴は掘れないし万年じめじめとしていてすっきりしない。

「まずは落ち着かぬか。しかし、ふむ、困ったのう……」

岩に座った魔法使いは灰色の帽子を脱いで膝に置いた。

レゴラスの勘を信じない訳ではない。

エルフには時々人間の理解を越えた虫の知らせが囁くことがままあるのを知っているし、この旅では何度も目の当たりにしてきた。

だとすれば今回も明確な危険が迫っているのだ。

だが逆を言えば悪の勢力が野放しになるほどローハンの国力が弱っていることの表れでもある。

「ローハンでどうにかセオデン王を正気に戻せれば大きな助勢を得られよう。わしはそれを当てにしておった」

ミナス・ティリス等の激戦区を通るにあたり、広大な草原を縦横無尽に駆ける精強な騎兵を味方につければ心強い旅になる予定であった。

ローハンの現国王セオデンは訪ねた旧知の友であったガンダルフを追放した。

忠実なる側近たちを遠ざけて怪しげなグリマーという小男を侍らせたその様子たるや正気とは言い難く、何者かに心を操られているのは明白であった。

そしてローハンへの影響力と手管を持ち合わせたを何者かとは、アイゼンガルドの白の魔法使いサルマンに他ならない。

ゴンドール存亡の危機に救援をさしのべうる唯一の同盟国のローハンが潰えようとしている。

セオデン王にかけられた悪質な魔法を解かなければならない時が迫っているのをガンダルフはひしひしと感じていた。

しかしそれはエドラスにたどり着ければこその話だ。

下手をすれば一行が敢えなく砕け散るような危険を冒す価値があるのだろうか。

賢明な魔法使いでも迷う事柄だ。

「指輪を危険に晒すのも避けねば。悩ましいのう」

この九人で敵の追手をはね除けて指輪を守りつつセオデンに会いにローハンの王都エドラスまでたどり着く。

二つを同時に成功させるのは極めて難しいことである。

「ローハンへの道は安全ではないぞ」

「エルフのお前がそうだと言うからには何かがあるのだろう。だが向こう岸へ渡るにしてもオークに見張られている。日があるうちに渡るのは余りにも危険だ。それにローハンを見捨てることも出来ない」

しつこくない程度に食い下がって警告してみてもアラゴルンは今の意思を曲げず、進路を変えようとはしなかった。

今さらじたばたしても手遅れであると覚悟をしてのことである。

レゴラスは彼の意思を尊重して口を閉じた。

「どうにかやり過ごせることを祈ろう」

アラゴルンはローハンの事情を知ったら捨て置けない男であった。

それに、アイゼンガルドとモルドールに挟み撃ちにされる危険性は排除したい。

損益の勘定に頭を悩ませながらフロドの姿が見えないことに気がついた。

「フロドはどこだ?」

ボロミアも盾を置いてどこかへ行っていた。

二人きりにならぬよう気をつけてそれとなく目を配っていたが、船から荷物を運んでいる間に見失っていた。

「さっき連れ立って歩いてたぜ。薪でも探しに行ったんじゃないか?」

最後に見たギムリが教えてくれた。

「なに?」

アラゴルンの心臓は大きく脈打った。

失態だ。

ボロミアが誘惑に揺らいでいると分かっていたのに、よりによってこんな時に気を逸らしてしまった。

「馬鹿者! それを早く言わんか! フロドを探すのじゃ!」

血相を変えたガンダルフは落ち葉を蹴飛ばして立ち上がる。

悔やむより先に二人を探しにアラゴルンは川辺を飛び出した。

仲間たちも荷物を放り出して大急ぎで手分けして森へ入っていくのだった。

 




アンケート感謝ァ
絶望ベルセルク√希望者が思ったより多いですね…
現実に疲れてる破滅願望兄貴たちはしっかり休んで、どうぞ
読みづらいって意見が届いたけどこれで書き慣れちゃったからメニューの閲覧設定から行間開くように弄れるのでそれでなんとかして欲しいゾ

同時展開の
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追う者

フロドは斜面に埋もれた階段を走った。

偉大なる王たちの時代に築かれた石段や石像は土や落ち葉に埋もれてもしっかりと形を残している。

少しの間だけでも静かな場所で一人になりたかった。

狂暴に膨らみゆく胸の内を穏やかに鎮めるには集中しなくてはならない。

「一人で出歩いちゃ駄目だ。特にお前は大事な身だからな」

拾い集めた薪を抱えたボロミアが木立から姿を現した。

フロドは仲間といえど警戒して距離を開けた。

ボロミアが霧ふり山脈で既に揺らいでいて、そして今はさらに指輪の誘惑に飲まれかけていることは想像するに易い。

「フロド、一人になりたい気持ちはわかる。日ごとに重荷は増していく。だがそう気に病むな。他にも道はあるんだ。もっと楽になれ」

「言いたいことはわかるよ。忠告に聴こえるけど実は警告だ」

彼の眼差しは裂け谷で再開したビルボと酷似した病めるものであった。

ボロミアの中には正気の部分が少ないことを悟った。

「警告? なんのことだ? 誰でも不安は同じだ。だがその恐怖に負けたら全てが無になるんだ。そうはなりたくないだろうが」

「道は一つしかないよ」

誰にも渡せない。

指輪を手放すのは滅びの山。

どんなことに遭遇しようとも渡すことはできないのだ。

ゴンドールが滅びようとも旅を優先しなくてはいけないのだ。

郷里を愛するボロミアにその選択はとても認められないものであった。

「俺は自分の種族を守る力が欲しいだけだ!」

ボロミアは抱えた薪を地面に投げ捨てた。

フロドの答えは、祖国を見捨ててでも指輪を破壊することを選べと強制するものである。

それは見過ごしがたい。

それだけはできない。

何よりもゴンドールの防衛を優先してしまうのは、国を愛するが故であり、彼の生きざまなのだ。

だから二人きりとなり、眼前にぶら下がった、願いを叶えるその力を真摯に欲した。

「指輪を貸してくれ!」

「いやだ」

「なぜ!? 必ず返す!」

「ボロミアじゃなくなってる……」

言葉は通じないと思わせるほどゴンドールの大将の目は飢えた獣のようにぎらついている。

それが祖国を守る力をもたらすと信じてしまったボロミアは狂気に踏み込み、理性の揺らぎは頂点に達していた。

「奴らに捕まり指輪は奪われる。お前は死ぬよりつらい苦しみを味わうんだ!」

荒ぶる感情のままに呪いを吐いた。

不安や憤りにつけこみボロミアを蝕んでいた指輪の誘惑は閾値を越えていた。

とても言葉で諫められる様子ではない。

鬼気迫った雰囲気に尋常ならざるものを感じ、後ずさりして逃れようとする。

「馬鹿者がぁっ!」

仲間たちのもとへ逃げようとしたフロドを追った。

ボロミアは逃げる背中へ飛び付いて押し倒した。

「それは運命の悪戯でお前の手に入った。俺のものでもおかしくなかった! いや、俺のものだ!」

完全に気が触れていた。

「いやだ!」

「ええい寄越せ! 渡すんだ! 寄越せっ!!」

「いやだっ!!」

指輪をとられまいと握るフロドの肩をボロミアは強く揺らし奪おうとする。

二人は枯れ葉を巻き上げ激しく揉み合った。

もぎ取られる寸前に無我夢中のフロドは指輪をはめた。

突如姿を消したことに驚いたボロミアの不意を突き、胸を蹴飛ばした。

「うおっ!?」

転がされたボロミアは素早く立ち上がり辺りの気配を探る。

枯れ葉に注視してフロドの後を追おうとした。

「そうか分かった! サウロンに指輪を渡す気だなっ!? この裏切り者! 自分ばかりか、みなを死に導く気か! 呪われろ、呪われろ! 薄汚いホビットども!」

小さきホビットは逃げる前のだめ押しに突き飛ばして仲間の方へ走った。

指輪の近くにいることがボロミアの心には毒であるのだ。

「ぬあっ!?」

したたかに頭を地面にぶつけたボロミアは眩暈が収まるまで這いつくばった。

清涼な空気を吸い幾ばくかの静寂を感じると憤怒と渇望に濁った精神は鎮まり、遠のく指輪の誘惑を振り切った。

「………っ!」

我に返ったと同時に重大な裏切りを働いたのだという自覚がにわかに胸にわき起こる。

とんでもないことをしでかしてしまった。

痛切な自責の念に押されて体を起こし、フロドを探してもどこにも居ない。

仮に近くに居ても、指輪を外して姿を見せてはくれないだろう。

「フロド! 許してくれフロド!!」

赦しを乞い金の髪を振り乱して地に伏せた。

応えなどあるはずもない。

怯えた少年はどこかへ逃げたのだ。

明晰さを取り戻した頭を働かせ、行きそうな方向を探る。

落ち着いて調べると蹴散らされて裏返った枯れ葉が点々としている。

それは尾根の方向、つまり仲間たちの休む野営地から離れてしまっている。

ボロミアから離れたい一心で敵地へ行ってしまったのである。

「くそっ……!」

己の愚かさと状況の悪さに悪態をつく。

姿を消したフロドを探して森を走り出した胸裏は罪悪感で満ちていた。

 

 

フロドは指輪の使用者が誘われるおぼろげな世界に身を置いて、逃げに逃げて高台へ上がった。

怯えて岩陰に隠れた彼の耳に遠く、しかし強烈な鼓動が伝わる。

羽虫が夜の火に集まるがごとく、東の空を覗かずにはいられなかった。

そして見た。

遥か遠く、噴煙けぶる地にそびえ立つ暗黒の巨塔のその頂上に座した燃える瞳を。

それが冥王サウロンであった。

指輪を使ったことにより、かの魔王とちっぽけなホビットの間には繋がりが生じた。

こちらが向こうの様子を見たのと同様に、冥王もまたフロドを直視したのである。

縮み上がったホビットは冥王に恐れをなして指輪を外し、後ずさると冷たい石の足場から落ちた。

我に返ると石造りの祭壇に倒れていた。

空は蒼く穏やかに大地を包んでいたが、たった今垣間見たものが現実であったというざわめきが心を荒らした。

決心などばらばらに吹き飛ばしてしまうほどの底無しの悪意と魔力であった。

そして為す術もなく、草むらで震えるのだった。

 

 

「フロド! どこだ!?」

時を同じくしてアラゴルンも森を駆けていた。

森は広く、全員で散らばってもとても見つけられるものではなかったが、彼はフロドを探し当てた。

イシルドゥアの末裔を見守るヴァラールの守護がフロドの元へと速やかに導いたのであろうか。

「フロド」

ひとまずは無事を確かめたかった。

「ボロミアが指輪に……」

「指輪はどこだ?」

「こないで!」

ボロミアに奪われていないか確かめようとしたアラゴルンをフロドは拒絶して祭壇の奥へ下がった。

ボロミアの二の舞になることをとても恐れていた。

「フロド、私は味方だぞ」

震えるホビットを驚かさないために努めて平静に声をかけて歩み寄る。

「指輪の誘惑に勝てますか……?」

フロドは握っていた指輪を恐る恐る見せた。

大志をもって生きる人間であるほどに逆らいがたい。

高潔な男でさえいつ気が触れるとも知れないのだと少年は身をもって覚えた。

その口ぶりにボロミアが指輪に飲まれたことをアラゴルンは確信する。

同じヌーメノールの血を引いたボロミアが屈したということは、アラゴルンにも強く影響することの証左であった。

ひとつの指輪を手中にすればイシルドゥアの再現となろう。

事実、目にしているだけでも強い誘惑を感じる。

「……私には無理だ」

断言されたフロドは落胆した。

オーザンはなんともなく掴んでは手放してみせた。

ならば選ばれたる英雄のアラゴルンもあるいはという思いははっきりと打ち砕かれた。

「だが君なら出来る」

アラゴルンはひざまずき、奪い取って指にはめろと囁く誘惑を振り切って指輪を載せた掌に指を重ねて閉じさせた。

「君が葬るのだ」

全員が倒れ命果てようと。

既にモリアで一人が倒れた。

最も強き男は真っ先に闇に身を踊らせ犠牲になっているのだ。

それに続く覚悟を仲間たちはずっとしてきたし、ロスローリエンで彼の消息がいよいよ絶たれたと聴かされ、改めて意思を固めた。

「その時我々に真の勝利が訪れる……」

情勢はフロドに迷いすら許さない。

「行けフロド!」

仲間たちの方へ背中を押し出した。

フロドが腰に差したつらぬき丸を少し抜けば、ミスリルの身は青く輝いていた。

美しくも妖しく爛々と。

このアモン・ヘンはアイゼンガルドに程近い。

敵地の真ん中なのだ。

オークが居ることに不思議はない。

「走れ! ガンダルフを探すのだ!!」

日光は炎を操るイスタリのガンダルフに力を与え、闇の生物であるオークを弱らせる。

イスタリが万全であるならフロドを逃がす知恵を出す時間も作れよう。

アラゴルンが剣を抜いて尾根に沿って開けた街道に飛び出すと、まさに黒い鎧を着込んだオークが巨体を並べて押し寄せている最中であった。

漆黒の軍団を前にして、剣を額に沿わせ神々へ祈を捧げた。

フロドを無事に行かせたまえ。

獰猛に吠えるオークの集団が一人に向かって突進する。

振り下ろされる大鉈をかわして追い越しざまに足を払う。

百を超すオークの軍団に突入し、熟練の戦士らしく冷静に、若武者のように力強く大鉈を捌いては鋼鉄の盾を殴り付ける。

オーザンのように一太刀で何匹も膾切りにとはいかずとも、 持ち得る全ての技でオークを引き付けることに専心した。

 

 




脳内では常にRhapsody of FireのEmerald swordが流れてる
コッテコテでクサいメロディーが気が狂うほど気持ちええんじゃ

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包囲

地鳴りを起こして詰め寄るウルク=ハイを巧みにかわし、引き付けた敵に囲まれないよう石を組んだ舞台の上へ駆け登る。

切り上げるより振り下ろす方が威力を出せる。

上方の優位を生かして体重差を埋める。

アラゴルンは西方世界の各地で戦ってきた経験を遺憾なく発揮した。

「ホビットを探せ!!」

ウルク=ハイはアラゴルンがイシルドゥアの子孫としてゴンドールを継ぐものだとは知らない。

たかが一人をここで抹殺することに注力せず、部隊の大半にはフロドを追わせた。

「行かせるかぁっ!」

そうはさせじとフロドの方へ行こうとした一匹に飛び降りて体当たりを食らわせる。

もみくちゃになって泥にまみれながらも喉元に剣を刺して止めを与え、覆い被さるようにしてきたウルク=ハイの胸を仰向けのまま突く。

その一匹に手間取りあわやとなった時、手斧と矢が飛び交い、アラゴルンの窮地を救う。

乱戦となってしまった戦線にエルフの貴公子とドワーフの重戦士が参戦した。

「アラゴルン、行け!」

弓という近距離には向かない武器の不利を覆し、レゴラスは颯爽と矢を放つ。

近すぎる敵には握った矢を強引に突き刺し、二匹を貫く離れ業まで披露した。

ギムリも負けじと重い一撃で確実に仕留めていく。

二人の援護で素早く囲みを破ってなおもアラゴルンは焦燥した。

仲間たちはこの丘陵に散らばり各個での戦いを強いられてしまった。

指輪がこちらの手の内にあることだけが救いであるが、その希望も遠からず去らんとしていた。

 

「フロド様!」

どしどしという無遠慮な地鳴りと唸りから逃れてくるであろうフロドを探してガンダルフとサムは走り回っていた。

「オークめ、こんな時に……!」

戦闘に全力を投じられない灰色の魔法使いは歯痒い思いをしていた。

広域の敵を焼き殺すような強い魔法は禁忌に触れる。

山々がひっくり返るほどアルダを滅茶苦茶にした神々の大戦を反省して取り決めたその掟だけは破れない。

「ガンダルフ、あそこだ!」

サムはウルク=ハイに追い付かれかけたフロドを見つけた。

何十もの黒い怪物が斜面を走る少年のすぐ後ろに連なっている。

「ぬうっ!」

「今行きます、旦那様!」

完成しかけた包囲網を一条の光が照らす。

断腸の思いで選別したのは光の魔法である。

魔除け程度のものでも目潰しとしては使える。

しかしながらその強力な光に思わず脚を止めて顔を盾と腕で覆い隠した。

ガンダルフの剣は銘を殴り丸という。

勇ましき銘に恥じぬ猛々しさで斬り込んで何匹も倒していく。

サムもまたそれに続いた。

「フロド!」

ピピンとメリーが短剣を抜いて横合いから飛び出す。

静かにしていれば見つからずにいられた倒木の影から抜け出し、姿を晒してまでフロドを助けようと、二人は恐怖に対して素晴らしい勇気と友情を示して立ち向かった。

「このっ! くらえ!」

「やあっ!」

小振りな武器を生かして立ち回り、鎧の隙間を突いて痛手を与える。

かくして四人のホビットとガンダルフは斜面のやや開けた場所で合流した。

「怯むな! 虚仮脅しだ!!」

統率者の一喝で乱れていた足並みが揃い始める。

杖から散らす閃光は地底の闇に慣れたオークを退けるだけの威光はあったが、陽光をものともしないウルク=ハイの目には少々まぶしいだけに過ぎなかったのだ。

「構わずホビットを捕らえろ!」

厚い布を裂くような声で命じられた怪物は目を開いて包囲網を閉じてゆく。

上も下もすっかり囲まれた。

真っ当にやってはホビットの敵う相手ではない。

手も足も出せずにホビットたちは尻込みした。

「させぬ!」

実害を与えられない魔法をやめ、五人が入れるように大きく球状に防壁の魔法を使う。

分断されているのが戦いの障害となっており、全員が集まり隊列を整えられれば逆転は不可能ではない。

ガンダルフの役割はそれまで耐え忍びホビットを、指輪を守ることである。

握る杖に精神を集中し、肩を寄せあって震えるホビットを生かすことに力を費やした。

「助けてアラゴルン!」

メリーは遠目に見つけたアラゴルンに助けを乞う。

一度は勇気を出してみてもやはり怪物たちが怖くて仕方がなかった。

「そこを、どけぇっ!」

一方でアラゴルンたちは一丸となって突破を目論むも、致命傷を与えなければ何度も立ち上がり戦列に戻るウルク=ハイに手を焼いた。

オークを倍する脅威に自身が打ち負けないだけで手一杯ですらあった。

「くっ……」

手が足りない。

大勢と戦い擂り潰される。

少人数で旅をするにあたって最も懸念されていた事態が目前に迫っていた。

「さっさと老いぼれを叩き殺せ!」

魔法とて無限ではない。

囲んで防壁を叩き割れば神秘なき魔法使いなど恐れるに足らず。

サルマンの命令が達成されるまで秒読みであっても攻め手を緩めず苛烈に襲い続けた。

「このままでは持たぬ……!」

ウルク=ハイは太陽の下でも力を損なわず、ガンダルフの想定より手強かった。

モリアのオーク相手なら十分に強固であった防壁もみるみるうちに損傷していく。

アラゴルンもレゴラスもギムリもどっしりと組まれたウルク=ハイの隊伍に遮られ、思うように進めない。

燐光を散らして割られていく盾は魔力の減少を明示する。

三人がこちらに着く前に魔法は破られる。

手詰まりである。

ガンダルフは冷や汗を流した。

うずくまるフロドをサムは抱きすくめ、メリーとピピンは声も出せずに顔を強張らせていた。

 

 

林内を駆け抜けるボロミアは苦虫を噛み潰した顔をしていた。

走っていると胸中に渦巻くことを意識してしまう。

正気を失っていたとしても、ここまで共にやってきた仲間を手にかけようとしてしまった。

仲間を裏切った。

国を裏切ったも同じである。

誇り高い男は心の底から悶えた。

誇りを捨ててしまった。

指輪に操られて心の影を助長されるなど、ゴンドールの看板に泥を塗ったも同然だ。

悔やんだ。

しかし、ボロミアはそこで腐り諦めるような男ではなかった。

諦めるにはまだ早い。

やるべきはひとつ。

信じてもらえないとしても、オークを倒してフロドの安全を守り、汚名をそそぐのだ。

 

ウルク=ハイがひしめく斜面に面した崖に埋没する太古の監視塔に着き彼は見た。

黒き鎧に白い手形をつけた怪物はフロドを今にも捕らえようとしているのだ。

絶体絶命の危機を悟り、ボロミアは腰に帯びていた角笛を吹いた。

銀の口金が巻かれ、古代の文字が刻まれた角笛は父デネソールより授かった執政家の家宝のひとつである。

リューンの白い野牛の角から作られ、以来、執政家の長子に代々受け継がれてきた。

危急の際、ゴンドールの版図の及んだ領域内でこの角笛が吹き鳴らされれば、どこであろうと注意を引かないことはないと言われるものである。

その音色は朗々と響き、遠くはミナス・ティリスの天守まで木霊した。

味方も敵も一時だけ争いを忘れて剣を止め、音の出所を見上げた。

「ボロミアか!?」

アラゴルンは角笛を知っていた。

星の鷲の意であるソロンギルという名でデネソール公の父、つまりボロミアの祖父にあたるエクセリオン二世に仕えていた頃にゴンドールの角笛のことは耳にした。

実際に聴くのは初めてであるが、勇ましく雄々しいと吟じた詩人たちの伝承はまことであったと知った。

戦場の風向きが変わる。

ボロミアは間髪いれず助走をつけ、風化した螺旋階段からフロドの手前に集まるウルク=ハイの塊へ跳躍した。

「うおおおおおっ!!!」

無謀とも言えるほど勇敢に体当たりを食らわせる。

団子になって転げるが即座に立ち上がり剣を振り回して三匹を倒した。

がむしゃらに暴れ回ると包囲の一角が崩れた。

同時に魔法が解けてウルク=ハイが突撃する。

だがボロミアとガンダルフで前後を守れるならまだ形にはなる。

「があっ!!」

盾ごと殴り倒し、突き殺す。

切っ先で土を巻き上げて目潰しに使うなど泥臭いこともやってみせる、戦場で培ったあらゆる技術を使用して大暴れした。

「おおおおおおおおっ!!」

葛藤と後悔を洗い流す閧の声。

気迫に満ちた反撃にさしものウルク=ハイも浮き足立つ。

「かかってこいオークども! この俺が相手だ!!」

ゴンドールの大将は雄大なるエミン・ムイルの山々を背景に堂々と名乗りを挙げる。

一瞬だけ目が合ったボロミアが気品のある誇り高き戦士へと戻ったのだとフロドは感じた。

ボロミアは再三荒々しく角笛を吹く。

三人の戦士はいまだ戻れず、五十ものウルク=ハイがボロミアを襲う。

悠長に切り結んでなどいられない。

荒波を捌き、転がしたそばから阿吽の呼吸でホビットたちが止めを刺していくのがやっとだ。

事態は好転せずとも三人の戦士が加われば逃走の算段もつけられる。

それまでの辛抱と体に言い聞かせ、刻々と重くなっていく剣を振る。

「フン……」

戦況を拮抗させている楔がボロミアであることを顔に戦化粧をしたウルクの首領は看破する。

後列を防御する位置から大きく動けないボロミアへ向けて黒き弓を悠々と引き絞り、黒き矢を放った。

粘つく猛毒を塗られた矢は冷徹な速さで飛び、ガンダルフと四人のホビットの目の前でボロミアの左胸に吸い込まれた。

「ぐうっ!」

「ボロミア!」

そう叫んだのは誰か。

あるいは全員か。

薪拾いで軽装で出歩き、誘惑からいさかいを起こしてウルク=ハイに見つかるという不幸な巡り合わせは痛みを生んだ。

思考が短く脳裏を駆け巡る。

夜営地に置いた愛用の盾があれば防げていたであろうか。

否、それも詮なきこと。

唯一の現実は矢に塗られた毒により己が間もなく死に至ることのみ。

役に立てるなら最後の一瞬までこの身を捧げるまで。

「があああ!!」

鏃の返しが肉を裂くのを無視して引き抜き、投げ捨てる。

雄叫びで痛みをかき消し、傷口から血のあぶくを吹き出しながら反撃してまた一匹斬り倒す。

しかし決死の抵抗もむなしく、ボロミアの腹に第二の矢が刺さった。

「う、あっ…………」

息を詰まらせる。

ふらつき突っ伏す。

部下をガンダルフに集中させた首領は膝をついて剣を落としたボロミアに近寄り冷酷に大鉈を振りかぶる。

力尽きた今、満を持して首を落とそうというのだ。

「やらせぬぞ!」

ガンダルフは目の前のウルク=ハイの猛攻を防ぎつつ、なんとか握りこぶしほどの火球を杖から飛ばす。

しかしこれに敏捷に反応して鉄の盾で防いで表面を焦がすだけに留まった。

満足に魔力を練るのを許さない猛攻が恨めしい。

「大人しく待て老いぼれ。貴様もすぐに殺してやる。魔法使いはどんな味なのか楽しみだ」

挑発的な舌なめずりで必死の抵抗を嘲笑う。

「ボロミアァァァァ!!」

アラゴルンは共にゴンドールをもり立てる友が討たれるのを指を咥えて見ていられはしない。

だが青筋を浮かべてあらゆる手段で突破を試みても、数の暴力に支配されたこの場を逆転するには至らない。

怒ろうが嘆こうが持った力は変わらないのだ。

すぐにガンダルフ一人では抑え切れなくなり、ピピンとメリーが短剣を叩き落とされて怪物の手に落ちた。

「離せこの野郎!」

太い腕にがっしりと抱えられ、もがいても逃げられやしない。

無駄な抵抗を鬱陶しく思ったのか、顔をしたたかに殴られてぐったりした二人は運ばれてゆく。

「誰か……誰か!」

戦士は倒れ、幼なじみは捕らえられた。

フロドの心は、ばらばらに千切れてしまいそうであった。

忠勇の士であるサムもこの状況では、お守りしますとは言えなかった。

「貴様らの首は門に並べてやる。はらわたは踊り食いだ。助けなど来るものか、誰も!!」

鈍く光る鉈の刃を触りながら、今度こそボロミアの命を絶とうとにじり寄る。

サルマンの命令は半分達成された。

そして一行の命運も風前の灯であった。

 

 




映画ではやられ役にされるけど、オークだって元はエルフだしイスタリに改造されてガタイが良くなったウルク=ハイが弱いわけない
一般通過ドゥーネダインからしたら旅の仲間は全員バケモノだゾ
特に聖剣持ったアラゴルン強すぎィ!

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墜ちる星

烈火のごとく攻めかけるウルク=ハイが突如としてばたばたと倒れた。

磐石な陣形に乱れが生じる。

「なんだ!?」

木立をすり抜ける白い閃きを首領は盾で弾いた。

鎧の僅かな隙間である脇腹や喉に突き立ったそれらは矢ではなく、白銀のナイフであった。

それは一瞬にして七つの邪悪な命を絶った。

旅の一行もウルク=ハイもナイフが飛来した方向へ首を向け、震撼し言葉を失った。

西陽を背にして男が林をこちらへ歩いていた。

マントを風に揺らす筋骨隆々の雄々しき姿は背景を歪めるほど濃密な気配があった。

反して表情は非常に穏やかであり、その内に秘めたる、途方もない暴力への想像力が掻き立てられた。

「まだだ」

ロスローリエンを発ったオーザンはアンドゥインの川辺を疾走した。

垂直の崖を走り亀裂を飛び越え、道中すれ違ったオークを蹴り殺した。

そのような小物にはかかずらわず早馬の全力よりも速くこの地へ至った。

三艘の小舟が岸につけてあったエミン・ムイルにて、遠間から角笛を聞き付けた。

角笛を持っていたのはボロミアだ。

敵を引き寄せるような音を彼がわざわざ出したなら、それだけの危険に追われていると判断し直行すると、そこには力なくうずくまりオークによる処刑を待つばかりとなったボロミアがいた。

周囲の状況もかなり不味い。

仲間は散らばり各個撃破の恐れがある。

メリーとピピンが居ないのも気がかりだが、まずは目の前の状況を打破してフロドに安全をもたらすのが最優先だ。

カラス・ガラゾンで貰い受けたナイフを抜いて両手に持ち、走りながら精密に投げつけた。

そして今に至る。

「まだ居るさ。ここに一人な」

凄惨な血痕の散りようからは大出血を押して戦い尽くした勇姿が浮かび上がる。

ボロミアはよく戦った。

最も優先すべきフロドを文字通り、必死で守ったのだ。

「ゴンドールの勲、とくと見た」

最強不敗の者が勇者と呼ばれるのか。

蛮勇を誇る戦士が勇者と讃えられるのか。

どちらも否である。

敗北の苦汁と痛みを踏み越え、また立ち上がる不屈の者こそが勇者なのだ。

彼は矜持を示した。

ならばそれに応えよう。

「良い音だった。後は俺がやる」

極めて平静にセレグセリオンを抜く。

飢えた魔剣は久方ぶりの獲物にひどく興奮して脈打っていた。

魔剣には分別などない。

無差別にオーザンの右手からじわりじわりと血を啜っていた。

足元の枯れ葉が爆発した。

そう錯覚させる踏み込みが巨躯を運んだ。

ウルク=ハイが反応する頃にはガンダルフを袋叩きにしていた三つの首が弾け飛んでいた。

桁外れの暴力が振り返った顔を二つまとめて撫で斬る。

装甲など役に立たない。

火花を散らして暴風に華を添えるだけの飾りだ。

「疲れてる所悪いが結界は張れるな? フロドを守れ」

「踏ん張りどころじゃ、なんとかやってみよう……」

額に汗をかいているガンダルフに魔法の使用を促すと、彼は息を整えて杖を構えてくれた。

老いた外見に反して強靭なイスタリでも、全方位から弩で狙われでもしたら打つ手がない。

今が好機だ。

「怯むな! たかがエルフ一人、囲んでやっちまえ!」

戦局の推移に合わせて手透きの者をこちらにけしかけた。

が、遅い。

散開して各個に押し掛けても一薙ぎで倒すオーザンには律儀に並んで斬られに来るも同然である。

雑然と大鉈など使わされているだけあって、技術の欠片もない。

熾烈な生存競争を勝ち抜いた辺境のオークの方がまだ骨があった。

例え十重二十重に押し包まれても話にならないようなお粗末な烏合の衆だ。

「数だけは立派だな?」

裏拳が兜の頬宛を潰して中身が石榴の如く地上を汚した瞬間を見てしまったサムは目を背けた。

踊る黒線は艶やかに凄まじく、星霜の経た鍛練の証を誇示する。

三千年の狂気が練り上げた技と闇の魔法で下駄を履かされただけのウルク=ハイとでは、蟻と人ほども闘争の格が違う。

血と火花が彩る宴が幕を上げた。

「クッ、こいつの首だけでも……!」

半端な成果で戻ればどのような責め苦をサルマンより受けるか定かではない。

逃げる前に手土産を増やさねば。

困惑とおののきの中でそう判断したウルク=ハイの首領は、瀕死のボロミアに一刀を下そうと震え萎えた腕を動かした。

「させるかぁああ!」

死体を踏み越えて隊列を突破したアラゴルンが吼え、横っ飛びで腕を目一杯に伸ばす。

長剣の切っ先は落とされた鉈の腹を突き、逸れた軌道で土を抉らせた。

「人間ごときが……貴様から殺してやる!!」

体勢を崩しているアラゴルンの顔を忌々しげに蹴り、土から引き抜いた鉈を担ぐ。

八本の鉈をかわして反撃で血の華を咲かせるオーザンはそれを把握していた。

しかし助けには行けない。

フロドが最優先だ。

午後の木漏れ日で黄金色に染まる枯れ草を転がりアラゴルンは呻いた。

接近したウルク=ハイの右足の太腿を短剣で刺し貫いた。

首領が濁った唸りを漏らしたのは一瞬で、すぐさまアラゴルンを殴り付け、殴り飛ばした手で脚に刺さる短剣を抜き取った。

生命力の強い怪物には短時間の足止めにしかならないがそれでいい。

鋭く投げ返されたそれをアラゴルンは俊敏に身を起こして払いのけ、果敢に反撃に出る。

「はああああ!!」

形勢の不利を覆す気勢で打ちかかり一合二合三合と重ねる。

彼は万全とは言い難い体から溢れる熱量で敵を圧倒して追い込んだ。

愚かにも淡い希望を指輪に馳せてしまった同志の仇と思えば、口に満ちた鉄臭い味も忘れられた。

丁々発止の剣戟を押し切り、ついに右腕を肩口から切断した。

無防備になった厚い腹に剣を突き込む。

ウルク=ハイは一瞬硬直したものの、腹に刺さる剣を掴んだ。

自らの腹に刺すように手繰り寄せ、最後の悪あがきにアラゴルンの喉を食いちぎろうと前へ出た。

「でやあああっ!!」

腹から一気に抜き、腰から上半身を捻って強引に振った剣で首をはねる。

ボロミアの脱落に動揺し憤る魂は荒々しく彼らしからぬ剣技を使わせた。

首無しでは流石のウルク=ハイも生きてはいられない。

隊長は死に、傍らでは恐ろしい男が今も死体を量産している。

旗色が悪いのは誰の目にも明らかとなった。

目と口から恐怖は伝染する。

兵では一度傾いた戦局を立て直せない。

将が死ねば終わりだ。

「化け物だ……逃げろ!」

統制は崩壊し、三々五々にウルク=ハイの軍団は戦場を離れ始めた。

目の前の数匹を残し、あっという間に逃げ去っていった。

「化け物はお前らだろうが」

殿を瞬間的に斬り伏せ、左手の五指の間にナイフを挟む。

尻尾を巻いて全速で逃げ出した背中に投擲する。

風を裂いて飛びすさび、更に四つの命が尽きた。

「逃がすか! 行くぞレゴラス!」

遁走するウルク=ハイを追撃し、メリーとピピンを救出しに行きたくてギムリはいてもたってもいられなかった。

二人が殺されるようなことがあれば悔やんでも悔やみきれない。

「下手に追うでない!」

混乱した場を整えることが先決である。

ガンダルフは逸るギムリを慎重に制止した。

アラゴルンは剣を落とし倒れているボロミアに駆けつける。

「しっかりしろ!」

ボロミアは辛うじて生きていたが左胸と腹の傷は一目で助からないと分かるような深傷であった。

鈴虫のように細い呼吸が続くのも臓腑を腐らせる毒が回りきるまでの短い時間だ。

胸に置いた手に重ねられた指は急速に冷たくなっていき、アルダに魂がいられる猶予は無情にも終わりへ向かっている。

「死なせん、お前とやっと分かり合えたのだ!」

傷を押さえて流れ出る血を少しでも減らそうと腐心するが無駄であった。

「フロドは……フロドはどこにいる……」

ボロミアの目は霞み、すぐそばに居るフロドの姿さえ見えておらず、それが気掛かりであった。

容態を察したアラゴルンは胸を締め付けられる思いをした。

「……無事だ。オーザンが守った。彼が戻ったのだ」

「そうか……指輪は無事か。だがメリーとピピンが拐われた……俺のせいだ。俺が…………」

ボロミアは後悔と羞恥でさめざめと涙を流した。

誇り高い男が人前でこうも泣くものか。

それだけ己の弱さを憎み、悔いているのであった。

オークの矢を受けた兵の末路はイシリアンの攻防で散々に見てきた。

しかし、死とはこうも無念であるとは思わなかった。

無念だ。

ただひたすらに。

 

 

 

 

 





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のたうつ奇跡

誤字報告してくれる兄貴たちに感謝を…



「許してくれ、誘惑に負けた……弱い男だ……!」

「いやボロミア、立派だったぞ。名誉を守った。流石はゴンドールの大将だ」

涙ながらに詫び入るボロミアをアラゴルンは手放しに讃えた。

ひとつの指輪の誘惑に飲まれてなおも誇りを失わず、己を取り戻した非凡なる男を失うことは、人類にとって大きな痛手であった。

「すまない。俺がつまらない欲と野心にとらわれたばかりに……!」

「いいや違う。お前の心は、体を巡った血はこんなにも温かいではないか」

手を伝う鮮血にはまだボロミアの真心が溶けた温かさが残っていた。

きっと寛大さと優しさも混ざっているのだ。

これが善なる心でなくて、なんであると言うのだろうか。

数日前まで続いたロリエンの泉での語らいは二人の間から足早に過ぎ去り、ひどく寂しい。

「これが野心か? 野心とはもっと冷たく残忍で、後ろから忍び寄るものだ。正しい勇気から起こした行いを責めたりなど私はしない」

そこに一欠片の傲慢も強欲も有りはしない。

美しいものは零れて消えゆき、儚さと侘しい情動だけが残ってしまうのだろう。

「冥王は無敵だ。世界は破滅する。何もかも終わりだ……」

指輪から漏れた底無しの邪念と悪意を直視したボロミアは現世の終わりを予見した。

人の身には抗い難い原始の妄執にアルダは焼かれ、西方世界のみならずあらゆる地平が戦火に巻き込まれて歴史の終焉ととこしえの夜が訪れる。

夢か現実か、そんな恐ろしいものを見た。

相手はマイアでも最上位に位置するものだ。

ヴァラールにすら近しい力を秘め、奸智にも長けた冥王を只人が敵うものなのか。

勝ちたい。

だが、希望は持てない。

「私の血にどんな力があるかは知らんが、この血に誓おう。この世を必ず守り通す」

アラゴルンは野を渡る放浪者(ストライダー)として八十余りの年月を過ごしてきた。

王の血筋に生まれたことは重々承知している。

だが、王になるかは別のことだとして一兵卒に身をやつしていた。

しかしそれも今日この時までだ。

彼に代わり迷える民草を導こう。

唯一の真なる王として、執政から王権を返還される者として、アラゴルンは覚醒した。

アラゴルンが紛うことなきイシルドゥアの後継者たる証明の義憤と勇気は、絶望に沈んだボロミアを照らす。

「まことの救い主、あなたと見たかった。ゴンドールの再興と栄華を。我が兄、我が王よ……どうか祖国を、ゴンドールを……」

今生の別れを悼みアラゴルンは動かなくなっていく彼を抱きしめた。

やっと分かり合えたのに、心安らぐ語り合いは一月という短い間しか許されなかった。

非業の最期を遂げさせない男が一人。

血が染みた砂を踏み潰す男は終焉に歯向かう。

ボロミアの腹に刺さる矢を、深く肉が絡んだそれを力任せに引き抜いた。

「ふざけなさんな。お前の家はお前が守れ」

「ぐああああっ!」

はらわたを抉る苦痛が絶命の間際に瀕したボロミアを苛み悶えたさせる。

「やめろオーザン! これ以上苦しませるな!!」

アラゴルンの制止を無視して布切れを傷口に押し当てて包帯を巻く。

唇に跳ねた血からは体に回るオークの毒の味がした。

凄惨で、あまりにも望みが薄い手当てから仲間たちは目を背ける。

「もういいんだ、やめてくれ!」

介錯してやりたいとすら思いすがりついてくるアラゴルンを片手で弾き飛ばして転ばせる。

オーザンの知る闘いはそのように甘いものではない。

闇の勢力と人間は血で血を洗い、骨肉合い食む絶滅戦争をやっているのだ。

死ぬまで戦う。

死んでいても怨念と宿業が突き動かす肉体は敵を貫く。

「まだなにも終わっちゃいない。楽には死なせん。苦しんでも泥にまみれて生きてもらう」

アラゴルンがミナス・ティリスで名乗りを挙げ王の凱旋を知らしめても、それを執政が認めなければ、王権を競い合う馬鹿馬鹿しいお家騒動が始まる。

目と鼻の先に冥王軍が迫っている最中に指揮権の移譲で揉めようものなら、いよいよゴンドールは瓦解する。

アラゴルンの即位を補佐する役目を遂げてもらわねば困るのだ。

理屈の上ではそんな考えがあった。

されどそれはあくまで理屈を捏ねたもので、真相は異なる。

オーザンは目的のためならあらゆる犠牲を払う。

外道の狂人とも味方殺しとも罵られようが構わない。

愛した家族の死を見て、苦境を分かち合った友の死を見て、青々とした若き教え子の死を見て、狂気の旅は始まった。

人道などとうに捨てた。

故郷で同胞に開戦を告げた時、荒野へ向かう道より他に見える標はどこにもなかったのだ。

これまでも、これからも。

穏やかな気持ちを感じても、凍りついた魂はどこかでその先の悲劇を予感してしまう。

それでも、美しいと思えるものが世界にはある。

無様で滑稽な醜態を幾度晒そうと、無駄な努力と周囲に嘲笑われようと、足掻きを止める理由にはなり得ない。

「死はいつでも選べる。生きて、生き抜け」

生きることは死ぬことよりずっと勇気がいる。

意思に反して生き残ったものには特有の苦しさと罪悪感が残り、懸命に生きるものは美しいと感じるのは、その勇気を無意識で賛美しているからだ。

事実、息を引き取らんとしているボロミアは今、これ以上ないほどに輝き生きている。

とにかく、かつてなく気高い志を掲げた男を死なせたくなかったのだ。

幸い手段はある。

脈と共に出血が減り、押さえる意味が薄れた傷口から手を外して鞄から水晶瓶を出し栓を抜く。

掌の半分しかない小さな瓶のさらに半分だけボロミアの口に流し入れる。

「ガッ!?」

ボロミアの胸が跳ねる。

そして動かなくなった。

「ボロミア!」

「眠っただけだ。奥方から貰った霊薬を飲ませた。これから体は毒と戦う。負ければそのまま死に、勝てば蘇る。どうなるかは気力次第だ」

血に混ざった毒はかなり体外に出せた。

霊薬の助力を得た肉体は傷と血に残った毒とせめぎあう。

太古のエルフの薬は強力過ぎ、人間が服用すれば赤ん坊に蒸留酒を一気飲みさせるようなものだ。

しかし、生きようとする意志があれば体は応え、人間にはとてつもなく強烈な劇薬をも御するはずだ。

「信じろよ。ボロミアを」

この場で出来ることはもう無い。

手の血をマントで拭い、心配そうに見守る仲間たちを見回した。

 




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小なる者の勇

眠りについたボロミアをネン・ヒソイルの湖畔まで連れ、草の上に寝かせたアラゴルンは力いっぱいに抱きしめてオーザンとの再会を心から喜んだ。

「……本当によく戻ってくれた。夢のようだ」

モリアの別れは心を締め付けていた。

足止めさせず一緒に逃げるべきではなかったかのか、答えの無い問いをずっと思い悩んでいた。

「かなり遅れちまった」

それを受け止めて微笑み顔の小皺を増やす。

若武者然とした年の頃の相貌から、人間であれば十は老けたような具合だが、胸板は厚くオークよりも野太い手足の屈強な男は健在であった。

「あんた生きてたのかい!?」

「勝手に殺さんでくれ」

「いやでもあんなのと戦って無事だったなんて……」

サムは炎の巨人を思い返すだけでも身震いがする。

目の前の男がその脅威から生還したのが信じられない反面、倒してしまいかねない底知れなさも感じていた。

「いいじゃないかサム。生きててよかった。また会えるなんて……」

フロドはオーザンの腰に抱きつき、実在を確かめるように力を入れる。

「僕も死んだと思った。ごめん」

「はははは! 俺があんな木偶の坊にやられるかよ!」

高笑いで嘯く。

幸運、練磨、執念、どれかひとつでも欠けていればケレブディルの地下で果てていた。

代償も払っている。

苦痛をオーザンは笑顔の仮面で隠した。

「驚くのは後じゃ。色々と訊きたいことがあるが、まず、バルログはどうなったのじゃ?」

魔法使いはバルログの行方を気にした。

当然だ。

大きな物差しで見ればマイアという分類に属する同族の、それも狂暴強大な一柱が今どこにいるのか。

サウロンやサルマンに並ぶ第三の脅威が誕生してしまう。

「やっこさんには山の天辺で永遠に日向ぼっこしてもらったよ」

「あれを倒したのか?」

「ああ。胸に大穴開けてやった。こいつでな」

オークを膾切りにしてバルログとの戦いでも猛威を振るったセレグセリオンの鍔を触る。

固くなった左の指先でもその滑らかさは感じられた。

オーザンはガンダルフに顔を寄せる。

「本当にあれが最後の一匹だよな?」

「……そうであると願おう」

ガンダルフは言葉を濁した。

山をひっくり返し大陸が海底から隆起しては沈むほどの混迷を極めた太古の生き残りがあれだけとは限らない。

「頼むぜ」

二度目は勝てそうにない。

「改めて謝りたい。あの回廊の瞬間まで疑いを持っていてすまなかった。そして礼を言わせて欲しい。お前は人々の真なる守護者であった」

「全部過ぎたことだ。バルログは死んだ。それでこの話は終わりだ。いつもの威厳あるガンダルフでいてくれよ。なんたって神様の一人なんだろう?」

肩を叩いて離れ、パイプを出して草を詰める。

爪先で火口に使えそうな枯れ草を探して地面をほじくりかえす。

ほどよいものが見つかったので拾おうとすると、太く短い足に踏み散らされてしまった。

跳躍したギムリが鳩尾の辺りに頑張って抱きついた。

「生きてたか! てっきり死んじまったと思ってたんだぞ!!」

「俺が死ぬところを想像出来たなんて大したもんだ」

それを屈んで抱えた。

竹を割ったような性格で情に篤い、むくつけきこのドワーフをオーザンは好ましく思っている。

ひとかどの武芸者という共通点に僅かに同族意識を持っていることも関係しているのだろう。

「まったくとんでもない奴め。エルフにしておくのがもったいない。ドワーフの嫁を貰う気はないか? オーリの仇を討ってくれた男ならそんな傷面でも知り合いの娘を紹介してやれるぞ!」

口は悪いが心から喜んでいた。

見るものによっては忌避されるほどの傷跡が残ったオーザンの顔も偉業の証しであるとギムリは思った。

「好き放題言いやがって。残念だが俺は今も嫁さん一筋なんだ」

放浪の旅をしていた頃もドワーフの女には会ったことがなかったので興味はあるが、婚姻となると話は別だ。

今でもオーザンはイリスを愛している。

別の誰かを愛せるほど器用でもない。

「そうか、それは初耳だぞ。今度ゆっくり聞かせろよ」

地面に下ろしたギムリと入れ替わりにレゴラスが来た。

流石にエルフの王子は情熱的に抱き付いたりはしなかったが、爽やかな微笑みを溢した。

「ギムリが心配してたぞ」

「別に心配なんざしてない! ドワーフの宮殿でエルフだけ討ち死になんてしたら末代までの恥だ! だから一緒に死んでやる奴が一人ぐらいいても良いだろう」

「あの時泣いていたのは誰だったかな?」

「余計なことを言うんじゃない!」

豪気な無頼を気取るギムリは涙ぐんでいたことをからかわれて赤くなり、そっぽを向いた。

「また会えて嬉しいがあまりゆっくりはしていられない。ピピンとメリーがさらわれた。すぐに追うんだ」

「待て。まずは水でも飲んで一服しろよ」

少しの休憩を挟むべきだ。

多勢と戦い疲弊し、この時間なら腹も幾らか空いてきた頃合いだ。

言い出しっぺのオーザンがどっかりと小岩に座った。

レンバスを鞄から出して包んでいる緑の葉を外し、血なまぐさいそよ風の下で一気に大きく頬張る。

焼き菓子の外見をしたレンバスはほのかに甘く、しっとりとした食べ応えがある。

噛み砕くと溶けるように柔らかく喉を落ちていった。

カラス・ガラゾンから走り通してきた脚も、信じがたいことに活力が漲り始めている。

一枚で一日中走れるほどの滋養があると言われるのも頷ける。

水筒を煽って流し込み、二口で一枚を食べきった。

残りを包み直し丁寧に鞄に入れ、火打ち石を代わりに出す。

枯れ葉に火種を落とし、消えないように慎重にパイプの草に移す。

深く一口。

ハルディアに頼んだものはとても香りが良かった。

良いパイプ草を貰った。

銘柄を訊いておけば良かったかもしれない。

撃退したとはいえここは戦場であり、そこらじゅうにオークの死体とねばつく血の臭いがある。

真似できないくつろぎぶりに興奮冷めやらぬ仲間たちは呆れ、アラゴルンも困惑した。

「何をしてるんだ!?」

「優先順位を考えろ。俺達の旅の目的は指輪を捨てることだ。経路は変更が利く。フロドの護衛も俺がやれる。だから慌てることはなにもない」

最も重要な事項は指輪がこちらの手にあることだ。

それは誰が捕らえられて犠牲になっても変わらない。

少年でも老人でも、指輪に勝る価値はないのだ。

その為に必要とあらばどんな危険にも身を投じ、指輪に虜にされた仲間でも斬ってしまえる覚悟がある。

これは苦い経験と鋼の心を要する判断だ。

アラゴルンのように善なる人物にはそれが恐るべき冷徹であるように思われ、優しく深い友愛を持った男であるという認識を裏切る発言に動揺した。

「見損なったぞ。みすみすあの二人をオークの餌にするのか!?」

「見捨てるなんていつ言った? 話は最後まで聴け」

まるで射るようなオーザンの鋭い眼光に、言い募るアラゴルンが足を縫い留められる。

「今のは最低で最悪を想定した計画だ。実際にはフロドや進路の情報を持った二人を見捨てて進むのはあり得ない」

あのエルフとの約束もある。

守れるならば破りたくはない。

オーザンは紫煙を吐いてまたパイプを吸う。

「俺達はかなり不利だがそこまで負けちゃいない。二人をさらったやつらはアイゼンガルドに向かうはずだ。ならば到着するまで餌にはされない」

「どうしてアイゼンガルドに行くと言い切れるんだ? オーザンは暗黒語が判るのか?」

オークやその他の闇の生き物は、中つ国に広まっている西方語とは異なる言葉を話す。

そしてオークは残虐で狂っているが愚かではない。

奴隷を扱ううちに人の言葉を覚えるものもいる。

人と掛け合わせたウルク=ハイともなれば一層の知恵をつけてかなり流暢に喋れるものもいた。

しかし別に聞き出した訳でも暗黒語が判る訳でもない。

「霧振り山脈の南を抜けるときにアイゼンガルドを通ってあれと何度かやり合った」

仲間という負担が無いオーザンを止めるには増強途中の部隊の百や二百ではとても足りず、轢き殺すようにアイゼンガルドの守備隊を食い散らかして西へ抜けたものだ。

オークが来た黒い鎧に白手形を塗ってあったのがサルマンの紋章なのだろう。

辺境と違い生存競争が厳しくない中つ国にしては大柄なオークがちらほらといたのも覚えている。

「あとな、オークが餌を捕まえるときはもっと根こそぎ奪っていく。あの数で食うのが子供二人じゃ弁当にもなりゃしない」

すぐに食うつもりならもう殺されている。

今さら慌てても意味がないのだ。

憎いほど良く知っている。

「一理ある。あれはオークをまじないでさらに歪めた化け物のウルク=ハイ。鎧に付けた白の手形もサルマンの紋章じゃ。おそらくサルマンも指輪を持っておるのはホビットのうちの誰かという事しか知らなんだ。奴らがホビットの顔の見分けがつくとも思えぬ。まとめて引っ立てさせることをあやつは選ぶじゃろう」

ガンダルフが説明を補強してくれた。

「四人の内難を逃れた二人にフロドがいるのは幸運であるが、メリーとピピンにとってはそうではない。アイゼンガルドで指輪を持っていないことが露呈すれば二人を待つのは地獄の拷問と確実な死じゃ」

二人はとても耐えられずフロドのこととこれからの旅路について残らず言ってしまうだろう。

そののちにどうせ殺されてしまうのだ。

「時間はあまりない。まずは二人を助けねばな……」

額に刻まれるしわを深くして魔法使いは口ごもった。

悪い方向に転がり出してしまった事態をどう収めたものか全員で思案する。

「……提案がある。上手くやればフロドは比較的安全に進めるし、二人も助けられる」

オーザンらパイプから顎髭が覆う唇を離して切り出した。

火を分けてもらい一服やり始めたギムリもパイプを外して疑問を口にする。

「そんな都合のいい話があるってのか?」

「モルドールと挟み撃ちをするつもりだろうが、俺たちがどの道を何人に別れて進むのかサルマンは知らん。派手に暴れたら目はこちらに向く。嫌でも向かざるを得なくしてやる」

手慰みに弄んでいた小石を湖面の波打ち際に投げる。

冷たく青い流れに小さい波紋が起きた。

続いてもう少し大きな石をやや遠くへ投げ込む。

するとさらに大きな波紋がそれまでの波を飲み込みかき消した。

「む……」

「囮か」

ガンダルフは唸り、水面の波に計画の全貌を重ねたレゴラスは理解を示した。

「そうだ。奴らが支配するテーブルを引っ掻き回す。二人を取り戻して反撃開始だ。サルマンにたんまり吠え面かかせてやろうぜ」

「ボロミアはどうするのじゃ。ここに置いては行けぬ」

「俺が看病する。ピピンとメリーはそっちで追ってくれ。明け方にはボロミアも動けるぐらいに回復する筈だ」

幸運にも胸に刺さった矢に塗られた毒は少ない。

雑に量産された装備の質から見て、そこまで大量に用意する時間はなかったのだろう。

あとは意思と毒の根比べだ。

「そうか……すまん。さっきはつい考えなしに口走った」

「詫びはいらん。オークに囲まれて一人が倒れて二人が拐われたなら気が動転して当たり前だ。長生きしてると手が汚れるのも事実だ」

勝利は最悪を想定して力と執念を叩きつけてもぎ取るものだ。

気持ちの良い理想論だけで足元を掬われないように暗がりを覗きこむ役割は俺がやる。

アラゴルンは一点の曇りもない錦の御旗であってもらいたかった。

「さて、今のがどういうことか分かるな?」

「……それが一番なんでしょう?」

「そうだ」

フロドにオーザンだけが着いていくのは一見素晴らしいように思えてもかなり不味い。

オークを斬って昂った精神が指輪に少しでも誘導されたら、ホビットなど一瞬で殺しかねない。

ただでさえ魔剣とその後遺症という懸念材料を抱えているのだ。

フロドの本音ではこの大男から離れたくない。

並み居るオークを薙ぎ倒す懐にいればまったくの安全であるように思える。

しかし敵が千とも万ともなれば別だ。

必ずというものはどこにもなく、これが最善なのだった。

「ならやるよ」

決断の時である。

第二第三のボロミアを出さないためにも孤独な旅に出ることをフロドは決めたのであった。

 




私事ですが、この度無職になりました。
やったぜ。

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離別

「俺は同情も慰めもしない」

故郷の行方不明者の手がかりを得たと信じ、砂漠を数ヵ月移動した末に間違いであったことや、墓標代わりに建てた遺品の剣を野盗に奪われたこともあった。

ドワーフの名工が打った武装類は貴重なものが多く、その値打ちがわかる審美眼を持った悪党には魅力的だったのだろう。

墓は何度も暴かれ、骨だけになった骸が砂塵に曝されていたその時々、とても落胆した。

「だが諦めるのだけは絶対許さん。男がやると決めたなら、死ぬまで抗い続けろ」

しかし諦めたりは絶対にしなかった。

何十日かけてでも追い詰め殺して残らず取り返した。

もちろん根本的な解決にはならない。

またいつか盗まれると考えればそれらはまるっきり無意味である。

それでも良い。

やり続けることに意味がある。

「諦めたら悔いだけが残る。後悔を引きずるしみったれた人生にしたくないなら、俺たちが残らずくたばっても、お前は戦って証明し続けろ。俺たちは確かにここにいたんだと。それが礼儀ってものだ」

岩から降り、屈んで目線を揃えて頭を握れるほど大きな掌で優しく髪を撫でた。

「最善を尽くしたなら、少なくとも悔いは残らん。俺は恨まず死んでやる」

墓守りは死者のために居るのではなく、残された生者の心の安寧を維持する為に居る。

戦いだけに生きて孤独を生き抜いた男の悟りだ。

「つらい時は甘えろ。弱音を吐け。俺だってたまにはへこむ」

食べかけた一袋と霊薬の小瓶とグワイヒアの羽根だけ出して懐に仕舞い、レンバスと水筒が詰まった鞄をフロドの肩に掛けてベルトを締めてやる。

オーザン用の鞄は小柄なホビットには大きすぎたがなんとか背中に納められそうだった。

大きな荷物になってしまったが、あればあるだけ今後を楽にしてやれる。

「モルドールまで着いて行きたかった」

「あなたにはあなたの役割がある。指輪を運ぶと決めたのは僕だ。これが僕の役目なんだ」

裂け谷での誓いを破らざるを得ない時局に忸怩たる気持ちで歯を食い縛るアラゴルンへ力なくフロドは微笑み許した。

「さあ行くのじゃ。いつまたナズグルやオークが襲うかわからぬ」

別れを告げる役目を負ったガンダルフの目には涙がうっすら浮かんでいた。

代名詞の灰色衣の袖で拭うが拭いきれない。

本人はこっそり拭いて隠し通せたつもりでも仲間たちはそれを見て涙の訳を察していた。

誰とも結ばれることなき独立したマイアのガンダルフにとってフロドは血縁の繋がらない孫のような存在であった。

苦境に送り出そうとする情念は、今生の別れにも匹敵する。

あまりにも心苦しく、しかし目を逸らさず見送った。

それが、いと高きイルーヴァタールに遣わされたアルダの大地で得た、知見と情であった。

「じゃあみんな、元気で」

オーザンが岸から押し出した小舟に乗り、しっかりとした手つきで漕ぎはじめた。

非力なホビット一人では遅々とした速さであったが、確実に遠のいて行く後ろ姿へ駆け出す者がいた。

「フロド様、おれも行きますっ!」

残る一人のホビットは水に飛び込み上ずった声で主へ叫んだ。

「おい待て!」

「行かせてやろう」

自殺まがいの寒中水泳をやめさせようとギムリが斧と兜を置いて追いかけようとしたところをレゴラスが制止する。

レゴラスはオーザンと同じほどに長く生きてきても、不老長寿のエルフばかりに囲まれて死というものをほとんど理解していなかった。

オークと縄張り争いをしても戦死者は稀で、死に付随する離別の哀愁と恐怖を知らずに育ってきた。

そしてモリアで殿を務めたオーザンとボロミアの自己犠牲の姿に啓蒙された。

今ならば理解できる。

サムの恐怖に打ち勝った気高い心が。

「行けサムワイズ! いつかお前が必要になる日が来ると言った。今がその時だ」

サムも見つけたのだ。

命をかけるに足る大切なものを。

ならば行くがいい。

暗い道のりだとしても歩ききってみせてくれ。

一迅の突風がオーザンの声援を載せてサムの背中を押した。

「戻れ! この先は一人で行く!」

フロドは一度は拒絶した。

死出の旅に庭師のサムを巻き込むまいと強い口調で言った。

「分かってます! だからおれも行く!!」

「泳げないんだろう!?」

意に介さずサムは泳いだ。

泳ぎが不得意なホビットに足のつかない深い水は底無し沼と同じで必ず溺れ死んでしまう。

アンドゥインの一部であるネン・ヒソイルには当然ながら流れがあり、巨大湖ゆえの緩やかさであってもサムには絶望的なものだ。

それでもみすぼらしい犬かきで懸命に小舟を追った。

太っちょで荷物も沢山背負った体は力いっぱい手足を動かしていても沈んでしまいそうになる。

恐怖と使命感の葛藤を抱え、主を信じて冷たい水を泳いで進む。

足は重くなり、水を吸った服とマントがまとわりついて体を水底へ引きずり込もうと引っ張る。

負荷はいや増して、小舟まであと僅かというところでサムは力尽きた。

もう一度顔を出して息を吸い込む余力は、冷たくなった体には残ってはいなかった。

水面の煌めきと船底の影が遠ざかる。

焦がれるように伸ばした指先だけが彼の意思に従った。

示された忠義にもう一人の手は応えた。

一人旅を決心したフロドでも命をなげうったサムを見捨てられなかったのだ。

サムの手が握られ、水面にぐんぐんと上ってゆく。

顔を出した瞬間に新鮮な空気を急いで吸い込み、小舟に引き上げられた。

危うく溺れ死ぬところで引き上げられたサムは紫色になった唇を震わせながら、それでも後悔はしていなかった。

「おれも約束したんです。あなたから、どんなことがあっても離れないって。あなたを守る」

「サム……」

感極まって抱き締めた。

滴り落ちる冷たい雫も気にならないほど温かな気持ちであった。

フロドはこの旅の結末に孤独な死も覚悟していた。

この愚かで勇敢な親友は一緒に死ぬと言ってくれた。

その一言にどれだけの価値があり、どれだけ嬉しかっただろうか。

誰かの献身を受ける幸せにフロドは咽び泣き、涙を流したまま櫂を取る。

「……出発だ」

 

 

「オークばかりと思っていたが、こんな所で美しいものを見られた」

にじみ出す高貴な風格がそう思わせるのか、レゴラスが言うと嫌味にならない。

「ああ」

あの下手くそな泳ぎは失われることのない信頼と友情の素晴らしさを教えてくれるものであった。

「さあ我々も行こう。武器以外は全て置いていく」

「オーリの形見も駄目か?」

「全てだ」

必要なこととはいえアラゴルンの指示にギムリはしょげた。

唯一の遺品を放棄しなければいけないのはつらい。

「心配ない。オーリの日記は俺が後で運んでやる」

「本当か!? 頼んだぞ!」

幾らかのレンバスと水のみなのだからオーザンの巨大な背中にはまだまだ余白がある。

日記の一冊を加えても走ることに支障はない。

「沈む太陽を追うとしよう」

「詩人だな」

「詩も王子の嗜みのひとつだからな」

図らずも中つ国存亡の鍵となったメリーとピピンを、アイゼンガルドのある西へ沈む太陽にレゴラスは例えた。

鉄火場を潜り抜けて間もないというのに、天性の洒落た男であった。

「再会したと思ったらもうお別れか。せわしないこった!」

「今度はお前のひげ面が恋しくなる前にまた会えるだろうよ」

「へっ、抜かせ」

仲間たちは戦装束に身なりを変えた。

武器とガンダルフの杖の他には何も身につけていない。

追撃戦が始まるのだ。

「それぞれ支度は整ったようじゃな」

「ボロミアは任せたぞ」

アラゴルンは弟のように思うボロミアの寝顔を慈しみの目で見やり、エルフのマントを翻した。

「ああ。気をつけて行け」

四人は頷き、口をつぐんで力強く走り出した。

こうして十人の仲間は仲間とアルダの運命の為に別れて進むこととなった。

二人がモルドールへ。

二人がさらわれてアイゼンガルドへ。

四人がそれを追う。

二人が傷の治療にここに留まる。

想像を絶する闇が待ち受ける、中つ国の最果ての地、暗黒のモルドール。

一縷の願いを星霜の邪智が迎え撃つ。

希望と破滅の星を託されたのは一人の少年。

その曇りなき志を秘めた眼はこの先に何を見るのだろうか。

 

 

 




第一部完!
ここまで追い掛けてくれた読者に感謝を。
やったぜオルルァ!

同時展開の
エログロ全開ハードコアチャンバラ破戒武侠伝
「剣戟魔界都市」もハイよろしくぅ!
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二つの塔
新生


四人を見送ったのち、薪を集めて日没の前に焚き火をおこした。

山間部の湖のそばで過ごす寒い夜は怪我人の傷に障る。

火の近くで寝かせていても万全とは言い難く、着ていたマントを毛布代わりにボロミアへ被せる。

休むには早く、時間潰しと体調の確認を兼ねて彼に目が届く所で軽く剣を振る。

ウルク=ハイを倒す間にも感じていた違和感は不本意だが正しかった。

左手の指に力を込めると少し痺れて微細な動きに支障をきたしていた。

剣技が曇るほどではなくとも軽視するのは危険な兆候であった。

病魔を思わせる黒い染みが肘まで広がっていて影響が指だけで済んでいるのを軽いと見るか重いと見るか。

セレグセリオンに蘇生されてまだ数日だが予想していたよりも進行が早い。

決して侮りはしなかったが、マイアの怨念とは死してなおこれほどか。

「時間が無い、か」

あとどれだけ生きていられるのか。

残り時間までに指輪の旅を終わらせ、仇を見つけられるだろうか。

仇を見つけたその時、満足にセレグセリオンを操れるか。

過去を清算する旅路の末に後悔だけはしたくない。

どんな奴が相手でも必ず一太刀浴びせてやる。

その日まで死ぬことはできない。

久しぶりに生きる確固たる目的を得たという一点だけはイルーヴァタールの啓示に感謝しよう。

仕組まれていたかどうかなどどうでもいい。

神の狙い通りに戦おうじゃないか。

生が尽きるまで。

セレグセリオンに心を通わせ、剣を掲げ袈裟に振り下ろすだけの一見単調な動作の奥深さを改めて追及する。

嵐の日も砂塵舞う日も続け、何千万とやった反復がオーザンの技量を形作っている。

力み、呼吸、脈拍、思考、魔力。

全身で全力を注ぎ込めば良い一撃が出せるというものでもない。

体の動かし方を知るのは初級から中級にかけての話であって、肝要となるのはやはり適切な配分による調和だ。

力任せのみでバルログを斬るには十年は同じ部位を剣で打ち続けることになる。

オーザンの指は節くれだち剣のたこが出来ているが、女のようなしなやかさを損なわず寸分の狂いなく動かされ、かの魔神の腕を切り落とし、胸を貫いた。

初歩こそ奥義であり全て。

初心に忠実であれと念じ、感覚の変異で思うようにいかない部分を矯正する。

虚空を斬りつける一人稽古は夜更けになってそれなりに馴染んだと納得しきるまで続けた。

浅瀬で水を浴びて汗を流し、敵襲に備えた浅い眠りに入ってボロミアの目覚めを待った。

翌朝、見込み通り日の出と共にボロミアは目覚めた。

起き上がると土の香りと流れる水の音を感じて、そこが冥府などでなくアルダの大地の一部であると彼は知った。

「ああ……エルよ、マンウェよ。罪滅ぼしの機会を下さったことに感謝する!」

死に際に焼き付いた後悔をやり直せるのなら、人はこうも感涙にむせぶ。

跪き快晴の天に無限の感謝を捧げた。

次いでオーザンを見やり、手を取った。

己は死んだと思ったら生き返り、死んだはずの男が五体満足でひょっこり戻ってきた。

感情の整理が追い付かない。

「お前、生きて……いたんだな」

「お互いうっかり死に損なったってことだ」

「そうか、生きてたか。それで耳長が耳無しになったわけか」

「もっと男前になっただろう?」

「ははは! そうだな! そうだとも!」

口を曲げておどけるオーザンを見上げて力強く抱擁した。

二人は旅のために殉じ、予想外の幸運で生き延びた同志となった。

大いなる目的のために殉死するのは確かに尊いかも知れないが、生きている方がずっと素晴らしい。

それが嬉しくてボロミアは腹の底から笑った。

二人は死の一線を越えし戦友となり、強い友情が生まれた。

それから、ボロミアが倒れてからのあらましと成り行きで予定の変更が多分にあったことを伝えた。

「力がみなぎる。俺になにをした?」

「感謝するなら森の領主たちにだ。この世に二つとない薬をくれたのはあの二人だ」

水薬はとても強い力がある。

人間が使えば致命的な傷を癒すだけでなく、並みの男を凌駕する剛力や活力も一時とはいえ与えてしまう。

悪の手に渡った場合の危険性は言うまでもない。

力ずくでは何人にも奪えず万が一盗まれたとしても取り戻せ、使い方を誤らないと認めたオーザンだから二人は託した。

類い稀な意思力と実力に魔剣を携え、怒りに駆られる危うさも併せ持った男は魔王の資質があった。

人智を超越した力で全てを破壊する三代目冥王と成り果てる可能性が充分にあった。

それでもケレボルンとガラドリエルは人というものを信じたのだ。

「俺は間違っていた。名誉のための戦いは終わりだ。俺はフロドのために戦う」

「その道はつらい。恐ろしくな。覚悟はあるか?」

常に被った仮面を脱いで珍しく苦労と憔悴を滲ませた顔を見せ、常人には耐えられぬ修羅路を敢えて進もうとする後輩に最後の決断を問う。

「本来なら一度死んだ身だ。恐れは彼岸に置いてきた」

「……格好いいじゃないか」

オーザンは毒気が抜けた微笑みをした。

正しいかはさておき、男気が通った好みの答えであった。

若者はいつも年寄りの予想を上回り成長する。

人界を見守るものとして、それがたまらなく嬉しいのだ。

「さらわれたピピンとメリーを連れ戻しに行く。アラゴルンたちは先に出た」

それから仮死状態となっていた間に決まったことや今後の計画についての詳細を説明した。

指輪に誘惑される仲間を出さないためにも、フロドがサムだけを伴ってモルドールへ行くことになったと告げると非常に渋い顔をした。

あの時ボロミアは、自我の強さを嘲笑うように心を染め上げられて全く抗えなかった。

思い返すと情けないが、あれは人間にもエルフにも扱えない代物であると克明になった。

天下を差配しようなどとは欠片も思わぬ無欲なホビットだけが耐えられる。

「二人を助けた後は俺たちが奴等の拠点を襲撃して囮役に徹する」

「これから始まる中つ国全土を巻き込んだ陽動作戦の下ごしらえだな」

「まずは走る。合流できるまでは何日でも食事も休憩も挟まないつもりだが、着いて来れるか?」

「ここでやらなければゴンドールの名折れだ。どこまでも走ってやろう!」

一つの戦場にエルフが居て、ドワーフが居て、ドゥーネダインが居る。

数に目を瞑れば最後の同盟のようだ。

腕が鳴るというものだ。

「出発前にレンバスを食べろ。一枚で一日走れるらしいからな」

大量に飲み食いした挙げ句に荷物にも入れてくれた後で、ハルディアは今の中つ国では非常に貴重なものであるとこっそり教えてくれた。

古きエルフたちは快く提供したものの、食卓に並んだ国家の財産とも呼べる希少なものを片端から平らげていく景色に恐れ入っていた。

もっとも、怪物じみた肉体と鉄の胃腸のオーザンだからそんなに食べられただけで、大抵の者は一枚で充分に満たされる。

一枚食べて閉じ直した包みをボロミアに渡して食わせた。

「こんな味だったのか。カラス・ガラゾンでの食事に似ている」

「俺も初めて食べたよ。結構美味いよな」

「お前はエルフなのに見たことはなかったのか? 親か、祖父母は光のエルフなのだろう?」

エルロンドの催した会議の時からボロミアはオーザンのどこかにただならぬ威光の残光を感じた。

エルロンドとロリエンの領主を見て、それが光のエルフから滲む覇気の一端であったのだと知った。

そして今、死の縁より甦ったことにより、この世ならざるものを見る目を授かっていたのである。

肉体に重なりうっすらと透けた霊体がはっきりと見える。

オーザンの霊体は以前の比でなく輝いていた。

光のエルフの血を覚醒させ、バルログの魂までも取り込んだ。

神々の恩寵を受けた光のエルフであればまだしも、半分が人間で出来た肉体に収まるはずもない。

そうとは知らぬボロミアも困惑し、言及を避けた。

左腕から立ち上る炎はひょっとしてバルログの欠片ではないのか。

一体なぜ。

お前はどこへ向かっていくのだ。

今は平然としているこの男がどうなってしまうのか、ボロミアは空恐ろしくなったのだ。

「繊細なものなんだ。麦も作れない荒野じゃ育てられなかった」

オーザンの祖父が村の開拓を開始したばかりの入植者第一世代は畑を開墾し、レンバスの原料、つまり穀物の稲作を試みた。

種籾は祖父が持ち歩いていたらしい。

湧水地を近場に持つだけの痩せた土地では残念ながら失敗に次ぐ失敗で夢は潰え、結局諦めて不作に強い芋類を主として農業をしていた。

レンバス自体の話は祖父から他のエルフの品々の昔話の合間に何度か登場していたので知っている。

荒野と砂漠の間で生きるなら永遠に縁がないと考えていたが、人生とはどこでどうなるか思いもよらないのであった。

「そんな場所で人が良く生きていられたな?」

「人はしぶといんだぜ。オークよりもな」

この場の二人が生き証人だ。

「くくく、違いない」

ボロミアは奇運に翻弄される境遇を呪うどころか笑った。

腹を括った者同士の不思議な絆の下で二人は談笑してパイプを吸い回し、出発の支度を整えた。

邪魔にならない形の鞄を選び、ギムリに頼まれていたオーリの日記と幾らかのレンバスと水袋を入れた。

それをオーザンが背負う。

ボロミアは剣と盾を除いて空身だ。

足が鈍ると困る。

オーザンも鞄以外は魔剣しか持たない。

「じゃあ行くぞ」

「ああ」

始めは小走り程度で、それから様子見をしながらオーザンは加速した。

並みの人間の全速を上回る速さで走り始める。

汗をかきつつも息を詰まらせずボロミアは着いていけていた。

オーザンはそれを横目にどんどんと加速して鍛えた軍馬に並ぶ勢いまで速度を上げる。

ロスローリエンを出る際にハルディアと並走した速度と概ね同等である。

それでもボロミアは走れている。

傷を治した残滓がもたらした活力により未知の世界を味わうボロミアは驚く。

霊薬は人間ではあり得ない脚力を一時的にボロミアに与えていたのだ。

末恐ろしいことに、長距離を走ることを加味してもまだ限界ではない。

一体何を飲まされたのか。

そこまで行って、考えるのをやめた。

どうなろうが旅の成否に命をかけるのだからどうでもよい。

「もっと上げるぞ」

「ああ、やってくれ」

一時だけ超常の域に踏み込んだ体の使い方、出力の引き上げ方をボロミアはオーザンに任せた。

オーザンも加減をやめ、更にとてつもない速さで、それこそ馬よりも速くエミン・ムイルの斜面を飛び出した。

 

 




大怪我+異物混入の主人公
人生まで先払いしちゃったしどうなるんでしょうか

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追放

ローハン王国の王都エドラス。

それは中つ国の南西にそびえる白の山脈(エレド・ニムライス)の北面の麓、雪白川のそばにある太古の丘の上に位置している。

玉座がある王の居城たる黄金館は城というより館とその一群と呼んだほうが適当な造りをしている。

みすぼらしいというのでは決してなく、ゴンドール調の壮麗さとは別種の勇ましさと懐古的な美点が備わっている。

金細工を慎ましくあしらった柱や梁は実に堂々としており、ローハン人(ロヒアリム)の質実剛健な民族性を体現する。

王の座に就くのはセオデン。

青年王エオルのローハン建国から数えて十七代目にあたる。

セオデンの脚に触れるほどの間近には、顔色が悪く卑屈そうな小男が常に侍っていた。

セオデンは第三紀3014年の六十六歳の時より病を得て、以降ひどく健康が衰えていくようになった。

これを自分が年老いて耄碌したのだと思い込んで次第に政務が取れない状態になり、相談役であるこのグリマが王の名の下に王国の実権を握るようになってしまったのであった。

今ではグリマは巧みな弁舌で虚ろなセオデンを唆して宮中を牛耳り、内政と軍略の両方に口出しするようになっていた。

栄光から遠ざかって久しい黄金館に芦毛の馬に騎乗した男が登城し、王の前に跪いて臣下の礼をとった。

セオデン王の妹の息子、つまり甥のエオメルである。

最高司令官たる王の下で、第一軍団長、第二軍団長、第三軍団長という三人の司令官が置かれ、彼らがそれぞれ第一から第三軍団を指揮した。

エオメルはその中で東方地域の東マーク一帯を統括する第三軍団長を務める。

黒い染みを着けた熱気冷めやらぬ鎧姿に文官らは鼻白むがそんなことに構っていられないほど彼は切迫していた。

サルマンの裏切りが発覚しても、アイゼンガルドを南北に隔てるアイゼン川によってこれまでは辛うじて安全が保たれていた。

大規模な軍団が渡河可能な浅瀬が一つだけある。

その浅瀬の通行権を奪わんとするサルマン軍のウルク=ハイとローハンの騎馬軍団が先日矛を交えた。

ローハン軍の大将を務めたのはローハン王セオデンの一人息子、皇太子セオドレド。

そしてローハンは二度に渡る合戦の両方で大敗を喫した。

「オークの待ち伏せに遭い、殿下は戦死なされました……」

伝統に則り勇敢に陣頭で指揮をとり槍を振るった彼は不幸にも戦死した。

戦況が著しく不利と知り、王命が下るのを待ってはいられぬと、不服従の謗りを覚悟で独自に郎党を率いて戦地に向かえば、軍団はとっくに蹴散らされ消滅していた。

竹馬の友でもあった王子セオドレドは冷たくなって浅瀬に浮いていた。

報告するのもつらいことだ。

しかしセオデンは実の子を失った悲しみや憤りを露わにすることはなかった。

正しくは、出来なかったと言うべきか。

知性が光っていた瞳は曇り、萎びた手足からは往年の武勇も去ってしまった変わり果てた姿で玉座にもたれているのみだ。

「我らが戦わねば、サルマンに国を奪われてしまいます!」

「嘘でございます」

ぴしゃりと遮ったのは件の相談役グリマだ。

下手の暗がりの通路から盗み見ていたグリマはエオメルの懸命な報告を台無しにしに来た。

「白のサルマンはかねてより我らの善き友であり同盟者であります」

領内を駆けて現実を見ているエオメルには全てが白々しい。

敗走してきた兵の情報ではサルマン軍は魔狼やゴンドールを裏切った者の末裔である褐色人を加えて一万を超える兵を揃えていたという。

態勢も整わない半端な数で、それも逐次投入という愚を犯してしまったローハンの主力は今や散り散りになって西部へ追いやられた。

しかし敗残兵は救援要請の伝令を送ったと言う。

それならば手遅れになる前になぜエオメルの耳に入らなかったのか。

このグリマがそれを握り潰したのだ。

一直線にセオデンに伝わるはずの情報を塞き止められるのはグリマの他にいない。

エオメルは確信している。

これがただの老いであるものか。

セオデンが急激に衰えて明晰さを失ったのもローハンの奪取を狙ったサルマンの魔力と、その間者であるグリマの術策によるもの。

昨年にサルマンの寝返りが判明した今となってはそれは明白だ。

それを報せてくれたガンダルフまでもグリマは王を使って追放に処した。

これは毒のような内からの侵略だ。

滅びの足音を王国の重鎮らはひしひしと感じるも、悔しいことにサルマンとの繋がりを示す証拠は何も無い。

決定的な証拠が無ければいくら責めようと言いがかりであり、戦略上の失策で終わってしまう。

ありのままを報告するしか手がない。

「オークが我が物顔で領内を徘徊し、至るところで殺戮を恣にしております。兜にはサルマンの白手形が」

戦地で拾った兜を上部の白手形がセオデンに見えるように置く。

これもグリマの内通の証拠とはなり得ないがサルマンの侵略の証明には違いなく、初めてグリマが顔色を変えた。

「ただでさえご病気の陛下に何故心痛を増すような事ばかりを……」

グリマは一枚も二枚も上手だ。

それも心を病んだ王の扱いとなればエオメルには及ぶべくもない。

内政にも明るいグリマはいやらしいほど弁が立つ。

このように話をすり替え煙に巻いてしまうのだ。

伝令もセオデンに引き合わせず追い返すか投獄してうやむやにしてしまったのだろう。

武人肌のエオメルは弁論ではまるで敵わないでいつもやり込められてしまう。

うわべだけへつらった様子でセオデンを労り手をさするグリマを叩き斬ってやりたい衝動に駆られるも堪える。

宮中を混乱させている猶予は無いのだ。

己だけで動かせる子飼の部下では数が足りない。

王の名の元にローハン全軍に召集をかけねば戦えない。

「解らぬか? 伯父君はあなたの不平不満、戦好きにうんざりしておいでだ」

「戦好きだと……」

エオメルは言葉が出なかった。

王子を見殺し、戦火に焼かれる国土を放置する裏切り者に対する罵倒の仕方が、この忠実で規律正しい男には解らなかったのだ。

代わりに王の眼前であることも忘れて掴みかかった。

「何時からサルマンに魂を売った! 報酬は何だグリマ。男たちが死に絶えた後財宝を得るか!?」

口先で欲望を叶えることしか能がない小男は暴力に曝されて肝を冷し、正直に目を泳がせた。

この先に居たのはエオメルの妹エオウィン。

健やかで美しく成長したエオウィンにグリマはねっとりと視線を浴びせていたのだ。

図らずして魂胆が透けて見えた。

「貴様……!!」

やや力任せなきらいがあるローハンの人の中ではエオメルはかなり理性的な部類に入る。

それでも実の兄のように慕った従兄の死を招いた上、みならず妹まで害されるのは我慢ならない。

グリマの顔を掴み腰の剣に手を伸ばす。

「貴様は我が妹に思いを寄せ、常に妹に付きまとっていた……!」

穢らわしい欲望を募らせた代償を命で払わせてやる。

一息に首を落とそうと力を蓄えた矢先、エオメルは近衛兵に両脇から捕まってしまった。

近衛は王のみに従う。

つまり白痴のセオデンを操るグリマの命を実行するのだ。

二人の近衛兵に力強く引き離され、誅罰を下すことに敢えなく失敗したのであった。

安全を得たグリマは現しかけた馬脚を隠して陰湿で尊大な相貌に戻った。

「エオムンドの息子エオメル。余計なものを見過ぎたな」

グリマの部下がエオメルを取り囲み、何度も殴り付けて力を奪った。

「宮中を騒がせた(かど)でそなたにローハン王国よりの永久追放を申し付ける。戻れば死罪だ」

軍団長の身分を剥奪されて追放者に落とされたエオメルを近衛兵たちが引きずり出す。

彼らとて好き好んで従っているのではない。

こうしなければグリマの悪質な嫌がらせでエドラスに住まう家族が苦しんでしまう。

次に追放されるのは自分の一族かも知れない。

そんな苦い思いでエオメルを黄金館から追い出した。

憤怒と失望に満ちた表情で階段を降りるエオメルを兵の一団が迎えた。

各軍団長は有事に際し、独自裁量で運用することのできる直属のいわば私兵集団として、一つのエオレドを保有することが許されており、エオレドはこれらの軍団を構成する騎馬兵の単位である。

ロヒアリムの歴史では訓練済みでいつでも実戦投入が可能な騎兵集団があればそれをエオレドと呼んできたが、特に第三紀末のローハンでは正規のエオレドは最低百二十人からなる。

数の上限にはかなり幅があるが、おおむねは王の共廻りを除く軍の百分の一の数と規定されていた。

つまり選び抜かれた直参の精鋭たちだ。

「隊長! 中で何があったのですか!?」

エオメルを慕う彼らは異様な雰囲気にすぐさま駆けつけた。

「追放刑に処せられた」

「馬鹿な! そこまで腐ったかグリマめ!」

口々に悪態をつく。

「もはやローハンに望みは無い。我らだけで戦うのだ。私に着いてくるものは荷物を積んで門の前に並べ。家族が居るものは残ってよい」

「……解りました」

追放されると領内では農村に立ち寄ることも許されない。

オークが出没する地域をあてもなくさ迷えば九分九厘が野垂れ死にとなる。

死出の旅路に手塩にかけて育てた可愛い部下を付き合わせられない。

自由意思に任せて一時解散とした。

半刻後、食料や水を集めて再び集合した部下を数えたエオメルは額を押さえた。

「なぜ全員居るのだ」

「第三軍のエオレドに臆病風は吹きませぬ」

代表者が胸を張って答えた。

エオレドは軍団長の私邸に武装して寝泊りさせ、食事や愛馬の飼い葉も世話をしてやる義務が発生する。

訓練は通常の軍よりも一層過酷だが、寝食を共にしたエオメルとは共に死んでも惜しくないと思うほど深く親しみ通じ合っていた。

「馬鹿者どもが……」

「分かっております」

恥じることなく付き従う部下の整然と並ぶ姿に、希望を探しに行く意欲がふつふつと湧き起こる。

「お前も私に付き合ってくれるか」

愛馬火の足の頬を撫でて首を抱く。

何度も合戦を戦い抜いた名馬はどこまでもと言うように嘶き顔を擦り寄せる。

何事かと住民が集まってきた。

「総員騎乗!」

騒ぎになる前にエオメルは愛馬に跨がって声を上げる。

「行くぞ者共!」

祖国を救う手立てを求め、約百騎は二度と戻らぬつもりで草原へ繰り出した。

何も知らぬ民衆はその雄々しさを見送った。

 

 

「クク、勇ましいだけの愚か者め……」

丘を下り草原へ去るエオレドを見てグリマはほくそ笑んでいた。

単純な武勇は策略で絡めとってしまえばこんなものだ。

見通しの立たぬ下手な勇気など、この時勢にどれだけの価値があろうか。

逆らう者の筆頭であったセオドレドは死に、真相を知りかけたエオメルは追放。

有力な領主は遠くの戦地で敗走し、処刑や追放をちらつかされて逆らえる者はエドラスに残っていない。

いよいよローハン王国での権勢を磐石なものとした。

抵抗に手間取るだけサルマンの軍勢は増えていく。

時間は味方だ。

セオデンの名剣ヘルグリム等、こっそり盗んで蓄えた財宝の数々をサルマンに差し出せば見返りに女の一人くらいは貰えるだろう。

後は美姫をどう口説き落としたものかと皮算用を弾いて今後の展望を頭に広げる。

 

伏魔殿となった黄金館に残されたエオウィンはセオドレドの亡骸を寝かせた寝台の側で一人うちひしがれるのであった。

 

 




エタらない(鋼の意志)

サルマンが勝ったとしても、その後に指輪うんぬんで結局サウロンに潰されるとかグリマ君は考えなかったんですかね…?

同時展開の
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過去からの追跡者

二人でモルドールへ向けて旅立ったフロド・バギンズとサムワイズ・ギャムジーはエルフの小船でアンドゥインを渡ってエミン・ムイル東部に入った。

そこは峻厳な山岳で、行く手を遮る厚い雲に惑わされてかれこれ二日も通り抜けられないでいた。

方向を知る手がかりは時折現れる雲の切れ間からモルドールの赤い空のみとなる。

それすらも登ったり降りたりしてるうちにあやふやとなり堂々巡りだ。

霧ふり山脈とは異なる厳しさに手間取り、今夜も岩棚の隙間で硬い地面に横になって休んでいた。

燃やす薪も集まらず、仕方なく焚き火は無しだ。

「フロド様、起きてます?」

「ああ。どうかしたか?」

「寒くないかなと思って。もしそうだったら、おれのマントも使ってくだせえ。おれは太っちょだから寒さには強いですから」

「平気だよ。だからそれは自分で使うんだ」

「よかった」

エルフの織物は薄くても柔らかく体温を守ってくれている。

そうでなければ凍えてしまってこんな場所で眠れやしなかったろう。

サムはウルク=ハイに連れ去られた幼馴染たちを案じる。

ガラドリエルに見せられた水鏡に映った未来が現実のものになっていくのを感じずにはいられない。

「皆はどうしてるでしょうか。メリーとピピンは……」

「大丈夫だよ。きっとなんとかなる」

根拠のない願望。

無事であると思いたいだけだ。

虚勢を張っているのが見抜かれないように背中で相槌を打った。

「……そうですよね。なんてったって、こっちには魔法使いとバルログ殺しがいますから。すぐに探し出して助けちゃうでしょうね」

幼少から公私で付き合ってきたサムにフロドの下手な嘘が分からない筈がない。

乗せられたふりをして健気に言葉を重ねた。

指輪の誘惑に対抗するには不安にさせないことが第一だ。

イシルドゥア然り、ボロミア然り、責任や懸念を抱える人物ほど屈しやすい傾向にあるのだと、漠然とサムは理解している。

旅路に伴う不安を消すことを使命と定めていた。

マントをずらして布地の半分をフロドの上に掛けてやった。

代償にサムの背中がややはみ出したが気にせず目を閉じる。

「お休みなさい」

明日こそは抜け出せるように祈り、殺風景な岩山で二人は眠りについた。

 

 

 

「ホビット眠ったよ……今なら奪えるかも……いや危ないよ……!」

がりがりに瘦せて老いているが、生命力だけはぎらぎらしている哀れな生き物が、まだ穏やかさのうちにいる二人を、仲間たちと別れてからずっと付かず離れずの距離を保って監視していた。

 

掠れた声で自問自答するそれは、不気味な魚や蝙蝠、果てはオークを食べて命を繋ぎ、老いを含めた死の自由すら奪われて狂気の中をさまよった哀れな者。

喉を鳴らす様子からゴクリと呼ばれたり、ゴラムと名をつけられていた。

ゴラムは、アンドゥイン上流のあやめ野の近くに住んでいたストゥア族に近縁のホビットであった。

第三紀2463年頃、親族で友人であるデアゴルと釣りにでかけ、そこでデアゴルが川底から一つの指輪を発見する。

すると直ちに指輪の魔力に捉えられ、その美しい金の指輪を誕生日の贈り物として自分に渡すよう要求。

断られると、デアゴルを絞め殺して指輪を奪い、死体を隠した。

ほどなくして、その指輪をはめると自分の姿が見えなくなることに気付くと、元来の詮索好きの気質を増長させて仲間の秘密を嗅ぎ回るようになる。

知人殺害の疑惑も相まって一族からは忌み嫌われ、いつも異常に喉を鳴らすようになった様子からゴクリと呼ばれるようになった。

やがてとうとう、族長であった祖母に集落から追放された。

同族から追われたゴラムは、やがて太陽の光から逃れるためと根源にある秘密を求めて2470年頃、霧ふり山脈の地下に潜入し、地底湖を見つけてそこに棲み着いた。

すでに精神の大部分を指輪の魔力に冒されていたゴラムは、それ以上新たなことを行う気力が残っていなかった。

地底湖に棲息する目のない魚を捕らえて食べ、実に六百年近くもの歳月を暗闇の中で生き続けた。

やがて洞窟の上方にゴブリン町が築かれ、オークなどが迷い込んでくるようになると、それすらも襲って食べて飢えを凌ぐようになる。

彼は孤独と良心の呵責から絶えず自分自身と指輪に向かって話しかけるようになり、指輪を手に入れた一件についても、誕生日の贈り物として祖母がくれたのだという嘘の話をでっち上げ、自分でもそれを信じ込むようになった。

 

2941年、ゴブリン町から逃げ出して地底湖へ迷い込んだフロドの養父ビルボ・バギンズがゴラムと遭遇する。

ゴラムはビルボの持つエルフの短剣に満ちた清浄な気配を恐れたのと、その前にゴブリンの子供を捕食してそれほど空腹ではなかったために、彼に話しかけ、成り行きから彼を洞窟の出口まで案内するということになった。

ビルボと話す内に、かつてホビットであった頃の記憶が蘇ってきたゴラムは苛立ちを募らせ、最終的にその怒りは頂点に達する。

ビルボを裏切って食おうとするが、その時になって自分が指輪を失くしてしまったことに気付いた。

 

半狂乱の末、ビルボがそれを手に入れた可能性に思い至ったゴラムはいよいよ怒り狂い、逃げたビルボを追跡して洞窟の出口へ向かったが、その後ろを、偶然指輪を指にはめて姿が透明になっていたビルボがつけていた。

ビルボの存在に気づかず、彼を追跡しながら指輪の秘密を口走ってしまい、そのためビルボは指輪の透明になる力を知ることになる。

洞窟の出口にいたる道で待ち伏せするゴラムを、ビルボはエルフの短剣で殺そうという誘惑に駆られるが、姿が見えない自分の有利と、完全に狂ってしまった哀れな様子から思い止まり、見逃して脱出することを選ぶ。

ビルボに指輪を奪われてまんまと逃げられたことを悟ったゴラムは、あらん限りの呪詛の言葉を垂れ流して生き続けることとなった。

失意を慰める出来事は何もなく、もしかしたら見落としていて今もどこかに落ちていないかと、そこらじゅうの石の間を何度も探した。

仮に有ったとしても真っ暗闇で見つかる訳もないと考える理性も奪われた哀れな姿を晒して狂気の揺りかごをさまよった。

 

一度は外界とオークへの恐怖からビルボ・バギンズの追跡をあきらめたゴラムだが、指輪から強制的に切り離されたことで幾分気力を回復したのと、それでも断ち切ることのできない執念から、数年後には棲家である洞窟を捨てて泥棒の追跡をはじめる。

ドワーフと旅をしたビルボの跡をたどってエスガロスや谷間の国まで来たゴラムは、立ち聞きをしてビルボがホビット庄なるところに家を構えていることを突き止めたが、まっすぐそこには向かわなかった。

指輪から受けた影響のためか、モルドールの方角へ引き寄せられた。

2980年頃に迷い人を食い殺す化け物蜘蛛のシェロブを知ったゴラムは、なにがしかの手段に昇華できないか考えていたが、3009年頃にはモルドールの手先に捕らえられてサウロンの許に引き据えられ、こっぴどく拷問を受けた。

そこでゴラムが白状した内容から、サウロンは一つの指輪が再び見出されたこと、それがなんとか庄のバギンズなる者の手に渡ったことを知るに至った。

この時以来、ゴラムはサウロンを極度に恐れる一方で、自分の指輪を奪おうとしている最大の対抗者と見なすようになった。

 

3017年、奴隷として農場で働かせるにもあまりに貧弱で、殺したところで痩せている故にオークの餌にもならない。

用済みとなりモルドールから放り出されたゴラムの不幸はまだまだ終わらない。

死者の沼地でアラゴルンに捕らえられ、レゴラスの故郷である闇の森のエルフの王国へ連行された。

そこでガンダルフが魔法で記憶を探り指輪がアンドゥインから発見されたことや、ゴラムがモルドールでも尋問を受けたことなどを知る。

そのままゴラムは森の王国に留め置かれたが、森のエルフは彼を親切に扱ったらしく、監視の下でなら森を散歩したり木に登ったりすることが許されていた。

 

しかし翌3018年、つまり昨年の6月20日、サウロンの命を受けたオークの部隊が闇の森を襲撃し、ゴラムはその混乱に乗じて逃亡する。

エルフとオーク両方に追われたゴラムは8月頃にモリアへ逃げ込んだ。

だが道に迷い、かろうじて西門を発見するがそこから出ることができず、飢え死に寸前の状態でモリアに閉じ込められてしまった。

盗まれた憎しみと悲しみを糧に地下の闇を這いずってきた。

指輪の一行がモリアを通ると、指輪の気配を覚ったゴラムは千載一遇の機会を逃すまいと執念深く追い始めた。

それが実を結び取り巻きは離散、あの忌まわしいガンダルフとアラゴルンは別行動をしている。

恋い焦がれた指輪が目と鼻の先にある。

まさに好機。

だというのに。

「あの怖いエルフはなんなのよ……殺されちゃうよ……」

二人が眠る場所から一時間ほど歩いた岩場でゴラムは一人称で本名を使って頭を抱える。

モリアでバルログに殺されたと思えば生き延びここまで追い付き、屈強なオークの軍隊を薙ぎ倒して追い返してしまった正真正銘の超人。

おまけに勘も鋭くこちらを察知している節もある。

そんな男がいたのでは不意を突いて指輪を奪うどころではない。

実害が無いうちは気まぐれで見逃されているから良いものの、具体的な行動を起こせば即座に狩りに来る獰猛さもある。

今もどこかで息を潜めていてぬっと現れないか気が気でない。

首尾よく掠め取ってもあの足の早さではとてもではないが逃げ切れない。

捕まったらどんな目に遭うか。

モルドールで受けた拷問痛みが刻みつけられ、フロドに手出しすることを異様に避けていた。

「今はまだ駄目よ。泥棒ホビットがもっと遠く行くまで待つのよ。あのお化けエルフ来ない所まで……」

指輪の毒と真の闇に産み出されたもうひとつの人格は的確に命じる。

ビルボに盗まれてから何十年も耐えてきた。

数日など我慢の内に入らない。

指輪は捨てさせない。

黄色く濁った目に執念を燃やすゴラムは拷問の爪痕が痛々しい体を掻き懐いて時機を待つ。

 

 




本人には野心とか全くなかったのに苛められるゴラム君かわいそう
道案内の功績だけじゃなくて、あやめ野で指輪見つけてなかったらサルマンが拾って全員詰んでた可能性もあるから陰のヒーローなんだよなぁ

同時展開の
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捕獲

ゴラムに監視されているとは夢にも思わずしっかり眠っていた二人が朝日に反応して岩のベッドから起きた。

夜明け過ぎの冷たい風にぶるりと震える。

「おはよう。今朝は格別に寒いね」

「まったくです。こんな所じゃ温かい料理もできやしませんし」

食事を楽しむホビットの流儀に反した、レンバスと干し肉で腹を満たすだけの侘しい朝食になりそうだ。

残念そうにするサムは決して不機嫌ではなかった。

食事の伴にぴったりのものが見つかったのだ。

「でも、オーザンがくれた荷物を開けたら代わりに良いものがありました」

コルクの栓をされた革袋。

水を入れる一般的な容器だ。

朝一番に鞄の中身を整理していると、同じ水筒が二つあるのが気になって調べたのである。

片方は水が入っていた。

そしてもう片方は。

「ところがただの水筒じゃありませんよ」

しっかり閉じたそれを引っこ抜くと、芳醇な葡萄の薫りが広がった。

ワインだ。

この薫りは、裂け谷で飲んだ上物に違いない。

出発前にこっそり持ち出した逸品を快く渡してくれた事に感謝して木のコップに注ぐ。

「エルフの里でワインを盗るなんてとんでもない奴ですねぇ。胆がふてえや」

「いつの間に……」

蔵からくすねたにしては堂々とエルロンドと面会していたオーザンにフロドは呆れる。

「朝から酒なんて、お前の親父さんに知られたらこっぴどく叩かれるだろうね」

「もしとっつぁんがここまで追ってきたらびっくりですよ。ナズグルより恐ろしいや!」

からからと笑う。

ホビット庄の思い出で雑談し、朝食を始めた。

塩気の強い肉に合う甘味のレンバスを食べ、コップを飲み干すころにはすっかり眼が覚めた。

酒好きのホビットもこんな僻地で酒盛りをするほど命知らずではなく、この一杯だけでやめておいた。

冷たい寝床で固まっていた体も酒精と旨味で解れ元気が湧いた。

荷物をまとめ、二人は今日こそはと意気込んだ。

 

 

霧がかった岩の道なき道をえっちらおっちら進む。

周囲をすっぽりと包み込む厚みの霧は光すら遮り太陽の方向すら定かではなく、何度も方位を見失った。

時たま現れる切れ目を手がかりに登っては降りてを繰り返し、二人は昼過ぎには疲労困憊になってしまった。

半日を費やした成果は足の重さのみで景色はまるで変わらない。

「気のせいじゃない、ここはさっきも通った。一周したんだ」

「……迷っちまったみたいですね」

遅まきながら、認めたくなかった事実を言葉にした。

「一休みしましょう。お茶を淹れます」

歩きながら勤勉に拾い集めていた枯れ草と小枝を燃やせば少しのお湯は作れる。

小さな焚き火にやかんを載せて、沸かす間にチーズを切り分けてささやかな昼食にする。

フロドに切れ端を渡す瞬間、手を捕まえてそっと耳打ちする。

「フロド様、気づいてますか? 何かが後をつけてます。さっきから、いや……もしかしたらもっと前からです」

サムは目端が利く。

行く手の他にもあちらこちらへ気を配っていてゴラムの追跡を発見した

「モリアの出口に居たあれか?」

「オークじゃないでしょう。どうせ指輪を追っかけるろくでなしだ、やられる前にやっつけちまいましょう」

フロドは考え、松の葉のお茶を口に運ぶ。

沸かしきれなかったお茶はぬるい。

「ガンダルフは誰にでも役目があると言った。指輪に取り付かれているからといって簡単に殺していいのかい?」

「フロド様は人が良すぎるんです。それじゃいつか食われちまう」

「お前が守ってくれるんだろう?」

「それはそうですがね……」

急速に冷めつつあるお茶をちびちび飲んでチーズをかじり、結局なにも決まらないまま出発した。

危害を及ぼすならば捕らえるなりしてから考えればいいかとぼんやり思い、夕刻には今夜の宿の方が心配になっていた。

サムの不安は的中し、日没前にやっと平らな場所を見つけた。

またもや岩辺で休む事になってぼやきたい気分であった。

雨が降っていないことだけが救いだ。

日が沈むと辺りは真っ暗になる。

これがギムリだったら熟練の勘に任せて斧を研いだりもしたろうが、この二人では寝る他にできる事はない。

トマトと干し肉をレンバスで挟んだものを退屈しのぎにサムは拵えた。

美味いものを単純に合わせて不味い訳もなく、トマトの汁気と干し肉の塩気が空腹を癒してくれた。

ナズグルに代わる謎の追手に狙われていて寝入ってしまう度胸は無いので、ワインは飲まずにおいた。

食べ終わり、敵襲に備えて寝ずの番をするどころか二人は揃って横になった。

行くも帰るもままならぬ現状、ならばいっそ追跡者を誘きだして正体を暴いてやろうという腹積もりであった。

丁寧に寝息まで偽装してその何者かを待った。

冷たい風が吹き付けて妨げるので本当に眠りこけてしまわないか懸念する必要はない。

ここからは我慢比べだ。

指輪によってすっかり正気を狂わされているゴラムは自制心を要する我慢が苦手だった。

苦しくて苦しくて、胸が抉られるような喪失感を癒すことだけが目的の哀れな存在だ。

永らく浸り唐突に奪われた幸福を取り戻す絶好の機会に、巨漢のエルフや魔法使いの猛威は記憶の彼方へ消え去る。

「盗人、泥棒め……薄汚いちびのこそ泥……あれはどこだ……どこにある……」

薄い月明かりの中を四つん這いで静かに動き、ぼんやりとした意識で高台から二人の岩場へ吸い寄せられる。

指輪を提げているフロドへ一歩、また一歩と迫った。

「わしらから盗んだ……おれのいとしいしと……」

炎に集まる羽虫に近い習性は警戒心すらとろけさせて飛び付かんばかり。

冷たい岩壁をひたひた這って恋い焦がれた指輪の魔力を探る。

欲望の命ぜられるままに手を伸ばし、かっさらおうとした。

「わしらのもんだ……わしらに返せ……!」

独り言は風に乗り、忌々しげな調子がゴラムの居場所をしっかりと教えていた。

この餓鬼が頭の直上へ来たのを見計らった。

「いやああ!!」

マントをはね除けて二人が飛び起きる。

ここまで迫られてはどんな怪物でも構うまいと半ばやけっぱちで異様に節くれ立った手指を捕まえた。

小兵であったのを幸いに、岩から引き摺り落とす。

このまま取り押さえてやりたいところが、そう易々とはゴラムも諦めない。

「うぅううやああ!」

妄執の産物たる腕力は小柄なホビットに輪をかけて小さい体ながら二人を振り払い、押し倒した。

そして見た。

もんどりうったフロドの首元から零れる鎖が通された指輪を。

一も二もなく獣のように飛び付いて奪わんと挑む。

「ぐぅぅ!」

止めようと足を引っ張るサムが殴り飛ばされる。

指輪に取りつかれた姿には理性の欠片もない。

ビルボが裂け谷で見せた執着の成れの果てのおぞましさに面食らうもフロドは抵抗した。

「このやろう!」

後方からサムが首をぐいぐいと絞めて今度こそゴラムを剥がした。

しかしフロドの胸元を握っていた枯れ枝並みの細い腕でなんと投げ飛ばして岩に叩きつけた。

牧歌的なホビット間では滅多に喧嘩も起きない。

喧嘩慣れしていないフロドは背中を打った痛みに息が詰まる。

サムを振りほどいたゴラムはその隙に岩に登り、高さを生かしてもう一度フロドに襲いかかる。

狙いはあくまで指輪だ。

じりじりと指輪に指を押し込もうと血走った眼でにじり寄る。

「離れろってんだ、この化け物やろうめ!」

サムは得体の知れない生き物に指一本も触りたくない気持ちを今だけは忘れ、ゴラムを抱え上げて主を守った。

その代償に肘打ちを鼻っ面に食らった。

髪を掴んで天を仰がせたサムの喉にゴラムはかじりつく。

「うわあああああ!!」

逢瀬を遮る邪魔者から始末してやろうと矛先を向けたのだった。

二人はもつれて倒れる。

骨をへし折って息の根を止めてやろうと首を捏ね繰り回してサムを苦しめる。

起き上がったフロドはこの騒動を収めるべく、しゃらんと短剣を抜き放つ。

すべすべとした太古の名剣を先端でゴラムの喉を狙うように突きつけた。

「このつらぬき丸を見たことがあるか! お前を一突きで殺せるぞ!」

白い刃の清廉な輝きに狂乱のゴラムも指輪の欲を引っ込めた。

「彼を離せ。切り裂かれたいのか!?」

降伏する他に打つ手はない。

大人しく力を抜いてお手上げをする。

「うぅぉぁぁぁ!」

悲しき狂人は、あと一歩のところで悲願の達成を阻まれた悲憤を添えた言葉にならぬ唸りを挙げた。

「やっぱりこんなやつはさっさと殺しちまいましょう!」

ゴラムの腕をほどいて立ち上がるサムの首は噛まれた所から血が出ていた。

もう少し傷が深かったならば命に関わっていてもなんら不思議ではない。

怒るのも当然であった。

「噛みやがってこのやろう!」

お返しにぽかりと殴り付ける。

「よさないか。僕らには道案内が要る。そう決めただろう。それに……」

モリアを出たばかりの時にフロドは殺害を主張した。

それがどうか。

今では庇護者の立場を取る。

慈悲からではない。

この奇怪な人物につらぬき丸を向けても刃は青くならなかった。

つまり生来の悪しき生き物ではない。

「それに、なんです?」

「……いや、なんでもないよ」

ビルボの症状が深化した立場の被害者だとしたら、なおさら責める気にはなれない。

滅びの山まで持ち歩く自分もまた、明日は我が身だ。

ゴラムを罰そうとする熱量も資格もフロドには無かった。

 

 

 

 




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トマトのスープは温かい

早朝の山を歩かされるゴラムは地平線まで木霊するほど大騒ぎしていた。

哀れみの心が咎めてゴラムを殺せず、かといって放置もしておけない。

とりあえずエルフの小舟から持ってきた縄で首を縛ってサムが引っ立てていた。

「痛いよ! 冷たいよ!」

わざとらしく痛がっているようにも見えるが、実際に縄に触れるゴラムの肌は傷んでいる。

「エルフの()った縄……外しておくれ……!」

純粋なホビットであった頃ならいざ知らず、悪に染まったゴラムと光に属するエルフの工芸品は反発しあう。

余波を受ける肉体は弱火で焼かれるが如く。

「こら、静かにしろ! いい加減黙らねえか!」

叱りつけても呻いたり悲鳴を挙げるのをやめようとしない。

「どうしようもないです。モルドール中のオークに聞かれちまいますよ。縛って置いていきましょう」

役に立つどころかとんだ疫病神を拾ってしまった。

たった一夜の付き合いでサムはこの騒がしい追跡者に辟易していた。

「嫌だ! わしら殺されるよ! 殺される!」

「フロド様を殺そうとしたくせに……お前なんか殺されて当然だ!」

敵に知られるばかりか気も滅入ってしまう喚きも合わされば、ここに置いていくか、これ以上悪さを働けないよう殺してしまいたくなる。

主を襲われたサムの心証は最悪だった。

しかし怯え方は本物で火傷や鞭打ちの拷問でめくれた肌の痛ましい傷跡が残る体は説得力を増す。

フロドはサムよりは同情的であった。

「確かに当然かも知れない。でも見ていると哀れにも感じる」

これが指輪に翻弄された末路。

襲撃時の鬼気迫る様子からの変貌にはぞっとする。

「わしら優しくしてくれたらわしらも優しくなるよ。だからこの縄外してよ…………わしら誓うよ。どんなことでも言うこと聞くよ……」

「指輪に取り憑かれて何をした? お前の約束は信用できない」

おべっかにぎらりと切り返す。

ついさっき殺されかけたばかりなのだ。

指輪(サウロン)とナズグルに感じる闇の息吹がゴラムの瞳に渦巻いていた。

薄汚れた体に満ち満ちた殺意が忘れられない。

哀れむべきか迷うと同時に、手心を期待して過剰な演技をしているのをフロドは見抜いていた。

とするも、隠せない戸惑いに漬け込みゴラムはなおも食い下がる。

「誓うよ、わしらいとしいしとのご主人に仕えるよ……そうだ、いとしいしとに掛けて誓うよ!」

「……指輪を宛てにするな。精々自分の言葉を守るといい……」

「守るよ、いとしいしとにかけて……いとしいしとにかけて……」

すり寄るゴラムの猫なで声にサムはぞっとした。

「おれは信じねえぞ!」

二人の間に割り込んでゴラムを突き飛ばす。

指輪を捨てる旅は早く終わらせたい。

しかし急いだ結果主人が害されることが心配でならなかった。

薄気味悪く濁った眼がどうにも受け付けない。

こんな狂人に運命を託すくらいなら時間をかけてでも二人だけで行ったほうがましだとすら考えた。

化けの皮を剥いでやろうと縄を引っ張り回す。

「このやろう!」

「サム!」

「騙されちゃ駄目です! 自由にしたら寝首をかかれますよ」

「それでもだ。必要なのはなんだい? 案内人だろう?」

フロドは処遇を一時保留とする。

目指すはモルドール。

こんなことに拘泥していられない。

フロドは旅に、サムは主人に焦点を当てるすれ違い。

互いの心理を読めるからこそのもどかしさ。

「縄を首から外してやれ」

「本気ですか?」

「先を歩かせないと道案内にならないだろう」

「……また暴れたら今度こそ殺しちまうからな!」

もっと懲らしめてやりたい気持ちを脅し文句だけで済ましてやり、首の結び目をほどく。

庭師をしていたサムは指先が器用で固い結び目もするすると外していった。

「案内! わしら道に詳しいよ。道案内なら任せてよ!」

戒めがほどかれたのが余程嬉しいのかぴょんぴょん跳ね回る。

指輪を追って中つ国を探し、果ては冥王軍にモルドールまで連れ去られたゴラムは地図に記されない裏道や隠れた道を知る。

案内人として同時期の中つ国ではずば抜けて優秀であった。

「それで、どこにいくの? ゴンドールでも谷間の国でもわしらなら連れて行けるよ!」

「モルドールだ」

フロドの宣告に、首輪が外れてはしゃぐゴラムは一気に青ざめた。

誰にとってもそうであるが、ゴラムにとってはよりいっそう悪夢の土地だ。

指輪の情報を求めるサウロン軍に捕まって火炙りを始めとする拷問を前提とした聴取を受けた。

ビルボの手に渡ったそれの行方など知るはずもなく、半端な情報を残らず吐かされるまでそれはそれは長い監禁であった。

「嫌か?」

狼狽えるゴラムはよこしまなことばかりに使われてきた頭脳を働かせて自身を落ち着かせる。

甦る悪夢の日々を追い払って指輪を取り戻す企みを立ち上げる。

今は素直に従った方が賢明だ。

「……わしら旦那さんに従うよ。誰も知らない裏の道、こっそり通れる道教えるよ……」

太ったホビットの懸念通り、そのいずれかで寝首をかいてくれよう。

誰も使わぬ道に死体が二つ増えたところで誰も知るまい。

作り笑顔で心を開いた振りをしてびくびくと卑屈に傅く。

面従腹背の算段を悟られぬよう、とにかく下手に出た。

不気味な変わり身に一抹の不安をよぎらせながら、フロドはそれを見逃してやった。

「……それがお前自身の為だ」

どれだけ誠実に働こうが指輪をくれてやるつもりは毛頭無い。

腹に一物を抱えているのはお互い様だ。

欲を言えば付き合ううちにゴラムの孤独が癒えて正気に戻るのが一番なのだが。

 

一悶着はありつつもゴラムを加えてエミン・ムイルの霧がかった山肌を三人で進むこことなった。

エルフの綯った縄は細くも強く、度々の崖下りに必要だった。

山脈を抜けられたと確信した時には、小舟から何本も持ち出した縄の束はすっかり使いきってしまった。

度重なる登り降りで二人はへとへとになった。

フロドはただでさえ陰鬱だ。

サムはサムで、蹴落とされて物言わぬ死体にされる可能性も常に考慮して先に降りさせたり、逆に登りでは最後尾にしたりとあれこれ用心して道案内させた気疲れも大きい。

首に繋がれると苦しむ素振りをしていた縄を伝って岩場をするすると降りるゴラムには、ぬけぬけと言ったものだと呆れたものだ。

ともあれ日が落ちる前には険峻な山岳を抜けられた。

「やれやれ、時間を無駄にしたかな。案内がついたらこんなに簡単に抜けられたよ」

「……間違っちゃいなかったみたいですね」

ゴラムを誉めるようで気が進まないサムも渋々同意した。

景色に緑と紅の樹木が戻ると人の生きていける世界に帰ったのだという安心感がある。

雪融け水のせせらぎや鳥のさえずりも聴こえる。

しばし生きた心地に浸っていると小さく腹が鳴った。

「今夜はこの辺りで早めに休もうか」

薪も拾えて水場もある。

草を集めてマントにくるまれば、ロスローリエンのベッドには敵わなくても石の上で寝るよりは何倍も快適だろう。

「食事にしましょう。夕御飯は久しぶりに温かいものを作れそうです」

サムの手持ちの食料は野菜や麦が中心。

材料からして野菜のスープを作ろうかと思案しているが、柔らかい肉が食べたいのが若者の本心だった。

レンバスや干し肉で腹は満たせても心は癒せない。

贅沢は言えないと自覚すると同時に主を飢えさせることが不甲斐ない。

「水を汲んできますから、フロド様は休んでいてください」

水を入れた鍋を抱えて宿営地に戻ると火口箱を使って焚き火を用意した。

ジャガイモの芽を包丁で削り皮を剥く。

適当に切り分けた人参や玉ねぎをまとめて鍋に入れ火にかけた。

後はこれにトマトを入れてとろみをつける。

「見ての通りあまり手の込んだものではありません。申し訳ないです」

「そんな事ない。お前が作るご飯はいつでもご馳走だよ」

途方もなく豪勢だったカラス・ガラゾンでの食事と比べたりせず、目の前のサムの料理を誉めた。

焚き火の反対側で腰かけていたゴラムが立ち上がる。

すわ何事かと二人は身構えた。

「スメアゴルなにか捕ってくるよ!」

藪から棒に調達係に立候補すると勢いよく飛び出していった。

「おい!」

「本人の好きにさせてやろう。どうせあいつは……」

例えフロドへの本当の誠意でも、どんなに努力をしようが欲しいものは永遠に得られない。

哀れだ。

「……そうですね」

それにはサムも同意した。

ゴラムが失せて緊張の糸が解けたのかフロドはすぐに眠りに落ちた。

サムが一晩の間焚き火を維持するだけの薪を集めて戻ってもフロドはまだ眠っていた。

旦那様はひどくお疲れなのだ。

沸騰させないよう鍋を火の真上から外し、ゆっくりかき混ぜながらフロドの寝顔を見守った。

不意に茂みが揺れた。

辺りは暗くなり、夜が始まっている。

つまり闇の生き物の時間だ。

サムは慌てて剣を探した。

マントの下敷きにしていたので手近だったエルフからの贈り物の包丁を構えてしまった。

切れ味は下手な剣より鋭くも、刃渡りが心細い。

「出てきやがれ……」

見透かそうと睨む暗闇から飛び出してきたのは、ゴラムであった。

「やったよ!」

「うわっ!!」

喜色満面の狂えるホビットの気味の悪い人相に驚いて、うっかり刺し殺してしまいかけた。

右手には立派な雄の雷鳥を自慢気に提げていた。

丸々としていて脂がよく乗っていそうだ。

「こいつ、脅かしやがって……!」

緊張して損をしたとあからさまに鼻を鳴らす。

「スメアゴル頑張ったのに殺そうとした! ひどいよ!」

「そうさ、刺しかけたとも。お前がびっくりさせるからだ!」

「なんの騒ぎだい……?」

寝入っていたフロドも言い争いの騒がしさに負けてぼんやりした視界にゴラムを入れる。

「スメアゴル捕まえた! 鳥さん捕まえた!」

「フロド様はお疲れなんだ、静かにしろ!」

「お手柄じゃないか。新年のお祝いにも負けないご馳走になる」

しつこいくらいの喧伝にもフロドは素直に感心した。

これが取り入る手管でも構わない。

しっかりと満腹になって眠れるならば。

「……血抜きもしてないじゃないかまったく……」

乱暴に受け取ると焼くために羽根をむしる。

妙な毒草でも仕込まれてやしないかも確認しながら捌き、(はらわた)を抜いて枝を刺す。

調理を進めつつも鍋とゴラムからは片時も眼を離さなかった。

目の黒いうちは妙な真似はさせない。

害があると分かれば次こそもっとこっぴどく叩きのめしてやる。

信じるものか。

サムは気を引き締める。

岩塩の粗い粒を刷り込んだ雷鳥が焼き上がる頃にはスープの野菜も柔らかく煮込まれてすっかり食べ頃となっていた。

「お待たせしましたフロド様」

脂が滴る丸焼きを足して文句なしとなった夕食を三人で始める。

一口目には三人とも肉にかぶりついた。

それと同時に頬をほころばせる。

フロドは言わずもがな、作った本人のサムも、そして文明を捨てたはずのゴラムでさえ。

鳥の脂を塩気が引き立てる。

温かいスープはトマトの酸味が疲れた体に染み渡る。

単純な料理は体が欲していた栄養を多分に含んでいるようだ。

スープに浸すパンがあればもっと良かったのにと、サムは悔しがった。

嵩張るパンは容量が限られた旅の荷物に入っていない。

オーザンがくれたワインも飲むのはやめておいた。

今口をつけたら、きっと酔い潰れるまで飲んでしまうだろう。

たくさんの肉とスープで腹が膨れると食器を片付けるのも面倒になって明日になってからやることにした。

だから、早起きをしなくては。

考えはうつらうつらと溶けていく。

三人は満腹感と火の温もりに挟まれ、ゴラムですらいくらか穏やかな表情で横になるのだった。

 

 

 

 





同時展開の
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馬の王

エミン・ムイルの山越えにフロドが汲汲としているのと時を同じくして、オーザンと別れた四人の仲間は岩山を疾走していた。

早朝の冷たく乾いた風の中で白い息が四つ連なる。

正確には脚の速い順にレゴラスとアラゴルンが行き、そのやや後ろにガンダルフ、大きく離された最後尾にギムリが息をぜいぜいさせながら走っている。

三日も走り通しで、口にしたのはレンバスと水。

それでもまだ急ぎ足りない。

四人はオークと戦った事は山ほどある。

戦えるのなら二人を奪還する勝算もあるものの、天気が崩れてしまえば草を踏み均した足跡と行進の遠い地鳴りも消えて御破算だ。

アイゼンガルドの近郊で待ち伏せるにも急がないことには始まらない。

「三日三晩休まず追いかけて、手掛かりは裸の岩に訊く以外無いときとる……!」

短期なドワーフがとても苦手な行動を強いられる不満を漏らしながらもギムリはなんとか走る。

その苦労も有って午後には切通の泥の中にきらりと光るブローチをアラゴルンが見つけた。

「二人が着けていたロリエンの木葉だ……!」

拾い上げたそれは、旅の一行に贈られたエルフのマントの留め金のブローチであった。

「二人はまだ生きている!」

「そのようじゃな」

そうでなければオークがエルフ製のマントを持ち帰ったりはしないだろう。

ブローチは勝手に外れたりはしない。

二人のどちらかが、意図してここに落としたのでもなければ。

見当違いな方へ来たのではないと知ると俄然力が満ちてきた。

「急げギムリ! 二人は近いぞ!」

気勢を上げるレゴラスが遅れがちなギムリを呼ぶ。

「だぁぁぁっ!?」

大振りの斧を二本も携えて重い体と短い脚が災いして足場を跳び損ねたギムリが岩場を転がるようにして滑落した。

「うげっ! ぺっぺっ!」

砂を吐いて起きると節々が痛んだ。

「でええい! ろくすっぽ食わん上に休み無しときてまともに走れるか!」

少なくなった水筒の水でゆすいで拭った口で鬱憤を怒鳴る。

「休みを入れたいのはわしも山々じゃが……」

さしものガンダルフも疲れた顔で帽子を外し、乱れた白髪が垂れる額を袖で拭く。

「ウルク=ハイは恐ろしく健脚。その一休みが命取りとなるぞ」

「ドワーフは走るのは苦手なんだ! 言っておくが、俺が今日まで走った長さはドワーフの歴史でも一番だぞ!!」

ギムリが言うとおり、一万年遡ってもこんなにも長い距離を全力で走ったドワーフは彼だけだろう。

ヌーメノール直系のアラゴルンと純血エルフのレゴラスに食い下がる速度もドワーフの常識を外れた頑張りを見せている。

そうは言っても事態が事態である以上、下手に休みを入れようものなら結果的に世界を滅ぼしかねない。

「走らねば我々を待つのは破滅だ」

ギムリを残していく選択肢は取りたくない。

百を超すウルク=ハイを捌いて二人のホビットを救出するのは四人でも困難であり、それが三人では限りなく厳しくなる。

疲労困憊で追い付いたとしても、ウルク=ハイとの戦闘が始まれば息を吹き返すだろうとアラゴルンは信じていた。

「指輪を持っていかれたらそのドワーフの歴史だって白紙に戻されちまうってんだろ。走るさ。走ってやるさ!」

兜を斧の背で叩き、やけくそ半分の気合いを入れ直した。

ギムリとて、人類最後の戦いの敗因の汚名は死んでも被りたくなかった。

頷いてまた走ろうとするアラゴルンをガンダルフが止める。

「待て、きゃつらとの距離とわしらの速度を計算したが、これではアイゼンガルドまでに追い付けん」

「追い付けない? ではどうする?」

灰色衣の賢者らしからぬ弱音にも聞こえた台詞をアラゴルンは反芻した。

「やり方を変えるのじゃ。こんな荒れ地では気が進まんが仕方ない、彼を頼る」

()? 彼とは誰だ?」

「会えば分かる。来てくれると信じよう」

追跡を速めてくれるような人物が居ただろうかと疑問を抱くアラゴルンににこりと微笑み、帽子を抱えたガンダルフは長々と口笛を吹いた。

その音色は岩場と丘とそのまた向こうの草原まで清らかに響き渡る。

 

丘陵が大空と交わる境界、地平線の彼方からそれはやって来た。

白磁の毛並みを躍動させる駿馬。

ガンダルフが愛する友。

名馬の中の名馬。

メアラスの一騎。

「あれは……メアラス! 王にのみ許された馬ではないのか!?」

冷静沈着なレゴラスが興奮気味に口走った。

「左様。名を飛蔭という。縁があって友となった。今はローハンを離れた身じゃ」

メアラスとはローハンの門外不出の馬の一族の総称である。

表舞台に現れることはほとんどなく、半ば伝説として噂話になっていた。

メアラスは人間と同じほどのとても長い寿命を持ち、ローハン王とその親族以外は誰も背に乗せようとしない。

あらゆる馬が敵わない俊足を受け継ぎ、凛とした姿は馬の中の王とも扱われる。

メアラスの先祖は西方の彼方のアマンからヴァラールのオロメが連れてきたという言い伝えは中つ国においてあまりに名高い。

最初のメアラスは初代ローハン王の青年王エオルの愛馬となりメアラスの名を一躍轟かせた。

その血を持つ飛蔭はローハンに逗留したガンダルフと交流を重ねて心を通わせた友となり、初めてローハン王以外の者を背に乗せた。

ガンダルフは彼と呼ぶほど対等な友人として付き合っている。

間近に止まった立ち姿はますます雄々しく純白の毛並みは粉雪のように美しく、波打つ鬣にアラゴルンは眼を奪われた。

いの一番に頬を擦り寄せてきた飛蔭の首を撫でて魔法使いは旧交を温める。

「久しぶりじゃな友よ。ローハンの外まで来てくれて嬉しいぞ。早速で済まぬがこやつを乗せてくれるか?」

メアラスが王以外の者を、それもドワーフを乗せるなどあり得ないことであったが、他ならぬガンダルフたっての頼みとあらば満更でもない風に鼻息を吹いた。

「願ってもない幸運だぞ。古いエルフでもメアラスには乗った事はない」

「へっ! そんなよく分からんもんに乗れるか!」

折角の厚意をギムリは拒絶した。

石と鉄に彩られた地下で飼い葉が要る馬を走らせた知り合いは居やしなかった。

勿論乗馬は素人だ。

関わりもなかった生き物に急に跨がれと言われても出来かねる。

「うおっ!?」

後ろ足の強烈な蹴りが兜の上を掠めてギムリはまたもやひっくり返った。

顔に当たったら死んでいる。

鼻を鳴らす飛蔭の瞳には言葉を理解している深い知性が感じられた。

「こ、この馬っ公! 俺を蹴り殺そうとしやがったな!?」

「馬鹿者、飛蔭を馬公と呼ぶとは何事じゃ! 彼は気高く賢いが無礼には寛容ではないぞ。これに懲りたら野卑な物言いは慎め!」

緊張感の欠けたやり取りにレゴラスも険しい顔を崩して噴き出した。

「優しいじゃないか。彼が当てるつもりでいたら顔が無くなっていたぞ?」

枯れ草まみれになったギムリが起きるのを笑いを湛えて手伝ってやった。

一息だけ鼻を鳴らした飛蔭は脚を折って背を縮めた。

それでもギムリの背丈より高い位置に鞍の天辺はあったのだが、鐙を足掛かりにすれば登れなくはない。

王になるものであるも今はさすらい人の身であるアラゴルンはこんな気品のある愛馬が欲しくなり、吐息を漏らした。

「ほう、彼は乗って良いと?」

「弁えるならば、じゃがな」

「……侮った訳じゃない。ちょっと、心の準備がな……」

「四の五の言わずに乗らんか。他に手は無い」

「おい、押すなって!」

ガンダルフの手で半ば無理に鞍に乗せられたギムリは尻を前後させて不安そうに座り心地を確かめる。

飛蔭が立っても揺れず、馬が良いのか思っていたよりは安心感がある。

「…………悪かねえな」

「初乗りにしては様になってるぞ」

神々しい白馬に砂だらけのドワーフがおっかなびっくり乗っているちぐはぐさをレゴラスは軽くからかった。

「うるせえやい。俺は馬の走らせ方は全く分からねえぞ?」

「わしも乗る。心配無用じゃ」

アラゴルンとレゴラスの俊足には劣るガンダルフも飛蔭に乗れば全体の速度の上昇にも繋がる。

ギムリの不安も解消される。

合理的だ。

ギムリの後ろにガンダルフがひらりと跨がって手綱を握った。

「ゆこうぞ飛蔭、オークどもに追い付くのじゃ」

滑るようになめらかに、颯爽と走り始めた途端にギムリの安心は吹き飛んだ。

人間用に調整されている鐙に足が届かないので踏ん張りが効かない。

接触している股だけで体を支えていないと細かな振動でずるずると鞍から落ちてしまいそうになると今さら悟ったのだ。

「うへぇっ! 足が届かねえ! 落馬で死ぬなんて俺は御免だぞ!」

「鞍にしっかり掴まっておれ! さすれば飛蔭は落としたりせぬ!」

速足程度の揺れで疾走する能力もまた名馬の証しと言えようか、ガンダルフの言葉通り、飛蔭は岩も急勾配も乗り手に負担を強いる走りはしなかった。

丘を登りきると地形は岩場から草原へと急変した。

背の低い草の地平に岩石が点々とする広大な世界、ここがローハンである。

「ローハン、馬の司の国……何か邪悪な力を感じる。オークを勢い付かせ、我等に敵意を剥かせている……」

見渡す限りは平穏な景色に隠れた邪心がアラゴルンには感じられた。

「サルマンじゃ。よほど力を蓄えたと見た」

ローハンを腐らせる間に版図を拡大させてオークを飼い慣らすサルマンの魔力は風に乗って国境まで漂っているのだ。

ガンダルフもサルマンの虜囚から逃れてこの地域を離れた隙に、よもやこれだけ悪化するとは想定していない。

何かの動きを見つけたレゴラスは優れた視力で遠方を注視した。

「レゴラス! エルフの眼には何が見える!」

「見つけたぞ! あの方角は……奴等はアイゼンガルドに運ぶ気だ!」

「やはりか」

ウルク=ハイの隊列から立ち上る砂煙が見えた。

幸いにして、飛蔭の脚を考慮すれば追い付ける距離にいる。

話し合いの結論通りにサルマンの配下であったことが確定した。

ローハンに入ればアイゼンガルドまでは近い。

「夜になる前に叩く。ガンダルフ、案内を頼めるか」

「先回りして待ち伏せるか。追い付けるのは間違いなくなったが、問題は場所をどうするかじゃな?」

たった四人で百のオークへ挑む。

愚行で終わらない為に、アルダで千五百年を過ごしローハンを度々訪問していたガンダルフならではの知恵を借りる。

夕刻の薄暗闇に奇襲をかけて混乱が起きた隙に突撃し、電撃的に救出する。

暗すぎると二人を見逃し、明るすぎても反撃を受ける。

無謀だがやらねばやられる。

この戦争に勝つか負けるか。

早くも大きな分岐点がやってきた。

「月並みだが、賽は投げられた、だな」

レゴラスも真剣な面持ちで弓の弦に触れて得物に不備が無いか調べる。

ここが賭けどころだ。

「うずうずしてきたぜ」

飛蔭の上で体を休められたギムリは疲れも忘れ戦いの気配に高ぶって不敵に笑う。

 

 

 

 




ガンダルフいたらチート馬来るに決まってる


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伏撃

一騎と三人はローハンを知悉した魔法使いの巧妙な指示で草原の富んだ起伏に隠れたまま先回りに成功した。

幸いにも、アイゼンガルドへの直線を描く経路中で雨上がりの足元の悪さを補い走れる地面はかなり絞られた。

襲撃の場に選んだ窪地は外縁にかけて盛り上がり、上から矢を射かけやすく待ち伏せるに適している。

年月を経て緩やかになった切り通しの岩の裏で飛蔭にマントを被せて隠蔽した。

夕時に奇襲を受ければどんな精鋭でも大なり小なりの混乱を引き起こす。

態勢を建て直される前に二人を奪還し、ガンダルフが飛蔭に乗せて一目散に東方へ離脱。

それが作戦の全貌。

奇襲が成功しても、彼我の人数差では生き延びる見込みはごく薄い。

残された三人は情報源にされないよう死にもの狂いで逃げるか命果てるまで戦わなければいけないおまけ付き。

粘っても時間が立つほど夜目が利くオークが有利になり、視界が狭まり疲弊する人間とドワーフは不利となる。

それに引っ張られてレゴラスまでも討ち取られかねない。

成功(二人の離脱)の目算すらも半分に満たないだろう。

なんて杜撰で乱暴な計画だ。

作戦とはとても呼べない見立てを実行せざるをえない状況に腹が立つが、二人を見捨てられない以上はこの他に打つ手が無い。

次の機会が訪れる保証もどこにもない。

時間は最早敵となった。

やり直せない一発勝負だ。

速駆けの地鳴りが迫る中、剣を抜き放ち仲間たちに目を配った彼は尋ねる。

「皆、私に命を預けてくれるか?」

「今更だな。裂け谷で誓った言葉に二言は無いさ」

肩を叩きそれだけ言い残したレゴラスは矢を矢筒から抜いて岩の突起に身を寄せた。

「バルログよりはよほどましよ。力を合わせれば乗り切れる相手じゃろうて。このグラムドリングも疼いておるわい」

皺の深さに肝の座りようを刻んで朧な希望を口にしたガンダルフが象牙の鞘から抜いた愛剣グラムドリング(殴り丸)はオークの接近に反応して淡く発光していた。

つらぬき丸と同じ起源を持ったこの剣もそれらを打った職人の遺志を抱き、人々の敵に反応しているのだ。

会敵は間もなく。

ガンダルフの読みは寸分の狂いもなかった。

「こんな草っぱらで死んだら誰も詩にはしてくれんだろうよ」

ギムリは一直線にこちらへ走る軍団を岩陰から確認した。

「おぬしと来たら、この期に及んでそんなへそ曲がりを……」

「だがまあ、なんだ。乗り掛かった舟だ、最後まで乗ってやらぁ」

しかし戦友が命を擲っているのに自分だけ臆病風を吹かせてはドワーフの名が廃る。

腹は括った。

腕を回して肩慣らしに斧を振る。

「全員良いか。オークを倒さずともいい。二人をここから運ぶことだけに集中するんだ」

一緒に死んでくれる友に二人も恵まれた。

その幸運がもう少しでも続いてほしい。

目測で百はいようかという集団にたった四人で仕掛ける緊張にアラゴルンは唇を固く結んだ。

狭い扇状に散開した仲間達は一心同体の心持ちで潜む。

鳴動と荒い息遣い。

ウルク=ハイの一団は窪地に入った。

今だ。

ここぞという時、アラゴルンは目で合図を送りレゴラスは深く引き絞った弦をいよいよ放した。

縦隊の先頭を走っていた二体のウルク=ハイのそれぞれ喉と眉間へ、一拍置いてその矢は到達する。

まずは先頭を潰す。

次いで最後尾。

最後尾を走る数体が襲撃を報せる怒号を聴いて前を見渡して、またもや風を裂いて夕暮れを飛翔するエルフの矢を受けて絶命した。

前後を抑えられたことで全体の脚が停まった。

「二人は後方寄りの中央にいるぞ!」

エルフの眼には二人が羽織る若草色のマントがよく見えた。

その叫びを聞いたアラゴルンはすぐさま吶喊の矛先を変える。

俊足で先頭集団からまだ状況が掴めていない中腹のウルク=ハイへ一直線。

「あいわかった!」

混乱は有り難いが中膨れした団子の隊形になられては突破に時間を取られる。

そうなる前に食い破る。

全力疾走で窪地を下り、雄叫びを上げた。

「うぉおおおおお!!」

暗色の服とエルフのマントの組み合わせは地形によく溶け込んで発見を遅らせる。

闘志漲る声は未知なる襲撃者の姿をオークの胸中に想起させた。

「何だ!?」

「馬鹿が、敵だ!」

浮足立つ者と警戒を強める者で半々。

落ち着きを取り戻した者をレゴラスが狙い撃つも限度がある。

前線を固められる直前にアラゴルンはそこを突破した。

「人間風情が!」

ウルク=ハイとて愚かではない。

オークより洗練された技能と高い知能を誇る戦争の申し子たちは、愚直に突出したアラゴルンが寡勢と見抜くや袋叩きにせんと左右から挟む動きを始める。

「させると思うたか」

灰色の魔法使いは老境の肉体に反して大股で駆け、グラムドリングで後背を狙う敵を裂く。

頭上から襲い来る白刃と強弓の猛威に気を取られた足元を斧が掬って転がす。

尋常な戦闘であればここでとどめを刺していたが、それもままならず通過する。

たかだか四人の襲撃で起こった混乱に端を発する束の間の混沌、その囲いが緩む戦場の揺らぎ。

草の上に置かれている二つ人影まで、偶然に視線が通った。

「そこか!」

大方、戦闘が生起したことで応戦しようと下ろしたのだろう。

偶然と幸運が重なり、拐われた二人への血路が突如として拓かれた。

彼らの練達の戦術眼は一瞬の勝機を決して見逃さない。

「どけぇえええええ!!」

血走る一喝を叫び、がむしゃらな力押しで突破を試みるアラゴルンの脇にギムリとレゴラスが張り付いて援護する。

三人は後先を顧みぬ怒涛の勢いで不揃いに停滞した集団を掻き分ける。

行く手を阻む腕の一、二本も斬り落とし、どうにか決死の突撃は実った。

「掴んだぞ!」

アラゴルンはもみくちゃになりながらも格闘を制して捕まえた小さい袖を引いて細い身を懐に抱え込む。

至近距離をギムリが間引き、レゴラスが弓で牽制して一時的な安全圏を作り上げた。

二人の人質を確保したのを見るやいなや、魔法使いはぴゅうと口笛を吹く。

「来たれ飛蔭!」

新雪のように美しい白の馬がオークを轢きつつ壮烈に駆け付けるとすかさずガンダルフはその背に飛び乗った。

「よし、受け取れ!」

気を失いぐったりしているままギムリの太い腕に投げ上げられたメリーとピピンを魔法の風で受け止める。

載せ方が多少手荒になったが時は一刻を争う。

悠長に抱えては命取りだ。

これだけなら天の目も見逃してくれるだろう。

馬上の人となったガンダルフを囲んで守っていたアラゴルンはこれきりとなるやも知れぬ別れを告げる

「二人を、皆を頼む……行け!!」

「すまぬ……!」

感謝すら伝えきれない短さで打ち切り、灰色の裾を翻すガンダルフは東へ急いだ。

「ホビットを逃がすな!」

去りゆく背中を追って駆け出す一隊があった。

誉れ高い飛蔭も三人を載せては思うように速度を出せない。

疲労も溜まる。

となれば執念深いウルク=ハイにいつか追いつかれるであろう。

飛蔭が倒れればいよいよおしまいだ。

「やらせるな!」

後ろを向けば弓で倒されると分かればガンダルフを追う必要があっても遮二無二暴れる三人を放置出来ず飛蔭から目を逸らすだろう。

オークの矢を拾っては使い回してまでとっておいた上等なエルフの矢が空を駆け、何匹ものウルク=ハイを精密に仕留めた。

しかしそこまでだ。

戦域を離脱してゆく追手の殲滅は叶わなかった。

アラゴルンは苦虫を噛み潰した顔をしてピピンの掌の温もりが残る指で柄を握りしめた。

「下がろう、ここは地形が悪い」

この窪地は攻めるに易いが守るには不向きだとレゴラスは諭した。

それもそうだ。

そう分かっていて襲撃地に選んだのだから。

「二人の救出は成った! ならば後は斬りまくるのみだ!」

勇ましい目標を打ち立てるも、集結したウルク=ハイに包まれ、やがて鎮座する大岩の前までじりじりと押し込まれてしまった。

背中以外の三方は敵。

肉弾戦に次ぐ肉弾戦。

突破しようにも突っ込んだ部分の隊列を厚くされて見事に対応され寡勢の弱みを嫌でも存分に堪能させられる。

「何匹いやがるんだこいつらは!!」

「突出するなギムリ、互いを守れ!」

「ウルク=ハイも無限ではない! 踏ん張るのだ!」

達人の三人をして一撃で押し切れないほど手練れの上に、悠長に打ち合っては横から後ろから鉈が降ってくる。

さらには半端な傷では死ぬこともない。

この手強い怪物をあと幾度と倒せば終わるのか。

五十か、百か。

湖畔やモリアでは木々や扉という防壁を活用していたから多勢に無勢でも戦えたのであり、開けている草原ではじっくりと擦り潰されるのが現実である。

じりじりと体力を削られて真綿で首を締めるように苦しくなっていくのが目に見える。

悪寒がして振り返ると、包囲網の奥に中腰で盾を構える隊伍が組まれていて、その更に奥には鉈も盾も持たない者共が居た。

アラゴルンはぞっとした。

暗くなり始めた視界ではそれらが何を携えているのか判然としなかった。

しかし軍団で歩兵の盾の後ろに控えるのは間合いが広い得物と相場が決まっている。

この間合いでは放たれた矢を剣で払う芸当は相当に難しい。

卓越した剣士のアラゴルンでも防げる矢は一つか二つが良いところだ。

「っ! 矢に気を付けろ!」

その発射と警告は同時。

レゴラスはその俊敏さで飛び退り、アラゴルンは剣の才で凌いで、ギムリには少しの幸運が味方した。

「あいたっ!」

彼が人間であったなら腹か胸だった場所、兜の鉄板を矢が掠めた。

猛毒の鏃が丸みに弾かれて装飾の表面を削るだけで命拾いをした反面、お気に入りの兜を傷つけられたことにギムリは悪態をつく。

「兜被ってて良かったぜこんちくしょう!!」

仕舞う手間も惜しんで双剣を宙に投げ上げ弓を構えたレゴラスが神速で、それも二本ずつ射る荒業で三連射し、眉間と喉に計六体を射殺した。

涼しい顔をしてまた剣を受け止めて斬り結ぶ。

第二の矢を止められたのは僥倖だが戦況は依然として厳しい。

体力が尽きた順に倒される末路を変えるには至らない。

 

 




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殲滅

気を失った二人を鞍で抱えて断腸の思いを耐え忍ぶガンダルフは飛蔭を東へ駆る。

ローハンの庇護下であればサルマン軍の影響も幾らかは防げるだろう。

あの強力な兵を大量に擁するアイゼンガルドは中つ国に楔を打ち込む位置にある。

建てられた目的は地方の監視基地としてであるから地理的にはモルドールより面倒だ。

急激に悪化した趨勢に頭を悩ます魔法使いは、ふと見上げて地平線から飛び出す二つの流星を見た。

それは暮れる草の原を途方もない速さでこちらへ駆ける二つの希望であった。

あっという間に相対し、交差した。

言葉を交わしたりはしなかった。

ガンダルフは呆気にとられていて、二人もまた今為すべき行動を正しく理解していたからだ。

飛蔭を追っていたウルク=ハイの分隊を通りすがりの一太刀で撫で斬って、速度を落とさず走り抜ける。

三人を半包囲して圧殺しにかかっていた背後を突く形になった。

先手必勝。

このまま不意を討つ。

大きい方の影は脚を更に速め、一気に加速した。

そして三人が包囲されている集団を夜の帳の先に見つけると、その体で出せる最高速を用いて突撃を敢行した。

圧倒的な体重と速度で突入する巨兵を止めることなど不可能であり、オークの隊列は文字通り吹き飛んだ。

それだけで死んでいたオークがニ、重軽傷を負ったのが四。

肩まで伸びた白髪混じりの髪を斑の黒(オークの血)で染めた剣鬼は、勢いを殺して脚を停めるまでに歩んだ三歩の範囲にいた三体をさらに血祭りにあげた。

瞬間的に態勢を崩された軍団はどよめく。

「今度は何だってんだ!?」

「わからん、だが油断するな!」

舞い上がる泥土と血飛沫。

肉片と混ざった汚泥は平等に人とオークへ降り注いだ。

すわ、さらなる難敵かと、三人は身構える。

凄惨な白兵戦を繰り広げていた両陣営はつい手を止めた。

「敵だ!」

敵味方を先に見分けたのはウルク=ハイであった。

まずは殺してから死体の身元を探ればよい。

そも、我々を蹂躙する者が敵でなければなんなのか。

実に利己的で単純な判断だ。

その迅速な判断も、総身を固める鉄の武具も役には立たなかったが。

人影に凶相で飛びかかるオークの体は額に衝突した靴底で弾かれる。

野太い脚は並の人間にとっては屈強過ぎる怪物種の顔を事もなく蹴り倒し、そのまま踏み潰した。

踏まれた兜は平べったく潰れ、中身は言わずもがな土に溶けて消える。

「次に死にたいのはどいつだ」

鉄の鎧も兜も魔剣のその妖しい鋭さには敵わない。

魔剣が通らないほど接触の角度が浅かった者はむしろ不幸だ。

続けざまの豪腕に殴られて歪んだ鉄板に胸なり額なりを潰されて苦悶の後に絶命してゆくのだ。

鎧も無意味な剛剣と被弾が死を意味する四肢の暴威をどんなオークなら止められようか。

古代ならいざ知らず、そんな強者はもうほとんどアルダに居ない。

草刈りに似た気軽さで兵力を削る傍ら、その空白を拡げるが如く、もう一つの流星が着弾する。

「お前ばかり良い格好はさせんぞ!」

蘇りしゴンドール人も遅ればせながらウルク=ハイを押し退け、転がったものを片手剣で刺し殺す。

輝かしい栄光と繁栄を誇っていたかつてのヌーメノール人を彷彿とさせる活力を放つボロミアにオークの陣が後退る。

「食い放題だ。慌てなさんな」

謎は困惑と後退を誘い、その分だけ人間の陣地は増える。

結果としてやっと合流を果たした仲間たちの一撃の下に活路は拓かれた。

死んだ筈の二人と死にかけていた三人の視線は重なり、それだけの瞬間で心は通じた。

巨体を揺らさぬ無拍子の刺突。

予備動作を消した一突きでまた命を奪う。

岡目には至極単調な動作であるのに、防ぐ素振りをした時には喉からうなじを貫き、あっさりと首を獲る。

流れるように二振り、三振りと亡者を増やす超越の剛剣はそれを振るうのがオーザンであると雄弁に語った。

「おおおおおお!!!」

アラゴルンは鬨の声を挙げて攻めに転じる。

戦とは決定機に場を支配した者が勝つ。

その機とは今に他ならない。

「なんなんだあの化け物は!?」

数の上ではまだまだ残っていても急増する死傷者にはさしものウルク=ハイも浮足立った。

湖畔でのオーザンは本腰を入れていなかったことを思い知り、なにより挟まれてしまっている部分の者はたまらない。

前には三人の精兵、背後には厚く長大な黒刀で膾切りに同胞をしていく巨兵が迫っているのだから。

常識という一線を遥かに超えた何かが猛然と来たる緊張は恐れ知らずのオークにも少なからぬ波紋が起こしている。

「あんまり遅いんで死んだかと思ってたぞ!」

不屈の精神で耐え忍んでいた仲間たちは守りの陣形を捨てて乱戦へ戻る。

憎まれ口を言うギムリは溜まっていた鬱憤を晴らすかのように嬉々として斧を振っている。

「ガンダルフを追ったオークは!?」

「先に片付けた。早く終わらせて一服付けようや」

趨勢は逆転した。

ウルク=ハイはこの五人を出し抜いて俊足の飛蔭を追撃しなければならないのに対して、仲間たちは一騎当千の魔剣士が加わった。

エルフの眼を逃れて戦線を離れられるか。

無理だ。

片耳の化け物エルフの悪夢をこんな少人数で狩れるのか。

無理だ。

袋小路に行き詰まったのはオークの方となった。

「ふざけるな!」

まるっきりの不利を悟ったウルク=ハイの暫定指揮官は戦線の只中で吠え立てて部下を鼓舞した。

「嘗めるな。サルマン様に楯突く者は皆殺しだ! エルフの一匹や二匹に怯むな!」

「ほう」

ぬかるむ土すら鳴らさずするりと滑り出した巨影はその指揮官の眼前に到達していた。

その場の全ての虚をついたオーザンの先手は誰にも止められず、意識の合間を縫って一太刀。

両隣の二体を巻き添えに体を左から右へ、真っ二つに両断してのけた。

極めて強引に振るわれることに耐えうる剣の強度があっての戦果ではあろうが、その太刀筋の美しさたるや、暴風の苛烈さで満月の滑らかさを描くが如し。

「やってみろ、雑種ども」

黒い瞳がぎらりと睨めつける。

生まれたてのオークと三千年の大半を研鑽と闘争に費やしてきたオーザンでは場数が違う。

恐らくは素手であっても全員を殴り殺せるだろう。

空前の殺戮者の手に哭いて喜ぶ魔剣がある限り、鉄の鎧を着ようと薄紙も同然。

加えて、セレグセリオンはオークの血を吸えば吸うだけオーザンを強化する特性がある。

今は後を考えて祝福の行使をやめさせているが、それらを無くしても負けはしない。

冥府帰りの魔人に尻込みしないのはなるほど大した闘志であるが、格の差は士気だけでは覆らない。

この男を止められない。

何者も。

防御も回避も不能の暴力は近寄った群れから削り取るように無造作に命を散らしてゆく。

お世辞にも戦えるとは言えないホビットを避難させたことで十全の突進力を発揮した禍き力に通じる手立ては無い。

肉も鉄も一纏めにして断末魔すら千切れ飛ぶ末世の楽団を指揮する混沌の使者は歌う。

理性無き悪の徒よ、死ぬがいい。

無言にして高らかな歌声だ。

舞い踊る黒刃は血潮を吸い、狂い哭いて伴奏を添える。

聴衆はみるみる減ってゆく。

一方的に殴りつける鏖殺へ変貌した戦場は長続きしなかった。

 

 

 




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綻びはひそやかに

まともな手段で己を倒しうる者はこの時代この中つ国には少ないだろう自負がオーザンにはある。

ましてやオークでは皆無と断言もしよう。

余程したたかな個体でない限り、困難な戦いだと感じた事はない。

それだけの修練と実戦を積み重ねてきた。

何日逃げ回られても狙った獲物は執念深く追い詰め、崖で、谷で、沼で、川で、暗殺し、虐殺し、膨大な数の敵を斬った。

首も胸も腰も、どこでも深く斬ればオークは殺せる。

実った麦の穂を刈る農夫と大した差はない。

一度に幾房も刈り取れる大鎌(セレグセリオン)が有ればもっと容易だ。

それが朝な夕なとオーク狩りをして抱いてきた感想である。

朝日を浴びるまで不死身であった亡霊や黒鉄の鉱床が丘ごと暴れる巨人といった、辺境に生息した気味の悪い怪物には神秘も強度も劣る。

連戦で潰れた刃でも、無理矢理に斬り込めば死ぬ。

殴っても蹴っても殺せる。

奴らは野蛮な知恵と悪意があるだけで特別に死ににくいとは言えない生き物だ。

オークを狩る度に心は躍る。

嬉々とした内心はおくびにも出さないで斬りまくり、それで過去の精算など出来よう筈もないが千切れ舞う肉片の花火は慰めになった。

オーザンは家族を愛している。

愛していた。

だからどこまでも残虐で冷徹になれる。

オークに限らず取り返しのつかない失態を晒した自分に対しても。

「……来たか」

逆殲滅の終盤に剣を使う腕に違和感が起きた。

なんとなく動きが悪い。

左腕、特に手首から先が。

誤魔化せる範疇の程度でも、感覚が変われば尋常でない速度で振る剣の制御がごく僅かに荒れる。

怪我もしていないのに、こんなことは初めてだ。

しかし何故かは知っている。

その昔、バルログを何体も打ち滅ぼし名を轟かせた超級の英雄が単なる数の不利に押し潰される筈が無い。

鋭すぎる刃の魔性に心と体を狂わされたのだ。

エルロンド卿にセレグセリオンの由来がグアサングにあると知らされた瞬間から何かを失っていく覚悟はしていた。

魔剣と踊るほどに戻れなくなっていく破滅への序章。

半エルフの己でこれならば使い手に選ばれなかった只人がセレグセリオンを持てば即刻干からびるのではなかろうか。

ぎしぎしと嗤う魔剣はまったくろくでもない末路を辿らせたがる。

かつてグアサングであった時代から数えて三代目の所有者にあたるオーザンもまた、その餌食となりつつあったのだ。

純粋なエルフでない肉体は朽ちるのも早い。

ふと流し見ると、左腕自体が黒ずんでいる中で左手の指先が灰色の石のようになっていて言うことを聞かないのだ。

しかしその程度とオーザンは一蹴する。

腰の切り方を変えたり握る位置をずらせば対応は可能。

今はさしたる問題ではない。

呼吸を整え体内の魔力を練って活気づかせる。

百を越したウルク=ハイも気がつけばあと十体。

活性化した瞬発力で瞬く間に殺してゆく。

夜の闇に溶け込み戦慄の剣風で次々と命を攫っていくとあっという間だ。

そしてギムリと鍔迫り合っていた最後の一体を突き殺し戦いを終わらせた。

残心を残しつつ伏兵を警戒するが気配は無い。

二人のエルフの目と耳から隠れられるオークは居ないだろう。

血振りをしてオークの服から千切った雑巾で刃を拭いた剣を納める。

たっぷり血を吸った魔剣はご満悦で真っ直ぐに仕舞われた。

艶を消したイシルディンの防護服にはところどころに返り血が付いてしまっていた。

血と汗に汚れた手でパイプを取り出して一服する支度をゆるりと始めた。

手早く火種を熾したらさり気なく腕を組んで指先を隠すのも忘れない。

「見てくれよ。ロリエンで仕立てて貰った素敵な一張羅が台無しだ」

オーザンがわざとらしく顔を顰めて血染めの襟を開いて仲間達の緊張感を解すが、あわや全滅の恐怖に包まれていた疲労を隠せなかった。

「まったく、平地で射られるなんて冗談じゃない。これだから見通しが良過ぎる地上は嫌なんだ……」

各々で水を飲んだり、ギムリすら人目を憚らずレンバスを齧ったりと体を労った。

「乗り切った……あれを……」

士気の不足、戦術の失敗、不運、どれか一つが有っても全滅し、連鎖的に中つ国も滅亡していただろう。

一手も誤れぬ緊張から解放されたアラゴルンの体は汗の粘つきの中で改めて震えていた。

胆力に長じた王族の末裔をして、生涯でも一二を争う恐ろしい綱渡りの経験となった。

息を整えたアラゴルンは終生の友と認めた男を見つめる。

「ボロミア……」

連戦に備えて武器の点検を済ませた仲間たちは自然と顔を合わせて再会を喜び合い、瀕死のままで別れたボロミアを暖かく迎えた。

「なんと言えば良いのか、私はまだ信じられないのだ。きっと、もう二度とは会えないと……」

オークの矢毒に冒されて、それも胸に二本も受けてから生還した話は噂でも流れてはこない。

それだけ絶望視された容態だった。

複雑な関係を清算し、ようやく素直になれた仲を窮地に裂かれたアラゴルンとボロミアは互いの肩に手を載せ、返り血をたっぷりと浴びたことも忘れて強く抱擁した。

「俺はここに居る。共に生きていただけるだろうか……我が王よ」

「天はゴンドールを見放してはいなかった。今度こそ共に戦おう!」

いつまでも肩を握り合っていそうな二人をギムリが分ける。

「嬉しいのは分かるがよ、アイゼンガルドは目と鼻の先だ。サルマンに見つかったら今度こそお陀仏だぞ。さっさととんずらしようぜ」

ここはサルマンの掌中だ。

遠目にはアイゼンガルドの炉の明かりも闇夜に浮かぶほどの間近。

もしサルマンの使役するクレバインが通りがかればあっという間に大量の追手が差し向けられることは間違いない。

闇が味方をしてくれると甘い気持ちでいては命が幾つ有っても足りなかろう。

「まずは逃がしたガンダルフを呼び戻そうや」

「その必要はないらしい。魔法使いってのは地獄耳だな」

オーザンは口から輪っかの煙を器用に吹いて遊びながら指差す方からは白銀の飛蔭が早足でなだらかな丘を下りてきていた。

 

 

オークの悪しき気配が消え失せたことで仲間の勝利を確信して合流に戻ったガンダルフは、大半が同一の斬られ方をした死体の山を見てひっそりと慄いた。

これだけのオークを根切りにして手傷も負わぬとは、ほとほと恐ろしい魔剣とその担い手である。

どのような生涯を送ればそんな心身が養われるのか。

魂魄からバルログの炎を揺らめかせ悠々と一服する姿はまさにそう、魔人。

侮蔑的な名称を口走ってしまいそうになるガンダルフは口と髭を撫で、すぐに考え直した。

彼が味方で良かった。

それだけで満足しようではないか。

「皆も無事であったか。彼の御方はすべてを見通し微笑んでおられるが、此度の配剤には胆を冷やされっぱなしじゃよ」

取り繕った微笑みも年の功で上手く作れた。

「二人とも体は大丈夫か?」

「ロリエンの料理は体に良いな。魔法のレシピを訊いときゃよかったよ」

一抱えもある岩の凹凸に指をかけ、右腕一本で軽々と持ち上げてオーザンは笑う。

呆れた馬鹿力で上げ下げし、岩塊を軽石のように振り回して優に十歩は向こうへ放り出した。

「……そのようじゃ」

一見して変わった素振りを見せないでいたが、パイプに添えられた左手がかすかに震えたのをガンダルフは見逃さなかった。

だが、特に何かを問うたりはしない。

彼が言わないのだから追求するのは正しくない気がした。

オーザン自身が選んだ道が如何なる代償を求めようと躊躇いの無い眼差しで今を生きているのだから。

「そっちの子供二人はどうだ? まだ起きていないのか?」

「二人とも相当に無体な扱いをされたと見える。体力はもう限界じゃ。飛蔭の上でも負担となろう」

段差や小川の上を全力で走らせても目覚めはしなかった。

特段体力に優れる訳でもないホビットの青年がウルク=ハイの強行軍に付き合わされた疲労は推して知るべし。

ただ、疲れていても目立った怪我はしていない。

走った疲れは一晩寝かせれば若者ならかなり回復する。

「走ってる途中で良さそうな洞窟を見つけた。今夜はそこで休もう」

「おいおい、あの速さで脇見してたのか? 勘弁してくれ、お前とは二度と走らんぞ」

ボロミアが苦笑する。

霊薬で下駄を履かされて死にものぐるいで走った隣で悠々と偵察していたのなら、俊足にも程がある。

「はは、薬の一つや二つで長年の稽古を超えられたらこっちが困るってもんだ」

少し老けて味が出た傷面でオーザンは笑った。

それから八人は移動した。

メリーとピピンはまだ気絶したまま、ぼんやりとして飛蔭の鞍にぶら下がりガンダルフに支えられていた。

「洞窟を掃除してくるから少しだけ待っててくれ」

先行して案内するオーザンは一言だけ言い残し、ずっと先へ走って起伏の奥に消えた。

オーザンは四半刻とせず用事を済ませて舞い戻って先導を再開した。

夜道を黙々と歩く。

誰も喋らず、飛蔭の穏やかな鼻息だけが空に吸われる。

断層がせり上がって小高い崖になっている岩場には意外と早く着いた。

「ここだ。ガンダルフ、いつもの光るやつを出してくれ」

「ふむ……しかしこれは……」

魔法使いは戸惑いがちに杖から加減した光を出すと岩壁を照らしてなぞる。

月光の陰に入っていて見えなかったが、崖の岩肌にぽっかりと空いた空洞がある。

洞窟に踏み入って少々下り、広がった空間をぐるりと見ると、それなりに居心地は良さそうだ。

大変に大柄なオーザンの背丈でも天井につかえないだけの高さもあって閉塞感も少ない。

これなら飛蔭も洞窟に入れて休ませられる。

アイゼンガルド側からは入り口が隠れているのも好条件だ。

「新鮮な風が入るし近くに水場もあった。悪くないだろ?」

しかしもっと大きな問題があった。

踏み消された焚き火跡の周りにはスプーンや鉄鍋など、使い込まれた雑貨が散らばっている。

粗雑に造られている刺々しい斧や剣が錆びるがままで転がっているのにはガンダルフも渋面を作った。

それらの意匠は到底人間が扱うものではない。

人間以外で武装する生き物とは。

当然答えは一つ。

「洞窟って、オークの巣穴じゃねえか!」

ギムリは吐き出さずにはいられなかった。

「焚き火の灰がまだ熱を持ってる。不味いんじゃないのか……」

踏み消された薪を調べたボロミアはたじろいだ。

鼻を効かせてみてオーク特有の臭気を感じたアラゴルンは剣を抜いておくべきか迷った。

「レゴラス、近くに居るのか?」

暗がりから今にも飛び出してきそうな疑心に駆られるが、人間の五感より格段に優れたそれを備えるエルフの二人と魔法使いが落ち着いていた事で冷静な声を保てた。

「分からない。臭いはしても、ここに敵意は無い」

「まあ落ち着けよ。暮らしていた徒党には丁寧にお願いして立ち退いてもらった。二度と戻らないから安心していい」

セレグセリオンを腰から外して適当な壁の窪みに尻を置いたオーザンは緊張する仲間を宥める。

そう。

丁寧に彼岸へ見送ったのだから二度とは戻って来ない。

往復に割いた時間を引くと恐るべき短時間で集団を抹殺した事実を隠そうともせず寛いだ。

落ち着かずうろうろしていたギムリが足を滑らせて尻餅をついて動揺した声を出した。

「うおっ!!」

「なんだっ!?」

反射的にアラゴルンは剣を抜いた。

「この岩、血がついてるぞ!」

「それが気になるなら灰でもまぶしてくれ。うっかり砕いちまったんだ」

強襲した際、斬って血で寝床を汚さないように撲殺したが、想定より脆かったオークの肉体はオーザンの鉄拳に耐えられず破裂してしまった。

襤褸布に纏めて遠くの岩陰に捨てるなどで手早く大掃除をしたが、なにせ混乱を起こさせるために焚き火を踏み潰して光源を無くしていたのでやり残しがあったようだ。

同じような何かの跡を見つけてしまい恐る恐る灰と砂をまぶすボロミアの傍らでギムリは小声で訊く。

「な、なにをだ?」

「本当に聞きたいか?」

わざと歯を見せるような明らかな作り笑顔を向けてオーザンは訊き返した。

「やめとくぜ……」

「賢明だな」

うっすら青くなった頬で黙り込んだギムリの隣でレゴラスはくつくつ笑った。

 

 




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夜になって

何はともあれ洞窟は一夜の隠れ宿としては悪くなかった。

乾いた薪が積んであり、すぐに焚き火も作れそうだ。

「せっかく隠れながら火を起こせる場所をオークから分捕ったんだ。飯にしようや!」

くたくたに疲れ果てた声を挙げたギムリは腰を上げるのすら億劫で食事とその後の一服だけを楽しみにしていた。

「食料は全部置いてきちまったし水だって満足に無いんだが?」

「集めてくるさ。レゴラス、弓を貸してくれるか?」

持ち前の体力で足取りもまだまだ軽いオーザンがすぐさま名乗りを上げる。

圧倒的な蹂躙劇を広げたが実際に倒したウルク=ハイはたったの二十やそこらだったので体を動かし足りなかった。

「そうだな。貸してもいいが、それでは私も手持ち無沙汰だ。すぐに戻る。皆は休んでいてくれ」

「あれっぽっちのオークじゃ物足りないよな。それじゃあ、闇の森のお手並み拝見といこうかね」

「ふふ、がっかりされないように頑張るよ」

金髪と灰髪のエルフたちは肩を叩き合って闇に沈む草原へ朗らかに出かけた。

月の光を浴びる草原を高台から俯瞰するだけで、生き物の息吹がそこかしこに見えてくる。

何百歩か先に、兎の足跡を見つけた。

神々の寵愛を受けし種族の耳は色々な音を聴き取る。

小川のせせらぎや虫の羽音。

より集中していれば鼠の鼻息すら聞き漏らさない。

動物の僅かな営みの会話が夜風に混ざっていようが聞き分けられる。

草を踏み分ける音も消した二人は当たりを付けた野原で顔を合わせ、自然と分散した。

レゴラスは岩の上に飛び乗り、オーザンはそのまま地上で巣穴を発見した。

戦士階級にある男の平時の仕事は狩りだ。

手順は違えど臨機応変に動くのも慣れたもの。

オーザンが大胆に野うさぎの巣穴に手を突っ込んで脅かし他の抜け道から飛び出した所を射る。

狂気的な練度ありきの狩猟法を簡単そうにやっていく。

一羽捕らえるごとに追い立てる役と射る役を交代でやりながら談笑した。

「お見事」

「オーザンこそ。狙いを補助する魔法の刻印を使ってないだろう。実力だけでそんなに上手ければ普段も弓を使えばいいものを」

闇の森の一流細工師が弓に刻んだ魔法は増強と補助。

それらを使いこなせばレゴラスまでとは行かずともかなりの精度が出せる。

しかしオーザンは根本的に矢の飛び方が違う。

正確な連射はレゴラスに軍配が上がるが、目一杯に弓を引いたオーザンの射方で放たれた矢の威力はとんでもない。

眼で追えない速さで兎の首から上を木っ端微塵に消し飛ばしている。

オークやそれ以上の怪物も鎧ごと殺傷するだろう。

強敵ひしめく砂漠の狩人特有のものだろうかと、レゴラスは感心した。

「弓を一切使わなかった訳じゃない。使う端から折れる矢を揃えるのがどうにも億劫で家の飾りにしちまったよ」

「毎回矢が折れるとは、一体どんな強弓だったんだ?」

「しなやかな金属をドワーフが打って作ったとかなんとか、行商人は言ってたがね。滑車を使った工夫をしてあったがどうやっても重過ぎて誰にも引けやしないもんで捨て値同然で売ってくれたな」

「いつの話だ?」

「確か鉄の弩が出回る少し前だったから、その研究をしている一派の失敗作かなにかだったのかもな」

真っ暗な夜にどこから出てくるか分かりもしない小動物も、手練のエルフが二人がかりであれば狩るのはそんなに難しい事ではなく、程なくして四羽の野うさぎを持ち帰った。

小噺をしながら血抜きをした小川で水筒も一杯に満たしてある。

それで万事解決とはいかなかった。

並べた獲物を六人で囲んで、そして手が止まったのだ。

「これを……どうするんだ……?」

「せっかくなら美味く食べたいものだが」

高潔なアラゴルンとて空腹はいつまでも耐えられない。

しかし、無言で周りと顔を見合わせる。

今更になって誰も彼も男やもめで上等な料理は作れないという問題が浮上したのだ。

やんごとなき育ちのレゴラス、ボロミアは手料理など論外。

ギムリも鍛冶や錬鉄の他はかなりおざなりにしてきた。

一人暮らしが人生の大半を占めるオーザンは修羅の道にのめり込んで食事を楽しむ権利を永らく放棄していた。

道すがら殺した何かしらの肉を生のまま齧って栄養も水分も補給し、標的を殺し尽くすまで止まらない生活を朝な夕なと繰り返すのがここ何十年かの習慣となっている。

必然、料理の腕はそれはもう酷いものだった。

ということで揃いも揃って火加減も適当な丸焼き料理しか作れない。

最早空腹感は抑え難く、早く油の滴る兎肉にかぶりつきたい衝動はレンバスの薬効でも消せない域に達している。

必然的に長生きで教養人なガンダルフが主としてアラゴルンを補助に付けて調理を担当するのだった。

「まったく、最近の若い者はすぐ食べることを疎かにしよる。困ったもんじゃ……」

「まあそう言うな。それぞれ生まれも育ちも違うんだ。仕方ないさ」

「こんなことに魔法を使ってしもうて……」

ぼやくガンダルフは魔法で味付けをしつつ創造神に謝意を募らせた。

毛皮を剥いだりする下拵えは手伝えてもそれ以降役立たずな男衆は焚き火の前でぶつぶつ呟く二人から少し離れて集まる。

椅子代わりの岩に座って悪企みの顔でオーザンは三人を見渡した。

「とりあえず飯は用意出来る。次に男が欲しがるのは何だろうな?」

「そりゃあ……いやまさか」

「そのまさかなんだな、これが」

懐から透明な瓶を取り出して中心に置く。

高さも厚みも常識外れに大柄なオーザンの体と比べては小瓶に見えてしまうが、標準よりも大きな容器だ。

中身は透明。

「裂け谷の……!」

貴公子然とした立ち振る舞いに反してかなり酒が呑めるレゴラスも無言で目を見開いていた。

栓を抜いて瓶を振ると洞窟内にむわっと独特な酒精が拡散して仲間たちに降り注ぐ。

裂け谷で過ごす最後の晩に集ったボロミア、レゴラス、ギムリの三人はその香りに心当たりがあった。

とてつもなく強烈で大人でも一杯飲めば目が回り、下戸は嗅いだだけでも酔ってしまうだろうほど鼻を突く強烈さ。

それでいて芳醇で華やかさが駆け抜ける。

間違いない。

あの夜に飲んだ火酒だ。

なるほど、それならば一瓶でも全員が楽しめる酒盛りになろう。

「呆れたぞ。ゴンドール中を探しても上古のエルフから何かを失敬しようなんて大胆な盗人はいないだろうよ」

「そう小さなことを言いなさんな。あちらさんは大して気にしない。どうやらランプ油の代わりだかなんだかに使ってたらしい。エルロンド卿も勿体ない事をするもんだ」

エルフの眼は闇などものともしない。

風流な装飾としての使い道が関の山。

エルフ以外の客人の部屋で灯すのだろうが、そもそも人間やドワーフが裂け谷にどれだけ辿りつけるものやら。

蔵の大樽に山程溜め込まれていた中からほんの少し拝借してもばちは当たるまい。

どうせ末世まで寝かしてもあれを全部飲める奴なんて現れっこないのだ。

「美味いねぇ。命の味がすらぁ」

軽く一口煽ってギムリに瓶を渡す。

「くあっ!」

「俺にもくれ!」

漂う強い香りに記憶を呼び侵されたボロミアがせがむ。

「お前さん病み上がりだろう?」

「いいから寄越せ!」

ほんの半口舐めてその美味さと強烈さに顔を歪ませる。

例外的に酒豪のオーザン、ギムリ、レゴラスを除けばボロミアも大した酒飲みだ。

ましてや麦酒で十分に盛り上がる年若いホビットにはこの濃厚さは耐えられまい。

「何をしているかと思えば、抜け駆けで酒盛りとは良いご身分じゃの」

「あの死地の連続を全員が生き延びた。浮かれるのも無理はない」

ガンダルフはちくりとした年寄りらしい小言を言い、アラゴルンはそれを補う。

焼き上げた兎の丸焼きをそれぞれ丁寧に渡してやるのだから魔法使いとて本気ではない。

「マイアに飯炊きをやらせたって聞けば堅物の俺の爺さんも腹を抱えて笑うだろうよ」

「当たり前じゃ、罰当たりめ。しかしてわしらは祝うべきでもあろう。諸手を上げて喜ぶには些か早いが再会に乾杯じゃな」

食器類もエミン・ムイルの畔に放り出して来てしまったので各々は小刀で切り取るか手掴みで持って齧りつく。

魔法で味付けされたありがたい兎の丸焼きから大変に熱い脂が溢れ、口の中を満たす。

誰もが無口だが塩気もまた丁度よい。

オーザンは大口を開け、なんと特に頑丈な腿の骨ごと豪快に喰らっていく。

 

行儀と分別を残した者を除き、男達は思う存分がむしゃらに貪るのだった。

 




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功名話

「さて、いい加減話して貰おうか。バルログのことだ。遠くで揺らめく陽炎にすら俺は恐れた。お前が人間離れしているのは百も承知だが、あんな化け物をどうやって殺せたんだ?」

口の周りを脂だらけにしたボロミアが肉塊を頬張りながらオーザンに水を向けたことが切っ掛けだった。

太古の英雄伝説にその悪名が遺る魔神バルログ討伐の功名話を本人から聞ける機会など二度と無い。

戦士たる男共はこぞって聞き耳を立てた。

「そんなに聞きたいか? じゃあ教えてやろう」

 

敵を皆殺しにするのが当然だった為に手柄を誇る習慣が村には無かった。

ただ淡々と狩りの経験に加えて伝承する。

エルフの基準で五十歳前後の少年へ教えていた事もあった。

「まず初めに断っておくと、ご存知の通り俺は剣にかけては少々自信があった。地元じゃ化け物退治を生業にしてたもんだからな」

肉を食い尽くした兎の小骨を剣に見立てて縦に振る。

思い出されるのは縄張り争いの相手達。

生活域を侵すものは化け蚯蚓だろうが鉱石の巨人だろうが死ぬまで斬り刻んで殺してきた。

「だがバルログはどこをどう斬ってもすぐに繋がって回復するもんだからあれには弱った。モリアの中で上から下まで転げ回りながら取っ組み合って、地底の湖に落ちるまで並の生き物なら百遍は殺したのにピンピンしてやがったよ。酷いインチキだぜありゃあ」

骨を噛み砕いて飲み込む。

爆ぜる焚き火の焔にバルログの幻影を視て、オーザンは少し険しい眼をした。

「でも殺したよな。それも五体満足で。まあ、耳は多少無くなっちまったが」

エルフらしさを更に減らしたことについてギムリが真剣半分、笑い半分に触れながら称える。

「これだけで済んで御の字だ。ガンダルフの魔法が俺を守ってくれなかったら一瞬で消し炭にされてらぁ。それでもなんとか奴の再生の限界まで斬り刻んで戦いを続けた。止めを刺せたのはたまたまだ。実力では負けてる」

あの膂力と体力に敵うだけの技量ではなかった己がよく勝てたものだ。

ひどい馬鹿をやったものだと自嘲的に笑って一口呑む。

「ちょっとやそっとの魔法でバルログを倒せるなら過去の英霊もその功績で天の座に召し上げられたりはせぬ。山火事を一人で消し止めるようなものよ。それを成したのは、ひとえにお前の力じゃ。もう少し誇ってもよかろうに」

神話の人物がどれだけバルログ軍団の餌食にされたか、当時を経験したガンダルフはそのまま覚えている。

アルダを蹂躙した忌まわしい絶望の影。

それがバルログというもの。

しかし、やはり手柄を否定するように頭を振り、腰から抜いて肩に立てたセレグセリオンに首を預ける。

「俺一人じゃない。こいつだ。この魔剣はとんでもなく強力なんだ。俺には……指輪よりも危険に思える」

「具体的には?」

「敵を斬れば斬るだけ敵の体力を吸い上げて、使い手の力を高める。感覚は研ぎ澄まされるし、子供でもオークを殴り殺せる」

「魔法の剣か。武器としては悪くはないな」

ボロミアの戦士としての見解はあながち間違ってもいない。

どうしても負けられない一戦を制するにはどんな無理を押してでも、という気構えは武芸者には必須なのだ。

だが限度はある。

危険性をいち早く察したアラゴルンは胡乱げに腕を組む。

「……そんな力を無理矢理出して、人の体は耐えられるか?」

「御名答」

「この剣は意思があって人を操る。力を与えるついでに頭に靄を掛けて死ぬまで敵を殺す奴隷にしちまう。そして傷を癒したりはしない。俺は体質のお陰でたまたま治ったが。戦いながら体を壊して死ねば、そのままより強い者へ渡る。どいつもこいつも破滅へ一直線のふざけた呪いさ」

「お前は平気そうじゃないか」

「俺は元が頑丈だからな。こんな剣、旅が終わったらとっとと海に投げ込んでやるよ」

腕の中で不機嫌そうに震えて抗議する剣を言葉とは裏腹に抱きしめる。

バルログの厚い外皮と核はセレグセリオンでなければ貫けなかったに違いない。

恐ろしくも素晴らしい剣だ。

「そもそもなんであんな大きな化け物が地下に居たんだ?」

「バルログはわし同様にエルフよりもずっと古い存在じゃ。アルダが創造されたより遥か昔、光の渦より生まれた。わしらは兄弟のようなものじゃった。同じように生まれて彼の御方に仕えてアルダを組み立てた。しかし傲れる初代冥王に服従してからは魔の道に堕し、燃える化身を纏い地上を蹂躙せしめた。力の戦いや宝玉戦争といえば、レゴラスやオーザンは判ろう。そうして世界を巻き込んだ争いをわしらマイアやヴァラールは始めた」

「神々の争いなど想像もつかんな」

心を蝕む叫びを撒き散らす獣に跨がり呪いを吐くアングマールの魔王すら、現代を生きるボロミアには超常の化身に思える。

神話のスケールには啞然としてしまうのだった。

「山は没し、新たな大陸が海底より隆起した。力ある者が権能を振り翳して何もかもが変わっていった。あの光景はこの世の終わりと呼んでも過言ではなかろう」

「城の書庫で読んだが、あれはおとぎ話だろう?」

「俺の爺さんも同じような話をした。上古にはバルログがうようよ居るわ、山より大きい竜も居たとかなんとかってな」

「左様。アンカラゴンのことじゃな。しかして混沌の末にわしらは勝利し初代冥王は闇の帳の彼方に追放された。モリアのバルログはひっくり返った大地の下に挟まれでもしたか、うっかり動くに動けなくなって誰にも気づかれず眠っておったのじゃろうな」

「それを揺り起こすまでせっせと掘り進んだんだから呆れちまうな。掘り過ぎだ」

「上の方の鉱脈は粗方掘り尽くしちまったんだ。仕方ねえだろ。鉱石が無けりゃ俺達も武器が打てねえ」

ドワーフが積み重ねた欲深さがミスリルの芸術を重ね、数々の業物で人間を救ってきたのだから一概に悪し様に言えたものでもない。

「それで、バルログを追いかけて地底の湖からまたモリアに戻ったのか?」

すっかり脱線した主題をレゴラスが戻した。

「ところがどっこいモリアはそれきりだ。あの大広間が納屋に見えるようなとんでもなく長い螺旋階段が地底の隅にあってな。戦いながら天辺まで上がったら山頂の物見櫓に直接通じてたって訳だ」

「なにぃ!? ど、どこにあった!」

大事そうに抱えていた遺品の日記を放り出したギムリが凄い剣幕で詰め寄る。

「何をそんなに興奮してるんだ?」

「ドワーフの無限階段は造られた時期があまりにも遠い昔のことでな。先祖らを神格化するための逸話というのが近年の定説となっておった。いつしかその所在すら忘れられ今では誰も知らなんだ。まさか、いやはて石の土台まで通じてたとは……」

ドワーフ史に大きな変革を齎す発見の興奮を冷ますようにしきりに髭を撫でた。

「しかも下から上まで踏破したとな。では、彼らを見たのじゃな。光無き世界に蠢く、祝福授かりえぬ者共を」

「ああ。地底には妙な住人が沢山いた。うまく例えられないが、生皮をひっぺがした奇形の蛙というか……とにかく明らかに俺達とは違う系譜で誕生した不気味な生き物だった」

黒ずんだ燃えさしを使って()の生物の姿を記憶を頼りに岩壁に書き起こしてみる。

「確か、こんな風だったか……」

バルログと戦うのに必死でまじまじと観察はしていられなかったものの、それなりの精度で思い出して筆代わりの枝を走らせた。

出来上がったのは一つ目の黒い人影の大雑把な落書きながら、異形の生き物という点は克明に伝わる姿絵だ。

「うっ、実際に見たらしばらくは夢に出そうだ」

「こういうのが地底にうじゃうじゃ居て、そこに落ちた俺とバルログにたかってきたんだ」

「ぞっとするな」

歴戦のレゴラスも未知の生物がそこらじゅうから寄ってくると考えたら鳥肌が立つ。

「しかし、この二人が御馳走と酒の匂いで起きないなんてよほどだな」

「オークに何日も小突き回されて生きてるだけ御の字じゃて。朝まで寝かしてやろう」

残念ながら大まかな血抜きしかしていない兎の足は明朝には傷んでいる。

死んだように眠る二人は揺すっても起きなかったので食べられなかった。

「しかしきつい酒だ。オーザンはよくガブガブ飲めるな」

「一昔前にとある岩山の中で鍾乳洞を根城にしたオークの町を潰した途中、拾った壺に入ってた酒らしきものを一口だけ舐めてみたんだが、強さに限って言えばこれに近い」

「よくもそんな物を飲んだな」

「大事に棚に仕舞われてたから滋養強壮の薬だったのかも知れんがね」

「それで、どんな味だったんだ?」

面白がるボロミアはからかい半分で聞き返す。

「舌が無くなったかと思うぐらい苦いし青臭くて不味かった」

中つ国でオークと行動を共にした時間は攫われてきた農奴などを除けばオーザンが最も長いだろう。

特にオークを殺すことに生涯を費やした貴重な知見には聞き入った。

何も毎回強襲していたのではない。

大規模な集落であれば何週間も張り付いて生態を観察し、生活様式や主食、果ては暗黒語と呼ばれる特有の言語すらもいくらか学んだ。

非常に不味くて強烈な薬草汁のような飲み物の話も皆は興味を惹かれる。

「オークが飲み薬を使うのか。初耳だな」

「奴等は下劣だが歴史の長さは侮れない。古い戦いも宝玉戦争も生き延びている一族だ。頑強なエルフも殺せる毒を作れる。裏を返したら、とんでもない薬の調合を知っていても別におかしくはないってもんだ」

「へえ、そんなものばっかり食べてたからいつも美味そうに食べるわけか」

「美味いものを美味いと言って悪い事はない。言えるうちに言っておけよ?」

言える相手が居るのは幸福なのだ。

彼女に空の皿を渡してただおかわりを頼むより、料理が美味いと伝えておけばよかった。

そんな簡単な会話も知らなかった当時の愚かさがいつも憎らしい。

「ロスローリエンの晩餐も良かったが、今のこいつはもっと最高だ」

「違いない」

 

全員の腹が満たされると自然とアラゴルンが音頭を取り、作戦会議が始まった。

「これからの方針を定めよう」

「ゴンドールへ行って、アラゴルンが王位に就いてサウロンをやっつけちまう。他にあるか?」

「大筋ではな。具体的には軍の指揮継承やローハンに救援の要請も必要だな。疎かにして国が割れたらいよいよ中つ国はお仕舞いだ」

「デネソール公はアラゴルンをイシルドゥアの後継と認めぬ事もあり得るか。聡明で権力に固執する人柄ではなかったが、人は時に変貌するものじゃ。その邪心が内より湧き出たものか、外から吹き込まれたかはさておき」

「俺がアラゴルンを支持すれば軍と弟のファラミアで周りを固められる。なんとかなるだろう」

「王権の継承は落ち着いてからが良かろうな。軍権を握らない事には指揮系統が乱れてまともな戦いにならぬじゃろうて」

「つまるところ、俺達は次にどうするべきなんだ?」

「何をすべきかというよりはこの小勢で何が出来るか、じゃな」

真正面からサウロンの軍団と戦っては圧殺されてしまう。

だから一貫して裏をかいてきた。

何が出来るか、の部分で揃いも揃って個人の武勇で頭ひとつ抜けたオーザンを見る。

「あのなぁ、俺は目の前の敵を殺しまくるだけで軍略なんて柄じゃないんだ。まあ、もしやるとしたらそうだな、ちょっと行ってサルマンを斬って来ようか? 少なくとも心配の種が一つは減るだろう?」

前回は見逃したが、今度は逃がさん。

以前通過した折に半端な幕切れとなった挨拶の続きと洒落こんでやるもよい。

「良いじゃねえか。お高く留まった魔法使いの鼻を明かしてやろうや」

サルマンのような迂遠な謀略を嫌うドワーフらしくギムリは鼻を鳴らした。

統率者が消えたオークは暗黒の軍勢から危険な害獣程度まで脅威度が下がる。

包囲殲滅、各個撃破の餌食だ。

発言を求められても、殺戮しか能がない自分に出来る提案はこの程度だ。

以前より補強されたアイゼンガルドが鉄壁の要塞となろうが闇夜に乗じれば一人で潜り込むくらいは易いもの。

寝込みを奇襲して、ちょいと首を刎ねればそれで済む。

「それが身の程知らずな蛮勇であれば良かったのじゃが。はてさて、困ったことにお前は本当にやりかねん」

一瞬だけぎらついた眼差しを見せたオーザンを牽制するようにガンダルフは逸る雰囲気を抑える。

「成し遂げられぬ、とは言わぬ。しかし強行軍で疲れた身では余りに危険じゃろうて。それにサルマンを倒したところでローハンを建て直さねばゴンドールの救いにはならぬ。ここは順序が肝要じゃぞ」

追放の沙汰を下した老王の身を未だ案じ、髭を梳いて紫煙を吐く。

「ローハンの王都エドラスへゆくのじゃ。まずはそこで敵と味方を見極めようぞ」

ガンダルフはそのように締めくくり、仲間は思い思いの場所で横になった。

洞窟の入口で交代で見張りを立てるが、オーザンは持ち回りの時間を長めに受け持った。

あと何度見られるかも分からない、この雄大で厳かな世界を目に焼き付けておきたくて、ただ眠ってしまうのが勿体なかったのだ。

「……」

セレグセリオンを抱き寄せる左手がじくりと疼く。

違和感は広がる一方。

弱い痺れの代わりに始まった軽い痛みは掌の半分まで来た。

次は何だろうか。

腕が腐るか、バルログに体を乗っ乗られるかだろう。

まあ、どちらでも仕方ない。

破滅の日を予感させる痛みを受け入れた孤高の剣士は、ただ静かに月の光を浴びた。

 

 

翌朝目覚めたホビットらは食べつくされた兎の骨に大層がっかりしたが、偵察がてら出掛けたエルフ二人が朝食に獲ってきた山鳥に大喜びして跳び上がるのだった。

 




同時展開の
エログロ全開ハードコアチャンバラ破戒武侠伝
「剣戟魔界都市」もハイよろしくぅ!
https://syosetu.org/novel/303761


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