リトルアーモリー ~2つの道、彷徨う弾丸~ (魚鷹0822)
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第1話 学友で、友達で、裏切り者

 空を覆う黒い雲から、無数の雫が滴り落ちる。地に生い茂る緑の草木の葉を打ち、揺らし、独特の音色を奏でる。傘をさして帰宅する会社員、カバンを傘替わりにして走る学生。その人の群れから外れた森の中で、制服を着た3人の女子高生たちが傘もささず、ずぶ濡れになるもの気にせず向き合っている。

 雨にうたれ、着ている制服が水気を吸って体に張り付く。普段なら不快で仕方がない感覚も、今の彼らには感じる余裕さえない。

「ど、どうして……」

 冷たい雨によって体温を奪われていることに加え、目の前で繰り広げられている出来事に恐怖し、震える唇を動かして1人の少女が言葉を搾り出す。

「……未世さん。それはこっちのセリフです」

 そう口にする少女が、虚構を見つめるように焦点のあってない瞳で、目の前の未世という名の少女を見つめる。自分の右手に握った、黒光りする金属のかたまりを向けながら。それは、おおよそ制服を着た女子高生が手にするものではない。彼女が握る黒光りするもの。それは戦争で使われる道具、拳銃だった。

 その先端に開けられた銃口を、彼女は同じ制服を着た同胞に向ける。

「や、やめてください!」

 未世が、悲鳴のような声をあげる。

「あなたは、自分の役割を放棄するの?」

「そんなことはありません!で、ですけど……」

 指がかけられた引き金を数センチ引けば、いつでも相手の命を摘み取れる。小さくても、その1発が絶大な力をもつ存在を向けられ、未世は体が震える。

「……銃を捨てて!」

 拳銃を向ける少女の背後で、未世の相棒の凛が同じく銃を構える。拳銃よりもはるかに強力なアサルトライフルの銃口を、彼女は未世の前の少女の背中に向ける。

「……さあ、早く!」

 やめるよう促す凛の声が上ずり、震えが混ざる。それが構えている銃にも伝わり、銃口が上に下に、右へ左へと振れる。未世に拳銃を向ける少女は凛を一瞥する。それだけで特に何もなく、彼女はゆっくりと向き直った。

「未世、あきらめて」

「い、嫌です!」

「……そう」

 静かに応えた彼女は、引き金にかけた指に力を込める。直後、雨音を払い、1発の銃声が森の中に児玉した。

 

 

 

 

 

 壁ドン、というものをご存知だろうか?

 

 建物に突入する際に、ドアノッカーを使ってドアをこじ開けること?

 導爆線でドアを吹き飛ばすこと?

 壁に爆薬で大穴を開けること?

 建物ごと爆破して崩壊させること?

 

 そんなわけない。そんな過激なものじゃない。

 漫画やアニメ、小説等で描かれる、壁に追い詰めた相手の逃げ道を断つ際に手をつく、あれのことだ。

 乙女心を抱く年頃の女子たちにしてみれば、想いを寄せる相手からして欲しい行為の1つであるとか、そんな話がある。

 好きな相手の顔が、鼻先がふれそうなほどの距離に迫るため、恋愛ドラマや漫画などでしばしば使われることがある。

 無論、好意を抱く者が迫らなければ意味がない。

「……えっと、あの~」

「……」

 

 まばらに雲が流れるあかね色の空の下、学校の屋上で向かい合う制服姿の生徒が2人。1人は屋上出入り口がある塔屋の壁を背に追い詰められ、もう1人は相手を逃がすものかと壁に手をつき、念をいれて足の間に膝をついている。いわゆる、壁ドンの派生の1つである。

 だが少なくとも、この2人を見てこの状況に憧れる者は、誰1人としていないだろう。追い込まれている生徒、追い込んでいる生徒、2人共が同じ制服を着ている。同性同士だからだ。

「ちょっと、何か……応えてくれない?」

「……」

 壁を背にしている生徒は目の前の彼女に問いかけるも、先程から一言も言葉を発さず沈黙を貫いている。ただ、全身からあふれ出るような敵意と、射抜くような鋭い視線を投げかけてくるだけだった。

 

――――な、なんで、こんなことに……

 

 追い詰められている生徒は脳内で悲鳴をあげるも、目の前の彼女はそんなこと知る由もない。

 なぜこんな状況になったのか、事の始まりは数十分前に遡る。

 

 

「本日の授業はここまで」

 担任の授業終了の声を聞き、部活にいく生徒や、帰宅する生徒たち。各々が席を立ち、それぞれの目的地へと足を向ける。彼女も帰宅するべく自分の荷物を持って席を立つ。連絡が入っていないか確認するため、スカートのポケットからスマートフォンを取り出し電源を入れる。

 すると、メールの受信を告げる表示が出る。アイコンにタッチし、メールを開封する。表示された内容を見て、彼女は目を細めた。

 

「屋上で待ってる 一人で来て」

 

 文面は、そんな簡素な内容で終わっていた。場所は屋上、1人で来いという内容だけ。いつの何時何分という記載もない。普通なら不審がるか無視する内容だが、彼女の場合は違った。こんなメールを送ってくる相手など、彼女の脳内には1人しか思い浮かばなかった。同時に、このメールを無視すれば後日どうなるのかも。

「やれやれ……」

 彼女は帰宅の予定を変更し、学校の屋上に寄ることにする。

「ねえ、風原さん」

 いつの間にか、クラスメイトの1人が立ち上がろうとする彼女を見下ろしていた。

「このあと、予定空いてない?空いているなら歩哨任務、一緒に来て欲しいんだけど……」

「……ごめんなさい、呼び出し受けているの」

 誰から、は言わずに彼女は遠まわしに断る。

「そ、そうなんだ……」

 目の前のクラスメイトは、明らかに落胆の色を顔ににじませる。その表情に胸が多少痛むが、メールの送り主を待たせる方が後々面倒なことになる。

「そんなわけだから、また今度」

「ねえ、呼び出しの要件って時間かかる?すぐ終わるなら、待っているわ」

 相棒らしき生徒が横に現れ、再度彼女を誘う。

「……ごめん、わからなくて」

 苦笑を浮かべ、頭をかきながら彼女は再び断りを入れる。

「ねえ、どうしても無理?」

「……うん」

「どうしても?」

「ええ」

「お願い、あなたにしか頼めないの!」

 2人が両手を合わせてすがるように彼女に懇願する。なかなか引いてくれないクラスメイトを前に、彼女は頭を抱える。ここで良いといえば、彼らは喜ぶだろう。だが、あのメールの送り主を待たせば、後日嫌味を言われるか苦情や文句が間違いなくくる。

クラスメイトか、メールの送り主か。選択するのに時間はかからなかった。

「ごめん、また今度空いているときに、ね」

 クラスメイトに拝み倒されても、彼女は首を縦に振らなかった。すると頬を膨らませ、見るからに不満を訴えてくる。

「それじゃあ」

 なおも頬を膨らませる不満一杯の2人を残し、自分の荷物をもって彼女は屋上に足早に向かった。

 自分のカバンと机の横に固定してあった、M4A1を手に。

 

 

 女子高生に銃など、どこの創作や空想世界のことだと誰もが思うだろう。でも、これが創作の世界での出来事なら、どれほど良かったか。それが彼女たち、小さな武器庫と呼ばれた、指定防衛校生徒たちの日常の一幕であった。

 

 

 ある日、人類と未知の敵との戦端は、突如開かれた。未知生物、通称イクシス。ユーラシア大陸中央部に現れた彼らは、宣戦布告もなく人類に襲いかかった。

 この前代未聞の出来事に、世界各国は軍隊を派遣。国連の名のもとに多国籍軍を結成し、これに対処。防衛戦を構築し、一定の地域に封じ込めることに成功する。日本からも自衛隊が派遣され、国際社会の一員としての役割を担った。

 だが間もなく、イクシスは空間と空間をつなぐ謎の穴、ネストをとおり、世界各国に姿を現すようになる。

 この事態に日本は、最低限の規模しかない自衛隊だけでは国内警備に手が回せず、警察の武器では対処できない。そして先の大戦以降、戦いから離れすぎていたために、軍人が街中を闊歩することで生じる、国民への精神的負荷を懸念した。

 そこで国は、民間武装警備会社を認めると共に、志願する未成年に教育を施し、地域防衛の一助とすることを思いついた。

 武装した学生を育成する学校、指定防衛校が設立されることになり、銃を持った学生という空想の中にしか存在しえなかったものが現実となった。

 様々な優遇策を使い、潜在的に使える戦力を、日常に溶け込ませる。そこにどんな思惑があっても、指定防衛校の生徒たちは銃を手に戦うことを選んだ。

 かつてあったという、本当の日常、平穏というものを、取り戻すために。

 

 

 という出来事があってから、20年近くが経過する。彼女のいる私立古流高校も指定防衛校の1つで、イクシスと戦うための術を学ぶ場所。そこに通う彼らにとっては、銃は相棒で、共にある身近な存在になっている。その相棒を手に彼女は、リボンでひと房に纏めた肩あたりまで伸びる髪を揺らしながら屋上へ向かった。

 

 

 静かな階段を1人駆け上がり、屋上へつながる塔屋の金属ドアをゆっくり押し開ける。暗い塔屋の中から、開放的な屋上へと降りたつ。そこで彼女を待っていたのは、予想通り見知った顔。

 肩の下あたりまで届く長さの結んでいない黒髪が、屋上に吹くそよ風に揺られ、フェンスに手をかけながら物憂げな表情で眼下の風景を眺める様は、とても絵になっている。儚げな美少女とはこういうものを言うのだろうか。

 彼女の傍らに、Mk18Mod0という少々無骨な銃さえなければ。そんな関係ないことを考えながら、歩を進める。

 呼び出した彼女に歩み寄り、言った。

「来たけど、何の用?」

 すると、彼女を屋上に呼び出した生徒は、首を勢いよく回し、視界に彼女を捉えると途端に目を細めて表情を険しくする。獲物を見定めた猟犬のように、目つきは鋭く、敵意や殺意のようなオーラが全身から滲み出す。儚げな美少女などと評した雰囲気は彼方へ吹き飛び、無言のまま獲物に向かってにじり寄ってくる。

「あの、一体、どうし……」

 目の前の生徒が一歩進むたびに、彼女も一歩下がる。急な豹変ぶりにただならぬものを感じた彼女の本能が、この場から即座に逃げるように脳内で警告音を激しく鳴らす。

 気がつくと、出入り口のある塔屋に向かって追い詰められていた。背中に硬い感触が伝わり、もうこれ以上下がれないことを感じ取る。右方向に出入り口の扉が見える。そこに向かって駆け出そうとした。そのとき、行く手を壁につかれた腕に阻まれ、さらに足の間に膝がつかれ、完全に逃げ道を断たれてしまった。

 

 

「あの、ちょっと……」

 それから時間が流れるも状況は変わらない。何度も問いかけるが、目の前の生徒は沈黙を貫いたまま。このままでは埓があかないし、視線は怖いし、足の間に感じる感触も不快で仕方がない。 

「……そろそろ、私を呼んだ理由を教えてもらえない?」

 射殺すような視線を向け続ける生徒の名前を、彼女は口にした。

「……白根さん」

 白根凛(しらね りん)。それが目の前の、屋上に彼女を呼び出し、塔屋の壁際に追い詰めた生徒の名。古流高校を代表する学科、特殊戦科に抜擢された才女。同級生ではあってもクラスが違うため、日頃の交流は少ない。そもそも彼女は、幼馴染の相棒といる時間が多い。その彼女が、なぜ急に屋上に自分を呼び出したのか。その理由が分からず、頭に疑問符を浮かべる。

「……胸に手を当てて、よく考えてみれば」

 ようやく口を開いた凛は、目を三日月のように細めて目の前の生徒を睨みつける。

「……凪」

 風原凪(かざはら なぎ)。それが、凛が呼び出した生徒の名。普通科に通う、何の変哲もない、ごく普通の指定防衛校の生徒。

「だから、それがわからないから聞いて……」

「……胸に手をあてて考えてみて」

「だから、それが……」

「……」

 凛の目つきが鋭さを増す。敵や仇を見るような視線を前に、胸に手を当てて考えてみることなどできない。無駄話や冗談をいうことは一切許さない。暗に、そう言っているように凪は感じた。

 目の前の彼女の眼光に気押され、首筋にナイフの先を突きつけられているような錯覚に陥る。

 彼女は口を真一文字に結んで視線をそらす。そんな彼女の様子を見て、凛はさらに目を細める。

「……わかっているんじゃないの?」

「……何が?」

「……私が、あなたをここに呼んだ理由」

 凛の吐息が肌で感じられるほど、彼女は顔を近づけてくる。凪は頭を必死になって回転させ、この状況からどう抜け出せばいいか、彼女がここに自分を呼んだ理由を考える。

 でも、いくら考えても答えがでない。少なくとも、愛の告白の類でないことは確かだ。同性同士である以上、ありえなくはないが、少なくとも今は除外される。が、それ以外での理由が思い浮かばない。

 いや、1つだけある。おそらく、それが理由だろう。所属する科も、クラスも違い、普段の交流も少ない凛が、凪を呼び出した理由。それは、2人にとっての共通の知人に関することしかない。

 それが分かっても、凪は口をつぐむ。なんとかこの状況から脱しようと、彼女は右足を少しずつあげ、凛の足から逃れようとする。でも、彼女の方が早かった。

 凪の行動に気づいた凛は、壁についていた手を外して両手首を掴んで壁に押さえつけ、足の間についていた膝を少しあげた。

 完全に動きを封じられた彼女に、凛は顔を近づける。

「……逃がすと思ったの?」

 2人のおでこが触れ合い、凛の射抜くような視線が数センチ先に迫り、嫌でも目に入る。

「……逃げるつもりだったの?彼女から逃げた上に、私からも」

 抑揚がなくても、ドスが効き、一言一言が体に響く。凛は彼女の耳元に口を近づけて言った。

 

 

「……裏切り者」

 

 

 その言葉は、どんな刃物よりも鋭利で、どんな銃弾よりも確実に凪の心を貫いた。

「裏切り者って、私?」

「……他に誰がいるの?」

「私は、裏切ってなんか……」

 手首を捕まえる凛の手に力が込められ、彼女は顔をしかめる。

「……自分は裏切ってない、そう言うの?」

 凛の言葉に、凪は頷く。すると、彼女は静かに息を吸い込み始める。あまり大きくない胸が若干膨らみ、吸い終えたところで止まる。

「……あれが裏切り以外なんだっていうの!」

 鼓膜を激しく揺さぶる大声が間近で響き、凪の肩がびくりと震える。凛は目を大きく見開き、彼女に顔を近づける。

「……あなたは私の相棒を、未世を裏切った!事情も話さず突然」

「そ、それは……」

 凪は滑りそうになった口を閉じ、視線を彼女からそらした。

「……それは、何?」

 顔を横に向ける凪の耳元で、凛は囁いた。彼女の声が冷気のように体にまとわりつき、凪は身震いする。震える口を動かし、彼女は言葉を搾り出す。

「私は、ただ、自分の責務を全うすることを、選んだだけ……、だから」

 見開かれていた凛の目が、再び刀のように細められる。

「……だから自分は間違ってない、と?」

 彼女は、黙って頷く。

「……間違っているのは、彼女の方だと?」

 ためらいながらも、再び頷く。

「……あたしはそういうことを聞きたいんじゃない!」

 凛がまた感情を爆発させ、発せられた大声に凪は首をすくませる。

「……言って」

「何を?」

「……あなたが裏切った、未世を見捨てた、本当の理由を」

「理由なんて、ない」

「……言って」

 さらに手首を握る凛の力が増し、足の間の膝も上がってくる。

「……言うまで、絶対逃がさない」

 手首に込められた力、眼前まで迫る凛の顔。それらの行動が、本気であることを物語っている。凪が口を開かない限り、夜になっても、雨が降っても、台風が来ようとも本当にこのまま離してくれない可能性が捨てきれない。試しに両手を振りほどこうとするも、力を緩めてくれる気配はない。

 もっとも、彼女の意向がどうであれ、少なくともこの状態のままでいるのはまずい。誰かに見られれば、あらぬ誤解を招くことは想像に難くない。

口を開くべきか、やめるべきか。凪は視線を合わせ、逸らすのを繰り返す。そんな彼女を、凛は眉さえ動かさずにじっと見つめて待つ。

 ふと、塔屋の扉が開く金属音がした。

 

「凛ちゃん?」

 

 凪のものでも、凛のものでもない第3者の声が耳に届いた。2人は声のした方向に同時に振り向く。そこには、支給品のM4A1をスリングでぶら下げ、シュートボブの髪を揺らす生徒が1人立っていた。案の定、2人の予想した人物だった。

「……未世」

「あ、朝戸、さん」

 朝戸未世(あさと みよ)。凪のクラスメイトで、件の生徒。凛の幼馴染で相棒。彼女が、凪が裏切った、見捨てたと言っている生徒だった。

 未世は目を瞬かせ、目の前の状況を口を少し開けたまま見つめる。

「あ、あの、朝戸さん?」

 凪が呼びかけるも、未世は銅像のように固まってしまっている。ふと、意識を取り戻したのか、まばたきを繰り返す。

「その、凛ちゃんが、今日歩哨当番なのに集合時間にこないから、何かあったのかなって……」

 言いながら未世は、2人から後退っていく。彼女の目の前には、壁を背に追い詰められている見知った同級生と、両手首を捕まえ顔を近づけて迫る相棒。こんな状況を見て何を思うか、凪は瞬時に察した。

「あ、朝戸さん。これは、その……」

 彼女が話しかけた瞬間、未世は急に微笑ましいものを見つめる、晴れ晴れとした満面の笑みを浮かべる。

「……2人って、そういう関係だったんですね。知りませんでした」

「朝戸さん盛大に誤解しているって!」

「凛ちゃん、いつも飄々としているのに、結構情熱的だったんですね。私も初めて見ました」

 会話をしているようで噛み合っていない話に、凪は叫んだ。

「敵意を含んだ表情のどこが情熱的に見えるの!?」

 叫ぶ彼女の声にまぎれ、カメラのシャッター音が屋上に児玉した。シャッター音は消してはいけないというルールに則った、申し訳程度の音。それでも、彼らのいる屋上全域に広がるほど、異様に大きくなって耳に響いた。

「凛ちゃんの以外な一面、凪ちゃんとの関係。これは、一大事です」

 彼女はいつの間にかスマホのカメラを操作し、この決定的瞬間を内部のメモリーに収めてしまった。

 まずい、非常にまずい。もう誤解だという凪の言葉は未世に届いていない。こんな瞬間を他の生徒にも知られたら、彼女のことだから言いふらすことはないとおもうが、校内であらぬ噂が一人歩きすることになる。

 噂好きの女子高生の彼らにとっては、未世の撮った写真は格好の噂の種になる。凪の額に、冷や汗がにじむ。

 今すぐにでも未世を捕まえ、スマホのメモリーから先程の写真を削除しなければならない。しかし、まだ凛に両手首を捕まえられているため、実行することはできない。彼女は、唯一自由に動く口を使って必死になって訴える。

「だから、朝戸さん。これは、違うんだって!」

「何が違うっていうんですか?」

クラス内では天然っ娘扱いされながらも、常に前向きで、周囲に振りまく微笑ましい彼女の笑みが、なぜかこのときは、処刑執行人の浮かべる悪魔の笑みに見えた。

「だから、私と白根さんは、今あなたが思っているような関係じゃないって」

「この状況でそんな言葉、誰が信じると思うんですか?」

 否定できないこの状態を指摘され、彼女は言葉がでない。確かに、今の2人の様子を見れば、誰でも同じ考えを抱くだろう。

「そ、それはわかっているけど……。でも、違うの!」

「じゃあ、なんでそんな状況になっているんですか?」

 後退りしていた未世が、今度は一歩一歩、ゆっくりと一定の足取りで近づいてくる。

「一語一句丁寧に、1から順に説明してもらえませんか?」

 彼女の背後にどす黒いオーラを見ながら、凪は必死に言葉を探す。

「その、私がここに来たのは、白根さんに呼び出されたからで……」

 相棒の名前が出てきたことで、彼女は視線を凪から凛に移した。幼馴染同士にしかわからない無言のやり取りがされたのか、凛は凪に向けていた敵意を引っ込めた。

「……凪を問い詰めていた」

「なんでですか?」

 凛は一度凪に視線をちらつかせ、再び未世に向き直る。

「……彼女が、なんで未世を裏切ったのか。なんで、見捨てたのか。その理由を」

「だから、私は」

彼女は瞬時に表情を険しくし、凪を睨みつける。

「……凛ちゃん」

2人は未世を見つめる。彼女を見て凪は目を見開いた。今の彼女は笑みを浮かべてはいても、それは、何かをごまかそうとするような、何かをこらえているような、引きつったものだった。

「そのこと、私は気にしてないから。彼女を離してあげて」

「……でも」

 なおも抗弁しようとする凛に、未世は無言で訴える。観念した凛は、凪の両手首を離し、足も引っ込めた。

「さ、歩哨の時間ですから、行きましょう」

 未世は相棒を置いて1人階段を下りていく。ようやく自由になった凪は、自分のM4をスリングを掴んで引っ張り上げる。自分の装備を持って歩きだそうとしたとき、凛が出入り口で足をとめ、彼女を見つめていたことに気づいた。先ほどと同じ、射殺すような視線を向けて。

 2人の間を風が吹き抜け、制服の裾を揺らした。そのとき、彼女は凪に向かって口を動かしていた。

 何かを言い終わった凛は、足早に未世を追いかけていった。風の音でかき消されてしまったが、彼女の唇の動きから言葉の内容を察した。

 

「ユ、ル、サ、ナ、イ」

 

 凛は確かに、そう言っていた。

 



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第2話 だから相棒は彼女を許さない

「凛ちゃん、もうあんなことしないでくださいよ」

 歩哨任務のルートの道中、未世は先程の凛の行動をとがめた。

歩哨任務というのは、当番制で割り当てられた地域をパトロールする任務のこと。イクシスがいつ、どこから現れるかわからないため、曜日を問わず行われる。といっても、いつも戦闘に発展するわけではない。

 この任務は、イクシスが現れる空間と空間をつなぐ穴、ネスト、もしくはその前兆のネストシードの発見を目的とする。イクシスが現れた場合のみ、戦闘に発展する。

 なので、未世も凛もそれぞれ銃や予備弾倉等を身に着け市街地を歩いている。目標のものを見つけるために周囲に神経を張り巡らさなければならないのだが、先ほど屋上での一件を流すことは未世にはできなかったらしい。

「……でも、彼女は」

「でも、何ですか?」

 いつになく、未世の責めるような視線に、凛は首をすくめそうになる。

「……彼女は、突然未世を裏切った」

「だから凪ちゃんを許せず、事情を問い詰めようとしたんですか?」

 彼女は無言で頷いた。

「だから、もうあの件はいいですって」

「……未世は平気なの?」

 凛の問いかけに、未世は足を止めた。

「……だって、凪は、未世の夢を理解してくれていた」

 応えない未世に構わず、彼女は話を続ける。

「……なのに、ある日突然責務だ、義務だという言葉で逃げて、未世を見捨てた。それまで、そんなこと口にしなかったのに」

 凛は、足を止めた彼女の前に回り込んだ。

「……なんで許せるの?なんで平気なの?」

 凛の言葉が、未世に突き刺さる。未世の言葉を、彼女はじっと待つ。任務中とはいえ、必要なことは解消しておかなければ支障が出る。この話題は、解決しなければならないことだった。

「だって、それが普通だと、思うから」

 未世は、無理に笑顔を作りながら答える。

「イクシスと仲良くなれる道だって、あるかもしれない。そんなこと、普通のみんなは流すか、まともに聞いてくれない。それが、普通だから」

 凛は、無理に元気を装う幼馴染の姿に、胸の奥が痛む。

「おかげで、クラスではすっかり天然っ娘扱いだもん。もう慣れたし、それが普通だから」

「……未世」

 未世の笑みは次第に沈んでいき、顔も俯いていく。

「でも、凪ちゃんだけは、流さず聞いてくれた。理解も、応援もしてくれた。一緒に、目指そうって、初めて、言ってくれて……」

 未世の声に、次第に震えが混ざる。

「何で、だろうね。突然、話かけてくれなくなったし、私たちの夢だって、否定するようになって。私、彼女に嫌われるようなこと、したかな?何で、かな……」

 何で、何でと、未世は繰り返す。周りには与太話として流された、彼女の夢。

 

 敵であっても、イクシスと、仲良くできる道だってきっとある

 

 という理想、夢を、未世は抱いている。

 彼女は幼い頃、ビースト型イクシス、K9の幼体と接触していた。日々出会う殺意や敵意を向けてくる個体ではなく、人懐っこい個体と。

 未世たちが生まれるより以前からイクシスとの戦争は始まっていて、身内や故郷を奪われた人々は当然いた。学校でも世間でも、イクシスは殺してしかるべき、という意見が常識になっている。

 その中にあって、未世は幼い頃にあったK9にまた会うために、仲良くなれる可能性を探すために、今の場所にいる。

 でも、彼女の意見は流されるか、嘘つき呼ばわりされるのが普通だった。幼馴染の凛でさえ、否定こそしないものの、同意できないでいる。あの個体だけが、特殊だったのかもしれない。それが、凛の答えだった。

 

 古流高校入学間もないある日、未世は突如理解者を得た。先ほど凛が問い詰めていた生徒、クラスメイトの風原凪が、そうだった。

「私も、そう考えているの。同じだね。じゃあ、一緒に頑張ろう」

 与太話として流されることに慣れていた未世は、目が点になった。凪が何を言っているのか、正気を疑ったほどだった。本気なのかふざけているのか、半信半疑だったものの、未世は彼女を信じてみることにした。

 彼女は本気だった。イクシスと最初の接触のことをお互い語り合い、日々夢のために努力を始め、仲を深めあっていった。同じ目標を目指す、同じクラスの学友。そんな存在に、未世は初めて出会えた。

 そんな彼女の存在は、出会ってたった3ヶ月程という期間であったにもかかわらず、凛とは比べるべくもないが、未世にとっては大きなものになっていった。

 

 凪が突如、義務や責務といった言葉で、未世を拒絶するまでは。

 

「イクシスは、1匹残らず殲滅しないといけない。それが私たちに与えられた役割で、全うしなければならない責務でしょ。そのために、私たちは存在する。仲良くなんて、やっぱり無理だよ」

 彼女が態度を翻した日、夕焼けの眩しい学校の屋上で、未世に向かって言い放った言葉が、凛の脳裏に浮かぶ。あの台詞を言われたときの未世の顔を、彼女は忘れられない。突如捨てられた子犬みたいに、悲しみに歪み、怯えた相棒の顔を。

 

「……未世は悪くない」

「そうかな。でも、彼女何も言ってくれないし、私が浮かれていただけで、本音は違ったのかも、しれないし」

 自身の心を守るために、過去を否定する未世。凛はMk18を握る手に力を込めた。樹脂製のグリップだけでなく、金属でできているはずのハンドガードさえもが、きしみをあげる。

 彼女は体の奥底から、何かがふつふつと湧き上がってくるのを感じた。自分の言葉では、未世には届かない。あの、彼女の言葉しか。

 凛は無言のまま未世を見つめる一方で、その向こうにいるここにはいない彼女のことを思い浮かべた。

 幼馴染に、相棒にこんな顔をさせた凪を、凛は許すつもりは毛頭ない。いつか、絶対あの硬い口を開かせてやる。事情を問い詰め、洗いざらい白状させてやる。彼女は、そう決意していた。

 街中の商業施設に近い場所で、彼らは歩く周囲の人々の流れを無視し、向かい合う。

 

 そんな彼らに敵意を抱く猟犬の足音が、この時、確実に迫っていた。

 

 

 

 

「……はぁ」

 日が沈みかける中、凪は自宅への道を歩く。でもその足取りは重く、学校を出てから何度もため息を吐き続けている。その原因は、先ほどの屋上での出来事だった。

「裏切り者、か……」

 屋上で凛に詰め寄られ、言われた言葉。いつも飄々としている彼女の、あそこまで感情を表に出し、敵意や殺意を隠さない態度を凪は初めて見た。

「……でも、そうだよね」

 そう言われるのも仕方がないことだと、殺意や敵意を向けられるのも仕方のないことだと、彼女は分かっている。それでも、面と向かって言われると思いのほか堪える。

 もっとも、理解者に裏切られ、見捨てられた未世の心の痛みに比べれば、どうってことはないだろう。

 彼女は、凛に掴まれた両手首を交互になでた。手首には、赤い帯のような痕がついている。縄やワイヤーで縛られた痕ではなく、人間の手の力でついたもの。彼女の苛立ちや、敵意が込められているように凪には思えた。

 またため息を吐き出し、彼女は顔をあげて自宅を目指す。その道中、愛犬につけたリードを握りながら、一緒に散歩をしている老人が目に入った。その光景を見て、彼女の脳裏にある光景が呼び起こされた。

「……ばかばかしい」

 でも、頭を振ってそれを脇へ追いやる。

「あれは、何かの間違い。私の、勘違い……」

 凪は語気を強め、自身に言い聞かせるように、呪詛をはくように小声で呟く。ふと、彼女が身につけている無線が鳴る。受信を知らせるランプが点灯しているのに気づくと、気持ちを切り替え無線の受信ボタンを押す。

「はい、古流高校1年、風原」

『こちら司令部。エリアC2にて、K9が出現。対処にあたっているペアより応援要請。古流高校の風原凪は、そちらに向かっている車両と合流し、現場に急行してください』

 案の定、応援要請だった。歩哨当番にあたっていない日とはいえ、要請が入れば行かないわけにはいかない。

「了解しました」

 通信を終えた直後、彼女の右側に古流高校のマークの書かれているハンヴィーが1台急停車した。凪は後部座席の扉を開けて飛び乗る。

 彼女が乗った直後、運転手はアクセルを踏み込んだ。急回転する車両のタイヤが道路のアスファルトとの急な摩擦で甲高い音をあげ、ハンヴィーは目的地へと走り出した。

 

 

 道路にたつ標識に書かれた制限を超えたスピードで、ハンヴィーは車道を駆けていく。心配しなくても、緊急時に指定防衛校の車両は優先的に通行でき、スピード制限の枠から外れるため、警察に暴走車として捕まることはない。

「悪いわね、当番に当たってない日に」

 急な任務を詫びるより、運転の荒らさを気にして欲しいと思った凪だったが、緊急事態だから仕方がないと流した。

「……状況は?」

 後部座席に押し付けられた体を起こしながら、彼女は運転席に座る見知った教官に問いかける。

「せっかちなのね。心に余裕がないと、実戦でも危ないわよ」

「そうですけど、応援要請なんですから急ぐのが当然じゃありませんか、豊崎教官」

「まあ、それはそうね」

 凪は、ルームミラー越しに微笑む養護教官、豊崎和花(とよさき のどか)教官を見つめる。日頃は凪たち古流高校の生徒の精神ケアのためのカウンセリングや、授業に演習の監督を勤めている教官だが、任務のときの引率もこなす。

 現役の幹部自衛官で、凪たちの通う古流高校の卒業生なので離れた先輩にあたる。日頃は優しく甘いもの好きの和花先生で通っているらしいが、彼女はこの教官が笑みを浮かべてばかりいることに不審を抱いていた。底のしれない相手ほど、怖いものはない。

「それで……」

 凪は車両の中で任務の準備に掛かり始める。学校指定のアサルトライフルの1つで、一部に改修を加えたM4A1と、私物の米軍払い下げの拳銃M9のそれぞれに、マグポーチから抜いた弾倉を装填していく。歩哨当番の日ではなかったので、安全上の問題から銃に弾は入れていない。

 M4は弾倉を装填するだけにし、腰のM9は弾倉を装填してからスライドを引いて初弾を薬室に送る。そして、スライド後端のセイフティレバーを下げて撃鉄を倒し、腰のホルスターに戻す。

「司令部の言ったとおり、歩哨に当たっていた2人ペアがK9に遭遇。1人は負傷、もう1人は負傷した生徒を守りつつ、隠れて応戦を続けているそうよ」

「……芳しくないですね」

「ええ。少なくとも、確認されているK9は9体」

「他の応援の到着は?」

「あなただけよ」

 豊崎教官の答えに、凪は言葉を失った。

「他に応援に来られる生徒がいないの。いても遠すぎて時間がかかる。もうネストから出ている以上、今必要なのは人数ではなく、一刻も早い到着と駆除よ」

 歩哨任務は、ネストやその前兆となるネストシードの発見が主になり、ネストが開いた場合のみ戦闘に発展する。

 もう出現している以上、駆除するしか道はない。すぐに行わなければ住民に被害が出る場合がある。最悪イクシスを取り逃がしでもしたら、広い範囲を捜索しなければならなくなり、駆除の難易度は跳ね上がる。豊崎教官の言っていることは間違っていない。

ふと、教官の言葉から凪は察した。

「それってつまり、私1人で駆除しろと?」

「そうなるわね」

 豊崎教官は、笑みを浮かべて返した。要請をしてきたのが2人組み。1人が負傷している以上、応戦できるのは相方だけ。現場に到着すれば、教官は負傷している生徒の状況確認に当たらなければならず、その間の護衛が1人要る。護衛は、その場から動けない。

 結局、自由に動けて駆除に当たれるのは凪1人、ということになる。

「また無茶を言って……」

「上官とは、理不尽なものなのよ、風原さん」

「……自分でいいますか?」

「それに、あなたなら問題ないでしょ?」

 ミラー越しに返される笑みに、彼女はため息を吐いた。

「……了解」

 最後にシューティンググラスをかけ、M4のレシーバー上に取り付けたダットサイトの前後の保護キャップを開け放つ。

 右手でM4のグリップを、左手でハンドガードとアングルフォアグリップを握り締める。

「到着よ!」

 豊崎教官の言葉と同時に急ブレーキが踏まれ、耳をつんざくような甲高い音が鼓膜に突き刺さる。前の座席に頭を打ち付けそうになるのを、凪は左腕を突っ張って寸でのところで回避した。

「急いで」

 停車してすぐにベルトを外してドアを開け放つ豊崎教官を、凪は少しふらつきながら追ったのだった。

 



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第3話 今日も彼女は猟犬を狩る

 ハンヴィーから降りた凪は、車に揺られた感覚がぬけず少しふらつきながら、無線の送信ボタンを入れ、司令部に繋いだ。

「司令部、こちら、古流高校、普1年、風原。要請のあった現場に、到着」

『こちら司令部、了解。付近に民間人はいますか?』

 凪は周囲を見渡す。夕刻で帰宅や買い物客で賑わう商業施設の正面口が並ぶ通りなのに、イクシス数体が現れただけで深夜の街のように閑散としていて、誰もいない。少し先に見える、制服を着た学生2人と、自分たちを除いては。

「いません」

『わかりました。ペアの安全確保及び、イクシスの排除を開始してください。只今より、武器使用自由』

「了解」

 凪は通信を終え、M4A1のチャージングハンドルを引いて初弾を薬室に送り、セレクターを安全装置に入れる。銃口の向きに気をつけながら、豊崎教官の後ろを走って追う。

 車両が止まった場所から20mほど先のところに、駅を兼ねた商業施設の正面出入り口が見える。そこから壁沿いに進んだ先にある曲がり角に隠れながら応戦する、凪と同じ制服を着た学生が1人と、地面に横たわっている学生が1人目に入る。

 その2人を見て、彼女は息を飲んだ。

「……白根さん、朝戸さん」

 先ほど、学校の屋上でひと悶着あった2人だった。だがそのことは、とりあえず脇におく。色々思うところがあっても、要請を受けた以上イクシスは排除しなければならないし、学友を見捨てることもできない。彼女は周辺を警戒しながら、彼らの場所まで走った。

「白根さん、状況は」

 先に到着した豊崎教官が、地面に倒れている未世に駆け寄る。おでこの髪の生え際から、赤い血が僅かに流れている。目を覚ます様子もない。

「……K9に体当たりされて、倒れたときに頭をうった。他に外傷はないはず、です」

 話しながらも、凛はK9への牽制射を続けている。でも、彼女の顔は引きつり、体小刻みに震え、銃口はぶれて狙いはデタラメで、弾がただ消費されていく。

 何かの命を奪う。その行為に抵抗を感じているのが見て取れる。残りの弾は少ないようで、彼女の周りには空になった弾倉が散乱していて、未世のマグポーチからも何本か抜かれている。

「K9は?」

「……数は、多分9体。1体も、倒せていません」

「私は朝戸さんの手当てと衛生班を要請するから、白根さんは護衛を。風原さん」

「了解」

 凪はM4を構え、右目でダットサイトを覗く。凛の隠れる角を、パイを切る要領で先を確認しながら曲がり、壁に沿って進んでいく。角を曲がった先は休憩スペースらしく、ベンチが脇に多数設置されている。民間人が他愛ない会話や、休むのに使われていたはずの場所は今誰もおらず、黒い影が数体確認できるのみだった。

 狼や犬のように見えても、似ても似つかない闇のように黒い獣。本当に犬や狼であった場合、誤射してはいけないので出来る限り近づき、姿を確認する。近づくにつれ、彼らのもつ異質さが、徐々に目に入ってくる。

――――ビースト型イクシス、K9確認。数は、3体。

 ビースト型イクシス、K9。狼や犬をルーツとしていると言われ、その姿は確かに似ており、黒い猟犬を思わせる。でも、体毛のようなものは一切なく、影のように黒い表面に、体の輪郭をなぞるように走る赤く光るラインが、不気味さを際立たせる。1対の目があるべき場所にはなく、口の中に歪に並んだ牙の奥で光る、丸く赤い球体が、狩るべき獲物の彼女を見据える。

「……用意」

 凪は小声で呟き、M4のセレクターを単射に合わせ、引き金に指をかけた。

 

 K9は顎からヨダレのようなものを垂れ流しながら、凪に鼻先を向ける。姿を捉えると、四肢の先に生える巨大な2本の爪で地面を捉え、駆け出した。同時に、凪はダットサイトのスクリーンの中心で光る赤い光点をK9に合わせ、引き金を引いた。

 彼女のM4が吠え、ストックを当てている右腕の付け根に衝撃が伝わる。直後、ダットサイトの視界に、5.56×45mm弾がめり込み、体液を飛散させるK9が見えた。でも、1発くらいではK9はのけぞるだけで、足を止めはしない。続けて引き金を引いた。

 短い間隔で放たれた弾丸が、K9の頭部、首の付け根、胴体を射抜く。その度にK9はのけぞり、体液が散り、生命力が削ぎ落とされていく。

 4発撃ち込み、1体が倒れた。すぐに次の標的に照準を合わせ、彼女は流れ作業のように次々K9に銃弾を撃ち込んでいく。

 3体のK9が、自身が流す体液の海に体を沈めるのを見た凪は、銃口を僅かに下げて視界を広げ、周囲を見渡す。

――――白根さんの話では9体はいるはず。残りは、少なくとも6体。

 周囲を警戒する彼女の耳に、獣の唸り声のような音が届いた。左側の壁に沿って歩いた先の曲がり角から躍り出ると、左から3体並んで走ってくるのが見える。

 セレクターをフルオートに切り替え、迫る3体に向かって銃弾の雨を降らせる。ペアで行動していれば、相方に牽制射をしてもらいつつ、自分が正確に仕留めていくという連携ができるが、今の凪はあいにく1人。弾がもったいないとか、出し惜しみしていられる状況ではない。

 連続して放たれた弾がK9の体を次々貫通し、体液が散り、空薬莢が地面に転がり、硝煙の匂いが鼻をつき、発砲音が建物同士の間のスペースに反響する。凪に迫る前に、K9たちは穴だらけになって地面に倒れた。

 反対の方向からまた2体が迫る。銃口を向け直し、引き金を引く。だが、すぐに銃撃が止んだ。弾倉内の弾がなくなり、ボルトが後退した状態で止まっていた。

 彼女は迫るK9たちを見つめたまま、M4を少し左へ傾けてから右に勢いをつけて振り、空の弾倉を排出。即座に新しい弾倉をマグポーチから取り出して差し込み、ボルトロックを叩いて解除する。

 薬室に弾を送り、すぐに銃撃を再開。指切りで連射を適度に切りながら、弾を撃ち込み、向かってきた2体のK9も血の海に沈めた。

「あと、1体」

 周囲を警戒しつつ、ベンチの影や曲がり角などの死角、遮蔽物に注意を払い、凪は残敵を探す。だが、まだいるはずのK9の姿が見当たらない。すると、犬の鳴き声が耳に入った。彼女は声のした、凛たちがいる方向へと走る。彼女たちが身を隠す建物の隣りにある施設の正面出入り口に、黒い犬がいるのが目に入った。体には、イクシスであることを示す赤いラインが確認できる。

「見つけた」

 距離は、約30m。

――――十分な距離ね。

 彼女は狙いを定め、いつもと同じく引き金にかけた指に力を、

「風原さん、3時方向、上」

 加えようとしたのを、豊崎教官の叫びで中断した。

 すぐに彼女はダットサイトを視界から外し、右上を見上げた。そこには、跳躍し、口を大きく開け、いびつに並んだ牙と巨大な爪を閃かせ、彼女に迫るK9の姿があった。慌ててM4を向けるも、両者の間の距離は5mもない。それでも凪は銃口を向け、K9を狙って発砲した。

 空中目標に当てるのは困難だった。放たれた銃弾はK9の胴体を、僅かにかすめた程度だった。進行方向を変えるには至らず、凪に襲いかかった。

 

 左腕に痛みが走ったのを凪は感じ、顔が苦痛に歪む。K9の左前足の爪が、彼女の左腕を切り裂いた。彼女はバランスを崩し、地面に尻餅をつく。傷口から血が飛び散り、地面を赤く染める。凪の制服の袖にも、赤い染みが広がっていく。

 K9は地面に着地し、再び攻撃をしかけるべく体の向きを変えようとする。直後、胴体にいくつもの弾痕が穿たれた。凪は、地面に横倒しになった状態でK9の方に体を向け、右腕だけでM4を持ち、ストックを腕の付け根と右頬で保持して、弾倉内の弾丸をありったけ叩き込んだ。弾が無くなるとすぐに立ち上がり、全身が穴だらけになったK9から離れ、次の標的を探す。

――――まだいるの。

 もう報告にあった9体は倒したが、彼女の視界にはまだ2体いる。空になったM4の弾倉を地面に落とす。左腕は負傷していて使えない。M4を上下逆さまにし、ハンドガードを両足の膝の間に挟んで保持し、右手で弾倉を装填する。

――――距離は十分。順に仕留めれば、問題ないはず。

 2体とも、距離は20m近く離れている。彼女はM4を構え、引き金を引いた。

 

「……え」

 

 凪が声を漏らした。彼女の耳には、内部で部品が噛み合って発する、カチッ、という小さな金属音が聞こえただけだった。何度引き金を引いても、腕の付け根に衝撃が来ないし、火薬の炸裂音も鳴らない。M4を左に傾け、ボルトを確認する。

薬室は閉鎖できている。空薬莢が挟まっているわけでもない。

――――不発に当たった。

「こんなときに」

 でも、イクシスは待ってくれない。

 視界にいる2体のうちの1体が、すでに距離を詰めてきている。凪はM4を手放し、腰からM9を抜いた。

 セイフティレバーを親指で跳ね上げ、即座に引き金を引く。こちらは弾が出た。手に衝撃が伝わり、スライドが後退して空薬莢が宙を舞う。距離が近い1体に向けて撃ち続け、沈黙させる。

 迫っていた1体を仕留めると、拳銃は安全装置をかけてホルスターに押し込む。再びM4を引き寄せると、彼女は銃口をK9に向ける。

 右膝で弾倉の底を蹴り上げ、差し込みなおす。次いで膝の間に挟み、チャージングハンドルを引いて薬室内の弾を強制排莢。次弾を装填し直し、構えた。

 引き金を引く。今度は衝撃が伝わった。視界の中に映るイクシスが、体液を飛散させるのが見える。K9が動かなくなるまで、彼女は引き金を引き続けた。

 

 

「はあ、はあ……」

 気がつけば、凪は荒い呼吸を繰り返していた。視界に写るK9が動かないのを確認し、彼女は周囲を調べ、残敵がいないか探す。凛の話では9体だったが、凪が駆除したのは11体。他にいないとは言い切れない。

 曲がり角や路地裏、放置された車など死角になりやすい場所に注意を払い、残敵を探す。そうやって歩き回っていると、車の影に隠れて見えなかったネストが、彼女の目の前で消滅した。残敵もいない。

 銃口を地面に向け、セレクターを安全装置に合わせ、無線を開いた。

「司令部、古流高校普1年、風原。ネストの消滅を確認。エリアカラーブルー」

『了解しました。負傷者は?』

「負傷者2名。1人は朝戸未世、豊崎教官が看ています。私はカスリ傷です」

『了解。衛生班が向かっています。お疲れ様』

 司令部からの無線が切れたのを確認すると、彼女は大きく息を吐いた。直後、左腕に走った激痛に顔をしかめ、呻き声をもらした。

「そんな顔していて、何がカスリ傷なのかしら?」

 凪の背後には、いつの間にか豊崎教官が立っていた。メガネの奥に潜む彼女の瞳は、険しい表情に似つかわしく、細められ、怒りの色をにじませている。

「手当するから、来なさい」

「で、でもこれくらいは自分で……」

 指定防衛校の生徒は、看護科でなくても個数の差はあれエイドキットを持ち歩き、軽い応急手当の訓練を受けている。軽い怪我なら自分で済ませる場合もある。

「あなたに任せると、傷の度合いをごまかして報告するからダメ」

 凪は言葉に詰まった。指定防衛校では、風邪でも時に完治するまで登校禁止を言い渡されることがある。使うものが簡単に人を殺せるためということもあるが、体調管理も大事な仕事であることを教えるためだと言う。

 体調が優れない時に銃を手に訓練や任務に行き、怪我をするのが自分なら自業自得で済むが、それが他人や、まして民間人だったら笑い話にもならない。もし、自分に銃口を向けてしまったら、と考えると背筋が寒くなる。

「でも、これくらいなら……」

「何かいったかしら?」

 途端に、豊崎教官が満面の笑みを浮かべる。普段なら微笑ましいその表情が、抗弁を許さない圧力をまとった笑みが、彼女を震わせる。

「……お願いします」

「よろしい」

 豊崎教官は、凪が逃げないよう右手首をしっかり掴んで、未世たちのいる場所まで引っ張っていく。

 彼女は以前、任務を休みたくないがために、負った怪我を軽めに報告したことがある。もっとも、結局は注視していた豊崎教官によって虚偽の報告がバレてしまい、教官の城たる保健室の硬く冷たい床で正座の上、数時間に渡って説教の嵐を浴びるハメになった。

「わかっていると思うけど、怪我が完治するまでは、座学を除く訓練と任務にでるのは禁止」

 わかっていた事実を告げられ、彼女は俯く。

「もし破ったら、わかっているわね?」

 豊崎教官の冷たい笑みに首をすくませ、凪は何度も頷くしかなかった。説教の嵐を浴びるのは、もう勘弁願いたかった。

 

 

 凪の手を引きながら歩く豊崎教官は、周囲を見渡す。銃弾が何発も撃ち込まれ、生命を狩りとられたK9。転がる空の薬莢。硝煙の匂い。地面や建物の壁にめり込んだ銃弾の弾痕。これらを見ていると、彼女は時折ここが日本なのかどうか、疑いたくなるという。後ろを振り向き、手を引く少女、この風景を作り出した張本人を見やる。

「どうかしましたか?」

 凪は首をかしげ、豊崎教官を見つめる。

「……なんでもない」

 豊崎教官には、指定防衛校に通う年の離れた妹がいる。彼女や未世たちと同じ年の妹が。そのせいで、未世たちと接していると、時折妹と比べてしまうらしい。

―――同じ年なのに、なんでこんなに違うのかしら。

 彼女は、先ほどの凪の戦闘の様子や、未世、凛、妹の戦果を思い出す。1年で3ヶ月程度しか経っていないなら、まだイクシスとの直接の戦闘を経験した生徒は、数える程しかいない。危険が予想される区域には、上級生が優先して割り当てられるためだ。

 無論、イクシスとの遭遇を経験した1年生はいる。それでも、駆除までできた生徒はほとんどいない。それほどに、銃を使い、何かの命を摘み取るという行為は、彼らにとっては大きな精神的負荷を伴う。

 凛は銃をイクシスに向けて撃てたものの、狙いはデタラメで当たらなかった。彼女の顔には、焦り、緊張、抵抗感のようなものが見て取れた。常に冷静沈着を旨とする特殊戦科に属する彼女でさえ、この有様。

 未世にもまだ戦闘経験はない、そして、教官の妹も。彼らに限らず、それが、指定防衛校の1年では普通のはず、だった。

 不発に当たった時以外、平然と、機械的にK9を撃ち殺していった凪を除いて。

 教官として、生徒が戦果をあげているというのは、喜ぶべきかもしれない。でも、慣れすぎて抵抗を失えば、歯止めが効かなくなる。安全装置や引き金が壊れ、弾を撃ち続けるだけの銃は危険でしかない。だから豊崎教官は、1年では凪に注意を払っていた。

彼らは小さくても、敵を前にすれば、誰かを守るために銃弾を叩き込む武器庫であることには違いない。慣れなければ敵に殺されるだけだが、命を摘み取る行為に慣れすぎれば、銃口を向ける先を誤り、小さな武器庫が、危険な火薬庫に姿を変える。

――――彼女の手綱は、しっかり握っておく必要があるわ。

 豊崎教官は、再び凪を見やる。入学してから3ヶ月少しで、彼女はある程度戦えるようになった。1年生の中でも、間違いなく場数を踏んでいる方だと言える。でも、彼女は急激に変わった。入学当時は、部屋の隅っこで震える可愛い子犬だったのに、今ではすっかり、獲物を狩る猟犬、と言えるほどに。

 K9(猟犬)を狩る彼女(猟犬)。

「これじゃあ、どちらが猟犬よ……」

 豊崎教官は、呟くように言った。

「教官?」

「なんでもないわ」

 考えていたことを脇に追いやり、豊崎教官は凪を引っ張っていった。

 



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第4話 だから彼女は引き金を引く

 任務を終え、周囲が闇に包まれた頃になってようやく自宅に帰還した凪は、銃の手入れを手早くすませ、自室に設置した保管庫にいれて鍵をかける。

「ふう…」

 武器の整備を毎日する生徒も、自分で全てやる生徒も、多くはない。学内には武器管理委員会という、整備を請け負う部署があり、多くの生徒は簡単な手入れを除いて、自分の銃の整備はそこに任せることが多い。

 だが、彼女は銃身の交換など、一部を除けば余程のことがない限り、自分の銃の整備を他人に任せることはない。命を預ける相棒の手入れは、常に自分でするのが彼女の考えらしい。

 手入れを多少怠たっても、M4A1もM9も一応作動はするが、銃身内の汚れは命中精度を悪化させ、部品の油切れや摩耗は作動を鈍らせる。これを放置すれば、銃は自分を粗末に扱った持ち主に対して、暴発や作動不良という形で必ず復讐する。だから、彼女は遅くに帰ってきても、整備は欠かさない。それでも、今日みたいに不発弾に当たることもあるが。

 制服を脱ぎ、私服に着替えると緊張の糸が切れ、押さえていた精神的負荷が一気に押し寄せてくる。脳の処理能力が著しく低下し、頭を休ませるための強烈な睡魔が彼女を襲う。

――――眠い。横になろう。

 凪は自室のベッドに仰向けに寝転がり、重い瞼によって狭まった視界の中、窓から空を見上げる。先程までとうってかわり、いつの間にか雨が降っていた。

 

「あなたは、私の相棒を、未世を裏切った」

 

 凛に言われた言葉が、脳裏をよぎる。任務が終わった後でも、未世は気絶したままだったので、衛生班に病院まで運ばれた。凪も軽いとはいえ負傷したので、念の為に検査が行われた。現在まで、イクシスと戦って負った傷から病原菌が入り、それが原因で感染症にかかった、という例は非常に少数だが、念の為に受けろと教官が譲らなかった。

 検査を終え、病院を去ろうとした彼女の背中を、未世に付き添った凛は無言で睨んでいた。たとえ危機を救っても、それでも許す気はないと、暗に言っているように。

――――何で未世を裏切ったのか、か……。

 彼女は睡魔に襲われまどろむ中、これまでのこと、あの日の出来事を思い起こす。

――――そういえば、あの日も、今日みたいに雨が降っていたな。

 

 

 古流高校に入学してからまもなく、凪は未世と出会った。イクシスと仲良くできる道だって、きっとある。同じ夢をもつ同志として、2人は仲を深めていった。その様子を、時折彼女の相棒の凛が、不機嫌そうな顔で見つめていた。

 未世にとっては、自分の夢を理解してくれて、共に目指そうといってくれる人間が同じ学校、同じクラスに現れたことが、何より嬉しかったのかもしれない。その嬉しさを、凪は容易に理解できた。彼女もまた、自分の夢を理解してくれる人に、ようやく出会えたのだから。なぜ彼女が、未世と同じ夢を抱いたか。

 凪も幼いころ、好意的なK9に会っていた。

 

 凪は小学生のとき、自宅からほど近い森で体を動かすことが日課だった。海上自衛官の父親と、防衛産業に務める母親を両親に持った。共働きで帰りが遅い日が多かったために、家に1人でいることが多かった彼女は、課題を片付けると何かにうちこんだ。本を読んだり、折り紙を折った。中でも多かったのは、森の中を走ること。何かに打ち込んでいる間は、寂しさを忘れることができた。

 そんなある日、森の中を走る彼女の前に突如、黒い獣が姿を現した。最初は熊か何かと思ったが、全身を走る赤いラインで、違うと悟った。これが、凪にとってイクシスとの、初めての出会いだった。

 見たことがない異質の存在を前に、彼女は恐怖で足がすくむ。でも、よく見ると、そのイクシスも怯えていた。怯えるイクシスに凪は近づき、頭を撫でてみた。無知ゆえの、怖いもの知らずの行動だったのかもしれない。

 すると、そのイクシスの震えが次第に収まり、いつしか尻尾を振っていた。イクシスは彼女に近づき、足に顔を何度もすり寄せたり、舌で舐めたりした。

 

―――あなた、可愛いね。

 

 敵意を感じない行動に、彼女はそのイクシスを抱いて体を何度も撫でた。

 その後、同じ時間、同じ場所に行くたびに、凪はそのイクシス、K9と出会った。そのK9に彼女は、「ハル」という名前を付けていた。

 

―――あなた、名前ないの?じゃあ、ハルって呼ぶね。春に出会ったから。

 

 名前を書いた白色のリボンを、彼女はK9、ハルの右前脚に結びつけ、一緒に森の中を、日が暮れるまで駆け回った。

 でもある日を境に、ハルは姿を見せなくなった。ハルが、イクシスという人類の敵であることを彼女が知ったのは、大分経ってからのことだった。

 イクシスは人類の敵。殺してしかるべき。そんな世間の常識に、彼女は疑問を持ち続けた。ハルとの出会いが、彼女にその疑問を、仲良くなれる方法があるのではないか。そんな考えを抱かせた。

 だが、その考えが周囲とのズレを生じさせ、彼女を次第に孤立させた。

「嘘つき」

「変人」

「頭がおかしい」

 そんな言葉を、凪は投げかけられた。誰も信じてくれなかったが、それでも彼女はその想いを、ハルとの記憶を捨てなかった。

 そして中学生のとき、彼女は決心した。ハルにまた会いにいくために、イクシスとは何者か知るために、仲良くできる可能性を探るために、イクシスと戦う場に赴く学生を教育する機関、指定防衛校を目指すことを決めた。

 両親は反対したが、それを押し切って彼女は地元の指定防衛校、古流高校の入学試験を受け、合格した。

 ハルと会いたい。その想いが、彼女を突き動かした。幼いころから森を走り回り、鍛えられた身体だけでなく、元々座学の成績が悪くなく、読書で色んな知識を蓄えたこと等も手伝って、試験の適性では特殊戦科に抜擢された。でも、訓練に縛られるより、任務に行く機会を増やすために辞退し、普通科に入った。

 それによって、凪は未世という理解者を得た。周囲との考えのズレに苦しんでいた彼女にとっても、同じクラスで、同じ夢を持つ未世の存在は得難いものだった。夢を語り、体験を共有し、努力する日々を送った。

 一定以上の技量に達したと判断された凪は、学年で最初に歩哨任務に参加し、着実に戦果を出していった。

 

 そしてあの日、凪の願いは、思わぬ形で叶うことになった。

 

 降りしきる雨の中、住宅街にK9が現れ、凪も討伐班の1人として参加した。

「じゃあ、全員作戦通り索敵して、K9は発見次第駆除。いいわね!」

 分隊長の言葉に、全員が応える。雨で制服が水を吸って体に張り付き、不快感を増す。そのことに不満を言いながらも、生徒たちは四方に散っていく。

 場所は住宅街でも古くからある地域のためか、細い道が網の目のように走っている。そのため、大人数を数人の班でわけて索敵が行われることになった。

 その道の1本を1人で、M4を構えて進む中、凪の目の前にK9が現れた。

「こちら1年、風原。K9と遭遇、数は3。交戦します」

 分隊長に手短に連絡を済ませると、彼女のM4が咆哮をあげた。次々撃ち出される弾丸を前に、K9たちは彼女に近づく前に、1体、また1体と、ただの肉塊に変えられていく。

 その場に現れた3体、次いで現れた3体を倒し、弾倉を交換する。すると、もう1体K9が現れた。

「……まだいたの」

 彼女は、訓練で染み付いた動作を、ただただ繰り返す。K9に銃口を向け、ダットサイトの光点を合わせ、引き金を引こうとした。

「……え」

 そのとき、サイトのスクリーンの中に、彼女は信じられないものを見た。そのK9の右前脚には、黒ずんだ、白色だったのだろう、布切れが巻かれていた。K9が、そんなものをつけているという報告はない。それを見て、頭の奥底に沈んでいた記憶が呼び起こされ、彼女の引き金にかけられた指を銅像のように固まらせた。

 迷う彼女をよそに、K9は地面を蹴った。30m、20m、10mと2人の間の距離が次第に縮まる。K9のもつ牙と爪が、彼女には異様に光って見えた。

 

―――イクシスは人類の敵。問答無用で殺すべき。

―――仲良くなれる可能性だって、あるはず。

 

 相反する2つの考えが、彼女の中でせめぎ合い、銃を握る手や引き金にかけた指が震える。でも、そんなことイクシスが知る由もない。

 

――――これは任務。イクシスは殺すべき。それが役割。

――――あの布が見えないの?あれは、あの子の……

――――撃てなければ、殺される。逃がしたら、処罰の対象になる。

――――落ち着いて、よく見て。あの子を。

――――あなたが撃たなければ、先輩たちが殺すだけ。

――――民間人に被害が出る。いいの?

 

 いくつもの想いが対峙し、凪は金縛りにあったように動けない。顔の表情筋が引きつり、引き金にかけた指が震えを増す。そうしている間にも、K9は距離を詰めてくる。K9が、彼女との距離を4mにまで詰めた。

 凪は、奥歯をきつく噛み締める。K9の4つの脚が、地面を踏みしめた。

 直後、1発の銃声が雨音を切り裂き、住宅街に鳴り響いた。

「……はあ、はあ」

 呼吸をするのも忘れ、水から上がった直後のように、肺が空気を求めて呼吸が荒くなる。手足が震え、立っていられずその場に座り込んだ。

 凪のM4の銃口から、細く、白い硝煙が立ち上る。目と鼻の先に、K9が横倒しで倒れている。日頃の訓練の成果か、迫る寸でのところで引き金を引けていた。放たれた銃弾は、K9の胴体を貫通している。でも、まだ息があるのか、K9の口からは獣の呼吸音のような音が聞こえてくる。

 彼女は立ち上がってM4を構えながら、そのK9に近づく。恐る恐る近づき、右前脚に巻かれた布切れを見やる。それは、経年の劣化によってボロボロになり、変色してはいるものの、文字が書かれているのが確認できた。書かれている文字を見て、凪は目を見開いた。

「……嘘、でしょ」

 まだ拙い字で、カタカナで「ハル」と書かれていた。紛れもない、彼女自身の字で。

脳裏に過去の記憶が蘇り、映画を早送りして見るように頭の中をかける。

 彼女はM4を投げ出し、K9を腕の中に抱き上げる。その個体は大きく、全長は1.4mほどもある。

「……ハル、ハルなの?」

 彼女は、流れ出すK9の体液に制服が汚れるのも構わず、イクシスに話しかける。すると、そのK9は呻くような弱い声で応え、鼻先を凪に向けた。普通なら、この瞬間噛み付かれるだろう。でも、その個体は舌を出して、彼女の頬を優しく舐めた。

「……そんな」

 凪の瞳に雫が貯まり、堪えられなくなった分が溢れる。頬を伝って滴り落ち、雨粒と共にK9を濡らす。

「こんな、こんなことって……」

 彼女はこの個体が、体が年月を経て大きなっていても、あの時出会った、かつて共に時間を過ごした個体、ハルなのだと認めざるをえなかった。

 ハルとの再会を、彼女は望んでいた。それは確かに叶った。

 

 命を摘み取る戦場で、敵同士という、最悪の形で。

 

「ハル……、痛かったでしょ。ごめん、ごめんね、ごめんなさい」

 彼女は、自分が傷つけたイクシスを胸に抱き、何度も謝った。ハルは体をすり寄せて応える。イクシスと人類は、コミュニケーションに成功した例はない。授業で教わった歴史的な事実が、凪に残酷な事実を突きつける。

 自分の言葉を、意志を、気持ちを伝えられない。そんなもどかしさに、彼女は苛立った。でも、頭を振って脇へ追いやる。

 このままでは、いずれにしてもハルは死ぬ。いや、いつもそうしてきたはず。任務に出て、何体ものハルの同胞を、この手で葬ってきた。

 なのに、姿形は変わらないのに、思い出があるだけで、凪はハルを、他の個体と同じだと思うことができなかった。

「とにかく、考えるのは後」

 彼女はエイドキットを取り出し、止血用のガーゼを傷口に押し当てた。痛みに、ハルは小さな悲鳴をあげる。

 人間用のものがイクシスに効果があるのか、そんなことはわからない。でも、このまま何もしなければ、間違いなくハルの命の灯火は消える。

 

―――でも、こんなことして、何になるの?

 

 イクシスを診られる病院などないし、そもそも人類の敵である以上殺されるのが落ちだ。むしろ凪のしていることは、間違いなく利敵行為になる。このことがバレたら、ただでは済まないどころか、彼女も人類の敵とみなされかねない。

 湧いた疑問を、彼女は頭を振って打ち消した。

「大丈夫、大丈夫だからね、ハル」

 次第に呻き声や呼吸音が小さくなっていくハルを、凪は懸命に励ます。無駄な行為と分かっていても、それが彼女にできる精一杯のことだった。

 それから間もなく呻き声がやみ、ハルは顔を横たえた。

「……ハル?ねえ、ハル。どうしたの?」

 彼女は何度もK9の体を揺らす。でも、何も反応がない。

「……ハル、嘘でしょ?嘘だよね?ねえ、応えてよ!」

 ふと、背中に衝撃を感じた。制服の背中の生地が真横に切り裂かれ、皮膚が切れて血がにじむ。凪はふいの衝撃に耐え切れず、近くの住宅の塀に叩きつけられ、衝撃でハルを手放してしまった。

「……な、何」

 背中の痛みをこらえながら、彼女は身を起こして塀にもたれかかる。そして、先程まで自分の居た位置に目を向ける。

 彼女の血と同じ色をした液体が、それの尻尾に付着していた。視線の先に居るものを見て、凪は言葉を失った。

「……何なの、これ?」

 そこには、いつの間にかネストが開いていて、巨大な4本足の獣が立っていた。見たことないほど、大きなK9だった。全長は、尾まで含めなくても2mを超えていそうな巨体。いや、そもそもこれはK9なのか?

 通常の個体と違い全長は長く、大きな胴体に比べて頭部が小さい。形状も狼や犬ではなく、虎やチーターに近い。加えて通常のK9のものに比べ、牙の大きさが、1対だけ異様に大きい。

 その牙の並びが、太古の昔に滅んだという、スミロドン、サーベルタイガーを連想させる。新種のイクシスかもしれない。でも、そんなこと今はどうでもいい。その未知の敵を前に、凪は脚がすくんで動けない。

 一歩、また一歩と、そのイクシスは彼女に歩み寄ってくる。M4は咄嗟に投げ出したために、今は手元にない。彼女は震える右手で、M9のグリップを握りしめる。彼女の2m手前で、イクシスが足を止めた。

 その個体はK9、ハルを牙が刺さらないよう位置を加減して咥えると、ネストに向かって歩き出した。去り際に、そこに目がないのに、なぜか睨まれたように感じ、彼女は背筋を震わせた。

 そのイクシスはハルを咥えたまま、ネストを通り、向こう側へ去っていった。その様を、彼女は黙って見ているより他なかった。

 動けない凪の10mほど右方向に、K9が2体姿を現した。その呻き声と殺意を感じとった彼女はM9を引き抜き、銃口を向けた。

 降りしきる雨の中、銃声と、彼女の悲鳴が響き渡った。

 

 

「……嫌な夢」

 いつの間に眠ってしまっていたのか、部屋の中は闇に包まれ、周囲は静まり返っていた。凪は、頬を濡らしていた雫を、手の甲で拭う。

 今でも、ハルを撃ったあの日のことを、彼女は夢に見る。

「……裏切り者、か」

 凛に言われた言葉を、彼女は反芻する。

 再会を望んだ相手を殺したことで、彼女の中で燃えていた、イクシスと仲良くなれる可能性を探る、という夢の灯火は、消えてしまった。

 彼女は、自分の指定防衛校の生徒として課せられた責務と、未世と共有した自身の夢。その2つを天秤にかけ、ハルを、未世を、自分の夢を選ばなかった。本当に再会できたら、どうしたいのか。彼女は訓練の日々に流され、真剣に向き合わなかった。

 そもそも、想定されてしかるべきだったのかもしれない。指定防衛校の生徒になるということは、民間人を守る、そのために加害者になる、イクシスを殺す役目を担うことにほかならない。

「……ハル」

 凪はあの日の、ハルが走り寄ってきたあの時のことが、忘れられなかった。

今にして思えば、あのとき走り寄ってきたハルからは、他のK9にはあった殺意や敵意を感じ取れなかった。

 もしかしたら、ハルも凪を覚えていて、再会の嬉しさから走り寄ってきたのではないか。そんな考えを、彼女は当初は抱いた。

 でも、彼女はその考えを否定した。K9は知能が低い。なら、そんな昔の記憶を鮮明に覚えているはずがない、と。

 もっとも、意思疎通ができない上に、今となっては確かめるすべもない。ただの自分の妄想だと、彼女は考えた。

 

「イクシスは、殺さないといけない。それが、私たちの役割で、全うしなければならない責務だから」

 

 暗闇の中で、彼女は1人呟く。

 

―――でなければ、何のために私は、あの子を殺したの?

―――何のために、夢じゃなくて、役割に徹したの?

 

 あの任務から間もなく、凪は最大の理解者を、未世を見捨てた。彼女を突き放し、かつて共有した夢を、周囲と同じように与太話として流した。

 

 凪は、未世を裏切ったのだ。

 



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第5話 それでも彼女は諦めない

「凪ちゃん、こんにちは」

 黄昏色に染まる屋上で1人物思いにふける凪に、馴染みのある声がかけられた。

「……朝戸さん?」

「未世でいいですよ」

 未世は凪に歩み寄り、いつもの明るい笑みを浮かべる。クラスのムードメーカーといわれる彼女らしい、微笑ましい笑みだった。

「できれば前みたいに、気軽に呼んで欲しいです」

 でも、この時の彼女の笑みには、どこか影がさし、寂しさや悲しさが滲んでいた。

「……何か用?」

 凪は未世の言葉を流し、先を促した。

「昨日は、ありがとう。私は気絶していて、何も覚えていないですけど」

 未世のおでこ、髪の生え際には、大きめの絆創膏が貼られている。K9に体当たりされた際に、どこかにぶつけたらしい。病院での検査の結果は、幸い異常なしだった。

「凪ちゃんが助けに来てくれたって、凛ちゃんから聞きました。でも、あなたも、その……」

 未世は、凪の制服の袖からのぞく、左腕に巻かれている包帯を見つめる。

「気にしないで。あれは要請に応えただけだし、イクシスとやりあっていれば、このくらいは日常的だから」

「流石、1年でも場数を踏んでいるだけありますね」

「……私はただ、役割を果たして、責務を全うしているだけ」

 凪は未世を見ず、フェンスに向かって呟くように言った。途端、彼女の表情が曇った。

「……変わりましたね、凪ちゃんは」

 凪は、ゆっくりと未世の方に向き直る。

「つい3週間くらい前までは、責務とか役割とか、口にしなかったのに」

 未世もフェンスの方を向き、眼下の風景を見つめる。

「出会った頃は、一緒に授業で体動かしたり、銃を撃ったり、非番の日に出かけたり、夢のこと話したり……」

「……色々あったね」

「でも、どこか遠い昔のことのように、思ってしまうんです」

 彼女は顔をあげ、沈み行く太陽を見つめる。

「私、嬉しかったんですよ。あなたに出会えて」

 凪は何も応えず、1人話をする未世を見つめる。

「私の夢を、初めて真剣に聞いてくれて、初めて応援してくれた。一緒に頑張ろうって、言ってくれた。やっと、そういう人に出会えたんだって」

 周囲と違う考えを持つ人間は、時として周囲から奇異の目で見られ、夢を諦める。たとえそれを貫こうとしても、待っているのは誰にも理解されない、孤独で、険しい茨の道。特に、この国は少数派に厳しい。

 正しいか、正しくないかの問題ではない。同調しなければ、空気を乱せば異端者や変人とレッテルを貼られ、迫害される末路が待っている。

 次第に未世は俯き、彼女が手をかけた目の前のフェンスが、ギシギシと軋む音をたてる。

「……だから、凪ちゃんが私から離れていって、すごく寂しくなって」

「朝戸さんは1人じゃない。白根さんがいる」

「違います!」

 語気を強め、未世は叫んだ。

「凛ちゃんは、あなたの代わりじゃない!凪ちゃんの代わりなんて、居ませんよ!」

 凪に向き直った彼女の目には雫がたまり、今にもこぼれ落ちそうだった。

「教えてください。何で、何で私たちの夢を、突然否定したんですか?私、何かしました?」

 あくまで原因を自身に求める未世に、凪は胸の奥が痛む。感情が高ぶっている未世に、彼女は静かに応えた。

「朝戸さんは、何もしてない。私の、自分の問題だから」

「あなたの?でも、なんで突然」

「夢がどうであれ、私たちの役割は、敵であるイクシスを殺すこと。それに人は、経験や立ち位置で、いうことをいくらでも変える。ただ、それだけ」

 イクシスと仲良くできればと夢を抱く一方、その方法が見つからない間は駆除するしかない。それしか、方法がない。

 自然との共存、動物愛護が叫ばれて久しいが、人里に降りてきた野生動物が人間に害を何度ももたらすなら、害獣とみなされる。例え可愛くても、どれだけ可哀想でも、最後は殺処分しなければならない。あくまで、人間に害を及ぼすなら、敵でしかない。他に手がないなら、殺すしかない。

「じゃあ、どんな経験が、凪ちゃんを変えたんですか?」

 いつの間にか、鼻先が触れそうなほど迫っていた未世の真っ直ぐな視線が、凪を貫く。彼女は、顔を横に向けた。

「ねえ、話してください」

「……話したく、ない」

 未世は一瞬目を見開いたが、すぐにもとの表情に戻り、次第に俯いていく。

「……どうして」

 消えてしまいそうな小さな声で、未世は言った。かつて彼女は、凪と色んなことを話した。訓練のこと、授業のこと、イクシスのこと、甘いもののこと、夢のこと。

 でも、今の2人の間には、見えない分厚い壁があるように、凪は未世の問いを拒む。彼女は大きく息を吐き、未世を見据える。

「朝戸さん、現実は理想のようにいかない。今なら、まだ、傷つかなくてすむから」

「……何を言っているんですか?」

「だから、何も考えず、勉強や部活、訓練に、任務に励む日々を送って。でないと……」

 彼女は一度言葉を切る。

「今のままだと、いつか絶対後悔することになる。だから……」

 凪は、そこから先が言えなかった。

 夢を抱いて突き進んでも、彼らの、指定防衛校の生徒の役割は、地域の安全の確保。どうあがいても、イクシスを殺すことからは逃れられない。

 たとえそれが、友好的な相手であろうとも。

「それは、夢を諦めろって、意味ですか?」

 言いよどんだ凪から察したのか、未世は問いかけた。彼女は黙って頷いた。未世の顔が驚きの色に染まり、目が見開かれ、両手で作った握りこぶしが震える。

 このまま未世が突き進めば、かつて凪が経験した事態に、彼女も遭遇しないとは言い切れない。あんな経験を、凪は未世にして欲しくなかった。

 2人は、無言で見つめ合う。そんな中、凪は突如胸倉を捕まれ、左頬に衝撃が加えられ、屋上の床に倒れこんだ。痛みが徐々に浸透してくる頬を押さえながら、彼女は重い瞼を持ち上げる。

 2人の間に、同じくらいの背丈、同じ制服の、長い髪の生徒が1人割って入っていた。その生徒は、殺意や敵意を隠そうともせず、手のひらで作った拳を硬く握りしめ、鋭い視線で彼女を見下ろす。

「……白根、さん」

 どこに隠れていたのか、未世が呼んだのか、通りすがりかはこの際どうでもいい。凪は若干ふらつく頭や脚を押さえ、体を起こした。口の中に、鉄の味がにじむ。

「いきなり、何?」

 イクシスに向けるような、敵意を含んだ視線で凪を見つめながら、凛は言う。

「……あなたはもう、未世に近づかないで」

 何かを言おうとした未世を、凛は片手で制する。

「……あなたは、未世の夢を否定して、見捨てた。一度は分かり合えたのに、一緒に歩んだのに、あなたは何の理由も告げず、未世を見捨てた!」

 いつもの感情の起伏が少なく、飄々とした態度はなりを潜め、感情的になる凛。

「……彼女との夢を捨てて、逃げたあなたに、未世に口出しする資格はもうない!あなたが未世を見捨てたあの日、彼女が、どれだけ悲しんだか!」

 凛の言葉の一つ一つが鋭い刃になって、凪の心に突き刺さる。彼女は言い返さなかった。否定できなかった。動けない凪に近寄り、凛は胸倉を掴んで引き寄せた。

「……言って。なんで、なんで未世を裏切った!」

 屋上に凛の大声が児玉し、目と鼻の先にいる凪の耳の鼓膜を激しく揺さぶる。彼女は凛から視線を外し、向こうにいる未世を見る。

「朝戸さん、1つ教えてくれる?」

 凪は、静かに問いかける。

「もし、幼いころに出会ったK9にまた会えたら、あなたはどうする?」

 未世は少し考え込む仕草をするが、間もなく両手を握り締め、はっきりと言った。

「その時は、また会えたねって、腕の中に、ギュッと抱きしめて、頭を撫でてあげたいです。怖くないんだよ、仲良くできるんだよって、知ってほしいです」

 そう自分の意思をはっきり口にする未世が、今の彼女には眩しかった。かつては、自分もこの輝きを持っていたのだろうか。そんなことを、ふと思う。

「私もそうだった。あなたと、同じだった」

「じゃあ……なんで、どうして!」

 未世の声が、悲鳴のように聞こえた。

「……私は、幼いころに会ったK9に、少し前に再会したの」

 未世は口をあけたまま固まり、凛は殺意や敵意を収め、険しい表情を緩めた。

「でも、感動の再会にはならなかった」

 凪は空を見上げ、あの時の状況を話し始めた。

「街中に現れたK9討伐のため、私も派遣された。そのとき、私は右前脚に、白い布切れをまいていたK9に向けて、銃弾を撃ち込んだ」

「……まさか」

 未世の言葉に、凪は頷いた。

「それが、幼い頃に出会ったK9。ハルって名前をつけた、あの子だった」

 その場の空気が重さを増し、未世と凛の肩にのしかかる。

「向かってくるK9を、いつものとおり駆除していただけだった。でも、その中にあの子がいた。あの子だって気づいた時には、もう遅かった」

 凪は空を見つめるのを止め、凛の手を剥がし、未世に向き直る。

「朝戸さん。私たちの役割は、イクシスを駆除すること。それはわかっているよね?」

 彼女はただ頷く。

「私は自分の役目と、あなたとの夢。どちらかしか選べない状況で、結局、夢を選ばなかった」

「……だから、未世を見捨てたの?彼女を捨てて、役割や責務に徹したの?」

 凛の問いに、彼女はすぐ応えない。凪は虚構を見つめるように虚ろな目で、呟くように言った。

「でないと、何のために、夢を選ばなかったのか、わからなくなってしまう」

 次第に凪の声は小さくなり、顔はうつむいていく。

「あの子の命を奪った意味が、なくなってしまう」

 再会したいと願った友の命を奪ってまで、凪は役目を果たした。再会の機会を、自分で壊した。そこまでして選んだ役目に背くことは、あの子を殺した意味を、なくしてしまう。だから、彼女は責務を全うすることを選んだ。

 未世と、対立することになっても。

「悪いことはいわない。諦めるなら、今のうちだよ」

「……凪、ちゃん」

 かつて応援してくれた最大の理解者に、諦めるよう促される。そんな残酷なことがあるだろうか。凛でさえ、全面的には否定してないのに。

「……それでも」

 未世は顔をあげ、表情を引き締める。

「それでも、私はこの想いは捨てません。どれだけ低くても、可能性があるなら、私は……」

 校舎中に響くほどの声で、彼女は言い切った。

「私は、諦めません!」

 未世の声に、凪はたじろぐ。でも、すぐにいつもの表情に戻った。

「……そう」

 凪は落としたM4のスリングをつかみ、肩に担ぎ上げる。そして、未世たちの横を通り過ぎようとする。凛が、2人の間に入る。

「でも、その夢を抱いたまま進むなら、私と同じ事態にいつか遭遇するかもしれない」

 凪は凛の向こうにいる未世を見つめる。

「本当にそうなったら、その時どうするのか決めておかないと、待ち構えているのは、私と同じ結末だけ。最悪、相棒や自分を殺すことになる」

 未世は、何も応えない。凪は微笑んだ。笑みの中に、悲しみをにじませて。

「あなたが、私と同じ鐵を踏まないことを、祈っているから」

 それだけ言い残し、凪は屋上を去っていった。残された2人は、しばらく屋上から動けなかった。

 

 

 

 

 

 自室で1人、未世はベッドに仰向けに寝転がり、何の変哲もない天井を見上げる。夕食を済ませ、アイスを食べ、お風呂を済ませ、またアイスを食べた。そしてベッドの上で、本日3本目を口に咥える。

 でも、大好きな甘いもののはずなのに、いつもに比べて味気なく感じるようで、彼女の顔は晴れない。

 未世の頭から、凪に言われた言葉が離れなかった。

 

「もし、幼いころに出会ったK9にまた会えたら、あなたはどうする?」

「私は自分の役目と、あなたとの夢。どちらかしか選べない状況で、結局、夢を選ばなかった」

「でないと、何のために、夢を選ばなかったのか、わからなくなってしまう」

「あの子の命を奪った意味が、なくなってしまう」

 

「……むうううう~」

 未世は意味なく手脚をばたつかせた。考えれば考えるほど、未世にとっては、凪の意見が正しいように思えてならない。

 指定防衛校に身を置いている以上、彼女のいうようにイクシスを駆除することが、彼らの責務なのには違いない。

 夢を諦めその役目を全うした彼女は、褒められこそすれ、非難されるいわれはない。でも、未世は頭でそれを理解していても、納得はできていない。

 凪に出会った時から3ヶ月少し。その間、彼女は自分の夢を応援してくれた。一緒に歩もうと初めて言ってくれた、かけがえのない、たった1人の理解者。でも、今は……。

「再会できたら、どうする、か……」

 あの場で、未世は凪に向かって諦めないと言い放った。だが、未世だって心のどこかで、彼女の選択が賢明であることはわかっている。もっとも、そんな選択肢が初めから選べるなら、夢を抱いて古流高校に入学していないし、指定防衛校も目指さなかっただろう。彼女に夢を捨てるつもりは、毛頭ない。

「どうすれば、いいんでしょう……」

 凪が心配してくれている。自分と同じ道を歩んで、悲しい思いをして欲しくないという気遣いも、わかっている。だからといって、それを受け入れてしまえば、指定防衛校に進学した意味を、自分が今の場所にいる理由を失ってしまう。

「……むうううう~」

 今度は頭を抱え、右へ左へ転がる。

 もし、あの幼体と再会できたら、自分は本当に手を差し伸べることができるだろうか?それとも、凪のように引き金を引いてしまうだろうか?未世の頭の中を、いくつもの疑問が渦巻く。でも、いくら考えても実際にはわからない。

 戦場で、もし、れば、という仮定は意味をなさない。そのとき、その場所、その瞬間に何ができたか。ただそれだけしかない。

 考えれば考えるほど、未世は頭の中で糸が絡み合うようにわからなくなってくる。彼女は、明日ある人物の元を訪れようと決め、布団を頭までかぶった。

 



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第6話 それでも、あなたと、もう一度……






 翌日の放課後、未世は保健室を訪れていた。特に怪我をしたわけではなく、カウンセリングという名の、相談のために。

「それで、何の相談かしら?」

 目の前に緑茶の入った湯呑と、どら焼きをおいてくれた白衣の女性は、微笑みながら話しかけてくれる。養護教論の、豊崎和花教官。

 以前、未世は幼い頃に人懐っこいK9の幼体に会った経験や夢の話をしているので、相談できそうなのは事情を知っている彼女しか思い浮かばなかった。

「その、何というか……」

 豊崎教官は、黙って未世の言葉を待ってくれる。

「自分の夢に、少し自信が持てなくなって、しまいまして」

「どうして?」

 彼女の問いかけに、未世はなかなか答えようとしない。

「だって、まだ朝戸さんは夢のための努力をしている段階でしょ?とにかく、まずは強くならないといけないって」

 初めて教官の城たる保健室を訪れたとき、未世は夢を諦めようかどうか悩んでいた。当時は、歩哨で初めてK9に遭遇し、何もできず襲われそうになった中を、関東圏最強と名高い椎名六花先輩に助けられたのに加え、凪に見捨てられた直後ということもあって、彼女は沈んでいた時期。

 そんな未世に、夢を追うにはまずは努力し、自分を、相棒を、民間人を守れるくらい強くなるようにと励ましてくれたのは、豊崎教官だった。

「そう思っていました。でも、夢を一番理解してくれていた人から、諦めるように言われてしまって……」

 一瞬、教官の目が細められた。

「心配してくれているとか、指定防衛校の生徒の責務というものは、勿論わかっていますし、彼女のいうことも最もだと思います。でも……」

「諦めたくない?」

 未世は、曇った表情のまま頷いた。

「その理解者っていうのは、もしかして風原さんのこと?」

 彼女は顔を勢いよくあげ、豊崎教官を見つめた。

「以前、彼女も相談に来たのよ」

 あなたと同じように、そう付け加える。

「そう、彼女とひと悶着あったの。どおりで」

 意味が理解できず、未世は首をかしげる。

「たまたま廊下を歩いているときに、見えたのよ」

 未世は豊崎教官が言っていることを察し、息をのんだ。

「あなたと、白根さんと、敵対するように向き合う風原さんをね」

 思えば、未世たちがいた校舎の屋上は、他の棟から見えなくもない。目撃者がいないとは言い切れない。加えて、結構大声で叫んだので、声を聞かれた可能性も高い。

「言い合うくらいならいいけど、修羅場になって暴力沙汰や刀傷沙汰には発展させないでね。そこまで行ってしまったら、流石に教官として介入しないわけにはいかなくなるから」

「は、はい……」

 本当は、既に凛が凪を殴っているため遅いのだが、ここでいうことは憚られた。

「で、どうなの?」

「……そうです。凪ちゃ、風原さんは、私の夢を応援してくれていました」

「でも、今は違う?」

 彼女の疑問に、未世は頷く。

「何があったのか、話してくれる?」

 未世は、以前凪が変わった日のこと、夢を否定した日に言った言葉、彼女が、かつて親しかったK9と再会を果たしたのに、殺したことなどを話し始めた。

 

 

 凪が意見を変えた日のことを、未世はよく覚えている。夢のことを話していたのに突如、彼女はイクシスと仲良くなるなんて、やっぱり無理だと答えた。そのとき、未世は彼女の言っていることを理解していくにつれ、悲しさが全身に染み渡った。

 人類同士でさえ争いの火種が消えない中、未知の存在であるイクシスと仲良くなるなんて、とても無理だ。彼女は、そう言った。

 

 

 歴史を紐解けば、人類の歴史は、常に争いが絶えない。未世たちが生まれるより前に、この世界であった、いくつもの国が参加し、世界を舞台にした2つの世界大戦。

 その大戦の終結からまもなく起こった、かつて同盟国だった2つの国がいがみ合い、世界を東西に分割し、核戦争寸前にまで緊張が走った、東西冷戦。

 戦いのたびに、かつての味方は敵になり、かつての敵が味方になった。

 それが終結すれば、今度は国と、国ではない武装集団、テロとの戦いに世界は突入していった。他にも、たとえ目に見えなくても、新しいものができれば、必ずといっていいほど、それは戦いの道具にされた。

 船ができれば海が戦場になり、飛行機ができれば空が戦いの場になり、ロケットができれば宇宙開発が戦いの場になった。

 通信技術が発達してネットワーク回線が戦いの場になり、国際化が進めば、食料、資源、経済、情報、科学技術、エネルギー。身近なありとあらゆるものが戦いの道具になり、全面戦争がないだけで、いつも形をかえ、戦いは起こっている。

 人類は有史以来、1つになったことなど、ただの1度もない。この星の生態系の頂点にいる人類の敵は、常に人類だった。

 今はイクシスの出現によって、人類とイクシスという構図ができたことで、表向き協調しているように見えるが、それでも戦いの継続を望むもの、国土奪回を望むもの。色んな思惑が交錯し、協調路線をとることが依然難しい状態にあるという。

 人類同士でさえこの有様なのに、条約などを締結しているわけでも、話し合いが通じるかどうかさえもわからないイクシスと仲良くするなど、到底無理だと。

 それが、凪が未世に言い放った、彼女の考えだった。

 

 

「なるほどね」

 未世の話を聴き終え、豊崎教官は湯呑に急須でお茶を注ぎ、口に含んで喉を潤す。

「確かに、彼女の言っていることは間違ってはいないわ。事実だもの」

 豊崎教官に言われ、未世はうつむいてしまう。彼らは、歴史の授業で教わるだけで、国家間の戦争というと、どうもイメージがわかない。彼らが生まれたときには、すでにイクシスとの戦端が開かれていたためだ。

「じゃあ、やっぱり、私の夢は……」

「待って、そんなに結論を急がないの。唯一の理解者を失って、辛いと思うけど」

 未世の言葉を、教官が制した。

「風原さんの言っていることは、事実だから否定の余地はないわ。でも、イクシスの部分については、そうとは言えない」

 彼女は意味がすぐには理解できず、頭に疑問符を浮かべる。

「そもそも、彼らがなんで人類に戦いを挑んだのか、何が目的なのか、どこから来たのか、何者なのか、意思疎通が可能なのか。何もわかってないもの」

 豊崎教官の言うとおり、人類がイクシスについて知っていることは、あまりに少ない。彼らが知るのは、ネストから現れ、人類に敵意を向けてくる。この地球上の一部の生物の姿を、部分的に模していること等だけ。なぜあの姿をしているのか、なにが目的なのか。わからない部分が圧倒的に多い。

「人類がそんな状態だから、イクシスもきっと同じだ、上手くいかない。そんなのは、思考を停止して考えもしない人間の理屈と同じよ」

 人は考える生き物だというが、どこにもその頭を使わず追従するだけの人間というのは、必ず一定数存在する。

「風原さんの場合、あなたの夢を応援しなくなったのは、やっぱりそのK9の件が直接の原因でしょうね。理論というのは後付けで」

 未世は考えた。再会を望んでいた友と、戦場で出会い、銃口を向けあわなければならないなら、それが自分にできるか。でも、どれだけ考えても、やっぱり答えは出ない。

「それで、朝戸さんは夢を追いたいの?それとも、諦める?」

「……追いかけたいです」

「そのために、彼女にどうなって欲しいの?」

 俯きながら、表情を曇らせ、彼女は言った。

 

「……また、一緒に夢を追いかける仲に、戻りたいです」

 

 それが、未世の想いだった。初めて得た理解者を、彼女は失いたくなかった。周囲と違う道を行くというのは、どんな時代、どんな場所でも厳しい。その中得られた大事な人を、このまま失ってしまいたくない。

「でも、それはもう無理かもしれません」

「どうしてそう思うの?」

「だって、彼女は夢を捨てて、役割を果たすことを選びました。再会したいと願った相手の命を、奪ってまで。それで役割に背を向けたら、あの子の死が無駄になってしまうって」

 命を踏み台にしてまで、凪は役割に徹した。その彼女の心を変えることなど、おおよそできないだろうと、未世は諦めかけている。

「そうかしら?」

 でも、豊崎教官の様子は特に変わらない。

「例えば、そうね。朝戸さんが、任務中味方を誤射してしまったとするわね」

 焦る未世に、あくまで例え話だと、彼女は念を推す。

「その撃たれた相手はそれで、死ななかったけど軽傷を、カスリ傷を負ったとするわね。その結果をうけて、あなたは今後どうする?」

 突拍子もないように聞こえて、ないとは否定しきれない例えに、未世は戸惑いながらも頭を唸らせて悩む。

「えっと、誤射しないように、訓練をやり直すと思います」

「どうして?」

「だって、誤射したのは、私の腕の問題だと思うので、また訓練して、状況を見極められれば、解決できると思うからです」

「でも中には、それがきっかけで銃を手に取りたくないって人も、出てくると思うわ」

豊崎教官はお茶をすすり、どら焼きを一口かじった。

「つまり、道は1つじゃないの」

「そう、なんですか?」

「周囲が、イクシスとの戦いを終わらせるために、滅すべきって考えている中、朝戸さんみたいに、仲良くできる。もっと進めば、対話で戦いを終わらせる。そういう可能性だって、きっとあるって考える人がいるのと同じね」

 

 同じ経験をしても、皆が同じ道を選ぶとは限らない。

 同じ場所で過ごしていても、目的が同じとは限らない。

 

 自衛隊創設時、多くは旧軍の軍人だったというが、中には誘われながらも、自身の考えのもと自衛隊に入らなかったものもいた。

 先の大戦後、自身の作った兵器や技術を後の世に残そうと、メディアの前に姿を現し、本にまとめて残した兵器技術者がいる。

 一方、自分の作ったもので戦い、散った人々を思い、口をつぐんで、二度とその業界にかかわらなかった者もいた。

 似た経験を有していても、同じ道を進むとは限らない。同じ場所にいても、目的が同じとは限らない。指定防衛校だって、自衛官になるため、将来の待遇や優遇のため、大事な人を守るためなど、同じ場所で日々過ごしていても、同じ道でも目指す目的は違う。

「じゃあ、凪ちゃんも……」

「そうね。再会したいと願った相手を殺したことで、あの子は夢を諦めた。でも、友好的な個体がいることは、彼女も理解しているでしょう?」

 未世は、教官の言葉に頷く。

「そういった個体に、今後も会わないとは限らない。だったら、次そういう個体に会ったとき、どうすればいいか考えることができる。もうこんな思いをしたくないから、傷つけあうことをこれ以上続けないために、それこそ、仲良くできる道を探したい。そういう道を選ぶことだって、できたはずでしょう?」

 敵意を向け、襲いかかってくるイクシスは迎え撃たなければならないし、今は駆除以外に方法がない。

 でも、初めから未世も凪も、それをわかっていて別の道も探したいという考えでいた。K9の一件があったとは言え、教官の言うように、夢を諦めずに仲良くなる可能性を追う道を選ぶことだって、彼女はできたはず。

 彼女が、なぜ他の道を完全に否定し、義務や責務と言った言葉で、自分を型にはめ込むようになったのか。何かがまだ欠けているように、未世には感じられた。

「じゃあ、彼女がそうなった理由が、まだあるはずってことですよね?」

「かもしれない。もっとも、どちらの道を選んでも、間違ってはいないわ」

 責務を果たすことも、そんな経験をしたからこそ他の道を探したいと考えるのも、どちらも間違ってはいない。だからこそ、考えを変えろとは簡単に言えない。

「どうすれば、いいんでしょうか?」

「やっぱり、戻って欲しい?」

 未世は頷いた。

「たった3ヶ月少しでしたけど、凪ちゃんと過ごした時間は、かけがえのない時間でした。夢のために、一緒に努力して、励まし合って、仲良く過ごした、あの時間は……」

 未世は彼女に、少し前の彼女に戻って欲しいと望んだ。

「彼女の考えを変えるのは、難しいと思います。私のわがままだっていうのも、わかっています。ですけど……」

 彼女は両手を握り締め、搾り出すような声で言った。

 

「……それでも、もう一度、彼女と、夢を目指したいです」

 

 先日、凛は凪に、もう未世に近づくなと言い放ったが、凪は未世から完全に離れたわけではなかった。話しかければ普通に応えてくれるし、一応友達としての関係は続いているように見える。でも、そのやりとりが未世には、どこか空虚なものに思えてならなかった。

 初めて考えを理解し合い、一緒に目指そうと誓い合った仲。一緒に過ごした間の出来事を、すべて無かったことにして、このままただの馴れ合い、仲のいいように見えるだけの友達になってしまうなど、未世はしたくなかった。

「朝戸さんは、彼女のことをどれくらい知っているの?」

「えっと……」

 未世は言葉に詰まった。思えば、彼女は凪が同じ考えを抱いているということを知っていても、あとは世間話くらいしか話した記憶がない。

「そうね。まずは、彼女のことをもう一度知る必要があるかもしれないわね。ただ頭ごなしに、以前のあなたに戻って、っていうだけじゃ反発しか生まないもの」

「そうですね」

 未世は両手を握りしめて拳をつくる。

「やっぱり、距離を詰めて、隙を見せたら一気に食らいつく。それしかありませんよね!」

「……朝戸さん、これは友達の話よね?狩りの話じゃなくて」

 苦笑する豊崎教官を無視し、未世は先ほどまで沈んでいた様子が嘘のように燃えていた。

「先生、なんだか、やれそうな気がしてきました」

「そう……。それはよかったわ」

 未世はどら焼きを噛み砕き、お茶に舌を火傷しながら飲み干した。

「和花先生、ありがとうございます。あと、ご馳走様でした」

 言うがいなや、未世は嵐のように駆け足で保健室を去っていった、

「……闇に沈む友人の心を救うために、あがく、か。青春しているわね~」

 1人部屋に残された豊崎教官は、お茶をすする。

「朝戸さん。私も、あなたが風原さんと同じ鐵を踏まないことを祈るわ。そして……」

 静かな保健室の中で、誰にでもなく、彼女は静かにつぶやいた。

「前向きなあなたなら、風原さんを救えるかもしれないわね」

 

 



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第7話 身近に潜む猛獣とその番犬

「すいません、遅れてしまって」

 肩で息をしながら、到着早々未世は謝罪の言葉を口にする。

「別に気にしなくていいですよ。任務じゃないですし」

「……2分しか遅れてない。時間は十分にある」

 週末の非番の日、未世は、街中にある駅の改札口を出たところで凛と、凪と待ち合わせていた。

 未世が悩みぬいた末に思いついた、凪を知り、距離を詰める方法。それは、一緒に遊びに行く、極力一緒に時間を過ごすということだった。

 一応友達という関係は続いているものの、クラス内では壁を作られるし、任務中は口を聞くのが難しい。結局、学校外でイクシスが絡まないことを考えると、この手しか思い浮かばなかったようだ。

 それに、友達という関係が続いているのならば、そこを最大限活用しない手はない。

当初未世は、凪と2人で行くつもりだったらしいが、心配だったのか凛も行くと言って聞かなかった。先日の一件があるだけに、未世を心配していたのかもしれない。

「それじゃあさっそく行きましょう。この先に、美味しいケーキ屋さんがあるんです」

 まだ正午まで時計の長針が文字盤を2周できるというのに、未世はいきなり食べ物屋へ向かうと宣言した。

「あの~朝戸さん、朝ごはんは?」

「勿論食べてきました。トースト2枚」

「その上ケーキ食べて、お昼は?」

「甘いものは別腹なんです」

「……太る」

「いいんです、その分動きますから」

 2人の言葉を、未世はことごとく受け流す。そんな未世を見て、凪は苦笑いを浮かべる。

「甘いもの、本当に好きなんですね」

 凪が呟くように「相変わらず」、と言葉を付け足したのを凛は聞き逃さなかった。

「……未世にとってはいつものこと」

「そうですね」

 未世が先導し、3人は目的地に向かって歩き出す。すると、凛は自分の右側を歩く凪に手を伸ばした。

「へ!?し、白根さん?」

 足を止める凪の左頬を、凛は右手で撫でる。先日、彼女が殴った場所を。

「……痛みはとれた?」

「……はい。もう、大丈夫です」

「……そう」

 彼女は正面に向き直る。

「……よかった」

 呟くように、消え入りそうな声で言った。

「あ、凪ちゃん!」

 思い出したように未世は声をあげ、凪に迫った。

「今日は、朝戸さん、白根さん、と呼ぶのは禁止。未世、凛でいいですからね」

 凛の了承を得ることなく、彼女は凪に向かって言った。凛には、特に気にした様子はない。

「えっと……。未世さんと、凛さん、でもいいですか?」

 頬をかきながら彼女は言った。未世は、渋々承諾した。

 3人とも非番の日とあってか、みんな私服姿だ。未世は私服を着られる貴重な日とあってか、日頃から買い集めた服の中から悩みに悩んだ末、夏が近づき蒸し暑さが日に日に増すこの季節、流行りのワンピースに、サンダルを選択。

 久しぶりのおしゃれに気分が高揚する未世だったが、それが遅刻の原因だったというのは2人には無論秘密である。

 凛は袖のないポロシャツに、デニム生地のショートパンツという格好に、スニーカーを履いている。

 凪はといえば、半袖の水色のポロシャツに、紺色のプリーツスカートの組み合わせ。黒色の靴下に、凛と同じくスニーカーという、どこかの学校の部活帰りといっても通用しそうな格好であった。

 あいにく、この2人は未世ほどおしゃれに気を使わないようだ。

 

 

 未世の目的地の店に到着すると、彼女は新作のケーキを迷うことなく注文。凛はチョコケーキを、凪はチーズケーキを注文した。

 運ばれてくるまで3人は飲み物で適度に喉を潤しながら、談笑に花を咲かせる。授業のこと、クラスメイトのこと、先生たちの秘話など。

「和花先生の噂は本当でしたよ」

「……保健室に、甘いものが備蓄されているって話?」

「本当だったんですね、あの噂」

「はい。それと、見ている限り優しい和花先生、にしか見えないんですけど。本当に鬼なんでしょうか?」

「……訓練では鬼って先輩たちが言っていた」

「訓練以外でも、鬼だと思います……」

 イクシスが絡まない限り、凪はかつてと変わらぬ様子でいるようで話が進み、凛も敵意を向けたりしない。そんな中、彼女がふと疑問を口にした。

「……そういえば、凪は水色が好きなの?」

「いきなり脈絡のない質問ですね。何か企みでも?」

 知っている仲なのに、どこか壁を作るような、警戒する彼女の口調に、未世は表情を曇らせる。

 そんな彼女を見て、凪は応える。

「……まあ、水色が好きというか、青系の色は好きですよ」

「そうなんですね。名前が凪ですから、きっと海を連想させるからかもしれないですね」

 凪というのは、風が治まった、平穏な海のことを言う。海といえば、青色。名前が海に関する言葉だから青色が好き。未世はそう考えたのかもしれない。

「……そっか。外も中も青色だから、きっと好きだと思った」

 凛の言葉に、凪はどこか引っかかるようなものを感じた。

「外も、中も?」

 凪は首をかしげ、その言葉の意味をさぐろうと頭を捻る。今彼女の格好は、シャツもスカートも青系の色。でも、中とはどういうことか。疑問に頭を捻る彼女に、凛は言い放った。

「……下着の色、水色だった」

 途端、凪は顔を赤くし、胸を隠すように片腕を回し、もう一方の手でスカートの裾を押さえた。

「な、なんで知っているんですか!」

「……何も今日とは言ってない」

 凛の指摘に、凪は即座に反応してしまった自分を恨んだ。

「……今日もそうなんだ」

 当たっているのか答えに窮したのか、彼女は否定せず、楽しそうにニヤつく凛を恨みがましい目で睨むも、どこ吹く風。

「……なんで知っているんですか?」

「……先日の応援要請をしたときに見えた」

「あの時?でも、いくら戦闘中だからって」

 未世たち指定防衛校の生徒は、自衛隊の下部組織ということになっているものの、国の抱える兵士ではなく、民間防衛組織の一員にあたる。国の了承を得て武器を保有し持ち歩くため、どこの組織の所属なのかを明らかにする目的で、制服を全員が着ている。

 指定防衛校のイメージアップや生徒獲得のため、可愛い制服を採用する学校も珍しくない。もっとも、どんな制服であれ、それは同時に彼らの戦闘服でもある。なのだが、それが時として少々問題にもなる。

 凪のように戦闘中に動き回ったせいで、スカートがめくれ上がって中を見られた、という話は珍しいことではない。

「……走ったり、地面に横倒しの体勢になったり、あれだけ色々動けば当然」

 丈自体は校則で決まっているが、所属する学科によっては任務に支障が出ることがある。そのため、生徒会が主導して丈の長さの変更を交渉している学校もあるという。

 ちなみに、未世も凛も、もう少し短めがいいと言っている。だが、可愛さを求める未世に対し、凛は動きにくいからと理由はまるで違う。もっとも、今の丈でも戦闘時に走って動き回ればどうなるかは既に実証されている。

「でも、あの時私はあなたたちからは距離をとっていたのに」

「……あなたが、弾倉を蹴り上げたとき」

 凪は、ハッとした。

 不発弾にあたった時、彼女は弾倉を挿し直そうと痛む左腕ではなく、右膝で底部を蹴り上げた。お腹より上の位置に保持していた銃の弾倉を、膝で蹴り上げればスカートはどうなるか。結果は容易に想像できる。それだけでなく、尻餅をついた後、地面に横倒しの体勢で銃を撃ちもした。凛たちの近くで。

 狙撃手ならまだいいが、未世たちのように動き回る立ち位置だと、丈が長すぎれば脚の動きを妨げるし、短すぎれば恥ずかしい思いをすることになる。

 無論、イクシスという敵を前にすれば、そんなことに構ってはいられない。その時は羞恥心を捨てなければならない。

「わ、忘れてください忘れてください!記憶の奥底に封印して、二重、三重に鍵をかけてください!」

 でも、思い出して赤面する生徒は多い。例え同性同士で班を組んでも、目撃者のイクシスを殺しても、だ。

 いくら戦うための訓練を受けているとはいえ、彼らも年頃の女子高生。本職の兵士ほどは徹しきれない。

 だったら中に何かを履けという意見が出そうだが、羞恥に負けてイクシスと戦えないようでは意味がないため、中に短パンなどを履くことは少ない。

 作戦上必要な場合を除いては。

「……今更遅い」

「残念です、私も見たかったです」

「残念がらなくていいですから!」

「あ、でも体育の授業で着替えるとき、私何度か見ていますよ。確か……」

「思い出そうとしなくていいですから!」

 今更ながらに指摘された凪は、2人が話題を続けないよう両手を振って話をやめるように必死になって意思表示する。

 そんな彼女を見て、向かいに座る未世はクスクスと笑う。久しぶりに見ることができた彼女の笑みや恥ずかしがる様子、記憶にある仕草を、懐かしさと、嬉しさの入り混じった表情で眺める。イクシスさえ絡まなければ、今も彼女と友達のような関係ではいられる。

――――でも、やっぱり……。

 かつての彼女を知っているだけに、未世はそれだけで満足しない。彼女は、もっと踏み込む。

 

「そんなに恥ずかしがらなくても、少し前はよく抱き合った仲だったじゃないですか?」

 

 場の気温が一瞬にして氷点下にまで下がって空気が氷結し、ピシッとヒビが入った音がしたのは、気のせいではないだろう。

「……未世さん、その言い方は色々誤解を招くと思います」

 凪は、首の後ろがチリチリ焼かれる、殺気や敵意を向けられたときに感じる感覚を、今、平穏なケーキ屋の中で感じていた。

 その発生源、未世の隣りに座る人物に、恐る恐る視線を向ける。彼女の横で、細められた瞳の奥で、灼熱の炎を燃えたぎらせている凛を見て、首をすくませる。

「誤解も何も本当のことじゃないですか?」

 火に油を注ぐ未世の言葉に、凪は肩を震わせる。

「あ、あの、凛、さん?」

「……何」

「あの、怒っていますか?」

「……怒ってない」

 凛の手にしているジュースのグラスが小刻みに揺れ、水面には波紋がたっている。

「ぜ、絶対怒っていますよ!」

「……怒ってない!」

 同じ声色で、若干語気を強め、凛は言った。

「……特殊戦科は常に冷静沈着。この程度のことでは怒らない」

「そうですよ、凪ちゃん。凛ちゃんは優しくて、心が広いですから」

「……全身から殺気や敵意を放っていて、信じると思いますか?」

 凪は、未世の天然ぶりが発揮されているのか、わざと気づかないフリをしているのか、どちらなのかわからなかった。彼女は落ち着いて訂正を口にする。

「正しくは、未世さんが私に後ろから飛びついてきていた、でしょう?ついでに、私のお腹や胸のあたりとか足をよく触っていましたよね?」

「だって触り心地よかったですから」

 未世と凛は、服装越しでも存在感を放つ凪の胸元にあるものと、スカートの裾から覗くそれらを、未世は渇望の眼差しで、凛は相棒を誘惑する妬みの対象として見つめる。

 目的の違う2つの視線に耐え切れず、彼女は両腕で隠した。

「何を警戒しているんですか?」

「……なんだか、身の危険を感じまして」

「いやですねぇ凪ちゃん。こんな公衆の面前で破廉恥な事しませんから、安心してください」

「……学校では平然としていた癖に」

「あれはスキンシップですよ」

「セクハラという言葉を未世さんは知っていますか?警務に通報しますよ」

 未世は初対面の人間であろうとも、それが自然というところまで、一気に間合いを詰めてくる。

 だれとでも仲良くなろうとするのは彼女の長所だが、時にスキンシップが激しく、少しずつ関係を熟成させようとする人間から見れば、間合いを一気に詰めて獲物を狩る猛獣のように見えなくもない。

「できるんですか?凪ちゃんに」

 一瞬、未世の瞳が細められ、獲物を前にした獣のように光ったのを、凪は見逃さなかった。

 彼女はわかっている。口では何を言っても、実際には凪が未世のことを告げ口できないことを。

「……未世は強かだから」

「欲望に忠実なだけなのでは?」

「……そうともいう」

 3人がそうこうじゃれている間に、ようやく注文したケーキが運ばれてきた。その後3人は、一緒に写真を撮ったり、昼食を食べたり、ボーリングやカラオケなど、久しぶりの非番を満喫したのだった。

 同時に未世は、凪が少し前の彼女に戻ったようで、嬉しさを感じていた。

 



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第8話 標準装備と改修品と高級品

「では、今日も何もないことを祈って、歩哨に行きましょう!」

 古流高校の正門脇で、未世は両手を握り、元気よく言う。

「あさ……未世さん。そういうことはあまり言わないほうが……」

 朝戸さん、と言いかけたところを、凪は未世のジト目に威圧されて言い直した。

「そうですか?任務だからこそ、士気を保つためにも、勢いはある程度は大事だと思うんです!」

「……でも映画とかではその後必ず事件が起こる」

「それは、話の進行上やむをえないから、らしいですけど……」

 フィクションでは、短い時間の間に、日常的に事件や事故が起こるのが当たり前となっている。でも、考えてもみよう。

 何の変哲もない、変化の乏しい淡々とした映像を見せられ続けて、楽しいのかどうかを。

 逆に、ドラマばりの事件や事故に日々遭遇するような外を、出歩けるのかどうかを。

 フィクションで起こることは、あくまでフィクションの中だけでいい。

たとえイクシスを殺すことが役目でも、何も起こらないに越したことはない。結局は、平穏が一番という答え行き着く。

「とにかく、準備が出来次第、出発しましょう」

「「は~い」」

 1人意気込む未世に、凪はいつもの通りに、凛は気だるそうに返事をする。先日一緒に遊びにいってからというもの、未世は凪と距離を詰めるべく、歩哨に一緒に行くことを凛に提案した。

 未世が話を持ちかけた時、凛は気の進まない表情をしたが相棒のお願いを無下にもできず、渋々承諾したのだった。いつもの凛との2人ペアに凪を加えるため、未世は豊崎教官に頼んで、少し手をまわしてもらったらしい。

 彼らは正門の脇に置かれたベンチに腰掛け、それぞれの装備を手に歩哨任務に向かう準備を始める。マグポーチやチェストリグ、プレートアーマー等を身に付け、個人が使用する弾を携行し、銃の状態を確認。任務に向けて実弾を装填する。

 

 準備を進める中、ふと未世は凪を見やる。正確には、彼女の手にしているM4A1を。

「そういえば、凪ちゃんのM4って私たちのと少し違いますよね?」

 凛も、未世と同じく視線を向ける。

「……確かに」

 古流高校は装備選択の幅が広く、代表的なARシリーズから、AUG等西側兵器は勿論、AKM等東側兵器まで使用者がいる。それでも学校がまとめて仕入れる都合で、選択肢に一定の幅はあるが。

 その選択肢の一つは、未世も使っているM4A1。校内にも使用者は多く、指定防衛校全体で見ても、派生まで含めて普及率は一番高いと思われる。

 その大部分が、未世や凛が使っているもののように、ハンドガードに4面レイルが配置されている。

 凛の所属する特殊戦科など一部の科は、任務の性質や創設に関わった部隊の性格から、派生を採用している場合もある。彼女の使うMk18mod0は、その一例になる。だが、凪のものはそのどちらとも違う。

「といっても、ただハンドガードとグリップ、それにストックを変えてあるだけですよ」

「わざわざ変えるってことは、いちこちゃんみたいにカスタム好きとか?」

 未世の言ういちことは、彼らのクラスメイトで、無類のカスタム好きの新井いちこのことである。

「いやいや、彼女みたいなカスタム好きじゃないです。それに、あれは完全に趣味の領域ですよ」

 いちこのカスタムされたM4は、全て盛った、と言えるほどにレイル上にスコープやサイト、フォアグリップ等のオプションが隙間なく敷き詰められている。

 カスタム好きがこうじて銃器の整備を請け負う武器管理員会に所属し、日々色んな武器を目にしては、独特の匂いのするあの空間を満喫しているという。

「まあ、そうですよね」

 彼女のカスタム好きは未世も無論知っていて、苦笑を浮かべる。

「でも、レイルがないと不便じゃありませんか?」

 指定防衛校の生徒の活動時間は、常に昼間とは限らない。夜間に招集がかかることもあり、その際には銃に取り付けるウエポンライトが必須になる。

 使用頻度は低くても、レーザーディバイズやスコープ、ドットサイトやフォアグリップなどを個人の考えで装着することもある。どれも今は20mmレイル対応が一般的なので、ないのは不便ではないかと思うのが普通かもしれない。

「これはM―LOKっていって、必要な部分にだけレイルを取り付けるんです」

「エム、ロック?」

 聞きなれないのか、未世は首をかしげる。

 凪のM4には、M―LOK対応の樹脂製のハンドガードが取り付けられている。左面の前方と、下部にのみレイルが取り付けられ、下部はレイルを介してアングルフォアグリップが取り付けられている。

 凛や未世のようにレイルが正方形のように配置されているタイプではなく、正面から見れば上に向かってすぼまる台形のようで、平らな斜面になっている左右の面に対し、下面と上面は少し丸みを帯びている。

 軍ではレイル装備が一般化しているが、常に全てを使うわけではない。使用しない部分は握り心地が少々悪く、カバーを取り付けないとぶつけたり、落とした時に破損することがある。

 一方M-Lokは、必要な部分にだけレイルを取り付けるためにハンドガードの握り心地が損なわれない。

「そんなパーツもあるんですね」

「まあ、まだ軍ではあまり浸透していませんけど」

 現在、民間だけでなく、軍の装備でも部分的に採用されてきてはいるものの、あくまで部分的であって広がっているとは言い難い。

 どんな作戦に従事するかわからない以上、いつでも、どんな装備にでも変えられる固定されたレイルの方が、やはり都合がいい。

「そうなんですか」

 少々無骨な印象のある未世たちのM4に対し、凪のものは余分な凹凸が削ぎ落とされ、少々細身に見える。ハンドガートを含め3箇所しかパーツが違わないのに、印象は大きく異なっている。

 彼女はM4を脇におき、腰から拳銃をぬいた。

「凪ちゃんは、グロックを選択しなかったんですね」

「私はM9を選んだんです。米軍の払い下げ品ですが、私物」

 凪の拳銃は、かつて米軍正式採用品だった全金属製の拳銃M9。これもM4同様改修品なのか、スライドストップが若干延長され、ハンマーがスケルトンハンマーに交換されている。加えて、トリガーガードを介してレイルを取り付け、夜間、室内戦闘で必須のウエポンライトが固定されている。

「なんで、グロックを選ばなかったんですか?」

「私は古流高校に入って初めて銃を握ったので、基礎から覚えるにはマニュアルセイフティがついている銃の方が、いいと思って」

「……まるで米軍の言い分」

 指定防衛校の生徒の多くが、ここに来て初めて銃を手にする。その生徒たちの多くが選ぶのが、未世も使っているセイフアクションという独自のシステムを有するグロックである。

 引き金を引くときしか安全装置が外れないという単純な操作性で、高い安全性を誇る。

 何より、金属とプラスチック部品の組み合わせによって重量は軽くなり、値段も安い。弾を装填した状態でも、弾の入っていない凪のM9より軽い。それらの理由から人気が高く、クラスでグロック以外を使っているのは、彼女1人だけだった。

 確かに、マニュアルセイフティがある方が精神的には安心なのかもしれないが、それでもグロックは高い安全性と簡単な操作性を両立させ、多弾数に加え安価。

 それがわかっていても、あえてM9を選んだあたり、凪にはこだわりがあるのかもしれない。

 生徒の間で全金属製の拳銃を使うのは、特殊戦科など一部の科、45口径信者を除けば、何かしらこだわりを持つ生徒しかいない。

「……拳銃なら、SIGでしょ?」

「凛ちゃんのは特殊戦科特権でしょ!」

「まあそんな高級品、そうそう手にできないですよね」

 凛は、特殊戦科支給のP226に弾倉を差し込み、スライドを引くとデコッキングレバーを下げ、撃鉄を安全位置まで倒した。

 P226自体、非常に優れている銃なのは疑う余地がない。泥の中につけても問題なく作動したと言われるほどの信頼性に加え、高い命中精度を誇り、少数ずつでも世界各国の軍や警察の特殊部隊等で採用され、プロ御用達の一品となっている。

 だが、未世のグロック17や凪のM9の1.5倍から2倍以上にもなるという高い価格や、マニュアルセイフティを排したことが災いし、かつて米軍の正式採用トライアルでM9に敗北した。以後、軍、法執行機関、映画に登場する銃の多くはM9の元になった銃、M92FSが席巻することなる。

 それでも老舗メーカーが提供する信頼性というものは、戦場では大きな支えになるし、数ドル~数百ドルの違いが生死を分けるなら、誰もが高くてもいいものを使いたがる。そのため、P226やその派生は、M9が採用された年代に登場し、ポリマーフレームオートが席巻する現在にあっても、常に一定の支持を集めている。

 指定防衛校も例外ではなく、特殊戦科に該当する科はほぼ拳銃にこのP226を選んでいるという。

「でも、結局は最初に手にしたものが馴染んでしまって、変えづらくなってしまうんですけど」

 凪は、M9のスライドを引いて薬室が空であることを確認する。弾倉を装填し、スライドを少し引いて前進させ初弾を送り込むと、スライド後端のセイフティレバーを下げ、撃鉄を凛と同じく安全位置まで倒した。

「そうですね。でも、私はグロックを推します」

「……私はSIG」

「グロックはともかく、手の出ない高級品を薦められても……」

 未世の使用しているグロックの登場により、法執行機関の大部分や映像作品からM92FSは次第に姿を消していった。さらに近年、米軍の正式採用トライアルで、かつてM9に敗れたP226を開発したSIGの新型拳銃、P320が勝利したことで、M9の時代は終焉を迎えてしまった。

 指定防衛校の生徒たちの間でも、ポリマーフレームオートの使用者が大部分を占めている昨今、SIGのような高級品は別としても、M92FSが姿を消す日が来るのは、そう遠くないのかもしれない。

 そんな話をしながらでも、彼らは準備の手を止めない。

 ふと、凪は凛が三日月のように目を細め、視線を向けてきていることに気がついた。

「……なら、あなたも、特殊戦科に入れば良かったのに」

 気のせいでなければ、彼女の声はいつもに比べて、少しばかり低めに凪には聞こえた。

「入れば、って。そもそも、特殊戦科は適性が認められて、選抜されないといけませんし……」

 古流高校は、特殊戦科設立後から戦果をあげて注目されるようになった。少人数で行動し作戦を完遂させる特殊戦科は、日々の訓練が最も厳しいものの、使用する装備は他校の特殊戦科と同様高級品が支給される。それは、標準品の未世、改修品を使う凪と、凛を比べても明らかだ。

 だが本人の志望では入れず、入学試験時の適性によって判断される。

「本人の希望でどうにかなる問題じゃ、ありませんし」

 凪の言葉を聞いた凛の目が、さらに細められた。

「……知らないとでも思った?」

 彼女は、凪に向かって1歩足を踏み出す。ただならぬものを感じた凪は、一歩後退る。

「……あなたが試験の結果、特殊戦科に選抜されたことは知っている。それを辞退したことも」

「そうなんですか?」

 凛の刺すような視線を前に、未世の疑問に応える余裕はない。

「……折角学校があなたに選択肢をくれたのに、あなたはそれを断った。卒業後のことにも関わるのに」

 指定防衛校を卒業すると、卒業生は就職や各種制度で一定の優遇がされる。その際には戦果や学校成績も加味される。そして、卒業した学科によっても差異が生じてくる。特殊戦科は、その代表例になる。所属人数が少なく、入学難易度も高いためだ。

「でも、私べつに優遇とかが目的で入ったわけじゃ、ないですし……」

 凪がここに来た理由は、イクシス、ハルと再会するため。そのために、任務に出てイクシスと接触する機会を増やしたい。

 でもそれは、もう叶うことのない、自分で打ち砕いてしまった夢。未世を見捨てた理由。

 それを口にすれば、間違いなく凛の怒りを買うことは明白。

 ふと、彼女の中に疑問が浮かぶ。

 ―――じゃあ、私は何がしたいの?

 なぜ自分は、今もここにいるのか?未世と夢を追うわけでもない。優遇制度に興味がなく、守りたいものがあるわけでもない。

 そんな疑問に足を僅かな間止めた凪だったが、その間にも凛は距離を詰めてくる。

「……じゃあ、何が理由?」

 問い詰めるように、彼女の表情は険しい。

「……なんで断って普通科に入ったの?」

「えっと、至極、個人的な理由で……」

「……言って」

「えっと、訓練時間に拘束されたくなかったから……」

「……放課後自主トレに邁進していた人がどの口でいうの?」

「いえ、それは任務に早く出たかったからで。それに、特殊戦科は授業についていくの、大変ですし」

「……座学の学年上位が何言っているの?」

 なぜそのことを知っているのか。そんなことを疑問に思う暇は、今の彼女にはない。

「……ふざけた理由だったら許さない」

「凛さん、何で怒っているんですか?」

「……怒ってない!」

 にじり寄ってくる凛。後退る凪。どこかで見たような状況だが、それも突如終わりが訪れる。

 凪は背中に硬い感触を感じた。学校の正門脇の塀が進路を阻む。彼女には、これと似た状況が思い浮かぶ。そして間もなく、それは現実になった。

 凛が目前にせまり、壁に手をつかれ、足の間に膝を突かれて逃げ道を絶たれてしまった。

「……あの、凛、さん?」

 引きつった笑みを浮かべ、追い詰められた凪。険しい表情で彼女を壁際に追い詰めた凛。その2人を唖然とした表情で見つめる未世。あの屋上の時と、同じ状況であった。

 だが、今回は場所が悪い。歩哨に行くために、集合場所に指定されたここは正門脇。色んな生徒や関係者が行き来する場所。凪は、周囲に目を向ける。

 

 顔を向け、彼らを横目で眺めては去っていく部活中の生徒や帰宅する生徒たち

 足を止め、成り行きを見守っている興味深々の生徒たち

 この状況を写真にしっかり収める未世

 

 ――――やめて!こっちを見ないで!さっさとここを離れて~。

 ――――って、未世さん!何写真撮っているんですか!

 

 まずい。非常にまずい。先日の件の目撃者は未世だけだったが、今回はそんな規模ではない。頭の中で凪は悲鳴を上げるも、こんな状況にあっても凛に気にした様子はない。

「……今からでも遅くないから、転科して」

「なんで、そんなにこだわるんですか?」

 静かな怒りを向けてくる凛に、彼女は問いかける。凛の瞳が、また細められた。

「……教官たちに、日々愚痴を聞かされる身にもなって」

「……は?」

 何のことか理解できず、凪は首をかしげる。

「……普通科のあなたが学年上位にいるせいで、訓練のレベルが引き上げられている」

「あの、凛さん……」

「……普通科の生徒に特殊戦科の生徒が負けるとは何事かと、あなたを打倒するために教官たちが課す訓練が、厳しくなっている」

「それはとばっちりですね。凛ちゃんたちは……」

 学年上位を占めるのは、大体が特殊戦科と決まっている。自然にそうなるのだが、未世たちの学年では凪が座学や実技、イクシスの排除数でも上位にいる。適性で選ばれ、厳しい訓練に明け暮れる特殊戦科が普通科の生徒に、学内とはいえ敗北したとあっては、生徒にとっても、教官たちにとっても面白くないのかもしれない。

 そしてその生徒を打ち倒すために、教官たちは生徒を鍛える。属する生徒たちにしてみれば、完全にとばっちりだ。

「でも、それって私のせいじゃない……」

「……あなたが転科してこれば、全ては解決する」

「嫌ですよ、そんな面倒なこと」

 凛の細められた瞳が、凪を射抜く。体が、金縛りに会ったように動かなくなる。

 そして、凛は次第に顔を近づけてきて、

「2人って、やっぱり、そういう関係なんですか?」

 未世の誤解を招いた。

「だから、未世さん。違うって!」

 未世の声に、彼女は意識が現実に引き戻され、即座に否定する。そして、その後未世の説得で凛は凪を解放し、3人はようやく任務に向かったのであった。

 



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第9話 今日も彼女は猛獣を狩る

 それぞれの銃を手に、歩哨ルートを3人は進む。大型トラックが交差できるほどの道幅があるが、一般歩行者の通行を妨げないよう片側に寄る。凛が先頭を行き、最後尾では凪が見落としを確認。未世は、2人の間を行く。

 時に通りすがりの小学生や親子連れに手を振られ、知り合いに会い、時に奇異の目を向けられる。色んな人たちとすれ違いながら、規定のルートを進んでいく。

「……未世、今どのあたり?」

「今、歩哨ルートの中間地点くらい。そこの突き当たりを右へ」

 事前に頭に入れたルートを、彼らは進んでいく。本職と違い、彼らの戦場の多くは地元であるため土地勘が働く。よほどのことがなければ、道に迷うことはない。

 心地よいそよ風が、彼らの髪を揺らす。背中の真ん中あたりまで届く凛の長い黒髪、未世のショートボブが僅かに風に流される。凪だけは末端でまとめているので、歩くたびに体の振動に揺られる。

 指定されたルートに従い、道の突き当たりを右へ曲がろうと歩を進める。角を曲がりきったところで、彼らは足を止めた。彼らは一様に、その先にあるものに視線が釘づけになった。

 曲がり角の少し先には、何もない空間に黒い染みが浮いているという、奇怪な現象が起こっていた。

「これ……」

 未世は、その光景に見覚えがあった。少し前に歩哨で初めて目にしたときの衝撃を、彼女は鮮明に覚えている。そして、凛も。

「……ネストシード」

 イクシスたちの現れる、空間と空間をつなぐ謎の穴。その前段階のネストシードが、彼らの目の前に現れる。ネストシードは、それ自体が生命を持っているように脈打ち、次第にそのペースを早めつつある。ネストが開く瞬間、孵化が迫っている可能性が高い。

「司令部、こちらDDA古流1年、風原。ネストシードを目視で確認。エリアB3の2」

 慣れた抑揚のない口調で、凪は司令部を呼び出す。

『こちら司令部、了解。ネストシードは脈動していますか?』

 落ち着き払った女性の声が、無線から響く。

「はい」

『了解、付近に外出禁止例を発令、付近の民間人の避難誘導を行ってください』

 未世たちはあたりを見回し、歩行者に退避を呼びかけ、近隣に叫ぶ。

「ネストシードが確認されました!近づかないでください!」

「ここから離れて、屋内に退避してください!危険です!」

 

 間もなくここが、戦場になる。

 

『落ち着いて、訓練通りの行動を心がけてください。只今より、武器使用自由』

 彼らはM4のチャージングハンドルを引いて、初弾を薬室に送り込み、銃口をネストシードに向ける。凪はダットサイトを覗きながら、左目で彼らの様子を伺う。凛と未世のグリップやフォアグリップを握る手、銃口が小刻みに震え、呼吸が少し荒くなっている。

 自分の手で、相手の命を摘み取るという行為に対する抵抗が、体に刻まれた殺しに対して抵抗を示すプログラムが、彼らから冷静さを奪う。

 本来生物は、自身と同じ種や近い種を殺すことに対して、抵抗を示すようにできている。たとえ未知の生命体のイクシスでも、その姿は犬、狼や熊、そして人。

 駆除することが役目と分かっていても、それをすんなりと受け入れ、実行することは難しい。

 震える彼らから視線を外し、凪は黙々と、目の前のネストシードに光点をあわせる。

 ネストシードの脈動が急に止まった。そして、黒い染みに亀裂が走る。

「……来る」

 小さな染みだったネストシードが、空間を飲みこもうとするように大きく口を開け、ネストに変化した。

 広がったネストの、先の見えない暗闇から、赤い目、赤いラインがほの暗く光る。鋭い牙や爪を備えた獣が飛び出し、アスファルトの地面に降り立ち、前足、後ろ足を地面に突き立てる。

「……ビースト型、K9確認、数、4」

 未世が、M4のレシーバーに取り付けた倍率スコープを覗き込みながら、静かに言う。距離は、およそ20m前後。目と鼻の先だ。

 引き金に指をかけ、いつでも発砲できる体勢に移る。ネストから現れたK9たちは、口の中にある歪に並んだ眼球らしき球体で未世たちを捉えると、荒い呼吸をしながら、口の中からよだれのようなものを垂れ流し、鼻先を彼らにむける。

「未世、撃って!」

 凛が叫ぶ。でも、彼女の声に反応したのはK9たちだった。K9たちは地面を蹴って、彼らに向かって駆けてくる。凪が左目で未世を見る。

 目が少し大きめに見開かれ、呼吸は荒くなり、時に歯を強く噛み締めている。未世が何を考えているか、彼女はありありと想像できた。だがそんな彼女の心中などお構いなく、K9たちは距離を詰めてきている。

 撃てない未世に焦れた凛が、引き金を引いた。彼女のMk18の銃口から、マズルフラッシュがほとばしった。

 でも放たれた銃弾は、いずれもK9たちをかすめはしても、進行を止めることはできていない。このままでは、3人揃って噛み付かれる未来しかない。

「未世さん、下がって」

 凪は未世の少し前に位置取り、ダットサイトの光点をK9に合わせ、引き金を引いた。

1発の銃声が鳴り、放たれた銃弾はK9の頭部に突き刺さり、胴体後部を突き抜けた。彼女は3、4発連続して引き金をひき、向かってくるK9をなぎ倒してく。いつも訓練でしている行動を、彼女はただ繰り返す。

 ネストから、新たに3体が現れる。そのとき、凛の銃撃が止んだ。間隔の安定しない指切りで連射を続けていたために、弾倉内の弾が瞬く間に尽きた。

 でも、彼女は引き金を引き続ける。表情はこわばり、目は大きく見開かれている。

「凛さん!弾切れてます!」

 K9に弾丸を撃ち込みながら、発砲音に負けない声で凪は叫んだ。その声に気づいたのか、凛は引き金から指を離し、空の弾倉を捨てて新しいのを差し込もうとするが、手が震えてうまくいってない。

「弾切れ!」

 凪は空の弾倉を地面に落とすのと入れ替わりに、フルロードの弾倉を装填してボルトロックを叩いて解除。銃撃を再開する。

 K9は銃弾を撃ち込まれ、その度に体内を循環する体液を散らせ、確実に生命力を削ぎ落とされていく。新たに現れた3体も、地面に倒れた。

 だが、ネストはまだ閉じてない。

「今のうちに補充を!」

 凛はようやく交換を終え、薬室に弾を送る。凪はまだ残弾のある弾倉を引き抜き、腰のダンプポーチに押し込む。新しい弾倉を装填し、ネストに銃口を向けて次の出現に備える。

 でも、彼らの前のネストは大きく開けていた口を閉じ、そのまま消えて見えなくなった。

 念のため、凛と凪は周辺を探り、残敵がいないことを確認する。それが終わったところで、無線を開いた。

「司令部、こちら古流1年、風原。ネストの消滅を確認。残敵なし、エリアカラーブルー」

 決まり決まった定型文を口にし、処理の終了を告げる。

『了解しました。清掃班を向かわせます。負傷者は?』

「いません」

『了解、残りのルートをお願いします』

 交信を終え、凪はM4のセレクターを安全装置に合わせ、固まっている未世の右側に立ち、彼女のM4を上からゆっくりと押して、銃口を地面にむけさせる。

「未世さん、終わったよ」

 ようやく気づいたのか、彼女は目を瞬かせる。そして、バツが悪そうに表情を曇らせ、俯いた。

「……ごめんなさい」

「まだ歩哨ルートは残っている。行こう」

 残りのルートを歩きだそうとした。そのとき、無線の受信を告げるランプが光り、音が鳴っていることに気づいた。

「はいこちら」

『こちら司令部、緊急連絡です!』

 無線越しに聞こえた司令部のオペレーターの大声に、凪はヘッドセットを外して耳から遠ざけた。オペレーターの声には、聞いたことがないほど焦りが滲んでいた。

『近くのチームが、K9を1体撃ち漏らしました。あなたたちのチームの方へ向かっています。極めて凶暴で、大型の種とのことです!警戒を!』

「……了解」

 ようやく声が治まったことを確認し、彼女はヘッドセットを着け直した。

「……何て?」

 落ち着いた表情の凛が、凪に無線の内容を問いかける。

「こっちに、大型で凶暴なK9らしき種が向かっているから警戒してって」

「……撃ち漏らし?」

 いくら複数人でチームを組んで歩哨で警戒を行っていても、イクシスを撃ち漏らすことは狩猟と同様にある。

 知能が低くても、生命の危機を感じれば本能的に逃げ出す個体もいる。もしそのイクシスが銃弾を受けて負傷、手負いの状態であるなら、凶暴さを増し、生き残るため周囲に構わず襲いかかることがある。一刻も早く駆除しなければ、住民が危ない。

「ええ、だから……」

 凪が、未世に視線を向けたときだった。彼女の後ろ20mほど先に、黒い獣が迫っていた。それを見た2人は、慌てて彼女に駆け寄る。

 

 

「……未世!逃げて!」

 凛の叫びに、未世はようやく異変に気づき、後ろを振り返った。その獣は、巨体に似合わない俊敏な動きと速さでもう10m先にまで迫っていた。胴体に被弾しているのか、走った軌跡を体液の飛沫がなぞる。

 それを目撃した未世は、咄嗟に頭を抱えてうずくまるが、恐怖でその場から動けない。凛は、彼女の襟首を掴んで急いで地面に引き倒す。そのイクシスは地面を蹴って跳躍し、2人に向かって口をあけ、牙を剥く。そのままいけば、間違いなく2人に襲いかかる。

 イクシスの跳躍した高さが放物線上の頂点に達し、落下の加速をつけて地面に向けて下降していく。凛と未世まで、のこり2mを切った。2人共、目の前の恐怖に動けないでいる。

 直後、イクシスは突如進路を変え、住宅の塀に体を打ち付けた。

 凪が、イクシスを押しのけるように左半身をぶつけ、イクシスの横っ面に体当たりしたのだった。

 彼女はイクシスと未世たちの間に立つと、すぐさまM4を構える。セレクターを180度回転させてフルオートに切り替え、3mもない距離から弾倉内の弾を全て撃ち込む。けたたましい火薬の炸裂音が連続で響き渡ると同時に、イクシスの頭から胴体後部、尾の付け根まで銃弾が撃ち込まれ穴が穿たれ、飛ぶ体液が彼女の制服とM4と、周囲を汚していく。

 凛は、未世を腕の中に抱え、その光景から目をそらさせる。間もなく弾倉内の弾がなくなり、凪の銃撃が止んだ。

 彼女の銃口の先にいるイクシスは、30個近くもの穴を全身に穿たれ、身じろぎ一つせず沈黙していた。ヴォイテクのようなタフな種でもない限り、これだけの銃撃に耐えられる種はいない。凪は、マグウェルを握っていた左手をずらし、空になった弾倉を抜き取る。握っていたマグウェル付近が、若干湿り気を帯びている。

「……仕留めた?」

「おそらくは、ね」

 凛も、これだけ撃ち込めばさすがにもう起きないだろうと思ったようだ。

「……どうする?」

 凪は新しい弾倉をM4に装填しながら、目の前のイクシスを眺める。全長が先ほど駆除したK9よりも大きく、顎に生えている牙は1対だけが異様に大きい。

「見た目、K9には見えない。新種か亜種の可能性が否定できないと思うから、司令部に連絡して回収班を」

 凪の言葉が途切れた。一瞬で身を起こしたそのイクシスは地面を蹴り、手近にいた凪に体当たりし、彼女を地面に押し倒した。

 イクシスは、K9より大きな胴体と鋭い爪で彼女を押さえつけ、口を大きくあけ、サーベルタイガーを思わせる異様に発達した1対の牙を剥く。凪は、咄嗟に左腕を伸ばしてそのイクシスの首のあたりをつかみ、腕を突っ張る。

 イクシスは、獲物を前にして狂った犬のように、何度も彼女に噛み付こうと口を開ける。

 

―――嘘でしょ。あれだけの銃弾を浴びて、この個体は動けるの!?

 

 彼女の鼻先で開かれた顎が閉じ、牙が空を切る音が鳴り、口の中から放たれる生臭い独特の臭気が鼻をつく。

 凪は右手に力を込める。だが彼女の右手も、空気を握っただけだった。先ほどまで持っていたはずのM4がない。体当たりされた際に手放してしまったのか。

「凛ちゃん、凪ちゃんが!」

「……ダメ、近すぎる!」

 イクシスの向こうでは、凛がMk18を、未世がM4の銃口を向けるが、凪とイクシスが密着しているせいで撃てない。イクシスを撃てば、彼女にまで銃弾が達してしまう可能性がある。かといって、このままでは凪もいつか力が限界に達し、喉笛か頭に1対の巨大な牙が突き立てられるのは想像に難くない。

 味方は動けず、成り行きを見守るしかない。

 イクシスの牙が間近に迫り、凪は思わず目を閉じた。次第に押されつつあった。垂れ流すよだれや傷口から流れる体液が、顔や首にもかかる。口を開けたときに見える、歪に並ぶ赤い球体が、獲物を見つめ、手足が捉えてはなさない。

 彼女は、右手で腰の右側をまさぐった。

 直後、イクシスの腹部あたりから銃声が鳴り、背中から何かが突き抜けて穴が穿たれ、体液が吹き出した。凪が、腰のホルスターからM9を抜き、ほぼゼロ距離で引き金を引いていた。

 立て続けに銃声が鳴り、どれもイクシスの腹部あたりを突き抜ける。イクシスが痛みで空に向かって苦痛の鳴き声をあげる。凪を押さえていた力が緩んだ。

 彼女は右足に履いたブーツの底をイクシスの腹部に押し付け、力一杯蹴飛ばした。イクシスは地面を転がり、また塀に体を打ち付ける。

 即座に立ち上がった凪は、M9を振って空になった弾倉を落とし、ポーチから取り出した20連弾倉を装填する。銃口をイクシスの頭部に向け、残弾を気にせず引き金を連続して引きしぼる。

 それを合図に、凛も銃弾の雨を浴びせる。空薬莢がいくつも宙を舞い、地面に転がり甲高い金属音を発する。弾倉内の銃弾が無くなるまで、イクシスの原型がわかりにくくなるまで、彼らは引き金を引き続けた。

 

 

 銃声がようやく止み、あたりに静寂が訪れる。彼らの銃口からは、細い硝煙が立ち上っている。

「もう、動かないです、よね?」

「……これで動いたら本当に化物」

「まだ終わりじゃない、なんてネタは勘弁して……」

 彼らの前に横たわるイクシスは、もうピクリとも動く気配はなく、体の輪郭を示すように走っていた赤いラインの発光も消えている。戦場ではゲームのように体力ゲージはないため、生死判定が難しいが、80発近くの銃弾の雨を浴びせられては流石に動く気配もない。

「司令部、こちら古流高校、風原。緊急連絡にあったと思しきイクシスを、駆除しました」

『こちら司令部。その個体はK9ですか?』

 目の前に転がるイクシスを、凪は今一度見つめる。

「K9に見えなくはありませんが、遭遇の多い個体の、1.5倍ほどの大きさがあります。他にも、外見上の違いがいくつも見られます」

『わかりました、回収班を向かわせます。歩哨は中止して、回収班が行くまで付近の確保をお願いします』

「了解」

『負傷者はいますか?』

「いえ、負傷者は」

 いない、と応えようとした凪の無線を、凛が奪い取った。

「……チームの1人がイクシスに肉薄され、負傷した可能性があります」

『重傷ですか?』

「……軽傷と思われますが、詳細は不明」

『わかりました。早く回収班を向かわせます。近くの病院に連絡しておきますので、回収班が到着次第行ってください』

「……了解」

 通信を終え、凛が無線を切った。

「あの、凛さん?」

 何かを言いかけた凪を凛は一睨みし、彼女は首をすくませる。

「……回収班が到着次第、病院へ。私と未世も同伴する。いい?」

 有無を言わせぬ凛の言葉に、凪は頷くしかなかった。

「……2人共、申し訳ないです」

 表情を曇らせた未世が、2人に向かって頭を下げる。

「気にしなくていいですよ。こうして今、全員無事なんですから」

「……でも」

 未世の視線は、イクシスの体液にまみれている凪に向けられている。すると、彼女は笑みを消して表情を引き締め、彼女に歩寄る。

「……確かに、イクシスと仲良くできれば。そういう道を探しているのに、殺さなければならない。あの個体と違うってわかっていても、引き金を引くのに抵抗があるのも、わかるよ」

 凪は未世の前に立ち、俯く彼女を見つめる。

 イクシスと仲良くできる道を探しているのに、この手で撃ち殺さなければならないという、相反する行動。

 無論、向かってくる敵を撃たなければ殺されるし、あのK9たちが、かつて接触した幼体と違うことも、未世はわかっているはず。

 それでも、わかっていても、人は簡単に割り切れるほど器用ではない。

「でもそれじゃあ、あなたは何もできない」

 トーンの落ちた声に、未世は顔をあげ、眼前に迫った凪と視線をあわせる。

「かつて会った個体と再会するまで生き残るどころか、民間人も、仲間も、相棒も、自分も、誰も守れない。どこかで決めないと」

 凪は未世の耳元で、囁くように言った。

 

「あなたは、殺される」

 

 冷気のようにつめたい凪の声に、未世は体の底から震えるようなものを感じた。

「腹を決めて。イクシスは考える時間をくれない。彼らは、いつでも襲ってくる」

 それだけ言い終えると、彼女は自身が落としたM4を拾い上げる。それから間もなく回収班が到着し、彼らは現場をあとにした。

 

 病院に向かう道中、凪はなぜか、何度も後ろを振り返えっていた。

 



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第10話 彷徨う弾丸

 薬品臭い部屋の中で医師の説明をうけ、凪は部屋のドアをあけ、一礼して去る。

「……どうだった?」

「引っかき傷や擦り傷の類だけ」

「よかったですね」

 安心した未世が凪に抱きつく。でも、イクシスの体液で制服が汚れるからと、凛の視線が怖いので彼女を離した。

「にしても案の定、回収班には嫌味を言われましたね」

 病院の廊下を歩きながら、凪が切り出した。通常、銃を携帯しての寄り道は任務でもない限り禁止なのだが、病院だけは例外とされている。

「……本当にただの嫌味だった」

 そのときの様子を思い出してか、凛の言葉に未世も苦笑を浮かべる。

 先ほど彼らが倒したイクシスは、亜種や新種の可能性があるからと回収班が来たのだが、あまりに銃弾を撃ち込みすぎたために、

 

「損傷がひどすぎる」

「もう少し上手くやれなかったのか」

「貴重なサンプルが……」

 

等と苦情がついたのだった。

「……私たちは、そんなことにかまってられないのに」

 未世たちは、イクシスを駆除することが役目。たとえ、どれだけ遺体の損傷がひどくなろうとも、だ。

 一方回収班は、その後分析で多くのデータを得るために、できるだけ綺麗な状態が望ましいと考える。

 目的や立ち位置で、人は言うことを変える。未世たちは、あの対処は間違っていないという考えを崩さない。でなければ、危うく殺されていたかもしれない。

「まあ、気にしないのが一番。あくまで、私たちの役割をこなしただけ」

 夢を捨て、役割に徹する友人を、未世は虚ろな目で見つめる。

 

「それじゃああなたは、なにもできない」

 

 先程の彼女の言葉が、未世の脳裏をよぎる。椎名先輩にも言われた。順番を間違えてはいけない、と。

「あ、凪~」

 静かな廊下に、ふと聞き覚えのない声が響き、3人は足を止めた。間もなく、凪の背中に何かが飛びつき、彼女は「ぐえっ」と声を漏らした。

「もう、今日来てくれるなら連絡くれればよかったのに~」

「……今日は任務後に医者にいけって言われただけ」

「でも、会えて嬉しいよ~」

 彼女に飛びついた少女は、背中に何度も頬ずりをする。

「イクシスの体液がつくから離れて」

 凪は背中に飛びついてきた少女を、両手を掴んで引きはがす。離された少女は、頬を膨らませ、ジト目で見つめる。

「……凪がつれない」

 彼女は頭の左右に結ったツインテールを揺らし、不満を訴える。

「それより、寝てなくていいの?」

「怪我は治ったし、来週には退院できるよ。体動かせないから退屈だし、銃だって撃ちたいし」

「急に色々はダメ」

「凪は過保護すぎだって」

「あなたに何かあったら、ご両親になんて言えばいいか……」

「だから心配しすぎだって」

 未世と凛を無視し、凪と現れた少女は2人の世界に入ってしまう。

「あの~」

 そろそろ止めないといけないと悟った未世が、2人に声をかける。すると、凪とじゃれていた少女は未世を見るなり、表情を険しくした。

「あ、あなたは!」

「はい?」

「現れたわね、泥棒猫!」

「……はい?」

 ひどい言われように、未世は首をかしげ、笑みを引きつらせた。

「ちょっと、実里。その言い方は失礼でしょ」

「なに!凪は彼女の肩持つの!私を捨てて!」

「誤解を招く言い方をしないで」

「誤解も何も事実でしょう!つい先日まで、私の凪に抱きついたり、ハグしたり。私の、幼馴染の特権だったのに!」

 地団駄を踏む少女をなだめようと、凪は四苦八苦する。

「あの、泥棒猫って?」

 恐る恐る挙手をして問うと、彼女はまた鋭い視線を未世に向ける。

「あなたのことですよ、朝戸さん!イクシスに対する考えが一致した、唯一の理解者だからって、少し前まで私の凪と、色々と……」

「……それをいうなら凪も泥棒猫」

「え!私も!?」

 疑問の声を上げる凪に、凛は少女と同じ視線を向ける。

「……あなたも、私の未世に色々した。私の、相棒と、色々と」

 何でこう誤解を招く言い方をするかな、と凪は嘆くも、凛の瞳の奥で炎がメラメラ燃えているように見えたことで首をすくめる。

「ですよね、泥棒猫はムカつきますよね」

「……そう」

 その少女と凛は向かい合い、熱い握手を交わす。泥棒猫と言われた2人を置き去りにして。

 その後、凪は彼女を病室まで送り、3人は今度こそ帰路についた。

 

 

「未世さんごめんなさい、彼女が失礼なことを言って。彼女、ちょっと嫉妬深いところがあって」

 病院を出るなり、妹の粗相を詫びる姉のように平謝りする凪に、未世は頭を上げてと何度も頼むことになった。

「ところで、彼女は誰ですか?幼馴染って言っていましたけど」

「あれ?クラスメイトですよ」

 でも未世には印象に残ってないのか、頭を唸らせて考え込んでいる。

「彼女は、川瀬実里(かわせ みのり)。クラスメイトで、私の相棒です」

「じゃあ、凪ちゃんは普段彼女と組んでいるんですか?」

「幼馴染なんです。未世さんと凛さんみたいに」

「……どちらかというと姉妹に見えた」

「そうですね。凪ちゃんがしっかりもののお姉さんで、実里ちゃんがお姉ちゃん大好きな妹って感じですね」

 未世の表現に思い当たる節があるのか、凪は苦笑を浮かべる。

「まあ、心配性の彼女の両親に、彼女のことをお願いって昔から頼まれることが多かったので、自然と、そうなったというか……」

「……でも入院していた。なんで?」

 凛の問いに、凪は表情を曇らせる。夕日がさしているせいもあるのか、彼女の顔が一層暗く見える。

「彼女、負傷したんです。私をかばって」

 無理に笑みを浮かべようとしている凪の表情が、かえって彼女の心中を表しているように、未世と凛は感じた。

 先ほどの任務から、2人は凪が庇われる様が、おおよそ想像できなかった。

 

 

 凪によると、ことの起こりは約3週間前。歩哨任務に出ていた凪と実里は、いつもと同じように決められたルートの警戒にあたっていた。ネストシードを発見し、彼女らが対処に当たった。

 だが、凪はいつも通りではなかった。彼女はその数日前、件の任務でK9「ハル」と再会を果たしたものの、その命を奪ってしまい、頭の中を様々な考えや想いが渦巻いていた。

 本来なら任務を断り、落ち着いて区切りをつけるべきだったのかもしれないが、彼女はそれを相棒に隠し、いつもの通りに振舞っていた。

 

 それが、相棒を危険にさらすことになった。

 

 彼女は、ネストから現れたK9に銃口を向けたとき、ハルを撃ったときの記憶がちらつき、判断が鈍り、狙いがデタラメで、K9の接近を許した。

 K9の牙や爪が彼女につきたてられようとしたそのとき、実里が間に割って入った。彼女はK9に、右腕と左足と腹部左側を噛まれ負傷した。このとき彼らが接敵したK9の中には、先ほど遭遇した大きな種もいたという。

 凪は相棒が噛まれているのを見て、ナイフを抜いてK9に無我夢中で突き刺した。大きな種は彼女から引き離し、先ほどと同じように動かなくなるまで弾を撃ち込み続けた。

 結果として大型種を含むK9は撃退できたものの、相棒は負傷し、3週間少々に渡る検査を兼ねた入院を余儀なくされることになった。

 

「あのとき、私がためらいなく引き金を引けていたら、彼女は怪我をしなくて済んだ」

 夕刻、人の少ない公園のベンチで、未世と凛は凪の話に耳を傾ける。

「私は夢を捨てるのか、追いかけ続けるのか、はっきりさせられなかった。でも、引き金を引かないと、相棒が今度は殺されるかもしれない」

 イクシスとの戦闘で死亡した指定防衛校の生徒はまだいないが、負傷者は珍しくない。よく現れるK9でさえ、身体能力では人間を凌駕している。そんな相手を敵にしている以上、いつまでも負傷者で済む状態が続くとは限らない。

「夢は大事ですけど、相棒を犠牲にしてまで追うことはできない。私は、夢よりも、傍にいてくれる実里の方が、大事だから」

 彼女のもつジュースのアルミ缶が、少し凹む。

「……だから、責務とか義務とか、そういう言葉を急に言い始めたの?」

 凛の問いに、彼女は頷く。

 未世は、欠けていたピースがはまったように感じた。凪が自分を見捨てた、共に夢を追うことを諦めたのは、再会を望んだ個体を殺しただけではない。

 その事実を受け入れられず、区切りもつけられず、人間を守るためでも、夢を追いかけるわけでもない。どれに身を置くわけでもなく、彼女は彷徨った。その優柔不断さが、相棒に傷を負わせた。

 相棒を失わないためにも、あの個体を撃った意味をなくさないためにも、彼女は夢を否定し、自分を型にはめ込んだ。そうでなければ迷いが生じ、引き金が引けず、仲間どころか相棒を、自分さえも守れない。

 それが、彼女の答えだった。

 

 

「なるほどね。そんなことが」

 翌日、保健室の和花先生の元を訪れた未世は、昨日までの件を全て話した。

 家に帰ってからも、未世は凪の話のことで頭が一杯だった。昨日の歩哨の際、未世が向かってきたK9に発砲できなかったのは、実戦慣れしていないせいもあるが、彼女が言った通りK9の幼体の記憶がちらついたせいだった。

 初めてネストシードを発見したときは、駆けつけた椎名先輩たちによって守られ、以降も発砲できていない。

 先日は凪がいたおかげで事なきを得た。あのとき彼女を誘ってなければ、もしかしたらあの記憶のせいで凛が自分をかばって負傷していたか、実里さんのように、未世が凛をかばって傷ついていたか、どちらかだろう。

 凛が傷つけば、未世は立ち直れず後悔し続け、逆に未世が負傷すれば、凛が悲しみ続ける。どちらに転んでも、いい結末ではない。

「やっぱり、諦めた方がいいんでしょうか……」

 未世の頭には、諦めの文字が浮かぶ。あの幼体との記憶のせいで、夢のせいで引き金が引けなくなるなら、凪と同じように諦めるという選択肢は、現実的な判断となる。

「朝戸さん、何度も言うけど結論を急ぐべきではないわ。結論を出す前に強くなること。そういったでしょう?」

「ですけど、強くなっている凪ちゃんでさえ、そういう結論を出しているんですよ」

 迫り来る数多のK9や巨大種を、彼女は凛の支援を受けながらでも、ほぼ1人で倒している。元々特殊戦科に選抜されるだけの素質を持った彼女が経験を積み、確実に強くなっている。椎名先輩には届かないまでも、1年生の中ではかなり上位にいるのは違いない。

 その彼女でさえ、夢を諦めて責務を全うする道を選んだ。未世より現時点で強く、同じ経験、同じ想いをかつて持ち、同じ場で学ぶ彼女でさえ。

「……じゃあ、朝戸さん。1つ教えてちょうだい」

 和花先生の声がしまったものになり、未世は無意識に背筋を伸ばす。

「あなたは、今の夢を抱くきっかけになったその幼いK9との記憶を、忘れられる?」

質問の意図がわからず、彼女は首をかしげて悩む。

 

「じゃあ言い方を変えるわ。その記憶に蓋をして、無かったことにして、この先生きていける?」

 

「で、できません!」

 言い方を変えた途端、未世は立ち上がって叫んだ。

「あら、どうして?」

「だ、だって……」

 焦る未世を、とりあえず和花先生は落ち着けようと椅子に座らせ、お茶を勧める。

「だって、大事な思い出だからです」

「そんなに?」

「あの子との出会いがあったから、私はここにいるんです。あの子にまた会いたいから、イクシスと接点が持てるこの場に来たんです」

「でも、あなたは諦めようと考えているんでしょ?」

 和花先生の言葉に、未世は黙る。夢を捨てたくないと考える一方、凪の言葉も理解できるだけに、諦めという可能性は捨てきれてない。

和花先生は湯呑を静かに置いた。

「朝戸さん、何で人は、夢や目標を追いかけると思う?」

 突然変わった話題に、未世は切り替えがうまくできないながらも、頭を捻って考える。

「えっと、実現させたいから、じゃないでしょうか……」

「そうね。でも、なんで実現させたいと思う?」

 そこまではわからないのか、未世は俯いて黙り込んでしまう。

「なら朝戸さんは、なんでイクシスと仲良くしたいと考えたの?常識に歯向かってまで」

 思想の自由が認められているこの国ではあるが、常識や空気、暗黙の了解等が幅をきかせている。そんな環境では、常識に歯向かってまで事を成し遂げるのは難しい。

「それは、やっぱりあのK9との出会いが、あったからです」

「なんでそのK9との出会いで、そう思ったの?」

 和花先生の問いは、1つのことを深くまで掘り起こしていく。

「あの子がK9だって知ったのは、だいぶ経ってからのことです。でも、敵でも、分かり合える個体がいることは、本当です」

 この点を周囲は信じず、時に嘘つき呼ばわりも未世はされた。だが、彼女だけでなく、後に凪も同様の経験をしたことがわかっているため、和花も否定はできない。

「あの時、あの子からは敵意が感じられませんでした。怯える姿は、可愛い、守ってあげたいって思えたんです。あの時はその場から引き剥がされて、あの子がどうなったのかはわかりません。でも、敵意を向けてくる相手がいても、そうでない個体は確かにいます」

 和花は先を促す。

「もう一度、あの子に会いたいんです。会って、あの子の頭を撫でてあげたい。戦うだけじゃない。人間と分かりあうことだってできるって、知ってほしいんです。そのためには、殲滅してはダメなんです。それをしたら、もうあの子と会うことは、二度とできません」

 あのK9に会うためには、あくまでイクシスが殲滅されない状態で戦いを終えなければならない。あるいは、その個体と出会い、意思疎通を試すか。

「戦いを終わらせたい、なんて大きな考えはありません。でも、せめて、あの個体とだけでもいいですから、意思疎通を、対話ができたらと。それだけが、望みです」

望みを叶えるには、イクシスと意思疎通が可能であることを証明しなければならない。あの幼体が、殺される前に。

 それには、今の、イクシスを殲滅するという考えでは、実現できない。他の道を探すことが、必要になる。

「それに、やっぱり思い出のあるあの子と戦うなんて、私は嫌です……」

「でもあなたの歩みの先に、風原さんのような結末が待っているかもしれないわよ」

 未世は言葉につまり、視線が少し下をむく。

「もし意思疎通ができて、イクシスと対話ができて、あわよくば戦いが終わっても、そのK9を殺した後だったとしたら?その個体と、戦わなければいけなくなったら?それでも、あなたは夢を追いかけたいの?」

「でも、諦めてしまったら、そこですべてが終わってしまいます」

「あなたは諦めようとしていたんじゃないの?」

 未世は、再び黙り込む。

「ごめんなさい。少し意地悪だったわね」

 和花先生は、険しい表情からいつもの優しい和花先生に戻る。

 

「つまり、あなたはあのK9との再会のために、イクシスと仲良くできる道を探したい。敵意を向けてこない個体がいることを、わかっているから」

 未世は頷く。

「それは、そのK9との思い出に蓋をして生きたくない。その時感じた自分の感情や想いを諦めたくないから、でしょ?」

 すぐには理解できなかったものの、未世は「はい」と答える。

「私はね、人が夢や目標を目指すのは、自分の思い出や記憶、憧れといった自分が感じた、形にしたいと感じるほどの強い想いを、諦めきれないせいだと、考えているの」

「……どういうことですか?」

「例えば、野球選手に憧れて、目指したいと考えた子供がいるとするでしょ?でも、プロになれる確率は、宝くじを引く確率に等しいわ」

 畑違いのことに詳しくない未世は、とりあえず頷く。

「なれる確率なんて低いのは、最初からわかりきっている。それでも、人は目指す。それは、自分が感じた強い憧れや感じたもの。そういったものに蓋をして生きていくことを嫌がるから、そう考えているの。無かったことになんてできない。忘れて生きようとしても、自分の中で思い出に変わるまで、時間もかかる」

 未世にも理解できた。彼女が古流高校を、指定防衛校を目指したのは、あのK9との出会いが、すべての始まり。

 あのとき感じた感情、残った記憶。それに蓋をして、何事もなく過ごしていくことに、彼女は耐えられなかった。忘れたくない。流したくない。

 

「諦め、きれなかった……」

 

 彼女の口から、言葉が漏れる。

「諦めるということは、その感じたものや記憶を封印して、死ぬまで後悔し続ける、ということよ」

 未世は、今更ながらに自分が口にした言葉の重みを感じ、背筋が震えた。

「さっきのは私見だけど。中には形にできる人もいるけど、できない人もいる。でも、生き物は本質的に諦めが悪いの。だから違う道を目指すことに抵抗を感じるし、諦めたら諦めたで、後悔というものを一生抱えていくわ」

 誰もが、なりたいもの、目指したいものを実現できるとは限らない。そこには、社会のシステムや人の思惑や競争者など、色んな要素が絡み合う。

「人間の脳は忘れることができるけど、そううまくはできてない。大事な記憶や思い出、後悔したことは、やっぱり老いても必ず残るの」

 未世の脳裏に、ある光景が浮かび上がる。その光景が、ある可能性を示した。

 

「……凪ちゃんも、後悔しているんでしょうか?」

 

 和花先生は、湯呑を持ち上げお茶を少しすする。

「かもしれないわね。でなければ、責務や役割といった言葉で、自分を規定する必要はないもの」

 彼女は口では夢は諦めたと言っていたが、やはり諦めきれていないのかもしれない。

 

 未世の脳裏に浮かんだのは、凪の虚ろな瞳。

 

 あの屋上での一件の時、彼女は責務に徹すること、そして再会を望んだK9を殺したことを口にしたとき、濁った、焦点の合ってない、虚構を見つめるような瞳をしていた。あきらかに、いつもの彼女の様子ではなかった。

 かつては口にしなかった言葉を使っているのは、本心では違うということかもしれない。

「なら、まだ引き戻せる可能性はあるってことですね!」

 和花は、未世に微笑む。

「できるだけ彼女といることね。離れてしまっては、その機会は本当に巡ってこなくなるわ」

「はい!そうします」

 意気込む未世は、足早に保健室を去っていった。

 

 



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第11話 過去からの追跡者

「今日は何事もなく終わってよかったですね」

 指定されたルートの巡回を終え、ネストシードを発見することなく、何事もなく歩哨を終えたことに未世たちは胸をなでおろす。先日の一件以来、大型種の遭遇の可能性が任務に出る生徒全員に通達されたが、それから遭遇したという事例はないようだ。

「……でも、経験積まないと強くなれない」

「わかっていますけど、何事も無く済むにこしたことはありませんよ」

 訓練を積んで、実戦で実行し、反省点を洗い出して次の任務や訓練に活かす。技量を上げるためには、そのサイクルを繰り返すしかない。

 訓練だけでは限界がある上、これまでろくに引き金を引けてないために、今度こそは、という気持ちがあるのは凛は勿論、未世もだが、遭遇しないのでは仕方がない。

「それじゃあ、帰りましょうか」

 未世が帰宅しようと帰路に足を向けたとき、ふと彼女は歩を止める。

「どうかしたんですか、凪ちゃん」

 凪は未世に向き直る。

「何が?」

「だって、どこか一点をじ~っと見つめていましたよ」

「……そういえば、最近多い」

 心配そうに眺める彼らに、凪は微笑む。

「大丈夫。いつも通りだから」

 2人はどこか納得できないように疑惑に満ちた眼差しを向けるも、それ以上は何も言わなかった。

 大きく手を振る未世に、凪は僅かに手のひらを振って応える。それぞれが、家に向かって帰路につく。

 でも、彼女はなぜか帰路とは違う道を歩む。人通りの多い道ではなく、繁華街や商業施設をさけて人気の少ない、狭い道を進んでいく。時折、後ろに視線を向けながら。

 いつしか住宅地を抜け、隣接した森へと、彼女は足を踏み入れる。

 

―――……来ている。

 

 凪はそう感じた。最近、彼女は歩哨任務に出るたび、首の後ろがチリチリ痛むのを感じていた。それは、戦場に身を置くようになって感じるようになった感覚。殺気や敵意を向けられたときに感じるものだった。

 先ほどの未世たちとの歩哨の間も、いや、それ以前から、彼らと初めて組んだ歩哨任務の時からずっと、彼女はその感覚を感じていた。

 自分に向けられている殺意を。その殺気を放っている存在が、そばをうろついていることを。

 彼女は森の中を進んでいくと、無線の受信ランプが点灯していることに気づいた。彼女は、無線に手を伸ばした。

「はい、古流高校、風原」

『どこに行くつもり?』

 その声で、彼女は無線の向こうの相手を察した。

『歩哨任務は終わって、あなたに今日の任務の予定はないはずよ』

「ちょっと、野暮用がありまして」

『どんな用事なの?』

 言い訳やごまかしを許さない迫力が、無線越しでも伝わる。

「……言えません」

『教官命令よ、いいなさい』

 言葉の圧力に開きそうになった口を閉じ、彼女は冷静に振舞う。

「あなたこそ、なんで私の動きを監視していたんですか?豊崎教官」

 無線の向こうの主が黙る。指定防衛校の生徒は、銃を持っているのに加え、応援要請があった際に、だれが手近にいるかを瞬時に調べるために、GPS発信機を持っている。今凪が、だれと、どこにいるのかも司令部に記録されるし、教官たちにも筒抜けになっている。

『……あなたの様子が最近変だと、朝戸さんたちから相談を受けていたの』

「それで、私が妙なことをしていないか監視していた、ですか?」

 教官は黙り込み、返事をしない。凪はそれを肯定と受け取った。

「教官、残念ですけど、これは至極個人的な事情なので」

『あなたが一人で何かをしようとしているときは、大抵危険なことだって決まっているわ』

「よくお分かりで」

『なら、なおのこと。何が目的なの?』

 凪は大きく息を吐きだし、いつもの淡々とした口調で言った。

「……後始末、です」

『何の?』

「自分の蒔いた種ぐらい、自分で刈り取ります。以上、終わります」

 何かを言いかけた教官の無線を一方的に切り、彼女は司令部に回線を繋いだ。

「司令部、こちら古流高校、風原。K9の亜種と思しきイクシスに遭遇。武器使用許可を求めます」

『こちら司令部、了解。武器使用自由。至急応援を送ります』

「必要ありません」

 無線越しに、オペレーターが首をかしげているのがわかる。

「数は1体。なら1人で対処できます。以上終わります」

 言うなり凪は無線を切り、来た道を、ゆっくりと振り返る。

「……いい加減、出てきたらどう?」

 当人は隠れているつもりかもしれないが、それだけ殺気を放っていれば居場所はわかる。いや、正確には人ではない。彼女は、M4に弾倉を装填し、薬室に初弾を送る。

 それから間もなく、草むらが揺れ、生い茂る草をかき分けて1体の黒い獣が姿を現した。その獣に、凪は見覚えがあった。

 彼女が再会を望んだK9「ハル」を殺したあの日、凪を尻尾で殴ってふっ飛ばし、ハルの遺体を咥えて持ち去った、あの時のイクシスだった。

 1対の巨大な牙を上顎に持ち、K9を超える全長、サーベルタイガーを思わせる外観。

 そのイクシスは彼女を視界に捉えると、四肢を地面につっぱり、空に向かって口を大きく開けて咆哮をあげる。

 空気が振動し、凪の体にも伝わる。怒り、憎しみ、憎悪。どんな感情がこもっているかは知りようがない。でも、彼女は思った。

 このイクシスは、あの時仲間を殺した敵を、仇として追いかけて来たのだろう。無論、このイクシスに知能があるのかはわからないし、イクシスに同族意識があるのかもわからない。でも、この時の彼女はそう考えた。でなければ、数日間にわたって凪の周囲をつけまわした理由がない。

「仲間の仇討ち。泣ける話だね」

 彼女はM4を構え、安全装置を外す。アングルフォアグリップを握り、ダットサイトの光点を、未知のイクシスに重ねあわせる。

「でも、黙って殺されるつもりはないから」

 イクシスが空に向かって再び吠え、地面を蹴って駆け出す。直後、凪のM4が咆哮をあげ、閃光がほとばしった。

 

 

 

 M4から放たれた銃弾が、周囲に生い茂る草木をかいくぐり、イクシスに向かって飛翔する。でも、その個体は巨体に似合わぬ俊敏な動きや障害物を使い、被弾を免れる。銃弾はいずれもイクシスの体を穿つには至らず、地面をえぐるだけ。

 弾倉が空になり、空の弾倉を捨てて急いで交換作業を行う。相手が自分に恨みを抱いているのであれ、仇討ちであれ、彼女には関係ない。

 

―――イクシスは、殲滅しなければならない。例外なく。それが、私たちに課せられた責務。

 

 彼女は頭の中でその言葉を反芻し、再び引き金を引く。イクシスは銃撃を回避し、草むらに潜り込んだ。

 彼女は左腕を伸ばし、ハンドガードとフォアグリップを横から鷲掴みし、ホースで水をまく要領でイクシスの潜り込んだ草むらに向けてフルオートで掃射をする。

 Cクランプグリップ。視界は若干狭まるが、銃口の先を素早い相手にあわせるには、この撃ち方は都合がよかった。

 弾がなくなり、急いで弾倉を交換する。再び銃口を草むらに向け、目、耳、皮膚に感じる感覚全てを使い、周囲に神経を張り巡らせ、僅かな気配でも察知しようとする。

 草むらが揺れた。そこに銃弾を撃ち込む。そばが揺れた。また引き金をひく。遠くが揺れた。発砲する。直後、後ろが揺れた。振り返り、引き金を引いた。銃弾が、草むらの緑の海へと、飲み込まれていく。

 ぎゃん、という悲鳴のような声と、地面に何かが転がる音がした。今度は手応えがあった。

「……当たった?」

 確認のため、彼女は銃口を僅かに下げて視界を広げ、草むらに足を踏み入れる。周囲を警戒しながら、銃弾を撃ち込んだ場所へ一歩一歩、足を進めていく。

 銃弾を撃ち込んだ場所は、イクシスの赤黒い体液が深緑の葉に飛び散っていた。

 左手で草木をなぎ払い、その正体を確認した。

「な!」

 目の前に広がる光景に、彼女は目を見開き、声を漏らした。

「……なんで」

 そこに倒れていたのは、これまで幾度となく駆除してきたイクシス、K9だった。直後、彼女の後ろの草むらが揺れる。再び銃弾を撃ち込んだ。確認すると、そこにもK9が倒れていた。

「……まさか」

 彼女は、自分の犯した失策に気づく。でも、そのときにはもう遅かった。

 突如草むらをかき分け、K9の倍ほどもある巨体が飛び出した。凪は銃口をその巨体に向け、引き金を引いた。2発で弾がつきた。イクシスとの距離が、目前に迫る。再装填の時間も、拳銃を抜いている時間もない。

 彼女はM4を横にし、自分の前に盾のように構えて身を守る。イクシスは樹脂製のハンドガードに噛み付いた。そのまま勢いを殺さず、凪を地面に押し倒した。

 巨大な1対の牙が、樹脂製の部品に食い込み、きしみをあげる。次第に樹脂が白くにごり、亀裂が走り、噛み砕かれて飛散した。

 さらにイクシスの顎が銃身を挟み、変な方向に曲げてしまった。

 イクシスは、顎に咥えた凪のM4を、つばを吐くように遠くへ放り投げる。

「うそ……」

 イクシスは口を大きくあけ、彼女に向かって牙をつきだした。咄嗟に頭を右側へ出来うる限りずらした。

 赤い血が、イクシスの鼻先や顎に付着した。1対の巨大な牙は、凪の首の真横、左肩に突き刺さった。その後も力をこめ、牙を食い込ませていく。絹を裂くような彼女の悲鳴が、雨が降りそうな暗い空を揺らした。

 傷口から神経を伝って、焼けるような痛みを脳が感知する。牙を抜こうと右腕で押しのけようとするも、痛みが増して苦痛に顔が歪む。彼女は腰からナイフを抜いて、イクシスの首に力を込めて突き刺した。痛みでイクシスが彼女を押さえる力を緩めた瞬間、凪は体を抜き、その場から一目散に駆け出した。

 

 

 森の奥へ、奥へと、彼女は傷口を押さえ、一心不乱に走る。時折後ろを振り返りながら、イクシスが追ってきているかどうかを見る。

 風景の変わらない緑の海の中を、方向も考えず、彼女はひた走る。途中で見つけた巨石の影に身を隠すと、エイドキットから止血用包帯を取り出し、右手のみで巻きつけ、硬く締め付ける。痛みで顔を歪めながらも、処置を終えた。

「はあ、はあ……」

 荒い呼吸を繰り返し、焦る心を落ち着かせつつ、周囲の様子を伺う。右手で、腰のホルスターからM9を抜く。

 今更ながらに、彼女は自分の思い込みを呪った。相手は1体ではなかった。ここに彼女が来たのは、周囲への被害を気にしなくていいということだが、今はそれが命とりになっている。

 イクシスは、凪の後をつけながら、K9を周囲に配置していたのだろう。そして姿を隠し、K9で彼女の注意を引きながら、隙を見せる瞬間を狙っていた。

 距離をとっていては不利と判断した上で、数の利を活かして相手を追い詰め、少しずつ包囲の輪を狭め、獲物を殺す。

 集団で狩りを行う獣のようだ。思えば、トラやライオンは、狩りを行う際には極力身を隠し、奇襲によって、一撃で獲物を仕留める。狼は、集団で狩りをするという。イクシスがどこまでそれを模倣しているかは定かではないが、それを想定していれば違った対応ができた。

 でも、戦いの主導権はもう凪にはない。周囲は、風景の変わらない、見通しの悪い緑の海。凪からは敵が見えないが、相手はこちらの位置を掴んでいる可能性が高い。ここにくる道中、流してきた血は彼女の居場所を示している。

 トラやライオン、狼にルーツがあるなら、嗅覚が優れている可能性もある。獲物と狩人の立場が、逆転している。

 今の凪は、獲物の側だ。

 

「……とにかく、移動しないと」

 M4がやられても、まだ彼女には拳銃と予備のナイフがある。でも、それであの巨大種を倒せるかはわからない。

 彼女の後ろの草むらが揺れた。彼女は揺れた場所に銃口を向ける。姿を現すのを、固唾を飲んで見守る。銃のグリップが、僅かに湿り気を帯びる。

 草むらが揺れ、影よりも黒い獣が、姿を現した。

「……え」

 現れたのは巨大種ではなく、K9だった。子犬のように、怯えている。凪の記憶にあるあの子と、同じように。

それが、凪を僅かな時間でも硬直させた。彼女の左にある草むらが、大きく波打った。

 急いで振り向いた直後、緑の海から黒い巨体が現れ、彼女に向かって真っ直ぐ駆けてくる。

 彼女は拳銃を構える。照星と照門をイクシスの頭部に合わせ、引き金を引いた。

 でも、弾が出ない。

「なんで……あ」

 彼女は、スライド後端を見て驚いた。今の彼女は、自分が思っている以上に冷静さをかいているらしい。安全装置を外し忘れていた。その隙を、イクシスは見逃さない。

 体重を載せ、勢いをつけ、凪に体当たりした。彼女の体が宙を舞い、地面を転がる。でも、まだ右手にかろうじて銃は握っていた。

「いたた……」

 右腕だけで起き上がろうとした彼女を、再び衝撃が襲った。地面を蹴って瞬時に巨体を加速させたイクシスは、凪に突進する。彼女はそのまま、飛ばされた方向に生えている木に背中を打ち付け、地面にころがった。

「げほげほ」

 背中から走った激痛に、彼女は咳き込む。応戦しようと体を起こし、右手を前に出した。だが、先ほどまで持っていたM9が手の中にない。

 今度は左脇腹に衝撃が走った。ボールを追いかける犬のように、何度も弄ぶように突進され、その度に彼女は体を打ち付け、地面を何度も転がり、制服が土まみれになる。

―――楽に死なせる気はない、って、こと……。

 痛む体を起こそうとしたとき、腹部に衝撃が走った。イクシスは、尾を鞭のように振り回し、彼女の腹部を殴りつけた。虚をつかれた彼女は、また宙を舞って地面を転がる。当たったマグポーチあたりの生地が破れた程度ですんだが、衝撃に胃の中のものが逆流しそうになった。

 仰向けになった彼女は、動く気力が湧いてこなかった。何度も体当たりされてぶつけた体は痛みでいうことをきかず、牙が刺さった肩も動かせない。

 なんの気なしに、彼女は空を眺める。空からは無数の雫が降り注ぎ、彼女を、地面をうつ。

 K9「ハル」を撃った日も、そういえば雨が降っていたと、彼女はこんな状況にあっても思い出す。

―――ハルが、泣いているのかな。

 折角再び会えたのに、凪はハルを撃った。親しくなったハルを殺し、理解者だった未世を裏切った。

 再会を願ったのに、その相手を殺した彼女。その仇を打つために、追いかけてきたのであろうイクシス。

―――報い、なのかな。

 ハルを殺し、そしてハルの仲間を沢山殺してきた。イクシスに同族意識があるなら、あの子は仲間を殺した凪を恨んでいたのかもしれない。

 そしてその遺体を持ち去ったこのイクシスにとって、凪は大事な仲間の命を奪った敵ということになる。

 彼女は自分の横たわる地面を見渡すと、目を閉じ、感覚を放棄した。彼女が仰向けになっているその場所は、周囲に草が生い茂る中、そこだけ木が切り倒され、草が刈られて見通しが良くなっている。地面は舗装され、コンクリートによって平になり、緑が生い茂る中、白さを際立たせている。

 そこが彼女の、処刑場であるかのように。

 

 ここで殺され、ハルに謝りにいくのも、悪くないと思い始めていた。

 夢を捨て、友人を見捨て、責務を全うする道を選んだが、今は果たせそうにない。自分で応援を断っておいて、この有様。

 目指す夢もなく、役割が果たせないなら、自分は何者にもなれない。

 何のために生きればいいのか、目的もない。それは、自分で打ち砕いてしまった。

イクシスが血に濡れた牙を、再び彼女にむける。一歩、一歩とぬかるむ地面に足跡を残しながら、迫る。

 一歩進むたびに、イクシスの足によってはねる水音が、凪の耳にとどく。その音が、次第に大きくなってくる。彼女は力を抜いて、イクシスの方向に目を向ける。

―――ここまで、か。

 彼女の最後を決める、巨大な鎌を持った死神が迫る。そんな時であっても、彼女の心は、凪いだ海のように穏やかだった。

 自分の行いが、招いた結果であると、彼女は自分に言い聞かせる。

 彼女の血の着いた巨大な1対の牙が、眼前に迫る。死神が、鎌を振り上げる。凪は、静かに目を閉じた。

 



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第12話 2つの道の狭間で

 空から滴る無数の雫に打たれながら、凪は目を閉じ、じき来るであろう痛みに備える。

 

 イクシスの牙が、自分に突き立てられる、その瞬間を。

 自分の、結末を。

 

 でも、いつまで待っても、その瞬間が訪れることはなかった。不審に思った彼女は恐る恐る、目を開けてみる。

「……え」

 彼女の目に、信じられない光景が飛び込んできた。1体のK9が、同族であるはずのイクシスに向かって爪と牙を閃かせ、飛びかかっていた。体格が倍ほども違い、牙も爪も劣るK9が、巨大な個体に向かって咆哮し、果敢に挑んでいく。

 体格が劣っていることを自覚しているのか、小回りの良さ、敏捷性を武器に襲いかかる。

 不意をつかれたイクシスは、同族であるはずのK9の所業に対応できず、胴体に牙を突き立てられる。

 反旗を翻したK9を引き剥がそうと、首をまげ、顎を向け、尾を振り回すが、位置が悪くどちらも届かない。すると、体を乱暴に振り回して振り払おうとする。それでも、K9は離れない。

 イクシス同士が戦っている。その信じられない光景を前に、凪は固まる。

―――私を、守ろうとして、いるの?

 頭に浮かんだその考えを、彼女は頭を振って打ち消す。そんなはずはない。イクシスは、人類の敵のはず。でも、目の前で繰り広げられている光景が、その考えの根幹を揺るがしている。

「……今のうち!」

 なんであれ、この好機を逃す手はない。彼女は痛む体を素早く起こし、あたりを見回す。運良くそばに落ちていた、取り落としたM9を拾い上げ、セイフティレバーを跳ね上げる。

 銃口をイクシスに向け、即座に引き金を引いた。泥が若干着いていたが、スライドが勢いよく後退し、空薬莢が宙を舞う。放たれた銃弾はK9には当たらず、巨大なイクシスの頭部にめり込み、体液が飛ぶ。でも、この程度では倒れない。

 彼女は連続して引き金を引いた。弾倉内部の15発を撃ち出す火薬の炸裂音が等間隔に、雨音に混じって響き渡る。

 銃撃が止む。銃弾を撃ち込まれたイクシスは、地面についている手足が震え、先程までの活発さがなくなっている。空の弾倉を捨て、その場に膝をついてM9を右膝の裏に挟んで保持する。

 熱した銃身が膝裏の肌に触れ、火傷しそうな程の熱さをこらえながら、20発入り弾倉を叩き込み、ブーツの踵にリアサイトを引っ掛けてスライドを前進させる。

 生物共通の弱点になりうる頭部を狙って、イクシスが動かなくなるまで、彼女は弾倉を交換し、引き金を引き続けた。

 

 

 銃声が止み、M9の銃口から、白く細い硝煙が立ち上る。

「やった……の?」

 イクシスは、穴だらけになった頭部から体液をながし、地面に這いつくばった状態で動かなくなった。彼女は、生死を確認しようと銃口を向けたまま近づく。ふと、頭部が動いた。頭を持ち上げ、巨大な顎から生える1対の牙が、彼女に再び向けられる。

 でも、その巨大な牙は虚しく空を切る。冷静に引き金を引いた。2発の銃弾が頭部に撃ち込まれ、イクシスは地面に突っ伏して動かなくなった。

 弾が丁度なくなり、スライドが後退した状態で止まったので、残った最後の1本を装填する。念のため周囲を警戒するも、イクシスが現れる気配はなかった。

「……ふう」

 彼女はM9のセイフティレバーを下げ、銃口を下げ、倒した個体を見下ろす。

 このイクシスが、なぜ凪を狙ってきたのか、追いかけてきたのか。先ほどまでは、同族の仇討ちだと考えていた彼女だったが、実際のところは何もわからない。

 イクシスとは言葉が通じない。ならば、その真意を知ることはできない。

「凪ちゃ~ん」

 自分を呼ぶ声に、彼女は振り向く。

「2人共……」

 銃を構えた未世と凛が、彼女に向かって駆け寄ってくる。

「和花先生から、応援に行けっていわれたんですけど」

「……敵は?」

 どうやら、豊崎教官はあの通信の後、念の為に彼らを応援によこしたらしい。

「来てくれてなんだけど、ついさっき、倒しちゃった」

 彼女は、先ほど倒したイクシスを指差す。

「……残敵は?」

「いないはず」

 そのとき、草むらが揺れた。未世と凛の銃口が、揺れた場所に同時に向けられる。

 また揺れる。彼らが見つめる中、草むらから1体のK9が出てきた。そのK9を見て、凪はその個体が、倒したイクシスに向かっていった、同胞に牙を剥いた個体だと悟った。

「……さがって!」

 凛がK9に銃口をむけ、引き金に指をかける。

「凛ちゃん待って!」

 予想だにしない相棒の突然の制止に、凛は声の主を細めた目で見つめる。

「……未世、どういうつもり?」

 凛の射抜くような視線を意に介さず、未世はK9を指差した。

「あの子の様子、よく見てください」

 未世の言葉に、凛は銃を構えたまま、渋々視線を向ける。そのK9の様子を見て、彼らは驚いた。

 K9が、木に身を隠しながら、震えている。殺意や敵意など、微塵も感じられない。寂しそうな子犬のように体を震わせ、声を小さく漏らしていた。

「……未世、危ない!」

 未世はM4の銃口を下げ、そのK9に向かって歩み寄っていく。慌てて凛も凪も後を追う。

 近づいても、K9は襲う仕草さえ見せず、木に隠れて身を縮こまらせている。そのK9の2mほど手前に、彼女は膝をついた。

「大丈夫です。何もしませんよ」

 彼女の行動に、2人は目を剥いた。あろうことか、未世は右手を伸ばして近づいてくるよう手招きしている。凛は、未世を射線上に巻き込まないよう位置を急いで変える。

「おいで」

 未世の言葉が通じたのかわからないが、K9は恐る恐る体を木の陰から出し、震えながら歩み寄っていく。

「大丈夫、怖くないですよ」

 彼女とK9の距離は、1mもない。飛びかかられれば、一瞬の距離。すると未世は、K9の頭に右手の平をおき、撫で始めた。K9に、その手を振り払う様子はない。凛はMk18の銃口を下ろした。

「……どうなっているの?」

 イクシスは人類の敵。世間や、学校で教えられた常識の根底を揺るがす出来事が、今、彼らの目の前で起こっている。

 未世はK9を撫でながら、凛に笑みを向ける。

「凛ちゃん。イクシスだって、仲良くなれるかもしれないんですよ」

 こんな風に、と未世は付け加える。

そんな彼女たちの耳が、小さな金属音を捉えた。未世と凛がその方向を向いたのは、ほぼ同時だった。

 その方向にある光景を見て、未世は言葉を無くした。

「……凪、ちゃん?」

 そこには、未世にM9の銃口を向ける、凪の姿があった。

 

 

 

 

 凪は拳銃を未世に、正確には、彼女の前にいるK9にむける。

「凪ちゃん……、ど、どうして」

「……未世さん。それは、こっちのセリフです」

 未世は銃口を向ける彼女に戦慄し、体が震える。そんな状況でも、彼女は凪の目的を瞬時に理解した。

「や、やめてください!」

 未世は、震えるK9と凪との間に割ってはいる。その行動に、彼女は目を細める。

「あなたは、自分の役割を放棄するの?」

「そんなことはありません!で、ですけど……」

 指定防衛校の生徒である以上、イクシスを駆除することが役目。未世がしていることは、明らかにそれに反している。

「……銃を捨てて!凪!」

 拳銃を向ける彼女の背後で、凛がMk18を構える。その銃口は、彼女の背中に向けられている。

「……さあ、早く!」

 やめるよう促す凛の声が、上ずり、震えが混ざる。それが構えているMk18にも伝わり、銃口が上に下に、右へ左へと振れる。指定防衛校の生徒に、人を撃つことは許されない。けど親友が銃口を向けられている状態を、彼女は黙って看過できなかった。

 未世に、その向こうのK9に銃口を向ける凪は、凛を一瞥しただけで特に気にした様子はない。撃てない銃など、鉄パイプ以下だ。

 彼女は、ゆっくりと未世に向き直る。

「未世、あきらめて。その子から離れて」

 凪はM9の安全装置をすでに外していて、発射可能を示す赤い点がスライド後端に見える。撃鉄は倒してあるが、ダブルアクション機能を備えているM9ならば、引き金を引けば発砲できる。

「い、嫌です!」

 未世は信じた。インジケーターは見えないが、彼女の拳銃の薬室に弾が入っていないことを。彼女が、覚悟を決めていないことを。これが冗談であることを。

「……そう」

 静かに応えた彼女は、右手人差指に力を込める。直後、雨音を払い、一発の銃声が響き渡った。

 

 

 1発の銃声が、雨空に響き渡る。凪が撃った銃弾は、上空に向かって放たれていた。

「未世さん、今のは警告です」

 撃鉄を倒してから、再び彼女は拳銃を未世に、その向こうのK9に向ける。

「凪ちゃん、どうして……」

「決まっているでしょう?」

 拳銃のグリップを握る彼女の手に、力が込められる。

「イクシスは、人類の敵。殺してしかるべき、そうでしょ?」

 すると未世は、怯えるK9を腕の中に抱いて、凪に背を向ける。

「……未世さん、どういうつもり?」

「ダメです!この子は、殺意も敵意もありません。戦う意思がないのに、殺すなんて」

「イクシスを殺すことが、私たちに課せられた責務でしょ?それを放棄するの?」

 未世はK9を離して背中に隠し、凪に振り返る。

「確かに、それが私たちの役割です」

「……だったら」

「でも!敵意を向けてこない個体がいるなら、仲良くなれる道だってきっとあります!仲良くなれるなら、いつかは対話ができて、戦う必要だってなくなるかもしれません!」

「好意的ならば、殺さなくていいの?その子がネストを通って彼らの世界にかえって、増援を引き連れてこないっていう保証がどこにあるの?」

 戦場でも、捕虜を逃せば味方を引き連れて反撃してくる場合はあるし、テロリストに通じている民間人だっている。

 このイクシスを逃がしたばかりに、自分ならまだしも、誰かを傷つけることになったら目も当てられない。

「可能性は摘まなくちゃいけないの。まだ小さい内に」

「ダメです!」

「朝戸さん、お願い、どいて」

「どきません!」

「どいて!」

 銃口を向けられてなお、未世はイクシスをかばっている。凪は奥歯を噛み締める。未世を撃つことはできない。彼女が壁になっている間は、イクシスが撃てない。お互い一歩も譲らず、動けない。数秒の時間が、数分にも、数時間にも感じるほどゆっくり流れる。彼らは、全く動かない。

 

 その膠着した状態に、変化が訪れた。

「……どう、して」

 凪が、小さく声を漏らした。

「どうして、それでもあなたは、真っ直ぐでいられるの?」

 未世は、信じられないものを目にした。凪の瞳に雫が貯まり、こらえきれなくなった分が頬を伝って、雨と同じく地面にしみこむ。彼女の右手が震え、拳銃に伝わり、銃口が僅かに上下左右に振れる。

「なんであなたは、諦めないの?周りから嘘つきと呼ばれても、変人扱いされても、常識に反しても、夢を諦めないの?」

 彼女の問いかけに、未世は銃口が向けられていることも忘れて応える。

「確かに、気分のいいことじゃありません。でも、どんな状況でも、理想を捨ててはいけないって、私は思うんです」

「なんで理想を捨てないの?そんなもの追いかけ続けても、自分が苦しいだけじゃない」

「そうです。でも、私は諦めたくないんです。無かったことにしたくないんです」

「……なにを?」

 未世は息をのみ、いつもの声量で言った。確かな、自分の意思を込めて。

「あのK9との、あの子との出会いを……」

 凪の目が僅かに見開かれたのを、未世は見過ごさなかった。

「確かに、仲良くすることが難しいのはわかっています。でも、イクシスを殲滅してしかるべき。そんな考えで進んだら、私はあの子とも戦わなくちゃいけなくなります。仲良くなれそうだった相手と殺し合うなんて、私は嫌です」

「でも、彼らを殺すことが、私たちの役割でしょう!」

「わかっています!ですけど、他の可能性があるのをわかっているのに、ただ流されて進んだら、絶対に後悔します!」

 未世の言葉が鋭い刃になって、凪に突き刺ささる。彼女は、未世から視線をそらした。

「凪ちゃんだってわかっているはずです。仲良くなれる個体がいるって」

「でも、私に役割を投げることは許されない!でないと、なんのために……」

 凪は、奥歯を噛み締め、言った。

「あの子の、ハルの死が無駄になる!」

 未世は目にした。

 

 何かに取り憑かれたような、凪の虚ろで、濁った瞳を。

 

 誰もが、大事な人や動物が亡くなれば、彼らを記憶の中に住まわせる。再び、殺さないために。それは人間の心の、正しいあり方なのかもしれない。

 でも、時として死者は、生者を縛り、あるはずだった未来を捻じ曲げる。

 ハルを殺したことが、凪が、未世とともに夢を目指すという、彼女の道を捻じ曲げたのだろうか。

「だから、私は役割を果たす。そう決めたの!」

 未世は彼女の姿を見て、違和感を抱いた。

「それなら、自分で決めたのに、なんでそんなに苦しそうなんですか?」

 自分で決めた道のはずなのに、凪は目に雫をため、銃を握る手が震えている。語気を強めている。

 それは、ハルの命を奪ったことを、無駄にしないためではない。ただ、自分を押さえつける言い訳に利用しているだけにも見える。

 目の前に示された、かつて自分が捨てた可能性と、自分に課せられた責務にはさまれ、彼女は揺れている。

「凪ちゃんは、後悔しているんじゃありませんか?夢を諦めたことを」

「後悔なんて、してない」

「じゃあ、なんでそんなに苦しそうなんですか!なんで、自分に言い聞かせるみたいに言うんですか!」

「うるさい!」

 彼女の銃を握る手が震える。力がこめられ、グリップ側面のパネルがきしみをあげる。いつ引き金を引くともしれない状況だが、それでも未世は引かない。

「私は、もう夢をおいかけることはできない。この道しかないの!あなたと一緒に歩むことなんて、もうできない!」

「道は1つじゃありません!なんで諦めるんですか!」

「あの子を撃ったことを、無駄にしたくない!」

 再会を望んだK9、ハルとの一件を、彼女はまた口にする。未世は、違和感を確信に変えた。

 

「そんなの違いますよ!」

 

 凪は一瞬目を見開き、未世を睨みつける。未世は、彼女の言葉を聞いたときから、どこか違和感があった。

 一見すれば筋が通っているように見えるが、どこかおかしいと、彼女は感じていた。

「無駄にしたくないというなら、なんで、夢を諦めたんですか?」

「……何が言いたいの?」

「凪ちゃんがハルちゃんを撃ったとき、辛かったと思います。想像しかできませんけど、でもそれなら、もう傷つけなくて済む道を探すことを、なんで諦めたんですか?」

 凪は奥歯を噛み締める。

「また友好的な個体に出会った時のことを考えて、イクシスを殲滅する以外の道を探すことだって、できたはずです」

 彼女は、次第に言葉につまってきている。

「でも、撃てないと、相棒が、殺される……」

「人を言い訳に使わないでください。あなたは、凪ちゃんはどうなんですか?」

 彼女は顔が次第にうつむいてくる。未世は知りたかった。

 

 彼女の、凪の本心を。

 

「……わかっている」

 彼女は、雨音にかき消されそうな声でつぶやいた。

「わかっているわよ。仲良くできそうな個体がいることも、他の道だって、探せるってことも……」

「……じゃあ、なんで」

 未世は言葉をつなぐ。今は彼女の心を覆う鎧が、少しずつ剥がれ始めている。今が、彼女を引き戻せる機会になるかもしれない。

「私は、夢を追います。確かに、方法が見つからないなら、駆除するしかありません。でも、ただ流されて進んだら、いつか幼い頃に会った個体と戦わなければ、ならなくなります」

 ただ流されて進んだら、いつか未世も、凪と同じ事態に、遭遇しないとは限らない。

「任務に出れば、ほとんどは敵意を向けてくる個体ばかりです。でも、それでも、いつか、好意的な個体と、また会えるかもしれません。そのとき、自分の主張を貫けるよう。そんなときでも、必ず周囲を守れるように、まずは強くならないといけない。私は、そう決めたんです」

 自身の抱く夢と相反する行動をとることになっても、それでも、彼女はその可能性を飲み込み、目指すと決めた。

 そのために、努力し、力をつける。周囲を守り、自分の夢を、主張を実現させるために。

 同時に、方法も探し続ける。

 行動しなければ、歩み続けなければ、そこで終わる。諦めてしまっては、それこそ道は開かれない。

「……強いんだね、未世さんは」

 凪が、呟くような声で言った。

「凪ちゃんは、違うんですか?」

 未世は、凪に問いかけた。彼女は力なく、首を横に振った。

 

 

 

「……私は、あなたみたいに、なれなかった」

 



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第13話 近くて遠かった彼女

 

「……私は、あなたみたいに、なれなかった」

 

 泥沼を思わせる程に濁り、焦点が合ってない虚ろな瞳で、未世を見つめながら、凪は言った。

「私は、早く任務に出たくて、訓練して、早めに参加できることになった」

 通常は1ヶ月から2ヶ月かかる訓練期間を、彼女は1ヶ月弱で達成し、1年生で最初に歩哨に参加した。

「初めは怖かった。でも、それと同じくらい、期待もしていた。あの子に、他の友好的な個体に、会えるんじゃないかって。でも、任務に行くたび、会えるのは敵意や殺意を向けてくる個体ばかり。役割だって分かっていても、駆除しか今は手がないって分かっていても、次第に自分の夢に、自信が持てなくなってきて……」

 イクシスと仲良くできる手段を見つけたい。でも、手段が見つからない間は殺さなければならない。夢と反する行動を続ける日々に彼女は、次第に耐えられなくなった。

 

 理想と、現実との、乖離に。

 

「でも、イクシスを駆除すればするほど、周囲は褒めてくれて、悪い気分じゃなかった」

 学年トップのイクシスの排除数を誇る凪。その戦果は、教官たちも知っている。

「次第に、あなたならできるでしょ?問題ないでしょ?って言われるようになってきて。そんな周囲に、イクシスと仲良くできれば、なんて言えなかった」

 夢と現実の乖離に苦しむ一方、周囲の期待は重さを増していった。同学年だけでなく、上級生と組む機会も、彼女は増えた。

 そんな中では、常識に反する夢を口にすることは、はばかられた。

「あなたと夢について話しているときは、安心できた。自分は間違ってないって、信じることができた。でも、次第にあなたといることを、周囲がいぶかしがってきて……」

「じゃあ、あなたが離れていったのは……」

 凪は俯きながら言った。

「私は、あなたみたいに、変人扱いされたり、周囲に反してでも何かを追えるほど、強くない。自分の、見栄を、気にしただけ」

 ハルの死を無駄にしないため、相棒の負傷なども関係している。だが大きな理由は、周囲の流れに反してまで夢を追う強さを、彼女は持っていなかった。

 

 周囲の期待を裏切れない。なるべく同調しなければならない。

 

 流れに反した行動の結果、その先に待ち受けるのが、孤独や陰口しかないことを、未世と出会うまでの経験で彼女は知っていたのだ。

「……言い訳だよね。あなたとの夢より、それを捨てて役割を果たすことを、我が身可愛さに選んだ。異質なあなたより、磐石な周囲と同調することを選んだ」

 凪は地面に膝をついた。

「……自分を、否定して」

 

 彼女は裏切った。

 

 未世を。

 彼女との夢を。

 そこに至るまでにしてきた、過去の自分の選択を。

 

「凛さんの言う通り。裏切り者だよ、私は」

「……教えてください」

 彼女はゆっくり顔を上げる。

「凪ちゃんと、そのK9、ハルちゃんとの思い出は、もう無かったことになっているんですか?」

 凪は、首を横に振った。

「できないよ。無かったことになんて……」

 彼女の言葉に、涙声が混じってくる。

「短い間だったけど、あの子との時間は楽しかった。今でも、はっきり思い出せる。昨日のことのように……」

 凪の右手からM9がこぼれ落ち、ぬかるんだ地面に転がった。

「あの子との楽しかった思い出を、無かったことになんてできない。これが自分の役割だって思っても、イクシスをいくら倒して周囲が褒めてくれても、辛くなるだけで……」

 彼女は制服の胸元を、右手でかきむしるように掴む。

 

 夢にするほど強かった想い、大事だった思い出に蓋をすることを、彼女はできなかった。

 

 ハルとの思い出を忘れ、何事もなかったように周囲に追従することが、耐え難かった。

 

「私にはあなたがまぶしかった。あなたみたいに、困難を飲み込んでまで、流れに逆らってまで、夢を追うなんてできない。役割に従うこともできなければ、どうすればいいの……」

 再会したいと望んだ相手を殺し、目的を見失ったとき、それでも夢を追うか彼女は悩んだ。夢の灯火を、彼女は完全には消せなかった。役目に淡々と従うこともできなかった。その結果、相棒が負傷した。

「私は、何がしたいのか、わからなくなった。あなたと一緒に夢を追いかければ、また同じ状況に会うかもしれない。私は、それが怖かった」

 だから彼女は、役割、責務といった言葉で自分を規定した。それを自分の意思として口にした。でなければ、自分がここにいる理由がなくなり、なにがしたいのかもわからなくなってしまう。

 任務の間は、何も考えずに済む。でも終われば、諦めたはずの夢の僅かに残った灯火が、彼女自身を内側から少しずつ焼いていった。

 過去の自分の選択を否定した道を行くことが、苦しかった。

 かといって、未世と共に抱いた夢は、茨の道。友好的な個体と任務で出会ったら、どうすればいいのか。待ち受ける現実の一部を体験した凪は、不安に駆られた。

 不安から逃れるために、彼女は夢を諦めた。いや、逃げた。

 

 夢から、未世から。

 

 そして、ハルを撃ったこと、相棒の負傷を利用し、もっともらしい理屈を並び立てて、これが正しい選択なんだと、自分に言い聞かせた。

 

 周囲がくれる賞賛で、自分をなんとか励ました。

 

 過去の自分を否定するために、未世に諦めるよう促した。

 

 ただ彼女は、逃げただけだった。

 

 未世と目指す先に見える希望より、その道中に待ち構える現実が、怖かったから。

 

「……じゃあ、なぜそれを未世に言わなかったの?」

 口をつぐんでいた凛が、凪に言い放った。

「……あなたが未世の夢を応援したように、未世もあなたの夢を応援していた。一緒に同じものを見つめていた。その未世に、なんで何も言わなかったの?」

 彼女は、口をつぐんで何も応えない。

「……未世は、あなたが支えになってくれたから、良いか悪いかは別にして、今も突き進んでいる。あなたにとって彼女は、支えじゃなかったの?」

 凪は表情を曇らせる。

「……苦しいなら、迷うなら、怖いなら、何で未世を頼らなかったの?何で、一人で全て抱え込んで、彼女を頼らなかったの?」

 凛の言葉が、凪の胸に深く突き刺さる。

「……理解者っていうのは、お互いに手を差し伸べ合うものじゃないの?未世は、あなたに手を差し伸べてくれている。あなたは、どうなの?」

「……そうだね。未世を頼ることをしないで、勝手に考えて、決めて、見捨てて……」

 彼女の言葉は、次第に小さくなっていく。彼女は一番の理解者を、結局は頼らなかった。

 ふと、いつの間にか未世の左足の横に、隠れていたK9がいた。

「あ、ダメです」

 未世の制止を聞かず、K9は凪に歩み寄っていく。彼女の前で止まると、帰ってきた飼い主を出迎える飼い犬のように尻尾を元気よく振り、鼻先を向けて愛嬌のある子犬のような声を出している。

 彼女はその子に恐る恐る手を伸ばし、頭をなでた。彼女の手のひらに、懐かしい感触が、かつて感じた感触が蘇る。

「……ハル」

 ハルとの初めての出会いを、彼女に思い起こさせた。

 視界がにじみ、K9の姿が歪んでくる。彼女は、K9を腕の中に抱いた。K9は、凪の頬を舐める。

「……ごめん、ごめんなさい」

 凪は、一人つぶやくように言った。

「痛かったでしょう、辛かったでしょう。ごめんなさい。本当は、こうしたかった」

 腕の中にいるK9は、ハルじゃない。それは、彼女が一番わかっている。でも、一度決壊したダムは、せき止められない。

「あの子を殺したのは、確かに私。でも……」

 彼女は、叫ぶように言った。

「本当は、ただ、もう一度会いたかった。ハルに会いたかった!再会できたら、抱きしめてあげたかった!ただ……、ただ、それだけで良かった……」

 彼女は、ようやく自分の気持ちを吐きだした。色んな気持ちや考えが混ざり合い、彼女はただ、涙を流した。

 未世と凛は、黙って見守った。内に抱えていたものを、涙に乗せて流して欲しいと。彼女にとりついていた何かを、雨が洗い流してくれることを、願って。

 雨の降る中、彼女の泣き声は、彼らにだけ聞こえた。

 

 

 

 凪は髪を縛っていた白色のリボンを解き、K9の右前脚の傷に結びつけた。あの巨大種に立ち向かったとき負傷したのかもしれない。エイドキットのガーゼをあて、外れないようにリボンで縛った。

「さっきはありがとう、助けてくれて」

 凪だけが知っているためか、未世たちは首をかしげる。

「あなたは、自分の世界に帰って」

 すると、K9は草むらに向かって歩き始めた。岩に隠れて見えなかったが、そこにはネストが口を開けていた。

 K9はネストを前にして振り返り、彼らを見つめる。飼い主との別れを前にして、寂しそうな犬のような声を鳴らす。

 それからしばらく見つめ合った末、K9はネストの向こう側に去っていった。ネストも口を閉じ、跡形もなく消えた。凪は、K9に向かって振っていた手を下ろした。

「行っちゃいましたね」

「……うん」

「でも、悲しむ必要はないですよ」

 未世は元気のいい声で、凪に詰め寄った。

「心配しなくても、また会えますよ。そしたら今度こそ、再会を喜べばいいじゃありませんか!」

 未世の押しに、凪はたじろぐ。

「相変わらず、前向きだね、未世さんは」

「はい。理想を捨てないためにも、前向きさは大事なんです!」

「……でも反省はして」

 凛のドスの効いた低い声に、未世は首をすくめた。

「……K9にあんなに近づいて。もしあれが演技だったら」

「で、でも、今回の子は敵意がなかったし」

 凛の、未世を見つめる視線がキッと鋭さを増す。

「……それは結果論でしょう」

「でも、それでも、あの子は友好的だったし。凛ちゃんも、見たでしょ?」

 必死に自己弁護する未世に凛が無言でにじり寄り、彼女の瞳を覗き込むように顔を近づけ、目をカッと見開く。凛の眼力に気圧され、未世は俯く。

「……ごめん、凛ちゃん」

 未世の謝罪に、凛は表情を緩める。

「……気が気じゃなかった」

「……はい」

 2人のやり取りを見ていて、この2人も、じゃじゃ馬の妹と、そんな妹をたしなめる姉なのではと、凪は苦笑を浮かべる。

 K9の去っていった方向を、ネストがあった場所を、凪はじっと見つめる。

 最後の最後まで夢を、想いを諦めなかった未世と、諦めた凪。

 

―――私が、彼女みたいに前向きで、周囲がどう思っても、困難を前にしても、飲み込んで突き進む強さがあれば……。

―――最後の最後まで、諦めてなければ。

 

―――あんな過ちを、犯さずに済んだのかな……。

 

 過ぎたこととはいえ、戦場でそんな仮定は意味がないとわかっていても、彼女はそう思わずにはいられなかった。

 顔を上げると、いつの間にか、目の前に未世が立っていた。

「その、凪ちゃんのいうことはわかります。でも、ちょっと結論を急ぎすぎだと思うんです」

 豊崎教官からも、時折彼女はせっかちだと言われる。

「私、和花先生から言われたんです。まずは、強くなれって。大事な仲間や、民間人を守れるくらい。まだ、引き金は引けていませんけど……」

 一緒に歩哨に行ったとき、彼女は発砲できなかった。踏んだ場数の違いだけでなく、凪は周囲からの重圧、自分を規定することで引き金を引けていた。たとえ撃てなくても、今の彼女には素直に自分を認める未世が眩しかった。

「私は弱いです。でも、いつか椎名先輩くらい強くなって、あの子に会いに行きたいんです!」

「……随分高い目標を設定したね」

 はにかみながら微笑む。でも、否定しなかった。それくらいでなければ、常識に逆らってまで、夢を貫き通すことはできないと、彼女は感じていた。

「確かに、仲良くなりたいのに、駆除するのは矛盾します。でも、そうしないと、凛ちゃんを守れません」

「……今は未世が守られている」

「凛ちゃんそれ言わないで~」

 相棒に水を差されたものの、未世は凪に向き直る。

「戦っていれば、駆除しなければなりませんけど、さっきみたいな子にだって、きっと会えます。対話ができる個体にだって、いつか会えるかもしれません」

 言葉が通じなくても、K9でさえそれを行動で示すことができる。ならば、知能を持っている個体に出逢えば、意思疎通がはかれる可能性がある。

 K9が犬や狼を模倣しているなら、キュレーヴといった人型は、人間を模倣しているかもしれない。どこまでしているかは知るよしもないが、それも出逢えばはっきりする。

 確かめるには、力をつけ、任務に出て、遭遇し、生きて帰らなければならない。自分の主張を実行するための強さも必要になる。

「だから、それができる日まで、頑張りましょう。生き残れば、進めば、それができます。諦めるのはいつでもできますし、もっと先でもいいと思うんです」

「つまり、諦めるのは先送りにして、今はできる努力をしようって、そういうこと?」

 凪の言葉に、未世は頷いた。

「それって、ただ問題を先送りにしているだけじゃない?」

「あう~」

 未世は頭を抱えてうなだれる。

「……でも、そうかもしれない」

 凪は右手を額にあてる。入学以来、色んなことが短期間で起こりすぎた。環境の変化、任務への参加、ハルとの再会、相棒の負傷、友好的な個体との出会い。一度、落ち着いて考えをまとめる必要があるかもしれない。

「それと、私が言うのも変ですけど……」

 未世が頬をかきながら、ぎこちない笑みを浮かべる。

「凪ちゃんが、ハルちゃんを撃ったとき、どれだけ苦しかったか、私には想像しかできません。でも、今のまま進めば、友好的な個体にまた会えたとき、きっと苦しむと思うんです。さっき助けた子とも、戦うことになります」

 想像できることとはいえ、言葉になると重さが違って聞こえる。

「そんな思いをまたしないためにも、他の道を探すことは必要だと思うんです。これ以上、友好的な個体を、ハルちゃんのときのように殺さないためにも。あの子を撃ったことを、無駄にしないためにも」

 元を正せば、凪はハルとの再会を夢見て、あんな個体もいるということを確かめたくて、この場所にいる。

 

 自分の初心を忘れ、このまま流されるままに進んでは、それこそ、ハルの死は何のためにあったのか、わからなくなってしまう。

 思い出のある個体は、他のK9と同じに思えなかった。ハルの死を、その他大勢のK9の死と同じにしないためにも、自分だけは忘れないためにも、これから先出会うであろう個体のためにも。

 

 夢を捨ててはいけないのではないか。

 

「……それと、できればなんですけど」

 未世が、グローブを外して右手を差し出してくる。

「できれば、前みたいに、戻って欲しいです」

 凪は顔を上げ、未世の瞳を見つめる。

「もう一度、一緒に夢を目指す仲に、戻って欲しいです」

 笑みを浮かべながらも、どこか寂しさをにじませた表情で、彼女は言った。

「例え短くても、私にとって凪ちゃんとの時間は、他の友達とは違う、とても大事なものです。このままただの馴れ合う友達に、なってしまいたくないんです」

 イクシスと仲良くできるかもしれない。未世のその言葉を聞いたとき、凪は彼女に近づいた。

 それまで周囲は彼女の言葉を天然、嘘つきと言ってながし、次第に孤立していった。でも古流に入って、未世に出会ったことで変わった。未世にとっても、凪にとっても、お互い得た初めての理解者だった。

「……そう、だね。私も、あなたとの時間は大事だったし、ただの馴れ合いに、なりたくない」

 凪もグローブを外し、未世の手を握った。

「……ごめん、未世」

 頭を下げて、彼女はこれまでのことを謝った。

「頼らなくて、見捨てて、裏切って、ごめん」

「もういいですよ、全部話してくれましたし」

 今更になって、凪は恥ずかしさがこみ上げてきた。同級生の前で泣いたり、自分の本心を明かしたりしたのは、彼女にとって初めてのことだった。

「でも……」

 凪は表情を引き締め、未世を見つめる。

「周囲と違う生き方をするのは、厳しいよ。待っているのが茨の道かもしれないし、私みたいな目にあうかもしれない。……それでも、あなたは」

「勿論、諦めません!」

 凪の言葉を遮り、未世は笑みを浮かべて言い切った。

「それでも私は、夢を目指したいですし、諦めたくありません」

 未世は、凪の右手を握る手に力をこめた。

「あなたと一緒に、また歩きたいです。一緒に夢を目指す仲に、戻りたいんです!」

 そんな彼女を見て、彼女はクスクスと笑った。

「あ、凪ちゃんが笑った」

「ごめん。でも本当、呆れるくらい前向きだね、未世は」

「……前向きというよりは頑固」

「そうですか?」

「……未世は一度言ったら聞かないから」

 凛は、やれやれ、と言いたげにため息を吐き出す。凪は、未世の手を握りながら言った。

「ごめんね。また、よろしく、未世」

「ごめんは、それで最後ですよ」

 凪は頷いた。直後、歩み寄ってきた凛が凪の胸倉を掴んだ。戸惑う未世の前で、凛は右手を高く振り上げる。凪の左頬を張り飛ばし、次いで右手の甲で右頬を殴った。それがもう一度繰り返され、最後に左頬が力一杯叩かれた。雨音の中に、乾いた音が児玉した。

「……凛さん」

 脳が揺さぶられ、ふらつきながらも立つ彼女は、胸倉から手を離さない凛を見つめる。

「……未世を裏切ったこと、銃口を向けたことはこれで許す。でも……」

 彼女は胸倉を掴んだ手を引き寄せ、鼻先が触れそうなほど顔を近づける。

「……次は無い」

 凛の視線に射抜かれながらも、凪はうなずいた。

「凛ちゃん、それくらいにして。凪ちゃん怪我しているから」

 今更ながらに、凪はあの未知のイクシスに噛まれたことを思い出した。止血包帯で処置はしてあるが、脳内の興奮物質が切れたのか、痛みが次第に増してくる。彼女は地面に膝をつき、傷口を右手で押さえた。

「凛ちゃん、司令部に連絡を!」

 凛が無線でやり取りをする中、未世は凪を支える。でも、瞼が次第に重さを増し、視界が狭まる。眠気がまさり、彼女の意識は闇で満たされていった。

 

 



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最終話 重なる道

「ねえ、昨日の歩哨どうだった?」

 夕日の差し込む教室で、1人の生徒が友人に話しかける。

「ネストシード見つけちゃって、K9に襲いかかられた。4匹出てきたかな」

「倒したの?」

「ううん。先輩たちが応援に来て、助けてくれた」

「そっか。私も、まだ倒せてない」

 指定防衛校にいれば、大半は歩哨任務に出る。その戦果を自慢しあい、体験を話し合うことも、彼らの日常の一幕になっている。

「ねえ」

 1人の生徒が、手近にいたクラスメイトに視線を向ける。

「風原さんは、これまでにどれくらいイクシスを倒したの?」

 椅子から立ち上がった彼女は、包帯の巻かれている左腕ではなく、右腕で椅子を戻し、カバンを背負った。

「さあ。はっきりとは覚えてないかな」

 彼女の言葉に、彼らは唖然とした。

「それって、覚えてないほど沢山倒しているってことよね」

「流石ね」

 彼らの言葉や、憧れの念が込められた視線に、彼女は何も関心を示さない。

「そういえば、最近風原さんって、朝戸さんと一緒にいないね。少し前までよく2人一緒にいたのに」

「だって、朝戸さんって変なこというでしょ?イクシスと仲良く出来るかもしれない、なんて」

 凪は、歩きだそうとした脚を止めた。

「風原さんもそれがわかったから、彼女から離れたんでしょ?」

 彼女は彼らの方に向き直り、できるだけ笑みを浮かべる。

「どうかな。彼女の言っていることは、与太話ではないかもしれないよ」

 凪の返答を聞き、彼らは目を丸くする。

「与太話、変なこと。そう言い切れるほど、わたしたちはイクシスを知れてないのかもしれない」

「風原さん、それ、本気で言っているの?」

 1人がなんとか口を動かし、言葉を紡いだ。その彼女に、凪は満面の笑みを浮かべて言い放った。

「ええ。勿論」

 軽く手を振って、彼女は自分のクラスをあとにした。その背中を見送った生徒たちは、

「……朝戸さん、風原さんに何吹き込んだのかな?」

「でも、あの風原さんよ。学年で誰よりも戦果をあげて、頭も腕も良くて、教官たちだって期待している」

 と、驚きを隠せなかった。

「そんな彼女でも、怪我ってするのね。包帯の巻かれていた左腕、任務中に負傷したって噂よ」

「ええ……。信じられないけど」

「そんな怪我してまで、あの与太話を、なんで信じられるのかな?」

 彼らは首をかしげ、頭をひねるものの、何も答えは出ない。

「風原さんが言うと、なんか冗談に聞こえないよね」

 彼らは、一様に頷いたのだった。

 

 

 

 凪は一人階段を上っていく。いつも肩にかけていたM4は、先日の一件で壊されてしまったために今はない。新しいのを購買部に頼んだものの、入荷までは時間がかかるらしい。それまでは、腰にぶら下げているM9とナイフだけが手持ち武器になる。

 いずれにしても、左腕が完治するまで任務は勿論、座学以外の訓練も禁止なので、さして問題にはならない。

 

 先日の一件の後、意識を失った凪は、未世たちが司令部に連絡して駆けつけた救急によって病院に搬送された。見た目に反して怪我は意外に浅かったようで完治はするが、肌に少々跡が残るらしい。

 病室で目を覚まして間もなく、訪れた両親と未世たちは皆、涙を流した。生きていて良かったと。大げさに思えるかもしれないが、それを口にはできなかった。

 ちなみに、その後訪れた豊崎教官は、危うく卒倒しそうだったとか。

 数日の入院と検査を終え、一応座学は受けてもいいと許可を得たので、左腕に包帯を巻いた状態で登校した。その日のクラスメイトたちの反応を、彼女は忘れられない。

 任務中にイクシスに噛まれて負傷したと言ったものの、クラスの誰もが何の冗談かと、体を張った渾身のボケなのではないかと思い、信じてくれなかった。担任からの報告で、ようやく信じたほどだった。

 

「……やれやれ」

 凪は一人ため息を吐きながら、屋上へと続くドアを開けた。吹き抜けるそよ風が、彼女の前髪や制服の裾を揺らす。

「あ……」

 屋上には先客がいた。彼女は凪を視界に捉えると、腕を元気よく振ってくる。

「未世、待った?」

「同じクラスなんだから、わかっているでしょう?」

 彼女は扉を締め、未世に向かって歩を進める。2人は屋上のフェンスの前に立ち、眼下の景色を一瞥する。

「今日の部活はいいの?」

「先輩には先生に呼ばれているって、言ってあります」

「バレたら怖いんじゃないの?」

 体育会系の部活は、他校と同じで先輩たちは結構理不尽にあたる。もし嘘がバレようものならどうなるか、部活に属していない凪は想像もしたくない。

「大丈夫です。和花先生の名前を使いましたから」

 未世の言葉に、彼女は引きつった笑みを浮かべる。他校や先輩たちから、鬼と言われている教官。その鬼教官の名前を出されては、流石に強気の先輩たちも黙るしかない。

「それで、聞き取りは終わったんですか?」

 未世の問いに、凪は空を見上げる。

「終わった。長かったけど」

 あのK9の亜種のような、未知のイクシスを倒したために当時の状況を知りたいと、入院中から関係職員による聞き取りという名の取り調べが行われた。

「でも、怪我で訓練もできないんですから、丁度よかったじゃありませんか?休暇と思えば」

「……朝から晩まで質問攻めじゃあ、休まるものも休まらないよ」

 大きなため息を吐き出す凪に、未世はその状況を想像し苦笑を浮かべる。

「……学校からの処分はどうだったの?」

 2人しかいないと思っていた屋上に彼ら以外の声が聞こえ、2人は慌てて振り向いた。

「凛ちゃん、いつの間に?」

「……凪の後ろをつけていた」

 凛の気配を全く感じ取れなかったことに、凪は額に冷や汗をにじませる。

「……それで、どうだった?」

 彼女は大きく息を吐き出し、2人に言った。

「担任からは厳重注意だけだったけど、豊崎教官からはものすごく怒られた。ちょっと制裁もあったし」

 

 今回の一件で、彼女は個人的な行動でイクシスと戦った。それ自体は、帰宅途中に遭遇したための緊急対応、と少し苦しいが言えなくもない。だが問題は、イクシスが周囲にいることを事前に知りながら報告せず、求める教官にも事情を説明しなかった。

 このことが原因で、彼女は後日担任と豊崎教官に呼び出された。担任からは厳重注意されただけだったが、豊崎教官はそれだけでは済まなかった。

 

 教官からの命令の拒否、報告義務を怠った等の理由で、彼女は生徒指導室の硬く冷たい床で正座の上、鬼もとい、閻魔大王と化した豊崎教官によって数時間にわたって烈火のごとく怒られることになった。加えて、指定防衛校では珍しく、制裁もくだされることになった。

 

「……制裁って何されたの?」

「……できれば、聞かないで」

 その当時のことを思い出してか、彼女は体を震わせる。

「……指導室の前を通りかかった人が、みんな震えながら走っていった」

「そういえば、中から何かを叩くような音と、泣き叫ぶ声が聞こえたって」

 生徒指導室自体は、どこの学校にも存在する。だが、余程のことがないと呼び出されることはないし、制裁がくだされることもない。

 体罰禁止が叫ばれて久しいが、危険なものを扱う、命を奪えるものを扱う指定防衛校は、時として教官たちが手を出すことがある。何か事故でも起これば、笑い話では済まないためだ。

「……ちょっと、殴られただけだから」

 だが、保健室にいる甘いもの好きの優しい和花先生しか知らない未世は、どうも力を振るう豊崎教官の姿が想像できなかった。

 それに、怪我人の凪に、あまり荒っぽいことはできないだろう。

「……顔でも殴られたの?」

「でも、それならわかりますよね?」

 制裁といえば鉄拳制裁が連想されるが、年頃の彼女たちの顔を殴ると周囲にもそれがわかるため、通常は放課後に清掃作業や教官たちの手伝い等に従事することが多い。

 ここは新兵訓練場(ブートキャンプ)ではない。あくまで、指定防衛校なのだから。

「まあ、ちょっと痛い思いしたってだけで、いっ!」

 突如、凪は悲鳴をあげ、顔をしかめた。いつの間にか彼女の後ろには凛が回り込んでいて、丁度凪のスカートの後ろ、お尻のあたりに手を当てていた。

「い、いきなり何するの!」

 慌てて凛の手から離れた彼女は、非難がましい目をむける。そんな彼女の様子を見て凛は数回瞬きをした後、

「……そういうこと」

 と、自分だけ何かを見つけたような、得意げな笑みを浮かべて1人納得する。

 一方未世は首をかしげ、頭に疑問符を浮かべる。

「……でも、その程度で済んでよかったんじゃないの?」

「まあ……、それは、そうだけど」

 新兵訓練場とは違い、指定防衛校といっても、銃を扱える兵士の卵を育てていることには違いなく、教官たちは上官にあたる。

 彼らに歯向かって、謹慎や停学などにもならず、処分が説教と少しの体罰で済んだのなら、まだ軽い方と言えるかもしれない。

 制裁を受けた時のことを思い出して青ざめる凪の背中に、未世は飛びついた。彼女と親しかったときと、同じように。

「もう、そんな顔似合いませんよ、凪ちゃん」

 制服越しでも背中に感じるぬくもりに頬を赤らめ、凪は俯く。

「……朝戸さん、今は手加減して。怪我しているから」

「そうですね。それにこれからは、いつでもできるんですからね」

 また凪が一緒に夢を目指す間柄に戻るとわかった未世は、今度は逃がすものかと距離を縮めるべくスキンシップが激しくなってきている。

「……力は加減して、時と場所はわきまえてね」

 でなければ、彼女のそばにいる番犬に、いつ噛み付かれるかわかったものではない。今この瞬間にも両手を握り締め、瞳の奥で灼熱の炎を燃えたぎらせているのが、見なくても感じ取れた。

「と、いうわけで」

 未世は、凪の耳元に顔を近づけ、ささやくように言った。

「また、よろしくね、凪ちゃん」

 彼女は、自分のお腹あたりにまわされている未世の手に、自分の手を重ねる。

「よろしく、未世さん」

 

 責務や役割で、銃を手に取るんじゃない。自分が守りたいもののために、夢のために、これから先、彼女は引き金を引く。

 

 2人は手を取り、もう一度夢に向かって、一緒に歩き始めたのだった。

 

 

 

 

 

 

「……はあ」

 スーツの上に白衣を着た女性、豊崎教官は自分の城たる保健室で肘をつきながら青空を見上げ、1人ため息をはく。

「やりすぎたかしら……」

 彼女の頭を悩ませているのは、件の生徒のこと。

「……風原さん、大丈夫だったかしら」

 彼女は出向している現役自衛官とはいえ、学内では教官の1人として生徒たちの指導に当たる他、任務の引率も行う。

 先日、凪が1人未知のイクシスに立ち向かったことも、彼女が無線で報告を求める自分の声を拒絶したことも覚えている。

 自分の本業は忘れていなくても、この環境にいるとどちらが本業か次第に彼女はわからなくなっていった。

 出向とはいえ、彼らは自分が指導し、鍛えた生徒であるという気持ちは、彼女の中にある。凪も、その1人に違いない。

 そんな彼女が病院で左肩から肘までを包帯でぐるぐる巻きにされ、そばに血にまみれた制服が置かれていたのを見て、豊崎教官は足がすくんだ。

 自衛官でも、国家間の戦争がなくなった今、人が流血する光景を見る機会は少ない。だから彼女は、凪の様子に耐えられなかった、それが自分の担当する生徒なら、なおのこと。

 その後、豊崎教官は彼女が以後こんなことをしないようみっちり説教して、気が進まなかったが体に教え込む方法をとった。

「はあ、先生って難しいわね……」

 教官は未だに、彼女を叩いたときの感触が、右手に残っているように感じられるようだ。加えて、彼女が泣き叫ぶ声や、逃れようと暴れる様子が耳の奥や瞼の裏に焼きついている。

 だが、彼女がしたことは立派な処分の対象になるし、これを許せば同じことを繰り返すかもしれない。そうなれば、彼女は最悪命を落とす。だから、簡単に許すわけにはいかなかった。

 例え生徒に憎まれても、彼らが死なずにすむよう指導することが、自分の役割だとわかっている。でも、実際にその状況に遭遇すると、そうはうまく心の中で処理できなかった。彼らは、まだ本職の軍人ではなく、あくまで学生に過ぎない。

「にしても、イクシスも妙なものね」

 豊崎教官は、凪を後日呼び出し、職員とは別に聞き取りを行っていた。説教と制裁の件で彼女は相当怯えていたが、違うという旨を必死に伝え、なんとか落ち着いて話を聞くことができた。

「味方に歯向かってまで彼女をかばったK9、ねえ」

 彼女が豊崎教官のみに話したその内容は、にわかには信じがたいものだった。

 イクシスは敵、殺してしかるべき。そういう常識は、戦端が開かれてから20年近くが経過する現在も変わらない。

 イクシスは人類を倒そうと、獣のような動きしかできなかった中から、知能を備えたヒューマノイド型や、火器を備えた武装型を産み出し、組織だった行動によって防衛戦を崩壊させようとした。

 敵は確実に変化、いや、進化している。もっとも、イクシスを生み出している元は何か、なぜその姿をしているのか。何が目的なのか。人類が持っている情報は、あまりに少ない。

 彼女の今回の証言を聞く限り、イクシスも一枚岩ではない可能性がある。無論、彼女の証言を鵜呑みにはできないが、ただの偶然か、錯覚か、現場を彼女しか知らない以上、安易に結論を出すのは危険と判断した。

「でも、風原さんの言うことが事実なら、あの子たちの夢は十分な選択肢に入るわね」

 そのとき、教官のスマホが着信を知らせる。パネルには非通知と表示されているが、彼女はそれで察した。

「……もしもし」

 豊崎教官は背筋を伸ばし、名前も聞かず電話の向こうの主と話を進める。

「彼女のデータに、今回の証言ですね。今レポートをまとめ終えたところであります。後ほどお送りいたします」

 やり取りを終え、教官は電話を切った。

「なんにしても、朝戸さんだけと思っていたら、意外な収穫があったものね」

 豊崎教官は、書類をはさんだファイルの中から、あるページを開いた。それは、凪の素行や成績などを記載した、彼女の個人データのページだった。中には、先日の違反の件も記載されている。

 いくつもある欄の中で、豊崎教官は一番上の欄を見つめる。

「風原凪、ねえ」

 豊崎教官は、彼女の名前を反芻する。

「祈り、希望、運命。彼女の両親は何をもって、この名前をつけたのかしらね」

 凪の母親は、防衛産業に勤めている。そして父親は、海上自衛官で、護衛艦の艦長をしているという。今は、ユーラシア大陸への海路での人員、物資の輸送に従事している。海を身近にしているから、娘に凪という名をつけたのかもしれない。

 でも、彼女の名前を見て、豊崎教官はそこに込められた意味や願いを想像していた。

 

 

 イクシスという()の吹き荒れる、争いの絶えない世界という海()に、平穏な、()いだ海を、この子がいつか取り戻してくれることを、祈って。

 

 

 両親の願い、祈りが、彼女の名前には込められているのではないか。自分たちの世代にはできなかった、我が子に残せなかったもの。戦闘が身近な荒れる海原ではなく、平穏な海原を、平和な日常を後の世代に残してくれることを、祈ったのではないか。

 彼女は、そんな想像をしていた。

「もし彼女たちの夢が現実のものになれば、本当にその願いは実現されるかも、しれないわね」

 ただし、彼女は危なっかしい。

「しばらく、注意して見る必要があるわね。色んな意味で」

 言いながら、教官は一番下の欄に赤いボールペンで文字を書き加えた。

 

 

「重要観察対象」と。

 

 




 最終話となります。初めて挑んだ原作ネタだったので、おかしな点や違和感が多分にあったと思いますが、ここまで読んでくださった方々、ありがとうございました。楽しんでいただけたなら幸いです。

 このシリーズに出たオリキャラは、元々原作小説を読んでいて、朝戸未世のありえたかもしれない可能性の一つ、を書いてみたいと思ったこと。道中で待ち構える可能性を知ってなお、彼女は真っ直ぐでいられるのか。そんな考えがこの物語を書くきっかけでした。

 こんな終わり方をしておいてなんですが、続けることなんて全く考えてなかったのでこのまま終わりか、また書くかわかりません。回収できなかった疑問もありますし…。

 また投稿する機会がありましたら、よろしくお願い致します。

 近日に、使わなかった話を短編として追加する予定ですが、これで一応は完結となります。ありがとうございました。


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おまけ短編 若さの特権と過ち

思いついたものの入れる間がなかった話でギャグ風味です。
最終話から間もない時期の話です。
少し長いですがお付き合い頂けたら幸いです。


 あかね色の空の下、学校のグラウンドの片隅で、2人の女子生徒が向かい合う。

「ねえ、凪ちゃん」

 満面の笑みを浮かべ、鼻先が触れる寸前まで顔を近づけてくる女子生徒、朝戸未世(あさと みよ)に名前を呼ばれた生徒、風原凪(かざはら なぎ)は両手を前に出して離れるよう促すが、未世に意思が伝わった様子はない。

「私たち、また一緒に、同じ夢に向かって歩いて行くんですよね?」

「あ、うん。勿論、そうだよ」

「ですよね」

 笑みを浮かべることの多い未世だが、今の凪には不気味なものに感じられてならない。その張り付けた笑みの裏に隠された真意が分からず、彼女は困惑する。

「と、いうわけで……」

 彼女は両手を胸の前で握り締め、言い放った。

「私と一緒に、青春の汗を流しましょう!」

 と言い放った未世の言葉に彼女は、

「……は?」

 首をかしげ、頭の上に疑問符を浮かべるのであった。

 

 

 指定防衛校の一つ、古流高校に通う風原凪は、紆余曲折を経て、クラスメイトの朝戸未世と共に、一度は諦めた夢を、イクシスと仲良くできる方法を探すという道を、もう一度歩むことを決めた。

 それからというもの、一度見捨ててしまったせいか、未世は凪との距離を詰めるため、あの手この手を使って迫ってきている。

 帰宅途中の凪を部活中だった彼女は捕まえ、詰め寄って来たのはつい先ほどのこと。

「あの、未世さん」

「はい、なんでしょう」

「……それは、どう言う意味ですか?」

 すると、体操着姿の未世は、制服姿の凪の右手をとり、笑みを浮かべながら言った。

 

「陸上部に入って、一緒に汗を流しましょう!って意味です」

「嫌です」

 

 彼女の誘いを、コンマ数秒の間しか開けずに断った。

「そんな即答しなくても~」

 腕にすがりついてくる未世の姿を見て、胸の奥が若干痛む。だが、これくらいで折れるようでは指定防衛校の生徒はやってられない。

「そもそも、私は陸上に興味ありません」

「凪ちゃんならいい記録残せますよ~、絶対」

「記録にも興味ありません」

「そんな勿体無いですよ~」

 凪の両肩をつかみ、未世は前後に揺さぶる。

「答えは変わりません。いい加減諦めてください」

「断ります!生物は本質的に諦めが悪いって、和花先生が言っていました!」

 とりあえず、前後に揺らす彼女の腕を掴んで止める。

 要するに、未世は凪を陸上部に入れようと、必死になって勧誘しているわけである。

「白根さんを誘ったら?」

「凛ちゃんは授業についていくのが大変だから、高校では部活に入らないって」

「……私はいいの?」

「凪ちゃんは成績いいんですから、少しくらい部活に時間使っても大丈夫ですよ」

「……維持するのはタダじゃないんだけど。それと、部活ならもう入ってますよ」

 彼女の返答が意外だったのか、未世は目を見開く。

「……な、何部ですか?」

 唇を震わせながら、言葉を紡ぐ。そして凪は答えた。

「帰宅部」

「それ入ってないって意味じゃありませんか!」

 勧誘をなんとかあしらおうとする彼女だったが、あいにく未世は簡単にめげる方ではなかった。

 

 

 古流高校は、指定防衛校になってからでも八野辺ほどではないにせよ、普通の高校らしい面を今でも持っている。部活動が盛んなのはその名残である。部活動が盛んということは、無論勧誘活動も盛んということ。

 これまでも、凪は色んな部から勧誘を受けてきた。バレー部、ソフトボール部、テニス部、射撃部等。特に、拳銃とアサルトライフル双方の成績がいいことから、射撃部から執拗な勧誘を受けた。

 学年での成績優秀者や、任務で戦果を上げ名前が知られている生徒を獲得できれば、部の戦力アップのみならず、部員獲得のための客寄せパンダ、もとい広告塔に使える。

 さらに、そんな生徒がいるんだから部費を上げろと学校を脅し、もとい交渉がしやすくなる。

 一般的な学校で部活動の勧誘が盛んなのは、4月から長くて5月までという中、古流高校は期末試験結果が出る夏休み前どころか、夏季共同演習の後まで続く長期戦になる。

 一度どこかに属した生徒を引き抜くことも珍しくなく、生徒の奪い合いが常に水面下で行われているという。

 彼女もその対象になっていた。もっとも、射撃部からの勧誘が執拗だったためにうんざりしているのか、断ります、といつも即答している。

 だが、上には上がいる。未だに執拗な勧誘を続けている部があった。

「ねえ、入りましょうよ~。いっしょに青春しましょうよ~」

 目の前の生徒、未世が所属している陸上部である。

 元々特殊戦科に抜擢されたことがあるだけに、凪は射撃や座学だけでなく、体育の成績も悪くない。一応、そこらの運動部の人間よりは、足の早さ、瞬発力、持久力も上だという。

 もっとも、それは幼い頃出会ったK9、ハルと共に、森や山の中を一緒に駆け回り、会えなくなってからもそれを続けた結果なのだが。

 陸上部は、凪のクラスにも未世を含め属している生徒がいる。陸上部は、クラス内の部員を使って勧誘活動を続けている。

「大体、青春しましょうって、どう言う意味?」

「一緒に頑張ったり、怒られたり、苦労することですよ」

「……買ってまで苦労をしたくないし、怒られたくない」

「じゃあ、一緒に汗を流しましょうよ~」

「制汗剤がもてはやされ、必須になっているこのご時世、なんで進んで汗臭くなる必要があるの?」

 彼女の返答にため息を吐きながら未世は、

「凪ちゃん、どこかズレてませんか?」

 と言う。

「クラスで天然扱いされている未世さんに言われても……」

 

 天然の未世、ズレている凪。

 

 この二人が言い合っても、終着点は定まらない。

「細かいことはいいんですよ!とにかく入ってください!」

 ついには腕にしがみつき、未世は彼女を引きずって行こうとする。負けじと足を踏ん張る。

「諦めが悪いですよ、凪ちゃん」

「そういう未世さんだって」

「諦めません。凪ちゃんを引き入れないと、部長にシゴかれるんですから」

「それが本音ですか!」

「あ、何のことでしょう。私、何も言ってませんよ」

「今更とぼけても無駄ですよ!」

 引きずっていこうとする未世、踏ん張る凪。一進一退の攻防がしばし続き、2人は密着した状態が続く。

「あ~、やってるやってる」

 聞きなれた声に、2人は首だけを向ける。そこには、鬱陶しくないよう短く切られたショートヘアの髪を揺らしながら、こちらに向かって駆けてくる体操着姿の生徒が1人。

「あ、莉彩ちゃん」

 飯田莉彩(いいだ りさ)。2人のクラスメイトで、未世と同じく陸上部に属している生徒である。

「朝戸さん、風原さんの勧誘はどう?」

「激しい抵抗にあってまして……」

 莉彩は、未世とつかみ合っている凪とを交互に見る。

「そんじゃあさ、私も手伝うからこのまま部長のとこまでササッと引きずって行こうか?」

「はい、そうしましょう!」

「ちょっと!それじゃ強制じゃないですか!」

「だって、風原さん説得するの面倒だし。このまま部長のとこまでびゅ~って連れて行って、ささっと事を済ませるのが手間かからないし」

 何を言っているのか少しわからないも、意味するところはわかる。莉彩は細かいことが苦手で、手間がかかるならまとめて吹き飛ばしてしまえ、と豪語する。

 それは、彼女の物言いや、愛用している武器が滑腔式無反動砲の84mm対戦車ロケットランチャー、AT4であることにも表れている。

 いずれにしても、未世1人ならまだしも、2人相手では本当に引きずられていく未来しかない。凪は急いで、未世の両手を引き剥がした。

「あ!」

「悪いけど、答えは同じ。じゃあね」

 彼女はそのまま走って逃げ去ろうとする。

「いいんですか?そんなことして」

 でも、未世は口元を邪悪に歪め、不敵な笑みを浮かべている。気になった凪は足を止め、彼女の方向に回れ右する。

「何がおかしいの?」

 凛が以前言っていた言葉を、彼女は思い出す。未世がこの笑みを浮かべているときは、大抵ロクなことを考えていない、と。

「これ、なんですか?」

 すると、未世はジャージのポケットからスマホを取り出し、画面を凪に向ける。

 目を凝らして見ると、次第に彼女の顔が青ざめていく。

「そ、それ、は……」

 未世の横に立っている莉彩が画面を覗きこみ、目を見開く。

「へ~。凄いスクープだね」

 未世のスマホの画面に映し出されたもの。それは、先日の屋上での一件、凪が凛に壁際に追い詰められている瞬間を収めたものだった。

 しかも、画面の下部には、送信しますか、の表示が現れ、「はい」か「いいえ」、の選択肢が表示されている。

「み、未世さん!ま、まさか……」

「そのまさか、ですよ」

 彼女は未世の意図を瞬時に察した。

「凪ちゃん、私の言いたいこと、わかってくれますよね?」

 仄くらい笑みを浮かべながら、未世は問いかける。

「そ、そこまですることですか?」

「はい」

 まずい、非常にまずい。このままでは、あの決定的瞬間を捉えた写真がばらまかれてしまう。

 未世はクラス内で天然扱いされていても、人付き合いが苦手ではないため友人は多い。

 彼女が送信する対象が何人に及ぶかは不明だが、あの写真をばらまかれてはいけないことだけは確かだ。

 彼女のスマホのメモリーから写真を削除しておかなかったことが、こんな事態を引き起こそうなど、想像できなかった。

 今更嘆いても、もう遅い。

 そこまでして凪を引き入れたいのか、部長にシゴかれるのが怖いのかはわからないが。

「あ、あの、未世さん。も、もう少し穏便に、ね?」

 すると凪は、スイッチを押す寸前の爆弾魔をなだめるように、態度を低姿勢に変える。

「なら、穏便に勝負で決めましょうか?」

 背後から聞こえた声に、彼女は振り返る。

「「あ、部長」」

 そこには、彼らの上級生、陸上部の部長が腕組みをしながら凪を見下ろしていた。

「穏便に勝負で決めましょう。あなたが勝ったらもう勧誘はしない。負けたら入部。簡単でいいでしょう?」

「いいんじゃないですか?」

「部長の言うとおりです」

 部長には逆らえないのか、未世と莉彩は即座に肯定する。

「ルールはどうする?」

「莉彩ちゃんに凪ちゃんのスマホを持ってもらって、20分間逃げ切ったら凪ちゃんの負け。奪い返したら勝ち、でいいんじゃありませんか?」

「簡単でわかりやすいわ。そうしましょう」

 トントン拍子に話が進む。凪を置き去りにして。

「凪ちゃん、いいですか?」

「え、ええ……」

「では範囲はどうしましょうか?」

 集まって細かな内容を話し合う未世たちを横目に、彼女は後退る。

 彼らは話に夢中になっている。

 

―――今の内に逃げれば……。

 

「それじゃあ莉彩ちゃん、これ持ってくださいね」

 話し合いが終わったのか、未世は莉彩に見覚えのあるスマホを手渡した。

「え……」

 そのスマホを見て、凪は固まった。それは、彼女のものと同じ機種、同じ色をしていたのだ。

 慌ててスカートのポケットに手を突っ込むも、そこにはいつもあるはずのスマホがない。彼女はハっとして、未世を見る。

「今頃気づいたんですか?」

「い、いつの間に……」

「凪ちゃんって結構隙があるんですね。密着している隙にこう、ささっと」

「あんた何してくれてんの!?」

「女の子は、隙を見せたらダメなんですよ」

「常在戦場ってやつ?」

「里島高の海兵じゃあるまいに!」

「とにかく、これで準備はできたわ。エリアは学内どこでも。とにかく、飯田は20分間逃げ切ればいいわ。出発しなさい」

「はい、部長!」

 タイマーを陸上部部長が押すのと同時に、莉彩はクラウチングスタートの姿勢で地面を蹴って走り出した。

「ちょ、ちょっと!」

「さあ、もう勝負は始まっているわ。イクシスが、私たちを待ってくれないのと同じようにね」

「うまいこと言ったつもりですか!ええい、もう!待てー!」

 凪は未世に自分の通学カバンを押し付けて駆け出し、遠ざかっていく莉彩の背中を追いかける。入部を賭けた勝負が、幕を上げた。

「ところで、朝戸」

 小さくなっていく2人の背中を見送りながら、部長は言う。

「なんでしょう?」

「あの風原っていう子、大丈夫かしら?」

「……何がですか?」

 部長の質問の意図が分からず、未世は首をかしげる。

「……今更だけどあの子、制服のまま追いかけていったわよ」

「……ああ」

 帰宅直前だった彼女は、無論制服を着ている。まだ注文したM4が届いていないのか、装備や武器は腰周りだけといつもに比べて少ないが、問題はそこではない。

「まあ、多分大丈夫ですよ。慣れていると思いますから」

「そう」

 部長の言わんとしていることがようやくわかり、未世は苦笑を浮かべるしかなかった。

 

 

 

「ふんふ~ん」

 高校の敷地内を、莉彩は駆けていく。陸上部や授業で鍛えられているだけあって、その脚力はなかなからしい。周囲の景色が彼女の視界の中を流れていく。

「勝負は面倒だけど、まあ体を動かせるからいいか」

「待ちなさい!」

 後ろから響く大きな声に、莉彩は振り返る。最初からある程度距離を開けてスタートしたのに、対戦相手の凪はもう距離を詰めてきた。

「え、もう追いついてきたの!?」

「こんな面倒な勝負、さっさと終わらせてやる!」

 彼女の声が、次第に迫り大きさを増してくる。莉彩も負けじと足を早める。だが、両者の距離はひらくどころか狭まる一方であった。

「引き離せない!私が遅いっていうの!私に何が足りないの!」

「足りないものは色々あるかもしれないけど、とりあえず、早さが足りないことは確かみたいね」

 莉彩は部活中であったため、運動に適した体操着を着ている。加えて、短距離走が得意であるため、足は無論早い。

 一方、凪は制服のままで、腰周りには1kg近い全金属製の拳銃M9に4本の予備弾倉、無線、ナイフなど、合計数kgにもなる荷物をぶら下げている。それでなお追いつけるのだから、それがなければもう勝負はついていたかもしれない。

「でも負けるわけにはいかない!負けたら、部長からの地獄のシゴキが待っているんだから!」

「だったらさっさと捕まってシゴかれなさい!その方が、きっと身体能力は上がるわよ!」

「嫌、絶対お断り!」

 悲鳴をあげながら、莉彩は足を前後に動かす。その彼女を、凪も必死の形相で追いかけていく。

 

 2人は部活動に勤しむ生徒たちの間を駆け抜け、学校のグラウンドを数周回る。周回数が重なるにつれ、莉彩は危機感をつのらせていた。

「ぜえ、ぜえ……」

 呼吸が荒くなり、両足が重さを増す。

 彼女は短距離走は得意だが、持久力は上級生に及ばない。要するにバテてきたのだ。

「で、でも、風原さんも、きっと」

「私が、何?」

 疲れを感じさせない涼しい彼女の声が耳に響く。

「もうギブアップ?なら早くスマホを返しなさい!そして部長からシゴかれなさい!」

 呼吸が乱れた様子もなく、彼女は迫ってきていた。

「ま、まずい!」

 莉彩は急いで手近な角を曲がり、グラウンドから離れた。

「あ!こら!」

「学内のどこを走ってもいいルールのはず!なら、校舎まわりも違反じゃない!」

 

 

 2人はグラウンドから校舎裏、施設周りなどを駆け巡り、ある場所へむかっていく。そして、鉄筋コンクリートの校舎が多い敷地内では珍しく、鉄筋むき出しで、部分的に木で作られている建物に莉彩は向かっていく。

「あそこに、いけば……」

 次第に息も絶え絶えになってきた。彼女が目指している先は、特殊戦科が主に使う室内戦闘訓練施設。狭い室内での戦闘を想定して作られた施設で、建物の中はいくつもの小部屋に分かれている。

 狭い室内に逃げ込めば、凪の追跡スピードも落ちるはず。

「それに、都合のいいものが」

 施設は拡張工事中なのか、鉄骨やH鋼の骨組みがむき出しの部分がある。そこを目指して疾走する。

 間近に迫ると、彼女は建設途中の施設にかけられたハシゴを駆け上がり、登りきったところで蹴って外す。

 4階の建物の高さに届くハシゴの重量は相当なもので、凪一人では戻せないだろうとふんだのだ。

「はあ、これで安心。休もう」

 荒い呼吸をしながら、彼女は最上階から施設に駆けてくる凪を見下ろす。1階から順に上がってくるなら、しばし時間があるはず、だった……。

「……あれ?」

 莉彩は、目の前の光景に目を丸くする。施設に迫る凪の速度が、全く衰えない。出入り口を探して足を止めるかとおもったが、そんな様子は微塵もない。彼女は、真っ直ぐ施設に向かって駆け、正面にある柱に取り付くと、登り始めた。

「な!?」

 凪は、建設途中の施設の骨組みに使われているH鋼を両手でしっかりつかみ、足を突っ張って登ってくる。

「そ、そんなのってあり!?」

 命綱もないのに、傍目に危なそうだがそんなことはお構いなし。確実に、莉彩に迫りつつあった。

 なお、決して真似はしないように。

 彼女は急いでその場から駆け出した。だが、彼女がいるのは建設途中の施設の最上階。下りの階段はあるが、速度が落ちるので追いつかれる可能性が高い。

「どこか逃げ道は……、あ!」

 莉彩は視界の中に、隣りの建物にむかってかけられた橋を見つける。隣りの建物に入って扉を締めれば、凪は追って来られず、一時的とはいえ距離と時間を稼げる。そう考え、すぐに駆け出した。

 置かれた角材や作業台を飛び越え、道具を時折踏みつけながら進み、彼女は橋へ向かう。そして、短距離走で鍛えられた脚力を遺憾なく発揮し、一気に駆け抜け、向かいの建物の最上階につながる扉に手をかけた。

「あれ……」

 だが、いくら動かしても扉があかない。扉には、関係者以外立ち入り禁止の文字の書かれたプレートが貼られ、大きめの南京錠で施錠されていた。

 今の莉彩には、どんな戦車の装甲よりも、分厚い扉に感じられたことだろう。

「……やっと、追いついた」

 彼女は、さびた砲塔のように、ゆっくりと後ろを振り返った。

「手間かけさせてくれたわね」

 そこには、逃げ道を塞ぐように橋の出入り口に仁王立ちする凪の姿があった。

「さあ、もう逃げ場はないわ。観念してスマホを返して」

 笑みを浮かべてはいるものの、目は笑ってない。一歩、また一歩と歩み寄ってくる中、莉彩はどうやってこの事態を切り抜けるべきか、必死に頭を回転させる。

 

 橋から飛びおりる?     4階の高さから飛ぶのは危険。

 タックルで強引に突っ切る? 突破できる保証がない。

 飛び越える?        彼女の身長を飛び越すのは難しい。

 格闘戦?          相手の方が強い。

 AT4でまとめて吹き飛ばす?  論外。

 

 打開できる方法が見つからず悩む彼女に、凪は迫る。

「ここまでね」

 彼女は両手を構え、莉彩を捕まえるべく身を少しかがめる。

―――飛びかかられる。負けたら、部長からのシゴキが……。

 この後自身に降りかかるであろう結末を想像し、体を震わせる。相手がまだ隙を見せるような生徒だったらそこを突くという手もあるが、彼女には凪の隙が見つけられなかった。

 

「凪ちゃんって結構隙があるんですね。密着している隙にこう、ささっと」

 

 先程、未世が言った言葉が脳裏をよぎる。凪にも隙がある。実際未世は隙をついてスマホをすったのだから。

―――そこに賭けるしかない。

「わかった」

 莉彩は、ジャージのポケットから凪のスマホを取り出した。

「私の負け、返す」

 左手でスマホを持って差し出す。それに勝負の終わりを確信した凪は、スマホを受け取ろうと歩み寄り、右手を伸ばす。

 その瞬間だけ、彼女は足を止めた。

―――今だ!

 莉彩は、右腕を下から勢いよく振り上げた。

「へ?」

 一瞬何が起こったのか理解できず、凪は頭に疑問符を浮かべる。彼女にわかったことは、下腹部がなぜか涼しくなったということ。

 莉彩が右手を振り上げ、凪の制服のスカートを捲り上げたからだ。

「き、きゃああああああああああああああああああああ!」

 されたことがようやく理解できた凪は悲鳴をあげ、スカートの前後を押さえながらその場に座り込んだ。

 座り込んだことで全高が低くなった彼女の上を莉彩は飛び越え、再び走り出した。

「な、なにするの!」

「そんな隙だらけの格好で追いかけてくるのが悪い」

 そう言いながら、莉彩は走り去っていった。その背中を見送りながら、凪はM9に伸ばしそうになった右手を必死に押さえる。ここが指定防衛校でなければ、即座に足を撃って彼女を止めていたかもしれない。

 彼女は、体の奥底から何かがこみ上げてくるのを感じていた。

「……そう。そういうこと言うんだ」

 底冷えするような冷たい声で、渇いた笑いを漏らしながら、彼女は言った。

「……絶対逃がさない」

 ゆっくりと立ち上がった彼女は、かっと目を見開き、獲物を捕まえるべく再び走り始めた。

 

 

「……また水色だった」

「あ、凛ちゃん」

 彼女たちの後を追って勝負の様子を眺めていた未世が振り返った先には、幼馴染兼相棒の白根凛(しらね りん)が立っていた。

「……何か催し物でもやっているの?」

「ううん。凛ちゃんこそ、こんなところで何?」

「……あそこは特殊戦科の施設。授業を終えて帰ろうと思ったら、誰か走っていったのが見えたから。で、何しているの?」

「陸上部入部をかけて、凪ちゃんが莉彩ちゃんを追いかけているの」

「……まだ諦めてなかったの?」

「はい。部長がなんとしても引き入れろって」

「……そう。で、状況は?」

「凪ちゃんが莉彩ちゃんを追い詰めたけど、逃げられちゃった」

「……制服の隙をつかれて?」

 先程の一件を見ていたのか、未世は苦笑を浮かべる。

「まあ、咄嗟の行動にしては、飯田の判断は悪くないんじゃないかしら。すぐ終わってもつまらないし」

「そうですね」

 部長の言葉に未世は頷く。もし、凪が体操着でこの勝負にのぞんでいたなら、先ほどもう終わったことだろう。

 制服でのぞんでいたからこそ、先程の手が使えた。女子である以上、凪も羞恥には勝てない、ということだ。

「……そんなの気にせず、さっさと標的を捕まえればいいのに」

「いや~、凛ちゃんは気にしないかもしれないけど、凪ちゃんは、普通は気にすると思うよ?」

「……平気。減るものじゃないし」

「いやいや、凛ちゃんは並のおしゃれに関する興味と恥じらいを持つべきだと思うよ!」

「……イクシスを前にすれば捨てるんだから、問題ない」

 凛は意に介さないようだった。これが特殊戦科の影響だろうか、などと未世は思う。確かに少々、特殊、かもしれない、と。

 凛は昔からおしゃれに対する興味が薄く、恥じらいもあまり見せないということを未世は知っている。

 付き合いの長い彼女も、この日頃飄々としている相棒が恥じらう様子というものは、想像しにくいようだ。

「……まずいわね」

 部長の言葉に、2人は彼女の視線の先を見る。その先には、怒りをにじませた表情で莉彩を追いかける凪の姿があった。

「このままだと、捕まってしまうわね」

「うう……。勧誘失敗でしょうか」

「いえ、このまま終了では面白くないわね」

 部長は時計を見る。制限時間は、のこり10分を切っていた。すると部長は手近にいる部員に耳打ちする。

 

 

 

 今の状況に、莉彩は控えめにいって、恐怖していた。

「はあ、はあ……」

 背後を僅かに振り返れば、

「ひ、ひい!」

 殺意を全身から解き放つクラスメイトに、彼女は走りながらも悲鳴をもらす。

 さっきの一件で、凪は堪忍袋の緒が切れたようで、殺意を放ちつつ追いかけてきている。

 その様子が物語っている。

 このままでは済ませない、と。

―――捕まったらまずい。絶対まずい!何されるかわかったもんじゃない!

 恐怖に怯え、体力の限界に近づきつつある中でも、彼女は必死に手足を動かす。

 彼女を引き離そうと、グラウンドや校内を規定のルートもない道を行き、時に人ごみを突っ切り、時に窓から飛び降りる。

 そして校舎の角を曲がり、陸上部の練習場に戻ってきた。

「飯田、使いなさい」

 聞きなれた部長の声とともに、何かが莉彩にむかって放り投げられた。その物体の姿をみて、彼女は無我夢中でそれを掴んだ。

 部長が投げたもの。それは莉彩の相棒、84mm対戦車ロケットランチャー、AT4だった。受け取ると、彼女はすぐに射撃準備に入った。

「ちょ!部長!あれって!」

「安心しなさい。無論本物じゃないわ」

「当然ですよ!本物が当たったら凪ちゃんが吹き飛ばされますよ!」

「そうよ。だからあれは、曳光弾を放つ演習用のAT4」

「曳光弾でもあたったら痛いじゃないですか!」

「こんな弾もよけられないなら、陸上部にはいらいない。関門の一つよ」

 未世と部長の言い合いを横目に、莉彩は発射準備を進める。スリングを展開し、肩に担ぐ。右手でコッキングハンドルを発射位置まで移動させ、照準をあわせる。

 発射姿勢をとり、癖で後方の安全確認を行い、発射ボタンに右手親指をかけ、凪が現れる瞬間を刻一刻と待つ。

 校舎の影から足音が聞こえてきて、次第に大きくなってくる。そして、目的の人物が現れた。

 凪が現れた瞬間、莉彩はAT4の発射ボタンをおした。実弾ではなく、演習用の曳光弾が彼女に向かって放たれた。

「ひゃあ!」

 飛んできた曳光弾を、彼女は咄嗟に右へ飛んで回避し、地面に転がりながら着地した。彼女の背後からガラスが割る音がした気がするが、幻聴だろうと彼らは流す。

「ちょっと!危ないじゃないの!」

「ちっ、外した!」

 莉彩はAT4を投げ捨て、再び走り出す。

「ちっ、じゃない!」

 すぐさま立ち上がり、凪は莉彩を追う。と思いきや、彼女が捨てた演習用のAT4を掴むと、

「逃がすかー!」

と叫びつつ演習用のAT4を槍投げの要領で放り投げた。ある程度山なりの軌道を描いたAT4は、発射口を前にして莉彩の背中に直撃した。

 思わぬ衝撃に彼女は「ぐえっ」と悲鳴をあげて、その場に転倒する。

 その隙に地面を蹴って加速した凪は莉彩が起き上がる前に飛びかかった。獲物に食らいついた猟犬は、背中に馬乗りになって動きを封じ、体操着のポケットを漁る。

 莉彩は凪の腕を掴んで最後の抵抗を試みるも、抵抗虚しく彼女は自身のスマホを取り返した。

「よし!残り時間1分。ギリギリ間に合った~」

 時計を見て制限時間に間に合ったことを知った凪は、莉彩からどき、ようやく勧誘からおさらばできることに小躍りしている。

 

 

 莉彩は体を起こすと、痛む背中を右手でさする。その彼女に、凪は右手を差し出した。

「思い切りぶつけちゃったけど、やっぱり痛む?」

「……いんや。もう平気」

 背中をさすりながら、彼女は凪の手をとって立ち上がる。

「思い切ったことするね」

「人のスカートめくった罰」

「気にしなくていいじゃん、同性同士なんだし」

「衆人観衆の中見られるのは嫌なの」

 莉彩は立ち上がると、体操服についた砂を払い落とす。

「あんなに足早くて、体力もあって、AT4を投げて当てられるんなら、本当に陸上部に入ればいいのに」

「あまり部活に拘束されたくない」

 凪の意見は変わらなかった。

「確かに拘束されることは多いけど、そこでしか体験できないこともあるよ」

「例えば?」

「この追いかけっこ、面倒っていっていたけど、退屈だった?私とあちこち追いかけっこして」

 面倒だった、と凪は口にしようとしたが、なぜか口から言葉が即座にでなかった。訓練のように明確に順位をつけられるわけでもないのに、いつの間にか本気になって彼女を追いかけていた。

「年の近い学友と一緒に汗をかきながら、成果を求められず、何かに打ち込める。それは、今しかできないと思うけど?」

「それが青春?」

「だと思う。それに、いつも訓練ばっかじゃ、味気ないじゃん?」

 入学から訓練に打ち込み、任務に出続けてきた凪はわからなかったが、学友とこうやって一緒に苦労して汗をかくのも、あながち悪いものでもないのではないか。そんな考えが芽生えていた。

「私は面白かった。びゅ~って校舎の周りや中駆けて、跳んだり、色々して」

「そう……」

 凪は静かに返す。

「今しかできない学校生活にさ、色を添えるのもいいんじゃない?」

 青春という色を。と彼女は続けた。

「そうですよ。訓練だけじゃ味気ないですから、青春って色を添えましょうよ」

 いつの間にか近くに来ていた未世が力説する。

 だが直後、未世と莉彩の表情が、なぜか次第にこわばっていく。

 ふと、凪の本能が何かを感知し、瞬時に脳内に警報を鳴らした。ここから離れなければならない。そう感じさせるものが近くにいる。彼女の脳内警報がそう告げる。

 だが、どこかへ移動する前に、右肩を強く捕まれたたらをふんだ。

 

「いいわね~、青春って」

 

 その声で悟った。既に、手遅れであることを。

 

「若いっていいわね~、怖いもの知らずで、勢いがあって」

 

「そ、そうです、か」

 震える口で、彼女はそう返す。

 

「で、も、ね。こんな言葉を知っているかしら」

 

 いつもの声色のはずなのに、今の凪には彼女の声が冷気のようにまとわりつき、体を震わせる。後ろが振り返れなかった。さきほど走り回って散々汗をかいたのに、冷や汗が滝のように溢れ出し、体を急速に冷やしていく。

 気がつけば、周囲の生徒たちも、彼女の背後にいる人物に視線を向けていた。

 

「若気の至り、とか。若さゆえの過ち、って言葉を、知っているかしら?」

 

 豊崎和花(とよさき のどか)教官。他校の生徒も震え上がる、鬼教官の登場に。

「入部をかけて勝負をするのはいいけど、やりすぎって思わなかったのかしら?風原さん」

「だって、勝負しないと、勧誘がくどくて……」

「だからって、建設途中の特殊戦科の建物に命綱なしで登るわ、校舎内を駆け回るわ、あなたまでペースに乗せられてどうするのかしら?」

「なんでそのことを?」

 すると、豊崎教官は白衣からスマホを取り出した。

「今のご時世、携帯にカメラがついているから、いつでも撮影できるし、女の子って噂好きだもの。聞かなくても、誰かが教えてくれるのよ」

 豊崎教官のスマホの画面には、先程の追いかけっこの模様を撮影したのであろう動画が再生されていた。

「しかも、訓練用とはいえ、AT4を持ち出したのは誰かしらね~?」

 小銃は個人で管理されるが、訓練機材の管理は無論学校が行う。AT4は訓練用、実弾入りともに学校管理のものになっている。

 それを勝手に持ち出せばどうなるか、推して知るべしである。

「おまけに、私の仕事部屋の保健室に撃ち込んでくれちゃって…。おかげで、折角淹れた緑茶にどら焼きがガラスまみれになってしまったわ」

 豊崎教官の視線が莉彩にむけられ、彼女は背筋を震わせる。そんな彼女をよそに、教官は首からグラスコードでぶら下げていたシューティンググラスをかけた。

「飯田さん」

「は、はい!」

 莉彩は教官の声に反応し、背筋を伸ばして立ち上がった。

「正直にいえば、まだ軽くしてあげます。保健室にAT4を撃ち込んだのは、あなた?」

「は、はい。結果として、ですけど」

「結果として?」

「本当は風原さんを狙ったんですけど、彼女が避けてしまったので。それで保健室に」

「風原さん」

 凪は首をすくませる。シューティンググラスをかけている教官は、今、間違いなく鬼だ。

「あなたが避けたのは、後ろが保健室だと知っていたから?」

「そ、そんなわけないですよ、和花先生」

「そう」

 凪は恐怖のあまり、後ろが向けない。

「それから、そのAT4を持ち出したのは飯田さん?」

「いいえ、部長が渡してくれました」

「飯田!」

「……そう」

 豊崎教官はどこから取り出したのか64式小銃に弾倉を装填し、銃剣を取り付けた。そして、微笑みながら周囲を見渡した後、目をカッと見開いた。

「学校の機材を勝手に持ち出したり、立ち入り禁止エリアに出入りした等の罪で、陸上部員ならびに、止めなかった周囲の部も、全員罰を与えます!まずはグラウンド30周!」

「「「ヒドイですよ!」」」

「あら、80周がいいかしら?」

「「「今すぐ走ります!」」」

 日頃の訓練の成果か、一糸乱れぬ統率で、陸上部と周囲の部の生徒たち全員がグラウンドを走り始めた。

「風原さん、あなたも行きなさい」

「え!私巻き込まれただけですよ!」

「まだ先日の一件の怪我が治りきってないのに、ペースに乗せられ、運動禁止をいいわたされていたのを破った罰よ」

「今から走るのも、運動禁止に触れるんじゃ……」

「あら~」

 豊崎教官は、鼻先が触れるほど顔を近づける。怖いくらい、満面の笑みを浮かべて。

「そう。なら、先日受けた制裁の方がいいかしら?」

 豊崎教官が右手を顔の横まで上げると、凪の顔が青ざめる。

「走るか、きつくなった制裁か、選びなさい。私としては、あなたの可愛い泣き声を聞くのはやぶさかじゃないけど?」

「走ってきます!」

 遠慮することないのよ、という豊崎教官の声を聞き流し、凪もあとを追って走り始めた。

 指定防衛校は体育の授業が多く、訓練施設が敷地内にいくつもある。故に、グラウンドは広く、30周するまでにばてる生徒が出たものの、銃剣付きの64式を構えた豊崎教官に笑顔で脅され、全員がなんとか走りきった。が、それだけで終わらず、腹筋、腕立て伏せ等メニューがいくつも用意されることになった。

 

 

 翌日、罰則を受けた生徒たちは、全員筋肉痛で呻き、豊崎教官は改めて鬼であることを身をもって知ることになった。

 なお、この追いかけっこの様子や投稿動画を見た幾つかの部が凪への勧誘を始めたために、彼女はまた執拗な勧誘に頭を悩ませることになったのだった。

 

 

 




ここまで読んでくださってありがとうございました。

また投稿する機会がありましたらよろしくお願い致します。


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