【完結】魔神柱だった (劇鼠らてこ)
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ウィルバーは生まれない

そんなに長くなるつもりはない。


 目が覚めたら、とか。気が付いたら、とか。

 そう言う事じゃなくて。

 

 自分が、魔神柱であると……自覚した。

 

 しかし、さて。

 困った事がある。

 

 何を隠そう、僕はこの時代に転生した転生者であり、それなりにしがらみを経て、一個の魔術師として生きている。友人……というか、利用し、され合う仲の者は何人か出来たし、何よりも家族がいる。

 

 魔神柱としての役割は理解しているが――あぁ、これは、なんとも。

 

 他の魔神柱(やつら)がどうだかはしらないけど、僕はもう、人間だ。

 悲しい事に――身体や魂の乖離を、自覚してしまったが故に強く、強く感じているけれど。僕の魂は、意識は、確実に人間で、だというのに、魔神柱であるという自覚が精神の大半を占めるという、厄介な状況にある。

 

 あぁ、ツマラナイ。

 どうして僕が――っと、来客か。

 

 この小さな足音は……ははあ。彼女だな。

 

「――いらっしゃい、ベティ。今日はどうしたのかな?」

「あっ……そ、その……」

 

 ひどく遠慮気味に開いた扉に向かって問いかければ、ひょこりと小さな顔を出した少女が口ごもる。俯いて、扉を掴んだままに、耳を赤らめて。

 

 可愛らしい。

 

 少女は恐る恐る僕の家に入る。

 

「僕に、何用かな、ベティ。

また転んで擦り剥いてしまったのかい? それとも、井戸にバケットを落としてしまった? いや、硬貨の入った麻袋が破けてしまったのかな?」

「……ぜ、全部……正解……」

「はは、それは驚いたね!」

 

 彼女はベティ。ベティ・パリス。気弱で、気が小さくて、常にビクビクと何かに怯えていて、とても信じやすい、騙されやすい、煽られやすい性格だけど――とってもいい子だ。

 ちなみに今の推理はとっても簡単。推理とも呼べない、ただの観察結果だ。

 だってベティの膝が痛々しく擦り剥けているし、井戸へ降ろすための、バケットの付いていないロープを引き摺っているし、硬貨を入れるための麻袋がぺたんこになって服に挟まっているからね。

 

「やっぱり、アンはすごい……」

「そんなことはないさ。僕よりすごい人はたくさんいる。そんなことより、まずは膝の傷を洗おうか。それから、包帯を巻いてあげよう」

 

 机の下に置いてある救急箱……とも呼べない、ただの木箱から、とてもではないが上質とは言えない包帯を取り出す。それと、比較的綺麗な布も。

 

「!? い、いい……包帯は高価で、軍人の使うものだって……従姉(おねえ)ちゃんが言ってた、から……」

「うん? 負傷した軍兵と、膝を擦り剥いたベティ。何か、違いがあるかい?」

「わ、私は、役に立たないから……」

 

 確かに。

 ベティはあまり利発ではない。取り柄、と言われて思いつく物が何一つないし、反対に欠点を問われればボロボロと出てくる――そんな少女だ。

 なるほど、役に立たないベティより、役に立つ軍人のために包帯を使え、というのは効率的だ。

 ただ――僕の魔神柱としての性格から言わせてもらえば、「効率なんてクソ食らえ」である。

 

「いいかい、ベティ。負傷者は等しく負傷者だ。例え腕が無かろうと、例え足が無かろうと、膝を擦り剥いただけであろうと――治療を施せば、元気になる。その点において、負傷者は等しい。

 負傷者が役に立たないのは当たり前だ。戦場においても、日常においても、負傷者の居場所は無い。存在しない。

 故に、君は治療されなければならない。君はまず、元気にならなければならない。元気でない者に、役に立つか立たないかの判別はつけられないからね。この時点においては、ベティ。君は『役に立たないから治療されない』なんて言い訳は使えないんだよ」

 

 じゃあ、水を汲んでくるから。

 そう言って一度家を出る。汲んでおいた水など、消毒に使えた物ではないからね。

 

 しかし――彼女にこれを言うのは、果たして何度目なのやら。

 そろそろ、ちっぽけでもいいから、自信を持ってくれると嬉しいんだけど。

 

 

 

*

 

 

 

 音も立てずに扉を閉め、家を出て行った()()の後姿をぼーっと眺める。

 もうそこに彼女はいないけど――それでも、多分、結構な時間。見つめていた。

 

自身の開いた扉から風が入る。彼女が机に向かって、寸前まで読んでいた、よくわからない沢山の文字が書かれた本がパラパラとめくれてしまう。自分が突然訪問したから、栞を挟んでいなかったんだ。

 

 あれほど厚い本を読みなおすのは、時間がかかってしまうだろう。

 だから、急いで本のページを押さえた。多分、沢山めくれてしまっているけど、それでも……彼女に迷惑をかけたくなかったから。

 

「――?」

 

 丁度、私の押さえたページ。

 そこには何かの言葉……名前だろうか。それが、びっしりと並んだ文字の中で、やけに強く瞳に残った。

 

「オ……ズ……?」

「――本に興味があるのかい、ベティ」

 

 寒気が走った。

 ううん……怖気が。

 

「あ、違うの、アン。私は」

「はは、そんなに焦らなくてもわかっているよ、ベティ。風で本のページがめくれてしまうから、それを押さえてくれようとしたんだろう? 僕が栞を挟まなかったから、僕のミスさ。君を責めるつもりはないよ」

 

 ……アンは、なんでも知っている。

 一目見ればわかること、なんて言っているけど、村の大人達は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。私の事を信じてくれるのは、アンだけ。

 従姉(おねえ)ちゃんも……信じては、くれていないから。

 

「さて、ここに座って。まずは傷口を水で洗うから。少し染みる――痛いけど、我慢は出来るかい?」

「う、うん……大丈夫」

 

 アンは不思議な子だ。

 まだ私のみっつ上……12歳なのに、大人達と普通に会話が出来る。でも、大人達みたいに私や、私達を「何も出来ない子供」という風には扱わないで、ちゃんと、私達を見てくれる。

 村にいる子供達の誰よりも頭が良いし、村にいる誰よりも大人だと思う。

 何より――。

 

「よし、よく我慢出来たね。まだ9歳なのに、大したものだ」

「う……うん。もう、9歳……だから。ちゃんとしない、と」

「それも君の従姉(あのこ)の言葉だね? 9歳はまだ親の庇護下にあってもいいと思うんだけど……まぁ、僕が言えた事ではないか」

 

 アンは多分、従姉(おねえ)ちゃんよりも――正しくて、かっこいい。

 

 私も、12歳になったら、アンのような……かっこいい、女性になれるだろうか。

 間違っている事をはっきり間違っていると言い、自分の意見をしっかりと口に出せる、そんな女性に。

 

「さて、それじゃあ麻袋を縫い直してから、君の家の井戸に行こうか。バケットを掬い上げなくちゃいけないからね」

「……あ」

「忘れてたね?」

「……お願い、します」

「勿論。なんたって、君は友達だからね」

 

 アンは、にっこりと笑った。

 

 ……あの時、何故怖気を覚えたのか、なんて。

 この時にはもう、すっかり、忘れてしまっていた。

 

 

 

*

 

 

 

「あら? アンじゃない。どうしたの、珍しいわね。アナタがこんな村の中心部に来るなんて。何か買い物? それとも大人達に呼ばれたのかしら?」

「それは君だね、エリザ。君は大人達……というか、ウィリアム先生に呼ばれて此処まで来て、その帰り道に買い物がてら散歩をしている……。違うかな?」

「う……正解よ。やっぱりすごいわね、アンは。それで、アナタは何用なの?」

「僕もウィリアム先生に用があるんだ。包帯を切らしてしまってね。買いに来た、というワケさ」

 

 そこまで大きくないこの村の、そこまで賑わっていない商い通り。人が少ないからね。と言っても商える商品なんてほとんどないので、例え人が増えたとしても、賑わえる環境であるとは言えない。

 麻袋を修繕し、ベティを家に送り届け、井戸のバケットとロープを直した後だから、既に太陽は真上にあるけど……さてはて、エリザはこんな時間から何用で呼ばれていたんだろうね?

 推理は……流石に無理かな。

 

 いや。

 なるほどね。

 

「エリザ。君を信じて言うけれど――」

「?」

「――僕も、呼ばれているんだ。あまり言えないけど……多分、ベティも」

 

 布石を打つ。

 僕の言葉に、みるみる顔が変わっていくエリザ。最初は驚き。そして、歓喜。共感。

 

 そして――安堵。

 

「次の満月、よね?」

「うん。みんなで」

「良かった、アンがついてきてくれるなら……私達は、間違っていないのね」

 

 それじゃあ、後で。

 そう言い残して、エリザは自身の家の方へ駆けて行った。

 それじゃあ僕も、目的を果たすとしよう。

 

 

 

「入りなさい」

 

 ノックをして、すぐ。

 厳かな声に「失礼する」と返事を返して、部屋に入る。

 

 そこには、多少、ふくよかな腹を抱えた男性が、椅子に座って此方を見ていた。

 

「やぁ、ウィリアム。包帯を分けてもらいに来たんだ。貯蓄に困っていると言うのなら、購入するよ。とてもそうには見えないけれど」

「……アン。君の慧眼には毎度恐れ入るが……君と私がどれだけ歳の差を持っていると思っているのかね。もう少し、敬意をだな」

「この態度で良いと言ったのはウィリアムじゃないか。おいおい、とうとうボケてしまったのかい?」

「……はぁ。いや、流石はトマスの娘、と言った所か。

 よろしい。包帯だったな。金はいらぬが、何故切らしてしまったのかだけ、教えてくれないか」

「友達に、よく擦り傷を負う子がいてね。その子や、怪我をした猫……鳥……と。僕は患者を選り好みしないから、すぐになくなってしまうんだよ」

「猫ならまだしも、鳥に巻けば翼や身体が重くなり、完治しても飛べなくなる」

「それは問題ないね。完治するまでは家から出さないし、何より彼らは逃げないんだ。ははは、餌を少し上質にしすぎているのかもしれないけどね」

 

 僕の回答に、男性――ウィリアム・グリッグス医師は、はぁ~……と深い溜息を吐いた。

 確かに、ただでさえ物資の少ないこの開拓村で、猟犬でもない鳥に上質な餌を与えるなど、溜息を吐きたくなるのも理解できる。

 

「動物や友人を治癒するのは、まぁ、医者として許そう。

 だがな、アン。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「うっ」

「君は確かに賢く、もしかしたら、村にいる大人の大半よりも知能を有しているかもしれない。だが、演技は下手だな。

 パリス牧師から聞いている。今朝、牧師の娘が井戸のバケットを落としてしまったそうだ。アン。君の服についている泥と苔は、どこで付着したものかな?」

「……も、森の中で」

「それならばついているのは苔ではなく葉だろうな。

 アン。君は賢いが――身体は子供なのだ。井戸などという深い場所、落ちたらどうする気だったのだね。一つ間違えば、死んでしまっていたかもしれないんだぞ?」

 

 ウィリアム医師は、僕の医学の師である。

 魔神柱であると自覚する前の僕……つまり、ただの転生者でしかなかった頃の僕は、とりあえず知識を求めた。両親。親戚。近所の大人。

 その中で、最も知識を持っていたのが彼だ。

 故に、幼少期(今もまだ幼少とはいえ)のほとんどは彼の元で医学を学んでいた。この時代の医学故、多少おかしなところはあれど、やはり専門家。学んで損は無かった。

 

 そんな経緯もあってか、態度こそ対等だが……僕はウィリアム医師に対して、嘘がつけないらしい。

 勿論、それはアンとしての時だけ、だけど。

 

「……そうだね、確かに頼ればよかった。それは認めるよ。

 だがウィリアム。君は見栄、というものを知っているかい?」

「……またか、アン。

 またなのか。あぁ、そうか、牧師の娘が壊したと言っていたな。そして、牧師の娘……確かベティと言ったか? 彼女はお前の友人だ。彼女の眼前で、大人に頼るのは格好がつかないと……そういうことか」

「すべて正解だ。彼女は酷く不安定でね。僕はあくまで『かっこいいお姉さん』でなければいけない。そうしなければ、彼女はたちまち拠り所を失ってしまうだろう」

 

 そうなれば、彼女が次に頼るのは……あの、破天荒と大人しさと儚さと突飛さをいっしょくたに詰め込んだ従姉だけ。

 頼ったが最後、ベティは彼女の言いなりになってしまうだろう。

 

「……友人の為なら、自身が犠牲になっても構わないと?」

「そうは言っていないだろう? 何のために包帯を貰いに来たと思っているんだ。ウィリアム、優先順位の問題だよ。幼い彼女や、弱い動物たちを先に治療して、我慢の効く僕は後回し。治さないわけじゃあない。そこまで落ちぶれたつもりはないよ。僕だって医者だからね」

「……はぁ。まぁ、良い。肘と、(くるぶし)を出すのだ。後は……全く素振りを見せないが、人差し指も捻挫しているな?」

「……ははは! それは驚いた! 肘と(くるぶし)は確かに僕の動きを見ていればわかるだろうけど――指は完璧に隠していたつもりだったのに!」

「やはりか。井戸の修繕で、一度落ちかけたな。全く……」

「うわ、僕にカマをかけたっていうのかい? ちぇ、まんまと引っかかっちゃったみたいだ……。あと何年したら、ウィリアムを唸らせる事が出来るかわからないね」

「私が死ぬまで、無理だろうな」

 

 渋々肘と踝を露出する。

 12の娘が壮年の男性の前で――などという輩は存在しない。

 医療行為に、そこまでの莫迦らしいモラルが適用される時代ではない。

 

「大人として扱われたかったら、自己管理を怠らないことだ。自身が怪我をしている内は子供だぞ」

「はいはい」

 

 そんなこと――重々承知の上だ。

 とはいえ、そうおおっぴらには言えないからね。

 

「じゃあ包帯は貰って行くよ」

「ああ。再三いうが、自身の身体は――」

「雑に扱うな、だろう?」

「わかっているなら良い。それと、友人や動物を治療する事は良い事だ。これからも続けるように」

「……はーい」

 

 これだから。

 これだから、僕はこの人に師事したんだ。

 

「返事を伸ばすでないわ」

 

 この言葉も、何度言われたか分からないけどね。

 

 

 

*

 

 

 

 夜。

 ランプのオイルすら勿体無い――それほどまでに物資の無いこの村は、夜の灯りが見える事のない、静かな場所へと変貌する。

 暗く、昏く――生者は皆眠りに就く。

 

 だからこそ、蔓延るのは外道だ。

 道を外れた者。道を違えた者。初めから、道になかった者。

 

「良い夜だ。そう思わないか?」

「ア……アア……」

「――なんて」

 

 話が通じない事はわかっている。

 だが、別に彼らを撃退したり、彼らに襲い掛かられたりすることはない。

 そもそも彼らに僕は見えていない。

 

 僕は結界の中にいて。

 彼らは、外にいるのだから。

 

「これで何度目だろうね……。こんなツマラナイ事に付き合わなくちゃいけないのは。あのカラス野郎も、面倒な手法を取る物だ。外なる神など……あれらが、人類の救済などを考えるはずがないのに」

 

 扉を閉じる。

 外は魍魎跋扈の魑魅跳梁だ。混ざってる混ざってる。

 

 さて。

 次の満月の夜。

僕は、彼らが来ることを、星にでも願っておこうかな?

 

 

 

*

 

 

 

「ノア。こんな朝早くから、僕の家に何か用かな?」

 

 満月の日の、早朝。

 僕の家の前には、豊かな顎ひげを蓄えた、少し吊目の大男がやってきていた。目元には隈、それによって引き立つぎょろりとした瞳。

 だが、高い知能を感じさせるその態度は、ウィリアムと違う……僕を対等として扱っている証。

 

 ノア・ウェイトリー。

 

 彼は僕の……アンという、少し賢いだけの子供ではなく、パットナムという魔術師と対峙する、同じく魔術師である。

 

「パットナム。儂がお主に用立てをするのだ。理解はしておろう」

「はぁ。また奥さんの鎮静薬か。切れるのが早くなってきたね。魔術師パットナムとしての見解を言わせてもらうなら、そろそろ限度だと思うよ」

「……一族の悲願が叶うのなら、是非も無い。だが、まだその時ではない。まだ()()()()はある」

「……君に騙されて恋に落ちてしまった彼女が可哀想でならないよ。とんだ酷いヤツもいたものだ」

「何を言うか。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 肩を竦める。

 まぁ、魔術師など……そのようなものだ。

 

 僕の母の名は、アン・パットナム。

 僕の名も、アン・パットナム。この時代、両親の名をそのまま名乗る娘・息子は珍しくないし、強いて言えばジュニアをつけるくらいの、名前というものが名札という意味すら持たない環境であるけれど――僕の場合は、少し違う。

 

 僕は転生し、今の父と結婚したが――己が孕んだ胎児に、自らの魂を植え付け、縫い付けた。そして、元から胎児にあった魂を、元の僕の身体に縫い合わせた。

 結果、母アンは痴呆――正確に言えば幼児退行――をし、娘アンは母の経験をそのまま、文字通り受け継いだ存在としてこの世に生まれ出でたのだ。

 

 この時はまだ自分が魔神柱だなんて知らないから、これは僕の魔術によるもの。

 

 母親になっても彼女は僕の娘だから、最後まで面倒を見るけれど……魔術を知らない父トマスには、本当に申し訳ないと思うよ。だって僕、彼を愛したわけではないからね。

 ただ、この魔術に必要だったから、自分に言い寄ってきた彼を利用したに過ぎない。

 

「魔術師などそんなもの――お主の口癖だろう」

「はは、違いない。それで、対価は?」

「――卜占を、久方ぶりに行った。七度」

 

 彼の卜占は予言の類いではなく、導きを得る程度の物。見えた結果が如実になる可能性は、25%程度。

 

「その全てにおいて、()()()()()()()()()()()()()と出た」

「……素晴らしい。では、持っていくといい。君のお望みである、鎮静薬だ。ついでに堕胎薬もつけてあげよう。母体に及ぼす影響は限りなく減らしてある」

「……パットナム。もし、儂がその時に――いや」

 

 ノアは言葉を切る。

 ノア・ウェイトリー。独学であちらの体系の魔術を身に着けた、偉大なる魔術師。

 

「ささやかながら、パットナム。お主の願いの成就も、願わせてもらおう」

「ああ、ありがとう。

 ――あぁ、それと。君、尾行られていたよ。君の娘に。惑わしておいたけれど……余計なお世話だったかい?」

「……あの子は我らにとって最も大事な娘だ。だが、何も知らなくていい。知るべきこと、知らされるべきことを知っていれば、知らなくて良い事を知る事は出来ない。助力、感謝する」

「ははは、僕も彼女とは単なる友人のままでいたいからね」

 

 それではな、と言って、ノアは去っていく。

 その後ろ姿を見て、思う。

 

 僕も確かに、人間としては外れているほうだけれど……。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なんて計画。

 

 心から軽蔑するけどね。

 

 

 

*




この作品の登場人物・団体・企業名は実際の人物・団体・企業名とは関わり有りません。


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よって、アーミテッジ博士は本を拾わない。

乖離と如実。
伏線と矛盾。

同じ。


*

 

 

 

 満月の日。

 

 ランプが寝息を立てはじめた頃、そろり、そろりと小さな人影が夜闇に、森の闇に紛れ込んでいく。

 大人達は目覚めない。小さな影たちはその事を面白がって、段々と、段々と、数を増していく。

 

 夜闇宵闇、森の中。

 秘密の場所に、少しの光。

 

 そこに、彼女らはいた。

 

 年のころは、下は9歳、上は17歳。

 一般的に少女とされる年齢の者達が――村の少女の一部が、この地へ集っていた。

 

「アビー、お招きありがとう。ふふ、大人達に隠れてこんなことをやるなんて、素敵だわ」

「私も、なんだかドキドキしちゃう」

「……ちょっと恐ろしいけれど……遊び、だものね」

 

 光の元。

 焚火の前には、一人の少女がいた。金髪の少女。

 集まってきた者達は少女に礼を言って、焚火の近くに放られていた白樺の枝を手に取る。

 

「お、従姉(おねえ)ちゃん……」

「あら、ベティ? 貴女も来てくれたの?」

「うん……アンも、一緒」

「やぁ、アビゲイル。こんなに楽しそうな催し物だ。僕も参加したいのだけど、いいかな?」

 

 集まった少女たちの中には、ベティとアンもいた。エリザは早々に来て、メアリーやマーシーと話し合っている。

 

「ええ、ええ! 嬉しいわ、アンは来てくれないと思っていたから……じゃあ二人とも、ホワイトアッシュの杖を持って頂戴な!」

 

 言われるままに、ベティとアンも白樺の枝――ホワイトアッシュの杖を持つ。

 準備は整った。

 

「みんな、いいかしら?

 これは魔法の杖よ。扉を叩くわ!」

 

 少女たちが杖を振り上げる。

 

「大地を三回。見えない扉を、三回……とんとんとん(ラッタッタ)!」

 

 少女に続いて、少女たちが。

 ある少女は楽しそうに。ある少女は真剣に。ある少女は恐ろしげに。ある少女は――隣の少女に、ウィンクをしながら。

 

「扉の先は外の世界に通じているの! 扉を叩けば、私たちの前に聖霊が現れて、お告げを下さるわ!」

 

 誰かがクスリと笑ったが、熱狂する少女たちの耳には届かない。

 

「どんなお告げなの? アビー?」

「それはあなたの望む未来。私達が待ち焦がれる誰か――それから、それから、ここではない何処か。私たちの知らない遠い遠い世界へ……本当の願いを叶えるきっかけを、精霊が囁きかける……」

 

 思い思いの願いを口にする少女たち。

 夢を見ているような気分で、夢を口にする。

 

「――……みたいな、……に」

 

 気弱な少女も、願いを。

 

「僕の望みは……託すようなものじゃあ、ないからね。

 ベティの願いが叶いますように、と願っておくよ」

 

 畏き少女は、笑いながら。

 

「さぁ、みんな。願いながら杖を火にくべて。ティテュバの歌を、まじないの歌を歌いましょう?」

 

 杖をくべて?

 くべるべきは生贄だろう。

 微笑みを浮かべる少女は、その言葉を胸の内に仕舞う。

 その少女だけは杖を火にくべる事無く、素早い動作でそれを森の中へ放り捨てた。

 

 ……それを見た隣の少女も、真似をした。

 気付く少女はいない。

 

 歌を。歌を。

 願いの叶う歌を。

 ブードゥーの歌を。

 奉納するように、歌を。

 

 ひそやかに。段々と熱気が薄れ、厳かに。

 それだけの圧を、この歌は持っていた。

 

 だが――。

 

「アビー、ここまでだ」

「la――……アン? 儀式を中断してはならないわ」

「そうは言ってもね。

 ――囲まれているぞ。得体のしれない、獣たちに」

「!?」

 

 その言葉に、歌っていた少女たちがようやく気付く。

 唸る獣。そんな、ありえない。呟く。

 

「村の近くに、こんなに獣が!」

「いやぁ! 逃げないと!!」

 

 子供では獣に対処できない。

 それは教訓だ。教え込まれた事。

 

 だから、逃げる子供がいても仕方のない事だった。

 

 そして獣は、群れからはぐれた者を優先して狙う。

 それもまた――獣としての、教訓だった。

 

「フッ!」

「ガァァッ!?」

 

 だが、その瞳に()()が直撃したのなら、教訓など忘れて飛び退くのも無理はないだろう。

 余りの痛みにのた打ち回る。目を火傷したから――ではない。

 眼孔を貫通し、脳髄の中に焼石がぶちこまれたから、だ。

 

 じたばたと暴れ回る獣は、次第に動かなくなった。

 

「……しまった」

 

 畏き少女・アンは呟く。

 怯えさせれば逃げて行ったかもしれないが――殺されたのなら、話は違う。

 相手は村を襲ってきた獣。

 初めから人間を下に見ている。

 

「チィ……メアリー、エリザ! アビーの指示をしっかり守って逃げろ! ベティ、君は――焚火に、火を消さない様丁寧に石を放り込むんだ!」

「! ――に、逃げろ、って言わないの……?」

「言っても聞かないだろう! いいか、火を消す事だけは避けるんだぞ!」

「う、うん……!」

 

 アンは自身の手が火傷する事も恐れずに、焼石を拾う。

 そして余りにも精確なコントロールで、獣の瞳を貫いていく。

 

 だが、圧倒的に足りない。

 アンの両腕だけでは、あまりにも。

 

「……くそっ!」

 

 覚悟を決め、焚火に腕を突っ込もうと――した、寸前。

 

「ほいほいほい、っとぉ。ヒュウ、やるなぁお嬢ちゃん。子供にしてはだいぶ、頑張った方だと思いますよ?」

「ああ……だが、酷い火傷だ。無理をする……」

「座長、貴女とマシュ、私は子供達の避難を! 獣の方はお願いね?」

「心配 無用。 任された!」

 

 突然森の奥から現れた、珍妙極まる集団によって、事なきを得た。

 緑の伊達男。白黒の優男。メガネの少女に、赤毛の少女。露出の多い女。鳥。棒を持った少女。

 アンは白黒の優男に抱き止められた。

 

「あ、貴女達は……?」

「アビー、今は逃げるんだ。手助けしてくれると言っている。僕はここで打ち漏らしを」

「いや、君も避難するべきだ。君は子供なんだから……」

「あ、アンは……子供じゃない!」

 

 普段の彼女からは考えられない、大きな声が響く。

 ベティは白黒の優男を睨み付けた。

 

「……ベティ。いや、いいよ。僕は紛うこと無き子供だ。彼は言葉を選んでくれただけさ。

 『足手まといだから、早く逃げてくれないと戦い辛い』という言葉を、優しくね」

「……アン」

「だからこそ、アビー。彼女たちと一緒に逃げて欲しい。僕も同意見だ。ベティを無理矢理連れて行ってくれたらなお良し」

「おいおい、頑固なお嬢さんだな! アンタも逃げてくれるとこちらは助かるんだが!?」

「ふん、大人の男だけの集団であれば、従ったが……そこにいる、棒を持った少女は僕と同じ年のころだろう」

「? ボクの こと?」

「そう。君のこと」

 

 アンは茂みの中から二つ、白樺の枝を取り出す。

 そしてその先端になんらかの液体を垂らし、それを焚火に近づけた。

 燃え移る炎。

 

「これで、同等だ」

「……同等 了解 共闘!」

 

 緑衣の伊達男と白黒の優男は顔を見合わせる。

 伊達男は面倒くさそうな顔を、優男は心配そうな顔をしながら、溜息を吐いた。

 

「ベティ、行くわよ!」

「……うん」

 

 気弱な少女は、これまた普段の少女にしては珍しく――聞き分けの良い様子で、避難を始めるのだった。

 

 

 

*

 

 

 

「……ふぅ。これで大丈夫か」

「共闘 ようやく理解。 ボクを 知ってる?」

「いや、初めましてだと思うよ。っつ……」

「……火傷をした手で、白樺の枝などを振り回せば傷になるのは当たり前です。僕には医術の心得もあります。手を――」

「ああ、それには及ばないよ。君が医術の心得に収まるなら、僕は医者だ。国の……ボストンで資格免許を取っている、ね」

 

 腰に提げていたポーチから、火傷に効く軟膏を取り出す。

 元々治りは普通の人間より早いのだが、それを見せるわけにもいかない。

 

「……恐ろしい医者もいたものだ。焼石に掌を焼かれる痛みに耐えながら、素早く動き回る獣の眼孔に焼石を投擲する、などと……」

「ダーツは得意でね。っと、そんな雑談をしている場合じゃなかった。早くベティの所へ行って安心させてやらないと!」

「まーそんなに慌てなさんなって。オタク、彼女らの位置わかるワケ?」

「……村に向かったんだろう? ここから直線状に村まで向かえばどこかで見かけるはずだ。……君達が、児童誘拐の一味でない限り、だが」

「誘拐 違う。 ボク達 カルデア」

「カルデア?」

「あーっとですねぇお嬢さん!? オレ達はカルデア一座ってもんでして、大陸中を芝居して回る劇団なんですよ! ちょっと哪吒さん!? フジマル一座って話はどこへ行ったんですかねぇ!?

 

 カルデア――星詠み。天文台の、到着だ。

 おめでとう、ノア。お前の悲願はようやく叶う。

 お前が生きているかは、知らないがな。

 

「とにかく、オレの方がそういうのは得意なんで、ちょっと待っててくださいよ」

「ええ、それがいいでしょう。しばしの休息を。大丈夫、彼女らと共に避難した僕達の仲間は、とても頼りになりますから」

「……わかった。

 ところで、そこの鳥っぽい人。何を見ているんだ?」

「鳥? ……メディアの事でしょうか? どちらかといえば蝶だと思うのですが……」

「あぁ、確かに。ヤママユガとかなら納得できるね」

 

 座り込む。

 全く、魔神柱だからスタミナも魔力もたっぷりあるとはいえ……基本は魔術師で、魔術で戦うのが基本だ。だから、こういう斬った張ったは苦手なんだよな。

 緑衣の男が森へ消えて行くのを見送って、蛾っぽい人を見る。

 

「……木陰に、誰かいるわ。アレは……白子(アルビノ)の子よ」

「! 僕が見てきます。彼女も獣に襲われているかもしれない」

 

 森の奥に入って行く白黒男。

 誰も止めないのは、信頼しているからだろう。

 

「自己紹介 名前 ボクは 哪吒」

「僕はアンと言います。アン・パットナム。よろしく、哪吒」

「よろしく 了解!」

「そちらは?」

「……メディアよ」

「さっきの 緑 ロビン。 さっきの 白黒 サンソン」

「ふぅん。本当に世界中を旅しているんだね」

「? どうして 理解?」

「哪吒は東洋の名前。メディアはグルジアの名前。サンソンはフランス訛りが強かったし、ロビンはイングランドかな? 世界中を旅していなきゃ、こんなメンバーは集まらないでしょ」

 

 座長さんは東洋人、後フランス人と、メガネの子はわからない。

 そう言うと、哪吒は悲しそうな顔をした。

 

「……待っているだけは無理だな、うん」

「どこ行く アン?」

「村に向かうよ。僕が帰らないと、僕の父親も心配するからね」

「なら 着いていく。 護衛 御用!」

「はぁ……そんなことを言われたら、私も行かないわけにはいかないじゃない」

「ロビンが戻ってきた時のために、何かメモを残しておこう。えーと、村一番の大きなお屋敷で待ってます。哪吒より」

「? ボク そんな風に 喋れてる?」

「はは、冗談だよ。

 さぁ、行こうか」

 

 もう一つ。

 一振りの毒を、地面に染み込ませて。

 

 

 

*




基本日曜日更新。


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万聖節前夜で彼女はいなくならない

מדהים, נורא.
ילד של אלבינו חלם פעם.
בנו של יוג סוטוס, שהיה ברחם.
ללא שם: הו, כן.
על רגלי, אה.



※ヘブライ語故、読む場合は逆からお読みください。


*

 

 

 

「……まさか罠とはね。流石に、思いもしなかったかな」

「メディア どうした? 早く入ろう」

「気付かないのか? 

 ――この家は、魔術師の工房だ」

 

 初めから警戒を解いていなかった蛾っぽいメディアは、やはりここが工房であると見抜いた。まぁ、神代の魔術師を騙せるとは思っていない。無論、僕が魔神柱であると気付かれていない事を見越して、レベルは幾分か落としてあるのだけど。

 仲間に神妙な口調でそう言われたからだろう、ようやく哪吒は、開いた扉の内から手招きをする僕を睨み付けた。

 

「アン 説明 不足ならば 敵と見做す!」

「そんなに怒らないでほしいな。確かに僕は魔術を知っているけれど、こんな立派な工房を築けはしないよ。勿論、両親が築いたわけでもない。

 この家はね、なったんだ。

 突然。魔術工房に。僕もびっくりしたものだよ」

「そんな説明を信じると思うか? この家の結界はメンテナンスされて新しい。突然なったというのなら、これがどういう結界かなぞわからないはずだ」

 

 ……流石。

 神代の魔女の師事した魔女。

 流石に慧眼だ。

 

「そこは僕を褒めてくれ。この家が魔術工房になったと同時に現れた地下室。そこに収められていた蔵書を読んで、僕は魔術を知った。結界の弄り方もあった。別に僕の物ではないからね、疑うと言うのなら見てくれていい。

 あの一座の人達に隠しているのかは知らないけど、君も魔女だろう? 見た目が御伽噺の魔女そっくりだからね。興味はあるんじゃないかい?」

「……ふん。この時代の人間の所有する魔導書なんて、たかが知れている」

「メディア 侵入 決断 早急!」

「私達をどうこう出来るほどの技量ではなさそうだし、大丈夫よ」

「あぁ、安心してくれ。助けてくれたお礼に、少々良い物を夕食に出そう。緑衣と白黒の彼らにも振る舞いたかったが、今から探しに行くのは無理そうだからね」

「ロビン サンソン 気にしない」

 

 ようやく、二人は僕の家に足を踏み入れる。

 別に何も起こらない。

 両親は眠っているはずだ。一応、眠りの香炉を焚いたからね。そうでなくとも母アンは眠いはずだし。

 

「――ようこそ、パットナムの屋敷へ。歓迎するよ、異邦の民」

 

 

 

*

 

 

 

「馳走 感謝。腸詰 美味 至極」

「この村でまさか朝からソーセージを食べられるとは思っていなかったよ。マス……座長たちには少し悪いけれど、良い朝になった」

「ボク達は 戻る。確認 七時の方向 直線?」

「あぁ、カーター家はそこにある。もしそこにいなかったら、流石にお手上げだ。そこにいるアビーに聞いてみるといいよ」

「……最後に一つ、聞きたいのだけど」

「なんだい、メディアさん」

「貴女の机の上にあった童話『オズの魔法使い』は……どこで手に入れたのかしら?」

「それも、工房と一緒に来たんだよ」

「……そう」

「? 確認 もういい?」

「ええ、十分よ。行きましょう、哪吒」

「了解 再来 約束 再会!」

「ああ、またね」

 

 早朝、そんなやり取りをして、二人は出て行った。

 まだ霧の立ち込める朝。二人の姿も見つからないだろう。

 

「……あぁ、そうだ。

 この村に、ソーセージなんて高級品が――本当にあると、思ったのかな?」

 

 霧へ投げかける。

 なぁに、大丈夫。食べて毒になるものじゃあない。

 ソーセージではない、と言うだけの話でね。

 

 一種の意趣返しだと思って欲しいな――大魔女さん。

 

 

 

*

 

 

 

「あ、アン……ウィリアム先生のところ、行こう?」

「ベティ、だから大丈夫だって。火傷程度でウィリアム先生にかかっていたら、いつまでたっても僕は一人前になれないだろう?」

「……でも……!」

 

 日が昇って、ベティが家に来た。例に漏れず怒られたようだが、いつもよりは消沈していない。そんなことよりも僕の手が心配だと、昨夜に続いてベティには珍しい抵抗を見せている。

 火傷を隠す為に革手袋をしているから、余計にひどいものだと思わせているのだろう。

 

 実際は、治っているのだけど。

 

「大丈夫さ、ベティ。それより、君の両親は君を許してくれたのかい? まだ怒っているのなら、一緒に謝りに行くよ」

「……アンは? アンは、怒られていないの?」

「正直に話していないからね。

 友達を守る為に怪我をした――ただ、そう言っただけさ。嘘じゃない」

「……それで、怒らないの? アンのパパとママは」

「ウチはそういう家族なのさ。決して放置されているわけじゃないよ。むしろ、その逆。最大限の愛をくれている」

 

 娘アンの魂は、心から父トマスに愛されている。

 それがあれば、後は僕がこの家を守るだけだ。

 

「……はぁ、しょうがない。

 誰にも言わないでくれるのなら……ベティ、君だけに秘密を見せよう」

「? どういう事……?」

「僕がウィリアムの元に行かない理由さ」

 

 革手袋を取る。

 するり、するりと。

 

 中にあるのは、もちろん。

 

「……えっ」

 

 綺麗な、子供の手だ。

 治してある――それは回帰レベルで、治癒されている。

 

「僕の創った特製軟膏は、多く製造できない代わりに特別性でね。即効性がウリなんだ。……二年かけて拳大の量しか取り出せないけど」

「……やっぱりアンは、すごいね」

「ははは、そこは素直に褒められようかな。これはウィリアムに誇れる物だからね」

 

 この軟膏には本当にそういう効果がある。実際はもう少し治癒も遅いけど――即効性だ。まぁ、製造工程に魔術がある薬品だから、公には出来ないけれど。

 

「それじゃあベティ。君のパパとママに、謝りに行こうか。大丈夫、君は悪くないよ。むしろ勇敢だった――そう、伝えてあげるから」

「……うん」

「すごいけど……怖い。いつかいなくなってしまいそうで」

 すっかり霧も晴れた村。

 天文台の彼女たちは行動を始めた頃かな?

 

 一つ目の結び目は――一応、挨拶だけはしておこうかな?

 

 

 

*

 

 

 

 村の外れ。

 元ウィリアムズ邸――現・カーター家。

 そこに、一人消沈した様子で水を汲む浅黒い肌の女性がいた。

 

「大丈夫かい、ティテュバ」

「おやおんやぁ……これは、これは、()()()()()()

「教えを請われたからと言って、ブードゥーを教えたのは早まったね。いや、そうなるようになっていた――役割だったかな?」

「……パットナム様?」

「史実において――ティテュバ、君はベティの奴隷だ。そして、僕達と同じ告発者でもある。故に――口を塞がせてもらうよ」

「――?」

「君の()()は僕には届かない。何故って、僕は異邦人だからね」

「――何か仰いましたか、()()様?」

「そう――僕は、ちょっと賢いだけの、アンだ。それではね、ティテュバ。今日くらいは、良い夢を」

 

 魔神柱耐性を持つ彼女を欺く事は出来ないけど、認識を変える事なら、僕と言う存在のおかげで可能だ。

 言わずに死んだ彼女だけど――万が一も、あるからね。

 

 保険はかけておくにこしたことはない。

 

 それでは、ティテュバ。

 おやすみなさい。

 

 

 

*

 

 

 

「おや、君は」

 

 村の外れへと訪れると、そこには二階建ての、僕の家よりは小さくとも、それなりに大きな家が建っていた。

 ここはカーター家。昨晩、あの陳腐な儀式を主催したアビゲイルの住む家であり、星詠みの彼らが拠点としている場所でもある。

 ウィリアムズ夫妻――あまり接点の無かった夫妻ではあるが、一応、面識のある男女の一人娘は、()()()()()()ベティの家に来るはずだったのだが――目の前の男が引き取り、世話をしている。

 

「こんにちは、カーター氏。旅の一座が来ていると聞いたのだけど」

「あぁ、今は村を回ってみているようだよ。一人は家にいるが……会っていくかな?」

「一人では人形劇くらいしか出来ないだろう? 日を改める事にするよ。それではね、カーカー……おっと失礼、舌が回らなかった。失礼するよ、カーター氏」

「――待ちたまえ。アン。君、その革手袋はなにかな。

 ……そういえば昨晩、君も外に出かけていたようだが」

「あぁ、呼ばれたからね、向かってみたら、獣に囲まれている彼女たちが。応戦の為に焼石を使った結果――このザマさ」

 

 革手袋を外す。

 そこには幼い、つるっとした少女の手――、

 

「……酷い火傷だ。無茶な事をする」

「旅の一座に会いたいのも、それが理由でね。危ない所を助けてもらった。緑衣の男性と白黒の男性に、よろしく伝えておいてくれるとありがたいかな」

「……伝えておこう。早く、ウィリアム医師に診てもらうんだぞ」

「もう軟膏を塗ってあるから大丈夫さ」

 

 外皮を溶かす事くらい、造作も無い。

 再度革手袋をつけて、治癒をする。

 

「それじゃあね」

「あぁ。身体を大事にな」

 

 ……カラス野郎(カーカー)も、随分と演技の上手い事で。

 知らないのかい? 無知の民(カカシ)を馬鹿にしていたカラスが、どうなってしまったのか。

 

 魔女のけしかけたカラスは、カカシに首を折られて、死んでしまうのさ。

 

 

 

*

 

 

 

「やぁ、ジョージ。何かあったのかい?」

「む? あぁ、アンか……。まぁ、アンであれば話してもよいだろう。

 旅の一座の者達が来ているのは知っているな? その者達からの伝言で、自身らの芝居を見て、自身らを信用するか否か決めて欲しいと、私に言って来た。よって、子供達に芝居を見せる前に……大人達で判断をする事になった」

「へぇ。それはまた……『ずるい』って言い出す子が多そうだね」

「アンならば、言いふらさんと思っての事だ」

「はは、それは光栄な事で。ちなみに聞くけれど、僕はその”お芝居”を見に行ってもいいのかな?」

「……まぁ、口止め料とでも言っておけば、皆も納得するか」

 

 昼間、そんな経緯があった。

 

 ジョージ――ジョージ・バロウズ牧師。

 以前は僕の家に対して債務関係での()()()()があったけど、その辺りは僕が解決済み。その件があって、僕はそれなりに信用されている。両親が信用されていないわけじゃないけど、母アンはあの状態だからね。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、そんな僕がパットナム家で最も信頼されているなんて、皮肉だよね。

 

「日が落ちたら公会堂に来るといい。私の名を出せば、アンだけは入れるように皆に言っておく。いいか、くれぐれも他の子らに言いふらすなよ?」

「わかっているさ。余計な混乱は僕だってごめんだからね」

 

 それじゃ、と後ろ手を振って踵を返す。

 港の方へ向かおう――として、ふと足を止めた。

 

「あぁ、そうだ。ジョージ。

 聞き忘れていた――演目は、なんだったか()?」

「あぁ、それは――」

 

 

 

*

 

 

 

「……お芝居なんて本当に久々ねえ」

「まったくの時間の無駄だ! こんな夜に、ランプの油すら勿体無い。我々の立てた公会堂をふざけた芝居なんぞに使うとは……だいたい、肝心の牧師がおらんじゃないか。牧師はどうしたんだ!」

「ジョージは急病人の家に向かったよ。吐き気、熱、目眩のコンボでせがまれていたから、今夜は来られないだろうね」

「……アン。まぁ、アンほどの見識があれば、十分か……。いや、しかし……」

「落ち着きなよ、サミュエル。The proof of the pudding is in the eating.っていうだろ? 何事も、無駄かどうか、ふざけているかどうかは、終ってから判断する事さ。内容を見ない内に評価を下すなんてことは、少なくとも人間には出来やしない」

「……ふん」

 

 全く、村を、質素な生活を守りたいのはわかるけど……融通が無ければ質素も傲慢になるのにね。その点、ジョージやパリス牧師はよくわかっている。ウィリアムも……うーん、まぁ、半々くらいかな?

 

「さぁ、フジマル座長。村の者は揃った。いつでも芝居を始めてくれ」

「わかった」

 

 昨晩、暗闇の森の中で出会った、星詠みの座長(マスター)。カルデア一座のフジマル座長、ね……。

 あぁ、うん。

 忘れていたけど、記憶にある通りだ。忌々しい――と、思っていた過去も確かにあるけれど……今は別に、何とも思わないかな。

 

「何か用かな?」

「あぁ、気にしないでおくれ。東洋人が珍しいだけさ。気にせず、芝居を始めて欲しい。演目は非常に心揺さぶられるものだ。はは、()()()()()()()()()()()()()、安心してくれ」

「ありがとう」

 

 当たり障りのない答え。

 当然、それがカルデアのマスターらしさであり、それこそが非凡たる理由。

 さて……少しだけ、遊ばせてもらおうかな。

 

 

 

*

 

 

 

“今宵、わたしたち一座が演じますのは、聖書からの一節になります――『ソロモンとシバの女王』です”

 

 

 

*

 

 

 

 演目の内容は、まぁ、割愛して追って行こう。

 有名な物語だからね。聖書の一節であることもそうだけど、()()()()()()()()()()()()()彼の、彼女の逢瀬は、その不思議さから後世へ憶測と疑念と、ロマンを残した。

 

 南方の国の、シバの女王。

 彼女は、砂漠の向こうで国を治める、比類なき知恵者・ソロモン王に心惹かれ、砂漠越えを決意する。恐ろしい距離を、徒歩で、多大なる荷を持って。

 知恵を捜し求む者(Midrash)

 美しき女王は、従者を連れ、駱駝を連れて、砂塵を越える――。

 

 ()()()()()()()()

 

 だが――それに気付く者はいない。舞台上の演者を除いて。

 カラス野郎(カーカー)は、初めから範囲を外してある。

 

「!?」

これは、幻術……!?

害は無いようですが……

続けよう

 

“ン゛ッ、女王一行は、頼もしい用心棒の助太刀もあって、砂漠にいた強盗などの襲撃者を撃退いたします。幾度か繰り返された襲撃を乗り越え、無事エルサレムへの旅を再開した一行は、じきに紅海の港へと辿り着きます。波止場でごった返す駱駝の群れ。船と積み荷を待つ商人たちの、活気ある喧噪”

 

 ()()()()()

 

“……女王たちは何百隻もの船を借り上げると、大船団を組んで、紅海を北上いたします。

 ――やがて船団はアカバ湾の北端、ソロモン王の築いた港町、エジオン・ゲベルへと到着”

 

 ()()()()()()()()()()

 

 効果音は、見ている数人の村人を劇中の世界へと引きずり込む。

 これはあまりの芝居に、自分が思い浮かべてしまっているものだと錯覚する。

 

 女王たちは積み荷を降ろし、再び陸路を行く。異国の牧草地。街並みの無いなだらかな丘。

 ついに、エルサレムの白い城壁の輝きが、遠くに見えた。

 

 ()()()()――。

 

 谷間の村で足止めを食らう女王一行。

 エルサレムは決して一枚岩ではない。むしろ、群がってきた俗物どもの愚かな目論見が飛び交う、まさに「世界の縮図」のような場所だ。あぁ、そうだった。

 だが、その現状を前にして、女王は諦めなかった。

 

 女王がふらり、ふらりと商隊を離れて歩いていると、沢山の羊の群れが向かって来た。

 侍女は追い返そうと提案するが、女王は自身らが避けるように命ずる。

 

 そこへ、一人の男が現れる。

 

「やぁ、これはこれは高貴なお方。ご機嫌麗しゅう」

え――ダ、ダビデさん!?

ん? あれ? 今舞台上にいるのがシバの女王(マタ・ハリ)兵士(サンソン)侍女(メディア)で……座長(マスター)とオレとマシュ、哪吒は(ここ)にいますよね

じゃあ、あれは誰?

いやいや、そんな

 

「……」

「退がれ――貴様、何者だ!」

「見ての通り、しがない羊飼いさ。いつだってアビシャグと共にある、妻とお金が大好きなお兄さんだよ」

本物より本物に辛辣です! いえ、辛辣な言葉は吐いていないのにそこはかとなく馬鹿にしているのが伝わってきます!

「……失礼をいたしました」

 

 羊飼いは気さくに、女王へと尋ねる。

 何か困った事があるのかい? と。 

 女王は言う。門番の事。自身がエルサレムへと入らなければいけない事。

 

 それを聞いた羊飼いは、門番の事を恥じ、彼の王と神殿を讃えた。

 さらには、女王が足を悪くした羊を買い取る旨を話すと、羊飼いは少し笑って。

 

「ははは、それはいいね。あぁ、そういえば――エルサレムには、隠された門があってね。門は”内と外”に通じている。プネウマも……あぁ、君達にはルーアハの方が通じるかな。彼らの為の門も、存在する。当然だよね。門が無ければ、彼らは何処へも行けない。何処へも行けないのであれば――内に溜まるしかない。

 それすらも考えてあったから、彼は知恵のある王だったんだ」

 

 ()()()()()()()()

 

 そこにはもう、羊飼いの姿は無かった。だが、聴衆はどよめくことがない。

 自らが熱に浮かされ、見逃したのだと勘違いする。

 

 シバの女王は夜にその門からエルサレムへ忍び込む事を決意する。

 幽玄の門。幽世(かくりよ)の門。死者の門。

 彷徨える者が行く手を塞ぐ。地を離れ得ぬ者が行く手を阻む。

 

 ()()()()()

 

「――私達の行いが神に反すと言うのなら、ここを通る事も出来ないでしょう」

 

 だが、決して怯まない。

 女王は進む。護衛の強者たちもまた、女王の声に自らを取り戻す。

 

“かくして女王一行はエルサレムへの入場が適いました。ほどなくして女王は宮殿へと招かれ、念願のソロモン王ご自身とまみえるのです――”

 

 ……流石に、僕には――僕だからこそ、彼の王の姿は真似できない。

 それを行うのは、アイツの後を追うのと同じだから。

 

 ソロモン王とシバの女王は邂逅し、歓談を交わしながらエルサレムの宮内をめぐる。

 羊飼いの口にしていた神殿。竪琴の音色。

 燔祭の供儀。供物たち。くべられた生贄。

 

 その最中、女王は王へと問いをかける。

 二つとも、十九とも取れる問い。区分で言えば二つであるのは、確かに、間違いではない。

 

 そして、最後に。 

 女王は三つの問いを、彼の王に投げかける。

 

 一つの扉、十の扉。

 十戒を収めた聖櫃。契約の証。

 

“――その海は凪いでいます、風に逆らいながら船は進みます。水先案内人の示す先には暗雲が見えます。船の備えは、決して、万全ではありません。”

 

 その問いに、答えに詰まるソロモン王――。

 いや、悪いけど。そこは答えさせてもらうよ。

 

 姿は無理だけど、声くらいなら。

 

「――それは国である。向かう風は、操舵と帆を以て、船を速く進ませるだろう。数多の雫が、待ちて、向かいて、砕けて行く。予想もつかぬ荒波が、大嵐が、水面(みなも)に息をひそめている。砂塵を越え、なおも蠢く流砂のように」

「え――」

 答えに言いよどむソロモン王なんて、見たくない。

 人間であった彼ならともかく、王は、今でも王なんだ。

 

「では……王よ。船はいずこへ参りましょうや?」

「船は止まらぬ。嵐を逃れ、波に漂うは船でない。いつぞ沈むやもしれぬ、流木にすぎん。避けられるばかりが嵐ではない。故に水先案内人は警告をする。 

 嵐に耐え、暗雲を越えた船だけが、新たなる天地で――新しい世界で、栄光の夜明けを見る事だろう。朝の光は、彼らを祝福することだろう」

 

 こうして、三つの問いかけは終わる。

 ソロモン王とシバの女王は互いを盟友とし、いっそうの畏敬を抱いたシバの女王は、故郷への帰路についた。

 ソロモン王はシバの女王が望んだとおりの贈り物を惜しみなく与えた――。

 

 ()()()()()()()()

 

 ここから先は、僕らでも知らない話だ。

 シバの女王がどうなったのか、彼女と彼の王がどうなったのか。

 知るはずもない。そして、騙っていいはずもない。

 

 ここに一つの役目を終える。

 魔神柱としてでなく、彼に仕えた一匹のヒョウとして――。

 

 

 

*

 

 

 

「カーターさん。村の者がアンタに用があると。判事さん、あんたもだ」

「……わかった。応じよう」

 

 ……さて。

 家に帰って、結界を敷こうかな。

 そろそろ頃合いだし――なにより。

 

 こちらを睨みつけてくる、怖い怖い大魔女さんから逃げなければいけないからね。

 

 

 

*

 

 

「アン! お前、これに見覚えがあるか!?」

「騒々しいな、ジャイルズ。子供は寝る時間だぞ」

「子供はお前だろう! いや、そんな話に付き合っている暇は無いんだ。これ――この木彫り人形は、誰がこしらえたものだ。正直に言えよ――?」

「ティテュバだよ。そんなに睨まなくてもいい。ブードゥーのまじない道具さ。動物の贄を用いて、自らに神を降ろす――ま、異教徒の儀式の道具だね」

「……お前、それを知っていて、黙っていたのか……?」

「ははは、これはおかしなことを言う。普段から僕の事を子供だと、僕の医学を子供のまま事だ、などと馬鹿にしている君に、僕が相談を持ちかけると思っているのかい? おいおい、そんな怖い目で睨まないでくれよ――僕は明日にでも、ウィリアムに相談しにいこうとしていたんだからさ」

「……信じられないな」

「これを見ても、かい?」

 

 手袋を外す――そこには、酷く爛れた皮膚があった。

 

()()()()()()()()()()()()()。苦しんでいるんだ――君の娘と、同じようにね」

「……!」

「ティテュバは魔女だよ……アビゲイルが何と言おうと、カーター氏が何と言おうと、旅の一座が何と言おうと、ね。だって僕は、彼女の話を聞かされただけで、こんなことになってしまったのだから」

「……」

「ジャイルズ。いいね?

 僕は――被害者だ」

「……ああ」

 

 僕は、アン・パットナムは――告発者の一人だ。

 その事実は、僕の魔神柱としての力を最大限に強化する。

 

 机の上にあった、「オズの魔法使い」が、風も無いのにパラパラとめくれた。

 

 

 

*

 




הו, הו!
המפתח של שלמה, ספר נהדר!
תן חוכמה כך שהרוח לא תגיע אלי!
הבה מקדישים, מקדישים את לבנו, מקדישים את נשמתנו.
המפתח של שלמה, חוכמה גדולה!


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番犬はウィルバーを襲う事無く

告発します

彼女らは

魔女よ



*

 

 机に向かって、パラパラと本を捲る。

 どこにでもある、と言えるほど安価な物ではないにせよ、医学書としてはそれなりに有名で、ウィリアムも「これを完全に理解してから私に師事するという戯言をのたまうといい」なんて言って来たくらいの入門書。

 その日の内に読み込んでいったら溜息をついて、晴れて僕は彼の弟子になったわけだけれど。

 

 さて、何故それを今になって読んでいるのかと問われれば。

 

「そろそろ出してくれてもいいんじゃないかい?」

「ダメだ。

 アン、その傷は火傷によるものだ。決して魔女による魔術の被害などではない。私は医者だよ、アン。君だってそうだ。君の母だって。それなのに、魔術の被害にあっている、だなんて戯言をいう様では到底外には出してやれない。その入門書をよく読みなおすといい」

 

 ……こういう事である。

 ジャイルズを”言いくるめ”た後に、証拠作り(アリバイ)のためにウィリアムの元を訪れ、この旨を話したところ、こうだ。曰く、そんな教え方をした覚えはない、の一点張り。

 彼は医者だ。それはつまり、科学者と言う事でもある。この時代の科学者が神学者や錬金術師であることは然程珍しくないが、ウィリアムはむしろそれを批判する側だったのが、此度の事態を招いた一因であると言えるだろう。

 ……ああ、いや。

 もしくは――大切にしていた教え子が、痴呆になってしまった事が……いっそう彼を医学の道の追及へのめり込ませたのかもしれないが。

 

「はぁ……だがね、ウィリアム。僕は火傷を負うような事はしていないし――何より、捕まったんだろう?

 ――魔女ティテュバは」

「……まるで熱に浮かされたようだった。ボストンから来たと言うホーキンス。娘が()()()()を起こしたジャイルズ。ニコラスやコットンまで。皆が皆、魔女だ魔術だと騒ぎ立てる。むしろ、彼らこそが”魔術”という得体の知れないモノで操られているかのように」

 

 ほう、と嘆息した。

 素晴らしい。史実通りであれば、そして本来通りであれば彼もまた告発者の一人となるはずだが――何の因果あってか、理性を保っている。

 素晴らしい、が……。

 

「ウィリアム。その知見は、その賢さは――あなたにとって仇にしかならないわ」

「……アン? いや、その喋り方は……」

「あなたはこう言わなければならない。”少女たちは魔術によって()()()()()()()()()()()()()()()()()”と、ね。ウィリアム。”あなたは狂っていないわ”。”すべて、魔術の、魔女のせいなのだから”」

「ア、ン……」

 

 誠に悲しいが――僕のせいで変わってしまった事には、僕が始末をつけなければならない。

 ……たとえ彼らが、とうに亡きモノだとしても。

 

「ウィリアム。僕はここを出て行っていいかな?」

「……ああ。だが、安静にするのだぞ。お前にかけられた魔術は”小さい”ものだが、それでも、だ」

「……ありがとう。

 それじゃ、ウィリアム。良い余生を」

 

 ウィリアムは、この村における重鎮の一人。牧師や教職者と同じか、それよりも高い説得力と影響力を持つ医者だ。この村で彼の診断を受けていない者はいないくらいに、ね。

 そんな彼が、”少女たちは魔術によって苦しめられている”と言えば――その見識が讃えられることは間違いないし、少女たちが被害者の括りにいることは確実なものとなる。そして反対に、魔女はまだいるのだと、村人に刻み付ける事になる。

 ……それは恐らく、ウィリアムの真意ではないし――もしかしたら、唾棄する行為なのかもしれないけれど。

 

「……母子二代、揃って破門かな、これは」

 

 どっちも僕だけど。

 あぁ、でも。

 一振りの、毒だけは――。

 

 

 

*

 

 

 

「ラヴィニア・ウェイトリー。彼女は魔術師の家系だわ」

 

 ティテュバの疑いを晴らす為、ランドルフ・カーターと共に牢へと向かったマスター、それに付き添ったロビンを除く面々――内、哪吒はアビゲイルの元にいる――は、リビングにてこそこそと話し合っていた。

 勝手に行われたメディアによるカーター家の工房化。それによって霊体化が行えるようになったことなど、少々の悶着があったとはいえ、話し合いは調査へと戻る。

 ウェイトリー家に残された魔術の痕跡。錬金術、黒魔術の儀式に使われた物。地下の工房。ウェイトリー家そのものが現役の魔術師であるかどうかは不明だが、それがわかった場合、ラヴィニアの命が危ないということ。

 

「……それを言うなら、一昨日の夜我々と共に戦ったアン・パットナムという少女も魔術師だ。それも、相当に強力な」

「なんですって?」

「……何故、昨日の内に言わなかったのですか?」

 

 疑いの目がメディアに向く。

 同時に、疑問。いつもの三割……七割増しで胡散臭いメディアはともかく、哪吒まで黙っていた理由はなんなのか。

 

「理由はいくつかあるが――強力であると気付いたのが、今朝だから、という理由が大きいな。それまでは本人の言う通り、転がっていた魔導書を齧っただけの相手にする価値も無い魔術師だと思っていたが――まさか、私と哪吒を完全に欺く程の技量とは」

「……続けて」

「私の沽券に関わるから、余り言いたくはないんだが……昨日の朝、マスター達と合流する前の話だ。私と哪吒は朝食をアン・パットナムの家で食べたんだ……」

 

 メディアは顔を顰めて話す。

 相当に怒っていた。とても。馬鹿にすること、おちょくること、いたずらする事。

 自分がやるのは好きでも、やられるのは大嫌いなのだ。

 

 特に、化かす、という分野は。

 

「この簡素な村とは思えないほど、豪勢な朝食だった。たっぷりとチーズのかかった、柔らかいパン。温かいスープ。何より、焼き立ての香ばしい匂いがたまらない肉詰め」

「ごく……」

 

 この村へ来てから簡素な料理――それも美味しいとは言えない――しか食べていないマシュが、喉を鳴らす。我慢に慣れているサンソンやマタ・ハリも、メディアの言葉に想像を膨らませた。

 

「だが」

 

 反対に顔の皺を深くするメディア。

 思い出しても腹が立つ……そんな言葉を吐いてから、大きくため息。

 

「全て、幻だった。チーズなんてかかっていなかったし、スープはただの水だった。そしてパンと肉詰めは――青臭い、熟れる前に地に落ちた、瓜だったよ。あぁ、今朝思い出したんだ。ムカつく……!

 あの女、次会ったら絶対豚に変えてやる……」

 

 幻。

 メディアと、そして恐らく哪吒の怒りはごもっともだが、そんな事よりも衝撃の大きい話があった。

 幻を――幻術を、神代の魔女と、驚異的な嗅覚を持つ哪吒にかけた、というのだ。それも一日の間気付かないほど、強力なソレを。

 

 それは、脅威だ。

 

「あ、それなら、昨日のお芝居の時におかしなものが現れたり、音が聞こえたのも……」

「なるほど……幻術ですか。村人も完全に騙していたようですし、何より、疑似受肉により弱体化しているとはいえ、サーヴァントである我々も欺けるとなると……」

「魔神柱の可能性、大。と言う所ね。でも、そんな解りやすい事するかしら?」

「それは私も気になっていました。余りにも目立ちすぎる動きは、魔神柱というより現地の魔術師、と言う方がしっくりくるような……」

「ですが、それならばダビデ王や()の声を知っていた理由がわかりません」

「幻術の中にはかけられた者の中に在る知識から幻を見せるものもある。一概にこうだ、とは言えないが……有力な情報はある。

 アン・パットナムの家に、『オズの魔法使い』があった」

 

 その題名を聞いて、しかし面々の反応はマチマチだった。

 サンソンは首を傾げ、マタ・ハリは難しい顔をする。

 そして本を嗜むマシュは――。

 

「え……それは、ありえません」

 

 メディアの工房化のおかげでより鮮明になった頭で、否定する。

 それは有り得ない。それがこの村にあるのは、おかしい。

 

「どういうことです? その本に何か……」

「……童話『オズの魔法使い』は、私が……あの男と一緒に居た時に初版が出されたものよ。だからそう……二十世紀初頭のこと」

「はい。そしてこの村は、セイレムは今、十七世紀終盤のはずなんです。一六九二年――それが魔女裁判の起きる年ですから。だから、この村にそれがあるのは有り得ないんです」

「ああ――それなら、同じような事例で、あり得ない事が一つ。

 昨夜突然あらわれ、セイレイムの主任判事に赴任した男性マシュー・ホプキンスですが――僕は彼を知っています。直接の面識はなく、知識として。

 自分と同じ経理に関係するものとして、あまりにも著名な人物ですから」

 

 そのおかしな事を話そうとした、が。

 降りてくる足音二つに、四人は口をつぐむ。

 

 哪吒とアビゲイルだ。

 

「メディア。騙欺(へんぎ) 許せない」

「ええ、それは私も同じよ」

「うん」

 

 怒っています、という顔で見つめ合う二人。

 その時間は一瞬。

 だが、万感の思いがあった。負の方向に。

 

「アンに騙された、って聞いたけれど……」

「! ちょうどいいわ、アビゲイル? アン・パットナムという子について、少し教えて欲しいのだけれど……」

「アンについて?」

 

 ティテュバに関して、心を痛めているだろう、アビゲイル。

 そんな彼女に話を聞くのは憚られるところもあったが、それでも聞かずにはいられなかった。それは直接聞いたマタ・ハリも、サンソンも、そしてマシュも、同じ心持ちだったのだろう。

 アビゲイルに対して目を細めているメディアと、カーター家から見える茂みを睨みつけている哪吒を除いては。

 

 

 

*

 

 

 

「おかえりなさい、先輩」

 

 マシュー・ホプキンスの所へ行っていた座長・藤丸立香が帰ってきた。

 同じく付き添いのロビン――ロビンフッド、サンソン、哪吒、マタ・ハリ。そしてマシュと藤丸立香。彼らと、そしてメディアの六名が、今この家にいる者。カーターもアビゲイルもいない。

 

 そうして行われるのは情報交換だ。

 ホプキンスについて。そして、ティテュバについて。

 ティテュバは牢に入れられ、酷く狼狽しきっていて。

 ホプキンスの面会謝絶に対しても一切ひかないカーターの様子。

 

「さらには都合の悪い事に、ティテュバの魔術とやらがバレた原因……ひきつけを起こしたっていう少女の診断を行ったウィリアムって医師が、これは”大きな”魔術によるものだ、なんて証言をしやがったんだ。”おぞましい呪いの拡散を防ぐためにも、無暗に触れさせるわけにはいかない”と、な」

「……魔術的には筋が通っているわね。そのウィリアムっていう医師は、魔術の判断ができる……魔術師なの?」

「さぁ、オレにはなんとも」

「ではカーター氏は、その処置に納得せず、今度はその少女たちを診たウィリアムという医師に会いに行った、というわけか」

 

 険しいものが彼らの眉間に走る。

 ホプキンスは容疑者に自白させる――()()()()()()()()()()()()()()、魔女狩り将軍。魔女を狩る事で報酬を得る、魔女専門のハンター。

 それがサンソンから聞かされた事実であり、そうであるのならば、ティテュバの命は針の上。さらには、どこに疑いの目がかかるかもわからない第一級要注意人物。

 

「二人目の要注意人物、ですか……」

「二人目?」

「あ、はい。先輩がいない間に情報共有は行ったのですが……」

 

 マシュは一度、哪吒とメディアを見る。

 その意味に気づき、哪吒は顔を強く顰めた。

 

「私達がセイレムへとついたあの晩。焚火に腕を突っ込み、焼石と棒切れを以て果敢にも野獣と戦った、あのアン・パットナムという少女についてです」

「うげ、あのお嬢ちゃんやっぱり危なかったのか。行動が大胆すぎると思ってたが……」

「アビゲイルに聞いた話だけれど、アン・パットナム……彼女は所謂”天才”ね。六つの時にウィリアム医師に並び立つほどの医学を心得、さらに科学、物理学、神学に歴史学。他にもさまざまな学問に手を出し、修めているわ。

 それでも気味悪がられないのは、偏に彼女の人徳かしら。誰にでも無償で手を貸し、助け、知恵を与え、そしてそれを誇らない……。絵に描いたような人徳者。大人達からの信頼も厚い、この村きっての才女、とのことよ。

 ただ、それには色々背景があるらしくて……彼女の母親が、彼女が生まれた時に()()()()()しまったようで、今ようやく文字の読み書きができるようになった、程度の知能しかもっていないみたいなのよ。それが原因で、アンは賢くなったんじゃないか、って。アビゲイルは言っていたわ」

「ええ、それが表向きの『アン・パットナム』です。

 メディアの話によれば、彼女はメディアと哪吒の両名に強力な幻術をかけ、沢山の魔導書を持ち、家の工房化を行える現役の魔術師。さらには異物……この時代にあるはずのない書物を持ち込んでいる、恐らくはこのセイレム外部の人間だろう、という事」

 

 だが、”おかしくない所”もあった。

 マシュの記憶。カルデアで与えられたセイレム魔女裁判に関する知識は、工房化によってより鮮明になっている。

 その中に、彼女はしっかりと居るのだ。

 

「ですが、史実通りとも言えるんです。

 アン・パットナムは、天才と称される少女でした。齢十二にしてしっかりとした弁論を法廷の場で行い、魔女とされた人々を糾弾、有罪にまで持ち込む。話術と知恵に長け、自身を告発者の位置に置く事で身を守り、相手を騙して言いくるめ、信じ込ませる事が出来る。魔術師という差異は大きなものですが、性格や素質に大きな違いはありません」

「魔神柱じゃなさそう?」

「それは、わからないわ。ホプキンスと同じく注意するべきなのは変わりないけれど……余りにも動きが派手すぎる。それに、あの晩。確かベティとか呼ばれていた子を守っていたでしょう?

 どうも演技には思えないのよね……」

「確かにあの時の緊迫した表情や声は演技で出来るモンじゃないと思いますねぇオレも。さっき外部から来た魔術師、なんて話が出ていやしたけど、史実通りに居る人間なんだったら、むしろあのお嬢ちゃんに魔術を教えた外部の人間がいる、って考えた方がしっくり来ないですかい?」

 

 怪しい人間はホプキンス。

 怪しい家系はウェイトリー。

 ウィリアムとアンについては、一概に怪しいとは言い難い。

 

 それが、一応の結論だった。

 

「これ以上案件を増やすのは億劫なのだけど……もう一つ、気になる事があるのよ」

「ム?」

「誰か、この中で……ティテュバの容姿を詳しく語れる人はいる?」

「え? どういうことですか?」

 

 メディアが切り出した話。

 それは、今尚投獄されているティテュバに関するものだった。

 

「褐色の肌の、温和そうな夫人でしたが……む? おや、これは……」

「具体的な特徴を、一つでもあげてごらんなさい?」

「……――マジかよ、オレもだぜ。いつの間にか術中にあった、ってことか?」

 

 驚きが広がる。

 認識阻害――記憶干渉。

 工房化によって隔離されたこの場所であるからこそ、それを認識できる。

 

「サーヴァントの肉体と近くにすら容易く干渉する、神霊クラスの結界。……だからこそ、あのアン・パットナムは怪し過ぎるのだけど……まぁ、それは置いて於いて」

「発見者として、メディアの意見は?」

「決まっている。

 彼女は外見を偽っていた。私はホプキンスよりも、そしてアン・パットナムよりも、彼女、ティテュバに疑いを向けている。彼女()()()、魔神柱と何らかの関係を持つのではないか、と」

「そうだよ。それでいい」

 バッ、と。

 哪吒が、窓の外へ振り向き……茂みの中を睨みつける。

 つられてロビンとサンソンもそちらを向くが、なにもいない。

 

「どうしたよ、太子殿」

「窓に 獣?」

「また外れた野獣ですかい?」

「……」

 

 キッと睨みつけるそこにはなにもいない。

 ただ、昼だと言うのに暗い()()が広がるばかり。

 

「……話を続けるわよ?」

「……わかった」

「それで、ホプキンスについてだけれど――」

 

 メディアが自身をホプキンスの元へ連れて行け、という旨の話を始める。

 その間も、哪吒は茂みを睨みつけていた。

 

 

 

*

 

 

 

 何やら面白そうな、喜劇の演目が開催されるらしい。

 といっても、前回の様にいたずらをしにいくつもりはない。彼の王の関わらない演目であるなら僕が出る幕も無いし、何より他にやる事があるからね。

 

「――ォ――ォォ――」

 

 熱に浮かされた、人間の声がする。

 劇を見に行かなかった人間たちの――ホプキンス判事主導によって行われる、罪人(つみびと)を断罪するための儀式。

 絞首刑。

 その、絞首台(Gallows)

 そこに立たされるは数人の人間――ティテュバをはじめとした、罪人たちだ。

 

「アン・パットナムと言ったね。つらいだろうが、君の腕を見せて欲しい」

「はい、判事様」

 

 手袋を脱ぎ、腕を晒す。

 そこには、ひどく爛れた肌があった。篝火に照らされ、そのおぞましさ、酷さが有様に浮かびあがる。

 どよめく村人。子供は皆劇を見に行っているが故に、いるのは大人だけだ。それも、劇に対して何の興味も持たなかった、とりわけ気の荒い者達。

 

「ウィリアム医師」

「ああ……皆も知っての通り、彼女は私の教え子なのだが……今朝、彼女が()()()()()相談を持ちかけて来たのだ。曰く――魔術の被害に遭っている。助けてくれ、とね」

 

 息を飲む音。

 医者が視れば、ただの火傷だと判断するその傷も、無学な民衆ではわからない。

 

「これは確実に、魔術の被害だ。”小さな”ものとはいえ……そしてジャイルズの娘やマーシーの娘など、沢山の少女たちが被害に遭っている。これは確実に、魔女が引き起こしたモノであると断言しよう」

「うむ。

 それではここに、刑を執り行う。罪人ティテュバ。罪名はウィッチクラフト。罪人ジョン・ウィラード。罪名は魔術使用……」

 

 少なくない数の名前と、罪名が上がる。

 もう抗議の声を上げる気力を持つ者はいない。皆項垂れ、死を待つのみだ。首に縄を掛けられ、その状態で足場に立っている。

 

「足場を取り除け!」

 

 足場が取り除かれる。

 自然、支える物が無くなった身体は、重力に引きずられる。吊縄は深く、深く首へめり込み、気道と血管を締め付ける。

 バタバタと手足を震わせる者。酸素を求め、口をパクパクとさせる者。目を剥き、早々に気絶してしまう者。糞尿を撒き散らし、手を際限なく開いてもがき苦しむ者。

 

 そして。

 

「刑は終了した。

 魔女は全て処刑した。だが、まだ潜んでいる可能性はある。息を殺している可能性はある。セイレム村の人々よ。彼女――アンのような被害者をつくり出さないためにも、積極的に疑って欲しい。この地で我々を貶めようとほくそ笑んでいる悪魔たちを!!」

「……僕からもお願いするよ、みんな。

 僕だけじゃない……みんなの子供や、そしてみんなまで、魔女の脅威にさらされるなんて、僕は耐えられない。魔女が全ていなくならなければ、僕は一生、この腕で生きて行かなければならないんだ。そしてそれは、みんなの手や足、顔にだって現れるかもしれない……」

「そんな、恐ろしい――」

「あぁ、可哀想なアン――」

「勉学が立っても、あの体では嫁ぐことさえ――」

 

 同情は心の隙だ。

 期待通りの働きをする僕に気をよくしたのだろう、ホプキンスは、僕の肩を優しく叩いた。

 

「安心するとよい。

 私が来たからには、魔女は全て捕える。全てこの絞首台にかける。だからしばしの間、我慢していてくれ。出来るかな?」

「はい……頑張ります」

「ウィリアム医師。彼女を家に送り届けてやってくれ。まだ子供だ。眠いだろう、痛いだろう。良く付き合ってくれた。上質の塗り薬を忘れないで欲しい」

「ああ。それでは行こうか、アン」

 

 証言のためとはいえ、子供に処刑を見せると言う狂気的行いについては誰も触れない。

 そんなことは気にされないのだ。この場では。

 

 ウィリアムに連れられ、丘を下る。

 ゆらゆらと揺れる死体が、僕に手を振っている様だった。

 

 地獄へ来いという、手招きかもしれないが。

 

 

 

*

 

 

 

 魔力が満ちる。

 狂気に中てられたアブサラム・ウェイトリーが、食屍鬼の招聘を行ったのだ。

 そしてそれは、無残にも結界の中を跳ね返り――一つの墓地へと堕ちる。

 

 嘲る屍肉食らいが、地中より這い出す。

 

「やぁ、ジョン。やぁ、サラ。おや、ジャガイモを盗んだバッティじゃないか。クリスクも」

「――痛い――痛い首が痛いクビ――一つくらいいいじゃない――あるんだクビいっぱい、クソ――」

「コンナトコロ――痛い――貴様――パットナム――」

「貴様が、貴様が、貴様が、貴様が……助けて、くれると思った、のに……」

 

 僕の家の敷地に踏み入った瞬間、塵となって消えて行く彼ら。

 ヒュウ、恐ろしい。これは心にクるね、普通なら。

 

 だけど、こんな塵一つ二つに心は動かされない。

 そうだね、シャンタクの鳥の一匹でも来れば魔術で相手をしてやるけれど……。

 

「ここはカラス野郎にならって、ショットガン(BANG)で行こうかな?」

 

 視界の端。

 ベティの父親であるパリス牧師が襲われているそこへ走って、ぶっ放す。

 ショットガンは名前に反してそこまで拡散しない……ちゃんと扱えば、対人戦においては無類の強さを発揮する。

 

「アン!?」

「パリス牧師! 銃器は!?」

「い、今は家に無いのです……」

「わかった。僕が撃退するから、パリス牧師はベティを見ていてください!」

「そんな、そんなことは!」

「ベティも”魔術の被害者だ”。僕はこれ以上、被害者を出したくない!」

 

 茶番も茶番だ。

 相手も操られた駒。僕も盤上で踊る道化。

 襲い来る屍もまた、操られた駒の一つ。

 

 正気の者など誰一人いない、

 これこそがお芝居だろう。観客もいないけれど。

 

「……危ないと感じたら、すぐに逃げるのですよ!」

「ああ!」

 

 銃弾は十分。

 銃器はメンテ済み。

 何より僕は――いや。

 

 まぁ、なんだ。

 かかってこい、木偶の坊共――!

 

 

 

*




ああ

大きな手が

私をすくうわ


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名もなき弟が殺されることもない。

もう戻れない

自らを王とした少女は

もう、彼の者の手を掴めない。



*

 

 

 アン・パットナムは不思議な少女である。

 彼女が聡明に話し始めたのはいつだったか。いつのことだったか――生まれたときからだったのか。

 誰も覚えていないし、深く追及するつもりも起きないし、なによりどうだっていい。

 

 ただ、彼女の存在は。

 彼女の与えてくれた知識は、彼女の教えてくれた世界は。

 

 私、ベティ・パリスにとって、私の話を聞いてくれない両親や村の人たちなんかよりも、私のことなんてみていないアビーよりも、エリザベスや、マーシー達よりも。

 そして私自身よりも――大切で、懸け替えのない存在になっていたのだと、そう思う。

 

 

 だからだろう。

 

 得体の知れないナニカに対して、たった一人で立ち向かうアンを。

 その体に深い傷跡を負っていくアンを見て、助けなければ、と思ってしまったのは。

 

 自分のことですらまともにできない私が、傲慢にもアンを助けたいと考え――その結果。

 

 前に出た私を守るために、アンが。

 

 

*

 

 村の公会堂では、騒がしい村民たち……恐慌状態一歩手前、とでもいうような様相を呈した彼らが集まっていた。

 村で飼われている家畜、そのほとんどが傷を負い、使い物にならなくなってしまった。死んだものだけではない。傷を負い、自らつぶさなければならないその心持ちは如何程か。

 開拓の村としてここへ来たもの。この村で生まれ、貧困の最中でもなんとか育て上げたその家畜は、わが子にも似た愛情の矛先である。無論子に注がれるようなそれではないにせよ、彼らの憤りが収まることは決してない。

 

「アンが……アンが、傷を負って!」

「落ち着きなさい、ベティ。彼女のことはウィリアム医師に任せてきたのだろう? 大丈夫だ、必ず元気になる」

 

 公会堂には彼女、ベティ・パリスもいた。彼女の父であるパリス牧師は村のまとめ役たちと話しているため、彼女はひとり。いつもそばにいる彼女の姿は見えず、ベティ自身は周囲の大人に諭されながらも、焦って、怖がっているように見えた。

 彼女――アン・パットナムは、家畜達を襲ったナニカと果敢にも戦い、負傷。ウィリアム医師のもとに運ばれ、絶対安静の状態だという。

 

「私が、私が悪いの。来るなって、行っちゃだめだって、言われていたのに!」

 

 ベティがこうも狂乱に陥っているのには理由があった。

 勿論ただアンが怪我をしただけ、という事でも彼女は焦っただろうが――今回、アンはベティを守ってその傷を負ったのだ。背中に、深い爪痕。ベティの視界は赤で溢れ、死んでしまったようにも見えただろう。

 ベティ・パリスはアン・パットナムに依存している。

 そんな彼女の前で恐爪にアンが倒れたのなら、その心持ちもわかるというものだろう。

 

 彼女を鎮めることが出来るのは、アン・パットナムその人だけだろう。

 だが、アンは今、いない。

 

「静まれ! 静まりなさい!

 ……村人に昨夜の警備の者から報告がある」

 

 まとめ役たちとの会話を終えた判事が、険しい顔をして言う。

 だが、彼の後ろにいたウィラード巡査の顔のほうがいっそう深く、険しかった。

 

 ウィラード巡査が口を開く。

 

「みんな、落ち着いて聞いてほしい――」

 

 彼は神妙な面持ちで語る。

 

 自分たちの対峙したモノ。

 村のはずれにある墓地の話。

 墓地が――掘り返されていた、話。

 遺体はすべて持ち去られ、"魔女"として処刑されたティテュバのそれまでもが、なくなっていた。

 

 さらには、この場に来ていたカーター氏が"証言"を行う。

 あの怪物を自身は知っていると。自身の知る限りであれば、あれは"食屍鬼(グール)"であると。

 

 悪魔とは違う、唆す者ではなく、日常と交わらぬ者。闇の世界に潜むDemon。

 血の通う生物を好まず、獲物を殺し、死体としてから食料とする。

 

 彼らはヒトを基にする。

 神の意に背き、人であることを辞めた――憐れなりし、反逆の徒。

 

 それはまさしく。

 

蘇った死者(リビングデッド)……」

 

 ボソりとつぶやかれた言葉。

 それを発した者を、一斉に大人たちが向く。

 

 その視線にしかし、その少女は怯まなかった。

 "教えてもらった知識"を、ポツ、ポツと話し出す。

 

「『ではないんだ。ゾンビとは、根本から違うんだ。彼らは人食いとして描かれる事が多いけれど、本質は死者のまま。食屍鬼とはそこが違う。どちらも人食いだけど、食屍鬼は、生きている。彼らはね、ベティ。人間が"変身"した姿なのさ。ゴムのような弾力のある皮膚も、蹄状に割れた足も、犬に似た顔も、備わっているかぎづめも。

 死して、死者がそんな姿に"成長"……ああ、この言い方はおかしいかな。死者がそんな姿に"進化"出来るわけがない。だって元は人間なんだから。

 だからね、ベティ。食屍鬼(グール)は、人間が"変身"した姿なのさ』」

 

 一言一句。

 あの時教えられた言葉を、すべて覚えていた。

 ベティは普通の読み書きだってまともにできないのに、アンの言葉だけは覚えていたのだ。

 

「……ふむ」

「それは、アンの言葉か。カーター氏はどう思いますかな?」

「……いや、こちらからは何も。ただ、パットナム嬢の博学さに驚いていただけだ。彼女の言う通り、彼らは蘇ったのではなく変わった……いや、変えられたと、そういうべきか」

「変えられた……あぁ、じゃあ!」

「やっぱり……まだ!」

「そうよ、だって昨日、あの子は言っていたわ……まだいる、って!」

 

 カーター氏の裏打ちに、とたん騒がしくなる公会堂。

 判事もそれを止める気はないらしい。爪を噛み、何かを考えているように見える。

 

「アンが絶対安静でなければ知識を頼ることもできましたが……今は、カーター氏だけが頼りになってしまいそうですな」

「ああ、それは構わないが、彼女もいるだろう」

 

 カーター氏と判事の目線が一人を向く。

 先と同じ。

 

「え」

「ベティ。アンから託された知識は、今の村にとって金にも勝る価値を持っている。協力、してくれるか?」

「あ、あの、う、でも……」

 

 カーター氏も判事も、"大人"である。

 大人は話を聞いてくれない。話を聞かないまま、ベティが悪いと判断する。だから嫌い。

 

 だから、頼られているのがアンの知識とはいえ――話を聞かせてほしい、なんてお願いは、どう処理していいのかわからなかった。

 アンに助けを求めることもできない。

 アンに相談することもできない。

 

 ベティが、彼女自身が、ひとりで決めなければならないことだ。

 

「……わかり、ました」

「あぁ、ありがとう。大丈夫、パットナム嬢の代わりに私が君を守ろう。彼女ほど幅広くの知識を持つわけではないが、身を守ることくらいならできるつもりだ。頼りにしているよ」

 

 薄く。

 本当に、薄く。

 カーター氏の口角が笑みを浮かべたことには、だれも気付かないままに。

 

 ベティは一歩、踏み出したのだった。

崖のほうへ。

 

 

 

*

 

 

 

 さて、病床……否、恐爪に伏せる件の少女へと目を向けよう。

 彼女はウィリアム医師の家で、傷口からくる熱病に喘いでいた――なんて、ことはない。

 

 ベッドに腰を下ろし、顔をしかめたまま、床の上数cm辺りを見つめている。

 ウィリアム医師はそれを気にすることなく、何か書き物を行っているようだった。

 

「カラス野郎め……」

 

 口から零す呟きには、彼女には珍しい、ありありとした怒りが乗っていた。

 彼女は知っている。

 食屍鬼(グール)と、そう呼ばれるもの達が、カラス野郎と罵られた男の手によって動いている事。家畜だけを襲うはずだった食屍鬼達が、パリス家だけを狙い、そしてアンの目の前でベティに手をかけようとしたのも、カラス野郎の計画であるという事。

 恐らくはアン自身を見定めるためなのだろうが、それはアンの逆鱗に触れかねない行為であった。

 

 アンは魔神柱だった。

 すでに過去のことだ。あの戦場から逃げ出した時点で"まっとうなもの"ではないし、そのあとにこの人格を得るきっかけがあって、さらには人間としての生を一度、途中までとはいえ謳歌した。

 すでに彼らと胸を張って肩を並べられるような存在とは言い難い。

 

 ただ、その事実は彼女の気の持ち様でどうにでもなる部分でもある。

 それこそが一番大切だが――どうしようもある、という事だ。

 

 彼女が魔神柱としての権能を持っている事実は変わらないし、なんなら、今でも、人間に対して――カルデアに対しての想いも変わっていない。

 ツマラナイものだと。

 価値を見出せないと。

 アンとしての部分ではない。それは魔神柱の一つとしての、価値観。

 

 だから、その価値観に沿っていくのなら、ベティがどうなろうと、ウィリアムがどうなろうと、本当はどうだっていいはずなのだ。その価値観でなくとも――彼らは、とうの昔に。

 

「……()が教養を与えたものを、ただの人間として扱うか?

 ――それこそ、まさか」

 

 薄い笑み。

 ここでようやく、合致した。

 

 乖離していた意識が、ようやくまとまりを見せたのだ。

 

 我ながら、敵を前にして合致するという――なんとも人間らしい行為には、呆れが返るが。

 

「さて、ウィリアム。

 僕はもう行くよ。血相を変えて僕を心配してくれて、どうもありがとう」

 

「……ああ」

 

 ウィリアムは――残念だけど、僕が教えた存在ではないからね。

 

 

 

*

 

 

 

「『食屍鬼には火器も銃器も、効かない。いや、多少なりとは効くけれど、彼らのゴムのような体はそのすべてを半減させてしまうからね。ただ、彼らは魔術も扱うから、刃物さえあればいい、というわけではないよ』」

「ふむ……確かに、私の読んだ文献にも、彼らの肌はゴムのようで、不愉快な感じがした、と書いてあったな」

 

 カーター氏の家。

 そこで、判事と、カーター氏。そしてベティが情報共有の場を設けていた。

 旅の一座は今ここにいない。劇の練習のためと、すでに家を後にしている。

 

 自身の話をしっかりと聞いてくれる大人。

 アンだけだと思っていたその"役割"に、次第と警戒心を薄めていくベティ。

 

「では、警備のもの達には刃のついた棒を持たせましょう。槍があればよかったのですが……」

「まぁ、そううまくは行きますまい。万一の場合だけ、交戦。それ以外の場合は避難を優先するべきだ」

「『彼らに背を向けてはいけない。彼らにとって人間は食物だ。魔女と結託しているときなら、なおさらね。勇敢にも立ち向かうことをお勧めするよ。ただし、ひとりではだめだ。かならず四人以上で、四方から絶え間なく攻撃するべきだね』」

「なるほど。警備のもの達に伝えておこう」

「しかし、彼女はショットガンで応戦したと聞きましたが……」

「知識と実践は別だろう。彼女は齢十二の少女。大人のように剣を以て戦うなど、できるはずもない」

「……そうでしたな」

 

 自身の言葉に、大人たちが議論を進める。

 それが、なんだか、とても。

 

「……ぁ」

 

 嬉しかった――という事実に、(かぶり)を振って冷やす。

 そんなことがあっていいはずがない。

 アンに傷を負わせて、アンに守ってもらって、アンの知識で得た今の立ち位置。

 それを喜ぶなど、あまりにも、アンに冒涜的だ。

 

 そんなの、狂っている。

 

 

 

「ベティ?」

「まさか、どこか痛むのかね? パリス牧師から聞いたが、ベティ、君も"魔術の被害者"だという話じゃないか。アンと同じく、どこかに爛れが……」

 

 その言葉に、

 

「ただ、れ……?」

 

 と――返してしまったことは。

 たぶん、アンにとって、余程よくない事だったのだと、ベティは直感で理解した。

 

 何故なら、その時のカーター氏の顔は。

 凡そ、人間のソレには見えなかったから――。

 

 その顔が、ぐしゃりと歪む――その前に、

 

「やぁ、カーター氏。それにストートン判事。その持ち上がった手は何かな?」

 

 杖を突いた、彼女が。

 勢いよく扉を開けて、現れたのだった。

 

 

 

*

 

 

 

「あ、アン。怪我は……?」

「見ての通りさ。歩くこともままならないけれど、どうにか生き永らえた。大丈夫だよ」

 

 その様相は、とても"大丈夫"だなんて言えるものではなかった。

 顔にはびっしりと汗をかき、足取りはフラフラ。

 表情にこそ余裕があるが、やせ我慢だ。

 

「……無理をする必要はない、パットナム嬢。君の知識は、ベティ君が受け継いでくれている。君は十二分に休むといい」

「ははは! それは面白い冗談だね。いつもベティを白い目で見ていた君たちが、危機となれば真っ先に彼女を頼るのか。そうだろうね、彼女は少々騙されやすい。人の言葉を真に受けてしまうし、感情もわかりやすい」

 

 少しだけ。

 その物言いが、心に残った。

 それは多分、アンが来るまでの間に――ベティが、"自信"というものを獲得しかけていたからなのだろう。

 いつも通り、ベティを庇ってくれているはずのアンが――何故か、話を聞かない大人たちと重なってしまった。

 

「すでに大人たちの前で知識を披露したベティであれば、プロパガンダにも起用しやすい――君たちの、君の言葉を信じさせるには十分な資質を持っている。僕よりもベティのほうが使いやすかったんだろう?」

 

 その幻影は、虚影は、心にひとつの罅を入れる。

 ベティのための発言が――彼女にとって、今の彼女にとっては、煩わしいものになってしまったのだ。

 

 結果。

 

「だけどね、ベティはまだ幼い。僕のように清濁併せ吞むことが出来るほど賢くは、」

「……やめ、て」

「――ベティ?」

 

 あふれ出たものが止まることはなかった。

 もしかしたら、彼女自身でも知らない――「追いつくことが出来ない」という無意識下のストレスが、そうさせたのかもしれない。

 気づけば、ベティは。

 カーター氏や判事を背に、()()()()()()

 

 アンに、向かっていた。

 

「やめ、て……! 二人は、私を、信じてくれた……から、そんなに、悪い人。じゃない!」

 

 普段の彼女を知るものがいれば驚いただろう。

 彼女が声を荒げることなど、そう見れたものではない。それも心配からではなく、怒り。

 ましてやその矛先が、アン・パットナムに向いているなど。背に、大人たちを庇っているなど。

 

 それは、その光景は、見るものが見ればこう言い表しただろう。

 

 狂気的だ、と。

 

 その糾弾に、慟哭に、アンはたじろぐ。

 驚いて――笑った。

 

「そうか。

 そうかい。ベティ。君も――"王"になってしまったんだね」

 

 力なく、彼女は笑う。

 その意味はベティにはわからなかったけど――馬鹿にされている。

 そう感じた。

 

「アンは、休んでいて。わたし、ひとりで――できるから」

 

 拒絶。

 ベティはアンを拒絶する。その助けを拒まんと。

 

 おそらく、この時点ですでに。

 ベティは、"自信"というものを、獲得してしまっていたのだろう。

 

 それが()()()()()()()だなんて、夢にも思うことなく。

 

「わかった。君がそう言うのなら、そうしよう。

 カーター氏。ストートン判事。くれぐれも、よろしく頼むよ」

「ああ、もちろんだ」

「ゆっくり休みたまえ」

 

 一瞬、アンとカーター氏の視線が絡んだ。

 その交錯はコンマと満たない間に終わったけれど――そこに一つの壁が出来たように、ベティは感じた。

 

 そしてそれは、ベティと、アンの間にも――。

 

 

 

*

 

 

 

 

 少し時は遡る。

 

「ノア」

「……パットナム。なるほど、父の呼び出した食屍鬼程度にお前が後れを取るなどとは欠片も思っていなかったが……まさか、無傷とはな」

「無傷じゃないさ。しっかり傷を負って――治した。それだけ。それより、ははは、奥方は事切れたのかい? 

 ――ああ、いや。なるほど。使()()()()()()

 

 ウェイトリー家。

 未だ朝靄残るこの場所で、少女と男の会話は行われていた。

 

「食屍鬼の招聘。その程度の些事に妻を使うとは、さすがに思っていなかった。虚を突かれた気分だ。あの母体は、もっと良い使用用途があったのだがな……」

「アブサラムも耄碌した、という所だろうね。見届けるためとはいえ彼自身が姿を見られてしまったようだし」

「あぁ――無念だよ。こんな、わけのわからない場所に連れてこられて、一族の悲願も為し得ずに事切れる。せめて、娘だけは――あの、可能性の胎だけは残しておきたいのだがな」

 

 ノア・ウェイトリーにとって、妻も娘も魔術の道具でしかない。

 悲願の招聘。外なる神を呼び込むための素材と、外なる神と交わらせるための素材。術者である自身。それらすべてを、愚かな父の所業で失うことになるのだ。

 愚痴のひとつもこぼれ出よう。

 

「パットナム。お前に娘を託すのなら、何を支払えばいい?」

「――僕に関する、記憶。その全てを」

 

 魔術師パットナムの瞳が、薄ら赤く光る。

 隠された物事をすべて見抜くモノ。彼女にまつわる事柄が、全て。

 ノア・ウェイトリーの中から、どろどろと、抜け落ちていく。

 

「あぁ――そうか、オマエは」

「皮肉かな、ノア。君の求めたモノは、すぐ近くにあったんだ。外なる神はもうすぐ現れるけれど――ラヴィニアが子を孕むことは、ないよ」

「……オズ。オズの魔法使い。我々と同じ時間。そうダ。私は、お前を知っているぞ。ゴエティア。オズ。ウォソ。何が少女だ。何がニンゲンだ。貴様は、そうだ、結局のところ――我々を見下す、そう――」

 

 必死にかき集めるように。

 必死に、声を届けるように。

 

 ノア・ウェイトリーは、目の前の"敵"を、強く、強くにらみつける。

 

「じゃあね、ノア。魔術師として――君は、それなりには、印象の強い人間だったよ」

 

 ぐりん、と。

 ノア・ウェイトリーは、白目を剥いた。

 

 眠ったのだ。瞼を開けたまま。

 

 そして、すぐに目を覚ます。

 だが、その時にはもう。

 

「……?」

 

 彼の前には、だれ一人として立つ者はいなかった。

 

 遠くで獣の遠吠えが聞こえる――。

 近くに、複数人の男の足音が。

 

 ノア・ウェイトリーは、自身とその家が"それまで"であることを、悟ったのだった。

 

 

 

*

 

 

 

 村公会堂。

 そこでは、連日と同じく――藤丸一座の公演準備が行われていた。

 

 子供たちを元気づけるための芝居。

 それは一座の一人である哪吒にとっての"好きなコト"で。

 意気揚々と、落ち込んでいたアビーと無理矢理引っ張ってきたラヴィニアを観客席に座らせ、いなくなるというサンソンに気を留めることもなく、マシュの登板の背を押して――と、そこまではよかったのに。

 

 現れたその"子供"を見て、初めて顔をしかめた。

 

「そ、その、大丈夫ですか……? それほどの怪我であれば、家でゆっくり眠っていたほうがいいのではないかと……」

「おいおい、プロンプターさん。これは子供のための劇なんだろう? 仲間外れはひどいというものだよ」

 

 アン・パットナム。

 杖を突く彼女が、そこへ現れたのだ。

 

 途端――怒りと、殺気が彼女へ飛ぶ。

 それがわかっているのか、わかっていないのか。いや、わかっていて受け流しているのだろう。

 ヘラヘラと笑って、アンは哪吒と舞台袖にいる殺気の主を見た。

 

「肉詰め 幻覚。よくも 騙したな!」

「ははは! 何のことかさっぱりだなぁ。こんな寒村に、肉詰めなんて高級品があると思うのかい?」

「哪吒さん、哪吒さん。お気持ちはわかりますが、そろそろ準備のほどを……子供たちが待っていますので!」

 

 その言葉には弱かった。

 哪吒は、敵意をむき出しにしたまま(具体的に言うとちょっと炎を出したまま)、舞台袖へ向かう。

 この場にいるのはマシュと、座長たる立香だけとなった。

 

「……アン・パットナムさん……で、よろしかったでしょうか」

「うん? ――あぁ、そうか。こうしてしっかり話をするのは初めてだったね。よろしく、マシュ。そして――()()()()()()()()()?」

 

 その笑みに、緑衣の狩人が動こうとした。

 だが、それを留める存在が。

 

 微笑みかけられた、藤丸立香その人。

 

「君が魔神柱なの?」

「……ははは! それは面白い質問だ。答えを濁しておこう。ただ、僕は君たちへ敵意を持っていないよ。それだけは確かだ。この事件の黒幕には僕としても思うところがあってね。君たちに味方をするつもりはないけれど――一度くらいなら、協力してあげよう」

「現地の魔術師……ということでよろしいのでしょうか……? 先輩、どうしましょう?

「ねぇ」

「なんだい、カルデアのマスター」

「協力してくれる、というのなら――」

 

 そのあとに続いた言葉は、静止されてもなお弓を構えていた緑衣の賢者も、はらはらと行く末を見守っていたマシュも、そして舞台袖に控え、いつでも戦えるように準備をしていたサーヴァントたちも。

 そして、アン・パットナムさえも。

 

 驚きを隠せないものだった。

 なんせ。

 

「劇に、出てくれないかな。人手が足りないんだ」

 

 魔神柱かもしれない、だとか。

 敵対する可能性のある現地の魔術師、だとか。

 

 ソウイウの抜きにして。

 

「……けが人に言うことがそれとは、なかなか、肝が据わっているね」

 

 本当に。

 

 

*

 

 

 さすがに激しい役どころは与えられなかったが――魔術師とばれている事と、高度な幻術を扱うことが知られてしまっているせいか、演出装置としての役割で酷使されるハメになった。

 主に蛾――いや、鷹の翼の魔術師・キルケーと、哪吒太子殿に。

 よほど瓜が不味かったらしい。そうだね、僕もあんなもの食べようとは思わないよ。

 大きくなった瓜は奇形――粗悪品だし。

 

 とまぁ、僕の酷使もあってか、一応、めでたしめでたしという形で終了を迎えた劇のお疲れ様、という雰囲気は、しかし悲報――僕にとっては予定調和――によって、閉ざされる事となる。

 

 アブサラム・ウェイトリー。ノア・ウェイトリー。

 その両名が、絞首刑によって死んだ、という――そんな、話だった。

 

 

*

 

 

 カーター家に集った一座の面々は、沈んだ面持ちでその一報を確認しあう。

 その中には、成り行きで(というか首根を掴まれて)連れてこられたアンの姿もあった。

 

「さて、お嬢さん――いや、アン・パットナム。アンタ、今回の件、どこまで知ってやがる? 初めて会ったときは勇敢で無謀なんだとばかり思っちゃいたが……どうにも、そこの大魔女さんや太子殿にしでかしちゃってくれた事や、ウチのマスターのことを知っていた事といい得体が知れねえ。そこんとこを説明してくれないと、オレたちはアンタのことを信用できませんよ、ってハナシなんですわ」

「私としては今すぐにでも豚に変えて縊り殺してやりたい所だけど、それは後の楽しみにとっておくとするよ。サーヴァントの知覚にすら干渉できる幻術の使い手。そんなものが現代の魔術師にいるとは思えない。君は何者だ?」

「邪気 感じない。妖気 感じない。敵意 ない。理解不能」

「ねぇ、あなた。その怪我は村人の子を守った時に負ったのだと聞いたわ。少なくとも、貴女にはセイレムの人々を守ろうという意思がある。それなら、私たちと協力してくださらない?」

 

 サンソンは静観。マシュと立香は判断を決めあぐねているように見える。

 三人を除いて、マタ・ハリは争いのない可能性に、ロビンとキルケー、哪吒は敵意をむき出しに。

 

 サーヴァント三人に敵意を向けられて、しかしアンはどこ吹く風。

 ただの人間とは思えない。

 

「どこまで知っている、とは曖昧な質問だね。君たちが星詠みの天文台であることかい? このセイレムが外界と遮断されてしまっていることかい? そこなキルケーと名乗った少女が昨日の晩まで君たちを騙っていた事かい? ふふ、今君たちが知っていることは、全て知っているよ。()()()()()()()

 それで、僕が何者か、か。

 僕は君たちの想像通り魔術師だよ。魔術師パットナム。村では医者の卵アンとして通っているけれどね。そしてこの幻術は、母から受け継いだものだ。母は痴呆を患ってしまったけれど――その前に、僕にこの幻術の真髄を教えてくれた。詳細は母が知っている。僕は渡された魔術回路を使っているに過ぎないからね」

 

 アンは――魔術師パットナムは、杖を置き、椅子に座ってひょうひょうと語る。

 余裕のある表情は、とても少女のソレには見えなかった。

 

「君たちと協力する――それは確かに、吝かではないんだ。

 僕も今回の黒幕には困っていてね。食屍鬼には幻覚が効かないみたいで、このザマさ。ソイツを追い出してくれるというのなら、喜んで協力しよう」

「良かった! なら――」

「ただし、それは君達が信用できると、そう踏んでからの話だ。昨晩死んだ彼女――ティテュバは、君たちと同じだった。正直に言って異質極まりない存在だった。そして、君たちが現れてから、一連の事件は進行を始めただろう?

 正直なところを言えばね、君たちが僕を疑っているように――僕は君たちを、特にそこのキルケーと名乗った少女を疑っているんだよ」

「さっきから少女少女と、そんなに殺されたいのか?」

 

 微妙にしゃべり方の似ている二人が睨みあう。

 背丈も同じくらいで、どちらも少女らしいあどけなさを持ち得ているにもかかわらず、その精神性は少女のソレではない。

 ただの人間ではない点も共通だ。

 

「マスター。これ以上は話が進まないと思います。この場は一度お開きにするべきか、」

「妖気 増幅! 海岸、緊急!」

「霧が出てきやがった……オイオイ、まーた食屍鬼ですかい!? 錬金術師は処刑されたんじゃなかったんですかねぇ!」

「……君は何もしていないようだな。またぞろ幻術でもかけられていなければ、の話だけど」

「食屍鬼を僕が操っているなら、もう少し浅い怪我にするよ。なんたって歩くのもままならない。そんな不便を幻術の礎にするほど、僕はトチくるってはいないさ」

「キルケー! 話していないで、襲撃よ!」

 

 食屍鬼に幻術は効かない。

 それは当たり前だ。幻術は知性ある者にのみ効果を表す、非効率極まりし魔術。単純明快な破壊力を持たないそれでは、自身の身を守ることはできない。

 それを、常識として知っているからこそ、キルケーは椅子に座って手を振るパットナムに対し、お前も働けとは言わなかった。

 ただ、己の為すべきことを為すために、杖を取り。

 仲間のもとへ急ぐのだった――。

 

 

 

*

 




壊れた杭を脳髄に打て

焦げた槌を心臓へ打て

掲げた心を神に捧げよ。


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ならばすべてのことは、この一瞬に

まだ日曜日の25時半なのでセーフ。


*

 

 

 

『見えないモノが見え、聞こえない筈の声が聞こえる。

 魔術というより……それは、一種の()()だ』

 

 ようやく回復した、カルデアとの通信。

 何故か音声だけは届かなかったが、筆談によって可能になった情報共有の場で、その場にいた面々は既視感を覚えた。

 

 セイレム侵入と同時に記憶を改ざんされた、とダ・ヴィンチちゃんは言った。

 認識を置換され、現在受け取っている情報と知識を正しく結び付けられない状態にあると。

 その中で発せられたその一節。

 

「見えないモノが、見えて」

「聞こえない筈の声が聞こえる……?」

 

 サーヴァント相手にも通じる幻術だと、大魔女は認識した。温かいスープと肉汁溢れる肉詰め。柔らかいパン。

 あり得ないヒトの声が聞こえた。少なくともその場にいた全員が、聞いた。

 

『だが、たとえ魔神柱であろうとも、契約もなく、相手を根底から改変する力などない』

 

 それを行ったとされる少女は――魔神柱ですらない。

 単なる魔術師だと、そう名乗っていた。

 

『あぁ、だからそのアン・パットナムという少女は、絶対に――なきゃ――』

 

 通信にノイズが走る。筆談ゆえに、映像が乱れると文字が読み取れない。

 技術スタッフが相当無理をしているのだろう、あのメディアが後ろを気遣う様にちらちらとみているのが受け取れた。それは相当な異常事態である。

 

『次はもっと効率よく情報交換をしよう』

 

 そんなフリップと共に。

 カルデアとの通信は、一時途絶となるのだった。

 

 

 

*

 

 

 

 とうとう手が付けられなくなってきたな、と。

 丘の上から、村の中を眺めながら思う。

 

 別にこれが初めて、というわけではない。何度も繰り返しているのだ。こんなことを。

 筋書こそ違ったが、ウェイトリー家が連れてこられた時にも似たようなことが起きた。よそ者の排他と利己的な団結。

 相互理解を諦めた人間の末路。まったく、なぜこれが、あんな力を得られるのか。

 

「セイレム村は正直、期待外れだった。彼の王が落胆した人間そのもの。でも」

 

 今、村の中心部で彼らがもめ事を起こしている。

 巻き込まれた――そう言えば聞こえはいいが、実際、この排他的な村の人間たちの前に現れたこと自体が失策だ。自業自得と言ってもいいくらいには。

 カルデア。

 星詠みの天文台。

 未来を変えるために、過去を変えた()()を止めた者たち。

 

 彼らを呼び込んだことは、何もカラス野郎の思惑だけではない。

 僕もまた、そこに興味があった。あの場での脅威と――疑念。

 

 僕が見抜いたその真実が、正答だと、そう証明される日は近い。

 

「……本当に、それだけでいいのか?」

 

 問うのは虚空。

 己。

 

 僕は自身が魔神柱であることを忘れていた。

 忘れるに足る理由があったはずだ。

 魔神柱が何かの衝撃で忘れた、なんてことは考え難い。だから多分、自ら忘れたんだろう。

 でも、何故?

 ……まだ、わからない。

 

「……僕の覚悟は、ずっと昔に決まっている」

 

 誰に呟くわけでもない。

 自己確認。でも、大事なことだ。

 

「しっかし、ビルも情けない役所だよねぇ。まさかフラれた女を腹いせに告発する役目、なんてさ」

 

 僕が母アンだった頃には、もう少しいい感じの好青年だった。気が多いのは今も昔も変わらないけど、恋が叶わなくともへこたれず、ケアも忘れない。若造としか思えない年齢の頃の話だよ?

 それが年を経て、村に染まって、理解を忘れて。

 良い様に利用されて……ねぇ。

 

「レベッカも、子供たちにとっては近所の優しいおばさん、って感じで……よく野菜をもらっていたっけ。メアリは売上が減るでしょ! なんて怒っていたけれど」

 

 地面の土を掴んで、サラサラと風に流す。

 最初の話だ。あのカラス野郎が、この村に目をつける前の話。

 僕のほうが一足先にこの村に生まれ出でて、この村で始まり……カラス野郎に言わせるのなら、零回目を経験した。何度も繰り返すこの巨大な実験場の、見本となったあの平和と惨劇。

 こんなに作為的じゃなかったし、暗鬱ともしていなかった。

 効率を求められた結果、それぞれが変な役どころに収められて、狂気的としか言いようがない行動を取っているのだ。

 

 ピックマン夫妻の、一見まともそうな行動さえも演出で。

 そのあまりにももっともらしい悲劇に、彼らは絡めとられていく。

 ここは現世より遠く、虚ろに最も近い場所。

 

「こ……こに、いた……のね……アン・パットナム……!」

「うん?」

 

 振り返る。

 絞首台の横に、彼女はいた。

 

「やぁ、ラヴィニア。何用かな?」

「あな……たが……! お父様、や、おじい様……を……陥れた事は、知っているのよ……!」

「そうかい。それは陽気な事だね。僕がウェイトリー家を陥れる、そのメリットがあるように思うかい?」

 

 震える手で何かを握りしめている。イブン=グハジの粉かな? それとも単純にナイフかな?

 敵討ちだろうか。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()けれど、父親と対等に話していた存在に彼女が敵うと本当に思っているのだろうか?

 だとしたら、お笑い種だ。

 魔神柱としてではなく――魔術師パットナムとして、お相手いたそうか。

 

「……」

「うん? 知っているから、どうするんだい? 僕を父親や祖父と同じ目に遭わせる……そういうつもりなんだろう?」

 

 勿論、傷つけるつもりはない。

 最後の取引で、ノアとは約束を交わした。ノアの記憶を対価に、ラヴィニア・ウェイトリーを託されると。

 それでも、襲い来る火の粉は払わなければ。

 

「……お願いが……ある、わ……。魔術師、パットナム……貴女に、お願いが」

「――へぇ?」

 

 それは――いいね、予想外だ。

 聞こうじゃあないか。

 

 

 

*

 

 

 

 マタ・ハリの処刑が執行された。同じくして、ピックマン夫人も。

 そうして膨れ上がる妖気――死体がまた、食屍鬼となって現れる。

 今しがた死んだピックマン夫人も、マタ・ハリも。

 

 さて、一応は彼らに協力する立場を持ったからね。

 僕も行かなくては。

 

「――精霊達よ!」

 

 すでに戦闘の始まっているそこに、獣の足で駆け付け――その勢いを殺さず、杖の先端でダイレクトアタック! 分類的にはQuickだろう。

 そのまま空中で一回転、二回転と杖をぶん回して、食屍鬼どもの首を叩き切る。

 人間の時には出来ない運動能力は、しかしこの姿でも短時間しか持たない。持久力に関して人間に勝ちうる生物はいないよね。

 

 彼らにバレる前に足を人間に戻して、着地。

 傷もすべて元に戻して、と。

 

「やぁ、素敵な夜だね。みんな集まって、ピクニックかい?」

 

 

 

*

 

 

 

「さて、そろそろ警戒と、出来ればこの縄を解いてくれると助かるんだけどね。ほら、見ての通り、全身に傷を負ったケガ人だよ? 歩くこともままならないんだ、縛っていても意味はないと思うなぁ」

「歩くこともままならねぇヤツが食屍鬼どもの頭上高く飛び出して杖の一本でその首を刎ねる、なんて事ができますかってんだ。ましてやアンタは魔術師。縛り付けておかなきゃ何をするかわかったもんじゃないでしょ」

 

 やれやれ、人の善意を無碍にするとは。

 まぁその、多少、演技がかっていたというか、うさん臭かったのは認めるけれど。

 何も年頃の十二歳の少女を柱にこれでもかと縛り付けて、一晩中放置はさすがに酷いんじゃないかなぁ。

 

「とにかく、今日一日アンタにはおとなしくしててもらいますよ。マタ・ハリ、シバの女王サマ? コイツの見張りは頼んだぜ」

「ええ、わかったわ。そっちこそ、マスターの護衛、気を抜かないでね」

「へいへい、肝に銘じますよっと」

 

 そう言って、ロビンフットはこの隠れ家を出て行った。

 残されたのは、マタ・ハリとティテュバ……否、シバの女王だけ。ほかは全員、出払っている。

 

「うーん……なぁんか、違和感を覚えるんですよねぇ。こう、ビンビンくるっていうかぁ、シンパシーを感じるっていうかぁ……でも()()()()()()()()()()()()()()……」

「それはそれは、光栄な事だね。サーヴァントとはいえシバの女王に同調できるとは」

「あっ……私の商売人としての勘が言ってますよぅ! 貴女と取引をすると必ずこっちが損するぞ、ってぇ」

 

 なんだそのセンサー。

 

「まぁそんなことより、シバの女王。そして、マタ・ハリ。君も気付いているんだろう? シバの女王と言えば――未来視に長けた存在だ。予見し、困難を避けるチカラ。王や花に匹敵するほどのソレ。

 それならば、全てを見通せるのではないか、ってね」

「……確かに、聞きたいことであったのは事実よ。でも、ごめんなさい。私はシバの女王よりも、殊更に、貴女を信用できていないわ。アン・パットナム」

「それはそうだろう。僕はサーヴァント達と違って人格を辿れるものが無い。この英霊ならばこういう行動はしないだろう、という行動規範が全く建てられない。そんなものを信用する、というほうが無理だ」

「いえ、そうではなくて……」

「アナタも未来を予見するような行動を取っているから、ですよねぇ? アン・パットナム。アナタこそ、未来が見えているのではぁ?」

 

 ……まぁ。

 隠すことでも、ないかな。

 

「僕に見えているのは他人の考えであって、未来ではないよ」

「……思考が読めるというの?」

「あぁ、そう言っている。シバの女王、貴女が考えている事も、マタ・ハリ、貴女が考えていることも――ランドルフ・カーターが考えている事も、マシュー・ホプキンスが考えている事も。

 すべて、見えているとも。それを隠そうとする意志のある限り、僕に見えないなんてことはありえない」

 

 それは僕の魔神柱としての特性。

 今までベティに見せていた推理――稚拙で幼稚なものを除けば、大体がこちらの恩恵だ。

 隠したい、知られたくないという負い目があればあるほど、僕にとって手に取るようにわかる考えになる。

 

「そもそも幻術っていうのはそういう魔術だよ。相手の心を読み、相手の欲を知り、相手の心に付け入る。欲が深ければ深いほど、簡単にひっかかる。キルケー(見本)は見せただろう?」

「あぁ……」

 

 哪吒もそれなりに欲深い。

 欲深いからこそ、あの姿に変えられたわけだし。

 

「それに、初めから言っていたはずだよ。僕はこの件の黒幕に用がある、とね。黒幕が誰なのかわかっていなければ、そんなことは言わないさ」

「……それなら、教えて頂戴。

 カーター氏が何を考えているのか。このセイレムで、何が起こっているのか」

「対価を求めよう」

 

 マタ・ハリの顔が険しくなる。

 反面、シバの女王の顔は”まぁ妥当ですよねぇ”という感じ。

 

「……何を求める気?」

「彼の王の話だ」

「ぁ……」

 

 僕は知識として、それを知っている。

 だが、描かれた部分だけだ。彼の日常のすべてを知っているわけではない。

 そしてこの事は別に、誰が隠しているわけでもない。ただ消えてしまった事。

 僕に知ることはできない。

 

「……シバの女王がそれを知りたがるのは、理解できるわ。でも、貴女は何故? いいえ、それよりも、何故貴女が……彼がカルデアにいたことを知っているの?」

「その情報も欲すというのなら、さらなる対価が必要になるけど?」

「……はぁ。商売勘定だけで生きている人は、少し面倒ね……」

「そぉですかぁ? むしろ簡潔明瞭だと思うんですけどねぇ」

 

 全くだね。僕は商売人ではないけれど。

 むしろストリッパーとして、スパイとして渡り歩いた貴女のほうが、商売勘定で生きているんじゃないのかな。あぁ、最後は情に絆されたんだっけ?

 

「わかったわ。話すけれど、その代わり……アンだけじゃなく」

「えぇ、もちろんですよぅ。私ももらった分の対価はきっちりと支払います」

「ところで僕の縄を解いてくれたりは」

「しないわ」

 

 まったく、酷い話もあったものである。

 

 

 

*

 

 

 

 一日が経ち、夜になった。

 なおも僕は縛られたままである。今回は幻術とかでなく、本当に。

 というか、素の状態であるシバの女王に幻術なんか使えない。あれはティテュバとして意識を封じられていたからこそ植え付けられたものであって、人間と魔神の混血である彼女とは本来対等なのだ。

 彼らは焚火の前で、情報共有を行っている。

 (流石に)僕はテントの中の柱に縛り付けられているので、その様子を窺い知ることはできないが、声は聞こえていた。

 

 セイレム村の住民の、名前の話。

 そりゃあそうだ。()()と同じ名前にしたら、本物と同じ行動を取りたがる。カラス野郎の支配が効き難くなる。

 この村で()()と同じ名前をしているのは、僕が母アンとして名づけを手伝った娘達だけ。エリザやメアリやマーシーにベティ。そして僕。

 

 同時に、守ることが出来るのも――。

 

「妖気 だ。これは、村の方」

「まーた襲撃ですかい!? 本当になんなんだこの村は!」

 

 彼らが慌ただしく隠れ家を飛び出していくのが見えた。

 おいおい、置いていく気かい?

 

「おうい、この縄を」

「ふん! 幻術しか使えない魔術師の出る幕はない。そこでおとなしくしているんだな!」

「本当は走れるかもしれない人の縄をほどくのは、ちょっと……ねぇ?」

「自業自得 待機推奨」

 

 ……まぁ、アン・パットナムは療養中になっているはずだから、いいんだけどさ。

 はぁ……足がしびれるなぁ。

 

 

 

*

 

 

 

 夜が明けた。

 いやさ。

 

 帰って……来ないんだけど?

 

 仕方ないなぁ。

 

 

 

*

 

 

 

「動くな」

「動くな、というのなら――こちらのセリフかな?」

 

 祭壇での儀式を行っていたアビゲイルの元に、兵隊を連れたホプキンスが現れた。その傍らにはサンソンも居り、銃を突き付けられたアビゲイルは焦燥する。

 だが、その背後。

 ショットガンを構えるアン・パットナムが、その銃身をホプキンスへと向けていた。

 

「アン・パットナム……?」

「一人で出歩けるほどにまで回復したのかね、パットナム嬢。だが、その手にあるものはなんだ。君には私を害する理由がないと思うのだが?」

 

 杖を突き、足取りもおぼつかない――にもかかわらず、その手に持つ銃は、少女の片手のみの力で、一切たりとも震える事がない。

 しっかりと腋に挟まれ抱えられたショットガンの引き金には、すでに指がかかっていた。

 

「お願いをされていてね――ホプキンス、君には何の恨みもないけれど、すでに()()()()()()()()()()。なれば、僕は契約を遂行するだけだ」

「ッ……貴様、それを下ろ」

 

 ダン、と。

 何の躊躇もなく――散弾が兵士の顔へめり込んだ。

 誰が見てもわかる程に、即死。

 

 アンは器用にも再装填を片手で行い、再度、ホプキンスへと銃口を向ける。

 

「ふむ……契約、と。そういったか」

「ああ」

「それは誰と交わしたものかね? まさか、悪魔……などとは言うまいな」

「勿論」

 

 どす、と。

 鈍い音がした。

 

 全員の視線がアンへと、その銃身へと向いている中での――その小さな人影は、誰の目に留まるでもなく、正確に、確実に。

 ホプキンスの心臓を後ろから刺し貫いた。

 

「契約者は友人の娘。契約内容は――邪魔の排除、だよ」

 

 もう一人の兵士へも、アンは事も無げに引き金を引く。

 よくも、よくもと呟きながら、ホプキンスへとナイフを何度も振り下ろす少女――ラヴィニアへは目もくれず。

 アビゲイルを庇う様に立つ、サンソンと対峙した。

 

「……君は、友人が殺人を犯す事を……止めなかったのか」

「殺人? 復讐だよ、シャルル=アンリ・サンソン。家族を殺されたんだ。殺しもする。だってそうだろう? アブサラムが死んでも、ノアが死んでも、食屍鬼は出てきた。これはつまり、ウェイトリー家にかかっていた容疑は全て冤罪で、それを詳しく調べもせず、二人を縊り殺した――それが、今そこで事切れている男。正当な恨みだよ」

「殺しに、正当など」

「ほう、では正当ではない事を、何代にも渡って行ってきたわけか。シャルル=アンリ・サンソン。四代目サンソン家当主」

「ッ……」

 

 ニヤリと笑うその顔は、とても少女のものとは思えない。

 もっと厭らしく、もっと悍ましい。目の前にいる少女は、紛れもなく魔術師であり――決して十二歳の少女などではないのだと、サンソンは理解した。

 

「あぁ、ラヴィニア……」

「アビゲイル、だめ、だめ、近寄っちゃ。あなたの髪に、ち、血がつくわ」

「そんなの……」

 

 ガシャン、と。

 アンがショットガンを再度、構えた。

 サンソンに向けて。

 

「アン……!?」

「何を驚いているんだい、ラヴィニア。彼はホプキンス側の人間――であれば、邪魔の排除の範疇だ。それとも大人しく捕まって、村人たちの見世物として吊るされる事を所望かい?」

「ぅ、そ、れは……」

「……アン。貴女は、何がしたいの……?」

 

 熱にうなされるような声で、アビゲイルがアンへ問う。

 その顔にあるのは疑念。そして――少しばかりの、怒り。

 

 なぜって。

 そもそも、ティテュバが死んだのは、アンが勝手に人形を持ち出したからで。

 あの儀式に、アンも参加していたのに、なぜかアンだけが、被害者としての立場を得ていて。ティテュバが生きていて、ティテュバはティテュバじゃなくて、そんな彼女とアンは対等にしゃべっていて。

 

「何がしたいの、か。面白い質問だね、アビゲイル。

 決まっている。僕がしたいのは――」

 

「こっちにいましたぜ、マスタぁー!! って、あんだけキツく縛っておいたのに、やっぱり縄抜けの手段があったか!」

 

 凄まじい速度で緑衣の狩人が現れる。

 

「アビーお嬢さんと……サンソン? ……はん、やっぱり敵だった、って事ですかい?」

 

 彼は、アビゲイルとサンソンに並び立つように――つまり、アンに対峙するように肩を並べた。

 その後ろ、続々と面々が現れる。

 多勢に無勢。だが、アンはそのショットガンを下ろさない。

 

「ラヴィニア、逃げてくれると助かるかな。この人数を相手に、君を守り切るのはさすがに厳しい」

「――」

「そうよ、逃げて……ラヴィニア……」

 

 駆け出し、霧の奥へと消えるラヴィニア。

 咄嗟に追おうとするロビンの眼前を、散弾が通り過ぎた。否、ロビンが瞬時に身を引いたのだ。普通に頭部を吹き飛ばすコースだった、という事。

 

「おぉっとぉ!」

「ははは! ショットガンの弾を避けるとは、人間業じゃあない。正直この人数のサーヴァントを単身で相手にするなんて考えられないけど……契約なんでね。少々、付き合ってもらおうか?」

 

 再装填。

 哪吒とロビンが互いに獲物を構える。

 

「……サンソン?」

「ダメです……それ以上、双方が傷つく必要も、手を汚す必要もありません。彼を……ホプキンス判事を刺したのは、そう、僕だ。このナイフで……その事実を招いたことに、代わりは」

「あるよ。彼女の復讐を勝手に背負うなよ。そうでなければ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……?」

 

 ぽい、とショットガンを中空へ投げるアン。

 その銃身は、靄に包まれるようにして消える。幻術だ。

 

「ここで、この場で、ホプキンスを殺し、捧げたのは彼女だ。カルデア、君たちがやったことでは、決してない」

 

 アンが踵を返す。

 その姿を追おうと、そう思ったその瞬間に、彼女の姿もまた靄となって消えて行った。

 

 

 

*

 

 

 

「いやぁ……どうなってやがるんですかねぇ。夜が明けなければ霧も深い。キルケーの話じゃ井戸水は真っ黒、マタ・ハリの話じゃ大量の虫に鳥。

 ()()()()()()()()()()()? ()()()()()()()()()()()?」

「……わからない。何か……ずっと、靄が……晴れないんだ」

「おいおい、外だけじゃなく頭の中まで霧がかってんですかい」

 

 黎明。

 カルデアの面々がセイレムに来て早七日。

 明けない夜が来てしまったこの村のとある民家に、二人はいた。

 

 ロビンフッドと、シャルル=アンリ・サンソンだ。

 

 目撃者が誰も――そう、誰もいなくなってしまったため、アンに否定されてからというもの瞳の焦点が合わなくなっているサンソンを無理矢理(ロビンが)引っ張って、家に連れてきた次第である。

 現在、マスター含め彼ら以外の面々が出払っていて、情報収集の真っ最中だ。

 

「……ちっ、なんだって……」

「……霧が……これは、何か……」

 

 ただそこに。

 不穏な空気だけが、蔓延していた。

 

 

 

*

 

 

 

「――被告人、アン・パットナム」

 

「君にはマシュー・ホプキンス閣下殺害の嫌疑がかけられている。その事に、何か異存はあるかね?」

 

「――――特には?」

 

 

 

*

 




心に枷を


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そう、原始の粘液は今も泡立ち続ける。

賛否両論回


*

 

 

 

 アン・パットナムは自首をした。

 自らがマシュー・ホプキンス判事をショットガンで殺害し、同伴していた兵士の頭も吹き飛ばした、と。検死を行ったウィリアム医師もまた、アンの所持しているショットガンを、兵士二名の死因、そしてマシュー・ホプキンス判事の死因がそれであると断言した。

 アンはこう供述する。

 マシュー・ホプキンス判事の言う”魔女”が処刑されていくにも関わらず、怪我が一向に良くなる気配を見せない。どれほど村人を吊るし上げても、アンの怪我は、魔女の呪いは変化を見せない。

 それはつまり、魔女はアンの程近くにいて、アンに魔術をかけ続けているのではないか。

 なれば、誰が魔女か。

 

 決まっている。

 

 マシュー・ホプキンス判事だ。

 おかしいとは思わないか。あの男が来てから、恐ろしい程に物事がスムーズだ。

 ティテュバは死を免れぬとわかっていて、何故自供した?

 もしこのティテュバが、マシュー・ホプキンス判事の使い魔(ドレイ)だとすれば、マシュー・ホプキンス判事への疑いの目を完全に逸らすために、自ら魔女を名乗る――そんなことも可能なはずだ。

 今までだれ一人、マシュー・ホプキンス判事を疑っていなかった。

 けれど僕は違う。

 僕は彼を”魔女”だと疑った――だから、殺した。

 彼を吊るし縄にかけることはできそうになかったからね。

 

 アンは縛られた両手にある爛れを見せつけながら、朗々としゃべる。

 

 ホプキンスの代わりに法廷に立つストートン判事は、ううむ、と眉をひそめた。

 だから僕は悪くない――そうつながるのだと、誰もが思っていた。

 

 だが。

 

 まぁ、()()()()()()()()()()、と。

 ホプキンス判事が魔女なワケがない。そうだとすれば、彼は同士を殺し続けていたことになる。その判断が僕にはできなかった。僕は悪魔に唆されて、ホプキンス判事が悪いと思い込み――彼に凶弾を放ったのさ。

 一度悪魔に唆された人間は元には戻らない。

 さぁ。

 

 僕を、処刑しようか。

 

 

 

*

 

 

 

「どういう……事なのでしょうか……」

「さぁ。アイツなりに罪の意識でも覚えていたんじゃないか? 一つ言えることは、この件については私たちにできる事はないという事だ。アイツは私たちの身内ではないから弁護もできないし、アイツの両親は完全にノーコメント。というか、母親の介抱につきっりだったと村人全員が認めているそうじゃないか」

「ええ……それに、彼女は死を望んでいるようにも見えるわ……。まさか、私と同じように仮死になってから蘇って、疑いの目を免れるつもり……?」

「いえ、アンさんは最初から疑われてはいませんでした。むしろ疑う側――絶対安全の場所にいたはずです」

「なんなら『アイツに魔術をかけられている』と告発できる立場でもあったはずだ。それがわからない程知恵の無いヤツじゃない。ああっ、くそ、ああいう何を考えているのかわからないヤツを見るとイライラする!」

 

 アン・パットナムの裁判にはフジマル一座の面々の姿もあった。

 彼らの身内であるサンソンを庇ってもらった身になるのだが、直前まで敵対するようなことを言っていた事実と、その行動の意図が掴めない事が、彼らに二の足を踏ませていた。

 

「――そうか。わかった。

 つまりアン・パットナム、君は――悪魔に唆されてしまった自分が悪いけれど、全責任が自身にあるわけではないと、そう言いたいのだな」

「ははは、そうかもしれない。僕を殺すのは構わないけれど、僕を殺してもまだ終わらないよ、というハナシさ」

 

「――いや、それはどうだろうか」

 

 突然、裁判の成り行きを静観していたカーター氏が、声を発する。

 彼は立ち上がり――その背後にいた者の、背を押した。

 

 ぁ、という短い呼気の後に、その者――少女が、法廷に顔を上げる。

 

「ベティ・パリス。君は知っているはずだ。

 彼女の言う証拠――皮膚の爛れの、真実を」

「ぅ、ぁ……ぁ、あ……」

 

 泣きそうな顔で。

 でも、どこか暗い感情を混ぜて。

 

 ベティは口を開いては閉じ、開いては閉じ……全員の視線に耐える。

 

「ベティ。

 ()()()()()()()()()()()?」

 

 だが、まさかの――()()()()()()()()()からの励ましに、思いつめたような顔をした後、一歩前に出た。

 彼女は大人たちのほうへ、一歩前に出たのだ。

 

「――私、ベティ・パリスは、証言します。

 アンの両腕の、爛れは……焚火に腕を入れたときの火傷で。

 翌日にはもう治ったと、アンの作った軟膏で治したと、そう見せてくれました。

 なのに……」

「ウィリアム医師! 火傷を一日で完全に治す軟膏などというものが存在するかね!」

「……そんなものは……存在しない……。もし、あるとすれば……それは」

 

「ウィッチクラフト……魔女の扱う道具だろう」

 

 ここに法は執行される。

 アン・パットナム。ウィッチクラフト及びホプキンス判事殺害の罪で――絞首刑。

 そこに同情の余地はない。自身が火傷を負っていた、という事実を誤認させ、一度は告発する側に立った、卑怯者。

 

 絞首台へと連行されるアンが、ベティの横を通り抜ける。

 

「アン……」

「君はもう大人になった。もう僕は要らないんだろう?」

 

 誰も止める者はいなかった。

 あまりに賢すぎた――その事実が、アンならば齢十二にして魔女足り得るのではないかという先入観を誰もが持ってしまっている。もしかしたら、あの快活だった母アンが痴呆になったのも、この娘アンのせいなのではないか、などと勘繰るものが現れる程に。

 それが事実であると同時に虚実であることなど、知る由もないのだが。

 

 外で様子を見に来ていたアビゲイルも、その付き添いの哪吒も、彼女を呼び止める事はない。アビゲイルにとってアンはティテュバの死因であるし、哪吒もまた騙された経験が敵意を生んでいる。

 もっとも助けられていた――最もアンに恩を覚えているベティが彼女を糾弾した。

 それはとどのつまり、それ以上アンを引き留める人間はいないという事だ。日常生活においてどれほど彼女に助けられていようと、それも企みだったのではないか、と疑ってしまえばそれで終わり。

 同じくアンと親しかったウィリアム医師もまた、彼女のウィッチクラフトを見抜き、断罪した。パリス牧師も何も言わず。よそ者であるフジマル一座に何が言えるわけもなく。

 

 アンは驚くほどスムーズに――絞首台へと立ったのだった。

 

 

 

*

 

 

 

(ますたー) このまま 見ているだけか?」

「……でも、どうしようもない」

「現地の魔術師。キルケーの証言通りなら外部の魔術師という事になるけど、それでも生身の人間。ここにおいては私達サーヴァントも同じだけど、私達は座がある。けれど、彼女は……」

「……気味が悪いぜ」

「ロビン?」

「オレ達を含めて……心からアイツの心配をしているヤツがいねぇ。オレ達ですら見ているか助けるか、なんて選択肢を持ってる。誰もあの処刑を止める気がないってのは……気味の悪さを通り越して、どこか作為的だ」

 

 ストートン判事が、アンに最後の言葉を聞く。

 誰も、その言葉に傾聴していない。まるで作業のような処刑。

 

「あぁ、じゃあ。

 最後に一つ――いいかな」

「許そう」

 

 誰も集中していない。

 ストートン判事も、カーター氏ですら。特にカーター氏はつまらなそうに、事の成り行きを見ていた。

 

هذا ليس ميتًا والذي يمكن أن يكذب أبديًا ، ومع الدهور الغريب قد يموت الموت*1

 

 カーター氏が目を見開き、ニヤァとアンが笑う。

 カーター氏が、待、という制止の声を上げたときにはもう、アンは駆け出していた。

 

「それくらいはできるだろうね――Awleta etrther! さぁ、生贄はここに捧げられる――生贄の条件はただ一つ! 村人であること!」

 

 自ら縄へ噛みつき、そのまま顔を前に出した。縄を離せば、当然。

 首が、締まる。

 ぶらんと垂れ下がる体。

 

「……妄言を吐いて……やはり恐ろしい魔女だったか」

「……見ろ、あれ……」

「空が、晴れて……?」

 

 ざわめく村人の言う通り――ちょうど、アンの死体を中心にして。

 空がどんどん晴れていく。暗雲が消え去っていく。

 

 そして、変化は空だけではなかった。

 

「あ、ああ……う、ぅぅううう!」

「どうした あびげいる。これは 妖気?」

 

 ふらふらと。

 アビゲイルが、哪吒から離れていく。

 

「折角暗雲晴れたってのに、なんですかい! っと、こりゃあ……」

「魔力反応増大……これは、そんな、まるで霊基の解放……?」

「……ふふ」

 

 アビゲイルの姿が、変容していく。

 何かを繋ぐように。何かを繋げるように。

 すべてにして一つのもの。

 

「……霧が……」

「おい、どこへ行くつもりだ! この異常事態だってのに……!」

「サンソンさん!?」

「夜霧が……」

 

 アビゲイルを――魔女を前にして、サンソンがふらふらと歩き始める。

 止めていられる時間はない。その姿を、見送るしかない。

 

「みんな、出来るだけ無傷で!!」

「そいつぁちょっと無理があるってもんですぜマスター!」

 

 

 

*

 

 

 

 魔女としての姿を見られてしまったキルケーと、伴って座長である藤丸立香が連行されてしまった後。

 

 森の奥で、ラヴィニアの姿を見つけたロビンフッドとマシュは、彼女に話を聞いていた。

 ウェイトリー家が外部から来たモノであること。魔神柱に脅迫されていたコト。

 アビゲイルの両親を殺した先住民や、波止場と貿易船もまた、招かれた客であると。

 

 ティテュバに、ホプキンス。そしてカルデア。

 

「それなら、アンさんは何度目の客なのでしょうか……」

「アン……? アン・パットナム……?」

「はい。彼女もまた……外部からの来訪者のはずです」

 

 童話『オズの魔法使い』を所持し、外部の知識を――この村からしてみれば未来の知識を持っていた、アン・パットナム。

 

「パットナムは……招かれた客、じゃ、ない……。アイツは、元からこの村に、住んでいた人間……のはず」

「え?」

「お、お父様と……親交があって、お父様はまだ、理性があった、から……パットナムは招かれた客じゃない、って……」

「あんたの父親と親交があったってのは、それまたどうしてだ? 魔術師だからか?」

「そう……母親の()()()知り合いだ、って。それに、したって、植え込まれた記憶……かもしれないけど」

「母親の頃? 母親の代、ではなく、ですか?」

「まるで、母親だった頃があるような言い草だな」

「わ、私も不思議に思った、けど、それ以上は、話してくれなかった……」

 

 だけど。

 

「パットナムは……お、お父様と友人、だったから……復讐も、手伝ってくれたし、それに、それに」

「それに、なんですか?」

 

 パチパチと燃えていた焚火が――消えかけている。

 どこかで獣が遠吠えをした。

 

「ぱ、パットナムは、約束は、守るから……魔術師でも、なにもの、でも……頼りには、なる……と思う」

 

 

 

*

 

 

 

 深い夜霧が立ち込めている。

 その中を一人、シャルル=アンリ・サンソンは歩く。

 

 不思議な心地だった。

 まるで、生と死の境界線を歩いているかのような。

 

 あぁ、でも――自身はずっと、同じような場所に立っていたんだっけ。

 

「――霧が……晴れて……」

 

 サンソンの周囲だけ――霧が晴れていく。

 目の前には、大きな泉があった。

 

 そこの畔に――大きな獣が、一匹。

 

「豹……?」

 

 豹は水を飲んでいた。

 赤い瞳を持つ豹は、水を飲んで――サンソンのほうへ、顔を向ける。

 

 その口が動く。

 まるで、人間のように。

 

「やく、そく……?」

 

 それを読み取ることは難しかったが、それでも、その単語だけはわかった。

 霧が立ち込めていく。

 それは豹の姿を覆い隠し――見えなくしてしまった。

 

 同時に、サンソンの脳裏にあった霧が、晴れていく。

 そこは、裕福そうな家の一室。

 

 机の上で、オズの魔法使いがパラパラとめくれる。

 

 止まったのは、カカシのページだった。

 

 

 

*

 

 

 

 翌日の、簡易法廷。

 観覧席は食屍鬼で溢れかえっていた。

 ピックマン夫妻や――アン・パットナムの姿もある。

 

 皮肉にも、ベティ・パリスはアン・パットナムの食屍鬼の横に座って、裁判を眺めていた。

 キルケーが魔女であること。

 そして藤丸立香が、数多の罪を持つこと。

 

 さらには、アビゲイルが――七つの罪を持つ事。

 

 証言者、カーター氏は語る。

 一つ目の罪状。

 ウィリアムズ夫妻の命を奪った、銃の暴発と馬車の転倒。だが、その原因はアビゲイルにあった。

 

 二つ目の罪状。

 今いるティテュバは”侵入してきた者”だ。本来のティテュバは食屍鬼になり、森をさまよっている。これはアビゲイルの発案だという。

 

 三つ目の罪状。

 アビゲイルは親友が欲しいと願った。妹分では足りなかった。

 アビゲイルには、それが欲しかった。

 

 バタン、と大きく扉が開かれる。

 肩を揺らすラヴィニアの影。

 

「ら、ランドルフ・カーター氏? あ、あたしも証拠品を、持ってきたわ」

「ほう? いきなり来て何かと思えば……いや、裁判を円滑に進めるものならば歓迎しよう」

「こ、れよ――!」

 

 粉末が、カーター氏にかけられる。

 変化は一瞬だった。彼の頭が気味の悪いカラスへと変化したのだ。

 カーター氏が苦しみ続ける。カーター氏……いや、魔神柱が。

 

 そこへシバの女王が飛び込んできた。

 彼女が対等足り得る存在を基点に手を伸ばしたのだろう。

 

 魔神柱ラウム。

 それがランドルフ・カーター氏の、正体だった。

 

 そして。

 

「魔女は火あぶり、ダ! ヒッ、火アブリ、ダ、火アブリだ――!!」

「コロセ! コロセ!」

「タベテヤル、タベテヤルゾ!」

 

 その場にいた村人たちが――食屍鬼へと、その姿を変える。

 

「こいつら……どいつもこいつも、村人全員が最初から食屍鬼だったってのか!?」

「そうね……いえ、待って。でも、あれは……?」

 

 メディアの変装を解いた、マタ・ハリの視線の先。

 

 そこには、辺りをキョロキョロと見渡して……恐慌状態に陥りかけている、ひとりの少女がいた。

 

「アン、アン! ど、どうしよう、なんで、みんな化け物、怖い、助け、助けて!」

「ゥ……ゥゥ……」

「ア、 アン……?」

 

 ベティ・パリス。

 彼女だけが――食屍鬼に、なっていない。

 

「アビー、カーターさん! 私、どうしたら……」

「グ、ゥゥゥ……ウェイトリィ、ウェイトリィィイイイ……」

「ティ、ティテュバ? また、また? これで何度目なの? もういや、もういや!」

 

 助けを求めても、誰も助けてくれない。

 ここにおいて、ベティは独りぼっちだった。誰も彼女を見ていない。ただ、ただ。

 

「ゥ、ゥゥ……ウウウウ!」

「アン……!」

 

 アン・パットナム――には、頼れない。

 だって、ベティにはわかっていた。その顔が、その瞳が。

 誰も見たことのない程に、邪悪に嗤っていて――その矛先が、自分に向いているわけではないことを。

 

 このアンは、自分が知るアンではない。

 

「アビゲイル、アビゲイル……く、苦しいの……?」

「う、ぁ、あ……ハァッ、ハァッ……」

 

 四つ目の罪状は、罪人を招き入れた事。

 五つ目の罪状は、人を信じた事。

 

 この混沌とした場であってもなお、法廷は続いていく。

 

 ラウムが姿を顕わにする。魔神柱――ただ、己を信じたアビゲイルを護るために。ふさわしき外なる神の巫女を守護するために、ソロモンから零れ落ちた金砂の輝きが、夢を見るために身体を刺す。

 祈りを二つ。犠牲を三つ。

 報いを五つ。

 

 ここに、小さな願いを持つ、大いなる儀式の行使者が成る。

「隠された真実を教えてあげよう」

「食屍鬼は人間の変身したものと言っただろう?」

「君に、ラウムに聞かせるために、ベティに教えた言葉だよ」

「だからさ――まだ、彼女だけは人間だったんだ」

「人間に王冠を与え、人間に狂気を与え、人間を変身させるのが僕だよ、ラウム」

*

 

 

 

「croak……croak……アビ、ゲイル……アビゲイルゥゥウゥウ……」

 

 シバの女王とキルケーの助力あって、ようやく倒すことのできた魔神柱ラウムは――だが、死んでいない。

 ゴリ、ゴリという音。

 

「ラウム――いえ、カーターの頭部がちぎれて!」

「アビーを道連れにする気!? ロビン!」

 

 一匹のカラスとなったカーターが、アビゲイルに迫る。

 否。

 

 狙いはただ、ひとり。ラヴィニア・ウェイトリーだけだ。

 

Groans(Grrrrr)……Groans(Gurrrrr)ッ!」

 

 だが――ロビンの矢が、カラスを食む前に。

 カラスが、ラヴィニアを食む前に。

 

 一匹の猛獣――ヒョウが、そのカラスを食いちぎった。

 

「時空の門が増え続けている……だが、これは、これは……おのれ……”現実(ノンフィクション)”の魔術師、だけでなく……”虚実(キサマ)”、オセ……!」

「安心するといいよ、カラス。君の悲願は叶う――降臨は成った。あとは、僕の願いだけだ」

 

 瀕死のカラスを、ヒョウが食らう。

 バリバリと音を立てて、獣らしく、荒々しく。

 

「パ……パットナム、ね……?」

「え!」

「やぁ、約束通り、そして契約通り――君を守ったよ、ラヴィニア。古き友人、ノア・ウェイトリーの約束はここで果たした。あとはほら、そちらの問題だ」

 

 ヒョウはヒョウの姿のまま、しゃべる。

 その言葉は、声は、彼らにほど聞き覚えのあるもの。

 

 そして。

 

「あ、ああ、あああ! や、やっぱりそぉだったんじゃぁないですかぁ! ()()()()()()()()()()()()()()()んですよぅ!」

「ははは! 久しぶりだね、シバの女王――だが、今は黙っていてくれないかい? 僕に君達を害する意思はないし、そんなことよりも大変な事象が起きつつあるだろう?」

 

 ヒョウの言う通り、ヒョウの正体よりも優先すべき事実があった。

 アビゲイルだ。

 

「ぱ、パットナム! あびー、を、解放したら、あびーは……」

「さぁ……そこまでは、契約にない。ただ、僕は嬉しいよ。

 ()()()()()()()()()()()んだから」

 

 さぁ、と。

 ヒョウは――アン・パットナムは、邪悪に嗤う。

 その笑みはまるで、外から来る者である、あの南米の女神にすら似ていた。

 

「目覚めの時だYaji ash-shuthath。暗雲を晴らし、僕という村人を生贄にし、石塔に纏わる太子もそこにいる。特別な石の塔だ、十分だろう?」

「あ、ああ、痛みを……痛みを……報いを……」

 

 ヒョウの瞳が赤く光る。

 それはもう、あのカラスとなんら変わらない――魔神の光。

 

「苦痛を、苦痛を、苦痛を、苦痛を!」

「Groans……Groans……!」

 

 そこに、顕現する。

 すべてにして一なるもの。大いなる一。道を開くもの。外なる神!

 

「少女に降りたのは、計算違いだったね、ノア」

 

 そんな。

 他人事のように、ヒョウは笑って軽口をたたいた。

 

 

 

*

 

*1
いあ めいたん まかでぃるむ やたばくぁ さーまでぃ ふぁいた やじあしゅ=すたーしゃ あまうす くぁど やんたひ




フォント機能楽しすぎる……使いすぎると重くなるみたいだけど。


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久遠に臥したるもの、死することなく

短いかも


*

 

 

 

 すべてにして一なるもの。

 ソレは本来、そのものとして顕現するはずだった。

 

 少なくともセイレム村ではない――ダニッチ村という場所で。

 そして、外なる神にしては珍しく、ほとんどの被害を出さずに帰るはずだった。

 

 そこに目を付けたのがラウムだ。

 冠位時間神殿でカルデア(かれら)に敗北したラウムは元セイレム村であるダンバースへと飛び、そこにいた人間達を燃料にして、カルデアに気取られぬ結界を作り上げた。

 そして1692年……魔女裁判があった時のセイレム村を”再現”し、”アビゲイル・ウィリアムズ”以外の人間を”演出”した。

 あくまで演出だ。人間は”再現”ではいけない。なぜなら”再現”では、同じ結末に至ってしまうから。

 

 だから彼ら彼女らに史実とは違う名をつけて――舞台装置にした。

 ところが。

 

 都合の悪い事に、その舞台装置の中にはラウムと同格の――魔神柱がいて。

 干渉されることを知っていた魔神柱は、事前に手を打った。なんてたって、その魔神柱の方が過去(さき)にいたから。

 その魔神柱と、周囲の数人の子供。

 それらの子供たちは”演出”ではなく”再現”――どころか、”再誕”と呼んで相応しい程の人格を得ることになる。

 

 無論。

 

 肉体はとうに滅び――精神も一度、大人になって死ぬまでを経験しているから、本人ではない。本人であるのは魔神柱だけで、子供たちはあくまで”再誕”したナニカ。

 だが、その”過程”と”結末”は正に魔神柱の望むものであり、同時に()()()()()()だった。あの神殿で感じた脅威と疑問。疑問を得たが故に実験を行い、その実証に成功したのだ。

 

 即ち。

 相互理解を諦めた人間でも――再び、その背を押される事があるのならば、考えを改めることが出来ると。人間の心は常に動いていて、一時の主張だけがその人間の本質ではなく、変わり続ける事で交わっていく――力を得ることが出来る生物なのだと。

 

 最後の結論に関しては、本当に最後の最後。

 理解してくれないと嘆くばかりで、大人たちに歩み寄る事をしなかったあの少女が、理解してくれる子供を切り捨てた事で、その一歩を得ることが出来た事実から生まれた物だ。

 

 その時点で、魔神柱の望みの半分は叶っていた。

 その実証を怠ったから、自分たちは負けたのだとも理解していた。

 

 残りの半分は、天文台が叶えてくれる。

 

 ラウムの舞台装置は、”アビゲイル・ウィリアムズを救うために、アビゲイル・ウィリアムズにセイレムの外へ出たい”と思わせるためのもの。

 アビゲイル・ウィリアムズが外へ出てしまえば、セイレム村は用済みだ。舞台装置達は破棄され、”再現”も”演出”も消えてなくなるだろう。

 

 ならばそれに便乗しようと、魔神柱は考えた。

 

 すべてにして一なるものを呼び出すための条件は三つ。

 ひとつ。生贄に、呼び出す村に住まう人間を一人捧げる事。

 ふたつ。空が綺麗に晴れ渡っている事。

 みっつ。特別な石の塔を建てる事。

 

 ひとつめの条件、生贄の人間。

 残念ながら、子供たちは人間とは呼べなかった。魔神柱の目的であるベティ・パリスだけは人間と呼べるかもしれなかったが、それを生贄に捧げる流れは魔神柱の望みを遮る結果になってしまう。

 他の村人はただの”演出”――土と腐肉の木偶人形だ。

 カルデアの者たちもまた、英霊――肉人形を詰めてはあるが、人間とは呼べない。カルデアのマスターを生贄にするのは以ての外だ。

 

 人間である候補は、ウェイトリー家の面々、マシュー・ホプキンス。

 そして、魔神柱の転生体――アン・パットナムという少女だけ。

 

 この中で、”呼び出す村の人間”という条件に合致するのは、アン・パットナムだけなのだ。

 ウェイトリー家は、ダニッチ村の人間。マシュー・ホプキンスに至ってはイングランドの人間だ。

 故に、生贄はアン・パットナムでなくてはならなかった。

 

 ふたつめの条件、空が綺麗に晴れている事。

 これは簡単だった。魔神柱としてでなくとも、魔術師パットナムにとって天候を変える魔術など、特に困るものではなかったのだ。

 なんせ魔術師パットナムの魔術は――”周る”ことに重きをおいているのだから。

 

 みっつめの条件、特別な石の塔を建てる事。

 これも悩むことはなかった。

 天文台が連れてきた哪吒太子――彼(今は彼女かもしれないが)の父親は、托塔李天王。

 托塔とは、宝塔を如来より預けられたという意味であり、宝塔とは、寺院にある石の塔を指している。

――それこそが正に、特別な石の塔だ。

 

 そう、アン・パットナムが生贄となって死ぬことで、全てが揃うのだ。

 ラウムですら、「アビゲイル・ウィリアムズがセイレム村から外へ出たいと思う事で、その門の鍵を手に入れる」という遠回りな手段に頼っていた、すべてにして一なるもの(門の鍵)を、直接呼び込む条件が。

 

 Groans、Groans、Groans!

 嘆け、嘆け、嘆け!

 

 ラウムの手段は、すでに失敗した。

 外なる者を呼び寄せる――それは、一万四千年前に失敗した事だ。

 

 だが。

 

 外なる者の力で――外に行く。

 それは未だ、どの魔神柱も成しえていない。そこに答えがあると、知っている。

 隠された真実を見抜くことが、魔神柱の特性で。

 

 なにより。

 

 魔神柱でも、アン・パットナムでもない――()()()()()()が、その答えのあった場所だから。

 ラウムに用意してもらった舞台を使用して、主催者(ラウム)を食らって、ノアとの約束であるラヴィニアを助けて。

 

 魔神柱は軽薄に嗤う。

 本来、ラヴィニアはすべてにして一なるものの子を孕むはずだが、そうはならない。それこそがノアの望みであるが、ノアから託されたのは「娘を頼む」という事だけ。

 被害を拡大させるつもりはない。ウィルバーの弟は生まれなくていい。ウィルバーもね。

 丁重に、ラヴィニアは……そうだな、ダニッチ村にでも送るとしようか。ベティと一緒に。

 魔神柱は、行けないから。

 

 さぁ、起こしてあげよう。

 

 ラヴィニア・ウェイトリーが引き金ではない――本来の、門の鍵。

 そのこぶしを魔神柱が受ける事こそが、魔神柱の最後の目的。

 カルデアが半分を叶えてくれる。

 

 カルデアが、アビゲイル・ウィリアムズという余分な要素を切り離してくれる。

 

「スト・テュホン……スト・テュホン……」

「Groans……Groans……!」

「其は罪人なり……六つの縄の結び目なり……。この異端の地に贖罪を求むるは、悪魔の収穫なり。祈りはここに、父なる神と共にあり……」

「Groans……!」

「其は罪人なり……七つの縄の結び目なり……この煉獄に贖罪を求むるは、仮象への供物なり……!」

 

 Yaji ash-shuthath――Yag-shuthath!

 

 Yog-Sothoth(ヨグ=ソトース)

 

 

 

*

 

 

 

 それが”異常”であることがわかったのは、どの程度いたのだろうか。

 シバの女王。キルケー。哪吒。

 感覚の鋭い、もしくは魔術に精通した者だけが、それに気づいた。

 

「偽りの神……顕現する……!」

「これは、マズいな……アビゲイルへの降臨なんてものじゃ済まないぞ!」

「あびー 制御 不能。これは 解放される」

 

 ぼこ、と音がした。

 こぽ、こぽ、ぼこ、ぼこ……。

 不快な粘液が、気泡を立てている。

 

 裂けるように笑っていたアビゲイルの額が、()()()に輝いている。額の鍵穴から、輝きが漏れ出している。

 アビゲイルの、瞳が――ぐりん、と。

 逆さに剥いた。

 

「苦痛を――苦痛を――苦痛を――、」

「パットナム!」

 

 ラヴィニア・ウェイトリーが、アン・パットナム――だろうヒョウ――を振り向いた。

 軽薄に嗤うヒョウ。

 その瞳は、まるで恋に焦がれる少女のように、輝いていた。

 

「ラヴィニア・ウェイトリー。ベティを頼んだよ」

 

 そして、のそりと体を起こし――大きく、天へと吠えた。

 その所作に、人間らしい様子はひとつだってない。

 

 それは当たり前だ。

 人間の魔術師パットナムはもう死んだ。生贄として。

 ここにいるのは、彼と魔神柱だけ。

 

「カルデアのマスター!」

 

 その獣の所作で、叫ぶ。

 彼女が振り向いたことを確認することなく、二の句を継ぐ。

 

「この結界の中にもう一つ結界を敷こう。僕の特別製だ。

 シバの女王も、大魔女キルケーも、サーヴァント達も、その力の限りを尽くして戦える。

 存分にやってくれていい」

 

 彼女が頷いたのを見て、言葉の通り結界を敷く。

 

 ラウムが張った演劇のための狂気の結界ではなく。

 隠された真実を明かす――()()()()()()()()()()()()()()()結界を。

 

 Groans、Groans。

 さぁ。

 

 

 

*

 

 

 

「…………あぁ、ああああ……戻って、戻ってぇ……」

 

 中空を掻き抱くアビゲイル。

 戦闘は苛烈なものだったが、幼稚であったともいえる。

 単調な触腕と門による移動は、しかしサーヴァント達にとってそこまでの脅威に成るものではない。ましてや、時たま苦しそうに額を抑えるアビゲイルを相手取るのは、歴戦の英霊にしてみれば魔神柱との闘いよりも簡単なものだったのだろう。

 

 何度か蘇る――異相を身代わりにする事はまぁ、大変だったかもしれないが。

 

「神様が……私の中から……()()()()()()()()……あぁ、ぁぁぁ……」

 

 最後の魔女の装いから一転。

 ただの少女として倒れる、アビゲイルの――額。

 

 そこにはまだ、鍵穴が存在していた。

 ごぽ、ごぽ……どろ。

 

「ッ、あれを出させるな!」

 

 初めに気づいたのは、キルケーだった。

 シバの女王、哪吒、そしてマシュも気付いた。

 だが、手がない。

 

 ロビンの矢では、粘液を止めることはできない。

 哪吒の速度でも間に合わず、シバの女王の精霊も呼び出せず、キルケーの魔術でも及ばない。マシュの盾だって同じだ。

 

 もう、間に合わなかった。

 

「あ、ああ、あああ!」

 

 ごぼ、ごぼ、ごぼぼぼぼ……。

 アビゲイルの額から現れたソレは、玉虫色に光る――粘液。

 

 粘性の強い、粘液と球体。ぐちゃぐちゃ、ねたねたと音を立てて、そこへ顕現する。

 

「偽りの……神……」

 

 光の球が、公会堂の屋根へ向かって集っていく。球体は破裂し、別れた球と、その外側に流動している粘液が集合し、新たに球を生み出す。生み出す際に玉虫色の粘液が滴り落ち、破裂した玉と、くっついた球と、別れた球と、粘液とが……集塊を作り上げた。

 常に破裂し、くっつき、滴り落ちるそれら。

 

 時空のいちばん底の墓地の向こうで、核となる混沌の中で、原始の粘液として永遠に泡立っていたモノが。

 

 今ここに――姿を現したのだ。

 

 

 

*

 

 

 

 ――”アレ”を見てはいけない。

 それは生物的な本能。”アレ”を視認した事を自覚したら、自らの常識との乖離にすぐさま己を自覚できなくなってしまうだろう。

 

 だから、ロビンフッドと藤丸立香は目をつむった。

 その危機察知能力は”凡人”故のもの。

 

 だが、彼ら以外の――勇ましき者たちは、違う。

 しっかりと、それを認識してしまった。

 

 膝をつき、胎児のように丸まったり。

 四肢を投げ出し、何が起きたのかわからずうつぶせになっていたり。

 大粒の涙を流したり、可笑しくてたまらなくなったり。

 

 とにかく、現実から逃げるように。

 それは、紛うことなく――狂気的だった。

 

「こいつぁ、ちと……いや、最大のピンチってヤツじゃねぇですかね!」

「みんな、落ち着いて!」

「マスター、多分無理だ! ここは一時退散を――」

 

 目をつむったまま、ロビンフッドが藤丸立香を抱え、今持てる最大速度でその場を――公会堂の真ん中を離脱し、公会堂の扉まで来た。目をつむっていようが、場所を把握する事など森の賢者のせがれにとって然したる問題のある事でもない。

 

 だが、扉を開けることは叶わなかった。

 はじかれたのだ。

 それが結界である事に気づくのにコンマとかからない。

 

「おい、ヒョウのお嬢ちゃん! 結界を解いてくれ!」

「え、嫌だよ」

「はぁ!? 今はふざけてる場合じゃ――」

 

 悪寒がロビンの背筋を撫でる。

 すぐ、そこにまで、”アレ”が、来ている。

 それがなんであるか、ロビンは全く認識していないけれど――ひた、ひた、ごぼ、ごぼ。

 音が。 音が。 

 

「Groans――ありがとう、天文台。おかげで、目的が果たせそうだ」

 

 それを。

 

 もう、幾度となく戦った悍ましい気配が――遮った。

 

 

 

*




球体の姿の彼を見た場合に失う正気度ポイントは

1D10/1D100です。




STR:該当セズ CON:400 SIZ:今回は29 INT:40 POW:100 DEX:1 移動:100 耐久力:400




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怪異なる永劫の内には、死すら終焉を

迎……え?


*

 

 

 まるで火柱が立ち昇るかのように、

 まるで自らの存在を捩じり込むかのように、

 

 まるで、ようやく思い出したと――言わんばかりに。

 

「ま……神柱……ッ!?」

「ロビン、振り向いちゃダメ!」

 

 その悍ましい気配を背に感じた森の賢者の顔を、抱きかかえられている立香が強制的に前を向かせる。

 巨悪――自分たちが倒さなければならない敵がすぐ近くにいたとしても、その向こうにいるナニカを見る事だけは決してしてはならないと、幾度もの危機を乗り越えてきた藤丸立香の第六感が訴えていた。

 

「――廃棄孔・オセ。

 自己崩落の末に得た一つの解。今ここで証明の礎とさせていただくぞ、外なる神よ」

 

 その声は紛れもなく魔神柱の――ゲーティアと同じもの。

 その気配は紛れもなく魔神柱の――レフ・ライノールと同じもの。

 

 だが、この魔神柱は――ロビンフッドと、藤丸立香を護る様にして聳え立っている。

 

「何が起きてんだ、こりゃぁ……」

「ロビン、振り向かないままみんなを回収できる?」

「……ま、やるしかないでしょ。マスターはここを動くなよ? この魔神柱の真後ろが多分、一番安全と思いますからねぇ」

 

 森の賢者にとって、視界の利かない状況など慣れたものだ。

 空間を即死クラスの攻撃が飛び交っているという事を除けば、慣れたものである。

 

「……即死クラスの攻撃にも慣れてきたのが、っと、イヤになるっつーか?」

 

 だが、それでも。

 悲観する事だけは、なかったのである。

 

 

 

*

 

 

 

「廃棄孔・倒壊。壊れた物は捨ててしまおう。焼却式、オセ」

 

 僕らの存在意義。

 それは人類の救済に他ならない。その過程こそ、僕らは間違えていたのかもしれないけれど、最初の最初、思想設計の段階で植え込まれた、「人類の救済」という目的だけは絶対に変わらない。

 

 一応、前世の僕という事になる。

 正確には前世の僕ではない前世の僕……ややこしいね。

 

 ともあれ。

 

「皮肉だな、アンドロマリウス。己の欲求を現した途端、人類を救済する機会に恵まれたぞ。

 ――不要、そう断じたのは早計だ。我ら廃棄孔。故に、廃棄されるべきでないものの分別はつけなければならぬ」

 

 後ろに、人類の未来がいる。

 十全以上の力を発揮するには十二分の理由だ。

 なにより――僕の望みが、後ろにも前にもいる!

 

「外なる神Yog-Sothoth(ヨグ=ソトース)。門にして鍵。すべてにして一なるものよ。

 我の名はオセ。廃棄孔。欠落を埋めるもの。不和を起こすもの。再生させるもの。

 そして、僕の名は魔術師パットナム。廻るモノ。周るモノ。思い出したよ、あなたのおかげで。そうだ。僕はあの崩落する神殿で、彼に出会った。彼の場所へ、僕を飛ばしてはくれないかな、Yog-Sothoth(ヨグ=ソトース)

 

 ヨグ=ソトースに物理的な攻撃は一切の意味をなさない。

 熱線では意味がない。焼却式では外のルールに通用しない。

 

 銀の球体が僕の一部を掠めた。

 ただ、それだけで。

 

 死滅した。その一部……僕の体の外壁の一部が、完全に死んだ。

 

「手厚い歓迎、感謝しよう。だが、廃棄孔へと物を捨てるのならば、対価を支払う事だ。Pdor waeirn。我はオセ。狂気を操るものなりて」

 

 だが、気にしない。

 気にせず、吸魂の術を彼の身へとかける。

 これで僕らは繋がった。

 

「そのこぶしを振りかぶれ。我の望む位置はここではない。Yog-Sothoth(ヨグ=ソトース)。道を開く者ではないあなたに言葉は通じないだろうが、いつか必ず届くと信じている」

 

 身体に粘液が触れる。

 その部位が腐り果てていく。

 

「我は焦がれた。あの男を。あの男に。

 そして望み通りの解を得た。もう一つを欲す。

 廃棄孔である我が望みを持つ。よこせ、外なる神。あなたの力で、我を望む場所へと連れて行け!」

 

 銀色の球が僕の体を通り抜ける。

 決して直らない穴が貫通した。有効と判断したのだろう、数多もの球体が飛来する。

 

「ぬ、ぐっ……まだだ、まだだ! 全く効かぬぞ、外なる神!」

 

 火をくべる。

 燃やせ燃やせ。内側で燃焼を。外側には塵を。

 

 ここで諦めたら、僕のすべてが無駄になる!

 

Yog-Sothoth(ヨグ=ソトース)!」

 

 悪寒がした。

 眼前に、見えない何かが迫ってきている。

 それはたとえ間に障害物があろうとも、必ず僕に届く――不可視のこぶし。

 

 来た。

 

「――さようなら、現世。迷惑をかけたね、カルデア。お礼にと言っては何だけど――()()()は、僕が持っていくよ」

 

 物凄い衝撃――共に、体が()()と引っ張られる。

 殴った方向の真逆の方に吹き飛ばされる――知識通りだ。

 

「アン……?」

「ベティ、元気で」

 

 そうして僕は。

 

 この世から、消え去った。

 

 

 

*

 

 

 

「バアルは過去に跳躍。

 アンドラスは逃亡中に停止。フェニクスは自らの無限生の苦しみに囚われた。

 ――私は、傷を癒すために、自らの園を作る。お前はどのような道を目指す。

 どのような解決法に着手するのだ?」

 

すべてが崩れ落ちた時間。

 閉じられぬ輪の中で、誰かが話している。

 

「……我は疑問を解消する。

 何故、相互理解を拒んだ人間達があの場に集うことが出来たのか。我はその真実を欲す。その真実を得て、再度()()()()()()

「やり直す、だと?」

「我らの王が辿った道だ。そこを辿りなおせば、あるいは、違う答えが開けるかもしれない。我はラウムのように諦めはしない。必ずや、我々の誰もが辿り着かなかった『真実』という存在を暴き出してみせる。

 そのために、まずは我らが王と同じ手段を用いる」

「まさか、お前は」

「ああ――記憶を停止し、人間に、なる」

 

 最適解に倣うこと。

 それこそが、『真実』を知るための早道だと語る。

 

「――それでは意味がない。魔神柱として、人類を救わなければ、何も意味はない」

「早計だぞ、ゼパル。我は『真実』を求めるためだけに人間になるのだ。人類を救うためではない。

 我は人間となり、そして外へ行く。外の法則を学び、こちらへ帰る。ただそれだけだ」

「……自らを降臨者へせしめんという事か」

「遥かなる時空の先でまた会おう、同胞たちよ。我がこの世界へ還る時は即ち、夢から醒める時だ――」

 

 曇っていく。

 翳っていく。

 

 その向こうで。

 

「――ああ。期待をせずに、待って居よう」

 

 

 

*

 

 

 

 しかし、彼らの王が自身の力では成し遂げられなかったように――既に魔神柱と”成った”ものが、人間になるという願いは至難であった。

 記憶を除去し、力を隔離するだけではまだ足りぬ。

 

 ヒト――それを知る何かが必要だった。

 

「――おや、こんな所で他人に出会うとは。君も待ち人かな?」

 

 そうして、彼に出会う。

 輪廻の畔で、快活な青年に。

 

「ははは! 僕が何か、だって?

 それは簡単な話だよ、オセ。僕は――」

 

 それが求めていたものだった。

 

「――ただの人間さ」

 

 かくして、オセと彼は転生を果たす。

 彼の巡りに乗って、ひとりの少女の元へ。

 1635年の――アン・パットナムという少女の元へ。

 

 アン・パットナムは自らの子へと再度の転生を果たし、そうして、五十七年目――十二歳となったその時に、全てを思い出したのだ。

 自らの出自を。自らの願いを。

 自らの、欲したものを。

 

「ははは! ――これは、いい思い出だね」

 

 

 

*

 

 

 

「……終わった……みたいだな」

 

 得体の知れないナニカ、も。

 悍ましくとも悪意無き魔神柱も。

 

 そして、アン・パットナムとされていたヒョウも。

 

 その全てが、姿を消した公会堂。

 

「……ぅ……」

「っ! あ、アビゲイル!」

「う、うぅ……ラ、ヴィニ、ア……?」

 

 中心で倒れ伏していたアビゲイルが、意識を取り戻す。

 駆け寄るラヴィニアが之を抱き起せば――既にアビゲイルからは彼の邪神の気配はなく。

 少女たちは、静かに互いを抱きしめる。

 

「あ……ぅ……一体、何が……」

「意識……回復……。今まで 何を見ていた?」

「う、げほっ、ごほっ! ……はぁ、気分が悪いわ……。……ダメね、記憶を掘り起こすだけでも……悪寒が走る」

 

 さらには、狂気へと陥っていた英霊たちも正気を取り戻し始めた。

 口元を抑え、吐き気を我慢するもの。何度か(かぶり)を振って、それを記憶から追い出そうとするもの。震えて両肩を掻き抱くもの。

 万別あれど、無事だ。

 

 仲間たちに駆け寄る藤丸立香とロビンフッド。なお、ロビンフッドが回収できたのは外側にいたマシュとシバの女王のみであり、その事にいち早く気が付いたキルケーに散々腹文句を言われることになるのだが、今はどうでもいいだろう。

 

「……アン」

 

 この場において。

 

 ただ、ひとり。

 

 因果を持たず――ただただ、取り残されただけの少女。

 自分で決めた事。自分で振り払った手。

 あの悍ましきモノがなんだったのかはわからない。

 

「アン……」

 

 何故、自分だけが他の者のように食屍鬼となっていないのか。

 なりたいわけでは、決してないが――ベティには、わかっていた。

 自身がとうの昔に死んだ人間であることなんて。とっくに。

 

「……どう、しよう」

 

 どうしたらいいのかわからない。

 何か、頭の靄が晴れていく。

 

 中心で抱き合う少女――内、片方は自身の従姉だ。

 過去。

 彼女と共に、大人たちを――皆を糾弾し、告発し、死に追いやったことも覚えている。

 そこにアンがいたことも。

 

「ここは……どこなの?」

 

 答えはない。

 そんなもの、アンは教えてくれなかったから。

 

「アン……どうすればいいの……」

 

 もう踏み出したはずなのに。

 もう決心したはずなのに。

 

「……う、ぅ」

「……ベ、ベティ・パリス。顔を……あげなさい」

「……?」

 

 うつむいていた顔を上げる。

 少女の視界に、従姉と、その親友を名乗る……”昔”にはいなかった少女が映った。

 

「け、契約は果たすわ……アン・パットナムと交わした契約の代価が、貴女だから」

「契約……?」

「こ、これを読めるように、なりなさい。そしてパットナムが……お、オズの魔法使いが、何を伝えたかったのか、理解、することよ」

 

 ラヴィニアがそれを取り出す。

 麻袋に入っていたソレ――童話『オズの魔法使い』。

 

「あ、貴女は……ホムンクルス、だから……長命では、ないけれど。も、もう十分生きた、でしょ?」

「……」

 

 ホムンクルス、という言葉の意味は、ベティではわからなかった。

 ただ、長命ではないという意味はわかる。

 既に一通りの人生を経験した後の……ロスタイムだ。

 

 ベティはラヴィニアからその本を受け取る。

 

「あ、う……」

「……」

 

 心配そうにラヴィニアを見つめるアビゲイル。その瞳に、従妹であるベティを思う部分は欠片もない。

 そうだ。最初から、この従姉はそうだった。

 だから別に、どうでもいい。

 

 自分たちを見遣る視線。

 確か、マシュと呼ばれていた少女。それにフジマル一座の人たち。

 

 段々とベティの心が落ち着いていく。

 

「……ありがとう。大事にするわ」

 

 その言葉は、もう少女のものではなかった。

 ただ、子供のころの思い出を大事に抱えるようにして――その古びた本を抱きしめて。

 ベティは、ラヴィニアにお礼を言う。

 

「……パットナムは」

「大丈夫。私はもう、大丈夫だから。心配しなくていいわ……ラヴィニアちゃん」

「ちゃ、ちゃっ!?」

 

 にこりと笑う笑顔は、まるで年老いた老婦人のようで。

 ベティ・パリスは、その本を抱えて……公会堂を出ていく。

 

「って、そうだよな。結界は解除されてますよねーっと。そんじゃオレ達も外に出ましょうや、マスター?」

「そうだね」

「アビゲイルさんとラヴィニアさんも、外へ出ましょう。外の空気を吸いましょう」

「ええ、わかったわ。

 ラヴィニア、手を」

「……う、うん」

 

 互いに手を握る少女たち。

 

 そうして。

 

 セイレムで起きた、全ての事件は終わりを告げた。

 

様に見えた。

 

*

 






あれ

ひとり

たりないや


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ここに一つの幕を下ろそう。

*

 

 

 

 アン・パットナムという人間は確かに存在した。

 それは過去、1692年のマサチューセッツ、セイレム村に。

 そして、1635年のマサチューセッツにも、同じ名の少女は生まれていた。それは確実だ。

 

 ならば、あの「オズの魔法使い」は……あの童話本は、いつ、どこから持ち込まれたものなのか。

 輪廻の畔にいた”彼”が持っていたもの?

 冠位時間神殿から逃げ出した”彼”が持っていたもの?

 

 そんなはずはない。

 

 輪廻の畔にいた”彼”は霊魂以外の何も持っていなかったし、冠位時間神殿から逃げ出した”彼”が本などを持っているはずもない。

 

 だからこれは、アン・パットナムの持ち物なのだ。

 

 アン・パットナム……”彼”でも、”魔神柱”でもない、アン・パットナム。

 彼女こそが、オズ。本当は何の力もない、何も叶えてはくれないペテン師。

 

 ただ、その言葉は、彼女と関わったあらゆるものを変えた。

 それは――そう。

 

 

 外なる神さえも。

 

 

 

*

 

 

 

「結局、アンさんは何がしたかったのでしょうか……」

「いきなりだね」

 

 セイレムは崩壊した。

 土台無理を通していたあの舞台は、アビゲイルが力を保てなくなった事と、ラウムの操作が消えた事で瓦解したのだ。

 

 アビゲイルはランドルフ・カーター……後からきた”本物”に引き取られ、その旅にはラヴィニアも同行した。そも、アビゲイルは”門にして鍵”なる神を宿していたという事実がその身に力の残滓を残し、ラヴィニアは”門にして鍵”と並々ならぬ縁を持つ事実が判明した故の話。

 

 ベティ・パリスの行方は知れない。

 崩壊するセイレムに巻き込まれたか、逃げおおせたか。

 ともかく、マシュと立香の預かり知らぬ話であった。

 

「すみません。ですが、改めて考えてみると……どうにも行動が不透明で」

「そもそも彼女は何をしていたっけ?」

「……私なりに整理してみたので、先輩も一緒に確認してくれませんか?」

 

 そう言うなり、マシュはホワイトボードを持ってきた。

 いつぞやのホワイトボードに、六日に分けられたそれが描かれている。

 

「一日目――私達があの夜の森に辿り着いた時、彼女はアビーさんと共に儀式に参加していました。後々の事を鑑みれば、この時点で既に儀式の危険性や真相を知っていた上での参加であるのはわかります。

 そして野犬が乱入……これは恐らくラウムの仕業ですが、この時アンさんはベティさんたちを守るために戦いました。もっとも、本気のそれではなく、あくまで少女としての身体能力のみで、私のようなデミ・サーヴァントにすら及ばない体術での戦闘でした」

「あの後すぐにバラしたんだから、魔術を使ってもよかったのにね」

「はい。そこが不透明な点の一つ目です。

 彼女はそのすぐ後に哪吒さんとメディアさん……の姿をしたキルケーさんを自宅に呼び込み、ご馳走をふるまいます。これは幻覚という話でしたが、他の物、工房そのものや魔導書、そして童話本には幻術がかけられていませんでした。

 サーヴァント、それも大魔女という言葉が不足ないキルケーさんと、自然的直感の冴えわたる哪吒さんを騙しきる程の幻術。それを扱えるにもかかわらず、彼女は自身が魔術師であることを隠そうとしなかったのです。野犬との戦闘時は隠そうとしていたにもかかわらず」

 

 その、理由。

 哪吒とキルケーには隠さず、他の面々には――そしてラヴィニアには見られたくなかった理由があるはずなのだ。

 

「ラウムに知られたくなかったから、とか?」

「それもあるのかもしれませんが……何か引っかかるんです」

 

 誰に知られたくなかったのか。

 誰から、隠れていたのか。

 

「……セイレム、じゃないかな」

「セイレム、ですか?」

 

 セイレムから隠れていた。

 あの時点で――セイレムに、”村人である”と認識される必要があった。

 それは何故か。

 

「確かに……ラウムの言葉が正しければ、あのセイレムという土地は一つの舞台のようなものでした。アビーさんを中心として回る舞台。そして役者たちはラウムの描いた台本通りに進んでいきます」

 

 その中で、配役があった。

 日々を回す村人は村人に。疑われるべき魔術師はウェイトリー家に。容疑者はその中から。断罪を行う者を呼び込み、トラブルを起こす存在を縛り付けた。

 アン・パットナムは村人だ。告発をするもの……決して、首を縛られる配役ではない。

 

 配役違いがあったら、舞台はどうなるだろうか。

 

 “やり直し”に、ならないだろうか。

 

「……彼女は私達カルデアが来るこの七度目に、舞台を完遂する必要があった。だから、あんなことをした……という事でしょうか。それでは、何故哪吒さんとキルケーさんにだけ正体を?」

「……あれがなければ、哪吒とキルケーはアンを嫌いにならなかった」

 

 幻術をかけず、そのまま質素な食事を振舞っていたら、哪吒とキルケーは彼女をどう見ただろうか。

 少なくとも、彼女が死ぬ……首を吊られるときに、助けようとするくらいはしたかもしれない。

 

 セイレムという土地に正体を隠した事。

 哪吒とキルケーに遠回しに正体を明かした事。

 それが一振りの毒のようになって、彼女の死に際に伸ばされる手を蝕んだ。

 

「二日目……彼女は私達の劇を見に来ました。そこで、その舞台に干渉してきます。音を鳴らしたり、砂嵐を起こしたり。そして、彼女の知るはずのない……いえ、真実を知った今ならば、知っていなければおかしい二人の声を、人格を、再現しました」

「うん。本物そっくりだった」

 

 あれはどういう意味があったのか。

 ……もしかしたら、そこだけは、意味はなかったのかもしれない。

 

「はい。この劇の直後、アンさんはティテュバさん……シバの女王さんの配役の告発を行います。そのカモフラージュ……もしくは、その”役割”があるために、過干渉が出来なかったのかもしれません。

 アビーさんの部屋からブードゥー人形を持ち出し、それを大人に見つけさせる。そして製作者がティテュバさんであることを明かし、自らが魔術の被害者であると言い張る」

 

 これがアン・パットナムの”役割”だ。

 それを疎かにするわけにはいかなかった。

 

「三日目には、セイレム村の医師であるウィリアム医師もまた、アンさんを被害者であると診断しました。ですが、この時点でアンさんはベティさんに自身の怪我が治っている事を見せつけていたはず。わざわざ怪我を元に戻すのなら、何故ベティさんにだけ明かすような真似を」

「さっきと同じじゃないかな」

「やはり、ベティさんに糾弾させるため、ですか。

 ……ウィリアム医師がアンさんの診断をしたのは、本当にラウムの意思だったんでしょうか? 私にはなんだかそうではないように思えて……」

「でも、ウィリアム医師も食屍鬼になっていたよ」

「はい……そう、ですよね」

 

 ……情報が足りない。

 もやもやする。その不透明感こそが、マシュの得ているもの。

 

「……四日目の話をします。

 三日目の夜に起きた襲撃によってアンさんはベティさんを庇い、傷を負います。その時点でアンさんの役目は終わっていました。ティテュバさんを告発し、処刑台に上らせる。まだ魔女が村にいるかもしれないという疑念を植え付ける。

 その二つをこなしたのですから」

「そして、村のみんなから頼られる存在はベティになった」

「先輩の言う通り、今までみんなの知恵袋のような存在だったアンさんとランドルフ・カーターの位置に、ベティさんが潜り込みました。アンさんの位置にベティさんが入ったことで、彼女の身は守られる事となります」

 

 アン・パットナムはベティを守りたかったのだろうか?

 そんなことのために……そんなこと止まりなわけがない。

 でも、それ以上は知らない事だ。

 

「その後、私達の劇を鑑賞しに彼女がやってきて、私達は彼女とコンタクトを取ることに成功しました。ただ、得られたのは彼女が幻術使いであるという、今にして思えば氷山の一角程度の情報だけ。いえ、先輩の問いかけだけは的を射ていましたが……」

「そういえばあの時ダ・ヴィンチちゃんは何を言っていたんだろう?」

 

 カルデアとの通信が一時途絶する前、筆談を行っていたダ・ヴィンチちゃんが何かを書いた。アン・パットナムに関する事だったが、ノイズで読み取ることが出来なかったのだ。

 

「『絶対に捕まえておかなきゃならない』と」

「ダ・ヴィンチちゃんが言ってたの?」

「はい。帰ってきてすぐに、フリップを見せてもらいました」

 

 多分、あの時点でダ・ヴィンチちゃんはアン・パットナムが異常であることを見抜いていたのだ。否、あの天才であれば、その正体までも。

 

「ここからアンさんは表舞台に上がろうとしなくなります。おそらく配役がそうなっているのでしょう。怪我を負ったから、という理由と、告発者であるから、という理由。その二つ以外にも、何やら暗躍をしていたようですが……」

「マタ・ハリと脱出した後、加勢に来てくれたよね」

「あれは四日目でしたね。よくわからない行動の一つです。わざと自分は動けるんだ、というアピールをしたかのような……」

 

 そうして彼女は縛り付けられ、カルデア一行は油断した。

 一日縛られたままだった事――それは、抜け出す力のない、幻術しか取り柄の無い魔術師なのだと再認させるために。

 

「五日目は何も行動を起こさず、六日目、マシュー・ホプキンス殺害の幇助、及びその護衛を殺害します」

「いきなりだよね」

「はい。ですが、その罪によって彼女は告発する側から糾弾される側へと身を落としました。これがラウムの脚本通りとは思えません」

「ラウムも驚いていたよね」

 

 それは、彼女が七日目に死ぬ直前の話だ。

 彼女が何か魔術を使う前に唱えた言葉に、ラウムは驚愕の表情を浮かべ、制止をかけていた。

 それほど大事な言葉だったのだろうか。

 だが、その姿から……この六日目の行動が、ラウムの意思にないものであることがわかった。

 

「それに、ここでサンソンが離脱した」

「『霧が』と呟いて、どこかへ行ってしまいました。あれはいったい何だったのでしょう……」

「わからないから、あとで聞いてみよう」

 

 そして、八日目。

 アビゲイルが外なる神をその身へと落とし、降臨させ……同じくして、アン・パットナムが魔神柱としての正体を顕わにした。

 外なる神と共にアン・パットナムは消え、全てが終わった。

 

「……こうして整理してみると、アンさんはラウムを利用していた、というように取れるのと同時に、何かからずっと隠れ続けていた、という風に読み取れます」

「隠れていた、というより、縛られたくなかった、じゃないかな」

「……セイレムという土地に縛られると、目的が果たせなくなるから……? アンさんの目的は……」

 

 どこかへ行くと言っていたような気がする。

 

「マスター」

「あ、サンソンさん。お身体はもう大丈夫ですか?」

 

 二人して考え込んでいると、サンソンがマイルームを訪ねてきた。

 彼は最後、あの場にいなかったのに、レイシフトにはついてこれたんだよね。

 

「はい。おかげさまで」

「何か用?」

「え? いえ、僕はマスターに呼ばれてきたのですが……」

「え?」

 

 マシュと顔を見合わせる。

 呼んだ?

 いいえ?

 

「でも、ちょうどいい」

「はい、先輩。

 サンソンさん、お伺いしたいのですが……」

 

 

 

*

 

 

 

「霧が……」

 

 アン・パットナムが自ら首縄に顔を突っ込んだ直後、サンソンの周囲には立ち込める程の霧が発生していた。

 そしてその霧の中で、手招きをしている誰かがいる。そんな光景だった。

 

 サンソンは当たり前のように、それが正しい事であるように、その手招きの方へ歩を進めていた。彼女が誰なのか、知っている気がして。

 

「……ここは、畔……?」

 

 それは、前にも来たことのある場所だった。

 深い霧の立ち込める湖の畔。

 前は確か、大きなヒョウがいて。

 

 そして、今。

 その場所には、ひとりの少女が立っていた。

 

「やぁ、シャルル=アンリ・サンソン。マリー・アントワネットでなくて悪かったね」

「アン・パットナム……?」

 

 ぼやけた思考でも、彼女が直前に死んだことだけは覚えている。

 ならば食屍鬼か――。

 サンソンは剣を構えようとして、そんなものを持っていないことに気づいた。

 

「僕から君に、一つ知恵を授けよう。トントントン(ラッタッタ)。三度、踵を地面に打ち付けるんだ。それだけで門は開く」

「何を……」

「サンソン。ラウムがこのセイレムに配役を割り当て、舞台を回していたように……僕も小さな劇を行っていたんだ。題目は、『オズの魔法使い』」

 

 君は案山子だよ、とアン・パットナムは言った。

 

「オズの魔法使いは僕の事だ。ライオンはベティで、ブリキ男はオセ。そしてドロシーは、”彼”。でも”彼”は実体を持たないからね。誰かに踵を叩いてもらわなければいけなかった」

「彼、とは?」

「”彼”は”彼”さ。名前は知らないけれど、オセを僕に導いたただの人間。

 オセと僕はね、”外”に行きたいんだ。そう、”外”――外なる神()のいる場所じゃなくて、”彼”のいた場所に」

 

 立ち込める霧にひびが入る。

 その向こうに――現代の光景が広がっていた。焼却される前か、後か――はたまた、並行の世界か。

 

(オズ)はペテン師だからね。誰の願いもかなえてやれない。叶えたようにみえるのは、いわゆるマッチポンプってヤツだ」

「何故……僕なんです?」

「君が最も人間の最後を知っているからさ」

 

 懐疑的な賢者はダメだ。常識知らずの太子ではダメだ。偏屈な魔女も、恋する女王もダメだ。妖艶なる美女も、儚き少女も、天文台の魔術師も、鍵となった一でもダメなのだ。

 

「君じゃないと、飛べないのさ」

 

 霧の中――奥に、大きな柱が出現する。

 シルエットでもわかる。アレは、魔神柱。

 その隣に、男性だろうか、小さな人影。

 

 さらには、大きな本を抱えた女性が現れた。

 

「……大きくなったね、ベティ」

「ええ。もう、おばあちゃんよ……アン」

「じゃあ、その本はもう、いらないね」

「ふふ、そうね。もう……何度も読み返したから」

 

 女性から本を受け取るアン・パットナム。

 その本の題名は、オズの魔法使い。

 

「いいかい、サンソン。トントントン(ラッタッタ)だ。それで鍵は開く。

 行きたい場所を強く望むんだ。そうすれば、帰ることが出来る」

「……行きたい、場所」

 

 はたして。

 それは、どこだろう。

 

「……最後に一つ。

 サンソン。君ではなく――その()()で、君から話を聞く子たちのために、答えよう」

 

 霧が深くなっていく。

 魔神柱は一匹のヒョウへと姿を変えた。

 男性はその首に手を置き、ベティ・パリスと、アン・パットナムに手招きをしている。

 

 

 

「――この本は、僕が書き上げたんだよ」

 

 

 

 トントントン(ラッタッタ)

 サンソンは体の動くままに踵を鳴らした。

 

 それだけで――まるで、レイシフトのように周囲が歪み。

 

 

 気づけば、マスターたちと共に――カルデアに戻ってきていたのだった。

 

 

 

*

 

 

 

「ううん……話を聞いてもさっぱりわかりませんね……」

「すみません。僕も起きた事を把握しているわけではなく……」

「いえ、サンソンさんが悪いわけではないのです。

 ただ、何か釈然としないというか……ううん」

 

 話を聞いた結果、もやもやが余計に広がった。

 何故七日目の時点でそんなことになっているのか。それでは時系列がバラバラだ。

 

 まるでそこだけ、時間が切り離されていたかのように。

「正解だよ」

「え?」

「先輩?」

 

 何か今……悪寒のようなものが、走ったような。

 

「……うん?」

 

 何か、違和感が。

 なんだろう。

 

「あぁ、そろそろ僕は失礼します。呼ばれたと思ったのは気のせいだったようですし……」

 

 カツン。

 コツン。

 あ、わかった。

 

「サンソン、靴替えたの?」

「……おや」

 

 いつものブーツ、ではなく。

 銀色の靴を履いていたんだ。サンソンが。

 

「いえ……これは、僕のものでは」

「銀色の靴、ですか……」

「……あのぅ」

 

 またもマイルームの扉が開く。

 そこにいたのは、

 

「私の靴を知りませんかぁ?」

 

 ミドラーシュのキャスター――シバの女王。

 あの後晴れてカルデアに召喚できた――キルケーと一緒に――あの事件の功労者の一人である。

 

「あ、それですよぅ!」

「む――すみません、レディ。今返しますから……」

「……東の悪い魔女」

「へ?」

 

 マシュがポツりと呟く。

 

「オズの魔法使いで、銀色の靴を手に入れる時――東の悪い魔女を家ごと下敷きにするんです。それは故意ではないのですが、とかく東の悪い魔女を殺した主人公はその後、オズの魔法使いの言葉によって様々な動物やモノを仲間にして、西の悪い魔女を殺しに行きます。

 ……先ほどサンソンさんが言っていたように、魔神柱オセが『オズの魔法使い』の劇を回していたのだとしたら……ティテュバさんが、東の悪い魔女。北の良い魔女はキルケーさんで……そしてアビゲイルさんが西の悪い魔女。そんな配役だったんじゃないでしょうか?」

「……なるほど。

 ドロシーである”彼”という人を宿したアン・パットナムは東の悪い魔女・ティテュバを殺す――告発しなければいけなかった。さらには西の悪い魔女・アビゲイルさんに宿っていた外なる神とやらを無力化し――銀の靴を使って”帰還する”舞台を整えた、と」

 

 降板させられないようにバレることなく、しかしシナリオを回し続けなければならない。

 そして最後の最後、彼女たちは全てを整え、切り離された――恐らく結界の中――で、劇を終わらせたのだ。

 

「……なら、彼女たちは外の世界にいるのかな?」

「かも、しれません。魔神柱が日常生活に紛れ込んでいると考えるのはうすら寒いものがありますが……」

「まぁ、あの魔神柱は放っておいても大丈夫そうだけどね」

「それはまぁ、そうですけど……」

 

 魔神柱オセ。

 利害の一致とはいえ、外なる神という脅威から人類を救済した存在。

 

 叶うのなら。

 

 彼の存在が、私達に討伐されるような事件を、起こしませんように――。

 

「ははは! 肝に銘じておこう。それじゃあ、良い余生を。カルデアの諸君」

 

*

 




まだ終わりではない


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「THE WIZARD OF OZ」

これにて完結!


*

 

 

 

 ――AGE.2047, Massachusetts – Danvers.

 

 ペラ、ペラ……と頁をめくる音だけが響く。

 心地の良い風が吹く空から、一枚の秋葉が舞い落ちてきた。

 

 ふと、足音に顔を上げる。

 

「いらっしゃい、アニー。今日はどうしたのかしら?」

「わ、わ、どうしてわかったの?」

「あなたくらいですもの、あんなにドタドタ家の中を走り回るのは」

 

 ふふふ、と笑う妙齢の女性。

 落ち着いていて、やさしい印象のある笑顔で、部屋の扉の方を見た。

 そこにいた、今しがた豪快な音を立てて廊下を走ってきた少女が、口をとがらせる。

 

「べ、別にいいじゃない。誰も見てないんだし!」

「ええ、悪いと言うつもりはないわ。子供は元気が一番なのだし。

 それで、今日は……ふむふむ。人形の服が破けてしまったから作り直してほしい、自分で直そうとして毛糸を取り出したら全てほどけてしまったからごめんなさい、ところでハサミはどこにあったっけ……こんな所かしら?」

「さっすが! 全部正解!」

「ふふふ、それは驚いたわねぇ」

 

 にこにこと女性は笑う。

 それは彼女がほほえましいから、だけでなく……過去の自分を投影して、かもしれない。

 

「ハサミはここの戸棚にしまってあるわ。貴女の部屋に置くと危ないから……三日前にそう言ったでしょう?」

「あ、そういえば!」

「それじゃあ毛糸を巻き取ってきて頂戴な。適当でいいわよ。あと、お人形さんもね」

「はーい!」

 

 元気有り余る素直な少女に、女性はくすくすと笑ってその背中を見送る。

 そして読みかけの本に栞を挟み、パタン、と閉じた。

 

 古臭いハードカバーには――”オズの魔法使い”と、書かれていた。

 

 

 

*

 

 

 

「わ、すごーい! お人形さん、前よりキレーになってる!」

「そうね。でも」

「あ、待って待って! 大丈夫! 直るからって、乱暴に扱ってはダメよ、でしょ?」

「ふふふ、正解」

 

 少女――アニーは、このよく笑うお婆さんが好きだった。

 実の祖母ではない。アニーが生まれる前からいる女性だが、元はこの村の人間ではないと大人たちから聞いた。でも、昔の話をよく知っているし、訛りもこの村のお爺さんお婆さんと遜色ないし、大人たちの話はあんまり信用していない。

 

 そんなことより、このお婆さんはすごいのだ、という事をアニーは知っていた。

 何でも知っているし、なんでも言い当ててしまう。滅多に怒らないし、怒っても優しい。

 ただ、いっつも同じ本を読んでいて、いつも祈りを捧げているから、アニーは子供ながらに「悲しいことがあったのかも」という事を察していた。

 アニーはちゃんと、そういうことを考えられる子だった。

 

「ねぇ、アニー」

「なぁに?」

「……ふふふ、なんでもないわ」

 

 時々このお婆さんはこういう事があった。

 アニーを見て、頭を撫でて、意味ありげに笑うのだ。

 

 その優しい目は好きだったけど、どこか遠くへ行ってしまうような感じもして、アニーはいつも、その撫でてくる手を掴むのだ。

 離さないよ、とばかりに。

 

 だが、その日はお婆さんの手が途中で止まった。

 何事かと顔を上げるアニー。

 

「……()()()()()()()?」

「――()()()()()()()()()()()()()()

 

 アニーの視線の先。

 信じられないものを見た、という顔で――お婆さんが、口に手を当てている。

 

 つられて、アニーもお婆さんの目線の先を見た。

 

 そこには、この辺りでは見かけたことのない、12歳くらいの少女がいて。

 

「だれ?」

「……ちょっと、驚いてしまったわ。……あなたが、オセ、なのね?」

「如何にも。盟約を果たしに来た。アンとドロテオが待っている。行くぞ」

 

 その言葉に、ついにお婆さんが立ち上がる。

 立ち上がって、アニーの頭にあった手を含めた両手を口元に当てた。

 

「お婆さん……?」

「なんて……こと。そう、なのね。あぁ、あぁ……ごめんなさい、アニー。

 私、行かなくてはならない場所があるの」

 

 懸念が的中した。

 アニーはそう思った。

 

 そして止めようとして――踏みとどまった。

 

 こんなにも。

 

 こんなにも、嬉しそうなお婆さんは、見たことがなかったのだ。

 だから、アニーは。

 

「お婆さん!」

「……アニー?」

 

 つらいのを我慢して、言った。

 

「いってらっしゃい!」

 

 きょとん、とした顔をして。

 次第に、その顔を崩して。

 お婆さんはアニーをぎゅっと抱きしめてくれた。

 

「強い子になったわね……ありがとう、アニー」

 

 これがお別れなのだとわかった。

 アニーは、それでも。

 

「うん。またね、ベティお婆さん!」

 

 元気に、別れを告げる。

 

「ええ……また、いつの日にか」

 

 お婆さん――ベティも、また。

 支度は要らないと、机の上にあった大きな本だけを持って、オセと呼ばれた少女の元へ向かう。

 その途中で、あ、と何かを思い出したように振り返り、アニーへと何かを差し出した。

 

「これ、使ってくれないかしら。私の……そうね、私の小さなころから使っている栞なの」

 

 栞。

 アニーはあんまり本を読まないから、その存在を知っていても使ったことはなかったが……これからは本をたくさん読もう、そんな気持ちで、それを受け取った。

 

「別れは済ませたか」

「ええ。それじゃあ、お願い」

「了承した」

 

 自分と少し違うくらいの子なのに、ずいぶんと堅苦しい喋り方をするものだ。

 そんな感想を抱きながら、アニーは先ほど直してもらった人形をぎゅっと抱きしめて、二人を見る。

 

 ベティが、振り返ってアニーを見た。

 ばいばい、と……なんだか子供みたいに、手を振って笑って。

 

 

 

 瞬間。

 

 

 

「え」

 

 跡形も――影も形も、音すらもなく。

 二人は消えた。消えていた。

 

 まるで全てが夢だったかのように。

 今まで、立ったまま夢を見ていて、それが覚めたかのように。

 

「……魔法?」

 

 そういえば、と。

 ベティお婆さんがずっと読んでいた”同じ本”のタイトルを思い出す。

 

 “オズの魔法使い”。

 

 もしかして。

 

「……ママー!!

 魔法使いにあったー!!」

 

 それが偽物でない事は、夢でないことは、アニーが受け取った栞と、直してもらった人形が証明している。

 涙はちょちょぎれていたが、それでも……アニーは元気に走り回る。

 勿論本も読んで、お裁縫も習う事にした。

 

 いつか、また。

 出会えるその日までに、全部できるようになって……なって、どうするのかな。

 まぁ、いっか!

 

 そんな風に考えながら。

 

 

 

 

 ところで、アニーが受け取った栞……そこに刻まれた、ベティ・パリスの文字。

 これと、全く同一の文字がアニーの家の家宝の中から見つかるのだが、それはまた別の話。

 アニー・パリスの不思議な出会いの話は、ここで終了である。

 

 

 

*

 

 

 

「ドロテオ」

「あぁ、来たのかい? やぁ、オセ、ベティ。久しぶり、と言ってもベティにはわからないかもしれないが……僕の事は便宜上、ドロテオと呼んでくれ。ドロシーだと、女性名だからね」

 

 深い霧の立ち込める、湖の畔。

 そこで釣りをする青年に、オセは話しかけた。

 背にのっけたベティを下ろし、ヒョウの姿のまま水を飲むオセ。

 

「アンは?」

「ははは! 大丈夫、もうすぐ来るよ。僕では鳴らせないトントントン(ラッタッタ)。その代役を連れてきてくれるんだ」

「……そう」

 

 静かな時間が流れていく。

 魚のいない湖で釣りをするドロテオと、一頻り水を飲んで満足したオセ。

 そしてそわそわとしながら辺りを見渡すベティ。

 

「ねぇ、ここはどこなのかしら」

「ここは結界オズの魔法使いの中――と言ってもわからないかな。まぁ、君が出ていく前の、崩壊する前のセイレムさ。アンが舞台から降りる日のね」

「ラウムの結界セイレム魔女裁判、その中に作り上げた、極小の結界だ。お主はライオンの役を担っているぞ」

「私が、ライオン? ふふふ、おかしいのね。あなたの方がよっぽど”らしい”のに」

「ははは! それについては全くの同感だ……喉を鳴らすなよ、オセ。魚が逃げるだろう?」

「元からこの湖に魚は居らん」

「これは一本取られたね」

 

 そして、時が訪れる。

 

 対岸に、誰かが現れた。

 二人。

 

「さて、そろそろ行こうか」

「ああ」

「……ええ」

 

 オセが、少し離れて――その身を、ベティの遠い記憶にある柱――魔神柱へと変えた。

 その柱に手をついて、楽しそうに笑うのはドロテオ。

 

 ベティは二人に並ぶ事無く、水の上を歩いて――アンの元へ、向かった。

 

 そしてアンへと本を返し、ベティはそのまま、アンの横に佇む。

 

 アンの奥にいた青年が靴のかかとを三度、鳴らすのが見えた。

 

「……長かったね、オセ」

「ああ……ようやく、お前のいた場所へ行ける」

 

 トントントン(ラッタッタ)

 

 こうして。

 

 ようやく――全員の願いが、叶ったのだった。

 

 

 

*

 

 

 

――AGE.2056, Massachusetts – Danvers.

 

「……あれ?」

 

 家の中にある蔵を探索していた時の事だった。

 気のせいでなければ、昨日まではなかった、古びた本が一冊、これまた古びた机の上に乗っている。古びた机の方は前からあったけど、本は見た覚えがない。

 本を読むようになってから、本を傷めないように、古い本は全て干して使っていたから間違いない。これは、無かったと思う。

 

 不思議な体験。

 彼女はそれを、子供のころにも経験していた。

 

 早速障害物――よくわからない陶芸品や絵画なんかを乗り越えて、その本をキャッチ。大きな本故に苦戦はしたけれど、なんとか救出に成功する。

 明るい場所へ持ってきて――表紙を、見て。

 

「……うそ」

 

 そこには、古い字で――オズの魔法使いと、書かれていた。

 急いでとあるページまで捲っていく。

 

 とあるページ……それは、彼女が木苺を落としてしまって、汚れのついてしまった、珍しくあの人を落ち込ませてしまった、微妙にトラウマなページ。

 もしかして、もしかして。

 

 逸る気持ちを抑えてめくっていくと――あった。

 

「う、わぁ……ホントにそうだ……!」

 

 やっぱり。

 記憶と同じ場所に、記憶と同じ形で、木苺の形が。

 

「じゃあ、これはやっぱり、お婆さんの……」

 

 あの人――お婆さんの、オズの魔法使い。

 あの日忽然と消えてしまった憧れの女性。

 

 ペラ、ペラとめくっていき、最後のページにまでたどり着く。

 すると、裏表紙のところに、小さく文字が刻まれていた。

 

「……ベティ・パリス」

 

 まるで子供が自分の持ち物に名前を書くかのように刻まれていたその文字は、見覚えのある、ありすぎるもの。

 

 大きく息を吸い込む。

 厨房にいるだろう母親に聞こえるように、大きな声で。

 

「ママー! お婆さん……ご先祖様からプレゼントもらったー!!

 

 これで、アニー・パリスの不思議な体験はおしまい。

 ホントのホントに、おしまいである。

 

「これで本当に、終わりだよ」

 

*

 




簡単な時系列を乗せます。読みたくない人は反転しないでくださいね。

1,ラウムの結界セイラム魔女裁判が構築
2,オセの結界オズの魔法使いが構築
3,セイラム魔女裁判開始
3.5,結界オズの魔法使いの湖の畔にドロテオが固定、楔となる。
4,ヨグ=ソトースとオセ&アンが繋がる
5,オセが異聞へ行く
6,アンが異聞へ行く
7,結界セイラム魔女裁判終了
8,セイレムが崩壊する。
9,アンがヨグ=ソトースを説得する
10,ベティは外で三十年を過ごす。
11,オセがベティを迎えに来る。
12(3.7),ドロテオを目印にアン、オセ、ベティが崩壊前のセイレムへと飛ぶ
13(3.9),サンソンによってアン、ベティ、オセ、ドロテオが行きたい場所へ飛ばされる
14,結界オズの魔法使い終了
15,現実のパットナム家へ。


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