【完結】きっと君とは相棒だった (四ヶ谷波浪)
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潮風の香るその人

「ひーまーだーなー」

 

 窓辺で本を読んでいたけど、なんだか飽きてしまってパタンと閉じた。足を投げ出したいのを我慢して、ちょっと伸びをする。こういうとき、本当に行儀悪く足を投げ出しちゃうこともよくある。すると、身分に相応しい所作を身につけてください! なんてお作法の先生は言うけれど、僕はなんだか普通の村人とか町人とかやってる方が良かったと思う。そっちに慣れちゃってるんだ、何故か。

 

 でも、生まれというものは変えようがない。僕はユグノアの王子。もちろん十六年前からずっとそういう生まれでずっとそういう育ち。最初から「こう」のはずなのに。不思議だよね。なんだか違和感があるような。お作法をちゃんとするのから逃げてるからなのかな? 

 

 この前やっとこの国での成人を迎えたばかりの僕は、だからって特に何かが変わるわけじゃない日々にちょっと飽き飽きしていた。

 なにしろ世界を旅するおじい様は元気いっぱいで健康、お父様とお母様は今日もアツアツでピンピンしていてまだまだ若い。だから、僕が何か特別するようなことはない。世界は平和で、大昔のように魔物が増えすぎて困るってこともない。

 つまり、僕はこの上なく幸せなわけだけど、それゆえに暇を持て余してるってわけだ。

 

 ユグノアの王子として生まれた僕は、あのラブラブっぷりからしたら不思議なことに一人っ子だし、つまり王位継承権の第一位だし、お母様にご兄弟はいらっしゃらないし、きっと順当にいけばこの国の王様になるんだろうけど、なんだかそれが迷いもなく迫っていると思うとあまり嬉しくない。

 もちろん、なるのが嫌とかそんなのじゃなくて、なんだか僕もおじい様みたいに冒険の旅をして、世界を回って、いろいろここでは見れないものをみて、それから王様になりたいなぁ、なんて夢を見ていたんだ。

 

 冒険、やってみたいよね。素敵なロマンだよ。絶対そっちの方がしっくりくるって。戦って、旅をして、人と出会う。なんて素敵なんだ!

 それに、婚約者をそろそろ決めなきゃならないけど、たくさんの令嬢の姿写しと手紙、家柄とおべっかが書き連ねられた封筒をうんと貰うのもうんざりしていたし、なんとなくピンとくる人もいなかった。みんな型通りでつまらないんだ。

 お母様みたいに親衛隊長と大恋愛! とかできたらいいんだけど、仮に僕の親衛隊長をやっている強面で屈強な人が素敵な女性だとして、僕がその人に惚れてしまったらなんとも守られる気満々で情けない気もする。

 うーん、僕は姫じゃなくて王子だし、おんなじにはならないか。一筋縄にはいかないものだ。

 

 お父様とお母様のロマンスも、おじい様と亡きおばあ様の馴れ初めも、話に聞けば聞くほど僕も運命を感じてしまうような出会いをしてみたくなる。

 でも、これは別に恋愛じゃなくてもいいな。とにかく僕の運命ってものと出会ってみたいだけだから。絶対、いるよ、僕にも、世界のどこかに運命の相手が。それは確信してるのに、国の中でじっとしてたら見つかるわけないとも思ってる。

 

 あーあ、探すためにもとにかく冒険してみたい。隠居したおじい様に無理やりでもついていけば良かった。ほら、船でご出発されるときにこっそり潜り込むとかさ。

 潜り込む。……これ、いいかもしれない。船なら早々引き返せないんじゃないかな。特に沖に出ちゃえばさ。

 なんか面白そうな船、泊まってないかな。それに乗り込んで、大海原を冒険してみたい。もちろんただ、王子がわがまま言って乗ってきて、お客様として連れられるなんてつまらないものね、僕だって掃除とか、剣だってお稽古してるんだから魔物と戦うとかさ、そういうお返し、対価も支払って、ね。

 我ながらいい考え。

 

 僕は、椅子から飛び降りて、窓から外を眺めた。当然、ここから海なんか見えやしない。川と噴水くらいしか水は見えないさ。でも、海から運ばれてきた荷物なら見えなくもない。そして、それがどこにあるかは知ってる。

 そうそう、あの木のコンテナの群れがそうだ。いっぱいあるね、一つくらい人が入ってもバレないんじゃない? あぁそうだ、あそこに人が入れるくらい大きな樽があるじゃないか。あれに入れば海まで運ばれて、そのまま乗せてもらえるかも。

 

 えーっと、今どんな人がユグノアに来てたんだっけ? 良さそうな相手を見繕わなきゃね。他国の役人の補給物資だったらつまらないでしょ? すぐに送り返されちゃう。

 運が良ければ謁見に来てるかも。見に行こうかな。ほら、正装して、すまし顔して、護衛の兵士を連れて歩けば誰にも咎められやしない。

 

 乳母のペルラ母さんに今の顔を見られたら「次のいたずらは何にするのかい」なんてすぐに言われてバレちゃいそうだけど。そうじゃないならおじい様でもない限りバレやしないさ。

 僕はちょいちょいっと服装を直すと、自室から出た。なんだか城中が慌ただしいような気がして、慌てて背筋を伸ばした。

 お作法の先生にまた何か言われてしまうのは嫌だった。僕はどうやら、サマディーの王子、ファーリスと同じくらいしゃんとしてないらしい。ファーリスかぁ。うーん、僕の悪友。

 類は友を呼ぶ。だから、それもそうだね。

 

 まぁ、何か普通でないと思ったならより落ち着いて堂々としておきなさいと言われた言葉に従っておかないと。そうしたらとりあえずなんとかなるものなんだ。

 背筋を伸ばして歩いていると、どこからかちょっと磯の香りがしたような。海の商人が来てるのかな? 海には行ったことないけど、荷物の箱から潮の香りがしたことがあるから、それで匂いを覚えてるんだ。

 なんておあつらえ向けのタイミング! ウキウキしながらなるべく無表情無関心を装い、僕は玉座の間にお父様に会いに来ました、王子としてお客様との会話つなぎに来ました、と言わんばかりに突入した。

 

 するとそこにはやっぱり、筋肉隆々な海の男と言わんばかりの人が何人か。その中でも僕は中央に立つ、ひときわ目立つ青い髪を逆立てた男に目を惹かれた。黒くて長いコートを着こなし、眼帯をして無骨なレイピアを腰に指している男。たぶん船長。

 なんてカッコいい眼帯なんだ。男前だ。僕なんて髪の毛を少し伸ばしているものだから、からかい半分に姫君扱いされているからとても羨ましい。あぁ、それに腕に巻いたバンダナがワイルドだ。あんな海の男に憧れる。

 でも、なんだか初めて会った気がしないのはなんでだろう?

 

 それに、何をしてもキマってる。首を痛めるポーズが似合うに違いないよ。いいなぁ、冒険物語なら海賊の若き頭領に配役されるに違いない。僕のひらひらした格好では出ないカッコ良さだなぁ。

 彼は僕に気づくと恭しく会釈したので、僕もお客様に軽く挨拶した。

 

 ともあれ、用事の邪魔する成人済みの王子なんてみっともないことは出来ないので、すまし顔で玉座の隣の……つまり僕の定位置で薄く微笑みながら突っ立っていることにした。

 ここなら話を聞いていられるし。

 

「噂はかねがね、こちらがユグノアの至宝と謳われしイレブン王子殿下ですね。お会いできて光栄です」

 

 ちょっと北方訛りの丁寧な敬語がとっても似合わない。彼は物語から飛び出してきたような風貌なのだから、もっとカッコつけだったり、もっと粗野だったりした方が様になるのにな。

 とりあえずその呼び名はどっちかといえば姫君扱いしたい、つまり僕を着せ替えのおもちゃにしたい人の呼び名だからね。まぁいいや。この肌の白さは明らかに外国の……というより雪国生まれの人だ。知らなかったんじゃない?

 

「ご丁寧に、どうも」

 

 僕は全然無口じゃないけど、外交的には無口ということになってる。どうやら僕は黙っていると勝手に向こうが深読みしてくれる顔らしい。なので今回も黙っていることにした。黙ってすまし顔。僕の常套手段。

 いや、単に黙ってるのはボロが出るからだけど。なんでだろうね、僕はここで生まれ、育ち、教育されてきたのにどうして出るボロがあるんだろう?

 たまに夢の中で村人として育つただのイレブンになってるけど、そのせいなのかなぁ。野をかけ、畑でどろんこになり、弓を持って森に入る。そんなワイルドな僕の夢。

 不思議な既視感を覚えながら、カミュというらしいその海賊的な海賊である、海賊王と呼ばれた……でもユグノアとしては一応交易商人扱いのその人を見つめていた。向こうも僕の視線が気になるのかたまにこっちを見る。

 年の頃も近いしこれから仲良くして……なんていうお母様の言葉が聞こえたような。それが聞こえないくらいまじまじ見ていた。本当なら失礼なんだけど向こうもそんな感じ。

 

 なんだろう。不思議だけど、しっくりくる。

 ちなみに海賊である、といってもユグノアとしては彼は海賊じゃないんだ。どっかの国とは交易がなくて海賊扱いらしいんだよね。だから海賊王って。

 カッコイイじゃないか。なんだかとっても気に入った。潜り込むのは彼の船にしようかな。そうと決まれば出航日調べて、準備しなきゃ。

 

 

 

 

 

 

 「勇者」がすべてを成したあと。「ロト」と大樹に認められた勇者は、悲劇の末路を歩むかつての賢者にその力を譲渡した。

 賢者は時の礎を破壊し、時を遡り、愛しき勇者と再会する。悲劇は最後、一転してハッピーエンドを迎えたのだ。

 

 その後、どうするか。当然、過去は変えられる。

 

 邪神によって堕とされた魔術師は、希代の賢者の手によって悪心に取り憑かれることはなくなる。ニズゼルファの肉体を封印する必要もなくなる。つまり、邪神の討伐がこの伝説になるほど昔の世代でなされるのだ。

 

 過去が変えられれば、当然未来も変わる。

 その出来事は時間をかけてゆっくりと未来へ浸透していく。

 

 十七を目前としたかつての「ロトの勇者」は、十六歳になったばかりの時点でも祖国ユグノアを滅ぼされることなく王子として育つ。悲運の運命に生きたデルカダールの姫は世界をさまよう旅人になることなく、姫として育つ。双賢の双子は勇者を探しに来る使命を背負わない。

 バンデルフォンは今も顕在で、花の都は花の都のまま。あぁだが、海の街の騎士はこの世界でも芸人になるべく飛び出したかもしれないが。しかし、世界は平和なのだから魔王を滅ぼす必要はない。彼は今日も憂いのない世界で更なる笑顔を生み出すのだ。

 そうすればどうだろう、孤児を養う力もなかったクレイモランは五大国のうちの二つが滅びることなく、つまり支援を行う必要もないのだから、海賊の元で腹を空かせながら育った兄妹は早々に保護された。保護された上で少々、海賊と関わったかもしれないが。

 彼らはそれなりに幸せな幼少期を送り、故に贖罪を胸に足掻いた盗賊カミュは生まれない。戦利品として受け取った「赤い宝石の首飾り」は彼らの手元に存在しない。存在しないのだから、黄金の悲劇も起きない。そう、クレイモランの黄金の悲劇は。

 

 ねじ曲げられた運命は、ねじ曲げられることのなかった歴史を歩む。故にゆがんで、ゆがんだことをかつての役者たちはわずかな違和感として認識する。

 

 王子として育ったはずなのに、作法に疎い王子だとか。体の寸法に違和感を抱く大魔法使いだとか。大きな変化があった者ほどそうなったが、真実は既に解けて只人には見えぬ。

 多かれ少なかれ、人々は失ったものへの違和感を抱いた。しかし、それらはどれも口に出すほど大きな違和感にはならない。物語の中心人物ほどの「修正」を受けた者がやっと、違和感に不信を覚える程度なのだ。

 運命はもうないはずだった。なのに、出会うことがなくなったはずの相棒たちは、それでも、惹かれるように出会う。

 

 デルカダールの地の底で、悪魔の子めと罵られて投獄されて?

 否、滅んだはずの国の、無くなったはずの玉座の、若くして亡くなったはずの王夫妻の前で。

 

 じめじめとした暗い場所で?

 否、赤い絨毯の敷かれた豪奢な場所で。

 

 何不自由なく育ち、しかし違和感を抱き続ける王子と、彼に懐かしい既視感を覚える若き海賊王は、やはり導かれる様に出会う。預言者は生まれなかった。彼らの導きはもうないはずだというのに。

 互いの青い目を突き合わせながら、なんとなく、出会うべき人物に出会ったと秘かに想いながら。



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間の抜けたお姫さん

お姫さんと海賊王


 その国の王子がバレずに城の中でコソコソできるのだろうか?

 答えはできる、だよ。

 何故なら、小さい頃からずっとイタズラのために警備の穴を突いてきたからね! 

 

 とりあえず、決めたら即行動だ! 冒険といったら武器を背負い、カバンの中に保存食を持ち、目立たない色のフードやマントで防寒し、薬草の備えをして、あとはいちいち華麗でカッコいい……ってところだろう。

 カッコ良くなるのは、ワイルドな空間に揉まれてからに期待するとして。マルティナお姉様に、お母様、その他メイドにいまだに可愛がられ続ける成人男性が逞しくカッコいいとは言い難いだろうからさぁ。素敵な筋肉の持ち主になりたい!

 お母様、僕はワイルドに揉まれて帰ってきます! 

 

 冒険にとって大事な武器は持ち出さなくても持ってるからそれでいいかな。欲を言うならこんなキラキラした剣より、地味な兵士の丈夫そうな剣でもくすねたいところだけど、武器の警備は流石に王子のいたずらで突破できない。

 とはいえ魔物って……今時そうそう襲ってくることはないけど、冒険にはドラゴンとの戦闘が付き物だからね! 忘れちゃだめだめ。

 保存食は秘密のルートを通って、倉庫からくすねるってことで。パンと、干し肉と、水。これがいいな。でもあるだろうか? 頑張って探すけどふわふわのパンなんて日持ちしそうにないよね。どうしよう。

 

 で、それより問題は服装。僕の普段の格好が外で目立つことぐらい分かるよ。もっと目立たない色や形じゃないとね。これに関してはしょっちゅうお忍びで城下町に飛び出している僕には入手が容易い。……あれ? なら食料も代替品をくすねるんじゃなくて本物を買えばいいんじゃない?

 うん、名案だ!

 

 そうして頭領カミュの率いる旅団であり、商人であり、海賊である彼らの出発日までこっそり僕は準備を続けた。城を抜け出して動きやすい服と食べ物の調達、荷物を詰める袋やカバンの調達。

 不思議なくらいバレなくてびっくり。なんでだろ、普段の「お忍び」はやたらと捕まっちゃうのに。

 もしかして、僕のお忍びスキルがおじい様に近づいてきたとかかな? それなら嬉しいなぁ!

 多分、そのお陰でお父様にはバレてないと思うんだけど、なんとなくお母様にはバレちゃってるような気がするけどね。

 でもお母様は今回の僕のいたずらを微笑ましく見守ることに決めたみたいで優しく優しく僕のちょっと浮き足立った言動を見ていらっしゃるだけ。船に忍び込むってところまでバレてるかどうかわからないけど、お母様だったらなんでもバレてそう。

 ペルラ母さんも準備の二日目にはやけににこにこしてるし、二人は絶対分かってるよね。分かってたよ、二人にはまだまだ適わないことぐらい。でも黙っていてくださるなら、いいよね、ね?

 これでお父様にバレてたらとっくに服も食料も取り上げられてお説教コースだったはずから危ない危ない。お父様、僕はワイルドになって帰ってきますから、ご心配なく。心配性なんだよ、僕は元気! 僕は冒険に心惹かれるお年頃! 

 でも出発まではバレちゃいけないから、僕はいつも以上にすまし顔をしていい子にしていた。

 

 そうして、トントン拍子に準備を済ませた僕は、彼らの出発の日の深夜、荷物をまとめて軽い変装し、寝静まった城を静かに抜け出した。

 こうやって抜け出すことはわりとよくあることだから、容易いことだよ。護衛も見張りも僕にとっては知り尽くした相手だ。抜き足、差し足、頭を向こうに向けた隙にすっと抜ける。

 くすんだ色のフードをかぶって、目立たない色の服を着こんで、袋に詰めた荷物を身につけて。目立つ剣は布で巻いて、ほら、これでただの旅人だ。海賊王にバレても王子とは気付かれずに旅人って思われるかもしれないね。それはそれで面白そう!

 流石ここまで大掛かりな「お出かけ」はしたことないんだけど、どうしてか体は慣れたように旅支度してくれて助かった。

 でも不思議。こういうの本当に多いんだ、やったことないはずなのに、経験なんてないはずなのに、やったことのあるような動きをするのが。

 不思議がっててもしょうがないけどね。ありがたく利用させてもらおう。

 

 朝日が昇る前に僕はタルに入った海賊の荷物の中に紛れ込んだ。運良く僕が入り込めるくらいの隙間のあるタルを見つけ、滑り込む。それから中から蓋を閉じちゃえばバレないはず。

 中身は丁度いいくらい詰まってる。カラのタルなんかに忍び込んだとしたらさ、よく考えたらバレバレに違いないよね。重さとか、音とか。空だったはずじゃないのか、とか。下手したら解体する予定だったら海の出ることなく失敗だ。

 その点、適度に荷物の詰まったやつの中ならバレっこないない。

 ちょっと狭いこの空間がむしろ心地いい。詰められているものはよく分からないけど、なんだか柔らかくて居心地がいい。布が主体でいい感じ。一体なんの荷物なんだろう?

 

 とにかくあったかくて、ふわふわだ。どうせ動けないし、出航してかなり経たなきゃ出られないんだから、ここで一眠りしておこうかな。

 持ち込んだ荷物を潰してしまわないように僕は前に持ってきてぎゅっと抱きしめる。海賊王の荷物に紛れて、僕は眠る。ワクワクして眠れなかったから余計に眠気が襲ってきて、僕は無事に侵入できた安堵からそれに逆らわずに眠る。

 初めての密航はそうしてつつがなく成功……したと思ってた。

 

 でも実際は。

 

「どうだ、王妃の予想通り、『お姫さん』は来たか?」

「へいお頭。こちらにいらっしゃいますぜ」

「……マジか。ホントに来るとはなぁ、無謀というか、恐れ知らずというか、ともかく好奇心いっぱいだな。この国もむしろ安泰だろ」

「確かに……」

 

 すぐにすやすや眠ってしまった僕は、蓋を開けられて、それもまだ陸で、さらに寝顔を見られてのそんな会話があったことも知らず、そのタルが事前に仕込まれたものであることも知らず、さらにすべてを見抜いていたお母様の根回しであることも知らずに呑気なもの。

 寝心地良く、ちょうどいい位置にあって、さらに僕でも開けられて、その上人が入れるくらいの隙間があって、さらに寝やすいふわふわで詰められてる……なんて絶対罠かなにかなんだと教えられるまで僕は気付けない。

 えっちらおっちら丁寧に運ばれて、気づけば海の上。それでも息を潜めて船が沖へ出るまで静かにしていたのをすべて声を潜めて笑っていた海賊王その人に見られっぱなしだなんて……つまり、僕入りのタルは荷物としてではなく「お客様」として最初から船長の部屋に運ばれていただなんて、気づきやしない。

 

 どこまでも間抜けというか、計画が筒抜けの僕。

 そしてお母様からの「依頼」で僕の面倒を見ることにした海賊王カミュ。

 それは、そんな間抜けな冒険の始まりは、僕の唯一無二の相棒を見つけるための運命であり。彼の運命、すべて収束しきったこの世界での「運命だった」その残滓が成した、奇跡のようなもの。

 

「……生きてんのかこれ」

「寝息がわずかに聞こえますね……」

「呑気なお姫さんだなぁ。さて、そろそろもてなしの準備をしろ。流石に起きるだろ」

 

 初日の僕は、ドキドキしてここ数日、まともに眠れていなかったものだから日が高くなるまで眠っていた。そのせいでいらない心配までかけていたなんて、ますます恥ずかしい。

 

 

 

 

 

 

 そろそろとタルの蓋が開く。さっきから薄くうかがうように開けられていたが、いつまで経っても明かりが消えないので痺れを切らしたってところだろう。

 好奇心旺盛なお姫さんは少々せっかちでもあるらしい。

 

「よいしょっと……? うわぁ!」

「第一声が悲鳴とはなかなか笑わせに来るお姫さんだな?」

「か、か、か、」

「ん? どうした? ユグノアのお姫さん、びっくりしたか?」

「海賊王カミュ!」

「ご丁寧に紹介をどうも」

 

 手下が一人、吹き出しそうな顔をして肩を震わせている。目を真ん丸に見開いて、髪の毛を振り乱す男のお姫さんなんてそうそう見られないだろう。

 すまし顔、無口。それが彼が「お姫さん」から逃れようとして外の人間へ印象づけようとしているようだが。それ、素じゃねぇだろう。お姫さんの本当の姿は活発やんちゃなお転婆なようだ。世話が焼けそうだ。

 

 かつて大樹の至宝と謳われた母君によく似た今代の青い宝石。まだ父君のような優れた武勲はなく、このぬくぬくとした平和な世に大切に育てられ、何も汚いところを見ずともいい存在。

 つまり、イレブン王子はユグノアの「お姫さん」だ。そんな存在なんて、そうだろう? あぁ、もちろん本人の自負のとおり王子だが、こんな絹糸の髪に白い肌の、外の世界を全く知らない箱入りなんてどう考えても「王子」より「お姫さん」だろう?

 

 日焼けも労働も知らない肌がなんとなく似合わないお姫さん。なんとなく畑でわしわしとクワを振るう方が似合いそうなお姫さん。きっと外見に似合わず、足でカボチャを蹴り割ったり、ツボやタルを破壊しまくる豪快な性格をしているんだろう。

 ……何故だろうか、こんな本物の姫君が裸足で逃げ出しそうな麗しい「お姫さん」を見てそんな感想を抱いたのは。まぁいい。やけに具体的な想像だが、こんなことはよくあることだ。妙な既視感なんてつきものだ。

 

 ともあれ、海の男と比較すれば細っこくて未熟な王子は「お姫さん」なわけだ。ここではな。俺に言われたかないだろうが、まぁ勘弁して貰おうか。

 何も成さずに認められることなんてねぇんだから。さっさとなにかしてくれねぇかね。「お前ならできるだろ」。

 

「エレノア妃からの言伝がね、少々ございますよ。楽しんでいらっしゃいってね」

 

 一応「お姫さん」なわけだから敬語を使ってみたが、既にお姫さんは理解しきっていたようだ。なかなか聡明だ、いや、慣れているのか?

 

「……あーあ、結局全部バレバレだったんだなぁ。どうぞ、海賊王。僕に対してそんな似合わない敬語使わないで」

「そうかい、お姫さんは剛胆だな?」

「そのお姫さんってのは特に気に食わないよ。やめてくれる?」

 

 わがまま放題に育った訳ではなさそうだが、甘やかされてのびのび育てられたお姫さんは断られる可能性なんて考えてないんだろうな。

 

「いーや、俺から見れば王子様というよりはお姫さんだ、箱入りのな。なぁに先はそれなりに長いからな、認めてやれば改めてやるよ」

「……そう」

「お姫さんは俺のことを好きに呼んでいいぜ? 海賊王か? それとも名前で呼ぶか?」

「海賊王は思ったよりも紳士じゃないから、姫君の機嫌は既に損ねられてるんだけど?」

 

 タルからひょいとかるがる飛び出し、妙に似合う旅の装束を身にまとったお姫さんは少しむくれていた。十六で成人した、と聞いていたがはてさて。

 世界には十六では成人ではない国もあるくらいだしな、まぁまぁ子どもってところだろう。可愛いじゃないか。お守りの相手に不足なし。

 それになんだかこのお姫さんとは初めてあった気がしねぇんだよな。妙にちらつく既視感の正体ってのをハタチになる前には明らかにしてぇじゃねぇか。

 俺の勘が囁いている。このお姫さんはただのお姫さんでも、ユグノアの王子様でもなく、なにか……なにか重要な何かをになっている存在じゃないか、と。

 根拠はない。箱入りとはいえそれは一人息子だからだろうしな。順当に考えればユグノア次期王だ。

 

 だが、ざわざわと胸の内が言うんだ。

 また会えたな、と。こいつに。甲板掃除もまともに出来そうにない、箱入りのお姫さんに。

 大樹のお姫さんは一応、自国にとっては交易商人という立場なものの、実態はならず者の頭領でしかない。なのに、俺に対して随分肝が太かった。

 

「僕はなにをやればいいの?」

 

 無邪気に楽しそうに聞いてくるお姫さん。いやいや、海慣れもしていないお姫さんだぞ、お前さんは。少々海が荒れたら吹き飛んでいきそうだ。それは困る、俺たちの首が物理的に飛ぶ。

 好奇心旺盛だからここにいるんだろうが、そうそう冒険なんてさせられねぇ。これは依頼なんだ、お得意様のな。そうじゃなきゃ積荷の異常に気づいてとっくに降ろしている。

 

「お姫さんにさせてやれることはそんなにねぇよ。まぁそのうち『楽しませて』はやるから、いい子で待ってな」

「姫扱いに子ども扱い……僕が本物の可愛い姫だったらよかったね?」

 

 明らかにお姫さんは不満げだ。さーて、お姫さんに相応しい仕事がこんな船にあるかどうか。下々の生活に興味を抱かれるのはいいことなんだろうが、結局何もやらせずにお客様のお姫さんとして連れていくことにもなるかもしれねえ。

 

「本物の可愛いお姫様だったらタルに忍び込んで密航してこねぇよ」

「はは、それもそうだ」

 

 特別製のタルは片付けた。相変わらず旅装束のお姫さんは偉そうに俺のベッドに足を組んで座りながら、俺のことを相変わらずまじまじ見つめていた。

 まぁいい。まじまじ見つめていたい気持ちはわかる。「何かがある」。何かはわからないが、確かになにかが。

 世界には解明できない事が多いからな。

 

「お母様の伝言があったってことは、僕の立場は見聞を広げるために『海賊王』のところに預けられたって感じかな?」

「だいたいそうだな。お姫さんは『交易商人カミュ』の船で見聞を広げることになってる」

「もしかして海賊王って呼ばれるのは嫌かい?」

「好きにしたらいい」

 

 何ともくすぐったい上に身の丈に合ってねぇその呼び名。だがこっちも「お姫さん」と呼んでるんだ、文句は言わねぇ。

 にしても海賊王ねぇ。お姫さんに呼ばれるとさらにしっくりこねぇ。

 

「僕、船の甲板掃除とか、魔物と戦うのとかできるかなぁって思ってきたけど、『預かり者』にはさせられないかな?」

「さてな」

「はっきり言ってよ」

「はっきり言ったら突っ走りそうなお転婆姫だからなぁ」

 

 ダメだといったら何としてでも参加しそうだし、いいと言えば張り切りすぎて何かやらかしそうだ。

 とりあえず何日かは様子を見させてもらわねぇと。

 まぁお姫さんつっても男だ。護衛隊長の息子なだけあってそれなりの体格と筋肉には恵まれていて、これが新入りなら仕込みがいがあったってもんだ。

 

 王宮仕込みの剣術が魔物との打ち合いの役に立つかどうかはともかく、悪い噂は聞かねぇし。むしろおべっかの可能性もあるが噂には剣の腕が立つと聞いている。

 だがお姫さんだ。預かった、大樹の至宝。甲板掃除くらいならやりたいならやらせてもいいかもしれねぇが、戦わせるのは絶対に無理だな。戦力になるかならねぇかじゃねぇ。俺の家族を守るためにはお姫さんの無事の帰還が必須だろうよ。

 やれやれ、面倒だ。だが、たまにはこういうお宝を運ぶのも悪くはないぜ。



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ダーハルーネ

 船に揺られて不思議な心地。目が開いた瞬間に僕は飛び起きる。

 「お客様」のためのそれなりに広い……そしてこの船の中では豪華な部屋は静まり返ってつまらない。窓の外は変わらない海。

 こんなのただの巡礼か観光だ。そんなことしにきたんじゃない。

 見張りは? 扉の前にいるみたい。こっそり窓から出たら海に落ちるし、正面突破しかできない。でも扉から出たら見つかって、お客様扱いの一日が始まるだけ。

 船の生活も城の生活も、違うのはお作法にやかましくないことと勉強やお稽古がすべて自分の裁量に任されているだけであまり変わりがない。

 つまり、僕がドキドキするような、ワクワクしちゃうようななにかは起きてないってこと。考えてたのと違う。

 

 随分昔に勇者ローシュさまが……恐らく僕たちユグノアの民の遠いご先祖さまが邪神を討ち滅ぼし、世界を平和にしてから凶暴な魔物の数が減ったらしい。だから、冒険譚にあるみたいな頻繁な戦闘なんてありえないとか。

 でもまったくいないわけじゃないから武器の需要はあるし、暴れない種類の魔物の中にも人間と同じで犯罪者的な存在がいるらしくて油断はできないけど。どこも変わらないんだね。

 とはいっても、海の上じゃ結構頻繁に戦闘の機会があるんじゃないの? 陸なら目視で避けることが出来るから無用な戦闘は避けると習ったけど、海の上じゃ分からないから強制的に戦闘になるって!

 早々とガッカリして、でもワガママをこれ以上言うわけにもいかないし、手詰まりだ。ベッドに座って足をぷらぷらさせながら、ゆっくり服を着替えて算段を立てる。

 そもそもだよ、お客様用の部屋に突っ込まれてる時点で不満なんだ。僕もほかの船員たちと同じように船の下の方でハンモックに揺られてたい。

 こんな扱いな理由はもちろんわかってる。もし僕が怪我したら、責任は僕が取るんじゃない。

 分かってるよ、「怪我をさせた」ことになる海賊王の罪になってしまう。無茶はできない。でも、つまらないならここに来た意味がない。

 

 どうしようか。うーん、認められたら姫呼びをやめてくれると言ってたくらいだし、僕が役に立たないわけじゃないってわかってもらえたらいいんだね!

 体力はある方だし、なんだってできるんだよ!

 よーし、こそこそやるのは性にあわないんだから直接海賊王に言ってやろう! 働かざる者食うべからずなんだから、僕にも仕事をくれって。

 

「お姫さんー?」

「よーし、待ってろ海賊王!」

 

 勇み足で船長の部屋へ向かう僕を船員の誰かが止めたみたいだったけど、僕は何も気にせず向かった。とりあえず僕の気持ちを伝えてから聞くさ。

 

「頼もう! 海賊王いるよね!」

「ん? あー、お姫さんか。今日もご機嫌麗しゅう」

「ご機嫌麗しくないやい!」

「だろうなあ」

「そろそろ僕に仕事をおくれ。働かざる者食うべからずって言うだろう。ずっとお客様として扱われてちゃつまんないよ!」

「そろそろ言うと思ってたぜ」

 

 なんだ、分かってるじゃないか。いやわかってると思ってたよ、だって君は……。君は? 

 海賊王とこれまで会ったことなんてないのになんでペルラ母さんやおじい様みたいな僕の気持ちをお見通しにしてくるって思ったんだろう? 不思議だね。

 

「俺としてもお姫さんを暇にさせるのは本意じゃねぇんだぜ? だが風が悪い。下手したら嵐に突っ込む可能性があるんでな、安全と言えるようにならなきゃなぁ。もう少し辛抱してくれ」

「嵐が? 晴れてるよ?」

 

 雲はあるけどそんなに多くないよね。なんだか駆け抜けていくように早いけど。

 

「船乗りの勘ってヤツさ。

 お姫さん、船に乗って初めてで船酔いもないし、まっすぐ歩けるところは見どころあるんだが、さすがに突然来る嵐の可能性があると部屋から出せねぇよ。暇なら何人か話相手してやるし、俺も手が空いたら行ってやるよ」

「子ども扱いはやめてよ。天候なら仕方ないことくらい弁えてるよ。海賊王の言うことは正論だ。僕、怪我しに来たわけじゃないし」

「いい子だな。よし、安全とわかったら俺が星を教えてやるよ」

「わかったよ、カ……」

 

 カミュ。僕は言いかけてやめた。海賊王って呼ぶんだって決めてるのになんで名前を呼びかけたんだろう?

 ともあれ、星を教えてくれるって、そんな言い方ってさ、それも子ども扱いだと思うんだけど。まぁいいや、カミュは星に詳しいものね。

 ……あれ? なんで知ってるんだろう?

 

「じゃあ、部屋に戻ってくれ。いつ天候が崩れるかは測れねぇ。神様の思し召しでしかないからな」

 

 なにか引っかかるけど、どうしようもない。僕は海賊王に促され、部屋にまた戻った。なんとなく船の上が慌ただしい。船員たちはロープやなんやらをもってバタバタしてる。

 邪魔するのは悪いよね。僕は大人しく、大人しく部屋に戻って寂しく一人で剣のお手入れをすることにした。使うことのなさそうな剣を。もうピカピカなのに。

 あーあ。暇だ。

 

 そういえば海賊王、さっきは眼帯してなかったな。あの眼帯はきっとメッシュの特別製でちゃんと見えてるんだろうね。あの構造を再現するのには何回も失敗したもの、毎日毎日トンテンカン、トンテンカン。

 ……なんでこんな具体的な、知らないことが頭に浮かぶんだろう。おかしいな、海賊王に会ってからどうもおかしい。

 

 おじい様が赤い帽子をかぶってないことが未だに違和感だったり、ペルラ母さんには母さんと言えるのにお母様にはちょっと照れくさかったりしたっていうのもなんだか変なことだったけど、こんなに回数、多くなかったのに。

 おじい様はいつも口癖のように見えない真実があるんだよって教えてくれた。これもそうなんだろうか。不思議と神秘でいっぱいなのかな。空に浮かぶ大樹のように、謎だらけ。

 海賊王。あの青いつんつん頭を思い浮かべる。あんな特徴的な人、見たら忘れないはず。だから会ったことなんてない。

 なんでだろう、とてもとても見覚えがあるような気がするのに。おかしいな、十六歳になって浮かれてるのかな、変な想像が頭から離れない。

 もしかしたら前世では近い葉として生まれてたんじゃないか、とかね。兄弟だったのかも?

 

 でもないよ、ないない。雪国生まれらしい彼と僕になんの共通点があるのさ。でもこのひっかかり、これこそが僕の運命なのかもしれない。

 運命の人って普通女の人じゃないの? って思うけど、別に恋人探しに来たわけじゃないし、運命の人が恋人になると決まったわけでもないし。むしろ運命の盟友とかカッコいいじゃないか。痺れる!

 

 なんとなく、あの海賊王の近くは心地いい。それは確か。屈強な海の男たちをまとめるだけあってカリスマ性はバッチリらしい。

 そんなことを考えていたら、急に船ががくんと揺れた。僕は思わずすっ転びそうになって、慌てて机にすがった。

 外から叫び声が聞こえる。窓からは叩きつける雨の雫が見える。船の揺れはどんどんひどくなっていって、僕は立っていられず床に転がった。剣をなんとか捕まえ、必死に床に這いつくばるも、まともな角度とは到底言えない。

 でも、それでも僕はなんとか外に耳を傾けていた。外に何かがあったら、きっと僕は動いちゃいけなくても動いてしまうんだと分かっていた。そういう性分だったから。

 

「--!」

 

 声が聞こえる。僕は扉まで這って行った。

 

「--が!」

「待ってろ、今助ける!」

 

 まともに聞こえなかった声が突然はっきり聞こえた。カミュの声だった。

 

「お頭!」

 

 カミュが呼ばれる。

 また、誰かを庇っているんだろうか。でも、もう庇わせないって言ったよね?

 

 気づけば僕は部屋から飛び出していた。つんのめるように甲板を走る。目の前には誰かを助けて今にも船のヘリから落ちそうになっている海賊王。手だけ捕まっている状態で、とうに体は船の向こう。

 僕はこんなことしちゃいけないってわかっているのに必死でその手を掴んだ。君ならもっとスマートに助けるんだろうけど、僕には無理で。でももう庇うことなんてさせないって言ったでしょ。僕は決めたら諦めないんだ。

 風が強い。あっという間にあおられて、僕の体は船の向こうに押し出された。でも手は離さない。僕が落ちても、助けることは諦めない。

 

 僕は手に渾身の力を込めた。

 だんだん暗くなる意識の中で、僕の手にある奇妙な形のあざのあたりで眩しい光が発せられたと分かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 生まれなかった歴史は、たしかに僕らの中に刻まれている。起きなかった出来事は、結ばれなかった運命は、それでも息づいている。

 修正された歴史で僕らは生きている。だけど、修正前の世界でも……間違いなく、僕らは生きていたのだから。

 

『この馬鹿! なんで僕を庇ったんだ! ホメロスに撃たれるのは僕でよかったのに!』

 

 シルビアの船の上、ようやく追っ手は来ないと安心できて、僕はやっと言いたいことを言えた。でも、カッと頭に血が上ったのは僕だけじゃなかった。

 

『馬鹿はお前だイレブン! 俺みたいな盗賊崩れなんていくらでも代わりはいるが、勇者に代わりはいねぇだろうが!』

 

 勇者の代わり?! 何言ってるんだ、僕にとっての勇者は君だったし、君がいるから今生きてるんでしょうが! 君がいなきゃ今頃デルカダールで首を切られて晒されてるよ! 

 あの怖いグレイグに斧ですっぱり首斬られて、憎たらしい顔したホメロスに笑いながら生首を蹴っ飛ばされてさ! おお勇者よ、死んでしまうとは情けない! ってモーゼフ王が言うのさ! とびっきり邪悪にね!

 僕が育った村ってだけで焼くような陰険な奴らだぞ、もしかしたら……母さんの墓の上に僕の首を供えそうな奴らだ、そうでしょ?!

 

『ばカミュ! 僕の相棒に代わりはいないんだけど?! 君がいなくなるなんて絶対に許さないから! 二度と庇わせないからな! 誰にもだぞ、絶対だからな!』

 

 僕はそう宣言して、それからはなにを言われてもホイミばっかりしておいた。




「どうやら預言によると、オレはお前を助ける運命にあるらしい」


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黄金病

 あたたかい。

 穏やかに、こぽこぽと湧き上がる泡の音が聞こえる。

 静かな気分で目を開けると、目の前に腹を上にして浮かぶ紫の魚がいて、俺は思わず声を上げる羽目になった。

 

 ……死んでるのか?

 

「うわっ」

「んー?」

 

 目の前の魚は死んでいるわけではなかったようで、俺の声に反応してもっそり動き出す。ウソだろ、あれで寝てたのか? 水槽で死んだ金魚そっくりだったってのに。

 その、なんともいえない人面魚のような顔のそいつは、俺を見るとそこはかとなく嬉しそうな顔をして、俺の「ヒレ」をつついた。俺は得体の知れない存在を警戒して、思わず「ヒレ」を引っ込める。

 すると、そいつはさっきまで浮いていたとは思えない俊敏な動きで泳ぎ始めた。なんだこれ。

 

「海賊王が目を覚ましたよ!」

「は?」

 

 お姫さんの声だ。どこから? いや、どう考えても目の前の魚からだ。だが俺は現実を受け入れたくなくて、必死にお姫さんの姿を探す。もちろんいない。

 きょろきょろしているうちに、お姫さんらしき魚の声に釣られたのかやたらと人相の悪い人面っぽい魚の群れが……部屋、なんだよな? 当然のように水に満たされた部屋らしい俺のいる場所に流れ込んできた。

 なんとなく、見覚えのあるような顔をした魚たちだ。はは、マジかよ。

 しかも、俺も魚かよ。

 

「お頭! お怪我の具合はいかがっすか!」

「お頭! やっと目を覚ましたんすね!」

「お頭!」

 

 人相の悪い人面魚たちに口々に心配されればなんとなく思い出しもする。あのひでぇ嵐の中、俺たちは……どうやったのかわからないが、どうなったのかもわからねぇが、助かったんだと。

 そんで、お姫さんもろとも元気にピチピチ魚になってると。お姫さんはどことなくニコニコしながらそのへんを嬉しげにスイスイ泳ぎ回っている。

 あれは……鯉なのか? いや、鯉があんな顔をしてるものか。なんなんだあの魚は。

 

 なるほど。あれは他人、いや他魚だよな? 他魚の空似に過ぎないんだよな? 嵐の中投げ出されると人が魚になるのか? 意味がわからない。

 だが事実、俺の体から生えているらしいヒレは動くし、ヒレを野郎どもが突っつくと確かに感覚がある。おいおい、そんなにつつくな。

 

「海賊王! あのね、僕たち海底王国の女王様に魚にしてもらって無事だったんだよ、それでさ、」

「……あぁ悪い、最初から、一から説明してくれないか」

 

 他魚の空似ではないらしい。確かに紫の魚からお姫さんの声が聞こえてきた。魚の喉でどうやって喋ってんだ? 

 だが、だよな、もう顔がなんともいえないレベルでお姫さんだしな。あの目、あの表情。たしかに。だが、なんだか丸くねぇ?

 それからお姫さんは、俺の周りをクルクル泳ぎながら説明した。

 

 嵐の中、結局投げ出されたのは結局二人では済まなかったらしい。というか、誰ももはや真実はわからないが、全員ここにいることからあの船は最終的に沈んだんじゃないか、と。

 そんで、助かった理由といえば、お姫さんは「大樹の愛し子」という存在らしく、つまり、言ってみれば、それはローシュ伝説の勇者の力みたいなものだと。腹にある不思議な紋章を見せてくる。人間の姿だと左手にあるやつか。

 お姫さんが大樹の愛し子。これは周知の事実だな。ユグノア王家に伝わる大樹の至宝とは、美姫という意味よりも、むしろもともとはそのことだ。本物が生まれたのはローシュ以来らしいが。

 十六年前は世界に何も異変がないのに「勇者」が生まれたのかと随分騒がれたらしいな。勇者がいるなら魔もどこかで……ってな。邪神の復活か? ともな。

 だが、大樹のお告げとかいう言葉が聖地ラムダからもたらされ、世界に危機は起きていないし、邪神亡き今、起きるはずもないのでお姫さんは単なる大樹の愛し子な若葉ちゃんであることがわかったと。

 若葉ちゃんはその後、きちんと王子としてぬくぬく大事に育てられ、そしてこんな好奇心旺盛なお姫さんになったわけだ。世界は平和なこって。

 とはいえ、俺も当時三つかそこらだ。詳しくは知らねぇが、時代が時代ならお姫さんは本物の勇者さまだったってわけだな。

 大樹の愛し子、もとい「勇者」は生命の危険にさらされた時、なんらかの「奇跡」を起こして助かることがあるらしい。

 そして、まさに俺たちには「奇跡」が起き、あの嵐で流されそうになっていることを、今俺たちがいる海底王国ムウレアの「女王」は手遅れになる前に知ることが出来た。

 

 ムウレアってなんだ、海底王国なんて体力の限界が来て死にかけてる船乗りの戯言じゃねぇのか。言いたいことは山ほどあったが、とりあえず今はお姫さんから引き出せるだけ情報を引き出したい。

 曰く、「女王」は水があるところをどこでも見ることが出来るとか。 すごいんだよ! 美人なんだよ! それからお胸がとてもぱふぱふでとってもでっかい! とお姫さんは主張した。王子への情操教育というか、慎みの心っていうのは教育できていないみてぇだな。

 お姫さんも、なるほど立派な男児らしい。しかし俺はそれはスルーした。お前、顔に似合わずそういうとこあるよな。……今は、お姫さんの趣好に構っている暇はない。それよりも、気になるのは。

 「女王」が俺たちを救った理由だ。いくら人間が溺れてると知ったからって救おうとするだろうか? 海底王国の女王なんて人間じゃないだろ。愛し子を救うのは俺には伺いしれない深い事情があるのかもしれねぇけどよ、俺たちまで救うなんて。

 

 ……だから「奇跡」か。水があるところなんてごまんとあるんだ、そもそも俺たちのことを知ってなきゃ、助かってないよな。

 海底王国の「女王」は、大樹の愛し子には特別お優しいらしく、マヤは救ってくれなかったのに、海の藻屑と消えかけた俺たちをまず魔法で魚にして、水の中で呼吸できるようにしてから人魚たちに回収させたとか。

 そして海底王国で保護されて今に至る、と。お姫さんは話し終えると目を覚ましてよかったと言った。

 そしてそれがもうひと月は前の話、なんだと。いくら水の中で呼吸ができて死なないようにしてくれたとはいえ、あの嵐の中、揉みくちゃにされ、船の破片とも接触したかもしれないから……とお姫さんは言うと俺のことを突っつき始めた。

 また生存確認か。もうなんともねぇって。

 

「本当になんともない? じゃあ女王のところに行こう。話したいことがあるんだよ、海賊王に」

「話したいこと?」

「きっとすごくビックリするよ。……すっごくね」

 

 魚になんてなったことねぇから、よたよたとお姫さんの後ろを追いかける。しばらくもすれば体に泳ぎ方が染み付いているのかしゃんとしたが。

 人相の悪い人面魚に囲まれ、青い目の魚を追いかけながら俺は人魚が泳ぎ、魚の顔をした人形の生き物が歩き、魚たちが通り過ぎていく、この世のものとは思えない光景をこっそり目に焼き付けた。

 サンゴ、貝殻、時折光るのは宝石か?

 それは美しく、まさにお宝と言える光景だった。

 

 

 

 

 

 

 麗しき人魚の女王の隣。青い髪の少女を見ると、海賊王はまぶたのない目を剥く勢いで見開いた。

 

「マヤ……?」

 

 やっぱり知ってるんだね。海賊王によく似ている彼女はマヤというんだね。僕のこと、魚の姿がうまそうだって追っかけ回す女の子。

 

「よう兄貴、やっと目を覚ますなんてネボーしすぎじゃねえの? ……シシッその青い鱗、似合ってるぜ!」

 

 今の海賊王はキラキラ青く光るアジ。確かに似合ってるよね。俊敏に動き回りそう。

 

「お前、五年前に海に身を投げたんじゃ……いや、生きてたのか!」

 

 海に身を投げた? 五年前?

 海賊王の親しい人。兄貴って言ってたから、多分妹だと思うけど、よく似た顔立ちの少女。ロングブーツがかっこいい。男勝りで気が強くて、到底海に身を投げるような感じじゃないけど。追い詰められてやったんだろうか? 

 人は見かけによらないな。それにこの子、歩けないんだ。周りが水だから腕の力で泳いでるし、今は半分浮いてるから一見問題ないように見えるけど。

 うーん、海賊王について詳しくは知らないけど、何かが違うような気がする。

 でも、再会できて良かったね。僕の方までぽかぽかしてくる。それくらいわかりやすく喜んでた。

 

「あー、それ、それな。オレが自分の意思で海で死のうとするわけねーじゃん。まだまだ人生楽しみたいのに。

なんか、アヤツラテル? ってヤツ。なんかよくわかんねぇけど、呪いかなにか」

「呪い?!」

 

 女王そっちのけの兄妹の再会。とはいえ女王の咳払いでやっと海賊王も我に返ったみたいだ。

 

「恩人に……失礼を。王子に助けていただいたと伺いました。あの嵐の中、船員全員を生かしてくださったこと、なんと言えばいいか」

 

 こんな時だけ王子扱いか。僕は抗議したかったけど黙ってくるくる泳いだ。なんとなく水が重苦しい。

 

「礼には及びません。私は愛し子を救っただけ。愛し子が貴方を救おうとしたので、共に助けたというだけのことです。貴方の妹の件についてもこちらの打算として助けたにすぎません。その件については少し後にしましょう」

「ありがとうございます。……それでも、助けられたのです」

 

 あっ。あの日のことがバレてる。怒られるかも。

 

「……お姫さん」

「なにかな」

「そういやあの日、なんで部屋から出て俺を引っ張りあげようとしたんだ?」

 

 声が低い。

 

「えっ、君が落ちると思ったから」

 

 魚の姿でスイスイ泳ぐのは気持ちいい。魚だから表情もわかりにくいよね。目をそらしながら言うと、脇腹を鋭く突っつかれそうになって慌てて避けた。

 

「もう、いいじゃないか。みんな生きてるんだ」

「……」

「言っておくけど、落ちるのが海賊王以外なら助けてなかったと思う。なんでだろうね、不思議だね。助けなきゃいけないって思ったんだ」

「……ま、今はいいか。助かったんだ」

 

 逃げ回って泳ぎ回ってたらポンっと女王に人間の姿に戻されてしまった。丁重におじぎすると、海賊王も、船員の皆さんも次々と戻されていく。久しぶりの手をにぎにぎして、調子はバッチリだ。

 相変わらず黒いコートをバッチリキメた海賊王は、もどっても少し不機嫌そうだったけど、今は妹の方が気になるよね。

 意識がそれて助かった。なんで助けたかなんて、自分でもわからないんだから。

 

「マヤ、帰ろう。みんな待っている。お前の居場所はちゃんと残してある」

 

 海賊王はどこか懇願するように言った。

 

「兄貴、オレ、地上に戻れねぇんだ」

 

 妹は当たり前のことを言うように言った。五年って言ってたね。ここにずっといたんだよね。でも、それで、兄よりここを選ぶんだろうか?  

 僕は彼らにとっては他人に過ぎない。だから何も言えないけど、目をそらすことも出来ない。なにか、根拠もなく彼らに出来ることがあるような気がして。

 

「もしかして、この海底王国からは人間が入ったら最後、帰れないのですか?」

「そんなことはありません。あの船から落ちた皆さんは地上にお返ししましょう。ですが、彼女は戻せません」

 

 女王はきっぱりと言い切った。

 海賊王は、再会した妹の腕を離すまいと掴んでた。妹は困り顔をして、振り払えないけど戻る気もないという感じ。

 

「何故でしょうか?」

 

 剣呑な目だった。妹のことを愛する君なら仕方ないと僕は何故か納得する。

 女王は寛大で、何も気にした素振りはなかった。お母様とおじい様もこんな感じで、お父様なら怒ったふりをしながら自分の至らないところがあったのだろうと悩んでいるんだろうな、と早くも懐かしく思い出す。

 

「先ほど彼女が言ったように、海に見を投げるという行為をしたのは呪いのせいです。すくい上げた時点で既にそれは進行しています。

 このまま地上に戻れば、彼女は物言わぬ黄金の像になるでしょう。そしてそれは周りの人間をも巻き込む可能性があるのです。私が彼女を助けたのは放っておけば海の民たちも黄金の像になってしまうと確信していたからにすぎません。

 彼女のその足は、既に黄金となり、動かすことはできません。邪悪な呪いがどこから来ているのか……推測はできますが、解く方法はわかりません。

この呪いは不完全であり、進行は止められても解くことはできず、不完全ゆえに私の加護のもとにあれば生きながらえることができるのですよ」

「足が黄金に……?」

 

 彼女は黙って掴まれていない方の手でロングブーツをずらした。肌色の足は、あるところから、金色に輝いていた。

 だから歩けないんだ。

 

「私たちは彼女のそれを黄金病と名付けました」

 

 首飾りをしていない少女は、赤い石のついた腕飾りをした腕を兄からそっと振り払った。

 飾り石の外れた金色の首飾りをした海賊王は、しばらく何も言えなかった。



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風穴の隠れ家

「海賊王、どうするの?」

「どうするって……呪いを解く方法を探すしかねぇよ。ただ、ここにはなさそうだし、地上に戻ってからになるだろうが」

「だよね、うん、愚問だった」 

 

 「妹が大事な君ならそうだろう」。

 なにか喉元に引っかかっている。何か言うべき言葉がある気がする。だけどそれはいつもの不思議な感覚でしかなくて、具体的にそれが何なのかわかりやしない。

 海賊王の妹は黄金病の足以外は至って健康で、この兄妹の故郷の雪国よりもずっと年中温かく、食料は豊富、珍しいものを見れるし、やはり人間と感性は違うもののそれなりに海の民とも仲良くしているみたいで元気だったのが救いだった。

 彼女は今も人魚の友だちと仲良く泳ぎに行っている。腕しか泳ぎに使えなくても海流に乗れば楽なんだって。

 

 陳腐に言えば、美しいこの国。その美しさと同じように、丁重に守られた彼女の居心地は良さそうだ。

 下手に抵抗されて黄金病とやらが海底王国で蔓延されても困るだろうし、地上に返してコントロールを失った黄金病が回り回って海に来ないとも限らないし、あの女王は賢明な方だ。帰られても、困るんだろう。

 手元に置いて封じ込めていた方がよっぽど易いんだ。

 

 でも、海賊王からすれば死んだと思ってた妹が元気に生きていて、帰る場所まで諦めずに用意してて、それで……その上で返せないって言われたわけだから。

 理由も明確で、だけど、海の中で人間が呼吸できるようなとんでもない魔法を使える女王がだよ、呪いの原因がわからないから解けないって言うんだ。

 

「呪いって言うからにはなにか呪われたものでも触ってしまったのかな? 心当たりはどう? もう女王も考えただろうけど、その、五年前って君たち一緒にいたの?」

 

 僕は何故か海賊王に親身になったようだった。僕には兄弟の一人もいないけれど、どこか同情したのかもしれない。

 いくらお母様の依頼があるからって、海賊王にはワガママを言ってる訳だし、引け目があるのかもしれなかった。

 

「まぁな。心当たりは……ねぇこともないが、俺の方がなんともないんだよなぁ……」

「俺の方?」

 

 海賊王は、胸元の首飾りをチャラチャラ指で動かした。服はバッチリ決まっているのに飾り石がない。妙に僕は違和感を覚えた。

 でも、そりゃあ、僕は今まで台座があるのに石がない首飾りなんて見たことがないわけだし当たり前か。

 こういう台座にどんな石が合うのか考えるのが楽しいんだよね。

 ……うーん、服装のアクセントなら赤かな。

 あれ? なんで王子の僕が、細工職人かなにかのように未完成の首飾りのことを考えてたんだろう。おかしいな。

 

「むしろこの首飾りを手に入れてからツキが回ってきたっていうか……」

 

 それは首飾りというのにはちょっと違和感あるけど。

 独り言のようにこぼした海賊王は、僕を部屋に置いて行って、どっかに行ってしまった。

 僕は、自分が飛び出さなければ見れなかった、この世のものとは思えない景色を眺めながら引っかかる言葉がなんなのか探していた。

 そうだ、あんな首飾りのパーツだけぶらさげてあんなこと言うってことは石の方もあるんだな。そしてそれを……妹が持ってる、とか?

 うーん。呪いのアイテムは数あれど、素人の手でバラせるものなんだろうか。

 

 あぁ、海賊王は素人じゃないか。だって海賊王だもの。手に入れてきたお宝なんてごまんとあるはず。だったらアクセサリーの一つや二つ、磨いたり修理するための人員か、ツテがあるはずだ。

 つまり、呪いのアイテムを壊したから呪われたのかな? 確証がない。口振りからしたらあの首飾りの片割れを妹が持ってるって感じだったけど。

 そうだったにしても、やっぱり海賊王の言うように妹だけっていうのもおかしな話。

 

 本来は幸運のアイテムなのかなぁ。

 僕はいつもの癖で左手にあるアザを右手でなぞり、やっぱり考えても分からなくてそのへんでふわふわ浮かんだ。

 水の中でふわふわ浮いていると気持ちよくて、そのまま浮かんでねむってしまい、また僕が浮いて死んでいると勘違いした海賊王の声で起こされるまで不思議な心地で現実と夢の狭間をさまよっていた。

 

 

 

 

 

 

 海賊王は諦めなかった。僕はやっぱり彼からしても、女王からしても、お客様だったから本質的なところは隠されて、よく分からなかったけど、それだけは誰にでもわかったろう。

 女王は慈悲深く、呪いを解けるのならもちろん妹を地上に返していいし、人間より長い時を生きる彼女たちにとっても永遠に封印を続けるわけにもいかないから、願ったり叶ったりだったらしい。

 なぜなら。海賊王の妹はやっぱりただの人間で、海の民はそうじゃないからだ。彼女は女王たちからすればすぐに寿命がくる。呪いの原因がわからない以上、彼女の死後どうなるかわからないのは避けたかったらしい。呪いをとどめられずに海が滅ぶ可能性を恐れているみたいだった。

 

 僕はといえば、なんとしてでもこれがお返しのチャンスなんだと気づいて、もちろん邪魔にはならないように久しぶりの兄に照れて話そうとしない「マヤ」と会話して聞き込みをしていた。

 彼女には僕が王子だとかそういうことは話してない。でも乗組員と騙ることもしなかったから、多分護衛かなにかをしてる最中の頼りない客だと思ってる。

 僕は彼女の口調について何も言わなかったし、それで良かった。なんとなく、懐かしい気持ちになる。やっぱり海賊王はビジネス的に僕を丁重に扱うから。まぁ、当然のことだけど。

 僕は血湧き肉躍る冒険をしたかったわけだから、物足りないと思うのも当然じゃないか。一人くらい普通に「仲間」って感じに接してくれてもいいじゃないか。願うくらい、そして身分をちょっと明かすのを忘れてたくらい。

 ここ、海の中だし。いいよね。……いいわけないんだけど。嵐の中海に落ちて、魚になって混乱してたんだよね、うん。

 あー、戻されちゃったのが惜しい。魚でしか行けない採取ポイントあるんだよなぁ。

 

「海賊王はあの首飾りを手に入れてからツキが回ってきたって言ってたんだけどね、マヤは……その、片割れのアイテムを持ってるの?」

「片割れっつーか……もともと分離してたっていうか。あの首飾り、オレが見つけたんだ。海賊どもとシャカイケンガク? する時に。孤児院のなんか、勉強で」

 

 孤児院? じゃあ海賊王もかな。ふーん……まぁ、孤児は珍しいけど、いないわけじゃないし。珍しいくらいだから知識の国であるクレイモランでは手厚いだろうな。子どもは宝って分かってるんだから。

 それを分かっててなんともしない国があったら相当切羽詰まってるってことだよ。それこそごく短期間に国が二つくらい滅んでないとありえないさ。

 ユグノアはグロッタに支援金出てるし、マルティナ姉様もデルカダールの下層の人々の福祉に着手しているし。たまに行き届いていないところもあるけれど、シャール様の統治に間違いはないみたいだ。

 まぁ、クレイモラン出身かどうかなんて僕の予想でしかないけれど。でも、当たってる気がするよ。

 

「ふぅん?」

「兄貴は、同じ時にどっかからこの腕飾りの赤い宝石を見つけてきた。多分、形からしたら一つのものだったんだろうってのは分かってたけどさ。丁度いいから記念に交換して身につけてるってわけだけど」

「そっか。怪しいけど、本当に怪しいなら女王がなんとかしてるよね。やっぱり、五年も女王が探してる呪いの原因を素人が見つけるのは難しいなぁ」

 

 赤い宝石の腕飾りは、僕からしてみればちょっと怖い光をしているくらいのものなだけ。怖いっていうのも呪いがあるかもしれないという先入観によるものだろう。

 そして、それは外せないとかそういうことはないらしいけど、女王が外さないように厳命しているらしい。

 

「呪いの原因がわからない、だからなにをしたら解けて、なにをしたら悪化するのかもわからない、現状呪いを止められるからなるべく服装を変えるなって。流石に服はいいみてぇだけど、全部決められてるし、髪紐一つ変えれねぇの面白くないよなぁ」

「年頃の女の子だもんね」

「……あんがとよ」

 

 照れたマヤはぷいっとそっぽを向いたけど、すぐにこっちを向いた。五年も海の中にいるとやっぱり地上のことが恋しくなる時があるみたいで、地上の他人の僕に興味津々だ。

 黄金の足を撫でながら、熱に浮かされたようなうっとりとした口調で言う。

 

「だけど惜しいんだ。オレ、やっぱり首飾りにしときゃよかったかも。

いや、オレ多分ゴーヨクなんだ。両方欲しい。兄貴の首飾りとこの石が合わさったら絶対綺麗で、絶対豪華で、オレに似合うと思う。女王サマには世話になってるけど、今までなんにも起きなかったんだし、あの首飾りが欲しいんだ。もともときっと一つだったんだよ、こいつは」

「確かにあの首飾りに赤い石はよく合うだろうけど」

「だよな!」

「でも相談はした方がいいんじゃ……」

「堅いこと言うなって」

 

 悪化したら目も当てられないんだけど。本当に。

 

「どっちにしたってお兄さんから貰わなきゃいけないんだから、ちゃんと相談するんだよ」

「……分かったよ」

 

 僕はなんとか了承を取り付けたことに安心して、小さい彼女の頭を撫でた。

 そのあと、彼女と一緒に珊瑚やら宝石やら、落ちているものをたんと集めたのだけど、よくよく考えてみればなぜ使い道もないものをこんなに楽しく集めたのか分からない。宝石だってそんなに珍しいものじゃない。

 だってユグノアの翡翠は世界一だよ。いくらこの世とも思えぬムウレアにだって、これより綺麗な宝石がその辺りに落ちてるわけもなく。

 でも楽しい。それは森の中でどんぐりを拾うような……? え? 僕、どんぐりなんて拾ったことないよね。遊びといえば、野の草と、幼なじみ……。

 なんだろう。だんだん、だんだん、知らない自分を追っているような心地になる。

 

 僕の幼少期は、幼少期は……そうだ、優しい乳母のペルラ母さん。その父のテオじいちゃん。マルティナ姉様。デルカダールの騎士ホメロスとバンデルフォンの騎士グレイグとの漫才みたいな掛け合い。

 ラムダの使節兼僕の友人としてやってきた姉妹。芸人シルビアのサーカス。たくさん楽しい思い出があるはずなのに、どうして一瞬、素朴な村で泥んこになって遊ぶ思い出が過ぎったのだろう。エマはどうしているだろう。

 ……エマ? ペルラ母さんの故郷の村の女の子。ユグノアに遊びに来たことがあったよね。でもそこまで親しくなったわけじゃない。どうして思い浮かんだのだろう。

 

 外を見る。相変わらず美しいムウレア。

 どうしてか、一瞬その繁栄を極めた国が崩れ滅びかかっているように見える。でもそれは幻でしかない。本物のムウレアはもちろん美しくそこにあるのに。

 

 混乱してぼんやりしている僕へのご機嫌伺いか、はたまた僕が何かやらかしていないか、たまに確かめに来る海賊王が山盛りに積まれた海の宝石の山をガラクタでもお宝でもなく、素材とか言っていて、どうしてか心が踊った。

 そうだ、君に何か作ってあげるね、なんて。心が久しぶりに晴れたから、そう言ってしまって。

 なんで僕の口からそんな言葉が飛び出したんだろう。海賊王もすんなり頷くなよ。おかげで僕は女王の許可と、海賊王とその妹の期待の元、かつて一つだった首飾りをくっつける役目をあずかってしまった。

 

 ねえ、胸騒ぎは嘘だよね?

 日々、妹を地上に返せないか女王に話に行く海賊王はその不安を笑い飛ばす。妹はどこかギラギラした目で、はやくはやくと催促する。

 これでなにか災いが起こったりしないよね? 僕の不安は、まずは少し怪しいような気がする首飾りを完成させたら女王が保管してなにか魔法がかかっていないか確認するということでひとまず打ち払われた。

 僕は何故かやり方がわかっていて、首飾りを完成させた。でも、それを女王に届けようとする、運んでいる途中に盗まれて、盗まれたことに気づいたのは女王の前。

 

 金色の光がどこからともなく押し寄せて、人魚も魚もみんなみんな黄金に変わっていくのを見ているしかなかった。

 女王の守りは女王の間にいた者にしか聞かなくて、嗚呼、黄金に支配されたその国は、禍々しくも美しく、玉座の間の窓からは黄金の魔城が見えたんだ。

 赤い目をした黄金の怪物が、高笑いして。

 

 妹を心配して飛び出そうとするカミュの足先が、指先が、黄金に変わっているのを見て、今度は手を伸ばせたんだね、と僕は囁く。

 平穏は、欲望を育てる。

 かつてよりも祝福が呪いに転じるのは早かった。依代の欲望なくして発動する呪い、真実の愛をもってしても解けない呪い。

 

 でも、僕の手には……まだ、勇者の証が残っていた。倒すべき敵のいない世界で。かつての歩みの痕跡だけがまばらに残る世界で。

 

「行こうか、カミュ」

 

 箱入りのお姫さんが何を、とカミュは言わなかった。僕の差し出す手を取ったら、すぐに黄金の呪いが解けたから。

 僕は黄金になって沈む海の民たちを順にぺたぺた触って呪いを解きながら、黄金の魔城へいざなう海賊王を追った。



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黄金城

 固く閉ざされた黄金の扉を不思議な力で開いたイレブンは、水のない城の中に、水とともに流されていくものだから慌てて腕を掴んで、そして俺まで流された。

 カッコつけるところがあるくせに、どこか詰めが甘いところちっとも変わってねぇ。むしろ野生児じみてたところがなくなって目が離せねぇ。

 

 片っ端からツボとタルを割り、カボチャを粉砕し、人の私物の桶を蹴り壊し、宝箱を見ればすべて持っていくのは強盗が黙るほどの強欲さを持ち、戦闘になれば惚れ惚れするくらい豪快で、そのくせ物語の姫のような生い立ちで、そして、俺の……。

 俺のなんだっていうんだ?

 

 お姫さんとは初対面だったはずだが。

 まぁいい。隣の居心地は良い。

 すぐに人に騙されそうなところとか、知り合ったばかりの人間を信用するところとか、不思議な雰囲気とか、……失った片割れのような。そんなところは、嫌いじゃない。

 どうせ、人に騙されそうになったらなら俺が止めればいいし、信用するところは美点だし、そう、問題は無い。

 俺みたいな粗野な人間と、こんなぽやぽやした人間が一緒にいると釣り合いがとれてむしろ丁度いい。

 

 俺は考えることをやめた。そういうもの、ということで納得しなくてはならないことがこの世には沢山あるからだ。悪いことではないのだから、考えても事態は好転しないだろうとも考えた。

 

「ありがとうカミュ……」

「気にするな、それより」

 

 この黄金の魔物たちのことだろう。言わんとすることがすぐに分かった。

 

「魔物だね? 変だなぁ、こんな金属製のくせに僕たちを取り囲んで余裕そうなんて」

 

 そんな重たい体、沈んじゃうんじゃないの? 励ますように極めて明るく笑ったイレブンは、いつも吊り下げている剣を抜いた。

 俺はそんな細い剣、お前の力じゃ折っちまわないか不安だったが、まぁ相手は剣術を教わっている王子だし、父君は姫君の護衛騎士のトップだったらしいじゃないか。

 むしろ何処の馬の骨ともしれない俺の方が不安だろうよ。だがここは海の中。海といえば俺たちの戦場だ。とはいえ海の中となると話は別なんだが。金属の魔物よりはマシだろう、と思いたい。

 囲まているというのにイレブンと背中を合わせているとどんな奴にでも勝てる気がした。いや、勝てる。

 

 初めての共闘? とてもそうは思えない。こいつがどう動くのか俺にはわかるし、イレブンにも分かっている。

 あぁ。口から飛び出しそうになる言葉をなんとか飲み込む。

 

「いこう、相棒!」

 

 だが、その言葉を先に言われちまったものだから、俺は少し悔しくて、違和感しかないはずの言葉を肯定した。

 それは、この上なくしっくりくる言葉だった。俺は隣の相棒によろしく頼むぜ、と言うと、イレブンはまた笑った。

 

 

 

 

 

 

 カミュは流石に強かった。海賊王の名前は伊達じゃない。片手剣を両手に一振ずつ持って手数が多いクセに両方の威力に差がないみたいだ。

 その上素早くって、どんどん魔物を薙ぎ払う。いろんな特技もお手の物だ。

 僕はといえば、華奢な剣を壊さないように注意しいしい一匹ずつ倒すわけだからなかなか上手くいかない。回復の手間を惜しんでミラクルソードしてるくらいかな。

 僕みたいな大味な人間は、こんな優美な片手剣よりもごつくて丈夫な両手剣の方が向いてるよ。でもこれしか持ってないんだもの。

 

 どこかにいい武器が落ちてたらいいんだけど。そんなのあるわけないか。

 じゃあ魔法を使えばいいのかな? 閃光系? 爆発系? 炎系? うーん、どれも水の中で使えそうにないし、使えたら使えたでとんでもないことになりそうだ。

 幸い、ここでも回復魔法については普通に使えるみたいだ。これならマヤを助け出したあと、何かあっても治せる。良かった。

 

 奥へ奥へと進めども、黄金の魔物たちはわらわらと湧いてくるけれど、カミュとなら勝てないわけがなかった。息ぴったりに突破して、互いの補助をして、高め合う。

 あんなにもやってみたかった戦闘は、やってみれば思っていたのと全然違った。夢見ていた高揚も、楽しさも、冒険してるんだという実感も、そんなことは命のやりとりであると考えればどうでもいいことだった。

 だけど、背中を任せられる相手がいるというのはとてもとても居心地のいいことだった。僕の居場所はここだって言われているよう。たとえ怖くても、カミュがいるならなんとかなるような気がする。二人で戦って勝てない相手なんていないと思えるんだ。

 

 何故? 

 でも、理由なんてもうどうでもよかった。僕の相棒、君の相棒は僕。それだけさ、そうでしょう。

 

 ストンとあたりまえの事を思い出したかのようだ。こうあって然るべきだったんだ。そうあっさり納得して、僕は戦うんだ。一人なら戦えなかったかもしれない。でも、二人なら? 

 なんでもできる。なんだって取り戻せる。君となら。

 

 僕たちはそうして、たどり着いた黄金の玉座の間に乗り込んだ。

 そこには呪いによって玉座の横に縛り付けられ、巨大な黄金の獣の魔物のように変わり果てたマヤと、邪悪な気配を隠そうともしないこれまた巨大な魔物がいて。

 変わり果てた姿をしていても、兄の姿にすぐ気づいて助けを求めているマヤ。それを無理やり押さえ込んで、何やら囁く魔物。

 呪いを悪用して、人間をあんな姿に出来る魔物がいるなんて……!

 

 でもマヤは、半ば暴走しながらもまだ理性が残っている。ずっと抵抗している。お兄ちゃんと呼びながら、襲いかかるように命令を乗せて放たれても、獣のように猛る一撃は、ちゃんと外してくれる。

 苦しいだろう、怖いだろう、だけど彼女は頑張ってる。お兄ちゃんには当てないし、僕のことを見ないようにしてなんとかなんとかそこにいる。

 黄金の呪いの成れの果て。それは巨大な魔物の姿なの? 首飾りに魅せられたからなの? それとも、単に黄金の力を持つ人間を魔物にするような輩がこの魔物なのか?

 僕に判別はできない。頼れそうな女王の声は聞こえない。

 

 でも分かるのは、あの紫のクジラの魔物を倒せば必ず道が拓けるってこと。

 カミュも同意見らしい。僕らは武器を構えた。向けた先をなんとか理解したマヤも、足掻くようにそいつに一撃を喰らわせた。

 裏切られたも同然、手綱を握れていないと同義なのにそいつは気にすらしない。

 そしてそいつは不敵に笑う。それどころか悠々と名乗った。そしていろいろと語り始めた。

 

 自分は負けるわけがないのだから、置き土産に教えてやるとばかりに。

 自分は海の帝王ジャゴラだと。海底王国ムウレアの女王、セレンを貰い受けに来たと。

 そして、その黄金の呪いは魔物にとっては有用なものだから適合した娘共々嫁入り道具に貰っていく。

 人間どもの欲望が、本来の力を変質させてとてもとても美味そうだ、と。

 

 あぁ強そうな相手。でも僕はお前なんてせいぜい海の鼻つまみものだ! と鼻で笑った。

 「かつて」とはもちろん比べ物にもならないのだ。ジャゴラも……僕らも。

 

 

 

 

 

 

 世界は穏やかだ。少なくとも僕はそう思う。

 はるかな昔、勇者ローシュ、賢者セニカ、戦士ネルセン、そして魔導師ウラノスが世界を闇に堕とそうとする邪神ニズゼルファを滅ぼし、ロトゼタシアは平和を手に入れた。

 悪の芽を摘み取られた世界。だから、大樹は今日も美しく、世界の真ん中で雄大に枝を伸ばしている。

 

 大きな危機なんてない。人間や魔物のいさかいが全くない訳では無いけれど、豊かな世界は激しく争い合う気持ちを持たせない。

 だってそうだろう、見上げれば、自分たちがやってきた根源であり、死後還るところがそこにある。僕らの未来はおだやかに約束されている。

 それでも大きな格差があればなにか起きたかもしれない。平穏な世界でも格差はある。間違いなくある。でも、それ以上に僕たちは「手を差し伸べること」を重んじる。

 伝説によると、かつての世界では魔によっていくつもの国が滅び、余裕がなくなった人々は貧しい者を貧しいままにしていたらしい。

 その状態で魔が「勇者」を「悪魔」呼ばわりし、魔による諍いが起きたという。つけこまれた人々は、それまで起きたことをみんな「勇者」のせいだと思いこみ、救う存在を憎んだ。

 その後、世界が滅びる危機に陥った時、真実を知り、闇に怯えながら身を寄せ合った人たちはみんなかつてより貧しく苦しい生活を強いられていたけれど、共に手を取り合って生きることを知った。それはかけがえのないことであると身をもって実感して。

 

 貧しい者には援助を。ひとりぼっちになんてさせない。悲しい思いも、ひもじい思いも、「もうたくさんだ」、と。世界はようやく手を取り合うことを覚えた。

 これは勇者ローシュのことじゃない。彼の伝説はどれもこれも華々しく、影らしいものは何もない。

 ただ、この伝説を書き残したとされる賢者セニカは、それを私たちのあやまちの罪だと書き残した。無くしてはならないことがあるのだと。無かったことにしてはいけない絆があったのだと。だから、子孫たちに魔法をかけて、忘れ去られないようにしたという。

 とはいえ、ずっとこんな綺麗なことを言い続けられるほど人間は穏やかな生き物じゃない。争いは起きただろう。危機もあったかもしれない。そんな中でも優しい魔法は静かに、僕たちの根底にくすぶっていた。

 だけど、そうだな、自惚れるなら大樹の愛し子……つまりかつてでいう「勇者」の力を持った僕が生まれた頃ぐらいから、魔法の力は再燃し、ここまで定着した。

 

 おじい様によると、奇跡の力はそのかつての思いを取り戻させたのではないかって。まぁ、それによって辛い思いをする人が減ったし、別にだれもその時代の嫌なことを「思い出した」りしてないからいいよね。

 起きなかったのだから、「僕らは何も知らない」。そう思う僕は、自分の中にある何かが、自分の知らないことでいっぱいになってることには気づいてる。そしてそれは大切なんだ、どうしようもなく。

 あぁ、左手の紋章が燃えるように痛む。胸の奥がずくずくと痛む。頭がガンガンする。僕は、もう勇者にならなくていい存在だったから、使わなくていい力を無理やり引きずり出して戦ったのだから。

 

 ……ジャゴラとの戦いは熾烈だった。

 呪いによって異形と化したマヤは、それでも理性を保って加勢してくれたとはいえ、本来ジャゴラはたった二人で挑むような魔物じゃない。

 熟練の討伐隊を組み、時間を掛けて遠くから観察し、研究し、さらに逃さないように軍を投じて討伐するか、伝説の勇者一行が対峙して倒すような魔物なんだ。もちろん、その伝説の勇者一行も二人なんかじゃないはずだ。

 それでも戦った。水の中では使える技も限られていたけれど、あいつの一撃と僕の剣は何度もぶつかった。その隙にカミュは攻撃する。カミュが作った隙に僕が攻撃したこともあった。

 僕が回復して、カミュがサポートして、僕が攻撃して、息ぴったりに相棒も攻撃する。

 幸い、僕らは戦いの中で何かを掴んだようだった。僕らはジャゴラを知っていた。少なくとも、既視感を覚えた。

 

 そして共に戦ったこともない相棒は、僕とよく連携した。僕らの息はぴったりだった。生き別れた兄弟かなにかのように、相棒の名に相応しく。

 だから、僕らはきっと実力以上の力は出ていただろう。最善は尽くしたんだ。

 ただ、相手が悪かった。幸いにも僕らはひとひねりにされたわけじゃなくて、隙を見てマヤの呪いが解き、確保するくらいには善戦できた。

 取り戻して、安堵して。その時もう僕らはぼろぼろだった。

 ジャゴラは不利を悟った。僕らにあとはなかった。満身創痍の相手はあとひと押しだが、なにをしてくるかわからないという意味でもある。ここは海の底、さらに黄金の城の中。逃れることは出来ない。故郷に帰れず死ぬくらいなら相打ちにしてやる覚悟だったからだ。

 

 幸いにも、遠くから人魚たちの歌声が聞こえてきた。ここは呪いを解いた彼女たちに囲まれているらしい。

 ジャゴラはそれでも勝てた。だが手酷い傷を恐れた。人魚たちの報復を恐れた。結果、奴は逃げ出した。

 僕らは奴が去ったあと、力を抜いた。体がぷかぷか浮かぶのに身を任せて。意識が薄れるのに任せて。必ず奴は報復しに来ると分かっていたけれど、そのときばかりは休みたかった。

 あぁ、どこか胸の奥が叫ぶようだ。

 

 こんな、くたくたになって安堵して、隣の存在が生きていることが嬉しくて、そのままばったり倒れてしまったことがあったのだ、と。

 「僕は何も知らない」。奇跡を使えば僕もカミュも「思い出せる」だろう。でも、そんなこと「僕は思いついたりしない」。

 空中に浮かぶ大樹は今日も美しく、世界が穏やかであるのだから。僕らは何も知らずに平穏を謳歌するのだから。……するはずだったのだから。

 これは無くなった軌跡のオマージュに過ぎない。本物ほど熾烈でなく、本物ほど周りに影響を及ばさず、ジャゴラの迷惑さはせいぜい凶暴なクジラってところ。

 僕らが勇者一行のように華々しく勝てないのは、戦いを真に必要として生きていないから。僕らもせいぜい戦いがあまりない世界の王子と海賊に過ぎない。

 

 もうほとんど喉から出かかっている真実を飲み下した。何も見ないふりをした。僕は何も知らないのだから。知らないままでよかったから。

 大樹の愛し子、それは勇者。その力をどうやっても授かる僕は……その力を利用した以上もう、気づかないわけがない。

 だけど、僕は何も知らないのだ。知らなくたって良いことだから。ただ、僕は、かけがえのない人を見つけることが出来たから。それだけでもういい。因果は巡らない。運命も預言も使命もない。

 

 僕にあったのはどこかつまらない日々。何かが足りないとつっかえる。

 その正体を見つけたのだから、僕は王子でも愛し子でも……もちろんお姫さんでもなく、ただのイレブンとしてそれを大切にする。

 君は僕と同じで何も知らないだろう? 気づきそうになったら、その「なにか」を見て見ないふりをするだろう? 気が合うね。僕と同じ。それは、僕らが経験しないことだから。

 

 知らなくたっていい。それでも、もう一度、僕らは相棒だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、地上に帰るか。イレブン」

「うん、カミュ」

「素直じゃねぇか。まだ冒険したいって言うかと思ってたが」

「まさか。あんな迷惑クジラをお父様とお母様に報告しないわけにはいかないからね。海は女王が見ているけれど、陸からの目撃情報も必要だろう? これからのことも話さなきゃならないし」

 

 マヤの呪いはもともとは大したことはなかったらしい。というか、それは人の手に渡り続けることで欲望やらで増幅され、黄金病の源となったというだけで、ジャゴラがちょっかいを出さなければちょっと不幸になる程度の軽い呪いの代物だった。

 元凶の首飾りを俺たちが見つけた時は、増幅されたせいで犠牲者が出ていたらしく、既に犠牲者を出さないようにバラバラにされていたわけだが……バラバラにした奴には中途半端な呪いは逆に面倒で解けないものだとは気づかなかったらしい。

 首飾りの宝石側の「負」の力。その中途半端な呪いを嗅ぎつけ、利用しようとしたのがジャゴラ。呪いが暴走したのは、首飾りが完全体となって力を存分に発揮したからで。

 つまり……なんつーか、ひたすら運がなかった。

 

 幸運のお姫さんのおかげと言うべきか、本来依頼を受けなきゃぶつからなかった嵐に偶然巻き込まれ、女王に助けられ、マヤと再会し、そして呪いを結果的に解けたのは運が良かったとも言えるだろうが。

 もうその力はない。俺が海賊王になれたのは、呪いの首飾りが持つ「正」のパワーが働いていたかららしい。自信がなくなるじゃねぇか、と愚痴れば、まぁ実力以上の力が出るなんてことはないから安心なさいと女王は微笑んだが。

 ともあれ船員は無事でも船は木っ端微塵の海の藻屑。お宝を大量に積んでいたわけじゃねえけど、再建にはなかなか時間がかかるだろう。しばらく故郷でゆっくりするかな……と思っていたら、イレブンが口を出した。

 曰く、見つけた相棒はもう離さない、やっと見つけたのだから、と。

 

 具体的にはユグノアで雇うから来い、と。

 全員面倒見てやると啖呵をきったお姫さん。いや、勇ましくも向う見ずというか、世間知らずの王子様。

 俺たちは海賊だぜ? と言えば、ユグノアとしては貿易商扱いだろとな。海賊王と執拗に呼んでいたのは誰だ?

 それから、あんな迷惑な魔物を野放しにできないんだから討伐するまでは目撃情報でも傭兵としてでもなんでも売りに来い、だと。

 お前も一緒に見てるのに。お前は先陣切って戦うだろうに。……いや、だからか。

 

 つまるところ、それは欠けたピースを見つけたイレブンのワガママみたいなものだったが。

 まぁ俺も同じ気持ちさ、前世で生き分かれた兄弟みたいなものだ。そうそう見失いたくもないだろう。この、戦乱のない穏やかな世界で見失っちゃあ、次に会うときゃ爺さんになってるかもしれないからな。

 ともあれ。

 

 ようやく懐かしい地上に返された俺たちは、女王の采配に静かに息をついた。

 白い大地、凍てつく風。俺たち海賊にとっては本拠地だが、比較的温暖な国の出身のお姫さんが早くも凍てつきそうな大地だ。まぁ、俺たちも。

 クレイモラン。何故ここにしたのだろう、海底の女王よ。

 ともあれイレブンが凍る前にとりあえず懐かしい教会に駆け込む。父親同然の神父が目を丸くし、姉同然のシスターが慌ててびしょ濡れの俺たちを暖炉の前に急き立てた。

 

 ガタガタ震えながら俺は先のことを久しぶりにワクワクしながら考えた。

 これからまた小さな冒険が始まるだろう。俺たちに持ち船はなく、外海と内海をつなぐ定期便なんてものは無い。流石に王族を送り届けないわけにはいかねぇが、シャール女王はきっと送り届けるために俺たちを指名するだろう。

 まぁ、元々の依頼もあることだし。

 死にそうな顔をした相棒はまだまだ冒険がしたいようだし。あぁ、もう一度旅をしよう。

 

 いつかの約束のように。



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導きの教会

 --代ユグノア王イレブン、当時ユグノアの王子だった彼は海賊王カミュと世界をめぐり、様々な冒険をしたと伝えられる。

 半ば密航で始まったその冒険は、今では伝説でもおとぎ話ではなくなった海底王国ムウレアから世界をぐるっと回ったとも、一度国に戻ってからまた飛び出したとも言われている。

 

 黄金病と呼ばれた呪いとの格闘の話は、海の鼻つまみものと呼ばれたジャゴラとの戦いとともにクレイモランの地で今も語られ。

 悪しき呪いを持つ火竜との死闘はホムラの里の伝説となり。

 グロッタの町での大蜘蛛誘拐事件を解決したことは彼の治めたユグノアでは今でも人気の冒険譚である。

 大樹の愛し子として生まれた彼は、先代の大樹の愛し子、「勇者」ローシュのように背負った使命を持たず、また預言者に「なんの因果も持たない者」だと預言されたと伝えられていた。だが、その預言に反して残るのはたくさんの冒険。

 勇者ローシュ伝説と、勇者----伝説。二つの勇者のうち、現代に名前が伝わっていないロトの勇者は実はこのイレブン王だったのではないかと後世には伝えられた。

 その隣には、名も無きロトの勇者と同じように……ぴったり息の合った相棒がいたという。

 

 盗賊----と海賊王カミュ。その二人を同一視するにはあまりにも経歴が違いすぎたが、真相を知る者はもう、誰もいない。

 すべてを知るのは大樹で眠る聖竜のみ。

 赤い表紙の冒険の書は、その登場人物たちの名前だけを欠いて今も残っている。

 

 当人たちは偉大な旅をすることはなくとも、旅は無かったことにはならないのだから。自分たちの冒険を、他人のことのように見知って穏やかに育つのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「カミュ、ちょっと海賊王パワーで僕というユグノアのお宝を華麗に奪ってほしいんだけど」

「殿下、まだ今日のお仕事が山のようにございますよ」

「……敬語やめてよ」

「寝言を言うのもやめろよな。またどっか行こうぜ、ともあれいきなりは迷惑だろ」

「うん」

 

 相変わらずすぐにどこかに飛び出そうとする「お姫さん」は、前よりは少しは頼れるようにはなったがまだまだどこまでも甘ちゃんで、好奇心旺盛な上に、よく城から逃げ出す。

 突発的に抜け出した先は大抵畑か森の中で、楽しそうに駆けずり回っているものだから、そのうちほっといたら野生にかえりそうなんだが。

 こんなのだったのか? と疑問になって民に聞いてみれば、以前はそこまで森に入り浸ったりしなかったが、代わりに町中のツボやタルを破壊して回っていたらしい。

 成人し、冒険をしてツボタル割りが落ち着いたと喜ぶ国民たちは、そんな王子を優しく見守っている。平和そうで何よりだ。

 だが稀に城に町での報告は来る。イレブンの新しい才能……? についてが。彼はカボチャクラッシャーだったらしい。少し足が触れるだけで、床に置いていたカボチャが爆散したと笑いながら報告され、どうにもついてまわる既視感が目眩を覚えさせた。

 だが、野生にかえりかけていても、俺たちにとっては幸運のお姫さんには違いない。

 

 すっかり紹介された安定した職に馴染んだ船員どもは、散り散りバラバラに幸せにされちまった。お姫さんよりも筋金入りのワガママ娘はお嬢様学園で少しは揉まれて上品になれるならいいんだが。

 というわけで、海から完全に足を洗ったわけじゃねぇけど、俺も結構陸で生活している。

 この国でのポジションとしてはなんなのだろうか。イレブンは相変わらず相棒だと言っているが、役職的に言い換えれば側近とかだろうか。孤児の俺が? ユグノアは大丈夫か? 

 

 だがまぁいい、なんだって。恩もあるし、城の連中に相棒殿が冒険する時のお目付け役扱いされつつも、なんだかんだここでの生活は穏やかでそれなりには気に入っているのだから。

 さて、書類仕事が苦手な相棒の尻を叩かないとな。俺が代わってやることはできないし、そろそろ……次は砂漠にでも冒険しに行きたいだろうし。

 

 

 

 

 

 

「あたり一面焼けた砂ばっかりだな」

「広いねー」

 

 サマディーのアツアツは砂漠のど真ん中。そこには「何もない」。砂がいっぱい周りと同じように波打っているだけ。星見の遺跡は存在しない。つくる必要がそもそもなかったのだから。

 僕は、かつて見上げたようにそこで空を見上げた。強い陽射しが眩しくて目を細める。そして「あれ」がないかと空を探す。

 だけど当然、抜けるように青い空にぽつんと光る、赤い星はない。あるのは少しの雲と太陽だけ。

 当然だ、ここにいるのは運命にも使命にも導かれないただの僕。僕は運命に導かれないただの王子で、君は預言を知らない海賊さ。

 

 でも君は隣にいる。僕も、君の隣にいる。

 

 おい焼けるぞ、と暑さが苦手なカミュはとっくにフードをかぶって日差しから退避していた。僕にも何やら被せて、とっとと日陰に引っ張っていく。

 あ、これは便利。顔が隠せて陽射し避けになるフードだ。それにしても旅装束の上からフードだなんて、なんだかお尋ね者っぽくてカッコいいね?

 女神像の前で休みながら、僕はゆっくり目をつぶる。歩まなかった旅路の断片と別れを告げるために旅をするのだと決心して。

 

 世界に散らばった軌跡の欠片を拾いながら。君と、また旅をする。

 どこかの世界で、あるいは未来で、あるいは過去で。あるいは……「今も」かもしれない。

 

 きっと君とは相棒だった。



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