第二海堡鎮守部 (語部屋)
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激動の時代の終わりと始まり

 1960年代頃から世界中の船乗りは都市伝説染みた話を毎日のように耳にしていた。

 誰かはシーサーペントを見た。別の人は海に浮かぶ人を見た。中には、ヒトガタやニンゲンを見た、という人もいる。

 全員が何かを見た、ということが共通し、そのどれもが今までに見たことのない海洋生物であることだった。

 時が経つにつれ、目撃証言は多くなり、70年代には全世界の人がその噂を耳にし、誰もが「どうせ存在しない。長い航海で船乗りは頭がおかしくなってしまったのだろう」などと笑いものにした。面白半分にテレビの特番が組まれ、一時期UMAブームに乗っかり誰もが知ってるような話になったのだが、ブームが過ぎ去り忘れ去られようとしていた80年代に事態は急変する。

 

 

 船の沈没事故が多発した。漁船、輸送船、軍艦、艦種は区別なく。

 どうにか生き残ることが出来た者の証言は、シーサーペントが船を襲った、ということが共通していた。

 事態を重く見た全世界の政府、及び国連は調査に乗り出す。

 沈没事故が続く中80年代後半、国連による調査結果が公開された。

 初めは引き揚げた沈没船の外傷調査結果。

 艦砲射撃と思われる貫通痕や爆発跡、他に喫水線下の衝突跡。

 艦砲射撃ということは何処かの国の軍艦によるもの、と考えられたが、海軍を有する国は何隻かの軍艦が沈められていた。水面下による多国籍の水上戦闘、というのも世界規模で起きていることから可能性が無いに等しいと考えられた。

 このことについては保留され、衛星写真に何か映っていないか考えられたが、影らしきものは映っているが、性能がそれほど良くなく鮮明ではないため、何かがいる、程度にしか分からず仕舞い。

 最後に報告されたのが、囮の船による事故再現である。

 

 これですべて明らかになった。

 

 艦船への攻撃習性を持つ、未知の生命体の存在である。

 魚のようにも見えるが、巨大な口の中には砲塔と言っても差し支えない器官が存在している。それによる砲撃により、引き揚げた沈没船の艦砲射撃の跡が残っていたのだ。

 大半は魚のような形をしているが、中には半分人の形を成しているものもいた。盾のようなものを持ち、その盾に砲塔が存在する。

 60年代頃に世界中の船乗りが話していた都市伝説染みた話の正体はこの生命体だった。

 相手が生物であるのなら、保護をするべきという声が上がるが、艦船を攻撃されては海上輸送の安全性が問われる。

 海洋生物へは害をもたらさず、なぜか艦船のみに限定された攻撃習性は、研究者を悩ませることになった。

 そもそも人類と海の歴史の中で、このような自然生態系を無視して人類に対してだけ攻撃性を持つ生命体は初めてであり、前例が無ければ、標本もない。何をどう研究すればいいのか分からない状態だった。

 ただひとつ言えることは、60年代には都市伝説染みたことが、約20年経った80年代には世界中で見かけるようになったこと。これが示すのは、数を急速的に増やしていることである。

 

 もし、このまま数が増えれば、船の航行は不可能となってしまうことだ。

 

 島で形成される、多数の国は海上輸送路を絶たれてしまっては甚大な被害が出ると考え、とある一国は未知の生命体を“人類に敵対的な深海に棲息する疑似艦艇生物”通称“深海棲艦”と呼称することとし、早急な対策を練ることになる。

 

 

 

 90年代初頭、とある国は反対派を押し切り、深海棲艦を攻撃するも、艦砲射撃や誘導弾、魚雷の誘爆、様々な攻撃方法を試した。その結果は再び世界を震撼させることになる。

 当時最新鋭の兵器すべてが、深海棲艦に対し、全くの無力だったことである。

 傷をつけることが出来ず、出撃した艦船は壊滅。数十隻の艦艇は海の底に沈み、数千の命は藻屑となってしまった。

 深海棲艦に対する攻撃は、現在に至るまでその一国しか行われていない。

 世界各国が情報を交換し合い、議論を重ね、いつの間にか民主主義か共産主義か東西を分けた冷戦は終結し、世界地図は人類史上初めて安定した時代を迎えた。

 

 人類は初めて、人類に敵対的行動を持つ生命体を前にして、ひとつになったのである。

 

 が、2003年。突如として情報交換に使われていた人工衛星は使えなくなってしまった。世界中の学者が恐れていた事態、太陽フレアによる人工衛星の基盤損傷であった。

 代わりの人工衛星を打ち上げようとするが、ロケットを発射するも、謎の丸い物体の衝突により、ロケットは爆発。どの国でも同じ事が起こった。

 さらに通信の電波状況は世界的に不安定な状況に陥る、謎の現象が起こることとなり、無線通信の存在しない第1次大戦前の世界が訪れることとなった。

 

 

 

 

 

 

 1989年1月7日

 昭和天皇が崩御された。

 2度の大戦を行い、敗戦という焼け野原から摩天楼を築き上げ、様々な出来事、事件が起こった激動の時代がひとつ幕を下ろした。

 そして同時に、新たな時代の幕開けとなる。

 

「新たな元号は"修文"であります」

 

 次の元号発表の記者会見により、新たな元号は全国民に知れ渡り、1月8日より交付された。

 

 

 

 

 誰もが知っている通り、我が国は島国である。大陸から地続きの場所は存在せず、他国への移動は海か空を使っていた。

 先の大戦で敗北を喫したにも関わらず、たった数十年で世界に追いつき、その技術力や品質等においてはどの国にも追随を許さず、無駄に変態とも言えるような職人気質の製品を作り上げ世に送り出していた。

 敗戦から立ち上がった島国は、数十年もの間、不戦を貫いてきた。他国からの侵入や攻撃にさらされることなく、自国の平和と独立を守るために。

 島国という特性上、四方を海に囲まれており、攻めることが難しい天然の要塞ともいえるものであるが、逆に危険な部分も存在していた。

 四方を囲まれてしまえば、不戦を貫いている限り、戦うことが出来ずに籠城戦となってしまう。食料を自ら賄えることが出来るのならばいくらでも続けることが出来るが、我が国の食料自給率は先進国としては極めて低い。食料の半分以上を輸入に頼り切り、そのほぼすべてを海上輸送で行っている。海上を封鎖されれば、同時に空路も封鎖されるのも同義である。

 補給物資の望めない籠城戦は、いずれ飢餓する。そうなってしまえば不戦を貫くなんて言っていられない。

 国民の感情が爆発するのは時間の問題となる。

 そうして、アジア極東の島国“日本国”は海上輸送路確保という名目で戦後初及び、創設初となる“海上防衛軍”による一部火器使用許可、状況により全火器許可がされた防衛出動を発動した。

 

 

 

 

 修文17年・西暦2005年

 海上防衛軍創立初となる海上輸送路確保のための、日本国の存亡をかけた防衛出動が発動された。

 翌日、防衛軍地上通信回線による全国放送により、防衛軍最高指揮官、つまり首相による演説が行われた。

 簡潔に内容を語るとすると、

 

「日夜訓練に励む皆には敬意を表する。深海棲艦と呼称する生命体に対し、日本を防衛するとして軍人となった諸君等は、何も出来ないことに苦い思いをしてきたことだと思う。そして今、日本は存亡の危機に立たされ、一日でも早く、海上輸送路の確保が最優先である。そのための作戦だが、数年前のある国の深海棲艦反攻作戦により、当時の兵器では傷を付けることが敵わなかった。考えたくはないが、考えなければならない。現在の兵器をもってしても、深海棲艦に傷を付けることが敵わないかもしれない。そうなってしまえば、述べなくても理解できるだろう。この防衛出動は、片道しか許されていないのかもしれない。よって、これは志願者のみによる作戦とする。拒否をしても処分の対象とはならない。現部隊に残り作戦遂行するその勇気も、後方支援部隊に回るその英断も私は称賛しよう。諸君等は私の誇りである」

 

 誰もが言葉にしなかったことを首相は口にした。

 片道しか許されていない。

 先の大戦に行われた、神風特別攻撃隊、通称神風特攻隊のように。否、特攻隊のように傷を与えることが出来ないかもしれない。単にエサになりに行くだけかもしれない、今回の防衛出動。

 すべてを理解して、それでも、船を降りる人は誰一人としていなかったのである。

 

 

 

 各総監部に最低限の艦艇のみを残し、ほぼ全ての護衛艦はヨコスカ港へと集結。

 補給を行い約1カ月の停泊の後、集結した艦艇及びヨコスカ港を母港とする艦艇全ては出港した。

 ボウソウ半島沖合

 30隻を超える護衛艦隊。これが平時であるならば、きっと観艦式のように見えるはずだ。

 深海棲艦は生態のほぼすべてが謎に包まれており、水上及び水中レーダーには映らず、パッシブ・アクティブ問わずソーナーは役に立たない。しかも、衛星が使えず、GPSが役に立たない状態である。艦船に対する攻撃時のみ、海面に浮上し姿を見せるため、艦橋の監視員は休む暇もなく目を光らせ続けた。

 ヨコスカ港を出港し3日目の深夜2時過ぎ。

 突如として船内に警報が鳴り響くと同時に艦橋より号令が入る。

 

「対水上戦闘用意!」

 

 ついに来た。

 誰もが緊張した面持ちで戦闘服装に着替え、鉄ヘル、カポックを装備。

 訓練通り防火防水のための道具一式が壁に配置されていたものを通路に置き、戦闘部署発動による防水扉の封鎖。

 総員が所定の場所へ着くのに10分と掛からなかったが同時に深海棲艦は艦砲射撃を行い、艦艇の周りに水柱が立つ。

 絶え間なく水柱が立ち、船体が揺れる。

 ハープーンが複数隻から発射され、深海棲艦を襲う。

 

 全弾直撃。

 

 深海棲艦、存命――無傷。

 

 それを確認したのと同時に、艦隊司令が発しなくとも、艦長は独自に判断し、全火器使用の許可が下される。

 主砲、魚雷、ミサイル、機関銃、その他持てるすべての火器を使用し、目の前の深海棲艦を沈めようとする。

 煙で深海棲艦が見えなくなっても尚、初撃のハープーンに対して無傷であった光景から、どれだけ攻撃しても不安は拭い去れない。

 1匹の深海棲艦が煙の中から現れて、汎用護衛艦目掛けて突撃する。その姿に傷らしい傷は見えず、今の全力攻撃でさえも無意味だった。

 突撃する深海棲艦に機銃掃射しても、まるでそれを邪魔な羽虫だと言うかのようにただ身をよじるだけで勢いは治まらず、そのまま汎用護衛艦の側面へ激突した。

 最も魚の形に近い深海棲艦で大きさは4~5メートルはあり、人の形を成した深海棲艦は通常の人間と同じほどの大きさを持つが、盾のようなものを持っていたりと本来の大きさよりも大きく見える特徴を持つ。

 今突撃したのは最も魚の形に近い深海棲艦で、現行兵器で傷を付けられない硬さを持つものに体当たりを受ければ、今の当たらないことを想定した厚さ数センチの装甲は紙にも等しく、すぐに浸水は始まる。さらに、深海棲艦は宿主の体の中を食い荒らす寄生虫かのように、汎用護衛艦の中を暴れ回る。防水扉を閉めても、すぐに破られて浸水は治まることを知らない。

 ものの数分でたった1匹の深海棲艦により、突撃を食らった汎用護衛艦は航行不能状態へと陥り、総員退艦が命ぜられた。

 それを皮切りに、深海棲艦の猛攻は始まる。

 魚の形をした深海棲艦の突撃、人型深海棲艦の主砲一斉射撃。

 水柱は絶えることなく、弾薬庫への直撃による爆発、深海棲艦の対空砲火により損傷を受けたヘリコプターの落下。

 甲板に乗り込んできた人型深海棲艦に小火器射撃を浴びせても、傷を与えることはできない。

 人型であるとしても、人間ではないと悟ることのできる、その無表情さ。ただ人の形を保っているだけの、別の生物であると、対峙した乗組員は知る。だが、その次の瞬間には海に沈んでしまう。

 護衛艦から漏れ出した燃料が引火し、海は赤く燃え上がる。

 汎用護衛艦、イージス艦、ヘリ搭載型護衛艦に加え、水中で撃沈された潜水艦。防衛軍創設以来、最初の防衛出動は戦闘開始から1時間足らずで終わりを迎え、数十隻の及ぶ大艦隊は全てが轟沈し、乗組員は全員殉職、深海棲艦に対する人類2度目の作戦は敗北で終わることとなった。




pixivに投稿していた作品のお引越しです。


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第二海堡鎮守府

 2013年4月

 

 防衛軍初となる防衛出動、深海棲艦への反攻作戦から約8年の月日が経過した。

 8年という長い期間を経ても、数十隻に及ぶ艦艇が失われた傷を癒すには短すぎて、ヨコスカ港を代表し、クレ、サセボ、マイヅル、オオミナトの軍港には十分な護衛艦配備は成されていない。

 政府は何とか自国のみで存命できるよう食料自給率を上げようと、政策を行ってはいるが劇的に上がるには、やはりこれも長い目で見なければならず、未だに大きな成果は出せずにいる。

 

 明日を夢見ることが出来ずに、国民は必至で今を生きるために、今日の食事を取るために働いている。国内に油田のないために、ガソリンは貴重となり車はほとんど走ることはない。

 電気だけは原子力発電所をフル稼働させているために、比較的安定した供給がある。昔いた原子炉反対派は現状を見れば、声を上げることはタブーだと気付くはずだろう。火力発電する燃料はなく、風力水力は弱すぎ、太陽光は不安定、地熱は建造期間が長く、今必要とする電力量を賄うには、少量で大量を生み出すことのできる原子力発電しかないのである。

 森は切り開かれ、山は崩され平地にされた後、畑や水田にされている。

 深海棲艦による海上輸送路封鎖が起こる前は、国民の多くは第三次産業つまり小売業やサービス業の割合が占めていたが、今現在は政策による影響もあるが国民が自ら食つなぐために、第一次産業である農業を行う比率が多くなってきている。

 ただ、今日を生きるために。今日の夜の食事を。今日食べられなくても明日食べられれば。最悪、子供だけは食べられるように。

 暗い時代、と言われていた昔であったが、今のほうがよっぽど、暗い時代と呼ぶにふさわしいだろう。

 

 そんな中、海上防衛軍フナコシ基地の護衛艦隊司令部の中を歩く一人の青年がいた。

 エナメル質かと見間違えるほど極限まで磨かれた黒の革靴。室内では基本脱帽するので帽子は右手に持ち、皺無く隅々までアイロンの行き届いた黒の詰襟。肩には桜の紋章と2本の金色の線が施された肩章。

 海上防衛軍の階級として、1等海尉。

 その青年はとある一室の前で立ち止まり、深呼吸をする。

 扉の上を見て部屋の名称を確認してから、もう一度深呼吸。

 

 司令室。

 

 壊滅状態である第一護衛隊群から第四護衛隊群及び潜水艦隊、掃海隊群等を全て取り仕切る自衛艦隊司令部。その司令が執務をする部屋である。

 平時であれば、通路には書類を持った自衛官がせわしなく行き交っているのだが、取り仕切る艦艇がそもそも無いに等しい今の状態では、誰一人として通路ですれ違うことはなかった。

 床に敷かれた赤い絨毯が、威厳だけは損なわないように、という見栄のように見えてしまう。

 意を決して扉を三回ノックする。

 

「はい」

 

 と声が返ってきたのを聞いてから扉を少し開け、

 

「八代一尉、入ります」

 

 八代尊は扉を開けて室内に入り、音が立たないように閉め、部屋の奥に座る司令に向き直り、十度の敬礼を行う。直ると頭の中で用意していた言葉を口にする。

 

「八代一尉、自衛艦隊司令の呼出しに応じ参りました」

 

 噛むことなく言えたことに安堵し、初めて司令の顔を視認する。

 着ている服は黒の詰襟ではあるが、肩章がまるで違う。海尉や海佐とは一線を画す金色のみの肩章は、海将補以上を意味する。自衛艦隊司令といえば、海将であることが常識であるし、海上幕僚長の次席、つまりはナンバー2と言っても過言ではない。

 

「よく来てくれた、八代一尉。まあ、そこに座って話でもしようか」

 

 と示されたのは、司令執務机の前にある応接用の椅子。言われるがまま椅子の前に立つと、司令も執務机から対面の椅子に移る。

 下の階級である八代が先に座るなんてことは出来ず、

 

「固くならずに、掛けてくれ」

 

 そんな言葉を待ってから「失礼します」と一言断ってから椅子に座る。

 

「こうやってじっくり話そうというのは久しぶりだな。八代一尉」

「はい、先日はほぼ話さずに終わったので、約8年ぶり、ということになりますか。私自身、実感がありませんが。西城海将」

 

 八代一尉と西城海将、この二人は以前知り合うことがあり、階級の差はあれど、仲が良いこともあり、思い出話に花を咲かせることとなる。

 

「確か、船で初任幹部をしていた時だったか。まったく変わっていないな」

「その通りです。私は初任幹部で初めて配属された船に、西城海将は護衛隊司令で勤務されていたのを記憶しています」

「初任幹部で覚えることが多いとはいえ、よく働いていたのを覚えている。久々に優秀な人材が来た、とな」

「よく声を掛けていただいたからそう感じているだけでは?」

「いや、そんなことはない。年老いてはいたが、目まで老いたつもりはなかった。防衛大の成績は上の上ではあったが、首席次席ではないのが不思議でならなかった」

「首席を目指してはいたのですが、生徒出身の根から軍人には敵いませんでした」

「勉学や生活では見えぬ部分もあるということだ」

「例えばどのような?」

「そうさな……本来であれば幹部課程や上官から学ぶような、指揮能力」

「私にはそれがあると?」

「この老人の目が確かであったのなら、な」

「……自分のことながら、自信が持てませんね」

「何故だ」

「何故と聞きますか……」

 

 八代は一呼吸おいて、

 

「何度か飲みに連れて行って貰いましたが、最終的に行き着く先は良くてキャバクラ。悪くて風俗店。酔い潰れて道端に倒れることは両手では数えられず、道行く若い女性を見れば即ナンパ。これが妻のいるいい大人がやることですか。しかも、自分の子どもを連れて! そんな人が、決まり顔で『君には指揮能力がある』なんて言われても誰も信じやしませんよ」

「お前、祐亨と一緒にあんなに嬉しそうにキャバクラに行っていたではないか!」

 

 祐亨とは西城海将の息子である。父親の背中を追い幹部になろうと防衛大学校に入学し、八代と友人になった。そしてそのまま、偶然と言うべきか初任幹部を同じ艦艇で行った。

 

「初めは新鮮で楽しかったですが、回数が増えれば『またか』と感じるようになりますよ」

「どの子がいいですか、なんて聞いてきたこともあっただろう!」

「もう誰でもいいや、と半分自棄になった結果ですね」

「酔い潰れたのは八代、お前じゃなかったか!」

「いえ、貴方です、西城海将。祐亨も同じくキラキラしたものを道路にぶちまけていました。私は二日酔いしない体質なので、酔い潰れることもありませんでした」

「そうだったな、ザルだったのを忘れていた」

「ええ、何度も言われた記憶があります」

「……そんなにキャバクラや風俗に何度も連れて行ってたか?」

「はい」

「……そうか」

 

 話に出てきていた祐亨は、防衛出動時に殉職し、八代と同じ一尉となっている。

 久しぶりに祐亨の出てくる話をし、一緒にキラキラを道路に吐き出したのを思い出したのだろうか、落ち込んだ様子の西城海将は、自らの膝に頬杖をついて溜息を吐く。

 その様子に罪悪感を覚え、八代はフォローしようと言葉を紡ぐ。

 

「まあ、楽しくなかった、とは言えませんね。時世を考えれば心の底から楽しむことは出来ませんでしたが、笑う余裕があるのだと感じるくらいには、楽しかった……と思います」

「そうだろうそうだろう。あのような状況だからこそ、息抜きも必要だと感じていたのだからな」

 

 少し無理した笑いではあるが、八代は事情を知っているがために見ているのは少々辛い。

 

「ええ、半年ほどと短かったですが、何度笑わせていただいたか……呆れることもそれ以上に多かったと思いますけど」

「半年、か……儂は退艦し総監部勤務となった、その後だったか、護衛隊群総出の防衛出動は」

「首相の全国放送演説も、深海棲艦を目の前にした絶望も、あの約1カ月を私は一生忘れることは出来ないでしょう」

「儂も見たことはあるが、遠目でしかない。現代兵器が効かぬ未知の脅威が目の前にいたのなら、忘れることができないだろうな」

「ええ、昨日のように覚えています」

「お前にとっては、本当の意味で“昨日のように”ではないのか。防衛出動唯一の生還者、八代尊三尉」

 

 三尉。

 

 それは、八代が初任幹部から防衛出動し殉職とされるまでの階級。

 約8年間に殉職したと記録されていた八代が、先日海岸に流れ着き倒れていたのを地元民に助けられ、病院へ搬送された。

 外傷はほとんど無く、入院する必要がないほどに健康体であった。だが、レントゲンやCRT検査にて脳内に物質不明の欠片が埋まっていたのだ。医師からは取り出すことが難しいため、意識や身体麻痺等の異常がないのなら、無理に取り出すこともないだろう、として放置されている。

そして、殉職で一尉になっていたのだから、生存していたのならば撤回されるのが普通であるが、今は平時ではない。先の防衛出動で人員不足に陥り、一尉を欲している枠があるため、撤回されることなく一尉の階級を背負っている。

 官品である服一式と靴、帽子、そして一尉の階級章は病院へと西城海将が直々に届けてくれた。

 本来であれば激務に追われる護衛艦隊司令も「護衛艦が無くて暇だから来た」と言えるほどには激務ではないらしい。その言葉にはどこか悔しさが含まれていたが。渡すものを渡し、伝えたいことを伝えたらさっさと帰ってしまったので、忙しいことに変わりはなさそうだったが。

 その際に「どこに配置されるか今のところ分からん。とりあえず動けるようになったら司令室に顔を出せ。話す時間は作ってやる」と伝えられていたため、今日この日に八代は防衛軍復帰しようとするも、一度殉職してしまった身で前の配置は海の底。次の配置が聞かされていないため、その言葉通りに護衛艦隊司令、西城海将の下へとやってきたわけだ。

 

「儂から見れば、お前は8年前と何も変わっていない。防衛出動で最前線におり、8年間殉職とされていたにも関わらず、傷らしい傷も無ければ、姿形は昔のまま年老いたようにまったく見えん」

 

 最も驚くべきことは、八代の姿が本来であれば30代前半である年齢のはずなのに、初任幹部時代20代前半の見た目であることだ。

 まるで、時が止まったか、時を渡ってきたかのように。

 

「私は8年間の記憶がありません。次々と同僚が、仲間が、護衛艦が沈められていくのをただ見ているだけしかできなかった記憶は、私の中では先週となっています」

 

 防衛大時代を共に切磋琢磨した同僚が深海棲艦に飲み込まれるのを見ていることしか出来なかった。

 初任幹部で面倒を見てくれた対番の上司が吹き飛ばされ海に沈むのを眺めていることしか出来なかった

 艦内を説明してくれた海曹以下の部下たちが小銃を持って立ち向かっていくのを見守ることしか出来なかった。

 深海棲艦の前では、人はあまりにちっぽけで無力な存在であると実感させられた。

 思い出すだけで悔しさと憎しみが増してしまい、握った拳には血が滲む。

 

「祐亨の最期を見たか」

「はい。深海棲艦に飲み込まれていくのを、この目で」

 

 丸呑みだった。

 その後の瞬間に艦艇が爆発を起こし、それから八代の意識は消え、記憶は飛び数日前の病院で目を覚ますことになる。

 祐亨の行く末を考えたくはないが、きっと中で絶望を感じながらゆっくりと融かされていったのだろう。

 

「初任とはいえ防衛軍人となったからには覚悟はあったはずだ。親としては思うところはあるが、上官としては言うことはあるまい」

「西城海将……」

 

 目を隠して俯く西城海将に、八代は掛ける言葉が見つからない。

 子どもにとって最大の親不孝は、親よりも先に死ぬことだとよく聞くが、やはりそうなのだろう。

発する言葉から、親としてと上官としての立場が葛藤しつつも、やはり息子を亡くした親としての立場のほうが強く出てしまうようだ。

 西城海将は目元を拭い、深呼吸をして会話を再開する。

 

「時に八代一尉、つかぬ事を聞くが、深海棲艦は何故あのように脅威であるか考えたことはあるか」

「それは、現代兵器では傷を付けることが一切出来ないためと考えていますが」

「何をもって現代兵器と言うか。今現在、人類が開発した兵器を全て試したことがあっただろうか?」

「……西城海将は、核を使うべきとお考えで……?」

 

 誰もが知っている人類史上、最強最悪の殺戮破壊を実現できる唯一の兵器、核。

 深海棲艦に対し2度しか行われていない反攻作戦では、どちらも使用されずにいる。そして、未だ使用されない理由が、海へ撃ったものか、陸へ撃ったものか核保有国が判断を間違えれば、深海棲艦ではなく人類同士の戦争が再燃し、その戦争が核戦争と成り得ると誰もが知っているからだ。

 

「使うべきとまでは考えていない。仮に使ったとしても、水中にいる深海棲艦には効果が薄く、大量の放射線で海上航行は難しくなり、島国の我が国は今とそれほど変わらんだろう。深海棲艦の脅威の根幹はそこではない。もっと別にある」

「別、ですか」

 

 八代は中空を見つめ、目の前にまで迫った深海棲艦を思い出す。

 魚の形に近い深海棲艦と、人の形に近い深海棲艦がいた。

 前者はただ単に船内を食い散らかすかのように暴れ回っていたが、後者は違っていた。甲板に降り立ったかと思えば、周辺を見回したり、複数で行動したり、人間を眺めている節さえあった。

 

「考えつかんか」

「まさか、深海棲艦に知性があると……?」

「否定はできない。むしろ、知性があると考えるのが当然であろう。奴らは海洋生物には目もくれず、我々人類のみを狙って攻撃を仕掛けてくる。これを知性があると言わずして何という。習性と呼ぶにはあまりに正確すぎる」

「では、人類史上初めて出会う知的生命体であり、人類との戦争である、ということになりますが」

「識者を自称する能無し共は否定するだろうが、私はそう考えている」

「深海棲艦に知性がある、と考えたとして、現状を打破できる要因とは成り得ません。奴らに傷を付けることのできる兵器を開発しない限りは」

「その考えも間違っているぞ」

「どこが、でしょうか」

「仮に兵器を開発できたとしても、載せるものが艦艇であったなら、前回と同じ結果に陥る」

 

 西城海将は「よっこいしょういち」と言いながら立ち上がり、座ることに疲れてしまったのか部屋の中を行ったり来たりを繰り返す。

 

「深海棲艦が脅威である点は現代兵器が通用しない装甲に加え、知性がある。そして、ひとつの生物として持つには大きすぎる攻撃力と機動力である。深海棲艦を撃破しえる兵器を開発し、艦艇に載せたとしても、数百人で動かす百数メートルの鉄の塊など、奴らからすれば格好の獲物でしかない」

「ならば現状を受け入れろと言うのですか」

「そうではない。深海棲艦に装甲、知性、攻撃力、機動力が持つのなら、我々も同程度、もしくはそれ以上の兵器を開発すればいい」

「どのような兵器か想像がつきませんが……それが可能であるなら、現状を打破できるかもしれませんね」

「絵空事ではない。既に動き始めている」

 

 西城海将は部屋の中央で立ち止まり、八代に向き直る。

 

「そこでだ、八代一尉。もう一度死んでくれないか」

「……」

「……」

「……は?」

 

 漏れた言葉は決して上官に向かって発していいような言葉ではなかった。

 西城海将の言葉を理解するにはあまりに唐突すぎて、理解しきれずに肯定も否定も出来なかったところを、西城海将は言葉を続ける。

 

「ああ、儂としたことが言葉が足りなかった。今現在、対深海棲艦専門部隊の創設に向けて動いている。新しい基地も建造中である。そこの基地司令を八代一尉に任せたい」

「私が、ですか?」

 

 一尉が基地司令などあり得る話ではない。

 基地司令と言えば、海将か海将補の枠だ。部隊の司令でさえ一佐がほとんどであるし、小さい部隊では二佐。部隊の下に付く分遣隊でやっと三佐か一尉が普通である。

 幹部として数年のキャリアを積み重ねた後に、科長、隊長とクラスアップした後、一握りが高級幹部課程を経て一佐に昇進し、部隊司令や基地司令という役職に就けるのだ。

 八代一尉は殉職特進で一尉になった身であり、幹部としての経験はあまりに浅い。それが基地司令など、通常で考えればあり得ないのである。

 

「階級の話を言っているのなら問題はない。君をまた殉職させ再び特進させ二佐にさせる。書面上の話ではあるが、ね」

「わ、私は指揮幕僚課程を受けていませんよ」

「構わない。指揮能力があると見込んで話しているのだ。今の時世、課程などやっている暇などない。キャリアや実績など飾りにしかならん。ひとつも徽章を付けていなくとも能力ある人間を埋もれさせておくつもりはない」

「ですが……」

 

 八代の左胸は司令である西城海将と見比べたらまるで違う。そこには、防衛軍で培ってきた実績を意味する、記念徽章が付けられる場所である。例えば海外派遣や災害派遣、ある群に属していれば資格取得でさえ、ひとつの徽章をもらうことが出来る。勤続年数を意味する徽章もあるのだ。

 西城海将は縦3列横6段を持つ輝かしい徽章を身に着けているが、八代の胸にはひとつもない。

 

「それと、後々二佐から一佐、時間は経つが海将補まで階級が上がる予定だ。さすがに海将は無理だがね」

「か、海将補!?」

「殉職した身であるから、名誉階級、ということになってしまうが問題はないだろう。対深海棲艦専門部隊は総員が名誉階級だ」

 

 次から次へと情報が湧き出てくるために理解が追い付かない。だがひとつ言えることは、

 

「そこまで情報を教えていただくということは、既に決定済みということですか」

 

 ということである。

 

「察しが早くて助かる。さあ、続きは向かいながら行くとしようか」

 

 拒否権はないらしい。

 こういうところは変わってないな。キャバクラや風俗に強引に連れていかれたのを思い出す。

 と八代は呆れながら昔を思い出していた。

 

 

 

 

 

 用意されていた輸送ヘリへ乗り込んで離陸した後、東へ向かっている。

 海洋に比べ、湾内は比較的安全であるが、万が一を恐れて一般人は船を出すことはない。よって、食卓に並ぶのは真水で養殖できる魚ばかりである。

 今回は近距離だからと、危険性を理解しつつヘリで目的地、対深海棲艦専門の基地へと向かっている。

 

「さて、どこまで話したか」

 

 ヘリのエンジンとプロペラ音で聞こえにくいために、ヘルメット内蔵のインカムで話している状態だ。

 

「基地の概要を一切聞いていません」

「話しながら向かおうと言っていたな」

「部隊総員が名誉階級、という点だけ聞いてますが」

「そうだ、名誉階級という意味を理解しているかね?」

「厳密には軍に所属しているわけではない、ということかと」

「理解が早いと話も早いな。つまりはそういうことだ。対深海棲艦専門部隊とは言うが、厳密に言えば防衛軍に属しているわけではない。だが、部隊であることには変わらない。よって、最低限の規律や階級、序列が必要だろう。そのための名誉階級というわけだ」

「ということは、私も防衛軍から除隊することになる、というわけですか」

「殉職だから名誉除隊、ということにでもしておこう」

 

 西城海将は窓から外を眺めると、

 

「見えてきた」

 

 釣られて八代も窓の外を見る。

 

「基地は基本的には他の基地と変わらないが、その部隊運用法等から孤島に作られた。艦艇を停泊させる岸壁と1キロほどの滑走路がある」

 

 島の形は分かりやすく言えば「へ」の字を上下逆にした形である。長い部分には滑走路があり、短いほうにはいくつかの建物が見え、中間部分には運動場としてのグラウンドも見えた。

 短いほうの先端部分には岸壁があり、停泊されている艦艇が見えるが、たった1隻だけだ。

 

「滑走路は短いが心配することはない。無理やりではあるが蒸気式カタパルトを採用している。目に見えている施設の他に、地下にもいくつかの施設が存在している。儂も来るのが初めてだから、どれがどの施設かなど聞いても答えられんぞ」

 

 滑走路横には管制塔と格納庫らしき大きい屋根が見え、他の建物もあり、敷地面積からすると妥当な適度な密度であるが、ひとつの基地として考えた場合、建物の数はあまりに少ない。そのため、地下に作らざるを得なかったのだろう。

 

「確かこの位置にある島は……」

 

 ヨコスカから東へ向かったところにある、本州の陸地ではない、トウキョウ湾に浮かぶ島の一つ。

 その島は2人が所属する海上防衛軍に所縁のある島である。

 

「気付いたか。孤島で運用するとはいえ、海上で島を一から作るには深海棲艦の危険性が大きすぎる。よって、元から存在していた人工島に拡張工事を施させた」

 

 明治時代に当時の陸軍が首都防衛のために作られた要塞島。

 

「旧海軍時代に作られた島を再利用させて貰っているのだ。我ら海上防衛軍は良きというべきか、悪しきというべきか、伝統を重んじ継承するところがあるだろう?」

 

 後に海上防衛軍の前身ともいえる旧帝国海軍が使用し、先の大戦での敗戦を受けてGHQにより爆破処理されていたのだが、建造目的が防衛のため強固な造りを受けて、土台は問題なく運用できたらしい。

 

「対深海棲艦専門の艦隊を指揮することになる中枢だ。だとするのなら、基地の名称は伝統を引き継ぎ、こう呼ぶのがいいだろう」

 

 長らく使われてこなかった、旧帝国海軍の存在した証と言っても過言ではない島。

 

 日本の未来を、海の平和を取り戻すため旧帝国海軍から受け継いだ、対深海棲艦専門艦隊を統括する島。

 

 その名は――、

 

 

 

 

 

「第二海堡鎮守府」



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着隊

 滑走路横にあるヘリポートに着陸し、初めて第二海堡鎮守府の地面を踏む。

 場所としてはチバ県フッツ岬の先端から少し離れた海上の孤島。

 

「短い間とはいえ、ヘリの座り心地は慣れるものではないな」

 

 と五十肩になりつつあるだろう肩を回す西城海将。

 ヘリコプターのエンジン音は徐々に消えて、回転翼による風圧も弱まってくる。

 

「で、西城海将、ここに来るのは初めてと仰っていましたが、誰か案内役でもいるのでしょうか」

「確か待っていると言っていたはずだが……」

 

 八代と西城海将が辺りを見回すと、小走りで駆け寄ってくる一人の女性がいた。

 黒の礼装を身に纏い、黒の眼鏡を掛け、長い髪を揺らしている。

 近くまで来ると、走ってきたにも関わらず息が上がっておらず、そのまま綺麗な敬礼をした。

 敬礼をされればもちろん答礼を返す。

 肩章を見る限り、二尉らしいが、二尉にしてはあまりに若すぎる。

 

「申し訳ございません、庁舎前の広場に降りるとばかり考えていましたので出迎えが出来ませんでした」

「構わんよ。現状、この鎮守府での先任は君かね」

「はい、申し遅れました。この度、当基地第二海堡鎮守府に配属される八代二佐の案内役及び補佐役を命ぜられました、大淀二尉です。大淀とお呼びください」

「ということだ、八代一尉……いや、この場所に来た時点でもう二佐だ」

 

 肩章はまだ一尉のままなのだが。

 大淀と名乗った彼女は二尉であるのなら、実質的な経験は大淀二尉のほうが上なのではないか。など八代は考えた。

 

「これが二佐の肩章だ。付けたまえ」

「ああ、はい」

 

 いわれるがまま、西城海将がポケットから出した二佐の肩章と一尉の肩章を付け替える。

 金色の線が一本増え3本になった。

 あまりにあっけない昇任である。一尉の肩章を付けていた時間が一日もないとは、如何なものだろう。

 ちなみに三佐は真ん中の線が細い。一佐で4本の線になる。

 

「昇任式が無いのを許してほしい。二度も殉職するなど本来あるはずがない。それを行うと勘繰られる可能性があるのでな」

「分かりました」

 

 名誉階級の昇任式なんて聞いたこともない。

 

「それでは八代二佐、庁舎まで送迎致します」

 

 大淀がそう言うと、黒塗りの送迎車が横付けされ、ドアマンとしてドアを開ける。

 車内で上座は、運転席の後部、助手席の後部、助手席となっているのが一般マナーで、それはここでも通用する。

 西城海将が運転席後部で、八代が助手席後部に座る。

 面倒なのが、八代が司令として着任していた場合は運転席後部に座ることになる。何故かと言えば、序列順で言えば確かに西城海将のほうが上ではあるが、基地の中での一番序列が上なのは司令である八代になるからである。だが、司令クラスの人物が1台の車に2人乗るなんてことは滅多にない。ほとんどの場合は、車を2台用意して、それぞれに乗車してもらう。

 艦艇でも同じことで、艦橋での艦長席は右側にあり、これは不動である。階級が上である護衛隊群司令が乗艦しようが、艦の長は変わらないので、司令は左側に座ることになるのだ。

 本来であればドアマンは見送るのが普通だが、大淀は助手席へと座った。

 案内役及び補佐役を任されているのであれば当然か。

 運転手が車を発進させると、

 

「見える範囲で施設の概略を説明させていただきます」

 

 滑走路を出るとすぐ左には運動場があり、それを過ぎれば建物が立ち並ぶ。

 

「左に見えるのが学舎と弓道場です。学舎は戦術など実践的知識を学ぶ場所で、弓道場は一部の者から要望で建てられました」

 

 学舎が3階建てでふたつの棟を2階と3階の渡り廊下で繋がれている。おそらく上空から見ればHの形になっているだろう。

 

「右には酒保伊良湖、間宮食堂、居酒屋鳳翔です。酒保伊良湖は厚生施設類と考えていただければ間違いはないかと。基本的に食事は間宮食堂となり、居酒屋鳳翔に関しては課業止め以降の営業となりますが、女将となる方が不在なので現在のところは営業しておりません」

「居酒屋まであるのか。まあ、ある程度は羽を伸ばさなければいけないだろうし」

 

 納得する八代。

 西城海将に連れて行って貰っていたのも、羽目を外すことで、翌週もまた頑張ろうとなれた。キャバクラや風俗は逆に疲れることもあったが、頭を空っぽにするにはいい機会でもあったのは事実だ。

 

「残念ながら、現在は女将が不在のため営業すらしておりません」

「営業していたならば久しぶりに八代と飲みたかったのだが、女将がいなければ行く意味がないな」

「一応課業中だということを忘れないでいただきたい」

 

 非常に残念がっている西城海将だが、飲めるように見えても結構早くダウンする。だから路上で寝たりするのだ。

 

「続いてこちらは、隊舎となります。1号から5号の隊舎ですが、今のところはほとんど空き室状態ですね」

 

 3階から4階建てとなっていて、これが満室となるとかなりの人数になると考えられる。

 用意されているということは、余裕を考えて建築されているだろうが、それほどの規模が入居する予定ということになる。

 小さい島ではあるが、ひとつの基地として運用できるような人数が配置されることになるのだろう。

 

「この隊舎エリアを過ぎ目の前に見えるのが庁舎となります。隣に八代二佐の住居があり、裏手には岸壁、ドックハウス、防音された室内射場があります」

 

 庁舎の前はロータリーとなっており、車は一方向にしか入れない。

 横付けされ、大淀がドアを開けてくれる。そのまま大淀の先導に従い庁舎に足を踏み入れた。

 室内は簡素ではあるが、正面の司令室へと続く床には赤い絨毯が敷かれており、横の壁には国旗と防衛軍旗が飾られている。

 八代は司令室を前にして深呼吸。

 

「この扉をくぐれば、この基地の司令だ。心の準備はよいかね」

 

 西城海将が現実を言葉にする。

 この1日で、むしろたった数時間、フナコシ基地に来て西城海将のいる司令室に赴いてから、まだたったの数時間しか経っていないというのに、八代はどうやって準備をするのか、と心の中で愚痴る。

 だが、強引に推し進められたとはいえ、正式に決まってしまったことなのだ。上司の命令に従う義務がある以上、いやだとは言えない。

 

「……はい」

「そう重く考えることはない。任務は重要極まる案件ではあるが、急ぐことはない。気楽にやっていいのだ」

 

 バシ、と背中をたたく西城海将。

 海上輸送路が復活しなければ日本の未来はない、と考えられている中、恐らく初めてとなる対深海棲艦専門部隊を指揮しろということは、日本の未来を任されたと言っても過言ではないと考える八代にとって、それをどう受け取ったら気楽にやれと言えるのだろう、と西城海将の発言を疑う。

 

「準備はよろしいですか、八代二佐」

 

 いろいろ考えても始まらない。大淀の催促とも捉えられるような言葉に八代は返事をして、心を決めた。

 大淀が先導するように扉を開ける。

 

「八代司令が着任しました。これより艦隊の指揮に入ります」

 

 そう宣言すると、

 

「敬礼!」

 

 中にいる横に並んだ5人の礼装を着た娘たちに敬礼をされた。

 突然のことに戸惑いはしたが、敬礼されたら答礼を返す、と体に刻み込まれているために八代は理解せずとも答礼を返した。

 ひとりが直れを掛けて手を下すと、3-2で別れて堵列し、大淀はその一列に加わった。

 真ん中が分かれたことで部屋の奥が見えるようになり、司令の机が目に入る。

 八代は歩み寄って机に触れる。

 名札にも「八代尊」の文字が刻まれており、ここに来て初めて実感した。

 

「俺が、司令……」

 

 心に思ったままを口にし、普段使っている丁寧語を忘れていた。

 

「さて、目出度く司令となった八代司令にこの部隊の概要を説明しよう」

 

 西城海将がそう告げて、応接用の椅子に座る。

 

「君たちは例の装備に着替えて待機していてくれ」

「了解しました。では、大淀二尉他5名着替えて参ります」

 

 そう告げ、大淀二尉と他の5人は部屋を後にした。

 

「では説明するとしようか。この基地と対深海棲艦専門部隊、艦娘のことを」

「……艦娘?」



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疑似艦艇級の娘達

「では説明するとしようか。対深海棲艦専門部隊、艦娘のことを」

「……艦娘?」

 

 聞きなれない言葉に疑問符を付ける。

 

「今出て行った彼女たちのことだ。彼女たちが対深海棲艦専門部隊の戦闘員となる艦娘だ」

「戦闘員ですか。あんな小さい娘が?」

 

 大淀は小さいとは言えない身長なのだが、司令室で待っていた5人の中にはまるで小学生と言ってもいいような、小さい娘もいた。大きくても中学生程度の身長。

 階級章は三曹から二曹。まるで成人してるとは思えない身長である。

 

「ああ、階級は違うとはいえ同じ司令となったのだ。敬語はやめにしよう」

「ですが……」

「ザルとは言え酔った状態では敬語を使っていなかっただろう。それに、正式に言えば八代は既に防衛軍所属ではない。自分の子どものように思っている奴から敬語と言うのも、なかなかに辛いものだ」

 

 八代はそこで祐亨のことを引き合いに出すのは卑怯だろうと内心思いながら渋々承諾する。

 

「で、話は戻るけれど戦闘員について教えてくれ」

 

 防衛軍という階級社会が身に染みている八代にとって、海将である西城にため口を使う違和感は相当なもので、記憶的には一週間ほど前まで三尉だった身からすれば恐れ多いと心を震わせる。

 だが、西城海将は八代の心に反して臨んだ通りため口を使ってくれたことに嬉しそうにしている。

 

「艦娘だったか?」

「そう、艦娘。彼女たちは身ひとつで深海棲艦と渡り合うのだ」

「意味が分からない」

「百聞は一見に如かず。外に出るぞ」

 

 そう言うと返答も聞かずに立ち上がり司令室を後にする西城海将を、ただ金魚の糞のように着いていく。

 庁舎を出るとロータリー広場の中央には大淀と先ほどの5人がそれぞれ別の服を着て、何やら変なものを手に持っていたり、腰に付けて待っていた。

 

「さらに意味が分からない」

「そう言うな。大淀始めてくれ」

「了解しました」

 

 大淀他5人は海のほうへ歩いていき、

 

「始めるって何を?」

「見ていれば分かる」

 

 そのまま海に飛び降りた。

 

「ちょっ!」

 

 腰に付けていた物は鉄で出来ていたように見えた。そんなものを付けて海に飛び込んでは、どれだけ泳ぎの上手い人でも溺れてしまう。

 急いで駆け寄り海面を見ると、

 

「浮いてる……?」

 

 6人は全員海面に浮いていた。

 

「西城海将、戦闘用意よろしい」

「かかれ」

 

 その号令により6人は一斉に海面をスケートのように滑走し、海に浮かぶポールの間をすり抜けていく。

 あっという間に小さくなった6人を、西城海将から渡された望遠鏡で覗き込む。

 列の先頭を大淀が走り、その後を綺麗に5人が滑っていく。

 ポール群を抜け、6人は横一列になり、奥にある的目掛けて、手に持っていた何かを狙い定める。

 次の瞬間、ドンッ、という爆発音と共に、6人の手元から一瞬の火柱と黒煙が噴き出し、奥に立っていた的は粉々に砕け散り、周りには複数の水柱が立った。

 

「なにこれ」

 

 あまりに理解しがたい光景に語彙力を欠いた言葉しか出てこなかった。

 

「言っただろう。深海棲艦を撃破しえる兵器を開発し、艦艇に載せたとしても、数百人で動かす百数メートルの鉄の塊など、奴らからすれば格好の獲物でしかない、と」

「……まさか」

「ならば、深海棲艦を撃破しえる武器を、ひとつの知性を持つ身体に持たせればよい。人類に敵対的な深海に棲息する疑似艦艇生物と戦うことになるならば、こちらも疑似艦艇と呼ぼう。疑似艦艇級の娘達、艦娘。それが彼女たちだ」

「確かに理屈は分かる」

 

 西城海将の言う通り、百数メートルの鉄の塊とも言える鈍重な護衛艦と、即決即断が出来て的の小さいひとりの知性では、明らかに後者のほうが有利と言える。

 

「だが、あんな小さい娘でなくていいだろう」

 

 八代は深海棲艦を目の前にした。

 人間を丸呑みにできるほどの巨躯と現代兵器の効かない装甲。それは圧倒的絶望を与える存在であった。

 それを生身一つで、小学生とも言えるような小さい娘に任せていいものか。

 

「彼女らしかいないのだ」

「何故!」

「彼女らが手や足、腰に装備している物は艤装と呼んでいる。艤装を装備するには、腰椎に手術を施し装備できるようにせねばならない。だが手術を施すには適性が必要なのだ」

「適性があるのが、彼女たち……」

「その通り」

「親が、国民が納得するか」

「彼女らには親がいなければ身寄りもない。この計画を知っている者は海将以上と政府の一部、そして関係者のみ。国民には知られることは決してない」

 

 いくら正式に防衛軍ではないとはいえ、この規模の軍事基地を作るとなれば、政府が関与していないわけがない。

 

「そこまで切迫しているのか」

「政府は国を存続させるため一を捨てて、十を救う。単に捨てるのではなく、使い捨てる。そういう決断をした」

 

 救うとされる十は国民で、捨てられる一が八代や艦娘と言われた子たち。

 

「本来であれば未来を夢見て遊び回っているような娘たちを、手術を施し、名前を奪い、自らは安全地帯で隠れて戦わせる」

「名前を奪うって……?」

「手術の後遺症かは分からん。だがその手術で記憶の一部に障害が発生してしまうのだ。政府は都合いいと考えたのだろう。疑似艦艇なのだから艦艇として、旧帝国海軍の艦艇名を引用し、それぞれ名前を与え管理しやすくしたのだ」

 

 管理という言葉に憤りを覚える。

 人が人を管理するなど、民主主義の社会がすることではない。

 

「気持ちは分かる。政府は落ちるところまで落ちた。綺麗事を謳ってはいるが、実際はこれが現実だ」

「……だから、ここが選ばれたってことか」

 

 陸地から見えるとはいえ、この時世に海を眺める人なんていない。

 国民に誰にも知られることなく、事を進めるには、海上に浮かぶ孤島が都合いい。

 

「俺が選ばれた理由も……」

 

 もともと殉職している身。それが撤回されず、そのまま今に至っている。

 二佐に上がり後々一佐以上に上がるとはいえ、殉職していることに変わりはなく、現在は防衛軍人ではなくなっている。これから実際に死んだとして、殉職していれば書類上なんの手続きも必要ない。防衛軍人ではないのだから、発表することもない。

 海を滑走している艦娘も同じである。

 国民に知られることはない、と言っているのだから、きっと殉職したとしても発表することはないのだろう。

 成人にも至っていない子に手術を施し、戦うことのできる身体にさせるなど、誰がどう見ても非人道的と言わざるを得ない。

 深海棲艦を撃破し、海上輸送路を確保出来たとして、その功績の真実は誰の目にも触れることはなく、埋もれてしまうのだろう。

 

「帰投しました」

 

 どんどんと悪い方向へと考えて行ってしまう八代の思考は大淀の声によって断ち切られた。

 

「どう、でしたでしょうか」

「正直驚いたよ」

 

 優しく答えた八代の言葉に、不安そうに聞いてきた大淀たちの表情は少しの笑顔を見せた。

 

「ひとつ聞かせてくれ。深海棲艦は怖くないのか」

「そう、ですね……。怖くないかと聞かれれば怖いです」

 

 大淀は自らの持つ兵器、艤装の表面を撫でる。

 

「だったら――」

「――ですが、このような身体になってしまっても、ニホンが私が生まれて育った国……この国が、私の祖国なんです。それがなくなってしまうことのほうが、怖いですね。なので戦います」

 

 笑って答える大淀の顔に、一片の迷いもなかった。

 ここまで言われてしまえば、ただの感情で止めてしまえるものではない。

 

「君たちも同じか?」

「はい!」

「間違いではないわ」

「キタコレ!」

「なのです」

「一生懸命がんばります」

 

 返答になってない言葉もあるが、反応を見るからに同じ意見なのは間違いないだろう。

 子どもだから、若いから、などと言っては彼女たちにとって失礼である。彼女たちはきっと、そこらにいる未来に絶望した人たちよりも強い。手術され強化された身体のことではなく、心が。

 彼女らの反応を聞いて、八代の心は決まった。

 たったひとりで深海棲艦を撃破しえる装備を有する存在は、表に出ればきっと戦争の概念を覆しかねない。

 親を亡くしながらも、深海棲艦と戦う艦娘の存在はきっと、歴史に闇に葬るつもりなのだろう。この基地の存在も、恐らく八代自身も。

 ならば、帰る家となれるよう、居場所になれるよう、この基地を作っていこうと。

 

「そういえば、君たちの名前を聞いていなかった」

 

 大淀の後ろにいる5人の娘たち。

 

「駆逐艦吹雪です。よろしくお願いいたします」

 

 特型駆逐艦一番艦、だったか。様々な要請をクリアしながら重武装化を成し遂げ世界を驚かせた、その一番艦吹雪。その名を引き継いだのなら、それなりの武装を誇るのだろう。

 

「よろしく。駆逐艦ということは、他の艦種もいるのか」

「はい、今は私たちだけですが後々着任すると聞いてます」

「そうか、なるほどな……ということは、大淀って」

「はい、軽巡洋艦大淀、改めてよろしくお願いします」

 

 旧帝国海軍連合艦隊最後の旗艦。現状最先任と言えるだけの名称を受け継いでいるわけである。だが、連合艦隊旗艦が二尉、というのも少し低すぎやしないか、と感じるが。

 

「苗字だと思ってた」

「紛らわしくて申し訳ありません」

「いや、大淀は悪くない。で、次の……」

「駆逐艦叢雲よ。よろしくお願いするわ」

「よろしく」

 

 階級があるとはいえ、こんな小さい子に上下関係を厳しくするのも可哀そうだし、自分に至っては西城海将からのお願いとはいえ海将相手にため口聞いている奴から言われるのも癪だろう、と八代はため口など聞かれるのを諦めた。

 それぞれの個性もあるだろうし、と。だが、

 

「必要な時くらいは敬語使えよ」

 

 あまりに緩すぎると、規律が乱れてしまう。

 締めるときは締めて、緩くするときは緩く、だ。

 

「考えとくわ」

 

 次の子へ目を移すと、

 

「キタコレ! 綾波型駆逐艦漣です。よろしくお願いします、ご主人様」

「……よろしく」

 

 ご主人様と呼ばれたのは初めてだったが、存外に悪くない。

 

「はわわ、雷なのです。よろしくなのです、司令官さん」

「よろしく」

 

 慌てぶりが気になるが、根は優しくいい子なのだろう。

 優しいとはまた別なことであるが、名前を引き継いだ暁型4番艦“雷”はスラバヤ沖海戦での敵兵救助の話が有名である。

 最後になるのが、

 

「五月雨って言います! よろしくお願いします!」

「よろしく」

 

 元気があって初々しく感じる。

 どこか空回りしそうで心配なところがあるのだが、元気がないよりはあったほうがいいだろう。

 

「今所属しているのは、これで全員になるのか?」

「いえ、もう三人います。戦闘担当というわけではないですが」

 

 後ろから草を踏む音が聞こえ、振り返ってみると、自動車の運転手と別の二人が立っていた。

 

「君たちが?」

 

 そう問うと、運転手は深く被っていた帽子を取った。

 

「はい提督、工作艦明石です。主に艤装の開発修理を担当しています。艤装だけでなく日常生活の部分でも大抵は修理できると思います。お気軽に工廠に来てくださいね。階級は一応三尉ですが、艦隊に加わることはほとんどないので飾りみたいなものです」

 

 旧海軍に所属していた工作艦明石。軍人のみならず民間人の工員も数多く載せていた海上工場と言える艦艇。

 その名を引き継いでいるのなら、応急工作もお手の物なのだろう。

 

「俺の階級も飾りみたいなものだ。頼みたい物があったら足を運ばせてもらうよ」

「お待ちしてます」

 

 残りの二人は、ここに着て1時間ほどしか経っていないが、初めて見る顔である。

 

「給糧艦間宮曹長」

「同じく、給糧艦伊良湖曹長」

「以上2名、当鎮守府における給養を担当しています。よろしくお願いいたします」

「もしかして途中にあった間宮食堂と酒保伊良湖の?」

「はい、覚えていただき、伊良湖光栄です」

「まあ、ついさっきの話だからね。よろしく二人とも」

 

 給糧艦と言えば、単なる食料だけではなく羊羹などの嗜好品を製造していた、菓子職人が乗る船だったはず。その名を継いでいるとするならば、食事だけではなくお菓子作りの腕も相当なものだろうか。

 八代は「さて」とお菓子のことを考えるのをやめて、艦娘たちを見回す。

 大淀、明石、間宮、伊良湖、吹雪、叢雲、雷、漣、五月雨。八代を含め、計10名。

 海上防衛軍に所属していた、あぶくま型3番艦“おおよど”、たかなみ型4番艦“さざなみ”、むらさめ型5番艦“いなづま”及び6番艦“さみだれ”。旧帝国海軍から名前を引き継いでいた護衛艦は防衛出動時に深海棲艦に撃沈され除籍となっている。

 

「たったの10人で何が出来る、と問いたいところだが、司令として着任した以上運営していかなければならない。新しく艦娘が着任し、ある程度の数が揃うまで苦労を掛けると思うがよろしく頼む」

「司令官に対し、敬礼」

 

 最先任の大淀が号令を掛け、それぞれ7人が敬礼を行う。

 

「ここに第二海堡鎮守府の開設を宣言する」

 

 そう告げて答礼を返す八代。

 

「直れ」

 

 敬礼から直り、次の指示を待つ9人だが八代自身、何をしたらいいのかさっぱり分からないのである。

 

「無事に基地開設したことであるし、後は任せる。明石三尉、ヘリポートまで送ってはくれんか」

「了解しました」

「さ、西城海将……?」

 

 情けなく西城海将に縋るような声を出してしまった。

 

「そうだ八代二佐、例規の大本は用意しておいたのだが、ここは君の領地と言っても過言ではない。防衛省管轄外なのだから、君の思い通りにするといい。出来る限りのサポートはしよう」

「思い通り……了解、です」

「今日が基地開設とはいえ、先に着任していた9人がいるのだ。新着任者教育と言うわけではないが、基地の案内でもしてもらうといい」

 

 言われてみれば、滑走路横のヘリポートから車で窓の外を軽く紹介されただけで、まともな地図を脳内にイメージできない。

 庁舎だけで業務が済むとは思っていないし、明石の工廠が何処かも分からない。

 

「まずは案内からかな」

「来週には新しい艦娘が着任する。今後も新しい艦娘が着任する場合は、司令室に用意したホットラインで連絡する」

「来週か、早いな。まあ基地運用するために人では多いに越したことはないか」

「困ったことがあれば、気軽に言ってくれ。この基地だけが、この国を救えるのだ」

「了解しました」

 

 タメ口でいいとは言われたが、海将が帰られるのだ。見送りとして、敬語を使わざるを得ない。叢雲に対して言った、必要な時、とはこういう時だったりする。

 西城海将は車に乗り込み、明石の運転でヘリポートへと向かっていった。

 

「さて、大淀たち」

「「「はい」」」

 

 全員が揃ったいい声。

 

「俺は君たちのことを何も知らない。君たちも俺のことを何も知らないだろう。だからと言っては何だが、基地の中を歩きながら話さないか」

「基地のご案内をしようと思っていましたので、ちょうどよい機会ですね」

「はい、喜んで!」

「仕方ないわね」

「ご主人様の好感度アップイベントキタコレ!」

「なのです」

「ご案内、ですね! 一生懸命がんばりますから!」

「私たちは夕食の準備がありますので失礼させていただきます」

「お詫びと言ってはなんですが、間宮食堂にご休憩時いらしてください。伊良湖、美味しいお菓子を準備して待ってます」

「分かった。疲れたら足を運ぶよ。また後で」

 

 残念ながら間宮と伊良湖はここでお別れらしいが、早速給糧艦の菓子職人としての腕が味わえる機会がやってきた。

 

「さて、艤装を付けたまま歩くのも疲れるだろう。俺は司令室に行ってるから、外したら来てくれ」

「了解しました」

 

 八代は踵を返して庁舎へと向かう。

 見上げれば庁舎の屋上には国旗の日の丸が掲揚されていた。

 2013年4月23日、第二海堡鎮守府は開設され、初めて庁舎の屋上掲揚塔に国旗が掲げられた日となったのである。

 



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基地案内を……

「艦娘と深海棲艦に関する資料がほとんど、か」

 

 司令室に戻った八代は大淀たちが艤装を外して戻ってくるまでの間、壁に設置されている書棚を確認していた。

 艦娘に関して西城海将が言っていた情報はほんの一部だったことと、深海棲艦は類似する特徴ごとに区分され、いろは歌になぞらえた艦級が名付けされていたことを資料に目を通して初めて知る。

 疑似艦艇級の娘達。

 身寄りのない子供に対し、適性の有無を確かめ、適性を有する者達に対し、腰椎を中心とした手術を施し、対深海棲艦兵器“艤装”を装備できるようにした者のこと。

 それは西城海将から伝えられた通りだったが、資料に目を通していると、直接的ではないが遠回しに艦娘のことを“兵器”として扱われている。

 深海棲艦との戦闘において、怪我を負うことはあっても、一定時間入渠つまりは休憩等を取ることで全快する。そういう手術を腰椎を“中心に複数箇所”施したということだ。

 

「なんと言ったか……たしか、サイボーグ……?」

 

 人間や動物を元に機械的な強化を行った物。

 まるでSFの話の設定のようだが、現実で起こっていることだ。

 

「信じられることじゃないな」

 

 大淀たちを目の前にして、彼女たちが兵器だとはとても思えない。

 その場所で息をして、緊張したり、会話をしたりして、生きていると言うのに兵器と言われるのは疑問しか浮かばない。

 戦えない者の代わりに戦おうとする艦娘には、むしろ敬意を払うべき対象のはずだ。

 そして何より、艦娘の中には未成年と言ってもいい見た目の子がいた。

 今や諸外国と連絡がほぼ取れない日本にとって、体裁を保つために国際法を順守する必要性があるのかどうかは疑問だが、国連決議や国際法上で禁止若しくは禁止に近い扱いを受けている“少年兵”と言えるのではないだろうか。

 戦場に立てず艦娘に任せるしかない自分に、憤りを感じずにはいられない。

 

“政府は落ちるところまで落ちた”

 

 西城海将の言葉を思い出す。

 まさにその通りだ。だがもし、この艦娘を投入して成果が得られなければ、今よりもっと非人道的と言える研究や行動に移る可能性もある。

 そのような意味が含まれていると考えられる。

 コンコンコン

 と、そこに扉をノックされる。考えるのをやめ、返事をして彼女たちを迎い入れる。

 

「大淀他5名入ります」

 

 大淀たちは艤装を外して身軽そうになっていた。

 

「よく来てくれた。早速案内してもらいたいんだが、大丈夫か?」

「お気遣いありがとうございます。私はそれほど疲れていませんが……」

 

 貴方たちはどう? と言葉にはせずに後ろの吹雪たちを見る大淀。

 

「私も大丈夫です司令官」

「さっさと行くわよ」

「はわわわ、司令官さんにそんな言葉遣いはだめなのです、叢雲ちゃん」

「なによ電、私はこんなの司令官だなんて認めてないだけよ」

「ツンデレ発言キタコレ!」

「う、嘘ですよ提督。叢雲さんはそんなこと思ってなんか――」

「――フォローしなくていいわ、五月雨。思ってることを言ってるだけなんだから」

「ほう……?」

 

 叢雲の発言に大淀は思考停止して固まっている。

 確かに着任して一日目で右も左も分からない、艦隊の運営方法も分からない、とりあえずこれから基地を案内してもらおうという立場であるし、二佐というにはあまりにキャリアが短い。だが、防衛大学校では学年が絶対であるし、上は上の立場として、下は上に対する防衛軍における礼儀作法等を徹底して叩き込まれる。

 防衛大学校ではなくても、防衛軍に入るのならば教育隊などで訓練のみならずそういった教育もされる。そもそも防衛軍に入る段階でそれなりの人生経験を積んできているので、教育されるのは一部であるのだが。

 きっと艦娘はそういった教育をされず、艦娘として水上戦闘だけを教えられてきたのだろう。

 ため口など聞かれるのを諦めた、とは言っても、司令官と認めない、なんて上下関係を有耶無耶にされては、団体行動のみならず、作戦行動をする時の指揮系統までも乱れてしまう。

 正規ではないにしても、火器を扱うあたり軍事関係から離れることはできない。上下関係や指揮系統等ははっきりさせておかないと、いつ事故が起こってもおかしくはない。

 全体のため、団体行動のため、今の叢雲の発言は目に余る。

 

「叢雲、どうしたら認めてもらえる?」

 

 冷静を装って叢雲に尋ねる。

 

「そうね、私より実力が上なら認めてあげるわ」

「実力、ね」

「ま、艦娘として前線に出る私と、後方で指揮をするだけの司令官じゃ、実力なんて試さなくても分かり切ってることよね」

「決めつけられるのは好きじゃない」

 

 そう告げて叢雲の目の前に歩み寄る。

 

「て、提督、その、あの……」

 

 大淀はようやく声を絞り出したが、言葉にならずに消えていく。冷静に努めていただろう大淀の慌て方は、手をわたわたさせて挙動不審に見える。自分の許容範囲を超えた展開に弱いタイプなのだろうか。

 

「なによ」

「大淀」

「は、はひ!」

 

 八代は叢雲の目を見たまま呼ぶと、突然言われた大淀自身は呼ばれると思っていなかったのだろう、変な声を上げる。

 

「この基地に小火器はあるか」

「小火器、ですか。89式でしたら基地警備用に武器庫にありますが」

「弾薬は」

「実弾とゴム弾、が……あり、ますけど……提督、もしかして」

「ゴム弾があるなら重畳」

 

 大淀は察しがよく、八代がやろうとしていることを予想できたようだ。

 

「今後の予定を変更する。基地案内は中止とし、基地内警備訓練を行う。戦闘服装に着替えた後、庁舎前集合。以上、別れ」

「り、了解です」「わ、分かりました司令官」「はわわ、大変なことになったのです」「うへー、マジかー、サバゲーとかやったことないですよ」「一生懸命がんばるしか、ないですね!」

 

 反応は各々違うが了解してくれているが、

 

「基地警備とか私たちは艦娘で、海が私たちの戦場なのよ」

 

 叢雲だけは反発してくる。

 反発してくる相手に正論で返すのは駄目だとどこかで聞いた気がするが、変に言い訳を考えるのが馬鹿らしい。

 

「海でしか戦えないから陸では戦えないとは言うなよ。ここは海上部隊ではなく、対深海棲艦専門部隊だろう」

 

 深海棲艦に知性があるという仮説を聞いて、防衛出動時の光景がフラッシュバックした途端、更なる不安が頭を過ぎった。

 

「戦場ではあらゆる可能性を考慮し行動しなければならない。そして戦場に赴く前にはあらゆる可能性を考慮して準備をしなければならない」

「何が言いたいのよ」

「深海棲艦の一部には足があり、その一部が陸上に上がる可能性があると言っている」

 

 足は歩くための身体の一部だ。決して海に浮かんで使うものではない。だとするのなら、何故深海棲艦に足がある必要があるのか、という疑問が浮かぶ。

 答えを、陸上へ上がるため、と予想する。

 決して無いとは言い切れない。可能性があるのなら、対策をするべきである。その演習として、今回の基地警備訓練をこの場で思いついた、……ということにしておこう。

 

「深海棲艦が陸上に上がっても、私は艦娘だから海でしか戦わない、とは言えないだろう」

「わ、分かったわよ」

「ならさっさと着替えてこい」

 

 そうして大淀たちは司令室を後にして、代わりに

 

「どうしたんですか、提督。大淀たち出ていきましたけど、基地案内はどうなったんですか」

 

 西城海将をヘリポートまで送り届けた明石が戻ってきた。

 

「叢雲が、な」

「あー、叢雲ですか」

 

 叢雲の名前を挙げるだけで明石は察してくれたようだ。

 

「悪い子じゃないんですが……ちょっと人見知りしちゃうタイプなんですよ」

「人見知りというレベルか、あれは」

「まあそれは置いといて、これからの予定は変更なんですよね。大淀が出て行ったことから察しがつきます」

「今後予定していた基地案内は中止。代わりにゴム弾を使った基地警備訓練を行うつもりだ」

「私も参加したほうがいいですか?」

「いや、明石は救護班を行ってもらいたい。ゴム弾とはいえ場所が場所なら危険なこともあるだろう」

「了解です提督」

「それとな、生活で必要になるというわけじゃないんだが、頼みたいものがあるんだ」

「早速ですか。いいですよ、出来る限り作ってみせます」

 

 八代と明石以外誰もないのだが、どこで誰が聞いているか分からないために、念には念を入れて耳元で事を伝える。

 

「え、そんなもの必要ですか?」

 

 明石は少し驚いたようだが、八代にとっては将来必要になると考える代物である。

 

「必要と考えているから頼むんだ。作れそうか?」

「ちょっと時間ください。現段階で作れるかどうか判断は出来ないですけど、かなり難しい案件ですね」

「今必要ってわけじゃないから急ぐ必要はない」

「分かりました。難しいと思いますが、最大限努力します」

「無理そうだったら言ってくれ」

「分かりました」

「それじゃ明石も基地警備訓練の準備を頼む。俺も着替えないといけないな」

「はい、了解です提督」



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