職業はパーフェクトウォーリアです。いけませんか!? (千代路 宮)
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晴天の職歴

憂鬱である。

 

俺は今、猛烈に憂鬱な気分なのである。

 

顔を上げれば陽気な陽射しが木々と少し古い煉瓦作りの街を照らしている。

この快晴である。

見渡せば人々も、実に清々しい表情で日常を勤しんでいる。

 

ガタイの良い男が大きな資材を軽々と肩に担いで運んでいる。

いや~良いね!実に仕事日和だよ今日は!家の補修かな?

 

少し目線を逸らせば女性達が井戸端会議でもしている。

おっ!?ご近所の奥様達かな?大きな笑い声で楽しそうだよ。

 

すぐ傍で子供達もキャイキャイ叫びながら遊んでいる。

あの奥様達の子供かな?元気があってよろしい!!

 

 

石畳に座りながら周りを観察していた俺は両手を組んで伸びをする。

あくびと共に少し涙が出た。

本当に天気が良い。快晴にして陽気。

街が暖かい雰囲気に包まれるのも納得の本日の天気模様。

光と笑顔と活気のある一日なんだろう。眩しい。世界が眩しいのだ。

 

だけど念の為に言わせて頂きたい。

 

「俺は今。憂鬱なのだ」

 

-------------------------------------------------------------------------

 

少し時間を遡ろう。

ほんの1時間程前の事である。

 

「あ~・・・うちそう言うの間に合っているから」

「えっ・・・?」

 

ベイオール大陸南部に位置する南部貿易国家「ラ・ハーン」

そして今現在いるその領、貿易都市「ラ・シーン」

ここは南に広がる海洋とベオール大陸各国家都市へと繋がる主要貿都市の一つである。

この都市ラ・シーンには多くの生業が存在し、若者で職にあぶれた者達が

一縷の望みに賭けて職業を手にする都市として有名なのだ。

多くの者は就職し、日夜労働に勤しんでいる成長も発展も日々著しい都市なのである。

要は「門扉が広く働きやすい」都市なのである。

 

「働きやすいって言ったのどこの誰よ・・・」

 

思わず思った事を口に出してしまう。

仕事にあぶれて望みを託して遥々南部まで就活遠征に来て見ればご覧の有様だ。

思わず愚痴を滑らせてしまっても責めないで欲しい。

 

「う~ん・・・君の事情はよく知らないけど、職が欲しいんだよね?」

 

「それはもう!」

 

出来る限りの必死さをアピールする。当たり前だ。何の為に遠路ここまで来たか。

食う為生きる為である。なり振り構っていられない。既に必要が無いと言われたのだ。

必死さが伝わっているのだろうか?

|職業斡旋所(ジョブギルド)の色黒中年は苦い顔をしながらう~んと唸っている。

ネームプレートには「斡旋員フトゥ」と書かれている。

 

「あのね、えっと、ディオ君だっけ?」

 

「はいっ!」

 

就職に必要な筆記事項があり、ここに辿り着いてから事情を説明し、受け取った登録用紙に

一生懸命記入した登録用紙がある。

通称『ジョブカード』

出身地、年齢、特技、前職等書ける所は全て書いた。

その用紙を確認しながらフトゥは尚も苦い表情を崩さない。

 

「ここに記入してくれた内容なんだけどね、前職『ぱーふぇくと うおーりあ』って・・何?」

 

そう言って俺が答える間も無く続ける。

 

「この都市で欲しいのは力仕事が必要な運搬員に繊細な加工職人、筆記帳簿に長けた人間、そりゃ

様々な理由の奴らが来ては手に職を付けているよ?今はいくらあっても人手が足らない状況だ。

先のでっかい妖魔戦争も終わって各地復興に再興に盛況だ。

でもねぇ。それらは未経験でもこれからしっかりと仕事が出来そうな奴か、少しは前職で培った技術や

経験を活かせれる奴がやっぱり職に付きやすいんだよねぇ」

 

「で、でしたら力仕事には慣れていますので運搬員でも!」

話の区切りで必死に食い下がってみる。

力仕事には慣れているのは本当だ。文字も書ける。簡単な計算も出来る。魔術の類は出来ないが。

しかしここで諦めたら当面の資金がキツイ!本当にキツイ!!

 

「この登録用紙はね公式登録したでしょ?登録してから私の所に案内されたでしょ?」

 

「あ、はい。受付の人に貰って記入して、登録して貰ってから来ましたが・・」

 

「と言う事はね。この君の経歴はもうラ・ハーンでは公式の物なのよ。わかる?」

 

「……え?」

 

フトゥは可哀想な者でも見るような目で優しく説明してくれた。

どこにいるだろうか?可哀想な者は・・・??

・・・知ってるよ!目の前だよね!!俺ですよね!!

 

「だからね、公式に登録したジョブカードには君の前職や特技も公式に登録されているわけ」

 

「は、はぁ・・・」

 

我ながら気の抜けた生返事だ。

 

「問題なのは君の前職『ぱーふぇくと うおーりあ』ってとこなんだよね」

 

「ちょ、ちょっと待って下さい!何故『パーフェクトウォーリア』で問題が出るんです!?」

 

頭の中で自分が就職出来ない理由を考える。

『パーフェクトウォーリア』だぞ?みんなの憧れの的の!先の妖魔戦争で10人もいなかった

あの!選ばれた本当の一部の者のみが許された冠名『パーフェクトウォーリア』だぞ!

そりゃ序列で言えば末席だったけど、何故だ?何故だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!?

 

「で結局、これって何の仕事してたの?」

 

フトゥの素朴な質問が耳から脳へ突き抜ける。

 

『何の仕事してたの?何の仕事してたの?してたの・・?たの・・・?』

 

「ディオ君?大丈夫?」

 

少しの間意識をどこかへ置いてしまったようだ。フトゥがこいつ大丈夫か?みたいな顔で

見てくる。

正直・・・大丈夫じゃない・・・。

 

「でね、うちも職の斡旋を受け持っている限り、やっぱり職に就いて欲しいのよ。でもね。

誰も聞いた事も見た事も無い前職の人間に斡旋する事は難しいんだよ。ラ・ハーン出身者

ならともかく、他所から来た人となると特にねぇ…」

 

わかる?とでも言う様な仕草をして続ける。

 

「ここから紹介する仕事は正式に依頼登録した職しか扱っていないし、依頼登録してもらった

からには、こちらもそれなりに適正のある人を送り出す義務があるんだよ」

 

ラ・シーン中央にある正規職業斡旋所(メインジョブギルド)『猫の手』は国から認可を受けている

至極真っ当な正規斡旋所(ギルド)だ。

だからこそ仕事を求める者は安心して登録出来る。

国の認可を受けているので勿論、登録する者は嘘偽り無く自分の経歴や特技を記入する義務があるし

紹介する側にしても変な人間が雇用先で問題を起こそうものなら、そもそもそんな奴を何故斡旋した

のか?とある程度の責任が付いてくる。

 

「・・・つまり。俺は怪しいんですよね・・・?」

 

顔を俯きながらこの世の終わりの様な声を出した。

 

「・・・うん」

 

 

その言葉を聞いた後、頭が真っ白になった。フラフラと出口へ向かい『猫の手』を後にした。

色黒中年のフトゥが何か言ってた様な気がするが、それはもう生きる死者(リビングデッド)

さながらのフラフラ感だろう。

 

気付けば割と見晴らしの良い煉瓦作りの住宅街の一角で腰を降ろして町並みを惚けた目で眺めていた。

天気は素晴らしく快晴である。陽気な陽射しは知らない内に人々を笑顔する。

 

ガタイの良い男が大きな資材を軽々と肩に担いで運んでいる。

いや~良いね!実に仕事日和だよ今日は!家の補修かな?

 

少し目線を逸らせば女性達が井戸端会議でもしている。

おっ!?ご近所の奥様達かな?大きな笑い声で楽しそうだよ。

 

すぐ傍で子供達もキャイキャイ叫びながら遊んでいる。

あの奥様達の子供かな?元気があってよろしい!!

 

独り言で空元気を装ってはみたものの、必要とされないと言う現実を直視した直後では

街の住人の何気ない日常ですら眩しく見えてくる。

キラキラしてやがる・・・。世界が眩しいぜ。グスン。

 

 

もう何度目だろう深い溜息をついて一言ぼやいた。

 

 

「俺は今、猛烈に憂鬱だ」

 

ディオニュース・カルヴァドス17歳。

ただいま就活中である。

 

 



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空腹の帰り道

職が決まらないままとうとう7日が過ぎた。

質素な宿に1日2食の質素な食事。

翌日から気を取り直して就職活動を欠かさず、都市に点在する斡旋所に足を運んでは

肩を落として帰宅。

そして翌日に、もう一度斡旋員になかば懇願するようにお願い参りをする

事をもう7日続けている。

 

金に余裕があればまだ精神的にも幾分かは余裕もあっただろう。

しかしとうとう金が底をついた。猶予はもう無い。

間違いなくあと2.3日で飯が食えない状況になる。

斡旋所廻りに一段落を付けて近くの広場で腰を下ろす。

 

もしかしたらと思い、普段金を入れている小さな巾着袋を逆さまにして

確認してみるとチャリンと何枚か硬貨が落ちる。

いくらだ?いくら残っている?

え~っと。・・・34G(ガル )銅貨のみか・・・。

 

ラ・シーンに陸路で辿り着いた時、すでに路銀は寂しいものだったがボロ宿でも

泊まれない事は無かった。なのですぐに職にありつけない事も憂慮して

14日分の宿代1G(ガル )銀貨を渡しておいたのだ。

俺にとっては最後のなけなしの銀貨だった。

これで14日もあれば簡単に職も見つかり、安定した生活が送れると

それはそれは甘い算段をしていたのだ。

ちなみに今現在の大陸協定に基づいた平均的な換算は

1G(ガル )金貨=1G(ガル )銀貨30

1G(ガル )銀貨=500G《ガル 》銅貨

である。

 

 

34G銅貨・・・。1日10G銅貨の飯代として後3日。後3日で飯が食えなくなる。

最悪市場で果物の皮を貰ったりしよう。それでも駄目なら。よし!草を煮て食おう。

少し前までそれ飢えを凌いでいた事もある。まぁそれは本当に最後の手段だ。

 

ラ・ハーンは1年を通して気候がほぼ一定だ。

やや陽射しが強く、突然の豪雨が突然降り、結構暑い国だ。

ラ・シーンは海洋側なので海風もあり比較的涼しく過ごしやすいが

あくまで首都に比べて多少過ごしやすい程度である。

 

ラ・シーン郊外を少し出れば、緑が豊かな原生林。

あそこで何か食える物を採ったり狩れば良い。

果物畑もあったし、少しくらい拝借しても良いかもしれない。いやいや駄目だ。

人様の育てた物を勝手に盗むなんて言語道断だ。

末席と言えども元パーフェクトウォーリアだ。

人の道を外す訳にはいかない。

道を外さない様にする為にも、午後からも職探しだ。

 

よっ!と勢いよく立ち上がり、午後からの就職活動を開始したのだ。

 

 

3時間程の間に何件の斡旋所を回っただろうか。結果はいずれも芳しくない。

 

「・・・ありがとうございました」

 

気分が重い。表情が自然と沈む。

 

平和になりつつあるこの時代、命を賭けて戦い続けて得たかけがいのない平穏。

明日自分を殺す者の事を考えなくてもいい。

明日自分が殺す者の事を考えなくてもいい。

これから徐々に飢えて命を落とす奴も少なくなるだろう。

家族がバラバラになる事も少なくなるだろう。

 

自分が終結に導いた一端であると思うと、まだ頑張れる。

平和になったこの世界で。

守りたい物もあったからだ。だから満足している。

多少、いや、かなり今直面している台所事情が悲惨であってもだ。

だから頑張ろう。俺も平和になったこの世界でまだまだ生きてみたいのだ。

 

うむ。

しかし正規職業斡旋所(メインギルド)からの仕事はほぼ全滅。

前職のパーフェクトウォーリアの経歴が足を引っ張っている気がする。

その存在を誰も知らないのだ。

戦火に身を置いていた者でも、その存在を知る者はもしかしたら少ないのかもしれない。

 

いっそ裏斡旋所(カースギルド)で仕事を調べてみようか?

この7日間でラ・シーンにも表と裏の斡旋所がある事を知った。

国から認可を受けている正規職業斡旋所に対して、非認可で多くは

非合法で危険な仕事を請け負う。それが裏斡旋所だ。

各都市に必ず1つや2つある裏の顔だ。

 

まぁ裏に頼るぐらいなら正直な話人様の畑で果物を拝借した方がよっぽど真っ当だろう。

いや、物の例えであって泥棒はいけませんよ?

この中途半端とも言える倫理観が邪魔して今ひとつ非道に走れない。

まぁ走らなくても別に自分だけが困るだけで、誰かを悲しませたりしないから

別に良いんだが。

 

 

「さてと。いつまでも落ち込んでもいられない。なけなしの金で夕食を買いにいくか」

 

ラ・シーンの大通りは貿易都市らしく非常に活気のある場所だ。

日用品区画、食料品区画、工芸品区画など、ある程度区画整理されいる。

外食が出来る場所だけは所々に点在しているのだが、比較的食料品区画に集中しているだろう。

 

『区画整理されている』その恩恵は消費者である住人、店を出す者にもあると言える。

例えば食料品区画であれば大概の食材は揃う。

その中でもより良い品を、安い予算で食材を選ぶ事が出来る。選択肢が増えるのだ。

ラ・シーン奥様達の腕の見せ所なのである。

 

店側にしても他店との違いを売りにして、あれこれ繁盛しているようだ。

変わった果物を仕入れをする店。

西海の海の幸を仕入れる鮮魚店。

あえて最初から肉を下ごしらえ済みにする事で調理の手間を省かせる様にする精肉店。

各店創意工夫で消費者達からも評判が良いらしい。

 

この区画整理をした人は誰かは知らないが実に頭の良い奴だと言うのはよくわかった。

 

目下金銭事情が芳しくない俺としては食料品区画は目の毒である。

ラ・シーン奥様達に負けない目利きで出来る限り『傷んでいる』『形が悪い』

物を選ぶ事にする。

そうすれば安く買えるのだ。調理は宿に帰ってからする。

目当ての食材は芋とパン。とりあえず腹を満たすにはうってつけなのだ。

 

「おっちゃん!出来るだけ傷んでいて形の悪い芋を頂戴!」

 

「そんなもんおいてる訳ねぇーだろーがぁ!余所に行きやがれぇ!!」

 

思い切り怒られた。鮮度を売りにしている店なのだろうか?

いや、俺が不躾に言ったからか。失敗した。

 

(ぐ~・・・)

 

「腹減ったな・・・」

 

幸いにして次に立ち寄った所で上手く交渉して形が崩れてしまった芋と

パン屋で売れ残ったカチカチに固まった廃棄寸前のパンを安く購入する事が出来た。

これで残り21G銅貨。

ひしひしと迫る無一文の恐怖。平和になったらなったで、生きることに戦争だ。

いやここまで緊迫する就活とは思ってなかったよ。

 

何にせよ本日の食事にありつけた訳である。

宿に戻って1G銅貨を払って調理をしてもらう。

 

気分はあまり良くは無いが、いつまでも落ち込んでいる訳にもいかなく

明日にわずかな期待を寄せて、次第に夕暮れに霞む煉瓦作りの町並みの中

帰路に着くのだった。

 

 

明日はどこを回ろうか?

そうだ、直接雇用が出来る仕事先の洗い出しをしよう。

等と明日の予定を考えながらぼんやりと歩いていた時にそれは起こった。



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救えた者と失った芋

宿に戻る途中、普段さほど人通りの多くない十字路で思い切り誰かがぶつかって来たのだ。

ぶつかって来た相手共々転倒してしまう。

 

チッ!油断した。なけなしの夕飯!俺の夕飯の芋とパンは無事か!?

と意識を先程購入した夕飯に向ける芋3つにパン1個。芋が見事に道端に転がっている。

ただでさえ傷んでいて形の悪い芋が、さらに小石がめり込むトッピングがされていた。

 

「あ~・・・俺の夕飯・・・はぁ・・」

 

丁寧に小石を取り除けば芋はまだ食べれるだろう。

とりあえず面前で未だ転倒している奴に向けて手を差し出す。

 

「あ~、えっと。大丈夫?」

 

そう言ってぶつかって来た奴を起こそうとするが、差し出した手を無視して自分で起き上がり

開口一番。

 

「た、助けて下さい!私っ悪い人に攫われそうになってっ!お願いします!!助けてください!!」

 

「・・・はい?どう言う事?え?人攫い?」

 

突然の事でいまいち状況が把握出来ないが、目の前で自分を助けて欲しいと懇願する少女がいる。

パッと見俺よりは年下の雰囲気だが、12~14歳くらいか?

ラ・ハーンに多いやや色黒の地肌に黒髪ではなく、透き通る白い肌によく手入れ

されているであろう、美しい金髪の少女。

 

見た目で全てを判断する事は滅多に無いが、この状況だ。

子供が助けて欲しいと言っているんだ。助けない訳もいかないだろう。

いやあまり関わり合いにならない方が良いのかもしれないが、この中途半端な倫理観を持つ俺は

目の前の少女を助けてあげて、さっさと宿で芋を頬張りたいのだ。

 

それに人攫いの類は、攫われた者は大抵は悲惨な最後になる。

非合法にて非人道。人そのものが商品である『奴隷』だからだ。

労働力にされる者、貴族等の上位身分達の慰み物にされる者。用途は様々だ。

決して多くは無いが、現実に存在する反吐が出るこの世界の暗部だ。

 

この少女がそう言う類にされるのかどうかも俺にはわからないし、助ける行動自体が正解なのか

不正解なのかもわからないが、助ける助けないで言えば助けるに決まっている。

 

「事情はわからないけど、俺は君を助ければ良いんだな?」

 

「・・!!いいのですか!?見ず知らずの私に関わればあなたにも危険が来る可能性が高いのに!」

 

「いや、見ず知らずの俺に救いを求めている時点で君も充分に危険な賭けだよ」

 

「そ、それはそうですが・・・」

 

少女が言い終わる前に、建物の影からすっと男が数人現れた。ざっと見て3人か。

3人共に頭から顔が見えないようにご丁寧にフードを被ってお揃いの服装だ。

ふん。身元が割れないように対策もしているのか。

 

「小僧・・・その娘をこちらへ渡せ・・・」

 

顔の見えない男の一人が俺に向かって続けて抑揚のない言葉を投げてくる。

 

「お前には関係ない事だ。無事に帰りたいのならこれ以上関わるな・・」

 

無事に帰りたいなら。関われば命の保証はしないと明確に忠告してくれている。

脅しでも何でもないんだろう。その気になれば俺を殺してでも娘は連れて行く。

それだけの明確な殺意がじんわりと滲み出ている。

ただ、それは俺にとってはあまり意味が無く、感覚が以前の様に鋭利に研ぎ澄まされていくだけだ。

 

「悪いけど、おたくらとこの子を見てどっちが加害者で被害者かは誰でもすぐにわかる」

 

そう言うと話しかけてきた男の傍で様子を見ていた2人の男がすっと構える。

1人には短刀が握られている。

 

「もう一度だけ言う。・・・その娘を渡せ」

 

俺の背中に隠れている少女の方をちらっと見る。不安そうな表情で怯えている。

はぁ~~・・・こんな顔されたら、なんとかしてあげたくなるだろう。

少し離れていて。少女にそう言うと、頭をワシャワシャと掻いて男達に向き合い言い放った。

 

「無理」

 

と言った瞬間、人攫いだろう男3人は襲いかかって来た。

 

 

まず狙うのは先程まで話かけていた正面の男。一気に間合いを詰める。

くっ!と言いながらも構え、的確に俺に向かって拳を放つ。

前に打って出たのが意外だったのか他2人もほんの少しだが初動が遅れている。

前に出ないといけなかったのはすぐ後ろにいてる少女が俺の背中からあまり離れてくれなかったからだ。

 

正面の男が振り抜いた拳を出来るだけ最小の動きで躱す。躱してなお間合いを詰める。

拳から腕へ、懐へ詰めた時、右手で思い切り腹を打ち抜く!

 

「がぁっ・・!!」

 

男はそう声を漏らし、その場で崩れ落ちた。

休む間も無く、右側の男が短刀を逆手に持ち替えて、俺に向けて振り下ろそうとしている。

振り下ろされる短刀の軌道は一線上。しっかりと目で捉えていなす。

態勢を崩された男はそれでもなんとか態勢を保とうとし、踏ん張る。

振り向きざまに短刀を一文字に放つ。薄暗くなりつつある夕暮れの隙間から、短刀が鈍く輝いていた。

 

感覚が久しぶりに研ぎ澄まされる。

命を懸ける戦い。

思い出す記憶。

 

男が振り抜いた短刀は俺にかする事はなかった。

大きく出来た隙を見逃さず左膝をグッと落とし、直様一気に伸ばし勢いを付けて

左足で地面を蹴り上げ、右足で男の腹を打ち抜く!

さながら投擲される槍の様に。

ドスっと言う鈍い音と共に吹っ飛ぶ短刀の男。

気絶したのか動かない。いや動けない様にしたのだ、動かないで欲しい。

 

「いやっ!離してっ・・!」

 

残りの男は!っと思った時にその声は聞こえた。

男が少女の手を捕まえ連れ出そうとしていた。

もしかしたら予め役割を決めていたのかもしれない。必ず1人は少女を捕獲すると。

抵抗はしているだろうが男と少女との力の差は歴然だ。男が何か唱えている。

魔術師!?転移魔法の類か?だとしたらいけない。

男2人に時間をかけ過ぎたか。

 

ヒュっ!!

 

っと風切り音が少女には聞こえた。

その瞬間、何かが砕け、自分の手を掴んで攫おうとしていた男が一言叫んで目の前で沈んだのだ。

私は事態を把握出来ないでいた。

あの青年を見る。

とても悲しそうな目をしていた。

思わず吸い込まれそうになる位に、夕暮れに浮かぶ力強く光る瞳はとても悲しく見えました。

 

 

 

この都市にこんな静かな場所があったのでしょうか。

ここにいるのは得体のしれない男3人。

私を救ってくれた青年と、助けられた私だけ。

 

夕暮れが迫る。

私の脅威はとりあえず去り、青年をもう一度見て初めて安堵の溜息を吐いたのでした。

 



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救われた私と悲しみの真実

私の名前はマリーベル・フェイメール・リングベル。14歳。

ベイオール大陸西側に位置する魔術王都「ゼオングラーダ」の生徒です。

 

数日前より南部貿易国家ラ・ハーンへと公務の為赴き、ラ・ハーンでの公務を済ませ

貿易都市ラ・シーンに戻って参りました。

西の海洋都市から海路で7日かけて、南部ラ・ハーン領へ。

そして貿易都市ラ・シーンに寄港した後、陸路で王都ラ・ハーンへ入城して用を済ませ

その帰りにラ・シーンで今回の騒動が起こった訳です。

 

だってずっと公務ばかりで飽きてしまいましたし、せっかくラ・シーンへ戻って

来たのですからゼオングラーダへ戻る前に都市ラ・シーンを散策したかったのですもの。

護衛の目を盗んでほんの小一時間だけと決めて今日1日滞在する館から抜け出して

改めて目に映る街並みに胸を躍らせていました。

童話に出てくるこっそりお城を抜け出すお転婆な姫君の気分になったのかしら。

心躍る高揚感は進む足を軽やかにしてくれる。

 

キョロキョロと周りの風景を楽しみながらどれほど歩いたのか

気付けば人の往来が少ない場所に足を踏み入れたようでした。

一瞬薄気味悪い感覚が体を走り、背筋が寒くなる。

 

気のせいね。と今起きた不安を一蹴しようと歩き出したその時

建物の影からフードを深く被り、顔が見えない怪しい男が3人現れ

何も言わず突然私に襲いかかって来る。

 

直感的に思う。

 

(アレに捕まってはダメ!逃げないと、全力で逃げないと!!)

 

直様踵を返し私はその場から駆け出していた。

無我夢中で何度も路地をでたらめに曲がり、走る。

出来るだけ人が多そうな場所を目指して走る。

しかしどれだけ走っても、自分の足音ではない複数の足音が後方から確かに聞こえてくる。

 

(すぐ後ろに迫る足音が聞こえる!ダメ!もっと逃げないと・・!)

 

捕まれば私は終わる。

そんな嫌な予感はきっと現実になる。

どれだけ走ったのだろう、息も絶え絶えだ。

しかも土地勘のある場所ではない。

私は人の多い所を目指していたつもりだったのに、知らない内に人の往来が

あまり無さそうな路地に迷い込んだようだ。

 

絶望的な感情の中、何度目かになるだろう知らない街の路地を全力で駆けた時に

私の運命は絶望から希望へと変わった。

 

「あ~、えっと。大丈夫?」

 

私の置かれた状況とは、かけ離れた間の抜けた声でそう言った。

あの男達は私が見ている夢ではないの?

そう思えるくらいに今の私の状況とはかけ離れた呑気な言葉だった。

 

しかし今来た道からはっきりと聞こえて来る足音に

それは夢ではなく現実だと無情にも理解させられる。

もう後がない。

私も走り続けて息を切らし、これ以上逃げ続ける事は難しい。

 

私の不注意で出会い頭に転倒させてしまった、間の抜けた声の青年に最後を賭けてみた。

これで青年が無関心を通したり、逃げてしまったら私はもう終わり。

また青年仮に助力してくれても、万が一命を落とす事になってしまってら結局は捕まり

私はどこかへ連れていかされる。

本当に最後の賭けであり、一類の希であった。

 

「た、助けて下さい!私っ悪い人に攫われそうになってっ!お願いします!!助けてください!!」

 

「・・・はい?どう言う事?え?人攫い?」

 

青年に私は心から懇願した。

 

(お願いします!私を助けて下さい!)

 

例えば10人に同じ事を言えば10人が怪訝な顔をするだろう。

そして関わり合いにならないように去って行くだろう。

無情かもしれないけど、それは仕方のない事だと理解出来る。

突然出会い頭にぶつかって来た者に助けを求められる状況なんて日常では

ありえないからだ。

だからきっと断られる。そして無関係を通して去って行くのだ。

しかし私の耳に聞こえた言葉は意外なものだった。

 

「事情はわからないけど、俺は君を助ければ良いんだな?」

 

青年は私の事情も知らず聞かず、自分が危険な目に合うかも知れないのにそう言った。

どれほど嬉しかった事か。そしてどれほど心強かった事か。

私の絶望的な状況の中、自分の状況も把握していないのに助けると言って

手を差し伸べてくれた青年。

 

直後に迫る男達。

不気味な声で私を引き渡せと言っている。

恐怖で足が震える。

 

青年にすれば道に迷ったから案内をすれば良い程度の認識だったのかもしれない。

まさか不気味な格好の男達から追われているなんて思わなかっただろう。

 

「もう一度だけ言う。その娘を渡せ!」

 

フードの男の容赦ない言葉。

青年の背に隠れても聞こえる恐ろしい声。

きっと青年は危険な目に合う。

自分のせいで名も知らない人が傷いてしまう。私は馬鹿だ。

何故この人を頼ってしまったのだろう。

何故この人に賭けてしまったのだろう。

何故この人だったのだろう・・・。

 

青年が少しだけ振り向き、私の顔を見た。

私はどんな表情をしていたのだろうか。

恐怖だろうか。後悔だろうか。

 

青年の表情は見えなかった。

私が俯いていたから。

 

瞼をギュッと閉じた。

そしてこの後、閉じた闇の中から聞こえて来た言葉に私は震えたのでした。

 

「無理」

 

自身に怪我を負ってしまうかもしれない。

いや怪我どころか命すら危険かもしれない。

それを承知で言ってくれたのです。

 

「少し離れて」と青年が言うと同時に青年が男達へと駆け出しあっという間に

1人を倒した。

 

(凄い・・・!)

 

彼は戦い慣れているのか、無駄のない動きで男達を翻弄する。

しかも左手には買い物帰りだったのだろうか。

買い物袋を持ったままで。

目の前で起こっている不思議な光景に思わず見惚れてしまう。

それがいけなかった。

 

惚けていた私を見逃すはずもなく、男の1人の接近を許してしまった。

彼が離れていろと言ったにも関わらず、私は自分が何をすべきだったのか忘れていたのだ。

気づいた時にはもう眼前に男が迫り、有無を言わさず私の腕を掴んで連れて行こうとした。

 

「汝の求めし贄をもて・・・」

 

男が何かの魔術の詠唱を始める。

男が詠唱すると同時に淡い光が男と私を包み込もうとしていた。

直感的にこれは危険だと、私の本能が叫ぶ。

 

「いやっ!離してっ・・!」

 

出来る限りの抵抗を試みたが、恐怖で魔術を使用するどころか

かすれた声で抵抗するのがやっとだった。

 

ヒュッ・・!!

 

何かの風切り音。確かに聞こえた。

その直後、男の顔面で何かが爆発した様に飛散し、男は一言声を漏らしてその場で崩れた。

彼が何かしたのだろうか?

いや、彼がしたのだ。

私を助ける為に何かしてくれたのだ!

現に男は倒れて身動き一つしていない。

すぐに男の傍を離れなければいけないのに、私は彼を見続けていた。

 

なんて悲しい瞳をしているのだろう。

夕暮れに染まりつつある街並みの中

吸い込まれそうになる彼の悲しい瞳を逸らす事が出来ない。

お礼を言わなければ、彼は私を救ってくれたのだ。

私の絶望を希望へと変えてくれた救世主なのだ。

 

「あ、あの!」

 

私がお礼を述べる前に、彼は一言ポツリと言った。

 

「俺のなけなしの・・・芋・・・」

 

 



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質素な食事に添えられた華の名前

「俺のなけなしの・・・芋・・・」

 

「芋・・・ですか?」

 

少女が不思議そうに俺に問いかけてくる。

思った事をそのまま口に出してしまった様だ。

我ながら近々困窮するであろう胃袋事情が恨めしい。

 

「あ~、いや、なんでもない。気にしないでくれ」

 

適当に誤魔化す。

今はそれよりも、この子が怪我を負っていないかの確認をする事が先だ。

一目見た感じでは服装が乱れている程度の様に見える。

先程までこの男達から必死に逃げて来たのだろう。

上品そうな白い羽織りものの裾が少し汚れている。

 

「君、大丈夫かい?どこか怪我とかしてない?」

 

「わ、私は大丈夫です!どこも怪我はしておりません!」

 

そっか。怪我はしてないみたいだな。

本当に良かった。少し声がうわずっているけど

少女の口から大丈夫だと確認が出来て、胸を撫で下ろす。

 

「・・あの!あなた様こそ、どこかお怪我はされませんでしたか!?」

 

少女が俺の心配をしてくれた。

自分が一番怖かっただろうに、俺の心配をしてくれるなんて優しい子だな。

そんな子に心配をかけさせない様に、優しい口調で返す。

 

「心配してくれてありがとう。でも大丈夫!」

 

と右腕を内側に曲げてグッと筋肉が出る様にアピールをする。

 

「ほらね?」

おどけた格好が可笑しかったのか、少女の顔に初めて笑みがこぼれた。

ははっ。少しは元気を出してくれたかな?

上品に笑う少女の表情に、俺も安心したのか、つられて顔が緩む。

 

しかし少女との緩やかな時間は惜しいが、先にすべき事がある。

まずはこいつらの処分だな。

このまま放って置いたら、また問題が起きかねないし、この子がまた危険な

目に合うかもしれない。

 

とりあえず確認してもらうか。怖い思いをさせるかも知れないけど。

 

「ちょっといいかな。ねぇ君、この男達に見覚えはある?」

 

そう言って最後に倒した男に近づき、男のフードを捲り上げる。

少女は一瞬、萎縮する様に身を強ばらせたが、しっかりと男の顔を確認した。

自分の記憶に合致する人間なのかどうか。

少女は唇に右手を添えて考え込んでいる。

 

該当しなかったのだろう。

小さくふるふると左右に首を振り、自分の知らない人間だと意思表示する。

表情は当然だが優れない。

 

「そっか・・・。じゃあ残りの男達も知らない奴だろうな。どのみちこのまま

放っておくのも危険だから、こいつら縛っておくから少しだけ待っててくれるかい?」

 

このまま放置して、この子を安全な場所まで送り届けても、人通りが少ないとは言え

街の往来で刃物を持ち出す物騒な連中を放ってはおけないし

かと言ってこの子を1人で帰らせるにしても、襲って来た連中が3人だけとは

限らない為、1人で帰らせるのはもっと危険だろう。

 

正解か不正解かはわからないが。とりあえず・・・。

 

「裸にひん剥いてこいつらの衣服で縛るから、君は少し目を逸らしてくれるかな?

年頃の君には目の毒だから」

 

と上品そうな少女にきちんと配慮をしながら、現状の最善策であろう

『ひん剥いて縛る』を実行する。

 

「え・・?きゃっ・・!?」

 

と少女は声を出して、バツの悪そうに視線を逸らしてくれた。

悪いね。大人しく気絶してくれてる間に処理しないと、いつまた目が覚めて暴れ出す

か知れたもんじゃないからな。

 

手前の男からさっさと身ぐるみを剥いで両腕を後ろに回し、手首を交差させた上で

右手首内側を背中にして、右手首外側に左手首外側を押し付けて縛る。

両手の指が触れて簡単に解いたり出来ない様にしっかりと、男の上着で念入りに縛り上げる。

続いて革靴を脱がして、綿で出来た脚衣も脱がし、両腕同様に両足を交差させて

念入りに縛り上げる!

 

最後に男のフードを引き千切り、猿轡の様にして口に噛ませれば終了だ。

こいつは特に念入りに縛り上げておく。

倒す直前に、呪文詠唱らしき行動を執っていたしな。

口元を留守にして、魔術か何かで動ける様にでもなれば厄介だ。

 

妖魔戦争の時なら有無を言わさず口ごと潰せば済んでいた事も、今は戦時中ではない。

束の間かも知れないが、平和になりつつある世界で血腥い(ちなまぐさ)事は

したくない。

それに、こんな子の前では見せられないよな。

自分の傍で所在無さげに視線を逸らしている少女の事を思った。

 

しかし!不届き者その一よ。お前は特に念入りに縛っておくからな。

お前は俺の大切な物を、俺の手自ら失わせた張本人だからな!!

 

「・・っよし、終わりだ!次!」

 

不届き者その一への緊縛を終わらせ、最初に倒した男達(不届き者その二、その三)

へと足を運び、同じ処理を施す。

まぁこれで目が覚めてもしばらくは身動きが執りづらいだろう。

 

「終わったよ、またせたね」

 

今までずっと視線を逸らしてくれていた少女に向かって声をかけた。

少女が振り向き、安堵の表情で近づいて来る。

 

「・・・もう、大丈夫でしょうか・・?」

 

「ん~、当面は悪さが出来ない様にしっかり縛り上げておいたよ。通行人に見つかれば

街の治安憲兵(ガードナーズ)達に通報されるだろうし、これでいいんじゃない?」

 

「そ、そうですか」

 

縛り上げている最中に少し見えてしまったのかもしれない。

少女の頬は少しだけ朱く染まっている様に見えた。

 

「それじゃあ、乗りかかった船だ。君を安全な場所まで送り届けるよ。

家はどこ?」

 

宿に帰って残った芋とパンをすぐにでも頬張りたいが、そうもいかない。

まずはこの子を無事に届けてから、何の憂慮もなく食事にありつきたいのだ。

 

「あのっ、私この街の住人ではないのです。王都ラ・ハーンで用事を済ませた後

この街に立ち寄ったのですが、私の不注意で悪漢に襲われそうになってしまって・・・。

今歩いている場所からはかなり離れていますが、私がお世話になっている館が

丘上にあります。その近くまでで結構ですので・・・」

 

少女はそう言って声を少し落とした。

まぁ誰だってあんな事が突然起これば、気分は落ち込む。

その世話になっている館に着いて、知り合いや家族の顔を見て初めて安心するだろう。

成り行きで助けたとは言え、見ず知らずの男と歩いているんだ。

やはりどこか不安なのかもしれない。

俺は所在無さげな右手でポリポリと、頭を掻く。

 

少女と横に並びながら、2人でラ・シーンの夕暮れを歩いて行く。

 

「綺麗・・・」

 

少女が呟く。

緋色に染まる夕日が目の前にあった。たしかに綺麗だ。

恋人がいれば2人でこんな夕日の中をただ歩き続けるだけでも楽しいだろう。

恋人どころか、自分の明日の食事すらままならない現状に内心呆れながら俺も呟く。

 

「本当に・・・」

 

その後なんとなく声を掛け辛い雰囲気になり、無言で歩き続けた。

しばらくして、丘上を目指して歩き続けると一際大きな館が見えてきた。

あの館だろうか?

 

「あの館かな?」

 

「はい!あの館です!」

 

間違いないようだ。

もう目と鼻の先だ。後はこの子1人でも帰れるだろう。

俺の役目もこれで終わりだな。

今日はちょっとばかし以前の感覚を思い出してしまった。

寝る前に目が冴えてしまいそうだ。

 

「それじゃあ、俺はここまで。君はどこかのお嬢様みたいだから以後は

不用意に外に出たりしないようにね。お付きの人とかもいるんだったら一緒

に行動する事。いいね?」

 

今後の事も考えて、少し諌めるように少女に話す。

 

「じゃあね」

 

そう言い残し、辿って来た道を戻ろうとした時に少女に袖を掴まれた。

 

「え~っと・・どうしたの?」

 

「わた、わ、私の名は!マリーベルですっ!マリーベル・フェイメール・リングベル!!

あなた様は私の命の恩人です!このご恩は返しても返しきれない大恩です!

私はどうすれば良いのでしょうか・・!帰り道、ずっと考えておりました。

あなた様に何か恩返しをさせて頂きたいのに何も思いつかない・・!何か!

何か欲しい物はありますか!?必ずやあなた様にお渡し致します!」

 

矢継ぎ早に出てくる言葉に驚きを隠せない。

ずっと落ち込んでいたと思っていたけど、どうやら俺に恩返しの方法を考えていたのか。

それよりも、この子こんなによく話す子だったのか。

顔を真っ赤にさせながらもマリーベルと名乗った少女は、自分の素直な思いをぶつけてくる。

義理堅いと言うかなんと言うか。古風?

 

「え~っと、気持ちは有難い。有難いんだけど、別にそう言うのはいいから、ね?」

やんわりとお断りをさせてもらう。

 

しかし

 

「な、何を仰言いますかっ!私の命の恩人をこのまま帰らせてしまっては乙女の恥です!

あなた様は私に恥をかけと仰るのですか!!マリーベルは恩返しも出来ない子。と世間の

方々は私を一生笑い者にするでしょう・・う・・グスっ・・・うぇぇぇん」

 

こ、ここまで来て恩返しする、しないで泣きやがった!

男3人に襲われも泣きもしなかったのに!?

どう言う性格してるんだ、このお嬢さんは!?

と、とにかく落ち着かせて話をしなければ、埒が明かない。

俺は観念した。

 

「わかった、わかったからマリーベルお嬢さん。恩返しは受けるから、頼むから泣かないで

くれ。女子供が泣いている姿を見るのは苦手だ」

 

ぐすぐすと泣いていたマリーベルの顔が晴れてくる。

おい、嘘泣きじゃないだろうな?

 

「で、ではあなた様の大恩に報いるには、私は何をすればよろしいですか!?なんなりと

お申し付けください!」

 

泣いた顔がどこへやら。嬉しそうな顔で聞いてくれる。

これだから女って怖い。

 

「ん~・・そうだな・・。恩返しねぇ・・。あっ!それじゃあ腹っぱい飯を食わせて

貰っても良い?俺さ、少し前にこの街に仕事探しに来たんだけど、まだ決まらなくてさ

毎日節約してそれはそれは質素な食事なんだよ。いや、それが嫌ではないんだけれど、

たまには肉も食べたいな~なんて思ってさ。それでどう?」

 

今思いついた俺の願望は食事だ。

それも肉をしっかり食える食事。あと柔らかいパンも久しぶりに食べたいな~。

等と考えていると、マリーベルのもの凄く不満そうな顔が見えた。

 

「・・・食事だけですか・・?本当に食事だけでよろしいのですか?」

「あぁ、今の俺にはそれで充分。この上ないご褒美だよ。だからマリーベルお嬢さん

君の気持ちは嬉しいけど、あまり背負わないでくれ」

 

マリーベルがしょぼんとする。この子は喜怒哀楽の表情が素直だな。

一生懸命に自分が出来る事をしようとしてくれている。

ふふっ、やっぱり優しい子だな。

 

「・・・・・・わかりました。それでは明日にあなた様のお泊りになっている宿で

よろしいでしょうか?そこに夕刻に使いの者を、お迎に参らせますので是非とも

館までお越し下さいませ。当館の料理人が腕によりをかけてお待ちしております!」

 

「あぁ、楽しみにしてるよ。マリーベルお嬢さん。宿は今伝えた場所だから。

それじゃあ今日のところは帰るわ。お嬢さんもこのまま真っ直ぐ帰って

家族かお付きの人に精々怒られてこい。今度こそ、じゃあな」

 

そう言って辿って来た道を戻り始めた。

なんだか今日は慌ただしかったな。昼過ぎまではいつもの就活だったのに。

さっさと宿に戻って小石がトッピングされた芋を丁寧に処理して、宿の

女将さんに調理してもらおう。廃棄寸前の硬いパンと一緒に食事だ。

 

「あのっ・・!!最後に!!」

 

マリーベルが背中越しに俺に大きな声で問いかける。

 

「あなた様のお名前は!!」

 

あれ?俺言ってなかったのか。すっかり忘れてたわ。

 

「ディオニュース・カルヴァドス。くたびれた芋と廃棄寸前のパンをここ最近

愛してやまない男の名前だ」

 

振り向きもせずに今日の献立を言いながら去っていく。

右手を上げて今日の別れを伝える。

 

 

マリーベルか・・。

本日も質素な夕食だが、今日は少し華が添えられた夕食になりそうだ。



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変わった物を愛する人の名前

辺りがどんどん暗くなる。

もうすぐ夕日が沈み月が昇るのだろう。

私は振り返りもせず手を振り去って行く彼の背中をずっと見ていた。

彼の名前は『ディオニュース・カルヴァドス』

綺麗な黒髪の色に、吸い込まれそうになる悲しいげな黒い瞳。

絵本物語に出てくる騎士の様な強さ。

 

本当に今日の出来事は現実だったのだろうか?

あまりにも色々起こり過ぎて、逆に現実感がない。

しかし夕日が沈むと共に、黒いシルエットになるその背中は紛れもなく

ディオニュース様の背中だ。

 

顔が紅潮するのがわかる。

胸が高鳴り、今はまだ形容し難い気持ちが沸き起っているが

それは今、まだわからなくても良い事なんだろう。

 

あの方は私を悪漢達から救ってくれた後、私の身を案じて館まで送り届けてくれた。

私としてはその後、館にお越し下さるものばかりと思っていたのに

本当にあっさりと帰ろうとする。

ばあや達に事の顛末を一緒にお話したかったのに。

 

 

今まで知り合い、見てきた方々は、私達に何か頼まれれば嫌な顔せず

なんでもし、結果を出してくれた。

出した結果に対して私達はお礼や褒美を差し上げる事が当然であったし、慈善活動では

ないのだから、見返りを直接的に言わなくても、求めている事ぐらいはわかる。

『何かをして貰ったから。何かを与える』

私の常識はあの方によって見事に打ち砕かれた。

 

「じゃあね」

 

なんてあっさりとした別れの言葉か。

そして踵を返し今来た道を戻ろうとする。

 

(待って!待って下さい!)

 

そう思った時にはあの方の袖を握っていた。

 

何の見返りも求めない。ねだらない。催促もしない。

今までになかった反応に、私の思考は一気に混乱した。

とにかく捲し立てた。

思いつく言葉を思いついただけ話した。

 

(あぁ、どうしましょう・・私は今どういう風に見られているのでしょうか)

 

それでもあの方は、私からのお礼を困ったようにお断りをする。

 

(何か、何かこの方を引き留める方法は・・!そうだ!)

 

私は咄嗟にお姉様達から以前教わった、女性だけが使う事が出来ると言われる

『ナキオトシ』と言う技を思い出し、初めて使う事にした。

 

・・・効果は抜群だった。

 

お姉様達もこの『ナキオトシ』と言う技を使った事があるのだろうか?

聞きしに勝る効果だった。

嘘泣きがばれる前に、なんとかこの方への感謝の気持ちを形で伝えようと

私がどれほど本気なのか知ってもらおうとする。

 

観念して下さったのだろうか、少し困った表情で受け入れて下さった。

私に出来る事なら何でもしようと思う。金貨?名剣?それともお召し物でしょうか?

しかし予想に反して帰ってきた言葉は、驚く程意外なものだった。

 

「腹っぱい飯を食わせて貰っても良い?」

 

(え?えっ?それだけ?)

 

お食事をご一緒出来る事は素直に嬉しいのですが

何か形ある物をお渡ししたかったのに。

この方は無欲と言うか、無邪気と言うか私の今までの

常識では通用しない方だと思った。

釈然としない私の様子を見かねてなのか、優しく諭してくれた。

 

「あまり背負わないでくれ」

 

ハッとした。身体に衝撃が走るかのようだった。

この方は今、私を気遣って(・・・)くれたのだ。

 

私はこの方に受けたご恩を返す事ばかりで、自分の事しか考えていなかった。

これではまるで我が儘を言うだけの、聞き分けのない子供の様だ。

『絶対にご恩を何かで返す。絶対にお礼をさせて頂く』

それ自体が悪い事ではなく、当然の行いでしょう。しかし私は気遣われた。

「あまり背負わないでくれ」と。

 

この場においても、誰かを、私を気遣うお方・・・。

 

(あ~っもうっ!私はなんて自分本位の子供なのでしょうか!自分が嫌になります!)

 

それを理解してしまった時、私はもうこの南部海で身を清めたくなる程に恥ずかしく

落ち込んでしまった。

 

(でも!しかし!せっかく、自ら仰って頂いたご提案です。後悔と反省は後でします。

必ずや今出来る最高のおもてなしをご用意させて頂きます!)

 

この方の、ご提案を受け入れ、早速日取りを決める。

明後日には私はここを離れてしまう。早いほうが良い。

 

(そうですわ、明日にしましょう!明日の夕食をご一緒して

是非とも堪能して頂きましょう)

 

先程、教えて頂いたご宿泊先もこの後、使いの者に調べてもらいましょう。

明日の会食が待ちきれない。

 

「お嬢さんもこのまま真っ直ぐ帰って、家族かお付きの人に精々怒られてこい」

 

この方は私の軽率な行動を嗜めて下さった。

家族や身の回りの者達に心配をかけさせた事を。

 

「今度こそ、じゃあな」

 

そう言って再び私の前から去ろうとする。

今度はもう袖を掴んで止めたりはしない。

明日にまたお会い出来るのだ。

何をお話しよう。何をお聞きしよう。

喜んで頂けるかどうかの不安もある。

でも私は出来る限り、今日と言う日に起こった事に報いたい。

あの方の背中を見つめながら、ふと気づいた。

 

(・・あっ!!)

 

私はまだあの方のお名前を、お聞きしていなかった事を。

なんと言う事か。

私が一気に話し続けたから、自己紹介をする時を失わせてしまったのかもしれない。

慌ててあの方に向かってお聞きする。

 

「あのっ・・!!最後に!!・・・あなた様のお名前は!!」

 

私は大きな声を出して訊いた。

普段では、滅多に出したりしないくらいの、大きな声で。

 

「ディオニュース・カルヴァドス。くたびれた芋と廃棄寸前のパンをここ最近

愛してやまない男の名前だ」

 

そう言って、『ディオニュース・カルヴァドス』様はこちらを振り返らず手を振りながら

夕日に吸い込まれる様に去って行く。

 

「ディオニュース様・・・」

 

私の言葉は誰にも聞こえていないだろう。

すぐ後ろから、慌ただしく駆けつけてくる足音が聞こえる。

きっといなくなった私に気づいた館の者達だろう。

あの方に言われた通りこの後、ばあや達にしっかり怒られよう。

そして反省しよう。

 

そして今日と言う日を大切にしよう。

 

マリーベル・フェイメール・リングベルの世界の中で

きっと何かが変わった日の事を。



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人の振り見て我が振り直せ

一夜明けた今日の朝。

思った通り、俺はあまり深い睡眠を取る事が出来ないでいた。

今世話になっている宿屋でベッドから起きずにずっと天井を見つめ

昨日の事を思い出していた。

 

出会い頭に突然、強烈な勢いでぶつかり、出会った少女。

その少女から突然助けを求められ、状況がよく飲み込めていなかったが

無下に断る事も出来ずに、手を貸した。

 

少女の名前は確か『マリーベル』

俺よりは、見た目からして歳下だとは思う。

よく手入れされているであろう、綺麗な髪に上品そうな衣服を纏った少女。

良い所の出身のお嬢様なんだろう。別段怪しむ事もなくそう思った。

 

彼女に危害を加えようとしていた連中を上手く片付けて、彼女が世話に

なっている場所へと一緒になって送り届けた。

 

丘上にある館が、今彼女が世話になっている館らしい。

近づくにつれてその館の輪郭がはっきりと見えてくる。

(結構でかい館だな。この子本当に貴族かどっかのお嬢様か)

そんな事をぼんやりと考えていた。

 

(ここまで送り届ければ、もう大丈夫だろう、今立ち止まっている場所と

館は目と鼻の先だ)

 

ほんの少しだけ彼女を諌めて、すぐに帰るつもりだったのだが・・・・・。

 

蓋を開けて見れば、今日の夕刻の食事をご馳走して貰える事になっていた。

 

「泣くのは反則だよなぁ」

 

両腕を組んで枕代わりにしながら呟く。

あの時の俺は別に謝辞を貰っただけで充分だったし、彼女に見返りを求めて

行動した訳でもない。

 

単純に『放おっておけなかった』のだ。

結果だけを抜粋すれば、助けた事で今日の食事にありつける事になったのだが

まぁ、せっかくのご好意だ。

しっかりと、遠慮なく腹いっぱいにご馳走であろう食事を頬張ろう。

 

よっし!

 

と言って反動をつけながらベッドから起き上がる。

顔を軽く両手で叩いて目を覚めさせる。

宿の下にある井戸で顔と歯を磨いて、今日も職探しだ!

昨日の晩に食べた芋とパンは既に俺の胃の中だ。

朝飯を抜いて、今日の夜に備える。

 

(ふっ、この空腹が後の幸福に変わるんだ。ならば空腹もまた最高の

|調味料(スパイス)の1つと言えるだろう!)

 

着替えをしながら思いついたままに歌う。

 

「仕事、仕事~♪俺の仕事はどこにある~♪ここにある~?」

 

・・・

 

「行くか・・・」

 

準備を済ませ、今日も正規職業斡旋所(メインジョブギルド)『猫の手』に向かう。

今日も良い天気だな。

容赦なく降り注ぐ日差しが、俺の肌をこんがりと焼こうとする。

こんな表現が頭をよぎるのも、空腹の為である。仕方ないだろう?

 

空腹ではあるが足取りはそれ程重くはない。

重くなる時はむしろ

 

「ごめんねぇ、今日も紹介出来そうな仕事も依頼(オファー)も無いよ」

 

とフトゥに言われて帰る時だ。

はぁ・・。

思い出すと気のせいでもなく、足が重くなるな。

 

初日にへこまされ、日を改めて二度目の「猫の手」へ向かった時に

依頼制(オファー)の話を聞いた。初日にフトゥが最後に何か説明しよう

としてくれていたのが、この事なんだとその日判明した。

あの時の俺を気の毒に思っていてくれたフトゥは、毎日数百人単位で

人が訪れる『猫の手』で俺の事を覚えていてくれたらしい。

すっごい可哀想な目で見られていたもんな・・・。

そんな数日前の事を払拭し、再び軽やかな足取りで『猫の手』を目指す。

 

(今日はそう言われませんように!何か新しい仕事が更新されてますように!)

 

小さな鞄を肩から背負い、歩きながら祈る。

就活遠征8日目。手持ちの金は20G銅貨のみ。

倒れる時は前のめりに倒れよう。

馬鹿馬鹿しいが、その方が俺らしい。

 

宿を出てから、そろそろ到着してもよい時間になる。もうすぐ見えて来るな。

街も8日目となると色々と裏道を見つけたり、近道を覚えたりする。

最初の4日程はもっと時間がかかったもんだ。

二日目の別の斡旋所なんて行きも帰りも道に迷ったしな・・。

あれに比べれば俺も地元の人達程ではないにしろ、ラ・シーンに馴染んできた

んじゃないか?

 

徐々に人通りの賑やかさが増してくる。

舗装された大きな石畳の道には馬車も余裕で通れる広さだ。

 

「今日も右も左も盛況だなっと!」

 

すれ違いざまに人にぶつかりそうになるのを、ひょいっと避けてみせる。

今日も職を求める者達と、人手を求める依頼主(もしくはその使い)達とが

ごった返す、正規職業斡旋所(メインジョブギルド)『猫の手』に到着だ。

中に入ると今日も大盛況だ。

 

「こちらの登録用紙にご自身のお名前、経歴を正確にご記入下さい」

 

「すまねぇ、急に人手が入用になっちまった。腕っ節が強い奴2人と

頭の良い奴1人か2人程紹介して貰えねぇか」

 

「本当ですか、私に依頼が来たの!?やったぁ~!」

 

初めて登録に来た奴に、人手が足らなくて依頼をかけに来た奴。

別の窓口で喜んでいる女性には依頼があったのだろう。

それこそ千差万別の内容だな。

 

まぁ二言愚痴を言わせてもらうなら、ここに腕っ節にある程度自信のある

俺が居てますよ~・・・。

後、依頼が来たからってそんなに喜んじゃってさ。恥ずかしくないのかね?

俺よりも年上のお姉さんに見えるけど。

ま、まぁ可愛い顔してるから別に・・いや、顔とかそういう問題ではないけどさ!

 

横目でそんな事を思いながらフトゥら斡旋員の窓口まで足を運び

表面に数字が書かれた木製の番号札がある。

それを係りのお姉さんから受け取る。

 

 

「はい、どうぞ」

 

ニコっと笑う笑顔に釣られて頬が緩む。

 

「あ、ありがとうございます」

 

最近ここに来ては同じ様に番号札を貰っているのに、何故か頬が緩み、少しだけ

気恥ずかしくなるのだ。

大人の女性特有の『色気』と言うアレだろうか?

俺の番号は・・・78番か。

結構遅めに来たし、こんなもんだろうな。

複数の窓口から次々と番号が呼ばれ、札を持った男女がひっきりなしに入れ替わる。

自分の番号が呼ばれるまでは、ひたすら待機だ。

しばらく待機していたら順調に番号が進んで行く。

 

「70番さ~んこちらの窓口へどうぞ~」

 

意外に早く70番代まで進んだな。

この分だともう少し待てば、俺の順番まで然程時間もかからず

78番が呼ばれるだろう。

 

「74番さん~どうぞ~」

「75番さん~こちらへ~」

「76番さん~お待たせしました~」

「77番さん~どうぞこちらへ~」

「ディオ君~お待たせ~どうぞ~」

 

フトゥが手招きしながら良い笑顔でそう呼んだ。

 

「ちょっと待て!なんで俺だけ名指しっすか!?」

 

周りの人達一斉に俺を見てるよ。めっちゃくちゃ恥ずかしいわ。

 

「いや、番号札を配っている彼女に聞いてね、僕の窓口になる様に

調整したんだよ。今日は君の担当がしたくてね。さ、座って」

 

悪びれる様子もなく、人の良さそうな色黒の中年フトゥはそう話す。

俺も毎回フトゥに当たる訳ではないし、斡旋員の誰が良いなんて

こだわりは無いが、初日に担当して貰い、顔と名前まで覚えてくれた

フトゥに、少なからず親近感を覚えているのも事実だ。

 

そのフトゥがわざわざ俺に合わせてくれたのは、少なからずとも

嬉しいのだが、わざわざ今日に限って俺が担当になる様に調整をした

っと言うのも少しおかしい話だ。

 

「フトゥさん、わざわざ俺の担当になる様に調整をしたって

言ってましたけど、何かあったんですか?」

 

率直な感想を言う。

フトゥは目を細めて笑顔を見せてくる。

う~ん、悪いがちょっと気持ち悪い。

どうせならあのお姉さんとかの笑顔を間近で見たいものだ。

いや、それも止めておこう。

俺がおかしくなりそうなのが、容易に想像出来る。

 

俺がくだらない事を考えていると、フトゥが切り出してきた。

 

「ディオ君、君に依頼(オファー)が来ている」

 

「…えっ?」

 

 

「だからディオ君、君に|依頼(オファー)が来ているんだよ!」

 

「…えっ?」

 

は、ははっ・・。

な?言った通りだろ?

え?何か言ってたっけ?

考えが纏まらない。

俺頑張ってたもん、知らない土地で日に焼けながら職業斡旋所(ジョブギルド)を回ってさ。

頑張っていたんだよ、ほ、ほんとにさ。

飯が食えないかもしれなくなる不安と戦いながらさ。

 

完全に思考が震えている。

心が震えている。

身体全てが震えている。

 

落ち着けっ!落ち着け俺!いい感じのタイミングで依頼が来ただけだ。

たまたま上手くマッチングしただけだ。さっきの女性の様に手放しで

 

 

「喜ぶに決まってんだろぉぉおおおおおおおおおおおおおお!!

 いやっっっったはぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!」

 

腰掛けていたイスから立ち上がり全身全霊で喜びを表現する。

周りにいてる人間の全てが俺に注目しているだろう。

全然恥ずかしくないし!全然平気だし!

この感覚をどう表現するば良いだろうか、そうだ!例えるならば

妖魔領にあった溶岩竜の咆哮(マグマドレイク)と呼ばれている活火山

が今!まさに俺の中で噴火したような感じである!

殆どの人間はそんな火山なんて知らないと思うけど。

 

 

「ちょっ、ちょっとディオ君落ち着いて!もう少し静かに!

お願いだから!!」

 

周りの様子も気にせず喜びを表現し続ける俺に、フトゥは慌てて

制止しようとする。

 

「おっしゃぁぁぁああ!ホアッ!ホォォォォォァァ!!」

 

何をしても彼の喜びを止める事が出来ないのか?

足繁くここまで通い続けた彼の苦労は多少なりとも理解していた。

しかし思った以上に反応する彼の喜び方は、今まで何千人と

職を斡旋し送り出したフトゥでさえ理解し難いものであった。

フトゥは祈る。

 

「ラ・ハーンの神よ。何卒彼を落ち着かせ下さいませ・・・・」

 

 

 

 

その日の正午前。

正規職業斡旋所『猫の手』付近を通行していた人達の耳に

妖獣の様な奇声が聞こえて街が警戒態勢になったとかならなかったとか。



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徐々に見え始めて来たラ・シーン新生活

「ほんっっっっとぉ!すんませんしたぁっっ!!」

 

両手と頭を地に付け土下座で謝罪を示す。

 

「いや、もういいから、顔を上げなさいディオ君」

 

表情こそ見えはしないが、相変わらず優しい言葉を俺にかけてくる。

あの狂喜乱舞の雄叫び(シャウト)の後、見かねた数人の斡旋員達に

腕を掴まれ、俺は所内の個室へと強制的に移動させられていた。

 

(喜び過ぎだっての!少し前にいたお姉さんをちょっと馬鹿にしてたのに

依頼(オファー)が来たからって、それ以上に周囲が引くくらいに喜んでどうするの!?

まさに『人の振り見て我が振り直せ』だ)

 

「本当にっ!すみませんでしたっ!俺、嬉しくって・・・」

 

「うんうん。わかっているよ、もう大丈夫だから、顔を上げてくれないと

話も進めないよ」

 

怒る訳もでもなく優しく話しかけるフトゥに頭を下げ、誠心誠意謝罪する。

しかし肝心の依頼が、俺宛に来たと言うところで話しは中断しているのだ。

申し訳ないと思いつつ、顔を上げてフトゥを見る。

 

「さ、もう一度座って座って」

 

そう言いながらフトゥは俺と向き合う様にして、椅子に腰を下ろす。

 

(本当に良い人だなフトゥ・・・)

 

「・・・失礼します」

 

そう言って俺もフトゥに向き合う様にして、椅子に腰を下ろす。

顔を上げてフトゥと向き合う。

フトゥは相変わらず人の良さそうな表情を浮かべている。

対する俺はそのフトゥの懐の大きさに、少しばかり居心地の悪さを感じていた。

 

「それじゃあ、さっきの話の続きをしようか?依頼の件についてだ」

 

「はい!お願いします!」

 

ゴクリと唾液を飲み込む。

いよいよだ、いよいよこのラ・シーンでの新生活が始まるのだ。

フトゥに真剣な眼差しを送る。

用意された書類をパラパラと捲り、何かを確認をした後、フトゥが切り出す。

 

「ディオ君に来た依頼なんだけど、ちょっと気になる点がいくつかあるんだよ」

 

「気になる点・・・ですか?」

 

「うん。通常の、と言うか普段の流れを簡単に説明すると、雇用主が誰かを雇用

したい場合も、ここを利用するんだけど、予めどんな技能を持つ人が必要なのか。

どれくらいの年齢まで大丈夫なのか。出来るだけ細かく条件を教えてもらうんだ」

 

フトゥが緩急をつけて丁寧に説明してくれる。

 

「それらを聞いた上で今度は、ここを訪れて登録をした、職を探している人達の中で

条件が合致する人材がいてるとするよね?もしそう言った人が窓口に来てくれた時に

初めて『あなたの技術や経験を活かせそうなお仕事がありますよ』と、僕達斡旋員が

紹介するんだよ。これが大体の流れね」

 

「な、なるほど」

 

決して理解出来ていないのではなく、俺に真剣に伝えようとしてくれているフトゥの

言葉に俺も幾らか緊張しているのだ。

 

「それでね、依頼制(オファー)なんだけど、これは雇用主が、つまり依頼者が

登録をした人達の内容を見て判断し、窓口の斡旋員と相談をして決めたり

『この人で』と逆指名(・・・)をして仕事を依頼する事が殆どなんだ。

そして今回、ディオ君に依頼があった訳なんだけど・・・、おかしいと思わないかい?」

 

フトゥは真面目な表情で俺に訊いてくる。

俺はフトゥが今話した内容をもう一度思い返し、考えてみる。

 

(何処におかしい点があるのだろうか?俺を必要としてくれる人がいたから

依頼された訳だろ?俺がここに来て登録した内容(・・・・・・)を見て・・・?

あっ!確かにそれならおかしいと言うのも頷ける)

 

「俺の前職。『パーフェクトウォーリア』ですね?」

 

その通りだと言わんばかりに深く頷くフトゥ。

 

「実はそこが僕も気になる点の1つなんだよねぇ。ディオ君の経歴を見て依頼をして

くれたのは僕も本当に嬉しいんだよ。だけど、前職が見聞きした事のないマイナー職の

ディオ君に依頼してるでしょ?だから腑に落ちなくてねぇ。

それに多くの場合、前職の技能に期待して、即戦力に近い状態で欲しがるからね。

ディオ君の場合、即戦力と言う言葉に置き換えるとなんか違和感があるんだよね」

 

フトゥは俺の事を気にしてくれているのは、ここ最近の彼の対応や性格からして

わかるのだが、マイナー職って!!もうちょっと何かに包んでも良いんのではないだろうか?

パーフェクトウォーリアでも戦場で受ける傷も痛ければ、心に刺さる言葉も痛いのだ。

 

そう言えば先程の会話の中で『気になる点の1つ』とも言っていたな。

他にもまだ何か引っかかる事があるのだろうか?

どんな内容にせよ、俺にとってはあまり良い感じの話じゃあないだろうな。

とにかく俺にとっての不安材料は出来るだけ早めに片付けておきたい。

残りの気になる点の事も訊いてみる。

 

「先程気になる点の1つとフトゥさんは言ってましたが、他にも?」

 

「うん。実は今回の依頼において、支度金が用意されている。」

 

「・・・支度金。ですか?」

 

「そう。支度金。もしくは、前払い金の扱いかも?」

 

あれ?俺にとっては非常に有難い内容だったぞ?

あと2.3日もすれば、20G銅貨を入れている小さな巾着袋は

ただの巾着袋に変わるのだ。

俺より先に転職(ジョブチェンジ)なんて嫌である。

 

「前例がないと言う事は無いんだよ。支度金や前払い金を予め用意してくれる

雇用先はそれなりにある。でも前職がマイナー職で実績もちょっと不明瞭な

ディオ君にいきなり支度金まで用意してくれているのが、気になる点の1つ

だったんだ」

 

そう言ってフトゥは書類を再度確認しながら『う~ん・・・』と小さく唸っている。

俺の事を真剣に考えてくれているが、やはり心に何かが刺さるのは気のせいだろうか?

それに実績で言えば『世界平和への貢献』である。

 

「ちなみに支度金は幾らくらいなんですか?」

 

素朴な疑問を訊いてみる。

別に期待してる訳ではないが、当然の疑問である。

訊く分には何も不都合な事等無いだろう。

まぁ、ほんの少しだけは期待はしているんだが。

 

「5G銀貨だよ。そして毎月の給金は2G銀貨。結構な額だよね」

 

「ゴクリ・・・」

 

思い切り喉が鳴った。

5G銀貨もあれば、この街ならば衣食住でざっと2ヶ月は暮らせる大金だ。

支度金にしては随分と額が大きい。

それに毎月の給金もこの街の物価と合わせてみても破格だ。

 

「フトゥさん、依頼主はどんな人なのか今わかりますか?」

 

支度金が破格であると言う事は、何かしら裏がある。

かなり危険な仕事の可能性もいよいよ高くなってくる。

前職が世間の中ではマイナー戦士だが、その名前を知っている奴が俺を

利用しようとしているのかもしれん。

 

フトゥが依頼主情報欄の所で指を止める。

 

「え~と、この人だね。『バーリン・レイ・パリンガー』60歳のご高齢の女性だね。

一応聞くけど、心当たりはある?」

 

「いえ・・・。」

 

「そうだよねぇ。最近こっちに来たばかりだもんね。あまり接点がある様にも

見えないし、名前からもわかるように貴族の方なんだろうね。こっちではあまり

聞かない雰囲気の名前だけど」

 

そうなのである。この大陸に存在する王族、貴族の連中には共通して

あるものが存在する。

それはミドルネームである。これを持ち、名乗れるのは王族や貴族の類だけで

平民庶民には、それが無いのだ。言いづらいし覚え難いだけだ。

 

だから昨日マリーベルがいる館を見て、彼女の名前を聞いてもあまり驚きは

しなかったのだ。

『あぁ、やっぱりな』その程度くらいだ。

 

「まぁ僕個人は気になる点もあったけど、仕事内容も悪い話では無いと思うんだ」

「どうしてそう思います?」

 

フトゥは自信に満ちた顔で話す。

 

「だってここは『猫の手』だよ?この南部貿易国家ラ・ハーンに認められている

正規職業斡旋所(メインジョブギルド)。裏でもなく、信用と信頼で成り立っている所だ。

色んな意味で、裏切る様な仕事は絶対にまわさないよ」

 

貿易都市ラ・シーン。

そこには国から認可を受け、毎日数百人単位で人が訪れる正規職業斡旋所(メインジョブギルド)がある。

その毎日が、慌ただしい中で、人の良い色黒の中年が、今日も一人の青年に

対して世話を焼いてくれているのだ。

 

(仕事依頼の事はともかく、フトゥは信用出来る人物だ)

 

これは嘘では無い。

俺の本心である。

人と人を繋ぐ事を生業とするプロだ。しかも人が良くて、世話焼きな。

だから俺は信じる。彼を。

 

「わかりました。フトゥさん。俺この依頼、受けさせて頂きます!」

 

「おぉ!そうかい!頑張ってね、僕も応援してるからね。他に仕事やこの街の事で

相談出来る人が居なかったら、いつでも僕に相談してくれ」

 

斡旋員と言うか世話焼き人と言うか・・・。

あ、そう言えば大事なとこを確認していないな。

 

「肝心な事を聞いていませんでしたけど、俺の仕事って何するんですか?」

 

あ。忘れてた!とばかりにフトゥの表情が少しだけ申し訳なさそうになる。

狂喜乱舞してからの土下座。そして気になる依頼。

話が遠回りしてもおかしくないのだ。まぁ半分は俺のせいではあるのだが。

 

「ディオ君に来た依頼内容は『身の回りのお世話(パーソナルケア)』だね。

高齢の貴族の方達は色々と不便な事もあるだろうし、使用人は多い方が

やっぱり負担も少ないだろうしね。3日後には指定の場所まで来て欲しいらしい」

 

「なるほど。身の回りのお世話ですか。それなら力仕事も必要な場面もあるでしょうし

俺にうってつけかも知れません」

 

高齢の貴族の女性の身の回りのお世話か。今までに挑戦した事のない内容に

些か不安もよぎるが、後が無い俺には選択肢も無い。

ならば誠心誠意ご奉仕をするだけである。

元パーフェクトウォーリアの名に賭けて『お世話』と言う任務を完遂してみせる!

 

その後もフトゥに手続きのあれこれを聞き、今日のところは猫の手を後にした。

こうして俺のラ・シーンにおける新たな生活が幕を開けようとしていた。

環境が変わると言うのはいつでも不安の連続である。

しかしそれは期待の裏返しでもあるのだ。

 

グ~~・・・

 

(そう言えば朝から何も食べていなかったな)

 

今日はマリーベルのお嬢さんから夕食をご馳走して貰える。

空腹と言う名の調味料は、今日の結果のおかげで、更に気分良く美味しく

頂ける事になるだろう。

 

腹を空かせながら帰路につく。

今日まで見ていた街並みがいつもと違う様に見える。

 

「っ~~しゃあ!頑張るぞぉ!!」

 

ディオニュース・カルヴァドス17歳。

無職。元パーフェクトウォーリア。

3日後には身の回りのお世話人(パーソナルケア)に転職予定だ。



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今日1日はこの時の為に

「お待ちしておりました、ディオニュース様!

ようこそお越し下さりました、こちらへどうぞ!」

 

馬車から降り、視線を館に移すと、可愛らしい笑顔と綺麗な淡い白桃色のドレス

を着たマリーベルが館の入口で、丁重にお出迎えをしてくれた。

 

 

あれから猫の手を後にし、俺はそのまま寄り道もせずに宿に戻ってきたのだ。

少しばかり予定よりも早く帰宅したのだが、夕刻に間に合わせる為に

他の用事を作ろうとはしなかった。

 

支度金のおかげで懐具合がかなり厚くなったばかりなのだが、今日はもう

買い物に行く事はしない。

中途半端に出歩いて、案内役の人と入れ違いになるのが嫌だったからだ。

もしふらふらと出歩いて、入れ違いにでもなってみろ。

それだけ、夕食にありつける時間が減ってしまう。

 

「う~ん、腹が空いてて、する事もない。少しだけ横になるか・・・」

 

部屋の中で思う存分あくびと伸びをした後、ベッドの上で横になる。

瞼を閉じれば嫌でも意識してしまう空腹感。

しかし今日の昼間の出来事で多少の疲れもあって、次第に瞼は重たくなっていく。

少しの間だけ眠ろう・・・。

そうして俺は体の疲労感を素直に受け入れて、浅い眠りについた。

 

・・・

・・・・・・

・・・・・・・・・

 

ドンドン!

ドンドンドン!

 

「おーい!ディオ、起きてるかい?おーい?」

 

微睡む意識の中で、徐々に耳に入ってくる扉を叩く音と声が聞こえる。

 

(ん・・・、どれほど寝てた?)

 

まだすっきりしない頭を無理やり起しながら、扉を開ける。

 

「・・・はい。あっ、女将さん・・・。どうしました?」

 

扉を開くと、この宿の女将さんであるアダリーが目の前にいた。

恰幅の良い姿のアダリーは「やっと起きたか」と言うとアダリーの

後ろに待機していた人物に向かって話かける。

 

「この子がディオニュースだよ。うちの宿の新入りさん。間違いないかい?」

 

声をかけられた人物がスっと足を一歩前に出して来た。

どうやら老人の様だが、俺に用があって訪ねて来るって事は

もしかしてマリーベルの使いは、この眼鏡の身なりの良い爺さんの事なんだろうか?

老人は俺に向かって一瞥すると、直様アダリーに向き合い感謝を述べた。

 

「はい、お聞きしたお名前と特徴に御座います。アダリー殿感謝致します」

 

「やめとくれ、そんな畏まった言い方されると身体がむずむずしてくるよ」

 

そう言いながらアダリーは身体を掻く様な仕草をしながら、あっはっはと豪快に

笑いながら階下へ下って行った。

女将さんはいつもあんな感じで、物事の大小をあまり気にせず、体格通り大らかなのだ。

体格の事は本人には間違っても言ってはいけないけどな。

 

「ご就寝の途中でしたのでしょうか?お休みの所突然の来訪をお許し下さいませ。

わたくしマリーベル・フェイメール・リングベル様の使いで来ました。

ラモンドと申します。ディオニュース・カルヴァドス様をお迎えに参りました」

 

ラモンドと名乗る老人は、やはりマリーベルの使いで俺を迎えに来てくれたようだ。

しかしアダリーと話をしていた時よりも、やや眼光が鋭いのは気のせいだろうか?

物腰が柔らかそうな爺さんだが、その実隙が無い。

 

(なんだ?この爺さんは?只の使いって感じでもないぞ・・・?)

 

俺がラモンドをそんな風に見ていると、彼から準備が整い次第下に馬車を待たせて

あるので降りて来て欲しいと言われた。

 

「わかりました。すぐに準備をしますので、少しだけ待っていて下さい」

 

俺は部屋に戻り準備を整える。

準備と言っても特に綺麗な服がある訳でもないし、会食に相応しい服なんて持っている

筈なんてない。

俺はラ・シーンには働きに来たのだから。

部屋に備えられている鏡を覗き込んで、軽く身嗜みを確認する。

 

「ま、こんなもんだろ。いつも通りだ」

 

衣服に関してはあまり多くの種類を持ち合わせていない。

丈夫で質の良い物があればその時に、まとめて安く購入するからだ。

同じ装いではあるが、不潔ではない。

そこは大事なところなので強調させてもらう。俺は清潔好きなのだと。

でも念の為、クンクンっと服の匂いを嗅いで嫌な匂いが出ていないかを確認した。

 

「ん~、大丈夫だろ?たぶん」

 

全ての準備が整ったところで、宿の外で待たせているラモンドと共に馬車に乗り込み

マリーベルのいる館へと走らせたのだった。

 

馬車の中はラモンドと俺の2人だけだ。向き合う様にして馬車に揺られているが

今のところ2人共に無言である。

この爺さんは寡黙な人なんだろうか?

寡黙で隙の無い人間。以前に戦士だか騎士だかに身を置いていたのかもしれない。

その後引退でもしてから、貴族の嫡男嫡女の世話周りや執事の様な事をしている

のかもしれないな。

まぁ割とある話だが、これは完全に俺の邪推だな、これは。

 

「ときにカルヴァドス様。あなた様のご活躍で、悪漢共達からお嬢様をお救いして

頂いたとか。改めてお礼申し上げます」

 

ラモンドは揺れる馬車の中で、頭を丁寧に下げてくる。

 

「や、やめて下さい。結果的に人助けの様な形になりましたけど、俺があの場所にいた

のも偶然ですし、なんか成り行きで助けただけなんで、あまり感謝されるのも居心地が

悪くなるんで勘弁してください」

 

両手を胸の前に出して勘弁してくれと言う。

 

「それに俺の事はカルヴァドスじゃなくてディオと呼んで下さい。そっちの方が

呼ばれ慣れているので、畏まった言い方されるとむず痒いです」

 

「左様でございますか。ではディオ様とお呼びさせて頂いてもよろしいでしょうか?」

 

「いや、様を付けるのも出来れば止めて欲しいんですが・・・君付けとか呼び捨てで

良いですよ?」

 

俺は別に王族貴族でも勇者英雄の類では無いのだ。パーフェクトウォーリアと

名乗っていたが、つまるところ『人よりちょっぴり戦闘が得意な戦士』の中の1人でしか

ないのだから。様を付けられても違和感しかない。

 

(様付けされる柄ではないんだよな~)

 

「それはなりません。ディオ様のお気遣いは感謝致しますが、お嬢様の恩人に対して

あまりにも無礼だと思います故」

 

キッと眼鏡の奥から鋭い眼光で返された。

ラモンドの中で、譲れる譲れないの線引きがあるのだろう。

俺の様付けを止めて欲しいと言う提案は、どうやら『譲れない』方に入っていた様だ。

仕方がない、彼の意思を尊重する事にしよう。

 

窓に顔を傾けて何気なく街の様子を見る。

街の中を軽快に進む馬車はやはり便利な物で、窓から覗く遠目の風景がゆっくりと流れ

徒歩とは違う速度で夕暮れに染まる街並みを見ていた。

カッポカッポと聞こえてくる石畳を蹴る馬の蹄の音がやけにはっきりと聞こえて来る。

物思いに耽けている訳でもないのだが、なんとなく惚けていた様だった。

 

(見覚えのある場所が見えて来たなぁ)

 

等とぼんやり思っていたら、先程まで力強く走っていた馬車の足音が次第に弱くなり

そして完全に馬車の動きが止まった。

 

どうやら昨日来たマリーベルのいる館に到着したらしい。

外で待ち構えていたのだろう別の使用人が馬車の扉を丁重に開いてくれる。

 

「あっ、どうもです」

 

軽く会釈をして馬車から降りる。

ちらりと自分達をここまで運んでくれた2頭の馬を見る。

 

(ありがとうな、楽をさせて貰ったよ)

 

身体に汗をかく馬に、今まで手綱を握っていた御者の人が厚手の布で丁寧に汗を

拭き取っていた。

この後別の場所で、馬の身体を冷やさないように休ませてあげるのだろう。

 

目線を正面に向き直し、館に改めて視線を移す。

間も無くして、扉が開き中から昨日出会った少女が小走りで近づき出迎えてくれた。

 

「お待ちしておりました、ディオニュース様!

ようこそお越し下さりました、こちらへどうぞ!」

 

館から良い匂いが漂って来る。

どうやら本当にご馳走の様だ。

胃の中がグツグツと活発に動き始める。

まぁ待て待て。もうすぐだから。

 

こうして俺は、素敵なドレスを身に纏った

可愛らしい少女マリーベルと、本日初めての食事にありつくのだった。



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確かに俺が言っていた

ラモンドとマリーベルに案内された一室に踏み入る。

部屋の中の高級であろう大きなテーブルの上に

色とりどりの豪華な料理が並んでいた。

 

クヌトト牛と呼ばれる家畜の極上ステーキ肉に、コロコロ鳥と呼ばれている

太鳥を丸々1羽使った至高の照り焼きチキン。

ベイオールでは一般的に食べられる肉だが、その肉の質感が今まで見てきた物と

比べ物にならない程美味そうである。

また、南部近海で採れる海の幸も満載で、特にあの白身魚のソテーと、それに

かけられたホワイトソースが美味そうでよだれが湧き出る。

 

肉の周りに盛りつけられた野菜も、どれも青々とした新鮮な色を放ち

見た目の彩りも楽しませてくれている。

その一皿一皿が、見事に上品さを漂わせている。

手間暇をかけて調理されただあろう事は想像に難くない。

勿論、果物も満載だ。

 

(おぉ…。フルーツボールってやつか?こんな上品に見えるのは初めてだな)

 

今すぐにでもこれらの料理を頬張りたいのだが、まずはする事があるだろう。

目移りする豪華料理をよそに、今日この会食を催してくれた人物に挨拶をする。

 

「えーと、本日はこの様な会食にお呼び?いや、お招きして貰って本当に

ありがとうございます。ディオニュース・カルヴァドスと申します」

 

慣れない言葉使いで、肩肘を張り、俺を招待してくれたマリーベルに挨拶する。

飯を食わせて貰えるんだ。挨拶くらいは俺も礼儀としてするさ。

 

「うふふ。もう存じ上げておりますわ。ディオニュース様。

ご丁寧なご挨拶、感謝致します」

 

そう言ってマリーベルはクスクスと笑う。

 

「あ~、そうだったね。俺の名前は昨日言ったもんな。どうもこういう

場所も雰囲気も縁がなくてね。正直慣れていないんだ」

 

申し訳無さげな表情をしていたのだろうか、マリーベルが直様言葉を返す。

 

「いえいえ!お気になさらずに!私も堅い言葉に作法は苦手ですもの。

ディニュース様のお話し易い様にして下さいませ」

 

そう言って、可愛らしい笑顔を見せてくれた。

ただ、彼女の傍で控えている先程の人物、ラモンド氏が、マリーベルの発言を

やれやれとでも言う様に、小さく首を横に振っていた事は彼女は気付いてはいない。

 

「では、お嬢様。挨拶もそれくらいにして、ご会食の方を。ディオ様をあまり

お待たせしてはいけません」

 

ラモンドがそう言って、食事の催促をしてくれた。

気の回る爺さんだ。道中、俺の腹の音でも聞こえていたのだろうか?

もしそうなら結構恥ずかしいな。しかしご好意はありがたく頂戴する。

 

「そうですね、じいやの言う通りですね。では早速ご会食の準備を…!?」

 

マリーベルが言いかけて、突然ラモンドに詰め寄った。

 

「じいや!どう言う事なの!?ディオニュース様の事を今『ディオ様』って!?」

 

あぁ、そう言えばさっきラモンドに『ディオ』で良い。って言ってたな。

結局呼び捨てでも良いと言ったのに、断られたが。

マリーベルの慌てふためく『あわあわ』した様子をなだめながら

ラモンドは先程までの経緯を丁寧に伝えた。

 

「…で御座います。お嬢様」

 

「そう・・・。わかりました。ディオニュース様がそう仰った事でしたら何も

言いません。じいや、大きい声を出してごめんなさい」

 

「勿体無きお言葉にございます」

 

ラモンドが深々と頭を下げる。

と言うかラモンドの爺さん、『じいや』なのか。使用人ではなくて。

執事や使用人の様な仕事も『じいや』と言う仕事の中の1つなのだろうか?

まぁ雰囲気からして警護も兼ねているとも思うが。

じいやの仕事の定義がいまいちわからん。

 

「あのぉ・・ディオニュース様…」

 

「ん?どうしたの?」

 

向き直ったマリーベルが、今度は身体をモジモジさせながら俺に何か

言おうとしている。

 

「あの!じいやが言った様に私もディオニュース様の事をディオ様と

お呼びさせて頂いてもよろしいでしょうか!」

 

「あぁ、なんだそんな事か。良いよ。そっちの方が俺も慣れ親しんでいるから」

 

「本当ですか!ありがとうございます!」

 

「あ、あぁ…」

 

思った以上に喜ぶマリーベルに少し圧倒されてしまう。

話かける度に『ディオニュース様』では俺も正直堅っ苦しい。

気軽に呼んで貰える方が俺としても気楽である。

 

「ディオって呼び捨てでも良いよ?」

 

「そんな事言える訳ありません!」

 

ふむ。顔を真っ赤にして怒られてしまった。

その後ラモンドが、また『あわあわ』するマリーベルを落ち着かせ

 

「そろそろご会食の方を…」

 

と再び仕切り直し、ようやく食事にありついたのだった。

 

「ディオ様どうでしょうか?これはお口に合いますでしょうか?」

 

「とてつもなく美味い!美味すぎる!なんだこれ。全て100点満点とか

俺の幸福度がどんどん上がってる」

 

「まぁ。それは良かったです!」

 

マリーベルが先程から味が合うかどうか、皿を変える度に訊いてくる。

俺1人が頬張っているだけで、マリーベルはあまり料理に手を出していない。

眼前に映る皿の、クヌトト牛肉を食べる。

 

「お口に合いますか?」

 

「美味い!美味すぎる!幸せだ!」

 

そっちの皿のコロコロ鳥の照り焼きにかぶりつく。

 

「お口に合いますか?」

 

「美味い!美味すぎる!やっぱり幸せだ!」

 

この繰り返しである。

その間ずっと向かいの席で、にこにこと笑顔を見せながら

俺の無作法な食事模様を眺めている。

今日一日餓えた野獣をご馳走のある館に招き入れてしまったのだ。

作法よりも満腹感優先である。多少の無作法も許してもらいたい。

 

食える時に食えるだけ食う。

 

俺の中で大事にしている言葉の1つだ。

 

「ふぅ~。食べた食べた。ちょっと休憩。そう言えばさっきから

君は全然食べてないけど、良いの?俺だけががっついているけど?」

 

さっきから思っていた事を訊いてみる。

 

「ディオ様!?私の事はマリーとお呼び下さい!そんな『君』だなんて…

よそよそしいではありませんか!他人行儀過ぎるのはいけないと思います!」

 

斜め上の返答だった。

いや、昨日会ったばかりだし、他人行儀だろ。普通は。

食事中にさっきの様に『あわあわ』されても困る。

素直にマリーベルの言葉に従う事にした。

 

「あぁ、ごめんね。じゃあ今からマリーっと呼ばせて貰うよ」

 

今日一番かと言うぐらいの、満面の笑顔でマリーは喜んだ。

その笑顔を見ていると、俺も頬が緩む。

何度も言うが、マリーは笑うと、とても可愛らしいのだ。

太陽の花の様に明るい笑顔に、綺麗な瞳。

そしてお嬢様なのに、どこか人懐っこい『子犬』の様な雰囲気がある。

貴族のお嬢様に例え話だとしても『犬』呼ばわりした事がラモンド辺りに

知られたらまぁ無事では済まないだろう。

表情がころころと変わったり、嬉しい時と悲しい時の表情が

 

「すぐにわかる子なんだろうな~…」

 

等と小声で呟いていたら、マリーは料理のおかわりを勧めてくれた。

 

「ディオ様?まだまだお料理のご用意がございますが、お食べになられますか?」

 

「あぁ、勿論食べるよ。まだまだ腹に余裕があるしね」

 

「まぁ!そうですか!それは良かったです。じいや。お願いします」

 

ラモンドが小さく頷くと扉の奥へと消えて行った。

別の料理を持って来てくれるのだろう。楽しみだ。

 

「この会食が終わってからなのですが、美味しい紅茶を飲みながら少しお話を

致しませんか?」

 

ラモンドが離れ、次の料理を待っている間にマリーが話しかけてきた。

 

「あぁ、いいよ。満腹になった後の少し甘い紅茶は格別だしね」

 

「ディオ様は甘口の紅茶がお好きなのですか?」

 

「ん~…。そうだね、割と甘口が好きかな」

 

「うふふ、まるで子供みたいですねディオ様」

 

「子供に子供と言われてしまった…」

 

つい思った事を言ってしまった。

マリーがそれを聞き逃す筈も無く、すぐに反論する。

 

「あら、少し心外ですわ。私はもう子供ではありません。もうすぐ15歳に

なりますもの」

 

「え!?俺と2つしか違わないのか。失礼な事を言ってしまったかな?」

 

クスクスと口元に手を添えて上品に笑ってはいるが

その表情はいたずら好きの子供にしか見えないのだが?

昨日の帰り『マリー誘拐事件?』に巻き込まれてまだ1日しか経っていないのに

何か変な感じだな。

 

コンコン…

 

「失礼致します」

 

扉を叩く音が聞こえた後、ラモンドがワゴンを押して戻ってきた。

ワゴンの上には銀の蓋(クロッシュ)が置かれている。

あの中に本日最後になるであろう料理が入っているのか。

 

「普段はあまりご用意したりはしない物で御座いますが…

お嬢様たってのご要望との事で、特別にご用意した物に御座います」

 

ラモンドがそう言ってテーブルに大きな皿を置いてくれた。

薄らとクロッシュの隙間から匂いが香ってくるのだが

 

(ん?これは肉とかではない…よな?なんだ?)

 

「じいや、ありがとう。ディオ様!昨日助けて頂いたご恩。食事だけでお返し

出来たものだとは思っておりません。ですが、今日ディオ様に召し上がって

欲しく、ご用意致しました。どうぞ!召し上がってくださいませ!」

 

自信満々の笑顔のマリーは、自ら勢いよくクロッシュの取っ手を持ち上げ

本日最後になるであろう料理と俺を引き合わせてくれたのだった。

 

この匂い。

 

(俺はよく知っている…)

 

この見た目と質感。

 

(忘れる訳ないじゃないか…)

 

「さぁ!存分に召し上がって下さいませ!!」

 

マリーの好意に身体が打ち震え、涙が出そうになる。

 

 

こうして皿一杯に綺麗に盛りつけられ、一流の料理人に調理されたであろう

『しなびた芋』と『廃棄寸前のパン』を目の前に、身体を震わすのだった。

 



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確証のない約束と確信めいた約束

辺りはすっかり暗くなり、空を見上げれば今日も満点の

星空が眩く輝いている。

日中とは違う、頬に当たる涼しげな風を感じていた。

目の前のテーブルには洋燈が置かれ、煌々と光を放っている。

 

「ディオ様、紅茶です。どうぞお召し上がり下さいませ」

 

「ありがとう、マリー」

 

マリーはラモンドが用意してくれた紅茶の容器を掴み、自ら注いでくれた。

高級であろうティーカップには花と蔦のレリーフが刻まれている。

お世辞にも俺には似合っていないと思う。

 

カップに注がれた紅茶から立ち昇る湯気と共に、甘い香りによって鼻腔が燻られる。

紅茶を一口含み、その美味さに目を細めた。

 

「はぁ…美味しいね、これ」

 

「ふふ、ありがとうございます。良い物が手に入った様です。ディオ様の好みに

合わせて少し花の蜜を多めに入れておくようにお願いしておきました」

 

腹一杯ご馳走してもらった後、館の中庭にあるテラスへと移動し、マリーと俺は

2人で紅茶を楽しんでいる。

勿論、じいやであるラモンドは、マリーの傍で指示があればすぐに動ける様に

一歩下がった所で静かに待機している。

 

テラスでマリーと向き合い紅茶に舌鼓を打つ。

先程から自然と「はぁ~…」とか「ほぉ~…」とか美味しい溜息が漏れる。

ちらりとマリーを見れると、満足そうな顔をしている。

 

「ディオ様、ディオ様はこちらの方ではない。と昨日仰っていましたが、ここに

来る前はどちらに居てらしたのですか?」

 

マリーが尋ねてきた。

そうだな、陸路で遠路遥々ラ・シーンまでやって来る前か…。

俺は正直に答えた。

 

「妖魔領だね」

 

「!?」

 

マリーの顔が驚いたものになる。

つい2.3年前まで人間と妖魔が大小の戦争を延々と繰り広げていた場所だ。

そんな大陸で最も危険な場所にいたのだから、驚くのも無理がないのかもしれない。

ラモンドは相変わらず静かに佇んでいる。

 

「あの妖魔領ですか…?北の大地の果て。黒き大地が覆い尽くし、人が住む事を

許されない死の世界。空は常に暗黒で、この世の終わりと言われる場所…」

 

よく見るとマリーの額には薄らと汗が滲み出ていた。

しかし、かなり誤解がある内容だな。

 

「マリー、君は妖魔領の事を誰から聞いた?」

 

マリーは何かを思い出すように視線を宙に彷徨わせた。

 

「えぇ…と…、女中の方々からですわ」

 

「そうか。俺の見てきた妖魔領とはかなりの開きがあるね。まず妖魔領の大地は

別に黒くない」

 

「え?そうなのですか?」

 

「あぁ、あの場所は火山地帯と言って火山活動をしている山がいくつもある。

確かにその火山近くの大地は灰にまみれて、雨でも降ってれば黒い大地に見え

ない事もないけどね」

 

「で、では!空が常に暗黒と言うのは!?」

 

マリーが目を輝かせ、テーブルに両手を付いて顔をグイっと突き出し訊いてくる。

興味津々なようだ。

大陸は広大だ。口伝えに聞いた話がどこかで変わってしまったのだろう。

 

俺は誤解をしているであろうマリーの驚く反応に気分を良くし、数年前までいた

場所の事を少しずつ話してあげた。

 

「空が黒く見えるのは、今言った火山が活動して溶岩が噴き出るんだ。それは

もう人が触れれば一瞬で消し炭になってしまうような溶岩が。

噴火の際飛び出る火山灰が出るだろ?宙を舞い続け、そして大地に落ちてくる。

その舞い続けている間は太陽の光を飲み込むから『常に暗黒』って言葉は間違え

ではないけれども『場所によっては暗黒』が正しいかもね」

 

くいっと紅茶を口に運ぶ。

決して主張し過ぎない甘さが口全体に広がる。

 

「ふぅ…。それ別に『人が住む事が許されない世界』って訳でもなかったよ。

実際妖魔領よりはベイオール側だったけど、近郊に生活している人間を俺は見た」

 

「え!?まさかそんな危険な場所にですか?」

 

「あぁ、そうだ」

 

「でも妖魔は人を喰らうと言われています。妖魔は言う事を聞かない

悪い子供がいれば、どこからか現れて、その子供を食べてしまうのですよ!?」

 

「…ぷっ!」

 

「どうして笑いますの!?」

 

いやいや、それはどう聞いてもあれだろう。

言う事を聞かない子供に言う事を聞かせる様にする為の話だ。

それを真面目な顔で話す彼女がおかしくて、堪えきれず少し笑ってしまった。

 

「マリー…、それはいつ聞いた話?」

 

「子供の頃に、ばあやに聞かされました」

 

「うっ…くくっ…ふ、あはは!」

 

「え?えぇ!?ディオ様酷いです!!どうしてお笑いになりますか!?」

 

本当に堪えきれず思い切り笑ってしまう。

当然マリーの機嫌は良くないだろう。なんせ自分が笑われているのだ。

貴族のお嬢さんにはかなり失礼な事をしているのはわかっているのだが

ある事を想像してしまい、どうしても堪えきれなかったのだ。

 

「あ~…、ごめんね。馬鹿にしたつもりで笑った訳じゃないんだ。

ねぇマリー。君は子供の頃よく家から抜け出したり、言う事を聞かなかったり

周りの人達から『おてんば』とか言われたりした事なかった?」

 

「!?子供の頃によく言われていました!どうしてわかるのですか!?」

 

「いや、ラモンドさんや、そのばあやさんが苦労していたんだろうなと

思っただけさ」

 

俺の言葉に首を傾げながら腑に落ちない表情をする。

マリーの傍らには、俺達のやりとりに口元を少し緩めて苦笑いをする

ラモンドの姿があった。

 

「もう、いいです!ディオ様は意地悪です」

 

「あぁすまない。そんなつもりじゃあなかったんだけどな。

あと人を襲い喰らうのは『妖魔獣』と言う類の本能で生きる魔物の事だよ」

 

「やっぱり食べるのですね…」

 

「…話を少し戻そうか」

 

そう言って難しい顔のマリーに苦笑いしつつ、話を戻した。

 

「俺の生まれた場所はね、人と妖魔が争い続ける最北の国だったんだ。知っていると

思うけど境界の国『グベリア』今は無き国だ」

 

俺の言葉にマリーは息を呑む。ラモンドも動きこそしないが、少し雰囲気が変わった

様に見えた。

 

「ディオ様は…そこで何を…?」

 

彼女はきっと聡い子だ。自分で言いながらも俺が次に出てくる言葉をわかっている

様な顔をしている。

 

「戦争だ」

 

彼女の目が見開かれ、少し驚く様に見えた。

しかし思った通りの答えだったのか。

姿勢を正して突然深く頭を下げたのだった。

 

「ありがとうございます」

 

「…どうして?」 

 

その言葉の真意をマリーに問う。

 

「私はあの戦争を誰かに聞いただけです。ある戦場では勇敢な勇者が妖魔を倒した。

ある土地では高潔な騎士たちが、囚われていた人々を見事に救った。

まるで物語に出てくる様な、別世界の話でした。

それも最北の世界。私の様に中央育ちの世間知らずには想像も出来ないものです」

 

そう。想像も出来ない事だらけだった。

俺の10数年の価値観、常識も根底から変わってしまうぐらいに。

 

「戦争が終わり2年余。この平和がどれほど続くかもわかりません。

それに、この平和がどれほどの犠牲で成り立っているのかも…。

ですがこの平和の為に戦った方々にお礼の一言も今まで言えませんでした。

何の気休めにもならないとは思います。ですが私がこの時を生きるのであれば

あなた様に言わなければなりません」

 

力強い目だ。

先程までの可愛らしい表情や、慌ててる表情とも違う。

ただただ真摯に向き合っている、力強い意思を持つ者の目。

彼女は大きく息を吸い込み、もう一度礼を述べた。

 

「本当に、ありがとうございます」

 

「あ~、そう言うのは良いから!過去に何があったからどうとかの話よりも

明日何を食べようかと考えている方が、人生楽しいよ?明日はどこへ行こうか?

明日は何を着ようか?明日は何があるのだろうか?ってね」

 

慣れない雰囲気に耐え切れず、ついおどけた仕草で話かける。

 

「……うふふ。なんだかディオ様らしいです」

 

「そうさ。俺はいつだって割と前向きなんだ」

 

マリーの表情はもう元に戻っていた。

先程までの力強い瞳はなりを潜め、年相応のあどけない表情になっていた。

世間知らずのお嬢様の様に見えるのに、意外に自分の中で芯がしっかりと

あるんだろう。

 

「どうぞ、熱い紅茶のおかわりを…」

 

ラモンドがいつの間にか紅茶を温め直して持って来てくれた。遠慮なく頂く事にする。

またあの上品な甘みの紅茶が身体に行き渡るのがよくわかる。

続いてマリーにも注ぐ。

 

「ありがとう。じいや」

 

ラモンドは小さく頭を下げてまた一歩引いた位置で待機する。

マリーはお嬢様らしく上品に、飲んでいたカップを置く。

 

「ディオ様…私は明日にここを発たなければなりません。国に戻った後

ゼオングラーダへと戻るのです」

 

マリーの表情に少し影が落ちる。

ゼオングラーダか。魔術王都ゼオングラーダねぇ。その才能の無い俺には

一生縁の無い場所だな。

 

「そっか。まぁ、また縁があれば出会う事もあるさ。だからあまり悲しそうな

顔しないでくれよ」

 

「寂しいとは思いませんか!せっかくお近づきになったのに!」

 

「寂しいと言うか…昨日あってまともに話すのは今日が初めてだからね…」

 

「では、寂しくないと!?」

 

いや、どうしても『寂しい』と言う感情は出てこない。

今後も飯を食べさせてくれる人がいなくなる。

と言う浅ましい考えをあえて出すならば、それは『惜しい』と言う言葉だ。

寂しいとは違う。

しかし、マリーの表情は不安げと言うか、何かを期待している様に見てくる。

 

(…はぁ)

 

「まぁせっかく知り合いになったのに、明日でお別れは少し寂しいかも…ね?」

 

俺の言葉を待っていたかの様に頬を染めて満面の笑顔に変わる。

本当に表情の豊かな子だ。

 

「まぁ!まぁまぁまぁ!!やっぱりそうですよね!」

 

「あ、あぁ…。少しね。少し」

 

「同じお気持ちで嬉しいです!」

 

「少しだけね?聞いてる?」

 

思い込みも少し激しいのか、それとも俺の声が届いていないのか、1人で喜んでは

うんうんと頷いている。

今日1日で彼女の印象は大きく変わった。

人懐こい子犬の様にも見えれば、急に年齢以上のしっかりした考えもする。

コロコロと表情を変えて笑い、喜び、悲しむ。

そして割と俺の話を聞いてくれない。

 

(……ま、いっか)

 

「また近い内にお会い出来る様に願っておりますね!」

 

先程までの暗い表情が何処吹く風だ。

マリーは笑っている方がやっぱり良い。

 

「そうだね。また近い内に会えたら良いね」

 

これは俺の本心から出た言葉だ。

貴族と平民と身分の格差は大きくあるが、それもおくびにも出さないマリー。

受けた恩を返すと泣いていたマリー。

別れを惜しんでくれるマリー。

人の話をちょっとだけ聞いてくれないマリー。

 

(身分は違うが、おてんばな妹ってのはこんな感じなんだろうか?)

 

「はい!必ずまたお会い致します!!」

 

確信めいた言い方をするマリーに、苦笑いをしつつ

カップに残る少しだけ冷めた紅茶の、最後の一杯を飲み干すのだった



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遠ざかるラ・シーンの港風景

「助けてくれぇぇぇぇぇぇ!」

 

「ひぃ!来るな!」

 

「ちくしょう!離しやがれぇ!このぉ!!」

 

「あんた達は下がって!!俺が引き付ける!…ハァっ!!」

 

大雨の降る船上で、船員達が目の前の巨大な海妖魔獣に攻撃を受けていた。

その日は天候が優れなかった。

船上で前方を見続ける、あるベテラン船長は思った。

 

(嫌な風がやけに鼻につく…。こんな日に限って悪い事がよく起こりやがるんだ…)

 

今回の航海もいつも通りそつなく終わるはずだった。

ラ・シーンを出発し、西海ルートを辿り、西側ゼオングラーダ領へ。

そこで人間と積み荷を下ろしたら、また南部に戻るだけの簡単な仕事だった。

行き先の港に着いた夜は、仲間達と久しぶりに酒を煽って楽しむつもりだった。

 

始まりは航海4日目だった。

高台に昇り、甲板員が望遠鏡で辺りを監視していた時にある異変に気づいた。

甲板員が伝令に伝え、まもなくしてその報告が操舵室にあがった。

 

(かなり遠いが、前方の空が確かに黒い…嫌な感じだ)

 

最初は天候が荒れるかもしれない。船長は、今はそれだけだと思っていた。

案の定、船を進めるにつれて、前方の空は次第に闇を広げ、波も高くなっていった。

 

船長は航海士や甲板員に、暴風雨に備える様に指示を出した。

他の船員達にも、船内にいる乗客にも船外へ出ないように

口頭で各部屋回り、その旨を伝える。

 

甲板員達は直ぐさま手慣れた手つきで船上に置かれていたロープを巻き

また別の甲板員は帆をたたみ、暴風に備える。

徐々に風が勢いを増し、雨が激しく甲板に叩きつけられる。

船員を所定の位置で待機するよう指示し、そして船は暗雲の下に飲み込まれた。

 

激しく揺れる船体。

今なお激しさを増す雨。

 

そして船長の不安は的中したのだった。

 

「なんだ!?あれは!?」

 

船長が突然大きな声を出し、語尾を荒げた。

ほぼ同じ時をして、全身雨に打たれた甲板員の1人が異常事態を伝える為に

船長達がいる操舵室に転がり込んで来た。

 

「た、大変です!!か、かっ海妖魔獣です!!」

 

「どこを見てたっ!もう目の前じゃねーかぁ!」

 

操舵室に響き渡る船長の怒声すらもかき消す、大きな衝撃が船体を襲った。

 

ドグォォォォォン…

ドゴォォォォォォォン!!

 

「ちくしょう!なんだ!?あれは!?いやまさか…!!」

 

ベテラン航海士が見た物は船頭から生える恐ろしい触手だった。

 

「クッ…クラーケンだぁぁぁぁぁぁ!!」

 

操舵室にいる全員が窓越しに見える恐ろしい巨大烏賊の海妖魔獣の姿に恐怖した。

触手は船に絡みつき、海へ引きずり込もうと力まかせに揺さぶっている。

 

「海妖魔獣クラーケン…なんだってこんなベイオール西の近海に!!」

 

忌々しく吐き捨てる船長を余所に、クラーケンは本日の獲物は難なく手に入る

ものとばかりに、今なお暴風雨の中海に引きずり込もうとしていた。

 

「総員!戦闘態勢!!このままじゃ全滅だ!おめぇら!気合い入れて

船を守れ!いいな!」

 

「おう!!」

 

直ぐさま何人かの伝令が操舵室を飛び出し、船内にいる船員達に戦闘の開始を伝え回る。

 

「伝令!!各員戦闘準備に入れ!伝令!!各員戦闘準備入れ!!」

 

船長がクラーケンを見据えて宣言する。

 

「絶対に化け物の餌なんかになるわけにゃあいかねぇ…。各員!戦闘開始!!」

 

こうして船員達の、命を賭けた暴風雨の中の決戦は幕を上げたのだった。

 

----------------------------------------------------------------

俺は今船の中にいた。

3日前にマリーとの会食を終えた後、翌日に必要な物を購入し、そして俺の

依頼主であるパリンガー婦人に指定された港の交易所に向かったのだった。

何故港なのか?

一抹の不安と疑問を持ちつつも、素直に従い港にある交易所に足を運んだ。

少しの間、交易所の入り口で待っていると、女性に声をかけられた。

依頼主かと思ったが、そこにはパリンガー婦人と呼ぶにはあまりに若い

メイド服姿の女性が目の前に立っていた。

 

「ディオニュース様でお間違い御座いませんか?」

 

女性は俺に尋ねて来た。

この場所で俺に話しかけてくる者は依頼主関係の人間しかいない。

やはりパリンガー婦人の使いの者の様だ。

 

「はい、俺です。あなたは?」

 

「申し遅れました。私はバーリン・レイ・パリンガー様の使いで来ました。

ミラルダ・パウと申します」

 

ミラルダと名乗る女性は俺よりも少し年上なのだろうか、非常に落ち着いた

雰囲気の女性だった。

長い髪を後ろで一本に纏めあげた髪は清潔感に溢れ、紺色のメイド服に純白の

エプロンが良く似合っている。

 

「本日より、よろしくお願いします」

 

そう言ってミラルダに頭を下げた。

 

「早速ですが、ディオニュース様にはバーリン様より言付かった依頼を

お願い致します」

 

「え?ここでもうするんですか?」

 

コクンと頷き真っ直ぐ俺を見る。

 

「これより船に乗り、西方に位置するゼオングラーダまで使いに出て頂きます。

そこにバーリン様がいらっしゃいますので、依頼の確認をした後仕事に従事して下さいませ。

航海にかかる日数はおよそ5日程。念の為5日分の必要な生活用品はこちらでご用意

させて頂いております。出航までにまだかなりの時間が御座いますので、私共の方で

ご宿泊先まで出向きあなた様のお荷物を持って参ります」

 

ミラルダの口から出た言葉に流石に驚きを隠せない。

俺はてっきりこの後パリンガー婦人のいる屋敷にでも一緒に行くものだと

思っていたからだ。

それがどうだ?

パリンガー婦人の使いと名乗るこのメイドさんによれば、俺はこの後ゼオングラーダ

まで船旅に出る事になっているらしい。

流石にこれはおかしい。

 

「ちょっと待って下さい!俺はこのラ・シーンで婦人の身辺のお世話(パーソナルケア)

依頼されたはず。それがどうしてゼオングラーダまで行く事になるんですか!?」

 

「バーリン様は今現在ゼオングラーダにおられます」

 

ミラルダは表情を変えず、さも当然とばかりに話した。

 

「なんでゼオングラーダにいる人がわざわざラ・シーンで依頼を出したんです?

普通は住んでいるゼオングラーダで出すでしょう?」

 

「通常はその様です。しかし先日までバーリン様はこちらに居らしておられました。

滞在中に『ある人材』が必要になったのかもしれません。そしてラ・シーンの

正規職業斡旋所で依頼を出して、たまたまあなた様に目が止まったのかと」

 

…腑に落ちない内容過ぎる。

たまたま滞在していたこの街で、急に人が必要になって、偶然斡旋所の依頼制で

俺に目がとまった…?

出来杉だろう。

 

「おやめになられますか?」

 

俺のあからさまに訝しげる表情にミラルダが訊いてきた。

正直怪しすぎて受ける理由が無い。

 

「えっと…出来れば今回は縁がなかったと言う事に…」

 

「かしこまりました。それではその様にお伝えしておきます。なお最初にご用意建てた

支度金の事ですが、残っている分はあなた様の方で好きにお使い下さいませ」

 

すっかり忘れていたが支度金を俺は受け取り、幾らか既に使用していた。

とは言え日用品や下着を必要な分購入しただけだから、かなりの額は残っている。

当日依頼を断わると言う暴挙にも拘らず、余った分は好きに使っても良いとか

とびきりの怪しさだな。

 

怪しさなんだが…。

 

「すみません、やっぱりこの依頼を俺、受けます」

 

「…よろしいのですか?」

 

「はい。この依頼を俺に紹介してくれた人を信用しているので」

 

「…そうですか」

 

出会ってから初めて、ミラルダが少しだけ微笑んだ。

話を聞けば聞く程に怪しい内容だが、しばらくは生活出来るだけの金を渡され

当面生活面では困窮する事もなくなった。

しかしそれは、まともに労働に勤しんでいたらの対価だ。

何もしていないのに、支度金だけを貰うなんて、あまりにも後味が俺にとっては

よろしくない。

そもそも俺は正規職業斡旋所のフトゥを信用している。

彼が俺に持ちかけても大丈夫だろうと判断したからだ。

その事が頭をよぎり、結局心変わりをした俺は依頼を引き受ける事にした。

我ながら優柔不断だ。

 

「ではあなた様が宿泊している宿にある荷物を持って来させますので」

 

「あ、俺の宿の場所と番号は…」

 

「存じ上げておりますので、ご安心を」

 

今の宿泊先も斡旋所に伝えていたし、知っていても当然か。

しかしこのメイドさんは優秀だな。

メイドは身辺の世話周りだけだと思っていたが、雇用主の代理代行等も

するのか。

俺の知らない仕事はまだまだあるようだ。

 

「馬を走らせますので、1時間もすればこちらに戻って参ります。恐れ入りますが

今少しお待ち下さいませ」

 

「あ、女将さんによろしく言っておいてくれますか?」

 

「かしこまりました」

 

ミラルダはそう言い残し、交易所の前から去って行った。

近くに他の者を待機させていたんだろう。

しかし、本当に俺がこの依頼を断っていたらどうしたんだ?

…いや、それも織り込み済みなんだろう。

 

斡旋所より更に人の行き交う交易所。そこを利用する人達の邪魔にならぬ様に

隅っこに寄り時間が過ぎるのを待った。

 

 

ミラルダが言っていた通り1時間もすれば戻って来た。

数人のメイド達を引き連れて。

この場所ではあまり似つかわしくない格好なので、割と注目をされているが

本人達は一切気にしていないようだ。

軽く会釈をし、彼女達から荷物を受け取る。支度金で購入した分と、用意された分

を合わせても知れている量だ。我ながら身軽ではあるが。

…たぶん下着も見られているんだろうな。

そう思うと目の前にいるメイドさん達の顔が少し見づらい。

 

「ミラルダさん達は一緒に行かないのですか?」

 

「私共は別件で用が御座いますのでそれが片付き次第ゼオングラーダへ戻ります」

 

「では可能ならば、斡旋所『猫の手』にいる斡旋員のフトゥと言う人に

俺が礼を言っていたと伝えてください」

 

「かしこまりました。必ず」

 

世話になった女将さんや、フトゥに自分で挨拶をしたかったが仕方ない。

申し訳ないが、ミラルダ達に伝えてもらおう。

 

寄港している船に目をやると、続々と大小の荷物と人が乗り込んでいた。

俺も船に乗り込む。

ちなみに乗船券は婦人が用意してくれていた。

 

「ではディオ様。船旅お気をつけ下さいませ」

 

「ありがとうございます。ミラルダさん」

 

こうして俺は、ミラルダ達に見送られ

午後になる前にはラ・シーンを後にしたのだった。



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海の化物と陸の化物

船旅も4日目。非常に快適で、特に不満もない。

むしろこんな高待遇で良いのだろうか?と思ってしまう。

船員に案内されて向かった部屋は一等室だったのだ。

どうやらパリンガー婦人の計らいで良い部屋を用意してくれたようだ。

勿論船内の食事も不満は無く、宿で食べていた物よりもずっと豪華だ。

 

用意された朝食をペロリと平らげ、特にする事も無かったので

ベッドに寝転がり、客室から見える窓の外をぼんやりと眺めていた。

 

「空が黒いな…。嫌な色だ。ふっ…ふぁ~ぁぁ…ねむ…。少しだけ

寝るか…」

 

良い感じに熟れた腹のおかげで、いとも容易く睡魔がやって来る。

波がそう高くないので、船に揺られる感じが少し心地良い。

次第に瞼が重くなり、窓の外から聞こえ始めた雨音を聞きながら

俺は眠りに落ちた。

 

…ォォォォォン

ドゴォォォォォォォン!!

 

どの程度眠っていたのかわからない。

然程時間は経っていないとは思うが、嫌な音と衝撃に、浅い眠りだった

俺はすぐに起きる事になった。

 

「なんだ?今のは!?」

 

小さな窓を見れば先程よりも激しさを増した雨が容赦なく船を叩きつけているはずだった。

しかしそこにあったのは巨大な触手。そして進まず揺れる船体。

 

「…くそっ!間違いない!」

 

海妖魔獣の類に襲われていると判断した。

客室から飛び出ようとした矢先に、船員が扉を激しく叩き、扉を開けると

強張った表情で現状を伝えて来た。

 

「失礼致します、お客様!只今本船は海妖魔獣に襲撃をされ、戦闘態勢と

なっております!決して部屋から出ぬようお願い致します!!」

 

そう言い残し、次の客室へ同等の説明をしに駆け出して行った。

扉を開けて船内の様子を覗うと、所々から悲鳴や悲壮な声が上がっていた。

 

「ついてない…。ほんっっとぉぉにっ!ついてない!!」

 

1人で愚痴を言った後、俺は船員に忠告された事を無視して飛び出していた。

1等客室は船の上層部、そこから甲板に上げるまでは然程時間はかからない。

途中、何人かの船員に見つかり、部屋に戻れと言われたが、無視して駆け抜ける。

俺が想像した海妖魔獣なら、まず武装船団でもなければ沈む!

 

揺れる船内に足をもたつかせながら、大雨降りしきる甲板に出るとそこには

想像した通りの魔獣が船首から不気味な目を光らせて、触手を幾重にも船に巻き付けていた。

 

「ふんっ!やっぱりクラーケンかよ!こんな人通りの多い近海で会うとは

思わなかったぜ!」

 

吐き捨てる様に呟く。

周りの船員達は槍や剣を手にしては不安定に揺れる足場を気にしながら触手に

斬りかかっている。

 

「おい!お前!!一般の客だろう!?何しに来た!ここは危険だ早く戻れ!」

 

鋭い目つきの船員が近寄り、避難を促す。

 

「今は避難どころじゃない。船乗りだったら知っているだろう?あいつは海の化物だ。

陸地では人間が強くても、海ではあいつら海妖魔獣が絶対の存在だ。

あんたらの人数と装備でなんとか出来るのか?少しでも戦える人間が必要だろう?

それに俺は元戦士だ。邪魔はしない!」

 

「お前の様な若造が戦士?冗談言ってねぇで、隠れてろ!」

 

状況が悪くなる一方の中で、船員は俺の身を案じて言ってくれているのと同時に

「邪魔だ」と言っている。

事態が事態なだけに苛立っているのが良くわかる。

わかるだけに、今俺も戦わなければこの船は持たないと思っていた。

船員達の怒声が聞こえる中、突如それは悲鳴に変わった。

 

船体に巻き付き、船を固定していたクラーケンが突如襲って来たのだった。

分厚く深紫色の不気味な触手は船を軋ませ、武器を手に戦う船員にも襲いかかる。

何人かの船員は巨大な触手で、まとめて吹き飛ばされあまりの衝撃に気絶している。

船首から覗かせた不気味な目は確実に船員達を捉える。

 

一瞬だった。

 

身体に巻き付かれた運の悪い船員は一瞬で声をあげる事も無く海に引き込まれた。

 

「くっ…、喰われたっ!」

 

「助けてくれぇぇぇぇぇぇ!」

 

「ひぃ!来るな!」

 

「ちくしょう!離しやがれぇ!このぉ!!」

 

最初の犠牲者の末路を見た者達が次々にパニックを起こし始めた。

そしてまた触手に捕まり、クラーケンの『餌』になる船員が増えようとした時、

俺は2年近く使う事の無かった『パーフェクトウォーリア』としての力を使っていた。

 

11武装開錠(イレブンアームド・アンロック)!!」

 

俺には魔術や魔法の才能は無い。

しかし万物には魔力が宿っているらしい。

大地にも、水にも、風にも、炎にも、草木や動物、人間、妖魔達にも

あらゆる存在に魔力は宿っているらしい。

この俺にも少なからず存在しているらしい。

ただ、魔力と言う見えない物にも、総量があり、個人差がある。

生まれてすぐに魔術や魔法の才に恵まれる者がいてる一方で

俺の様に魔力が乏しく才の無い者も多く存在している。

 

生まれ持った者と持たざる者。

 

俺は『持たざる者』その中の1人だった。

その持たざる俺が、ある者のおかげで唯一習得出来たものがある。

魂に刻んだ武具のみ開錠し顕現する事が出来る俺だけが使える

戦いの始まりにして終末の唯一の魔法と呼べるもの。

 

瞳を閉じる。

思い出せ…戦いの記憶を。

 

甦れ…魂の鼓動を。

 

唱えろ…魂に刻まれしその武具の名を!

 

「来たれ!4の武装開錠!その名雷霆三日月斧(ユピティス・バルディッシュ・フィーア)!!

あんた達は下がって!!俺が引き付ける!…ハァっ!!」

 

魂に刻まれた武具の1つ。

雷霆三日月斧(ユピティス・バルディッシュ・フィーア)

古龍雷霆(ユピティス)』の名を持つこの武具の最大の特徴は、戦斧に宿した雷の斬撃にあり

古龍雷霆の牙と鱗で創られたと言われる伝説級の武具の1つである。

白銀鱗の鱗で作られた柄にある彫刻(レリーフ)自体が雷の魔力紋様となっており

刃に雷を宿し続けている。

また柄の端に埋め込まれた魔力石の増幅作用により

その威力は使用者の意思に呼応して雷の威力を増減する事が出来た。

 

「なんだありゃ…急に武器が…?なんだ、あれ……」

 

先程まで客室に戻る様に言っていた甲板員が、驚いた表情で呟いた。

今、目の前にいた若造が何か叫んだと思ったら、この暗雲の船上で突如、白銀に輝く

馬鹿でかい三日月斧が現れたのだ。

そしてそれを軽々と手にして奮う若者が次々とクラーケンの触手に捕まった

船員達を開放している。

甲板員が驚いたのは目の前に現れた武器だけではなかった。

目の前で戦う若者自身にも驚いていた。

 

(とてつもなく強い…!)

 

海を行き交う荒くれ者が多い船乗り。その船乗りをもってしても目の前の若者の

強さは桁が違っていた。

 

「なんて、戦い方だ!一方的じゃねぇかよ!!一方的にクラーケンを追い詰めてやがる!

なんだってんだ!あいつは!」

 

「ハァァァ…!どっせいっ!!…次の足!おいそこのあんた!腰を抜かせているなら

這いつくばってでも船内に逃げろ!油断してるとまた襲われるぞ!」

 

「あ、あぁ…す、すまねぇ!」

 

目の前で腰を抜かせていた船員に檄を飛ばし、退避させる。

決して余裕がある訳でも油断している訳でもない。

今も数十人の船員達が各々戦っているが、如何せん決定打にどうしても欠けている。

それに船体も相変わらず巻き付かれて嫌な軋み音が耳を不愉快にさせてくれる。

 

(やるだけやってみるか…)

 

「おーいっ!あんたら全員急いで船内に戻るか、少し離れた所で身体をしっかり

と固定して衝撃に備えてくれないか!俺が今から一気に片付ける!その際に

発生する非常事態に備えて欲しいんだ!」

 

「馬鹿な事を言ってんじゃねぇ!お前1人でどうこう出来る化物じゃねーだろ!」

 

声がした方へ目をやるとこの船の船長らしき人物が、怒りの表情で睨んでいた。

 

「こいつは正真正銘の海の化物だ!こいつに何人も喰われて沈んだ船も俺は

知っている!そんな化物におめぇ1人で何をしようってんだ!」

 

「あんたが言う事もわかる。わかるが。このままではこの船はそんなに持たない。

なら全部沈んで、みんな仲良くあいつの餌になるくらいなら、俺の言う事を

信じて欲しい!っとぉ!?」

 

言い終わる前にまた触手が無軌道に襲って来る。

瞬きをする必要は無い。

無軌道な触手が自分の間合いに来るのを確実に待てば良いだけだ。

俺の頭上から錐の様に鋭い触手が迫る。

 

ブン!!

 

素早く両手を頭上の標的に合わせて振り抜く。

 

ドサッ…

 

俺の後方に斬り飛ばされた触手が名残惜しそうに動いていた。

 

「なんだあの小僧は!クラーケンの強靭な触手をいとも簡単に斬りやがった!?」

 

「せ、船長!あの若造は何か違うんでさぁ!!とてつもなく強ぇ!

あいつが戦ってくれてるから、まだなんとかなってるんでさぁ!」

 

なおも激しく揺れ続ける船体と次々と運び込まれる負傷者達。

船長としての判断は間違っているのかもしれない。しかし現状を打破する解決策

もまた海妖の魔獣クラーケンに対し、持ち合わせていなかった。

 

「…小僧!俺らは何をすれば良い?」

 

「感謝する!まずはここにいる全員を船内か船首よりも遠くに離れさせてくれ!

とにかく衝撃から身を守るだけでも良い!今から一気に終わらせる。

あんたらも離れてくれ!」

 

「よしっ!おめぇら!!聞いての通りだ。前方を警戒しつつ奥へ退避しがれぇ!

小僧!本当におめぇに賭けて良いんだな…?」

 

「…大丈夫。クラーケンを殺るのは別に初めてじゃない。それにあいつが化物なら」

 

指示を出す船長の声を背中で聞きながら俺ははっきりと答えた。

 

「俺も充分に化物だ…!!」

 

雷霆三日月斧(ユピティス・バルディッシュ)を握り締め、俺は魂を奮わす。

 

怒れ!目の前の敵に!

怒れ!理不尽な暴力に!

怒れ!この俺を本気にさせた事を!!

 

「雷よ!我が身に纏え!雷鳴よ!我が魂と共に轟けぇ!!」

 

高らかに唱えた魂言は身体の隅々を駆け巡り、全身に雷を纏った姿に生まれ変わる。

これこそが雷霆三日月斧(ユピティス・バルディッシュ)を最大限に行使する時に

顕現する状態『憤怒の雷霆』である。

 

《終わらせてくる》

 

返事も出来ず、事の成り行きを見守る船長の目が見開かれていた。

目の前の小僧の雰囲気が変わったと思ったら、雰囲気だけではなく

髪の色が銀色に、目の色が金色に変わっていたのだ。

横にいる甲板員に一瞥すると、同じ様に今起こった事が理解出来ないと

言わんばかりに口を開けて放けている。

小僧に目線を戻すと船首から言葉通り高らかに飛び出し

海妖魔獣クラーケンに斬りかかっていた。

 

《憤怒の雷霆の一撃によって消えろ》

 

船首からクラーケンの頭上目掛けて飛び込み、雷霆三日月斧(ユピティス・バルディシュ)

俺の渾身の力を以て、重力に雷霆三日月斧の重量を載せて振り下ろした。

 

雷霆月輝斬(ユピティス・グランゼン)!!》

 

全身に宿した雷を雷霆三日月斧(ユピティス・バルディッシュ)に一気に流し込む。

両手から柄へ、柄から光輝く刃へと。

輝きは暗雲の海の中煌々と輝く蝶の様であった。輝きは上空へと飛んで行き

そして、一直線にクラーケンに向かって落ちて行った。

光が落ちた先にある結末に、その場を固唾呑んで見守る船員達の誰しもが目を疑った。

 

ゴオォォォォォォォォォォォン!!

 

船首から聞こえる巨大な雷鳴と、目を開けていられない程の眩しい雷がクラーケンに

落ちた。

直後、凄まじい衝撃が船体を揺らし船が一気に揺れ始めた。

 

グォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!

グォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ…

 

耳を塞ぎたくなる様な不気味な断末魔が通り抜け、船員達の身体が

一瞬にして硬直してしまう。

船首の一部が燃えているのか黒煙が上がっている。

 

「どうなった!?殺ったのか!?」

 

船員達が1人、また1人と黒煙に包まれている船首を確認する。

未だ止まぬ雨の中、徐々に黒煙が晴れていき、そこには一人の銀髪の

青年が立っていた。

その奥には頭部を両断され、だらしなく朽ち果てたクラーケンの姿が見えた。

 

《ふん。手応えも然程ない》

 

「や、やったぁ…やったぞぉぉぉぉぉぉ!」

 

「クラーケンに勝ちやがったっ!!」

 

「凄ぇよ!あの兄ちゃん!」

 

「うおぉぉぉ!」

 

口々に勝利を喜び、祝う船員達の中で、船長だけが別の感情を持って青年を見ていた。

あのクラーケンを一人で殺ったのに、特に歯牙にも掛けず、言い放つ青年に船長は

背筋が薄ら凍る様に寒くなった。

 

 

「あんたら大丈夫だったか!?衝撃で吹っ飛んだ人とかいないか?」

 

そう言ってこちらに向かってくる青年の姿は先程までの銀髪ではなく、元の黒髪

に戻っていた。

表情もさっきと違い、はっきりと年相応の様に見え、近寄りがたい雰囲気もなりを潜めていた。

それを見て船長は初めて安堵の笑みを零すのだった。

 

「あ、あぁ…、あんたのおかげだ。この船の代表者として礼を言わせて貰う。

本当に助かった。ありがとう!」

 

「あのままじゃあ沈んで船の全員が餌になるのも目前だったし、俺もこんな所で

死ぬ訳にもいかないからね」

 

本当に先程クラーケンを殺った人物と同じ人間なのだろうか?

そう疑いたくなる程に雰囲気も変わっていた。

いや、変な詮索は止そう。

この船を客を船員達を救ってくれた。その結果だけで充分だった。

だがどうしても聞いておきたい事があった。それだけを改めて問いてみた。

 

「あんたの強さ。常人離れしていやがるが、さっき戦士と言ってたよな?

どこかの国のお抱え様なのかい?いや、別に詮索するつもりじゃねぇんだ…。

話したくないならそれでいい」

 

「俺?正確には『元』戦士なんだ。『パーフェクトウォーリア』って

戦士団出身なんだけど、おっちゃん知ってる…?」

 

「いや…聞いた事ねぇ名前だ。聞いた事ねぇ名前だが、その名前の通り完全な

強さだったぜ!いや、まさかこんな小僧一人でクラーケンを倒しちまうなんてな!

が~はっはっはっ!!」

 

世界の海を行き交う船乗りでも俺の前職は知られていないらしい。

やはりマイナー職なのだろうか。

豪快に笑う船長を余所に、久しぶりに行使した11武装開錠(イレブンアームド・アンロック)

4番目の武具。雷霆三日月斧(ユピティス・バルディッシュ・フィーア)

更に確実に止めを刺す為の『憤怒の雷霆』状態への顕現。

 

完全便利能力では無いのだ。ズキズキと全身が痛む。

武装開錠、そして顕現状態まで行使してしまうと代償を払わないといけない。

魔力の総量が少ない俺が、魔力を駆使する技を使う場合、生命の力を魔力に変換する。

それが代償であり、呪いとも言える俺だけの唯一の魔法。

使用すれば必ず寿命が減る様な物騒なものはなく、あくまで酷使した場合に

回復(リカバリー)が追いつかず、寿命が減る代物だ。

まぁ、後どれぐらいの寿命が残っているのやら。

等と、1人物思いに耽っていると、雨もいつの間にか止み

空は次第に綺麗な夕日へと変わっていった。

 

「暗雲も抜けたぞ!帆を張れお前ら!病室へ入りきれない怪我人は甲板で手当してもらえ!

動ける奴は何人かで客室を回って安否の確認と積荷の確認だ!

残りは潰れた箇所の補修と犠牲者の確認作業だ!かかれ!」

 

「おう!!」

 

と船長の新たな号令でまた船が慌ただしく動き出す。

船体に身体を預け、夕焼け空を見る。

まだ痛む身体を潮風が包み込んでくれる。

 

「へ…っ、へっっくちっ!」

 

あ~、随分とずぶ濡れだな。風邪を引く前にさっさと着替えに戻ろう。

そして出来るなら船員に伝えて、暖かい飲み物でも用意出来るならして貰おう。

それくらいのお願いだったら融通を聞いてくれるだろう。

 

先日マリーと飲んだ甘めの紅茶を思い出しながら、痛む身体に鞭を打って

客室へと戻るのだった。



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Body-Diver

クラーケン襲撃の後、傷ついた船を船員達が応急処置ではあるが補修を施した。

途中ラ・シーン経由で遅れて出発した別の船がすれ違い、信号弾を飛ばし

呼び止め、事情を説明して、足りない資材と少し多めの食料を分けて貰った様だ。

 

「こんなベイオール西の近海に!?」

 

と別の船の船長は驚いていたそうだが、目の前に映る船の惨状を見て納得して

くれたらしい。

また船乗り達は顔も広い。船長同士知己の間がらなのだろう。すんなりと補助を

受けることが出来たそうだ。なんだかんだと襲撃後、手際良く動ける辺りは流石は

海のプロだな。

重傷者達はその船に乗せてもらいゼオングラーダで手当を受けるようだ。

乗客達も高齢者、子供連れを中心に可能な範囲で受け入れてくれたらしい。

海の男達の助け合い精神が心地良い。

 

「困った時はお互い様か…」

 

その後、波と風の影響もあり寄港予定日の3日遅れで「魔術王都ゼオングラーダ」へ

入港する事が出来た。

 

ん~~~……!!

 

っと目を細め両腕を真上に上げて伸びをする。やはり陸地は落ち着くなぁ。

他の乗客員達も安堵の表情で船を降りている。中には満面の笑みの人もいる。

無理も無い。比較的穏やかな海路としてられるこの辺りで海妖魔獣クラーケンなんて

海の化物に遭遇してしまったんだ。

 

生まれて初めて海妖魔獣をあの小さな窓越しに見た人もいるだろう。

それくらいこの辺りでは遭遇するだけで非常に希な存在だ。

ましてや武装船でもなく、それに海で襲われて無事に入港出来たのは本当に運が良い。

多くの船員が怪我をし、死んじまった船員もいてるけどな…。

乗客乗員にとっての幸運は無事に到着した事だろうけど、俺にとっての不幸は

いらぬ力を行使して今なお身体の節々が少し痛む事だ。

その上、予定の日程よりすでに3日は経過している訳だがキョロキョロと

辺りを見渡して見る。

喜び会う者、せっせと荷物を下ろしに精を出す船員、行き交う人々が交差する

港特有の慌ただしさがそこにはあった。

あったのだが、その中で目に映ったのは数日前と変わらぬメイド服姿でこちらを見つめる

ミラルダ・パウの姿があった。

 

「え~っと…ミラルダさんでしたよね?どうしてここに?」

 

彼女に近づき、率直な疑問を聞いてみた。

なにせ彼女はまだ仕事があるらしく、ラ・シーンに残っていたはずなのだ。

それが俺よりも先にここに居る。

 

「海妖魔獣クラーケンと遭遇したと聞き及びました。その際お怪我等は御座いません

でしたか?その後通りかかった船があったと思います。その船に私共は乗っていたの

です」

 

彼女は穏やかに、でも少し心配する様な表情で話した。

 

「あ~…、あの時通りかかった船に居たんですね。どおりで俺より先に着いてる

はずです」

 

あの時、襲撃後に色々と助けてくれた船にミラルダさんらメイドさん達が乗っていた

らしい。あの船もラ・シーンからゼオングラーダ経由へ北上する船だったらしいからな

それで事情を知っていたのか。

 

「ディオニュース様が乗られている船だとすぐには気づきませんでした。所々船が

破損しておりましたし、運び込まれる怪我人の応急処置だけになってしまいますが

寄港するまでの看病も私共が買って出ましたので確認まで至らず…」

 

そう言ってミラルダは表情を曇らせ、申し訳なさそうな顔をする。

 

(いやいや、あなたが俺の事をそこまで心配する必要ないですよ?)

俺は心の中で軽く突っ込んでからミラルダに話しかける。

 

「俺は全然気にしてませんし、大丈夫ですよ。それに見ての通り怪我の一つもして

いないし、そもそもあの船にミラルダさん達が乗っている事すら知らなかった訳ですし

そんな顔をしないで下さい。俺が逆に恐縮してしまいます」

 

「ありがとうございます」

 

「あ、いえ!こちらこそ…」

 

頭を下げてから向き直す、穏やかな表情をする彼女に思わずドキっとしてしまった。

 

「あ、あのそれよりもですね、仕事の件ですが、こう言う事情もありまして到着

予定日が遅れてしまったのですが、今どんな状況ですか?」

 

照れ隠しもさる事ながら、現状一番気にしていた疑問を問いかけてみた。

到着が遅れる事は海路に限らず、ある程度は起こりうる不測の事態もあるのだ。

少し強ばった表情で聞いたのだろうか、彼女はニコっと微笑んで「大丈夫ですよ」

と言ってくれた。

ほっと一安心した。まだ俺を必要としてくれているようで心底安心した。

後は身辺のお世話(パーソナルケア)としての職務に従事するだけだ。

 

「ディオニュース様、それでは今よりバーリン様の元へご案内到います。

そこでバーリン様より詳しいお話をされると思います。ではこちらへ」

 

うなずく俺を見た彼女はそう言って、港の交易所を抜けて入国の手続きを済ませ

港すぐに待機させてあった馬車まで案内してくれた。

今からこの馬車でパリンガー婦人の元へと向かうのだそうだ。

 

「どうぞお乗り下さいませ」

 

そう言って彼女が扉を開いてくれた。

 

「あ、どうも…です」

 

そう言ってなれない座り心地の良い馬車に乗り込む。

ミラルダは馬車を操る従者に何か話した後「失礼致します」と言って乗り込んで来た。

 

「少し距離がありますから途中何か御座いましたら遠慮なくお申し付けくださいませ」

 

ミラルダはそう言って『もし手洗いに行きたくなった遠慮しないように』と遠まわしに

言ってくれた。

勿論我慢は良くない。その時が来れば遠慮なく手洗いに行かせてもらおう。

 

丁寧に舗装された石畳の上を、一定のリズムを奏でながら蹄の音が馬車の外から小さく

聞こえてくる。

どれほど走ったのか、しばらくして港を離れたようだ。

相変わらず一定のリズムで馬の蹄の音が聞こえて来る。

ふと窓に視線をやると、市街地の様な場所だった。

いかにも「魔法、魔術が得意です!」

と言う風貌な男女がちらほらと見かける様になった。

頭が良さそうな雰囲気の人達が窓越しに過ぎて行くのだ。きっと彼らはここいらの

魔法使い(ソーサラー)魔術師(マジック・クラフト)の人達なんだろうな。

ぼんやりと魔力を体に有する人達を窓越しに見ては視界から消えていった。

 

「ディオニュース様。何か御座いましたか?」

 

馬車内で対面に座するミラルダに、ぼんやりと外を見続けていた

だらしない横顔を見られた様だ。

 

「あっ、いや何もないですよ。ただ、この国は『持っている』人達が多いなぁって」

 

「持っている人達…、ですか?」

 

「ええ、そうですね。あ、それとミラルダさん。俺の事はディオと呼んで下さいね。

これから一緒に働くのに様付けなんて変じゃないですか」

 

「え!?…えぇ、そうですね。それではディオさんとお呼びさせて頂きますね」

 

何か少し間があったが、ミラルダは俺の提案を受け入れてくれたらしい。

同僚と言うか職場の先輩になる人に様付けで呼ばれるのは色々とおかしいからな。

こっちも毎回なんだか恐縮してしまうし。

 

そんなやり取りをした後しばらくして街並みの雰囲気がまた変わった。

 

「もう少しでバーリン様の住む館に到着致します」

 

街の雰囲気が変わったと思った矢先にミラルダの言葉。どうやらこの辺りは市街地や

港とは違い、やや山間部であるが閑静な場所だ。所々に見える広大な土地と大きな館は

きっと貴族の人達の住まいか別荘と言ったところだろう。

彼女の言う通り程なくして馬車はある館の前で止まった。

どうやらここがパリンガー婦人の住む館で、今日から俺の職場になる場所らしい。

 

「到着致しました。お疲れ様でした。ではこれよりバーリン様と

お会いして頂きますので、よろしくお願い致します」

 

ミラルダはそう言って立ち上がり、扉を開けて降りるように促した。

馬車でしばらくの間揺られていたせいか、酷く足元がふらつく様な変な感覚になって

いる。

深く深呼吸をして精神を整える。

 

すぅ・・・はぁ・・・。すぅ・・・はぁ・・・。

 

良し!大丈夫だ。

俺の行動を何も言わずに見守ってくれていたミラルダに視線を合わせる。

 

「ディオさん、それではご案内致します。こちらへ」

 

ミラルダの言葉を聞いた後、彼女の後について館内を歩いて行く。

 

(素人の俺でもわかる程にはなんだか高価そうな調度品が並べられているなぁ)

 

そんな事を思いながら綺麗にされている館内のある一室で彼女は立ち止まり扉をノック

した。

どうやらここがパリンガー婦人のいる部屋らしい。

 

「どうぞ。お入りなさい」

 

ゆっくりとした口調ながら凛とした声が扉の奥から聞こえてきた。

ミラルダがノブに手を掛け扉を開いた。

 

「ディオさん、どうぞ」

 

ミラルダに促され足を扉へと向かわせる。

一歩、二歩、また一歩。

部屋に入り、開口一番に婦人に最初の挨拶をする。

とにかく誠実に印象良く挨拶だ。

 

「失礼致します。この度バーリン・レイ・パリンガー様の元で従事させて頂く事に

なりました。ディオニュース・カルヴァドスと申します!この度は私の様な若輩者

にへぶぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!!」

 

(ぐぁ!?なっ、なんだ!?いきなり横っ腹を強打されたぞ!?

挨拶の途中でしかも息を吐いていた時だからすげぇ声が出ちまったじゃねぇーかよ!?

一体なんなんだ!!)

 

混乱する頭で左脇腹の痛みの原因の方へ目をやると、そこには見覚えのある髪の色と

見覚えのある背丈の少女が抱きついていた。

 

俺の脇腹に頭からダイヴしたその少女は抱きついていた両手を離し、姿勢を正して

満面の笑顔で俺にこう言った。

 

「ディオ様!またお会い出来てマリーベルは嬉しいですわ!!」

 

「ぐぉぉ…ま、マリーなのか?」

 

不意打ちに痛む脇腹を抑え、目の前の少女に問いかける。

 

「はい!マリーです!また必ずお会いする約束が果たされましたわ~~!!」

目の前の太陽の様に明るい笑顔を見せているのは、間違いなく少し前に会食を共にした

マリーベル・フェイメール・リングベル本人だった。



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