親しくなってからぶっ壊れるまで (おおきなかぎは すぐわかりそう)
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出会い編
大井は北上大好き過ぎ


 

 

 深海棲艦、そして艦娘の出現から(しばら)く経ち、世界は平穏を取り戻しつつあった。

 

 その中でも当時世界有数の海軍を保有していた日本も例に漏れず、初戦の絶望的と(ささや)かれた戦闘を乗り越え、次の戦いに向けての新たな準備が着々と進められていた。

 何処の鎮守府もようやく迎えた平穏に(かま)けることなく、(せわ)しなく働き詰めるその中の一つ。そこに大井は配属された。新天地でこれから起こる新たな戦いに顔を引き締める者が多い中、大井はそんなもの眼中に無いとでも言いたげに白目を()き、生気を感じさせない足取りで歩いていた。

 

 実際、勝利の代償は決して安くは無かった。戦友、姉妹、家族。このどれかを、あるいは全てを失った者。聞いている、見ている。

 その多くが後方に下がり、予備役扱いとなっているのだが。全ての戦線から、そう言った者たちが退いた訳ではない。まだ戦況は思わしく無く、(むし)ろ広大な海に未だ謎多き未知の敵。不安要素を考えれば少しでも戦力が欲しいのが現状。心的外傷のダメージが軽いものから前線に駆り出されるのも不思議ではないはずだ。

 

 大井を視界に入れた彼女達は思った。

 同情はしない。自分もいつああなるか分からない以上、他人の心配をしている余裕は無い。だがしかし、大切な者を失くしてもなお、戦う事から逃げ出さないその姿に、一人の艦娘は敬意を示す。戦場でもし(あい)まみえたなら共に戦おう、これ以上悲しみを生まないために、貴方のような不幸な兵器(艦娘)を増やさないために、共に戦おう。

 

 そうして彼女は海軍式敬礼を大井に向けする。無論それは大井にも、まして回りに見える事は無い。心中で行われた、心に傷を負った者に送る、彼女なりのせめてもの敬意であった。

 

 

 

 

 

 ちょっとした歓迎会を終えたのち、大井は夕陽の見える波止場から海を見ていた。

 

 激戦を乗り越えた恋人、北上さんが心配で心配で、ここの提督の言ったことなど微塵(みじん)も覚えていない。

 離ればなれになると知った時の大井は世界を敵に回すのも(いと)わない程に暴れ回った。最終的に北上が止めに入らなければ、記念すべき人類への反逆者第一号となるところだった。「逆らうのなら二度と北上と会えなくなるぞ」。と脅され、憲兵に挟まれた北上が大した緊張感もなく「わ~、助けて大井っち~」。と懇願(こんがん)するので、血涙(けつるい)を流し、断腸(だんちょう)の思いで泣く泣く転属を受け入れ今に至る。

 さっきの感動を返せと言いたい所だが、大井はさっきから北上のいる鎮守府に今から向かって何時間で着くかを考えているので、たとえ背後を深海棲艦がぬるりと通り過ぎても決して気が付く事は無いだろう。

 

 沈みゆく太陽を背負い自室に戻った大井は、北上へ駆け落ちしようとする節の手紙を書き始める。が、後日検閲官(けんえつかん)に見つかった手紙がどの様に処理されたかは、各々の想像に任せるとしよう。

 




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提督はメンタルがお強い

「おう!この後の訓練もがんばれよ!」

 

 この施設の最高責任者はそう言って、手を大袈裟(おおげさ)にブンブンと振った。ある程度見送った後、開戦以来身に(まと)っている白い軍服からメモ帳を取り出すとチェックを付けていく。

 

 

────俺もだいぶ慣れてきたな。

 

 

 そんな事を考えながらメモ帳を仕舞うと食堂へ向かって歩き出す。

 

 

────今日はうどんの気分かな。

 

 

 最近は忙しくて部屋に缶詰め状態だったので、何か食いごたえのあるものでもガッツリ食べようと考えていたが、さっきの話を聞いて気が変わった。

 (しばら)くうどんもお目にかかれてなかったから、天ぷらマシマシ七味ぶっかけ提督スペシャルを久しぶりに食べよう。まあ、七味をかけすぎて周りの艦娘に引かれるのは結構(こた)えるが、それも話のネタになって面白いだろう。

 すれ違う部下達へ、無難に挨拶(あいさつ)を返していると目的地に着く。食堂の扉を開ければ(みな)(みな)、思い思いの時間を過ごしていた。昼時を少し外したこの時間帯、席は半分程()まってはいるもののほとんどの者が食事を済ませていて、こちらの姿に気付くと軽く会釈(えしゃく)された。

 それに手を軽く上げて応えると、何とは無しにある人物を探してしまう。

 

 

────いた。

 

 

 列に並ぶ問題児に近付くと、こちらに気付いたのか正面を向いたまま顔を露骨に歪められた。

 

 

「よう、大井」

 

 

 声を掛けてみるが返事は無い。無視を決め込んだらしく注文したサバの味噌(みそ)煮定食をトレーに載せると、ささっと離れていった。

 

 

────あいつらしいな。

 

 

 軍帽のツバを掴んで顔を隠すように影を作ると、口の端が吊り上がり笑い声が漏れ出さないように体を震わす。

 

 

「あの~。提督さん....注文の方を....。」

 

「あ~、悪い悪い。うどん大盛り天ぷら全部乗せね」

 

 

 厨房(ちゅうぼう)からの声で我に返ると、若干引いている店番の子に注文する。トレーを取り、備え付けのテーブルから箸と七味を持って来ようとするが......。ない、七味がない。赤いキャップの三分の一しかない、せめて半分は欲しかった。

 

 

「すみません。今ちょっと七味切らしてるんですよ」

 

 

 状況を察したのか厨房(ちゅうぼう)から声がして、空になったと思わしき容器を回収するために手を差し出す。提督はそのことに全く気が付かずに「これで我慢するか」。と呟き、箸と軽い音を(かな)でる七味をトレーに載せた。

 

 

「ん?」

 

 

 大井がこちらに向かって早足で向かってくる。

 謝りにでも来たのかと考えていると、備え付けのテーブルから箸を乱暴に取り出し、自席にさっさと戻って行った。帰り際に耳が赤くなっているのを見た。

 うわー、ドジだなー。と思いながら前を向くと、手を差し出したまま固まった店番の子が、苦笑いを浮かべて立っていた。さっきより心の距離が開いているのを感じた。

 




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大井一本釣り

 

 栗色のセミロングが斜陽にきらめく。誰もいない廊下を歩くたびに、尻尾の様に揺れるその髪には影が差したり陽が差したり、窓枠模様の影が髪から勢い良く滑り落ちる。

 

 向かう場所は提督の仕事場、執務室。

 誰が楽しくて秘書艦不在の執務室に行かねば為らなくなったのか。最近になって毎日のように提出していた、転属届に対する嫌がらせだろうか、「転属届の件、考えといてやるよ」。その言葉を聞いた時はあまりの嬉しさに狂気乱舞したものだが、日が経つにつれ感動は薄れていった。

 うざったらしく毎日声を掛けて来てはしつこく着き(まと)ってきたのに、転属届の件からぱったり会わなくなった。どう見たってふざけている。そして今日、私は直談判に(おもむ)くのだった。

 

 

 執務室のドアからは光が漏れている。今にも魚雷で提督の頭をかち割りに行きたい所だが、一度ドアノブから手を放して我慢、我慢。ぐっと怒りを抑えて合法的に北上さんとのラブラブ生活を手に入れてやる。

 胸に手を当て深呼吸。北上さんとの思い出の日々が、幸せのハリケーンとなって私に襲い掛かる。あれだけ険しかった顔は甘美なスイーツを口に放り込まれたかのようにだらしなく緩み、目は幻覚を見るジャンキーのように焦点が合っていない。

 ヘロインをヤッた後のような多幸感に包まれた大井は次の瞬間。

 

 

「グェ」

 

 

 突如迫ってきた執務室のドアに、カエルが潰れたかのような声を上げる。異変に気付いた提督が開いた隙間からひょっこり顔を覗かせると、鼻を押さえ(もだ)える大井の姿があった。

 

 

「だ、大丈夫か?」

 

 

 提督が近付こうとするのを大井は片手で制し、手で大丈夫と言う旨を伝える。これ以上こっちに来たら殺すぞ、と睨み付ける目には薄っすらと涙が浮かんでいた。

 

 

「そうか、危ないからドアの前で突っ立ってるんじゃないぞ」

 

 

 大丈夫そうだと確認できたのか、そう言って提督は大井を素通りして行った。残された大井は提督のあっさりとした態度に一瞬面食らい、その後に沸いて来た行き場のない怒りに再び悶えるのだった。

 

 

;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:

 

 

「あれ、大井まだ居たの....か」

 

 

 提督が執務室に戻ってくると、大井が来客用のソファーに良い笑顔で座っていた。執務室に用事でもあったのか、悪いことをしたな。何てことを考えていたが、自分の机に目をやって二の句が消えかかる。

 ついさっきまで口を付けていた自分のマグカップの残骸と思わしき物が散らばっている。

 

 

「申し訳ありません提督。マグカップ落としてしまったみたいです、本当に申し訳ありません」

 

 

 良い笑顔でなおも続ける大井。本当なら上官侮辱罪で軍法会議ものだが、この状況に提督は申し訳ない気持ちになっていた。

 大井が北上を大事に思っているのは聞き及んでいたが、まさかここまでとは思わなかった。北上の居る鎮守府とは仲が良かったので、何とか大井を受け入れてもらえないかと頼み込んでいたが、参謀本部から各鎮守府に分配されるノルマの問題から現状安易な配置換えは不可能と返答された。

 北上と大井を抱え込みたくないと言った、裏の事情も相まって、話は遅々として進まなかった。参謀本部に対する働き掛けも無駄に終わり、変に希望を持たせてはいけないと何かしらの成果が出るまで提督は大井に会わないようにしていた。

 

 

「あー別にいいんだ。怪我は無いか?」

 

 

 長年使っており、愛着もあったマグカップの欠片を処理しながら、ふと提督はアイデアを閃く。

 

 

「大井、秘書艦やってくれないか」

 

 

「お断りします」

 

 

 大した迷いもなく発せられたその言葉に提督は笑いがこみ上げそうになり顔を伏せた、相当嫌われてるなと思ったからである。それならばと、提督はまだ成功するかも分からない思い付きを大井に話す事に決めた。

 

 

「もちろんタダでやってくれとは言わない。大井を北上の居る鎮守府に転属させることは今のところ難しいが、その逆、北上をこの鎮守府に転属させる事は出来るかもしれない」

 

 

 大井は自分の転属届が相手にされてないとばかり思っていたので、真面目に取り合ってくれていた事に目を見開く。そして北上の名前が出たからか、真剣な顔つきにいつの間にか変わっていた。

 

 

「作戦計画書を見直せば、どこかしら削れる所が有るだろう。参謀本部の想定以上の戦果を上げれば評価が上がる。評価が上がれば担当地区が増え、人員が必要になる。北上を引っこ抜けるかもしれない。どうだ、やってくれないか?」

 

 

「............。」

 

 

 大井は考えていた。現状、北上さんと一緒になれる、可能性がもっともある方法はこれしかない。

 手紙や携帯でのやり取りは毎日行われているが、北上さんの迷惑を考えると頻繁には出来ない、大井は欲求不満で狂ってしまいそうだった。

 この道しか残されていないと分かってはいるのだが....。この男を信用していいのか判断しかねる。こんな頭の中に七味と辛子とワサビが詰まったような男だぞ。

 考え込む大井に提督は、最後のダメ押しとばかりにこう告げる。

 

 

「来週、北上の居る鎮守府で合同演習のお誘いがk「ぜひやらせてください!!」

 

 

 提督の言葉を妨げる様に発せられた言葉が執務室に木霊(こだま)した。

 

 




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挨拶の基本は罵倒、会話のキャッチボールは暴言。※(ただし北上は除く) 上

 まだ薄暗さが残る早朝の空をカモメが優雅に飛び回る。呑気に鳴き声を漏らしながら風に揺られるその様は、戦時中だと言う事を忘れてしまいそうだ。

 そんな平和な鎮守府の一室。提督に上手いこと事丸め込まれてしまった大井は、秘書艦業務を今日も遂行するため朝早く起きていた。

 

 タイムテーブルに自分の名前は減ったものの、毎日のように提督に顔を合わせ、同じ空気を吸い、書類仕事を鎮守府が寝静まるまでこなす日もある。

 (さぞ)かしストレスマッハな生活に嫌気が差し、寝床で死体になっていると思われたがそんな事は無かった。もはや日課に近しいと言うのか、まだ寝惚(ねぼ)(まなこ)で意識が覚醒して無いなか、枕に顔を埋め携帯を取る大井の行動理念は全て北上と言う二文字で説明が付く。

 北上さんへのモーニングコールを済ませ、北上さんに近況報告し、北上さんに提督の愚痴を溢す。

 それに北上は「へー、ふーん」と随分と適当な相槌(あいづち)を打つに留めるが、大井はそんな事お構い無しに喋り続け、会話も終わる頃には元気一杯、充電完了、準備万端、北上万歳!!と今日も張り切って提督を叩き起こしに向かうのだった。

 

 見慣れた、いや見慣れてしまった執務室のドアを潜ると、そこからまた更に提督の寝室へと繋がるドアを同じく潜らねばならない。

 大井が寝室への扉に差し掛かった時だった、独りでにドアノブがひねられたのでサッと距離を取ると中からパジャマを着た駆逐艦の子が大慌てで出てきて、その勢いのまま執務室も出て行った。

 開いた寝室のドアから提督が目を擦りながら続いて出てくると、大井は気持ちの悪い物でも見るように白い目で提督を見る。

 

 

「あ、大井おはよう」

 

 

「おはようございます提督。朝の水泳大会はいかがですか?」

 

 

 視線に気付いた提督が起こしに来た大井に朝の挨拶をして、大井が暗にお前を魚雷に括り付けて海水を鱈腹(たらふく)飲ませてやろうか?と返す。それに提督は勘弁してくれ、と目を閉じ呟いた。

 なおも続く、大井の汚物を見る目に提督は欠伸をした後に言葉を続ける。

 

 

「なんだ、明日遠征があるのに眠れないとかで部屋に来たんだよ」

 

 

「......変態」

 

 

「なんでそうなるんだよ!!」

 

 

 何を言っても徒労(とろう)に終わると悟った提督は、大井の横を通り過ぎ洗面台に向かう。なおも大井からのゴミムシを見る目は変わらない。

 

 

「......ロリコン」

 

 

「俺は至ってノーマルだ」

 

 

 水音に交じって抗議の声が聞こえて来るが、食堂でとんでもなく辛いと噂の特製激辛マグマカレーに、真顔で七味を振りたくる提督の何処が普通なのかと大井は首を傾げる。

 辛い物を食べる人に対して、食べれない人間はスゴイだとか勇敢だ、などのプラスの感情を抱くのが一般的だろう。しかし行き過ぎた凶行はキモイの一言に収束するとになぜ気付かないのか。

 提督として執務や指揮、コミュニケーションと言った基本的なことが出来るのは、流石この戦いを初期から戦い抜いている甲斐あるといった所だが。そんな提督を彼女達はある程度評価して好意的に接しているようだった、食事の一点に目を逸らしながら。

 

 憲兵に証拠を認めるなり現場を押さえさせれば提督など消し炭にすることが出来たが、大井は特にどうでもよさそうに髪を弄り回して提督の準備が整うのを待っていた。彼女もまた、これまでのやり取りである程度の評価を下した一人だったのだ。勿論、最も重要な北上の件に比べれば、些細な問題に過ぎないのだが。

 そんなこんなで、北上との夢の同棲生活に向けた秘書艦業務が今日も始まった。

 

 

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―――――――――――――――

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――――――――――――――――――――――

 

 

「そろそろ昼時か。よし、いったん切り上げるぞ」

 

 

 壁掛け時計を見た提督がそう告げると、両者共に凝り固まった体を解す。作業中余計な会話をしない二人は確実に書類を片付けて行き、後もうひと頑張りといった所か。提督が紙コップの中身を飲み干し静かにため息を吐く。

 

 

「提督、やっぱりマグカップ弁償させて下さい」

 

 

 怒りのままに破壊した提督のマグカップを後から申し訳なく思った大井は弁償させてくれ、と提督に頼んだ。

 対する提督の方だが、その時は無責任に北上の鎮守府への転勤をチラつかせ要らぬ負担を大井にかけてしまい、この鎮守府の指導者として相応しい行動が取れていたかと問われれば、提督にも落ち度はあったと振り返る。

 確かに長年愛用していたものだが、そこまで深刻に考えてもらっては困るのであって、結局はただのマグカップでしかないのだ。

 

 

「その事は何度も言っているが俺も悪かった。この話は今後一切しない事、わかったな」

 

 

 こんな男に借りを作る事が嫌なのか、大井はムスーとした顔で、納得いかないご様子だ。提督はどうしたものかと頭を抱え、どうにか大井を納得させられないかと考え込む。

 

 

「そう言えば、大井はマグカップ持ってなかったよな?」

 

 

「ええ、まあ」

 

 

提督の一見意味の無い質問に、不思議に思う大井は一様の肯定を示す。少し前までは確かに大井も所持していたが、北上が持っていないと知るや否や、合同演習の際に自分の物をプレゼントしていた。

 確かにマグカップが無くなって不便ではあったが、自分のマグカップを北上が使っていると想像するだけで大井はニヤニヤが止まらなくなる。

 

 

「大井には感謝しているんだ、北上の為とは言え仕事を片付けるスピードは格段に上がっている。北上がこの鎮守府に来るか、あるいはそれ以外の要因で終わる関係だとしても、それまでの間よろしくの意味を込めてマグカップでも送らせてくれないか?」

 

 

 北上からのプレゼントだったら、たとえゴミを放り投げられても大手を振って大歓迎だが、北上以外となると話は別だ。単純に嬉しくない、この言葉に尽きる。

 提督がしつこい事は知っているので、それで彼が満足して場が収まるのならマグカップの一つ程度、別に受け入れてもいいかなと大井は思った。

 

 

「提督が私にプレゼントしたいと言うなら別に止める理由はありませんが....」

 

 

「よし、決まりだな。飯食って残り片付けたら買い物いこうぜ」

 

 

「は?」

 

 

 上官に向かって、は?がいかがなものかは置いといて、どうやら提督は大井を連れてショッピングに行くつもりのようだ。困惑する大井を差し置いて、さっさと提督は執務室から出て行ってしまう。

 

 

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ提督!!」

 

 

「ん、どうした大井。先に仕事片付けちゃいたいか?」

 

 

「いえ、そういったことではなくてですね。なんで提督の買い物に私が同行することになってるんですか!?」

 

 

「そりゃお前、本人に直接選んで貰うのが一番確実だからだよ」

 

 

 提督はこの方法しか考えられないとばかりに自慢げに言い放った。大井は一日に北上との交信を数度、最低三回行わないと死んでしまう体なので、この提案に異議申し立てを声高に叫んだ。

 

 

「そんなの一人で行けばいいじゃないですか!辛さでとうとう舌だけでなく頭まで可笑しくなちゃいましたか!?他の子にもこんな風に声を掛けて連れ回してるんですか!?そうやって仲良くなって自分の性欲を満たしてるんですね!?変態!ロリコン!女の敵!この鎮守府の敵!!!」

 

 

 肩を上下させ、息を荒くする大井は今まさに飛び掛からんと両の手を広げ戦闘態勢に入っている。途中から入った推察がいつの間にか確定させられてる所が笑いどころだが、提督自身は決して笑えない。

 今にも飛び掛かって喉を絞殺されると本能で察した提督はとんでもない愚行を犯す。

 

 

「い、いや待て大井。実はだな北上も一緒に誘っているんだよ」

 

 

 北上の言葉にピタリと動きを止める大井。後先考えず、一緒に外に出掛ければある程度仲良くなれる提督の伝家の宝刀を信じ、嘘を更に掘り下げていく。

 

 

「うちの備蓄資源が余ってるから北上の居る鎮守府に取りに来てもらおうと言う話になって、北上が旗艦で新米達を連れて練習がてらこの鎮守府に来るんだよ。大井を誘う前に北上にも連絡を入れていてな、せっかくだったらみんなで買い物でもしようという運びに......」

 

 

 そんな話北上さんから聞いていない。だが、北上さんのスケジュールの全てを知っている訳でもない。

 なんで北上さんと提督が連絡先を交換しているのか、鎮守府間の大きな取引を秘書艦である私が知らないのは何故か、なんでわざわざ三人で買い物しなければならないのか。考え出せば怪しい所なんて切りが無い。

 しかし、もし本当に北上さんがこの鎮守府を訪れて、北上さんの意思で()えて私に情報を流さないようにし、三人で買い物に行くことに北上さんが納得しているのなら、こんな下らないことをしている暇は無い。

 

 

「わかりました、急ぎましょう」

 

 

 大井はそう言うとさっきまでの怒りは何処へやら、食堂に向かって歩き出した。それに提督は危機は去ったと冷や汗を拭う。単純な問題の先送りでしかないが提督はよく回る自分の舌に感謝し、今後訪れるであろう厄災(やくさい)をどう乗り越えるかに意識を向けた。

 

 

「提督」

 

 

 先を進む大井の声に嫌な汗を再び流れる。意識を引きずり戻され体を硬直させて、緊張の面持ちで直立不動する提督に、大井は振り返りながら言葉を続ける。

 

 

「もし嘘だったら」

 

 

 正面に向き合いこちらを探るように見つめてくる大井の目は髪と同じブラウン色。その眼はしっかりと提督を捉え、何もかも見透かしてしまいそうだ。恐ろしくて大井から視線が動かなくなった提督は両手を固く握り込む。

 

 

「殺しますよ」

 

 

 飛びっきりの笑顔でそう告げた大井は踵を返すと足早に食堂へと向かう。笑顔は本来威嚇から発展したものだと提督は思い出した。

 今の自分を例えるなら13階段一歩手前と言った所か、その階段の向こう側には勿論太いロープの先が輪っかになった物が小さく揺れている。

 そんな幻覚を見そうになるが、今から本当の事を話して許される訳なんてものは当然無く、寧ろ死期を早めるだけだ。ならばと提督は快く受け入れてしまおうと決心する。だが踏み出したその足取りは想像以上に重いものだった。

 

 




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世界は北上を中心に回る。※(ただし大井限定) 下

 

 

 日本近海の安全が保障され、内陸部に避難していた民間人も生まれ親しんだ土地へ帰って来ると、復興は瞬く間に進行した。

 特にシーレーンの一部復活に伴う輸出入の増大は、沿岸施設の早期復興をさらに加速させる。インフラ整備が早急に行われ、政府概算の復興予算が、予想を超えるスピードで消費されていくのは嬉しい誤算だった。

 新たに予備費が当てられ、日本は最大の危機を脱したのだと、疑いようの無い現実となっていた。

 

 そんな当たり前の日常を取り戻した、そこそこ田舎の街並みを全力疾走で駆け抜ける人物がいた。

 

 白い制帽を手に握り締め、外ずらを気にしていないガチ走りは、その白い軍服と相まって極めて異様だ。

 その後方20メートル、怒涛(どとう)の速度で迫りくる少女は、前方の白い背中を親の仇の様に睨みつけ、一度や二度(くび)り殺した程度では収まらないであろう怒気を隠すことなく放出していた。

 前方を走る提督は背中に刺さるような怒りが近付く恐怖を全身で感じながら、ただ前を向いて走り続ける。運動不足が祟ってか、昔に比べて動いてくれない体を必死に動かすが、鎮守府からここまで走ってきたせいか次第に息が不規則に吸われ、吐かれ。

 提督の体はもう限界だ。

 

 そんな時だった、提督の前方に軽トラに荷を積むのであろうご老体が、大きな荷物を抱えながら提督の目の前に現れた。

 咄嗟(とっさ)に急ブレーキを掛ける提督は危なげなく衝突を免れるが、大井は白い背中に意識を集中させていた所為(せい)か反応が遅れてしまう。振り返り、このままでは衝突は免れないと思った提督は大井を受け止めようと両腕を広げる。

 

 

──────あれ?

 

 

 提督は違和感を覚えた。何故かって? 大井の速度が先程と変わっていない、寧ろ加速しているように感じたからだ。その距離は見る見る内に縮まっていく。

 大井の顔を見ると、この状況を好機と捉えたらしく、利き腕を大きく振り上げ提督を亡き者にせんと拳を握り締めていた。

 

 

──────あ、これ死んだわ。

 

 

 拳が迫りくる刹那(せつな)、提督は背後の民間人に危険が及ばないように逃げ去る選択肢を取らなかったものの、自分の近い未来を想像して両目を瞑った。

 大井は提督を仕留められると確信して悪い笑みを浮かべる。

 

 

 上官を右ストレートで吹っ飛す、す?

 

 

 しかし、戦いなれた海上と地上の違いからか、それとも慣れない業務に疲れを溜めていたのか、大井は殴りつける直前でバランスを崩し、勢いそのままに提督に覆いかぶさる形でつんのめる。

 体勢を立て直そうとするが、健闘空しく提督に抱き付いてしまい、そのまま二人して固いコンクリートの地面に倒れこんでしまう。

 提督は目を(つぶ)った間に何が起こったのかよく解らなかったが、寄りかかってきた大井を抱きしめると、女性特有の甘くて優しい香りが漂ってくる。

 全艦娘に支給される同じ柔軟剤を使っている筈なのに、どうしてこうも彼女達の匂いは十人十色なのか。

 などと考える頭を守るように受け身を取り、衝撃が体に訪れた。軽トラの離れる音が聞こえ、痛む背中を押し固い物と柔らかい物に挟まれつつも、大井の無事を確認するため顔を起こせば。

 

 

ゴン

 

 

 無言の拳が提督の鼻に直撃。

 

 

「ひでぶ!? ばなが、鼻が...」

 

 

 情けなく(うずくま)る提督から離れ立ち上がる大井は、顔を真っ赤に沸騰させながら自分の体を抱き締める。

 その恥ずかしさを過分に含んだ怒りでもって睨み付ける先には、まだ痛みが抜けきっていない提督の姿が...。

 

 ワン、ツー! ワン、ツー! 両腕から放たれる容赦を知らない攻撃が提督を襲う。

 だか次の一撃を入れるか入れまいかの所で、ふと大井は思い留る。何処で誰が見ているか分からない、上官を殴りつける行為は国民に、艦娘全体に対する不信感を与えないか。

 ボッコボコにしといて今更な行動に、もはや手遅れな事を棚に上げてこれ以上の追撃はあきらめる。

 暫く痛さで転げ回っていた提督は近くに転がっていた制帽を拾い上げ、それで体を叩きながら立ち上がると大井がまだ赤みが残る顔で声を掛ける。

 

 

「ほんと、提督は馬鹿ですね」

 

 

「何のことかな?」

 

 

 提督は所々薄汚れた軍服で制帽を深く被るとそう呟いた。

 走ってきたこの先には、田舎特有の馬鹿デカい駐車場を備えた複合商業施設がある。

 騙され、せっかくの日に数度しかない北上成分補給チャンスを逃した大井のイライラは幾分か収まったが、北上が絡まなければ基本優秀な大井は次に提督が言うであろう言葉を容易に想像できた。

 

 

「さ、行くぞ」

 

 

 さっきまで部下にボコボコにされていた事など無かったかのように振る舞い、足を引き()りながら先を急ぐ提督に、大井は大きく溜息を付くと渋々と後に続いていった。

 

 

^^^^^

^^^^^^^^^^

^^^^^^^^^^^^^^^

 

 

 ショッピングモールの中は大いに賑わっていた。

 

 それに比べたら商品棚が少し寂しいように感じられるが、少し前まで配給券で物のやり取りが行われていたと知れば、そんな疑問を抱く事は無いだろう。

 提督は慣れているのか、救国の英雄その一人に色めき立つ周囲を物ともしない。

 そんな状況に大井は気恥ずかしさを覚えるが、この目立つ白い服装で艦娘と出かけないと警察のお世話になることを提督は学習済みだ。

 

 

「おお、見ろ大井! あそこに旨そうなもんがあるぞ!!」

 

 

 提督の言う旨そうな物は言わずもがな辛い奴だ。

 

 フロアの開いたスペースだったであろう場所に、中華激辛フェアの文字と出店が所狭しと並んでいた。

 呆れ返る大井を置いて、提督は片っ端から気に入った物を買い込んで行く。提督の去った店を何と無しに見た大井は値段の高さに驚愕し、急いで提督の後を追うのだった。

 

 備え付けのテーブルに戦利品を並べ、物凄い速さで平らげていく提督を見て、自分の上官は馬鹿なんじゃないかと。いや、馬鹿だったわ。と改めて評価を上書きした。

 周りを見渡せば、もう人影は騒がしかった頃より少なくなっている。提督の奇行に回れ右したのか、用を済ませて帰ったのか、出来れば後者であってほしい。

 

 

「大井も食うか? 麻婆豆腐」

 

 

「いりませんから早く食べちゃって下さい」

 

 

 真っ赤な刺激物を差し出してくる提督に、若干怒りの混じった声で応えると、提督はそうかと呟いてまた口の中に掻き込んでいった。

 

 

^^^^^

 

 

「ここだ」

 

 

 ショッピングモールの最奥地。雑貨屋さんと言えばいいのか、そんな場所に案内された大井の第一印象は悪くはなかった。

 どうせなら飛びっきり高いのを買ってやろう。そう考えた大井はマグカップが置かれた棚に目を順に通そうとするが、テーブルに置かれたペアカップが視界に入ってきた。

 最初に浮かぶのは勿論、北上さん。同じ柄の色違いでデザインも素敵だ。だが値札を見てみると、このペアカップはセール品のようで、それが物の価値と大井と北上の関係を安っぽい物に変えてしまうように感じ、大井は興味を失った。

 あまり遅くなってしまうと、また北上さんと話す時間が無くなってしまう。粗方値段を見て高い物に絞り、そこから自分の好みのマグカップを手に取ると提督に声を掛けようと振り返る。

 

 

「大井、悪い。金無いわ」

 

 

 提督は財布と睨めっこしながらそう言った。大井は呆れかえって何も言えなかった。

 

 

「でも、このペアカップならギリギリ買えるぞ」

 

 

 提督が指差す先には先程のペアカップがあった。今、自分が手に取っているマグカップよりも小ぶりで価格も手頃だ。

 大井は執務室でお揃いのマグカップを飲みながら仕事をする二人を想像して顔を伏せた。

 怒りを通り越し、呆れを通り越して、無気力に(さいな)まれた大井は、もう北上さんとの連絡時間に間に合うのならば何でもいいと提督に告げる。

 提督と言えば悪い気はしたものの、ここで大井が買いたい物を後日渡すのは興が削がれるような気がして、ペアカップを買った方が良いんじゃないかと愚考した。

 ディスプレイにある二つのマグカップを手に取り、会計を済ませる提督は、プレゼントの入った袋を大井に手渡す。袋の口からはプレゼント用の包装紙がチラリと見えた。

 

 

「これからもよろしくな、大井」

 

 

 その言葉に大井は、このペアカップに抱いた、安っぽい関係が頭を過り鼻で笑った。提督の手から袋を譲り受けると、「こちらこそよろしくお願いします」。と淡泊に返すのだった。

 

 

 

 

^^^^^

^^^^^^^^^^

 

 

 大井の自室。ベッドの上、スマホ片手に北上さんに連絡を取る。左手には今日プレゼントされた暖色系のマグカップの姿があった。

 彼女は今日あった出来事を不満たっぷりに語る。スマホの向こう側で聞いていた北上は、これは長くなりそうだと、相槌を打ちながら長期戦を覚悟した。

 

 




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別れ話は突然に?

 空と海の境界線が淡く霞んで見える。

 雲一つない青空は、海と溶け合ってひとつの青となった。

一番高い所で照り付ける太陽は、遮蔽物(しゃへいぶつ)がないのを良いことにその力を遺憾(いかん)なく発揮している。

 こんな天気の良い日には何もかもほっぽりだして優雅な一時を過ごしたいものだ。

 

 

 ここは鎮守府近海に設けられた演習場。

 ここでは常日頃から艦娘である彼女たちが自らの技術に磨きをかける。そんな場所に、突如として爆音と共に水柱が次々にうまれた。やがてそれは重力に引かれて規則正しく海面に降り注ぐ。

 それを引き起こした張本人である大井は、なんとも不満げな顔で白々しくも破壊力を感じる水中爆発を見ていた。

 自らが放った魚雷の結末に対してではない。いきなり休みを投げてきた、自分の上官。提督に抱いた不満からであろう。その鬱憤を晴らすが如く、大井は再び魚雷を放つ。

 だがその行為も的がなければ虚しいもの。何とはなしに視線を泳がせれば、今まさに頭を悩ませる本人の姿を見てしまった。

 

 反射的に殴りたくなる真っ白い服装は変わらず。両手を深くポケットに突っ込むと、岸壁の係船柱に足を乗っけてふんぞり返ってこちらを見ていた。

 気が付けば大井は利き手に魚雷を握り締め、槍投げの要領で提督に向かって放り投げたそれは、見事な放物線を描き飛んで行く。

 提督は一瞬狼狽(うろた)えたが、落下地点を見定めると余裕綽々で定位置に戻り、相変わらず憎たらしい顔をこちらに向けてくる。

 先端を光り輝かせる魚雷は船着き場手前へ。だが、海面に着水する直前に突如爆発。海面を(えぐ)り押し出された海水は提督に襲いかかり....。

 

 

 

ザッバーン

 

 

 

 コンクリートに打ち付ける猛烈な音と、局地的な大波が去った後には、全身濡れ鼠の提督が姿を現した。

 余程激しかったのだろうか、提督は頭部にあったはずのものがなくなっていることに気付き慌てていた。その面影を両手で何度か探ると、大井の視界から消え失る。

 すぐ後に何かが海に飛び込んだ音を聞き、岸壁の裏側に飛び込んだことを理解した。

 

 提督のマヌケな行動に、カツラが無くなって慌てふためく哀れな人を重ねてしまい、大井は柄にも無く笑ってしまった。

 今日の訓練はコレで切り上げよう。アホを晒す提督の無事を確認しなくとも別にいいが、丁度良い暇潰しを見つけた大井は、岸壁の裏側へと海面を滑るように向かっていった。

 

 

 

 

 

 左手で帽子を裏返し水を切り、右手は大井から伸びる曳航用ロープを握っていた。海面近くから、見上げる形で大井に語り掛ける。

 

 

「なー大井」

 

 

 反応は無い。

 

 提督は制帽を頭部にねじ込みながら続ける。

 

 

「中身がみえそうなんだけどちょまてまてまブボボブボブブ

 

 

 エンジンが唸り声を上げ、急加速する大井。提督は暫く海面を跳ねていた。

 

 

 

 

 結局、制帽は海の藻屑となって消えた。

 

 提督は肩を落とし、頭を下げて気も落とす。

 

 ちょっとばかしやり過ぎたか。と大井が声をかけようと提督に近寄る。すると何かを思い出したのか、顔を上げ大井の両肩を掴んで詰め寄ってきた。

 

 

「大井ー!!」

 

「な、ななななんですか!」

 

 

 手を胸の前でわちゃわちゃしながらされるがままの大井。

 

 

「配属されるぞ!北上が!この鎮守府に!!」

 

「ハイゾクサレル?キタカミサンガ?コノチンジュフニ?」

 

 

 勢いに飲まれて、提督の言葉を何度か頭でし、ようやく理解に及んだ大井。だが大井が喜びの感情を爆発させるよりも前に、はしゃぐ提督に苦笑いを浮かべるが、しだいにその顔は柔らかい物へとなった。

 

 

「と言う訳でだ大井、短い間だったが御苦労だった。これより軽巡洋艦大井は本日をもって秘書艦業務の任を解くものとする。」

 

 

 大井は別段、驚く様子はなかった、そう言う約束だったから。

 

 寂しいとか悲しいとかは毛ほども感じていない、ただ少し退屈になりそうとは感じていた。

 




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下見に見えてほとんどデート

ファッションに疎いので三越大井で勘弁してください。
大人っぽい大井さん、素敵だよね?


次回から新章突入。



「提督お待たせしました」

 

「いや、待ってない待ち合わせの時間過ぎてないだろう」

 

 

 時刻は16時。利き腕にはめた時計を見遣り、視線を大井へと移す。前髪を額に張り付け、少なからず息を上気させながら、かけてくる大井。背後ではスリルと興奮から来る悲鳴と、ローラーが猛烈に爆転する音が彼方より冴え渡っていた。着いた時から何度か鼓膜を震わせるアレには絶対に乗りたくない、と素直に認めながらチケットの片割れを差し出し、改めて大井を見る。深みのある暗緑色のトレンチコートを羽織り、中には黒のインナー、下は白いパンツに低い黒ヒール。普段見慣れた渋抹茶のセーラー服とは違い、どこか大人びた印象を受ける。

 余談になるが、提督も今日は私服である。が、別に誰も幸せにならないので、上下を無難で固めているとだけ言っておこう。書くのがダルい訳では断じてない。

 

 

「デートの時もその服着て行くのか?」

 

 

「ええまあ」

 

 

 チケットに伸びた手を途中で止めて、大井はその場でくるりと回って見せた。俺に感想聞いても、意味無くないか?と不躾な言葉が頭をよぎったが、彼女たちと触れ合って女性の扱い方をある程度、提督は学んでいると自負しているつもりだ。

 

 

「いつもより大人っぽくてよく似合ってるよ」

 

 

 気障った印象を受けなくもない言葉。2,3秒ほどその場で固まった大井だったが、特に感情の起伏も見られる事なく。「提督に言われても、別に嬉しくありません」。そんな大井の回答に、提督は一体何が正解だったのかと苦笑いを浮かべた。

 

 

「けど」

 

 

「?」

 

 

「少しだけ安心しました....。その、ありがとうございます」

 

 

 大井が感謝の言葉を口にする。珍しいこともあるもんだと若干驚く提督。変な空気になったといち早く気づいた大井。

提督からチケットをひったくると、大井は足早に入場口へと向かい、提督も遅れて後に続いていった。

 

 

 

 夕日に陰を落とす遊園地は、何故か淋しい。どこか満足そうにした人々と影を交差させながら、幼い頃の記憶が転がり込む。疲れ果てた子供を胸に抱き、子供以上に疲れの色を見せる父親。それに寄り添って、口元にやった手の中で笑う母親。複数の陰を束ねながら、父親の役目はもう暫く続く事だろう。

 

家族か......。

 

 初期の決死作戦時に比べれば幾分か現実的な話だろう。いつ命を落としても不思議じゃない立場ゆえ、あまりそう言ったことを今まで意識してこなかったが、同期の幸せな顔を見ていると、こう、なんだか、湧き上がってくるものがある。

俺は提督と言う称号に相応しい人間になれたのだろうか。

 

 

「提督?」

 

 

 不意に大井に声を掛けらた提督は油断していたのだろう、何も絶叫系は大掛かりである必要はないのだ。伏せていた顔を上げ、そびえ立つ鉄骨でできた柱に視線を這わせる。

 目線がはるか上空に近づくに連れて、提督の顔は歪み、血色をみるみる悪くなっていった。

たった一本の命綱で結ばれているとは言え、空中にその身を投げ出す様はさながら正気を疑いざる負えない。

 

 

バンジージャンプ。

 

 

 その始まりについて、提督は詳しく知っている訳ではないが、広めた奴が人間じゃないことは確かだろう。間抜けに口を開けて、万力にでも固定されたかにおようにその場を動かない提督に、大井は顔面に笑顔を貼りつけ小首を傾げ提督の腕を引く。その行動には、若干おもしろがっている節さえ感じられる。

 

 

「な、なあ大井。今日は下見が目的なんだろ?わざわざ飛ばなくたっていいんじゃないか?」

 

 

「はい?」

 

 

「いや、だかr「はい?」

 

 

「楽しみは当日「はい?」

 

 

 決定権を認めない圧力。形だけの選択肢による強制。まだ死んで来いと言われる方が救いがある、恐らくある。

 

 

「あ、はい」

 

 

 日本を救った英雄が、敵ではなく部下に屈した歴史的瞬間である。

 

 

 

~~~~~~~~~~

 

 

 

 地上から約25メートル。武骨なタワーを登っていけば、いつもとは違う空気の流れに提督はビビリ散らす。

 

 

「高いだろう、おかしいだろう」

 

 

「私も、当日は北上さんのために飛ぶので。問題ないです」

 

 

「俺が問題あるんだよ!」

 

 

 利き腕は柱の一つをがっちり掴み、ちょっとやそっと引っ張っても飛んでくれそうにない。大井は提督を死地に追いやろうと、反対側の手を引っ張る。

 

 

「いいんですか提督、ただでさえない求心力が地に落ちますよ?」

 

 

「言いふらす気満々だな大井」

 

 

 俺も一人の男である、これだけ煽られて何も感じないわけない。やってヤローじゃねーかよこのやろー!! 決意を固めた提督は、泥中を苦戦して進むが如く、一歩、また一歩とジャンプ台に近づいていく。

 

 

「ひ、膝が笑ってやがるぜ・・・・」

 

 

「そう言うのいらないので、早くしてください」

 

 

 事の成り行きを静かに見守っていたスタッフが、素早く装備を巻きつけて、安全確認をする。説明を簡単に受けジャンプ台へ、出口は閉じられた。いや、早すぎませんかね、こちらにも心の準備とやらが。虚空に片足を出して空中を撫でる。

 

 

「地に足ついた人生を送りたかった」

 

 

「あ、時間も推してるので早く飛んで下さい」

 

 

 大井が冷たいし慈悲の心もありません、助けてください。頭を掻きむしって、空を見て、目を閉じた。こんな時一番やっちゃいけないのは時間をかける事。時間をかければかけるほど思考は巡り、グルグルと同じところを行ったり来たり。大事なのは考えない事、そして、ほんの少しの勇気だけだ。両手を広げて体重を前方に傾けていけば、俺の体は地球に投げ出される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ........いやいやいやいやめっちゃ傾いてんですけどあれこれめちゃ怖いじゃんムリムリ死んじゃうからあこれ死んじゃうかも。

 

 

──────────」

 

 

 彼は立派な海軍軍人であった。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

「大井、俺死んでないよね?生きてるよね?」

 

「大丈夫です提督。頭は手遅れかもしれませんが生きてるのは確かです」

 

 

 そうか、そうか....。と確かめるように呟く提督。提督は勝利したのだ。大井に煽られながらも、落下の恐怖に身を震わせながらも、確かにやり遂げたのだ、その事実は揺るがない。

 

 

「次行きますので、ついてきてください」

 

 

 パンフレットを見ながら進む大井の背後で、よし、よーし。と小さくガッツポーズする提督。しかし残念、提督にはもう少し苦しんで貰おう。

 

 

「なあ大井さん、そっちの方角に行くのかい?」

 

 

「はい、この遊園地の目玉のジェットコースターがあるので」

 

 

 ピタリと止まる提督に、大井が気付いて振り向いて、逃げようとする提督の片腕を掴んで引きずって行く。

 

 第二ラウンド、ファイ!

 

~~~~~~~~~~

 

 結局、また煽りに乗った提督がジェットコースター最前列に陣取り、大井もその隣に座って大いに楽しんだ。だがしかし、提督は終始くくりつけられた洗濯物のように、ただただジェットコースターに引っ張られていた。

 夕日が刺さない影のベンチに座り、提督の周囲は多重債務者が集ったかのような重苦しい空気に包まれていた。

とても此処が遊園地の一角だとは思えないだろう。

大井が500mlペットボトル片手に、提督に近寄る。

 

 

「はい、どうぞ提督」

 

 

 うなだれている提督の頭部にペットボトルのお尻を乗せる。今の提督には500ml以上の重みがあるのだろう。

何度か頭部をトントンして反応を伺ってみるが返事はない。は〜。と大井は息ため息をついた。

 

 

「ほら、立ってください、もう絶叫系は乗りませんから」

 

「本当か大井!」

 

 

 さっきの落ち込みが嘘のように、鬼気迫る勢いで大井に食いつてきた。周囲から絶え間なく聞こえてくる絶叫に、もう第三、第四ラウンドを覚悟していたが、その憂いがなくなったことによって提督はいつもの調子を取り戻した。その変貌ぶりに大井は驚いたが、いつもの事かと思い直してパンフレットを見る。

 

 

「後、メリーゴーランド、コーヒーカップ、観覧車なんかも回りたいですね」

 

「よし任せろ!」

 

 

 おもむろに立ち上がって、ズンズンと大井を先導する形で進んで行ったが、場所がわからないので引き返してきた。それに苦笑いを浮かべる大井。

 

 

「ついて来てください」

 

 

 提督は大井の背後を素直についていった。

 

~~~~~~~~~~

 

 軽快な音楽に合わせて、天井から棒で貫かれた人口の馬が上下しながら回っている。それぞれ近場の馬に乗り、開始のベルを待っていた。目覚まし時計を彷彿とさせる、けたたましいベルの後、ゆっくりと動き出す。

 

 

「メリーゴーランドも久しぶりに乗ると楽しいもんだな、小さい頃を思い出すよ」

 

「小さい頃はどんな子どもだったんですか?」

 

「そうだな〜、誰かにいつも引っ付いてる金魚の糞みたいなやつだったな」

 

「意外ですね。てっきり近所でも有名な問題児みたいなのを期待していたのですが」

 

「手厳しいな、まあ人生色々あるのさ、色々とね」

 

~~~~~~~~~~

 

 打って変わり。構造は大きく変わらないながらも、可愛らしい見た目の小洒落たコーヒーカップ、ティーカップとも呼んだりする。

 

 

「聞かなかったがなんで俺を遊園地なんかに誘ったんだよ」

 

 

 入り口に入って直ぐのカップに乗り込み、動き出す前に今更ながら大井に提督は疑問を口にした。

 

 

「提督が一番遠慮なくこき使えると思ったので」

 

 

「おい」

 

 

 ベルが鳴り響き動き出す。大井は、中心に生える銀色の回転ハンドルを両手で掴むと、力強く回し始めた。

 

 

「それと、北上さんの安全のためでもあります」

 

 

「お、ブン回す気か?いいぜ、かかって来いよ」

 

 

 とてもバンジージャンプとジェットコースターで死にかけていた人の言葉とは思えない。ムカつく顔で両手をカップの縁に持っていく提督に、大井は一切の容赦を捨て、咽び泣いて止めてと頼んでも止めないことを心に誓う。

 

~~~~~~~~~~

 

 

「き、気持ち悪ううう、オエ」

 

 

 ふらつく足取りで、コーヒーカップを離れる提督に、肩を貸す大井。主導権を握っている方がこう言った場合、酔いにくいのだ。

 

 

「は〜。本当に提督は遊園地向いてないですよね」

 

 

「馬鹿言え、俺は空軍出じゃないんだぞ」

 

 

 いいから大丈夫だから。と言う提督に、足ふらついてますよ。と返す大井。

 

 

「どうします、ベンチで休みますか?」

 

 

「いや、いい。だいぶ落ち着いてきた、あとは観覧車だけか」

 

 

 大井から離れ、比較的近くにそびえ立つ観覧車に向かって歩いて行く。今乗り込めばライトアップされた遊園地を一望できることだろう。大井と北上、二人のデートに向けた下見は終わりへと向かう。

 

~~~~~~~~~~

 

 観覧車の内部は簡単な作り。椅子と手すりがかけられ、窓が四方を取り囲む。宙吊りにされた鳥かごの様だ。

両者は対面で座り合い、ガチャガチャっと扉が閉められた。

 互いに無言、久しぶりに外ではしゃいでしまった影響もあるが。いくら下見のためとは言え、提督と一緒にこんな密室の観覧車に乗る必要なんてなかったのに。これではまるで......。

 大井は自分の失敗を悔いたが、かと言って今更提督を追い出すことも出来ないので、気持ちを切り替える。ゆっくりと上昇するゴンドラからは、さっきまでいたコーヒーカップやメリーゴーランド、ジェットコースターにバンジージャンプタワーが姿を現す。互いに窓を見つめる二人は何を思うのか。時間がゆっくりと流れ、沈黙がゴンドラを支配していた。

頂上付近に達すると、沈黙に耐えきれなくなった大井が話を切り出した。

 

 

「提督は。今日楽しかったですか?」

 

 

 いきなり執務室の扉を開け、突拍子もない約束を取り付た。提督も暇では無い。いくら良い返事をもらえたとは言え、随分迷惑なことをしたものだ。怒っているのではないのか。

 

 

「ここ最近は仕事に追われていたし、普段は絶対やらない様なこともした。これも経験と思えば、そうだな......。最高だったよ。良い息抜きになった、ありがとう大井。北上とのデートの成功を祈ってるよ」

 

 

「え、はい。ど、どうも」

 

 

 再び窓の外へと意識を向ける提督。この感じだと景色を眺めるのが好きなのかもしれない。

大井も提督が見つめる方角へと意識を向ける。何を見ているのだろうか。二人の間に会話は無いが、さっきの沈黙に比べ、いくらか穏やかになった空間が、ただゆっくりと流れていた。

 

 

 




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友愛編
北上で白飯三杯余裕です大井




投稿頻度が遅い、お詫びの印に。

寛大で辛辣な意見、いつでもお待ちしております。




 

 

 

 ガチャ。

 

 

 

 執務室のドアがノックもなしに開いた。

 

 書類を処理していた提督と秘書艦は、気にもとめずに手を走らせ続ける。入ってきた軽巡洋艦大井は腕を組んで、ソワソワと落ち着き無い動作で来客用のソファーにその身を沈めた。

 今日の秘書官は一瞬だけ入ってきた人物を確認したが、また直ぐに書類との格闘を再開する。提督は入って来た人物などはじめから存在しないかの様に無反応だが、秘書艦である彼女が気付いて提督が気付かない道理がないので、意図的に作業を継続させているのだろう。

 大井は二人の態度に特に文句も言わずに足を組み、秒針にいちいち反応する様に落ち着きのない反応を見せた。

暫くすると大井はいきなり立ち上がって執務室を出て行く。その時間は五分にも満たなかった。

 

 今日何度目かも分からない行動に提督はため息をつく。この日、恐らく彼女にとって最も大切な日になるであろう重要な日。北上がこの鎮守府に配属される日、着任証明書を持ってその当人は執務室を訪れる。そんな腹積もりの筈だが未だ姿は見えず。

 執務室を出た大井は、北上が来るのを今か今かと待ち望んでいる訳だ。今度入室したらさすがに注意しないと。こう何度も扉を開け閉めされたら気が散って書類が片付かないでは無いか、嬉しい気持ちは十二分に伝わっているから落ち着いてくれ。これじゃあ今日のノルマを達成できない。

 責任が増し、仕事の量が増し、こりゃ新しくスケジュールを組まないと対応出来なくなってしまう。本来なら、目の前の仕事に集中して取り組めば良いものを不安と心配が風船の様に膨れ上がり、提督の脳内を占有しつつあった。

 いかんいかん。額をペンで何度か小突き風船を萎ませると、余り健康そうでない顔付きで新たに書類の山を創造する。近い内に新たな大規模作戦が決行される。その前に休みを取らないと作戦行動時に支障をきたしかねない。書類の山を切り崩そうと手を伸ばしたその時。

 

 

 

 コンコンコン。

 

 

 

 背後のガラスが揺らされたので、次の書類を自分の手元に引き寄せながら振り返る。すると、どこか気の抜けた少女が居た。彼女の着るライトグリーンの制服には見覚えがある、というか今さっき会ったぼかりだ。ロングの黒髪を前髪でパッツン、背中で三つ編みにした物を右肩に垂らし、顔の横で両方の髪を縛っている。大井が愛して止まない彼女、北上は何とも人の良さそうな笑みを浮かべ再度窓を叩いた。窓を開けてという事か?

 不審に思いながらも鍵を外して窓をスライドさせれば、書類が窓枠を超えてやって来た。着任証明書と印字されたその紙は、サッシを隔ててやり取りする様なものでは無いだろう北上。

どうしたのって顔してもダメだから。

 

 

「正面から来てくれないか北上、略式にも程があるでしょ」

 

 

「いや〜。この書類にハンコ押してくれるだけで良いからさ、ね?」

 

 

「いや、認める訳ないよね」

 

 

 規則を遵守する軍隊で、このやり取りは容認できないし、変に広がっても困る。窓際のやり取りはロミオとジュリエットで十分だ、この鎮守府ではロマンチック過ぎて左遷される。紙の受け取りを拒否すると、折れないと分かったのか計画変更。紙を口に咥え、窓枠に手をかけたので止めようとする。

 はずなのだが、膝上四分の一のしか無いスカートで足を広げないでくれ、原始人か。

反発する磁石の様に顔を背け、止めに入る筈だった両手は行き場を失くしただ彷徨う、体温が上がるオマケ付きだ。

 

 

「よっと。はい提督〜」

 

 

 一瞬、受け取り方に躊躇してしまったがつつがなく? 受理。

 

 

「普通に渡してくれよ」

 

 

「次からは気をつけるよ〜」

 

 

 ひらひらと手を振って軽く受け流されてしまった。近い、距離感が近すぎる、旧知の仲かと誤解してしまいそうだ。

昨日今日知った仲ではないが、正式なやり取りは初めてなんだぞ。大井か、大井がボロクソに喋ってるな?

 予想的中。提督の愚痴を聞かされ続けた北上は、単純接触を繰り返すうちに提督を身近に感じる様になっていた。ハンコの向きを確かめてブレない様にゆっくりと下ろし、綺麗にインクが乗ったのを確認すると、本日より北上はこの鎮守府に着任となる。

 

 

「軽巡洋艦北上、本日よりこの鎮守府の戦列に加わって貰う。重雷装艦の力、存分に振るってくれ、よろしく頼む」

 

 

「まーよろしく」

 

 

 握手でもどうかと手を差し出すと。

 

 

「き゛た゛か゛み゛さ゛ん゛」

 

 

 猛犬が唸る、背後から。執務室の垣根を消し飛ばしかねない圧力を感じる。いつの間にか北上が侵入してきた窓に、大井がいた。ホラーだ、貞子だ、乗り越えようとするな。

 

 

「そこは入り口じゃないでしょうが.....。」

 

 

 何でこうも無防備なんだ、中は体操着か?

 

 

「北上さんから離れなさい!」

 

 

 勿論だとも、忠犬に噛まれるのはごめんだ。書類は受け取った、後の事は大井に任せても大丈夫だろう。

感動の再会は水入らずでどうぞご自由に。さて、お仕事お仕事。

 ガッチリと、腰に回された腕。いつの間にやら背後をとられていた。洒落にならないからね?北上さん?引っ付かないでいただけますかね? 拘束を解こうと、引き剥がそうと。語りかけたり揺すったりグルグルとその場を回る、尻尾を無限に追いかけ回す馬鹿犬みたいに。後ろを必死に伺うが、スカートがチラチラと揺れるだけ。

 必死にもなる。大井が笑ってやがるんだから、その”にんまり”怖すぎるのでやめませんか。

 

 引き渡そう、あくまで抵抗の意思がないことを示し、情状酌量の余地を残す。自分には非がないと訴えれば、大井を説得するのは不可能だ、始めから詰んでいた。大井の手が伸び本能が告げる、引き裂かれる。提督と北上の個々に、ではなく。裂けるチーズみたく縦に、だ。

 

 

「北上さん離れて下さい、辛さ狂いが移りますよ?」

 

 

 予想に反し穏やかな声が耳に届いた。幼子に語りかけるように優しく、引き剥がそうとする手は力強く。手心を加えているのを感じ、部下の成長に不覚にも涙を滲ませてしまったが、北上を傷つけないためと合点がいくと引っ込んだ。問題が起こる事なく、無事ケンタウロス形態から解放された。ふと大井がのっぺりと視線を寄越す、本の一瞬。だが、直ぐに二人だけの世界を作り上げて騒がしくなった。

 

 

「提督、次のお仕事はどうすれば」

 

 

「ごめんごめん。えっとねー」

 

 

 秘書艦に任せっぱなしになっている、早く取りかからなければ。そうだ北上にも秘書艦をやらせないと。新入りの性格や好き嫌いを把握しておくのに早いなんてことは無い。見知った中だが問題が起きた際、素早く対処出来ないと。

 

 大井の不審な行動なんてさっぱり忘れて、スケジュールの空きを頭で探すのだった。

 

 

 

 

 

 ......ところで、さっきからそこでイチャコラしてる二人は一体いつ出て行くのでしょうか。

 

 

 

 




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辛い辛い言ってる間は大丈夫だ

書き上げたらすぐ出したくてウズウズしてしまう。

毎月25日投稿に固定。
月一の更新となってしまいますが、エタらせないので勘弁してください本当お願いします何でもしますから。


 

 

 北上さんが着任して数日後のある日。私達の艦隊は任務を終え、鎮守府への帰路を辿(たど)っていた。

 

 今日は生憎(あいにく)の空模様で、小雨がパラパラと鬱陶(うっとう)しい。どんよりと重苦しい鈍色の空。こっちの気分まで悪くなりそうだ。北上さんの初陣(ういじん)なのに生意気な空だ、なんて始めの内こそ考えていたものの、本格的に降り出す前にさっさと帰ってしまうのが賢明だろう。

 エンジンのスロットルを引き上げ、MVPを見事取った北上さんと駄弁(だべ)りつつも、周辺警戒に余念は無かった。

 

 鎮守府の姿を視界に入れれば、私達の任務は9割は終わったも同然だ。無事、雨に打たれずに帰ってこれたことを北上さんに感謝して、こちらに向かって手を大袈裟(おおげさ)にブンブン振り回す提督を無視しながら上陸。潮風揺れる玄関で、威厳もへったくれもない相手に敬礼。略式的に旗艦が短い報告を済ませると、用の無い者は解散となる。

 ローテーションで選ばれた者が、毎回の戦果をまとめて提出する決まりがあり、順番的に考えて今回はやらなくて良いはずだった。だが新入りである北上さんに業務を覚えて貰う意味を込めて、仕事が振られてしまうのは仕方のない事で。

 

 

「あれ〜、でも提出書類ってマニュアル化されてなかったっけ? 前の鎮守府で経験あるし、大井っちに教えてもらわなくても良くない?」

 

 

「この鎮守府独自のルールがあるんですよ。なんでもマニュアルだけではカバーしきれない所があるとか」

 

 

 そのおかげで私達の時間が今まさに食い潰されてる訳で。仕事をわざわざ増やすんじゃねぇよ。と一度提督に言ったみたものの、結局無くなりませんでしたね。

 随分と古臭く感じる過去を振り返って懐かしむ。この鎮守府に慣れてしまってすっかり違和感を無くしていたらしい。久し振りに文句の一つでも垂れてやろうかしら。

 

 

「なあなあ。さっきから無視はひどいんじゃないかな、無視わ」

 

 

 会話に入りあぐねていた提督が、二人の会話が途切れたのを(はか)って楽しいおしゃべりに割って入って来た。大天使北上さん召喚を終えた提督など、出汁を取り終えた昆布のようなものだ。旨味を失った絞りカスにもう用はない。

 

 だがそんな抜け殻である提督でも、北上さんと会話することだけは断じて許せない。

 

 北上さんは天使であり女神であり魅力的でみんなの憧れだから、何かの拍子に提督が下らない妄想をしないとも限らない。溢れ出る才覚と美貌(びぼう)は、誘虫灯(ゆうちゅうとう)に集まる有象無象( うぞうむぞう )のように、容赦なく人を惹きつけてしまうのだ。

 ああ恐ろしい、なんて恐ろしいの北上さん。私が全力で御守りしなければ。提督の毒牙(どくが)になど決して触れさせはしない。

 

 提督と北上さんの間に割って入り、シッシと手を振って追い返す。当の本人は苦笑を浮かべ、「執務室で待っとくから」。そう告げると背を向け歩き出した。離れて行く背後を睨み付けながら見送ると、後ろに控えていた北上さんから、唐突に笑いが漏れていた。

 

 

「フフ。合同演習の時から薄々感じてたけど、提督と大井っち仲良いよね。むしろ前会った時より仲良くなってない?」

 

 

 ......思っても見ない言葉に時が止まってしまった。だがここで長く動揺していたり、激しく否定するとかえって在らぬ誤解を生んでしまう。ここは冷静に端的に淡々と、自分の思いの丈を絶対零度の言葉で北上さんに伝えなければならない。

 

 

「しょ、それは違います」

 

 

 か、噛んでしまった。妙な敗北感にその身を震わせていると、北上さんの追及が新たに飛んで来る。

 

 

「え〜、じゃあ提督のこと好き?「それは無いです」

 

 

 目に光を灯さず、言い(よど)む事なく、少々被せ気味に(つむ)がれた言葉は私の本心から出た発言だった。

 

 

「ふ〜ん。でも仲が良いって自覚はあるんだね〜、いや〜結構結構」

 

 

 頭の後ろで手を組んで、私を追い越して行く北上さんを眺める。いや待って下さい何か誤解されている気が....。再起動した私は相部屋に着くまでの間、いかに提督と不仲であるかと言う一方的な会話が繰り広げられた。

 

 

 

~~~~~

~~~~~~~~~~

 

 

 

 コンコン。

 

 

「どうぞー」

 

 

 中から(こも)った声が返ってきたのを確認して、執務室の扉を開けると、提督以外に人は居なかった。今日は片付ける書類が少ない当たりの日のようだ。私には関係のない事だが。出来立てホヤホヤの書類を北上さんが"ほ~い"と提出。"ありがとう"と言って受け取る提督は、椅子にもたれ掛かって目を走らせる。

 私達は提督からの解放の言葉を待つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ペラ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ペラ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ペラ。

 

 

 

 

 

 

 ペラ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ペラ。

 

 

 

 長い、いつまで待たせる気なんだ、いくらなんでも長すぎやしないか。私が不信がっているのを感じ取ったのか、北上さんの顔も曇り始める。おかしい、いつもならならこの辺りで一言二言声を掛けてくるはずだ、いい意味でも悪い意味でも。

 それが無いってことはどちらでも無い?普通?教えた私が何か間違えていたか? いや、いつも通りに取り組んだ筈だ。どんどん不安に(むしば)まれながら提督を見ていたが、同じ所をペラペラと何度か行ったり来たり(めく)り、口角の端が釣り上がっていくのを見て流石に(はらわた)が煮えてきた。

 

 

「いつまで待たせる気なんですか! 例え提督でも私達の時間を奪う事は許されませんよ!!」

 

 

「いやごめんごめん、そんなつもりはなっかったんだ。資料はよく出来てるよ、お疲れ様」

 

 

 そう言って提督は椅子を引くと、私達の前に踊り出る。

 

 

「今日のMVPは北上か。さあ、願いを叶えて(しん)ぜよう」

 

 

 両手を広げて、少し偉そうに構える提督を見てまたかと常々思う。よくわからないが、この提督のMy.ルールらしいそれは、MVPを取った者に送られる私が解釈するに提督奴隷券だ。話に聞けば食堂メニューの追加、休日取得、仲直りに遊び相手、トイレ掃除にジュースのパシリ。文字通り幅広く願いを叶えてくれるらしい。

 初期の頃からやっているらしく、最近では人員も増え忙がしくなったことを考慮してか、時間を長く取るお願いは少ないとかなんとか。私はここに着任してから一度もMVPを取ったことがないので余り詳しい事は知らない。知らないが北上さんが困ってるじゃないか。

 いきなりそんなこと言われてもポンと出てくるようなものじゃ「じゃあさ」え?

 

 

「三人で間宮さんとこ行こうよ、ここのメニューちょっと変わってるらしいし。提督の奢りってことで。これじゃダメ?」

 

 

 愛らしく上目遣いでお願いする北上さん。横から見ても破壊力抜群なのに、対面する提督のなんとうらやまけしからん事か、これで落ちない人類は居ないだろう。提督め......落ちたら殺す。いや、落ちなくても殺す。穏やかじゃない大井に対し、提督は大きく目を見開いて驚く。

 

 

「あ、ああ。別に問題ないぞ」

 

 

 予想より早く回答が出たことに動揺しているのか、どうも歯切れが悪い。二人の視線が私に向く。

 

 

「私は問題ありませんよ?」

 

 

 北上さんのことでそれを問うか。

 "はい"か"Yes"それしか選択肢はない、全くの愚問だ。

 

 

「じゃあ決まりだね〜。提督の財布を空にするぞ〜、オ〜」

 

 

 ゆるーく片腕を上げるその姿(かわいい)に、私も少し遅れて遠慮がちに腕を掲げる。

 

 

「お、お手柔らかにお願いします。今日はもうやること少ないから、今からでも大丈夫だぞ」

 

 

 財布が吹き飛ぶ未来でも見えたのか、戦々恐々(せんせんきょうきょう)とする提督は案外暇だったようだ。

 

 

「んじゃ~今から行こうか」

 

 

 行こう大井っち。と言って手を引く北上さんの温もりをニヘラとだらしなく細胞レベルで感じながら執務室を出る。

 

 

「なあ大井」

 

 

 まだ何かあるのか。何事かと振り返る。

 

 

「大井もなにかないか?」

 

 

 なにかとは? 疑問符を浮かべ困った顔をする私に提督は続ける。

 

 

「あいや無いならいいんだよ、何でもない。早く行こう」

 

 

 変におちょくられた気がする。素直にムカついたので、その辺は財布で償って貰おう。普段は食べない特製特盛パフェ、通称『特々(パーフェクト)パフェ』*1を北上さんと突っつく様を想像して顔を(ほころ)ばせた。

 

 

 

 パタン。

 

 

 

 誰も居なくなった薄暗い執務室。提督がOKサインを出した書類には、個々の戦績が事細かく載っていた。北上の戦果が凄まじいことはこの際深く語らないが、全体の戦績は記録更新レベルで素晴らしかった。

 

 

 

 

 

 ただ一人、大井を除いて。

 

 

 

*1
全ての甘党を満足させる。をコンセプトに名付けたが、もともとパフェ自体がパーフェクトから来ているので、意味が重複しているきがッガガガ。




ストック制作中。。。。ストック制作中。。。。

文章の読みやすさ分かりやすさで迷走中です。

誰か助けてください。

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最近刺激足りてる?

ヒャッハー! もう我慢できねぇ!

15日だけど投稿するぜヒャッハー!



 

 今日も無事、仕事を終えることが出来た。一人ボッチの執務室で、天井を貫く力強い伸びをする。今の時間は....嘘だろ、もう日を(また)いでやがる。

 

 殺人的な仕事量だった。だが、この時のために秘書艦を固定せずに回していた。予定の空いている子達に恥も外聞も捨て頼み込んで回る。いきなりの事、そして当然、彼女達の休日を拘束してしまう。なかなか人数集めには苦労したが、なんとか乗り切った。もうこの案件は二度と受けたく無い、近い内、御礼参りしないとな。

 振替休日にするのはもちろん。それだけでは悪いと思い、俺の激辛コレクションを半泣きで差し出したら、全力で拒否られた。解せぬ。

 

 ウチの鎮守府で開かれることとなった、第48回観艦式(かんかんしき)。と言っても、そこまで堅苦しいものでは無く、寧ろ民間人が主役に据えられている。厄介事がとうとう回って来た、それだけの話だ。当日ともなれば出店が立ち並び、施設の見学、懇談会、記念撮影に出し物、艦娘が走って跳ねてぶっ放す。よくもまあ面倒ごとをこれでもかと詰め込んでくれたなあ、おい、な楽しいお祭りだ。

 来賓として、この国のお偉いさんが集結する事から拒否権は無いのと同義。力の入れ具合が半端じゃないのが伺い知れるだろう。

 目的は民間人へ向けた戦争協力、特に人材面での勧誘が大きい。前大戦のトラウマだな。そこの所を上層部もよく理解しているらしく、開戦当時から片手で深海棲艦を殴り、もう一方で国民にゴマを擦るといった器用な事をしていた。深海棲艦とドンパチするのと観艦式は同格の扱いなのだ。

 人材についての問題は依然深刻。深海棲艦との本格的な戦闘が始まった段階から、早々に動き出していたみたいだが、現段階では黄色信号が点滅している。

 

 あー小難しいことはやめだやめ、明日も早いし寝よう寝よう。さっさと着替え布団に潜る提督だったが、10分経ち寝返りを打つ。20分経ち目元に手をやる。30分を過ぎるあたりで唸り始めた。

 

 

「眠れない」

 

 

 呟いたその一言は、静寂の鎮守府に反響し、虚しく消えた。最近はまた一段と忙しくなり、生活リズムがしっちゃかめっちゃかになった。観艦式のスピーチ原稿は全くと言っていいほど筆が進んでいない。元々大勢の前で話す事に慣れていないこと、その他諸々不安の激増もあいまって、提督の体は不安定そのものだった。

 このまま横になっていても、眠れないストレスで返って眠りが浅くなる。見回りにでも行くか。

 

 むくりと起き上がった提督は肌寒さを感じ、上着を羽織って外へ出る。

 いや待て、確かこの辺りに。ドアノブから手を離し、暗所に置かれた箱を(おもむろ)に持ち上げた。開封すると、中からウイスキーのボトルが顔を出す。酒はあまり飲まないと、やんわりと受け取りを拒否した代物だが、酒飲みの同期に半ば強引に握らされた物だ。

 上等な箱と、黒の下地に白い異国の文字が乗るラベル。なんかすごく高そうだ(小並感)。それ単体でも重量があるであろう瓶には、琥珀(こはく)色の液体がトップリと月明かりを溶かし込み、水面を優しく光らせていた。

 酒飲み用のグラスは生憎(あいにく)と持ち合わせがなかったので、応急処置として寒色系のマグカップでの飲酒を試みる。右手にボトル、左手にマグカップを引っ提げて、浮浪者()んだくれスタイルを確立すれば、提督は深夜の鎮守府に繰り出すのだった。

 

 

「誰もいないな」

 

 

 当たり前だが任務のある者以外、皆眠りについている。街灯が地面に光の輪を(つら)ね、それに都度、照らされながらベストポジションを探す。ふと、視線の先に木作りのベンチを見た。半分を光に焼かれたそれは、疲れた提督を吸い込むように迎え入れる。暗がりで()す人影に気付かぬままに。

 

 

「「あ」」

 

 

 頭脳労働で消耗し、意識が希薄(きはく)だった提督は遅ればせながら間抜けな声を上げた。それは相手の方も同じだったらしく、何よりこの時間、この静けさ。自分以外が絶滅したような、普段味わう事の無い体験に、物想いに(ふけ)るのも訳無し。

 

 

「こんな時間に何やってんですか提督」

 

 

「それはこっちの台詞だ。大井だったのか、一瞬誰かと思ったわ」

 

 

 大井の質問に答えるべく、右手の酒に視線を合わせ、「眠れなくてな、こいつを一杯引っ掛けようとしてた所」。と説明すれば、「寝酒は体に悪いですよ」。と批判の視線をその身に受けた。

 

 

 「その辺は大丈夫だ、なんたって普段酒なんて飲まないから」

 

 

 カッカッカと快活に笑う提督。大井はいつの日だったか、祝いの席で、顔をひきつらせてお酌を受けていた男を思い出していた。そんな姿が唐突に頭を駆け抜け、決壊したように笑いがこみ上げる。プークスクスと堪える大井。

 

 

「そんなに笑わないでおくれよ大井さん」

 

 

 提督にも覚えがあり、恥ずかしそうに顔を背けた。

 

 

「大井はどうしたんだこんな時間に、もしかして同じ口か?」

 

 

 空気を切り替えるために、早口で捲し立てられる言葉。

 

 

「いえ、その、えっと」

 

 

 どこか後ろめたいことでもあるのか、視線を左右に行き来して、言いづらそうに口籠っている。

 

 

「いや、言いたく無いなら別にいいんだよ」

 

 

 踏み込むべき話題ではなかったか。空気の流れに深刻な物を察知し、「それじゃあ」。と焦ったように別れを告げる。下手に詮索しようものなら、地雷を踏み抜く可能性だってある、そっとしておくべきだ。

 

 

「ま、待ってください」

 

 

 大井の一声で、提督の戦略的撤退の足が止まる。話を聴いて欲しいのかも知れない、それとももっと暗いナニカか。ここで振り返れば、最後まで付き合う事が確定する。暫し熟考した後、意を決して向かい合う。再び対面する二人。

 

 

「あの、ですね」

 

 

 大井から様々な葛藤が見える、これは相当深刻な問題かも知れない。せめてこの場で答えれる物であってくれ。と意味もなく祈っていると、ゆっくりと正確に、何度も言いたく無いとした口調で言葉が練られた。

 

 

「北上さんの寝込みを、襲おうとしてました」

 

 

 途端モジモジと体をくねらせて、朱に染まっていく大井の顔。それを見ていた提督は、縁側で寛ぎポケーとしている北上から、感情を引き算したような表情を浮かべた。ピストルを向けられ手を挙げたら、銃口から一輪の花が飛び出してきた気分だ。

 思考停止から立ち直り、カウンターパンチが飛んでこないことを確認すると、なるほど大井にとっては確かに深刻だとひどく納得する。次の瞬間には、あれだけ悩んでいた自分がばからしくなって大笑いしていた、今度は立場が逆だ。キッと鋭くなった視線を確認すると、大井に失礼だと喉を鳴らし、無理やり深呼吸してなんとか気持ちを落ち着ける。

 ひとしきり笑った満足で顔面を程よく埋めると、平静を取り繕い語りかけた。

 

 

「そうか、時間を潰していたのか。それだったらどうだ、大井も一杯」

 

 

 冗談めかしく言ってみれば、「遠慮しときます」。と薄く笑って断られた。まあ当たり前だな。隣いいかと聞きながら座り、溜息をつかれるが、拒否の言葉もないのでお許しは出たのかな?

 光の中に腰を落とし、開け方に暫し戸惑いながらも(せん)コルクを無事開け、トクトクトクと液体をカップへ注ぎ込む。

 

 

「ストレートで飲むんですか?」

 

 

 大井の驚きを(はら)んだ声に生返事で応える。

 

 

「映画とかで見ないか? どっちが先に酔い潰れるか、度数の高い酒を小ちゃいグラスで(あお)るシーン。いやでもロックとか水割りとかそう言うのもあるか」

 

 

「お酒完全ド素人じゃないですか」

 

 

「いやーね、俺は断ったんですよー大井さん。でも、いいからいいからって気付いたら小脇に抱えてるんだもの。無理やり返すのも失礼でしょ? 時限爆弾じゃあるまいし」

 

 

 弁明を試みるが、大井には今ひとつ響いてない。

 

 

「業務に支障が出ても知りませんよ」

 

 

 呆れを感じさせるジト目で、暗がりからこちらを見ていた。マグカップを口の前に留め置き、話は進む。「まあでも、大井との楽しいお喋りを肴にして、この酒はゆっくり楽しむこととするよ」言った途端、大井は口をアーチ状にヒン曲げたと思いきや、腕を(さす)る動作を始める。

 

 

「いや、素直に気持ち悪いです」

 

 

 その声を聞きながら香り高い液体を喉に流し込むと、暫し咳き込んでクツクツと笑った。

 

 

「その笑い方も辞めてもらえませんか、直訴しますよ」

 

 

 「善処するよ」。と善処しない宣言をして、会話はそこで途切れた。

 喉と鼻腔を抜ける感覚を楽しみながら、お酒初心者は思考に浸る。成る程、確かに一口二口飲む分なら大して問題ないが、これが何杯も続くようなら流石にくどくなるな。口の中甘ったるくした状態でまた甘いもの食べるみたいな、定期的に口の中リセットしないと最後まで楽しめないパターンだなこれ。

 自分のリサーチ不足を知ってか知らずか、新たな発見に心躍らせ、また一つ成長できたと得意げにカップを傾けた。

 

 

「大井はいつ部屋に戻る気なんだ、もういい頃合いじゃないのか?」

 

 

 空になったカップへウイスキーを注ぎながら話しを振る。

 

 

「もし私がこの場を離れた後、提督が草むらか庭木に頭を突っ込んだまま誰にも見つからずに死んだとしたら、一番最後に会っていた私が罰せられる事になるんですよ。そう言うのめんどくさいので。提督がちゃんと部屋に戻って死ぬまで付いて行きますから」

 

 

「それ結局俺死んでね?」

 

 

 意地でも提督を殺したい。そんな大井の思考が現実となることは無いだろうが、なんやかんや言いつつも心配はしてくれているようだ。大井との付き合いも長くなるな。お酒を舌で転がしながら、最近はすっかり落ち着いた彼女を見て、自分の判断は間違っていなかったと確信する。

 

 

「大井には今日手伝って貰った恩もあるからな」

 

 

「その代わり、わかってますよね?」

 

 

「ああ、もちろんだとも」

 

 

 

 時間は暫し(さかのぼ)る。

 

 

 北上が巡回任務で外れており、非番である大井に応援の話をすると、条件付きでの了承を得る事に成功した。その内容は以下の二つ。

 一つ、お祭り当日に北上と大井、二人で出店を構える許可。

 二つ、前日の下準備に時間が掛かるのでその手伝い。

 おまけで提督ご自慢の激辛コレクションの一つを()っ払って行った。「や、約束が違うぞ」。とちょっとばかし焦って詰め寄ると、大井は振り返って手を差し出すよう促してきた。疑問を浮かべながらも手を差し出すと、互いの小指が絡まっていく。

 「指切りげんまん嘘ついたら''デスソース鼻から飲ます''、指切った」。と終始満面の笑みで(ちぎ)りが結ばれるのだった。針千本より生々しく現実味があり、本物の罰ゲーム臭がプンプンする辺り、大井はよく分かっている。

 俺はその発言に顔をヒクつかせながら、あまりにぶっ飛んだ計画は却下するぞ。と一様付け加えると、大井の笑みは消え、そんなの分かってます。そう口を尖らせて小言を吐いたのだった。

 

 

 時間を現実に戻そう。

 

 

 

 提督が残りを勢い良く飲み干すと、お別れの合図だ。

 

 

「よし! (とこ)に就いたら丁度眠くなるだろう。大井もそろそろ帰りなさい、あまり遅くまで起きてると睡眠薬が手放せなくなるぞ」

 

 

「そろそろ頃合ですかね。提督は部屋まで戻れるんですか?」

 

 

「大丈夫さ、ほらこの通り」

 

 

 ダンスを踊ったこともない提督の華麗なステップが炸裂すると、もういいです。と呆れながら手を振られた。

 

 

「玄関まではどうせ一緒なんだ、さあ行こう」

 

 

 肩を並べた二人は暗影(あんえい)へと向かう。

 

 

出店(しゅってん)計画の方は心配しなくて良いんだよな?」

 

 

「ええ、抜かりありません。九三式魚雷をこう展示して」

 

 

「それ大丈夫なんだよな?」

 

 

 月明かりで弱々しく照らされた人影へ、今度こそ光は届かない。二つの足音と声色は、静寂の鎮守府に、ただただ響くばかりであった。

 

 

 

 

 




あい、我慢できずに投稿してしまいました、内容薄くてゴメンネ。

もち、25日も投稿しますよ?

余裕ありすぎてサボってるとかそんなんじゃないですよ?

ケツ引っ叩かないと書けないとかじゃないですよ?

ホントだよ?

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ツワモノ共は店の中

言い訳はしません。

今日が25日です。


 

 

 本日は快晴なり。されど我が心に光差すことなし。野外のイベントともすれば、天気の良し悪しがもたらす影響は無視できない。だが正直、今の自分にそれを気にする余裕は無い。

 

 開会式。負担でしかなかった観艦式は無事進行中。あれだけ練りに練ったスピーチ原稿は、その直前まで手放せなかった。照りつける太陽を弾き返す、汚れを知らない純白の服装と軍帽で、人の群れを見下ろした。

 あくまで普通に、あくまで自然と。聴衆一人ひとりに目を這わせながらの語り口は、彼が指導者足る存在であることを嫌でも理解させる。

 とめどなく(あふ)れる手汗をお尻で拭う。知人を見つけ一瞬渋い顔をする。そう言った、いかにも人間らしい行動に気付いた人は、一体どれほどいただろう。壇上を去る提督を盛大な拍手が追い越した。やり切った達成感と引き換えに、執務仕事とはまた違う消耗を受け取る。

 

 奥へと引っ込む彼を、今度は高貴な拍手が出迎えた。普段ならばまず無いであろう、各々の賛美(さんび)を丁重に扱いつつ、提督はゆっくりとその場を離れて行った。

 提督のお仕事は現刻を持って終了。あの苦労に見合っているのかはあんまり考えたく無いが、本会場は提督不在でも事が運ぶようになっている。細かなスケジュール、組織化された彼女達ならば、大きな問題にならないだろう。

 

 

「ハー」

 

 

 無造作に置かれたパイプ椅子にどっかりと腰を下ろすと、吐息が漏れた。帽子を取り、クシャクシャと頭の熱気を逃がしてやれば、やっと落ち着ける。

 鎮守府近海で予行演習が始まる時間か。大井と北上には、出来れば演習組に移ってほしかった。二人の魚雷攻撃は強力で見栄えも良いからな。料理ができる人員が少なかったから、結果的に屋台組志願に文句は言わなかった。

 朝昼晩は食堂で美味しいご飯が食べれるし、夜は居酒屋が空いている。料理を趣味にでもしてない限り、必要性が薄いのだろう。

 

 ここでふと、一抹の不安が脳内を過る。大井、ちゃんとやれてるかな。主にと言うか全てなのだが、北上のことで客と揉めてなきゃ良いが......。接客向きの北上に近付く、老若男女問わずに噛み付く様が、容易に想像出来てしまった。

 

 こりゃー....ダメかなー。

 

 『出歩くな』と事前に釘を刺されてはいるものの、 気になってしまった以上、おちおち休んでもいられない。それに、堅苦しい肩書きをお持ちの方々は、随分と機嫌が良さそうに高笑いをしていらっしゃる。

 何時もならコネ作りに邁進するのだが、今はそんな気分じゃない、流石に今日は疲れた。今この瞬間、あのテンションで鎮守府の案内をしろ! なんて言われた日には、あの良く肥太った頬っぺたをパチパチ拍手する自信がある。

 出歩くな。出歩くな、ね。ちゃんと予防線が貼られている以上、『知りませんでした』じゃ済まされない。だが問題が起きてたら非常にマズイ。上層部の顔に泥を塗るのはもちろんのこと、海軍全体の沽券に、最悪管理不届きで降格も有り得る。

 

 

 ..........。

 

 

 提督はすぐにでも飛び出して自らを安心させたかったが、そこを理性でなんとか押し留める。何かいい手は無いものかと、顎を触りながら、頭を戦闘指揮ばりにフル回転させるのだった。

 

 

──────

────────────

──────────────────────

 

 

 花より団子と言う(ことわざ)がある。美しいもので心満たされるより、腹を満たす方が断然良い。そんな心が幼い者に向けた、ある種、蔑視(べっし)の言葉である。

 

 だが、花=艦娘・団子=屋台と置き換えた時、いったい何が起きるか。

 かき氷を持つ手は傾き、容器から飛び出して自由落下しそうだ。焼きそばを口に(くわ)えたまま時が止まり、目で追ってるのに気付かれ、パートナーに耳を引っ張られている。ナンパしようと声を掛けて困らせれば、艦装を身に付けた見回りに肩を掴まれ顔を強張らせる。ナンパは目標を切り替え、振り返って手を握れば、今度は胸倉を掴まれ高い高い。

 昔の人は上手い事考えて短く諺と言う形で現代にその教訓を伝えるが、この場所には相応しく無いようだ。二度あることは三度ある、三度目の正直。矛盾するような言葉もあるが、花より団子の反対なんてあったかな?

 

 祭り特有の、ソース物が香る屋台通り。流石、手塩に掛けて開催されているだけあって本格的だ。どれもかれも、書類上で存在を知っているつもりだったが、こうして屋台の列を見ると圧巻だな。

 

 頭を貧弱な両手で支えながら、怪異の目を向けられるその物体は、およそマスコットと呼んで良いのかすら危うい。無理くり艦娘の相棒である妖精さんを着ぐるみにしたのであろう、ギリギリ理解に及ぶ姿形は、アンバランスが度を過ぎて支えがなければ中身がこぼれ出てしまう。いや正確に言うのならもう出ている、頭より下は提督剥き出だ。

 

 小さくトテトテとした愛らしい妖精さんの生首を、着ぐるみ製作にあたって、二頭身に近付けるべく巨大化した物だった。作った張本人は頭の処遇(しょぐう)に一体何を思い、ただただ周囲を威圧させ、子どもを泣き叫ばせる代物を作り出してしまったのだろう、是非ともご教授頂きたい。とは言え、小さくするべきか大きくするべきかと問われれば、あながち間違った選択でもなかったのかも知れない。

 

 この正しく間違えた、いや違う。発想段階からすでにコケている欠陥品を両手で支えながら、提督はお目当のお店へと難なくにじり寄っていくのだった。通路では邪魔にしかならないであろう障害物だが、ご丁寧にセルフモーゼが発動。進む先には道が切り開かれて行く。

 

 そして、ようやく見覚えのある看板を視界に捉えた。ビッグヘッド内部は視認性が悪く、頭を持ち上げる要領で、それがなんのお店なのか確認しなければならず、非常にかったるい。

 看板には、アメリカンホットドックの文字がデカデカと、その存在感を主張していた。その周囲には彼女らご自慢の魚雷が串に貫かれ、右端に描かれた妖精は両手をサムズアップさせていた。そこから伸びた吹き出しには、『ウマイゼ!』の文字が。

 かつての敵国を冠する食べ物に抵抗は無いのだろうか? と素朴な疑問を内に秘め、エプロンと三角巾を装備した二人に近付いて行く。接客をする大井は、こちらの存在に気付きギョッとする。頭以外は生身なので、そこに注目して目を細め、恐る恐ると話し掛けてきた。

 

 

「......もしかして、提督ですか?」

 

 

 (うなず)きたいところだが、何分身体の6割程を頭に支配されているため、頭から手を離して両手でいいねポーズを決めた。直後、頭部が傾いたのでポーズを解いて抑え込む。それでも大井には伝わったらしく、お客万来の前だと言うのに振り返り、その体を小刻みに震わせ始めた。調理をしていた北上が異変を察知し、被り物の姿を認める。

 

 

「あれー、提督じゃん。何してんの? 罰ゲーム?」

 

 

 一発で看破された、顔を隠していたのになぜばれたのだろう。

 

 

「営業妨害ですよ。ちょっとどころじゃなく明確に邪魔なので退()いてください」

 

 

 やり取りの間で復帰した大井が、ハッキリとお前邪魔宣言したので、お暇させ貰おう。ゆっくりと背後を振り返る提督だったが、側に飾られた九三式魚雷を正面に停止する。

 

 

「魚雷は信管抜いてありますよ、ただの飾りです」

 

 

 大井の返答にまたゆっくりと向かい合う。

 

 

「良い加減にしてください、憲兵隊を呼びますよ」

 

 

 今度こそ、ゆっくりと方向転換。そしてのっそのっそと二人の店の前から遠ざかって行った。なんだ、心配するほどの事じゃなかったな。大井が接客をして北上が調理、逆の発想で来たか。

 ふー、これで心置き無く休めるぞ、まだ片付けとか残ってるけどしばらく横になろうそうしよう。騒ぎをゆっくり移動させながら、いかにも場違いな着ぐるみは自らの任務を終える。騒ぎを聞きつけた憲兵に取り囲まれるまで後少し。

 

 

──────

────────────

──────────────────────

 

 

 フラフラした足取りで執務室の窓から、日が沈み行く鎮守府を眺める。もう一ミリだって動きたくない。憔悴しきった老人のように、白け切った背中で現実逃避する。机に盛り上がった書類。たとえ祭りがあろうとも、深海棲艦は攻撃の手を緩めはしない。

 最低の最低からマシになったとは言え、マシになってなきゃ人類終わってたでしょ?  でも、やらないと終わらないからね。駄々を捏ねるのはそれまで、窓から映る後片付けする彼女達を見ていたらサボってるのが忍びなくなって来る。心を無にして取り掛かろう。

 

 

 コンコン。

 

 

「失礼しまーす」

 

 

 許可を出す前に入室して来たのは大井。最近、俺に対する遠慮が消失しつつあるような気がする。片手に細長い包装紙を持ち、こっちに歩いて来る。

 

 

「観艦式終わったのにまだ仕事あるんですか。(あわ)れですね。私はまだやる事あるので手伝いませんよ。....はいどうぞ、差し入れです」

 

 

 差し出された手には、ひたすら雑用させられた記憶に新しい、アメリカンドックの姿があった。クシャリと差し出された包装紙を受け取る。用は済んだと背を向ける大井に礼を言うと、短い返答の後、扉が開き再び閉まった。

 

 仄かな熱を帯びているブツにかぶり付けば、ポロポロと胡麻がこぼれ落ちた。慌てて紙で受けを作りながら、味を噛み締める。

 生地にこれでもかってほど黒胡麻が練り込まれており、それで魚雷の雰囲気を出している。味の方は言っちゃ失礼だろうが、至って普通だ。最近活動を再開したコンビニで買うような庶民的な味。

 甘いホットケーキミックスがベースの生地、胡麻の奥深い香り、二口目にアクセントを加えるソーセージのしょっぱさ。リズム良くパクつき詰め込んで、リスのような頬袋を作る。ゆっくり味わう余裕を端に追いやり、残った串を紙で包み机の端に寄せると、流れるように仕事に取り掛かるのだった。

 

 




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母なる海だよ北上さん


ミジカ。デモカキナオシタンヤヨ~。


 

 

 サボテンに、思い出したかのように水をやる。地面は湿り、土臭さが強くなるのを合図に、北上はちょこんと尖った針先を触った。

 鉢植えと合わせ15センチを僅かに超えるか超えまいか。ノッポの親サボテンと、その脇から子サボテンが、控え気味に生えていた。

 特有の棘はそこまで凶悪性が見られず、小さな体毛を無数に蓄える、ハリネズミのような風貌であった。

 ツンツンと強度を確かめるように、痛みを持って確認すれば、ムフーと腰に手を当て自慢げに見下ろした。

 

 

「あら北上さん、サボテンにお水ですか?」

 

 

「ん〜、何日かお水やるの忘れてたんだけど、普通の観葉植物だったら絶対に枯れてるよね〜」

 

 

 駆逐艦の子らがプレゼントしてくれたインテリアだっただけに、弱っていないか不安だったが、その心配も杞憂に終わったらしい。

 とは言え、サボテンの知識を数日で網羅した大井が一緒なので、そんな心配は不要だったりする。

 

 久し振りの休日をまったりと兵営で過ごす二人、北上は新しく秘書艦に任命され、大井とは別行動となる日が増えていた。

 不満の声はもちろん噴出。出撃ギリギリまでお目付役が張り付くこともしばしば、呪い殺さんばかりの怨念を引きずりながら退出するのも珍しくない。

 それを少なからず気にかけていた北上は、提督に無理を言い、正しくはゴリ押しで通した休日の申請所を手に今に至るのであった。

 

 

「にしても今日は何するかね〜。休日もらったはいいけど、特にやること決めてないんだよね〜」

 

 

「それでしたら私に提案があります!!」

 

 

「おぉ〜。何かな大井っち」

 

 

 ピシッと伸ばされた手を主張する大井に、北上が微笑みかければ、挙動不審に拍車がかかる。

 

 

「て、提督の相手をさせられて疲れているかと思いますので、リフレッシュも兼ねて運動するのはどうでしょう!」

 

 

「運動か〜、あんまり激しいのじゃないならいいよ」

 

 

「でしたらウォーキングなんてどうでしょう、血行を良くすれば疲れも取れますよ」

 

 

「うん、いいね。鎮守府の周りでもお散歩しようか」

 

 

「はい! でしたら早速、外行きの準備を」

 

 

 クロゼットをひっくり返し、コーディネートを考える大井。近場とは言え、北上さんの魅力を最大限に引き出せる服装でなければ納得できない。隣に並び立つ以上、両者のバランスにも気を使わなければならない。そんな結婚式の主役を立てる友人みたいな発想の元、提督への怒りを一時的に胸にしまうのであった。

 

 

──────

───────────────

──────────────────────

 

 

「いや〜、ちょっと陰ってるけどいい天気だね〜」

 

 

「これくらいの気温だったら過ごし易いんですけどね」

 

 

 雲の切れ間から定期的に顔を出す太陽。遮る物の無い海上では、彼女達にとって身近な存在であるが、いつもこのくらいの自己主張ならありがたいのに。

 女性として生を受けた現世。戦場に身を置くこと自体に変わりはないが、戦線が落ち着き余裕が生まれたことから、他の事に興味を示す艦娘も徐々に増えてきた。

 提督はこれをいい傾向と捉えており、様々なことに挑戦できる環境作りに力を注ぐ。

 当然ながら仕事量は否応なしに膨らむ。執務室での北上のお仕事、その7割を手伝う大井にとって、北上が負担を強いられていないかは不安の種の一つであった。

 

 

「そうそう、提督がボヤいてたんだけどさ〜」

 

 

 ウィンドーブレーカー特有のシャカシャカとした音を鳴らしながら、空を見上げて記憶を辿る。

 

 

「来週の中央会議の時、大井っちに護衛を任せたいとか何とか言ってたんだよね〜」

 

 

 その言葉に同居人はウゲェーと難色を示した。首都圏にいくらか近い方とは言え、田舎の印象が根深い此処からでは、泊りがけの出張になるだろう。

 何より、数多ある選択肢の中、どうして私が選ばれてしまったのかと言った困惑も含まれているのも確かだ。

 不幸中の幸いだったのは、秘書艦である北上が延長線上で同行する事となる、そんな看過出来ない事態を免れた事だろう。

 それを差し引いても、北上が前に指摘した仲良し発言が尾を引いてか、大井の中で勝手な苦手意識が芽生えてしまっているのだった。

 

 

「ん〜、悪い人ではないんだろうけどね〜。ほら、私の仕事を大井っちがやってくれてる時も口出しして来ないし」

 

 

 思い返せば確かにその通りなのだが、何か言いたげな提督に、微笑みを浮かべる大井。手に握られたペンからは、ピシ、パキッと不穏な音を響かせていた事実を追記せねばならない。

 悪い人ではなく、可笑しい人。その評価は変わらず大井の中にある、浮いた話の一つも聞かない提督には妥当な判断だろう。

 

 

「それは....ちょっと違うんじゃ無いですか?」

 

 

「ん〜、そうかな〜」

 

 

 丁度、鎮守府を一周した所で歩みを止める。広場で駆け回っていた駆逐艦の子達に手を振り返した後、ポッケに手を突っ込んで大井を見た。

 

 

「何だったら、私から提督に掛け合ってみようか?」

 

 

 何気ない発言で、さも当然のように向けられた北上の優しさに、心が温かくなる。しかし、大井が断った場合、果たして誰が代わりを務めるのか? そんな問題も同時に込み上げて来た。

 

 

「い、いえ! 北上さんの手を煩わせる訳には....お気持ちだけでとっても嬉しいです! はい!」

 

 

「本当に大丈夫?」

 

 

「大丈夫ですよ北上さん! なんだったら提督を引き摺り回して帰って来ますから!」

 

 

「アハハハ....本当に嫌だったら、遠慮なく言ってよ?」

 

 

「ン~~~~。北上さーん!!」

 

 

 感極まった大井が北上に飛び付く。よしよしと栗色のセミロングを撫でる北上の目は、優しさと母性に溢れていたのだった。

 

 





あー、良い感じにアイデア湧いて来たわ。

次は無理のない投稿が出来そうやな!!

7/25 AM5:44

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都会へGO!!

かくして役者は揃った


「貴方に指令書が届いてるわ」

 

 

 痛々しい包帯は赤黒く染まって。

 

 頭・手首・太もも、計三箇所に処置を施した彼女。長門型戦艦、陸奥は敬礼の後、ある人物に語り掛けた。呆然としていた男は意識を取り戻すと、ゆっくりと陸奥の姿を確認。再度、差し出された封筒を震える手で受け取り、封を切った。恐る恐る紙を広げ、読み進めていくうち、クシャリと両手に力が加わっていた。

 

 

「何で。何で僕が」

 

 

 その内容は任命書だった。本土防衛隊の一つ、その指揮官に、この瞬間彼はなったのだ。

 

 

「臨時編成のため数こそ少ないですが、全力を尽くします。ご命令を提督」

 

 

「ま、待って下さい! ぼ、僕はまだ、全過程を終了していない一候補生ですよ! それなのにいきなり指揮をしろだなんて。余りに横暴ですよ!!」

 

 

 狼狽える提督を静かに見つめる陸奥は、居た堪れず目を逸らす。そして、まるで自分に言い聞かせるように、粛々とした口調で発言する。

 

 

「その横暴がまかり通ってしまうくらいに、残念だけど状況は逼迫しているの。あなたも知ってるでしょう、日米の連合艦隊が太平洋上で全滅したって。両政府は太平洋戦線の放棄を正式に発表した。現在、各地では時間稼ぎを目的とした遅滞戦術を展開し、来るべき本土決戦に向けて全力を挙げているわ」

 

 

「だからって、だからって」

 

 

 任命書を両手で押しつぶして、その身を頑なに丸め、いきなり降って湧いた重圧に目一杯の反抗心を持って応える。時代の流れと言う圧倒的な力の前では、いくら個人が頑強に抵抗しても、化け物みたいな力で何もかも巻き込み最後には何も残さない。土砂のように濁った水流は、有り余る凶暴性をただただ振りまきながら、前座として男に飛沫を弾く。次の瞬間には....。

 

 

 

 

ドドッタン

 

 

 

 

 定期的に揺れ響く車輪の音。

 

 車窓からは刺すような鋭い朝日。

 

 その両方が寝惚けた頭に刺激を渡す。

 

 どうやらベットから転げ落ちてしまったようだ。息できない、助けて。

 

 ひっくり返ったゴキブリのように手足をバタつかせ、絶命に至る所であったが、肺に空気が供給された事でそんな事態は免れた。ドタドタドタと徐々に喧しい足音が近付き、ドカーンと勢い良く扉が開け放たれると。開けた本人とバッチシ目が合う。今の状況を客観的に語るなら、良い歳した大人が掛け布団を引き連れて尻餅をついている。

 念のため、周囲に目を向けながら接近してくる者に、片手で謝りながら異常がないことを告げる。最後にグルリと周囲を見渡すと、張り詰めた顔を緩め、退出していった。

 下らないことで呼び込んでしまった、自分が考えるに最悪の目覚めである。打ち付けた頭と背中を庇いながら、イデデと起き上がると、対岸のベットには微睡む大井が。顔をこっちに寄越して、長髪を振り撒いて。なんとも無防備に体を晒す辺り、なんと言えば良いのか男として認知されていない説が浮上する。

 

 いや別に気にしてないけど、大井には北上が居るからね、ウンウンウン。

 

 誰にアピールしてるのか知らないが、大井は護衛兼付き添いなので、そんな騒ぎ立てるようなものではない。それに旅のお供は彼女の他にも居る、部屋は違うが。悲鳴の一つでも上げれば、さっきの様に飛び込んで来て即刻豚箱有罪判決だ。

 特に何も考えずジーッと眺めていると、唸り声で喉を鳴らし、ショボショボと重たげに瞼を上げ空気を揺らし息を漏らす。車窓から入り込む朝日から逃げるように寝返りを打つと、直後ガバッと起き上がり、首を潜望鏡さながらにグルグル回し始めるのだった。思わずビクッと驚くのを目敏く感知して、俺の顔面を注視すると、目頭を揉み込みこちらにもハッキリ聞こえる声で独り言を呟くのだった。

 

 

「あぁ、最悪の目覚めです」

 

 

「おい、ちょっとは躊躇しろ」

 

 

「夢の中で提督が北上さんの犬になってました。悪夢以外の何物でもありませんよ」

 

 

「ちょっと何言ってるかわからないんですけど」

 

 

「北上さんにお手をしていたら、ケージに入れられた提督が現れて、あろうことか可愛がられてたんですよ!! もう、最悪ですよ、どう責任を取ってくれるんですか! ああ、もう、思い出しただけで悪寒が走ります!」

 

 

「それ俺が悪いの?」

 

 

「当たり前じゃないですか!! あ〜正夢になりそうで怖いです。もし北上さんに近付こうものなら張り倒しますよ!」

 

 

「いや、提督の立場でどうしろと」

 

 

 両手を胸の前でワキワキさせて、嫌悪感をベットで遊ばせる。一体俺は大井からどんな認識をされているのだろうか。いやだが北上が絡まなければ大丈夫なんだよな? 嫌われている訳じゃないんだもんな? いやいや北上の事を詳しく聞きたいから今回の付き人を頼んだのに、それ聞けなかったら意味ないじゃん。ハイパーズの前で北上の事を大井に聞くのもなんか変だしなぁ。ここは話を逸らしてでも大井を落ち着けるべきか?

 

 

「と言うかいつまでこっち見てるんですか、女性の寝起き姿をまじまじ見つめるなんて、とんだ変態ですね」

 

 

「実は俺も、なんだか怖い様な懐かしい様なそんな夢を見ていた気がするんだが、??? あれ、どんな夢見てたんだっけ?」

 

 

「そんなこと私に聞かないで下さい、北上さんのペットになった夢なんじゃないんですか」

 

 

「人のこと、そんな安直にペットにしないでいただけますかね大井さん」

 

 

 上手く話しを逸らす事には成功したものの、よほどインパクトが強いのか、謎の北上ペット押しにたじろぐ。今は良いが、北上の事を聞き出す時にちょっと骨が折れそうだ。

 

 

「あの、その。寝起きで恥ずかしいので....部屋から出てもらって良いですか?」

 

 

「....わかった、列車観光にでも行ってくる。10分、いや15分で戻る」

 

 

「わかりました」

 

 

 一応、俺にも羞恥心は対応しているのか、北上専用の特殊機能では無かったようだ。落ち着いたのか、ほんのりと頬を染めて掛け布団を口元に引っ張り、目線を明後日に向かわせる大井に気を使いさっさと出て行く。

 まだ違和感がする胸の辺りをさすって、本日出席する中央会議に思いを馳せた。北方方面での深海棲艦の妙な動き。ロシアとアメリカの間、ベーリング海を越え、カムチャッカ半島とアラスカを進んだその先に、決して無視できない量の深海棲艦が姿を消していると資料にはあった。前回の東南アジアルート安定を目的に実施された、南方地域殲滅作戦からめっきり動きが鈍化していると思われたが、どうやらそんな生温い相手では無いらしい。

 一体何が目的で何を企んでいるのか、ここでその狙いを好き放題決めつけるのは早計だろう。いや、そんな事は本当はどうでもよくて、彼女の事を考えるキッカケに過ぎないのかも知れない。少数精鋭を掲げる北方方面軍、そこに在籍する陸奥が今の姿を見たら、一体どんな言葉をかけてくれるだろう。何にせよ、俺が戦う理由が彼女にある。浅い意味でも、深い意味でも。

 

 

 

 

 

 豪華絢爛とは言い難い、重苦しいコンクリートが幾重にも流し込まれた、要塞の風貌を漂わせる建物の中に俺達はいた。

 

 元々は日本の名が知れた港であったこの場所は、拡張工事を繰り返し、周辺からは住民の喧噪が消えた対深海棲艦の総本山となっていた。

 

 建造物を海に面しながら、日本で最も安全な場所と言わしめるだけの軍事力を保持するここは、さぞかし重要な会議に打って付けだろう。会場に入ると、同期に酒のお礼を言ったり、軽い世間話をして時間まで過ごした。

 大井と言えば、色恋の話題に巻き込まれた時に、ススーと横にスライドしながら遠ざり心情を示す。すると、お前も大変だなガッハッハ、などと言われ肩をビシバシ叩かれた。痛えっての。

 時間になると着席し、北方方面軍の席次を眺めて見るが空席だ。北方方面軍は、日本海へ接近してきた深海棲艦対処のため、大陸シーレーン防衛のために欠席であると説明を受けると、ちょっぴり残念な気持ちになった。そんな中でも会議は続く。大井との間に、席一個分の距離を空けられながら。....もちょっとこっち来なさいよ大井さん。

 

 

 

 会議をまとめると、深海棲艦の狙いは北極の基地化ではないか、と結論が出た。

 

 もしも太平洋・大西洋間の移動が容易になれば、決まった本拠地を持たない深海棲艦側は大挙して襲い掛かるだろう。

 

 この結論に日本とイギリスが悲鳴を上げることになる。開戦よりシーレーンはズタボロにされ、ようやく安定供給が見込めると安堵した矢先にこれだ。なまじ苦労をしたもの同士、通ずる所があったのか、無言の握手が交わされ共同作戦が決定。その他にも協力を申し出たアメリカ、微力ながらフランス・ドイツ・イタリア・ロシア等々が支援に加わり、史上最大の合同作戦に至るのであった。

 

 激しい抵抗が予想されるこの作戦、唯一の救いとなるのが、相手は基地を0(ゼロ)から建造する点だ。

 

 深海棲艦は元々、人類側の基地を占領・改築・拡張することで版図を広げてきた。ハワイ・オワフ島がその良い例で、現在では太平洋全域に絶えず異形の者達を供給し続ける、一大拠点と化している。北極では人類の手が届かぬゆえに、抵抗もなく作業を行えていただろうが、狙いがほぼほぼ確定している今ならば放っておく訳にもいかない。基地として稼働する前に徹底的に叩かなければならない。

 この結論を受け、方面軍制は一時廃止。連合艦隊を各所から募り、北極作戦に向けて全力を注ぐ方針となった。

 

 『詳細は後日、書類にて』の言葉でこの場はお開きになる。席を立つ人々を背景に、提督は座ったまま顎を撫で、人選を頭でこねくり回していた。

 

 

バサ

 

 

「何やってるんですか提督、考え事なんか後でして下さい。さっさとここから出ますよ」

 

 

「ん、そうだな帰ろうか」

 

 

「いえ、北上さんにお土産を頼まれているので、それを買ってから帰りましょう」

 

 

「いや、俺いま機密書類持ってるんだが」

 

 

「大丈夫ですよ着替えれば、提督は制服着てないと地味ですし。誰も重要な書類持ってる男だなんて思いませんよ」

 

 

「着替えなんて今持ってないんだが」

 

 

「そこら辺の売店で売ってるんじゃないですか? 」

 

 

 書類で頭を叩かれたと思ったら、無礼千万の応酬で寄り道を提案してきた。

 

 持参したカバンに荷物をまとめながら問題点を指摘していくが、大井は淀むことなく答えていく。

 

 それでも心配が勝り考え込めば、大井は顔を渋くして、ちょっとイライラしてますよと腕を組む。

 

 

「私の護衛がそんなに信用ならないですか?」

 

 

「護衛に関しては心配してない。ただ、ちょっと北上のことで話さないか?」

 

 

「うわ、なんですか本格的に北上さんのペットになる気じゃないですか、キモくてキモすぎてキモいです」

 

 

「北上の安全にも関わることなんだ、頼む」

 

 

 今朝の一方的なやり取りが尾を引いてか、全く話す気の無い大井に必死になって頼み込む。こう言われれば流石に話をせざる終えないだろう。

 

 

「はぁー、わかりました。その代わり北上さんへの伝言は私が引き受けます、それで良いですね?」

 

 

「ああ、それで良い。そういえば大井は着替えあるのかって成る程、準備がよろしいようで」

 

 

 深く意味を考えずに了承の返事をすると、制服のままの大井に替えはあるのか尋ねる。得意げな顔と、トランクケース一杯の荷物を預けていた事を思い出し自己解決するのだった。二人は出口に向かって歩を進める。俺も、なにか数で誤魔化せるお土産でも買っておこうか。

 

 

 

 

 

「なんですか、そのダッサイ服は」

 

 

「いやこれしかなかったんだって」

 

 

 集合場所の駅前で、のっけから毒を吐かれた。スペースの限られた売店にセンスの良さを期待する方が間違っている、気がする。

 

 対する大井はどこか誇らしげにその場でクルリと回ってみせた。ロングスカートを翻して、感想を求める期待した眼差しに、なんと言葉をかけるべきか迷ってしまう。深窓の令嬢を思わせる開口一番との真逆の服装にたじろぎ、口を開こうとして、やめた。

 口元を触って悩んでいると、いつもとは系統が違う事に気付く。やけに乗り気な大井を再び見て、もしやと思い恐る恐る言葉にする。

 

 

「もしかして、これ北上に選んでもらったやつ?」

 

 

「はいそうです! どうです? 似合いますよね?」

 

 

 やっぱり。黙っていれば儚くおしとやかな印象を受けるだろうが、握り拳のせいですべてが台無しだ、などと言ったら怒ること間違い無し。いや、これは正しく脅迫だろう。

 

 

「あぁ、(黙ってれば)似合ってるぞ」

 

 

「変な間があった気がするんですけど、殴られたいんですか?」

 

 

 褒めちぎりの言葉を散りばめて、なんとか機嫌を取り戻した大井だったが、今度は北上の素晴らしさを主張する北上演説が始まった。小一時間続きそうだったので、大井の背中を押して改札口へ急いだ。

 

 

 

 

 

 普通列車の下り線に揺られながら、最近の出来事について話す。

 

 大井は北上関連、俺は秘書関連で8対2の会話が続き、足して十割北上の事しか話してない。ちょっとどころか、かなりマズイ気がするが、大井の表情を見いているとそんな気持ちも失せてくる。それだけ一緒にいてケンカしないのだろうか? 今度北上に聞いてみよう。

 その後も熱心に語る、ほぼ一方的なお喋りにも終わりが近付いてきた。目的の駅で扉が開くも、大井はどこか喋り足りないのか、口をマゴマゴとさせながら駅に降り立つのだった。

 

 目的地は駅近のデパート、ここ限定のスイーツが食べたかったようだ。

 

 

「俺も買い物したくなったから、ここらで一旦別れようか」

 

 

「そうですね、集合場所を決めましょう」

 

 

「そう言えばお昼まだだったよな? あそこのレストラン前に集まろう」

 

 

「わかりました。言っておきますけど、あんまり深く踏み込んだり長くなるようなら、遠慮なく帰らせていただきますからね?」

 

 

 デパート入り口の近く、洋食レストランで再度集まることとなった、二人はここで二手に別れ行動をする。一方は大人数に配れる適当なお菓子を探しに、もう一方は北上に頼まれたスイーツを確保するために。

 大井はエスカレーターへ向かった。デパ地下の列に並び、ショーウィンドー越しに覗く、順当に並ぶスイーツの列に感嘆する。艶かしい苺ソースの光沢、嗅覚を刺激するブルーベリーの甘酸っぱい匂い、しっとりとしたスポンジケーキが仄かな甘味を伴って口に消えてゆく感覚。目を輝かせる大井を感じ取れば、スイーツにひれ伏したくなる気持ちも、片鱗ながら伝わるだろう。

 そんなどうしようもなく乙女な思考を振り払って、お目当ての品を探す。看板商品なのか、キャッチーでポップな甘味の芸術が姿を表すと、捌けた列に大井が躍り出る。定員に指差しと呪文で指示すると、扉を開けより一層鼻腔をくすぐられた。小さなケーキ箱にそっと詰められると、会計を済ませ、列を離れた。

 

 

 

 

「遅いですよ、もう。あと少し遅れてたら帰っちゃうところでした」

 

 

「悪い悪い。中々選ぶのに手間取っちゃって」

 

 

「しっかりして下さいよ、スイーツが痛んじゃうじゃないですか」

 

 

 レストランの席に着く二人はメニューをパラパラとめくり、大井はオムライス、提督はカレーを注文した。料理が出てくるまでの間で、北上について聞いてみる。手を組んで勿体振るように語り出す大井に、提督は聞き入るのであった。

 

 

 

 




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看病イベント

  

 

 執務室までの道のりを二つの影が連れだって歩く。

 

 接近の許す限り密着しているので、片方の影の主、北上はとても暑苦しそうに困り顔だ。

 

 鎮守府の早朝。周囲の目がないのをいいことに、蕩け顔の大井は今日もエンジン全開フルスロットル。一対の生物のようにして目的地の扉の前にたどり着けば、大井が手を伸ばし、ノブを捻った。

 閑散とした光景。書類の山が、処される時を今か今かと鎮座して待つ光景を見て、提督を叩き起こし直ぐに取り掛かろうと心に念じる。提督の匂いが北上に移るのを嫌い、愛おしげに北上から離れた大井は、再び立ちはだかる木製のドアを荒々しく蹴り開けた。派手な音と共に突入するも寝室の中も静寂。人の気配の全くしない部屋に疑問符を浮かべ、とりあえず緩やかな山を作り出すベットの掛け布団を引っぺがすと、提督の姿に安堵する。何時もならバッチリ起きてると言わないでも、ある程度受け答えができる状態であることが多いので、一層疑念を深めてしまったが、窓に近づきカーテンを目一杯開け放つ。『シャーッ』と上部フックが、レールを滑る音を部屋に響かせて、背後を振り返って眉を顰める。

 

 

「いつまで眠りこくっているんですか、もうとっくに朝ですよ」

 

 

 うんともすんとも発しない提督に流石におかしいと感じ、ベットに近付く。グッタリする提督に臆することなく脈を測ると、異常はなし。利き手で自分のおでこを覆い、空いた手で提督のおでこを覆えば、....熱い。

 

 

「提督、提督聞こえますか? 提督?」

 

 

 優しく揺すってみると、ゆっくりと目が見開かれ、視線が合う。

 

 

「大井か、おはよう。北極作戦の書類が届いてたよな? 今日中に終わらせよう」

 

 

「何言ってんですか、体調悪そうですよ? 大丈夫なんですか?」

 

 

むっくり起き上がる提督は我関せず、寝間着の裾に手をかけて、大井をチラリ。

 

 

「いやーん、どこみてんのよ」

 

 

 背を向けて、微塵も感情の籠っていない顔面を覗かせると、幾らかの怒りが沸々とやってくる。折角心配してやってるのに、この馬鹿は一体何をしてるんだ、と。

 

 

「そうゆうの本当いらなんで。いいですか? ベットで安静にしていて下さいね?」

 

 

 そう言いながらドアの先に消えた大井の背後を見送る。ボーッとする頭がフワフワと思考力を奪い、頭の鈍痛を振り払おうと首を頻りに振ってみるが、寧ろ痛みを強くするだけであった。

 やっちまった....額に人差し指・中指をくっつけ、苦しげに顔を梅干しのようにクシャクシャにすると、提督は日頃の行いを振り返る。艦娘達の要望をハイハイと後先考えずに聞き入れ、頼まれもしてないのに設備や編成などの随時更新、コミュニケーションの過不足を調節する日々。優先順位や健康状態は気遣っていた方だが、その日のうちに片付けておきたいが為に、激務に次ぐ激務の日々が続いていた。

 元々体の丈夫さには自信があったが、ついにガタが来てしまったようだ。体調を崩すなんて久し振りで、どう振る舞っていいのかよくわからないが、さっきから上手く働かない頭の中が業務で一杯なのが唯一の気掛かりであった。

 

 

ガチャ

 

 

「どうぞ提督、体温計です」

 

 

 ゆっくり開けられたドアから再び大井が舞い戻ると、電子体温計が差し出された。受け取って、お尻のボタンを親指で押すと、先端の計測部分を口に咥えた。

 

 

「え゛」

 

 

「なんだよ。こっちの方が速いんだよ」

 

 

「それ、執務室の共有救急箱の近くにあったやつなんですけど....。他の艦娘達も普通に使ってるんですけど....」

 

 

「なんかで拭いてくれたりしたんだろ?」

 

 

「いえ、してないですけど....」

 

 

「」

 

 

「....ウェットティッシュ持ってきますね」

 

 

 大井からのドン引きに顔をしかめれば、弁明染みた言葉を吐く提督。家の習慣で当たり前に取った行動が、予期せぬ変態行動に様変わりした。絶句して体温計を口から取り零す提督。病人を追い討ちすることも心理的に出来ず、大井は三度、ドアの奥へと消えた。

 転がった体温計に目もくれず、顔を覆って自らの痴情を悔やむ。絶対に、大井に今後とも弄られ続けることが確定した瞬間でもあった。この後、大井から手渡されたウェットティッシュで丹念に体温計は磨かれ、二度口に運ばれた。ピピピ、ピピピと電子音が鳴り結果の程は、38度5分。本日一日ベッドインの刑が決まった。

 

 

「お布団は首元までかぶって、額のタオルは乾いたら知らせて下さい。水分はこまめに取りますよ、どうぞ、お水です」

 

 

 手際良く捌く様子はまさしくオカンだ。少々過保護気味なのが気になるが、一人暮らしの風邪に比べれば心理的不安は軽い方だろう。コップ一杯の、この冷た過ぎずぬる過ぎずの、絶妙な匙加減のお水に小さな感動を覚えながら喉を鳴らす。半分程を体に納めたところで大井に取り上げあれ、物足りなさを感じながら、布団を深くまで被った。

 

 

「風邪薬はなかったので後で買ってきます。他に欲しいものはありますか?」

 

 

「....辛い物が「馬鹿なんじゃないですか?」

 

 

 感情の振れ幅を全く感じさせない、冷静なツッコミに恥ずかしくなる。この、なんだか、特に驚きもしない辺りがちょっとしたネタを本心からの声と誤解してるんじゃないかと不安にさせる。大人しく患者役に徹している他無い。病人は病気を治すのが仕事と言うが、ベットの上でやる事は寝る以外選択肢はなく、眠たくない時は暇で暇でしょうがない。

 大井は気付けば傍で、いつの間にか取り出したクリップボードで書類を固定し、筆を走らせていた。彼女は立派なモノをお持ちのようで、書類との間にある大きな障害物に苦戦していた。秘書艦である北上の姿は見てないが、何時ものペースだと、大井に無理強いしてしまいそうだ。 病床から伸びた手が、クリップボードの留め金を掴むのは仕方のない行動だった。

 

 

「....何してんですか提督」

 

 

「いや、横になってるだけじゃ暇だからな。どうせなら書類を手伝おうと思って」

 

 

「邪魔なだけなんでやめてもらえますか? さっさと風邪を治して馬車馬のように働いて下さい。....それと、物越しでもセクハラはセクハラですよ」

 

 

「ん゛」

 

 

 セクハラの言葉に恐ろしく早い脊髄反射が、ベットの暗闇に巻き取られてゆく己の手を誘発。確実に鼻ひでぶコースであったが、大井から拳が飛んで来ることはなかった。微妙な空気を漂わせながら、提督は耐えきれずに背を向ける。とても熟睡出来る状態ではなかったが、視界が一色で埋まってしばらく考え事をしていると、いつの間にか眠りについていた。

 

──

────

────────

 

 パッチリと目を覚ます。体を起こすと、無残にも湿ったタオルが膝元に落下。ベット横に居た大井はいつの間にか姿を消していた。どれくらい寝ていただろう。時間を確認するため、以前艦娘にプレゼントされたアナログ時計を注視してみる。お昼を二周ほど過ぎたのを確認し、カーテンの隙間から刺す然りの光度でそれが正しいことを知る。調子はわりかし軽くなった気がしたが、まだ頭は鉛が流し込まれたように重い。寝室備え付けのトイレで用を足し、流す音とともに出てくると、ちょうど良く大井が入室してきた。

 

 

「提督、ちゃんと寝てなきゃダメじゃないですか」

 

 

「いや、せめてトイレだけは行かせてくれよ」

 

 

 すぼんだビニール袋(大)を片手に、提督をとがめる大井であったが、流石に行き過ぎた暴論に反抗的な態度をとる。それを見て、ガサゴソとビニール袋を漁り、取り出したものをベットの片隅に置き指差して大井は言った。

 

 

「今度からはこれにして下さい」

 

 

「尿瓶とかそこまで重症じゃないだろ! 恥ずかし過ぎるわ!」

 

 

 反応を受けて、こりたのか袋の中に戻す大井。大きな声を出したからか、なんだか体調が悪化した気がして、ベットに腰掛ける提督。看病については感謝しかないが、節度をもって欲しいと願わずにはいられない提督であった。

 

 

「あれ〜提督起きたんだ」

 

 

「北上さん!! 汚い菌が移るのでドア開けちゃダメですよ!」

 

 

「いや〜大きい声が聞こえから何事かと思って。二人でエッチなことでもしてるのかなと」

 

 

「そんなことするわけないじゃないですか」

 

 

 寝室の扉を開けて北上が様子を伺うと、相変わらずのひどい言い草で自然にdisられる。密室で二人っきりだからエロいことしてる、なんて同人誌みたいな発言の後には、大井が提督を一瞥した後で否定を示した。

 

 

「まあ、元気そうで安心したよ〜。んじゃ、お大事にね〜」

 

 

「ちょっと待ってくれ北上」

 

 

「ん、なに〜」

 

 

「書類の方は片付きそうか?」

 

 

「提督のサインと重要な書類以外は片付きそうだよ〜」

 

 

「あんまり無理するんじゃないぞ、何だったら俺も手伝って「提督!」わかった、わかってるから大井。ちょっと落ち着け」

 

 

「あんまり期待されてない感じかな? まぁ〜いつもは大井っちに任せぱなしだからなんとも言えないけど。でもね〜提督、ハイパー北上様をなめてもらっちゃ困るよ。大井っちには負担はなるべくかけないつもりだから、その点は安心してサボってていいよ〜」

 

 

「そうか....じゃあ、任せた。俺は寝る! おやすみ!」

 

 

「待って下さい、しっかり食べて栄養をつけないと治るものも治りません。眠るのはお昼食べてからにして下さい」

 

 

 せっかくいい感じに締まるところだったが、大井の言葉で盛大にスベった。考えてみれば朝から何も食べてない、空腹を指摘された途端、『クゥー』と腹の虫が返事をする。

 

 

「クフフ、すぐに用意しますから待ってて下さいね」

 

 

 微笑を浮かべる大井は、北上を汚染地帯から押し出すようにして部屋を出てゆく。一人残された提督の方は北上の言葉を信じ、体を倒して料理が運ばれてくるのを静かに待つのであった。

 

──

────

────────

 

「提督ー、起きてますかー、ご飯できましたよー」

 

 

「起きてるぞぉー、おー美味そうな匂いだ」

 

 

 体を起こし、お盆を持った大井がベット脇に料理を運ぶ。匂いで薄々勘付いていたが、器を覗き込み、その全貌をあらためる。まず目に付くのが黄色、卵をフワフワに溶かしたもののようで、器一杯に占拠していた。卵はぬらぬらとテカっている、これはアンかけのアンだろうか。香味野菜の青ネギが紅一点彩りを加え、食欲をそそるようだ。

 

 

「いただきます」

 

 

 手を合わせ、早速食事をしようと手を伸ばすが....あれ、箸なくないか?

 

 

「いま持ってきます」

 

 

 箸を取りに行った大井を見送り、眼前で御預けを食った提督の腕はゆっくり降ろされた。ちょっと間を置いて。

 

 

「すみません提督」

 

 

「そんな気にすることでも....」

 

 

 箸を受け取り、しくじった大井をなるべく見ないようにして、卵とじの中身に箸の先端を潜らせた。箸が呼吸をする時には、引き連れた白く、長く、蛇行する物体が姿を現す。風邪を引いた時の定番、おかゆ・雑炊などとは違う、それでも彼の好物であるうどんが中に埋まっていた。勢いよくすすると。

 

『ゴフゥ』

 

 勢いよくむせた。

 

 うどんを噛み切り、水を受け取り、冷や水で舌を集中的に冷却。一息付く頃には、目尻に涙を溜めるほどの大笑いをする大井が。手を叩き、肩で息をして、時々目尻に指をそえる。

 

 

「そんなにがっつかなくても、うどんは逃げたりしませんよ?」

 

 

 半笑いで、呆れなを含んだ声色の進言が届いた。冷静になって切れ端になった短いうどんを持ち上げると、フーフーと湯気を取り除き、口に運んだ。昆布ダシが効いた風味豊かでやわらかな味わい、トロトロの溶き卵と合わさってやさしさはマシマシ、主役のうどんの確かなコシを噛み締めて、脇役のネギの存在も忘れずに。

 

 

「ん、美味しいよ。大井は料理が得意なんだな」

 

 

「得意と言えるほどじゃありませんけど、北上さんの要望に応えていたらある程度出来るようになりました」

 

 

「んや、俺の目から見れば十分得意の部類に入るよ、大井の料理を毎日食べれる奴は幸せもんだな」

 

 

「なんですかそれ、口説き文句みたいで流石に悪寒が走るんですけど」

 

 

 悪態をつく割にその表情は明るい。引き続き持ち上げられるうどんを懇切丁寧に冷ます様子を静かに眺める大井は、器がカラになるまで、その傍らに佇んでいた。

 

 

 

「んー、もう腹一杯だ。うまかった、ごちそうさん」

 

 

「それじゃあさっさと寝て、風邪を治して、私達を楽させて下さいね」

 

 

「なんだか当たり強くなってないか?」「とっとと寝てくれないと書類が片付かないんですよ」

 

 

「そんな子供じゃないんだから、いや子供でもちょっとやり過ぎな気が・・・・」

 

 

「病気で弱ったのをいいことに、そこら辺の艦娘を看病に引っ張ってきてベットで「そんなことするわけないでしょうが! それに、それだと大井も危ないことになるんじゃ?」

 

 

「私は提督をぶん殴れるんで問題ないです」

 

 

「いやアウトだろ」

 

 

 布団に入ると絞ったタオルが額に乗せられ、束の間の休息を得た。食器をお盆に乗せ退出する大井に、果たして寝られるだろうかと疑問を浮かべたが、大井が戻ってくる頃には、しっかりと夢の中だった。

 

 

 

 ピピピピ、ピピピピ。

 

 

「おー、下がってきたな」

 

 

「見せて下さい」

 

 

「なんだよ、疑ってるのか」

 

 

「公正な判断を下さないと、ぶり返しちゃうかもじゃないですか」

 

 

 体温計を眺めていた提督から計測器をひったくると、なんとも言えない表情を浮かべ、判断に困って顔をしかめた。下がっているのは事実だったが、出席か欠席か判断に迷う、微妙な数値が画面に表示されている。寝室を抜け出そうとする提督の襟首をつかんで引き止め、ベットに戻るように指示する。提督は、ばつの悪いといった表情で渋々それに従った。

 

 

「ベットに入るから、それならせめて本でも読ませてくれないか」

 

 

「....まあ、動き回られるぐらいならそっちの方がいいですかね。ただし、安静にしてて下さいよ?」

 

 

「わかった、ありがとう大井」

 

 

「いいえー」

 

 

背を向けて、退出する大井。緩やかな午後の時間が流れる中で、部下に恵まれたことを感謝する。今日の業務は諦めて、明日の業務に備えるのだった。

 




5573


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決裂、そして....

試験的に投稿します。


 

 

 朝も早い執務室。

 

 その場所に突如として怒号が響き渡る。

 

 今暫くの静寂ののち、少し間をおいて扉が乱雑に開け放たれ、大井が話にならないと退出する。困惑した表情で追いかける北上を最後に、扉は無情にも閉じられた。

 

 

バタン 

 

 

 一人出口に手をかざし、力無く降ろされる手には元気が無く、俯き気味に視線を下方に移す提督。喧騒が去った後には自分の無力さだけが背中を突いた。何も考えてない頭で、今から追いかけても火に油を注ぐだけだ。そう言い聞かせて拳を固く握り込み、その場でしゃがみ込んで、床に舞い落ちた一枚の書類を拾い上げる。

 内容は近く実施される北極作戦、この鎮守府から選出される連合艦隊メンバー。北上を旗艦に大井が続き他4名、攻守バランスの取れた編成だ。凡庸な編成で面白みは皆無だが、様々な状況に対応出来る、そんな組み方がなされていた。

 問題はここから、彼女達が北極作戦における一番槍、まだ敵の戦力もはっきりしない状態での最も危険な任務を負わされていたことだ。大井が最も拒否感を示したのが、北上が大規模作戦の最も危険な任務で旗艦であること。提督に詰め寄って、撤回は言い過ぎだが妥協案を主張する。

 

 

 /一番乗りの計画書には無理があります、本部に頼んで変更してもらいましょう。/

 

 /却下。/

 

 

 /北上さんを外して他の方を入れましょう。/

 

 /却下。/

 

 

 /だったら、私が代わりに旗艦になります!! それで良いですね!?

 

 /却下。/

 

 

 一連のやり取りで何を言っても無駄だと気付いた大井は、今にも破裂しそうな爆弾のように体を小刻みに震わせた後、もう良いです!! と叫び、真っ赤に熟れた顔そのまま執務室から飛び出した。いつもはマイペースを貫く北上も、どうすれば良いのか分からず終始オロオロさせ、顔をワイパーのように行ったり来たりさせていた。大井が出で行く直前でその動きは止まり、提督に一瞥をくれてから大井に追い付くべく退出した。

 完全な迂闊だった。面倒見が良く、周囲をよく見渡し、かくかく各々間での潤滑剤の役割を果たす北上。そんな北上の隙間を埋めるように、死角という死角を常に警戒し、全体のカバーに重きを置く大井は最高の組み合わせだ。最も危険な任務だからこそ、これ以上ない現状での最高戦力をかき集めた。このメンバーならば、例え予想を超える攻撃に晒されようとも、被害を最小限に抑えられると踏んでの決断だった。

 だが先走りすぎた。大井の北上を思う気持ちに配慮し切れなかった。効率を計算するあまりに、肝心なことを失念してしまっていた。最近よく世話になっていただけに心のダメージは大きい。それは大井の方もだろうか? いや、これはただの願望か。何より引き受けてしまった以上、やり遂げなければ心象が悪くなってしまう。いや違うだろう、ここは正直に部下をコントロール出来なかったと断るべきでわ?

....あぁ、結局あの日から時が経ったとしても、俺はどこまでも未熟で半端者なのか? 教えてくれ陸奥、どうするのが正解だったんだ....。

 

 書類が乱雑と置かれた作業机の上等な椅子に座り、背もたれに体重と胸で渦巻く暗い感情を預けて天井を仰ぐのだった。

 

──

────

──────

 

 よほど鎮守府に響く音量だったのか、すでに起床も済んで出撃の準備を終えようとしていた者達が、何事かと自室の扉を開けて周囲を見渡す。

 その視界から逃れるように、大井は人気の少ない場所を好んで突き進むうち、影が伸びる鎮守府の裏庭に出ていた。人の気配がないのを確認して、何の変哲も無い花壇のレンガに腰を下ろす。この時間帯ならば、早朝に鍛錬の場としてランニングする艦娘や、眠気覚ましに外を散歩する艦娘に出会うことはまず無いだろう。類は友を呼ぶとでも言うべきか、雑草やタンポポが端っこの物陰に鬱蒼と生え散らかし、暗鬱とやけにしおらしく風に揺られていた。

 ため息を一つ吐いた。その場の空気に感化されれば、ため息の一つぐらいつきたくなる。空気を抜いた風船のように萎えて、俯かずにはいられなかった。青空を進む雲は、時間の進みを忘れさせるほど緩やかに動く。人が出払ったかのように静寂を貫く鎮守府は、彼女をただ一人置き去りにして佇んでいるだけ。

 長い時間そうしていたのか、それとも大した時間は経っていないのか。時間の概念も忘れ一人周囲と同化していると、ふと嗅ぎ慣れた香りが微風に乗って半身を撫でる。覚醒したようにビクッと体を震わせ、その根元に目を向けると、北上がほど近く寄り添うように座っていた。

 

 

「き、北上さん!! すみま....へ ?」

 

 

 人差し指を己の唇に吸い寄せて、"静かに"とゼスチャーを送る北上に、大井は途中で間の抜けた声をあげた。大井の疑問をそのままに、正面を向いてしまった北上はスカートから伸びる脚をの交互に伸ばしたり引っ込めたり、まるで今晩の夕食を尋ねるように口を開いた。

 

 

「静かでいい場所だよね〜大井っち」

 

 

 無意識的にこの場に辿り着いたため、周囲の景観になど毛ほども気にしていなかった。はじめて周囲を観察すると、静かで落ち着いていて、何より北上がいることがこの場所の印象を決定づけるのに充分過ぎた。

 

 

「は、はい! 北上さんがいる場所なら、どんな所でも花が咲きますよ!!」

 

 

「お〜、そいつは嬉しいね〜」

 

 

 謝罪を遮ったのは北上の優しさか。真意のほどは定かではないが、鬱憤とした空間には、いつの間にやら光が差し込んでいた。その後は他愛も無い会話を繰り返し、ひとしきり話が区切られたところで北上が切り出す。

 

 

「提督ともう一回お話ししよう?」

 

 

「....そう、ですよね。....話はまだ終わってませんよね」

 

 

「提督はバカだけど愚かじゃないから、しっかり話し合えばきっと双方納得出来るよ。だから、ね? 」

 

 

 本来の目的に触れ、そのことを忘れかけていた大井は、一気に現実に引き戻された感覚を味わう。しかし逃げてばかりはいられない、いつかは現実に向き合う時がやってくる。ゆっくりと差し出された手は白くて細くて、繊細なガラス細工のように触れたら壊れてしまいそうな美味しそうな手で、騒動関係なしに両手で撫で回し頬ずりしたい衝動に駆られる。

 大井から伸びた手は、一瞬戸惑った後に北上の肌に触れ、確かに重なった。安心したように微笑む北上に後光が差し込み、天使がファンファーレを奏でる光景を大井は見た。その衝撃は凄まじく、片方の外鼻孔に赤い筋をそろーりと忍ばせる程度には、大井を刺激したのだった。

 

 

──

────

──────

 

 

「提督 ! お話があります」

 

 

 ドアノックの後に勢いよく開け放たれた、境界を跨いで大井が入室する。提督は書類とのにらめっこを一時中断して、ペンを傍らに置いた。大井の片鼻にティッシュが詰められてるのをみて、今さっきの間で何があったのかと疑問が浮かぶが、今はそのことを質問する時ではないだろう。椅子を軋ませて立ち上がると、直角に体を折り曲げて謝る。

 

 

「すまなかった」

 

 

 先手頭を下げる、後手うろたえる。出鼻を初っ端からくじかれたことで、大井は想定していたリズムを狂わせた。正面切って、しかも上官である相手に唐突に謝られたのは、余りにも衝撃に足る出来事だったのだ。どちらともに非があり、対等な話し合いを望んでいた大井は焦ったように返答した。

 

 

「や、やめて下さい提督」

 

 

 さっきまでの威勢は何処へやら、自らも体制を低くし、へりくだった提督に合わせて両手を扇風機のように振った。両者が歩み寄る。大井が提督の肩に触れ、頭を上げてくれと頼み込んで、ようやく大井が望んだ形からのスタートとなるのだった。数拍置いて、頭を下げようとした大井を今度は提督が制止する。

 

 

「待ってくれ大井、これじゃあいつまで経っても話が進まない。大井の誠意は確かに受け取った、だから一旦落ち着こう」

 

 

スー、ハ〜

 

 

 部屋には互いが深呼吸する音だけ残し、今しばらくの休戦。落ち着きを取り戻した大井は、早速こう切り出した。

 

 

「この作戦、勝算はあるんですか?」

 

 

「もちろんだ」

 

 

「私達にしか出来ない仕事なんですか?」

 

 

「これ以上ない適任だと思っている」

 

 

「提督は....どうしてこの任務を受けようと思ったんですか?」

 

 

「それは....」

 

 

 運命の別れ道。ここで提督が自分の立場と階級のためなどと、自己保身的な発言をうそぶくようでは、大井から更なる関心が向かう機会は、二度と訪れなかっただろう。かといって、明らかなその場しのぎは再び不信感を芽生えさせる苗床にもなり得る。結果、提督はしばしの熟考の後、様々な考えを交差させ答えを導き出す。

 

 

「平和な海にしたい」

 

 

 誰もが辿り着きそうな幼稚な回答に、大井はその真意を汲み取ろうとジッと提督を見つめる。返ってきたのは、真剣にただ真っ直ぐにこちらを見据える提督の姿それだけだった。両者は無言のまま、時計だけが時を刻み続けることを知る。この空間を最初に抜け出したのは大井だった。

 

 

「....わかりました。少し癪ですが、一つ貸しと言うことで」

 

 

 腕を組み、そっぽ向いて、確かに作戦を受け入れる言質を発した。提督の表情にも明るさが戻り、繰り返し感謝の言葉を口にする。

 

 

「ただし!!」

 

 

 謝辞の言葉をぶった切って、クワッと顔を提督へと向けると、その続きを喋り出した。「今すぐこの貸しを返してもらいます! 北上さんばかり秘書艦をやらせて可哀想です! 即刻、私共々連休を要求します!!」

 

 

 すぐそばのソファーを数度、バンバンと叩きながら、いつもの調子を取り戻した大井は訴える。秘書艦を引き継いですぐの頃は、仕事を処理するスピードが大幅に落ちてしまうので、北極作戦の案件を片付けるまでは厳しいんじゃないかと提督は苦笑いを浮かべる。

 

 

「うがぁ────!!」

 

 

 それをどう勘違いしたのかわからないが、詰め寄ってきた大井が提督の襟首を掴みあげると、乱暴に前へ後ろへ小刻みに震わせるのだった。

 

 

────

 

 

 やもりのようにドアに張り付き、話の行方を聞いていた北上は、先ほどの大井の叫びで耳を澄ませるのを辞める。ホッと胸をなで下ろし、和解が出来たことを自分のことのように静かに喜ぶ。しばらく様子を伺っていた北上だったが、頃合だろうと何事もなかったかのように執務室へと入室。

 

 

「き、北上さーん !」

 

 

 部屋の中から、会話を置き去りにして高鳴る声は、誰もいない廊下までよく響いていた。

 

 

 




次回新章突入。

ペースアップ
出来たらいいな
直前で
後悔するも
後の祭りか・・・。

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親愛編
激闘!! 氷床の大地 (戦闘描写はほとんどないよ!!)




試験投稿2回目。

書き出しまでが非常に長い・・・・。




 

 

 

 氷点下をぶらつく極寒の地域。

 

 景色は、しばらく青と白、あとは太陽と黒しか見ていない気がする。

 

 曇り止めを塗ったガスマスクの中は、外気と違って非常に蒸れる。それに対して、動きやすさを重視した防寒着は煤けてボロ着のようになっており、寒さに対する気休めにしかならない。提督から概要を聞いていたはずなのに、その恨み節は留まることを知らず。北極の氷が溶け、環境問題が叫ばれていたのは過去の話。深海棲艦の登場で立ち消えとなってしまったが、ガリガリと砕氷船を引き連れなくてホッとしているのは複雑なところだ。

 北極海。その範囲は随分と広いが、冬にでもならない限り、氷塊の侵食は大人しい。周辺を索敵していた艦載機を艦隊に戻せば、艦隊に情報を周知させる。それを小耳に挟みながらやる事は周囲の警戒、特に背後を隊列を崩してまで念入りに観察する。注意するのは、自分でもよく知って足る、一撃で多大な被害を被る魚雷だ。雷跡がないのを目を皿のようにして要確認する。

 

 

『北極全域の制圧を今確認した。作戦成功だ、帰還してくれ』

 

 

 提督からインカムを通じて音が入るのに対し、雑多な返事が入り混じるなか、短く返答する。喜ぶのは二の次だ。ここまで慎重になるのは、致命打を与える一撃が、敵を殲滅し、安心しきっている今もっとも突き刺さるからだ。そうして全体を大きく見渡していると、視界の端に違和感が生じた。海を波をかき分けて、こちらに軌跡を数本残して直進してくる物体が見えたのだ。

 

 

『後方より魚雷! 数は3本! 回避行動!!』

 

 

 私の号令に一斉に動き出す。追撃がないのと、周囲の安全をしっかり見定めた後、反撃とばかりに魚雷を飛び上がらせた。利き腕の四連装魚雷発射管を、天高く掲げる間に四連射。敵魚雷が残した雷跡に沿って、線を掻き消すように遠方に着水。潜ったそばから、豪快に海水を浮かび上がらせた。ダイナマイト漁をやり終えた後の如く、少なくない損傷を負いプカプカと浮いてきた深海棲艦に、お返しとばかりに艦隊火力が殺到。結果は....まあ話すまでもないだろう。それに満足した北上は、旗艦らしくゆる〜く指示を飛ばす。最も損傷を負った者を中心に輪形陣を取ると、ゆっくりと現海域を離脱するのであった。

 

 

 

 アリューシャン列島連合艦隊基地。

 

 アメリカ領アラスカ南部より細長く連なる、アリューシャン列島200海里以内は、軍関係以外は完全封鎖されていた。

 

 北極作戦に際し突貫工事で建設されたこの施設は、傷付いた体を休める場所であると同時に、もう一つの意味を含んでいる。

 

 大井はシンプルな白の色調で統一された個室で、病衣を身にまとってベットに腰掛けていた。深海棲艦による生物兵器利用の可能性。そもそも深海棲艦が何のために現れ、何を目的にしているのかすら確信が持てないのなら、最悪の事態に備える必要があった。各国の作戦参加の艦隊も、場所は違えど同じ状況だろう。

 退屈だ。たとえ陰性だったとしても、一週間の経過観察がここのルールなのだ。直接は会えないが北上との文通、日に一度の入浴で気晴らし、防護服を着込んだ職員が食事を運んでくる。たまに定期検査の採血と問診が行われ、それら以外は口を開くことさえあまりない。ようやく解放の日になって、大井は北上に飛びつき、作戦成功を引っさげて鎮守府に帰還した。

 執務室で久々に提督とあって間もなく、大井はにこやかに詰め寄る。

 

 

「みんな、お疲れ様。無事任務をやり遂げた部下達を俺は誇りに「提督」....何だ大井、その手を退けてィデデデ!!」

 

 

 指揮官らしくカッコつけようしたところを、駆け寄ってきた大井が頓挫させた。キュッと握られた腕が、グッと締まる。誰の目にも、大井が静かに怒っているのは目に見えて分かった。こりゃたまらんとタップアウトを繰り返す提督。

 

 

「作戦内容とその後の展開は隠さず伝えていたはずだ! なにか指揮に不満でもあったのか!?」

 

 

 身をよじりながら悲痛に訴える提督に、加えられていた力がフッと消えた。じんわりと血流が通う感覚に腕を振りながら、疑問符を浮かべて過去を振り返る。

 

 

「太ったんです」

 

 

「ん? なんだって?」

 

 

「ふ、太ったんですよ。基地の食事が、その、美味しすぎて」

 

 

 恥ずかしがって言葉尻が萎む大井に、唖然として時が止まる。俺、全く関係ないじゃん。目線を整列する艦娘に移してみると、各々反応は様々だが、北上なんかは"たはは"と笑って頭を掻いていた。

 

 

「そ、そうなのか? そんな太ったようには見えないけどな?」

 

 

 フォローのつもりで言葉をかけるが、男女の価値観が必ずしも一致するとは限らない。気が触れたのか、提督の両手と大井の両手がガッチリ組まれ、180度グルリと回転させながら力を加える。

 

 

「ま、待て大井! ギブ、ギブギブギブ!!」

 

 

 首を左右に振りかぶり、およそ人の上に立つ人間がすべきでない拒否反応を繰り返していた。その情けなさに満足げに悪い表情を浮かべ、天誅を下した大井は笑顔のまま手を離す。仕切り直しと帽子を直す提督は、咳払いを一つ。大井の様子を伺って、こんな提案を寄越した。

 

 

「あぁ、えーと....。ランニングでも任務に組み込むか?」

 

 

 一際大きく声が上がる。"女心が分かってない"そんな声に、口をへの字に曲げる提督を見て、"救いようがないな"と首を振る。そうしてまた、鎮守府に戻って来たそんな感覚を今一度実感するのだった。

 

 

────

──────────

────────────────

 

 

「秘書艦の任を解こうと思う」

 

 

 ある日の執務室。突然の言葉に、次の書類に伸びた手がピタリと止まった。ちょっとしたショックを覚える。いや、この場合は北上さんを秘書艦から降ろすと言う事で、私には直接的な関係性は皆無なはずだ。それなのに軽い動揺を覚えるのは、私が少なからずこの業務に思い入れがあるからだろう。なんだか心の外壁を削り取られたようにもの寂しさを感じるが、いくら嫌いな事柄でも、長く勤めていれば情の一つや二つ沸く物だ。

 その感情に蓋をして、気持ちを切り替える。北上さんと一緒に作業こそできるが、仕事の量も決して無視できないので、会話ばっかりなんて事も叶わない。これなら北上さんと海域の攻略や、遠征任務に精を出す方が、よっぽど健全的だ。

 秘書艦を解任されたのは、まるで北上さんが実力不足と言われてるみたいで腹が立つが、提督と同じ空気を吸わなくていいのは清々する、いや清々した。

 

 

「う〜ん、そっかー。でも北上様的にはちょっと寂しいかな〜。ね、大井っち」

 

 

 なんでそこで私に振るんですか北上さん。北上さん直々の指名だ、当然無視なんて高度なプレイができるはずもなく、三秒ルールに乗っ取って即座に返答する。

 

 

「はい! え、えと、その。わ、私もそう思います!?」

 

 

「だって〜提督ー。いや〜モテる男は辛いねー」

 

 

 へ? あれ、私なんだかとっても恥ずかしい事しちゃった? やだ、なんだか顔が熱くなって来た....。

 小さく縮んでゆく大井を他所に、会話は止まる事を知らない。やれ、彼女はいるのかだとか。やれ、気になる人はいるのかだとか。顔を伏せていても嫌でも聴こえてしまう。ふと、自分のリアクションに、提督がどんな反応をしているのか気になってしまった。自分に注目が向いていないだろうといった推測のもと、大井は少しだけ顔を起こし、探るように提督の表情を盗み見る。提督は、からかう北上さんを鬱陶しそうにあしらっていた。なんだかムカつく。私はこんな恥ずかしい思いをしているのに、当の本人は特に反応を示すでもなく、どうでも良さそうにいつも通りなので、自尊心が大きく傷付けられた。

 茶髪の前髪から覗く提督を睨みつけると、拗ねたように反対側に視線を移す。....あれちょっと待って下さい。なんで北上さんがこんな提督の話題に食いついてるんですか? いやまさかそんな、からかってるだけですよね? でもこれって....!? それは万が一、億が一にもあってはならないが、ふと浮かび上がった疑念が、大井の中で急速に積み上がって一つの理論を叩き出した。 今までのことなどどうでもいいと言わんばかりに、徐に立ち上がった大井はツカツカと提督に歩み寄り、襟首を摘み上げて勢いよくおでこを密着させる。

 

 

「殺されたいんですか提督」

 

 

「何があったら上官の殺害予告に辿り着くんだよ大井、いや近い近い洒落にならない位怖いから大井」

 

 

 ゴンと響いた頭蓋骨の音と痛みと鼻息に意識を向けつつ、提督は格式貼った椅子から腰を少し浮かせながら、とりあえず離れるべきだと顔を赤くしたり青くしたりしながら地面を蹴った。すると、キャスター式の椅子が先に逃げ出した。提督は空いた手でその動きを封じる。

 

 

「ちょ、タイムタイム」

 

 

「今ここで誓って下さい。北上さんには今後絶対に手を出さないと」

 

 

「わ、分かったから、誓約書でも血判でもなんでもするから」

 

 

 ワーキャー騒ぐ二人を眺めて、北上はお茶を啜ってほぅと吐く。

 

 

「いや〜、平和だね〜」

 

 

 ザラザラとした湯のみを摩って、お茶の温度を感じる。仕事も小休止に至り、微睡む時間だ。この穏やかな時間も今日で最後だと意識すると、やはり、どことなく寂しくなってしまうのだった。

 

 




3685


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進展する関係?

 

 

 

 北上を秘書艦から下ろして数日がたった。

 

 新たに見込みのある艦娘を迎え入れ、業務のほどは順調。北上が去った後、度々顔を出していた大井も自然消滅すると思いきや、なんと引き継ぎ業務を手伝ってくれた。いや、俺の認識が間違ってなければ、それはどっちかと言えば北上の仕事なのでわ....?

 後で埋め合わせはするとして、うん。大きなトラブルもなくやっていけてる、嬉しい限りだ。北極作戦が終わり、後処理もひと段落ついて平和な日々を謳歌する。今日はお昼前には業務も残すところあと僅か。秘書艦を午前の内に切り上げさせ、俺は現在一人寂しく食堂への道を歩いているのだった。

 

 何を食べようかと相棒の空きっ腹と共に食堂の扉を開けると、列に並び、メニューの中で最も存在感を放っていた海鮮ランチを注文する。列横・メニュー上・カウンターにと、しつこい程の海鮮ランチ押しに、大方、早朝に鮮魚類が大漁だったのだろうと窺い知れる。朝の騒がしさの原因はこれかと答え合わせをしながら、取れ過ぎたお魚処理に協力することにした。

 溢れんばかりの海鮮丼を受け取り、さて何処に座ろうかと食堂全体を見渡して、今日はのんびり食べようと空席が目立つ奥側に座った。早速いただきますして一口、二口と手を付けたところで、ツカツカと足音が近付く。誰だろうと箸を止め確認すれば、北上がわざとらしくキョロキョロと周囲を見渡しながらこちらに近付いて来る。周囲には空いた席なんていくらでもあるのに、苦笑いを浮かべれば、北上はこちらに初めて気付いたと言いたげに目を見開いた。

 

 

「やーやー提督〜、奇遇だね〜」

 

 

「そんなワザとらしい奇遇があってたまるか」

 

 

「そんな冷たいこと言わないでよ〜」

 

 

 そう言って隣の席を占領し、椅子を引き座ろうとしたところで、今度は数段速いツカツカ音が接近する。あぁ、こりゃもう、面倒なことになるな。

 

 

「さ、北上さん、こんな奴ほっといて一緒に食べましょう!」

 

 

 俺と北上の間に割り割り込んでお盆を置くと、パンパンと等間隔に肩を叩いてきた。まるで鞭に打たれる動物の気分だ、感覚的には競馬に近い。俺、一応君の上官だよ?

 

 

「いた、痛いですよ大井さん」

 

 

「あれ提督いたんですか、北上さんに鼻の下伸ばしすぎてて誰だかわかりませんでした」

 

 

 これまた大井も、今はじめて存在を認知しましたと言いたげに低いトーンでこっちを見下していた。絶対さっきまでのやりとり見てただろう、おい。"北上いるところ大井あり"とはよく言ったものだが、こうなるのが容易く予想できるから、北上が絡んできた時は注意が必要だ。これがドウゾドウゾと席を譲っていたら、何をされるかわかったもんじゃない。

 

 

「あれ、二人とも海鮮ランチじゃないのか?」

 

 

「う〜ん。今日はアジフライの気分だったんだよね〜。まあ魚だからセーフでしょ」

 

 

「まあアジフライ美味しいからな、たまに食べると....大井も魚か?」

 

 

「私は焼鮭です。....私達に文句があるようなら、顔面陥没させますよ」

 

 

「うん、めちゃめちゃ怖いからやめて貰ってもいいかな?」

 

 

 そんなやり取りを終え、北上が呆れたようにこう言う。

 

 

「大井っちー、提督いじめるのかわいそうだよー。本当、提督のこと好きだね~」

 

 

「そ、そんな事は!! 北上さんに近付く悪い虫を駆除しようとしただけであってですね!?」

 

 

「う~ん。私の方から近付いていったんだけどな~」

 

 

 ありとあらゆる身ぶり手振りを繰り返し、必死に否定する大井であったが、北上からは怪訝な視線が外されることはなかった。暇とは言え、飯食う手を止められてありがたがる人間はいない。

 

 

「とりあえず二人とも座ったらどうだ? 折角の温かい食事も冷めちゃうぞ」

 

 

「提督と相席でいいよね、大井っち」

 

 

「あ、えっと....はい」

 

 

「てことで、失礼しま~す」

 

 

 大井は乗り気に見えないが、北上に押しきられる形で渋々了承を告げる。隣に北上が座る中、大井はこちらに睨みを効かせ、視線を右往左往させた後に北上の正面で落ち着いた。いただきますと二つ重なり、ようやくこれで食事を再開できる! なんて思ったのも束の間。

 

 

「提督の海鮮丼美味しそうだね〜」

 

 

「よかったら食っていいぞ」

 

 

「お、ありがとう提督〜」

 

 

 横から箸が伸びてきて、天辺にあった白い薄ピンクの刺身をつまみ、自らの口に連れ込む。

 

 

「ん〜美味しい。これなんの魚?」

 

 

「え? うーん....タイ? かな?」

 

 

「へ〜。じゃあこっちの微妙に模様が違うやつわ?」

 

 

「んん? それが、タイかな?」

 

 

「じゃあこの白身魚は?」

 

 

「それが本当の....だめだ、さっぱりわからない」

 

 

 どれもこれもタイに見えたところで投了。北上は全部タイじゃんと笑っていた。その光景を恨めしく、羨ましく見ていた影が一人。正面からとんでもないプレッシャーをかかる存在に、全身の体毛が総毛立つんじゃないかと錯覚した。咄嗟に頭を下げ、さっさとこの場を立ち去ろうと海鮮丼をかきこむため丼を持ち上げると、またしても声がかかる。

 

 

「はい提督、あ〜ん」

 

 

 びっくりして横を見ると、アジフライを小さく割ったのを眼前に差し出してきた。....のだが直後、身を乗り出した大井が、ものの見事に口へと収めた。ほっぺたを両手で押さえて、音楽をかなで音符でも漏らすんじゃないかと思うほどのご機嫌な表情で体を動かしている。

 

 

「はい、あ〜ん」

 

 

 これで終わりかとホッとする暇もなく、第二波が突貫して来た。北上は何が嬉しいのか、ニコニコと屈託のない笑みを浮かべ、アジフライを上下させる。....が、またも大井が体を伸ばして報酬を受け取った。今度口に入れたのは大きな切れ端だったので、今ので口の中はパンパン。針で一突きさせば、勢いよく空中に飛び上がりそうなくらい張り詰めていた。その光景を唖然と眺めて。あ、二度ある事は....。

 

 

「あ〜ん」

 

 

 もういいでしょ! 目的が見えない北上は、またもズイっと箸を近付けた。流石に大井も限界なのか、咀嚼しながらもこちらに警告の眼差しを向ける。いや、睨まれなくても食う訳ないでしょうが。

 

 

「提督〜食べてよ〜、海鮮丼のお返しだよ〜?」

 

 

「それは土台無理な話だな」

 

 

「え〜、明日から任務サボタージュしちゃうぞ〜」

 

 

「徹底抗戦だ」

 

 

「なんだったら駆逐艦の子らと謀反を企てちゃうぞ〜」

 

 

「それは、ちょっと困るかな....」

 

 

「....艦娘の体温計舐め「わーわーわー!!」

 

 

 な、なんで知ってんだよ!! 大井だろ! 大井だよなぁ!! あぁもうクソ。下手したら鎮守府の統率が取れなくなるぞ!! 大井に目をやる、少し申し訳なさそうにした後に、プルプルと首を振り続ける。

 

 

「あれ〜。変人に加えて変態の称号も欲しいのかな〜?」

 

 

 こんの悪魔め。大井を見る。顔を赤く染めて、しきりに首をプルプルと振って訴え続けている。北上を見る、勝ち誇った笑みを浮かべこちらを見てくる。畜生ぅ、今まで積み上げて来た真面目な指導者としてのイメージがぁ。変人は、まあ甘んじて受け入れてもいいが、変態は今後のダメージが大きすぎる!! ....腹を括るしかない。

 

 

「あ〜ん」

 

 

 口の中いっぱいの大井がそれでも顔を近づけるが、その口は開かれる事なく、文句の一つも訴えられずに未だに首を振り続ける。頑なに閉じられていた重い口が今開かれる、そこに衣を着たアジが影を纏うと、出口は閉じられた。

 

 

「ど~お? 提督」

 

 

「....うん、美味いよ」

 

 

 視界端からのプレッシャーでろくに味わうことも出来ずに、当たり障りのない回答をすると、北上は満足したようにムフーと鼻の穴を大きくした。これ以上からかわれるのは体が持たんと、昼休み時のオフィス街並みの早食いで器を空にすると、"ごちそうさま"とモゴモゴしたあと席を足早にその場を逃げるように離れるのだった。

 

 

──────

────────────

──────────────────────

 

 

 午後になり、残すは最後のお仕事。資材補充のため、離れにある倉庫にそう多くない物資を運んでいる時のこと、幾分か重たい荷物を両手で運んでいると。

 

 

「提督〜」

 

 

 背後からの声に恐る恐る振り返ると、北上が"ヤッホー"と片手を胸の前でフリフリ、挨拶する。....周囲に敵影無し、進路クリア。一気にタガが外れ、息を一つ吐き出した。

 

 

「なんだ北上だけか、大井はどうした」

 

 

「大井っちは今デート準備中」

 

 

「二人でどこか出掛けるのか」

 

 

「うん、ま〜そんなとこ。提督も一緒に行こうよ。今日のお仕事終わりでしょ?」

 

 

「いや大井がブチ切れるんじゃないか?」

 

 

「大丈夫だよ〜」

 

 

 何を根拠に言ってるのか全くもって不明だが、触らぬ神に祟りなし、この言葉が答えだろう。さっさと倉庫に納品しようとするのを、北上が易々と追い越して、倉庫入口の扉を閉めて背中を預け通せんぼ。

 

 

「あの、開けてくださいませんか北上さん」

 

 

「ん? や〜だ」

 

 

 ニッコリとした否定の言葉に、やな予感が再燃する。

 

 

「もうさっきみたいな脅しには屈しないぞ」

 

 

「あーそっか〜、それは残念だな〜」

 

 

 これ以上艦娘に舐められる訳にはいかない。いや別に故意に舐めたわけではないのだから、ビクビクする必要もないじゃないか。たとえ誤解が広がったとしても、彼女の誤解だけ解ければいいじゃないか。彼女ならきっとわかってくれるし、あんなに怯える意味もない。経験と実績は簡単には消えないんだから。倉庫端に近付き荷物を一旦置こうとした時だった。

 

 

「え〜い」

 

 

 何を血迷ったのか、北上が寄りかかって来て手足を体に絡めてきた。

 

 

「バ、バカ。やめろ」

 

 

「提督が頷くまでやめませ〜ん」

 

 

 半身を特にどこがと言うのは控えさせていただくが、全体的に柔らかく包み込まれると、腰が引けてパニックに陥る。荷物を持っているため、振り切ることもままならずにされるがまま。

 

 

「大井っち来ちゃうかもね〜」

 

 

「冗談じゃ済まされないから本当にやめてくれ」

 

 

「あ、そうだ、写真送っちゃお。いぇーい、ほら提督笑って笑って〜、ピ〜ス」

 

 

「わ、わかった。行くから、行くからもう勘弁してくれ」

 

 

「ふー。やっと折れてくれたよ〜」

 

 

 一仕事終えたと額を拭う動作をした後、倉庫の扉を開け放った。こんなんじゃいつまで経ってもいいようにされてしまうと暗い表情を浮かべ、新しい天敵の出現に辟易とするのだった。

 

 

──────

────────────

──────────────────────

 

 

『場所は最寄りの映画館ね〜。はいこれチケット、現地集合だから遅れないように。後ばっくれたりしたら承知しないからね〜』

 

 

 誰もが虜になるような抜群の笑顔で北上はこう言った。現地集合らしいので、文句はあるが、映画を見るだけならそこまで危険もないだろう。....多分。過去にマグカップを買いに来たことがあるショッピングモールに併設されているシネマに着き、暗い色調が占めるあの独特の雰囲気に久々に触れながら、待ち人がいないか周囲を見回った。映画ポスターが貼られた柱により沿っていた大井を発見。一瞬行動に迷ったが、手を掲げてアピールしてみる。

 

 

「え゛」

 

 

「え?」

 

 

「なんで提督がここにいるんですか」

 

 

「いや、北上におど....誘われて映画にでも、と」

 

 

 提督の姿を確認した途端に酷い顔を披露する大井に、提督は情報が伝わってないのかと首を傾げる。そういえば北上の姿が見当たらない、お花でも摘みに行ってるのだろうか。何かを察した大井はスマホを取り出し数分弄った後、盛大なため息をついた。

 

 

「チケットは元々二枚だけ....これは、提督に騙されましたね」

 

 

「いや俺じゃないだろう」

 

 

「なんですか! 北上さんが騙したとでも言いたいんですか!?」

 

 

「いやどう見てもそうだろう」

 

 

「なんなんですか本当に提督、私に気でもあるんですか、昼間のだって、その....ッ!」

 

 

 そう言いかけてそっぽ向いた。落ち着いた光量でその表情は窺い知れないが、よくよく考えれば大井は違う理由で首を振っていたのかもしれない、もはや後の祭りだが。

 

 

「取り敢えず....そうですね。折角来たんですし映画....見て行きましょうか」

 

 

「まあ、それが一番妥当だな」

 

 

「....ポップコーン食べますか?」

 

 

「映画館の必須品だろ? もちろん。ここはやっぱり定番の」

 

 

「塩だろ」

「キャラメルですね」

 

 

「「............」」

 

 

「なんで映画館に来てまで普通のヤツ食べるんですか、ケチくさいですよ」

 

 

「上官にケチ臭い言うな、シンプルイズベスト。キャラメルは余計喉が乾く」

 

 

「「............」」

 

 

「ジャンケンで決着つけるか?」

 

 

「....そうですね」

 

 

〜ジャンケンポン〜

 

 

「私の勝ちです、キャラメルに平伏してください」

 

 

「いや、"最初は"から始めないと「キャラメル買って来ますねー」あ、人の話を区切るな」

 

 

「飲み物はコーラ以外でいいですか?」

 

 

「コーラになんの恨みがあるんだ....」

 

 

「あんなの黒い砂糖水ですよ、何にします」

 

 

「....コーラで」

 

 

「はい、砂糖水ですね」

 

 

 そう言い残してフード販売の列に並ぶ大井。世界中のコーラファンを敵に回したんじゃないか? というか、キャラメルのポップコーン自体も砂糖の塊がへばりついてるんじゃないかと....。いやまあ言わないけども。俺もドリンクの列に並んで、久しぶりの映画に気持ちを昂らせたりするのだった。

 

 

──────

────────────

──────────────────────

 

 

「242、242....。あった」

 

 

 まだ明るい劇場内。紙に書かれた座席番号を探し当てると、ポップコーン片手に椅子を倒す。場所はスクリーンを正面に中段、正面席チョイ右。なかなかいい場所だ。

 

 

「....」

 

 

 チューチューと、ストローを介してお茶に口を付ける大井が、隣席の241に座る。真ん中にポップコーンをセットし、ここで始めてポップコーンに手を付けた。手にとったのを確認すると白・茶色、比率半々のポップコーンだった、ハズレだな。そのまま口に放り込むと......なんだ、案外美味いじゃないか。

 

 

「どうですか? ノーマルより断然美味しいですよね?」

 

 

「まあ、たまには悪くはないな」

 

 

 どこか勝ち誇った表情を浮かべる大井は、バケツ内のポップコーンを選り好みして、カリッカリにキャラメルでコーティングされたブツを口に運んだ。

 

 

「おい、その食い方は悲劇を生むぞ」

 

 

「うるさいですねぇ。まだこんなにあるじゃないですか、そんな細かいから体なんか壊すんですよ。あ、あとモテない」

 

 

「いや、うん........。」

 

 

 ノーコメントでお願いします。鼻で笑う大井にも一様忠告は届いたのか、それっきりバケツを覗き込む事はなかった。心にダメージを負って一安心。それからは会話も途切れ、しばらくすると劇場内も暗くなり、映画館の予告やCMをなんとなく眺める。今回観る映画は、とあるアクション映画。深海棲艦の襲来によって計画が凍結していた作品らしく、ある艦娘に聞いた話だと相当に面白いと息巻いていたので、結構期待していたり。だがまさか大井と二人っきりで観ることになるとは....お、アタリだ。モソモソと口を動かして、砂糖を砂糖水で流し込んで。なんで俺が嵌められたんだと考えていると、本編が始まった。

 

 

 

~ [ 上映中 ] ~

 

 

 

「んーん! 面白かったですね提督」

 

 

 ぐーと伸びをして満足げに語る大井に、提督は微妙な表情を浮かべていた。

 

 

「ん? そうか? 確かに面白かったけれど....」

 

 

 つまらな過ぎて眠ってしまう事こそなかったが、元々の期待が大きかっただけに、なんだか消化不良を起こす結果となった。そんなこととは露知らず、大井は手早く荷物をまとめて立ち上がる。普通。こう言ったのは逆じゃないのか? アクション映画を熱く語る男、それに冷める女。今度会った時なんて感想言えば良いのやら....。

 

 

「今度は北上さんと恋愛映画を....!!」

 

 

 それでも大井は楽しかったらしいし、もしかしたら男が楽しめないアクション映画だったのかもしれない。切り替えて、大井に提案をする。

 

 

「引き継ぎを手伝ってくれた礼もあるし、見たい映画があればペアチケットでも見繕おうか」

 

 

「ほ、本当ですか提督。いえ、どうせならお休みが欲しいです!」

 

 

「わかった。いつになるかまだわからないが、帰ったら調整しておくよ」

 

 

「はい! お願いします」

 

 

 ご機嫌な大井の背中を見つめ、結果オーライと余りのポップコーンを口に入れる。ほとんどノーマルの映画のお供に、"塩が足りない"と心の中で呟くのだった。

 

 




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うみにふかれ名探偵

 

 

 

 ポカポカと陽気に日が照っている、午前帯のとある鎮守府の日常。

 

 工房の前には語り合う二人の姿が。

 

 一人は提督。つい先程、秘書艦に断りを入れて現在中抜け中のサボり魔だ。対するは軽巡の艦娘。提督が女遊びに現を抜かすようにも誤解されかねないこの状況は、この鎮守府ではよく見慣れた、いや、この施設所属の艦娘全てに覚えのある光景だろう。

 

 大した事はない、ただ単に世間話を二、三個とくっちゃべって、提督は満足したように"それじゃあ"とその場を立ち去る。

 問題なのは意地でも全艦娘と会話しようとする所。一部の引っ込み思案の艦娘には、それはそれは面倒極まりない悪習慣に映るだろう。

 三日に一回は煙に撒かれ、次に会った時は過去に遡ってしっかりと精算するので、借金取りをモジって点呼取りのあだ名で一部から恐れられていた。

 さすがに一日で全ては回りきらないので、あくまで業務を圧迫しないように、一、二週間単位でスケジュールを組んで対応。

 ちなみに今日は軽巡の日(2)。

 

 これがある意味、提督が変人と呼ばれるもう一つの側面だったりなかったり。とは言え、任務だったり出掛けてたりでそうそう予定通りにいかないのでは? なんて疑問が出るかもしれないが、スケジュールを組める提督がわざわざバラけた組み方をするわけもない。

 本日鎮守府に所属する対象の軽巡は、内勤で全統一されている。....艦娘の数も増えて、薄々限界を予感している提督が必死こいて調整しているわけだが、周囲の反対に頷きながら、やめるにやめられないのが苦しいところだ。

 

 そんな苦行も残すところあと二人、大井・北上ペアとの会話を終えれば、メモ帳の今日の欄に勝利の印が刻み込まれる。提督はチェックで真っ赤に染まった手作りの表を見ると、自分を奮い起こし、快速と二人の元へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 工房から100mにも満たない場所で、周囲をキョロキョロとさせる困り顔の大井を発見した。

 

 

「よう大井、調子はどうだ」

 

 

「あら提督、またしつこく口説いて回ってるんですか? 懲りないですね」

 

 

「いや、上官の事を誰でもウェルカムのクズ野郎みたいに言うな」

 

 

「事実そうなんじゃ?」

 

 

「一体秘書艦の時に何を見ていたんですかねぇ」

 

 

「提督を起こして、しばらくすると仕事をほったらかす」

 

 

「ちゃんと断りを入れてたでしょうが....あとその時間の秘書艦は自由時間だったでしょ」

 

 

 挨拶もほどほどに、予定通り駆逐艦を教導していた大井を発見。少しばかし先程のおしゃべりが長引いただけに、時間を気にする必要性が出てくる。

 

 

「あれ、北上はどうした?」

 

 

「そうなんです!! 北上さんが行方不明なんですよ!!」

 

 

 同じく、魚雷教導任務に付いていた北上が何処に居るか聞いてみると、案の定見たまんまの報告を受ける。大井は両拳を小さく振って、その緊急性の度合いを示した。

 

 

「さっきまで一緒にいたんだよな?」

 

 

「はい、ほんの十分前には教室で一緒に....」

 

 

 そんな短時間でいなくなるものなのか? チラッと海辺に目を向けると、ここからでもしっかりと、波が打ち付ける音が耳を掠める。

 

 

「まさか深海棲艦に連れ攫われたんじゃ....」

 

 

 建物の中から、複数の幼い笑い声が耳に届く。理想のリアクションに笑みを浮かべ、大井に目を向け表情を確認すると、予想に反して心配になるぐらいに狼狽る姿が。

 

 

「そ、そそそそんな大変、直ぐに追わないと!?」

 

 

「冗談だよ、流石にこれは飛躍し過ぎた」

 

 

「....顔面アスファルトで擦り下ろされたいんですか?」

 

 

「いや、ただのジョークだって。場を和ませる」

 

 

 一転して暗黒微笑を浮かべる大井に弁解する提督だったが、これは困った。目標達成はもちろんだが、これだけ取り乱す大井を一人にするのもなんだか気が引けるので、時間の許す限り付き合うことに決めるのだった。

 

 

「休憩時間を挟んで、次は三時限目だろ? 時間になったら戻ってくるんじゃないのか」

 

 

「そんな無責任なこと言わないでください! 北上さんが何処かで倒れていたらどうするんですか!!」

 

 

 ズイっと詰め寄った大井に、提督は半歩下がって、一歩下がった。休憩時間は残り10分。さすがに鎮守府の敷地内から出るような真似はしないと当たりをつけ、北上がいるであろう候補を絞ることにした。鎮守府端にある教室から近い順に挙げていく。

 

 

 裏手にある、鳳翔のとこの居酒屋。流石にまだ任務も残っているのに酒を飲んでるとは上官として考えたくないが、昼まで少々時間もあるので、軽食を摘んでいると考えればあるいわ....?

 

 

  さっきまでいた工房。すれ違いになるが、魚雷好きの彼女がよく通っているのを度々見かける。大井も置いて消えるんだ、相当緊急の用事があったのか、大井を連れて行く価値もないような取るに足らないことだったのか....?

 

 

 北上の自室。一コンマ50分授業を二時限目までこなしたんだ、疲れていたのかもしれない。軽巡寮は駆逐寮を挟んでちょっとばかし遠いが、どうせ休むなら自分の部屋でなんて理解できなくもない。まあ、大井が北上の不調に気付けないとは思えないが....?

 

 

 最後に間宮の所の甘味処。つい最近、新作メニューを発売したらしい。偵察がてら様子を伺いに行ったのかどうなのか。態々授業の合間にある休憩時間に行く必要は無いと思うが、甘いのが好きなのは過去に大井を使いに出すくらいだから知っている。教室からまるっきり反対側にあるので、そこまでして行きたいのかは疑問が残るが....?

 

 

 うーん。候補を出したはいいが、どれもいまいちだな。念のために大井にも候補を喋ってみるが、結果は沈黙と微妙そうな顔が教えてくれた。

 

 

「いなくなる直前の様子とか、何か喋ってなかったか?」

 

 

「特別変わったことは何も....。授業が終わって、ちょっと席を外して戻ってみれば、教室にはもう誰も....」

 

 

 腕時計を見る。後5分....周囲をふたりして見渡すが人っこ一人いやしない。両者に緊張が走る。もしかしたら、大井の杞憂もあながち馬鹿にはならないかも知れない。

 もし次の授業にも姿を見せなかったら館内放送で呼び出しをかけよう。それでも見つからなければ、捜索チームを結成して近いところからシラミつぶしに....。

 

 もはや事件は迷宮入りかと思われたその時、少女の中でバラバラに散らばった点が繋がり、一つの可能性を導き出すに至る。

 

 

「提督、私わかりました!!」

 

 

「え?」

 

 

「北上さんが何処にいるかわかったんですよ!! 着いて来てください!!」

 

 

 言うが早いが、提督の返答も置き去りにして駆け出した大井は、ある確信に向かってさらに初速を伸ばす。後方に小さくなる説明を求める声には既に意識は向いていない。

 

 北上さんがそこにいる。必ずいる。絶対いる。早る気持ちに残った焦りを、一刻でも速く落ち着けるために、彼女は走る。

 

 後少し、後少しで....ッ!。

 

 振りまけれる長髪。上気する頬。ドクドクと絶え間なく脈打つ心臓に、目的の場所で一休み。呼吸を整えて....。

 

 

 

 遅れてやって来た提督は、息も絶え絶えに膝に手を付いた。頭を垂れて、ゼイゼイと仕切りに空気を取り込む。インドア提督とアウトドア艦娘の圧倒的運動格差だ、運動する時間を真剣に取ろうかの検討会はまた後日、大井が消えて行ったその先に入って行く。

 

 

「お、提督も来た」

 

 

「もー北上さん!! 凄く心配してたんですよ!」

 

 

「ごめんって大井っちー。ちゃんと謝るから許してよ〜」

 

 

「で、でしたら今度、話題の恋愛映画を見にいきましょう!! 二人で、二人で!!」

 

 

「そんくらいだったら全然いいよ〜。あ、ポップコーンは私に選ばせてね?」

 

 

「もちろんです北上さん!!」

 

 

 北上は特に変わりなくそこにいた。ほっとする反面、どっと疲れた。午後の座り仕事に支障が出ないことを祈りながら、残り時間を確認しながら解散を言い渡す。ブーブー文句を垂れる相手達に、今一度解散を言い渡すと、渋々と後片付けを手早く済ませ立ち上がる。お手手繋いでお土産と共に仲良く出て行く二人の背後を見送って、思い出したとメモ帳を取り出すと、一瞬躊躇ってチェックをつけるのだった。北上とはつい最近に随分と喋ったじゃないかと自分に言い聞かせて。

 

 




いつの間にか推理もの描いてました。

(これなんてホラー?)


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鎮守府の闇!? 影で交わされる裏取引の真相とは!!

 
ストックはなくなったけど、投稿日当日に書ききったのでセーフ、セーフ。


 

 

 多くの者が鎮守府を離れ、物理的に静けさをもたらす午後も昼過ぎ。

 

 鎮守府居残り組も、一日の終わりを祝いハメを外すにはまだ早いだろう。

 

 

 艦装の整備を終え、自室に戻り部屋の清掃でもと考えていた大井の肩を、何者かがトントンと唐突に叩く。突然の事態にビクッと首を縮ませ、ゆっくり振り返った大井が視界に収めたのは、パーソナルスペースを顔面で突き破る、首からカメラをぶら下げた重巡洋艦だった。

 

 

「どうも、お久しぶりですぅ! 最近また良いのが入ったんですが、よかったら見て行きませんか?」

 

 

 敬礼はお見事。ただファーストコンタクトで、その距離の敬礼は威圧感が凄まじい。それすらも何度も経験してしまえば慣れてしまうのか、上体をそらしながら冷静に対応する大井は、青葉の言葉に血相を変え目を光らせた。

 

 

「つ、ついに取れたんでふか!?」

 

 

「はい!! いやーかなり苦労したんですよぉー」

 

 

「見せ、見せて下さい!」

 

 

「もちろんです! ちょーっと待ってくださいねぇ〜」

 

 

 そう言ってスマホを取り出した彼女は、お目当てのデータを探して指をスワイプさせる。眼球の上下運動を二、三度繰り返し、横向きにしてお目当ての写真を眼前に降臨させた。

 

 

『鎮守府の海岸で、スカートを抑える北上の図』

 

 

 がっしりと大井がその写真に食らいつくと、青葉は得意げな顔を瞬時に作り、一気に釣り名人の顔へと変貌させる。鷲掴みする両手に例の写真が持っていかれないように、獣に語りかけるようになだめにかかった。

 

 

「はいしどうどう、はいどうどう」

 

 

 大井の手首を掴んで、せっかくの成果を灰燼に帰さないように、まず理性の呼び出しに全力を注いだ。呼吸を合わせ、一進一退の綱引きを繰り広げる。一瞬の気の緩みすら致命打になり得るだろう。元々は同じ巡洋艦。されど、肩や軽巡残るは重巡。オーバードライブぶちかましで短期決戦に臨むものの、徐々に青葉の方へと形勢が傾く。

 

 大井がタイマンのでは勝てないと理解すると、冷静さを取り戻し、やっとこさ理性が交渉のテーブルに着席。肩で息をしながら、大井はゆっくりと力を解いた。

 

 

「す、すみません本当。周りが見えなくなってました....」

 

 

「いえいえお気になさらずー」

 

 

 いつものことなので、の言葉が頭の中で反響する。そうやって、いつも通りの天真爛漫な笑みを浮かべた。

 

 いつかの日、提督にゴネて買ってもらった一眼レフカメラ。おかけで提督の財布はスカンピンとなり、初給料で買ったコンパクトデジタルカメラより始まった写真家人生は一気に開花へと至る。開かれる新しい世界。たぎる記者魂。カメラ雑誌を食い入るように眺め、光と闇のコントラストにため息をつき、使用されたカメラの値段にため息をつき。十万円以下のチャチな代物では、満足出来ない体になってしまった。とにかくお金が沢山、沢山沢山、湯水のように投じる事となるのが写真家の性なのか。

 

 目の前の大井は太客。目標の百万円を貯めるために、今日も頑張らなくては。

 

 

「つきまして、今回の生写真は通常の三倍は頂かないと、なかなか厳しい物がありましてですね?」

 

 

「通常の三倍ですか? ええ。わかりました、それなら問題ありません、買い取りましょう」

 

 

 ほんの少し思案を浮かべた後、どんな計算式を頭で巡らせたのか、快諾の返事を受け取った。清々しい程の澄ました顔には鼻の穴がピクピクと開閉を繰り広げ、もう既に彼女の頭の中では、この写真は彼女の所有物にでもなっているのだろうか。

 

 

「ぅへえ!? あ、あはは冗談ですよ大井さん。いつもご贔屓にして頂いているで、本日通常価格より三倍のところ、特別価格の二・五倍で販売させて頂きますよ!!」

 

 

「あら、悪いわね。別に三倍だろうと買ってたのだけれど」

 

 

「いえいえ恐縮です! これからも青葉の写真をどうかよろしくお願いしますね? ....それとー、もし宜しければ写真のセット販売などもー....そーですよね、要らないですよね! 大変失礼しました!」

 

 

 当初の予定では一度高いと印象を与えつつ、三倍を二倍にまで引き下げて好印象を与えるつもりだったが、あまりの即決と悪魔の囁きで販売価格を予定より引き上げてしまった。

 

 この人、通常ならお得なセット販売を主力商品として話を進めるのだが、どう言う訳か単品での購入を好んで利用してくるのだ。当然、ある写真に固定ファンがいると知れば、販売者側としては相場を上げていくなどをして対応し、需要と供給のバランスを保とうとする。

 

 一括での購入なら相場変動の影響を極力抑える事が出来るのだが、むしろ北上写真の吊り上げを意図的に行っているのが末恐ろしい所だ。他の人間の手に極力渡らぬようにする工作する意図と合わせて、北上そのものの価値を高めるための行動なのだろうが、罪悪感が強烈すぎてセット販売の勧誘なんて最後にしてしまっている。

 

 計算機で価格を割り出し、開示し、代金を頂戴する。

 

 

「一二三と....はい、丁度頂きますね! またいい写真が撮れたらお声掛けいたしますので、それでは!!」

 

 

 ピシッと決まった敬礼を最後に、彼女は脱兎の如くその場を後にした。

 

 後に残された大井は、その後ろ姿を最後まで見送ると、写真をペアにしてワルツを踊り出しす。喜びを全身で表すように、クルクルと両手で持った写真を軸にしながら鼻歌なんか口ずさむ。

 

 

「あー、言いそびれてたんですけどね?」

 

 

「うひゃぃ! あ、青葉さん。またいらして何ようですか!?」

 

 

「何やら提督との仲が大変良いともっぱら噂でして、どうです? 提督の写真も見てみませんか? 今なら出血大サービスしちゃいますよ!!」

 

 

「..........」

 

 

 すぐ背後で高鳴った声に情けない音で振り返り、頻りに髪を触りながら動揺を悟らせまいと視線を泳がせた大井は、次の瞬間にはプラスが一点、マイナスに大きく振り直していた。

 

 

 またなのか、と。

 

 

 最近何かと一緒にいる所を目撃されたからなのか、否定するのが億劫な程に会話の話題に上がる。なんとも短絡的で恋愛脳的な、単細胞チックな質問だ。

 

 男子禁制とまで言わないが、一番身近な異性が"アレ"なので、外界から入る偏った情報の数々によって、夢見がちな乙女がなんと多い事か。ウブな子から行き遅れまで、少ない経験談を共有し合い、どんな些細なことでも何処ぞの違法建築並みに盛るは盛るは。

 

 情報は錯綜し、微かな恋の匂いも嗅ぎつけて、一日あれば情報は鎮守府中に行き渡る。貪欲な食い足りないライオン。この言葉を例えとして使っても、差異それほど無いだろう。

 いや、この件は本来なら、スイーツ脳に浸れるほどに平和になったと喜ぶべき事案なんだろうが....。

 

 以前までなら舌打ちの一つ付いて、唾棄すべき捏造だと発言してたかもしれないが、今では嫌悪感も薄れ、結構良好な関係を築けている、あんまり強く否定して関係性を悪くしたくないのが正直な所だ。

 

 

「その....提督の写真は売れてるんですか?」

 

 

「いや〜、被写体がてら許可をもらって撮ったはいいものの、これが思ったより売れなくてでしてねー。在庫が....ですね?」

 

 

「あ、そうですか....あれ?? 思ったより売れてないって事はある程度は....?」

 

 

「提督変顔シリーズが一瞬ブームを呼んだんですがね? 本当に一瞬だったんですよー。おかげで在庫置き場を圧迫して、同室の笠にクレームを入れられてしまう事態に....」

 

 

 よよよと萎れる青葉。

 乗るしかないこのビックウェーブ。

 力を一点集中させたが最後、だが我が世の春は余にも短く、旬は瞬く間に過ぎ去っていった。

 残されたのは提督の写真。

 張り切り過ぎて、普通の写真も大いに紛れ込む。

 あまりの激写っぷりに、自分の写真集が出ると勘違いする提督。

 新しい価値の開拓を模索。

 提督、フツメンの顔。

 ジャニーズで目の肥えた艦娘に擦りもせず。

 プリントするのもタダではなく。結果、目標金額は赤字により敢えなく後退。

 しばらく塞ぎ込んでしまった。

 

 大井が提督のことを少なからず嫌っていない事は、ゴテゴテの脚色情報でも理解できた。すでに多額の損失からは立ち直り、いい加減写真を片付けないと、罰としてカメラ没収のお達しが現実のものとなるやも知れない。

 

 

「ぷふ! なんですかその提督を小馬鹿にするようなシリーズ名は。なんだか気になるじゃないですか」

 

 

「おぉ!! 興味出ちゃいましたか!? それなら是非私の部屋まで! 何十スタックでも大歓迎ですよ!!」

 

 

 ツボに触れたのか、悪く無い反応を確認した青葉は透かさず背後へと回り込み、背中を押して前進させる。一方の大井はと言えば、グイグイといつも以上の押しの強さに、呆れ笑いを漏らすのだった。

 

 

 

──────

────────────

──────────────────────

 

 

 

「ちょーっとだけ待ってて下さいね?」

 

 

 その言葉を最後に青葉は扉の向こうへと消えた。

 

 部屋の内部へと姿を消すまで、こちらへの視線を途切らせる事はなく、まるで折角の獲物から目を離したくないと訴えているようだった。

 ガン見で念を押していた割に、扉は三拍程で再び開かれる。

 

 

「どぞどぞ上がって下さい! まあ汚い部屋ですけど」

 

 

 部屋に入ると、両壁の壁に二段ベットがそれぞれ備わり、開いた四隅をそれぞれの自陣として所有しているようだった。

 

 個性が反映されるそれぞれの陣地に中で、一際ベットを飲み込むんじゃないかと錯覚してしまうような荷物が積まれた一角。青葉の領土である事は、想像に難しくない。残念な事に、収納の類は見当たらない。仮にあったとしても気休め、焼け石に水にしかならないのだろうが。周囲を見渡す大井であったが、んしょんしょの声の後、前方でズドンと鳴った重厚感のある音で意識は瞬時に持っていかれた。

 

「いやーみんな出払ってて助かりましたよ〜。ちょっとでも散らかすと領土侵犯だ! って袋叩きにされるんですよね〜 」

 

 

「ぇもしかしてその段ボールの中身全部....」

 

 

「はい!! ギッチギチに詰まってますよ」

 

 

 大きめのミカン箱を開けていくと、中から飛び出すのは輪ゴムで四重にも縛られた写真の束であった。

 

 見る人によっては誤解を招きかねない写真の量。それを青葉は事もなげに、それはまるで聞いて聞いてと駆け寄り、あのねあのねと語り出す、純真無垢な子供のように自慢げに告げるのだった。

 しかしその扱いは到底商品としての扱いではなく、ポイポポイポイと次々に段ボールから引っ張り掴んで放る。

 宙舞うそばから、ボトボトと輪ゴムで縛られた、写真で出来たタワーが床に落下。その場で数度バウンドする。大井はその光景を呆気に取られただ見守るしかなかった。

 

 ふっと正面に投げられた写真の束。

 

 ゴムの力が弱まっていたのか、床と衝突を繰り広げると、写真のタワーは辺り一体を覆い隠した。あ〜あ、と散らばった写真を両手でかき集めて、一枚を捲って見ると。唇を噛んで笑いを堪えた。

 

 

『うまくくしゃみができなかった提督の図』

 

 

 "ひどい顔だ"、始めの感想はこの一文に集約されている。

 

 上手く勢いを逃せず目は半眼、押さえ込む手も間に合わず、鼻水を棚引かせていた。

 

 

「私が秘書艦をしていた時の、執務室での一枚ですねー。提督がくしゃみしそうな時に、もしかして!! ってカメラを向けてたんですけどね! いやー我ながらナイスショットですねー」

 

 

 横から覗きこんだ青葉が写真の解説を始める。

 

 それを邪険に扱うまでもなく、大井は改めて青葉の写真技術に舌を巻くのだった。素人目から見てもベストショット。北上の写真と言い、一瞬を切り取るその行為は並大抵の技術と忍耐では到底なし得ない。このレベルの写真が無造作に転がっているのだ。

 同情や下心なしに、素直に応援したくなる。

 

 他にも青葉は散らばり写真を神経衰弱のように捲り、これは頭をぶつけた時の写真。それはストローを咥え損なった時の写真。あれは渾身のギャグが滑った時の写真。などと、まるで目の前で繰り広げられているのを実況するように、饒舌に語る。

 写真の技術や繰り出される提督の醜態の数々に、魅了されそうになった大井だったが、ふと見た時計が随分と経っている事に気付く。北上さんが帰ってくる時間だ、いつまでもこんなことをしている余裕はない。

 

 次を捲ろうとする青葉の手を大井は静止し、写真の説明はまたの機会にでもと提案し、本筋に戻るように言った。青葉は渋々閉口し、散らばってしまっていた写真を手際よく新しい輪ゴムで縛り上げると、本来の目的であった交渉を開始するのだった。

 

 

「いや〜ついつい喋りすぎてしまいました、申し訳ないです。てことでですね、大井さん買い取って頂けますか? いや寧ろ、部屋が片付くのならタダでもいいですよ?」

 

 

「流石にタダで貰うのは気が引けますよ」

 

 

「でしたら単品での御所望で?」

 

 

「いえ、それは癪に障るので微力ですが協力させて下さい」

 

 

「あっりがとうございます〜。どれくらいお詰めしましょうか?」

 

 

 青葉は背後から紙袋を二枚取り出すと、無造作に置かれた写真の束の一つに手を伸ばした。紙袋を二枚取り出した時点で沢山貰って欲しい魂胆が見え見えだが、まあいいだろう。収納をちょっとばかし圧迫しそうだが、北上これくしょんコンプリートのためだ、その程度我慢しよう。

 

 

「外に出た奴全部で」

 

 

「は〜い、毎度ありがとうございまーす」

 

 

 テトリスブロックのように容量よく紙袋へと写真が消える背後に、どう考えても有り余っている在庫を溜め込むミカン箱を見遣る。少しだけ残った写真の下は白い紙で仕切られていて、底を拝むのはもう暫く先の事となりそうだ。

 

 

「まだ片付きそうにないですね」

 

 

「いえいえ!! あれは何の面白味も無い失敗作の集まりですから、いやーお陰様で大分すっきりしましたよ! なので、お気になさらずに。それよりも代金のことなのですが」

 

 

 サッと差し出された重そうな紙袋に、両手でその重さに警戒する。青葉を見るとニッコリと人当たりの良い笑みを浮かべ、計算機も出さずに破格の値段を口にした。今日大井が買った北上写真の十分の一以下、紙袋一杯に詰まった写真の値段なのかと、北上写真に恐怖すればいいのやら提督写真に恐怖すればいいのやら。

 

 

「安過ぎやしませんか?」

 

 

「いや〜これが需要と供給の現実でして〜」

 

 

 面目ないと恥ずかしそうに、馬鹿にしたような青葉の発言に、大井は内心複雑な心境で代金を渡した。会話もそれくらいに、お釣りを受け取った大井は退出する。

 

 扉が完全に閉まるその時まで、青葉は手を振るのをやめなかった。

 

 

 

 




競争の原理ぃ…。


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好物となりゃ犬より鼻利く 上

 

 

 

 カーテンから朝日がおぼろげに漏れ出している。

 

 日の光に照らされた鎮守府。寝室のクローゼットを適当に探りながら、提督はこれからのことを早くも想像し、鼻歌なんか漏らしながらとてもご機嫌だ。

 

 戦線の安定化にともない、計画休日制度が本格始動。北極作戦によって余剰人員となった多くが、今計画の補填を執り行っている。完全な休みなんて何ヶ月ぶりかと、指折り数えて手元のスピードを緩めたが、そんなもの今はどうでも良いかと再び元の調子を取り戻す。

 

 楽しみ過ぎて、遠足前の子供のように興奮して良く眠れていないのだが、だからと言ってこの貴重な時間を投げ打つ理由にはならない。何より、まだ艦娘達が活動を開始する前に鎮守府を離れなければ、折角の休みが結局いつもと変わらない日常に成り代わってしまう。

 

 荷物は軽装。予定は未定。だが、激務に追われる毎日を暫し忘れ、退屈なんて言う贅沢を噛みしめるのも悪くはない。

 

 行き当たりばったりで無駄の多い行動ではあるが、肩肘を張らずに気楽に行こうと執務室と通路、その境界を跨ぐのだった。

 

 

 

 廊下に響く足音は控えめに。下手に起こしては悪いと、ゆっくりとした足取りで鎮守府正門を目指していた提督だったが、曲がり角の先から人の気配が。

 

 出来れば艦娘との接触は避けたがったが、迫り来る未確定な脅威のために、わざわざ時間を擦り減らすのもなんだかなと進路そのまま。こんな朝も早い段階から身支度も終えて行動しているんだ、よく目にする朝の鍛錬だろうと高を括って挨拶しようと身構える。

 

 

「あの、提督」

 

 

「」

 

 

 意識外の背後から届く声に、提督は驚きの余り心臓が跳ね上がった。あまりのショックに機能不全を起こしてしまった提督を心配して、背後にたたずんでいた大井は横から覗き込む。これでも一端の軍人のである提督は感性が鈍ったのかと自らに問いかけながら、上目遣いでこちらを伺い、両腕を体の後ろで組む大井に対応する。

 

 

「お、おはよう大井。今日は絶好の休日日和だな」

 

 

「えぇ、そうですね。北上さんがいればさぞかし素敵な休日だったんですけどね」

 

 

 嫌味ったらしく口を尖らせる大井。苦笑いで返事する提督は、ふとさっきまで意識を向けていた曲がり角に視線を送る。すると、ピンク色の髪をポニーテールにまとめ、ランニングウェアを着込んだ駆逐艦、不知火が冷たい眼差しを返すのだった。

 

 

「し、不知火? おはよう?」

 

 

「おはよう御座います提督……大井さんもおはよう御座います」

 

 

「あら不知火さん、おはよう御座います。朝のランニングですか? 精が出ますね」

 

 

「はい……それでは」

 

 

 何かを察知でもしたのか、そう言い残すと不知火は足早にこの場所を離れていった。鎮守府内は走るなと伝えたかったが、喉元まで出掛かった言葉をすんでのところで手で押さえ込む。危うくみんなを起こしてしまうところだったと一人胸を撫で下ろしていると。

 

 

「それで、この責任はどうしてくれるんですか」

 

 

「? 何の話だっけ」

 

 

「人の話聞いてるんですか!? 提督のせいで退屈な休日を過ごす羽目になってるんですよ!」

 

 

「大井さん静かに、静かに。こっちも色々と手は回してるつもりだけど、どうしても誰か一人を優遇する事はできないんだ、そこん所はわかってくれ」

 

 

「そんなのわかってますよ」

 

 

「???」

 

 

「……提督は今日予定あるんですか?」

 

 

「いや、これと言った用事はないが……」

 

 

「こんな朝早くに準備して?」

 

 

「ああ、そうだな……」

 

 

「へーそうですか、へー」

 

 

 しきりに頷いて、なぜか煮え切らないままに納得する大井は、それきり喋らなくなってしまった。謎は続出するばかりだが、ここで会話は終わったのかと、一応確認はしてみることにするのだった。

 

 

「あー、そろそろ良いか?」

 

 

「え、あ、はい」

 

 

 北上が長期遠征でしばらく留守にしているので、ついにおかしくなったのかと心配しそうになったが、それを気にするのは勤務時間内での仕事。このことを検討するのはまた日が昇ってからにしようと気持ちを切り替える。無理にでも切り替えないと、失敗をいつまでも引きずっていては尚更状況が悪くなるとは陸奥の教えだ。それじゃあと声を掛けたが最後、どこかよそよそしい大井を置いて、たまの休日を一人でパーッと楽しむことに集中するのだった。

 

 

 

 鎮守府の正門を越える。手ぶらで出て来たは良いが、はてどうしたものか。時間を確認し、そう言えば朝食も食べずに飛び出て来たんだったと気付き、その気付きが過去の記憶とリンクした。

 

 そうだ、激辛ロードマップを過去に作ろうとしてたんだ。この地区新任の頃、僅かな空き時間を激辛発掘に精を出していた。担当官不在が問題に上がり、自粛せざる負えなかったが、普通なら一発でヤバイとわかるような事を平然と繰り返していた辺りそれだけ熱中してたのだと振り返る。今にして思えばそんな行動恐怖でしかないのだが。

 

 とは言え、今日は特例中の特例、こんな日が何度も巡ってくるとは提督自身も分かってはいる。なのだがどうしても古傷が疼いて仕方がない。あの頃夢中になって駆け回って口内を焼き焦がし、肛門すら燃え盛らせた至福のひと時が一挙に襲いかかって来たのだ。

 

 この禁断症状を鎮めるには、ニコチンにはニコチンを、アルコールにはアルコールを、味覚破綻者には辛うじて食せる劇物を、本能の忠実な下僕になるしか抗う術はないのだ。

 

 提督自身それは痛いぐらいに理解していた。一応、この施設の最高指導者である点からセーブは心掛けなければならない。その事実が更に拍車をかけたのだ。制限時間は本日一日限り、場所はそこまでカバーできそうにないのでこの地域が主になりそうだ。過去のデータは頭と舌と尻の穴が覚えている。下調べなしで何処までやれるか分からないが、相手にとって不足なし、必ずやより多くの情報をロードマップに献上する。

 

 軽く手首足首を回して準備体操。クラウチングスタート……は流石に恥ずかしかったのか、スタンディングスタートで妥協。ヨーイの号令で掲げられたピストルに、鋭くなった目で遠方を眺め、下半身に力を込める。あとは火薬の爆ぜる音を待つばかり。

 

 

「あの……提督……」

 

 

「」

 

 

 背後からの声に、提督は寿命が縮む思いであった。

 

 もう軍人がどうたらこうたらは問題ではない。この上がり切ったボルテージが、一気に萎んでいく感覚。そしてそこまでに至る過程を見られたのではないかと言った羞恥心。以上を加味して、誰か早く提督の顔を隠してやってくれ。穴でもパテでもなんでも良いから、状態になってしまった。

 

 顔を両手で覆いたくなる程に恥ずかしいのは事実だが、提督とてそれなりの修羅場をくぐり抜けて来た歴戦の猛者だ。部下に返答しない訳にもいかず、一際大きな咳払いを披露した後、何事もなかったかのように次の句を促した。

 

 

「な、なんだ大井、おめかしして。今から北上を追いかけるのか?」

 

 

「何言ってんですか提督。そんなことしたら北上さんに迷惑じゃないですか……提督こそ、正門の前で何やってるんですか」

 

 

「いや、これは、その、だな?」

 

 

「ハー、もう言わなくて良いです。どうせ下らないことで盛り上がってたんでしょうから。そんなことより、ほら、行きますよ」

 

 

 小豆色のタートルネックに灰色の羽織りもの、それに黒のジーンズを合わせた大井は提督の片腕を掴んでズンズン引っ張る。

 

 はて? 大井さんに付き従う予定があっただろうか、いやそんなものはなかったはずだ。

 

 

「いやいやいや待て待て待て大井ちょっと待て、何しに行く気なんだ? 全く状況が飲み込めないのだが!?」

 

 

「何ってそりゃ……どうせ暇人の提督が、私に美味しい麻婆豆腐のお店を紹介するんですよ」

 

 

「俺はたった今、記憶の改竄攻撃を受けているのか?」

 

 

「いえ、たった今告げたばかりですよ?」

 

 

 何言ってんだこいつと目を向ける大井に、何言ってんだこいつと返す提督。会話が噛み合っていない。提督はいつの間にかタイムリープしてしまったのか? いやそんな訳あるか。ここで一旦話を整理しよう。

 

 朝一に会った大井の格好は今とは違う、つまりこの短時間で着替えて来たわけだが、目的は提督と美味しい麻婆豆腐を食べに行くことらしい。………………わかったぞ、犯人は北上だ!! 大井絡みの奇行は、大体北上って言っておけば正解だ。今回の件もどうせ一言目か二言目に北上が含まれているのだろう。

 

 

北上さんが美味しい麻婆豆腐食べたいってボヤいたー

 

 

美味しい麻婆豆腐を作ってあげたいor食べさせたいー

 

 

誰か丁度良い案内役兼爆発物処理班いないかなー

 

 

あ、丁度よく仕事がなくて暇そうな奴いたじゃんかー

 

 

そいつ引き回したろー

 

 QED証明終了。

 

 予定が入ってなかったのはある意味事実であり、あの時予定はないと言った手前、大井を否定してしまうのは気が引ける。八方塞がりの出口なしで、完全に詰んでいることを理解した提督に残された手段といえば、強引に袖口を引っ張る大井が、これ以上ヘソを曲げないように丁重にエスコートしてやることだけであった。

 

 

「あぁ、大井、服似合ってるよ」

 

 

「ありがとうございまーす」

 

 

 引っ張っていく背後にかけられた褒め言葉には、無関心を装った適当な返事が答えてくれた。服装を褒めたその瞬間から、大井が引き連れるペースが若干上がった気がするのだった。

 

 

 



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三回まわってワン 下


引き続きお送りします。


 

 

 

 

 朝を告げる小鳥のさえずりが耳に心地良い。

 

 澄み切った青空は、見上げる者の意識すら連れ去ってしまいそうだ。

 

 未だに冷たい風が頬を撫でる早朝。田舎寄りなのが幸いしてか、歩を揃える二人以外に人影は見られない。

 

 社会が動き出す前段階。そんな時間帯でも、働き者の鶏のように毎朝"恵み"をもたらす存在は、こんな片田舎でも実在する。最近は景気が回復したからか、早くから店を開ける所も増えて来た。

 

 リクエストである"美味しい麻婆豆腐"であるが、別に大きな括りであればない事もない。細かく気にするなら、中華系か、中国系か、四川か、福建か、広東か? まあ有名どころは四川麻婆だろうか。

 

 これではまるで近所のマーの付く物を食い尽くすまで終われないじゃないだろうか。折角の貴重な休日は大井のために消え失せた。いや、辛いの食えるんだから良くないかと。

 

 けれども、本来やりたかった(今さっき思い出して、今さっき決めた)マップ埋めが出来ないのなら、それは休日を楽しめていると言えるのだろうか? 味の良し悪しも分からない店に、大井を連れ込むこともできない。結局どちらか一方の要求しか通らないのだ。

 

 

「それで、何か詳しいリクエストでもあるのか? 中華系か中国系ぐらい指定して貰わないと……」

 

 

「北上さんが好きそうな奴でお願いします」

 

 

「あ、はい」

 

 

 大井ですら分からないのに、一体俺にどうやって北上の好みをどう推し量れと? せめて的を絞るのが礼儀ってもんだろう。……今怒っても仕方ないんだが。

 

 候補は一応いくつかあるが、近い場所から攻めて行くのが賢いか。あーぁー滅多にない休日なのに。もう止そう、この状況からでも楽しむ努力をしなければ。ほら、気まずくなって大井が景色を見始めた。何かしら会話を振ってやらねば。

 

 

「しかし突然だったな。大井はいつもこんな感じで北上の要望に応えているのか?」

 

 

「えぇ、大体月に一回のペースでリクエストが来るので。大井っち、また腕を上げたね、すごく美味しいよ。って言われる瞬間が飛び上がる位に嬉しいんです!!」

 

 

「あはは、そうか。大井は優しいんだな」

 

 

「はい! 北上さんのためなら、たとえ火の中水の中。です!!」

 

 

「今度の麻婆豆腐は遠征前のリクエストか?」

 

 

「そうです! 明日の夜に遠征先から帰ってくる予定なので、それまでには形に出来たらなと」

 

 

「そうかそうか。取り敢えず俺の知ってる限りで近くておいしいお店を順に回っていくからな」

 

 

「提督のおいしいの基準に不安が残りますが、まあよろしくお願いします」

 

 

「……」

 

 

 大井との会話は比較的楽な方だ。

 

 適当に北上に関する話題を提供してやれば、ふつふつとして語り出す。それに適度に質問や相槌を返してやれば大井のご機嫌は尚良くなる。トリガーを引けば勝手に喋り続けてくれるので、熱心に相手しないだけマシか。

 

 その後も、大井が気持ち良く喋れるような話題を提供し続け場を持たせ、最も近い中華料理屋に無事辿り着くのだった。

 

 

 

 店内に入ると、扉に備え付けられたベルが来店の知らせを店主に告げる。一拍ほど開けて、奥まった厨房から暖簾を掻き上げ、店番の中年女性が顔を出す。

 

 

「はーい、いらっしゃい。あら提督さん、と艦娘ちゃん? こんな朝早くからお熱いのね。何にします?」

 

 

「いやいや、そんなんじゃないんですよ。麻婆豆腐って作れますか?」

 

 

「そうねー、朝から食べる代物じゃないけど。二つ? 一つ? それだけね? ほらあんた、お客さんだよ!! いつまで新聞読んでんの!!」

 

 

 寂れた店内に響く声。

 

 何処か昭和な香りを覗かせる店内。威勢よく手を振り上げて暖簾の奥に消えて行く彼女は、成敗を終えたのか、さっきまでの怒号が嘘のように穏やかな顔をして戻って来た。お絞りとお冷をお盆に載せて、広々とテーブル席に腰掛けた二人の前に配膳する。

 

 

「ごめんなさいねー。ちょっとだけ時間掛かると思うんだけど、気悪くしないでね?」

 

 

「いいえ、お構いなく」

 

 

 水に口付け、喉を潤し、大井の機嫌が悪くなってないかチラリとみる。大井も同じように水を飲み、もの珍しいのか店内を見回して物色していた。どうやら怒ってはいないようだ、ひとまず安心。

 

 

「鎮守府の近くにこんなお店あったんですね」

 

 

「ここら辺はあんまり通らないか? 目立たない所にあるが、しばらくすると地元民でカウンター席まで埋まるぞ」

 

 

「顔馴染みっぽかったですけど」

 

 

「んー、常連と言えるまでは通えてないんだけどな」

 

 

「特徴がない顔なんで、記憶に残るんじゃないですか?」

 

 

「つまらない顔で悪かったな」

 

 

 ふふふと笑う大井から視線を外し、改めて今回の目的を考えてみる。北上が納得しそうな麻婆豆腐ね。もう出来ればここで終わってくれないだろうか。お昼に近付くにつれて当然店は混んでくる。待ち時間が多くなると流石に喋る事もなくなってくる。気まずい時間は出来るだけ減らしたい。

 

 紙ナプキンに店の名前だけ書いて渡すのはダメだろうか、爆弾処理とか言うふざけた命名がついてるから厳しいか。休日まで艦娘の接待をするなんて、とんだ上官だよ本当。

 

 軽く会話を挟みながら、あれやこれやと考えをめぐらす。店内には時折の会話と、中華鍋を高温で煽る音、それと耳に付く笑い声を繰り出すテレビの音声が占めていた。

 

 ……北極作戦が無事に終了した今、精鋭である北方方面軍の必要性は低くなった。今頃、俺の嘆願書も精査を受けている事だろう。

 

 次の大規模作戦は何処だ? 南、北と来れば必然的に東、上層部もこの勢いに乗りたいはずだ。太平洋は広いからな、今は力を溜める時期なのかもしれない。

 

 だがもう十分に耐えてきたじゃないか、ミリタリーバランスひっくり返したいんだろ根畜生。文句言わずに出せよ戦艦を。過去の因果がどうだってんだよ、何の為にここまで築き上げて来たと思ってんだ。大体長門が沈んだ時も……。

 

 

「はーい、お待ちどうさま。特製麻婆豆腐お待ちね、取り皿ここに置いとくわね、どうぞごゆっくりー」

 

 

 結構時間が経っていたようだ。大井を放置してしまっていて大丈夫だったかと顔を向けたが、運ばれてきた麻婆豆腐に意識が向かっていて、俺も視線をお目当てのものに向けた。

 

 豆腐にひき肉、ネギ。全体を真っ赤に染めるのは、そら豆と唐辛子を発酵させた調味料、豆板醤ほかカプサイシンの倍プッシュだ。麻婆豆腐が赤いのと辛いのも当たり前である。他には酒や味噌なんかを入れて味を調節。白い豆腐のせいなのか、赤さが余計際立つ。

 

 レンゲで必要な分をすくいとり、久々に眼前にご対面。うーんいつ見ても映える赤さである。さっきまでのイライラを帳消しとし、寝不足の頭にカプサイシンが染み渡る。

 

 

「こ、これ本当に食べて大丈夫な奴なんですか?」

 

 

「当たり前だ、全部食い物の錬金物だ。好んで食うのは人間くらいだが……。折角作って頂いたんだから取り敢えず食え」

 

 

 レンゲを近付けたり遠ざけたり。寄せる度に歪んで背ける顔。始めから飛ばしすぎてしまっただろうか。こんなのまだ序の口だぞ。よりにもよってこの俺に指南を仰いだのだ、容赦する訳ないよね(ゲス顔)。

 

 意を決したのか、覚悟の決まった良い面構えでいざ尋常に勝負。パックリと口に運んだレンゲ。そのまま探るように、頬から頬に数往復泳がせて慎重に味を見定める。

 

 辛さの本命はあとからやってくるものだ。大井は疑問符を浮かべて、予想していたよりも辛くないことに拍子抜けと言った所だろうが、ほら此処からが本番だぞ。

 

 徐々に凶暴性を露わにする麻婆豆腐に、段々余裕の表情が消えていく。剣山でも口にねじ込んだかのような激痛に顔を赤く染めて、気化した辛味成分が呼吸器を刺激し、咳が止まらなくなる。口内の温度を冷やすように半開きとなった口には、緊急出動したお冷が到来。至急、消化活動を開始する。

 

 残念ながら、諸悪の根源であるカプサイシンは水では洗い流せない。対抗措置がない事もないが、日頃の仕返しだ、今しばらく痛みと辛さに悶え苦しんで頂こう。

 

 

「すみませーん! 牛乳もらえますかー!」

 

 

「はーい」

 

 

 未だにチビチビとお冷を口に含んでいる大井は、この言葉にこちらを睨み付ける。悪い忘れてたとお茶目にウインクして謝りを入れると、大井が二の腕に危害を加えて来た。握り拳で、体重の乗った一撃一撃に耐え忍ぶ。

 

 

「はいはいはい、お待ちどうさまー」

 

 

 急遽運び込まれた牛乳を、鼻を啜りながら手に取り口に含む。ようやく落ち着きを取り戻した大井は、未だに悪さを働く唐辛子の残党を掃討する為、傾けたコップのミルクに舌を出して洗浄を始めるのだった。

 

 眉を八の字に曲げて、瞳を潤ませて熱心に舌を看病する様は、……正直に言ってざまあみろと思ってしまった。けれども流石に心が痛くなって来た、……もう辞めにしよう。

 

 

「残りは俺が食おうか?」

 

 

「ずず。いえ提督、食べれます。辛かったですけど、コクがあって美味しかったので」

 

 

「あんまり無理しなくて良いぞ、一旦妥協することも人生には大切だ」

 

 

「ずず。嫌です、意地でも食べます」

 

 

「北上根性は凄まじいな。それなら無理に止めたりしない、ほれティッシュ」

 

 

「ずず。ありがとうございます」

 

 

 ティッシュ箱を受け取った大井は一枚二枚と取り出して、ちーんと目一杯鼻をかんだ。

 

 ふっ、コクがあって美味しいか、嬉しいこと言ってくれるじゃないか。このペースだと牛乳足りなくなるんじゃないか? 

 

 

「牛乳の追加いるか?」

 

 

「んん゛。お願いします」

 

 

「すみませーん」

 

 

 この後、ガッツを見せた大井が有言実行し、最終的にコップ三杯分の牛乳を飲み干して完食した。途中助け舟は出したものの、半分以上は大井の腹の中だ。肝心の北上に出すレシピ考察のため、麻婆豆腐についての質問をいくつか店番のおばさんに尋ね、うんうん唸りながらメモ用紙にペンを走らせるのだった。

 

 まばらに店内が混んできたのを合図に、二人は勘定を済ませてお店を出る。付き合わせといて金も出させるのは悪いと言い、財布を取り出す大井を静止、料金は提督持ちとなった。

 

 元々お金の準備は万端。一品だけを頼んで回るのでは、そんなにお金も掛からないだろうと軽く大井の進言を却下した。何より、さっきまでの憂鬱な気持ちが嘘のように晴れ晴れしている。北上に対する大井の愛が、提督の心を動かしたのだ。

 

 大井に対して意地悪したことも手伝ってか、何を偉そうにと言いたい所だが、今提督は大井に協力的だ。

 

 

「すみません提督、代金払って頂いて」

 

 

「うんやいいよ。それより悪かったな、何の用意もしないで食べさせたりして」

 

 

「いえ、もう気にしてませんので」

 

 

 提督に先導される形で付き従う大井は、ゆっくりと首を振るう。出来た部下を持つと、こっちが情けなくなってくる。頭を掻いてむず痒い思いを払おうとしたが、心は中々晴れてくれなかった。

 

 

「レシピの概要が知りたいんだったら、格式張った店には入りづらいよな?」

 

 

「いえ、決してそんなことは。麻婆豆腐自体は料理本を見れば作れなくはないですからね、あくまで後学の為です」

 

 

「うーん、そうか」

 

 

 じゃあわざわざ今日回る必要なくね? いやいや大井のことだ、安易に浮かばないような深い理由があるのだろう。うん。

 

 腕を組んで、一人勝手に納得する提督を横目で見て、大井はふと浮かんだ疑問を言葉にした。

 

 

「他の艦娘を激辛料理に誘ったりしないんですか?」

 

 

「……いや。普段の態度があれだからな、誰も好き好んで苦行の道に進んだりしないだろう」

 

 

「じゃあ私は相当な物好きってことですか」

 

 

「そうなるな。となると大井がはじめてになるのか」

 

 

「えー……、それは、不名誉な称号ですね」

 

 

 突如として降って湧いた優越感に、大井は戸惑いながらも嫌な感情は抱かなかった。飲み下し、胸の奥で鼓動するこの気持ちが、この先どう変化するのかを大井はまだ知る術を持たない。

 

 

「それで。行くんだろ、まだ何軒か」

 

 

「は、はい。案内お願いします」

 

 

 しょうがないなーとぼやきながらも、先行する提督は乗り気の様だ。その後ろ姿を眺めて、追い縋るように駆け寄った大井。次の目的地に着くまでの間、取り止めのない会話が両者を繋ぐのだった。

 

 

──────

────────────

──────────────────────

 

 

「今回で十三件目だな、陸奥クン」

 

 

「…………不吉な数字ですね」

 

 

「はー、そう言ってやるな、これでも彼は優秀なんだぞ。第一、君の教え子じゃないのか」

 

 

「…………」

 

 

「だんまりか。……北方方面軍も近々解体が決まった。当然だな、もう前ほど敵は強大ではない、なんだったら航空機で事足りる。……あんまり言いたくないのだがね、これ以上彼の要求を断るのもこっちとしては限界なのだよ。もう君のことは守ってあげれない。十四件目が届くまでに、進退の決定はしておいてくれよ?」

 

 

「…………」

 

 

「それにしても、最後の攻勢目標が君達の始まりの地だとは、何かの因果かな? 君のような優秀な者達にも作戦に加わってもらえれば、これ程心強いこともないのだがね?」

 

 

「……私でなくとも、大和がいるではありませんか」

 

 

「それは嫌味か? 敵とのダメージレースを念頭に置いた超ド級戦艦が、今戦争で活躍し、なおかつ経験も積めるとでも? 君は……例外だがな」

 

 

「「…………」」

 

 

「わかった。言いたいことはそれだけかといった顔だな。よろしい、もう用は済んだ、帰りたまえ」

 

 

「失礼します、提督」

 

 

 バタン

 

 

 北の寒さは日に日に厳しくなる一方だ。吹き付ける雪が不協和音に窓を揺らし、こびり付いた雪が虚しさを運ぶ。寒さが滲み出すこの部屋は、提督には非常に堪える。そんな彼にとってハワイの地は、未だ遠くに。

 

 

 



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提×北 警報

 

 

 

 手こずっていた教導任務用に使う資料作成も無事終わり、私は慌てたように自室を飛び出した。

 

 北上さんとの折角の休日なのに、当初約束していた甘味処に合流するべく足を動かす。

 

 今の時刻は午後の二時頃。早く終わらせたいがために、朝食も昼食も抜いて取り組んだため、さっきからお腹がグーグーなっている。途中で北上さんがホットチョコを! 私の為に! わざわざ! 入れて下さらなかったら、今頃私は骨になっていた事だろう。

 

 キューとなってしまったお腹を押さえつけ、熱くなった顔で周囲を見渡してみるが、どうやら聞かれてはいなかったようだ。一先ず安心。

 

 こんな所で油を売っている暇はない。私は一刻も早く北上さんの元に辿り着くべく、再びお腹が鳴らないように祈りながら、超特急で間宮へと向かうのだった。この時間帯ならば、提督は出撃組の見送りで忙しいだろうから、怒られることはまずないだろう。

 

 

 

 目的地周辺に着くと、北上さんの姿を遠目から探す。人混みの中でも決して見失わない私の眼力にかかれば、北上さんを見つける事など造作も無い。テラス席に見覚えのある横顔を見つけ、満面の笑みを浮かべ声を掛けるべく駆け寄ろうとした矢先、気が付けば私は口元を押さえすぐ側の物陰に身を寄せていた。

 

 信じられないと大きく目を見開き、夢幻で会ってくれと再び北上さんのご尊顔を拝んだが最後、あまりのショックに白目を剥いてしまった。

 

 て、提督。よりにもよって提督が北上さんとキャッキャウフフと、いや有り得ない、今日のパンツ何色と会話を繰り広げていた。

 

 あんの味覚障害、本当に節操もないのね、いっそ殺されたいのかしら。隠れている壁を殴り、怒りの感情を小出しにしていたのだが、やがて冷静になると深い喪失感が胸の奥を締め付けた。

 

 私の居場所が、綺麗さっぱり消え去ってしまったような、私だけ置いて何処か遠い存在になってしまったような、そんな感情が脳内を占拠する。もちろんそれは北上さんのことだ、一応念のため誤解を招かないためにも、そこの所はハッキリさせておこう。

 

 天地がひっくり返ってもあり得ないことだが、まさか北上さんが誑かされた……! いやいやいやご冗談を。

 

 しかし、前例があることもまた確か。私で言えば、北上さんがいかに魅力的かを、提督に説法するように喋り散らかし。北上さんも北上さんで、何でか知らないが、気軽に声をかけたり絡んだりと妙に親しげだ。

 

 いくら提督がモテない晩年激辛ジャンキーとは言え、この波状攻撃に耐えられる異性が、果たして世界中にどれだけいるだろうか。いや、いない!! 完全に油断していた。変な気を起こされる前に、即刻、市中引き回しの刑に処さねば。

 

 意気込み十分で踏み出そうとした一歩は、どう言う訳か動いてくれない。より正確に言うならば、さっきから体が命令を受け付けていない。普段ならにべもなく突撃している所だが、一体どうしたもんだろう。

 

 加速する思考に反して、本体はゲンナリと力が篭らない。隠れている壁に寄りかかって、立っているのもやっとだ。

 

 酷い吐き気を催す。胃に取り込んだものと言えば、今朝のホットチョコだけなので、少しでも油断すれば一気に逆流してしまうかもしれない。

 

 精神は前に進めと命令するのに、体は後方に後退り。

 

 何より、楽しそうに会話するあの二人の間に割って入ることが、どうしようもなく重罪に思えた。

 

 理想の会話と言えばいいのか、正常な言葉のキャッチボールと言えばいいのか。一方的に押し付けがましく喋るのではなく、本当に楽しそうに二人は会話していた。私にはその空間を引き裂く権利はない。直感的にそう体が告げる。北上さんと提督によって、始めて完結された世界。

 

 

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私の存在価値は? .......................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................

出てこない、出てこない。 .......................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................

わからない、わからない。 .......................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................

なんで、なんで………………なんで私はここにいるんだ? ...................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 世界が回り出す。

 

 万物は流転する。

 

 私はただその流れに身をまかすことも出来ずに、ただただ社会の中心でしがみつくことしかできなかった。

 

 積み上げた虚像が無残にも崩れゆく様を、ただ眺めることしかできなかった。

 

 原色をキャンバスにぶちまけたような、訳のわからない光景と感情の連鎖。

 

 いっそ消えてしまいたい。消えてしまいたい。いっそ消えてしまえば、楽になれるんじゃないか。悪い方向に考えが及んでしまうほど、精神は病んでいく。

 

 あまりの気持ち悪さにえずき始めた私は魂ごと私の体からゲボをするそんな考えを脳裏にチラつかせ反吐をすることを徐々に許容してむしろ進んでそれをすべきと言った常識が私の中では一般的となり込み上げる不快感を開放するように押さえ付けていた手を払い除けよ肩を叩かれた。

 

 

「だ、大丈夫。大井っち」

 

 

「ぅく、きた……ヴォゥ゛」

 

 

「ちょ、ちょっとあれ、えっと。だ、誰か!! 誰か!!」

 

 

 俯いていた顔を上げれば、困惑した北上さんの姿が。

 

 今までの思考が全てキャンセルされて、無様な姿を見せてはならないと平静を装おうとした矢先、喉の奥から溢れ出た。

 

 助けを呼ぶ北上さんの声が、何処か遠いことのように聞こえる。何処か遠くの、テレビの中の出来事のように、他人事のように、この状況を冷静に俯瞰しているようだった。

 

 口元を拭われ、背中を擦られ、ボーと突っ立っているこの女はなんて図々しいだろうか。遂にはへたりこんでしまった。

 

 臭いだろうに、汚いだろうに。彼女の趣味じゃない真っ白なハンカチで、汚物を優しく拭うその様は天使だろうか。そんな世界の終わりみたいな顔しないで下さいよ。

 

 

「一体どうした! 何があった北上!!」

 

 

「わかんないよ!! とにかく何処か横になれる場所!!」

 

 

「顔が青いな大井。少し触るぞ」

 

 

「い、いま触ったら!?」

 

 

 ゴツゴツとした、大きな手が、彼女のおでこを覆い隠す。座り込んだ私に視線を合わせて、残された手で自分のおでこも覆った彼は、眉間に皺を寄せて真剣そのものだ。

 

 

「どう? 提督?」

 

 

「……よくわかんない」

 

 

「もう邪魔!! 退いて!!」

 

 

 こんな鬼の形相見たことない。

 

 両手で押し退けられた彼は、申し訳なさそうに横にずれる。変わって、彼女が髪をかき上げて、おでこ通しを密着させた。品の良い、包み込むような甘くて優しい香り。この価値がわかる人にならば、大金を叩いてでも手に入れたくなるだろう。

 

 物凄く怒った顔をしていた彼女だったが、何故だか酷く魅力的に見えた。

 

 

「熱は……ないね。ほら提督! ボサッとしてないで運んで運んで!」

 

 

「ここから一番近いのは医務室だな。よし北上、手伝ってくれ! 」

 

 

「変なことしたら本当許さないからね! そっち持って」

 

 

「「せーの」」

 

 

 重量物を扱うが如く、取り囲まれ持ち上げられる彼女。もし自分だったらと想像すると、顔から火が出るほど恥ずかしい。そんな呑気なことを考えるが、当の本人は男に抱き抱えられ、俗に言うお姫様抱っこの体勢に収まった。

 

 

「先導を頼む北上」

 

 

「わかった。ここの非常口から入れるよ、扉開けるね」

 

 

 ふわりと漂ってきた○ァ○リ○ズと提督独特の香り。男の汗なんてマイナスイメージの化身みたいなものだが、長い付き合いで嗅ぎ慣れているせいか、不思議と嫌悪感は抱かない。むしろ安心感さえ芽生えていた。胎児のように男性の腕の中で蹲り、うとうとした心地良さを覚え、彼を見上げる。

 

 壊れ物を扱うように、丁重に女性を運ぶ様子には好感が持てる。女性ならば、一度はこんなメルヘンチックな妄想をしてしまうのではなかろうか。

 

 道行く艦娘達が私達を見ている。

 

 提督にお姫様抱っこされた私を、みんなが見つめている。

 

 

「急患だ!! 道を開けてくれ!!」

 

 

 ………………。

 

 

 悟りから意識を取り戻した大井は、突然ヤカンが吠え出したかのように、頭のてっぺんから爪先まで沸騰させて暴れ出した。足をバタつかせ、手をグワングワンさせて、提督を殺そうとしていた。繰り出される攻撃は戦場ルーキーみたいにやたらめったらで、見るからに冷静さを欠いている。

 

 

「降ろせ! 降ろして! この変態!! 今すぐ降ろして!!」

 

 

「うわ! ちょ、ちょっと待て大井、そんなに動かれたら、バランスが崩れ……イテー!!」

 

 

 クリティカルヒットを頬に貰い受けた提督。男の意地とばかりにその場に踏み止まる。提督の腰を曲げるへんちくりんな体勢から、大井は飛び降り、恥ずかしさのあまり何処とも知れぬ場所へと走って逃げて行った。

 

 

「ま、待ってよ大井っちー!!」

 

 

 殴られた提督など知らぬ。そう背中で語る北上は、猛スピードで離れて行く大井を追いかける。ざわめき合う群衆の中でただ一人取り残された提督は、殴られた頬を手で覆い、さするぐらいしかやる事が残されていなかった。

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 大井と北上の自室では、二人が抱き合うゆるゆりな展開が繰り広げられている。

 

 北上が追いついて扉を開けた時には、大井は布団から出ずに引き籠りを決め込んでいたのだが、今ではほらご覧の通り。双方に謝り合い、落ち着いた所で本題を聞こうとする北上だったが、大井は途端に口をつぐんだ。北上が今喋れないなら良いよ、と言って抱擁を交わす。

 

 先程まであった喪失感が薄れていく。僅かに残された心のささくれは胸の奥に仕舞って、今はこのままで良いやなんて、互いに温度を感じ合おうと強く、強く抱きしめ合うのだった。

 

 

「大井? いるのか? あっお取り込み中だったか?」

 

 

「んー? あー提督か、いいよいいよ入ってきても」

 

 

 提督が恐る恐る入室してくる。二人の姿を認めて、また改めて来ようとした提督を北上が止めた。何か関係があるのかも知れない、あるいは何か心当たりがあるかも知れない。瞬時にそう思ったからである。

 

 

「大井の様子はーて、あらら」

 

 

「もー提督のせいで隠れちゃったじゃん」

 

 

「えぇー……」

 

 

 提督が入室してみれば、肝心の大井は北上の後ろに隠れてしまって、肩の辺りから顔を覗かせて提督を観察しているのだった。

 

 

「大井っちー提督のこと嫌い?」

 

 

「……嫌いってほどではないですけど」

 

 

「じゃチューする?」

 

 

「んにゃ!? な、なに言ってるんですか北上さん!!」

 

 

 慌てふためく大井は北上の背中からバッと離れ、提督と目が合うやいなや元の位置に戻る。それに片方は疑問符を浮かべ、片方はしたり顔を浮かべた。

 

 

「あ〜そゆことね。わかったわかった」

 

 

「何かわかったのか北上、教えてくれ」

 

 

「いや〜。今の見て気付かないトンチンカンな提督には何も教えてあげなーい」

 

 

「えぇー……」

 

 

「後は私に任せてもらってもいい?」

 

 

「いや……そうだな。北上の方が大井に詳しいから、俺よりも適任か。投げ遣りになってしまうが、後のことは任せたぞ北上」

 

 

「わかった、何かあったら頼るからね〜」

 

 

「あぁ。そん時は呼んでくれ」

 

 

 それじゃあと退出していく提督を北上は手を振って見送る。背後で顔を赤く染める親友に、どう切り出そうかと頭を悩ませながら。

 

 



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芽吹きの時


これでいいのか感はある・・・。


 

 

 

 最近大井に避けられている気がする。

 

 目は合わないし、顔も合わせない、喋る機会もめっきり減った。だがふと気が付くと、隠れた場所からこちらを伺っているようだった。

 

 大井の不思議な行動に特に文句はない。しかし、戦績が落ち込んでいることは頂けない。今回で三週連続、過去最低戦績を右往左往している。

 

 一時は艦隊全体の問題かもと疑ったが、試しに演習を何度か視察してハッキリした。明らかな上の空、散発する細かいミス、得意であった連携も上手く機能せず。明らかにあの時の不調を引きずっているのではないだろうか。

 

 北上からはコンタクトはなく、任せると言った手前、ズカズカと分け隔って介入するのも後味が悪い。取り敢えず計画を変更して、北上と業務を被らせるように対応はした。

 

 もしこれで改善されなかったら、よその鎮守府への転属も視野に入れなければならないな。まあ今回が始めてってわけでもあるまいし、なんだったら前線を退く選択肢も艦娘には残されている。どちらにせよ、あまり無理をため込んで潰れてしまっては、この鎮守府の評価にも関わるのでやめて欲しいものだ。

 

 主力級の人選喪失は痛手だが、その穴を埋めるために是非優秀な戦艦の斡旋を!! と掛け合ってみるのもいいかも知れない。またしばらく間を開けないと不審がられるので、今しばらくのおあずけだが。もはや何度書いたかわからない、書類の内容を頭で編集して、ズタボロの海戦結果をまとめた用紙にハンコを押し、"処理済み"と書かれた枠組みに放り込むのだった。

 

 それにしても、一体上層部は何を考えているのだろうか。今更戦争に縛り付ける必要性は疑わしいが、こんな銀の輪っかで能力が上がるのなら、もう少しマシな物は作れなかったのかね。少数生産と銘打ってクリスマスプレゼントの如く配られたこれを、どう処理すればいいのやら。

 

 データが取りたいとやらで、期限が設けられていた気がするが……。こんなチンケなもので愛を囁くね、肝心の相手がいなきゃ意味ないだろ。一部の秘書艦には周知されているから、なるべく波風立たせずにことを終わらせたい。手元で弄くり回す、青く毛羽立っていた小さな箱は、"保留"と書かれた枠組みに取り敢えずで放置される。

 

 

「クソ提督はカッコカリの相手、誰選ぶのよ」

 

 

「んぁ? それお前らに関係あることなのか?」

 

 

「か、関係ある訳じゃないけど。なんだか、そう、気になるし」

 

 

 そう言って作業の手を止めたのは、綾波型駆逐艦の曙だ。最近再び秘書艦になってもらったのだが、予想に反して会話が増えた。いや業務中は喋るなと言いたいわけではないが、こんなに饒舌だとは思わなかった。脳裏には"ん"で会話し合う懐かしの日々が。

 

 

「なんだったら曙もらってくれないか?」

 

 

「バ!! バッカじゃないの!? もっとこう……雰囲気みたいのないわけ!?」

 

 

「頼む曙もらってくれ!! 土下座でも靴舐めでもなんでもするから!!」

 

 

「あ〜もう!! そんなんじゃなくて!!」

 

 

 まだ誠意が足りないのか!? 相変わらずキツイ対応に後退り。どうやら曙は無理そうだな、大人しく他を当たることにしよう。

 

 全く、ただでさえ毎日の業務で忙しいのに、安易に仕事を増やすようなことしないで欲しい。偉くはなったが苦労が増す日々。畜生、陸奥の写真集よこしやがれ!! 過ぎ去ってしまった過去は、どんなに喚いても帰って来ない。これも終戦までの辛抱だと自分に言い聞かせて、今日も渇いた毎日に、身も心も捧げるのだった。

 

 

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「グァ〜やっとお昼だ、休憩だ。飯にしよう飯に」

 

 

「なに言ってんのよ、あんた途中で抜けてたじゃない。公然サボり魔よ全く」

 

 

「いや、あれは純然とした業務の一貫であってだな?」

 

 

「ふ〜ん。毎回艦娘達に言い寄って回って、鼻の下伸ばして何処が業務よ」

 

 

 軟禁状態から解放された提督は、待ってましたと立ち上がり、足取り軽く食堂への道をひた走る。その動きに曙が文句をつけた。大井にも言われたことだ、そんなに施設全員と会話するのはいけないことなのだろうか。それとも本当に鼻の下が伸びているのかも知れない。そんなわけあるか。

 

 

「俺がパラダイス天国したいがためにしつこく付き纏ってると思ってるのか?」

 

 

「そ、そうは言ってないでしょ。後、何よパラダイス天国って……」

 

 

「伝わってるんだからいいだろう」

 

 

「それでもやっぱり気にする艦娘はいるわよ?」

 

 

「そんなこと言われてもな……」

 

 

 陸奥と交わした約束がある。まだ半人前だった自分からすればそれは心の支えで、今でもそれは生きている。おいそれとやめられるものではない。それをしてしまえば、今まで辛い戦いに耐えてきた自分を否定してしまうことになるから。

 

 

「まぁ? こんな抗議で諦めるようなあんたじゃないんでしょうけどね」

 

 

「……あぁ。こればっかりは通さなきゃならない『意地』みたいな物だからな」

 

 

「ま、せいぜい潰れない程度に頑張ることね。もし潰れたら私が面倒みてあげないこともないかもね?」

 

 

「そうだな。そん時は世話になるかも知れんな」

 

 

「あんたそれわかって言ってるんでしょうねぇ」

 

 

 腰に手をやって、こちらを訝しむように見つめる曙。他の候補については飯を食いながらでも考えるとするか。

 

 

「まあいいわ。綾波達とお昼食べるんだけど、どうしてもって言うなら特別に「悪い曙、考え事したいからお昼は一人で食わせてくれ」

 

 

 遮って本当にすまないと思うが、目下最大の課題をどうにか早急に片付けたいのだ。ぶっきらぼうに言い放って、曙の横を素通りし、無情に扉を開け放って外に出た。

 

 

 

 食堂への道すがら。事情を察し、黙って受け取ってくれそうな艦娘をああでもないこうでもないと頭を悩ます。ハッキリ言って、送られる相手は迷惑甚だしい。悪事千里を走るではないが、この鎮守府の情報伝達スピードを舐めて貰っては困る。戦友として長く付き合っていくためにも、たとえバレたとしても、義務感丸見えでチョーウケるんですけどーな状態になるようにしないと。

 

 

「おー提督ー、難しい顔してどうしたのさ」

 

 

「あぁ飛龍か。あいや丁度良い飛龍、もし良かったら指輪をもらってくれないか?」

 

 

「えぇー!! あの指輪ってそんな適当に決めていいものなの? てか私、多聞丸loveなんですけど」

 

 

「いや多聞丸loveだからこそもらって欲しいんだよ飛龍!!」

 

 

「なおさら意味わかんなくなっちゃったんですけどー!」

 

 

「頼む!! 黙って貰ってくれ!!」

 

 

「私は多聞丸一筋なのでー!! さらばだー!!」

 

 

「あ、待て。あぁクソ! 逃げられた。流石に多聞丸レベル高すぎたか……」

 

 

 出会い頭の会合に、適任と睨んだ提督の提案を飛龍はひと蹴り。要点は伝えられたものの、詳細に足を止めてくれること叶わず、早とちりがご破算を招いた。なんでだろう、俺はここまで人望がなかったのか? だんだん死にたくなってきた。

 

 心柱にあたる陸奥の加入は未だ目処は立たず。愚痴を溢す相手も限られる中、自費でもなんでも愚痴り合いの席を設けようと、心に固く決めるのだった。そんな暇があるなら、なのだが。

 

 

 

 もっそもっそと白米とおかずを咀嚼している。側から見れば提督は、動作の遅くなったパソコンのように、半人半霊のように作業効率を半分にして動いていた。現在に至るまで複数の艦娘に声を掛けこそしたものの、結果は惨敗。一人ぐらい黙って貰い受けてくれるだろうと言った、根拠のない自信をことごとく打ち砕いた。

 

 結局、これと言った打開案を見出せぬまま昼食は腹の中へ。二つの影が、遠目からタイミングを伺っていることに、提督は最後まで気付かなかった。

 

 

──────

────────────

──────────────────────

 

 

 執務室へ戻る道を折り返す。途中の曲がり角を無視して直進するのが正規ルートだが、脇道からはどうもヒソヒソ声が。飛び出されては危ないと、車線変更で警戒は怠らないが、前触れなく大井が飛び出てきた。それも、自らの意思で提督の視界に映ったようにはどうにも見えない。慌てたように元の場所に戻ろうとするが、その慌てぶりをジーと見つめる提督に動きを止める。スカートを握って、ゆっくり向き合い、顔を桃色に染める。

 

 

「大井だったか。最近はどうだ? 大丈夫そうか?」

 

 

「……はい。えっと、おかげさまで、です」

 

 

 どこかぎこちない会話、明らかに普段見ない様子。本当に大丈夫なのかと首を傾げたくなる。この間も目線は交わらない。本格的に大丈夫なのかこれ。本人の体調は本人にしかわからず、他者が慮るのにも限界が生じる。大井がそう言っているんだからそうなんだろう。

 

 そう割り切って、この場を立ち去ろうとした。あいや待て、大井に指輪を貰ってもらうのはどうだろうか。いやいや、今の彼女に指輪を押し付けるのもなんだかかわいそうだ。いつまでも無駄な時間を過ごしているのを秘書艦に見られたら、またどやされる。転属候補だけは絞っておくか。再び動き出そうとするのを、今度は大井が両手を広げ通せんぼした。

 

 

「や、待ってください! あの時のお礼が済んでないです!! その、あの時はお騒がせしました。不安定だったと言うか、なんと言うか。それと殴ってしまって……すみません」

 

 

「そんなこと、気にしないでいいから……」

 

 

 言葉尻が萎んでいく。義理堅い彼女のことだ、言い出せなかったことを相当根に持っていたのだろう、今更謝罪なんてと笑い飛ばせる空気じゃないらしい。……大井も頑張っているんだ。ここで戦績が悪いからと、養鶏場の鶏のように、経済動物のように切り捨てるのはいかがなものか。揺らぐ信念。今に至るまでの後ろめたさ。それらが合わさり、今度は提督から切り出した。

 

 

「ちょっとついてきてくれ」

 

 

「え、ちょっとってなんですか? え? へ?」

 

 

 大井の腕を引っ張って、早足で向かう執務室への道。なんのこっちゃと当初は抵抗の意思を示す大井。提督が纏う空気の流れに、普段とは違うものを感じ取り、それでも大人しく付き従ったのは今までの行いの集大成か。

 

 三歩ほど進んだところで反抗するのをやめる。不安げに見つめるその先には、かつて持ち上げられた時と同じ顔を見て、フラッシュバックに目線を逸らす。執務室の扉を開けると、手を離し、先行して提督が机上を弄る。なんだろうと気になり、首を伸ばして伺う動きは、提督が振り返った事で中断された。提督の手には青い箱が。

 

 

「よかったらこれ、受け取ってもらえないだろうか」

 

 

「……はへ?」

 

 

 それには見覚えがあった。噂ながらに聞いていた、自分とは縁遠いだろう代物。真意を邪推しようとするが、こんなもの一つしかないだろう。ケッコンカッコカリの文字が押し寄せ、他の考えを駆逐し締め出し、高鳴る鼓動と共に押し寄せる。

 

 いつから? 抱き上げた時にはもう? やけに私に優しいと思っていたら。いや、いやいやいや、いやいやいやいやいやいや。

 

 ろくに相手の目など見れない、なんだか漏れ出てはいけない感情が出てきそうな気がするからか。その場の空気なのかなんなのか、なんの躊躇もなくもらい受けようと手を伸ばす所は自分でも驚いた。

 

 あれだけ悪態をついていたのに、何を今更。そんな思いが反響する。待て待て、一旦落ち着こう。流されそうになっている。自分をしっかり持つんだ。主導権はこちらにある。一際大きく息を吐き出すと、腕を組み、いつもの調子を取り戻そうと斜に構える。

 

 

「なんですかこれ」

 

 

「なにってこれは、指輪だろ?」

 

 

「いや、そう言うのじゃなくてですね」

 

 

 頭痛が痛い。じゃないが、頭を抑え、どう説明すればいいのかと熟考する。……また相手のペースに乗せられている。その事実に顔を曲げて、ここから一気に巻き返そうと、吹っ切れたかのように腕組みを解いて青い箱をひったくり手中に収めた。

 

 

「貰ってくれるか大井?」

 

 

「いやだと言ったら、どうなるんですか?」

 

 

「それは……ちょっと困るな」

 

 

 悲しそうに俯く提督。気持ちが同情的になってしまうのを引っ張り戻す。平静を保つために、片手で強奪した箱の形を確かめるように握る。私がこれだけ渋るのも、まだ裏があるんじゃないかと迷いが生じているからだ。

 

 

「提督の……誠意がみたいです」

 

 

「……」

 

 

 提督は、曙の言葉との重なりを覚える。たかだか指輪程度で大袈裟な、と切り捨てるも良し。しかし本当にそれでいいのか、もしかしたら自分にこそ非があるのではないだろうか。

 

 せめて内に秘めた好意位はストレートに伝えてあげないと、面倒事を背負い込む彼女に失礼なんじゃないのか? ふっ、そんなことに今更気付くなんて、やはりまだまだ尻が青いな。陸奥に合わせる顔がないよ。仕切り直そう。指輪は再び提督の手に渡り、帽子を置いて向き合った。

 

 

「大井、もう君しかいないんだ。俺の気持ち、受け取ってくれないか?」

 

 

「……まあ、妥協点と言った所ですかね」

 

 

 俯きボソボソ言った大井は、目線だけを差し出された指輪のケースに移し、傲慢に素早くその手に握り込んだ。胸の内に抱え込むと、提督を見向きもしないで振り返り一言。

 

 

「急用を思い出したので失礼します」

 

 

 呆気なく閉じる扉。かける言葉とタイミングを見失っていた提督は、扉の留め金が擦れる音の後、枠内にきっちり収まりバタンと鳴って我にかえる。出来る事ならば指輪をはめさせ、効果の程を聞こうと考えていたのだが、その当人はすでに遠く。

 

 

「ちょっと、一体なんの騒ぎなのよ」

 

 

「? 何かトラブルか曙」

 

 

「トラブルもなにも、今顔を真っ赤にした大井とすれ違ったんだけど。あんた、なんか怒らせるようなことしてないでしょうねぇ」

 

 

「!?」

 

 

 入れ違いで入室してきた曙は、提督にとっても予想外の事実を告げた。もしや大井の妥協点と言うのが、ナシよりの妥協点だったのかもしれない。アチャーと手をやる提督の前には、尋問の魔の手が迫っていた。

 

 

 

 

 

 この火照った顔を見られた。大井は人気の少ない脇道で、苦しくなって水面から顔を出すように息を吸い込むと、短い間隔で呼吸を繰り返す。

 

 いや、落ち着け、まだ提督に私の動揺がバレたわけではない。落ち着くんだ私。意識的に深く呼吸する。胸に手をやって、早まる鼓動をなだめる。手に残された確かな感触が、先程の出来事が夢でないことをつぶさに主張していた。

 

 先程の告白が今一度リピートされる。頭のてっぺんから爪先まで染み渡り、重要な情報として脳に刻み込まれる。イコール。この鎮守府内で、提督が最も好意を寄せる艦娘である、はっきりとした事実。偏愛し敬愛する北上さんをも上回ったという、背徳的な現実。いつもなら血相を変えて訴え出るところだが、今日ばかりは特別に許すとしよう、えへへ。

 

 んん゛。はじめての異性からのアプローチに、少しばかり冷静さを欠いているのかもしれない。だが油断は禁物、これで北上さんの安全が確立されたわけではない。私が提督の気を引いている間は大丈夫だろうが、注意は怠らないようにしよう。

 

 緩む口端を鎮めて、大井は何事もなかったかのように歩き出す。いたって普通を装うその背後からは、ご機嫌な鼻歌が聞こえる気がした。

 

 




次回新章。


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恋愛編
北上さんは心配です


 

 

 

 

 勢い良く送り出した親友は、妙にソワソワと落ち着き無く帰ってきた。これでも長く一緒に過ごしてきた仲だ、いい知らせであることは態度で解っちゃうんだな〜これが。

 

 連れ去られた時は何事かと飛び出しそうになったが、どうやら不要な心配でしたねこれ。

 

 ベットの上で雑誌を広げていた北上は、内容もろくに理解していないページを折り畳み、いつもの調子で”おかえり〜”と言った。

 

 いつもなら花の咲くような笑顔を見せる大井っちなのだが、出会って間もない頃のようなよそよそしさで返事した。一直線に自分のベットに潜り込んで、布団の丘を作り出す。

 

 それを見て、ベットから飛び起きると、大井っちの元へダーイブ。親友ながらに羨ましい、柔らかい豊満な体を堪能しながら、しつこい追求が始まった。

 

 

「うひぁ!? 北上さん、あ、危ないですよ」

 

 

「提督なんの用事だったの? ねえなにしてたの? チューはもう済ませた?」

 

 

「ぅへ! い、いや、普通でしたよ。ただの業務連絡です」

 

 

「ふ〜ん」

 

 

 突然の奇襲を受けた大井っちは、すっころんで頭でも打たないか心配して顔を出した。まるで小さい子供を持つ母親のような注意の仕方だ。

 

 そこに待ってましたと私が問い詰めるが、大井っちが対抗するように顔を近付けて、変なことは何もなかったと訴えた。腕を引っ張ってまで連れ去った提督が、ただの業務連絡でそこまでするのかと猜疑心は募り、どうしても納得できないと唸る。

 

 なおも体を近付けようとする大井っち。まるで何かから遠ざかって欲しいといった願望が、体から出てしまっているようだ。

 

 大井っちの背後。端に寄せてクシャクシャになった掛け布団に、疑いの目が向けられると、大井っちのディフェンスを掻い潜り真実を解き明かしにかかる。

 

 必死にベットから引き剥がそうとしてくるが、これではここが怪しいですよと言っているようなもの。腰にしがみ付いて来る大井っちに適当に返事しながら、手探りで異物を探していると……ん? 何か硬いものが。

 

 

「何かありますね〜」

 

 

「き、北上さん!! あのその、それはあれなので! だから、ダメなんです。本当にダメなんです〜!!」

 

 

 箱のような物を掴んで手の甲を返すと、それは青い箱だった。

 

 一瞬、これがなんなのか理解できなかったが、ケースを開けるとなんなのかすぐに判った。リングケース。いや、この場合はマリッジリングケースって言えば良いのか。噂では聞いていたものの、実物を拝むのは初めてだった。

 

 

「これってカッコカリの指輪だよね? え、もしかして大井っち告白されたの!?」

 

 

「あーえっと、はい……」

 

 

「でも、提督っていろんな艦娘に声掛けて振られてたよね? 今日何度か玉砕してるの見た気がするんだけど……」

 

 

「そ、そうなんですよ! それを見て私、なんだか提督が可哀相に思えてきてしまって……。なので仕方なく、仕方なく貰ってあげたんです!!」

 

 

「ふ〜ん仕方なくね〜」

 

 

 その割に、大井の表情には悲哀の影が差していない。う〜んこれは。一応探りを入れてみよう、ちょっとからかってみるか。

 

 

「大井っち、君のことを愛しているんだ、この気持ち受け取ってくれ」

 

 

 手に握った指輪を相手に見立て、キザ男のようにキメ顔をしながら愛を囁いて見せた。

 

 すっと視線を大井に移してみれば、何か思うことでもあったのか、前髪を弄りながら縮こまり下を向いていた。

 

 あ〜これは完全に惚れてますね。恋は盲目なんて言葉の通り、見た所たくさん言い寄った中の一人だと言う認識が薄いようだ。寧ろ提督の好意を受け取ったのを言い訳にして、気持ちをごまかしているようにも見える。

 

 

「ちょっと残念なお知らせなんだけどね大井っち、見てらんないから今まで背中を押してきたんだけどさ? 今、大井っちは冷静な判断ができてないと思うんだよね。だから、私が言うのもなんだか出過ぎた真似かもしれないんだけどね? 一回その指輪返してみて、もう一回考え直してみない? ね?」

 

 

「……確かに、提督が他の艦娘に言い寄ってたのは事実です。でも、その、私の時は違ったって言うか。他の方の時は押し付けがましく告白していたのに、私の時はその、誠実に告白してくれたと言うか……。なんだか、誰かにオッケーをもらわない限り、辞めないのかなとか何となく考えてみたら、提督が惨めに思えてしまって……。それで……北上さんの安全を確保するためとからかいの意味を込めて、貰ってあげてもバチは当たらないかなと思いまして……」

 

 

 提督の行動によって不信感を抱いた北上は、一度距離を置いて冷静に考えようと提案する。一方の大井は顔を伏せたまま、今度は手遊びをしながら緩く反論するのだった。

 

 う〜ん。思い出を主観で語っている以上、美化してないか心配になるが、ちゃんと言い訳を練り出す頭の容量があるのなら、一先ず安心かな。

 

 提督のことで頭が埋まってないのが判っただけでも良しとしますか。友達を信じてあげれるのが、戦友でもあり親友の本懐だろう。

 

 だが、もし大井っちを泣かせるような事をするのならば容赦はしないぞ、と心に決める北上であった。

 

 

──────

────────────

──────────────────────

 

 

 大井の戦績が回復した。

 

 これは指輪を送ってすぐの、即効性のある出来事であった。

 

 なるほど、ふざけた名前とセンスの代物だが、どうやら効果の程は絶大のようだ。艦種に頼らない普遍的装備は、量産体制さえ整えば一気に戦力の底上げに貢献する。これには開発局も今頃ウハウハだろう。

 

 同封されていたチェック用紙にサラサラと文字を書きこみながら、提督は最終的な評価を下す。

 

 これならば大井の転属も必要ないだろう。即刻、海域攻略に組み直し、問題ないようだったら今まで通りに戻ってもらおう。

 

 提督は引き出しの書類をファイルから取り出し、躊躇うことなくシュレッターにかけた。これで今日の秘書艦が在庫整理を終えて、先程連絡の入った入渠システムのトラブルを確認したら、今日の業務はおしまいかな。

 

 ……なるべく複雑な問題じゃなきゃ良いんだけど、早く駆けつけた方が良いかな? 

 

 

「失礼します」

 

 

 ノックも予備動作もなく開かれる扉と、たった今話題にしたばかりの人物の声に、呆れながら目を向ける。嫌なタイミングだな。緊急の案件じゃないようだし、後回しにさせてもらおう。

 

 

「大井か、何か緊急の用事か?」

 

 

「いえ、そう言ったのじゃないんですけど……」

 

 

「じゃあ後で良いか? 入渠システムが壊れたとかで対応に行かないといけないんだ」

 

 

「す、すぐ終わることなので」

 

 

「?」

 

 

 執務室の電気を消しながら催促するようにして向き合うと、大井は背後にあったある物を両手で包むようにして提督の眼前に差し出した。

 

 

「あの……これ、提督につけてもらいたくて……」

 

 

「え?」

 

 

 青いケースにはめ込まれた指輪だ。いや、ちょっと待ってくれ。 わざわざ指輪をはめてもらう為だけに外したって言うのか? 違うだろ、今まではめてなかったって考えるのが普通じゃないか? 確証がない、そうじゃない、戦績は事実上がっているんだ。だから問題ないはず、提出用の書類に虚偽はない。そもそもなんでつけにもらいに来た? 儀式? 験担ぎ? 明日の出撃の不安を紛らわせに来たのか? いや今それを論じている場合じゃないだろう、そんなことよりも入渠トラブルの方が重大だ。作戦計画に狂いが生じるかも知れないんだぞ。

 

 提督の頭の中では、様々な憶測が飛び交っていたが、目の前の問題を解決するために無意識のうちに体は動く。

 

 

「いいえ違います。跪いて……そうです、私の指にはめて下さい。指は……わかりますよね?」

 

 

 言われるがまま、なすがまま。糸に引かれたマリオネットのように、提督は純粋に大井の要望に応えていく。

 

 ハッと気が付く時にはもうすでに全ての事は済んだ後で、片膝ついて大井を見上げるこの姿勢が、明らかに上司と部下の関係性を逸脱していると感じ、頭を振って立ち上がった。

 

 大井の用事は片付けた、次だ次。中身を失った指輪ケースを差し出すが、指輪に視線を固定したまま反応はない。仕方ないと手を取って強引に握らせると、一瞬ビクリと反応する大井であったがそれを無視して、一声かけてから退出するのだった。

 

 



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大井さんも心配です

最近物語に厚みが乗らない・・・・


 

 

 

 朝を告げるあけぼのに、じっと目を細め水平線を望む。

 

 三交代制の哨戒にも、いよいよ終わりが近付きつつあった。

 

 波間を陰らす漆黒を背景として、目を擦って欠伸を漏らす駆逐艦に、後少しだからと声をかける。潮風によって、キシキシと硬くなってしまった前髪を優しく手櫛で解す。伸びるその左腕には、提督から送られた指輪が確かに主張していた。

 

 徐々に燃る空の下。ある時を境に、銀の輪っかは光を取り込み仄かに反射する。そのことに気付いた大井は、恥ずかしげに顔を紅潮させて、開いた手で輝きを遮るのだった。

 

 

──────

────────────

──────────────────────

 

 

 おねむの駆逐艦は早々に返し、旗艦である大井は事後処理の為に執務室を訪れていた。

 

 特に代わり映えのない、少しだけ寂しい淡々としたやり取り。労いの言葉と、ちょっとしたお喋り。哨戒の役目は報告を持って終了した訳だが、物足りなさにその場で沈黙した。

 

 仕事に対して真面目なのは……まあ、その……前線で戦う艦娘を代表するならば、”ありがとう”と言いたいところなのだが、それにしたって張り切りすぎなんじゃないかと個人的に思う。

 

 そんな気張らずに私に構えなんて、この立場では言えたもんじゃないかも知れないけれど、それにしたってなにもなさすぎる。

 

 男はみんなオオカミだ!! とか、男は脳味噌と下半身が直結してる!! なんて雑誌の情報は全部真っ赤な嘘だったのか。警戒して、新しい下着を新調したのは無駄骨だったのかも知れない。

 

 他の子に目移りしてるのかもと不満をプクーと膨らませ、丸くなった頬の片っ方をちょっとばかし遠ざけて、提督に見えないように抗議する。

 

 これではまるで、私が襲われることを前提に考える嫌らしい女ではないか。そんな悶々と心境の中で、ほど近くで提督の声がする。

 

 

「大井? 具合でも悪いのか?」

 

 

「ひゃぁ! ……別にどこも悪くないですよ」

 

 

「いやでも……」

 

 

「あ〜もう!! そんな、まじまじと、顔を近付けないで下さい!」

 

 

 ちょっと目を離した隙にこれだ、どう贔屓目に見てもずるいんですよね。

 

 北上さんには、提督に対しての一定の好意を勘付かれててしまったので、もしかしたら顔にサインが出ているのかも知れない。……もしかしたら提督にバレてるのかも知れない。

 

 ま、まさかそんな……でも、そうだとしたら提督の不可解な行動の数々に説明がついてしまう。つ、つまり? か、からかってる? のかも? 

 

 もし真実なら噴火ものの事案だ。私がワタワタする裏で、提督がほくそえんでいるのを想像しただけで……ムッカー。

 

 不機嫌が加速する、なんだか無性に腹が立ってきた。確信が持てないだけにイライラする。ただ一つ言えることは、あまりにも冷たい提督の態度に、つもりに積もった堆積物がついに決壊してしまったのだ。

 

 もう知らない、フン。なんて聞こえてきそうに顔を背け、提督の驚いた顔すら視界から消し去る。

 

 少しでも視界に入って来ようものなら、不機嫌な顔はプイっと反対側へ。日頃の意趣返しに少しだけ気分を良くすれば、片目をつむって提督を伺う。

 

 困った顔で、訳を聞こうとする提督に薄く笑みを浮かべ、少しでも長く提督と一緒にいられるように努めるのだった。

 

 

──────

────────────

──────────────────────

 

 

「聞いて下さいよ北上さん! もう提督ったら酷いんですよ!!」

 

 

 両足を一方に投げ出して、薄らに隈を浮かべた大井は、自室のちゃぶ台を連打する。

 

 それに対して北上は饅頭を口に咥え、フ↑ンンン↓ンー↑(訳:惚気だなー)と返した。夜間哨戒任務で眠いはずだとは思えない。むしろ、しっかり睡眠をとったはずの北上の方が欠伸をするまである。

 

 もしも非道な男なら、有無も問わずに女なんて食い物にするはずだが、その線の心配が外れて気が緩んでいるのかも知れない。他の艦娘に求婚しまくった不自然な出来事が目立っただけに、この事実が北上をホッとさせる。

 

 疑ってしまったお詫びとして、余りに提督を悪く言う親友に私刑を下す。先程から口火を切って止まない大井の口へ食べかけの饅頭を近付けると、流れるような動作で大井は饅頭を口にした。

 

 その一瞬の隙をついて北上が切り込む。

 

 

「でもさ〜大井っち、提督は指導者の立場だからおいそれとイチャイチャできないんじゃない?」

 

 

 ムグムグしながら大井は言われながらに考える。

 

 ……確かに一番上に立つ存在が、公私混同なんて常習的に行おうものならば、その部下にあたる艦娘達に示しがつかない。規律は緩み、不公平感を煽り、団体行動を是とする組織そのものが崩壊してしまう恐れすらある。

 

 今は戦争中、持ち直したとは言え、完全に安全安心などと保証も出来ない。思えば太平洋決戦の時だって、日米の連合艦隊が全滅するまでは、人類側は優勢を維持していたのだった。それを一時の油断と慢心で振り切れて、焦るあまりに優秀な戦力の大部分喪失を招く事態となった。

 

 ……誰も見てない個室とは言え、提督もそれを理解しての行動なのかも知れない。もしかして、私が軽率過ぎたのだろうか。

 

 項垂れて自己嫌悪に陥った様子の大井に、北上は歯形がついた饅頭をまた差し出して元気付ける。

 

 

「提督も大井っちのこと大切に思ってるんだよきっと。この世界には恋以外に愛があるんだよ」

 

 

 フサーと風が吹き抜ける錯覚を覚える。差し出された饅頭にかぶりつく事も忘れ、己を振り返る。

 

 提督の告白を受けてやったと得意になる傍で、私には魅力がないんじゃないかと不安になる日々。自分のことしか考えられてなかった。でも提督は終始一貫した態度で、冷静に対処していたんだ。

 

 こ、これが俗に言う、プラ……プラトニックラブと呼ばれる代物なんじゃないか。肉体関係によらない、理想的な愛の形。

 

 私の中が温かいもので満たされるのを感じる、と同時に恥ずかしさも少しばかり混じっていた。はたから見れば私はまるで子供そのものじゃないか。

 

 こんな体面を提督の前に晒し続けていたんだと考えが及んでしまえば、今すぐ消しゴムでなかったことにしてしまいたい。……いや思い出は消したくない。そんな複雑な心境の中、提督の懐の深さを思い知る。彼の方が断然大人ではないか。

 

 大井は遠慮がちに饅頭を口に含む。

 

 

「大井っち顔真っ赤っかーじゃ〜ん」

 

 

 指摘されて、なおのこと強みを増す赤色。ねっちこく餡子を舌の上でふやかせば、甘味が強く主張する。

 

 そんな大井の気持ちを無視して、部屋を明るく照らす人工の光が、指輪に当たって煌めいた。

 

 



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あなたに届け!! カササギの橋


先週分です。お納め下さい。


 

 

 

 ドゴォ──────────ン!! 

 

 

 澄み切った青空に、耳をつんざく霹靂は轟々と鳴り響いた。

 

 腹の底をも震わせる余韻は、在りし日の面影を有無も言わせず連想させる。

 

 咄嗟に犬歯で唇を噛み、爪を食い込ませて白手袋を丸め、向き合うべきは今この瞬間、この戦場であると体に言い聞かせた。

 

 

「弾幕を張りつつ後退します!! 負傷艦は先導にしたがって行動を!!」

 

 

「陸奥さん側面から敵です!! どんどん圧力が増してきてます!!」

 

 

「全速で後退して態勢を立て直して!! 殿は私が務めます!! 貴方なら出来るわ大淀」

 

 

「そんなことしたら、陸奥さんが孤立しちゃいますよ!!」

 

 

「大丈夫、早く行って」

 

 

「後で……いえ、御武運を陸奥さん。今から遊撃艦隊が援護に回ります! 護衛部隊は敵に構わず即時離脱を!!」

 

 

 どうしてもあの日の風景との共通点を探してしまう。

 

 現世で人の姿を模っても、運の悪さは折り紙付き。不幸自慢をするつもりは毛頭ないが、前世と張り合えるんじゃないかと自傷気味に笑う。

 

 もしかしたら、パッと燃え盛って消してくれない今の方が……。

 

 エンジン音は低く唸り声を上げ、タービンが逆転を始める。砲撃が止んで静まり返った大海原に、憎たらしい日本晴れ。一緒くたのキャンバスに断りもなく、油然と黒点は浮かび上がった。

 

 

──────

────────────

──────────────────────

 

 

 今日はいい天気だ。

 

 こんな日は、特に根拠もなく何か良い事が起きる予感がする。

 

 提督は、小さな駆逐艦に両手を引かれて、鎮守府正面玄関入ってすぐの広場に来ていた。

 

 他の目的もあるが、まずは本来の目的である日課を片付けることとしよう。狙い澄まして来た甲斐もあり、今日は丁度よく駆逐艦の日(5)だ。

 

 ちびっ子の会合はオープンな場で行われることが多い。何とも健康的で微笑ましく、引きこもってばっかりの一部艦娘も見習って貰いたいものだが、内緒話やエグい話が飛び交わないことが関係するのかも知れない。

 

 腰の辺りで繰り広げられる集まり。その渦中に引き込まれ、わっと彼女らは群がった。

 

 舐められてるのか、遠慮なく股下を潜る傍若無人さに若さを見出して、効果はないだろうが形だけ叱っておく。背中をよじ登って、顔面をパン生地の如くこねくりまわす艦娘にも注意する。さっきから四肢を引っ張って、牛裂きの刑を実行しようとする艦娘にも口を尖らせる。

 

 便乗して、みんなの優等生兼まとめ役の子がみんなを再び叱ると、効果があったのかピタリと止んだので、偉いぞと撫でてやる。

 

 その光景を物欲しそうに眺める視線に気付いてしまえば、少しばかり躊躇って、結局みんなの頭を撫でることとなった。

 

 こういったところが舐められる由縁なんだろう。上司の忠告より姉妹艦の苦言の方が効果抜群なのはいかがなものか。

 

 破顔して喜ぶ、片手で治ってしまうような小さな頭。そんな光景を見ていれば癒されて、まだ積み上がっている議題から暫し現実逃避できる。

 

 ペットを飼っているような感覚なのか、それとも娘を持つような感覚なのか、どちらも経験がないので判断はつかない。……こんなことしているからロリコン判定が下るんじゃないだろうか。

 

 小さな会議はいつしか、今日は何して遊ぶかの相談へ。ディスク仕事で鈍る体には、かけっこなんかは丁度いい運動だ。

 

 目標を大方達成した今、あとは本来の目的にシフトするべきなのだが、正門を見た所どうやらもう暫く暇しそうだ。バキバキ鳴り過ぎて心配になる体を他所に、部下との交流をより深めていくのだった。

 

 

 

 

 

 温まり体も伸び始めた頃合いを見計らったように、深緑色の軍用トラックが鎮守府内にタイヤを乗り上げた。”ちょっと外すぞ”と一声かけた後、激しく乱れたわけではないが衣服を正し、提督は保酒横に乗り付けたトラックへと歩みを寄せる。

 

 突然の離脱に、比較的甲高いブーイングを白い背後に浴びるが、その声に混じって指摘の声が。そんなこととも露知らず、面倒だからと決して振り返らないその背中には、上り調子の足跡がクッキリと主張していた。

 

 

「お疲れ様です、輸送科の皆様」

 

 

「提督殿。毎回ご足労頂き有難うございます、お疲れ様です」

 

 

「判子、押させていただいても?」

 

 

「あーそうでしたな。えぇっと、これが今回のリストとなっています。ご確認下さい」

 

 

「……問題なさそうですね、はい」

 

 

「ありがとうございました。荷下ろし終わり次第出発しますので」

 

 

「いえいえ、そんなに急がなくても」

 

 

「ここんところは特に仕事が舞い込むようになりましてね、いやはや仕事があるぞと喜べば良いのやら、サボれないぞと嘆けば良いのやら」

 

 

「兵站もようやく全力で回せるようになりましたからね。人材不足で首が回らないのは、どこも変わらないみたいですけども」

 

 

 他愛の無い話を手伝いをしながら繰り広げていれば、トラックから吐き出された生活物資や食料、娯楽用具が詰まった段ボールが積み上がる。そのほとんどが保酒裏の倉庫に収納された。小さな港湾と、首都から見る見る先細って引かれたインフラ。この両方にこの鎮守府は支えられている。

 

 今回は売店の定期便なので数こそ少ないが、本来なら中型輸送船からトラックが大挙して押し寄せることとなる。本当に忙しいのか、トラックはすっかり軽くなったその身を早々に翻して、追い出されるように去っていった。

 

 排気ガスを見送って、取り残された提督。さて、と。早速目星をつけていた段ボールを開封すべく手を伸ばすと……。

 

 

「商品はお金を払ってから持ってって下さい」

 

 

「あぁ明石か。悪い悪い、別に窃盗しようなんて気持ち微塵もないんだよ、ホントに」

 

 

「だったら表の保酒から購入してって下さーい」

 

 

「いや、こればっかりは、な?」

 

 

「……あーなるほど。今週号のシーパワーですか」

 

 

「店に並ぶ前にチェックしておきたいんだよ」

 

 

「そんなに大事なことが載ってるんですか? 提督ほどの立場であれば、よっぽどの重要機密でない限り自由に手に入るんじゃないですか? ……」

 

 

「……」

 

 

「て、まだお金もらってませんよ。はいはい! たとえ提督であろうと立ち読みは禁止です!!」

 

 

「金は払う、払うから、ね?」

 

 

「何が”ね? ”ですか、職権濫用ですよ全くもう。ただ、お釣りを出さないその心意気だけは認めてあげます。丁度お預かりしますね、毎度ありー」

 

 

「ありがとう明石。今度、浮いた予算工房に突っ込んでやるからな……」

 

 

「本当ですか提督! いや〜権力には巻かれてみるもんですねー」

 

 

 ヒャッフーとクネクネして全身で喜びの舞を披露する明石に、これで予算拡大の催促がなくなって暫くは安泰だと、ホッと胸を撫で下ろす提督であった。

 

 

 

 

 

 新しい雑誌を小脇に抱え保酒を出る。その周囲を、小さな不良が取り囲んだ。

 

 待ってましたとばかりに近寄るのは、先ほどまで遊びに付き合っていた駆逐艦達。互いに円陣を組み、こじんまりとした包囲網を形成する。何でもレディーを蔑ろにする提督に裁きを下すのだそうだ。

 

 午後の部がまだ残っている故、スルーしようと思えばできるのだが、如何せん後々の影響を考えるとぞんざいにも扱えない。彼女らは鎮守府の基盤を担う重要な役回り、若さも相まってストレスも幾らか溜まることだろう。定期的に相手してガス抜きしてやるのも提督の役目……か。

 

 大人しく裁かれようとするその態度に、感心感心と満足げな表情を浮かべると、全員集合の号令の後に丸くなって作戦会議が始まった。どんな刑を執行するのか決めてなかったのかよ……。紆余曲折ありながら、およそ三分程の協議の結果、俺にはデートごっこの刑が決まった。

 

 ??? 

 

 次に誰が相手をするのかの協議再開し、最終的にジャンケンでの解決方法で選出。

 

 

「やあ司令官、デートはこの不死鳥がお相手するよ」

 

 

「響……これが悪ノリって奴か?」

 

 

「司令官は、もう少し乙女心を理解する必要があるよ。そして私達は異性との経験を積める。どうだい、悪くない条件だと思うけどな」

 

 

「ん? まあ一理あるか。あるのか?」

 

 

 年端もいかない少女に、抵抗もなく説得されている辺りやっぱり提督だ。追い詰められたように考え込む提督に、透かさず響は滑り込む。

 

 周囲から見れば、親子と見間違う程の身長差。スッと上方へ差し出し、握られる手のひら。提督からも握り返してやれば、野次馬のちゃかしは色を増した。

 

 取り巻きの一人が、ついでに邪魔になるだろうと持っていた雑誌を取り上げ、執務室までの配送サービスを受け持ってくれるらしい。まだ熟読しておらず、尚且つまだ正式販売されていない雑誌だったので不安にかられる提督であったが、ピシッと決まった敬礼を信頼して任せてみることにした。

 

 暖かな熱を帯びる、小さな手の先に向き直る。

 

 

「午後の仕事も残してるから、そんなに時間取れないぞ」

 

 

「元からそのつもりさ。鎮守府を一周したら解放してあげるよ」

 

 

「仕事の邪魔してる自覚はあったんだな」

 

 

「私達だってそこまで鬼じゃないさ。仕事もあるのに、少ない時間でも相手をしてくれる提督に感謝しているんだよ」

 

 

 そう言った後、互いに探るように一歩踏み出した二人。よく見れば少し背伸びした歩幅の響と、遠慮気味な小幅な提督。両者の特徴が合わさって、うまく噛み合ったのか、外周からは眺めば良い塩梅を醸し出していた。

 

 

──────

────────────

──────────────────────

 

 

 デートと言った体裁は整えられていたが、両者の間に会話らしい会話が発生することはなかった。

 

 いや、彼女の性格上この選択肢が正しいのだと自分に言い聞かせて。日照った鎮守府を手を介して繋ぎ散策する。

 

 特に代わり映えもしない、自らの居城。だが久しく見ていなかったためか、所々小さな変化が見受けられる。外壁の一部が錆びていたり、コンクリートが妙に削れていたり、新しい花が植えてあったり。時間の経過をまざまざと思い知る。最近は体の衰えをダイレクトに味わう自身としては、俺もここに来た時より随分おっさんになっちまったもんだ。

 

 

「心ここにあらずって感じだね。デート中なのに感心しないな」

 

 

「ん? いや鎮守府を眺めていたらこう、時間の流れは残酷だなって」

 

 

「うん、そうだね。見たところ最近、司令官何だか元気ないもんね」

 

 

「んー響にもバレちゃうなんてな。ダメだな俺、疲れてるのかもしれない」

 

 

「司令官は私達に昔のことをあまり語りたがらない。どうだい、よかったら私が話し相手になろうか?」

 

 

「気持ちは嬉しいんがだがすまない、遠慮させてもらうよ。語る思い出がないだけで、過去に未練はないからね」

 

 

「そうか……」

 

 

 そう言って彼女は口は閉じた。何か間違えを犯しただろうか。

 

 どこか重苦しい空気から逃れるように、空を仰いで青を吸う。ため息と気取られないように、薄く薄くゆっくり吐き出して定位置に視線を戻せば、景色のその向こうにいた大井とバッチシ視線がぶつかった。

 

 なに見てんだよ、なんてヤンキー台詞を吐くつもりないが、確か次の時間は授業があったような気がする。不思議に思い凝視する傍で、繋いだ手が途切れる。

 

 

「そうだ司令官、ボルシチの残りがあるんだ。よかったら食べてくれないかい?」

 

 

「そ、そうだな。丁度腹も減ってるし、頂こうかな?」

 

 

「すまないね司令官。ちょっとだけ待ってておくれよ」

 

 

 宿舎へと消えていくその後ろを見送って、さっき見えた大井を視認しようとしたその時には、すでに大井の姿は見当たらなかった。神出鬼没だなこれは。

 

 駆逐艦と仲良くしているのをネタに、また何かしらの形で揺さぶってくるかもしれない。ただ単に面白がってロリコン認定したいだけかもしれないが。ボルシチで多少腹は膨れるから、昼食の時間は圧縮できる。いつも通り、翌日には持ち越さずに業務を終えられそうだな。

 

 

「提督」

 

 

「うひゃい!!」

 

 

 間抜けな声で返事して。飛び上がり首を捻って見れば、してやったりと顔を興奮させた大井が、したり顔でそこに立っていた。

 

 この距離を短時間で移動してきたのか、提督は驚愕の表情をこの時浮かべていたことだろう。注意深く大井を見れば、胸を深々上下させ、高速移動の代償を覆い隠すように呼吸しているのだった。

 

 片方の脇に、次で使うであろう資料が挟まれていることから、やっぱり次は授業の筈だと気を取り直して喋る。

 

 

「確か、次の授業はもうすぐのはずだったよな? 大丈夫なのかこんな所で道草食ってて」

 

 

「後十分ほど時間がありますので、大丈夫でしょう」

 

 

「その油断が命取りだぞ。根を詰め過ぎるのもいけないが、逆にだらけすぎるのも問題だ。何事もバランスだよ、指導する立場なら尚更な」

 

 

「さすが現在進行形でサボってる提督は格が違いますね、言葉に重みがありますよ。駆逐艦の選り取り見取りバイキングですか?」

 

 

「……」

 

 

 なんでこんな突っかかってくるんだ。

 

 わざわざ教室から離れてるここまでくる意味は? 乙女心は複雑怪奇。なんだか一生解き明かせないブラックボックを相手取っている気がしてきた。何も発言せず黙っていると、大井がさらに噛み付いて来る。

 

 

「響ちゃんと手なんか握っちゃって、自分の立場をもう少し自覚して欲しいですね」

 

 

「……手ぐらいなら良いだろう」

 

 

「……はい」

 

 

「?」

 

 

 いきなりそう言って差し出された手に、何を意味するのか様々な憶測が飛び交うが、意図が分からずに凝固する。察しが悪いと、旋毛を曲げた大井は、はっきりと声に出して要求を告げた。

 

 

「手ですよ手! 手ぐらいなら良いんですよね!!」

 

 

「……は?」

 

 

 前のめりになってそう訴え始めた大井。必死さを思わせるような、重要なことのように、相変わらず赤い顔をググッと近付ける。

 

 自分より一回、二回り小さい駆逐艦と、大きいもしくは同等の戦艦や空母と手を繋ぐ。そうなった時、明らかにハードルが低いのは駆逐艦の方だろう。ようは手を繋ぐ一つとっても、相手によって重さの度合いは違って来るのであって、大井は何か勘違いしてるんじゃないのか? 

 

 ……もしかして遠回しに馬鹿にしているのか? 少しピキリそうになったが、そこは気合で揉み消して、気持ちの高騰を察知されないように平静を装う。大体、手を繋いだからなんだってんだ。今俺は響とボルシチを待っているんだよ。よく分からん茶々を入れる暇があるんだったら、今日やる授業の内容でも頭に叩き込んでおけ。

 

 動かない提督に痺れを切らし、何が恥ずかしいのか、前に突き出した手をゆっくり引き寄せ慰めるように手を揉む。あらぬ方向を見て、口を結び、切なげにしかし燃えるような赤い顔。なにがしたかったのかさっぱりわからない提督は、大井に変わり時間を気にかけてあげることしか出来ずにいた。

 

 

「なあ大井、流石にそろそ「提督お待たせ。ん? 邪魔しちゃったかな?」

 

 

「あーそんなのじゃないよ、これが響が作ったボルシチか? 美味しそうだ」

 

 

「うん。一晩寝かせてさらに美味しくなってるから、熱いうちに食べてよ司令官」

 

 

 響きとのやり取りの中で、大井はようやっと教室に行く気になったのか弱々しく動き出す。宿舎の方へ。

 

 ? そっちからいくのか? 最短距離から外れたルートに、忘れ物でもあったんだろうと適当に納得を打ち、だからあれほどだらけ過ぎは良くないと……。いやもうそれは良い。

 

 供するマグカップを受け取って、傾いて入れられたスプーンを握り、真紅色のスープをかき混ぜ口に含んだ。ボルシチと言っても、味の根幹を担うのはトマトで、ビーツ・セロリ・人参・玉ねぎ・キャベツが調和する酸味あるトマトスープだ。朝は軽い食事ですませていたことも手伝って、パクパク速いペースで胃袋に収まる。

 

 

「ん、うまかった。御馳走さん響」

 

 

「良い食べっぷりだね。それでこそ司令官だよ」

 

 

 本当だったらタバスコをモリモリ投下したかったが、それを言ったら空気がシベリアになりかねないのでお口チャック。だがうまかったのは確かだ、この事実だけは嘘偽りなし。

 

 マグカップの底。丸い淵に、温度を失った赤が薄ら溜まっているのを覗き込み、響は重ねて断ってから片付けをしに自室へと戻った。機嫌が悪いと感じたのは気のせいだったのかな? まあ良いか、過ぎたことだ。

 

 後半周すれば俺も晴れて自由の身。気分転換もできたし、午後からも気合を入れて頑張らないと。振り返り、誰もいないことを確認して服装を正す。せめて部下に気取られない程度に精進せねば。

 

 ふっと背後に体温を感じる。いきなりのことで軽く驚いてしまったが、別に時間をとるようなことでもないか。

 

 背を向けていたため、沈痛な表情を窺われなくて助かった。デートの続きだと、そっと手を差し出して、響の出方を待ち惚ける。不自然に空白の時間は流れ、なにかあったのかと顔を向けそうになるが、既のところで問題なく手は繋がる。

 

 先走るように歩き出す響に慌て……あれ? なんか手が大きくなってないか? 成長期なのかな? と半笑いで、若干冗談染みて真実を直視すれば。

 

 ……なんで大井がここにいるんだよ。授業はどうした授業は。不満げに睨む大井といえば、ひんしゅく顔で鼻の穴をピクピク開閉を繰り返し、視線を肌で感じたのか外野に向かって薄い頬紅。提督をすっと盗み見て、チョイチョイと腕を引いて、二人でできたアーチに寄り添いかける。

 

 

「もう授業始まっちまうぞ」

 

 

 だらりと力が抜けたのも束の間。確かめるように提督を見て、泡を食ったように目を瞬かせて、顔面蒼白の元で脱兎の如く最短ルートで離脱する大井。

 

 そのあまりにお間抜けな態度に、何か助言をと伸ばした腕は惜しくも届かず。取り敢えず発せられた言の葉は"あ〜ぁ"。ドジなのは相変わらずだなと、なぜか安心してしまう提督であった。

 

 

「お待たせ、司令官」

 

 

「おかえり響。少し遅かったんじゃないか?」

 

 

「ちょっと暁がごねるていてね……」

 

 

「なるほどな。んじゃ、エスコートしますよ」

 

 

「フフ。レディーの扱い方を心得てきたんじゃないかな?」

 

 

「いやまだまだだよ。艦娘がなに考えてるかなんて、もうさっぱりだ」

 

 

「そうかい? それでもわかってあげようと苦しむことは、きっと無駄にはならないよ。その努力はいつかきっと報われるさ」

 

 

「……ありがとうな、響」

 

 

「なに、デートに付き合ってくれた御礼さ」

 

 

 大人だから一人前になるのではない。結局は子供、大人もみんな、歳食った子供だ。

 

 小さな手の平に励まされ、昨日の自分よりちょっと強くなる。

 

 まだまだ至らない点を再度自覚すれば、やはり自分には陸奥が必要なんだなと痛感し、遥か彼方の海洋に耳をそば立てた。

 

 

 




艦これチョメチョメ裏話

週間シーパワーが執務室に届くことは終ぞなかった。
配達を頼んだ、とある駆逐艦を聴取した所『雑誌を読みながら執務室に向かっていたら、姉妹に声をかけられ、読み終わったら執務室に届けることを条件に譲ってしまった』と供述。
最終的に十九人を追跡し事なきを得た。



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座敷の沈黙

今週分です。お受け取り下さい。


 

 

 

 納品された、魚雷の品質チェック書類を片手に持って、鎮守府を駆け回る。

 

 執務室、いない。寝室、いない。食堂、いない。工房、いない。甘味処、いない。居酒屋、いない。演習場、広場、教室。いない、いない、いない!! トイレ……は入れない。私達の部屋、いない。北上さんの布団、いない。北上さんのクローゼット、いない。北上さんのタンス……スーハー。

 

 ……よし!! 

 

 なるべく早く提出してくれと急かしておきながら、いざ出来上がると雲隠れしたように見つからない。

 

 今日の秘書艦も、もう随分と帰って来る気配がなく、提督の行方を聞いて回っても、今日は見てないの一辺倒。捜索二週目を終えた時点で私の怒りはピークに達していた。

 

 せめて長い時間外すのならば、行き先を示す書き置きぐらい残しなさいよアホンダラ、と執務机を台パン。緊急の用件が舞い込んで来たときに、責任者不在で誰が陣頭指揮をするんだと寝室の扉を蹴破って。あまりに響く音量に、通りすがりの眼帯さんが、ビクリと飛び上がる程の破壊力を秘めていた。

 

 考えられる所はもう探し尽くした。もういっそ放送をかけて……。いや待て、どれだけ真面目なんだ私は。この仕打ちに対して、真剣に対応するのが馬鹿らしくなってきた。

 

 それこそ、提督にとってペナルティーとなるような罰が必要だ。一度痛い目を見て思い知って貰わないと。問題は、肝心の提督がいま何処にいるか全く不明である点。秘書艦がいないのもどうも怪しい。

 

 もしかして業務を放棄して、二人で蜜月なあれやこれやをしているのかもしれない。尚更呼び出ししたくなったが、あの仕事馬鹿のことだから、クソ真面目に職務全うしてると自分に言い聞かせ平静を保つ。

 

 しかし、一体何処に……。あてもなく彷徨うのも流石に疲れてきた。倉庫の扉を閉じながら、やるせない気持ちに支配される。もう諦めて放置しようと自室へ向かう道すがら、忌まわしい背後を目の当たりにした。

 

 見失うものかと視界を固定して、追跡する私に気付いたのか、ぬぼっとした間抜けズラで提督は首を回した。片手には寒色系のマグカップの姿が。丁度、給湯器からの補給帰りだろうか。

 

 

「あー大井か。書類できたか?」

 

 

「なにができたか? ッて、ずっと探してたんですよ!! 一体何処に隠れてたんですか!!」

 

 

「そんな怒らんでも、全館で呼び出してくれれば良かったのに」

 

 

「ど・こ・に・居たんですか〜^」

 

 

「イテ、イテ、わ悪かったって。お尻が痛くて大広間使ってたんだよ」

 

 

「そこで秘書艦と変な事してたんじゃないんですか〜^」

 

 

「秘書艦はいま別件で別行動だ! この鎮守府には居ないです!!」

 

 

「自分がッ何処にッいるかぐらいッ誰かッ一人にでもッ伝えといてッく・だ・さ・い!!」

 

 

「ひはいへふ、はへへふははいほほひはん(訳:痛いです、やめて下さい大井さん)」

 

 

 沸いて湯立つマグカップを運んでいようと容赦はない。大井の先制攻撃は肩を握り潰しにかかり、昂り余って最終的に提督の頬を引っ張っていた。

 

 暴力のレパートリーが徐々に増えていく。それを見た新入りが提督の扱いを認識し、結果より濃い空気の流れの一員となり、さらに不当な扱いが常習的となり固定される。

 

 提督としての立場を貶める一端を担っていると言ってもいい大井の行動に、なぜ戦績不審の時に切り捨てなかったのかと酷く提督は後悔を覚え始めていた。

 

 自分にも少なからず非があることも深刻さに拍車をかける。これに加えて大井の思考が全く読めないときたもんだ、はっきり言って大井は今まさに『苦手』の部類にシフトしつつあった。

 

 

「敵襲でもあったらどうしてたんですか。早急に態度を改めて下さい」

 

 

「次からは注意するよ大井、悪かった」

 

 

 言いたいことはもう吐き出しただろうと、完成したであろう書類に手を伸ばす提督。その動きは、大井が書類を持ち上げる気紛れな行動によって阻止された。

 

 

「なあ大井? まだ怒ってるのか?」

 

 

「私は歩き回って疲れてるんですよ。……もっと労いの言葉とかないんですか?」

 

 

「あ〜うん。書類、早く仕上げて貰ったのにすまなかった。大井の書類はよく纏められてるし、読みやすくてとても助かってるよ。ありがとうな」

 

 

 謝意の言葉を述べ、ビジネススマイルを浮かべる提督に、大井は目線をそらして毛先をいじる。スッと下され許された書類を譲り受け、もう用はないよなとさっさと刻み足で離脱する。その後ろ姿を、大井はゆっくりと流し目で見送るのだった。

 

 

 

 

 

 受け取った書類を読み込んで、該当の書類と照らし合わせて仕事を捌く。

 

 持ち込んだペンの走る音が、大広間に散漫と漂う。

 

 この場所は、他所の鎮守府艦娘が寝泊りしたり、宴会場などの大人数を収容する特別な場所だ。当然、平時では使う人がいないだだっ広い部屋であるため、酒飲みが寝っ転がっていない今ならば絶好の集中スポットだ。

 

 デスクワークばかりの提督業。仕事柄座りっぱなしで血行がいい筈もなく、最近だとお尻が痺れてくることがある。こうやって足を伸ばして圧力がお尻に集中しないように気を配るのも、歴とした健康対策だ。ただ、側から見るとみっともないので、誰もいない時限定の対処法なのだが……。

 

 また一つ仕事を片付け終わり、後方に体を傾け倒れるのを両手で支える。広々としていて、執務室のような圧迫感がないのもこの場所を気に入る理由の一つ。ブラブラと足を振って、あともう一踏ん張り。よしやるぞと、コーヒーに手を伸ばそうとしたその時、視界の襖が滑って開く。

 

 

「みっともない座り方ですねぇ……」

 

 

「……」

 

 

「こんな所で作業してたんですね、静かでいい場所じゃないですか」

 

 

「なにしにきたんだ」

 

 

「なにってそれは……提督がちゃんと反省しているか見にきたんですよ、暇だったので。あ、もしかして手伝いに来てくれたとか勘違いしちゃいましたか? 私もそこまでお人好しでもないので、私なんかに頼らずにキッチリ仕事してくださいね?」

 

 

「……」

 

 

 誰かが入って来るとは思ってなかったので、砕けた姿を目撃されて慌てて胡座に姿勢を正す。そう言った大井の利き手にはマグカップが握られており、湯気が前進に合わせて揺らめいていた。

 

 完全に居座る気満々の大井が近付いて来るのを目の当たりにして、提督の顔が半分強張る。なんなんだ本当に。なにが面白いのか暇潰しと称して、別に書類仕事を手伝う訳でもなく、ただ本当にそこにいる気なのか。

 

 大した意味もないくせに、進捗状況を確かめるべく書類を下座から見下ろして、対面に座るのかと思いきや背後に消え失せた。衣擦れの音が聞こえたと思えば、一言も発さずに背中にもたれかかって来る。

 

 驚愕は瞬時に怒気へと移ろい、手に持ったペンが僅かに軋む。位置を調節するように大井がにじり寄ってくれば、ついに完璧な背中合わせ。より一層の体重が背中にかかる。

 

 

「床に飲み物を置くんじゃない」

 

 

「大丈夫ですよ、二人しかいないですし。それとも提督は、床に置かれた飲み物に注意も向けられないんですか?」

 

 

「……」

 

 

 帰れと直球で言えたらなんと楽なことか。目に付いたことに文句をつければ、小馬鹿にしたような切り返しに閉口する。

 

 執務室に場所を移そうかとも考えたが、大井が来たから場所を変えたとか思われても困る。いやこればっかりは真実なんだが、変に誤解を与えるような行動をすると後が面倒だ。それと、わざわざ大井のために場所を移るのはどうも癪に障る。

 

 温かくなった背後から、"ふ~"なんて息が漏れ出る音が聞こえる。ため息をつきたいのはむしろこっちだ。集中力も何処へやら。無理矢理に取り掛かる真新しい書類に加わる一筆。その始まりは、インクが淡く滲むのだった。

 

 

 

 

 

 提督を背後に感じる。

 

 互いに体温を共有し合い、体の芯ですら分かち合って、やがて静寂の内に完結する。

 

 耳には、彼の紡ぎ出すカリカリと書き起こす音。紙を移動させる、高く特徴的な音。息遣いの小さな躍動。意識を集中すれば、微かに響く心臓の鼓動。

 

 喉が異様に乾く。チビチビと定期的に水分を取り込みながら、時折カップを覗き込んで残量を確認する。まるで提督の熱意に絆されてしまっているようだ。この空間が胸に心地良い。ずっとこのまま寄り添っていたい。

 

 背中合わせにしなだれかかり、上半身をゆすりながら、より大きな面積で密着できる体勢を模索する。ブラジャーのホックが邪魔だ。擦り付けるたび気になる横一線の違和感に、外してくればよかったなとそぼを噛む。

 

 でも……手伝わないという判断は正しかった。

 

 作業をしていると、どうしても会話は続かない。続いたとして、それは仕事の事務的な会話。報酬らしい報酬を挙げるならば、仕事終わりの"お疲れ様"が関の山。もっと頭を撫でてくれたり、デートのお誘いがあったり、べ、ベットに連れて行ったりしてくれても良いんじゃないのかなと。

 

 そこまで出来なくても、せめて"好きだよ"とか"愛してる"なんて囁いてくれるだけで良い、多くは望まない。冷淡でおざなりな対応が私を不安にさせる。私のことを考えてくれていると、ハッキリ目に見える形で言葉にしてほしい。

 

 だからこの行動には正当性があって、たとえ手伝わないという選択肢をとっても、優しい提督なら笑ってきっと受け止めてくれるだろう。

 

 静かに、ただ静かに、緩やかに時は流れる。目を閉じてもすぐ近くに彼はいる。それがどうしようもなく嬉しくて、胸をより一層締め付ける。このドキドキは、提督がコーヒーを飲み干して、執務室に場所を移すまで続くのだった。

 

 

──────

────────────

──────────────────────

 

 

 海戦結果をもう一度確かめる。しかし、目に移る書類の正真正銘は揺るがない。首を傾げても一度見るが、やはり正当性は失われなかった。

 

 新たな成長と捉えれば良いのか、それとも要望をねじ込むために死ぬ気で来たか、……あるいは単なる嫌がらせか。

 

 決して悪いことではないので、素直に喜べば良い。ただそれだけのはずなのだが、如何せんまだ自分の中で消化し切れないでいる。

 

 控えみに開く扉から、呼び出しをかけた人物が姿を見せると、手に持った書類は放って本題に入る。

 

 

「今日の……MVPらしいな。何か要望はあるのか?」

 

 

「そうですねぇ」

 

 

 スパッと答えない辺り、決めあぐねているのか。

 

 どこか薄ら笑いを含んだ表情に手を添えるのを見て、何だか嫌な予感が沸々と湧き上がる。なんだってんだ、本当に。彼女の下した要望は、実にシンプルなものであった。

 

 

「私をデートに連れてって下さい」

 

 

 大井のことが、本気でわからなくなって来た。

 

 

 




稚拙と遅筆のダブルパンチで無能を実感する。


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海はつづくよ何処までも

クオリティー劣化宣言。

書き上げる速度を上げよう。

2020 5/1一部更新


 

 車から見える景色は海沿いを走り、よく嗅ぎ慣れた潮風が鼻先をかすめるようだ。

 

 本日の天気は曇りのち雨。灰色の空はやがて小雨になるとの予報だったが、デートの日に限ってこうなるとは、提督に天気は味方していないようだ。不測の事態に対処してこそのデートプラン。行き先も告げられぬままに、心配と息苦しさで提督を伺った。

 

 顔を見ると気がつかれそうだったので、ガラス越しに提督の顔を見て感情を読み取りにかかる。が、時に変わりないいつも通りの顔面があるだけだった。それに……ほんのちょっとホッとしてささっと、何事もなかったかのように車内の観察に逃げ延びる。その自然体の姿に、雨の日のプランも用意してあるのだろうかと勝手な納得を打って、感心感心と仕切りに心理的優位を保とうとフッと息を吐いた。

 

 

「しかし意外でしたね、車の運転ができただなんて」

 

 

「意外か? 免許を持ってると何かと便利だからな。トラック運転したりフォークリフト動かしたり、本土決戦の時はまあ大活躍したもんだよ」

 

 

「鎮守府でそんな光景見たことないんですけど……。え、もしかして運転するの久しぶりだったりします?」

 

 

「大丈夫だよ、こう言うのは体が覚えてるものだから」

 

 

「それが最後の言葉だった……なんてことにはしないで下さいよ? くれぐれも安全運転でお願いします。提督が事故死とか、間抜けに新聞の一面を飾らないようにしませんと」

 

 

「不吉なこと言ってくれるなよ、言霊になったらどうするんだ」

 

 

「そこは、"大井を乗せてるんだから大丈夫さ"とか言ってくれませんと」

 

 

 静かに流れる流行り曲が、二人の沈黙を受け持つ。勝手なイメージだが、男の人には車好きが多い気がする。そう言えば、まだ目的地を聞いていなかった。異性間の感性の違いが如実に現れるのがデートプランの策定。秘かに提督の練ってくれた計画に期待が混じったり混じってなかったり。

 

 

「今日はどこに連れていってくれるんですか?」

 

 

「まずは腹ごしらいだな」

 

 

 提督には激辛のイメージしかないから、どんなお店に連れて行ってくれるのか想像する。……まさかとは思うが、相手に一ミリも配慮しない、我が道をゆくいつも通りのパターンが脳裏をかすめる。いやいやまさかそんなこと。

 

 

・・・・・

・・・・

・・・

・・

 

 

「着いたぞ、激辛小僧」

 

 

「もう限界です、別れましょうか」

 

 

 お疲れ〜と背を向ける肩に、提督は手でまったをかける。

 

 

「いや、何を期待してたんだよ」

 

 

「せめて体面を取り繕うとかしなさいよ!!」

 

 

「バカ言え、忙しい身で楽しくもないグルメ巡りなんてできっこないだろ。正直者と言ってくれ」

 

 

「先頭にバカをつけてバカ正直と呼びましょうか〜」

 

 

「なに、前回の反省も踏まえて難易度は抑えた」

 

 

「今日はデートのはずですよね? 私はチャレンジャーか何かですか?」

 

 

 予想を裏切らない。返せば想像と相違ない提督の惨状に、大声で異を唱える。とはいえ交通手段は提督が握っているので、帰ろうにも帰れない。徒歩だと何時間かかることやら……。

 

 仕方ないが妥協を強いられ、おもっくそのぼろっくそに酷評して提督の心を折ることで、帰りの足を手に入れようと計画変更。気に食わないが振り返って、にこやかに笑う提督に一撃。引っ張り起こしてお店に向かうのだった。

 

 

 外見の割に、店内はガヤガヤと非常に混雑していた。

 

 

「いらっしゃいませ〜! 空いたお席にドウゾ〜!」

 

 

「一番奥が空いてるな。大井足下気を付けろよ」

 

 

 店内の喧騒に負けじと、広さに似合わぬ声量で店員が出迎える。

 

 人口密度も真っ青な、一声かけなければ前に進めぬほどの熱気。本丸の激辛料理も口にしていないのに汗がにじみ出して、化粧が浮かないか心配だ。

 

 これは……はっきり言って、最悪の二文字が頭に浮かぶ。そしてたびたび目にするオススメメニューでこの店の傾向が知れてしまった。よりにもよってラーメン。ラーメンから激辛を引いても、印象の良さは大差なし。見事なダブルパンチは故意なのか否なのか、どちらとも取れるが擁護の余地もない現実。わざとなら意地悪。無自覚なら馬鹿。本当に今日はデートなんだろうか? 

 

 

 

 料理が運ばれてきた。お約束のように、具材以外が真っ赤な血溜まりはどこも変わらない。むせ返るような刺激物が、店内の暑苦しさと相まって息が詰まる。横を見ると、提督が早くも割り箸を文字通り割って、その先端を赤く染めていた。

 

 

「あれ、食べないのか? 無理して食うことないぞ?」

 

 

 折角のデートにそんなことを本気でのたまっているのなら、提督は相当の変人なんだろう。パートナーに合わせない強引っぷりは、相手によっては頼り甲斐があるだとか好みの分かれる問題だが、それにしたってこれはないだろうと気持ちが冷める。一点マイナス。

 

 しかし、自分の好きなものを子供のように勧めてくる提督には母性本能が働く。一点プラス。デートの希望を伝えていなかったことも影響したかもと自らの失点を見つめてしまえば、デートの総評を下すにはまだ早いような気がする。

 

 得物にかぶりつく捕食者のような提督に、そんなに美味しいのかと興味が湧いてくる。どうも麻婆豆腐が脳裏にチラついて、なかなか踏ん切りがつかなかったが、ケチをつけるためだ仕方なく挟み上げて食した。

 

 ……美味しい。辛さが大きく主張する事はなく、何処か品を感じる。一口目よりも二口目がより欲しくなる、そんな摩訶不思議な辛さであった。提督の言った手加減の言葉はしっかりと配慮が加えられている代物だった。チラリと横に目を向ければ、満足そうにした顔があってムカついたので、とろりとろける煮卵の片割れを奪い取ってすかさず口に入れた。一瞬認めてしまいそうになったが、激辛とラーメンの相性がこんなに良い筈がない。

 

 

 

 外の空気を目一杯吸い込む。先ほどまでいた室内との温度差のせいか、やけに涼しさを感じ、解放感で胸膨らませる。まさか、これで終わりな訳ないだろう。次の目的地を聞こうと振り返る時、水族館の看板があるのに気付く。このまま激辛グルメ旅なんて未来を想像していたりもしたが、もし水族館ならば同じくセンスを疑う。

 

 毎回毎回、海に駆り出される身なのに、休みの日にまで職場を意識させるなんてとんでもない。艦娘達の間でも、水族館にお出かけしたなんて事例をあまりないので、考えることは大体同じなんだろう。

 

 せめて選択肢が行き尽くした上での水族館ならまだわからこともないが、さっきの激辛店と一緒に考えるとめまいがしてくる。

 

 

「天気が悪くなりそうだったから、室内で見れる水族館にしたんだ。なにか悪かったか?」

 

 

 ……まあ、天気がこれだからしょうがないと言えばしょうがない。そんなに好印象は抱かないが、仕方あるまいと微妙な表情のまま彼に付き従った。

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 体毛を無数に備えた白熊が、勢い良く海に飛び込んだ。水の抵抗で総毛立ち、体積を瞬時に膨張させた水面は激しく揺らぎ、勢い余って水槽に叩きつけられた。それがあまりにも近かったものだから、

 

 

「ホッキョクグマか。北極作戦の時には見かけたりしなかったか?」

 

 

「そうですね、内陸とかに行ったわけではないので分からないですけど。私達が行った時は見かけませんでしたね」

 

 

「一時期は地球温暖化の影響で絶滅しかけていたらしいが、シロクマに取ったら深海棲艦が救世主みたいなもんなんだよなー」

 

 

「北極の地でシロクマと深海棲艦が手を取り合うんですか? なんだか気が抜けるような話ですね」

 

 

 続いてはアシカの飼育小屋。ボール芸を披露したり、お辞儀したり手を振ったり、頭のいいイメージがある。茂った髭はヤマアラシのトゲに似ていて、見た目よりもずっと硬くて痛そうだ。

 

 

「なんか……北上みたいだな」

 

 

「えぇー……。あのアシカのどこに北上さんを見出したんですか、頭吹き飛ばされたいんですか?」

 

 

「いやいや、特徴あるだろ。抜けてるような顔に、見物客がいようと日向ぼっこしてる自由人っぷり。ほら隅っこで目を細めてまどろんでるところなんて、小休止の時の北上にそっくりじゃないか」

 

 

「私の前で北上さんの悪口を言うなんて度胸がありますね。一回海に出て決着つけましょうか」

 

 

「負ける未来しか見えないから遠慮しておくよ」

 

 

 薄暗いトンネルに入り、笑い合う二人が影で揺らめけば、なんだか北上さんがくる前を思い出してしまう。細い糸で結ばれた今にも切れてしまいそうな朧げな繋がりだったが、運命の悪戯なのかなんなのか、今では一番近くで貴方を見つめている。

 

 ふとたまに、あの時のような緩い関係性を懐かしく思う時もあるが、変わらない貴方に付き従っているとそんな気持ちもどうでもよくなる。はじめこそ難色を示していた水族館だったが、食わず嫌いだったんだとゆるく笑った。本当にまるで、私達の関係性のようだ。

 

 

 クラゲが暗闇に怪しく浮かぶ。全面ガラス張りで時折ライトアップで照らされて、ここだけはなんだか切り離された別空間のような錯覚があった。

 

 

「クラゲの偽物にはよくお世話になるので、本物をみるのは結構レアですね」

 

 

「偽物ってもしかしてあれか? ビニール袋?」

 

 

「そうですね。海ゴミの清掃に駆り出される時は、決まって混じってますからね。後はペットボトルとか?」

 

 

「漁業組合に漁の許可を得る大義名分だからな。その節は本当にありがとうございます」

 

 

「いえいえ感謝されてやります」

 

 

 こんな不思議な感覚を覚えるのは、おそらくクラゲに、生物としての生活感が欠如しているからなんじゃないだろうか。フワフワと、なにを考えているのか分からないように漂う。食事をする場面も印象にない。排泄や産卵する様子も同じく。中には不死身のクラゲもいるらしい。

 

 

「にしても、本当に不思議な形してるな。いまだにちょっと、クラゲが地球上の生き物なのかと疑問になる時があるんだよ」

 

 

「はぁ……それ海から来た私達に言います?」

 

 

「……や、悪かった」

 

 

 しまったと口を半開きにする彼に、話題変換のためにパンフレットを見て、イルカのショーが始まるのを話にあげて、この空気を乗り越えるのだった。

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 外に出ると、小雨がパラパラ降り出していた。

 

 傘を車に忘れてきてしまったと言えば、提督は苦笑いして自らの傘を広げ中に招く。濡れないように肩を寄せ合えば、しまった、これでは手をつなげないじゃないかと落胆。

 

 折角カップルっぽいことができると思っていたのに、とても残念。街の往来はそこそこ。同じようなことを考える輩はいるものなのか、多い割合でカップル。一つの傘を二人で共有しているので、外から見ると結構目立つ。……私達のこともカップルとして捉えられているのかと考えてしまうと、ちょっと小っ恥ずかしい気持ちになる。

 

 

「あ。あれ」

 

 

「ん? クレープ屋さんか? 食べたいのか?」

 

 

「女の子には甘いものですよ、提督。この感じだとデートプランには入ってなさそうですね」

 

 

「そうだな、ちょっと遅い口直しといこうか」

 

 

 クレープのワゴン車に近付くと、立てかけられたメニューを見てみる。苺・バナナ・キウイ……基本的なのは揃っているようだ。後付けのように貼り付けられたドラゴンフルーツ味もあったが、一人ならまだしも相手がいるのに冒険する勇気を私は持ち合わせていない。

 

 

「決まりましたか?」

 

 

「あ〜そうだな、うん、決まった」

 

 

「それじゃあ私は苺で」

 

 

「俺はバナナで」

 

 

 生地が鉄板に流し込まれて、縁を描くように二つは伸ばされる。薄いからか火の通りも早く、綺麗な表面をひっくり返して、生クリームと材料でトッピングすれば、もう完成だ。紙包を受け取って、早速一口。

 

 

「ん〜ほいひいです」

 

 

「ん、美味いな」

 

 

 苺の酸味とクリームの甘味が絶妙にマッチしている。どちらか一方の比率が崩れたら、それこそ台無しになってしまいそうな抜群のバランスがこの味を生んでいる。今度はクレープを北上さんのおやつに、なんてことを考える。

 

 一方の提督の方は価格の乱高下を繰り返してきたバナナ、バナナは私達の不甲斐なさの象徴でもある。物思いにふけるのも本の一瞬。傘を持つ提督が逃げられないのをいいことに、ググッと自らのクレープを差し出して、等価交換の合図とする。

 

 

「はい……どうぞ提督」

 

 

「あ、あぁそうだな」

 

 

 狼狽た顔に嗜虐心が募ると、乗り気じゃないのを承知の上でノリノリでクレープを口元にやった。

 

 課題をクリアしないと解放されないのだろうと気付いたのか、やれやれとやがて顔を羞恥に染め、クレープの端を覆い隠す。提督が去った後のクレープは、ネズミがかじったかのように遠慮がちにかじられていた。

 

 ムッと気を悪くする大井。納得いかんと手本を示すように提督のクレープに顔をズズズと近付け、生クリームやらトッピンングやらを、重機が去った後みたいに洗いざらい強奪。口を少々汚しながらも、我に続けと頬張った顔で再び眼前へとクレープを差し出した。

 

 おきらめたように大井にならえば、切り取った二回りほど大きくクレープを抉った。口端にクリームが付ていることを指摘すれば、私にも指摘が帰ってきて、ハンカチで撫でるように拭ってくれる。提督の中に北上さんの幻を重ね、いやいやこの男が北上さんの代わりになるはずないと顔を背けた。

 

 

「若い頃に比べたら代謝も悪くなってるから、甘いもので太らないか心配だよ」

 

 

「なんですか、私への当て付けですか。外に出て制限も加えてるのに、思うようにならない私に殺されたいんですか?」

 

 

 げしげしと提督の足を小突いて苦言をていし、怒ってますよと宣言する。それにしまったと提督が謝りを入れると、戦いは一応の収束へと向かった。

 

 

「バナナって……結構美味しいんですね。台湾産ですかね?」

 

 

「いやフィリピンじゃないか?」

 

 

 会話を繰り広げる二人は寄り添って、雨の匂いのする街を練り歩く。

 

 

「それで、次はどこに連れてってくれるんですかね?」

 

 

「いや、もうこれでおしまいだよ。意外に早く終わっちまったな。北上へのお見上げはいいのか?」

 

 

「……嘘ですよね、もう終わりなんですか? ……まあ今日のデートが初めてだっって話でしたし、今日の所は勘弁しておきますか」

 

 

 物足りなさを覚える。もっと景色のいい夜景をバックに……とか。変に想像力を掻き立てていただけに、一気にお預けを食らった気分だ。

 

 

「今日のデートはどうだった?」

 

 

「そうですね〜。まあ、三十点ってところですかね」

 

 

「やけに清々しい三十点だな。赤点ギリギリじゃないか」

 

 

「まず、私の好みから外れた激辛料理。あれ完全に提督の好み入ってるじゃないですか! ほんと、普通なら速攻でさよならですよ!!」

 

 

「でも大井はそうはなってないぞ?」

 

 

「それは……私もリクエストしてなかったので、多めに見てあげたんですよ、私じゃなかったら終わってましたね」

 

 

「水族館もダメか?」

 

 

「そうですね、北上さんを侮辱したので大幅減点です」

 

 

「水族館関係ないじゃん」

 

 

「それと、回りきるまでの時間を想定してませんでしたよね? 下見してないから、こんなに時間余っちゃうんですよ。ここは明らかな提督のミスですね」

 

 

「いや、水族館がこんなに時間が潰せない場所だとは思わなんだ」

 

 

「はい、今の発言で零点で落第です。お疲れ様でした」

 

 

「あ、やっちまった」

 

 

「は〜しっかりしてください提督。そんなんじゃ私から百点もらえないですよ〜」

 

 

「大井から満点もらおうと思ったら骨がおれそうだな。あ、最後に一つ。三十点分の内訳をいちおうきかせてもらっても? やっぱりさっきのクレープか?」

 

 

「まあ、それもありますけど……」

 

 

 先行していた大井は振り返り、体をくの字に曲げながら提督の顔を覗き込んでこう言った。

 

 

「努力点ですかね? 私を楽しませてくれた」

 

 

 遠回しに、また私を連れて行けと言っているようなものだが、果たして気付いているのだろうか。……まあ、いいか。

 

 出会った頃と代わりない提督に免じて、ゆっくりゆっくり、互いに分かり合えればいいじゃないか。いつの間にか雨も止み、雲の切間からは陽が差し込んでいた。

 

 




本読んでるとき。

三時間で四万字って・・・・化け物だろ。

遥か高みに目が眩む。


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後ちょっとは、待てちょっと

恋愛編のネタ尽きた。


 

 

 北上さんのいない部屋で過ごすのはこれで何度目か。

 

 やがて訪れる朝陽。その到来を待ち侘びるように深い眠りへと落ちようとするが、どうしようもなく寂しさがこみ上げてきた。

 

 こんな時北上がいれば、まるで私の心を見透かしているように、何も言わずに抱きしめてくれる。ただ今日に限っては運悪く、部屋に彼女の影はない。

 

 寂しさに寝返りを打つその傍ら、ふと思い出されるのは提督が駆逐艦を連れ込んで、添い寝をしていたであろういつかの光景。なんだかモヤモヤしたこの思いを打ち消すように、気付けば熱がこもった布団を抜け出していた。ぐっすりと眠る幼子に、果たしてあの堅物がちょっかいを加えていなければいいが。

 

 ここは抜き打ちチェックと、真意のほどを明らかにしないと。パジャマのまま、軽い羽織りものとスリッパのようなもので軽装して、いざ出発。なに、ちょっと覗いて、暇を潰して帰るだけだ。

 

 

 

 

 

 深夜の鎮守府とは、どうしてこんなにも心細いのだろう。

 

 二の腕をさするように歩く、暗闇が続く廊下をいく。

 

 私はここにいるぞと自分の存在を主張するように、スリッパを地面で鳴らしながら前進する。

 

 軽巡洋艦であろう私でもちょっと尻込みする暗さなのに、本当にあの小さな彼女達が通っているのだろうか? この恐ろしさを無視してでも、彼との添い寝にはそれほどのなにかがあるのだろうか? 脇道には赤。ボウっと揺れる消防灯が、怪しく光を放っている。

 

 振り返って見る。自分が来た道ですら識別は効かない。とっくのとうに消灯時間は過ぎているので、それも当たり前かと早足に切り替えて残りを詰めれば、ようやく目指した場所が微かに見えてきた。

 

 迷い無く開かれる、執務室の扉。そして立ち塞がる最後の扉。本当に入っていいのかと一巡するが、ここまできて何もしないのもまた変だ。ゆっくりとドアノブをひねって、ついでゆっくり押し込んで起きてるかどうか伺う。その動きは緩慢で、提督に起こすまい、あるいは気付かれまいといった配慮があった。

 

 部屋は真っ暗。気配の色からもどうやら眠ってしまっているようだ。

 

 一息ついて寝室への道が完全に開かれれば、足音を殺して忍び寄る。抜き足差し足、人の輪郭がハッキリと定まれば、そこには背をむけた提督一人だけ。

 

 なんだ、誰も来ていないじゃないか。丁度一人が悠々横になれるスペースに手をついて、寝息を立てていることを確認。これなら狸寝入りなんてこともないだろう。今日は誰も連れ込んでいないようだ。

 

 無駄足だったな。落胆もなく体を起こして、提督を見下ろす。ここから引き返すのを想像すると、なんだか途端にげんなりした。震える体、気付かれないかと緊張していた体に、冷気の感覚が蘇る。視界に入るのは、呑気に眠りこくっている提督。

 

 ……ちょっとだけ暖を取ってから帰ろうか。なんのことはない、ただ罪を逃れた罪人が、ぬくぬく眠りこけているのにはらがたったかったのだ。猫が布団に潜り込むように慎重に態勢をかがめて、振動をできるだけ伝えないようにして接近する。

 

 履き物をかかとをすり合わせて脱ぐと、暖気を逃さないように布団の端っこを持ち上げ、足を滑り込ませるように潜り込む。起こさないように、慎重に、慎重に。

 

 けれどもやはり、完全には冷気の進入は防ぎきれなかったのか、みじろぎして声を漏らして、来訪者の存在は残念ながらバレてしまった。すでに半身が領土に侵入していたので、気付かれるんじゃないかとビクリと体を震わせるが、ここで声を上げたり逃げ出せばそれこそアウト。最小限の動きに止め、収まりが着くまでその場で待機する。

 

 動けない。ここでパッチリ目を開けようものなら、記憶抹消のために物理的制裁を加えなければならないことになる。握り拳でスタンバイしていると、提督は寝返りも億劫だと背を向けたまま声を発した。

 

 

「? 眠れないのか?」

 

 

 そう言って、彼は静かにスペースを広げると、それに満足したのかまた静かに寝息を立て始めた。バックバックと心臓の音を沈めるように、残りの半身を上手く布団へと格納すると、暖をとるように向かって前方に身動ぎを二回ほど。

 

 ・・・・どうやら駆逐艦の誰かと勘違いしてくれているようだ。私だと気づかれていないのなら暴力を振るう必要もない。しかし悲しきかな、いつふりかえるやもしれない提督への警戒は怠って良いわけではない。いつでも目潰し出来る体勢を意識しつつ、闇に溶け込むように呼吸も忘れて影に潜んだ。中は外より数段暖かかった。北上さんの布団に潜り込んだ時よりも、温度は高い気がする。結構長い時間寒さにさらされていたので、私の気のせいかも知れないが……。

 

 収まりがついたのを合図とするように、突如ベットが軋み始める。寝返りを打ちこちらを向いた提督にびっくりし、潰されないようにさっと手を引き戻す。怪しまれないように、狭いベットの上で、できるだけ体を縮こまらせた。呼吸が止まる思いで布団を首を縮めて待っていると、モゾモゾと布団の大地はうねり始め、お腹の辺りを触り始めた。

 

 

ひやぁ

 

 

 漏れ出る声。跳ねる体。いけないと口元を抑えて成り行きを見守っていたが、不審には思われなかったのか特に反応はない。お腹にやられた手が離れたのは、そのすぐ後だった。

 

 

「ぁ……」

 

 

 離れる手に、名残惜しげに腕が伸びそうになるのを途中で中断させて、やっぱり気付かれてるんじゃないかと訝しんで提督を伺っていると。

 

 

 ポン

 

 

 今度はさすがに驚きはしなかった。でも、これは、もしかしたら……。

 

 

 ポン

 

 

 これ、もしかして……提督にあやされてる!? 等間隔に温もりがくっついては離れ、くっついては離れ。怖がらせまいと優しく、しかし温かみは与えようとしっとりと。それは親が子にしてあげるような、添い寝の姿でもあった。

 

 

 望んでいた展開とは大きく違っているが、いつ気付かれてもおかしくない状況。今この状況で一番の得策は、提督が疲れて寝落ちしてからここを離脱するのが最も安全。彼が眠りに落ちるまで、このお腹を差し出す意外に方法はない。

 

 上になぞれば、およそ駆逐艦だとは言い張るのは難しい双丘が。下になぞれば、同じくふくよかな肉付きの下半身が。お腹も少し怪しい限りだが、事故を起こさないためには、不動のリスク管理が必要であろう。

 

 吐息が耳をかすめるのを避けて、声がでないように口は一文字に強く結び。あまりに強く口を閉ざすもんだから、蛇がのたくるような波々の開口部。羞恥と息苦しさが合わさって、暗闇では計り知れないが、顔はおそらく真っ赤に近しい。空気を出入りをコントロールして、解放された口からゆっくり放熱すれば、山場は超えたと一安心。

 

 

 ポン

 

 

 ポン

 

 

 ポン

 

 

 健気に繰り返される献身は、本来なら小さな体が独占するもの。それを黙って受け取って、罪悪感がないと言えば嘘になるが、それも今夜限りの短い間。満足して、気持ちよく眠りの落ちるまでの間、私がお腹ポンポンで寝付かなければいい話だ。

 

 

 ポン

 

 

 だから。

 

 

 ポン

 

 

 寝るわけないだろう。

 

 

 ポン

 

 

 もし寝てしまったら。

 

 

 ポン

 

 

 提督にどう言い訳するのか。

 

 

 ポン

 

 

 だから。

 

 

 ポン

 

 

 絶対に。

 

 

 ポン

 

 

 寝る。

 

 

 ポン

 

 

 訳には。

 

 

 ポン

 

 

 訳には……。

 

 

 ポン

 

 

 ……少し、休むだけだ。

 

 

 ポン

 

 

 本の少ししたら、すぐに出ていく。

 

 

 ポン

 

 

 すぐに、出ていく。

 

 

 ポン

 

 

 すぐに……。

 

 

 ポン

 

 

 ……

 

 

 ポン

 

 

 ……

 

 

 ポn

 

 

 ……

 

 

 ポ……

 

 

 ……

 

 

 p……

 

 

 ……

 

 

 ……

 

 

 ……

 

 

 ……

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 p……

 

 

 pp……

 

 

 ppp……

 

 

 pppp pppp pppp

 

 

ぁうん?」

 

 

 いつもとは違う目覚まし時計を不思議に思う。寝起きの頭でとりあえず目を擦り、起き上がってふと横を見た。

 

 

「へ?」

 

 

 見慣れた女神とは明らかに逸脱した半裸。はだけた寝巻き。そこから覗く肌色。口も呑気に半開き。脳の処理速度を上回る情報量に、一時思考停止で対応する。

 

 え? した? どこまで? いや、覚えてない、あれ? うーん? あ……。

 

 この間も部屋には起床せよとの号令が飛び交っている。とにもかくにも止めなければならない。今まさに鳴き止まない目覚まし時計を止めなければ!! 焦って時計に飛びついて盛大にズッコケて、いまどき置き時計を使っていることに腹を立て、黙らすスイッチが見つからないことにも腹を立て。にっちもさっちも行かないとひっくり返したり、シェイクしたり試行錯誤をしていると、掛け布団をひっぺがす音が耳に届いた。

 

 ガッツリ見られてる。目覚まし時計を弄ってる所を、提督にガン見されてる見られてる。しかし、手元を止めるには至らない。一刻も早く音を消して、この部屋から退散しないと!! 

 

 

「……そこ、正面の下、小ちゃくて黒いやつ」

 

 

「は、はい。正面の、小ちゃいやつ」

 

 

 

 

 

 正直に言う? 夜人肌恋しくて布団に忍び込んだ? 違う冗談じゃない。そんなの、恥ずかしすぎる。私のプライドが絶対に、ゼ──────タイに許さない。なんとか、なんとか誤魔化す言い訳はないだろうか? こういう重大な局面に限って、頭は全く働かない。不気味な沈黙を引きずって、一方からの強すぎる視線を一身に受けて、だんだん余裕がなくなっていく。

 

 

「あぇ、あ、き、北上さん。そう、北上さんは元気かしら? ら? す、すぐに見に行って上げないと……」

 

 

 大根役者の三文芝居。誰に言い聞かせるのか、何もない虚空に咄嗟の捨て台詞を吐いて、不自然な足取りで寝室を退出。バタンとなったその直後、奇怪行動の反動がやまびこの如く到来。ついさっき寝起きのはずだったのに、脳を沸騰させ、注意も存ぜぬドタドタ音で戦線を離脱した。

 

 ひと騒ぎ落とした大井は、まだ半分夢の中であった北上を無視して、布団にくるまる。くるまってうずくまった暗闇で、三日三晩悶え苦しむ勢いで、ひたすらのモゾモゾと奇声を上げ続けるのだった。

 

 

 




そろそろむっちゃん入れまひょかー。


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揺れる揺れる波音に、眠る眠る水底に

セリフを入れると字数が稼げるよ?


 

 

 

 日米の連合艦隊が瓦解するのを目の前にして、長門は今、余りに切望していた晴れ舞台に歓喜していた。妹である陸奥の、必死の呼びかけにも応答しない。昂る体とは対照的に考えを巡らす頭は、深海の如く酷く冴え渡っている。

 

 

「長門!! 何をしているの!? 撤退命令は出ているのよ!!」

 

 

「止めないでくれ陸奥、私の晴れ舞台だ」

 

 

「あなたそれって……無謀な特攻をしようとでも言うつもりなの!? いいから早く!!」

 

 

 妹から見たら私は、死に急いでいるように見えるのだろか。必死の形相で転身を促すその態度に、どうも悲しさが募る。

 

 激変してゆく戦場で、申し子の艦隊決戦は見送られ続け、その最後ですら国に尽くすことは叶わなかった。今この気を逃せば万全な状態での真っ当な戦闘など、一体いつ、いつ来ると言うのだ。

 

 のこのこと本土へと帰ったところで、資材の大食らいであり、戦略的にも価値が薄い超弩級戦艦の優先順位などたかが知れてる。砲塔稼働状態での海岸砲がせきの山ではないか。

 

 あり得ない、あり得ない。象徴たる連合艦隊旗艦の来世が、今度は満身創痍の陸上で果てろと言うのか? せめて、せめてまともな海戦で!! この、友軍が転身する重大な局面で!! 新進気鋭の若人達に、日の本の希望を託しながら、暁を望む水平線の上で朽ち果てたい。

 

 時代遅れなのは痛いほど理解している。されど、この戦いが後に続く天王山であることも同時に理解している。感謝すべきは、戦場へ向かう足があり、武器弾薬砲塔を有し、人格を獲得せしめ、意思が宿っていることだ。この瞬間、今こそが命の捨て時。国民に広く愛されていた彼女の闘志が、そこには確かにあったのだ。

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 慌ただしさで混乱する港で、被弾した体を引きずって茫然と私は立っていた。落ち着きのない、すれ違ういく人にも無視されて、私は私の存在理由を見つけられずにいた。

 

 本土の安全圏へと誘導された私を待っていたのは、あまりにも残酷な仕打ち。また力を振るえずに、背後でどうしようもなく腐り果てる。それが私の、私達の運命だとでも言うのだろうか。

 

 国家存亡の危機を眼前で流されて、奮い立って前線に臨むはずの足は組み伏して。こんなの、生き地獄ではないか。志を失ったお飾りは、その巨体を沈める場所も知らずに、稲穂のように首を垂れた。

 

 唖然と激しく動く人の群れ。その中から一人抜け、真っ直ぐとこちらに向かってくる者が。

 

 

「長門型戦艦二番艦、陸奥殿でよろしいか? 貴殿に任務を言い渡す。この書類を、この辞令の示す者の配下となって受け渡して頂きたい。これは命令である、即刻この場で受理せよ」

 

 

「拝命致します」

 

 

 呼ばれた声に即座に反応して、すぐに軍人の顔を貼り付けて、渡される封筒の宛名に覚えはなかった。ありがたかった。このまま一人で悶々と考えていたら、それこそ精神を病んでしまいそうだったから。いずれにしろ、私に封を切る権限はない。敬礼され敬礼を返した後、印字されたその人物を訪ねるのだった。

 

 

 

 

 

 目当ての人物を見つける。士官用の宿舎であったことから、また提督が変わるのかとうんざりしていたのだが、見たところ、背中からも若さがよく伝わる。言っては悪い気がするが、これは明らかなお払い箱のように思える。混乱と疲れのためか、心ここにあらずの状態である彼に気付いてもらうために、少々大袈裟に敬礼をした後に用件を伝えるのだった。

 

 

 ──────

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 彼は……一言で表すならば、歪であった。

 

国家のためと招集された、士官候補生主席の身でありながら、その中身は半人前の理論家。他の人間より座学で優れた、しかし実戦はからっきしのズブの素人。一を言えば一しか出来ず、凝り固まった理想論を、刻一刻と移りゆく戦場に無理やり適用させる。精神面でも脆弱で、心の柱となる者を何かを欠いている危うい存在。それはまさに、私の前任者を数グレード落としたような有様であった。

 

 私は彼を再教育した。聞こえが悪いかも知れないが、これでも元連合艦隊の旗艦を務めた艦船。一人の人間に全てを授けられると自惚れてはいないが、実力は十分であると自負している。

 

 まず基礎基本、ついで意思疎通の重要性、仮想戦場である机上演習。私の知り得る全てを、それこそ厳しく、彼に叩き込んだ。今思えば、何かに意識を集中していないと精神が不安定になるのが怖くて、当たり散らしていたのではないかと過去を振り返る。

 

彼に必要以上に厳しくしたのも、私と同じようなシンパシーのようなものを感じ取り、同族嫌悪が加速した結果だとも今なら認められる。

 

 けれども彼は優秀であった。めげずに失敗を繰り返し、辛酸を舐め、敗北を知ってもなお逃げ出すことはしなかった。少しだけ盲信的なところは否めないが、それでも彼は私の理想を体現せしめた。してしまったのだ。

 

 提督の好意を一身に受け取るたびに、言い様のない懺悔の気持ちが浮かび上がる。前時代のロマンの塊が高説を垂れてなかったとしても、彼は立派な提督へと成長していたであろう。それが早いか遅いかの議論はまた後にして、彼の可能性を私は無理やり矯正してしまったのだ。

 

 彼を戦いへと向き合わさせるために、約束をした。今でもそれは、おそらく呪いのように作用していることだろう。私は、大切な者を失った代償を他者に求め、それ以外のことに逃げ出さないように運命を縛りつけたのだ。

 

 私は……私は、私が嫌いだ。

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 来た。遂に来たか!! 手渡しで渡された、茶封筒を受け取って、提督は大規模作戦の前兆を感じ取っていた。力なく非力に垂れる糸を掴んで、慣れた手つきで開封し、間髪入れずに中身を取り出した。

 

 

『大規模再編計画』

 

 

 この時をどれほど待ち望んだことか。冷遇されているはずの超弩級戦艦、陸奥の着任をどれほど、どれほど切望していたことか!! 

 

 長門なき今、実質一人で連合艦隊旗艦として指揮を振るう、象徴的艦娘。おいそれと渡せないのは百も承知。実績を積み上げ、部下を育成して、されど今に至るまで転属の許可は一向に降りなかった。

 

しかし、そんなことで悩むのももう終わりだ。北方方面軍なき今、宙ぶらりんの陸奥を取り込むまたとないチャンス。たとえ手塩にかけた一線級の戦力を多数手放すことになったとしても、是が非でも引き込んでやる。

 

 昇進がなんだ、名声がなんだ、んなもん他の奴らにくれてやる。約束を、約束を果たすんだ。そのためだったら左遷されたって構やしない。……いや、今のは言い過ぎた。戦艦を運用するだけの基盤さえあれば、どんな待遇を受けたとしても耐えよう。

 

積もり積もった話もある、彼女に出会える日を密かに夢想する。決戦の日は近い。

 

 

 




セリフがないから、字数が稼げないよ?

じかいしんしょうとつにゅう。


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不穏編
雨はいずれ過ぎ去る、逆もまた然り



Q,描きたい場面以外の時はどうすれば良いの?

A,諦めろ、色々と


 

 

 

 夜の出撃までに時間がある。手持ち無沙汰だった私は、自主的な任務を求めて執務室を訪れていた。

 

 誰もいない。書き置きには接待のため席を外すと書かれていた。提督が交流会に顔を出すのは珍しいことではない。公用車がダース規模で乗り付けてきたが、鎮守府を運営するためとはいえ頭が下がる。最近また人の動きが活発になった気がするので、近い内に大規模作戦が発動されると、艦娘の間では結構な噂だ。

 

 触って欲しくないであろう仕事場は極力手を加えず、何処か片付けられる場所はないものかと寝室の扉を開く。ムッとする空気。まず窓を開けて、次にクシャクシャになった寝具を整える。

 

 全く……シーツなんかも変えてないじゃないか。ただ剥ぎ取って洗濯カゴに入れるだけがなぜできないんだ。駆逐艦なんかも遊びに来るのに、これでは残酷な言葉を浴びせられても同情できないだろう。

 

 念のため匂いを嗅いで、私は何やってるんだとまとめて洗濯機に突っ込む。量が少ないのでもったいないが、今から回さないと夜使えなくなってしまう。ゴウンゴウンと洗濯機が回る前で手をはたき、作業のつづきと掃き掃除をしていると。

 

 

 パタン

 

 

 戸棚の上に置かれていた手帳が落ちた音だった。これは……確か提督がいつも肌身離さず使っている、スケジュール表じゃないか。

 

 もしかして来客に慌てて忘れてしまったのだろうか。かわいいな、なんて安直に考えるが、もしかしていま提督は困っているんじゃないだろうか。

 

 もしそれなら大変だ! ととちょっと待て、来客の前にいきなり陣取って忘れ物を渡すなんて、普通に考えて恥ずかしいことだろう。彼のことだ、ピンチならば何か代案を用いて、危機を脱していることだろう。だとすれば、無理にでも私が届ける必要もないか。決して中身が見てみたいとか、そんなスケベ心が働いたからではない決してない。

 

 手帳といっても、クリップと表題部分が取り外し可能であり、表紙に至っては年季を感じさせるレトロ感がある。パラパラとめくっていると、いつもの日課を表す表題と 忘れないように書き留めておく事だったり、大事な約束だったりが記帳されている。

 

 ……私との約束も記録されていることに、少し得意げになっていると、表題に違和感が。何かを挟み込んだような厚みがあって、ページをパラパラめくっている途中でページが飛び、違和感お正体が明らかになる。

 

 写真だ。戦争の初期を思わせるような、少し色あせた、映る人員の少なさ。彼の姿は一目瞭然、けれど他の艦娘には、はて見覚えがない。その中でも一際目を引かれたのは、彼に一番近い位置にいた一人の艦娘。提督から距離を詰め、一見親しげな印象を始めこそ持ったが、二人の間には妙な違和感があった。

 

 ……そういえば、私が喋るばっかりで、提督の過去を聞くことはあまりなかった気がする。彼があまり喋りたがらないのにも芸院があるが、今度この人のことを聞いてみよう。丁寧に元の場所に戻して、集めたゴミをまとめて出した。

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 恰幅の良い男にお酌をする。この方は懇意にしていただいている、元北方方面軍の司令官だ。

 

 一時期は自分の方がスコアが上のはずなのに、どうして少数精鋭の北方方面軍の司令官ではないのかと抗議を繰り返していたが、そんな長期に続いた状態をみかねて今回優先的に艦娘の配備をしてくれることを約束してくれた。

 

 今回の席を取り次いでくれた同期に感謝し、後で当たり年の年代物ワインを握らせるとしよう。

 

 

「約束の品は会合が終わったら用意するからな?」

 

 

「あぁ、後で秘書艦に撮りに行かせる。そういえばお前の秘書艦はどうした。見たところ外させているようだが……」

 

 

「別の仕事をさせているが、何か悪いのか?」

 

 

「お前……その様子だとカッコカリの相手適当に決めただろう。そうゆうところきっちりさせとかないと、後が地獄だぞ」

 

 

「そんなこといってもなぁ……」

 

 

 近くに寄ってきた友人の耳元で、そんな内緒話をしていると、盛り上がっていた会話がそれて話題に上げられる。

 

 

「なんだ、若い者どうしで内緒話かね? そうゆうのは宴会の席では謹んでほしいのだがね?」

 

 

「は!! 申し訳ございません大将殿!! 提督殿がパートナーを決めかねておりましたので、"背後に気を付けろ"と警告した次第であります!!」

 

 

「ははは。そういえば提督クンの思い人は、私の指揮下だったかね? う〜むこれは悪いことをしたな。ささ、お詫びといってはなんだが、私のお酌をうけてくれはくれないかな?」

 

 

「は、はい!! 謹んでお受けします!!」

 

 

 笑い声が四方から飛ぶのに誠意一杯の敬礼で答え、若干上擦った声で答えた提督は、身近のお猪口を受け取って両手差し出す。オットットと決まり文句が出た音には、一礼してから口をつけた。

 

 

「さあ、一区切りついたところで本題に踏み込みましょう。皆さんも待ち焦がれていましょうからな」

 

 

 大将がそういうが早いが。さっきまでのおちゃらけたムードは一挙に消え去り、みな自らの利益を追求する資本家にも似た目をするのだった。それぞれが護衛としてつけていた秘書艦が退出し、残ったのは次の大規模作戦での中心メンバーが目立った。

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

「戦後の処理についても慎重に協議せねばなるまいな」「交渉のためとは言え、シナとイワンには大分戦力を削がれましたからねぇ……。最悪、同国籍艦での潰し合いも視野に入れるべきかと」「中国では艦娘の量産を目的とした人体実験が行っているとか……」「真意の程は定かでないが、独裁政権のやりそうなことだ。民主主義を掲げる日本やアメリカでは、まず土俵にすら上がれないだろうに」「政治については我々の至知らぬ領域だ。ここでいくら協議を重ねても、命じられてしまえば実行するまで、そうだろう?」

 

 

「お宅の加賀のあの表情は格別でしたなぁ〜」「それは良い! あの仏頂面が崩れる様を是非とも見たいものだ!」「ここの不知火もなかなかでしたぞ」「強面の貴官は落差の調整が楽で本当に憎たらしい、仏頂面のくせに」「ここに弥生のボイスレコードがあるんだ、一級品のな?」「「「今すぐ再生しよう」」」

 

 

「太平洋の戦いで日本とアメリカが追った傷は深い。イギリスが台頭してくるのではないか?」「太陽の沈まぬ国の焼き回しか……EUが結託すればあるいは……」「日本が変に戦力を持ちすぎてしまったことも問題だ。世界の秩序が揺るぎかねないぞ」「第三次世界大戦……割に合わんと信じたいが……」「核を除くならば、艦娘は新たな兵器の中で上位の位置付けだ。小柄ながら十分な装甲に火力、対潜対空もこなすとなると、陸戦型が出てきてもおかしい話ではない。万能とゆう言葉では足りんな」

 

 

 秘密裏の交渉、艦娘のトレード、戦後の役職。暗い話も明るい話も、理想論も現実も、清濁合わせ持った紛議の場。それぞれ目的を同じくする者同士、集合い交渉を重ねる。提督は目の前の人物との度重なる協議の結果、遂に陸奥を獲得せしめた。

 

 

「私からは戦艦陸奥を貴殿に授けよう。それで……貴殿はその対価として何を差し出す?」

 

 

「それこそ先鋒!! 大将殿の露払いを、是非一任させていただきたいのです!!」

 

 

「はっはっは、威勢がいいな。先陣を切るそれ事態はなんら問題はないだろう。しかしな、今回の攻勢目標はかつて決定的なまでに敗北を突きつけられた深海棲艦の巣窟。そこに飛び込んで行くとなると、何が起こるのかわかった物ではないのだぞ。あの時からかなり時間が経っておるし、一筋縄とはいかないだろう。最悪全滅も有り得る。情報も距離のために不十分だ、それでも引き受けるとゆうのだね?」

 

 

「是非、わたくしに!!」

 

 

「うむ良かろう。その心意気、気に入った。提督クンの手腕を信じるとしようか」

 

 

「あ、ありがとうございます!!」

 

 

 こうして、激戦を極めるであろう地獄の門を、提督の率いる艦隊がこじ開けることに決まったのだ。のちに決号作戦と正式に発表されるこの戦いは、史実で実行されなかった最終決戦をなぞってそう名付けられる。

 

 

 





けっこう脳死して書いてるけどなんや、完成度あんま変わらんな。

・・・・変わらんな。


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二人の再会に・・・・


昨日の分もうんちします。


 

 

 

 身嗜みを整える。今日は待ちに待った歓迎会の日だ。

 

 姉妹艦を中心に、多くの者たちがこの鎮守府を去り、またその穴を埋めるように艦娘達が新しく配属される。

 

 中には愚図る者もちらほら見られたが、約束を反故にするわけにも行かずに脅しにも似た対応で急を凌いだ。中には去り際に愛の告白をする連中も出てきて、それが今まで散々馬鹿にしていた艦娘だったものだから、尚更怒りがこみ上げてくるのだ。

 

 不当に扱いつづける人物に、普通好意を抱くのか? ハッキリ言って、艦娘の思考回路はまったく持って理解できない。

 

 全く、手塩にかけて育てた割に、融通の効かん連中には困ったものだ。これを気に態度の悪い連中を出来るだけ追い出すことには成功したので、陸奥が配属になる時には立派な提督像を保てる。

 

 スピーチのキーワードだけをまとめた、ちっちゃいメモを片手で覆い隠しながら、歓迎会の会場準備がどれくらい進んでいるのかチェックする。今日はいつにも増して気合が入る。気分は恩師に自分の成長した姿を見せる感覚に近い。見ない間に成長し、立派な男になったとアピールしなければ。

 

 窓ガラスに自分の顔を写し、髪型なんかを整えて待ち望んだ空間に備えていた。

 

 

「ワァ!!」

 

 

「ふあぁ!! ……なんだ大井か。鍋を持ったまま遊ぶな、それぐらい理解しろ」

 

 

「何怒ってるんですか提督。そんなことゆうならキムチ鍋食べさせてあげませんよ? あと、気合入りすぎててキモいです。髪型なんて弄ったって提督は全然変わりませーん」

 

 

「……」

 

 

 自分に不利な状況を作り出す艦娘を優先的に排除してきたもの、この目の前で明らかに上司を舐め腐っている大井を切り捨てることはできなかった。

 

 戦績は確かに良い物の、やはり素行に問題があるのか、どの提督達も見るからに避けている様子だった。最終手段として、北上との分離も視野に入れて検討をしてみたが、大井からの報復を遅れてしまい断念。

 

 北上加入の苦労の割に、忠誠心の違いが見受けられないのに、明らかな地雷を囲い込んでしまったらしい。

 

 ……断られてゆく様を哀れに思ったのか、大井の古巣だった提督が今回の歓迎会費用を出そうと打診してくれた。いや……ありがたいんだけども、ありがたいけれども……はぁ。

 

 

「いつも通りで良いんですよ、変によく見せようとするから辛いんです。ありのままで十分なんですよ」

 

 

「……あぁ悪いな大井。そうだよな、いつも通り、いつも通り……」

 

 

「あ〜もう。変に意識しちゃうからそうなるんですよ、鍋でも食べて落ち着きます?」

 

 

「主役が来るより早く手をつけて良いのだろうか……。まあ、そうだな、辛いのなら好物だ。挨拶が終わった後にでも、美味しくいただくよ」

 

 

「ぷっふふふ、残念ウッソで〜す。小さい子達もいるのに、わざわざ主役じゃない提督に寄せて料理を作るハズないじゃないですか。それとも、私の作った料理がそんなに食べたいんですか〜?」

 

 

 悪戯が成功したような含み笑いを浮かべ、心底愉快そうに寄っては離れを繰り返す。ふわりと漂ってくる香水にもにた甘い香りに、心では鼻をひん曲げた。

 

 

「こんなところで油を売っていて良いのか?」

 

 

「冷たいんですね提督。重い荷物を持った女性がそばに立っているのに、細かい気遣いができないからモテないんですよ」

 

 

「……」

 

 

 いい加減モテないモテない聞き飽きた。

 

 別に大井の評価を基準にしているんじゃないが、怒りを押さえつけるために奥歯をガリっと歯軋りするだけに止めて、大井が両手に抱える謎鍋を抱え込む。全く、部下に好き放題やられて、飛んだ上官だよ全く。ぅわ、けっこう重い。

 

 具材をあらかじめセットしておいて、スープも用意されているのか結構な重量だ。本体重量が増したことで遅くなった足。何が楽しいのか、大井は提督の速度に合わせて、端を発すようにおしゃべりを続ける。途中で反応を返してあげないと、しつこいぐらいに返事を求めるので、内心へんな気遣いなんていらないからどっかに消えてくれと、作り笑いで部下の要望を満たすのだった。このままだとストレスでどうにかなってしまう。

 

 

 

 

 

 大広間に着く。前に陸奥の勧誘が成功したこの場所が、あの時と比べて緩く飾り付けられた内装に感慨深くなる。長机に置かれたコンロに鍋をセットすれば、押しつけられた仕事はようやく片付く。時計を見て、まだ余裕があると再びスピーチの切れ端を眺めていると。

 

 

「挨拶の覚書きですか? そんな、観艦式ガッチリしたわけでもないんですから……緊張してるんですか?」

 

 

 当たり前だ。横からメモを覗き込んで……これでは見えないではないか。必要以上にズイッと近付く大井をなんとかしようと、大広間を見渡して、対大井の代名詞を探す。

 

 

「おおい北上!! ちょっと助けてくれ!!」

 

 

 自分の名前を呼ばれたと思った大井は、一瞬バッと顔をあげたが勘違いかと北上の方を見る。"ホイホ〜イ"と呑気によってくる北上に、大井の相手をさせてこの場を抜け出そうとゆう寸法だ。

 

 

「ま〜た大井っち提督に張り付いてるの? ほーんとお熱いのもいい加減にしないと、愛想つかされちゃうよー」

 

 

「そ、そんなんじゃないですよ」

 

 

「はー。提督も暇人じゃないんだから、"ウザッたい"ぐらい強く言ってあげないと。大井っち提督のこと大好きだからずっとひっついてくるんだよ?」

 

 

「は、はぁ。面目ない」

 

 

 からかうようにニヤニヤと放たれた言葉に、大井は心底動揺して、提督から飛び退くように離れた。チラチラとこちらを伺い、なんだか顔が不自然に歪んでいる、北上に怯えているのだろう。悪戯を親に目撃された子供のような有様だな。愉快愉快。そんな風にお気楽に考えていたが、流れ弾がこちらにも命中して、謝りなさいとゆうように親に怒られた気分になった。喧嘩両成敗。俺はほとんど悪くないのに。

 

 

「き、北上さん。わ、私はたから見たらめ、めんどくさい女に見えるんですか?」

 

 

「う〜ん、もし大井っちが出撃の直前だとして、その時に提督がダル絡みしてきたらどう思う?」

 

 

「や、確かにあっち行けってなりますけど……」

 

 

「相手の立場になって考えてあげなきゃ。それと、男は追うと逃げちゃうから、提督に追わせないと」

 

 

「そ、そうですよね……わ、わかりました」

 

 

「てことでさ提督、大井っち新入りが入ってくるってんでテンション高くなってんだよね〜。ま、許してあげてよ。ほら大井っちも謝って」

 

 

「あの、その……ごめんなさい」

 

 

「いや分かれば良いんだよ分かれば」

 

 

「んまぁ提督もこの後の挨拶とか頑張ってね〜、適当に応援してるから〜」

 

 

「頑張って、下さいね?」

 

 

「あぁご期待に添えるように善処するよ」

 

 

「じゃね〜」

 

 

 北上の理解が早くて助かる。大井の扱いを熟知している北上のことだ、後続の憂いなく対処してくれるだろう。あの様子じゃ当分近づいてこなさそうだから、やることに集中できる。優秀な部下を持って上司としては誇らしい……? これ大井にも同じこと思ったような記憶が……。

 

 料理が続々と運ばれていく中、俺は人気の少ない裏路地まで移動して、そこでリハーサルを繰り返した。陸奥に自らの成長を見せるにふさわしい、完璧な出立で迎えるために。

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

「それじゃあ、乾杯」

 

 

「「「「「カンパーイ」」」」」

 

 

 静寂を保っていた大広間は、詰められた人数に相応しい喧騒を取り戻した。ふ、緊張した……。なるべく陸奥がいる方向は見ないようにしていたが、変に映っていなかっただろうか、その点が一番の心配だ。

 

 音頭や挨拶は問題なく終えることができ、観艦式の時並みに緊張した体を緩めて、どこか適当に開いている場所に割り込む。陸奥とは離れてしまったが、心の準備とやらが必要であろう。酒をちょっと入れて、緊張を紛らわせよう。

 

 緊張でカラカラの喉に、音頭の時に掲げたお酒を一気に半分ほどまで流し込むと、新入りの摩耶が話しかけてきた。

 

 

「よ! あんたがここの提督だろう? さっきの挨拶は見事なもんだったぜ。まあなんだ、お近づきの印に一杯ついでやるよ!」

 

 

 なんとも男まさりな性格で、その重巡はフランクに酒を注ごうと酒瓶を手に抱えている。だがしかし、まだ半分ほどお酒が残っているため、このままでは十分に気遣いを受け取ることができない。新人に恥をかかせるわけにもいかず、体に追い酒でグラスを空っぽにして差し出した。

 

 変なこだわりとゆうのか、こんなことで気を使っているから酔っぱらうのも早くなるのだろう。お酒で苦しい思いをしないためにも、目安として同量のお水を交互に飲むのが良いとかなんとか……。

 

 切り込み隊長的ポジションの摩耶が踏み出したからか、我も我もと友好的な関係を築こうと列を作っていく。流石の提督も学習したのか、注がれる度にちびちび飲んで、最低でも形式の体面は保とうと守りの姿勢に入る。

 

 列の後方を望んで、陸奥が来ていないことに肩を落とすが、落ち込んでいる暇もなく酒は注がれ続ける。そして、並んでいた全員を捌き切ると、安堵した様子で席に着席した。

 

 お酒を続けて取り込み続けたせいか、お腹がタポンタポンだ。それでもちょうど良い具合に酔いも回ってきたので、どれお酒の力を借りて陸奥に会いに行こうかと辺りを偵察する。

 

 周囲にある料理と適当につまみながら、陸奥の姿を探す。数が少ない戦艦の中でも、特に希少な超弩級戦艦だ、かくれんぼしてるわけでもないから嫌でも目立つだろう。そんな軽い気持ちでキョロキョロ探していたのだが、……おかしいな見つけられないぞ。いやいやそんな筈ないと目を皿のようにしてもう一度探していると。

 

 

「提督どうぞ、おつぎしますよ?」

 

 

 北上の拘束を振り切ったのか、大井が後方より飛来した。悪気なんて全くないと言わしめる澄んだ笑顔で、酒瓶を片手に提督に詰め寄る。

 

 大井は確か、俺が下戸なのを知っている筈だ。分かり易いほどに憎たらしい嫌がらせか、わかり切った嫌がらせでしかないだろう。いつもならまあ笑ってその場を収めることもできるが、俺はまだ陸奥に次いでもらっていない。新しく入ってきたわけでもないお前が喜ぶような茶番に付き合う義理はない筈だ。

 

 断ろうと片手を差し出すが、問答無用で酒を流し込んでくる。咄嗟に受け取ってしまったが、後の掃除を考えると、大井が酒瓶を手に持った時点でもうすでに敗北していたのだ。

 

 無邪気を装った笑みをこぼしながら、逐一こちらを馬鹿にしてくる大井へは、陸奥が見てる陸奥が見てる陸奥が見てると暗示を書ける事で感情を抑え込むことに成功した。

 

 適当に相手して、また捜索を再開すると、襖を開けて陸奥の姿を確かに見た。ドックーン、と心臓が跳ねたのは、何もお酒のせいじゃないだろう。お花でも摘みに行ってたんだろう、可愛らしいな。

 

 盛り上がってきて、自分への注目が下がったのを十分確認してから立ち上がり、陸奥に継いでもらおうとグラスを一気に煽って空にする。お? おぉうお? ふらつく足取り、調子に乗って一気飲みなんてしてしまったのが運の尽きか、視界がぼやけ始めた。

 

 

「大丈夫ですか提督、部屋までお連れしますよ?」

 

 

「いや……まだだ、まだいけるぅ……」

 

 

「はぁー提督もうお酒はダメですよ。お酒弱いのに何やってんですか、全くもう」

 

 

 緑色した誰かが駆け寄ってきて何か言ってくる。その内容の半分も理解できずに、もはやぼやけすぎて陸奥なのかなんなのか判別できない彩り豊かな何かに向かって宣言する。力強く前進したはずが、外部からの力によって簡単に組み伏せられ、視界がグルグル回った。

 

 

「あぁ……ダメじゃ……、北…………」

 

 

「……よ──────」

 

 

 いやまだ俺には使命が、使命があるんだ……陸奥にお酒を注いでもらうとゆう使命が……。そこで意識は途切れた。

 

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 

「や、やめてくださいよ北上さん。私のベットに寝かせるなんて! 寝ゲロしたらどうするんですか!! 死んじゃいますよ!!」

 

 

「え〜。大井っちなら提督の吸い出せるでしょ」

 

 

「そ、それってキスしろって事ですか!! で、できるわけないじゃないですか!!」

 

 

 頭がガンガンする。気持ち悪い。唸り声を上げて体を起こそうとするのを、誰かに止められる。

 

 

「あ、提督。起きたんですね、お水飲みますか?」

 

 

「あ? ん? ぅ〜ん?」

 

 

 壁が迫ってくる。違うな、大広間から締め出されたのか。とするとここは医務室か何処かか? いや、まだ行ける。もう一度戻って、うぐぐ。

 

 

「じゃ後はお二人で楽しんでね〜」

 

 

「へ? 北上さんま、待ってくださいよ! いやでも提督を一人にするわけにはいかないし……」

 

 

 立ち上がろうとちゃぶ台に手をつけるが。あやべえ、さっき食ったおつまみ出ちゃいそう。動けなくなったところに、大井がお水をもってくる。

 

 

「提督? 気分でも悪いんですか? お水飲めますか?」

 

 

 クッソ、脳味噌が脈打ってやがる。酒を薄めないと……。少し落ち着いた所で口をつけたのを最後に再び事切れる。スースーと寝息を立て始めたのを確認して、大井は自分の膝掛けを提督にかぶせ、どうしようかと右往左往。

 

 

「全く……自分のお酒の量くらい把握しときなさいよね」

 

 

 呆れたように呟くが、二人っきりの個室で提督が眠るシチュエーションにドギマギ。それに今の提督はお酒の影響なのか、妙な色っぽさを醸し出している。北上も何かを気遣って退出しているし、これはチャンスなのではと独りごちる。

 

 

「提督ー、燃料なくなっちゃいましたよー、出撃どうするんですかー」

 

 

 頬をツンツンして反応を伺うが、悪夢にうなされたように苦しそうな顔を一瞬して、また寝息を立て始めた。

 

 

「提督ー? 提督ー? 起きてくださいよー」

 

 

 心にも思っていないことを喋りながら、警戒心が強いネコはゆっくりとすり寄ってくる。

 

 

「起きないと、何されても知りませんよー」

 

 

 スーッと背中から首筋、耳たぶに顔を移した大井は最後の忠告をする。

 

 これは……しばらく起きて来ないと見て間違いないだろう。

 

 スンスンと鼻を鳴らして、提督の匂いを楽しむ。耳たぶの裏の匂いを嗅ぎながら、いつかの日提督が抱え上げてくれたのを思い出して感情を昂らせる。

 

 息を吸うには吐かねばならぬ。だんだんと熱を帯びてゆく吐息、徐々にその速度は早まる。濃厚な匂いを求めてさらに体を近付けて、今度は首筋へ、産毛が鼻を擦り上げくすぐったくなるのを無視して息を吸い込む。

 

 それでも満足に足らなかったのか、もっと深い匂いを求めて今度は頭皮へと移る。髪の毛に顔を埋めて、油っぽい頭皮を吐息で湿らせて、貪るように堪能した。気が付けば大井は、提督をあすなろ抱きしていた。上半身に限定されたものだったが、体を密着させると興奮は鎮まり、安心が勝る。

 

 満足げな顔で顎を提督の肩に乗せて、とてつもない高揚感に包まれるのを感じた。深呼吸を繰り返し、眠った相手にするのは明らかな変態行為だが、そんな自分を客観視できないほどに二人だけの世界を作り上げている。

 

 どうしようもなく幸せな空間。ただ一つ残念なことは、提督の意識がないこと。それだけが大井には残念でならなかった。

 

 

 





お酒飲んだ事ないから、突っ込まれると玉砕する自信がある(エッヘン!!)


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タイトル思いつかんかった。

手抜き乙。

うんちブリュリュ。


 

 

 

 気が付くと俺は、大井北上両名の部屋で突っ伏してヨダレも垂らして寝ていた。ねえなんで? おもっかった? あ、そう。成功に終わったはずの歓迎会にどうも心当たりがあるのにざわつき、陸奥にお酌してもらえなかったからだと、酷く後悔する。

 

 緊張のしすぎてお酒のペースを見誤ってしまったようだ、なんたるふかく。

 

 だがまあ、仕方ない。想像していた夢のような時間は幻想に終わってしまったが、また次があるさ、なんたって彼女はこの鎮守府所属の部下なんだから(エッヘン) 過去これほど自分の選択を褒め称えることは、後にも先にもこの一度だけだろう、そんなペースでワクワクしている。

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 

 うぅやべ二日酔いだ……気持ちわるうぅ。爽やかな朝の訪れからは到底かけ離れた便所への駆け込み。出せばスッキリする、頭お花畑の提督でも、瞬時に現実に引き戻されるのだった。

 

 今日の業務を確認する。人事のやりとりで一山超えたので、忙しくなるには会議に出て作戦指令書が届いてからか。内容物を吐き出したからと言って、提督の体調が万全になったわけではない。仕事が多い日じゃなくて良かったと、はめを外し過ぎた自分を戒める。

 

 戒めるのもそこそこに、一部の艦娘には絶賛不評の中抜けプランを制作する。戦艦枠なんて元々ないのと見たいなもんだから、他の艦種と合同で良いだろうと、陸奥との会話を今日の予定にねじ込む。

 

 書いた嬉しさで筆は踊って、久々の再会に胸躍らせる。あぁ何を話そう、とても決まった時間では全部伝え切れないかもしれない。この時ばかりは提督も、毎日の習慣と銘打って、おしゃべりする自分を責めた。どう計算したって時間を超過してしまう。力を手に入れるため、随分と大世帯になった鎮守府を投げ出したいとの思いは、今後も提督の悩みの一つとなる。

 

 

「よし、じゃあ休憩にしようか」

 

 

「はい、提督」

 

 

 陸奥との時間を一分一秒でも無駄にしたくないと時計を見るあまり、肝心の執務仕事は全く進まなかった。

 

 そして迎える待ちに待った時間。本命の陸奥がまだどこにいるのか不明なため、探しながらの日課遂行となる。鎮守府にいるのはわかっているのだが、最悪の場合すれ違いを繰り返して、悶々とした状態での午後の業務となってしまう。

 

 そうだ秘書艦にも聞いてみよう。三人よらば文殊の知恵。一人で考えるよりも良い意見が聞けるかもしれない。問題はどう質問するのかだが、ストレートに陸奥はどこにいると思う? なんて聞いた日には関係性を疑われそうだ。自意識過剰か? まあ確かに、何度も聞くようだったらそれは特別な感情を抱いていると思われても変ではないが……。

 

 あれこれ考えていると、秘書艦は休憩のためにマグカップを持って席を立ったドアに手を掛けた。これは不味いとその背中に、提督が待ったをかける。

 

 

「いや、ちょっと待ってくれ!」

 

 

「? どうされました提督」

 

 

「少し質問なんだが、新入りの長門型戦艦陸奥が今どこにいるかとか知ってたりしないか?」

 

 

「陸奥さんですか? そう、ですねぇ。……ちょっと存じ上げないですね、すみません」

 

 

「あいや、変な質問だったな。足を止めさせてすまなかった」

 

 

「はい、それでは失礼します」

 

 

 たくさんの新入りの中でも、一際目立つ存在だからと言って、その人がどこにいるかなんて昨日今日で推し量れるわけないじゃないか。冷静に考えれば理解できることであるが、陸奥に思考をかき乱されているのもあって、提督は性能の低下を自覚した。

 

 これではいかんと頭を振って、時計を見て焦る思いで立ち上がり、秘書艦の後を追いかけるように退出するのであった。

 

 

 

 

 

「……」

 

 

 陸奥部屋の前で一巡、二巡する。手をドアの前にやっていや間が悪かったどうするんだと、いやいやノックしなければ始まらんぞと、他の艦娘になら遠慮なく突入するのに、この時ばかりはどうしようもない。なぜなら久々の再会なのだから。もっとこう……感動的な再会にならないだろうかと、踏ん切りが付かずにいた。エアノックで感覚を掴み、良し!! と本物でも同じことをしようとするが、緊張して……はぁ。

 

 

 ガチャ

 

 

「「あ」」

 

 

「よ、よう陸奥。元気そうだな。ここの立て付けは大丈夫か? 必要なら妖精に修理を依頼するが……」

 

 

「……えぇ特に問題はないわね」

 

 

「「……」」

 

 

 き、気まずい……非常に気まずい。なんだ? 誰か死んだのか? 感動の再会とは程遠いぞ! とにかく話題。なんでも良いからこの空気を払拭せねば!! なんのために女心を学んでいたと思ってんだ、この時、この時のためだろう。今、今、今できないでどうするんだ。搾り出せ俺の経験値ぃー!! 

 

 

「よく訓練されているのね、ここの艦娘達」

 

 

「あ? あぁそうだな……」

 

 

「「……」」

 

 

「あの……外に出たいのだけれど」

 

 

「あ、そうか! いや、悪い悪い」

 

 

 褒められてポリポリと頬を書いた提督は、陸奥指摘に横にずれる。気分はまるで、自分の所有するおもちゃの兵隊を褒められた子供のような有様だ。心からの笑顔を浮かべ、陸奥の後をつける。

 

 

「……提督業も板についてきたわね、歓迎会の挨拶立派だったわよ?」

 

 

「そ、そうか。それは良かった、良かった。あそうだ、その日陸奥を探していたんだよ、お酌してもらおうと思ってな? 列にこないもんだから心配したんだぞ。具合でも悪かったのか?」

 

 

「えぇまあ……そんな所かしら」

 

 

「陸奥の活躍を雑誌で見るたびに誇らしい思いだったよ。どうだ、積もる話もあるだろう今夜一杯、昨日の飲み直しにってことで……」

 

 

「そう……ね。すごく嬉しんだれど遠慮させてもらうわ。提督その……二日酔いでしょ?」

 

 

「あ、あぁそうだよな、体調が悪かったんだそうだそうだ」

 

 

「「……」」

 

 

「じゃああの……約束があるから、またの機会に……ね?」

 

 

「そうだな、また時間のあるときにでも」

 

 

「それじゃあ……」

 

 

「それじゃあな」

 

 

 離れてゆく二人。手をブンブン振る速度は、いつもより残像を増やしているように思えた。

 

 綺麗だった。陸奥は変わらず美しかった。所作の一つ一つに優雅さが滲み、憂いを帯びた顔は保護欲をそそる。彼女のことは男として守らなければならない。そのためにも、この争いを一刻も早く終わらせねば。

 

 そのための兵隊を今日も存分に動かすべく、一国の主人である提督は、午後の業務にも力が入る。今なら書類百枚余裕で片付けられそうだ。

 

 

「ばぁ!!」

 

 

「……なんだ大井か、それじゃあな」

 

 

「え、えぇ〜ちょっと待ってくださいよ提督。さっき陸奥さんと一緒にいましたよね? なんの話されてたんですか?」

 

 

「……お前には関係ないだろう。そんなことよりまだ仕事があるからすぐに戻らないと、もう秘書艦も休憩終わってるだろうからな」

 

 

 ソローリソローリと近付いてくるのが視界の端に見えていた。よって特に驚きもせずに冷淡に対応していく。今日は軽巡の日ではない、よって大井にかける時間は無駄だ。

 

 

「あ! そうです。提督が食べたがっていたキムチ鍋を作ったんですけど、北上さんが全部食べ切れないらしんですよね? なのでどうしてもってゆうなら、提督に食べさせてあげようって考えてるんですけど……私は別に他の方に分けてあげても良いんですけどね? まあ、一応提督も頑張っているわけですし? 念の為聞いておこうかなって思ったんですけど……どうですか」

 

 

「話はそれだけか」

 

 

「へ? 話はそれだけって? 食べないんですか提督?」

 

 

「いらん、昼は食堂で食う。用はそれだけだな? それじゃあいくからな」

 

 

「え、いや……あの」

 

 

 足早に去っていく提督に、大井は悲しげな顔を浮かべてその背中を見る。タイミングが悪かったのだろうか、怒らせてしまったのだろうか。自分に不快な点があったかどうか見返したが、どうにも思い当たる節はない。

 

 新入りの陸奥との不可解な会話。その内容も推し量れずに、二人の間に何かあるんじゃないかと、ただただ不安を募らせるのだった。

 

 

 



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愛の証

しばらく頭冷やします。


 

 

 

最近の悩み、どうも提督が私に構ってくれなくなった気がする。

 

もちろん、次の大規模作戦でピリピリしてるのはわかるが、やっぱり冷たく突き放されると胸が苦しくなる。やはり他者からの意見が欲しい、意見を聞くとなるとやっぱり北上さんか。

 

私は何も、相談できる相手がいなくくて仕方なく北上さんを選んでいるわけではない。私にあって北上さんにないもの、私のはなくて北上さんさんにはあるもの。着眼点とゆうのか、北上さんは対局的に見るのが得意で、私は細かく見るのが得意。私はどちらかと言えば、元々ある計画を煮詰めて完成に近付けることを得意とし、北上さんは大雑把な作戦立案で力を発揮する。

 

それがあったから、あの地獄のような本土決戦を生き抜くことができたのだ。それで今回の非常事態。手元にある作戦書は役に立たない。そうなると、新しい戦略を立てねばならないので、北上さんに縋り付くのだ。

 

 

「ふっふふ〜。よきにはからえ〜」

 

 

「ははぁー」

 

 

甘味処の間宮アイススペシャルを二人で食べながら、ことの経緯を話すと北上さんは頼もしくも引き受けてくれた。

 

 

「ふむふむ、提督が最近冷たいと」

 

 

「はい・・・・」

 

 

「ぱっと見はラブラブなんだけどなぁ・・・・デートも大井っちが手動なんでしょ?」

 

 

「あ、いえそんなことは。前のデートは提督が案内してくれて・・・・」

 

 

「でもそれって大井っちがMVP取って頼んだものでしょ? きっかけは全部大井っちじゃん」

 

 

「まぁ確かにそうですけども・・・・」

 

 

「なぁーんか最近提督おかしいんだよね。なんていえばいんだろう、こう、水を得た魚・・・・見たいな?」

 

 

「大規模作戦のことですか? あの人本当に戦うのが好きですよね」

 

 

「まぁ確かに戦績表見てよくニヤニヤしてるもんねぁ〜」

 

 

「でもそうなると、今回の人員異動が変になりません?」

 

 

「ん? どうなんだろう。まあ主力の人達たくさん抜けちゃったけど、こっから俺が鍛え直すモリモリマッチョ体育会系って考えれば、別におかしいことでもないんじゃない?」

 

 

「そうなんですかねぇ・・・・」

 

 

「あそうそう、随分前にこの鎮守府と元私がいたところの鎮守府で、合同演習あったじゃない? その時の空き時間に提督に聞かれたんだよねぇ〜"このスコアは大井と一緒に出したものか?"てさぁー」

 

 

「私達が二人で戦果を上げてることに気付いてたんですね」

 

 

「あぁ見えて地味に優秀なんだよね提督って、人の使い方うまいってゆうのか、人誑しってゆうのか。現に一名様は相当に惚れ込んでおられまぁーす」

 

 

「ちょ、やめてくださいよ北上さん! 提督の耳に入りでもしたらどうするんですか!」

 

 

「ま〜た提督とマウント取り合ってんの? ああゆうタイプは本気で口にしないと理解しないからね。一緒にいるから愛し合ってるなんて、そんなの幻想だよ。定期的に好き好きオーラ全開でいかないと・・・・大井っち大好きだよ」

 

 

「グゥハアァッ(絶命)」

 

 

定期的とゆうか常時好意を伝えてくる大井の好きは、言い換えるならジャブ。対して、北上が気まぐれに放つ好きはアッパー。それも、ガードを容易くすり抜けての攻撃なので、相手は死ぬ。

 

 

「わかった? 大井っち。くだらない意地張ってないで懐に飛び込まなきゃ、私が横取りしちゃうぞ〜」

 

 

「き、北上さんも提督のこと好きなんですか!?」

 

 

「わわわ、そんなわけないじゃん。親友の恋人横取りなんてしないよぉ。それに、提督ビビビィ〜ってこなかったし」

 

 

「一目惚れってやつですか?」

 

 

「う〜んそうだねぇ。大井っちだけかな? 今の所は」

 

 

「ぇ、それって・・・・」

 

 

「ふふふ・・・・提督から親友を横取りするのさぁ〜」

 

 

「キャー!!」

 

 

黄色い声援に周囲は反応を示す。それは好意的だったり、否定的だったり。親しい誰かを思い浮かべたり、まだ見ぬ誰かを思い浮かべたり。実に様々な反応を周囲に振り撒くのだった。

 

 

──────

────────────

──────────────────────

 

 

懐に飛び込む。

 

提督に打ち明ける。

 

今まで出来てこなかった私に取って、それがいかに困難なことか想像もつかなかった。

 

慣れとゆうものは怖いもので、いきなり対応を変えてしまうと相手に嫌われるんじゃないかとか、自分じゃないみたいなんて悪い方向ばかり考えてしまう。定まってもいない結果を決めつけるなんて、神か仏にでもなったつもりなのかと自分を卑下する。

 

結局私は成長しない未熟児。提督の優しさに甘えて、ズルズルとイヤなことは先送りして、ただ今の現状がゆるりとつづく様しか想像できない臆病者だ。

 

それと、提督を観察していれば嫌でも目に入る影。あの日、私が手帳で見た人、陸奥さんがどうしようもなく怖いのだ。

 

彼が陸奥さんに声をかけている時の表情といったら、部下に対しての事務的な会話とは違う。明らかに関係を大きく外れた、ゆうなれば熱っぽさを帯びたような。提督の見たこともない表情が彼女に向けられて、私はただ現実逃避するように指輪を撫でることしかできなかった。

 

戦友といった括りで囲えるだろうか、憧れの人といった括りで囲えるだろうか、好きな人といった括りが苦しいが一番納得できてしまう。北上さんのいった言葉が蘇る。

 

 

『なぁーんか最近提督おかしいんだよね。なんていえばいんだろう、こう、水を得た魚・・・・見たいな?』

 

 

もしかして提督は、陸奥さんを招き入れるためにずっと動いていたんじゃないのかなんて変な妄想が入ってしまう。二人が食堂を出ていく。どうやらかなりの時間が経っていたようだ。中途半端に残された、冷めてしまったご飯を返却口に突っ込んで、後を追いかけた。

 

二人が道の隅っこにいるのを見つけた。けれど、逃げ出してしまいたい。こんなに近くで見てきたはずなのに、私にはあんな楽しそうな表情を引き出すことはできなかった。

 

今まで送ってきた彼との思い出は全て見せかけのニセモノだったのだろうか? 私が壊してしまったためにお揃いになってしまったマグカップ、二人でいった遊園地、北上さんと引き合わせてくれた笑顔、語り尽くせなかった物足りなさも、看病に対しての感謝の言葉や、あなたの愛の告白も・・・・。

 

嫌だ・・・・なかったことになんてしたくない。提督に好きと、伝えるだけ。ただそれだけのはずなのに、私はすごく難しく考えていたんだ。

 

彼のもとへ駆け寄る。タッタッタと軽快な足取りにはもう迷いはなかった。大好きな彼の顔がこっちを向いて、その顔を驚愕で埋める。もう迷わない、今なら言える気がする。慣性に乗った少女は、彼の左腕にしがみ付き、顔を目一杯爪先立ちで近付けて主張する。

 

 

「提督、大好きです」

 

 

言い切ったが直後、言い逃れできない恐怖が体を蝕み始める。

 

もしも否定されたら一体どうすればいいの? もしも嫌いって言われたら? もしも、もしも、もしも。もしもが積み重なって、精一杯背伸びする少女を押し潰しにかかる。怖い、嫌だ、苦しい。顔は困惑に、次いで目は閉じられ、不安に耐えようと体に力が入ってしまう。そこに救いの手が差し伸べられた。

 

 

「お、おぉどうした大井! 大丈夫か?」

 

 

頭を撫でられて暗い気持ちから解放された。

 

受け入れてくれた。私を、受け入れてくれたのだ。私は受け入れられたんだ。達成感か喜びか、そのどちらも併せ持ったか、安心で堪えていたものが溢れてくる。涙は提督の腕をスリスリすることで拭って、なおも力を入れた。提督が今度は乱暴に撫でてくるようになって、それが私には堪らなく嬉しくて、陸奥さんの笑い声を聞いて恥ずかしくなってようやく離れた。

 

 

「うふふ・・・・慕われているのね、提督」

 

 

「え、いや・・・・まあ、あはは」

 

 

提督からハンカチが差し出され、それで涙を隠す。ハンカチからは提督の匂いがより一層強くした。

 

 

「平気か?」

 

 

「ズズビ。はい・・・・ハンカチ洗ってお返しします」

 

 

「・・・・そうか、返すときはいつでもいいぞ」

 

 

「わかりました、ありがとうございます」

 

 

第三者もいることだから、時が立つにつれて気まずくなってくる。"あの、お話中失礼しました"と発し敬礼をした後、その場を逃げるように立ち去る。なんだか重要な一歩を踏み出せたような気がする。離れてゆく背中には、提督の優しい顔が向けられている気がした。

 

 

 



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序曲。あるいは前奏。


人は皆、緩やかな絶望の中で生きている。

確かジャン=ジャック・ルソー・・・・だったっけかな・・・・。


 

 

 

 ベットの上に寝そべって、一スタックをバラにする。

 

 大量の写真のコレクションを選別しながらふと考えた。そういえば、提督とのツーショットの写真を撮ったことがない。ここに移ってきたときの集合写真のようなものはあるが、やっぱりがめつい女だと思われたくなかった影響だろうか。こういうものは男が率先して撮って欲しいが、今までの経験から考えるに、写真で思い出を残そうと言い出しはしないだろう。

 

 記念日を意識しない男性ならではか、こういう話は雑誌にもよくある。いちいち覚えているのも面倒なんて冷たい意見もあったけれど、ちょっとだけでいいから二人で思い出を共有させてと、私の気持ちははっきり伝えたい所だ。

 

 大丈夫。素敵で、大人で、優しい彼ならきっと上手くいく。彼の胸を借りるつもりで、大胆に甘えてみよう。なーに、"大好き"なんて人目もある中で言えた私になら、いまさら緊張するほどではないのだろうから。どうせ撮るなら素敵な写真にしたいと思うのは当然で、青葉さんに頼んで撮ってもらうのがいいかもしれない。

 

 そ、それにしても冷静に考えてみれば、提督の変顔写真を紙袋いっぱいにもらったのは、好き好きオーラ全開で笑えてしまう。でも青葉さんに持たせておくのはちょっと気に食わなくて、少々ムキになってしまったのは正直な所だ。詳しく思い出した途端に、手に握っていた戦利品で顔を隠して悶え苦しむ。けれども、それだけの価値がこの写真にはあるんだと自分を正当化した。

 

 もうどうしようもないことは頭の片隅に追いやって、気を取り直して選別を再開するのだった。

 

 ジャンルは四つほどに枠を設けて、そのほかのものはその他でまとめる。写真の束も五分割すれば厚みを失い、これがなかなかいい暇つぶしになるのだ。

 

 みる人によっては全くの無駄な動作かもしれないが、選別を終えた写真をシャッフルして、今度は違う基準でより分ける。こんな調子だと一生かかっても目標を達成できそうにないが、それでいい。

 

 そうして仕分けされた写真は落ち込んだ時とか、何か嫌なことがあった時にニヨニヨする。とはいえ、北上さんの写真と一緒にまとめるのは流石に憚られたので、しっかり分けて管理している。できることなら、戦後は三人で暮らせれば……なんて。

 

 写真が混ざり合う日は来るのだろうかとまた一枚、不規則にコレクションは積み重なる。補習を受け持っていた北上さんが帰ってくると、お決まりのようにからかわれる。始めこそ恥ずかしさから布団をかぶって隠蔽を図るが、秒も掛からずばれてからは、ベットに写真を並べる光景が日常と化した。堂々としていればいいのだ。そういって見せつけるように写真を突き出すが、北上さんには顔の赤さを指摘されるのだった。

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 南方の輸送任務に北上さんが選ばれた。ここのところ、物資を遠方へ運び出そうとする動きに合わせてか、北上さんが駆逐艦を率いて外すことが多くなった。

 

 以前なら提督に小言を吐きにいっていたのだが、今ではそんなかまってちゃんな行動も減って、私も成長しているのだと得意になる。私が教えている駆逐艦も、だいぶ仕上がってきているので、最後まで気を抜かずに頑張らなければ。一発逆転の魚雷を使いこなせるようになれば、提督の負担も少しは減らせるだろうから。

 

 地獄を共にくぐり抜けてきた五連装魚雷発射管は、私の手足によく手に馴染む。

 

 

 

 

 

 鎮守府近海の演習場にて、まず始めに魚雷発射のお手本を示した後、ペア同士にさせて演習を開始。確かに魚雷は強力な兵器であるものの、撃てる時に当てられなければ無用の長物。その決定的一撃を最大限に生かせない。かといって無駄弾を使うようでは、いざという時に対処できない。その見極めが大事なのだが、こればかりは経験を積んで体で覚えるしか方法はないと思う。

 

 

「ほらそこ!! 絞れてない!! 何回言わせるつもりなの!!」

 

 

 小さいとはいえ、静止目標をすり抜けた魚雷の主人に怒鳴った。それにメンバーの一人が萎縮するが、ここで甘やかすと今までの全てが無駄になる。ちゃんと生還して帰って来て欲しいと願えば願うほどに、どうしても声を荒げてしまう。

 

 

「連続で十回、目標に当てた子から終了とします。それまで夕飯は抜きですからね!」

 

 

 ウゲーと反応をした子を睨んでしまえば、焦ったように魚雷を放ち始めた。当然狙いのついていない雷跡は目標をかすめもしない。そのことにハァーと息を吐いて、長期戦になりそうだなとブイに手をついた。

 

 

 

 

 

 赤。白い雲に赤を乗せれば、光の当たらない反対側は紫。そんな紫の割合が、ゆっくりと大きくなるのを背景に、演習場には人影が二つ。駆逐艦、朝風。そして大井だ。丁度その時、海面を一つの魚雷が駆ける。連続四回目を飾るはずだったその魚雷は、静かに地平線へと針路をとった。

 

 

「ほら、集中力が散漫になってるわよ」

 

 

「ちょっと休憩が必要と具申します! ……はぁー綺麗な空」

 

 

「まぁ……そうね」

 

 

「朝の始まりみたいで、私朝焼けも夕焼けもどっちも好きなんですよ、私」

 

 

「もしかして朝まで続ける気?」

 

 

「ち、違いますよ大井さん! これでも私は精一杯……」

 

 

 手元を弄る朝風は、もうこの状態から十連続の達成は難しいと考えて弱気になっていた。こんな状況でも、雷装艦のエースが私にエールを送ってくれれば、などと淡い期待を抱いてしまうのも仕方がないことだ。

 

 

「食堂もあと少しで閉まっちゃうから、終わりにしよっか」

 

 

「え、えぇ!! 大丈夫ですよ、朝風はまだやれます!!」

 

 

 グッと握り拳を胸の前で揃える意気込みに微笑ましくもあるが、大井は本来の目的を告げるのだった。

 

 

「魚雷の十連当ては方便みたいなものよ。たくさん撃って、たくさん外して、その試行錯誤を促す命題ね。本当は個別にメニューを組みたいんだけど、流石に時間が足りないから。まぁ、どっかの馬鹿は生真面目にやってるんだけどね?」

 

 

「で、でも私だけ課題を終えられてないのは、その……」

 

 

「気にしちゃう? でもいいのよ。結局この訓練も、激戦の地に立つまでのおまじないみたいなものだから。どれだけ積み上げても、どうしようもならないことは世の中には確かにあるから。だからそんなに思いつめたりしないで、自分を責めないであげて? 明日が必ずある保証は出来ないけれど、けれど私達は早急に終わってしまうと決まったわけではないから。だから……また明日頑張りましょう、ね?」

 

 

 そういって微笑みかける大井は、夕風になびく長髪や、あと少しで沈んでしまう赤と相まって幻想的だった。そんな魅力的な顔に、課題をやらせてくれと頼む気持ちは鳴りを潜め、朝風は意識せずに言葉を発する。

 

 

「凄く綺麗……恋をすると、人ってここまで変われるんですか?」

 

 

「へ? いや、ちが、今の話の流れに、あの人は関係ないでしょうが!」

 

 

「あははは、凄い取り乱してますよ大井さん。よっぽど心当たりがあるんですね、羨ましいです」

 

 

 後輩に屈託のない感想を述べられて、大井は普段なれない方向からのからかいに、手をワシャワシャと忙しなく動かす。けれども嬉しい気持ちは確かにあって、"ありがとう"と伏せ目がちにそう告げると、喜んだように朝風は食いつく。

 

 

「提督との惚気話、是非聞きたいです!!」

 

 

「もう、調子いいんだから……」

 

 

 すっかり陽も落ちた演習場。寒さに負けない二人は、食事以外の楽しみを得るのであった。

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

「そこでまた提督がですね〜」

 

 

「あ、あはは……」

 

 

 あれだけ威勢のいいことを言った割に、朝風は早くも疲れていた。寒さと集中力で、だいぶ疲れを溜めていたのかもしれない。そのことに気付きはしている大井であったが、折角のストレス解消の相手を逃すのが惜しく、あと少しあと少しと会話を食堂の閉まるギリギリまで行う。まばらに開いた

 食堂で、綺麗に平げたハンバーグ定食のお皿は下げれずにいるのだった。

 

 

「でも大変そうですよね提督。いくら指揮する側の視点も必要だと言っても、所属する艦娘全員に秘書艦をさせるんですからね。今度は確か……陸奥さんでしたっけ?」

 

 

 ピタリと動きを止める大井に、朝風は気になって首を傾げるが、直後"大丈夫よ、なんでもない"と言われたことで気のせいかと立ち上がった。

 

 

「それじゃあ大井さん、また明日、よろしくお願いします」

 

 

「えぇ、また明日」

 

 

 軽く手を振って見送る。陸奥の前で、明らかに態度の違う提督を思い浮かべながら。

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 教導官として、演習で使った魚雷の本数を計上していると、荷物を運んで来た提督とかち合わせた。跳ねる心臓。微妙な空気。けれど切り出さずにはいられなかった。

 

 

「あ、あの提督」

 

 

「……なんだ大井、相談事か?」

 

 

 荷物を置いた提督は腕を組んで、急かすようにそう言った。足先が出口のほうに向かい、早々にこの場を離れたいのがわかる。それに合わせるように、大井は手早く用事を済ませ、"お待たせしました"と外に出るように促した。

 

 

 今夜もよく冷える。空はすでに、星が輝く時間となり、かじかむ手は寒さに震える。ちょっとした悪戯のつもりだった。最近の訓練出撃の毎日と、少ない休息で疲れていたのだ。提督の行動を掻き乱す行動であるといった確かな自覚の中で、ただの痴話の延長線上に、軽い気持ちでその言葉は出て来てしまった。

 

 

「提督、陸奥さんの秘書艦を取りやめて、私を変わりに入れて下さいよ」

 

 

 



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暗転編
落ちる時は面白いほどに



逃げたわけではない。

ただ繋ぎの部分が書けず、絶望の中でうずくまっていただけだ。

この期に及んで私は未だに、自分の生み出す糞の山を愛でていたのだ。


無能、あらゆる点で、しかも完璧に。

カフカは私に染みすぎる。


 

 

 

 バチーン

 

 頬に伝わる衝撃。何が起きたのかよくわかっていなかったが、ヒリヒリと痛む場所を手の平で押さえた。不条理と理解不能が重なって、私は今、間抜けにも真っ新な脳味噌で立ち尽くしていた。あれほど羨ましいがっていた彼の新たな一面は、背筋も凍るほどの怒りの眼差し。私がよく知る、優しい彼の面影はどこにも見当たらなかった。

 

 "無"だ。

 

 あれだけ幸せが詰まった体は、さっきの一瞬の衝撃でどこかに消え去ってしまった。理解できない、いや正確には理解したくないのかもしれない。この行動が意味することと、この結果の先になにが待ち構えているのかも。だから開いてしまって空っぽになった穴に、何かを注ぎ込まないと……何か、何かを……。

 

 喪失感を埋めるのは、黒くてドロドロとした粘液状のものだ。あぁだめだ、それは駄目だ、止めろ。そんなもので穴を塞ぐな。かき集めた数々の思い出をバリケードに、最後の抵抗でなんとか平常心を保つ。つ、つまらない冗談だ。いくら両想いでも超えちゃいけない一線があるだろう。だから……その……。

 

 

「へ、へへへ」

 

 

 どうにか明るい方に明るい方にと気持ちを持っていこうと努力したが、不出来な笑いがその行為の不十分さをまざまざと主張する。頭の中は"悪かった"と包み込むように抱きしめてくれる提督の情景が、現実と見間違うほどに繰り返し刷り込まれ、いま私がもっとも切望する行為であることがわかる。

 

 でも、頭と現実は乖離している。薄く感づいている感情が、足元をズブズブと沈めていく。もう自力では助からない、自分から助かりにいく勇気がない。提督が私の手を取って、救い出してくれることを期待する、それしか残された方法はないのだ。救い出してもらおうと声もあげることも出来ず、手を伸ばすこともせず、ただ唯一の希望とばかりに左薬指の指輪を撫でる。

 

 不器用な笑顔で彼へのアピール。もう一回だけ、もう一回だけで良い。もう一回だけ、好きだと行ってくれたあなたの顔を見せて? 一瞬の気の迷いだとギュッと私を抱きしめて? 相思相愛の私達なら、いくらだってやり直しせるんだから。これもきっと何かの間違えなんだから、だから……。いちるの望みは無残に途切れた。そのまま何を語る訳でもなく、背中を向けて逃げるように去ってゆく彼に、私からは乾いた笑みしか出なかった。

 

 

「は、ははぁ……」

 

 

 外の世界に自己が溶け出る感覚。そこから救ってくれる想い人はこの場にもういない。記憶は電源を都度落とすみたいに断片的に。世界が暗黒に包まれる幻覚に襲われるのだ、一人寒空の下、自らの体を抱きしめる。温もりはただの一つ分。こんなに寒かったのだろうかと、途端に体を震わせた。ガタガタと震えだし、血液がこれ以上流出しまいと力を込める。

 

 体じゅから血液が抜け切ったような感覚に襲われながら、自室へと辿り着く。そこに飛び込む慌てたような北上さんの表情に、精一杯の表情でごまかして見せたが、付き合いの長い彼女を騙せるはずがなかった。しばらく時間が欲しい、現実を受け入れるだけの時間が。今の自分には何が幸せで、何が幸福かなんて考えたくもない。そのまま闇に飲まれるように眠りについた。

 

 

 





将来にむかって歩くことは、ぼくにはできません。将来にむかってつまずくこと、これはできます。いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです。

今日から毎日うんちします。


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生奪与奪魚雷娘



大井の異変に気が付いた北上は、一直線に執務室へと向かう。そうとは知らない提督は、陸奥を秘書艦に任命したことでもうメロメロ。業務も終わり、なんとも陸奥を引き留めようとあの手この手を使うがほとんど相手されず。失意の内に部屋の明かりを消す提督に静かに激昂する北上と相見える。

パソコンで三行。スマホで六行ちょい。

初期プロット百三十四字の物語に、以下ほどの価値があるのだろうか。


 

 

 提督と付き合い始めてから、二人で出かけることが減っちゃったけど、それはもう親友のためだから仕方ないよね〜。寂しいけど大井っちにこのことをいったら心配かけちゃうから、おいそれと口に出せないんだよね〜。まあ、大井っちが幸せになるために必要な経費みたいなものだから、大人しく受け入れるとしよう。

 

それにしても大井っち遅いな〜。大方提督とイチャコロしてるんじゃないかと北上様は睨むんだけど、帰ってきたらあっためてあげよう。抱きつく前から顔が赤かったらビンゴ。抱きついてから赤くなったらハズレ。さぁ張った張った〜私はイチャコロに間宮羊羹一年分を賭けちゃうよー。

 

一人で盛り上がる北上は、入浴をすでに済ませて寛ぎムードだ。夜食は太るだろうと言わんばかりに包装紙付き羊羹を口に咥え、ベットの上でうつ伏せで足をパタパタ。形として雑誌を広げ、脳内で賭け事の真似事をしていた。当然予想が外れたといても、北上が何かを失うわけでは決してない。

 

寒く冷え切った体で大井が帰ってくると予期した北上は、遊び心と親友の生還を祝して、奇襲作戦を立案したのだ。それにしても遅い、今夜は帰ってこないつもりかな? と冗談と本気半々を思い、次のページに手をかけた。

 

 ガチャ

 

 パチンと、音を聴くや否や両手を合わせ雑誌を閉じ、いつもの調子でやんわりと出迎えようと顔をあげた北上は絶句した。飲み込もうとしていた羊羹が喉手前で停止して、気道を少しの間塞いだことで皺を寄せた。すぐさまねじ込んで、顔面蒼白といって差し支えない大井に駆け寄る。

 

 

「え、大井っちど、どうしたの? な、何か……何かあった?」

 

 

 北上の呼びかけにゆっくり顔を向ける大井は、照明の光すら跳ね返してしまいそうな、血の通っていない口元を動かした。

 

 

「北上さん。どうしました? 私は大丈夫ですよ」

 

 

「え、でも誰がどうみたって……」

 

 

「部屋の電気消しちゃいますね」

 

 

「ちょ、ちょっと待ってよ、ちゃんと答えて! お願いだから!!」

 

 

「なんですか北上さん、私は眠たいんですよ。明日のあさにしてくれませんか?」

 

 

「また一人で抱え込むつもりなの!? 大井っちもいなくなっちゃったら、私……私」

 

 

「ぁあああ!! もううるさいんですよ!!」

 

 

 突如として奇声を上げる大井は髪の毛を掻きむしり、押さえ込んでいた不機嫌を爆発させた。私の至り知らぬ所で何か恐ろしいことが起こっていると、戦場での感覚冴え渡る北上に、撤退の二文字はない。いつもなら本人が話してくれるまでじっくり北上だったが、この時ばかりは余裕がなかった。

 

 

「ねえ、何があったの? 言ってくれないと分からないよぉ……」

 

 

「北上さんが安心したいだけですよね?」

 

 

「ぇ?」

 

 

「私に話して欲しいのは、私ではなくて北上さんが安心したいから。そんな自分本位な理由ですよね?」

 

 

「な、なに言ってんの大井っち」

 

 

「私がいなくなると安心して指揮できないから……そんな自分のために心配してくれてるんですよね?」

 

 

「違うよ大井っち!! 私はただ大井っちが心配で……」

 

 

 直後暗くなる部屋。話はまだ終わってないだろと大井に接近する北上は、次の瞬間床に伏していた。暗闇からの攻撃。当然大井がそんなことをするとは、頭のどこにもなかった北上は後方に倒れる。幸い怪我はしなかったものの、北上を後方に押し除ける、力強い一撃だったことには変わりない。

 

普段向けられるはずのない大井の攻撃に、北上は心と体に大きなダメージを負った。決して自分が何をしても話してくれないのだとわかってしまったその瞬間、なおも食いつく気力は底を突く。この暗闇の部屋でしばらく動けず、ただ大井が布団に潜る音でしか、これが現実であることを認識できずにいた。

 

ゆらりゆらりと、まるで幽霊のように立ち上がった北上は、大人しく明日まで待つなどといった消極的選択を取るはずもなく。全ての事情を知っているであろう提督を求めて、執務室へと舵を切る。

 

廊下の光が部屋に差し込み、暗がりの世界の一部を光が照らす。親友がベットで息絶えている様を心配そうに見つめた後、決心を持って光を閉ざした。……とりあえず、まずは制服に着替えよう。

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

「よ〜し今日の業務終了ー。お疲れ様、陸奥。それにしてやっぱり早いな〜おかげでいつもより早く片付けられたよ。いや〜陸奥がいてくれると本当に助かるよ、ありがとね」

 

 

「……はい」

 

 

 執務室では、秘書艦である陸奥と提督が業務終了の鐘を鳴らし、後片付けの段階に入っていた。夕食を済ませた午後十時。朝が早いものはすでに夢の中だろう。明かりがポツポツ見える窓を眺めながら、提督は心底楽しそうに陸奥へのおべっかを不自然に進める。

 

対する陸奥の反応は薄い。まとわりつくように、一方的に喋り続ける提督にうんざりは言い過ぎな気がするが、良い気分ではなさそうだ。所定の位置に納め終わった陸奥は、提督が未だに片付かないのを見て手元を遊ばせる。このまま退出するのは流石のは、提督に冷たい態度で応対する陸奥であっても憚られたのか、決して提督に近づく事はせずに静かに見守っていた。

 

 

「よし、終わったな。この調子で、また明日もよろしく頼むよ。この時間帯だとまだお風呂は空いてるよな? 急いだ方がいいんじゃないか?」

 

 

「えぇそうね……おやすみなさい提督」

 

 

「あ、あぁそうだな。おやすみ陸奥、また明日」

 

 

 ヒラヒラと手を振る提督に、陸奥は体の前で小さく控えめに手を振り返し、静かに執務室を退出して行った。足を音が遠ざかっていくのを確認した後、提督はヨッシャー!! とガッツポーズを決める。

 

今までの関係性から、少しづつ昔に戻りゆく様を自覚した。やはり陸奥を秘書艦に任命したのは英断であった。いや、本当なら前線に立ちたい気持ちがあるであろうと知った上での人選。正直賭けに近かったが、どうやらその賭けはうまく運んだようだ。

 

喜びのあまり、書類を仕切りに整える意味のない行動をしばらく続ける提督だったが、明日も早いんだと気持ちを切り替えて、いいかげん書類を触るその動きを止める。やり残しがないことの最終チェックを済ませ、自分も風呂入って寝ようと執務室の照明を消した時だった。何か重くて片芋を引きずって運ぶような奇妙な音が耳に届く。

 

 ? 

 

 石臼とまではいかない、ゴリゴリではなくズリズリとした音が近付いてくる。季節に不釣り合いな怪談かなんかかよと鼻で笑えば、不思議な音は扉の前でピタッとやんだ。変な汗が出てくるのも構わずに、ノックもなしに扉は開かれた。月明かりが差し込む暗い部屋の中で、廊下からの光が入り込み人影が侵入してくる。後光がさして見えずらかったが、じきに目も慣れてくると誰だかはっきりわかった。

 

 

「……なんだ北上か。ど、どうしたんだこんな夜遅くに」

 

 

「ん〜?」

 

 

 しつこく付き纏ってきた大井のことが頭に浮かび、反応が遅れてしまった。……もしかしたら嗅ぎつけてきたのか。いや、ここは正直に話すべきだな。大井に比べれば、北上は落ち着いていて理性的判断が効くやつだ。流石にわかってもらえるとは思っていないが、優秀な戦力を気まずいまま置いておくのも不味い。ここは謝罪するタイミングと見て、素直に打ち明けるのが吉か。あまりの伝達スピードに驚愕。まあ、付き合いも長くて同室なら気付かない方がおかしいか。電気は点けず、神妙な面持ちで次の句を探していると、提督はある気付きを得る。

 

 

「あれ? 北上風呂入ってないのか? 確か出撃の類はなかったはずだけ……ど」

 

 

「ちょっと提督に聞きたいことがあるんだけどね?」

 

 

 北上が何を引きずっていたのか、今になってようやく気付いた。いま北上が片手で引きずっているのは、彼女の相棒とも言える存在、九三式魚雷そのものであった。それも艦娘装備用の、五連装発射管に収まる小さなサイズではなく、彼女らの訓練ように作られた特別性。爆薬は一切入っていないが、鈍重な印象を受ける。

 

 

「いや、それ、なんで……」

 

 

「ん〜ちょっと黙っててくれないかな? 今から私が質問するから。もしも気に入らない答えが返ってきたら殴っちゃうからね〜」

 

 

「お、怒ってるのか北上?」

 

 

「聞こえなかったのかな? 聞かれたことにだけ答えてね?」

 

 

 いつも通りの調子でありながら、その語感には鋭いものを感じられる。どうやら相当頭に来ているようだ。これは発言を選ばないと、頭をかち割られかねないぞ。ダラダラと汗を流しながら、部下の反乱に戦々恐々とすると、ピンと背筋を伸ばし姿勢を正した。それに満足げに微笑んだ北上の目は笑っていない。一段落ついたところで北上が質問を始める。テーマはもちろん……。

 

 

「大井っちの様子がおかしかったんだけど、何か心当たりがあるんじゃないかな?」

 

 

 ほら来た。早速来やがった。

 

 

「心当たりがないといったら嘘になる。大井とはその……行き違いというかなんというか、カッとなって手を出してしまったことは認める……悪かった」

 

 

「それ私にいっても意味ないじゃん。ねぇふざけてるの? 痛みが伴わないと理解できない?」

 

 

 魚雷を振り上げる北上に、まてまてと手を振って焦る。あんなのを食らったらひとたまりもない。反論したいところだが、ここはまず罪を認める形で相手に従おう。下手に北上を刺激してしまえば、それこそ流血沙汰になってしまう。一応の許しは下り、ふっと力が抜かれた魚雷は、地面に先端を叩きつける。ドスンと、床を大いに軋ませた衝撃波が足裏を刺激すれば、一筋の汗が額を伝った。

 

 

「で? なんで手を出したの」

 

 

「それは……大井が突然、恋人の真似事を始めたから……。陸奥との仲を裂きたいんじゃないかと思考が回ったら、無性に腹が立って来て……気が付いた時にはもう……」

 

 

「は? 提督は大井っちが好きだからカッコカリの指輪、渡したんでしょ? ボケてんの?」

 

 

「何いってんだよ、あんなの戦力アップの道具……」

 

 

 口を慌てて押さえたがもう遅い。予想の斜めに向かい出した衝撃の真実に、カタカタと魚雷が音を立て始める。謝罪の言葉ももう間に合わない。提督は重い一撃を覚悟して目元をひくつかせていた。息を盛大に吐き出した北上が、最大の軽蔑を提督へと向けると、やってらんないと魚雷を提督の前へ放る。

 

 

「私達は提督のコレクションかなんかなの? 憧れの人にだけいいようにされれば他は関係ないの? こんなクズ野郎の提督が、陸奥とくっつくとは思えないけどな〜」

 

 

 瞬間何かが振り切れて北上の襟を掴み寄せた。利き手は平手打ちの体制をとって、あぁこれでは大井の時と同じではないかと落胆する。北上は伸びた手を振り払い、馬鹿にするようにフフっと笑った。

 

 

「もういいや、くだらない。飛ばしたいなら飛ばせば? いつも提督がやってるみたいに」

 

 

「……いや、今回の件は不問にする。俺も見苦しいところを見せたからな」

 

 

「……それで優しくした気にでもなってるの? そういう中途半端さが気持ち悪い。二度と話しかけてこないで」

 

 

 嫌悪するようにそう吐き捨てると、魚雷を微塵も気にする様子なく荒々しく執務室を出て行った。一人残された提督は、長らくその場に立ち続ける。自分が取り続けた選択の結果とはいえ、面と向かって言われてしまえば、気にしないほどに面の皮は厚くない。夜は更けていく。

 

 

 



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束の間の夢


暗転編まえに、新たにうんち挿入しました。

うんち合体! やってくれたね!!


 

 

 

 いまでも忘れはしない、現世へと目覚めたその日。

 

 私は複数の人間に取り囲まれていた。

 

 決戦装備、完全武装といえばいいのか。鉄板を仕込んだ盾を前面に押し出され、重苦しい装備を体に纏わりつかせて。見るからに拒絶するようなその態度に、私はなにも感じないでいた。

 

 けれどふと頭をよぎったのは、同型艦の存在。私と同じように意識を覚醒させて、この現世で同じような扱いを受けているのかもしれない。そんな考えを浮かばせれば、下の木曽に、一つ上の北上、多磨、球磨姉さんに逢いたい気持ちが強くなっていった。

 

 けれど、他の球磨型の行方を聞けるような空気ではない。仕方ないので、ゆっくり片腕を掲げ脅威ではないとアピールしつつ、所在を尋ねようと口を開いたら。

 

 

 バチン

 

 

 盾の隙間から筒状のものが出て来たと思えば、砲塔のついた手が後方へと運ばれる。

 

 銃弾じゃない、ジンジンと痛む、なんだろうこれ。連続音。後方へ運ばれる体。直後盾は迫って来て、拘束具をつけられていた。その時の待遇に、怒りがわかなかったのかともし質問されたのなら、私は迷わずに"NO"と言える。

 

 鬼畜米英と、敵兵憎しで教育され鍛え上げられきた。何に怯えているのかこの時はわからなかったが、少なからず日本人の面影を残す彼らには、一切の抵抗感が湧き出てこなかったのだ。

 

 

 

 その後、どこか既視感を覚える島に軟禁される形が取られた。

 

 その島では、私はまるで地球外生命体のような待遇を受ける。そんな日々が一ヶ月二ヶ月三ヶ月とたった後は、久々の海風を感じることができた。綺麗だった。間違いない。島の容姿は変わっても、ここは紛れもなくあの時の海、あの時の空。

 

 空は天辺から、青を落として段々と、水を含ませ最後を白で締めくくる。雲はただ悠然と、陽の光で濃淡を作りながら、立体感を強調する。海はただ粛々と、過去の声を細波に隠す。視点は今とは違うかもしれないが、ここには間違えなく見覚えがあった。

 

 

 

 

 

 撃って、触られて、食べて、寝て。撃って、触られて、食べて、寝て。撃って、触られて、食べて、寝て。

 

 一体何度繰り返すようになったのだろうか、その内に数えるのも面倒になった。

 

 小さく完結したこの世界で、私は自我を殺して職務を全うするのだ。すべてはかつてと同じく、国を守護するため。外部からの情報は一切入ってこない。"余計なことは考えなくていい"と言われてしまえば、外界の様子を知りたい気持ちにも蓋を閉じざる終えなかった。

 

 勝利を重ねているのかも、敗北に追い詰められているのかもわからない戦局に、けれど私の存在が大いに意味をなしているのだと信じて。嬉しさは少ないが、悲しさもそれだけ少なく。もう何度わたったかわからない島の概要に、後悔や悲しみ、感慨深さは薄まっていた。

 

 他の艦娘と呼ばれる存在とは一切交流を絶たれ、ゆっくりと朽ちていくように私の日々は過ぎ去っていく。そして、ようやく暖かくなって来たなと季節の感想を思い浮かべた朝。退屈な刺激のない日常は尊く終わりを告げる。新しい装備一式を受領し、気がつくと私は最前線に立っていた。そんな時だ、彼女に出会ったのは。

 

 

「へ〜いきなり最前線か〜、いや〜大変だね〜そりゃ。ま、同型どうし仲良くしようよ。あ、わたし北上。まよろしく」

 

 

 その人の感想は、よく喋る人だなと思ったのが始まり。最初のうちは気にしていたはずの姉妹艦も、目の前にするとどうすればいいのか困ってしまった。ろくに艦娘と関わり合いなんてなかったから、どんな態度で接していいのかわからない。

 

 でもこれだけは言える。北上さんは他の艦娘に愛されている、私なんかよりもちゃんと人間味があった。私なんかよりよく喋って、私なんかより感情豊かで、私なんかより優しかった。私にできることといえば、ただひたすらにデータを取りつづけてきた経験と戦闘力ぐらい。実戦での感覚を掴んでいく中で、北上さんは私の憧れになった。

 

 

「私、魚雷って嫌いなんだよね〜」

 

 

 唐突に始まる会話は、最初こそ戸惑いもしたが、慣れてくると日々の楽しみの一つとなっていた。

 

 黙っていても、基地にいる様々な艦娘が彼女に声をかける。私なんかよりも、もっと仲の良い友人もいるだろうに。私なんかと一緒にいて、楽しいのだろうか。そう思いさえすれど、口に出すことは決してなかった。

 

 ある時、作戦のミスで旗艦が轟沈。基地では新たな旗艦候補の選出を執り行う事となった。旗艦だけの喪失は珍しい話ではない。チームを率いるリーダ的存在で、いい意味でも悪い意味でも下についた艦娘の運命を握っている。

 

 そんな責任重大の役職で、一人でも欠けるものが出てしまうと、どうしても責任を感じずにはいられない。激しい戦闘の末、旗艦が一人で帰ってくるようなことがあれば、口には出さないものの、みな心のどこかではどんな気持ちを飼っているのかは、想像に難しくだろう。

 

 たとえ提督が旗艦の任を解かなかったとしても、自主的に旗艦の位を破棄する艦娘は後を絶たない。そんな中で手をあげる変わり者の運命は、最終的に心を折る・耳を塞ぐ・罪を背負いながら戦い抜くこのいずれか。そんな状況で立候補者など出るはずもなく……。

 

 

「は〜い、私やっちゃおっかな〜」

 

 

 終始ゆるい声色に目を見張った。ヒラヒラと手を掲げながら、なんとも学級委員の立候補の調子で北上さんは名乗りをあげた。まるで誰にも推薦させまいと自ら首をくくるように、私にはそう見えてしまった。

 

 無力。久しく味わう絶望。しかし、意地悪な質問をするなら、究極的には誰に殺されたいか。そこに北上さんの名を上げてしまう自分に、なおさら自己嫌悪を味わうだ。新しく艦隊は再編されて、北上さんは新たに旗艦に君臨する。もちろん新任の経験不足で失敗も多かったが、やはりというべきか、志願者は規定をたやすくあぶれさせた。

 

 

「いや〜モテモテで困っちゃうね〜。どお? 大井っちも私に惚れてみない?」

 

 

 強い人だ。こういう人が戦局を動かすんだ。私のような、人間味の薄い人間ではなくて、あなたのような眩しい光が海を明るく照らすのだ。自惚れていた。私の居場所は、もうこの世界のどこにもないではないか。生きながら死んでいる。北上さんには敬愛を超えて、後ろめたさを抱くようになっていた。あの日までは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦場に絶対はない。

 

 北上艦隊から戦死者がでた。

 

 

 

 そして……。

 

 

 

 

 

 北上さんは相変わらずだった。

 

 

 

 

 

 悲しむ様子のない北上さんを、基地の多くの艦娘は見限った。

 

 "多く"と表現したのは、少なからず私と、同じ艦隊メンバーはそんなことをしなかったから。強い人だ。悲しんだって死者は蘇らない。それは生者としてはあまりにも合理的で、しかし艦娘としての心が理解を拒む論理であった。

 

 引きずりおろすことはせず。なぜなら旗艦は貧乏くじ。誰かに押し付けなければ、押し付けなければ。そんな彼らを非難する資格なし。なぜなら、私は踏み出さなかったから、その一歩を。後ろめたさ、後ろめたさ、後ろめたさ。ついに私は耐えきれなくなり、北上さんを遠ざけた。私には北上さんを支えてあげる力も、資格もない。もっと暖かい、それこそ北上さんを考えてくれる人がそばにいてあげるべきだ。私はあっち側なんだから。そうやって、背を向けた。

 

 

「そっか……大井っちも私のこと嫌いになっちゃったかー。そっか〜……」

 

 

 そんなわけないだろう。

 

 でも、なんて声を掛けて励ませばいいかなんて、人間味のない私にはさっぱりわからなくて。けど嫌っているわけじゃないんだと言葉にしたくて。結局それは自分勝手の傲慢の極みで。

 

 振り返る権利なんてないはずなのに、体は元来た場所へひるがえり。ズンズン肩を切って歩く頭には、計画なんて全くなくて。けれど北上さんを前にしたら、小動物のように小さく震えながら、目をつぶってありとあらゆる行為に耐えようとしていた。

 

 それを見てしまったら、もう……。

 

 言葉なんてない。励ますことすらおこがましい。そんな北上さんと対極に位置する私でさえ、抱きしめずにはいられなかった。北上さんをしっかりと手中に収めると、腕の中でビクリと体を震わせて、やがて小さくなった。

 

 なにやってんだわたしは。なにしてるんだ。なんでわたしは抱きついてるんだ。罪の懺悔のつもりなのか。わたしはあなたの味方だよとでも言いたいのか。どの口が、誰に一体、誰にいった。

 

 弱い、無力、偽善にもなりきれない。なんなんだこれ。なんだこれ。ことの終始、なにかが発せられることはなく。ただひたすらに心は揺れ動く。いつの間にやら大井は強く抱きしめて、涙を流していることに気がつく。私が泣いてどうすんだと、顔を拭うために離れようと、力を緩めるその体を今度は北上が抱き寄せる。

 

 

「あはは、大井っちが泣いてどうするのさ。でも、乙女の涙を見ることは重罪だよ。だから……もうしばらくこのままで居させて?」

 

 

 スンスンと鼻を鳴らす大井は、コクコクと頷いて了解を告げる。ナニかを形にしてあげなければ気持ちが伝わるわけでもなく。ナニかを言葉にしなければ想いが届くわけでもない。ただ側にいるだけで、救われるナニかもあるもんだ。北上が静かに泣いていることに、大井は最後まで気づけなかった。

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

「ま、私と大井っちとのコンビなら怖いものなしでしょ。どこも地獄みたいなもんだけどさ〜」

 

 

 北上さんはそういってカラカラと笑う。その後しばらくして、私たちは揃って転属願いを提出した。

 

 未だ予断を許さない戦局。けれども予想に反して、この願いではあっさりと通過した。なんでも、水雷戦隊の設立にうまく引っ掛かったようだ。運命はどう転ぶか直前までわからないらしい。

 

 向かうは最前線、激戦区、南方資源地帯。これが私の生きる理由。自分のために生きれないなんてかわいそう、そんなことを思う人がいるなら間違っている。生きる理由さえ見出せたのなら、私は笑顔で死地に赴くのだから。

 

 

 





あと何話か確定していませんが、大体13話ぐらいかな?(ガバガバ計算)

今月中に終わらせよう。

そしてはじめてウンチを完結させよう。


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夢のつづき

 

 

 

 懐かしい夢を見ていた気がする。

 

 重たい持ち上げるとベッドから起き上がって、カーテンを覗いてみた。

 

 空は未だ暗い、変な時間帯に起きてしまったようだ。……そういえばお風呂に入っていなかったんだ、シャワーを浴びよう。……昨日の夜は北上さんにひどいことをしてしまった。一晩たって、だいぶ気持ちの整理もついてきたので、北上さんが起きてきたらしっかり話をしよう。

 

 そうやって、北上のベットに近づいた大井は、髪を撫でてやって一人静まる。"ごめんなさい"と動くその口は、果たして本人を目の前にして正常に稼働するのだろうか。朝はとても冷える。

 

 

 透き通るような冷たい空気は、鼻から入り喉へと、そして気管と動きが手に取るようにわかる。新しい空気を少なく入れ替えて、考えてしまうのはやっぱり提督のことだ。

 

 親しき仲にも礼儀あり。私は、その礼節を大きく書き損じてしまったのだろうか。やはり、冗談でも秘書艦にしてくれというべきではなかったのだろうか。あの怒りに満ちた顔は……やっぱり私が悪かったんだろうな。

 

 早朝となるこの時間帯は、お風呂を使えるのは出撃帰りの艦隊のみ。ので、シャワーで済ませるしか選択肢はない。水気で抵抗感を覚えるコックをキュッキュと鳴らし、真水を穴から降らせるのだ。

 

 冷たい。

 

 神経に触る温度だ。

 

 頭に修行僧を思い浮かべながら、贖罪の気持ちで温度が入れ替わるのを待つ。ただ水に打たれ、水に落ちる音が鼓膜に至る。密閉された空間は、反響を繰り返しタイルに湿った音を届ける。

 

 疲れた。まだなにもしていないはずなのにどっと疲れる。こんなことでは先が思いやられるではないか。水をすくうと顔に叩きつけ、景気づけに何度か繰り返す。眠気はもうとっくになくなっていた。

 

 稼働し始めた空っぽの頭で考える。仲がいい二人の間に入っていく自信はあるのだろうか、もうチャンスはないのではないのだろうか。いや違う。あれは私がいけないんだ。私が提督を怒らせてしまったんだ。今まで楽しんできたバツなんだ、これは。

 

 でも大丈夫。彼とはそれこそ長く付き合ってきた。たとえ古くからの付き合いが相手だとしても、私は彼の側にずっといたんだ、今はただ昔馴染みがこうじて特別な仲に見えるだけ。私が陸奥さんのポジションだったらとか変な妄想はなしだ。

 

 そう、まだ大丈夫、まだ間に合う。きっとこれは試練なんだ。でもこれを乗り越えることが出来た日には、今とは比べ物にならないくらいに幸せになれる。いつだってそうだ。私は運がいいんだ。あの地獄の日々をくぐり抜けてきたじゃないか。そのことは一番自分が理解しているんだ。だから嫌な考えはここで流し切って、提督にとびっきりの笑顔を見せてやるんだ。

 

 誰もが羨むような夫婦に。私がいて、彼がいて、北上さんが穏やかに暮らせるそんな日々。イバラの先に、光がポツリと見えている。大井は光に向かって必死に手を伸ばし、悲劇的なヒロインの劇的な幸せを空想する。その光がただの錯覚であることなど、口が裂けても絶対に、言語に出来ないといい張って。

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

「ん、んぅ〜?」

 

 

「あ、北上さん。おはようございます」

 

 

「ぁ……お、おはよう大井っち」

 

 

 顔を突き合わせて北上さんに挨拶する。いつもなら動じない北上さんも、流石にうろたえているようだ。体をひっこませ立ち上がると、両腕を広げる。

 

 

「さあ北上さん!! あわれな大井に、罰を与えてください!!」

 

 

「ぷっあっははは。大井っち声大きいって、うるさいって壁ドンドコされちゃうよ?」

 

 

 ただ謝るのでは空気が重くなってしまう。それなら自分からネタにする勢いで笑いに変えてしまおう。少しだけ不安があったが、やってしまえば容易かった。北上さんがちゃんと向き合ってくれたことも成功の要因だ。安心して笑みをこぼせば、広げた腕を下ろすはずだったが。

 

 

「でも、お仕置きは必要かな〜?」

 

 

 ガッチリ腰に腕を回されたと思えば、ベットへと引きずり込まれる。そのまま二人でじゃれあって、あたりにホコリが舞うのなんか構やしない。なんてことない、いつもの日常を取り戻したのだ。これに気分はよくなって、提督との仲も修復できるんだと自分に言い聞かせると、なんだか未来への道が開けていくような気がしてきた。総員起こしのラッパが響く。北上さんの準備ができてないと退こうとするのを引き止められる。

 

 

「いいよいいよ、気にしないでさ」

 

 

「そ、そんな……。いえ、午前の講義に間に合わなくなりますよ?」

 

 

「う〜んそうだ大井っち、あの時みたいなノリで軍属辞めちゃおうよ。ね? 絶対そうしたほうがいいよ、絶対!」

 

 

「!? 北上さん一体なにいってんですか? 私たちがここを離れる理由なんてないじゃないですか」

 

 

「この鎮守府にいると絶対大井っち不幸になっちゃうよ。だから、ね? 一緒にこんな場所抜け出そうよ、ね?」

 

 

「……なんでこの鎮守府から抜け出したいんですか?」

 

 

「そりゃだって、ここの提督大井っちに優しくないよ」

 

 

「……提督が気に食わないからここを去りたいんですか?」

 

 

「だってあいつ……自分のことしか考えてないクズ野郎だよ? 絶対大井っちのこと幸せにできないし、なんならあいつには好きな人が……」

 

 

「提督はクズなんかじゃありません」

 

 

「え? だってあいつ大井っちに手「あれは私の責任です」いやでも!! 「あ……」へ?」

 

 

「もしかして北上さんも提督のことが好きなんですか? そうやって諦めさせようとする作戦のつもりなんですか? まあでも提督は優しくて、かっこよくて、私なんかじゃ簡単に釣り合わないのは認めますけど」

 

 

「な、なにいってんの大井っち。大井っちちょっとおかしいよ」

 

 

「おかしいのは北上さんの方ですよ、なんですかいきなり、私の人生設計を狂わせる気ですか? 北上さんも腹の底では私のことバカにしてるんですか?」

 

 

「そ、そんなわけないじゃん」

 

 

「じゃあ朝ごはん食べにいきましょう。それで今までのことはなかったことにしましょう」

 

 

 大井は起き上がると手を合わせて、暗にこの鎮守府に残る意志を伝える。北上は親友が、ある日唐突に違う生物にでもなってしまったような気持ち悪さを覚える。

 

 不幸を周囲に振りまいて、その上彼女らの幸せすら吸い取るのか。ヒルのように、血液が固まらないように体液を流し込んで、知らず知らずのうちに寄生されるんだ。許せない。あいつだけは、本当に殺してやりたい。それほど腹わたが煮え繰り返る。あぁクソが、絶対にわたしが守ってあげなくちゃ。あいつのせいで大井っちはおかしくなってしまったんだ。大井に合わせようと無理に笑ったその顔は、よく見ると苦痛に歪んでいるのだった。

 

 

 朝の食堂。だいぶ出遅れてしまったので、もうほとんどのメニューが残っていない。残りは昼食へのつなぎである軽食程度だ。両名は戦闘糧食として優秀なおにぎりとたくあんのセットを注文し、遅れを取り戻すように口へと運んでいた。そこに朝食を食べ終わった提督が大井の目に入った。いつもなら駆け寄って、自らの欲望に忠実に再現して見せるのだが……この時ばかりはどうやら違うようだ。

 

 

「!? ……」

 

 

「……」

 

 

 一方は好物を目の前にぶら下げられた子犬のように小さくはしゃぎ、提督に微笑みを浮かべて控えめに手を振る。一方は提督の姿に興醒めしたと言いたげに視線を外し、たくあんを口に含んで親の仇のようにボリボリと咀嚼音を発した。

 

 かつてと全くの逆の反応と情報の多さに、提督は一瞬歩みを止めるが、大井に対する後ろめたさが、期待に答えるように動き出した。どこかよそよそしげに顔はうつむき、まるであっちいってくれと心で訴えているようにも見えた。北上を視界に入れるのは恐ろしく、厨房の方に目配せしながら逃げるように去っていくのだった。残された二人の間には、見えない溝が完成していた。

 

 

 



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裏での密談ほど、当事者に疎外感を与えるものはないんだなこれが

上手く話が練れない。

ウンチに上手いもクソもあるのか?


 

 

「あ、提督。おしゃべりですか?」

 

 

 今日は流れ的に軽巡の日。道端で出会った提督と、会話を重ねることができるまたとない機会に、大井もなんだか嬉しそうだ。

 

 

「あ、あぁそのことなんだが……実は時間を取るから、今後は控えようと思うんだ。今度の作戦は激戦になることが予想されるから、陸奥と戦略を煮詰めて置きたいんだ。だから、その……すまない」

 

 

「なんで謝ってるんですか。私達を思っての行動じゃないんですか? だったらもっと胸を張って、堂々としていてください。その方が見ているこっちとしては清々しいですよ」

 

 

「いや……すまん大井。本当に、すまん」

 

 

「なにかお手伝いできることがあればいってくださいね? 出来うる限り協力しますから」

 

 

「本当にすまん。すまん……」

 

 

 横に控える刺さるような視線には目をつぶって。それじゃあと自責の念にかられながらの足取りは重い。あんなにキツかった性格は鳴りを潜め、もはや別人と言われても納得してしまう。

 

 思えば人の思いを踏みにじる毎日であった。たくさんの人に支えられてきたが、その多くを喜ばせるほどに自分は器用ではなく、人の思いを裏切り続けてきた。

 

 それも仕方のないこと、しょうがないこと、だって自分はそこまで強くないから。誰もに恩返しができるほどにできた人間ではなくて、でも誰かに自分を支えて欲しくて。

 

 何か心に決めた、常人では片手間ですませてしまうような目標を両手で抱え込まないと、なに一つ成し遂げられなくて。なにか自分を劇的に変えてくれそうな、一発逆転のハイリスクハイリターンの博打しか打つ脳がなくて、情けなくなる。

 

 それでもないもしないよりはマシだと自分に言い聞かせて、自転車をこぎつづけないとなにかがおかしくなってしまうんじゃないかと、そんな気持ちに押し潰されそうになったりして。

 

 誰でもいいから助けてくれ。

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 出撃する艦隊を見送った後、執務室へ戻ろうと歩み始めた提督を、北上が待っていた。ピタリと足を止めた提督に、北上がついてくるようにいう。黙って後につづいていけば、北上は人目のつかない倉庫の中に姿を消していった。あれだけ話しかけくるなと念を押していたはずなのに、一体なんの了見だと提督はその内容を予測出来ずにいる。

 

 誰か目撃者はいないかと、扉から首だけ出して伺う北上は、その後に扉をピタリと閉めた。

 

 

「あのさぁ〜ちょっと時間いいかな?」

 

 

「……どうした北上、私用か?」

 

 

「私用もなにもちょっと見てらんなくてねぇ〜。まどろっこしいの嫌いだから単刀直入にいうね? 私達二人を転属させてよ、場所は問わないから。これは最後通牒だよ」

 

 

「いや、残念だがそれは出来ない」

 

 

「は? まさか死ぬまでこの場所に縛り付ける気?」

 

 

「そうはいってない!! 太平洋での決戦が終われば、どこへでも好きにいけばいいさ。だが逆に、それまではどんな権力を行使しても難しい。今はどこもピリピリしているからな」

 

 

「ふ〜んあっそ」

 

 

 始めから期待などしてなかったかのように、髪の毛を触って興味のなさそうに答えると、"じゃあ"と口を開いて次の案を提出する。

 

 

「取引しようよ。提督の恋路を手伝ってやるから、大井っちに近づかないで」

 

 

「俺だって自分から大井に近づくことなんて全くないんだ! 向こうから近づいてくるのにどうやって……」

 

 

「あ〜もううるさいなー。拒絶してよ、それが一番手っ取り早いから。提督のまどろっこしさは見ててイライラするんだよね。得意でしょ? 嫌われるの。存分にやっちゃってよ」

 

 

「北上からは、大井にいって聞かせられないのか?」

 

 

「それが出来たらお前なんかと面と向かって話すわけないでしょ? なに? 人の神経を逆撫でする天才なの? ほんとムカつくなぁー」

 

 

 笑みを浮かべながらの罵倒の言葉は、なんだか真に迫る物がある。本当に嫌われているんだな、俺。そんな今更な感想を抱かずにはいられなかった。しかし、本当に陸奥とくっ付けてもらうなど可能なのだろうか。もし自分なら嫌いな相手のために全力を尽くすとは考えづらい。交渉にしてはあまりに対等さを失っている気がする。 

 

 

「……しかし本当に陸奥との関係性を手伝ってくれるのか? こういってはなんだが、俺たちの間に信頼のしの字もないだろう?」

 

 

「大井っちが提督に拒絶された程度で諦めてくれればいいんだけど、まあ保険だよ。大井っちの幸せのためなら私は全力を尽くすよ、たとえ大っ嫌いな相手との取引だとしてもね。……私だってリスクのない話じゃないんだから察してよ」

 

 

 なるほど、大井への影響を担保に持ってきたか。少なくとも、ただ協力してやると言われるよりは何十倍も説得力がある。なにより協力者の存在もいないよりはマシか。常に最善を心がけなければ、目標達成など夢のまた夢。最悪、大井に密告すれば関係性を破壊できるネタができる。

 

 

「わかった、その提案を飲もう。……それで、具体的にはなにしてくれるんだ?」

 

 

「ま、少なくともあの感じを見る限り、提督のことを生理的に無理って判断しているわけじゃないっぽいから。会話かさねて、外連れ回して、告白……って感じじゃないの? とりあえず、二人の間の知りうる情報、全部よこして」

 

 

「本当に大丈夫なんだよなそれ。そんな適当なプランで、素直に頷くと思ってるのか?」

 

 

「少なくとも、進展の見られない提督の判断よりは当てにできるんじゃないの? どうせこの戦争終わったら、はい解散で二度と会えないかもしれないんだよ? 進展するか後転するか、二つに一つ。どう? ワラでも掴んでみたくない?」

 

 

「……わかった。それじゃあ……よろしく頼む」

 

 

 伸ばされる手をじっとみて、合わせて手を伸ばす北上は変わりに紙を握らせる。協力の握手に北上が応じるはずもない。もう用済みだと提督を置き去りにする足取りは、力強い。

 

 

 



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前進

 

 

 

 人気も少ない第二資料室で、北上を教師に仰いで指導と呼ばれる契約を実行に移す。真面目さの象徴である眼鏡を気怠げにつけ、教鞭にあたるものは精神注入棒で代用。

 

 ……ギャップ萌えだとかふざけたことを口にすれば、すかさず鈍器が飛んできて、打撲の怪我を負うんだろう。負うんだろうな……。

 

 任務の合間や大井がいる時の限られた空き時間に集結するためか、目を揉み込んでお疲れの様子だ。あれだけ不真面目な印象が強い北上がここまでやるのは、大井のなせる技なのか。二人揃って、本当に面倒事な魚雷だな。

 

 

「渡した資料はちゃんと読んでくれてるのか? あまり進捗の方は聞いてないんだが……」

 

 

「私だって大井っちに勘付かれないように、自室じゃなくて資料室でわざわざ読んでるんだよ? こっちの苦労も考えてよ」

 

 

「あ、そうだったな。悪かった」

 

 

「……はぁもういいや、でも方針は決まってるよ。一歩一歩目標に近付くには、なによりも心を開いてもらうのが必要不可欠」

 

 

「だがどうやって心を開かせる」

 

 

「それは……二人の共通点とか? 楽しく会話するとか、そんな感じ? まあそこはなんとかしてよ」

 

 

「やけに大雑把なアドバイスだな……」

 

 

 心を開かせるために、共通の話題を出して会話を盛り上げる。

 

 それが北上が提言した、対陸奥戦略の前哨戦にあたる部分であった。といっても、もうすでに共通認識の昔の話である鎮守府運営全般、仕事関連の話は喋り尽くした。こいつ仕事の話ばっかかよと思われるがいやで、世間話を混ぜながらなんとか引き伸ばしてきたが、どうやらそれがいけないと指摘を受ける。

 

 いわく、相手の好きなモノで興味を引いて、そっから話を膨らませろと。出し惜しみするな、全力であたれ軟弱野郎とアドバイスを受けた。

 

 北上の口の悪さは変わりなく、あんまり趣味とかそういった個人的な類の話はタブーに触れる気がしたので、怖くて今まで手が出せずにいた。こんなことでは会話にならない。なにかないかと頭をひねると……ああそうだ、とっておきの話題がある。

 

 もっと仲良くなってからと出し渋りをしていたが、俺はとっておきの切り札を投入する決意を固める。よく彼女が口にしていた激辛料理を話題にあげよう。そうだ、思えば陸奥との接点を作りたくて、ろくに興味もなかった激辛を口に運んだんだ。激辛は今ではもう俺の本分。

 

 本当はもっと舞台が整ってから投入したい話題だったが、この際仕方ない。陸奥との橋渡しになった激辛を使って、会話を盛り上げていい雰囲気にしてやろう。そうと決まれば動きは早い。すでに一歩引いている北上がもう二度後方に引くほどに、提督は今まで集めてきたロードマップを掘り起こし、会話の流れに構築に着手するのであった。

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

「……少数でも大打撃を与える作戦要項。机上演習を始めましょうか」

 

 

 ハワイの周辺の地図を引き、アナログな象徴模型を用いて仮想空間での攻撃を開始する。

 

 最新のオワフ島の情報によれば、島全体の外見は、ハワイ攻略時と比べなんら変わりはないようだ。しかしこれは、もう二ヶ月も前になる話で、今もそのままなのかといった保証はない。最終決戦の動きは敵方も察知しているのか、前線では新たな敵増援の姿を見なくなったとの報告も上がっている。

 

 その余剰分の配備先は、言わないでも察せれると思うがハワイ周辺に分厚い防衛網を築くに至っている。大規模な支援でもないと強行偵察もままならないのが今の現状だ。ただ奴らが無策で正面からぶつかるとは到底考えられないので、これまでにない激しい戦いが予想されるな。

 

 

「戦力の逐次投入は愚行だが……我々の艦隊が敵軍に無視できないほどの打撃を与え、敵の本丸が出張ってきたところで、大将閣下率いる連合艦隊が先制攻撃権を得る。とはいえ、艦隊の規模を大きくすると撤退時に迅速な行動が出来ず、また逆でも一人頭に殺到する炸薬量は甚大だ。前提として、まずは航空機優勢を一時的にでも維持する必要がある」

 

 

「打撃の定義が曖昧ね。まずはそこからすり合わせましょう」

 

 

「そうだった。ここでいう"打撃"は敵艦隊ではなく、その生産設備およびその物資だ。いくら深海棲艦といえど、無から有を生み出すことはできまい。この作戦が失敗に終わっても、戦力の補充は遅らせることができる。追い詰められた奴らにとってそれは死活問題だ。人類側の設備を上書きしていることによって、その耐久度は外装に比べて脆いのは報告書の通り。沿岸設備は魚雷の射程で、内陸は主砲で吹き飛ばすことができる」

 

 

「けれど、接近し過ぎれば敵の懐に入りにいくようなもの。ここは戦艦の超射程、つまり私が突貫すべきです」

 

 

「……その結論は早すぎる」

 

 

「本隊の位置を悟らせないようにするには、敵の警戒網の外で待機しなければならない。とても敵中で救援が間に合うとはとても思えないわ」

 

 

「それならなおさら、戦艦を配備するのには反対だ」

 

 

「なんで私の肩を持つの? それほど恨んでいるとでも言いたいの?」

 

 

「いや! 違うんだ陸奥!! 何も君を恨んでいるわけじゃない! むしろ君こそ死に場所を探してるんじゃないのか!?」

 

 

「誰だって両手一杯に救える命があるのなら無茶だってするわよ。欲張りなんでしょ? 人間って」

 

 

「それを今この場で出しても意味はない」

 

 

「……お互いに駄目ね。つづきは明日に持ち越しましょう」

 

 

 御託をコネ回すが、結局は陸奥の命を一番に考えているだけだ。もしも百人の他人と陸奥一人ならば、俺は迷わず身内をとる。だって仕方ないだろう、赤の他人のために涙を流せるほど、俺はできた人間じゃない。

 

 両者は熱が入ってきてしまい。冷静な議論ができそうにない。よって、陸奥は会議の中止を具申した。提督もこのまましゃべっていても平行線を辿るだけだと同意して撤収の準備を始める。

 

 

「なぁ陸奥」

 

 

「……何かしら提督」

 

 

「犬と猫だったらどっちが好きだ」

 

 

「……どうしたのいきなり」

 

 

「犬派かネコ派か?」

 

 

「そうね……どっちかといえば。犬派かしら」

 

 

「洋食と和食だったら?」

 

 

「洋食?」

 

 

「カレーとハンバーグだったら」

 

 

「ハンバーグ……かな? ねえ、心理テストのつもりかなんかなの?」

 

 

「いや違う」

 

 

 大きなハワイ地図を手で丸めた提督は、そう一区切りおくとその場で止まった。陸奥にはすっとんきょんな提督が何を考えているのかわからず首を傾げる。

 

 

「今からハンバーグ食べに行かないか? 激辛のいい店を知ってるんだ」

 

 

「あなたから誘ってもらえるなんてね」

 

 

「昔みたいか?」

 

 

「いいえ。変わってるわよ、二人ともね」

 

 

 目を見開いて驚く陸奥は、激辛の言葉になおも驚く。昔みたいだなとちょっと笑って、提案を受け入れるのだった。

 

 

 



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偏愛編
ヤンデレの思考回路は異質なものではなく理解ある現実味のある行動だと私は非常にクルものがある(オタク特有の早口)



やだもぉ〜。文字数の多さでワシの好みバレちゃうじゃないの〜。


 

 

 

 最近の提督と陸奥さんの距離が段々と近くなっていること。それに比例するように、私のことを提督がキッパリと拒絶することが多くなったこと。はじめはめげずに付き纏ってみたりもしたが、最近は彼の前ではうまく笑うことができないでいる。

 

 そこにいい雰囲気の二人を目撃してしまうのだから、知らず知らずのうちに陸奥さんへの嫉妬が募っていった。そこは私の居場所のはずなのに。提督と昔からの戦友ってだけで特別扱いされて、あんなに楽しそうな彼の顔を向けられて、それでもどこか迷惑そうにしている彼女が妬ましい。提督に愛されているくせに、それをさも当然のように、むしろうんざりしているような顔の陸奥さんが憎い。

 

 しかし考えれば考えるほどに、自分がこの状態から提督に並び立つ情景が浮かばないのが一番残酷だ。私が彼女だったら、絶対に尽くす自信があるのに、それでも提督はそんなおざなりな彼女を追いかけ続ける。

 

 もう嫌だ、こんな状況。私がいくら提督に愛される努力を重ねたところで、全部が無駄なのか。そんな卒倒するような現実を前にして、滲み出てきた感情は怒りだ。これだけ私のことを振り回しておきながら、最後には昔馴染みに正妻の座を明け渡すなんて、なんて自分勝手な男なんだ。私に告白をしてくれた事実なんてない振る舞いをして、本当は私のことなんか頭にはなくて、陸奥さんが加入するまでの繋ぎだったのか。

 

 両者に向かった怒りの根源。ただ唯一の救い、北上は自分の味方でいてくれる絶対の自信が大井に正気を保たせる。北上さんに泣きつこう。そして新しい恋を始めるんだ。あんな正しさが備わっていない提督なんかに負けない、もっと素敵な男性に嫁いでやるんだ。そう固く決意した大井は、段々と提督から距離を取るようになる。

 

 提督が視界に入れば北上が遮るようになり、提督の声が聞こえれば、北上の音量が被せるように大きくなったり。そうやって、改めて北上さんという存在のありがたみを噛み締める日が続く中で、事件は起こる。

 

 きっかけは些細なことだった。北上さんが、普段ならしないであろうメガネをしていることを指摘した時だ。それに対する北上さんの印象が、すごく印象に残っていた。はっとしたかと思えば、さっと外して言葉はない。あれでいて、結構抜けた所のある彼女の行動に、その時は不思議と突っ込むようなことはなく、気にも止めないでそのままスルーしたが、今になって胸がざわつき始めた。

 

 休日が重なる時は、大抵部屋にいる北上さんが、最近は部屋にいないこと。いま私の唯一の依存先と言っても過言ではない北上さんの姿が目の見えない位置にいるのは、この時ばかりは寂しい気持ちが強く出てしまう。辺りを探すが姿はなく、人に聞いても目撃情報こそあるものの、その姿を明確に決定付けるようなものではない。普段なら来ないような、資料室を覗き込んで、やっぱりいないやと背を向けたその時、プレートもついてないような寂れた部屋から、誰かと会話しながら退出する北上さんを目撃した。

 

 

「とにかく、引き続き計画はやってもらうから」

 

 

 ピシッと指差した指が、室内に向けられて、場所もそうだがあの時のメガネをつけているところが気になった。こちらに気付いていない北上さんに声をかけるべく、ため息をつきメガネを外す彼女に駆け寄っていくと、驚くような顔をされる。

 

 

「北上さん探しましたよ。こんなところで、誰とお話しされてたんですか?」

 

 

「いや、ちょっとした作戦会議だよ」

 

 

「それだったら、私も混ぜてくれてもいいんじゃないですか?」

 

 

「い、いや〜大井っちにはあんま関係ないことだからな〜」

 

 

 慌てたように手元を回し、タハハと笑う北上さんがおかしくて笑みを溢すと、彼女は何かを探るようにこちらを見つめてくる。あれ、いつもと雰囲気が違うな、ちょっと恥ずかしいかも……。同じように見つめ返していると、北上さんが始めに折れた。

 

 

「もう用も済んだしさ、帰りに間宮さんの所よってこーよ。ね? ね〜?」

 

 

「こんなに北上さんの押しが強いのは初めてかもしれませんね。いいですよ、甘いもの食べて帰りましょうか」

 

 

 急かすように差し出された腕を取って、両者はきた道と反対の方向に歩き出そうとする。ふっと大井はさっきまで押さえ込んでいた疑問、何をしていたのだろうかとドアについた窓を見てみると、何かが慌ただしく引っ込んだ気がした。不思議に思って体を向ける大井に、北上はそっちに行ってはいけないと手は外さずに前進を促す。

 

 

「いま、提督が見えたような気が……」

 

 

「エー……それは大井っちの見間違えじゃないかな〜?」

 

 

「じゃあ……いったい誰とお話ししてたんですか?」

 

 

「やだなぁ〜大井っち疑ってるのー」

 

 

「いえ、そういうのじゃないんですけど……」

 

 

 確信とは呼べないが、これでも提督のことを見つめてきた身。切れ端だとしても、それが提督と認識するのは難しい話ではない。頭の中では、あれは提督ではないかと八割型わかっているのに、信頼に足る北上さんの助言は正反対。

 

 これでは頭が混乱するのも仕方のない話で、このモヤモヤを後から思い出したくはないので、扉を開けてはっきりさせておきたい大井であったが、北上の笑顔がそうさせない。

 

 その事実に薄ら寒い感情を抱き、一度疑いをかけられてしまった北上は、疑念が完全に払われるまでいうことを聞いてくれまい。なので、こんな変なことを聞かずにはいられなかったのだ。

 

 

「最近、提督のあたりが強くなっている気がするんですけど、北上さんもしかして関わったりしてませんよね?」

 

 

「エェー。アイツそんなひどいことしてるんだー、いややっぱりダメだよねアイツ。どうせなら一緒に謀反起こしちゃう〜?」

 

 

「真面目に答えてください北上さん。私からの信頼が崩れていってるのに気が付きませんか?」

 

 

「……」

 

 

 あれだけ私のことを考えてくれたはずの北上さんは、問い詰めるとオロオロと目を泳がせて黙り込んでしまった。

 

 それに対する私の対応は、また騙されるのかと噴火の兆候を見せる。プルプルと拳を震わせて、なんで何も言ってくれないのだと叫んでしまいそうになる。北上さんはなんで"違うんだよ大井っち"と声を張り、扉を開け、自らの潔白を証明してくれないのだろうか。無実を証明するのなら、たったそれだけ。たったそれだけもできないのか。

 

 もう何も言わないでもわかってしまう。初めから私は一人だったんだ。はじめて人を好きになっても、あっさりと鞍替えして、用済みとばかりに関わってくれなくなった提督。つい最近編入されたはずなのに、添い遂げたいと願った彼を興味なさげに連れ回す、昔馴染みが取り柄の陸奥さん。すがりつくように信じていた、私の背後を任せるのにふさわしい親友とも形容し難い北上さんですら、私を影から笑っていたのか。

 

 悲しい。悔しい。まるでお前の価値なんて、これっぽっちもないんだと宣言されているみたいじゃないか。今までなんとか噴出を魔逃れていた怒りは、もはや最後の最愛であった人物に全部向き直る。これだけ人のことを馬鹿にしておいて、このドテン場ですらもう一度騙そうと画策しているのは、なんて腹立たしいんだ。

 

 怒り悲しみ後悔叱咤憤怒が頬を伝い、かつて北上さんと引き裂かれそうになった以上に敵意を向ける。ほんの数分前までは、絶対的な自分の味方だと、背を向けていた人物に。キッと睨んで拳はグー。渾身の一撃を込めて、害意を預けた制裁は飛び出した。艦装を身につけていたら勢いで射撃してしまうような気迫で、後の関係性の修復を無視した決別の瞬間。

 

 ただ北上は、親友のまたとない怒りに竦み上がって諦めるように許しを乞う。彼女の行動が、いかに大井を傷付けたのかを承知の上で、その哀れな行為には涙が浮かんでいた。

 

 

「や、やめろ大井!!」

 

 

 もうごまかしきれないと白状するように、扉を押し倒すようにして出てきた提督は、一刻も早く止めに掛かろうと飛びかかった。しょうがあるまいと飛びついて大井を押し倒し、未だ惚けている北上に怒鳴る。

 

 

「離れてろ、北上!!」

 

 

 まるで北上と関係を持っているようにも聞こえたその一言が、大井の火に油を注ぐ。タッタッタと去る足音に、金切り声を轟々と上げて、人の尊厳だとか体裁だとか理性のリミッターを外して暴れ回る。そこには配慮や遠慮の二文字はなく、ただ自分を不快にさせる存在に向けた負の感情しか備わっていない。提督への一撃は、顔面、眼球を突いて。

 

 拘束を解く提督の腕は直後、逃すまいと締め上がった。腰のあたりを両手が縛る提督は現状サンドバックと相違ない。この状態は、大井の底知れる怒りで意識を手放すまでつづくのだった。

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

「……ここはどこだ? あれからどうなった?」

 

 

「あ、起きた」

 

 

 うまく開かないまぶたを上げて、鈍い痛みで記憶を呼び起こして、ことの顛末を不安視する。そんな独り言に答えたのは、盛大に嫌われている北上であった。何か様子がおかしいなと思考が止まったが、無事な様子にひとまず安心。最悪の事態である、内部崩壊だけは免れてようだが、念のために確認を取る

 

 

「大丈夫か? 怪我とかしてないか?」

 

 

「……一応助けられた身だからありがとうって言っとくけど、その押し付けがましい所は気に食わないかな」

 

 

 なんとでもいえ。"そうかー"と一人成し遂げて満足する横顔を、北上は複雑な表情で見つめているのには気付かずじまい。そんなこととは露知らず、提督は次の杞憂に移るのだった。

 

 

「仲直りは……できそうか?」

 

 

「……」

 

 

「あいや、聞いて悪かった。空いてるベットはあるから、必要なら後でそっちに移ってくれ」

 

 

「うん」

 

 

 嫌なことを思い出してしまったのか、力も弱く頷いた後、北上はそそくさと医務室から退出した。案の定また残された提督は、次の心配事である業務の遅れを心配するのだった。

 

 

 

 

 

 異様に腹が立っていた。それには第一に、あの時ビビビィときてしまったことが全ての始まり。あんなに私を信頼してくれていた大井っちが牙を向いた瞬間。その時は足がすくんで、ただ下される罰を待っている存在でしかなかった。でも提督が私を守ってくれた時、不覚にもドキドキしてしまったのだ。彼は決して見逃すことなく身を挺して止めに入ってくれた。それはただの、鎮守府を維持したいがための自己保身の行動なんだと言い聞かせるが、理屈に反して心はかき乱される。混乱する脳みそに、違うそれは違うと頭を抱え。

 

 

 ──────

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 お玉を一かきするだけで、大鍋で混ざり合った豊潤なスパイスが鼻腔を刺激する。

 

 それがくしゃみを誘発して、とっさに振り返って控えめな一発、おまけと二発。鼻を啜ってマスクを直した。

 

 大鍋でじっくり煮込まれた本格カレーは深みを存分に増し、各々鎮守府が秘蔵するレシピによって味には細かな違いを見せる。今日の私は食堂の当番であり、そしてみんな大好き海軍カレーの金曜日だ。金曜日と定まったのは週休二日制が導入されたつい最近のことで、海上で長期に任務する隊員達に、曜日感覚を無くさないようにする試みから始まる。カレー自体海軍とは長い付き合いで、かつては西欧料理店のみで食べられる高級なものであったが、カレー粉が普及したことで広く一般に広がった。

 

 基本の材料に醤油と砂糖を加えると肉じゃがにも出来る汎用性。肉と野菜バランスよく食べれるカレー。食べて良し、補給良し、栄養良しと海上の兵士達には最高のご馳走であった。給食の子供のようにテンションの上がる駆逐艦達は当然として、そこに混じって年長者もおちゃらけるのだからカレーの力はそのくらい凄まじい。艦船によってもレシピは変わるので、お盆に配膳されるカレーにみんなは何を思うだろうか。魔女の釜を混ぜる気分で、ゆっくり一周させてからすくい上げる。流れ作業の要領で、体格に合わせて配膳するのにはもうとっくになれた。最近はいやしんぼのクレームも聞かなくて良くなった。

 

 そこにふと見慣れた影が差す。

 

 間違えるも何もないか、この鎮守府を切り盛りする提督が、私の前で配膳を待っているだけだ。なので私は、至って普通のベトコンベアの機械のように、ただただ無言で自らの役割を全うする。

 

 渡されたご飯に、カレーを荒々しくすくい、開いたスペースにぶちまけた。皿の縁を汚し、ご飯には茶色が飛んで、それでも沈痛な表情をしたままの提督は横に逸れていった。お前も苦しいかもしれないが、こっちだって苦しんだぞといってるような気がして、静かな怒りが音を増していく。

 

 折り返し地点に差し掛かったあたりだろうか、今度は北上さんが姿を見せた。話すタイミングを伺うように、チラチラと私のことをしきりに見て、段々と世界の終わりのような顔を作る。こちらから声をかけてやる義理もない。結局は北上さんも、裏で絡んでいたんだ。その事実だけで避けるのには十分すぎた。列の最後尾を眺めがなら、明確な孤立を実感して泣きそうになる。周りの人たちに気付かれたくないと洗い物を買って出て、一心不乱に食器を磨いた。

 

 

 

 

 

 単純作業に手を取られながら、頭では色々なことを考えていると、提督が食器を戻しにきた。"ご馳走様"と一言いって。それが懺悔のつもりだろうか、陸奥さんと北上さんを侍らせて、なんていい身分なんだろう。

 

 最終的に怒りが行き着く先は提督であった。提督さえいなければ、こんな苦しい思いしないで済んだのにと怒りの炎を燃やして。逃げるように去っていく提督の背中に怨念を乗っけた。食器返却口に返された、きれいに平らげられたカレーのお皿。気が付けば私は提督が使ったスプーンを手の内に隠して、仕事を放棄して厨房裏に逃げ去る。罰だ。そんな身勝手な提督には罰を与えなければいけないんだ。そう自分に言い聞かせると、ドキドキと使用済みのスプーンに舌を伸ばす。

 

 

「んん……」

 

 

 艶っぽい声を漏らして、恍惚の表情で無防備な顔面を晒す大井。カピカピとその銀の表面に乾く唾液。その味は、ほんのりとカレーを感じる禁断の味。そんな自分をみた提督を想像すれば、大井は股下を密かに湿らす。幻滅したような、まるで汚物でも見るような顔。そうだ、それでいい。もっと気持ち悪いと罵れ。これは、提督の気分を多いに害する罰なのだ。今まで散々弄んでくれたお礼に、今度は私が仕返ししてやるんだ。

 

 

「けへ、いひひひひ……」

 

 

 ゆっくりと口内を離れるスプーンを、興奮冷めやまぬと見つめる。正義の執行と勝利の余韻、禁府を犯す背徳感に征服感、あらゆる感情を昂らせておかしな笑いが自然と出てしまう。

 

 

「大井さ〜ん? どうかされましたか〜?」

 

 

「な、なんでもないですよ」

 

 

 とっさに背後へと隠すスプーン。顔の色合いが通常と違うのに気が付く伊良子は、不思議に思うも"ちょっとだけめまいがしただけ"と言い訳した大飯をそれ以上の追求はなかった。"何かあれば遠慮せずにいってくださいね? "という最後の言葉に、内心焦っていた大井は一旦の落ち着きを見せる。その後の皿洗いは、滞りなく進行した。

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 今日の業務も終わりを迎える。なかなかに最終決戦の戦略は決まらない。なかなか決まらないのは、より最善を見出すためであって、何も自分の経験不足だとは思いたくないな。

 

 大井と北上の仲違いは痛い。エースを追い出した後ということもあるが、何よりも魚雷二十発一斉掃射の火力それも二人分を連携させられないのが痛烈に響く。誰がこの火力を担うんだ? 特殊訓練の訓練期間はどうする? 時間は一日一日すぎるごとに、まさに真綿で首を締めるが如く苦しくなってくる。正直いって今すぐにも変わりを立てるのが賢い選択だろう。

 

 

「提督どうかしたの?」

 

 

「いや、大丈夫だ。なんでもないよ、お疲れ様」

 

 

 だがそうなった時、一体陸奥はどうなる? 俺への評価は? せっかく昔みたいに喋れるようになってきたのに、これでは今までの努力が水の泡じゃないか。そうならないためにも、一番手っ取り早い方法が大井と北上を仲直りさせて訓練に突っ込むことだが、そううまくいかないのが世の中だ。最悪の事態を想定して手は打っておかねば。

 

 最近は疲れているのか、風呂に入っても着替えが足りなかったり、突然眠くなったら口元が乾燥していたりと、ボケてるのかと疑いたくなるような出来事が相次いだ。陸奥を誘って晩酌でも、そう息巻くはずの提督の姿はそこにはなく。ただ確実に迫ってくる、夢から覚めるのを恐れる子供のような心境で、なんとか策を練り出そうと一人苦心するのであった。

 

 

 

 

 

 夜の浮浪者。行き場を見失った人々の止まり木『居酒屋 鳳翔』。

 

 今宵も眠れぬ子羊を酒と手料理で優しく出迎える。

 

 のれんを潜ると、暖かみを感じる提灯の光と、緩やかな色彩が提督を出迎えた。"い、いらっしゃい"の声に軽く答えて、カウンター席に進路を取ると、一人で晩酌する北上の姿を認めてしまった。嫌われている北上に声をかけたところで、当然負の感情しか出力されないはずなので、そんなマゾマシーンには近づくまいと離れたところに着席。視界をメニュー表で隠して、一時の安全地帯とする。

 

 ただ完全に意識から外すことはできないので、どうしても気になる。

 

 それも、こちらを何か理由ありげに見つめてくるように感じたから、流石に居心地悪いと北上を見てみると視線が交差した。含むような沈黙が出来上がり、何か答えを得ることが出来たのか、北上が手元に視線を移したところでやり取りは終了した。なんだったんだ? ポカーンとする提督は、鳳翔さんに声をかけられメニューを注文。仕切り直す。

 

 ……そういえば、北上の相部屋の様子は大丈夫なんだろうか。だれとでも上手くやる北上のことだから、あんまり配慮することができなかったが、もし何かあるならいって欲しいと北上を見る。墓穴を掘ったといえ、北上も大井のために尽くした被害者だ。業務上は嫌悪な仲でも、最低限のマナーがあるはずだろう。

 

 見れば、北上と再び目が合う。何かあるなら伝えて欲しいの思いは虚しく、再び北上から視線を切った。少し嫌な気分になっていると、料理が運ばれてくる。落ち着いた時間を過ごすはずが、北上一人のためにかき乱されている。あぁ、そうか、北上は俺に出て行って欲しいんだな? 人の目もあるから、大っぴらにいえずに手をこまねいているのか。

 

 そんな仮説の元で三度北上を見遣ると、やはりと言うか、お約束のように北上の仏頂面を拝む。と次の瞬間、馬鹿にするようにクスクスと笑い出した。……あぁ、心配して損した。そんな感じで酒につけようとすると、視界の端では何者かが立ち上がって近づいてくる。面倒ごとはなしだぞと一応心の中で宣言したが、その行動は虚しくも意味を失った。

 

 

「その顔まだ治らないの?」

 

 

「……誰のおかげでこうなったと思ってんだ」

 

 

「いや〜ごめんごめん。でも乙女一人守れたんだから満足でしょ」

 

 

「まぁ……そうだな」

 

 

 そういってだし巻き卵を口に頬張って、酒で流し込む。

 

 隣からの声はピタリとやんだ。いつもなら"キモい"とか"偽善者"とか"話しかけんな"とか聞こえてきそうなので、どういった心境の変化だと難しい顔して下唇をめくり出す。なんてことを考えているうちに、北上が追加の酒を注文するようになると、いよいよわからなくなってきた。

 

 気まぐれのように話しかけられて、頭を悩ます答えが導き出されるわけもなく。納得のいく答えは出ずに、酒を飲みながら項垂れるのだった。酒には弱いんだ、ここでセーブしておかないと。

 

 

 

 

 

「綺麗だな……」

 

「へやぁ!? い、いきなりんなんなの提督。クズの分際で、はぁ……」

 

 

 いきなりの愛の告白にも似た何かに、北上はつけそうになっていた杯をおいて、提督に向き直った。一体どんな用件でこんなことをいったんだという思いのもとでみた光景は、提督がだし巻き卵を箸で摘んで、芸術品を舐めるように見つめていた。

 

 

「は? 卵なんて見て何いってんの? てかなんなの? うっざ」

 

 

「いやこの焦げ目一つない立方体。並大抵の腕前でないと、お見受けする……腕を上げましたな、鳳翔さん」

 

 

「ふふっ、ありがとうございます提督」

 

 

「はぁ〜!? なに口説いちゃってんの?」

 

 

「綺麗で、味も最高だと言うことなしだな。どれ北上、料理チャランポランの後学のために、おひとつどーぞ」

 

 

「!? もしかして提督、酔ってんの?」

 

 

 最後の一つが眼前に運ばれてきて、ハタキ落としたくなる衝動を抑え込んで、どうすればいいのかとワタワタする。鳳翔さんを悲しませるわけにはいかない。かといって逃してくれそうもない。

 

 前回も似たような状況はあったが、心理状態は真逆といっていい。結果、北上の出した結論は、手でだし巻きを掴んで口に運ぶ、折れた形での妥協案であった。よって、北上は小さな敗北感をその身に宿す。反撃の狼煙をあげようと画策していた北上。すると、横ではドサリと倒れ込む音が。

 

 

「お〜い提督〜生きてるー?」

 

 

「なんだ? 俺はもだまだいけるぅぞぉ……」

 

 

「あらあら酔っぱらっちゃいましたか? おかしいですね、提督さんいつもはちゃんとほろ酔いで帰っていきますのに」

 

 

「あちゃ〜私が寂しい思いしてるんだから付き合って、っていったのが悪かったかな〜」

 

 

 ポンと自分の頭に手を乗っけ掻いてみるが、特に現実に影響を引き起こすことはなかった。酒に弱い提督をいじめてニヤニヤしていると、そろそろ店じまいの時間が迫ってきた。

 

 

「あらもうこんな時間。すみません、お店閉めたいので提督さんをお願いしてもよろしいですか?」

 

 

「あぁ〜うん。まあ私のせいでこうなったんだから、私が後処理するのは当然だよね〜。鳳翔さんに迷惑かけられないし」

 

 

 そういって、裏方に下がった鳳翔を見届けて、北上はどう料理してやろうかと想像を膨らます。大井との関係が断たれて、鬱屈したところに転がり込んできたおもちゃだ。せいぜい存分に楽しんでやろうと提督の腕を、自分の肩に回す。

 

 

「あ〜もう、ちゃんと自分の足で立ってよ。酒クッサ! 口こっち向けないで!」

 

 

「北上〜大丈夫か〜」

 

 

「大丈夫って思ってんだったら、一人で歩いて帰ってよ」

 

 

「……悪い、視界が回ってるんだ」

 

 

 北上が支えとなって、提督を引きずるように居酒屋から出ていく二人。女の子一人に頼るなと、弱くなった足腰に喝を入れるためにバンバンと背中を叩いてやる。

 

 

「部屋では上手くやれてるのかー北上〜」

 

 

「……そういうところが本当に嫌い」

 

 

 喋りかけようとこっちを向く提督の顔を、頭部で押しのける。近い。お酒を飲んだせいか、息遣いがすぐそこで聞こえるぐらいにキモい。もっとも解せないのは、こんなに密着されて胸に体重を乗っけてくるし、お尻に手を回してくるところだ。シラフなら頭かち割り案件であったが、今力を抜いてしまうと二度と起き上がれないような気がしてならない。

 

 一応の上官であるので、寒空の下に放置するわけにもいかず、開いた片腕を提督の背中に叩きつける。はぁー、本当に世話が焼ける。すると、なんだか異変があるのに気がついた。

 

 

「ひ、ひぐぅ。お、俺だって頑張ってんだよ、根畜生ぉ」

 

 

「はぁ!? なに泣いてんのさ提督!!」

 

 

 酒によって、感情の吐露が緩くなってしまったのか、涙脆くなってしまった提督が弱みを見せる。突然の決壊に、北上は"あり得ない"と呟きながらも、叩きつける腕を背中をさする腕に変えてなだめる方法をとった。呆れた。大人のくせに、クズのくせに、なに偉そうにないてんだか。誰かに見られてないかと周囲を見渡しながら、提督の寝室へと急いだ。

 

 

 

 

 

 運んでくるのは疲れた。ベットに放り込もうかとも考えたが、口が臭いのは上官としていただけないので、せめて口をゆすぐようにと洗面台に持っていく。平静を取り戻して恥ずかしくなってる提督を笑ってやって、布団に入ったのを見届けてホッと一息。

 

 ……駆逐艦の間では、寝た提督の懐に入るのがブームというか、そんな話を小耳に挟む。

 

 

 ………………。

 

 

 フッ馬鹿馬鹿しい。私と提督が仲良くできるわけないでしょ。だって、提督は自分のことしか考えていないクズ野郎なんだよ。そんなやつに私が惹かれるはずがないじゃん。

 

 

「まっさかね〜」

 

 

 視界から提督を切って、急かすように扉を開ける北上。閉じるその瞬間、提督の方へ目配せするが、プライベートの扉が両者を遮断した。

 

 

 




自分会議の結果。ハーメルンの優先順位を落とすことに決めました。
理由は、毎日投稿をたとえやり遂げたとしても、懸命に取り組んだとしてもフィードバックの恩恵が少ない。ようは成長しないってことですね。

ハーメルンが決してくだらない場所だとか、飽きたってわけではなくて、もっと有効なものに時間を割いて自分のレベルを上げたいなってことです。

これだけだとサボる言い訳になるので、次の鍛錬の場所を宣言すると、サグーライティングが今のところいいかなって思ってます。

小銭ていど稼げて、非承認三千円位食らったけど、こっちに力入れた方が自分の成長を実感することができそうなのでこっちに力を注ぎたいです。

このウンチ小説を生かすも殺すも作者の勝手ですが、一応こういう形でご報告させていただきます。


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自分を外需ではなく内需の民だと自認した


ウンチ、ウンチ!!


 

 

 

 大規模作戦メンバーの期日が迫っている。悩みの一つ、作戦概要は陸奥との協議を重ねついにその形を帯びてきたが、肝心の主要メンバー内で仲違いが発生。修復の改善を見込める算段はいまだつかず、急遽メンバーの入れ替えが検討されるが、戦場の一番槍を担う関係上簡単に変わりを見つけることは相当苦労する。

 

 執務室のファイルをめくり、これはもう外部から人を引っ張ってこないといけないんじゃないかと渋い顔。人材を追い出したとおもったら再び囲い込むなんて管理能力を疑われてしまいかねないな。なにより一から誰を招くのか考えなければならないのが非常に面倒だ。薄暗い執務室の机に書類をばらまき、こんな情けない姿は見せられないと、陸奥には適当な理由をつけて執務室から追い出している。

 

 

「やーやー大変そうだねー提督〜」

 

 

「北上か。今それどころじゃないだ、あっちに行っててくれ」

 

 

「は〜? なに偉そうにしている訳? 元はと言えば提督の自業自得じゃん、自分で自分の首絞めてるくせして被害者意識だけは一丁前だね」

 

 

「いや、それは……」

 

 

「はぁ〜もういいよ、結局口開いたところで言い訳しか出ないんだからさぁ。ほら、私なんかに構ってないで、さっさとオシゴト片付けたら?」

 

 

「……」

 

 

 仕事自体は山場を超えたために多少の余裕を残しているが、いかんせん決まりかねた計画をひっかき回すのはどうも気後れする。利害調整の再度検討。上手くやらないと、最悪大幅な加筆修正で作戦計画段階からのスタートも選択肢に加えなければならなくなる。そんな害悪を振り撒く行為なんてしたらどうなるか、場を引っ掻き回す愚か者は初めから存在しなかったこととして処理されるに違いない。要は事実上の左遷が決定するかしないかの瀬戸際なのだ。

 

 

「あれからどうだ、その……」

 

 

「大井っちとの仲? フッ、それ私のこと煽ってる訳?」

 

 

「別に煽っちゃいない……」

 

 

「そんな気持ちがなくても、相手にそう取られたら煽ってることになっちゃうんだよ〜」

 

 

「仲直りはできてないんだな、わかったわかったよ」

 

 

 いつもの冷やかしで余裕さえあればこれも業務と付き合ってやるのだが、今はそれどころではないと適当に対応して、手をヒラヒラさせて帰れと示す。それでも北上はそんなジェスチャーは見えてないとばかりにその場を動かない。ここまで来ると筋金入りのお邪魔虫だ。

 

 

「私、見ちゃったんだ……」

 

 

「今日の予定はと」

 

 

「大井っちが陸奥と一緒に喋ってるのを……」

 

 

 一瞬手元が狂う。慌てて平静を装うが、視界外の北上が明らかに我が意を得たりと破顔する様子が容易く想像できる。内心の動揺を少しでも気取られないように、一種の催眠をかけるようにして耐えていたが、残念、俺はそんな高等テクニックもってなかったんだ。引っ張られる好奇心に負けて、北上の術中のまんまとはなるのだった。

 

 

「俺をからかってるのか?」

 

 

「え〜違うよそんなつもりじゃないよ〜」

 

 

 

「急用を思い出した、ちょっと席を外すぞ」

 

 

「直接話の内容を聞いても無駄だと思うけどね〜」

 

 

「……どうしてそう思うんだ?」

 

 

「ん〜結構深刻な話っぽかったから、のろりくらりと躱されるのがオチだと思うけど?」

 

 

「……北上はその内容を聞いてるのか」

 

 

「どうだろう、聞いてるっていえば聞いてることになるし、聞いてないって言われればそれも間違っていないよ。一から十まで全部って訳じゃないけど、ま、断片的になら……。プ、クスクスクス」

 

 

「なにがおかしい」

 

 

「いや〜別に、なんでもないよ?」

 

 

 口元に手をやったと思いきや、コテンと首を傾げるさまが心の底から俺のことを馬鹿にするように見えた。ヌボーとしているが、そんな仕草さえ様になっているのが余計に腹が立った。ブサイクがやるのとはベクトルが異なる腹立たしさだ。

 

 いや、これも策略のひとつなんだろう。相手の心をかき乱して、冷静な判断を奪う気か。北上から教えを請うのは恥と知れ。そうだ、陸奥が大井なんかに惑わされる筈ない。俺は全幅の信頼を彼女に寄せているんだ。もし逆だったら? 陸奥が大井に何か喋ることがあるか? 完全な初対面じゃないから、取っ掛かりがないわけでもないし……。

 

 勝手に考えを巡らせて、思考の迷宮に誘われる。これはいかんと提督は首元をさすって、キッパリ断るのが正解ルートだ。

 

 

「詳しくその話聞こうか」

 

 

「え〜なにその態度。凄く偉そうなんだけど〜」

 

 

「いや、俺提督なんだけど」

 

 

 出口の見えない会話。餌だけぶら下げて、ちょっと手を出せば引っ込められる釣竿。そんなことを繰り返されようものなら時間の無駄だし、第一ストレスが溜まってくる。ならばさっさと話を進展に持ち込むのが吉であり、提督は強引なパワープレイしか知らない。

 

 

「ちょっとこっちこい」

 

 

「は? なに腕引いてんの? 懐柔でもする気?」

 

 

「俺のことを心底嫌っていることは十分に理解できたからそうだな、取引といこうか」

 

 

「ちょ、ワイロとかじゃ靡かないからね。私そこまで安い女じゃないから」

 

 

「間宮の新作、抹茶プリンパフェスペシャル」

 

 

「……へ〜少しは頭が回るんだね。でもやだよ、提督と逢引なんてキモいだけだから」

 

 

 いきなり腕を掴まれて、あまつさえ引っ張られれば誰だって抵抗する。御多分に漏れず、北上の目は早くも拒否の形状となり、こちらの提案をコテンパンに叩く言動を繰り返し罵倒を続ける。

 

 離せ離すまいと互いに力がこもるのもしばらく、やはり脳筋の提督はさらなる説得にかかるのだ。掴んでいた腕を、手に変えて、それでも足りぬと空いた反対を足して熱烈な握手を使う。

 

 

「頼む! 触りの部分だけでいいんだ! 教えてくれないか!?」

 

 

「はぁ〜!? 必死過ぎて引くんですけど! あとさわりの部分ってほぼ核心部じゃん……」

 

 

 ズイ₍₍(ง˘ω˘)ว⁾⁾ズイと詰め寄って、尚も引かない提督の熱は、冷静を備えた北上を持ってすら異質に見えたらしい。対抗するように声を上げれば、少なからず周りに聞かれまいかと気を使う。

 

 それがあの時の、映画館に提督を連行する流れだと気がついた時には、もはや悠長にことを構えるのは寧ろ危険だとの結論に至るのだった。大井にこの現場を見られたのならば、今度こそ修復不可能な関係になるかもしれないとの危惧が頭を駆け巡った。……それと、スイーツにも少なからず惹かれていたのも控えておこう。

 

 

「たのむよ北上……」

 

 

「あぁもうしつこい! 教えるからさっさと離れて!」

 

 

 提督の熱に今更のように恥ずかしさを覚え、押し除けるようにタックルする。それでも日頃の行いが悪いのか信用されず、ニッコリ笑った提督は間宮さんへと繋がる道を、手を繋いだまま綱引きするように引っ張るのだった。離せの命令無視に、北上は接続部を数度叩き、それでも満腹太郎のように笑みを崩さない提督に抗議する気もうせて、せめて嫌そうな顔をしようとしかめっ面。

 

 ……顔が赤いのは、単に突然運動したからだと自分に言い聞かせて。

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

「ん〜あまーい。しぶーい、とろける〜。……あ、提督にはあげないからね」

 

 

 敵を眼前にしてもなお、スイーツの魔力は侮れない。甘いものを食べながら怒鳴り散らす人間が存在しないように、間宮の空間には一種の人を綻ばせるオーラが漂っていた。物欲しそうに見つめる提督の視線に、子供のようにブー垂れる北上に苦笑い。そっちじゃないと弁明したかったが、尚のこと目標まで遠ざかりそうだったので閉口するのだった。

 

 

「はぁ……さっさと本題に入ってくれないか北上」

 

 

「むふ〜ん♪」

 

 

「はぁ……」

 

 

 少々イライラし、指で机を小突いてリズムを打つ。これには流石ののんびり屋も気がついたのか、早く喋れの圧を適当にいなして、自分のペースで語り出すのだった。

 

 

「二人を見たのは昨日のこと、場所は閉店間近の食堂で。陸奥から大井っちに声を掛けた感じだったけど、席に着くまで会話らしい会話はなかったよ……私が知ってるのはここまで」

 

 

「大好きな大井が絡んでるんだろう? もっと詳細を知りたいと思わなかったのか?」

 

 

「いや、普通に考えて閉まるギリギリの食堂なんてそんな人いないじゃん。そんなだだっ広い場所で突っ立ってたら向こうに気付かれちゃうよ。距離もあったし、気になったけど私じゃどうすることも出来なかったよ。大井っちに気付かれてこれ以上嫌われたくはないし……」

 

 

「……わかった、ありがとう、疑って悪かった。だが悪く思わないでくれよ、北上は俺のことが嫌いだから、その、な? 」

 

 

「うん……」

 

 

 肯定をへて理解を得ようとしたが、肝心な所でどうも歯切れの悪い態度を取られて違和感がした。せめてしっかりと、そうだよ! と言い放っておくれよ。なんだかいらない心配もしそうになってきたいので、半分ほどを胃袋に収めた北上を放置し、にべもなく提督はその場を立ち去ろうとした。

 

 

「ぁ……」

 

 

「? どうしたまだ何かあるのか?」

 

 

「いや、別に……」

 

 

 からかられたと感じた提督は、一層その場を夜逃げのように去った。せっかく間宮に来たのに、コーヒーの一杯も注文しないで去った提督に、本当に陸奥のことしか頭にないんだなと感想を抱く。いやそもそも、私が提督を嫌うように、向こうも私のことを嫌っているのだから当然かと独りごちる。なんだか腑に落ちない感情の渦に、アイスの冷たさが孤独を分け与えるのだった。

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 仕事に戻った提督に休みはない。タイムリミットは刻一刻と迫りつつあるのだ。もはや自分の無能を晒すしかない。連絡網を片手に、まず足掛かりとしてあいつに連絡するかとダイヤルをプッシュ。直後、慌しくも自信に満ちた様子で扉が開かれる。

 

 

「失礼します提督」

 

 

「お、大井? どうした突然。も、もういいのか?」

 

 

「その件でお願いしたいことがあるんですが……」

 

 

 そういって、改まった大井はかつての態度を見せつけるようにやけに早足で近づく。そして、男子学生の告白のように、こう切り出すのだった。

 

 

「私を次の大規模作戦で使ってください、お願いします」

 

 

「お、おい。急にどうした」

 

 

 頭を直角90度曲げての最敬礼。この手を握ってくれと片腕を差し出す様を幻視する。だがこれは好機だ。大井の問題が解消できれば、あとは滞りなく歯車は回りだすだろう。

 

 もしかして陸奥が説得してくれたのではないか、いやしてくれたんだと俺を想っての行動に内心小躍りしながら、いやいや部下に助けられるとは無能と変わりないぞと戒めを込めて大井と向き合う。

 

 

「正直言って嬉しいよ。なんとかして穴を埋める人員をさがしていたんだが、どこも忙しくてそれどころじゃないから。一定以上の実力も備えてないといけないから、余計に今の時期煙たがれるんだ。だが……本当に大丈夫なのか、北上とは縒りを戻せてないと聞いたんだが……」

 

 

「一時の感情で北上さんに強く当たりすぎました。頭を冷やして、今なら冷静に向き合えると思います。……提督のことを殴ってしまったことは今この場で謝罪します」

 

 

 再びの最敬礼に内心満足しながら頭を上げるように大井に駆け寄る。

 

 

「いや、いい。大井の言葉を信じよう。だが時間が惜しい。早速で悪いが訓練に参加してくれ、詳細はこの資料に纏めてある」

 

 

「あの……」

 

 

「なんだ?」

 

 

「あの、陸奥さんが秘書艦を辞退したいと……」

 

 

「……今外れてもらったら困るが、陸奥が簡単にすっぽかす筈もない、代役は誰を選んだんだ?」

 

 

「ここに正式な陸奥さんの推薦状があります。引き継ぎも問題なく終え、いつでも取り掛かれます」

 

 

「しかし、大井は重要な訓練があるだろう。そっちはどうするんだ? まさか、両方に手をつける気なのか? あまり賢い判断だとは言えないぞ?」

 

 

「それは……北上さんに手伝ってもらいながら何とか……」

 

 

「その北上も訓練で忙しいんじゃないか。本当にその陸奥の書類は本物なんだろうなぁ? ちょっと見せてみろ」

 

 

 大井に取って都合が良すぎる展開に、提督が怪しく思うのも無理はない。眉間にしわ寄せ、真偽を問い合わせるのに対して大井は吠える。

 

 

「陸奥さんも大規模作戦に参加してる筈です! なのに秘書艦業務を受け持ってたじゃないですか!」

 

 

「いや、あれは」

 

 

「陸奥さんは大規模作戦のメンバーです、いい加減自覚してください。仕事の峠を超えてることは陸奥さんから報告を受けているので」

 

 

「わかったわかった、現刻をもって大井を補佐に任命する。……これで満足か?」

 

 

「えぇ、あの……改めてよろしくお願いします、ね?」

 

 

「……あぁよろしく頼む」

 

 

 羞恥心に顔を薄く染め、おどろおどろしくも控えめに差し出されるは大井の手。それに提督が一拍遅れて応じると、ねっとりと握手が交わされるのだった。

 

 

 





ウンチ、ウンチ!! ウンチ、ウンチ!!


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カスタネットは一回休む

うんたん、うんたん、うんたん。


 

 

 

「ほら、提督起きて下さい。もう朝ですよ」

 

 

 私より一際大きな背中を揺する。胸一杯に彼の匂いを吸い込んで、途方もない幸福に身を委ねていると、少し驚いて提督は体を起こす。

 

 

「……なんで布団の中にいるんだ大井」

 

 

「やだなぁ、提督があまりにも起きなかったので、ちょっとした悪戯ですよぉ」

 

 

 そういって小さく微笑んで、本当は夜のうちに忍び込んだことを隠すように嘘をついた。たとえ虚偽の申告と受け止められようとも、変に私の気持ちを曲解されるよりは遥かにマシだ。明確なる好意を前にして、それでも言い逃れできるほどに鈍感な人間などいるのだろうか。

 

 

「退いてくれないと布団から出られないのだが……それと暑い」

 

 

「決号作戦の資料が届いています。今日中に片付けてしまいましょう」

 

 

「そうだな、今日中に。今日中に……」

 

 

 朝の状況報告は秘書艦の仕事。提督を真に思うがこそ、仕事で手を抜いてしまうわけにはいかない。それに、私のパワーは今きっかり溜まり切ったところだ。パワーが有り余っているのを感じる。追い詰めたようにベットを領有したのを解き、大井ついで提督の順番で就寝が解かれた。

 

 

「シーツと枕カバー洗濯に出しておきますね?」

 

 

「あぁ悪い、よろしく頼む」

 

 

 露わになる上半身に目がいきそうになるのを必死に堪えて、急ぐように寝室のドアを潜った。ランドリーへの道すがら、まだ早い時間なのをいいことに、手持ちのシーツと枕カバーに顔を埋めた。汗のしょっぱさが残るような、皮脂と体臭が染み付いたそれは、パチパチと脳味噌を麻痺させる麻薬のようなもの。今さっき目撃した裸体をオカズに、主食をむさぼる。満ち足りた朝食を済ませた大井は、ランドリーに少々体液が付着した寝具を放り込んで任務を終える。そうして大井の満ち足りるような日常に火が昇るのだった。

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

「ここは資材の数を端数も入れてはっきり明記してくれ。資材の横領が発覚したとかで本部が大パニックなんだ」

 

 

「提督はそんな小物みたいなことしてないですよね?」

 

 

「俺をなんだと思ってるんだ。横領するなら信頼できる秘書官を固定するだろう」

 

 

「ずいぶん犯罪者目線の供述ですね、一回査察を入れましょうか?」

 

 

「ばか言え。やってるなら気軽に会話に出さないだろう、普通」

 

 

「また犯罪者目線……」

 

 

「とにかく、一の位までしっかり明記するように。……頼んだぞ」

 

 

「了解です提督」

 

 

 ぴっしりと軽く敬礼して了解を告げると、提督は気まずそうに顔を逸らした。まだビンタしたことを引きずっているのだろうか。北上さんに聞いた話だと、陸奥さんとの仲を引き裂く凶行に見えたらしい。思い込みが激しいところも素敵。何気ないやりとりの一つ一つが心を満たす。こんなものがこの鎮守府の艦娘に行き届いていたと思うと、嫉妬で狂ってしまいそうだ。ほかの誰かに明け渡してくない。陸奥さんにも、まして北上さんにすら……。

 

 

「そういえば、訓練の方は順調か?」

 

 

「みんなと遅れがある分大変ですが、北上さんが熱心に教えて下さるので不足はないです」

 

 

「遅れが出そうだったいつでも言ってくれていいからな? 代役ならいくらでもたてられるから」

 

 

「そんな、お気遣い感謝します」

 

 

「その様子だと北上と仲直りできたみたいだな」

 

 

「いえ、私が一方的に避けていただけなので、仲直りと言うよりは私がちゃんと向き合っただけの話ですから」

 

 

「……そうか」

 

 

 自分のことと重ねたのだろう。眼力に覇気がなくなり、暗い影を落とした顔。その表情に口角が歪むのを必死に耐えながら、誤魔化すように話題を取り上げた。

 

 

「あ、北上さんからホットチョコの作り方を教わったんです。良かったら入れましょうか?」

 

 

「んー……。そうだな、一つ貰おうかな」

 

 

「はい! すぐできるのでちょっと待っててくださいね?」

 

 

 少しの陰を引きずりながら、それでも懸命に平静を保とうと努力する提督を背後に置いて、大井は台所へ向かった。おおむね計画通り。罪悪感を持ち越すクセをもった提督になら、今やろうとしている行動は、今後の人生まで決定づけ縛る足枷となるだろう。牛乳を沸かし、チョコを細かく刻み入れ、用意してあった薬を入れる。水に入れると違和感を覚えることこの薬も、牛乳のまろみと、チョコの甘さと苦さがうまく覆い隠してくれる。木べらで抵抗がなくなるまで混ぜ、マグカップに注いだ。

 

 

「お待たせしました、どうぞ提督」

 

 

「あぁ。ありがとう」

 

 

 コトリと置かれた寒色系のマグカップ。茶色ががかった灰色。上空を飛ぶ水蒸気。取っ手を握り、熱そうにフーフーと息を吹きかけ飲むまさにその時、一点を見つめる視線が気になった。

 

 

「そ、そんなに見られると恥ずかしんだが……」

 

 

「へ? あ、ごめんなさい。でも感想を聞きたくって」

 

 

「そうか?」

 

 

 再び口に運ばれるとズズっとすすり、鼻から息を吐き出す。しっかりと飲み込まれていく様を確認したのを最後に、私は視線を露骨に外して達成感を味わうのだった。

 

 

「? これミルクとチョコだけだよな?」

 

 

「そうですけど。どうかされましたか?」

 

 

「いや、なんでもないよ」

 

 

「お味の方は……」

 

 

「うん、うまい。美味しいよ」

 

 

「そうですか、一瞬分量を間違えたのかもと思って心配しちゃいました」

 

 

 ポロっと本音が漏れ出てしまったに、しまったと口元に手を持ってくるが、提督に気にした様子はなかった。効果が出てくるにはしばらく時間がかかるだろう。なに、もう計画は完遂したも同然なんだ。後は邪魔が入る心配だが、その点も抜かりない。仕事もフルパワーで取り組めばなんとかできる。小さく気付かれないように笑い、その時を虎視淡々と待った。

 

 

 

 

 

「どうかされましたか?」

 

 

 目敏くも、わざとらしく提督に駆け寄る。胸の辺りを押さえて、心臓発作のように苦しい表情を形作るっているが、どうも顔を赤らめているから本命だろう。伺った顔にエロスを感じて心が昂る。

 

 

「なんだか体調が良くないようだ。さっきっから心臓が痛い」

 

 

「それは大変ですね!! 医務室まで私が付き添いますよ」

 

 

「い、いや待て、一人で歩ける。仕事を邪魔するわけにはいかない」

 

 

「そんなことありませんよ。ほら、脂汗が滲んでますよ」

 

 

「いや、待て、こっちに来るな」

 

 

「そんなぁ冷たいじゃないですか提督」

 

 

 拒否する手を押し除けて、ハンカチで鼻元を拭った。ちゃんと理性が働いている点は評価に値するが、いまはそんな情報はどうでもいい。どんどん外堀を丁寧に埋めながら、提督を追い詰める。苦しいそう……半分も意識が向いていないようだ。あともう少しと一歩踏み込んだところで、見計らったかのように扉が開く。

 

 

「ほほーい。あれ、なにやってんの二人とも」

 

 

「き、北上。大井を引っぺがしてくれ、頼む」

 

 

「……大井っちなにやってんの?」

 

 

「提督の体調が優れないみたいなので、医務室まで付き添おうとしたんですけど、頑固なんですよ」

 

 

「いや、提督が助けいらないって言ってるんだから、好きにしてあげればいいじゃん。ぶっ倒れたら自己責任ってことで引きずっていけばいいんだし」

 

 

「……どうして提督の肩を持つんですか?」

 

 

「べっつにー」

 

 

 不貞腐れたように目を伏せて口を尖らせる北上さんに、不思議とおかしさが滲み出ていた。どうも私が失意のどん底にいる間、提督と北上さんの関係性が変化したように感じられて、あんなに威勢よく噛み付いていたのに今ではまるで子犬の用だ。苛立ちと、腹立たしさで内心バカにするように視線を送る。

 

 

「そんなことどうでもいいからそこを通してくれないか?」

 

 

「担当の方に見てもらいましょう。念のため付き添いますよ」

 

 

「あれ? 医務室にいま誰もいないんじゃなかたっけ?」

 

 

「そうなんですか? 取り敢えず確認のためにも医務室に向かいましょう」

 

 

「ちょっとまってよ。苦しいのに変に動かすのはまずいんじゃない? 先に私達が見に行ってからの方が良くない?」

 

 

「……随分と提督に肩入れしてるじゃないですか。私がいない間になにかあったんですか? あれだけ目の敵にされてたのに」

 

 

「別にそんなんじゃないけど……」

 

 

 勢いが収まったのをチャンスとして、さっさとこの場から離れるように始動する。

 

 

「さ、いきましょう提督」

 

 

「ちょ、ちょっと! 大井っちからはなれてよ!」

 

 

「私は別に構いませんよ?」

 

 

「そう言うのじゃなくて……」

 

 

 身の置き場がなさそうに、不満な顔で言い淀む。いつもヘラヘラと言いたい放題言ってしまう性分である北上さんなだけに、自分の本心も曝け出せずにモゴモゴと口元を動かす様は結構レアだ。

 

 

「もうおいてくぞ……」

 

 

「ま、待ってくださいよ提督〜」

 

 

「近付くな近付くな」

 

 

「まあまあまあ。あ、北上さんは気になさらなくても私が責任を持って提督を輸送するので」

 

 

「……提督が変なことしないかついてく。あと、嫌がってるっぽいよ大井っち」

 

 

「北上さんには関係ないことじゃないですか?」

 

 

「は? 何言ってんの」

 

 

「二人とも喧嘩はやめろ。仲直りしたんじゃないのか」

 

 

「なにいってるんですか提督。そんなんじゃないですよ」

 

 

 振り返って笑顔でそう応え、北上へと視線を送り真顔。そのまま近づき、囁き声でこう告げる。

 

 

「一目惚れですか?」

 

 

「へぁ!? いきなり何言ってるのさ」

 

 

「自分が甘えられないからって八つ当たりしないで貰えます?」

 

 

「だからそんなんじゃないって!」

 

 

「私のことを大切に思ってくれているのなら黙って見ててくれませんか?」

 

 

「提督には陸奥がいるじゃ……!?」

 

 

 何かを察した北上は、そのまま驚いたように大井を見た。もはや勝利宣言とも言って差し支えないくらいに挑戦的に睨んでみる。

 

 

「北上さんはなにもない空っぽですよね? 思い出もなければ、言葉を交わしても喧嘩腰。はじめから始まってもいない恋に時めかないで下さいよ」

 

 

 北上はわなわなと体を震わせたかと思うと、キッと目元を鋭くさせて、私を睨み返してきた。

 

 

「カッチーン。なに? 大井っち喧嘩売ってるの? いくら温厚な私でもむかっ腹が立つんだけど」

 

 

 一触即発の状況かで、大井が提督が執務室から出ていくのを見てしまえば、キャットファイとに一目散に尻尾を振り向け後を追い縋る。

 

 

「あ、まってくださいよぉー提督ぅー」

 

 

 いかにも女子受けの悪そうな甘ったるい声を侍らせれば、北上は共感性羞恥に体をゾワつかせる。いかにもな猫撫で声で、相手に取り入ろうとしている様は側から見ていて非常に痛い。自分に対して向けられている時はなんとも思わなかったが、落ち着いて第三者目線で物事を見ると目を覆いたくなる。もしかして、大井っちが友達少ないのって、あれが原因なんじゃないかと頭が回れば、薄寒いさすら感じた。その威力はしばらくその場から動けなくなるほどに。

 

 

「なにあれ、すっごいイラつくんだけど……」

 

 

 誰に向かって放つでもない言葉が骨身に染みた。

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 医務室の扉にもたげるように寄りかかり、額の熱っぽさを手の甲を感じ取りながら、ベットを目指す。視点の先はブレ、頭を降って正気を保とうとしていた。

 

 

「ハァ、ハァ」

 

 

「大丈夫ですか提督?」

 

 

「……あぁ大丈夫だ。それよりも、暑苦しいからひっつくな。ハァ、ハァ」

 

 

「ずいぶん苦しそうですね。ささ、ベットはこっちですよ?」

 

 

 案の定と言うべきか、医務室には担当の者がおらず、提督は唇を噛んだ。明らかにおかしい大井の態度に、一々感情がかき乱されるこの事態。揺れ動く心は感情に想起させ、なんだかこのまま進むと取り返しのつかないことになるんじゃないかとの考えが唐突に湧き出た。

 

 

「ちょっと、トイレに、行かせて、くれないか」

 

 

「そんな調子で用を足せますか? なんだったら私がお手伝いして「ちょっとちょっと、何してるのさ大井っち!」

 

 

「あら? 北上さん? まだついてこられてたんですか?」

 

 

「ついてきたって、明らかに様子がおかしいじゃん。大井っちなにかした?」

 

 

「さぁ? なんのことやら」

 

 

「提督トイレでしょ? 早く行ってきたら?」

 

 

「……邪魔しないでいただけます?」

 

 

「ほら早く行け!」

 

 

 埒が明かないと提督の背中を張り飛ばす。次の瞬間青ざめる北上であったが、なんとかバランスを崩しながらながらも立て直したことにホッと安堵する。それを見ていた大井は、目に見える形での明確な意志表示と小さな勢力の出現に、卑しくも笑みを浮かべるのだった。

 

 

 



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シンバルはとっておき

 

 

 たおやかな朝の陽気が吹き抜ける。そんな穏やかな空気が入り込むはずの医務室では、栗毛のロングと黒の三つ編みその両者によって、今まさに通り過ぎようとした空気が凍てついた。

 

 北上は、自分に挑戦的な笑みを絶えず向け続ける大井に、その非愛な顔面を向けてみた。さきほどからカメレオンのように赤くなったり青くなったりと、朝っぱらから忙しいことこの上ない。

 

 キュウっと寄せた結ばれた手を握って、それを庇うように空いていた手が覆えば、途端に目が泳ぎ出す。何かしら語るべき大井が微笑を浮かべているのが気味が悪くて仕方がなかった。

 

 

「フフフ……そんなに怯えることないじゃないですか北上さん。私たちの仲じゃないですか〜」

 

 

 以前の北上にべったりであった大井を引っ張り出し、まるで今までの全てが演技であるかのように訴えかけるが、態度のあまりの豹変ぶりに心底馬鹿にされている気分だ。

 

 認めたくないと乙女心は揺さぶられ、けれど自覚してしまった以上ごまかし用のない感情に振り回される。提督が倒れたら引きずればいいと口で言っておきながら、いざ目の前で倒れてしまいそうになるとその矛盾は本心となって現れた。

 

 北上は納得できる筋の通った理論を構築しようと試みる。が、あまりにも整合性を欠いた事柄によって、素直さが真っ先に逃げ出す。

 

 

「いつから狙ってらっしゃったんですか? この鎮守府に来た時からですか? それとも……」

 

 

「ち、ちが……」

 

 

 傷心の親友を差し置いてならともかく、そんな早い段階から彼を意識なんてするわけないと訴えようと口は動くが声は出ず。反対に心がその回答の是非を考え始めると、今さっき矛盾を感じ取った身としては、なんとも否定しきれない自分がいることに気がついた。

 

 

「あぁでも残念、彼の隣は一人で満員なんです。だからその……諦めてくださいね?」

 

 

 視線を明後日の方向に向けて、なんとも誠実さを失った大井はクルリと背を向ける。そしてそのまま、見せ付けるように左腕を伸ばし、今度は引き寄せて頬擦りを始めた。提督から送られた銀色の指輪が、鈍くも光を取り込んで妖しく光った。

 

 

「へ、へー。でもそれってさ? ただの装備品でしょ?」

 

 

 ノーダメージを装うように震えた声で強がる北上は、提督との目に見える繋がりがない自らを守るように抱きしめて、数段リードを重ねる親友を蹴落としにかかる。フッと音が消え、色を失った大井。瞬間、弾けたよう笑いだす。その姿は誠に妖艶であった。

 

 人は時に、まだ救いがあると希望を見せられるより、もう無理だ諦めなと声をかけられた方が救われることもある。あんなにも執着の対象である陸奥を差し置いて、大井が提督に選ばれることなどあってはならないこと。

 

 そんな事に気付いてしまったら最後、このやるせない感情をどう処理すればいいのか。大井のこの行動はただの妄想である、そうであってくれと心のどこかで北上は思っていた。

 

 二人の間を沈黙が支配する。一体どれほど佇んでいただろうか。ソワソワと落ち着きのない北上をチラリと見て、大井が口を開く。

 

 

「……提督、遅いですね」

 

 

「……うん」

 

 

「私、見にいってきますね?」

 

 

「待って! ……私も行く」

 

 

 医務室の出口へと向かう大井に北上が追いすがるように駆け寄る、扉が開け放たれると、いつもより距離を置くように開いた両者の間を、一陣の風が吹き荒む。

 

 

 

 

 

「提督〜ご無事ですか〜」

 

 

 男子トイレの前で大井が呼びかける。けれども返事はおろか、人のいる気配すら感じられない。困惑する顔を浮かべる北上とは対極に、大井は至って冷静そのものだ。

 

 

「他のトイレってわけじゃないよね?」

 

 

「ないですね。医務室から一番近いトイレはここ以外ありえませんから」

 

 

 そう言い終わると、大井は一歩踏み出す。その行動に背後から声上がった。

 

 

「ってちょっとちょっと! なにはいっちゃってるのさ大井っち!!」

 

 

「こうしないと調べようがないじゃないですか」

 

 

「いや、でも、えぇー……」

 

 

 普段なら変態扱いが普通の行動を平然とこなす大井。北上は常識をもって諭そうとするが、今は緊急事態のためそうもいっていられないか。と、物言いたげな顔を引っ込めて、まるで男子トイレの入り口にバリアでも貼られているかのようにアワアワとその行方を見守るしかできなかった。

 

 

「提督? いらっしゃいますか?」

 

 

 提督がいるであろう、ロックのかかった個室へと呼びかけるが返事がない。すると大井は扉の上部にしがみつき中の所有者の安否を確認する。いくら鎮守府内の男が提督にだけとはいえ、提督以外の人間が使っているかも使うかもしれないのに、膝上の切り詰めたようなスカートを翻してよじ登る様に北上が恥ずかしさを覚える。

 

 

「んっ、しょっと」

 

 

「ど、どうだったの?」

 

 

「無事ですよ、気絶しているみたいです。薬の量間違えましたかね? 

 

 

「それって大井っちのせいなんじゃ……」

 

 

 このままでは危ないので、めくれるスカートをほぼ全開まで開いて向こう側へ乗り越える。さすがの大井も恥ずかしいのか、提督の方を見遣り、しっかりと目視確認の上で上体を迫る天井にとの間に滑り込ませた。すぐさまガチャリと開錠の音が北上の元へも届く。

 

 

「さ、いつまでも意地張ってないで手伝って下さい。私一人だとバランスが悪いので」

 

 

「う、うん……」

 

 

 絶対不可侵の領域。無闇に入るようなら変態の烙印が押されるこの場所へ、北上は心理的抵抗感から少し躊躇していた。男子トイレの前で、ウーンウーンと悩ましげな声を自分を是非客観視していただきたいところだ。

 

 ようやく踏ん切りが付いたのか、ピンク色に染めた頬でパタパタと駆け寄り、提督に密着する。北上の品のいいお椀が脇腹に沿って凹み、近さも相待って変に気持ちが盛り上がる。対して大井はが肩を貸すと、タワワに実った果実が脇腹を飲み込む程に変形し、北上の顔をムッとさせるに至った。

 

 

「肩に手を回して医務室まで運びましょう」

 

 

「うん」

 

 

 大井の胸へと向けられた視線は、次に自分の胸を射抜き、同じ艦種のはずなのにどうしてとため息をついた。白目をむいて口をあんぐりとさせた提督を見ると、そういえば彼のことを運ぶのは、居酒屋の時以来だなと物思いにふけったり。

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

「北上さん手を離して下さい……北上さん?」

 

 

「へぁ!? あ、うん。離すよ」

 

 

 医務室に来るまでに提督の匂いに飲まれたからか、お酒を飲んだようにクラクラと思考判断が鈍っているのを感じる。好きな異性の匂いには興奮作用があるとかないとか、いつかの日見た雑誌の知識が、気持ちの混乱を加速させているような気がした。

 

 

「これでよしと……はぁ、北上さんのせいで計画が台無しですよ」

 

 

「やっぱり大井っちが原因なんじゃん」

 

 

「提督が寝てしまった以上、秘書艦である私が書類を処理しなければいけません。なので私はこの辺りで失礼させていただきます」

 

 

「ちょっと! まだ話は終わってないよ! ……行っちゃった」

 

 

 あれだけ固執している提督を置いて、大井はさっさと自分の責務を全うするように動き出した。静止の声も軽くスルーで、仕方ないかとチラリと提督を見る。自分は医学の知識はないが、張本人が大丈夫と言っているのなら問題はないのだろう。

 

 ようやく人目から離れたと、フーと背もたれのない椅子に座り、だらしなく脱力する。なんとなしに眺める提督は無防備で、今なら何をしても許される気がした。

 

 

「……」

 

 

 物は試して手は伸ばされて、辿り着いたのは手の平。にぎにぎと両手で手の感触を確かめて、まるで手相を見るのかマッサージをするような光景。誰の目もないからか、取る行動の出は早く、大幅な遅れをからの焦りで積極性は北上史上最高峰と呼び声高い。

 

 

「……」

 

 形に残る戦果が欲しいと北上が睨んだ先は、間抜けに半開きにされた口へと向かう。周囲や窓に部外者がいないことを再度確認すると、なんてことない日常のように、唇と唇の距離をみるみる狭めていく。

 

 

「……」

 

 

 視界が提督いっぱいになったところで動きが止まった。ただの唇を重ね合わせるだけなのに、どうしてどうして怖気付いているんだろう私と首を振る。

 

 接吻がキスたらしめる難易度。しかし、この無性に湧き上がるこの羞恥心を克服すれば、大井と同列どころか一気にリードも射程圏内のチャンス。あとの隙間は目を閉じて……。

 

 

 ガチャ

 

 

「うわわわ」

 

 

「あれ? どうかしましたか北上さん」

 

 

「い、いや。ちょっと提督が倒れちゃってさぁ」

 

 

 医務室の主人である明石が顔を出すと、北上は勢いよく立ち上がってる。タハハと笑ったその顔は、暖を取れるほどに燃え盛っているのだった。

 



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ハンドベルで願う

 

 

「……何の御用ですか? 陸奥さん」

 

 

「えぇ、体調を崩しているって聞いて。ちょっとだけ……付き合ってもらえないかしら?」

 

 

 なんてありがた迷惑なんだ。私を笑いに来たのかと、不貞腐れるように何処とも知れぬ場所を見て、さっさと話をぶった切りたいとぶっきらぼうに切り出した。少なからず、私が陸奥さんに悪い感情を抱かずにはいられない。

 

 それでも同情やお情けのない、見たところ混じりっけのない縋るような表情を浮かべられれば、段々とこっちが悪い気さえしてくる。なんであなたがそんな顔するんですか、おかしいでしょうに。

 

 勝者の自覚のない行動は、私から見れば一種の挑発にも見えなくもない。それがわざとじゃないことは表情からも窺える。へんに怒鳴り散らすことも出来ずに、この奇妙な感情に理由をつけた。これを機に、提督との関係性を聞き出すのだなんてそれらいし理由を見つけると、諦めたように息を吐き出す。

 

 

「ハー……、わかりました」

 

 

 どこに向かうのかもわからぬ心配をよそに、身長だとか、胸の大きさだとか、提督の心だとかなにもかも劣った負け犬は、首を短くして付き従うのだった。

 

 

 

 

 

 連れられたのは食堂。

 

 もうラストオーダーギリギリの、食器を洗う音が耳に届き閑散としていた。

 

 道中に会話はなく。わざわざもうすぐ閉まる食堂を選んだのは、話はすぐに終わるとの意思表示のつもりだろうか。

 

 もっと誰もいない密会を勝手に想像していただけに、予想との違いに小さく驚く。

 

 

「何か食べる?」

 

 

「はい? あ、はぁ」

 

 

 流石に食堂まで来て何も頼まず居座るのは居心地が悪いのか。それに、面と向かって話をするより、何かを摘みながらの方が気持ちが楽なんだろう。

 

 トレーを手に取る陸奥に従うように、失礼なボヤッとした返事をしながらトレーを取り寄せ、ボヤッとメニューを見渡した。何を注文するべきなのかと、答えを求めて先行する陸奥さんの方に注意を向けると。

 

 

「すみません、坦々麺の激辛で」

 

 

「ッフ。あ、いえいえなんでもないですよ、お気になさらず」

 

 

 食堂が閉まる時間が迫っているはずなのに、結構ガッツリ食べようとしていることがおかしくって笑ってしまって、どうかしたの? と小首を傾げる陸奥さんに、なんでもないですよと説得力に欠けるフォローをくっつけた。

 

 本当に私と会話する気があるのだろうか、いや突っ込むべきはそこではないだろう。提督の異常性で違和感が仕事しないのか、"激辛"の言葉に言及するのが先だろうに。

 

 

「辛いの、好きなんですか?」

 

 

「うーん、そうね。……一日に一回のペースで食べるようには……」

 

 

「へ、へー」

 

 

 人は見かけによらないというが、澄ました顔をしておきながらのコアな事態に言葉を見失う。どうやら想像の数倍もひどい事態に、流石は提督の元同僚だけあるなと感心すら覚える。

 

 けれども、どっちから先に歩み寄ったのかの回答には及ばない。元々辛い物好きがこうじて歩み寄ったとも考えられる。いずれにしろそこいらの艦娘の一人と片付けるのは出来ないことは飲み込まなければならない。

 

 悔しいけど、今までのことが全部自分の独りよがりだった事に気付き、不覚にも宿敵の前で弱みを晒しそうになる。キュッと表情筋を引き締めて、私も陸奥さんの注文した量と大体同じメニューを選び取り横にずれた。すると、今度は陸奥さんが会話を振ってくる。

 

 

「この戦争も、じきに終わるわ」

 

 

「ッ……」

 

 

「もしかしたら、凄く失礼なことを言うかも知れないのだけれど聞いて?」

 

 

「……なんですか」

 

 

「戦後、提督のことを支えてあげて欲しいの」

 

 

「それは、また。どうして……」

 

 

「提督は戦争に囚われている。あの子、目標を見失ったら燃え尽きてしまうと思うの。私じゃ提督を真に理解してあげられない。こんな無責任で本当に心苦しいのだけれど、彼の良き理解者になってあげて?」

 

 

「は、はい……」

 

 

「その、提督はどうして陸奥さんのことが好きなんでしょうか……」

 

 

「私も彼そのものじゃないから断言は出来ないのだけれど……強く、当たり過ぎたんだと思う……。それと、私が弱さを晒してしまったからじゃないかな……」

 

 

「提督に弱さを見せたって、一体何があったんですか」

 

 

 その言葉に時が止める。絶対零度の横顔に、温度が急激に下がっていく気がして肩を震わせた。あまりにも不躾。自分の行いを省みると、焦るように謝罪の言葉が口から出てきていた。

 

 

「す、すいません込み入った話をしてしまって」

 

 

「いいのよ、私が勝手に抱え混んでるんだもの。あなたには悪くないわ」

 

 

 そう言って、かん水で黄色く着色された麺を箸でつまみ、もの悲しげな表情で啜り上げた。

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

「んん! うまい!!」

 

 

 はじめて味覚を感じた時は、感動を覚えた。感情が芽生えたことで、人間と同じように酸いも甘いも噛み締めて、けれどもやはり飯のうまさに驚く毎日であった。

 

 

「もう長門ったら、そんなに詰め込んだら喉つっかえちゃうわよ?」

 

 

「ん!?」

 

 

「はぁーもう言わんこっちゃない」

 

 

 慣れない体をに飯詰め込めば、しかめっ面に胸叩く。そこに陸奥がハイハイとコップを前に出せば、救援を得たりと飛びついて体内に流し込む。ご飯で死にかけていたビックセブンは、神妙な顔を作り、また頭に浮かんだそのままを形にした。

 

 

「食事が戦意にこれほど影響するとは……。いまなら深海棲艦百匹は殴り飛ばせるぞ」

 

 

「もう、長門ったら」

 

 

 それをやり遂げるだけの気概を見せるので、冗談に聞こえないのが笑えないと、呆れて首を振りまく。ウムウムと仕切りにうなずく長門は、次に陸奥のお茶碗へと視線を注ぐ。

 

 

「それにしても陸奥は優雅に食べるな、私も見習わなくては」

 

 

 そんな調子で自分の飯に向き直る真似てみるが、次第にまどろっこしくなって結局いつものペースで平らげ始めるのだ。

 

 

「見習うんじゃなかったの?」

 

 

「いや、またの機会に取っておこう。オカワリ!」

 

 

 元気に差し出される米粒一つないお茶碗。そのあまりにも説得力にかける文言に、偽りありと笑みを浮かべた。

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

「んてぇ!!」

 

 

 自慢の41センチ主砲が轟音を鳴られば、目に見えて味方は勢いを増す。傷だらけの船体。それもそのはず、先陣を切って敵に怯まず、威風堂々と戦線に穴をこじ開けるのだから当然の代償だ。

 

 

「まだまだ!!」

 

 

 戦場の恐怖に萎縮した艦娘は、ただ彼女を見て自らを鼓舞する。正しく彼女は、戦場の女神。形容し難い高揚感を胸に、ただただ陸奥は姉を誇りに思う。だが、こんなに飛ばしすぎるのもよくないと、最前線で光り輝く彼女に声を掛けた。

 

 

「ちょっと、程々にしておかないと、また帰った時に怒られるわよ?」

 

 

「そうはいってもだな陸奥。存分に戦える戦場で、大人しくしていろというのがそもそもの間違えなのだ」

 

 

 戦場には英雄が必要なのだ。圧倒的力を備えた、絶望の中での一筋の光。その光が、自分の勝手知ってたる身内であることがたまらなく嬉しいとともに、自分も精進せねばと気も引き締まる。

 

 けれども私たちの存在を疎ましく思う連中もいる。また小うるさい上官に嫌みったらしくネチネチと攻められるのは、いまだに慣れていないよと。

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

「それで、最前線に出た、と」

 

 

 パサリと海戦結果の書類を投げ、不満ありありに手を組んだ男は、呆れるように息を吐き切ると二人にその冷め切った目玉を向けた。

 

 

「君たちは自分の立場がわかっていないようだね。いいかい? 君たち戦艦はいうなれば広告塔、国民から金を巻き上げるための旗頭なんだよ」

 

 

「……提督、いっては悪いがその発言をビッグセブンの前でするのか?」

 

 

 確かに戦争には金がいる。それも、国土を海に囲まれた自給自足するエネルギーも食べ物もない日本ならば、安全保障、日々の日常の当然の対価のために出費は嵩み続ける。それが非常事態となればなおさらだ。

 

 

「何度も何度も繰り返し繰り返し話しても理解しないからこうやって話しているんだ。とにかく、君たちが動くと資材は減るは、燃料は食うは、象徴がなんだとうるさいのだよ。君たちは戦線の後方で、腕を組んで踏ん反りかえっていればいいのだ。……それとも、大和のように朽ち果てたいのかな?」

 

 

 終戦まで、燃料不足によって生殺しにされた長門が知らないはずもない。その脅しは彼女達、超弩級戦艦には効果覿面。息を飲む音がはっきりと聞こえるほどに、生唾が喉を望まずに潤した。

 

 

「……承知した。それが国家の為ならば……」

 

 

「結構、せいぜい迷惑は大飯ぐらいに収めるように……陸奥、君もだぞ」

 

 

「了解です、提督」

 

 

 海上に浮かぶ、鋼鉄の要塞。超弩級戦艦傷は決して無傷ではいられない。陸奥を上から下まで舐めるように見やり、やはりおかしいと提督は顔をしかめた。

 

 傷と撃墜は長門が多いが、使用する弾薬量は陸奥と大して変わらない。それでも攻撃するために前に出れば、消費された弾薬に対してのダメージ量の計算がおかしい。

 

 無能と一括りに結論は出せる。しかしだ、もしも長門の弾薬消費を陸奥が肩代わりしているとしたら_____。恵まれた環境でしか輝けない、コストパフォーマンス最悪の産廃の身を案じたのか、それとも提督自身の身を案じたのか、それは神のみぞ知る。

 

 

 

 

 

「んー全く、腹の立つ男だ」

 

 

「仕方ないわよ。今はどこも切り詰めているんだもの」

 

 

 腕組みで、なんとも不満そうな長門を陸奥がなだめる。

 

 日本という国を維持するにはそれ相応の力が必要不可欠だが、それもシーレーン確保のために細長く引き延ばされ、無尽蔵とも言える深海棲艦相手に紙一重の戦いを強いられていた。どこかが耐えきれずに潰れてしまえば、それこそ国家滅亡の危機に瀕するほどに、この国は危うい。

 

 

「それよりもご飯にしない? 美味しいものを食べれば嫌なことなんてどうでも良くなるわ」

 

 

「……それもそうだな。よし、今日は新しいメニューに挑戦しよう」

 

 

 しかし、ただ思い詰めるだけでは事態は好転しない。悩むのを仕事にしている人間に任せて、自分達は与えられた任務を全うしようと先ほどまでの不快感を追い出し、楽しいこのと考えようと努める。それには食事がなによりもベストであった。

 

 

 

 

 

「くぅ〜なんだこのむせ返るような赤い代物はぁ」

 

 

「ねぇちょっと? あんまり無茶しないでよ?」

 

 

「な〜に。いざとなれば陸奥が手伝ってくれるさ」

 

 

「ちょっと、私を自然に巻き込まないでよ」

 

 

「まぁまぁまぁ」

 

 

 ただの赤。未知との遭遇にはしゃぐ長門を、呆れた目で見守るのは陸奥以外いない。

 

 

「ぐ、ぐぁをッ! か、辛い」

 

 

「言わんっこっちゃない。注文を止められた時に素直に従っておけばよかったのよ」

 

 

「陸奥ぅ〜! 助けてくれぇ! 〜」

 

 

「もう、しょうがないわね」

 

 

 そういって、借金の肩代わりみたく顔を露骨に歪めながらも、陸奥は泣きつく姉の力になりたいと料理を口に運んだ。

 

 

「ゔぅ、ゴ、ゴホ、ゴフッ」

 

 

「だ、大丈夫か陸奥?」

 

 

 自分が辛いものに弱いことを初めて自覚した瞬間。もっていた箸を放り出して、両手で情けなくなる口元をおさえる。そしてどうしてこんな選択をしたんだと長門に目で訴えかけるのであった。

 

 

「わ、悪かったって」

 

 

 まあまあと両手を突き出して陸奥を宥めると、自分のケジメをつけるべく長門は意を決して料理に向き合う。ただでさえ物資が不足しているのだ。好奇心の暴走が原因とはいえ、一番初めの言い出しっぺに食べる責任がある。

 

 

「こんなのただからいだけ、ただつらいだけではないか。このビックセブン推して参る」

 

 

 苦しむことすら感謝を推し進めるように、ヒーヒーフーフーとまるで出産のように辛味への挑戦を買って出る長門は、世界で七人いる国家の抑止力をもちだしてこの難題に挑むのであった。

 

 



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ボツネタのごった煮

物語も残すところあと僅か。予想よりもだいぶ短くなってしまったことで伝えきれていない北上の魅力とか、大井に関連した話とか、妄想が爆発してウンチします。

※物語本編には一切関係がなく、あくまで便所の落書きだと思ってご覧ください。


 

 

 手を繋ぐ

 

 

 提督と陸奥が横に並んで歩いている。たびたび交わされる会話、盛り上げようと画策する提督。その目は時々、近くて遠い陸奥の右手を視界に捉えていた。

 

 関係性の進展。どことなく焦るように急かすように自分に言い聞かせ、けれどもその先の未来を案じて一歩踏み出せないでいた。別段、可能性のない話ではない。何かの拍子に、今まで思い悩んでいたことが好転することは珍しい話ではない。

 

 けれどもより求めれば求めるだけに、行動はぎこちなさを覚え、後一歩の代償にうろたえていた。こうしてまた貴重な機会を失う。変わらない日常に肩を落とし、また変わらなかった日々に安堵し、二つの感情を混在させながらも別れを告げた。

 

 

「ハー」

 

 

 下手しても陸奥には聞かれないように、小さく思い詰める。次があるとは安易に思いたくない提督であった。そんな背中を見つめる影。さっきのを奇怪な提督の姿を黙って見るに、その淡い恋心が自分に向いていないことに気を落とし、しかしこれはチャンスではないかと独りごちる者がいた。

 

 

「なーにしてんのー提督〜」

 

 

「ん? 北上か。んや、特に。なにも?」

 

 

「へぇ〜ほんと〜?」

 

 

 体をクネクネとよじりながら、ニヤニヤとまるで全てを見透かしているぞと告げるように提督の回りを一周して、時折その視線を提督の左手へと向けてる。

 

 

「なにか困ってんじゃないの?」

 

 

「いや、これは俺の個人的な……いや、北上には今更か。どこかで見てたんだろ大方。それで? 感想は?」

 

 

「キショイ、キモい、ブザマ」

 

 

「はは……そりゃどうも」

 

 

 やけくそまじりの感謝の言葉。それにニンマリ頬を緩めた北上は、表情を悟れないように顔を伏せた。と思えばすぐさま顔を上げ、懇切丁寧にサポートを始める。

 

 

「駆逐艦のことは出来るのに、どうして戦艦とはできないのでしょ〜か?」

 

 

「それお前……気持ちの問題だろう」

 

 

「それじゃあ抵抗感をなくす為に特訓すればいいんだよ」

 

 

「特訓たって……」

 

 

「はい、こゆこと」

 

 

 そう言って並び立った北上は右手を差し出す。嫌いなんじゃないのかと困惑するように顔を見る提督に、まどろっこしいともう一度手を振る。それでもしぶる提督に、段々と強くなるイライラを隠した北上の声が握手を促した。

 

 

「こんなんでつまずいてたら、いつまで経っても進展しないよ?」

 

 

 ほれほらと揺れる手。一理も二理もある北上の文言に、ついに折れる形で提督はその手を取った。手の大きさが駆逐艦ほど小さくないから緊張する。

 

 そしてなんといっても手の柔らかさ。自分の手が石で出来ているのかとつまらない冗談を浮かべるほどに、相手にとの違いがあった。北上はそんなこと気にする様子もなく、ブランブランとまるでブランコでも漕ぐように前後前後。

 

 どお? とでも言いたそうに上目遣いで提督を見ていた。こんなところで緊張してどうするとブルリと頭をふり、気恥ずかしさに多い被さるように力強くその手を握ると、反対に北上は少し驚いたように顔を強張らせる。あれだけ柔らかいと感想を持った手に力が抜け、なおさらその感触が頭にこびりつく。

 

 

「どんな感じ?」

 

 

「いや、恥ずかしいな……」

 

 

 その返答に満足しながらも、確かな手応えを感じた北上はさらに攻める。仄かに赤びた頬を近づけ、提督の動揺につけ込んで、握った手を一度解く。ついで、腕を絡めるように急接近し、手の平をあわせて互い違い重なり合った。俗にいう恋人繋ぎである。

 

 

「……ッ」

 

 

「フフッ」

 

 

 あまりの恥ずかしさに顔を背ける提督と同様に、責めに転じていたはずの北上も居た堪れなくなって顔を伏せれば、なんとも奇妙な空間に仕上がった。

 

 

 

 

 

 王様ゲーム

 

 

 険悪な仲が続いていた大井、北上の冷戦は、陸奥と呼ばれる驚異の元についに結託した。

 

 

「提督に取り入るためには、私たちが争ってちゃダメだよ。ここは共同戦線を張って、いったん休戦ってことにしない?」

 

 

「……確かに私たちがいがみ合ってても不毛な戦いですものね。……わかりました、同盟を組みましょう」

 

 

 提督をめぐっていがみ合っていた大井と北上は、お互いの利害の一致が重なって、協力して提督を協力しようと動き出す。とはいえ、現状は陸奥圧倒的力の前に手も足も出ていない状態で、どうにかこうにか恋の導火線をつけるそのきっかけを模索する。

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

「てことでさー提督。王様ゲームしようよ〜」

 

 

「……全く脈絡がないんだが、仕事はどうするんだよ仕事は」

 

 

「えぇ〜そんなん後で必死こいてやればいいじゃん」

 

 

「誰が鎮守府を運営しているとおもってんだ。今この瞬間も命を賭して戦ってる艦娘もいるんだぞ? 国民から支えられて金をもらっている以上、せめて勤務時間内は「あ〜はいはい御託はいいから、私と大井っち提督と、後は陸奥が参加する予定だんだけど?」

 

 

「……ちょっとだけだぞ」

 

 

「やた」

 

 

 計画通り、と小さく両手でガッツポーズを決めて。ここまで提督がの扱いがわかりやすいと、取扱説明書もいらない。肝心の陸奥の方は、大井が説得してくれていることだから。後は大井の報告を待つばかり。

 

 

「しかし、四人でやってちゃんとゲームが回るのか?」

 

 

「提督やる気満々じゃん。まぁそこんとこは別途調整しながら試行錯誤って所で」

 

 

「……いや、一応勤務中だということを忘れるなよ?」

 

 

「乗り気の提督がそれいっちゃう?」

 

 

 そんな会話をしていると、執務室の扉が開かれる。

 

 

「お待たせしました北上さん」

 

 

「おー大井っちお疲れ〜。あれ? 陸奥は?」

 

 

「しばらくしたら来るそうですので」

 

 

「あ〜そうなのかー」

 

 

「例の計画は順調ですか?」

 

 

「ん、バッチリ」

 

 

 例の計画とは、鏡を執務室の特定の場所に鏡を設置。ようはイカサマをしようとしているわけだ。

 

 

 ガチャ

 

 

「おぉ! 陸奥。待ってたぞ」

 

 

((一番提督がテンションたかい))

 

 

「じゃはじめようか」

 

 ガサゴソと、ポッカリ穴の開いた特製の穴から、四本の棒が飛び出す。一から三の番号と、独裁者を示す王冠がそれぞれの先端にとりつけられている。

 

 

「「「「王様だーれだ」」」」

 

 

(や、ややややりました北上さん。私が王様ですぅ──────)

 

 

(良かったね大井っち)

 

 

 陸奥から意識を逸らすまでなら、二人は共通の目的を持った同志。仲間のチャンスを祝う程度の余裕を二人は持っている。そんな中大井は、北上が密かに設置した鏡へと視線を動かす。その計算し尽くされた角度は、提督の持つ番号をハッキリと写していた。

 

 

「で、では。その、二番は王様の目を見て、名前をいってくだしあ……」

 

 

(お題軽ッッる、しかも噛んでんじゃん)

 

 

「二番は……俺か、目を見て名前を呼べばいいのか? 大井?」

 

 

「いえ、ちょっと、もうちょっと真剣に。凛々しい感じで……」

 

 

「注文が多いなぁ……。……大井」

 

 

「は、はぃぃ……」

 

 

(ちょっと! 何怖気付いちゃってんのさ!)

 

 

(し、仕方ないじゃないですか。今のは軽いウォーミングアップです)

 

 

「なあそろそろ次に移らないか?」

 

 

((一番提督が乗り気……))

 

 

「んじゃいくよ〜。せーの」

 

 

「「「「王様だーれだ」」」」

 

 

「お、あたしじゃん」

 

 

(北上さんの采配……。目に焼き付けておこう)

 

 

 作戦立案に抜群の才能を発揮する北上。いざ提督へのなんでも券を手にすると、ムムムとどれが最善の選択かと考え込んでしまう。しかし、長く待たせるわけにもいかない。ここは、自分の信じて、一歩を踏み出す。

 

 

「んじゃ……、四番はゲームが終わるまで王様を膝に乗っける」

 

 

(ズッコー!)

 

 

「あ、俺四番じゃん」

 

 

「ふふふ、それじゃあ失礼して……んしょ」

 

 

 スカートが広がらないように両手を押さえつけ、まるで熱湯のお風呂に浸かるようにゆっくりと腰をかがめた。提督視点では、チラリチラチラと背後を窺う北上が見える。しっかりと提督の膝上に重きを置いた。

 

 

「動きづらいな……」

 

 

「フフフ。よきにはかれえ〜」

 

 

「……このまま続けるのか?」

 

 

「当たり前じゃん。ゲームが終わるまでだよ」

 

 

「これ自分が引いたやつが見えちゃうんじゃ?」

 

 

((提督のはもうとっくに見えてる……))

 

 

「それなら提督と北上を一人としてカウントしたらどう?」

 

 

 目的を理解している陸奥が助け船を出すと、速攻で提督が反応を示す。

 

 

「ん? う〜む? まぁいいか、それでいこう」

 

 

 借りてきた猫みたいにムッスーとした北上が、体を擦り付けて気を引こうとしているが、陸奥とのあれやこれを望む提督には見えていない。まさに恋は盲目。

 

 

「……んじゃいくよ、せーの」

 

 

「「「「王様だーれだ」」」」

 

 

「お? 俺かぁ……」

 

 

 感嘆符を漏らすように、驚きと喜びが滲んだ声で、次に選択肢に顎を擦る。三番の棒を引いたから後は二分の一。プラプラと足を揺らして寛ぐ北上には悪いが、ここは提督に発言権があってもいいだろう。

 

 

「そうだなぁ……」

 

 

「一番は王様のことを……下の名前で呼ぶ」

 

 

「あら、私ね」

 

 

「「「!!」」」

 

 

「じゃあ、いくわよ?」

 

 

「お、おう……どんとこい」

 

 

 緊張の面持ちで構える提督に、北上と大井が渋い顔を披露する。ぷっくりと柔らかな唇が持ち上がると、その隙間に提督は見入ってしまう。

 

 

『警戒警報発令! 警戒警報発令! 鎮守府近海に深海棲艦が出没! 第一種先頭配置! 第一種戦闘配置!』

 

 

「くッ一旦切り上げるぞ!」

 

 

 グワングワンとなり出すサイレン。提督は忌々しくもサイレンに意識を向け、提督としての仕事を再開するのだった。その動きに付き従うように、他の三人も意識を切り替える。

 

 

 

 

 

 姉・妹

 

 

「ほら北上起きて、遅刻するわよ」

 

 

「大井ねえ朝からうるさいよ〜」

 

 

「また遅刻したら、今度こそ夜中ベットに縛りつけますからね」

 

 

「ひぇ〜」

 

 

「提督も起こさないと……全く、なんでうちの家族はこんなにだらしないのかしら」

 

 

 ズンズンと風を斬りながら隣室の提督のもとへと向かう。

 

 

「提督ー起きてるー。開けちゃうわよー」

 

 

 踏み出した一歩に、食べかけのスナック菓子の袋をふんでしまう。暗くて状況がよく見えないが、片付けられていないのは明白だった。

 

 

「あぁもうこんなに散らかして、ゴキブリが湧くからあれほど」

 

 

 カーテンを壊す勢いで開け放ち、提督を日光で消毒してやる。吸血鬼の如き提督は、頭が焼かれるのに耐えかねて布団をかぶった。

 

 

「いつまで呑気に寝てんのよ」

 

 

「はい、おはよう。朝ごはんできてるからさっさと着替えて食べちゃって」

 

 

 着替えるために起き上がるが、大井に退出する気配はない。人の目がありながら着替えるのは気がひけると、大井姉さんに声出しする。

 

 

「乙女みたいなことぬかしてんのよ、あんたがいつまでも散らかしてるから片付けてんでしょうが! はいはいはい大体ゴミ大体ゴミ」

 

 

 そこらへんに落ちていたコンビニの袋になにもかもぶっ込んでいく。これではゲームのカセットとか、大事なプリントなんかも燃やされる気がしたので慌てて止める。

 

 

「私が帰ってくるまでに片付けておいてね? もし片付けてなかったら、床に落ちてるもの二度と拝めなくしてあげるから」

 

 

 有無も言わせぬ圧力に、提督はただ”はい”と返事して、今日は直行直帰で帰らねばと心に誓う。

 

 

「大井ねえ昨日買ったエクレアどこー」

 

 

「あぁもう、戸棚の一番端!」

 

 

「はじ? はじってどっちのはじだようぉー」

 

 

「着替えたの? ならさっさと部屋から出て朝ご飯!」

 

 

 なんてことない家庭の、朝の一幕。

 

 




次回最終章


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深海編
前哨戦


最終章です。

いや、長かったなここまで・・・・。


 

 

 田舎の早朝に、万歳三唱の声が響く。

 

 その眩しいほどの姿に出来ることは、偉そうに励ましの言葉を掛けるか、三唱に混じる。あるいは手を振ることしか知らない。

 

 彼女らは、最前線に向かうのだ。それも、最も危ない役を押し付けて。俺が、俺自身が明確に死地へと向かわせたのだ。彼女が無事帰ってきますようにと、ただただ水平線に隠れゆく黒点を眺め続けた。

 

 

 ──────────────────────

 ────────────

 ──────

 

 

 目前に迫る決号作戦を前に、訓練に精を出す彼女たちの目は真剣そのものだ。

 

 それもそのはず、ようやく長く苦しい戦いの日々にも終わりが見え、勝利へのカウントダウンは目前までせまっている。

 

 しかし、窮鼠猫を噛む事態が怒らないとも限らない。追い詰められ手段を選ばなくなった深海棲艦ほど、恐ろしいものはない。

 

 志願した過酷な任務も、陸奥が生き残らなければそれこそ意味はない。迫る日々に心は締め付けられ、一時は作戦の辞退も真剣に考えたが、その行動は彼女の懇願によって無駄に終わった。

 

 

「提督? 顔色が悪いですよ? 大丈夫なんですか?」

 

 

「いや大丈夫だ。戦場に比べればこんなもの……」

 

 

 気持ちが悪くなるのを必死に押さえ込んで、精一杯の強がりを見せる。上に立つ者がこの調子でどうするんだ。そう自分に言い聞かせて

 

 

「……無理はなさらないでくださいね?」

 

 

 フッと大井が顔色を伺おうと覗き込む。調子が悪いのは自分が良き理解しているので、うっとしそうに顔を背け、話題をすり替えにかかる。

 

 

「大井はどうだ? 決号作戦に心配とかはないか?」

 

 

「やるだけのことはやりました。あとはもう、どうにでもなれです」

 

 

「そこは安心させる意味でも、必ず帰ってきますぐらい言ってくれないと……」

 

 

「戦場に絶対はありませんよ」

 

 

「それもそうだが……」

 

 

 せめて成功させますと励ましてくれても、バチは当たらないじゃないか? そんな無責任なことを考えていると、こっちの様子を機微に感じ取ったのか、神妙な面持ちで大井が口を開いた。

 

 

「あぁ陸奥さんが気になっているのなら心配はいらないと思いますよ? 超弩級戦艦は耐久力ありますし、彼女が沈むってなると一番最後ですから」

 

 

「縁起でもないこといわないでくれ」

 

 

 今一番聞きたいくない言葉だった。彼女なりの励ましの言葉だったんだろうが、余計に揺さぶられる感情に顔を覆った。表情に出すまいと両手でぴっちり顔に扉を作って締め切り、項垂れる。

 

 

「そんなに陸奥さんの能力が劣っていると?」

 

 

「そんな馬鹿な! 陸奥はよくやってくれている! 至らないのはいつまでも俺なんだ……」

 

 

「じゃあ、約束します」

 

 

「?」

 

 

 違う、いつも原因は自分にあるんだ。そんな思い出溢れ出る感情に、大井は同情的な目を向け、腰を屈めて視線を合わせた。まるで子供にでも言い聞かせるように、優しい声色で大井が続ける。

 

 

「提督のもとへ陸奥さんを無事に帰還させるって。はい、指切り」

 

 

「いや、でも「いいから! 手、出して下さい」

 

 

 そんなことに意味がないことなど、ついさっき言葉に出していたじゃないか。

 

 それなのに、おまじないを持ち出すのは、自分がそれだけ追い詰められているからか? と考えずにはいられない。けれども励まそうとしてくれている気概は感じる。

 

 その感情をぞんざいにはできず、大して意味のないまじないでしか支えられない自分の精神に嫌気が差してきた。

 

 

「指切りげんまん嘘ついたら針千本飲ーます、指切った」

 

 

「……」

 

 

「提督の重りを、部下の私にも背負わせてください」

 

 

「……責任は頭が取らなきゃいけないだろう」

 

 

「そういう問題ではなくてですね……」

 

 

「いや、そうだな。悪いな大井、気を使わせちゃって」

 

 

 部下に甘えてばっかりだ。自分の身勝手な行動と理念で目の前の少女を理不尽に追い詰めているのなら、北上のいったこともあながち、間違ってはいないのだろうな。

 

 

「少し外の空気吸いましょう。潮風に当たれば少しは気も紛れますよ?」

 

 

「一端、休憩にするか」

 

 

「私は提督の味方ですから」

 

 

「……」

 

 

 こちらの身を案ずるように微笑みかける大井に、果たして自分は彼女に相応しい人間なんだろうかと自虐してみた。

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

「私達はこれより、敵勢力圏内を避けながら真珠湾を目指します。周囲の警戒を厳として、深海棲艦に遭遇した際はこれをすぐさま撃滅。Aポイント到着後、航空支援を得ながらハワイ、オワフ島まで進出。敵生産設備を出来るだけ破壊し、作戦成功の尖兵とします。時刻フタサンマルマルで時間合わせ、……五、四、三、二、一、今」

 

 

 本日は晴天なり。天気は軍事機密に指定されるほど重要な要素らしく、戦時中ラジオから天気予報の一切が消えたとかなんとか。夜もこれから深まる時間帯。各種の点検を手近に済まして、陸奥号令に皆一様に時計に手を添えた。

 

 

「第一打撃艦隊、最大船速」

 

 

 最後の戦いが始まる。

 

 



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ニイタカヤマノボレ

 

 

 夜中に本土を出港した私達は、西経157度、北緯21度に位置するハワイへとゆっくり進路を取った。

 

 先行している補給部隊の待つA地点で補給後、万全の状態で敵基地オワフ島に強襲を仕掛ける。

 

 比較的安全な場所を航行するとはいえ、それでも深海棲艦から奇襲を警戒し、それを作戦が終了するまでの長期間。順調に物事が進んでも六日間。速度を気にし、方角を気にし、海面を上空を注視してと結構余裕がない。

 

 それでも陸奥さんは短いスパンで休みを取らせ、全体を常に警戒し続ける私に、肩の力を抜くように言った。長期戦になると告げられれば、まだ制海権を維持出来ているここで休まないと、後がつっかえる。

 

 先導艦に引っ張られながら、ここで息抜きと遥か彼方上空を見上げる。色んな戦場で、色んな星空を眺めるのが好きだ。航海する人間には欠かせない、北斗七星。昔の人々はこの星を頼りに、自分のおおよその現在位置を把握していたのだ。

 

 いつでも、どんな時でも、見上げればいつもの星空が私の居場所を教えてくれる。自分がまだこの世にいるのだよと、そして艦娘として生きているのだよと、教えてくれる。

 

 

「ふぅ、よし。あの無人島で三十分間休憩しましょう」

 

 

 予定の工程を早めて進行している甲斐あってか、心に余裕の表情がある。嵐の前の静けさ。こうやって腰を落ち着けている時の方が、かえって立ち上がるときに辛い。休憩する方が航行している時よりも苦しいとは、おかしな話だ。

 

 

「大井っち中腰じゃなくて、ちゃんと座った方がいいよ? 先は長いんだから」

 

 

「……そうですよね」

 

 

 北上さんのアドバイスを受けて、変に意地を張っていたのが馬鹿らしくなる。これは戦闘なんだ、一個人の感情を殺して、一つの歯車として機能するのが兵士の理想像。それに比べたら私は、やっぱりまだ兵器になり切れていない節がある。

 

 

「北上さんは……この戦争が終わった後どうするんですか?」

 

 

「なにそれ死亡フラグ? ……うーん、特には決めてないかなー。まぁどっちかって言うと、そこらへんでぐてーってしてるんじゃない?」

 

 

 随分とザックリとした説明。

 

 けれども、人とうまくやっていける北上さんならどこに行っても大丈夫だろう、と変な偏見が出ていた。

 

 ……陸奥さんに提督のことを任された身ではあるが、別に一人で支えろなどとはいっていない。過去に夢に見ていた、三人で助け合いながら生きる生活。戦争が終わっても、提督は陸奥さんに縋り付くだろうから、協力者は多い方が良いに決まっている。

 

 

「もしよろしければなんですけど……みんなで一緒に暮らしませんか?」

 

 

「!?」

 

 

「陸奥さんから、提督に付き纏っていい許可をもらって……私、子供みたいに喜んじゃったんですよ。でもよくよく考えてみたら、それはただ陸奥さんから許しを得ただけで、本当に振り向いてもらいたい提督には全く関係のないものだったんです。だから、その……私一人では提督を振り向かせることができないので……北上さんにも手伝ってもらいたいんです」

 

 

「わ、私は別に暇だからいいけど。大井っちはいい訳?」

 

 

「私だけでは彼を振り向かせることは難しいでしょう。だから北上さん! 手伝っていただけませんか?」

 

 

「……わかった」

 

 

 雲のない空は、穏やかに星空を写すのみ。鉄の嵐が吹き荒ぶ、その瞬間まで。

 

 



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ツクバヤマクダレ

 

 

 短い睡眠で奥地へとも進出するたびに、神経をすり減らされる。

 

 日の出で顔を出す朝日に、しょぼしょぼとした目はやられ。しかし周囲の警戒を怠ってはいけない。合流ポイントA集結まで残りあと一日を切った。ここからは深海棲艦の領域だ、気を引き締めてかからねば。

 

 みんなの表情は険しい。当たり前か。ここまで来るのに、敵の一つとも遭遇していないのだから。それでもいつ襲われてもおかしくないので、警戒を解くわけにはいかない、刺激が少ないだけに集中力に陰りが見え始める。

 

 もしかして、深海棲艦はこの動きを望んで誘導している? いやそれはない。勝勢ならまだしも、劣勢に追い込まれた者達の末路など、唯一自分の庭である自陣に引き込んでの一発逆転。

 

 がむしゃらな攻撃は返って戦力を損耗する。最善手を打ち続けるロボットのようだな、なんて。相手の指揮官がどんなやつなのか見てみたい。そうやって退屈しのぎで思考を更新し続けて、また振り返るように索敵を行う。穏やかな空だ。今から自分が決戦に臨むなんて、まるで他人事のように感じる。

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

「やあ諸君、いやはや疲れているだろう。見張りは我々が受け持つから、君たちは補給と休息を取って備えてくれ」

 

 

「お気遣い感謝します提督」

 

 

 合流ポイントに到着した私たちを本隊が出迎えた。何もない大海原に輪形陣を敷いて、最後の休息を取る。飛行機がしきりに飛び立ったり降りたったり。その光景をぼんやり眺めながら、自分たちの提督と通信を繋ぐ。

 

 

「陸奥以下六名。全員無事か? 体調の悪くなったものはいないか?」

 

 

「えぇ問題ないわ。予定通り本体と合流。一時間後にハワイ周辺海域に進出します」

 

 

「必ず帰ってこいなんて当たり前なことは言わない。……全力を尽くしてくれ、健闘を祈る」

 

 

 最後の演説になりそうだ。

 

 そう漠然と直感していると、インカムに繋がれた陸奥さんと提督が何やら親しげにはなしている。それに嫉妬している自分を見つけてふてくされていると、インカムが他の物に渡った。

 

 どうやら個別にメッセージを送っているらしい。余計なお世話だなと思う反面、提督らしいなと薄く笑う。作戦時間の集中する時間を作るためか、一人ひとりにかける時間は非常に短い、変に気の回る人だ。

 

 ……陸奥さんとの会話だけ、少々長かった気がするが、この感情をうまく言葉に表せない。それほどに複雑なモヤモヤが私の中で蠢く。

 

 

「大井? 次はあなたの番よ」

 

 

「は、はい……」

 

 

 内に意識が飛んでいたためか、なんだか変な返事になってしまった。髪を掻き上げて、自分を落ち着けると、インカムを耳に近づける。

 

 

「大井か?」

 

 

「はい、そうですよ」

 

 

「色々あったが……いや、色々あってすまなかった」

 

 

「このタイミングで過去の懺悔ですか? 空気読んでくださいよ」

 

 

「元気そうでよかったよ、北上が心配してたんだぞ?」

 

 

「……提督はどうだったんですか?」

 

 

「いや、まぁ。それなりに……」

 

 

 気苦労が絶えない提督にとってみたら、私なんて数ある心配事の一つだよななんて当たり前なことを考えて。けれども、できれば私のことを心配していたぞと言ってほしくて。提督の歯切れの悪さをフォローするように、言葉を付け加える。

 

 

「そうだ、この戦いが終わったらお伝えしたいことがあるんですよ」

 

 

「なんだ? 今は言えないことなのか」

 

 

「そうですね、帰ったら北上さんと一緒に……」

 

 

「そうか。時間も押してるから北上に変わってくれ」

 

 

「わかりました」

 

 

「北上さん」

 

 

「ん? なーに大井っち」

 

 

「ありがとうございます」

 

 

「?」

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 暗がりの空を埋め尽くす勢いの航空機。敵も味方も判別できない乱戦模様の。絶えず対空防御と回避運動を繰り返し、私たちは地獄への一本道をまっすぐ向かう。

 

 

「有効射程範囲まで後百メートル!!」

 

 

「敵機直上──────!!」

 

 

「各個散開!!」

 

 

 防空駆逐が率先して弾幕をばらまく。私はその隙間を縫うようにカバーに回り、なんとか爆撃体制に入る前に被弾を誘うことができた。木の葉が舞うように、きりもみに制御を失った航空機。それが黒煙を棚引かせながら海面に着水した。

 

 

「正面敵戦艦群!!」

 

 

「いくよ大井っち!」

 

 

「はい! 北上さん!」

 

 

「サイドカバー!!」

 

 

 シュポポポポン

 

 

 魚雷の全力発射音。敵の攻撃は苛烈を極め、皆一様にダメージを抱えている。しかし、それをその大戦力を跳ね返せるだけのチームワークが作戦の成功を着実に近づけていた。

 

 有効射程五十メートルを切り、いま持ち堪えている現状が砂上の楼閣であることなど、アドレナリンを放出し興奮状態にある私は理解していなかった。だから、ちょっとした危機的状態が訪れた時になって、ようやく思い出す。いかに自分達が過酷な戦場に立っているのかを。

 

 

「後方より敵機!!」

 

 

 羽虫の如くたかる敵の異型航空機。直衛の味方機を掻い潜り、私たちの急所へ突撃する。振り返るまでの本の僅かな時間。その短時間で、相手が攻撃準備を終えるのには十分すぎた。

 

 

「キャッ」

 

 

 弾丸が作り出した水しぶきに、攻撃が当たるのかと身構える。けれども運のいいことに、そのキリトリセンは横を素通りしていった。

 

 

「被害報告!!」

 

 

「大井無事です!」

 

 

 返答の言葉が続かないのを疑問に思って、今し方陣形を組んでいたはずのチームへと視線を向けると。

 

 

「き、きき北上さん!!」

 

 

「離れて大井っち、敵に狙われちゃう」

 

 

 機銃掃射は北上さんの右目を残念ながら捉えていて、悲痛に押さえつけるその姿に動揺を隠せないでいる。燃料に引火したらどうしようとワタワタと近付く私を、北上さんは冷静に突き放した。

 

 

「沈めに来る攻撃じゃなかった。チッ、嫌がらせか……」

 

 

 全体的に損傷軽微。されど、今の攻撃で、チームの全力を尽せなくなった。現場を鑑みて、旗艦の陸奥さんが決断を下す。

 

 

「大井さん。負傷艦を率いて戦線を離脱してください」

 

 

「ッ……任務を放棄するんですか」

 

 

「最重量目標の敵の引率はある程度達成されている。敵施設攻撃だけど、それは作戦失敗時の長期戦を見越しての戦略……。これ以上無理する必要ないわ、即刻離脱して頂戴」

 

 

「陸奥さんはどうするんですか……」

 

 

「私はこの場からオワフ島を砲撃。敵を引き受けます」

 

 

「ま、待ってくださいよ!」

 

 

「大丈夫、早く行って」

 

 

「なにが大丈夫なんですか、全然大丈夫じゃないですよ! それに、あなたを無事に帰還させるって提督と約束してるんです!! 三々五々の戦力でこの敵勢力下を抜けられるとは到底思えません。一蓮托生です」

 

 

「……ごめんなさい」

 

 

「なんであやまるんですか、敵中のど真ん中ですよ? 攻撃に集中してください」

 

 

 内部で意見が割れてる時でも、敵の攻撃にさらされ続ける。そんな状況の中で、戦場に動きが見られたのはそれからすぐ後のことだった。左舷に展開していた深海棲艦の群れに、砲撃が殺到する。

 

 

「本隊が到着した?」

 

 

「私たちの戦いは終わりました。一緒に離脱しましょう!」

 

 

「そうね、わかったわ」

 

 

 負傷によって、チームの稼働率が大きく減ったのを受け、苛烈な攻撃が一人頭のダメージ量を増やしていく。

 

 限界の文字を頭に浮かべ。しかし、先制攻撃を加える、我らが本隊が加える勝利への号砲が危うい未来と混在していた。もはや人類側の勝ちは揺るがないのに、それでも最後の一兵まで戦い抜く気概に、大井は何かしらの執念を感じ取る。陸奥さんが前に出ることで保っているのが今の現状だ。私達は、陸奥さんの取りこぼしをフォローすることで持ち堪えていた。

 

 ふと背後から魚雷が迫る。それに砲撃で対処して、陸奥さんへ警告をしようとして、固まった。

 

 提督の未練である陸奥さんが戦場で散れば、モウイチドワタシヲミテクレルンジャナイカ? 魔が差したのだ。運命に導かれるように、砲撃を掻い潜った一本の雷跡が、陸奥へと向かう。

 

 私はじっとその雷跡をただ見つめて……。

 

 三十メートル。

 

 周りに目撃者がいないことを確認して……。

 

 二十メートル。

 

 最後に最前線で闘う陸奥さん見つめて、もう迎撃できないと言い訳すら出てきて……。

 

 残り十メートル。

 

 

「え?」

 

 

 もう助からないと理解した時だった、陸奥さんを庇うように身を差し出す影が現れた。

 

 私だった。

 

 殺す気でいたはずの雷撃にこの身を捧げていた。

 

 戦艦ですら致命傷を与える魚雷に、足元を吹き飛ばされ。バランスを崩すように海中へと沈んでいく。あっけない自分の最後。爆発音で気がついた陸奥さんや北上さん、チームのみんなが手を伸ばして引き上げようとするがもう遅く。

 

 私の方から手を伸ばしても、ただ浮力を失い続けるだけだ。それでようやく理解した。自分が沈んでいることに。

 

 明るい海面は次第に遠く。涙は海水へと帰る。走馬灯を走らせながら、深海が私を呼んでいた。

 

 




次でラストです。


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エピローグ

書いてて恥ずかしくなってきた。

黒歴史けってー。


 薄暗い部屋の中で、テレビをみてるんだかみてないんだかつけっぱなしで、それでもこの話題だけは元提督の耳にも届いたようだ。

 

 

『深海棲艦掃討作戦が最終段階へと移行しました。政府は各国との連携を視野に入れ、戦後の対応について議論するようです』

 

 

 戦争が終わり、俺に残ったものは沢山の部下の骸と、それを褒め称える昇進という名の称号であった。

 

 本格的な戦争が集結して、……俺が提督業をやめて早半年。気がつけば俺は、何もかもを失っていた。

 

 向き合うべき敵がいなければ、戦死者の無念と向き合わなければならない。自分で自分に頑張っているんだと言い聞かせながらその実、本当はいままでの犠牲者を意識しないための隠れ蓑にしていた。

 

 北上に面と向かって言われた"クズの本質"を理解した。あの後、眼帯を装備した北上は大井を失ったショックで……。いや、その先のことは俺もよく分かっちゃいない。風の噂だと、陸奥が主催するPTSD被害者の会に通っているとかなんとか。

 

 締め切った部屋で、酒を煽る。タバコも吸う。まるで、自分の寿命が尽きるのを必死に早めるように。今までの贖罪を果たすように。

 

 酒瓶がきれた。これがないとよく眠れない。フラフラとした足取りで外にでる。あれだけ辛い思いをした海に面するボロアパート。深海棲艦は、戦争で散った様々な怨念が具現化した存在。もしかしたら、俺が指揮していた艦娘も深海棲艦化しているんじゃないかと、そして俺を殺しに来てくれるんじゃないかと度々海を眺める。

 

 ……進んで海に出ないところを見ると、いざ目の前に彼女たちが現れたら、それはそれで醜態をさらすんだろうなと考えていたり。中途半端な罪の懺悔の気持ちなんだろうな、これは。

 

 

 

 

 

 買い物した袋片手に潮風に当たる。陸奥が望んだ平和の海だったはずなのに、いまは感慨深くもない。物思いにふける元提督は、先の大戦の出来事ばかり考えているので、たとえ背後を深海棲艦がぬるりと通り過ぎても決して気がつくことはないだろう。

 

 

 チョンチョン

 

 

 人の気配は周囲はなかったはずなのに、唐突に叩かれた肩に振り返り、視線を元に戻した。ビニール袋をガサゴソと探って、さっき買ったばかりのお酒の蓋をあけ、やけっぱち気味に腹の中へと流し込む。

 

 

「俺を殺しに来たのか、大井」

 

 

「……」

 

 

 有効な拠点を喪失しているはずなのに、それでも深海棲艦の相当が終わらない原因。人型と呼ばれる強力な深海棲艦が、引き際を見極めて戦闘を長引かせているからだ。

 

 彼女もまた、そんな相当な手練れの一人なんだろう。一体いつから自分が発見されていたのかは知る由もない。有無を言わさずに殺さない点から、最後の言葉ぐらいは喋る時間はありそうだが、酒瓶を持つ手は震え、脳を麻痺させようと必死に酒を流し込んだ。

 

 もちろんここで殺されても、俺は文句を言える立場ではない。

 

 

「うふふ、そんなわけないじゃないですか。殺す気ならもうとっくに殺しています」

 

 

「だろうな……」

 

 

「最後のご挨拶にきました」

 

 

「最後?」

 

 

「はい、深海棲艦最後の戦いです」

 

 

 ニュースの内容が思い出される。おそらくそのことをいっているんだろう。

 

 

「北上さんは元気ですか?」

 

 

「元気、いやうーん。しばらく会ってないからわからないが、陸奥と一緒にいるから心配いらないだろう」

 

 

「そうですか……それなら大丈夫ですね」

 

 

 元上官でありながら、部下のその後を把握していないなんて、大井はどう思っているんだろう。もっと彼女を安心させる言葉の一つや二つ出せたんじゃないかと、暗い気持ちになる。

 

 

「その様子だと……独り身ですか?」

 

 

「……そうだな」

 

 

「私が死んだのがそんなにショックだったんですか?」

 

 

「……かもな」

 

 

 背後からの質問に短く答える。自分がこうなってしまった覚えば多すぎて、言葉尻を濁すような返事しかできずにいる。

 

 

「提督がどれだけ思い悩んでいるかなんて、私には見当もつきません。あなたが指揮して、救った命があることは事実です。そんなに自分を卑下しないでください、曲がりなりにもあなたは提督なんですから」

 

 

「……元提督だけどな」

 

 

「私はもう沈んだ身なので……あなたのそばにいれませんけど、思い出を残すことは出来ます」

 

 

「そうだな、死んだ部下と語らうなんて一生ものの思い出……」

 

 

 いいながら振り返ると、冷たい唇が重なった。背伸びで目一杯の愛情を込めて、最初で最後の口付けだ。

 

 

「さようなら提督。あなたの幸せを心より願っています」

 

 

 余韻も残さないまま、大井は寂しい笑顔を浮かべて海を見つめた。

 

 




素人の話にここまで付き合っていただきありがとうございました。

本当ならお気に入りに登録していただいた方や、誤字脱字報告してくださった方々、評価をいれてくださった方々に、もっと早くお礼するのが礼儀ってものだったんだと思いますが、自分は出来た人間ではないので、この場でまとめて感謝の言葉とさせていただきます。

最後までご覧いただきありがとうございました。



完結した感想とこれからの課題
https://www.ookinakagi.com/longing-for-the-past/


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