爆弾を抱える少女達 (自律人形の執筆)
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プロローグ

 

 暗い空、美しい満月の夜だった。

 

 何が皮切りになったのか、先程まで五月蝿いぐらいに鳴っていた銃火器の音も、みんなの声も、一瞬にして静まり返る。

 俺はといえば、何が起こったのか全く理解出来ないまま、顔面に硬い土の感触を覚えていた。

 

「…………」

 

 砂利が口の中に入っても、冷たい地面が体温を奪っても、俺はただ身を任せるだけだ。

 

 

 

 目を閉じる。

 

 気が付くとあいつらが手を振っていて、俺は苦笑いを浮かべながら、そちらへゆっくりと歩いていった。

 仕事という(しがらみ)から抜け、上司と部下という壁を取り払い、改めて彼女達と出逢う。初めての事だ。

 どんな会話をすればいいか悩む俺を見かねたのか、顔を合わせた彼女達一人一人が、おかしそうに笑いながら語りかけてきた。

 

 

 

 指揮官が頑張ってくれたから、みんなが笑顔になれたんだよ! そんな顔しないで、あたしみたいにほら、スマイルだよ?

 

 

 

 仕事の手は、休めたらだめよ。全部終わったら、まあ、どっかに遊びに行くぐらいは、しても良いんじゃない?

 

 

 

 コーラ持ってこーいっ! 1人で飲むのも良いけど、やっぱりみんなで飲むコーラは最高だね。ね、指揮官っ。

 

 

 

 姉さんに近づく、活路が見えた、気がします。指令官と、2人でなら……追い越せるかも、しれません…。

 

 

 

 んふふふ、この子もあの子もみーんなまとめて指導してあげるわ。指令官、もちろんあなたもよ?

 

 

 

 大丈夫です。そんなに近寄らなくても分かります。あ、別に嫌いな訳じゃないですよ? だって指揮官がくれた、音だから…。

 

 

 

 あなたが私の指揮官で良かったです。あなたのお陰で、ようやく前を向けそうです。でも今はそうですね、取り敢えず寒いので、一緒にいて下さい。

 

 

 

 誰が誰でどうなのかって、とても大切な事だったのね。そうだ、指揮官にとってのあたしって何? あたしにとっての指揮官はね……ふふっ、内緒だよ。

 

 

 

 私は殺しの為に作られたけど、たまにはスコープの外を覗くのも、面白い顔が見られて良いものね。勉強になったわ。

 

 

 

 指揮官が私達を信じてくれたお陰で、ここまで来れたんです。だから私達も、最後まで指揮官を信じます。

 

 

 

 

 

「あぁ、みんな、ありがとう……っ」

 

 

 

 

 

 俺は撃ち抜かれた胸を押さえながら、空を見上げる。

 濡れたように滲んだ星々が、硝煙に撒かれて消えていった。

 

 

 

***

 

 

 

 

 大抵物語というものは、目が覚めるとそこは……だとか、腹減ったー……だとか、文学に精通している風を装った煩わしい長文だとか、そういうところから始まるのが一般的だ。

 物語の内容には一切関わりのない、自己満足のような冒頭。読者の為だと声を上げながらも、その実は賢くみられたいだとか、或いは単なる文字数稼ぎだったりする。

 分厚い書籍、賞を取った文学作品、はたまた偉そうなグルメリポーター。そのどれもが回りくどくジグザグに、紆余曲折してから内容を語り出す。

 

 ……もう気付いてるかもしれないが、この物語だって例に漏れずそれを体現している。

 

 (もっと)も、その烏合の山から一握り。その冒頭だけで読者を虜にする(たか)達も居る。他とは違う表現を筆述する事において、日本語は最もと言っていいほどに有用なツールだ。それを自在に操り、見え隠れする情景やら心情やら深みやら奇天烈さで読者を魅了し、物語の世界へと足を踏み入れさせる。

 

 それに憧れた。

 

 だから今回は、無謀にもこのチラリズムに挑戦したいと思う。

 

 

 

 生活音。

 

 

 

 鳥の囀りや時計の秒針が進む音、裁縫の音や母親の料理から果てにはニュースキャスターの挨拶など。ピッピだのチッチだのトントンだのカンカンだのコンコンだの。

 

 そういう音から始めたい。

 

 何故かって?

 

 俺を知って貰う上で、この“生活音”が役に立つからさ。だからみんなには耳を澄ませてよく聞いて欲しい。

 そうさ、モーニングコールからおやすみのベーゼまで、俺はこの音に支配されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーギュルルルッ! ピコピコチューンチューン、チーッ!! ヨンバンカラニジュウニバンマデ、イジョウナシ、ドゥルンドゥルンドゥルンゴォオオォオオインスタントノゴハンガデキタヨ、カタッカタッカタッカタッズダンスダンプーンッ! チュドーンッイラナイオー^^ジャキンジャキンポロンッオイコノスウシキ二ハケッテイテキナミスガアルジャナイカポチポチジュポジュポガラガラゴロゴロケタケタピカーンッ!! トゥルルル、トゥルルル、ピンポーンブゥーキラキラテロテロリーンダレカテノアイテイルモノハッ? ジュュバタンッ……!

 

 

 

 ……これぐらいのインパクトがあれば、ちょっとは気になってくれるだろう? 勿論、奇天烈さが売りだ。

 

 

 

 



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第1話『着任』

 

 IOP製造会社とは。

 武器や自律人形の製造などを手広く手掛け、民間軍事会社グリフィンへ、戦闘に特化した自立人形である“戦術人形”を提供している会社だ。その名前からも想像がつく通り、戦争があるからこその戦術人形であり、需要があるからこその提供である。

 しかしその関係は2045年4月に起きた第三次世界大戦終戦後の今も尚、当たり前のように続いているのだ。

 それは何故か。簡単に言えば、戦時中IOPと共に足並みを揃えてきた鉄血工業製造会社、通称【鉄血工造】で製造された人形達の暴走が原因である。

 制御不能に陥った人形達は人々を虐殺し、人同士の戦争から人と人形への戦争へと転換させた。

 今は亡きグリフィンの創設者であるベレゾヴィッチ・クルーガー氏が、それら暴走した人形達の勢力を囲うことに成功していなければ、今頃戦火は街の至る所に飛び火し、老若男女問わず多くの死者を出し続けていたところだろう。

 

 今もコンビニで購入したジャンクフードを頬張りながらIOPの休憩室で働く1人の若者、前園良太は彼に感謝していた。

 

「もしクルーガーさんが鉄血の勢力を囲んでいなかったら、今頃このカツからあげクンを食べられていなかったんですよ? 真の英雄はこの人で決まりですよ!」

「あぁ、分かったから。食べながら手を動かすか、喋りながら手を動かすか、どっちかにするんだ」

「ちょっとちゃんと聞いてくださいよヘリアンさん!」

 

 元グリフィンの上級代行官であるヘリアントス。

 今では現場を離れ、IOPで人形達のメンテナンス及び監督をしている女性だ。

 彼女は国民の誰もが敬愛するクルーガーに並び立つもう1人の英雄、太田啓司指揮官と共に働いていた。それだけでもヒーロー好きの良太にしつこく質問攻めをされているというのに、IOPでの執務はかなりの激務だ。

 その事も合間ってか、残念ながら未婚のまま40台に突入してしまったようだが、本人はまだ諦めていない様子である。

 

「貴様、聞こえているんだが……死にたいのか?」

「痛い痛い痛いっ! そんなんじゃ太田さんもビックリしちゃいますよ? マスコミも来るだろうし、そんな皺の寄った顔してて良いんですか?」

 

 そう。今日はこのIOPに先の英雄、太田啓司指揮官が直接やって来る予定なのだ。

 要件については良太達職員には追って説明するとだけ告げられ、彼の来訪を嗅ぎつけたマスコミ達は会社の前で朝からずっと張っている。

 

 え、大事な戦線を離れても大丈夫なのかって? そりゃ1年前に比べたら平気さ。

 

 1年前、鉄血は大規模な進行を開始した。

 その数は優に100万を超え、これがこの戦争の山場だと言わんばかりの戦いが起こる。この時、太田指揮官率いる人形達が破竹の快進撃を見せ、遂には全部隊の指揮を執り、鉄血に多大なダメージを与え、なんと僅か2周間で鉄血の残党を撤退まで追いやったのだ。

 まるで敵の行動を全て見透かしたかのような圧倒的な指揮と、この偉大な功績こそが、彼を世界が誇る英雄足らしめる理由である。

 

 まあそんなこんなで暫くは大丈夫だろうけど、それでも指揮官が前線を離れるのは危険だ。きっと今日の訪問も何かしら重要な要件なのだろう。

 

「あぁそうだな。今日は“あいつ”が来るんだったな……」

「…………?」

 

 ーーあいつ? あいつって太田指揮官の事か? やっぱりヘリアンさんって凄いや。あんなに凄い英雄を、あいつ呼ばわりしちゃうんだもんな。そんなんだから婚期逃したんだよ。

 

 良太は机に置いてある紐の切れたペンダントの前でご馳走さまと手を合わせ、コンビニ弁当を片付け始めた。

 

「そうだ前園、お前その太田印コーヒーは絶対に飲めよ?」

「は? 一体どうしてです?」

 

 太田印コーヒー。

 最早太田指揮官は国民的ヒーローであり、彼の名前を使った商品が数多く売り出された。

 かくいう良太も、太田ポスター全17種類を完璧にコンプリートした猛者である。

 

 このコーヒーだけは何故かヘリアンさんから支給された。というか手渡しされたんだよなぁ。一体どうしてだ?

 

「お前話を聞いていなかったのか? 仕事で疲れるであろうお前達の為に、上の奴らが“大量”に仕入れたんだよ」

「なんですかそれ。要はただの在庫処分ってことじゃないですか簡便してくださいよ、俺コーヒー苦手なんですから」

 

 子供の時大人ぶって好きな娘の前でコーヒーを飲んだら、あまりの苦さに吐いて女の子の顔面にかけてしまったことがあったんだよ。いやマジであの時の拳とコーヒーの味だけは忘れられないね。

 

「前園、実はお前に渡した太田印コーヒーは特別でな。飲み終わって底を覗くと太田指揮官直筆のサインがあってだな……

「喜んで頂きます!」

 

 良太は太田のサイン欲しさに、苦手なはずのコーヒーを一気に飲み干した。瞬間彼の顔が苦虫を噛み潰したような渋面になるが、直ぐに頭を振って無邪気な笑みを浮かべる。

 しかし満を持して紙パックの底を覗く良太であったが、目を凝らしてみてもサインらしきものは一切見当たらない。

 

 絶望。

 

 我慢して飲んだのに……

 絶望のジト目をヘリアンに突き刺した。

 

「お前ちょっと顔がうるさいぞ?」

「ちょっとちょっとヘリアンさん! 俺のこと騙しましたね? 太田指揮官のサインなんてどこにも……

 

 ーーーーあれ?

 

 言いかけて、その先が靄がかかったように朧げになっていく。必死に口を動かそうとするが、まるで金縛りにでもあった時のように、筋肉がピクリとも動かない。

 視界が揺れ、現実と夢の世界を分かつ境界が、どんどん希薄になっていくのを感じた。

 

 

 

 頭が酷く痛む。

 言葉が上手く話せない。

 思考がプツリと途切れる。

 ついには平衡感覚を失い、前のめりに倒れこんだ。

 

 

 

「すまんな前園」

 

 良太を受け止めたヘリアンがそう零したのが、彼にとってのIOPにおける最後の記憶だった。

 

 

 

***

 

 

 

「あー、なんで俺こんな所にいるんだろう? 俺デスクワーク以外は専門外なんだけどな……」

 

 良太が少し聞こえる程度にぼやく。がしかし無視。

 車内にいる誰もが話そうとしない。

 なんの拘束もされていないので、おそらく拉致されたという訳ではないだろうが、良太の両脇はゴリゴリのSPみたいな人物達に固められている。もう総称してSPの人達ということにしておこうかな。

 

 というかヘリアンさん、未婚のこと、そんなに気にしてたんですか……?

 

 良太はヘリアンのことを信用している。厳しく、男勝りなところはあるが、その分面倒見が良く、なんでもそつなくこなす。

 どうして彼女に睡眠薬を飲まされ、こんなゴリゴリのおっさん達に連行されているのかは分からないが、彼女が一枚噛んでいる以上、悪いようにはされないだろう、多分……

 取り敢えず凄い状況なのは確かだ。良太の細腕ではどうにも出来ないうえに、前後をこの車と同じような黒塗りの高級車が固めている。

 

 現地に着くまではハッキリ言ってどうしようもないなこりゃ……

 

 それから6時間程経っただろうか。最近寝ていなかった良太は豪胆にも寝溜めをしていたが、車のエンジン音が収まったところで目を覚ます。

 

「着きました」

 

 意外にも敬語で話しかけてきたSPの人達に会釈して、車を降りる。

 辺りはすっかり暗くなってしまっていて、一体どこへ連行されたのやらと顔を上げる良太だったが、数瞬後直ぐに硬直して動けなくなってしまった。

 

「お、おい、ここって……なんで?」

 

 IOP以上に馬鹿でかい面積、鉄壁を誇る鉄の壁、鼻腔を刺激する“硝煙の臭い”。

 そしてなにより、入り口と屋根に高々と突き刺さったグリフィン&クルーガーを表す【GK】の旗。

 

「どうして俺みたいなただのしがない研究員が1人でグリフィンの……それも最前線の第3区域に連れてこられてるんだよっ!?」

 

 良太が悲鳴じみた声をあげる。

 なにせ今彼の目の前に聳え立つ山の様な風体をした巨大な軍事施設【グリフィン第3区域】は、本来であれば彼の崇拝する英雄の1人、太田指揮官が直接指揮を執っている場所だ。

 ただでさえせっかく生太田指揮官を見れると思ってウキウキしていたのに、これではまさかのすれ違いだ。それに所謂草食系男子の良太には、あまりにこの雰囲気はアウェイ過ぎた。

 

 先程から冷や汗が止まらないのだ。

 

 なんというか、アニメや映画の世界ではない“本物の戦場”を感じる。毎日の様に命を賭して闘う少女達の姿が、良太にはハッキリと見える気がした。

 

「な、なに!? 予定より早く帰ってくるだと! それは本当かっ!?」

 

 何やら通信を受け取ったらしい1人のSPが、とてつもない大胸筋を揺らしながら、物凄いスピードでこちらへ走ってきた。怖すぎる。

 

「Mr.前園、話は取り敢えず執務室の受話器でお願いします!」

「は? ちょっと待って何で執務室……

「“彼女達”が帰ってくるまでに、急いで!!」

 

 彼女達……彼女達って俺達が作ってグリフィンにレンタルさせている戦術人形の娘達の事だよな? どうして彼女達にバレるのを嫌うのだろう? もしかして契約者が太田指揮官で、留守中に来た俺たちは侵入者って扱いとか?

 良太の質問を遮って、SP達が彼の背中を押していく。

 

「ちょっと、そんなに押されたら背中へし折れるわーーってか何で人形達に見つかっちゃ不味いんですか?」

「私達の口からは詳しく言えません。しかしあなたに一先ず協力的になって貰う為に1つだけ言わせて頂くとするならば、()()()()()()()()()()()()()

「さあ何やってるんですかSPの皆さん、早く執務室に行きますよっーー!!」

 

 ヘリアンにもしもの時はこれを言えと言われていたSPの男だったが、なるほどと合点が行くと共に、良太のあまりにもはやい変わり様に若干呆れた様子であった。

 

 

 

 人形達の住む宿舎や武器などのメンテナンスを行う工廠、日々の鍛錬を積む為の演習場等の区画を抜けた先に執務室はある。

 勢いよく飛び出した良太であったが、元々体力は並み以下で、工廠を抜けたあたりからSPの1人におんぶしてもらっていた。

 

「着きました」

 

 同じゴリゴリのおっさんから2度目のモーニングコールを、1度目は車の中で、2度目はそのおっさんの背で受け取るという奇妙な体験をした良太だったが、今はそんなことに構っている暇はなかった。

 

「す、凄い!! これがあの太田指揮官が英雄であるとこを証明する、人形前線(ドールズフロントライン)の盾か!」

 

 執務室の扉を開けてまず飛び込んできたのは、正面の壁に絢爛に飾られた金色に輝く大きな盾だ。その煌びやかな装飾の数々は、各国の代表が彼へと送った賛辞にも等しいとされている。

 他にも棚には太田指揮官の幾多にも渡る栄誉を讃えた証書やトロフィーが陳列されており、良太が自分自身を場違いな存在だと悟るのに、そう時間はかからなかった。

 

「それではMr.良太、その席に座り電話を取ってください」

「え、あ……ぇ? ここに座るんですか?」

 

 思わずたじろいでしまった。心なしか声も震えてしまっている。

 それが嬉しさのあまりの感激なのか、畏れ多いという恐怖なのか、最早良太には分からなかった。

 

「何の為にここへ連れてきたと思っているんですか? 貴方が電話をかけるには、その席に着く他無いのです」

「……分かりました」

 

 自分どころか、世界が憧れた英雄の席に座る。歳もまだ20代前半の、自分なんかが。

 まるで自分達がその椅子に睥睨されているかのような感覚に息を呑む。

 良太は額に浮かんだ汗を袖で荒々しく吹き、深呼吸をした。SPのおっさんが急いで下さいと催促するが、良太にとってその声は遠い。

 

 プルル…プルルル

 

 ()()()()()かけて来たのだろう。SPの人を見ると、どうぞというジェスチャーとともに頭を下げた。

 一体どんな要件でわざわざ自分をグリフィンへ寄越し、さらには執務室へ足を運ばせ、通話をする必要性があるのかは分からない。しかし太田指揮官を待たせる訳にはいかない、彼の負担になるような事はしたくないのだ。

 良太はその一心で先程までの迷いを振り切り、椅子に腰を下ろし、受話器を取る。

 

「……はい」

「おーー、やっと繋がったか! こちらグリフィン&クルーガー第3区域指揮官 太田だ。君はIOP職員の、前園良太くんで合っているかな?」

「…………」

 

 ーー感動。

 前園良太は今、人生の絶頂を迎えていた。

 受話器の向こうから、太田指揮官の声が聞こえ、あまつさえ自分の名前を呼んでくれている。いつもTVかネットで公に対して話をするあのスーパーヒーローが、今良太の耳元で、良太だけに話をしているのだ。

 幼い頃からヒーローに憧れ、中学3年まで将来の夢がヒーローだった良太にとって、それは言い表せられないほどの感激だった。

 録音したい衝動に駆られたが、ポケットを弄っても出て来たのはチュッ◯チャップ◯だけだ。とりあえず咥えておくか……?

 

「どうした前園くん……?」

「あ、あああ申し訳ございませんっ! はい、僕がIOP製造会社人形研究兼製造戦術人形3班管轄の前園良太です!」

 

 焦った〜、変な奴だと思われる限界スレスレだったな今。

 

 太田指揮官に誤解されず、ほっと胸を撫で下ろす良太であったが、続く指揮官の言葉に心臓を鷲掴みされる事となる。

 

「良かった良かった。まったく、頼むぞ? これから“3()()()()()()()()()()()()()()”が、そんなんじゃ困るからな」

「あの、は? 今なんて?」

「はっはっは、前園良太くん、君が本日付けで私の代わりに3区の指揮官になるのだよ」

「え……ええええええぇぇぇぇぇぇえええっ!?!?!?」

 

 おい今の聞き間違いじゃなかったら俺がこの最前線の指揮官になっちゃってますが大丈夫ですか!?

 聞こえなかったんでもう一度お願いしますと頼んだ良太であったが太田指揮官は、はっはっはと笑うところから忠実に再現してみせた。

 

 いや全然面白くないよ、てか俺が指揮官になったら太田指揮官はどうなるんだ全く理解が出来ん……

 

 現実を呑み込めない。まさか実は今自分はまだ拉致られた黒塗り高級車の中で、これは夢の出来事ではないのかと疑い始めた。

 管轄とは言っても一介の研究員に過ぎない良太にとって、それはあまりにも唐突で、あまりにも重過ぎる。さらに言えばグリフィンの指揮官というのは誰にでも務まるものではない。キッチリとした訓練を受け、戦術や隊列などの所謂戦略を学び、リーダーシップに長けた者でなければならないはずだ。

 良太にあるのは精々人形達に対する知識と、勝手に創り上げた英雄像のみだ。

 

 ーー断らないと……

 

 昔の良太であれば英雄の頼みならと、喜んで引き受けたかもしれない。今度は自分が英雄になる番だと、意気込んでこの席に身体を預けたかもしれない。夢が叶ったと、達成感に打ち震えたかもしれない。

 しかし今の良太には分かる。指揮官という者の重さが、責任が、非凡さが。そのいずれを考慮しても、自分にこなせる物など一つもない。

 壁に飾られた盾に、武器に、部下や上司に、国民に、世界に……そして何より、自分の為に戦ってくれる人形達に申し訳が立たない。

 

 良太は覚悟を決めた。自分が憧れた英雄の頼みを断る、その覚悟を。

 

「すいませんがその話をお受けする事は出来かねま……

「Mr.前園、これを」

 

 言いかけた良太を制するように、SPの1人が机に何か金属の類を置く。重量のありそうな音を立てたソレは、彼もよく知るモノだった。

 

「ちょっ……これって……っ!」

 

 ソレは紐のちぎれた、年代を感じさせる銅のペンダントだった。

 表面にはサルビアの彫刻が施されており、中を開けるともう随分と前に止まってしまったアナログ時計が顔を出す。

 良太にとってこのペンダントは大切な、本当に大切な物だ。

 

「Miss……んんん、Ms.ヘリアンが言っていましたよ? Mr.良太は仕事の時はいつもコレを持っていると」

「つまり、ここで仕事させる気満々って事ですか」

 

 取り敢えずヘリアンさんへの失礼はスルーしておくとして、俺の言葉を遮ってまでコレをこのタイミングで渡してきたってことは、どういう訳かあのヘリアンさんも俺がここで指揮官をすることを望んでいるってことか。

 俺の動揺を悟ったのか、太田指揮官が追い打ちをかけるように動く。

 

「引き出しの中に、人形前線の盾と同じ材質で出来た小さい盾が入っている。雀の涙程度の足しかもしれんが、これは私からの餞別だ。どうか私の顔を立てると思って、受け取ってくれないか?」

 

 それはずるい。

 

 良太はため息を吐いた。彼が最も尊敬する英雄である太田からそんな言葉を受けて、良太が断れるはずもない。

 ヘリアンさんの受け売りか何かだろうか。この時だけは、本当にずるい人だと感じてしまった。

 

「……分かりました。取り敢えず少しの間だけ様子を見てみます」

「すまない。そしてありがとう、前園良太指揮官殿」

 

 こうして、前園良太はグリフィン&クルーガー第3区域指揮官となった。

 

 この選択は間違いなく、彼と“彼女達”の人生を大きく変える事となる。それが果たして正しい選択なのかどうかは分からない。

 

 

 

 ……が、

 

 

 

「今度来る指揮官は、“私”が徹底的に尋問してやる」

 

 早くも彼の目前には、暗雲が立ち込めているようだった。

 

 

 

 




次回から女の子たち登場です。
 


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第2話『出会い』

 

 

 

 まず第1に、何故太田は一時的に指揮官の座を降りる必要があるのか。

 

 どうやらグリフィンとIOPとの間で取り引きがあったらしい。

 まず前提として、グリフィンはIOPから人形をレンタルしている。つまり元々人形の契約者はIOPの人間であるのを、一時的にグリフィンの指揮官に移しているに過ぎない。当然、借りている間はIOPへとレンタル料が支払われ続ける。

 これでは戦いが長期化すればするほど、負担が大きくなる一方だ。更に現在、太田指揮官の活躍により戦いは落ち着きを見せている。このまま睨み合いが続く状況で、多くの人形達をレンタルし続ける意味もない。

 しかし人形達を返却したうえで万が一、鉄血が攻め込んできた場合を想定すると、人形達を手放す事は出来ない。

 

 そこでだ、IOPは何体かの人形の契約譲渡に金銭を発生させない代わりに、一時的な指揮官の交代を要求してきた。期間は半年、おおよそ鉄血が攻め込んでくることはないだろうと見込まれている期間だ。

 世間には半年間、戦線を守り抜いた英雄としてIOPの人間を讃えさせ、宣伝効果で全体の利益の向上を図るのが目的である。

 第三次世界大戦後、鉄血に優秀な人材を引き抜かれ山に埋もれていたIOPにとって、これは賭けだ。太田から希望を託された男などと適当に(かこつ)けて、行く末は英雄の商品化まで考慮しているらしい。

 

 次に、その事を世間にどう説明するかだ。

 

 もちろんバカ正直に話す訳がない。太田指揮官にはIOP視察の折に道中で鉄血に襲撃され、怪我を負ってもらった事にする。

 視察は彼の一存であるにも関わらず、この事に甲斐甲斐しくも責任を感じたIOPが、太田指揮官の療養中代わりに指揮官を務める優秀な人材を派遣した、そういう事になるようだ。

 勿論メディアはその仮にも優秀な人材であるはずの『前園 良太』に注目することとなる。でっち上げられた職場での数々の武勇伝を上層部が語り、世間は前園良太に太田指揮官の代わりを託し、そこで見事な手腕を見せ付け半年間鉄血の侵攻を食い止めた……という事にするらしい。

 

 また、どうして良太は人形達が任務から戻る前に、執務室に居なくてはならなかったのか、その事についても触れておく。

 

 これは人形達の信用を得る為と、ちょっとした保険の意味だった。

 SPに囲まれたまま執務室へと足を運んでいく人間に対して、人形達が不信感を抱くかもしれない。自分が指揮官になることについて人形達の前で驚きや疑問を露わにすれば、それだけで彼女達の士気は落ちるかもしれない。指揮官用の軍服に身を包んでいなければ、人形達は何事かと理解に苦しむかもしれない。

 そしてそのどれもが、1つのちょっとした保険の為に起こり得るものだった。

 それは太田啓司という絶対的な指揮官の不在だ。彼が視察から戻って来ないとなれば、人形達がそれを止めるかもしれない。だから太田と良太が入れ替わったそのタイミングで、人形達にそれを伝えた。

 もう彼女達の声は太田には届かない、それを悟らせる為に事を急いで済ませたという訳である。

 

 では最後に、()()()()()()()()()()()()だが……

 

 

 

 

 

 

 

 

 ランダムに選んだらしい……。

 なんでやねん。

 

 

 

「まあ太田指揮官はそう言ってたけど、多分今回の件に関しては、俺が扱いやすいって判断なんだろうな」

 

 あまりにも役職が下だったり高かったりするとおかしいし、良太のように管轄くらいが丁度良い。また良太の性格から、太田の頼みを断れないということを見透かされていたのだろう。

 しかし憧れの英雄になれるといっても、その実はただの八百長だ。やるせなさを感じざるを得ない。

 

 良太はため息を吐いて引き出しを開ける。中に入ってたのは掌サイズにも関わらず、かなりの重量感を持つ金色の盾だった。

 これが太田が彼に渡したミニサイズ人形前線の盾ということだろう。流石に装飾が細部まで施されているということは無かったが、代わりに二本の赤いリボンが巻き付けられている。

 

「プレゼントのつもりかな……? まあリボンがついてる方が勲章みたいでかっこいいし、なんかヤケに良い匂いがするな」

 

 良太は太田に貰ったプレミア感溢れる小盾のリボンに鼻をつけて匂いを嗅いだ。

 おそらく第3者から見ればただの奇行である。しかし現在、執務室には良太しかいない。SP達は太田との電話が終わって良太に一礼をした後、すぐに帰ってしまったのだ。

 執務室に監視カメラはない、傍聴されないような最新の設備も整っている。だから実質良太は今何をしても誰に咎められることもない。この英雄の住まう神聖な執務室で、このような奇行を繰り広げる事は一種の達成感の様なものを良太に与えていた。

 

 しかし古来より、慢心とは得てして間の悪さを呼び込む売り子の様なものである。

 

 良太が己に降りかかった不幸を浄化するよう、存分にリボンの匂いを嗅いでいると、不意に執務室の扉が開かれたのだ。

 

「ただいま戻りましたよ。今回ぁ……

「すぅー、スンス……ん……?」

 

 中に入って来たのは95式だった。一応指揮官が良太に変わったことは、既に伝えられているはずだ。いつもの様に挨拶をしようとしたのは、彼女の癖だろうか。

 鼻を包み込むようにリボンを巻きつけた良太を目にして、95式は固まって動かなくなってしまった。故障かな……?

 

「ノックもしないで入るなんて、少々マナーに欠けるのではないかね?」

 

 良太は反撃した。これが野生の本能というものだろうか。舐められる前に有耶無耶にしてしまえという汚い考えだった。

 

「…………」

 

 そして無視。

 95式、まさかの完全スルー。

 

 良太の浅はかで子供のような反撃は完膚無きまでに叩きのめされた。

 どうやら彼女は空気というものが読めないらしい、そう無理矢理結論付けた良太の心は既に傷ついている。自業自得ではあるが、ノックをしないあっちにも非があるはずだ……

 

 95式は良太が慌てて机に置いた盾をガン見したまま、一向に口を開こうとしない。

 

「……俺は太田指揮官不在の間、彼の代わりにこの第3区でお前達の指揮を執ることになった前園だ。よろしく」

 

 取り敢えず自己紹介のつもりで良太から話しかけたが、指揮官たる者の話し方はこれで正しいのか彼は不安だった。

 彼女達の前では、誰に御教授された訳でもない、自分の中の英雄像で以って毅然と振舞わなければならない。そう良太は思っていた。

 

 まあファーストコンタクトの時点で失敗しましたが……ずっと盾をガン見してるけどリボンに鼻くそとか付いてないよね?

 

「指揮官」

「な、なんだ?」

「……素敵な装飾ですね」

 

 95式はそれだけ言って執務室を出て行ってしまった。

 

 

 

「…………………………………………は?」

 

 ーーあの子ちょっとおかしな子なのかな? いや待てよ、それともやっぱりまだ俺を認めていないのか? ……まあそりゃそうか。いきなり太田指揮官の代わりに入って来ました! なんて言ってもウザったいよな。太田指揮官の方が100倍良いよな。その気持ちは確かに分かるわ。

 

「でも私傷つきました、はい」

 

 おそらく95式はまだ扉から20mも離れていないだろう。

 良太はもう一度リボンに鼻くそが付着していないことを確認した後、素早くマイクを館内放送に切り替えた。

 

『えーみんな聞いていると思うが、新しく着任した前園だ。自己紹介という事で帰投したものはみな執務室に集合すること!』

 

 まあどちらにせよ95式とはもう一度話をしたかったし、ちょっと意地は悪いが許してもらおうと彼は考えていた。

 デスクワーク大半で、管理職以前はよく上司や先輩にいびられていた良太の性格は、少しばかり捻くれているかもしれない。だが良太にとって人形達は自分が今まで汗水垂らして造りあげてきた、言わば我が子のような存在だ。彼の心が嬉しくなって少しばかり童心に返ったとしても仕方がないだろう。

 

 これもコミュニーケーションの一環だ。そう考えた良太は嫌な顔、もしくは青筋を立てながら入って来る95式を想像してニヤついていた。

 

 

 

***

 

 

 

 取り敢えず太田からやるべき事のメモは取ったものの、1人で新しい環境に身を投じるのは少し怖い。良太が直ぐに受話器を握ってもう一度太田の声を聞きたいという衝動に駆られるのも、仕方がないだろう。まあこと彼の場合、受話器は大好きなアイドルといつでも話が出来るという便利ツールと化しているのだが。

 しかし太田とて療養中と言う名の休暇とは限らない、いやむしろ休暇だとしたらそれを邪魔するような事は出来るだけ避けたい。だから無闇矢鱈と電話をするのは間違っていると良太は考えている。

 

 しかしだ。今この時にして、彼の太田にコールしたいゲージはかなり溜まっていた。

 

 

 一応この第3区には現在10名の人形が居るはずである。良太は執務室へと足を運んだ人形達を順に見やり、顔写真と一致させていった。執務室に入ってきた順番に、WA2000、C96、M950A、スコーピオン、コルトSAA……

 

「え、集まったのこれだけ? なんで?」

 

 全員分の帰投報告が届いていた筈だが、良太の呼びかけに応答したのは半数の5名のみだった。アポなしで急に太田から自分に変わったからといって、ここまで不真面目になるものかと良太は気を落とす。

 

 というか、95式さんどこ行ったんですか……?

 

「なにあんた、私達だけじゃ不服って訳?」

 

 先頭に立つWA2000が、不満そうに口を尖らせる。

 

「いやいやそんな事はない! さ、サイコー! 君達サイコー!!」

「…………ふんっ」

 

 どうやらWA2000は結構口調が強めの子らしい。メンタルブレイクされないように細心の注意を払おう。

 

 いや待てよ、集まるの当然じゃね? 一応俺指揮官なんだけど?

 

 と、返すのは容易い。しかし出来れば人形達と仲良くやりたかった良太は、それをグッとこらえた。

 一応この子達は自分の呼びかけに集まってくれた訳だ。可愛いものじゃないか。

 管轄の良太からして、(たま)の点呼をしても、返ってくるのはいつも自分より年上のおっさん達の生返事が常である。それを考えれば、今この瞬間は絶景であるとさえ言えるだろう。

 皆が皆、そこらのモデルさんなんかよりもずっと美少女であり、フレッシュな感じがする。

 

 ーー特に今の俺はそこまで重荷を背負わされている訳じゃないし、分からないことがあれば太田指揮官が教えてくれるし。あー、そう考えると目の保養という点でも指揮官って職は役得って気はするな。

 

「指揮官、要件をさっさと済ませて欲しいんだけど。仕事に関係の無いムダ話は、正直聞きたくない」

「あ、はい……」

 

 M950Aのお堅い言葉に良太は頷いた。どうやら彼女はかなり仕事熱心な人形のようだ。このままいくとヘリアンさんの二の舞になるかもしれない。

 まあ人形達に寿命なんて概念は無いので、この子達が望まない限りは、修理と稼働を繰り返し、永遠に生きていくことになるだろう。そう考えると、少しばかりこの子には、仕事以外の楽しみも見つけて欲しいと思えてくるな……と。それは良太の決めつけかもしれないが。

 

「おほんっ、えー、俺は負傷した太田 啓司指揮官の代わりにIOPから派遣された、前園 良太だ。これから太田指揮官が療養している間、お前達の指揮を執ることとなる。まだまた未熟者ではあるが、人形の事についてはこれでも詳しいつもりだ。改めてよろしく頼む」

 

 良太が自己紹介を終え、興味津々といった様子のスコーピオンに、次は頼むと手で促した。

 

「VZ61スコーピオンだよ、宜しくね、蠍と言っても毒はないよ」

 

 金髪ツインテールで左眼に眼帯をしている。少しばかり厨二臭い見た目ではあるが、彼女自身はスコーピオンという響きをカッコイイと自称している事以外は、そんなことはない。

 明るい性格で、比較的話やすそうな印象を受ける。

 イングラムと仲が良いという噂を聞いた事があったが、様子を見るに此処ではコルトとよく一緒にいるようだ。

 

「ヤーホー! あたしはコルトSAA! スコーピオンとよく一緒にいるよ」

 

 続いてコルトが元気よく挨拶をした。淡い金髪にカウボーイハット、ホットパンツに片足ニーソ。その自由すぎる格好と行動は、まさに彼女らしさ全開である。

 

 太田指揮官着任時から彼女はコーラを執拗にねだり続け、遂にはコーラ制限令まで発令されたらしい。おそらくこの法令が適用されていなければ、今頃良太もコーラを買いに行かされていただろう……

 

「私の名前はWA2000。指揮官、私の足を引っ張ったら承知しないわよ」

 

 長いワインレッドの髪を、一部サイドテールに結った彼女はWA2000。先程から言動が上官に対するそれではないが、おそらくツンデレというやつだろう。

 まだツン状態でまったくデレていないが、悪態をつきながらも良太の指示にはしっかり従ってくれそうだ。

 案外こういう子が、ある意味1番信用できる気はする。

 

「……C96です。宜しくお願いします」

 

 C96。白髪で黒い帽子の端からアホ毛が飛び出している。活発な子というイメージが強かった気がするが、何故か元気が無さそうだ。

 やはり負傷した(事になっている)とはいえ、太田指揮官が自分達に何も言わずに去った事が辛いのだろうか。

 

「M950A。指揮官、今日からあなたに従います」

 

 珍しい緑髪のツインテール。見た目からは相当ギャルっぽいイメージが湧いてしまいがちだが、彼女は仕事に関してはかなり真面目だ。

 良太自身、気軽に構えないとやっていけないので、もう少し肩の力を抜いてくれるとありがたい。

 

 

 

 この場にいる全員の自己紹介は終えたが、太田曰く、人形達とのコミュニケーションは仕事と同じぐらい大切という話。

 指示自体は太田からの連絡をそのまま伝えれば良いが、まだ出会っていない人形との信頼関係が最悪であれば、任務に支障をきたす。つまり、顔合わせぐらいはやっておかなければお話にならないという訳だ。

 

「すまないが、ここに来ていない人形達がまだ何名かいる。誰か連れてきてくれる者は居ないか?」

「あー、それならもう直ぐ晩御飯の時間だし、食堂に行けば会えるんじゃないかな? ……って言っても、95式さんとC96はいつもバラバラの時間だよね?」

 

 スコーピオンが答えながらC96の方を見やると、C96は怯えたようにピクリと肩を震わせた後、首肯する。

 

 コルトのコーラもそうだが、人形達も人間と同じく飯を食う。当然人形達専用の料理もあるが、自律した思考や感情を持つ彼女達には只の燃料補給よりも、人間と同様に味を感じて一喜一憂する方がいい。

 

「そうか、皆で飯を囲むってのも親睦を深めるのには丁度いいかもな。すまないが、C96は95式を呼んできて貰えるか?」

 

 時間がズレたら意味がないし、皆一緒でないとハブにしている感じが出る。申し訳ないが今日のところは、彼女達にも時間を合わせてもらおう。

 そう良太は考え、95式同様食事の時間がバラバラなC96に頼んだ。

 

「え? ……ぇ、あのぉ……」

「ん? どうした? 何か言いたいことがあるならちゃんと言うんだぞ?」

「うぅ…………」

 

 C96は俯きながらボソボソと話し、要領を得ない。それは良太がこんな事で本当に大丈夫なのかと心配になる程だった。

 彼のC96のイメージ的には、もっとハキハキとした印象だったのだが、実際の彼女はというと、一言で言えばコミュ症っぽい。

 

「良い。私が行くから」

 

 話が進まない事に痺れを切らしたのか、M950AがC96の代わりに申し出た。

 良太としては誰に呼んで貰っても構わないので、それじゃあという事で他のメンバーも含め、M950Aに任せる。

 

 それより気になるのはC96の方だ。このままでは意志疎通に時間がかかりすぎる。何とかしてコミュ症を治してもらわなければならない。

 

「ちゃんと集まってくれない子達もいるし、前途多難だなぁ……」

 

 誰にも聞こえないように、良太はそう呟いた。

 

 

 



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第3話『始まらない食事』

 

 

 

 うだるような夏の暑さに、バケツの様な水筒から流れるスポーツドリンクがたまらない。特に戦果を挙げた後は、喉を通す度に達成感のようなものを感じる。

 まるで日光から彼女達を隠しているのか、木々がアーチを描くように生い茂り、涼しげな風が頬を撫でた。

 この場所は(いささ)か役得である。此処より離れた仲間達には申し訳ないが、休息を取るのにこの森林は丁度良い。

 時刻は午後3時。現時点で任務は8割型完了しており、残るは指揮を失った鉄血の残党を刈り取るのみだ。はっきり言って予定していた時刻よりもかなり早い。

 しかし、被害も軽微なその状況下でも、彼女達の心中は荒れていた。

 

「他のみんなには、本当に言わなくて良かったのかな?」

 

 まっすぐ伸びた黒髪に黒い瞳。

 水筒を受け取りながら、M4A1が問いかけた。

 

「あれに関しては知ってても良いことばかりじゃないでしょ? 16小隊じゃなきゃ、あたしはあんたにだって言ってない」

 

 白髪のボブカットに淡い梔子(くちなし)色の瞳。体育座りで大木に身体を預けながら、vectorは答えた。

 それを聞いたM4A1は頰を膨らませむぅーと唸った後、受け取った水筒に口をつける。

 

 2人は以前から行動を共にする事が多かった。任務で一緒になって、話をすると楽しくて。

 悲観的に物事を考えるvectorにとって、優秀な姉に追い付こうとする前向きなM4A1は心の支えになった。また逆に強くあろうとするM4A1にとって、冷静に物事を判断するvectorは見習うべき目標となった。言わずもがな、2人はかけがえのないパートナーである。

 だからこそであろうか、16ラボで開発されていなければ、vectorは自分にも話してくれなかったという言葉が、M4A1の中で少し腑に落ちなかった。

 

 任務に出ている間に太田指揮官が軽い怪我をしたと聞いた。それで6ヶ月もの間療養というのだから、本当に軽い怪我なのかと疑ったが、あの人の事なので多分大丈夫なのだろう。

 代わりに指揮を執るのはIOPから派遣された前園という男らしい。第3区の人形達はM4A1()以外全員がIOPで製造されており、今回の件では、それがどうにも問題なのである。

 

「はぁ、あんたに話せて気が楽になったのは確かなんだし、今はそれで勘弁して欲しいんだけど……」

「あははは、まあ今までだって大丈夫だったんだし、何とかなるよね」

 

 M4A1の返事を聞いて満足するvector。

 

 そう、私はこうでなければならない。現状、()()()()()()()()()()()()()()と、()()()()()()()()()()()のことを考えれば。

 でもvectorはきっと気付いていない。いや、気付かれてはいけないのだ。私が深刻にそれを捉えているという事実を。

 

 私なら楽観的に考えてくれる、私なら不安を和らげてくれる、私なら励ましてくれる、そう信じてくれたからこそ、vectorは私に話してくれたのだ。

 

 だから私は表向きでは、その願望に応えた。彼女が思い描く、彼女の心の支えになるような私でいた。

 でもやっぱりそれはただの我慢に過ぎなかったのだ。本当の私は、“それ”を聞いたせいで、先程からずっと、ずっと、ずっとどうしようもなく……“彼ら”に……“彼”に

 

 

 

 

 

 憎しみを覚えてしまっていた。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 食堂に着くと先程呼び出しに応じて執務室に来ていたメンバー達と、M950Aが呼んでくれた95式と、それから……

 

「…………」

 

 金髪に白いうさ耳のカチューシャ、碧眼、青い服に白衣の様なものを纏った少女、スオミ。

 良太が入ってきても全く見向きもせず、ただどこか遠くを見つめる彼女の姿があった。

 

 ーーなんだ? 音楽でも聴いているのか?

 

 スオミは両耳に白いカナル型のイヤホンを付けており、その先はポケットの中へと続いていた。

 95式でさえ良太の入室にはチラリと此方を向いていたので、良太の存在に気付かなかったのはこれが原因だろう。

 

「ヤーホー指揮官! 待ちくたびれたよ! 指揮官の分もご飯取ってきといたよ!」

 

 コルトが近くにいるというのに、甲高い大きな声を上げて手を振る。

 確かによく見れば全員分、つまり良太含め11人分の料理が既に長テーブルへと並べられている。

 一応この施設での食事は自律人形が作ってくれており、きちんと人間用と人形の食事を作り分けてくれる。もちろん栄養バランスは完璧に考えられており、味もかなり良い。一家に一人、欲しい人材だ。

 

 コルトがここだよここっ! と言って机をポンポンと叩いているので、良太は苦笑いを浮かべながらその席へと腰を下ろす。

 今良太の両隣は左手、机の一番端にC96、右手にコルト、スコーピオン。正面にスオミとM950A。かなり離れた位置にWA2000と95式が腰掛けている。

 いずれも料理には手をつけず、待機してくれている様だ。

 

「みんなすまない。もしお腹が空いているようであれば、先に食べてくれても構わないぞ?」

「ふん〜! 別に私が食べないのはただ単にお腹が減っていないだけよ。待ってもらってたなんて勘違いはやめてよね」

「いつも思うんだけどWA2000ってツンデレが極まってるよね」

「ち、何がツンデレよ何が!っ」

 

 スコーピオンの言葉に、WA2000が顔を真っ赤にして反論する。

 なんだ、可愛いところあるじゃないか。3区の人形同士の関係はまあ悪くはなさそうだな。()()()()()()、だが……。

 チラリと隣に座るC96を見る良太。

 しかし彼女は俯いていて表情が伺えない。

 

「ところで他の3人……ネゲヴとvectorとM4A1は何をしているんだ?」

 

 未だ姿が見えない3人について、C96の代わりに彼女らを呼びにいってくれた M950Aに尋ねる。

 

「私が呼びに行ったからvectorとM4A1は来る。ネゲヴはよく分からない。どこにも居なかった」

「そうか。まあネゲヴは変わってるって太田指揮官も言ってたしな」

「…………? 私からしてみれば、ネゲヴ程素直で単純な子も居ないと思うんだけど」

「うーん? そうなのか?」

 

  他の人形達に尋ねるように首を回す良太。

 実際ネゲヴは太田によれば根っからの戦闘狂で、他人を指導することは良いが、無茶苦茶な事も辞さないらしい。そのせいで任務を失敗してしまうという過去もあった程だ。

 良太は別にM950Aを疑っているわけでは無い、寧ろ真面目な彼女が嘘をつく事は無いだろう。だからこそ良太は混乱したのだ。

 

「いや、だいぶ変わってると思う」

「えっ……?」

 

 突然後ろから声がして振り返ると、そこにはvectorが立っていた。

 

「あんたらみたいなのを信用して、一生懸命頑張ろうとするところとか……さ」

 

 彼女の瞳は完全に冷え切っていて、良太は思わず身震いしてしまう。今vectorが発しているのは良太がまだ経験したことの無い、“殺気”と呼んでも差し支えないものだった。

 初対面だというのに何故彼女は自分をそこまで敵視しているのか、全く理解できない。それに今vectorはあんたではなく、“あんたら”と言った。

 これではまるで良太だけではなく太田も、引いては関係者多数名総てに向けて言っているようにさえ聞こえてしまうから不思議だ。

 

「vector!?」

 

 彼女の更に後方から、驚いたような声が聞こえてきた。

 息切れの為か、肩を揺らしてやってきたのはM4A1だ。彼女はこちらに気づくと急いで良太とvectorの間に割って入る。

 

「何してるの!」

「別に、何も」

「前園指揮官、誠に申し訳ございませんでした!」

 

 嘆息して答えるvectorに、ガチの謝罪をする M4A1。

 

「いや、まあホントに何もしてないから大丈夫だぞ?」

 

 でもめっちゃ怖かったです、はい。

 

 良太の言葉を聞いて安心したように大きく息を吐くM4A1に、席に着くように促す。波乱の火種だった当のvectorは、何事もなかったかのように既に着席していた。なんという奴だ。

 

「 M4A1は何かしたんですか?」

 

 尋ねてきたのはスオミだった。よく見るとイヤホンを片耳だけ外している。今のやり取りを見て流石に気になったのだろう。

 普通に考えて上官の前でイヤホンしているのは可笑しな話なのだが、まあ今日は無礼講という事で許しましょう。てか、正直俺は話さえ聞いてくれれば気にしない。

 

「大丈夫、別に何もしてないよ?」

「そう……ですか。スコーピオンとWA2000がvectorに対してヤケに殺気立っていたので、少し気になりました」

「へ? そうなのか?」

 

 彼女達の方を見るとスコーピオンは両手でピース、WA2000はプイッとそっぽを向いてしまった。

 ーーもしもの時のために、俺を守ろうとしてくれたのかな?

 

 だとすると良太的にはかなり嬉しい話だ。

 今彼が最も欲しているのは協力者である。もちろん太田は心強い味方ではあるが、やはり生身の協力が欲しいところ。WA2000は意外だったが、スコーピオンに関しては最初から友好的である。

 友好的といえばもう1人居るのだが、何故か良太の隣の席に座る彼女は元気が無さそうだ。

 

「どうしたコルト?」

「い、いやあー何でもないよ!? ちょっと昔の事思い出しちゃってさー」

 

 昔の事? 何かあったのか……?

 

 ただでさえ終始黙って俯いているC96が隣に座っているのだ、コルトまでそんな調子では、(はた)から見ればまるで良太の隣に座ってしまってアンラッキーと思っているのではと勘違いされかねない。

 こんな時はどうすれば良いか、そう彼が考えて出した結論は。

 

「そうだコルト、コーラでも飲む……

「いらない」

「え?」

 

 コーラでモチベーションを上げる作戦、失敗。

 おかしい、明らかにおかしいぞ。太田指揮官からの情報ではコーラさえ与えればコルトは元気になるとの事だったのに、何故だ!

 

「ほら、私コーラ制限条例中だからさぁー。飲めないんだよね」

 

 苦笑いを浮かべながらサラッとそう言ってのけるコルトは、冷蔵庫から麦茶を取って来ていた。

 太田との間で交わした制限令、どうやら現在進行形で発令されているらしい。これは良太にとって予想外の展開であった。というより、良太にコーラ作戦を勧めてくる辺り、太田自身も忘れているのではないだろうか。

 大体指揮官は太田から良太に交代している。制限令の有効期限など、良太は知る由も無いのだ。そういう約束を律儀に守るのは、彼から見たコルトの印象とは違ったものだった。

 

 コルトの隣に座るスコーピオンが彼女に尋ねた。

 

「私はコーラ飲むけど、いいの?」

「もっちろんだよー! ほら、じゃーんじゃんコーラ飲んで」

 

 ーーしょうがない。ここは太田指揮官の敷いたルールを破らせてもらおうか。打ち解けるためだ、あまり堅苦しいのは正直合ってない。というか俺が嫌だ。

 

「今日は一応歓迎会? みたいなもんだし、禁止とか気にせず好きな物を飲んでいいぞ?」

「ほら、指揮官も言ってるよ? 本当に良いの?」

「良いの良いの! そのコーラはぜーんぶスコーピオンが飲んでいいんだよ?」

 

 これでもダメなのか! と良太は少し驚いた。太田への信頼ぶりも、ここまでくると少し不便に感じてしまう。後で太田に連絡して、制限令を解いてもらおうか迷うレベルであった。

 スコーピオンは少し不満そうな顔をした後、ため息を吐く。

 

「あーそ? じゃあ頂くねぇー。そうだ、さっきからずっと黙ってるけど、95式さんもどう?」

 

 正確に言えばC96もずっと黙っているが、C96のそれは彼女自身の性格の問題であるところが大きそうだ。対して95式はというと、執務室であった時も凛としていて暗いような印象は無かった。

 良太が少し恥ずかしいところを見られ、少し意地の悪い行動を取ったとしても、集合を無視したり、突然話さなくなったりするようには思えない。

 

 が、今彼女は話しかけるなというオーラを全身に纏っていた。

 そこに不意に話しかけられるスコーピオンさんパネェ。(さそり)といっても差し支えない。

 

「いえ、お構いなく」

 

 まあそんな気はしていた。

 ここで頂きます、とか言ってくれたら良太的にはかなり嬉しかったのだが、95式は終始落ち着いた様子で良太を牽制している。見えない壁のようなものを感じてならないのだ。

 やはり良太に指揮官の器などないことを、彼女は見抜いているのだろうか。はたまた、ただの変態だと思われているのか……。

 

「頂きっ!」

「ーーちょっ!?」

「ーーーーうわっ!?」

 

 急にスコーピオンが持っていたコーラが消えたかと思うと、すぐに隣に座るコルトの頬へと押し当てられた。その現象にスコーピオンは驚き、コルトはあまりの事に椅子から飛び退いてしまう。

 

「スコーピオンちゃん、コルトちゃん、背後(うしろ)を取られるようじゃあまだまだね?」

 

 桃色の髪にイスラエルの星を模した装飾がちらほら、間違いない。こいつがネゲヴだ。

 

「ぶぅー、気付いてたもん」

 

 スコーピオンが不満そうに足をバタバタと振る。その後ろで、コルトはコーラの瓶に頬擦りしていた。やっぱり飲みたいのか……?

 

「へぇー貴方が新しい指揮官? 戦いの匂いが全くしないねぇ、本当に大丈夫?」

「初めまして。おれは頭で勝負するタイプの、いわば知将ってやつなんだよ」

「んー、そういう意味じゃなくて、闘争のことを考えたことがないというか、そこはかとなく甘ちゃんに見えるんだよね」

 

 そこで良太はM950Aの言っていた事がなんとなくわかった気がした。

 ネゲヴは思ったことをすぐに口へ出してしまうタイプなのだ。素直さで言えばなるほど満点であろう。しかし人付き合いという点では、長所短所の区別は難しそうだ。

 

「そんなことより今まで何してたんだ? みんなお前を待ってたんだぞ?」

「んにゃ? 待ってたってどういう話?」

「親睦を深めるための食事会やろうぜって話だよ」

 

 良太の言葉に何人かの人形が、え? そうなの? という顔をしているようにみえたが、気にしないでおく。

 

「あーー、okok! つまりみんな専門家の私に指導してほしい訳だ?」

「…………」

 

 何をもって専門家なのか、何をもってそういう話になったのか、彼女の思考がつかめない。

 どうやら扱いに困っているのは良太だけではないらしい。スオミはジト目、M4A1は苦笑い、コルトとスコーピオンでさえもヤレヤレといったご様子だ。

 

 取り敢えず暴走気味の彼女を座らせ、ようやくこれでみんなが揃ったことになる。しかしここで困った。

 律儀に良太の合図を待つ彼女達へ、なんと情けない事に、良太は何を言えばいいのか分からなかったのだ。

 取り敢えずこれから宜しく等軽い感じでいけば良いのか、それとも演説をするかのように言葉を並べれば良いのか……

 

「さっさとしなさいよ」

「あ、はい」

 

 WA2000の言葉に落ち込むように弱々しい声をあげる良太。

 そのやり取りを見てvectorが一瞬驚いたような表情になった気がするが、それに構うとまた面倒くさそうだ。

 

 頭の中を回っていた言葉は、WA2000に無理やりせき止められ、逆にクリアになった。

 目を閉じ、深呼吸をしながら、今の状況を整理するように今日を振り返る。

 

 薬で眠らされて気付いたら拉致されていて。

 連れてこられた先は戦いの最前線。

 経験のない自分が断れない立場に追いやられ、指揮官へと着任させられる。

 早々にして問題行動の目立つ人形達、自分への信頼感の無さ、かかる重圧等々……

 

 しかし良いこともあった。

 

 コンピュータと向かい合っていた日々からの脱却。

 給与は良く将来の保証も見えた。

 念願の太田と電話をし、彼からプレゼントを貰う。

 人形達は悪態をつくものばかりじゃなく、協力してくれる子達も確かにいる等々……

 

「我ながら、濃すぎる1日だったな……」

 

 良太は目を開けた。

 

 

 

 ーー兎に角。

 やり甲斐はある。

 後は、()()()()()()()()()()()

 辛い事や予想もつかない困難を乗り越える時はいつだって、楽しむことが大切だ。人の心は移ろいやすい。

 別に精神論だなんだと小難しい事を言うつもりはない。つまるところ笑顔になれたなら、きっと最悪にはならないから。

 それは今は亡き良太の叔母が、彼にずっと言い聞かせてきたことだった。

 

 

 

 

 

 でも。

 仮にその最悪が。

 自分に起こるものじゃなかったとしたら?

 その最悪を抱える誰かを、貴方は笑顔に出来ますか?

 血も繋がらない、種族さえ違う、生きているとさえ言い難いのに、笑顔になることが、その人にとっての幸せかどうかなんて、分かりますか?

 

 ーーーー。

 

 

 

 

 

「えー、俺が太田指揮官不在の間この第3区の指揮を執せてもらう事になった前園……

ガッ……パリーン……っ!!

 

「へ?」

 

 “C96が”、食器を巻き込みながら倒れた。

 

 

 



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第4話『温もり』

 

 

 

 最初何が起こったのか分からなかった。

 (ようや)く覚悟を決め、自己紹介をして挨拶を交そうとするのも束の間、食器の割れる音が響いたかと思うと、皆の視線が良太から外れた。いや、詳しく言えばその視線は、良太の隣に座っていたC96へと注がれたのだ。

 

 突如、C96が倒れた。

 

 その異常事態に誰もが固まる中、最初に動いたのはM950Aだった。

 彼女は驚きながらも冷静さを欠いておらず、C96をゆっくりとテーブルから起こす。

 

「……ぅ、……っ」

 

 ひどく頭をぶつけたのか、C96は頭から流血していた。瞳は半開きのまま、呻くように声を上げるばかりだ。

 その姿を見てやっと事の実感を得た良太達は、慌てて彼女に近づいていく。

 

「C96さんっ!?」

「ど、どうした? 何が起こったんだ?」

「C96ちゃん、健康管理も重要な訓練よ!」

「ちょ、ちょっと何でいきなり倒れてんのよっ!」

「血が、出ています……!」

「ホラーだよ! 私こういう生々しいの無理なんだよー」

「指揮官、あんたの仕業じゃないでしょうね」

「どどど、どうすれば良いの!?」

 

 

 

「駄目。今はこっちに来ないでっ!!」

 

 

 

 M950Aの制止に、全員の足が止まった。

 普段彼女はこんな大声を出すような真似はしない。それはなんとなく良太も分かっていた。だからそれ程までに今この現状を重く受け取っているという事だろう。

 真っ先に席を立ち上がって駆け寄ろうとした95式が、渋々元の席へと戻っていく。それにつられて他の人形達も席へと着いたが、良太はC96の隣に着席していたので、もう気が気でない。

 

「みんな、指揮官、少し落ち着いて。今から私が言う事を……ちゃんと聞いて?」

 

 M950Aがまるで祈るように言葉を紡いだ。

 彼女を見て、良太は自分が如何に情けないか、如何に未熟者であるかを痛感させられた気がした。

 慌てたって仕方のない事なのだ。こんな時こそ冷静に、判断を誤らないように、慎重に行動するべきなのだ。

 

 皆が彼女の言葉にゆっくりと頷く。それを確認したM950Aは、ありがとうと零し、話し始めた。

 

「外傷の理由はテーブルに頭から突っ込んだから。でも大丈夫、C96の傷は浅い。というより、人形はこの程度でどうにかなってしまうような事は絶対にない」

 

 それについては良太にも分かっていた。なにせ彼は彼女達以上に、彼女達の身体のことを知っている。

 人形、こと戦術人形において人間との肉体強度の差は明白だ。おそらくC96は額を割ったといっても、毛細血管の一部が切れたような感覚だろう。

 

 が、しかし。

 それではC96が昏倒している理由とはなんなのか?

 

「ただ、この子は心をひどく損傷している。それは修復材で治る外傷とは別。これはとても厄介なものなの。分かるわね?」

 

 最後にこちらを真っ直ぐに見つめるM950Aに、良太はしっかりと頷いた。

 人形達にだって勿論心はある。なぜなら彼女達は生きているんだ。一人一人にそれぞれ人格があって、それ故に抱える問題だって当然ある。

 

「だから事情を直接C96から聞き出して、その問題を解決しないと駄目。これから彼女を医務室の方に連れて行く」

 

 M950Aに意見する者は誰もいなかった。それが最善の方法だと、信じて疑わない。

 実際、C96から何があったのかを聞かなければ、良太にとって彼女達はあまりにも未知数すぎる。しかしその原因を知って、それを彼が解決できるかどうかは、また別の話である。

 だから良太は迷っていた。今ここで自分が名乗りを上げて、この問題と向き合おうとするかどうかを。

 別に良太がやらなくても、いや、なんなら良太がやらない方が、早くその問題を解決することが出来るかもしれない。良太なんかよりC96とずっと付き合いの長い彼女達の方が、よっぽど救ってあげられるんじゃないか。

 それに良太に彼女達を救う義務などない。良太はいわば、指揮官という職を押し付けられた被害者だ。今すぐにでも太田に事の事情を話し、太田に解決してもらう方が、よっぽと建設的ではないか。

 

 助けたいから助けようとするのか。助けられるから助けようとするのか。助けられる方法があるのに助けないのか。

 全て、自分が関わらない方が好転するんじゃないかと、彼は邪推していた。

 

 しかしそんな悩みは次にかけられたM950Aの言葉で、全て吹き飛ぶこととなる。

 

「だから私……と……指揮官、()()()()ついてきて」

 

 その不安そうにこちらを見るM950Aの顔を見たとき、良太の中に何か熱いものがこみ上げてきた。

 

「あ、ああ!」

 

 ーーそうだ。

 

 今まで喋ったことがロクにない相手の気持ちを考えるなんて、自分よりもっと適任者がいる筈だ。

 

 ーーそんな考えでは駄目だ。

 

 彼女は、M950Aは他の誰でもない、良太を選んだのだ。あったばかりの自分を、信用してくれているのだ。

 彼は脱却しなければならない。合理的に考える今までよりも、気持ちを優先させるその判断を。

 

 良太は起こされたC96を抱き上げる。

 

 軽い。

 思えば人形達の重さなんて数値でしか考えたことがなかった。彼女達を作った時、その規定の量へと自分たちが計算し尽くして出した戦いの為への最適解。

 だがどうだ、()()()()彼女達は。

 どんな運動をして、どんなものを食べて、どんな生き方をするか。そんな当たり前の生活や衣食住で、重さなんてものは、心なんてものは幾らでも変わる。

 良太にはその少女が、製造段階よりもずっとずっと、軽い気がした。勿論C96の体重の数値を覚えていた訳じゃない。

 ただ、こんなにもこの子は軽いのかと。こんなにもか細く、こんなにも一生懸命にその足で立って、そして悲しそうに俯いていたのかと。

 背中に彼女をおぶった時、耳元で声がした。

 

 

 

「ごめんなさい」、と。

 

 

 

 前を歩いて行くM950Aの後ろを、良太は彼女を連れ、今度はしっかりと歩き出した。

 

 

 

***

 

 

 

 くそ、あの野郎。

 vectorは内心苛立ちを覚えていた。

 C96が突然倒れ、いち早く反応したM950Aのお陰でみんながまとまった。

 C96が倒れたことはvectorも不安であるが、M950Aの適切な指示は流石で、みんな何一つ文句も言わずに並べられていたご飯を食べ終え、食器を片付け始めている。不幸中の幸いといっても差し支えないだろう。

 

 しかし、だ。

 そこまでは良かった。問題はここから先。C96に付き添っていったのはM950Aだけじゃない、あの前園とかいう指揮官も一緒なのだ。

 vectorは彼を信用していなかった。彼は“とある事情”から、自分達に害を及ぼす可能性が極めて高いのだ。その事を、自分とM4A1だけが知っている。

 

 M950Aは……知らない。

 

 ゾクッと、背筋を冷たい風が通り抜けたような錯覚を覚えた。どうやらM4A1も同じような気持ちらしく、先程から自分と同様、ロクにご飯に手を付けられていない。

 

「ちょっと2人ともー、ご飯はささっと食べないとお皿洗ってくれる子達が可哀想でしょ? あんまり自立人形達を困らせちゃ駄目だよー?」

 

 スコーピオンの言葉に、M4A1は「そ、そうだよね、ごめんね」と言って箸を動かし始めた。vectorも無言だがそれに習うように食べ始める。

 ーーにしても。

 味付けがふんだんになされた海苔雑炊を頬張りながら、彼女は思い出していた。

 

『さっさとしなさいよ』

『あ、はい』

 

 これは先ほどのWA2000と良太の会話だ。

 指揮官たる者が、人形相手に下手に出る行為自体に、vectorは違和感を感じた。

 そう。どの人形達も薄々勘付いてはいると思うが、前園良太は明らかに()()()()()()()()

 まるで上に立つ人間のソレではない。上に立ち、指令を出すことになんとも不慣れであると、そう感じられて仕方がないのだ。

 

 ソレを悟られないように、立ち振る舞いを無理に演じているせいで、不意に出たボロがよく目立つ。ソレが余計に、vectorをイラつかせた。

 

 ーーそれに。

 

『 ただ、この子は心をひどく損傷している。それは修復材で治る外傷とは別。これはとても厄介なものなの。分かるわね?』

 

 M950Aから真っ直ぐに見つめられた良太は、それに同意するようにしっかりと頷いた。

 

 はっきり言って、気に食わない。

 

 良太のその同意には、今まで感じていた何の不自然さも、一縷の憂いも感じられなかったのだ。おそらくだからこそ、それを間近で見たM950Aは良太に付き添いを頼んだのだろう。

 分かった気になっているのか、本当に分かっているのか、演技なのか、それとも本心なのか。

 vectorは疑心に取り憑かれていた。しかし自分が()()()()()()()()()()、前園良太、もとい“()()()()()()()()()()()()()()”が、敵なのである。

 

 助けを求めるように隣を見たが、M4A1は既に食べ終わって、席を立ち上がっていた。

 言葉を紡ごうとした舌先は喉の奥へと、掛けようとした言葉は心の奥へと、伸ばした手はもう一度箸を握るように、引き戻された。

 

 

 

***

 

 

 

 医務室。

 第3区の医務室の形状は、一般的な教育機関である学校のそれと酷似していた。

 別段優秀な医療機材があるわけではなく、保健の先生のようにちょこんと自律人形が座っているに過ぎなかった。

 

 元々、この施設は修復材で事足りる人形達の為のものではない。来客の人がこけて怪我をしたりだとか、指揮官が熱中症で横になりたくなった時だとか。これは本当に気休め程度の、オマケのようなものだ。

 ただ、ベットはきちんと用意されているし、シャワー室も付いており、施錠も出来るようになっている。

 自律人形には消毒、体温計を渡す、各部屋への連絡、絆創膏を貼るという簡易的なプログラムが備わっている。あくまで、保健室としての最低限の機能は備わっているという訳だ。

 

 俺はC96をベッドに寝かせ、手前の椅子に腰かけた。

 

「……すぅー、……すぅー」

 

 呻くように苦しい声を上げていた先程までとは違って、大分マシになっているようだ。

 

「タオルケットを掛ける前に、一応体温を測るから、手伝って」

「へ?」

 

 自律人形から体温計を受け取ったM950Aが、「ごめんね、もう少しだけ待ってね」と優しく声をかけ、C96の上半身を起こした。

 女の子の体温を測るのを手伝う、というフレーズに若干混乱した良太だったが、すぐに背中から倒れそうになるC96を慌てて後ろから支えた。

 

「苦しい時は脇を締められないと思うから、抱き抱えるようにして支えてあげて。必要なら脇を締めてあげてほしい」

 

 抱き抱えるようにして、だと……

 

 覚悟を決めたのはあくまで本人から事情を聞いて、解決策を模索するというものだった。

 ずっと研究室に篭りっぱなしで女性経験の薄い良太にとって、これはかなり難易度の高いミッションとなる。

 

「く、咥えるタイプはないのか?」

「欧州の方ならともかく、今時日本で咥えるタイプなんてほとんど置いてないでしょ。それにC96は発汗してる。ついでに汗もタオルで拭いておくわよ」

 

 確かにC96は露出が多く、臍近くにも汗の雫が付いていることが確認できる。だから先に汗を拭いてあげなければ、蒸れてあまり気分も良いものではないだろう。

 

 いや待てよ?

 

 汗を拭く→全部拭く→服を着てたら拭けない→服を脱がせる→全部脱ぐ→全裸。

 そこまで思考が回った時、良太は頬が羞恥に熱くなるのを感じた。

 

「指揮官、まさかこんな子供相手に欲情するロリコンって訳じゃないよね」

「いや、あの、その筈なんだけど……やっぱりちょっと緊張するというか、恥ずかしいと言うか……」

「はぁ、あのねぇ、本当に恥ずかしいのはどっち? 少しは考えてあげなよ」

「そ、そうだな! 悪かった」

 

 そりゃそうだ。

 いくら女性経験が少ないとはいえ、これではC96も余計に意識してしまう。良太はあまりにも配慮が足りていない、男らしくないことを自覚する。

 良太は情けない自分を叱咤し、C96を自分の身体に密着させる形でしっかりと支え直した。

 

「くぅ? ん…………」

 

 C96も完全に脱力し、良太に身体を任せる。

 

「…………」

「………………」

「………………………」

 

「何やってんの?」

「……はい?」

「目を瞑りなさいよ。殺すわよ?」

「…………はい」

 

 汗を拭き取り、医務室に備えてあった予備の寝間着を着せ、体温を測った。

 計測の合間にM950Aは自販機でポカリを買いに行き、良太は脇に上手く力が入らないでいるC96を後ろから優しく手伝ってあげた。

 

「熱は8度1分と、すこし高いわね」

 

 C96を抱えていたので薄々感じてはいたが、やはり彼女は発熱しているようだ。だが、この程度の熱で普通の人間より丈夫な彼女が倒れるとは考えにくい。

 M950Aは買ってきたポカリをコップに移してC96に飲ませ、良太はゆっくりとC96をベッドに再び寝かせた。

 

「ご、めんなさい……」

 

 弱々しく謝罪するC96の頭を、迷いながらも良太は優しく撫でた。

 

 ーー俺なんかじゃ嬉しくないかもしれないけど、昔俺が同じように倒れた時は、お婆ちゃんがよくこうしてくれてて、なんか安心したんだよな。

 

 M950Aの良太を見る目が、少しだけ、優しくなった気がした。

 

「C96、こう言う時は、謝るんじゃなくてお礼を言うものなのよ」

 

 そう諭すように語りかけるM950Aに、良太はまるで家族のような温かさを感じた。

 さっきC96が倒れた時もそうだった。彼女と3区の人形達の関係が心配だったが、どうやらそれは杞憂だったようだな。

 

「あ、りがとう…ございます……」

 

 何かを感じたのか、泣きそうになりながらも一生懸命の笑顔で、C96は答えた。

 

 

 

 



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第5話『生きている覚悟』

 

 

 

 あの人が見ている。

 それだけで恐怖に押し潰されそうになった。

 

 あの人の顔を私は見れない。

 きっとあの人は目が合えば微笑んでくれるだろう。優しい言葉をかけてくれるだろう。でも、それを見た私は、心が締め付けられるように痛くなる。そして私の目の前に、醜く怯えるもう1人の私自身が顔を出す。

 

 それを実感した時、その時その瞬間から、私の見る風景は暗く閉ざされたものになった。別に今までだって明るかった訳じゃない。事実、胸を張れたことなんて一度も無かった。

 私は他のみんなと比べて劣っていて、いつも足手まといで、いつも自信がなくて。

 でもそれだけだったらまだ良かった。みんなが励ましてくれて、みんなが優しかったから。最終的には自己で完結するような話だったから。

 

 でも、私のこれは悪だった。

 みんなに甘えて、みんなに縋って、みんなに迷惑をかけて、そして最後に、取り返しの付かない過ちを犯した。

 その過ちが私の心臓を貫いて、柱に繫ぎ止めるようにして、あの時間からずっと私は動けないでいる。

 いや、これもただの言い訳だ。

 私はその気になれば、自分の意思でその(くさび)を引き抜けた筈だった。しかし私はそれを放置し、逆にそれに身を寄せていた。

 ただ私はそれを抜いた後に出来る“穴”を恐れていただけなのだ。止まる事のない流血を、溢れ出す怨嗟を、漏れ出す哀しみを。

 そして時はそれを解決しなかった。寧ろそれは時間が経てば経つほどに、私の心を締め上げていく。

 そして私はそれを強く、強く、強く抱くのだ。

 

 

 

 そして今も。

 あの人が見ている。

 

 こわい。こわい。こわい。

 

 

 

 ーー気持ちが悪い。

 

 

 

 吐き気の様なものが込み上げてきて、前を向けなくなって、意識が遠くなっていって。

 猛烈な目眩と共に、C96()はテーブルに倒れこんだ。

 

 

 

 薄れていく意識の中、みんなの声が聞こえた。あの人の声も聞こえた。

 聞きたくない。耳を塞ぐにはどうしたらいい? 手が動かせない。心はこの数瞬の内にずっと遠くまで逃げているのに、身体がそれに追いつかなかった。

 

「…………」

 

 血だ。

 どうやら自分は頭をひどく打ち付けたらしい。それに伴うはずの痛みさえも、無意識の取捨選択が捨て去って追いやる程に、今は瑣末な感覚だった。

 

 誰かが私を起こした。

 M950Aさんだ。

 私は遠のいていた意識に必死に手を伸ばして、彼女の顔を見た。緑髪から覗いた凛とした表情が、いつもより強張っている。

 

 私のせい?

 

 きっとこの後、私の面倒を見る押し付け合いが始まるのだろう。情けない、不甲斐ない、いや、そんな感情よりも、ただ一つ、

 

 悲しい……ょ。

 

 寂しい、辛い、苦しい、そんなものが一緒くたになって、私の心を覆った。

 

 それからどれぐらい経っただろうか。聴き取れぬ雑踏のような話し声が、一頻り耳を通り抜けた後、私は浮遊感を感じる。その浮遊感に三度意識の覚醒が生じ、同時に浮遊感は固定され消え失せた。

 

 大きい。大きな身体だ。でも、弱い。弱そうな身体だ。

 その体躯は私が今までに感じた事がない程、角張ったデザインで……

 

 体温を感じ、顔を少しあげると白い軍帽が見えた。

 

「ごめんなさい……」

 

 どうやら会ったばかりの“彼”が、私というお荷物を背負う役目を押し付けられたようだ。

 

 

 

***

 

 

 

 あれから10分と経たない内に、C96からは規則正しい寝息が聞こえてきた。M950Aは何度も彼女が眠る前に、「私が看ておくからいいわよ」と言っていたが、良太は一緒に残ることを選んだ。

 それは、彼女1人に任せるのが申し訳ないとか、そういう気持ちもあったが、それだけじゃない。

 良太はどうしてもM950Aに尋ねたいことがあったのだ。

 

「なあM950A、お前はC96に今何が起きているか、何が起こったかを知っているんじゃないか?」

「…………」

 

 良太の質問に対し、M950Aは少し考えるような素振りを見せた後、

 

「どうして、そう思うの?」

 

 ……迷った挙句その返答をしている時点で、もう答えを言っているようなものだ。

 良太は改めてC96が眠っている事を確認する。たった今彼女の話題を出したのにも関わらず、寝息のリズムに一切の狂いはない。いや、そもそも良太がその事実に気づく前に、M950Aが気づくだろう。

 

 場所を移す事も考慮したが、今この場で言なければ、M950Aは答えをはぐらかすかもしれない。

 だから良太は、彼女の戸惑いに揺らめく金色の瞳を、真っ直ぐに見返して答えた。

 

「お前が、C96に構いすぎだからだよ」

 

 思えばそうだ。

 執務室でC96が手間取っている時に、M950Aは自分がやると申し出た。最初良太はそれを、グズるC96に、M950Aが痺れを切らしたのかと思っていた。

 だが、もしそれが別の理由だったなら?

 C96が倒れた時、最も早く行動に移れたのはM950Aだった。

 それは彼女が事前にこうなる事を予想していた結果だったとしたら?

 彼女は言った。

 

『この子は心をひどく損傷している』

 

 何故、それが原因だと断定出来たのか。

 それはおそらくM950AがC96が抱えるナニカを知っていたからだ。

 

 M950Aは良太のその言葉を聞き、全てを悟ったかの様に、そうね。と零した。

 

「それを俺は、C96本人から聞かないといけないんだな?」

「いいや。もうあたしが言っちゃおうかな」

「ーーーーえ?」

 

「ちゃんと、見てんじゃん。あたしらのこと」

 

 M950Aが笑った。

 窓から射し込む夕の陽が、彼女をまるで有名画家が描いた一枚の絵画のように彩る。見た目とは裏腹に、聖女という枠にすら入りかねないその清廉さと純粋さを感じさせる金色の眼差しに、良太は一瞬時が止まったかのような錯覚を覚えた。

 心臓が一拍大きく跳ねる、彼女の顔から目が離せない。その光景を、良太は放心したように見つめてしまう。

 

「何、そのだらしない顔は。……仕事はちゃんとやりなさいよ?」

「くう……わ、分かってるよ」

 

 急いで顔をそらす良太をからかっているのか、M950Aはフフッと小さく笑って、良太の乱れた襟を整えた。

 その行為にまたもや息を詰まらせ、頬を赤くする良太に、彼女はもう一度向き直る。

 数秒、漸くM950Aの方をまともに見ることが出来た良太に、彼女はゆっくりと話し出した。

 

「まあ、C96(この子)は心がそんなに強くないの。だから自分の口から言い出すのは、C96にはちょっと厳しいかなって」

「まあ、そうかもしれないな。なんて、会ったばかりの俺が言うのもなんだが……」

「会ったばかり? あなたはこの子や他のみんな、勿論あたしとも会ったことがあるでしょう? IOP(生まれた場所)で」

「ははは、確かにそうだな。でも、やっぱりみんな全然違うよ。なんというか、君達はちゃんと、生きてるって感じがする」

 

 何故だろうか。

 こんなにも他の人形達のことを考え

 こんなにも他人に優しくできる彼女が。

 こんな、人間らしい彼女が。

 

「……生きてる、ね」

 

 どうしてか、何もかもが乾いたようにそう零した。まるでそれは、彼女の中に流れる訳でもなく、ましてや反芻するでもなく、ただ吐き出したような、それだけの意味に聴こえた。

 疑問には思うし、その原因を知っておかなければならない気がする。しかしなんと声をかければいいのか、今の良太には分からなかった。

 

「C96はね……」

 

 そして良太の思考は中断される。

 今はM950AからC96の話を聞く。焦ってはいけない。時間はあるのだから、目の前の問題を一つ一つ解決していけばいい。

 だから良太は覚悟を決めていた。

 どんな事情がC96にあっても、冷静に、そのことを聞いて、若輩者なりに頑張ってみようと思っていた。

 仮ではあるが、造られたハリボテのような指揮官だが、そんなの関係なしに彼女達の力になりたいと、そう思っていた良太だった。

 

 

 

ーーーーが。

 

 

 

 

「C96はね、97式を……9()5()()()()()()()()()

 

 

 

「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………ぇ?」

 

 

 

 そのあまりに凄惨な言葉に、良太の思考は再び停止することになった。

 

 

 

 



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第6話『私が憧れた人』

 

 

 

「今日からここでお仕事するのかー。よしっ、頑張らないとっ!」

 

 私ことC96は仰々しく聳え立つ鉄の壁の上、風に揺らめくGKの旗を仰ぎ見ながら、気合いを入れた。

 私は戦術人形として生み出され先日、ここグリフィン&クルーガーの第3区域へと配属されたのだ。

 ここの噂はよく聴いている。

 最初こそパッとしなかったらしいが、なんでも最近の戦果が凄まじいらしい。人形達の質もさることながら、その指揮を取る太田啓司という男の手腕が逸脱している。

 その指揮は疾風迅雷、まるで相手の動きを全て見透かしているかのような指示に、多くのメディアが彼に注目し始めた。

 

 そんなところへ、今から自分は足を踏みいれようとしているのだ。初めての仕事がこの大舞台。緊張するなというのは無茶な話だろう。

 

「なに、君? こんなところでボーっと突っ立って?」

「ひゃいっ!?」

 

 深呼吸中にいきなり後ろから声を掛けられた私は、思わず変な声を上げてしまう。

 

「ご、ごめんなさい!」

「いやいや、別にあたしは謝って欲しいわけじゃないわよ? それに君、何も悪いことなんてしてないでしょ?」

「……はい」

 

 確かにそうだ。

 条件反射的に謝ってしまったが、別に私はやましい事など何一つとしてやっていない。強いて言えば、入り口に立っていて少し邪魔だったということぐらいだろうか。

 私は顔を上げた。

 茶色がかった黒髪のツインテールに上着を肩から羽織っている彼女。私は彼女を知っている……97式さんだ。

 姉の95式さんと共にこの第3区トップの実力者であり、他の人形達からの信頼も厚い。私が見習うべき存在である。

 

 じっと顔を見つめる私に97式さんは首を傾げたかと思えば、直ぐに驚きに目を見開いた。何事かさっぱり分からなかったが、よく見ると彼女の瞳は私よりも後ろにあり、冷や汗がその頬を伝っている。

 

「97式、何をこんなところで油を売っているんですか?」

 

 後方から凛とした声がかかる。

 その声に誘われるように後ろを向けば、その声の主もまた、私がよく知る人物であった。

 美しく伸びた黒髪に、服の上からでも分かる煽情的な肢体、清廉潔白という印象、どことなく97式さんに似た雰囲気。間違いない、彼女が95式さんだろう。

 彼女の美しさに同性ながら見惚れてしまっている私とは対照的に、97式さんはやってしまったという表情を浮かべていた。

 

「ヤバイ! お姉ちゃんに見つかっちゃった! ほら、逃げるよ!?」

「え、え? なんで私まで……って、わぁ!」

 

 不意に手を引かれ逆らわれないまま、私は97式さんに連れ出されたのだった。

 どんどん遠くなっていく95式さんはため息を吐きながらも、追ってくる気配がない。

 

 

 

 彼女は苦笑いを浮かべながら「あまり遅くならないようにね」と、小さく溢した。

 

 

 

***

 

 

 

 タイヤが路面と擦れる音、信号の切り替わる音、並ぶ店やガラス越しから発せられるテレビの音、靴音、話し声、蝉の鳴き声。

 アスファルトを陽の光が焼くが、上空からそれを眺めても、見えるのは蠢く人の頭と渋滞に逢った車、そして高いビルの屋上だけだろう。

 

 それは私が今までいた場所であり、今居るべき場所ではない筈だった。

 

「ほれほれぇ、C96だっけ? なにチンタラ歩いてるの。今日は遊ぶわよー!」

「は、はぁ」

 

 あの後一体どこまで97式さんは逃げるのだろうかと思っていたが、まさか電車まで使って街へ繰り出すとは思っていなかった。途中で引き返そうかとも思ったが、97式さんが目を輝かせながら「誰かと遊ぶの久し振りだから楽しみ!」と言っているの見ると、どうしても断れなかったのだ。

 

 ちなみに銃の携帯はしていない。戦術人形といえど、街中で銃を持ち歩いていれば悲鳴が上がるし警察沙汰になる。それに出来れば戦術人形ということは周りには伏せておきたい。私はなんてことないが、特に97式さんは有名人だ。それこそ、良い意味でも悪い意味でも……

 

「どっか行きたい場所ある? カラオケでもショッピングでもカフェでも」

 

 この人は確かに凄い。

 噂では95式さんと97式さんが組んだ戦績は全戦全勝、鉄血に最も被害を与えたのは彼女達ではないかと言われるほどに。

 しかし、この人はいかんせん、トラブルメーカーだと噂されていた……

 

「あの、こんな事をしていて怒られないのでしょうか? 私まだ指揮官に挨拶もしていないのですが……」

 

 そう。渋々ついてきてしまったとはいえ、私はまだ太田指揮官に挨拶もしていない。

 予定では、遅くても今日の午後には着任することになっている。こんなところで油を売っていて、もし刻限までに挨拶に伺えなかったら、印象は良くないだろう。迷惑もかけてしまいかねない。

 

「うーーん、そうね。遊園地に行きましょう!」

「え、え、あのぉちょっと……」

「大丈夫大丈夫っ! あたし今日公休だし、指揮官さまにもあたしが後でちゃーんとC96のことは言っておくからさ」

 

 そう言って97式さんは私の肩をポンポンと叩いて、朗らかな笑顔を向けてきた。しかし対照的に、私は少し血の気の引いた顔で苦笑いを返す。

 

 後から聞いた話だが、彼女はこうやって度々3区を抜けては、1人で遊びに出かけているらしい。そして大抵いつも、何かしらのトラブルを起こしているらしいのだ。

 

「はぁー」

「ため息なんかついてたらお姉ちゃんに怒られるわよ? それに幸せが逃げちゃうって、聞いたことあるし」

「今日ここに来る事によって十分逃げましたよ……」

「それは大変ね! ほら、無くした幸せなら遊園地にいっぱいあるから、回収しに行くわよ! これは任務ね」

 

 皮肉すら通用しない……

 

 諦めた私はまた半ば97式さんに引っ張られる感じで、遊園地へと向かったのだった。

 

 

 

***

 

 

 

 赤く厳つい塗装で塗り固められた乗り物が、ゆっくりと坂を登っていく。乗客はこの時点でそこから降りることはできない。ただそれを見守ることしかできない。

 数秒後にはまるで不恰好な紙飛行機が空を乱雑に回るかのように、踊る。それを紙ではなく人でやろうとしているのだから、正気の沙汰とは思えない。なにせ、私達だって狂った様に踊らされるのだから。

 

「私ジェットコースター初めてなの! すっごく楽しみだわ」

「…………」

 

 その様子をそわそわと落ち着きなく、心情ごと吐露する97式さん。楽しそうで何よりだ。

 

「なに? C96はこういうの慣れっこ? それとも嫌い?」

「いえ、私だって初めてですしワクワクはしますよ。でも、こんな事してて本当にいいのかなって……」

 

 私は今日を楽しむには、些か計算違いが過ぎたのだ。本来であれば(くだん)の偉大な指揮官に会って、これからの事について真剣に考えなければならない筈だった。

 180度違うと言っても過言ではないこの状況に、戸惑わない訳がない。

 

 頂上まで到達したのか、ジェットコースターが止まった。

 

「あんた、気負いすぎ。もっと肩の力を抜きなさい。そんなんじゃダメよ。いっつも仕事仕事で、ちゃんと悲鳴をあげなきゃ、いつかきっと身体を壊すわよ?」

「で、ですが、今日は着任初日ですし……」

「はぁーったくあんたってば、お姉ちゃんと、一緒なんだから」

「ーーーーぇ?」

 

 聞き返そうとしたその時、横顔にかかる風圧に邪魔をされた。ようやく、満を辞してジェットコースターが動き出したのだ。

 

「きゃあああああっ!!」

 

 準備し遅れた私はあまりの緩急に驚き悲鳴をあげた。

 視界は目まぐるしく変わるが、目にはっきりと映るのは車体と同じく赤焦げた目の前のレールだけだ。

 顔の皮が揺れ、恐怖のあまり目から涙が出てくる。しかしその雫は頬を伝うのではなく、慣性の法則からすぐに空へと舞っていった。

 

「キャーーーーーーっ!!」

 

 悲鳴がもう一つ。しかしこちらは悲鳴というよりもどちらかといえば黄色い歓声だ。まるで自分を乗せるそれに賛辞を送るかのような。

 97式さんは手すりにすらしがみつかず、両手を空に向かって広げて声を上げていた。

 

「ああああんたぁああもぉぉ、もっとぉおお、叫びなさいいいぃぃぃ!」

「…………」

 

 馬鹿みたいに叫んではしゃぐ彼女を見て。それはおおよそ私が想像していた97式さんとは全く違っていて。

 

 ーーまるで、子供みたいだな。

 

 よく聞けば、いや、よく聞かなくても、歓声は一つどころかそこら中から聞こえていた。周りを見渡せば、97式さんと同じ様に、あるいは少し控えめに、あるいは怖いのか涙まで流して、叫んでいたのだ。

 それぞれ違いはあれど、そのどれもがこの状況を楽しんでいるのだと思った。

 

 それにつられたのかな。だんだんと、この状況を楽しまない自分が、逆に馬鹿らしくなってきた。

 

「わ、わあああー」

「もっとよおおおおー!?」

 

「わ、わあああああぁぁぁぁああああ!!」

 

 身体の奥から、絞り出すように声を上げた。

 

 ーー気持ち良かった。

 これからの不安だとか、悩みだとか、そんな事の一切が全部空の彼方へと消えていくような、そんな達成感を感じたのだ。

 私が生まれて数日、身体に風を感じて、私はこの世界の息吹を初めて感じている。そんな考えが浮かんでも、感傷に浸る暇もないほどに、心が躍った。

 一度出してしまえば、その後は楽だった。

 いつしか私は楽しくなってきて、それを見た97式さんも、満足そうに笑う。

 

 満足そうに……

 

「おええぇぇ〜〜気持ち悪っ!」

 

 ポリ袋を抱えていた。

 

「そんなに気持ち悪かったならやめとけば良かったのに……」

「う、うっさいわねぇ! 楽しかったからいいのよ! ほら、ちょっと休憩したらまだまだ行くわよ?」

 

 顔を赤くしながら私の手を引く97式さんを見て、いつのまにか私も笑顔で頷いていた。

 

 

 

***

 

 

 それから私達はお化け屋敷にメリーゴーランドに綿菓子にアスレチックに、とにかく目一杯遊んだ。

 それは間違いなく、私が生まれてから今までで1番楽しい日だった。

 こんなにも、楽しい世界だったなんて。誰かと笑いあったり喜びを分かち合うことが、こんなにも爽快なものだったなんて、知らなかった。

 

「どお? 来てよかったって思ってるでしょ?」

 

 97式さんが悪戯っ子のように笑いながら、ベンチに座る私に缶ジュースを手渡した。

 

「はいっ! 正直に言って最高でしたっ!」

「うむうむ、正直な子は良い子良い子」

「ちょ、頭撫でるのは恥ずかしいからやめて下さいよ……」

 

 向かい側のベンチでも同じように、母親が風船を持った少年の頭を撫でていた。

 私はイヤイヤと頭を振って97式さんの手を解く……が、そこで小気味の良い鈴の音が鳴る。

 

「あ、これさっきのお店の……」

 

 97式さんは先程お店に売っていた、鈴のついた小さな飛行機を模したアクセサリーを持っていた。

 

「私が赤で、お姉ちゃんが白。そんでこの黒い色のやつ、あんたにあげる」

「え……えっと、良いんですか?」

「良いに決まってるでしょ。今日あたしに付き合ってくれたお礼よ。この飛行機はね、仲間の誰かのピンチに飛んでいくのよ? ピューってね」

「ありがとうございます! でも、こんな重たいの飛びませんよ〜。というか、鈴が付いてるから飛んでいく時はピューっじゃなくてリンリーンって飛んでいきますね!」

「何言ってるの、ピューよ!」

「リンリーンです!」

 

 互いの顔を見合って、しょうもない言い合いをして、まさか憧れの97式さんと、こんなにも早く打ち解けられると思っていなかった。

 

「どお? 少しは肩の荷が下りた?」

「はい、ありがとうございました」

 

 さっきまでずっと不安で一杯だった私の心は、今は憑き物が取れたかのように晴れやかだった。

 もしかしたら97式さんはそんな私を見兼ねて、この場所に連れ出してくれたのかもしれない。それを分かっていたからこそ、95式さんは私達を止めなかったのかもしれない。

 そう思ってもう一度彼女の顔を見上げると、何処と無く温かい、優しさのようなものを感じられた気がした。

 

 

 

 

「あれ、財布落とした! お姉ちゃんに叱られる!!」

 

 どうやら今回のトラブルは、遊園地に幸せを回収しにいくというより、財布を使って大人買いしに行ってしまったという話らしい。

 

 

 



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第7話『私は……』

 

 

 

 それから月日が経ち、色々なことがあった。

 着任も無事に済み、太田指揮官に事情を説明すると、私や97式さんを叱るわけでもなく、罰を与えるわけでもなく、笑って許してくれた。

 優れた人間は器の大きさも違うのかと感心する私をよそに、97式さんはといえば

 

「じゃあプリクラ次は3人で、撮りに来るわよー」

 

「お姉ちゃん、C96が怖がってるよ! あ、決してあたしが怖いんじゃなくて……」

 

「指揮官さま! お説教は後でC96と一緒に聞くからね、今は……ちょっと出てきます。あっ、お姉ちゃん痛い痛いっ!」

 

 自由奔放? 天真爛漫? 私よりも一回り歳上な彼女だが、いつも姉の95式さんに叱られていた。それは大変子供っぽいというか、情けないというか恥ずかしいというか。

 

 でも、私含め他の人形達はそんな彼女の事が大好きなのであった。

 

 確かに97式さんがトラブルメーカーであることは否定できないし、声が大きく時々うるさい。でも彼女はいつも元気で、他の人形達も彼女の明るさに励まされているようだった。

 

 それに彼女は優しかった。

 

「お姉ちゃんは働きすぎなのよ。少しは休ませてあげないと」

 

「ほらM950Aってば、他人の事気にかけるのは偉いけど、自分のことも少しは考えてあげないと!」

 

「あたしがいれば百人力だよ! だからもっと胸を張って戦いなさいな」

 

 戦場では……いや、大事なところはいつも彼女に支えてもらっていたのかもしれない、励ましてもらっていたのかもしれない。

 みんなが、あの太田指揮官でさえ、彼女を中心に回っていたのかもしれない。

 

 

 

 私は……

 

 

 

 私はといえば、誰かを支えるなんて、とてもではないが出来なかった。どころかみんなに支えられていて、寧ろ私は自分の足で立ってすらいなかったのだ。私はみんなに背負われていた。

 そう。私は、〝お荷物〟だったのだ。

 他のみんなと比べて、私はあまりにも劣っていた。戦場ではいつも役立たず。周りの足を引っ張っていて、私が参加しない方が良かったのではないかとさえ思える。

 任務から帰投した時の太田指揮官の苦笑い、みんなの励ましや、「頑張ったね!」という労いの言葉が私に届いた時、いつもその瞬間に胸が締め付けられるように痛くなる。

 だからだろうか。

 

 

 

『気にしないで』

 

 

 

 私が頭を下げた時、その時の97式さんの、零した言葉が、私の中で大きく波を打って、その波紋を広げた。

 

 いつもだったらすぐに収まった。

 いつもだったら我慢できた。

 いつもだったらまた努力しようと思えた。

 

 でも、私はそんないつもに何度も何度も打ちのめされてきた。何度も何度も痛感させられてきた。何度も何度も理解させられた、許されてきた、甘やかされてきた、甘えてきた、それが許せなかった。

 

「どうしてっ!!」

 

 気付くと私は大声を出していた。

 驚いたみんなの視線が私と97式さんに集まる。

 顔を上げると97式さんも周りのみんなと同じ様に、驚いた顔をしていた。

 

「ど、どうしたのよいきなり……」

 

 訳がわからず戸惑う97式さんを見て、私はどうしても我慢が出来なかった。

 

()()()()()()なんて、軽々しく言わないで下さい」

「ーーーーえ?」

「き…気にしない事が……どれだけ難しいことか分かっているんですか……? 怒ってくださいよ、はっきり言ってくださいよ。どう考えたって、私はみんなの迷惑でしかない」

 

 止まらなかった。まるでダムが決壊して今まで堰き止められていた水が噴き出すように、私の心が悲しさと怒りと申し訳なさでグチャグチャに混ざり合って、流れ出る。

 

 ーー気にしない。

 

 そんな事が出来るはずもなかった。私はずっと自分を責め続けてきて、精神をすり減らしてきた。自分の存在を肯定するみんなが、どうして肯定するのか分からなくて、申し訳なくなってきて。自分はこんなにも自分を否定しているのに。

 

 私の声は大きくなっていく。

 

「いつも私を庇うような発言ばかり、許すような発言ばっかり……そんなお情けみたいな事をされるぐらいなら、可哀想な子をおぶって歩くみたいな、そんな気持ちで言っているなら、もう、辛いんですよ! どうして、私は自分の足で立っていないんですか! こんなにも努力して、みんなに追いつこうとしているのに、どうして対等に見てくれないんですか!」

 

 私は認めて欲しかったのだ。

 “誰も”が……とまでは言わない。“誰か”に必要とされるような私を。

 だから私は駄々をこねる子供のように叫んだ。

 誰もが必要としない筈の私を。

 誰もが必要としていない事を1番私自身が理解しているのに。

 それを必要としているように振る舞う彼女達を見るのがとても辛かった。

 本気で認めて欲しかったが故に、自分が無能だと悟っているが故に、彼女達の言葉のどれもが、物凄く軽い、ハリボテのようなものに見えて仕方がなかったのだ。

 

「ちょっとC96落ち着いて、別に対等に見ていないって訳じゃ……

「嘘をつかないで下さいっ!! 対等に見ていたら普通怒るでしょう!? お前ならもっとやれるはずなんだから、何をミスしているんだとか。努力はしているんだから、これぐらいはこなせよとか!」

「…………」

 

 困ったような顔を浮かべて黙る97式さんを見て、私の中でナニカが弾けた。

 

「……最初から、何の期待もしていないから、いつも優しい言葉をかけるんですよね……? その言葉は、私と任務を同行すると決まったその時から、()()()()()()()()()()()()()ですよね?」

 

 C96はきっと失敗してしまうだろう。

 その時に一体どんな言葉をかけてやれば良いだろうか。彼女が落ち込まないように励ますには、どうしたら良いだろうか。そんな事を、みんなは考えている。

 そう。誰もC96が成功するなんて思っていない。ただ足を引っ張るか、微妙に引っ張るかのどちらかでしかない。

 それをみんなが認識しているからこそ、C96()と同行することが決まったその時から、みんなは優しい言葉を持っている。使おうとしている。当てがおうとしている。

 

 私はそんなこと、頼んでいないのに。

 

「私はグズで、出来損ないで、足手纏いなんです。努力が報われなくて、また努力しても届かなくて、結局努力していないんじゃないかって、自分が信じられなくなるぐらい」

 

 死にそうなほど努力している筈なのに、どうして楽しそうに笑う97式さんの方がずっと強いの? どうして一緒に笑うみんなの方がずっと強いの? どうして私は笑えなくなってしまったの?

 

 最初はみんなと笑えていた。

 あの日、遊園地に連れ出してくれた97式さんのおかげだ。

 

「そんな私を下手に気遣うぐらいなら、はっきり言ってくださいよ」

「……何をよ?」

 

 でも暫くして分かった。

 私は誰よりも劣っていて、

 そして誰よりも、

 

 誰よりも、

 

「はっきり分かっているはずです。私は〝いらない子〟だって……っ!!」

 

 いらない子なんだって。

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 ーーパァン……ッ!

 

 

 

 乾いた音が響いた。

 私は思わず頬を抑えた。

 その光景に誰もが息を呑み、音が反響した後は数秒の静寂が訪れるだけだった。

 私は、いや、私を含めその場にいる誰もが。それを理解するのに、かなりの時間をかけただろう。

 

 そう。97式さんが、私の頬を叩いたのだ。

 

 ーー痛い。

 

 いつもみたいな悪ふざけじゃない、本気で叩かれたのだと分かった。頬は熱を帯び、そこからじんわりと痛みが広がって、真っ赤になっていることが見なくても分かる。

 

 なのに、どうして?

 泣きたいのはこっちなのに、なのにどうして、9()7()()()()()()()()()()()

 

「ばかばかばかばか! あんた大馬鹿よっ!」

 

 初めて見たかもしれない。

 97式さんが、本気で怒っているのを。

 

「自分がお荷物でしかないって、足枷にしかなってないって、いらない子だなんて、本気でそう思ってるのっ!?」

 

 顔を真っ赤にして、瞳に涙を溜めながら怒る彼女をみて、私は開いた口が塞がらなかった。

 いつも弱音一つ吐かずに、無邪気に笑う彼女しか見たことがなかったから、今目の前で怒りや悲しみに満ちた表情をしている事自体が、受け入れ難い。

 

「だから気にしないでって、言ってんじゃん! それを……それをあんたは一つも分かってないっ!!」

「…………ぇ」

 

 97式さんは泣きながら走って行ってしまった。

 それをこの場の誰もが見守る。

 誰も止めようとしなかったのだ。

 コルトとスコーピオンは黙って道を開けていた。姉の95式さんでさえ、何も言わずに目を閉じていた。

 私は弱々しく伸ばした手が何もない空気を掴むだけになっているのを見て、ゆっくりとその場にへたり込む。

 

「私って……」

 

 一体何をしているんだろう? さっきまで私が感じていた、抑えようのない気持ちは、一体どこへ行ってしまったんだろう?

 走り去る97式さんの背中を見たその時から、私の心は一気に空虚なものになってしまう。

 確かにあの気持ちは本物だった。成長しない自分が悪いのは百も承知だ。でもそれを知っているからこそ、みんなには、特に97式さんには正直に言って欲しかった。取り繕われた表面上だけの、社交辞令のような励ましの言葉に嫌気がさして、努力が報われないポンコツな自分に腹が立って。

 だからこそ言った。

 自分の事を仲間だと思っているのなら、ちゃんと言ってくれと。そうまでして嘘の言葉を並べるのは、私がいらない子で、みんなが優しいからなんじゃないかって。だから後悔はない。むしろ清々しい気分、その……筈だ。

 

 でも。

 

 私は深く、深く後悔していた。

 今までのどんな失礼よりも、どんな勘違いよりも、どんな失敗よりも、何よりも。

 97式さんと喧嘩してしまったのだと言う事実に。彼女に泣いて怒られたという事実に。そしてその理由が、全く分からない事に。

 

「私って、いらない子じゃ……ないんですか……?」

 

 誰に聞いたのだろう?

 聞きたかった相手は、私を置き去りにして遠くへ行ってしまった。

 私の声は届かない。

 私に答えてくれる人はいない。

 世界が真っ暗闇になって、何をしていたのか、何がしたかったのかが分からなくなって、思考の大海を彷徨い始める。

 

 

 

 

 このまま闇の中へと消えていってしまいそうな、そんな時、ふと、声がかけられた。

 

 

 

 

「私からすればみんなまだまだあまちゃんなんだから、変わらないよ」

「…………ぇ?」

 

 ネゲブさん……?

 

「ふんっ、そんなことぐらいで一々落ち込んでたらキリがないわ。キリがないことは辞めるのよ、いい?」

 

 WA2000さんも?

 

「言い方はアレだけど2人ともC96の事を心配してるんだよ? もちろん表面上だけじゃなくてね」

「え、えっとこんな時何言ったら良いのかよく分からないけど、と、とりあえずコーラでも飲む!?」

 

 スコーピオンにコルトまで……

 

「コルト、あんたまで混乱してどうすんの……。C96、あたし達は仲間なんだから、そんなこと気にしてても仕方ないよ」

 

 M950Aさん……

 

「どうでしょう、音楽を聴くと結構落ち着きますよ?」

 

 あまり喋ったことのないスオミさんも?

 

「C96さん……C96さんは知らないかもしれませんが、私達だって最初は失敗ばかりでした。その度、自分にできる事は何なのかって必死に探してきました。C96さんは少し焦りすぎて、色んなことを一気にやろうとしすぎてるじゃないでしょうか?」

「そうね。というか誰が足引っ張るとか引っ張らないとか、全く気にした事なかったけど」

 

 M4A1さんに、vectorさん……

 

 みんな私を、私を心配している? 心から?

 私はちゃんと、みんなの〝仲間〟なの?

 

「…………うぅ…」

 

 私が投げかけた弱々しい疑問に、みんなが答えてくれた。伸びて来ないとおもっていた手を、みんなが差し伸べてくれたのだ。

 

 遅れて、今度はゆっくりと涙が溢れてきた。

 私は一体何を1人で抱え込んでいたのだろう?

 

 私を対等に見ているのなら、ちゃんと言って下さい?

 

 対等に見ていなかったのは、私の方じゃないか。本当の仲間だと思っていなかったのは、私の方じゃないか。

 私の溢した弱音を、ずっと胸に秘めていた弱音を、こんなにも大勢で、こんなにも暖かく、拾い包んでくれた。甘やかに溶かしてくれた。認めてくれた。

 もっと早く、溢しておけば良かった。みんなが私を仲間だと思ってくれていることを信じて。

 

「あなたが気づいていないだけで、皆さん、あなたに助けられたことは何度だってあります。それこそ、さっき怒って出て行ってしまったあの子も」

「9、97式さんが、私に…助けられたこと……?」

 

 

 

 

 驚く私に95式さんは優しく、しかししっかりと頷いてみせた。

 

 

 



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