逢魔ヶ時に鬼魔は来る。 (庵パン)
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蛇神の民と異界
1話


一節が終わるとピニョーンと前年まで遡ります。
最初は1章全部投稿します。


街灯の乏しい武蔵野の住宅街の屋根を、一体の怪異が飛び跳ねる。

下腹部の突き出たそいつは、如何にも餓鬼という風体の怪異。

また1つの屋根を飛び越え、昼間の屋敷へ来た人間の元を目指す。

多摩の大地が草木に覆われていた山野だった頃、幾人もの修行僧によって異界に追い出されたそれらは、永い眠りを覚ませてしまった人間を目指し、明らかにヒトとは違う眼を煌めかす。

その意志は異界から現世に呼び戻したことへの謝意か、眠りを覚ましてしまった人間への怨嗟かは知れない。

だが人間の世界にいてはいけない存在であることは明白だった。

人間に伝わる伝承では人畜を襲い、その肉を引き裂き喰う化物とされる。

また一つ人家の屋根を越える妖魔。

ふいに、その身体が濡れた紙の如く四方に弾け飛んだ。

鬼火を残し、消滅するそいつ。

発生地点でケリを着けてくれたら秋山・一磨(かずま)の出番は少なく済みそうだが、今倒した者の他にも妖気が感じられる。

超常の力を複数覚えた今だが、束で来られたら自分の身を守るのも難しいだろう。

胆試しか何か知らないが、上木少年とその友人も面倒なことをしてくれたものである。

一磨が子供の頃なら絶対にしない遊びだ。道祖神へのお供えを勝手に食べただけで近所の大人に殴られたものである。

今思えば、健眼一磨が知り合った妖怪と共に妖怪を倒すことになったのも、小さい時から近くの大人や母に妖怪の話を聞かせて貰ったのが無関係ではない。

二体目の怪異を見つけ、人差し指を向けて構える。

放つ超常の力は指鉄砲。数ヵ月前に古い妖怪から教えて貰った妖術である。

今の一磨が持つ妖力と体力の過半を使うから連射はできないが、離れた相手を倒すのに他に術はない。

狙いに自信はあるが、外したら人家に被害がでてしまうので敵の進行方向に回り込むと餓鬼の後方遠くに脚の無い妖が夜空を飛ぶ姿を見た。

「あれは……」

見付けたソレは、皮膚も肉も無い怪異。

白い頭蓋骨をもたげ、一磨に向かって来るのは狂骨という化物。

人間なら誰もが一つは持ってる頭蓋骨だが、古来より死の象徴としても知られる。化物は少々見慣れた一磨だが、見ていて余り面白いものではない。

更に言えば、その力は未知だ。こういう化物こそ発生地点で止め、滅ぼして欲しかった。

呼吸を整えた一磨が超常の力を放ち、それを胴体で受けた餓鬼は四肢を捥がれて鬼火を走らす。

少し遅れること数拍。胸骨に向けて放たれた指鉄砲は彼の妖の胴体を捉えた。

だが、止まらない。攻撃を受けて若干押されたようだが、圧倒的な妖気せいか超常の力は阻まれてしまった。

脚の無い躯が一磨に迫る。

 

一磨がこの世界に身を投じたのは、3ヶ月前の事件に始まる。

 

 

*  *                               *  *    

 

 

時が過ぎるのは早い。

一磨が故郷を出てからもう20年目に入ろうとしている。

今更であるが、気付けば自分も中年という年齢に両足を突っ込んでることに一磨は虚じ、深い溜め息を吐いた。

今まで生きて来て何も良い事がない。

いや、子供と言える頃は何かと良い事もあった筈だ。

友達も多かったし、兄弟仲も悪くはなかった。

父と祖母は厳しかったが、祖父と母は優しく守ってくれた。その2人は、今はもう居ないのだけれど。

そもそも、ここから故郷までは400km以上離れているのだ。親妹弟の顔を見ることもない。

恋をしたことは今までに何度かあったが、その全てが報われずに終わっている。今ではその感情すら虚しい。

年末恒例の歌番組は知ってる歌手が殆ど出ないから、MHWを興じてた一磨は気分だけでも多くの人と分かち合おうと、チャンネルを歌番組の後の番組に回す。

しかし、万が一故郷の寺や神社が出てきたらおもしろくない、テレビのスイッチを切った。

生きていても苦労だけで楽しいことがない。それでも自らの命に終止符を打とうとしないのは、苦痛を恐れるからだ。

地獄という冥府があるとは思っちゃない一磨だが、それだけを理由に生きている。

それに……もしかしたら思わぬ幸運がこの先に待っているかも知れない。

すると彼の傍らから電子音が鳴り、ケータイに電話が来たことを知らせた。

20世紀の遺物を開いて液晶を見ると、電話してきたのは池沼という名前。

普段なら深夜に電話せてくる非常識者と思うのだが、今夜に限って言えば多くの成人は深夜を過ぎても起きている。

そうなると、池沼の行為は非難できないだろう。しかし経営者としては大いに非難されるべき男だ。

「はい、もしもし」

一磨はお決まりの台詞で電話に出た。

『まだ起きてるのか秋山! 明日は仕事あるんだから寝てろ馬鹿。6時には店に来てろ!』

仮に寝てたとしても着信音に起こされてただろう。

池沼はそれだけ言うと電話を切る。

神も仏も信じてはいない一磨だが、日本では古来から……世界でも少なくとも近代から永きに渡って新年初日は休日とされてきた。

その慣行を破ったのが何処の阿呆は知らないが、新年1日目から仕事を初めた人物は大悪人だと思う。

池沼は他人が儲けるなら、その期間を自分が儲けられないのは可笑しいと考えて従業員を働かせる。

奴の所有する企業の社員は何時もこんな目を見させられているのだ。

死後に地獄というものがあるならば、池沼は地獄行きだろう。

だが、その地獄を否定したのは他ならぬ一磨だ。

気が付けば、年を越して新年を迎えている。

年の最後に聞いた声が池沼だった一磨は、再び深い溜め息を漏らし、最後の一本となった煙草を咥えると火を点けて荒れる心を落ち着かせた。

 

 

*  *                             *  *

 

 

あれは20年も前のことだ。

高校生の半ばに家を出た一磨を、池沼は飲食店の従業員に雇った。

中卒の身分で無能力者と言って良い一磨は、此れを人の情けや厚意と受け止めたのである。

だが、世の中は彼が思う程甘いものではなかった。

無能力者の一磨に調理師免許を取る機会をくれたことは感謝しているが、その費用だって給料から差し引かれた。

時代は長期に渡る不況の真っただ中で、研修の際に同期になった者達は幸運だと思っただろう。

だが、実際に研修が終わり仕事が始まると労働環境は悪劣極まった。今で言うブラック企業だ。

ダミヤンという店は本物志向を売りにして、それで一磨も調理師免許を取る事になったのだが、出す料理の全てはセントラルキッチンという集中料理施設で作ったものを解凍して野菜を添えるだけの料理だ。

スープ類は実際に一磨が店内の厨房で作らなくてはならないのだが、決まった分量の材料と調味料で作るのだから味見はしてもしなくても一定だろう……と一磨は考える。

以前、一磨は池沼に喫煙しているところを見つかり、味が分からない料理人とは契約を切ると脅されて非喫煙者になった振りをしたが、池沼自体が喫煙者なので煙草の匂いは分からない。見えない寮と店の間でなら問題なく一服できてしまうのである。

今日もそうして寮と店舗の間にある駅のホームで3本ばかり吸ってきた。武蔵野台に寮を建てて一磨が働く店舗が渋谷にあるのだからバレる訳などない。

店に入ったら先ず出勤簿に署名してから厨房に向かい、ガスを使えるようにする。

それから念入りに手を洗うのだが、冬場の冷水は毎度のこと堪える。

夏場でも冷たい水が勢い良く出て指先に力が入らなくなるのだから、冬場は尚のことだ。

しかし衛生面に気を配るのを怠って食中毒事案でも起こしてしまうと、店は暫く業務停止となって一磨は餓えることになる。

以前にも池沼が所有する全て企業の中で全て飲食店が業務停止にされることがあった。

食中毒を起こした訳ではなかったのだが、従業員が自殺するという事件を起こしたからだ。

自死という道を選んだのは一磨の顔見知りで、同じ時期に研修を受けた女性だった。

会った時はまだ10代後半の一磨と変わらない年齢で、優しい女性だったが粗忽者だったのが玉に傷である。

研修中にも客に出した水の入ったコップを倒して客や研修元から叱られ注意されているのを、良く憶えている。

彼女の優しさは初恋の女性と似たところがあったのか、一磨は淡い恋心を抱きながらも、声を掛けれずにいたものだ。

それは好きだと思う余りに、声を掛けて期待通りの返事を貰えないことを恐れてたのしれない。

別々の店に配属されてから会うことはなくなったが、久しぶりに彼女の話を聞いたのが同期の自殺という形だった。

この時には既に人の死に対してドライな考え方を持っていた一磨は、彼女の死を惜しみ悲しみつつも、死に方については想うことはなかった。

ただ「馬鹿な死に方を」と思うだけだ。

 

 

*  *                             *  *

 

 

午前中は2組程度しか客は来ない。

どうということは無い。正月1日から店を開いてる飲食店を物珍し気に入ってコーヒーだのスープだのを頼んだ3人だけだ。

現在、中華レストランのダミヤン渋谷店にはバイトとパート、それに一磨という3人の従業員が働いていて、一磨は店長という立場だから毎日出勤している。

飲食店としては異常に人数が少ない従業員だが、これも池沼が人件費をケチるせいだ。パートの従業員は女性で、これもまた毎日出勤している。

バイトは去年の春まで大学生だった若い男性で、週5日出勤している。一磨はこの男性従業員とキッチンを預かり、そしてパートの女性従業員は客のオーダーを聞いてからキッチンにそれを伝え、客が食べ終わった食器を運ぶホールの仕事だ。

その2人の従業員は午前の内に来た。今日は明らかに赤字だろう。だが池沼がそれを望んだのだ。仕方ない。

一磨は一応正社員であるが、給料は時給制である。

時給1000円とアルバイトなら割は良いかも知れないが、正社員の給料ではない。パートとバイトは時給960円と最低賃金ギリギリの格安である。

早朝・深夜は数十円ほど高くなるが、休日と祝日は特に手当もない。

「おはよう御座います」

「おーはよ」

無気力を絵に描いたような返事を返す一磨は、7時に来たバイトの男性従業員に声を返す。

来たのは桜井・幹夫(みきお)という、やや小太りの若者だ。

履歴書では帝京大学を卒業している、従業員の中では一番の学歴が高い。

こんなブラック企業に学士が就職しているのは不思議であろうが、彼は内向きの性格なせいで新卒で内定が出なかったようである。というか、そう本人が話していた。

今はバイトしながら中卒採用を目指しているが、内向きな性格……というか、一磨と同じで若干オタクなところがあるせいか就職は中々決まらないようである。

「ちゃんと出勤簿書いた?」

「はい」

ちゃんと書かないと池沼の雇用であろうが、別の会社であろうが給料は払われない。

一磨なんかちゃんと書いているのに返事が無いという理由で1日分の給料を抜かれたくらいである。

「おはよう御座いますなのだ!」

元気よく挨拶するのは、精々中高生くらいにしか見えない女性で2本のアホ気が獣耳のようになった女性だ。

一磨は店長だから履歴書も見るのだが、学歴は一磨と同じようなものである。ただ、ジャパリ中学校卒と日本語が少し可笑しいことから日本人ではない可能性がある。名前も「新井・マス」と日本人とは思えないものだ。恐らく外国帰りの日本人なのだろう。

履歴書の特技欄には「うどんが打てる」らしいが、生憎セントラルキッチンで全ての食材を作り、冷凍してから各店に運んで使っているダミヤンでうどんを打つこともないし、そもそもうどんというメニューが無かった。

「おはよ。ちゃんと書いた?」

出勤簿を、である。

「アライさんに抜かりは無いのだ!」

元気は良いが、この娘……と思いきや、年齢は一磨と大して変わらなかった女性には若干心配がある。

出勤簿のことだと伝えると、新井は慌てて従業員出入り口に向かって行った。何のことだと思ったのだろうか?

 

 

*  *                             *  *

 

 

ダミヤン全店舗のオーナーで、名目上の経営者である池沼が来たのは午前10時を過ぎた頃だった。

「秋山は何処に行った? 来ていないのか!?」

店に来るなりデカい顔とデカい声で怒鳴り散らすように喚く。神経過敏症なのか、全く朝から五月蝿いオヤジだ。

「ここに居るでしょ!」

出勤簿に名前を書いたからと言って安心はできない。こうして返答をしなければ欠勤扱いにされてその日の給料と、それに加えて「罰金」を取られるのだ。

「お前。影が薄いんだよ」

うるせえ余計なお世話だ、と言いたい一磨だが、実際の所、彼は影が濃い人間とは言えない。高校の時分に人生を狂わせてしまってからだ。

池沼は朝の6時と7時に出勤してきた従業員がいることを確認すると、早々に乗って来た車に乗って何処かへと行ってしまった。従業員の管理を自分の目でしないと気が済まないらしいから、別の店か他業務の所有する企業へと向かったのだろう。

 

 

*  *                             *  *

 

 

一磨の予想に反して、客は午後から増えていった。

客は以前にも店に来たことがある顔が多い。以前から薄々感付いていたが、これは新井が居ることによる集客効果であろう。

実年齢は若くはないが、新井は中高生と余り変わらない見た目だ。それに小動物のような可愛さがある。

これがあるから日本語が変でも、池沼は新井をクビにしないのだろう。その目算に気付かなかったとは、一磨は池沼にしてやられた気分になった。

「店長、相談良いスか?」

五時間以上の勤務である幹夫は、客が少ない時間帯に賄い料理を食いながら一磨に相談を持ち掛けてきた。

従業員からの相談を聴くようにしたのは、15年前から一磨が渋谷店独自の習慣として始めたものだ。

池沼が所有する企業では15年前の自殺以降、自傷行為や失踪が相次いでいる。

自殺や自傷行為は労働環境が悪劣さが原因で本人が起こすとして、失踪の方は理解出来ない。

失踪するのは池沼のグループ企業の重役やそれなりに立場が高い人間達なのだ。彼らが死んでいようが廃人になっていようが知ったことではないが、そうする理由がないのである。

ただ、前に居た別の女性従業員からはスケベおやじがスケベ心を発露させて行いはじめたセクハラまがいの所業だと思われてしまったようだ。

その従業員は今現在は店を辞め、身近なアイドルを看板に掲げるタレントから程々に有名な女優へと転身している。

ダミヤンに居たのも池沼が人寄せパンダとして連れて来たのだろう。

「新井さんのことなんですけど……」

幹夫の相談内容は同僚のウェイトレスのことだった。

「彼女、彼氏居るんですかね?」

「いや、まて桜井君お前……」

まさかの男の恋バナというヤツであろうか? だとすると、一磨には良いアドバイスは出来ない。そもそも新井は中高生くらいに見えて実は一磨と大して変わらない年齢である。

しかも既婚者で子供も居る筈だ。

「実は、新井さんが妙に気になっちゃって……」

核心部分を勿体ぶらせるあたり、恋バナの可能性が強い。しかし一磨は話を急かすことはなく、一言一言をじっくり聞いていく。それが相談される側の態度として上手なものであると思っているし、相手の言いたいことを全て聞いていくのが理に適った方法だと考えてるからだ。

「えっと……要は?」

理に適っていると考えているにも関わらず、一磨は先を急かすように聞いてしまった。

恋バナであれば、それは最早叶わぬ願い。だから女性を想う苦しさを知ってる一磨は、この就職浪人の学士を早く楽にさせたいとも思っているのだ。

「新井さんの下の名前って何ですかね?」

言うかと思ったらトンだ肩透かしである。だから「新井・マスっていう人妻なんだっ」と一気に言ってしまった。

すると幹夫は「ぬぁああああああああ!」と頭を抱えてしゃがみ込んだ。衝撃の核心に触れて……というかぶつけられてショックを受けてるのだろう。

「あとな、桜井君。新井さんは子供も居て俺と大して歳も変わらないんだ」

「マジすか!?」

「履歴書見たからマジ」

納得したように立ち上がると幹夫は言う。

「世の中には信じられないことがあるんですね」

衝撃的事実のサンドバックになってるかと思ったが、見る限りでは幹夫の立ち直りは早かった。もしかしたらこういった経験が過去にもあるのかも知れない。

「まったくなぁ」

一磨の新井に対する第一印象は、不思議な感じのする少女だった。履歴書を見る限りでは少女ではなかったのだが、喋り方以外の部分で新井の存在が他の人は他の人と違うこと一磨は感じていたのだ。

強いて言うなら、それは第六感である。

 

 

*  *                               *  *

 

 

この日の夜は元旦だというのに、店内は客で溢れていた。

バイトである幹夫の労働時間は午前7時から午後16時までである。だからそれ以降の時間は一磨と新井で店を回さねばならない。

年の初めは自分の家でお節でも喰えと言いたいところであるが、新井見たさか正月の準備を惜しんだのか客が減らない。

お蔭で18時を過ぎる頃には一磨もキッチンだけではなく、料理を客に出すホールの仕事も兼任しなければならなかった。

「待って欲しいのだ。待って欲しいのだ!」

食器を何重にも重ねた新井がホールとキッチンの間を行き来する。ワゴンに乗せれれば安全に運搬できるのだが、ワゴンには豚の角煮と丼茶碗一杯の五穀米を載せて一磨が使っていた。

しかし新井の危なっかしい光景を見て、一磨は早いところ注文された品を配ってワゴンを新井に使わせなければならないと思う。このワゴンが1台しかないというのも池沼のせいだ。

合理化で余計な予算を削っているとヤツは言うが、事故を起こす可能性を考えれば合理的とは思えない。

注文された品を配り終え新井にワゴンを譲ろうとした時、それは遂に起きてしまった。

何段にも重ねていた皿はバランスを崩し、地面へと落下していく。

「あぁ!」

人間の視覚は不思議なもので、危機的な状況になるとそれがスローモーションに見えることがある。

脳が誤作動を起こしてそう見えると言われているが、タキサイキア現象といって脳の情報処理速度が瞬間的に高まった結果と言われている。

だが脳の情報処理が早くなったからと言って皿が落ちる前に受け止めることなどできない。

新井が落とした5枚の皿は床にぶつかって砕け散ってしまった。

「ご、御免なさいなのだ!」

助かった1枚の皿を抱きながら新井が誰ともなしに謝る。

近くにいた老婦人が彼女に助け船を出そうと屈んだが、その時になって一磨はようやく駆けつけて来れた。

「申し訳ありません!お客様、お怪我はなかったでしょか?」

老婦人に怪我がなく、服に汚れもなかったことを確認すると新井と共に割れた食器を片付た。

「新井さんも怪我なかった?」

聞くと、彼女は頷いて怪我はないということが判る。

破片1つ残らず片付けた一磨と新井は次の注文に応えるために再びキッチンに向かった。しかし新井は怯えながら言う。

「ごめんなさいなのだ。クビにしないで欲しいのだ!ごめんなさいなのだ!」

そう言われても、一磨に人事権はない。人事に関することは全て池沼が握ってるのだ。

「いや、まぁ大丈夫でしょ」

身も蓋も無い話、新井は池沼にとってはドル箱なのだし多少の失敗があっても手放そうとは思わない筈。だが新井の怯え方を見ると、以前に失敗したことで池沼に契約解除をチラつかせて脅かされた可能性もある。

新井を見ていると15年前に自死という道を選んだ彼女を思い出す。名も顔も思い出せないが、記憶の中では良い娘だったことは憶えている。

「池沼には何度もプラスチック製の食器にしろって言ってたんだよ。こういうことも覚悟して陶器を使い続けてたんじゃない?」

だから新井には責任は無いのである。そもそも池沼が店にいる時間は至極短い。食器が減ったことに気付くかどうかも怪しい。

「まぁ失敗は誰にでもあるし、次から気を付ければ良いんだよ。でも、次からは少しずつ運ぶとかさ、どうすれば失敗しないようになるか考えなきゃ」

「そ、そうするのだ」

食器にも限りがあるのだ。余り減り過ぎると流石にバレる。新井と口裏合わせて黙ってれば平気だ。

「この恩は忘れないのだ。きっといつか恩返しするのだ」

「いや恩って程のことでもないんですが……」

この小動物のような雰囲気のある中年女性は、言うことが何かとオーバーだ。

一磨は新井に「失敗は誰にでもある」と言ったが、この世には取り返しのつかない失敗というのも多い。それで人生を狂わせたのは一磨自身だ。いつか、機会があればそのことも新井には教えた方が良いだろう。

 

 

*  *                             *  *

 

 

元旦は祝日なのでオーダーストップは23時までだ。

しかし流石に深夜という時間帯に来るような客はいない。居たとしてもコーヒー1杯で長時間駄弁ってるような連中だ。このような輩は、店の開店が悪くなるとかで池沼が警備員を雇って追い出すことにしている。

しかし他企業からの派遣型警備員なので正月は来ない。だから4人の若者がローストコーヒ-2杯で22時半辺りから駄弁っていた。

他に客も居ないので放っておいたが、営業時間は午前0時までである。ダミヤンが非常にブラックな職場であることは渋谷界隈でもインターネット上でも有名な話だが、目立った罰則は15年前に暫く業務停止になっただけだ。

「秋山さん、新年早々からご苦労様です」

コーヒー2杯で駄弁ってる若者の1人が一磨に労いの言葉をかける。

一磨は彼等と顔見知りで、かなりの苦労人として知られていた。

「ホント朝から苦労したよ。お前らも夜はちゃんと寝ろよ」

老婆心で言うが若い彼等には口煩い小言にしか聞こえないだろう。だが苦労人の言葉として心に留めてくれてれば良いのである。

一磨は目に見えないものは神であれ仏であれ、人の心であれ信用しない。視ることが出来たら苦労しないのだ。

しかし自分の苦労を解り、労ってくれるというなら救いもある。

解ってくれる他人がいるというだけで精神的に楽になれる。

 

営業時間は午前0時だが、一磨にはまだ仕事がある。

使った分の食材をセントラルパークに発注しなくてはならないのだ。

「お先に失礼するのだ」

そう退社の挨拶をする新井に挨拶を返す。

「店長はまだ帰らないのか?」

「1日から客が多かったからね。発注を済ませてから」

「なら待ってるのだ」

「そこまでせんでも……」

と思うのだが、新井の住居は一磨より渋谷に近い調布だという。

 

元旦は祝日なのでオーダーストップは23時までだ。

しかし流石に深夜という時間帯に来るような客はいない。居たとしてもコーヒー1杯で長時間駄弁ってるような連中だ。このような輩は、店の開店が悪くなるとかで池沼が警備員を雇って追い出すことにしている。

しかし他企業からの派遣型警備員なので正月は来ない。だから4人の若者がローストコーヒ-2杯で22時半辺りから駄弁っていた。

他に客も居ないので放っておいたが、営業時間は午前0時までである。ダミヤンが非常にブラックな職場であることは渋谷界隈でもインターネット上でも有名な話だが、目立った罰則は15年前に暫く業務停止になっただけだ。

「秋山さん、新年早々からご苦労様です」

コーヒー2杯で駄弁ってる若者の1人が一磨に労いの言葉をかける。

一磨は彼等と顔見知りで、かなりの苦労人として知られていた。

「ホント朝から苦労したよ。お前らも夜はちゃんと寝ろよ」

老婆心で言うが若い彼等には口煩い小言にしか聞こえないだろう。だが苦労人の言葉として心に留めてくれてれば良いのである。

一磨は目に見えないものは神であれ仏であれ、人の心であれ信用しない。視ることが出来たら苦労しないのだ。

しかし自分の苦労を解り、労ってくれるというなら救いもある。

解ってくれる他人がいるというだけで精神的に楽になれる。

 

営業時間は午前0時だが、一磨にはまだ仕事がある。

使った分の食材をセントラルパークに発注しなくてはならないのだ。

「お先に失礼するのだ」

そう退社の挨拶をする新井に挨拶を返す。

「店長はまだ帰らないのか?」

「1日から客が多かったからね。発注を済ませてから」

「なら待ってるのだ」

恐らくこれが恩に感じていることを態度で示してるのだろう。

「そこまでせんでも……」

と、思うのだが、新井の住居は一磨より渋谷に近い調布だという。

とは言え、平日ならいざ知らず元旦である。終電の時間は大丈夫なのだろうか?

「ちょーふなら歩いても結構すぐなのだ」

「そうなんですか?」

東京に来て20年になるが、渋谷の周辺はダミヤンから駅までしか歩いたことのない一磨は距離感が解らない。懐に余裕が出来たら徒歩旅行も考えただろうが、毎日を生きていくので余裕がなかった。

 

発注が終わり、火の元と鍵を閉めてから京王線の駅まで行くと、案の定終電は過ぎていた。

新井は徒歩で調布まで行くようだが、武蔵台まで帰らなくてはならない一磨は今の時間から徒歩で帰るのはキツイ。

仕方ないから近くのカプセルホテルで一泊することにする。道玄坂に安く泊まれるところがあったはずだ。

踵を返して駅の出入り口に向かおうとすると、一磨は眩暈を覚えた。

産まれた時は皆に祝福されて産まれてきたのに、死ぬ時は独りだろう。そして今のままだとその時はそう遠くない未来だ。

池沼は金ずくで社員を消耗品のように使い古して行くが、それは只管墓穴を掘るのと同義語である。人を呪わば穴二つという。しっかり1つのに穴は池沼本人に入って貰わないと困る。

一磨は、懐に忍ばせた暗器を肌身離さず持ち続けている。




シリアス書いてて辛い………。
なので偶にユルイのが来ても勘弁して下さい。


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2話

前書き無いと寂しいんで書いておきます。
からくりサーカスやうしおととらの原作者である藤田先生は天才です!
それだけを言いたかったんです。
今作でもそんな感じに熱くて直向きに生きる男を書きたいんじゃァ!


秋山(あきやま)一磨(かずま)が産まれたのは、季節外れの大雪が降る霜月の中日(なかび)だった。

この時期に雪が降るのは、その地域では珍しくない。だが予定より早いお産に、両親は慌てた。

それでも二世帯で同居していたことが幸いしたのだろう。祖母が助産の経験があり、難産ではあったが一磨は無事に産まれたのである。

両親の家系は長らく県内の出身で、お互いに実家が近い。母の実家は近隣の町にあるのだ。

そして互いの生業は、共に第一次生産者だ。

祖母と父はとても厳しい人間で、一磨は5歳の頃から躾で折檻されたものだ。

一方、祖父と母はとても優しいもので、いつも緋色の瞳を一磨に向けて笑っていた。その母に一磨は良く庇われていたものである。

祖父と母は多くの伝記や昔話を知っていて、恐ろしいだが覗きたくなるような妖怪や化け物の話を沢山話してくれたし、一磨はそんなを2人によく話を強請っていたものである。

今にして思えば、一磨の最初の恋の相手は母だったと言えるだろう。敢えて言うならば淡い恋心だったが、幼い一磨が自身の感情の正体に気付くこともない。

父の一也は母と祖父が一磨に甘いのを快く思っていなかったようで、度々両親と祖父母が言い合いするのを一磨は見ることになった。

そんな中、一磨は今までのように母に甘えることができなくなる。6歳違いの弟…(みのる)が産まれたからだ。

下に兄弟が出来れば、一磨は兄として、男としての姿を見せなければならないと幼心にも感じたのである。

更にその3年後、妹の朱美(あけみ)までもが世に誕生したのである。こうなると、母を独占する訳にもいかない。母、秋山・恭代 (かずよ)と過ごせる時間は極端に減ってしまった。

弟や妹が出来ると一磨の言動は今まで通りという訳にはいかない。多少の無茶をして悪ガキと呼ばれることもあったが、その度に親父には殴られて近くの寺で坊さんの説教を聞かされたものだ。

一磨の子供時代は悪ガキではあったが年下世代の面倒見は良く、それでいて極度のマザコンというものである。

蒼い羽根を珍しい蝶を捕まえ、標本にして取っておこうとしたが、そこを恭代に見つかり生き物の命はかけ替えのないものだと説教されて手放したことがある。

怒られた訳ではないが、一磨が実母に叱られたのはこの1度だけである。

坊さんに言われても改まなかったことは多いのに、母親に言われれば一度で聞いてしまうくらいだ。

一磨がマザコンらしいことは、同世代の友人を始め多くの人が知ることになる。そのことで揶揄われることも多かったが、総じて見ればこの時代の3世代家族の生活は幸せだったと言えよう。

夏になれば友人の他、弟や妹を連れ立って近所の河原で魚を採ったり蛍を捕まえるなど、概ね幸福な少年時代だった。

だが、そんな幸せの終焉は前触れもなく突然訪れたのである。

 

 

*  *                             *  *

 

 

それは何の前触れもない、突然のことだった。

母が死んだのだ。

近くの里山の中で、首を吊って死んでいたのである。

中学生になっていた一磨は部活の最中に職員室に呼ばれて知ったが、最初に母を見つけたのは、未だ幼い朱美だった。

2度と動くことのない、優しい緋色の瞳で笑いかけてくれることのない母を見て、妹は混乱しただろう。

母にすがり、泣きながら何度も声をかけていたところを妹の友人達が見付けてくれたのである。

彼等に呼ばれた近所の大人達が妹を保護したが、彼女はその日以来、喋らなくなった。

言葉を失ってしまったのだ。

突然の知らせに一磨も……いや、一磨だけではなく家族皆が耳を疑った。

しかし現実に母の遺体を見せられれば、否応なく現実と認めざるを得ない。

書置き…或は遺言は母の実家に残されていた。

跡に残す子供達と夫へ。そして先立つことに対する祖父母への不幸を謝罪が書かれていた。

母が何を考え、何故死を選んだのか知る者は居ない。

一磨は母が死んだこと自体否定したかったが、母の居ない日常を送る日々でその死を認めざるを得ないようになる。

ならば他殺であって欲しかったが、それは日々溜まっていく憤りを誰かにぶつけたかったというのもあるし、坊さんから説教されたように多くの宗教では自殺した者の魂が行着く先が地獄だからというのもある。

優しかった母の魂が、地獄に行くなどとは考えたくない。

だが、状況を見れば完全に自殺だ。自殺するそぶりなど微塵もなかったのに、母は死んだのである。

一磨を始め、子供が幼ないことで両親と姑の教育方針は度々対立することはあったが、朱美に対しては初めての女の子ということもあり父も祖母も甘かったから、この数年は意見の相違もない。

母が悩むようなことは無かった筈だ。

自殺する理由などなかった。

 

 

*  *                             *  *

 

母の死から少し経って、朱美の元に学生が来た。

医学生とのことで、朱美を治療する為だ。

朱美が言葉を失ったのは極度のストレスが原因の失言症ということで、県内の大学の医学生が来たのだ。

妹に言葉が戻るならそれで良い。だが釈然としない(わだかま)りが一磨の心には残る。

妹がモルモットのように扱われてるんじゃないかと邪推したこともあったが、医大生の中には親身に朱美に寄り添ってくれる女子大生が居る。

他人の真意は見えるものではないが、朱美は彼女のことを信頼しているようである。そうなると、朱美が母を思い出す時は彼女の顔を思い出してしまうのではないかと心配にもなる。

だが、それは一磨の我儘だ。皆の心の中から母が居なくなるのを恐れるが余り、そのように考えてしまうのだ。

母が死んだ歳の終わりに祖父が老衰で亡くなり、半年後には後を追うように祖母も他界した。

秋山の家からは、年の始めにはあった賑やかさが無くなり静けさだけが支配していったのだ。

 

 

*  *                             *  *

 

 

母の居なくなった日々を迎え、そして過ぎていく。

そんな日々の中で、一磨は父の涙を見たことがない。

自分も、実や朱美は葬儀が済んで四十九日が過ぎても母を想い、その命が絶える時の苦痛や心情を思って涙を流すのに、父の涙は見たことがなかった。

そうして一磨は成長し、県内の高校に入ることになる。父の再婚話が出たのはその頃だ。

そしてその相手は、あの時の医大生の彼女だ。

信じられなかった。

二十歳は離れた年齢だ。父は母を愛していなかったのか。

答えてくれる人間はいないし、人の心を見ることなど出来ない。

再婚した相手は実や朱美の他、一磨にも母のように接してくれるし優しい。だが母ではない。

一磨の実の母は秋山・恭代ただ1人だ。

とは言え一磨ひとりが足掻いたところで現実は変わらない。

そうしている内に継母は身籠った。一磨の弟か妹になるべき命だ。

父は、もう母のことを忘れてしまったのか? 苦悩し、混乱するが当然答えなど無い。

憎しむべきものは父なのか、継母なのか、或は皆を……一磨をおいて逝った母なのか。

一磨の苦悩は溜まり膨らむ。

その狂気が向けられたのは身籠った継母だった。

彼女を暴行し、情欲を晴らした一磨は故郷を飛び出したのである。

 

*  *                            *  *

 

一磨は20年の間、恐れと後悔の中で生きてきた。

父が幼い朱美のことを想えば、妹に母親が必要だと考えるのは不思議でもないのだ。

妊婦に性的暴行を働くということが、どれほど母胎に危険なことかも解っていたはずだ。

胎児は死亡したかと知れないし、下手をすれば継母の命だって危ない。

ならば一磨は殺人者として刑務所に入るなり、地獄行きだろう。

だが地獄を否定したのは他ならぬ自分だ。

何れにせよ自らの脚で官権に赴く必要がある。

だが、まだそれは出来ない。

多くの従業員を過労で使い潰した池沼に刑事責任を取らせ、多くの被害者に賠償させるまで捕まれないのだ。

その為の証拠と知識を、一磨はこの十数年用意してきた。

あの悪逆非道な金の亡者を道連れにするまで、倒れることも捕まることも許されないのだ。

一磨の父は冷血などではなく、言葉が足らないだけだった。過去を思い出す時、そんなことを思う。

それに引き換え、一磨は母を想うが剰り考えが足りなかった。思考の袋小路に入り抜け出せなかった。

少し客観視しようと思えば抜けれた筈なのに。

それに本当に冷血なのは自分自身だ。弟と。言葉を失った妹を置き去りにして東京まで逃げて来た。自分のことしか考えてないヤツだと思う。

 

 

*  *                            *  *

 

 

渋谷のカプセルホテルに宿泊したこともあり、一磨は6時の始業ギリギリまで休むことが出来た。

昨夜……というか未明だったが、シャワールームを使って寝る支度をすれば、余計なことを考える間もなく寝てしまった。

最近は悪夢を見ることが無くなったが、昨夜は夢すら見なかった。

 

新井と桜井は昨日と同じ7時は来て、昨日より少し多いくらいの客に対応している。

9時くらいになると池沼が来た。昨日より少し早い。

「お前ら、今日は5時までだ。5時になったら帰って良いぞ」

「午後5時すか?」

「あぁ、そうだ」

ファミレスとしては有り得ないような労働時間の短さである。どうせ社労士の抜き打ち検査を警戒してのことだろう。池沼という男は変なところで警戒心が高い。

店の入り口と従業員入り口に設置された監視カメラは本物だが、キッチンに設置された監視カメラはダミーだ。

一磨が従業員入り口の前で煙草を吸った次の日に、嫌と言うほど小言と脅しを掛けられている。

キッチンにあるカメラは、向きを変えても気付かれないことから十中八・九偽物だろう。

池沼は終業時間を伝えただけで、そそくさと居なくなってしまった。

電話で伝えれば良いものを、わざわざ店に来てまでご苦労様な事である。盗聴でも心配したのだろうが、他人からの怨みを自覚する者は大変である。これからまた別の店舗に連絡しに行くのだろう。

一磨が苦労して集めた資料で訴えるまでもないかも知れない。

だが、誰かが訴えたら池沼を裁く1つの資料にはなる。

10時になると再び客が来た。

モーニングには遅く、ランチには早い時間帯に来る客はどんな生活を送っているのか気になる一磨だ。

要は、少しばかり怠けたいのである。

頼まれたのは海老を砕いてパンのような生地に練り込み、それを油で揚げたポテトチップス(芋じゃないが)の中華版と、それに添えるホットの烏龍茶だ。

これは冷凍状態のままだと固く、小さいままだが少し油で揚げると大きくなりポテトチップスのような食感になる。塩味で、口に入れると直ぐに唾液を吸い取り量を食べると水が欲しくなる代物だ。

これと烏龍茶を注文されている。烏龍茶はドリンクバーからセルフサービスで淹れることも出来るが、今回はセットで注文されている。

これと烏龍茶を注文されている。烏龍茶はドリンクバーからセルフサービスで淹れることも出来るが、今回はセットで注文されている。

烏龍茶は新井が淹れるとして、海老チップスを一磨は慣れた手付きで揚げていった。

どんな客かと思えば、昨日の老婦人だ。この人は新井が皿をひっくり返した時も拾うのを手伝おうとしてくれた人で、客の中では好感が持てる。

海老チップスは一磨が好きな味なので多目に皿に盛ろうと思ったが、見た目高齢であろう者が脂っこいものを多量に油物を食べると胃もたれを起こす可能性があるんじゃないかと考えた。

なので、池沼が定めた量より2枚だけ多く出す。

これで暫く自分の出番はない。手持ちぶさたとなった一磨と桜井はホールには届かぬ音量で互いの趣味であるテレビゲームの話を始めた。

「モンハン、全然進まんよ。櫻井君どこまで行った?」

「あぁ、僕も同じようなものです。今までのシリーズと違ってモンスターの動きが読み辛くて、全然攻撃を回避出来ないです」

どうやらそれでモンスターにボコボコにされて3キャンプらしい。

今日は早く帰れるが、「MHW」を進めるか録り溜めたDVDを視るかで迷う。

以前に日本放送局の衛星テレビで放映された番組だったが、時間を置いて地上波で放送された時に録画したものだ。

古代中国に関する内容の番組で、有史以後の太古に地球規模で起こった気候変動で幾つもの文明が滅んだ証拠を検証する内容である。

一磨は中卒であるが、勉強が嫌いな訳ではない。

池沼を訴える為に集めた知識の中には雑学というか、「脇」の知識に当たるものも多く、それらも積極的に憶えるようにしているし、古代史には興味というか浪漫がある

神も仏も信じない一磨だが、太古から人々が続けて来た文化と、それを瞬く間に破壊してしまう自然現象には興味を持ち、対策を練ることに頭脳を使うことに能動的に動く。

「店長さん、お客さんが呼んでいるのだ」

櫻井と一磨の談笑を中断させたのは新井だった。

「えっ、なに?なんだろ……」

とても穏やかそうな老婦人だ。一磨は何の咎で呼ばれたのか気になった。しかし、人は見た目によらない。20年近く前に、東京で生きる術を探して役所を訪れた一磨に対して親切そうに声を掛けたのも池沼だった。

だが今ではあのデカイ顔を見るのは憎々くて嫌だ。一磨は再び同じような思いをしないといけないのかと客の前に出て来た。

「はい、お呼びになったでしょうか」

おずおずと、(こうべ)を垂れて客の前に出る一磨に、椅子に腰かけた老婦人は言う。

「そう縮み込まないで。私はこの海老の……料理を褒めたいだけだから」

どうも、一磨の心の内を見透かされたようだ。

それとも池沼グループの噂を聞けば従業員が虐げられていることなど察し易いのかも知れない。

「えぇ、まぁ。指が油で汚れるんで人気がある品ではないんですが、個人的には気に入ってるものなんで」

それに印象の良い客が注文したというのもある。一磨は馴れてるとは言え、それなりに何時も以上に気を払って揚げたはずだ。

「店長さんのお気に入りなら美味しいわけね」

婦人は納得してから、次の話を続ける。

「そう言えば、昨日働いていた給仕の女の子、今日も出勤日なのね」

新井は決して女の「子」と言える歳ではないのだが、実年齢を知らないものがどう見ても少女だ。

「えぇ、昨日はキッチンで働いていたもう一人はバイトから上がってたんですが、人事権をオーナーが握り続けて毎日決まった3人で店を動かしてるんですよ」

「キッチンは貴方だけじゃないのね」

「はい、バイトが居まして、昨日バイトは夕方の5時までだったんですが、今日は皆午後5時までです。オーナーが抜き打ち検査を警戒してるだけだと思うんですけどね」

一磨にダミアンを庇う義理は無い。職場を庇おうとも思わないし、本当のことを言ったたのだから池沼から名誉棄損で訴えられることもない。職場が無くなるのは困るが、池沼が牢屋に入れられると同時に過去の事件で一磨も牢屋行きだ。新井はうどんが打てるという特技があるのだから、それで生きて行けばよいし桜井も今なら積極性なら就活で上手く行くこともあるだろう。

その日の12時~13時のピーク時は昨日ほど人が来なかった。

最近の日本はどれほど多くの人々が年越しの支度をしていないのか疑わしくなる。

或は、初詣に行った帰りという人が多かったのかも知れない。その可能性を考えると池沼にしてやられた気分になる。

「まぁ、今日はゆっくり出来るからなぁ」

帰ったら何をしよう。或は帰る途中に初詣か。しかし一磨は神も仏も信じぬ身。初詣に行く義理はない。

一磨達従業員は、明日に備えて鋭気を養うことにした。

 

 

 

次の日の朝一番にダミヤン池袋店に行くと、そこには小さな人影が見えた。

誰かと思って近付くと、そこには2本のアホ毛が獣耳のように逆立った小さな女の子……ではなく、良い年している女性の新井・マスがいる。

パートは7時からの筈だが、彼女は小さな子供がイタズラするといけないという理由で早く来たという。

「小さな子供って……」

「これなのだ」

言って出したのは10枚のケモノスクラッチ籤。銀色の部分を10円玉で削ると中からややディフォルメ化された獣の顔が出てくるスクラッチ籤だ。

「オーナーが来る前に2人でこれを削り倒すのだ」

「ええっ、有り難いけど何で俺が」

「店長はアライさんの恩人なのだ。100万枚に1枚の割合で1億円当たるから期待して良いのだ」

聞く話しではジャンボ宝くじが2000万枚に1枚という割合だから、1億円が当たる可能性はジャンボの20倍だ。少しは期待しても良い。

「よし! 当たったら山分けしましょう!」

 

「サクライにも山分けするのだ」

その場合でも1人3333万。1万の剰りが出るが、これは籤を買った新井のだろう。

そうし皆でこのケチなファミレスを辞めて、それぞれが行く先を選べる。桜井も受け応えがはっきりしてきたから、これまでのような努力を続けて就活すれば何処かの会社で雇われるかも知れない。

もちろん、一磨は池沼とともに塀の内側だろうが。

それでも金があると無いとでは出所後の身の振り方が大きく違うのた。

「豚が3つ揃ったからこれで200円なのだ」

「いやコレ猪だよ」

12支でやってくれりゃ解り易いものを、わざわざ猫や蜥蜴まで入れる製作者に悪意を感じる。

それでも早々に豚顔3つの200円相当の当たり籤を見つけた新井だ。

1億は鹿が3つで、次いで狐が3つだ狸より狐派の一磨には少し嬉しい。

ちなみに狸は8000万で、次に高額なのが犬、鼬、狼と続く。

狼の5000万でも良いから欲しいのが一磨の本音である。分け前を渡すと 1,6666,666,66と途方もない剰りが出てくるが、無いよりはマシである。

2人は瞬く間に9枚の籤を削っていった。

現時点で当たり籤は新井が当てた豚の200円だけである。

食べれば美味しい豚だが、こういうポジションになると3流以下に落とされるのが人類として申し訳なく思う。

「これが最後の1枚なのだ」

新井が震える声で削ってない籤を一磨に渡した。彼女は早々に5枚削ってしまったから、最後の1枚は一磨が削れということだろう。

「よし、じゃあ気合入れて」

気合いを入れようが入れまいが銀色の下に描かれた絵柄は変わらないのだろうが、気分が大切たと…一磨は思う。

一気にガリガリと削ると狸の顔が二枚出てきた。

「は、8000万なのだ!?」

「いやしかしもう1つ!」

そのままガリっと削ると、出てきたのは目の周りが黒い可愛らしい犬のような生物。

タヌキ……かと思って良く見りゃアライグマだ!?

「これタヌキじゃなくてアライグマじゃねーか!」

「申し訳ないのだ……」

「いや、新井さんが悪い訳じゃないから」

項垂れる新井は、言われてみればアライグマのような可愛さがある。ただし、アライグマは成長すると人の手には負えない狂暴性を発揮する生き物だ。

70年代後半に前にアライグマもアニメを見た日本人が多量に輸入したが、幼少期ならともかく成長したアライグマは飼いきれなくなって多く野生に返され、現在日本では害獣とされている。

そもそも「ラスカル」とは「乱暴者」意味である。

新井さんは協調性があるのでアライグマとは何の由縁もない。というか、新井は人間である。

 

 

*  *                               *  *

 

 

今日の一磨は櫻井や新井と共に労働時間を切り上げることが出来た。

池沼が労働基準監督署を警戒しているから早まったのであって、次の日からはまた20時間近い違法労働だ。

年度末までは泳がそうかと思ったが、この間にも寿命が縮んでいる人間がいるんじゃないかと心配になった。

池沼も単に従業員を使い潰すのではなく、以前に問題が起きてからは慎重になった。だからの一斉早退である。

どうやってアイツを墓穴に叩き落とすか一磨は頭を悩ませたる。

「ではここでさよならなのだ」

今日も新井は徒歩で調布まで帰るらしい。一度調布から池袋への道のりを歩いて確かめてみたいものだ。

「じゃあ僕らは駅っすね」

櫻井の家に逝くに、一磨の寮に行くにしても、山手線の内回りに乗る必要がある。

切符を買ってホームまで行くと、やけに人が多い。

新年3日目だ。初詣客や遊んで帰る人々だろう。仕事着の人間は少ない。

「店長、何か飲みます?」

不意に櫻井が聞くが、一磨の答えは「いや良いよ。駅だと高いし」というものだった。

専売特許でもないのに、J○はここぞと言うときに金儲けに走る。

そういえば、昔にも同じようなことがあった。

最初に駅の自販機で一磨にジュースを買ってくれたのは母だったが、高校生の一磨にも義母も同じように買ってくれたことがあった。

その優しい義母に一磨は自分の情欲を晴らかのように暴行して逃げて来たのだ。

もっとも最近心に残ってるのは、自殺という道を選んだあの娘だ。

義母と同じで顔も名前も思い出せないが、一磨自身がその気になれば心を通わせることが出来たのではないか?

彼女と話し合うことが出来たら、死なずに済んだのではないか。

後悔している間にも櫻井は自販機を探し、人混みの中に入って行く。「いいと」と言ったのに、彼はどうも一磨に対して勘違いしているようだ。一磨は人から慕われるような立派な人間ではない。

行く末は解ってるのに関わらず、池沼に対して復讐心を燃やし、それを理由に保身に入っている。そんな最低野郎だ。

明日の予定は解っているのに将来のことは解らない、弱い人間である。だが桜井・幹夫はそんなことは知らない。

実の弟か舎弟の如く振る舞う彼に、一握りの罪悪を感じ続けるのだ。

異常が起きたのはその時だった。

「ドォォォォン!!」

という破裂音と共に、ホームに紫煙が立ち込める。構内ならともかく、ホームにスプリンクラーなどない。

事故かテロか!?

一磨はその両方を予測し、櫻井が向かったホームの端を見た。異常が起きたのは確かに櫻井が向かった方角だ。

その場所、その近くに居る人達が恐慌状態に陥っている。見れば顔から大量の出血している老若男女が何人もいる。

そして一磨の近くに居た杖を突いた老人が、その方向に歩みを進めていた。

「待て爺さん! 早く逃げて! 後のことは警察か消防に……!」

老人の肩を手で制した一磨の言葉は、それ以上続かなかった。

急に腕を振りほどかれたのか……いや違う。腕を切断され、その白刃が一磨の左胸に刺さっているのだ。

「な……に…………」

「人間の小僧が。邪魔をしなければ死なずに済んだものを」

事故かテロか!?

一磨はその両方を予測し、櫻井が向かったホームの端を見た。異常が起きたのは確かに櫻井が向かった方角だ。

その場所、その近くに居る人達が恐慌状態に陥っている。見れば顔から大量の出血している老若男女が何人もいる。

そして一磨の近くに居た杖を突いた老人が、その方向に歩みを進めていた。

「待て爺さん! 早く逃げて! 後のことは警察か消防に……!」

老人の肩を手で制した一磨の言葉は、それ以上続かなかった。

急に腕を振りほどかれたのか……いや違う。腕を切断され、その白刃が一磨の左胸に刺さっているのだ。

「な……に…………」

「人間の小僧が。邪魔をしなければ死なずに済んだものを」

一磨は、何故自分が殺されるのか訳が解らないまま、その心臓から吹き出た血溜まりに沈み、その命を燃やし尽くした。



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3話

取り敢えず主人公だけでもキャラ紹介をば。

秋山・一磨 昭和56年11月15日生まれ。
東北の米どころ秋田県大潟村出身で両親共に男鹿の者。
15で母を失い、17の時に東京に出て来たので最終学歴は中卒。


暗い。

真っ暗闇だ。

これが「死」というものなのだろう。

似たような感覚を、一磨は以前にも味わったことがある。

似たような感覚を、一磨は以前にも味わったことがある。あれは初めて東京に出て、右往左往してた頃に。親切の仮面を面表に張り付けた池沼に寮付の仕事を紹介された時だ。

当時はこれからの行く末を案じて不安で仕方なかったが、今はその「不安」がない。

インターネット環境を手に入れてから、手話で人間と会話が出来るというゴリラの話を聞いたことがあった。個体名は忘れたが、彼女は死を「苦労の無い 穴に さようなら」と表現したことがあったと聞いている。

動物園育ちのゴリラだから別のゴリラに聞けば違う解答も得るだろうが、一磨にとってはココが表現したそのものという空間に居た。

死後の世界があるとは思わなかったし、意識が漂ってるだけなのか他の者もいる空間なのか解らない。

「起きろ!秋山・一磨!」

目は開けてた筈なのに、呼ばれて気が付くとそこには馬頭の男と牛頭の男がいる。

彼等はいわゆる冥府の官吏か獄卒……いわゆる鬼のような連中か。

死んでも彼等は一磨を休ませてはくれないようだ。

一磨は、ここが子供頃に母や寺の坊主から聞き、母の死後は否定し続けた地獄か冥府であることが分かる。

他にも複数の人が居るから、彼等も生前に仏道に反することをしたのかも知れない。

とは言っても、仏教の教えだと今の人間は大概地獄行きだが。

一磨は神仏習合なので別扱いかとも思ったが、どうもそうではないようだ。何れにせよ今更足掻いても仕方ない。

他の面々は父や母、或は兄弟や子を現世に残りしているものがいて、承服できないようすだが、一磨と同じように行く場所など決められているのだ。

鬼に付いて歩く他なかった。

そんな時、一磨は年端も行かない子供の死者……或は亡者を見る。

彼等、年端も行かない子供が行くのは三途の河ではなく賽の河原だった筈だ。

途中まで同じ道なのかも知れないが、同年齢層の子供はいない。

「母さん!父さん!」

急に両親が居なくなって不安なのだろう。

彼の両親がこの場に居ないとすれば、生存していることが分かるのだが、無事と言えるかは解らない。

同僚の櫻井もだ。彼は、爆発が起きた時に爆心地の方角に行っていた。

命はあるだろうが、無事ではないかも知れない。

空はどす黒かったり、所によれば血のように真っ赤であったりと異界ではあるろうが、地獄という冥府なのかもわからない。

歩きながら、一磨は自分が犯した義母のことを思い出した。旧姓は河瀬で結婚してからは秋山・美由紀といった。今どこでどうしているか分からないが、一磨のことを許すことはないだろう。彼女だけではなく義理の弟妹の命だってどうなったか解らないのだ。

それに、15年前に自殺した娘の名も思い出した。どうも死んでから頭の廻りが良くなったらしい。彼女の名は秋田・雅子だ。兄妹も居ない一人娘で、両親が大事に育てていたことらしいことは憶えている。

そう言えば、櫻井・幹夫も一人息子だった筈だ。彼は大丈夫だろうか。

 

 

*  *                            *  *

 

 

一磨は子供に付き添って異界の道を歩いていた。

母も、父もおらず、周りの風景だって見たことのない場所だ。彼独りではどんなに心細いだろうか、一磨は自分の経験から予感して彼に付き添っていた。

幸い……と言っても目出度くはないが、歩き続けているのに疲れもしないし腹も減らない。喉の渇きを感じることもないのだから、改めて死んでいることを実感する。

歩き始めて7日も経つのに、疲労や空腹、喉の渇きも感じないのは死んでいるからだろう。

ただ、一磨は年端も行かない子供に付いて居たから、集団からは暫し遅れる。

一磨がここまで死後の世界に慣れているのは、やはり母の妖怪や化物の話を聞いたり、坊主から説教されてきたからだろう。

その話からすると、子供は三途の川の畔にある賽の河原に行くと聞いている。

「小僧、お前はこっちだ」

三途の川の畔に着いたらしい。牛頭の鬼が少年の手を引っ張り、賽の河原へと誘う。

「おい待て、その少年を連れてどうする?」

生前であれば厄介事や揉め事は避けて通る一磨だが、もう死んでいるのだ。今更命を惜しむ必要もない。

「どうせ積ませた石を崩して喜ぶような底意地悪いことでもするんだろ!」

「秋山・一磨か。お前に何の関係がある」

「一時保護者だよ。お前らの底意地悪い根性は現世でも有名なんだよ」

すると馬頭の獄卒が答える。

「これは五逆罪だ。母の腹に宿ってから10カ月。二親に様々な心配をかけ、大変な苦しみに耐えさせ血肉を分けてこの世に産だというのに、親孝行もせずに先立って二親を悲しませた大変な罪だ」

「その子供も好きで来たんじゃねーよ馬頭(バガ)! 事件か事故に巻き込まれもしないで来る訳ないだろ!」

「それでもだ!」

そう言い返した牛頭の獄卒が少年の腕を掴む。一磨はその丸太のような腕を掴むと、敵意を以て思いっきり握り込んだ。

するとどうしたことか、牛頭の獄卒が少年の手を離し、一磨が握った片腕を抑えて転げまわる。

「グァァアアアアァ! こ、こいつ蛇神のやつらか!?」

「なんでこんな所に居るんだ!」

その質問は一磨が一番聞きたい。どうして自分が死んだのか。自分を殺したヤツが何者なのか。というか、事故なのか事件なのか。

しかし、見れば馬頭獄卒の腕が、皮と肉一枚の宙ぶらりん状態になっている。

すこし強く握っただけで、ここまで重傷を負わせるつもりなどなかったのに。

「俺が知るかよ」

「お前らなんぞ早く行け!」

「まぁ行くんだけど、それよりさ、その怪我大丈夫なの?」

どうやら、くっつければ直ぐに治るもののようだ。これなら全部捥げても大丈夫だったのだろう。

少年には500円を渡して、一磨は三途の川を渡ることにした。

地獄の沙汰も金次第という。地蔵菩薩が来るまで2匹の獄卒には少年に石積の手伝いをさせることにしてきたのだ。

大鬼が来て積んだ石を崩すという話もあるが、2匹の獄卒もそれなりに大きい。

念の為周囲も見て怪しいヤツには焼きを入れて来たから、あの少年は大丈夫だろう。

賽の河原は仏典にはない民間伝承だから、少しの無茶無謀は大目に見てくれるだろう。

次は三途の川である。

真田幸村の旗が三途の河の渡し賃の6文銭であることが知られているが、当時の慶長14年の1文が約25円である。つまり6文銭は150円程だ。ネットサーフィンは得意な方なので、池沼が自分で掘った墓穴に突っ込む為に調べた知識がこんな所で役に立った。

池沼は、自分で墓穴掘りまくってるからその内足場が無くなって勝手に落ちるだろう。

一磨はそんな諦念に似た感情で、渡し賃に苦労しているだろう人間が居ないか探す。現世ではないが、最後の善行だ。余り所持金がある訳ではないが、だれか150円の捻出に苦労してる者が居ないか見回した。

地獄の沙汰も金次第だから大盤振る舞いは出来ないが、持って居なければ200年ほど待たされるとも聞いている。或は、それはギリシャ神話だったか?

とは言っても平安時代以前は橋やか浅いところや深い所を、生前の罪の重さに比例して渡ったらしい。

「PASUCOは使えないんですか?」

そんなことを社会人であろう女性に聞かれた。実際は正月3日目なので着物を着ていて分からないが、賽の河原に行かなかった所を見ると両親に先立たれた二十歳以上の娘さんなのかも知れない。

「いや、流石にあの世だと使えないかな……俺も始めて来ますし」

すると彼女は俯く。どうしたのかと見たら、泣いているではないか。

いや、普通は自分が死んだと自覚したら泣く。残りの人生でやるべきことが1つか2つくらいしかない一磨が平気でいるのが異常なのだ。

「あの、今日はどうして渋谷駅に……」

「……みや‥宮益御嶽に、主人と行ってたんです」

日本でも珍しい日本狼の狛犬がある場所だ。尤も日本以外に狛犬がある国は限られるが。

というか、どうも独身者は一磨独りだったらしい。親への大罪を犯した覚えのある一磨はアラフォーということで、大人が行くべき地獄行きなのだろう。

一磨から獄卒の種類を聞いた女性は、そのまま三途の川の立っている大樹の元に向かう。

三途の川の畔には大木と言えるが立っており、その木の傍には 胸元をはだけた容貌魁偉な老婆 がいた。

懸衣翁という爺さんも居ると聞いていたが、これは居ないようだ。

「っていうか婆ちゃん。そんな格好しちゃだめでしょ! 世の中には婆ちゃんに、欲情する変態野郎もいるんだよ! っていうか閻魔様に叱られるよ!」

脱衣婆に対する第一声がこれだったが、奪衣婆は上下に確りと歯のある口で快活に笑うや否や一磨と話していた女性の羽織を引っ手繰って木の上に居る獄卒に渡した。

「おっえぇぇえ!?」

若干ばかり扇情的な光景だったが、幸い女性は中に襦袢やら長袖Tシャツを着てるのでエロいことなどなかった。

その羽織を着の上に居る鬼……見れば老人に見える獄卒に渡してそれを枝に掛け、若干枝を揺らしている。

あれが懸衣翁という、最近では奪衣婆が目立ち過ぎて一磨同様に影が薄い鬼である。

枝の揺れ方を見れば……今まで死んだことがないので分からないが、大した業は背負って無いはず。

「次はお前だよ」

はいな? と気が付けば一磨は何の抵抗する間もなく上着を脱がされた。

ちなみに亡者が衣服を身に付けていなかった場合、皮を剥がれて取られるらしい。

今の時季は新年明けて間もない冬だったので助かった。

紺のセーターを着る一磨のトレンチコートは柳の枝に掛けられていく。だが枝が何一つ揺れず、軋みもしないのが一磨には納得できない。

「あの、そのコートの中に財布入ってるんで、川の渡し賃はそこから払って貰えませんかね?」

「10人しか運べないから、誰を置いて行くんだい?」

財布に入ってたのは1500円程度だが、額は少ないながらICカードもあった。

はやり公共交通機関のICカードは使えないようだ。

「じゃあ俺が泳ぎますわ。枝、余り揺れなかったし」

というか、他の人間は一銭も持ってなかったのだろうか? これだからクレジットカード主義者は困る。現金主義は一磨だけか?

中国・台湾・ベトナムには冥銭という死者への副葬品を捧げる風習があるが、今現在の日本では沖縄以外でその習慣は聞かない。

「良い心掛けだ。お前は満足に女の味も知らないんだから、行く前に私が相手してやろうか」

そう言って、奪衣婆は肌蹴た胸元から衣服を脱ぎ、それと共に次第に若い肉体へと変貌していく。一磨が見る事になったのは30代半ばから後半くらいの豊満な肉体をの女鬼の裸体だ。

「もっと駄目でしょ! っていうか爺さんが樹の上から見てるよ! そもそも泳ぐ前にそんなことしたら体力続かないでしょうが!」

あと多分閻魔様が見てる。その前でこれは拙い。拙いに決まっているのだ。

「そうかい。中々良い男なのに遠慮深い男だね」

獄卒がそんな私欲で行動して良いのか疑問だが、地獄の沙汰も金次第とも言う。獄卒は金欲も情欲も否定しなくて良いのか?

今一、地獄のシステムがどうなっているか解らない一磨だ。

既に舟が二往復して、残は一磨と着物の女性とスーツを着たサラリーマンの番となった。

船頭を入れると定員は3人だから、一磨は彼等が対岸に渡ったあとに平泳ぎで行くことになる。

対岸は見えないくらい遠い。泳ぎが達者とは言えない一磨だが、考えてみれば体力が減らない死後の世界だ。先程若くなった婆ちゃん鬼と一発やっても良かった。

まぁ人が観てるからやらないけど。

「やっぱり泳いで行くのは辞めておこうかなぁ……」

一磨が川辺から水に入った時、脱衣婆は言う。

「お前なら常に浅い場所を歩けるだろう。だが泳いで戻ろうとした亡者共が引き込もうとするから注意しな」

なん……だと、と気付いた時には足しか着いていない筈の水底から幾つもの手が一磨を引き込もうと延びてきていた。

「っざっけけんなドリアァー!」

先程の馬頭獄卒の腕を握り潰した要領で、亡者共が伸ばした手や頭を握り塵に変えていく。

骨と皮になった腕が吹き飛び、手刀が首を跳ねる事すらあった。

「秋山さん!」

着物女性が舟から身を出すが、一磨はこれに近い地獄を現世で体験してきてる。

これも全て池沼のせいだ。ラッシュ時に次々と料理を注文され、休む間もなく櫻井と2人で注文に応えていたことが何度もある。

「どうってこたぁ無い!」

亡者の腕を引き裂きながら叫ぶ一磨だが、その顔は笑っていた。

というか、嗤うしかない状況である。

こんな力があるなど知ってたら早々に池沼を闇討ちしてた。

「だから席を船を空けようとかするな!」

着物女性に言うのは、彼女が今にも川に身を投げ出しそうだからだ。そんな必死さを感じ取ったのである。

そうして走り続けること400km。東京から出発してたら兵庫に着いてるし、故郷の近くまで来れる距離だ。

そのように対岸に辿り着いた一磨に船頭は言う。

「流石は蛇神の民の末裔だ。剥き出しの魂じゃ大抵の亡者が敵う訳がねぇ」

どうも、生きてる時には出来なかったことらしい。

死んじゃいるが、人世なんてそんなものである。

「っていうか蛇神の民ってなにモンですよ」

「それについちゃ閻魔様から直々に聴いて下さいよ」

船頭が見る方向には、遂に地獄の門が待ち構えていたのである。

 

 

*  *                             *  *

 

 

地獄門を潜るとそこには巨躯の閻魔様が座していた。

いや、立っているのかも知れないが、存在が大きすぎて全貌が見えない。

一磨は妙な爺に殺されたが、他の亡者達は事件か事故が、何れか解らないが不慮の事態に巻き込まれて死亡したのだ。

その事をちゃんと考慮して貰わないと困る。

「閻魔様!申し上げたき儀が御座います!」

一磨の提案は期せずして不慮の出来事で冥府に連れて来られた魂を、どうか地獄ではなく輪廻の輪に乗せて欲しいというものだった。

「出過ぎだぞ! 小僧!」

アラフォーの一磨だが獄卒にとっては遥かに若造である。

一角の鬼に三ツ又の槍を向けられたが、これ以上は死にようがない。刺されたら痛いかも知れないが、恐怖という感覚は無かった。

「良いだろう。この度のことは我が方にも落ち度がある」

そう言うと閻魔様は一人ずつ裁定を始めた。中には生前に盗みを働き暫し地獄に落とされた者もいたが、着物女性も含めてほぼ全員が輪廻の輪に乗せられることになった。

「それと、ここに来る途中に塞の河原で別れた子供は……」

地蔵菩薩は閻魔の化身という。閻魔様はここに来る前に子供の行く末を決めていたようだ。

「あの稚子なら心配ない。両親は怪我はしたが存命故、次の命を造る時に魂として宿るだろう」

無論、それで良いという訳ではない。両親には子を失ったことを哀しむ時間が必要だろうし、先程の閻魔様の言葉を聴けば事後ではなく人災だった可能性がある。

それも、人には依らない人災である。まさか化物災害とでも言うなだろうか?

「しかし秋山・一磨。お前がその歳で冥府に来るとは意外だったぞ。まさか蛇神の民が化物に容易に討たれるとはな」

「化け物あの爺ですか?」

それ以外には考えられないのだが、自分の心臓を白刃で貫いた爺の顔は良く憶えている。

何せ人世最後の光景だ。

「あれは人間からぬらりひょんと呼ばれている妖怪でな」

その名なら聞いたことがある。日本妖怪の親玉だそうだが、そこまで人望があるとは思えない面構えだ。

「お前も母から名くらい聞いたことがあるだろう」

「えぇ、はい」

「これほど大それたことをするとは思わなかったのだが、我が方の密偵の寄れば最近悪魔との繋がりを着けたらしい」

「悪魔ですかっ? 西洋の!」

閻魔様は頷く。

外国人旅行者か増えることは日本経済の恩恵になるが、鬼魔の類いは金でさなく災厄でも落としてくれそうだ。早い話がご遠慮願いたい。

「蛇神の民は災害の多い日本で古来から怪気象を抑えるべく行けてきた」

蛇神とは、年に一度、地元県内で行われてる荒覇吐の祭典で奉られる神のことだろう。

現在、荒覇吐という名は知られてはいないが、大和朝廷に破れた最初の土蜘蛛とも大和に治水された七つの川とも言われている。

一磨は専門家ではないが、何れにせよ八岐大蛇の元となった存在だ。

彼等は日本の南方である台湾やインドネシアから渡ってきた人々だと聞いている。

海の上をどのようにして渡ったか、国と何処かの大学が実証実験している最中だたったが、その結果を知る前に一磨は死んでしまった。

閻魔様の言ったことは、一磨にはとても受け入れ難いことだ。

「ちょっと待って下さい。私は義母を犯して彼女と彼女の腹にいる義姉弟を危険に晒しました。死んだかも知れないんですよ」

「秋山・美由紀ならお前のことは恨んでおらん。実母を想い女気のない貴様を赦したのだ。産まれた妹も健やかに育っておる」

ちゃんと年の離れた妹が産まれたことに安堵しながらも、一磨は自分を赦す事はできない。6歳下の弟の実と言葉を失った朱美を置き去りにして着たのだ。

「しかし私は池沼・鉄治に復讐するために様々な準備をしてきました。仏道では復讐も復讐を計画するのも罪でしょう」

閻魔様も聞き分けのない人間に次第に怒りを募らせる。

「そうまで言うなら地獄を見てくるが良い!そして地獄の恐ろしさを眼に焼き付けるが良い!」

地獄という環境にも関わらず、我を通そうとする一磨に遂に閻魔様の大目玉が落ちる。

もはや取られる命も無いのだ。一磨は生前から心に感じてたことを通すのみであった。

そうして十王の一人である宋帝王と共に雲に乗せられた一磨は、地獄で苦しむ亡者の有り様を眼にすることとなった。

剣山の如き針の山は知られていよう。

だが若い女の亡者が血を流し身を刻まれながら登っていくのは見るに堪えない。

しかしこれが地獄だ。老若男女が獣に手足を食い千切られ、首だけになっても死ねないでいる。

それを獄卒が集め、今度は血の池に沈めると千切れた亡者が這い上がろうとするが、金棒で叩き落とし、這い上がった亡者を今度は熱せられた鉄板で挟み焼き始めた。

「どうだ、此れだけ見てもまだお前は地獄に行きたいと言うのか?」

その宋帝王の答えには一磨は答えられなかった。

だから十数年前からの疑問をぶつることになる。

「母と新田・雅子はどうなったんです?」

彼女達は自ら命を絶っている。新田は様々な遠因が合ったにせよ、自分の手で命を絶ったんだから地獄に来たのは間違い無い。

「あれを見よ」

すると、一人の骨と皮に成り果てた亡者の女が粗末な貫頭衣一枚で獄卒から逃げているのが見える。彼女が、母か新田だと言うのか?

2人とも豊満な胸を持っていたが、それも見る影もない。地獄の責め苦で削ぎ落とされたか、栄養の必要がない部分から栄養が吸われて行くのか判断することなどできない。

「あの女囚が新田・雅子だ」

すると鍵付きの鋒で雅子を捕らえた鬼が、彼女を仰向けに倒し、首元に大きな(のこぎり)を当てる。

「辞めさせてください! 彼女が命を絶ったのは池沼や役員が彼女の給与も労働時間も保証しないで、使い潰したせいでしょ! 地獄に行かなきゃならないのは奴らですよ!」

「無論、奴らも地獄行きは決定している。だが新田・雅子が犯したのは五逆罪だ。二親を苦しめた罪は消えん!」

時折、此岸に出ようとする複数体からなる亡者が居るという。

その中で、亡者達は重なり合い複合体となり冥府から此岸へ向かい怨みを向けるその相手を引き込むことがあるそうだ。

実際に一磨は亡者達が重なり、巨大な塔を作りながらも獄卒の鬼達が手にする金棒や馬鍬で砕かれるのを見ている。

行方不明となった池沼グループの役員の何名かはそうして直接地獄へ引き込まれたらしい。

だが閻魔様ら十王からすると、それは不自然な形だ。

命というのはどのような形であれ、全てを全うして燃やし尽くされ冥府へと来なければならない。そして審判を受けなければならないのである。

ここで一磨は1つの質問を宋帝王に投げかけた。

「自分を含む殺人が悪として、自分の前で殺されようとしているものの為や自分を殺そうとする者を殺すのも罪ですか?」

人間の様々な事情によって殺人が起きるのだ。過剰防衛と言えるかも知れないが、自分を守る為に他人を傷付けることなど幾らでもあるえる。

「それは自分も心次第だ。邪な心を持ち続ければ行く着く先は地獄だろう」

人間の様々な事情によって殺人が起きるのだ。過剰防衛と言えるかも知れないが、自分を守る為に他人を傷付けることなど幾らでもあるえる。

時として、遭難した者が生き残る為に同族を殺してその肉を喰うという事例がある。

その場合、法律上では罪に問われない。だがそうして生還した者の魂は悔恨に縛られる。時として、そうした者の心は壊れ、人間の形はしているがヒトではなくなる。

問答の一種として、海で遭難した3人の者が居た。1人は父親で1人はその子供。そしてもう一人は生命力のある若者である。

最初に息絶えてしまったのは男の子供だった。次に父親が飢えで苦しみ、命の危機を迎える。

その時、若者は海亀の肉と言って父親に動物の死肉を渡し、そうして2人は生き延びることが出来た。

数年後に父親は海亀の料理を出すレストランに行き、一食した直後に叫び声を上げて拳銃自殺してしまった。

海亀の肉だと言って差し出されたのは、我が子の肉だったのだ。

宋帝王はそうした時の心構えを言っているのである。

「もう1つ、宋帝王様に伺いことが御座います」

十五年前に心を寄せた人は変わり果てた姿で見付かった。

ならもう一人のことを聴かなければならない。

「では母は何処にいるんです。母も自死なら此処にいるんてしょう?」

「お前の母……秋山・恭代はこの冥府にはおらん」

「それは……! 一体何処に!?」

宋帝王の答えは一磨が予想もしてなかったことだ。もし母の居場所が分かれば雅子と母を連れ、何処ともなく逃げ延びるつもりでいたのだ。それは時間の限りも当てもない、逃亡という永遠の流浪を意味する。

「お前ほど強固な魂を持った男のことだ。何を考えていたかは敢えて言わぬが、秋山・恭代はこの国に侵入しようとした悪魔と相撃ちなって死んだのだ」

「そんな…まさか遺書だって……!」

「西洋の悪魔というのは隠匿や偽装が得意なものだ。お前達に悟られまいとして自然に準備してきたのだろう。お前の父と祖母は薄々感付いていたがな」

父と祖母は、母の裏課業を知っていたらしい節がある。それであれ程まで無口で、長男である一磨には度を越えた厳しさを見せていたのかも知れない。

「俺は……なんてことを…」

 

 

*  *                             *  *

 

 

その頃、地獄門に1人の小柄な女性が来ていた。

頭に2本の耳のような毛が立っているが、一磨の同僚である新井・マスにはない刺々しさを全身に帯びている。

「居るか! 十王!」

何食わぬ顔で、彼女は地獄の裁判官達を呼びつける。

「アライ・ラスか!」

呼びかけに応えたのは十王の一人である五官王だ。立派な体躯に髭を生やし、冠を被った大男である。

「地獄に人間の男が来た筈だ。人間なぞどうなろうと構わないが。恩義を感じた娘が森に運んで蘇生してしまった。早く魂を連れ戻さないと獣に喰われてしまうぞ」

「蘇生? 死人ではないのか? 魂が地獄まで来て……」

だが、閻魔王は化け物によって殺された人間が複数いると言っていた。その中には蛇神の民もいた筈。一磨の死は、怪気象からこの地を守るべく産まれて来た人間の死として痛手に感じられていたのだ。

「判った。妖怪とはいえ魂が冥府まできた者を蘇生できる人間などそう多くない。今すぐに知らせを飛ばして呼び寄せよう」

斯くして、一磨の与り知らぬところで彼の肉体は蘇生される準備が整っていったのである。

 

 

*  *                             *  *

 

 

「お前の母は地獄とは違う異界で祈り続けている」

「なんで? どうしてっ!?」

一磨は物心付いた時から祈りに対して意味も恩恵も感じられなくなっていた。

だが宋帝王の話や地獄の門を潜るまでのことを考える、今の状況を考えれば見えないものでも信じるしかないのだ。

昔はあれほど闇の中から現れるヒトならぬ恐怖を観たいと願い、自らヒト以外の者達への憧れと恐怖を一緒くたにしていたのに、ある時季からそれが無くなった。

間違いなく。母が死んだその時からだ。

その母が、冥府で何を祈っているのか。

「お前達家族の魂の安心と、この国を覆わん怪気象からだ」

宋帝王が言うに、怪気象とは魑魅魍魎が跋跨しする百年や千年に一度起こると言われる特別な気象条件の元で起こる現象だという。これで滅んだ人間の文明は多い。

一磨の知識には怪気象と符号する現象が幾つか有る。

古代中国に、長旅で悪くした足を引きずりながらも国を回った善于と呼ばれる人物がいた。

彼の指導で、治水をした場所は、この災いから逃れることができている。

だが同時期に起こった天災でメソポタミアは滅んでいた。

古代エジプトもそうだ。巨石による遺跡は現在も残っているが、犠牲になった文明が消えて眼に見えなくなっただけだ。

先の中国にしても、災害により息絶えた人骨は土の中から複数発見されている。

生き残った善于の文明など、ほんの一握りの事例にしか過ぎない。

「山と海ばかりのお前の国は只でさえ災害が多い。それでも大陸から渡った古代の人間は言ったのだ」

―――やまとは国のまほろば―――

遠征時の死に際してこの詩を詠んだのは日本武尊……一磨のような荒覇吐族からすれば敵である。

だが古代のことだ。蝦夷として東北に追いやられたが、一磨はそこで満足の行く少年時代を過ごせたし自分の国は良い国だと想っている。

少なくとも周辺のちょっと様子がおかしげな連中よりはマシだ。

「母だけが祈ってるなら……」

一磨の言葉はそこで遮られた。別の雲に乗った官吏が宋帝王と一磨を呼びに来たからだ。

 

*  *                             *  *

 

 

地獄門に呼び出された一磨が見たのは、紛れもなく同い年かやや年上の同僚――。

「新井さん!?」

あの駅に新井は居なかった筈。なのに何故彼女が地獄にいるのか?

「勘違いするな人間。私はお前が知るアライではない。眷属が借りを返す為に来た」

眷属とは家族・同族・一族郎党を意味する言葉だ。やはり新井・マスと何らかの血縁がある気がする。

「秋山・一磨。確かに現世でお前の身体の蘇生は確認された。獣等に喰われる戻るが良い」

閻魔王が新井そっくりの女性の言葉を裏付けるが、地獄からそんなの簡単に戻って良いものなのだろうか?

「言っておくが、これはお前に妖力……人間の言葉で言えば法力が強く備わっていたからだ」

お言葉ではあるが、人間の言葉でもそんな言葉は聞いたことがない。マイナー用語なのか……。

「万に1つあるかどうかの法力を無駄にするな。お前は早く戻り僚友に感謝するが良い」

獣スクラッチの1等よりかなり当たり易いことに一抹の悲しさと切なさを感じながらも、一磨は言う。

「では私が怪気象を抑えることができれば、新田・雅子の罪をお赦し下さい。母も祈らずに輪廻の輪に乗ることが出来るのでしょう?」

「正気か? 生けとし生ける者が世にある限り、その者らが恐れる恐怖は闇の中から絶えず這い出る」

それが日本でモノノ怪や妖怪と呼ばれる者達であり、それを近年は物の怪(病気)……超常現象と呼ばれる者達だ。

「勿論、生きる者を皆殺しに出もしなければ物の怪は消えないでしょう。闇は人の心の中にありますから。しかし私が滅ぼすのは具現化した人を害する化け物。それさえ滅ぼして行けば怪気象は抑えられる筈です」

それは嘗て母や先祖たちが選び、生業とした道だった。

「良いのか? 糧道にはなぬし苦難の道だぞ」

「やりようはある筈です。池沼にも地獄に行き前に手伝って貰います」

それは、決して正道とは言えないやり方なのだ。




取り敢えず今回の投稿はここまでです。
1話で主人公が死ぬのは良くありますが、まぁなんやかんやありますので堪忍して下さい。


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1話


――庵パン的言葉にして叫びたい日本語――

1位「アルルカぁン!!」
2位「レザマシオウ!」
3位「戦いのアート!」

当方、からくりサーカスに嵌っております。
日本語が少ないのは大目に見てください。
3位が2位の日本語訳とか、そこも目を瞑って下さい。



枯れ枝が散在し、木の葉の絨毯が敷かれた上。

目前に広がる巨大な森。人工物らしきものは、すぐ右手に見えるツリーハウスただ1つ。

一磨はそんな場所で目を覚ました。

地獄から戻される時、閻魔王からは魂が肉体に戻った時のことを伝えられ、それと共に元から有った才覚を伸ばす神通力を授かった。

また、悪魔ないし妖怪の種類によっては人の心の隙間に入り込み、支配する者がいるという。母もそうした悪魔の一体に敗れたのだ。

そして三途の川を渡る前に取られたトレンチコートと、そのポケットに入る記録張のような物を渡された。

地獄には十二人の審判がいるのだが、仏教徒全ての死後を彼等で裁くのは時間が掛かるようだ。

それで現世の内から一部だけでも裁判の参考にすべく渡された閻魔の小手帳とでも言うべき代物なのだが、それなりに生きてる相応の事柄と苦痛を知る一磨でも人を裁くほど人間の法に精通してるわけではない。

何せ中卒である。

というか、ただの人間なのだから他人の一面しか見ることが出来ないし、偏見を持つこともある。

なので、モノノ怪や妖怪に関わる事案だけを日記のように書くことになった。

問題は一磨以外の者が勝手に手帳を使った時の対策だが、閻魔王はその対策は既に取ってあるという。

その調子で三途の川もICカードで渡らせてくれれば、こうも苦労することは無かったのに。

気付けは胸を貫かれた傷も、斬り落とされた腕も元に戻っている。

何処の誰が治してくれたのかは解らないが、新井似のラスが来たことから新井のマスが関係してるのかも知れない。

「っていうか……」

ここが何処なのかが分からない。渋谷駅にいた筈だが、一軒のツリーハウスが有る以外は木で覆われた森の中だ。ここまで自分を運んだとすれば櫻井が思い付くが、彼は居ない。

というか人影1つない。だが誰かに見られている気配は感じる。地獄で閻魔王に拡大された才覚は、人間は無い者を感じ取る才覚だ。近くに妖怪でもいるのか、或はただの動物か。

知りたいことは未だある。地獄ではどんな理不尽でも撥ね飛ばせる力があったが、今はどの程度にまでなっているのか。

気になる一磨は近くの樹木を手刀で斬ってみることにした。余り細い枝葉は勢いそのもので折れそうだから、それなりに太い幹が良い。

見回してみると家の柱に使えそうな太さの木がある。これを手刀で斬ってみよう。

想像の中では表皮から4~5cmめり込んでくれれば大したものだ。怪気象では人に害成す妖怪や悪魔を相手にするのだから、それくらい出来ないと困る。

一磨は何の気構えも無しに手刀を作り、相応に太い木をブッ叩いた。

「ガっ………!?」

まるでめり込むことなく手が弾かれる。地獄ではバッサバッサ亡者連中を斬り捨てていたのに……。

(なんだこれ……)

痛みで少し涙目になりながらも、閻魔王から授かった力は霊や妖怪を感じ取るだけの力なのかと理解した。この力のまま怪気象の原因を追わなければならないのか。

その時だ。

「おぉ、店長さん元気になったのか!」

アライ………マスさんの方だ。ラスそっくりだが刺々しさがない。だが何か慌てているようだ。

「新井さん? ここに連れて来て俺を生き返してくれたのって新井さんなの?」

「店長さんは元々死んでないのだ。死んだのが生き帰ったら怖いのだ。蘇生してくれたのはお(ばば)様なのだ」

新井が知ってる人物に「お婆様」と呼ばれる者が居るようだ。近くに居るなら礼を言わなければならない。いや、礼だけではない謝礼金なり形として謝意を顕す必要がある。あのままだったら一磨は死んでいたのだ。

「その“お婆様”って何処に居るの? ちゃんとお礼しないと」

しかし新井は慌てた様子のまま、次の言葉を言う。

「それより大変なのだ! サクライが大変なのだ!」

「た、大変ってどういうこと?」

一磨は何が有ったのか、事情を新井から説明されながら森を出て人の街へ向かった。

 

 

*  *                             *  *

 

1月の正月付近という時節柄か、渋谷の緊急病院は駅の近くに存在したが、そこに運ばれた櫻井の姿は既にその場所に無く、この時季でも運営されている東京の基幹病院である広尾病院に移されていた。

本来なら面会謝絶とのことだが、彼の両親が彼の病床の傍らにいる。

「本当なら面会謝絶って……」

病室から出ていた彼の主治医は言う。

「櫻井さんのご家族の方ですか?」

「いえ、バイト先の店長と同僚の従業員ですが……」

すると急かして病室に入って会ってやれと言う。

これで一磨は分かった。新井は既に知っていたから、一磨にあれほど急げと言っていたのだろう。

一磨と新井は看護師に言われ少しでも「時間を」稼げるよう、白い無菌衣を着せられる。

「時間って」

良くない考えが過るが、間もなく答えは解った。

通された無菌室の病床に横たわっていたのは、両腕と下腿を失い、腹の破かれて血で染まったガーゼを腹に当てた櫻井・幹夫。

自力で呼吸出来ないのか、ベッド横にはドラマで見るような立てかけ式ボンベのような酸素呼吸器がある。

「さ、櫻井!」

歩みだそうとするが、彼の両親を押し退けてまで行けない。

もう、最後の時が近付いてきているのだ。一家を割って入ることなど出来ない。

しかし両親は秋山と新井に気付いた。

「あぁ、秋山さん……。この度は息子の為に有難う御座います」

そう言ってから、父親が身体を開くように幹夫までの道を開ける。命の灯が消えようと言うのに、彼は必死に目を動かしていた。

言葉が出ないでも、意志を伝える方法は幾つかある。大き目の紙に50音を書き、その音を聞き手が示していき伝え手が瞬きなどの合図で示して行けばよいのだ。

幹夫はそうして一磨の身を案じ、呼ぶことが出来たのだろう。

しかし幹夫は呼吸器を付けながらだが、ゆっくりと一磨に言う。

「こ‥こわ、い。相手…が。死ぬ‥の…は…」

それはそうだ。幹夫は覚悟を固めた公務員、警察官やそれに類する人間ではなく、バイトしながら定職を探していた一般人である。四半世紀も生きてないのに、知る事のできなかった理不尽で命を奪われようとしている。

幹夫の両親が居るが、一磨は敢えて答える。

「大丈夫。大丈夫だ、幹夫。続きはちゃんと用意されている。あの世はあるんだよ。お前なら大丈夫だ」

魂の存在は科学的に証明されていない。だから人間は死ぬとただの有機体の塊になるという者が居る。しかし一磨自身、そうでない事を今さっき実践してきたばかりである。

一磨や新井と違い、幹夫はごく普通の人間だ。「気」というか、何の妖力も感じさせないから復活は無理だろう。

その場合でも地獄に行くとは思えない。幹夫は同僚に気を遣うこともある青年だし、なによりこの事件の被害者なのだ。

「あと、ちゃんと仇も取ってやる。そいつは地獄行きだろうが、お前は直ぐに輪廻の輪に乗れる。眠ったら、また何処かで目が覚めるさ」

「そしたら……また会いに来て良いですか?」

幹夫の言葉は弱々しかったが、最後の一言には力が込められていた。それは「祈り」を込めた言葉だったからだ。

「ちゃんとご両親の元にも会いに行けよ」

それを聞いたのか、幹夫は黙って目を瞑る

櫻井・幹夫はそれから目を開くことは永遠に無かった。

 

 

*  *                             *  *

 

 

両親に取っては掛代えの無い一人息子、そして一磨と新井にとっては現在唯一同僚の最後を看取り、四人は言葉も無く瞑目する。

医師は死亡確認してから看護師と共に気を遣い、病室を出ていった。

今の今までは医師や看護師を入れてば8人だったのだ。それが急に半分以下の人数になったことに、皆は大きな悲しみを感じる。

しかし幹夫の存在が消えた訳ではない。手垢にまみれた表現をすれば心に生きてるともいうし、今にも幹夫が目を覚ましそうな気がするのだ。

その日の内に幹夫の遺体は実家に移されるべく霊安室に行くという。

後になって聞いたのだが、世の中には腕や足を失った故人の為に義手や義足を作る技術者が居るそうだ。人間と言うのは人の死に至る細部まで生産活動の糸口にするのだなと一磨は思うが、確かに両腕と下体部を失った幹夫をそのまま冥送するのは生きてる者の責任としては味気ないし、故人が可哀想である。

幹夫の家は一磨の母方の父母と同じカトリック系キリスト教徒だが、幹夫本人は洗礼を受けていない。

だから地獄行きというのはキリスト教の勝手な思い込みなのでははなかろうか? 櫻井家は盆暮れ正月祝ってクリスマスにケーキを食す典型的日本人だ。

秋山の家では、母が嫁入りした時からこのような典型例にある日本人家族の形になった。

父と祖母は今一納得してなかったが、妻としても母としても出来る女であった恭代の宗教的儀礼を受け入れて来たのである。

それを考えても、一磨は父が母を想ってなかったとは思えない。

ともあれ、死後の人間の魂は最も心を寄る冥府に逝くのではなかろうか?

日蓮宗系の神仏習合に新たに神を一柱加えた一磨は、否定していた地獄という冥府に行った。否定するということは存在を認めることと同義語なのであろうか?

信ずる冥府の中で神道が一番強ければ、一磨の魂は肉体を離れた後、徐々に人格を失って神子孫を見守るか世を呪う神になるという話だ。

専門家でもないが、死後の世界への興味を隠し切れずに自身で調べて知ったことである。

幹夫の魂も仏道の冥府に行くのではなかろうか? 一磨が見た中では1人のみ地獄に落とされたが、死ぬ前の一磨はは全員が地獄行きだと思っていた。

一磨は池沼の影響からか性悪説で人間を見る。

幹夫の葬儀の際には……いや、葬儀の前にでも彼の亡骸に冥銭を捧げると良いかも知れない。此岸だけではなく、冥府でも金で苦労するのは酷だ。

ただ、此処は沖縄でも台湾でもなく東京だ。捧げるのは紙幣による現金になるだろう。

 

 

*  *                             *  *

 

 

幹夫の遺体が霊安室に運ばれる際は、両親は勿論一磨や新井も付添う。

家族だけの時間が必要かと思った一磨だが、幹夫は以前から店の店長である一磨を両親に話をしていたせいか評価が高く信頼が厚かった。そして新井は非正社員としては唯一の同僚という仲だ。

高校まで行った一磨だが、中卒という最終学歴を知る人間は少い。その中の一人が幹夫だった。

霊安室に向かう最中、幹夫は一磨が大学を卒業した自分より遥かに物事を知っていると両親に話していたという話を聞く。

実際は池沼を陥れる為に蓄えたワキの知識なのだが、大卒である彼より様々な事象に詳しいし、年の分だけ経験もある。

それを幹夫は「尊敬」という形で見ていたらしい。

MHWは一磨側の通信状況のせいで協力プレイは出来なかったが、幹夫にとって一磨は良い兄貴だったようだ。

実際、一磨の故郷には6歳下の弟がいるのだ。バイトではあったが、年の離れた弟分のような感じはしていた。

霊安室に行く途中、一人の眼鏡を掛けた男が彼等の前に現れた。

スーツは黒いが喪服とも思えぬ色柄のシャツを着て、櫻井の両親に「この度は御愁傷様」ですと、よやく聴こえるような小さな声で言う。

そうして看護師と、両親身らが霊安室の前まで幹夫が眠っている寝台が霊安室の前まで来る。

霊安室の中は屋外以上に寒いので少ししか居れないが、彼を安置した時になって両親は涙を隠さず息子が眠っている寝台に泣き付いた。

その感情が伝播したのか、新井も泣いている。一磨はと言うと、今一現実感を感じられなくて涙一つ零さなかった。

もしかしたら、母が死んだときの父の心境も同じようなものだったのかも知れない。

霊安室にすっといると涙も凍ってしまいそうな冷えた世界だ。何時までも生きている人間はいられない。

「お風邪を召しますので……」

同じような光景を見慣れているであろう看護師だが、そう話して櫻井両親を引き戻そうとする彼女の目にも涙があった。

悲しみは伝播するものなのか、元々彼女が人の痛みを知る人間だからだろう。

病院という場所には死が付ものだが、死を免れるために来るところでもある。

霊安室を出て、櫻井の父親が様々な手続きを経ている時に先程の眼鏡の男が再び現れた。

「あぁ、どうも。池黒さん」

池黒とは池沼に似た名前だ。縁者という訳ではないのだろうが、一磨は余り良い気がしない。

「櫻井さん、お渡しする請求額です」

そういって数字が書かれた紙を渡す男の背には、決してこの世の居てはいけない影が憑いている。

この男のモノではない。それは人が持って居て良いモノではない。

――この男に憑いている――

独りごちる一磨の前で、櫻井の父親の顔色が変わった。

「こんな……! 払える訳が!」

「息子の為なら何でもするって言ったじゃないですか」

「払うにも無い袖は振れないでしょ」

やはりそのテの男だ。断言は出来ないが、一人息子の為に老後の蓄えに治療に必要な金が必要になったと思われる。

それで、手早く借りれる相手がこの堅気とは思えない池黒だったという訳か。

「まぁ、それなら、ちょっと私たちの手伝いをして頂くだけで良いんですけどね」

「何を……!」

「それは後日お話します」

池黒はそれだけを言うと、さっさと病院から出て行った。

「櫻井さん、一体何が……」

一磨が櫻井の父親が受け取った紙を見ると、やはり借金の明細証だ。月毎に多額の利子が付く借金をしたらしい。

「あの、失礼ですがお幾らを借りたんです?」

「3000万‥‥程です」

数学が得意ではなかった一磨だから、直ぐに利率の計算が出来ない。

明らかに法定金利違反だ。インテリを装っているが法定金利という言葉すら知らない男なのだろうか。

すると、あの男が背負ってるのは人の怨みか?

「あ、あの。櫻井さん。何か御座いましたら何時でもご連絡して下さい」

このまま櫻井夫妻を放っておけば、一人息子を失い多額の借金を持ってしまった彼らは入水心中でもし兼ねない。

一磨の周辺で自殺者が出るのは、一人の人間としても閻魔王に仕事を任された者としても見過ごせない。

人の知性とは学び続けることにある。そう思ってる一磨だが、数学だけは出来ない。根からの文系男である一磨だ。

そしてある事実を忘れていた。

 

 

*  *                             *  *

 

 

帰りに寄ったコンビニで売られている100円おにぎりを手に持って賞味期限を見る。

通りすがりの人に「今日は何月何日か」と聞くのは怪訝な顔をされるし、答えて貰えるかも判らない。

だから賞味期限と製造年月日を見て今が何時なのか知るのだ。

1月の初旬らしいということは解っているのだが、年の始めの雰囲気は暫く持続するものだ。

一磨はあの世で1週間ばかり旅をしてる。

池沼からPHSに電話が来ないのは喜ばしいことだが、渋谷駅の爆発事件に巻き込まれて死んだと思われてるからだろう。

あの男はそれくらいに従業員を使い捨てる男だ。

そこで、はたと一磨は肝心なことに気付く。

池沼から支給されたPHSからは様々な昨日が抜かれ、日付も表示されないがGPS用にと買ったガラケーには日時と時間も表示されてる。

見ると、今が1月4日であることが判る。

1日ばかり無断欠勤してしまったようだが、冥府と此岸では時間の流れが違うようだ。

わざわざコンビニに寄った意味が半減してしまったが、今日は何も食べて無いから寄った意味はある。

今日は仕事を堂々と休んだが、まぁ死んでるか行方不明だと思われてるから文句は言われまい。

明日になって店に顔を出したら烈火の如く怒りそうだが、今夜の内に辞表を書いておこう。

勝手に辞めても良いのだが、一磨は池沼のよう他人の仕事を適当に評価し、従業員の生き死にすら顔を出さない適当な……悪く言えば生を無駄にする生き方が嫌いである。

かつて故郷の自分がそうであったが、人の生き死に……それも自分の会社の従業員の死すら見ようともしない男の生き方を拒絶し、ケジメを付けたいのだ。

一磨はそうして、その日の夜を終えたのである。

 

次の朝、一磨は再びバスと電車で渋谷の店まで向かう。

しかし同じ頃、新宿の一画にある歌舞伎町では何台ものパトカーや警察官が来る騒ぎが起きていた。

何らかの方法で、上半身をミンチ状に潰された人間の死体が見付かったのである。




善治おいちゃんがあっさり退場してしまいました。
いちごゼリーころころの下りが見たかったんですが、色々バッサリとカットされてますね。
まぁ4クール無いから已む無し。原作派になってしまいます。

いちごゼリーレロレロレロレロレロっ

はい、すいません。


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2話

久しぶりの投稿です。
ついでに作品タイトルを変えました。
黄昏も逢魔ヶ時も同じ意味なんで……(汗)


形有るものが何時も同じであるものは無い。

「幹夫の命も同じで、また流転して何処かに産まれ落ちるはずなんです」

桜井夫妻には、幹夫の命が絶える前に語り掛けたことをそう説明する。

流転するのは命や形有るものばかりでは無い。運命すら流転すると一磨は信じている。

音もなく不幸がやってくるなら、幸運だって来て良いはず。ただ何もせずに来るのを待つのは心許ないから予兆は有って良い。

苦労や努力と言う名の予兆だ。一磨はその為に居るのだ。

桜井夫妻と別れる時、彼等は言っていた。「秋山さんの元で働けて、息子は幸せでした」

一磨の言った事を彼等なりに心に刻み込んだらしい。

だが一磨はそれだけでは満足しなかった。

家路は新井と一緒になる。

「新井さん、江戸時代の最初頃、キリストの宣教師が日本にやって来ても中々布教出来なかったのって知ってます?」

「それは知らないのだ。新井さんは過去は余り気にしないのだ」

これを嫁取った男がどんな男であるか実に気になるが、それは置いて一磨は話を先に進めた。

「全知全能の神が人間を作ったなら、なんで悪人まで作った……って問いに答えられなかったですよ」

1495年の8月15日に来日した彼のフランシスコ・ザビエルも、日本で宣教する過酷さを訴えている。

全てとは限らないが、多くの日本人が全知全能たるキリストの神の盲点を突いてきたのだ。

「俺ならこう答えますよ」

それはその行為事態が神の教えに背くことだから宣教師は答えることが出来なかったのだろうが、一磨は違う。洋の東西に関わらず坊主でも聖人君子でも何でもない。

「悪人は絞り取られる為に作られた…てね」

 

 

*  *                            *  *

 

 

1月5日の出勤日、池沼は珍しく午前10時になっても正午の時間になっても来なかった。昨日の内に退職届を書いた一磨だが、無断休業したり欠員だった時の大目玉が落ちてくる覚悟だったのに肩透かしも良いところだ。

その代り、一磨より出勤が少し遅い新井から驚くべき話を聞かされた。

シンジュクの「カブキチョー」の路地裏で、上半身が潰された人間の死体が見付かったというのだ。

新井の言う「カブキチョー」は新宿という地名から歌舞伎町と判断してよい。しかし裏路地で上体が潰された死体があるとはどういうことなのか?

現場を見ずに聞くだけでは分からないが、正常な事件ではないのだから帰ったらテレビでも見れば放送しているだろう。まさか、重機が入れないような路地で潰されていたということなのなら人間の仕業とは思えない。

「っていうか池沼、来ないねぇ」

歌舞伎町で見付かった潰死体が池沼の物であると、少し困る。

いっそ死んで消えて欲しい上司であるのだが、一磨の計画が狂ってしまう。今死なれると困る上司でもあるのだ。

しかしその日のは午後十時を過ぎても池沼は現れなかった。

一磨としては事件の詳細を知りたい。テレビやインターネットには猟奇な事件として引っ張りだこだろうが、ダミヤンにはテレビの類いが無い。

パソコンはセントラルキッチンが直通にして唯一の連絡先だから、外部からの情報は一切遮断されている。

情報が知りたければ、店を閉めて家かネットカフェにでも行くしかない。

「もう十時でろーどーきじゅんほう違反なのだ。帰って良いのだ」

「だよねぇ」

だが契約時の書面には午後十一時までが営業時間と書いてあった。これを破って池沼に隙を与える訳にはいかない。

「まぁ新井さん。ちょっとキッチンに」

偽の監視カメラが設置されてる場所で、悪巧みをしようと言うのだ。

結局その日、池沼がダミヤン渋谷店に現れることはなかった。

一磨と新井は客が来ない中、キッチンで、十一時まで○×ゲームで暇を潰したのである。

 

 

*  *                            *  *

 

 

池沼が店に来たのは次の日の早い内だった。

早い内と言っても新井の直後と言って良い。このオーナーは一磨と違って札束を数える時間も睡眠時間も余る程あるだろう。

しかし、その顔色は決して優れたものでは無かった。悪性腫瘍でも拵えてくれれば一磨としても嬉しいところだが、彼は明確に背後を気にしながら店に来た様子だ。

この調子だと、一磨が無断欠勤した日も別の場所にフケていて欠勤に気付いてない可能性がある。

「どーも、お早う御座います池沼さん」

しかし、一磨は予想を切り替えた。この店舗は新井というマスコット的店員が居るからダミヤン渋谷店は売り上げが多い。金の亡者の池沼がこの店を見ないという可能性は低い。

ところが池沼は、事務所に保管してある昨日の売上金を回収しに来ただけだった。

昨日は無断欠勤しているから、そのことが池沼に発覚すると十分に拙いのであるが、昨夜から一磨も潮時と思っていた。早い話が店を辞めるのである。

割りの良い手駒としか思って無い従業員を池沼はただでは辞めさせないが、これだけ証拠を揃えたなら辞めることは出来るだろう。

「昨日の売り上げは少ないかったんだな」

「正月三日は家で過ごす家族が多いと思うのだ」

池沼の言うことに、一磨ははて?と思う。新井を見ると彼女がサムズアップしているので、彼女が独りで店を回してくれたようだ。

「まぁ池沼さん、俺。この店辞めますね」

池沼に損失の賠償を請求されないように店を回してくれた新井には悪いが、一磨にはやることが出来た。

「ま、待って欲しいのだ店長さん! アライさん独りじゃお店は出来ないのだ!」

最初の抗議は意外にも新井から来た。

「そのことは後で相だ……ん!?」

相談しようと言おうとした一磨は池沼に胸倉を掴まれる。

「秋山! お前今なんと言った!!?」

一磨の胸倉を掴んで、池沼は口角泡を飛ばして怒鳴り散らす。

「桜井と新井だけで、どうやって店を回すつもりなんだ!?」

池沼の言葉を聞いて、一磨は心底呆れた。3日の夕刻の渋谷駅で何が起きたのか、従業員がどのような状況にあるのか、池沼は知らないようだ。

「桜井君は昨日、渋谷駅で事故死しましたよ。知らないアンタは経営者失格なんじゃないですか?」

「また死にやがったか!」

また…と言うのが池沼の経営する会社の状況を如実に物語る。

「まぁ、ともかく俺はこの店辞めます」

「待て! 不満があるなら聞いてやる! 考え直せ!」

渋谷店を預かる一磨が、ダミヤンという中華料理屋で重要な人員であることは理解しているようだが、今の生活を続けても先は見えて来ないだろう。

「その言葉はもっと早く聞きたかったですね。では俺は一月後に暇を頂きますんで」

一磨が譲る気は毛頭無い。だが池沼は胸倉を掴む手を緩めずに言う。

「お前に料理師免許を取らせる為にどれだけ金掛けたと思ってるんだ! 実務経験を積ませるのに幾らかけたと思ってる!?」

そのどちらの金も一磨自身が払い、領収証のコピーは彼の手元にあるのだが、池沼は一磨に払わせた金で一磨を使う手綱にするつもりのようだ。

他店のダミヤン店主が職を辞そうとした時も、彼らをこき使って使い倒し、考える余裕を失わせたのだろう。

だが、一磨は違う。

「無理なものは無理です。最近、身体が言うこと聞かなくて、それでも有給も無いから検査入院も出来ないんですよ」

「お前が病院行くようなタマか!?」

実際、無理のあるライフサイクルでも一磨は病気も無く生きてきた。

蛇神の民の末裔で妖力が肉体の酷使を下支えしてるのか、寝不足が続いても今日まで持ち堪えている。

しかしそれは一磨の推論に過ぎない。余り身体を酷使してると何時か大きなツケを払うことになるかも知れない。

「事前に伝えましたからね。2月の始めに辞めますから」

「ならお前、金を払え。払ってから辞めろ」

「アレはあんたが勝手に受けさせたものでしょう」

「何だと!?だったら裁判だ!根こそぎふんだくってやるから覚悟しろ!」

池沼の顔が怒りで真っ赤に変色する。まるで茹で上がったタコのようだが、真意を悟られまいと一磨は顔を背けて呟く。

「それは困りましねぇ……」

そう口にする一磨だが、困る事など一切ない。裁判費用は池沼が出すだろう。そして裁判費用と一磨が退職するまでの人件費を請求する気でいる筈だ。

池沼が巧く術中に嵌まったことを、ほくそ笑む一磨だった。

 

 

*  *                            *  *

 

東京の地方裁判所は以前、八王子市内にあったが現在は2つ隣の町の立川に存在する。

池沼は集金以外にすることが無いのか、一磨が辞職を口にしたその日に提訴していたようだ。

訴訟提起からおおよそ一ヵ月後、一磨の姿は被告として立川にあった。被告は一回目の期日に限り、答弁書を提出しておけばその場に居る必要はないのだが、池沼からの仕打ちを直接裁判官に訴える為に来たのである。

被告となった一磨の都合など池沼が考える筈はない。

無職になった一磨は職業安定所に行きたかったが、第1回の口頭弁論は被告の都合など考えてはくれないのだ。

だから、収入の予定も無い中、ネットカフェか簡易宿泊に泊まることになる。そして無い金の中から脚代を掛けて立川まで行かなくてはならないのだ。

訴えの対象が140万円以下なら簡易裁判所だが、池沼は一磨の収入を無視するかのように500万円以上の賠償を要求している。

「新井さん、早くしないと裁判始まっちゃうって!」

被告側証人の新井も来ている。池沼の労使状況が如何に酷いか伝えて貰う為だ。また、答弁書で池沼の証言を否定したことからも一磨は一回目の裁判に出る必要があった。

繰り返すようだが、彼に弁護士を雇うような金銭的余裕はないのだ。

「急がなくても裁判所は逃げないのだ」

「いや、開廷時間が迫ってるから」

やはり新井には常人と認識がズレている所がある。今だから解るが、彼女からは人と違う「氣」らしき気配が感じられる。

裁判所まで急がなくてはならないのだが、その人物はその道の途中に居た。

「お、おい! 秋山! 秋山・一磨じゃないか!」

誰かと思うと、そこにはガッシリとした体躯の一磨より些か歳が上であろう男が居る。歳が上であろうと思われるが、健康的で肌の色艶が良い、そして冬でも日焼するような職に就いているであろう男だ。

「えー…っと、どちら様?」

こんな知り合いは一磨には居ない。と言うか、東京に知り合いなど、ごく限られた範囲にしか居ない一磨には誰だか解らない。

一ノ倉(いちのくら)だよ! 一ノ倉・孝則(たかのり)。忘れたか?」

「…って、あぁ、一ノ倉先輩!」

一磨は期せずして、同郷で中学と高校の先輩に当たる人物に出会ったのだ。

一ノ倉とは同じ中学を出て、高校に進学し、偶に男鹿の半島を出て秋田市内の秋田駐屯地祭に行くことが間々あった。

共にサバイバルゲームをやったことは無かったが「そういった方面」で同じような趣味を持っていた。

彼は高校を卒業し、宮崎の航空大学に進学したから空自のパイロットという進路を選んだと思っていたし、今の筋肉質の体躯を見れば正解だろう。

だが、立川には陸自の駐屯地しかなかった筈。空自の基地と言えるベースは無い。

「先輩は今は何処に?」

まさか立川ではないだろうと思っての質問である。空自に入ったなら、ここには用は無い筈だ。

「青森の三沢だ。立川には広報で来てる」

「……航空大に入ったんですよね?」

「あぁ、だから第三飛行隊に配属されてるぞ。新規装備の運用も俺の隊でやるんだ」

話しを聞くに、今の一ノ倉は佐官以上のパイロットのようだ。しかし空自はそんな人材を雑用に割かなければならない程、人が不足してるのだろうか?

勿論、その疑問を言葉は濁しつつ投げかける。

「まぁ装備を賄ってるのは国民の皆様から頂いた税金だし、そこから高い金出して採用した理由を解り易く広く説明しないといけないからな」

新規装備とはステルス性のあるF-35系列の戦闘機を指す。一磨は諸事情で余り興味を持たなかったが、小耳に挟んだ話しでは一機あたりのコストは開発の遅延などがあり、かなり高価になっているという話だ。

一磨なんかは国産機を採用できないのかと考えるのだが、以前にも攻撃機(今は全て戦闘機と呼ぶらしい)を採用する際にアメリカの横槍が入って共同開発となったF-2戦闘機という例があった。

「心神の話はどうなりましたかねぇ?」

一磨が国産機の話を続けようとした時、新井が口を開く。

「店長、裁判に遅れてしまうのだ」

先程はゆっくり向かおうとしていた新井だが、肝心な事を一磨に伝えてきた。

「ああ、そうだった」

「えっ、お前、何かやったの?」

民事で酷い上司に訴えられていることを手短に説明し、携帯アドレスを交換した一磨は急いで裁判所まで向かって行く。

本来なら一磨が池沼を訴えてやりたいところだが、裁判費用は向う持ちだから遅れるという不義理はしたくない。

 

 

*  *                             *  *

 

 

地獄とは違う異界にて、秋山・恭代(かずよ)は冥界の主たる閻魔王に直訴する。

「お願い申し上げます閻魔大王様。今宵、一磨の夢枕に立たせて下さい」

黄泉路に着いている死者は仏教徒だけではない。ヒンデューを信奉する者達も来るのだ。

そんな中、恭代は生前の行いを功績と認められ、閻魔王への謁見を赦されたのである。

彼女の死は自死ではない。名のある悪魔との戦いで敗れたのだ。

「しからば聴く。何の為に夢枕に立つ?」

「鬼魔と戦うことを辞めさせる為です」

恭代の応えは早かった。というより、長男の魂の強さを見ればそれ以外に言う事は無いのだ。

「人の身で鬼魔と戦うことの苛酷さは誰より知ってるつもりです。あの子まで早逝させたくはないのです」

閻魔は静かに聞いていたが、ふっ、と恭代に返す。

「一磨とて鬼魔の類いを相手するのは、一筋縄にはいかぬことくらい心得ておるだろう」

現に、人の心に巣くう強欲という名の魔物と戦ってる最中である。

それでも、彼は少ない手札から最良の選択をして敵にツケを支払わせようとしている。

「お前の息子は悟い。鬼魔との戦いでも闇雲に戦ったりはしないだろう」

強欲との戦いに備え、そのような戦い方を身に付けたのか、元から備わっていたのかは解らない。

しかし、あの男なら人間の限界を見極めた闘いを小悟く立ち回ってくれるであろうことを期待している。

「息子の夢枕に立つことは赦す。しかし一磨が決めた道は一磨自身が選ぶ物であることを忘れるな」

恭代は失念していた。息子を想うが余り、息子が決めた進路を阻もうとしていたことに。

それは一磨の人格を否定することにも繋がる。親にとって子供は何時まで経っても子供だが、恭代は異界から何時も一磨を見守って来たし、彼や子供達、そして夫の魂が平穏であるよう祈ってきた。

祈りは実を結び、今度は長男が次なる生き方を獲ようとしている。

それを邪魔する権利は、恭代にはない。

閻魔王の言葉を聴いた恭代は、静かに頷き、王の言葉に従うことにした。

 

 

*  *                               *  *

 

 

裁判は全面的に原告側が劣勢だった。

一磨はこの日の為に十年を越える月日を備えて来たのだし、その為の用意をしている。これを当然の結果だと彼は考えた。

その次の回も被告側である一磨の主張が裁判官だけでなく傍聴人、延いては池沼が裁判を起こしたことをしった多くの人々のの支持を得ている。

それもそうだろう。池沼グループの企業ではこれ迄に何人もの人間から訴えを起こされて来た事実がある。

企業の犠牲になった人間が非常に多いのだ。一磨に始まった事では無い。

だが多くの場合で被雇用者は多くの職務を長時間に渡って押し付けられ、考える暇と力を失わされていた。

地方裁では一磨の圧倒的勝訴が確定的となったが、ここで池沼は思わぬ手を使って来た。

元アイドルの人寄せ用の従業員で、現在女優業をしている女性を証人に連れて来たのだ。

(何しに来たんだ?)

それが一磨の素直な感想だ。

ちなみに、新井は初回の口頭弁論でダミヤンで自分が置かれた労働環境、そして一磨がどれ程酷使されているであろうことを率直に述べただけである。曰く「アライさんより早くきてアライさんより遅く帰る」と、解り易いものである。

新井の一人称が「アライさん」であることを不思議に思った裁判官、及び傍聴人は沢山居ただろう。しかしその点への質疑は無く、今日まで来てしまっている。

恐らく多分、問題は無いのだろう。

しかし今日はそれどころでは無い。

元アイドルの女優が、あろうことか一磨からセクハラされたと訴え出したのだ。

ダミヤン渋谷店には防犯カメラが設置されている。それを調べて事の真相を糺せば良いのだが、そこに映ってる映像には客足が捌ける昼過ぎの時間帯に彼女と一磨がテーブルに向かい合って会話する姿が映っていた。

確かに、十五年前に他店のダミヤンで自殺者が出てから従業員に対して一磨は悩み事や相談事がないか面接をしてきてる。

ダミヤン渋谷店が同系列の他店より離職率が低いのもその為だ。

しかし、音声が無く映像だけである。一磨が気安く彼女に触る場面など映ってないし、そもそも他の従業員にも面接しているのだ。

勿論、その旨を一磨は訴える。

だが、その部分は削除したのか記録を提出していないのか、池沼は作為的にその場面は映さない。そもそも論点のすり替えだ。

「おかしいでしょコレ」

池沼と言う男は金の力で何でも出来る。何をやっても許されると思ってる男だ。

弁護団だって金に明かせて集めた連中だし、裁判官を買収することだって考えられる。

幸にして裁判官達は買収されている訳ではなかったようで、彼女の訴えを聞き入れることは無かった。

証拠不十分というのでは無く、一磨が被告になっているのは「契約に違反して店を営業しなかった」のが問題とされたからなのだ。

単に池沼の論点ずらしが成功しなかっただけである。

 

 

*  *                            *  *

 

 

最終的に、第一審では一磨に賠償金の支払いは命じられなかった。

夕刻を迎え、裁判所は闇に包まれている。

(実に無駄な時間を過ごした――)

今からでは職安も閉まっているだろう。

免許も持ってない上に中卒の一磨では再就職も難しいが、このまま生きて行くのに金銭を投尽していくのだけなのは気が重い。

「秋山ァ!」

見れば池沼が顔を茹でタコのように真っ赤にして一磨を睨んでいる。

「オレぁまだ諦めんからな! 何やってでも貴様に500万‥いや、1000万払わせてやる!」

「はあ?」

このオッサンは懲りないらしい。世間的には完全に自分が悪者になってるのに、金銭欲か池沼の生きてきた環境がいけなかったのか裁判を続ける気でいるようだ。

求められた裁判に出廷しなければ、一磨が非を認めたということにされてしまうのが厄介だ。代理人が居れば代わりの出廷を頼めるのだが、東京にそんな暇な知り合いは居ない。

その時、2人の身体の間を特段冷えた風が吹き抜ける。

「きゃぁぁぁぁ!!」

証人の女が叫ぶと同時、一磨は新井とは違う胸糞悪い「氣」を感じた。

この世にあってはならぬ「氣」だ。それは地獄で感じたものである。

風が吹き止むと、そこには下半身が潰れた肉玉のようになり、鋭く長大な爪を持った鬼がいた。角が見られないから鬼という表現が正しいかは解らない。

だが、この世に居てはならない存在であることは明白だった。




いよいよ本番って感じですが、
一磨って此岸ではまだ戦えないんですよね。
どうすんでしょ。俺よ。


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3話

妖怪話を続けてますけど、そろそろGATEシリーズも進めないといけませんね。
魔導も飢狼も。
あと、今回はちょっと長いですかも。
今回ようやく原作キャラが出ます。
ちょっとですけど。


鬼とは元々、死霊、死者の霊魂を指す。日本で言う幽霊がニュアンスとしては近い。

中国では怨霊や亡魂、亡霊などが人間の形で現れたものを鬼といい、多くは若い娘の亡霊で、この世の人間を恋い慕って情交を求めてくる。見た目は人間と変わらないばかりか、絶世の美女であることも多いとされる。

日本では虎柄パンツを穿き、角を一本ないし二本生やし、金棒を持った大男の姿をイメージすることが多いが、神とされた例もある。

一磨が産まれた男鹿半島でもナマハゲという鬼の姿をした来訪神が存在するし、古代蝦夷を鬼と呼ぶこともある。

だが、一磨と池沼の前に姿を現した異界の存在は角を生やさず、下半身は潰れた肉を引き摺っている。

明らかに死者の怨霊の類だ。

そういえば、以前に高層ビルから身投げして下半身がぐちゃぐちゃになりながらも暫く死ねなかったレストランとは別系列の社員がいた。

恐らく彼だろうが、1人の霊魂とは限らない。一磨は地獄で此岸に顕在化するために多くの亡者達が重なっているのを見ている。

問題は何の為に現れたかということだ。

「なんだお前は!」

異形はぽっかり空いた眼窩を空の夜空の向うに向えていたが、池沼が喚くとその男に向けて異形の爪を向ける。

予感してはいた一磨だが、異形は池沼を地獄に引きずる為に顕在化したようだ。

「あー、質の悪い商売してるとこういうことになるんですね」

「秋山! どうにかしろ!」

さも他人事のような感想を口にする一磨に、池沼は叫ぶように命令する。

「いや、あんた自分で呼んだんだから、自分でどうにかしなよ」

実際他人事なので、一磨は行動を起こそうとは思わない。

「できるか!」

そう叫ぶ池沼は異形の前から逃げ出す。すると異形の爪は池沼を逃し、車止めのステンレス製ポールを薙ぎ払った。

積み木のように崩されるポールを見て、金欲まみれの男は恥も外聞もなく言う。

「た、頼む! 助けてくれ! 要求があれば聴く!」

毛嫌いしている男だが、その背後にある金自体は一磨も嫌いではない。というか今現在、金欠で非常に参っている。

「じゃあ、俺の言うこと聞いてもらいますよ」

彼岸たる地獄では鬼だろうが亡者だろうが素手で倒すことが出来た一磨だが、此岸である現世では非常に無力である。腕立て伏せも懸垂も大して出来ないだろう。

だから、考えなくてはならない。

「あー……ちょっと、鬼…的な人。聞こえる?」

一磨は異形に話しかける。今のところ、一磨には会話という手段でしか事を解決する方法がないのだ。

異形が眼球の無い眼窩を一磨に向ける。その窪んだ眼窩の向うに、一磨は彼等の記憶と意志を視る。

「ちょっ、ちょっと待て!」

これが、地獄で閻魔王から授かった「力」なのだろう。異形が池沼に近付く前に割って入ると、鬼とも言うべき異形に問いかけた。

「待てよ! アンタは地獄から池沼を迎えに来た亡者の集合体だろう!? 悪人とは言え、アンタらがぶっ殺したら地獄の責めが長くなるだろ!」」

自死という罪がどれほど長い間、地獄の刑期を受け続ける物か知る事は出来ないが、人を呪わば穴2つという。彼等にとっても良いものではないだろう。

「池沼! お前の会社で不慮の死を遂げた人間に2億づつ払え。去年度の純利益は35億とか儲けてンだろ」

「何だと!?」

「いや、俺が訴え返しても良いんだけどさ」

広く世間に知られてる裁判では無かったが、新聞や週刊誌は弁護士も雇わず自身で弁護した一磨の味方である。池沼も損得勘定は出来るだろう。

「あー、それと女優さん?」

一磨は最初に怪異を見た女優に声をかける。そして裁判では証人が偽りを述べると、偽証罪になることを教えた。

「そんなこと、解らないでしょ!」

「いや、他の従業員に聞けば俺の潔白は証明されるから。まぁ示談で済ませても良いんですけどね」

報道関係者に、それとなく匂わせればそれだけでも彼女が芸能活動することへのダメージになる。そうなる前に金を寄越せとあからさまに脅迫したのだ。

「まぁ一番金を払わなきゃ命はないのは池沼さんですけどねェ……。鬼の人、それで良いかい? 一人につき遺族に2億円ずつ」

自分の命を金で買うのだ。池沼にとっては悪い話ではないだろう。しかし命を取られた者にとってはそれだけでは気が休まらないのは、一磨にも解っていた。

一磨は言葉を潜め、異形にのみ聞こえる声で囁く。

「まぁ少し、俺に任せて貰いたい。天誅というのもあるが、先に人誅というものもある」

あの爪を振るわれれば一磨とて真っ二つである。池沼が真っ二つにされるのは別に構わないが、一磨自身危ない橋を渡っていると思う。

しかし異形は納得したのか次第に姿を薄め、完全に『氣』を消していった。

「良いな。池沼! しっかり払えよ! 払わなかったらまたアイツ出てくるから」

「わ、分かった。これで良いんだろ!」

そう言って、池沼は小切手に5000万と書き込んで一磨に渡す。

これはこれで嬉しいのだが、池沼は死者達に賠償金を払う気があるのだろうか? 最も、今までの強欲っぷりを考えれば5000万の小切手を軽く渡して来たのだから信用できるだろう。

「それと女優さん。貴方の示談も……」

「あんたどれだけ金欲塗れなのよ!」

「いや、俺が良くてもマスコミがさぁ……」

今回の裁判には連日マスコミ関係者が来ていた。彼女は「示談した」という事実が欲しい筈だ。

「払うわよ! 忙しいんだから早くしてよ! いくら欲しいの!?」

「そうですねぇ……」

法曹を通すべきかとも思ったが、急いで払いたいと言うのであっては仕方ない。

 

*  *                             *  *

 

後日、歌舞伎町で潰された人物が池黒という男である事が判明した。

桜井夫妻に多額の金を貸し付けた男だが、身分証も持っていなかったためDNA鑑定で特定するまでに時間が掛かったのだ。

そしてワイドショーを見ると、他にやることでも無いのか池沼の悪行が根掘り葉掘り毎日出てくる。暴力団組員の池黒のような黒い交際まで明らかにされてしまうのだから、コイツはもうお終いだろう。

脱税疑惑まで出て来て、犠牲者遺族への賠償金を支払う能力が残っているのかも疑問だ。

(コイツ、支払えるのかね)

金が無いなら家なり内臓でも売って金を作って貰いたい所である。自死を選んだとある犠牲者は、保険金目的に自分の命を絶った。

無論、保険会社は自殺などに保険料を払ったりしない。ただの死に損だ。そんな無理を役員連中は自社の社員に強いてきた。だから行方不明になった役員は、鬼に地獄へ引き込まれたのだろう。

これからの生き方を考える為、渋谷のネットカフェに逗留している一磨は池沼無き後のダミヤン従業員のことを考える。

池沼は死んだ訳ではないが、じき逮捕されるだろう。ダミヤン渋谷店には一磨も居ないし、新井一人では店が回らないだろう。この後の彼女のことも考える必要がある。

新井のことだけではない。桜井・幹夫の両親や新田・雅子の遺族のことも考えねばならないのだ。

次の住処が決まるまでネットカフェに逗留し続ける一磨は、そのままネットサーフィンを続ける。

池沼から5000万の小切手と女優との1000万の示談金を手に入れたが、何時までもこのままという訳には行かない。

また、地獄で閻魔王は実家の継母は一磨を赦していると言ってたが、一磨は自分で確めなければ気が済まない性格だ。

赦したというより、時効が成立して諦めに似た感情なのではないのか?

何時か戻ってみようかとも考えるのだが、閻魔王にも言われた通り怪気象の原因を調べて其れを阻止しなければならない。

「お、真侍魂2」

考えるべきことは多いが、車も人生も遊びが必要だ。

対戦格闘ゲームの発売日を確認した一磨は、安心の出来る夢の世界に意識を手離した。

 

 

*  *                               *  *

 

2日後、一磨は桜井夫妻に連絡を取ってみた。

池沼の怯えようから従業員先への振り込むは早いだろう。新井にも連絡を取ってみたかったが、深大寺付近であること以外は解らないのだ。

「あぁ、櫻井さん。秋山ですが…………」

聴くに、幹夫の口座は勿論のこと、両親にも一銭も入っていないようだ。

幹夫は仕事を終えてから渋谷駅の爆発が原因で命を落とした。

契約上は出退勤の最中に怪我をしても労災は降りる。だから桜井家に見舞いも無く労災金も無いのは著しい契約違反だ。

池沼の自宅の場所はネットの巨大掲示板の中で、伏字を使われながらも明確に特定されている。

これから行って文句を言わなければならない。

 

池沼の邸宅は都心の高級住宅街にある。

ワイドショーの一端で見聞きしたが、二回の離婚歴があるそうだ。

池沼の事だから、金が出来たら次々と条件の良い女に乗り替えて行ったのではないかと勘繰ってしまう。

道を行く最中、一磨は巻頭衣を着た……顔だけは出ているから顔出し巻頭衣の胡散臭い…実際臭い男と小学校中学年ほどの少年と道を同じくすることになる。

新井から感じた「氣」のような物を感じるようになったのはそれからだ。確かに新井も世間ずれしているが、この2人も格好が世間一般とはかなりズレている。

顔だけ出してる貫頭衣の男もそうだが、少年の方は学ランに黄色と黒のちゃんちゃんこ。更に今の時代には珍しい下駄履きである。

見た目の珍妙さから思い違いしている可能性もあるが、確かに奇妙な「氣」を感じるのである。

いや、貫頭衣の男が臭過ぎるせいかも知れない。

ともあれ、この2人は親子や兄弟ではないことは、道行く二人の会話から解った。

少年は聞く。

「何処に連れて行くつもりなんだ?」

それに対し、巻頭衣の男は応える。

「小金稼げそうなとこだよ」

閻魔王は一磨の家系以外にも退魔を生業をする者が居ると言っていたが、この二人がそうなのだろうか?

今回は狙われる側の人間にそれ相応の原因があるから退治して欲しくはないのだが、万が一池沼を殺されると支払い能力がなくなるのが困った事だ。

邸宅の前には黒いベンツと黒い背広を着たガッシリした体躯の身なりの良い男がいるが、他の連中は赤シャツだの紫、或は黒に黒のスーツを着ていて、明らかに堅気ではないことが解る。

下駄の少年が、そんな池沼の邸宅に着いてから貫頭衣の男の文句を言っていい始める。

「ねずみ男! お前また金目当てで僕を騙したのか!?

「騙しちゃいねぇって。実際にこの屋敷の主人が妖怪に命狙われてるんだからよ」

2人の話を聞くに、やはり2人はどうも「そういう業界」の人間らしい。いや、人間とも断定できないが、妖怪と何らかの関係性がある人物ということだ。

「まぁ自分で蒔いた種だから、仕方ないんだけどな」

2人の会話に返答するように応えながら、一磨は黒の背広が塞いでいる屋敷の門まで歩く。

「ちょっとどいてくれます? この屋敷の主に話が有って来たんだが」

「誰だお前は。池沼様は誰にもお会いにならない」

つまり、中に居るということらしい。

「あんた鉄砲玉だから何時死んでも良いように考えてるんんだろうけど、鬼はわざわざ門なんて通らないよ?」

すると貫頭衣の男が話し掛けてくる。

「あんた、前にここの主人を襲う鬼を見たことがあるのか?」

口臭が非常に臭い。顔を(しか)める一磨だが、数歩退いてから裁判が結審した日に遭ったこと、説得したことを伝える。

「まぁ生きてる人間にも5000万ずつ支給しろって言ったのは多過ぎかなと思ったけどさ、社員を酷使して自殺者を続出させてんだから遺族に2億くらい払うのが筋ってモンでしょ」

ねずみと呼ばれた貫頭衣の男と一磨が話していると、黒服のリーダー各と思しき男が2人に食って掛かる。

「お前ら、何を訳の解らねぇことを………」

屋敷から叫び声が聞こえたのはその時だ。

邸宅2階の窓が吹き飛び、バルコニーに異形の姿がはっきりと見えた。それと同時、池沼とは違う女声の悲鳴が聞こえる。

「ほら。表守ったって意味ないんだよ!」

黒服共は急ぎ玄関や勝手口から入り、女声のした場所へ向かって行った。

「おい! 普通の人間が入ったって死ぬだけだぞ。全く!」

一磨も表から入ろうとした時、下駄履きの少年に止められた。

「あなたはこの家の主人に恩でもあるんですか?」

左眼を髪で隠す少年の気配が只者ではないことは直ぐに直観した。恐らく、閻魔王が言っていた妖怪を斃すことが出来る者なのだろう。

「いいや。恩は無いが貸しがたっぷり残ってるからな。今死なれると困るんだよ!」

一磨はそう言うと、バルコニーの窓が吹き飛んだ池沼邸に飛び込んでいった。

 

 

*  *                               *  *

 

 

池沼邸はやたら広いが、2階に行くと直ぐに4つにされた黒服の死体を見つけた。肩から袈裟に引き裂かれ、その上で胴体と脚が切断されている。これはリーダー各の男か?

他の死体はまだ見つからない。或は異界から来て異界に引き摺って行ったのかもしれないが、使用人も見ない。

室内を調べると黒服の2人の仲間がクローゼットに隠れていた。

「おい、良い歳したオッサンがかくれんぼしてんじゃないよ」

「ひぃっ、殺さないで」

非合法に拳銃を持っているであろう男達が情けない言葉を吐く。

鬼は一体何処に行ってしまったのだろうか。それより池沼は何処に消えたのか?

「なぁ。池沼が何処に行ったか知らない?」

「池沼の旦那と奥さんなら多分1階だ。使用人に引きダンス動かさせてるのを聞いた」

見たわけでないにせよ、さっさと金を払えばそんな見っとも無いことしないでも済んだものを……。

一磨は深々と溜め息を吐く。

「あいつ何なんだ? 兄貴が鉄砲の弾が切れる程撃ってのに死なねぇし」

「そりゃまぁ、死んでるんだからそれ以上死なないだろうよ。鬼か何かじゃね?」

非常に適当な答えだが、それ以外に答えようもない。一磨は1階に降りてクローゼットを調べると使用人の女性と中年男性が隠れてたので、早く敷地外へ出るように伝える。

残るは池沼の負債…もとい夫妻だけだ。

気付けば、ネズミと呼ばれていた男が勝手に台所で冷蔵庫を漁っている。

「ひゃー、すごいね。流石は大金持ちの池沼邸ってことだけはあるね」

取り出したのはパイナップル。この時期にパイナップルとは季節感の狂った奴だ。もっとも、池沼が狂ってるのは元より承知しているが。

「それだけじゃねぇぞ。霜降り和牛の塊に鮭の塩漬けまである」

「やめろよ。ネズミ男」

下駄の少年が諫めるが、ネズミ男のはしゃぎようは中々止まらない。

「普段から不味い飯食ってるキタちゃんだって偶には良いモン喰いたいだろう?」

「辞めなよ。ネズミのオッサン。汚い金で買ったモンだから鬼に引き裂かれちまうよ?」

金というのは不特定多数の人間の手に触れられるから物理的にも綺麗なものではないが、池沼邸の冷蔵庫に入ってる食品は多くの労働者の血と汗から集められている。

つまり、一層汚いのである。

「そうじゃネズミ男、お前はここで何も働ておらんだろうが。それに不当な利益で仕入れた食料を腹に入れたらそこの若者の言う通りになってしまうぞ」

何処からか、一磨の言ったことを賛同、というか、肯定する甲高い声が聞こえる。

「ん、今の声は何処から?」

「ここじゃ。ここにおる」

見回してみるが誰も見つけられない。

「ここにおるじゃろ。鬼太郎の頭の上じゃ」

ここに来て、一磨は漸く気付いた。キタちゃんとネズミに呼ばれた少年が鬼太郎という名で、その頭の上に目玉と小さな人の姿をした妖怪がいることに。

「げぇ!?」

「そう驚くことも無かろう」

確かに、鬼に比べれば其処まで驚けたものではない。

奇っ怪な姿だが、見馴れればユルく見える……かも知れない。

「さっきの鬼は池沼という男に死に追いやられた者の魂が現世に、蘇ったものでしょう」

「うん、その通りだね。でも以前にした約束を破ったから、今度は殺してでも地獄に連れて行くつもりなんだよ」

一磨は鬼太郎が言う事を肯定し、裏付けを取る。

「貴方はそれが分かってて、何故池沼という男を生かそうとするのですか?」

一磨の裏事情を知らない彼には最もな疑問だろう。それに一磨は答える義務がある。

「後輩……っていうか勤めてた店の従業員の死んだ奴とか、同期の為かな」

とは言え、それも自分本位の仇討ちに近い。彼らの為とは言うが、それも自分で勝手にやってることだ。

「……そうですか」

鬼太郎は短く返す。

「まぁ彼らの魂がそれで満足するか解らんが、少なくとも遺族の為にはなる」

幹夫は桜井家の一人息子だ。彼には将来があった。

直線の死因は池沼が作ったものではないが、池沼が社労士を警戒して早く帰してなければ死ぬことはなかった。結婚し、家庭を作ることだって充分有り得たのだ。

新田・雅子の家族構成は不明だが、彼女には確実にパワハラが横行していた。

粗忽者と言うだけで殺されたのと同じことである。

一磨は池沼が隠れてる引き戸のタンスを探す。すると直ぐに見付かった。

同時に、ドス黒い気配も感じ取る。

「鬼!少し待て!今度こそコイツに金を払わせる!それにだ、コイツが転落する様も地獄で高笑いしながら観ておきたいだろう」

言いながら、全力の土足でタンスを蹴り倒す。

すると中から命乞いをする哀れな声が聴こえた。

しかし倒れたタンス。どうやって開けるか試案した一磨だったが、鬼が爪を一振りして板だけ剥がしてしまった。

「池沼ァ……お前のせいでヤーさん一人死んだぞ。わかってンだろうなァ?」

震えを隠せない池沼夫妻は、この日の内にヤクザ含む全ての死亡従業員の遺族に2億円を支払うことを発表し、非正規含む全て社員の口座5000万円を振り込んだのである。

 

 

*  *                            *  *

 

 

地獄小手帳―――

一磨は地獄から帰った際に受け取った日記をそう呼ぶことにしている。

妖怪に関わった事案を日記のように、ただ有るがままに記し、列伝として地獄へ伝える為の物だ。

勿論、嘘は書けないし、もし偽りを書いたらその分の地獄の罰が帰って来る……と、一磨は考えている。

「これ、薄いな」

まぁ早々妖怪に関わる事件など起きる筈もないから、滅多に使わない日記帳になるだろう。とはいえ重要な物だから、それなりに高い金を出して買った金庫に仕舞うことにした。

最初に書くのは、池沼が賠償金を支払わないせいで地獄の鬼が出て来たことだ。

1人のヤクザ者が引き裂かれて死ぬ羽目になる訳だが、その騒ぎの最中に1体の半妖怪のネズミ男と鬼太郎という少年に見える高い妖力を持っているであろう妖怪、そして鬼太郎の父親である目玉に小さな人の身体を持った妖怪に出会った。

最終的に鬼に恐れを成した池沼は、多くの財産を賠償に当て、池沼鉄治は妻方から離婚を申し立てられることとなる。

そして池沼ではなく松本という旧姓に戻った。どうやら婿養子で池沼の姓を名乗っていたようだ。

しかも労働基準法違反に出資法違反、脱税に反社会的勢力との競合など、様々な法を犯して現在刑事裁判の被告になっている。

「何をどうしたらコレだけの事が出来るんだ?」

普通の人間が、どうやったら諸悪の権化みたいに成れるのか不思議である。

地獄に伝えるようなことではないが、企業の犠牲者には各々2億円が労災金として支払われることとなった。

ただ、人の命は戻らない。桜井夫妻の心に空いた穴は塞がれる事はないだろう。

また、新田雅子の実家は池沼グループが責任を持って捜索中であるが、一族は誰一人見付かっていない。

この事から、一磨は池沼邸で起きた事件の際に知り合った人ならざる者達へ相談という形で協力を求める事にした。




まぁ鬼太郎って何期であれこういう人間にはドライなんで、特に何もしないです。
次は魔導かと思いますが、トミーウォーカーの試験次第ではそちらを優先します。


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萍水の魔物
1話


アニメの方、どうなっちゃうんでしょうね?
49話辺りネズミが良い仕事するとか噂されてますが、この目で見るまで安心出来んのですよ。
まぁ鬼太郎に活入れるのがネズミの役どころだろうとは自分も思うんですが。
ねこ姉さんの復活まだ?

で、今回からこっちでも鬼太郎とねずみ男が本格的に出て来ます。
オリ主も妖力はあるけど妖術が無いなりにまぁまぁ頑張ります。
他の妖怪も出ますが、ねこ姉さんはまだ出ません。


池沼グループが責任を持って新田雅子の遺族の所在を調べているのだが、一磨の耳には何の音沙汰もない。

池沼グループの最高経営責任者が夫でも妻でもなく、その先代である池沼・呉虎狼(ごころう)なのは初耳だったが、あの爺さんはこの事態に真摯に向き合い、調べる気があるのだろうか?

研修同期の(よしみ)でお台場の本社まで赴き、ダミヤン店長で過去の研修生名簿を見せて貰おうと思ったが、個人情報ということで既にダミヤンとは関係無い一磨は見せて貰えなかった。

「調査中という名目で、体よく支払いを逃れようとしてんじゃないだろうな?」

そんな疑念を受け付け嬢にぶつけてしまうが、彼女らも企業末端部の手足に過ぎない。

自分でも池沼(現:松本)への怒りを手当たり次第の池沼グループ関係者にぶつけてしまったのだと判る。

その事を詫びると、冷静きなってから物事を考えるようにした。

 

*  *                            *  *

 

 

情報を集めるのは、人間のネットワークだけの話ではない。

都市部や住宅地で良く目にするハシブトカラスは、元々森林を住処としてきた。だが森林には天敵である猛禽類が存在することと、都市部で餌が取り易いことで彼等はハシボソカラスに代わり、日本を代表するカラスとなった。

ハシブトカラスは非常に頭が良く、幼鳥の時から飼うと非常に懐き、九官鳥のように喋ることもできるし、野生では余暇を使って遊ぶこともある。

そして、天敵が来た際には仲間に知らせ、群れで逃げて行くのだ。

鳥類ですらネットワークを持つのだ。先月になって知る様になった妖怪の世界では、どのようなネットワークを持つのか。想像するだに楽しみもあるし、相応の怖さもある。

一磨は調布に行って一番身近な妖怪……であろう新井・マスを探すことにした。

彼女は深大寺付近の住所を履歴書に記入していたが、その場所は都内でも滅多に見ない森林になっている。

少し場所を移ると池沼邸よりも巨大な建造物がある。個人の家ではないと思われるが、不明だ。何せ場所が遠い。

個人の邸宅か公共の施設かはさて置き、一磨は新井を探さなければならない。まさか遠くに見える巨大な建物が新井の家ではないと思うが、それ以外の建物と言えば北側に植物公園がある程度だ。

(一体どこに……?)

そもそも履歴書の住所欄に「深大寺付近」と書いてるだけで受け付ける池沼がおかしい。

だからと言って他の者が「東京都」だけを記入して済む訳でもないあたり、池沼は金儲けの嗅覚が発達していたようだ。

「困ったな……」

そう独りごちる一磨に声を掛ける者がいた。

「何かお困りスか?」

見れば、以前に池沼邸の前で会った顔だけ出した貫頭衣の男である。

以前は気付かなかったが、この男からも微量な「気」のような物を感じる。鬼から感じたソレとは違うが、同時に池沼に似た感覚も感じさせた。

池沼に「氣」を感じた訳では無い。我欲という物が似てるのだ。

「新井って人を探してるんですけど、知りません?」

少しだけ池沼に似たな氣、というか気配を感じながらも一磨は会話を続ける。

困ってるのは本当の話だからだ。

「新井だけじゃ分かりませんねぇ」

「新井・マスって人。それとあなた、他の人間と違いますよね?」

他の人間と違うというか、臭い。ここまで臭う人間というのはこれまで人生で遭遇したことがない。

「……あぁ、この間の人間か。それじゃその新井・マスって人間探したら、謝礼出して貰えるか?」

新井も探さなくてはならないが、最終的には新田・雅子の両親も探さなくてはならない。

「まぁ、礼金くらい出すけど、あと二人探して貰いたい。できる?」

それに続けて一磨は問う。

「その娘ももう亡くなってるけど、本当に出来るんだろうね?」

「えっ、もう死んじゃっつてんの?」

以前に「ねずみ」と呼ばれていたその男は、雅子が既にこの世に居ない事を知って戸惑った。

何らかの手段で生きてる者を探す方法はあるようだが、鬼籍に入った者の遺族を探すのは難しいようだ。

「何やってるんだ。ねずみ男」

二人の会話に入ってきたのは小学校中学年ほどの少年だ。

左目を髪で覆い隠している。

「いや、ちょっと妖怪的情報網で人を探して欲しいって話をしてたのさ」

先日の鬼や新井から感じ取っていた「氣」が妖気に類するものと仮定して、一磨は敢えて「妖怪」的な…と口にする。

「貴方、確か以前に……」

この日、改めて一磨は鬼太郎と知り合うことになった。

 

 

*  *                            *  *

 

 

「貴方の言うことは解りましたが、死んで地獄まで見てきた貴方がどうしてこの場に居れるのか解りません」

「俺にだって解らんよ」

それも含めて新井を捜し、補償費用の件も併せて聞こうとていたところ、ねずみ男と遭遇したのだ。

「それより鬼太公、どこ行くつもりだったんだよ?」

鬼太郎は敢えてか否か、ねずみの言葉をスルー。

「おい鬼太郎、待てって」

「多摩の天狗から頼まれたんだよ」

「また金にならない話か」

一磨は自分の感覚に納得した。池沼に似た気配は、このような守銭奴的な気配だったのかと。

「お前には関係ないわい」

鬼太郎に隠れていた何時ぞやの目玉の妖怪が頭を現して言う。

「ちょっ、ちょっと待ってくれ」

一磨は今にして思い出した。宋帝王が口にしていた「 怪気象」という現象を。

その現象から世の中を守るよう、一磨は宋帝王から言い(つかさ)どっている。

「妖怪なら〈怪気象〉って聞いたことない?」

率直に訊ねてみたが、鬼太郎は知らないという。

今気付いたが、人間に色々と尋ねられて傍目にも鬱陶しそうだ。

「あぁ、すまん。俺ばかり色々聴いて」

相手は人間ではない。異質な存在だ。

見た目は人間の少年に見えても秘めてる「力」が違うのは、彼等の世界の存在を知ったばかりの一磨でも判る。

「まぁ鬼太郎。そう邪険にするでない」

一磨に助け船を出したのは鬼太郎の頭の上に乗ってる目玉の妖怪だ。

「儂は目玉のオヤジじゃ。この鬼太郎の父親じゃよ」

丁寧に自己紹介されてしまった。これには一磨も姓と名を名乗り反す。

「……随分と、顔が似ない親子なんですね」

今までよりも鷹揚に話す一磨は、この目玉の親父様は話せる妖怪であることを直感した。

「それについては、君に時間が有れば道すがら話すとしよう」

こうして一磨は鬼太郎が出生してからの話を聴くことになったのである。

 

「その昔、日光の寂光寺(じゃっこうじ)覚源上人(かくげんしょうにん)という皆から尊敬されるお坊さんがおってな、その上人が地獄を巡って来たという話があるのじゃ」

道中、目玉の親父からは一磨が知らない……いや、知ってはいたが忘れていた話を鬼太郎と共に聴かされていた。

覚源上人は雲に乗って地獄門を越えたのだが、一磨は一般の死者として長い道のりを歩いて地獄まで行っている。

その違いがあるのだが、一磨はそれを訂正するどころかでは無かった。

「カ、カラスさん。余り揺らさないでよぉ……っ!」

化けカラスの大群に綱……というか紐で椅子を引っ張らして空中を飛んでいるのだ。

この秋山・一磨――苦手な物は無いかと思いきや、高所恐怖症である。一般的なジェットコースターなら足場があるから平気だが、足場の無い宙ぶらりん状態だと生きた心地がしない。

鬼太郎は近くで一反木綿という九州弁の妖怪に乗っているが、アレはアレで乗った感じがしない。実に心許ない浮遊感なのである。

「この紐、切れたりしない!?」

化けカラスが変なマニューバを取ると絡まって落ちないだろうか?

水場の妖怪と聞いて、人類の英知の結晶入ったリュック背負う一磨は、足場のある木綿の方に乗れば良かったと後悔したり、落ちたら天命と悟りを開きかけながら目的地の奥多摩へと向かうのだった。

 

 

*  *                             *  *

 

 

奥多摩で待って居たのは人……ではなく、姿形は人に近くとも明らかに人外の存在――天狗

しかも白い羽毛の鴉天狗である。

「目玉の親父殿、鬼太郎殿。お待ちしておりました」

言う白鴉天狗は、アルビノの赤い瞳を一磨に向ける。

「この人間は……?」

その鴉天狗の質問は最もだろう。鬼太郎達は妖怪の用事で呼ばれたのだろうが、一磨は妖怪を感じ取れるとは言え人である。

「まぁ白延威(しらぬい)。聞いてくれんか、この人間にも訳あってここまで付いて来たのじゃよ」

白延威という鴉天狗を含め、一磨は此処で初めて彼等に地獄を巡り、現世に戻ってきた経緯を話す。

「俄かには信じ難い話ですが……」

「人間の中ではあるにはある話じゃ。大天狗にも心当たりのある話じゃぞ」

明らかに怪訝そうな白延威の赤い目は、一磨には居心地の良いものではない。それでも目玉親父は一磨がこの場に居る理由を説いてくれる。

「近頃の人間は我ら妖怪が存在することも認めようとしないのです。そんな人間と……」

「待て、実際見て話し合ってるだろうが。実際俺自身、最近の若い奴らは……とか思うことはあるけど」

同じことは古代エジプトから嘆かれている。つまり、ジェネレーションギャップは何時の時代にも存在するのだ。

「ともかく怪気象なんて起きたら困るんだよ。それを止める手段を得る為に、協力する機会を俺にもくれないか?」

「怪気象など聞いたこともない。人間が起こした数々の戦なら見てきたがな」

「それは……産まれて半世紀経ってない俺に言われても困るんだが」

若干、言葉を詰まらせながらも人間が起こす業を問い詰められても、それは一磨以外の先人が始めたことなので返す言葉もない。

「怪気象に大天狗様に聞いたり、書庫を調べてみても良かろう。ともあれ、今は白延威が大天狗様に命じられた務めを終わらせるのじゃ」

目玉の親父のその言葉で、3体の妖怪と1人の人間は多摩川の源流を目指す。

向かう最中、白延威の本拠地が高尾山であることが会話の中で判明した。

「あぁ、やっぱり高尾山の天狗だったのか」

高尾山から40km以上離れた多摩川源流まで出張とは、頭が下がる。

尤も、高尾山口に住む人間の会社員は毎朝朝早くに起きて、満員電車に揺られて60kmほど離れた都心の会社に向かってるそうだが。

「そういや、鴉天狗が日本を守ってるって話があるけど、他の妖怪の手を借りたりもするの?」

日本で天狗と言うと、今でこそ鼻の長い天狗をおもい浮かべるのだが元々は全て鴉天狗であることが一般的だった。

一説には仏法を守護する八部衆の1つ、迦楼羅(カルラ)天が変化したものともいわれ、江戸時代から明治時代にかけて、厨子に入れられて保存されている鴉天狗とされるミイラが修験者達に担ぎ上げられ、利益を説きながら諸国を回ったといわれる。

もっとも、ミイラに関して言えば学術調査でトンビであることが判明しているし、それ以前にも平賀源内の「天狗髑髏鑑定縁起」ではそもそも不老不死とされる天狗の骨がなぜあるのだという意見を問う者もあったということが記されている。

 

「僕も、妖怪が人間界で騒ぎを起こす件数が近頃になって急に増えたという気はしませんね」

「しかし形体は変わっておるぞ。一磨君が言うには、先日の渋谷駅の爆発事故も妖怪が起こしたものなのじゃろ?」

「あぁ、親父様。敬称は要りませんから」

この歳で君付けされると背中がむず痒い。

「 あぁ、そうだ白延威さんが鬼太郎を呼んだ用件というのは?」

恐らく多文、絶対歳上なので一磨は 白延威を「さん」付けで呼ぶ。

「そうだな。水源に(あやかし)が出たのだ。幸い人間が来る季節ではないが、放っておいたら何時喰われる者が出ないとも限らない。そこで鬼太郎殿を呼んだのだ」

「相手はどんな姿してんの?」

人間を食うタイプとは、最初から危険なヤツである。

或いは、肉食性の野性動物に近いのか?

河童をイメージしてたから、頭の皿の水を超吸水性ポリマーで弱体化させようと考えていたが、熊や虎の化物なら意味がない。

「その体は水で出来ている。動きは亀の如く鈍いが巨体を持つ水の妖怪だ」

それを聞いて、別の事を懸念しなくてはならなくなった。

(コレ、絶対足らんな)

 

*  *                            *  *

 

 

春は近いと言っても未だ2月である。

奥多摩の水源を行く人影は一磨達の他に無く、清流は静かに下流へと流れて行く。

啓蟄までには暫し日にちも有り、寒空の清流には虫も獣も見られない。

ここに来て一磨は、長靴付の胴長で来るべきだったと深く後悔した。

鬼太郎は下駄履きにも関わらず妖怪故に警戒に岩場を跳び回ってるし、白延威に至っては低空飛行で水に濡れる心配がない。

ここに来る際の鬼太郎もそうだったが、一反木綿という布妖怪も揚力を得ているのか解らないし、白延威の体躯を宙に浮かすのに何の風圧も無い。

一方の一磨は喫煙者である自身を今日ほど呪ったことはない。岩に手を突いて肩で息をしている。流石に失意体前屈のように地に両手を突くことはなかったが、年齢相応の体力はあると思っていた。

池沼から注意された中に正しい事が有ったとは認めがたい事実だが、考えて見れば一磨も37のアラフォー。もう立派なオッサンである。

ちなみに失意体前屈とはorzや_ ̄|○という|AA(アスキーアート)の形だ。前者はオルツとも言われ後者は「もうみてらんない」と読ませることもある。

そんな一磨を置いて、鬼太郎と白延威はどんどん先に行ってしまう。妖力が高いとはいえ、ただのオッサンが彼等の世界で生きて行くのは不可能なのか?

しかし彼等の後方を行く一磨はこの世界でやって行かなくてはならない理由がある。

そうしないと母の魂も地獄に居る同期の彼女も救えないのだ。

白延威は足場の悪さに手古摺(てこず)る一磨を一瞥してから、鬼太郎と共に先を見る。

「居ますな。だがこの気配……」

「急ぎましょう!」

2人が何を感じたのか解らないが、俄かに彼らが急ぐのを見て目標を発見したのだと理解する。

「……ふんぬおァ!!」

気合い1番岩を蹴り、先を征く2人を追う。その一磨が見たのは、一人の女性が透明の不定形妖怪に捕らわれているところだ。

「なんだぁアイツ!?」

河童も水虎も実際には見た事が無い一磨だが、そのどちらとも違う妖怪であることは判る。

そして、人に害を成す者であることも理解した。

「止めろ!水妖!」

「この人間から飛び込んでかきたんだよお」

亀の如く鈍重と言われた通り、実にゆったりとした喋り方だ。

「それはお前の姿が見えなかったからだろ」

「そうは言っても折角喰われる為に飛び込んで来た人間を喰わない訳にも……」

「それ違うから!見えないのに飛び込むかって!」

鬼太郎と水妖の問答に一磨が追い付く。どうやらこの水妖怪は自分に喰われる為に人間が飛び込んで来たと思ってる節がある。

「人間を喰う必要無いだろ!もっと別のモン食えって!」

サブカルチャーに見るスライムのように強い酸性が有るわけでは無さそうだが、半身以上が水妖に引き込まれた女性には意識が無い。

息が出来ないのであれば何れ死んでしまうのは確実だ。

「水妖!その人を放すんだ」

「断るよお。折角摂れた人間だろお」

「鬼太郎殿。人間に危険があるとは言え先ずはヤツの体を切るしかない!」

白延威が叫ぶように鬼太郎に声を掛けると一磨も漸く問題を理解した。

鬼太郎や 白延威が攻撃すると女性にも当たってしまう可能性があるのだ。

「二人とも待て!俺に任せろ」

「人間に何が出来る!?」

「21世紀科学の真髄を見せてくれよう!」

一磨が腹に抱えたリュックのファスナーを開く。

中から取り出したのは大量の吸水性ビーズ。

「食らえ!ポリマーハリケーン!」

敢えて説明すると、紙おむつを切り裂いて取り出した大量の吸水ポリマーをばら撒く必殺技である。

効力があるのは限られた相手のみだ。

「な、なんだとー!?」

白延威と水妖怪ほぼ同じリアクションで驚きの声を上げる。

一磨はそのリアクションの最中、げっそりと病的に痩せた水妖怪の体内に手を突っ込んで女性を引っ張り出して救出した。

「ほら、今だっ」

女性を庇いながら退避する一磨の後ろで、白延威は柏葉のような団扇で風を操って水妖怪の手脚を斬り、鬼太郎はチャンチャンコで本体を縛り上げた。

「わ、わかった~。勘弁してくれよぉ」

こうして、鬼太郎が呼ばれた理由である水妖怪は至極あっさりと白旗を上げたのである。

 

 

*  *                               *  *

 

 

鬼太郎に水妖と呼ばれていた水妖怪は今年産まれた(というか発生した)個体であるとが、白延威も言っているし当の本人もとい本妖からの証言でも判った。

(やたらデカい新生児だな)

一磨はそう思う。人間は現在地球上確認される動物の中では比較的大型な動物だが、ここまで巨大だと食料に苦労しそうだ。だからこそ人間を取って食べようとしたのだろうが、妖怪なのだから摂取すべき栄養が哺乳類とは違うんじゃないかと考える。

「今までどうやって生きてきた?」

既に犠牲者がいた可能性も考えてした一磨の質問だが、

「オラ水さえ有れば生きていけるんだ」

「じゃあ人間喰おうとするなよ!?」

この妖怪曰く、人間は飼うにしても食うにしても贅沢な嗜好品らしい。

「まさかお前らもなのか!?」

同道してきた二体の妖怪に訊ねる。

「僕は人間と同じ米とかですよ」

“とか”の部分が気になるが鬼太郎の食性は人間と余り変わらないらしい。

「いや、鬼太郎が産まれる前に水木という青年を蛙の目玉やヤモリの焼き物で持て成したことがあるぞ」

甲高い声が聞こえ、誰かと思えば鬼太郎の髪の間から顔(というか目玉)を出した目玉の親父だ。蛙の目玉はタピオカと脳内変換出来たとしても、やはり彼等の食性は変わっているようだ。

気付かない故に数に入れて無かった目玉の親父の話は参考程度に聞くとして、鴉天狗はどうであろうか?

「私は木の実や鼠などの小動物ですね。修行すれば霞でも食べていけるはずです」

正に鴉と修験者が合わさったような解答である。

「それより秋山殿、先程までの数々の御無礼。本当に申し訳ない! まさか貴方があのような術の使い手だったとは、恥じ入るばかりです」

いやに改まった言葉遣いになっていると思ったら、物凄い勘違いをしていた。

「いや、そこまで難しいことをした訳じゃないし。まぁあそこまで上手く吸水性ポリマーを撒けたのは意外だったけど」

それでも白延威は一磨を褒めそやす。

「しかしあの気迫。人を喰う妖怪と耳にしながらも恐れを知らず水妖に立ち向かい術を仕掛けた」

言われて見れば確かに短慮だった。水妖怪は物理法則に則り吸水された物の怪……即ち物の病だったが、以前の鬼などの怨霊の類だったら一磨が第二の犠牲者だったのだ。

「あと、何の術でもないから」

「なんですと!?」

今更驚く白延威を余所に、一磨はこれから取るべき人生の進路を考える。

彼が見る空には、ゲゲゲの森という鬼太郎が棲む森に、小さくなった水妖怪を吊り下げ、移住させていく化け鴉の群があった。




白延威って良い名前を考え付かなかったので大神のアマ公ちゃんみたいな感じになっちゃいました。
イメージ的デザインは「うしおととら」威吹です。
「いぶき」を変換したら当パソの辞書に「威吹鬼」ってあったんですが、鬼の字が付くと鴉天狗って感じしませんよね。

まぁそんな訳で、今回の妖怪退治は(退治してませんが)1話で終了です。
でもこの章はまだ続きます。
で、救出した女性に付いても次回以降に触れます。


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