寂れた市街地の路地裏。2つの陰が月明かりに照らされ、踊っている。だが、その姿は対照的。片方は何度も躓き、転がって逃げ惑いーー片方は、迷いの無い足取りで己の獲物を手に追い続ける。
「んもー。逃げないでってば!」
その場にそぐわない程のその甘ったるい声には、最早狂気さえ見てとれた。
「…ヒィッ!!」
そう言って転がりながらも前に進む男。スキンヘッドに、肩に入った刺繍の数々。屈強な体。全て彼の人生の中で積み上げてきたものだ。闇の世界で生き抜くのは難しい。だからこそ、彼は数々の修羅場を潜り抜け、殺し、奪い、今の地位にいる。だが、そんなものは意味の無かった事だと悟ることになる。何故ならーー
「はーい。行き止まりだよー?」
気づけばもう袋小路まで追い詰められていた。生ゴミか何かのすえた臭いが鼻腔をくすぐる。尻餅をついて後ずさり、ようやく背中に壁の冷たい感触が伝わったところで、月明かりがソレの姿を映し出した。
曲線を帯び、輝くほどの美しい白髪。肌には傷一つない。とても屈強な男を追い詰めたとは思えない体つきだ。そして何より、あまりに綺麗な顔をしていた。形容するならば、まさに「天使」。ーーもっとも、顔に張り付いた狂気さえ無ければの話だが。
それは救いをもたらす者では無かった。ーーいやソレは、彼女は、これを救済と語るだろうがーー 彼女は、確実な死を運んできたのだ。
転がっていったゴミ箱の乾いた音が夜の街に反響する。
「たす…けて…」
振り絞ったような声。精一杯の声。救いを求める声。だがーー
「ぱいーん」
その一言で、彼の捧げた人生は幕を閉じた。
♢
「ええ…シロちゃんが?また薬の売人を殺したって?ハイハイハイハイ。手加減はするようには言ってますよ?ハイ。ああ…。いや、一応言っときますけどね?私の話をシロちゃんが聞くとは…」
ツー。ツー。ツー。
彼は溜息を吐いた。もっとも、動かない馬面の口からは何も漏れなかったが。問題児の生徒を抱える担任ーーとは少し違うニュアンス。雇い主の行動に溜息を漏らす執事ーーくらいだろうか。とにかく、首をもたげた彼の姿は、楽しげなものではなかった。
「シロちゃんも、いつか手心ってもんを覚えるといいんだけど…」
また携帯のベルが鳴る。今度はその問題の人物からだ。
「ねえ馬!何で電話でないの!」
「ええ〜!シロちゃん?!私にもね?色々事情がありましてねハイハイハイハイ」
「いいから早くシロのとこ来て!場所はね…」
「ハイハイハイ。わかってますよ〜。今行くので少々かかりますのでねハイハイハイハイ」
「んもー。早くきてよ!」
ガチャ切りされた。まあこの横暴さもいつも通りなので特に気にすることは無かったがーー先程の件を彼女に伝えなければならないということが少し引っかかった。
拒否権もないので、テレビの電源を消し、ソファから立ち上がる。なんだかんだ言いながらも家からはすぐ出られるようにはしてある。もちろん、身内の問題児のお守りをするためだ。姿見の前に置いてあるネクタイを取り、手慣れた手つきで締める。
「ハイハイハイ。さて、行きますかねーー」
そう言って馬面の男は、軋む屋敷の扉を開け、彼女の元へ足を運ぶ。
今日も、愛する彼女のために。
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始まりの日 1
「おはよーー!!!」
朝の市街地にハスキーな声が響く。声の主は、銀髪ツインテールの美少女。何かの衣装なのか胸元が大きく開いた服を着ている。
近所迷惑間違いなしの声量だが、毎朝のことなので隣人ももう何も言わない。寧ろ目覚まし時計くらいの役割らしい。
そして、その挨拶の相手だがーー
「はぁぁ。もうルナちゃんうるさいよお……」
そう言って布団から顔を出したのは金髪の美少女。顔は弛緩しきっており、誰が見ても間違いなく気が抜けてしまうだろう。
そんな彼女の様子などお構いなしにーー
「起きてぇーー!!!」
「わかった、わかったってば!!」
耳を抑えながらようやく上半身を起こす。恐らくルナが開けたのだろう。カーテンの開いた窓からは眩しいほどの朝日が差し込んでいた。
「アカリちゃん?!もう9時だよー!!遅れちゃうってぇー!!」
(遅れ…る?)
しばらく意味が解らず脳内で反芻するアカリ。確かに言われた通り、何かあったようなーー
「あ!」
「思い出した?!」
「なんかあったよね!!」
「わかっとるわ!!」
恐らくこの時間帯でここまで不毛な会話をしている人間もこの二人だけだろう。
「ごめんねルナちゃん……私忘れっぽくて……」
先に若干温度の下がったアカリが下目使いになる。
「いやぁ、別に良いんだけどさ…
ほら、今日はコラボの撮影する約束だったでしょ?」
なんとなく罰の悪くなったルナの勢いも減速する。
「あっ…そうだった…!ゴメンよぉー!もう忘れないよぉー!!!」
「ハイハイ、わかったから。とりま準備して、スタジオ行こう?」
「そうだね…急ぐよー!!」
そう言ってアカリは、自分の膝から下を覆っていた布団を跳ね除けて、部屋から飛び出していった。
あんな様子で大丈夫だろうか?若干ドジっ子属性もある彼女の事だがーー
「怪我しないでねー!」
「うん!急ぐよー!!」
聞いているのかいないのかーー
そう言った矢先、階段からドタバタと足を踏み外したような音が聞こえた。
最早想定通りな彼女の行動に若干げんなりしつつ、一応の心配をして部屋から顔を出す。
「大丈夫ー?」
案の定階下でひっくり返っている。
「気にしないで気にしないで!!急ぐから急ぐから!!」
「無理しないでねー…」
朝から慌ただしい彼女の様子を横目に、少女、輝夜月の一日は始まって行くーー
♢
「いらっしゃいませー」
自動ドアが開いて、見慣れた客が入ってくる。ご近所さんなのだろう。何度も顔を合わせている。
飲み物を買いに来ただけらしく、直ぐにレジの方へと来た。
「計1点で、158円の頂戴です」
いつもならそのままお金のやり取りをしてそれまでなのだがーー
今日は向こうから声をかけてきた。
「今日も寒いのにその格好なの?」
「……ええ。正装ですので」
なぜこんな会話をしているのかというと、店員側の服装があまりにも薄着だからだ。正装と言っても、多様性の塊のこの世界では働く上で決まった「制服」と言われるようなものはない。
家々、出自に関係した服装になってくるのだがーー
今回の彼女は、布面積の少ない巫女服だった。しかもスカートも短いし、脇は丸出し。コンビニ店員の服装としてはあまりに過激だ。だが、あまり下品な印象はない。だからこそ、「寒そうだね」なのだ。
「へー。大変だねぇ。毎朝ご苦労様」
「あ、ありがとうございます……」
そう言って客は店から出て行った。店員である、狐耳と尻尾を生やした少女も、ほっと一息をつく。バイトを始めて一年少しだが、接客は未だになれない。特にああいう雑談を振ってくる客は苦手だ。
「のじゃぁ……」
などとのたまっていると、同僚の男性から声がかかる。
「のじゃさん、そろそろシフトの時間だから」
「あ、了解です」
そう言われるやいなや、いそいそとバックヤードへと引き返す。
この後は特に予定も無いので、家でゴロゴロすることになるだろう。
名札を返却し、自分の荷物をまとめたらもう帰っていいことになっている。そこら辺は案外ユルイのだ。
「お疲れ様でしたー」
そう言って、彼女は何気ない日常へ足を踏み出す。
♢
流れ星。一つ二つと尾を引いて落ちて行く様は、誰もが声を失って見上げる程幻想的だ。灯の多くなってしまった都会ではもう見る機会さえ少なくなってしまったが、願い事を三回唱えるとーーなんて伝承は今でもしっかり伝えられている。
ーーしかし、忘れてはいけない。
それでも、人々は油断している。明日危険が我が身に迫る可能性がある事など微塵も考えず。星は回る。日常は、過ぎ去って行く。
だからこそ、本物の災がやってくる時ーーー
ーー人々は、呆然と立ち尽くす事しか出来なかった。
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