異世界奇譚 (近藤ロン)
しおりを挟む

プロローグ

気軽に書くことをモットーに、異世界転生モノに挑戦してみたいと思います。


私は戸田暁彦(とだ あきひこ)。

20代後半の非正規労働者。

母と実家で暮らしている。

父はいない。私が子供のころ出ていった。

歳が5つ離れた兄が一人いるが、借金を作って女と駆け落ちしたまま行方知れず。

好きなことは昼寝。

嫌いなことは暴力。

高校を卒業して就職したが、同僚と上司、そして要領の良さに恵まれず、わずか2年で辞職。

資格を取ろうとするも、生来の怠惰な性格から一向に捗らず、体力とメンタルを3年間、無駄に消耗し続けた。

母に心配をかけまいと一人暮らしを始めたのがさらに悪く、偏食と引きこもりによって心身ともにバランスを崩した。

気づいた母に実家へ帰ってくるよう説得され、先が何も見えないまま帰省。

精神科でカウンセリングを受け、幸いにも人手の足りない工場の清掃員として非正規雇用されることが決まり、現在に至る。

金もない。

スキルもない。

将来への希望もない。

しかし、なんとか生きていくことは出来ると思い始めていた。

これでさんざん迷惑をかけた母に恩返しをできると考えていた。

 

だが、神は私の平穏を許さなかった。

 

気がつくと私は、知らない世界へと飛ばされてしまっていた。

 

「こんにちは、アキヒコくん」

 

目の前に少女が立っていた。

不思議な装束を身に纏っている。

顔立ちは日本人に見える。

美人な娘だが、知らない顔だ。

なぜ私の名前を知っているのだろう。

私は横たわった状態で、少女を見上げていた。

ここに横たわるまでに何があったのか全くわからない。

私は辺りを見回して、ギョッとした。

地面は赤黒い管のようなもので覆われて、その管がズルズルと蠢いている。

まるで巨大なミミズが大地に溢れかえっているような、異様な光景だった。

空は曇天だ。

時折、稲光が走り、空中に浮かぶ巨大な物体の影を雲に映している。

物体は、要塞のような人工的なシルエットだが、よく見るとこれもまた、ミミズのようなものが集合して形作られている。

悪夢のような光景だ。

その異様な景色の中で、少女はにこやかに立っている。

「あ、あなたは誰ですか?」

「ウチはヨミ。あのお城に住んどる神様の使いや」

怪しい関西弁で喋る少女はミミズの集合体を指差した。

「神様?どういうことです?私はこれから仕事に行かなきゃならないのですが…」

「あー、それねー、もう行かんでええよ。アンタは今から神様の命令に従って異世界を旅するんや」

「異世界?」

訳がわからなかった。

そうだ、これは夢に違いない。

私はまだ自宅の布団で寝ているのだ。

早く起きなければ。

私は頰をつねったり、頭を叩いたりしてみた。

しかし、痛みがあるばかりで夢は覚めない。

「ごめんなー、夢オチやないんよ。急なことで悪いけど、アンタは神様に従うしかないんよ」

ヨミと名乗った少女は、まるで友達との待ち合わせに遅れてきたような気安い謝罪をしてきた。

「で、でも私には生活があるんです!実家に母も遺してきてる!母は心臓が悪くて、私が居なくなったら気が動転してストレスがかかるだろうし、もし発作が起きたら病院に連れて行ける人が私より他にいないんです!お願いですから、その神様とやらに何とか言って帰していただけませんか!お願いします!お願いします‼︎」

私は土下座の姿勢で、ミミズの地面に頭を擦りつけてヨミに懇願した。

額にブヨブヨとした不快な蟲の感触があった。

高校の時、筆箱を隠したクラスメイトを思い出した。

筆箱はトイレの便器に沈んでいたが、土下座をしたら場所を教えてくれた。

下手に出れば、相手は気を良くするはずだ。

顔をチラリと上げると、ヨミは目を閉じて耳をすますポーズをとっていた。

「………今、神様がウチに伝言をくれはった。『命令を一つ遂行したら家に帰す』やって」

「ほ、ホントですか?」

「ホンマホンマ、神様は嘘つかへん。アキヒコくん、とにかく早く異世界に行ってミッションクリアすることや」

仕方がない。

事情は全くわからないが、言うことを聞けば家に帰ることができるはずだ。

私は頷いた。

「あんな?ミッションは『悪い王様を倒して革命を起こせ』や」

「お、王様?」

「せや、今からアンタが行く世界は王国や。悪い王様が国民を苦しめとる。アンタが王様をしばき倒して、悪政を終わらせるんや」

「わ、わかりました。でもどうやって?私、何も特技がないんですけど」

「まあ行ったらわかるわ。とにかく頑張ってなー」

ヨミが言い終わるや否や、私とヨミの間に突然、何か出現した。

それは空間に空いた穴だった。

穴の縁は、黒い影のようなものがウネウネと動いている。

まるで怪物の口に呑まれるように、私は見えない力で穴の中へ引きずりこまれた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第1話 異世界へ

気がつくと、私は地面に倒れていた。

ミミズではない、土でできた地面だ。

起き上がると、ここが舗装されていない道であることがわかった。

周囲は背の高い森で、道には馬車のものと思しき轍が残っている。

この轍を辿って行けば、人のいる場所に着くだろうか。

 

「」

 

突然、背後から声がした。

振り向くと、いつのまにか男が立っていた。

やはり見たことのない装束を着ている。

しかも、手には棍棒を持っており、怒っているような表情だ。

どう見ても有効的ではない。

 

「」

 

男は叫んでいるが、何を言っているのかわからない。

異国の言葉だ。

 

「す、すみません、言葉がわかりません」

 

私は無駄だろうなと思いながらも、立ち上がって話しながら近づいてみた。

と、男は突然棍棒を振り上げ、私の頭へ振り下ろした。

意識が急速に遠くなり、私は再び気絶した。

 

目が覚めると、薄暗く狭い部屋の中にいた。

床がガタゴトと揺れている。

脳天に鈍い痛みを感じる。

触ってみると、思わず歯を食いしばるほどの激痛が走った。

 

「」

「ひっ」

 

また誰かの声が聞こえて、反射的に体を丸めて身を守ろうとした。

しかし、暴力は振るわれなかった。

恐る恐る目を開けてみると、傍らに誰かが座っている。

 

「」

 

声はどうやら女性のようだった。

体を起こすと、女性は少し後ろに下がった。

暗くてよく見えないが、小柄な女性で、すっぽりとフードのようなものを被っている。

 

「えーと…ここはどこですか?」

「」

 

やはり異国の言葉なので意味はわからない。

彼女の方も同じことだろう。

私は自分で確かめようと思い立ち上がった。

狭くて揺れる部屋だが、少しだけ明かりが漏れている場所がある。

その明かりへ向かって左足を1歩踏み出したが、2歩目を踏み出そうとすると、右足が予想外に動かず、勢いあまって私は前のめりに倒れた。

 

「痛っ!」

 

身構えることも出来ず、思いきり顎を床に叩きつける形となった。

その衝撃で脳天の傷にも痛みが走る。

頭を襲う上と下からの痛みに涙ぐむ。

 

「」

「へ、平気です…」

 

女性の声が心配そうな声色に聞こえたので、私は通じないとわかっていたが強がりを言った。

右足を手で触って確認すると、足首に固い輪っかが嵌められていた。

輪っかには鎖が繋がっており、手で辿ると床に固定された金属質の器具に繋がっていることがわかった。

鎖はちょうど明かりのところまで私の手が届かない長さだった。

ブルル、と動物の鼻息のような音が外から聞こえる。

おそらく馬か何かだろう。

揺れる床、逃げられない狭い部屋、そして馬の鼻息。

 

「もしかして、いきなり命の危機ですかぁ?」

 

つまるところ、私は誘拐されているまっただ中であった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話 ローレと知り合う

殴られ、拉致され、拘束され、どこかへ運ばれていることはわかった。

動き回るのは諦めて、私は女性の前へと戻り、腰を下ろす。

暗闇にも段々と慣れてきたので、私は女性の方を見た。

女性もこちらを見ているようだった。

彼女の右足にもまた、枷が繋がれている。

お互いに無言のまま観察する。

感じるのは、馬車の揺れと、時折聞こえる馬の鼻息だけだ。

私は沈黙で気まずくなるタイプではないので、押し黙っていたが、ついに女性の方が声を発した。

 

「ローレ」

「え?」

「ローレ」

 

先ほどまでの聞き取れない言葉ではなく、明確な単語の発音に聞こえた。

女性は自分自身を指差して「ローレ」と繰り返す。

 

(名前か…!)

 

私は試しに彼女を指差して「ローレ」と言った。

彼女はニッコリと笑って頷いた。

私も嬉しくなって、自分を指差して言った。

 

「アキヒコ」

「アー、kヒk?」

「アキヒコ」

「アーキヒコ…アキヒコ?」

「そう!アキヒコ!」

 

通じた。

ローレはおかしそうに「アキヒコ」と私を指差して言った。

この縁もゆかりもない世界において、初めてコミュニケーションが成立した。

私はわずかに希望を見つけた反動からか、じんわりと目頭が熱くなった。

話の通じない世界ではない。

それがわかっただけでも心の緊張が少し解けた。

 

しかし、依然として囚われの身であることには変わりない。

我々はどこへ連れていかれるのだろうか?

私は鈍い頭を働かせて考えた。

舗装されていない道。

馬車を使う文明。

行きずりの人間を鈍器で殴り、拘束して連れ去る世界。

悪い王様が民を苦しめている。

革命。

革命をしなければ自由を得られない身分?

 

「奴隷かな」

 

口に出してみると、より絶望感が強まった。

しかし、私は絶望よりも、焦燥を感じている。

この世界に来て何時間、いや何日経ったのか?

元の世界では、私が出勤前に突然居なくなっているのだ。

無断欠勤ということになる。

仕事を失うかもしれないし、何より母のことが心配だ。

母はストレスを受けると心臓の血管が縮まる。

私には絶対に帰らなければならない理由がある。

この見知らぬ世界で死ぬわけにはいかない。

ヨミは行けばわかると言っていた。

ならば、このような状況に陥ったのも、災難ではなく、行くべき場所へ行くための過程なのではないだろうか?

 

(この馬車が奴隷商人のものなら、諸悪の元へ届けるはず)

 

私はぐるぐると頭の中で考えるのをやめて、とにかく流れに身を任せることにした。

奴隷を買うのは金持ちだ。

圧政を敷く王国で金持ちになるには、王家との接点が少なからずあるはずだ。

もしアテが外れたなら、その時はその時で考えよう。

ジタバタしたくても、この体は鎖に繋がれているのだから、まず大人しくして様子を見るのが最善だろう。

私は奴隷として扱われることを覚悟した。

こんな風にある程度冷静でいられるのも、孤独ではないからだろう。

私はローレに心の中で感謝した。

彼女も辛い状況にあるのだろう。

上手くすれば、一緒に自由の身になれるかもしれない。

 

「ローレ」

「?」

「強く、生きましょう」

 

ローレは不思議そうに首を傾げた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3話 不気味な屋敷

馬車に何時間も揺られているうちに、私はウトウトと夢を見た。

 

「アキヒコく〜ん、アキヒコくんや〜」

 

目を開けると、私は再びあのおぞましい空間に寝そべっていた。

顔のそばにヨミがしゃがんで話しかけている。

 

「どや?あっちの世界は」

「いきなり暴行、監禁されたんですけど」

「うんうん、それでええんよ。その馬車はお城に向かっとる。王様に新しい奴隷を差し出すために」

「やっぱり」

「察しが良くて助かるわ。ちなみにアンタの頭の傷、明日には綺麗サッパリ治るさかい安心しーや」

「それは神様の力ですか?」

「せや、他にも神様は異世界で生き残るための力を授けてくれはったから、ぼちぼち自分で試してみたらええ」

「せめてどんな力か教えてくれないと…」

「自分で試してこそ、わかることもあるんやで、ほなそろそろ時間やさかい、頑張りやー」

 

ガタンという振動で、私はハッと目を覚ました。

どうやら、ようやく馬車が停止したらしい。

何時間経ったかわからないが、さっきまで明かりの見えていた側が開いた。

両開きの扉の隙間から外の明かりが漏れていたのだ。

しかし、今はもう扉の外は夜である。

黒い人影が二人、馬車の中に入って来た。

私達の足に繋がれた鎖を、馬車の金具から外して引っ張る。

おそらく馬車から降りろということだろう。

私とローレは大人しく従った。

外に出ると、馬車は鉄柵の門の前に停車していることがわかった。

門がゆっくりと開けられる。

目の前には大きな屋敷がある。

月明かりに照らされた屋敷は、巨大な怪物のようで不気味だ。

門を開けた男は、私を棍棒で殴ったのとは別の男だった。

棍棒の男は馬車の上でタバコらしき煙を吐いている。

私とローレの鎖を握っている男2人が、手加減することなく足枷を引っ張って門の中へと入る。

我々も抵抗せずについて行く。

男達は、屋敷の玄関ではなく、庭を通って裏へと歩いていく。

奴隷は裏口から入れるのだろうか。

庭はかなり広いが、手入れされていないのか、背の高い草が生い茂っている。

おそらく人の出入りが多いのだろう、獣道のように踏みならされているところを、奥へ奥へと進んでいく。

やがて裏口に着くと、5人目の男が立っていた。

その男は他の4人と違っていた。

他の男達が着古された粗末な服を身につけているのに対し、整った執事服を着ているのだ。

初老のように見えるが、背はこの場にいる者の中で最も高い。

右手には燭台を持ち、暗闇の中で男の顔が怪しく揺らめいている。

屋敷の召使いの中でも身分の高い人間なのだろう。

他の2人は、執事服の男に鎖を渡すと、元来た道を帰って行った。

男達の姿が見えなくなると、執事服は初めて口を開いた。

 

「」

 

男はローレに何かを話しかけた。

先ほどの男達に比べると、柔らかい物腰に思える。

ローレがまだ子供と言っても差し支えない見た目だからそうしたのか、奴隷に対して寛大な性格なのかはわからない。

次に男は私の方を向き、口の端を上げた。

ゾッとするほど白く、長い犬歯がチラリと覗いた。

裏口から中へ招き入れられると、他にも使用人がいた。

メイド服を来た女性だ。

女性は一礼し、ローレの足枷を外して、長い廊下の先へと連れて行った。

ローレは振り返りざま、不安なのか怖いのか、よくわからない表情を見せたが、やがて廊下の暗闇に消えた。

 

「」

 

執事服の男は、何か言って私の足枷を外した。

私はローレが行った方向と反対の廊下へ腕を掴まれて連れていかれた。

特に抵抗する気はなかったが、男の掴む力が、その細い腕からは想像できないほどの怪力だったので怖くなった。

やがて、階段の下の物置へと案内された。

どうやらここで眠れということらしい。

物置の中は埃っぽかったが、大人1人が横になるには十分なスペースがあり、そこに薄汚れたシーツと潰れた枕が置いてあった。

男は無言で私を物置に押し込むと、扉を閉めてしまった。

ガチャリ、と音がしたのでノブを回してみると、やはり鍵がかけられていた。

物置には小さなろうそくが一本、火を灯して置かれていたので、真っ暗闇というわけではなかったが、暗く狭い空間に再び閉じ込められたことに不安を感じないわけがない。

しかも、今度はローレもおらず、ただ1人なのだ。

ローレも同じようなところに閉じ込められたのかと思うと胸が痛んだ。

物置をしばらく物色してみたが、チリトリや壊れた家具などがあるだけだった。

私は仕方なく、ろうそくの火を消して、シーツに横になった。

寝心地は決して快適ではないが、あまりに色々なことが起こった後だったためか、私はすぐに眠りに落ちた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4話 奇妙な大扉

ドンドン、と扉を叩く音で目が覚めた。

扉が開き、また執事服の男が立っていた。

男は私の腕を掴んで無理矢理立たせると、また長い廊下を引っ張って行く。

廊下の窓から差し込む朝日が眩しい。

外では小鳥も鳴いていて、こんな世界でも朝の爽快さは一緒なんだな、と思った。

 

明るくなったことで、改めてここが現代の日本ではないことがわかった。

廊下は壁も床も頑丈な石造りで、窓から差す日光がその寒々しさをより際立たせている。

住みやすさよりも、堅牢さを優先させた、そんな印象を受ける。

居城というより要塞だ。

こんなところに王様が住んでいるのだろうか?

私は、昨夜入った裏口とは反対の正面玄関の前を通った。

この玄関もやはり、見た目こそ細工を施して綺麗に見せてあるが、隙間から一切明かりが漏れていないところを見ると分厚く重い木の扉であるようだ。

人間一人で開けるには苦労するかもしれない。

 

もしかしたら、この怪力の執事なら開けられるかもだが。

 

玄関からすぐ目の前は吹き抜けの広間になっていて、見上げると4階辺りまで階層があり、この広間を見下ろせるようになっている。

一番天辺は明かり取りの大きな窓があるが、不思議な紋様を象った窓枠であるため、広間の床にその紋様がそのまま投影されている。

何か羽の生えた生き物のように見える。

広間をさらに正面奥へ進むと、先ほどよりも広い廊下があった。

今まで通ってきた廊下は屋敷の外壁からすぐ内側をぐるりと周っていたので窓があったが、この廊下は左右にいくつか扉があり、しかも二階の床下が天井となっているため、明かりがほとんど差し込んでいない。

代わりに、扉と扉の間に松明が設置されていて、その明かりが薄暗く廊下を照らしていた。

執事はそこへ私を連れて行くのだ。

廊下は意外に奥へと続く。

部屋は左右全部で12部屋ある。

どんな用途で使われる部屋なのかわからないが、なんとなく牢獄を連想する。

突き当たりまで来ると、そこにはまた玄関ほどの大きな扉があった。

大きな閂でしっかりと施錠されている。

扉の右手にはもう一つ小さな扉もある。

私の空間認識が正しければ、この扉の向こうには裏口があるはずなのだが、裏口から見た時、果たしてこんな扉があっただろうか?

それに、正面玄関からまっすぐ行けば裏口に通じるというのも妙な気がする。

外国の建築など全く知識はない私でも、この屋敷、いや城の造りに違和感を覚えた。

執事は突然、私の着ていた服を無理矢理引き剥がしてきた。

すっかり忘れていたが、私は出勤前のシャツとズボンの格好のままだったのだ。

執事の怪力によって私の服はビリビリに破かれた。

 

「な、何をするんですか⁉︎」

「」

 

思わず反抗の声を上げた私を、執事は煩わしそうにピシャリと平手打ちした。

かなり手加減した平手打ちだろうが、執事の長く伸びた爪が私の頰を掠めて傷ができた。

傷から血が滲むのを感じて、私は嫌な気分になった。

暴力は嫌いだ。

しかし、声を上げることすら許されないということがよくわかったので、羞恥心をグッと堪えて私は半裸のまま姿勢を正した。

執事は私の従順さに満足したのか、頬の傷を見て舌なめずりをし、ニヤリと意地悪な笑みを浮かべた。

そして、扉の脇にある小さな扉を開けた。

そこは、私が眠った場所と同じく物置きだった。

執事は物置きからモップとバケツを取り出して、私にドンと押しつけた。

そして、何かを話しながら、ジェスチャーで井戸の場所と、ここを掃除することを伝えてきた。

 

どうやら異世界に来ても、私の仕事は変わらないようだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5話 濁った水

正面玄関の横にある小さな扉から外へ出て、庭を外壁沿いに左へ向かって歩く。

ここもやはり草が生い茂っていて、獣道のような一本道が出来上がっている。

私は木製のバケツを持って庭を進む。

破かれた服は、執事が用意した別の服と取り替えられた。

麻袋に穴を開けたような、粗末な衣服だ。

私のシャツなどは、奴隷が着るには上等すぎるということなのだろう。

獣道が終わると、おそらく敷地の端だろう、塀が直角に折れている場所に着いた。

その塀の隅に、古びた井戸があった。

何とか水を入れることができたが、意外と重い上にバケツには取っ手が付いていなかったので、両手で抱き抱えるようにして持たなければならなかった。

慎重に一歩一歩進んでいると、コンコンと頭上からノックのような音が聞こえた。

見上げると、3階の窓をローレが叩いている。

私と目が合うと、嬉しそうに笑って手を振ってくれた。

もう片方の手には雑巾のようなものを持っている。

どうやら彼女もまた掃除をさせられているようだ。

明るいところで見ると、ローレは美しい娘だった。

歳は10歳に届くかどうかといったところか。

金色の髪の毛を後ろでおさげにして肩に垂らしている。

少しくすんだ金色だが、おそらく私と同じで風呂にも入っていないのだろう。

こんな小さな子供まで奴隷として働かされるとは、なんとも息苦しい国のようだ。

私は手を振り返そうとうっかりバケツから右手を離してしまった。

バランスを崩し、私は転んで頭からバケツの水をかぶってしまった。

ローレは驚いて口に手を当てたが、私が情けない格好で愛想笑いをして手を振るとまた笑った。

職場では、掃除中に備品を倒してしまったりして「鈍臭い」と怒られる私だが、ローレに笑われるのは何故か嫌な気分ではなかった。

 

私はもう一度バケツに水を汲み、やっと一階の廊下へと戻ってきた。

水にモップを浸け、石畳の床を擦っていく。

随分と汚れていたようで、擦るたびに本来の白い石が露わになる。

廊下全体の4分の1ほど掃除しただけで、バケツの水は底が見えないほど汚れた。

プンと生臭い匂いがしている。

庭の生え放題の草といい、この廊下といい、どう考えても一国の王様が暮らす場所ではない。

使用人もあの執事とメイド以外全く見かけない。

いや、そもそも他に人間が住んでいるのだろうか?

生活臭がなく、廃墟を掃除しているような気分になる。

私は汚れた水を持って汲み直しに外へ出た。

塀のすぐ下に側溝があったので、そこへ汚水を流し込んで、ギョッとした。

水は単に汚れていたのではなく、赤いインクでも溶かしたかのような強烈な色だった。

中には赤黒い塊となって流れていくものもある。

恐る恐るその塊を、その辺に落ちていた枝に引っ掛けてよく見ると、人間の毛髪が寄り集まってできた塊だった。

風呂場の排水溝などに詰まるあの髪の毛の塊だ。

しかし、赤黒いものが付着したそれは、単なる毛髪ではないことを嫌でも認識させられた。

 

(これは、血か…?)

 

その後、何度も水を汲み直して掃除をした。

床はある程度白さを取り戻したが、赤黒く濁った水を流すたび、側溝には血の川が出来上がった。

私はローレとの束の間の交流も頭から吹き飛ぶほどの寒気を覚えた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6話 思索

この屋敷は明らかに普通じゃない。

王様の居城などであるものか。

ここはおそらく、何らかの実験場だ。

私が働いている工場の中にも商品を試験的に生産する部屋があって、そこは明らかに他の場所より汚れが溜まるのだ。

床の表面の色が変わるほど埃が積もったり、掃除してもキリがないほど液体が溢れていたりする。

この屋敷の大量の血痕と毛髪はその状況によく似ている。

つまり、連れてきた奴隷を使って生体実験のようなことをしているのだ。

そんな場所に王様が住むはずはない。

考えてみればわかることだ。

王国というのはもっと別の場所にあって、ここはおそらく郊外の人が近づかない別荘なのだ。

私はパニックになっているのも手伝って、一刻も早くここから脱出しなければ殺されてしまうと思い込んでいた。

 

昼になった。

廊下の掃除をあらかた済ませて、とりあえず一階の窓を拭いていた私をローレが呼びに来た。

案内されたのは厨房だった。

狭い厨房に質素なテーブルがあり、そこに2人分の昼食が用意されていた。

パンに焼いた魚が挟んである。

食べてみると、悪くはない味だった。

本当にパンに焼いた魚を挟んであるだけで、味付けは塩だけだったが、空きっ腹には十分な食べ物だった。

そういえば昨日の朝食以来何も食べていなかったのだ。

パンは少し古く堅かったが、魚は小さな川魚のようで、生のものをそのまま焼いた感じだった。

干物でなく、しかも傷んだような風味もない、つまり比較的新鮮な魚だ。

 

(近くに川でもあるのか)

 

もし川があるのなら、何とか脱出できるかもしれない。

昨夜は薄い布一枚で寝たが、寒さは感じなかった。

つまり、今は暖かい季節のはずだ。

ならば、穏やかな川であれば泳いで渡るか、そのまま下ることも不可能ではない。

行く当てのない森を彷徨うより安全な気がする。

だが、ローレはどうする?

いくら暖かくても子供の体力ではついて来られないかもしれない。

まずは私が下見に出て、安全なルートを確保し、次の日にローレを連れて行くのが最善ではないか?

そうしよう。

まずは夜中に施錠される課題をクリアしなければならない。

執事から鍵を奪うか?

いや、あの怪力には勝てない。

鍵を壊せばどうだろうか?

執事が施錠する際に気づかないような壊し方をすれば行けるかもしれない。

残念ながら私に鍵の知識はないが、今はやれそうなことからやるべきだ。

強く生きなければ。

私はモリモリとパンを食べて腹ごしらえをした。

ローレはちまちまとゆっくり食べていた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第7話 脱出

その夜、私は再び階段下の物置へ閉じ込められた。

執事が去っていったのを見計らって、私はドアノブを調べ始めた。

内側から無理矢理こじ開けられるようにはできていない。

が、閉じ込められる前にチラッと見た時、蝶番が釘状の棒を上から差し込んだだけの簡単に外せる作りであることは確認した。

あとは外開きのドアの内側から、どうやって蝶番を外すかだ。

もう一度物置にあるものを調べるため、私はろうそくに火をつけた。

物置にあったものは、シーツと枕、掃除道具の箒3本、ろうそく2本、マッチ箱にマッチ6本、脚の折れたタンス、ヒビの入った壺。

私はタンスに注目した。

タンスの角には金属の装飾が施されている。

かなり薄いので、これを延ばせばドアの隙間を通りそうだ。

私は壺をシーツに包んで、あまり大きな音が出ないように慎重に床へ落とした。

篭った音と共に、壺は割れた。

壺の丁度良い破片を拾い上げ、私はタンスの金属の隙間へゴリゴリと入れ始めた。

かなり古い家具らしく、徐々にタンスと金属の間に隙間が出来ていく。

 

(あと少し…!)

 

気持ちがはやり、私はつい力を入れすぎてしまった。

ポンと金属が外れたのは良かったが、右手に持っていた壺の破片が勢い余って、タンスを押さえていた左手の甲をザクッと掠めた。

 

「っ…!!」

 

鋭い痛みと共に、血が流れた。

結構深く抉ってしまったらしい。

ギザギザに裂けた傷口は、見なければ良かったと後悔するほどグロテスクだ。

一瞬、傷口の中が蠢いているように見えた。

何か虫のようなものがクネクネと私の皮膚の下に潜んでいるように見えて、ゾッとした。

しかし、もう一度見てみても虫はいなかった。

(きっとろうそくの火が揺れて錯覚したんだ)

 

私は嫌な考えを振りほどき、シーツを破いて手の甲に巻いた。

その後は難なく計画が進んだ。

タンスを倒して平たい面の下に、外した金具を敷き、上から体重をかけると、ある程度平らな金属ができた。

これをドアの隙間に差し込み、蝶番の釘に引っ掛ける。

多少錆びていて外しにくかったが、釘が抜けるのにさほど時間はかからなかった。

私は音を立てないようにゆっくりと、外れたドアを押して外に出た。

2ほんの釘をタンスの中にしまい、ドアをまた元の位置に戻す。

じっくりと見ないと、釘が抜けているのはわからない。

私は忍び足で裏口へ向かう。

まずやるべきことは、川の場所を探すこと。

手がかりはある。

塀沿いに作られていた側溝は、ある地点で塀の外へと続いていた。

塀は大人なら頑張れば越えられる高さだ。

私は井戸のあった角を思い出し、そちらへ向かう。

井戸のつるべによじ登ると、少しギシギシと軋む音がしたが、そのまま塀の上へ乗り移ることができた。

塀から外へ着地する時、少し足首をひねったが、自由の代償としては軽いものだ。

私は外へと続く側溝を見つけ、それが目の前の森から少し外れた広野へと向かっていることを確認し、辿り始めた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第8話 案山子

溝は途中で地面へと潜っていた。

周囲には直方体に切った石や木材が積み上げられている。

どのやら下水道の工事をしている途中のようだ。

危なかった、もし工事がもう少し進んでいて、屋敷の側溝まで埋め込まれていたら川を探すのは困難だったかもしれない。

幸い、工事が完了した後の地面はまだ新しく、辿って行くのは簡単そうだ。

月明かりを頼りに歩いていくと、丘に辿り着いた。

丘の頂上には何か奇妙なものが立っている。

近づいてみてギョッとした。

それはいわゆる案山子であった。

ただし、普通の案山子と違って、頭の部分は人間の頭蓋骨だった。

まだ血や肉片がわずかにこびりついたそれは作り物には見えない。

まるで十字架にかけられたようなもの姿勢で、骨が磔にされていた。

よく見ると、ボロボロになった衣服は、私が着ているものと同じだった。

 

(逃亡者の末路というわけだ)

 

私は怖気づく自分を奮い立たせ、案山子の傍を通り過ぎようとした。

と、何かが変化した。

案山子を通過した瞬間、何かがプツリと切れたような気がした。

まるで張り詰めていた糸が、私の通過によってゴールテープのように切られたような…

私は思わず振り返ってしまった。

そして、すぐに後悔した。

振り返ることに時間など費やすべきではなかった。

全速力で走り出すべきだった。

 

案山子がこちらを向いていた。

生前なら不可能だったであろう角度で首を回し、すでに何も見ることのできないはずの眼窩をまっすぐこちらに向けていた。

そして、

 

「カカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカ」

 

けたたましい音を立て始めた。

顎の骨を上下に動かして、歯と歯を鳴らしているのだ。

それは静まり返った広野に、驚くほど大きく反響した。

恐ろしい光景だった。

死者が私の足掻きを嘲笑っているかのようだった。

頭蓋骨は一向に鳴り止まない。

そう、これはまるで…

 

「警報だッ…‼︎」

 

気づいた時には遅かった。屋敷の方角から無数の声が聞こえ始めていた。

いや、ただの声ではない。

人間の発する言語ではない。

犬だ。

犬のがなり立てるような吠え声が私を追って来るのだ。

私はもう我を忘れて丘の向こうへ走り出していた。

人間ならまだ良い、森に身を隠すことさえ出来れば見つからない可能性はある。

だが、犬はダメだ。

私は昨日から着の身着のままで風呂に入っていないため、体臭が強くなっているだろう。

おまけに、さっき怪我をした左手の甲は、巻いた布に血が滲んで垂れ始めている。

これらの匂いの痕跡を逃す犬はいまい。

下手をすれば食い殺されてしまう。

 

(そうか、あの案山子もきっと食い残しなんだ…!)

 

なおも後方で歯を鳴らし続ける死者のことを考えて、私は血の気が引いた。

しかし、とにかく走らなければ、私も案山子と同じ運命だ。

諦めてなるものか。

段々と吠え声が近くなっているのを感じながら、私は下水道の工事跡に沿って丘を下り、森の中へと駆け込んだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第9話 餓狼

森の中は下水道工事の跡に沿って切り拓かれていた。

木の多い場所に逃げ込むのが得策かもしれないが、不幸にも私はこの森の地理に詳しくないので、とにかく工事跡に沿って全力疾走した。

犬の吠え声は近づいてきているだけでなく、徐々にその数を増しているような気がした。

最初は背後から聞こえていたものが、やがて左右後方へと散らばって行く。

回り込んで退路を断つつもりだろう。

諦めたわけではないが、このままでは逃げ切ることは難しい。

私はどこか登りやすい気はないかと辺りを見回しながら走った。

しかし、どの木も犬に追いつかれずに登るのは難しそうだ。

よく見ると剪定された木もある。

考えてみれば、こんなに人気のない土地で奴隷が逃げ出すことを考慮しないわけがないのだ。

この下水道だっておかしな作りだ。

なぜ屋敷から出た側溝が丘の上へと続く?

なぜ畑もないのに、工事跡の傍に案山子など立っていた?

しかもあんな…おかしな仕掛けまで。

この森も含めた一帯が、あの屋敷の支配下にあるのだ。

奴隷が逃げ出しても、逃げるルートは無意識に人工物を辿ってしまうように誘導されていたとしたら?

私が今走っている石造りのトンネルの上は、ネズミの実験に使う配管と同じだ。

人生の中でこんなに走ったのは初めてだ。

私の足は限界に達していた。

わずかな石の段差につまずき、顔面をトンネルの表面に叩きつけられた。

顔がずり向けたのが痛みでわかる。

それでも立ち上がろうとしたが、ダメだった。

まず最初に追いついた1匹が私の背中に飛びつき、首の後ろへ噛みつきにかかった。

振り払おうと体を振り回したが、服の袖を別の2匹に引っ張られてよろめく。

すかさず他の数匹が我先に飛びかかり、私は完全に倒れた。

容赦なく手足に噛み付かれ、四方へ乱暴に引っ張られる。

私は観念して目を閉じていたが、顔面に噛み付かれて痛みのあまり叫び声を上げた。

もはや左手の甲の傷など数に入らないほど、瞬く間に私の体はボロ雑巾のように弄ばれた。

皮膚が引き裂かれ、牙が骨まで達してメキメキと音を立てているのが伝わってくる。

もうお終いだ。

私は朦朧とする意識の中で目を開いて、

 

(ああ、勝てるわけがない)

 

と思った。

こいつらは犬ではない、狼だ。

私の大人の男の腕よりはるかに強靭な脚、人間の頭すら易々と咥えられる大きな顎。

犬などよりはるかに狩りの上手い生き物だ。

右手首が食い千切られるのがわかった。

柄にもなく無茶をするからこんな目に合うのだ。

臆病者らしく、奴隷に甘んじていれば良かった。

私は死を覚悟した。

 

だが、最初に死んだのは私ではなく、私の左手に噛みついていた一頭だった。

 

「…え?」

 

狼は、私の左手に喰い殺されていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10話 覚醒

グロ注意です。


私の左手はとんでもないことになっていた。

あの手の甲の傷が、腕全体に広がったとでもいうべきか。

通常なら見ただけで失神しそうなほど、グロテスクな口がぱっくりと開いていた。

そう、口だ。

比喩ではなく、傷の縁にはびっしりと歯が生えていた。

狼どもよりもさらに鋭い乱杭歯である。

 

「何だこれはっ…!?」

 

我が腕ながら実に醜悪で気持ち悪い。

口からは無数の糸状のものが伸びて、左腕に食らいついていた狼の鼻先に巻きついている。

糸は赤く、神経とか血管がそのまま飛び出たかのようだ。

だが、かなりの強度を持っているらしく、私の意思と無関係に狼をギリギリと締め上げていく。

周囲の狼どもも異常に気づき、威嚇しながら私から離れた。

私は自分でもパニックになりかけながら、これが恐らく神様の力とやらなのだろうと思った。

締め上げられた狼は既に動かなくなっていたが、糸(というより触手と呼ぶべきか)はなおも引っ張るのを止めず、とうとうグシャリと嫌な音を立てて狼の頭が潰れた。

飛び出した目玉がダラリと垂れ下がり、血と脳漿の混ざった体液が滴り落ちた。

 

「うっ…!」

 

私は吐き気を催して目を逸らしたが、次に左腕が取った行動はさらにおぞましいものだった。

 

バキッ、ボキッ。

 

腕を伝わる骨の折れるような振動に、恐る恐る目を向けると、なんと私の左腕が、殺した狼を吞み込もうとしていた。

触手はカメレオンの舌のように傷口へと引き込まれて、狼の潰れた頭が乱杭歯によって噛み砕かれていた。

 

「な、何をやってるんだっ…⁉︎」

 

左腕はもはや私の制御を離れて、別の生き物のように勝手に捕食していた。

大蛇が獲物を呑み込むが如く、狼の胴体まで食らいつくそうとしている。

だが、周囲の狼も黙ってはいなかった。

痺れを切らしたように私の千切れかけた右腕へと群がる。

 

「うわ、ちょっと待て!!」

 

私は痛みしかない右腕を無理矢理上げて顔を庇った。

瞬間、右腕に襲いかかった3匹の動きが急に止まった。

私の千切れた手首や、突き出した骨の中から、またもや触手が出現し、3匹を捕らえたのだ。

そして、3匹の首を勢いつけて回した。

ベーゴマを見たことがあるだろうか。

紐を渦状に巻きつけて、その紐を引く勢いでコマを回転させる玩具だ。

狼どもの首も同じように、巻きついた触手の引っ張るエネルギーによって360度以上回転した。

3匹は鳴き声を上げる間もなく、首をぶら下げて絶命した。

他の狼どもは恐慌状態に陥っていた。

無抵抗に喰い殺されるはずの獲物が、突然訳のわからない怪力を使って4匹も同胞の命を奪ったのだから無理もない。

 

「もう少しカッコいい能力が欲しかったんですけどね、神様」

 

私の心には、能力を覚醒したことにより「生き残るための活力」が再び宿り始めていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11話 追走

私は暴力が嫌いだ。

振るわれるのは痛いし、振るうのは自分が酷く単純な生き物になったようで不愉快な気分になる。

人間ならば、言葉が通じるならば、言葉で解決できるはずだ。

だが、母は私にこうも言った。

 

「強く生きなさいアキヒコ。どんな目に合っても、生きることに全力を注ぎなさい。そうすれば活路は開けるわ」

 

他人に貶められても、地を這いずっても、「生きる」という強さを持つこと。

だから私は他者にへり下ることを躊躇しなかった。

暴力に屈しないことが道徳的に正義なのだとしても、立ち向かって勝てない戦いは無駄だ。

それが私の選んだ生き残るための道だ。

道だった。

 

「だがしかし、暴力に立ち向かう『力』があるのなら話は別だ」

 

私はゆっくりと立ち上がり、狼どもを睨んだ。

左腕は1匹を、右腕は3匹をあっという間に平らげた。

それと同時に、治癒不可能かと思われた右手首や皮膚が治り始めた。

とはいえ、全身の傷は完全には消えておらず、その全てが両腕と同じような変異を見せていた。

つまり、私は今、全身に口を持つ怪人と化しているのだ。

正直に言って、元の世界の日常でこんな目に合ったらもっとパニックになって、狂気に蝕まれていたかもしれない。

しかし、この未知の異世界で、今まさに理不尽な暴力に晒されている私にとって、この冒涜的な怪力は唯一の頼もしい味方に思えるのだ。

 

「あんまり良い見た目じゃないかもしれないが、命が助かるなら安いもの!」

 

私は、狼の群れに手を伸ばすイメージで勢いよく左手を突き出した。

予想通り、傷口から触手が伸びた。

先頭にいた1匹を捕らえてこちらへ引っ張る。

狼は怯えたような鳴き声を上げたが、散々いたぶられた私に容赦する気持ちは毛頭なかった。

とうとう恐怖に負けた他の群れは、自分達が来た方向へと逃げ出した。

 

「逃がすか!」

 

私は捕らえた1匹を縊り殺すと、足に力をいれた。

足の傷口から出現した触手は束になり、足を包むバネのような螺旋状の形態になった。

私が力任せに地面を蹴ると、信じられないほどの跳躍をして、群れの最後尾に追いついた。

だが、勢いが強すぎたらしく、そのまま群れに頭から突っ込んでしまった。

私が頭を打ってフラフラしている間、群れは散り散りになった。

衝突した勢いで1匹が死んだが、まだ群れは10数匹以上生き残っている。

とりあえず目に見えた群れへ腕を伸ばしたが、触手は狼には届かず、私と群れの間に生えていた木に絡みついた。

 

(そうか、コイツは伸ばす方向はコントロールできるけど、もっとも近くにある物に本能的に絡みつくんだ…!)

 

木から引き剥がそうもしても思い通りにならない。

逆に木の方がメキメキと折れ始めた。

このままでは群れが逃げ帰ってしまう。

あの狼どもは、骸骨の警報を聴いて屋敷の方から出現した。

それはつまり、あの屋敷で飼われている番犬ということなのだ。

奴隷を殺した形跡もなく、数匹足りない群れがパニック状態で屋敷に戻れば、私の生存がバレてしまう。

そうなればすぐに別の追っ手が出されるだろうし、屋敷にいるローレの身も危ない。

絶対に狼を生きて帰す訳にはいかない。

追われる身から追う側に逆転した私だが、不利な状況にいることは変わらなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第12話 咆哮

「言うことを聞けよ、このっ!」

 

私は力任せに触手を引っ張った。

だが、触手は木から離れず、逆に巻き付いていた木が地面から抜ける結果となった。

木を丸々一本持ち上げるなど、どこからこんなパワーが出ているのだろう。

先程捕食した4匹の狼も、骨も残さず傷口に呑み込まれたのに、私の腕が太ったりはしていない。

明らかに物理法則を無視した力だった。

触手はなかなか思い通りにコントロールするのは難しかった。

しかし、方向を決めれば自動的に伸び、最も近くにある物を捕獲すること、そして腕を引けば締め上げ、伸ばせば緩めることが判明した。

なので、今持ち上げている樹木を離し、かつ狼どもの逃亡を阻止する方法は、私の思いつく限り一つしかなかった。

 

「こうすれば良いんだろう!」

 

私は足に巻きついたバネで上へ跳躍した。

狼の群れの位置を俯瞰して確認するためである。

既に100メートルほど私から距離が開いているのが見えた。

まだ力加減を完全に把握したわけではなかったが、おおよその加減で木を持った左腕を、ボールを投げるように群れの方向へ降った。

予想通り、触手は伸びると同時に木を離し、木は触手の怪力で一気に100メートル以上飛んでいった。

狼の群れの先頭にいた不運な3匹は、幹の下敷きとなった。

残りの群れは突然降ってきた障害物に、勢い余って後から後から衝突した。

そうした一瞬の足止めの間に、バネで加速して群れに追いついた。

しかし、触手が群れに届く前に私目がけて何かが飛んできた。

私の感覚が、力の覚醒によって多少鋭くなっていたのだろうか、反射的にそれを避けた。

 

「」

 

狼と倒木の向こうに立っていたのは、なんと私を殴って捕まえた、あの馬車の男であった。

振り向くと、さっき投げられたのは所謂トマホークと呼ばれる斧の一種に似た武器で、それが背後の木の幹に刺さっていた。

 

(まずい、人に見つかった…)

 

この男は善人ではないが、人間である以上、命を奪うのは躊躇われた。

私はトマホークを右手の触手で引き抜き、男に見えるようにグッと腕を曲げてみせた。

トマホークは触手によって、柄も刃も粉々になった。

これでこちらの実力が伝わったはずだ。

しかし、男は少し驚いた表情を見せたものの、すぐにニヤリと笑った。

 

(なんだ?笑うところじゃないだろ)

 

私は嫌な予感がした。

狼たちは男の背後に隠れるようにして震えている。

人間より強いはずの狼の群れが、こんな風に人間に頼るものだろうか?

例え飼育されていたとしても、こんな化け物のような存在を前に主人の背後に隠れるような生き物だろうか?

 

「」

 

男は何事か呟くと、空を見上げた。

そして

 

「ウオオオオオオオオオォォォォォォォォォンンン………!」

 

突然、空気が震えた。

身の毛もよだつような咆哮を、男は上げた。

およそ人間の出せる声量ではない。

狼の遠吠えのそれだった。

間もなく、男の肉体に異変が起き始めた。

まるで植物の成長記録を何倍もの速度で再生するように、全身が巨大化していく。

着ていた服は、その成長に耐えきれずにはち切れた。

日焼けした肌は、ゴワゴワとした灰色の毛に覆われていく。

鼻と口は前に伸び、耳は尖った。

手足の先には鋭く大きな爪が伸びていく。

そして、茶色だった瞳は、まるで満月のように爛々と光る金色に変じた。

 

狼どもが隠れるわけである。

この男は紛れもなく、狼人間、あるいは人狼と呼ばれる化け物だった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第13話 死という名の鈍痛

人狼は唸り声を上げながら、私に一歩近づいた。

狼どもは、私が投げた倒木の向こう側から見守っている。

私は人狼との距離を測りかねていた。

さっきの狼とは体格が全く違うため、おいそれと攻撃に移ることができなかった。

狼の場合、どう向かってきても鼻先がこちらを向いているので、正面から絡め取ることができる。

しかし、この人狼は二足歩行で、体躯は私の2倍ほどあるのだ。

頭を狙おうとしても腕の長さを見る限り対処されてしまうだろう。

ここは距離を取りながら、怪力を使って何か投擲すべきか

「グォォッ!」

 

「⁉︎」

 

何が起きたかわからなかった。

私はいつの間にか人狼からかなりの距離を離れていた。

いや、自分の意思で離れたのではなく、ものすごい力で後ろへ吹っ飛ばされたのだ。

それに気がついた時には全身の感覚が麻痺していた。

わかるのは何か熱いものが全身を包んでいること。

確かめようにも身体が動かせない。

ただ遠くにいる人狼を見るしかなかった。

人狼は右腕を左上に伸ばしていた。

まるで腕を右下から左上へ大きく振り抜いた後のような姿勢だった。

掲げられた右手の先の爪から赤い液体が滴り落ちている。

何かを握っている。

 

(あれは………肉か…?)

 

何か肉の塊を掴んでいるのだ。

新鮮な肉から血がビチャビチャと溢れている。

いくら鈍い私の頭でも、この状況がどういうことなのか理解できた。

つまり、人狼は私が反応するよりも速く踏み込み、私を攻撃したのだ。

足に触手のバネをつけただけの、付け焼き刃な加速とは訳が違う。

狼の運動神経と、人間の合理的な加速方法の合わせ技だ。

首が動かせるようになったので恐る恐る身体を見下ろした。

ない。

私の腹がなかった。

鳩尾から下がゴッソリと失われ、イカの塩辛のようなヌルヌルした腹わたが見えた。

私が息を飲むと、その動きに合わせてビクリと脈打った。

苦しい。

息が苦しかった。

多分肺も機能を失っているのだろう。

呼吸をしようとするたびに、胸の下からヒューヒューと空気の抜ける音がした。

人間の身体もやはり物体なのだ。

風通しが良くなれば、そこに出来た空間の形によって空気の通る音がする。

人間楽器と化した私は、後から襲ってきた未知の痛みに感覚が追いついた。

腕がちぎれかけたとか、そういう痛みではない。

末梢神経が受けた刺激による痛みなら、もっと鋭い。

だが今感じているのは、命を喪失する恐怖だった。

生きるために必要なものが身体から無くなってしまったことによる命の危機。

鈍い痛みしか感じないことがその事実を一層引き立てている。

身体が警告を発することを諦めてしまった絶望感。

 

(このままでは、死ぬ。)

 

そう直感的に理解していた。

これを解決する方法が、思いつかない。

頭に行く血が激減したからだろうか。

全身を包む熱いものとは、すなわち私自身の血だったようだ。

意識が遠のいて行く。

 

「せっかく目ぇ覚ましたのに、もう死んだまうん?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第14話 新しい生命

気がつくと、私はまた神様の世界にいた。

相変わらず不快な景色だが、今の自分も似たようなものなので我慢するしかあるまい。

目の前にはヨミが立っている。

 

「私は死にましたか?」

「まだ生きとるよ、ギリギリな」

「意識を失うとここへ戻るんですかね?」

「せやなー、ここは肉体の世界やのうて霊体の異界やさかい、肉体が起きてへん時にだけ来ることができるんや」

「よくわかりませんが、今気を失ってるっていうのは相当危ない状況では?」

「そうとも限らへんよ」

 

ヨミは倒れている私の頭の近くへしゃがみ込んだ。

 

「アンタはこの2日間、よう頑張った。ご褒美にな、二つ目の力を教えてあげよ思てな」

「二つ目の力…!」

 

私は起き上がろうとしたが、額をそっとヨミの手に抑えられて動けなくなった。

 

「そのまま聞いた方が楽やで、ウチの力でも動けんくらい弱っとるんやからな。ええか?まずアンタの一つ目の力はな、神様の手足の一部を現実世界に顕したもんや。ここにおる神様は名前も顔もない。本来なら大地を統べるはずやったけど、生まれた時に遠くの異界へ流されて忘れ去られた神様や。せやけど大地の神としての力はまだ持っとる。その一部をアンタに授けた訳やな。神様の手足は大地を割き、全てを飲み込んで栄養にする。アンタの肉体でも同じことが起きた訳や、ここまでわかるか?」

「…なんとなく理解できました。なぜ傷口が狼を喰らったのか、あれは大地の裂け目ということだったんですね。しかし、私の肉体は本物の大地ではありません。飲み込んだものはどこへ行ったんでしょうか?」

「ええ質問や、大地が飲み込んだ生命は土に還り、また別の生命の糧になる。アンタの肉体に取り込まれた生命も、同じように新しい生命の栄養になるんや。今アンタは死にかけやけど、さっき5匹の狼を飲み込んだな?アンタの中には今5つの命がある訳やさかい、アンタはその生命力を使って蘇ることができるゆうことや」

 

得心がいった。

狼を喰らった時、私の身体の傷がわずかに治癒したのは、喰った分だけ生命力を得たからだったのだ。

しかし、いくら回復したところで、あの人狼に勝つことができるのだろうか?

 

「奴のスピードは躱せません。あの攻撃を何度も食らったら、そのうち生命力がなくなってしまいますよ」

「せや、そこで二つ目の力が使えるんや」

 

ヨミは突然、私の腹を人差し指で、つぅ、と撫でた。

 

「逞しい腹筋やなぁ、この中には何が詰まっとるんやろな?」

「そ、そりゃあ内臓でしょう、さっき抉り取られましたけど」

「ホンマにそうやろか?自分の腹かっ捌いて覗き込んだこともないのに、何で内臓が詰まってるなんてわかるん?」

「だって…私は人間だから…人間の腹には………」

 

何故だろう、急にまた意識が遠くなっていく。

いや、この場合目覚めようとしているのか?

 

「アンタが人間やなんて誰が言うたん?腕から足からあんなにニョロニョロ別の生命が出てきたのに。何で手足は怪物やのに、内臓は人間のものて思うんや?」

「私は………私は………」

 

ヨミはそっと私の瞼を手のひらで閉じた。

母に撫でられた時の温かさに似て、眠気をさらに誘う。

 

「心配せんでええ、アイツの速さに追いつく必要はない。アンタの中の生命が、もうアイツを捕らえとる」

 

私は再び、混濁した意識の底へと落ちて行った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第15話 異端の奴隷

※このエピソードは人狼視点で進行します。


どうなっていやがるんだ。

俺は確かに奴の腹わたを引き裂いた。

奴は俺のスピードに反応することも出来ず、吹っ飛んだ。

それで終わりのはずだった。

抉り取った奴の腹が、右手の中で突然活発になったかと思うと、腸や血管があっという間に巻きついてきやがった。

それはまるで頑丈な縄みたいに俺の右手をぐるぐる巻きにして締め付けてきた。

締め付ける力は段々と強くなって、人間よりはるかに頑丈な俺の腕は鬱血している。

俺はまず左手で引き剥がそうとした。

ところが左手を近づけると、巻きついていた内臓の一部がすかさず左手にも伸びようとする。

下手に触って両腕とも巻き取られちゃあマズい。

俺は次に爪を目一杯伸ばして引き裂こうとした。

分厚い鉄の鎧すら簡単に切断できる爪だ。

当然、内臓はボロボロと千切れて地面に落ちた。

しかし、落ちた肉片はまるで蛭みたいに這って、俺の足にくっついてきた。

細かくなった分、大量の肉片が次々と俺の足をよじ登ってくる。

 

「く、来るな!」

 

俺は焦って左手でそれらを払いのけようとした。

それがマズかった。

肉片の蛭は払いのけた左手に瞬時に吸い付き、血を吸い始めた。

そんなことをしているうちに、とうとう右手が耐えられなくなり、

 

ボキッ

「ぐあああああああああっっっ!!」

 

俺は痛みでみっともなく叫び声を上げた。

未だかつて、こんなダメージを受けたことはない。

人間は脆い。

俺たち人狼や、国王の前では無力に等しい種族だ。

だから支配し、搾取し、嬲り殺しにするのが楽しかった。

ちょっとばかり強い個体との殺し合いも余興に過ぎなかった。

しかし、今俺は見たことのない力を使う奴にダメージを受けている。

昨日の昼間、ルクラド城の近くで捕まえた奴隷だ。

人間の分際でヘラヘラと手を上げて近づいてきたから、頭に一発お見舞いしてやった。

そいつが南東の境界を越えたから、子分を向かわせて餌にしてやろうと思った。

しかし、妙な胸騒ぎがするから様子を見に来てみれば、この有様だ。

奴は異端の人間だ、そうに違いない。

連中にとっても忌み嫌うべき邪教の力を使っていやがるんだ。

調子に乗りやがって。

人間ごときが、俺たち霊獣族に楯突こうなど。

 

奴は起き上がっていた。

フラフラだが、抉り取ったはずの腹はほとんど元通りになり、死んだ魚のような目でこちらを見ていた。

気味が悪い。

人間は俺たちを見て怯えていればいいんだ。

そんなよくわからない目を向けるな。

そのふざけた目玉抉り取って、ついでに脳みそを引きずり出してやる。

こいつはここで殺しておかないとダメだ。

そう思うが早いか、俺は疾走した。

瞬きする間もなく、奴の目の前に立つ。

 

「くたばれ異端がぁーっ!!」

 

左腕を振り上げた。

しかし、俺の腕は振り下ろされなかった。

永遠に。

それどころか、俺の意識はそこで止まった。

永遠に。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第16話 作戦変更

※ここから再びアキヒコ視点に戻ります。


人狼を喰った後、奴の記憶が私の中に流れ込んで来た。

どうやら、言語を持つ生命を喰らうと、その知識も私のものになるらしい。

最後に奴は、私の頭を左手で抉ろうとしたようだが、何が起きたかもわからないうちに事切れた。

ヨミの言った通り、奴のスピードは私の第二の力を使えば簡単に攻略できた。

人狼が抉り取った私の内臓は、独立した生物へと変化したのだ。

それは切り離せば切り離すほど、別々の個体になって獲物を求める。

奴の左腕に吸い付いた肉片は、蛭のように痛みを感じさせない物質を流し込み、身体の内部へと素早く入り込んだ。

奴がどんなに速かろうと、体内から食い破られれば確実にダメージを受けるわけだ。

奴が右手の痛みに気を取られている時、蛭は既に脳に辿り着く直前だったのだろう。

加速して私に攻撃を仕掛ける手前で、奴は脳を喰われて絶命した。

私は両腕の触手で網を作り、突っ込んで来た奴の身体をキャッチするだけで良かった。

 

「あんたの気持ちになって考えると、全くゾッとする力だよ」

 

私は既に私の両腕に飲み込まれた敵に少しだけ憐れみを感じた。

倒木の方を振り向くと、狼達が一目散に逃げていた。

 

「もっと速く逃げれば良かったのにな」

 

私は1匹も逃さず飲み込んだ。

 

さて、これだけの生命を飲み込んでも全く満腹になるわけではないようだ。

この力は食事ではなく、あくまで栄養補給と増殖が主目的なのだろう。

とはいえ、かなり使い道のある能力だということはわかった。

回復、増殖に加えて、知的生命体からの情報取得ができるのだ。

今、私の頭には人狼が死ぬ間際に思い出していた記憶と思考がインプットされている。

それも、はっきりと彼らの言語として。

人狼の脳を取り込んだことで、私は『言葉が通じない』という問題を一つ解消できた。

試しに発声してみる。

 

「あー、俺はトダ・アキヒコ。よろしく頼む」

 

少々粗野な口調なのは、あの人狼の語彙力だからだろう。

しかし、意味が理解でき、発音も普通に可能なのは大きな前進だった。

私は、当初の目的だった川の探索を中止して、屋敷へ戻ることにした。

人狼の記憶は細部や過去に遡って思い出すことはできない。

死ぬ直前の思考と記憶だけだ。

奴は重要なキーワードをいくつか思い出してくれた。

まず、あの屋敷の名前はルクラド城で、やはり奴隷を囲っておくための場所のようだ。

そして、人狼を含めた、おそらく屋敷の執事服やメイドなどは、人間ではなく霊獣族という異種族で、この世界の生態系の実質的なトップに立ち、人間を奴隷として支配している。

私が境界を越えたというのは、あの髑髏の案山子のことだろう。

私の生死に関係なく、ルクラド城には既に私の脱走が感知されていると考えるべきだ。

そうなると、ローレの身が危ない。

もはや暴力が嫌いとか言っている場合ではない。

こうなったら、この能力でローレを連れて脱走を強行するしかないだろう。

私は急いでルクラド城の方へと引き返した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第17話 井戸の底の波紋

ルクラド城には灯が点っていた。

屋敷の住人達が起き出したのだろう。

私は正面から向かわずに、屋敷の裏へ回った。

昼間は塀の中にいたので気づかなかったが、屋敷の裏手には墓地があった。

西洋の墓石とも違った、見たことのない形の墓だが、一見して墓であることはわかる。

人狼の知識のお陰で文字が読めた。

 

“イリザ・マス・ルクラド 1793-1809 肉体からの解放こそ真の始まりなり”

 

(随分早死にだったんだな)

 

他の墓石も見てみたが、どれも名字はルクラドとなっていた。

この屋敷を所有する一族なのだろう。

しかし、屋敷の主人らしき人物は見かけたことがない。

いるのは召使いばかりである。

私は触手で塀を容易に乗り越え、音を立てないよう慎重に草むらを進んだ。

屋敷の表から声がする。

よく聞き取れないが、裏手はまど警戒されていないようだ。

私は脱走の時に使った井戸のところまで来て身を隠す。

何とか大勢に見つからないようにローレを連れ出せないものか。

ローレがどの階にいるのかもわかっていないのは失敗だった。

井戸からはギリギリで表の灯が見える。

耳を澄ますと、どうも馬の息遣いも聞こえる。

御者はもう死んだのだが、馬車を用意しているらしい。

 

「奴が戻って来る前に移動するぞ、奴は同じ奴隷として助けに来るはずだからな」

「何でわかる」

「さあな、リンセン様のご命令だ。とにかく別の場所へ移す。行き先はここだ」

「………よし、わかった」

 

わずかに聴こえてきた会話で、私は悟った。

馬車に乗せられているのはローレだ。

私が脱走したことで、人質のような扱いを受けているのだ。

一刻も早く助けなければならない。

あの馬車が屋敷を出たらこっそりと跡をつけよう。

私は井戸に手をかけて身を乗り出した。

その時である。

 

ピチャッ

 

「ん?」

 

井戸に水音が響いた。

何かが水に跳ねる音だ。

井戸を覗くと、確かに5メートルほど下の水面に波紋ができていた。

真っ暗でよく見えないが、わずかな光の反射が波紋でゆらゆらと揺れていた。

私が手をかけた時に小石でも落ちたのだろうか?

気を取り直して、塀を乗り越えるために井戸へ足を乗せた。

次の瞬間、

 

バシャァッ

 

「なに⁉︎」

 

井戸から、何かが飛び出した。

それは私の足をがっしりと掴むと、そのまま井戸へ引きずり込んだ。

突然の出来事に、受け身すら取らなかった私は、井戸の縁へ頭をぶつけた。

目の前が真っ白になるような感覚と、遅れて痛みが走る。

しかし、痛みを感じた時には既に、私の顔は水中にあった。

鼻に大量の水が入り、咳き込むが、吸う空気がないのでそのまま肺に水が流れ込む。

意識を失いかけながら、私は右手を上へ伸ばした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第18話 地下空間

右手を伸ばす、その動作に連動して右腕の傷口から触手が飛び出す。

飛び出した触手は、最も身近にある物体を捕らえようとする。

井戸の中において、それは石造りの壁面であった。

触手は最初、凹凸の少ない壁面に上手く掴まれなかったが、粘性の液体を分泌することでしっかりと張り付いた。

私は右手を思い切り引っ張る。

触手の怪力により、体が水から引きずり出された。

 

「ゴホッゲホッ!!」

 

水を吐いて咳き込みながら、私は必死に左手も伸ばした。

右手と同じ要領で触手による壁登りを繰り返す。

何度か落ちかけたが、とにかく井戸から出ることだけを考えて登り続けた。

すると、井戸の途中に妙な穴が空いているのを見つけた。

しゃがめば大人が一人楽に入れそうな穴だ。

昼間、井戸を使った時には気づかなかったが、相当奥まで続いている。

僅かだが風も通っている。

 

(このまま上に出て見つかる危険を冒すか、この穴に入って私を引きずり込んだ奴と戦う危険を冒すか…どちらにしろ危険には変わりない)

 

私はその穴へ入った。

穴の中もやはり石造りで、何故かボンヤリと明るく、進むのにそれほど苦労はない。

よく見ると、上下左右どこにでも、点々と光るものがくっ付いている。

触ってみるとぬるりと湿っていた。

苔の一種だろうか?

とにかく奥までどんどん進んだ。

時折、背後を振り返ったが、何かが追いかけてくる気配はない。

しかし、こんな風に人工的なトンネルということは、ここも敵陣の中であることには違いない。

前も後ろも注意しながら進んでいく。

方向からして、おそらくルクラド城の地下に向かっているはずだ。

普通は人が入らない井戸のような場所にあったのは、いざという時の避難通路か、あるいは何か隠さなければならないものに通じる道か。

やがて前方に四角い光が見えてきた。

しゃがんだ体勢ももう少しで終わりだ。

出口に辿り着くと、そこは予想以上に広大な空間だった。

巨大な円筒状の空間である。

私が顔を出した出口はそこで道が終わっており、円筒状の内部の壁面に作られていた。

この空間もやはり光る苔が壁面に生えており、ボンヤリとその様相を浮かび上がらせていた。

下を見ると、底までおそらく20メートルはあるだろうという、途中に足場も何もない絶壁であった。

上はというと、こちらもやはり頂上まで20メートルほどの壁である。

円筒状の空間のちょっけいはよくわからないが、感覚としてはルクラド城の屋敷の面積にすっぽり入るくらいだと思われる。

空間の中央には、太い金属のパイプのようなものが上から下へと伸びており、底よりも少し高いところで口を開けていた。

パイプの口の下には、おそらくパイプから排出されたのだろう何かが山を作っている。

さながらゴミ処理場といった雰囲気だ。

 

(一体何を捨てていたんだ?)

 

私は触手を出口の縁に引っかけて、壁を降り始めた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第19話 道を示す者

ところで、この触手がどれくらい伸びるのか、私はこの地下空間に入り込んで漸く知ることになった。

勢いをつけた時は約7メートル、ぶら下がってそろそろと伸ばした時には最大約8メートルといったところだ。

これ以上はどんなに引っ張っても伸びないし、傷口まで引っ張られて痛かった。

これでは20メートル下の底へは届かないので、狼との戦いで無意識に使った足のバネ状の触手を使おうと思った。

しかしこれもまた、なかなか思うように動いてくれない。

 

「出ろ!」

 

と気合と共に足に力を入れてみたのだが、何の反応もない。

腕の触手でぶら下がりながら壁面に足をつけて踏ん張ってみると、今度はちゃんとバネが出てきた。

 

(地に足つけないと出ないんだな…)

 

摩擦で速度を落とすため、壁に触手を擦りながら飛び降りた。

足のバネのお陰で衝撃はさほど大きくなく、無事に底へ着地した。

改めて目の前にうず高く積もったものを見て、私は暗澹たる気分になった。

それは、どう見ても人の骨であった。

パイプの上にはおそらく屋敷があるのだろう。

そこから人骨が山のように捨てられているのだ。

 

(奴隷どころか、家畜以下の扱いじゃないか…)

 

中には子供らしき小さな頭蓋骨も転がっている。

もはや私が霊獣族とやらに服従する理由はない。

異界の神の『悪の王を打倒せよ』という指令は、おそらく霊獣族の王を倒せということなのだ。

それによって人間を解放し、この世界を救うというのが私の使命なのだろう。

私だって一端の社会人だ。

目の前で無辜の人々が暴力に苦しんでいるのを何も感じない訳ではないし、今の私には怪物と戦える能力もある。

今はひとまず、上に戻ってローレの乗った馬車に追いつくのが先決だろう。

邪魔する霊獣がいれば容赦はしない。

私は再びバネを使って出口へ戻ろうとした。

 

カチャッ

 

「またこのパターンか!」

 

私は右腕を構えながら振り向いた。

そこには、骸骨が立っていた。

1人?1体?なんと数えればいいのかわからないが、とにかく人間1人分の全身骨格が立っていた。

私を見ているのか、眼球も表情もない顔がじーっとこちらを向いている。

私はいつでも攻撃する準備があったが、骸骨は一向に襲ってくる気配がない。

 

カタカタカタ

 

不意に、骸骨はゆっくりと右腕を上げ、パイプの廃棄口を指差した。

そこに悪意や敵意は感じない。

ただ、何かを気づかせたくて指差した、そんな印象を受ける。

 

「俺の言葉がわかるか?俺は人間の味方だ。お前は人間の味方か?敵か?」

 

私は試しに、警戒を怠らないように右手を構えたまま話しかけてみた。

すると骸骨は、何か言いたげに口を開いたが、舌のない口からは何の音も発せられない。

最後に、右手で指差した廃棄口の方を向いて、もう一度こちらを向いた後、カラカラと崩れ落ちた。

 

(…上にあるものを見ろということか?)

 

私は、パイプの中を覗き込んだ。

真っ暗で何も見えないが、微かに風の流れを感じる。

 

(行ってみるか)

 

私は壁に沢山生えている苔を、壁の石ごと触手で剥ぎ取った。

これで多少の明かりの代わりになるだろう。

それを右手に持ち、両腕両足の触手を展開して、パイプの中へと入って行った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第20話 異臭を放つ廊下

パイプ内は思った以上に上りにくかった。

それはそうだ、角度は真上に90度で、中を上るようには作られていない。

触手の粘液なしでは到底無理だっただろう。

少しずつだが、上へ上へと進んで行く。

こんなところまで来ておいて今更だが、なぜ神様とやらは私をこの世界に飛ばしたのだろう。

どうせなら、もっとメンタルもスタミナも兼ね備えた人間を送るべきではないのか?

私は運動も勉強も苦手だし、何より普通の人より鈍くて怠惰だ。

子供の頃からずっと、周囲とのズレを感じて来た。

私がどれどけ急いで給食を食べても、気がついたら昼休みは終わっていて、周囲の嘲笑に耐えながら完食しなければならなかった。

通知簿にはいつも担任から「もっとキビキビと行動しましょう」と書かれていた。

キビキビとは何だ?

試しにテレビで見た兵隊を真似して動いてみたら、周囲から笑われた。

このように、普通の人間とは私にとっての特殊であり、私は普通の人間にとって愚鈍な存在だった。

それでも何とか働くところまで来られたのは偏に母の教育のおかげなのだが、母はいつも私を厳しく叱った後は泣いて謝っていた。

 

「あんたは特別な人間なんだよ。だから普通のひとなんかに合わせる必要はないんだ。でもね、この世界で生きるためには絶えることも武器になるんだ。ごめんね、でもあんたを世界に殺させたくないんだよ。強く生きなさい、アキヒコ」

 

本当にわからない、なぜ神様が私をえらんだのか。

ただ、正しいことと間違ったことの区別はつく。

人を殺すのは間違ったことだ。

だから、この異世界のルールを守る気はない。

必ず人殺しを止めてやる。

そうしてやっと、私は思い残すことなく元の世界へ帰ることができる。

思いを巡らせているうちに、パイプ上りも終わりが近づいてきたようだ。

なんだか少し生臭さが漂ってきた。

真っ直ぐだったパイプは、次第に傾斜をつけ始めた。

上りやすくなった分、足をつけて登って行く。

やがて、少し明るい出口に辿り着いた。

出口の周囲は、例えるなら漏斗やアリジゴクの巣のようにすり鉢状の斜面になっていた。

骨を放り捨てるのには便利な形というわけだ。

パイプの中よりは明るい空間だが、それでも広さに対して壁に取り付けられた松明の火が少なすぎるため、足元しか見えない。

しかし、暗がりにあってハッキリと見えるものがある。

骸骨だ。

普通ならもっと見えにくいはずなのに、骸骨の周りだけハッキリと視覚で認識できる。

骸骨は、パイプの出口から奥へと続く廊下の先を指差していた。

私がその方向へ歩き始めると、ボウッと霞んで骸骨は消えた。

 

(これだけ非常識な世界なんだ。今更幽霊が出てきても驚かないさ)

 

廊下の先には扉があった。

荷物の搬入口のような大きめの扉だ。

鉄格子の窓が付いている。

押してみると、廊下に軋む音を響かせながら開いた。

何があるのかわからないが、進むしかあるまい。

生臭さが強くなっているその扉の向こうへ、私は踏み入った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第21話 屍と偽装された壁

扉の先には、また少しだけ廊下があり、さらに進むと広間のような場所に出た。

ここも松明がいくつか備え付けられていて、広間をユラユラと照らしている。

どうも気になっていたのだが、こんの夜中に松明の火を付けたままにするだろうか?

松明に近づいてみると、目の前に確かに炎は見えるが温度は感じない。

試しに手を炎に突っ込んだが、全く熱くない。

何やら不思議な力で明かりを灯しているようだ。

霊獣に髑髏の案山子、幽霊に熱のない松明、

 

「そして、この屍の山か…」

 

広間には人間の残骸があった。

白骨ではなく、まだ肉や血が多少付着した死体だ。

それらに虫のような生物が群がっている。

大きさは大人の手のひらほどあるだろうか。

フナムシのような不気味な虫はそこら中で死体を貪っている。

虫が貪った後の骨は綺麗に白骨となっている。

そして、虫の糞が堆積し!発酵して、どうやら例の臭気を放っているのだった。

つまり、こうやって死体処理を済ませた後、さっきのパイプの中へ遺棄していたわけだ。

広間の向かって左側には大きな木製のリアカーがある。

あれで骨を運ぶのだろう。

人を人とも思わない仕打ちだ。

そもそもこの屍は、なんの為にこんな酷い姿になったのだろう?

広間の奥にはさらに通路が見える。

こちらの通路よりも2倍ほど幅の広い通路で、鉄格子の扉に錠前がつけられていた。

鉄格子なので、向こう側をみることができるのだが、真っ暗で何も見えない。

私は屍の山を迂回して鉄格子に接近した。

途端、背中を冷たいものがゾゾッと走った。

まずい。

この鉄格子の中には、人間よりも、霊獣よりも恐ろしい何かがいる。

能力の覚醒によって、私の感覚は普段よりも少し鋭くなっている。

直感というべきか、いわゆる『嫌な予感』もまるでレーダーのようにハッキリと感じるのだ。

今、ここに入れば命はないかもしれない。

私は仕方なく、広間のリアカーが置かれている方に見えた扉へ向かった。

そこは鍵がかかっておらず、容易に開いた。

中はまた一段と狭くなっており、松明以外に何もない部屋だった。

 

(待てよ)

 

よく目を凝らすと、石造りの壁の一箇所だけ、違和感を覚えた。

別に色が違うとか、凸凹があるとかではないのに、目について仕方ない。

何だかトリックアートを眺めているような感覚だ。

試しにその部分をノックしてみると、軽い音がした。

他の壁を何箇所が叩いたが、石造りらしい重い音がする。

 

(試してみるか…)

 

私は違和感のある壁を破壊してみることにした。

壁から少し離れ、左手を伸ばす。

腕の触手が壁に張り付いたのを確認し、自分に当たらないよう少し右へ身体をずらして、左手を思い切り引いた。

ガラガラと音を立てて、違和感のあった壁の部分だけ崩れた。

そこは、奥行き30㎝ほどの四角く切り取られた窪みになっていた。

そして、何やら綺麗な半透明の緑色をした、楕円形の物体があった。

 

(宝石…?)

 

私はつい油断して、その物体に右手で触った。

瞬間、不思議なことが起こった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第22話 長寿と再生の水神

緑色の宝石は、まばゆい輝きを放ったかと思うと、ひび割れて砕けた。

砕けた破片から漏れた光は次第に大きくなり、何かの形を成していく。

私は、また何かの罠かと重い、部屋のなるべく離れた場所へ退がって様子を見た。

光は、人の形に変化していた。

どんどんと実体を持ったシルエットに固まっていき、最終的に現れたのは小柄な少女だった。

緑色の綺麗な髪の毛を、ツインテールに結んでいる。

服もやはり緑色で、宝石がそのまま人間に化けたような印象だ。

少女は目を閉じたまま浮遊していたが、やがて目をゆっくりと開いて地面に足をつけた。

 

「お腹空いた」

 

第一声がそれだった。

私は気が抜けてしまって警戒を解いていた。

少なくともこの少女が邪悪な者でないことは直感でわかる。

私はとりあえず挨拶をした。

 

「俺はアキヒコ。あんたは?」

「む。無礼な人間だ。わたしに向かってそんな品のない言葉で話しかけるなど」

「すまん。多分育ちが悪いから丁寧な言葉も知らないんだ」

「多分?おかしなことを言う。己の育ちが良いか悪いかもわからないの?」

 

そりゃあ、粗野な人狼から受け継いだ語彙だから仕方ない。

 

「我が名はキーシャ。長寿と再生を司る水の女神。お前達人間の守護神としてここに顕現した。まずは馳走を捧げよ」

「馳走…」

「この肉体を保つには食べなければならない。うんと美味な馳走を用意せよ」

「あのー、女神様、そうは言っても、人間は今霊獣族の奴隷として支配されてるんだ。馳走を食べたきゃ、まず人間を解放してやってくれ」

「むむ」

 

キーシャと名乗ったその少女は、眉根を寄せて考え事をするように黙ってしまった。

目があちこちに動いて困惑しているようだ。

もし彼女が女神だとするなら、おそらくこの異世界の人間に崇められていた存在なのだろう。

その肉体を生み出した宝石が、この地下室に隠されていたということは、人間側も無抵抗でいるわけではないのかもしれない。

キーシャがどれほどの神様なのかわからないが、こうして出会ったのも何かの縁だ、頼もしい味方になってくれるかもしれない。

 

「俺は余所者だからこの国のことはよく知らない、だが、この国の人間を救いたいと思ってる。協力してくれないか?」

 

するとキーシャは突然近づいてきて、私の頰をつねってきた。

私よりも背の低い少女とは思えない強い力で思い切りつねられた。

 

「痛い!」

「不敬だぞ人間。人間に人間が救えるものか、人間を救うのはいつだってわたしの役目だ。わたしがお前に協力するのではなく、お前がわたしに忠を尽くすのだ。さすればそれが人間救済の助けとなろう」

「わ、わかった。あなたに従う…」

 

キーシャはパッと手を離してニコッと笑った。

 

「キーシャ様と呼べ。これよりこの国の無辜の民草を救いに行くぞ、従者アキヒコよ!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第23話 死者は無念を語る

「ところで、ここはどこなのだ?わたしは宝石を触媒に顕現したが、それ以前のことは全く感知しておらぬ」

「俺がたまたまここで宝石を見つけて、触ったらあんたが現れたんだよ」

 

私は、宝石が隠されていた窪みを指差した。

キーシャは窪みの周りに手で触れて、何かを調べ始めた。

 

「ふむ、これは人間の術だな、同じ人間にしか認識できないよう結界を張っていたようだ。もしこれがなかったら、わたしの宝石は今頃霊獣どもに破壊されていたであろう」

 

やはり隠していたのは人間側だったようだ。

ということは、やはりキーシャは人間側にとって切り札のような存在なのだろう。

 

「アキヒコ、案内せい。わたしが役目を果たすためには今の状況を知っておく必要がある。あと美味しい馳走も用意せい」

「わかった、隣の広間をまず見てもらおう。馳走は…まあなんとかする」

 

私は広間に続く扉を開けた。

そこには相変わらず臭気を放つ屍の山と虫と糞が積み重なっている。

キーシャは言葉もなく、目を見開いてそこへ近づいて行った。

屍の中から髑髏を一つ拾い上げると、口の中へ右手の人差し指と中指を入れた。

 

「何してるんだ」

「この骸はまだ無念を残しておる。しかし、その無念を吐き出すための舌も、喉も既に無い。だからわたしの力を少しだけ与えて、言葉のみ蘇らせる」

「そ、そんなことができるのか」

「無礼だな、わたしは女神だぞ」

 

髑髏はキーシャの手を離れて宙に浮いた。

キーシャは母親が子供に語りかけるように優しい声で話した。

 

「さあ、お主の無念を吐き出してみよ、女神キーシャの名において許す」

 

すると、髑髏はカタカタと震えながら、どこか遠くから聞こえるような幽かな声を絞り出した。

 

「ア…アア…キーシャ…サマ………ミンナ…クワレタ………コドモマデ………ヤツラ………アクマダ…」

「お主の無念はわたしが晴らしてやろう。お主はどこから来た?そこに彼奴らの根城はあるか?」

「ア…アイ…ナ…マル…」

「アイナーマルだな、あいわかった。苦しかろう、安らかに眠るがよい」

「ア………リガトウ…」

 

最後に髑髏はお礼を言い残して、地面に落下した。

カランカランと、骨の転がる音が空しく響いた。

 

「行き先は決まった。アイナーマルといえば大きな都、そして王城もそこにある。霊獣の王は既にアイナーマルを落としておるのだろう。急ぐぞアキヒコ」

「ちょっと待ってくれ!この城にはもう1人、女の子が囚われていたんだ。俺が脱走しようとしたせいで、どこかへ連れていかれた。助けなきゃ」

「ふむ、どちらにしろここを出ないことには何も変わらん。ここはどこだ?」

「ルクラド城だ、多分」

「なるほど、ルクラド城は王の避暑地だ。アイナーマルまでは馬車でも3日はかかる。道中でその娘とやらも助けられよう。出口はどっちだ?」

 

すると、我々の周囲に突然、煙のようなものが巻き起こった。

それは無数の骸骨で、私の前に現れた2体と同じように、宝石が隠されていた部屋への扉を指差した。

部屋の反対側にも扉が見える。

あそこが出口だと教えてくれているのだろうか。

 

(そうか、彼らはここで死んだ人間達の亡霊ってわけか、この悲劇を知ってほしくて俺を導いたんだな。そして、キーシャを見つけるために…)

 

私は胸が締め付けられるような気持ちになった。

 

「行くぞアキヒコ、彼らの無念を晴らし、生き残っている人間を救う」

「ああ…!」

 

私とキーシャが通り過ぎると、亡霊達は段々と揺らめいて消えていった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第24話 再び大扉へ

扉を抜けると、また石造りの通路で、その先に大きめの扉がある。

見たことのある扉だ。

屋敷の掃除をした時に、大量の血がこびり付いていたあの廊下の大扉にそっくりだ。

私達は少し長いその通路を話しながら進む。

 

「なあキーシャ、ここでは死人があんな風に化けて出るのは普通なのか?」

「そんな訳あるか、明らかに異常なことだ。あれだけ強い無念を残しながら、悪霊にならずにいられるのは、おそらく信仰だ。彼らはこのキーシャを崇拝する教徒達だったのかも知れぬ。むごい仕打ちを受けたものよ。ところでお主、呼び捨てにするでない、キーシャ様と呼べ」

「おうわかったよ、キーシャ様」

「むぅ、その口の悪さを何とかしたいものだ。というより、お主、妙な人間だな。物腰は穏やかで育ちの良さを感じさせるのに、その口だけが浮いておる。どれ、ちょっとでこを出せ」

「なんだって?」

「おでこだ、早う出せ」

 

私は言われるまま、しゃがんで額をキーシャに向けた。

キーシャは私の顔を両手で引き寄せ、目を閉じて顔を近づけてきた。

 

「お、おい!」

 

私はてっきり接吻されるのかと思って焦ったが、彼女は自身の額と私の額とをくっつけただけだった。

勘違いした自分が恥ずかしくなって、私も目を閉じた。

キーシャの額の温度が伝わってくる。

すると、頭の中に突然、彼女の声が響いた。

 

(どうだ、聞こえるか?)

(わっ、ビックリした…私の頭に直接話しかけているのですか?)

(そうだ。ふふふ、思った通り、その敬語が本来のお主の言葉だな?異国の言葉のようだが、ここに来て覚えた言葉が悪かったようだな)

 

キーシャの声は確かに日本語ではっきりと聞き取れた。

まるで清流のせせらぎの音が心地よいように、彼女の心の声は澄んでいた。

 

(お主の頭にわたしの霊力の糸を繋いだ。これで口に出さずとも、わたしに声を届けることができよう)

 

そう言って私の額から離れた。

目を開けると、キーシャがニヤニヤと笑っていた。

 

(ククク、赤くなりよって、うい奴よ)

(.か、からかわないでください!)

 

年端もいかない少女に笑われるのは本当に恥ずかしかった。

 

(ハハハ、許せ。わたしも久々に人間と言葉を交わすことができて楽しいのだ。安心せよ、お主の心の中を深く覗くようなことはせぬ)

(そんなことより、この大扉を抜ければおそらく屋敷の中に出ます。もしかすると敵が待ち構えてるかも…)

(肩慣らしにちょうど良い。わたしの力を見せてやろう)

 

頼もしい言葉だが、果たして大丈夫なのだろうか。

私は扉に左手の触手をくっ付けて、キーシャを振り向いた。

 

(面妖な力だのう、はっきり言って気色悪い)

(はっきり言い過ぎです…とにかく、開けますよ)

 

キーシャが頷いたので、私は扉を強く引っ張った。

おそらく閂がされているはずだから、案の定すんなりとは開かない。

私はさらに力を入れて引っ張り続けた。

やがて、ミシミシと音を立てて扉が壊れ始める。

 

(危ないので下がっていてください)

 

キーシャが私の後ろに下がったのを確認して、渾身の力で左腕を引いた。

バキバキと木の割れる音を立てて、扉が崩れた。

閂はかかったままだったが、壊れて穴の空いた部分から先に私が出た。

やはりあの廊下だった。

誰もいないことを確認し、キーシャの手を取る。

女神とはいえ、木の切れ端で怪我したら大事だ。

 

(さあ、どうぞ、キーシャ様)

(うむ、やはりお主はその言葉の方が似合っておるぞ)

 

キーシャは私の手を握って微笑んだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第25話 執事服との対峙

大扉の向こうは、私が昼間に掃除をした状態のままだった。

あの時に覚えた違和感は、やはり間違っていなかった。

 

(この扉の向こうにあんな広間があるなんてあり得ません。屋敷の広さから考えて、この扉のすぐ向こうは裏口のはずです)

(あの広間とこの屋敷は全く異なる場所に作られたものだ。おそらくこの扉に別々の場所を繋ぐ魔法がかけられておる。敵はよほど優れた魔法使いか、強い魔法具を有していると見た)

 

魔法。

ここに来ていよいよ、私の常識が通用しない概念が登場したようだ。

まあ、神様に人狼に幽霊を見た今、驚くほどのことではないのだが、そろそろ逸脱のスケールの大きさに頭が追いつかなくなっている。

正面玄関に向かうと、吹き抜けの広間の床に、月明かりが天窓の紋様を映し出していた。

翼の生えた生き物のような紋様だ。

そして、その紋様の中心に、あの執事服の男が立っている。

私は少々この老人が不気味で苦手なのだが、おそらく彼も人間ではないのだろう。

ならば、倒してでもここを通るしかない。

執事は昼間と違って、外套を羽織り、帽子を被って、杖を手に持っていた。

まるでこれから外出をするかのような出で立ちだ。

しかし、玄関ではなく我々の方を向いて仁王立ちしている。

顔は上から照らす月明かりで影ができてよく見えない。

 

「悪い奴隷じゃ。主人に黙って逃げ出した上に、大事な馬役を殺し、地下の秘密まで覗き見るとは」

 

執事は重く響き渡る声で言った。

怒っているというよりは、私ごときの反抗など物の数ではないとでもいうような余裕があった。

すると、キーシャが私の前に進み出て言った。

 

「いつ、誰がお前達の奴隷になったのだ?この者はわたしの従者だ。それに、このルクラド城も人間の王の所有物だ。貴様らのような異なる存在の住まうべき場所ではないわ。とっとと墓の下に還ることだ、埋葬くらいはしてやろう」

 

すごい啖呵だった。

私は少しだけ胸がすっとした。

 

「奴隷よ、そのよく喋る小動物は拾ってきたのか?満足に言葉を話せないお前の代わりに喋る人形か?」

 

執事はニヤニヤと笑いながら挑発する。

小動物と言われたキーシャの肩がピクリと動いたかと思うと「殺す」と物騒な呟きが聞こえた。

 

「か、彼女は自分の言葉を喋ってるだけだ。そういうあんたこそ主人だったのか、てっきり召使いか何かだと思ってたよ」

 

老人の雰囲気も少し変わった。

明らかに怒気が混じっている。

 

「ふん、やはり言葉を覚えたか。森でのお前の力は我が下僕達に監視させておったからな、知っておるぞ。それで、今度はこの老体を喰らおうというわけか」

 

老人の、月明かりに浮かぶ影がゆらりと揺れた。

何かしてくる気がする。

 

(キーシャ様、気をつけて)

(任せておれ、お主は隙を見て外へ出よ。散らばった方が互いに戦い易かろう)

 

キーシャは、纏っていた緑色のスカーフのような衣服を、手で払った。

どうやら女神の戦いが始まるようだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第26話 光と影

「我が名はリンセン・シヒ・ルクラド。この城の管理を任された者として、反抗的な奴隷は始末せねばならん。安心しろ、たっぷり苦しませてから殺してやる」

 

執事服の男、リンセンはそう言って、杖の先で床をカンッと鳴らした。

彼自身は微動だにしないのに、彼の影が揺らめいてこちらへ伸びてくる。

スピードは速くないが、何か危険な予感がする。

私は吹き抜けの二階の手摺りに左手の触手を伸ばし、触手のバネでジャンプした。

しかし、キーシャはその場から動かない。

 

(キーシャ様、何かやばそうです!避けて!!)

(まだだ、彼奴の能力を見極める!お主は外へ出ろ!)

 

リンセンの影がキーシャの足元に届く。

すると、影はそれまでのゆらゆらと遅い動きから、突然俊敏になった。

影は、まるで床から突き出た棘の如く、立体化した。

 

「危ないッ!!」

 

私はキーシャに触手を伸ばそうとしたが、これが触れた物を締め上げる習性を思い出し、動きを止めた。

その一瞬の迷いの間に、棘と化した影はキーシャの胸を串刺しにした。

 

「キーシャ!!」

 

串刺しになったキーシャの体は、そのまま影に持ち上げられ、ダラリと力なく垂れ下がった。

 

「フハハハハ!さあ次は貴様の番だ、奴隷!」

 

リンセンが私のいる二階を見上げた。

私はなんて馬鹿なことをしたのだ。

キーシャを片腕で抱き抱えて、連れて上るべきだったのに。

後悔と絶望が押し寄せてきた、その時である。

 

「なるほど、お主はカゲオニか」

 

私は耳を疑った。

串刺しにされたはずのキーシャの声が、吹き抜けの広間にハッキリと響き渡った。

リンセンも余裕の笑みを潜ませて、周囲を警戒して目玉をギョロリと動かした。

 

「死者の影に寄生し、その肉体を乗っ取り、人間に擬態する。そして他の人間の影に自分の影で触れると、逃げようのない攻撃を仕掛ける。かつて、ヒトがまだ幼かった神々の時代、光あるところに影あるならば、すなわちカゲオニ有りと謳われたほどありふれた霊獣よ」

 

いや、キーシャは串刺しになどされていなかった。

私も、リンセンも、すっかり信じ込んでいたのだ。

スカーフのような衣装を手で払った後、その場から動かなくなったキーシャを、本物だと疑わなかった。

しかし、串刺しにされた体は今、透明の液体となって形を失い、床にバシャリと飛び散った。

そして、さっき我々が通過した廊下の奥から、本物のキーシャが松明を手に現れた。

おそらく廊下の左右に設置された松明だろう。

 

「我が水の分身も見抜けぬ。カゲオニなぞ所詮はその程度。そして、影は光を阻むことは出来ない!」

 

キーシャが空中に指で何かの文字を描くような仕草をすると、そこに巨大なレンズのような半透明の物体が現れた。

大人1人が覆われそうなレンズだ。

松明を物体の前にかざす。

松明の火は、それ一つだけでは足元を照らすくらいの明るさだったが、キーシャの巨大なレンズを通すと、凸レンズが光を収束するのと同じ原理で明るく床を照らした。

棘の影はたちまち薄くなり、

 

「ぐぅ…ッ!」

 

リンセンが身を縮めて苦しんだ。

それと同時に、影はキーシャから慌てたように遠のき、リンセンの元へ戻った。

 

「女神の力で清めた水を編んだ水晶だ。松明の火も聖なる光となる。苦しかろう。わたしを軽んじた罰だ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第27話 女神の槍

※今回はキーシャ寄りの第三者視点のお話となります。


リンセンは、キーシャの思わぬ反撃で、杖に体を預ける程度にはダメージを受けたようだ。

苦虫を噛み潰したような顔でキーシャを睨む。

 

「…ふん、口だけの小娘ではないということだな。いいじゃろう、誤った認識は改めよう。だが…『影は光を阻むことはできない』じゃと?クク、果たしてそうかな?」

 

苦し紛れの虚勢とも取れる口ぶりだが、キーシャは反撃の隙を与えないよう次の攻撃に移る。

右手の親指と人差し指だけを立て、そのままリンセンに狙いを定める。

あとは念じるだけで、右手の周囲に現れた6つの小さな紋様から水の矢が発射される。

大した威力ではないが、連続で素早く発射できるので牽制には充分だ。

アキヒコがまだ二階で事態を見守っているのが気配でわかったので、キーシャはリンセンの全身を無軌道に狙い撃ちながら叱咤する。

 

(アキヒコ!早く外に出ろと言っておろうが!)

(1人じゃ危険です!私も一緒に戦います!)

(たわけ!お主の能力はどう見ても実体のある敵向けであろう、カゲオニに実体はない!)

 

先ほどキーシャの分身が受けたような『影に触れられたら死ぬ』ような攻撃を、アキヒコの力で防げるとは思えない。

アキヒコは仕方なくといった様子で、リンセンがキーシャに意識を向けている隙に、二階の窓の一つへ忍び寄って外へ出た。

 

(この屋敷の範囲内くらいなら会話はできる。外に待機しておれ)

(わかりました)

 

キーシャは頭の中の会話をしている間に、既に準備を整えていた。

左手には手のひらほどの大きさの紋様を展開し、右手の牽制の間に霊力を溜めていた。

リンセンは影を盾のように前面に広げて水の矢を完全に防いでいるが、その場を動いて回避する様子はない。

キーシャは、カゲオニならば寄生した肉体の盾に大部分の力を割くだろうと予想しており、それは見事に的中した。

盾となった影も、カゲオニの一部には変わらないのだ。

松明の火で影を一瞬でも怯ませられれば、そこに渾身の一撃を加えることで宿主の肉体に確実に痛手を与えられる。

キーシャは水の女神なので、実体のないカゲオニに対する直接の対抗術は持たない。

むしろ、水とは深くなればなるほど光を遮り、暗黒を内包するものだ。

しかし、だからこそ闇に打ち勝つ方法は幾千年の時の中で培ってきた。

水をどう操れば光を曲げ、闇を照らすのか。

キーシャ自身は『科学』という概念を知り得ないが、人間を守り戦う女神として、本能と経験則で光の反射の法則を理解していた。

 

「さあ、これでトドメだ!」

 

水の矢の牽制を止め、床に置いていた松明を拾ってリンセンに投げる。

炎の明るさで影の盾がグニャリと怯んだ。

素早く右手に、キーシャの背丈の倍ほどの長さの槍を生み出す。

貫くことだけに特化した水の槍だ。

空中に浮かぶその槍へ、左手の拳に溜めに溜めた渾身の霊力をぶつける。

霊力とは、魂や精神といったものを形作るエネルギーである。

生命は霊力によって心を持つし、霊獣は霊力によってその非現実的な存在を肉体に宿すことができる。

故に、霊獣を倒すには霊力をぶつけ、肉体から存在を切り離すしかない。

女神キーシャは、並みの魔法使いや霊獣とは桁外れの霊力を有している。

強力な霊力で発射され、しかもそのエネルギーをそのまま宿した水の槍は、何の抵抗もなく影を貫き、宿主の肉体に届くのだ。

届くはずだった。

 

「なっ…!?」

 

水の槍は、怯んだはずの影に触れたと思うと、そのまま搔き消すように見えなくなった。

 

「太陽の光ならともかく、こんな松明ごときで闇を照らすことができると本気で思ったのか?」

 

影の向こうのリンセンは、全く動じていない様子で言った。

そして、彼の影は床に落ちた松明をも飲み込んだ。

松明の炎が消えたことで、広間を照らすのは吹き抜けの天窓から差す月明かりのみとなった。

リンセンの立つ床には、彼自身の蠢く影と、翼を持つ動物を模した天窓の模様がくっきりと映されていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第28話 真の闇

キーシャは全力を尽くして槍を放った。

なのに、影を貫くどころか、まるでそこに別の空間があって吸い込まれたかのように、何の手応えもなく消失したのだ。

カゲオニに別の空間と繋がるような力はないはずである。

確かに、この城の地下には別の場所と繋がる魔法がかけられている。

しかし、それはもっと強い霊獣か、強力な魔法を学んだ魔法使いにしかできないことだ。

霊獣は、生態系と同じく強い種族ほど希少で、強さが下がるほどありふれた存在となって行く。

カゲオニはその中でも下の方に位置する霊獣だ。

到底、魔法を修得するような知性も、霊力も有していない。

キーシャのような神代の知性存在が地上を去って幾千年、人も霊獣も多少の変化はすれど、下級の者が魔法を行使するほどの進化は有り得ない。

 

「こう考えておるな?『なぜ下っ端のカゲオニに攻撃が届かないのか?』と。そういう過去の概念に囚われた霊獣も、戦士も、皆死んで行ったわ。わしの『真の闇』へと至った力によってな」

「真の闇だと?」

 

キーシャはその言葉を知っていたが、意味がわからなかった。

 

「かつて常闇に包まれた国が存在して、悪しき魔獣達を支配していた存在が『真の闇』を操ったという伝説は知っておる。が、それをなぜお主のようなカゲオニが操ることができるのだ」

 

リンセンは不機嫌そうに、ふんと鼻を鳴らした。

 

「わかるまい、お前のように力に恵まれた小娘には。わしはただのカゲオニではない。どのカゲオニも自分の生まれの弱さを嘆きこそすれ、強くなろうと奮起することはなかった。だが、わしは違う、『あの方』に出会って力への渇望を知った。そして失われつつあった『真の闇』に至ることができたのじゃ。何千年も居眠りしておった神々など恐るるに足りん」

 

キーシャは少しムッとしたが、それよりもリンセンの話はなかなかに興味深かったので問いを続けた。

 

「『あの方』というのは、件のアイナーマルを支配しておる霊獣の親玉のことか?其奴がお主を『真の闇』へ導いたのか?」

「答える義理はない。女神キーシャ、神代の遺物よ、お前も、お前に唆された奴隷も、ここで串刺しにする」

 

リンセンの影が再び動き始めた。

キーシャは焦りこそ見せないよう努めていたが、考えていたカゲオニへの対抗策が全く効かないと判明したことで、次にどう動けば良いのかわからなくなっていた。

しかし、棒立ちでは一方的にやられるだけだ。

ひとまず外に出て、少しでも明るいところへ行かなくては。

キーシャは後ろへ下がりながらアキヒコに呼びかけた。

 

(アキヒコ、此奴を侮っておった。わたしの失策だ。悔しいが城の外へ逃げる。お主もどこかへ逃げよ、別々に逃げれば同時には追えないはずだ)

 

しかし、アキヒコの返答は、先ほどのような従順なものではなかった。

 

(キーシャ様、そのカゲオニというのは、他の影に触れたら攻撃できるんですよね)

(?…そうだが、それがどうした)

(それって、例えば影と影が繋がっていれば、カゲオニが素早く移動する道になるんじゃあないですか?)

(可能かもしれんが、何が言いたい)

(このルクラド城の庭は、背の高い雑草で囲まれているんです)

(何っ…⁉︎)

 

それはキーシャにとって想定外だった。

それはマズイ。

アキヒコは淡々と続ける。

 

(単に手入れを怠けているのかと思っていましたが、今わかりました。この背の高い雑草の影を伝えば、外へ逃げたとしても追いつくことができるし、さらに外は森だ、影にとっては自由に走り回れるから脱走も監視できます。今まさに草むらを何かが追ってきてるので逃げ回っている最中です。なるほどこういうことだったんですね)

(感心しておる場合か!どうするのだ、もう逃げ場はないということか!)

 

そこまで話して、キーシャは自分の足が動かなくなっていることに気づいた。

石造りの床の、石と石の隙間の影を高速で移動してきた影によって足を掴まれたのだ。

絶体絶命の危機、とはこういう状況を言うのかもしれない。

キーシャの首筋に、冷や汗が垂れた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第29話 カゲオニ

※再びアキヒコの視点に戻ります。


キーシャと別れて外へ出た私は、しかし無事とは言えない状況だった。

何かできることはないかと考えながら、城の雑草が生えた庭へ降りた瞬間、私の背丈ほどもある草をガサガサと揺らしながら、何者かが急接近してきた。

私は狼狽えて、慌てて触手で城壁を登った。

しかし、それが逆によくなかった。

壁に登った私の影は、月明かりでぼんやりと地面に映し出されたままだったのだ。

突然、目にも止まらない速さで地面から紐のような黒いものが伸びて、私の頭や首を捕らえた。

 

「何ィ…ッ⁉︎」

 

それらは、あのリンセンの影と同じもののように見えた。

だが、キーシャの分身のように心臓を一突きではなく、じわじわと首を締め上げてくるので逆に苦しい。

何とか触手で抵抗しようとしたが、触手は全く影に反応せず、見当違いの方向へ伸びてしまう。

キーシャの言った通り、この能力は動物や物体など形のあるものしか獲物と見做さないようだ。

影は確かに私を束縛しているが、それは恐らく霊力だか魔法だかの効果であって「あちらも触れるからこちらも触れる」という物理法則には則っていないのだろう。

カゲオニといえば、私の世界で影を踏む遊びがあった。

曇りの日などは、影がはっきりとしないので、踏んだ踏まないの言い争いに発展するのを見たことがある。

いや、今そんなことを思い出すのは全くおかしい話なのだが、私の直感が何かを知らせていたのだ。

私はおもむろに、胸からあるものを取り出した。

それを首に巻きつく影に当てると、影はビクッと痙攣して地面まで引っ込んだ。

 

「なるほど、捨てずに持っておいて良かった…」

 

私は壁をさらに高く登りながら、光る苔の付いた石を見た。

人狼と戦ったとき、私の体には無数の傷ができた。

そのうちの胸の傷は、まだ完全に閉じ切っていなかったので、縁に生えた歯の部分に石を噛ませておいたのだ。

飲み込んだらどうしようと思っていたが、幸いにも胸の傷口は大人しかった。

そして、私はもう一つ確認をするために、胸の傷口から肉を一摘み引きちぎった。

何も感じないのが怖いが、今はそんなことよりも確かめなくては。

肉片はすぐに動き出し、独立した生命になった。

 

「さあ、行って来い」

 

私は肉片を影のいた辺りに投げた。

地面に着くと、間髪入れずに影が肉片を串刺しにした。

肉片は苦しそうに悶えていたが、やがて影がゆっくりと沈むと、それに呑まれて消えた。

少し可哀想な気もしたが、元々は私の体だ、爪や皮膚が剥がれたと思えばいい。

 

「これではっきりした。あの影は相手の影が濃いほど殺傷力が上がり、逆に地面から離れたりして影が薄くなるほど攻撃が弱くなる」

 

私は城の屋根まで登り、屋根の煉瓦の一部を砕いて、庭の遠くの方へ投げた。

私を下で待ち構えていた影は、ガサガサと草むらを揺らして、煉瓦の落ちた方へ向かって行った。

その隙に私は裏口へ向かう、あるものを取りに行くために。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第30話 拮抗状態

※キーシャの視点に戻ります


キーシャは影に足を掴まれた。

並みの人間ならそこで終わっていただろう。

しかし、キーシャには霊獣の攻撃への耐性がある。

掴まれた程度なら、霊力を身体の表面に纏って抵抗することができる。

生身の人間なら足首を引き千切られるような締め付けに、キーシャはすんでのところで耐えていた。

すんでのところ、というのは、本当にギリギリの拮抗状態を保っていたからである。

霊力にはそれぞれ属性がある。

基本的な自然界の構成要素である木、火、土、金、水に加え、光や闇、風や動物など、様々な霊力がせめぎ合っている。

霊力の属性同士には相性の良し悪しもある。

キーシャは水の女神なので、火の属性を持つ相手には強いし、他の属性であっても霊力の量で優っていれば負けることはない。

水と闇とでは、相性の明確な優劣はないため、霊力の量が勝敗を決するといえよう。

だが、女神としての膨大な霊力に、『真の闇』の力を有するというリンセンの霊力は勝るとも劣らない量を持っている。

たから拮抗状態なのだ。

そして、そのバランスは恐らく崩れつつある。

巻きついた影が、段々と足を登ってきている。

ナメクジよりもゆっくりな速さだが、着実に登ってきている。

それと同時に、キーシャの霊力が失われていく。

 

「お主…一体何をした…ッ!」

「わしの闇は全てを呑み込む。光さえも、霊力さえもな。そしてより強くなれるのじゃ。お主の霊力も飲み干してやろう」

「ふ、ざけるなッ!!」

 

キーシャは両手を構え、彼女が放てる最大級の技を繰り出そうとした。

が、彼女はいささか冷静さを欠いていた。

突き出した両腕を、待ってましたとばかりに影が拘束する。

 

「しまった…ッ!!」

「ほっほっほ、威勢の良い女神じゃ。殺すのは惜しいのぅ。霊力を吸い尽くしたら、あの方に献上しようかの。若くて気の強い小娘ならお気に召すじゃろう」

「はっ!お主の主人はこんな子供が趣味なのか?支配者が聞いて呆れる、ただ権力を使って自分好みの子供を集めておるだけではないのか?」

 

虚勢を張ってみたものの、今のキーシャの力では間違いなく霊力を奪われて敗北するだろう。

影はもう、キーシャの二の腕や太ももまで迫っていた。

全身の霊力が徐々に蝕まれていく感覚は非常に不快で、腹立たしかった。

そこへ、アキヒコから再び声が届く。

 

(キーシャ様、どんな状態です?)

(ふん、お主に見せてやれぬのが残念よ。かの女神キーシャが下級霊獣に弄ばれて手も足も出んわ。お主は早く逃げろ。その力なら城の外まで跳ぶのは容易いであろう)

(逃げませんよ、私は強く生きると決めているので)

(愚か者、逃げることも強さだ。お主では勝てぬ)

(ええ、たしかに逃げることも強さです。でも今じゃない。貴方と私が力を合わせれば勝てます。もう少しだけ耐えてください、すぐ行きます)

 

アキヒコが何をするつもりなのかさっぱりだが、いずれにしろ耐えるしかないので、諦め半分でキーシャは待つことにした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第31話 強さへの渇望

※今回はリンセンの視点です。


ソレは、気がついた時にはカゲオニだった。

いつ生まれたのかはわからないが、とある洞窟の中で意識を持ったのはおよそ100年前だ。

カゲオニには、人間の死体の影に潜んで、その死体を自分の肉体にする性質がある。

しかし、周囲のカゲオニは誰一人、肉体を持っていなかった。

洞窟にやってくる人間が少ないというのもあるし、カゲオニ達は皆、光を恐れて外へ出たがらなかったのだ。

ソレは違った。

外の世界を見たかったし、光に怯えて暮らすのは窮屈で退屈だった。

だから洞窟の外へ出かけた。

ある男の葬式があった。

その男の死体が埋められた後、ソレが取り憑いた。

男の名はリンセン。

今はソレが名乗っている名前だ。

リンセンは、その顔立ちから神経質で嗜虐的な性格だと思われている。

同胞達のそうした認識は、リンセンへの評価の箔になったので、彼自身もそのように振舞っている。

しかし、本質は少し違って、外へ向けられた好奇心と、小動物のように潜み暮らすことへの反発、それ故に力への渇望が強いのだった。

彼はひたすら強さを求めた。

『あのお方』に出会ったのも、光すら飲み込む『真の闇』の力を手にしたのも、決して偶然ではあるまい。

求め続けたからこそ、運命が拓けたのだ。

少なくとも、リンセンはそう信じていたし、今も強さへの渇望は消えていない。

今、彼が拘束しているのは、自称水の女神だ。

女神の真偽はともかく、この娘が見せた莫大な霊力を用いた術は間違いなく本物だ。

そして、その術をリンセンは飲み込むことができた。

ならば、勝ったも同然だ。

この娘の霊力を絞れるだけ絞り取って、彼はさらに力を増すことができる。

奴隷なぞどうでもいい。

分身の下僕が始末するだろう。

 

「どうした?さっきまでの威勢はどこへ行った?もっと抵抗すれば良かろう。出来ればの話じゃがな」

 

もはや赤子の手を捻るより造作もない単純作業の中、リンセンは四肢を縛られたキーシャを挑発する。

しかし、キーシャは、その深い緑色の瞳で、リンセンをジッと並んだまま押し黙っている。

リンセンは弱者を嬲って快楽を得る気質ではないが、少し妙だと感じ始めていた。

キーシャの表情は、その無抵抗な態度とは裏腹に、諦めていないという確かな意志を持っている。

 

「よもや、あの奴隷が助けに来るのを期待しておるのか?やめておけ、彼奴は他の奴隷を残して脱走した臆病者じゃ、今頃投げ損ねてわしの影に串刺しにされておるだろうよ」

 

すると、キーシャはようやく口を開いた。

 

「…お主は人間という生き物を知らんようだな。当然か、死体にしか取り憑けぬのだから。人間はな、大体バカだ。自分で賢い、偉いと思っているバカもいれば、自分がバカだとわかっているのに変わろうとしないバカもいる。だが、そのバカさ故に、奇跡を起こすこともある。そういうところが、わたしは気に入っている。お主ら本能のままに存在するだけの霊獣よりずっと強いわ」

 

強い、という言葉がリンセンの癪に触った。

感情的に手足の拘束を強める。

ギリギリと締め上げられて、キーシャは苦悶の表情を浮かべる。

 

「愚かな女神もいたもんじゃ、自分より弱い者は支配し、搾取するためにあるというのに。つまらん、さっさと霊力を吐き出せ」

「残念だがお遊びは終わりだ、変態ジジイ」

 

突然、頭上から声がした。

リンセンの足下へ映し出されたコウモリを象った天窓の影に、異物の影が混じる。

見上げると、吹き抜けの四階の手摺りに、アキヒコが乗り出していた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第32話 心臓と脳天

※引き続きリンセン視点です。


「愚かな。まさか本当に戻ってくるとはな」

「言っとくが、俺はあの御者だって倒したんだ、あんたみたいなヒョロいジジイに負けるもんかよ」

 

月明かりを背にしているので顔は見え辛いが、あの声と背格好はアキヒコに相違ない。

リンセンは、こういう口だけは一人前な奴隷や霊獣を何人も見てきたが、それらは全て彼の『真の闇』に串刺しにされ、霊力となって消えた。

何か準備をしてきたのだろうが、この短時間で『真の闇』に打ち勝つ方法など思いつきはしまい。

 

「わしの下僕からは上手く逃げてきたようじゃが、ここにいる時点で賢いとは言えんな。待っておれ、小娘が力尽きたらお前の番じゃ。心の臓を一撃で貫いて殺してやる」

「さっきと言ってることが違うな、一思いに殺さないんじゃあなかったのか?言ってることがコロコロ変わる爺さんだ、耄碌してるのか?」

 

アキヒコは、まるで恐るるに足らずと言った不動の姿勢で見下ろしてくる。

リンセンのこめかみがピクリと痙攣した。

 

「本当に心臓を一撃で串刺しにできるならよ、さっさとやれよ。躱してやるからよ。てめえの影のネタはもうわかってんだ。その分身とやらで試したからな。高いところまで登りゃあ動きが鈍る。さあ、早くやれよ、どうなるか楽しみだぜ。俺が躱した時がてめえの最期だ!」

 

そう言ってアキヒコは唾を飛ばしてきた。

リンセンはそれを影で避ける。

リンセンは心底ウンザリしていた。

この男の考えはわかっている。

アキヒコと御者の戦いは見張りの分身から報告を受けている。

こいつは腹わたを抉られても死ななかったし、御者や狼を食らうことで回復した。

ならば、例え心臓を抉ったとしても死ぬ保証はあるまい。

頭だ、頭も同時に貫くのだ。

それで死ななかったとしても、動きは一定時間止まるだろう。

その間に影に飲み込んでしまえばいい。

『真の闇』に飲まれたものは、どんなものであろうと霊力を吸い尽くされて消滅する。

 

「そんなに死に急ぐなら、望み通りにしてやる」

 

リンセンは、床に映ったアキヒコの影へ自分の影を伸ばした。

瞬間、矢よりも速く、黒い棘が上空へ疾った。

心臓と脳天へそれぞれ一本ずつだ。

回避が間に合うはずもなく、アキヒコは貫かれた。

 

「愚か者めが。影の射程は高さではないわ。これだけくっきりと影が映っておれば、距離は関係ない。『影に触れる』という行為が完了した時点で、我が影は標的を決定している。躱そうが防ごうが無駄なことよ。己を過信したお前の負けじゃ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第33話 亀裂

※ここからはアキヒコの視点に戻ります。


やはり私の考えは正しかった。

激痛に意識を失いかけながらも、作戦が上手く行ったことに内心で安堵した。

確かに、リンセンの影は私を貫いている。

ただし、頭と心臓ではなく、首筋と腹だ。

腹はさすがに思い切り串刺しにされてしまったが、首は皮一枚で掠めただけで済んだ。

 

「何じゃと⁉︎馬鹿な、確かに頭と心臓を狙ったはずじゃ!」

(そうさ…お前は、影の頭と心臓を狙ったんだ…だが…床に映った影は私のじゃあ、ない…)

 

4階から見下ろす私の背後には、蝙蝠を象った天窓がある。

その天窓に、私の体よりほんの少しだけ大きめの、人型の板が張り付いていて、リンセンの影はその板の頭と胸に当たる部位を貫いているのだ。

思った通り、奴の影の棘は、私の触手と同じで持ち主の思い通りに動く訳ではなく、ある条件で自動的に動いている。

その条件とは、触れた影の原因となる物体のみを狙うというものだ。

例えば、私の影がより大きな物体の影の中に完全に隠れてしまえば、その大きな物体をターゲットにするので、私は回避すれば攻撃を免れるわけだ。

ただ、それは私の影よりも物体の影の方が濃く投影されていなければならない。

数分前、私は閉じ込められていた例の階段下の物置に向かい、壊れた箪笥の板を私より少し大きいシルエットになるように加工した。

そして、リンセンに気づかれないように4階まで登った後、物置から持ってきた蝋燭の蝋を溶かして板に垂らし、手摺りへ身を乗り出すのと同じタイミングで、背後の天窓にくっつけたのだ。

リンセンはまんまと板の影を私の影だと思い込み、床に映った板の影をターゲットにした。

私は真っ直ぐに自分へ向かってきた(正確には板に向かってきた)影の棘を、少し体をずらして致命傷を避けるだけで良かった。

リンセンはまだ状況を正確に把握していないようで、慌てて影の棘を引っ込めようとした。

 

(そう、それも予想通りだ…そのまま棘を引っこめればいい)

 

棘は、私を貫通し、さらに板を貫通している。

板は蝋で天窓にピッタリと貼り付いているのだ。

つまり、天窓にも穴が空いている。

2本の鋭い棘によって、弾丸が通過した後のように穴が空き、ヒビが入っている。

私の身体はというと、腹に刺さった棘と一緒に下へ引っ張られている。

この引っ張られる力が必要だったのだ。

私は、既に両腕の触手を天窓に貼り付けていた。

棘を引き抜く力、そして私の触手が天窓を引っ張る力、両方が合わさった。

 

ビシッ

 

背後でガラスに亀裂の走る音が聞こえる。

 

「‼︎しまった…ッ‼︎」

 

リンセンが気づいた時にはもう遅い。

天窓はガシャンと盛大に割れ、棘に引っ張られる私の体と共に広間の床へと落下し始めた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第34話 光るガラス

(アキヒコ!お主、生きておるのか⁉︎)

 

そのまま気絶していれば床に叩きつけられていただろう。

だが、キーシャの声が頭の中に響いたことで、反射的に私は覚醒し、3階の手摺りに触手を巻きつけた。

腹に刺さった影の棘は抜け、リンセンの元へ戻っていく。

 

「ぐあああああああああーっ!!」

 

リンセンの身体や床には、割れた天窓のガラスが降り注ぎ、容赦なく破片が突き刺さる。

さぞ苦しいことだろう、あの天窓の破片は。

 

(大丈夫です、なんとか生きています)

(…はー、全く変わった男だな、一体何をしたのだ?なぜ彼奴はガラスの破片程度で苦しんでおる?)

(おかしいと思ったんです、私が外に出た時、月は出ていましたが、この広間の床のようにハッキリと影を映すほどの明るさじゃあなかった。そこで奴の影が相手の影の濃さで威力の変わることに気づきました。キーシャ様を縛っている影も、廊下が暗いから串刺しするほどの威力にならなかったんです。さらに、天窓を外から見てみたら、ガラスそのものが光っていました。リンセンの言っていた『真の闇』っていうのは、天窓を使った仕掛けなんじゃあないかと考えて、賭けに出てみたって訳です)

(ふむ、月明かりそのものではなく、天窓に何らかの細工をしておったのか。よく気づいたな、大したものだ。わたしも奴の力が弱まって自由になったぞ)

 

そう言うと、キーシャは廊下から広間へ出てきた。

そして、私を見上げて手を伸ばしてきた。

 

(さあ、そのケッタイな能力でわたしを引っ張り上げろ)

(え、いや、しかし…)

(お主がさっき、わたしの分身にそれを伸ばそうとして躊躇したのはわかっておる。それは触れるもの皆壊そうとする性質なのであろう?だが案ずるな、お主がわたしを気遣うその気持ちがあるなら大丈夫だ)

 

私は少しの間悩んだが、キーシャのどことなく人を安心させる表情を見て決心し、ぶら下がっている方と逆の腕の触手を彼女に伸ばした。

触手はキーシャの腕を締め上げそうになったが、私が何とか力を加減しようとゆっくり腕を引き上げたのと、キーシャ自身が身体の表面に霊力で何らかの防御を施したおかげで、無傷で彼女を引き上げることができた。

一方、リンセンは苦しみ悶えながらも、床を這いずって玄関の大扉へと向かって行く。

彼が今苦しんでいる理由は、おそらく彼の強力な力の源である天窓の、蝙蝠の模様が落としていた濃い影を失ったことに加え、弱体化した影や肉体に光るガラスの破片が突き刺さったからだろう。

物理的な破片のダメージと、光による霊的なダメージが同時にリンセンを襲っているのだ。

それを見てキーシャは言った。

 

「自分で用意した細工が仇になるとはな。いや、わたしも此奴のことを言えぬか。カゲオニと侮っていたが、なかなか知恵者だったことは認めねばなるまい」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第35話 カゲオニの最期

※今回でリンセンの最期の視点になります。


リンセンはかなりの深傷を負っていた。

肉体の方は、大きなガラスの破片が4階分の高さから落下してきたので、右眼と左肩、背中、腕、足、あらゆる場所に突き刺さるか裂傷を負った。

そして、肝心の影の方に、彼がこれまで受けたことのないほどのダメージを与えられていた。

天窓は、リンセンが『真の闇』の力を発揮する上で無くてはならない道具だった。

この天窓のガラスには、ルクラド城周辺に点在する天然の地下空間に多く生えているゲッコウゴケという苔を埋め込んでいる。

この苔は暗闇の中でもぼんやりと発光するが、月の光を浴びることでさらに輝きを増し、それと同時に霊力を発散するようになる。

それをガラスの中に閉じ込めれば、地上にありながら月と同じ輝きを放つ窓が出来上がる。

そして、その窓にあのお方の象徴たる蝙蝠の意匠と霊力を一箇所に集める魔法陣を描くことで、カゲオニの「影が薄くなると弱体化する」という弱点を克服する、常に霊力を持った濃い影を投影する自陣が完成したのだった。

リンセンはその場から動かずに全力で戦うことが出来るこの術に惚れ込み、奴隷を使ってルクラド城の地下に人工的な洞窟を作った。

そこに多くのゲッコウゴケを繁殖させて、さらに多くの自陣を用意する計画を進めていた。

なのに、冴えない顔の奴隷ごときにあっさりと仕掛けを見破られ、しかも放っておけば死に至るようなダメージまで負わされてしまった。

天窓を失うことによる弱体化と、割れたゲッコウゴケ入りの光るガラスがリンセンの影の本体に刺さったのだ。

熱した針を身体中に突き刺されたような苦しみだけではなく、霊体の7割を削り取られ存在の危機に瀕しているという事実がリンセンを恐怖に陥れた。

逃げなくては。

とにかくこの場から逃げて霊力の回復を行わなければ。

100年使い続けたこの肉体も捨てねばなるまい。

あと少し、あと少しで大扉を開けられる。

弱った身体で、やっと外へ出た彼は、しかし一縷の希望すら絶たれていた。

燃えている。

ルクラド城の庭が、彼がわざと生え放題にしていた草むらが燃えている。

すぐに逃げ込める濃い影はどこにもない。

後ろから奴隷の声が聞こえた。

 

「あんたが物置に置いてくれてたマッチ箱だ、ありがとよ」

「そしてこれはわたしからの礼だ、安らかに眠るがいい、リンセン」

 

肉体を背中から貫かれる感覚。

見下ろすと、リンセンの胸から水の槍が突き出ていた。

 

「クソ…もっと強くなるはずだったのに…わしは…」

 

肉体への致命的攻撃による霊体の分離が起きる。

そして分離され、拠り所を失った霊体はわずかな時間も保たず霧散する。

リンセンの意識は永遠に途切れた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第36話 束の間の幸福

「………っはあぁ〜疲れた〜」

 

リンセンが完全に死んだことを確認し、私が庭に付けた火を消火した後、キーシャは灰だらけの地面にバタリと仰向けに倒れた。

 

(服が汚れますよ)

「どうでも良い。そんなことより本当にお腹が空いたぞ。霊力も大量に使ったし、何か食べないと本当に動けなくなる」

(…あ、ちょっと待っていてください)

 

私は急いで調理場に行った。

思った通り、昼間に食べたパンがまだバスケットの中にある。

他にも何かないか探してみると、ベーコンとかハムのような保存肉と、チーズと思われるものも見つけた。

それらと、調理場にあった薪やナイフなどをいくつか持って戻る。

パンを見た途端、キーシャの瞳が輝ぎ、すぐさまかぶりついた。

 

「うん…うん…美味しい!このパン美味しいぞ!」

(今お肉も焼きますから)

 

残っていたマッチで、燃えやすく組んだ薪の下に、その辺の小枝などを集めて火をつける。

リンセンの死体が気になったので、広間のところまで引っ張って行って大扉を閉めた。

いくらこの世界の在り方に慣れてきたとはいえ、死体を横目に飯を食べさせるのは気が引けた。

パチパチと焚き火が明るくなってきたところで、保存肉をナイフで削いで、それを串に刺し、ついでにチーズも乗せて炙った。

キーシャはパンを食べる手を止めて食い入るように肉を見つめている。

さっきまでの死闘が嘘のように、その姿は年相応の少女のものだった。

やがて香ばしい肉の匂いが漂い始める。

私はキーシャのパンを取ろうと手を伸ばしたが、キーシャは怪訝な顔でサッと躱した。

私がさらに手を伸ばすと、さらに躱した。

 

「な、なんだ、このパンはやらんぞ」

「誰も取らねーよ!肉を挟んでやるからよこせってんだ!あっ…」

 

つい口に出してしまった。

キーシャは少し赤面した。

 

(す、すみません。お肉挟んであげるからパンを渡してください…)

(う、うむ、すまぬ。わたしも、ちと食い意地が張っていた…面目ない…)

 

そう心の中で言って、素直にパンを渡してくれた。

パンも少し火で炙った後、ナイフで半分ほど切って、間に串を挟む。そのまま串だけ引き抜けば、ホカホカのベーコンチーズパンの出来上がりだ。

 

(どうぞ)

「うむ、いただくぞ!」

 

キーシャはパンを受け取ると、待ち切れないとばかりに半分ぐらい口に入れて頬張った。

 

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!」

 

声にならない声を上げている。

どうやらお気に召したようだ。

彼女が夢中で食べている間に次のを焼き始める。

パンはあと2つ残っている。

本当はこんなに悠長な食事をしている場合ではないのだが、とにかく私達は疲弊していたのだ。

少しくらい食べて、束の間の幸福感を味わっても良いだろう。

焚き火を囲んで、私はベーコンチーズパンを一つ、キーシャは二つをモリモリと食べた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第37話 エストリノ王国

「さて、腹も満たされたし、一眠りするか」

(ちょっと!)

「冗談だ。お主の知り合いの娘を助けにいくのであろう、わかっておる」

 

私だってできることなら眠りたい。

脱走からここまでおそらく相当時間が経っている。

今は夜中の何時頃だろう。

私は普段、朝5時に起きるために10時には就寝しているのだ。

戦っている最中は無我夢中だが、今のようにちょっと落ち着くと途端に眠気が襲ってきている。

しかし、連れ去られたローレを救出しないことには、安心して眠ることなどできない。

幸いにも、このルクラド城から出る道は一本道らしいので、頑張れば馬車に追いつけるはずだ。

 

(キーシャ様、もしかして空を飛べたりします?)

(頑張れば飛べんこともないが、今は霊力が十全ではないからのう。走るより他あるまい)

(わかりました。では背中に掴まってください)

 

私はキーシャをおんぶする格好で背負う。

子供なので楽に運べそうだ。

脚にバネの触手を展開し、私は一本道を跳躍した。

 

「おおー、こりゃたまげた。いや、気持ち悪いとか言ってすまなんだ、なかなかどうして便利な能力ではないか!」

(喋ってると舌を噛みますよ。どれくらいで追いつけるかわかりませんが、これなら馬車より速いはずです。ところで、キーシャ様の知っているこの国の話をしていただけませんか?他所者なので、まずそこからわからないんです)

(ふむ、良かろう。道中暇だしな)

 

キーシャの語ってくれた歴史は以下の通りである。

この国はエストリノ王国と呼ばれ、この世界に唯一の大陸の半分を占める大国である。

古代には様々な神や霊獣、人間が混在していたらしいが、およそ1400年前に起きた大災害を発端に、神々のほとんどが消え、生き残った人間の時代が始まったという。

エストリノ王国は、その人間の中でも多く英雄を輩出したルクラド家が王族として統治していた。

しかし、現在どうして霊獣による支配が行われているのかはキーシャにもわからないらしい。

 

(ま、わたしも大災害を生き残った神の一柱だが、人間の文明が安定してきたのを見届けた後は眠りについたからのう。それが1000年ほど前のことだ)

(さっきのルクラド城の裏にはルクラド家の墓らしきものがありました。あのリンセンというカゲオニも、ルクラドを名乗っていましたね)

(そうだ、彼奴は人間の死体に宿っていたに過ぎないが、よりによってルクラドの家系の者に宿っておったのは不穏だ。王家の力が衰えておるということかも知れぬ。わたしがお主に起こされたのも、おそらく人間の危機を悟った教徒達が、後から来るふさわしき者に希望を託すために仕向けたからであろう)

(…私が、ふさわしき者なんでしょうか?)

(それはな…ん?)

 

キーシャが何か話しかけた時、道の前方に明かりが見えた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第38話 ローレの救出

道の先を行く明かりは馬車のものだった。

御者が道を照らす為にランプを灯しているようだ。

まだこちらに気づく様子はない。

私は着地の際に、可能な限り音を立てないよう慎重に距離を詰めていく。

見覚えのある馬車だ。

私とローレをルクラド城へ連れて行ったものと同じだ。

ローレを乗せた馬車と見て間違いないだろう。

キーシャが心の声で囁く。

 

(さあどうする?優しく止めるか、手荒に行くか)

(御者も多分霊獣でしょう。手加減してたらこっちがやられます)

(そうか、ならばわたしに良い考えがあるから聞け)

 

私はキーシャの作戦に従った。

まず、キーシャの術で馬車の進行方向に霧を発生させる。

彼女は水なら霧でも

 

「なんだぁ?急に霧が出てきやがった、クソ」

 

御者は不満気に馬の速度を落とした。

私は霧で見えないのを利用して高く跳躍し、馬車を追い越した。

そして、着地の勢いのまま、今度は馬車の上の御者を目掛けて跳ぶ。

 

「ギャッ⁉︎」

 

私の膝が御者の喉に直撃し、背後の馬車の壁に激突した。

キーシャはタイミング良く私の背中から馬車の屋根に着地し、すぐに術を解いて霧を払った。

そして、彼女は馬の手綱を握る。

 

「どう、どう、よーしよし、良い子だ」

 

馬は特に暴れることもなく、ゆっくりと減速する。

 

(馬の扱いも手馴れてますね)

(わたしを誰だと思っとる、女神だぞ。馬くらい乗ったことあるわ。そんなことより、早く中の娘を確かめい)

 

私は馬車の後方に向けて、屋根に腹這いになり、荷台の扉を触手で強引に開けた。

暗くてよく見えないが、中には確かに人が1人いる。

 

「ローレ?」

 

私が呼びかけると、人影はピクッと動いて声を発した。

 

「…誰?」

「俺だよ、アキヒコだ。助けに来たよ」

「まあ!アキヒコ?あなた、言葉がわかるのね!」

「そうだよ!君の名はローレだろう?」

「そうよ、ローレよ。嬉しいわ!あなたとお話しできて」

 

私も嬉しかった。

この世界に来て、初めて意思の疎通をして、しかも優しく接してくれたこの少女の言葉がはっきりとわかる。

たった2日しか経過していない出会いだが、感慨深かった。

 

「あなたが逃げ出したから処刑するって聞いて、私も別の場所へ連れて行くって言われて、不安でたまらなかったわ。良かった、アキヒコが生きていて」

 

キーシャは馬車を止めた。

私は屋根から降り、ランプを持って馬車の中は入った。

ローレは特に傷つけられた様子もなく、同じ服装で、同じ足枷をされていた。

しかし、その瞳にはランプの明かりが反射し、美しく輝いていた。

私はこの輝きを救う為にここまで追って来たのだ。

かくして私、ルクラド城からの脱出、及びローレの救出という二つの使命を果たされた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第39話 エストリノ四大守護神

その日の夜は、ひとまず野宿をした。

屋敷から持ってきたマッチや薪、そしてわずかな食料があったので、道の脇に馬車を移動させて、なるべく道から見えにくい森の中で火を焚いた。

御者の死体は、ローレに見えないように別の場所へ埋めた。

ついでに、ずっとボロボロの奴隷の服を着ていたので、御者から服だけ失敬した。

この世界の衣服、特に庶民の者はかなり簡素で、上着とズボンを腰布で縛っただけであったが、少なくとも奴隷服よりは着心地が良かった。

食料はベーコンとチーズしか残っていなかったが、ローレはそれをしきりに「美味しい」と言って食べた。

 

「しかし、今は夏であろう?なぜ夜がこんなに冷えるのだ?」

 

キーシャがローレに尋ねた。

確かに、我々が誰かに見つかる危険を冒して焚き火をしているのは、寒さも理由の一つだった。

昼間は私も川を見つけられれば泳いで逃げられるなどと思うほど温暖な気候だったのだが、夜が更けるにつれて震えるほど気温が低下してきたのである。

ローレは悲しげな顔で語った。

 

「四年前に霊獣が突然強くなったの。霊獣の王と呼ばれた者に率いられて群れになった霊獣が、エストリノの色んな場所を襲ったわ。その中の一つにサキバト様の聖地もあった…」

「なんと…⁉︎サキバト殿の…そうか、土地から火の神の加護が失われれば、確かにこの異常な気候も納得できる」

「ちょっと待ってくれ、そのサキバト様っていうのは?」

 

キーシャは事情のわからない私に説明してくれた。

 

「エストリノ王国の土地は全部で四柱の守護神によってバランスをとっているのだ。風の神ズダウリ、土の神カダラ、火の神サキバト、そしてわたし、すなわち水の神キーシャ」

「まあ、あなたキーシャ様と同じ名前なのね!素敵!」

 

ローレが目を輝かせてキーシャの手を取った。

キーシャは呆れたような、苦笑しているような微妙な顔をした。

 

「と、ともかく、その四つの力が均衡になることで、人間の暮らしを安定したものに保ってきたわけだ。神が眠りについても、人々が信仰する限り加護は永続する。だが…神も無敵ではない。もし不心得者が聖なる寝所を襲い、寝首をかいたとしたら。均衡が崩れて不安定な時代が来るだろう。もう来ておるかもな」

 

キーシャは、顔にどこか寂しげな色を浮かべている。

 

(キーシャ様、もしかして、そのサキバト様はお知り合いだったのですか…?)

(………古い付き合いだった。気は合わなかったが、決して悪い神ではなかったよ。奴の憎たらしい笑みがもう見られないと思うと、ちょっとな…)

(…じゃあ、サキバト様の仇を討つためにも、アイナーマルへ急ぎましょう)

(たわけ、人の分際で神の仇などと。わたしは人の世を守るために行くのだ)

 

側から見れば無言で見つめ合う私達を、ローレは不思議そうな顔で見ていた。

我々はしばらく火で温まった後、ローレとキーシャは馬車の中で、私は御者の席にうずくまって眠った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第40話 ヨミはかく語りき

眠りに落ちた後、案の定というか、やっぱり私は神様とヨミのところへ戻っていた。

たった数時間前に話したのだが、久しぶりにヨミの顔を見た気がする。

 

「随分かいらしい女の子に囲まれて楽しそうやなぁ、アキヒコくん」

「…楽しいとか、そんなどころじゃなかったですよ」

 

ヨミの笑顔にどこか違和感を覚える。

以前はからかっている様子だったが、今は作り笑いを無理矢理しているように思えた。

 

「何か怒ってます?」

「…べつにぃ〜?ウチはただのメッセンジャーやし?アキヒコくんが最終的に悪い王様を倒しさえすれば、途中で何やろうと関係あらへんし」

 

ああ、そうか。

彼女は能力の覚醒を教えてくれたにも関わらず、私が感謝の意を示していないことに怒っているのだ。

 

「ヨミさん、あなたのアドバイスのおかげで助かりました。ありがとうございます」

「はあ、おおきに」

 

ヨミは作り笑いを止め、浮かない顔で返事をした。

心がこもっていなかっただろうか?

しかし、元はと言えば、私は理由も聞かされず、半ば強制的にあの異世界へ飛ばされたのだ。

むしろ、反抗せず素直に指令に従っていることを感謝されてもいいくらいではないか?

やるべきことが出来たのは事実だ。

あの世界の虐げられる人々を救いたいという気持ちは本物である。

しかし、疑問はまだ多い。

 

「そろそろ教えてもらえませんか、なぜ私が選ばれたのか?あの世界を救うのなら、あの世界の住人に頼めば良かったのではないですか?魔法が一般的に存在する世界ですし、無知な私よりも理解が速いのでは?」

「…せやな、少しだけ話してもええって神様も言うとるし」

 

そう言うと、ヨミは近くの地面から盛り上がった巨大なミミズに腰かけた。

 

「えぇ…?」

「さ、君もここに座りや」

 

隣のミミズをポンポンと、いや、ピチピチと叩く。

私は我慢してそこへ座った。

気持ち悪い。

尻の下に巨大な虫がいるなんて鳥肌がたつ。

ヨミは気にせず話し始めた。

 

「まず、答えられることと答えられへんことがある。答えられへんのは、アキヒコ君が選ばれた理由や。これは神様の指令を遂行した後で話したる。答えられることは、神様がこんなことをしてる理由や。これは簡単で、世界を守るためや」

「世界を守る?何のために?確か見捨てられた神様でしょう、自分を見捨てた世界を守るんですか?」

「もうわかっとるやろうけど、世界ゆうんは一つやない。神様には神様の、アキヒコ君にはアキヒコ君の世界がある。そして、世界同士はトンネルみたいに出入り口が繋がっとる。でも、必ず出入り出来るとは限らんねん。行ける場所とそうやない場所がある。ほんで、君の住んどる世界と、神様の世界、つまりここやな?この二つは特に強い因果で繋がっとるんや。君の世界で何かあれば、ここにも影響が出て来るくらいにな」

「何かって…?」

 

ヨミはこちらを向いた。

血のように赤い瞳が私の目と合う。

 

「侵略や」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第41話 因果

「侵略って…そんなの世界中で未だに起こっていることじゃあ…」

「それは人間同士の侵略や。神様は人間同士の問題に興味あらへん。

最も危惧しとるんは、世界の外からの侵略や」

「世界の外…今私がいる異世界みたいなところからですか?」

「せや。アキヒコ君の世界は特に蜘蛛の巣の中心みたいに無数の世界と繋がっとって、今いる異世界もその一つに過ぎん。逆に、この神様の世界は、アキヒコ君の世界としか縁がない。出入り口が一つしかないわけやな。もし、アキヒコ君の世界が異世界に侵略されてしもたら、神様の世界にも侵略が始まる危険も高まる。で、今いる異世界でまさに侵略者の芽が出とる。放っといたら100年後にはアキヒコ君の世界がピンチになるんや」

 

確かに、もし人狼やカゲオニ、それに屋敷の地下で感じた悍ましい存在が私の住む世界に来たらと思うと恐ろしい。

 

「つまり、『神様の世界』の玄関口である『私の世界』を守るために、私が選ばれたんですね?なぜ私なのかは置いといて、神様は『私の世界』からでないと人選できないんですね?」

「おお、理解が早いな〜、お利口お利口。神様は君の世界との縁を通じてしか異世界へ干渉できへんのや。直接の行動は誰かに代理を務めてもらわなあかん。というわけや、自分のためにもなると思うて、異世界を魔の手から救ってあげてや」

 

私は、神様が住むという空中の要塞を見上げる。

空は相変わらず曇天で、時折走る稲光が要塞の不気味な影を雲に映す。

私の価値観からすれば、あれはどう見ても邪神とか悪魔とかの根城に見えるのだが、ヨミはあの神様が世界を守っているのだと言う。

話を信じる信じないに関わらず、もしここで反抗したとして、元の世界に戻して貰えなくなったなら、母は間違いなく心臓発作で死んでしまうだろう。

私は、過去に2回、倒れた母を救急車を呼んで病院に連れて行った。

もし、私が気づかなかったら誰も母の発作に気づかず、また自力で助けを呼ぶことも困難だっただろう。

神様への反抗は、私が間接的に母を殺すことに繋がってしまう。

大げさかもしれないが、因果関係は明らかだ。

母を死なせないため、そして私の世界を守るために、異世界を救うことに躊躇いは不要だろう。

ふと隣を見ると、ヨミは目を閉じて耳をすませるポーズを取っていた。

 

「………さっそく神様からのお告げや。『ヘレク山へ向かえ』やて」

「ヘレク山…異世界にそういう地名があるんですね」

「多分な。ウチも行ったことないさかい、アキヒコ君が確かめるしかないな。やってくれるか?世界の救済」

 

私は立ち上がって両頬を手で叩いた。

そしてヨミに向き直る。

 

「やります!私に出来ることがあるなら」

「ええ顔になったで、男前やな。ほな、よろしく〜」

 

私の意識は急速に遠のいた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第42話 冷たい追跡者

「アキヒコ!呑気に寝とる場合か、起きろ!」

 

私はハッと目を覚ました。

馬車の上で毛布を被っている私の上に、キーシャが乗って体を揺すっている。

 

「な、なんだよ急に。今何時だ?」

(誰に口をきいとる!)

(あわわ、失礼しました!それで、どうしたんですか?)

 

寝ぼけた目で周囲を見回すと、まだようやく空が明るみ始めたばかりだった。

どうやら早朝に叩き起こされたらしい。

ということは、4時間くらいしか寝ていないということになる。

眠くてしょうがなかったが、それでも神様の力で鋭くなった直感がすぐに働いた。

私達のいる場所は、森に囲まれた一本道の傍だ。

左右を挟むその森から、殺気が迫っていた。

一つではなく、複数。

脱走した時に私を追ってきた狼達に似た群れに囲まれているようだ。

 

(霊獣でしょうか?)

(わからん。わたしは馬車を出す準備をするから、ローレを守ってやれ)

 

言うが早いか、キーシャはしゃがんでいた馬をなだめ、立ち上がらせた。

私は馬車の中で不安げにしているローレのそばにいながら、馬車の周囲に気を配る。

ガサガサと茂みを掻き分けて、確実に何かが接近している。

馬車の出入り口から見て左に2、右に3体と言ったところか。

キーシャは手際よく馬車を発車させた。

二頭の馬はパニックになることなく走り出す。

すると、近づいて来ていた5体の何かも、明らかに速度を上げた。

獣の唸り声も、息遣いすら聞こえないので不気味だった。

まるで機械か何かが追いかけて来ているような冷たい印象を受けた。

しかし、それは獣のような執念さで距離を少しずつ詰めて来ている。

 

(キーシャ様!馬車が襲われるのも時間の問題です!私が戦います!)

(待て!わたしが牽制するから、よしと言うまでジッとしておれ!)

 

外からキーシャが水の矢を放つ音が聞こえた。

しかし、追ってくる気配は全く怯む様子もない。

私はいつでも扉を開けて触手を伸ばせるようにした。

突然、右にいた3体の足音が途切れた。

すると次の瞬間

 

ドサッ

 

(屋根に付かれた!今だアキヒコ!)

 

私は扉を開けて触手を屋根の上にめちゃくちゃに伸ばした。

何かを捕らえた感触が腕に伝わる。

 

「ローレ、心配するな。すぐ戻るから!」

 

縮こまってこくこくと頷くローレを置いて、私は素早く屋根に登って扉を閉めた。

屋根の上では、キーシャが後ろを振り返りながら、既にソレと交戦していた。

 

「早くなんとかせい!わたしの水では埒があかん!」

「な、なんだ、このバカデカい…」

 

私はそこにいたモノの予想外の姿に唖然とした。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第43話 人面蟲

ソレは、巨大なサソリのように見えた。

しかし、ただ巨大というのではなく、明らかに普通ではない歪な容貌をしていた。

体型そのものは、サソリというよりクモである。

発達した長い8本の脚が、頭胸部と思われる部位から生えていて、腹部は大きく盛り上がっている。

しかし、その腹部から3本の長い尾が伸びていて、それぞれの先端に鉤状の鋭い針を備えているのだ。

そして、これが最も悍ましいもので、頭胸部には、まるで仮面を被ったかのように、無表情の人間のような白い顔がくっついているのである。

その顔には複数の目玉が並び、絶えずギョロギョロと周囲を見回している。

中型犬ほどもあるその人面グモ(いや人面サソリか?)が、3匹も馬車の屋根に張り付いて、キーシャを攻撃しているのだ。

キーシャは水の魔法で盾のようなものを作って防御していたが、合計9本もの針があらゆる方向から伸びてくるのをいつまでも防ぐのは困難だろう。

私の触手は最も後方に張り付いた1匹を捕らえていたが、頑丈そうな殻に覆われているせいか私に気づく様子がない。

振り返ると、馬車の左後方からも同じ人面グモが迫っていた。

無表情のまま、脚だけをせかせかと動かして追いかけてくる姿は鳥肌が立つほど不気味だった。

 

「このっ!」

 

私は触手で捕らえていた1匹を後ろに向かって思い切り引っ張った。

幸い、それほどの重量ではなく、触手の怪力で容易に投げ飛ばすことができた。

投げ飛ばした1匹は、そのまま馬車の後方を追いかけてくる個体に激突した。

大したダメージではなさそうだが、わずかに足止めすることはできた。

 

「キーシャ!伏せろ‼︎」

 

私の叫び声にキーシャはタイミングよく座席へ身を屈めた。

私は足にバネの触手を展開し、屋根の上を跳んで人面グモの1匹に蹴りを食らわせた。

バネの反発で馬車の進行方向へ吹っ飛んだ個体は地面に落下し、起き上がる暇もないまま、2頭の馬の蹄でグシャグシャに踏み潰された。

屋根に残った1匹は、私の存在にようやく気づき、くるりとこちらを向いた。

 

「オオオオオオオオオッ!」

 

およそ人間の口から出るとは思えないような、地獄の底から響くような奇声を上げ、人面グモは咆哮した。

人面と思われた顎の部分が左右に開き、いわゆる鋏角のような形になっている。

口には人というより肉食獣のような牙がびっしりと並び、鼻から上の人面部分とのアンバランスさをより際立たせていた。

 

「なんて醜い顔だ、整形してやるからかかって来いこのクソ虫が!」

 

私は、普段の私なら絶対に口にしないであろう汚い言葉を、異国の言葉で人面グモに吐きかけた。

これは人狼譲りの粗野な言葉遣いなことも関係するが、そうやって自分を奮い立たせないと、目の前の怪物の恐ろしさに膝を屈してしまいそうだったのかもしれない。

クモが尾を振りかざしながら私に走り出すと同時に、私は両腕の触手を全力で解き放った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第44話 溶解液

私の触手は、敵を捕縛し、必要なら絞殺し、最終的に腕の傷口で捕食する能力である。

なので、どうしても敵に接近する必要があることが短所といえば短所だが、それも怪力と驚異的な治癒力で獣相手ならばどうにかなると思っていた。

人面グモとて例外ではない。

巻きついた触手は、一見強固に思えた殻を簡単にグシャリと砕いた。

だが、狼の時のように即死するほどのダメージを与えられず、それが大きな誤算を生んだ。

 

「オオオオオオオオオッ」

 

身体を潰されて苦しみ悶える人面グモは、3本の尾を無茶苦茶に振り回して攻撃してきた。

 

(気をつけろ!そいつの尾は毒針だ!)

(やっぱりですか…!)

 

嫌な予想が当たってしまった。

この化け物の尾はどう見てもサソリのそれであり、毒を持つのかどうかが気がかりだった。

私は何とか尾針を触手で拘束しようとした。

しかし、暴れ回る尾を上手く捕らえることが出来ず、迂闊にも毒針が触手の1本を掠めてしまった。

その触手は、掠めた傷口を中心に見る間に溶け始め、そこから先端までが千切れてしまった。

千切れた触手はしばらくのたうち回ったが、やがて全て溶けて液状になった。

毒どころではなく、強力な消化液のようだ。

幸いにも痛覚は感じなかったが、私は慌てて千切れた根元の方の触手の先端も手で引き千切って捨てた。

こんなものを一撃でも体に食らったら、いくら治癒力があったとしても危険だ。

キーシャの水の盾で防ぐことができた理由がわかった気がする。

消化液ならば、水で薄めて無効化することも可能だろう。

しかし、私には回避以外に防ぐ手立てはない。

 

(仕方ない、こういう敵には…)

 

私は何とか針の攻撃を躱しながら、胸の傷口から肉をいくつか剥がした。

 

「行け!」

 

私は人面グモのひしゃげた腹部に肉をばら撒いた。

無数の肉の欠片は独立した生命になり、割れた殻の隙間から人面グモの体内へ侵入した。

数十秒もしないうちに、暴れていた尾は動きが鈍くなり、やがて3本ともぱたりと動かなくなった。

 

(…ふう、何とか倒しました)

(ご苦労。こんな危険な霊獣が群れを成しておるとは、おちおち野宿もしておれん。近くの町まで急ぐか)

 

キーシャはさらに馬の脚を速めた。

馬車の後ろを振り返ると、まだ他の2匹がしつこく追ってくるのが見えたが、段々と引き離していく。

 

「戻れ」

 

私は人面グモの体内にいる小虫達に呼びかけてみたが、反応はない。

そういえば、人狼の時は丸ごと飲み込んだし、カゲオニの時は実験台として影に飲まれてしまったから、私は肉片の生命が私の支配下にあるかどうかもよくわかっていないのだ。

試しに触手を体内へ突っ込んでみると、小虫達は触手を辿って戻ってきたので、そのまま腕の傷口へ回収した。

 

(段々この力にも慣れてきたな…)

 

霊獣よりも人から遠のいた気がするが、まあ問題はないだろう。

私は人面グモの死体を馬車から落とそうと足を乗せた。

その時である

 

「…え?」

 

ふくらはぎに針で刺されたような痛みが走った。

足を見下ろすと、人面が伸びていた。

まるで亀のように、人面の裏側からグロテスクな生身の首を伸ばして、私の足に噛みついていた。

 

(しまった…!消化液のような役割の毒なら……)

 

私の足はたちまち、立っていられなくなるほどの痺れに襲われた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第45話 朦朧

「アキヒコ、しっかりせんか!ええい、しつこい奴らめ」

 

キーシャの呼びかける声が遠くに聞こえる。

まるで耳栓をしているかのように聞き取りづらい。

足の痺れは燃えるような熱さに変化していた。

見下ろそうとしてもできない。

私の身体は倒れているのか、見下すことができない。

どこに倒れているのだろう。

馬車の屋根か?

地面か?

自室のベッドの上か?

わからない、自分が今どこにいるのかわからない。

 

「アキヒコ、まだ寝てるの?」

 

母は寝坊癖のある私を、よく起こしてくれた。

目覚ましをいくつセットしても起きられず、学校の人はもちろん、教師と一対一で面談している時でさえ、気がついたら眠っていて、それを周囲の半数が笑い、残り半数が「だらしのない怠け者」と罵倒した。

母は何らかの病気ではないかと心配して医者へ連れて行こうとしたが、父が「ただこいつがたるんでるだけだ」と言って許さなかった。

私はとにかく夜は早く寝て、朝は遅刻しないギリギリの時間に起きて、コーヒーを何杯も飲むことで補ったが、今思えば、病院に行って適切な処方をしてもらうべきだったのだろう。

今日もまた、私はベッドから出られないでいる。

 

「あと少し…5分だけ眠らせてくれ…母さん」

「たわけ!早く解毒しないと本当に死ぬぞ!奴らを振り切ったら解毒してやるから何とか耐えろ!」

 

ああ、これは母ではなくキーシャの声だ。

そうだ、私はベッドにいるのではなく、馬車の屋根に倒れている。

目を開けると、目の前に人面グモの不気味な白い顔が転がっている。

どうやら、私に噛みついたのは今際の際の足掻きだったらしい。

 

「やるじゃないか…そういうとこ…尊敬するぜ…」

「アキヒコ!早く起きないと仕事に遅れるわよ!」

 

また意識が朦朧としてくる。

母さん、仕事はもうどうでもいいんだ。

私は神様の命令でしなくちゃならないことが出来たんだ。

工場の清掃も大事な仕事だけど、こっちは人の命がかかってるんだ。

ああ、でも、

 

「私の命一つなんて…ちっぽけなもので…救えない…軽い…」

 

何が言いたいのかもうわからない。

視界には炎に焼かれる私の肉体が見えた。

いや、私の視点ではなく、上から燃える私を、私が見下ろしている。

ここは、自室のベッドの上だ。

私の部屋が、ベッドが、身体が燃えている。

火葬される死体の如く、容赦なく焼き尽くされていく。

母は無事に逃げただろうか?

それだけが気がかりだ。

私の命より、母の命の方が世の中の役に立っている。

 

「役立たずは…これで…終われる…」

「役立たずなんていねーよ、アホタレ」

 

不意に、聞いたことのない声が聞こえた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第46話 謎の助っ人

私の意識は、一時の間、現実に浮上した。

私の身体を跨ぐように立つ謎の人物の顔を確かめようと思ったからかもしれない。

 

「な、なんだお主?どうやってそこに」

 

キーシャが驚いた声を出した。

当然だ、かなりのスピードで走る馬車の屋根に、さっきまで居なかった者が立っているのだ。

 

「遠くから追われてるのが見えたんでね、先回りして木から飛び移ったのさ」

 

その人物は、すり減って色褪せた茶色のローブを頭からすっぽりと被っており、フードに隠れて顔は見えない。

身長は私と同じくらいか、少し高いくらいだろうか。

声の高さからして女性か、若い男性と思われた。

謎の人物は屈んで私の顔を覗き込んだようだった。

 

「あーあ、このままじゃすぐ死んじまうなぁ。馬車の揺れで毒の周りが速くなってる。おいチビ、とりあえず馬車止めろよ」

「そうしたいのは山々だが、後ろを見てみろ!あとチビって言ったな!無礼だぞ!」

「わかってるよ、追われてるのが見えたって言ったろ?心配すんな、あたしが何とかしてやる」

 

そう言って、おそらく女性の人物は馬車を飛び降りた。

私は身体を起こそうとしたが、もう指一本動かせないまま、とうとう意識を失った。

 

 

 

それからどれほどの時間が経ったのだろう。

私は目を覚まし、幸いにも生きていることを実感することとなった。

まず目に入ったのは、木の板で出来た薄暗い天井である。

もう長い間修繕していないのだろう、あちこちに雨漏りの跡や穴がある。

薄暗いが、窓から差し込む光は、汚れて曇った窓ガラスに遮られているだけで、夜ではないことがわかる。

視線をさらに下へ向けると、私が寝ているベッドの傍に、鮮やかな緑色と、煤けた金色の髪の頭がそれぞれ寄り添っていた。

キーシャとローレだ。

どうやらベッドに頭を預けて寝ているらしい。

 

「そいつらに感謝するんだね。緑のチビは大した術で解毒してたし、金髪のチビは熱にうなされたアンタを付きっきりで看病してたよ」

 

私は額を覆う手拭いに手を当てた。

ベッドの近くにタライのような容器がおかれていて、そこに水が張ってある。

確かに看病をしてくれていたようだ。

守るべき少女に逆に助けられて、申し訳ない気持ちになる。

私は声のした方へ向き直る。

部屋の隅の椅子に誰かが足を組んで座っている。

どうやら、あの馬車にいたのと同一人物のようだが、今はフードもローブも脱いで、薄暗い空間に女性的なシルエットが見える。

 

「あ、あの、ありがとうございました。あなたが化け物を退治してくれたんですよね?」

 

私の問いかけに、女性が首をかしげた。

 

「おや、他所者かい?残念だけど異国の言葉はわかんねーよ」

 

そこで私は、うっかり日本語で話しかけたことに気づき、慌てて言い直した。

 

「ありがとう。アンタがバケモンを退治してくれたんだろ?」

「おお、喋れるじゃねーの。なに、気にしなさんな。あんなモンがウロついてたらこっちも迷惑なんでね」

 

女性は椅子から立ち上がった。

ガチャリ、と何か金属が床に当たるような音が響く。

女性は、ガチャリ、ガチャリと音を立てて近づいてきた。

その顔が窓の明かりで見える位置まで来た時、私は思わずあっと声を出しそうになったが、すんでのところで飲み込んだ。

 

「あたしはグレイベル・ソウ。この町の用心棒。ってことになってる」

 

その女性、グレイベルの右半身は、生身ではなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第47話 廃墟の用心棒

「たまげたか?人間がこんな状態でも生きていられることに。どっこい生きてるんだなぁ、これが」

 

そう言ってグレイベルは口の端を上げた。

その顔は、左側が健康そうな褐色肌であるのに対し、右側は火傷のような跡が額から目、頬骨、顎の下まで続いていた。

最近出来たものではなさそうだ。

皮膚はまるで古い樹木の表面のような古傷になっている。

ひょっとすると右目も見えていないのかもしれない。

左目が鳶色の瞳であるのに対し、右目は灰色に濁っている。

へその出た丈の短い衣服からは、顔と同じ古傷が首や腹にも見える。

太腿も露わになる短いズボンだが、右脚は付け根の途中から先が義足になっている。

義足はとても精巧な作りで、左脚の太腿やふくらはぎの太さとほぼ変わらない曲線を再現している。

それでいて、脚の所々から向こう側や中身の構造が見えているので、透明な脚に靴を履いているかのような芸術的なデザインだ。

右腕だけ、ポンチョのような衣装を纏っているので見えないが、もしかすると義手かもしれない。

 

「………いや、ジロジロと見て悪かった。良い脚だな」

「ハハハ、お褒めに預かりどうも。腕のいい職人に作らせた特注品だ。まだ完全に生身だった頃と変わらず走れるぜ」

 

そう言って彼女は、左手でズボンからタバコとマッチ箱を取り出し、器用に片手で火をつけて吸い始めた。

私はローレ達を起こさないよう、そっとベッドから降りた。

私の服は着替えさせられていた。

病院で着せられる患者服に似た、腰を帯で固定するシンプルな寝間着だ。

 

「アンタの身体、悪いけど見させてもらったぜ。他人のことは言えねえが、アンタも相当無茶やってるみてえだな。特に手脚と胸の傷はなんだいそりゃ?刀傷でもそうはならねえよ」

「俺は他所から来たんでな。訳も分からないうちに、生きるために戦ってた。気がつけばこんな体だ」

「なるほどね、そりゃあ大変だ。でも、訳も分からないのはこの国の人間も同じさ。4年前に何もかもおかしくなってから、気がつきゃ化け物どもの天下だ」

 

グレイベルはフーッと煙を吐く。

独特の香りが私の鼻にも届いた。

私は質問を続ける。

 

「用心棒って言ったな?霊獣から町を守ってるのか?」

「んー、そうとも言える。このギムエルって町はほとんど廃墟でね。大方の住民はとっくに別の町に逃げるか、化け物に殺された。残った住民は武装して町を守ってるが、それも日々人数が減ってる。この部屋だってもともとは宿屋だったんだぜ。持ち主はもういやしない。たまたま通りかかったあたしが、食い物と寝る場所を好きにしていい代わりに戦ってるのさ」

 

その時、どこからか大きな音が聞こえてきた。

 

ゴーン………ゴーン………

 

どうやら鐘の音のようだ。

時報だろうか?

 

「はっ⁉︎なんだ、何の知らせだ?」

 

鐘の音でキーシャとローレが目を覚ました。

 

「アキヒコ!元気になったのね!良かった、私とても心配で…」

 

ローレは立っている私に駆け寄った。

キーシャはまだ寝ぼけている顔でグレイベルに聞いた。

 

「この鐘は何だ?もう昼時か?」

「いいや、こりゃ合図だよ。決闘のな。よし、ちょっくら行ってくる」

 

グレイベルはタバコを窓枠にギュウと押し付けて火を消すと、ポケットから指ぬきグローブを取り出して、口を使って左手に嵌めた。

 

「決闘って、アンタが?一体誰と?」

「決まってる、化け物の代表とだよ。連中にも騎士道精神だか何だかはわかるらしい。それとも、単純にあたしが怖いのかもな?」

 

笑いながら、グレイベルは出口へ向かった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第48話 負け知らずは恥知らず

「アンタらは出てくるなよ、まだ顔は見られてねーからな」

 

グレイベルはそう言って階段を降りて行く。

私の寝ていた部屋は建物の2階で、1階はバーのようなカウンターや座席が置かれていた。

しかし、バーもやはり持ち主が居なくなって手入れされていないのだろう、床が抜けていたり、酒瓶が割れたまま放置されていたり、カウンターに埃が積もっていたりする有様だ。

ほとんど廃墟、というのは本当のようだ。

グレイベルはバーの扉から外へと出て行った。

私達は身を屈めながら、1階の曇った窓ガラスに近づいた。

私は不安をつい口にする。

 

「たった一人で大丈夫なのか…?」

 

すると、キーシャが冷静に答えた。

 

「そうか、お主は見ておらなんだな。彼奴は大した使い手だぞ」

「そうなの、あのクモみたいな霊獣をあっという間に倒しちゃったのよ」

 

キーシャとローレは、グレイベルの戦いを既に見ているらしい。

確かに、あの人面グモを倒せるならば腕は本物だろう。

少なくとも、触手以外はてんで素人の私より強いはずだ。

外を見ると、この世界に来て初めて見る町があった。

舗装されていない大きな通りを挟んで、向こう側に規則正しく並んだ家々が見える。

その通りの真ん中にグレイベルは立っている。

武器は何も所持していない。

そういえば、この世界で見たまともな武器といえば、人狼の持っていた棍棒ぐらいのものだ。

私はまだ、この世界の文明レベルすらよくわからないのだ。

この決闘とやらで、それも明らかになるのだろうか。

グレイベルの見ている方向を見ると、通りの反対側にも誰かが立っていた。

身の丈3メートルはあろうかという巨漢だった。

筋骨隆々の体に対し、小さく見えるほどの鎧を申し訳程度に纏っている。

顔には眉間から顎にかけて大きな傷があり、いかにも歴戦の戦士といった風態だ。

 

「今日はテメーが相手か、図体ばかりじゃあないことを祈るぜ」

 

グレイベルは、自分の2倍近くある巨躯の戦士に向かって、丸腰で挑発した。

巨漢は、そこでやっと口を開いた。

 

「オレは『怪猿のバルギス』…ガイオネル将軍配下…最強の霊獣ダ」

 

少しカタコトのようなぎこちない言葉で名乗るバルギスを、グレイベルは鼻で笑った。

 

「ハッ、昨日の奴もそう言ってたぜ。随分と最強の称号が安っぽいみてえだな。なんて言ったっけな、『恥知らずのワードック』だったか?」

「『負け知らずのワードック』ダ…二度と間違えるナ…」

 

同胞を馬鹿にされたからか、バルギスは怒りを露わにした。

 

「カッカすんなよ、もう奴は「負け知らず』じゃあねぇ、最後に負けを認めて首にサヨナラしたからな。今日からはあたしが名乗ってやるよ、『負け知らずのグレイ』ってな」

「ウオオオオオオオオオ‼︎」

 

怒りを抑えられなくなったバルギスは、グレイベルに向かって突進する。

始まりの合図もなく、一対一の決闘が始まった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第49話 ロデオガール

バルギスは真っ直ぐグレイベルへと突進する。

太い両腕を地面につけて4足で走る姿はゴリラのようだ。

あの巨体なら、体当たりするだけでたちまち人間は吹き飛ばされてしまうだろう。

しかし、グレイベルは微動だにせず、バルギスを待ち構えている。

 

(危ない…ッ!)

 

私は、以前よりも遥かに良くなった動体視力によって、バルギスの両腕がグレイベルの身体を捕らえる寸前を、まるでスローモーションのように見ていた。

グレイベルは、跳んだ。

両足を揃えて、新体操選手のごとく華麗に宙を舞い、敵の腕を回避した。

そして、突っ込んで来たバルギスの頭を左手で掴み、その大きな背中に飛び乗った。

 

「グオオオオオオッ!」

 

バルギスは、今度は怒りの雄叫びではなく、人間の喉から出るとは思えない動物的な咆哮を轟かせた。

背中に乗ったグレイベルを振り落とそうとめちゃくちゃに暴れる。

両腕を何度も地面に叩きつけるたびに、私達のいる建物にまで振動が伝わってくる。

しかし、グレイベルは暴れ牛を駆るカウボーイのような柔軟さでそれをいなし、全く振り落とされる様子がない。

 

「よーしよし、なかなかの乗り心地じゃあないの、だがあんまり暴れるとテメエが怪我する、ぜっ‼︎」

 

背中へと伸ばされたバルギスの腕から逃げるため、グレイベルは背中を踏み台に再び跳躍する。

 

「グェッ!」

 

彼女が跳んで離れると、バルギスは苦悶の声を上げた。

同時に、その背中からパッと血飛沫が上がる。

グレイベルが優雅に着地するのと、巨大な霊獣が背中を押さえて膝をつくのはほとんど同時だった。

 

「キ、サマ…何をしタ…ッ?」

「だから言ったじゃあねーか、暴れたら怪我するってよ。大人しくしてりゃあ一突きで楽にしてやったのに」

 

腰に手を当て、グレイベルはリラックスしたポーズを取った。

だが、そのポーズとは裏腹な彼女の豹変ぶりに私は驚く。

グレイベルはとても目立つ容貌だ。

それは身体の右側の古傷のせいでもあるし、頭の後ろで束ねた赤い髪や、左半身だけ見てもわかる美しい顔立ちとしなやかな身体付きのせいでもある。

様々な意味で人の目を引くその顔だが、先ほど見せていた余裕の笑みとは違う、狂喜とでもいうべき表情に、私は寒気を覚えた。

彼女は殺し合いを楽しんでいる。

強さを求めていたリンセンでさえ、こんな楽しそうな表情は見せなかった。

そして、バルギスの頑丈そうな肉体を一瞬で傷つけた攻撃方法にも目を疑わずにいられなかった。

その理由とは、左脚に体重を乗せることで、ファッションモデルのように少し膝を曲げた状態にある右脚の義足だ。

 

「なんだ…あの義足は…?」

 

思わず率直な疑問が口から漏れてしまうほどの異様だった。

何しろ、グレイベルの右脚は、膝から下が鋭い刃物に変わっていたのだから。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第50話 怪猿

義足を脱いだ、という訳ではないらしい。

周囲に脱いだ義足は見当たらないし、私の視力でも、バルギスの背中から離れる直前まで普通の脚の形だったのが見えた。

私は脳内の声でキーシャに尋ねる。

 

(あの義足が剣に変化したんでしょうか?)

(そのようだな。アレで森の毒虫どもも切り刻んでおった。とても変わった技能だが、れっきとした剣士と言えよう)

 

確かに、優れた剣技を習得しているならば、剣を手に持っていようが足に装着していようが『剣士』なのだろう。

一体どのような過去を経てあの戦い方に行き着いたのかは、私などに想像できるものではない。

とにかく、グレイベルは私よりも数段上を行く戦いのプロだということは明白だった。

 

「人間ごときガ…五体の揃わぬ姿デ、オレに血を流させただト…?認めヌ、認めぬゾォォォッ‼︎」

 

バルギスは体勢を立て直すと、天に向かって吼えた。

空気をビリビリと震わせるその咆哮に、私は聞き覚えがあった。

私が最初に殺し合った、あの人狼が変身する時に上げた遠吠えに似ている。

こちらは狼ではなく猿のようだが、予想通り肉体を変化させ始めた。

ただでさえ巨大な体は、胸筋や腕の筋肉がさらに隆起し、巨大化していく。

下半身は、上半身ほどの大きな変化はないが、先程より明らかにガッシリとして安定感を獲得している。

人間サイズの鎧は、その怪物のような筋肉に圧迫され、ついに弾け飛んだ。

地肌からは黒い剛毛がザワザワと生えて全身を覆っていく。

私は、子供の頃に見た映画に登場する巨大なゴリラの怪物を思い出した。

しかし、これは映画でも劇でもない、窓を挟んだほんの数十メートル向こうの道に、6メートルを超える巨獣が怒り狂っているのだ。

そんなバルギスを目の前にして、しかしグレイベルは笑っていた。

私はそちらの方が恐ろしかった。

人間とは、自分より巨大なものと対峙したら、本能的に恐怖に駆られたり、好奇心から見惚れてしまったり、あるいは非日常的な光景に思考が追いつかず、呆然としてしまったりするものだ、と思っていた。

だが、彼女の場合、本能も、好奇心も、思考も全て壊れているように見えた。

巨獣と化したバルギスに対し、グレイベルは突如として疾走を始めた。

右脚の剣はいつの間にか脚の形に戻り、本人が言った通り、生身の人間と同じか、それ以上の速度で滑らかに走って行く。

バルギスは、大木のような腕を振りかぶり、周囲の建物も、地面も抉れてしまうような勢いでなぎ払った。

 

「やばい…ッ!」

 

私はとっさにキーシャとローレを両脇に抱えて、建物の奥へと退避した。

直感は当たり、私達がさっきまで外を覗き見ていた窓は、周りの壁ごと吹き飛び、建物はもはや中も外も境界が無くなった。

3人とも幸いにして無傷だったが、激しい土煙が巻き起こり、視界を奪われた。

 

「ケホッ、ケホッ!」

 

ローレが苦しそうにむせているのが腕に伝わってくる。

 

(アキヒコ!この場はローレにはキツい。もう少し遠くの建物へ連れて行ってやれ!階段を通り過ぎたらすぐ裏口がある!)

(キーシャ様はどうするんですか!)

(わたしはグレイベルが無事かどうか見極める)

(ダメです!あなただって危険ですよ!一緒に退避しましょう!もしここであなたに倒れられたら、私はアイナーマルに辿り着けませんよ!)

(むー…!わかった、ではローレを安全な場所に置いたら、お主、戻って来い!もしグレイベルがやられていたら、わたしは治療、お主は陽動で援護するのだ)

 

私は一瞬、キーシャを置いて行くことを迷ったが、彼女の強さを信頼することに決め、ローレだけを連れて裏口へ走った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第51話 子供扱いするべからず

裏口を出ると、建物の間が狭い路地になっていた。

私はローレを両腕で抱き抱え、表の決闘から少しでも遠い方向へと走った。

 

(あれを決闘と言っていいのかわからないが…)

 

建物の向こう側から、バルギスが暴れているのであろう地響きが路地裏にも伝わってくる。

途中にある建物の隙間へ曲がり、より遠くへと逃げる。

人の気配はない。

ただでさえ人が少ないだろうし、残っている住民は隠れているのだろう。

速く戻らなければ、キーシャの身も危うい。

 

「あ、アキヒコ!下ろしてちょうだい、1人で走れるわ!」

 

ローレは赤面していた。

幼子のように抱き抱えられているのが恥ずかしいのだろう。

だが、彼女1人で走らせるより、この方が速いはずだ。

 

「今は我慢してくれ、キミはもともと俺の戦いには関係ないんだ。少しでも安全な場所まで…」

「関係あるわ!私の国だもの!それに、もう安全な場所なんてどこにもないわよ!こういう道のことならあなたより私の方が詳しいのよ、下ろして!」

 

これまで優しいローレしか見たことなかったので、駄々をこね始めたことに少し驚きつつ、私は足を止めた。

ふと思ったが、彼女はどういう経緯で奴隷として捕まっていたのか?

外見はみすぼらしいが、その立ち居振る舞いには、どこか高貴な令嬢のような育ちの良さを感じる。

ローレは駄々をこねるのを止め、今度は私に言い聞かせるように優しく言葉を紡ぐ。

 

「キーシャさんとグレイベルさんを助けてあげて?私は1人でも逃げられるから、ね?」

「………わかった。あとで必ず迎えに行くから」

「ええ、待ってるわ、アキヒコ」

 

彼女の言葉には確信が宿っている。

だから従わなければならない。

なぜか、そんな感情が芽生え、私は素直に従った。

ローレが路地裏を遠くへ走って行くのを見届けて、私は踵を返した。

 

 

 

裏口からわざわざ入ることもないだろうと思い、私は土煙の舞う建物の屋根まで、触手のバネで跳躍した。

建物の屋根は比較的平らだったので、着地は簡単だった。

しかし、土煙がまだ激しく、巨大なものが動いて地響きを立てていることしかわからない。

 

(でも、暴れてるってことは、まだグレイベルが応戦してるってことなんじゃあないか?)

 

私は頭の中でキーシャに呼びかける。

 

(キーシャ様!戻りました!今どこに?)

(速いな。案ずるな、まだ決闘は続いておる。懐かしいのう、かつて見た勇者の魔物退治を思い出すぞ!)

(それ、いつの話ですか…それで、私はどうしましょう?)

(まあ見ておれアキヒコ。お主もいずれ戦うであろう怪物との戦い方を)

 

その時、土煙の中で何かがキラリと光った。

鏡が太陽光を反射したかのような、強い光だ。

それと同時に、またバルギスの呻きが響いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第52話 決着

土煙が段々と晴れてくると、何が起きているのかがようやく理解できた。

光っていたのは、グレイベルの刃が日光を反射していたのだ。

しかし、私は光の正体がわかってもなお、驚愕せざるを得なかった。

グレイベルの戦い方があまりに常軌を逸していたからだ。

勿論、バルギスほどの巨獣を相手にするのに、対人を想定した戦い方など役に立たないのは素人の私でもわかる。

だから、周りの地形を利用するとか、罠にかけるとか、そういう戦法を想定していた。

だが、グレイベルは相手の視界に堂々と入って、正面から挑んでいた。

バルギスは突進してくる小さな的に、大雑把に広範囲の攻撃を仕掛ける。

腕を振るうだけで地面が抉れて、直径2メートルほどの穴が出来上がるので、並みの人間ならひとたまりもない。

だが、グレイベルは振り下ろされた腕をギリギリで躱し、その腕をまるで階段のように駆け上がった。

そして、自分の身長の半分を占めるほど巨大なバルギスの顔に向かって、義足の剣を叩き込んだ。

 

「グワァッ!」

 

頰をザックリと斬り裂かれたバルギスは、傷を手で庇おうとする。

接近してきた手を、やはりギリギリで躱したグレイベルは、今度はその手に蹴りを入れながら宙に跳ぶ。

パッと赤い飛沫を撒き散らしながら、指が2.3本切断され、ボトリと虚しく地面に落ちた。

グレイベルはというと、義足は落下の衝撃も和らげることができるのだろうか、6メートルの高さから飛び降りたにも関わらず無傷であった。

 

「おいおい、しっかりしてくれよ。昨日のワードックの方がまだ手応えあったぜ」

 

土煙の中でこんな戦いを何度も繰り返したのだろう、バルギスは全身傷だらけだった。

それに比べ、グレイベルは息一つあがっていない。

 

(勝敗はもう決したな。あの猿に余程の天啓が訪れない限り、身体を少しずつ削がれていくだけであろう)

(………キーシャ様、この国にはあんなに強い人が他にもいるんですか?)

(さあの。わたしも1000年間で人間がどう変化したのかは皆目見当がつかん。しかし、決して皆が皆、霊獣と渡り合える強さを秘めているわけではない。五体満足でも戦いに向いていない者はおるし、あの娘のように手足を失っても強い者もおる。だからこそ、ああいう傑物は英雄として人々に頼られるのだ)

 

バルギスはもはや、戦意を喪失しかかっているように見えた。

先程のような派手な動きもせず、肩で息をしながら、自分より遥かに小さい相手を睨んで動かない。

 

「どうした、降参か?なら命だけは助けてやる。あたしが勝ったら町を襲わないって約束だったな?とっとと帰って将軍に敗北を報告するんだね」

 

グレイベルはまだまだ余裕といった状態で、敢えてバルギスに温情をかけた。

だが、戦意を失ったかと思われたバルギスは、敗北という言葉に反応した。

 

「敗北…?ガイオネル将軍の軍に敗北などなイ…勝つか、敵に勝たせないカのどちらかダ…ッ!!」

 

バルギスは、指を切断された方の血だらけの手で、地面に何かを描き始めた。

それを見たグレイベルは、急に真顔になり、警告を発した。

 

「やめときな、それをやったら決闘の取り決めは全て無効だ。あたしはテメエを殺して、テメエの仲間も皆殺しにするぞ」

「やれるもんなラ、やってみロ!!ガイオネル将軍万歳ィ!!」

 

何かまずいことをしでかそうとしているらしい。

私は屋根からバルギスに触手を伸ばそうと身構えた。

 

(待て!アキヒコ、手を出すな)

 

キーシャの声が制止する。

地面には、バルギス自身の血によって、何か魔法陣のような紋様が描きかけられている。

しかし、もうそれが完成することはないだろう。

電光石火の如き速度で間合いを詰めたグレイベルは、既に大猿の手首を斬り落とし、脳天に刃を突き立てていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第53話 不穏と緊迫

地響きを立ててバルギスの巨体は倒れた。

倒れる直前、グレイベルは彼の眉間から剣を引き抜き、宙返りをして着地した。

 

「馬鹿野郎が。こんなもんで勝ったところで何になるってんだ…!」

 

さっきまでの楽しそうな表情はなりを潜め、何か苛立っている様子だった。

彼女はバルギスの描きかけていた血の紋様を、足で砂を蹴って消した。

いつの間にか、周囲に数名の人が集まっている。

私も屋根から降りてグレイベルに近づいた。

 

「ソウさん!ご苦労だったな!アンタのおかげで今日もまた町は生き残れた。いやぁ、大したもんだ。こんな化け物を赤子の手を捻るように倒しちまうなんて。お見事だ!」

 

中でも特に恰幅の良い中年の男性がグレイベルに気さくに話しかけらる。

 

「さあどうぞこちらへ、今宵も勝利の祝杯と行きましょう!」

 

男性の陽気さとは反対に、グレイベルは楽しくなさそうだった。

無言でタバコに火をつけて一息つくと、ようやく口を開く。

 

「町長さんよ、あたしは良いから、こいつらに何か食わしてやんなよ。あたしの客人だ、丁重にもてなしてやってくれ。それと、宿が壊れちまったから別の寝所を頼む」

「そ、そうですか、承知致しました。おーい!誰か、使える宿を用意しろ!」

 

町長は町民に指示を出した後、こちらに向き直った。

 

「ようこそ我がギムエルへ!少々寂れてはいますが、精一杯の歓迎をさせていただきます!」

「い、いや、俺たちは…」

 

私は遠慮しようとしたが、考えてみればキーシャもローレもお腹を空かせているはずだし、多分ここに来るまでの汚れを落としたいだろう。

振り向くと、キーシャがニコニコと笑ってこちらを見ていた。

 

(ふっふっふ、やっと馳走にありつけるな!お主の持ってきたパンも美味だったが、やはり大勢にもてなされるのは気持ちが良い。お主も病み上がりなのだから無理せず休むことだ。人の好意はありがたく受け取っておくのが賢い大人というものだ)

(…そうですね。ここで一息入れましょう)

 

私は町長に話しかける。

 

「じゃあ、3人分の食事と寝床を用意してもらえるかな。あと、風呂も」

「かしこまりました!町一番の料理人に作らせましょう」

 

私は町長との話をキーシャに任せて、ローレを探しに戻った。

ローレは、決闘のあった通りから4区画ほど離れた公園の木の下にいた。

私に気づいていないようなので声をかけようとしたが、ローレが何か喋っているのが聞こえて、思わず近くの建物の陰に潜んでしまった。

 

「……何をしに来たの?私はもう帰らないわ。イリザ姉さんのようになるのは死んでも嫌よ」

 

そっと覗くと、木の根元に座ったローレの傍に、何か小さい生き物がいた。

いや、生き物というべきなのだろうか?

ユラユラと揺らめく、まるで黒い炎のような不思議な姿だ。

ローレは悲しそうな顔でそれに話しかけているのだ。

 

「そうよ、お城の中も全部見たわ。あんなものまで隠してたのね、お父様は…」

 

私はもっとよく聞こえるように顔を動かしたが、それでローレに気づかれてしまった。

 

「誰?」

 

パッと振り向いた彼女に、私は間一髪のところで顔を見られなかった。

心臓がバクバクと激しく脈打っている。

ローレが静かに近づいてくる足音が聞こえたので、私は音を立てないように触手のバネで跳躍し、屋根の上へ登った。

そして、公園の反対方向まで行ってからローレの前に姿を現した。

 

「ローレ!もう大丈夫だよ」

「まあ、アキヒコ!グレイベルさんは無事だったの?」

「ああ、圧勝だったよ」

「そう、良かったわ!」

 

ローレは嬉しそうに私の手を握ってついて来た。

私にはローレが無理をして笑っているようにも見えた。

しかし、今は何が何だかわからない状況だ。

しばらくは様子を見よう、と思った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第54話 宿屋へ

通りに戻ってみると、キーシャがすっかり町民に囲まれて歓迎されていた。

 

「可愛い子だねぇ、どこからきたんだい?」

「北の大地クヴラである」

「ハハハ、面白い!伝説の地から来たってわけか!じゃあその衣装は女神キーシャのお召し物を真似たのかな?」

「真似ではなく本物である」

「あーわかったわかった!では女神様にお菓子を献上しよう!」

 

女神として崇められるというより、単に子供として可愛がられているだけのようだ。

キーシャはムスッとした顔で、それでも我慢して町民の相手をしている。

 

(大丈夫ですか?)

(アキヒコ!此奴ら全くわたしを女神だと信じとらんぞ!無礼だ無礼だ!)

(そう言いながらお菓子食べてるじゃないですか)

(当然である!女神への供物は受け取ったやるのが慈悲というもの!)

 

キーシャはクッキーのような焼き菓子をバリバリと食べながら心の声で不満を漏らす。

しかし、確かに不思議な話だ。

彼らは現に霊獣という化け物に国を侵略され、町も実害を受けているというのに、神の存在は信じていないようなのだ。

キーシャをからかっていることに悪意はなさそうだが、彼女を本物の女神だと信じている者は見当たらなかった。

現在の時刻は午後3時くらいだろうか。

私は町の中心に聳える見張り台を見た。

この見張り台には、誰かが常に常駐して見張りをしている。

この世界の時計は、その見張り要員が掲げた旗の色で決まっているらしい。

人狼の知識から得た情報から、今掲げられた黒色の旗が、私の世界でいう午後3時なのだと認識できた。

宴は夕方から始まるとのことで、我々はひとまず宿へと案内された。

グレイベルはいつの間にか姿を消していた。

 

「きっと好きな場所をご自分で探しに行ったのでしょう。家屋は半分以上空き家なので。さあ、お三方はこちらへ」

 

町長に案内されて来た宿屋は、グレイベルのいたバーよりは管理がされているようだった。

私達は二階にそれぞれ個室をあてがってもらい、さらに着替えまで用意してもらった。

しばらくベッドの上でボーッとしていると、ノックもなしにキーシャが入って来た。

彼女は、いつも着ている服とは別の、しかしやはり緑色の服とスカートを履いていた。

髪もツインテールを解いて下ろしている。

なぜだか居心地が悪そうだ。

 

(いや、わたしは衣装があるから良いと言ったのだが、宿屋の奥方がな、似合うから着てみろとだな)

 

私は何も言っていないのに、ブツブツと心の声で言い訳をしている。

 

(良いじゃないですか、似合っていますよ)

 

私は素直に感想を述べる。

実際、キーシャは美人だ。

普段は神秘的な衣装のせいで、堅苦しさと子供っぽさが喧嘩をしているような印象だが、今のごく普通の人間の服装は、彼女本来の可憐さを際立たせている気がした。

 

(そうか、まあ、お主が心からそう思っているのなら、良かろう)

 

キーシャは妙にぎこちない動きで、私の座っているベッドに近づいて来た。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第55話 キーシャとの話し合い

(さて、用件は服を褒めろということではないぞ。今後の旅路についてだ)

 

キーシャはベッドの上、私の隣に座った。

フワッと花の香りのような良い匂いがする。

お風呂に入って来たのかもしれない。

 

(我らはアイナーマルに行く予定だ。確かに、敵の本丸はそこにあるだろう。だが、果たして今のまま乗り込んで勝ち目はあるだろうか?わたしも目覚めたばかりで本調子ではないし、お主も戦いに関しては素人であろう?本能のようなものでそこそこ戦えているようだが、生き延びる為に命を捨てているような矛盾と危うさを感じる。もし本当に霊獣の軍団と戦うなら、そんな綱渡りのような戦い方ではダメだ。こちらも戦力を増やさねばな)

(おっしゃる通りです。私は昨日今日で力を持った身です。とてもじゃあないが、さっきのグレイベルのように、自分の何倍も大きい怪物に勝つのは不可能でしょうね。味方を増やすのは必要不可欠だと思います)

 

よくよく考えれば、何も1人で王様を倒しに行く必要はないのだ。

神様の指令は「革命を起こせ」なのだから、王様に敵対する者は、すなわち私の味方と言えるだろう。

そして、王様側であろう霊獣から町を守っている用心棒は、間違いなく王様の敵対者だ。

 

(グレイベルを仲間に加えよう、ということですね?)

(うむ、先ほどの決闘も見事だったし、あれは我らが遅れを取った毒蟲を討ち取った。つまり、我らに欠けている部分を補うことが出来る者なのだ。単純に強いだけではなく、敵との間合いを正確に把握し、対応できる。そして、他者を助けるという思いやりも持ち合わせている。我が従者に加えるに不足はない。そこでだ)

 

キーシャは体を私にさらに近づけ、私の両肩をグイっと掴んだ。

必然、顔と顔を向かい合わせる形となり、彼女の宝石のように輝く緑色の瞳と見つめ合った。

いくら自分より幼い姿とはいえ、その美しさに思わず胸の鼓動が早くなる。

 

(彼奴の説得をお主に任せたい)

(わ、私がですか?)

(わたしがやるとどうしても高圧的な態度になってしまう。それに、彼奴もわたしを女神だと信じてはいまい、つまり彼奴から見れば『ただ偉そうな子供』になってしまうのだ!屈辱的だが、お主のような大人が説得する方が事を穏便に進めることが出来ると思うのだが!)

 

果たしてそうだろうか?

私は、グレイベルが相手を見た目で判断する性格だとは思えない。

しかし、おそらくキーシャは町民とのやり取りで女神としての自信が揺らいでいるのだろう。

少しでも負担を軽く出来るなら、私に出来ることをやろう。

 

(わかりました、説得してみますが、もし無理そうだったら助け舟をください)

(おお、やってくれるか!うむ、お主ならきっと出来る!他のことは任せておけ!)

(じゃあ、私からもお願いがあるんですが)

(良かろう、申してみよ)

 

私は、ヨミから聞いたヘレク山について尋ねようとしたが、その時ちょうど部屋の扉を誰かがノックした。

 

「アキヒコ?お夕食の準備が出来たそうだから迎えに来たわ」

 

ローレの声だった。

 

(この話はまた食事の後にしましょう。キーシャ様も私の治療でお疲れでしょう?)

(うーむ、お主がそう言うなら)

 

私達は話し合いを中断し、夕食にありつくことにした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第56話 宴

迎えに来たローレもまた、泥を落として髪を結い直し、新しい服に着替えていた。

 

「ほう…」

 

隣にいるキーシャが感嘆の声を漏らす。

それほどまでに、ローレは美しかった。

おそらく宿屋が貸してくれたのだろう、クリーム色の生地に紺色の模様が入った可愛らしいドレスを着ている。

髪には同じく紺色のリボンを付け、髪留めで頭の後ろ側を纏めている。

おとぎ話に登場する令嬢のようだった。

 

「エヘヘ、どうかしら、似合ってる?」

 

スカートの両端を手で摘んで、ローレはお辞儀した。

 

「見違えたな、よく似合っておるぞ」

 

キーシャが褒めると、ローレははにかみながら私の顔を見た。

私も期待に応えて率直な感想を述べる。

 

「ああ、今日の疲れも吹っ飛ぶくらい綺麗だよ、ローレ」

「あ、ありがとう…フフフ、さあ、下で食事の支度ができてるわ!」

 

褒められたのが嬉しいのだろう、ローレは今にもスキップしそうな軽い足取りで先導する。

後を付いて行く時、キーシャが私の腕を指でギュッと抓った。

 

(痛いじゃないですか⁉︎)

(なーにが疲れも吹っ飛ぶだ、わたしにはそんな言葉をかけなかったではないか!ふん!)

(わ、悪かったですよ、キーシャ様もとても可愛いです)

(遅いわ!)

 

キーシャは本気で怒っているわけではなく、私をからかって楽しんでいるようだった。

一階には、そこそこ広い応接間のような場所があり、そこに十数人の町民が集まっていた。

長テーブルに様々な料理や飲み物が並べられ、既に酒を飲んで赤くなっている男もいた。

グレイベルの姿は見えない。

 

「さあ、どうぞどうぞ、お客様はお座りください!」

 

町長が長テーブルに3つ並べられた椅子へと案内してくれる。

なんだか、こういう歓迎の席に慣れていないので緊張してしまった。

 

「では、久しぶりのお客様の来訪と、今日もソウさんのお陰で生き延びることが出来たことを祝して!」

 

かんぱーい、と次々に木製のコップのぶつかる音が小気味よく響いた。

私はあまり酒を飲めないので、果物を絞ったジュースを貰ったが、これがなかなか美味で、洋梨とブドウの中間のような不思議な甘味だった。

キーシャは料理に夢中で、美味い美味いと次々に平らげていくので、料理人が嬉しいのか驚いてるのか微妙な顔をしていた。

ローレは、やはりその愛らしさからか、町民の注目の的になっている。

 

「別嬪さんだなぁ、どっから来たんだい?」

「行くアテがねーならウチに養子に来なよ」

「ちょいとよしなよ!あんた自分の口すら養えてないじゃないか」

 

どっと笑いが起きる。

ローレは町民の和気藹々とした姿を、ニコニコと微笑みながら見ていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第57話 孤独な酒

それから1時間半ほど経過しただろうか。

キーシャもローレもすっかり打ち解けて、何やらこの国の民謡のような歌を町民と歌い始めた。

私は、もともとこうした対人の場が苦手なのと、まだ完全に回復した訳ではないためか頭がクラクラとし始めたので、外の空気を吸うために退場した。

外へ出ると、もうすっかり日が暮れて、月明かりが町を静かに照らしていた。

異邦どころか、異世界であっても、こうして夜風に当たるというのは気持ちが落ち着く。

見張り台は明かりを点けていない。

通常なら迷い人の道標の役割も果たすそうだが、現在では霊獣を刺激しないために消灯しているらしい。

しかし、ルクラド城での悪夢のような体験の後では、このギムエルの町は霊獣の脅威に晒されながらも、明るさを失っていない気がする。

確かに町の建物はほぼ無人で、半壊しているものもあるが、人々に活気があるのは救いであるように思われる。

辺りを見回していると、宿屋の通りを挟んだ向かい側の、3軒ほど右にある建物の窓に、小さな明かりが明滅している。

近づいてよく見ると、それはグレイベルのタバコの火だった。

宿屋での宴に顔を出さず、こんな離れたところで独りでいるのだ。

私は迷惑かと思いつつ、その建物へ入って行った。

そこは、昼間に私が寝かされていた宿屋よりも小さな酒場のようだった。

やはり持ち主は不在らしく、あちこちに埃が積もっているが、破壊の跡はそれほどなさそうだ。

 

「邪魔するよ、グレイベル」

 

私が声をかけると、窓際に脚を上げて座っていたグレイベルが振り返った。

左手には酒瓶が握られている。

 

その顔は、月明かりの影になって伺うことができない。

しかし、決して楽しんでいる様子ではなさそうだ。

私は緊張しつつ、話を続けた。

 

「どうしてみんなのところで飲まないんだ?明かりも点けずにこんなところで?」

「ほっとけ。あたしはああいう健全を装った酒盛りが苦手なんだ。アンタだってそうだろ?」

 

見抜かれていた。

彼女もまた、人が多い場所を好かないようだ。

私は近づいて、隣に座っても良いかジェスチャーで尋ねた。

特に拒否もしないので、遠慮なく転がっていた椅子に座る。

グレイベルのいる窓際は、ちょうど宿屋が見える位置だった。

 

「元気な町だな、とても怪物に怯えているようには見えない」

 

私の言葉に、グレイベルはジロリとこちらを見た。

 

「………本当にそう見えるか?もしそうなら、アンタも既にイカレてる。この町でまともなのはあたしだけさ。クックック…」

 

自嘲気味に笑って、彼女は酒瓶を煽った。

口の端にタバコを咥えたまま、器用に酒を飲む横顔は、とても寂しげに見えた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第58話 隠しごと

「俺も既にイカレてるって…まるで町の人間もとうにイカレてるみたいな言い草だな?」

「そうさ、イカレてる。みんなイカレてるのさ、この町は」

「酔ってんのか?」

「酔いたいさ。でもあたしは酒に強い、運の悪いことにな」

 

確かに、グレイベルは酩酊していなかった。

眼はしっかりと宿屋を見ているし、受け答えも、その内容が飛躍していることを除けばしっかりしている。

 

「どういうことなのか話してくれ。こっちはそもそも霊獣と決闘の取り決めをしてるなんて話の時点で事情が飲み込めてねえんだ」

「知ってどうする?アンタにゃ関係ないことさ。あの嬢ちゃん達を連れて、さっさとこんな町出て行くことだな」

 

私は少しカチンと来た。

 

「おい、そりゃあおかしいぜ、グレイベルさん。この町に俺達を連れて来たのはアンタだろ?助けてもらったことには感謝してるが、連れて来て、あんな決闘を見せておいて、そしてそんな不貞腐れた物言いで何か匂わせといて『さっさと出て行け』はねえだろう。そこまで言ったんなら話してくれ」

「………」

 

グレイベルは少し気まずそうな顔をした。

しかし、私は思うのだ、何か思わせぶりな態度で隠す人間とは、その隠しごとを相手に知って欲しい、教えたいという願望が心の奥底にあるのではないかと。

もし私がここで引き下がったら、その隠しごとを聞くチャンスは二度と訪れないかもしれない。

ならば、例え彼女が嫌がっても今聞いておく方が良い。

 

「俺達も霊獣と戦ってる。首都アイナーマルへ行って、敵の本拠地を叩く。だが、その為の戦力も情報もまるでアテがない状態だ。アンタみたいに強い人の力と知恵を借りたいんだよ」

「アイナーマルだって!」

 

グレイベルは突然笑い出した。

 

「無駄だぜ、あんなところに行ったって何も変わりゃしない。本当に何も知らないんだな?アイナーマルに敵の本拠地があるんじゃあない、王城が敵に乗っ取られたわけでもない。あそこは始めから霊獣の城だったのさ」

「なんだって…?霊獣の王が侵略したんじゃあないのか?」

「だから、その霊獣の王ってのは始めからずっといたんだよ。人間のフリをしてな」

 

グレイベルは2本目のタバコに火を点け、深く長い一服の後、話し始めた。

 

「良いだろう、アンタはあたし以上に異邦人のようだ。そんなに知りたきゃ教えてやる。4年前に首都で何が起きたか、なぜあたしが決闘をするのか。全てを知れば、アイナーマルに行こうなんて無駄な正義感も消え失せるだろう」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第59話 4年前に何が起きたか

私は姿勢を正して、グレイベルの話を聞いた。

 

「4年前、このエストリノ王国は突然、霊獣の支配下に置かれた。ここまでは知ってんだな?」

「ああ」

「じゃあアイナーマルが霊獣に支配されるのに、どれくらいの時間を要したかは?」

「いや、知らない」

「1日だ」

 

私は息を飲んだ。

王国の首都陥落にたった1日というのは、いくら物を知らない私でも早過ぎると感じた。

 

「ああ、そうさ、例え事前の下準備によって攻略されたとしても、1日ってのはあまりに異常な早さだ。外からの侵略なら、な」

「じゃあ、内側から?」

「それ以外に考えられるか?首都を囲む堅牢な城壁、鍛え抜かれた衛兵、優秀な諜報部隊、これらを1日で攻略するには、最初から首都の内側に敵が潜んでいなきゃ無理さ。実際、アイナーマルの王直属部隊の将軍、ガイオネルが霊獣どもを率いてたって証言がいくつもある」

「ガイオネルって、今日の…」

「そう、昼間あたしが決闘した猿の上官さ。王直属の軍隊はいつからか霊獣に入れ替わってた、あるいは最初から霊獣が人間に化けて潜り込んでいやがったんだ。抵抗した兵士や市民も少なからずいたらしいが、皆殺しにされた。そして4年間で首都周辺の町や村も次々に霊獣に襲撃され、降伏した人間は奴隷にされてるってわけだ」

「ちょっと待て、国王はどうなった?配下に裏切られて何も出来なかったのか?」

 

グレイベルは呆れた顔で私を見た。

 

「察しが悪いな、王は裏切られたんじゃあない、王が国民を、いや、人間そのものを裏切ったのさ。自らを霊獣の王であると宣言してな」

 

私はやっと、与えられた使命の全体図が少し見え始めた気がした。

『悪い王様を倒し、革命を起こせ』と神様は命令した。

その悪い王様とは、霊獣の王であり、かつて人間の王でもあったルクラド王のことなのだ。

 

「だが、ルクラド王は代々続く王家の末裔なんだろ?なんで突然霊獣になったんだ?肉体を乗っ取られたのか?」

 

もしカゲオニのように肉体を乗っ取られたのなら、同じルクラドの姓を名乗っていたリンセンのように、王様本人は既に死んでいるのかもしれない。

 

「そう考える奴もいる。だが、あたしの師匠の話では、ルクラド家にはもっとヤバいことが起きてるらしい。霊獣よりも、神代よりももっと古い存在との関わり、とかな」

「神よりも古い存在…」

「それが本当なら人間どころか、霊獣すら勝てねえだろうな。だからこそ、霊獣の王なんて名乗ってるのかも知らねえ」

「なるほど、4年前のことは大体わかった。で、アンタがこの町で決闘をする理由はなんなんだ?」

 

グレイベルは言いにくそうに、しばらくタバコをふかして黙っていたが、やがて口を開いた。

 

「この町にかかった呪いを解くため、かな」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第60話 7つの贄

呪い、とグレイベルは言った。

それは比喩表現のようにも聞こえるが、魔法が実在するこの世界では、本当に呪いを指しているのかもしれない。

いずれにしろ、この一見平和に見える町が呪いにかかっていて、彼女はそれを解く為に霊獣と決闘しているのだという。

 

「つまり、なんだ、霊獣との決闘に勝てば呪いを解いて貰う約束をした、とか?」

「それだと奴らに益がねーじゃあねえか。逆だ逆、あたしが奴らに呪いを解く取り引きを持ちかけたのさ。この町には、それはそれは厄介な呪いがかかってる。それもやっぱり、4年前が原因なんだがな」

 

グレイベルは再び酒瓶を煽り、一気に飲み干した。

そして、私に向かって瓶を突き出して振った。

 

「おい、続きを聞きたきゃ新しいの持って来い」

「はぁ…」

 

私は埃の被ったカウンターの中に入り、新しい酒を探す。

幸い、酒の貯蔵は充分あった。

適当に選んでグレイベルに渡す。

グレイベルは口で栓を器用に抜き、プッと飛ばした。

 

「さーて、なんの話だったっけかな」

「呪いだよ呪い」

「そうだ、この町に残った住民は、霊獣の脅威から逃れたいが為に、異端の教団に頼った。その結果、異端の神に生贄を捧げることにしたんだ」

「生贄⁉︎」

「アホらしいだろ?1日1人、7日間に渡って7人の生贄を町の中で殺す。町長なんか進んで自分の子供を差し出したくらいだ。だが、最初の年の儀式は失敗し、その反動で町に呪いがかかった。呪いは強力な霊力を貯め込んだ呪具で町全体に常時効果を発揮している。霊獣どもは、その呪具に貯まった霊力が欲しいのさ。ところが、肝心の呪具の在り処がわからねえと来た。そこで、あたしが別の解き方を持ちかけた」

「それが決闘なのか?」

「あたしの師匠はそういうのに詳しくてね、呪具は生贄から霊力を吸い取る代物だが、一気に大量の霊力を注ぎ込めばぶっ壊せるらしい。霊獣みたいな霊力の塊を7体、この町の中で殺せば呪具がどこにあろうが破壊できるって寸法さ。町の呪いは解けるし、霊獣どもは溢れ出た霊力を回収できる」

「だからって仲間を生贄にするのか、霊獣は」

「奴らだって所詮は利己主義だ。より大きい利益の為なら下っ端の命なんか安いもんだろうよ。今日で決闘は3日目だ。あと4日。それが終われば、あたしは町と霊獣、両方から金を貰っておさらばする」

 

その時、宿屋の方からゾロゾロと人が出て来始めた。

どうやら宴はお開きらしい。

酔っ払ってフラフラしている男の肩を、別の2人が担いでやっている。

私のいた世界でも見かける、ごくありふれた光景。

そんな彼らに、一体どんな呪いがかかっているのか。

私はグレイベルに聞いてみる。

 

「…なあ、もし呪いが解けて、アンタがいなくなったらこの町はどうなる?誰が彼らを霊獣から守るんだ?」

「あたしの知ったこっちゃないね。ムダ話はおしまいだ、あたしは寝る。アンタもさっさと傷を治して、あの娘たちを連れて町を出るんだね」

 

グレイベルはそう言うと、バーの2階に続く階段へと消えた。

私は、ガチャリ、ガチャリと義足の金属音が遠ざかって行くのをただ聞いていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第61話 猶予

キーシャとローレは疲れて寝てしまったので、宿屋の奥さんが部屋まで運んで着替えさせてくれていた。

 

「あの子たちにも言ったけど、夜中は決して部屋から出てはいけないよ?物騒だからねぇ。戸締まりをして、ベッドに潜っておくんだよ」

 

親切そうな宿屋の奥さんはそう言って階下へ降りていった。

まあ、いつ霊獣が来てもおかしくないのだから、当然の用心だろう。

私は言われた通り、貸してもらった自室の扉も窓も、しっかりと鍵を閉めて眠りに就いた。

この世界に来て迎える3回目の夜だ。

あまりに色々なことが起き、色々な話を聞いたので、まだ3日しか経っていないのが驚きだった。

物置きや馬車の上で眠ったのに比べると、3度の眠りの中で一番良い寝床と言える。

そして、やはり夢の中で神様の世界へと戻るのも3回目だ。

 

「1つお聞きしたいんですけど、元の世界でも3日経っているんですか?」

 

私はヨミに尋ねた。

 

「3日経っとるかも知れへんし、まだ1秒も経ってへんかもなぁ。異世界同士は同じように時間が流れとる訳やない。まあその辺は心配せんでええ。全部終わったら神様の力で万事解決や」

 

本当だろうか?

少し心配だが、それよりも私は今後のアドバイスが欲しかったので、グレイベルから聞いた話をヨミにも伝えた。

ローレの不可解な行動については伏せておいた。

 

「ふむふむ、なるほどなぁ」

「ヨミさんはそういう呪いとかの類は詳しくないですか?場所さえわかれば不要な争いを避けて呪具を破壊できると思うんですけど」

「うーん知らんなぁ、ウチはホンマにただのメッセンジャーやさかい。それにしても、アキヒコ君は真面目やなぁ、その用心棒さんの話をまるまる信じとるん?」

「え…?」

 

予想外の指摘だった。

あれだけの殺し合いを町のためにしたり、助ける必要もない私達を「たまたま見かけた」という理由で助けてくれたりした人物だ。

グレイベルは、態度は横柄かもしれないが、正義の人だと私は思っていた。

 

「仮に本当やったとして、その女の人にそれほどメリットがあるかいな?礼金言うても、人がほとんどおらんなった貧乏な町を、1週間も怪物と殺し合って守ってどんだけの額になるんやろなぁ。しかも怪物に乗っ取られつつある世界や、通貨の価値も不安定やないやろか?」

「だ、だからそれは正義の人として…」

「アキヒコくぅん、しっかりしぃや?金もろたら後は知らんって言うとったやないの」

「…じゃあ、なぜ彼女は命がけの決闘を?」

「そこをちゃんと聞いたかなアカンかったなぁ」

 

私は意気消沈した。

大事な情報を掴んだ、と良い気になっていた。

思い返せば、グレイベルは決闘を楽しんでいる節もあった。

ならば、単に金や正義のために動いている訳ではないはずだ。

 

「まあ、元気出しや?今おる町の事情なんか気にせんでええ。キミの直近の目標はヘレク山に行くことやさかい、用心棒さんの言うた通り、さっさと町出たらええだけやで」

 

しかし、私にはまだ引っかかっていることが山ほどある。

それを放置したまま先に進んで良いのだろうか?

 

「もう少しだけ時間をください。あと4日以内に何か掴めなければ、すぐにヘレク山へ向かいます。このまま放っとく訳にはいかない、そんな気がするんです」

「ふ〜ん。まあ、キミの直感は神様譲りやから好きにしたらええ、時間はたっぷりあるからなぁ…」

 

ヨミの声は段々と遠ざかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第62話 怪現象

目が覚めると、部屋はまだ暗かった。

というより、眠ってから1時間も経っていないような気がする。

ヨミとの会話が終わると、大体いつも何かが起きるはずなのだが、キーシャの心の声も聞こえないし、嫌な予感もしない。

上半身を起こしてボンヤリとしていると、カサカサという音が不意に聞こえた。

耳を澄ますと、音は部屋の扉の向こうから聞こえてくるようだ。

何か布や靴が床と擦れ合う音に似ているが、それにしては一歩一歩の間がない。

 

(ネズミかな?)

 

音は、廊下をこっちからあっちへ、あっちからこっちへと往復している。

やたらと素早い往復だ。

気になって目が覚めてしまったので、その正体を確かめようかと思った。

しかし、夜は決して扉を開けてはならない、という宿屋の奥さんの話を思い出す。

 

(でも、霊獣ならドアを破壊するとか、窓を割って入るとかしそうなもんだがな)

 

扉を開けなければ問題ないだろう。

そう考えた私は、扉に近づこうとベットの外へ足を下ろした。

と、その時である。

 

「ア………」

 

突然、廊下から声が聞こえ、移動する音が私の部屋の扉の前でぴたりと止まった。

私は心臓が飛び出るかと思うほど驚き、緊張状態に陥った。

全身から一気に冷や汗が吹き出る。

廊下から聞こえた声は、囁くような、あるいは無意識に喉から発せられたかのような細い声だったが、間違いなく人間の男の声だった。

そして、この宿屋に居る人間で男といえば主人と私の2人だけで、どちらもこんなに高い声ではない。

声は、若い男の少し掠れた声のようにも聞こえた。

少なくとも、この宿屋にいる人間で、こんな声を出す人間はいないはずだ。

そもそも、夜中に廊下を高速で往復する必要もない。

ネズミかと思うような連続した音なのだ。

もし、人間がこんな音を立てて高速で移動しようとしたら、四つん這いになるしかないだろう。

廊下の、扉を1枚隔てた向こうで、四つん這いの人間が、私の足音に耳を潜めている。

想像するだけで、鳥肌が立つほど不気味な光景だ。

音はまだ移動を再開しない。

つまり、まだ私の部屋の前にいるのだ。

 

「……………………………アァ」

(いる…っ!誰かが確かにそこにいるっ!)

 

私は恐怖を感じていた。

これは、この世界に来てから感じた、命の危険や、孤独感といったものとは違う。

もっと単純な、しかし逃れようのない『怪奇に対する恐怖』とでもいうべきか。

私は、神様の力のおかげで、周りに命の危険が迫ると直感で「ヤバい」と感じる鋭敏な感覚を持っている。

しかし、今私は命の危険を感知していない。

なのに、心臓はバクバクと激しく脈打ち、冷や汗で背中に悪寒が走っている。

扉の向こうにいるものは、人間でも霊獣でもないのではないか?

説明のつかない存在が、私に関心を向けているのではないか?

そういう『良くない考え』に取り憑かれてしまうと、もうだめだ。

1ミリも身体を動かすことが出来なくなった。

そして、そこへさらに追い討ちをかけるように、新たな怪現象が起きる。

 

「コッチへ来イ」

 

耳元で囁くかのような低い声が聞こえた。

明らかに私にかけられた声だった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第63話 扉を叩くもの

「コッチへ来イ」

 

声は確かに、私のすぐ後ろから、耳元で囁くようにはっきりと聞こえた。

シンと静まり返った夜の密室で、廊下の向こうにいるものがジッと私の挙動を伺っており、そしていないはずの声が私に命令している。

私は歯の根が合わなくなり、ガタガタと音を立てて震え始めた。

 

(クソッ!抑えろ!抑えろ!)

 

私は自分の身体を、ベッドの上で丸くして、右手で口を、左手で頭を抱えて小さくなった。

しかし、どんなに止めようとしても震えは止まらない。

毛布を被っているのに、全身を氷水に漬けられたような寒気に包まれている。

 

「……アァ……アァァ………」

 

廊下にいるものが、私の歯が鳴る音にますます反応し、とうとう扉にピタリと触れる音が聞こえた。

扉の触れて、押している。

入って来ようとしている。

 

「…アァァ…アァァァ……」

 

扉がミシ、ミシとわずかに軋む。

 

「アァァァァァァァァァ!アァァァァァァァァァ!」

 

扉の外にいるものは、もはや明らかにまともではない奇声を上げて、扉をドンドンと叩き始めた。

絶え間なく、激しく扉が叩かれる。

最初は一定であった音は、やがて不規則になった。

その意味を理解した時、私はゾッとした。

 

(増えてる…)

 

よく聞くと、扉を叩く強さ、叩く場所、叩く速さが違う2つのパターンに増加したから不規則に聞こえているのだ。

扉の外のものは、2人いる。

最初から2人だったのか、後から増えたのかはわからない。

そんなことは重要ではなく、謎の存在が複数で私の部屋への執拗な侵入を試みているという事実がますます私を恐怖に陥れた。

 

「コッチへ来イ」

 

耳元でまた囁きが聞こえた。

耳は両手で塞いでいるのに、全く防音出来ていない。

まるでヘッドホンをつけている時のように、無防備な鼓膜へ声が届いてしまう。

 

「アァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」

 

扉の外の声は今や絶叫だった。

一体、どのような感情の発露なのか理解できない。

何かに怯えているようにも聞こえるし、苦しんでいるようにも聞こえる。

誰かが怯えたり苦しんだりする声というものは、その理由がわからない時は、聞いている人間にも得体の知れない恐怖を与えるようだ。

この部屋の扉は、内側から鍵をかける様式で、鍵はベッドの傍の引き出しにしまってある。

ちょっとやそっとじゃ破ることは出来ない頑丈な作りだから、賊に押し入られる心配はないと宿屋の主人は言っていた。

きっと、大丈夫なはずだ。

私は目を瞑り、耳を塞ぎ、寒気に震えながら、ひたすら耐えた。

 

「逃ガサナイ」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第64話 死霊

気がつくと、窓の外は明るくなっていて、扉を叩く音も、声も止んでいた。

私は一晩むずっと緊張状態だったのか、どっと疲労が押し寄せてきてベッドから起きられなかった。

 

(なんだったんだ、アレは)

 

夢などでは決してなかった。

夢にしては生々し過ぎる感覚が、まだ余韻として耳の中に残っている。

突然、トントンと扉がノックされ、私は飛び上がりそうになった。

 

「アキヒコー、おるか?朝食の用意ができておるぞー」

 

キーシャの声を聞いて、私は安堵した。

気怠い身体を漸く起こして、私は扉の鍵を開けた。

 

「随分と寝坊だの、お主の分まで食ってしまうぞ…ん?お主!どうした⁉︎」

 

私の顔を見た途端、キーシャは仰天した。

どうしたのだろう、とボンヤリ疑問に感じていると、彼女は私の頭を両手でガシッと掴んだ。

 

「死人みたいに冷たいぞ!こっちへ来て見てみよ!」

 

キーシャは、私の部屋にある化粧台の鏡へと私を引っ張って行った。

鏡を覗き込んで、私自身も驚いた。

私の顔は、一晩しか経っていないとは思えない程やつれていたのだ。

頰は痩け、目の周りには隈が表れ、唇は乾燥し、肌は土気色になっている。

 

(自分でも気づいておらんかったようだな。昨夜、何か変わったことはなかったか?申してみよ)

(実は…)

 

私は、昨夜の恐怖体験をキーシャに全て話した。

 

(ふーむ、わたしの知っている限り、それは死霊だな)

(死霊?幽霊ってことですか?)

(始まりは同じだな。だが、幽霊は死者の霊体の痕跡に過ぎん。よほど強い未練を遺しているならば、生者に何らかの物理的干渉を以って想いを伝えようとしてくる。例えば、ルクラド城で見た幽霊がそうだな。あの手のは時々人間を傷つけてしまうが、悪意はないものだ)

 

私は、ルクラド城の地下空間へ至る前に、井戸へ何者かに引きずり込まれたことを思い出した。

あれ以上の追撃がなかったことを鑑みると、あれもまた、地下で死んだ人間の幽霊だったのかも知れない。

私に、あの場所を見つけて欲しくて強引に引きずり込んだだけで、悪意はなかったのだろう。

 

(だが、死霊は強い恨みや憎しみ、あるいは敵意が霊体の痕跡を変質化させてしまったものだ。強いエネルギーとなって実体に干渉する。そして、生者を羨ましがって己と同じ境遇に陥れようとする分、幽霊よりも邪悪な存在だ。標的にされた人間は執拗にな精神への負荷をかけられて狂い死ぬ危険もある。もし、お主が標的にされたのだとしたら…)

 

キーシャは出口へと歩いて行き、内開きの扉を開けて、その廊下側の表面を調べ始めた。

 

(………うーむ、困ったのう。お主、完全に目をつけられておるぞ。普通の人間には見えぬだろうが、お主には見えよう)

 

キーシャが、私にも見えるように扉を全開にする。

扉の表面には、びっしりと人間の手形が付いていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第65話 恐怖と安心

(や、やっぱり本当に扉を叩いてたんですね…)

(まあそれもあるが、これは要するに目印だ。何らかの理由、例えば霊力が通常の人間より強いとか、死霊はそういう性質を感知して標的にするのだ。お主は変わった術を使うからの、目立ってしまった可能性はある。恐らく今夜も来るぞ)

 

私は泣きたい気分だった。

霊獣ならまだ戦える。

実体のある生物とそれほど違わないし、明確に殺意を向けて来るので直感で対処できる。

しかし、死霊というのは、私の根底にある未知への恐怖や死への恐怖をピンポイントで攻めてくる。

あんなものに毎晩来られては、本当に精神に異常をきたすだろう。

 

(どうしたらいいでしょうか?)

(手っ取り早いのは、この町を出て行くことだが…例え出て行ったとしても憑いてくる可能性もある。仕方ない、少々手間だが、除霊するか)

(除霊?)

(お主は幸運だな、女神たるわたしにとって除霊は朝飯前だ。いや、朝飯は食うが…とりあえず食って精をつけるべきだ、な?もうちょっと寝ておれ、飯を運んできてやろう)

(ま、待ってください!)

 

1人になるのは怖かった。

私は思わずキーシャの手を取っていた。

大の大人が少女に縋るように引き留めるというのは我ながら恥ずかしい姿だった。

キーシャは少し驚いた顔をしたが、いつになく優しい笑みを浮かべて言った。

 

「従者アキヒコよ、安心せい。お主はわたしをこの世に呼び戻した選ばれし者である。死霊ごときに負けるわけがない。それに、わたしはわたしを慕う者を決して見捨てたりはせん。必ず守ってやるから、まずは食べて元気になるのだ」

(………わかり、ました)

 

私はキーシャの手を離し、ベッドの上に戻る。

キーシャが出て行くのは不安だったが、この2日足らずの内に私は何度も彼女に救われ、彼女が本当に人を守るために戦う存在なのだと知っている。

ならば、私も信頼という形で彼女に報いなければ、この先に待ち受ける戦いを生き残ることは困難だろう。

やがてキーシャは食事を盆に乗せて戻ってきた。

その後ろには、何故かローレもついて来ている。

 

「病に臥せっておるからいかんと言ったのだが、聞かなくてな…」

「アキヒコ、どこが悪いの?まだ毒が抜けてない?」

 

ローレは心配そうに私の元まで駆け寄って来た。

私はふと、昨日見た彼女の不審な行動を思い出す。

しかし、仮に彼女が私達に何かを隠しているとしても、それが悪意や企みによるものとは思えない。

ローレは出会った時から私を案じてくれていた。

 

「ありがとう、大したことじゃないよ」

「でも安静にしていた方が良いわ。そうだ!朝ごはんは私が食べさせてあげる。キーシャさん後は任せて!」

「何を言うとる!わたしの従者だ、わたしが食わせる!」

 

騒がしい2人を見て、私はこんなに心配してくれる人が近くにいてくれることに感謝した。

こんなところで死ぬわけにはいかない、強く生きなければ、と改めて心に誓った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第66話 朝食

結局、私は自分で匙を持って朝食をいただいた。

ローレとキーシャは不満そうだったが、別に体が動かないわけではないのだから、そこまで世話になるわけにはいかない。

朝食は、焼きたてのパンに、野菜のスープ、そして目玉焼きだった。

質素だが、この上なく平和な食事だ。

3人で朝食を食べながら、私はグレイベルから聞いた4年前の侵略の噂や、町の呪いの話をキーシャに説明した。

勿論、ローレに聞かせるような話ではないので、心の声でだ。

 

(なんとまあ…いや、わたしに町の者を責める権利はないな。わたしがもっと早く目覚めていれば、そのような選択をせずに済んだのだから)

(いえ、キーシャ様の責任でもないですよ。元凶はやはり、国を乗っ取った霊獣です。それに、グレイベルの思惑がわからない以上、ただ7日間の生贄を続ければ解決とは思えません)

(そうだなぁ。お主は今日のグレイベルの決闘を見張るが良い。何か掴めるやもしれん。わたしは夜までに除霊の準備をしておこう。少し道具も必要だからの)

(わかりました)

 

今日の予定を決まったところで、ふとローレの方を見ると、私の顔を不思議そうに見ていた。

 

「どうした?顔に何かついてるか?」

「い、いいえ違うの。その…アキヒコとキーシャさんって仲がよろしいのね。食べてる間もずっと目配せしたり見つめ合ったりしてたから」

「⁉︎」

 

私は予想だにしない言葉に面食らった。

しかし、キーシャは笑って答える。

 

「はっはっは、そうだ、アキヒコはわたしのような幼い容姿の女子が好みでな」

「は?」

 

私は思わず真顔でキーシャを見る。

何を言っているのだこの女神は。

 

「そうなのアキヒコ⁉︎そ、それはあまり良くないことだと思うわ…」

「年の差や見た目の違いは関係ないぞローレよ。此奴はお主にも懸想しておるぞきっと」

「は?そんな訳ないだろ!」

 

断じて私に少女愛の嗜好などない。

そう否定したつもりだったが、年頃のローレにはキツい言い方だったようで、シュンとしてしまった。

 

「ああ、いや、ローレのことは勿論好きだよ。でも恋愛とかそういう感情ではなくて、俺を助けてくれたからさ」

「え?私が貴方を…?」

「そうだとも。俺はいきなり頭を殴られて捕まっちまったんだ。キミは馬車の中で俺に名前を教えてくれたろ?もしキミがいなかったら、俺は独りぼっちで絶望してたかもしれない。キミが居てくれたことが、俺には救いだったんだ」

 

ローレは照れくさそうに笑った。

今言ったことは本当だ。

ローレが居なければ、私は行動を起こすための動機を得られなかっただろうし、またキーシャを見つけなければ脱出は無理だった。

最初は絶対に無理だと感じていた異世界での旅も、まだ課題を抱えているとはいえ、こうして4日目の朝を迎えているのだから、諦めなければ道は拓けるだろう。

3人での賑やかな朝食を終えて、私は元気を取り戻した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第67話 烈日のウロク

今日もまた鐘が鳴る。

決闘の始まりを知らせる鐘だ。

この時刻になると、住民は家から出ない決まりになっているらしいので、私達もそれに従う。

ただ、キーシャは宿屋でいくつかの道具を注文していた。

縄や蝋燭を、どうやってお祓いに使うのかはわからないが、私は彼女を信じることにした。

今日は2階の貸してもらった寝室から決闘を見物する。

グレイベルの相手は、昨日の筋骨隆々な男とは打って変わって、ヒョロリと痩せた、一見平凡な兵士だった。

手には槍を持っており、霊獣なのに人間の武器を使うようだ。

 

「あっしは『烈日のウロク』…ガイオネル将軍配下のしがない一兵士でさぁ。お見知り置きを」

「最強じゃあねぇのかい。昨日までの3匹はみんな最強を名乗ってたぜ」

「へっへっへ、俺は霊獣の中でも取り柄のない方でさぁ。では、始めやしょう」

 

ウロクと名乗った兵士は、槍を構えた。

槍の穂先は、三又に分かれた刃の形になっており、遠目には巨大なフォークのような形状だ。

柄の長さは2メートルほど。

グレイベルとの距離は、およそ3メートル。

武器の長さという点では、槍の方が有利な距離かもしれない。

しかし、グレイベルの早技をもってすれば、槍のリーチはあまり意味がないようにも思える。

素人の私には全く予想ができない決闘だ。

グレイベルは、まだ義足を剣に変形させていない。

槍の先端を向けられても、落ち着いた様子で構えている。

 

「大丈夫かしら、グレイベルさん…いえ、きっと大丈夫よ」

 

私の隣で観戦しているローレは、1人で不安になったり納得したりを繰り返している。

私も、昨日の戦いぶりを見ているので、グレイベルが簡単に負けるような人間でないことは承知している。

が、あのウロクという男は、何か奥の手を隠しているような気がする。

私の直感は、男がしがない一兵士ではないと警告しているのだ。

 

(そんなに余裕ぶってて大丈夫なのか?)

 

ウロクは、腕を突き出せば槍をいつでも突き刺せるような構えで、ジリジリとグレイベルとの距離を縮めている。

もし避けられなければ、彼女は心臓を一突きされて絶命するだろう。

しかし、それでもグレイベルは剣を構えていない。

ギリギリまで引きつけるつもりなのか。

しかし、私にはそのギリギリの間合いがわからない。

既に死線を超えているような気さえする。

 

「突けよ、鳥頭。その時がてめえの最期だ」

 

グレイベルは何の防御姿勢も取ることなく挑発する。

が、ウロクはそれに乗らず、ニヤニヤと笑ったまま動かない。

 

「アンタのその足、見たことがありやすぜ。"幻疼石《げんとうせき》"だぁ、そうでしょう?」

「!」

 

ほんの一瞬。

ウロクの言葉に、グレイベルはほんの一瞬だけ、精神を揺るがした。

その針の穴のような一瞬に、狂いなく、精密に、ウロクの槍がするりと突き出される。

三又の槍が、グレイベルの胸に入り込んだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第68話 半身

「っ…!」

 

ローレの息を飲む声が隣から聞こえる。

私もまた、言葉も出ないほどの衝撃が全身に走っていた。

グレイベルが何の防御もせず、あれほどあっさりと貫かれてしまうなど想定していなかったからだ。

 

「…いや、違う!」

 

グレイベルは死んでいない。

私の異常に良くなった目には、グレイベルが胸を串刺しにされながらも、不敵に笑っているのが見える。

彼女は何か策を講じて、わざと刺されたに違いない。

 

「へっへっへ、やりなさるねぇ」

 

ウロクもそれに気づいているようだ。

サッと槍を引き抜き、すぐに後方へ距離を取った。

グレイベルは何事もなかったかのように言葉を発する。

 

「何がしがない一兵士だ。職人みてえに正確に心臓狙いやがって。まあ、そのおかげで命拾いしたがな」

 

そして、左手の指で胸をトントンと叩くと、人間の肌や衣服を叩くのとは明らかに違う、篭った金属音が響いた。

どうやら、胴体に何らかの防御服を着用しているらしい。

ローレが安心したようにホッと息を吐いた。

 

「薄着のように見えて、この槍を防ぐたぁなかなかの代物をお召しになっているようで。それとも胸板が堅いのかね、へっへっへ」

「そうよ、あたしの胸は鋼より堅いのさ。もし急所以外を狙われたら危なかったが、てめえはあたしを殺し損ねた。覚悟は出来てんな?」

 

ついに、グレイベルが義足を剣へと変形させた。

義足は、脚のシルエットを形成していたガワが、まるで帯が解けるように滑らかにバラバラになる。

そして、帯状の素材は再び寄り集まって、一瞬のうちに鋭い刃を形成した。

 

「あ〜、やっぱり幻疼石でありやすか。なるほど、バルギスの馬鹿力じゃあ手も足も出ねぇわけだ。こりゃあ楽しくなりそうだぁ」

 

クルクルと槍を回し、ウロクは槍の構えを変えた。

先程、グレイベルを突き刺した時のような突き出す構えではなく、半歩右足を後ろへ引いて、槍も右手だけで地面に対して垂直に握っている。

相手の視界から自分の身体で槍を隠すような格好だ。

グレイベルはというと、やはり剣の右足を後ろへ引き、左半身を敵に向ける構えを取った。

場は再び静まり返る。

私の貧困な例えでは言い表しようがないが、強いて言えば居合抜き、あるいは西部劇に出てくる早撃ち勝負といった緊張が漂っている。

太陽はてっぺんより少しだけ西へ傾き、地面には眩しい日差しが反射している。

その眩さの中で、グレイベルとウロクの黒い影だけが際立っている。

先に動いたのは、グレイベルだった。

左足を軸にして、右足の剣を回し蹴りの要領で素早く振る。

それに合わせるように、ウロクは右手に握っていた槍を左手へと持ち替え、槍の切っ先と反対側の先端で剣を弾いた。

金属同士の衝突音が、乾いた通りにこだました。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第69話 鍔迫り合い

槍という武器は、その間合いの長さを活かして、斬ったり突いたりするだけでなく相手を叩くものなのだと、ウロクの動きを見て私は理解した。

この男は棒を振り回すかのごとく槍を振り回しているが、闇雲ではなく、正確にグレイベルの剣先を受け流している。

そして、稀に訪れる隙を見逃さず、回転の力に乗った勢いのまま槍を叩きつけるのだ。

一方、グレイベルの方も隙を見せたからといって付け入られるほど未熟ではなかった。

むしろ、その隙を利用して相手を間合いに引き込もうとしているようにも見える。

押しては引き、引いては押す。

互いにそれを繰り返し、命のやり取りがひたすら続く。

 

「ローレ、こんな戦いを見たことがあるかい?」

「いいえ、お城の兵士さんが演武を披露してくださったのは見たことがあるけれど、こんなに苛烈なものではなかったわ」

「お城?」

「あっ」

 

ローレはしまったという風な顔をしたが、すぐに取り繕った。

 

「私、アイナーマルにも昔行ったことがあるの。そこで演武を見物したのよ」

「親御さんとかい?」

「…お父様とよ。お母様はもう亡くなられたわ。霊獣が現れた4年前よりもずっと前、私がもっと小さい頃に」

「そうか、ごめんよ」

 

今でも十分小さい子供なのだが。

推定で現在10歳として、4年前は6歳。

ローレは今まで一体どこでどうやって生き延びて来たのだろう?

昨日聞いてしまった話だと、父親はルクラド城と何か関係があるようだし、やはりこの少女は貴族のような生まれなのかもしれない。

あるいは…

 

「あっ、止まったわ…!」

 

ローレの声で、私は思考の海から現実へ引き戻された。

かなりの時間、グレイベルとウロクは打ち合っていたと思われるが、それが今はお互いに間合いを取って中断していた。

 

「よう、もう降参か?あたしはまだまだやれるぜ」

 

グレイベルは、わずかに息が上がっているが、それでも疲労が溜まっている様子はない。

ウロクも同様に、あるいは霊獣ゆえの人間離れしたスタミナがあるのか、息すら上がっていないように見える。

 

「へっへっへ、あっしは出来れば負けた方が得なんですがねぇ、姐さんのおかげでちっとばかし楽しくなってきやしたよ。姐さんこそ、なぜさっさとトドメを刺さないんですかい?幻疼石なら、あっしみたいな雑魚を即死させる必殺技があるでしょうに」

「ちっ、お喋りな野郎だ。有る事無い事ベラベラと」

 

グレイベルは、ウロクが『幻疼石』という単語を口にする度、明らかに動揺している。

あの義足は、知られているとまずい材質なのだろうか?

 

「いいでしょう。姐さんが本気になれるよう、あっしも大技をお見せしやしょう」

 

そう言うと、ウロクは突然、天空に向かって声をあげた。

霊獣特有の、人外の姿へと変身する鬨の声だ。

人狼やバルギスとは違う、細く、しかし鋭い鳶のような鳴き声だった。

やがて、彼の身体に変化が現れた。

 

「あれは…羽根?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第70話 上昇

ウロクの背中に、彼の身の丈の2倍はある巨大な翼が生えた。

黒と橙色の鮮やかな、しかし毒々しい色だ。

彼の鼻から口にかけては嘴に変わり、顔や手足も羽根と同じ色の羽毛で覆われる。

 

「グレイベルが鳥頭って言ってたのはこういうことか」

「あ、あれ、知ってる」

 

ローレが震える声で言った。

見ると、怯えた様子で自分の肩を抱きしめて震えている。

 

「ローレ、大丈夫か!?あの霊獣を知ってるって?」

「…私の住んでいた町で、人がいつの間にか串刺しになっている事件が多発したわ。そして、事件の後には必ず、大きな鳥が目撃されてたの。黒と橙色の羽根を持った鳥が低く飛ぶのが見えたら、誰かが死んだ後だって」

 

ローレは震えていたが、意を決したかのように、突然窓を開けた。

 

「あ、危ないぞローレ!」

「グレイベルさん!そいつを飛ばせちゃダメ!」

 

私の制止も聞かず、ローレは数十メートル先のグレイベルに叫んだ。

 

「何…?」

「手遅れですぜぇっ!!」

 

グレイベルがローレの声に反応するのと、ウロクが翼を羽ばたかせたのはほとんど同時だった。

突風が吹き、渇いた砂が通りに巻き上げられた。

グレイベルは左手で顔を守りながら臨戦態勢を取る。

しかし、ウロクは既に地上にはいなかった。

 

「っ…野郎どこに消えやがった」

 

グレイベルは頭上や周囲を警戒して見回すが、ウロクの姿はどこにもない。

私は数秒だけ、奴が上空へ飛んで行くのを目で追ったが、太陽の光が眩しくて見失ってしまった。

手で日光を避けながら空を見上げたが、見える範囲に飛行するものはない。

 

「逃げて!見えないところから刺されるわ!」

「お嬢ちゃん、少し黙ってろ!」

 

グレイベルは苛立ちの混じった声でローレに叫び返した。

ローレはビクッと型を震わせて黙り込んだ。

 

「決闘の邪魔をしちゃあダメだ。それに、見えねえんなら逃げたところで結果は同じさ」

 

何を思ったのか、グレイベルは目を閉じたまま頭上を仰いだ。

いくら日光で見えないからといって、目を閉じたまま敵に喉を晒すなど無謀すぎる。

 

「………いるな、確かに。頭の上によぉ」

 

ニヤリと笑った彼女の顔から、焦りは微塵も感じられない。

遮光板のようなものがあれば、私も空を観測できるのだが、残念ながらそんなものはないし、私の目は神様の力で強化されたとはいえ、直射日光を浴びて視力を保てるほど人間離れしているわけではないのだ。

さっきまでの剣戟が嘘のように、通りは静まり返った。

聞こえるのは風の音と、町のどこかでギィギィと木材が軋む音だけだ。

グレイベルは少し身を屈め、身じろぎせずに待っている。

 

「さあ、何をする気だ。やれよ、何が起きるかお楽しみだぜ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第71話 背徳者

※今回は第三者視点でウロク側の話になります。


ウロクという男は、大多数の霊獣がそうであるように、始まりは人間であった。

生物が生まれながらに肉体と霊体の融合した存在であるのに対し、霊獣は霊体のみの不安定で茫漠とした存在である。

それが自己を確立するためには、霊体の消失した肉体、つまり死体に憑依するか、生命のない物体に憑依するしかない。

しかし、憑依を必然的に行うことができる霊獣はほとんど存在しない。

なぜなら、霊体のみでは確固たる意思を保つことは至難の極みだからだ。

いわば杯に入っていない液体のような状態といえよう。

杯を満たす液体は、その器の形に自らも変わる。

故に、霊獣は器となる死体の生前の性格や性質に影響を受ける。

ウロクもまた、偶然から肉体を手に入れた霊獣であった。

素体となったのは、とある教会で下働きをしている男だった。

男は敬虔な信徒の顔を見せる一方で、とても暴力的で加虐的な衝動も持ち併せていた。

小さい頃から生物を残酷に殺し、他者を過剰に虐め、異性に邪な情欲を抱いて、時にそれらの衝動のまま行動しては問題を起こしていた。

誰もが蔑む最低の男だった。

ある日、男の働いている教会で幼い少年が暴行され、死亡していたことが発覚した。

誰もが男を疑い、問答無用で裁かれた。

 

「この下衆野郎、とうとう人間に手をかけやがった」

「背徳者め、地獄に堕ちろ」

 

その時代、凶悪犯罪者への刑として主流であった串刺しの刑が実行される当日、観衆から様々な罵詈雑言を浴びせられながら、しかし男は笑っていた。

というのも、男は事件の真相を知っていたのだ。

犯人は教会の神父で、死亡した少年とは肉体関係にあった。

少年は表向き、品行方正な態度で評判も良かったが、裏では神父と共に、神を冒涜するかのような淫行に及んでいたのである。

しかし、少年は神父を愛してはいなかったため、自身との関係を利用して神父を脅迫し、金品を要求しようとした。

神父はというと、そんな少年の態度を最初から知っていたので、口封じのためにあっさりと少年を殺害した。

男は、その一部始終を教会の中で隠れて見ていたが、己に疑いの目が向けられ、処刑される段になっても、誰にも真実を語らなかった。

神父を庇ったわけではない。

男は神父の淫行も、殺人も、己の冤罪を黙認する図々しさも、全てを肯定していたのだ。

人間が善意だとか信心だとかで面の皮を装っても、この神父と少年こそが真の姿なのだと思っていた。

そして、それに全く気付かず、己を断罪する民衆の滑稽さを嘲笑していたのだ。

地獄に堕ちろ?

己が地獄に堕ちるならば、神父や少年、そして民衆も皆、地獄に堕ちるだろう。

 

「先に地獄で待ってるぜ」

 

これが男の最期の言葉だった。

荒野に晒された男の死体には、邪悪な思念の残滓が瘴気となって留まっていた。

その瘴気は周囲の草花を枯れさせ、死体を啄ばんだ烏や鳶もその場で死に至るほどであった。

それは、邪悪な霊獣が宿るには最適の肉体だったといえよう。

鳥や男の死体、瘴気までも取り込み、ウロクという怪物は誕生した。

アイナーマルが霊獣に侵略されるよりも、およそ20年ほど前のことであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第72話 反古

※引き続き、第三者視点でウロクの話になります。


ウロクの三又の槍は、もともとある人間の所有物であった。

ウロクは肉体を得た時から、霊獣が弱肉強食を是とする性質であることを理解し、まずは強い人間を探して技を盗もうと考えた。

数年放浪した末に、山奥で修行を積む槍使いに出会った。

ウロクは人間のフリをして近づき、弟子にして欲しいと懇願した。

槍使いは、孤独よりも相手のいる修行の方が一層励みになるだろうと考え、ウロクに槍を教えた。

ウロクは、霊獣の超人的な体力もあって、見る間に腕を上げていった。

ある日、槍使いは言った。

 

「もうお前は俺など足元にも及ばないほど強くなった。お前のような友を持てて誇らしい」

 

ところが、ウロクの返した言葉は槍使いの全く意図していないものだった。

 

「そうかい、じゃあ試してみましょうかね」

 

ウロクは槍使いを友などと思ってはいなかった。

己の上達ぶりを確かめるため、彼は長いこと同じ釜の飯を食った槍使いを殺した。

その時に盗んだのが、槍使いの大事にしていた三又の槍である。

そして、槍使いを殺した技は、ウロクが10年以上経った現在でも洗練し続けている。

 

 

 

グレイベル・ソウという人間の女は、久しぶりに出会った強い人間であった。

ウロクは、4年前に霊獣の軍団へ入って以来、初めて自ら決闘を志願した。

この決闘は、そもそも図体や口だけで使えない霊獣をグレイベルに殺させることで、町の呪具に霊力を過剰に与えて破壊し、呪具から溢れ出したより多くの霊力を持ち帰ることが目的だった。

しかし、ウロクはその実力をガイオネル将軍に認められていたため、グレイベルと決闘することは出来ないのだった。

そこで、ウロクは将軍に進言した。

 

「どうせ人間との約束なんざ守る義理はねぇでしょう?なら、キリのいいところであっしが女を殺しちまえば、あとは町の人間を皆殺しにして、町を隅から隅まで探しゃあ呪具は見つかるはずですぜ」

 

将軍は最初渋ったが、破壊するより無傷で呪具を入手する方が効率は良いはずだと考え、密かにグレイベルとの取り決めを反古にすることを決めた。

こうしてウロクは、将軍の許可を貰い決闘に参加したのだった。

しかし、ウロクの本当の目的は決闘ではない。

久しぶりに見つけた強い人間に勝利し、敗者をいたぶって殺すことだ。

今、ウロクは地上からはるか高い空中を飛行している。

地上を見ると、グレイベルが周囲を見回して己の姿を探しているのが見える。

あのグレイベルという女は実にそそる。

手足の欠けた身体であそこまで強くなるには、相当な鍛錬と努力を積み重ねたのだろう。

その気高き自信を粉砕し、絶望する彼女の足をもぎ取って弄びたい。

ただその劣情だけで、ウロクは必殺必中の槍を投擲した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第73話 戦乙女

※引き続き第三者視点によるウロクの話です。今回で最後です。


ウロクの腕力は、霊獣の中でも際立って強いわけではない。

せいぜい、人間の男数十人分程度の力だ。

グレイベルほどの手練れなら、彼の投げた槍など易々と回避してしまうだろう。

だが、それは槍を投げる姿を見て、飛んでくる方向がわかっていたらの話だ。

ウロクの持つ三又の槍には、特殊な仕掛けがある。

それは、使い手の霊力を込めることで『霊力で出来た槍』を投擲することができるという代物だ。

神代にはこうした魔法武器が多く生み出され、人から人へと受け継がれてきた。

ウロクは、修行の相棒がどこでこの槍を手に入れたのか知らない。

そんなことはどうでもよく、これが強力な兵器であるという事実が重要だった。

相棒を殺して槍を奪った後、ウロクは槍の使い方を独自に学んだ。

そして最も威力を発揮する使い方が、高高度から地上に向けて振り下ろすというものだ。

ウロクの腕力と、霊獣特有の強い霊力に加え、落下の力でさらに加速した攻撃が地上の標的に命中する。

そして重要なのが、投擲する際に必ず太陽を背にすることだ。

これにより、標的は眼でウロクを捕捉することが不可能になる。

どんなに槍が飛んでくる方向を見定めようとしても、強烈な陽光によって視界は阻害される。

また、太陽を背にしていることがわかっても、投擲する瞬間を正確に把握することはできない。

 

「まあ、天気の悪い日に使えないのは困りもんだがねぇ」

 

本日は絶好の串刺し日和だ。

ウロクは槍を握った右手に霊力を集める。

三又の穂先から、霊力で構成された3本の刃が出現する。

どんな頑丈な鎧でも容易に貫く強力な槍を、グレイベル目掛けて投げつけた。

雷のような速度で、槍は真っ直ぐに地上へ落ちる。

太陽という不可視の方向からの一撃。

女剣士の命運も尽きたかに思われた。

しかし、

 

「ん?」

 

ウロクにも一瞬事態が飲み込めなかった。

が、槍が到達する直前、グレイベルは目を閉じたまま、確かにウロクの方を、直視できない太陽の方を向いていた。

数秒もしないうちに、ウロクは地上で起きていることを理解し、ニヤリと笑った。

 

「やれやれ、そう簡単にやられてはくれねぇか」

 

槍は、果たしてグレイベルに届いていた。

ただし、彼女の肉体を貫くことは出来ていない。

なぜなら、槍が届く瞬間に合わせて、グレイベルが右足を大きく振り上げたからだ。

太陽の方角を指した義足の切っ先は、飛んできた槍の穂先とかち合った。

刃と刃の先端が、寸分の狂いもなく衝突したのだ。

当然、義足に伝わるエネルギーは人間の肉体など吹き飛ばすほどの威力だ。

周囲には凄まじい衝撃波が起き、地面はまるで水面に波紋が広がるように放射状に振動を伝える。

しかし、その中心にいてなお、グレイベルは持ち堪えていた。

それはさながら、神代の遺跡に描かれた戦乙女の如き勇姿であった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第74話 白色の光刃

※ここからアキヒコ視点に戻ります。


目の前が眩い光に包まれ、私の目が一瞬眩んだ。

それとほぼ同時に、轟音と衝撃が我々のいる宿屋の2階まで届き、建物が地震でも起きたかのようにグラグラと揺れた。

立っていられなくなってしゃがみ込んだローレが尋ねる。

 

「何が起きたの?グレイベルさんは…」

 

しばらくして視力が回復した私は、窓の外の光景を見て答える。

 

「大丈夫だ、彼女はまだ生きてる。しかし…あれは凄まじいな…」

 

グレイベルは、上空からの攻撃を回避するのではなく、防御していた。

左足だけで接地し、天高く振り上げた右足の切っ先で、恐らくウロクの放った槍であろう武器をピタリと受け止めていたのだ。

先ほどの衝撃は、彼女を殺せなかったエネルギーの余波が周囲に散ったために起きたのだった。

しかも、その衝突エネルギーはまだ消えておらず、グレイベルは向かって来る槍を押さえ続けている状態だ。

これが、女神キーシャをして英雄に相応しいと認めさせた剣士の実力というわけか。

 

(しかし、ここからどう反撃する…?)

 

歯を食いしばって踏み止まってはいるが、あの状態でもし二撃目を食らわされたら危うい。

ウロクの槍には、恐らく霊力を用いた特殊な術がかけられている。

でなければ、衝突してもなお運動エネルギーが持続しているのはおかしい。

言うなれば霊力を燃料とするロケットのようなもので、例え阻止されたとしてもエネルギーが残っている限り前進をやめないのだと思う。

槍に込められた霊力が尽きるか、グレイベルの防御が崩れるかの根競べということだ。

そこで私はあることに気がつく。

グレイベルの剣が、段々と輝きを増していることに。

てっきり金属同士の衝突による火花が激しく散って明るいのかと思っていたが、銀色の刀身が内側から発光しているらしいのだ。

グレイベルの表情も、食いしばっていた口元に余裕の笑みが戻って来ている。

そして、それに反して槍の勢いは次第に弱まって行った。

まるで、剣が槍のエネルギーを吸収してしまったように見える。

やがて、槍は完全に勢いを失い、ゴトッと重い音を立てて地面に落下した。

グレイベルの剣からは蒸気のような白い煙状のものがユラユラと立っていて、刀身の輝きは明らかに内側からの発光だった。

熱した金属が見せるような赤色ではなく、太陽のように眩しい白色の光だ。

 

「さすが霊獣、濃度の高い霊力だぜ。おかげで充填完了だ」

 

ズシン、と右足を地面に降ろすグレイベル。

重さで剣先が土にめり込む。

そして、今度は右足に重心を預けて身を屈めた。

 

「居場所はわかってる。あたしの番だ、行くぜッ!」

 

次の瞬間、グレイベルは跳んだ。

いや、飛んだと表現すべきかもしれない。

まるでジェット噴射で加速したかのような勢いで、地面を叩きつける轟音を残し、我々の目の前から消えた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第75話 空中戦

※ここからは第三者視点になります。


グレイベルは真っ直ぐにウロクの留まっている空中へと飛んだ。

右足に蓄積したエネルギーを解放したことによる超人的な跳躍だ。

太陽に向かっていることになるが、もはやグレイベルにとって眩しさなど関係ない。

目を閉じれば、そこに敵が見える。

大気に満ちた薄く均一な霊力の波、その向こう側に一際目立つ強い霊力の塊がいる。

 

「見つけたぞ、そらぁ!!」

 

グレイベルは空中で体の角度を器用に変え、目標に向けて剣を振った。

すると、剣に宿っていた白色光は三日月のような形状の残光を作り出し、勢いよく射出された。

 

「うお、こりゃ危ねえ!」

 

さすがのウロクも慌てた様子で三日月状の光を回避する。

彼はその攻撃が、自分の身体を真っ二つにする刃であることを理解していた。

 

「素晴らしい!ぶつけられた霊力を内に吸収・蓄積して、同じだけの威力を再び外に放出する。幻疼石、噂通りのお宝だ!」

 

ウロクは目の色を変えて、両手の鉤爪でグレイベルに襲いかかる。

義足の跳躍は空中で軌道を変えられないので、回避は不可能だ。

グレイベルは鉤爪を剣で捌きながら、隙を見て光の刃を発射する。

 

「近距離でそんな大振りな技など無駄だぁ!」

 

グレイベルと違い、空中を自在に飛行できるウロクは難なく刃を躱す。

 

「欲しい!あんたのその足が欲しい!力ずくでもぎ取って、あんたの腹ぁ掻っ捌いて食ってやる!」

「おーおー、霊獣の本性が出てきたなぁ。それで良いんだよそれで、あたしも気持ち良く殺せるってもんだ!」

 

グレイベルは、今度は横に薙ぐのではなく、前へ刺突を繰り出した。

すると、光の刃は先端の尖った円錐形となって射出される。

斬るのではなく、貫く形状だ。

 

「おぉっと!」

 

ウロクは間一髪で回避したが、刺突の刃が脇腹を少し掠めた。

自らが槍に込めて放った強い霊力は、掠めただけでも出血を起こすほどの威力となって帰ってきた。

だが、その一撃を上にいるウロクに放ったことで、グレイベルの跳躍エネルギーは一気に減速し、落下を始めた。

ウロクはそれを見逃さず、急降下して彼女の両肩にガッシリと爪を食い込ませた。

 

「っ!」

「へっへっへ、捕まえたぜ!こうなっちまえば足は使えねぇでしょう?足貰ったぁ!」

 

今度は両足の鉤爪を、グレイベルの右足の付け根に食い込ませた。

このまま引き千切られれば、グレイベルは丸腰となってしまう。

しかし、ウロクの顔が目の前に来たのを見て、グレイベルは笑った。

 

「よう、幻疼石を知ってるんだろ?だったらこいつがどういう性質かも完全に把握してるか?」

「何?」

「その様子じゃ『溜めて出す』ことしか知らねえみてえだな。こんなことが出来るんだよ!」

 

瞬間、ウロクの両手はズタズタに引き裂かれた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第76話 墜落

「うぉぉぉっ!なんじゃこりゃー!?」

 

ウロクは、すぐさまグレイベルの肩から手を離す。

その両手は野犬にでも噛まれて振り回されたかのようにズタズタに切り裂かれ、血まみれになっている。

 

「今何をしやがった!?」

「さあな、これから殺す奴に答える義理はねぇ」

 

落下によって再び距離の空いたグレイベルだったが、すぐに次の行動に移る。

義足を剣の状態から、帯状へと変形させた。

ウロクの手は既に再生して治りつつある。

これも霊力の力だ。

 

「何だか知らねえが、アンタが空中で不利なのは変わらねえぜぇ!このまま地面に叩きつけられるのを待つのも面白そうだ!」

「あたしがそこまで考えてないバカに見えるか?」

 

グレイベルの右足は、無数の帯が軟体動物の脚のように分かれた状態だった。

そのバラバラの義足を、蹴りを入れるように上空のウロクに向かって振り抜く。

すると、帯状の義足は瞬時にピンと張り詰めて伸び、ウロクの脚にグルグルに巻きついた。

 

「な、何ィ!?」

「オラ気合い入れて飛べ!2人分くらい余裕だろうが!」

 

思わぬ体重の増加で、ウロクの羽ばたきは一瞬ばたついて落下しかけたが、すぐに空中に留まった。

しかし、グレイベルの追撃は終わっていない。

ウロクの脚に巻きつけた帯を巻き取るように高速で収縮させた。

10メートルほどの高低差はすぐに縮まり、今度はウロクが襲われる番となった。

 

「どこまで奇天烈なら気が済むんだその脚は…」

「てめえが死ぬまでだっ!!」

 

あと僅かで届くという距離で、グレイベルは巻きつけた帯をウロクの脚から離した。

巻き取りの勢いでウロクの滞空する高さと同じになるタイミングを見計らい、瞬時に帯を剣に戻した。

驚愕するウロクに、グレイベルは身体を縦に回転させ、剣を振り下ろした。

そのまま行けば左右真っ二つに割れるところを、ウロクは霊獣の高い反射神経で回避する。

しかし、完全に避けることは叶わず、左の翼を切り裂かれた。

 

「痛えっ!」

 

ウロクが翼を斬られたのは初めての経験だった。

痛みと、まともな飛行が不可能になったことで、木の葉のようにクルクルと回りながら墜落する。

一方、グレイベルも空中に留まる手段を完全に失ったので、身体が風圧で錐揉みされないように、手足を広げて落ちていく。

 

「くそぉ!やるじゃねぇか人間のくせに!だが、俺は地面に叩きつけられたくらいじゃあ死なねえぞ!アンタこそ無事では済まねえんじゃあねえか!」

「確かめてみろよ!どうせ落ちる瞬間はそう変わらねえ、どっちが生きてるか運試しと行こうぜ!」

 

ウロクが本気で焦っているのに対し、グレイベルは楽しげに、しかし加虐的な笑みを浮かべていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第77話 着地、生還

※ここからアキヒコ視点に戻ります。


数分間、誰もいなくなった通りは静寂に包まれていた。

家の中にいた住人達も、さすがに不安になったのか、窓を開けて外を覗いている者もいる。

私にも、日光によって上空の様子を見ることは出来なかった。

何度か光るものが空を横切ったような気がしたが、何が起こっているのかは全くわからない。

しかし、そんな静寂も終わりが訪れる。

誰かが空を指差した。

 

「あれは、ソウさんだ!」

「やられたのか?」

「落ちてくる!」

 

1人が気付けば、皆空を見上げ口々に叫ぶ。

空からは、2つの影が落ちてきていた。

豆粒ほどに小さかった影はみるみる内に、その正体がわかるほど地表に接近してくる。

それは片翼を失ったウロクと、手足を広げてスカイダイビングをするグレイベルだった。

その姿だけを見れば、ウロクの方が劣勢ということになろう。

しかし、果たしてグレイベルは地面に激突して無事でいられるのだろうか。

私は不安になり、窓を開けて屋根によじ登った。

 

「どこに行くの?アキヒコ」

 

ローレが心配そうに尋ねる。

私は安心させようと笑って答えた。

 

「心配ないよ。グレイベルが着地を失敗しないように助けに行くだけだ」

 

屋根に登ると、グレイベルのおおよその落下地点に見当をつけながら屋根から屋根へ走った。

今までの私には到底不可能なことだが、今はバネの触手と、強化された体幹と運動神経によって難なく出来る。

しかし、落下は思いの外速い。

それはそうだ、遠くから見ているとゆっくりに見えるだけで、人間が落下すればあっという間に着地するに決まっている。

 

(間に合わないか…!)

 

私は屋根を壊すほどの勢いで疾走した。

しかし、グレイベルは私よりもよほど考えを巡らせていたらしい。

空中で右足を構えた瞬間、眩い光を地面に向けて放ったのだ。

まるで天から降り注ぐ光線のような美しい光は、グレイベルの落下速度を急激に緩めた。

私の世界でいうところのジェット噴射の要領だ。

 

「こりゃたまげた…」

 

私は悠々と着地するグレイベルを見て思わず呟いた。

一方、ウロクはグレイベルよりも速く地上に激突していた。

ウロクの墜落地点にあった民家は木っ端微塵に破壊されていた。

私はグレイベルの着地から少し遅れて現場にたどり着いた。

決闘をしていた通りから500メートルは離れた町の端っこだ。

 

「勝ったのか?」

 

私はグレイベルに尋ねる。

グレイベルはタバコに火をつけて落ち着こうとしていた。

よく見ると、少し震えている。

 

「さあなぁ、あたしもかなり必死だったからわからん。死ぬかと思った、マジで」

 

平静に見えるが、確かにすごい量の汗をかいている。

全く大した度胸だと私は思った。

ほとんど生身の人間が、パラシュートもなしに高層ビルほどの高さを落下したのだ。

それで無傷なのは奇跡といえよう。

 

「そんじゃま、鳥頭がミンチになったか確かめに行こうかね」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第78話 逃走

私とグレイベルは、ウロクの墜落した民家の前に来た。

屋根が1階まで落ちて、見る影もなくなった残骸の山と化している。

 

「決闘はまだ続いてるから、てめえは何もせず見ときな」

 

言われずとも、私には何もできない。

グレイベルは私より遥かに戦い慣れている。

彼女の本当の目的を探るという課題はあるが、今はこのまま決闘の行方を見守った方が良い気がする。

グレイベルは潰れた民家に入っていく。

出入口は意味をなさなくなっているので、屋根に登るような状態だが、ここは無人だったのだろうか?

 

「グレイベル、ここに人はいたのか?」

「いや、多分いない。こんな町の端は物騒だからな、残ってる住民は町の中心部に集まって暮らしてるはずだ」

 

グレイベルは瓦礫をどけながら答える。

やがて、瓦礫の下からウロクの羽毛に覆われた手が見えた。

 

「ちっ、まだ生きてやがるな」

 

グレイベルは舌打ちをして、義足を帯状に変形させて、ウロクの腕を縛り、家の下から引きずり出した。

道に投げ出されたウロクは、手足があらぬ方向に曲がり、橙と黒の羽毛には新しく赤色が加わっている有様だった。

いかな霊獣といえど、高高度からの一切ブレーキのない落下は相当なダメージになったらしい。

とはいえ、普通の人間なら即死しているであろう重症でも呼吸をしているのは、人ならざる者の頑丈さだからだろう。

 

「言い遺すことはあるか?ウロク」

 

グレイベルは、義足を再び剣に戻し、仰向けになったウロクを跨ぐような形で立った。

彼の首は、グレイベルが右足を動かすだけで胴体から離れるだろう。

しかし、ウロクは荒い呼吸をしながら、突然不気味な笑い声を上げた。

 

「へっへっへっへっへっへ…ゲホッ…本当に、おめでたい女だなぁアンタ…ハァ…ハァ…あっしが、本気で決闘に夢中だったとでも?」

「あぁん?決闘の条件を飲まねえと困るのはそっちだろうが。あたしを裏切ったら、てめえらは正真正銘の間抜け集団になるぜ」

「マヌケは…アンタだよぉ…へっへっへ、霊獣に人間の理屈が、通じるかよ」

 

その時、私の直感が危険信号を発した。

首筋に感じる、刃物を当てられたかのような冷たさ。

 

「危ない、グレイベル!」

 

邪魔するなと言われたが、私は咄嗟に叫んでいた。

グレイベルはすぐに反応し、振り返る。

 

「!」

 

私も、グレイベルも、完全に事態を飲み込んだ訳ではなかったが、その場に突っ立っていれば命がないことを悟って回避行動を取った。

私と彼女の立っていた場所を、ウロクの所有物である三又の槍が高速で通過した。

ちょうど私達の心臓の高さだ。

そして、槍は折れたウロクの右手に無理矢理といった様子で収まったのだ。

それで終わりではなかった。

ウロクの倒れている地面に、突然、魔法陣のような紋様が浮かび上がった。

 

「先に…地獄で待ってるぜ…」

 

ウロクはそう言い遺すと、まるで地面に沈むようにして一瞬で消失した。

魔法陣も、ウロクを飲み込むと同時に掻き消すように消滅する。

 

「おいおい、取り決めを破るつもりかガイオネル」

 

グレイベルは少し焦燥の色を浮かべて呟いた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第79話 破られた約束

太陽はいつの間にか西へ傾き、夕方が近づいていた。

ウロクが決闘を放棄したという話は、瞬く間に住民達の間に広がり、混乱を引き起こしていた。

私もグレイベルも、別に誰にも話していないのだが、おそらく誰かが逃走の様子を見ていたのだろう。

私が予想していなかったのは、住人の一部がグレイベルを責める態度を見せたことだった。

 

「あんた、我々を守ってくれるって約束したじゃねーか!」

「約束を破られたってことは、今にも霊獣が攻めてくるんじゃないの!?」

「俺達はどうすればいいんだよ!」

 

随分と勝手な言い様だ。

しかし、約束事によって守られるはずだったのに、突然それが破られる不安というのは私にも理解できる。

 

“俺は父親を演じるのが嫌になった”

 

中学の時、家を出ていく際に父が私に言った言葉が蘇る。

 

“じゃあ、どうして父親になったの?”

 

私の言葉に帰ってきたのは父の拳だった。

しかし、これは子供にとって当然の疑問だ。

一生、父親になるという覚悟もなく、なぜ父親になったのか。

なぜ、守れない約束事をしたのか。

それに比べれば、グレイベルの場合は約束を破ったことにはならない。

 

「みんな、待ってくれ。敵は勝手に決闘の約束を破ったんだ。この人に落ち度はない」

 

私はつい、我慢できなくなって反論してしまった。

すると、今度は私に不安と怒りの矛先が向いたのだった。

 

「他所者は口を出さないでちょうだい!」

「こっちは生き死にがかかってんだ!守って貰いたいから町で好きにさせてやってたんだ!」

「大体、ひょっとしてあんたのせいで決闘が邪魔されたんじゃないのか?あんた何で決闘中のソウさんに近づいたりしたんだ!」

 

まずい、と思った。

今の彼らは手近の者で八つ当たりできる理由を探しているだけだ。

理屈など関係なく、自分の不安を紛らわせる為の身代わりを探しているのだ。

 

「みんなやめなさい。少し冷静になって考えてみたらいい。霊獣は所詮霊獣、人間の理など解さない獣だ。このような形で4日間も生き延びることができたのを、まず感謝するべきじゃないかね?」

 

助け舟を出してくれたのは、意外にも町長だった。

彼の一言で、住人は不本意そうだが口をつぐんだ。

それまで黙っていたグレイベルは、町長に言葉をかける。

 

「町長、あたしは今から奴らのとこへ行って話をつけてくる。危ないからみんなを家の中へ入れて出さないように。いざとなったら逃げられるよう、荷造りもさせておけ。あんまり重い物は持たせるな」

「今からでは暗くなる、危険です。今夜は休まれては?」

「そんな時間はねぇ。連中が朝になるまで待ってるとは限らないんだぜ。良いから、あたし1人で行く」

 

町長は心配そうだったが、頷いて住人に話をし始めた。

町長がみんなに話をしている間、グレイベルは私に近づいてきて囁いた。

 

「アンタ、戦いの心得は多少あるんだろ?あたしがいない間、住人達を守ってやってくれねぇか?」

「………いいだろう。あんたがいない間だけだぞ?だから、ちゃんと帰って来い」

 

グレイベルはニッと笑い、私の肩を叩いて馬小屋へ向かった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第80話 強者の振る舞い

ギムエルの町には馬小屋がいくつもあるが、今でも馬が繋がれているのは、町の東出口の付近にある馬小屋だけだ。

そこには8頭の馬が繋がれており、そのうち2頭は我々がルクラド城から乗ってきた馬車の馬だ。

決闘はいつも南北の1番大きな通りで行われていた。

東にある馬小屋に被害を出さないためだ。

 

「あたしが1頭借りていくから、いざとなったら残り7頭に荷馬車を引かせて町から逃げるように用意しとけ。子供や足の悪い年寄りは荷台に乗せてな」

 

グレイベルは、慣れた手つきで馬に鞍を付け、出発の準備を進めた。

しかし、あまりにも軽装だ。

 

「そんなに身軽で大丈夫なのか?」

「死ぬつもりなら最後の飯でも食うがな、あたしは死ぬ気ないんでね」

 

やはり彼女は強い。

これから敵の陣地に乗り込むというのに、まるで恐怖を感じていない。

いや、本心ではどうかわからないが、少なくとも臆面も表に出さない。

強い力を持った人間が感情を表に出すことが、周囲にも影響を与えてしまうことを知っているのだろう。

 

「なぁグレイベル。あんたはなぜ強くなった?見えない敵を目を閉じたまま仕留めたり、空を飛んだり。どうしてそこまで強くなれたんだ?」

 

よほどの信念を持って鍛錬を積んだのか。

あるいは、ただそう在ることを望んでいたのか。

生来、怠惰な私にとっては、はるか雲の上の存在に感じる。

グレイベルは笑って答える。

 

「ただ鍛えただけさ。いいか、見えない敵を見るとか、空を飛ぶとか、そんなことは重要じゃあない。魔法使いならいくらでも出来るし、人間だってそういう技術を磨けばいつか誰でも出来るようになるだろう。重要なのは、今の自分に何が必要か、何が足りないかを見極めることだ。それが出来りゃ見えてくるものもあるだろうさ」

「…上手く誤魔化してないか?」

「はっはっは、その通り。じゃあな!」

 

日も沈もうとしている宵闇の中、グレイベルは馬を駆って東の出口から町を出て行った。

 

 

 

町長はどうやら住人の説得に成功したようで、皆それぞれの家に戻り、荷物をまとめ始めた。

私も宿屋に戻り、部屋にいたローレと合流する。

 

「ローレ、よく聞いてくれ。グレイベルは霊獣のとこへ話をつけに行っちまった。町に残った俺が代わりの用心棒を頼まれた。君は、町の人間と一緒に逃げる準備をしていてくれ。君は土地勘があるようだし、いざとなったら1人ででも逃げろ、いいな?」

 

ローレは不安そうな顔をしたが、その不安を振り払うかのように、力強く頷く。

この娘も強い子だ。

過去に何があったかは知らないが、私よりもこの世界で生き残る術を知っている。

 

「その代わり、約束して、アキヒコ。貴方も1人で無茶しないって。キーシャさんと協力して、絶対に死なないでね」

「…わかった、約束だ。ところで、キーシャは?」

「ここにおるぞ、呼び捨てはやめよと言うとるに」

 

いつの間にか、部屋の入り口にキーシャが立っていた。

そして、私だけに聞こえる心の声で話しかけてくる。

 

(アキヒコよ、心して聞け。お主に取り憑いた死霊の正体がわかった。この町を覆っておる呪いとやらの見当もな)

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第81話 荷作り

キーシャはいつになく神妙な面持ちだった。

いや、出会ってまだ2日くらいしか経っていないが、それでも彼女のそのような表情を珍しく感じた。

 

(死霊と呪いの正体がわかったんですか!?)

(ああ、だがその前にまず荷作りせねばならんようだな)

 

私は頷いた。

まずキーシャに決闘の結果を伝え、グレイベルが敵の陣地へ単身乗り込んだことも話した。

ローレの前で心の声を使い続けるのは怪しまれるので、無礼を詫びて口頭で伝えた。

 

「なるほどの、取り決めを破られたか。あの娘の安否も気になるが、まあ自力で切り抜けられんこともなかろう。しばらくは、な。アキヒコ、お主はまず身支度を整えて、宿屋の荷作りを手伝え。それが済んだら、わたしの部屋へ来るがいい」

「わかった。ローレ、下へ行こう」

「う、うん」

 

私とローレは宿屋の夫婦を手伝い、食糧や衣類などをまとめ、それからナイフや斧などの申し訳程度の武器を倉庫から引っ張り出して並べた。

 

「こんなもんで霊獣とまともに戦えるかはわからんが、ないよりはな…」

 

主人は自虐的に笑って言った。

私はナイフを一本借りて、縄で木材にしっかりと括り付け、即席の槍を作った。

私に使えるかはわからないが、少しでもリーチのあるものが欲しかった。

 

「心配ない。俺はそれほど戦いを知ってるわけじゃないが、カゲオニと人狼を倒した経験ならある。必ずあんた達を無事に逃がしてみせるよ」

「まぁ!それは頼もしいわね」

「全くだ。あんた達のお陰で荷物も早く済んだ。感謝してるよ。俺達にもあんたくらいの息子がいたんだが、事故で死んじまってなぁ…」

 

夫婦はとても善良な人間だ。

だが、果たしてその息子とやらは事故で亡くなったのだろうか?

町ぐるみの生贄の儀式。

疑い始めたらキリがないが、この善良そうな人々が、4年前に取り返しのつかないことをしてしまったのは事実らしい。

荷作りを済ませ、とりあえず皆で交代の見張りを立てながら仮眠を取ることとなった。

私は寝室に行く振りをしてキーシャの部屋へ行く。

時間帯は、もうすぐ私が悪夢のような怪現象に悩まされた頃になる。

キーシャの部屋に行くと、何やら怪しげな魔法陣の周りに蝋燭が立てられていた。

 

(来たな、ここへ座れ)

(この、魔法陣の中へですか?)

(そうだ。この陣の中におれば、死霊もお主に手は出せまい。最も、死霊を退治する訳ではなく、落ち着かせて話を聞くのが目的だがな)

 

つまり、ルクラド城の地下の時のように、死者に喋らせようというのだろうか。

 

(しかし、死霊って凶暴なんじゃないんですか?話が通じるんでしょうか?)

(うむ、わたしも初めは除霊しようと考えておった。しかし、今日いろいろと調べるうちに、どうも死霊の現れる元凶こそ、この町にかけられた呪いではないかと推測したのだ。ならば、凶暴化した霊を一度大人しくさせて、事情を聞いた方が良いと思ってな。案ずるな、きっと万事上手くいく)

 

少し不安だが、私はキーシャに任せることにして、魔法陣の中心に座った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第82話 逢魔時

キーシャの魔法陣には、円の中に多数の六角形と、蛇のような生き物が描かれていた。

直径およそ2メートルほどで、大人1人が座るには十分な広さだ。

この円の内側にいれば、死霊は私に手が出せないという。

蛇の頭部にちょうど蝋燭が固定されており、暗い室内をぼんやりと照らしている。

そもそも、この世界には電化製品がないので、夜は基本的に真っ暗なのだ。

だが、それが不便かというとそうでもない。

逆に、夜中に灯を持ってうろつくような真似をすれば、霊獣の餌食になってしまう。

だからこの世界の人間は、夜になると家の鍵をしっかりと締め、灯を消し、枕元に魔除けの道具を置いてベッドに潜り込む。

その暗黙の了解、生き残る術を無視してでもこんな儀式を始められるのは、本物の女神がここにいるからなのだろう。

 

(これを飲んでおけ。わたしの力で浄化した水だ。わたしの術に馴染みやすくなる)

 

キーシャはコップに入れた水を私にくれた。

一息に飲み干す。

別にこれといった変化もなく、美味しい水だった。

 

(もうすぐ昨晩と同じ者共がやってくるが、決して声をあげてはならんぞ。恐怖に負けて声を発すれば、その結界の効力は失われる。何があっても声だけは出すでない)

(そ、そんなに念を押されると却って緊張が…)

(当たり前だ!緊張させようと思って言っておる。楽にしておれとは言うとらん、死霊の前で隙を見せては元も子もないからのう)

 

難しいものだ。

不安になる必要はないが、緊張感は保たなければならないらしい。

結界の魔法陣は、部屋の扉から数メートル離れた正面にあるため、私は扉の方を向いて座る形となった。

扉は全開に開け放たれている。

そして、キーシャは私に背中を向ける形で扉の前に立ち、死霊が現れるのを待っている。

家の中は静かだ。

ローレには宿屋の夫婦と共に一階で眠るように頼んでいる。

 

(死霊が一階の3人を襲う危険は無いんでしょうか?)

(それも問題ない、一階の全ての部屋の扉を閉めて魔除けの術をかけておる)

 

昼間はずっと姿が見えなかったが、彼女はそれらの準備を念入りに行ってくれていたのだろう。

キーシャは宿屋の服から元の女神の衣装に着替えており、薄闇の中で鮮やかな緑色の布と、真っ白な頸や二の腕、脹脛が特に際立っている。私がその頼もしい後ろ姿を眺めていると、

 

カタッ

 

廊下から物音が聞こえた。

 

(来たぞ、絶対に声を出すな!)

(は、はいっ!)

 

カタッ、カタッ、カタッ

 

動物の爪が床を引っ掻くような音が、この部屋に向かって近づいてくる。

ゆっくりと、獲物を見定めるように、獲物の恐怖を煽るように。

やがて物音は、部屋の前までたどり着く。

私は声を出さないよう、口を手で押さえ、息を殺して音の正体に注目する。

 

「アァ」

 

人でも、動物でも、霊獣でもないソレは、私を真っ直ぐに見ていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第83話 地獄より這い出た亡者

ソレは間違いなく死霊と呼ぶに相応しい姿だった。

私の元いた世界の感覚としては、亡者と呼んでもしっくり来るかもしれない。

『手におがらの杖をつき、糸より細い声をあげ〜』といった古典的な亡者ではなく、死体そのもののようだという点で、ソレは亡者だった。

身体は全体的に小さい。

両手を地面につけて這っているせいか、痩せた子供くらいの大きさに見える。

手足は異様に細長く、アメンボのような虫を思わせる。

顔は人間にとても近いが、決定的に違うのはその生気の無さだ。

顔色が悪い、というレベルではなく、明らかに血が通っていない死体の色である。

服は着ておらず、肌は骨が浮き出て見え、白い表面は蝋燭の灯りで照らされヌルヌルと光っている。

触ればズルリと崩れ落ちそうな、例えるなら温めた牛脂のような見た目の皮膚だった。

死体のような濁った目は、私を見ている。

生きた人間の視線でさえ気まずさを感じるというのに、既にこの世の者ではない死霊に見つめられるというのは耐え難い恐怖だった。

しかし、私はキーシャとの約束通り、声を押さえ、歯が鳴らないように食いしばった。

 

カタッ、カタッ

 

死霊はゆっくりと部屋に入って来た。

ほとんど骨のような長い指先が床に当たる度に音がする。

 

カタッ、カタッ

 

地獄から這い出たか餓鬼を思わせるその不気味さに、しかしキーシャは堂々と話しかけた。

 

「わたしは再生と長寿を司る水の女神キーシャ。言葉が理解できるのならば答えよ、汝は何者であるか」

 

すると、死霊は僅かな間、キーシャの存在に反応したが、すぐに私は向き直り、

 

「アァァァァァァ!!」

 

口を大きく開き、悲鳴のようね叫び声を上げた。

心臓が凍りつくような恐ろしい悲鳴だ。

口は顎が外れたかのようにダラリと垂れ下がり、腐ったような色の唾液を撒き散らす。

そして、キーシャを無視して私の元へ這い寄って来た。

その動きときたら、まるで獲物を見つけたアシダカグモのような素早さで、キーシャの傍をあっという間にすり抜け、私に飛びかかった。

私は思わず目をつぶった。

 

「アァッ!」

 

しかし、私は無事だった。

目を開けると、目の前に死霊の顔があった。

しかし、キーシャの魔法陣によって見えない結界が確かに張られているらしく、死霊は魔法陣よりこちらへは入らずに硬直している。

 

「その者は汝の敵にあらず、また汝とは全く無縁の者である。汝が真に怨んでおるのは何者であるか」

 

キーシャは振り返り、硬直している死霊に向かって言葉をかける。

だが、死霊は話の通じない相手だった。

くるりとキーシャに向き直ると、今度は獲物を彼女に定めたのか、一気に飛びかかった。

 

(危ない…!)

 

魔法陣から出られない私は、襲われるキーシャを見ていることしか出来なかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第84話 女神の聖水

死霊はキーシャの腕に噛み付いたかのように見えた。

飛びかかられた勢いのまま倒れるキーシャを見て、私はしかし、声を出さなかった。

彼女との付き合いは短いが、やる時はやってくれる実力の持ち主だ。

きっと何か手を打っているはずだ。

案の定、キーシャは襲われても冷静だった。

 

「よしよし、思った通り噛み付いて来よったな」

 

よく見ると、キーシャの腕は透明なもので覆われて保護されていた。

恐らく、彼女の得意とする水の魔法を使った防御だろう。

犬に噛まれない対策として、腕を分厚い布類でぐるぐる巻きにするのは聞いたことがあるが、彼女はそれを死霊相手にやっているのだ。

しかも、単に防御するためではない。

キーシャにとって、水は盾であると同時に矛でもあるのだ。

 

「我が聖水、ありがたく飲み干すが良い」

 

キーシャは噛まれた左腕で死霊を押さえたまま、右手で水の防御に印を描いた。

たちまち、水は死霊の顔全体を包むように覆った。

死霊は引き剥がそうともがいたが、水は触れても悉くするりと指の間をすり抜けて離れない。

やがて、水は目に見えてその体積を減らし始めた。

死霊の顔を覆った水が減る度に、死霊の喉が動いているのがわかる。

つまり、女神の聖水を体内へ無理矢理流し込んでいるのだ。

死霊は段々と暴れるのをやめ、水が一滴残らず口の中へ消えると、すっかり大人しくなってしまった。

私は心の声でキーシャに尋ねる。

 

(今の聖水にはどんな効果があるんですか?)

(うむ、悪意を緩和し、冷静にさせるものだ。性根から邪悪でない限り、死霊にも効き目はあるはずだ)

 

確かに効果は絶大だった。

死霊は先程までの凶暴さを失い、ヨタヨタと這って扉へと引き返して行く。

 

「よし、もう動いて良いぞアキヒコ。今からこの死霊の正体を突き止める」

(ど、どうやってです?言葉を話せないみたいでしたが)

「死霊は霊体の残滓だが、その核となる肉体、あるいは依り代がないと存在を保てぬのだ。だから、怨念の弱くなった死霊は核となるものがある場所へと戻って行く。それを今から追うのだ」

 

私は結界の外に出た。

死霊は、もう私に関心を向けず、死にかけた虫のように弱々しく部屋から出て行く。

キーシャと私はその後ろを数メートル空けてついて行く。

 

(そういえば、グレイベルから代わりに用心棒をするよう頼まれてたんですが…)

(ふむ、案ずるな、カカシを立てる)

(カカシ?)

 

宿屋の玄関まで辿り着くと、キーシャは空中に印を結ぶ。

宙に出現した魔法陣から、2つの透明な人形が現れた。

ちょうど私とキーシャくらいのサイズだ。

 

(これはお主とわたし以外には『アキヒコとキーシャ』に見える分身だ。これを部屋に待機させておく。もし何かあれば、わたしに感知できる)

(さすがですね…すごい術だ)

(はっはっは、もっと褒めるが良い!)

 

キーシャは満足げに、2つの人形を歩かせて部屋へ向かわせた。

これで安心して死霊を追跡できるだろう。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第85話 死霊の呪い

死霊は律儀に玄関の扉から出て行った。

 

(アレは元々人間だからのう、生前の常識は簡単に失わないものだ。家は玄関から出入りするし、鍵のかかった部屋をすり抜けるようなことも出来ない。アレは、最期に残留した強烈な思念に従って動いておるだけ。邪悪だが、哀れな存在なのだ)

 

キーシャは死霊を追って行きながら心の声でつぶやく。

彼女が施した術はもう一つある。

部屋に私達の身代わり人形を置いてきたのに加え、私達を周囲から隠す術だ。

こんな非常事態に外を出歩いていたら怪しまれるので、術で水の膜を我々の周りに張っているらしい。

その水の膜は我々の周りだけ光を曲げるため、外からは誰もいないように見えるそうだ。

私は、周囲を覆ったシャボン玉のような大きい膜を見回して、キーシャが味方になってくれたのは私にとって最高の幸運だったのだな、と改めて思った。

死霊は、追ってくる我々のことなど気にかける風もなく、月夜の通りをカサカサと這っていく。

大きな蜘蛛のような姿は不気味だが、昨夜の恐怖感は既に薄れている。

姿がはっきりと見えてしまえば、慣れによって恐怖は薄らぐようだ。

とはいえ、死霊の向かう先が何処なのか、何があるのかは私にも見当がつかない。

確かキーシャは、色々調べた結果、死霊と町の呪いが関係していると言っていた。

 

(キーシャ様、死霊の正体がわかったとおっしゃってましたが…)

(そう、まあ、あの女剣士の話と併せれば察しはつくというものだが、おそらく、生贄にされた町の人間であろう)

(え!?)

(こらこら、お主まさか全く考えもせんかったのか?死霊は強い恨みや怒りが、死後消滅するはずの霊体を変質化させた存在だ。そして、この町で強い遺恨を生むような出来事といえば、例の生贄の儀式が最も怪しいではないか。アキヒコ、お主はなぜ、昨夜は辛うじて無事だった?)

(それは…部屋の扉に鍵をかけていたからです)

(なぜ鍵をかけた?)

(宿屋の奥さんに『夜中は部屋から出てはいけない』と言われたからです…あっ)

 

そうか、奥方は夜中に何か起きることを知っていたのかもしれない。

 

(理解したようだな、死霊が生贄を差し出した町の人間を恨んでいるとするなら、夜な夜な町を徘徊して誰かをとり殺そうとしていても不思議ではあるまい?だが彼奴等は人間の見分けなどついとらんから手当たり次第に取り憑く。だから夜中に起きたお主にたまたま標的を絞ったのだろう)

 

合点がいった。

我々が今追跡している死霊は1体だが、昨夜は複数の気配を感じたのだ。

つまり、7日間に及ぶ儀式の生贄にされた7人が町を恨んで死んでいったとしたら、死霊の数もそれだけ多いことになる。

グレイベルは、儀式が失敗して呪いにかかったと言っていたが、つまりこういうことだろうか?

 

(死霊が出現するこの状況そのものが、既に呪いであると?)

(うむ、呪いはそれだけではないかもしれんが、こんな状況が4年も続けば住人も減るだろうな)

(グレイベルは住民のほとんどが別の町に逃げたと言っていました)

(それも本当か怪しいものだ。死霊に取り殺されたのかもしれんぞ)

 

我々の考察の答えはもうじき出るだろう。

死霊は町の中心にある見張り台へと向かって行った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第86話 異変、拡張

見張り台には、今もなお見張りの住人が登って監視を続けている。

我々の姿は、やはりキーシャの術のおかげで見えていないようで、塔の下まで来ても全く反応がない。

町で最も目の良い人間を交代制で配置していると聞いた。

霊獣が来れば鐘を鳴らして知らせ、必要なら弓矢などを用いて迎撃するという。

キーシャは心の声で言った。

 

(昼間、見張り役を交代で担っている男に聞いたのだが、ここでも年に何度か人が居なくなったり、何かに塔の下から引っ張られて怪我をしたりする者が後を絶たんそうだ)

(何ですって?じゃあ今見張りをしている人が危険じゃないですか!?)

(いや、今のあの死霊に人を襲う気はあるまい。それより、彼奴がどこに向かうかをよく見ておれ)

 

キーシャの言った通り、死霊は塔には上らず、その根本の地面に向かっている。

見張り台は木を組んで作られた高さ15メートルほどの塔である。

その根本は、木を地面に固定する大きな金具が打ち付けられており、かなり広い面積を占めている。

私は目を凝らしていたのだが、死霊は私が瞬きするほどの時間で地面へと消えた。

まるで、見張り台の土台と地面の間の境に吸い込まれるのように一瞬でいなくなったのだ。

 

(この見張り台の下に、何かあるんでしょうか?)

(恐らくな。この見張り台自体は新しい。この何年かで建てたものであろう。その下に何かを隠してな)

(一体何が…)

 

私はしゃがんで、無意識に地面に触れた。

瞬間、電流が走ったかと思うような衝撃を体に受けた。

 

(な…⁉︎)

 

感覚が、広がっていく。

下へ、横へ、四方八方へ。

まるで、地中に手を潜り込ませるように、地下の感触が伝わってくる。

ハッとなって、思わず手を引っ込めた。

夢から覚めるように、私は現実に引き戻される。

 

(どうかしたか?急に震えて)

(い、いえ…)

 

不審そうに私を見るキーシャの様子だと、見た目に異変はわからなかったようだ。

しかし、今のは明らかに何らかの異変が私に起こった。

地面の下に向かって手を、いや、目も、鼻も、あらゆる感覚を拡張するようなイメージだった。

まさか、この感覚は?

 

(ふーむ、この下に何かあるのは確かだが、掘って覗くわけにもいかんしのう。どうしたものか)

 

キーシャもしゃがんで地面を触っているが、私は別の問題で頭を働かせていた。

予感を確信に変える為にも、私はもう一度試してみたかった。

そこで私はキーシャに心配をかけまいと、嘘をついた。

 

(キーシャ様、実は私にもとっておきの術があるんですが、使ってもよろしいですか?)

(なに?)

 

唐突な言葉に聞こえただろう。

キーシャはあからさまに変なものを見る顔をした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第87話 第三の能力

(まあ、試したければ試せば良いが、お主大丈夫か?先程から変だぞ)

(ええ、大丈夫です。私もお役に立てればと思いまして)

 

キーシャは訝しみながらも、私のしたいようにしたら良いと傍観してくれた。

私は、もう一度地面に手を触れて、今度は自分から地面の下へと意識を集中した。

再び、地下へと拡張されていく感覚に陥る。

今度はある程度私の思うように感覚を受容できた。

間違いない、これは神様に与えられた能力の一つだ。

第一の能力は、腕や足から触手を伸ばし捕食する力。

第二の能力は、自分の肉体を分離して独立した生命に変える力。

そして、この第三の能力は、地中の様子を覗き見る力とでもいうべきだろうか。

ヨミは、神様が大地の力を持った存在だと言っていた。

私の身体の傷は大地の裂け目、全てを飲み込み養分に変える。

そして、その養分で傷を癒したり、新しい生命を育んだりする。

では、私の身体は人間の形をしているが、既に大地そのものと同じだから、地面に肌を触れると大地の感覚と一体になれるのかもしれない。

私の手からは何らかの感覚器官が根を張るように伸びていく。

それは物理的な器官ではなく、おそらく霊力に近いエネルギー体だ。

伸びた根は、私の目、鼻、耳、指、あらゆる感覚を『増やす』ようなイメージで脳に情報が伝わってくる。

例えば、地下数メートルには様々な岩石や土、地中の生物が存在しているのがわかる。

私とキーシャが立っている地面が透明になって、その下に大きな立体の地図があり、それを俯瞰しているような感覚だ。

勿論、見張り台の下も見えている。

木の柱が地中に埋まっており、これによって安定している構造なのがわかる。

そして、そこから10メートルほど地下に潜ると、突然土の層が無くなり、ぽっかりと空間が空いている。

 

(ありました。見張り台の下に空間があります)

(ほう、そんなことがわかるのか。大したものだな。もしやお主、土の神カダラの力を授かっておるのか?)

(うーん、わかりません。そうかも知れないですし、そうでないかも…そのカダラ様はミミズですか?)

 

私の質問にキーシャは笑った。

 

(まさか、確かにミミズみたいなニョロニョロした性格だったが、カダラは虎の使いを連れておったわ)

(じゃあ、きっと違いますね。ええ、私の術はミミズの神様から授かったので)

(はっはっは、異な事を言う)

 

いや、私はいたって真面目に答えたつもりだ。

何しろ名前も顔もない神様だ。

似たような存在が異世界にいるのかもしれない。

というより、神様がちゃんとした大地の神になっていたら、そのカダラとやらのような守護神になっていたのではないだろうか?

いや、今はそんなことはどうでもいい。

私はさらに根を伸ばして、地下空間の測量を行っていく。

どこかに入り口があるはずだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。