やはり俺の思春期症候群はまちがっている。 (N@NO)
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青春欺瞞野郎は天才少女の夢を見ない。
青春欺瞞野郎は天才少女の夢を見ない。1


―――あの時、俺と先輩は出会っていたんですね

潮風が吹き付ける夕暮れのなか、彼女は微笑む。

 

この日を境に俺の前から彼女は消えた。

 

× × ×

 

ある晴れた3月のことだった。

春休みという長期休暇により、暇を持て余していた俺はなんとなく千葉駅をふらついていた。今日の暇つぶしルートを何となく描きながら東口改札を抜け、広場に出る。

 

昼はなるたけか、武蔵か、なんて考えていたところで、ふと足が止まった。

俺の目線の先には、艶やかな亜麻色の髪を風に靡かせた少女。

その背には、少女の身長に見合わない少し大きめのリュックサックが背負われていた。

 

青空の下、彼女の一挙一動に何故か目を奪われる。

平日の千葉駅東口の雑踏の中、彼女の存在はまるでどこからか切り抜いた景色を張り付けた様な違和感を与える。かと言って悪目立ちをしているわけでもない。

その立ち振る舞いには迷いがなく、白く美しい肌を包む袖の長い桃色のワンピースは細いウエストを強調するようにベルトで締められ、モデルのような印象を与えていた。

俺と彼女との距離は直線距離で10メートルほど。

勿論、その間を限られた時間で昼食を取るため慌てて走る会社員や、せわしなく会話をし続ける女子高生らが横切っていく。

 

冬の空気は薄れ、春の温かさを含む風が肌を撫でた。先程まで心地よく感じていた風が、今はじんわりと首元にかいた汗を急激に冷やす。

ゴォウ、と俺の後ろに止まっていた千葉大学病院行きのバスが唸った。

 

その瞬間、少女と目が合う。彼女はにこりと微笑むとこちらに足を向けた。

向かい合う距離おおよそ1メートル。先ほどとは異なり、歩行者が遮ることもない。

 

「ねぇ、こっち見てたよね」

 

ドクンと心臓が脈打つ音が耳のすぐ傍で鳴り続ける。

しまった、見すぎた。

普段の自分からはあり得ない行動に自分自身が驚きを隠せない。なぜ、これほどまでにこの少女が気になってしまったのか。

 

「他所は他所、自分は自分。他人なんて気にすんな」

 

そんなことを妹の小町に言ったのはついこの間のことだった。今の八幡からこんな言葉が出たとはだれも思わないだろう。

 

「ねぇってば」

「…あっ」

 

驚きのあまり停止していた八幡の言語野にようやく思考が回り始めたその瞬間、

 

「比企谷八幡君」

 

 

予想だにしない言葉により再び思考が停止した。

 

「…どうして俺の名前を知っているんですか」

 

どうにかして言葉をひねり出す。すると亜麻色の髪の少女は不思議そうな顔をし、そして寂しげな表情に変わった。

 

「そうか…。…いや、私のことを知っていたから見ていたんじゃないの?」

 

少しの冷静さを取り戻した八幡は、微かな情報から現状を思考する。

いくらホームタウンの千葉だからといって俺の交友関係なんてたかが知れている。

 

そして目の前にいる少女の外観から考えるに、高校生か大学生。4月から2年生になる自分より年上である可能性が高い。

となると、この人は

 

「総武高の先輩…ですか?」

「ふむ、私のことは知らなかったと見られるね。けれど、その状況から私と比企谷君の関係性を考察できたのだとすればなかなかやるじゃないか、比企谷君」

 

満足そうにうなずく総武高の先輩は俺の言葉を待たずに続ける。

 

「比企谷君の考察通り私は総武高2年生…といってももうすぐ3年生になるけれど、ともかく比企谷君の先輩、喜界島志貴だ。気軽に志貴先輩って呼んでくれて構わないよ」

 

そういう喜界島先輩は一瞬握手をとるような動きを見せたが、即座に何事もなかったかのように振舞った。

ほんのわずかにだが顔が歪んでいたってことはそんなに俺とは握手したくなかったのか。

 

ちょっと心が傷つくな。

 

「さて、比企谷君の言いたいことはなんとなくわかっているよ。まず一つ目、何故私が比企谷君の名前を知っていたか。そして二つ目が同じ総武高なのになぜ私のような美少女の存在に自分が気づけていなかったのか、だよね」

 

くっ、これがニュートン先生の万乳引力の法則か。

ふふん、と自慢げに胸を張る喜界島先輩の曲線に目を引かれるのを堪える。

 

「というかあんた自分で自分のこと美少女とか言っちゃうのかよ」

「お、口調がくだけてきたねぇ。いいね、そういうのはお姉さん好きだよ」

 

キュッと結ばれた唇にドキリとする。

 

「でも、あんたってのはお姉さん嫌い。私には喜界島志貴という名前があるの。名前は言語をもつ人間ならではの素晴らしい文化なんだ。そこはきちんと呼んでほしいし、私は極力そう呼びたいと思っている。勿論見ず知らずの人に対しては無理だけれどもね」

「すみません、喜界島先輩」

「うむ、よろしい。まぁ、本当は喜界島先輩じゃなくて前みたいに志貴さん、とかでもいいんだけれどもね。何はともあれ、比企谷君の突っ込みに反応しようか」

 

なんだか一瞬喜界島先輩の言葉に閊えを感じたが、それも喜界島先輩の言葉の波に流された。

 

「比企谷君は、自分がかわいいと思っている人間が、ほんと私ブスダカラーとか言っている人好き?」

「少なくとも俺はそういうやつは嫌いですね」

「うーん、まぁいいや。ともかくね、私は思ってもないことを平気で言って、他人から自己評価を得ようとする人が嫌いなの。この場合は他己評価が言葉的には正しいか。勿論それが一概に悪いとは言わないし、言えない。それは私の意見の押し付けだからね。そういうことでしか自分の存在を意識できない人だっているもの」

 

つまるところ、喜界島先輩は正直なのだろう。

この人は、自分が正しいと思っていることは決して曲げない。そしてこの人のすごいところはそれを他人に押し付けたり、強要したりしないことなのだろう。

正義を大義名分に他者に意見を押し付ける奴らなんてごまんといるし、実際に目にしてきた。

 

もしかすると、この人には…、とここまで考えてある事実が頭をよぎった。

 

「というか、喜界島先輩さっき俺に他人のことはきちんと名前で呼べって強要してなかったか」

「あ」

 

しまった、といった表情を浮かべた喜界島先輩はチロっと舌を出して、ゴメンねと謝る。

なんてあざといんだろうか、この先輩は。

 

コホン、わざとらしく咳ばらいを一つ。

 

「話を戻そうか」

 

そういえば何の話をしていたのだろうか。

ニュートン先生の万…ではなく、そうだ。確か俺が疑問に思っている二つのこと、についてだ。

 

「まず、私が比企谷君の名前を知っていたのは、簡単なことさ。入学式で君の名前はもちろん呼ばれていただろう?私は一度聞いたことは忘れないんだ」

 

比企谷君と違ってね。喜界島先輩は含みのある笑みを浮かべながら続ける。

 

「そして、二つ目。それは私が2年生の5月以降半分ほど学校に出ていなかったから、だ。それこそ学校行事なんてものはほとんど行ってないからね。比企谷君が学校内で私のことに気づかなくても何らおかしなことはない」

 

確かに俺の名前は入学式で呼ばれていた、はずだろう。

…だが。5月以降…か。その言葉が事実だとするのならば、ある矛盾が生じることに喜界島先輩は気づいているのだろうか。

目の前の先輩を名乗る少女は、その背に似合わないリュックサックを背負いなおすとこちらを向いて微笑んだ。

 

「まぁ、こんなところでもなんだし、どうだろう。食事でもしながら話の続きをしようじゃないか」

 

× × ×

 

千葉駅から千葉中央駅方面に歩くこと5分ほど、雑居ビルの立ち並ぶ景色が続くなか、通称ナンパ通りの入り口に立つ、最上階に見慣れた緑色の看板が掲げられたビルの中に入った。

 

エレベーターに入ると喜界島先輩は迷うことなく8階を示すボタンを押した。

ふむ、なかなかの千葉通だな。総武高校のある稲毛駅から少し離れた千葉駅のサイゼの位置まで覚えているとは。

 

「別にすごくはないだろう?乗り換えで私は千葉駅を利用しているし、それに千葉駅周辺で買い物だってする。覚えていても不思議じゃない。それともあれかな、比企谷君は私がそんなに引きこもりのボッチだと思っていたのかな?」

 

「脳内のぞき見すんのやめてもらえますか、普通に怖ぇよ」

 

ほんと、この先輩エスパーなの?超高校級のアイドルなの?

沈黙の中、エレベーターは目的の八階に到着し、出た先には学生のたまり場ことサイゼ。

いらっしゃいませ、と近づく店員さんに指を二本立てると、こちらへどうぞ、と店の奥のほうに案内される。

 

昼前とあってか、周りに人は思っていたほどおらず、なんとなくすっきりとした気持ちになる。

 

「さぁ、何でも好きなものを頼むといい、ここは先輩である私がおごるから」

 

テーブルの上に広げられたメニューをこちらに見せながら、屈託のない笑顔を見せる。

少しうれしそうに言う先輩の言葉を断るのは少し良心が痛むが、しかし俺にも譲れないものがある。

 

「すみませんが、俺は養われる気はあるが、施しを受ける気はないんで」

「面白いことを言うんだね。…そうか、それならしょうがないね」

 

残念だ、と喜界島先輩はがっかりした表情浮かべたまま、メニューを仕舞うとそのまま呼び鈴を押した。

 

「どうせ君はもう決まっているんだろ?」

 

勿論決まっていた。ミラノ風ドリアに辛味チキン、それにドリンクバー。いつもの黄金パターンなのだが、なぜ俺がサイゼでは期間限定メニュー以外は確認しないことを喜界島先輩は知っていたのだろうか。

 

「ハヤシ&ターメリックライスのターメリックライスを白飯に変更したものを一つ」

 

喜界島先輩が注文を促すようにこちらを向く。

 

「ミラノ風ドリアと辛味チキン、それからドリンクバーを…」

「2つで」

 

ウエイターのお姉さんが注文を繰り返し、キッチンにはいっていくのを確認した後、質問をしていいか喜界島先輩に確認すると頷きを返してくれた。

 

「では、質問を。…ハヤシ&ターメリックライスなのにターメリックライスじゃなくするんすか」

「おっと、その質問は予想外だ」

 

喜界島先輩は心底驚いた様子を見せた。正直、今日会ってから一番の驚き方をしているといってもいいだろう。

 

「もっと疑問点はたくさんあったんだと思うんだけれどもね」

「そうなんですが、直近だったこともあって」

「まぁ、いいんだけどね。理由は単純明快。こっちのほうがおいしいからさ」

 

元も子もない返答に思わず苦笑いを浮かべるしかなかった。

少しすると料理がテーブルに運ばれてくる。それらを喜界島先輩と他愛もない話をしながら食べ進めていく。

途中粉チーズをどう使うだとか、柔らか青豆は最強だとか、七海千秋がかわいいだとか、オリーブオイルの使い道など、サイゼトークに熱を帯びた場面もあったが、この後の話に比べれば、それは他愛ない範囲だった。

 

それほどまでに喜界島先輩の話は重く…、

 

 

そしてまぎれもなく俺の探し求めていた人物だった。

 




初めましての方、N@NOです。
俺ガイル×青ブタ、のクロス作品を始めました。ハーメルン自体に青ブタ作品がほとんどないのでこれからどんどん増えていくといいですね。

前から知っていただいている方、ありがとうございます。
どうしても書きたくなってしまい始めてしまいました。
アイマスのほうもちゃんとやれよ、というのは重々承知しているので、こちらのほうもよろしくお願いします。


感想、意見が創作の励みになりますので、ぜひコメントしていただけると嬉しいです。
よろしくお願いします!


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青春欺瞞野郎は天才少女の夢を見ない。2

「それじゃあ本題に入ろうか」

 

喜界島先輩は食べ終えた食器を端によけ、コーヒーカップを口にする。

 

「比企谷君は何が聞きたいんだい」

 

そういうと、カチャリとカップをコースターに置き、話を聞く体勢を整える。

 

「いくつかありますが、遠回りするのも面倒なので、核心から聞かせてください。喜界島先輩のその右腕の麻痺はいつからですか」

 

その言葉に喜界島先輩はぴくりと眉を動かし、そして笑みを浮かべた。

 

「本当に君は面白い。いつから気づいていたんだい?」

 

「最初に違和感を感じたのは駅前での握手の素振りでした。まぁ、これだけだったなら只俺と握手が嫌だった、で済む話ですが」

 

「ふむ」

 

相槌で続きを促すのでそのまま話を続ける。

 

「喜界島先輩は、エレベーターのボタンを押すときやメニューを広げるとき左手しか使っていませんでした。エレベーターのボタンは右側に設置されているので右手で押すほうが自然です」

 

「なるほど、よく見ているようだね。比企谷君の趣味は人間観察かなにかだったりするのかな。では、こちらからも質問だ。私が生まれつき右腕が動かせない可能性は考えなかったのかな」

 

「それも考えました。だけどそれだといくつかおかしな点があります。無意識に動かないほうの手で握手をしようとしたことや、僅かにぎこちない動きの食事です。これはあくまでも予想でしかないけれど、ハヤシライスを頼んだのも、利き腕じゃないほうの手だと箸やフォークの扱いが難しいから。以上が理由ですかね」

 

自分の考えを吐き出すと、喜界島先輩は満足そうに頷いた。

 

「事故や病気による後遺症の可能性は?もしそうだとしたら私のトラウマを抉っていた可能性もあるだろう?」

 

「その可能性が一番高かったです。けど、何というか」

 

喜界島先輩の凛と見開いた目は好奇心にあふれている。

 

「勘…といいますか、類は友を呼ぶというか」

 

「スタンド使いとスタンド使いはひかれあう、ともいうね」

 

「要するに…喜界島先輩。俺はその右腕の麻痺の原因が、思春期症候群じゃないのかと思っているということになりますね」

 

喜界島先輩の返事はない。

 

『他人の声が聞こえた』だとか『誰々の未来が見えた』だとか『人格が入れ替わった』だとか、そうした類のオカルトじみた出来事についての噂話。ネットの掲示板なんかで検索すれば、他にもゴロゴロと転がっている。

まともな精神科医は、多感ゆえに不安定な心が見せる思い込みだとバッサリと切り捨てている。自称専門家は、現代社会の生み出した新種のパニック症状だと語っていたし、面白半分の一般人の考察の中には集団催眠のようなものだ、という意見もあった。

つまり、世間一般的な意見としては、この思春期症候群という現象に関しては懐疑的なわけだ。

普通の人間ならそう思うだろう。

 

「…比企谷君は面白半分で思春期症候群のことを言っているわけではなさそうだね」

 

長い沈黙のあと、喜界島先輩はそう言った。

 

「病院にも行ったわ。右手が動かしづらいって。けれど、どの医者も体に異常は見られませんって、精神的に来る麻痺でしょう、とまともに取り合ってくれなかったわ」

 

現代医学は非常に発達しているものだと思われがちだが、それ以上に俺たち人間の体にはまだまだ解明されていないことが多い。そのため、精神的な症状なんかは原因不明とされることが多く、適切な処置をすることが難しい。

 

「確かにこれだけならば只の自律神経障害による麻痺なのかもしれなかった。だけど」

 

そう。これが大きな違和感の原因。只の病気ではないという考えの根拠。

喜界島志貴の右腕はわずかに透けていた。

俺の目線の先に気づいた喜界島先輩は左手で右腕を持ち上げる。

 

「不思議なことにね、これ、他の人たちには気づいてもらえなかったんだ。比企谷君には見えているみたいなんだけれど」

 

ハハッと力ない息が漏れた。自分の体が薄れゆくなか誰にもそのことに気づいてもらえないストレスは、深く考えなくとも高校生には…いや、どんな人間にも辛く、そして恐ろしいことだろう。

 

「本当によかったよ、比企谷君には見えているようで。いや、見えていない、ってほうが正しいのかな?どちらにせよ、一般常識的に考えておかしいのは明らかだし、科学的に考えてもうまい説明は思い浮かばない」

 

困ったものだよ、とつかんでいた右腕をもとに戻し、席を立つ。空になったカップにおかわりのコーヒーを淹れに行くのだろう。

 

「俺も取りに行くつもりだったんで、ついでに淹れてきますよ」

 

「そうか、ありがとう。ブレンドでよろしく」

 

喜界島先輩の目の前に置かれたカップを受け取り、ドリンクバーコーナーへと向かう。

カップをセットし、ブレンドと上に書かれた赤く縁どられたボタンを押すと、ゴウゥ、という音とともに水蒸気が出た。

コーヒーが入るのを待つ間に先ほどの先輩の言葉を思い返す。

 

「比企谷君には見えている」

 

何故俺には喜界島先輩の消えかかっている右腕を認識することができたのだろうか。

少なくともさっきまで喜界島先輩についてほとんど知らなかった俺は、千葉駅にいたその他大勢と変わらぬ一人と違いない。

それなのに、他の人には認識できない喜界島先輩の右腕の現象を俺だけが認識することができたという事実。

なにか理由があるはずだ。思春期症候群というやつは、決して理不尽に無作為にまき散らしている現象なんかではなく、何らかの根拠の上に成り立っている現象のはずだった。少なくとも俺はそう認識している。それは、俺がこの身をもって経験しているのだから。

ソースが俺だけ、なことが確証を得る理由としては少し弱いが。

点滅していたランプが全てつき、コーヒーが淹れ終わったことを教えてくれる。

ここで、一人で考えていても仕方がないだろう。せっかく本人がいるんだ、実際に聞いてみればいいさ。

 

「ありがとう」

 

淹れてきたコーヒーを喜界島先輩の前に置く。

大丈夫、確か左手に持ったのが喜界島先輩ので右手のが俺の…だよな。

一度心配になると、実際にはどっちだったのか不安が残るが、喜界島先輩はそんな俺の気持ちに気づくことなく、カップを口に運んだのを見て、考えるのもばかばかしくなり止める。

 

「比企谷君は思春期症候群についてどう考えている?」

 

「俺は、この現象は必ず理由のもとに成り立っているものだと考えています。例えば人から悪口を言われたことで心が傷つく、なんて言いますが、これが実際に身体的に傷が生じる、だとかは、悪口と体に現れた傷が関係していると考えられる」

 

「面白い考察だ。確かに的を得ているような気もする。やけに具体的なのは比企谷君だからかな」

 

含みのある言い方をしているということは、喜界島先輩はすでに気づいているのだろう。

 

「だけどそれだけだと根拠に欠けると思うんだ。例えば、思春期症候群に限らず、精神的な問題が体に症状として現れるものはいくらでもあるだろう。ストレスによっておこる帯状疱疹や、ストレスで胃に穴が開くなんて言われる胃潰瘍なんかはその例だ。まぁ、実際に結びついているかどうかについて疑問は残るところだが」

 

「そうですね、そういった医学でまだ解明しきれていないことも含めて思春期症候群といってしまうと大きな問題が起こりますね」

 

ストレスで胃に穴が開くことと何らかの心理的な影響で腕が見えなくなるのが同じ症候群というのは少し無理があるだろう。

 

「つまりこういうことですよ」

 

周りにこちらを見ている人がいないことを確認して、Tシャツの襟を引き下げた。

 

「おっと、比企谷君だいたーん」

 

言葉とは裏腹に、まじめな顔をした喜界島先輩がじっと俺の胸元を見つめる。

俺の胸元には傷がある。日本で生活をしている一般人には付きようもない傷。

心臓を貫くようにあるその銃創は今なお生々しく残っていた。

 

「…そうか」

 

ぼそりとそのあとに何かつぶやいていたが聞き取ることは叶わなかった。

 

「見た目だけなんですよ、これ。体内には何の影響も見られなかった。気づいたときには皮膚だけがこんな風にえぐれていた」

 

「なるほどね、これが比企谷君の思春期症候群の考察のソースか」

 

「原因…聞かないんすか」

 

「何、聞いてほしかったの?」

 

喜界島先輩は優しく微笑む。

 

「比企谷君が自分から話すまで私は聞かないよ。そこまで私は無粋じゃない」

 

「いいんですか、自分の思春期症候群の解決策のヒントになるかもしれないのに」

 

「あぁ、構わないさ。そんな風に後輩につらい思いをさせてまで知りたくはない」

 

それに、と言葉を紡ぐ。

 

「なにか気づいたことがあれば比企谷君が教えてくれるだろう?」

 

「どうしてそんなこと言えるんですか。俺と喜界島先輩はさっき会ったばかりなのに」

 

お互いよく知りもしない、この微妙な関係。昨日、今日会ったような人に何故ここまで信頼できるのだろうか。

 

「志貴さんは比企谷君のことちゃんと知っているから」

 

その言葉にドキッとする。

心拍数が高まる。

―――志貴さんは比企谷君の見方だから。

一瞬そんな映像が脳裏をよぎる。

記憶にない、少なくとも今の俺には記憶として残っていない。

だとすると今のは既視感だろうか。

 

「さて、整理しようか。比企谷君の考察が正しいものと仮定すると、私のこの思春期症候群にも原因があるものであると考えられる。となるとその原因は何だろうか?」

 

「それは先輩が一番わかっているんじゃないですか」

 

正直に俺に聞かれても、喜界島先輩について知らないので想像もつかない。ただ、

 

「深層心理の状況が表に出てくることが多いと思えます。だから、どちらかと言えば先輩の普段言葉にしない感情が原因として挙げられるのではないですかね」

 

「なるほどね。今日はありがとうね、深刻になる前に何とかできるといいね」

 

深刻になる前に。

その言葉が重くのしかかる。

喜界島先輩の思春期症候群は体の一部が麻痺とともに消えていくというもの。

今は右腕のみだが、これが全身に広がる可能性があるということ。

タイムリミットは喜界島先輩の存在がなくなるまで。

もしくは…、麻痺によって心臓の停止。

猶予期間がわからない今、この現状は早急に対処する必要があるだろう。

この日の不思議な先輩との出会い。

ここで俺の青春は分岐し、間違いはもう一つの道へと進みだした。

 

× × ×

 

「おにいちゃん、何してんの?もうご飯だよ」

 

振り返ると俺の部屋のドアから小町が顔をのぞかせていた。

ちらりと八重歯を見せる我が妹、この春から中学3年生になる小町は俺のTシャツをだらんと着ている。見た感じがバカそうなのはご愛敬と言ったところだろうか。

 

「ちょいと調べ物をな」

 

ふーん、と小町から聞いたのにも関わらず、興味もなさげにそう返答する。

 

「早く降りてきなよ、おかあさん待ってるよ」

 

階段を降りるとふわりと生姜の香りがする。

 

「…今日は生姜焼きか」

 

そんなことを考えながらリビングに入った。

 

「ほんで、おにいちゃんさっき何調べていたの?」

 

夕飯を食べ終えてソファでだらりと横たわる妹を横目に、食後のコーヒーを入れるために電気ケトルに水をそそぐ。

 

「食ってすぐ寝ると牛になっぞ」

 

「小町は小町なので牛にはなりませーん。あ、小町の分もね」

 

「あいよ」

 

もう一つマグカップを取り出し、インスタントコーヒーを放り込む。

 

「それで、何調べたの?」

 

「思春期症候群」

 

とは小町には言えなかった。

 

「ちょっとな。マクスウェルの悪魔について調べてた」

 

「うげ、なにそれおにいちゃん。悪魔とか厨二病っぽい」

 

「うっせ、ほっとけ。ほれ、砂糖と牛乳は適当に入れてある」

 

「ありがと」

 

自室に戻ると再びパソコンを開く。

液晶に浮かぶ文字は思春期症候群。スレッドに並ぶ言葉はどれも現実味のないこと。きっとこいつらが面白半分で挙げたものだろう。

 

「何々、幽霊が見えるが見えるだけ、か。それって意味あんのか」

 

寺生まれのTさんみたいに破ァッとかでお祓いできないのに、見えると只つらいだけじゃねーか。

当てもないので、適当なキーワードを打ち込み、ネットの波をサーフィンする。

甘いコーヒーを喉に流し込む。

「ま、そう簡単にわかる訳もない、か」

『これでわかる!?深層心理学!』と書かれたアホみたいな雰囲気のサイトを閉じた。




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青春欺瞞野郎は天才少女の夢を見ない。3

※【閲覧注意】
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スマホのバイブ音によって目が覚める。

昨日気づかぬうちに寝てしまっていたのか中途半端な姿勢で寝ており、体の節々がバキバキとなる。点滅を続けるスマホを手に取ると、画面に表示されているのは喜界島志貴の名前。

 

「あの人、いつの間に登録したんだよ」

 

溜息とともに着信に答える。

 

「おはよう、比企谷君!」

 

記憶の喜界島先輩の声と一致する。やっぱり喜界島先輩の番号で間違いじゃなかったか。

 

「今日も比企谷君とお話しがしたいと思ってね。どうせだから学校で待ち合わせしようか」

 

どうせだからの意味が分からんのだが、喜界島先輩の問題を放置するわけにもいかない。

 

「昼飯食ってからでもいいですか」

 

「勿論。それじゃあ2時に総武高の正門で待ち合わせで」

 

「了解です」

 

部屋の時計を見ると短針が9と10の間にある。もうひと眠りするには少し遅かったな。

仕方なしに、ベッドから這い出てリビングへと向かう。ドアを開くとミャアという声とともにカマクラが頭をすねに擦り付けてくる。

すねにスリスリしてくるこの毛むくじゃらは妖怪『すねこすり』なわけではなくただの猫。

 

「どした、飯もらってないのか」

 

ミャアと返事をするように鳴く。

おかしいな、この時間だったらもう誰か餌あげててもおかしくないはずなんだが。

そう思ってテーブルを見るとそこにはラップで包まれた朝食と置手紙。

書かれている内容は、小町と母ちゃんが買い物に行っているのでカマクラに餌をあげておいてほしいということ。

 

「ほれ」

 

カリカリをカマクラ用の皿に出し置くと、よほど腹が減っていたのかむしゃむしゃと食べ始めた。

 

「俺も食べるとするか」

 

ラップを剥き、盛られたスクランブルエッグとソーセージにケチャップをかける。

テレビをつけ、適当にチャンネルを回していると、勉強の効率、という番組がやっており、手を止める。

学習において、学習者は教育者の期待に応じて成績が向上していく。これは教育心理学における考えの一つであり、ピグマリオン効果というらしい。そしてその反面期待されないことによって成績が下がることをゴーレム効果という、か。

ピグマリオンって確か…、『マイフェアレディ』の原作だっけ。

期待されれば、その成果が出るってことか。まぁ何となく想像がつく。

俺の場合はゴーレム効果がバリバリに起こっていた可能性があるな。

ピグマリオン効果特集が終わると、東京の流行りのランチだとか今若者に流行のものだとかの特集が始まった。

 

「流行か」

 

他人の目を気にしすぎた結果が流行ってやつなのだろう。誰が何をしているかだなんて俺からしてみれば心底どうでもいいことだし、みんながやっているから~とかの頼み方もしたことがない。

まぁ、そんな風にいう“みんな”ってやつが俺にはいなかっただけなのだが。

 

―――“みんな”っていったい誰なんだろうね。

 

まただ。誰かの記憶が脳裏に浮かぶ。知っているけれど知らない。

確かに聞いたことのある言葉のはずなのに、これを聞いた時期や場所は記憶にないのだ。

ラノベとかアニメの見すぎか?

だとすれば俺はかなり痛いやつになるな。

それこそ、漫画の読みすぎで自分が勇者だと、選ばれし者だと勘違いするのに等しいだろう。

これ以上考えるのも馬鹿らしい。だが、簡単に忘れちゃいけない気もする。

 

「なんなんだ?」

 

そんな独り言に答えるようにミャアとカマクラが鳴いた。

 

 

 

× × ×

 

 

 

心地よい風を全身に受けながら、ペダルを漕ぐ。

 

やはり春風は気持ちいいな、などと考えていると、ふと一年前の記憶が甦った。

そういや、去年のこれくらいの時期に同じようなこと思っていたな。

あの時は、たしか入学式の朝だったはずだ。新しい環境に期待で胸を膨らませていた時期だ。

 

そして、人生二度目の入院を経験した日でもある。

 

あの日俺はバカそうな飼い主が手を離し車道に飛び出た犬を思わず庇い、足の骨を折る怪我をした。その時に頭を打った衝撃で一時的に記憶が混濁していたため、小町を泣かせてしまったのだ。

そのせいで俺は高校生活のスタートダッシュに失敗し、学校に行ったときには既にグループができており、ぼっち生活がスタートした。

そうだった。俺が学校に行けるようになったのはゴールデンウィーク明けだったのだ。

一つの違和感が記憶と繋がり始める。

だとすると何故喜界島先輩はそんな簡単な嘘をついていたのだろうか。

その疑問の答えが出る前に、俺は学校に到着した。

 

「お、やっほー、比企谷君。今日もよろしくねぇ」

 

校門の前ですでに待ち構えていたのは総武高の制服に身を包んだ喜界島先輩。

 

「え、制服?」

 

「おやおや、この美少女志貴先輩の制服姿に悩殺されちゃったのかな」

 

「いや、そうじゃなく…もしかして学校に入るつもりでしたか?」

 

勿論、と喜界島先輩。

しまったな、制服で来ている喜界島先輩に対して、俺はパーカーにジーンズ。一目で私服だとわかる格好だろう。さすがに春休みだからと言って私服で学校に入るのには気が引けるな。

 

「あぁ、服装のことか。ごめんね、もう少しちゃんと話しておけばよかった」

 

「まぁ、学校前集合ってとこから制服で来ることも考えるべきでした」

 

「多分私服でも気づかれないでしょ。もし気づかれたとしても、私が何とかするからさ」

 

意外と私教師からの人望あるんだよ、と嬉しそうに笑う喜界島先輩は昇降口へと進んでいった。

 

「いやぁ、やっぱりこの時期の教室はすっからかんだね」

 

終業式を既に終えている学校は生徒たちの学年が変わるため教室の掲示物から荷物まですべてが取り払われている。そのため、どこの教室も似たような雰囲気であり、これと言った特徴もなかった。

喜界島先輩は懐かしむように校舎を見回しながら2年生の教室がある階に上り、俺はその後ろをゲームの仲間のようにひたすらついていく。

立ち止まり、がらりと開いた教室の外には2-Fの掲示。おそらく今までの喜界島先輩のクラスだろう。

 

「おぉ、やっぱりなんもないや」

 

感動したように教室をぐるぐると回る先輩は少し年相応に見えた。

常に大人じみた雰囲気を纏っている先輩は俺の一つ上のようには感じなかったのだ。

 

「先輩の荷物はいつ持って帰ったんですか」

 

「あぁ、私置き勉とかしないから。むしろ教科書とかは全部家におきっぱだよ」

 

「喜界島先輩って実は不良少女だったんですか」

 

そういうと喜界島先輩は本当に面白いことを聞いたようにケラケラと笑う。

 

「工場なんかで言う不良品という言葉の意味ならば私は十分な不良品だよ」

 

「それはどういうことですか」

 

「比企谷君は数学とか生物は得意?」

 

「理系科目は大体苦手です」

 

「そうか、正規分布っていうのは知っているかな。別名をガウス分布ともいうね。平均値の付近に集積するようなデータの分布を表した連続的な変数に関する確率分布のことで、中心極限定理により、独立な多数の因子の和として表される確率変数は正規分布に従うというもの。このことから、正規分布というのは統計学や自然科学、社会科学の様々な場面で複雑な現象を簡単に表すモデルとして用いられているんだ」

 

まくしたてる先輩の言葉の波についていけず、眉をひそめていると先輩は黒板の前に立ち左手でチョークを握った。

 

「いいかね、比企谷君。正規分布とはこのような関数をさすことが多いのだよ」

 

先生のような口調を真似する喜界島先輩は黒板と向き合いながら手を動かす。

ぎこちなく黒板を白く塗っていく線を目で追うとどこかで見たことのある形になった。

俺がどこでこれを見たのだろうか…。記憶は新しい、そうだ今朝のテレビだ。

 

「人間の学力分布もこの形をとるって朝ニュースで見ました」

 

「おぉ。それなら話が早い。私たち人間は学力を調査するとこのような正規分布になるようになっている。そして確率密度として、多くの人たちはこの範囲に当てはまる」

 

そういうと喜界島先輩は山型の曲線の両端を切るように縦線を引く。

 

「大まかに8割がこの中に当てはまる。これがいわゆる普通」

 

そこまで言って、なんとなく喜界島先輩が何を伝えたいのかを察する。

普通の範囲はここ、つまりその範囲を逸脱しているものは普通ではない。

 

「あまりこういう表現はしたくないのだが、頭の悪い人間というものは存在する。そして日本政府はそれを認識しているし、対応している。例えば特別支援学級や学校などで、だ」

 

小中学校の記憶を遡る。受験という学力による選別を受けることなく入れる小中学校には高校なんかより学力の振れ幅が大きかった。勉強ができる奴もできない奴もごちゃ混ぜになって同じ授業を受けていた。

 

「だけれど、今の学校教育ではこちら側というのはさほど重要視されていない」

 

そういう喜界島先輩の指さす先は山の右側。つまり

 

「高い学力をもった人、ですか」

 

「あぁ、学力が高いため学校教育についていくことができないということはないからね。しかし、この枠の人たちも苦労は抱えている。周りとの違和感さ、周りの生徒たちと話が合わないんだ。特に年齢が低ければそれは顕著に出る。小学一年生に遺伝子工学の話をして楽しいと思うかい?」

 

小学生どころか今の俺に説明されても理解できる気がしない。おおよそこの先輩は小学一年生の時に本当にクラスメイトに遺伝子工学とやらの話をしたのだろう。

 

「それどころか、小学校なんてのは児童の学力を一定の範囲にとどめようとしていた。比企谷君も覚えていないかい?習ってない漢字は使ってはいけないだとか、教科書を先に読み進めてはいけないだとか」

 

まったくもって不条理だ、と喜界島先輩は不満げに言う。言葉の通りに学力を抑圧されていた。

能力があるものに対し、その能力を使わせない学校教育に対する不満。

理解してくれなかった教員に対する不満。

そして、それに抗う術を持っていなかった自分に対する不満。

 

強く握りしめる左手にそんな思いが詰まっているのだろう。

 

「総武高でも、やっぱりそうなんですか?」

 

「高校はそうでもないよ。思っているより楽しめてる。中学とかに比べて割と自由な時間が多いからね、成績さえ出せばある程度のことは許される」

 

だから退屈だけれども、それなりに楽しめた。

昔を懐かしむような表情はどこか遠くを見つめている。

 

「ともかく、私は学力的に頭のいい、美少女天才JKってわけなんだよ」

 

今までの流れを断ち切るように唐突に振り返り、先ほどよりも大きな声で、まるで誰かに宣言するように言葉を出す。

 

「さいですか。そうなると美少女JKの先輩はさぞかし期待されているんでしょうね」

 

「あぁ、しているだろうね。周りはみんな私を天才だとまくしたてている。羨ましいと褒め称える。だけど、そんなのは幻想だ。勉強ができたところで幸せになれると確約されているわけではない。私はね、比企谷君。勉強が少しくらい出来なくても、私を理解してくれる、そんな優しい男の子に出会って、お互いを思いあう。そんな恋がしてみたかったんだ」

 

喜界島先輩は優しく、そして少し頬を赤く染めながら夢を語った。

そんな喜界島先輩をみてなぜか背筋が寒くなる。

 

まるでこの先輩はそれが叶うことのない夢のように、幻のように、どんな人も一度は夢見るであろう平凡な夢を語っているのだ。

 

「そんなの別に今でもできるじゃないですか。まだ、高校生だ。そんなのはいくらでも」

 

そういうと喜界島先輩は力なく首を横に振った。

 

その意味を聞こうとしたとき、教室の扉を引く音に遮られた。

 

「誰かいるのか~、って、おぉ、喜界島じゃないか、久しぶりだな。それに比企谷も。どういうつながりかね」

 

白衣に身を包む黒髪の女性。片手には資料が詰まっていると見える段ボールを抱えていた。

確か、この人は、現国の

 

「平塚先生、お久しぶりですね。あ、比企谷くんが私服なのはですね」

 

「いいさ、私はそういうことに関しては気にしない」

 

それは教師としてどうなんだ、と思わず口にしかけてしまう。

変わった先生だ、かと言って理解のない人ではなさそうだ。

 

「もちろんきちんとすべきところは注意するさ。だが、春休みに私服だからと言ってとやかく言うのはどうかと私は考えている。しかし、そういうことを気にする先生もいるから注意はするように」

 

びしっと指さすとふふんと満足げな顔を浮かべる。

なんだろう、このかっこいいのに少し残念な感じ。

 

「さて、まじめな話だ。喜界島その右腕動かないのか」

 

「あ、気づかれちゃいましたか?」

 

「勿論気づくさ。私は教師だぞ、舐めるな。…病気か?」

 

「病院にいきましたが原因不明、と。悪いところはないって言われました。おそらく思春期症候群じゃないか、ってのが私と比企谷君の見解です」

 

なんでもないように思春期症候群について平塚先生に話した喜界島先輩のほうを思わず見てしまう。

 

「あぁ、大丈夫。平塚先生は思春期症候群についてそれなりの理解があるんだ」

 

「なるほどな、それでこの組み合わせか。私に一人思春期症候群に詳しいというか、調べている奴がいるが紹介しようか?」

 

うーん、と喜界島先輩は考える素振りをみせるが

 

「大丈夫です」

 

とあらかじめ思いついていただろう言葉を返した。

 

「そうか、だが、どうしようもなくなったら…、いや、どうしようもなくなる前にきちんと相談しろよ」

 

そういうと平塚先生は教室を出ていった。

 

「…よかったんすか、なにか得るものがあったかもしれないのに」

 

「そうなんだけれどねぇ」

 

陽乃さんに借りを作るとあとがこわいからなぁ、と微妙な笑みを浮かべる。

この先輩にそんな風に思われるとは、陽乃さんとやらは一体どんな人なんだろうか。

 

 




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青春欺瞞野郎は天才少女の夢をみない。4

自販機で何か飲み物でも買おうか、平塚先生がいなくなってから10分ほど続いた沈黙を破るように喜界島先輩はそう言った。

二階に位置する教室から、1階の自販機が立ち並ぶコーナーへ向かう。

リノリウム製の廊下には二人分の足音が鳴り響いた。

春休みということもあり、俺と喜界島先輩以外に生徒は見当たらない。

もちろんそれは見当たらないだけであり、耳を澄ませばどこかで練習をしているであろう、管楽器の音や、サッカー部や野球部の掛け声なんかが聞こえてくる。

 

「比企谷君は何か部活に入っていないのかい?」

 

同じことを喜界島先輩は考えていたのだろう。そんな質問をしてくる。

総武高は部活の強制加入などはなく、各々任意で入部するのだ。

 

「入学前は高校に行けば、けいおんに入れば放課後にお茶会をしている人たちがいたり、自らを演じる乙女たちがいたり、宇宙人や未来人を集めた部活があったりするんじゃないかと幻想を見ていましたよ」

 

現実はそんなに美しくはない。

部活内ですら、各々意識に差があり、グループができてしまっている。みんな仲良く、なんて言葉は偽物で、そんな場所は幻想だ。

 

「比企谷君は随分とまじめなんだね」

 

喜界島先輩の言葉がすとんと胸に収まる。

 

「きっと比企谷君は理想を求めているんだ。だからこそ、この世は君らのような人達にとっては生きづらい。正しいことが常に正しいとは限らないのが今のこの世の中だから。部活での温度差は私たちが経験しうるなかで最も身近なことの一つだろう。まじめに取り組めば、何マジになっちゃってんの、なんて冷やかす人が出てくる。周りの“みんな”ってやつを気にする。そんな社会だ。実につまらない。向上心のないやつほどつまらないやつはいない」

 

自分の言葉にすることができない思いを翻訳するかのように、喜界島先輩の言葉は俺の心を代弁してくれた。

 

「そして、こんな考えは思春期特有のものなのさ」

 

「それはどういうことですか」

 

そこまで話したところで自販機の前に着いた。

ガタンと小気味の良い音が二回なると、喜界島先輩はこちらに向かって黄色物体を放り投げる。

それをキャッチすると手のひらに温かさが広がった。

 

「ありがとうございます」

 

喜界島先輩はそう言う俺をみて満足そうに頷くと、細くきれいな指でプルタブを起こし、その手に持つカフェオレを口に運んだ。

手にある温かい缶を見ると千葉のソウルドリンクことマックスコーヒー。

さすが分かっているな、と俺もプルタブを起こし、口に広がる練乳を含むコーヒー独特の風味を楽しむ。

 

「さて、続きを話そうか」

 

近くにあった青いベンチに腰掛けると隣を指さす。

その指示に従うように隣に一人座れるほどの余白をあけて腰を下ろした。

 

「思春期特有の考え、というのは言葉の通り思春期の特有の考え方ということ」

 

「そのままじゃないですか」

 

その通り、と意地悪そうに笑った。

 

「大人になるとそういう風に考えられなくなる。というか、洗脳されてしまうんだよ。社会に出れば、暗黙の了解だとかいう謎のルールに縛られる。もちろん、これは学校生活においても言えるんだけれど、そんなのよりももっと汚い。そして、それを守らないと出世できないんだ。正しくあろうとするものが、この世界では淘汰されていく。そうやって、小賢しく、意地汚く生き残った者が上に立っている。だから、世界は変わらない。俺たちがこうしてきたんだからお前たちもこうあるべきだ、っていう」

 

馬鹿らしい、だからこの国は進歩しないんだ。

不愉快そうに、まるで自分が体験したかのようにそう語った。

 

「話を戻そう。高校生や大学生はこどもと大人の狭間にいる。純粋な目で世の中を見渡せるようになり始める時期。だからこそ、思春期特有の考えなんだ。これを大人に言えば、それは理想でしかない、現実はそんなに甘くない、とバッサリ切り捨てられるだろうね」

 

現実はそんなに甘くない。この言葉で何度自分を諦めてきただろうか。

自問するが自答は出ない。

理性で、現実的に考えて、最善だと思う行動をとってきた。

だが、理想を抑圧された世界は“本物”なのだろうか。

 

「難しい話はやめよう。せっかくの天気だ」

 

この時期はこうやって日向ぼっこしながら微睡むのが一番いい。

そういうと喜界島先輩は溶けるようにベンチの背もたれに身を預けた。

対照的に俺の背中は丸まっている。

 

「今更なんだけれどさ、比企谷君」

 

「なんですか」

 

後ろから聞こえる声に返す。

 

「どうして昨日会ったばかりの私にこんなにも付き添ってくれるのかな。もしかして私のこと好きなのかい」

 

「…まさか。それは、先輩が危険な状態で…」

 

「建前はいい。本音を聞かせてくれ」

 

曖昧な返事はバッサリと切られる。

なぜ、俺は喜界島先輩に付き添っているのか。

俺にしか喜界島先輩の思春期症候群に気づけていないから?違う、さっき平塚先生も気づいていた。

喜界島先輩が困っていたから?これも違う、喜界島先輩は別段困った素振りはみせていない。

俺が喜界島先輩のことが好きだから?これこそ可笑しい。昨日会ったような人を一瞬で好きになるような人間じゃないのは自分でもわかっている。

では、なぜ俺はこんなにもこの人が気になるのか。

 

「…わかりません。どうしてなんすかね」

 

振り返らずに自分の思いを正直に告げる。

 

「比企谷君、君は私たち人間の脳の構造を知っているかい?」

 

は?突然の質問に素っ頓狂な返事をしてしまう。

 

「いいから聞きたまえ。脳は大きく分けて大脳、小脳、脳幹という3つの部位から成り立っているんだ。そして記憶には、頭で覚える陳述的記憶と、体で覚える手続き記憶の2種類がある。この記憶というのはそれぞれ働く脳の場所が異なっていて、陳述的記憶は新しい情報を海馬に記憶し、そして長期記憶として残すと振り分けられたものが大脳新皮質に記憶される。手続き記憶というものは大脳基底核と小脳によって記憶し、刷り込まれる。だから私たちは普段自転車に乗っていなくても乗れるし、泳ぐこともできる。体で覚えた手続き記憶は、消えることなく、いつまでも私たちの脳に刻み込まれているわけだ」

 

きっとこれでも俺のためにいろいろと端折って説明してくれているのだろうが、如何せんそもそもの大脳や小脳などがどこをさすのかがさっぱりなので、話の3割も理解できない。

 

「これが、最大のヒントだ。記憶は脳のあちこちで分担されて記録されてる。だから、記憶喪失した人でも言葉は話せたり、歩いたりすることができる。以上だ」

 

× × ×

 

喜界島先輩と別れた後も、喜界島先輩の話した言葉の意味を考え続けた。

喜界島先輩は無駄な話はあまりしないタイプだろう。そんな喜界島先輩がわざわざヒントとまで言って俺に脳の構造と記憶について話した。

つまり、俺の記憶の違和感と、喜界島先輩の今までの行動の違和感の原因はここにあると考えていい。そしてやたら強調していた言葉。

 

“記憶喪失”

 

確かに俺は、一年の時交通事故にあっていて頭を打った。だが、それは意識の混濁程度ですぐに治ったし、医者にも特に問題はないといわれている。

本当にそうか?

今冷静になって考えてみるとおかしなことがいくつもあった。

自分の知らない誰かの記憶。それこそが俺の失ってしまった記憶なのではないだろうか。

こうしてほとんど記憶が正常のなか失ってしまった記憶があったとして、それに気づけるのだろうか。

それはシャープペンを買ったことを忘れている人にそのことを思い出せと言っているようなもの。辻褄の合わなくなるような重大な記憶出ない限り忘れた記憶など思い出すこともないのだろう。

では、俺の場合は?

本日二本目のマッカンを口にしながら考えていると、先ほど聞いた声で名前を呼ばれた。

 

「どうした、比企谷。喜界島とはもう別れたのか?」

 

先ほどと変わらぬ服装の平塚先生が不思議そうにこちらを見つめていた。

 

「さっき用事があるって言って帰りましたよ」

 

「そうか、比企谷は何をしているのかね」

 

「喜界島先輩の言っていた言葉の意味を考えていました」

 

なるほどな、と何かを納得した様子の平塚先生は俺の座っていたベンチの隣、つまり先ほど喜界島先輩のいた位置に座った。

 

「彼女は優秀だからな。いろいろなことが見えてしまうし、気づいてしまうのだろう。優秀なものは似ているのかね」

 

その言葉には喜界島先輩以外も含まれていた。もしかするとさっき言っていた陽乃さんとやらかもしれない。教師である平塚先生はあの喜界島先輩の考えを聞いたらなんと返すのだろうか。まぁ、この人教師という雰囲気ではないから、案外喜界島先輩の意見に賛同しかねない。なんなら一緒になって社会に対する不満をぶちまけるまでありそうだ。

ふと、朝の特集を思い出す。

 

「先生はピグマリオン効果って知っていますか?」

 

「おぉ、もちろん知っているぞ、どうした比企谷。教師に興味でもあるのか」

 

「そういうわけじゃないです。ただ、今朝特集でやっていて記憶にあってですね。喜界島先輩なんかは期待されているからピグマリオン効果で、より頭がよくなるのか、なんておもいまして」

 

ふむ、と腕を組み少し考える素振りを見せる。

 

「比企谷、ピグマリオン効果の名前の由来は知っているか?」

 

「ピグマリオン、戯曲ですよね、マイフェアレディの原作となっている」

 

「なるほど、では、マイフェアレディの内容は知っているかね」

 

「大まかにだけなら」

 

数年前に親父と一緒にみた記憶の糸をたどる。イギリスを舞台とした、ミュージカル映画。

主人公はコックニー訛りの強い女性だった。言葉遣いから出身がわかるという男に出会い、言葉遣いを変えることで女性としての魅力を高まるか、という実験に使われる。

最終的に、魅力は上がるが扱いに不満を抱いた主人公が男のもとを離れる、という落ちだったはずだ。

 

「ありがとう。ここで注目してもらいたいのは男が主人公を理想の女性に変えようとしたことだ」

 

「はい」

 

それがこの物語の中心であるだろう。

 

「ピグマリオン効果もマイフェアレディのほうも、ギリシア神話に出てくるピュグマリオーンが元となっている。この男は現実の女性に絶望し、石像を作ることで理想の女性を生み出そうとした。そして、その現状に見かねた神はその石像を女性に変えたんだ」

 

現実に絶望し、理想を求めた男。そんな哀れな男に神が手を差し伸べた。

 

「ピュグマリオーンもマイフェアレディもどちらも現実を変えようとした。だが一方はなしとげ、もう一方は挫折した。まぁ、これをどうとらえるかは君次第だね」

 

さぁ、と立ち上がると平塚先生は微笑んだ。

 

「もう遅い、比企谷、君も早く帰ったほうがいいだろう」

 

「うす」

 

最後に一つだけ。

ピグマリオンは自分自身が望んだものになるわけではなく、理想の押し付けでもあることを覚えておいてくれたまえ。

 

そういうと平塚先生は白衣の袖を翻し、校舎の中に入っていった。

 

理想の押し付け、か。

 

だとすると、一体彼女はどれほどの理想を押し付けられてきたのだろうか。

温もりを失った潮風が立ちすくむ俺の体に容赦なく吹き付け、体温を奪っていった。

 

 




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青春欺瞞野郎は天才少女の夢をみない。5

「なぁ、小町。石像を本物の人間に変えるくらい理想を求めるってどうなんだろうな」

 

「なに、お兄ちゃん、唐突に。頭打った?しかも、言ってること意味わかんないし。まーた二次元の女の子に恋したの?」

 

小町の顔は見えないが呆れた顔をしていることは容易に予想がついた。

 

「ばか、ちげーよ」

 

「あ、でもでも、最終的に小町のところに戻ってきてくれるなら、小町はそれでいいよ。あ、今の小町的にポイント高い!」

 

「はいはい、かわいいかわいい。なんか最近いろいろあってだな」

 

なになに、とダボついた長袖に包まれた小町がソファから顔を出した。

 

「頭がいいけど少し変わっている人でな」

 

「お兄ちゃんに変わっているって言われるなんて余程変わってるんだね」

 

小町はうーんと腕を伸ばした。

 

「それで、その人の名前は?」

 

「喜界島、志貴」

 

小町はニッと笑うと聞き逃せない言葉を何気なく、ぽつりと漏らす。

 

―――懐かしい名前だね。

 

 

× × × 

 

春休み最終日。始業式を前日に控えた比企谷八幡と喜界島志貴は都内新宿のサンシャイン水族館の入り口に立っていた。

エレベーターに乗り込んだときのオフィス感は消え、都内のオフィスビルだというのに目の前には水が小さな滝のように流れるオブジェが、ライトアップによって雰囲気を醸し出している。

満足げな表情の喜界島先輩はチケットカウンターに向かう。

自動チケット販売機で発券する喜界島先輩を遠目で見ていると、喜界島先輩がこちらに向かって手招きをした。

 

「比企谷君、特別展でへんないきもの展もやっているらしいけど興味ある?」

 

ちらりとこちらを見上げる喜界島先輩からふわりと柑橘系の香りが鼻腔を擽った。

よく見ると、薄くだが化粧をしている喜界島先輩に気づく。

緊急という文面にて池袋駅に呼ばれたので何事かと構えていたら、いつもよりも着飾っている喜界島先輩が待っていた。

そして、何も説明されるわけでもなく連れられてきたのは、サンシャイン水族館。

まったくもって喜界島先輩の考えが読み取れなかった。

改めて喜界島先輩のほうを一瞥すると、こてんと小首を傾げた。

白ニットも相まって喜界島先輩の亜麻色の髪がふわりと映える。

 

「どうしたの?」

 

かわいい、あざとい、かわいい。そんな言葉は胸の底に飲み込む。

 

「…へんないきものなのは自覚しているので、見世物になる気はないです」

 

「そうか、確かに私も君も変な生き物だ。見世物になるのは可哀そうでもあるな」

 

成程、と咄嗟の言い訳に妙に納得した風にうなずく喜界島先輩は、そのまま2人、大人をタップし入場券を2枚購入した。

 

「あ、いくらですか?」

 

「呼び出したのは私だからね、今回はいいよ」

 

先輩だし。とぼそりと呟いた言葉は聞こえなかったふりをした。

というか、先輩サイゼで奢れなかったことまだ気にしてたんすね。なんて言えるような雰囲気でもなかった。

 

入ると出迎えたのはサンゴ礁の生き物たちであった。

薄暗い室内で証明によって照らされた水槽。その中を悠々と泳ぐ色とりどりの魚たち。

幻想的な、そして人工的な世界だ。

 

「ほら、比企谷君。マイワシだ。こんな水槽の中でもきちんと群がりを作るんだね」

 

そして喜界島先輩は、その手前にいたチンアナゴなどには目もくれず、イワシの群れの前で目を輝かせた。

 

「群がり、ですか?群れじゃなくて」

 

「群れといういうのは同一魚種の集まりをさすんだ。今回のように他の種も混じりながら泳いでいる場合は群がり。他にも進行方向のばらつきなんかでも呼び方は変わるのだけれども、今回は置いておこう。ほら、マイワシの中に少し大きい魚がいるだろう」

 

そういう喜界島先輩の指さす先を見ると、イワシよりも一回り大きな魚が確かに泳いでいる。これに気づいてよく見てみれば、イワシしかいないと思っていたこの水槽の中には、別の魚が何匹か混泳していた。

 

「ちなみにあの魚の名前は分かりますか?」

 

「うーん、多分マサバじゃないのかな。ゴマなら模様が出るんだけれどもまだ小さいから見分けが付きづらいんだよね。だから多分」

 

ほう、とよくわかってないのだが分かったようなふりをする。

難しい話をされているときってよくわからんけど曖昧に返事しちゃうよね。なんでか、よくわからんけど。いやそれ全然わかってないな。

 

「サバって切り身とかでしか見ないっすけど、こんな感じなんですね」

 

唯一理解できたサバという単語。そして純粋な興味。

テレビなんかで今の小学生は魚は切り身の状態で泳いでいるという風に考えているということを笑う大人たちがいた。

その時は今の小学生はバカだな、としか思わなかった。

だが、問題の本質はそこだけではないのだと今ならなんとなくわかる。

魚は切り身で泳いでいるわけではない。それがわかる大人はほとんどだろう。なら、実物を見てこれが鯖だ、鰆だ、鯵だ、ホッケだなんて見分けられる大人がどれほどいるのだろうか。

命をいただいているだなんて崇高な思想を常に持っているわけではないが、現代の生きている姿を見ないでも食べることができるというのは、随分とおかしな状態であるとは思える。

結局自分もそんなバカのうちの一人なのだと自覚する。

目に見える事実しか存在しないと考えるものは思考停止しているのだろう。

本当に大切なものは目には見えない。サン=テグジュペリはそう言った。

無知の知。ソクラテスはこれを大切にした。

知らないこと、わかっていないことがある。それは全ての事において言えるのだろう。

魚や人間関係や思春期症候群においても。

それを踏まえ俺はこれからどう選択をしていけばいいのだろうか。

 

「水族館は素晴らしいところなんだよ。私たちは知っているようで何も知らない。普段食卓に上がる魚だって泳いでいる状態を見たことがある人は少ないだろう。普段目にすることのない世界を特別なスキルなしに体感できるだなんて素晴らしい以外の言葉はないだろう」

 

うすら青い光を零す回遊水槽は喜界島先輩を優しく照らす。

 

「さぁ、次を見に行こうか」

 

振り返る喜界島先輩の足が縺れ、地面に吸い付けられるように倒れこんだ。

慌てて腕を出したおかげで喜界島先輩の頭は地面と激突せずに済んだ。それはよかった。

ただ、

 

「喜界島先輩。もしかして、右腕だけじゃ…」

 

思春期症候群の症状が悪化している。

 

「段々とね、右腕だけじゃない。左手や足なんかもたまに今みたいに動かなくなってきているんだ。前回の右腕のことから推測しても動けなくなるにはそう長くはないだろうね」

 

そう言う喜界島先輩は目を合わせてくれなかった。

 

「助けてくれてありがとう。でも、今日はそれ以上は聞かないでくれ。今は思春期症候群のことを忘れて純粋に楽しみたいんだ」

 

力なく俺の肩をつかむ喜界島先輩の手は今にも消えてしまいそうなほど儚く見えた。

 

その後は喜界島先輩は何事も無かったように振舞っていた。

大型水槽の前に立てば、サメの生殖器について蘊蓄をたれ、それから何故捕食者と被捕食者を同一水槽内で飼育可能なのかについて嬉々として語っていた。

ゆらりと舞うクラゲ水槽では、年相応の少女のようにはしゃいでいた。

そして最初のフロアに戻ってきた。サンシャイン水族館は入り口で右に行くと水槽展示、左に行くと海獣などのショーフロアとなっている。

薄暗い世界になれた目は、外の光に過剰に反応してしまい思わず目を瞑る。

目を開くと東京のビル街の空を泳ぐようなペンギンやアシカが映る。

天空のオアシスとはよく言ったもんだな。

まさに言葉を体現したような空間を眺めながら水族館の出口へと進んだ。

 

彼らは自分たちが囚われていることをよく理解しているそうだよ。

 

喜界島先輩がアシカショーを見ながら言った言葉がやけに耳に残っていた。

 

× × ×

 

「今日は付き合ってくれてありがとうね。…と言いたいところなんだけれどもう少し私の我儘に付き合ってもらってもいいかい」

 

「いや、今日はちょっとあれがこれの日なんであんまり遠出をするのもですね…」

 

「そうか、なら大丈夫そうだね」

 

いや、この人俺の話聞いてたのかよ。

とは言え俺も人の話は普段から半分くらいしか聞いてないし、何ならうまい話は話半分に聞いとけという親父の教えを守って、話四分の一程度にしか聞いてないまである。

 

「遠出じゃなく学校のほうに戻るわけだからそんなに遅くもならないよ。今日はもう一つ行きたいところがあるんだ」

 

まぁ、水族館代払ってもらったしそれくらいは付き添うか。

その魂を対価にして君は何を願う?なんていう宇宙人の悪質な取引を見てきたからな。

適切な対価に見合った行為はせねばなるまい。

 

「その顔は下らない言い訳でも考えているのかい」

 

隣を歩く喜界島先輩がくすりと笑った。

俺はその言葉が聞こえなかったふりをしながらポケットに仕舞ってあるICカードを探した。

 

× × ×

 

喜界島先輩に引かれるがままついてきた場所は稲毛海岸。

なんだか、今日は喜界島先輩の後を何も言わずについていきすぎな気がするな。

俺が幼女だったら誘拐事件回避不可能。

ふぇえ、ここどこぉ。おかーさーん。

なんて馬鹿なことを考えていると喜界島先輩は砂浜に腰を下ろした。

 

「私はね、悩んだときはよくここに来るんだ」

 

夕日に照らされる先輩はいつかの日のように、どこからか切り抜いた景色を張り付けた様な印象を与える。そんな喜界島先輩の姿に見惚れる。

 

「さて、比企谷君。これまで付き合ってくれたお礼に答え合わせをしようか。君も大体のことは想像がついているんだろう?」

 

向かい来る波を見つめながら、喜界島先輩の隣にもう一人座れるほどの余白をあけて腰を落とした。

 

「これまで何度も違和感がありました。千葉駅であったとき喜界島先輩が俺に声をかけてきたことから今に至るまで何度も。喜界島先輩はあえて答えを出さずにいくつものヒントだけを俺に与えていたんですね。最初の矛盾は喜界島先輩が俺のことを入学式で知ったといったこと。それは無理な話なんです。なぜなら俺は入学式前に交通事故にあって入学式はおろか4月は丸まる入院していたから高校には行っていなかった。だから、名前は知りえど、顔までは知る機会はなかった」

 

口を開くと何も考えずに言葉が自然と出続けた。これまで感じてきた違和感の正体。そして今までこの事実を忘れていた愚かな自分に嫌気をさしながら。

 

「他にもヒントはたくさんあった。この前言っていた脳の構造なんかはまさにそれだ。何の脈絡もなくあの話をするはずがない。そう思っていたおかげである可能性にたどり着けた。俺の記憶が飛んでいる可能性だ。忘れているという事実を知らなければ思い出せない、いや思い出そうともしなかっただろう。だから俺はこの一年間記憶喪失に気づけなかった。そしてこの可能性が確信に変わったのは昨日、妹が喜界島先輩のことを知っていたことだ」

 

小町に言われなければ、きっと今も可能性の一つとしてとしか考えていなかっただろう。

 

「小町と話してやっと記憶が戻った。というか、抜け落ちていた情報がパズルのようにつながった」

 

喜界島先輩は、俺の考察を聞き続けた。

 

「あの時、俺と先輩は出会っていたんですね」

 

潮風が吹き付ける夕暮れのなか、彼女は微笑む。

 

「正直言って辛かった。君の記憶が欠落していることにはすぐに気づいたさ」

 

なら、その時に教えてくれれば。喜界島先輩は首を振る。

 

「それはできなかった。そんなことを急に言われて人は信じない。そして何より君の脳に重大な影響を与える可能性もあった」

 

記憶喪失状態の人に欠落した記憶を急に思い出させようとしたときの症例を喜界島先輩は語った。理解できた内容はわずかだったが、それでも喜界島先輩の葛藤の理由は理解できた。

 

「まったく、君という人間は何とも面倒だね」

 

「すみません、志貴さん」

 

その瞬間視界が空転した。気が付けば俺は志貴さんに抱きしめられながら、夕暮れ空を仰いでいた。

ちょ、え、これなんてエロゲ?

脳内は真っ白になり、いい匂いだとか、体を包み込む志貴さんの体温だとか、柔らかいだとかで埋め尽くされていた。いや、全然真っ白になってねーな、俺の脳内。

 

「怖かった。怖かったんだ。自分が消えていく中で、比企谷君の記憶からも消えていくんじゃないかって不安で仕方なかった。千葉駅であったとき比企谷君が私のことを覚えてないと分かったときは血の気が引いた。他の誰かに忘れられるのとは比べ物にならないくらいに。よかった、本当にっ」

 

嗚咽を漏らしながらの愚図った声。それでも、耳元で叫ぶ志貴さんの言葉は聞き取れた。

志貴さんは今思春期症候群と戦っている。

 

志貴さんは昔思春期症候群につぶされかけた俺を救ってくれた。

 

ならば、俺は同等の対価を払うべきだ。

 

やり場のない両手を空にやりながら決心する。

 

今度は俺の番だ。

 

不安と安堵から泣き続ける少女の体温から、確かにここに喜界島志貴がいるのだと感じながら。

 

そして、

 

 

この日を境に俺の前から彼女はこの世界から消えた。

 

 




八幡が八幡してないのは、導入のこの話が終わるまで許してください(汗
いろいろと他にも疑問点はあると思いますがその辺の伏線も回収していく予定なのでよろしくお願いします。

感想、意見が創作の励みになりますので、ぜひコメントしていただけると嬉しいです。
よろしくお願いします!


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青春欺瞞野郎は天才少女の夢を見ない。6

志貴さんの言葉を反覆する。

あの夕焼けに染まる砂浜の中、彼女が漏らした恐怖や怯えを含んだ言葉の意味。

 

志貴さんの思春期症候群の進行は最悪の想定の通りに進んでいた。

全身における麻痺、それによる最悪の問題は心停止による死、この予想は変わらない。

 

ならば、俺はその最悪の事態を想定して行動しなければならない。

 

とは考えたものの俺は医者でもなければ、ブラックジャックでもないわけで心停止に陥った志貴さんを救うことは難しい。できることを挙げるとするならばAEDなのだが、正直思春期症候群に対して効果があるとは思えない。

 

となれば、症状対しその場しのぎの対処するのではなく、根本である思春期症候群自体をどうにかする必要があるだろう。

そして思春期症候群について再び思考と視線を巡らす。

気分を切り替えるため、甘く作られたコーヒーを一気に煽った。

 

最近のブルーライト影響云々のこともあってか市場はブルーライトカットした液晶や眼鏡などが売り出されてるが、生憎俺の使用しているノートパソコンは親父からのおさがりもあって最新とは遠いモデルなのだ。

それでもネットサーフィンやオフィスにはまだ耐えてくれているのだから文句は言えない。ありがと、俺のパソコンちゃん。でも、もう少し起動が早くなると嬉しいかな。

 

眼の凝りをほぐすように目頭を押さえる。

2時間ほど情報を探したがめぼしいものは見当たらない。そもそも思春期症候群というもの自体が世の中では懐疑的なものであり、それに関する正確な情報などほとんど嘘の中に埋もれてしまっているのだろう。

むしろこの手の話はオカルト話に分類されているのだから、まじめに探す俺のほうがマイノリティなのだろう。まぁ、この手の話に関わらず、日常生活の中ですら俺はマイノリティに分類されちゃう当たりマジマイノリティだし、その静かさも相まってサイレントマジョリティなまである。ということは、俺はこの後、一世を風靡するユニットアイドルになっちゃう?なる?いや、ならねーな。何ならユニットどころかソロな時点でグループからはじかれてるまである。というか、マジョリティでもないしな。

 

兎も角、古来より現状に詰まったなら視点を変えよという言葉もある通り、俺も視点を変えてみるべきだろう。コンビニできょどってしまったら、次から使う支店を変えることには慣れているのだからこれもできるはず。大丈夫だ、問題ない。

 

死亡フラグを建てつつ、ベクトルを変えるべく、まずは志貴さんの思春期症候群の背景について考えてみる。

志貴さんの症状は、手足の麻痺とそれに伴うように薄くなっていく体だ。俺の思春期症候群の原因が俺の想像通りであるならば、原因と結果は必ず因果があるはずだ。

ならば、これが起こりうる原因とはいったい何だろうか。

 

麻痺、検索エンジンにかけるとその原因がずらりと吐き出される。その中である一文に目が留まる。

“脳の中枢神経への影響”

ふと、志貴さんの人間の脳の講義を思い出す。

脳の記憶は分担されていて、陳述的記憶と手続き記憶がある、と。それらが組み合わさって人間は物事を記憶している。とかだったはずだ、多分。

だとするならば、運動するのにも脳の役割は分担されている可能性もあるな。

 

再びキーボードを叩く。

しんと静まり返った部屋には、秒針が刻むリズムと不規則に変化するタイプ音だけが鳴り響く。

 

☆ ☆ ☆

脳は自己の身体を表現し、身体運動を制御している。

 

人間はこの脳内におけるボディスキーマとボディイメージによって筋肉を動かし、運動を行っている。

ボディスキーマとは、無意識化でも手足の運動制御や姿勢の維持ができることから、姿勢変化によって誘起される感覚情報に基づいて更新され

る自己モデルの事をさし、これらは意識にのぼる前の脳内身体表現である。

 一方、ボディイメージとは、意識にのぼる脳内身体表現であり、自己の姿勢の知覚から自己身体や容姿などに関する知識まで、心理的精神的要素を含む自己像である。

 

★ ★ ★

 

小難しい文章の立ち並ぶ論文とにらめっこをしながら、文意の読み取りを試みる。

正直言って、何を言っているのかはさっぱりなのだが、ここに可能性の光が刺している気がするのだ。

要約するとボディスキーマが無意識下、ボディイメージが意識下ということなのだろう。

ボディイメージとは日常生活などにおいて自身に刷り込まれた動き、可動域のもとに身体的フレームを作り出すらしい。これは、人の運動の基盤であり、走り方や腕のスナップや関節の可動なんかはこれによるものなのだという。

対して、ボディイメージでは自分の意識、例えば若かったころのイメージで体を動かそうとすると動きが付いてこないことや、事故で足を切断したのに足を動かすイメージがあるなど、主観的な要素に基づいているようだ。

だとするならば、志貴さんの思春期症候群は、このボディイメージが関連している可能性がある。心理的な問題が志貴さんの運動分野に影響を及ぼしている。

確かに理論的に考えればこれがそうなのだろう。

だが、現実と比較するとこの理論だと明らかにおかしな点が残ってしまうのだ。

 

―――手足の薄れ。

 

最早、これは現代科学では議論のしようがない。少なくとも、俺の知識では不可能だろう。

結局、思春期症候群は非科学的な現象なのだろうか。

 

「はぁ」

 

改めて直面した壁の存在に深いため息をついてしまう。

やはり、明日志貴さんときちんとこの思春期症候群について考えるべきだろう。

すっかり空になり、冷え切ったマグカップを手に持ち、俺はノートパソコンを閉じた。

 

× × ×

 

始業式。

春は別れの季節でもあり、出会いの季節である。

…というが、正直言って友達のいない俺からすれば何の変化も問題もない。あるとするならば、クラスの学校内での位置と新クラスでの自己紹介であり、これがまた俺の憂鬱の一つでもある訳で、というか問題あるじゃねえか。

昇降口付近には人溜りができており、おそらくあそこに新クラスが掲示されているのだろう。誰がクラスにいるなどと一喜一憂をしている生徒たちの後ろから、自分のクラスを確認する。

 

ひ、ひ、比企谷っと。あいうえお順に出席番号が振り分けられているため、は行だけを見てなければ次のクラスの掲示へと目をやる。

 

千葉の出席番号は小学校の頃はあいうえお順じゃなくて、誕生日順なのだが、この事実を知ったときには心底驚いた。

何が驚いたって他県なら誕生日のお祝いで自分が飛ばされたことを知らずに済むということ。ちなみに、給食のデザートによくでた麦芽ゼリーも千葉限定、これマメな。

 

そんな誰に説明をしているかよくわからんことを考えながら自分の名前を探し続けた。

2-F 、担任は平塚静。平塚先生というと、あの国語教師なのになぜか白衣を着てた人か。

思春期症候群について理解があるようだったし、一応平塚先生にも志貴さんの事聞いておいたほうがいいかもしれない。

 

年度が変わっても変わることのない下駄箱もまえで上履きに履き替え、とりあえず2年生のフロアへと昇る。

クラスの位置は変わらないから、という理由でそれぞれのクラスの位置は特に表示されていないため、2-F の位置など知りもしない俺は虱潰しに教室を見て回るしかない。

A~順になっている教室なので特に迷うわけでもない。Dを通り過ぎFへと近づくなかで先日志貴さんと訪れた教室にも近づいていることに気づく。

「やっぱりか」

目の前に2-F と掲示された教室は先日と同じ場所だった。

まぁ、確率10%ほどで一緒になるのだから別段驚いたことでもないだろう。

黒板に張られた座席表を見てから、中心より後ろの席に腰を下ろす。

教室は変われど、座席からの景色はさほど変わらない。変わっていくものと変わっていかないもの。どこにその線引きがあるのかなどわかる訳もない。だが、不思議とこの景色は変わっていかない気がした。

 

× × ×

 

「…とまあ、そんなわけでこれから一年間よろしく頼む」

 

平塚先生は簡単にホームルーム終わりの言葉を纏め、教室をぐるりと見まわした。

今まで学級担任に興味など殆どなく、関わることもなかった人生を送ってきた。だから、担任と生徒との距離感なんて知らないし、分からない。

きっと、これからもそれは変わらないのだろう。

不意に胸が痛む。

時々、こういうことを考えていると、傷跡が痛むのだ。そして、これが俺の思春期症候群がまだ完全には終わっていないことを意味する。自分自身の事は自分でなんとなくわかる。

きっと、俺の思春期症候群はしばらく解決しない。

 

だが、それよりも今は志貴さんの思春期症候群について考えるほうが優先だ。

平塚先生が教室から出ていくことに気づき、頭を切り替えた。

 

「平塚先生」

 

平塚先生が振り返ると、白衣に映える長い黒髪が後を追うようにふわりと舞う。

 

「どうかしたか、比企谷」

 

「志貴…、喜界島先輩のことで相談があるのですが」

 

「ほう、新学期早々随分と楽しそうだな。私への当てつけか?」

 

平塚先生はなぜかこめかみに青筋を立てながらポキポキと指を鳴らす。

初めて、いや、春休みに志貴さんに会った違和感似たものを感じた。これは、そう、どこか話に食い違いがあるような、そんな違和感。

まさかと、最悪の事態を想定しつつ、恐る恐る平塚先生にその事実を確かめるため尋ねる。

 

「…喜界島志貴の事を知っていますか」

 

「すまない、把握していないが…。うちの生徒かね?」

 

顔面から血の気が引くのがはっきりとわかる。背筋には冷たいものがつたっている。

 

「喜界島志貴だ、先生と春休みに教室であったとき一緒にいただろ!?」

 

俺の剣幕に驚き、そして申し訳なさそうな顔をしながら、

 

「すまないが、私は知らないな。君と会った時も君以外はいなかっただろう?」

 

どうなってんだ。平塚先生が喜界島志貴の事を忘れているのか。

平塚先生に返事もせずに教室に慌てて戻り、入り口付近に座るピンクがかった髪色の生徒に声をかけた。

 

「なぁ、あんたは喜界島志貴の事を覚えているか!?」

 

女生徒はビクッと跳ね上がった後、こちらを確認すると目を見開いた。

 

「比っ…。えと、ごめんね、知らない人かなーって」

 

突然声をかけたからか悲鳴をあげられかけた気がするが正直今はそんなことに構っている暇はない。

 

「そうか、突然悪いな」

 

自分の席に戻り、携帯を制服のポケットに仕舞いこむ。バッグは…置いていくか。

喜界島先輩を探すための準備をしていると、後ろからさわやかに声を掛けられた。さっきの俺の声の掛け方と比べたら正反対、ってくらいのさわやかさ。

 

「やぁ、比企谷くん、だよね。どうかしたのかい」

 

振り返るとこれまたさわやかな見た目の男。一応聞いておくか。

 

「あんたは喜界島先輩を覚えているか」

 

男は一瞬考える仕草をした後、

 

「いや、覚えていないな。すまないね」

 

と短く答えた。

 

「そうか、分かった」

 

君は…

教室を出る直前に男の言った言葉は聞こえなかったふりをした。

 

× × ×

 

喜界島先輩のことを誰も覚えていない。

それは、単に喜界島先輩を知らなかったという可能性もあるのだが、正直喜界島先輩との記憶を忘れていたころの俺ですら、知っていたほどの有名人なのだから、その可能性は捨てていいだろう。

となると、思春期症候群の影響と、見て間違いない。

歩幅を大きく、足早に昇降口へと向かいつつ、思考を可能な限り巡らす。

喜界島先輩の思春期症候群の症状は、身体の麻痺とそれに伴って見た目が薄くなっていくというもの。それと現在の状況から鑑みるに、薄くなりすぎると、それに寄って他者の記憶から存在そのものが薄れゆく。

このままいけば、この世界から喜界島志貴がいたということ自体が消滅しかねない。

ほかの人間は忘れているが、俺は喜界島志貴という人間をまだ覚えている。

 

つまり、まだ志貴さんは完全には消えて無くなってはいないということなのだろう。

 

ならば、まだ俺でもなんとかできる可能性はあると言える。

 

とにかく、志貴さんを見つけなければ話が始まらない。

 

喉の奥から血の味が滲むのを感じながら、ゆっくりと瞼を閉じた。




毎度のごとく遅くなってすみません。
やる気はあるけど、やりたいことが多すぎるって問題にいつも悩まされてます…(゚〇゚)


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青春欺瞞野郎は天才少女の夢を見ない。7

「比企谷くん」

振り返らなくても声の主は分かった。先ほど教室で話しかけてきた男だ。

概ね、授業開始時間前に学校を飛び出そうとしている非行少年を引き留めにでも来たのだろう。ご苦労なことだ。なんと美しい思いやりだろうか。

だが、俺には迷惑以外の何物でもない。只の優しさの皮をかぶった偽善の押し付けでしかない。世間体だとか、一般論なんて糞くらえ。

すぐにでも飛び出たい気持ちをぐっと堪え、一言で済ませる。

「わり、急いでるから」

志貴さんを覚えていないお前にこの感情は伝わらないだろうよ。

踏み出す足は昇降口を跨ぐ寸前のところで止まる。否、肩をつかまれ引き戻される。

「いい加減にしろよ、早くしないと喜界島先輩がっ」

「なら、なおさら俺の話を聞くべきだ」

男の気迫に思わずたじろぐ。

「思春期症候群は原因不明とされている。だが、思春期特有の症状であることから、必ず何かしら原因があるはずだ。俺は、原因の一つとして観測理論が関係してると考えている。いいか、比企谷。物事は観測されることによって状態を確定する、つまり観測していない現時点では君のその喜界島先輩とやらは存在が不確定になっている。信じろ、比企谷。感情は時に常識を超える。まだ、君には救える可能性が残っているんだ」

「どうしてそんなこと知ってるんだよ」

「それは今じゃないよ。さぁ、早く行くんだ、平塚先生には俺からうまく伝えておくよ」

男はそれ以上は言わずに力を抜いた。

体に掛けられた重みが抜け、すんなりと昇降口を跨ぐ。

そして、走る。

振り返らない。

思いつく唯一の場所に向けて、足を何度も交差する。

吹き出す汗でシャツが肌に張り付く。

跳ねる心臓は急な負荷によって嫌に痛む。

それでも足は止めない、止めてはいけない。

二度と間違えたくないから、と俺は選択を拒んできたのだろう。

最もらしい言い訳をひねり出し、分岐点に立つことから逃れてきた。

努力が無になる瞬間が嫌いだった。

失うのが嫌なら、得なければよい。そうすれば失わなくて済むのだから。

いつからこの考え方が染み付いてしまったのだろうか。

酸欠で苦しむ脳には普段なら考えもしないことが駆け巡る。

本格的に軋み出した体を潮風が優しく冷やす。

耳を澄ませば波の音が聞こえてくる。

たった一つ思いついた場所。

それは、最後に志貴さんを見た場所だった。

 

× × ×

 

真夏になれば見渡す限りの人に埋め尽くされる稲毛海岸も、春の平日昼間は閑散としている。

周りを見渡して目につくのは買い物に向かっている主婦や犬の散歩をする爺さんが舗装道を歩いているくらいで砂浜にいる人間はたった一人しかいなかった。

俺はその大胆に、文字通り大の字になって砂浜に寝そべるという奇行少女のもとに足を向ける。

「何やってるんですか、奇行少女の真似ですか」

「そっちこそ、こんな時間にここにいるだなんて非行少年の真似かい」

お互いの軽口がやけに懐かしく思わず頰が緩む。

最悪の想像は、最低な妄想でしかなかった。志貴さんの声がそれを実感させる。

「志貴さん、学校に戻りましょう」

「ごめん、それはできないんだ」

大の字のまま、志貴さんはそう返す。震える声から隠れた表情が窺える。

「学校は志貴さんとって退屈かもしれないですけど」

「そうじゃないんだ。私だってできることならば、早く学校に行きたいさ。でも、それはまだ許されていない」

「それはどういう…」

「私のこの思春期症候群をどうにか、否、解き明かさないことにはこれ以上動けそうにもないんだ」

ははは、と力なく笑う。

「でも、私はこの状況が少し嬉しいまであるよ」

「それは」

少しは自分で考える事だ。

志貴さんの最もな言葉に返事は続かない。

「兎に角、君はこの私の状況を…、いやまずは現状の整理をしようか。お互いにどこまでを理解しているのかを整理しない事には話が始まらないだろう」

勿論こんなかっこいい言葉を言っていてもその姿だ大の字で寝そべる女子高生。残念ながら威厳も尊厳も見当たらない。

そんな事を考えていると、志貴さんと目が合う。

下らないことを考えてないで早く話を進めろ。

一切口にしてないのに何故か意味が理解できてしまう。これがボディランゲージって奴か。違うか、違うな。

一つ、深呼吸。

「まず、志貴さんに関する記憶がなくなっている、これが第一じゃないですかね。平塚先生も志貴さんのことは覚えていませんでした」

「それに関しては私の方からも補足ができるよ。現在、比企谷くん以外は私を認識できていない。少なくともこの街ではその傾向がある」

「なら、俺しか志貴さんを認識できていない理由を考えるのが一番近道かもしれないですね」

「そうだね、例えば純粋な記憶量による差が考えられるね。比企谷くんが私を知っているよりも周りが私のことを知らないから記憶から消滅している」

「それは」

おかしいのだ。もしそうだとするならば平塚先生が志貴さんのことをわすれることがないだろう。少なくとも、記憶をなくしている俺よりは志貴さんのことを知っているはずなのだ。

だとするならば、

「信じている心?」

「ほう、それは非常に興味深い。信意という言葉があるように人は信じる事によって見えるものがある。例えば、キリスト教信者がキリストの幻像を見るように、認識しているものは実際には存在していなくても存在しているように認知することができる」

「つまり、俺が志貴さんのことを存在していると認識しているから志貴さんをみることができる、ということですか?」

ふむ、と志貴さんは頷く。

「物体は認識される事によって存在する。つまり、私のことを比企谷くんが認識する事によって、私という存在の存在が確定するんだ」

はい、と首肯する。

シュレディンガーの猫なんかがこれに当たるのだろう。

薄れかけている中2時代の無駄な知識が志貴さんの言葉の理解を助けるとは、人生何が役に立つかわからんな。

「コペンハーゲン解釈、は聞いたことがあるかい?」

「こ、コッペ?」

「コペンハーゲン解釈とは、確率的に存在する粒子は観測した瞬間に確率の収束したある一点に存在するようになる、というものだ」

はぁ、と曖昧な返事をするしかない。無い知識をかき集め、必死に志貴さんの言葉を理解するため脳を使う。

「つまり、観測前には確率的に複数のパターンが存在しているが、観測することによってそれが1つに確定する、ということでいいですか?」

「その認識であっているよ」

「じゃあ、俺が志貴さんのことを認識、いや、観測したことによって志貴さんが存在しているということが確定したってことになるんですか?」

「コペンハーゲン解釈に則るならばね」

つまり、ことはそう簡単なわけでは無いのだろう。立つエネルギーすらも今は惜しい。

ドサリと志貴さんの横たわる脇に腰を落とす。ちょうどこの位置からだと、志貴さんの顔を見下ろす形になる。

話の続きを聞こうと頭を下ろすと志貴さんの長い睫毛に思わず目が止まる。

「何かな、比企谷くん。なんか変なこと考えてない?」

「か、考えてないデスヨ。それより続きを」

「ま、いっか。コペンハーゲン解釈が今成り立っていないのは、きっとこうしている今も私の存在が曖昧であることからもわかるように思春期症候群が治って無いからだ。仮にコペンハーゲン解釈に則っているならば、比企谷くんが観測してくれた時点で私の存在が確定するからね」

さて、と志貴さん。

「だとすると考えられるのは多世界解釈という考え方だ。これは観測した瞬間に確率は収束するけれど、そのほかの可能性は消えておらず、その確率ごとに世界が分岐している、と言ったものだよ」

「パラレルワールド…みたいな感じですか」

「限りなくそれに近いものだ。今のこの状況は限りなく同一の世界何だけれども2つの世界が振動して重なりあっているような状態なのだろう」

「なるほど、よく分からないということがよく分かりました」

ここまで無い頭を使ってなんとか付いて行こうとしていたが所詮文系の理系科目壊滅組の悪あがき。むしろ下手に芝居を打ってわかったようなフリをするよりは正直に答えたほうが良いのだろう。

「つまり、どうしたら志貴さんを助けられますか」

必要なのはこの一点。

「この不安定な状況を1つに確定させる。そのためには何かしらのトリガーを引く必要がある」

「そのトリガーってのは」

「まだ分からない。私自身どうしてこうなってるのかも検討があまり付いていないからね」

今までのことは全て結果に対する理論面からの憶測でしかない。

結局のところ志貴さんの思春期症候群の根本的理由を解決しなければならない。

だとするならば、これは志貴さんに会った春休みのあのときから状況は何も進展していないのだろうか。

 

お互いの口は閉ざされ、波打つ音だけが静かに聞こえる。

先ほどまで火照っていた体は潮風に冷やされ、今や、すっかり落ち着いていた。

そして冷静になってきた頭に、ある1つの可能性が浮かんできていた。

まず、思春期症候群というものの多くは深層心理の表れであることが多い。

志貴さんの手足のしびれや不調はボディイメージが関連しているという可能性。

そして観測理論。観測され認識することによって状態は1つに確定する。

これら3つを合わせて考えていくとたどり着く推測、それは、

「志貴さんが志貴さんを認識していない、か」

長い沈黙を破った一言が妙に可笑しかったのか、志貴さんはケラケラとわらった。

「ちょ、比企谷君、それは流石におかしくないかな。私は私の存在をきちんと認識してるよ。我思う、故に我あり。さ」

「そうですね、普通の人なら自分で自分のことを見失うなんてことはそうそう起こりえない。では、自分が強い自己否定をし続けていたらどうなるか。自分が自分という存在を認識することを拒否したことが思春期症候群を引き起こしたとしたら。今回の志貴さんの件はそれで辻褄が合うんです」

「うーん、百歩譲って、その理論が正しかったとしても、私が私を否定するのはおかしくないかな?だってほら、私は天才美少女JKだし」

きっと自分ではドヤ顔をしているつもりの志貴さんの顔が引きつっていることが、志貴さんの言葉を否定していた。

「ガウス分布による学力分布、その中でも特に著しい知力を持つ人のことをギフテッドと言うそうですね」

志貴さんは答えなかった。

「志貴さんが言っていたことを俺なりに調べて解釈してみたんです。今は便利なのでスマホを使えば一発で沢山のことが出てきますからね」

「はぁ、正直現代社会のテクノロジーがあるならば中途半端な暗記なんて必要ないのかもね。調べればそれこそ一瞬だ。そうだよ、私はギフテッドってやつなんだろうさ。だけどそれが何を意味する?」

志貴さんがやけに抵抗する。きっとここにその答えが存在するのだろう。

だから、俺は、志貴さんが苦しそうでも口を閉じない。

志貴さんに嫌われることになっても構わない。

それで志貴さんを救うことができるのならば、俺に捨てられるものはなんだって捨ててやる。

「小学1年生に遺伝子工学の話をしたって何も面白くない、でしたっけ。ギフテッドの人の多くの悩みとしてあげられるのが周りの人間との学力差による会話の不成立らしいです。そう言った問題に対処するためにアメリカなんかではギフテッドのような高い能力をもつ者たちを1つの場所に集めて、育成している」

それが国の発展につながることを理解しているから。

お互いに刺激し合うことがさらなる飛躍を遂げるのだろう。

「そして志貴さんもそうだった。話の合わない世界に疎外感を覚えて、そして自己の存在意義を問うてしまった」

「君に私の何がわかるんだい」

今までにみたことのない剣幕、というわけでもない。ただ、ポツリと、独り言をこぼすように。それが何よりも志貴さんの心を表していた。

「何にもわからねーよ」

「え?」

志貴さんは固まる。

それは、まるで鳩が豆鉄砲を食らったような、妖怪を見たかのような、比企谷八幡という人間を初めて見たような反応。

「面倒な、建前だらけの会話なんて志貴さんらしくない。人間は決して他者の気持ちを理解することはできない、どこまでいっても自己中心的な思考しかできない。それが本源的自己中心性。自分のエゴの押しつけあいだ」

どれだけ他人のことを思っても実際に他人がそれをどう捉えるかはわからない。それは、母親の愛が子供にとってのお節介であるように、どんなに近しい人間でも不可能なのである。

だとするならば、比企谷八幡が取るべき行動は。

「志貴さんのことなんて知らない」

志貴さんの大きな瞳がキュッと明るくなる。

「それを俺は知っている。だから俺は志貴さんのことを知りたいんだ」

志貴さんは呆れた顔で微笑むと同時に大きなため息を吐いた。まるで溜め込んだ思いを吐き出すように。

そんな昼前の海岸に佇む二人を、潮風がそっと包み込んだ。

 

× × ×

 

後日談。あれから志貴さんの症状は治まった、結局のところ本当の原因は分からずじまいだったが結果良ければ全てよし、と言うようにこれで良かったのだろう。

思春期症候群なんてものはその程度のものでしかなく、それは気づいたら跡形もなくなっている青なじみのように、その痕跡を残すことすらしない。

つまり、どういうことかと言うと。

「おい、比企谷聴いているのかね。全く新学期早々授業をボイコットは中々な心構えじゃないか」

あのイケメン野郎何が平塚先生は任せておけ、だ。全然ダメじゃねえか。

まぁ、あいつを毒突いても仕方がない。なにせ、志貴さんの思春期症候群は終わったのだ。

それは、志貴さんの存在が確定したことによってなぜか学校に志貴さんがいなかったという事実が消滅、そしてこれは俺が学校を抜け出していった理由が同時に消滅したことを意味する。

いくら庇おうが理由もなく学校を抜け出して行ったやつは庇い切れるはずもない。

だが、これで良かったのだ。なぜか志貴さんはしっかりと学校に通っていたことになっていても、俺だけ一人責任を負うことになっていても。

終わりよければ全て良し。それで志貴さんを救うことが出来たのだから。

何度目になるかわからない自分への慰めをかける。

「はぁ」

それでも、溜息1つくらい吐きたくなるものだ。

 

青春欺瞞野郎は天才少女の夢を見ない。〜Fin〜

 




皆さま、お久しぶりでございます。

不完全燃焼な感じで終わっていますが、一先ずこれで第1章の喜界島志貴編が終了となります。

まだまだ謎が残っていますが、それは今後回収する予定です。笑

意見、感想など頂けると創作の刺激および助けになります。
是非一言だけでもいいので残して頂けると嬉しいです。

今後も、『やはり俺の思春期症候群はまちがっている。』を宜しくお願い致します。



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青春欺瞞野郎は二重少女の夢を見ない。
青春欺瞞野郎は二重少女の夢を見ない。1


『 青春とは嘘であり、悪である。

青春を謳歌せし者たちは常に自己と周囲を欺く。

例を挙げよう。彼らは自己を偽り、他者に依存し、選択を空気に委ねる。そこには、自己決定や自意識などは存在せず、ただ何もない現実だけが残っている。

しかし、彼らはそれを青春だと言い張り、自己満足に浸り、周囲もそれを許容し理想とする。

彼らは青春の二文字の前ならばどんな一般的な解釈も社会通念も捻じ曲げてみせる。彼らの主張する青春というものには無意識が存在し、それが彼らの世界の正義と掲げる。自分たちの行為は青春の一部分であるが、自分たちのルールの外の他者の物は青春でなくただの失敗にして敗北であると断じるのだ。

しかし、これらを指摘したところで、彼らはそれを認めないだろう。

なんのことはない。すべて彼らのご都合主義でしかないのだ。

なら、それは欺瞞だろう。嘘も欺瞞も秘密も詐術も糾弾されるべきものだ。

彼らは悪だ。

ということは、逆説的に青春を謳歌していない者のほうが正しく真の正義である。

結論を言おう。

リア充爆発しろ。 』

 

「さて比企谷、私が授業で出した課題は何だったかな」

デスクチェアに深く腰を下ろした女教師は、俺の書き上げた作文を読み上げると、溜息とともに作文用紙から目線を上げた。

「はぁ、俺の知っているのは『高校生活を振り返って』だったはずですが」

女教師という感じはジョキョウシよりもオンナキョウシとルビを振ったほうがエロさが増すように思える。

「そうだな、私もそう記憶している。それなら、何故君は犯行声明を書き上げるんだ?」

爆破予告か?馬鹿なのか?と“オンナキョウシ”及び俺のクラス担任である平塚先生はそう呟きながら前髪をかき上げる。

はぁ、と気の抜けた返事。

昨晩の深夜テンションで書き上げたため、正直自分でも何を書いたのか覚えていないのだ。だから、これに対する俺の返答としては深夜に作文はするものでない、としか言えず、またそんなことは言えないため、結論「はぁ」に落ち着くのだから俺は悪くない。

だが、そんな事情は通じないのが世間であり、世界の厳しさ。平塚先生の逆鱗に図らずとも触れることになった。

長々と、そして所々脱線をしながら続いた説教を何となく、そしてボンヤリと聞き流しているとようやく締めに入る流れに変わった。

「君は部活はやっていなかったよな」

「え、あ、はい」

「…友達とか、いるのか?」

やたら神妙な顔をするから何かと思えばそんな愚問。それに対する俺の答えはすでにテンプレート化されている。

「平等を重んじるのが俺のモットーなので特に親しい人間は作らないことにしてるんですよ、俺は」

友達を作ると人間強度が下がるともいうしな。阿良々木さんが言うんだから間違いない、だから俺はまちがっていない。

「つまり、いないということだな」

「…はい」

「やはり私の見立ては間違っていなかったな!」

食い気味に、そして嬉々として平塚先生は声を上げる。

「あ、彼女とかは…いるのか?」

「いや、いな…」

その瞬間背中に衝撃、否こう柔らかく温かいものが体を後ろから包み込むように、さりげなくチョークスリーパーを掛けられた。

「ちょ、はッ?」

緩いホールドを抜け出し振り返れば、亜麻色の髪が目に映った。

「やぁ、比企谷君。さみしいなぁ。あんなに素晴らしい告白をしてくれたのに私は君の彼女じゃないのかな」

「俺はそんなつもりはないんですけど」

大体あれは志貴さんを救うための言葉であって、別に告白とかそういうのではなかったはずだ。

「つまり、君は無意識に女たらしをしてしまう青春ラブコメ主人公様ってわけだ」

フフフ、と訳ありげに微笑を浮かべる志貴さんはそこにしっかりと存在していて、先程右腕でチョークスリーパーを掛けていたことからも、すっかり思春期症候群がなくなった事を表していた。

そんな感慨に耽っていると背後から強い憎気。

これは振り返らない方が良さそうだ。ハチマン知ってる。

だが、そんなことは御構い無しに、むき出しの地雷を自ら踏み締めに行くように、喜界島志貴はそう言う人間なのだろう。

「平塚先生、比企谷くんはどうしてここにいるんですか?」

「はぁ、全く。逆にこっちがなぜ君が職員室にいるのかを聞きたいくらいだ」

あまりにケロッとした態度に怒気が抜けたのか、腰を再びデスクチェアに戻し胸ポケットから四角い箱を取り出す。

先生、溜息を吐くとそれだけ幸せが逃げていきますよ。まぁ、その原因は俺なんだが。

「私は、偶々比企谷くんが平塚先生と話しているのが目に入ってね。女教師と生徒の秘密の会話がどんなものなのか気になって聞き耳を立ててたところですかね」

勿論この時の志貴さんも“オンナキョウシ”。やはり背徳感というかエロさが増す。

「君がよく分からないのは元からだから正直もう気にしないよ。そういえば比企谷は喜界島と知り合いだったな。その…そういう関係なのか?」

やめて、そんなに顔を赤らめながら聞かないで。何か色々問題があるから。

「そうで…「違いますよ」」

からかうのは程々にしてくれないと年下男子としてはお姉さんにそういう風に接せられるとすぐに好きになってしまうのでやめてほしい。俺じゃなかったら、もう3回くらい告白して全部振られているまである。妄想の中でも振られちゃうのかよ。

「まぁいい。比企谷がこんな訳の分からぬ犯行声明を書いてきたから説教をしていたところさ」

そういうと俺の渾身の駄文を俺の許可もなく、志貴さんに手渡す。

志貴さんは一通り目を通すと、それはそれは愉快そうにケラケラと笑った。

ケラケラというオノマトペでは無く文字通りのケラケラと笑うのだ。巫山戯てワザとやっているのかは不明。

だが、志貴さんが面白がって笑う時には大抵この笑い方なのだ。

「全く、比企谷くんは面白いな。そして中途半端に的を得ているところも面白い」

「だから厄介なんだよ。私は教師という手前それに同意し、賛同し、共感するのは色々な面で問題があるからな。だが、強ち間違いでもない。しかし、そういったことはもっと大人になってから知れば良いものを、どうしてこう君は気づいてしまうのだろうな」

教師ってのは面倒なものだな。

生徒の模範とあるべく、そしてそれが当然であることのように捉えられている。少しでも間違いをすれば問題となり、やれ趣味のせいだ、教育委員会のせいだなどど騒ぎ立てられる。

そんなのは嘘で塗り固められた欺瞞でしかなく、世界のあるべき姿を勝手に押し付けているだけだ。

そういった面では世界はリア充と同じような考え方に基づいているのだろう。

同調圧力。こうあるべきだという多数決による強引な欺瞞で塗り固められた世界。

 

もし、そうだとするならば、俺はこれから何を選択していけばいいのだろうか。

 

 

そして、その選択は果たして本当に俺の選択と言えるのだろうか。

 

× × ×

 

志貴さんが混ざったことにより、話が脱線していたのでそのまま俺の駄文についても流れてくれればよかったのだが、現実はそう甘くなく、俺に厳しいようだ。

 

「よし、こうしよう」

パンと手拍子。

「―――レポートは書き直したまえ」

「はい」

ですよね。わかってました。

よし、今度はごくごく普通の当たり障りのない文章にしよう。出る杭は打たれるともいうし。

それこそ声優やアイドルのブログくらい普通の。

『今日はなんと…タピオカミルクティーを飲んじゃいましたっ!』みたいな。

なんとってなんだよ、ついこの間も同じようなの飲んでただろ。

ここまでは想定の範囲内。

「だが!」

俺の想像を越えるのはこれから、

「君の心ない言葉や、目の前でイチャコラとしていたことが私の心を傷つけたのは事実だ」

なので。平塚先生はそういうと長い溜めを作り、志貴さんは何かを察したようにニヤリと笑みを浮かべ、

「君には奉仕活動をしてもらう!」

「してもらう!」

平塚先生の動きを追うように志貴さんも俺に向けてびしっと人差し指を向けた。

「…はぁ?というかなんで志貴さんまで」

なんだか嬉々としているな、この人たち…

そういえば嬉々としてと乳としては語感がなんだか似ているなぁ。二人ともしっかりとあるし、似ているのかもしれん。

「奉仕活動って具体的に何をすればいいんですか。ドブさらいとか、人さらいとか?」

「さらりと危ないことを言うな。どうしたらその発想に至るんだ」

そんな、呆れる平塚先生とは対照的に

「人さらいって…くくく、比企谷君の腐った眼も相まって凄い似合ってそう」

「おい」

何にツボにはまってんだ、この先輩は。

「ごめんごめん、ちゃんとドブさらいもお似合いだよ。比企谷君」

「…おい」

ほんと満面の笑みで何言っちゃってんの、この人。

 

「ともかく、付いてきたまえ!」

そう言うと平塚先生は立ち上がり、椅子に掛けてあった白衣を羽織る。

…所々の所作がカッコいいんだよな、この人。

 

説明も前振りもなかった急な提案だったため、俺が立ち止まっていると、後ろから志貴さんが俺の背を押した。

「ほら、比企谷君。行くよ」

だから、気安くボディタッチするのはドキッとするのでやめてもらいたいんですがね。

 

× × ×

 

この千葉県立総武高等学校の校舎は少し歪な形をしている。上から見ればちょうどロの字によく似ており、その下にちょろりとAV棟を追加すればわが校の見取り図が完成する。

二つの校舎は二階の渡り廊下で結ばれており、これによってロの字が形成されているのだ。

「お、バドミントンやってる。いいねぇ、青春だねぇ」

志貴さんの視線の先には、この校舎で四方を囲まれた空間。

忌まわしきリア充どもの聖地こと中庭。

彼らは昼休みになれば男女混合となり、ここで昼食をとり、そして腹ごなしにバドミントンをする。まるでドラマのワンシーンを再現するような、青春を満喫してるかのような、そんなうすら寒い景色。

だが、これに対し、

「バドミントンはいいよねぇ。球技の中でも特に異端の球体をしていないコルクに羽根をつけたシャトルを使うんだ。初速は羽根が縮んでいるため速く、そのスピードは球技の中で最速。それが、羽根本来の弾性によってパラシュートのように減速。うん、物理の詰め合わせセットみたいな感じで最高だ。まさに青春の詰め合わせ!」

と、まるで視点のことなる感想を抱く志貴さんは、いつもの事なので特に反応はしない。

というか、あいつらはそんな考え一切なくバドミントンをしているだろうし、なんならバトミントンって呼んでるまであるぞ。

そんな光景から目をそらすように前を向くと平塚先生もなんとも形容しがたい表情を浮かべながら中庭を眺めている。

そんな平塚先生がリノリウム製の床をかつかつと踵で鳴らしながら向かう先はどうやら特別棟のようだった。

―――嫌な予感。

大体、バツとしてやらされる奉仕活動だ。奉仕活動をしてもらえる側なら万々歳なのだが、今回は奉仕活動をする側。俺にメイド服を着せて萌え萌えキュンとさせるとは思えないので、大方、図書館の蔵書整理やら生物室のゴミ出しやら空き教室の掃除なんかをやらされるに違いない。

まぁ、実際一人でコツコツやる作業は嫌いではないのだ。心の感情のスイッチを切り「俺は機械だ」と振り切れば何の問題もない。

そして、そのまま最終的には歯車として延々と回り続けるまである。

どうして就活の受け答えでパーツに例える必要がいるんですかね。僕ならヒートシンクとかですかね。アリの2割は働かないみたいな、あれな。

「働きアリの法則だね」

「だから、脈絡もなく頭の中を覗き込むのやめてもらえませんか」

「私、エスパーですから」

「あー。いきなり殺されるとはまさか思わなかったよなぁ、間違いなくメインヒロインだと思ってたのになぁ」

しみじみ、と平塚先生。というか、平塚先生もゲームとかやるんだな。

「働きアリの法則の説明してもいい?」

「結構です」

えー、と言いながら頬を膨らませる志貴さんはあざとかわいかったです。

 

「着いたぞ」

先生が立ち止まったのは何の変哲もない教室。

上に設置されているプレートには何も書かれていない。

不思議に思って眺めていると、先生はカラリとその教室の戸を引いた。

教室の端には机と椅子が無造作に積み上げられ、ぱっと見は倉庫として使われているかのような雰囲気。

何の特殊な内装はない、至って普通の教室。

けれど、そこがあまりにも異質に感じられたのは一人の少女がそこにいたからだろう。

喜界島志貴とあの春休みに出会った時のような異質感。たとえ世界が終わったとしても、彼女はここでこうしているのではないか、そう錯覚するほどにこの光景は絵画じみていた。

彼女は来訪者に気づくと、文庫本に栞をはさみこんで顔を上げた。

「平塚先生。入るときにはノックを、とお願いしていたはずですが」

「ノックをしても君は返事をしたためしがないじゃないか」

と悪びれる様子もなく、先生は彼女のもとへ向かっていく。

「返事をする間もなく先生が入ってくるんですよ」

平塚先生の言葉に彼女は不満げな視線を送る。

「それで、喜界島先輩は分かりますが、そこのぬぼーっとした人は?」

ぬぼーってそんなお菓子昔あったけど最近見かけんな。なんて、自己防衛をしつつ。

俺はこの少女を知っている。

2年J組雪ノ下雪乃。

他のクラスよりも偏差値が2~3高い秀才ぞろいの国際教養科クラスにあって、その中でもひときわ異彩を放っているのがこの少女。

二年の雪ノ下、三年の喜界島、と言われているように秀才と美才を兼ね備えた存在であり、校内の誰もが知るような存在で有名人だ。ちなみに一年は知らん。

かたや俺は校内でも知る人も知らない、まったくの平凡で凡庸な一般生徒。

彼女が俺を知らないのもやむなしである。

というか

「志貴さんは雪ノ下…さんと知り合いなんですか」

「いや、面識はないね。初対面だ。けどまぁ、彼女のお姉さんとはいろいろやったからね」

 

お姉さん?ゆきのした?そういやどっかで…

「彼は比企谷。入部希望者だ」

平塚先生に促されて、俺は会釈をする。

「二年F組、比企谷八幡です。えー、っておい。入部ってなんだよ」

さらっととんでもないこと言ったぞ、この教師。

「ケラケラ。予想通りの反応だ!」

「君にはペナルティとしてここでの部活動を命じる。異論反論抗議質問口応えは許可しない。しばらく頭を冷やせ。反省しろ」

抗弁の余地は許されず、平塚先生は怒涛の勢いで独断的な判決を言いわたす。

「というのは建前で!」

と志貴さん。

訝しげな二人の視線に対し、志貴さんがその言葉の意味を答える。

「比企谷くんにこの部活に入ってもらうのは、別にペナルティだとか、罰だとか、そんなことでは無くて、私からの推薦さ」

はぁ、推薦。推して薦めるという言葉の通りの意味。

「志貴さん、俺が推薦を受ける理由が思いつかないんですけど」

「思春期症候群。この部活ではそれも扱っているんだろ?雪乃ちゃん」

俺の後ろにいる少女にむけて志貴さんがパチリとウインクを決める。

「喜界島先輩。そんなに馴れ馴れしく呼ばれるのは」

「しょうがないじゃないか。雪ノ下さんとかだと陽乃さんと被っちゃうだろ?」

「なら、せめてちゃん付けはやめて頂けると幸いです」

「気が向いたらね」

厄介な返事に雪ノ下は額に手を添えた。諦めろ、志貴さんはこういう時は引かないからな。

「それで、思春期症候群ってのは」

「喜界島から、そういったことに関して君が有識だと進言されてね。実際こういったことに困っている生徒も少なくない。そのため、思春期症候群に対応するということを雪ノ下の部活に委託しているんだ」

「平塚先生が思春期症候群に理解があるっていったのはそういうことさ」

春休みの話を補完する様に志貴さんは平塚先生の言葉に付け足す。

「それに、比企谷くんも、個人的に思春期症候群には興味があるんでしょ」

「まぁ、それは、そうですけど」

確かに思春期症候群についての情報を得るならばこの部活は適切だと言えるだろう。

「ちょっと待ってください。話がこの男が入ることで進んでいますが、私は反対です。そこの男の下心に満ちた下卑た目を見ていると身の危険を感じます」

雪ノ下は乱れてもいないワイシャツの襟元をかき合わせるようにしてこっちを睨みつける。

誰もお前の慎ましやかな胸なんて見てねえよ。いや、ほんと。マジで。…ちょっとだけ。

「雪乃ちゃん、安心して。比企谷くんの目は確かに腐った魚の目をしているけれど、リスクリターンの計算に関してはしっかりしているよ。それこそ、そういったことに関しては、ラブコメ主人公としては失格レベルにね」

「うむ、刑事罰に問われるような真似だけは決してしないだろう。彼の小悪党ぶりは信用してくれていい」

志貴さんも平塚先生も俺をフォローするかのようにしながら、さりげなく乏している。

「何一つとして褒められてねぇし。違うだろ、リスクリターンとか小悪党とかじゃなく、しっかりとした社会常識があると言ってくれ」

「社会常識があるような奴は爆破予告などしない」

俺の反論はバッサリと平塚先生にきりすてられる。

「小悪党…。なるほど。」

「聞いてない上に納得しちゃったよ、この人」

「まぁ、先生と喜界島先輩からの推薦であれば無下にはできませんし…。承りました」

雪ノ下が本当に嫌そうにそういうと、先生は満足げに首を振る。

「そうか。それじゃあ、宜しく頼んだぞ」

とだけ残して平塚先生はコツコツと足音を鳴らし帰ってしまった。

 

え、まじで俺この部活に入るのか?

 

「比企谷くん。面白いことになるといいね」

この一瞬は、志貴さんの笑顔がやけに妬ましく見えた。

 




皆さん、こんにちは。

前回の更新からすぐに更新できて嬉しい限りです。
ということで今回から第2章の二重少女編です。この章からは俺ガイル感がもう少し増していくはずです。

今回も具体例なんかを多く取り入れながら書いていきたいと思います。
出来ればGW中にもう一回更新できたらいいな、と考えてます。

感想、意見など創作の励みになりますので、一言でもいいので宜しくお願い致します。


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青春欺瞞野郎は二重少女の夢を見ない。2

 

放課後。

 

二人きりの教室。

 

おいおい、いきなりラブコメ展開に入っちゃったよ。

この状況下にふと、中学時代の甘酸っぱい思い出がじんわりと蘇る。

 

---… 『友達じゃ、ダメかなぁ?』

 

あー、いや、これダメな思い出じゃん。

甘酸っぱいどころか発酵に発酵を重ねて、腐敗しているまである。

しかも、友達どころかそれ以降一切会話をしなかったから、てっきり友達って会話しない関係の事をさすのかと勘違いしかけたのだ。

つまり、俺に関してはラブコメ展開なんておこらないし、二度とあのような思いをしないためには、雪ノ下に嫌われてしまうのが手っ取り早い。

部員同士で馬が合わずに退部というストーリーならば教師は却下できないだろうし、そうなれば初めから部にいた雪ノ下のほうがこの部活に残るのが条理。

ならばとる手段はただ一つ。

野生の獣は目で殺すのだ。

がるるるるーっ

 

「そんなところで気持ちの悪い唸り声なんて出していないで座ったら?」

 

「え、あ、はい。…すみません」

 

一蹴。ぎりっという擬音がぴったり当てはまる鋭い眼光に従わざるをえない。

わざわざ俺が威嚇をするまでもなく、雪ノ下は俺を敵視していた。

無造作に置かれていた椅子を引き腰を下ろす。

そういえば平塚先生に呼び出されてからずっと立ちっぱだったな、なんてことに気づきふぅとため息をつく。

さて、体が休まり始めたので頭を使って状況を整理でもするか。

 

放課後。

二人きりの教室。

おいおい、いきなりラブコ…否、この茶番はさっきやったのだった。

 

平塚先生と志貴さんの言葉から察するに『奉仕活動』『思春期症候群』に関する部活なのだろう。

そして、『雪ノ下』。

これが何より引っかかるのだ。

それは、雪ノ下雪乃という意味でではなく、思春期症候群と雪ノ下という言葉の組み合わせを今までのどこかで聞いたような記憶がある。

まぁ、そのうち思い出すだろう。思い出さなければその程度の記憶だったって偉い人も言っていたしな。

 

「なぁ」

 

「何か」

 

文庫本から目をそらすことなく返事がくる。

「結局、この部は何部なんだ?」

すると雪ノ下は一瞬考えるような仕草をし、手に持った文庫本に、丁寧に栞をはさんで閉じた。

 

「…そうね。それじゃあ、ゲームをしましょう」

 

「ゲーム?」

この状況でゲームとか雪ノ下が言い出すと、それは楽しいものではなく契約のようなものが関わってきそうな雰囲気を醸し出すのだが。

そんな俺の脳内を覗き見たかのように急に鋭い眼光が飛んでくる。

 

「この部が何部かあてるゲームよ、さてここは何部でしょう」

 

先ほどまでのラブコメ展開はどこへやら。

とはいえ、俺も男だ。ゲームを吹っ掛けられればそれなりの態度で臨む。男というのはそういうものだし、古来より互いの意見がぶつかれば決闘で片を付けるのだ。俺のD-HEROデッキが火を噴くぜ。

冗談はさておき、部室を見回す。

特別な機材や用具があるようには見えず、至って普通の空き教室。ここに雪ノ下がいなければ誰もここが部室だとは思わない、そんな景色。

だとすると、特に道具などを必要としない部活か。となると文芸部あたりが…

ん?いや待てよ。

答えはもう平塚先生から出ていたではないか。

 

「奉仕部…だろ?」

 

「あなた知っていたの?」

 

雪ノ下が怪訝そうな顔でこちらを睨む。

 

「本当に何部かは知らなかった。だが、ここに来る前に平塚先生が奉仕活動をしてもらう、って言っていたのを思い出してだな」

 

そう、初めから平塚先生が答えを言っていたのだ。勿論、志貴さんのここは思春期症候群について請け負っているみたいな話もあったのだが、あくまでそれはプラスアルファとしての言い方だった。となるとやはり予想される部活は『奉仕部』となるだろう。

 

「はぁ、そういうことね」

 

「すまん、悪かった」

 

「悪かった?あなたは何に対して謝っているのかしら?正しく正解したのだから何も悪くないでしょう?」

 

「一応、答えを知っているような形でゲームに取り組んだような感じになっていただろう」

 

すると雪ノ下はバカを見るような目をして、口を開いた。

 

「答えを知っていたことの何が悪いのかしら。テストの知識問題で答えを知っていたのと何も変わらないでしょう。なら、それは謝ることではなく、誇るべきことだわ」

 

夕焼けを背にそう言葉を発する雪ノ下は神々しく、そして何より美しく見えた。

 

「いいことを言うじゃないか、雪乃ちゃん」

 

ガラガラと教室のドアを揺らして、志貴さんがひょこっと顔を覗き込む。

 

「入ってもいいかい?」

 

「もう、ほぼ入っているようなものじゃないですか…。どうぞ」

 

雪ノ下は額に手を添えながらそう返した。

 

× × ×

 

「さて、さっそくこの志貴さんが、奉仕部の新入部員加入を祝して一つ面白いお話を持ってきたよ」

 

そういう志貴さんは、窓側に座る雪ノ下と壁側に座る俺のちょうど間あたりに座っている。

 

「喜界島先輩、残念ながら祝すような新入部員ではありません」

 

おい、それどういうことだよ。

 

「それに、俺はまだ入ると決まったわけじゃ」

 

のんのん、と指を振る志貴さん。

 

「それは残念ながら確定事項だよ」

 

「そんな俺の意思を無視したことが許されるんですかね」

 

一瞬、志貴さんは含みのある笑いを浮かべる。

 

「意思に反してではなく、君の意思で入ることになるんだよ。それほどまでに君の思春期症候群への思いは強いだろう?」

 

それはどういうことだ。何故、志貴さんは俺がそんなに思春期症候群にこだわっていると思っているのだろうか。

 

「それはそれとして、お話だ。最近校内で女生徒が二人目撃されているらしい」

 

そういうと雪ノ下の出した紙コップの紅茶を口に含む。

 

「お、おいしいね。これ」

 

というか、今の何が問題なんだ?

 

「それはどういうことでしょうか」

 

「別に高校なんだ。女生徒が二人いるなんて何もおかしくないでしょう。現に今だって女生徒が二人いるわけだ」

 

雪ノ下がガタンと椅子を引いた。

 

「ごめんなさい。けれどあなたがその発言をすると身の危険を感じたの」

 

「おい」

 

「ケラケラ、どんまいだね。比企谷君。それで、問題なのはその女生徒が同一人物だってこと」

 

何時ものケラケラ笑いの後にすっとまじめな顔つきになる。

同一人物が二人?それはつまり、

 

「ドッペルゲンガー、でしょうか?」

 

同様の考えに至った雪ノ下が志貴さんに尋ねる。

 

「の可能性があるよね」

 

ドッペルゲンガー。

同じ人物が同時に別の場所で姿を確認されるという現象。そっくりの人間は何人かいるものだ、という説話として語られる以外に超常現象としてもまた有名なものの一つだ。

 

「ドッペルゲンガーなんてそんな大層なものが本当に総武高なんかで?」

 

「いや、ただの噂話程度さ。もともとのドッペルゲンガーだってそういう類だろう?勿論ある程度の信憑性は確認してから君たちに話してはいるけれどもね。さて、少し君たちのドッペルゲンガーに対する考えでもお聞かせ願おうか」

 

突然話を持ってきたと思ったら、この人急に上から目線になりやがった。

ニマニマとした志貴さんの顔付きから察するに暇つぶしに俺らと話をしようという算段だろう。

 

「そうですね、私の知っている範囲ですとドッペルゲンガーというものが世界的に認知されたのが18世紀末ごろ。その頃から文学や芸術分野にて取り扱われることが多くなっています。有名なものですとエドガー・アラン・ポーの『ウィリアム・ウィルソン』や芥川龍之介の『二つの手紙』などです。芥川龍之介のほうに関しては自身もドッペルゲンガーを見たというような話も残っていますね」

 

まるであらかじめ調べていたかのような正確な情報をつらつらと述べる雪ノ下。ユキペディアさんの異名を与えておこう。なんて本人に言ったら睨まれるだろうが。

 

「付け加えるならば、どの話でも共通認識でドッペルゲンガーにあったものは不幸が訪れる、という不幸の象徴であるという点ですかね。有名なところだと、ドッペルゲンガーと本人が出会ってしまうと死んでしまうというようなやつです。ドッペルゲンガーの条件なんかは色々と場合によって異なることが多いですが異なる地点で本人そっくりの人間が同時に確認されるという点は一緒ですね。似たようなやつだとバイロケーションってのもありますが、これはどちらかというと本人の意識があるという点で少し異なるかと」

 

腕を組み、足を組み椅子に踏ん反りがえった志貴さんが満足気に頷く横で、雪ノ下が少し驚いた顔をしてこちらを見つめる。

 

「なんだよ」

 

「いえ、あなた頭の悪そうな目をしているけれど意外と物知りなのね」

 

「目の悪さと頭の悪さは関係ないだろうが。それに雪ノ下だって十分知っていただろうが、嫌みか」

 

「いいえ、純粋に褒めているのよ。私が知っていた情報は文学的な面でしかドッペルゲンガーという現象を知らなかったもの。こういった専門的な知識は残念ながらあなたのほうが上のようね」

 

氷の女王の異名を持つ雪ノ下がこうも素直に褒めるとは思わなかったため、どんな表情をすればいいのか困惑する。

 

「…さいですか」

 

そんな変な空気をぶち壊すように志貴先輩の嬉しそうなケラケラ笑いが部室に響く。

 

「いやぁ、本当に君たちは面白いなぁ。最高だよ。でも、雪乃ちゃん、比企谷君は私のだからね、あげないよ」

 

「いや、いつあんたの物になったんだよ」

 

「お気遣い頂いたところ申し訳ありませんがそこの人に対してそのような感情は持ち合わせていないので。それと喜界島先輩、もう少し人を見たほうがいいのではないですか」

 

「心底理解できないといった顔だね、雪乃ちゃん。でも、比企谷君は本当に面白いんだよ。私の想像なんて及ばないくらいに」

 

ゴホン、と咳払い。ここで止めておかないと冗談でも恥かしさで死ねる。

 

「話を戻しますよ、志貴さん。もし、さっきのドッペルゲンガーの話が事実だったとして俺たちに何を求めているんですか」

 

仮にドッペルゲンガー現象が思春期症候群だったとして、それをどうにかできるような力は持ち合わせていないし、それはきっと雪ノ下も同様だろう。

 

「別に君たちにドッペルゲンガーを退治してほしいとかそういうことを言いに来たわけじゃないよ。本当に、ただ単に、君たちにちょっと興味深い話題提供をしただけさ。だから、これに対して君たちに何かしてほしいとかは別に望んでいないし、解決してほしいとも言わないよ。君たちに話をした。ただそれだけさ」

 

嘘だ。

あの喜界島志貴が何の意味もない話をするはずがない。

だが、その真意を聞こうにも当の本人がこう言っている手前どうにもできない。

 

「喜界島先輩、一体何を」

 

「やめとけ、雪ノ下。聞くだけ無駄だ。そういう人だからな」

 

「さすが比企谷君。私の事をよくわかってくれているね」

 

でも、と一瞬口を開いたが、雪ノ下はその口を閉じた。

その様子に満足したのか志貴さんは、紙コップに残った紅茶を一気に呷ると席を立った。

 

「それじゃあ、またね。雪乃ちゃん紅茶ごちそうさま」

 

× × ×

 

志貴さんのいなくなった部室に再びの静寂が訪れる。

まるで嵐が過ぎ去った後のような静けさの中にしばらくの間一定のリズムを刻む秒針の音と、不定期に頁を捲る音のみが鳴り響く。

そんな心地の良い放課後に意識を飛ばされそうになったころ、そのリズムを崩すように踵を引きずりながら歩く足音。

段々とこちらに近づき、そして大体入り口のあたりで音が止む。

秒針が一周するほどの間をあけた後、ドアをノックするとほぼ同時にガラリと開かれた。

 

「し、失礼しまーす。あのー、平塚先生に言われてきたんだけれど…」

 

控え目に入ってきた動作とは裏腹に、ピンクがかった茶髪に緩んだリボン、短めのスカートという派手な女生徒。

平塚先生に、ということは奉仕部への依頼者だろうかと思いながら眺めていると、女生徒がこちらを一瞥するや否やこう叫んだ。

 

「な、なんでヒッキーがここにいるの!?」

 




お久しぶりでございます。
永らくお待たせ(?)致しました。

いよいよ由比ヶ浜も混じっての俺ガイル分が増えてくるかと思います!

相変わらず筆の進みは遅いですが、頑張って行きたいと思います。

感想、意見など創作の励みになりますので、一言でもいいので宜しくお願い致します。


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青春欺瞞野郎は二重少女の夢を見ない。3

 

「…不本意ながらここの部員なので」

 

どうしてここにいるの?その問いに対して本当に不本意ながら答える。

というか、ヒッキーって何。

開口一番、自己紹介すらすることなくヒッキーだなんて言われるほど引きこもりオーラ出ちゃってんの俺?

 

「由比ヶ浜結衣さんよね?」

「あ、あたしの事知ってるんだ」

 

ピンク髪の女生徒を一目見ただけで名前を言えるとか、

 

「よく知ってんな。全校生徒の名前言えるんじゃないのか」

「そんなことないわ。だって、私あなたの事知らなかったもの。でもそれはあなたは悪くないわ。醜いものから目を背けようとしてしまう弱い心が出てしまった私の落ち度だわ」

「お前それ慰めてるつもり?さりげなく俺の事とぼしてるからな」

「ただの皮肉よ、分かってて聞くなんてもしかしてあなたドMなの?」

 

投げたら投げ返してくるとかキャッチボールの天才かよ。しかも、弾速が早くなって返ってくる分壁あてなんかの比にならんくらい面倒。

 

「なんか」

 

そこでようやく由比ヶ浜とやらが来ていたことを思い出す。

 

「楽しそうな部活だね!」

 

心底楽しそうな顔をしている由比ヶ浜に、心底理解できないという目を向ける雪ノ下。

そこに関しては禿同、もとい俺も同じような視線を送っているであろう。

 

「それにヒッキーよくしゃべるよね」

「…え?」

 

というか、そういえばこいつはなんで俺のことを知っているのだろうか。

 

「あ、いや、なんていうかさ、ほら、そのヒッキーもクラスにいるときと全然違うしさ。何つーかいつもはきょどり方キモイし、クラスに友達とかいないんじゃないの」

「なっ」

「あら、自覚なかったの?あなたここに来ると視線がいつもきょろきょろしていたけど、教室でもそうだったのね」

 

追い討ちをかけるように雪ノ下。

 

「はぁ、分かった、参った、これ以上死体蹴りするのはやめてくれ」

「そうね、ウイルスが飛び散って感染するかもしれないわ」

「そうそう、ってやかましいわ」

 

…うわぁ、と言葉が漏れる由比ヶ浜。聞こえてる、聞こえてるから。

オタク特有のネットスラングを会話の途中にぶち込んで反応が薄くて空気が死ぬ奴があるからみんなは気を付けような。俺らが思っているほどネタは通じないし、スラングを使っている奴らがいてもそいつらは断片しか知らないから、それに乗っかったネタをやっても空気が死ぬ。そこでにわかが、のように裏口を叩いてもオタクキモ、で死ぬので結局死ぬ。

やめて、ハチマンのライフはもうゼロよ。

次回、ハチマン死す。

 

「そんなことよりも、由比ヶ浜さん。平塚先生に言われてここに来たということは、何か奉仕部に依頼があるのではないのかしら?」

「あ、そうだった!」

 

× × ×

 

「クッキー?」

 

場所が変わって家庭科室。

目の前には二人の女生徒が各々エプロンを着用している。

相談をしに来た由比ヶ浜がエプロンを所持していたことはわかるが、よく雪ノ下が持っていたな。

 

「煩いわね」

「何も口に出していないだろ」

 

エプロンを結び終えた雪ノ下が振りかえった。

 

「煩いのは目の動きよ。エプロンがあったのは調理実習が偶々今日あったから。これでいいかしら?」

「説明ご苦労さん」

 

最近の女子高生は、超高校級のアイドルでなくても人の考えていることが分かるらしい。

 

「由比ヶ浜さんは手作りクッキーを食べて欲しい人がいるのだそうよ。でも自信がないから手伝ってほしい、というのが彼女の依頼」

「なるほどな」

 

人の恋路ほど、どうでも良いものはないだろう。まして、他人の恋路。

 

「そんなの友達に頼めよ」

俺にはいないけどお前にはいるんだろ?と意味を込めて目線を向ける。

「うっ…。それは、その、あんまり知られたくないというか、こんなまじっぽい雰囲気友達とは合わないから」

 

由比ヶ浜が顔を背ける。

 

「それに平塚先生に聞いたんだけど、この部って生徒のお願い叶えてくれるんでしょ?」

 

違うわ、と雪ノ下。

 

「奉仕部はあくまでも手伝いをするだけ。飢えた人に魚を与えるのではなく、魚の捕り方を教えて自立を促すの」

「な、なんかすごいね」

 

“なんかすごい”

崇高な考え何て他人から見たらそんなもんだ。

俺が何を考えて生きても、それは他人には理解して貰えないだろうし、して欲しいとも思わない。下手な自己肯定のために他人の評価など要らない。

だから何を言われても気には止めない。

それはきっと雪ノ下も同じなのだろう。

 

「で、俺は何をしたらいいんだ」

「あなたはただ味見をして感想をくれればいいわ」

「さいですか…」

 

―――

 

「―理解できないわ」

 

雪ノ下が額に手を当てているのを見るのは、これで本日二回目。

 

「どうやったらあれだけのミスを重ねることができるのかしら」

 

雪ノ下の正確な指示のもとの、由比ヶ浜のてきとうな作業。

砂糖と塩を間違えるという古典的なミスから始まり、卵の殻の混入やオーブンの設定温度ミスなどを重ね、完成したのがジョイ本に売ってそうな木炭。

 

「これ、味見をするってレベルじゃねーだろ」

「どちらかと言えば毒味ね、それじゃあ宜しく。比企谷くん」

「毒味は頼まれてなかったはずだが?」

「どこが毒だし」

 

怒気混じりに木炭を掴み、一瞥。

 

「…毒。やっぱり毒かなぁ」

 

黒々とした物体を見つめる目は僅かに潤んでいた。

 

「というか、まじでこれ食うのか?」

「食べられない材料は使っていないのだから問題ないわ、たぶん」

 

消え入りそうなたぶんという言葉が背中を冷たくする。

それに、と雪ノ下が耳打ちしてくる。

 

「私も食べるから大丈夫よ」

「ほんとかよ、お前ひょっとして良いやつ?それとも俺の事好きなの?」

「…あなたが全部食べてそのまま死にたいのかしら?」

「すまん、気が動転しておかしなことを口走った」

 

お菓子だけに。

口に出してはいないはずなのに雪ノ下の目線がきつくなった気がした。

雪ノ下が意を決したように鉄鉱石もどきを手に取ると一言。

 

「…死なないかしら?」

「俺が聞きてぇよ」

 

× × ×

 

歯間に挟まっている木炭を取り除くため、トイレの洗面台で口の中をすすぐ。

目の前の鏡に写る自分の顔は心なしか疲れているように見えた。

美味しいクッキーを作りたいと奉仕部に相談しに来る由比ヶ浜。

美味しいクッキーを作れるよう試みる雪ノ下。

正直に言えば、彼女らは本質が見えていない。

勿論、あげるのならば美味しいものを志すのは当然であるが、それと喜ばれるクッキーはイコールにはならない。

所詮男なんぞ、女子から手作りクッキーを貰えたという事実だけで喜ぶのだから味なんぞ二の次で良い。ソースは俺。なんなら妹の小町からのバレンタインの家族チョコですら嬉しいまであるのだから、顔の良い由比ヶ浜から貰って喜ばない男はいないだろう。いや、知らんけど。

落とし所を何処に決めるか、本質を何と見るか、その疑問を奉仕部として相談するのがベターなのではないか、と柄にもなく考えつつ家庭科室に戻るため階段を昇る。

 

何故かこの特別棟には、各階に男女どちらかのトイレしかない作りのため家庭科室からは男子は降りるか昇るかしないとトイレに行けない。

「どうしたもんかな」

溜息混じりに言葉をもらした。

 

「どうしたの?ヒッキー」

 

見上げると、階段の踊り場に由比ヶ浜が立っていた。

さっき雪ノ下とまたクッキーを作り直す、とか言って作業を始めていたが一旦休憩でもしたのだろうか。先程までのエプロン姿とは異なり、着崩した制服が目に悪い。

 

「どうしたの、ってそりゃこっちのセリフだ。クッキー作りはどうしたんだ?」

「クッキー?」

 

まるで鳩が豆鉄砲を食らった、という表現とはこの事だというような反応を見せた。

それこそ予期していない言葉を言われたように。

 

「…あ、あぁ、クッキーね。うん、あー、…そうなのか」

 

運が良いんだか、悪いんだか。目の前の由比ヶ浜がぼそりとそう言ったように聞こえた。

 

「ヒッキーはさ、遠回しなことって好き?」

「は?」

「いいから、教えて」

 

それはクッキーにどう意味を込めているか、ということだろうか?というか、この問い自体が遠回しな言い方なまである気もするが。

 

「嫌いじゃない。嫌だ、とただ一言で済む言葉も誠に申し訳ないのですがうんたら、と長々しく言葉を繋げて有耶無耶にすることはよくするしな」

「そっか…」

「だが、それで自分を誤魔化そうとするのは嫌いだ。どんなことでも最後の自分の味方は自分だからな」

「そっか」

 

二度目の言葉には何処か喜びを感じさせる。

 

「それなら良いや、ありがとね」

 

また、会えると良いね。そう言い残し俺が昇ってきた階段を降りる由比ヶ浜の背中には、紐の緩んだ鞄が背負われていた。

 

鞄を持っていたということは今日の作業は終わったのだろうか。

さっきすれ違わなければ、何も知らずに俺は一人家庭科室で下校時刻まで待ち続けることになりかねなかった。

 

というか、せめて一言、否俺が戻ってくる程度は待ってくれてもいいのではないだろうか。同じ釜の飯を食うならぬ、同じ毒を食らったのだ。毒を食らわば皿まで、の通り俺を待っても悪くはないだろう。いや、これだと俺が毒同類になりかねんが。

 

ひたすらにくだらない一人問答をして、心の奥底から芽生えん思いに気づかないようごまかす。

そういえば家庭科室のカギは締められていないだろうか。調理台脇の椅子に自分の荷物が置いてあるのだ。

気を向けなければ死角となり、気づかない微妙な位置取りだった気がする。

カギを返すのはやぶさかではないが、カギをもう一度借りて返すというのは面倒だ。

億劫な気持ちとともに家庭科室に向かっていると、家庭科室から声とカチャカチャというボウルをかき回す音がもれてくる。

どうやら、まだクッキーを作っているらしい。雪ノ下も何か作りたくなったのだろうか。

 

そんなことを思いながらドアを開くと、目の光景で頭が混乱する。

 

 

そこにあったのは黒髪とピンクがかった茶髪の少女がお菓子作りに勤しんでいる光景だった。

 




いつもご覧いただきありがとうございます。
のろのろ更新ですが、よろしくお願いします。

感想、意見など創作の励みになりますので一言でもいいので是非コメントよろしくお願いします。

それでは


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青春欺瞞野郎は二重少女の夢を見ない。4

 

ドッペルゲンガー、バイロケーション。どちらも、根本は同じ人間が二人もしくはそれ以上が同時に確認される現象だ。この世には同じ顔をした人間が3人はいるという説話がある一方、ドッペルゲンガーに出会ったら死ぬという逸話が存在している。では、ドッペルゲンガーと同じ顔をした人間の違いは何か。

 

答えは明白。

 

自分か、そうでないか。

もう一人の自分。ここがドッペルゲンガーの肝になってくる。

医学的にドッペルゲンガーを説明したものでは、自己像幻視という脳の疾患による幻覚である、というのが通説になってきている。脳に腫瘍が出来ていることによる死亡と自己像幻視が関連付けられ、もう一人の自分を見たら死ぬという話になっていくわけだ。だが、自己像幻視とは、他人からは見えない自分が見えるということである。

 

これでは他者がもう一人の自分を見た事例に関しては説明がつかない。

 

他者がもう一人の自分を見た事例として有名なものはエミリー・サジェが挙げられる。

エミリーはフランス人の教師だった。

とある学校に赴任してから数週間が立つとある噂が流れた。それはエミリーが学校のあらゆる所で目撃されているということだった。

もちろん学校の教員なのであらゆる場所で目撃されてもおかしくはない。

 

しかし、さっき廊下ですれ違ったエミリーが外で花壇の手入れをしていたり、授業をしているはずの時間に職員室でお茶を飲んでいたりといったことが度々起こった。だが、これらはあくまでも噂程度、勘違いだろうということで済まされていた。

 

だが、決定的なことが起こった。

 

ある日、いつも通り授業をしていると黒板の前に立つエミリーが二人いたのだ。顔も服装も全く同じ。そしてそれは教室にいた生徒全員が目撃していた。

この決定的な出来事から様々な話が広がり、最終的にエミリーは退職せざるを得なくなった。

 

これはバイロケーションに分類される話であるが、同時に他の場所で複数の人から確認された事象として脳が見せる幻覚などでは説明がつかないケースである。

 

さて、ここで、少し話を戻そう。

 

この世には同じ顔をした人間が3人はいる。

ということは、他者がもう一人の自分を見たのは自分ではなく他人の空似ではないのか。この当然の疑問に対して、自身もドッペルゲンガーを見たことのある芥川龍之介はこう答えている。

 

「そう言ってしまうのが一番理解できるが、なかなかそう言い切れないのだ」

 

自分のことは自分が一番よくわかるというように、対面して自分を見ればそれは自分であることに気づいてしまうのだという。

これがもう一人の自分ということ。

 

「ふむ、成程…よくわからんということだけは分かりましたよ」

 

目の前のしたり顔をした志貴さんは雪ノ下の入れた紙コップ入りの紅茶を片手に持ち、優雅そうに口に運んだ。

 

あの日、由比ヶ浜結衣を二人見た日、いや、実際に同時に二人見たわけではないのだが。

しかし、あれは由比ヶ浜結衣であり、だが同じ由比ヶ浜結衣とは言えない状況であったのだ。

ということから至った結論。

 

総武高で噂になっているドッペルゲンガー現象は由比ヶ浜結衣が当事者ではないか。

その情報について意見を聞くため、雪ノ下が志貴さんに声を掛け、奉仕部に来てもらっていた。

案の定、志貴さんは既にドッペルゲンガーとして見られていた生徒が由比ヶ浜であることを知っており、そして先ほどのドッペルゲンガーについての蘊蓄を垂れていたのだ。

 

勿論、由比ヶ浜はここにはいない。

 

今、この奉仕部にいるのは目の前で紅茶を飲む志貴さんと、隣というには少し距離のある位置で何やら難しそうな顔をしている雪ノ下、そして俺の三人。

あの、とようやく顔を上げた雪ノ下。

 

「ドッペルゲンガーやバイロケーションなどの細かいところについて、今回は置いておくとして、この現象は思春期症候群によるものと考えていいのでしょうか」

「そうだね。古今東西、あらゆるところで報告のあるドッペルゲンガー現象が思春期症候群かと問われれば違うだろうが、今回に関しては思春期症候群だと思うよ」

「それはどうしてですか」

「さっきも言った通り、ドッペルゲンガーにしてもバイロケーションにしても、二人の人間がしっかりとした自我というか…、そうだな、ちゃんと人間とした活動とでもいえばいいのかな。これをする事例がほぼないんだ。ドッペルゲンガーならばもう一人の人間とは会話をすることができない、バイロケーションならば動きがぎこちなくなるなどといった違いが見られることが報告されている。勿論、一概に言うことはできないだろうけれどその他の状況なども鑑みると、思春期症候群として考えたほうが、辻褄が合いやすい」

 

そこまで言うと志貴さんがにこりと微笑み、

 

「結局のところは勘ということになってしまうけれど、でもそういうのって意外と重要だろう」

 

と元も子もない言葉で締めくくった。

 

× × ×

 

「それで、あなたはどう考えているの」

 

志貴さんが帰ってから、少しして雪ノ下が口を開いた。

 

「どうって言ってもな。仮に思春期症候群だとしても俺らに出来ることは何もない。あの後も普通に雪ノ下たちはクッキーを作っていったわけだし、特に問題もなさそうだろ」

 

思春期症候群は何かしらの精神的な問題によって発症することが多い。だとすれば、少し前に知り合った程度の人間にそんな複雑な内面を探られたくないだろう。

 

「まして、思春期症候群について由比ヶ浜から相談されたわけじゃない。俺らが相談されたのは美味しいクッキーのつくり方だ。だから、俺らがするべきことはおいしいクッキーのつくり方でも調べるのが合っているだろ」

 

軽々と踏み込んでいいものじゃない。思春期症候群について調べている雪ノ下ならそのことをわかっていないはずがない。

 

「そう…よね」

 

だから、このことはこれでおしまい。

だいたい、わざわざ志貴さんに聞く必要もなかったのだ。思春期症候群だろうがドッペルゲンガーだろうが俺らにはなにもできない。

いや、もしドッペルゲンガーで由比ヶ浜に死なれでもしたら夢見が悪いから、そこは声かけたほうがいいかもしれんが、急に「あなたのドッペルゲンガーがいるから気を付けて」なんて言われても「は、キモ」で終わるのは目に見えてるので、やっぱり夢見が悪くても、結局俺には何もできない。やむ、餃子つくろ…。

 

「だいたい、どうして雪ノ下は思春期症候群について調べているんだ?」

「それは…」

 

雪ノ下の口が続きの言葉を出す直前に、教室の扉がノックされると同時にガラリと開かれた。

 

「雪ノ下、比企谷、調子はどうだー」

「平塚先生、何度も言うようにノックと同時にあけるのであれば、何の意味もないと」

「そうか、なら次からはノックせずに開けることにするよ」

「それは教師としてどうなんすかね」

 

そんな感じにのらりくらりと言葉を受け流すと、平塚先生は教室の壁に寄り掛かった。

腕組をしながら、俺と雪ノ下を交互に見る。

そして、机の上に置かれた空の紙コップを見て、

 

「喜界島でも来ていたのかね」

「この状況だけ見てよくわかりましたね」

 

そうだろう、そうだろう。と言わんばかりの満足げな顔を浮かべる平塚先生。

 

「まぁ、実際はさっき喜界島とすれ違ったから、ここに来ていたことは既に知っていたんだがな」

 

がはは、知っていることを知られないようにするのは案外簡単なものなのかもな。

なんて変なテンションの平塚先生に、雪ノ下がため息まじりに問う。

「先生、それで用事はなんでしょうか」

 

平塚先生は「ふむ」と顎に手を当て、しばし思案顔になる。

 

「いやな、最近何やら思春期症候群のような事例を小耳にはさむことが多くてな。もしかしたら、君たちが何か聞いていないかと思ったんだが…その表情から察するに既に何か知っているようだな」

「はい、その件でしたら一つ」

 

雪ノ下の語りだしは淡々としていた。先日の出来事のあらましを先ほど志貴さんから教えてもらった知識を付け加えながら5分ほどかけて平塚先生に伝えた。

 

「なるほどな、どうやら私が聞いた内容と大まかには同じようだな」

「大まかには?」

「うむ。私が聞いたのは最近態度や雰囲気が変わった生徒がいる、ということだ。それも誰かが入れ替わっているように出会う度に変わったり戻ったり、という」

 

そりゃそうだ。ドッペルゲンガーやバイロケーションの可能性を考えるよりは、普通ならその可能性を考えるだろう。教師なら特に、生徒の内面の変化には敏感だ。

態度が異なれば精神的な問題、例えばいじめなどを考えるのが理にかなっている。

だからこそ、生徒指導を受け持っている平塚先生のところに話がいったのだろう。

 

「まぁ、話は分かりました。それで、平塚先生はそれを確認しにここに来た。まさか、この思春期症候群を解決しろ、だなんて言いませんよね」

「ん?いや、まさにその通りだ。なんだ、すでに雪ノ下から聞いていたのかね?」

「は?」

 

振り返り雪ノ下を見ると目を閉じながら

 

「聞かれなかったから、答えなかっただけよ」

 

と悪びれた様子をおくびにも出していない。

このアマ…。

 

「どうやらその様子だと雪ノ下は説明していないようだな。この部の目的は自己変革を促し、悩みを解決することだ。私は改革が必要だと判断した生徒をここへ導くことにしている。そしてその悩みに付随することがあるのが」

「思春期症候群、ってわけですか」

 

その通り、と平塚先生が首肯する。

 

「君も思春期症候群について何か知るところがあるのだろう。それを以てこの活動を一助してくれないかね」

「思春期症候群については少し知っていることもあります。だけど、それはほんの一例を知っているだけだ。それぞれの解決にはそれぞれのキーがある。何より、そのキーは人にとって知られたくないことのほうが多い」

「君の言うとおりだ」

「第一、俺は他人の思春期症候群をどうにかしたいなんて気持ちはない。ずけずけと他人の心情に入り込むなんて俺のポリシーに反します。話にならない!俺はもう帰らせてもらう!」

「比企谷、残念ながらその手は食らわないぞ。一度喜界島にやられているからな」

 

くそ、流石志貴さんだ。話の流れから逆鱗に触れたと思わせてそのままフェードアウト法を知っているとは。

 

「はぁ、分かりましたよ。けれど、今言ったことは本心でもあります」

「なら、助けを求められたときだけでいい。その時は、力を貸してやってくれないか?」

 

平塚先生は、そう言って優しく、そして少し困ったような表情を浮かべた。

 

「…分かりましたよ、本人から頼まれたとき限定で」

「あぁ、それで構わない。ありがとう」

 

差し込んだ西日は鋭く、手元のボールペンに反射して目を刺激した。

 

 




自粛でいろいろと気が滅入るなか、少しでも楽しんでもらえたら幸いです。

ご意見、感想よろしくお願いいたします。


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青春欺瞞野郎は二重少女の夢を見ない。5

 

由比ヶ浜がきたのは、週末明けの月曜日だった。

以前見た時よりも、顔色が悪く覇気がない。

俺が言っては何だが、先日の陽キャオーラは完全に失せ、見た感じは高校デビューで張り切りすぎた陰キャ感が何となく出ている。

それでも、髪の毛や化粧などはしっかり施されているところを見ると、なんとかいつも通り振舞おうとした様子がうかがえる。

 

「あたし、頭おかしくなっちゃったのかな」

 

奉仕部部室に来た由比ヶ浜は泣きそうな目をしながら呟いた。

状況を把握した雪ノ下が由比ヶ浜に手を添えながら椅子へ座らせると、こらえきれなくなった涙をこぼした。

 

× × ×

 

「落ち着いたかしら」

「うん、雪ノ下さん、ありがとう」

 

由比ヶ浜は、紅茶の入った紙コップを両手で包み込むように持ちながら何度か口に運ぶと、意を決したのか震える声で話を始めた。

 

「最初に、もう一人のあたしがいることに気づいたのは一昨日の土曜日。ううん、実はもう少し前から違和感はあったの。でも、自分の部屋に買った記憶のないお菓子があったり、置いた覚えのないところに洋服があったりした程度だったから、単に自分が忘れていただけだと思っていたんだけれど…。今考えるとそうじゃなかったんだね」

「それでは由比ヶ浜さんは、何を機にもう一人自分がいると気が付いたのかしら。言える範囲で、ゆっくりとでいいから教えてくれるかしら」

 

雪ノ下がまるで、子供をあやすような声色で返す。

流石は、奉仕部部長というか、こういったことには慣れているような対応をしている。

例えるならば、そう、カウンセリングのような。

その瞬間、心地悪い記憶がふと蘇る。

そうか、俺はかつての志貴さんとの記憶以外にも封印している記憶がまだあるのか。

一瞬のめまいと吐き気は直ぐに治まった。

 

「比企谷くん?どうかしたの」

「いや、大丈夫だ、何でもない」

 

そう、ならいいのだけれど。と雪ノ下は再び由比ヶ浜に向き合う。

今は、由比ヶ浜の相談に集中しよう。

下手に記憶を思い出そうとするとさっきのやつがまた来かねない。

 

「実は、直接もう一人の私を見たわけではないんだ。けれど、もう一人私がいないと説明ができないことがあって」

「それは?」

「先週の土曜日のことなんだけれど優美子たちと、あ、優美子はあたしのクラスメイトね。その子たちと遊ぶ約束をしていなかったはずなのに、何故か私が一緒に遊んだことになってて。あたしその日は飼犬のサブレとお母さんといっしょにドッグランに行ったりしていたから、一緒に遊べたはずがないんだ。その証拠に、ほら」

 

そういって手渡された由比ヶ浜の携帯の画面には、由比ヶ浜とミニチュアダックス、それから由比ヶ浜によく似た女性が芝生をバックに写っている。

保存された日付を見れば、確かに土曜日だ。

 

「それじゃあ、向こうが勘違いしていたんじゃないか?曜日か、もしくは一緒に遊んでいないのにいたと勘違いしていたとか」

 

一緒にいるのが当たり前すぎていないのにいるもんだと思っている、とかベタな展開は甘々ラノベで履修済み。まぁ、実際それが現実世界で起きるもんなのかは知らんが、一応の可能性としてはあり得るだろう。

 

「あたしもそう思ったんだけど…。これ、見て」

 

余程その画像を見たくないのか、目を伏せがちにしている。雪ノ下が再び由比ヶ浜から携帯を受け取る。

画面をのぞき込むと、そこには友人と撮ったであろうプリクラが表示されていた。

プリクラ特有の補正が掛かっていて若干わかりづらいが、これは間違いなく由比ヶ浜だろう。

この隣に写っているギャルっぽい女と眼鏡をかけているが顔立ちの整っている女が先ほど聞いた優美子とやらだろうか。

そして、重要な日付は同じく土曜日を示していた。

 

「あたし、もう意味が分からなくって。だって、一緒に遊んでないんだよ?あたしはママと出かけてて。でも、じゃあここに写ってるあたしはいったい誰なの!?もう…ヤダ…」

 

そういうと由比ヶ浜は再び涙ぐむ。

おい、雪ノ下。そんな困った顔をしながら俺のほうを見るな。

俺が、この状況をどうにかできるわけがないだろ。

目で必死に訴えると、伝わったのかは分からないが、困った顔をしたまま口を開いた。

 

「そうね、まずは、今のあなたの状況について説明をしておきましょうか」

「状況?」

「えぇ。あなた、思春期症候群って聞いたことないかしら?」

 

由比ヶ浜はぴんと来ないのか、うーん、と頭に指を当てて記憶を探っているらしい。

この状況でも、こういうあざとい行動が出てるのは天然ちゃんなのか?

 

「聞いたことあるようなー、ないようなー」

「思春期症候群とは主に、思春期にあたる年頃に多く見られる心理的要因による外的影響のことを指すことが多いわ。その原因は、人それぞれで自分を信じられなくなったり、世間の理想に押し潰されたり、といったことが例として挙げられるわ」

「う、うん」

 

えっと、えっと、と耳慣れない用語をつらつらと話す雪ノ下の言葉を理解しようと、必死に由比ヶ浜は言葉の意味を咀嚼する。

 

「つまり、ストレスが見える形になって出てくる、ってことだよね」

「えぇ、その理解で十分よ。その影響は、人知を超えることが多く、他人から自分のことを認知されなくなったり、逆に知っているのに見えなくなったり、といったことが起こる。あなたの場合なら、もう一人の自分がいるといったようにね」

「じゃ、じゃあ、その原因を解決できれば、この現象が収まるってこと?」

「そういうことになるわ」

「そっかー、良かったー」

 

具体的な解決策が出てきて安心したのか、先ほどよりも由比ヶ浜の調子はよさそうだ。

 

「比企谷君、あなたは何か原因が何か予想はできそう?」

「え、ヒッキーも思春期症候群ってのに詳しいの?」

「えぇ、正直認めたくないのだけれど、そこに関しては私よりも上だと考えているわ。遺憾だけれども」

「おい、認めるなら、ちゃんと負けを認めろ。どうして、いちいちこっちに攻撃が入るんだよ」

 

毒吐くの大好きなの?前世は、ゲリョスか何かなの?

 

「由比ヶ浜自身に対しての予想はできんが、症状のドッペルゲンガーからは大まかな予想はついている」

「ドップリジンジャー?」

「ドッペルゲンガーよ。それじゃあ、何だか生姜漬けか何かじゃない」

「ドッペルゲンガーは由比ヶ浜の体験したもう一人の私現象だ。ドッペルはドイツ語で二重って意味な。で、この現象は、自分に対してストレスを感じている人に見られるケースが多い。まぁ、ソースは思春期症候群のドッペルゲンガーではないが、実際由比ヶ浜も大体似たような原因だと思う」

「そう。けれど自分自身にストレスとなるとどうしても幅が広すぎるわね」

「確かに、思春期症候群の起こる原因は大体ここだろうしな。的を絞るには、もう一人の由比ヶ浜に直接会って聞くしかないわけだが…」

 

と、自分で言って気づく。

そうだ、俺はもう一人の由比ヶ浜に会っている。

何かヒントになるようなことはなかっただろうか。

 

「えっと、ヒッキー?」

 

不意の声に驚き顔を上げると、不安げな顔の由比ヶ浜が少し動けば触れてしまいそうな距離にいた。

 

「あっ、ご、ごめん」

 

さっと身を引くと、由比ヶ浜は前髪をいじる動作で顔を隠した。

また、引かれてしまったのかもしれない。

いつだったかの淡い記憶が脳裏に浮かぶ。

 

『あ、それまどマギのストラップじゃない?』

『そうなのー』

『それソウルジェムじゃん』

『え…、あ…、うん。ちょっと、近いし………キモい』

女子たちが自分の知っているアニメの話をしていたから、変にテンション上がって思いっきり引かれたのだ。あれ以来、知ってるアニメの話を周りがしていても顔を突っ込むことはしないように心掛けている。

 

「ちょっと…、ちょっと、ヒッキー?戻ってこーい」

 

はっ。いかん、また黒歴史記憶に頭を突っ込んでしまっていた。この記憶はふれてはならない。

えっと、何だっただろうか。そうだ、もう一人の由比ヶ浜に会っている、ということだった。

 

「そういえば、この前の石炭作りしてた日にもう一人の由比ヶ浜に会ってたことを思い出したんだよ」

「え、ほんと?てか、石炭とかいうなし、クッキー作りをしたんでしょ」

「あの時は、現象の事実確認程度だったから詳しくは聞かなかったけれど、何かヒントになりそうなことはなかったの?」

「それを、さっき思い出そうとしてたんだが、気づいたら黒歴史に頭突っ込んでた」

 

やれやれ、みたいな顔を同時に二人にされると虚しくなるんだな。

また一つハチマンは賢くなったよ。

 

「それで、あたしと違ったことって?」

「ちょっと待て、今思い出す」

 

あの時は、確か、

 

「着崩した制服を着ていた。今の由比ヶ浜より、もっと襟元が開いていた」

「は?バカ、何見てんの!?まじあり得ない」

「比企谷君、あなたセクハラで捕まるわよ」

「うるせ、事実を述べてるだけだ。それから、バッグを背負っていた。それは今由比ヶ浜が持っているのとおんなじやつだ」

「とすると、体だけじゃなく物も二つになっているということになるわね」

 

あとは…。まだ、何かあった気がする。目の前の由比ヶ浜と異なる何かが。

目の前の由比ヶ浜をじっと見つめ、記憶の中の由比ヶ浜と比較していく。

 

「ちょっと…、そんなにみられると恥ずかしいし」

 

そういって顔を背けると由比ヶ浜の頭横で纏められたお団子ヘアーがふわりと揺れた。

そういえば、あの時は。

 

「そうか、思い出した。あのときの由比ヶ浜は髪の毛を結わいていなかった」

「いや、ちゃんと結わいてたし」

「そうではなく、もう一人の由比ヶ浜さんが、ということじゃないかしら」

「あぁ、そうだ」

 

ふう、のどに小骨が閊えた感じがようやく取れた気分だ。

満足気にしていると、

「けど、そこから何がわかるの?」

「え?」

「残念ながら、あまり参考になりそうなことではなかったわね」

 

そう言うと雪ノ下が時計を一瞥する。

時刻は6時の5分前、もうすぐ下校時刻だ。

 

「今日はこのくらいにしましょう。由比ヶ浜さんのほうでも何か心当たりないかもう一度考えてみてくれるかしら」

「うん、わかった。あ、そうだ、もし何かあったら連絡するね」

「えぇ、放課後は大体ここにいるから、来てくれればいいわ」

「そうじゃなくって、ほら、すぐ連絡できるようにさ。メールアドレスとかラインとか」

 

赤面し、指を絡ませながら雪ノ下を見つめる。

流石の雪ノ下も反故にはできなかったのか、

 

「私はラインはやってないから、メールアドレスでいいかしら」

「うん!あと、いちおー?ヒッキーも詳しいみたいだし、アドレスとか?教えてよ」

「ん、別に構わんが。ほれ」

 

指紋認証でロックを解除し、由比ヶ浜に手渡す。

 

「あたしが打つんだ。まぁいいけど」

「見られて困るようなもんもないしな」

「え?…ふーん、そうなん…だ」

 

由比ヶ浜がやけに歯切れの悪い返事をする。

見ると、俺のスマホを二人がじっと見つめていた。

「ずいぶんと仲がよろしいようね」

「あ、あはは、まぁ、ヒッキーも男の子…だし?」

 

何のことかとスマホを受け取ると、ラインのトーク背景が何故か志貴さんの水着姿画像になっていた。

あの人、俺が普段人からラインが来ないことをいいことに、面倒なことを。

しかも、ルームごとに微妙に背景が異なっている手の込みよう。

最後にあらぬ誤解を生み、その日の部活は閉じられた。

 




何だかんだ、家にいると筆が進むもんですね。
明日からも頑張りたいところです。

ご意見、ご感想およびアドバイスお待ちしております。


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青春欺瞞野郎は二重少女の夢を見ない。6

 

昼間のポカポカとした陽気な気温は嘘のように、凍てつく冷気が体に吹き付ける。

実際には、そこまで寒くないのだろうが自転車を漕ぐスピードに向かい風が合わさり、体感温度は、ほぼ冬。

 

だが、それもいつしか気づいた時には夏になっているのだから不思議で仕方ない。

地球温暖化の影響かどうかは不明だが、体感としては年々春と秋が薄れ、夏と冬の2季となっている気がするのだ。

季節というあいまいな境界線の、ぼやけた仕切りはいつしかなくなってしまうのだろうか。

 

そういえば、と家にストックしていたマックスコーヒーが尽きていたことに気が付き進路を少し変更し、コンビニへハンドルを向ける。

 

思春期症候群というややこしい問題に頭を使ったせいもあってか、やけに体が糖分を欲している。

折角だ。小町にプリンでも買っていって、兄としてのポイントを上げておこう。

 

らっせー、という気の抜けた挨拶を横に、乱雑に陳列された雑誌を歩くスピードを緩めて眺める。

今週の表紙はワンピか、とかハンターはまだ休載か、など大したことない情報収集が地味に楽しいのだ。

ふと、隣に置かれた雑誌に目がとまる。

 

表紙を飾っているのは確か、桜島麻衣。

 

人気子役として一世を風靡したが、あるとき電撃引退。そして、最近になって芸能界に復帰したことを小町が熱く語っていたのを思い出した。

雪ノ下とは、また違った美人。

少し大人びた感じの朗らかな笑顔が一層華やかさを助長している。

 

そういえば、なぜマガジンは表紙がグラビアなのだろうか。

俺は気にしないけど、そういうのが気になる人もいるのではないか。俺は気にしないけど。

 

誰にするわけでもない言い訳を繰り返し、黄色の缶を手に取る。

3本くらい買っとくか?だが、ネットでまとめて買ったほうが安上がりだからな、と一人ウォークの前で悩んでいると、背中に何かがぶつかる。

 

通りの邪魔になったのかと焦り振り向くと、そこにはピンク色に近い茶髪の少女、由比ヶ浜結衣。

髪の毛は結わかず、下ろしており先ほどまでとは若干雰囲気が異なっていた。

 

「この後、時間あるかな」

 

そういうと、控えめな笑顔と共に首を傾げた。

 

× × ×

 

「ほれ」

 

公園のベンチに座る由比ヶ浜に先ほど買ったマッカンを一本放り投げる。

 

「おわっと、いいの?」

「俺だけ飲むのも気が引けるからな」

「えへへ、ありがと」

 

そういってプルタブを立てると、小気味良い音が二回公園に響く。

奉仕部で解散した後、由比ヶ浜はあのとき高校のバス停で別れた。

 

実際バスに乗るところまで確認はしていなかったが、俺が自転車に乗ってここまで来たことを考慮すると、今目の前にいる由比ヶ浜は先ほどあった由比ヶ浜ではない可能性があった。

 

その証拠に、今回も目の前の由比ヶ浜の髪の毛は結わかれていない。

これを根拠にするのは些か証拠不十分の気もするが、わざわざ解く理由もないだろう。

 

「それで、話ってなんだ」

「あ、うん、えっとね。あたしの頭が変って思われても仕方ないことかもしれないけれど。けど、こういうことヒッキー詳しいって平塚先生に聞いたから」

「平塚先生に?」

 

由比ヶ浜は首肯し、コーヒーを一口含んだ。

 

「もう一人自分がいるんじゃないかって。でも、やっぱりこうやって口にするとあほらしいいよね。やっぱり何でも…」

「いや、続けてくれ。世間一般では変な奴扱いかもしれんが、あいにく俺は世間から外れているらしくてな。少なくとも、現時点でお前のこと頭おかしいだなんて思ってねーよ」

「そっか。えへへ、ヒッキーってやっぱり優しいんだね」

 

やっぱり?一体どういうことだろうか、由比ヶ浜にそんなことを言われるようなことをした記憶はないのだが。

 

「えっとね、最近あたしの身の回りで不可解なことが起きてるの。例えば、買っておいたお菓子がなくなってたり、着ようと思った洋服が見つからなかったりね。けどさ、こういうのって自分の思い違いかなって思ってたんだけど」

 

実は、と一度こちらの反応を確かめるように一拍ためた。

 

「優美子たちとこの前の土曜日に遊びに行ったんだ。そこはいいの。問題はここからで、ほら見てこれ」

 

そういってこちらに見せられたのは携帯。

部室で見たのと同じ機種で同じストラップが付いている。

 

画面には呟くSNSことツブヤイター。

見るとそこには記憶に新しい由比ヶ浜とガ浜ママとダックスが移写った写真。

やはり、そうか。

ここにいる由比ヶ浜はもう一人の由比ヶ浜ってことになる。

携帯を返し、マックスコーヒーを流し込む。

甘ったるいコーヒーが疲れた体に染み渡る。

 

「おーけー、状況は分かった。そういえば、実際にそのもう一人の由比ヶ浜を見たことはあるのか」

「ううん、一度もないよ。でも、あの偽物家に帰ってるみたいで…。鉢合わせたらって思うと怖くて」

「おい、じゃあどこに泊まってるんだ?」

「ネットカフェだよ。制服だとあれだから私服に着替えてだけど…。最近のネットカフェってすごいんだよ、ジュースとかアイスが食べ放題なんだもん」

「何考えてんだ、年頃の女子がネカフェで寝泊まりだなんで」

「う、ごめん。けど、鍵付きの個室だったし…」

「そういう問題じゃねえよ。とにかく、まずはお前の泊まる場所を何とかしないとな」

 

強く言い過ぎたせいか由比ヶ浜はうつむいたまま口を噤んでいる。

自分の言葉が頭の中でリフレインする。

考えれば考えるほど嫌になる。

自分の常識は常に正しいとは限らない、と何度も親父にいわれていたのに。

この由比ヶ浜は急に自分がもう一人出てきて、そいつが自分に成り代わって今まで通り生活されてしまったのだ。

行き場もなく、だれに相談することもできなかった由比ヶ浜を、よく知りもしない俺が正論を振りかざしてどうする。

女の子の扱いは、まだまだだね。と志貴さんがため息をつく姿が目に浮かぶ。

パシンと両頬を叩く。

 

「ど、どうしたのヒッキー」

「いや、何でもない、気にすんな。それより悪かった。急に怒鳴ったりして」

「ううん、あたしも短慮すぎたなって反省してたとこ」

「流石に俺の家に泊まってもらうわけにもいかんからな」

「え!?」

「あ?」

「いや。あたしは、それでも、構わないというか、その方がうれしいというか、ゴニョニョ」

 

言葉尻がゴニョニョしていて「その方が…」以降は全く聞き取れなかったが、流石にそういうわけにもいかない。

小町はともかく、両親になんて説明すればよいか…いや、あの二人なら歓迎しかねんから怖い。

 

「と、ともかく、そういうわけにはいかない。しかし、そうなると他にあてが…」

 

平塚先生を頼るのが一番無難か?あの人独身だと聞いてるから、一時的なら泊めてもられるだろうし。

 

「あれ、あたしヒッキーと連絡先交換した覚えないのにな」

「それはさっきした…だ…」

 

いや、違う。連絡先を交換したのは奉仕部でであって、今ここにいる由比ヶ浜とは交換していない。

ということは、携帯のデータはリンクしているということなのだろうか?

 

「なぁ、だとしたら、雪ノ下の連絡先も入っていないか?さっきもう一人のほうの由比ヶ浜が交換していたんだが」

「え、ヒッキー、あの偽物に会ってたの?」

「それ、は追々話すとして。まずは雪ノ下に連絡を取ってくれ」

 

× × ×

 

「なるほどね、大体の事情は把握できたわ」

 

由比ヶ浜が雪ノ下に連絡してから十数分後、この公園に雪ノ下がやって来た。

否、正確に言えば雪ノ下の連絡先を由比ヶ浜の携帯で確認して、俺のスマホで連絡をした。

クラウドなどの同期によって、雪ノ下の連絡先がここにいる由比ヶ浜の携帯に登録されたということは、発信履歴も残る可能性が高い。

下手なことをして、何かが起こっては困るための対処だ。

 

「確かに比企谷君の携帯から連絡したのは得策だったようね」

「だからそれはさっき言っただろ。なのに、いきなり電話切りやがって」

「いきなり連絡先を教えた覚えのない男から電話がきたら誰でもそうするわ。その相手があなたなら尚更よ」

 

このアマ、言わせておけば好き勝手言いやがって。

 

「実際に目の当たりにするまで半信半疑だったけれども、確かに部室で会っていた由比ヶ浜さんとは違うようね」

「だろ、髪を結わいていないし」

 

いいえ、それだけじゃないわ。と雪ノ下が頭を振る。

 

「ほら、由比ヶ浜さんの手を見なさい。部室で会った由比ヶ浜さんは指に絆創膏をしていたの。けど、今目の前にいる由比ヶ浜さんはそれをしていない。他を探せばもう少し見つかるかもしれないけれど」

「けれど?」

 

口を開いては閉じを繰り返すこと二回。

そして、少し不満そうな顔をしつつも言葉をつづけた。

 

「非科学的であまり言いたくはないのだけれど、どこか雰囲気が違う感じがするの。部室にいた由比ヶ浜さんとは」

 

雪ノ下は、ベンチに座る由比ヶ浜には聞こえないよう、声のボリュームを下げてそう言った。

 

「なるほどな、そこは俺も何となく感じていた」

「それから、比企谷君はこの後由比ヶ浜に電話してみてもらえるかしら」

「どういうことだ」

「私がこちらの由比ヶ浜さんが電話をできない状況の時に連絡をするから、それに合わせて電話をかけて頂戴」

 

こそこそと話を続ける俺たちに違和感を覚えたのか、由比ヶ浜が立ち上がる。

それに合わせ雪ノ下が少し大きな声で

 

「それじゃあ、御遣いはしっかりとすることね。比企谷君」

 

とだけ言い、由比ヶ浜と向き合った。

 

「それより、由比ヶ浜さん。今日は私の家に泊まるといいわ」

「え、お邪魔じゃない?」

「別に気にする必要ないわ。私、今は一人暮らしだから」

 

雪ノ下の家に泊まれるなら、ネカフェに泊まるより間違いなく安全だ。

 

「だな。そんで、明日にでも平塚先生に事情を話して泊めてもらえばいい」

「別に、解決するまで私の家に泊まっていて構わないのだけれど」

「平塚先生がこの事情を知らなければな。だが、この由比ヶ浜も向こうの由比ヶ浜も平塚先生に相談したらしいからな。事情を知っていたにも関わらず、由比ヶ浜にもし何かあれば、平塚先生の責任問題になりかねない」

 

雪ノ下は暫く考える素振をしたあと納得したのか、こちらに向かって頷いた。

 

「そうね。では、由比ヶ浜さん。これまでの事の照らし合わせは私の家に着いてからしましょう。あ、比企谷君はもう帰っていいわよ」

「ヒッキー、ありがとね」

 

由比ヶ浜の言葉に腕を上げて答える。

小さくなっていく二人を見つめながら、ようやく雪ノ下の放った言葉の意味を理解する。

 

雪ノ下の家にいる由比ヶ浜が電話していない状況下で、由比ヶ浜に連絡がついたとしたら、それは由比ヶ浜が本当に二人いることの証明になる。

 

おそらく雪ノ下は、自分の感じた違和感を確かめようとしているのだろう。

まぁ、そこは百歩譲っていいのだが。

 

夜、女子に電話をするハードルの高さをあいつ分かってんのか?

 

 




青春ブタ野郎サイドは出てこないって言ったな。

あれは嘘だ。

ごめんなさい、調子乗りました。
けど、せっかくクロスオーバーさせてるのだからうまく使いたいな、と思いまして。
今後はどこかで向こう側と交差します。お楽しみにしてくれると嬉しいです。

GW中にもう一本...。

ご意見、ご感想およびアドバイスよろしくお願いします。



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青春欺瞞野郎は二重少女の夢を見ない。7

比企谷八幡は葛藤していた。

 

手に握るスマホをあと数回タップするだけで由比ヶ浜に電話がつながる。

便利で酷な時代だ。

近くて遠い、すぐ隣とはこのことを指すのかもしれない。マンションポエムを添えるので電話するのは勘弁してくれないだろうか、くれないか。

これまで同級生の女子に電話したことのない俺からすれば電話とはなかなかしにくいもので、メールやラインのほうがまだ気楽。ただ、比較したら気楽というだけで女子にラインするのも意外と精神をすり減らすのだからしょうがない。

5分ほど前に来た雪ノ下からの連絡にあった予定時刻まであと1分を切った。どうやら、風呂に入る準備をしていたらしく5分もあれば湯船に入っているだろうと。正直その連絡すら年頃の男子高校生からすれば色々と思うこともある。

いかん、変なことを考えるな。もういい頃だろう。さっさと電話してしまおう、それが良い。

意を決して由比ヶ浜のトーク画面を開くと目に飛び込んできたのは志貴さんの水着姿。

だーーー、そうだった。

忘れてた。

心臓やら諸々に悪いので後で変えておこう。

…その前に一応スクショをするのは忘れない。

 

こほん。さて、気を取り直して。

 

ワンコール、ツーコール…

 

かれこれ1分くらい呼び出し音が鳴り続けるが電話に出る気配はない。

もちろん電話に出る気配も何もないのだが。

そして強制的に呼び出しが終わった。

ふむ、タイミングが悪かったのだろうか。

ひとまずこの事態を雪ノ下に連絡をする。

 

『私がこっちの携帯で呼び出しが続いているのはずっと確認していたから、こちらの由比ヶ浜さんが出られないのは当然として、もう一人のほうの由比ヶ浜さんも出られないのは運が悪かったわね』

 

送ったコメントにすぐ返信が来る。

まだ8時なので時間的に既に寝ているとは考えられないが、他のことをしている可能性は十分にある。当然電話に気づかないような習い事や、それこそお風呂に入っている可能性だって…と思考を巡らせている最中、ひゅぽんと気の抜けた音が俺を現実に引き戻す。

 

『そうね、私だったらあなたのような得体のしれない人間から連絡先を交換してすぐに夜電話がきても無視するから当然かもしれないわね』

 

くっ、俺がわざわざ別の可能性を必死に探ってるなか一番考えたくないことを平然に言ってのける雪ノ下…そこに痺れたりなんてしないんだからねっ。

SAN値がゴリゴリに削られ今にも正気を失いそうになっている中、手元のスマホが唸り出す。

 

由比ヶ浜結衣。

 

雪ノ下の文面から考えるにまだ雪ノ下側の由比ヶ浜が電話してきたとは考えにくい。

だとすると、

 

「…も、もしもし?ヒッキー?ど、どうしたのこんな夜にさ」

「悪い、忙しかったか?」

「う、ううん。全然。というよりいきなりヒッキーから電話きてびっくりしてた」

「…悪い」

「え、えへへ。それで何か用事あったんでしょ?」

 

そういわれて時が止まる。

用事はあった。もう一人の由比ヶ浜が実際に存在しているかどうかを確かめることだ。だが、これは電話に出るかどうかを確認するだけで終わってしまう用事なのだ。つまり、電話をした理由はあれど話す内容はない。というか、何も考えていなかった。

まずい。ここで正直に話すのはないとして…。実際夜に電話をしているのだ。リア充たちはどうなのかは知らんが、俺個人として電話なんぞは理由なしにするものではない。ここで特に理由はないんだけどさ、何ていうのはイケメンだから許されるのであって、俺がしたらストーカーか何かだ。

だとすれば、ここは安牌をとる。

 

「いや、少し由比ヶ浜の思春期症候群について気になったことがあってな。あの後何か変わったこととか気づいたこととかなかったか」

「あー、なるほどね。うーん、特にはなかった、と思う。多分。あ、そうだ。あたしね、あの後ドッペルゲンガーって何だろうって気になって調べたら、その」

「どした?」

「もう一人の自分に会ったら死んじゃうって書いてあったんだけど、これって本当なの?」

 

そりゃあ、そうだ。ドッペルゲンガーという現象に対して客観的にみているから気軽にとらえてしまっていたが、当の本人からしてみれば得体のしれない何かがあり、ましてそれが自分の命に関わるかもしれないと知れば平常心ではいられないだろう。

 

「あくまで伝聞としてのドッペルゲンガーはそうだな」

「じゃあ、あたしも…」

「だが、ドッペルゲンガー現象による死の多くは脳の障害によるものとされるものが多い。これは、脳に何らかの腫瘍などができることによって幻覚障害を併発し、自己虚像を見ているのではないか、というのが最近のセオリーだ。だとすれば、思春期症候群によって実際にもう一人存在していると考えれば、由比ヶ浜はこれに当てはまらないだろう」

「な、なるほ…ど?」

「そうだな、まぁ、心配するなってことだ。俺だけじゃなく、雪ノ下や喜界島先輩だっている。もし不安なことが出てきたら遠慮なく言え。きっと力になってくれるさ」

「…やっぱり、ヒッキーは優しいね」

 

電話越しに由比ヶ浜が何か言っていたが、その意味までは聞き取れない。

 

「ヒッキーありがとね。ちょっと安心したよ。また、何かわかったら連絡するね!」

「おう、悪かったな。こんな時間に電話して」

「ううん、全然。なんなら、またしてくれてもいいんだよ?」

「まぁ、用事があればな」

「うん、待ってる」

 

優しさの音色が無機質な電子音に変わり、現実に引き戻される。

さて、頭の整理でもするか。

 

× × ×

「うーん、なるほどなぁ、そうきたか」

 

奉仕部室にて豪快に座った平塚先生は文字通り頭を抱える。

理由は簡単。由比ヶ浜結衣が二人いて、そのうちの一人が家に帰れていないという問題だった。

今は髪を結わいてないヶ浜さんは雪ノ下の家にてそのまま待ってもらっている。

下手に外に出て結わいてるヶ浜さんと接触するリスクは避けたほうが良いだろう。

というか、ドッペルゲンガーさんの呼び分け面倒すぎるな。

 

「確かに教師として、たとえドッペルゲンガーだとしてもネカフェなどに泊まるのは見過ごせないな。雪ノ下、伝えてくれてありがとう。君のそういう思慮深さには頭が上がらないよ」

「いえ、どうせ一人では持て余す広さはありますので。それで、今後についてですが」

「そうだな。正直この問題は君たちだけに任せたままにしておくわけにはいかない」

「ドッペルゲンガー、というか二人のうちどちらが本物で、どちらが偽物なのかわからないということでしょうか」

 

という雪ノ下の問いにううん、と喜界島先輩が首を振る。

 

「どちらかが本物でどちらかが偽物ならもう少し話が単純なのさ。今回の問題点は、どちらも本物である可能性が非常に高いってことかな」

「喜界島の言う通り今回の現象を鑑みると、そうだな、例えば同じ携帯を持っていてデータも一緒など圧倒的な人知を超えた現象だな、このことからも思春期症候群可能性が示唆される。となれば、こちら側としてはどちらも由比ヶ浜結衣として動くのが妥当だろう」

「えーっと、つまりどういう問題があるんですか。ちょっと俺にはその辺の事実がどう影響してるのか話がつかめていないんですが」

 

そうだな、平塚先生が一拍置くように紙コップに注がれた紅茶を口元に運ぶ。

 

「どちらの由比ヶ浜も本物で、私の生徒である以上、それを無視することはできない」

「はい」

「今、自分の家にいる由比ヶ浜のほうは大丈夫だ。しかし、今雪ノ下の家にいる由比ヶ浜のほうは、望む望まぬは置いておいてほぼ家出状態だ。この問題を雪ノ下に任せ続けるわけにもいかない」

「だから、平塚先生に匿ってもらおう、ってのが比企谷君と雪乃ちゃんの案だったよね」

「そうです」

「だが、教師が個人的に家に生徒を招くということはあってはならない。今すぐ思春期症候群に理解がある由比ヶ浜の親族を見つけるのは不可能だろう。となれば、由比ヶ浜は私の家に来るのが一番なのだろう」

 

そういうことか。

平塚先生は由比ヶ浜のことをそのままにしても問題、家に連れて行っても問題なのだ。

 

「すみません、平塚先生に下手に伝えないほうがよかったかもしれないですね」

「いや、比企谷。さっきも言ったが伝えてくれて正しいよ。流石だ、自慢の生徒と言ってもいい」

 

ふっと微笑む。その優しさが余計に申し訳なさを助長した。

思春期症候群による現象は世間一般に認知されていない。つまり、法律やルールにおいて、思春期症候群が起こった際の対処法やそれにおける適応などは想定されていない。

いわゆるオカルト話の類である弊害。

ギリリと奥歯が軋む。

 

「残念ながら、この世は科学という盲目的な偶像世界に縛られているんだよ。比企谷君」

 

志貴さんは窓の外を見つめる。その瞳に映っているのはおそらく外で野球をしている生徒ではないのだろう。

 

「科学は勿論立派だ。私だって少しは科学というものに身を置いている。しかし、これまで解き明かされてきたことだけを科学として、その認知の外は非科学として切り捨ててしまう人が多いのが現状なのさ。幽霊や超能力、妖怪だって実際にはいるのかもしれない、あるのかもしれない。だが、それを今は証明できないから、無いものとしてしまうなんて非常に科学的じゃないと思わないかい?」

 

その科学的な考え方こそ非科学的とはなんとも皮肉めいているね。

どこか自虐交じりの言葉がゆっくりと落ちていく。

思春期症候群は存在するのに、科学というフィルターによって除去されているのかもしれない。仮にそうだとするならば、これは思春期症候群という枠組みで考えていること自体が見当違いなのだろうか。志貴さんの言葉がリフレインするごとに胸のズキンとした痛みが増していく。

 

何かを感じ取った平塚先生がわざと明るい調子で話を変える。

 

「暗い話はやめたまえ。何、もしもの時は私の首が飛ぶだけだ。教え子に何か起きるより百倍ましさ。それよりも、今は前を向くべきだ」

「そうですね…。できないことを語るより、今は由比ヶ浜さんの思春期症候群について考えるのが先ですね」

 

雪ノ下が続く。

 

「それで、比企谷君。何かわかったことはあったかしら」

 

昨夜の出来事、そしてこれまでの思春期症候群を整理するため、俺はボールペンを握った。

 




皆様、お久しぶりです。
先日、活動報告のほうで一応の生存報告なんてしていましたが、ようやく次話投稿することができました。

今回のお話は区切りが悪いのでできるだけ早く次話投稿します。
次回は挿絵(図)を交えた感じで少しややこしいお話になっているのですが、雰囲気を楽しんでもらっても、考察していただいても楽しめるように誠意制作中です。

今更ですが、思春期症候群については完全に独自解釈です。
一応、俺ガイルも青ブタも最新刊&.5巻は押さえています。多少のネタバレを含んでいたりいなかったりするのでお気を付けください。

それでは、また次話でお会いできるのを楽しみにしております。

感想や意見などたくさんコメントしていただけると創作の励みになります。ぜひ一言でもよろしくお願い致します。


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青春欺瞞野郎は二重少女の夢を見ない。8

「一つ気づいたことがある。あー、口頭だとわかりづらいから図で整理しながら説明する」

 

ルーズリーフを一枚取り出し、三人に見えるよう机の真ん中に配置する。

 

「まず、現状として由比ヶ浜は二人いるのではないだろうか、というのが今回の思春期症候群の症状だ。一人は、今学校に来ていて家に帰っている髪を結わいているガ浜さん。そんで、もう一人が雪ノ下の家にいる髪を結わいていないガ浜さんだ」

「そうね。けど、比企谷君。その呼びわけは何とかならないかしら、長いし分かりづらいわ」

「よし、じゃあ、登校しているほうがゆいゆいで、雪乃ちゃん家にいるほうがガハマちゃんで」

「はぁ、まあ他に案もないのでひとまずそれで」

 

志貴さんの提案を採用し、紙に書き込む。

 

「昨日俺が由比ヶ浜の携帯に電話をして、通話できるかを確認したことが一つ。雪ノ下の家でガハマちゃんが風呂に行ってスマホを触っていないことを雪ノ下が実際に確認をした状態で電話を掛けたんです」

「そうね、きちんと私もガハマさんのほうのスマホが鳴っていたのを確認しています」

「のんのん、雪乃ちゃん。ガハマさんじゃなくてガハマちゃんだよ。比企谷君だってそうしてるんだから」

「いや、それはちょっと」

「何度も言うようだが雪ノ下。こういうことに関して、志貴さんが折れることはまずない。あきらめろ」

「…はぁ、分かったわよ。ガハマちゃんのスマホをこの目で見て確認したわ。これでいいですか、喜界島先輩」

「うん、おっけー。それで、比企谷君続きは」

 

話の腰を折ったのは志貴さんなのだが...。当の本人はきゃるんという擬音が今にも聞こえてきそうな表情で続きを待っている。

 

「はぁ」

「比企谷。ため息をつくと幸せが逃げていくぞ」

 

私のようにな…はぁ、なんで結婚できないんだろ…。はぁ。と二回繰り返す平塚先生の声は聞こえていない。いや、聞こえちゃいけない。

本当に早く誰か貰ってあげて。じゃないと、俺が隣にいる未来がうすら見えてきちゃってるから。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「さて、気を取り直して。今回の話のポイントはガハマちゃんのスマホを、俺がゆいゆいとガハマちゃん両方に向けて電話をかけているということを知っている雪ノ下が見ていたということだ」

「ちょっとややこしいな、比企谷」

「コペンハーゲン解釈という考え方があるんです」

「私が教えたやつだね」

 

志貴さんがニコリとする。その笑みに不思議と嫌な予感がよぎった。

 

「比企谷君以外には説明していないだろうから、ここで私から簡単にコペンハーゲン解釈についてお話させてもらおう」

 

そう言うと人差し指を立てた手を頭の上に掲げるやいなや、指を無作為に閉じたり開いたりした。

 

「さて、平塚先生。今私の頭の上にある指は何本でしょう」

「喜界島いったい何を…いや、そうだな、1本だろうか」

「いや、平塚先生。あくまで指の本数を聞かれたのだから5本では?」

「比企谷、君はよくもそんなひねくれたことを思いつくな」

 

あきれ顔の平塚先生をみて、ケラケラと笑う志貴さん。

「二人の答えは実際にはどっちでもいいんだけどね。私が言いたいことはそこじゃない。例えば、今のを見て平塚先生が1本とおっしゃったのを基にすると、はい」

 

志貴さんの頭上の指が1本立てられる。

 

「平塚先生が見たことによって私の上の指は1本に確定しました」

「え、えっとすまない。私の理解力が足りていないのかね」

「いえ、私もいまいち話が掴めていないですが…。喜界島先輩が説明しているのは見たものが答えになるということでしょうか?」

「微妙に違うかな。分かりづらくてごめんよ。そもそもマクロな世界では成り立つものではないとされているし…。簡単に言うと平塚先生の見るといった行為によって不確定だった揺らぎが一つに定まった、といったイメージかな」

 

なるほど、なるほど…。前回志貴さんに説明されたけど何となくでしか理解していなかったからなぁ、いや、今も何となく分かったような気になっているだけだが。

 

「つまり、観察することで事象が定まった、といった感じでしょうか?」

「簡単に言えばそういうこと。正しくいうのであれば、人間が勝手に定めた、ほうかな」

「人間が勝手に…」

 

その言葉に雪ノ下がなるほど、と頷く。

 

「結局のところ議論の余地のある理論ではあるんだ。コペンハーゲン解釈自体は実在するものしか存在しない、ということを軸にしているから、客観的実在に対してどのように議論するのか、などの問題もある」

「ふむ、また話の腰を折って申し訳ないが客観的実在とはどういったものだろうか?国語の教師をしていることからも分かるように、私はそういう科学的知識には疎くてね。言葉の意味から推察すると観察することが主観とすることに対する客観性ということかね?」

「まさしくその通りですよ、流石現国の先生!」

 

志貴さんは素直に驚きの声を上げる。

 

「正直、ついてこれなくてもいいやくらいのスタンスで話していたので理解してもらえるのは本当に楽しいですね。客観的実在とはまさしく平塚先生のおっしゃった通りで、観察をしなくても結果が一貫しているようなものを指したりしますが、実際にどのようなものかとは言えません」

「え、言えないんすか?」

「あぁ、仮に言えたとしたらそれは主観的実在になってしまうからね。リンゴのあまさが仮に存在したとして、それを確認するために食べて味を感じとり、伝えるのはそれはもう主観という他ないだろう」

「確かに…」

 

となると客観的実在自体の実在が怪しいものに感じられてくるのは俺だけなのだろうか。

それこそが客観的実在たらしめているのだとすれば、なんという無限スパイラル。

答えの見えない科学を考える人間がいることを踏まえると、敷かれたレールを歩く高校科学が何ともかわいらしく感じられてしまう。

ま、それでも俺は文系に進む。理系は修羅の道、タブンネ。

 

「さて、非常に脱線をしてしまったが、ガハマちゃんのスマホを見ていた雪乃ちゃんがいたことによる問題とそこへの比企谷君のコペンハーゲン解釈という言葉だったね」

 

そういえばそんな話からスタートしていたな。あまりに複雑な話が続いて忘れていたし、きっと何人かは読み飛ばしたまであるだろう。

 

「結論から言うと、比企谷君のにわか乙って感じかな」

「え」

「コペンハーゲン解釈はあくまでもミクロに対する考え方で、まぁ現実で考えるのであればほぼほぼ無視できてしまうからね。現に私のときもあれはコペンハーゲン解釈の問題ではなかったしね」

 

恥ずかし。聞きかじったばかりの知識を自慢げに披露するとか厨二病気この上ない。穴があったら入りたい。さっき感じた嫌な予感はここだったのか、ぴえん。

 

「それでも、重要なポイントと言いたいことは何となくみんなにも伝わったと思うから大丈夫だよ。なに、人間間違えて強くなるんだ。青春ラブコメも間違えたって大丈夫」

「何そのうれしくないフォロー」

「それにコペンハーゲン解釈ではないにしろ、比企谷君のその考えはかなり高いと思うから、説明してあげて」

「あぁ、比企谷。よろしく頼むよ」

「俺がこれまでいくつかの思春期症候群について考えていく中で共通している点があることに気づいたんです。それは、思春期症候群は認知が与える影響が大きいということです。自己や周囲からの認知のズレによって何かしらの問題が起きています。この仮定から、認知という行為に重点を置くと、昨夜の電話では俺がゆいゆいに電話していることを知った状態の雪ノ下が、ガハマちゃんのスマホを見ていたことによって、二つ存在するかもしれないスマホの存在の揺らぎが、雪ノ下の家にある一つのスマホに存在が一時的に確定したのではないか、と考えられます」

 

顔を上げると三人がほぼ同時に首を動かす。おおむね言いたいことは伝わっているのだろう。

 

「つまり、2人の由比ヶ浜に関する意識を持った状態で同時に二人を、もしくは二つのものを観測することは不可能である可能性が高いってことです。仮にあの瞬間にゆいゆいが電話に出れば、同時に二つの全く同じスマホが存在することが確定してしまうからです。例えば俺と雪ノ下が通話などをしながらお互いの状態を知ることができる条件下ならば二人の由比ヶ浜にそれぞれ会うことはできないはずです。シュレディンガーの猫じゃあないですけど観測するまでガハマちゃんかゆいゆいかは不確定であり揺らぎが起こっていることです。究極を言えば、自作自演の可能性は棄却できません。まぁ、その可能性は一旦おいておくとして」

 

1つ呼吸。

 

「認識することで、確率的に起こりうる可能性の高い状況が成り立つように強制的に周囲精されているのではないだろうか、というのが気づいたことです」

「なるほど。存在の揺らぎというものについてこれまで考えたこともなかったが、仮にそれが起こっているとするならばかなり筋の通ったもののような気もするな」

「私もおおむねその予想が正しいと思うよ。思春期症候群の発症および消失に伴う現実改変に関していえば、私は当事者として体験したしね。さて、それじゃあここまでを踏まえて君たちはこの件をどう解決することができると思う?」

 

誰かの座る椅子から軋む音がした。それは俺だったかもしれないし、別のやつかもしれない。

本題、そして難題。

自分の中で昨夜出た結論。いや、あれは結論とはならない。なにせ...

 

「そこがどうしても思いつかないってのが問題すかね。正直、そこの推察を進めたいと思って今回話を持ってきたってのもあります」

「志貴さん的にはどうしたらいいと考えていますか?」

「それは私には答えられないよ。だってこれは比企谷君と雪乃ちゃんに頼まれた依頼でしょ」

「まじすか」

「手伝うくらいはできるけど、けどね。私には答えは出せないんだよ」

 

志貴さんの表情に影が入る。その表情の真意は俺にはまだ分からない。

さて、どうしたものか。

 




少し間が空いてしまいましたが、無事続きの投稿です。
今回の話は結構ややこしいので何となくの雰囲気さえつかめれば支障はないと思います。
文中の理論とかその辺は専門外の人間が自己解釈でそれっぽくしてみただけなので、専門の方的にはそれちがくね?とかがあると思うのですが多めに見てください。(汗

何かご意見や感想等あれば是非よろしくお願い致します!
それでは


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