金になるから殺っちゃうのさ (拝金主義の暗器使い)
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金になるから殺っちゃうのさ

 ヒュン、と音が響き銀が翻る。そして、朱が世界を彩った。

 

「ケケケケ、良い金になってくれよ?」

 

 ユラユラと揺らめく炎に照らされる洞窟内。

 そこは凄惨な光景が広がっており、岩の壁面は赤い飛沫によって汚れていた。

 その中央に立つのは、黒髪黒目の青年。灰色の着物に、黒い野袴、黒い羽織に草履という出立ちだ。

 その手には、所謂忍具のクナイが握られており、黒い刃の先端からは赤い雫が滴っていた。

 彼の今回の仕事は、この洞窟に巣くっていた賊の討伐だ。

 人数は、三十人ほど。その全てが首を掻き切られて殺されていた。

 

「さてさてさーて、お宝お宝、と」

 

 手を揉みながら、彼はニヤニヤと洞窟の奥へと足を向けた。

 その目は、キラキラと輝いておりその脳内は金一色であることが容易に想像できる。

 彼は拝金主義であった。金こそ全てであり、世論で重視される忠誠心や、信義等々それら一切気にしない。

 人によっては、真っ向から衝突しかねない主義だ。

 半ば、スキップしながら彼は洞窟の奥へとやって来た。

 

「うんうん、いい感じに貯めこんでいやがるな。さぁて、どれ位失敬しようかねぇ」

 

 手揉みし、彼が見つめる先には賊が貯め込んでいた物品の数々が積み重ねられていた。

 金銀財宝ではないが、銭の穴に紐の通されたモノが複数転がっており、その一つを手にとって、羽織の裏に仕込んだポケットに銭束を突っ込んだ。

 これはお駄賃だ。少なくとも、彼は言及されればそう答える。

 雇い主も、この点は目を瞑っている。何せ金さえ払えば何でもこなすのがこの男だからだ。

 酷いときなど、厳重警戒の砦から財宝を盗み、要人の暗殺すらもやってのける。

 腕は確かなのだ。

 

「金よ~、金金、お金ちゃ~ん、と」

 

 スキップでもするように、彼は洞窟を出ていった。

 

 姓を楚、名を梗、字を長里(ちょうり)、真名を■■。

 腐りきった漢にて、金の為だけに他人を殺すクズの一人であった。

 

 

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 漢。始皇帝の建てた秦の後に、高祖劉邦によって建てられた王朝だ。

 もっとも、長い年月を経て内部は腐りきっており、汚職と賄賂にまみれ、賊の跋扈する糞な国でしかないのだが。

 

「~♪旨いものが食いたいねぇ」

 

 そんな地方都市の一つ。大通りを歩む楚梗(そこう)の足取りは軽かった。

 一仕事終えたお陰で、彼の懐は潤沢だ。

 拝金主義ではあるが、一定の散財は認めている。美味しい食事は人を幸せにしてくれるからだ。

 特に好きなのは、味の濃い肉料理。酒と一緒に食らうことが楚梗にとっての幸せであった。

 こんな世の中だ。小さな幸せで満足せねば、最後には自分の首を絞めかねない。

 

「―――――ん?」

 

 頭の中で様々な料理が、浮かんでは消えを繰り返していた楚梗だったが、目についた食事どころに入ろうとしたところで有ることに気が付いた。

 何やら、一団が、というか三人娘が揉め事を起こしているのだ。

 

「デカイな。特に桃色の姉ちゃんがデカイ。あっちの黒髪もデカイし。ちいせぇのは………どうでも良いや」

 

 彼の視線の先には、たわわに実った四つの水蜜桃。

 顎を擦って論ずる彼は、その言動だけ見れば完全な変態であった。

 

「うーん、でも足も良いんだよな。あの黒髪の姉ちゃんは、デカイけど背も高いし、足も長いし、うん、いい感じ」

 

 うんうん、と首肯く楚梗。

 彼の独り言が聞こえたのか、周りの男達からは同意を、女達からは侮蔑の視線を一身に集めることになる。

 

「ま、良いや。今は色より飯だ」

 

 チャラリと銭の入った革袋を揺らしてその重みを確認し、彼は騒ぎの中心へと歩を進める。

 ある程度まで近付けば、騒ぎの内容も聞こえてきた。

 

「――――だから、戻ってくれば必ず払うと言っているではないか。私達は、先を急いでるんだ!」

「そんな言葉信用ならねぇな!食逃げしようたってそうはいかねぇぞ!」

「で、でも今は持ち合わせが…………」

「金も持たねぇで飲み食いしやがったのか!随分とふてぇ奴等だな!」

「食逃げじゃないのだ!必ず返すって、愛紗も言っているのだ!」

「金もねぇくせにバカスカ食ったのはお前らだろうが!!埒が開かねぇ、憲兵に突き出してやる!」

「……アホな会話してるな」

 

 近付いた楚梗は、余りの内容の酷さに頬をひきつらせる。

 どうやら、三人娘は道を急いでいたらしくろくに所持金を確認せずに飲食し、それをツケるか否かで店主と揉めているらしかった。

 今のご時世で、ツケというのは余程の馴染みが無ければ店側としても容認しづらい。

 その相手が旅人ともなれば尚更だ。

 

「店主、一人だけど空いてるか?」

「あ?――――ああ、構わねぇよ。コイツら詰所に突きだしてきたら注文聞いてやる」

「おーう」

 

 楚梗は物怖じすることなく、荒れている店主に声を掛け、三人娘の間を抜けて店へと入っていく。

 一瞬静寂が訪れ、突然の事態で店主も頭が冷えたのか三人娘の背を押して憲兵の詰所へと向かっていってしまう。

 

 これが、彼とある意味で三人娘の最初の因縁ある邂逅であった。

 

 

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「中々、旨かったな。濃い味付けだったお陰で酒も飯も進んだし」

 

 細く短い竹串をくわえた楚梗は、満足そうに腹を撫でつつ、通りを行く。

 彼は基本的に、金を使うのは仕事道具か食事の時位だ。

 娼館等に入り浸る事もなく、美術品やらにも興味がない。むしろ、銭を数えている方が好きなレベルだ。

 この後の予定は、次の町か村までの道を聞き、水と食料を買い込む程度。今回の仕事で道具の消費はしていなかった。

 

「――――はいよ、これで頼まれた分は全部さ」

「お、あんがと。ついでに道を聞きたいんだが良いか?」

「結構買ってくれたし、構わないよ。どこに行きたいんだい?」

「幽州の方にちょっとな」

「それなら、北に真っ直ぐ行けば、直に幽州さ。山賊が出るらしいから気を付けなよ」

「ご忠告どーも」

 

 商店の店主に色を付けて代金を渡し、楚梗は店を出た。

 目指すは北だ。勿論、口から出任せではなく本気で幽州を目指している。

 理由は、次なる仕事のため。

 というのも、幽州は豪族による連合制度をとっていた。

 そのトップである公孫瓚が取りまとめてはいるものの、一枚岩ではない。後ろ暗いことをやっている者も少なからず居り、彼等からの仕事を得られないかと考えての進路であった。

 楚梗は、誰かに仕える気が欠片もない。むしろ、金さえ払ってくれるならば雇われていた相手をぶっ殺す事すら厭わない。

 それどころか、裏切った上で元雇い主の財産をパクっていくのだから、質が悪かった。

 それでも需要が絶えないのは、国が悪いのか、それとも彼の腕が良いからなのか。

 少なくとも、世紀末であることには代わりない。

 

「さてと、一泊するか否かどっちに――――」

「あー!見つけたのだ!」

「あ?」

 

 安宿に泊まるか、野宿するかを考えていた楚梗は不意の大声に眉を上げた。

 振り返ると、先程の三人娘の一人が居るではないか。

 

「何だよ、オレに用か?」

「鈴々じゃなくて、愛紗が用事なのだ!」

「…………………誰だ?」

 

 駆け寄ってきた少女に、楚梗は眉を潜める。

 名前を聞き返さなかったのは、この国には真名という風習があり、その名を軽々しく呼べば切り殺されても文句言えないほどに大切なものであった。

 どうにも、目の前の少女はアホに見えた為に楚梗は聞き返さなかった。

 

「お前から血の臭いがするから気になったって言っていたのだ」

「……そいつは、穏やかじゃねぇな」

 

 惚けながらも、楚梗は警戒の度合いを上げた。

 この場合の血の臭いというのは、単純に血の臭いがしているわけではなく、分かるものには分かる、というそんな話であることは簡単に察知できたからだ。

 ヒラヒラとしている羽織の袖からクナイを一本忍ばせて、手のひらに落とし込んだ。

 傍目には、普通と変わらないが臨戦態勢という奴である。

 

「それで?オレに用事なんだろ?着いていけば良いのか?」

「こっちなのだ」

 

 どちらも名乗らなかった。楚梗としては、情報がどの程度あるか分からないため、少女は単に忘れていた為だ。

 二人が向かうのは、大通りを北東へと進むルート。しばらく進めば、街の出入り口の一つへと着いていた。

 

「愛紗ー!見つけたのだー!」

「こら、張飛!そう大声でその名を呼ぶな!」

 

 待ち受けていたのは、楚梗も絶賛の美女二人。

 その内、黒髪の方が少女を叱る。

 

「…………あ!ご、ごめんなさい」

 

 シュンと溌剌とした雰囲気も失せて、張飛と呼ばれた少女は項垂れる。

 桃色の髪をした少女が、そんな彼女を慰めに動き、そして黒髪は楚梗へと向き直った。

 

「騒がしくして、すまなかったな」

「気にすんなよ。子供のすることじゃねぇか」

「……………」

「どした?」

「……いや、やはり血の臭いがすると思ってな」

「そうか?一応、水浴びとかはしてるんだがな」

「お前から、ではなくその羽織からだ。随分と血生臭い得物を持っているようだな」

「ケケッ………犬かよ。随分と鼻が利くじゃねえか」

 

 笑いながらも、同時に成る程と内心で頷いた楚梗。

 彼の武器、というか暗器は使い捨ての場合が多い。が、今回はクナイのみで済んで、尚且つそれを捨ててはいない。

 体臭として染み込んだ血の臭い以上に、今は分かるものには分かる程に薫っているのだろう。

 

「で?それを指摘してどうする。言っておくが、オレは金にならなきゃ人は殺らねえぞ」

「………金のためだと?」

「そりゃ、食っていけないからさ。生憎とオレは自炊とか出来ねぇし」

 

 美味しいもの食べたいじゃん、と彼は笑う。

 ある意味では、この時代において珍しくない人種だ。

 黒髪の彼女も、気に入らない様子だがそこを声を荒げて指摘したりはしない。

 

「では、我々に雇われないか?」

「あ?お前ら金持ってないだろ」

「これから、賊の討伐に赴くんだ。その際の報酬をお前にも渡そう」

「んじゃ、四割な。そっちから持ち掛けてきた事だし、良いだろ?」

「…………こちらとしても、幽州までの路銀が稼げればいいのでな」

「へぇー」

 

 特に思うところは無いように気の抜けた返答だが、その内心で楚梗は若干の舌打ちをしていた。

 実力的には相手しても切り抜けられるとは思っている。しかし、何事も面倒はゴメンなのだ。

 

(なるべく、かち合わねぇよにしねぇとな。面倒臭いし)

 

 そんなことを考える。

 暗殺者と武人が正面からやりあうなど、正気の沙汰ではない。

 前者は、殺す、事に特化しており、後者は、勝つ、事に特化している。

 結果として、人の死というものに至ることにはあまり代わりないが過程が違う。

 不意打ちならば前者に、正面戦闘ならば後者に軍配が挙がる。

 これは一芸に特化しているか、万能に動けるかの違いによるもの。

 因みに、楚梗は武人寄りだ。暗殺のみならず、殲滅なども行えるのはその為。

 

「ま、良いや。オレは楚梗だ。字は長里」

「私は、関羽。字は、雲長と言う」

「そうかい。ま、仕事終わりまで宜しく頼むわ」

「ああ」

 

 

 $

 

 

 賊討伐。それは、彼等にとって児戯が勝るほどに簡単な事であった。

 黒髪の麗人、関羽。小柄ながらも、潜在能力は関羽以上の張飛翼徳。そして、暗器を扱う楚梗の三人。

 あと一人、桃色の髪の劉備玄徳は武術に秀でてはいないため、今回の出番はない。

 

「…………」

 

 事前情報では、50前後であったのだが蓋を開ければ、百を越える賊を討つことになった今回。

 関羽は、連れの一人であった楚梗へと注目していた。

 彼女と張飛の二人は、得物である青龍偃月刀と蛇矛の特性上、戦闘がかなり派手だ。

 人体を容易く断ち切り、取り回しによって血飛沫の嵐が巻き起こる。

 しかし、楚梗は違う。

 手元からそれほどリーチの無いクナイで、的確に急所ばかりを突いていく一撃必殺を真髄とした、格闘術を織り混ぜた独特の戦法。

 臓物の転がる二人と違い、彼の周りの死体は比較的綺麗なモノばかり。

 まず戦場では、あまり御目にかかれない。こんな倒し方を態々するくらいならば、剣で切り殺す方が早いからだ。

 そして、もう一つ。関羽には気になることがあった。

 というのも、戦闘の最中、何度か楚梗の気配を見失っていたのだ。

 確かにそこに居る。現に、何人もの賊が殺されていった。しかし、彼自身の気配はまるで空気にでも溶けたかのように追えなかった。

 

(隠密、か………)

 

 武人として流れてきた関羽にとっては、未知の人種。

 実力の底も測れず、仮に戦うことになれば戦闘の過程を想像できない相手。

 得体の知れない存在、というのがしっくり来る。

 そんな関羽の内心など知ったことではない楚梗は、得物であった血濡れのクナイを其処らに倒れた死体の衣服で丁寧に拭っていた。

 決して物持ちの良くない彼だ。武器も、暗器であるため使い捨て。報酬の内、武器補充を差っ引いてはいるものの、足さなくて済むならそれに越したことはなかった。

 

「~♪」

 

 機嫌が良いのか、血生臭いこの場に鼻唄が響く。

 酷く似つかわしくない、軽快なリズムを刻む鼻唄だ。

 そのまま、クナイを羽織の内側に収めると視線を向けてくる相手に向き直った。

 

「何か用か、関雲長」

「………いいや」

「人殺しのあとに機嫌がいいのが気に食わないって、顔してるぜ?」

「っ………」

 

 キッと睨んでくる関羽に対して、楚梗はヘラヘラと笑うのみ。

 この二人、中々に相性が悪い。

 義と誠を重んじる関羽と、金と利益を重視する楚梗。水と油だ。

 

「ま、お前に嫌われようが好かれようが興味無いがな」

「そんなに、金が大切か?」

「ああ」

 

 間髪入れず、首肯く楚梗。その目には、ふざけた色もなく本気でそう思っているようだ。

 その様子に、更に言葉を続けようとした関羽だったが、その前に彼が踵を返したしまった為にうやむやになってしまう。

 人には、触れてほしくない部分が誰にでもあるのだ。

 

 

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 旅は道連れ、世は情け。この言葉の意味は、旅をするなら一人よりも連れが居た方が良く、世を渡るならば情けを持ち合わせておけ、というもの。

 まあ、大きく見れば人は一人で生きていけないということだ。

 何故こんなことを、改めて説明するのか。

 それは、楚梗に騒がしい連れが出来たからだ。

 

「何で、どうして、こうなった…………!」

 

 前を行くかしましい三人娘の尻を眺めながら、楚梗は呻く。結構楽しんでいる気がしないでもないが、彼は尻より胸派だ。

 事の発端は、うっかり彼が幽州に行くことを酒の席で話してしまったことに起因する。

 それを聞かれてしまい、劉備のごり押しに断りきれなかったのだ。

 いや、正確には断っても話を聞いてもらえなかった、という方が正しい。

 ならば、気配を消して闇に紛れれば良かったかもしれない。

 だがそこで、楚梗は気付いた。

 三人娘は、旗揚げすることになる。そして、旗揚げすれば勢力となり、勢力は多くの力や財を集める。

 その中には、武一辺倒ではない軍師なども居ることだろう。そしてこの軍師というのが厄介だ。

 武人などに比べて頭が良く、搦め手などを得意とするせいか、暗殺者とは相性が悪い。誘い込んでぶっ殺すなど、ザラであった。

 暗殺者にとって、自分より頭のいい相手は、自分よりも強い相手よりも殺りにくい。

 一撃必殺を旨とする彼等は、その為に状況を作り出す。

 それは、人数であったり、時間であったり。軍師はそれら要素を潰すのだ。

 三人娘がそうなるかは、分からない。しかし、劉備の思想は人を惹き付ける。

 

 誰もが笑って暮らせる世界

 

 お伽噺と一笑に伏されそうな夢だ。正直なところ、楚梗は惹かれない。だが、関羽や張飛など義に厚い面々はそうではない。

 そして、この国では楚梗の方が少数派であった。

 何やるか分からない相手は、近くで観察するに限るということだ。

 少なくとも幽州に着くまではこのままだろう。

 

 こうして、騒がしく面倒な楚梗と三人娘の旅路は始まった。



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思ったよりも見てくださる方が多くて驚いております
そして、感謝を。ありがとうございます




 世の中大抵、思い通りにはいかないのが常というものだ。

 

「なんちゅう、非利益的な事をやりやがるんだ……………」

 

 旅が始まってから、何度目かの呟き。ここ最近の楚梗の目は、いつにも増して死んでいた。

 原因は、彼の目の前で村人にお礼を言われている三人娘だ。

 そもそも、楚梗は拝金主義であり、損得勘定で動く。故に、報酬と働きを天秤に掛け釣り合う、もしくは前者が大きければ仕事を受けるのだ。

 逆に言うと釣り合っていなければどんな相手の依頼だろうと受けることはない。それこそ、情に絆される事などもない。

 しかし、三人娘は違う。義姉妹の関係を結び、劉備をトップとする彼女らは、情に絆される。

 殆んどタダ同然の報酬で、賊の討伐などを請け負い、感謝の言葉だけで十分、等と言ってその数少ない報酬すらも受け取らないことが多々あった。

 貰えるものは、貰っておく処か搾り取るレベルの楚梗にしてみれば理解の外。

 その癖、金を使うという少々質の悪いその性質に苦言を呈そうと、何度思ったことか。

 もっとも、その代わりとして仕事の際には気配を消して雲隠れしていたのだが。

 それが三度も続けば、彼女等も誘ってはこなくなる。

 この時に、関羽が良い顔をしなかったが、それはそれ。むしろ、勝手に同行者に組み込んだそっちが悪い、というのが楚梗の持論であった。

 ならば、そのまま離れれば良いと思われるかもしれない。

 だが、幽州以外であると候補としては徐州等か。

 正直遠い。そして、その道中に補給ができない可能性も高い。

 何より、金は手に入っても状況的に使えない。あそこは蛮族の蔓延る僻地なのだ。

 次の候補は、司隷か。洛陽があり、政治的に腐っているため、金を払ってでもライバルを蹴落とそうとする者達が多い。

 逆に難しいのが、兗州や冀州。

 どちらも治める者を中心として纏まっており、金をせびり難い。

 特に兗州は、不味い。治める人間が出来すぎており、刃向かうものは尽くその首刎ね飛ばしているせいで対抗勢力が居ないのだ。

 ならば、その統治するものに雇われればとも思われるが、それも無理だ。

 単純に、兗州の州牧は同性愛者であり、冀州の方は馬鹿であり、実質政治を回しているのが軍師である為。

 変態の巣窟と苦手な人種の元に、誰が好き好んで行くだろうか。

 

「楚梗さん!」

「…………何だ、劉玄徳」

 

 あー、ヤダヤダ、と不合理的な彼女らを内心で扱き下ろしていた楚梗は、跳ねるような声を掛けられてその思考を中断した。

 彼が背を預けていた大きな木は、現在三人娘が賊討伐を請け負った村の入り口正面に立っていた。

 彼女等が村人との会話を終えることを待っていたのだが、思ったよりも思考にリソースを割きすぎたらしく、反応に遅れる。

 目の前では、桃色の髪を揺らした劉備が居た。

 そして、その可愛らしい顔を少し不機嫌そうに歪め、プクリと頬を膨らませている。

 

「もう!ちゃんと劉備って呼んでください!若しくは真名で―――――」

「オレが教えてないから、却下されただろ。それに、幽州に着くまでの付き合いなら仲良しする必要はない」

「………やっぱり、一緒に来てはくれませんか?」

「別に、夢を否定する気はない。けどな、百人が百人、その状況を望んでると思わないこったな」

 

 楚梗は、ニヒルに笑うと木から背を離した。

 彼は、劉備の思想を否定はしない。しかし、肯定もしなかった。

 彼女の理想は、矛盾をはらんでいる。

 何せ、仲良くしようと笑顔で手を差し出してその背には斧を隠し持っているのだから。

 手を拒絶されれば、仕方無いと言いながら斧を振るう。

 人間というのは、面白いもので命の価値に差はないと声高に叫びながら、無意識のうちに順位をつけている。

 親しい友人や家族、恋人とテレビの向こうで起きる戦争などに巻き込まれる人々。

 命の価値に差はないと言うならば、一人殺される度に、怒り、哀しみ、泣き叫ぶのが当然ではないだろうか。

 しかし、現実では違う。憐れむ事があっても、彼らの為に嘆き哀しみ、復讐を企てようとは思わないはずだ。

 そしてこれは、劉備達にも当て嵌める事が可能だ。

 皆が笑って暮らせる世の中。ならば、その皆とは誰を指すのか。

 家族、恋人、友人は勿論。無辜之民や商人なども含まれるだろう。

 ならば、賊は?汚職を働く官僚は?罪人はどうだろうか。

 彼ら彼女らは、確かに他者への悪影響をもたらし、尚且つそれらで甘い汁を啜ってきた事だろう。

 だが、果たして全員が全員最初からそうだっただろうか。

 例えば、賊の背景には今の世の中に蔓延する格差があるだろう。奪わねば、食っていけなかった者達も居るだろう。

 誰だって死にたくはない。死にたくないからこそ、手段を選べない。そもそも、選択肢がない。

 他にも、元々親が賊であり、その道しか知らない者も居るだろう。

 汚職にまみれた者達も、最初から好んで手を出した者ばかりではない。

 拒否できない状況であったり、差し出さねばならなかったり、どうにも出来なくて、結局こうなった者だって居るだろう。

 現実とはそんなものだ。

 どうしようもなく残酷で、悲惨で、思ったよりも汚れている。

 コインに裏表があるように、世界も綺麗さだけでは回らない。

 綺麗な面だけを積み重ねても、何れはバランスを崩してしまう。

 

(世の中、聖人君子じゃ回らねぇ。清濁併せ呑んでこそ、だよな)

 

 オレはだいぶ黒いけど、と楚梗は内心で自嘲する。

 彼の場合、人によって態度は余り変わらない。

 重視するのは金払い。それさえ羽振りが良ければ、例え世間一般で極悪人と呼ばれようとも報酬分の働きをする。

 ビジネスライクの付き合いという奴だ。

 仕事が終われば、それで終わり。その後は、疎遠になることも、もう一度雇われることも、敵対することも相手次第、周り次第だ。

 それを言えば、関羽などは不義理と睨むことだろう。

 だが、沈むと分かっている船に乗り続けるのは、律儀ではなく馬鹿というのだ。

 ついでに腐った屋台骨で無理矢理延命している国に対しても、楚梗は見限っている。

 元々、国に対する忠誠やら何やらが欠如したような人間だ。

 恩恵を受けていると実感も出来ないため、忠誠心やらが身に付くこともなかった。

 

「―――――あー、怠い」

「顔が死んでいるぞ、楚梗」

「お腹が空いてるから元気が出ないのだ!」

「もう少しで、次の町が見えるらしいので頑張りましょう!」

 

 独り言に反応して、さっさと歩んでいく三人娘。

 彼女等の背を見送り、楚梗はポツリと呟いた。

 

「飯屋の支払いオレじゃねぇかよ」

 

 

 $

 

 

 この時代、主に旅の手段は馬か、徒歩、場合によっては馬車や牛車等が用いられる。

 モノにも依るが、確実なのは徒歩。乗馬は、体格とスキルが必要であり、馬車はそもそも維持費が掛かる。

 何より馬は、慣れていなければ尻の皮が剥ける。馬車も酔ってしまうだろう。

 ついでに、今の時勢、馬車は格好の的だ。賊に見つかれば、間違いなく襲われる。

 

「―――――む?楚梗」

「あん?」

「気付いているか?」

「走ってる奴等の事か?まあ、こっちに近付いてきてるしな」

 

 街道など、商人の通る道というのは整備されているのだが、山道などは、その括りではない。

 次の町に向かうため、四人は今山の中へと入っていた。

 一応、最低限度整備された獣道よりもマシ、程度の道。その半ばで彼らは立ち止まる。

 

「迎撃は可能か?」

「え、何で?」

「何でって………襲われている者が居るのだろう!?」

「いや、だからって助けるのか?その追われてる奴等も仲間だったらどうすんだよ」

 

 義に厚い関羽は、熱弁だが楚梗は揺れない。

 彼の想定するのは最悪のパターン。即ち、追う側と追われる側がグルであり、不意打ちからの袋叩きに遭う可能性だ。

 無い、とは断定できず、決して低いとも言えない可能性。

 普通ならば無視できないモノだろう。

 だが、

 

「それは、助けてから考えれば良い」

「えぇ?本気で言ってるのか?」

「当然だ」

「……………………なら、そっちで殺ってくれ。オレは手を出さねぇよ」

 

 頑張れよ、と彼は両手を袴の両側に空いたスペースに手を突っ込んだ。

 憤慨しそうになる関羽だったが、その前に森の方から二人の足音と、その直ぐ後から複数の足音が聞こえてきた。

 そして、茂みから飛び出してきたのは二人の幼女と、その後から数人の風体の悪い男達だった。

 

「ハァッ!」

 

 幼女達と入れ換わるように、関羽が踏み込み賊の数人を斬り倒した。

 だが、まだ数人が残っている。

 その内何人かが、楚梗の元へと突っ込んできた。が、

 

「来るんじゃねぇよ」

 

 直後に、彼の足がブレた。

 ベキリと音がして賊の首がへし折れる。

 地面に叩き付けられた首が変な方向へと曲がった死体に、彼へと襲い掛かった何人かの足が遅くなる。

 そこを逃さない。袴より手を抜くこと無く、飛び上がると足を振り上げ、振り下ろした。

 体術。元々、剣や槍等よりも圧倒的にリーチで劣るクナイ等を得物とするために体得したモノ。

 特に、蹴り技は腕の数倍の威力を発揮する点と、職業柄飛んだり跳ねたりすることが多いため勝手に鍛えられる事から採用し、極めていた。

 その中でも威力が高いのが、後ろ回し蹴りや踵落とし等の、踵を扱う蹴り技。

 これは、通常の歩行でも踵が一番体重を支えて鍛えられているから。

 二人の首をへし折り、無力化し三人目の腹部に横蹴りを食らわせる。

 それだけで、賊の内臓が損傷、若しくは潰れたらしく血を吐いて悶絶してしまう。

 三人が沈んだところで、関羽と張飛が残りを倒し、この場は終わりを迎えた。

 

「………ガキは苦手だから任せる」

 

 幼女の相手を、三人娘に任せて楚梗はその場に膝をついた。

 そして徐に、死体へと手を伸ばした。

 

「―――――な、何をしているんだ!?」

「あ?」

 

 関羽の驚いた声。その相手である楚梗へと五つの視線が向けられた。

 

「そ、楚梗さん?な、何をしてるんですか……?」

「何って………服剥いでるんだが?」

 

 劉備の問いに、見れば分かるだろう、と楚梗は首をかしげた。

 そう、彼は死体から血に汚れていない衣服を剥ぎ取っていたのだ。

 

「死者に鞭打つなど何を考えているんだ!!」

「何だよ。何怒ってんだ?」

「貴様が今やっていることだ!!」

 

 詰め寄った関羽に対して、本気で分かっていない様子の楚梗。

 既に服を剥いだのは二人目だ。全裸の死体が無造作に転がっている。

 

「知らないのか?古着って買い取ってくれるんだぜ?」

「はあ?」

「綺麗に洗って、縫い直したりして、な。大した額じゃねぇけど、酒代程度にはなる」

「………まさか、売るつもりか?」

「当たり前だろ。慰謝料って奴だ。後は、粗悪品だが、武器の類いも売り飛ばせば、二束三文程度にはなるだろ」

「だからといって、死体から剥ぎ取るなど―――――」

「あ?生き物なんて、死ねば等しく肉の塊だろうが。そんで、畜生どもの腹に収まる。けど、服とか武器とか金とか、その辺は畜生には必要ない。むしろ、錆びたり傷んだりして勿体無いしな。だからオレが有効活用してやるんだよ」

 

 正に絶句。気炎を上げていた関羽も、その背に薄ら寒いモノを感じて口をつぐんでしまう。

 これは、死生観や思想の違い。楚梗はその辺が限り無くドライであった。

 そもそも、今回のような突発的な戦闘でなければこんなことはしない。嵩張り、持ち運びも面倒だからだ。

 楚梗は、金にならなきゃ殺しはしない。しかし、正当防衛に関してはその限りではなく、その場合は襲ってきた相手をぶっ殺して金を得ていた。

 彼からしてみれば、元手が零で利益を見込めるため買い叩かれても文句は言わない。

 それこそ、辛うじて酒を一杯呑めればそれで良い。

 連れが口をつぐむ中、楚梗は手慣れた様子で汚れの少ない衣服を全て剥ぎ取り畳み、その上に粗悪な武器を乗せて、帯を一本取り出して一纏めに縛り上げた。

 そして、固まる彼女らを一瞥することも無く道を歩み始める。

 

 彼女等と彼の間に横たわる、価値観の差。

 それらを可視化する様に、その境目は開き続けているのだった。



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沢山の方々に見ていただいているようで、感謝申し上げます。
評価を下さった方、並びに感想を書いて頂いた方々、ありがとうございます


 幽州。異民族最前線ということもあり、決して裕福とは言えない州だ。

 なんせ、南はバカ筆頭の冀州、北は烏丸等の異民族にそれぞれ挟まれているのだから。

 この地を治めるのは、公孫瓚、字を伯珪。

 普通だ普通だと言われる彼女だが、その手腕は非凡なものがある。

 お人好しで、甘い彼女だからこそ我の強い豪族を纏めているとも言える。これが、同じく己の強い主君であったならば皆殺しか反逆を受けたことだろう。

 そんな彼女の兵として有名なのが、白馬義従。

 全て白馬で揃えた騎馬隊だ。

 只でさえ金食い虫である騎馬隊を、稀少な白馬のみで構成するというのは財が掛かり、それはそのまま敵への圧力になる。

 

「久しぶり、パイパイちゃん!」

「白蓮だ!まったく………相変わらずだな、桃香」

 

 幽州の城にて、三人娘改め、五人娘と楚梗は赤毛の彼女、公孫瓚との謁見を行っていた。

 本来ならば、楚梗は幽州に踏み込んだ時点で分かれるつもりだった。

 しかし、劉備が公孫瓚とのパイプを持っていることを知り計画変更。登城し、顔繋ぎと、顧客選別を行っていた。

 別に、公孫瓚本人に雇われても良い。彼女は見るからにお人好しだ。真名を間違われて苦笑い程度で済ませたこともその証明といえる。

 彼は、違和感の無い程度に室内を見回していた。

 重臣達等も多くおり、何人かは劉備の馴れ馴れしい態度に納得がいっていないように見える。

 更に一部は自分と似たような者が居ることにも気が付く。

 楚梗が金を搾る相手を見定めている間に、五人娘と公孫瓚の会話は進んでいる。

 当然、その流れとして微妙に距離の空いた楚梗にも話が振られた。

 

「お前も、客将として仕えてくれるのか?」

「いや、オレは傭兵さ。金さえ払ってくれれば命令を聞く」

「………幾らで雇われるんだ?」

「幾らで雇ってくれるんだ?」

 

 ニヤニヤと笑っている楚梗の返答に、公孫瓚はこの男が食えない相手だと理解した。

 劉備達よりも前に来た客将も似たような相手だったからだ。もっとも、彼女よりも更に内心は読み取れていないのだが。

 

「………これで、どうだ?」

「はいどうも…………まあ、良いだろうさ」

 

 公孫瓚の手渡した革袋は、人の拳二つ分ほどの大きさで膨らんでいた。

 手渡されるその瞬間に銭の擦れる音が部屋に響く。

 受け取った楚梗は、羽織の裏にそれを収めると、代わりにあるものを取り出した。

 

「雇われた初回だしな。こいつをくれてやるさ」

「なんだ?………竹簡?」

「近辺の賊と、ソイツらの根城を纏めたもんだ」

「なに!?」

 

 そう言われ、慌てて開かれた竹簡は結構な長さであり、カシャリと床とぶつかり転がるほどの長さがあった。

 

「いつ、調べたんだ?」

「この幽州に入ってから、最初の夜かな。足には自信があるんだ。ついでに、売り込む材料も欲しかったんでな」

 

 嘘だと思うなら、調べてこいよ。と楚梗は先程から変わらない張り付けたような笑みで公孫瓚を見た。

 この笑み、態度から、彼女はこれが口から出任せとは思えなくなっていた。

 

 結局、規模まで書かれたその場所に規模以上の軍を送れば、出るわ出るわ、それこそ蜂の巣でもつついたかのように賊がワラワラと現れるではないか。

 それが、竹簡に全て書かれていた通りであった。

 

 実力を示した楚梗。この件を境に、彼は幽州にて一定の立ち位置を得るのであった。

 

 

 $

 

 

 軽い金属音を上げて、銅銭が宙を舞う。

 これは、五銖銭と呼ばれる貨幣であり、その重さは五銖、グラムで表せば約0.59程度のといった所か。

 これが、粗悪であるとバカみたいに軽く、そして薄く、小さくなる。

 この時代、暫く後に現れるある貨幣は、鐚銭と呼ばれ、貨幣経済をぶっ壊した原因にもなるのだが、今はそこまで無い。

 

「お金~お金~お金様~♪」

 

 五銖銭を親指で弾き、落ちてきた所をキャッチし、再び弾くという不毛な動作を繰り返して通りを行く楚梗。

 彼を含めた面々が幽州にやって来て、十日ほどが経過していたが、彼の財布は膨らむ一方であった。

 それこそ、ここに来て財布の大きさが最低でも五倍以上という数値を叩き出している。

 そして、それに比例するように各地の豪族のトップなどが謎の死を遂げており、少し幽州内が荒れたりしているのだが、彼の知ったこっちゃない。

 殺られる方が悪く、依頼する方が悪い。自分は単なる力の塊に過ぎず、指向性を持たせた奴が悪い、というのが彼の言い分だからだ。

 現に、楚梗は公孫瓚に依頼されて賊の殲滅や拠点の炙り出し、密書運びや異民族の情報収集等もこなしていた。

  この男、金さえ絡めば仕事は問わない。それこそ、リスクリターンが釣り合っていれば何でもする。

 正義の味方でも、悪役でも、どちらでもない。中間が、彼だ。

 いや、周りから見れば彼は金で人殺しを行う悪人であるだろう。

 確かに殺しだけするならば、悪人だ。だが、楚梗は依頼人の意向通りにしか動かない。

 つまり、真に悪人と呼ばれるべきは彼に依頼する、依頼人達という事になる。

 現に、公孫瓚の依頼の際には、囚われた者達の救助も行っていた。

 

 閑話休題

 

 現在、楚梗は休暇中だ。言うほど疲れてはいないのだが、一度に動きすぎればここぞというときにツケが回ってくることを彼は知っていた。

 金も暫く豪遊してもお釣りが来る程度には稼いだ。そうすると、使いたくなるのが、人の性というものだ。

 拝金主義の楚梗であるが、同時に金が天下の回りものであることも理解している。

 そして、彼は美味しいものが食べたかった。

 ここで重要なのが、高い=美味しい、ではない事だ。

 高級だから、旨い。何てことはない。いくら高級でも、料理人の腕が悪ければ不味くなる。

 というか、食べなれていなければそれすらも理解できないだろう。

 故に楚梗は大衆料理や路地の名店など、庶民的な料理を好んでいた。

 特に好きなのが、拉麺だ。地域によって差があり、海が近ければ海産、山ならば畜産等、多種多様のベースがある。

 麺も、縮れたモノから、真っ直ぐなモノ、太さも様々。

 

「………お?」

 

 キョロキョロと視線を巡らせていた楚梗は、路地の奥に看板を見つけた。

 見た目こそ寂れているが、意識を集中すれば良い薫りが漂ってくることが分かる。

 

「隠れた名店って奴だったら嬉しいがね」

 

 一際強く、銭を弾いて空中で掴んだ楚梗は、炎に引かれる羽虫のようにそちらへと向かっていった。

 

「………らっしゃい」

「一人なんだが」

「適当な席に座りな」

 

 店内は薄暗く、正方形のカウンター席が存在し、その中で仏頂面の店主が料理をする形式らしい。

 因みにカウンター席の奥の方は壁と接しており調理スペースの奥は、大きな出入り口とそこを隠すように暖簾が提げられていた。

 楚梗は、入り口から見て正面にある五席の内、左から二番目へと腰を下ろした。

 この配置に意味はない。店内には楚梗と店主以外の人が居らず、適当に座っただけだ。

 

「注文は?」

「この店のお薦めで」

「まいど」

 

 短いやり取りだ。しかし、楚梗にしてみれば当たりの店を引いたと期待を持った。

 お薦め、と注文されてそれ以上の言葉無くその料理へと取り掛かるということはそれだけ自信があるということ。

 逆にこの段階で色々と薦めてくる場合は、あまり期待出来ない。

 不味い、というわけではないが客の顔色を伺う店というのは、自分の料理に自信がないと喧伝しているようなものなのだ。

 数分と経たずに、良い薫りが店内に満ちる。

 幽州は、どちらかと言えば内地であり、畜産も羊やヤギなどが主流となる。

 

「拉麺、お待ち」

「ほう………こいつは、羊か?」

 

 出されたのは、白濁としたスープに縮れた細麺。メンマ、ネギ、煮卵、細身の骨が飛び出たお椀の四分の一を占拠する肉塊型の叉焼が乗った拉麺であった。

 立ち上る湯気には、羊独特の匂いが凝縮されており人を選ぶ事だろう。

 が、あちこちを回る楚梗に好き嫌いは無い。

 付属のレンゲと箸を手に、拉麺へと切り込んでいく。

 先ずは、スープから。口に含むと濃密な羊の旨味が、口一杯に広がる。

 苦手な者は、ここでアウトな臭みもあるが彼は気にしない。

 次に麺。スープとよく絡む縮れ麺には、何が練り込まれているのかサッパリとした味わいだった。

 合間にメンマや煮卵を挟み、更に叉焼を切り分ける。

 

「―――――あー、旨かった」

 

 五分程で汁まで飲み干した楚梗は、幸福な満腹感を得ていた。

 この店は当たり。通い詰めても良いと思えるそんな店であったからだ。

 

「で?アンタは何時までそこから見てるつもりなんだ?」

「――――おや、気づいておいででしたか」

 

 楊枝で歯の隙間を掃除しながら、振り返ること無く楚梗は背後へと声をかけた。

 鈴のような声が響き、現れるのは白い衣服を纏った女性。

 

「こうして顔を合わせるのは初めて、でしょうな」

「噂なら聞いてるぜ。常山の昇り龍ってな。ご自慢の槍は持って無いようだけど」

「こちらも聞いておりますよ。金を払えば鬼畜の所業も厭わない、拝金主義の奴隷、と」

「否定はしねぇよ。オレは金の奴隷だからな」

 

 彼女の皮肉も彼には効かない。

 本人が認め、納得したことを外野が言葉でどうこうするのは意外に難しい。

 特に楚梗のような、周囲の言葉で一ミリも揺らがないタイプは自分の決定にしか従わないのだ。

 

「で、趙子龍。オレに用事か?」

 

 口内を漱ぐための水を飲み干し、楚梗は問う。

 この間にも彼は振り返らない。声こそかけたが、興味はないらしい。

 

「貴方は、どうやら桃香殿達とは違うらしい」

「あん?そりゃ当たり前だろ。オレはオレだ。金が大好き楚梗さんだぜ?」

「そこが、既に違う。あの方達は、義と徳を重んじていましたからな」

「良いんじゃねぇの?まあ、オレには関係無いがな」

 

 代金を払い、席を立つ楚梗。口には楊枝を咥えたままに、店を出た。

 その背を見ながら着いていくのは、趙雲だ。

 彼女も彼女で結構な曲者であるのだが、どうにも楚梗の内面が読み取れない。

 これは当然と言える。そもそも、この漢という国に根差す儒教的思考が、彼には当てはまらないのだ。

 五常と呼ばれる、仁、義、礼、智、信の五つの思想を主としており、人はそれに則って生きていくべきというもの。

 人に優しく、欲にとらわれず、上下関係を大切にし、学問に励み、嘘をつかない。

 そのどれにも、楚梗は噛み合わない。

 自分本意であり、拝金主義者であり、金のためなら上役も殺し、史書など投げ捨て、虚言の種は尽きることがない。

 

(奇妙な男。金に群がる下衆かとも思えば、実力の底を悟らせない体捌き。愛紗の話では、暗器を合わせた体術の使い手という話でありましたが、剣や槍も扱えそうな御仁だ)

「―――――いい加減に、見るのは止めてくれるか?視線で穴が空きそうなんだけど」

 

 趙雲の視線が流石に鬱陶しくなったのか、楚梗は猫背のままにうなじを掻いた。

 

「用がないなら、オレは他所に行きたいんだが?」

「おや、私に見られては困るものなのですかな?」

「おう。娼館だ」

 

 事も無げに言い切られたその言葉に、趙雲の頬がひきつった。

 飄々とした彼女だが、おぼこだ。その手の話題は表面的には行えても、少しでも突っ込まれると赤くなる。

 楚梗は、その点を理解した上での発言だった。

 関羽等もそうだが、武一辺倒な彼女達は色の話題に弱い。

 一目で趙雲の実力、為人、その他を見抜いた楚梗にとって弱点を突くなど造作もなく、そして躊躇いもない事であった。

 

「ついてくるなら、構わねぇよ?百合が専門の奴も居るしな」

「あ、その…………」

「ケケッ、じゃあ、な」

 

 顔を真っ赤にした趙雲に悪魔的な笑みを返した楚梗は、そのまま人込みへと消えていく。

 彼女に、冷静な思考が残っていたならば、ここで違和感に気が付いた事だろう。

 幾ら人込みとはいえ、真っ昼間の全身黒っぽい格好というのは目立つ。

 故に十数メートル程度の範囲ならば、紛れたとしてもその後姿程度ならば視認が出来る筈だった。

 彼女も武人だ。気配には敏感である。

 でありながら、別れて数秒で楚梗の気配を追えなくなり、その目による視認すらも出来てはいないという事態。

 暗殺者兼傭兵、楚梗。彼の引き出しは、まだまだ、それこそ腐るほどに存在しているのだった。

 

 因みに、彼はこの後食い倒れ行脚に出ており、娼館には向かっていなかったりする。

 一時の快感よりも、美味しいものをたらふく食べることが彼の一番の幸せであるからだ。



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皆様の評価、感想、そしてご愛顧に感謝申し上げます
ありがとうございます

今回は、少し雑なモノとなってしまいましたが、楽しんでいただければ幸いです


 漢の末期。所謂、後漢と呼ばれる時代。

 その崩壊の引き金となったのは、国の礎とも言える民の反乱からであった。

 黄巾党の乱。導師張角を首領とした大規模な反乱であり、その動員人数は、二十万とも三十万とも言われている。

 これに対して、国は軍を動員し各諸侯に討伐を命じた。

 その中で、動きが小さいのが幽州だ。

 元々、異民族に対しての防壁のような役割であるため、どうしても半数以上の兵は駐屯させねばならない。

 しかし、鈍い訳ではない。むしろ、討伐数は多いと言えた。

 この立役者が、楚梗である。

 彼は公孫瓚より、更に金を搾り取って黄巾党の拠点を根刮ぎ見付けては、頭目のみを狩り続けてきたのだ。

 そして、頭目が狩られれば集まった賊など烏合の衆にしか過ぎない。

 数こそ多いが頭の無い相手など、肥え太った家畜に過ぎないのだ。

 関羽を筆頭とした武将の面々と、いつぞや助けた幼女組である、諸葛亮と鳳統の軍師組には彼らの討伐は、赤子の手を捻るよりも簡単なことであった。

 

「ケケッ、容赦ねぇな」

 

 崖下に広がる屠殺の光景に、楚梗はいつもの通りだ。

 屠殺されるのは、爪も牙もそれどころか頭すらもない、黄色い巨獣。

 屠殺するのは、白馬を従えた普通な赤毛の将軍様。そして、彼女の客将を務めるもの達だ。

 騎馬の特色は、やはりその突撃にある。むしろ、守勢に回った騎馬など脅威処か的も良いところだ。

 更に、拓けた場所でなければその突撃も活かせず、森に突撃などしてしまった時には目も当てられない。

 だからこそのこの場所だ。

 ここは周囲を山に囲まれ、細い道が集中する盆地となっている。

 広さも申し分無く、馬を存分に走り回らせてもお釣りが来る広さだ。

 ここに来るまでにも、黄巾党の面々は頭を討たれて、背中から射られて集められていた。

 そんな彼らに、騎馬の突撃を止めるだけの力など有る筈もない。

 貫かれ、削られ、叩き潰され、最早集団は単なる集まりとしての存在でしかなくなっていた。

 更に更に、質の悪いことにある程度削ったところで降伏勧告を行った。

 この残った数というのが、全体の凡そ三分の一といった所。

 これは、幽州勢力が受け入れて御しきれる許容量の八割といった所であった。

 残り二割を残したのは、余裕を持つためのものだ。

 不確定要素は何処にでもある。許容量というのは、決して無視してはいけない項目だ。

 それを越えると、無理が出る。それはそのまま陣営の亀裂となる。そして、亀裂が拡がれば陣営の分裂となり、結果周りに隙を晒すことになりかねない。

 

「終わったか。ま、こっちの仕事も終わってるんだがな」

 

 降伏勧告を終えて、黄巾党を引き込んだ幽州軍。

 見下ろす楚梗は、背後をチラリと振り返った。

 そこに転がるのは、幾つかの生首だ。どれも未だに血が滴っており、その表情は恐怖に歪んでいる。

 これ等の首は、それぞれ黄巾党内の将クラスの首だ。

 彼の仕事の一部。即ち、将クラスの相手、若しくは烏合の衆の中に新たに生まれるであろう頭目の芽を潰した成果だった。

 普通は、無理だ。これが可能ならば、各国の将の首など幾らあっても足りない。

 現に、相手が黄巾党でなければこうして首を尽く取ることなど出来なかっただろう。

 もっとも、完全に否定しきれないのが楚梗の恐ろしい所でもある。

 

「それにしても…………アホくさいこったよ、まったく」

 

 よっこらせ、と崖の縁に腰掛けた楚梗は羽織の裏から一本の竹簡を取り出した。

 纏めるために巻かれた赤っぽい紐を解くと、その一部を引き出した。

 内容は、今回の仕事ついでに知ったことを纏めたもの。

 重要なのは、調べた、ではなく、知った、という点だ。

 この竹簡に書かれているのは、全て現地で彼が見聞きしたもの。それをそのまま文字に落とし込んでいた。

 彼が呆れている理由が、その内容。

 

(旅芸人が、発端ね。何がどうして、こんな大規模の反乱になるのやら)

 

 やれやれ、と楚梗は首を振って竹簡を巻き取ると紐で封をする。

 この情報を流すつもりは、彼にはない。

 無論、金を払って知りたいと言われれば渡すだろう。だが、相応の額を要求するつもりだ。

 この男、世の中の平和よりも自分への利益を優先する屑であった。

 

 

 $

 

 

 国の各地で討伐される黄巾党。

 彼らは追い立てられるように、東へ東へ進み、やがて冀州へと集っていた。

 その数は、二十万を越えている。

 対して諸侯は、連合という名の功争いに精を出している。

 先見の明が有るものは既に気づいている。

 この国が、とっくに終わっていることを。

 この黄巾党の大反乱は単なる序章。その後には、激動の乱世が待っていることを知っていた。

 

「………楚梗さん」

「あ?」

「張角、張宝、張梁を捕まえることは可能ですか?」

「幾らくれる?」

 

 黄巾党の籠っている砦を囲むように布陣した諸侯の一角。

 公孫越をトップとして、劉備を旗印とした義勇軍が参陣しており、そこで諸葛亮は楚梗を呼び出していた。

 

「……貴方は、張角の本当の姿を知っているんですか?」

「さてね」

 

 ヘラヘラとした笑みを崩さない彼の内心は、臥竜鳳雛の片割れである諸葛亮をもってしても測れない。

 彼女を含めて、皆が劉備の理想に惹かれるなか、一人だけ寄り付くことも離れることもなく、一定の場所に立ち続けているのが、楚梗であった。

 仕事は有能、迅速、簡潔、完璧と文句ないのだが、先立つものが無ければ働かない。

 かといって、今の幽州並びに、義勇軍が手柄を効率良く立てていくには、彼の存在は必須であった。

 斥候、暗殺、情報収集、陽動、中入りetc

 出来ることが多く、その質は金額によって左右されるが、それが惜しくないほどだ。

 そんな存在、始末するか、飲み下すしか選択肢がない。だが、前者はそれこそ余程の手練れ、後者は国家予算クラスを用意せねばならない。

 義理と人情が通用しない拝金主義者だ。

 劉備の理想を元に集った義勇軍の体質に、楚梗は噛み合わない。

 

「…………幾ら、欲しいんです?」

「そうだな。これぐらいで、どうだ?」

 

 楚梗の提示した額は、明らかに足元を見たものだ。

 それでも、払えないこともない、ギリギリの値段。

 裏の人間、この場合は諜報等を表したものだが、彼ら相手に情報戦は無謀だと言える。

 諸葛亮は思考する。

 彼女としては、張角達が生きているか、否かはあまり関係ないとも言える。

 だが、保険として生かしておき、後々活用することが出来るかもしれない。

 例えば、慰安。軍の大半が男である点を見れば、その用途は直ぐに分かる。

 

「分かり、ました。その代わり、張角達は生かして捕まえてください。そして、彼女達の力の源をとってきてください」

「………ま、良いだろ。行ってくるぜ」

 

 前金を受け取り、楚梗は兵舎を出ていった。

 彼の足音が完全に聞こえなくなった所で、彼女は大きく息をつく。

 心臓に悪い。武力に傾いている訳でも、動けないわけでもない。

 本当ならば、親友である鳳統と共に当たりたいような相手が、楚梗だ。

 しかし、彼女は現在他の諸侯とのすり合わせのため、関羽と劉備達と共に出てしまっている。

 趙雲等ならば少しは、腹の探り合いもこなせるかもしれないが、生憎と張飛と共に戦線の維持に出てしまっていた。

 結果として、諸葛亮と楚梗の二人が陣に残っていたのだが、彼女の神経を磨り減らすことで、どうにかなった。

 なぜ、金まで払ったかといえば、彼女と鳳統の読みでは、今日の夜、火計が行われるであろうと出ていたからだ。

 その大本は、袁術――――の配下である、孫策陣営。

 彼女達は、孫堅の死後功を焦っており、膠着しているこの状況は願ってもない。

 ついでに、夜襲に強いこともあり、今夜は風もある。

 あわよくば、相討ちにでもなってくれれば諸葛亮の胃痛も失せることだろう。

 

 

 $

 

 

 砦に侵入する場合、方法は幾つかある。

 一つ、門を開ける。二つ、梯子を掛ける。三つ、穴を掘る。

 どれも軍が攻城戦を仕掛ける為に用いる策であり、当然ながら対処法もきっちり存在する。

 門を堅く閉ざし、梯子を軒並み外して、穴に水を流せば良い。

 しかし、その全ては軍という存在だからこその動きだ。

 単騎、それも隠密の人間はそんな大きな事はしない。

 

「―――――こんばんは」

「!?」

 

 そろそろ日も落ちようとした時間帯。見張り台の一部で赤い花が咲いた。

 

「………」

 

 楚梗は、首筋より吹き出した血を浴びないように体を動かし、死体を倒す。

 彼はこの見張り台まで一気に駆け上がってきた。

 これは比喩などではない。草履を脱いだ彼は、砦の壁面にあった僅かな出っ張りなどを足場にここまで来たのだ。

 本当ならば、もっと遅い時間が暗殺や誘拐にはベストなのだがそこまで遅いと、孫策陣営の火計に巻き込まれかねない。

 もっとも、楚梗にはそこまで関係ないのだが。

 ヒョコリ、見張り台の周りに張られた矢避けの板から顔を出して周囲を見渡す。

 今のところ、彼の侵入には気付かれていないようだ。

 キョロキョロと一頻り見渡した楚梗は、残った赤のキツい夕日の陽射しにより影となった部分へと降り立った。

 そこはちょうど繁みのようになっており、カサリと梢が揺れただけで、完全に彼の姿を隠してしまう。

 そこから一歩踏み出す楚梗。その二歩目で、彼の姿は空気中に溶けるように姿を消した。

 これこそ、彼の手札の一つにして必殺の一手。

 隠密能力。それも、手練れの武将ですら気配を一瞬も追えないほどの、人外染みた能力だ。

 これによって、彼は大抵の場所に入り込める。暗殺、窃盗、工作、収集、思いのまま。

 無論、そんな一芸のみで生きてきた訳でもない。

 戦闘技術や鑑定眼、夜目や記憶力など、とにかく色々と出来る。出来なければ生きていない。

 

 閑話休題

 

 楚梗の隠密。確かに強力だが、弱点も確かに存在している。

 そもそも、彼は本当に透明になって壁をすり抜けたりしている訳じゃない。

 実像があり、限り無く分かりづらくなっているだけ。

 あれだ、ホラー映画等で見られる音が鳴って初めて開いていることに気付く鉄扉と、背後に現れる怪人のようなもの。

 つまり、実像がある為扉や窓などからしか出入りできず、被害者はそれに気づかないだけ、ということ。

 

「あれ?扉が開いて―――――」

「よぉ、お三方」

「「「!?」」」

 

 黄巾党の旗印。今や実権のじの字も持っていない張三姉妹の部屋に異物が紛れ込む。

 

「なっ、だ、誰!?」

「オレが誰でも良いだろ?お前らには、関係無いんじゃないか?」

 

 ニヤニヤと嗤う楚梗。そして、羽織の袖から態と分かるように一本のクナイを取り出し、その手に握る。

 

「ち、ちー達を殺すつもり!?」

「…………」

「い、妹達には手を出さないで!」

「天姉さん!」

 

 目の前でわちゃわちゃしている三姉妹を見ながらそのついでに、部屋の中に視線を這わせる楚梗。

 探しているのは、今回の事件の種だ。彼女等が如何様にして、ここまでの民を率いることができたのか。

 そして、見つける。

 妙に目を引く本だった。漢の時代では、貴重の紙の本だからだろうか。

 まあ、いいか。と楚梗は前へと目を戻した。

 

「…………んじゃ、オレも仕事なんでな」

「何を――――」

 

 言って、と張角が続ける前に彼女の意識は闇へと溶けた。それは、下の姉妹も同じだ。

 楚梗は、気絶させた三人に手際よく目隠しと猿轡を着けて、三人纏めて取り出した細身だが頑丈な縄でぐるぐる巻きに縛り上げる。

 巨大なみのむしのようになった三姉妹を持ち上げると、彼は気になった本を手にとって懐にしまった。

 長年の相棒である第六感が告げていたのだ。これは金になる、と。

 諸葛亮は原因を持ってこいとも言ったが、それは張三姉妹を生かして彼女の前に引きずり出せば良い。

 もしもこの本が原因だったとしても、白を切り通せば良い。

 

「~♪」

 

 鼻唄を唄い、上機嫌に彼は部屋を出た。そんな状態でも隠密能力に翳りがないのは流石と言えるのではなかろうか。

 そのまま苦もなく、彼は最初に見張りを殺した見張り台の屋根の上までやって来た。

 既に日は落ちた。だが、黄巾党の砦は真っ赤に輝いている。

 

「火計は派手だな。まあ、寡兵で大軍を討つ方法の中では楽な手だろうが」

 

 眼下に揺らめく炎に混じって、孫策陣営の隠密が入り込んでいる事が、楚梗の位置から確認できる。

 彼の目から見ても、手練れであると一目で分かる彼女達。その狙いが、既に楚梗の手の内に有るものであることは直ぐに理解できることだ。

 向かってくるなら、殺る。だが、自分から向かうことはしない。

 彼が提示した額は、誘拐に関しての額だ。戦闘は含まれていない。

 何より、隠密同士の戦いは神経を削る。毒薬なども平気で使ってくる=掠れば即あの世行きというのも珍しくないからだ。

 そそくさと彼はその場から消えた。

 

 

 余談だが、張三姉妹と太平要術の書、その両方を取り損ねたある陣営は自分達を出し抜いた相手を探し当てるべく、血眼になっていたとかいなかったとか。

 そして、この乱は張角(偽)の首がある陣営より国へと進呈され終息することとなった。



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皆様のお気に入り、並びに感想評価に感謝申し上げます
ランキングにもどうやら載っていたらしく、喜ばしい限りです

この話を契機に連載に切り替えようかと思います
亀更新とは思いますが、のんびりと書いていこうと思いますので、よろしくお願い致します


 討伐された黄巾党は、その余りが青州へと追いやられることで全体的な収拾を終えていた。

 それは、言うなれば臭いものに蓋をする様なその場凌ぎでしかなかったが、それでも国の高官達は胸を撫で下ろしたのだ。これで暫くは安泰だろう、と。

 しかし、そう思っているのは彼等ぐらいだ。世が乱れに乱れきっているのは諸侯にとっては一目了然。

 

「…………白蓮ちゃん……」

「そんな顔をするなよ、桃香。私はお前達を受け入れたことを後悔なんてしていないさ」

 

 何処かばつの悪そうな劉備と、本当に後悔がないというように快活な笑みの公孫瓚。

 対照的な二人だが、その原因は劉備が率いることになった義勇軍にある。

 彼等は、元は幽州の民であった。それが彼女の理想に惹かれて組織されたのが義勇軍なのだ。

 彼女の後ろめたさは、友人の治める地から奪ってしまったという負い目からきている。

 だが、公孫瓚は本当に気にしていない。

 彼女は、常に自分が大成するわけがないと思っている。それは己への自信の無さ、その表れでもある。

 それ故に、彼女は自分の夢を実現しようとしている劉備を応援したいと思っていた。今回の件で目くじらを立てないのもその為。

 

「私も、お前の夢が実現することを願っているんだ。それに、無理に徴兵したわけでもない。胸を張れ、桃香」

「……………うん!」

 

 肩を軽く叩かれた劉備は、ここで漸く顔を上げた。

  今回、公孫瓚の元を離れるのは義勇軍とそれに加えて、客将であった趙雲だ。

 

「じゃあ、そろそろ行くね?」

「ああ。良い報告を待ってるさ」

 

 二人が握手をするなか、この場に居ないものが一人。

 金の亡者は、この場に現れていなかった。

 

「そういえば、楚梗はどうした?アイツもお前達と行くんじゃないのか?」

「えっと………楚梗さんは………」

 

 公孫瓚としては、劉備らとこの幽州に来た楚梗がそのまま彼女達の元についていくと思っていた。

 

「断られ、ちゃって………」

「そ、そうなのか………」

 

 これは予想外。とはいえ、彼の人となりを知っているならば無理もないとも納得できることであった。

 その会話は昨晩の事だ。

 

 

 $

 

 

 戦勝ムードに沸く幽州の城。周りの軍とは違い、被害も比較的少なかった彼等は公孫瓚の州牧就任を祝っていた。

 その立役者とも言える楚梗はというと、その宴会に顔を出さず、高い酒の入った5つの少し小さめな酒甕とつまみを盛った大皿を持って抜け出していた。場所は、城の外にある草地の丘。

 

「―――――うん、旨い」

 

 干し肉を齧り、酒を一口。熱くなった息を吐き出し、空を見上げる。

 今宵は満月だ。煌々と輝く月輪は、等しく世界を照らしており、雲がないお陰で大きく見えた。

 

「~♪」

 

 相当に機嫌が良いらしい。楚梗は、酒を注ぐ杯を片手に目を瞑り鼻唄を歌う。

 彼の懐も今回の乱でまあまあ潤った。更に金の基にもなるような代物も彼の手中だ。

 程よくアルコールが体内に取り込まれ、ふんわりとした夢心地に包まれる楚梗は、一切れの干し肉を口に咥える。

 こんな良い月夜には、歌人ならば詩の一つも詠みたくなるかもしれないが、生憎と楚梗にはそんな創作的な才能も学も無かった。

 月はただそこに光るだけ。風は吹くだけ。花は咲くだけ。

 どんなものも、ただそこに在るだけ。彼にはそれ以上は何も感じなかった。

 感性が死んでいる、というべきか。

 

「―――――楚梗さん」

「んあー?何か用事か、劉玄徳」

 

 5つの酒甕の内、二本と半分を飲み干した所で、劉備と彼女の義妹二人、そして軍師組がやって来た。

 

「私達、明日ここを出ようと思ってるんです」

「そう」

 

 意を決した様な劉備の言葉。しかし、楚梗は一瞬彼女を見ただけで、直ぐに酒へと戻ってしまう。

 明らかな壁がそこにはあった。

 義理と人情で組まれた義勇軍と、金と利得で生きてきた楚梗。やはり、相容れない。

 

「それで、その………楚梗さんも来て、くれませんか?」

「………………?何で?」

 

 おずおずと劉備が切り出した勧誘は、アッサリと切って捨てられる。

 酒で鈍っている、とも考えられそうだがどちらかというと蟒蛇気質な楚梗にはまだまだ余裕がある。つまり、素だ。

 

「それは、私が未熟だからですか?」

「あ?」

「それとも、私の夢が気に入らないんですか?」

「……………何を勘違いしてるか知らねぇけど、別にそんなんじゃねぇよ」

 

 若干目のハイライトが消えかけている劉備を横目に、楚梗は酒を煽った。最早、手の杯は用を為さず、直呑みだ。

 

「オレは、金で雇われる傭兵なんだぞ?義理とか人情とか、そんなことで動いたりしねぇの」

 

 甕から口を外し、炒り豆を摘まんだ楚梗はプラプラと手を振った。

 

「お前らに、オレを雇えるだけの金があるのか?無いだろ?だから、オレが行く意味なんてない。お分かり?」

 

 酒を潤滑油としてペラペラと回る口は、存外軽い。

 いつもならば、ここまで…………言うかもしれない。ま、まあ、とにかく楚梗としては泥船に乗るつもりは毛頭無かった。

 無償労働等、彼の頭にはない。

 

「貴様は、悪逆に震える民を救おうとは思わないのか?」

「逆に聞くが、何でオレが助けなきゃいけないんだ?金にもならねぇのに」

「力を持つならば大義を何故果たさない!!」

「押し付けるなよ、関雲長。それはそっちの理屈だろ。オレの理じゃない」

 

 吠える関羽を正面から切って捨てる。

 月光に照らされた楚梗は、黒目を淀ませて空を見上げていた。

 

「だいたい、どいつもこいつも押し付けてくるんじゃねぇよ。テメェの理論がどこでも適用されると思ってんなら勘違いも良いところだ。そもそも、何で他人なんかのために戦わなきゃいけねぇんだよ。オレはオレの命守るので手一杯だっての。ふざけんなよ、何が私達には力がありません、だ。だったらその力の無さを埋めるために努力したのか?生き残るための手は尽くしたのか?やってもいねぇのに、何でそんな奴等守るために命懸けなきゃいけねぇんだよ。ふざけんなよ、マジで―――――」

 

 本当に、今日は口が軽い。いつもならば吐くのも面倒とつぐむ毒舌が、だらだらと垂れ流されているのもその証左。

 それはそこまで大きな音量ではなかった為に彼女達にはブツブツと何かを呟いている事しか分からなかった。

 ただ一つハッキリしているのは、彼が劉備達の行軍には参加しないということ。

 両者が互いの在り方を相互理解するのは、まだまだ先の話であった。

 

 

 $

 

 

 義勇軍が幽州を離れて数日。相も変わらず、楚梗の仕事、もとい金蔓は尽きることが無い。

 豪族は互いに蹴落としあい、公孫瓚より北方異民族への情報収集や暗殺に駆り出され、その度に農家の四人家族が数年働かずに食っていける金を得る。

 収入と支出の割合が8:2といった所なので彼の財布は肥えるばかりだ。

 

「お前は、何でそこまで金に執着するんだ?」

「………なんだ、急に」

「いや、そこまで金、金、金と言われたら気になるだろう?」

 

 一仕事を終えて戻ってきた楚梗に、公孫瓚は最近の疑問をぶつけていた。

 

「別に、深い意味はねぇよ。単に金が有るのと無いのとじゃ、有った方が何かと便利だからな」

「そりゃ、そうかもしれないが………」

「ま、大金の素晴らしさってのは、持ってるやつには分からねぇさ」

 

 楚梗はサラリと心理を述べる。

 持つものは、持たざるものの心象など本当のところでは理解できないのが摂理だ。

 

「公孫伯珪。アンタも、分かるんじゃないか?持たざる者と持つ者の大きな隔たりについて、よ」

「…………まあ、な」

 

 公孫瓚は、名士を重用しない。正確には、出来ない。

 それは彼女の生い立ちに関わることなのだが。とにかく、偏見によってどうにも名士というのは反りが合わなかった。因みに反りが合わないという言葉の由来は、日本の刀と鞘の関係から来ていると言われている。

 話を戻すが、これは公孫瓚の偏見でもあり、同時にこの時代の名士の在り方を表してもいた。

 

「―――――ま、持ってるのに目を逸らすのもどうかと思うがな」

「え……?」

 

 首をかしげた公孫瓚に対して、楚梗は喋りすぎた、と顔をしかめて姿を文字通り消した。

 ここ最近では見慣れた隠密能力に反応することもなく、公孫瓚は考える。

 彼女は周りから普通だ普通だ、と言われ続けており本人も特筆することの無い凡人だと思っている。

 確かに、凡人だ何だと言われ続ければ自信も失せるだろう。

 しかし、それは正しくもあり間違ってもいる。

 そもそも全ての人間が全く同じ基準値など持っていない。

 そんな彼らに普通だと言われる公孫瓚は、見方を変えれば高い水準で纏まっているということに他ならない。

 そこに公孫瓚は気付かない。いや、正確には、目を向けられないだけか。

 

「持つ者…………」

 

 自分がそうとは、未だに思えない。

 第一、楚梗が幽州に残っているのは未だに稼げると判断しているから、というのは彼女にも分かっている。

 だが、やはり気になった。

 隠密として売り込めば、こんな幽州のくんだり等で傭兵などせずとも、それこそ国で雇われそうな男が残した言葉だからだろうか。

 

「私は、何を持っているんだ?」

 

 公孫瓚は、腕を組んで首をかしげた。

 友人である劉備と比べれば、天真爛漫さやその内に秘める大きな夢など持っていない。

 関羽や趙雲、張飛のような武の腕前も持っていない。

 諸葛亮や鳳統のような軍略や政治への目もない。

 馴染みの金髪ドリル1号2号と比べても、才能や運、家柄では到底及ぶべくもない。

 無論、この思考に至る発端である楚梗と比べても武力等では劣ることだろう。

 やはり自分は凡人だ、と再確認する羽目になった公孫瓚は落ちこみ、

 

「―――――ん?」

 

 思考を変えてみることにした。

 すると、面白いことがわかる。

 確かに公孫瓚は、彼女の知り合いから見て一歩も二歩も劣ることだろう。

 その差を埋めるために努力をして、今は一歩劣るといったところか。

 つまり、得意も無いが、逆に苦手も無い。

 関羽や張飛等に武では劣れど、知略では負けていない。

 諸葛亮や鳳統に知略で負けようとも、武では負けていない。

 劉備と比べれば大望の夢こそ無くとも、実績が確かにある。

 金髪ドリル1号2号と比べれば、他者との関係の結び方などは公孫瓚の方が上手いだろう。

 楚梗と比べれば、その人当たりのよさは天と地の差がある。

 そして、幽州は彼女を中心に連合制という体こそとっているが、纏まっている。現に、楚梗に依頼する豪族は末端であったりするのだ。

 仮にこの地を任されたのが金髪ドリルであったならば、軒並み豪族は根切りにされた事だろう。

 公孫瓚だからこそ、連合制が成り立った。彼女だからこそ至った平和がそこにあるのだ。

 

「…………私は、凡人だ」

 

 いつもの言葉。しかし、今回は呪詛ではなく、単純な確認の意味。

 

「けど、私だから出来ることがあるんだ」

 

 何となくだが、心の中の澱のようなモノが若干取り除かれた様な、そんな感覚を公孫瓚は覚えていた。

 

「だったら、出来ることからやってみよう。私は、持つ者、らしいからな」

 

 うん、と頷き公孫瓚は仕事に取り掛かる。

 その表情は、今までになく生き生きとした晴れやかなモノであったことを、ここに記す。

 

 

 $

 

 

 コツコツコツコツ、と断続的に響く木と何かがぶつかり合う音。

 

「面白くありませんわね」

 

 音の主は、金髪が縦にクルクルとカールした一人の女性だ。

 その端正な顔立ちを不機嫌そうに歪めて、玉座の手摺りを指先で何度も叩いている。

 彼女の不機嫌の原因は、現在の国にあった。

 黄巾党が討伐して暫く。どれだけ腐ろうとも国の中枢というのは権力争いに腐心しているのが現実だ。

 何進と宦官が権力争いしていたのだが、最終的に政治に疎い前者が殺され後者が勝った。

 その後、宦官に激怒したこの金髪によって彼等が殺され、権力の椅子に座るのは次こそ彼女と思われたのだ。

 しかし、蓋を開けてみればその椅子に座ったのは、全く別の人物。

 それがどうにも、面白くない。

 

「―――――真直さん」

「はい、麗羽様」

「現相国を落とす策を考えなさい」

「は、はい?」

 

 この彼女の思い付きが、新たなる戦を呼び寄せる事になる。

 それを知るものは、今のところまだ居なかった。



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 世の中、えてして正しいことが常に正義というわけではない。

 そもそも、正義は民衆を味方に付けた側が正義足り得ると言えた。これは人間が個ではなく複数で生活するようになったことに起因する。

 即ち、多数決。多い方が正義であり、少ない側は負けるのが常だ。

 今回の一件もその例に漏れない。噂という無形の刃を用いて民を煽動し、商人を用いて都合のいい噂のみを広げさせて、その他はすべてシャットアウト。

 結果として、最期の時を迎える直前の項羽のような状況へと陥れさせる事が出来た。

 

 即ち、反董卓連合の結成である。

 

 

 $

 

 

 喧々諤々。動物園もかくやと言わんばかりの荒れようを見せる大部屋。

 ここは、幽州。公孫瓚の居城。今行われているのは、彼女の元に届いた檄文に対する反応をどうするか、というものであった。

 送り主は、袁紹。内容は、悪政を敷く董卓を討伐するというもの。

 会議の内容は、連合に参加するか、否か。

 

「…………」

 

 そんな彼等を見下ろすのは、部屋の梁に寝転がる楚梗。

 埃を払って態々そんな場所にいるのは、公孫瓚に頼まれたからだ。子供の小遣い程度だが、その分の金は貰っている為素直に彼は此処に居た。

 まあ、欠伸をしたり半分寝ていたりと、興味の有無から見れば、全く無いと言えたのだが。

 彼から言わせれば、今回の戦争は茶番劇も良いところだ。

 白が負けて、黒が勝つ。歴史的にもありふれた、そんな結果しかない茶番劇。見世物としてはありふれた三流芝居としか言えないだろう。

 無論、楚梗は芝居よりも金が好きだ。今回の戦争は大金を獲得できるチャンスと言える。

 問題は、どちらに付くか、だ。

 どっちに付いても損はない。信用とか信頼とか、そんなものは空の彼方に投げ捨てている彼にとっては、どちらが収入として大きいかによる。

 

「――――楚梗」

「………んあ?」

「降りてきてくれ」

 

 半分寝こけていた楚梗を、不意に下に居た公孫瓚が呼んだ。

 梁から下を覗けば、見上げてくる見慣れた赤毛と、彼が居ることを知らなかった者達が驚いた目を向けてきていた。

 楚梗はため息をつくと、梁から飛び降り、木目の床を軋ませる事無く着地する。

 

「何だ」

「今回の一件、仕入れているか?」

「幾らくれる?」

 

 その返答で十分。公孫瓚は銭で膨らんだ袋を投げ渡す。対して楚梗はそれを受け取ると、羽織の裏から竹簡を取り出し彼女へと投げ渡した。

 手慣れたやり取りだ。だが、こんな彼女を見たことの無い者達には、何が何だか分からない。

 

「―――――事実なんだな?」

「オレは取り引きに嘘を持ち込まねぇ。確りと対価を払う内は嘘はつかねぇさ」

「そう、か…………はぁ」

 

 公孫瓚のため息は、余りに重苦しい。それは日頃の彼女には見られない疲れが、見え隠れしていた。

 

「…………理由は、分かるか?」

「逆に聞くが、何処から分からないんだ?」

「私は、麗羽じゃないからな」

「つまり最初から、だろ」

 

 面倒だ、と楚梗は頭を掻いて片目を瞑った。

 しかし、今の彼女は上客だ。随分と美味しい思いもしてきた。

 楚梗とて人間だ。感情だってちゃんと存在する。

 故に今回は珍しい方へと矢印が振れた。即ち、サービスを行ったのだ。

 

「まず、前提。袁本初と何進将軍は交友があった」

「あ、ああ」

 

 突拍子もなく始まった説明だが、公孫瓚は一応頷く。

 

「次に、何進は宦官との権力争いに負けて殺された」

「…………」

「その次、袁本初は何進の仇を討つ名目で、宦官を虐殺した。ここで国の権力中枢に穴が空くわけだ。そして、その穴を埋めるために十常侍の連中がのさばってくる。加えて、空いた相国の椅子には、袁本初じゃなくて、董仲穎が就いたわけだ」

「…………つまり、麗羽はそこに嫉妬した、と?」

「多分な。元々、袁家は漢の重臣で本当なら自分が相国の地位に就いていた、とか駄々こねたんだろ」

 

 楚梗の持論に対して、公孫瓚の内心には成る程という納得の感情が浮かびつつあった。

 彼が金が絡めば嘘をつかないことを知っているため、洛陽の実情が書かれた竹簡も相俟って納得は確信へと変わる。

 

「………どっちに付くべきだ?」

「知るか。白に付こうが黒に付こうが、大局は何も変わらねぇよ。嵌められた董仲穎が負けて、策を弄した袁本初が勝つ。それだけだ」

「誰も、董卓にはつかないんだな」

「逆に聞くが、好き好んで泥舟に乗って心中する馬鹿が居ると思うか?」

 

 心底バカにしたような口調。

 彼がこう言うのも無理はない。なんせ、大局を見た上で数手先まで見通せる者達が、一様に袁紹へと協力するのだ。

 単純な構図は、董卓VS中華全土。勝つどころか、抗うことすら無謀と言える。

 

「勝つ負けるの話じゃねぇんだ。最初から結末の分かってる演し物ほど白けるモノはねぇだろ?」

「正義はない、か」

「正義?んなもん、多数派に決まってるだろ」

 

 公孫瓚の呟きを、楚梗は一蹴した。

 

「個が弱い人間は、集まるしかねぇんだよ。だからこそ、多数派がいつだって正義だし、少数派は負ける。そこに議題の善悪なんぞ無いさ」

「だが、今回董卓は白なんだろ?」

「民衆にとっちゃ黒さ。何せ、お上が黒って言ったんだからな。そして、民衆は多数派だ」

「引っくり返せないか?」

「無理。今から噂を流し直しても連合が組まれる方が早い」

「……………それは、正攻法なら、だろ?」

 

 それは、思わぬ一言。少なくとも会った当初の公孫瓚ならば絶対に言わなかった言葉だ。

 

「お前がやったら、どうなる?」

「………はぁ、ま、八割って所だろ」

「なら、それを元に売り込んだらどうなる?」

「上から三つの内、どれか一つなら、州一つに釣り合う額が出るんじゃないか?」

「やってくれないか?」

「……………お前本当に公孫伯珪?」

「痴呆か?そろそろ引退かもしれないな」

「抜かせ、皮が一緒でも中身が違うって言ってんだよ」

「私が私の手札を使うだけだ。持っているなら有効活用しないとな」

(うーわ、変な成長しやがってからに)

 

 やりづらい、と楚梗は再度頭を掻いた。

 

「やるにしても、始まってからだ。今やったところで意味がない」

「周りが集まった状態で大丈夫なのか?」

「言ったろ、八割だ」

「幾ら払えば十割になる?」

「こればっかりは、何とも。相手は連合。人数も多いし、結界も張ってるだろ。隠密ってのは、同種の人間に効果が薄いもんなんだよ」

 

 これは楚梗からも言えることだが、暗殺術を扱うものには独特の雰囲気がある。

 言うなれば、それは職人気質とでも表するべきか。

 仕事に私情を持ち込まない。そしてその達成の為だけに動く。

 だからこそ、彼らは同種が分かる。

 

「だから、八割だ。網を潜って行き帰り含めて、八割」

「そうか……………頼む」

「公孫伯珪……本当に変わったな」

 

 面倒だ、と呟き楚梗は消えた。

 残るのは、呆けた重臣達とホッと一息つく公孫瓚のみ。

 彼女としては、楚梗がこうして仕事に就いてくれるかは五分五分だった。

 どうにか報酬が目の前に転がっていることを示して、そちらに意識を持っていくのが精々。それにしたって、彼が気紛れを起こせば瓦解していた。

 だが、その苦労を買い込んだ甲斐があったというもの。

 自分でどうこう出来なかったのか、と問われれば出来なかった。

 そもそも、公孫瓚は幽州の人間であり動員できる兵力は、常に北方警戒を意識した数でしか揃えることができない。

 凡そ、総数の半分程度か。そんな数用いたところで数だけは多い袁紹に太刀打ちできる筈もない。

 戦争は数だ。覆せるのは、天才か化物位。

 だからこそ、一騎当千や万夫不当、神算鬼謀等の言葉が存在する。

 

 兎に角、何が起きるかは反董卓連合が戦いを始めれば分かることである。

 

 

 $

 

 

 史実、そして演義においても、反董卓連合の決戦は重要な意味を持つ。

 戦いの場として有名なのは、汜水関、虎牢関だろう。因みに後者二つの関は、史実では同一のモノであり、演義にのみ別物として記されている。

 そして、この世界でもそれは同じくであった。

 董卓軍三万に対して、反董卓連合十数万。戦う戦わない以前に、相対することすらバカらしく思える戦力差だ。

 それでも董卓軍が正面から迎え撃つ姿勢をとった理由はただ一つ。トップである董卓への忠誠心。彼女を守るために、兵の末端までこの戦いには決死の思いで臨んでいた。

 彼等彼女等は、同じ土俵に立っていると言える。

 

「―――――だからって、オレがそれに乗る必要はねぇよな?」

 

 両陣営が、汜水関とその前方数キロで睨み合うその日の夜。夜闇に紛れるいつもの格好で、楚梗は陣営を進んでいた。

 この戦争は未だに始まっていない。連合が漸く揃い、明日明後日に舌戦からの戦闘開始となる筈であった。

 だからこそ、彼は此処に居る。

 戦いが本格的に始まってしまえば、当然両陣営それぞれ相応の消耗をすることになるのは明白。

 それ故に、今動く。その後の事など知らないし、況してや歴史的な事件だとか、面白味だとかそんなことすら関係無い。

 利益になるから動く。それだけだ。

 

 閑話休題

 

 今回の両陣営。名だたる面々だが、そのセキュリティには大きな差違があった。

 まず、堅いと言えるのが孫策、そして劉備のそれぞれの陣営。

 前者は、隠密部隊が優れており、後者は単純に数が少なく将の質が良いためだ。

 それに次ぐのが、孫策を内包する袁術。

 これはどちらかというと、お付きの張勲によるものだ。

 孫堅が死に、その際に恩を着せた事を理由に彼女達をこき使っていた。更にその際に孫策軍を分裂させて蜂起させないというおまけ付き。

 そして、隠密を有さない曹操軍。ここは軍師が有能であり、単純に兵が強い。

 ここまで来れば分かるが、袁紹軍が一番脆い。

 兵も将も特筆するほど強くない。ただ単に数が多いだけだ。

 正面の戦闘には強い。それこそ王道の、数の暴力は凄まじい破壊力を誇る。

 そしてそれ故に、搦め手を軽んじる。

 

「思った以上に、だな」

 

 見張りの兵の首を、クイッとしながら楚梗は目を細めた。

 彼は基本的に、見張りは殺すようにしている。

 死体を隠す手間が掛かるが、それは気絶させても同じこと。むしろ妙なタイミング起きられる心配がない為採用していた。

 手法はシンプル。背後へと隠密で忍び寄り、首をへし折るのだ。手間も少なく血も出ない、それ故に金もかからない。

 実に彼らしい。

 そんなこんなで、十数人の命を容易く奪った楚梗はある天幕の前へとやって来ていた。

 既に夜の闇も深い。それでもその派手な天幕は、目立っていた。

 見張りは二人。強さ的に千人長クラスだろうか。

 本来ならば、袁家の二枚看板の内、どちらかが就くのがベストの筈だが、明日を考え袁紹自身が休ませてしまっていた。

 認識が甘いとしか言い様がない。派手なだけが戦争ではないのだ。

 ちゃっちゃと二人を屍へと変えて、中に一人しか居ないことを確認し、楚梗は中へと入り込む。

 外側よりも更に中は、派手だ。

 何処から持ってきたのか分からない調度品の数々。豪奢な寝台。机や椅子に至るまで、その全てが一級品。

 そして、その寝台に横になっているのが金髪ドリル二号。袁紹である。

 よだれを垂らして眠るその姿はアホにしか見えないが、今回の引き金を引いたのも彼女だ。

 

「…………」

 

 記憶と顔を照合させた楚梗は、頭を掻くとそのついでに、羽織の裏から大小二枚のズタ袋を取り出した。

 寝ているならば丁度良い。派手な鎧も今は着ていないため、両手足を縛って、頭に小さい方のズタ袋を被せた。

 その後、人一人余裕で入る大きい方のズタ袋に袁紹を詰めて担ぎ上げる。

 史実や演義は愚か、平行世界ですら早々見られない、レアケース。

 

 開戦前に、総大将が拐われるという異例の事態。

 翌朝が実に実に楽しみなことが始まろうとしていた。











今回、私としても見たことの無い話になるよう書かせていただきました
実は別ルートとして、楚梗が連合につく話も考えてはいたのです
その場合、最終的には隠密まで使って呂布との正面激突、等という事態になりました
ただ、その展開は王道が過ぎると言いますか。そもそもこの主人公は外道で屑です。私の主観的イメージには合いませんでした
そして、紆余曲折を経てこの形に

言い訳はここまで。では、次のお話でお会いいたしましょう
読了感謝致します


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お気に入り、感想、評価。これらを下さる読者の皆様に感謝申し上げます。

今回のお話は、言わば繋ぎ、箸休めでございますゆえ、肩の力を抜いて閲覧していただけると宜しいかと思います


 あり得ない、なんて事はあり得ない。確約こそ出来ないが、現実は小説よりも奇なり、という言葉もあるぐらいに、何でも起きる。

 

「ど、どういう事ですかぁ!?」

 

 明朝、女性の悲鳴が響き渡った。

 場所は反董卓連合、袁紹陣営。騒いでいるのは、袁家の二枚看板が一枚、顔良。

 彼女の目の前にあるのは、相当に豪華な天幕だ。

 ここは、袁家のトップにして今回の連合、総大将を務める袁紹の天幕。顔良は目覚めと同時にある程度の身嗜みを整えて此処に来た。

 見張りが居ないことに首をかしげたが、袁紹が気紛れで退ける可能性は十分にあった。

 時間的にも余裕があり、戦いになるならば英気を養うことも重要だろうと、彼女は放っておいたのだ。

 だが、数刻が経過したところで違和感に気付く。

 袁紹は子供のような面がある。それこそ、遠足前の子どものように寝る時間が遅くなり、そして早く目覚める事がある。

 そして今回、彼女は董卓を討ち果たす事を楽しみにしていた。

 だが、今はどうだ。起きてくる気配どころか、まるで天幕に居ないかのような静けさだ。

 ここで漸く、顔良は控え目ながら一声かけて天幕の中へと入り、そして冒頭の叫びを上げることとなった。

 そして、彼女の叫びから陣営のあちこちから、少し探せば見つかるような位置に置かれた死体がゴロゴロと出てくるではないか。

 どの死体も外傷は少ない。ただ、首が不自然な方向へと曲がっていた。

 しかしその中に袁紹の姿はない。

 とはいえ、そんなことは何の慰めにもならない。

 問題なのは、夜間とはいえ警戒すべき戦前の状況で大将が消えてしまった事だ。

 失態の何物でもないだろう。

 

「斗詩ーー!」

「ぶ、文ちゃん…………」

 

 天幕から出ておろおろしていた顔良の元へと駆け寄ってくるのは、同じく二枚看板である文醜。

 

「陣の中全部探したけど、麗羽様は居ない!」

「そ、そっか………いったい何処に………」

 

 脳筋である文醜とは違い、ストッパー役を務めることの多い顔良の頭の回転は悪くない。

 だが、特筆するほどでもない。しかし、この状況においての結論を導き出すことは出来ていた。

 袁紹には自由なところと我儘なところがある。その点を加味すると、どこかにフラりと出掛けた可能性もあるだろう。

 とはいえ、今は戦争直前。可能性は低い。だが、陣に居ない。

 それはつまり、

 

「なあ、斗詩。麗羽様、拐われちゃったのか?」

「……………」

 

 文醜の懸念は、顔良にもある。というよりも、そうとしか考えられない。幾ら信心深い時代であっても、神隠し等が最初の選択肢には出ないのだ。

 しかし、誘拐であった場合臣下の失態と言える。

 夜間であり、隠密などの専門分野を得意とする兵科が無いから等理由にもならない。

 何より、今回の一件はそのまま連合崩壊の危機とも言えた。

 

「と、とにかく情報を集めないと………真直ちゃん!」

 

 顔良は行動を開始する。

 それが、既に遅すぎることである事など知る由も無かった。

 

 

 $

 

 

 この時代、電信や無線などの便利な代物は存在しない。

 基本的に情報は、媒体である竹簡や書簡を伝令役に持たせてやり取りを行っていた。

 そして、これは戦争でも変わらない。

 この際には、複数の騎馬を伝令としてたてて、複数のルートを走らせて各隊の情報伝達を行う。

 だが、これは表向きだ。

 各部隊には隠密が紛れ込み、互いに知らないタイミングで情報を探りあっている。

 それが連合ともなれば尚更だろう。

 

「――――それは本当か?」

「はい、間違いないかと。私もこの目で確認してきました」

「そうか………」

 

 その一つ。紅の映える陣営。

 天幕内に居るのは、眼鏡を掛けた黒髪褐色の美女と忍び装束の少女。

 周瑜並びに周泰の二人だ。

 

「まさか、夜間とはいえ陣営に侵入し、大将を誘拐する、か。余程の手練だな。何より、手段を選ばないとは………」

「あの、冥琳様」

「なんだ?」

「何処が、やったのでしょうか?」

「ふむ…………」

 

 周泰の問いに、周瑜は顎に手をやり腕を組んだ。

 軍師である彼女は、戦闘能力以上にその頭脳が売りだと言えた。直ぐに火計に走ることは否めないが。

 因みに戦争で火を使うのは有効な手段の一つと言える。何せ、寡兵で大軍を討つことも可能だからだ。

 

「明命。お前ならばザルとはいえ、大将を誘拐する事は可能か?」

「…………難しいかと。暗殺と違い人一人を連れ去るには相応の労力が必要ですから」

「なら、お前たち以上の隠密は居るか?」

「それは…………」

 

 周泰の脳裏に過るのは、黄巾党の一件。

 張三姉妹、そして彼女達の持つ太平要術の書。この二つの情報を得ており、火計の際の混乱に乗じて奪取する手筈だった。

 しかし、結果は不明な勢力に先んじられ、失敗。どちらも手に入れる処か火の着け損。

 そしてその際に、周泰ともう一人の隠密頭は何者かの存在を感じ取っていた。

 それは隠密故の直感。確証こそないが、確信できる相棒からの啓示である。

 押し黙ってしまった周泰を見て、周瑜も彼女の思考の予測が出来たらしい。その端正な顔に苦みが走った。

 彼女も含めて、孫策軍の結束は強い。そして、仲間たちへの信頼も厚い。

 その信頼の厚さは、そのまま各々が有している実力への自信となっていた。

 だが、その自信に黄巾党の折り、ヒビを入れられた。

 情報統制はしていた。張勲にも気付かれていなかった筈だ。何より、孫策軍の隠密は群を抜いている。

 でありながら、結果は失敗。黄巾党を討つ一助にはなったが、目的は達せられなかった。

 何より、張三姉妹の代わりに首謀者として偽張角達が本物として処刑されたことが気に入らない。

 国はその際の功績ある諸侯の名は発表しなかった。正確には出来なかった、か。

 その点は何やら取引があったらしく、功績を金銭に変えて地位向上等は行われていなかった。

 問題なのは、その足取りを彼女らが追えなかった点。

 だが、今回ならば予測可能だ。

 

「今回の連合、そして董卓。やったのは董卓陣営に思えるな」

「ですが、董卓軍にそれほどの?」

「確かに話は聞かないな。人中の呂布、神速張遼。特筆すべきはこの二人か。軍師は賈 詡。粒揃いだが、隠密に関しては聞かん。ならば、他の陣営はどうだ」

「えっと………」

「陣営で最も層が厚いのは、曹操の陣営だ。彼処ならば、隠密も腕の立つものが一人はいてもおかしくない」

「し、しかし、彼らが袁紹殿を誘拐する理由がありません」

「だろうな。だからこそ、ある陣営が浮かぶ」

「ある陣営?」

「公孫瓚だ。今回彼処は北方防衛を理由に連合には物資のみ提供している」

「………?」

「忘れたのか。彼処は私達ですらマトモに情報を集められなかったんだぞ?」

 

 戦争の勝敗は、最初の情報戦で勝ちをもぎ取れるかのパーセンテージが変わると言っても過言ではない。

 相手の戦力、部隊編成、作戦、糧食の量、その他諸々etc

 予め、知っているか否かでは対応も掛かる労力も大きな差が有る。

 無論、知っている情報に固執すれば、それが致命的な隙になることも否定はしない。そこは軍師の腕の見せ処だ。

 そして、孫策軍は未だ飼殺しの虎だが、雄飛することを虎視眈々と狙っている。

 その為に彼等は、隠密を様々な場所に放っていた。

 どの陣営も、ある程度の情報は得た。その中で情報の“質”が薄かったのが公孫瓚の治める幽州だ。

 特筆する点と言えば、他には見ない連合制を敷いている面か。

 後は何もない。元々有名だった白馬義従や騎馬を用いた戦術など、それこそ兵法書からの発展もない様なモノばかり。

 これだけ見ると、弱小諸侯にしか見えない。

 しかし、目の良いものが見れば違和感を覚えるだろう。

 何というか得られる情報全てが、教本のような、そんな印象を受けるのだ。

 まるで、どれだけ見られても構わない、とでも言うかのような態度。

 

「彼処が一番不気味だ。見せるところと見せないところをハッキリと分けすぎている。何より、こちらの隠密部隊を数人殺られたからな」

 

 周瑜の懸念はそこだ。幽州陣営は、そこまで名の広まった者は居ない。敢えて挙げれば公孫瓚位だ。

 でありながら、情報の開示制限を行い、腕利きの隠密を仕留めてくる。

 

「思惑までは、分からん。だが、奴等が先手をとっているならば、荒れるな」

 

 周瑜の懸念。それは各陣営の頭脳担当の総意でもあった。

 

 

 $

 

 

 常道は崩すために在る。

 それを見事に体現せしめた男、楚梗は現在森の中を疾駆していた。

 草地を駆け抜け、崖を駆け下り、木々の梢を跳び移り、その姿は野生の獣に近いものがある。

 

「~~~~~ッ!!」

 

 その肩には、ビクビクと震える人ほどの大きさの布の塊が担がれていた。

 そんな彼の背後では、バキバキと木々がへし折られる音と、荒い吐息が聞こえてくるではないか。

 

「あぁ、くそっ!しつけぇな!」

 

 楚梗は悪態をつきながら背後をチラリと振り返る。

 背後から追ってきているのは、人間ではない。

 黒っぽい毛並みに、隆々とした筋肉が押し込められ、その前足の一撃は一撃で人間の首など容易くへし折る破壊力を秘めている。

 熊。それもここら一帯の主なのか化け物のようにデカイ大熊だ。

 ことの発端は、現在楚梗の担いでいる袁紹にあった。

 

 

 $

 

 

「――――一休みするか」

 

 熊に追われる数刻前。楚梗は、森の中で休息を取っていた。

 ある程度の速度が求められる状況ではあるが、限界突破してまでこなすべき事でもない。

 見晴らしのいい崖の近くに陣取り、彼はその縁から数メートル離れた位置に腰を下ろした。

 傍らには、モゾモゾと動くズタ袋。

 中身の袁紹には猿轡を噛ませているため、くぐもった声が微かに聞こえる程度だ。

 

「あー…………眠ぃ」

 

 首を回すとバキバキと音が鳴った。

 隠密擬きとして、長い間不眠不休で動くことも多い彼だが、やはり人間は何処かでオフが無ければ何処かでガタが出てしまう。

 ガサゴソと羽織の裏を漁り、取り出したのは細長い酒甕。

 キュポン、と蓋を開けて中身を煽る。

 この時代の酒は決して度数が高いとは言えない。だが、高いものも有るには、有る。今回のモノは、現代基準で十パーセント前後だが。

 サラサラと風が吹き抜け、梢が揺れる。

 歴史そのものをぶち壊しかねない事をやらかしている楚梗は、ここ最近には無かった穏やかな時間に身を置いていた。

 だが、それも一刻持たずに瓦解した。

 

「~~~~~ッ!!ぷはっ!ちょっと!!この私をこんなズタ袋に閉じ込めるなんてどういう了見していますの!?」

「………何で出れたんだ?」

 

 突如騒ぎ出すズタ袋。見れば、袁紹の頭だけがひょっこり飛び出していた。

 その首には猿轡が引っ掛り、動き回ったのか彼女の寝そべる地点は擦れたような跡が残っている。

 

「ちょっと!!聞いていますの!早くここから出しなさい!」

「………」

 

 キャンキャン喚く袁紹に、楚梗の目が死んだ。

 彼女はこれまで接してきたことのない相手。そして、苦手であることが確定した。

 とはいえ、流石にこの静かだった時間を無くしてまで騒音のBGMを聞きたいとは彼は思わなかったらしい。

 重い腰を上げて、

 

「っ?」

 

 ゾワリ、とうなじが逆立つような感覚を覚えて周囲を見回した。

 側では未だに袁紹が叫んでいるが、今はそんなことを気にしている場合ではない。

 何かが来る。長年の経験からそれを感じ取った楚梗は手早く袁紹の口に猿轡を噛ませて、頭にズタ袋を被せ直した。

 そして、肩に担いで立ち上がったところでその予感は的中する。

 

「…………デカ」

 

 現れたのは、巨大な熊。

 そもそも、熊という生き物は臆病な性質を持っており、目が悪い。その代わり耳や鼻が良くそれ故に熊避けの鈴等に効果があった。

 これは元々、熊に人間の場所を知らせて、予め接触を防ぐというもの。因みに、山登りの際に大音量でラジオなどを流すことも熊避けに使える。

 だが、この場合はほんの少し事情が違う。

 動物というのは馴れる生き物だ。言い方を変えれば、学習するということ。

 つまり、人間が己より弱く、更に食べやすいということを知った熊には大声の悲鳴などは自分を食ってくれと宣言しているようなモノなのだ。

 ほんの少しの間、楚梗は熊と睨み合っていた。

 相手が人食いでなければ、このままやり過ごすことも出来ただろう。

 しかし、相手が涎を垂らして踏み出してきた時点でその望みは断たれた。

 

「………チッ」

 

 舌打ちを一つ。同時に左袖からクナイを一本手の中に落とし、ノータイムで熊の目へと目掛けて投げ付けた。

 だが、これはタイミングが悪く熊の頭が振れた事で狙いを外し、猟銃の弾すら時には弾く分厚い頭蓋骨に弾かれた。とはいえ、狙い通りだ。

 楚梗は、熊の視線が外れると同時に崖から躊躇なく飛び降りていた。

 こうして、一人と一頭の追い駆けっこは始まった。

 

 

 $

 

 

 そして、場面はパルクールを用いて逃げる楚梗と、身体能力ごり押しで追い駆ける熊へと戻る。

 かなりの距離を駆けたというのに、未だに追ってくる辺り相当執念深く、何より飢えているようだ。

 

「…………はぁ」

 

 一際強く足場の太い枝を踏み締め、楚梗は跳んだ。その先には、少し拓けた草地がある。

 所々に岩が点在しているが、ほぼまっさらの原っぱだ。

 そこに降り立った楚梗。その足で真っ直ぐに向かうのは、V字の窪みがある岩だ。

 そのへこんだ部分に担いでいた袁紹を放り込む。

 若干布の破けるような音がしたような気がしないでもないが、まずは追っ手を片付ける。

 

「…………」

 

 ガサガサと近寄ってくる重い足音を聞きながら、楚梗は近場の岩の上に飛び乗った。その際に、草履を脱ぎ捨て裸足となり足の指で岩の縁を掴んでしゃがみ全身に力を溜める。

 時間にして、十数秒。

 森を突き破って現れる巨大熊。

 真っ直ぐに自分へと向かってくる事を確認し、楚梗は跳んだ。

 そして―――――――

 

 

      ぐちゃり



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読者の皆様には感謝の念が尽きません

今回のお話も前回同様、繋ぎのようなもの。肩の力を抜いて気楽にお読みくださいませ


 血の臭いが辺りに満ちる。

 

「……………」

 

 ニチャ、と血塗れになった右足を振りながら、楚梗は足元を観察する。

 そこに在るのは、熊の死体。うつ伏せであり頭が胴体へとめり込んで、抉れていた。

 彼の蹴りは、一撃で岩も蹴り砕く。

 今回は、前方に回転しながら飛び上がり、落下の重力、回転の遠心力を加えた踵落としを敢行していた。

 結果はこの通り。大熊を一撃で仕留め、地面へと叩き付ける破壊力を発揮した。

 だが、ここで問題が発生する。

 

「やべぇ…………血がとれねぇ」

 

 ザリザリと何度も草地に右足を擦り付けるが、粘性の高い熊の血はなかなかとれてはくれなかった。

 血液と格闘する楚梗。その近くでは、モゾモゾと動く影がある。

 

(私にこの様な仕打ち!絶対に許してなるものですか!)

 

 ズタ袋に詰められ、どうにか逃げ出そうとしている袁紹だ。

 一見布の塊にしか見えない彼女がモゾモゾと動くその様子は、言い方は悪いが巨大な芋虫にしか見えない。時折頭に被せられた布の部分に人の顔が浮かぶのはホラーだが。

 岩の隙間に引っ掛けられる形で置かれた彼女は、動けないながらも何度も何度も上下に跳ねる。

 かと思えば、芋虫をつついたときの様に身を捩ったり反り返ったりと、その動きは純粋に気持ちが悪い。

 だが、この気持ちの悪い動きも意味があった。

 

「―――――ふぎゃん!?」

 

 何と、岩の尖った部分にでも引っ掛かっていたのか、ズタ袋が袁紹の動きに耐えられず破れてしまったのだ。

 更に引き絞られたゴムのように布が弾け、その反動で彼女の体は跳ねると地面へとうつ伏せの体勢で放り出された。

 それでも、未だに細く強靭な縄でぐるぐる巻きにされている為に芋虫には変わりない。

 

「ふぐぐぐ………!」

 

 が、兎に角前は見えるようになった。

 どうにか立ち上がった袁紹はそのまま、跳ねるようにその場から逃げ出す。

 その光景を見ていた楚梗は、何とも言えない表情だ。

 袁紹本人からすれば決死の逃走劇だ。しかし、端から見れば紐に巻かれた蓑虫擬きが跳ねているようにしか見えない。

 ガリガリと頭を掻くと未だに血のこびりついた足を諦めて草履を履き直した。

 飛び跳ねて必死に逃げる袁紹だが、その距離は大して稼げていない。故にこのまま歩いて追い駆けても十数秒後には捕まえられる。

 筈だった

 

「――――あらっ?」

「あ」

 

 まず考えてほしい。全身を縛られ、膝なども曲げる位しか出来ず離れない。もはやミイラのような状態で、足場の悪い場所を跳ねれば何れ転ぶ事になるだろう。

 例に漏れず、袁紹は転んだ。そして場所が悪く、転びかたも悪かった。

 まず、場所。坂道だ。なだらかだが、下ろうとすると少し踏ん張らねばならない程度の角度。

 次に転び方。石に引っ掛かったのか、前ではなく横に転んだ。

 さて、坂道で横向きに寝転がればどうなるか。

 

「あああああああああ!?と、ととと止まりませんわ~~~~~~ッ!?」

「あーあーあーあー…………」

 

 答え、坂道に沿って転がっていく。

 最早それはギャグの領域だ。楚梗の目がいつも以上に死んでいるのも無理からぬ事。

 そんな誘拐の被疑者が呆れる速度で転がる誘拐の被害者。

 そして、

 

「ふぇ?ぇえええええ!?」

 

 坂の先は崖だった。カッと輝く太陽の下、金の髪が舞い上がり、重力に引かれて落ちていく。

 その先には、流れの速い大きな川。盛大な水しぶきを上げて、一瞬だけ金が沈み、直ぐに浮かび上がると流れていくではないか

 

「…………止めときゃ良かったか?」

 

 河童の川流れのように、川の流れに乗って下流へと流されていく彼女の様子に、楚梗も今回の仕事を始めてしまったことを後悔していた。

 だが、やると言った手前やらねばなるまい。

 大きく息を吐き出して、楚梗は下流へと駆け出した。

 

 

 $

 

 

 山中にてギャグも真っ青の茶番劇が行われていた頃。董卓軍VS反董卓連合の合戦場にも変化が起きていた。

 

「――――今、何と言ったのかしら?」

「ですから、私達はこの件を降りる、と言ってるんですよぉ」

 

 袁紹陣営の天幕。本来ならばここで作戦会議や勢力同士の交遊などが行われる筈だった場所。

 そこで険悪な雰囲気を出しているのは、二つの陣営だ。

 一つは、袁紹と同じく袁家一門に属する袁術陣営。

 もう一つは、曹一門筆頭の曹操率いる曹操陣営だ。

 目くじらを立てているのは、金髪ドリル一号の曹操。立たせているのは、腹黒軍師兼袁術親衛隊兼お世話係の張勲。

 

「それは、敵対する、ということかしら?」

「違いますよぉ。ただ、私達は麗羽様が絶対勝てるって言うから連合に参加したんですよ?その大将が戦う前から拐われるなんて聞いてませんしねー」

「袁家一門として、袁術を大将に建てれば良いじゃない」

「嫌ですよぉ。そうしたらまた拐われちゃうかもしれないじゃないですか。お嬢様の居ない世界なんて私、堪えられません!」(まあ、拐われることは、恐らく有りませんけどね)

 

 煽るような、ふざけるような物言いだが腹の中では別の事を考えている張勲。彼女としては、このまま連合を抜けたいのは本当だ。

 数の暴力という言葉も有るにはあるが、今回は特殊すぎる。

 いくら頭で、誘拐はこれで終わりと言い聞かせても、心のどこかで滲んでくる不安を重く受け止めるのが軍師という職業。

 逆に言うと、最悪を常に想定できない者に軍師は向いていないと言える。

 

「大義を果たさないつもり?」

「逆に聞きますが、曹操様。貴女は本当に董相国が帝を傀儡にしてると思ってるんですか?」

 

 張勲は曹操に問うたように見せて、周囲の諸侯にも目を走らせていた。

 これで狼狽えるような相手は脅威足り得ない。自分で考える頭がない相手など策略を張り巡らせる必要すらないからだ。ちょっと足出せば引っ掛かって転ぶ。

 

(成る程~、義勇軍の頭は世間知らず、と)

 

 彼女の目論み通り、と言えば良いのか慌てたのは劉備一人。

 その他のメンツは、平然としたままだ。

 

「私から言わせてもらえば、ここにいる全員大義なんて無いと思いますけどねぇ」

「それは、貴女達にも当てはまるんじゃないかしら?」

「そうですけど、それが何か?私達は、さっきも言いましたけど勝てそうだから連合に参加したんですよ?大義とか、そんなもの関係無いんですよねぇ」

 

 張勲の物言いは、乱雑だがこれも一つの理だ。

 そもそも一般的に言われる正義は、悪に対して数を揃えて袋叩き。悪を悪足らしめるのは何時だって不特定多数の外野なのだ。

 

「皆さんもそうでしょう?相手が悪いとか、大義とか関係無い。これから自分達が飛躍するための踏み台が欲しかった所で、麗羽様の連合への誘いは渡りに船でしたでしょうし」

 

 クスクスと笑う張勲は実に楽しげだ。

 彼女、常道を通らない奇抜な一件で微妙に箍が外れていた。周りに袁術が居ないこともその一端ではあるか。

 

「それじゃあ、皆さん。私は失礼しますねぇ」

 

 周りが気まずい沈黙状態に為る中、張勲は正に愉悦といった表情で天幕を出ていった。

 腹黒軍師は趣味が悪い。態と、最もトップが脆い陣営を狙い撃ちしての発言であったのだ。

 そして、彼女が、延いては袁術陣営が連合を抜けるということは、彼女達の手駒である孫策陣営も同じく連合を外れるということに他ならない。

 そうなると、表の戦力もさることながら、裏もガタガタ。只でさえ人数という防諜等に関するネックがあるというのに、その道のプロが抜けるのは痛い。

 

「………はぁ、どうしようかしらね」

 

 頭痛い、と額に手をやった曹操はため息をつく。

 袁紹が拐われ、袁術が抜けた連合の中核を担えるとしたら彼女だ。

 だが、彼女にも問題はあった。

 まず第一に、部下などには人望厚いが、どうにも他勢力には受けが悪い。

 最たる理由は、彼女のワンマンっぷりか。

 元々才能の塊とも言える曹操は、出来ないことを探す方が難しい。

 少なくとも、大将、武将、軍師と大抵の役職をこなせて、料理も上手い、知識も幅広い。

 それ故に無意識のうちに彼女は、己と同レベルの能力を周りに求めてしまう。

 見方を変えれば、それは周りに自分以下という格付けをしてしまうことに等しい。

 そんなこと、自尊心の塊のような者達に受け入れられる事ではなかった。

 

「――――華琳様」

「秋蘭。連合はどんな様子かしら?」

 

 いつの間にか曹操以外が居なくなった天幕にやって来たのは、青髪の麗人、夏侯淵。

 

「どうやら、袁紹陣営が騒ぎすぎたようで、噂の段階ですが兵にも広まっております」

「そう………士気も下がってそうね」

「はい。このまま戦いとなれば、間違いなく負けます」

 

 兵の強さや策の完成度なども、その根底には士気が必須だ。これが低い側が勝った試しなど殆んど無い。

 精神的な面を軽んじる者も居るが、実力が伯仲であった場合、精神的に高揚している側の方が勝つことが多いのは戦争でなくとも当てはまる。

 

「何者かしら、ね」

「隠密で有名ならば、孫策陣営でしょうか」

「ええ。けど、彼処には麗羽を拐っても得は無いのよ。むしろ、雄飛を狙うならこの戦は外せない。功を焦るならまだしも、誘拐は百害あって一理なし、よ」

「ならば……」

「……いえ、可能性の話はするべきじゃないわね。それより、穴があるとはいえ、麗羽を拐った手腕…………良いわね」

「華琳様?」

「常々思っていたのよ。私の覇道には、表の貴女達に釣り合うだけの裏がない、とね。会ってみたいものだわ」

 

 雌伏の覇王。雄飛へと向けての材料集め。

 その一つとして、腕のたつ隠密を求めていた所でこの話だ。

 強いもの、美しいもの、優れているものを好む彼女の目からすれば、人となりを知らない今回の犯人は優れた人物に思えていた。

 知らないというのは、時に全く相性の合わないような相手すらも引き合わせてくる。

 

 

 $

 

 

「――――つっかれた…………」

 

 未来の覇王よりロックオンされたことなど知るよしもない楚梗は、死んだ目で空を見上げていた。

 座っている切り株の傍らには、びしょ濡れで気絶した袁紹の姿もある。

 あの後、どうにかこうにか流される彼女へと追い付き、溺死寸前で引き上げることに成功していた。

 その代償として、体力とメンタルをごっそり持っていかれたのには目をつぶろう。

 

「はぁ…………厄日だ」

 

 携帯用の酒甕を飲み干し、投げ捨てた楚梗は縛り直した袁紹を担いで立ち上がる。

 水に濡れているために、彼女に触れる肩の部分が湿っていく不快さに彼は眉を潜め歩き始めた。

 川を下るというのは、彼のプランには無かったことだ。熊に追われたことも合わせるとけっこうな遠回りをしてしまったことになる。

 

「ま、着いたがな」

 

 暫く歩いたその先、崖の縁に立った楚梗。

 彼の視線の先には、小さくだが目的地である街が見えてきていた。

 直線距離で数キロ。道を選べば十数キロ。楚梗が選ぶのは、断然前者だ。

 といっても、真っ昼間に堂々と入り込むつもりはない。

 美学などではなく、効率の問題だ。

 まず、夜間に入り込むのは警備の穴を突きやすいため。そして、交渉する際には当事者のみで向かい合って話し合う。

 前者は理由そのままだが、後者の場合は悪意ある第三者の介入を防ぐためのもの。

 交渉でも戦争でも、漁夫の利を狙う第三者が脅威であることに変わりはない。

 特に、交渉は己の弱味を、戦争は疲弊したタイミングをそれぞれ衝かれる可能性があるため尚更だ。

 その為この場合、適当な空家か洞窟で時間を潰すのがベスト。

 先程の川流れの一件から袁紹の側を軽々しく離れられないことを、楚梗は学んでいた。

 一応、気絶させる手段は持ち合わせているが、元々は殺し専門の彼にとっては面倒この上ない。加減を少し間違えるとポッキリ殺ってしまいかねないからだ。

 

 閑話休題

 

 とにかく、この珍道中はそろそろ終わる。

 その終着点の街、洛陽で



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 洛陽。大抵の国の首都は発展していることが殆んど。

 この都も例に漏れず、治安もそこそこ、治めている者の手腕が良いのか、皆が笑顔だ。

 だが、ここ数週間ほどはバタバタとしていた。

 原因は、謂わずもがな反董卓連合の集結。

 元々腐った泥船のように暗澹たる穴蔵のような、蛇蝎の巣窟が中央というもの。

 その対応に駈られていた軍師である賈駆が気づいた頃には、既にどうしようもないほどに大局は反董卓連合、つまりは袁紹側へと傾いていた。

 彼女らの取れる選択肢など最早抗戦のひとつのみ。それも、トップである董卓が帝を見捨てられないが故の抗戦だ。

 救いは、彼女等の治める範囲で反董卓連合に着くような者が民の中で出なかったことか。

 もっとも、その他の将などは一部を除いて連合に参加するか、若しくは日和見を決めての静観であった。

 どうしようもない。詰んだ将棋盤に待ち受ける未来など勝者が敗者を摘み取るだけだ。

 本来ならば。

 

「――――動いていない?」

 

 連絡役の報告を聞き、賈駆は首をかしげた。

 この日は、戦争の開始であった筈だ。だが、蓋を開けてみれば、相手は動かず固まったまま。

 さすがに、この事態は彼女にも読めなかった。

 何故動かないのか。外野であり、その光景を肉眼で見る術を持たない故に、状況判断が行えない。

 かといってそれを憂いて、都を留守にすれば蛇蝎共が瞬く間に権力中枢を乗っ取ってしまうことだろう。

 

「………急いで虎牢関から、張遼、呂布、陳宮の三人を連れてきてちょうだい。指揮は副官に任せるように伝えて」

「はっ!」

 

 とにかく、情報を擦り合わせねばならない。

 本来ならば反董卓連合と対面している、汜水関の華雄を呼ぶべきかもしれない、が賈駆は華雄との相性が悪いのだ。

 何より、猪武者は動きは派手だ。折角相手が止まっているのに、動きすぎて手薄になった事をバラしては意味がない。

 

 閑話休題

 

 出ていった部下を見送り、賈駆はため息をつく。

 彼女、どうにも勝ち運に見放されている。

 権力を得たからか、あるいは生まれながらか。とにかく、運が悪い。

 何をやっても裏目裏目。どうしても、彼女が何かをすると悪い方向へと進んでしまう。

 それでも折れなかったのは、親友であり、主でもある董卓のため。

 彼女を護るため、賈駆は進んできた。

 それでも、運が絡んで事態が悪化すれば泣きたくなる。

 彼女にとって、運も実力のうち、という言葉ほど残酷なものはない。

 賈駆という軍師の力は、諸侯の軍師を比べても勝るとも劣らない。

 むしろ、ぬくぬくとした地方の軍師など歯牙にも掛けない智謀を誇る。

 だが、そんな彼女を阻むのが運。高いステータスの全てを合わせてもマイナスを発揮するバッドステータス。

 賈駆の人生の大半を、損に回らせる要因。

 だからこそ、今回も思考し、疑う。

 何故敵が動かないのか。反董卓連合の首魁である袁紹は目立ちたがり屋であり、それが原因で今回に至ったことは、賈駆の頭脳を持ってすれば容易く導き出せる事であった。

 そんな彼女が勝てる戦いを前に、待てをするだろうか。

 少なくとも、賈駆の得ている情報から導き出した袁紹にソレは当てはまらない。むしろ、周りを差し置いて突撃しかねない。

 ならば、その他が押さえているのか。

 この考えにも、賈駆はバツをつけていた。

 連合の主な戦力は、その全員が少なからず出世を求めて参戦している。故に、その中でも一番槍をとって、尚且つ敵に大打撃を派手に与える事を皆が狙っていると言っても過言ではない。

 となると消去法で、連合内でトラブルが起きているということになる。

 そこからが、分からない。

 賈駆自身も仕掛けていないし、仮に仕掛けても機能しない、若しくは利用される可能性が高いため、彼女は中入りや内部工作等はしないのだ。

 ここで、補足。

 まず大前提として、賈駆は運が悪い。彼女主体で事を動かす場合は悪い方向に進みやすい。

 注目すべきは、運の悪さ、ではなく彼女主体で進める、という点。

 つまり、賈駆が意思をもって進めれば悪い事態を呼び込むというもの。

 逆に言えば、彼女主体で無いならば、それこそ他者からもたらされるものならば、ある程度の緩和は見られるということ。

 

「霞達が来るのは、早くても夜になる、かな。それまでに、ボクも情報を集めないと」

 

 ようするに、彼女は幸運を掴めないが、ソレに近いものが転がり込んでくることは、あるということ。

 

 

 $

 

 

 誘拐というのは、昨今成功の事例が少ない。それこそ銀行強盗のレベルで少ない。

 犯罪の前提条件は、バレないこと。

 突発的なモノを除いて、計画する人間は犯罪の内容以上に、逃げるための算段を念入りに組まねばならないのだ。

 対して、誘拐というのはやれば一発で表に出てしまう。

 どれだけ脅そうとも、被害者側が警察などにポロリと漏らしてしまう可能性が有るからだ。

 そして、銀行強盗が成功しないのは最近の防犯設備の向上にある。

 入り口の防犯カメラ。カウンター下の警報スイッチ。衝立が多く並び、動きにくいオフィス。

 他にも割れると悪臭とこびりつくペンキを内包したカラーボールなど。とにかく様々だ。

 何より、警察の動きが速い。大抵は10分以内に出動から包囲までをやってしまい、更に時間が経てば経つほど、人員が補充されていく。

 囲まれる、というのはそのまま動きを止めるだけではない。逃げ場を潰し、補給路を潰し、煮るなり焼くなり好きにできる。

 因みに、後者を解消するために人質交換などがある。

 

 長々と列ねてはみたが、つまりは現代でこれらの犯罪が成功しにくいことをここに記す。

 ならば、それがこの漢の世界ならばどうなるか。

 結論で言えば、ザルだ。

 警察組織に近いものは、軍が在るが彼らは他勢力への対応に割かれており、そもそも誘拐とお偉いさんがつるんでいることなどザラにある。

 端的に言って、腐っている。政治腐敗という奴である。

 そんな腐った政治家などに効果があるのは、袖の下。所謂賄賂だ。

 彼等は賄賂を溜め込み、私腹を肥やす。

 

「ま、だから簡単に入り込めるんだがな」

 

 ここは洛陽、悪徳官吏の豪邸だ。

 楚梗はというと、この豪邸の中に居た。

 何も金を払ったわけではない。彼は屑だが、屑ゆえに、屑に金は払わない。

 ただ、正面から“お邪魔した”だけだ。

 

「~~~っ!~っ!~っ!」

「うるっせぇなぁ、ちと黙れよ」

 

 椅子代わりに尻に敷いた布の塊が何やら騒いでいたが、楚梗が叩くと静かになる。

 屋敷の中でもここは取り分け広く、そして豪勢だ。

 異国からの調度品。貴重な紙を用いた書物。虎の毛皮。象牙。その他諸々、贅の限りを尽くされた、そんな部屋。

 補足すると、本棚の裏に隠し扉が存在しており、その奥には屋敷の主の趣味をふんだんにぶちこんだ、烏賊臭い部屋が待っていたりするのだが、楚梗はノータッチだ。

 何より、この部屋、というか屋敷全てが隠し部屋レベルに臭い有り様となっている。

 主に、鉄の臭い、たまにゲロ。更に便の臭いか。

 元々、後ろ暗いことをするこの屋敷は閉鎖的であり、それは周りも同じこと。酷い臭いがしても実害をもたらさねば、何も言われることはない。

 つまり、この屋敷の住人が軒並み血の海に沈んでいようとも、それは周りにバレることがないということであった。

 

「お、これ旨いな」

 

 それをなした楚梗はというと、いつもの通りだ。

 本来ならば、彼はここまでの事をする気など無かった。

 ただ、少し納屋か何かを借りるつもりだったのだ。

 その過程で、小腹が空き適当に食料庫を漁ろうとしたのが運の尽き。

 らしくもないケアレスミスにより、その中で今まさに暴行を働こうとする屋敷の主と、暴行を働かれようとしている女中の姿があったのだ。

 硬直する両者。先に動いたのは、楚梗だった。

 布の塊改め、袁紹を担いで使えない右腕に代わり、左の袖に二本のクナイを落とし、間髪いれずに投擲。

 飛来した凶刃を防ぐ手立てなど二人にはなかった。

 一本は、男の喉に、もう一本は、女の喉に、それぞれ深々と突き刺さっていた。

 隠密の鉄則、見られたら殺れ、である。そこに善人である悪人である、被害者である被疑者である、は関係がない。

 見敵必殺ならぬ、見自必殺。

 何人たりとも、己の悪行、見られたからにはぶっ殺す、が合言葉。

 理不尽だろう。そして、それを阻もうとするならば余程の手練でなくてはならない。

 それから楚梗は、目につく者を片っ端から殺していった。

 元々、楚梗からすればこの屋敷の主人が屑である事は直ぐに把握できた事。彼からすれば、屋敷の住人も等しく同罪だ。

 一つ屋根の下、どれだけ隠そうとも主が何かしている事は気付く。使用人の部屋も確認済み。楽しんだ形跡が少なからずあった。

 そして、いつの間にか私兵すらも殺し尽くし、今に至る。

 血みどろの屋敷。普通ならば長居したくないが、そもそも夜まで動く気の無い楚梗からしてみれば良い隠れ蓑だ。

 何より、溜め込まれた質の良い食材や酒、書物など、暇潰しには事欠かない。

 そのまま頭付きの虎の毛皮に寝そべれば直ぐにでも夢の世界に入れそうなほど居心地が良い。

 ふと、拠点の一つにでもしようかとも考えた。しかし、建物というのは人が住まないとダメになる。主に、湿気や白蟻。

 何より、現代の家と違い、この時代の建造物は隙間がある。そこから雨風による浸食や埃の堆積、その他諸々etc.

 定住する気が無いならば、在るだけ無駄と言える。

 

「――――ん?」

 

 干し肉を一切れ咥えて本棚を物色していた楚梗は、有るものを見つけた。

 それは、所謂台帳。それも後ろ暗い内容ばかりだ。

 本来、この手の代物は隠すものだ。しかし、この家の主はどうやら慢心していたらしい。

 ペラペラとページを進めていくと、その中には大物のやり取りも書かれていた。ついでに、やり取りした商品もヤバイモノが多数。

 媚薬や媚香など序の口。奴隷や武器、食料、金銭、船、馬等々。

 取引先も洛陽内に留まらず、様々な州へとその網は拡がっていた。

 しばらく読み進めた楚梗は、そこであることに気が付く。

 

「…………地図」

 

 彼が取り出したのは、州が大雑把に記された簡易的な地図。地形や町の名前など、細かいところまで描かれた代物は、基本的に国が牛耳っているため、庶民には出回らないのだ。勝手に描くことも禁止されている。

 楚梗は、地図を広げるとその上に指を置いた。

 そして、帳簿片手に何かをなぞり始めるではないか。

 

「ここがこうで…………ここが、こう。ってぇと、これが………こっちか」

 

 爪の先で薄く傷を付け、竹製の地図にはある模様が刻まれた。

 それは縦横無尽に張り巡らされた、蟻の巣や蜘蛛の巣のように幾何学的。

 

「こいつ一人、な訳ないか。とすると、商人の方か?」

 

 ブツブツと呟く楚梗。珍しくも、彼は頭を回転させていた。

 いつの間にか座り込み、片膝を立てた胡座を組んで、床には地図と帳簿を並べる。

 

「荊州………劉何とかが居るとこ、だったか?」

 

 コツコツ、と竹簡の地図を叩き楚梗は更に思考を回す。

 

「銅か。とすると、銅貨?経済を握る為…………成る程、商人が手を貸す訳だ」

 

 事、金に関しての彼の頭はよく回る。

 

「なら、袁本初の後ろには商人?財力と権力は、等号だ。袁家は金持ちだったな。それじゃあ―――――」

 

 頭の中で仮説を描いては消しを何度も繰り返し、楚梗は粗を削っていく。

 とはいえ、元々頭脳労働が得意なタイプではない彼だ。無い頭絞り尽くしても数手先を読みきったような神がかった神算鬼謀を発揮したりはしない。

 ただ、正確な情報を得ることが出来たなら思考する程度問題ない。

 

「―――――ケケッ、よし、良い情報だ。良い値段で売れると良いがな」

 

 精査した情報と、仮説を纏めて竹簡に書き込んだ楚梗は、それを丸めると紐で括って纏めた。

 金になる情報だ。そして、それ以上に面白い、と彼は感じていた。

 時代が動けば、経済も大きく動く。経済が大きく動けば、そこに儲け話も転がるというものだ。

 儲け話。そして、楚梗にはその儲け話に乗れるだけの情報がある。一枚噛むだけでも莫大な利益をもたらす可能性が有る。

 そこに血も流れるだろう。しかし、彼は気にしない。自分に降りかかる火の粉でなければ興味もない。

 

 例えその過程で、百万斗の血が流れようとも楚梗という男の欲望を止める事など不可能なのだから。



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10

皆様お久しぶりです




 理不尽。あらゆる面で突出し、その突出した部分が他の部分すらも呑み込み打破してしまうそんな存在。

 一例としては、天下無双の飛将軍、人中の呂布。

 彼女の武力は、単純な数の暴力を単騎で覆す力がある。

 何より、彼女自身が武の塊だ。基礎の技術で並み居る武人など歯牙にも掛けない。

 力、という一点に特化したが故の事。

 

「………」

「………」

 

 話は変わるが、無表情で無口な奴と目的以外に無頓着な奴。

 そんな二人が出会った場合、会話が弾むか、否か。

 A.弾まない。むしろ、空気が萎む。というか死ぬ。

 時刻は、夜間。夕日は沈み、明かりの無い通りは、三日月から射し込む頼りない月光しか頼りになる光源が見つからない。

 屋敷を出た楚梗は、そんな通りの一本を歩んでいた。

 売れる情報も得て、売れる人質も居て、万々歳。

 だからだろう。見逃した。相手が獣じみた五感を持ち、尚且つ気配を消す能力が有ることを差し引いても油断していた事には変わりない。

 彼の目の前にいるのは、二本のアホ毛がひょっこりと立った赤毛の少女。スンスンと鼻を鳴らして若干ながら眉間にシワが寄っていた。

 

「……くさい」

「初対面で失礼なやつだな」

「……血、くさい」

「獣かよ」

 

 面倒になった。楚梗の顔は、そう語る。

 目の前の少女。顔は知らなかったが、その容姿から彼は当たりを付けていた。

 だからこそ、厄介。

 単純な武力では、彼に勝ち目が無いだろう。天下の飛将軍はそれだけ伊達ではないのだ。

 

「んじゃ、そういうことで」

「…………待つ」

 

 三十六計逃げるにしかず。とはいえ、速さが足りない。

 逃げようとした彼のひらめいた羽織の裾を掴まれ動きを止められたからだ。

 

「お前、なに?悪者?」

「それを本人に聞くのか?そういうのを決めるのは、周りなんだぜ?」

「……………」

「そんな目でオレを見てくれるなよ。煙に巻いてる訳じゃない」

 

 ヒラヒラと手を振る楚梗だが、その様子ほど彼には余裕がない。

 握られた羽織。振りほどけないのだ。

 指先で摘ままれただけの筈の拘束が、まるで万力にでも挟まれたかのようなパワーを発揮している。

 力に関しては、測るまでもなく負けているだろう。速度に関しては五分か、ギリギリ楚梗が勝てている程度。

 かといって振りほどくために羽織を破るのは御免である。

 この羽織、というか彼の纏う衣服は特別製だ。

 布の表面と内側に層が作られており、言うなれば全身が財布代わり、元より様々な物が仕込まれている。

 それ故に、破るとそこからどんどん色々と出てきてしまう。

 

「…………どこ行く?」

「まあ、ちょっとした金稼ぎに、な」

「…………嘘、良くない」

「いや、嘘じゃねぇよ」

「血の臭い、する」

「そりゃあ、殺しを生業にしてれば血の臭いも着くだろ。お前さんも血の臭いがするぜ?」

「………恋は臭くない」

「どうだろうな。返り血浴びたりするだろ?」

「…………臭くないもん」

「いや、もんって…………」

 

 最初の沈黙も何処へやら。軽快に二人は会話をこなす。

 この間にも、楚梗は何度となく脱出を試みていた。だが、出来ない。

 人知を越えた獣の感性は、スイッチの入っていない彼では掻い潜ることが出来ずにいた。

 

「とにかく放せ。な?オレも仕事で、これから行くところが――――――」

「恋殿ー!どこに行かれたのですかー!」

「ちょ、ねね。街中で叫ばんといて。頭に響く………」

「霞殿は呑みすぎなのです!この戦時下に気楽すぎですぞ!」

 

 楚梗の言葉を遮るようにして聞こえてきた二人分の声。それは、徐々に徐々に近づいてくる。

 彼の目が死んだ。

 

 

 $

 

 

「―――――そんでな?ウチは聞いたんや。それウチの晒やない?って」

「で?」

「ああ、そういえば………やって!見てみぃ!ウチの格好!晒に陣羽織に袴や!そしてその時ウチの胸には晒巻いとらんやったんよ?!気づくやろ普通!」

「そーだなー」

「やのにアイツめ………あろうことかウチの晒で尻を拭きおってからに―――――信じられへんやろ!?アンタもそう思うやろ!?」

「おい、張文遠。お前が絡んでるのは、柱だ。オレじゃねぇぞ」

「何やぁ?カッタイ男やなぁ~木みたいや」

「いや、だから木だって」

「ああ?ウチの酒が飲めんって言うんか!?」

「張文遠。それは机だ。猪口ぶつけるな、割れる」

 

 げんなりとした様子の楚梗は、机に肘をついて顎を乗せてため息をつく。

 何でこんなことになっているのか。

 

 事の発端というほどのモノもない。

 彼女、張遼と呂布大好きっ子である陳宮の二人に出会い、酒に酔っていた張遼に引き摺られてここまで来た。因みに酒屋ではなく、王宮殿の張遼の部屋である。

 内外からのストレスと、微酔い加減、更に楚梗が担いでいた“者”を見た結果こうなった。

 時刻が遅いこともあり、王宮殿に着いたタイミングで一同解散。そして何故だか、彼は微酔いの張遼に引っ張られてここに居る。

 何が張遼の琴線に触れたのか分からないが、タダ酒飲めるなら良いか、と軽い気持ちで来てしまったのが運の尽き。

 現在進行形で、酔っ払いに絡まれる始末。因みに届け者は牢に簀巻きのまま極秘でぶちこんでいる。明日の朝、董卓もとい賈駆に売り付ける手筈だ。

 

「そこ~!のんどぉるかぁ?」

「張文遠。それは酒甕だ。中身入ってるんだから割るな――――――」

「んぁあ?冷たいやないか~…………」

「遅かったか」

 

 ガシャリと重い音をたてて、甕は無惨に砕け散る。

 厚みがあっても、陶器は陶器。高いところからある程度の速度を乗せて落とせば、木の床でも容易く割れる。

 量的に丸形の甕の四分の一がぶちまけられたか。

 勿体無いと思えども、楚梗はそれだけだ。

 ここは彼の部屋でないし、酒臭くなったところで実害など何もない。体が酒臭くなる可能性もあるが、血生臭いよりもマシだろう。

 結局臭い事に変わりはないが。

 

「んぅ…………」

「……寝たか?はぁ……………」

 

 突っ伏して寝た張遼を見やり、楚梗はため息をついた。これが現代ならば、タバコの一本でも吸っている所だろう。

 因みに中国にタバコが入ってきたのは、明代の末辺り。最初は、薬効があるとか、体にいいとか言われて重宝された歴史がある。

 

「…………人生、何があるか分からないもんだな」

 

 明かり取りの窓から月を見上げ、楚梗は人生を振り返る。

 らしくはない、が人間誰しもどこかでナーバスになるタイミングは、誰しもありうることだろう。

 

 彼の脳裏を駆けるのは、ある光景。

 血の赤。すえた臭い。金切声の悲鳴。不味い酒の味。ザラリとした床の感触。

 五感全てが不快を示す最悪な状況。

 その中心―――――ではないが、楚梗はそこにいた。

 有り体に言って、地獄だった。生きていることすら己を恨んでしまいそうになるほどに、彼の生活は地獄だった。

 そして知る。

 

「結局、世の中金ってことだ」

 

 いつも通りのヘラヘラとした笑みではない。

 歪んだような、死んだ笑み。見たものを不安にさせる笑みだ。

 

「―――――ああ、くそ…………不味いなぁ」

 

 煽る酒は、月を映し風流を醸し出す。が、その味は泥水にも劣る下劣な苦味を帯びていた。

 

 

 $

 

 

 どんな日だって夜が来て、朝になれば終わりを迎える。そして、翌日の始まりだ。

 

「長い旅も今日で終わりだな」

「―――――ッ!」

 

 牢にぶちこんでいた手荷物を回収した楚梗は、大扉の前に立って感慨深げに呟く。

 ずだ袋の中身がモゾモゾ動いたが、その中身まで縛っているため芋虫のような動きしか出来ない。

 しばらく待っていると、扉の向こうで何やらゴソゴソと動く気配がして、重い音をたてて扉が開かれる。

 

「ようこそ、楚長里さん」

「お初にお目にかかる、董相国。早速だが、コレ幾らで買ってくれる?」

 

 お偉いさんである董卓と、彼女をトップに据えた将軍二人軍師二人の前で、楚梗はいつもの笑みで肩に担いでいたずだ袋を下ろすと、袋をひっぺがした。

 朝日のもとキラリと輝くはちみつ色の金髪に、スタイルのいい肢体。

 豪奢な鎧は脱がされ、食い込んだ縄が垂涎もののエロスを感じさせる。

 

「~~~~~~!」

「あ、猿轡付けっぱなしだった」

 

 よっこいせ、と口に噛ませていた布を取り外してそこらへと楚梗が捨てると同時に、

 

「この私に何て事をするんですの野蛮人!!絶対に許しませんからね!!?」

 

 ヒステリックなキンキンとした声が部屋に響く。

 

「元気だな、袁本初。腹減ってないのか?」

「空きましたわ!ですので早く縄を―――――」

「んじゃ、コレでも食ってろ」

「んぐぅ!?んんんん!?」

 

 キャンキャン喚く袁紹の口に(干し)肉棒が捩じ込まれた。彼女のお口は一杯である。

 涙目になる袁紹を嬲りながら、楚梗はニヤニヤとした笑みを浮かべて顔をあげた。

 

「こいつは、反董卓連合の総大将の袁本初本人だ。オレは、こいつを売りに来たのさ」

 

 右手で袁紹の口を虐めて、左手で縛り上げた彼女の体をポンポン叩く変態の光景に、女性陣はフリーズ中である。

 

「……………はっ!ちょ、ちょっと待って!?あんた何言ってるか分かってるの!?」

「勿論さ。あー………賈文和だな?軍師なら、幾らで買ってくれる?」

「幾らって……………」

「おいおい、何を嫌そうな顔をしてやがる。こいつは、お前らの敵で致命傷の総大将だぞ?躊躇う理由がどこにある?」

 

 楚梗はそう言うが、むしろ賈駆の立場からすれば疑うなという方が無理な話だ。

 

「昨日の夜いきなり来て、人を買え、だなんて疑わない方があり得ないと思うけど?」

「そこはあれだ、損得勘定で考えろよ。総大将という手札が向こうから転がり込んでくるんだ。勝つために買えばいいだろ」

「それは………」

「綺麗事で世界は回らねぇよ」

「…………知ってるよ」

 

 そんなことは知っている。この時代の、腐りきった中央で生きてきた賈駆が知らないはずもない。

 だが、正道を歩まないというのは誰しも一種の抵抗のようなモノがあるだろう。

 最初から何の葛藤もなく外道を選べるのは、真性の屑である証。そして、楚梗は真性の屑と呼んで差し支えない精神構造をしていた。

 

「楚長里、いや楚梗。君、何を考えてこんなことを?」

「金儲けしたいと思っただけさ」

「金儲けの為にこんな大それた事をしでかしたの?」

「周りの意見なんぞ知らん。オレさえ良ければそれでいい」

「……………」

「楚長里さん」

 

 黙ってしまった賈駆。次に口を開いたのは董卓だった。

 

「貴方は………」

「……………」

 

 憂いを含んだ瞳。濃紫色の双眸が、楚梗の笑みを捉え、貫いた。

 

「…………わかりました」

 

 深淵を覗くとき、深淵もまた覗き返す。

 董卓は彼の何を見たのか問い掛ける言葉は何もなく、口から出たのは了承だった。

 

「貴方の言い値を払いましょう、楚長里さん」

「………そうかい」

 

 楚梗もニヤニヤとした笑みを収め、口許を若干歪める程度の笑みとなる。

 

「んじゃ、商談成立だ。こいつはくれてやるよ」

 

 そう言う彼の瞳は、黒く濁っていた。












ええ、はい。お察しの通りエタッておりました
何と言いますか、切り口が独特だと話が組みづらいモノがありまして。頭も宜しくない私では、どうにもアイデアを纏めきれませんでした。
今後もマイペースな投稿となるかと思いますが、見てくださるかたは気長にお願い致します


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11

遅くなってしまい、申し訳ありません。新生活諸々で体調を崩したりと忙しかったものでして。
とりあえず最新話を書き上げてはみましたが、荒さが目立つと思われますので何卒ご容赦くださいませ









では、どうぞ





 楚梗にとってみれば、今回の仕事は袁紹を董卓陣営に売り払った時点で終わりと言っても過言ではない。

 金に関しても、手形を書かせて血判まで押させたのだ。本当ならば、このまま真っ直ぐに公孫瓚の元へと帰っても文句を言われる筋合いはない。

 そんな彼を止めたのは、董卓軍の軍師を務める賈駆だった。

 曰く、報酬を払うためもう一働きしてくれ、というもの。その内容とは、

 

「十常侍を、殺すのか?」

「正確には、首領の張譲と趙忠だけ生かして連れてきてほしいの。後の十人は、全員殺してきて」

「…………別に構わねぇが。幾ら払うんだ?」

「一人につき、これでどう?それが十人分よ」

 

 賈駆の示したそれは、まあまあの大きさである革袋だった。

 中には、十分すぎる量が入っている事は傍目からも見ただけで分かる太りっぷり。

 楚梗としてもそれ以上の詮索はしない。公孫瓚にやとわれている事は事実だが、そんな道理は目の前にある金の前には、些末事でしかないのだから。

 受け取った時点で交渉成立。それも、前金の時点で報酬を渡すという羽振りの良さだ。

 義理も人情もへったくれも無い楚梗であっても、この依頼に賈駆がどれだけ重きを置いているのか分かるというものだろう。

 報酬を羽織の裏へとしまい、ニヒルに笑むと彼は踵を返した。

 空間に溶けるようにして消えた背を見送り、賈駆は一つため息を吐く。

 

「はぁ…………悪い奴じゃないんだろうけど……話してると、肩が凝るな」

「おっ?なんや、詠。年寄みたいに肩回しよって、歳か」

「誰がよ、霞。アンタこそ、準備してきなさい」

「はあ?」

「汜水関よ。袁術も撤退して、袁紹軍は頭が居なくなって烏合の衆。けれど、相手にはまだ曹操が居る。そろそろ、華雄が睨み合いに焦れてる頃よ。恋と一緒に、抑えてきてちょうだい」

「そら構わんけど…………ここの守りはどうするんや?ウチも恋も出払ったら、十常侍のチョッカイが増えるかもしれんやろ?」

「問題ないわよ。楚梗を雇えたの。彼に潰してもらう様に、すでに動いてもらってる」

「…………信用できるんか?あの男、忠義とかとは無縁の人種やろ」

「だからこそ、使えるの。金だけの繋がりで、一度つながれば仕事を果たしてくれる」

「保証は、あらへんやろ」

「そうかもね。けど、その不確定要素も飲み込まなきゃボクは月を守れないから」

 

 悲壮な覚悟が滲む横顔に、張遼は何も言えない。

 彼女とて、董卓を守りたいのだ。だが、如何せん政治という領域は武神すらも擂り潰して殺してしまう程の力があった。

 現に、過去現在未来に至るまで様々な英傑が政治の前に敗れ去っていくのだから。

 言葉の力と、そこから紡がれる金の力と権利の力。それは、場合によっては純粋な腕力にも勝る武器となるし。人一人どころか、何千何百もの人間を死に追いやることも出来るし、その逆で救うことも出来るだろう。

 そんな世界を、賈駆は生きている。それに加えて、軍師としての責務だ。

 周囲は敵ばかり。使える手駒は武将と一部軍師を除いて二流や三流ばかり。それでもここまで来れるのだから、彼女の才覚の高さがよくわかる。

 張遼もそれはよく分かっている。だからこそ、彼女らの元で飛龍偃月刀を振るい、武威を示してきたのだから。

 

「…………ま、そこまで気張らんどき。ウチや華雄、恋も居る。陳宮も子供やけど、立派な軍師の一人や。ウチらが勝って、大陸に正義を示そうやないか。な?」

「…………フンッ!そんな事言われなくても分かってるよ!ほら、さっさと準備していきなさい!」

 

 おお怖っ、とお道化た張遼が駆けていく様を見送り、賈駆は再び一つため息。

 楚梗の手土産で、勝ちの目が見えてきた。後は、運の要素を潰すだけだ。

 彼女の運は、とてつもなく悪い。それはもう、裏目裏目に行動の大半が出てしまう程に。故に今回も、連合が組織されるまで碌な手を打てなかった。

 だが、今この瞬間、董卓軍へと風は吹いている。

 乗れるかは、彼女の采配次第だ。

 

 

 

 

 

 

 暗殺であれ、誘拐であれ、後ろ暗い仕事というのは夜間に行うのが基本だ。

 人の情報収集に用いる五感の内、もっとも頼っているのが視覚と聴覚。とりわけ視覚は対象の色や形、距離感等を正確に測るために必須となる。

 だからこそ、楚梗は夜に好んで仕事を行っていた。

 

「後二人か。カカッ、何処も警備が緩くて助かるな」

 

 月明かりすらも細く、星明りも期待できないような夜。羽織の裾を翻して、楚梗は屋根の上を飛び回っていた。

 既に十二人の十常侍の内、十人の始末は終えた。

 呆気ないとも思われそうだが、楚梗は数万もの軍勢に誰にも気取られる事なく入り込み、大将を攫って来たチーターの様な隠密だ。高々、屋敷の一つに入り込めない事などありえない。

 況してや十常侍の面々は、政治家だが武人ではない。帯剣等もしていないし、腕利きの武人が護衛しているわけでもない。

 言っては何だが、認識が甘かったのだ。

 自分たちなら大丈夫。後は董卓を潰せば、アホの子である霊帝を祭り上げて実権を完全に掌握するだけ。懸念事項と言えば、派手好きの袁紹だが。彼女程度ならば口先三寸で丸め込むことも難しくはないというのが、十常侍の共通認識。

 だが、甘かった。

 権力も政治も通じない、“金”という欲望の化身だけを一途に求める男が存在していたことにより彼らのプランは完全に崩壊していた。

 当然次の手を打とうと考える。しかし、答えは出ない。

 この間が命とり。袁紹を売り渡した昨日の今日で、暗殺者は動きだしていたのだから。

 

「―――はい、お邪魔~」

 

 軽い調子で、屋根の上から開いている窓をすり抜けるようにして侵入を果たした楚梗。

 足音を立てず、衣擦れの音を立てず、呼吸音すらも真面に聞こえない彼の歩みは、屋敷内を警護する兵たちにすらも察知できない。

 それどころか、

 

「ッ!?」

「寝てな」

 

 廊下に伝った梁を足の裏で挟んでぶら下がり、下を通った兵士の首を掴んで捻っているのだ。その後に死体を梁の上に引き上げるまでがワンセット。

 気づけば、梁の上は死体だらけだ。それでも、落ちてこないのは太い梁のお陰か。

 そうして、着々と殺しを行いながら楚梗はやがて目当ての部屋にまでやって来ていた。

 ツンと鼻を衝く女物の香の臭い。彼が嫌いな臭いだ。

 室内の気配は一つ。堂々と正面から乗り込む。

 

「こんばんは、と」

「ッ!?あ、貴方は…………?」

「人攫いさ」

 

 部屋に居たのは、寝台に横になる青髪の女性。今日に限って屋敷に戻ってきたのが運の尽き。もっとも、ここに居なければ、楚梗は王宮にまで普通に忍び込んだことだろう。

 兎にも角にも、目的の相手。その片割れだ。

 

「私を、攫いに…………?いったい誰の――――」

「答える義理はねぇな。お前が金になる。それだけ、さ」

 

 女性、趙忠が更に問う前に楚梗の姿は彼女の目の前にあった。

 握られる右拳が、上体だけ起こしていた彼女の貧弱な上半身、鳩尾へと突き刺さる。

 一瞬だけ硬直した彼女は、それだけで伸びてしまった。

 ぐったりと脱力した趙忠を、寝台に敷かれていた布団で簀巻きにしてその上から袁紹も縛った細くも強靭な縄で縛りあげて、簡易的なミイラをその背に担いだ。

 既に、屋敷の人間は眠りについた使用人だけ。兵士は軒並み、あの世への片道切符を貰って旅立っていった。

 悠々と国の重臣の一人を攫って見せた楚梗。

 人一人背負っていようとも、その動きに陰りなど出るはずもなく、アッサリとその後の仕事も熟してしまう。

 

 結果、董卓軍は連合総大将である袁紹。十常侍筆頭の張譲、並びに趙忠の二人を手元に得たことになる。

 これが果たしてどんな結末を見せるのか。それは神すらも知らない。



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