剣鬼と黒猫 (工場船)
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始業準備のブレイドマスター
序話:出会いの話


 熱気孕む風が吹く。

 火の粉舞う森の中で、灰と化していく木々と、砕かれ、切り裂かれた大地はそこで行われた激戦を物語る。

 叢雲に半身を隠す銀月の、穏やかな光を駆逐する、踊る炎の眩しさはゆらゆらと妖しい。

 静寂を、突如轟音が引き裂く。

 

 現在進行形で、ここは余人にとっての死地である。

 災禍の炎が煌々と夜闇を照らす中に在って、異質な光が駆け抜ける。

 

 一つ、二つ、三つ。

 

 鋭く光る疾風は、鈍く輝く鋼の刃だ。

 影と影とが交差し、激突する。それらは多勢の悪魔と、そして一人の人間だった。

 一つを多数が襲い、そして瞬く間に切り裂かれるさまはまさしく鎧袖一触。血の雨降り注ぐ殺戮空間は、強者の得物が刃であるが故だろう。

 

 驚くことに人の剣士が強大な力を持つ悪魔を一蹴している。走る斬撃の線は一撃の無駄も無く全ての悪魔を切り裂き、程無くして戦場は静寂に包まれた。

 圧倒。そういうより他は無い。剣士は一人の少年であり、逸脱した剣の達人であった。

 

 少年の眼光は鋭く、空を舞う猛禽の如し。纏う空気は歴戦のそれ。着ている服にすら傷一つなく、何よりも返り血一粒浴びていないのは明らかに異常だった。

 少年は自然な動作で握る刀の血を払い、腰の鞘に刃を収める。

 そうしてそちらに振り向いた。

 

 視線の先には一人の人物がいた。美しい、妖しげな女だ。

 黒髪に黒い着物。複数の暗い色が折り重なったオーラの量は莫大。まるで空間に開いた穴のように周囲の気を取り込み、嫌悪、憤怒、諸々の悪感情を振りまく姿はまさしく大魔。

 相対する両者の間に漂う空気は一触即発。次の瞬間に殺し合いが始まってもおかしくはない。

 

「あんた、何者? 何が目的なの?」

 

 発言の主は黒い美女。冷たい声で少年に問う。

 

「俺は……さあ、なんだろう。目的は、特に何も。強いて言うなら、興味があった」

 

「ふざけているの?」

 

 その返答にイラついた女は、手の平に暴力的な波動を生み出す。

 秘められた破壊力は周囲一帯を爆散させるほどであるにも拘わらず、少年の表情に変化はない。無機物を相手にするかのような異質な雰囲気に、女は一瞬気圧された。

 

「ふざけてはいない。気まぐれだが、お前を助けてみようと思った」

 

「――は? 助ける? この私を?」

 

 女は何を言っているのかわからないという目で少年を見る。

 そして言葉の意味を理解した瞬間、激発したかのように笑い出した。同時に噴出した殺気が色を持って辺りを包み込み、少年を包囲する。

 

「にゃはははははっ! 面白いことを言うのね。それで? 私を助けてどうしようというの?」

 

 女に尋ねられた少年は、無表情から一転してやや困ったように眉根を寄せて答える。

 

「……そうだな、どうしようか。実は、何も考えていない」

 

「そうでしょうね。いいわ、私もあなたに興味が出てきた。私はお尋ね者なの。悪魔たちが私を捕まえようと狙っている。今度はさっきのような雑魚じゃなくて、もっと強い悪魔も来るわ。あなたにその気があるのなら、私を助け続けてみたらどう?」

 

 女は本気で言っている訳ではなかった。少年は人間にしては異常に強いようだが、悪魔の勢力を敵に回すほどの無謀を選ぶことは無いと思っていた。第一に、まともな人間なら狂暴なはぐれ悪魔と行動を共にするとは考えられない。

 無理難題だ。戦の空気を吸い昂ぶった気持ちを落ち着けるための余興。少年が断れば、即座に殺すつもりだった。

 しかし。

 

「そうか……ああ、それはいいかもしれないな。わかった、俺はお前を助け続けてみよう」

 

「――へぇ、私の提案をことわっ……にゃん!?」

 

 素っ頓狂な声を上げて驚く女に、少年は不器用ながら確かに笑みを作った。

 いつの間にか周囲を覆っていた殺気は霧散し、炎の燃え燻る音だけが辺りに響く。

 月光は、相変わらず優しい光で二人を照らしていた。

 

 これが、一人と一匹が行動を共にすることになったきっかけである。

 

 




初投稿なため色々と勝手がわかってません。
設定・描写等に間違いや矛盾などがあった場合は指摘お願いします。


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第一話:魔物狩り

多分しばらくは原作には入りません。主人公たちが色々とフラグを立てます。
しかし、イチャイチャとはなんと難しい……。


 霧の深い日だった。

 人立ち寄らぬ山深く、精霊たちの住処を青年は駆ける。

 緩やかな、しかし延々と続く斜面。低い跳躍を幾度も繰り返すさまはまるで山の住人さながらに、傍から見れば獣と見間違えるほどの速度だ。

 青年の装備は登山用にしては軽装。細長い鞄を背負うその表情に気負いは無く、遭難しているという訳ではないらしい。かといって目的を持って動いているようにも見えず、斜面を下ったかと思えば急に反転し、ジグザグとせわしない。

 

 辺り一面を白い靄が覆う山中の静寂にあって、聞こえる音は青年の駆ける足音ともう一つ。それは空気が抜けるような乾いた音だった。

 音は散発的に発生し、それに合わせて青年は進路を変えている。跳躍する彼の足元を見れば、わずかに地面が爆ぜて穴ができていた。

 青年は何者かに狙われているのだ。

 

「クロ、敵の位置は分かるか」

 

「ちょっと無理ね。感知範囲の外みたい」

 

 青年の言葉に応える声は年頃の女性のもの。姿見えぬその発生源は、青年の肩にいた。

 猫だ。黒い猫が疾走する青年にしがみつき、言葉をしゃべっている。

 

「そうか。……おい、いいかげん重いぞ。変化を解いて自分で走れ」

 

「それこそ無理にゃん。自分で移動してたらあっという間に蜂の巣よ」

 

 私じゃ躱せないもの。と答える猫に、ため息の代わりの視線を一つ。仕方がないと納得する。

 入り組んだ木々の間を抜け、自身の脳天を狙い撃つスナイパーを探す。

 彼ら一人と一匹が直面している危機の正体は、一体の魔物が放つ超音波だ。超遠距離から正確に放たれる音波の槍に、青年は苦戦を強いられていた。

 

 依頼人の話によると敵はハーピーとセイレーンの相の子、風と音を操る珍しい混血種だという。しかしこれほど精度の高い遠隔攻撃手段を持つとは知らされていなかった。魔物狩りとして活動していると、割に合わない仕事に遭遇することはままあるが、これはその最たるものの一つだろう。

 情報が足りなかったのは今まで誰も生きて帰ってこれなかったに違いなく、特に青年とは相性が悪すぎる。

 

 青年が音速の一撃を避け続けていられるのは、狙撃の直前に発せられる探知音波の振動を感じているからだ。

 距離が離れていなければ、初撃で死んでいただろう。こればかりは敵の感知範囲の広さに感謝する。

 放たれる音波は鋭く、地面に細長い穴を穿っている。射角から大まかな位置を割り出して近づこうとはしているものの、位置を変えながら撃っているのだろう。半時間ほど走っても、まるで近づいている気がしない。

 戦場が濃霧に覆われているのもよくない。広大な視野を誇るであろう音波の目を持つ敵に対し、盲目ではないとは言ってもこちらはかなり知覚可能な範囲が限定されている。

 

 飛行種族であるハーピー、そしてセイレーンの血をひくならば居場所は地上とは限らない。翼を持たない人間にとって、真に厄介な敵だと実感する。

 近づこうとしても逃げられる。加えて敵が空にいるならば完全にお手上げ。とくれば現状とれる手段は一つ。

 

「受けるぞ、クロ」

 

「……そう言うと思ったにゃん」

 

 呆れた目をする猫をよそに立ち止まる。

 肩に担いだ鞄を投げ置き、腰に下げた刀をとる。

 黒塗りの鞘、柄巻きは朱色、抜き放った刀身には炎が走るかのような刃紋。刃渡り90センチの人斬り包丁――青年は剣士だった。

 

 八双に構え、目を閉じる。

 意図的に音を意識から遮断。空気の流れ、大気の振動、それら全てに感覚を集中する。

 体内を巡る生命のエネルギーがその回転率を高まらせ、闘気が全身を覆い淡い膜を作った。

 

 空間を漂う水粒の湿り気と、肩から降り離れて立つ猫の息遣いを感じる。音の無い暗闇の中で、青年は確かに世界を見つめていた。

 わずか、震える空気の波が肌に触れる。

 同時に、激発。

 

 研ぎ澄まされた音が大気を切り裂き、投射された超速の槍が肉を貫く。

 衝撃に青年の身体は後方へ弾け飛び、そうして倒れて動かなくなった。

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 靄に覆われた山中にふわりと降り立つ影がある。

 金髪の美しい少女だ。鳶色の瞳で辺りを見回す仕草は可愛らしく、天使のようだと表現しても何ら差支えは無い。ただ一点、少女が異形であることを除けば。

 腕のあるべき個所には藍色の羽毛に覆われた巨大な翼、そして脚は鋭い爪を備えた猛禽類のそれ。彼女こそ妖魔ハーピーとセイレーンのハーフ。風を操り、魔曲を奏でる大空の畏れるべき怪物。

 つい先ほど自身が放った槍が着弾する反響を感じ取った彼女は、獲物を仕留めた事を確信し餌にありつくべく目的の場所にやってきた。

 

 今回の獲物は人間にしては矢鱈としぶとく、非常にイライラさせられたものだが、結局のところはこんなもの。どんなに腕に自信があっても、誰もが最後は自分の前に倒れ伏す。

 自身の操る音の槍は最強だ。これまでもそうだったし、これからもそうなのだ。

 傲慢に美しい顔を歪ませる少女はまさしく怪物以外の何者でもない。醜悪な本性を隠すことなく、怪物は歩を進める。

 さて、死体の表情はどうなっているだろうか? 絶望? 憤怒? それとも恐怖? 今回は随分と手こずらせてくれた獲物だっただけに楽しみで仕方がない。これだから狩人は止められないのだ。

 

 怪物少女の背筋にぞくぞくっと甘い快感が走る。表情を蕩けさせ、涙目で身もだえするさまはまさしく情婦のそれだった。

 経験に無い快楽は、難事をこなしたことからくるある種の達成感だろう。今までは本当に呆気なかったから、強者を下すなどしたことが無かった。

 キィキィと、甘えるように少女は啼く。

 抑えようのない情動は、未だ乙女である少女には辛く、そして何よりも気持ちのいいものだった。

 

 悶えながら歩き、遂に倒れ伏す獲物を見つけた瞬間、快感は最高潮に達した。

 

 男だ。

 

 心臓が高鳴るのが分かった。恋にも似た情欲は、彼女が性に目覚めた証だったのだろう。

 一つの欲望で頭の中を満たした彼女にとっては、"獲物の心臓がまだ鼓動を刻んでいる"ことすら都合がよく、そして、だからこそ当然のように怪物は倒れた男に走り寄った。

 

 ――最高だ。最高だ。

 強い男を仕留める感覚。とろけそうな熱が身体を駆け抜け、生きる証を実感させる。

 これはいい。これがいい。そうだ、これからは森の外に出て同じことをしよう。私は無敵だ。誰も私の槍を躱せない。

 倒した男は連れ帰り、私が子を成すための一助とするのだ。そうして私は女王になる。地上最強、天上最強の一族の長だ。最高だ。最高だ。

 何故生きているかはわからないが、手始めにこの男から犯して――

 

 瞬間、怪物の翼が爆ぜた。

 

「ァアアアアアアアアアアッッ!?」

 

 黒い業火が肉を焼き焦がす。過去大きな傷を受けたことのない怪物にとって、初めて味わう激痛はまさしく地獄の苦しみを味あわせた。

 

「ワタシの……ワタシの羽がッ……!? 嫌ァアアアアアアッ……!!」

 

 美しい藍色の翼は見る影も無く、根元から焼き崩れていた。これではもう二度と飛ぶことはできない。

 

 ――これからなのに! 私の生はこれからなのに! 嫌だ! 嫌だ! 何故? 何で? どうして? 何が起こった!?

 

 苦悶の表情で目からボロボロと涙をこぼし、痛みと恐怖と絶望に思考がぐちゃぐちゃになった怪物は、背後で立ち上がる男に気付かない。

 

 銀光が一つ閃くと、次の瞬間少女の意識は永遠の闇に落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

「……で、俺の狸寝入りは無駄になったわけだが」

 

「だって面倒くさくなったんだもの。結果は同じなんだから別にいいじゃない?」

 

 怪物の首を落とした青年は、刀を一振りし血を払う。

 文句の相手は黒髪の女性だった。黒い着物をわずかに着崩したその姿は色っぽく、美しい容姿も相まって男を惑わす色香を漂わせている。傾国の魔性――そう言ってもいい妖しげな美女。

 それもそのはず、女性の頭部からは獣の――猫の耳が生えている。

 猫又、それも特に強い妖力を備える上位の化け猫、"猫魈"。黒猫の黒歌、それが彼女の名前である。

 

「まあ、そうだがな。それにしても事前に言うなりあるだろう。万が一俺に当たったらどうする」

 

「"万が一"にゃん?」

 

 にゃはは、と悪戯っぽく笑う化け猫に溜息をつく青年。身に染みついた動作で刀を鞘に収める。

 投げ捨てていた鞄から皮の袋を取り出すと、それに怪物の首を入れた。これで依頼は完了だ。

 

「……そういえば、腹が減ったな」

 

 それを自覚した原因は、周囲に漂う焼けた肉の匂いのせいだ。

 未だに煙を上げる怪物の身体を見る。具体的には、肉付きの良い鳥の脚を。

 

「まさかそれ、食べる気にゃん?」

 

 青年の様子に気付いた黒猫の声は苦い。

 

「脚ならいけそうな気がしないか? ほら、一応鳥だろう?」

 

「嫌よ。獣臭くて食べれたものじゃないわ。どんな毒があるかわからないし、ゲテモノにもほどがあるにゃん。大人しく携帯食料でもかじってるほうが健全よ」

 

 黒歌はそう言って近づき、鞄から携帯食料のパッケージを取り出して破り捨て、中のブロックを青年の口に突っ込んだ。実に鮮やかな手並みである。

 

「むっ、むぐもぐ」

 

「ほーら、早く町に帰りましょ。報告の後に買い物もして、宿に戻ったら私が料理を作ってやってもいいにゃん?」

 

 口に入った分だけブロックをかじりとり、よく噛んで飲み込む。

 故国日本の携帯健康食品は味もいいのでそれほど不満ではないのだが、青年は女に疑いの目を向ける。

 

「今度はちゃんと料理になればいいが」

 

「うっさいにゃん。シュウってば女が料理するんだから、そこは普通に「あー楽しみだなー、黒歌さまの手料理を食べれる自分って最高に幸せな男だなー」とか言えばいいんだにゃん」

 

「ああ、そうだな」

 

 青年――修太郎はそれに取り合わず、鞄と首の入った袋を担いで山を下りるため歩き出す。捨てられた携帯食料のパッケージを拾うことも忘れない。

 黒歌はその背中を不満げな顔で黙って見つめていた。

 

「…………」

 

 黒猫の念が大気を伝わって、修太郎の身体を叩く。

 

「わかったから行くぞ、クロ。早く山を下りないと店も閉まるだろう」

 

 青年の言葉が終わるや否や、黒歌は一息に距離を詰め飛びかかる。そのまま空中で華麗に変化し、小さな黒猫となり修太郎の肩に着地。

 

「ぐっ……!」

 

「まったく、シュウってば仕方がないんだから。……どうしたにゃん?」

 

 呻く修太郎に怪訝な声で問いかければ、肩に滲む血に気付く。

 見れば小さな穴が開いている。音の槍をわざと受けた時の傷だった。

 

「お前、俺が怪我してるの忘れてるだろう」

 

「ええ~…今更それを言うのかにゃん……? そんなにピンピンしてるのに、思い出すほうがおかしいと思うにゃん」

 

「ちょっと降りろ。止血だけでも済ませる」

 

「嫌よぅ面倒くさい……もう気合いで何とかなったりしない? それ」

 

「なるわけないだろう。人間だぞ、俺は」

 

「何かもう最近はそれ自体が怪しいと思うの。普通、人間は音速の攻撃をわざと大丈夫な部分に当てたりなんかできないにゃん。何にせよ、それくらいなら気の活性運用で治せるんじゃない?」

 

 疑いの眼差しを向ける黒歌を無理矢理引きはがし、反対の肩に乗せた。どちらにしても傷に触られるのは気持ちよくない。

 無体に扱われた猫から文句を言われるが気にしない。試しに闘気を纏う要領で気を巡らせると幾ばくかして血が止まり、やっぱり気合いでなんとかなったにゃん、と言われながらも進む。

 青年の日常は今日も平常運転だった。

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 退魔の家系に生まれた暮修太郎(くれしゅうたろう)が、件の黒猫に出会ったのは数年前のこと。

 当時より逸脱した剣才を示していた修太郎は、その有り余る実力から本家の嫉妬を買い、まだ少年の頃から無茶な討伐命令に従事してきた。

 初めて龍を殺したのが15の誕生日のことだったというのだからその環境は熾烈極まる。百回死んでもおかしくない死闘を乗り越え、磨き上げられた実力に比例して下される命令の難易度も跳ね上がっていく。

 

 日常に色は無く、敵の首を獲った時わずかに生まれる満足感を頼りに生きる日々。

 

 だからこそ、それは彼の人生を変えるきっかけだったのだろう。

 やたら強い悪魔たちに追われていた一匹の妖怪。このまま見ていても逃げ切りそうだったが、気まぐれに助けてみた。

 やったことはそれだけなのに、何故かその後日本を出ることになり、中国に行き、インドを回り、ヨーロッパを渡り歩いて魔物を狩る日々を送っている。

 そうして何の因果か知らないが、その時出会った黒猫と今もこうして共にいる。

 

「シュウー? 何見てるにゃん?」

 

 食事(黒歌が作った和食的な何か。あまり味は良くなかった。)も終わり、ベッドに座って読み物を見ている修太郎に、人の姿をとった黒歌が背後から声をかける。

 部屋の中だからか、普段から着崩し気味の着物をさらに大きく着崩して、その恰好はもはや色々と豊満な何かが零れ落ちそうな有り様だ。そうして修太郎が無言で反応を寄越さないのを見るや、がばりと抱き着いた。

 

 長身の修太郎は服を着た状態を見れば細身だが、極限まで鍛え上げられた肉体は全身これ筋肉の塊だ。彼の身体は自然体であってもごつごつとして硬く、それでいて肉の弾力性を持ち、何よりも武術の達人として総身を巡る生命エネルギーは質も量も凄まじいものがある。

 周囲の気を内に取り込む仙術使いである黒歌にとって、こうして抱き着くことで肌から直に男の熱と気の廻りを感じるのはとても良い塩梅だった。

 

「次の目的地を考えていた。アイスランドなんかどうかと思ってな」

 

「北欧にゃん? うーん、これから冬なのに、もっと寒いところに行くのはちょっと気が進まないにゃん」

 

「我慢しろ、寒さなんぞどうにでもなる。アイスランドは新鮮な海産物、それと羊肉が名産だそうだ。魚は好きだろう?」

 

「魚も肉も好きだけどー、猫は寒さに弱いのよ? シュウってば、私をわざわざ苦しめたいのかにゃん?」

 

 いやいや、と黒歌が体を揺すっても、鍛えられた修太郎の身体はびくともしない。背中でその豊満な胸がむにゅんむにゅんと形を変えるだけだ。

 大変気持ちが良くて結構なのだが、しかし素直に喜べない理由が修太郎にはあった。

 

「……温泉もあるぞ」

 

「行く! 行きましょ! これ決定にゃん!」

 

 一転してこれだから、まったく現金な猫である。

 

「決まりだな。ほらどいてくれ、寝るぞ」

 

「え~、まだ10時にもなってないにゃん。もうちょっと起きてましょうよ」

 

 明日は入国までの手順と道中のルートを調べなければならない。別段急ぐことではないので黒歌に付き合ってもいいのだが……。

 

「起きて何をするんだ」

 

「もう~わかってるくせに、このイケズぅ♪」

 

「どけ、寝る」

 

「あっ、ま、待って! 毛繕い、毛繕いしてほしいにゃん!」

 

 慌てながら黒歌は修太郎へとブラシを差し出す。

 

「……まあ、いいがな。こっちにこい」

 

「~♪」

 

 ブラシを受け取り、黒歌へ座るように促す。

 これを行うようになったのは以前に毛繕い――グルーミングのことについて書かれた本を読んだのがきっかけだろう。戯れに黒歌に実行してみたところ、かなり気に入ったらしく頻繁にねだってくるようになった。

 修太郎としては別に面倒と思うことも無く、普段は何かとやかましい黒歌もブラッシングの最中は大人しいので渋る理由は特にない。

 ベッドの上に座った黒歌の背後に膝で立ち、美しく流れる黒髪を持ち上げる。

 

「んぅ……」

 

 ブラシを通し、流す。くすぐったそうな声が黒歌の口から漏れた。

 手つきは既に慣れたもので、熟練の貫録さえ漂わせた。グルーミングは、戦闘関連以外では数少ない修太郎の特技といってもいい。

 

「シューウ?」

 

「なんだ」

 

「肩の傷はだいじょうぶー?」

 

 気持ちよさそうに目を閉じる黒歌の声は間延びして、やや舌足らずになっている。毎回、これはそんなにいいのだろうかと疑問に思う。

 以前黒歌にやってもらったことがあるが、ここまで無防備に脱力することは無かった。実行者の技量の違いか、髪の長さの違いか、そうでなければきっと個人差があるのだろう。

 

「包帯も巻いてもうほとんど塞がっている。気を廻せば明日にはあらかた治るだろう。何も問題はない」

 

「うん、よかったー」

 

 しばし、穏やかな時間が流れる。

 髪を梳くわずかな音と、互いの息遣いが聞こえる。

 外から入ってくる町からの雑音は、ありふれた日常のBGMだ。

 

 修太郎は思う。あの日、偶然見かけたこの猫に関わらなければ、自分は今でもただの剣として戦っていただろう。あるいは既に骸を晒していたかもしれない。

 そう考えれば、人生何がきっかけになるかわからないものだ。

 そうして程無くしてブラッシングは終わった。

 

「にゃあー」

 

 ぼうっと呆ける黒歌をよそに、手早く寝支度を済ませる。二つあるベッドの片方に入り、そして。

 

「クロ」

 

「……にゃー?」

 

「お前に会えてよかった」

 

「にゃあ!?」

 

 不意打ち気味の一言に、びくりと正気に戻る黒歌の様子を脳裏に描き、目を閉じる。

 昼間の怪物戦よろしく、意図的に周囲の音を意識から外せばもう彼の眠りを妨げる方法は無い。

 ゆさゆさと誰かが身体を揺するが、反射的な運体の妙技でそれらは悉くいなされる。

 

「な、なんて言ったにゃ!? ねえ、シュウってば! もういちど、もういちど聞かせるにゃ!!」

 

 危険を感知する部分を残して意識を落とした青年は、明確な敵意をぶつけなければ起きないだろう。そしてもしそれを実行したならば、その者を待っているのは首を落とされる未来だけだ。

 こうして部屋に、混乱して詰め寄る無力な猫の声だけがこだますることになった。

 

 



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第二話:聖剣使い

 欧州はイタリア。

 石畳の街を歩き薄暗い路地裏を通ってしばらく、朽ちかけた看板を見つける。

 雨風に晒されて錆び、今にも崩れそうなそれは、もはや書かれてある文字すら読み取れない代物だ。

 そんな客引きにも使えないような物を掲げる店こそ、魔物狩りの青年・暮修太郎と化け猫悪魔・黒歌が目指す場所だった。

 

「おお、誰かと思えば『魔剣』か。聞いたぞ、また大物を仕留めたそうだの?」

 

 錆びた金具のすれる音と入店した修太郎に、枯れ木のような老店主が声をかける。

 店内を見渡せば、席もまばらに数人の客が確認できた。傍目に見ても感じ取れるただならない雰囲気は、彼らが歴戦の猛者たちであることを示している。

 店に入った修太郎へ鋭い視線を寄越した彼らだったが、相手が彼の『魔剣』だと知るとすぐに目を戻した。ここは修太郎のような魔を狩り生活する者たちが情報を求めて集う溜まり場だった。

 

「事前の話だとそこまで大した奴ではなかったんだが。まあ、ちゃんと報酬は弾んでもらった。それよりマスター、情報が欲しい」

 

 この店は酒場もやっているが、店主の思惑とは別にどちらかと言えば依頼の斡旋、及び情報の交換と収集がメインだった。地上に人外が溢れる以上、こういった趣の施設はあまり多く無いとはいえ世界各地に点在している。

 カウンターに座れば頼んでもいないのに温かなココアとミルクの入った受け皿が用意された。既に成人である修太郎だったが、判断力の低下を嫌って酒はあまり飲まない。

 

「さて、何が知りたい?」

 

 店の奥から紙の束を取り出して老人は尋ねる。

 

「北欧の現況について。魔物に、神族の動向、それとうまい料理を出してくれる温泉付きの宿の情報はあるか?」

 

「またか。一つの場所に腰を据えたりはせんのか? というか、儂は旅行プランナーじゃないぞ。宿ぐらい自力で探さんか」

 

「流石に最後のは冗談だ。腰を据える、か……今のところ考えていないな。それで、どうだ?」

 

 呆れた顔で言う老人、飲み物に口を付けながら修太郎は答える。

 マイルドな甘みが口の中に広がり、温かな液体がのどを流れれば体が温まるように感じる。反対に、猫の姿でミルクを舐める黒歌は飲み物の熱さに表情を顰めているように見えた。

 この店主、おそらく黒歌が強大な悪魔であることぐらいなんとなく把握しているだろうに、たまにこうしてわざと温度を間違えるのだ。いい性格をしている。

 

「さて《魔剣》よ、こんな情報を知っとるか。教会で新しいエクスカリバー使いが見つかったそうだぞ」

 

「そうか」

 

「むう、興味なさそうだのう。お前も剣士だろうに、伝説の聖剣に憧れたりせんのか」

 

 話題に食いつかない修太郎の様子を見て、老店主はあてが外れたような声を出す。

 

「別段どうとも思わないな。武器は硬くて斬れればなんでもいい」

 

 第一、修太郎に聖剣を扱う素養は無い。

 使えないのだから、そんな箸の役にも立たないものに興味を抱く道理も無い。

 

「聖剣使いは若い女だそうだぞ。スタイル抜群の、とびっきりの美少女だと聞く」

 

「知らん。何が言いたいマスター」

 

 その手の話題はあまり好かない。あとで猫がうるさいからだ。

 修太郎としては、そんなことよりも対外的には隠されているだろう情報をいともたやすく手に入れる老人の手腕の方が気になるところだった。

 そもそも、ミーハーの話題に付き合えるほど遊びに長けた気質ではないのだ。要件があるなら早く言えばいい。

 

「ここ最近は儂の話に付き合ってくれる奴らが全然来んのだ。どいつもこいつも余裕なさすぎじゃろうまったく。……という訳で、儂の話に付き合ってくれたら情報をやろう。それと、お前に依頼の指名が来とる。どうせ急いではおらんのだろう? 一つ片していけ」

 

「…………」

 

 老人をしばし睨み、ため息を吐いて観念する。

 余談だが、この老人の話は長いことで有名で、だからこそ一部を除きほとんどの客は付き合わない。周囲に目を走れせれば、我関せずと白々しい荒くれども。

 つまりまんまと生贄にささげられる形になった修太郎は、その後4時間たっぷりと話に付き合わされることとなった。

 

 

 

 

                   ―○●○―

 

 

 

 

「キミの素性と、ここへ来た目的をしゃべってもらおうか」

 

「この近辺でキマイラを見かけたという情報があるの。大人しく知ってることを話してくれれば危害は加えないわ」

 

 明けて翌日。

 約束通り老人から情報を受け取った修太郎は、猫に変化した黒歌を伴い依頼の場所へやってきたのだが、そこには既に先客がいた。

 白いローブに動きやすさを重視しただろう黒い戦闘服を纏った、見目麗しい少女が二人。両方とも修太郎の知らない顔だが、素性は片方の少女が背負う荷物で知れた。

 

 ――聖剣。

 

 なるほど、老人が散々語った新しい聖剣使いとやらだ。

 メッシュの入った青髪と、栗毛のツインテール。しかし二人いるとは聞いてない。察するにどちらかが"新しい"方なのだろうが、まさか昨日の今日で話題の人物に出会うとは思わなかった。

 

 修太郎が受けた依頼は、森の奥にある山岳地帯に複数出現した合成獣・キマイラの討伐。

 中堅どころの魔物狩りでは歯が立たないレベルの難物だ。だからこそ、依頼人は修太郎を指名したのだろう。

 

 どうやら彼女達二人も同じ目的で教会から派遣されたようだった。一般人はほとんど足を踏み入れない森の奥に、男が一人でやってくればなるほど怪しい。そういう理由で修太郎は尋問を受けていた。

 キマイラ、あるいはキメラはギリシャ神話に登場する魔物ではあるが、魔法使いや悪魔が人工的に生み出した合成獣のことを指す言葉でもある。

 この二人は、修太郎がキマイラを生み出した者の関係者であると疑っているのだ。

 

「名は暮修太郎。フリーランスで魔物狩りをやっている。ここへはキミらの言うキマイラを殺しにやってきた。疑うならこの連絡先に聞け」

 

 懐から取り出した紙片を青髪の少女に渡す。

 

「魔物狩り……? 民間人か」

 

「ちょっと荷物を見せてもらってもいいかしら?」

 

 大人しく二人に従い、持っていた鞄を渡す。

 

「刀……は武器か。財布、コート、篭手、ベルト……これは剣帯か? まじないの札に、なんだ随分少ない荷物だな。これでキマイラと戦えるのか?」

 

 剣一本で立ち向かおうとする少女に言われたくはない。

 すると、栗毛の少女が何かを見つけたのか声を上げる。

 

「あっ!!」

 

「どうしたイリナ」

 

 イリナと呼ばれた少女が手にしていたのは日本が誇る携帯健康食品。フルーツ、チョコレート、メープル、それぞれブロックタイプ四つ入りの箱たちだった。

 

「見て見て、ゼノヴィア! メイトだわ!」

 

「なんだそれは。毒か? それとも魔物の餌か?」

 

「違うわ、日本のお菓子よ。懐かしい、私これ好きだったの!」

 

 なんだお菓子か、と警戒心を解く少女――ゼノヴィアに対し、無邪気に懐かしがっているイリナ。考えはわからなくもないが、正しくはお菓子ではない。

 しかし、反応と容姿から察するにこの少女はもしや。

 

「そっちは日本出身か何かか?」

 

「そうよ。私の名前は紫藤イリナ、故郷は日本のプロテスタントよ。こっちはカトリック教会のゼノヴィア。よろしくね」

 

「よろしくする必要はないぞイリナ。暮修太郎とやら、疑ってかかったことは謝ろう。キミがこの件に関与していないことは把握した。魔物狩りが目的というのも本当なのだろう。しかし残念だがここから先は私たちの仕事、部外者には手を引いてもらいたい」

 

 毅然と言い放つ少女はまっすぐな眼差しを修太郎へ向ける。

 そうしてしばし見つめ合い、視線を反らしたのは修太郎だった。

 

「……ああ、わかった。間が悪かったのだろう、大人しくするとしよう」

 

「それでいい」

 

 ゼノヴィアは修太郎の返答を聞くと彼に鞄を返した。そうして背を向け歩き出す。

 イリナはそれを追いかけようとするが、何やら手に持ったままの携帯食料――チョコレート味だ――と修太郎を交互に見つめて立ち尽くしていた。

 

「ああ……欲しいなら持っていけ。これも何かの縁だろう」

 

「!! ありがとう! あなたに神のご加護がありますように!」

 

 なんだかやたらと感謝され、祈りまでささげられてしまった。

 駆ける少女の元気な後姿を見て、これって餌付けに当たるんだろうかと思いつつ、踵を返す。

 

「……シュウ、まさか本当に引き返すにゃん?」

 

 今まで沈黙を守っていた黒歌が修太郎へと尋ねる。

 万が一悪魔だとばれた場合面倒なことになるため、仙術と幻術を駆使して隠れていたのだろう。

 

「冗談」

 

 彼女達の命令を聞く理由はひとかけらもありはしない。

 この業界は信用商売。退けと言われて退いてしまえば何のためのフリーランスなのか。受けた仕事は完了させねばプロではないのだ。

 篭手とベルトを身に着け、刀を佩き、手早く装備を整えて、修太郎は別のルートを探し始めた。

 

 

 

 

 

                   ―○●○―

 

 

 

 

「ねえゼノヴィア、本当にさっきの荷物検査だけで彼が無関係だってわかったの?」

 

 栗毛を揺らしながら歩くイリナが、先を往くゼノヴィアに尋ねる。

 緩やかな勾配の坂はごつごつとした岩石がせり出して、移動するにも一苦労だ。

 しかしながら、聖剣の担い手として厳しい訓練を積んできた彼女達からすれば、この程度の荒れ地などそう大きな障害にならない。息一つ乱さず、周囲の気配に気を配りながら敵を探していた。

 

 先ほどの暮修太郎と名乗った目つき鋭い黒髪の男。長身痩躯の立ち振る舞いは隙が無く、武芸を身に修めていることが一目でわかった。荷物に見かけた日本刀から察するに、おそらくは剣士だろう。明らかに魔法使いの様な研究者ではないが、それでも協力者という線は捨てきれない。

 

「いや、わからない」

 

「もぐもぐ……え? じゃあなんで大人しく返したの?」

 

 相棒の意外な返答に質問を重ねるイリナ。手に持っている携帯食料のパッケージは既に開けられ、チョコレート色のブロックが少女の口に納まっている。

 その様子を横目に見ながら、ゼノヴィアは修太郎から渡された紙片を取り出した。

 

「彼個人についてはわからないが、彼からもらった連絡先のことなら知っている。ヴァチカン公認の魔物討伐斡旋業者だ」

 

「ヴァチカン公認……? そんなのがあったなんて、知らなかったわ」

 

「無理もないだろう。教会の勢力圏内に出現した魔物・悪魔の討伐に関し、対外的には我々聖剣使いやエクソシストが処理していることになっているからね。しかし、実際それだけでは手が足りない。人間よりは少ないとはいえ、この世界には人ならざる者もまた多く存在する。そうなれば、在野の力ある者たちの活動も黙認すべきことではある。今のところ一般人に大きな被害を加えている訳でもないようだしね」

 

 それに、と続けて。

 

「良い人材がいればエクソシストにスカウトすることもあるらしい。人材発掘という点で、実は中々有用なものではあるんだ」

 

「へえ、そうだったのね。でもそれはわかったけど、見逃した理由は?」

 

「見逃してなどいないさ。さっきは私の言葉に従ったように見えたが、多分彼に聞く気はないだろう。そういう目をしていたよ。嘘を吐けないタイプだね、あれは。いずれ敵に相対した時嫌でも会うことになるだろうから、その時見極めればいい」

 

「うーん、まあ会わなかったら会わなかったでデメリットはないものね」

 

 正直な話、それは言ってみれば体のいい後回しではないのだろうか? と思わないでもなかったが、結局のところイリナもその意見に賛同した。

 戦闘では技巧を凝らした剣技を得意とする彼女も、相手の腹を探る術には通じていない。ゼノヴィアもまた同様だろう。

 何を斬るべきか判断するのは彼女達の上司であり、つまるところ聖剣使いとは荒事に長けた実行要員でしかないのだ。

 現場では最低限信仰に基づき適切な行動をとってくれさえすれば問題は無いのだろう。そのスタンスが原因で時折暴走する若手もいるのだから、指揮がとれる人材が足りないことを嘆く中間管理職のエクソシストは多い。

 

「しかし、情報によるともうキマイラが出てもいいはずなんだが……」

 

「……何もいないわね」

 

 草木もわずかな山道は、不気味なまでに静かだ。

 森の中では確かに聞こえた鳥のさえずる音も無く、生の息吹を感じさせない静寂に包まれている。

 そのまま進めば、次第に草木すら無くなっていき、そしてある場所へたどり着いた。

 

 そこは険しい山岳に不釣り合いな広場だった。異様なのは、地形に高低こそあれど全てが滑らかな平面、あるいは曲面を見せていること。

 元はせり出した岩山だったろう突起は、虫食いにあったかのようなオブジェとして散見される。

 明らかに自然的なものではなかった。

 

「これは……明らかにおかしいぞ」

 

「ええ、異常だわ。キマイラの仕業とは考えられない」

 

 驚く二人の聖剣使いだったが、しかし気を抜いてはいない。それぞれがいつ敵が襲い掛かってきてもいいように構える。

 

 ゼノヴィアが背負う大剣の柄を握ればひとりでに包みが外れ、中の聖剣が姿を現す。攻撃的なフォルムに肉厚の刃、破壊力に特化した七本あるエクスカリバーの一振り『破壊の聖剣(エクスカリバー・デストラクション)』だ。

 

 同時にイリナが二の腕に巻いた紐をほどくと、それが意思を持ったかのように動き出す。そして次の瞬間、手に握られていたのは鋭い刃持つ日本刀。同じくエクスカリバー『擬態の聖剣(エクスカリバー・ミミック)』。

 

 二振りの聖剣が放つプレッシャーは並の魔物であれば恐怖してすぐさま逃げ出すだろう。

 しかし、どうやらこの場を作った張本人は違ったらしい。

 臨戦態勢をとる二人の前に、“それ”は姿を現した。

 

「……!」

 

「あれは……何?」

 

 第一印象は、大きな饅頭。

 しかし色は鋼で、ふるふると震えて這いずるさまは水銀に酷似していた。

 体高は馬ぐらいか。随分と大きい。

 濃い色合いにも拘らず、わずかに向こうが透けて見える。中心に据えられた実体を持つ球形は、それが粘体生物であることを表していた。

 

「スライム……かしら」

 

「わからない。見たことがない魔物だ」

 

 正体不明の敵を警戒して注視する二人の少女。

 不意に、鈍色のスライムが少女たちを「見た」。

 

 そう思った瞬間、無数に枝分かれして迫る鋼の槍が、二人の目前にあった。

 速い。信じられないほど、速い。

 

「お……あああああああっ!!」

 

「くっ、はあああっ!」

 

 少女たちがそれに反応できたのは偶然ではない。

 応戦する二人の剣技はなるほど聖剣の担い手にふさわしい練度。突き出される鋼の槍を巧みな剣捌きで弾き、いなす。

 それでも手数は圧倒的にあちらが上。迎撃が間に合わず、傷つく箇所も出てくる。

 

「ぐっ……イリナ! 一度体勢を立て直すぞ!!」

 

「わかったわ!」

 

 ゼノヴィアの言葉に了承を返したイリナの聖剣が形を変える。

 その刃を伸長させ、まるで鞭のように迫る槍を弾き返していく。縦横無尽に走る刃はゼノヴィアに迫る攻撃すら叩き落とし、彼女が力を溜める隙を作った。

 

「はああっ!!」

 

 『破壊(デストラクション)』の名にふさわしい一撃が地に叩き付けられれば、飛礫が弾丸となって飛び散り土煙が辺りを覆い尽くした。

 

 ゼノヴィアは、出会った時のスライムから「視線」を感じた。であれば、おそらく敵は目で物を見ているのだと予測できる。

 一か八かではあったがどうやらその予想は当たっており、スライムの攻撃は精度を急激に落としあらぬ場所へと降り注いでいた。

 

 その場から素早く退散した二人は、広場に点在する歪な岩のオブジェの影に隠れ、対策を練る。

 

「何だあの化け物は」

 

「多分、この場にいた生物は全部あいつに殺されたのね」

 

「おそらくはそうだろう。しかしアレは何だ? 硬くなるスライムなど聞いたことが無い」

 

「どちらにしても、アレが危険な以上は退治しなくちゃならないわ」

 

「わかっている」

 

 この難敵をどう崩すか。

 弱点は分かる。粘体の中央にある球体――核だ。

 しかし、敵の攻撃速度は尋常ではない。さっきは距離も離れていたため高速の槍も捌けたが、それが至近距離でとなると難易度は凄まじく跳ね上がる。

 奴の硬化する身体には聖なるオーラも効きが悪いらしい。聖剣と打ち合ってもひるむ素振りすら見せなかった。

 伸ばした身体を硬くできるのなら、本体も可能に違いない。

 高速で伸びる無数の槍と鉄壁の防護。外見は間抜けながら、単純に強い。

 

 意外なことに、敵には視覚があるようだ。

 ゼノヴィアは岩のオブジェの根元に残った小石をとると、大きくスイングしてスライムの背後に放った。

 石が地に落ちるや否や、瞬時にそれを貫く鈍色の槍。どうやら聴覚まで備えているようだった。

 しかし、やはり速い。その様子を見たイリナは、獲物を捕らえるカメレオンを想起した。

 

「ねえゼノヴィア、私の聖剣を全速力で伸ばして、気付かれないうちに敵の核を狙撃するっていうのはどうかしら?」

 

「現状とれる攻撃手段はそれくらいか……しかしその攻撃方法はそこまで長い射程は持っていないはずだ。確か10メートルほどだろう? 近づくのなら、囮が要る」

 

 それを務めるのは必然ゼノヴィアになる。

 危険な賭けだ。先ほどの短い攻防は二人の精神力と体力を大きく削り、もう一度、今度は一人でアレの攻撃を捌くとなれば命を懸けることになるだろう。

 それでもやるしかない。それが教会の戦士、それが聖剣使いなのだ。魔に屈することなどあってはならない。

 

 二人頷き覚悟を決めて分れる。

 ゼノヴィアは敵の正面に、イリナは敵の背後に。

 岩のオブジェに隠れながら移動しつつ、機会を窺っていたその時。

 

 ゆっくり這いずるスライムが、何かに反応して機敏に振り向く。

 その先には一人の影。長身痩躯の男が、いつの間にかそこにいた。

 

 古びた篭手と足甲を身に着け、腰の剣帯に太刀を佩き、右手を静かに柄へ添える。

 漆黒の頭髪が風に揺らめき、眼光鋭く鷹の如し。纏う空気は刃の鋭さ。

 

 男の名は、暮修太郎。

 巷で『魔剣』と称される――剣鬼である。

 

 



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第三話:剣鬼

 聖剣使いたちと別れた後、黒歌と手分けしてキマイラに繋がる別ルートを探し始めた修太郎だったが、意外にも目的のものはすぐに見つかった。

 そびえ立つ断崖の隅、魔術によって隠された洞穴の中。おそらくはキマイラの創造主の下につながるであろう転送魔法陣である。

 

 もしもキマイラを創り出した存在が魔法使いの類であるならば、わざわざ自身の拠点へと徒歩で行き来するとは考えにくい。

 術師を称する者はその大半は体力的に貧弱(修太郎たち武芸者に比べれば、であるが)であり、無駄な運動を嫌う傾向が強く、なによりも転送魔法は割とありふれたものであるため、合理を重んずる研究者ならば使わない理由を考える方が難しい。もっとも、近くにあるかどうかそのものは賭けだったが。

 食料やその他諸々の必要機材の補給を考えるなら、誰も進んで険しい山道を往復しようとは思わないだろう。

 

 自分ができるからといって、他人もできるとは考えないことだ。

 それは仲間への配慮と同様に、敵対者に対しても心得るべきことである。「思いもよらない方法」というのは、常に他者からもたらされるのだ。

 あの少女たちは手練れではあるのだろうが、ややまっすぐすぎるきらいがある。しばらくはどちらも苦労するに違いない。

 

 偉そうにそう思う修太郎だが、この男とて当初の予定ではわざと正面から突撃を敢行する予定だったというのだから真に度し難い。そもそも魔法陣を起動できる黒歌がいなければ成立しない方法なのだから、実質彼女達と大差はなかった。

 

 さて、こうして転送陣を用いることで何者かの研究拠点に一足飛びで辿り着いた修太郎たちだったが、転送用の広間から出た直後にいきなり目的の人物を見つけた。

 もっとも、既に物言わぬ屍と化していたが。

 

 下半身を丸ごと消失したローブの男。

 あらかた回って見てみてもそれ以外に人がいた形跡はなかったので、おそらく彼がそうだったのだろう。

 転送陣で逃げようとしたのか、扉にしがみつこうとする姿勢で冷たい廊下に倒れていた。苦悶の表情を顔に刻み、わずかに腐臭すら漂わせるそれは、下手人が立ち去ってそれなりの時間が経過していることを表している。

 道中見つけた金庫を開ければ中には一つの研究レポート。面倒にゃーん、と文句を言う黒歌に解読を押し付け、探索を続行。

 

 魔法使いの拠点はそこかしこが奇妙に抉れていた。

 岩山を削ってできた洞窟をさらに整えたのだろう施設は、部屋となっているところ以外は壁面をごつごつした岩石が覆っている。それが綺麗な鏡面を見せて一部を消失させていたのだ。

 道を作るようにつけられたその跡を追えば、施設の出口に突き当たった。扉は内より外に弾け、やはりその中央を穿たれて転がっているのが発見できた。

 

 直後に感じた轟音に、急いでそちらに駆け付ければ眼下に見える戦いの跡。

 その中央に鎮座する鈍色の饅頭もどきが魔法使いを殺し、自身の同類も含めて周辺の生物を殺し尽くした存在だろう。黒歌が概略だけを読み取った魔法使いの研究レポートを信じるなら、あれはキマイラなのだ。

 

 ならば、依頼に従い斬らねばならない。

 

 崖から飛び降り、敵手の前に立つ。

 黒歌は傍にいない。聖剣使いたちの気を感じ取ったため、またどこかに隠れているのだろう。

 

 こちらに気付いた敵を見据えて、腰の刃を抜き放つ。

 戦いが始まった。

 

 

 

 

 

                 ―○●○―

 

 

 

 

 

 男が刀を抜いた動きを、ゼノヴィアは捉えることができなかった。

 ただ、いつの間にかその手に握られていた刃は、彼女に目には恐ろしく鋭いモノに映った。

 

 男が踏み込んだその瞬間を、イリナは把握できなかった。

 ただ、いつの間にか男が槍の包囲をすり抜けて、両者の間合いが半分以上縮まっているのを見た。

 

 ならばそれを目の前にしたキマイラはどうだったろうか。

 敵が間合いに入った瞬間、キマイラは高速の槍を伸ばした。縦横から襲う包囲網。たった一振りの鋼で何ができる。

 そして、男が消えた。

 少なくとも、キマイラの視覚にはそう映った。

 

 上下左右の包囲をすり抜け、正面からくる槍を紙一重で躱し、太刀を担いで疾走する男――剣鬼・修太郎。

 起こりの見えぬ運足は、彼の一族に伝わる皆伝の歩法。加えて相手の攻撃意識を正確に読む戦術眼は、乗り越えた修羅場の数が積み重なったが故のモノだろう。

 

 わずかの間に道を半分踏破して、振るう刀がキマイラの硬く柔らかい槍を悉く断つ。聖剣すらも弾いて見せた頑強さを、その身に修めた絶技で切り裂き、水銀質の粘液は滑らかな大地に飛び散った。

 流石に痛覚までは無いのだろう。キマイラが痛みにひるむ様子はうかがえない。しかし動きに焦りをにじませた。

 

 進む足を止めない。一直線に敵を目指す。

 次いで、眼前をまっすぐと伸びる剣山が迫る。

 

「――――――!」

 

 軽やかに横にずれて回避すれば、その影から飛び出した本命の一撃を篭手で逸らす。そして断たれる鈍色の槍群。

 敵手までの残り、三分の一。

 

 二たびに亘って己が身体を切り裂かれたキマイラは、直後に男の進む速度が遅くなっているのを感じた。

 何故かは知らない。しかし、これは好機だ。

 

 必殺の包囲。これほど距離が縮まれば、手数と速さで圧しきれる。キマイラはそう考えた。

 相手の動きを包むように放たれた槍の雨はしかし、掠りはすれども直撃には程遠く。

 何故、と考える間もなく気付けば男は目の前だった。

 

「―――」

 

 相手の意に沿った絶妙な動きの緩急が、鋼の化け物の目を見事騙した。

 あとわずか近づけば、敵は修太郎の刃圏に入る。陽光を返して煌めく緋色の刃は、確実にキマイラの命に届く。

 この時、鈍色の怪物を初めて死の恐怖が襲う。

 

 必然として遮二無二振るわれる鈍色の触腕は、生存本能に従った末のあがきだった。

 しかしそれでも速さは健在。鋭さを排除した代わりに、しなるそれは鞭のように、二桁を超える数が修太郎に迫った。

 

 修太郎も承知していた。ここからは真っ向勝負、力押しだ。

 

「――!!」

 

 走る、奔る、閃光が虚空を断つ。

 

 鈍色の異形から繰り出される鞭は、その特性をいかんなく発揮して、一撃一撃悉くを亜音速まで押し上げる。

 人間には捉えられぬ速度。剣鬼はそれを目だけで見ていない。

 闘気張り巡らせ超人域に達した五体の全てで敵の動向を正確に把握、意を決するよりなお速く放たれる刃は軌跡すら霞む。

 

 両者の迎撃合戦は虚空に残る火花で辛うじて把握できる程度。

 二人の聖剣使いは、気付けば隠れていたところから出て、静かに両者を見守っていた。

 

 予想外、どころか出鱈目である。

 あの男――暮修太郎。

 剣士である事は知っていた。おそらく、腕も相当立つだろうことだって立ち振る舞いから予測はできていたのだ。

 しかし、これは一体何だ?

 

 こうして見ればわかる。あのキマイラは尋常ではない。ゼノヴィアたちが戦ってきた中でもトップクラスに食い込む強さだ。

 倒すのなら大勢で囲み遠距離からの攻撃で確実に削るのが一番の正解だろう。

 それを正面から白兵戦で圧倒している。

 そう、圧倒しているのだ。

 

 攻撃を捌く男は無傷ではない。

 いくら超然とした技を持とうと、この至近距離で超速の暴威を防ぎきるのには無理がある。小さな傷を無数に受け、血を流すその様を見れば劣勢は男の方だと誰もが思う。

 だがその動きは鈍るどころかむしろ一層速度を上げて、元々無いに等しい運体の無駄をさらに削る。一挙手一動足が完全に調和すれば、剣の冴えは魔人の域に踏み込んだ。

 傷つくほどに強くなる、常軌を逸した特性。何を隠そう、キマイラの視点から見ればわずかに笑みすら浮かべているのだ。

 まさしく戦いの権化――これが、剣鬼。

 

 鈍色の身体を持つ敵は、よく見れば刻一刻とその体積を減らしている。

 一つ火花が散るごとにわずかに身体が弾け飛ぶ。馬ほどあった体高は、既にその大きさを男の胸ほどまでに縮めていた。

 

 少女たちは気付く。

 次第にキマイラの速度が落ちていっている。

 キマイラのパワーと攻撃スピードはその実、体積の量に比例していた。

 

 自らを創り出した魔法使いの半身を喰らい、野放しにされていた別のキマイラを喰らい、そして周辺生物の全てを喰らった結果があの姿だったのだ。どうやら食べた量そのままに大きくなるわけではないようだが、あの巨体が速度の秘密だとすれば、もはや勝負は決まったも同然。

 

 一撃。二撃。三撃。

 

 鞭を捌いていた速度重視の剣ではない、何物をも断つ剛の剣。

 一瞬でキマイラの全面を覆う粘体を斬り飛ばすと、敵の弱点――核が露出した。

 

 終わった――ゼノヴィアたちがそう思ったのもつかの間。

 

「――ッ!」

 

 金属が弾かれる鋭い音が響く。

 

 修太郎の刃は、核の外膜の下、折り重なった鱗に阻まれていた。

 

「――なんですって……?」

 

「ドラゴン、だと……!」

 

 絶句するゼノヴィアたち。

 核の中に潜んでいたのは、不気味に黒い鱗を持つ小さなドラゴンだった。

 その丸まった大きさは子犬ほどだろうか。上目づかいにこちらを睨む様子には可愛らしさすら感じるが、その瞳は憤怒と屈辱に染まっている。

 

「――ぐっ……!」

 

 ごぷり、と。

 

 何の前触れも無く突然、修太郎は血を吐いた。

 見れば、彼の脇腹を鈍色の槍が貫いている。

 出所は背後の大地。斬り飛ばしたはずの粘体が蠢き、憎き敵へと触腕を突き刺していた。

 水銀質の粘体は如何なる原理か、このドラゴンキマイラが発するオーラが変質した武器にして防具だった。

 自身を離れて飛び散った粘液体はその大半が霧散しているが、意識を飛ばせば操れた。ここまで追い詰められたが故に発覚したキマイラの新しい能力だった。

 

 しかし、今はそんなもの必要無い。

 思考全部を真っ赤に染めて、キマイラは思う。

 

 この人間は、許せない。

 

 ゆえ、放つのは己の必殺――奥の手。

 なぜ周囲の地形は滑らかなものになっているのか。

 その理由がこれだ。

 

「!!」

 

 突如立ち込めた熱気に修太郎が素早く飛び退ると、斬り飛ばされた粘液体がキマイラに集う。

 それでも当初より二回り以上小さいが、再び固形化したオーラに身を包んだキマイラが急激に力を高まらせれば、鈍色だった柔らかい鎧は灼熱の赤に染まった。

 オーラの微細な高速振動が超高温の力場を生み出す。

 周囲の生物を絶滅させたこの姿こそがキマイラの始まりだ。

 

 ただそこにあるだけで振動が接地面を削り取り、生まれた塵を熱の力場が灰と流す。

 圧倒的殺傷力を獲得した代償に先ほどまでの様な細かいコントロールは利かなくなったが、ただ突撃するだけで触れるものを消失させる特性は脅威的の一言だろう。

 

 蛇のように形を変えて、キマイラは疾走した。目指すは無論、憎き剣鬼。

 しかし、深手を負っているはずの獲物は当たり前のように避ける。信じられないことにこの男、敵の触腕が刺さる直前に攻撃の軸線をずらして急所を避けていたのだ。

 とはいえ出血の量は馬鹿になったものではない。先日覚えた気の運用で、応急的に止血を行いつつ動き回る。

 

 独特の運足は健在。動きの緩急は絶妙。

 だからこそ、キマイラの攻撃は当たらなかったが、反対に修太郎も反撃する機会を失っていた。

 本物の龍が持つような堅牢な防御を持っていれば別だったろうが、曲がりなりにも人間である修太郎はキマイラが纏う熱気だけで相当なダメージを負う。

 現状とれる手段は逃げの一手だ。

 

 膠着した状況を変えたのは、第三者による介入だった。

 

 高速で這うキマイラに、銀色の光が伸びる。

 その正体は変幻自在の刃。『擬態の聖剣(エクスカリバー・ミミック)』の担い手・紫藤イリナの攻撃だ。

 

「こっちよ!」

 

 戦いに水を差されたキマイラは、元々激昂していたこともあり容易にその誘いに乗った。

 敵を背に走り出すイリナよりもキマイラの方が速い。迫る高熱の猛威に、しかしイリナはうまく回避していた。

 敵を惹きつけ、急加速して躱す。フェイントを織り交ぜて相手の攻撃を誘導する。

 

 イリナは、この短期間で修太郎の動きから効率的な回避法を掴みとった。

 ゼノヴィアと違って同じ得物の扱いに精通していたのが大きかったのだろう。動きの共通する箇所を見直して実践してみれば、驚くほどに相手が引っ掛かる。

 彼女とて才ある剣士。未だ取っ掛かりを掴んだだけに過ぎないが、いずれは全く同じと言えずとも大きく成長するに違いない。

 

 イリナが行き着く先にはゼノヴィアが待ち構えていた。

 刃を大きく天へ振りかぶる大上段。溜めこまれた力は『破壊の聖剣(エクスカリバー・デストラクション)』が秘める破壊力をさらに引き出す。

 

 暮修太郎という男の剣技にわずかにでも触れることができたのは、イリナと同様にそれを傍から眺めていたからだ。

 聖剣をもってしても切り裂けなかったキマイラの身体を、いともたやすく切り刻んだ剣の冴え。隔絶したそれは、才能あふれる者ほどに剣士ならば心を折っておかしくないものだった。

 しかしゼノヴィアはそうなってしまうどころか逆に感動した。迫りくる敵を防御諸共無尽に切り刻む。彼女が望む理想の剣がそれだったからだ。

 青髪の少女はイリナを追ってやってくるキマイラを見つめる。

 手首に巻いた聖具、青いサファイアをはめ込んだロザリオが輝く。

 

「個人的にはかなり遺憾ではあるが、私は何かと物を壊しがちでね。今回も気を付けるように言われていた。そう、この場には――」

 

 高揚感と共に踏込み、大地に向かって斬り下ろす。一連の動きは今までのどんな時よりも洗練されたものだった。

 

 剣より解放された衝撃を受け、爆散する大地。

 小さなクレーターどころではない大破壊は、その場の地盤が特殊だったからだ。

 破壊された地面より、天高く溢れだす水流。この地には多くの地下水脈が存在していたのである。サファイアのロザリオは、水脈探知の道具でもあった。

 

 タイミングを合わせて反転したイリナはともかく、キマイラは急に止まれない。

 大量の水が超高熱の身体にかかると、その体積を急激に膨張させ、大爆発を起こした。

 

「*********!?」

 

 舞い散る飛沫と衝撃波、巻き起こる暴風が少女たちの視界を塞ぐ。初めて聞くキマイラの声は絶叫だった。

 爆発の勢いで上空に投げ出されたキマイラは、オーラで形成した外殻を大量に巻き散らし、その本体を外部に露出させている。衝撃に意識を混濁させた幼い怪物に高熱振動を再度行う余裕はない。

 

 ふと、上空から影が差す。

 

 恐るべき脚力で跳躍した修太郎の姿はまるで金翅鳥王(カルラ)。引き絞られた膂力に加え、落下の勢いを重ねた刃は龍の鱗すら貫く断頭の技。

 刃の双眸がキマイラを卑睨し。

 音も無く通過した太刀に分断された魔物を見れば、ここに決着。

 

 立ち昇る水が雨となって降り注ぎ、鮮やかな虹を作った。

 

 

 

 

 

                 ―○●○―

 

 

 

 

 

「思えば私、修太郎さんにお世話になりっぱなしだわ。何かお礼しなくっちゃね」

 

 ひと段落つき、イリナが話を変える。

 戦闘も終わり、自分が持っている情報を二人に渡した後である。

 彼女は今、最初着ていた白いローブの代わりに修太郎が鞄に入れて持ち歩いていたコートを羽織っていた。キマイラの攻撃を躱した時の余波で下の戦闘服含め所々が破れ、あられもない姿をさらしていたのだ。

 

「俺が好きでやったことだ。気にする必要はない」

 

「そうはいかないわ。私たちにとって迷える人への施しは当然だけれど、信徒が相手でなくても恩義に報いないのは人道に反すると主もおっしゃるはずだもの。という訳で、後で何か贈らせてもらうわね」

 

 ならば最初に渡した連絡先の老人に贈るよう伝える。根無し草の修太郎だが、あそこには常連になる程度には頻繁に足を運んでいた。

 それよりも気になったのは。

 

「むむむ……」

 

「それで、彼女はいったいどうしたんだ」

 

 何やら挙動不審気味なイリナの相棒。

 難しい顔で唸りながらチラチラとこちらを見るゼノヴィアを見つめ返せば、しばし思案気な顔をした後、破壊された大地へ視線を逸らされた。

 

「ゼノヴィアってば、また派手に地形を変えちゃったものだから、どう報告しようか悩んでいるのよ」

 

 不審な相棒の挙動をイリナが解説してくれた。

 複雑な表情のゼノヴィアを見れば、当たらずとも遠からずと言ったところだろうか。

 

「それで何故俺を見る」

 

「多分、着いて来て弁護をしてほしいんじゃないかしら。私じゃ宗派が違うからカトリック教会に行くことはできないし、その点フリーの修太郎さんなら大丈夫だと思ったのかも」

 

 そんなに上から信頼されていないのか、この少女は。と思えば、当の少女から非難の目を向けられた。

 

「違う。別に報告するだけならいいんだ。問題はその後なんだ。しかし、うーん、ぐむむ……」

 

 イリナの言葉を否定するゼノヴィアが気にしていたのは、姉代わりのシスターのことである。

 幼少の頃より頭の上がらない存在であるシスターは、ゼノヴィアが問題を起こすと高い確率で説教をしにやってくる。それが嫌なのだ。

 頭を捻り終えたゼノヴィアは、「やはり言っておくべきだろう」と意を決して修太郎に喋りかける。

 

「暮修太郎……殿、不躾だとは思うがエクソシストになる気はないか? 先ほどの話を聞いた後に私が言うと、かなり不純な動機ととられるかもしれないが、あなたほど剣に長けた人物は見たことが無い。あなたが我々に協力してくれれば、人々を脅かす魔からもっと多くの人を救えると思うんだ」

 

 語るゼノヴィアの目は真摯だった。

 教会の戦士として神に仕え、その教えの下庇護されるべき子らを守る。そのことにわずかな迷いも持たないその姿勢は、修太郎の目に興味深く映った。

 しかし。

 

「勧誘ありがたいが、断らせてもらう。俺に神への信仰心は無いし、そういう組織は合わない」

 

 神の価値がわからない修太郎が所属すれば、たとえ意図せずとも確実に問題が起こるだろう。秩序だった組織は好むところではあるがしかし、うまく付き合えるかと言えばそれは違う。

 第一に。

 

『…………』

 

 そもそもの前提として、背後で心配げにこちらを見つめる黒猫を捨て置くことなどできはしない。出会った時の約束は未だ有効であるが故に、放棄する選択を修太郎は持たない。

 その様子から、ゼノヴィアにも修太郎の意思は伝わったのだろう。

 

「そう言うとは思っていたが、残念だ。なんとなく、あなたとは馬が合いそうに感じたんだが」

 

『ああ……脳筋同士ってことにゃん』

 

 猫の念話は無視する。

 巡り合わせが悪かったのだろう、と言えばそこでその話は終わった。

 

 こうして、引き続き魔法使いの研究施設を調べるという少女たちと別れ、修太郎たちは帰路に就いた。

 

 

 

 

 

                 ―○●○―

 

 

 

 

 

「修太郎さーん、だってにゃー」

 

 帰って宿。

 拗ねたような態度をとる黒歌に、修太郎は内心でため息を吐いた。

 

「クレソンと言う神父が知り合いにいるから呼びにくいらしい。別に名前で呼ぶこと自体に何も悪いことは無いだろう」

 

 この黒猫は、あったばかりのイリナが修太郎を名前で呼んでいたことが気に食わないようだった。ちなみに、関係ないがクレソンとはオランダガラシのフランス語名でもある。

 

「でもどうにゃん? シュウは若い女の子と仲良くなって嬉しかったりはしない?」

 

「二人とも好ましい少女だとは思うが。素直なのはいいことだ。面倒が無い。第一、年齢的に言えば俺もお前もまだ若いだろう」

 

 そう言うと、黒歌は頬を膨らませる。

 

「それって、私が素直じゃないってこと?」

 

「そうは言わない。お前は十分に素直だ」

 

 くしゃり、としなやかな黒髪を掬い取り流す。

 

「にゃぅ……ん」

 

 甘い声を出して脱力し、こちらに体を預けてきたので優しく抱き寄せる。

 吐息を漏らしながら首筋に頬を擦り付ける黒歌は猫そのものだ。

 

 今、修太郎は上半身裸で椅子に座り、黒歌はその膝の上で対面になって寄り掛かっている。

 着物の前をはだけその豊満な肉体を惜しげも無く晒す美女は、男の胸に自身の肌を合わせ、もどかしげに擦り付けていた。

 

「にゃ……ぁん」

 

 合わさった肌を通して両者の気が循環すれば、生命力の加速と増大が昼間の戦いで傷ついた修太郎の身体を癒す。

 膨大な気の総量を誇る武の達人と才能にあふれる高位の仙術使いが行う気の循環合一、簡易式の房中術と言っていいそれは男の傷を急激に復元させていった。

 

 肉がふさがり、皮膚がつながる痒みに目を細めながら修太郎は思う。

 たとえば黒歌がいなければ、昼間の少女たちの勧誘に乗っただろうか、と。

 

 考えてもわからない。なぜ彼らはあそこまで頑なに会ったことも無い偉大な存在とやらを信じることができるのか? なぜそんなよく分からないものを信仰するのか?

 修太郎にとって神とはまず己を縛っていたものの原因だ。本家は神道守護、ひいては護国のために一般倫理を悉く破ってまで強さを求め、それが一因となって分家に修太郎の様な突然変異が生まれた。

 

 日本は八百万の神が存在する、世界的に見ても異様な宗教基盤を持つ国である。そこでは神も悪魔も龍も仏も、問題なく在れるだろう。

 数が多いだけに神の質はピンキリで、どちらかと言えば精霊と言った方が適当かもしれない。それでも信仰を力に変えるのだから、やはり神なのだろう。そんな神々も怒り荒ぶれば荒御霊と化し人民に被害を及ぼす。

 修太郎がこれらの神々を討滅した例は一つ二つでは足りない。

 

 そんなのだったから、神の重要性を理解できないのだ。

 聖書の神を同列に見るわけではないが、きっと、その存在など無くても人は生きていける。これは、強者だからこそ持つことができる考えだろうか?

 

「……にゃあぅ…ふぅ……ぅうん…………にゃぁ…………」

 

 気付けば、黒歌が随分とヒートアップしている。

 頬を紅潮させ、瞳は潤み、吐く息も荒く汗の滲む身体は艶めかしい。たとえどれほど老いていようと、それが男ならば即座に押し倒してモノにするほどの色香を発していた。

 昼間にイリナの半裸姿を見てさえ冷静に対処した修太郎でも、何も思わないなど有り得ない。

 しかし、しかしだ。

 

「にゃ…ぁん……シュウ……? やっぱり、反応しない?」

 

「すまん……誓約だ」

 

 誓約。ゲッシュ。この場合は呪いとも言う。

 これにより修太郎はあらゆる性的興奮を獲得できない。

 

「……やっぱり、古き良きケルトの死亡フラグなんて受けるべきじゃなかったのよ。あの忌々しい脳筋女神、今度会ったら半身炭に変えて命乞いさせた後に誓約破棄させて地獄に落としてやるにゃん」

 

「無理だ。俺ら二人合わせても勝率は2割……良くても3・4割程度だろう」

 

 そもそも、当人が設けた誓約の破棄条件が女神の打倒なのだからいずれ避けれぬ道ではある。今のままでは一体いつになるやら見当がつかないというのが痛いところだが。

 だからこそ世界を回り、力を獲得しなければならないのだ。

 

「手始めに北欧だ。アイスランドの異界に潜り、アースガルズに行く」

 

「わかってるにゃん。……でも、でもね……まずはこの身体の火照りをどうにかしてほしいの。シュウには悪いけど、付き合ってもらってもいい?」

 

 頬を染め発情する黒歌の潤む上目使いは、かつてない破壊力で修太郎の頭を叩いた。ここまで来て逃げるなどあり得ないだろう、常識的に考えて。

 

「…………仕方がない、か」

 

 しかし、付き合うのは吝かではないが、琴線には触れるのに何も感じないというのは凄まじく名状しがたい寂寞感を生むのだ。

 一人愉しむ猫をよそに、精神すり減らしながら一夜を過ごした修太郎は、翌日の朝しばらくは何もしゃべらなかった。

 

 

 




ちょっと直接的すぎるだろうか。エロスは分からん。
基本遅筆なので今後も安定しないと思われます。
誤字脱字、設定の不備および描写の矛盾等ありましたら指摘お願いします。


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第四話:北欧旅行記~その1~

 

「…………」

 

「……」

 

 青い空。白い雲。

 柔らかな陽光が目に射し込み、わずかに眩しい。

 背後の深い森からは時折獣の鳴き声が聞こえ、浜辺には波が寄せては返す。そう、ここは絶海の孤島。

 修太郎は遭難していた。

 知らない銀髪の少女と、二人で。

 しばし、両者の間で沈黙の空気が漂い、そして一言。

 

「何故こうなった」

 

「…………本当にっ、すみません……!」

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 海から吹き付ける冷気は冬の到来を思わせる。

 中天に太陽輝く絶好の航海日和。北欧はアイスランドに向かう船の上で、二人は言葉を交わしていた。

 

「さーむーいー、さーむーいーにゃー」

 

「抱き着くな、動きにくい。ちゃんと服は買ってやっただろう」

 

 文句たらたらで修太郎の腰にしがみつく黒歌の格好は普段の着物姿ではない。

 ハイネックのセーターにスカート、黒いストッキングを履き、靴はひざ下までの編み上げブーツ。厚手のコートとマフラーという、和風から一転して耐寒仕様の洋服を着た重装備だ。

 男としては、寒いのになぜそれほどスカートを履きたがるのかはわからないところもあるが、少なくとも以前の着物姿よりは大分マシなはずだ。

 無駄にブランド品を購入したので懐は痛んだが、必要経費と割り切った。どうせ生活費以外は本の購入ぐらいにしか使うことはないし、いつもと違う印象の相棒を見れば悪い気もしない。

 というか。

 

「お前なら術で好きに調整できるだろうに、何故それをしない」

 

「私、こう見えても賞金首よ? いつ戦いになるかわからないなら、普段からかかる労力は少ない方が効率的にゃん?」

 

「正直に言えば?」

 

「面倒にゃん」

 

 今までは気温に関する不平不満などそこまで主張しなかった猫だ。そんなことだろうと思った。

 呆れた修太郎の様子に、黒歌は体を離す。

 

「それに……」

 

 前置きの言葉を放って、その場でくるりと一回転。

 普段の髪型とは違う、長いポニーテールがその動きに追従して綺麗な軌跡を描く。一般人の目を考慮して猫耳を隠しているので、その容姿は正真正銘人間の美女だった。

 

「シュウは、こんな格好の私は嫌い? もしかして似合わない?」

 

 瞳の色はやや不安げだ。様子は常とは違い乙女そのもので、強大な力を持つ悪魔であることを一瞬忘れさせる。

 初見であれば惑わされるのだろうが、今までの経験から修太郎はそれが演技であることを見破った。からかおうとしているのだ。

 しかし、ぞんざいに扱えばそれはそれで拗ねるのだろう。

 

「いや、似合っていると思う」

 

「……それだけ?」

 

「お前は美しい。これだけでは不満か?」

 

「……む~。でももうちょっと甘い一言が欲しいのが女心ってものよ。そんなのじゃ合格点はあげられないにゃん」

 

 そう言う黒歌だが、頬はわずかに赤く、発する空気もそこまで不機嫌なものではない。

 ちょろい。

 最初に会った時はもっと冷たく刺々しい態度だったと修太郎は記憶しているが、それも今は懐かしい思い出だ。

 しかし、親しくなった方が付き合いの複雑さも上がるのだから、人間(この場合は人魔と言うべきだろうか)関係と言うのは本当にわからない。

 

「でもでも~、前寝る時に言ってくれた言葉、もう一度聞いたら機嫌も直るかもしれないにゃん?」

 

 そして予想通りの言葉。最近は事あるごとにこれなのだ。

 思い付きで迂闊な言葉を放ったことを、修太郎は軽く後悔していた

 

「覚えが無いな。訳わからないこと言ってないで、寒いなら早く部屋に戻るぞ」

 

 たまにはこういう弄り方もいいだろう。

 なおもぎゃーぎゃーうるさい黒歌を引き連れて、修太郎は船室へと戻ろうと歩を進めると。

 

 響く轟音。次いで、大きく船が揺れる。

 

「――クロ!」

 

「下よ!」

 

 黒歌の言葉を受けて船の下を覗き込めば、うねる触手が飛び出した。寸でのところで首を引いて躱し、飛び退る。

 

「刀を出せ!」

 

「はいにゃ!」

 

 黒歌が亜空間から修太郎の愛刀を取り出し、放る。

 未だ空中にある刀の柄を掴み、間を置かず放たれる迅雷の一刀。既に総身を闘気が包み、その速度は余人が捉えられる領域に無い。

 

 必然、抗うこともできず深々と斬りつけられた巨大な触手は、激痛に身をよじるようにうねり暴れると荒々しく海に沈む。

 大きな水飛沫を残し去って行った当面の脅威だったが、船そのものを襲う何かは無論のこと立ち去らない。

 

『**********!!』

 

 むしろ怒ったように咆哮すると、船の周囲を囲むように無数の触手が姿を現した。

 

「シュウ、これは……」

 

「おそらくは、クラーケン」

 

 クラーケン。

 主に北欧の伝承に伝わる海の怪物だ。その姿はイカあるいはタコに似て、多数の触手を有し、人の肉を求めて船ごと海に引きずり込むと言う。

 たびたび映画の題材にもされ、その道に通じていない人でもそれなりに知る者は多いだろう。

 特筆すべきはその尋常ではない巨大さであり、話によっては島に間違えられるほどの巨体が存在すると言うのだから、海においてはシーサーペントと同様に大きな脅威として認識されている。

 人間が相手をするには特級の危険度を誇る大海魔。それが、修太郎たちが乗る客船を襲っていた。

 

 気付けば、周囲の雰囲気が一変している。

 晴れた空は暗く濁った魔の空に、吹き抜ける風は悪寒を伴う不気味なものに。船の後方を見ればある一点を境に景色が変わっている。

 これが表すものとはすなわち。

 

「異界……か? しかし何時迷い込んだ?」

 

「どうするにゃん?」

 

「船を守ることが先決だ。船全体を覆うように頑丈な結界を張れ。出来るな?」

 

「当然。私を誰だと思っているにゃん?」

 

 黒歌が両の手を虚空にかざせば、曼荼羅の如く広がる魔法陣。中心部から外へ、弾き出されるように発生した力場の壁が船を覆いつくし、襲い掛かるクラーケンの触手を悉く防ぐ。

 これで自分たちと乗客の安全は確保できた。

 

「それをそのまま維持していろ。俺は敵を直接叩く」

 

「ああ……うん、予想はしてた」

 

 諦めたように了解した黒歌を置いて、修太郎は勢いよく海へ飛び込む。

 狙うは船の下に身を潜める海魔、クラーケン。

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 クラーケンは激怒していた。

 人界からは隔離されているはずの魔の海域に、何が原因かは知らないが迷い込んだ人の船。

 久方ぶりに人間の味を堪能するべく、海上を往く鉄の箱を己が触手の怪力で圧し潰そうとした矢先であった。

 

 年を経ておびただしい量に数を増やした自身の腕、その末端に突如痛みが走ったのだ。無力な獲物から負わされたわずかな傷に、長らく付近一帯の王者であった怪物が激怒するのは必然だったろう。

 それだけではない。その後間もなく発生した強固な壁が、自身の貪るはずだった餌箱を覆いつくし、生意気にも食事を邪魔してきたのだから怪物の頭の中は憤怒一色に染まっていた。

 

 海魔の唸りが海中に激しい乱流を発生させ、船の周囲に大小無数の渦潮を作る。

 感情一つ迸らせるだけでこれだ。

 その威容は、海の怪物にふさわしい。

 

 ふと、クラーケンの感覚野に触れる何かがあった。

 わずかな反応に意識を集中すれば、それは人間。男が一人、乱流をものともせずこちらに泳いで来る。

 表情を表す機能を持たないクラーケンだったが、その時、確かににやりと笑った。

 

 おそらくは激しい揺れに船から投げ出されたのだろうと予想、比較的小さな触手を伸ばし捕まえようとする。解消するには足りないが、フラストレーションをいくらか鎮めることはできるだろう。小さくとも美味な食糧であるのだ。見逃す理由などどこにも無い。

 当たり前のように捕らえ、当たり前のように喰らう。そうなるはずだった。

 

 銀の閃光が水流を切り裂き、無尽に走る。

 

 瞬く間に寸断された触手が、青い体液と共に激しい海の流れに散った。

 鋭い痛みに絶叫する怪物は、迫る人間の正体に気付いた。"これ"が最初の痛みの原因、"これ"こそが自身の敵なのだ。

 同時に嘲りほくそ笑む。地を這う人が、海を渡るのに不細工な箱を用いる他ない人が、この海の中で己に勝つつもりなのかと。

 

 最も大きく成長した腕――最古の触手を繰り出す。

 自身が生み出した乱流すらも掻き消していくそれは、年経た大木よりもなお太い大質量。巨人すらも恐れおののく暴威で、容易く人間を弾き飛ばした。

 

 なんとも、あっけない。

 それ見た事かとつまらなさげに唸りを上げて、今度こそ食事にとりかかる。

 

 怪物の対応は実に妥当なものであった。巨体の生命力と、それより生み出される破壊力は人間が手にする武器で打倒できるレベルではない。

 もしも誤りがあったとすれば、相手が常識に納まる手合いではなかったことだろう。

 

 

 

 

 

 

 海から弾き飛ばされ、空中高くに投げ出された修太郎は、はたして無事だった。

 しかしながら無傷とはいかず、衝撃に脳が揺さぶられ、意識も朦朧と骨も軋む痛みが全身を襲っている。直撃を可能な限り芯をずらして受けても、内臓まで響くダメージは大きい。それでも手に握る刀は離さず、鋭い眼光は敵の本体がいる位置を見据えていた。

 

 修太郎のすぐそばには敵の最も頼りにする極太の触腕。天を突くその迫力は柱か、あるいは塔そのものだ。

 それに向かって刃を突出し、平たくなったその先端を刺す。大きすぎるのだろう、先の小さな触手群とは違い神経は鈍いようで、痛みに暴れる様子は無い。

 

 自然、修太郎の口が端を釣り上げる。

 海中では無敵と言うのならば、その外で攻撃を加えればどうか?

 

 素早く刀に体を引き寄せれば、敵の触腕は垂直の足場だ。

 廻る、廻る、生命のエネルギーが総身を高速で回転する。

 次いで、解放。

 自身の中枢――脊椎に意識を向ければ、そこに位置する霊的器官(チャクラ)が唸りを上げて、纏う闘気の密度が一段と増す。

 そうして刀を引き抜けば、修太郎を支えるものは何一つなくなった。

 

 落ちるままに疾走する。

 天を指す怪物の腕を足場に、重力より速く駆け抜ける。

 

 数段階上へと昇華された気力を刀身に込め、膂力を引き絞り、踏込と共に斬――――。

 

「全属性・精霊・神霊、術式並列起動! 多数同時照準(マルチプルロック)完了――――行けっフルバースト!!」

 

 閃光、爆音。

 

 突如降り注いだ無数の光条がクラーケンの触手を焼き払い、凍結させ、切り刻み、打ち砕く。

 極彩色の爆撃は黒歌たちが乗る船を器用に避け、怪物だけに直撃していた。

 

 圧倒的破壊力で怪物の肉を削り、吹き飛ばしていくさまは圧巻の一言。

 相当な技量の魔法使いなのだろうが、しかしどうにも修太郎までロックオンしたことは確認してなかったらしい。

 

 奥義と呼べる技の出かかり、足場の限られる中空で最大の隙を晒していた修太郎にはそれを回避することができなかった。

 

「――な!?」

 

 直撃するマジックミサイル。

 

 次いでレーザー。

 

 さらにジャベリン。

 

 おまけのスマッシャー。

 

 とどめにバスター。

 

 反射的に集中させた闘気の防護が無ければ即死の猛攻。それでも意識を保っていた修太郎は流石と言うべきだろう。

 だが不幸はそれだけにとどまらなかった。

 

 それは怒れる怪物・クラーケン。

 あれほどの魔法を受けてなお戦意衰えないクラーケンは、如何なる原理か身体全体を憤怒の赤に染めて、見境なしに触手を振り回す。

 体長にして一千メートルに近い巨体が感情のままに振り回されれば、海は荒れ狂い途方もなく巨大な渦潮が発生する。

 変化はそれだけではない。奇妙な咆哮と共に衝撃の波が発せられると、吹く風が急激に勢いを増して嵐となった。雲は黒く雨まで降りだし、雷鳴が辺りに轟く。

 

 その間に海に落ちた修太郎は激しい海流に抵抗しながら気を廻して回復を図っていたのだが、そうそう都合よく相手が待つはずも無く、間もなくしてクラーケンの触手に弾き飛ばされた。

 再びの空中。この時から流石に意識も曖昧となり、記憶もひどく混濁している。

 

「えぇっ!? 人間!?」

 

 ただ、覚えているのは急激に迫る少女の驚いた顔と、激突の感触だけだった。

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 ロスヴァイセと名乗った銀髪の少女は、ヴァルキリーであるらしい。

 煌びやかな鎧に身を包んだ、目も醒めるような凛とした美人だ。

 半神半人の戦乙女、死せる勇者を導く者――なるほど、あの高い戦闘力も納得できる。

 

 しかし本来であればアースガルズに詰めているはずの彼女が、何故あのような場所に出張ってきていたのか。

 聞けば、今現在アースガルズを含め北欧に存在する異界の出入り口がランダム周期で不安定になっており、人間が魔物に襲われる事例が増えているのだと言う。

 

 周期はランダムでも不安定化する座標については既に解析済みなため、今回のクラーケン襲撃にもタイミングよく現れることができたとのことだった。

 彼女にはあの巨大クラーケンを倒せずとも撃退できるだけの火力が確実に備わっている。有効な人員配置だったのだろうが、そこに現れたイレギュラーが修太郎だ。

 

 まあ、普通はあの大きさの海魔を人間が単独でどうこうしようとは思わない。諸共に巻き込むのも仕方がないと言える。

 状況的にロスヴァイセに落ち度はないのだが、ミスはミス。何が悪いかと言えば間が悪かったのだろう。

 

「うう……すみません……」

 

 落ち込むロスヴァイセは、今も甲斐甲斐しく修太郎の手当てをしている。

 常人なら瞬く間に消し飛ぶ威力の魔法の連射を浴びたのだからそれも当然。もし自分の放った魔法に巻き込んで無関係の人間を殺したのがバレたら上位神からの評価も下がるだろうし、あるいは罰を受けることになるかもしれない。何よりも、こうして接するだけで伝わる彼女の真面目さを見れば、自身の過失で命を奪うなど自分で自分が許せなくなるのだろう。

 

 随所に見られる火傷に凍傷、無数の切り傷に、加えて感電の影響から修太郎はうまく体が動かせない。

 今も加速させ続けている気の循環による活性治癒と、ロスヴァイセの魔法による治療も働いてだいぶ楽にはなったが、万全の状態に戻るにはいましばらく時間が必要だろう。

 黒歌がいればまだ速いのだが、付近に彼女の気配が無いのを見るに、完全にはぐれてしまったらしい。

 

 ロスヴァイセがどこからともなく取り出した包帯を修太郎の上半身に巻いていく。傍らを見れば大きな木のエンブレム――ユグドラシルと読める――が書かれた応急キット的なものが見えた。亜空間に収納していたのだろう。毎回思うが便利で羨ましい。

 

「それにしても、随分と手馴れた治療の手際だな。流石は戦乙女か」

 

「そう大したことは出来ていないのですが……。私たちは勇者をもてなしたり、時にはサポートしたりするのが本来の仕事ですので、こういった技能は一通り習得しているんです。……もっとも、今までは機会に恵まれず使ったことは無かったのですが」

 

「それでも誇るべきことだろう。こういう時に人を救える技術は尊重されるべきだと、俺は思う」

 

「そうでしょうか。でもそう言ってもらえると助かります。……それにしても、あなたって傷の治りが早いと言われたことはありませんか?」

 

「よく言われるが、それが?」

 

「何か最初よりも傷が浅いような……いえ、いいでしょう。では、下も見せてください」

 

「…………下?」

 

「どうしまし………………あ!! いえ、そういう意味ではなく、あくまで治療の意味でですね! 別に興味があるとかじゃなくて、本当に、ただ純粋に……」

 

 顔を赤くして慌て出し、弁解の言葉を吐き出しまくる戦乙女。

 

「わかっている。まだ少し痺れてはいるが、脚の周りはそこまで大きな怪我は無い。ありがたいが、不要だ」

 

「あ、いえ、すみません、取り乱しました……ではひとまずこれで治療は終わりです。あなたには何か自分の治癒力を向上させる技術があるようですが、大事をとってしばらくは安静にしてください」

 

 やはり身近で見ればある程度推測はつくらしい。この後普通に動く気満々だった修太郎にとっては、釘を刺された形である。

 それならそれで出来ることはこの少女と情報を整理することぐらいだろうか。

 

「それでロスヴァイセ……でいいか? この場がいったい何処のどういう場所なのか、把握は可能か?」

 

「はい、呼び名はそれで。……ここがどこなのかは私にもわかりません。まずアースガルズではありませんし、魔が住む海域の孤島なのではないかと推測は出来ますが……」

 

 なるほど、それは参った。内心で頭を抱える。

 人の世界であればいざ知らず、異なる位相に阻まれた異界の中だとするなら修太郎単独での帰還は非常に難しい。

 

「俺はともかく、キミだけでもアースガルズに戻ることは?」

 

「……おそらく、難しいでしょう。転送魔法陣はあの時クラーケンが現れた場所より少し離れた小島に設置してありましたが、嵐に巻き込まれて流されてしまったため何処にあるかわからなくなりました。大人しく待っていれば救援の一つでも来るのでしょうが……どれほど時間がかかるかは見当がつきません。はっきり言えば、運ですね」

 

「と、なると」

 

「ええ、しばらくはここで生活しなければなりません」

 

 まさか男女二人で無人島生活とは、船の上にいたころには思いもよらなかった事態だ。

 きっと黒歌も修太郎を探している途中だろう。再会した時のことを考えると、今から頭が痛くなってくる。

 

「幸い当面の食料は私が持っています。数日間はこれで食いつなげるでしょう。しかし、その後は完全にサバイバルです。失礼ですが、経験は?」

 

「そこそこには」

 

「それは良かった。私はほとんどありませんから、わからない部分はあなたの判断に任せることにしましょう」

 

 話は決まった。

 とりあえず本日は修太郎の身体を治すために、この場を極力動かない方向で行くことになった。

 

 そして、夕日が沈むころ。

 周囲に魔除けの結界を敷設するロスヴァイセは、実に無駄の無い動きで作業をしている。

 魔法陣の出たり消えたりするわずかな振動を感じる中、深く瞑想し、己に埋没しながら肉体活性の気を練り上げる修太郎はなんだか落ち着かなかった。

 ふと、その原因に思い当たる。

 今までは必ず手の届く範囲にあったそれ、自分の身体の延長とも言うべきモノ――。

 

「――剣が無い」

 

 




ロスヴァイセさんは一応サブヒロインになる予定。


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番外話:黒猫のメモリー

 ――あなたの目の前に古びた日記がある。

 ――黒い装丁に猫の形の白いシルエットが描かれた物だ。

 ――あなたはこの日記の持ち主を思い出す。

 ――彼女が過去、何を考えどう行動していたのか気になったあなたは、静かに日記を開いた。

 

 

 

 ○月×日

 

 店に並んでいたこれを何となく買ってしまったから、せっかくなので日記を付けようと思う。

 面倒だし、文才なんかこれっぽちも無いから三日坊主になるかもしれないけど。

 

 (何を書こうか迷ったような消しゴムをかけた跡がある)

 

 今私が一緒にいる人間、修太郎について書こうと思う。

 御道修太郎。今は家を出て暮修太郎と名乗っている。歳は正確には分からないけど、多分私と同じくらいか少し下。

 背が高くて、目つきが鋭い。オオカミとかタカとかワシとか、そんな感じ。顔は一応かっこいい部類に入るとは思うけど、怖がる人も多いと思う。

 

 細いけど、脱ぐとすごい。筋肉ムキムキで、傷だらけなのはどこのヤクザかと。

 馬鹿みたいにデタラメな剣士で、人間やめてるんじゃないかってくらい強い。でもあれで正真正銘人間っていうんだから色々と頭がおかしい。

 

 だって普通人間は水の上を走ったり、垂直の壁を走ったりできない。「右足が沈む前に左足を出す」って、どこの子供の理論なのか。どう見ても軽気功の心得がある。教えてないのに闘気も扱えてるし天才なんだろう。

 

 そう、天才。剣も気も他の武術も、身体能力とかその手の感覚だよりになる技術に対して凄まじいまでのセンスを持ってる。

 一度見れば覚える。一度喰らえば次はかわせる。なにそれ漫画の住人なの? いつか第七感に目覚めたりしちゃうの?

 

 生憎と魔術とか理論めいた方面にはからっきしのようだけど、自分の肉体一つで上級悪魔を簡単にぶった切れるんだからやっぱり規格外だ。

 

 性格は、一言で言えば正直者。

 とにかく嘘は吐かない、というか吐けないみたいで、言葉では違うことを言っても簡単に嘘だとわかる。口より目で語るってこういうことだと初めて思った。

 そのせいかどうかはわからないけど、羞恥心にも欠けていて面と向かって真顔でキザなことも言えるから、時々ドキッとすることがある。本当にやめてほしい。

 

 基本無表情で落ち着いてるように見えるけど、性欲は普通にあるらしい。試しに誘惑してみたらやめろと言われた。子供を産むのは別にしても、性欲処理ぐらいならやってあげてもいいんだけど。

 

 そんな存在そのものがギャグっぽい男と出会ったのは、私が前の主を殺してお尋ね者になった後のことだ。

 後を追っていたのは中級悪魔の部隊。個人個人は雑魚だけど、連携が得意なのか相手をするのは面倒くさかった。

 一回逃げ切ったと思ったけど思いもよらない方法で森の中にいたところを見つかって、もう面倒くさいから森ごと焼き払おうとした時だった。

 

 突然横合いから飛び出てきて、リーダー悪魔の首を落としたのがあいつ。

 そのまま混乱する部隊に襲い掛かって、あっという間に全滅させた。それで、意気込んでいたところを邪魔されてムカついていた私は、無茶な要求突きつけた後に殺そうと思ったんだけど、気付いたら一緒に行動してた。

 

 なんでこうなったんだろう? なんて、何度思ったか知らないけど、あいつは律儀に約束を守って? っていうのはどうなんだろう。勝手について来ただけのようにも思えるし、まこうと思えば出来たと思うんだけど、それをしなかったのは何でなのか自分でもよくわからない。

 

 (書いては消してを繰り返したような跡がある)

 

 とにかく一緒に行動していくうちにあいつのデタラメっぷりに気付いて、なんやかんやの後に日本を出ることになった。っていうか多分あいつのせいだ。追いかけてくる剣士たちがあいつの名前を叫んでたから。

 

 それで、中国。

 須弥山の影響力が強い中国では天使も悪魔もあまりおおっぴらに活動できない。だから指名手配中の私もいろいろと行動しやすかった。

 

 とはいえ何かすることも無く暇だったから、気まぐれに各地を回ってたら梁山泊に行きついた。水滸伝のあれだ。

 何やらそこでは武術の達人百八人が頂点を決める戦いを始めようとしてたところで、祭りみたいに賑わっていた。そこで美味しい食べ物を適当に食べて満足してた私は、ふとあいつがいなくなったことに気付いた。

 

 まあいいや、だなんてその時は思ってたんだけど、また気付いたらそばにいて「大会に出ることになった」とか言い出した。

 無表情だったけど、珍しく張り切ってたように見えたから「そう、頑張れば」って言ってみたら、出会った時みたいに不器用に笑って「頑張ってみよう」って答えた。

 

 で、優勝した。

 他の参加者だって私から見てもかなり出来る武人たちだった中で、苦戦することも何度かあったとはいえ、見事なまでの全戦全勝。

 同行者として嬉しいと思うよりも、むしろ相手が可哀想だと思った。特に剣士の人たちは、出した技をことごとく自分以上の完成度で返されて、最後には悔しさと絶望をにじませたような顔をしていた。なんだろう、わざとやってるのなら評価を下方修正しなくちゃいけないと思ったけど、本人いわく「見たことが無かったから実際に使ってみて覚えようと考えた」とかなんとか。いや、せめて次の試合でやらない?

 

 そんなこんなで大体5分の1くらいの達人の心を折ったものだから、しかも他の人の代理っていうルール違反まで犯していたみたいで、当然管理委員会みたいな連中から追い掛け回された。

 関係のない私もいっしょにだ。相手も近接戦闘に限っては上級悪魔に匹敵するようなやつらばっかりだったし、さっき散々な目に遭った人たちをまた痛めつけるのも良心が痛んだから、仕方がないので脳筋どもの手の及ばないところ――仙境に潜った。

 

 これが間違いだった。

 まさか彼の孫悟空に見つかるだなんて誰が思っただろう。

 当然のようにガチバトる剣術バカとサル仙人。お前はあのチビザルが何なのか知らんのか。

 でも流石に空を飛べる相手には分が悪かったし、単純に体術で後れを取っていたらしい。らしいと言うのは動きがよく見えなかったからだけど、流石に人間では西遊記で名高い闘仙勝仏に勝つことはできなかった。何分かいい勝負した後にボッコボコにされてた。下半身だけを地面から突き出して沈黙する剣バカには笑いそうになったけど、ここが私にとって生きるか死ぬかの分水嶺。

 

 頭の中に愛すべき妹の顔を思い浮かべながら試しに「弟子になりに来ました」って言ったら「おっけー」って返されて、本当に弟子になった。

 何を言ってるかわからない? 私もよくわからなかった。その後は地獄だった。

 私は基本的に死ぬほど努力するとか頑張るとかそういうのは好きじゃない。必要に迫られたときは別だけど、ズルして楽していただきかしら~っていうのが理想だと思っている。

 

 隣で淡々と闘気を練る剣バカと、後で紹介された孫悟空の子孫だっていう下品なサルにイラつきながら、それでも仙術の才能にあふれる私はメキメキと力をつけていった。

 もちろんこんな場所にいつまでもいようとは思っていない。桃は美味いけどご飯は外の方が断然いい。それに私の目的は強くなることじゃない。戦うのは好きだけどね。

 

 逃げる算段を練り、ついでに宝物庫を探ってよさげな代物を探して、タイミングを待った。

 厳しい修行に耐えながら、そしてその時は来た。急に山の一角が崩落したのだ。

 驚いて飛び出していく闘仙勝仏と子孫のアホザル。私も着いて行くふりをしつつ宝物庫から目的の物を借りてきて(ここ重要!)、弟子が逃げ出さないよう張り巡らされてる結界の一部を切り取り出口を作った。

 流石私! とはしゃいでいれば、あいつがいないのに気付いた。

 

 思えばもうこの時の私はおかしくなっていたんだと思う。となりにあいつがいるのが自然になっていて、もうすぐ逃げきれるっていうのに気が進まなくなってしまった。

 迷っていた時間は一分か二分。でもそれだけあれば相手はあの闘仙勝仏、流石に気付かれる。

 筋斗雲でやってくる鬼師匠とついでにアホザル。アホザルだけならよかったのに、と現実逃避する私。

 そんな窮地を救うのは、もう本当に不本意だけども、やっぱりあいつしかいない訳で。

 

 なぜかアホザルの背後に相乗りしていたあいつは素早くアホを締め落とすと、刀を抜いて孫悟空に斬りかかった。

 まあ予想通りに防がれたけど、一体何が起こったのかあいつの剣は闘仙勝仏を弾き飛ばした。後で聞けば、勁術の応用だとかなんとからしい。

 驚いた私は、気付けばあいつに抱きかかえられて森の中を走っていた。つくづく森に縁があるなぁと思った。

 

 でも、気を探知すればすごい勢いで闘仙勝仏らしき大きく静かな気配が迫ってくる。それはあいつ――もう修太郎でいいや。修太郎もわかっていたみたいで、強く私を抱き込むと、おかしな気の動かし方をさせた。気配が希薄に、というより世界に紛れさせるこれは、仙術に近い技法。

 

 圏境、と修太郎は言った。拳法の奥義で、天地と呼吸を合わせてなんたらかんたらとかよく分からない技だった。

 とにかく俺に合わせろと言ったから、肌に触れて気の動きを同調させると、驚くことに闘仙勝仏の目を欺いてまんまと逃げ去ることができた。

 修太郎に対しては、感謝よりも驚きが勝って変な目で見てしまったが、とにかくよかった。おわびに笑顔で抱き着いて頬にキスまでしたのはやりすぎたかもしれなかったけど、まあいいだろう。

 とにかく晴れて自由、でも早々にこの国から去らないとまた捕まってしまいそうなので、さっそく出国することになった。

 

 どこに行こう? と迷っていると、修太郎から珍しく希望が。

 インド? なんで? と問うと、帝釈天がそこの神を目の敵にしているから興味がわいたとのこと。

 確かにそこなら闘仙勝仏の手も届かない。っていうか帝釈天に会ったの!?

 何はともあれ、よし、決まり!

 

 で、空港で今書いてるこの日記帳を買って今に至る。

 こうして書くと随分と長くなってしまった。ページまたいで何日分まとめて使っただろう。でも毎日は使わないだろうからまあいいや。

 今から本場インドのカレーが楽しみだ。

 

 

 

 

 ――あなたが次のページを開こうとした時、背後から音が聞こえてきた。

 ――どうやら持ち主が帰ってきたらしい。

 ――あなたは名残惜しげに日記をもとの場所に戻すと。

 ――何食わぬ顔で彼女を出迎えた。

 

 

 




日記形式。
過去編を兼ねた番外編。と言っても一日分だけですが。
まだ黒猫がデレてない頃。
色々と描写を飛ばせるからこういうのには便利かもしれないですね。


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第五話:北欧旅行記~その2~

 森の中を進み、広場に出る。

 広場、と一言に言っても木々が入り組む周囲より多少開けている程度の狭い場所で、依然として森の中であることに変わりはない。

 時折鳥の鳴き声だけが響く静謐な、しかし獰猛な獣の気配が漂うその場所に、修太郎は立っていた。

 

「…………」

 

 無言の脱力。

 瞑想するかのように目を閉じ、静かに佇む姿は誰が見てもわかる隙だらけの格好だ。

 これが他の者であったなら自殺志願者か何かと思っただろう。しかし、この場この時この行動をとっているのは尋常に収まらぬ剣鬼なのだ。

 

 背後に気配を感じ、そちらに振り向けば獲物に誘われた猛獣が一匹。

 森に同化するかのような迷彩色の、狼に似た魔物だ。木々を押しのけるほどの巨体、そこに刻まれた無数の傷跡は歴戦の証。彼もまた、この森の中における偉大な戦士だった。

 必然、目が合う。

 

 戦う者同士が出会った時、どうするかなど無粋な問い。

 魔物は獲物が脅威足りえる猛者だと気付く。修太郎は獣がこの森の実力者であることを感じ取った。

 

 そして激突。

 超速で振るわれる爪を紙一重で躱した修太郎は、一瞬にして相手の懐に潜り込む。虚をつく運足は健在であるならば、この程度は息をするより容易い。

 大地の奥深くまで響く震脚。中国武術の神髄、発勁の技を用いた拳が魔物の腹に突き刺さった。

 巨体をわずか浮き上がらせた魔物は、しかし即座に体を捻り修太郎の勁を受け流す。歴戦は伊達ではないと言うことか。なるほど強い。

 

 獣はそのまま懐の修太郎を押し潰さんとする。

 寸でのところで飛び退り回避すれば、相手も同様に互いの距離を離した。

 同時に、拳に違和感。見れば、刃を当てたかのような傷がついている。獣の体毛は、一本一本が硬い刃の特性を備えていた。

 やはり、人間界の魔物とは比べ物にならない。

 

 侮っていたことを目線で詫び、今度こそ闘気を纏うと、やはり実力を隠していた獣は獰猛に笑ってオーラを開放した。

 ここまでは様子見。そしてここからは全力だ――――!

 

 

 

 

 

                   ―○●○―

 

 

 

 

 

「という訳でここら一帯の森は俺たちの縄張りになった」

 

「何をやってるんですか、あなたは!?」

 

 傷だらけになって戻ってきた修太郎へ、開口一番にロスヴァイセは突っ込んだ。ちなみに彼女は最初の鎧姿ではない。亜空間から取り出した洋服を着ていた。

 上半身裸で血まみれの男の背後には、同じく血まみれで傷だらけの大きな獣が従うように佇んでいる。

 

 遭難からすでに七日、浜辺から割と近い位置にある森の中の洞窟に、二人は居を構えていた。

 これは元々あったものではなく、ロスヴァイセが岩壁に魔法で穴を開けて作ったもので、各種魔法で補強しているため割とガチで城塞染みた強度を持っている。

 

「安全圏の確保だ。これで他の肉食系魔物に襲われず、草食系魔物を狩ることができる。肉食は不味いからな」

 

「そう言うことではなく……いえ、確かに食事の質も重要なことではありますが! あなたはこの島を支配でもするつもりなんですか!」

 

「そんなつもりは無いが」

 

 とぼけたような返答に、ロスヴァイセは男の後ろに控える獣を一瞥する。

 緑に紛れる迷彩色は今でこそ傷だらけで痛々しいが、感じ取れるオーラの質は断片だけでも相当に強力な魔物と知れる。少なくとも正面からぶつかれば、ロスヴァイセでも苦戦するだろう。

 

「寝言は後ろの魔物を下げてから言ってください。昨日は蛇、一昨日は熊、最初にドラゴンを引っ張ってきて紹介されたときは一体何事かと思いましたよ!」

 

「あれには俺も驚いた。得意な得物が無いからどうなるものかと思ったが、意外と何とかなるものだな」

 

「まるで他人事のように……。はぁ……この島の魔物の多さにも驚きましたが、あなたもあなたで大概ですね……」

 

 諦めたように項垂れる戦乙女をよそに、着いて来た獣へと帰るよう身振りする修太郎。

 獣は少し残念そうな視線で修太郎を窺いつつ、とぼとぼと元いた場所へ帰って行った。

 

「しかし、これで島の半分程を大手を振って探索できるわけだ。今後救助が来るのにどれほどかかるのかわからないのなら、生活の基盤を整えるのも悪くは無い」

 

「ええ、まあそうなんでしょうが……なんだか私の思い描いていたサバイバルとかけ離れ過ぎているような気が……。と言うか、もう島の半分を傘下に収めたんですね……。ふふっ、別にいいんですけどね……ヴァルハラと違ってそれほど大きな苦労も無いから」

 

 呟く彼女の背中はすすけている。苦労性な少女だ、と修太郎は思った。

 そんな様子を見ながら、やはり修太郎は一抹の物足りなさを感じていた。

 手の平を見て、握り、開く。もう何日も剣を握っていない。

 

 武器を使うだけならロスヴァイセの持つヴァルキリーの槍があり、修太郎自身も刀剣ほどではないにしろ槍の心得はあるのだが、何か物足りない。

 この気分を解消するべく木刀をでっち上げてみたり、狩った獲物の牙や骨から剣のようなものを作ったりしたが、どれもしっくりこず、何よりもすぐに壊してしまう。結局、今も徒手空拳のままだった。

 

 元々持っていた愛刀は、黒歌と出会う前から使っていた長年の相棒だ。

 とにかく頑丈な業物で、退魔処理が施されているため霊体も斬ることができる。

 

 振り返れば、あれほど修太郎と相性がいい剣もそう無いだろう。

 単純に良い物を求めるならばやはり名のある聖剣や魔剣などが適当なのだろうが、修太郎に聖剣への適性は無く、自身が何より優れた「剣」であるため魔剣に選ばれることも無い。

 

 だからこそ、聖剣級の頑強さを持ち、魔剣並の切れ味がある刀は貴重だ。修太郎が知る限り、人が打ち鍛える刃であれ以上のものは望めない。

 そう思えば、あの時海に取り落としたのは痛恨の出来事だ。記憶にないのがさらに痛い。

 

 しかし、これ以上過去を悔やんでもどうにもならない。

 何よりこの話をロスヴァイセの前ですれば、再び謝罪祭りが始まってしまう。余計なことは言うべきではない。

 

 そう言えば、北欧には魔法の品を作りだす鍛冶師・ドヴェルグ――ドワーフがいたことを思いだす。

 この件が片付いたら、探してみて剣を鍛えてもらおう、と修太郎は考えた。

 

「――!」

 

 どばり、と。

 突然、降ってきた水の塊に修太郎は目を丸くする。

 

「いつまでそうしているつもりですか? 怪我の手当てをしますから、早くこちらへ来てください」

 

 ちょいちょいとこちらを招きよせるロスヴァイセの手には、もはやおなじみになった世界樹印の応急キット。

 大人しく少女の前に座った修太郎の濡れた体の血を拭い、消毒し、包帯を巻く。

 ロスヴァイセの動作には一切のよどみが無く、既に熟練のそれだ。この男のおかげで怪我の手当てスキルが凄まじい速度で上がっていることを自覚して、戦乙女は嬉しいやらそうでないやら複雑な心境だった。

 

「今回は以前より怪我の数が少ないみたいですね。あの獣は今までの相手より弱かったのですか?」

 

「いや、そんなことは無い。あれは今までと同様に手強い戦士だった。強いて言うなら、俺の体調が万全に近づいているということだろう」

 

 あれほどの力を持つ魔物を倒しておいて、まだ万全ではないのか。

 しかしそれに驚くよりも、ロスヴァイセにとっては後の言葉の方が聞き捨てならない。

 

「まったくあなたは! 万全ではないというのにこんな真似をしているのですか!!」

 

 この男は大怪我からまだ回復しきっていないにもかかわらず、こんな馬鹿みたいな真似を繰り返しているのだ。

 ロスヴァイセには責任がある。戦場にいたことを知らなかったとはいえ、彼をこの事態に巻き込んだのは彼女だからだ。だからこそ、この男の命だけは何としても守らねばならず、本来であればこの場に留まって大人しくしてもらいたかった。

 

 修太郎が食料確保の役割を申し出た時もアドバイスに止めてもらうつもりでいたし、狩りだって自分一人で行うつもりだった。

 それを「回復した」と言い切って、話も聞かずに狩りに出たのはこの馬鹿である。その結果大量の食糧を獲ってきたことから役割分担として認めはしたのだが、まさか申告そのものが嘘だったとは。

 

「嘘まで吐いてそんな無茶をして、死んだらどうするんです! それとも私の力はそんなに信用できませんか?」

 

「嘘……?」

 

「何ですかその「訳分からない」とでも言いたげな顔は! 万全でないのに回復しただなんて、嘘もいいところでしょう!」

 

 怒るロスヴァイセに対し疑問の表情を見せる修太郎。しばし考えるように目線を逸らし、そしてまっすぐに少女を見据え答えた。

 

「戦うのに万全である必要があるのか?」

 

「――え?」

 

「万全など、何時も望めるわけではない。戦いに身を置くのなら尚更だ。今回俺は大きな怪我を負い、そしてそれは即時的な回復が難しい状況だった。しかしそれでもやらなければならないことがあるならば、多少の問題は瑣事だ。この島の生活において、キミが無くてはならない人物であるのは疑いようが無く、万が一にでも死ぬような場面に出すわけにはいかない。適材適所、役割分担だロスヴァイセ」

 

 理屈は分からないでもない。分からないでもないがしかし――。

 

「つまり俺は嘘など吐いていない。「この程度なら大したことはない」という判断に基づき行動した結果だ。もう一つ言うならロスヴァイセ、キミが俺にとって必要だからそうした」

 

「――――は?」

 

 まっすぐにこちらを見つめる男の目つきは相変わらず鋭い。猛禽か、あるいは刃を連想させるその目にはめ込まれたガラス玉は、今までは気付かなかった"紺碧の色"。

 吸い込まれそうだとロスヴァイセは思った。

 しかし次いで発せられた言葉に、戦乙女の思考は吹っ飛んだ。

 

「キミが大切だ。キミを失いたくない」

 

 うん?

 

 ……うん?

 

 な に を い っ て る の か し ら こ の ひ と は ?

 

「は、はいィィい!?」

 

 ――キミが大切だ……。

 ――キミがたいせつだ……。

 ――がたいせつだ……。

 ――たいせつ……。

 

 ――キミを失いたくない……。

 ――キミをうしないたくない……。

 ――をうしないたくない……。

 ――うしないたくない……。

 

 何語だろうかこの言葉。

 知らない。理解できない。それよりも一体誰に向かって言ってるの?

 思考が空回る。混乱しているのが自覚できる。自分が全く正気じゃなくなっているのが把握できる。

 

 才女と謳われた銀髪の少女に、未だかつてない感情の激流が渡来する。

 顔に血流が集中し、熱に浮かされたように熱くなる。心臓の鼓動がバクバクと、耳の傍で五月蠅くてたまらない。周囲の景色は曖昧に、ただ目の前の男の顔だけがはっきりと映る。

 

(何? 何を言われたの私? 大切? 失いたくない? それって、これって、もしかして……ププププ、プロポーズ!?)

 

 プロポーズ。

 

 つまりは告白。

 

 つまりは清いお付き合い。

 

 つまりは彼氏と彼女。

 

 つまりはデート。

 

 互いの両親へご挨拶して。

 

 そして結婚。

 

 新婚初夜に。

 

 可愛い子供。

 

 素敵な素敵な家族計画!

 

 駆け巡る妄想――否、未来予想は留まるところを知らず、男日照りなヴァルキリーの脳内を占領していく。

 

(どどどどどどどどどどうすれば!? いきなり! だってまさか、いきなりこんなことになるなんて思わない! 助くてお祖母ちゃん! わたす、どうすればいいの!? ……でも、でもでも、これはひょっとしてチャンスだったりするのでは? 彼氏いない歴=年齢を払拭するなら今しかないんじゃ? この人ちょっと頭がおかしいけど顔は悪くないし、頭おかしいけど強いし、勇者と言えば勇者と言えなくもない……私の勇者様(エインフェリア)……いい!!)

 

 未だ十代後半、まだまだ女盛りにもなっていない若年で、ここまで男を知らないことを焦るのは、主神オーディンの焚き付けが悪い。

 昔がどうだか知らないが、今はロスヴァイセの年齢で経験が無くとも仕方は無いのだ。加えて彼女は思春期の大半を勉学に費やした身、そのことについて責めるのはもはやセクハラ以上の理不尽さ。謂れなきいじめと同義の所業である。

 知らないか? 社会人になると職場によっては出会いが無くなるケースもあると言うことを。

 

 しかしながら、真面目で堅物で有能な彼女であるからして、普通はこんな歯の浮いたようなセリフを言われても疑いが先に走るはずなのだが……。

 だがこの剣鬼は嘘を吐けない人種である。言葉よりもその目で雄弁に語る男であった。

 

 故に!

 

 そう、故に!

 

 その言葉が本心であることを理解した、させられた彼女は――自身の境遇と、男女二人きりのサバイバルというある種の異空間的状況、そして何より男の真摯な視線に心打たれた!!

 

 男は狼狽える戦乙女の(おとがい)に手をかけ、その目を覗き込む。

 

「……あっ」

 

 それだけで経験絶無な少女は釘づけだ。

 甘い雰囲気が場を満たし、男への感情が否応なく高まる。

 

「わ、私も……あなたのことが――」

 

 ドキドキと胸の鼓動が止まらない。きっと顔は林檎よりもなお赤いだろう。表情だって、今までになく蕩けているに違いない。

 恥ずかしいと思っていても、その感情を止めることはできなかった。

 刷り込みか? それとも真実か?

 

 なんにせよ、これはそう、恋――。

 

 二人の男女の影が重なる。

 

 そし『誰だ、貴様は』――っといやはや何とも、調子に乗り過ぎたかなァ?」

 

 




いつからこれが現実だと錯覚していた?→ロスヴァイセ


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第六話:北欧旅行記~その3~

「まさかこのおれの幻を見破るとは、最近の人間は侮れんねェ」

 

 修太郎の声に、木陰から一人の男が現れた。

 黒いローブを着用した長身。面倒臭そうにダラダラと、脱力しながら歩いてくる。

 

「誰だと聞いている。ロスヴァイセに何をした」

 

 修太郎の手当てをしていたロスヴァイセは、その表情に幸せを満たしてどこか遠くにトリップしている。垂れたよだれが何とも間抜けだ。

 

「おいおいおい、もう少し会話を楽しむとかせんといかんと思うがねェ……ま、いいか」

 

 男はその端正な顔を野卑な笑みで歪め、懐から金の王冠を取り出し、被る。

 ()()()()は深淵の暗さを見せ、修太郎の()()()を見つめた。

 

「おれはロキだよ」

 

「……何?」

 

 ロキ。ロキと言えば北欧神話の悪神。

 巨人の血をひきながらアースガルズに住み、主神オーディンと義兄弟の契りを交わした異色の神。厄介事と、それと同じぐらいの益を神々にもたらした稀代のトリックスターである。

 

 彼の『神喰狼』フェンリル、『終末の大龍(スリーピング・ドラゴン)』ミドガルズオルムを生み出したのも彼ならば、神話において光の神バルドルを謀殺しラグナロクに導くのも彼であるとされる。

 修太郎の目の前に立つこの男が、自分をそのロキだと言う。

 

「おおっと、勘違いすんなよ! おれは悪神の方じゃなくて巨人の方。巨人王ウートガルザ・ロキ様だ」

 

「……ウートガルザ・ロキ?」

 

「おおう、その反応はマジか。おれのこと知らねェのか。いや、まあ悪神の方とかオーディンとか、ヴァルキリーに比べりゃ確かに影は薄いだろうけどなァ。一応おれにも結構有名なエピソードがあるんだが、こりゃ参ったねェ」

 

 傷つくねェー、とまったく気にしていない風に茶化す男は、見るだに不真面目で、端的に言って不快なオーラが駄々漏れだ。

 流石の修太郎も眉根を寄せて顔を顰め、ウートガルザ・ロキと名乗った男を睨む。

 

「んな怖い目つきで睨むなよ、おっかねェなー。……話は変わるけどさ、あんた北欧全体で起きてる異界不安定化騒動って誰が下手人か、そこの絶賛幻術トリップ中のヴァルキリーちゃんから聞いた?」

 

「知らん」

 

「あ、そう。それさァ、おれが原因なんだよねェ」

 

 ウートガルザ・ロキの発言に、しかし修太郎は驚かない。目の前の巨人王を名乗る男には、やるなら必ずそれをやるという空気があるからだ。

 

「いやさ、最近の北欧つまらな過ぎっていうかなァ? 刺激が足りんってか、悪神の方も何もしないしマジで娯楽が無いんだわこれが。で、おれ様が神々をも騙くらかす幻術で異界座標を管理するシステムの認識を誤認させて、設定をシャッフルさせてたワケよ。ハハッ、パニクる神どもの顔はもう傑作だったね! ――――でさ、今その現象七日前に止まってるって言ったらどうする?」

 

「――!」

 

「現地で消失したヴァルキリー、未確認ながら行方不明の人間一名……騒動は治まって色々と設備も機能を取り戻したのになんでまだ救援が来ないと思う? あ、神どもはあんたが巻き込まれてることは知ってるよ。あんたの可愛い猫ちゃんがアースガルズに殴り込みかけたからねェ」

 

 楽しげに語る巨人王の顔は愉悦の色に染まっている。

 楽しくて楽しくてたまらないと言った風な顔だ。激しく不快。虫唾が走る。

 

「うぇ……何その殺気こえェー。斬られるかと思った。で、話を続けるとさ、騒動治めたのは実行犯のこのおれ様。理由は飽きた――もとい、他に"面白そうなもん"が見つかったから。何故あんたらに救援が来ないか? それはあんたらがその"面白いモノ"だから。――おれ様ってば幻術結界でここら一帯の海域を覆って神様方が来れないように封鎖してるのよン♪」

 

 今明かされる衝撃の真実ゥーーーー!、とはしゃぐウートガルザ・ロキが認識する前に、修太郎は踏み込んでいた。

 地震の如き震脚に、全力の勁を乗せた拳打。総身に闘気纏った修太郎が放てばそれは、並の龍なら容易く葬り去れる一撃だ。

 

 驚愕の表情で宙に吹き飛ぶ巨人王。

 続く手刀の鋭さは日本刀と相違なく、膝、足刀による蹴撃も刃のように相手の皮膚を切り裂く……はずだった。

 

 唐突に、中空のウートガルザ・ロキが消失した。

 

「ぐわっ、ぺっ、ぺっ、うげェ……マジ痛ェ……何だこりゃ、幻術で逸らしたはずなのにクリーンヒットもらっちまったよ。あんたホントに何者?」

 

 振り向けば、高い一本の木の上に巨人王がいた。

 幻術に、空間転移術。搦め手に長けた厄介な手合いだと分析する。

 

「…………」

 

「ま、何でもいいけどさ。で、現在進行形で困ってるあんたたちには、この島を脱出するための条件を提示しまーす。今から見せる中から一つ、達成すればオッケー! ……さて、この場所! このシチュエーション! 恋知らぬ堅物ヴァルキリーとすこーしばかり頭のおかしい剣士――おっと今は拳士かな? の! 男女共同無人島生活企画はもう既に始まっているッ! ちなみにこれはアースガルズ全土にリアルタイム中継されてマース!」

 

 ダラララララ……。

 どこからともなく流れてくるSEが酷く煩わしい。そんな中、ウートガルザ・ロキは楽しげにローブの下からフリップを取り出した。

 そこに書かれていた内容は……。

 

【条件その1.暮修太郎がロスヴァイセに求婚し、ロスヴァイセがそれを受ける】

 

【条件その2.ロスヴァイセが暮修太郎へ交際を申し込み、暮修太郎がそれを受ける】

 

【条件その3.暮修太郎がロスヴァイセを殺す】

 

「流石に処女ヴァルキリーがいきなり求婚だなんてできるはすがないから? 条件その2は若干甘目だァね――――ホワッ!?」

 

 最後の条件が提示されたその瞬間、ウートガルザ・ロキの顔からにやけた笑みが消えた。

 原因は修太郎。

 漆黒の瞳が猛禽の鋭さを以って巨人王を射抜く。周囲が死滅するかのような濃厚な殺気は、歴戦の猛者でさえ感じたことが無いほどの密度だ。

 

「……ほぉう、お冠ってかい。ま、そっちがその気ならこっちもこっちでちょっかいぐらいかけるさね。さっきの痛ーいパンチのこともあるしィ?」

 

 ウートガルザ・ロキが一つ指を鳴らすと、後方の海上空に巨大な魔法陣が描かれる。

 初めて見る種類の魔法陣だが、その鳴動は馴染みあるありふれたもの。つまり。

 

「転送魔法陣……?」

 

「ご名答! さて、出番だぜ。んでもって、リベンジ戦だぞ拳士くん。ほーら、来い来い――――クラーケン!!」

 

 魔法陣がその規模を急速に拡大させ、そして弾ける。

 立ち昇る光と舞い散る燐光が治まれば、水飛沫と共に現れる尋常ではなく巨大な影。

 

『***********************************!!』

 

 初めて見るその全容は、伝承通りのイカ、あるいはタコに似た姿。

 しかし触手は8や10どころでは到底足りず、顔の周囲で刷毛のように無数が乱立している。一際巨大な二本の触腕を見れば、そのスケールはまるで怪獣だ。

 

 浅瀬でもがくクラーケンは、急に呼び出されたことに理解が追い付いていないのか、そのぎょろりとした大きな目を白黒させている。

 

「ありゃ、混乱してるわ。ちゃっちゃと目ェ覚ませー」

 

 空中に浮かんだウートガルザ・ロキが指を鳴らすと魔法の閃光が迸る。

 それが海魔の巨体に直撃すると、静電気が弾けるような音が響き、クラーケンが目の焦点を取り戻した。

 

「あ、こいつにはあんたとそこのヴァルキリーちゃんの幻を見せてっから。「自分をこんな窮屈な海に呼び寄せた犯人」ってな感じでさァ。期待してんだから、せいぜいおれを楽しませるためにも死なないように気張ってくれよ?」

 

 その言葉を最後に転移魔法陣を起動させ、ウートガルザ・ロキはこの場を立ち去った。

 

 後に残されたのは怒りに燃えるクラーケンのみ。

 

 体色を赤く染めた海魔は、燃える瞳で修太郎を睨む。

 この様子ではロスヴァイセも見つけられたに違いない。未だ幻術から醒めぬ彼女から意識を逸らすためにも、この場は修太郎が相手をしなくてはならないだろう。

 剣を持たない修太郎では、この巨体を崩すだけの殺傷力を発揮できない。ロスヴァイセさえ目覚めれば、魔法のフルバーストで撃退まで持って行ける。

 

 闘気を研ぎ澄まし、疾走する。一息に海岸まで駆け抜け、黒歌いわく軽気功の技で水面を走る。

 降り注ぐ触手の雨を躱す、躱す、躱す。

 運体は最小限に、その身に掠めることすら許さないとでも言うような回避動作。どうしても躱せないものは手刀で切り裂き、または受け流し、相手の虚をつく機会をうかがう。

 だが、出来ない。

 

 さて、イカやタコの目は一見して人間と同じように見えるが、その生成過程は全く異なる。深海をその目に頼り生きる彼らの視力は非常に優れ、構造上盲点が存在しない。

 故に、修太郎が使う歩法の実に大半がこのクラーケンに通用しないのだ。

 

 加えてこの巨体と長年付き合ってきたクラーケンには、超常の第六感とも言うべき感知能力が備わっている。

 その理屈こそ不明であるが、死角が死角の意味を成さない相手では、無数の触手による猛攻もあり、中々本体に勁を打ち込むことができなかった。

 

 修太郎の練度ではまだ戦闘中の圏境は行えない。

 せめてここが地上であればまだやりようもあるのだが、いくら走ることができても踏ん張りのきかない水上では修太郎の修めた技術が十分に活かせない。

 

(剣さえあれば……)

 

 しかしその考えは無意味だ。現状存在しないのであれば、限られた手札でやり繰りするより他はない。

 

 かくして戦況は膠着。

 躱し続ける修太郎に攻撃を続けるクラーケン。

 持久戦となった戦いはその実、修太郎の優位である。

 

 気功の技術を修め、且つ超人的な体力を保持する修太郎は、さらにその技巧を以って消耗は最小限。

 打って変わって、巨体で繊細な攻撃を繰り返すクラーケンは精神的消耗もさることながら、その身体は非常に燃費が悪かった。

 歳を経るごとに増す強大な力の代償に、本来であれば一年の大半を眠って過ごすような存在であるのだ。

 それを思えば、修太郎たちが遭遇したのはかなりレアな事態であったことが窺える。

 

 だからこそ、決着は性急に行う必要があると判断した海魔は、ここで大技を繰り出した。

 

「津波……!?」

 

 咆哮に呼び寄せられた大海嘯が、壁となって絶海の孤島を飲み込まんと迫る。

 クラーケンの後方に発生した、高さにして100メートル近いそれは人知の及ばぬ大天災。都市一つ壊滅させることすら可能な過剰攻撃だった。

 海岸へ近づくにつれ凄まじい勢いで大きくなる波の高さは、三桁の大台を易々と飛び越え、島全体を押し潰すような威容を見せる。

 

「ちっ!」

 

 戦場を放棄し、森の方角へと駆ける修太郎をクラーケンは追撃しなかった。

 わかっているのだ。逃げ場など無いということを。

 

 洞窟へ戻ると、ロスヴァイセはまだ意識を醒ましていなかった。

 迫る波は空を覆うまでに膨らんでいる。

 どこに逃げるか。おそらくは洞窟に防護用の魔法が施してあるだろうが、それを起動できるのはロスヴァイセだけだ。

 

 と、なれば一か八かの賭けに出るより他は無く。

 ロスヴァイセを肩に担ぎ、そのまま震脚。

 廻る気はその回転率を最高潮に、全力の拳打へ全力の勁力を込め、眼前の大波に叩き込んだ。

 

 

 

 

 

                   ―○●○―

 

 

 

 

 

 身体に冷たさを感じ、ロスヴァイセは目を覚ました。

 ――目を覚ました?

 生じる違和感。

 

「やっと目が覚めたか」

 

 声の方向を見ると鋭い目つきの男の顔。

 銀髪の戦乙女は、男の胸に抱かれていた。

 思わずドキリと胸が高鳴る。

 

「え? え? な、何かしら? この状況はどういうことなんです?」

 

 真っ赤になった顔を隠して周囲を見渡せば一面の海。いや、よく見れば波の間から引っこ抜かれたような木々の姿が確認できる。

 

 今や孤島はその大半を海に沈めていた。

 勁で波の直撃を打ち消した修太郎だったが、続く激流に抗うことはできず、しばらくの間流された。

 その後なんとか波をやり過ごせる岩場を見つけ、今に至る。

 

「ウートガルザ・ロキ。奴がキミに幻術をかけて、その後にクラーケンを呼び寄せた」

 

 それでこのざまだ、と修太郎は言う。

 しかしロスヴァイセは後の言葉を聞いていなかった。

 ウートガルザ・ロキ。

 そして幻術。

 

 ――幻術。

 

 ――幻術?

 

 ――幻術!?

 

 二つの言葉を聞いた時。聡明な彼女は総てを察した。

 

「なっ、ななななな……!?」

 

「どうしたロスヴァイセ」

 

「ど、何処だっ! 何処にいるッ!! あのクサレ巨人王がぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

「本当にどうしたんだ」

 

「おかしいと思ってたんですよっ!! だって、だってっ! 私の人生があんなに幸せに都合よくいくはずがないもんっ!! でもっ、幸せだったからっ……!」

 

 叫ぶロスヴァイセはガチで泣いていた。

 いったいどのような幻を見せられたのかは知らないが、そんなに良いものだったのだろうか。

 

「………よくも……よくも乙女心を玩んでくれたなぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 そうして鎧を展開し、飛翔の魔法で飛んでいく戦乙女を修太郎はただ見送る事しかできない。

 全方位のフルバースト魔法は花火のように、ほとんどが海に沈んだ島の上空を駆け抜ける。

 

 ウートガルザ・ロキへの制裁を求める声がむなしく空にこだまする。あの腐れ外道の巨人王はきっと、この状況をどこかで見て爆笑しているに違いない。

 そう思えば、ロスヴァイセの魔法力は怒りの感情を受けてさらに高まった。

 しかし彼女は認識していないが、この場にはもう一つ強大な敵がいるのだ。

 

「ロスヴァイセ、避けろ!!」

 

 海面が割れ数本の大きな触手が飛び出した。

 海を見れば水底で輝く双眸が戦乙女を睨みつけている。

 

「クラーケン!? っ、きゃああああっ!!」

 

 修太郎の警告むなしく捕まったロスヴァイセは、海中に引きずり込まれ消えた。

 

「くっ!」

 

 それを追って飛び込む修太郎。

 頼みのロスヴァイセが捕らえられたままになってしまえば、はっきり言って勝算が限りなく薄くなる。

 先ほどは浅瀬だったこともありクラーケンの身体はその大半を水上に露出させていた。だからこそ攻撃を躱し続け持久戦に持ち込むこともできたのだが、海に潜られて本領を発揮されれば何をされたかわかったものではない。

 

 だからと言って、剣を持たない修太郎では水の中で満足な威力の攻撃を繰り出すことはできない。

 それでもこの状況で最善を選ぶのならばやることは一つ。

 

 海に潜った修太郎は魚もかくやの猛スピードで泳ぎ、ロスヴァイセに絡み付く触手を手刀で払う。

 切り裂くことこそ出来ないものの、込められた威力は発揮され、弛んだ触手からロスヴァイセを抜き取った修太郎は、海上に向かって彼女を投げた。

 そしてそのまま触手に絡み付かれ、海深くに引きずり込まれていった。

 

 

 

 

 

 

「そんなっ……なんで、あなたは……?」

 

 海上へと飛び出し、飛翔するロスヴァイセは海を見て呆然とする。

 己の身を犠牲にしてロスヴァイセを助けた男――暮修太郎。本来であればこの事態に巻き込んだロスヴァイセこそが彼を助ける立場なのに。

 

 彼は強力な戦士だが、いくらなんでもこの海という戦場でクラーケンに勝てるわけがない。しかし、一人逃げるだけなら容易かったはずだ。

 なのになぜ、自分を助けたのか?

 

 そんなことは自明、彼は勝つことを諦めていないのだ。

 ならばこちらもやることは一つ。

 不甲斐無さに浮かぶ涙を振り切り、海より伸びてくる触手を魔法の矢で叩き落しながら、多数の魔法陣を同時展開。

 そして十八番の。

 

「フルバーストッ!!」

 

 無数の光条が海に飛び込む。

 特殊な加工を施した属性弾頭は、目標に着弾した時だけ効果を発揮する特別製だ。海面に当たって減衰することは無いはずだが、しかし。

 それでも分厚い海という壁は攻撃を阻んだ。クラーケンが纏う海流が島にあった木々や岩石などの残骸を海中に散乱させているため、海魔に着弾しないものが多数生まれ、その威力を十全に発揮できなかったのだ。

 無属性攻撃は通るようだが焼け石に水。生命力あふれるクラーケンを削りきるには足りない。

 

「それなら!」

 

 再び展開される魔法陣たち。

 

「全属性・全精霊・全神霊・術式最大解放! 連結・接続・集束開始……圧縮・圧縮・圧縮ッ…………!」

 

 周囲に展開した無数の魔法陣から光が伸び、ロスヴァイセの眼前に形成された一つの魔法陣へと集まる。時間とともに積み重なっていく魔法陣は砲門を形どり、その砲口に圧縮された魔法のエネルギーを溜めこんだ。

 ばらけて撃っても届かないのなら一つに纏めて撃ち貫く。

 

 しかし、複数属性の魔法を精密精緻に組み合わせ、一つの魔法として安定化を図るには非常に高度な演算処理を必要とする。

 必然として触手への防御は疎かになってしまうが、それでもロスヴァイセは自分を守りながらそれを完遂した。

 

 ひどい頭痛が襲う中、魔砲の照準を海深く潜るクラーケンの怪しく光る双眸、その中間部分へ。

 眉間を狙って、撃ち放つ。

 

「穿て!!」

 

 放たれた極光の魔法槍は空間そのものを激しく震わせながら、一直線に海魔の眉間へと迫る。

 対する海魔は発せられた波動から攻撃の威力を感じ取り、ここで初めて回避行動をとった。

 

 はたして海面を貫き、極光の柱を屹立させたロスヴァイセ渾身の一撃は、着弾面から海そのものを大きく抉り、海底まで届く大穴を穿つ。

 そして、そこに敵は姿を見せた。

 

 海魔の象徴、巨大な二本の触腕の内一本が根元から抉れ、その焼けた断面を外気に晒している。無数の触手もその数を半分にまで減らし、胴体部分は表皮を大きく抉られて、今も熱に赤く爛れた傷口を見せていた。

 しかし、それだけ。

 大海魔クラーケンは、自身が最も頼りにする最古の触腕の一つを犠牲に、最小限のダメージで見事絶大な魔法の一撃を凌ぎ切った。

 

 悔しさに歯噛みするロスヴァイセ。先ほどの即席大魔法で精神的疲労はすでにピーク、もう一度敵の攻撃を防ぎつつ放つのは不可能に近かった。

 憤怒に燃えるクラーケンが無数の触手を彼女へ伸ばす。意識の中では緩慢に見えるそれも、疲弊した魔法力では回避が難しい。

 

「……こんなところでっ……! ……ごめんなさい、修太郎さん」

 

 迫る海魔の殺意を前に諦め、涙に目を瞑る銀髪の少女。

 

「いや、流石だロスヴァイセ。キミは見事俺の期待に応えてくれた」

 

 それに応える男の声はいつも通りの平坦なものだった。

 

 りぃん、と。

 響く鈴の刃鳴りは幻聴か。

 

 咲き誇る銀閃の花が見えれば、巻き起こる割断の風がロスヴァイセに向かっていた海魔の触手を悉く裂く。

 舞い散る肉と青い体液の雨を伴い、その手に失われたはずの愛刀携えて剣鬼・修太郎ここに推参。

 気付けばロスヴァイセは再び男の腕に抱かれていた。

 

『*********!?』

 

 海魔の絶叫轟く中、突き出た岩の足場に着地。

 ロスヴァイセを優しく下ろし、その鋭い双眸で猛る大海魔を睨んだ。

 海に開いた穴は激流と渦を巻いて塞がり、荒れ狂う。

 

「修太郎さん……? なん、で……?」

 

「本当は体の中から内臓を引っ掻き回そうとでも思っていたんだが、この刀が奴の口の近くに刺さってたのを偶然見つけてな。運が良かった」

 

「え…………?」

 

「しかし実を言うと、剣を回収したはいいが触手から抜け出せなくなって焦っていた。脱出できたのはキミのおかげだ。礼を言おう」

 

「え、はい。どういたしまして……?」

 

 混乱するロスヴァイセをよそに、久しく舞い戻った愛刀の存在を確かめるように修太郎は剣を振るう。

 閃光しか映らないその速さは健在。己の半身とも言うべき存在を取り戻した剣鬼は、無表情ながら心なしか嬉しそうだった。

 

「銘は無いが……天目一箇神に仕える刀工の作、彼の聖剣・天叢雲と材質を同じくする緋緋色金の刃だ。もっともこれは、聖剣としての力など欠片も持たない出来損ないだが」

 

 七日間海の中に在った刃は光の加減で緋色に輝く。その刀身には錆び一つなく、ただあるだけで空気すら切り裂きそうな鋭さだ。

 

「む……流石に柄にガタがきているな。そろそろ替え時か」

 

「あ、あのっ、修太郎さん!」

 

「どうした、ロスヴァイセ」

 

「身体は、大丈夫なんですか?」

 

「問題は無い。戦える」

 

 そう言うことではないのだが、振り向いた男の目を見た時に、ロスヴァイセは何を言っても無駄な事を悟った。

 心配だとか気を付けてだとか、そんな言葉を言ってもこの剣鬼は多分聞かない。

 自分の命の尊さをいうものを勘定に入れていないのだ、暮修太郎という馬鹿は。

 

(と言っても、気付くのが少し遅すぎた気がしますが)

 

 だけどきっと、せめてこれだけは言っておかないといけない。

 

「御武運を。絶対に帰ってきてくださいね。……本当なら、手当てをしないといけないのですから」

 

「……承知した。勝って来よう、ロスヴァイセ」

 

 そう答えてから見せた笑みは、とても不器用なものだった。

 

 

 

 

 

 

 ロスヴァイセを一人残して海上を駆ける修太郎へと海魔の触手が迫る。

 修太郎はそれを躱さない。躱す必要が無いからだ。

 

 空間を銀閃が無数に走ったかと思うと、細切れに落ちる海魔の触手。

 海中で触手の締め付けを受け、それなりのダメージを負っている修太郎だったが、気分は絶好調だった。

 

 欠けたモノが埋まっている。

 自分が完全になっている。

 そんな感覚が身体を駆け巡り、高まっていく剣の冴えは留まるところを知らない。

 

 この身体を思い通りに動かせないことなど未だかつて無かったが、今までのさらにその上をいく精密さで運動を続け、敵手の攻撃を悉く切り裂いていく。

 咆哮によって生まれる渦潮も、流れを読み切れば渡るのに何ら支障はない。

 

「――ははっ」

 

 思わず笑いすら出てくる清々しさだった。

 

 満身創痍のクラーケンは憤怒を超えた憎悪で以って間断無く攻めているが、そのどれもが効かないと悟ると自身の最も頼りとする攻撃に打って出た。

 即ち巨大触腕による圧し潰し。かつてこの小さな餌を容易く弾き飛ばした必殺の一手である。

 

 しかし、修太郎はそれこそを待っていた。

 

 しなやかな筋肉を活かした猛スピードで行われる海魔の攻撃は、比喩ではなく海を割る。

 

 巻き上がる飛沫が海魔の視界を塞ぐ。

 水のカーテンが治まれば、いったいどうやって回避したのか、修太郎が触腕の上に立っていた。

 

 しっかりとした足場を手に入れた修太郎は、笑みをにやりと凶悪に歪め、高まる剣気はただそれだけで斬鉄を成す迫力だ。回る生命力に、解放される霊的器官(チャクラ)から生まれた闘気が炎のように迸る。

 

 構えは正眼。

 誰も認識できない合間に、疾風を追い抜く速度で修太郎は駆け抜けた。

 

 大きな魔物を相手にする際、修太郎には常々思っていたことがある。

 敵の防御は容易く貫けるのに、なぜ一刀のもとに斬り伏せられないのだろう、と。巨体を何度も切り刻むのは面倒だ。効率的ではない。

 これは、そんな狂った考えが生み出した魔技だった。

 

 中国にて覚えた、不動のまま十全の力を発揮する運体技能、衝撃を直接相手の内に伝える伝播方法、すなわち、寸勁や浸透勁などの発勁技法。

 曰く、「力は骨より発し、勁は筋より発する」という、長年にわたり練磨された人間の体術である。

 その応用――運動量から生まれる刃の破壊力を、余すところなく全て相手の肉体に叩き込み爆発させる魔剣。

 

 修太郎から発せられる気迫にたじろいだクラーケンは、触腕を動かし振り払おうとするが、もはや遅い。

 引き絞られた膂力が開放されれば、生まれいずるは神速の刃。

 狙うは巨大海魔の触腕。

 

 修太郎が放った鋭い斬撃は、皮を断ち骨を断ち鋼を裂き龍の鱗すら砕く剛剣だ。だというのに、刃は怪物に徹らなかった。ただ、それより生じるだろう破壊力が、触れた怪物の身体を走る。

 巨大な海魔に亀裂が刻まれる。

 その半身を覆い尽くす縦横無尽に分岐した分割線は、木の葉に浮かぶ葉脈を思わせた。

 

 この巨体殺しの絶技、仙人名づけて曰く――魔剣・落峰。

 

 自身の異常に気づかない怪物が、刻まれた違和感にわずかに身じろぎをしたその直後。

 

『*****************************!!?』

 

 亀裂に沿って肉体が広く爆散し、噴き出す体液に生まれる激痛が叫び声となってこだまする。

 残った触手の実に8割強が弾け飛び、同時に渦潮が散りじりに大きな波と変わり消えた。

 

 極大の損傷を負った海魔は意識を断ち、眠りにつく。

 死ななかったのは内に秘める生命力が尋常ではないからだろうが、その身を動かせるようになるまでいったいどれほどの眠りを必要とするか。

 

 海の王者は水底に沈み、後には荒れた波の白い飛沫だけが残った。

 

 




デタラメ剣法の本領発揮。
やはり戦闘をすると長くなるなぁ。


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第七話:北欧旅行記~その4~

 立ち昇る飛沫と共に海魔の巨体が沈んでいく。

 逆巻く波がぶつかり合い、うねりとうねりが絡み合って互いを喰い合えば、後に残るのは穏やかな海の姿だ。

 そこには先刻繰り広げられた激戦の名残など欠片も無く、ただ空の青を映す海面が揺れている。

 

「ほっ、こりゃあ驚いたわい! なんじゃあれ、本当に人間が放つ技かいのう?」

 

「…………」

 

「うーむ、よければ解説とかしてほしいんじゃが?」

 

 困った様子で尋ねた声に、かけられた方は無言。

 黒い猫耳はぴくぴくと、苛立ちを募らせるように揺れる。伸びる二股の尾は何かの衝動を抑えるかのごとく震えていた。

 はぐれ悪魔の仙猫・黒歌。手足に魔法陣の枷を嵌められて、檻のような光の結界に閉じ込められている。その身を鋼の縛鎖に縛られて、身動き一つとれないでいた。

 

「いいかげん機嫌を直さんかい。閉じ込めるのはかわいそうと思わんでもないがのう、ぶっちゃけお主が悪いんじゃぞ? 悪魔が神界で暴れて即殺されんだけでもマシと思うんじゃ」

 

 黒猫をたしなめるのは眼帯を付けた長い髭の老人。アースガルズを治める北欧神話が主神・オーディンだ。傍らには黒い鎧を着たヴァルキリーが秘書のように佇んでいる。

 

「…………そう言うなら、この縛り方を何とかしてほしいわね」

 

 殺気の籠った眼光で返答した黒歌の身体は魔法の鎖で封じられている。問題はその縛り方。彼女は何故か亀甲縛りに拘束されていた。

 

「それはロキに言えい。巨人王に"また"出し抜かれた鬱憤を晴らすために、お主をそんなふうにしたのはあやつじゃ。……いや、確かにわしとしても眼福じゃが」

 

 船にいた時の洋服から一転、いつもの黒い着物を着た黒歌は縦横に走る鎖によって縛り付けられ、その豊満な肉体のラインをいやらしく演出していた。

 着崩された着物から見える肩からうなじにかけての線、白く美しい玉の肌に食い込む鉄鎖の鈍色は背徳的なコントラストを生み出している。縛りにより作られた交差がただでさえ豊かなバストを前面に押して、衣の下に秘める桜色が想像できるほど誇張させていた。

 股の間を通る鎖によってはだけた足元は滑らかな脚線美を曝け出し、それにより現れるヒップラインはまさしくエロス。未だ目覚めぬ赤龍帝はおろか、現白龍皇も思わず目をやるに違いない母性だ。

 もしもこの場に修太郎がいれば、彼でさえこう言うだろう。「GJ(グッジョブ)」と。

 

「死ね」

 

 主神の目線が嫌らしく走ったのを見逃さず、黒歌は一層強めた殺気で抗議する。

 

「オーディンさま」

 

 傍らにいた黒い鎧のヴァルキリーが非難の視線を向けた。

 

「……ごほん。しかし、お主のような力ある悪魔が何をそんなに入れ込んでいるかと思ったら、相当な使い手じゃのう、あの剣士」

 

 ほっほっほっ、と愉快気に笑うオーディン。露骨な話題逸らしである。

 

 銀の宮殿ヴァーラスキャールヴ。

 偉大なる主神の住処で、彼らは眼前に展開された魔法のヴィジョンを見ていた。

 アースガルズの娯楽ネットワークに突如割り込んだリアルタイム映像は、悪辣なる巨人王ウートガルザ・ロキの仕業。題名を『突発!! 男女共同無人島生活!~堅物ヴァルキリーは勇者様(エインフェリア)の心を射止めることができるか~』として、現在進行形でアースガルズ全土で放送されている番組――もとい、盗撮映像である。

 

 出した話題に沈黙で返す黒猫に、主神は一つ溜息をついた後ひとりごちる。

 

「ふぅむ、巨人王の幻術結界か……またぞろ厄介な代物が出てきたもんじゃのう」

 

 左目の隻眼が瞬く。水晶のようなそれは奥底に魔術文字を浮かび上がらせ、ミーミルの泉より授けられた魔道の知識と照らし合わせていく。

 

「幻と言うよりは虚言……認識の強制変更……? いや、概念そのものの置換も混じっておるのか? 方角が方角として機能しておらん。なんじゃこれ、作り込みの度合いがおかしいのう。作業状況はどんな感じじゃ?」

 

「解析は現在9%まで完了していますが、そこからは遅々として進まないそうです」

 

 職人芸の領域に達している巨人王の結界術式に思わず唸る。ヴァルキリーからの報告も予想通りのものだった。

 自分があの結界を再現しようと思ったらどれほどの時間がかかる事か。あの悪神ロキですら数年単位で構築しなければ不可能であるだろう代物だ。

 しかもおそらく、用意している術式がこれだけと言うことはないだろう。相変わらずと言うほどの面識はないが、騙し欺きに命を懸けたかのような男だ。

 術式構築に詳しい神々やヴァルキリーたち、それに加えこうして自分も解析に参加していると言うのに一向に解ける気配がない。はたしてどうしたものか、と思案する。

 

「……っ!」

 

「ふむ?」

 

「中々大胆な殿方ですね」

 

 不意に反応を見せた黒猫の様子に、ヴィジョンへ目を戻すと男がロスヴァイセを横抱きにして――所謂ところのお姫様抱っこで――駆けている。

 顔を真っ赤に俯けて縮こまる銀の乙女に対し、男の顔は平常そのものの無表情だが、乙女の可憐な容姿と煌びやかな鎧姿も相まって、まるで英雄譚の一場面のようでもあった。

 真面目で堅物だったお付きのヴァルキリーが見せる初心な様子は、男のことを意識している証拠だ。

 

 巨人王よりどのような幻を見せられたかは発覚した時の反応を見ればおおよそ知れる。娘が一人の女に近づいているような、親心に近いなんとも生暖かい感情がオーディンの中に生まれた。

 余談だがこの主神、ロスヴァイセの怒りのフルバースト花火を見た時一欠けらの容赦も無く大爆笑していた。親心とはなんなのだろう。

 

「ぐぬぬ……」

 

 その光景を睨みつける黒歌は、もはや目の端に涙すら浮かべている。悲しげに怒るその姿は嫉妬する女そのものだった。

 

「……ふむ。お主、名は黒歌と言ったかのう? 一ついい取引があるんじゃが」

 

 尋ねるオーディンの声に、やはり無言の黒歌だったが、ピクリと震えた猫耳には今までにない反応がある。

 悪くない感触にオーディンは言葉を続けた。

 

「お主がアースガルズに侵入してきた時、神界を覆う結界の一部に切り取られたような跡があった。わしの知らぬ、見たことも無い術式の形跡もな。もしかしたらの話じゃが、お主の力とわしらの知識を合わせればあの結界を打ち破れるかもしれん」

 

 オーディンの言葉が発せられるたびにピクピクと反応を示す猫の耳。

 

「これはアースガルズの治安を守る事にもつながる。達成されれば、お主が犯した神界侵攻の罪もお咎めなしにしてもよい。何より想い人を救うことにもなるのじゃから、悪い話ではないと思うが、どうじゃ?」

 

 チラチラとこちらを窺う黒歌。

 もうひと押しだ。

 

「情けないことに、現状のわしらではあの巨人王が展開した結界を破るまでかなり時間がかかりそうでのう……。今のところ概算で3・4週間ほどと言ったところか? お主、その間あの光景を見せられて我慢できるかのう?」

 

 黒猫はオーディンをまっすぐに見つめ返した。そして言う。

 

「……罪の帳消しだけじゃ足りないわ。一撃よ。一撃であの結界をぶち壊してあげる。だからメリットを寄越しなさい」

 

「……それはなんとも、大きく出たのう」

 

 この悪魔は、神々さえ惑わし解除も困難なあの結界術式を一撃で破壊するのだと言う。

 自身に溢れた言は、本当にそれを成せる根拠があるからなのだろうが、まさか強大な力を持つ神相手――それも主神に向かって褒美を寄越せとは。

 予想外の言葉にオーディンは思案する。

 一応協力してくれる意思はあるらしい。そもそも、この悪魔が失敗してもこちらにデメリットは一切無いのだ。なんにせよ面白いものが見れるならそれもいいだろう。知識を得ることこそこの主神が好むところであるならば、受け入れることは吝かではない。

 

 結論は出た。

 

「ふむ、よろしい。やって見せるが良かろう。じゃが、監視は付けさせてもらうぞい?」

 

「契約成立ね」

 

 まさか神たる己が悪魔と契約を交わすなど思いもよらなかったことだが、それはそれで悪くない。

 他の神々はうるさいかもしれないが、どんなに些細なことでも新しいものと言うのは心躍る何かがあるのだ。探究を重ねずして精進は有り得ない。

 そろそろ時代が変わるかもしれん、と内心でつぶやき、オーディンは黒猫を封じる魔法を解除した。

 

 

 

 

 

                   ―○●○―

 

 

 

 

 

 クラーケンの撃破によって津波は急速に退き、孤島は元の領土を取り戻した。

 魔法力の酷使による精神的疲労が濃いロスヴァイセを抱きかかえ、自身らの拠点に戻った修太郎たちだったが、かつての我が家は見事に荒れていた。

 

「まあ、当然の結果ですね」

 

 修太郎がはぎ取った魔物の毛皮やら流されてきた木材やら土砂やらなにやらが混在し、しかも海水でびしょ濡れなため非常に見てくれが悪くなっている。洞窟そのものにかけられた補強用の魔法術式に損傷はないようだが、むせ返るような潮の匂いに湿気が酷く、このままでは身体を悪くしてしまいそうだ。

 

「空気が良くないな」

 

「クラーケンの呼び寄せた波の影響でしょうか? あのクラーケンは相当に年を経た強力なものだったみたいですし、何か土地の環境に対して副次的な効果があるのかもしれません」

 

 ならばこの潮臭さは当分とれないと言うことだろう。

 湿気も考慮すれば、この潮の香りはあまり身体に良くない。出来れば、この場で生活するのは遠慮したいところだ。

 

「拠点を移すべきか」

 

「ええ、そうした方がいいでしょう。しかし、次の当てはあるのですか?」

 

「島の中央より向こうが高台になっていた。様子を見て、可能であればそこに移ろう」

 

 かくして移動することとなった。

 未だにふらつく様子のロスヴァイセを再び抱きかかえ、修太郎は海水に濡れた森の中を駆ける。

 波の衝撃で木々は引き抜かれ、または倒れ、地面には海にいただろう魚の姿も散見される。短時間にも拘らず地面に染みついた海の匂いは、クラーケンの津波に付加された呪いか何かだろうか?

 ともかく、孤島の環境が完全に復帰するにはそれなりの時間が必要であるらしい。

 

 さて、周囲を窺う修太郎に対して、横抱きにされたロスヴァイセは当の男について考えていた。

 暮修太郎。あの巨大クラーケンを一刀のもとに下した、凄腕の評価すら生ぬるい化け物剣士。

 断ったはずなのに彼女を抱えて移動しているのは、現地に着いた時に再び拠点を構築するための魔法力を回復させるためだと言う。まあ、妥当だ。適材適所を心得ていると言ってもいい。

 だから、このなんとも持て余す感情は自分に原因があるのだろうと戦乙女は思った。

 

 幻術を極めた巨人王ウートガルザ・ロキの見せた幻は、ロスヴァイセが抱く願望通りの人生を体験させた。

 すなわち、恋に落ち、清い交際をし、プロポーズされ、結婚し、エッチなことをして、子供を作り、安定した収入の下、多少の波乱万丈はあれど、最後は二人老後を穏やかに暮らすと言うものだ。

 問題はその相手だ。悪辣な巨人王がロスヴァイセの恋人役に設定したのが何を隠そうこの修太郎だったのだから、実はさっきから彼の顔をまともに見ることができない。

 

 幻は所詮幻。

 かかっている最中はリアルと信じた光景も、今は醒めた夢のように現実感を失っている。だからこそ、こうしてある程度冷静に会話だけはできているのだが……。

 第一、修太郎という男から窺えるパーソナリティはロスヴァイセが望む恋人としての条件を満たしているか疑問である。

 

 顔はまあ多少目つきが悪すぎる感があるものの、整っている。身長はロスヴァイセより頭一つ以上高く、脱げば逞しさを表す体格は申し分ないだろう。

 現在進行形で上半身裸の男に抱えられていることを思い出し、戦乙女は顔に熱が集まったのを自覚する。

 ともかくルックスは十分に合格レベルだ。

 

 しかし、問題は彼の収入面にある。

 魔物狩りと言う、アンダーグラウンド且つ命がけの仕事には、福利厚生といった制度は当然導入されていない。加えてフリーランスと言うこともあって収入は安定せず、潰しもきかない。

 確か、幻術の中では彼をアースガルズの戦士としてオーディンに紹介した覚えがある。

 

 幻の中ではそれで解決できたとしても、次に立ちはだかるのは現実の彼自身にある性質だ。

 自身の命を顧みない超効率的な戦闘姿勢は伴侶として失格だろう。戦闘狂、と言ってもいいかもしれない。そんないつ死ぬかもわからない恋人なんて、安定志向の彼女からすれば絶対に嫌だった。

 そのはず、なのだが――。

 

「体調はどうだ、ロスヴァイセ」

 

「え、あ、はい。だいぶ良くなってきました。もう大丈夫ですから、降ろしてもらっても……」

 

「いや、そのまま休んでくれた方がいい。魔法で飛んでまたダウンするようなことになったら良くないし、それなら俺がこのまま抱えて走ったほうが速いだろう。キミは万能だが、俺にはこれぐらいしかできないからな」

 

 彼からすれば当然の対応なのだろう。きっと、ロスヴァイセの性別が違ってもこの男は同じことをしたはずだという確信がある。

 それでも顔を真っ赤にするほど恥ずかしいのに、この状況に若干の嬉しさを感じるのは、ひそかに憧れていたお姫様抱っこの最中にあるからだろうか?

 

(……混乱してますね)

 

 ならば結論を急ぐべきではない。このままなし崩しに考えていけば、きっと不幸なことになる。

 それでも結局男の腕の中で悶々とする羽目になるのだが、まあそれはそれで予定調和なのだろう。

 

 

 

 

 

 

(それで何故こんなことに)

 

 もうもうと漂う湯気に頬を桜色に染めつつ、ロスヴァイセは内心でひとりごちる。

 満天の星輝く夜空の下、孤島の山岳地帯の奥の奥、温泉湧き出る泉にて戦乙女は養生していた。

 

「……ほぅ……」

 

 白く濁る湯に肩まで浸かりながら、身を包む熱さに脱力して息を吐く。

 

 あの後、高台に着いた修太郎たちを待っていたのは、津波から避難した森の魔物たちの大軍だった。

 一瞬襲われるかと思って身構えたロスヴァイセだったが、そこは剣鬼。一度下した魔物のボスたちを見つけると、彼らに話(?)を通して素通りすることに成功。

 適当な位置にひとまずの拠点を構えて整えていれば、食料を探しに外へ出ていた修太郎が帰ってきて一言。

 

『温泉を見つけたから入ってくるといい』

 

 どうやらこの島には火山があったらしい。

 熱い湯は戦闘によって長らく緊張していた体をほぐし、疲れを芯から抜き取っていくかのような心地よさだ。

 しかし。

 

「ぐるるるるるる……」

 

「シャアアア……」

 

「ゴルルルル……」

 

 ロスヴァイセと同様に温泉で脱力する魔物のボスたちがそこにいた。

 この場所は彼らが修太郎へ教えた秘湯だったようなのだ。

 まあそれはそれでいい。いや、よくは無いのだが、今更驚くようなことではない。

 問題は。

 

「湯の加減はどうだ?」

 

「なんであなたがいるんですかぁっ!?」

 

 当の男が一緒に入浴していることだった。

 

「おかしなことを言う。そこに温泉があるのなら、入らなければ嘘だろう?」

 

「そう言うことではなくてですねっ、なんで男女が一緒なのかと……!」

 

「仕切りがあるじゃないか」

 

 確かにロスヴァイセと修太郎の間には迷彩色の魔物が鎮座しているため互いの姿は見えない。

 

「それでもなんというか、もう少しためらいというものを……! ……はぁ…………もういいです。絶対にこっちは覗かないでくださいねっ」

 

「了解した。こちらのことが気になるのなら無視してくれて構わないから、ゆっくりしていけばいい。今日は疲れただろう」

 

「それを言うならあなたもでしょう。手当てだってまだ十分じゃないんですから。まったく、心配したんですよ」

 

「すまない。だが、性分なんだ」

 

「それは今までのことを見れば十分にわかります」

 

 どうやら修太郎は本当に覗く気は無いようで、獣一匹隔てた先の気配は動かない。

 もっとも、彼が本気を出せばロスヴァイセが気づかないうちに背後へ忍び寄ることも簡単にできるだろうが、そのような卑劣は行わないだろうというある種の信頼が生まれていたことを戦乙女は理解していなかった。

 

「でも、そうですね……謝罪という意味も含め、あなたの生い立ちについて聞きたいです」

 

 ふと、自分ひとりばかりが動揺していることに気付いたロスヴァイセは、そんなことを言ってみる。

 この男がどういう人生を送ってきたかを知れば、もしかしたらそこに彼の面白い反応を引き出せる話もあるかもしれないと考えた。

 ロスヴァイセの言葉に、しばし考えた様子の修太郎だったが、返答の声はいつもと同じく平坦なまま。

 

「生い立ち……と言ってもそう大したものではないのだが。まあ、隠すことでもなし、知りたいと言うなら話してみよう」

 

 そうして男は語り出す。ロスヴァイセがそれを聞いたことを後悔するのにそれほど時間はかからなかった。

 

 暮修太郎。旧姓・御道修太郎。

 古くは鬼殺しの英雄・源頼光を祖先に持つと言う、護国退魔剣士一族の分家の分家に生まれた三男坊。現在の"暮"という姓は母方の祖母のものだ。

 英雄の血をひく一族に組み込まれているとはいえ、分家のさらに分家ということで、その役目は本家や力ある分家のサポート――後方支援であり、そもそも剣術を修める必要などなかった家系だ。本来であれば、修太郎も父と同じくサラリーマンよろしく事務仕事に携わる予定だった。

 

 それが変わったのは、やはり剣に触れたことが最も大きかったろう。

 原因は父の教育方針。かつて不良だった過去を持つ父が更生したきっかけが剣の道にあったため、修太郎たち兄弟もそれを行うこととなったのだ。

 この時、修太郎9歳。試しに刀を手にした時、かっちりと自分の中で何かが噛み合ったのが分かったと言う。

 

 始めてひと月で父を破り、半年で師範を倒し、1年で分家には負けなくなった。

 2年目に本家の秀才たちを破った後、3年目に一族総出の会合の場にて本家の跡取りを叩きのめす。

 そして4年目、13歳。

 本家歴代最強とまで言われていた当主と一騎打ちを果たし、見事これを圧倒。精神的な意味で再起不能にまで追い込み、名実ともに一族最強の剣士が誕生する。

 

 そうしてそのまま修太郎は退魔剣士となった。

 言われるがまま鬼を斬り妖魔怪物を斬り邪法の輩を斬る。

 中学校を卒業し、身体が成人に近づくにつれ、修太郎の強さは飛躍的に増した。そしてそれに合わせて敵も強大になっていく。

 

 怨霊を斬った。

 怒れる鬼神を斬った。

 零落した荒御霊を斬った。

 龍だって、斬ったのは二度三度ではなかった。

 

 それだけしかできなかったし、それだけしか許されなかった。

 死闘を繰り返す中で、いつしか苦も楽も忘れ、敵を両断したその瞬間にわずかだけ生まれる達成感に酔う日々。

 

「なんですか、それは!」

 

 そう言うより他は無い。

 まさしく熾烈、これぞ修羅道。おおよそ人としての生き方ではない。

 

「あなたは、なぜそれで平気なんです!?」

 

 思わず声を荒げる。

 

「平気などではなかった」

 

「なら!」

 

「しかし選んだのは俺なのだ。大いなる力には大いなる責任が伴うのだと、兄から聞いたことがある。俺は、彼らのためにも逃げないと決めた」

 

 修太郎と本家の関係の狭間で、何よりも影響を受けたのは修太郎の家族だった。人質、と言うのだろうか。

 それに、と男は続けて。

 

「しがらみを理由にしても、結局は俺の我儘。その結果など自業自得でしかない。だからそこに後悔は無い」

 

 言い切った修太郎の声には本当に後悔の欠片も感じられない。

 修太郎の力なら抗おうと思えばいつだってそれができた。つまりはそういうことだろう。彼は望んでそれを行っていたと言っているのだ。

 

「――――」

 

 ロスヴァイセは絶句するしかない。

 そんな信念、当時にしてたかだか十数年程度しか生きていない少年が持っていいものではないだろう。

 だが、しかしそれなら。

 

「……あなたは、なぜここにいるんです?」

 

 家族のことが理由で従事していたならば、なぜこの男はここに。

 

「それは――――」

 

 返答は遮られた。

 突如発生した大きな気配に修太郎は空を見る。

 この場ではおそらく修太郎しか気付けない、大気中に在る気の動き。まるで大穴に吸い寄せられるかのようなそれは、この場に彼女が来るだろうことを示した。

 

「クロ――。しかし、これは梵天偽装だと……? 状況を打破するには最適かもしれんが、力押しが過ぎるぞ、大馬鹿者め」

 

 だとしたら、じっとしている訳にはいかない。

 

「ロスヴァイセ! ここから離れるぞ、支度をしろ! でかいのが来る」

 

「え、何を……? ってきゃああああああっ!! 見ないって言ったじゃないですかっ!! お嫁に行けなくなっちゃいますっ!」

 

 

 

 

 

                   ―○●○―

 

 

 

 

 

 月光に照らされた紺碧の海の上で夜空を眺めながら、仙猫・黒歌は周辺大気に存在する気を集約する。

 傍らには頬に紅葉の赤い跡を残した優男が一人。結界を破壊する約束を交わした黒歌が逃げないよう、オーディンからその役目を仰せつかった北欧の悪神・ロキその人だ。

 

 悪魔の監視など本来であれば受ける道理は無いのだが、この黒猫は一撃であの忌々しい巨人王の結界を破壊すると言う。

 それが本当であればなるほど面白い。仮にできなかったとしても、その時にこそこの悪魔を殺せば幾らか溜飲も下がるだろう、と思って承諾した。

 可能かどうかは正直疑わしいものだったが、しかし実際こうしてその準備を見れば、なるほどこの悪魔尋常ではない。

 

 その身に闘気を纏った黒歌は空中に曼荼羅の如く大量の魔法陣を浮かべつつ、自然の気を闘気に合一させ、その存在密度を破格の領域にまで引き上げている。

 悪魔の魔力、猫又の妖術、闘仙勝仏より教わった仙術、インド式の見慣れぬ術式に、なんと原初のルーンまで混ざっている。それらが悉く互いの調和を保って共存しあっているというのだから、凄まじいまでの術式制御能力だ。

 

 そして何よりそれらを一つに纏める依り代として、黒猫が握る一振りの宝剣に目が行く。

 彼の不動明王が持つと言われる三毒断つ破邪の利剣『倶利伽羅の剣』――その贋作。

 闘仙勝仏の下より逃亡する際、彼の宝物庫から借りてきた結界破り用の道具でもあった。

 

 悪魔たる彼女がそれを振るうのは本来であれば不可能。聖剣と似て非なるとはいえ、浄化の力を持つ剣は悪魔にとって毒である。

 それを可能としているのが、彼女が纏う浄化の気。さらに所謂ところの『火車』と呼ばれる猫又の一側面の応用で以って、彼女は破邪の利剣より聖人の類と認められていた。

 この能力をそこまで持っていくのに、闘仙勝仏の下で受けた修行が必須だったことを考えれば皮肉にしかならないが、ともあれ今の彼女は聖なる気の使い手。これにはロキも驚いた。

 

「破邪のオーラを纏う悪魔とは、なんとも矛盾しているな」

 

 悪神の言葉もなんのその、倶利伽羅剣が炎を噴き上げれば、黒歌の眼前に力が集約し一本の槍にも似た矢を形どった。

 周囲に展開された魔法陣の全てがそれに取り込まれ、物理的な強度を持つまでに圧縮される。周囲の空間を曲げて映すそれは、明らかに悪魔が使える力の領域を逸脱していた。

 

「むうっ……! これほどとは……!」

 

 続いて展開される発射用の魔法陣。そして仕上げの術式構築。

 サンスクリット語で紡がれる法陣の帯が、眼前の矢に巻きついていく。

 ロキは確信した。これは神の一撃、その再現だ。しかもその神格は自身を遥かに凌ぐ、彼の梵天。

 

 そして仕上げの真言が紡がれる。

 

om brahma devaya namah(ブラフマー神に帰依いたします)

 

 かつてインドにおいて数多の英雄が使ったとされる最終兵器。梵天の持つ必殺の投擲兵装こそ、その源流。

 ブラフマーストラ。

 それを術式で以ってして編み上げ、神より独立した一つの力に構築したのがこの奥義。準備に多大な時間を要するため戦闘中の使用はほぼ不可能だが、核ミサイルと同等とも賞される神の一撃を再現した破格の攻撃法だった。

 ブラフマーストラであってブラフマーストラでない、ただの偽物(フェイク)に過ぎないとして、どうして侮る事が出来よう。

 

 悪神ロキは戦慄し、どこかで見ているウートガルザ・ロキは驚愕し、遠くから映像越しに窺っていたオーディンは茶を噴いた。

 

「消し飛べ『梵天偽装・虚空穿(フェイク・ブラフマーストラ・アーカーシャ)』」

 

 放たれた暴威は稲妻の如く結界に着弾。

 内に秘めた威力を発揮し、黒い閃光が柱となって広がっていけば、空間ごと何もかもを抉り取っていく。爆風の向こうに見えるのは次元の狭間。

 それ専用の術式を込めただろうとはいえ、圧倒的過ぎる威力は神々と巨人を驚かせて余りある。

 精密精緻に数多の術式を組み込んだだろう巨人王の結界は、一部分から連鎖的にブラフマーストラの威力に巻き込まれて、即座に瓦解。ガラスの割れるような音と共に、無残にも砕け散った。

 

「なっなななな…………!! 一介の悪魔ふぜいがっ!? こんなバカなこと……ッ!!」

 

「おーいおいおいおいおい!! マジかマジかマジですかァ!? 俺の結界がっ、こんなバカみたいな脳筋技でッ!?」

 

『ごっほうっほっほうっ!? ごほっごほっごほぁっ!?』

 

『オーディンさま、驚くならゴリラ語ではなく私にもわかるようお願いします』

 

 三者三様の驚きを見せつつ、閃光が治まれば黒い穴をうがった海。その向こうに今まで認識できなかった島が確認できれば、それは結界が完全に破壊されたことの証明だった。

 

 

 




世界的に見て頭のおかしいスケールのインド神話ですが、はたしてD×D世界ではどんなもんなんでしょうね? 二天龍以下だなんて信じられんぜ。


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第八話:北欧旅行記~その5~

「申し訳ありませんでした」

 

 主神住まう銀の宮殿ヴァーラスキャールヴ、玉座の間。

 土下座する剣鬼がそこにいた。ボロボロだった衣服を着替え、ヴァルハラの戦士に支給される普段着姿である。

 巨人王の誇る幻術結界は完膚なきまでに破壊され、間もなく救出された修太郎とロスヴァイセの二人だったが、その代償は大きかった。

 

 上空2300メートル、海面下3000メートル、直径1200メートル四方の空間を丸ごと抉り取った黒歌の『梵天偽装(フェイク・ブラフマーストラ)』は、その後15分間にわたり次元の狭間につながる穴を開け、周辺地帯の環境を激変させた。具体的に言えば巨大な嵐を巻き起こしたのだ。

 それに加えて、ブラフマーストラの余波は異界全体を覆う人界との境界面にまで影響を与えており、多数の魔物が人の世界へ出ていく始末。ロスヴァイセを除く全てのヴァルキリーたちが徹夜覚悟で出張ってくれなかったらどうなっていたことか。

 まさか当の黒歌もここまでの破壊力を発揮するとは思っていなかったらしく、素直に修太郎の土下座と合わせて頭を下げた。

 

「当方、威力絶大であることは自覚しておりましたが、使用経験の浅さゆえ配慮足らず……。なにとぞご容赦のほど賜りたく」

 

「ごめんなさいにゃん」

 

 謝罪する一人と一匹に、主神は瞑目して無言。

 後方に控えるロスヴァイセがハラハラしつつそれを見守っている。

 

「何を言うかと思えば浅ましくも謝罪とは……。オーディン! 聞く必要はない。北欧を統括する神としてこの悪魔を許してはならん、厳格なる判決を!」

 

 傍らに立つロキが気炎を上げる。

 防護壁を張っていた黒歌が無傷なのに対して、大した用意も無く結界破壊の余波を至近でもろに喰らった彼の服装はボロボロだった。

 

「いいぞい。許しちゃう」

 

「よくぞ言ったオーディン! そこの悪魔は……ってなにぃぃっ!?」

 

 笑顔でサムズアップするオーディンに驚きのけぞるロキ。

 

「確かに予想外ではあったがのう、約束を違えたわけでもこちらに犠牲を強いたわけでもない。……まあヴァルキリーの皆には少々悪いことをしたが、それも結局仕事だからのう。あのまま問題が長引くよりも結果的には良かろうて」

 

「――なぜだ!? 梵天の一撃などこの悪魔尋常ではないぞ! 我等を脅かすやもしれんと言うのになぜ放置する!?」

 

「何を言うておるか。あんな欠陥しかない技、そう放てるものではなかろう」

 

 ――欠陥。

 梵天ブラフマーの必殺技を再現した、黒歌が誇る最大術式は神にさえ通用する代物だが、実際の戦闘ではまず使い物にならない。

 前提として、現状では目視範囲でしか狙いを付けられないため遠隔狙撃は不可能。術の準備までにおよそ30分から1時間かかり、加えて周囲に漂う自然の気を節操なく取り込むため、勘がいい者ならすぐ異変に気付く。術式が完成に近づくにつれそれは顕著になり、チャージ中は完全に無防備になることを踏まえれば対処はさほど難しくないだろう。

 繊細極まる術式操作が必須であるが故に、身体へ小石一つ当てられるだけでも制御を失う可能性があるというならなおさらだ。

 

 確かに強力極まるが、やはり神の技を悪魔が使うには無理があったのだ。

 襲撃先に電話連絡で「今から1時間後に核ミサイル撃ちますよ」と伝え、さらに自分の居場所――それもさほど距離が離れていない――を懇切丁寧に教えたうえで神を相手にこれを完了させるとなればまず不可能。強敵に使うべき大技が、相手が強敵である程に使用難易度が上がるなど欠陥以外の何物でもない。

 

「だが、()()()()()がいれば話は別だろう」

 

「だそうじゃが……どうかの、お主」

 

 未だ土下座の姿勢を崩さない剣鬼を見る。

 暮修太郎。オーディンにとっては彼もまた関心を惹かれる存在である。

 年経たクラーケンの巨体を一刀の下に崩した規格外の魔剣は、その技量だけなら神にさえ通用するだろう。首に届かないまでも足止めは十分可能と見えた。ロキも同様の感想を持っており、だからこそこの二人が組んだ時のことを警戒しているのだ。

 

「……前提として――」

 

 顔を伏せたまま修太郎は答える。

 

「それを行う理由がありません。自分たちがこの場にいることそのものが想定外のことなれば、無暗に喧嘩を売る意味は皆無であると進言します」

 

「ほれ、どうじゃロキよ。考えれば理由も意味も無いことなど明白じゃ。そもそも我らも彼らを容易に殺せる手段を持っているならば、むしろ立場は対等と言うものじゃろう。ビビり過ぎじゃよ、ビビり過ぎ」

 

「むぅ……しかし」

 

 唸るロキは不本意げだが、理屈を理解していない訳ではない。こう見えて彼の演算能力は北欧神の中でも屈指であるのだ。

 そんな彼に黒歌が声をかける。

 

「やーい、ビビりー」

 

「なんだと!」

 

「やめんかお主ら。ともあれ夜も遅い、今日は泊まっていくとよかろう。ロスヴァイセよ、案内は任せるぞい」

 

「はい。わかりました」

 

「ありがたい。配慮痛み入ります」

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 ロスヴァイセの先導に従い、修太郎たちは廊下を歩く。

 静かな夜だった。穏やかな輝きを放つ白銀の宮殿は、外から差し込む月光を受けて神秘的な美しさを見せている。

 それを内心で称賛する修太郎の横には、いつも通りの黒猫。離すまいとして男の手を握り、前を行くロスヴァイセへ視線を発している。

 

「……」

 

「……うっ」

 

 背中を叩く視線にたじろぐ戦乙女だが、どう反応したものかわかりかねていた。

 

(というかこの女の人、彼とどういう関係なんでしょう?)

 

 ちらりと件の人物を見る。

 黒い。第一印象はそれである。光の反射が少ない闇色の黒髪に、夜に輝く瞳は黄金、黒い着物をしどけなく着崩した姿は傾国の美女そのものだ。

 

(……おっきい)

 

 何がとは言わない。

 自分のプロポーションには密かな自信があったロスヴァイセだったが、これは少し負けている。

 才女の優秀な演算能力を無駄に使った結果、数値的にはそう大差ないと思われる。しかし女性としては長身のロスヴァイセに比べ、平均的な上背を持つ黒歌のそれは殊更強調されて映るだろう。誰から見てとは言わないが。

 

 修太郎との関係は恋人同士、なのだろうか。

 指と指とを絡めて互いに手を握り歩く姿はそんな雰囲気なのだが……。

 

(……だから、何だと言うのでしょうか)

 

 別に修太郎が誰と付き合っていようが関係無い。

 関係はまったく無いのだ。

 たとえこの誰が見ても殺し屋か何かと思うような――実際そう大差ない――女性に対する機微に欠ける剣術バカが、どのような美女と恋仲にあろうがロスヴァイセには何の影響も無い。

 それでもこんな無駄な思考を続けてしまうのは、きっとあのクサレ巨人王ウートガルザ・ロキが見せた幻のせいだ。絶対に許さない。

 

 そうして一行は客室のある棟にまで辿り着く。

 管理担当の使用人に話を通し部屋へ案内した後、別れる段となったのだが、そこで黒歌がロスヴァイセに声をかけた。

 

「ねえねえ」

 

「――! は、はい?」

 

 意外な人物から呼び止められて驚くロスヴァイセだったが、次にかけられた黒猫の言葉にさらに驚くこととなる。

 

「あなた、幻の中でシュウとどこまでやったの?」

 

「――は?」

 

 何を言われているのかわからなかった。

 

「え、なんで? 何を?」

 

「何ってあなた、あのウートガルザ・ロキとかいう巨人から幻術をかけられてたにゃん? 多分、シュウと色々する幻だったと思ったんだけど、違うの?」

 

「――――!! え、なんで、それを知って??」

 

「なんで――って。皆知ってるにゃん。あれ、アースガルド全土に生中継されてたのよ?」

 

「――――――」

 

 絶句する。並列思考で巨人王への仕返し方法を考えていた頭が一瞬で真っ白になった。

 辛うじて残っていた意識で、修太郎へと視線を映す。目を向けられた男はいつもの無表情で何かに気付くと。

 

「ああ、あの巨人、そんなことを言っていたな。そう言えば伝えていなかった」

 

 なんてことを言った。

 

「――あ、――――あ、ああああ、あああああああああああ!!?」

 

 つまり、自分のあの醜態はアースガルド全域の住人に見られていたということ。

 同僚のヴァルキリーに顔見知りの神、ヴァルハラの戦士たちや学生時代の恩師に古くから世話になった様々な方々。そう言えば、客室棟を管理する使用人もロスヴァイセへなにやら生暖かい視線を向けていた。振り返ればオーディンの目にも可笑しげな雰囲気が混ざっていたような気がする。

 

 ただでさえ幻術に嵌まったという失敗があるのに、さらに自分の妄想、黒歴史を全国公開されたようなものだ。たとえ正確に内容を把握されていなくても、「それを思い描いた」ことがインパクトある場で広く周知されれば、その絶望度合は半端ではない。

 

 血の気が一気に引く。全身の感覚が失せ、目の前が真っ暗になった。

 ひどい。ひどすぎる。これではもう仕事を続けていくことはおろか、碌に表を歩くことすらできないではないか。

 

「……うっ、ぐすっ、いや……いや……いやぁ………うえぇぇん……」

 

 思わず幼児退行すら起こしてしまうほどのショックを受け、その場に座り込み泣きじゃくり始めたロスヴァイセ。

 これには質問した当の黒歌も困った。ちょっとした嫌がらせのつもりだったのだが、まさかここまで深刻な反応を見せるとは思ってもいなかったのだ。

 どうしよう、と修太郎の方に顔を向ければ。

 

「あの場で伝えない方が結果として良かったかもしれないな。きっと使い物にならなくなっていた」

 

 なんてことをのたまう。

 まあ、黒歌には分かっていた反応である。この男は他人の羞恥心をいまいち把握していない節がある。そしてデリカシーが無い。

 

「ロスヴァイセ、キミは悪くない。あの場であれに抗う方法は無かったのなら、この結果は避け得なかったことだろう」

 

「ほんと? わたし、わるくない?」

 

「ああ、キミに落ち度はない。悪いのは巨人王ウートガルザ・ロキだ。その悲しみと絶望は、いずれ来るだろう機会に本人へぶつけてやるといい」

 

「……うん、わたし、きょくだいまほう、あいつにぶつける」

 

 なんという攻撃誘導。前向きに意識を向けさせるとか、もっと穏やかなやり方もあるだろうに。

 当人のヴィジュアルからして復讐を唆す悪人にも見える。こういうことを自然にやるから性質が悪いのだ。人を慰めることに根本から向いていない。

 

 しばらくして泣き止んだロスヴァイセは、とりあえず何とか立ち直った。

 目は赤く充血し、幼児退行を恥じて顔も赤い。それでも表情は毅然としたものを作っているのだから、なんともアンバランスだ。

 生中継での様子からも何となくわかっていたが、おもしろ残念な娘だな、と黒歌は思った。オーディンもからかう訳である。

 

「……ご迷惑をおかけしました。私はもう大丈夫です。ええ、大丈夫……。おのれ、ウートガルザ・ロキめ…………!」

 

 本当に大丈夫なのだろうか。剣鬼のいいように唆されてないだろうか。

 

「何と言うか……お大事に? とにかく元気出すにゃん。生きていればいいことはあるものよ?」

 

「ああ、至言だな。生きてさえいればその内何とかなるだろう。希望を捨てないことだ」

 

「ええ、はい。……そこまで心配されると逆にいたたまれなくなりますが、ありがとうございます」

 

 何かありましたらここへ、と黒歌に通信用魔法陣のアドレスを渡して去っていくロスヴァイセ。

 対幻術用攻撃術式の見直しを……、などぶつぶつ呟く声が聞こえたが、触れない方がいいだろう。疲れ草臥れたその後ろ姿へ嫌がらせの言葉を続けるほど、黒歌は外道ではなかった。

 ともあれ二人は用意された部屋へと入ったのだった。

 

 

 

 

 

 流石は主神の宮殿にある施設と言ったところだろう、修太郎たちに割り当てられた部屋は非常に広かった。

 内装は意外にも現代的で、ふかふかのソファーや大きなベッドが見える。インテリアも素人でさえわかる見事な一品であり、簡素且つ清潔にまとめられた意匠は嫌味の無い高級感を漂わせた。

 

「なんていうか、すごくお金持ちになった気分だにゃん。冷蔵庫まであるし、中の食べ物は自由に食べていいのかしらん?」

 

 今までにない豪華な宿にはしゃぐ黒猫。ある程度整っていれば寝る場所を選ばない修太郎だが、確かにこの部屋は過去最高の環境にある。

 部屋の奥へ歩き、シルク地のカーテンをめくってガラス張りのドアを開けばテラスに出る。

 

 他の建造物よりもひときわ高い場所に位置するオーディンの宮殿は、アースガルズを一望できる名所だ。

 本来であればそう簡単に立ち寄ることができない場所であるだけに、これは望外の機会を得たということになる。

 

 テラスの中央に立ち、周囲を見渡す。人間界と位相が違う神の世界とはいえ、冬の夜風は肌寒い。

 夜の神界は月光と精霊の輝く燐光が闇を照らし、まさしく神秘を体現したかのような美しい景色を晒している。遠くに見える世界樹は諸々の光を受けて大地に大きな影を作り、その枝葉を天へと伸ばして、月にまで届かんと迫る威容を見せていた。

 この景色を見れただけでもここに来れてよかったと思えるほど素晴らしい。最近になってやっと理解できるようになったことだが、やはりこういう情緒が旅の醍醐味なのだろう。

 そうしてしばらく景色を堪能していると、後ろから黒歌の呼び声が聞こえてきた。

 

「シュウー、ちょっとこっちに来てほしいにゃん!」

 

 何だと思って振り返ると、いくつかある小部屋につながるらしき扉の影から黒歌が手だけを出して手招きしている。

 近づいて部屋へと入ってみれば、急に腕を掴まれ引っ張り込まれた。

 

 そうして押し倒されれば、水飛沫と辺りに漂う白い靄が見える。

 そこは浴室だった。丁寧に闘気で肉体強化を施してまで大きな浴槽に投げ込まれた修太郎は、状況が掴めず訝しげに胸の中の黒猫を見やる。

 

「んふふ~」

 

 結った髪をほどき、唇を赤い舌で舐めながらほくそ笑む黒歌はその身に一つの衣服も纏っていなかった。

 しっとりと濡れた玉の白肌は赤く紅潮し、頬に張り付く黒髪の房が何とも妖しい。男の胸板に潰された豊満な胸は極上の柔らかさを伝え、肉付き良くしなやかな脚を絡ませて、生まれたままの全身で熱い湯の中吸い付くように密着してくる。湯船から出た肩の向こうに見える、綺麗な稜線を描く背筋からのヒップにかけるラインは色気に満ちていた。

 後ろで何かごそごそしていたのはここに湯を張るためだったのだろう。

 

「先ほど着替えたばかりなんだが」

 

「ダメよ、シュウってばさっき私を置いて一人だけ温泉に入ってたにゃん。ちゃんと見てたんだから。あの戦乙女だけズルい、私も一緒に入らないと計算が合わないにゃん」

 

「何の計算なんだ」

 

「うるさい」

 

 かぷり、と首筋を甘噛みされる。頬を擦り付け、舐められる。

 くすぐったさに身じろぎすれば、腕を回されてホールドされてしまった。

 

「……悪かった」

 

「わかればいいにゃん」

 

 そうは言っても離すことはしない。今まで離れていた分を取り戻すかのように甘えだした黒猫に、修太郎は片手で女の髪を梳き、もう片方の手で背中を抱いた。

 

「……にゃあん」

 

 甘い声で鳴く黒歌に対し、瞑目した修太郎は自身の内に目を向ける。

 廻る、廻る、生命力のエネルギーが互いの間を高速で循環する。相乗効果で増大していくエネルギーは修太郎の身に蓄積されたダメージを癒し、大技の行使によって消耗していた黒歌のオーラを回復させていく。

 そうしてしばらく抱き合っていれば、あらかたの治療は完了した。

 

 さて、修太郎としては後の対応が精神的にきついので、正直発情されるのだけは勘弁だったが、その心配は杞憂だった。

 

「……すー、すー、……にゃー」

 

 突然止まった気の循環に彼女を見れば、静かに寝息を立てる彼の黒猫。

 少々驚きに目を開く修太郎だったが、事情はすぐに把握できた。

 おそらく彼女は今までほとんど寝ていないのだ。術師ではない修太郎には詳しいことまで分からないものの、神界への単独潜入がどれほどの難易度だったかは大体察せる。

 

「苦労をかけたみたいだな……」

 

 穏やかな寝顔を晒す黒歌を見れば、不思議と気持ちが落ち着いてくる。

 後で黒歌に服を着せ、ベッドに運び、自分も着替えを探さなければいけないが、たまにはこういう迷惑も悪くないだろう。

 本日二度目になる熱い湯に身を任せ、修太郎はそう思った。

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 後日、二人同じベッドで目を覚ました――黒歌がしがみついて来たので離れるに離れられなかった――修太郎と黒歌は、客室棟から出て大勢の戦士に囲まれていた。

 臨戦態勢をとる黒歌を手で制し、集団の中央を見れば主神オーディンの姿。

 

「悪いのう、状況が変わったんじゃ。そこの悪魔、捕えさせてもらうぞい」

 

 

 

 

 




主人公は明確に目上の相手と話す際は敬語になります。退魔剣士時代からの癖というか常識ですね。
あれですね、回復パート=イチャつきタイム、みたいな感じになってますね。


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番外話:黒猫のメモリー~インド編~

日記風過去編第二弾。前回から書き方がぶれまくってます。
過去話? いらねぇよ! って方はごめんなさい。



 ――あなたがそこを訪れると、目当ての彼女は不在だった。

 ――どうやら入れ違いになったらしい。

 ――ふと、テーブルを見るといつか見た古い日記帳が置いてある。

 ――時計を見れば、次の予定までまだ時間がある。

 ――再びの好奇心に、悪いと思いつつもあなたは日記帳を手に取り、そして開いた。

 

 

 

 

 ●月△日

 

 亜空間に漂ってたこれを見つけて、また何となく書いている。予想通りの三日坊主。さすがは私。

 やっぱりこういうのは向いていないな、と思う。まあ、今後も気が向いたらメモ書き程度に色々書き留めておくことにしよう。

 

 書くなら前回の続きからかな。

 インドに着いてしばらく各地を回りながら食べ歩きを楽しんでいたんだけど、遂にお金が無くなった。

 今までの資金は修太郎が持ってきていた日本円を両替して用立ててた。使う機会が無かったらしく、年齢の割に貯金はたくさんあったみたい。

 それでも考えなしに使ってれば当然尽きる。……まあ、ほとんど私が悪いんだけど。

 

 あ、そう言えばインドにはカレーなんて名前の料理は無いらしい。私たちがカレーと思ってる料理にはそれぞれ固有の名前があるのだとか。初めて知った知識だけど、美味しければ別に呼び方なんてどうでもいいよね。

 

 ともかく資金が尽きて、日々の宿にも困る有り様になった。いや、あんまり困ってなかったかも。

 修太郎は野宿も苦にしないみたいだし、私もなんだかんだで慣れている。昔取った杵柄というやつだ。

 そこら辺の獣を狩れば、食料は一応確保できるけど、って言うか実際しばらくそうしていたんだけど、でもやっぱり我慢できなくなって術を使ってちょっと他の人からお金を失敬しようと思った。美味しいものが食べたかったから、仕方ない。

 

 で、そんなことをしてたら東方教会の奴らに目を付けられて追いかけられる羽目になった。

 結果としては当たり前なんだけど、インド=ヒンドゥー系列っていうイメージがあったから、天使たちの勢力がいることを忘れてたのが痛かった。

 うん、まあ普通に撃退したけど、表立って動くのが難しくなったのだ。

 

 結局、お金は修太郎が剣舞やら体術を活かした曲芸モドキやらで稼ぐことになった。

 なんだろう、日本を出てから、って言うか出会ってからずっとこの男に養われている気がしてきた。日本でも私の逃亡に協力して食べ物とか持ってきたのは基本的にあいつだし。

 これは良くない気がする。私はただの猫じゃないんだから。うん、いずれ見返そう。

 

 

 

 

 ●月■日

 

 また日にちが空いた。ま、どうでもいいか。

 最近はなんだか暇だ。修太郎がお金を稼いで、私がその姿を見ていて、そうして二人で食事して安宿で寝たり野宿したり。この繰り返し。

 うーん、建設的じゃない。何をすれば建設的になるのかはわからないけど。

 

 何か面白いことは無いかな。なんだかんだでサル仙人のところでは一日一日が充実していた気がする。修行ばっかだったから楽しくは無かったけど。

 今は本当に暇だから、黙って一人鍛錬してるこいつをいじったり、寝顔をつついたりするぐらいしかやることが無い。

 

 思えば、修太郎って寝顔だと普通にかっこいい方なのよね。目を開けると殺し屋にしか見えないけど。

 地味に子供に怖がられることを気にしてるみたいだし、それならずっと目をつぶってたらいいんじゃないかしら?

 ちょっと明日言ってみよう。

 

 

 

 △月○日(少し土に汚れている)

 

 安定の隔日、って言うか隔月。

 2週間目をつぶって生活していた修太郎の直感力がさらに強化されてからも、その日暮らしの毎日を送っていた私たち。

 端的に言えば、あれからしばらくして暇じゃなくなった。

 

 発端はトラックを襲っていたサルの魔物を修太郎が撃退したことだ。

 よってたかって一台の車に群がるサルを、ずっぱずっぱと斬り捨てて、見事無傷で襲われてた人たちを救い出した。

 これがいけなかった。

 

 サルの魔物の正体はヴァナラ族。有名どころは風神の化身とされるハヌマーンあたりだったかな。インドの英雄、ラーマと一緒に戦ったらしいサルに似た一族だ。

 通常人間には害を加えず異界に引っ込んで暮らしている彼らが、なんで人間を襲っていたかと言うと、それはつまりその人間たちが悪事を働いていたから。

 

 神宝サルンガ。ヴィシュヌ神が持ち、英雄ラーマが魔王ラーヴァナを打倒した際に用いた神の武具。

 はるか昔にラーマより預かっていたらしいそれをヴァナラから盗み出した下手人こそ、修太郎が助けた人間たちだった。

 

 サルンガの弓と矢の内、太陽神の矢の方を人間たちは奪っていた。

 その現物は一目見て吐き気がした。太陽の炎と光そのもので作られた矢は、私のような悪魔には猛毒だから。

 聖剣なんか目じゃない聖なるオーラは、視界にすら入れたくないほど怖く映る。魔術の施された布に包まれている状態でさえ目障りに感じる。直接触ったらきっと、私でも影響が出るレベルのパワー。

 

 正直関わりたくなかったけど、ヴァナラたちには顔を覚えられたし、国外に出るほどのお金は無いし、とりあえず人間たちはボコって捨てて、今後の安全のためにサルンガの矢を返しに行くことになった。

 話せばわかってくれるだろうと修太郎が言ったから、好きにすればいいって私も賛同した。律儀よね、ほんと。

 結論を言えば、私だけでもさっさと逃げてればよかった。

 

 ヴァナラを探してそこらへんの森をうろついていると、急に矢が飛んできた。

 滅茶苦茶鋭い刀みたいな切れ味の矢。全部修太郎が撃ち落としたから何ともなかったけど、私だけだったら一発ぐらい当たってたかも。

 見たら崖の上に一人の戦士が弓を構えて立っていた。

 

 手に持っている弓は太陽の聖なるオーラを放つ代物。サルンガの弓だ。

 戦士は線の細い女みたいなイケメンだった。バラ色の鋭い瞳が印象に残っている。戦士は、自分を英雄ラーマの子孫だと名乗った。嫌な予感がした。

 気を感じ取ればいつの間にか周りを無数の気配が囲んでいた。ヴァナラたちだ。

 

 修太郎が戦士を説得にかかったけど、こいつはこいつでコミュニケーション能力が高いとは死んでも言えないし、結局信じてもらえなかった。私が悪魔だったのも大きいんだろう。猫に変化してればよかったかな。

 そして戦闘に突入。不可抗力だったことを主張するこちらとしては、考えなしにヴァナラを切り捨てるわけにもいかない。

 私はもう殺し合っても良かったと思ったけど、修太郎が刀を峰に反して戦ってたから仕方なく手加減してた。これも間違いだった。

 

 膠着した戦闘に痺れを切らしたのか、ラーマの子孫はサルンガの弓を構えてとんでもないものを放った。

 あのド畜生、ブラフマーストラのマントラを使ってきやがったのだ!

 

 ブラフマーのマントラを受けて絶大なまでに威力を引き上げた矢は直撃こそしなかったけど、だからこそ滅茶苦茶なエネルギーを開放して大地を大きく爆散させた。

 前方1000メートル超を扇状に深く抉る威力。しかもバカスカ撃ってくる。意味が分からない。

 サルンガの弓の影響か、ブラフマーストラそれ自体に聖なるオーラが込められていた。悪魔の私は直撃=死亡確定なので仙術妖術魔力全部を駆使して避けまくった。修太郎は普通に避けてた。こいつらアホかと。

 

 遠巻きに見てたヴァナラたちもドン引きするこの有り様から抜け出せたのは、敵の攻撃が地形を崩し過ぎたからだ。私たちは川に落ちて流れの中に身を隠し、山の中に逃げることができた。

 そうして見つけた洞窟を私が幻術の結界で覆ってひとまずやり過ごしている。

 修太郎は今眠っている。こいつ、逃げる時に敵の攻撃から私をかばって結構大きな傷を受けてたのだ。

 

 幸いブラフマーストラではない、普通の矢だった……普通の矢? まあ、鋭く切り裂かれて大量出血していたから仙術の治癒で塞いで、今も気の循環を促して治してあげている。

 猫は受けた恩を忘れるって言うけど、前に書いた通り私はただの猫じゃないんだから。たまには有用性ってものを示してやらないと。

 

 それにしてもすごい気の質と量だと思う。武術の達人はみんなこうなんだろうか? 体温も高くていい感じに温かい。

 抱き着いた時の反応も普通の時と違って新鮮だったし、これからもたまにやってあげようかな。

 

 あ、そう言えばサルンガの矢、どうしよう?

 

 

 

 △月×日(土に汚れている)

 

 今日も今日とて森の中。

 もう何日になるだろう。ヴァナラたちはしつこく周囲の森を探索している。

 彼らの鋭敏な知覚には、仙術や妖術による惑わしも破られやすい。入り組んだ森の中だからこそこうして潜んでいられるのだけれども、いいかげんどうにかしなくては暇で暇で仕方がない。

 食料は私がたまに、修太郎が大体いつも動物を狩ったり山菜を採ったりして確保しているから困らない。でもやっぱり温かい寝床が恋しい。

 

 しかし圏境、便利だ。

 自然と一体化する気配隠蔽、と言うよりも相手の認識から外れる技は、たとえ目の前に近づかれても勘が良くないとほぼ気付かれない。

 流石に戦闘中に行うことまでは出来ないらしい。それでも十分規格外だ。仙術で再現できそうな気がするんだけど、今のところ成功しない。まさしく人体の神秘ってやつね。

 ヴァナラの知覚も捉えきれないみたいだし、修太郎一人なら簡単に包囲から逃げられるはずなのに、それをしないのは出会った時の言葉を守ってるから?

 バカだなと思うけど、結局私も甘えてしまってる状況がある。

 

 うーん、どうしましょ、これ。

 

 最初はこんな予定じゃなかったんだけど。もう1年以上一緒にいるなんて想定外も想定外。

 今更別れるのもなぁ……。なんだかんだで色々な場所を旅するのは気楽でいい。やっぱり飼い猫は性に合わないもの。

 うん、連れの一人や二人いたっていいわよね!

 

 

 

 △月*日

 

 見つかった。

 ラーマの子孫が直接やってきて、あっちの持つサルンガの弓とこっちが持つ矢を共鳴させたらしい。

 だからそこらへんに捨てておけって言ったのに、まったく修太郎ってば真面目なんだから!

 

 開幕ブラフマーストラの雨に、避けまくる私たち。自然保護とか考えないのかしらあのファッキン英雄。

 でもまあ、今までの日々で何の対策も練っていなかったなんてことは無く、あらかじめ用意していた改良型転送魔法陣で修太郎を子ラーマの目の前に転移させた。手間と時間をかけた甲斐あって見事成功! さすが私ね、褒めてもいいのよ?

 

 でもそこはやっぱり英雄の子孫、即座に弓を捨てて剣で応戦を始めたんだけど、相手はある意味剣士の天敵。

 対剣士トラウマ量産の剣技カウンターで見事勝利を収めた。残るヴァナラ程度じゃ私たちの相手にならないし、これでやっと穏やかな交渉の場が整った。

 個人的にはもう交渉なんてしなくてもいいとは思うけどね。

 

 とりあえずサルンガの矢を返したら目を丸くして驚かれた。

 それでもってやっと誤解が解けたんだけど、私たちも相手も交渉事苦手よね、ほんと。

 誤解を謝る相手はお詫びに宴会を開きもてなしたい、なんて申し出てきたから、美味しい料理に飢えていた私は一も二も無く了承した。修太郎も文句は無いみたいだった。やったー!

 それで今は人間に変装したヴァナラが運転するキャンピングカーの中にいる。意外と近代的なのね。

 

 そう言えば、男だと思ってた子ラーマは実は女だった。

 男装の麗人ってやつかしら? 車の中で終始修太郎にチラチラ視線を向けていたけど、これはもしかして?

 

 ……複雑だわー、めっちゃ複雑だわー、これをネタにからかおうなんて思ってないわー、ブラフマーストラが掠りかけた事なんてなんて根に持ってないわー。

 あー料理楽しみ。

 

 

 

 △月#日

 

 料理は美味しかった。

 野性動物を捌いて新鮮な肉を焼いて食べるのもそれはそれで悪くないけど、やっぱりちゃんとした料理人が作ったものは格が違う。

 私自身が分量測ったり、そういう作業が苦手だから料理をおいしく作れる人は素直に尊敬する。理論より感覚派だもの、私。きっとそういうのは白音の方が向いている。元気かなぁ……白音。

 

 それはさておき、子ラーマだ。ヴァナラたちの住処である異界、キシュキンダーに私たちは滞在している。ヴァナラたちは複雑みたいだけど、出ていこうとしたら子ラーマに引き留められたんだから仕方ないね。

 

 なんでも子ラーマはそこで最強の戦士であるらしい。半神英雄の血をひき、神々の加護も得て、練度が低いながらブラフマーストラも使える。っていうかあれで練度低いんだ梵天砲。

 そんなものだから今まで自分より強い男に出会ったことが無かったらしく……まあ当たり前よね。初めて自分を打ち負かした修太郎に興味津々らしい。からかったら顔真っ赤にしてブラフマーストラ放とうとしてきた。解せぬ。

 それで事あるごとに白兵戦で再戦を申し出てはぶっ飛ばされている。一応相手は女なんだから、修太郎ってば手加減くらいしたらどうなの? 私としてはもっとやってくれてもいいんだけど。

 

 その当の修太郎はキシュキンダーで出会った聖仙から何やら指導を受けていた。

 チャクラの極意とかなんとか。ヨーガ、つまりはインド流の仙術って言った方が解りやすいかしら?

 チャクラは人間の会陰から頭頂にかけて脊椎を通り全部で7つある霊的器官で、それを開き利用することで術者の念と気を高位に押し上げ神秘的な力を獲得することができる。いわゆるところの超能力ね。

 

 実際、修太郎には仙術の才能はあるのかしら? 実はそこらへんがよく分からない。

 闘気は使える。気は練れる。身体強化は人並み以上に使いこなせているみたいだけど、闘仙勝仏の修行を経ても相手の気脈を乱したりなんてことは出来なかった。

 感覚的な才能はあるんだろう。でも他者への干渉が苦手と言うか、自分の外から力を取り入れたり、力を放出したりする能力・機能に欠けている。殺気はものすごいのが放てるんだけどね。

 

 振り返れば闘気の質に比べて随分と外に出ている分の密度が薄いと思った。修太郎の実力なら本来はもっと高い防御力がある筈だもの。多分、内と外の密度が違い過ぎて戦闘中も本気で動けていないんじゃない?

 そう思うと改めて化け物みたいだ。まだ伸びしろがあるなんて。

 

 チャクラの修行には長い時間が必要みたいだったから、私は私で適当にキシュキンダーにあった文献をあさって神々のマントラについて調べてみた。

 さすがに完全習得は難しいけど、インドとか中国とか、そこらへんの術って小難しい理論より感覚的なものが多いから助かる。

 子ラーマを口車に乗せてブラフマーストラのマントラも少しだけ聞くことができたし、ちょっとめんどいけど少なくとも暇はしなさそう。

 強要されるのは嫌だけど、こうして力を手に入れる感覚は好きだ。

 

 食べ物も美味しいし、キシュキンダー、いいところね。

 

 

 

 □月×日

 

 久しぶりの日記。半年ぐらい?

 うーん、なんだか負けた気分。

 今日、子ラーマが修太郎に手料理をふるまっているのを見た。それで、ちらりとこっちを見てきた子ラーマが鼻で笑ってきたから私も腹が立って料理を作ってみたんだけど……。

 うん、黒い塊が出来た。やっぱレシピなしで目分量じゃ無理があったかしら。……無理しかないわね。

 仕方がないからそこら辺のヴァナラに食わせて気絶したのを見届けた後、マントラ習得ついでに料理本に目を通している。

 

 あ、別に子ラーマの料理は美味しい訳じゃなかったみたい。あの後修太郎を見れば珍しく調子悪そうだったし、子ラーマも申し訳なさそうな雰囲気だったし。

 やっぱり今まで戦闘漬けだった人間が無理するもんじゃないってことね。ま、私は私で見返してあげるつもりだけど?

 そうよね、いずれ子供を産んで育てるなら、家事ぐらいこなせるようにならないと!

 

 

 

 □月△日

 

 このまま穏やかに過ごしてインドを去るかと思ってたけど、どうやらそう都合よくはいかない訳で。

 なんだっけ、『禍つの団(カオス・ブリゲート)』? そう名乗るやつらがキシュキンダーに襲撃してきた。場末の盗賊団か何かかしら?

 

 襲撃って言ってもそう大きなものじゃなく、子ラーマとサルンガセットを誘拐していったのだ。

 あの子ラーマを? うっそぉ? なんて思ったけど、知らない仲じゃないし気になったから、修太郎と一緒にヴァナラたちと追跡してみれば本当にさらわれてた。薬か呪いでも受けたのか、ぐったりして力が発揮できないみたいだった。

 子ラーマってお姫様ってよりはどっちかと言うと王子様なもんだから違和感バリバリ。思わず吹き出したらすっごい睨まれた。ごめん。

 

 サルンガの矢を盗み出したのもこいつらだったらしい。顔は覚えていなかったけど、相手がこっちを見て騒いでたからそうなんだろう。

 さらわれるまで気付かれなかったことを考えれば、こいつらは相当隠密能力が高い。というのも、相手はその大半が神器使いだったから。

 神器(セイクリッド・ギア)って反則臭いわよね。単一能力しか持たないものが大半だけど、その分特化してるからかなり厄介。

 

 でもまあ、それだけなら正直私たちの相手にならない。見つけた時点で相手の目論見はほとんど崩壊している。

 だから相手は切り札を使ってきた。

 と言うか、誘い出されたのは私たちの方だった。子ラーマたちを見つけた場所には、古代のアスラが封じられていたのだ。

 

 名前は知らないけど、三面六臂の巨大鬼神は凄まじいパワーでキシュキンダーに襲い掛かった。

 ヴァナラたちも応戦したんだけど、多少の攻撃はオーラの防御で弾かれて全然通らない。

 修太郎はどうやら子ラーマを助けに向かったみたいで、この場を私に任せて走って行った。結局、私一人でアスラを相手取ることになった。ま、暴れるのも久しぶりだし別に嫌じゃなかったけどね。

 

 どうせなら新技を試してみようと色々撃ってみた。

 倶利伽羅剣の破邪の黒炎や、仙術で地脈の気を操っての地形攻撃、マントラを乗せた魔力妖力ミックス波動、極大重力場×3による多重圧殺攻撃etc……。

 結構いい出来の技たちだったんだけど、これが中々倒れない。怒りで我を忘れて痛みを感じていないようで、すごいタフネスで耐えてきた。

 相手の攻撃もかなり激しくて、ちょっとでも油断すれば即消し炭になりそうだった。

 

 多分このままいけば勝てるけど、それじゃあキシュキンダーが滅茶苦茶になってしまう。

 なんだかんだで愛着がわいた土地だから、どうしたものかと悩んでいると、すぐ横を通る梵天砲。

 そちらを見れば子ラーマと修太郎。間一髪矢が当たらなかった私に、子ラーマの舌打ちが聞こえた気がする。さっき笑ったことの仕返しかあのアマ……!

 

 とにかく形勢逆転、あとは多く語るまい。

 アスラは修太郎に手足を切り裂かれ、私の炎にオーラを吹き飛ばされ、そしてサルンガの矢に穿たれて消滅した。

 ついでにキシュキンダーも半壊した。何故に。

 

 原因は最後に放ったサルンガの矢。

 子ラーマが調子に乗ってサルンガの矢でブラフマーストラを使ったものだから、元々練度が低かったこともあって制御しきれなかった太陽のエネルギーが凄まじい余波をまき散らしたのだ。

 幸い私の奮戦もあって既に避難は完了していたので、人的被害は無かったからよかったものの、こいつ意外にドジっ子である。いや、この半年以上の付き合いでわかってたんだけど。

 

 って言うかもうこの娘、修太郎にベタ惚れよね。バラ色の瞳をキラキラ輝かせていちいち頬を赤くしている。はっ、似合わないわー。

 確かに慣れれば顔も悪くないし、背も高いし強いしスペックはかなりのものだけど、性格的には恋人向きじゃないわよ? 絶対。

 羞恥心は無いわデリカシーは無いわ自分の命の危機を無視するわ割と後先考えないわ修行マニアの剣術バカだわ、真面目だけど紳士には程遠いし、付き合う方として見れば危なっかしくて仕方がない。

 

 あれ、なんで私そんなのと一緒にいるのかしら?

 別に修太郎との約束に私が付き合う必要はまったくないのよね。……うーん、今更だからいいか。

 

 ともあれ、キシュキンダーを復興しなくちゃいけないんだけど、ぶっちゃけ私たちに出来ることはほとんどない。

 地脈の気は聖仙が整えられるし、土木建築は専門のヴァナラがいるし、備蓄食料も微妙な今、正直私たち邪魔になってる。

 それぞれの修行も一区切りついててちょうど頃合いだったから、この機会に旅へと戻ることにした。資金? 禍つの団とやら美味しいです。

 

 やっぱりと言うべきか子ラーマは渋っていたけど、いい具合に修太郎が説得していた。

 なんでも次に会った時ブラフマーストラ無しで修太郎に勝てたらなんでも言うことを聞いてやる、みたいな話になった。

 梵天砲無し? 無理無理。まあやる気を削ぐのもアレなので黙っておいた。

 

 それでヴァナラのキャンピングカーで空港まで送ってもらって、今に至る。

 さて、次は何処に行こう。どうせなら料理がおいしいところがいいな。イタリア料理とかフランス料理とか食べてみたいかも。

 でもあそこって天使勢力の真っ只中だったりするのよね。本気で隠れれば何とかなるだろうけど。

 

 資金不足が無いように仕事も探さないと、なんて修太郎と相談する。

 ほんと、私たちに何ができるのかしらね? 日本じゃもうすぐ成人になる年齢だもの、適当に生きるだけじゃダメかしら?

 でもこいつと一緒だと大抵のことは何とかなる気がするから不思議。

 

 うん。ま、これからも何とかなるでしょ。

 

 

 

 

 ――!!

 ――気が付くと、背後に誰かの息遣いを感じた。

 ――振り向けば目つきの凶悪な男性が一人、座って本を読んでいる。

 ――圏境。今の今まで気付かなかったあなたは、抗議するように男を見る。

 ――あなたの視線を受けた男は「盗み見もほどほどに」とあなたの白い髪を撫で、自分の部屋に戻っていった。

 ――なんだか色々と気勢が削がれたあなたは日記帳を元の場所に戻す。

 ――時計を確認すれば予定の時間に近づいていたので大人しくそこを後にした。

 

 

 




眷属加入時の小猫が大体11歳として(木場が12歳くらいだったはず)、15歳でまだ未成熟。
逃亡した黒歌がすでに成熟した猫魈ならその時の年齢は大体17・18歳くらい?
原作本編がその4年後だから今の黒歌は21・22歳ぐらいでしょうかね。
小猫が発育遅いのならその限りじゃないですが、この作品では大体そんな計算でやってます。
何か矛盾点や誤字、アドバイスがあったら指摘よろしくお願いします。


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第九話:北欧旅行記~その6~

 アースガルズは男神の住処、グラズヘイム中央広場。今現在そこには大勢の神、そしてそれに仕える人々が集まっていた。

 理由は昨夜北欧の異界を震撼させた破壊術法ブラフマーストラ、その下手人であるはぐれ悪魔・黒歌の公開処罰だ。

 

「皆の者よ、聞け! この悪魔は神界を襲撃しただけでは飽き足らず、おこがましくも主神の戒めより脱し、我らが管理する異界に災いの火を落とした狼藉者である!!」

 

 多数の魔法陣によって空中に拘束された黒歌。その横には黒ローブの優男、悪神ロキ。

 突貫工事で設けられた祭壇の上、屈強なヴァルハラの戦士たちが警備する中での演説だった。

 

「昨今アースガルズを賑やかす忌々しきウートガルザ・ロキに続く一大事、北欧の地にて放たれた梵天の一撃を我らは放置するわけにはいかん! よって、この場でこの悪魔を処罰する!」

 

 ロキが漆黒のローブを翻すと、それを合図にヴァルハラの戦士たちが道を開ける。巨大な斧を持った処刑執行者がそこを通り、そして場が整った。

 

「この決定に異論あるならば意見せよ!」

 

 形式だけの確認を行えば、あとは厳かに処罰が行われるのみ。

 そのはずだった。

 

「異論ならば、ある」

 

 その場の視線が一点に集まる。

 広場の入り口、折り重なる戦士たちの姿がある。皆一様に呻き倒れ、完全に無力化されていた。

 その上に立つ男が一人。長身痩躯をヴァルハラの戦士が着用する平服に包み、黒塗りの鞘に緋色の太刀を携える。双眸鋭く刃が如し、漆黒の髪が気迫に揺れれば、稀代の剣鬼・暮修太郎ここに在り。

 

「ほう、あの拘束から抜け出したか。武器まで取り戻すとはやはり侮れない剣士だな。……だが!」

 

 ロキが手を振り上げれば、数多の戦士が修太郎を包囲する。ヴァルハラに住む歴戦の戦士だけではなく、半神の魔法戦士・ヴァルキリーの姿も見えた。

 

「予想はしていた。我を甘く見るなよ、剣士」

 

「修太郎、逃げて! こいつらだけならともかく、神が相手じゃ無理だにゃん!」

 

 全身を封じられながらも警告する健気な猫に、しかし暮修太郎と言う人物は話を聞くような男ではない。

 起こりの見えぬ踏込で一息にトップスピードまで加速すると、戦士の集団へと飛び込んだ。

 

「かかれっ!」

 

 同時にかかるロキの号令に動き出す戦士たちだったが、その一瞬で数人が吹き飛ばされる。

 修太郎の剣はその一撃一撃が秘剣と同等の冴えを見せる。閃光しか残さない超速の斬撃は、その剣圧だけで刃の間合いを倍以上にまで伸長させる。かつてキマイラの纏う粘体を吹き飛ばし、クラーケンの触手を切り裂いたからくりがそれだ。

 示現流が神速の奥義――『雲耀の太刀』。

 巨体を一刀の下斬り捨てる魔技『落峰の太刀』もそうだが、その一歩手前に迫る破格の斬撃を常に放てる技量こそ、修太郎の異名を『魔剣』足らしめる要素の一つでもあった。

 

 割断の風は峰を返しているが故に暴力的なまでの衝撃波として顕現する。

 一振りで一人沈み、あるいは吹き飛び、昏倒していく。抗う術などない、それはまさしく災害だった。

 修太郎は人である。究極的な技量を持つ、非常識的な人間である。それ故に人の動きを知り、そして読む。彼の戦術眼は圧倒的多勢の中に在ってさえ常に数手先まで見通す魔眼でもあった。

 

 彼にとって自らの技量を下回る相手などとるに足らない。隙を見つけ、あるいは作り、そしてそこを突く。人型であるというただそれだけでほとんど全ての動きを把握でき、その弱点を知ることができるのだから、実に簡単な作業である。

 白兵戦と言う領域で彼と正面切ってまともにやりあえる存在は、同等の技量を持つ者を除けば神々などの純粋に彼を超える地力を持つ者か、あるいは強大な力を持つ化け物ぐらいのものだろう。

 これが現在過去未来における一族最強、ひいては日の本最強の剣士が持つ実力。

 

 つまり、ヴァルハラの戦士や並のヴァルキリーごときでは相手にもならない。

 十秒と経たずにほぼ全滅し、山と積み重なって倒れ伏した。

 

「予想はしていたが、まさかこれほどとは……。しかしはたしてその剣、神に届くかな?」

 

 悪神ロキが前へ出る。修太郎の速度を警戒して展開された多重防御障壁は、魔王級の魔力波動さえ遮る重装甲。その手で編み出される千変万化の術式で以って、人間程度いくらでも微塵に吹き飛ばせるだろう。

 たとえ見てくれは優男にしか見えなくとも、決して油断できるような相手ではない。

 

 ロキの全身を覆う魔法陣から魔術の光が放たれる。

 同時に走り出した修太郎がそれを振り切り突破すれば、悪神の腕から発せられた壁状の暴圧が襲いかかった。瞬時に放たれた銀花の斬撃が風圧を断ち割り、彼我の距離を一瞬で縮める。

 瞬きの間に幾重にも風を放つ。ロキの正面から上半身のひねりだけで数十、すれ違いざまにさらに幾十の斬撃が、防御魔法陣と激突し火花を散らせた。

 

「む、これはっ! 近接では対応できんな!」

 

 城壁レベルの堅固さを持つ防護が一瞬のうちに数枚持っていかれ、たまらず空に逃げるロキ。

 それを認めた修太郎は、超人的な跳躍の術で飛び掛かり――――そのまま通り過ぎた。

 

 にやりと笑い、見送る悪神。

 迷いなく跳ぶ剣鬼。

 

『――――ッ!?』

 

 それに驚いたのは誰だったか。

 振りぬかれた緋色の刃が"何もないはず"の空間を断てば、隠れていたモノが姿を見せた。

 不敵に微笑むロキが一言。

 

「見つけたぞ、ウートガルザ・ロキ」

 

 

 

 

 

 

                   ―○●○―

 

 

 

 

 

 修太郎がオーディンから受けた話はこうであった。

 

『幻術結界破壊時、わずかに姿を確認できたのを最後にウートガルザ・ロキが見つからない。なので、囮として一芝居売ってくれ。』

 

 故に黒歌の公開処罰を装うこととなった。

 

「それが罠とわかっていようが奴は必ず見にやってくる。愉快衝動が形になったかのような存在だ、猿芝居でも笑いに来るだろうさ。そもそも自分の幻術が見破られるなど欠片も予想していないに違いないからな。だからこそ、そこが狙い目だ」

 

 発案者であるロキの言だ。

 修太郎へとオーディンは続ける。

 

「それにはお主の協力が必要不可欠じゃ。この中で唯一、ウートガルザ・ロキの幻を見破ったお主の力がのう」

 

 確かに、修太郎はウートガルザ・ロキの誇る神々すら騙す幻術にかからなかった。それは修太郎が彼の女神と交わした誓約に起因する。

 ゲッシュにより、修太郎はいくつかの制限を受ける代わりに加護が与えられている。

 一つが『異性と交わってはならない』代わりに『いかなる状況にあっても欲情しない』加護。もう一つが『姿を見せずに不意を討ってはならず』『飛び道具を使ってはならない』代わりに『あらゆる魔法的な幻惑を見破ることができる』加護。

 

 修太郎の目にはウートガルザ・ロキが通常通り見えるのだ。別空間などに身を隠していれば話は違って来るが、単純に幻術で隠れただけなら即座に看破できる。

 これは、修太郎に加護を与えた存在が魔術師としてウートガルザ・ロキと同等ないし上の腕前を持っているがためである。

 

 見事ウートガルザ・ロキの身柄を確保できたなら、結界を破壊した黒歌だけでなく修太郎にも褒賞が与えられるらしい。

 今から巨人王を嵌めることに想いを馳せてか、凄まじく楽しそうな表情のロキが印象に残った。かねてより相当腹に据えかねていたのだろう。

 

 かくして、修太郎は神々と協力して巨人王を捕えることになったのだ。

 

 

 

 

 

 

                   ―○●○―

 

 

 

 

 

 

「ちいっ! 嵌められたってわけかよファッキン!!」

 

 防護術式で修太郎の刃を弾いたはいいが、そのせいで集中を欠いたのだろう。

 グラズヘイム中央広場上空にてその姿を現したウートガルザ・ロキは悪態を吐く。

 同時に仕掛けが発動した。隔離結界が天幕の如く広場を覆う。修太郎に倒されていたはずの戦士たちが風船のように膨れて弾け、中からオーディンと巨躯の神、黒い鎧のヴァルキリー、そしてロスヴァイセが現れた。

 

「年貢の納め時と言う奴じゃな、巨人王ウートガルザ・ロキよ」

 

 オーディンがグングニルの切っ先で上空の巨人を指す。その横に立つ巨体の神は、北欧最強の神・雷神トールだ。

 

「おいおい、トールの野郎まで連れてくるってこたァ、こりゃ本気だな、神様がた。――――だが!」

 

 巨人王が指を鳴らすと魔法力がプリズムと散る。鏡のように光を乱反射させながら、ウートガルザ・ロキの気配も姿も覆い隠し――――。

 魔術を展開する巨人王の上空に、突如転移魔法陣が出現。

 

「はじめましてこんにちは! セクシーラブリーマジカルキャット! 黒歌ちゃんの登場にゃん♪」

 

 飛び出してきたのは仙猫・黒歌。魔法で拘束されていた方は彼女の使い魔である黒猫が化けた姿だった。転移と同時に倶利伽羅剣から吹き出る破邪の黒炎がウートガルザ・ロキに放たれる。

 

「猫!? ちっ、この炎はっ!!」

 

 三毒焼き払う浄化の黒炎が魔法の術式そのものを燃やしつくす。悪意を持って紡がれたのなら尚更、ウートガルザ・ロキの張った幻術光は瞬く間に灰と消えた。

 

「なら!」

 

 手を合わせて音を鳴らすとその場に居合わせた全員の視界が急激に歪み、世界が崩れる光景だけが映る。平衡感覚を狂わせ、術式構築を邪魔する幻の迷宮だ。

 流石と言うべきか、幻術を極めたと豪語する巨人王の腕前は凄まじい。オーディンたちは完全に敵を見失った。

 しかし。

 

「効かないと言っている」

 

 この場この時ただ一人、それを無視できる男がいる。

 巨人王の眼前に跳躍した修太郎が無数の斬撃雨を降らせれば、その身を覆う防護術式が火花を上げて砕け散る。そしてそのまま下半身を捻り蹴撃、驚く巨人王を地に叩き付けた。

 解放された勁力にむせるウートガルザ・ロキは、場に展開した幻を維持できなくなる。

 

「ほう、危ないのう。まっこと油断ならん相手じゃて。しかしどうやらここまでのようじゃのう」

 

「はたして本当にそうかな?」

 

 追い詰められた状況にあってなお不敵に笑うウートガルザ・ロキ。その指で上空を示せば、小さな転移魔法陣が一つ発生する。

 

「受け止めてみろよ」

 

 はたして落ちてきたのは一匹の太った猫だ。まっすぐに神々の下へ降ってくる。

 疑問符を浮かべる神たちに、焦ったのは修太郎一人。

 

「オーディン殿、ドラゴンだ! とてつもなくでかい!!」

 

 それに感づいたのは雷神トール。

 

()()ミドガルズオルムか!! くそっ、来いやぁ!!」

 

 力帯(メギンギョルズ)を締め直し、北欧最強の神は見事それを受け止めた。同時に広場全体が大きく陥没。間一髪難を逃れたオーディンたちはともかく、トールは身動きを封じられてしまう。

 

「貴様……! よくも我が息子を勝手に変身させ、あまつさえ召喚したものだな……!」

 

「長らく放置したままだったくせに今更になって父親面すんなよ、なァ? そうら、次だァ! 野火(ロギ)思考(フギ)老い(エリ)だぞ! 懐かしいだろう!!」

 

 怒りに燃えるロキへと巨人王は三つの影を放つ。炎の化身(ロギ)がロキの魔法攻撃を悉く燃やし、思考の速さ(フギ)が攪乱し、そして寄る年波(エリ)の圧力が動きを封じた。

 

「ぐうっ……貴様……!」

 

「大人しく這い蹲ってろよ、悪神さま」

 

 巨人王ウートガルザ・ロキ。この男、幻術だけではない。瞬く間の内に二柱の神を封じた手腕は、なるほどかなりの実力を窺わせた。

 残る神は主神オーディンのみ。油断なく隻眼を光らせる神は、グングニルを振りかざし術式を構築する。

 

「覚悟するがいい、巨人王よ」

 

 無数の光弾と光の鎖が巨人王へと殺到する。槍を投げては殺してしまうが故にとった手段であるが、軽く数千を超える数の魔法攻撃はヴァルキリーなどとは比べ物にならない領域の技だ。

 幻を作る暇も無いだろう高速展開に、逃げ場のない広範囲攻撃と来れば迎撃するより他に出来ることは無い。

 多重魔法防壁を巧みに配置して光弾を逸らし、鎖を弾いていく巨人王だが、どうやら魔術戦においてはオーディンが一枚も二枚も上回っている。

 

「ぐぅっ……!」

 

 たまらず飛び退ろうとするウートガルザ・ロキ。しかし、その逃げる先には黒い鎧のヴァルキリーが佇んでいた。

 

「――巨人王ウートガルザ・ロキさま、不肖この私、ヴァルキリーのジークルーネが足止めさせていただきます」

 

 その手に携えた槍を巨人王へと向ければ、地を走る炎が彼を取り囲んだ。

 

「我が槍先を恐れる者――この炎、越すこと許さぬ」

 

 突如として出現した呪縛結界は巨人王の動きを刹那、完全に縫い止める。そしてその隙を逃す主神ではない。

 

「終わりじゃな」

 

 オーディンが槍の石突きで地を叩くと、巨人王の足元から光の縛鎖が立ち上る。そのまま体に絡み付けば、下手人を地に縛り付けた。

 倒れ伏す巨人王は悔しさここに極まれりとでも言うように主神を睨みつけ――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――はーっはっはっはっは!!」

 

 巨人王の哄笑が辺りに響く。

 耳を叩く不愉快な声に、主神の足元、魔法の鎖で動きを封じ込められた修太郎は苦々しげな視線を向けた。

 

「なんだか知らんが確かにィ? あんたにゃおれの幻が効かないんだろうがァ? 他の奴らは普通にハマっちまうんだよねェ、これが! 今はあんたが“地に倒れ伏すウートガルザ・ロキ”って寸法さ。結構いい線までいってたと思うけど、一手足りなかったなァ?」

 

 主神が魔法を展開するより前に幻で自身と修太郎の姿を入れ替えたウートガルザ・ロキは、中空で腕を一振りすると、生み出した複数の魔法陣を起動させる。それと同時、彼の後方に位置する隔離結界の壁に亀裂が入り、逃げ道を作った。

 

「ははっ、いや面白かったわ。久しぶりに焦ったがねェ。とはいえ今回はここまでかね。悪いがおさらば、あんたとはもう会うこともなかろうよ」

 

 ふはははははっ、と最期に一笑いし、包囲より逃げ去ろうとする巨人王。

 しかし。

 

「それはまったくダメダメよ。もう少しゆっくりしていきなさいな」

 

 女の声がそれを遮る。

 倶利伽羅剣より迸る黒い炎の龍が巨人王と修太郎の間を通り過ぎれば、巻き上がる火の粉が周辺空間に施された幻惑の術式を駆逐する。

 

「このクソ猫が……ッ! 何故おれの幻に騙されないッ!」

 

「幻術に通じてるのは何も自分一人じゃなかったってことにゃん。仙術でも妖術でも、幻惑は基本で十八番なのよ? 第一、この私がシュウの気を間違えるはずがないでしょ?」

 

「惚気かよッ! ちっ、これだから東洋の術ってやつは!!」

 

 悪態を吐く巨人王だが、周囲を見れば主神オーディンに黒鎧の戦乙女ジークルーネ、そして解放された修太郎が自身を包囲していることに気付く。

 

「放っておくと何するかわからないから、ちょっと痛い目みてもらうにゃん♪ 覚悟しなさい」

 

 黒歌が天空に手をかざすと、漆黒の球体がウートガルザ・ロキの上下四方に発生。互いに引き合う極大重力場に挟まって、必然巨人はその動きを封じられる。

 

「おおおおっ!? くそッ、動けん!!」

 

 そうして六つの黒球が重なり合えば、甲高い吸引音の後に爆散した。

 後に残ったのは強重力で歪んだ空間と、地に落ちる一つの人影。しかしそれはウートガルザ・ロキではなかった。

 

「なんと、これは……!」

 

「身代わり人形……。逃げられましたね」

 

 ここまで来てまだ逃げる手段を隠し持っているとは、真に油断ならない奴である。

 策の失敗を認識したオーディンたちは落胆する。

 

「こうなっては二度とあやつを捕まえる機会は無いのう……。うーむ、どうしたものか」

 

「いえオーディン殿、まだわかりません」

 

「ふむ? なんぞ他の仕掛けなんて施してあったかのう?」

 

 オーディンの疑問にいつもの無表情で返す修太郎。

 

「あれを心底恨んでいる人物はまだいると言うことです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はあっはあっはあっ……」

 

 グラズヘイムの一角、薄暗い通路に寄り掛かるように歩く男の姿がある。

 悪辣なる巨人王ウートガルザ・ロキだ。

 未だかつてない窮地より、神格に匹敵する魔法力をほとんど使い果たしての逃避行。まさかあのひどく出鱈目な剣士だけでなく、忌々しい黒猫にさえ自身が誇る幻術が破られるとは。

 黒いローブは襤褸のように変わり果て、傷だらけの姿は浮浪者か何かのようだ。敗北感に怒りが湧く。歪んだ表情は常に張り付けた嘲笑の面影すらなく、その目は負の感情に燃えていた。

 

「くそがッ……。あのまま大人しく引き下がろうと思っていたが、ここまでくりゃもうヤメだ。起こしてやるぞ。黄昏だ」

 

 フェンリルを解放しスルトをけしかけ、何もかもをぶち壊してやる――湧き上がる憎悪と策略は留まるところを知らないが、ひとまずは体力と魔法力の回復に努めるべきだ。

 通路の影に寄り掛かり息を整えていれば、ふと誰かの足音が聞こえる。

 グラズヘイムに詰める使用人か? それとも神々の誰かか?

 ともあれ今の巨人王はなけなしの魔法力で行使した幻術により、自身を背景と一体化させている。それでも並の神格では見抜けないという自信があった。

 

 訪れた人影ははたして巨人王の知る者だった。

 流れる銀糸の髪は麗しく、長身を煌びやかな鎧で包んだ美しい乙女。

 容姿だけなら三国轟かす美姫に匹敵するだろう少女の名は戦乙女ロスヴァイセ。いつの間にか戦場に見かけないと思っていたら、こんなところで何をしているのか。

 常であれば凛とした表情の視線は絶対零度。目元にできた隈を隠すことも無く、その瞳でウートガルザ・ロキがいる空間を睨んだ。

 

「そこにいるのでしょう、巨人王ウートガルザ・ロキ」

 

 何故ばれたのか、ウートガルザ・ロキにはわからない。わからないがしかし、この戦乙女が完全にこちらを捉えていることを巨人の王は一瞬で理解した。

 

「私はあなたを五感だけで追いかけることは諦めました。わかりますか? レーダーです。修太郎さんに頼んであなたに発信術式を付けてもらいました」

 

 ――あの時の蹴りか!

 内心で驚く巨人王。傷ついた体で戦乙女より後ずさる。

 

「もう逃がしませんよ巨人王。今ここで私に幻をかけないことこそ、あなたがかつてないほど弱まっている証拠。そして受けなさい、我が怒りの一撃を」

 

 足元に展開した魔法陣で加速したロスヴァイセは、助走の勢いそのまま巨人王の顔面があるだろう場所を殴りつける。

 

「ぶっふおぉッ!?」

 

 頑丈な篭手に覆われた拳はそれだけで凶器だ。さらに捻りも加えれば、脳を揺らす一撃がウートガルザ・ロキの意識を寸断させる。口から血をまき散らしながら吹き飛ぶ巨人は、既に幻を纏っていない。

 通路を出て中庭に飛び出る。

 おもむろにロスヴァイセの周囲に展開された魔法陣より光の矢が降り注ぐ。その全てが対象へと突き刺さり、巻き起こる爆発が巨人を上空へと舞い上げた。

 

「その身に刻めッ!!」

 

 烈迫の気合いと共に三本の光槍がウートガルザ・ロキを宙に縫い付ける。

 同時にロスヴァイセの背後に術式の翼が展開されれば、右手に彼女の全攻性魔術が統一された魔法の極光槍が生み出される。

 世界樹ユグドラシルに蓄積された知識より徹夜で組み上げた、これぞ戦乙女の決戦術式(ファイナリティ)

 

「ちょ……謝るから、やめ……」

 

「問答無用ッ!! 受けろ、神技!!」

 

 放たれた術式の槍が秘める威力は先日クラーケンに放った即席大魔法すら遥かに凌ぐ。

 空間を貫く鋭さは衝撃波すら発生させない。まさしく乾坤一擲、極光の槍は巨人王を貫き彼方まで。被弾と同時、巨人王の周囲に発生したエーテルの燐光がしばしの時間をおいて収束し――――。

 

「成敗ッ!!」

 

「ぬわ―――――――――――――ッ!!」

 

 青い閃光と共に大爆発。

 

 乙女の神罰ここに完遂。

 実に恐ろしきは女の執念か、巨人王ウートガルザ・ロキはこうしてお縄に付いた。

 

 

 

 

 

 

                   ―○●○―

 

 

 

 

 

 

「ふぅ……」

 

 消し炭一歩手前の状態となった巨人王を縛り上げ、すっきりした顔で額の汗をぬぐうロスヴァイセ。あの術式は強力無比だが、消耗はそれ相応に激しい。

 

「ロスヴァイセよ」

 

 そこへ現れる主神オーディン。背後にロスヴァイセの先輩にあたる黒鎧のヴァルキリー・ジークルーネを控えての登場だ。

 

「あっ、オーディンさま。ウートガルザ・ロキは今捕縛しました」

 

「わかっておる。それよりも……」

 

 オーディンが彼女の背後を指で指し示す。

 その方向は主神住まう宮殿・ヴァーラスキャールヴのある場所だ。主神の動作に従って、ロスヴァイセは静かにそちらに目を向けた。

 

 美しき白銀の宮殿。

 主神の住処にふさわしき、至高の芸術品とも言えるそれが――――半壊している。

 

 北欧神話が主神オーディンのいと高き御座、白銀のヴァーラスキャールヴが、その半分を爆発で瓦礫に変えていた。

 

 ロスヴァイセの魔法で。

 

 ロスヴァイセの魔法で。

 

 ロスヴァイセの魔法で。

 

 さーっ、とロスヴァイセの顔から血の気が引く。

 オーディンの手が彼女の肩に置かれた。

 

 ぎぎぎ、とぎこちなく主神へと首を振り向かせた戦乙女の顔面は蒼白だ。目の端には既に涙さえある。

 

 ニコリと笑うオーディンだが、しかしその目は欠片たりとも笑っていない。

 そして、止めの一言。

 

「キミ、明日からここに来なくていいから」

 

 ロスヴァイセの目の前は真っ暗になった。

 

 

 




VP的な技で締め。作者的にヴァルキリーと言えばこれです。


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第十話:北欧旅行記~その終~

 

 ――ッオーライ、ッオーライ!

 ――その瓦礫はそっちだ! もたもたやってんじゃねえぞ!

 

 青空に男たちの声が響く。

 突如撃ち込まれた極大魔法によって半壊した銀の宮殿ヴァーラスキャールヴ。集められたヴァルハラの男衆と整地用の魔術を修めた使い手が、現在進行形で後片付けを行っている。おそらくこの後被害総額を計上し、神々の会議にて承認された後、修復に入るのだろう。果たして金額がいかほどになるものか、作業を眺める修太郎たちには予想もつかない。

 

「なんか別の場所に行くたびにこんな光景ばっか見てる気がするにゃー」

 

「仕方がない。戦ってばかりだからな」

 

 黒歌の言葉に修太郎は今までの戦いを思い出す。

 

 中国、インド、フランス、イギリス、スカイ島、そしてルーマニア……。ここアースガルズもそうだが、どこに行っても難敵揃いだった。

 修太郎たちが直接の原因ではないものも多いとはいえ、事後処理に奔走しただろう方々には足を向けて寝ることができない。

 同様のことを黒歌も思い浮かべているようで、目を細めて黄昏ている。

 

「それにしても波乱万丈よね。神滅具(ロンギヌス)持ちに神に伝説のドラゴンなんて内訳、ちょっと意味わかんないにゃー」

 

 もう慣れたけどねー、と言ってその場にしゃがみ込む黒歌。

 修太郎の非常識さを考えれば、類は友を呼ぶと言うことなのかもしれないと思っていた。

 

「この銀、魔法が込められてるみたい。一つ二つ持っていっちゃダメ?」

 

「やめておけ。ロスヴァイセに悪い」

 

 足元に転がっていた銀の欠片を懐に入れようとする黒歌を諌める。

 しかし、ロスヴァイセ。

 見事ウートガルザ・ロキを捕まえたはいいものの、まさかこんなことになるとは協力した修太郎もまったく予想していなかった。状況的には仕方ないとはいえ、隔離結界の内部であったならまだ被害も抑えられただろう。根本的に方向を確認していなかったのが悪いのだが、不憫だ。

 宮殿に施されていた防護障壁のおかげで奇跡的に人的被害はゼロだったのが幸いか。それにしても要塞レベルの強固なそれを貫いてここまで破壊するのだから、彼女の放った術式が秘めた威力は筆舌に尽くしがたい。

 

「そのロスヴァイセちゃんとはいったいどういう関係にゃん?」

 

 しゃがんだままの黒歌がじとりとした視線で見上げてくる。

 

「どうもこうも。映像で見ていたんだろう? 単純に助け合っただけの仲だ」

 

「ふーん、へーぇ……」

 

「他に何かあるのか?」

 

「それにしては気にしてるなーと思って」

 

 やけに棘のある口調だ。修太郎としてはそこまで非難されるようなことは何も無いと思っているのだが。

 

「あの島では彼女に随分助けられた。これで恩義を感じなければ人道にもとると言うものだ」

 

「本当にゃん? 綺麗だからとか可愛いからとか、そういうことじゃなくて?」

 

「確かに綺麗だとも、可愛いとも思うが……」

 

 戦乙女の姿を思い浮かべれば、風に流れ煌めく銀髪とメリハリの利いたスタイル、凛とした美貌が想起される。クールな見た目とは裏腹に小市民的なところが多分に見受けられるものの、ギャップと言えばそれはそれで味があるのではないだろうか。少なくとも修太郎は好ましいと思う。

 

「……むぅ。もー! もー!」

 

「おいなんだ痛いぞ、やめろ」

 

 立ち上がった黒歌がねこぱんちを放ってくる。

 闘仙勝仏の下で体術の指南を受けた彼女の拳は悪魔としての身体能力もあって中々の威力を持ち、しかも仙術でこちらの気脈を断ってこようとしてくる。常人なら即死するレベルの洒落にならない攻撃に、修太郎は気功の技術を総動員して内心必死に受け流した。

 

「なんでシュウってば、他の女についてだと素直にそういうこと言うにゃん!? 私にはあんまり言ってくれないのに!!」

 

 にゃーにゃーと怒りだす黒歌。なるほど、彼女は嫉妬しているのだ。

 

「なんだそんなことか」

 

「そんなこととは何にゃ!」

 

 憤慨する猫のぱんちを受け止める。

 

「今さらだろうそんなこと。何故俺がお前と今ここにいると思っている? あの時、あの場所で俺がお前を助けようと思ったのは、お前が美しかったからだ」

 

「――へ?」

 

「あの時は自分でも理由がわからなかったが、今ならわかる。お前という存在にとても強く惹かれたからこそ行動に移ったのだ。最も合う言葉を使うなら――そうだな、一目惚れ、と言う奴だろう」

 

「――――っ!?」

 

 一瞬目を丸くして修太郎を見つめた黒歌は、みるみる顔を真っ赤にしていく。

 

「も、もー! もー!」

 

「なんでだ!?」

 

 照れ隠しに掴まれていない方の手でねこぱんち。ちなみに仙術は使っていない。

 とても嬉しくはあったが、恥ずかしげも無くそんなことを言うこの剣術バカには腹が立つ。こんなの卑怯だ。悪魔のゲームで分類すればテクニックタイプになるとはいえ、会話にまで不意打ちを混ぜられてはたまったものではない。

 その内心を知る由も無い修太郎としてはいささか解せない。

 そんな男と女の下へ近づく影が一つ。

 

「おイチャつきのところ大変失礼いたしますが」

 

「にゃん!?」

 

 唐突にかけられた声に飛び上がる黒歌。修太郎は気付いていたので特に驚かない。

 そちらを見れば黒いスーツを着たヴァルキリーが立っている。今日付けで正式にオーディンのお付きとなった炎使いの戦乙女ジークルーネだ。

 燃えるような赤毛の短髪とやや鋭い目つき、凛々しい顔立ちは戦士としての戦乙女を如実に体現している。広場での立ち回りから、純粋な戦闘力ではおそらくロスヴァイセを上回るだろうと修太郎は見ていた。

 

「昼食の用意が出来ましたので食堂においでください」

 

 至極冷静にそう伝え、赤毛の戦乙女は宮殿の破壊されていない方へと歩を進めていく。ついて来いと言うことだろう。

 残された剣鬼と黒猫はしばしの間互いに顔を見合わせて、大人しく後に続くことにした。

 

 余談だが、修太郎と黒歌のやりとりを聞いていたヴァルハラの男衆たちは、殴るべき壁が無いのを理由に盛大に瓦礫を蹴り上げ、後で責任者に怒られたという。

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

「ほうほう、誓約(ゲッシュ)を破棄するためにケルトの女神を打倒する……か。なるほどのう」

 

 食堂にて昼食を済ませた修太郎たちは、約束通り褒美を受け取るべくオーディンの下を訪れていた。

 多くの魔術用品に囲まれたオーディンの執務室は強い魔法の匂いが漂う。修太郎の目は随所に施された隠蔽の魔術を見破っていたが、あえてそこに言及はしない。男には触れてほしくない部分もあるのだ。それにしても執務室に置いておくのはどうかと思うが。

 修太郎たち二人とオーディンは互いにテーブルを挟んで会話をしていた。

 巨人王捕縛に協力した報酬として、黒歌が求めたものは世界樹に存在する北欧魔術の知識、そして修太郎はドワーフの職人を紹介してもらうことを望み、オーディンがその理由を聞いたのだ。

 

「今まで自分にはこの刃一振りあれば十分だと思っていましたが、今回の一件で痛感しました。実用に耐えうる武器がもう一つ欲しいのです」

 

「確かにのう。神が相手であれば強力な武器はいくらあっても困るということは無いが……」

 

「あの女神は――スカアハ殿は凄まじく手強い。自分と、この黒歌だけでは現状一太刀浴びせることすら難しい」

 

 ケルト神話の女神にして魔女、アイルランドの光の御子クー・フーリンの師、影の国の女王スカアハ。修太郎に誓約を課し、縛った張本人だ。

 神代の時代より続けられた絶え間無い練武の末に、彼の女神が獲得した武力は桁違いの領域にある。地力では雷神トールやケルトの光明神ルーには及ばないだろうが、極まった技量と練り上げられた戦術、そして容赦の無さから生まれる圧倒的戦闘巧者としての実力はずば抜けている。要は「何としても勝利する方法」に長けているのだ。総合力で言えば十分に世界の強者十指へと食い込むだろう。

 

「ふむ、お主をしてそこまで言うほどか……。相分かった、紹介状を用意しよう。しかし、交渉はお主らの方で行うように。あと、手に入れた物を悪用してはならぬぞ。ドワーフの作る魔法の道具は強力だからのう」

 

「心得ております」

 

「うむ。それと黒歌よ、お主への報酬は既に用意してある。ほれ、受け取れい」

 

 オーディンが指を一振りすると黒歌の目の前に一冊の古びた本が転送された。

 

「北欧の主要な術式を収めた魔導書じゃ。流石に秘伝の魔術などは載っておらんが、上級魔術までなら網羅しておる。お主としては少し物足りんかもしれんがのう。本当は悪魔にこちらの知識を与えるなどやってはいかんことになっとるんじゃ、約束とは少し違うがこれで勘弁しとくれ」

 

「ふーん。まー、いいけどね。北欧の術式は私と相性微妙そうだし、秘伝の術なんて渡されても多分使えないわ。ダメ元で言ってみただけだから別に気にしないにゃ」

 

 そう言って魔導書を亜空間に収めた。それを見届けたオーディンは魔術で紙とペンを用意し、さらさらと紹介状を書き上げると封筒に収めて修太郎へ手渡す。

 

「ほれ、これをドワーフの誰かに渡せば即座に話が通るじゃろう。その後のことはお主しだいとなる。あやつら職人肌過ぎてわしの言うことすら碌に聞かんからのう」

 

 そうして一息ついて。

 

「しかし、その歳で禁欲を強制されるとはなんとも不憫じゃが、いったい全体どうしてそんなことになったんじゃ? またぞろ光の御子のような愛人関係を断りでもしたのかのう?」

 

 女神スカアハは光の御子クー・フーリンと愛人関係にあったことでも知られる。英雄級の実力を持つ修太郎であれば、もしやそう言うことなのではないかとオーディンは考えた。

 オーディンの勘繰りにしかし、修太郎は首を横に振る。

 

「そのような事実はありません。自分も意図はわかりませんが、おそらく彼女の都合でしょう」

 

「なんじゃい、相変わらずケルトの神が考えることはよくわからんのう」

 

「そんなのあの年増の嫌がらせに決まってるにゃん! 雰囲気最高潮の時に即ゲッシュなんて、いくら何でもタイミングが最悪よ!」

 

 急にぷりぷり怒り出した黒歌に、オーディンは事情を理解して隻眼を細め、可笑しげな雰囲気で指摘する。

 

「もしやお主ら、そこまでの仲にありながら未だ結ばれてはおらんのか?」

 

「うっさいにゃー!」

 

「クロ、いくら何でも失礼だぞ」

 

 やつあたりまで始めた黒歌を宥める修太郎。オーディンは笑ってそれを許した。

 

「ほっほっほ、よいよ。それは何とも、うむ、必死にもなろうて。さて……これからお主らはどうするのかのう?」

 

「あまり長居しても邪魔でしょうから、このまますぐに発とうと思います」

 

「そうか、わしとしてはもう少しいてくれても大丈夫なんじゃが……。確かにあまり悪魔を長居させるとロキあたりが何ぞ突っかかってきそうじゃからな。今はウートガルザ・ロキの尋問にかかりっきりじゃから、そんな暇はないと思うが」

 

 よし、と一つ手を打った主神は言葉を続ける。

 

「ドワーフの住処へは案内人を寄越そう。その上で一つ頼みごとがある。報酬は無いゆえ受けるも受けないもお主ら次第じゃが、話だけは聞いてほしい」

 

 主神の提案を断る理由は無い。

 修太郎は静かに首肯してそれを受け入れた。黒歌は怪訝な顔をしていたが、特に意見を出さなかったので話を聞くことになった。

 その話とは――――。

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

「改めまして、このたびグラズヘイムはヴァルハラ、ヴァルキリー部門所属・営業課に新規配属となりましたロスヴァイセです……」

 

「…………」

 

「…………」

 

 場所は変わって神界アースガルズと人界を繋ぐ虹の橋ビフレスト。

 頭を下げて自己紹介をしたヴァルキリーを修太郎たちは見る。彼女がドワーフの住む異界への案内人であるらしい。

 二人から見てもロスヴァイセは明らかに憔悴していた。目は真っ赤に充血し、薄く施された化粧程度では徹夜の名残であろう隈を隠せていない。美しかった銀髪は心なしか色褪せて、姿勢の良かった立ち姿はふらふらと危なげだった。

 

 昨今の英雄不足により現在縮小傾向にあるヴァルキリー部門だが、そこにかつて存在した課がある。それが所謂"営業課"。

 活動内容は戦場を飛び回り死せる勇者の魂をヴァルハラへと導くこと。死した勇猛な戦士たちはそこで仮初の肉体を得、来たるべき黄昏の時に備えて日々英気を養うこととなる。

 しかしながら昔は頻発していた戦争もここ最近ではあまり起こらず、且つ近代兵器が主な武装である現代の戦場ではヴァルハラの戦士足りえる者は中々いない。神々の用意する魔法の武器は剣や弓と言った前時代的な物が主なのだ。

 かつては戦乙女の花形とも言えた仕事であるが、今は絶えて久しいそこに新たに配属されたのがロスヴァイセだった。

 それは、つまり――――。

 

「左遷……か?」

 

「しいっ! シュウってばそれは言っちゃだめにゃん!」

 

「うぅ、うわああああああああぁぁぁぁぁぁぁ―――――――ぁん!!」

 

 空気を読まない修太郎の言葉に、感情が決壊した戦乙女が泣き崩れる。

 あまりの大声にビフレストの番をしている神、ヘイムダルが何事かとこちらを見つめてきたが、ロスヴァイセの姿を認めた途端に「なんだあの子か」と言った風な仕草で仕事に戻っていった。

 なんということだろう、ウートガルザ・ロキのせいでロスヴァイセは今やアースガルズに知らない者はいないほどの有名人なのだ。

 

「すまんロスヴァイセ、謝るから泣き止んでくれ」

 

「クビじゃないだけまだマシよ! 心を強く持って、きっとこれからいいことあるにゃん!」

 

「そうだ。まだチャンスはあるんだ、これから挽回すればいい。――原因は自業自得だが」

 

「わあぁあああああああ!! うわあぁああああああああああん!!」

 

「……シュウって本当にこの子に対して恩義感じてるにゃん?」

 

「……すまん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで一時間ほど。

 

 

「うぅ……ぐすっ……」

 

 何とか落ち着いたロスヴァイセは現在黒歌の胸に抱かれている。何がどうしてこうなった、と言いたげな表情の黒歌だが、流石姉は格が違った。優しく背中をさすってやるその姿には母性すら感じる。

 弟としての経験すら碌に持たない修太郎ではさらに倍以上の時間がかかったに違いない。

 剣鬼の余計な一言が原因となった事態だが、ともあれようやく話が続けられる。

 

「たっ大変っ、お、お見苦しいっ、と、ところをお見せしました、わっ、私はもう大丈夫ですっ……」

 

 なんだか昨日も見たなこういう光景、と思いつつ、もう迂闊なことは言わないと決めた修太郎は黙って頷く。

 

「ほら、涙を拭いて。せっかくの綺麗な顔が台無しよ? 化粧ももう落としちゃった方がいいにゃん」

 

「ありがとうございます……。悪魔の方って、意外と優しいんですね……」

 

 涙と鼻水でズルズルの顔をまずは魔術の水で洗い、ついでに化粧も落とし、ある程度乾かした後に黒歌が差し出したハンカチで残りをふき取る。こういう時まで無駄にマメだなと修太郎たちは思った。

 

「それで、今後のことだが……」

 

「はい……」

 

 修太郎たちがオーディンに頼まれたことは、彼女の仕事の手助け――つまりは勇者候補を紹介してやってほしいというものだった。

 確かに各地で魔物狩りを行っている修太郎には、それなりに戦闘能力の高い知り合いも多い。しかし――。

 

「何故俺たちなんだ。他の営業課のヴァルキリーに紹介してもらうことはできないのか?」

 

 主神の話は受けたものの、今になってそこが気になった。先輩がいるならその者から指南を受けた方が効率がいいはずだ。

 

「……いないんです」

 

「うん?」

 

「今現在、営業課は私一人しかいないんです……」

 

『は?』

 

 衝撃の事実に、修太郎も黒歌も声をそろえて固まる。

 

「……本来の所謂"営業課"とされる業務は私が生まれる前に廃止されています。今回復活したのは、その、今の時代に修太郎さんみたいな英雄クラスの戦士が他にいるのなら、あわよくば見つけ出して来い――みたいな感じで……」

 

 試験的なものなんです、と死んだような目を逸らしながら答えるロスヴァイセ。剣鬼と黒猫は互いに視線を交わす。

 

(シュウってばもう少し自重するにゃん!)

 

(いや、俺か? 俺のせいなのか?)

 

 しかし、課のメンバーが一人、と言うことはもしかして。

 

「なら、営業課の責任者は……?」

 

「……私です」

 

「それってつまり――――」

 

「ロスヴァイセ……課長…………?」

 

「はい……私、これでも昇進したんです」

 

『oh……』

 

 齢17、彼氏いない歴=年齢の戦乙女は、この歳で中間管理職に就任していた。しかも部下一人いないという超絶不遇な環境で。意味がわからない。

 思わずそろって天を仰ぐ年長者二人だった。

 

「いくら何でもそれは無いだろう……オーディン殿……」

 

 確かに宮殿を破壊したのは完全に彼女の落ち度だが、いくら能力はあると言ってもこれは明らかに年端もいかない少女に課すべき役割ではない。修太郎の中でオーディンの株がストップ安になった。

 

「ブラックってどころじゃないにゃ……それ……。と言うかあの爺、ここまでするにゃん? 普通」

 

 対する黒歌には主神の意図がわかった。

 あの神、有象無象の戦士よりもむしろ修太郎をヴァルハラに招こうとロスヴァイセを送り込んできたのだ。

 北欧の神々は終末の黄昏にて滅ぶことが運命づけられているが、出来ることならばその未来は避けたいだろう。ならば一人でも強力な戦士が欲しいに違いなく、その点を言えば修太郎は破格の実力者だ。何しろ勇者(エインフェリア)として強化を施せば、並の神々なら歯牙にもかけないほどの力を即座に獲得できる逸材なのだから。

 

 営業課として活動し戦士を増やせればそれでよし、本命は修太郎。あの主神は黒歌が修太郎と結ばれていないと聞いて、内心喝采を上げていたに違いない。そう思えば『梵天偽装』でヴァーラスキャールヴを消し飛ばしたくなる。

 

 オーディンの思惑通りに行動するのは業腹だが、こんな話を聞かされたとなるとロスヴァイセの仕事が軌道に乗るまでは協力しなければなるまい。

 少なくとも修太郎はそのつもりだろう。黒歌が進言すれば、おそらくロスヴァイセに関わらない選択も考えるだろうが、当の黒歌が彼女を放っておけないと感じてしまっていた。

 

(こんなはずじゃなかったんだけどにゃー……)

 

 主神から話を聞いた時点ではあまり深く関わるつもりは無かったのだが、この戦乙女があまりにも不憫なものだから保護欲が湧いてしまっている。

 以前にも同様のことをやって痛い目を見たと言うのに、姉属性の業はここまで凄まじいものか。自分はここまでお人好しではなかった気がするのだが。

 

(白音……)

 

 遠く日本にいるらしい妹を想う。

 風の噂によるとあの後、悪魔の名門グレモリー公爵家に眷族として受け入れられたようだが、元気でやっているだろうか? なんにせよ、いずれ会って謝らなければならないだろう。

 

「どうした、クロ?」

 

 横を見上げれば男の顔が見える。相変わらずの無表情で、目つきは殺し屋か何かと思ってしまうほど凶悪だが、今ではむしろそこに見えなければ落ち着かない。

 彼がいなかった七日間は、異様に長く感じたものだ。いつからか、そこにあって当たり前だと感じるようになっていたから。

 

「なんでもないにゃん。それよりロスヴァイセ、私たちも協力してあげるから元気を出すのよ? いっぱい契約をとって、オーディンの爺を見返してやるにゃん!」

 

「はい……ありがとうございます……!」

 

「これも何かの縁だろう。大船に乗ったつもりで……とまではいかないだろうが、困ったときは遠慮なく頼ってくれ。俺も、あの島ではキミにずいぶん助けられたからな」

 

「はい……! はい……!」

 

 感激の涙を流すロスヴァイセを二人して慰めて、三人並んで虹の架け橋を渡る。

 修太郎たち一行は、こうしてアースガルズを後にした。

 

 

 

 

 

 

 余談。

 遠くなる三人の背中を眺めていたヘイムダルが誰にも知られずに一言。

 

「頑張れよ……、ロスヴァイセちゃん……!」

 

 神界の門番は、彼女のファンだった。

 

 

 

 




ロスヴァイセ課長、爆誕。
いや、北欧に課長なんて役職あるかは知りませんが。どうしてこうなった。
巨人王のライブ中継を受けて、アースガルズでは一部の神および人にアイドル扱いされてるようです。


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第十一話:とある夜のこと

 深夜。

 魔都ロンドンの冬は最高潮に、肌を叩く風は凍えそうなほど冷たい。雲に隠れた半月が青白い光を地に落とし、街に投影されたモノクロのコントラストは古びた映画の情景を思わせる。

 草木眠る時間の路地裏は、不気味な静寂に包まれていた。

 現代社会において不自然なほど音の無い暗闇。それはすなわち異界の存在がそこを住処にしていることの証拠でもある。

 

 街灯の光すら届かない道を、一人の女が歩いている。

 結いあげられた銀糸の髪に、趣味のいいロングコート。すらりとした長身のスタイルは、服の上からでも起伏に富んでいることがわかる。十人が十人、絶賛の評価を送るだろう美女だ。

 肩からブランド物のバッグを提げて、無警戒に歩く姿はいささか不用心だ。この時間この場所でこのような体を晒していれば、物取りか人攫いか、あるいは女の美しさに目のくらんだ無頼が襲い掛かってくることは十分に有り得た。

 しかし今現在ここに、そのような不逞の輩は存在しない。在るのはそう、ただ一つ。

 

 月光の下、女に追従する影が不意に蠢く。

 盛り上がった影が同色のヒトガタを模ると、その手に握った刃を振り下ろし――――。

 同時に女が振り向いた。

 

『!?』

 

 女の腕から発せられた術式の帯が影の刃とぶつかり合えば、ヒトガタは弾き飛ばされてその正体を現した。

 黒い翼の生えた昆虫の様な異形。手の刃は腕と一体化した鎌だった。全体的なフォルムとして蟷螂に酷似した悪魔――所謂ところの『はぐれ悪魔』と呼ばれる存在である。

 

 女が一つ足を踏み鳴らせば、悪魔の真下に魔法陣が形成され、光の縛鎖が立ち上る。そうして瞬く間に下手人を縛り上げると、そのまま大地に拘束した。

 

「ご苦労、ロスヴァイセ」

 

 悪魔の背後、暗闇から突如人の声がかかる。

 何時の間にそこにいたのか、影の中長身痩躯が佇んでいた。漆黒の髪と同色の瞳、猛禽類を思わせる目つき、刃の如き威圧感――魔物狩りの男『魔剣』暮修太郎その人だ。

 傍らに黄金瞳の黒猫に変化した黒歌を伴って、地に伏したはぐれ悪魔を睨む。

 

「はぐれ悪魔『切り裂きジャック』。依頼に従い、貴様を斬る」

 

 修太郎の右手首にはめられた銀のリングが瞬くと、次の瞬間にはその手に白銀の太刀が握られていた。

 月の光を反射して神秘的な輝きを見せるそれは、一目でわかる魔法の刃。

 静かに近づく断頭者に、怯えた悪魔が吼える。それに呼応するかの如く悪魔の身体が紫色の光を放つと、その身を大地に溶かして消え去った。

 

「消えた!?」

 

 驚く銀髪の女――ロスヴァイセ。

 眉根一つ動かさない修太郎はその理由を即座に把握した。

 

「神器……か。厄介だな」

 

 人間上がりのはぐれ悪魔は偶に『神器(セイクリッド・ギア)』を持つ。この切り裂きジャックモドキが保有する神器は、影に自分の身体を溶け込ませる能力を持っているのだろう。

 

 瞑目する修太郎。

 この手の敵は目で探すよりもこちらの方が「見え」やすい。

 大地の震動、大気の動き、そして音。周辺環境の変化をその五感で感じとり、無意識化の超速演算で以って第六感に昇華する。彼自身の超自然的な直感力と合わせれば、不意打ちのタイミングなど手に取るようにはっきりわかった。

 感覚の任せるままに刃を構え――――。

 

「――――ギ、ギィィイアアアアアッ!?」

 

 暗闇に閃光走れば、振りかぶった腕を鎌ごと切断された悪魔。

 ロスヴァイセの背後から彼女狙って飛び出たところを切り裂いた。見れば、修太郎の握る太刀はその大きさと意匠を大きく変え、幅広の長大な刀身を持つ野太刀へと変貌を遂げている。

 

「ちっ、浅いか」

 

「だ、だからいきなりは止めてくださいっ! 当たらなくても怖いんですからね!!」

 

 自身の頬数ミリの位置で止まった白銀の刃にロスヴァイセは抗議する。

 その隙をついてはぐれ悪魔は再び影に沈んだ。急激に遠ざかる気配は明らかな逃亡の動き。

 

「逃げる気か。――クロ!」

 

『はいはーい』

 

 修太郎の声に念話で答えた猫は、術式を起動させて疾風の速さで駆け抜ける。仙術による感知ではぐれ悪魔の逃亡ルートを正確に把握し、先回りすると魔法陣を設置した。

 

『1、2、3、ほいっ!』

 

 タイミングを合わせて軽い掛け声で術を発動すれば、影が勢いよく持ち上がり、それと共にはぐれ悪魔が空中に投げ出される。

 

「!? !?」

 

 戸惑い体勢を崩したはぐれ悪魔は背中から路地に叩き付けられ、痛みに悶える。

 背後に立つ気配に振り向き、残った腕の鎌を一閃。しかし、修太郎は容易くそれを受け止めた。

 

「ギ、ギギィッ!?」

 

 修太郎に触れた悪魔は腕を襲った鋭い痛みにもがく。悪魔の腕を掴んだ男の左手首には銀のロザリオが巻き付けられていた。

 右手の白銀が閃く。

 この日この時、悪魔の命運は尽きた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふう……やっと終わりましたね」

 

「囮に引っ掛かるまで三日、か……。割に合わない仕事だったな」

 

『早く帰ってお風呂であったまりたいにゃー』

 

 夜道を往く二人と一匹は今回の仕事について語る。

 昨今ロンドンを賑やかす怪異『切り裂きジャック』。先ほど討伐したはぐれ悪魔がその正体だ。

 神器を持っていたことから察するに転生する前は人間だったようだが、力におぼれ人としての姿さえ失っていた。しかしながら逃亡ルートを確保する程度の思考は未だに保持していたようで、つまり今まで捕まらなかったのは獲物を選り好みしていたからだろう。

 

「やはり私では囮に不足だったのではないでしょうか?」

 

 疑問の声を上げるロスヴァイセ。

 ヴァルハラへ送る勇者探しに奔走する彼女はあの後、修太郎の紹介でイタリアの依頼斡旋所に下宿することになった。老店主と共に魔物狩りの依頼受付や情報の提供を行う傍ら、腕のいい魔物狩りを捕まえては営業活動に勤しんでいる。

 急に美人の受付嬢が入ってきた斡旋所は酒場兼喫茶店としてもそれなりに繁盛するようになり、老店主はホクホク顔だ。とはいえ、それがロスヴァイセの業績にいい影響を与えたかと言えばそうでもないのが世知辛いところなのだが……。

 そうして溜まったストレスのはけ口――もとい気分転換として、偶に修太郎と黒歌が仕事のヘルプを頼んでいる。

 

「それは違う。俺たちより以前に同様のことをやって返り討ちに会った同業者がいると聞く。おそらく警戒していたのだろう」

 

『知性はそこそこ残ってたみたいだし、意外に慎重な奴だったみたいね』

 

「そうでなければキミが狙われない理由は無い。その服はとてもよく似合っている」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 何気ない言葉にロスヴァイセが照れ、右肩の黒歌が修太郎の頬をぺしぺし叩く。平常運転である。

 

「しかし、やはりこの手の道具は慣れない」

 

 修太郎が右手首のリングを見る。

 先刻の戦闘において太刀に変化したこの白銀の腕輪こそ、修太郎がドワーフに所望した魔法の武具だ。

 

「ええと、確か『北欧式零型斬龍刀』……でしたっけ? 変な名称ですね。名前の割に龍殺し(ドラゴンスレイヤー)という訳でもないようですし」

 

「ああ、単純に"龍の鱗をも切り裂く切れ味"と"巨龍の首を落とすほど長大な刀身"を両立させているからとのことだが……」

 

 そう言って意識を働かせれば、白銀のリングは先ほどの野太刀に変化した。標榜する通り、幅広の刀身は実に4メートルにも達する巨大さ。黒鉄の鍔に、延長した柄もまた黒い。闇夜に青白い魔法の輝きを放つ白銀の刃は、見るだけで切り裂かれそうな威圧感だ。

 

『そのでっかいのと普通の刀、それと小太刀の三形態だったかしらん? 軽く物理法則無視してるところが何ともドワーフの作る道具っぽいにゃん』

 

 それを片手で保持している修太郎も大概だ、とは口に出さない。

 

「――『零型』、ということは壱型とか弐型とかもあるんでしょうか」

 

「親方が言うに、これは試作品らしい。使ってればデータがあっちに行くそうだから、それで本命を作るのだそうだ」

 

「あのドワーフたち、本当に本気なんですね……」

 

 修太郎がドワーフへ武器作りを頼むにあたって支払った物とはつまり、修太郎自身の全剣技を総動員した剣舞だった。

 今日日、神々ですら出来ないだろう絶技の数々に魅せられたドワーフたちは、修太郎へとこう言い放った「お前の剣腕にふさわしい刃を作りたい」と。こちらから頼みに来たのに、まさか逆に頼まれるとは思っておらず、これには修太郎も面食らった。

 それで三日三晩の後に手渡されたのがこの『斬龍刀』である。修太郎の緋緋色金を参考にしたらしいそれは、初めて握るにしては手によく馴染むが、しかし愛刀には及ばない。

 そんな感想を漏らした修太郎にドワーフ達はさらに奮起し、今も至高の一振りを絶賛開発中だと言う。ちなみに、修太郎の愛刀はその騒ぎの際ボロボロだった柄の交換を理由に持っていかれてしまっており、現状どうあってもドワーフ作の刀を使わなければいけない状況に持ち込まれている。

 

「言っては悪いが、俺は持ち運びやすい予備の武器が欲しかっただけなんだが……」

 

『だから自重しなさいっていつも言ってるにゃん』

 

 今更言ってもしょうがない。斬龍刀をリングへと戻す。

 今後どんなトンデモ武器が開発されるか心待ちすることにしよう、と無理矢理気持ちを切り替えるしかなかった。

 

『って言うかー、そんなことよりも私としてはシュウが着けてる聖具の方が気になるんだけど?』

 

 右の肩に乗る黒歌が修太郎の左腕を覗き込む。

 手首に巻き付けられた銀のロザリオはれっきとした聖具。中級悪魔程度であればそれなりのダメージを負わせることができる、エクソシストの制式装備だ。

 

「ああ、これはいつかの礼にと贈られてきたものだな」

 

 アースガルズから帰り、老店主へとロスヴァイセを紹介した時のこと。修太郎宛てに届いている荷物の一つにこれがあったのだ。

 修太郎自身すっかり忘れていた約束だっただけに内心首をひねったものだが、差出人の名前を見て思い出した。

 聖剣使いの少女、紫藤イリナからだったのだ。

 

「悪魔退治ということで、せっかくだから身に着けてみた」

 

 事も無げに言う修太郎に、猫はぺしぺし男の頬を叩く。

 

『それで触られたら地味に私にもダメージあるのよ? って言うか女の前で他の女からの贈り物身に着けるのはいただけないにゃん。そもそもそんなもの身に着ける必要なんてないでしょ』

 

「確かに想像していたほど劇的な効果は無かったな。斬った方が速い」

 

(……それはそうでしょう)

 

 会話を聞いて内心で呟くロスヴァイセ。

 そんな訳でせっかくの聖具だがお蔵入り決定となった。イリナ涙目。

 

「そう言えば今更なんですけど、なぜ黒歌さんは外では人の姿をとらないのですか?」

 

 男の肩に乗る黒猫を見たロスヴァイセは、ふと思いついた疑問を尋ねた。

 アースガルズでは常時美女の姿であった黒歌だが、イタリアをはじめとした欧州では外出する時に必ず猫へ変化する。彼女の性格ならばむしろ人の姿で修太郎の隣を歩くほうが自然なのに、何故なのか。

 

「ああ、それはだな」

 

『私が人の姿――と言うか、悪魔の姿で外に出歩いてると面倒な奴が喧嘩売ってくるかもしれないのよ』

 

「あなたたちに喧嘩を――?」

 

 その人は正気ですか? とでも言いたげな顔をするロスヴァイセ。

 神代の英雄に匹敵する剣士と、明らかに最上級悪魔を超える実力を持つ化け猫のコンビだ。この二人を相手にするぐらいなら堕天使幹部に殴りかかった方がまだマシだろう。

 

「まあ、言い方は悪いがな。そもそも悪魔が天使勢力のテリトリーにいること自体があまり好ましいことではない。とはいえ魔物狩りとして活動するには欧州が最も旨みがあるのも事実。あっちとは一悶着あったが、交渉の末に条件を守ることでここにいることを許された」

 

 つまり、と一つ置いて。

 

こいつ(黒歌)の正体を公に晒さない限り、その存在を不問にすると言う約束を個人的に結んでいる。なんせ相手は"最強のエクソシスト"だ。俺たちとしても守らざるを得ないし、その程度で矛を収めてくれるのならば安いものだろう」

 

『ちょっと窮屈だけどね。ま、こうしてシュウにくっつくのも悪くないにゃん』

 

 仙術と妖術を駆使すれば一応出歩けないことはないし、と暢気な黒猫。

 

「最強のエクソシスト、ってまさか……」

 

 驚きにロスヴァイセが言葉を続けようとすれば、突如として生ぬるい空気が辺りを覆う。

 

『――――!!』

 

 予兆の見えない隔離結界に一同が驚く。

 足元に霧が立ちこめば、視界に赤いフィルターを通したかの如く空間の色が一気に変わっていった。

 

「これは、いったい……? 待ってください、調べます」

 

 ロスヴァイセが両手に魔法陣の帯を纏わせて、即座に探査術式の光弾を撃ち出した。

 

「何かいるな」

 

『近いにゃん』

 

 一人と一匹がそれぞれの感覚から空間に存在する何者かの存在を感知。

 修太郎は再びリングを瞬かせ、白銀の太刀を手にする。黒歌は肩から降りて人の姿に戻ると、亜空間から倶利伽羅剣を取り出した。

 

「――解析出ました。現実と位相をずらした、かなり高度な隔離結界です。これを破るのは骨ですね。幸い基点の位置は分かりやすく、この空間の中枢にあります」

 

「つまり――」

 

「ああ――」

 

 術の基点を破壊するしかないということ。

 結論が出るが早いか、闘気を纏い疾走する修太郎。術式を用いて疾風と駆ける黒歌。飛翔術で空を往くロスヴァイセ。三者三様結界の中央を目指し、高速で移動する。

 そうして間も置かず目的の場所へとたどり着いた。

 

「うっわ、ドン引きにゃ……」

 

「これは吹き飛ばし甲斐がありそうな……」

 

「…………」

 

 それは一面の黒。それは蠢く黒。つまりは犇めく黒だった。

 昆虫の様な黒い魔物が広い公園一面に集まっている。六肢で地を這う者、二脚で立ち上がっている者、羽根を広げて空中に浮かぶ者、一般人の感性で見れば一言「気持ち悪い」と形容される化け物ども。

 サイズは人間の子供大から大型車並まで、総数はおそらく1000を超えるだろう。

 結界の基点は公園の中央、つまりは虫の群れの中央に存在している。ここから出るには否応なくこいつらを相手に戦うしかない。それだけでなく結界解除後の二次被害を防ぐならば、虫を全滅させるのも必須事項だろう。

 

「ああ、やっぱり」

 

「まったく、しょうがないにゃ」

 

 迷いなく黒い大群に飛び込んだ修太郎。すぐさま援護射撃の準備を始める二人はもう慣れたものだ。

 

 剣鬼が刃を閃かせるたびに数匹が切り裂かれる。超速の太刀より巻き起こる斬風に、敵対者を喰らわんと襲い掛かる虫は為す術も無い。しかし修太郎は違和感を感じていた。

 

(斬りにくい……?)

 

 斬れないことは無いが、刃が徹りにくい感覚が確かにある。その証拠に切り捨てたはずの虫の中にまだ息のある個体がいる。

 

(――しかし)

 

 問題は無い。斬りにくいならば、それが斬りやすいように斬るだけのこと。

 そうして数匹切り裂けば、もはや相手の斬撃耐性など紙のように貫く剣技が完成した。

 

 走る奔る、剣鬼の刃が大群を斬る。

 

 白銀の閃光が無数に連なり、その後に吹く風が何もかもを断つ。斬撃の嵐。意識ある割断現象とは即ち『魔剣(ソニックブレイド)』。

 

 渾身の一刀が地を砕く。葉脈の如く広がる破壊力の発露が周囲の虫を跳ね上げ砕いた。峰すら落とす刃は『魔剣(クエイクエッジ)』。

 

 黒虫の一刺しは霞む剣士の影すら踏まない。確かにあるはずなのに、まるで陽炎の如き運体の揺らめきは『魔剣(ミラージュセイバー)』。

 

 見る者によってその異名は千差万別。総称して『魔剣(ブレイドマスター)』とも呼ばれる、日本最強にして欧州最強の剣士――それが暮修太郎。

 

 その動きに追従する者がいた。

 虫ではない。断じて違う。

 閃く穂先は雷光の如く。虚をつく瞬発の歩法はおそらくは中華系の拳法由来か。その場において、修太郎を風神とするならその男は雷神と称してもいいかもしれない。

 

 黒一色の波を切り裂き現れたのは黒髪の青年。

 詰襟の制服を身に纏うその姿はまさしく学生そのものだが、この時この場にいること自体が彼を尋常の外に身を置く者だと知らせている。

 

「やあ、何かと思ったら助太刀かな? いや、助かる。どうにもどん詰まりだったんだ」

 

 その手に握る鈍色の槍――おそらく相当な業物――で周囲の虫を薙ぎ払う。敵が持つだろう斬撃への耐性を容易く貫く腕前は、まさしく達人。

 

「何者だ」

 

「名は――そうだな、阿瞞(あまん)とでも呼んでくれ。同業者だよ」

 

 質問に飄々として返す阿瞞と名乗った男は、修太郎と背中を合わせた。

 割断の風と雷の刺突が虫どもを次々と屠っていく。互いの死角を補い合うかのように立ち回れば、先ほどまでの倍以上の速度で虫の数が減っていた。

 

「こいつら雑魚はいくら倒してもいなくならないぞ。中央の、結界の基点辺りにこいつらを生み出す女王がいる。さっきから叩こうと突っ込んでは見てるんだけど、物量の多さにどうしようもなくてね。あなたたちも困っているなら、協力してくれると助かるんだが」

 

 修太郎たちの後方より放たれる魔術攻撃が次々と虫を撃ち落とし、吹き飛ばす。黒歌の黒炎球が群れに大穴を開け、ロスヴァイセのフルバーストが空から敵を排除する。しかし、一向に終わりが見えない。

 

「すごい支援火力だが、でもちょっと足りないか。この霧だし、奴ら自身にもそれなりの魔法耐性があるからな」

 

「……いいだろう、協力しよう」

 

 いかにも怪しいこの男であるが、この場において彼の武だけは信用に足ると判断した。

 

「そうこなくちゃ。さあ、往こう!」

 

 男二人、疾走する。

 互いに背を合わせて、独楽のように。

 完全に息を一つにした二人はまるで一体の怪物が如くに、大量の虫をごっそり抉っていく。

 現状は修太郎が阿瞞に合わせている状態であるが、この槍使いの男、想像以上についてくる。これならば、やれるかもしれない。

 

「一網打尽にする。合わせろ!」

 

「はははっ、応!」

 

 斬龍刀が担い手の意思に従いその姿を変えれば、瞬く間に巨大な野太刀が手に納まった。阿瞞が驚きの視線を向けているのが感じられる。

 そうして始まった剣舞はもはや暴風を超えた竜巻。一振りごとに超速の剣圧が数十匹を切り裂く。

 大雑把に見える攻撃も、その実正確無比。しかし如何に常識離れの体術を身に着けていようと、生物であるならば隙の一つや二つ生まれてしかるべきである。

 その穴を阿瞞が塞ぐ。地から飛び出す蛇蟲を、空より飛来する羽虫を、雷撃の突きで砕いていく。

 

 この男、修太郎の大斬撃に巻き込まれないタイミングを正確に把握している。

 針の穴を連続で通すような、その技量は至高の領域にあると言ってもいいだろう。まさか自分と肩を並べて戦える武人がスカアハ以外にいようとは。

 

 少しの高揚感と共に敵を薙ぎ払いながら進めば、見つけた。

 巨大な腹を抱える女王虫だ。虫と言うよりも連なったタンクと言った方がいい異形。本当に生み出すためだけの存在なのだろう、戦闘に耐えうる器官は欠片も見当たらない。ただ周囲に集う巨大虫が威勢よく唸るだけだった。

 

「邪魔だ」

 

 膂力振り絞る一秒の溜めは修太郎からすれば致命的な隙だが、敵の攻撃は阿瞞が悉く防ぐ。

 そうして解放された超光速の斬撃が、何もかもを諸共に断ち斬った。

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

「――戻っ、た……?」

 

「いつの間に……」

 

「やーっと帰れるのかにゃー」

 

 気が付くと三人は路地の入口に立っていた。

 予兆も無ければ余韻も無い。結界が張られた跡さえまるで感じ取れない。直前までそばにいたはずの阿瞞も消え失せていた。

 頭を捻るロスヴァイセと、一つ大きく伸びをして再び黒猫の姿をとり、修太郎の肩に乗る黒歌。

 

『シュウ? どうしたにゃ?』

 

 遠巻きに戦闘を見ていた彼女達は、修太郎の他にもう一人戦っていた者がいたことに気付いていないのだろう。ああも乱戦状態であれば黒歌でさえ仙術の探知を鈍らせるに相違なく、ロスヴァイセも探査術式を用いる暇など無かったはずだ。

 あの阿瞞と名乗った青年――槍使いとしての腕前は、修太郎の知る限りスカアハに次ぐ。

 言葉も無く別れた素性の知れぬ相手だが、何故か再びどこかで合うような気がしてならなかった。

 

『ねこぱーんち、ねこぱーんち。ほら、早く帰りましょ』

 

「転送魔法陣、用意できました。不可解ですが、とりあえずこの場を離れましょう」

 

「ああ、帰ろうか」

 

 ともあれ今日は幾分疲れた。今回の一件は後日報告するとして、今は大人しく帰るとしよう。

 転送魔法の光に包まれ、修太郎たち一行はその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

「ふーっ、疲れた」

 

「ご苦労様。今回はどうだった?」

 

「流石にきつかったな。やっぱり普通の槍じゃ、あの数を相手にするのは厳しい」

 

「だからやめておけと言っただろうに。まったくいつも無茶をする」

 

「ははは、性分だから仕方ないさ。ま、槍術のトレーニングとしてはいい出来だった。それよりレオナルドはどうだ? かなり完成してきたんじゃないか?」

 

「まだ調整が必要だな。魔獣の機能に戦闘中の進化を加えたいところだ」

 

「そうか、現状でもけっこういい線いってると思うんだが。『絶霧(ディメンション・ロスト)』と合わせれば魔王級の攻撃でもしのげるだろう?」

 

「それで足りると思ってるのかい?」

 

「いや、全然」

 

「なら馬鹿は言わないことだ。それよりも、彼ら、本当に返しても良かったのかい? あのまま始末しておいた方が後腐れないと思うんだが」

 

「無理だな。今の俺じゃ神器を使っても無理だ。黒歌がいることを考えれば、お前が一緒に戦っても不可能だろう。あの戦い、俺は必死に着いて行ってたのに、彼は手加減していたよ。俺の腕を信用していたみたいだったのは素直にうれしいけどね」

 

「確かに、戦いを見ていたが本当に人間かと疑いたくなるような戦闘力だ。だが、俺の『絶霧(ディメンション・ロスト)』で海底深くか、もしくははるか上空にでも転移させれば――」

 

「駄目だ」

 

「なぜ?」

 

「彼をそのような方法で死なせるのは認められない。この俺が許さない。もしもお前が独断でそのようなことをするつもりなら、この場でお前を殺すぞ」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……わかったよ。そんなことはしないさ。しかし、彼はキミのことなんて覚えていないんだろう? それなのになぜそこまで肩入れする?」

 

「梁山泊で負けた時から、彼は俺の憧れになった。暮修太郎、俺はあのような強さが欲しい。だから、俺は英雄になる。そして彼を超えるんだ」

 

「それで勧誘もしないのかい?」

 

「味方なら味方で頼もしいんだろうけどね。今回の共闘は短かったが本当に楽しかった。しかし、目標を仲間にしては超えられないだろう?」

 

「……筋金入りのバカだな、キミは」

 

「そうでなくては、英雄になろうなんて思わないさ」

 

 




次話が原作への導入になります。
北欧編が長くなりすぎたのが痛い。

斬艦刀いいよね! という思いから生まれた斬龍刀。
ぶっちゃけ技量だけででっかい敵を一刀両断できたりするので必要ないと言えばそうなのですが、大剣系武器は男のロマン。サンライズパースで構えたりするよ! 地味に銃刀法違反で捕まらなくなったのも大きい。
ロスヴァイセの着ていた服は、あの後彼女へのプレゼントになりました。だって黒歌じゃサイズ合わないんだもの。

あと英雄派に超強化フラグが立ちました。


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第十二話:剣鬼・天龍・悪魔祓い

 それはある晴れた日のこと。

 季節も移り春過ぎて夏に近づいてきた頃。

 ロスヴァイセの仕事が軌道に乗り始め、徐々に契約の数を増やしていた頃であり、修太郎たちが古代ペルシャ――現イランへの探索を終えて帰ってきた頃でもある。

 場所は修太郎たちの泊まる宿の一室。

 

 オーディンからもらった北欧の魔導書を前にうんうん唸る黒歌。ロスヴァイセはそれに付き添って丁寧に教えている。

 週に何度かではあるが、上級魔術の課程に入ってからこのような光景が増えてきた。理論的・数学的な部分が増えてきたため黒歌単独では習得が難しくなったのだ。

 おそらくオーディンはこういった部分まで織り込んで魔導書を渡したのだろう。

 

 そんな二人をよそに修太郎は部屋の一角で一人逆立ちになり、腕立て伏せをしている。

 黒歌が張った簡易式隔離結界の中、かかる重力を約十倍に設定したトレーニング空間だ。日本で退魔剣士をやっていた頃はよく鉄塊を体に巻き付けて山の中走り回っていたものだが、イタリアの街中でそれをやれば流石に不審者扱いされてしまう。省スペースで効率もいいこちらの方が何かとよかった。

 

「――――!」

 

 ふと、黒歌の猫耳がピクリと動く。

 

「――む」

 

 逆立ちしたままの修太郎も反応を見せた。

 

「?」

 

 ロスヴァイセだけが二人の様子を見て首をかしげる。

 

「ちっ、面倒なやつが来たにゃん」

 

「ずいぶんと久しぶりだな」

 

 嫌な顔をして呟いた黒歌は素早く黒猫へ変化する。修太郎は体勢を立て直しトレーニング空間から出てきた。

 

「いったいなんです?」

 

「すぐにわかる」

 

 事情が理解できないロスヴァイセへ簡素に返す修太郎。

 直後、部屋の扉をノックする音が聞こえる。

 

『もしもーし、シュータロくん、いますかー?』

 

「鍵なら開いている」

 

 返答する声に、扉が開く。

 そこにいたのは金髪の青年。グリーンの瞳が印象的な、端正な顔立ちの神父だった。

 

「や、お久しぶりスね、お二方――それと」

 

 軽い口調で言葉を放った青年は、修太郎と黒猫以外にロスヴァイセを見つけて言葉を区切り、そして続ける。

 

「喫茶店の店員さん。ども、デュリオ・ジェズアルドといいまっす」

 

 

 

 

 

 

                 ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 当代最強のエクソシスト、神滅具(ロンギヌス)煌天雷獄(ゼニス・テンペスト)』のデュリオ・ジェズアルド。

 上級悪魔すら容易く屠ると言われる、天使勢力が誇る虎の子。それがまさか。

 

「こんなに軽い人だったなんて――」

 

「ははは、うん、よく言われる」

 

 ロスヴァイセの言葉に笑う青年には威圧感の欠片も無い。

 修太郎たちとデュリオが知り合った経緯にはまず、黒歌の存在がある。

 SS級はぐれ悪魔として現在進行形で指名手配されている黒歌だが、フランスで起きたある一件が原因となりその存在を天使たちに知られてしまった。となれば教会としては当然退治しなければならず、そうして派遣されたのがこのデュリオと。

 

「もう一人『魔帝(カオスエッジ)』のジークフリートって人がいたんスけどねぇ。相当上位の使い手だったんだけど、彼シュータロくんに瞬殺されちゃって。で、めちゃくちゃ落ち込んで……」

 

 ある日、失踪したのだと言う。

 禁手(バランス・ブレイカー)まで使ってあれだからなぁ……、と困ったように腕を組むデュリオ。

 彼自身、修太郎とは相討ち寸前まで戦り合ったのだ。同じ剣士ならその実力差に心折れることもあるだろうとは思っていた。

 

「グラムだけ持って他の魔剣は置いて行ったから全部こっちで保管してるんだけど、シュータロくん、要る?」

 

「要らん」

 

 シャワーで汗を流した修太郎が答える。

 取り付く島もないとはこのこと。

 二刀ならともかく、伝説の魔剣を4本ももらったところでどうしようもない。

 そもそも、自身の剣腕を何より頼りにする修太郎にとっては強すぎる剣の特殊能力など邪魔なだけだ。おそらく魔剣の方も修太郎を忌避するだろう。使おうと思えば出来ないことは無いだろうが、今持っている弐型斬龍刀(先日バージョンアップした)ぐらいがちょうどいい。

 

「うん、まあそう言うと思ってた。それより、猫さんも別に家の中なら正体見せてもいいんだけど? 要は他のエクソシストに見られなきゃOKなんだから」

 

 デュリオが黒猫に変化した黒歌に話しかける。

 “取り逃がした”と上に報告している手前、見つけたならば退治しなくてはならないが、それもバレなければ問題は無い。

 しかし、修太郎の膝の上で丸くなる猫はデュリオをしばし横目で見つめた後、ぷいっと顔を背けた。

 

「ありゃ、嫌われたもんスねぇ……」

 

 苦笑いで頬を掻く神父。基本的に悪魔は敵だが、彼個人としては別に黒歌のことを嫌っている訳ではないらしい。

 

「それで、今回は何の用だ。世間話だけをしに来たわけではないだろう」

 

 修太郎が用件を尋ねる。

 

「魔剣殿は相変わらず無愛想だねぇ。用は無くても来たけりゃ来るさ。友達だもの」

 

『なーにが友達よ。どうせまた仕事に連れ出すつもりなんでしょ、この似非神父』

 

「仕事? エクソシストのですか?」

 

 黒歌が念話で呟いた言葉にロスヴァイセが疑問の声を上げる。ちなみにこの念話、神父には聞こえていない。

 それでもロスヴァイセと黒歌の間で交わされた会話の内容を理解したのだろう。軽い調子でデュリオは答える。

 

「そ。俺に回される悪魔祓いの仕事って、困ったことに大体ハードなんスよね、これが。シュータロくんってば強いし、連れて行けば早く仕事が終わって助かるんだ」

 

 だから個人的に雇うことがあるのだと言う。そして余った時間を趣味の食べ歩きに使い、ついでにそれを経費で落とすのだそうだ。

 不良神父だにゃん、と毒づく黒歌にロスヴァイセは内心同意した。

 とはいえ、それも最近は随分ご無沙汰だったのだが。

 

「悪いが、お前の依頼はまったく割に合わない。以前はこの仕事を始めた直後だったからともかく、今はそれなりの対価をもらうぞ」

 

 欧州最強の剣士である修太郎は、当然魔物狩りとしてもトップクラスの実力者だ。

 ここ1年で急激に名前も売れ、かかる依頼料もそれなりに高額となっている。

 

「うんうん、知ってる知ってる。いやあ、当然とはいえ大物になったもんスねぇ。斡旋所のおじいちゃんから相場聞いてびっくり、もう俺のポケットマネーじゃ無理だもん。年収おいくら?」

 

「さあ、ざっと4000から5000万ぐらいじゃないか?」

 

「ご、ごせん……!? そんなに!?」

 

 興味なさげに言い捨てた修太郎の言葉に、ロスヴァイセが驚き飛び上がる。

 

『月に数十万から数百万の依頼をいくつか受けてるからそんなもんかにゃ? 金欠にあえいでいた頃が嘘みたいだにゃん。まさしく天職ね』

 

「この前使ったフェニックスの涙で大半吹き飛んだが」

 

「ご、ごせんまんが……吹き飛んだ……?」

 

 襲い掛かる眩暈に体勢を崩す戦乙女。

 修太郎たちの仕事は老店主が管理しているので今まで知らなかったが、まさかここまで高収入だとは思わなかった。思えば、何かあるたびにブランド物の服一式やら何やらを簡単にポンポン放ってくるのだから収入が低い訳がないのだ。

 いやー景気いいねー、と笑うデュリオ。

 

「最強のエクソシストなんて言っても、そんながっぽりもらえないから素直に羨ましいスわ。しかも俺の場合は姐さんに管理されてるからなおさらだ。あれ……俺もうすぐ20だよ? そんなに信用無いかな?」

 

「無いだろう」

 

『あるわけないにゃん』

 

「こりゃ手厳しい!」

 

 隙を突いては趣味に勤しみ、たびたび行方をくらます人物にそんなものあるわけがない。

 おお、ジーザス! と大げさにリアクションをとるデュリオ。

 

「しゅ、修太郎さんたちはもっと計画的に資金を運用すべきです!」

 

 そこで突然ロスヴァイセがテーブルを叩いて立ち上がった。

 

「どうした、急に」

 

「前々から思ってましたが、あなたたちは無駄遣いしすぎです! 食事はいつも外食か出来合いの物! 住所不定のホテル暮らし! そりゃあ稼げば資金には困らないかもしれないですが、もう少し老後のことを考えるべきです! どうせ保険にも入っていないんでしょう? 仕事柄毎日が命懸けなんですからもっとそのあたりをよく……」

 

 詰め寄るロスヴァイセに、修太郎は驚きのけぞる。

 やれ服はブランド物である必要が無いだとか、食費は自炊することで大幅に抑えられるとか、特定の住居を持てとか家計簿をつけろとか、一般の保険じゃなくヴァルハラの保険なら魔物がらみのことでも査定がすんなりいくとか。

 何気に営業トークも交えて説教され、げんなりする修太郎と黒歌。それを見て大笑いするデュリオ。

 

「ははははっ、あのシュータロくんがまさかね! やるなあ喫茶店の店員さん!」

 

「デュリオさんもいかがですか? ヴァルハラ保険」

 

「あ……、俺そういうの間に合ってるんでいいです……」

 

 こちらにターゲッティングしてきた戦乙女に若干引いて答える。

 ちなみにロスヴァイセの営業活動はきちんと天使側に把握されている。お咎めが無いのは活動しているのがロスヴァイセ一人であり、話にならないほど規模が小さいためだ。元々信徒ではない魔物狩りを主な顧客として扱っているのも大きい。

 

(そもそもヴァルハラの戦士になる契約ってつまり、「私と契約して死後を神に奉げてよ!」ってことスからねぇ……)

 

 それはいったいどこの死神なのか。

 確かに契約もなかなか取れない。むしろ今軌道に乗り始めていることが驚きだった。

 延々と途絶えないロスヴァイセの話を聞く中、またもや二人が何かに反応を示す。

 

『シュウ、まためんどいのが……』

 

「……今日は客が多いな」

 

「もう! 二人とも聞いてるんですか? 誤魔化そうったってそうはいかないんですからね!!」

 

 いきり立つ戦乙女の言葉を遮り、ノックの音が響く。

 

『入るぞ暮修太郎』

 

 修太郎の言葉を待たず、入ってきたのは銀髪の少年。

 ロスヴァイセの様な輝く銀ではない、ダークカラーの強い色味はある種幻想的でもある。天使のよう、とも形容されるだろう端正な顔立ちは、当人が放つ鋭利な雰囲気により冷酷に映った。

 修太郎よりも5つ以上は若い美少年だったが、纏うオーラは只者ではない。いや、これは――。

 

「ドラ、ゴン――?」

 

「ああ、俺は白龍皇(はくりゅうこう)――『白い龍(バニシング・ドラゴン)』ヴァーリだ。よろしく喫茶店のヴァルキリー、それと――デュリオ・ジェズアルド」

 

 

 

 

 

 

                 ―○●○―

 

 

 

 

 

 

「こりゃ驚いた。シュータロくんってば、こんな人とも知り合いだったんスねぇ」

 

 神すら超える力を持つと言う伝説のドラゴン・二天龍の一角、白龍皇(はくりゅうこう)白い龍(バニシング・ドラゴン)』。

 その魂が封じ込められた神滅具(ロンギヌス)、『白龍皇の光翼(ディバイン・ディバイディング)』の所有者であるヴァーリと名乗った少年を目の前にしてもなお、『煌天雷獄(ゼニス・テンペスト)』のデュリオは飄々とした姿勢を崩さない。マイペースと言うか、全く揺らがない気質は大物とも呼べるかもしれない。

 

「俺もまさか彼の名高き“最強のエクソシスト”がここにいるとは思ってもみなかった。やはり来てみるものだ。力を集めるのがドラゴンの特性なら、もうキミが赤龍帝(せきりゅうてい)でいいんじゃないか? 暮修太郎」

 

「御免だな。神器など俺は持たないし、必要ない」

 

「そうか、残念だ。キミがそうだったら俺としてはとても面白いのにな」

 

「シュータロくんが赤龍帝かー。もしそうだったら今俺ここにいないかもなぁ」

 

 冗談を飛ばすヴァーリの目は実に楽しげだった。笑うデュリオも朗らかに返す。

 洒落にならない内容に、寒気を感じるのはこの場でロスヴァイセただ一人という異様な空間。

 

「あなたも暮修太郎と戦ったくちか。強かっただろう? この男は」

 

「いやーもうデタラメっすわ。まさか俺の雷が斬られるなんて夢にも思わない」

 

「雷切程度、そう驚くことでもない。彼の立花道雪も成したと聞く。探せば同じようなことをできる者もいるだろう」

 

「ははは、ないわー」

 

「ふふふ、それよりもどうだろうデュリオ・ジェズアルド。神滅具(ロンギヌス)使い同士、この後一戦交えてみると言うのは」

 

「流石に白龍皇とプライベートで戦り合うなんてしたくないかなぁ。仕事なら別ですけど」

 

「なら俺がここら一帯で暴れまわったら受けてくれるのだろうか」

 

「流石にそうなると止めざるを得ないですけど……。え、マジで?」

 

「馬鹿が、やめろ。被害が洒落にならん。二人そろって叩き斬るぞ」

 

「それはむしろ俺の望むところだな」

 

「ちょっ、俺もスか!?」

 

 物騒な話しかしていない野郎どもに、戦乙女はドン引きだ。剣鬼の膝の上で目を細める黒猫は、内心でもう諦めているようだった。

 

『黒歌さん黒歌さん、あの人とはどういう関係なんですか?』

 

 念話で黒歌に問いかける。無論、クローズドチャンネルであるため他の面子には聞こえない。

 

『何って、大体想像がつくと思うけど……。はしょって結論を言えば、ガチバトった仲にゃん』

 

『ああー……』

 

 ルーマニアにて吸血鬼討伐の依頼を請け負った時のことである。

 なかなか見つからない標的に森を彷徨っていたところ、同じような目的で訪れていたヴァーリと出会い、色々あってそのまま戦闘。修太郎はヴァーリと、黒歌は何故かその場に居合わせた孫悟空の子孫――美猴と戦うことになった。

 周辺の地形を大きく変えるような死闘を演ずるも、最後には戦闘の余波で住処を破壊された吸血鬼たちの介入が発生。

 黒歌たちはともかく、修太郎とヴァーリの両者ともが大怪我を負っていたこともあり、戦いは中断して撤退することとなる。

 

『それが縁で偶にやってくるようになったにゃん』

 

『なんでそうなるんです……?』

 

 それは黒歌こそが聞きたい。隙あらば再戦を申し込んでくるため迷惑なのだ、この少年は。

 あの戦いはどちらが死んでもおかしくなかった。いや、吸血鬼の介入が無ければ確実にどちらかは死んでいたに違いない。にも拘わらず一向に諦めないヴァーリと言う少年は、筋金入りの戦闘狂(バトルマニア)なのだろう。

 少なくとも黒歌であれば、修太郎の刃を一度受けて再戦しようとは絶対に思わない。

 

「そういや白龍皇殿、確か『神の子を見張る者(グリゴリ)』所属だっけ? ちょっと聞きたいことがあるんスけど」

 

「なんだ?」

 

「――コカビエルのことについて」

 

「ああ……」

 

 笑みを消し真面目な顔で尋ねるデュリオに、ヴァーリは訳知り者の反応を返した。

 

「何日か前にカトリック教会、プロテスタント教会、正教会からそれぞれ聖剣エクスカリバーが強奪された」

 

「聖剣が……?」

 

 疑問の声を上げるロスヴァイセ。

 聖剣エクスカリバー。

 大昔の大戦において四散した最強クラスの力を持つ聖剣の一振り。今は錬金術によってその欠片を基にして7本の剣に分けられ、その内1本が行方不明に、6本が教会内の各宗派に分散して管理されている。

 修太郎がかつて出くわした聖剣使いの少女たちが持つ、『破壊の聖剣(エクスカリバー・デストラクション)』と『擬態の聖剣(エクスカリバー・ミミック)』もその一つだ。

 

「教会としては堕天使陣営全体と、ついでに悪魔の関与も疑ってるスけど、そこらへんどうなってるか教えてもらっても?」

 

「別段隠すような事ではないからかまわないが……。とはいえ俺の情報が真実であるとは限らないぞ? それでもいいのなら教えよう」

 

「どうぞ」

 

「あれは完全にコカビエルの独断だ。悪魔側の関与も無いだろう」

 

 言い切ってヴァーリは黙った。その様子をしばし見つめたデュリオは、次の瞬間様相を崩し。

 

「どもども、ご協力感謝しますです。いや、わかってはいるんだけども一応聞いておかないとね」

 

 俺仕事熱心だから。そう言って笑う。

 天使側は疑ってこそいるものの、組織としての総意で動いている線は薄いと見ていたようだった。

 顎に手を当てて考える修太郎は、ヴァーリに尋ねる。

 

「コカビエル……聖書に名を残す堕天使の一人か。戦争でも起こす気なのか?」

 

「大方そんなところだろう。気持ちは分からないでもないが、いささか無謀だと言わざるを得ない」

 

 ヴァーリの返答は少々意外なものだった。

 

「お前ならてっきり賛同するかと思ったが」

 

「失礼だな。俺だったらやるとしてもタイミングぐらい選ぶさ。アザゼルは戦争を望んでいないからな。この一件、教会側が何もしなくても終わる」

 

 おそらくこちらでケリをつけることになる、と言葉を添えるヴァーリ。

 

「はー、そりゃ何とも。可哀想だなぁ、あの子たち」

 

 デュリオが遠くを見る目で呟いた。

 全員の視線を向けられ、それに気づいたデュリオは言葉を続ける。

 

「実はもう追手が向かってるんスよね。エクスカリバー使いの女の子が二人。本当はこれぐらいのレベルになると俺にお鉢が回るはずなんだけどねぇ、人間側の利害関係も勘定しなくちゃいけないところがこっちのデメリットだよね」

 

 そう言って修太郎を見る。

 

「シュータロくんは知ってるかな? 一人はちょっと忘れちゃったたけど、もう一人、青髪の女の子だよ。一応、俺と同じカトリック教徒の」

 

「ああ、名前は確かゼノヴィア……だったか? となるともう一人は紫藤イリナか」

 

 そうそうそれ! と手を叩く神父。

 聖剣使いのゼノヴィアと紫藤イリナは、修太郎も知るところではある。確かにそれなりの才能は感じたが、現状で堕天使幹部を相手に勝利を収める程の実力があるとは思えない。

 

「言っては悪いがその二人、十中八九死ぬのでは?」

 

「だねぇ」

 

 暢気な様子のデュリオに、修太郎は怪訝な表情になる。

 そしてある結論にたどり着いた。

 

「もしやお前、俺に二人を助けろとでも頼むつもりだったのか?」

 

「うーん、二人とも貴重な聖剣使いだし、出来れば無駄に死なせたくはないんスよねぇ。誰かさんのせいで強力な戦力(ジークフリート)を失って俺の負担も増えたことだし? いやあここ最近の忙しさったらなかったね」

 

「失踪者が出たのは俺のせいではないだろう。当人の問題だ」

 

「あの子たちとも知らない仲ではないんスよね? 心配になったりとかしない?」

 

 やや困り気に話を続けるデュリオ。そう簡単に引き下がるつもりはないらしい。

 

「彼女達がそれを受け入れているのなら止める理由は無い。第一、俺がお前の仕事に付き合ってどれほど損をしたと思っている。頼むなら、相応の対価を用意することだ」

 

「うーん、予想通りの反応……。じゃあこんなのはどうかな?」

 

 そうして言葉を放った。

 

「今、コカビエルは日本のいち地方都市に潜伏しています。その土地は悪魔が管理している場所であり、管理者の名前はソーナ・シトリーとリアス・グレモリー……」

 

 ロスヴァイセとヴァーリには話の理由がわからない。

 修太郎と黒歌だけが反応を示す。デュリオが一瞬こちらへ目を向けた事に気付かない黒猫ではなかった。

 

「現魔王の妹二人が住まい、そしてその眷族が生活している場でもあります。あいつ、悪魔にもケンカ売る気みたいスよ」

 

 つまりは。

 

『白音……』

 

「中々うまい交渉をするじゃないか、デュリオ・ジェズアルド」

 

 睨む目の眼力を強めた修太郎に、神父は頭を掻きながら冷や汗を流す。

 

「いや、本当はこんなこと言いたくはなかったんスけどね。姐さんも心配してたみたいなんでやむなく。ま、恨むなら恨んでくれてもいいスよ」

 

「……いや、情報感謝する。行くぞ、クロ。すぐに日本へ飛ぶ」

 

 そう言って修太郎は席を立ち、荷物をまとめ始める。

 

『でも、シュウ……。あなた日本は……』

 

「問題ない。優先すべきはお前のことだ」

 

『シュウ……』

 

 心配げな黒猫はそれ以上何も言わなかった。彼女自身、妹のことが心配であったのだ。

 

「悪いスね。この礼はいつか」

 

「実はアザゼルからコカビエル捕獲の打診を受けていたんだが……。キミが行くのなら俺は要らないな。せいぜい高見の見物をさせてもらうことにしよう」

 

「え? え? どういうことなんですか?」

 

 瞑目して頭を下げるデュリオに、腕を組んで興味深げな様子のヴァーリ。話に着いて行けないロスヴァイセだけが右往左往していた。

 

 ともあれ、剣鬼と黒猫、一路日本は駒王学園へ――――。

 

 




前回から時間は飛んで原作への導入話。
長すぎる序章はこれで終了。原作はエクスカリバー終盤からになりますかね。
それにしても黒歌もデュリオも口調の再現が難しい。
デュリオとか原作でもあんまり出番がないからなおさらです。


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月光校庭のエクスカリバー
第十三話:聖剣使いたちの剣舞


「迷える子羊にお恵みを~」

 

「どうか、天の父に代わって哀れな私たちにお慈悲をぉぉ!!」

 

 街中に少女たちの声がこだまする。

 現代社会でひときわ目立つ白いローブは教会の戦士であることの証。聖剣エクスカリバー使いのゼノヴィアと紫藤イリナは、戦士の誇りもなんのその、尽きた路銀を補うべく街頭にて物乞いをしていた。

 

 兵藤一誠、匙元士郎、そして塔城小猫の三人は、そんな二人を見て驚きと呆れが混じった視線を向ける。

 

「……おい兵藤、あれが聖剣使いか?」

 

「ああ、そのはずだけど……。またいきなりイメージぶっこわれたなあ」

 

「学園での面影は微塵もありませんね」

 

 匙が疑わしげな声を上げ、一誠が頭を掻き、小猫が事実を述べる。

 

「ま、まあ、目的の人物は見つけたんだ。交渉といこうぜ」

 

「……ああ、くそ。ここまで来たらもう帰れないよな……。すいません、会長……」

 

「行きましょう」

 

 事の発端は、彼女たち聖剣使いが学園へ来訪したことにあった。

 

 ――彼の名高き聖剣エクスカリバーが堕天使に奪われた。

 

 下手人は『神の子を見張る者(グリゴリ)』幹部コカビエル。三大勢力全てを巻き込む三つ巴の戦争を乗り越えた、聖書に名を残すほどの力を有する堕天使だ。

 何のためにこんな地方都市へやってきたのかはわからないが、ゼノヴィアたちの話によればそんな大物がこの街に潜伏しているのだと言う。学園へ訪れた目的は、悪魔側に今回の一件への干渉をやめるよう警告するためだった。

 

 本来であれば話はここで終わり、納得はいかないまでも一誠たちが気にする必要は無かったかもしれない。

 しかし件の『聖剣エクスカリバー』こそ、一誠が所属するグレモリー眷族の『騎士(ナイト)』木場祐斗にとっては鬼門だった。

 かつて教会内部にて行われた非道の研究――『聖剣計画』。その被験体であり、唯一の生き残りである木場は、聖剣に――特にエクスカリバーに対し強い恨みを抱いていたのだ。

 

 それ以前から様子のおかしかった彼である。憎しみの対象が目の前に現れたことでいつもの冷静さを失って、主であるリアス・グレモリーの説得すら聞かずに一人聖剣破壊のために飛び出していってしまった。

 主の手から離れた悪魔は、所謂ところの『はぐれ』として処理されることとなる。警告を破って横槍を入れてしまえば、聖剣使いたちが直接処分を下すこともあるだろう。

 イケメンであることはいけ好かないが、木場には借りも作っているし眷族の大事な仲間でもある。何よりも主の悲しむ顔は見たくないとして、一誠は出来ることをやろうと奮起した。そうして必死に考えた末、聖剣使いと共同してエクスカリバーの破壊を行おうと思ったのだ。

 

 リアスとゼノヴィアたちの話を聞く限り、コカビエルと言う堕天使は現状教会側が派遣した戦力だけでは心許ないレベルの相手であるらしい。

 一誠からしてみれば唯一知る剣の達人だった木場、そして倍化した自分をはるかに上回る実力を示したゼノヴィアたちでも敵わないとなると少し想像力が追い付かない。しかしそれなら、自分が持つ赤龍帝(せきりゅうてい)――『赤い龍(ウェルシュ・ドラゴン)』の力を交渉材料にすれば協力を了承してもらえる可能性もゼロではないと踏んだ。

 

 そして結果は――。

 

「そうだな、一本ぐらい任せてもいいかもしれない」

 

 ファミレスにて食事を奢った後のことだ。口元にご飯粒を付けたままのゼノヴィアが了承する。

 それにイリナが反発し、少々の悶着はあったものの、結果"悪魔"ではなく"ドラゴン"として協力することで話はついた。やはり当人たちも相当無茶な案件であることは承知であったらしい。

 

「それにしても、やっぱり日本人は親切だわ。たとえ異教徒でも持ってる"施しの精神"! イッセーくんは悪魔だけど、きっと潜在的に神の信徒たる素養があるのよ! これは他の人にも期待できるわ!」

 

 そう言って祈りをささげるイリナに、一誠たちは再度ダメージを受けて頭を押さえる。それにまた笑顔で謝るイリナの姿を見て、ゼノヴィアは呟いた。

 

「さっきまで私と一緒になって異教徒どうこう言ってたやつの言葉とは思えないな……」

 

「でもゼノヴィア、昔だって私たち二人とも"彼"のお世話になったじゃない。あの時割って入られなかったら、きっと大怪我してたと思うわ。だから私、お礼に彼へ聖なるロザリオを贈ったの。これで彼もきっと主への信仰心に目覚めているはずだわ!」

 

「確かに世話になったことは否定しないが……。施しを受けたのはイリナだけじゃないか。というか、そんなことをしても彼の様な手合いには無駄だと思うぞ」

 

「あら、やってみなくちゃわからないわ。信仰とは信じることから始まるのよ!」

 

「"彼"って? あのー、いったい全体何の話……?」

 

「ああ、すまない。今回の件には全く関係の無い話だ、気にしないでくれ」

 

 疑問の声を上げる一誠に、至極冷静な顔で答えるゼノヴィア。本当に何でもないらしい。

 突然始まった世間話に微妙な顔をした一誠は、さいですか、と一言返して携帯電話を取り出す。

 

「それじゃ、商談成立ってことで。俺はドラゴンの力を貸す。んでもって俺のパートナーも呼ぶけど、いいよな?」

 

 そう言って木場へ連絡を取ろうとした一誠は、きょろきょろと辺りを見回す小猫に気付く。

 

「小猫ちゃん、どうかした?」

 

「いえ……」

 

 首をひねる小猫の姿はコンパクトで愛らしいが、その表情は難しげだ。

 

「なんだか懐かしい匂いがしたような気がしたのですが、どうやら気のせいだったようです」

 

 そう言っていつもの無表情に戻った。

 少し気にかかったものの、一誠もそれ以上は追求せず改めて携帯電話を操作する。そうして待ち合わせの場所目指し、聖魔混じった5人組はファミレスから出て行った。

 

 

 

 

 

                 ―○●○―

 

 

 

 

 

「まだそこまで事態は動いていないようだな」

 

「…………」

 

「…………」

 

 去って行った一誠たちが座っていた席のすぐ真後ろに、三人の男女がいた。

 漆黒の髪に同色の瞳、鍛え上げられた長身痩躯に鋭い目つきの男、暮修太郎。

 上下共に長袖の衣服に身を包むその姿はいささか時期外れだ。纏う雰囲気は明らかに堅気のそれではなく、集団から頭一つ抜ける長身は本来であれば非常に目立つだろうが、圏境で気配を薄めての隠密行動は誰の目にも咎められることはない。

 

「クロ、どうした?」

 

 男の傍らには黒髪の妖しい美女、黒歌。

 いつもの着物は脱ぎすてて、ワンピースとそれに合わせたジャケットという洋服姿だ。長い髪の毛は三つ編みにして前にたらし、変装用の伊達眼鏡をかけて静かに座ればどこをどう見ても清楚な文学系美女。とはいえ、今現在は仙術の応用で気の質を変え、認識阻害の術式を用いて他者の印象に残らないようにしている。

 見事「そこに誰かいることはわかるが、どういう人物がいるのかはわからない」という状態を作り上げ、一誠たちの目を完全に欺いて見せた。

 

「そうみたいね……」

 

 どうやら考え事に没頭していたらしい黒歌の返答は、ややぼんやりとしている。

 

「妹に直接会いたいか?」

 

「……会いたくないと言えば嘘だけど、この状況じゃ会ってもどうにもならないにゃん」

 

 眼鏡の下から覗く瞳は憂いの色と共に伏せられている。彼女らしからぬ後ろ向きな雰囲気だった。

 

「しかし、いずれは会って謝るのだろう? まさか今のままでいいなどとは思っていまい」

 

「それはそうだけど……」

 

 大方、今更出てきて本当にいいのだろうかとか、実際に妹の姿を見て考え直しているのだろう。加えて名前を変えていることにもショックを受けているようだった。

 自由気まま、且つ快楽的で短絡的な気質である彼女だが、実のところ意外と臆病であることを修太郎は知ってる。

 

「ならば、そうだな……。やることは一つ、か」

 

「シュウ……?」

 

 何かの結論を出したらしい修太郎に、黒歌は疑問の声を出す。しかし男は答えない。

 そのまま体面に位置するもう一人に問いかけた。

 

「ロスヴァイセ、探索はどうなっている?」

 

「…………」

 

「ロスヴァイセ?」

 

 日本にやってくるにあたり、探索要因として無理やり引っ張られてきた戦乙女ロスヴァイセ。

 ノースリーブのブラウスにレギンス、それに合わせてポニーテール状に結い上げた銀髪は常とは違う健康的な色香を漂わせている。彼女もまた通常であれば非常に目立つ容姿だが、黒歌の認識阻害を受けて他者の印象には残らない。ちなみにこの戦乙女、当初はジャージで行動しようとしたため、黒歌に取り押さえられて無理矢理この服を着せられている。

 そんな彼女だが、密かに頼んだ食事を一人平らげて、ぶつぶつと何やら呟いていた。

 

「これが日本のファミリーレストランなるもの……。なるほど家族向けの通り子供でも入れるカジュアルさ、料理の写真が添えられた見やすいメニュー表。値段も手ごろで量産品めいていながら味も悪くない……。客単価は500から2000円かしら。小国ながら経済大国となったのは伊達ではないと言ったところですか。どんな工夫がされているか気になりますね……」

 

「おい」

 

「噂では百均ショップなる全商品を100円で販売する店もあるとか。何という価格破壊。いったいどうなってるのでしょう? とても興味深いです。これが日本……やはり、来てよかった」

 

「……」

 

 彼女に額へ手をかざす。中指を親指で押さえ、力を臨界点まで溜めこんで――。

 パァン、と大きな音を鳴らして一撃。

 

「痛いっ!? あうぅ、急にデコピンはやめてください。あなたのそれ、何故か全身にダメージがいくんですから」

 

 両手で額を押さえるロスヴァイセだったが、走る衝撃に痺れて全身がぷるぷる震えている。発勁技術の応用がここにも生きていた。

 

「それで、探索結果はどうなっている?」

 

「うぅ……。はい、とりあえず街中をざっと調べてみましたが、それらしい痕跡は見当たりません。おそらくは人目に付かない郊外の方ではないかと思います。既に術式は放っていますが、どうやらうまくオーラを隠しているようで結果が出るにはもう少しかかりそうです」

 

「ご苦労。そうだ、ここは奢ろう」

 

「いいえ、結構です。このような時のための予算は確保しています。先月の初ノルマ達成でお給金が少しだけ上がったので」

 

 修太郎の申し出を手で制してロスヴァイセは答える。

 汚すのが怖くて最初の一度しか使ったことは無いが、ただでさえブランド物の服やらバッグやら化粧品やらを半ば無理矢理押し付けられる形で貰っているのだ。自身の仕事のことも併せて、これ以上この男の世話になるわけにはいかない。

 

「今回のお手伝いも報酬は要りません。日本には私も一度来てみたいと思っていたところですし、事情はいまいち把握できていませんが、今までの恩返しも含めて協力させていただきます」

 

「それはこちらとしても助かるが……」

 

「……ちなみにチケット代は今のところこっち持ちなんだけど、それは大丈夫なのかにゃ?」

 

「――――!」

 

 黒歌の言葉に固まるロスヴァイセ。

 昇進しておきながら役職手当も出張手当も宮殿の修繕費にとられて、平ヴァルキリーの平均的な手取り額+αしか貰っていない彼女だ。しかも祖母へ仕送りまでしている彼女にはイタリア→日本までの航空チケット代を払う余裕など微塵も無かった。

 

「……しゅ、出世払いでお願いします……」

 

『…………』

 

 悔しげに顔を逸らしながら頼み込む戦乙女は、確かに社会人の悲哀を漂わせていた。

 

 

 

 

 

                 ―○●○―

 

 

 

 

 

 深夜。多くの人々が寝付く時間帯に、激戦の鐘は鳴り響く。

 月光の下、交わされる剣戟の音は止まない。

 蒼い水晶質の結界に覆われた学園の校庭において、今まさに行われている死闘は常人の理解が及ぶところには無かった。

 

 現在進行形で駒王学園にて展開されている都市破壊の儀式。その実行者であるコカビエルたち反逆者とグレモリー眷族、聖剣使いたちの戦いは熾烈を極めていた。

 手始めにコカビエルが地獄より呼び寄せたケルベロスを皆が共同して撃破。

 次に教会より奪われた三本に加え、さらにコカビエルがゼノヴィアより奪い取った『破壊の聖剣(エクスカリバー・デストラクション)』を融合し強化されたエクスカリバーが完成。それを振るうはぐれエクソシスト、フリード・セルゼンを禁手(バランス・ブレイカー)に至った木場が破るも、聖剣計画の首謀者であるバルパー・ガリレイがコカビエルに始末されてしまう。

 そして今。

 

 空間に張り巡らされた銀糸が空を切り裂き敵へと迫る。

 標的である敵手――堕天使コカビエルは、迫るそれらの悉くを光力の波動で叩き落して右手に現出させた光の剣から刃を飛ばす。

 

「伏せろっ、イリナ!!」

 

 銀糸の主――紫藤イリナの背後から、ゼノヴィアが飛び出す。

 その手には莫大な聖なるオーラを放つ大剣が握られている。『破壊の聖剣(エクスカリバー・デストラクション)』を超える圧倒的なパワーは彼女が本来持つべき得物、最強クラスの聖剣『デュランダル』。

 未だ完全には使いこなせない代物だが、秘める切断力は尋常ではない領域だ。その凶悪な切れ味で以ってコカビエルの放った光波の刃を切り裂いて、イリナの身を守った。

 

 しかし、壮絶な威力の攻撃を打ち破った反動か、ゼノヴィアの動きは鈍くなる。

 それを見逃すコカビエルではなく、左手に素早く光の槍を生み出して投擲しようと構え――。

 

 迫る神速。

 コカビエルの背後に金髪の美少年が現れる。グレモリー眷族が『騎士(ナイト)』木場祐斗だ。

 その手に握る神器、禁手(バランス・ブレイカー)双覇の聖魔剣(ソード・オブ・ビトレイヤー)』が彼の戦意に呼応してその強度と切れ味を増大させる。『天閃(ラピッドリィ)』『夢幻(ナイトメア)』『透明(トランスペアレンシー)』そして『破壊(デストラクション)』の四本を融合させたエクスカリバーすら打ち砕いた切れ味は決して侮れるものではない。

 しかしそれは使い手が熟達している場合にのみ限る。はたして風を切り裂く鋭い斬撃は、コカビエルの光剣に容易く受け止められた。

 

「背後をとっただけで俺の首を獲れるとでも思ったか? 甘いぞ聖魔剣使い」

 

「ぐうっ……!」

 

 僅かな動作で弾かれて空中に投げ出された木場は、自慢の足を封じられてしまう。

 同時に、花が咲くかのごとくコカビエルの背中から十枚の黒翼が出現する。光力のオーラによって鋭く硬質化した翼が、木場を切り裂かんと迫るが、しかし。

 

「甘いのはあなたよコカビエル」

 

 銀糸が全ての黒翼を押さえつけた。

 それだけではない。コカビエルの四肢にまで巻き付いた糸が、堕天使の動きを完全に封じる。

 白銀の糸の正体は『擬態の聖剣(エクスカリバー・ミミック)』。キマイラとの戦いを経て紫藤イリナが試行錯誤の末に考案した斬糸形成の技だ。

 攻・防・補の全てに優れるこの技だが、かかる精神的負担は相応に大きい。しかしここは出し惜しみするところではなかった。

 流石にコカビエル本体を切り刻むにはパワー不足であるものの、エクスカリバーの強度も加味すればこうして押さえつけることは不可能ではない。

 

 その隙をついて駆け抜けるはこの場において最大の攻撃力を持つ剣士、ゼノヴィア。

 デュランダルを覆うオーラは現状で出来る最大域にまで研ぎ澄まされている。イメージは、彼女が見た中で最も鋭い斬撃の主――キマイラを切り捨てた彼の動き。

 本人が見ればあまりの稚拙さに苦い顔をするだろうが、それでも彼女の剣は確かにレベルを上げている。

 通過するだけで大地が裂けるオーラの高まりは、コカビエルをして危機感を抱かせるほどのものだ。

 

「コカビエルッ! 覚悟ぉおっ!!」

 

 気合い一閃。肩に担いだ刃を上段に構えて振り下ろす。

 当たればたとえ堕天使の幹部だろうと両断するだろう。――そう、当たりさえすれば、だが。

 

「だから、甘いと言っているッ!!」

 

 咆哮だけで大地が割れる。

 コカビエルの全身から発せられるオーラがまとわりつく銀糸を、背後に着地した木場を、そして迫るデュランダルの刃と共にゼノヴィアを吹き飛ばした。

 

「ぐああっ!!」

 

「う、ああああっ!!」

 

「きゃあっ!!」

 

 爆風の付近にいた木場とゼノヴィアは大きく吹き飛び、精神力を振り絞って銀糸の拘束を維持していたイリナは襲い掛かる反動に悲鳴を上げる。

 まさしく、圧倒的。これが神と魔王を相手にして生き延びた古強者の実力。

 

「教会の聖剣使いに聖魔剣使い、か。我が根城に来た時は大したことは無いと思っていたが、なかなかどうしてやるものだ。デュランダルのオーラの練りも存外悪くない。即席にしてはコンビネーションもいい塩梅だった。面白いぞ。だが――」

 

「――くっ!?」

 

 横合いから飛び出てきた拳を受け止める。

 グレモリー眷族の『戦車(ルーク)』塔城小猫。小さな体格に秘めたパワーは決して弱いものではないが、コカビエルに通用するかと言えば無謀以外の何物でもない。

 

「駄目だな。力の単位が小さすぎる。やはりサーゼクスあたりでなければな」

 

 無造作に振るわれる拳は、少女の顔面を砕かんと迫り――。

 

 鈴鳴りの音が響く。

 

「む――――?」

 

 とっさに上空を見上げたコカビエルは攻撃の動作を一瞬硬直させる。

 その隙を突いて木場が神速で駆ける。堕天使を囲んで形成される都合10本の聖魔剣は、主の意思に従って敵へ殺到した。

 

「ふん、こんなもの!!」 

 

 堕天使の十翼が羽ばたけば、羽根の一枚一枚が刃の如く研ぎ澄まされて全ての聖魔剣を打ち砕いた。

 ガラスの如く砕ける聖魔合一の刃。しかし、グレモリーの『騎士(ナイト)』は目的を果たしていた。

 

「大丈夫かい? 小猫ちゃん」

 

「……はい、祐斗先輩。ですが……っ」

 

 木場の腕に抱えられながら、唇を噛み締める小猫は自身の無力さを嘆く。この場この時において、彼女の力は何の役にも立たない。

 赤龍帝の力を譲渡されたリアス渾身の一撃も、眷族最強の『女王(クイーン)』姫島朱乃の雷も通用しなかった相手だ。自分程度がどう頑張ったところでどうにもならないのかもしれない。

 だが、しかし、もしかしたら――。

 

(仙術を使えば……でも……っ)

 

 心によぎった言葉を否定する。

 たとえ才能があろうと、あれだけは使わないと決めたのだ。唯一の家族を失うきっかけとなった忌むべき力。少女はもう何も失いたくはなかった。

 

「しかし、仕えるべき主を亡くしてまで、お前たち信者と悪魔はよくもまあここまで戦えるな」

 

 満身創痍の敵を前にして、未だ余裕の表情を浮かべる堕天使は苦笑する。

 その不可解な言葉を受けて、全員の視線がコカビエルへ集中した。

 

「あなた、いったい何を……。主がいないとはどういうこと?」

 

 怪訝な表情のリアスが疑問の声を上げる。

 その問いかけに、コカビエルは心底おかしいとでも言うように大笑いで答えた。

 

「フ、フハハハハハハハハハッ!! そうかそうか、そうだった! お前たちのような下々の者には真相は伝えられていないんだったな! いいだろう、どうせ戦争を起こすのに今更隠す必要も無い。教えてやろう。先の三つ巴の戦争で死んだのは魔王どもだけではない。神もまた、死んだのさ」

 

 

 

 

 

                 ―○●○―

 

 

 

 

 

 学園全体を覆う水晶質の結界。そのドーム状になった頂点に、彼らはいた。

 長身痩躯の剣士・暮修太郎と、黒い着物の悪魔・黒歌。そして銀髪の美少年、白龍皇ヴァーリだ。この場にいないロスヴァイセは、もしもの時に備えて都市破壊の術式を解析し、解除する準備を行っている。

 

「いくぞ、クロ」

 

「…………」

 

 修太郎の言葉に対し、静かに怒気を表す黒歌。

 先ほど白音――塔城小猫が殴殺されそうになった時、殺気を放ってコカビエルの動きを止めた修太郎だったが、実のところあれは賭けだった。コカビエルが相応の実力者でなければ成立しなかっただろう。彼女はそれを怒っているのだ。

 登場のタイミングを見計らうなど、いったい何を考えているのか。今の修太郎は黒歌でも読めない。

 

「謝罪は後でいくらでもしよう。頃合いだ。コカビエルを捕獲する」

 

「……わかったにゃん」

 

 斬龍刀を構え、膂力を振り絞っての一撃。

 結界上を葉脈が走り、秘められた破壊力が開放されれば水晶質の天蓋は瞬く間に砕け散った。

 そうして重力の任せるまま二人は飛び降りる。

 

「なあ、アルビオン。彼ほどの剣士を今までに見たことがあるか?」

 

 降下する二人を見送りながら、内なる龍へと楽しげに語りかけるヴァーリ。

 先ほどの剣技『落峰の太刀』。ヴァーリが戦った時には使わなかったが、あんな出鱈目な技まで持っているとは。本当に驚かされる男だ。

 

『私の知る限りあの領域に達している剣士はいなかった。あるいは、伝説に残る英雄の技とはああいうものを指すのだろう』

 

「英雄、か。俺のライバルにも期待したいところだが……」

 

 視線を移せば一人の少年が見える。

 今代の赤龍帝、兵藤一誠。白龍皇であるヴァーリと対を成す『赤い龍(ウェルシュ・ドラゴン)』を宿す者。一目見ればわかる凡才だ。修太郎はおろか、他のグレモリー眷族と比べてさえ光るものなど何一つ見当たらない普通の男。

 せっかく宿命のライバルだというのに、このままではヴァーリの圧勝が目に見えている。どうすれば彼との戦いを楽しむことができるだろうか。

 

「…………」

 

 ともあれしばらくは様子を見るよりほかは無い。彼は最近目覚めたばかりだと聞く。もしかしたら今後化ける可能性があるかもしれない。

 ならば今は戦いの見学を楽しむとしよう。自分で戦えれば最高だが、たまにはこんな趣向も悪くは無い。

 そして史上最強の白龍皇は、誰にも気づかれずに学園へ降り立った。

 

 




オーディン「マジでノルマ達成しおった」

今回は原作からの変更点の描写と、原作キャラたちのコカビエル戦です。
主人公が戦うのは次回。最近ルビが多くなってきてるので少し読みにくいかもしれません。
というかサブタイが思いつかん。

破壊の聖剣はコカビエルに奪われましたが、ゼノヴィアにはデュランダルがあるので本人は無事離脱できたようです。フリード? やられ方は原作と大差ないのでカット。

いつもと違う髪型や服装の女性ってギャップがとてもいいと思います。普段は露出が多い彼女が低露出になったり、(一見)クールな彼女が二の腕出したり。
うーん、イマジネーション重点。


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第十四話:雷の剣

 月光の下、蒼氷の天蓋を望む駒王学園の校庭。

 絶望に沈むその場所で、夜の闇を切り裂くような叫びが轟く。

 

「覚えとけよ、コカビエル!! 俺はリアス・グレモリーの眷族『兵士(ポーン)』! エロと熱血で生きるブーステッド・ギアの宿主、兵藤一誠だッ!! 」

 

 そう啖呵を切る赤龍帝・兵藤一誠の頭を占めるのはただ一つ、主であるリアス・グレモリーのおっぱい――その乳首を吸うことだけ。

 今からでもそれを想像すれば、とめどなく溢れる思春期のリビドーは天元突破。宿主の強い想いを糧とする神器の特性がそれを読み取り、力を解き放った。

 

 左手の『赤龍帝の篭手(ブーステッド・ギア)』より迸る黄金色の極光がかつてないほど高まっていく。

 膨れ上がるオーラは今までの比ではなく、引き出された神器の力が一誠の総身を駆け巡った。精神状態は最高潮、今ならば何でもできるという全能感が止まらない。

 

 絶望的な実力差と、先ほど告げられた神の不在という真実。その両方を受けて膝をついていたグレモリー眷族に、一誠の叫びが活力を与える。

 

 拳を構える一誠は、コカビエルへと一歩踏み出し、そしてもう一歩、助走のために踏み込もうと足を上げ――。

 

 突如、割れる天蓋。

 ソーナ・シトリー率いる眷族たちが今も懸命に張り巡らせている水晶質の強固な結界が、ガラス細工のように砕け散る。

 

『!!』

 

 その場の全員が天を見上げた。

 グレモリー眷族はもちろん、神の不在に沈むゼノヴィアも、そして紫藤イリナも、コカビエルさえもそれを見た。

 落ちてくる二つの人影。シルエットはそれぞれ大小、どうやら男女一人ずつであるらしい。

 

 人影は一誠のちょうど目の前に降り立つと、ゆっくり立ち上がってその姿を月光に晒す。

 

 一人は長身痩躯の男。古びた篭手と足甲を身に着けて、手には白銀の太刀を携えている。

 漆黒の髪より覗く、鋭い眼光の輝きは餓狼が如し。既に闘気を纏わせた気迫は触れるだけで切り裂かれそうなほどだ。

 

「暮……修太郎……?」

 

 ゼノヴィアが呟く。それに反応してイリナも男を見た。男――修太郎は少女たちへ一つ目線を返すが、それだけだ。

 飛び出そうとする一誠を手で制し、低く平坦な声で言葉を紡ぐ。

 

「その意気やよし。しかし少年、キミにはいささか荷が重い」

 

 突然現れた知らない人物の言葉に、疑問の言葉を向けようとする一誠だが――。

 

「――姉、さま?」

 

 呟く小猫の言葉に、皆の視線がもう一人の闖入者へ行く。

 

 それは美しい女だった。

 豊満なボディラインを包む、しどけなく着崩した黒い着物は妖しい色香を漂わせる。

 光の反射が少ない闇色の黒髪は花魁のように結い上げられて、覗くうなじの白肌が眩しい。しかし、頭から生える猫耳もそうだが、何よりも気になったのはその容貌。

 似ているのだ。塔城小猫に。

 もしも少女が大きく成長したのなら、きっとそうなるだろうと思うほど似通った容姿だった。

 

 小猫は彼女を"姉"と呼んだ。それはつまり――。

 

「はぐれ悪魔、黒歌……!」

 

 リアスが言葉を漏らす。

 ――はぐれ悪魔が、小猫の姉?

 事情を知らない一誠の頭はわけのわからない疑問でいっぱいになった。

 そんな彼をよそに事態は進む。

 

「クロ、結界を」

 

「……了解にゃ」

 

 男の指示に、黒歌と呼ばれた悪魔が力を放つ。

 まず感じたのは莫大な魔力。その強大さは赤龍帝の力を得たリアスすら優に超える。至近距離で魔の波動に触れた一誠は、圧倒的な質量を肌に受けて思わず飛びのいた。

 次いで感じたのは背筋に寒いほどの妖力。比喩ではなく気温を凍てつかせる力の規模は、まさしく伝説に残る大妖怪のそれ。駆け抜ける冷気に木場が聖魔剣を構えて堪える。

 第三に感じたのは純粋なまでの聖闘気。眩く輝く白光はまるで炎のように、黒歌の存在密度を高めていく。太陽に似たそれは本来悪魔の大敵であるはず。リアスと朱乃は、目を見開いて驚愕をあらわにした。

 

 そして咲き誇る術式の花。

 天に掲げられた黒歌の手の平の中、悪魔の魔力、妖怪の妖力、仙術の闘気、インドのマントラ、原初のルーン、北欧魔術、そしてゾロアスターの法術――多種多様の秘法術式が飛び交い、組み合わせられる。そうして展開された魔法陣の曼荼羅が学園全土を覆えば、もはや黒歌の許可なしには誰も出ることができない空間断絶結界が構築された。

 

 絶句する。

 SS級はぐれ悪魔・黒歌の実力は確かに最上級とは目されていたが、しかし、これは。

 この結界を展開するのにかかった時間はたったの数秒。それだけではっきりとわかる桁違いの力量は、明らかに魔王クラスのものだ。いや、もしかしたらそれ以上かもしれないと思わせるほど、リアスたちにとって目の前の黒猫は得体の知れない存在だった。

 突如現れた圧倒的強者を見て、コカビエルは哄笑する。

 

「フハハハハハハッ!! 何だいるじゃないか、強力な助っ人が! 次の相手はお前か? その力のレベル、相手にとって不足は無いぞ!!」

 

 高まる戦意に光力のオーラがコカビエルの総身を覆う。一誠たちを相手にしていた時とは明らかに違う、正真正銘の戦闘体勢だ。

 

「何を勘違いしているにゃん? あなたの相手は私じゃないわ」

 

 興奮するコカビエルに、冷たい視線を向けて吐き捨てる黒歌。

 その言葉に怪訝な表情になったコカビエルは、彼女に尋ねた。

 

「ならばお前の他に誰が戦うというのだ?」

 

 そこへ進み出る人物がいる。長身痩躯の剣士、修太郎だ。

 意外な人物の登場に、コカビエルは一瞬目を丸くして不敵に笑う。

 

「お前が? 俺を? バカな冗談はよせ。お前は人間だろう? その刃からは確かに魔法のオーラを感じるが、デュランダルのような伝説の剣ならばともかく、たかが人間風情がそんなもので俺に敵うとでも思っているのか?」

 

 小馬鹿にしたような態度は、彼の持つ人知を超えた実力に裏打ちされたものだろう。しかし――。

 月光が修太郎の背に降り注ぎ、生まれた影から覗く二つの眼光は漆黒の剣となってコカビエルを射抜く。表情は見えず、しかし高まる戦闘意欲は剣士の身体を大きく見せた。

 

「敵う敵わないの話ではない。斬るのだ。『神の子を見張る者(グリゴリ)』幹部、堕天使コカビエル―――― 一身上の都合により、俺は貴様を斬る」

 

 言葉と同時、発せられた刃の殺気がコカビエルに叩き付けられる。

 そして知った。あの時――あの悪魔の小娘を殺そうとした時、聞こえた鈴鳴りの音の正体を。

 

「――――!」

 

 十翼を広げて飛び退りつつ、光の槍を投射する。

 閃光の如きスピードで狙い過たず修太郎の脳天へ迫るそれを、当の男は――わずかに首を反らしただけで回避。裂ける頬から真紅の血が流れる。

 

 次の瞬間、誰の目からも修太郎は消失した。

 彼の一族に伝わる起こりの見えぬ踏込に合わせ、スカアハより授けられた超人的な跳躍術『鮭跳びの秘術』に体術としての縮地法を織り交ぜた神速の歩法。瞬きの間に彼我の距離を踏破する。

 

「!?」

 

 突然目の前に出現した剣士の姿に驚愕するコカビエル。

 しかし相手もさる者、手に握る光剣を振るい修太郎を切り裂こうとするが――。

 

 闇に瞬く閃光七つ。同時に生まれる風も七つ。

 四肢と胴体二箇所、そして側頭部に刻まれた斬撃。全身より鮮血を噴き出すコカビエル。

 肉体を覆う光力のオーラは健在、聖魔剣すら跳ね返すだろう堕天使の防御を貫いて、こちらが一撃繰り出す間に敵の攻撃は七度。顔への一撃は何とか回避できたものの、このやり取りだけでコカビエルは相手が自身を上回る剣士であることを理解した。

 

 十枚の黒翼が蠢き、羽根の一枚一枚を黒鉄の剣に変える。全方位から殺到するコカビエルの攻撃に対し、修太郎がとった構えは回避でもなく離脱でもなく迎撃だった。

 一撃、そして二撃。白銀の刃が閃光の速さで以って捌く、捌く。一合目で強度を確かめ、二合目で弱点を見抜き、そして三合目。

 

「ぬうっ、おおおお!?」

 

 砕け散る黒翼に、再び驚愕するコカビエル。

 それぞれが魔剣に等しい強度を持つ刃だったはず。それを目の前の剣士は易々と踏み越えた。

 迫る修太郎の眼光が堕天使を貫く。

 

(……まさか、まさかッ、この俺が!!)

 

 全身から波動を放つと同時、はるか上空へ逃れる。

 最速の決断、最速の行動、しかしそれでも胸元を切り裂かれ、再び鮮血をまき散らす。

 

「おおおおお、おおおおおおおおおおおッ!!」

 

 決して浅くないダメージを受けつつも、自身の周囲、空高くに展開される無数の光槍。釣瓶打ちに放ちながら、再展開を順次行い間断なく攻め立てる。

 遠距離からの爆撃に切り替えたコカビエルの攻勢は、駒王学園の校庭を大きく抉り、破壊していく。轟音が辺りに響き、巻き上がる土砂と爆風はまるでこの世の終わりかのごとき有り様だ。

 

「はあっ!!」

 

 ひときわ大きな光の槍を生み出し、全力を込めて撃ち放つ。

 巻き起こる大爆発と、天を貫く光の柱が月光の淡い輝きを引き裂いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

「リアス……」

 

 宙に浮かぶ結界の中、それを見るリアスは信じられない思いだった。横に立つ朱乃や、眷族の皆もまた同じなのだろう、話しかけながらも戦いから目を離さない。

 コカビエルが上空に逃れると同時、黒歌の手によって転移させられ、グレモリー眷族も聖剣使いの二人も全員無事の状況だ。

 それはいい、しかし。

 

 いったいあの男は何者なのだ。

 上級悪魔であり魔王の妹でもある才媛・リアスとその眷族が総出でかかってすら歯牙にもかけなかった堕天使を、あの人間の剣士は単独で追い詰めている。得物はたったの刀一本。魔法の武器であることは確かに確認できたが、ゼノヴィアが持つデュランダルのようなパワーは感じなかった。

 総身を覆う闘気は仙術使いの証だろうか? ともあれ、凄まじい技量だと言わざるを得ない。

 一人、空中に浮かぶ黒歌へと目を移す。

 

 彼女と男の関係も気になるところだった。

 黒歌はあの男――ゼノヴィアが言うには暮修太郎――の指示に従っていた。このことから、暮修太郎と言う男と黒歌が仲間同士であることは疑いようがない。いったい何が目的なのか?

 疑問は尽きない。何もかもが突然すぎる。

 

 黒歌から話を聞き出せればいいのだが、リアスたちは彼女が張った結界に閉じ込められてしまっていた。

 守るためなのか拘束するためなのかはわからない。しかし、コカビエルにすら勝てなかったリアスたちには、現状抗う術が無かった。

 成り行き任せは気に入らないが、今はそれしか打つ手が無い。

 

「姉さま……」

 

 呟く小猫の声だけが酷く耳に残った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はあっ、はあっ、はあっ……!」

 

「どうしたコカビエル。えらく苦戦しているじゃないか」

 

「誰だッ!!」

 

 学園のはるか上空。渾身の攻撃を放ち、肩で息するコカビエルの背後に一人の少年が舞い降りる。

 白龍皇『白い龍(バニシング・ドラゴン)』ヴァーリ。禁手(バランス・ブレイカー)の鎧も纏わず、背に光翼のみを展開している。

 

「『白い龍(バニシング・ドラゴン)』……! 貴様らッ……アザゼルの差し金か……!」

 

「俺はね。だが彼は違う」

 

「何だと?」

 

「心配しなくとも、俺は手出ししないさ。だが一つ警告だ。あの男の前では一時も油断をしてはならない」

 

 そう言ってヴァーリが今も濛々と立ち込める土煙を指さす。

 

「準備しろ、コカビエル。そら、くるぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 はたして土煙の中、修太郎は無事だった。

 降り注ぐ光槍の中で自分に直撃するものだけを全て切り裂き、そして最後の大光槍は斬龍刀を野太刀に変えて大斬撃と相殺し回避。流石に余波で服は焦げ、巻き上がった土と埃で汚れに汚れているが、特に大きな傷も無い。

 この弐型斬龍刀が纏う魔法のオーラは、破壊ではなく迎撃に力を発揮する。

 火炎冷気電撃などなど、諸々のエネルギー系攻撃に対して持ち主を防護する機能に優れているのだ。以前と変わらず切れ味も良く、また頑丈。ドワーフたちの職人気質には頭が下がる思いだった。

 

 立ち込める土煙に、上空のコカビエルを窺うことはできない。しかし、大気を伝わる息遣いを感じ取れば、どこにいるかはおおよそ見当がついた。

 白銀の刃を一振り。敵手の位置を見据える。

 

 修太郎は女神スカアハといくつかの誓約(ゲッシュ)を取り交わしている。

 『飛び道具を使ってはならない』というのもその一つであり、これを順守する限り修太郎にはあらゆる魔法的な幻惑は通用しない。

 この誓約における『飛び道具』に分類される物は多岐に亘り、銃器や弓矢は勿論のこと、投剣や投石、投槍も禁止されている。実質、彼に剣圧以外の遠隔攻撃手段は無く、それにしても最大射程は10メートル程度であり、中距離を超える程のものではなかった。

 

 しかし、この取り決めにも一つだけ例外が存在する。

 女神スカアハが治める影の国において、光の御子クー・フーリンに匹敵する速度で体術を会得していった修太郎だが、一つだけ習得に時間をかけたものがある。

 それが『魔槍投擲』。

 彼のクー・フーリンが使ったことで有名な魔槍ゲイ・ボルグ。その必殺絶技の根幹をなす、魔術体術混合の投擲術法である。

 

 そう、魔術。

 修太郎は肉体を用いた活動においては超越的なセンスを示すが、こと魔術などの理論的な部分においては凡人並に成り下がる。彼自身の魔法力は決して低いものではなく、むしろ魔法使いとしてでも十分通用するぐらいなのだが、感覚的な才能に特化していることから既存の術式を扱う能力が低いのだ。

 故にこの投擲法の習得は至難を極めた。スカアハとの18時間マンツーマン体罰付き。修太郎をして血反吐を吐くほどのそれを4か月こなし、やっと形だけでも習得することができた。

 

 そして、それを基に編み出した『魔槍投擲』の応用――かつて史上最強の白龍皇ヴァーリを地に叩き落したこの技こそ、修太郎が持つ唯一無二の遠距離攻撃法。

 

「その翼、邪魔だな」

 

 斬龍刀を目前に放り投げ、短い助走のあとに跳躍。足でからめ捕る。

 この刹那に術式を込める。総身の回転と共に自らを投擲装置へと変え、溜めこんだ力を解放して蹴りだせば、放たれたのは雷にも匹敵する超速の矢だ。

 

 この一撃、狙い過たず必殺必中。

 込められた呪が自動的に軌道を修正し、そして、攻撃の気配に気付き差し出されたコカビエルの右腕諸共、五枚の翼を抉り取る。

 

「ぐおおおおおおおおっ!!?」

 

 ヴァーリと戦った時には決まった角度でしか放つことはできなかったが、この『魔剣投擲』、今や8割がた完成している。すなわち、いかなる体勢で撃ち出そうと放った物は相手に命中した後、自動的に戻ってくるのだ。

 痛みに叫びながら落ちるコカビエル。それに目掛けて疾走する修太郎の手元を見れば、既に役目を終えて帰ってきた斬龍刀が握られている。

 

 落ちるコカビエルには、もはや飛翔する手は残されていない。

 落下しながらも迫る修太郎に対して無数の光を放つ。がむしゃらに撃っているように見せかけて、その実計算高く配置された光条は彼が歴戦の強者であることを表しているが、それでも。

 修太郎は達人を上回る達人だ。歴戦程度がなんだと言う。デュリオの雷はもっと速かった。ヴァーリの攻撃はもっと強かった。スカアハの戦術はもっと巧かった。何よりもこの程度の波状攻撃、黒歌やロスヴァイセに比べればそよ風に等しい。

 

 瞬間的に消える瞬発の歩法に、絶妙の緩急が攻撃のタイミングを崩す。身体を捻り、反らし、躱せなければ斬り伏せる。悉くが当たらない、当たらせない。

 コカビエルの動作が、視線が、それより感じられる意思が、修太郎へと次の攻撃を教えてくれる。“意を読む”とはこういうこと。これは、同じ技術を修めていなければわからないだろう。

 

 着地したコカビエルは、全オーラを体に纏わせ、光の鎧を形作る。攻防一体だがしかし、全エネルギーを用いた戦闘形態は長く続かないだろう。

 短期決戦で決める気なのだ。それは修太郎としても望むところである。

 

 銀の刃と光の爪が火花を散らす。

 コカビエルは修太郎の超速斬撃を把握しきれていない。しかしそれも今や関係が無かった。何故ならば、彼の纏う光の鎧は修太郎の剣を防ぐことに成功しているからだ。

 完全に防御できている訳ではない。徐々に浅い切り傷が増えていく。だがこの程度、今更気にするほどのものではなかった。

 故に多少の被弾は無視し、攻撃を続行する。

 

 足りない腕は翼で補う。残った五翼を一つに纏め、一本の槍とする。

 一気呵成に攻めるコカビエルに、決め手の欠ける修太郎は愚直に斬り続ける。その様子に、コカビエルは自らの優勢を信じた。

 

 幾十度の応酬の末、コカビエルの爪が修太郎の太刀を捕えた。

 にやりと笑うコカビエルが修太郎の腕ごとそれをかち上げれば、出来たのは大きな隙。

 

「これで……終わりだッ!!」

 

 漆黒の翼槍を引き絞り、今必殺の一撃を――。

 

 太刀を握る腕をめくり上げられ、無防備な腹部を晒す修太郎は、勢いそのままに構えを大上段へと移行させる。

 しばしの脱力。その後、刹那の間に筋力は最高潮の強張りを見せる。内に廻る闘気を第二の筋肉に、そして外の闘気を外骨格の如く操れば、人知を超えた斬撃装置の完成だ。

 この間一秒。コカビエルが止めの一撃を放つのとほぼ同時だった。

 

 示現流が奥義『雲耀の太刀』。

 『雲耀』とは稲妻。その速さは硬い板の上の薄紙を、鋭い錐で貫くのと同等であると言われる。さらに真なる雲耀の太刀は一回の脈拍の8000分の1の速度で放たれ、如何なるものをも切り裂く必殺の斬撃である。

 修太郎の斬撃は普段からほとんどこれに近しい速さと鋭さを持つが、はたしてその彼が真に全力でこれを放てばどうなるか。

 その答えがこれだ。

 

 超光速に達した斬撃は光で編まれた鎧の強度を無視して、槍となった堕天使の翼を断ち、残る左腕を断ち、そのまま左脚を断った。そうして股の直下で速度を保ったまま折れ曲がり、右脚を断つ。遠く背後の校舎に嵌まったガラスが斬撃の余波で罅割れる。

 この所謂V字に通過した刃を、コカビエルは認識していない。それどころか斬られたことすら気付かない有り様だ。

 

 突き出そうとした翼槍が空中に取り残され、そして散り、四肢が鮮血を噴き出しながら肉体を離れて初めて違和感に気付く。

 総身を覆うオーラが霧散する。今、聖書に記された力ある堕天使は無力な存在となった。

 信じられない、と言ったように表情を歪めて修太郎を見る。

 

 月光を背に影となった剣鬼の表情は窺えない。ただ、鋭い双眸が無感情にコカビエルを睨んだ。

 そうして走る銀閃が翼と四肢を失った堕天使の腹を貫き、身体を大地に縫いとめる。

 決着は刹那。この場の誰もがそれを見ること叶わず。

 天から観察するヴァーリすらも、なぜコカビエルが倒れているかわからなかった。唯一、黒歌だけが内容を把握している。

 

 ――雲耀が崩し『逆雷(さかいかづち)』。

 

 究極の柔が究極の剛を生むという、その体現。

 一度放たれれば神すら見切ること叶わない、修太郎が誇る斬撃の極致がこれだ。

 

「? ? ?」

 

 地に縫いとめられたコカビエルは呆然として空を見上げる。

 

 ――何故、俺は負けている?

 ――勝ったと思った。

 ――間違いなく仕留めたと確信した。

 ――タイミングは完璧で、どこにも誤りは無かったのに。

 

 ふと、影が差す。

 訳の分からないうちに自身を下した名も知らぬ男。

 こいつは人間ではない。こんなものが人間であってたまるものか。こいつは――化け物だ。

 

 最後に一矢報いるべく、コカビエルは力を振り絞る。

 手も無ければ足も無い、無様な状態だが、せめて一撃。

 口腔に光の玉が形成される。狙うは男の眉間。

 そうして放たれんとした光線だったが――。

 

「がべッ!!」

 

 顔面を蹴りぬかれて阻止される。勁力の発露で完全に意識が断たれたコカビエルが、この場で喋ることはもはや無いだろう。

 この戦闘、時間にして3分にも満たない。

 堕天使の反逆はこうして幕を閉じた。

 

 




筆の乗るままに投稿。
あとで色々修正したりするかもしれないし、しないかもしれない。

主人公に近接戦闘を挑むなら、絶対的な防御力か彼と同等の技量が必須という話。
おとなしく遠距離から攻めましょう。隙を作ると投擲くるけどな!!


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第十五話:剣劇終わって

「終わっ、たの……?」

 

「……多分、おそらく」

 

 空中を漂う結界の泡に包まれながら、リアスは呟く。傍らの朱乃が答える声はしかし、どこか遠い場所に響いている。

 遠くには、堕天使コカビエルがその十枚の翼と四肢を斬り落とされ、腹を太刀に貫かれて地に伏している。長身の男がそれを見下ろし、静かに佇む姿を見れば結果は明白。しかし何が起きたかわからない。

 

 空中にいたコカビエルの右腕と翼が突然爆ぜ、直後に土煙から男――暮修太郎が出てくるところは見えた。そうして落ちるコカビエルの攻撃を悉く回避する姿も確認できた。その後の人知を超える攻撃の応酬も、内容はともかく行われていることだけは把握していた。

 だが。

 

「なんだ、あれは。斬った、のか――?」

 

「……そうだと思う。……あまり自信は無いが」

 

 呆然とする木場が呟き、ゼノヴィアがそれを肯定した。

 剣の達人であるグレモリーの『騎士(ナイト)』と聖剣使いたちは、この結界内にいる他の者よりもある程度詳しく状況を把握していた。

 

 莫大なオーラの防御でコカビエルが修太郎の斬撃に耐えたこと。

 特攻するコカビエルと、それでもなお斬り続ける修太郎の応酬。

 剣を持つ腕をかち上げられ、致命的な隙を曝け出した修太郎。

 それに放たれた渾身の黒槍。

 

 しかし、次の瞬間には四肢を落とし腹部を突き刺されたコカビエルがいた。

 

 その有り様を見れば何が起きたかは推測できる。誰にも認識できない速度で斬ったのだ。

 信じられないという、何よりもその思いが勝る。何もかもが間に合わない必殺のタイミングだった。それを覆すほどに速い一撃など聞いたことも無い。

 まるで読んでいる本が途中で落丁していたかのような感覚に、眩暈を起こしそうになる木場たち。

 

 コカビエルの撃破と共に、音も無く都市破壊の魔法陣が砕け散る。街と学園の危機は去ったのだ。訳の分からないうちに、何ともあっけなく。

 そんな中。

 

「え? え? ちょっ、いったい全体なにがどうなってるんですか!? コカビエルは? 俺のおっぱいは?」

 

「イッセー……」

 

「イッセーくん……」

 

「イッセーさん……」

 

「イッセーくん、キミってやつは……」

 

 一人疑問と焦りの声を上げる一誠。

 その姿を見て、眷族一同は呆れ、そして気を取り直すことができた。

 

「ふふっ、残念だったわねイッセー。今回は無しよ」

 

「ええええっ!? そんなぁ!?」

 

 リアスの答えに涙すら流して嘆き叫ぶ赤龍帝には、先ほど見せた勇猛さの欠片も無い。

 ともあれ雰囲気は随分と改善された。次にやらなければいけないことは決まっている。突然乱入してきた謎の剣士・修太郎、そしてはぐれ悪魔・黒歌との対話だ。

 気を引き締めなおしたリアスは、中空に浮かぶ黒歌へと声をかける。

 

「戦いは終わったわ! もういいでしょう、私たちを解放しなさい!」

 

 凄まじく堅固に構築された黒歌の結界は、たとえ一部分であっても消滅魔力を用いてさえ削りきるのに時間がかかる。故に、向こうが解除してくれなければ出ることができないのだ。

 相手は遥か格上、力の質のみを見れば魔王クラスと同等の実力者だ。疲弊しきったリアスたちでは一太刀浴びせることすら叶わない相手であり、そこに恐怖が無いと言えば嘘になる。それでも眷族の前で弱みを見せるわけにはいかない彼女は、毅然と言い放った。

 黒歌はその様子を値踏みするかのように見つめて――。

 

「……ふーん。ま、いいでしょ。ほいっ、と」

 

 人差し指をくるりと回せば、泡が割れるように結界が霧散する。同時に、学園全体を覆う空間断絶も解除された。

 綺麗に着地をするリアスと眷族たち。未だ自失状態のイリナはゼノヴィアに抱えられている。

 しかしながら突然解除された結界に対応しきれなかった一誠は背中から落ちた。そしてその上に『僧侶(ビショップ)』アーシア・アルジェントが着地する。

 

「ぐえっ!?」

 

「ああっ!? ごめんなさい、イッセーさん!」

 

 悶絶する一誠と謝るアーシアたち二人をよそに、リアスは同じく地に降り立った黒歌へ問いかける。

 

「……はぐれ悪魔・黒歌。あなたたちはいったい何が目的なの?」

 

「私の方はちょっとした野暮用だにゃん。話ならシュウの方に聞いて。それにしても、窮地を助けられたっていうのに随分上からな態度なのね。言っちゃなんだけど、どんだけ頑張っても今の赤龍帝ちんじゃ勝ち目なかったってのはわかってる? それでも「ありがとう」の言葉一つ無いのかにゃ?」

 

 からかうように、または挑発するように返答する黒歌に対し、リアスは図星を突かれた形だった。

 あの時の一誠が見せた力の高まりは確かに凄まじいものがあったが、先ほどの戦いで見せたコカビエルの本気と比べれば通用したかどうかはかなり怪しい。

 わかってはいるがしかし、それを一応犯罪者である黒歌に真っ向から指摘されるのはなんだか腹が立つ。

 

「あなた……! いえ、そうね……。助かったわ、ありがとう」

 

 とはいえ、文句を言っても仕方がなく、事実を飲み込まずに反論しても自身の不義を露呈するだけだ。リアスは素直に礼を述べた。

 それが意外だとでも言うかのような表情をとった黒歌は、少し満足げに笑う。

 

「へーぇ……。 食って掛かってこないのね。そういう殊勝な態度、嫌いじゃないにゃ。ま、そんなに警戒しなくてもこっちだって取って食おうって訳じゃないから、手早く話を済ませてくるといいにゃん。そんじゃ、いってらっしゃーい」

 

 そう言って、手をひらひらとリアスたちへ去るように促した。

 

「あなたに言われなくとも」

 

 その笑みを、からかわれたと思ったのだろう。

 先ほどから感じる不可解さも合わさって、微妙に怒りをにじませながら破壊された校庭に歩みを進めるリアスだった。

 

 後姿を見送る黒歌の前に、一人の影が立つ。

 

「黒歌、姉さま」

 

 白雪の如き白髪、小柄な体躯の美少女は塔城小猫。黒歌の妹――白音だった。

 心の中の何かを耐えているような、苦しげな表情には怒りと――恐怖が入り混じっている。

 

「ハロー、白音。久しぶりね。元気にしてた?」

 

「……はい」

 

 軽く挨拶の言葉を放った姉・黒歌に、躊躇いながらも答える。

 実に4年以上。久しぶりに出会った姉は、昔のような――本当に昔そのままの気楽な態度だった。

 しかし。

 

「中々悪くない主みたいで安心したにゃん。私の元バカマスターとはえらい違い。良かったわね、白音。あ、それとも――『小猫』って呼んだ方がいいのかしらん?」

 

「――――っ!」

 

 その最後の言葉を聞いた時、小猫の中の何かが噴出した。

 

「姉さま、あなたはっ……! 何で……、何を……!」

 

 わからない。姉が何を考えているのかわからない。

 何故今になって現れた? 何故自分たちを助けた? あそこまでの力を持って何をしようとしている? 何よりも――何故あなたがそんな言葉を吐ける?

 自然、拳を握る力が強まる。急激に白熱していく頭の中は浮かされたようで、冷静な判断ができていないのが自覚できた。

 

「私が、いったいどんな………!」

 

 湧き上がる疑問と、疾走する感情が止まらない。

 わからない。力に呑まれたはずなのに、今の姉からは何の悪意も感じられない。仙術を使わなくても把握できる馴染みのある気は、まるで在りし日の優しい姉そのままだ。

 最後に見た邪悪な何かは微塵も残さず消し飛んで、はぐれ悪魔となった直後のそれとは全く一致しない。

 

「あなたは……、あなたは……っ……!」

 

 何故、どうして、何が。

 疑問が言葉にならない。怒りと戸惑いを込めて、ただ睨むことしかできなかった。

 それでも――。

 何故、何故、何故、何故私の反応に、そんな寂しそうな目をするのだ。

 

「――――!」

 

 その視線に耐えられなくて、自分の心がわからなくて、少女はこの場を逃げ出すしかなかった。

 背を向けて走り出す妹を、姉は追わなかった。

 月光の下、一人佇む黒猫は呟く。

 

「『何で』だなんて。本当に、何なんでしょうね、私」

 

 小さな声で紡がれた言葉は夜の風に消え、誰の耳にも届くことは無かった。

 

 

 

 

 

                 ―○●○―

 

 

 

 

 

 どちゃり、と目の前に皮袋が置かれた。

 その物体を見て、ヴァーリは目の前の男へ疑問の言葉を投げかける。

 

「これは?」

 

「コカビエルだ」

 

 簡潔に答える男、修太郎の言葉は実に的確な事実だけを伝えていた。

 皮袋は人一人入りそうな大きさで、そして中に何か入っているふくらみがある。つまりはそういうことなのだろう。

 

「……何と言うか、キミは割と大雑把だな」

 

「否定はしない。しかし、この方が持ち運びやすいはずだ」

 

「確かにそうだが。……まあ、いいか。しかし皮袋なんて何処から出したんだ?」

 

 目の前の男は生粋の剣士である。

 偶に反則臭い投擲術を繰り出す以外は、本格的な魔術など修めていない武芸者だ。それ故に亜空間収納術は使えないはずなのだが……。

 

「ああ、魔法の道具を使っている。大きさに反してかなりの容量を持つポーチのようなものだ。いくらか前にドワーフたちから貰った品でな、以前はいちいち鞄を持ち歩くか、黒歌に頼ってばかりだったから助かっている」

 

 修太郎の腰の後ろに付けられているベルトポーチは、初めて斬龍刀を改修した際一緒に送られてきたものだ。彼らが作る魔法の品を見ていた時に、そういった物が欲しいと漏らしていたのを聞いていたのだろう。なんにせよ、ありがたく使わせてもらっていた。ちなみに中身は本やら衣服やらの他に、某携帯健康食品の段ボールがダース単位で詰まっている。

 

「なるほど。ああ、そう言えばフリード・セルゼンを忘れていたな。戦いに巻き込まれて死んだか?」

 

 破壊され尽くした校庭の風景を見て、ヴァーリは呟く。

 はぐれエクソシスト、フリード・セルゼン。木場祐斗によって倒された彼だが、先ほどまでここら付近で倒れ伏していたはず。一応、聞きださなければいけないことがあるとして捕縛対象に挙げられていたのだが、この様子では生きているかどうかはかなり怪しい。

 

「もう一人捕獲対象がいたのか? 済まんな、そちらまで手が回らなかった」

 

「いや、気にすることじゃない。いないならいないで別段問題の無いレベルだ」

 

 それより、と言葉を続ける。

 

「最後の技はいったいなんだ? 俺ですら認識できない斬撃とは、まさか、以前戦った時は手加減していたのか?」

 

 もしそうだったのなら腹立たしいことだと思う。

 戦いの空気にあてられたこともあり、返答によってはこの場で以前の決着をつけることすら考慮に入れていた。

 

「それこそまさかだな。お前相手に手加減などできようはずもない。あの時は単純に放つ隙が無かったというだけのこと。あれは乱発できる類の技ではないのだ」

 

 斬り下ろしから速度を保ったまま斬り上げる技術は、修太郎の一族が修める剣術の奥義に当たる。それを真なる雲耀の速度で放つことが『逆雷』の要訣であるが、この技は身体に多大な負荷を強いる代物でもあった。

 一秒――正確にはコンマ八秒の溜めを必要とする超神速の剣は、一度放てばなるほど必殺。しかし溜めの時間を考慮に入れつつ光と見間違うような速度を誇るヴァーリに対して当てるのは、修太郎をして至難を極める。少しでもタイミングを外せば空振るのは必至。加えてそう何度も放てる技でないとあれば、使える機会は限られる。

 

「……そうか、納得した。ともあれ、今回はいいものを見せてもらった。実に有意義だったと思うよ」

 

「それは良かった。では、アザゼル殿によろしくとでも言っておいてくれ」

 

「ふふっ、さあな。それは自分で言うといい。おそらく今後、出会う機会もあるだろう。では、また会おう。――禁手化(バランス・ブレイク)

 

『Vanishing Dragon Balance Breaker!!!!!!』

 

 そう言って皮袋を片手に光翼を広げたヴァーリが白い鎧を身に纏う。光速で帰還するつもりなのだろう。

 大気を震わせるような圧倒的な龍の波動は、以前戦った時よりも一回りは大きく成長しているように見受けられた。また強くなっている。

 

 その時、ちょうどリアスたちが校庭に到着した。

 禁手(バランス・ブレイカー)の鎧を身に纏うヴァーリを認めた一同は、揃って目を丸くして驚いている。その中で、一誠の内にある龍だけが言葉を発した。

 

『久しぶりだな、白いの』

 

「ドライグ……?」

 

 外界へ声を発した内なる龍へ疑問の声を上げる一誠。

 リアス含む眷族たちは、突如として聞こえてきた知らない声に驚き、一誠の方に視線を集めた。そんな一同をよそに二天龍の話は続く。

 

『何だ起きていたのか、赤いの』

 

『ああ。しかし、せっかく出会ったと言うのに何ともわからん状況だ』

 

『まあ、こういうこともあるのだろうさ。なんにせよ、いずれ戦うことになるだろう』

 

『いずれ、か。いやに敵意が薄いじゃないか、やる気が感じられないぞ』

 

『そちらも同じようだがな。どうにも互いに興味の対象が別にあるらしい』

 

『ふむ、そういうことか。まあこれも一興か』

 

 勝手に話を進めるドラゴンたちに、一誠は考える。

 コカビエルとの戦いの最中、突然乱入してきた剣士の男と、自身の禁手(バランス・ブレイカー)に似た白い鎧を纏う人物。

 どうにも白い鎧の方はドライグと――つまりは赤龍帝と因縁があるらしい。つまり、この人物は。

 

「ええっと、白龍皇『白い龍(バニシング・ドラゴン)』だっけ……?」

 

『そうだ、俺たちの宿敵だ。どうする相棒、ここで戦うか?』

 

「いやいやいや!! ……えーっと、俺も疲れてるし、また今度にしてもらいたいんだけど……」

 

『だそうだ。じゃあな、アルビオン』

 

『ああ、また会おう、ドライグ』

 

 別れの言葉を交わす二天龍。

 鎧を纏う白龍皇が一誠を見つめる。兜の奥から注がれる視線はこちらを値踏みするようで、一誠は不快な気分になった。

 

「そういうことだ、いずれ戦うだろう俺のライバルくん。出来れば次に会うときは、もう少し強くなっていてくれると嬉しい」

 

 そう言葉を残し、白い閃光となって飛び去った。

 

「リアス・グレモリー嬢とお見受けする」

 

 夜空に残る白い軌跡を見つめていたリアスへと声がかかる。

 そちらを向けば、長身痩躯の男が一人。目的の人物、暮修太郎だった。

 男の服装はボロボロだが、身体そのものに目立った傷は見られない。強いて言うなら頬に残った一筋の切り傷ぐらいだろうか。それはつまり初撃以降、コカビエルが放った猛攻の全てを完璧に捌ききったということ。その事実に寒気すら感じるリアスだった。

 

「……ええ、そうだけれど」

 

「自分の名は暮修太郎。今回は貴女に頼みがあって参上した」

 

「頼み……?」

 

 怪訝な表情で男を見るリアス。

 修太郎は一つ首肯して言葉を続ける。 

 

「魔王ルシファー殿へお目通り願いたい。叶えていただきたい事があるのだ。その対価として、自分の武力を差し出そう」

 

 

 

 

 

                 ―○●○―

 

 

 

 

 

「暮……修太郎ですか……」

 

「ええ、心当たりはあるかしら。ソーナ」

 

 リアスの問いに顎に手を当て考え込む少女が一人。リアスと同じくこの地方都市一帯の管理を任されている上級悪魔、駒王学園生徒会長のソーナ・シトリーだ。

 あの後、暮修太郎は「詳しい話はまた後日」と言って連絡先を寄越し去っていた。

 意図と目的を追求しようにも目の前で消え去られてはどうしようもない。気配すら残さず大気に溶けた男を認識できないリアスたちは、静かに見送る事しかできなかった。

 

 なんにせよ、コカビエルの件も含めこの事は魔王――兄・サーゼクス・ルシファーへ報告しなければならない。そしておそらく、兄は彼と会うことを決めるだろう。妹の住む街に得体の知れない強者、それも魔王クラスの者がいるとわかれば、公務を無視しても駆けつけるに違いない。実に遺憾なことだが。

 最後に見た白龍皇の存在と言い、どうにも今日は頭が痛いことばかりだ。

 

「リアス、その男性は本当に『修太郎』と名乗ったのですね?」

 

「ええ。ああ、それとこうも言っていたわ。『わからなければ、こう伝えていただきたい。『御道』が貴方との交渉を望んでいる、と』だそうよ」

 

「――!」

 

 その言葉に反応したのはソーナではなく、その傍らに控える生徒会副会長、シトリー眷族の『女王(クイーン)』真羅椿姫だった。

 同時にシトリー眷族の幾人かが表情を変える。特に眷族の『騎士(ナイト)』巡巴柄は顔を真っ青に震える始末。

 

「椿姫」

 

「……御道修太郎です。約4年前に失踪した、神州月緒流筆頭剣士にして日本最強の退魔剣士。『修羅御道』『護国の太刀』『月緒の妖刀』などと呼ばれる、接触禁止対象者です」

 

「接触禁止……? 彼が……?」

 

 驚くリアスの声に、やや硬い表情の椿姫は続ける。

 

「はい。彼に対する眷族へのスカウトは禁止されています。それと言うのも、彼が持つ剣士としての実力に目を付けた上級悪魔たちが悉く帰ってこなかったのです」

 

 その数、わかっている範囲で実に18人。

 最後の方では眷族全員を率いてすら反応を消失させたケースもあったという。これを由々しき事態であるとして、悪魔の重役たちは会議を行いそして彼を接触禁止対象と認定した。

 この『接触禁止』とされる人物は非常に少ない。元来は人間界に悪影響を与えないために、社会的・政治的に重要なポストを担う人間を守るための措置である。悪魔を守るためにそれが適用されたのは初めてのケースであった。

 

「認定そのものは7年は前のことだから、私たちはまだ10歳ぐらいでしょうか。リアス、覚えはないですか?」

 

「確かにリストは渡されたと思うけれど、ほとんどが政治関係の人物だったから興味が持てなくて。あまりよく読んでいなかったかもしれないわ」

 

 リアスの言葉に、一つ溜息をついたソーナは咎めるような表情で彼女を見つめる。

 

「当時の年齢を考えれば仕方のないことかもしれませんが、もう少し気を付けることです。私たちが本格的に眷族を集め始めた頃と、彼が日本で活動していた頃がかぶっていなかったのは幸いでしたね」

 

「うっ、でも心配いらないわ。私は眷族を自分の足で探すタイプだし、評判を真に受けて行動なんてしないもの」

 

「それでも偶然出会う可能性が無かったわけでは……。失礼、話が逸れました。ともあれ、少なくとも私たち悪魔にとって、過去彼は危険人物だったということです。だからこそ、はぐれ悪魔と行動を共にしていることは少々解せません」

 

「黒歌……。凄まじい力だったわ」

 

 力に呑まれ、主を殺したはぐれ悪魔。今では希少な大妖怪・猫魈の黒歌。

 複数種族の力と、複数体系の術式を自由自在に操るその様は、最上級悪魔を超えて魔王にまで届くと確信させるほどのものだった。

 

「ええ、結界を破壊された後、私たちも莫大な力の波動を感じました。御道修太郎のことを抜きにしても、現状の私たちでは手出しできない相手です」

 

「そうね、とても悔しいことだけれど。でも……」

 

「リアス?」

 

 リアスは考える。

 昔はどのようなものだったか知らないが、今の黒歌が仙術の力――邪気に呑まれている様子は微塵も見られなかったように思う。それは破邪の闘気を操ったことからも明白だ。

 であるならば。

 発想は飛躍する。

 もしも邪気の影響を完全に抑えられていると言うのなら、「野暮用」と言い放った彼女の目的は妹である小猫を助けることだったのではないだろうか?

 

「そう言えば、小猫は?」

 

 思えば、先ほどから姿が見えない。

 荒れ果てた校庭を見渡せば、リアスから叩かれたお尻を押さえる木場に、アーシアと一誠が話しかけている姿が確認できる。紫藤イリナと、それを支えるゼノヴィアもいる。しかし小猫の姿はどこにも無かった。

 後ろに控えていた朱乃に尋ねる。

 

「朱乃、小猫を知らない?」

 

「小猫ちゃんなら黒歌と少し話をしたあと、どこかに走り去っていきましたわ。一応、私の使い魔を付けていますから、場所はすぐにわかりますけど……」

 

 彼女の信頼する『女王(クイーン)』はこんな時でも頼りになった。

 目の前のことに注視し過ぎていたとリアスは反省する。因縁の姉と再会した少女をこそ、『(キング)』たる自身は気にしなければならなかったのだ。

 

「ありがとう、朱乃。迎えに行きましょう。ソーナ、悪いけれど話はまた後で。この場は任せていいかしら?」

 

「ええ、学園の管理は生徒会の仕事ですから。とはいえ、この損壊は少々厳しいですね」

 

 そう言って自身の眷族へと指示を出し始める。おそらく生徒会は今夜、徹夜で修復作業を行うことになるだろう。

 その様子を背後にリアスは一誠たちを呼び寄せ、朱乃の先導のもと小猫を迎えに行くのだった。

 

 




ヴァーリ「アザゼル、今戻った」

アザゼル「おう、ヴァーリ。お疲れさん。コカビエルはどうした?」

ヴァーリ「これだ」(どちゃり)

アザゼル「うん?」

ヴァーリ「これだ」

(アザゼル、袋の中身を見る)

アザゼル「oh……」

というわけで続き。お姉ちゃん、地雷踏んでますよ。
思ったより原作キャラと絡ませられなかった……!
作中の話が落ち着いたらもう少し頑張れるはず。
しばしお待ちください。


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第十六話:御道の英雄

 夏も近づき、いくら気温が上がってきたとはいえ、深夜の風はやや肌寒い。

 無慈悲な月の光の下、駒王学園からほど近い住宅街の路地に二つの影が立っている。

 

「ダメよ。反対にゃん」

 

 修太郎の話に、黒歌は反対の意思を示した。

 対する修太郎は、それを半ば予想していたのか静かに彼女の目を見つめ、答える。

 

「しかし、俺が彼らに提供できるものはそれしかない」

 

「そういうことじゃなくて、私のためにシュウがあいつらの飼い犬になる必要なんかないって言ってるの!」

 

 今回修太郎は、リアス・グレモリーたちを窮地から救うことで魔王の関心を買い、交渉の場に引きずりだそうと目論んだ。

 目的は、黒歌に掛けられた罪への恩赦、あるいは再公判。そしてその対価は修太郎の持つ武力。彼は、目的を果たすために悪魔の勢力へと下るつもりでいた。

 学園からの帰り道、思惑を話した修太郎に、黒歌が詰め寄る。

 

「私は今の生活に満足してる。確かに色々めんどいことはあるけど、気楽で、気ままで、楽しい生活だって思ってる。それを、今更指名手配を取り下げるためだけにシュウを犠牲にするだなんて認められないにゃん」

 

 修太郎は人として究極まで高められた武人である。

 その戦闘力は現状でさえ最上級悪魔を凌駕するほどであり、放てば神にすら届く剣を持つ。『悪魔の駒(イーヴィル・ピース)』を用いれば即時に冥界でも有数の戦力と化すだろう。

 しかし主を得て良い目を見た覚えが無い黒歌としては、修太郎が悪魔の仲間となって奴らに従うなど認められない。何よりもそれは、今の生活が壊れることでもあるのだ。

 

「だが妹はどうする。このまま互いのわだかまりを放置して、離れて暮らすことが本当にお前の本懐なのか?」

 

「それは私たち姉妹の問題よ。シュウには関係無い」

 

 関わるなと切り捨てる黒歌。

 しかし、わずかに逡巡した彼女の様子を見逃さず、修太郎はその目をまっすぐ見て答える。

 

「関係が無いなどということは無い」

 

 漆黒の瞳が黒歌の黄金瞳を射抜く。

 

「俺は知っている。お前が時々妹を想って空を見ることを知っている。ロスヴァイセの世話をするとき、彼女と妹を重ねていることを知っている。そしてそんな時、お前の笑顔がわずかに陰りを見せることを知っている」

 

 それに気づいたのは出会ってすぐのこと。理由を知ったのはその大分後だが、だからこそ気になっていた。

 

「でも、だからってそんなの……!」

 

「これは俺の我儘だ。俺がそうしたいからそうするだけ」

 

 だから何も気にする必要など無いと、男は言う。

 静かに瞑目し、言葉を続けた。

 

「たった二人きりでも、お前には家族がいる。そうして喧嘩をできるということは、心を通わせることができるということ。俺にはもう出来ないことだ。お前もお前の妹も、いつ失われるかわからないのならば、その関係を修復させることに手段など選ばない」

 

 再び視線が交わされる。猛禽、あるいは餓狼を連想させる、その刃の視線は何処までも真意を伝えてくる。

 暮修太郎にはもはや血のつながった家族はいない。彼は一度生きる意味を失っている。だからこそ黒歌と出会い、今があった。

 

「頼む。俺は、お前の憂いを払いたい。お前が心の底から笑う顔が見たいのだ」

 

「……ズルい。そんな言い方ズル過ぎよ」

 

 今までの経験からして、こうなればこの男は聞かない。

 そしていつも、自分の事を勘定に入れていないのだ。危なっかしいことこの上ない生き方である。

 しかしそんな男に黒歌は今まで守られてきたし、これからもそうであればいいと思っている。結局、折れるのはこちらだった。

 

「それに、そもそも交渉がうまくいくとは限らない。俺はそういう方面に明るくないからな」

 

「何よそれ、いきなり台無しだにゃ。もしうまくいかなかったらどうするの? 絶対包囲されて捕まっちゃうにゃん」

 

 口角を微妙に上げてそんなことを言う修太郎に、文句を言う黒歌。

 

「何、もしそうなったら二人で逃げればいいだけだ。問題は無い」

 

「うん、何も問題は無いわね」

 

 そう言って、男は不器用に、女は明るく笑った。

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 コカビエル襲撃から数日後の駒王学園。

 放課後の時間帯に学園旧校舎――オカルト研究部部室に集まったリアスとその眷族たち。

 新たに眷族の『騎士(ナイト)』となった元教会の戦士・ゼノヴィアの登場に一悶着あったものの、和やかだった雰囲気は打って変わって緊張感のあるものに変わっていた。

 

「暮修太郎と言う。フリーランスの魔物狩りをやっている」

 

 部室を訪れたのは謎の剣士・暮修太郎。謁見の場が整い、リアスが彼を呼び寄せた。

 長身痩躯の立ち姿はそびえ立つ大樹の如く揺らぎなく、纏う雰囲気は常在戦場を体現しているかのように隙が無い。

 はぐれ悪魔・黒歌の姿は見えない。やってきたのは男一人だけのようだった。

 

 『(キング)』を守る『騎士(ナイト)』両名は、彼が部屋に入ってきた瞬間、この場の全員が致命的な間合いに入ったことを認識した。それと同時に、如何なるタイミングで不意を打とうと次の瞬間転がっているのは自分の首であることも理解する。

 剣を抜いてもいないのに、これである。極まった剣士とはここまでのものか、と自身の未熟を痛感した。

 

 ゼノヴィアは考える。

 以前出会った時も出鱈目な剣士だったが、ここまでの圧力は無かったように思う。彼に明確な対立の意思があるからそう感じるのか、それともゼノヴィア自身の実力が向上したことで男の隠された力を把握できるようになったからなのか。個人的には後者であったらと願うが、前者の感じも否めないのが背筋に寒い。

 なんにせよ、ここで死ぬわけにはいかない。神の喪失を知った彼女は、ようやくやりたいことを見つけたのだから。

 

 木場祐斗は考える。

 コカビエルとの一戦で見せた男の動き――敵の攻撃を悉く回避し、巧みに隙を突いて超速で斬る。木場と戦術を同じくするそれは、まさしくテクニックタイプの理想、究極形そのものだ。つまりは自身の遥か上位に位置する使い手であり、それ故にまともに戦ってもまず勝ち目がないのがはっきりとわかる。

 どちらにしろ、もし戦うとなったら命を懸けて主を守らなくてはならない。聖魔剣に掲げた誓いにかけて、もう二度と何も失わせないと決意を新たにする。

 

 そして赤龍帝・兵藤一誠は考える。

 よく分からないうちにコカビエルを倒したこの剣士。愛する『(キング)』のご褒美(おっぱい)を台無しにした男。それに思うところは無いでもないが、何故周りがここまで警戒するのかは解せない。確かに只ならない人物であることは何となくわかる。しかし結果として自分たちを助けてくれたのだから、そこまで悪い人物ではないように思うのだ。

 ともあれそれが、一誠個人の楽観的な見方であると指摘されれば否定することはできない。

 それよりも、一誠は彼と一緒にいた小猫の姉だというはぐれ悪魔の女性――黒歌の方が気になった。

 別にエロい意味ではなく――いや、それも無いとは言えないが、彼女と出会って以降小猫に元気がないのだ。

 

 事情は既にリアスから聞いている。

 両親に先立たれ、生活に苦労していたところを姉の黒歌が悪魔に転生することで窮地を脱したこと。

 しかし、悪魔になった姉が覚醒した強大な力におぼれて主を殺して逃げ、特別危険な『はぐれ』になったこと。

 それにより妹である小猫に非難が集中し、一時期心を病むほどにふさぎ込んでしまったこと。

 その状況を魔王が助け、リアスが眷族として迎え入れたこと。

 『塔城小猫』と言う名前はその時にリアスが与えた物であるらしい。

 

 小猫の姉、黒歌は仙人が使う術を会得したことでその副作用を受け邪悪な存在になったと聞いた。しかしその後にリアスは、『今の黒歌からは邪気が微塵も感じられない』とも言っている。

 以前と同じく邪悪なままであったなら、小猫を攫うだとかそういった方面にも想像を働かせることができたのだが、姉妹二人で暮らしていた頃の黒歌は、懸命に妹を守る良い姉であったらしい。一誠の愛する主は、黒歌が小猫を助けるために現れたのではないかと推測しているようだった。

 

 おそらくは最後に見た姿と一致しない姉の変わりように、小猫は戸惑っているのだと思われる。そこへ忌まわしき過去の思い出や、自らの可能性への恐怖、一人去って行った姉への怒りが入り混じり、未だに思考がまとまらないのだろう。

 その証拠に、この場に小猫の姿は無い。最近では部活動に参加することも少なくなっていた。

 

 たとえ願望に過ぎない推測だとしても、黒歌の思惑は察せる。

 だからこそ一見関係の無いこの男――暮修太郎の意図がわからない。

 

「リアス・グレモリー嬢。此度は謁見の手筈を整えていただき感謝する」

 

「ええ、兄は――魔王ルシファー様は隣の部屋にいらっしゃいます。朱乃」

 

「はい」

 

 朱乃の先導に続き、修太郎は部屋を出て行った。

 扉が閉まると同時に、息を吐く一同。

 

「ふはーっ、息が詰まるかと思った。あの人って、そんなに警戒する程の人なのか?」

 

 一誠がゼノヴィアに尋ねる。この場で修太郎と以前から面識があるのは彼女だけだからだ。

 

「暮修太郎は、欧州でもトップクラスに位置する魔物狩りだ。異名は多々あるが、最も有名なのが『魔剣(ブレイドマスター)』。最近は教会内でも随分噂になっていたが、まさか堕天使幹部を一蹴するほどの強さを持つとは私も知らなかった」

 

「魔物狩り……って言うのは?」

 

「読んで字の如く、魔物やそれに類する存在を討伐して金銭を貰い、生活する者のことだ。ヴァンパイアハンターなどもこれに当たる。主に在野の神器(セイクリッド・ギア)使いなどの異能者や、家を追われた魔法使い、戦士が多いかな。非公式だが、教会で手が足りない場合は彼らに仕事を流すこともある。その関係上、悪魔や堕天使からしてみれば教会勢力に近い立場なのかもしれないね」

 

「へぇ、そんなのがあるのか。だから部長たちも警戒していたって訳ですね」

 

「それもあるけれど、全部ではないわ。一番大きいのは、彼の目的が判然としないことね」

 

 元最強の退魔剣士であり、凄腕の魔物狩りでありながら、はぐれ悪魔と共にいる。その彼が、魔王へいったい何の要求をすると言うのだろうか?

 

「え? 目的って、小猫ちゃんのお姉さんの罪を帳消しにしてくれとか、そう言うことだと思ってたんですけど。違うんですか?」

 

 手を顎にそえて考えるリアスに、一誠が思いもよらない言葉を放った。

 

「何でそう思うの? イッセー」

 

「だってあの二人、恋人同士じゃないんですか? 部長の推測が間違ってないなら、暮修太郎って人はそれに付き合ってるってことだから、俺たちを助けてその上で要求することってそれくらいしか考え付かないんですけど……。なあ、アーシア?」

 

「はい、私もそう思っていたんですけど……」

 

 一誠の言葉に同意の首肯で返すアーシア。

 リアスは目からうろこが落ちたかのように目を丸くした。

 

 考えてみれば男と女、そう言うこともあるかもしれない。

 てっきり何かの術で暮修太郎に従えられているか、あるいは何らかの利害関係にあるのかと思ってばかりいた。そこに考えが至らなかったのは、暮修太郎――御道修太郎の日本における評判にあった。

 ソーナ・シトリー及びその眷族から聞いた彼の話。

 

 悪霊殺し、悪魔殺し、鬼殺し、龍殺し、荒神殺し――人に仇為す妖魔怪物あらゆる全てを斬り裂いた、魔を断つ剣。

 御道修太郎を指して、退魔師たちは評価する。日本最新の退魔英雄であると。

 そして妖怪たちはこう畏怖するのだ。

 それは即ち――。

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

「――『異形たちの毒』と、彼は呼ばれた」

 

 黒髪の青年が放った言葉に、その場の面子が反応を示す。

 何の変哲もないリビングの様な部屋、思い思いの場所に座る集団がいる。男女入り混じる顔ぶれは皆一様に若い。それぞれが揃いの制服に身を包みながら、着崩している様は個人個人の個性を表している。

 

 言葉を放った青年は、制服の上に漢服を纏い、鈍色の槍を傍らに立てかけてゆったりと椅子に座っていた。

 そうして言葉を続ける。

 

「御道修太郎――現・暮修太郎は、日本における最新の英雄だ。つまり俺たちの先達であり、目標でもある訳だが、その戦果は彼の遠い祖先にあたる源頼光(みなもとのよりみつ)や、神話において聖剣『天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)』を操った日本武尊(やまとたけるのみこと)と比べても遜色ない。その働きを表す事柄は三つ」

 

 そう言って人差し指を立てる。

 

「一つ、東北地方を治める年老いて狂った『九尾の狐』九十九尾(つづらお)の討伐」

 

 続けて中指を立てる。

 

「二つ、かつて飛騨の国にて猛威を振るった大鬼神、邪教の手により復活した『両面宿儺(りょうめんすくな)』の討滅」

 

 そして三つ目。

 

「最後に、これは詳細不明だが、何らかの危険な神を殺し未曽有の被害を未然に防いだ」

 

「神を殺したって……曹操、それ本当?」

 

 疑わしげな視線を向けて、疑問を発したのは金髪碧眼の美女。制服の上に要所を守る鎧を身に着け、腰からは細剣を下げている。

 曹操と呼ばれた青年は質問に答える。

 

「神、と一口に言っても日本のそれと他神話体系のそれは少々成り立ちが異なる。『八百万の神』と言ってね。土地の力、自然を象徴する精霊に近い存在も、また神と呼ばれるのさ」

 

「つまり、それほど強くないってことかしら?」

 

「一概にそうとは言えないが、弱い神が多い、という点では間違ってはいないかな。現に彼はそれ以前にも荒ぶる神――所謂『荒御霊』『祟り神』を討滅している。人と神が近い位置に共存している日本だからこその現象だ」

 

「神がそこらへんに溢れてるってえのが信じらんねェから、あんまり想像つかねぇな」

 

 ソファの肘掛で頬杖を突く男がそう漏らす。

 2メートル近い巨体、張り裂けそうな制服の前を開き、岩肌の如き隆々とした筋肉をのぞかせている。総身から溢れる剛のオーラは彼を強力な戦士足らしめていた。

 

「実のところ俺自身もそこまで詳しく把握している訳じゃない。まあ、知識としてとどめておくだけでいいさ。ジャンヌ、ヘラクレス」

 

 曹操の言葉に頷く二人、美女ジャンヌと巨漢ヘラクレス。

 

「ともあれ、その偉大な所業から彼は日本全土の妖怪魔物から畏怖されるようになった。冗談みたいな話だが『御道の鬼が首切りに来るぞ』と脅せば、どんなにやんちゃな妖怪小僧でも言うことを聞いたというのだから、どちらが化け物なのかわかったものじゃない」

 

 そう言って愉快気に笑う曹操。

 

「でもシューくんって、そんな昔から出鱈目だったのね」

 

「ああ、キミは確か一時期彼らと行動を共にしていたんだったな。どうだ? すごいだろう、暮修太郎は」

 

「何で曹操が得意気なのよ。まあ、その通りだと思うけど。でも、そんなに有名なら外国でも名前が知られてそうなものじゃない?」

 

「確かに。だが、それには理由がある」

 

 曹操は胸ポケットから手帳を取り出し、開く。

 ジャンヌは知っている。その手帳には彼が心の中で思い描く「英雄的リアクション」がびっしり書き込まれていることを。

 

「彼が仕えていた本家――月緒(つきお)家は、千年近い歴史を持つ由緒正しい退魔剣士の一族だ。元来仏教系だった源頼光の子孫が、なぜ神道系に移行したかは諸々の事情があるのだろう。なんにせよ、日本の退魔師というのは揃って閉鎖的で、情報を外に出したがらない」

 

 日本に存在する退魔一族には、名目上彼らをまとめる上位の機関は存在するが、それが徹底して機能しているかと言うとかなり怪しい。

 それぞれの一族がそれぞれの地方に深く根付く関係上、どうしても影響力を発揮できず、隠匿されてしまえばそこまで、という事象も珍しくないのだ。

 

「さて、前提として先に挙げられた三つの事柄は、多少の支援は有れど全て暮修太郎単独で達成している。どう考えても普通の人間では為し得ない事柄だ。何故誰一人仲間がいなかったのか?」

 

「は? 単独? 三つ目はともかく、前二つはどう考えても龍王クラス以上の相手じゃない?」

 

 曹操の言葉に当惑するジャンヌ。ヘラクレスも驚いている。

 

「疑わしいが、まったくもって素晴らしいことに事実なんだな、これが。とはいえ流石の彼も無傷では済まなかったようだが……」

 

 そりゃそうでしょう、と呟くジャンヌ。

 神器を持たない人間が、その肉体と技だけでそのような偉業を成し遂げるとは。なるほどまさしく英雄的だ。いったいどうやったのだろう?

 

「それはともかく、答えだ。分家の末端に生まれた想定外の強者である暮修太郎だが、諸々済んで用済みになった。そこで強敵をわざと当てることで謀殺しようとする動きがあったんだ。一族最強の剣士である彼を月緒の者は殺すことができないからね」

 

 しかしそれは悉く目論見通りにはいかなかった。

 彼は戦いの中でさえ急激に成長し、格上を飲み込んでさらに強くなって帰ってきたのだ。

 ああなんて素晴らしい、震えるな、としきりに呟く曹操。

 

「そんなこんなでこの三件の詳細を知る者は限られる。被害側の妖怪連中と日本の神々以外は、有名な退魔一族や天皇家、一部政府関係者ぐらいか? 日本国内はともかく、少なくとも海外まで話が広がることは必死で防いだはずだ」

 

 そうでないと色々な勢力からスカウトが来るからな、と曹操。

 

「はー。なんだか現実味湧かないわねー。そりゃ英雄とも呼ばれるわけよ」

 

「話がでかすぎて着いて行けねえな。この中でそのシュータローってのと会ったことが無い奴は、俺とレオナルドだけか?」

 

 ヘラクレスが体面に座る少年を見る。

 十代前半と見られるその少年は、イヤホンを耳に携帯ゲームに興じていた。見事なまでの無視に、しかしヘラクレスは慣れたもので一つ鼻を鳴らして曹操へと視線を戻す。

 

「ジーくんは……瞬殺されたんだっけ?」

 

 ジャンヌが部屋の壁を背にして床に座る青年を見て言う。

 枯れたような白髪、制服の上にエクソシストの上着だけを肩にかけた青年は、抜身の長剣――最強の魔剣・魔帝剣『グラム』を抱えている。元教会の戦士『魔帝(カオスエッジ)』ジークフリートだ。

 彼が着る制服の右袖は潰れたように平べったい。彼は、隻腕だった。

 

「……次は負けない。そのために僕もこいつと強くなった」

 

 ジークフリートは無いはずの腕に視線を向けて言い放つ。纏う雰囲気は研ぎ澄まされ、にじみ出るオーラは紛れも無く武の達人が生み出す静かなる闘気。

 彼の内にある力が、鼓動を一つ返して主の言葉に応える。

 

「まあ、俺もジークもまだ要修練だけどな。ゲオルクも熟達したとは言い難いし、準備にはまだかかるだろう」

 

「だからって何も、雁首揃えてこんなファンクラブみたいな……。いや、別に私はいいんだけどね」

 

「いいのかよ!?」

 

「悪いー? 彼が気になるのは何も曹操とジーくんばっかじゃないってこと。あの黒猫ちゃんとも決着付けないとねー」

 

 突っ込むヘラクレスに、悪びれずに答えるジャンヌ。

 

「ちっ、なんかそこまで言われてると気になってくるじゃねえか……! おい、曹操。そいつと戦う機会はあるんだろ? 俺も戦ってみたいぜ」

 

「ああ、機会はある。というか作る。だがヘラクレス、お前は駄目だ」

 

「何でだッ!!」

 

 曹操の言葉にいきり立つヘラクレス。動作の勢いでソファがひっくり返った。

 

「理由は二つ。一つ目は、お前じゃ絶望的に相性が悪い」

 

 曹操は指を一本立てる。

 テクニックタイプの極致にいる修太郎が戦うならば、ヘラクレスは絶好のカモだ。カウンター発動即終了、なんて展開が容易に想像できる。

 

「ぐぬぬ……」

 

 唸るヘラクレスに、曹操はもう一本指を立てる。

 

「そしてもう一つ。彼と戦うのはこの俺だ」

 

「それが全部じゃないの」

 

「聞き捨てならないな」

 

 ジャンヌのツッコミと同時、今まで静かだったジークフリートが立ち上がり、曹操に向かって歩き出す。

 

「彼と戦うのは僕だ」

 

「ふっ、やめておけジーク。俺にも勝てないやつが、暮修太郎と戦って勝てるわけがない」

 

 同じく立ち上がる曹操は、ジークフリートと向かい合って視線を交わす。

 そのまま両者睨み合う形になった。

 

「……試してみるか?」

 

「いいとも。どこでやる?」

 

 高まる戦意は一触即発。いや、もはや既に爆発している。

 剣士と槍使いの静かなる闘気がぶつかり合い、火花を散らして大気を震わせる。

 

「うわっ、また始まったわー。ほらレオナルド逃げましょ。避難よ避難」

 

 ジャンヌは呆れながれもレオナルドの手を引き退出していく。実に素早い動きだった。

 

「何がテクニックだ! おい曹操、俺も戦るからな!! てめえらだけで勝手に話進めてるんじゃねえ!!」

 

 そこにヘラクレスまで参戦しようとするのだからもう止まらない。

 結局この騒ぎは数分後にやってきたゲオルクが治めることになるのだが、それまでに破壊された拠点の部屋数は実に二桁にも及んだと言う。

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 グレモリー眷族の『女王(クイーン)』姫島朱乃に案内され、部屋に入った修太郎の目に入ったのは鮮やかな紅だった。

 リアス・グレモリーと同じ紅色の髪に、絶世の美を表す容貌。優しげな瞳とは裏腹に、感じられる力の質も量も、修太郎が今まで出会ってきた悪魔の中でずば抜けている。

 微笑む魔王の背後に佇むのは羽織を着た男性が一人。涼やかな風貌をこちらに向け、笑った。

 

「魔王ルシファー殿とお見受けする」

 

「如何にも。私が現魔王ルシファー、サーゼクスだ。後ろの彼は私の『騎士(ナイト)』沖田総司と言う。護衛付きで済まない。キミは暮修太郎くんだね? どうぞ、かけるといい」

 

 失礼、と勧められるまま体面に座る。

 視界に入る魔王の『騎士(ナイト)』を見る。

 沖田総司。新撰組一番隊組長で有名な、歴史上の天才剣士。修太郎をしてなるほど強いと思わせる佇まいには、隙など微塵も無かった。

 

「此度は、貴方に願い申し上げたいことがあって参上した」

 

「聞こう」

 

 そして話す。

 自身が今黒歌と行動を共にしていること、そして黒歌に課せられた罪への恩赦を貰いたいこと、その対価として修太郎の武力を提供すること。

 修太郎の話を聞いて、しばらくの間サーゼクスは瞑目し、そして口を開いた。

 

「せっかくの提案だが、受けることはできない」

 

「……それは。理由を聞かせていただいても?」

 

 修太郎の疑問に、一つ首肯してサーゼクスは答える。

 

「理由の一つとして、まず挙げられるのはタイミングが悪いということだ。今回のコカビエルが起こした一連の事件により、近々三大勢力による会談が開かれることが予定されている。おそらくはその場で和平を申し出ることになるだろう」

 

 ああ、これはオフレコだった、と人差し指を唇に当てる。

 

「リアスからの報告と、私たちが調べた事柄を見るに、キミの戦闘力は人間と思えないほどずば抜けている。だからこそこの微妙な時期に強者を招き入れては会談の開催そのものに影響しかねないのだよ」

 

 和平を申し出るのに戦力を増強する必要はない。少なくとも、今は。

 もしそれがバレれば、余計な警戒を招くことになるだろう。

 

「第二に、キミは教会ともつながりがあるようだ。知っているかな? キミが最近欧州で受けていた仕事の大半は教会から回されたものだ。つまりエクソシストの仕事を請け負っていたことになる。このことから、上層部はキミが天界からのスパイだと疑うだろう」

 

 そうでなくとも天使側からの印象は良くならない。加えて、修太郎は堕天使勢力に席を置く白龍皇ヴァーリとも付き合いがあった。

 

「よしんばその疑いが晴れたとして、キミと共にいる北欧のヴァルキリーだ。彼女の存在が、キミと北欧神話勢力との繋がりを暗に、しかし明確に示している。今この時に北欧の神々から介入を受けるわけにはいかない」

 

 そして第三。

 

「最も重要なのは、キミを悪魔側に迎え入れるにあたって、従えることのできる者が非常に限られるということだ。現在活躍している最上級悪魔は言うに及ばず、リアスたちを含めた若手は優秀ではあるが、キミを眷族に出来る程駒を余らせている者はいない」

 

 何よりもキミは、と続ける。

 サーゼクスの瞳が鋭く修太郎を射抜いた。

 

「眷族とするには強すぎる。それほどの力、悪魔となればまず確実に最上級を超えるだろう。そしておそらく、キミが不意打ちを行った時にそれを防げる主はまずいない。そして逃亡を妨げることができる者も極めて少ない。私たちとしては、これ以上強力な『はぐれ』を生み出す危険は避けたいのだ」

 

 つまりそれは――。

 

「私たちはキミを信用できない」

 

「――――!」

 

 ぐうの音も出なかった。

 やはり甘かった。考えが浅かったのだろう。力を求める悪魔の性質を見て、どこか相手を舐めていたのかもしれない。

 暮修太郎――御道修太郎は、悪魔から脅威と見なされるほど彼らを殺している。そんな存在をどうして信じられるだろか?

 これは、こちらが馬鹿だった。

 内心で失策を悟る修太郎へ、サーゼクスは続ける。

 

「はぐれ悪魔・黒歌の恩赦も難しい。確かに彼女の『(キング)』だった悪魔が為したことは悪行ではある。それ故に彼女に下された判決を再度検討することも不可能ではない」

 

 しかし4年以上の時を経て、当時の証拠を集め、且つ証人を募るのは至難だった。魔王の強権を発動すればそれも可能なことではあるが、強引な再公判は周囲の反発を招くだろう。

 そして黒歌にとっては碌でもない主でも、遺族は存在する。上級悪魔としてそれなりの格を持つ彼ら彼女らの意見は決して軽いものではない。

 

 修太郎の武力は確かに魅力的だが、タイミングが悪く、何よりも今までの行動から信用に値しない。そしてそれが成されないのならば、わざわざ危険を冒してまで黒歌の罪を消すことはできない。

 

「では、この話は」

 

「受け入れられない。と、言いたいところではあるが――。こちらとしてもキミたちほどの相手が交渉で大人しくしてくれるならば、それ以上のことは無い。そこで提案しよう」

 

 サーゼクスは言葉を区切り、修太郎の目を見つめて続きの言葉を放つ。

 

「古来よりこういう言葉がある。『信用は勝ち取るもの』とね。確かにキミを悪魔として我々の仲間にすることはできないが、もしキミが本気でそれを望むのであれば働きで示すより他は無い」

 

「働きで、示す……?」

 

「キミを雇おう、修太郎くん。そして、それと共に黒歌には恩赦を授かるための機会を与えよう」

 

 身内にすることは出来ないとしても、契約に従い働いてもらうならば問題は無い。

 それは彼が今までやってきたことでもあるし、各方面への影響は最小限に抑えられるだろう。

 そして、暮修太郎は非常にストイックな仕事をする。その姿勢だけは信頼に値すると誰もが評価するほどに。業務上の秘密を他神話体系に漏らすことは考えにくかった。

 

「恩赦の機会、とは?」

 

「このたび行われる三大勢力の会談、おそらくはそれぞれの勢力における不穏分子が妨害に来る。キミたちにはその警護に当たってほしい。もしもその場でキミが、あるいは黒歌が殊勲を上げることができたなら、信用を勝ち取り、恩赦を受ける程の功績を表すことも可能だろう」

 

 修太郎の質問に答えるサーゼクスは微笑んでいる。

 魔王の立場にある者としてはともかく、個人的には女のために体を張る男を評価してもいた。

 提案を断る理由は無い。修太郎は決意と共に宣言する。

 

「その仕事、承りました。必ずや満足のいく結果を出して見せましょう。魔王サーゼクス・ルシファー殿」

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

「総司、彼を見てどう思った?」

 

「強いですね。まったく隙がありませんでした。私が全妖怪を出して本気で戦っても勝てる可能性は五割以下、といったところでしょうか。それも見た限りですが」

 

「彼を転生悪魔として迎え入れる場合、おそらくは魔王の誰かが主とならなければいけないだろうな。若手が従えるには強すぎる」

 

「ええ、そうした方がよろしいかと。今現在、駒を余らせている方はレヴィアタン様だけでしたね。寡黙そうな彼にはちょうど良いのでは?」

 

「ああ。だがそれも、彼がこれからとる行動にかかっている」

 

「心配はいらないでしょう。やると言ったらやる男だと思いますよ。彼は」

 

「なぜそれがわかる?」

 

「えー、大変言いにくいのですが、彼と同じような目をした人間を何人か知っていまして」

 

「それは……?」

 

「……討幕活動に参加していた志士たちです。命を懸けている目ですね、あれは」

 

「なるほど、つまり彼もまたSAMURAIと言うことか」

 

「サーゼクス様……?」

 

「たとえばセラフォルーが彼を『戦車(ルーク)』にしたとして、私の『戦車(ルーク)』……セカンドあたりとトレードしたなら、今夜は総司と彼でダブルSAMURAI……。胸が熱くなるな」

 

「セカンド泣きますよ。そんなことよりグレイフィア殿を迎えに行きましょう。いつまでも外で黒歌殿と睨み合わせている訳にはいかないでしょう」

 

 

 




そんなこんなでてっとり早く交渉を終わらせました。
つまり今までとそんな変わらない、ということ。
こんな無駄に強くてよくわからん奴、普通はすんなり迎え入れません。裏切られたら被害甚大ですから。過去の所業も大きく響いています。

唐突に挟まった当作品の英雄派たち。
ちょっと無理矢理感があるなと思わないでもありません。

主人公設定盛りすぎのような気がしてきた。
ともあれ、これが日本における彼の評価。頭おかしいですね。


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停止教室のヴァンパイア
第十七話:引っ越しの挨拶と聖剣使い


「あづい~。日本の夏ってやっぱ外国と違ってしつこい感じにゃ~」

 

「……ここだ。着いたぞ、クロ」

 

 魔王サーゼクス・ルシファーからの依頼を受けて数日、中天を往く初夏の太陽が道行く二人を照りつける。

 目の前には小奇麗なマンションの入り口。

 今までは適当なホテルで暮らしていた修太郎たちだが、三大勢力の会談を警護するにあたって町に滞在する関係上、サーゼクスより拠点となる住居を紹介された。

 何でもここは悪魔が管理する施設であるらしく、魔王からの紹介ということで敷金礼金家賃全てが破格の安さとなっている。元来あまり出費には頓着しない修太郎たちだが、最近は特にロスヴァイセのお小言を聞かされたこともあり、安く済むならありがたく利用させてもらおうという運びになったのだ。

 ちなみにそのロスヴァイセは既にイタリアへ戻っている。噂の百均ショップに立ち寄った彼女はかなりご満悦の様子で、おそらくはこれからも転送魔法でちょくちょく来る気だろうと思われた。

 

 悪魔の用意したマンションだけあって監視や盗聴の危険性も懸念されたが、監視なら既についている気配があるし、盗聴されて困ることは(修太郎には)無い。あったとしても黒歌が勝手にどうにかするだろう。

 そんなこんなでほぼ手ぶらの二人は、つつがなく入居を済ませた。

 

「備え付けの家具だけだとなんだかさびしいにゃん。後で買い物しなくちゃね」

 

「ああ、そうだな。そういえば街の探索はあらかた済ませたが、デパートまで足を延ばしたことは無かった。明日にでも行ってみるか」

 

「やたっ! 久しぶりのデートにゃん?」

 

 欧州では人型での行動に制限がかけられていた黒歌だが、ここにはそれが無い。つまり、気配遮断や認識阻害などの隠行術を使わなくても普通に街を歩けるのだ。

 鼻歌を歌いながら亜空間から大きな旅行鞄を取り出し、服を選び始める黒歌。そんな彼女をよそに、修太郎もまたドワーフ謹製のベルトポーチから包みを取り出した。

 

「あれ、何にゃん? それ」

 

「引っ越し蕎麦だ。商店街で買った。近所への挨拶は基本だろう?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まずは右隣の部屋。

 チャイムを鳴らすと、出てきたのは茶髪の男性だった。外見から見て年齢は修太郎よりも二つか三つ上だろうか? 北欧系の顔立ちは、明らかに日本人ではなかった。

 男はドアの前に立つ修太郎の長身を見て一瞬驚いた顔をする。

 

「このたび隣に引っ越してきました、暮修太郎といいます。これは連れの黒歌。どうぞよろしくお願い申し上げます」

 

「よろしくにゃー」

 

 二人そう言って包みを渡すと、困惑しながらも受け取った男は挨拶を返した。

 

「え、ああ、うん。どうも。俺はベオウ……ベオっていいます。こちらこそどうぞよろしく」

 

 ベオと名乗った男性は首だけで頭を下げる。

 想定外、あるいは予想外とでも言うような困った様子だったが、こちらの目を見て言葉を返す様子は好ましいものだと感じた。

 

「はい。こちらとしてもそちらのお手を煩わせないよう、報告連絡はある程度行う所存ですので」

 

「え?」

 

「自分が言っても信用ならないでしょうが、何か行動を起こす際はお伝えいたします。それでは、お勤めご苦労様です」

 

「え、ええ? はい?」

 

 疑問符を浮かべるベオを後ろに去って行く修太郎と黒歌。

 その背中を見つめるベオ――休暇ついでに修太郎たちの監視及び有事の際の足止めを任された、ルシファー眷族『兵士(ポーン)』ベオウルフは、呆けたようにしばし立ち尽くすしかなかった。

 

「ええ~?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 続いて左隣。

 チャイムの後に出迎えてくれたのは、果たして意外な人物だった。

 

「あなたは……暮修太郎、と小猫の姉」

 

「知った気配がするかと思えば、キミだったか」

 

 扉を開けたのは青髪に緑のメッシュを入れた少女。元教会の聖剣使い、ゼノヴィア。

 突然訪ねてきた修太郎と黒歌の姿に驚く少女。

 

「うん、グレモリー眷族として悪魔になったからね。ここは赤龍帝――兵藤一誠の家にも近いから、何かと都合がいいんだ。彼の家にはリアス部長とアーシアもいるから」

 

 わからないことがあったらすぐに尋ねに行くのだと言う。なるほど、ここに来るまでの道中でいくつか見知ったオーラの波動を感じたが、それが原因だったのだろう。

 

「そう言えば悪魔になったのだったな」

 

「元教会関係者が、また随分と思い切ったにゃん」

 

「我ながらそう思わない日は無いよ。ただ、私にもやりたいことができたんだ」

 

 苦笑しながらも後悔は無いらしい。その表情は晴れやかだ。

 

「そうか。人生に目標や生きがいを持つのはいいことだ。それはそれとして、このたび隣に引っ越してきたので挨拶に来た」

 

 そう言って、蕎麦の包みを渡す。ありがとう、と受け取るゼノヴィア。

 

「なるほど、これが噂の引っ越し蕎麦、と言う奴だね。蕎麦と側をかけているのか。日本には変わった風習があるんだな」

 

「近頃はあまり見られないようだが」

 

「そうなのか? ということは今、私はレアな体験をしている訳だ。うん、なんだかわくわくするね」

 

 そう言って包みを色々なアングルから眺め出した。商店街で買った普通の品なので別に変わったところがあるわけではないのだが、せっかく本人は嬉しそうなのだから放っておくことにする。

 

「ではな、これからも良いご近所づきあいを頼む」

 

「あ、待ってくれ! 私もあなたに話したいことがあるんだ。よければ、上がっていってもらえないか?」 

 

 引き留めるゼノヴィアに、修太郎と黒歌は顔を見合わせる。

 

「……構わないが」

 

 別段敵意も感じず、特に断る理由も無いので二人はこれを了承した。

 

 ゼノヴィアの部屋は、まだ暮らし始めて間もないからか、やや殺風景だった。

 最低限そろえたと見られる機能性を重視したシンプルな家具は、如何にも彼女のイメージに合う。

 マンションの一室には、リビングの他に部屋が二つあるが、気配を探ればゼノヴィアの他にもう一人住人がいるようだった。修太郎が知る中で心当たりがある人物と言えば……。

 

「紫藤イリナがいるのか?」

 

「やっぱりわかるのか。うん、イリナもこの部屋で暮らしている。しかし、私よりも信仰が深かった彼女はあれからどうにもふさぎ込んでいてね。あまり部屋から出ようとしないんだ」

 

 神の不在を知ったイリナは、なんと一週間近く寝こみ、それ以降もまるで元気がないとのことだった。

 元相棒としてゼノヴィアも色々と世話を焼いてはいるものの、悪魔になったことで交流が困難になったらしい。ならばなぜ悪魔などになったのか、と修太郎は疑問に思った。

 

「それで、話とは?」

 

 勧められるまま修太郎と黒歌の二人は並んで座し、ゼノヴィアとテーブルを挟んで向かい合う。

 

「その前に一つ。小猫の姉……黒歌と言ったかな? あなたに聞きたいことがある」

 

 ゼノヴィアが黒歌を見て尋ねた。

 

「何にゃ?」

 

「あなたに小猫へ危害を加える意思があるか否か、それを問いたい」

 

 途端、黒歌から発せられる圧力が急激に増し、ゼノヴィアの身体を叩く。

 周囲への影響を考えてか、そこまで激しいものではない。しかし、感じられる質――所謂殺気――は少女に冷や汗をかかせるには十分だった。

 とはいえ、たとえ踏み込み過ぎた質問でも眷族の『騎士(ナイト)』としてこれは譲れない。

 

「クロ」

 

「……ま、眷族仲間だもんね。いいわ、答えはノーよ。同じ貴重な猫魈だし、何より妹だもの。そんなことしてもメリットなんて無いにゃん」

 

 修太郎がそれを諌めてようやく圧力が霧散する。小さく安堵の息を吐くゼノヴィア。

 今すぐここで殺されることは無いと思っていたが、格上から浴びせられる敵意はやはり心臓に悪い。

 

「ああ、それが聞けただけでもよかった。最近どうにも彼女は元気がないようでね。中々込み入った事情のようだけど、早く仲直りしてくれると私たちとしても助かる」

 

「こっちとしてはそのつもりなんだけどにゃー。私が近づくと、何でかあの子逃げちゃうのよ」

 

「再会した時に、お前が余計なことを言ったからだろう」

 

「だって白音ったら、私がいないのに楽しそうなんだもの。名前まで変えちゃって、そりゃ私が悪いってわかってるけど、思わず口が滑っても仕方ないじゃない?」

 

 頬を膨らませて拗ねたような表情になる黒歌。要は嫉妬していたのだ。

 あの後、何度か小猫と接触しようと近づいたものの、黒歌の姿を認めるたびに逃げ出す始末。その気になれば捕まえることは容易いが、まさか怖がっている相手を力づくで連れて行ったとして、話が成立するとは考えられない。監視もついているとなればなおさらだろう。

 

「完全に意地になっていると見える。機会を窺うしかないな。時間が経てば、少しは落ち着くだろう」

 

 つまりはそういうことに落ち着くのだが、黒歌は不満げだ。

 

「すまないが、話の本題に入っていいだろうか?」

 

 逸れた話にゼノヴィアが言葉を放つ。

 確かにこのまま無駄話をしていてもしょうがない。

 

「ああ、構わない」

 

 修太郎の返答にゼノヴィアは居住まいを正し、正面からこちらを見据えて口を開いた。

 

「単刀直入に言わせてもらおう。暮修太郎殿、私をあなたの弟子にしてもらえないだろうか?」

 

「……それは、何に対して?」

 

 放たれた言葉に対し、修太郎は疑問で返した。意図はわからないでもないが、一応だ。

 

「もちろん、剣術だ。……そうだな、順を追って話そう」

 

 ゼノヴィアは語る。

 教会本部イタリアはローマで生まれ育った彼女だが、聖剣デュランダルを扱えるほどの素質を持っていたことから、幼少のみぎりより、神のため、宗教のため、修行勉学に励んできたのだと言う。

 それ故に人生における目標はおおよそ宗教に絡んだものとなったらしく、神の不在という真実を知り、それらの目標が全てご破算になったとのことだった。

 

「つまるところ私には生きがいという物が無くなってしまったわけだが、そこで見つけたのがあなただ」

 

 ゼノヴィアは、真っ直ぐにこちらを見つめて言葉を続ける。

 

「確か前にも言ったと思うが、私はあなたほど剣術に長けた人物を見たことが無い。正直何が起きたかはわからなかったが、コカビエルを倒すあなたの姿を見た時、衝撃が走ったんだ」

 

 曰く、自分も同じ剣術を使ってみたい、と思ったのだそうだ。一刀の下に敵を下すその剣は、彼女の理想であるらしい。

 

「しかし、そこで生まれた問題があった。おそらくあなたの剣術は、あなただけが持つ才能を極限まで磨き上げて編み出したオンリーワンな代物なのだろう。私では十年二十年頑張ってもまず身に付けられない。百年かけても無理だとわかる。それだけあなたの才能は破格で、奇跡的なのだと推測できた」

 

 だから――。

 

「私は考えた。ならば千年、万年ならどうか? と。そんなわけで私は悪魔になった。まあそれだけでなく、神がいないと知って半ばやけくそになった感じも否めないが、ともかく私はあなたの剣を覚えたいと思ったんだ。私自身強くなれば、悪魔のゲームでも役に立つ機会が増えるから一石二鳥と言う奴だね。でも正直、あなたの剣技は傍から見ていても何をしているかわからない。だから覚えるも何も無い訳で、そこでこうして直接頼んでいるんだが……」

 

 ダメだろうか? と困り気な表情で見つめてくる少女。

 当の修太郎は、内心で困惑しきりだった。

 修太郎は過去現在未来合わせても人類最強クラスに位置する剣士だろう。『奇跡的な才能』と言うゼノヴィアの評価は当たっている。

 最初に修めた流派に数多の技術を取り込んで、もはや原形すらとどめていない修太郎の剣術は誰にも真似ができず、そして彼自身教える術を持たない。現に今まで出会い、打ち破ってきた剣士の全てがそれを悟り、修太郎へ剣の教えを乞うことはしなかった。

 つまりこういった申し出を受けるのは初めてなのだ。

 

「初めに言っておくが、俺は弟子などとったことが無い。それ故に、キミへ何を教えればいいのか皆目わからない」

 

「それでもいい。少し動きを見せてもらえれば勝手にやってみる」

 

「俺は人間だ。千年以上もキミには付き合えない」

 

「とっかかりが欲しいんだ。それにあなたは今、悪魔の信用を得るために仕事を受けたと聞く。いずれ誰かの眷族になるんだろう?」

 

 ゼノヴィアがそれを知っているのは、おそらく余計な誤解を招かないよう、サーゼクスからリアスにでも連絡があったのだろう。

 

「さあな、まだわからない。何にせよ、たとえ俺がキミの指導に取り組んだとして、その結果には一切の責任をとることが出来ない」

 

 修太郎はそれが嫌なのだ。彼は一度仕事を受けたなら、それを完遂させねば気が済まない性質なのである。

 

「私はそれでも……」

 

「俺が嫌だと言っている。師は弟子を導いてこそ。俺にそのような能力は無い。諦めて他を当たることだ」

 

 有無を言わさずゼノヴィアの言葉を切り捨てる。

 睨むような修太郎の目を、それでもまっすぐ見つめるゼノヴィア。その様子が退く気はないと雄弁に語る。

 ならば――。

 

 鈴鳴りの音が一つ。

 

「――!!」

 

 斬り裂かれるような気配に、ぞわり、とゼノヴィアの全身が総毛だった。

 鋭い痛みを首筋に感じて、とっさにそこへと手を当てる。

 ――斬れていない。

 

 先ほど感じた感覚の正体は、凄まじく鋭利な殺気。

 退魔剣術月緒流が基本戦技『朧風(おぼろかぜ)』。本来は戦闘中のフェイントに用いられるただの殺気運用術だが、熟練者が格下相手に使えば時に幻痛すら伴う代物と化す。

 

 ゼノヴィアとて悪魔になったことで基礎身体能力は向上し、前よりも強くなっているはずだ。

 それでも、力を込めた殺気一つで決意がくじけそうになる。とんでもない男だと、改めて思うより他は無い。しかし、だからこそ――。

 

「私は、あなた以上の剣士はいないと確信する。この機会を失ったら、今の私にはもうやりたいことが思いつかないんだ。頼む……頼みます。何でも言うことを聞きますから、どうか私に剣を教えてください」

 

 そう言って土下座する少女に、修太郎は自らの失敗を認識した。

 諦めさせることを目的に放った殺気で、逆に覚悟完了されてしまっては世話無い。

 ここ最近、どうにも失敗続きだ。デュリオが切っ掛けとなり来日し、魔王との交渉では認識の甘さを露呈し、そして今、このような少女にまで押されている。

 たとえどれだけ強いと言われても、一皮むければただのコミュ障。それが暮修太郎なのだろう。そう思えば気分も下がる。落ち込むなどいったい何時振りだろうか。

 

「……模擬戦の相手ぐらいはしても構わない。しかし、それだけだ。俺の剣は教えないし、教えることができない」

 

 言い終わるや否やゼノヴィアは顔を上げて、ぱあっと表情を輝かせる。目の端には涙まで溜めて、気丈なことだと思考の方向を逸らす。

 

「うん、それでもいいんだ。ありがとうございます」

 

 変な犬に懐かれたような感覚が止まらず、修太郎は内心頭を抱えることになった。

 どうして、こうなった。

 

 

 

 

 

 

                 ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 そして場所は移ってマンションの屋上。

 修太郎とゼノヴィアは、互いに木刀を携えて対峙している。

 あのまま彼女の強い要望で模擬戦をしようということになり、半ば自棄になった修太郎はこれを受けた。

 

「なんだかんだ言って、シュウってばお人好しよね。敵は女子供でも斬り捨てる癖に、そうじゃない相手に敵意無く迫られると弱いんだから。まったく、懲りないにゃー」

 

 屋上全体を結界で保護する黒歌は、空中に浮かべた魔法陣に座って観戦の姿勢だ。

 目の前で木刀を構えるゼノヴィアは、うずうずとした様子を隠そうともしていない。修太郎も、ゆっくりと木刀を持ち上げ正眼に構えた。

 

「行くぞっ!!」

 

 踏み込むゼノヴィア。

 『騎士(ナイト)』の特性を使って高速で駆け抜ける。通常の立ち合いならば使わないのだろうが、この男が相手となればそれが致命的になると判断してのことだった。

 デュランダルを扱う要領で木刀に纏わせた魔力を研ぎ澄ませての一閃。風を裂き、斬鉄すら成すだろう渾身の剣はしかし、次の瞬間に空を斬った。

 

「!?」

 

 そして、気付いた時には吹き飛ばされていた。

 こみ上げる嘔吐感。みぞおちに木刀のめり込んだ感覚が、一拍遅れてゼノヴィアの脳を駆け巡る。

 

 結界の壁にぶつかると同時、吐しゃ物を吐き散らす。

 たったの一瞬、一刹那。もしもこれが実戦だったら、既に上半身と下半身が泣き別れている。

 いったいどういう攻撃を受けたのか、実際に相手してもわからない。強いなんてものじゃない、圧倒的な隔たり。次元の違いだけを把握する。

 

「動きが真っ直ぐすぎる。高速で動くにしても脚の運動にもう少し遊びを持たせろ。その姿勢では次にどういった軌道で斬撃が来るのか丸わかりだ」

 

 言いながら、ゆっくり歩いてくる男の眼光は鋭く恐ろしい。

 先の一撃を受けただけで、ゼノヴィアから見た今の修太郎は天を突くような巨大な絶壁に見えた。

 こみ上げる吐き気をなんとか堪えて、再度構える。

 

 こうして見れば隙など微塵も見当たらないように思える。思うと言うのは、意図的に作られた隙のようなものが瞬く間に浮かんでは消えを繰り返し、攻めるべきタイミングを崩してくるからだ。

 複雑怪奇なその様は、今のゼノヴィアに理解できないものだった。どこに打ち込んでも次の瞬間に転がってるのは自分だと、そう思えて躊躇する。

 そして、気付けば宙を舞っていた。

 

 投げられたのだと知った時、目の前に迫る木刀の軌跡が見えた。

 とっさに自身の木刀で受け止めたものの、宙で弾かれて地に叩き付けられる。何とか受け身に成功したが、あまりの衝撃に意識が飛びそうになった。

 

「何故動かない。『騎士(ナイト)』は速さを武器にしているんだろう。動きを止めるな、臆せばそこで死ぬと思え」

 

 男の低く平坦な声が響く。怖い、と思った。

 鋭すぎる目つきからは一切の容赦が排除されている。ゆっくりなはずの歩調は、まるで死刑宣告のカウントダウンに思えてくる。決して避けることのできない脅威、『死』とはまさにこれを言うのだろうと実感した。

 再び立ち上がるゼノヴィアだったが、あまりの実力差にもはや戦意が折れそうだ。

 

 それでもなけなしの意志を振り絞り、震える脚で立ち向かう。

 これを乗り越えればきっと彼に一歩近づけると信じて。

 

 一分後、何一つ修太郎の動きを掴めないままボコボコにされ、完全に気絶したゼノヴィアの姿があった。

 

 

 

 

 

 

                 ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 ドアをノックする音が聞こえる。

 ベッドの端で足を抱えてうずくまる少女、紫藤イリナは虚ろな瞳で自室のドアを見た。

 またゼノヴィアが食事でも運んできたのだろうか? 自分は放っておいてくれといったのに。

 

 悪魔へと転生を果たした彼女に対し、思うところは多々ある。

 悪魔になった理由はさっき聞こえてきた暮修太郎との会話から知ることができたが、最も気に入らないのはなぜそんなに早く気持ちを切り替えることができたのかということだ。

 それなりに付き合いも長いことから、彼女の思い切りの良さは知っている。信仰心も微妙におかしかったし、だからこそ今回の結果となったのだろうが、それでも。

 裏切られたような気分になるのは別段不自然ではないと思うのだ。

 

 ノックの音は止まない。鬱陶しさに苛立つが、今は悲しみに浸っていたい気分だった。

 天にまします我らが主。聖書に記される唯一絶対の神。天使たちを創造し、我ら遍く人類に愛を与える万物の父。

 物心ついた頃から信じてきた、その偉大なる存在がもういない。それを知った時、自分の中で大切なものを支える何かが折れたような音がした。

 

 いったいこれからどう生きればいいのだろう?

 祈りをささげても、それに応えてくれる存在は無い。信じるものは最初から無かったのだ。教会からは異端の烙印まで押され、もう家族にすら会えないだろう。

 少女には、何も残っていない。

 

 耳に響くノックの音。

 苛立ちが最高潮になったイリナは、乱暴に立ち上がってドアの鍵を開け、そして開いた。

 目の前にいたのは長身の男だった。

 

「修太郎……さん」

 

 暮修太郎。イリナたちが束になっても敵わなかった堕天使、コカビエルを圧倒的な強さで一蹴した男。

 先ほどゼノヴィアと共に外に出て行ったはず。なぜここに戻ってきたのだろうか?

 

「久しぶりだな、紫藤イリナ。あの時は挨拶できずにすまなかった」

 

「あ、うん……はい」

 

 それだけのためにやってきたのか。イリナの興味は急速に失せた。

 しかし。

 

「迷惑をかけてすまないが、同室のよしみでこれの世話を頼んでいいだろうか?」

 

「これ?」

 

 修太郎が小脇に抱えていた何かをイリナに見せた。

 緑のメッシュが一房入った、青髪の少女。

 

「ゼノヴィア!?」

 

 イリナの元相棒はズタボロだった。

 暑くなってきたこともあって薄着だった彼女の、露出していた手足は痣に塗れ、服からは吐しゃ物の匂いもする。どうやら完全に意識を失っているらしく、力無くぐったりとして抱えられていた。

 いったい何があったのだろう? とイリナの頭に疑問符が浮かぶ。

 

「どうしてもと言うから模擬戦をやったのだが、このザマだ。おそらくしばらくは目覚めないだろう。その間に身支度を整えて、傷の手当てをしてもらいたい」

 

 俺は男なのでな、と言う修太郎は無傷。おそらく一方的だったのだろう。それにしても手練れのゼノヴィアがここまでやられるとは。

 あまりに突然なことに頭の処理が追いついていない。それをよそに修太郎は言葉を続ける。

 

「ああそういえば、キミには引っ越し蕎麦よりもこちらの方が良かったか」

 

 と言ってベルトポーチから携帯健康食品の段ボールを取り出し、良いご近所付き合いを頼む、と目の前に置く。

 そうしてイリナの目を見て告げた。

 

「部屋にこもるのもいいが、たまには外に出てみるといい。世界は存外広いのだ。何か、キミにとって新しいものが見つかるかもしれない」

 

 差し出した手には以前イリナが贈った銀のロザリオ。

 促されるままにそれを受け取ったイリナは、去って行く男の背中を見送る事しかできなかった。

 

 後に残されたのは健康食品の段ボール箱とボロボロのゼノヴィア。

 ともあれ今は男の頼み通りに動くしかない。いくら気分が乗らないとはいえ、この状況を放置するほどイリナは無慈悲ではなかった。

 

 伏せる元相棒のために手当ての支度を整える少女の表情は、心なしか先ほどよりも少し明るくなっていた。

 

 




何気にヴァンパイア編に入りました。
それにしてもこのサブタイのセンスの無さよ……!

色々と伏線のようなものを張っていたつもりですが、ゼノヴィアの弟子志願、人によっては少し唐突に感じるかもしれません。
そんな彼女をいきなりボコボコにしましたが、主人公はこんな奴です。
彼自身、今まで容赦されたことないからね!


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第十八話:デパートの黒猫

 翌日の午前、修太郎たちはデパートを訪れていた。

 横長の建物内部、天井は吹き抜けのアトリウムになっており、張り巡らされたガラスを通して太陽の光が店内を照らしている。この百貨店とショッピングモールが混在した複合商業施設には、ゲームセンターなどの娯楽施設も多くあり、休日でないにも関わらず想定よりも人が多い。

 とはいえそれも仕方がないことだろう。小奇麗且つ都会的な作りのデパートは、おそらくこの地方都市において最も人気の高い場所だと言えるからだ。

 

「~♪」

 

 ご機嫌な様子で隣を歩く黒歌を見る。

 オフショルダーのブラウスにミニスカートというファッションは、デザインこそ清楚であるものの、それを着る人物のせいかとても色っぽい。露出した肩から首筋へのライン、服の上からでもわかる女性的な起伏や、ミニスカートから出たしなやか且つ肉付きのいい脚線美は道行く男たちの視線を嫌が応にも誘っていた。

 いつもの和服姿もそれはそれで良いが、こうしてたまに着る洋服姿も魅力的だと修太郎は思う。

 

 夜闇が染み込んだかのような黒髪が、歩調に合わせて後ろに流れる。はやる気持ちを抑えきれないのだろう、黒歌の歩みはいつもより速い。

 とはいえ、体格相応に歩幅の大きい修太郎からしてみれば丁度良いぐらいだ。好奇心の赴くままに移動する彼女の後ろを、はぐれないよう着いて行く。

 

「ね、シュウ。はじめにどこ行く? どこがいいかにゃ?」

 

 きらきらと輝く黄金瞳が、修太郎に振り向く。

 猫耳も尻尾も今は隠しているが、もしも出していたならせわしなく動かしている様子が幻視できるようだった。

 

「俺としては……そうだな」

 

 行きたい場所……と言われても、こういった所に縁の薄い修太郎はとっさに思いつかない。

 今回の目的は家具の購入だが、それは後でもいいだろう。必然、買い物をするかどこかで遊ぶ、ということになる。

 来たばかりで買い物――この場合は黒歌の服なり何なりになる――をするのもどうだろうか。荷物は亜空間などを使えばどうとでもなるが、家具と一緒にまとめて済ませた方がいい気がした。そうなれば、彼の思いつく中で提示できるのは二つ。

 

「映画館か、ゲームセンターはどうだろう?」

 

「うーん、やっぱ今の時間ならそれくらいかにゃ? でもボウリングとか、カラオケとかも捨てがたいにゃん」

 

「俺はどちらもやった経験が無いな。お前は?」

 

 山奥の田舎に生まれ、思春期に入りきる前から戦い続けてきた修太郎は、いまいちこういった娯楽に関わる機会が無かった。

 名前こそ聞いたことはあるし、何をするかも大体把握しているが、どういった楽しみがあるかと聞かれればわからないとしか言いようがない。

 

「私も無いにゃん。でも、面白そうじゃない?」

 

 それは黒歌も同じである。

 早くに親を失い、妹と二人必死に生きていく中、こういった施設で遊ぶ余裕など無い。悪魔になってからも主の命令に従って強くなることに終始していたため、やはりそんな暇など無かった。

 そういえば、前に黒歌からせがまれて共に欧州の遊園地まで足を運んだ際も同じようなやり取りをした覚えがある。思えば、あれが二人にとって初めてのテーマパーク経験になるのだろう。

 

 ああ、素晴らしきかな夢の国。人ごみが非常に鬱陶しかったものの、キャラクターのぬいぐるみを抱いてはしゃぐ黒歌の姿を見れたのは良かったと思う。しかしながら修太郎には、いったいあの甲高い声で鳴く黒ネズミの何処に可愛らしさがあるのかわからなかったのだが。

 

 ともあれ、ある程度時間を拘束されるボウリングなどはまたの機会にし、最初は手軽にゲームセンターということになった。

 

「わーお。なんだか色々あるにゃー」

 

「ああ、これほど種類があるとは思わなかった」

 

 ビデオモニターに表示された映像が瞬き、設定された効果音が鳴る。プレイヤーを待つそれぞれのゲームが待機中を表すデモを流しながら、雑多に混じる音楽はとても騒々しい。光を放つ機器の画面はやや暗い店内を極彩色に彩って、ずらりと並ぶように配置された空間は何とも言えない閉塞感がある。

 主な利用者である学生は今の時間ちょうど授業中だからか、人もまばらの状況だった。それでも全くいないということは無く、プレイ中の音がそこかしこから聞こえてくる。

 

「なーにーにーしーよーうーかーにゃー?」

 

 とりあえず黒歌とともに店内を巡り、どういった物があるかを見ていく。

 格闘ゲーム、シューティングゲーム、ガンシューティング、音楽ゲーム、クイズゲーム、レースゲーム……。それらの雑多なビデオゲームが流すデモ画面を眺めながら移動して行き、ガラス張りの四角い筐体が並ぶエリアに入る。

 クレーンゲームをはじめとした、景品を獲得するための所謂プライズゲームだ。

 その中から何かを見つけたらしい黒歌は、一つの筐体に近づくと修太郎へ振り向いて一言。

 

「シュウ、これ欲しい!」

 

 それは白い猫のぬいぐるみだった。程よくデフォルメされたキャラクターはなるほど愛らしい。

 黒歌は何故かこういう白猫を模った品物を好む。今も密かに書き続けているらしい日記帳に始まり、彼女に買い与えた小物などは大体どこかに白猫の意匠があった。

 妹のことを連想してのそれなのかどうかは判然としないが、思えば彼女の妹――塔城小猫の髪留めは黒猫だった。似た者姉妹、と言うことなのだろう。今は逃げ回っているが、存外脈無しという訳ではないのかもしれない。

 

 筐体の種類を見れば、ボタンでアームの位置を操作して景品を掴み穴へ落とす、典型的なクレーンゲームだ。

 経験は無い。無いがしかし、頼まれたからにはとってやるのが男なのだろう。何となくそうしなければいけないような気がする。

 

「わかった。やってみよう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして使命感に任せること小一時間。

 

「――――! ここだっ」

 

「ああっ、惜しいにゃん!」

 

 クレーンアームに挟まれた白猫が、穴の手前で落ちる。

 一回目は操作もおぼつかず完全に狙いを外したものの、二回目からはコツを掴んで目標を狙ったボタンの操作ができるようになった。その後もどんどん精度を増して、一体どれほどの百円玉を支払ったことかわからない今となっては、完璧にアーム中央へ対象を捕えることができる。

 しかし、取れない。

 

 いったい何故なのだろう。操作自体は完璧なはず。修太郎の指先は、彼の脳内が思い描くシミュレーション通りにアームを操っている。

 それなのに出来ないのだ。こんなことは初めてだった。

 

「まさか俺にここまでゲームの才能が無いとは……。すまん、クロ。これは駄目かもしれない」

 

「べ、別にどうしても欲しいってわけじゃないのよ? だからそこまで無理する必要は……」

 

 項垂れる修太郎に、なんだか悪い気がしてしまう黒歌。何しろこの男がここまで目に見えて落ち込む姿など初めて見たのだ。

 

「いや、無理なわけはない。攻略法はあるはずだ。心配するな、クロ。目的の物は必ず取って見せよう」

 

 仮にも商業目的の機器だ、絶対に取る方法はある。

 もしもあらかじめ取れないように作られているのだとしたら、つまりこれはただの集金装置であり、要するにそれは詐欺ではないか――?

 おそらくは今までのやり方がいけなかったのだろう。もしかしたらこのアーム、掴むためにある物ではないのかもしれない。

 考えれば、押し出す、あるいは引っ掛けるなど、やりようはいくらでも見つかる。

 

(なるほど光明は見えた。後はそれを実践するのみ――――!)

 

 静かな闘気まで放ち始めた修太郎は、黒歌から見てむきになっているようにしか見えない。

 意外な男の様子に嬉しいやら面白いやら、ともあれ彼も楽しんでいるようでよかったと思う。実のところ自分ばかりがはしゃいで、迷惑に思われていないか心配だったところもあったのだ。

 

 そうしてさらに10分。

 悪戦苦闘の末に、アームの先端をタグに引っ掛けることで見事ぬいぐるみを獲得することに成功。

 

「まさか本当に掴んで取るゲームじゃないとは。俺の知識不足だった。見かけからすれば若干卑怯な気もするが、金稼ぎもまた戦いということか」

 

 黒歌にぬいぐるみを手渡しながら、一人頷いてそんなことを言う修太郎。

 どこからどう見てもアームの設定がおかしいのだが、修太郎たちはそんなこと露とも知らない。余談だが、彼らがプレイしていたクレーンゲームの筐体はこの後、客からのクレームを受けて点検予定の張り紙がされている。

 

「……ちょっと違う気がするにゃ。でもシュウ、ありがと。絶対大事にするにゃん」

 

 出費は馬鹿にならなかったが、ぬいぐるみを抱き締める彼女の微笑み、プライスレス。達成感に一つ大きな息を吐き、程よい位置にある黒歌の頭を撫でつけた。

 

 これに懲りた二人は、大人しく次のゲームへと移ることにする。

 ダンスゲームでは黒歌がその豊満な胸部装甲を揺らして場の男連中を釘付けにし、その後修太郎が上半身不動のまま足さばきだけで最高難易度をパーフェクトクリアし周囲を驚愕させる。

 ガンシューティングゲームでは、最初の一回は二人ともすぐにゲームオーバーになったものの、二回目になると修太郎がコツを掴んだのか、やはり人間業とは思えないような超反射と精密動作でにゃーにゃー焦る黒歌をサポートしながら最後までクリアすることができた。

 クイズゲームは無理なのがわかりきってるのでスルー、レースゲームは感覚がうまく掴めなかったのか、二人とも平凡な結果で終わった。乗り物の運転はよくわからない、と修太郎が漏らす。

 

「シュウ、次は――」

 

 ぐ~、と音が鳴る。そちらを向けば、黒歌がわずかに頬を紅潮させて目を逸らした。

 気付けば時間帯も正午、ちょうどご飯時だ。修練により空腹を感じにくい修太郎はともかく、食いしん坊の気がある彼女だ。仕方ないことだろう。

 

「何か食べよう。飲食店のフロアは確かあっちだったな」

 

「うん、お腹すいたにゃん。その前にシュウ、最後に一つだけやりたいことがあるんだけど、いい?」

 

「? 構わないが」

 

 黒歌の求めに応じて、彼女に手を引かれるままたどり着いた先には一際大きな機械。

 『プリントシール機・百花繚乱』と書かれた垂れ幕をくぐれば、中は小部屋になっていた。広さは人が3・4人は入れるぐらいだろうか。内部にあるモニターを見るにどうやらゲーム筐体のようだが、修太郎には何をするものなのかわからない。

 

「これは何だ?」

 

「プリクラってやつにゃ。ここで写真を撮って、そのシールを作る機械よ。前から一度やってみたかったんだにゃん」

 

「ああ、昔どこかで聞いたことがあるな。なんでも女子学生の間で手帳に貼るのが流行っているとか。最近は知らないが」

 

 コインを投入すると案内音声が流れる。

 黒歌がそれに従って、ぎこちないながら画面を操作をしていく。枠を選び、ペンタブレットでなにやらメッセージを書き込む。

 そうして彼女はやや頬を赤く染めながら修太郎の手を取り、それらを自らの前に交差させ、先ほど取ったぬいぐるみと共に抱きかかえた。

 

「にゃあ♪」

 

 胸の中に納まった黒歌を見れば、はにかんだ笑みでこちらを見上げてくる。

 その内カメラを見るように促す音声が聞こえ、微妙に手順を把握できないままそれに従うと――。

 

 軽快なシャッター音が響く。

 どうやら終わったらしい。黒歌が取り出し口から印刷されたシールを受け取り、それを二つに切り分けた。

 

「はい、シュウの分」

 

 頬を赤くしながら差し出されたそれを大人しく受け取ると、彼女は何やら一人で慌てたように走り去ってしまう。

 訳が分からず疑問符を浮かべる修太郎。とりあえず受け取った写真を見てみる。

 煌めくハート形の細長いフレームには、小さな猫のキャラクターがアクセントとして添えられている。その中に納まるいつもと同じ仏頂面の自分と、頬を桜色に染めて満面の笑みを浮かべる黒歌の姿は対照的だ。

 腕に抱かれた彼女は本当に、本当に幸せそうで、修太郎も気持ち頬が緩んでいくのを感じた。

 

 そうして最後、目に入ったのは彼女がペンタブレットで書き込んだメッセージ。

 

『ずっといっしょにいましょ』

 

 おそらくはこれを恥ずかしがって逃げたのだろう。

 最後をハートマークで締めた一文を受けて、しかし修太郎は、彼女が今この場にいないことを感謝した。

 

「――ああ、ずっといっしょにいられればいいな」

 

 こぼれた声は寂しげに、背後から響くゲームセンターの音にかき消され、誰にも聞かれることは無かった。

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

(にゃあああああああああ!)

 

 真っ赤に熱くなった顔を押さえながら、ショッピングモールを駆け抜ける。疾走と共にたなびく黒髪は夜闇のように暗く、しかし流麗に、すれ違う人々の目を惹きつけた。

 2階へと続く階段にたどり着くと、勢いのままその陰にしゃがみ込む。

 頭の中がぐつぐつと煮込まれたかのように熱く、悲しくも無いのに目が潤む。やってしまった、と思った時にはもう遅く、彼女のささやかな告白は既に男の手の中だ。

 まるで乙女のようだと我ながら情けない。いや、実際に乙女なのだが、それでもだ。

 

 彼はあれを見て何を思っただろう? 『もちろんだ』とか、『今さらだ』とか、それとも、多分きっと有り得ないことだけれど、『嫌だ』だろうか?

 嫌われてなどいないことはわかっているが、何しろ相手はあの仏頂面がデフォルトだ。内心を疑えばキリが無いとはいえ、それでも不安になるのは、彼も自分も一度たりとてその意思を言葉にしたことが無いからだろう。

 一度は流れと雰囲気の力で結ばれる一歩手前までイケたものの、それも空気読まない女神によって台無しにされてしまった。最大のチャンスはとっくの昔に失われている。

 

(ばーかばーか! シュウのばーか!)

 

 ぬいぐるみを強く抱き締める。修太郎が悪くないのは重々承知しているが、乙女心は複雑なのだ。

 

 彼女が抱える問題を解決する方法は実に簡単、直接聞けばそれで済む。そうすれば修太郎はきっと正直に答えてくれるだろう。ということは、逆に言えば聞かなければ答えてくれないということでもある。

 やることは単純だ。だからこそ、どうしても躊躇してしまう。

 もしも修太郎が自分のことを何とも思っていなかったら? 自分と行動している理由が最初交わした約束を守るため()()だったら? どちらも有り得ないと言えないのが彼の業だが、彼女自身、妹以外で初めて信頼できる相手が修太郎だったのだから関係が変わることを恐れる気持ちは特別強い。

 

 真実を聞いて、もしそれが期待通りのものでなかったなら、訪れるのは今この時の終焉だろう。黒歌も修太郎――はどうだろうか? ともかく黒歌は対応を変えざるを得ない。それが嫌だった。

 結局は自分が臆病なだけだ。もう4年以上も一緒にいるのに、最後のところで踏み込めないのはもうヘタレと自虐するしかない。

 あの女神さえいなければ今頃とっくに決まっていたのに、と現実逃避する。

 

 勇気を得るために、もう少し時間が欲しかった。

 しかし、彼は寿命の短い人間なのだ。流石に黒歌も十年も二十年も時間をかけようとは思わないが、老いていく彼の姿を見るのはきっとものすごく辛い。

 

(でも――――)

 

 その問題も、もしかしたら解決するかもしれない。

 悪魔が用いる転生器『悪魔の駒(イーヴィル・ピース)』。修太郎が出した当初の提案は却下されたが、もしも今回の仕事を皮切りに修太郎が悪魔からの信頼を勝ち取ることができたなら、あるいは誰かの眷族として転生悪魔になることも可能になるようだった。

 

 今でさえ最上級悪魔を凌駕しうる実力の彼だ。悪魔になれば即座に超一線級の強さを獲得できるだろう。黒歌と組めば、そのままスカアハを打倒することだって不可能ではないかもしれない。

 転生悪魔になって、彼が不利益を被らないか心配ではあるし、黒歌も最初は反対だと思っていた。それでも得られるメリットは無視できないものがある。

 何よりも自身と同じ時間を歩めるのだ。そうなればもうこっちのもの、何千年かけても落としてみせる覚悟があった。

 

 そう、この仕事に成功すればチャンスはいくらでもある。

 恩赦を貰えれば晴れて犯罪者としての汚名も消え、白音との仲を回復させる一助になるだろう。そもそもの話、それが成されなければ修太郎の転生も行われることは無い。

 そうと決まれば――多分に今の状況から逃避した感が拭えないものの――気を取り直していつもの自分に戻らなければ。

 このような不安定な状態で仕事に取り組めば致命的な事態を引き起こしかねないのだ。

 しかし。

 

(……もうちょっとこのままでいましょ)

 

 あと10分、いや5分。頭を冷ますために隠れていたい気分だったのだが――――。

 

「ありゃ? 確かあの子は……」

 

 ふと見知った顔を見つけた黒歌は、何とはなしにそちらに歩みを進めた。

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 一方、逃げ出した黒歌を探す修太郎だが、見事に見失っていた。

 仙術に通じ、多種多様な術式を使いこなす彼女が本気を出して隠れれば、それを追跡できる存在は世界でもごく一部だろう。スカアハにより与えられた加護と自前の気配察知能力から、修太郎もその一部に含まれるが、流石にすぐさま見つけ出すとまではいかない。

 先に行っているかもしれないと飲食店フロアにも一度足を運んでみたものの、見つからなかった。仕方がないので昼食用にたこ焼きを購入し、腹を空かせた黒猫のために準備しておく。

 

 五感を研ぎ澄ませ、六感で周囲のオーラを探りつつ店内を歩く。

 大勢の人間に混じって、幾人か悪魔、人外の気配がする。グレモリーやシトリーに関わる者たちだろうか? どれほど優秀であろうと、未熟な上級悪魔二人とその眷族だけではこの地方都市を完全に管理することはできない。彼女たちのバックアップとなる要員がどこかにいるはずだった。

 

 人外の気配は現代に適応した妖怪か何かだろう。退魔師が睨みを利かせる地域と違い、悪魔の活動が許されている土地は昼間から彼らが活動しても咎められることはあまりない。

 そう、この街には正規の退魔師に相当する者がいない。代わりとなる存在が、グレモリー・シトリーの次期当主たち二人とその眷族なのである。

 

 日本の神々は、確かに他宗教の活動に対して寛容であり、その姿勢はいっそ放任主義と言ってもいいかもしれない。

 しかしながら、悪魔たちに日本の重要な土地を任せることはありえない。彼らが活動を許可されている地域と言うのはつまり、霊的に重要でない場所に限られる。京都や霊峰・富士などといった地脈の力が集中する場所は名のある術師たちや力ある妖怪に管理を一任しており、悪魔が訪れる場合許可を取らなければ攻撃を受けても文句が言えない取決めだ。

 

 つまり現状悪魔が管理している(と言われる)場所は全て、日本の神にとっても退魔師たちにとっても利用価値の薄い霊的な空白地帯なのである。だから土地を守護する退魔師がいないことが多く、たとえいたとしてもその多くが在野の術師や未熟な学生だった。

 とはいえ、日本の神々は八百万。『分霊(わけみたま)』という特性も合わさり、監視体制はそれなりに整えられている……はずだ。

 大戦以降の悪魔は人間に対する無茶な契約も鳴りを潜め、随分と平和的になったことから神々も譲歩しこの体制が出来上がったのだろう。いつでも対応できるという、独自の性質が他宗教に対する寛容さを作っているのかもしれない。正直、脇が甘いのではないかと思わないでもなかった。

 とはいえ、真実は修太郎のあずかり知らぬところだ。

 

 なんにせよ、様子を見た限りではそこまで問題となる人物はいない。

 そんなことより今は黒歌だ。

 もういっそのこと迷子センターで連絡してもらおうか? と、彼女の精神に止めを刺しかねない案を実行に移すことも視野に入れたその時。

 

「やあ」

 

「あなたは……」

 

 現れたのは北欧風の顔立ちをした茶髪の男性、隣人兼監視役の悪魔・ベオだった。

 

「あーはは、偶然だなあ」

 

「お勤めご苦労様です」

 

「…………」

 

 引き攣った笑みのベオに対し、軽く頭を下げる修太郎。

 偶然な訳なかった。サーゼクスの――正しくはグレイフィアの命により、休暇の名を借りた強制労働に駆り出されたベオウルフだ。たとえ正体を看破されようと彼に休みは無い。

 二人の様子を朝からずっと、マジでずっと見ていたベオは、傍らの壁をたたき壊したくなる衝動を押さえつつ――黒歌が突然走り去り、そして修太郎がそれを探し始めたのを察し、こうして姿を現したのだ。

 まあ、やはりどうにも監視は気付かれていたくさいのだが。大きく一つ溜息を吐き、彼女の居場所を修太郎へと伝える。

 

「ありがとうございます」

 

「いやいや、礼には及ばないって。それよりもなんかごめんな。俺の監視、デートの邪魔だったろ? ま、これも仕事だし、精進するから勘弁してくれ」

 

「今回は完全に気付いていた訳ではありません。近づくまで、はっきりとした位置はわかりませんでした。素晴らしい技量と感服いたします」

 

 修太郎の言葉を意外に思ったのか、ベオは一瞬目を丸くすると口元に笑みを浮かべた。

 

「ははっ、何か少しやる気出てきたかも。次は完全に隠れて見せるから、楽しみにしててくれ――ってのも変か。まあ、これからも良いご近所づきあいをたのむぜ」

 

 そう言って背中を向けて去って行くルシファーの『兵士(ポーン)』を見送り、修太郎は黒歌の下へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ベオに教えてもらった場所は衣料品の販売コーナー。

 目当ての人物はすぐに見つかった。

 

「クロ」

 

 修太郎の声に、一瞬びくりと反応した黒歌は、微妙に顔を赤くして振り向く。そうしてしばし目を見つめて修太郎の反応を窺い、以前と比べて特に変化が見られないところを認めると、いつもの笑顔を見せた。

 

「もう、シュウってば遅いんだから! すっかり待ちくたびれちゃったにゃん!」

 

「気配の残り香も消しておいて随分なことを言うな、お前は。ここにあるたこ焼きを食べたくはないのか?」

 

「あっ、食べる! もうお腹ぺこぺこにゃん。お願いシュウ、それちょうだい?」

 

 一転して上目遣いで頼み込む黒歌に、修太郎はわかる人にしかわからない苦笑をしつつ、包みを渡した。

 

「売り場で食べるのはよせ。自販機の前にベンチがあったから、そこに移動しよう」

 

「うん。あ、シュウ。ちょっと待って」

 

 移動しようとする修太郎を呼び止めて、黒歌は背後に振り返り手の動きで誰かを呼び寄せた。

 衣料品がかけられたハンガーの向こうから現れた人物は、栗色の髪の少女。

 

「こんにちは、修太郎さん」

 

「……紫藤イリナか? なぜ、キミがここに」

 

 元教会の戦士、紫藤イリナがそこにいた。

 いつものツインテールをほどいた姿は先日彼女の部屋を訪ねた時に見たはずだが、明るいところで見れば随分と印象が違う。一瞬、誰だか判別がつかなかった。

 Tシャツにジーンズというラフな服装は、ゼノヴィアの服を借りたのかもしれない。

 

「昨日シュウがこの子に『外へ出て見ろー』なんて言ったんでしょ? だからこの子、ここに来たのよ」

 

 私が見つけた時不良に絡まれてたんだから、と横で補足する黒歌の言葉に、頷くイリナ。初めて出会った時と違って何とも大人しい様子だ。

 聞けば、幼ないころ住んでいた街の変わったところを見ていくうちに、自然とこのデパートへたどり着いたらしい。

 

「そうなのか。どうだった?」

 

「……任務で歩いていた時も感じてたけど、やっぱり昔と色々違ってた。戸惑うところもあったけど、少し新鮮。なんだか気がまぎれたかも」

 

 話す少女は、昨日に比べると幾分顔色が良くなったように見える。どうやら完全でないとはいえ、それなりに精神状態は持ち直したようだ。

 

「ね、シュウ。それでね、私、この子からいいこと聞いたにゃん」

 

 ずいっと近づいてくる黒歌の目には何やら企み事の光が見える。

 イリナを見れば、彼女も意図がわからないのかきょとんとしている。いったい全体何なのだろう。

 

「一応、聞こう」

 

 正直、あまりいい予感はしなかったが。

 

「夏と言えばやっぱり水浴び! 明日、みんなでプールに乱入にゃん!」

 

 極上の笑みを浮かべた黒猫に剣鬼は微妙な顔をしつつ、しかしかける言葉が見当たらなかった。

 

 




日常回、もといデート回。
何だろうね、自室で一人誰かのデート風景を書くこの気持ち。しかもうまく書けてるかすらわからないという迷走っぷり。

ちなみに作者はゲーセン経験かなり少ないです。どこかおかしなところ無いだろうか。


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第十九話:水場と猫と聖剣少女

 燦々と太陽照りつける日曜日。

 たゆたう水面の煌めきは美しく、戯れる少女の白い肌はとても眩しい。駒王学園内のプール場にて、兵藤一誠はまさしく夏を感じていた。

 

「夏ッ……、最っ高……!」

 

 今回オカルト研究部は本来生徒会がやるはずだったプール掃除を請け負い、その代わりに一足早いプールの使用を許可された。

 堕天使幹部コカビエル襲来に、謎の剣士・暮修太郎とはぐれ悪魔・黒歌の登場、白龍皇の出現、そして堕天使総督アザゼルの接触など、最近は心休まることが無かったグレモリー眷族だ。これを機会に羽を伸ばそうと言う趣向だった。

 

 ――プール! そして水着の美少女!

 一誠にとっては思わず天に感謝したくなるほどに最高の催しだ。

 

 右を見ればリアスの豊かなおっぱいが揺れる様子が見え、左を見れば朱乃の大きなおっぱいが揺れる姿が堪能できる。

 それだけでも素晴らしいのに、後ろを見ればアーシアの成長途上なおっぱいがあり、水中に潜れば泳ぐゼノヴィアの水流に逆らう張りのいいおっぱいがある。

 おっぱい、おっぱい、おっぱい、おっぱい……。今までは縁遠かった、美少女のおっぱいに囲まれたこの状況。これが夏! なんてすばらしい季節か!

 

「うへへへへ……ぐっふぉ!?」

 

 にやけ顔の一誠に突如、鋭い抜き手が飛んでくる。

 首に直撃した強烈な一撃に悶絶し、咳き込む一誠の正面にはプールキャップを被った白髪の小柄な少女。

 

「イッセー先輩、集中してください」

 

 今現在、一誠はリアスの頼みで泳げないらしい小猫へと水泳を教えているところだった。ちなみにアーシアも泳げないので、この後面倒を見ることになっている。

 小猫は水面から顔を出し、ジトりと一誠を睨みつける。相当に不機嫌なようだった。

 

「ごっほごほっ!ああ、ごめん小猫ちゃん。つい……」

 

「……いえ、私が付き合わせてるのに……。すみません、少し休んできます。アーシア先輩を先に見ていてください」

 

 そう言って、一人プールサイドに上がって行った。

 リアスや朱乃がケアした成果か、最近は今まで通り部活にも顔を出すようことが増えたものの、やはりどうにも落ち着かないようだ。それほど小猫とその姉が抱える確執は深いものなのだろうか?

 事情は知っていても、その心の内まではわからない一誠はどうすることもできない。

 そう思えば、先ほどの態度は確かにこちらの配慮が足りなかった。いくらそれが一誠の性とはいえ、反省するより他は無い。

 

「小猫ちゃん、大丈夫でしょうか……」

 

 アーシアが心配そうな声を出す。

 木場の時のように、何か自分にできることは無いのだろうか? 一誠は考える。

 しかし何も思いつかない。実際リアスたちからも『私たちができることは少ない』と言われている。おそらく、これは当人たちの問題なのだろう。

 それならば一誠に出来ることは、何かがあった際に仲間として支えてやることだけだ。

 決意も新たにアーシアの泳ぎを見ようとしたその時。

 

 太陽の光を影が遮る。

 時間にして一瞬、それはプール中央に落ちてきた。

 

 縁日で売ってるようなヒーロー物の仮面をつけた三人組だ。

 きわどい黒ビキニを着た女性と、水着を着た少女、それらを抱える普通に服を着た長身の男。

 男は如何なる技か水面を足場に立っていた。

 驚く一同をよそに、二人を抱える男はさらに跳躍。プールを囲むフェンスの上に着地し、そして女性がそこから降りて叫んだ。

 

「漆黒の魔導猫、仮面ニャンダー!」

 

「斬魔の妖剣士。……仮面セイバー!」

 

「え、えーと、私もやらないとダメなのかしら? ……せ、正義の聖剣士! か、仮面セイバー二号!」

 

 シュバッ、バババッ! と空を切り裂く手の動き。女性がそれを行うたびに、零れ落ちそうなほど大きい胸が揺れる、揺れる。

 そうしてどこかで見たような動きでポーズを決めた。

 

『…………』

 

 無言の一同。

 どう反応をしたものか、困惑している様子が見て取れた。

 ただ一人、一誠だけが女性の胸を凝視している。

 

「……あれー?」

 

「だから言っただろう。最高にバカだ、と」

 

「う、うぅ……。恥ずかしい……」

 

 思惑が外れたかのように首をひねる女性と、冷静にツッコむ男、仮面の上から両手で顔を隠す少女。

 何とも微妙な空気の中で、ゼノヴィアは闖入者たちに近づく。

 

「……イリナ、何をやっているんだ」

 

「うっ、ゼノヴィア……。えっと、これは……」

 

「こっちの思い付きに巻き込まれただけだ。すまんな」

 

 呆れと困惑を半々に問いかけるゼノヴィア。逸らすように顔を背ける少女――紫藤イリナに、それを抱える男――暮修太郎がフェンスから降りて、女性――黒歌を指さして謝る。

 

「やはり師匠か。何でこんなことに?」

 

「師匠ではない。それはだな……」

 

「なにようなによう! もうちょっとノッてくれてもいいじゃない!! これじゃ私たちバカみたいじゃにゃいのよー!!」

 

 叫びだす黒歌は、仮面を投げ捨てた。涙目の真っ赤な顔が衆目に晒される。

 

「だから今まさしく、俺たちはバカなのだ。いくら警戒心を薄めるためとはいえ、これは無いだろう。それを強行したのはお前だぞ」

 

「……だってプールに入りたかったんだもん。……赤龍帝ちん!」

 

 地団駄を踏んでフェンスを揺らす黒歌は、未だ彼女の揺れる胸へと視線を注ぐ一誠に話しかける。

 

「え、お、俺っすか!?」

 

「そうよ、キミなら何かツッコんでくれると思ってたのに、期待外れだにゃん! 責任取りなさいよー!」

 

「そんな無茶な……」

 

 碌な面識もないのに、いつの間にか一誠はツッコミ担当と認識されていたらしい。

 当惑する一誠に、修太郎も仮面を外して語りかける。

 

「気にするな、少年。ただの八つ当たりだ。それよりクロ、先に言わなければならないことがあるだろう」

 

「う~。もう! わかったにゃん」

 

 不服げな黒歌は、リアスへと近づいて行く。

 突如現れた要注意人物の動きに、今まで黙って様子を窺っていたリアスは身構えた。

 そんなリアスをよそに、彼女の前に立った黒歌は頭を下げて一言。

 

「お願いします、どうかプールを使わせてください」

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 中天の太陽に、弾ける水飛沫が輝く。

 少女たちの声が青空に響き、ビーチボールが宙を舞う。

 

「いくわよアーシア! それっ!」

 

「あ、あわわわ……えいっ! ああっ、すみません!」

 

「問題ない、任せろアーシア。やあっ!」

 

「あらあら、うふふ。はいっ!」

 

「いっくにゃーん! 赤龍帝ちん、覚悟! 必殺ブラフマースマッシュ!」

 

「なんで俺!? ぎゃふっ!!」

 

 水の中で戯れる美少女たち+αの姿は、暑くなってきた日々における一種の清涼剤だ。

 

「目の保養になるとは思わないか、少年」

 

 フェンスを背にして腕を組み、様子を眺める修太郎は、同じく隣に立つ金髪の少年――木場祐斗に声をかける。

 

「ええまあ、概ね同感ですが……。しかし、あなたは参加しないんですか?」

 

「あのようにして遊ぶのはどうにも性に合わない。今日の俺はあれの保護者みたいなものだ」

 

 だから警戒する必要はない、と男は言う。

 見透かされているのは百も承知だが、それでも木場はその場を動かなかった。

 

「……先ほど、ゼノヴィアから『師匠』と呼ばれていましたが」

 

 先刻のやり取りの中で気になったことを聞いてみる。

 

「あちらが勝手にそう呼んでいるだけだ。俺は一度模擬戦の相手をしただけに過ぎない」

 

「……そうですか。どうだったか感想を聞いてもいいでしょうか?」

 

 自身と実力の近いゼノヴィアが果たしてこの男相手に勝ちを収めたとは思えない。しかし、気になった。

 尋ねる木場に修太郎はしばし考えた後、口を開く。

 

「一言で言うならば、未熟だ。反射神経は良好、勘もいい。筋肉の付き方と質を見るに、身体能力は申し分ない。運動をするために生まれたような身体だ。剣士のみに限らず、何にでもなれるポテンシャルがある」

 

 しかし――。

 修太郎は話を続ける。

 

「全てをそれに任せきりなのが問題だ。戦闘経験は多少なりとも積んでいるようだが、おそらく武器が強力であるが故に自らの技量不足で苦戦した経験が少ないのだろう。全体的に動きが正直過ぎる。剣の基礎は出来ているが、それ以上のものが無い」

 

 人間は弱い。

 身体的な強度は勿論、その能力上限も悪魔や天使、ほとんどの妖怪と比べて低い。転生悪魔が軽視されるのも、そういった基本的なポテンシャルの低さが一因だろう。

 稀に『英雄』と呼ばれるような人外級の能力を持って生まれる存在もいるが、そんなものはごくごく少数。参考にならない。

 故にこそ、人間は技を磨き、道具を作ってそれらに対抗してきた。人間が人外に立ち向かうには、古来より技術という要素が必要不可欠であったのだ。

 

「一見して技に見えるものは、自前の反射神経に任せたその場限りの対応だ。それはそれで大したものだが、無想の領域に達したうえで行うならばともかく、現状では一定以上の実力者相手だと通用しない可能性が極めて高い」

 

 ゼノヴィアがこれからも悪魔、特に赤龍帝と関わるのであれば、このままでは遠からず能力の限界に突き当たる。

 転生悪魔になっても、筋力だけでは、体力だけでは、同条件の他種族出身に劣ってしまうからだ。

 基礎能力で負けるが故に、同じ戦闘タイプの相手と戦えばまず確実に押し負ける。彼女にはデュランダルという強力無比な武器があるものの、もしもそれすら通用しない者と戦った時、彼女に出来ることは少ないだろう。

 

 剣術とは極論を言えば単なる棒振りだ。およそ1~2メートル程度の棒状武器を如何にうまく相手の隙を突いて強く当てるか。

 やっていることは単純だがしかし、それを為すために編み出された技術は実に多い。

 構え、剣捌き、運体は勿論、相手の動きを読む観察力と洞察力に、修太郎なら気、悪魔であれば魔力の運用……。加えて戦場を構成する要素は無数にあり、それらをうまく組み立てることで勝利を掴む道筋を作るのが『戦い』だ。

 

 寿命の短さが先人たちを駆り立てて、人間と言う種族に武の深淵を与えた。それらは途方も無く深く、稀代の天才である修太郎をしてさえ未だに底が見えないほどだ。

 聞けば魔術も同様に、人は源流たる悪魔の為し得ないことを成せるのだと言う。人間の強みとはまさしくその驚異的な発展性なのだろう。

 

 ならば武芸者でも術師でも、人間からの転生悪魔が他種族の転生悪魔と競うのであれば、神器や異能を持たぬ限りパワーよりもまずテクニックを磨かなければならない。少なくとも、修太郎はそう思う。

 そういう意味では、木場祐斗の戦闘スタイルは正しい。

 

「なるほど……。人の力は技術あってこそ、僕もその意見には賛成です」

 

 修太郎の説明に、木場は頷いて同意を示す。

 

「筋力でも耐久力でも劣る俺たちが人ならざる者と正面切って戦うならば、技を極めるよりほかは無い。しかし、惜しむらくは彼女がそういった技巧を一から習得するのに向いていないことだ」

 

 状況的に技術を極めざるを得なかった修太郎と、強力な聖剣を持ったことでその必要が無かったゼノヴィア。

 生い立ちこそ対照的な二人だが、修太郎の見立てではゼノヴィアは自身と同じく実践派だ。要は言葉や文章で理論立てて説明しても、根本的な部分で理解しない。

 つまり――――。

 

「見た限り、模擬戦でも『俺の動きを見て、その通りにやれば同じことができる』と思っている節がある。技術の習得を甘く見ているのだ。確かキミの名は木場と言ったな?」

 

「はい。グレモリー眷族『騎士(ナイト)』の木場祐斗です」

 

「木場少年、あれは一見冷静に見えるが内面はかなりバカだ。脳みそまで筋肉でできている輩の典型だな。同じ『騎士』であるキミは、きっとこの先苦労することになるぞ」

 

 ソースは自分。

 修太郎の場合はその有り余る才気で形にしているが、ゼノヴィアでは不可能だろう。

 

「それは、なんというか……」

 

 そんなことを宣言された木場は反応に困るしかない。

 というか、何気に自分たちの会話を聞いたらしいゼノヴィアがガチ凹みしているのが気になった。どうやらビーチボール遊びは終わったようだ。

 

「バカ……脳みそ筋肉……」

 

 両手両膝を地について項垂れるゼノヴィアの呟く声は、なるほどイメージ崩れるな、と木場が思うに十分なものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「にゃん♪」

 

「…………」

 

 所変わって対峙する白黒の姉妹。

 どうやら今の今まで更衣室で休んでいたらしい小猫が戻ってきたことから始まったこの状況。これこそ、黒歌たちがここに訪れた目的でもあった。

 遠巻きにリアスたちが見守る中、笑顔で妹猫へと話しかける姉猫。

 

「やっほー白音、元気? お姉ちゃんよ」

 

「姉さま、なぜここに……?」

 

 近づく黒歌に小猫は後ずさる。

 もうプールに入る気が無くなったのか、少女は制服姿に戻っている。当惑と警戒がない交ぜになった表情は、相当に緊張しているようだった。

 

「イリナちゃんがゼノヴィアっちに聞いて、それを私が聞いたのよ。夏だし暑いし、折角だから私たちもお邪魔することにしたにゃん」

 

 黒歌の『私たち』という言葉を受けて初めて、小猫は修太郎の姿を把握した。

 

「リアス部長たちはそれを許したんですか……?」

 

「頭を下げて頼んだら許してくれたにゃん。白音とも話したかったし」

 

 リアスたちが黒歌のプール使用を許したのは、小猫の現状をどうにか改善するためでもあった。

 再会した当初ならばともかく、多少なりとも気分の落ち着いただろう今ならば関係を進展させることも可能ではないかと踏んだのだ。

 しかし――――。

 

「……私には、姉さまと話すことはありません」

 

 それはかえって逆効果だったようだ。

 皆から嵌められたと感じたのかもしれない。黒歌を睨む小猫の目には拒絶の意思が見え隠れしている。

 

「白音に無くても私にはあるのよ」

 

 黒歌が一歩近づく。小猫の低い目線に、姉の豊満な胸部が映る。

 

「ねえ、逃げないで聞いてほしいの」

 

 また一歩近づく。姉の零れ落ちそうな胸が揺れた。

 

「今まで何があったかとか、私が何であんなことをしたのかだとか――」

 

 姉はもう目の前だ。歩を進めるたびに視界の中で大きくなる、揺れるそれ。

 イラッとした。

 

「ねえ白音――にゃあん!?」

 

 ばしぃん!! と高い音を立てて黒歌が着ていたビキニのブラが弾け、大きな乳房が勢いよく解放される。

 イライラが最高潮に達した小猫がもぎ取ったのだ。

 小猫はそのまま勢いに任せて黒いブラを彼方に投げ飛ばし、自身は逆方向に逃げ出した。

 

「ああっ、白音!?」

 

 投げ飛ばされた自身の水着に気を取られた黒歌は、妹を逃がしてしまう。

 丸出しのままそれを追おうとする黒歌だったが、横合いから肩を掴まれ、動きを止められる。

 そちらを見れば修太郎がいた。

 

「やめておけ、これ以上は無理だ。水着は俺が探してくるから、帰る準備を整えていろ」

 

「う~、わかったにゃん……」

 

 肩を落とす黒歌の頭をぽんぽんと優しく叩き、自身の上着を渡した修太郎はフェンスを跳び越していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「イリナ、気分はもういいのか?」

 

 事の顛末を見届けた一同の中、ゼノヴィアはプールサイドに座るイリナへと声をかける。

 

「うーん、まだ平気って訳じゃないけど、最初ほど悪くはないわ。ごめんねゼノヴィア」

 

「いや、いいんだ。私も勝手に悪魔になってしまって済まなかった」

 

「ううん、そうやって思い切りがいいのがゼノヴィアだもの。理由も聞いたし、私が怒っていたのは単に私の我儘だわ」

 

 それに、と続けて。

 

「異端者である私に、あなたを責める権利なんてないものね」

 

「イリナ……」

 

 悲しそうに笑うイリナに向かって、ゼノヴィアは何と答えていいものかわからなかった。

 

「あ、ゼノヴィアさん。イリナさんも。小猫ちゃんがどこかに行ってしまいましたし、私たちももう少しで解散するそうです。その前に皆でかき氷を頂こうということになったんですけど、どうですか?」

 

 そこへやってきたのはスクール水着を着たアーシアだった。

 優しげな微笑みを浮かべながら、ゼノヴィアと、そしてイリナにも尋ねてきた。

 

「ああ、アーシア。かき氷……日本の食べ物だね。頂こうか。どうする、イリナ?」

 

「かき氷! ええ、頂くわ……と言いたいところだけど、私も混ざっていいのかしら?」

 

「ええ、大丈夫です。みなさんきっと歓迎してくれますよ」

 

 アーシアの言葉に、ゼノヴィアも頷く。

 

「じゃあ、お言葉に甘えて……」

 

 そうしてイリナたち三人はリアスたちと合流する。

 かき氷は朱乃が魔力で出した氷を、リアスがこんなこともあろうかと(趣味で)購入していたかき氷機を使って削って作るようだった。

 

「何かでっかいですね、このかき氷機。もしかしてこれ、業務用ですか?」

 

「大は小を兼ねるって言うじゃない? 実際に使うのは初めてだから、ちょっとわくわくするわ。さあ、お願いねイッセー」

 

「よーっし! いきますよ!」

 

 かき氷機は手回し式のレトロな物で、一誠は汗だくになりながらそれを回してかき氷を量産していく。

 朱乃が出来たかき氷をみんなに配り、これまたリアスが(趣味で)用意していたらしいシロップをそれぞれかけて食べだした。

 

「うん、美味しいよイッセーくん。かき氷屋の才能あるんじゃないかな」

 

「そんな才能欲しかねぇよ……。削るだけだぞ、これ」

 

 満面の笑みでそんな褒め言葉をかける木場に、微妙な気分になる一誠。

 

「でも本当に美味しいわ。ただの氷に甘い蜜をかけただけなのに、夏のせいかしら?」

 

「イチゴのシロップには練乳が欲しかったですわね。今回は小猫ちゃんもいませんし、機会があればもう一度やってみたいと思ってしまいますわ」

 

 が、舌鼓を打つお姉さま方の姿に即満足。

 

「美味しいにゃーん……。でも、白音ぇ……」

 

「って言うか小猫ちゃんのお姉さん、まだいたんですね……」

 

 ナチュラルに混ざっている黒歌へと言葉を漏らす。一誠としては、半裸の美女はとても目によろしくて大歓迎だった。

 

「なによう、赤龍帝ちん。文句あるの? シュウがまだ戻ってこないのよー」

 

「いえ、文句なんてありません! うへへ……」

 

 ぶー垂れる黒歌の上半身は修太郎の着ていた上着で隠されているが、開かれた前部分からは豊かな谷間がはっきりと確認できる。頂点こそ見えないものの、リアスと同等かそれ以上のボリュームは隠しきれるものではなく、一誠は鼻付近に血が集まるのを感じた。

 

「イッセー? おかわりが欲しいわ。お願いできるかしら?」

 

 他の女の胸元に視線を集中させている一誠に、リアスが耳を引っ張りお願いと言う名の命令を飛ばす。

 機嫌の悪いご主人様に一誠は慌ててかき氷機を回し始めた。自分はまだ食べてないのに、と思いながら。

 

 そんな一誠たちをよそに、元教会組、現異端者組は三人で仲良くかき氷を食べている。

 

「美味しいですね、お二人とも。私、かき氷なんて食べるの初めてです」

 

「私は昔日本に住んでいたから食べたことあるわ。でも本当に久しぶり! こんなに美味しいものだったかしら?」

 

「うん、甘くて冷たくて美味しいな。おかわりがあるなら私も欲しいところだ。――――あうっ!?」

 

 バクバクかき氷を口に運ぶゼノヴィアだったが、突如頭を押さえる。

 

「もう、ゼノヴィアったら急いで食べるからよ。ゆっくり食べないと、頭が痛くなるわよ」

 

「ええっ、かき氷って急いで食べちゃダメなんですか?」

 

「美味しいものには棘があると言うやつか……。私としたことが、不覚……!」

 

 そう言って痛みに頭を抱えるゼノヴィアに、二人は笑う。

 そうしてある程度食べ終わったイリナは、アーシアに向かって言葉をかけた。

 

「そういえばアーシアさん。私、いつかあなたに失礼な態度をとったわ。私も同じ異端の名を受けてわかった。とても辛かったわよね、ごめんなさい」

 

 頭を下げるイリナに、アーシアは微笑む。

 

「いいえ、確かにその頃はとても辛いものでしたけれど、今はイッセーさんや部長さんたちと出会えて毎日幸せに過ごしています。だから、気にしていません」

 

「……アーシアさんは強いのね。祈るべき主はもう亡くなっていて、神の愛もあなたには与えられていなかったのに」

 

 そう言ってイリナは、少しいじわるな言葉だったかと思った。

 しかし、アーシアの微笑みに揺らぎはない。かつて聖女と呼ばれた少女は、首を振って答える。

 

「強くなんてありません。主がいないと知らされてとても悲しかったですし、もしも私がイリナさんと同じ立場だったら今もきっと寝込んでいたと思います」

 

 だから――。

 

「私が強くなったのだとしたら、それはきっとイッセーさんたちのおかげです。この出会いが、環境が、私を支えてくれるから。だからたとえ主がいなくても、私は祈り続けることができるんです」

 

「主がいないのに祈るだなんて、矛盾していないかしら?」

 

 イリナの疑問にアーシアは、そうかもしれません、と答え、そして続ける。

 

「それでも私の信仰は今も途絶えずここに在ります。『おそれるな、わたしはあなたとともにいる』――捨てられないだけだとあの時は言いましたけど、主の教えを受けて私が救われてきたことは事実なんです」

 

 例えば幼い頃。孤児だったアーシアを支えてきたのは教会からの教え、主の言葉だった。

 その日々は嘘ではなく、それは信仰の対象を失っても変わらない。何も、変わらないのだ。

 

「だから私は祈ります。私のために、皆のために、大切な人たちのために。……もしかしたら、この世界ではないどこかの天国で亡くなった主が見てくださっているかもしれませんし」

 

 そう言って微笑むアーシアの姿は、イリナから見てとても眩しく映った。

 同時に理解する。

 

「そうよね。いる、いないとかじゃなくて、大事なのは信じることなんだわ」

 

 主がいなかったのだとしても、かつて祈ることで得た勇気は、安心は、決して虚しいものではなかった。

 祈りには力がある。主の広めた教えには、人を救う力があるのだ。それならば、イリナに出来ることは今までとなんら変わらない。

 

「うん、ありがとう、アーシアさん。私、あなたと会えてよかった。やっぱり外に出るのも大事なのね」

 

「力になれたかどうかはわかりませんが、こんな私の話でも喜んでもらえて良かったです」

 

「いや、大したものだと思うぞ、アーシア。そうだな、主がいなくてもその教えがなくなるわけじゃない。こんな簡単なことにも気づかないとは……」

 

 ゼノヴィアまで感心し、アーシアの顔が赤くなる。

 

「ねえ、アーシアさん。私、あなたと友達になりたい。これからも、こうして話をしてくれるかしら?」

 

「もちろんです! 私もイリナさんと友達になりたいです!」

 

「もちろん私もだ。仲間外れは嫌だからな」

 

 差し出されたイリナの手をアーシアが両手で包みながら答え、それにゼノヴィアが加わる。

 プールに煌めく水面はまるで宝石のように、三人の友情を祝福しているようだった。

 

 




季節外れまくりのプール回。うーん、筆のノリが悪い……。


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第二十話:迷子の子猫

 

 

 プールで皆がかき氷を食べているその頃。

 修太郎は小猫によって投げ捨てられた黒歌の水着をまだ見つけることができずにいた。

 生命体や力ある物品の気配には敏感な修太郎だが、失くしたのは何の変哲もない市販の水着だ。流石にそんなものを見つけるような技は身に着けていない。

 とはいえ、投げられた方向は合っているので、これだけ探せばもう見つかってもいいはずだ。

 

「……無いな」

 

 しかしどうにも見当たらない。木の上を見ても、茂みの中を探っても、どこにも無かった。

 まさか誰かが拾って持って行ってしまったのだろうか? そうなるとお手上げなのだが……。

 

(もう少し探してみるか)

 

 今日は日曜日だ。学園の内からも外からも、感じる気配は非常に少ない。自身の捜索に見落としがあったと考える方が自然だろう。

 再び水着探しに戻った修太郎だったが、背後から近づく気配を感じ、そちらに振り向く。

 

「暮修太郎。やはりキミか」

 

「……ヴァーリ」

 

 現れたのは銀髪の少年、白龍皇ヴァーリ。

 少年は片手に黒い何か――ビキニのブラを持っている。見る人が見たら完全に不審者だが、本人にその事を気にしている様子は微塵も無い。

 修太郎の目線がそれに集中していることに気付いたヴァーリは、口を開く。

 

「ん、これか。突然俺の頭に降ってきたんだ。ここの敷地内にいる誰かの物だろうと思って、返すために持ってきたんだが……」

 

「すまんな。おそらく俺の連れの持ち物だ」

 

「なるほど、あの猫又か……。経緯はわからないが、それならキミに渡しておこう」

 

「ああ、礼を言う」

 

 どうやら濡れた水着は想定よりも飛距離を伸ばしたらしい。

 それにしてもこの少年、意外と律儀である。一歩間違えればそのまま変態認定待った無しであるというのに。

 ともあれ無事目的の物を見つけることができた修太郎は、黒歌の下に戻るべきなのだが……。

 

「そういえば、お前はなぜここにいる?」

 

 この少年が無意味にやってくるということは無いだろう。気になったので質問をしてみた。

 

「俺は今、アザゼルの付き添いでこの街に滞在しているんだが……まあ今回ここにやってきたのは退屈しのぎかな。この前はすぐに帰ってしまったから、学び舎という物をゆっくり見てみたかった」

 

 俺には縁の無かった場所だからな、と答えるヴァーリ。

 

「そうか……」

 

 修太郎にもその気持ちはわからないでもない。

 中学校時代のほとんどを退魔剣士として活動してきた修太郎だ。卒業できたのが奇跡と言われるほど授業に出席した覚えがなく、それきり高校受験もできなかったため、学生生活にはとんと縁が無かった。

 小学校の頃の記憶も、もはやあやふやである。友達だった人物の顔さえ思い出せない。

 

「ならば授業がある日に来た方が良かったのではないか? そもそも、お前の年齢ならば入学することも不可能ではないだろう」

 

「それもいいかもしれないが、気まぐれの行動だ。俺はこれでいい。第一、一応のライバルと同じ学校というのはな」

 

 自然体で言われてしまえば、修太郎に話すことは何もない。

 別れの言葉を告げて立ち去ろうとすれば、ヴァーリから声がかかった。

 

「暮修太郎、キミは自分が世界で何番目に強いと思う?」

 

 突然の質問に、修太郎はヴァーリの目を見つめて答える。

 

「考えたことは無いな。必要であれば相手が何でも斬るつもりではあるが」

 

「フッ……キミらしいな。俺は一番になりたい。『真なる赤龍神帝(アポカリュプス・ドラゴン)』、『D×D(ドラゴン・オブ・ドラゴン)』グレートレッド……。いずれ奴を倒すのが俺の夢だ」

 

 ――『真なる白龍神皇』。

 それを目指すのだとヴァーリは言う。

 

「それを成すには今の俺じゃ足りない。なあ暮修太郎、強くなるためには何が一番手っ取り早い?」

 

 修練あるのみ、と答えても少年は納得しないだろうことは修太郎にもわかる。彼がそれをやっていないはずは無いからだ。

 

「強敵を打倒することだ。命の危機を己の覚悟と才で乗り越えてこそ力は飛躍する」

 

「そう、その通りだ。キミはそうして強くなったと聞いている」

 

 しかし。

 

「今の俺に格上となる相手がどれだけいる? 魔王か? 熾天使か? あるいは――神仏か? 今度の会談でおそらく、三大勢力の和平が成立するだろう。最も目立つ争いを続けていた勢力が手を取り合うんだ。今も昔も他の神話勢力は動かない。強敵と戦える機会なんて、無い」

 

「お前には赤龍帝が、あの少年がいるだろう」

 

 修太郎の言葉にヴァーリは失望したかのような笑みを浮かべた。

 

「兵藤一誠、だったか。調べてみれば何のことは無い普通の元人間だ。普通の両親、普通の生い立ち、普通の才能――歴代赤龍帝に見られた優秀な力は何処にも無い、ただの男子高校生。たとえ禁手(バランス・ブレイカー)を完成させても俺の相手にはならない」

 

 それは確信から来る言葉だった。

 兵藤一誠の能力に関しては修太郎も同じ感想である。身体能力、反射神経、運動神経、どれをとっても一般人に毛が生えた程度。感じられる魔力の波動も微弱極まる。その点に関して言えば、ヴァーリに同意するより他は無い。

 しかし――――。

 

「ヴァーリ。それは相手を舐め過ぎだ。たとえ彼自身に特筆すべき能力が無かろうと、コカビエル戦で起こした神器の輝きを見なかったわけではないだろう。神器は所有者の強い意思に応えると聞く。人の意思が持つ力を侮っては痛い目を見るぞ」

 

 何かを持つ者よりも、何も持たない者が示す意思の力は時に思いもがけない結果を呼ぶ。窮地であればある程、顕著に表れるそれを修太郎は経験で知っていた。

 予想外の反論に、ヴァーリはやや驚いた顔をした後、わずかに笑う。

 

「キミがそこまで言うなら――そうだな、期待だけはしてもいいかもしれない。だが、それだけでは足りないんだ」

 

「強敵が欲しいのであれば、自ら探せばいい。世界は広い。俺も何度か死にかけた」

 

 それこそ修太郎のように世界を旅すれば様々な人物に出会える。いずれ強い者とも当たるだろう。

 当たり前のように指摘する修太郎を、ヴァーリは羨ましげに見つめた。

 

「キミであればそれもいい。しかし俺は白龍皇で、堕天使の勢力に属し、そして――いや、これはいいか。ともかく、俺の立場は自由に動けない。こんなに息苦しくては、生きる意味が無い」

 

「だからお前はどうしたい。会談を台無しにしたいとでも言うつもりか?」

 

 右手のリングを確かめる。

 もしもそれを目的に暴れるつもりなら、今ここでこの少年を斬らねばならない。

 

「いや、会談自体は別にどうでもいい。和平でも何でも好きにすればいいさ。ただ俺は、俺のこの状況が変わってほしいと願っているだけだ」

 

 様子を見た限り、その言葉に嘘は無い。本当に会談そのものへの興味は無いようだった。

 となると、一つの疑問がわく。

 

「……何故それを俺に話した」

 

「さあ、何故だろう。実のところ俺にもよくわからない。単なる気まぐれかもしれないな」

 

 そう言って、ヴァーリは背に光翼を広げた。

 莫大な龍のオーラが開放され、大きな風が巻き起こる。

 

「本当は赤龍帝にでも会っていこうかと思っていたんだが、それはまたの機会にとっておこうか。今日はキミと話せて満足したよ。また会おう、暮修太郎」

 

 次の瞬間、一筋の閃光となって天へ登っていく。

 太陽の光に紛れ、その姿はすぐに見えなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

                   ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 姉から逃げ出した塔城小猫は学園を囲む壁を飛び越えた後、一人街を歩いていた。

 行くあても無く商店街を回り、デパートを彷徨って、雑居ビルの立ち並ぶ路地を往く小猫は、傍から見てまるで迷子のようだ。

 何故自分は逃げ出したのだろう? 姉が――黒歌が怖いから?

 

(違う)

 

 再会から時間も経ち、当初抱いた恐怖心は薄れている。単純に、自分が姉を許せていないことが大きい。

 密かに盗み聞いたリアスの推測によれば、もしかすると黒歌は小猫を助けに来たのではないか、と言うことだった。しかし、それが何だと言うのだろう。今現れるなら、自分が最も辛かった時期に助けてくれればよかった。

 

 しかし、そのことが逃げる理由になるかと言えば、やはり別だろう。

 許す、許さないの判断は、それこそ姉の話を聞いてみなければ下すことなどできはしない。

 

 怖いのは姉ではなかった。小猫が真に恐れるのは、話を聞いた後なのだ。

 許せなかったとして、自分は姉をどうするべきなのか? たとえ許すとして、以前と同じ姉妹の関係に戻ることは可能なのだろうか?

 

 そして、小猫の決断を受け、姉がどういった対応をとるかわからない。今の小猫には、戸惑いから姉を直視できない少女には、姉の心がわからないのだ。少女が知る最後の姉の姿とは、邪気に狂ったはぐれ悪魔だった。

 姉は強い。以前とは比べ物にならないほどに強くなって、自分の前に現れた。

 もしも彼女がその気になれば、こんな町数分で消えて無くなってしまうだろう。リアスを含め自分たちでは抗いようも無い。

 そうなることが恐ろしい。

 

(……違う、そうじゃない)

 

 否定する。

 今の姉が暴れだす根拠など何処にも無い。だからこれは、自分が臆病なだけなのだろう。

 起こってもいない出来事を理由に、向き合うことから逃げている。

 

(いっそのこと敵としてやってきたなら……)

 

 はっきりと拒絶の言葉をかけることができたのに。

 そう思う。

 

 しかし状況はそうではない。いずれ解決しなければいけない問題であることは明白だ。

 

(私は何をやっているんだろう?)

 

 途方に暮れて立ち止まった小猫は、ふと横を見る。

 そこは映画館だった。小猫がいつも行くような小奇麗な場所ではない、古びた建物だ。流行っていないのか、休日だというのに人の気配はほとんど無かった。

 それもそのはず、看板を見れば上映タイトルはどれも一昔以上前の作品ばかり。あまり詳しくは無いが、確かこういうのを『名画座』と言っただろうか。

 DVDやBDのレンタルショップが充実している昨今、映画ファンならともかく、これでは一般の客は釣れないだろう。立地の悪さもそれに拍車をかけているようだった。

 

 人がいないのならちょうどいい。歩くのにも疲れた小猫は、ここで時間を潰すことにした。

 

 中に入れば古いコンクリートとわずかな埃の匂い。個人で経営しているのか、受付には老人が一人だけ。もしそうなら贅沢な趣味だ、と小猫は思った。

 老人は小猫の姿を認めると、珍しいものを見たような表情になった。確かに子猫の様な少女には似合わない場所だろう。

 聞けば、もう10分も前に上映を開始しているらしい。今日のプログラムは昔の怪獣特撮映画のようで、上映途中である事も踏まえ「嬢ちゃん大丈夫かね?」と念を押された。

 小猫としては別段何か見たいものがあって来たわけではない。大丈夫だと答えると、「最近の若い子の間で流行ってるのかねえ……」などと呟きながら代金を請求されたので、支払って中に入った。

 

 扉の向こうは、所謂ミニシアターと呼ばれる程度の小さなものだった。怪獣特撮、とのことだったが、まだ話の導入部分だからなのかスクリーンには怪獣の影も見えない。

 見渡せばやはり席は空いていて、まばらにいくつか埋まっているだけだ。

 大半は中央付近の列に座っているが、小猫は一番後ろの列の端に陣取った。

 とはいえ、この狭さだ。どこにいても映画の内容を確認するのに困るようなことは無いだろう。小猫としては正直、あまり興味が無いのだが。

 

 しかし、何かに集中していればその分他のことを忘れることができる。小猫はスクリーンに目を向けた。

 内容としては、簡単に言えば亀の怪獣が地球の危機を救うために敵の怪獣を倒すといったものだ。

 どうやら三部作なようで、一作目は蝙蝠の様な怪獣、二作目は虫の様な怪獣、三作目では一作目の怪獣がパワーアップしたような怪獣が敵として出てきた。昔の作品と侮っていた小猫だが、戦闘部分はとても迫力がありかっこよく、三作目の空中戦などは思わず見入ってしまった。

 

 悪魔の仕事で知り合った人たちの影響から、ゲームや漫画、アニメにはそれなりに詳しいつもりの小猫だったが、特撮――特に怪獣関連はそこまで明るくない。

 もしも実際に自分が戦うとなったら……などと考えてしまうのは、似たような存在が実際にいることを知っているからだろう。とはいえ、流石に数十メートル級の魔獣に敵うなどとはとても思えないのだが。

 しかし何というか、新しい道が開拓できそうな心持ちだった。

 

 時計を確認すれば、もう夕方の時刻だ。そろそろ帰らなければならないのだが、そこで問題に気付く。

 今いる場所がどこなのかわからないのだ。

 道理でこんなところに映画館があるなんて知らなかったはずだ。体感的に隣町付近だと思うが、考えなしに歩いていたので道など覚えておらず、少々面倒なことになってしまったと後悔する。

 夏のおかげかまだ日は高いものの、近いうちに暗くなるだろう。最悪、空を飛んでいかなければいけないかもしれない。

 溜息を一つ吐いて、映画館の外に歩き出そうとしたその時。

 

「ちょっと待って、そこの女の子!」

 

 呼び止められて、振り向く。言っては悪いがこのような寂れた場所に小猫以外の『女の子』はいない。

 声の主はこの辺りでもあまり見ないだろう、金髪碧眼の外国人女性だった。女性はにこやかな笑みで小猫に話しかける。

 

「これ、キミのでしょ?」

 

 差し出されたのは黒猫のワンポイントが施された財布。確かに子猫の物だ。映画の席に落としていってしまったのか、実に危ないところだった。

 

「……ありがとうございます」

 

「別にお礼なんていらないわよー? 偶然見つけただけだし。でもあなたみたいな女の子が怪獣映画だなんて、もしかしてファンだったりするのかしら?」

 

「いえ、何となく入ってみただけです」

 

「うーん、やっぱりそうかぁ……。もしかしたら家の子と話が合うのかと思ったんだけど、今日日そんな子いないわよねぇ」

 

 小猫の言葉に女性は少し残念そうな表情で後ろを見た。

 小猫もそちらに目を向けると、そこには一人の少年。目深にかぶったハンチング帽から覗く欧州風の顔立ちは、彼が異国の生まれであることを表している。少年は、ちょうど肩から下げた鞄から携帯ゲーム機とイヤホンを取り出しているところだった。

 

「こら、レオナルド。歩きながらゲームなんてやってたら、また電柱にぶつかるわよ?」

 

「……ジャンヌ、引っ張って?」

 

「嫌よそんなめんどくさい。自分で前を見て、自分で歩きなさいな」

 

 レオナルドと呼ばれた少年はやや不満げな顔でゲーム機を鞄に戻す。あまり似ていないが、この二人は姉弟か何かだろうか?

 様子を見ている小猫に気付いた女性――ジャンヌが笑顔で話す。

 

「この子ってば、怪獣やモンスターみたいなのが大好きでね。今日だって本当はこんなところに来る予定じゃなかったんだから。最近はうちの野郎連中に影響を受けたのか、色々な漫画とかアニメにも嵌まり出してもう私じゃ話に着いて行けないし……。キミはそういうの詳しい方?」

 

「……人並み程度には」

 

 そう言って、目を逸らす。

 詳しい方と言えばそうだろうが、自分の契約相手たちと比べれば人並みなはず。……そのはずだ。

 

「ふーん……。結構詳しいと見たわ」

 

 何故か見破られてしまった。

 わかりやすいわねー、と笑うジャンヌは、実に愉快げだ。

 

「そういうことなら、ね、ちょっと話さない? 今はまだ明るいけどこんな時間だし、ここら辺は路地裏が近くて女子供だけじゃ危ないかもしれないしね。大通りまで一緒に行きましょ。あなたさえよかったら、だけど」

 

 どうやらこの女性は道をある程度把握しているようだ。密かに迷子状態な小猫としては、まさしく渡りに船だった。

 

「大通りまでなら……」

 

「決まりね、さあ行きましょう」

 

 歩きながら、女性――ジャンヌとは様々なことを話した。

 小猫の名前に始まり、学年、趣味、特技などなど。話すと言っても、実際は聞きだされたに近い。彼女はとても明るく朗らかで、質問と共に相手の話しやすい雰囲気を作ることに長けているようだった。あまり長い会話は得意でない小猫だが、つい余計なことまで喋っていたように思う。

 とはいえ、自分が悪魔であることなどは流石に話していないが。

 

 その彼女たちは休日ということで街に繰り出したらしいが、レオナルドがあの映画館を見つけたことで、本来ショッピングを楽しむはずだった時間をまるまる消費してしまったとのこと。文句を言いながらもわざわざ付き合う当たり面倒見はいいのだろう。手馴れている感がありありだった。

 

「そういえば小猫ちゃん、映画はどうだった? 亀怪獣のやつ」

 

「ジャンヌさんは見ていないのですか?」

 

「うーん、最初の一作目は見てたんだけど、二作目の途中で寝ちゃったのよねー。小猫ちゃんは全部見たんでしょ?」

 

 ジャンヌの質問に頷く。

 

「ほら、レオナルド。小猫ちゃんアレ全部見たそうよ? ぼーっとしてないであなたも何か話しなさい」

 

 話を振られた少年・レオナルドが小猫の目をじっと見る。どうやら小猫の感想を待っているらしい。

 素直に迫力があってかっこよかったと伝えると、やや目を見開いて驚きを表した。小猫の言葉は意外であったようだ。

 

「……昭和シリーズもいい。映像的には今と劣るけれど、ヒーローみたいで僕は好きだ」

 

 日本の怪獣映画には、怪獣が何かを守るために戦う作品もある。少年はそれが好きらしい。

 

「そう言うなら、今度見てみようかな」

 

 小猫の返答にレオナルドは満足げに頷いた。

 今回の映画を見て興味が出たのは事実だ。何にしても今度、レンタルショップで借りてみようと思ったのだ。

 そして少年はそれきり黙ってしまう。あまり口数の多い方ではないのだろう。

 

「ヒーローって言うなら、私はあれが好きかな。ほら、最近のライダー。イケメンが戦うところって絵になるわよね」

 

 仮面被ってるけど、とジャンヌ。

 確かに二枚目の戦う姿は絵になる。小猫は木場を思い浮かべた。

 

「戦隊物もありますけど」

 

 朝のアニメを見る目的で、小猫もそういった番組は目に入れている。とはいえ、ここ数年のものしか知らないのだが。

 

「うーん、多数で一人をボコるのはどうもねー。いや、戦力的な問題とか何かしら事情はあるんだろうけど、絵的にあんまりね」

 

「……でも巨大ロボは好きだ」

 

 小猫の質問にジャンヌが答え、レオナルドが自分の好みを語る。

 しかし二人とも見るからに外国人なのに、随分とそっち関係に詳しい。気になったので聞いてみる。

 

「何故そんなに、日本に関して詳しいんですか?」

 

「詳しいって言うのかしら、これ。まあ、私たちの場合は知り合いのバカ一人が日本マニアっていうか、ヒーローマニアっていうか? 私もこの子もそいつの影響が大分強いのかもね」

 

「……アレは筋金入りだから」

 

 笑いながら語るジャンヌに、レオナルドが同意する。

 日本マニアの外国人……そういえばリアスもそんな感じである。彼女の場合はまた少しベクトルが違うが。

 

「でも、あんなのでも一応私たちの……なんて言えばいいかな、家長? ああそうだ、大黒柱みたいな存在だからね。別に面白くないわけじゃないし、それぐらいは付き合うわよ」

 

「……イマジネーション強化」

 

 まんざらでもないように二人は答える。

 

「大黒柱……父親か何かですか?」

 

「ううん、違うわ。私もこの子も身寄りがないから、まあ、孤児院の院長とか、取りまとめ役みたいな感じね」

 

 何でもないように言うジャンヌ。

 身寄りがないという言葉に、一瞬地雷を踏んでしまったかと思ったが、別段二人に気にした様子は見られない。

 口元に笑みを浮かべながら流し目でこちらを見るジャンヌは、続けて口を開いた。

 

「そして私は皆のおねーさん役……ってところかしら? だから小猫ちゃんが何かに悩んでるのもお見通しよ?」

 

「――っ!」

 

 一転して緊張した表情になる小猫に対し、ジャンヌは微笑んだままだ。

 

「会ったばかりだし、詮索しようとは思わないけどね。でもまあ、事情を知らないからこそ話しやすいってのもあるかもしれないし――」

 

「……ジャンヌ」

 

 レオナルドが言葉の先を折る。

 あっ、と口を開いたまま固まるジャンヌ。

 

「あーははは、ごめんなさい。つい、いつものノリでやっちゃった」

 

「……いえ、気にしてません。初対面の人にもわかるようなことをしている私が悪いんです」

 

 謝るジャンヌに、小猫が答える。

 確かに休日のあの時間、制服を着てあんな辺鄙な場所にいれば何か訳ありと思われても仕方がないだろう。それならば、指摘されても文句は言えない。

 

「そう言ってもらえると助かるわ」

 

 そうして三人路地を歩く。

 程無くして大通りが見えはじめた。道路を走る車のヘッドライトが眩しい。

 気付けば日はすでに半分以上沈み、東の空から夜の闇が近づいてきている。

 

「そろそろお別れね。最後にお節介だけれど、これだけは一応言わせてちょうだいな。家の人には心配かけないようにするのよ?」

 

「はい、わかっています」

 

 よろしい、と満足げに笑んだジャンヌは、本当にこういったことに慣れているようだった。“お姉さん役”というのは嘘ではないらしい。

 互いに帰り道に気を付けるよう言葉を交わし、別れる。

 少し歩いて立ち止まった小猫は後ろを振り向く。手を繋ぎながら遠ざかる二人の背中は、まるで本当の姉弟のようだと思った。

 

 直後にお腹の音が鳴る。

 そういえば、昼から何も食べていない。

 

(……帰る前に何か食べて帰ろう)

 

 誰にも気づかれてはいないはずだが、小猫は一人顔を赤くしながら歩みを再開した。

 

 




誰だこいつら(英雄)。

原作を何度見てもこの二人の口調がつかめない。
ジャンヌはともかく、レオナルドに至っては悲鳴しか上げてねえよ!
まあ、この作品のこいつらはこんな感じ。性格改変と言われても言い訳はできないですね。

ちなみにこの二人、休暇にこの町を選んだ原因は主人公がいるから(曹操がゲオルクを使って調べた)ですが、別に何かの作戦とかでやってきたわけではありません。
グレモリー眷属はまだあまり意識する段階ではないので、小猫と黒歌の関係も知りませんし。主人公を調べた時、副産物的に赤龍帝の情報ぐらいは得ているかもしれませんが。
つまり単なる偶然で、その後の対応も善意からです。


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第二十一話:進撃の弟子もどき

 からりと晴れた青空の下、目が覚める。

 眼球に飛び込んできた太陽の光に目が眩み、ゼノヴィアは意識を覚醒させた。

 

「あ、目が覚めたにゃん」

 

 身体を起こして声の方向を見れば、黒髪に猫耳の女性――黒歌の姿。

 

「前よりも2分早いな」

 

 逆方向からの声に首を動かせば、木刀を肩に担ぐ目つきの鋭い男――修太郎が見えた。

 

 ここはマンションの屋上。

 学園から帰宅したゼノヴィアは意気揚々と修太郎に模擬戦を申込んだのだが、案の定、一方的に打ちのめされて先ほどまで転がされていたらしい。

 ここ毎日ずっとこんな感じである。気付けば吹き飛び、気付けば叩き付けられ、この前などは気付けばベッドの上だった。今回はそこまでひどくはないようだが、全身が酷く痛い。打たれたところの骨は折れてこそいないものの、動かそうとするたびに軋むような痛みが走る。それだけではなく、打たれていないはずの場所まで響くようなダメージがあった。

 

「……なあ師匠、私は強くなれているのか?」

 

 疑問に思ったことを聞いてみる。

 自身が魔力を使って全力で挑んでいるにもかかわらず、対する相手は素の身体能力だけでこれ。

 こちらの剣は掠りもしないどころか、影すら踏めない有り様だ。ひたすら壁に打ち込んでいるようで、何かが自分の身になった感覚がまるでないのだ。自覚できるのはせいぜいが打たれ強くなったかもしれないという程度。

 

「知らん」

 

 ゼノヴィアの悩みにしかし、男の言葉はその一つだけだった。

 

「は――はあ!?」

 

 大きく口を開けて唖然とするゼノヴィア。

 

「この模擬戦は俺が一方的に叩きのめしているだけだぞ。それで何かを得られるとでも本気で思っているのか」

 

 低く平坦な声が無慈悲に響く。がつんと頭を叩かれたようだった。

 

「な、何か深い考えがあってそうしていたのでは……?」

 

「何だそれは。俺に何かを教えた経験など無いと言っただろう。そもそも俺はお前の師ではない」

 

 急激に力の抜けたゼノヴィアは大の字に倒れて空を仰ぎ見る。

 修太郎には何かを教える気などさらさら無く、ただ適当にあしらっていただけなのだろう。気合を入れて何かを見出そうとしたゼノヴィアの努力は無駄だったのだ。

 しかし、本当に模擬戦だけだったとは。このままなし崩し的に師事できるかと少し期待していたゼノヴィアの気持ちは失意のどん底に落ちる。

 太陽の光がまぶしくて、涙が出そうだった。

 

「第一、俺がまともに覚えている剣術の流派など一つしかないし、それすらお前が習得することは不可能なものだ。剣を学びたいのなら他を当たったほうが何十倍もお前の得になる」

 

 修太郎の言葉に、ぴくりとゼノヴィアが反応する。

 そうして勢いよく上体を起こし、座ったままで修太郎を見上げた。

 

「聞き捨てならないな、師匠。何故不可能だと断定出来る? 試してみなければわからないはずだ」

 

「師匠ではないが、わかるとも。お前は確かに高い身体能力を持っているが、これは出来ないだろう?」

 

 修太郎はおもむろに木刀の柄を自身の手の甲に乗せる。床と平行に伸ばした手の上で、木刀は見事切っ先を天に向けて立った。

 それだけか? と疑問の視線を向けるゼノヴィアだったが、次の瞬間目を見開く。木刀がそのままの形で腕の上を移動しているのだ。

 

「な、なんで……?」

 

「腕の筋肉を微細に操ることで動かしている。俺の剣技の大元となった流派には、こういった身体操作能力が必要不可欠だ」

 

 確かに良く見ると腕の皮膚がかすかに動いているようにも見える。一体どうやっているのか見当もつかないが、それはともかく、なんというか……。

 

「気持ち悪いにゃん」

 

 まさしくゼノヴィアの内心にあった言葉を黒歌が口に出した。

 

「……一応は千年近い歴史を持つ流派なのだが、技の大半を先天的な資質に頼るせいで外来の門下生は全くいなかった」

 

 難しい顔でそう言う修太郎だが、依然として腕を伝い肩に登って背の筋肉を移動する木刀の姿が見える。傍から見ると出来の悪い手品のようだが、れっきとした体術だと言うのだから何とも奇妙だ。

 ゼノヴィアは疑問に思ったことを尋ねる。

 

「師匠、何故それができないとダメなんだ?」

 

「師匠ではない。あらゆる体勢で十全の攻撃を放つのに必要だからだ。陸地は勿論のこと、水中空中無重力中……全身を連動させて行う高速高威力の斬撃は、それ自体が奇襲の効果を併せ持つ。人間という生物は己のポテンシャルを完全に発揮しなければ人外に対抗し得ない、と言う理念だな」

 

「水中空中はともかく、最後のはおかしいにゃん。宇宙空間でも戦うつもり?」

 

 黒歌のツッコミに「……かもしれん」と答える修太郎。否定しないあたり大概である。

 しかし変態的技能が前提にある剣術とは、確かに今のゼノヴィアには出来そうもなかった。

 

「くっ……師匠、それが出来るようになるにはどうしたらいい?」

 

「師匠ではない。……わからん。おそらく修行法もあるはずだが、俺は最初から出来ていたからな」

 

 どうすれば出来るようになるんだろうな、などと他人事のように言う。

 

「むむむ……」

 

「別に俺の剣にこだわる必要など無いだろう。剣術の師としてならば俺より優秀な者はいくらでもいるし、必要であれば紹介することも可能だ。示現流などはお前にぴったりだと思うが」

 

「でも、私は師匠に剣を教えてもらいたいんだ」

 

 まっすぐな視線で修太郎を見つめるゼノヴィア。

 ここまでやられてもまるで姿勢を変えようとしない少女に、修太郎は小さくため息を吐く。どうにもこういった友好的なのかそうじゃないのかわからない手合いは対応に困る。これが敵対する相手ならば問答無用で斬り捨てるのだが。

 その時、背後で屋上のドアが開く音が聞こえた。

 

「あ、いた! 修太郎さーん」

 

 振り向けば、現れたのは栗色のツインテールが特徴的な少女、紫藤イリナだった。

 笑顔で声をかけてくる彼女の表情は、初めて出会った時と遜色ない天真爛漫さを表している。見た限り完全に調子を取り戻したようだ。

 

「キミか。どうした?」

 

 小走りで駆け寄り修太郎の前に立ったイリナは、男の顔を見上げて答える。

 

「ちょっと相談したいことがあるんですけど、いいですか?」

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

「魔物狩りになりたい、か」

 

 場所は変わってゼノヴィアたちの部屋。

 テーブルを挟んでイリナの話を聞く。修太郎の横には黒歌が、イリナの横にはゼノヴィアが座っていた。

 アーシアたちとの交流によって失意の底より立ち直ったイリナだが、自分が今後何を成すべきか考えた末がそれなのだと言う。

 

「はい。主は天にいなくとも、その教えが途絶えたわけではない。私一人が神の不在を知ったところで世界には主の教えによって救われる人々がいて、それは今も変わらない。なら私がすべきことは、今までと変わらず異形の悪意から人々を守ることだと思うんです」

 

 呟く修太郎にイリナが答える。決意を表すように、彼女の瞳には強い意志が見えた。

 

「なるほど、立派な心がけだ。それで魔物狩りか。しかし、キミには一般人に戻るという選択もあるはずだが……」

 

「これまで散々関わっておいて、今更普通の生活をするだなんてできません。私には戦うための力があるんだもの」

 

 迷いの無い答えだった。

 確かに、人に仇為す人外の存在を知り、それに何年も深く関わっておいていきなり平和な日々を謳歌するなどできないだろう。特に信仰の深い彼女であればなおさら、無粋な質問だった。

 

「……シュウ」

 

 思案する修太郎に、黒歌が声をかける。そちらを見れば、黄金の瞳が世話をしてやれと言っていた。

 

「ふむ……」

 

 魔物狩りになることそのものは別段大して難しいことではない。極論を言えば自称するだけでいいのだ。

 だが、その活動は基本的にワンマン稼業となる。いくら腕が立つとはいえ少女一人、しかも教会育ちでゼノヴィアの例を見るに(おそらく)世間知らずとあれば、放り出すには大きな不安が伴う。

 

 しかしながら、修太郎たちは修太郎たちで今まで主な活動圏だったヨーロッパ――特にイタリア周辺から出禁を喰らっている。

 神の不在を知って数日後、天界側から近づかないよう連絡が来たのだ。とはいえ修太郎たちは信徒ではないため、ヴァチカンにでも行かなければそう大きな問題にならない。しかし、おそらくイリナは駄目だろう。ならば修太郎の知り合いに頼ることもできない。

 

「えーっと、別に弟子にしてくれとかそういうことじゃないんです。修太郎さんたちも忙しいみたいだし、心得とか、気を付けることとか、そういうのだけでも教えてもらえれば……」

 

 考え込む修太郎の様子を見て、イリナは焦ったように話す。

 

「いや、構わない。キミがそうしたいと言うのなら、協力すること自体吝かではない。ただ……」

 

 前述の問題点を話す。

 今の修太郎も状況的には彼女と同じであり、それ故に大した助けにはなれないということ。

 話を聞いたイリナはがっくりと肩を落とした。

 

「そうですか……」

 

 異端者になったことで教会の伝手をすべて失った彼女には、現状修太郎しか頼れる人物がいないのだ。

 消沈する少女に、修太郎は言葉を続ける。

 

「だがまあそうだな……。やることが終わればしばらく時間も空くだろう。俺としても仕事に関して別の受付口を見つけたいと思っている。その時一緒に連れて行くことは可能だ」

 

 修太郎の言葉に、イリナの顔がぱあっと明るくなった。嬉しそうな声で勢いよく頭を下げる。

 

「ありがとうございます!」

 

「礼はいい、どうせついでだ。それよりもキミは今、武装を持っているのか?」

 

 気になったことを訪ねる。

 異端となり教会から追放されたことで聖剣は手元に無いはず。武器も防具も持っていないのであれば、魔物狩りを行うにしても正直なところ話にならない。

 案の定、イリナは首を横に振る。

 

「わかった、そちらに関しても俺が都合をつけよう。確か日本刀でよかったな?」

 

「そんな! そこまでお世話になるわけには……」

 

「ならば聞くが、キミはこの世の中で法の目を掻い潜りつつ、魔物を殺傷せしめるような武器を手に入れるための伝手を持っているのか?」

 

「う……持ってません……」

 

「それなら任せておけ。何、心配するな。対価は後で請求するとも」

 

「すみません……お願いします」

 

 男の言葉にイリナは調子が落ち込む気分だ。何せこの若さで借金持ちである。

 だが何にせよ状況が状況だけに仕方がないことではあるし、元々何も無い状態だったのだから、むしろこれは幸運だろう。そう思えば調子も戻ってくる。

 そんな少女をよそに、修太郎はベルトポーチをあさると何やら取り出してテーブルの上に置いた。

 

「今すぐに得物が必要だと言うのならこれを使うといい。それなりの一品だ」

 

 それは円形の金属ケースだった。手に取って開き、中を見てみる。

 

「これって、糸……?」

 

 指でつまめば光を反射してきらきらと輝く銀色の線が見える。糸は良く見なくてはそれとわからないほど細く、何よりも特別な力が込められているようだった。

 

「俺がまだ退魔剣士だったころに仕事で使った物だ。鬼神の髪の毛を織り交ぜた対魔対霊効果を持つ特別製の鋼糸でな、霊体も魂も全て絡め獲り切断できる」

 

 キミは糸が使えるんだろう? と修太郎。

 突然そんなことを言われてイリナは戸惑うしかない。

 

「えっと……使えませんけど」

 

「む、そうなのか? コカビエルとの戦いでは使っていたはずだが……」

 

 首をひねる修太郎に、イリナは説明する。あれは『擬態の聖剣(エクスカリバー・ミミック)』を変形させた一形態であること。また、自分自身に糸を操る能力は無いことを。

 

「もったいないな。もし鋼糸の技術を会得していたなら、精神力での操作と合わせてコカビエルの腕一本程度なら切断出来たろうに」

 

「ええっ、そうなんですか!?」

 

「見た限りキミはどうやら速さを得手とする剣士のようだが、それよりも特筆すべきは動作の柔軟性と正確性だ。鋼糸術の習得難度は非常に高く、一定以上のレベルを求めるならそれこそ才能の世界になる。キミにはおそらく、その才能がある」

 

 いつかのキマイラ戦で修太郎の動きを曲がりなりにも真似できたのは、その器用さあってのことだろう。本来の身体能力で言えばゼノヴィアに劣るだろうそれを、同等のように見せているのは彼女が技術的な方面に天賦の才を持っていることによる。

 端的に言えば、紫藤イリナという少女は身体操作がうまいのだ。習得できるかどうかはまた別だが、ゼノヴィアよりも修太郎の修める剣術に向いているとも言える。

 

「その鋼糸術って、教えてもらったりとかは……」

 

 そこまで言われると興味が出てくる。ダメ元で聞いてみたイリナだったが――。

 

「構わない。とはいえ基本的な技術しか教えることはできないが……」

 

 帰ってきたのは意外な答えだった。

 

「ちょっと待ってくれ師匠!!」

 

 そこに今まで黙って話を聞いていたゼノヴィアが割り込む。

 

「なんで私に剣を教えるのは駄目なのに、イリナにその鋼糸とやらを教えるのはいいんだ!!」

 

 憤りを隠そうともせず、ゼノヴィアは言い放つ。

 そんな少女に、修太郎は表情も口調も変えずに答えた。

 

「それはお前が剣を教えろと言うからだ。最初に言っただろう? 『教えられない』と。お前もそれを了承したはずだ。故に俺はお前の師匠ではない」

 

「それは……。でも師匠の言っていることはわからない! もっとはっきり……」

 

「ではわかりやすく言ってやろう」

 

 修太郎の目がゼノヴィアを見る。猛禽の様な瞳は尋常でないほど鋭く、思わずびくりと身をすくませてしまう。

 そうして低く平坦な声が響いた。

 

「お前には俺の剣を覚えるための才能が無い。技を盗みたいなら好きにするがいい。しかし師匠が欲しいなら別を当たれ。俺はお前のために無駄な時間を使う訳にはいかない」

 

「うっ……うううっ…………」

 

 気圧されるゼノヴィアは涙目だがしかし、修太郎の目を見つめ続ける。

 そうしてしばらく見つめ合って、少女は口を開いた。

 

「……わかった。今は諦めよう。だが師匠! 私がいつか模擬戦であなたから一本取ったら……」

 

「断る。俺はお前の師匠ではない」

 

「ならば決闘であなたに一撃喰らわせたら……」

 

「決闘ならば手加減は一切しない。死にたいのならそれもいいだろう」

 

「そ、それならじゃんけんで勝ったら……」

 

「一気にスケールダウンしてるにゃん」

 

「ゼノヴィアったらビビりまくってるわ」

 

「な、なんでだ!? イリナと対応が違い過ぎるじゃないか!! 私は何も悪いことしてないのに! せっかく悪魔にまでなったのに! ずるい! イリナばっかりずるいぞ!! 私も師匠から何か教えてもらいたい!!」

 

 こぼれそうなほど目に涙を溜めたゼノヴィアは、とうとう駄々をこねだした。

 ため息を吐く一同。

 修太郎は仕方なさげに言葉を放つ。

 

「わかった、ならば教えてやろう。……しかし後悔するなよ」

 

「本当か師匠! ふふん、私が選んだ道だ。後悔などするものか」

 

 嬉しそうに胸を張って答えるゼノヴィア。

 

「師匠ではない。その意気やよし。では、どこか壊しても大丈夫な場所を知らないか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 再び場所は変わり、駒王学園旧校舎。

 修太郎たちの来訪に驚いたのはちょうど帰宅するところだったらしい一誠とアーシア、そして木場。リアスたちはどうやら別件でいないようだった。

 

「あれ、ゼノヴィアにイリナ……と小猫ちゃんのお姉さんに、暮さん? 何か用っすか?」

 

「少しここの中庭を借りたい。こいつに剣を教える」

 

 一誠の質問に、修太郎がゼノヴィアを指で示して答える。

 

「本当か、師匠!?」

 

 それにゼノヴィアが表情を輝かせる。まるで勢いよく振れる尻尾を幻視するかのようなはしゃぎようだ。

 

「部長には後で報告すればいいと思いますが……。興味があるので良ければ立ち会わせてもらってもいいでしょうか?」

 

 修太郎の申し出には木場が答えた。

 

「構わない。こちらは場所を使わせてもらう身だ」

 

「んじゃあ俺も」

 

「イッセーさんが行くのでしたら私も」

 

 興味があったらしい一誠たちも伴って、中庭に移動することになった。そこならば少しぐらい傷つけても修復は容易だろう。

 

「兵藤少年」

 

「……な、何すか?」

 

 道中、突然話しかけられた一誠はやや怖気づきながらも応じる。

 この暮修太郎と言う男、何となく悪い人物ではなさそうだが、凄まじく目つきが怖いのだ。つい最近まで一般人だった一誠にとっては、すぐに気さくな付き合いができる相手ではない。

 

「キミは最近、白龍皇に出会ったか?」

 

 修太郎の言葉は一誠にとってピンポイントな話題だった。

 

「え、何でそれを……?」

 

 昨日の朝のことだ。白龍皇――ヴァーリと名乗る少年と駒王学園の校門で遭遇した。先日のプールでも近くまで気配がやって来ていたとドライグが言っていたが、まさかそれから大して時間の空かないうちに出会うとは思ってもみなかった。

 

「俺がこの前会った時、キミに接触しようとしていたみたいだったからな。奴は何と言っていた?」

 

「ああ、そういえばあいつと知り合いなんですよね。えーっと、お前は世界で何番目に強いかだとか、二天龍に関わった者は碌な生き方をしないだとか……。最後にもっと強くなってくれ、とか言ってたかな」

 

 突然でびっくりしましたよ、と一誠。

 

「そうか……キミは強くなりたいか?」

 

「それはまあ、勿論。俺、上級悪魔になってハーレム王になるのが夢ですから。それを目指すにしても、部長の役に立つにしても。今よりもっと強くならないと」

 

「ふむ……」

 

「どうかしたんですか?」

 

「いや、いい夢だと思ってな」

 

「え、そうですか?」

 

 修太郎の返答は一誠にとって意外なものだった。てっきり性欲とかそういう方面への関心が薄い人物だと思っていたからだ。

 しかし考えてみれば、小猫の姉――黒歌のようなお色気むんむんなお姉さんと一緒にいる人物である。実は見かけよりずっとエロいのかもしれない。

 

 そうこうする内に一行は中庭に到着。

 いち早く駆けだしていたゼノヴィアが、仁王立ちに言葉を放つ。

 

「師匠! さあ何を教えてくれるんだ?」

 

 いったい何を教えてもらえるのか、高ぶる気持ちを隠そうともしないゼノヴィアだったが、修太郎が制止する。

 

「まあ待て。その前にやることがある。――クロ」

 

「はいはーい。なあに? どうかしたにゃん?」

 

 建物に施された術式を確認しているのか、それとも中にいる『力』の様子を窺っているのか、旧校舎を興味深げに観察していた黒歌を傍らに呼び寄せる。

 そうして一誠の前に立った。

 

「兵藤少年、強くなりたいという、その言葉に偽りはないな?」

 

「え? はい、それはまあ……」

 

「よし。ではキミを今より少しだけ強くしよう。ちょっとくすぐったいぞ」

 

「は――えっ、ぐぎゃっ!?」

 

 修太郎は素早く一誠を羽交い絞めにする。超達人級の体術によって動きを封じ込められた一誠に抗う術など無い。

 そして阿吽の呼吸で黒歌が小型結界を展開。三人の姿が隠されてしまう。

 

「イッセーくん!?」

 

 突然の出来事にゼノヴィア、イリナ、アーシアら三人は驚き、硬直した。その中で唯一木場だけが反応し、聖魔剣を現出させる。

 そのまま神速で駆け斬りかかるが、結界はびくともしない。

 

「くっ、硬い……! イッセーくん! 大丈夫かい、イッセーくん!!」

 

『うわはははははははははっ!! やめっ、くすぐった……うっ、ぎゃああああ!? 痛い痛い痛い痛い!! ちょっ、ギブギブギブ!!』

 

 激しい笑い声ののち、ごきり、ぼきり、と痛々しい音が響く。

 

「イッセーくん! イッセーくん! くそっ、中でいったい何が……?」

 

「イッセーさん!? ゼノヴィアさん、イッセーさんは大丈夫なのですか……?」

 

「わからない……師匠はいったい何をする、もとい何をしているんだ?」

 

「少しだけ強くするって言っていたから、悪いことにはならないと思うけど……」

 

 雰囲気的には危険な感じこそしないが、やはり心配だった。

 

『痛いっ! いた……あふん、何だこれ気持ちよく……なんだか、ねむ……い………………Zzz………………』

 

「イッセーくん……?」

 

「眠ってるみたいですね」

 

『うへへへ……おっぱいおっぱい……。ぎゃっ! ゆ、夢か……え!? ちょっ、あんた何やって……うわひやっ、そ、そこは……らめぇぇぇぇっ!! お嫁に行けなくなっちゃう!! アッ――――――!!』

 

「どうしましょう木場さん! イッセーさんがお嫁に行けなくなるって!!」

 

「本当にどうすればいいんだろう……」

 

「諦めるな木場、もしイッセーがとんでもないことになっていたとしても私たちは仲間だ。大丈夫……きっと大丈夫……」

 

「何が大丈夫なのよ……」

 

 それぞれが心配する中、程無くして結界が開く。そして一誠を抱える修太郎と、黒歌が現れた。

 脇に抱えられた一誠は、真っ白になってなんだかぐったりしている。

 

「あなたは! イッセーくんに何を!」

 

「イッセーさんは大丈夫なんですか!?」

 

 詰め寄る二人に対し、修太郎たちは答える。

 

「心配するな。命に別状はない」

 

「整体と気脈の調整を行っただけよ。目が覚めた時、体調的にはむしろ絶好調になっているはずにゃん♪」

 

 修太郎たちが行ったのは、一誠の肉体的バランスを最も良い状態にしたという、ただそれだけだ。

 骨格を矯正し、筋肉の位置を調整し、全身を巡るオーラの通り道――気脈を整備する。元々一般人だった一誠は、幼い頃より修練を積んだ木場やゼノヴィアたちと違って戦うための身体をしていない。

 故にそのハンデを取り除いた。結果として肉体的ポテンシャルは3~5パーセントほど向上したはず。魔力の練りも今までよりは格段にやりやすくなっただろう。

 

 中華、そして印度が誇る神秘の整体技術と高位仙術の合わせ技だ。無論のこと後遺症は無く、ノーリスクで潜在能力を引き出したことになる。

 白龍皇とやりあうのならこの程度の助力はしてもいいだろうという判断だ。突然やったのは流石にこちらが悪いので、それに関しては謝罪する。

 修太郎の話を聞いて安心したのか、二人はそろって一息ついた。

 

「ちなみにそれを私たちに行うことは……」

 

「あまり意味が無いな。お前たちの身体は今のままで十分バランスがとれている」

 

 やるとすればアーシアぐらいだろう。そう言うと、アーシアはびくりと身をすくませて木場の影に隠れた。

 ともあれ、意識を失った一誠を黒歌が展開した魔法陣に寝かせる。

 

「よし、いよいよ私の番だな! 師匠、何を教えてくれるんだ?」

 

 ゼノヴィアが目を輝かせながら急かす。

 

「師匠ではない。最後に聞くが、本当に後悔しないんだな?」

 

「フッ……女に二言は無い!」

 

 修太郎の念押しに、そう言い放つゼノヴィア。

 それを聞いた修太郎の顔は珍しく苦いものだった。しかし、やると言ったならばやるのがこの男である。

 

「ゼノヴィア、デュランダルを貸せ」

 

「え? しかし師匠は聖剣を……」

 

 修太郎には聖剣を使う素養は無い。少なくともゼノヴィアはそう聞いていた。

 何か考えがあるのかと思い、とりあえず亜空間からデュランダルを取り出すゼノヴィア。莫大な量の聖なるオーラが迸り、大気が震える。

 しかし修太郎がデュランダルを握った途端、オーラは完全に霧散した。ゼノヴィアとしては予想通りの展開だ。鈍らとなった聖剣を使っていったい何をするのか。

 担い手の下から離れたことで重量を増しているはずの聖剣を、それでも修太郎はふらつくことなく持ち上げる。

 

 そうして上段に構え、振り下ろす。鋭く速い斬撃が剣圧を生み、眼下の大地に切り傷を刻んだ。

 次いで脇構えからの斬り上げ、右薙ぎ、左薙ぎと続ける。

 

「……いけるな。離れていろ」

 

 一同が離れたのを見届けると、修太郎は再びデュランダルを振る。

 徐々に速さを増していく連続した斬撃に、運足まで合わせればそれは見事な剣の舞だ。デュランダルの刃が大気に光の軌跡を残したかと思えば、鋭い斬風が巻き起こる。

 

 唐竹、袈裟斬り、右斬り上げ、左薙ぎ、逆風、再び唐竹、そして突き。

 

 流れるような動作は流水のように、軽快な足運びは疾風のように、あまりに自然且つ無駄の無い動作はある瞬間に刃の行方を見失うほどだ。

 デュランダルは正式な使い手であるゼノヴィアでさえ重さに身体が流される大剣である。使い手ですらない修太郎には殊更重く感じられるだろう。その証拠に、ゼノヴィアたちにもわかるほど普段より動きが遅く見えた。しかし、それでもなお自分たちより格段に速いのだ。

 

 わかってはいたが、レベルの違いに愕然とする。

 ゼノヴィアでは彼のように斬ることができない。ゼノヴィアでは彼のように動くことができない。

 未熟。あまりにも未熟。自分はいったい今まで何をやってきたのか。

 

 そう思いながら剣舞を見ていると、突如として修太郎の動きが変わった。

 先ほどまでと違って笑えるほどにぎこちなく、剣に体勢を崩されるような粗末な動きだ。少なくとも、以前と比べればまるで子供のようだと言っても過言ではない。

 イリナが、木場が、それぞれ疑問の表情になる中で、ゼノヴィアだけが気付き、そして驚く。これは、自分の動き(コピー)だ。

 修太郎はゼノヴィアの剣を完璧にトレースしていた。

 

 いったい何をやっているのかと観察を続けるゼノヴィアだったが、不意に別の動きが混じるのが見えた。

 ――後悔するなよ。

 修太郎の言葉が蘇る。

 そう、暮修太郎という男の真骨頂はここからだった。

 

 一つ動くごとに無駄が一つ削がれる。

 一つ振るごとに動きは調和に一つ近づく。

 もはや身体は重さに流されず、人剣一体となって振るわれる刃は暴風のようだ。

 修太郎はゼノヴィアが普段より行っている剣を再現し、それを現在進行形で発展させていた。

 力強く、そして思い切りよく、今までとまるで違う太刀筋を、急激な速度で進化させていく。

 

 ゼノヴィアは、それを理解してしまった。

 自分の剣が目の前で、他人の手によって完成していく。何もかもを取り上げられるようなその絶望感は筆舌に尽くしがたい。これはある意味、ゼノヴィアが今までやってきたことの否定だった。

 身体から力が抜ける。初夏の陽気も消え去って、ひたすら体温が奪われる感覚がした。

 それでも修太郎の剣舞から目を離せない。

 

 今のデュランダルはそこらの鈍らよりも斬れない鈍器であるはずだが、修太郎の手に握られているそれは、ゼノヴィアの手元にある時よりも鋭く見える。

 まるで手足のように聖剣を振るう修太郎は、ゼノヴィアよりもデュランダルの使い手にふさわしい。

 そう思えてならず、涙が出そうだ。

 

 勢いよく切り払い、そして天を突くかのごとく刃を掲げる修太郎。

 示現流が蜻蛉の構えだ。

 そしてその体勢から一瞬の脱力、続いて極限の緊張で以って放たれた振り下ろしは、速度と共に生じる剣圧により斬撃の威力を伸長させる。闘気を纏っていないが故に超光速とまではいかないが、ゼノヴィアたちでは見切ることなど到底できない速さだ。鋭い音が鳴ると同時に、大地へ長く深い一文字の亀裂が刻まれた。

 

 長い息を一つ吐いた修太郎は、デュランダルを大地に突き刺す。

 そうしてゼノヴィアに振り返り、言葉を放つ。

 

「これがお前が行うべき大剣の使い方という物だ」

 

 そう言ってデュランダルを引き抜き、ゼノヴィアに差し出した。

 ゼノヴィアは呆然としながらもそれを受け取る。しかし力は抜けたまま、体がまるで言うことを聞かない。

 

「動きは見えただろう? 言葉の通り、参考にしてみるがいい」

 

 最後に一つそう言って、黒歌を引き連れ去って行く。

 遠ざかる後姿を、ゼノヴィアは黙って見送る事しかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 

「師匠、模擬戦をしよう!」

 

「…………師匠ではない」

 

 ドアを開くと勢いよく言葉を放つ青髪が見えた。

 胸を張って仁王立ちに、両手に木刀を携える少女はゼノヴィア。昨日の意気消沈していた姿など影も形も無く、今日も元気に修太郎へ会いに来た。

 何故まだここに来る、と目で語ると、ゼノヴィアはまっすぐにこちらを見つめて。

 

「私は考えた。師匠は確かに昨日、私の剣を完成させた。しかし、完成とはいったい何なのか? そもそも完成へのビジョンなど私には見えていなかったんだ。そこでこう思った。師匠が見せた剣が完成だと言うならば、それを超えることを目指せば私の剣は超完成として盤石なのでは、と」

 

 なんだろう、その解釈は。

 今まで修太郎によって自らの剣を完成させられた剣士は、ほとんど全てがその場で剣を折り復帰することは無かった。だからこそ彼にしては珍しく念押しまでしたのだが、まさかそんな理屈で立ち直るとは。

 

「というか、むしろますます師匠から剣を教わりたくなったんだ。そんな訳で私は諦めないからな!」

 

 今までよりもいっそう強い意志を目に宿すゼノヴィアの姿を見て、修太郎はまたもや自身の失策を悟った。

 

「どうやらシュウの負けみたいね。私には何となく最初からわかってたにゃん」

 

 内心で頭を抱える修太郎に、後ろで話を聞いていた黒歌が口を開く。

 

「さあ師匠、模擬戦をしよう!」

 

 ドヤァ……とした顔のゼノヴィアを見て、修太郎は思う。

 ――ああ、こいつはバカなのだったな、と。

 だから。

 

「師匠ではない」

 

 そう言うだけで精一杯だった。

 

 

 




何とも難産だった話。
タイミングとしてはもっと後でもよかったかもしれないと思わないでもありません。
というかゼノヴィアイリナの強化と見せかけて、何気にイッセーの強化を済ませたという……。


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第二十二話:公開授業と敵の影

「どう? こんな感じ? 変じゃないかにゃ?」

 

 かけられた声に振り向く。

 黒のジャケットと同色のワンピース、スカート裾から覗く脚には黒のストッキング。いつもと違うフォーマルなファッションに身を包んだ黒歌がいた。

 くるりとその場で一回転し、腕を広げて服を見せるように確認してくる。

 

「いや、似合っている」

 

 答える修太郎も黒いスーツを着用していた。

 今日は駒王学園で授業参観が行われる日。正確には『公開授業』と言うらしく、親御だけでなく中等部の生徒及び保護者も授業風景を見学しに来てもいいという催しだ。もっともそれは、修太郎にはあまり関係の無いことだが。

 

 ゼノヴィアから知らされたこのイベント、無論のこと黒歌は参加を希望した。

 喧嘩しているような状態とはいえ、黒歌にしてみればたった一人の妹だ。せっかく晴れの舞台(?)なのだし、同じ町に住んでおいてスルーするなど考えられないことだろう。おそらく見学の際は隠れて見ることになるが、それでもだ。

 なんにせよ、修太郎は彼女に付き合う所存だ。今回のことは、来たるべき会談の日に備えて学園内を詳しく把握する機会でもあった。

 

「まさか依頼の報酬で貰ったビデオカメラが役立つ日が来ようとは。クロ、操作は大丈夫か?」

 

「オールオッケー、問題ないにゃん。というか、私もシュウがまたそのスーツを着ることになるとは思わなかったにゃん」

 

 修太郎の着ているスーツは以前仕事で支給され、そのまま譲り受けた物である。所謂SPスーツというやつで、長身強面の男が着用している様はどう見てもヤクザかマフィアの構成員だ。整髪剤で髪を後ろになでつければ、その威圧感は倍プッシュ。明らかに堅気の人間ではない。

 

「似合わないのは自覚している。しかし、気配を薄めればそれほど注目は浴びないだろう」

 

「ある意味最高に似合ってるんだけど……。でも、まあ、かっこいいから良いにゃん」

 

「そうならば良いのだが……。クロ、こっちに来い。髪の毛を整えよう」

 

「はいはーい」

 

 椅子に座った黒歌の長い髪の毛を梳く。闇に近い色の黒髪は、普段から修太郎が手入れしているおかげか手に取るだけでもさらさらと美しく流れた。

 ブラシを差し入れるたびに気持ちよさそうに目を細める黒歌は、そのまま眠ってしまいそうだ。

 ブラッシングを終えた後、手早く彼女の髪の毛を後頭部にまとめ、慣れた手つきでシニョンを作る。気分屋な彼女に応えるべく色々と勉強した結果、髪弄りの腕前もまた熟練の域に達していた。

 

「起きろ。できたぞ」

 

「――にゃっ!?」

 

 案の定、微睡み始めていた黒歌を起こし、マンションより出る。

 初夏の太陽が照りつける中で正装姿はいささか暑いが、ともあれ二人は駒王学園へ向かった。

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

「おや、キミは……」

 

 小猫がいる教室を訪れると、扉の前で意外な人物と出会った。

 

「お久しぶりです。サーゼクス殿」

 

 紅髪の魔王、サーゼクス・ルシファーその人である。

 駒王学園には妹のリアス・グレモリーも通っているため、公開授業が行われている中で彼に会うこと自体はそれほど不自然ではない。――彼が魔王と言う立場にある事を考慮に入れなければ、だが。

 

「ああ、久しぶりだね暮修太郎くん。格好からしてキミも授業参観に来たのかな?」

 

「ええ、まあ。とはいえ自分は彼女の付き添いですが」

 

 修太郎の返答に傍らの黒歌を見つけ、得心がいったかのように頷く。

 

「なるほど、キミが黒歌だね。はじめまして、サーゼクス・ルシファーだ。魔王をやっている」

 

「はじめまして、黒歌……です」

 

 一応指名手配犯である人物を前にして何の含みも無く微笑む魔王に、警戒心をにじませていた黒歌は毒気が抜かれる思いだった。返す言葉にも戸惑いが見られる。

 なるほど、こういう御仁なのだろう。少なくとも彼は黒歌に対して敵対心を持っている訳ではないらしい。

 

「……ふむ、となると私の心配は杞憂だったようだね」

 

「心配……とは?」

 

 サーゼクスが放った言葉の意味がわからず、尋ねる。

 するとサーゼクスは笑みを深くして答えた。

 

「妹の眷族には身寄りのない者が多いが、小猫くんの場合は私が引き取り、妹に預けた経緯がある。なのでこういった親族参加のイベントには出来るだけ様子を見に来るようにしてるのだよ。もっとも、今回は必要なかったかもしれないが」

 

 なるほど、何故こんなところで出会ったのか不思議でならなかったが、理由を聞いて納得した。彼は彼で小猫のことを気にかけているのだろう。

 

「ありがとう、ございます……」

 

 礼を言う黒歌にサーゼクスは「構わない」と答える。

 

「同じく妹を持つ身として、それがどれほど大切なものなのかは理解しているつもりだ。それ故にキミが犯罪者にならざるを得なかったのは悲しいが、挽回する機会はある。私個人としてはキミを応援しているよ」

 

「はい……」

 

 返答は歯切れが悪く、しかし瞳に決意を宿した黒歌を見てサーゼクスは一つ頷く。

 

「では私は行こう。そろそろリアスの授業が始まる頃合いなのでね」

 

 そうして互いに別れの言葉を交わす。

 去って行くサーゼクスの背中を見ながら、修太郎は呟いた。

 

「どうやらお前の妹は周囲に恵まれていたらしい」

 

「うん、よかったにゃん……」

 

 黒歌の声は寂しさと安堵が入り混じった複雑なものだった。しかし少なくとも、負の感情は抱いていないだろう。

 しばし考えた黒歌は躊躇いがちに言葉を発した。

 

「――シュウ。私、今回はちゃんと姿を見せることにする」

 

「……いいのか?」

 

 前回のこともあって妹との距離を測りかねているが故に、今回は姿を現さないと事前に決めていた。しかし黒歌はそれを撤回すると言う。

 

「やっぱり私はあの子のお姉ちゃんだもの。それなら隠れて見るなんてダメだにゃん」

 

「それでまた妹に逃げられても?」

 

「もしそうなったら今度は捕まえちゃうわ。いつまでもあっちばっかりに気を遣う訳にはいかないにゃん。――私も、白音から逃げているところがあったから」

 

 どうやら黒歌は決心を固めたようだった。

 それならば修太郎に出来ることは無い。せいぜいが失敗した時に慰めるぐらいだろう。

 

「ああ、お前の思うがままにやってみるといい」

 

「うん。でもちょっと不安だから、少しの間だけ見守ってて?」

 

 その言葉に首肯で答えると、黒歌は教室の方へ歩き出す。

 そうして扉の前で立ち止まり、躊躇いがちに一拍置いて足を踏み入れる。

 

 姉の気配を感じたのだろう、授業開始前の準備を行っていた小猫が振り向き、黒歌の姿を認めた瞬間に目を丸くして驚く。

 しかし、反応はそれだけだった。教室を飛び出すことも、ましてや文句を飛ばすこともなく、時折背後の姉をちらちら気にしながら机に座り授業の開始を待っている。そわそわとした様子を見れば、なるほど授業参観に家族が来た時の反応とはこういうものを言うのだろう。その程度は修太郎にもわかった。

 どうやら一応、受け入れてはもらえたらしい。

 

 表情を明るくして振り向いた黒歌に目線だけで頷き、修太郎は静かにその場を去る。一緒に小猫の授業風景を見るのも悪くはないが、本来の目的である学園の構造把握を済ませるためだ。

 元より黒歌にもそういった話はしてある。

 

 そういえば、ゼノヴィアがやけに教室に来てほしそうだったので、ついでに様子を見ていってもいいかもしれない。

 そんなことを考えながら、修太郎は気配を薄めて人気の少なくなった学園の廊下を歩いて行った。

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

「あれ、ゼノヴィア。どうしたんだ、それ?」

 

 登校後、自分の席に着いて授業の準備をしていた兵藤一誠は、同じく席に着いたゼノヴィアが突然取り出した物を見て尋ねる。隣の席に座るアーシアもきょとんとした目を向けていた。

 彼女の手に握られていたのは銀縁のおしゃれな眼鏡だった。

 

「なんだイッセー、知らないのか? これは眼鏡だ」

 

「いや、もちろん知ってるけどさ。ゼノヴィアって目、悪かったけ?」

 

 的外れな返答をするゼノヴィアへと突っ込みつつ質問すれば、眼鏡をかけながら答えた。

 

「フッ、あまり舐めるなよ。私の視力は両目ともすこぶるいい!」

 

 そうして両手を腰にやり、自慢するかのように胸を張る。

 無意味に偉そうな態度に若干呆れつつ、そして突き出されたおっぱいに目を向けつつ、質問を続けた。

 

「じゃあなんで眼鏡なんか持ってるんだ?」

 

「ああ、それには複雑な事情がある……」

 

 いやにもったいぶりながら語り出す。

 

「私が今、師匠に日々模擬戦を申し込みつつ、剣を学ぼうと思っているのは知っているな? しかし何故かは知らないが、師匠の私に対する扱いが悪いんだ。何故なのか? それはきっと、師匠の私に対する評価が問題なのだと感じた。――私はこの機会に『脳筋バカ』を撤回させる」

 

「それって複雑なのか……? っていうか何故に眼鏡?」

 

「印象を変えるにはまず見た目からと言うじゃないか。ほら、頭がよさそうに見えるだろう? なあどうだ、アーシア」

 

「え! ええ、そうですね?」

 

 くいっと眼鏡を整えながらアーシアに見せるゼノヴィア。一誠が見るに、多分おそらくソーナ・シトリー生徒会長の真似だ。

 突然話を振られたアーシアは戸惑いながらも肯定していたが、その発想自体がなんだかもう残念なんじゃないかと一誠は思った。

 そんなことよりも気になることがある。

 

「ゼノヴィアが言う師匠って暮さんのことだろ? そもそも公開授業に来るかどうかすら怪しいんじゃないか?」

 

「いや、必ず来る」

 

「そりゃまた、えらい自信だな」

 

「約束でもしたのですか?」

 

 確信を込めながら答えるゼノヴィアに、アーシアが尋ねた。

 

「していない。が、この学園には小猫もいるから、おそらく黒歌さんに付き添って師匠もやってくるはずだ。気絶したフリをしながら聞いた話によれば、学園内の下見もしたいと言っていた。私が事前に発したアピールも合わせれば、この教室に来る可能性は高い……はずだ。うん、きっと、来るといいなー」

 

「ダメじゃねえか」

 

 聞く限り作戦自体かなり穴だらけである。彼女自身、いまさらそのことに気付いたらしい。

 だんだん尻すぼみになっていくゼノヴィアの言葉に、一誠は彼女に抱いていた第一印象が完全に砕け散ったのを感じた。

 

「だが来てさえくれれば、公開授業での科目は英語……! 日本語にはまだ不安が残るが、世界を股にかけてきた経験から私は英語には自信がある。悪魔だから単語の文字限定だとしても……授業で活躍して、きっとバカの汚名を返上して見せる!」

 

「……ああ、うん。まあがんばれ」

 

 意気込むゼノヴィアを一誠たちは生暖かい目で見つめるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして公開授業。

 男性教諭が配った長方形の物体――紙粘土に、生徒たちは皆目を丸くしていた。無論、ゼノヴィアもだ。

 

「いいですかー。今渡した粘土で好きなものを作ってみてください。何でもいいのです。自分が今脳裏に思い描いたありのままを表現し、形にしてください。そういう英語もあるのです」

 

「なん……だと……!?」

 

 それだけしか言えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

(ああいう英語もあるのだな)

 

 開始から5分間ほどゼノヴィアたちの授業風景を見学した修太郎は、今現在校舎内を練り歩いていた。

 紙粘土で英語をどう教えるのかは全く見当もつかなかったが、ともあれそれを専門とする者が行っているのだ。何かしら学べることはあるのだろう。何故ゼノヴィアが項垂れていたのかはよくわからない。

 

 綺麗に磨き上げられた廊下を歩く。理科室や家庭科室などの特別教室が集まる棟は、どうやら公開授業中は使われないことになっているらしく人気が少ない。

 小学校と中学校の古びた木造校舎しか知らない修太郎にしてみれば、この駒王学園という場所はとても新鮮に映る。今までまともに来たことがあったのは旧校舎だけだったことも手伝って、殊更そう感じるのだろう。

 

 周囲に感覚を走らせつつ、部屋と設備の配置を覚える。警護を任されたのだから、会場の把握をしておいても損はない。

 学力に自信は無いが、単純に記憶するだけならば十分可能だ。何にせよ、まったく知らないよりは百倍いい。

 

 修太郎の感覚によると、校舎内には悪魔だけでなく異能者もいるらしい。力の規模は大小まちまちだが、なるほどこの学園はこういった存在も受け入れているのだろう。

 神器、霊能力、あるいは超能力――兎角そういった異能を持つ者は世間で生きるのが難しい。多数の人物から排斥されるだけでなく、自分自身が力を持て余し暴走させるケースも少なくないからだ。

 

 特に神器を持つ者はそれが顕著に表れる。

 霊能力や超能力は血統により遺伝する確率が高いため、退魔一族などに生まれやすい。そのため前述の二つは世間一般的にあまり数はおらず、幼いころから制御法を学べる下地もある。

 しかしながら、『神器(セイクリッド・ギア)』は完全な一般家系であっても突然発現してしまう。

 

 才能も能力も、人格さえも関係なく強大な力を与えるそれは、今までにも幾多の差別と排斥、そして実際の被害を生んでいる。

 神すら殺す神滅具(ロンギヌス)――その中でも『赤龍帝の篭手(ブーステッド・ギア)』や『白龍皇の光翼(ディバイン・ディバイディング)』は最たるものだろう。

 その点を言えば、兵藤一誠はリアス・グレモリーに拾われて結果的に良かったと言える。

 

(それに、この学園の経営は眷族を集める面でも有用なのだろう)

 

 年齢が近ければ傍に置くこともできる。いきなり冥界に連れて行くよりも、こうして人の暮らす中で悪魔の仕事を学ぶ方が転生者にとって良いはずだ。このような形が後に続くかどうかは知らないが、少なくともグレモリー・シトリー両眷族は非常に恵まれた環境にある。

 

 それにしても、だ。

 

(クロに、サーゼクス殿と……近くにいる似た気配は親か何かか。しかし、もう一つのこれは……?)

 

 特に大きな力の気配を感じ取れば、知らないものが一つある。

 

(強く大きい。クロと同等以上……魔王がもう一人来ている?)

 

 そういえば、ソーナ・シトリーの姉は魔王だったはず。となると、これはおそらくセラフォルー・レヴィアタン――最強の女性悪魔。

 

(面通ししておくべきだろうか?)

 

 そう思って、しかしやめた。

 今回の目的はそれではないし、別段彼女に興味があるわけでもない。そもそも、いきなり現れたところであちらも戸惑うだけだろう。

 というか、その彼女の下へたくさんの小さな気配―― 一般人が集まっているのが感じられた。いったい何をしているのだろうか。

 

 そちらの方向へ目を向けた時、窓の外に違和感のある人影を見た。

 修太郎にはゲッシュで得た加護により幻術看破の能力が備わっている。それが反応したのだ。

 

 多数を相手にしても全敵手の行動を先読みできる修太郎である。彼の把握できる範囲は視界内のほぼ全域に及び、そしてその光景を余さず見逃さない。故にほとんど間を置かずしてそれを補足した。

 枯れたような白髪、エクソシストが着るコート状の戦闘服、その手に握る包みからは良からぬ波動を感じる。

 どこからどう見ても学園には似つかわしくない容貌。

 直感的に理解する。敵だ。

 

 即座に窓を開け、飛び降りる。

 修太郎のいた廊下は3階に位置するが、今更その程度の高さなど意にも介さない。

 

 特別教室棟の中庭には、二人以外に人の姿が見当たらなかった。

 着地すると同時、敵と目が合う。飛び降りる最中より既に斬龍刀を携えた修太郎を見て、敵対者のまだ少年と言うべき端正な顔が驚愕の色に染まり、そして醜悪に歪む。

 

「おいおーい、さっそく見つかっちゃいましたよファッキン!! 怪我からの復帰後初仕事がこれってやんなっちゃうよね! ってーか? 幻術バリバリにかけてる俺を見つけるってあんた何モン? ま、いーか、殺せば」

 

 おそらく工作員か何かだろう少年は、何やらまくしたてながらコートの下より一振りの剣を取り出す。

 

 妖しい輝きを放つ刃――その剣は、魔剣だった。

 

「ってーわけで、あなたの活躍見せてちょーだいな、バルムンクちゃん!!」

 

 莫大な魔のオーラが刃より発せられ、高速回転を始める。白髪の少年がそれを振るえば、空間を抉りながら暴威の螺旋が襲い掛かった。

 

 巻き込まれれば一たまりも無いだろう螺旋状の波動に、修太郎がとった選択は真正面からの迎撃だ。

 斬り上げた斬龍刀の切っ先を螺旋の先端に合わせ、膂力と駆ける脚から伝わる力をぶつける。その激突でわずかに進路を上方にずらした波動を、精密精緻な身体操作により上空へ受け流した。

 

 打ち上げられた破壊旋風は、修太郎はおろかその背後の校舎にも傷一つ負わせることなく遥か天空にて霧散する。

 

「は!? はああああああっ!? おいおいおいおいマジですかッ!?」

 

 魔剣の波動があっけなく受け流されたのを見て、慌てながら飛び退る少年は懐から拳銃を取り出し発砲する。

 音も無く放たれる光の弾丸は、『祓魔弾』と呼ばれるエクソシストの制式装備だ。

 

 亜音速で襲い掛かるそれらに対し、修太郎は全く回避行動をとらなかった。攻撃が見えなかったという訳ではない。単純に、躱す意味が無かったのだ。

 確かに魔力を纏う悪魔には有効だろう。しかし闘気を纏った修太郎の肉体は拳銃弾程度では傷一つ付けられない。

 

 勢いを緩めることなく弾丸を弾きながら突っ込んでくる男の姿は現実感がまるでない。少年の目には修太郎が人間に見えなかった。

 

「ちいっ!! こんなバケモンがいるなんて聞いてねェっすよッ!! ここはとっととおさらば……ぎゃべっ!?」

 

 素早くコートのボタンを引き千切り、地に投げつけようとしたその瞬間に修太郎の足が少年の側頭部に突き刺さる。そのまま凄まじい勢いで回転しながら茂みの中に突っ込み、木に激突して止まった。

 それに対し、修太郎は足に感じた違和感から敵にまだ意識がある事を確信していた。

 少年には幻術による隠蔽だけでなく、防護術式までかけられていたのだ。

 

「あ”ああああ~~っ……! くそっ、クソ痛え……! ざっけんなよ、このクソ野郎がッ!! 殺す! てめえ、ぶっ殺……ぎゃばっ!?」

 

 立ち上がろうとする少年を待たず、再び蹴りを入れる。勁力の込められた三連撃が防護障壁の上から少年の両膝を破壊し、胸への一撃が再び木の幹へと吹き飛ばす。

 

「がはっ、ごほっ!! ぐ、ぐそっ、殺す……!」

 

 地に伏し口から血を吐き出しながらも悪態を止めない少年だが、状況は既に詰んでいる。

 足は砕かれ満足に動かず、内臓に響くダメージにより呼吸すらおぼつかない。頼みの魔剣は蹴り飛ばされた際に何処かへいってしまった。閃光弾はいくつか残っているとしても、使う機会など与えるつもりはない。

 

 斬龍刀を一薙ぎすれば、少年を守っていた防護障壁は跡形もなく砕け散る。

 憎悪を込めてこちらを睨む少年を卑睨しながら、ガラスの割れるような音を聞けば――唐突に、周囲が歪んだ。

 

「これは――」

 

 景色を区切るかの如く、大気に無数の分割線が走る。それらが高速で移動したかと思えば一瞬のうちにぴたりと組み合わされ、そうして陽炎のような名残を残した。

 不可思議な現象だが、幻術ではない。

 

(――遁甲術)

 

 それは主に陰陽師が用いる占術の一種。忍が使う逃走術としても有名であるが、その本質は『方角の吉凶を見定める』こと。

 今回はそれを行ったうえで場の相を乱し、凶方と凶方――それぞれ別々の空間と空間を歪に繋げ、対象を道に迷わせる術式として機能させているのだろう。つまるところの空間操作だ。

 

 空間を直接操る術は格上相手でも問題なく通用する。基本的に同系統且つ同等の術者にしか破れないため、理性に乏しい龍や鬼などを一所に止めておくのに有効な手として知られていた。修太郎も退魔剣士だった頃は散々世話になった術法である。

 

 故にその有用性と、敵に使われた時の厄介さを良く知っている。

 そして、剣士たる修太郎にはこの術式を破る術が無かった。

 つまり――。

 

「逃げられた、か」

 

 案の定、空間の歪みが治まると、そこに少年の姿は無かった。彼が吐き出した血糊の跡だけが鈍く光を反射する。

 背後から近づいてくる幾人かの気配を感じる。おそらく先ほどの騒ぎに気付いた誰かだろう。魔剣の一撃を空に打ち上げたのは人を呼ぶためでもあった。何にせよ、遅かったのだが。

 

 それにしても、先ほどの遁甲術は敵ながら実に見事な手並みだった。空間操作系の術はその大半が高等技能だ。黒歌のように適当にやってできる天才もいるにはいるが、あれは例外だろう。

 強敵の気配を肌に感じる修太郎だったが、少年が倒れていただろう場所に何かが落ちているのを見つけた。

 

 何気なく拾ってみると、それは呪符だった。黒い五芒星――晴明桔梗が描かれた、おそらくは陰陽師系列の術符。それだけならば修太郎にとって過去散々見慣れた代物だが、特徴的な所として術式の文言は朱で書かれている。

 それは別にいい。同じような物を作る術者もいるだろう。しかし、五芒星を取り囲むこれは――。

 

「――無限龍(ウロボロス)……」

 

 この札を使う人物を、修太郎は知っていた。

 東北の九尾狐を狂わせ、邪教を率いて太古の鬼神を復活させ、そしてあと一歩で本州全ての人類を皆殺しにするような事件を起こした男。

 確かにこの手で殺したはず。生きているなどということはあり得ない。

 

「…………」

 

 確かに成したという確信が、たった一枚の札を見ただけで揺らぐ。

 もし生きていたとして、何を思って三大勢力に喧嘩を売るのかは知らない。

 何にせよ、殺し損なったのなら殺さねばならない。あるいは蘇ったのならやはり殺さねばならない。そういう種類の敵だった。

 

 手の内に納まった呪符を握り潰す。残っていた呪力が燻るような音を立てて霧散した。

 正直な話、会談を狙う敵対者になどあまり興味は無かったが、もしもあの男が生きていたならば。

 

(……今度こそ滅ぼしてやる)

 

 過去からの足音が忍び寄るのを背に感じ、修太郎は苦い気持ちで空を見つめた。

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 ちなみに駆けつけた人物は。

 

「うっ、うわあああああああっ!? みみみ、御道修太郎!?」

 

「落ち着けって巡! おい、逃げるな! 会長に様子見てくるように言われただろ! すいません、えーっと、暮修太郎さん。話聞かせてもらってもいいですか?」

 

「ソーナちゃんの眷族をいじめる悪い奴は、このマジカル☆レヴィアたんが許さないんだから!!」

 

「ちょっ、なんであなたまでいるんですか!」

 

「は、離して匙! 私もう帰る!」

 

「帰るな馬鹿! まだ生徒会の仕事もたんまり残ってんだぞ!」

 

「とお! レヴィアビーム!!」

 

「ちょっとぉぉぉっ!? マジで撃たないでください!!」

 

「――破ッ!」

 

「えええっ!? 斬った!?」

 

「くっ、私のビームをぶった斬るなんて中々だわ! でも負けない!」

 

「はーなーしーてー!! わたしかえるーー!!」

 

「……俺が帰りてえよ、くそぅ……」

 

 そんな感じだった。

 




しかしオリキャラの敵ってどうなんでしょうね。
巨人王のこともあるからいまさらと言えばそうですが、まあうまく書ければ御の字です。
とりあえずは話の都合ということでご容赦いただきたい。

追記(H26.1/25)
呪符を拾った後の文章をちょっと修正。これだけで確信するのはどうかと思ったので。


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第二十三話:月夜の宣戦

 目を閉じて、息を整える。

 指先と、それを動かすための筋肉に感覚を集中。脱力させた状態から徐々に緊張させ、最高潮に達したところで逆の手順で力を抜く。

 それを何度か繰り返し、紫藤イリナは目を開けた。

 彼女の視界の中、離れた場所に立つ木々の間にいくつかの球体が浮かんでいる。ぼんやりとした光を湛えてゆっくり移動するそれらに狙いを付け――。

 

「――ふっ」

 

 鋭い呼気と共に腕を振りぬけば、中空を銀糸が走る。

 風に流されぬほど細い金属糸は、並の刀剣を遥か凌駕する切れ味だ。音もなく飛来する斬糸によって、遠くに置かれた球体の一つが縦に分かれて斬り落とされる。

 そのまま素早く腕を動かすと、糸が分かれて多方向に広がった。

 

 ここからさらに集中。

 ゼロコンマゼロ秒の狂いもなく動作を完了させれば、枝葉の合間を縫って糸が滑らかに動き、まばらに配置された球体を次々と切断していく。成功だ。

 

「――はっ……!」

 

 瞬く間の内に全ての球体が断ち斬られ、光の粒と弾けて消える。

 そしてしばらく間をおいて、今までのそれよりひときわ大きく、人の形をした光が現れた。

 イリナは指とそれに連なる筋肉を微細に動かし、糸を操作する。自身が放った十を超える数の糸が空中でその運動を変え、そして人形を雁字搦めに拘束した。

 

(よし……!)

 

 腕の形をそのままに、指の操作だけで人形を手繰り寄せる。込める力は決して強めず、精密なコントロールを心がけて引っ張れば――。

 

「ほら、どうした速く走れ。でないとデュランダルに切り裂かれてしまうぞ」

 

「ヒイィィィィィッ!! 追いかけてこないでぇっ!!」

 

「……! しまっ……!」

 

 力みが糸を伝わり、拘束が斬撃となって勢いよく人形が四散した。

 

「ああ~……」

 

 がっくりと肩を落とすイリナ。

 斬糸からの拘束・捕獲は単純ながら非常に難度が高く、もう少しで初めて成功するところだったのだが……。

 

「もう、ゼノヴィア! 邪魔しないでって言ってるでしょ!」

 

 イリナの声に走っていたゼノヴィアが立ち止まり、振り向く。

 

「私は邪魔などしていないぞ。こいつが無茶苦茶に逃げるのが悪いんだ」

 

「ヒィィィッ!?」

 

 そう言って、デュランダルの切っ先で木の後ろに隠れていた人物を示す。

 金髪赤眼、小柄な体格の手足は折れそうなほど細く、その身を駒王学園の女子制服に包んでいる。涙目で怯える姿は一見して可憐な美少女にしか見えないが、その人物はれっきとした男だった。

 

 吸血鬼ハーフの転生悪魔、ギャスパー・ヴラディ。

 グレモリー眷族の封印された『僧侶(ビショップ)』である彼がこのたび解禁される運びとなったのは、つい先日のことである。リアス・グレモリーがコカビエル襲撃の対処に関して評価された結果だった。

 

「ギャスパーくんが逃げるのは、デュランダルなんて持って追いかけるからでしょ? それじゃあやっぱり、あなたが悪いじゃない。体力をつけるなら普通に走らせなさい」

 

「追いかけられた方が度胸がついていいじゃないか。一石二鳥と言うやつだ」

 

 当初ギャスパーは自らの力を他者に浴びせるのを怖がり、外に出ることすら拒んでいたが、一誠の熱心な励ましもあって自身の力を制御する特訓に取り組んでいる。

 リアスや朱乃は会談が近いことと、先日の怪しい侵入者の件もあってあまり付き合えないこともあり、一誠を筆頭に眷族一同が協力して事に当たっているのだが……。

 当然のように自らの正当性を主張するゼノヴィアに、イリナは頭を押さえる。

 

「……イッセーくんはどうしたの? ギャスパーくんの特訓って、彼が担当してたはずでしょう?」

 

「イッセーさんなら朱乃さんに呼び出されてここにはいません。なので今日は私たちがやることに……」

 

「もう嫌だぁぁぁっ! 聖剣怖いぃぃぃぃぃっ!!」

 

 イリナの疑問にアーシアが答え、ギャスパーが木にしがみついて泣き喚く。

 アーシアはアーシアで魔力を使ってターゲットを作り、イリナの修行に協力してくれている。木場も所要で姿が見えず、それ故に必然担当するのはゼノヴィアと――。

 

「ほらギャーくん、これ食べて元気出して」

 

 どこからともなく現れた小猫が、ニンニクでお手玉をしながらギャスパーに近づく。

 

「――」

 

 言葉も無くダッシュで逃げ去ろうとするギャスパー。しかしそれをむざむざ逃がす小猫ではなかった。

 

「たあ、ニンニク封縛縄」

 

 小猫の手から放たれた投げ縄がギャスパーを捕える。縄の輪っか部分には、隙間なくニンニクが連なっていた。

 

「いやぁぁぁん!! ニンニクやめてぇぇぇぇっ!!」

 

「小猫……投げ縄なんてできたのか」

 

「でもなんだか、このために覚えてそうな感じです……」

 

 公開授業の日以来、だんだんと調子を取り戻してきた小猫であるが、ギャスパーが解禁されてからはほとんど元通りになったようだ。時々上の空になることはあるものの、少なくとも暗い表情を見せることはほぼ無くなった。姉の黒歌との仲に何か進展でもあったのだろう。

 

「うわぁぁぁぁん! ニンニク嫌いぃぃぃぃぃっ!!」

 

「ギャーくん、往生際が悪いよ」

 

 縄に巻かれながらもジタバタ暴れるギャスパーだが、『戦車(ルーク)』の馬鹿力を前にしては全くの無力だ。足を滑らせて転び、茂みの中に突っ込んでしまった。

 

「大丈夫ですか? ギャスパーくん」

 

 上半身を茂みの中に沈め、お尻を突き出した格好で転んだギャスパーにアーシアが声をかける。怪我があったのなら彼女の神器で治すつもりなのだろう。

 

「う、うわあぁぁぁぁっ!?」

 

「わっ!? どうしました? ギャスパーくん?」

 

「む、虫、むしぃぃぃぃぃっ!! 虫がいっぱいいますぅぅぅぅっ!!」

 

 突然勢いよく起き上がり、転びながら逃げ出すギャスパー。拘束されながらも手で茂みを指して、顔を真っ青にしている。

 

「何だギャスパー、情けない。虫くらいいるだろう」

 

「夏だものね。ほんと、日本の夏はじめじめして嫌になるわ」

 

 呆れるゼノヴィアに、頷くイリナ。しかしギャスパーは顔を激しく横に振りながら喚く。

 

「だ、だってすごくいっぱいいるんだもん!」

 

「言い訳は駄目だよギャーくん」

 

「言い訳じゃないもん! 嘘じゃないもん! みんなだって絶対気持ち悪いって思うはずだもん!!」

 

「そんなにいるのか? 少し気になってくるな」

 

 必死に抗弁するギャスパーの様子に、ゼノヴィアは彼が突っ込んだ茂みの中を覗き込んだ。

 

「――――うわっ」

 

「えっ、何その反応。――――わぁ」

 

 ゼノヴィアの反応が気になったイリナも覗き込む。すると、二人そろって何とも言えない表情になった。

 つられて他の二人も覗いてみる。

 

 それは芋虫の団子だった。緑色の肌にうねるような黒い紋様、小指サイズの幼虫だ。

 単体で見ればなんということは無いだろう。しかし、無数の芋虫が集まってバスケットボール大の半球を形成していたのなら、なるほど確かに気持ち悪い。

 

「すごく……いっぱいいますね」

 

「ドン引きです」

 

 アーシアは生理的に嫌な所を突かれたのか一つ身震いし、小猫も若干どころではなく引いている。

 

「うーん、消し飛ばすか?」

 

 そんな一同の様子を見て、ゼノヴィアがデュランダルを構える。

 

「ダメよゼノヴィア。神の教えを受けた私たちが罪も無い命を摘んではいけないわ。虫のことはあまり知らないけど、これって蝶々の幼虫じゃないかしら?」

 

「虫さんたちも一生懸命生きているんですから、殺してしまうのはかわいそうです。それに蝶々は綺麗ですよ」

 

「流石に冗談だ。でもこの光景は軽くショッキングだな。教会の戦士として活動していた頃も虫系の魔物と戦ったことはあるが、それに匹敵する不気味さだ」

 

「珍しいので動画に撮ってアップしましょう。ギャーくんのパソコンで」

 

「僕のパソコンに嫌な動画保存しないでよぉ!!」

 

 結局、この事は生徒会に報告することになった。もしかしたら来たるべき会談の日に向けて今も花壇整備に励む生徒会書記、匙元士郎が何とかするかもしれない。

 

「ともかく、特訓にもどりましょ。アーシアさん、また手伝ってもらってもいい?」

 

「はい大丈夫です。私としても魔力制御の訓練になりますし」

 

 鋼糸の特訓に戻るイリナたち。

 その後ろ姿を見て、ゼノヴィアが悔しげに呟く。

 

「くぅ……いいな。やっぱりイリナだけずるい」

 

「ゼノヴィアも教えてもらったじゃない。デュランダルの使い方」

 

「違う。確かにあれはすごく参考になったが、もっとこうイリナみたいに手取り足取り教えてもらいたいんだ」

 

 イリナは修太郎に鋼糸術を教えてもらった時のことを思いだす。

 指の動きと腕の緊張の具合などを確かめるべく接触しながら行う学習に当初はドキドキしたものだが、時間が経つにつれそんな感情は消え去った。

 

 斬糸術、拘束術、探査術、傀儡術、防御術、加えてそれらの技術を繋ぐ操作。占めて数百パターン全てを、わずか二日で叩き込まれたのだ。

 これが全部基本の型だというのだから恐れ入る。彼が言うには派生を含めれば数に限りなどなく、修太郎自身本格的に学んでいる訳ではない(本人曰く「形だけの付け焼刃」)ため、今後の技術的向上はイリナのセンスにかかっているとのことだ。

 ゼノヴィアと違って学園に通っていないので時間はあったが、訓練が終わった時のイリナは疲労で指一本動かせなくなっていた。

 

 こちらが教えてほしいと願った手前文句など言えようはずもないが、まさかこんな短期間で全部覚えさせられるとは夢にも思わない。

 しかしイリナに才能があるというのは嘘ではなかったらしく、数日程度の自己鍛錬で斬糸はそこそこ扱えるようになった。それを思えば感謝してしかるべきなのだろう。でも、滅茶苦茶きつかった。

 

「……うん、まあ知らないって素敵よね」

 

 黄昏ながら答えるイリナを、しかしゼノヴィアは羨ましそうに見つめる。

 

「くっ、勝者の余裕というやつか……。最近は師匠も黒歌さんも模擬戦に付き合えないようだし、なんだか持て余し気味だ」

 

「だからってギャスパーくんを付き合わせるのはやめなさい。しょうがないでしょ、修太郎さんたちも仕事なんだから」

 

「たしか、公開授業の時に侵入者が出たんですよね?」

 

 小首を傾げながら尋ねるアーシアに、二人が頷く。

 工作員らしき侵入者――容姿から察するにはぐれエクソシストのフリード・セルゼン――が学園に現れたことで、修太郎たちはその捜索に駆り出されていた。ここ数日は隣室のゼノヴィアたちでも会えない時間が続いている状況だ。

 その関係上、会談の日程も数日ほどずれる可能性があるらしい。

 

「…………」

 

 当然、小猫も黒歌に会えていない。

 公開授業で姉の姿を見つけた時、戸惑いと、少しの恐れが湧いた。しかし、嬉しさを感じたのも確かだった。

 行事の前にサーゼクスや、あるいはその代わりにグレイフィアが様子を見に来ることはあったが、全て通して参加してくれることはなかった。彼らの優しさは素直にありがたいし、リアスたちに出会い眷族となってよかったとは思う。だが一方で、そういった催し事のたびに家族が見に来てくれる同級生を――あるいはリアスのことを――見て、少なからず羨ましく感じていた面もあったのだ。

 

 だから、これをきっかけに姉と話そうと思った。今ならきっと逃げずにいられる。しかしどうにも間が悪く、思惑を外されてしまった。

 

「えっ、なに!? 縄を締めないで小猫ちゃん!」

 

 その憤りを解消するべく、事あるごとに弄られるギャスパーはまったく哀れである。まあ、この二人はこれで平常運転と言えなくもないのだが。

 それよりも。

 

「模擬戦と言えば、二人は姉さまと戦ったことがあるのですか?」

 

 この二人の会話で暮修太郎との模擬戦が話題に上ることはそれなりに多い。しかし黒歌も参加しているというのは初耳である。

 あの姉なのでただ横で見ているだけという線もあるが、何となく気になった小猫は二人に尋ねる。

 

「ああ、あるぞ」

 

「私は模擬戦に参加し始めたのが最近だから、一度だけだけどね」

 

「でも、姉さまは剣士ではないはずですが……」

 

「いや、ちゃんと剣を使っていた。強かったぞ」

 

「うん、普通に負けちゃったわ」

 

 小猫の疑問に二人の答えは意外なものだった。

 黒歌は『僧侶(ビショップ)』の駒二つを消費した生粋の魔力特化型(ウィザード)だったはず。それとも小猫が知らないだけで、姉にも近接戦の適性があったのだろうか?

 

「まるで舞のような動きだった。終始翻弄されてしまったな」

 

「ものすごくたくさんの色々な術を使えるのに、接近戦もできるなんて反則的よね。……まあ修太郎さんとやるよりは戦える分まだ常識的だけど」

 

「師匠と戦うといつの間にか寝てるからな」

 

「現状の私たちじゃ、二対一でも相手にならないもの」

 

 二人して溜息を吐く。実際二人でかかってもかすり傷一つ付けることができなかったのだ。

 そしてしばらく、おもむろにゼノヴィアが口を開いた。

 

「なあイリナ、それにしても……」

 

「なあにゼノヴィア?」

 

「黒歌さん、穿いてなかったな」

 

「……着けてもなかったわね」

 

「揺れていたな。バインバインだった。もしかして、普段から下着を着けないことこそが強さの秘訣だったりするのだろうか?」

 

「そんなまさか。でもあれで垂れないのよね……」

 

「……私は今まで自らの乳こそ至高の美乳だと思っていたのだが……」

 

「ゼノヴィア、あなたまだそんなこと言ってるの? それ日本に来る前の任務でした話じゃない」

 

「うん、まあそうなんだが。でもリアス部長といい朱乃副部長といい、そして黒歌さんといい、比べれば負けた気にもなるだろう?」

 

「……確かに……」

 

「あのう、お二人ともお互い胸を見ていったい何の話を……?」

 

「…………」

 

「ニンニク握り潰しながら無言で縄を締めないで!! 痛いよ小猫ちゃーん!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

「おつかれーっす!」

 

「お疲れ様です」

 

「おつかれにゃー♪」

 

 掛け声と共に缶を開ければ、空気が抜ける軽い音が響く。

 時刻は昼過ぎ。街全域にわたる侵入者の調査から帰ってきた修太郎と黒歌は、ベオウルフの誘いで彼の部屋に集まって酒盛りをすることになった。

 

「しかしベオ殿、侵入者はまだ見つかっていないのに、自分たちだけこのようなことをしてもいいものでしょうか?」

 

 しかも昼間から、だ。まあ夜だからいいという訳でもないのだが。

 

「いいっていいって。やっと増援も来たんだしさ。ここ数日俺たち出ずっぱりだったじゃん? 引き継ぎもちゃんと済んだし、羽根休めにこれぐらいやっても罰は当たらないって!」

 

 堅いなあ、と笑うベオウルフ。

 修太郎の言うとおり、先日公開授業の際に学園へ侵入してきた人物は見つかっていない。下手人の少年が持っていたはずの怪しい包みはおろか、気配の名残すら残さず消え去って、遺留品は教会から持ち出されたと見られる魔剣『バルムンク』のみ。

 町の外縁を囲う結界に怪しい反応が無いことから、未だ下手人は町に留まっている可能性が濃厚だが、修太郎たち三人が連日町中駆けずり回ってさえ捜索はうまくいかなかった。

 

「それにおたくらは会談の警護もやるんだろ? 今体力消耗しちゃあ、当日もたないぜ」

 

「そうよ。いくらシュウが体力お化けでも、大事な仕事を前に疲れて失敗しちゃ本末転倒にゃん。人手も来たんだから休んどきましょ」

 

「……一理あるか」

 

 そうして缶を傾ける。

 酒の類は好まないが、他の二人が盛り上がっているのにわざわざ水を差すことはないだろう。

 それにしても、カクテル類は初めて飲む。今までに飲んだことがある酒類は甘酒に始まり神酒や日本酒が主だったため、ジュースの様な飲み口の味は新鮮だった。

 

「そういえば、ロスヴァイセは今頃なにやってるかしら?」

 

「うん? 誰の話?」

 

 コンビニで買ってきたチーズかまぼこを肴に、黒歌がこぼす。突然出てきた知らない名前に、ベオウルフが反応する。

 

「北欧のヴァルキリーです」

 

「ああ、ああ! 名前までは知らなかったけど、知ってる。白龍皇といい、おたくら顔広いよなぁ」

 

 感心したように頷くベオウルフの顔は赤い。見れば、既に缶を5つも空けている。かなりのペースだ。

 そのままロスヴァイセのことを簡単に話した。

 

「一人だけの営業課ね……。凄まじい人事だなぁ、それ。俺がいかに恵まれてるかわかっちまったぜ……」

 

 彼女が置かれた状況に、ほろりと涙するルシファーの『兵士』。

 彼も彼で忙しい中、休暇の名を借りた任務中である。思うところがあるのだろう。

 しかし、オーディンの無茶ぶりに半ば自業自得で取り組むこととなった彼女と、それに協力する修太郎たち二人は良い友人関係だが、ここ最近は連絡すら取っていなかった。

 

 理由としては単純で、彼女を通じて北欧の勢力に今回の会談の情報が漏れると困るからだ。

 一組織人である彼女がそれを知れば、当然上に報告する義務が生まれる。よしんば口止めに成功しても、接触することで修太郎たちが悪魔側に疑われてしまう可能性もある。故に彼女には「仕事でしばらく連絡が取れない」という旨だけ伝えて、一方的に交流を断っていた。

 

「元気でやっているといいが……会談の件が終わったあと、食事にでも誘ってみよう」

 

「それはいいけど、お酒はNGにゃん」

 

「無論だ」

 

 以前ふとしたきっかけで飲ませた時にわかったことだが、ロスヴァイセは相当酒癖が悪い。

 普段からストレスが溜まりに溜まっているのか、彼女自身の性なのかは知らない。しかし少量で酔っぱらうほど弱いくせに酒乱の気まであり、矢鱈量ばかり飲もうとするものだから、一度アルコールを入れるとそれこそ潰れるまで止まらないのだ。

 結果として次の日にひどい二日酔いで沈み、そして一日中吐く。ぶっちゃけ迷惑であった。

 

「――――!」

 

 そんなことを思っていたからだろうか。それとも噂をすれば影、と言うやつだったのかもしれない。

 修太郎は見知った気配が近づいてくるのに気付いた。気配は歩くような速さで移動し、隣の部屋――修太郎たちの部屋で止まる。

 その後しばらくして移動。今現在、修太郎たちがいる部屋の扉の前で止まった。

 

「――クロ」

 

「ど、どうするにゃん?」

 

 黒歌がそれを知るのに遅れたのは酒が入ったせいだろう。頭が回らないのか、狼狽えている。

 そうこうする内にノックの音が鳴った。

 

「あれ、お客さん?」

 

 止める間もなくベオウルフが席を立つ。ふらつきながらもしっかりとした足取りは実力の高さが窺えたがしかし、今この場では迷惑なだけだった。

 なので――。

 

「申し訳ない」

 

 首筋を手刀で一閃。

 糸が切れたように崩れ落ちるベオウルフを受け止めて、黒歌へ静かにするようジェスチャーを送る。頷いた黒歌と二人して気配を消せば、もはや外からは無人の部屋としか感じられないだろう。

 

『おかしいですね……』

 

 呟く声が聞こえると、気配が徐々に遠ざかっていく。どうやら誤魔化されてくれたらしい。

 

「……危なかったな」

 

「危機一髪にゃん」

 

 ほっと一息つく二人。しかし――。

 

『やっぱりいるじゃないですか』

 

 背後からした声に驚く。振り向けば、光の玉が窓の外に浮かんでいた。探査魔法の遠隔端末だ。

 彼女の方が一枚上手だったようだ。

 修太郎たちは腹をくくらざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど、そういった訳があったのですね」

 

 修太郎たちの事情を聞いたロスヴァイセは、瞑目して一つ頷いた。

 場所はそのままベオウルフの部屋。スーツ姿のロスヴァイセと向かい合って座る形だ。

 

「確かにそれを知ってしまえば私もヴァルキリーの端くれですから、オーディンさまに報告しなければいけません。でも、恩人の不利になるようなことを進んで行うようなこともしたくはないのです」

 

「では……」

 

「この件は報告せず、私の胸の内に留めておきます。しかし、他の者に知られれば流石に秘密になどできませんが」

 

 そう言って、銀髪の戦乙女は微笑んだ。

 

「やったー! ありがとにゃん、ロスヴァイセ。大好き!!」

 

「わっ、黒歌さん!?」

 

 まだ微妙に酔いが回っているのだろう。いきなり抱き着いて来た黒歌にロスヴァイセは戸惑っていた。

 

「いや、良かったね。丸く収まって」

 

「ベオ殿」

 

 そこで首筋を押さえながらベオウルフが起き上がってくる。

 ロスヴァイセとの話の途中から意識が戻っていたのは気付いていたが、まさかここまで早く復帰するとは修太郎としても予想外だった。

 

「申し訳ない。何分いきなりのことで、ああするしか思いつかなかったのです」

 

「別にいいさ。事情が事情だし、仕方ない。むしろ俺が油断してたのが悪い。精進しなくちゃな。うん」

 

「そう言っていただければ助かります」

 

 修太郎の言葉にベオウルフは微笑みで返した。

 そうしてまだ飲み足りないのか、再び酒の入った缶を開ける。

 

「そういえばロスヴァイセ。俺たちに何か用事でもあるのか?」

 

 疑問に思ったことを訪ねる。彼女がわざわざ修太郎たちを探していたということは、それなりの理由があるはずだった。

 黒歌に抱き着かれながら、しかし再会を喜んでいる気配のロスヴァイセは「ああ、そうでした」と修太郎に顔を向けて答える。

 

「先日ドワーフたちから連絡があったのですが、修太郎さん、あなたの刀が逃げ出しました」

 

「――は?」

 

「にゃん?」

 

 いったい何を言っているのかわからなかった。

 

「あなたが元々使っていた、緋緋色金の刀が逃げ出しました」

 

 ロスヴァイセが言い直す。

 

「いや、意味がわからない」

 

「何が起こってるにゃん?」

 

 聞けばドワーフがなんやかんや理由を付けては預かったままだった修太郎の愛刀――無銘・緋緋色金が何処かに行ったらしい。

 とは言っても紛失したとか盗まれたとかそういう訳ではない。なんでも一人の若いドワーフが刃の手入れをするべく握ったところ、そのドワーフを()()()逃げだしたのだという。

 

「操られたドワーフ当人は数日後に帰ってきました。どうやら剣士の手から剣士の手へと渡ることで移動しているようなのです」

 

 そんな話を聞かされて、誰よりも驚いたのは修太郎である。口を手で覆い、「まさか、でも、いやしかし」などと呟く。

 

「――あれは、妖刀魔剣の類ではなかったはずだが」

 

「あなたが使っていた時はそうだったのでしょう。ドワーフの職人が言うには、おそらく工房に満ちる魔法の力にあてられて変化したのではないかと」

 

「魔剣になったってことかにゃ?」

 

 黒歌の言葉にロスヴァイセが頷く。

 

「俺の刀は何処に向かっている?」

 

 尋ねる修太郎の目は珍しく切実だった。

 あの刀は黒歌よりも付き合いの長い、最も手に馴染む相棒である。15の頃に天皇家より下賜されて以来、ドワーフに預けるまで片時も離さず持ち続けていた彼唯一の財産なのだ。

 

「これはドワーフたちの推測になりますが、意思を持つ剣が向かうとしたら、その目的地は担い手の場所になるそうです」

 

 つまりは――。

 

「俺のところに戻ってくると?」

 

「おそらくは」

 

 ロスヴァイセの返答に、ひとまず修太郎は安堵の息を吐いた。

 そして刀が戻ってきたならば、もう二度と誰にも預けないと決めた。

 

「わざわざすまないな。礼を言おう」

 

「いえ、大したことではありません。お二人の顔も久しぶりに見ておきたかったですし」

 

 恥ずかしげにそう答えるロスヴァイセ。

 すると突然数回手を叩く音が聞こえる。そちらを向けば、ベオウルフが酒類の缶と瓶をこちらに突き出していた。

 

「話は終わった? それじゃあみんなで飲もうぜ!」

 

「まだ続けるのですか」

 

 心なし呆れた口調の修太郎。

 

「ま、いいけどにゃん」

 

 乗り気な黒歌。

 

「昼間からお酒だなんて……でも私もご一緒してもよろしいのですか?」

 

 微妙な顔をしながら、しかし少し飲みたそうなロスヴァイセ。

 

「オッケーオッケー。酒を飲むのに神話体系なんて関係ないさ」

 

 笑いながら歓迎するベオウルフと、そして――。

 

「何がオッケーですかベオウルフ。定時連絡も忘れて昼間からいい身分ですね」

 

 輝く真紅の魔法陣と共に現れた、迸る莫大な魔力――君臨するは殲滅女王(クイーン・オブ・ディバウア)、グレイフィア・ルキフグス。

 

 錆びついた機械のように、ベオウルフが振り向く。酔っぱらって真っ赤だった顔は一瞬にして氷点下の青に変わり、おびただしい量の冷や汗が床に落ちる。

 

「あ、あああああ姐さん!? こ、これはですね、やむを得ない事情が……」

 

「ある、と本当に言うつもりですか?」

 

「申し訳ございません」

 

 『女王』が放つ絶対零度の視線を受ければ、もはや一回の『兵士』ごときに抗うことなどできはしない。

 後に待ち受ける"お仕置き"を想像し、そしてベオウルフは涙して屈した。

 

 ちなみに修太郎たちはグレイフィアが現れるなり早々に退去していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 深夜。

 雲一つない夜空を月が照らす。季節は初夏に当たるとはいえまだこの時間帯は肌寒く、吹き抜ける風が冷気を運んでくる。

 マンションの屋上。月光が作りだす光と闇の中、白龍皇ヴァーリと剣士・暮修太郎は対峙していた。

 

「このような時間に何の用だ、ヴァーリ」

 

 黒歌と、そして会談が終わるまで泊まっていくことになったロスヴァイセは部屋で寝ている。

 結局あの後流れで再び酒を飲んだのが良かったのか悪かったのか、ともあれヴァーリが意図的に放ったオーラの波動を受けても起きる気配はなかった。

 

 修太郎の鋭い視線を受けたヴァーリは不敵な笑みで答える。

 

「何、そう時間をとるつもりはないさ。用事は一つ――暮修太郎、俺と戦おう」

 

「断る。以前より言っているはずだ。お前と戦っている暇はない」

 

 即答する修太郎。

 当然だ。この忙しい時期に目の前の少年は何を言っているのか。

 しかしヴァーリは退く様子を見せず、そして驚愕の言葉を放った。

 

「何も無料(タダ)で望んでいるわけじゃない。対価はあるさ。キミたちにとっては今最も欲しいものであるはずだ。そう、数日後に延期された会談――その場を襲う敵の情報と、作戦の詳細だ」

 

「なんだと……? お前はいったい何を言っている?」

 

 それを告げられた瞬間、修太郎は白銀の刃を構え目の前の少年を睨む。

 高まる戦意が込められた視線を受けて心地よさげに笑んだヴァーリは、光翼を広げて月光を背に飛び立った。

 

「決着だ。決着をつけよう、暮修太郎。俺たちの戦いを終わらせるんだ」

 

 




そんなこんなで次回、対ヴァーリ戦。

アニメBD5巻、本当にオーフィスが出てきとる。改めてみるとマジで痴女いですね、彼女の服装。誰の趣味なんだろう。


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第二十四話:龍剣相打つ

 寂寞と広がる荒野に、距離を開けて相対する男が二人。

 暮修太郎とヴァーリ――剣鬼と天龍。

 間もなく始まる決闘は、周辺被害も考慮して異空間に形成されたバトルフィールドにて行われることとなった。

 

 二人が立つ荒野は岩山によって円形に囲われている。まだ決闘始まっていないにもかかわらず、その景色は所々は罅割れ、または穴を穿たれ、溶解している部分も見受けられた。それもそのはず、この場所はつい先ほどまでレーティングゲームの戦場だったのだ。

 ベオウルフを通じてグレイフィアに事情を説明し、急遽用意してもらった場だ。破棄する予定のフィールドを、一時的に再利用している形になる。

 

 極彩の空が広がる下で、二人は瞑目しながらその時を待つ。

 

『バトルフィールド固定、空間保護形成完了。お二方ともお待たせいたしました。何時でも始めていただいて結構です』

 

 響き渡るアナウンスの声に両者同時に目を開く。

 修太郎の右手に輝くリングが白銀の太刀へ姿を変える。

 ヴァーリは光翼を展開し、右手を敵手にかざした。

 

「――禁手(バランス)――」

 

 消失する剣士。

 鮭跳びの秘術と縮地法が生み出す神速が、力の解放より前に修太郎の身体をヴァーリの前に運ぶ。音も無く放たれる閃光の如き斬撃が敵対者目掛けて袈裟がけに走った。

 死合とは、決闘とは、自らの持ち味を最大限に活かして行われるべきである。戦とは無法が当然であり、"卑怯"などと言う概念はただの甘えに過ぎない。そしてわざわざ敵の変化を待つほど修太郎は優しくなかった。

 

 それはヴァーリも承知している。もしも自身が禁手化(バランス・ブレイク)する前に敗れるのなら、力を出し切れない己の弱さが悪いのだ。

 数多の技を重ねて動く修太郎の速さは人間の領域を遥かに超えている。おそらく最上級悪魔の『騎士(ナイト)』と同等以上。しかしそれは以前の戦いよりわかっていることだった。

 故に。

 

「――!」

 

 受け止める。

 禁手(バランス・ブレイカー)の鎧を腕だけ先に顕現させて、見事ヴァーリは開幕の一撃を防いで見せた。斬風に頬が裂けるのを感じ、しかし臆さず宣言する。

 

「――(ブレイク)――!」

 

Vanishing(バニシング) Dragon(ドラゴン) Balance(バランス) Breaker(ブレイカー)!!!!!!』

 

 音声と共に龍の力が開放される。爆発的に広がった波動が土煙を巻き起こし、至近距離にいた修太郎を弾き飛ばす。

 羽ばたき一つで煙が晴れると、その身に白く輝く全身鎧を纏ったヴァーリが現れた。

 漲る魔力と龍のオーラが総身を覆い、正しく循環している。鎧の上にまた鎧を纏ったかの如く圧倒的な密度のそれは、修太郎が以前戦った時より質・量ともに一段階上の領域にあった。

 

「往くぞ、暮修太郎」

 

「来い、ヴァーリ」

 

 戦いが始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 駒王学園旧校舎の一室。

 バトルフィールドの管制を行っているその部屋に、一人の男が入ってくる。

 

「ありゃ、もう始まってんのか」

 

「はい、アザゼルさま。つい先ほど」

 

 虚空に展開された術式魔法陣を弄りながら、グレイフィアが答えた。

 男の名はアザゼル。三大勢力が一つ、堕天使たちを束ねる総督である。

 

「アザゼル……」

 

「……まさか、こんなところで」

 

 思わぬ大物の登場に、街を管理する者としてこの場に集ったリアス・グレモリーとソーナ・シトリー両名が驚愕の表情を作った。

 

「ほら、着いたぞ」

 

 長身をゆったりとした浴衣で包むアザゼルは、片手に掴んでいたものを放り投げた。急に放り出されたそれは、空中で一回転しながらも何とか着地する。

 そうしてアザゼルの方を振り向き、文句を言い放った。

 

「あっぶねぇ! あんたいきなり俺をこんなところに連れてきていったいなんなんだ!?」

 

「イッセー!? アザゼル、あなたどういうつもり?」

 

 着地した人物は赤龍帝・兵藤一誠。

 問いただすリアスの気迫を受け流し、備え付けのソファにふてぶてしく座ったアザゼルが答える。

 

「白龍皇が戦うなら赤龍帝がそれを見といても損はないだろう。中々ないぜ? ヴァーリの奴が本気を出すってのはな」

 

 そう言って、空中に浮かぶモニターの方に目を向けた。それにつられて一誠もモニターを見る。

 しかしそこには飛び回る閃光と、無数の光弾と、それらによって巻き起こる爆風しか見えなかった。いったい何が起こっているのか把握できない一誠は、アザゼルを見て、そしてリアスとソーナを見つめて疑問符を飛ばす。その様子に見かねたリアスが口を開いた。

 

「……白龍皇が会談を狙う敵の組織と接触していたの。それで、その情報をこちらに教えると提案してきたようなのだけれど……」

 

「代わりに『戦え』だとよ。指名の相手は暮修太郎だ」

 

「暮さんが……!? なんでまたそんなことに?」

 

 リアスの説明にアザゼルが続ける。

 驚く一誠は話に着いて行けないようだった。根本的にヴァーリの思考回路が理解できないのだ。

 

「以前お流れになった戦いの決着をつけるんだとさ。別にそんな要求は無視して捕まえてもいいんだが、あいつは度し難いほどの戦闘狂(バトルマニア)だからな。そうなったらそうなったでこれ幸いと暴れて逃げるか、最悪戦って死ぬかだ。結果としてこっちの方がベターなんだよ。先方も了承してくれたしな。ま、黙って見てろ赤龍帝」

 

「お、俺の名前は兵藤一誠だ!」

 

「んじゃ兵藤一誠。ヴァーリはお前と違って凄まじく強いぞ。赤龍帝としてやってくつもりがあるなら後学のために見ておけ」

 

 そう言って、アザゼルはモニターに目を戻した。

 なんだか釈然としないながらも、言われた通り一誠も見る。しかし、何がどうなってるのかわからない。

 

「部長、この戦いっていったいどういう状況なんです?」

 

「えっ……と。禁手化(バランス・ブレイク)した白龍皇が空を飛びながら無数の光弾を撃ち出して、そのまま…………ソーナ、わかる?」

 

「……いえ、私も似たようなものです。どうやら暮修太郎さんの方は未だ健在のようですが……」

 

 何せ画面は閃光と爆炎しか見えず、爆発による破壊音が垂れ流されているだけの状況だ。いくら才ある上級悪魔といっても、この光景から戦況を読み取る技術を二人の『(キング)』は持っていない。

 

「おいおい、お前らそれでも魔王の妹かよ? 情けねぇぜ。仕方ねえな、ちょっと解説してやるか」

 

 呆れたようにアザゼルが言う。

 馬鹿にされたと思ったリアスは憮然とした表情になり、ソーナは己の身を恥じるように瞑目する。それでも二人の少女と一誠は、大人しく話に耳を傾けた。

 

「つっても、簡単に言えばお前らの言った通りで合ってるんだが、もう少し詳しく説明しよう。今ヴァーリは弾ばらまきながら隙を突いて光速で順次突撃かましている状況。そして暮修太郎はそれら全てを捌き躱してる状況だ。ヴァーリのヒットアンドアウェイ戦法に防戦一方の暮修太郎だが、まだほとんど無傷……ってな感じだな」

 

 アザゼルは何処からともなく高級そうな紙袋を取り出す。見ると、中身は日本酒だった。

 この男、戦いを肴に一杯やる気である。

 

「ヴァーリの放つ魔力弾は小さいながらも一発一発が上級悪魔の身体に風穴空けるレベルの威力だ。当たれば普通なら人間に耐えられる道理は無い。暮修太郎が仙術を修めているかどうかは知らんが、どうやら闘気を使えるみたいだな。しかしそれでも大ダメージは避けられんだろう。そして少しでも動きが止まれば、後はなし崩し的に全弾直撃……即死だ」

 

 他人事のように説明しながら、やはり何処からともなく取り出したグラスに日本酒を注ぐ。

 

「それ暮さん滅茶苦茶ヤバいんじゃ……?」

 

「ああ、ヤバい。相性が噛み合っていないからな。お前ら悪魔ならともかく、神器を持たず空も飛べない人間の剣士じゃあヴァーリに攻撃が届かない。普通は勝負にすらならん」

 

「何だよそれ! それじゃあ暮さんに勝ち目は……」

 

「無い、なんてことは無いんだろうさ。……そうだな、一ついいことを教えてやろう。昔ヴァーリがふらりと出て行ってな。そのまましばらく帰ってこないことがあった。まあ、あいつが何処かに消えるなんてそう珍しいことじゃなかったから、俺も放任してたんだが……」

 

 憤りを隠さない一誠に語りかけながらグラスを傾け、喉を鳴らして酒を飲む。そうしてアザゼルは言葉を続けた。

 

「戻ってきたあいつは血まみれだった。こう、左肩から右わき腹にかけてバッサリ斬られてな。骨もボキボキ折ってたぜ。ある程度応急処置はしてあったが、はっきり言って瀕死の重傷だ。そしてあいつをそんな状況に追い込んだ相手こそが――暮修太郎って男なんだとよ」

 

「え……」

 

「まあ見てろ。俺もそこまで詳しく知ってるわけじゃねぇんだ。……おっと、状況が動いたな」

 

 アザゼルの発言に一同がモニターへ目を戻す。

 そこには信じられない光景があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

 縦横無尽に放たれる大弾が不規則な軌道で剣士を囲い、ある時点で弾け無数の小弾と化す。

 降り注ぐ光の雨に剣士は刃を閃かせ、襲い掛かる攻撃を弾き、逸らす。その腕前は流石と言わざるを得ないがしかし、そこへ敵手が猛然と突撃してくれば捌くだけで余裕がなくなってしまう。自らも絶え間なく動き回ることで何とか逃げ道を確保している状況だった。

 

 閃光の軌跡を描きながら飛び回るヴァーリは、地を走る修太郎より圧倒的優勢をもぎ取っている。

 以前の戦闘では自らのスピードとパワーに頼って接近戦を挑み、相手の技量の前に手痛い反撃を喰らった。魔剣投擲のことを考えれば、無暗に距離を離すことも躊躇われる。それ故の飽和攻撃と一撃離脱戦法だった。

 

 管制室にてアザゼルが諮詢した通り、このままであれば修太郎が負ける可能性は非常に高い。

 一体どのように反撃するのか? 相手がとり得る手を考える中、最も有り得ないのは敵がこのまま大人しく負けることだとヴァーリは確信していた。

 そして、その時は訪れる。

 

 修太郎が突如立ち止まる。

 当然として殺到する光の弾丸、その第一波が迫る中、斬龍刀のオーラが異様なうねりを見せる。そのまま剣が薙ぎ払われれば、本来防護に用いられるオーラの働きが相手の攻撃を包み、そしてなんと刃圏に存在する全ての弾丸が撃ち返された。

 まさしく人剣一体の妙技。ドワーフ謹製の魔法剣は、完全に彼の支配下にあった。

 

 反射されたことで互いに喰い合い爆散し、ヴァーリが敷いた魔力弾の陣形はその一部に穴を開ける。

 爆光に視界を塞がれたヴァーリは、敵がとるだろう次の手を思考する。

 修太郎は中距離以上の射程を持つ攻撃手段が少ない。ヴァーリが知る限り、禁手(バランス・ブレイカー)の鎧を突破できる攻撃は魔剣投擲ぐらいだろう。しかしあれは隙が大きく、一時的に武器を手放すというデメリットがある。故にこの場は――。

 

 爆煙を突き抜けて銀閃が走る。

 矢のように飛んで来た修太郎が、既にヴァーリの目前まで迫っていた。

 閃光の突きがヴァーリの纏う鎧を滑る。天龍が誇る鉄壁の防御と、絶え間なく流動させ続けたオーラによって受け流すことに成功した。たとえ反応は出来なくとも、こうしてあらかじめ対策を施しておけば防ぎようはある。それでも如何なる技か、伝播した衝撃で鎧の下の肉がわずかに切り裂かれた。

 

「――っ!」

 

 はるか上空に位置する自分の下へと、いったいどうやって辿り着いたのか? 驚くべきはそこであろう。

 しかしそのような疑問は置き去りに、超速の反応で以ってヴァーリは迎撃する。

 かねてより手の平にて凝縮されていた魔力の球体。超圧縮されたその内部に渦巻く力の奔流が、意識のトリガー一つで解放される。

 

 大閃光が空間を裂き、極大の爆発が巻き起こった。

 

 ヴァーリがとった自爆覚悟の対応によって、弾け飛んだ両者の距離は一気に離れる。

 如何な白龍皇の鎧とて、この規模の爆発を受けて無傷とはいかない。ならば人間たる修太郎の被害は如何ほどのものか。

 罅の入った鎧をアルビオンの補助で復元しつつ、ヴァーリは敵手の行方を探す。

 

 いた。

 爆圧によって上空まで飛ばされたらしい。あちらもヴァーリを見つけたのか、刃を構えて卑睨した。纏う衣服はボロボロで出血の跡も多く見られるが、見た限り未だ健在。またもや魔法剣のオーラを操り致命傷を防いだようだ。

 ――そうでなくては。

 兜の下でヴァーリの口端が吊り上る。

 

(ならばこれをどう受ける……!)

 

 手の平と光翼から無数の光弾が撃ち放たれる。

 ヴァーリの意思に従って自身を包囲しながら迫るそれらに対し、しかし修太郎が慌てた様子は微塵もなかった。上下四方逃げ場の無い攻撃は、先ほどのように剣で跳ね返すことができないというのに、むしろ彼は口の形をいびつに歪めて笑って見せた。少なくとも、ヴァーリにはそう見えた。

 次の瞬間、信じられない光景を見る。

 

 目前の光弾を切り裂く。右からの光弾を受け流す。左より迫る光弾を弾く。空中でありながら体運びは柔軟に、次々とまるですり抜けるかの如く攻撃を躱していく。

 そして下方からの光弾が着弾するその刹那、まるで羽のような軽さでその上に()()()

 そのまま間を置かず跳躍。迫りくる光弾の上を蹴って渡り、ヴァーリに接近する。

 

 そんな馬鹿な、という感想を抱かずにはいられない。少なくとも管制室の面々は、修太郎の成したことを見て開いた口がふさがらなくなった。それと同時に納得する。なるほど、先ほどヴァーリに急接近した際にも同様のことを行っていたのだろう。

 

 原理としては難しいことなど無い。

 足に纏った闘気で光弾より体を保護し、軽気功の技で以って跳躍しているだけだ。問題は、「闘気の防護で光弾を爆発させない」ことが極めて困難であるという一点。

 一つ間違えればその時点で下半身を失う自殺行為に等しい所業。それを躊躇なく行えるのは自身の技量に絶対に自信があるからなのか。何にせよ、ヴァーリの攻撃は相手に足場を与えるだけの結果となった。

 

 以前の戦いでは見せなかった技だ。おそらく、いま完成させたのだろう。何という出鱈目、やはり一筋縄ではいかない。

 ならばこちらも相手の知らない技で応戦しよう。

 

Harf(ハーフ) Dimension(ディメンション)!』

 

 ヴァーリの手の平より目に見えない空間の圧縮現象が放たれた。

 修太郎はそれを第六感で認識する。しかし足場の無い空中に身体を置く今、それを躱す術は無かった。

 

「――ぐっ!?」

 

 歪む空間に捕まった修太郎は空中で磔にされる。それを認めたヴァーリは相手にかざした手の平を勢いよく閉じた。

 急激に高まる外圧。力も姿も何もかも、あらゆる質量を半分にする空間縛に、だが修太郎は潰れない。襲い掛かる圧力によって身体中から鮮血を噴き出しながらも、刃をヴァーリに向け睨みつけた。

 

『何だこいつは? 本当に人間か?』

 

 たとえこれで終わらなくともいい。驚くアルビオンをよそに光速で接近したヴァーリは、無防備となった敵に全力の拳を放つ。

 天龍のパワーに加え、魔力の爆破による一撃だ。為す術もなく直撃を受けた修太郎は、拘束空間を突き抜けて彼方の岩山に激突した。崩れ落ちる岩壁が土煙を巻き上げる。

 

『終わったな』

 

「いや、まだだ」

 

Divide(ディバイド)!!』

 

 鎧の宝玉より音声が鳴り響く。

 10秒ごとに相手の力を半減化させ、その分だけ自身に吸収転換するディバイン・ディバイディングの能力だ。これが発動したということは、敵はまだ生きている。

 

「忘れたかアルビオン、本番はこれからだぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

「黒歌さん! 修太郎さんが!」

 

 慌てたように叫ぶロスヴァイセの声を聞きながら、黒歌はやはりこうなったかと諦観にも似た感情を抱いた。

 バトルフィールドの一角に浮かぶ結界球。黒歌とロスヴァイセが共同して構築したそれは、たとえ魔王だろうと容易く破壊できない強度を持つ。

 

 今も管制室にて空間制御を行っているグレイフィアの手により何とか成立しているこのフィールドであるが、通常のレーティングゲームとは違ってリタイア転移は機能していない。何しろ即席の場だ。フェニックスの涙こそ用意できたものの、現状の忙しさではそこまでが精いっぱいだった。

 つまり、フィールド内で待機する彼女たちはいわば救護班だ。

 

「これ、流石にヤバいんじゃあ……」

 

 呟くのはベオウルフ。

 一応は要注意人物である黒歌と、先ほどその枠に追加されたロスヴァイセを監視するために同伴している彼だ。とはいえ、修太郎とヴァーリの戦いに目を奪われっぱなしだったが。

 修太郎は確かに強い。ベオウルフは全『兵士(ポーン)』の中でも五指に入る実力者だが、彼と真っ向から戦って勝てる確率は3割を切るだろう。とても人間とは思えない。

 

 だが、相手はあの白龍皇。凄まじいパワーと鉄壁の防御、光と見紛うほどのスピード、そして感じられる莫大な魔力は彼が悪魔の血をひいていることを示している。あらゆる要素が極めて高次元でまとまっている上に、あの神器だ。

 

 『白龍皇の光翼(ディバイン・ディバイディング)』。

 

 神滅具(ロンギヌス)としては中堅クラスだが、その能力は同格以下を地に落とす反則的なそれ。修太郎がどれほど強くとも、種族として弱者に分類される人間である以上は抗いようも無い。

 たとえ生きているとして、ここからどうするつもりなのか。少なくともベオウルフの目には、この状況が詰んでいるように見える

 

「でもまだ終わってない」

 

 しかし黒歌はそう思っていない。

 なぜなら修太郎はまだ生きているからだ。

 遠くに崩れる岩山から、今も力強い生命の波動が脈打っている。

 

「でもこれ以上は……」

 

「大丈夫よロスヴァイセ。シュウは負けない」

 

 確信を持って答える黒歌の表情は、しかしどこか寂しそうだった。

 

「絶対に、負けないのよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

Divide(ディバイド)!!』

 

 暗闇の中、目を覚ます。

 同時に全身を駆け巡る激痛。懐かしいそれに歯を噛み締めながら、修太郎は現状を確認した。

 肋骨は一本を除いて全損、肺には穴が開き、四肢の筋肉は清々しいまでに断裂して使い物にならない。奇跡的に心臓と脳は無事らしいが、どこからどう見ても致命傷だろう。神経もところどころダメになっているらしく、もはや傷ついた箇所を数え上げることすら馬鹿馬鹿しい。

 

 まあ、人間など一つ間違えればこんなものだ。口腔に溜まった血を盛大に吐き出しながら、修太郎はぎこちなく立ち上がった。

 肉体の損傷などどうでもいい。そもそも壊れた身体は機能的に動くはずがない。それでも、修太郎は戦えるのだ。

 

 血の抜けた頭はかつてないほどクリアに働いている。邪魔な痛みは即刻遮断し、視界に映る余分な色はすべて捨てる。モノクロの世界で、傍らに突き刺さる斬龍刀を見つけた。

 その柄を握り、引き抜く。あれほどの攻撃を受けてなおドワーフ謹製の刃には罅一つ無く、思わず感嘆の想いが湧き上がる。

 

 総身を巡る気の流れは澱みなく、回す、回す。

 その奔流の勢いが、断裂した筋線維を繋ぎ、断ち切られた血管を繋ぎ、折れた骨の位置を矯正し、そして穴の開いた皮膚を塞ぎ、損傷した内臓の機能を補う。

 絶え間なく行われる無意識の身体活性により急速に治癒が進む。しかし、修太郎が一歩進むたびに再び壊れ、元に立ち戻る。

 

 しかし、それでいい。別に今すぐ治そうとしている訳ではない。

 ただ、身体を動かす出力が足りない。ヴァーリより受けた半減化のせいだろう。

 足りないなら増やすまで。霊的器官(チャクラ)の第一、会陰のそれを解放すれば、総身の気が倍化する。これでいい。

 

 内部を巡る気は肉体のあらゆる場所、それこそ筋線維の一本一本にまで流れ、身体を動かす。外部に纏う気――闘気を外骨格として、さらに力強く。横溢する気が漆黒の瞳に紫電を走らせた。

 本能をねじ伏せ、己が内界を完全に支配するという非常識。死に瀕した身体を意志だけで操るこの能力こそが、彼を英雄と呼ばれるまでに至らせた最大の要因だった。

 

 ぐるりと首を回して彼方に浮かぶ敵を見据える。

 次の半減まであと5秒、といったところだろうか? ならばまずは邪魔なこれを解除しなければならない。

 

 そして修太郎は今までと同じように駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

『信じられん……あれでまだ動けるというのか』

 

 瓦礫から飛び出し、滑るように地を駆ける修太郎をヴァーリは認めた。

 驚くアルビオンに対しその宿主はどこまでも冷静に、しかし内心では感嘆していた。彼が放った拳の一撃は、本来ならば身体が丸ごと木端微塵に吹き飛んでしかるべきである。しかし暮修太郎と言う男は、あの刹那に闘気を操り、拳撃の軸をわずかにずらし爆発の衝撃を受け流したのだ。

 

 才能だけではこうはいかない。いったいどれほどの修羅場をくぐればここまで練り上げることができるのか。

 それが心底羨ましく、そして同時にどこまでも美しいと感じた。

 

 全身に魔力を漲らせたヴァーリは、まだ距離が離れているうちに力を溜める。

 覇龍(ジャガーノート・ドライブ)は使わない。発動すればおそらく高確率で勝てるが、その機会など彼は与えてくれないだろう。なにしろ最初の禁手化(バランス・ブレイク)でさえ綱渡りだったのだ。もし開幕の一撃をうまく防げていなければ、既に戦いは終わっていた。

 

 光翼と共に広げる漆黒の八翼。それは悪魔の翼だった。

 ヴァーリ・ルシファー。それが彼の真の名前。旧魔王ルシファーの血を受け継ぐ人間との間に生まれたハーフ、白龍皇となれたのも彼が人間の要素を持っていたからこそである。

 

 漲る魔力と龍の力に、先ほど吸収した修太郎のパワーも合わせて術式を展開。

 天に掲げたヴァーリの手の平に極大の魔力球が生み出される。それはまるで真昼の太陽が如く眩く輝き、周囲に同色の光弾を旋回させている。比喩ではなく小島一つを吹き飛ばす、超絶威力の砲撃だ。

 ()()()()()、追加で生み出され。

 

 何の躊躇いもなく、駆ける剣士へと放たれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヴァーリが放った光は球体から柱へと姿を変え、今まさしく修太郎を押し潰さんと迫っていた。

 

Divide(ディバイド)!!』

 

 闘気が減じる。

 すかさず霊的器官(チャクラ)の第二を解放し、量を元に戻す。

 

 加速。一つ目の柱を背後へ振り切る。

 そのまま跳躍。二つ目の柱が先ほどまで修太郎が駆けていた場所に突き立った。そして刃を盾に、防護のオーラを操りながら独楽のように回転し柱の上を駆け上がる。周囲を旋回していた光弾が襲い掛かってくるが、全て刃で弾き返していく。

 

 三つ目、四つ目の柱が左右から圧し潰そうと近づく。刃で身体を大きく跳ね上げ回避。

 最後の五つ目が眼前に伸びるその前に――修太郎は刀を手放した。

 

 落ちる刀を足で受け止める。術式を込め、しなやかな肉体の高速回転と共に放つ。

 ――『魔剣投擲』。

 未だ球体のまま留まる最後の砲弾を貫き、しかしその密度故に狙いを逸らして雷光の一矢はヴァーリの光翼を片方破壊するに留まる。

 

「――!?」

 

 驚き、体勢を崩すヴァーリ。この時の彼には修太郎の意図が見えなかった。自ら最大の攻撃手段と防御手段を捨てるとは、何を考えているのか。

 ともあれこれはチャンスだろう。すかさず全ての砲撃魔力を無数の弾丸と変え、空中の修太郎へと殺到させる。たとえ間もなく剣が手元へ戻ってくるとしても、それまでこの攻撃をどうやって凌ぐというのだろう。

 それは無論――。

 

 中国武術に化勁と言う技がある。受け手を素早く流動、または回転させ、相手の攻撃が持つベクトルをコントロールし受け流す技法だ。

 修太郎は下方から立ち上るおよそ万を超えるだろう光弾に対し、これを使った。

 軽気功による跳躍回避を交え、五体全てを流動回転させて次々と攻撃を弾いていく。闘気による独自の制御で化勁を行えば、受ける手傷は最低限に留まった。

 

 本来であればヴァーリのような強者が放つ魔力弾を受け流すことは、修太郎でさえ至難の業だ。

 しかしそれは通常状態の話。血を流し過ぎたことで極限まで戦闘へと最適化した頭は余分な情報を悉く遮断し、知覚を超加速させた彼の感覚に見切れないものは無い。そして何より今の彼は、真に無念無想の域にある。

 

 あらゆる技、あらゆる経験、その全てが十全に発揮された暮修太郎ならば、万の光弾を徒手空拳で捌くことは十分に可能だった。

 

Divide(ディバイド)!!』

 

 闘気が半減。第三の霊的器官(チャクラ)を解放する。

 同時に手元へ戻る斬龍刀。振るわれる閃光が無尽無数に空間を制圧し、修太郎が大地に降り立ったその瞬間、全ての光弾は白い霞となって消え去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(――人間! あれが人間か!)

 

 ヴァーリは――ヴァーリ・ルシファーは己を指して奇跡のような存在だと思っていた時期がある。

 彼は魔王の血をひく悪魔と人間のハーフだ。魔王から受け継いだ超絶の魔力と、人の部分に宿る天龍の力。まさしく馬鹿げた組み合わせだとアザゼルでさえ認めるほどの存在である。

 

 しかしそれも今の修太郎を見れば何だと言うのだろう。

 己が身一つで神滅具の禁手(バランス・ブレイカー)と渡り合う。それもヴァーリのような規格外の宿主が使っているにもかかわらずだ。これを奇跡と言わずしてなんと言う。

 おそらく今後彼のような存在は現れまい。彼は人が持つ可能性の極限だ。

 

 以前冗談で『暮修太郎が赤龍帝だったなら』と言ったことがある。もし本当にそうだったならヴァーリと兵藤一誠の力関係が、そのまま修太郎とヴァーリの力関係になっていただろう。

 だからこそ、勝ちたい。

 

 復元した光翼を広げ、飛び立ちながら無数の光弾を発射する。この期に及んで接近戦を挑まないのは、最も勝ち目がない展開がそれだからだ。

 しかし当然として修太郎は光弾の上を跳躍してくる。爆発性を高く設定して放ったはずの攻撃は、彼の用いる絶技の前に全く用を成さなかった。

 

Divide(ディバイド)!!』

 

 だがそれでいい。

 敵の攻撃を渡る修太郎だが、突如として道が途切れる。ヴァーリが消滅させたのだ。

 修太郎はそれに臆することなく最後に残った光弾を大きく蹴りだし、爆風を背に受けて鮭跳びの秘術。後退していくヴァーリへと神速で迫る。

 

 それをヴァーリは待っていた。空を飛べない修太郎は、一度足場を失えば一直線に跳躍せざるを得ない。

 しかしながら、そのルートに罠の類を置いても容易く斬り伏せられるだろう。半減空間(ハーフ・ディメンション)も間に合わない。ならば斬り裂けず、受け流せないほど威力が高く、また多少身体を動かすだけでは回避できないほど巨大な攻撃を放てばいい。

 

 抜き打ちの拡散砲に、修太郎から吸収したパワーを乗せて放つ。

 壁のように広がる魔力の奔流。足場も無い空中で、修太郎に躱す術など無い……はずだった。

 

 直感に従い下方向へ腕をクロスさせ、胸を守るように防御の体勢をとる。

 瞬間、腕を貫かれる痛みと全身を打ちつける衝撃。見れば、白銀の太刀が鎧を貫き、ヴァーリの双腕を縫い付けていた。

 

(この、技は……!)

 

 下方からの魔剣投擲。これが表す事柄とは、つまり。

 

 視界に影が差すのと、ヴァーリが上空を見るのは同時だった。

 無論のこと、影の正体は修太郎。拡散砲が放たれる直前に、魔剣投擲の反作用と軽気功を利用して上方へ跳躍を果たしたのだ。

 

 そう気付いた時にはもう遅い。

 修太郎の踵が脳天へ落ちる。襲い掛かる尋常ではない衝撃に、ヴァーリは歯を食いしばって耐えた。

 しかしそれだけでは終わらない。そのまま修太郎はヴァーリの両肩を掴んで上体を引き上げ、膝で顎を蹴り上げる。同時に手を離し膝から下を勢い良く跳ね上げて、さらに顎を打ち抜く。

 

 上下からの発勁三連、月緒流体術『重威(かさねおどし)』。

 

 空中でふらつくヴァーリの腕より斬龍刀を引き抜いた修太郎は、膂力を引き絞り渾身の斬撃を浴びせる。

 

 ――落峰の太刀『荒波(あらなみ)』。

 

 鎧の内外を無尽に走る斬撃波によってヴァーリの身体が無茶苦茶な軌跡を描きながら吹き飛び、そのまま大地に激突した。

 流動するオーラと頑強な鎧に守られているヴァーリだったがしかし、怒涛の攻勢に意識を寸断させた。

 

 そしてそれが意味することとはすなわち――。

 

『ヴァーリ、相手の半減化が解けたぞ! 起きろ!!』

 

「がはっ、はっ……問題ない、起きている」

 

 兜の中で口から血を吐き出すヴァーリ。落峰の太刀によって全身はズタズタに切り裂かれ、立ち上がる姿もどこかふらついている。

 しかし解せないことが一つ。吹き飛ばされ意識が途切れる瞬間、ヴァーリは負けたと思った。修太郎の速さなら、今この瞬間にさえ斬撃を浴びせにかかってもいいはずだ。

 

 理由は、相手を見た時に知れた。

 着地した修太郎はヴァーリの攻撃を受けていないにもかかわらず、今まで以上にボロボロだった。

 答えは明白。半減化の解除によって急速に高まった闘気を制御できずにオーバーロードを起こしたのだ。何故普段からあの技を用いないのかと思っていたが、なるほどそういった副作用があったからなのだろう。

 

 互いに満身創痍。

 損傷度合では修太郎が上だが、ヴァーリも万全とは言い難い。未だにふらつく頭では、複雑な魔力操作は行えないだろう。

 そして、この間合いでは空を飛ぶまでに撃ち落とされる可能性が高い。今にも倒れそうな修太郎だが、その鋭い紫電の眼光でしっかりとヴァーリを睨んでいる。相手の手心は期待できない。

 

「アルビオン」

 

『なんだヴァーリ』

 

「勝つぞ」

 

『……!』

 

 高まる闘志に鎧に埋め込まれた宝玉が輝きを増す。ヴァーリの意思に神器が応えた。

 

Divide(ディバイド)!!』

 

 踏み込むヴァーリを確認したと思うと、目の前に拳が迫る。

 大気を貫き暴風を巻き起こす威力の拳撃に、修太郎は刃を走らせ受け流す。そのまま返す刀は閃光の如く。ヴァーリの胴に打ち込もうとし――『Divide(ディバイド)!!』――そこには誰もいなかった。

 背後に感じる気配に、頭を下げる。ヴァーリが拳を突き出した格好でそこにいた。

 

 流れるようなヴァーリの連撃を、捌き、撃ち落とす。そして反撃を行おうとすれば。

 

Divide(ディバイド)!!』

 

 瞬く間に姿を消し、思わぬ場所から現れる。

 この不可解な現象を、修太郎は早々に見破った。

 

Divide(ディバイド)!!』

 

 おそらくは、移動距離の半減。

 これによってヴァーリは一時的に修太郎と近接戦闘で渡り合っていた。しかしながら、ヴァーリの攻撃は全く当たらないのに対して修太郎の攻撃は徐々に鎧を削ってきている。

 対象距離の長さを毎回変えて使っているにもかかわらず、十回も用いないうちにこれなのだから、やはりこの男と近接戦闘を行うのは無謀な行為なのだろう。

 

「うおおお……!」

 

Divide(ディバイド)!!』

 

 だがそんなことはヴァーリにもわかっている。

 無形物の半減という新能力の行使に激しく消耗しながらも、そしてその時は訪れる。

 

「うおおおおおおおっ!!」

 

Divide(ディバイド)!!』

 

 打ち下ろされたヴァーリの蹴りが大地を砕く。その大きな隙を逃さず斬りかかる修太郎だったが、突如として地面が揺れた。

 傾き、崩壊してく大地。ヴァーリは修太郎と接近戦を繰り広げながら地面の下――フィールドの大地を構成する術式そのものに半減化を施していた。急激に一部を縮小させたことで、地下に巨大な空洞が生まれ、そして大きな衝撃を加えたことで一気に崩落したのだ。

 ヴァーリにとって、修太郎と接近戦を行うのは賭けだっただろう。彼は、その賭けに勝った。

 

 瞬時に状況を把握した修太郎は、すぐさまその場から離脱しようとするが、同時にヴァーリの足から魔力が放出される。

 立ち昇る暴風のような衝撃波が修太郎だけを上空へと運んだ。

 

 先ほどまで拳撃に纏わせていた魔力を砲撃に利用する。

 空中の修太郎は落下するしか移動手段が無い。あるいは再び魔剣投擲を行えばそれも可能だろうが、ヴァーリはそれを許すつもりはなかった。

 魔力球を形成し、特大の砲撃を撃つ構えを見せたヴァーリを見て、修太郎は斬龍刀を野太刀へと変える。そして大きく上段へと振りかぶった。

 

 ――迎撃の構え。

 兜の下でヴァーリは笑う。そして、腕を天へと掲げて上空の修太郎へと紫電迸る大砲撃を放った。

 

 脱力からの緊張を、闘気の動きだけで再現する。きっかり1秒の溜めを行ったのち、解き放たれるは破軍雷霆。

 雲耀が崩し――『大雷(おおいかづち)』。彼が持つ技の中で最強威力の大斬撃。最大射程約10メートルの剣圧は、あらゆるものを斬り裂いて止まらない。

 

 激突の瞬間は刹那。

 はたして制したのは雷の剣。ヴァーリの砲撃は両断され、彼方へと消える。

 

 勝負はこれだけでは終わらない。

 彼我の距離は縮まり、第二撃。

 剣圧の余波で罅だらけの鎧を纏うヴァーリと、肉体の酷使によって全身から血を噴き出す修太郎。

 共に再び攻撃を放つ。

 

 『大雷(おおいかづち)』は先ほどよりも威力を減じさせ、ヴァーリの砲撃も溜め時間の短さから先ほどのような威力は無い。

 故に結果は同じく剣が制する。剣圧がヴァーリの鎧を崩し、技の反動で修太郎が血を流す。

 

 そして第三撃。両者の間に広がる距離は、もはや有って無いようなもの。

 しかし、ここでいよいよ修太郎に限界が来た。闘気だけで放つ『大雷(おおいかづち)』――しかも二度の連続行使は、彼の肉体に多大な負荷を及ぼしていたのだ。それこそ、闘気で操ろうとしてさえ動かなくなるほどに。

 

 その様子にヴァーリは勝利を確信する。拳に魔力を漲らせ、腕を引き絞った。

 

 この時、ヴァーリは油断などしていなかった。相手のあらゆる挙動を見逃さず、対処する気でいた。

 しかし、彼には一つだけ知らなかったことがある。

 

 修太郎の野太刀が形を変える。刃渡りを縮め、太刀の大きさへ。だが変化はそこで止まらず、とうとう白銀の刃は普段の半分程度の大きさに納まった。

 小太刀である。

 放たれたヴァーリ渾身の一撃は音を超え、修太郎の肉体を砕かんと迫る。

 しかし修太郎の一撃はそれよりもはるかに速い。足を止めて待ち受けるヴァーリには認識すらできなかった。

 

 雲耀が崩し――『疾雷(はやいかづち)』。修太郎が誇る最速にして最短射程の刃。

 

 拳諸共砕かれる。鎧などまるで無いかの如く、過去受けた太刀傷と交差するように刻まれた雷の剣。そして散る鮮血。

 砕け散った鎧に自らの敗北を悟ったヴァーリは薄く笑みを浮かべ、そして地に倒れ伏した。

 

 それを認めた修太郎はわずかに笑みを作った後、糸が切れたように崩れ落ち、そして意識を失った。

 

 




主人公「弾幕は足場(キリッ)」

勢いのままに書きました。
後で読み直して気に入らなかったら修正することもあるかもしれない。

対ヴァーリ戦終了。
接近戦? 鎧徹しデフォで持ってるやつ相手に無いわー。
主人公はただでさえアレなのに、HPの減少が発動条件となるスキルを山盛りに積んでます。というか、戦いにおいては頭を潰されないと死にません。意味わかんねえこの暫定人類。
まあだからこそ敵だった奴ら=妖怪たちは馬鹿みたいに怖がっているわけですが。


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第二十五話:禍つ焔

『…………』

 

 管制室は無言に包まれていた。

 リアス・グレモリーとソーナ・シトリーは難しい表情でモニターを見つめ、一誠もまた困惑を隠しきれていない。グレイフィアは黙々と魔法陣を操作するのみで、アザゼルは瞑目しながら酒の入ったグラスを傾ける。

 

 リアスは思考する。

 白龍皇ヴァーリ。

 天龍の力をあそこまで使いこなし、推し量れる力量はおそらく魔王級。確かにゼノヴィアの情報から堕天使勢力でもトップクラスの戦闘能力を保持していることは知っていたが、実際に目の当たりにしてみると改めて格の違いを思い知らされる。なるほどコカビエルなど歯牙にかけない実力だ。

 

 だがそれは、先ほどアザゼルより知らされた彼の素性を考えれば納得できることでもあった。

 旧魔王ルシファーの末裔と人間のハーフ――ヴァーリ・ルシファー。彼から発せられる莫大な魔力は、その圧倒的才覚を確信させるほどの質量を持っていた。

 そんな存在を自らの勢力に取り込んでいたアザゼルに言いたいことは多々あるが、今はそれよりも――。

 

 暮修太郎。

 強いとは思っていたがまさかこれほどとは。

 初めて彼の戦いを見たソーナは当然として、コカビエル戦の顛末を見届けたリアスでさえ予想していなかった規格外の戦闘力だ。

 特に白龍皇の攻撃で吹き飛ばされた後からの攻勢は、思わず身震いを誘った。なぜならば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 無敵のドラゴン、二天龍の力を持つ神器の禁手(バランス・ブレイカー)は、戦闘力と言う一点を見れば神滅具屈指の能力を持つ。その一撃を真っ向から受けてたとえ運良く生き残れたとしても、あそこまで動ける人類をリアスは知らない。それはソーナも、グレイフィアも、アザゼルだって同じだろう。

 

 なのにあの男は立ち上がり、あまつさえ今まで以上の動きで以って白龍皇を制して見せた。アザゼル曰く過去現在未来において最強となる白龍皇を、である。

 恐ろしい、と思う。人間を見てここまで背筋を凍らせたのは生まれて初めてだった。

 

 蒼く揺らめく闘気を纏い、全身血に塗れながらも紫電の双眸で敵対者を睨む。手に携える白刃は迫る悉くを斬り裂いて、その姿はまるで悪鬼羅刹の如く。

 あれが英雄? あれが生身の人間? 冗談ではない。あれはそんな生易しいものではなく――。

 

「『異形どもの毒』……だったか? 確かに納得だ。あの男が本気で殺すと決めて、無事生還できた化け物はまずいないだろう。しかしまさか本当にヴァーリを倒すとはな。今のあいつは俺でも油断できないほど力をつけてるんだが……まったく人間には過ぎた力だ」

 

 押し黙るリアスたちをよそに、アザゼルが口を開く。

 口調が軽いが目は笑っていない。モニターに映る光景を見ながら、何やら考えている様子だった。

 

「致命傷でも死なず、むしろ強くなって蘇り戦闘を続行する人間だなんて規格外どころの話じゃない。確かに理論上は可能なんだろうが、正気じゃできない芸当だ。おいグレイフィア、サーゼクスはあいつを悪魔に転生させる気か?」

 

 アザゼルの言葉に驚き、一同揃ってグレイフィアを見る。

 リアスもソーナも彼が会談の警護を行うという報告は受けていたが、正式に悪魔陣営に加入することになるかもしれないとは知らされていなかったのだ。

 

「主の意向は存じ上げておりませんので」

 

 表情一つ変えずグレイフィアが答える。つまりはわからないと言うことだろう。

 というか、なぜアザゼルがそんなことを知っているのだろうか。

 

「なんだ、まだ決まってねえのかよ。俺としてはあの男がいつまでも中立の立場でいることの方が厄介だと見るんだがな。何やら色々取引してるようだが、眷族化するなら早めにしちまえよ。悪魔のお偉いがた様の意見より、あの男をどうにかする方が重要だと思うぜ?」

 

「……主にはそのように伝えておきましょう」

 

「おう、そうしてくれ。俺のところじゃたとえ取り込んでも後ろから刺されるのがオチだからな」

 

『…………』

 

 飄々とした口調で言い放つアザゼルに、少女たちは呆れた目を向ける。

 そんな中、一誠は一人黙ってモニターを見ていた。

 

 暮修太郎とヴァーリ。倒れ伏す二人に黒髪の女性――黒歌と、見たことの無い銀髪の女性、そしてやはり見たことの無い茶髪の男性が駆け寄り、応急手当を行っているようだった。

 

「…………」

 

「イッセー、どうしたの?」

 

 無言の一誠にリアスが声をかける。

 

「いえ、なんでもないです。ちょっと圧倒されちゃって……。それより部長、これからどうするんです? 敵の情報がどうとか言ってましたけど、この後すぐに話を聞くことってできるんですか?」

 

「おそらく今日はもう無理じゃないかしら。肝心の白龍皇があれでは話を聞くどころではないでしょうし、私たちに出来ることは無いわ。あとは専門のスタッフに任せて、後日の報告待ちね」

 

「そうですか。じゃあ、早く帰らなくちゃいけませんね。突然連れ出されたからアーシアも心配してるだろうし」

 

「そうね。でも私たちはもう少し話があるから、イッセーは先に帰ってもいいわよ」

 

「あ、そうですか……。それじゃあ、俺先に帰ってます。部長も頑張ってください」

 

 リアスの言葉通りに帰っていく一誠だが、その表情の陰りに気付いたのはこの場においてアザゼルただ一人だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 それは彼が退魔剣士として活動を始めてしばらくしてからのことだった。

 よく分からないうちに本家が行うはずの仕事に就くことになった修太郎は、しかしその内容の容易さに拍子抜けする気分になっていた。

 月緒の剣は退魔の剣。悪鬼調伏・神魔両断を目的とした絶技の数々は、13歳という若年にして彼を破格の領域にまで押し上げている。当主を下し名実ともに月緒流最強の剣士となった今、今更そこらの鬼や悪霊などに後れを取るわけがない。

 

 だからこそ、彼は油断していたのだろう。

 人間の体と一体化した妖魔に気付かず、闘気を纏わない生身の身体にその攻撃を受けてしまった。

 胸に大穴を開け倒れた少年を見て、同伴していた月緒の術師は彼が死んだと思ったのか驚愕していた。しかしそれと同時に安堵の表情を見せたのを覚えている。

 

 だが修太郎は死ななかった。

 気を筋肉に走らせて動作の補強を行う技は月緒の奥義である。しかしこの技はわずか一動作でさえ凄まじい集中を必要とする上、気の操作を誤ればその時点で肉体が壊れる諸刃の剣でもあった。

 

 死に瀕した修太郎はそれを全身で常に行い、そして成功させた。肉体支配の天才である彼だからこそ為し得る超絶技の誕生である。その副次効果が傷まで塞いだのは幸運だろう。

 彼は倒れた後何事も無かったかのように立ち上がり、憑りつかれた人物ごと妖魔を斬った。

 

 しかしその時場にいた人間は、人の中に潜む妖魔よりも蘇った修太郎に恐怖した。彼らの目には、おびただしい量の血を流しながらも顔色一つ変えずに妖魔を殺した少年こそが怪物に見えたのだ。

 これ以降、御道修太郎に課せられる任務の内容は急速に激しさを増していくことになる。

 

 ともあれ、こうして修太郎はありとあらゆる人外にとって不死身の化け物となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 胸の重みに目を覚ます。

 懐かしい夢を見た。まだ自身が未熟であった頃の夢だ。

 目の前に見える飾り気のない天井、そして身体を包む柔らかな感触。どうやら修太郎はベッドの上に寝かせられているらしかった。

 ということは、ここはおそらく病院か何かの施設なのだろう。空気を吸い込めば、消毒の匂いが鼻腔を刺激する。

 

 身体の状況に意識を走らせれば、この上なく全快。外傷はおろか内臓まで元通りに治っている。

 人類の及ばない高度な医療技術は、レーティングゲームという疑似戦争を日常的に行っている悪魔陣営だからこそのものだろう。何にせよありがたいことだ。

 

「……じ~っ」

 

「……」

 

 胸の上を見れば、かけられた布団の間から一対の輝く瞳がこちらを見ていた。

 別に気づいていなかったわけではない。彼女の気は眠っていても感じることができるよう常に気を配っている。

 

「……じ~っ」

 

 じとりとした視線でこちらを睨んでくる黒歌。抗議の意思を表しているのだろうが、わざわざ口に出さなくてもわかっている。

 

「……悪かった」

 

 そう言うと、布団が盛り上がり黒歌が姿を見せる。

 修太郎の腹に馬乗りになった彼女は着物の前を大きくはだけて、豊満なバストと白い肌をのぞかせていた。それは修太郎も同様に、衣服は前を開かれて素肌の胸板を見せている。おそらくは直接肌を合わせて修太郎の乱れた経絡を癒していたのだろう。

 

「そう思うなら、今度から不用意に決闘なんて受けないでほしいにゃん」

 

「出来る限り避けてはいるつもりなのだが……」

 

 今回ばかりは仕方がない。周囲に及ぼす影響を考えれば、修太郎が決闘に応じるより他は無かった。

 そうでなければ、あの力の塊のような少年を押さえるのに少なくない死傷者が出ていただろう。

 心配そうな表情でこちらを見つめる黒歌には悪いと思うが、修太郎たちの目的を達成するためにも避け得ない事柄だった。

 

「俺はどれぐらい寝ていた?」

 

「戦いから丸一日経って、今は夜だにゃん。ロスヴァイセも心配してたんだから」

 

 首を動かし傍らを見れば、椅子に座ったロスヴァイセが毛布にくるまり眠っている。壁にかかった時計を見ると、ちょうど3時の位置。黒歌の言葉と照らし合わせれば深夜の時間帯だった。

 どうやら相当深く眠っていたらしい。

 

「……身体の調子は大丈夫? どこか悪くなってない?」

 

「ああ、問題ない。肉体は万全、お前のおかげで経絡も元通りに戻っている。戦いの影響は無いに等しい」

 

 答えながら気を巡らせれば、蒼い闘気が修太郎の身体を覆う。

 普段と変わらない様子にほっと一息つく黒歌。しかしすぐに表情を沈ませる。気で以って肉体を操る技は確かに強力だが、一方で恐ろしく肉体に負担をかけるのだ。

 

「…………」

 

「クロ、お前が気に病む必要はない」

 

「でも……」

 

 いつか黒歌が感じた違和感。修太郎の内部に巡る気と闘気として外部に露出する気の量がアンバランスである理由は、かつて彼が致命傷からの復活を繰り返してきたことで起きた経絡の変質にある。戦闘続行のために肉体の損傷を気の超高速循環で無理矢理埋めるというこの行為は、本来人間が持つ能力から激しく逸脱している。反動が無いなんてことは有り得ない。

 

 これだけ長く付き合えば嫌でもわかる。修太郎は仙術においても超越的な才能を秘めている。それこそ修行を積めば短期間で仙人にまで至れるほどに。

 しかし彼は気の通り道である経絡が変質しているが故に、本来行えるはずの自発的な気の取り込みと放出ができず、仙術の大半が習得できない事態に陥っている。内外出力の齟齬により、戦闘時の動きも本来より一段階緩めざるを得ない。信じられないことだが、おそらくスペックのみを見るならば彼は昔の方が強かっただろう。

 

「これは俺の自業自得、未熟が原因の古傷だ。無論、治るというならそれに越したことは無いが、無理ならそれも仕方がない」

 

 当人は気にした様子も無くそう言い放つが、致命傷からの戦闘続行は肉体の寿命を削る行為でもあるはず。

 今はまだ問題ないが、この調子で戦い続けるようなら遠くない未来確実に影響が出る。いくら膨大な生命力を持っていようと、器が壊れてしまえば意味など無くなる。後は当然――。

 それだけは何としても避けたかった。

 

「……もうこれからは一人で戦っちゃだめよ。シュウには私がいるんだから、もっと頼ってほしいにゃん」

 

 身体を傾けて、彼の首筋に顔をうずめる。

 そんな黒歌に対し、修太郎は自然な動作で彼女の頭を撫でた。朴念仁に見えてこのようなことを無意識に行えるのだから、本当によくわからない男だった。

 

「わかった。善処しよう」

 

 彼が放つその言葉ほど信用のならないものは無いが、それでも黒歌は安心して目を閉じる。

 今の仕事を終え、彼が悪魔に転生したなら全て立ち消える問題である。ほとんど一日中修太郎の経絡治癒にかかりきりだった彼女は、そのまま意識を落とした。

 

「……すぅ、すぅ」

 

「…………」

 

 眠る黒歌のはだけた着物を整え、修太郎はベッドを出る。ついでに椅子で眠るロスヴァイセを抱えて黒歌の隣に寝かせ、二人に布団をかけた。

 立ち上がった修太郎は息を整え、そして意識を集中させ、未だモノクロのままの景色に色を戻していく。黒歌に言った通り体調は問題ない。問題ないがしかし、回を重ねるごとにこういった症状も増えてきた。修太郎の意志に肉体が追い付いていないのだ。それが何を示すのかは――。

 

「よう、イチャイチャタイムは終わりか?」

 

 唐突に背後から声がかかる。

 振り向けば、長身を浴衣に包んだ男が一人。うまく隠しているのか一見普通の男にしか見えないが、内在している力にはとてつもないものがある。

 

「……あなたは?」

 

「アザゼル」

 

 にやりと笑って答える男。

 その名は確か堕天使の総督と同じもの。修太郎は鋭い目つきを細めて男を見る。

 

「そう警戒するなよ。ヴァーリが目を覚ましたぜ。話、お前も聞くんだろう?」

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

「『無限の龍神(ウロボロス・ドラゴン)』オーフィス率いる『禍の団(カオス・ブリゲード)』、か。まあ情報通りだな」

 

「なんだ、知っていたのかアザゼル」

 

 アザゼルの言葉にヴァーリは意外そうな顔をした。

 悪魔の手が入っているという病院の個室。修太郎が眠っていた部屋の三つ隣となるそこにヴァーリはいた。

 部屋の中にはアザゼルと修太郎、そして悪魔側と天使側の報告役と思しき人物が集まり、彼の話を聞いている。

 

「ああ、前々からシェムハザに調べさせててな。存在そのものは知っていた。つっても組織名と背景しかわかっちゃいねえんだが」

 

「相変わらず抜け目がないことだ」

 

 くくっと笑うヴァーリの様子は重傷の跡など感じさせない。修太郎と同じく彼もまた全快しているのだろう。

 

「で、首謀者は旧魔王の末裔どもってか。サーゼクスのやつめ、ちゃんと管理しとけ……と言いたいところだが、プライドばかりが肥大化した奴ら相手にそれも無理な相談だな。ヴァーリ、お前もその関係で誘われたくちか?」

 

「いや、『アースガルズと戦ってみないか?』なんてオファーを受けた。かなり魅力的だと思ったんだが……」

 

 言葉を切ったヴァーリは腕組みして立つ修太郎を見る。

 

「思えば、神々に喧嘩を売る前に決着をつけなきゃならない相手がいたと思い出してね」

 

 ヴァーリの言葉を受けて、修太郎は眉根を寄せる。あまり表情の変わらない彼にしては、かなり迷惑そうなのが見てわかった。

 事実――。

 

「こちらとしてはいい迷惑だったがな」

 

「フッ、そう言わないでくれ。久しぶりに心躍る戦いだった。またやろう」

 

「阿呆が。もう二度とやらん」

 

 今の修太郎は意味の無い戦いを極力避ける方針である。そんなわけで、もしやるとしても今度は黒歌と二人がかりでボコボコにすることになるだろう。

 残念だ、と言うヴァーリをよそに、アザゼルは尋ねる。

 

「で、『禍の団』の構成はどうなってる。何も旧魔王派だけってことはないだろう?」

 

「いや、『禍の団』で大きな力を持つ派閥は()()()()()()だ。他にも堕天使や天使の集団がいるにはいるが、今のところ有象無象の集まりで正直話にならない」

 

「何だと? おいおい、そんなわけないだろう! 『無限の龍神(ウロボロス・ドラゴン)』だぞ? 最強の存在が頭に納まる組織の規模がそれだけだなんて冗談だろう?」

 

「俺が知る限りはそれだけだアザゼル。他には神器使いを何人か見かけたが、派閥と呼べるほどのものじゃなかった。魔法使いは大勢いるにしても、そいつらは基本的に旧魔王派に従っている」

 

「はぁ……なんだそりゃ、もう少し面倒なのが集まってると思ってたんだがな。上位神滅具使いとか、伝説の魔物の末裔とかよ」

 

 溜息をつくアザゼルは拍子抜けしたようだった。

 確かに最強の龍神がトップともなれば、もう少し面倒な相手になるかと思っていたのは修太郎も同じだ。

 そう考えながら、ふと引っ掛かることがあった。

 

「待て、『禍の団』……?」

 

 そういえば、修太郎はどこかでその名前を聞いたことがある。そう、あれは――。

 

「どうした暮修太郎」

 

「何か知ってるのか?」

 

「……思い出したことがある。2年以上前、旅の途中で同じ名前の集団を名乗る賊に遭遇したことがあった。ヴァーリ、そいつらはそんなに昔から活動しているのか?」

 

「いや、俺も長居したわけではないから正確な期間はわからない。しかし2年以上も活動している雰囲気は皆無だった。少なくとも、旧魔王派や他勢力の奴らは長くて一年未満だろう」

 

「2年以上だと……? おい、詳しく聞かせろ」

 

 修太郎は場の全員にインドで起こった一件を話した。

 『禍の団』を名乗る神器使いたちが英雄の子孫と神宝を奪おうとしたこと。それを阻もうとした修太郎たちに、敵は古代のアスラを復活させて応戦してきたこと。

 

「……それが事実なら、いきなりきな臭くなってきたな。どう考えても旧魔王派じゃねえぞ、それ。奴らにはまだ俺たちの知らない何かがあるってことか。その話は確かなんだな?」

 

「ええ、クロが意気揚々と旅の資金を強奪していたから印象に残っています」

 

 そういう意味では『禍の団』に助けられたのかもしれないと、今更になって思う修太郎だった。被害に遭った彼らは可哀想だが、テロリストと言うのだったら自業自得だろう。

 その言葉を聞いたアザゼルは楽しげに笑い出した。

 

「はっはっはっ、テロリスト相手にカツアゲかよ! まあ貴重な情報だ。礼を言うぜ」

 

「構いません。俺としても気になることがあるので……。そうだヴァーリ、『禍の団』に魔法使いは大勢いると言っていたが、その中に陰陽師はいたか?」

 

「陰陽師……確か日本の術師だったか。悪いが知らないな。さっきも言った通り、そこまで長居していた訳じゃないんだ」

 

「いったい何だ? 奴らに関係がある事なのか?」

 

「先日学園に侵入した少年が『禍の団』に所属しているとしたなら、おそらく自分の知る敵がそこにいる可能性があります」

 

 元はぐれエクソシスト、フリード・セルゼン。

 修太郎に一蹴された彼を逃がした協力者が考えた通りの人物ならとても厄介なことになる。

 

「ほう、そいつの名は?」

 

高円(たかまど)雅崇(まさたか)。陰陽風水を極めた魔人です」

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……」

 

 旧校舎の廊下、窓から青空を眺めつつ、兵藤一誠は溜息を一つ吐いた。

 考えることは先日見た修太郎とヴァーリの戦いだ。

 一言で言えば、すごかった。陳腐極まる表現しかできない自分に呆れてしまうが、そうとしか言いようがないのだから仕方ない。

 

 二人が強いのはわかっていた。しかし話に聞くのと実際に見てみるのとでは全く感じることが違う。

 修太郎は相変わらず速く、ヴァーリの魔力弾を捌く時もあまりの剣速に攻撃が勝手に避けているようにしか見えなかったし、ヴァーリはヴァーリで自分の不完全な禁手(バランス・ブレイカー)では到底敵わないだろう力を見せつけた。

 

 リアスが言うには、ヴァーリもまた魔王クラスの実力者らしい。

 何ですかそれ魔王クラスのバーゲンセールですか!? などと言っても事実は変わらず。ヴァーリ・ルシファーと兵藤一誠は戦う宿命にあるのだと皆が言う。

 そんなこと言われてもやっぱりまったく理解できない一誠だが、いずれ戦うのなら自身ももっと強くならなければいけないのはわかる。しかし――。

 

(俺は本当にあいつを倒せるのか?)

 

 赤龍帝と白龍皇――ドライグとアルビオンは確かに互角なのだろう。しかし宿主の実力に差があり過ぎる。自身の勝利を信じてくれるリアスに応えたいとは思う。それでも埋められない差はあるのではないのか? そう思わずにはいられない。

 自分らしくないと感じる。

 それはおそらく、修太郎のせいだ。

 

 一度は血に沈みながらも立ち上がる彼の姿はとてつもなく恐ろしく、そして頼もしかった。

 彼はかつて英雄と呼ばれていたほどの男らしい。最強の白龍皇となるだろうヴァーリを生身で下して見せた姿を見れば、それは疑いようのない事実だ。なぜ、彼に『赤龍帝の篭手(ブーステッド・ギア)』が宿らなかったのだろうか。そうすれば――。

 

 かぶりを振って思考をリセットする。

 

 考えても仕方のないことだ。今代の赤龍帝は一誠であり、それは生涯変えられない。何よりもこれが無ければリアスたちと出会えなかったのだから、むしろ感謝すべきことなのだろう。

 こういう時はリアスのおっぱいを思い浮かべるに限る。

 大きいおっぱい、柔らかいおっぱい、綺麗なおっぱい……。

 

 そうして数分間脳内フォルダをあさり続けた一誠は、清々しげな表情を浮かべていた。実に残念な頭である。

 そうだ、今悩んでも仕方がない。とりあえず上級悪魔を目指すことが一誠の目標であるのだし、ヴァーリだって今すぐ戦おうとは思っていないようだ。どっちにしても地道に強くなっていくしかない。

 

 喧嘩すらまともにしたことが無かった数か月前が嘘のように、バイオレンスな日常を送っている気がする一誠だが、これも全て夢のため。

 修太郎たちが施したという整体のおかげか最近は非常に調子がいいし、身長だって5センチ伸びた。数値だけならオカ研内で一番高い。地味ながらかなり嬉しかった。

 

 そう思えば今まで悩んでいたことそのものが馬鹿馬鹿しく思えてしまう。

 決意も新たにギャスパーの訓練を行うべく彼の下に行こうとした一誠だったが……。

 

「イッセー」

 

 背後からの声に振り向けば、そこには愛しの主・リアスの姿。傍らにはいつものように微笑む朱乃がいる。

 

「はい、なんですか部長」

 

「白龍皇から敵の情報が入ったわ。今から会談当日の対応も含めて皆に説明するから、部室に集まってちょうだい」

 

「えっ、意外と速いですね。すごい怪我してたようですから、もうちょっとかかるかと思ってました」

 

「うふふ、レーティングゲームのおかげで悪魔の医療技術は勢力の中でも随一ですから」

 

 驚く一誠に、朱乃が答える。

 確かにライザー戦で怪我をした時もすぐに動けるまで回復されていた。フェニックスの涙という反則的な回復薬もあるのだし、驚くことではないのかもしれない。

 納得した一誠は、リアスたちと一緒に大人しく部室に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕暮れの旧校舎。

 相も変わらず教室の一つにこもって生活しているギャスパーの下に、一人の人物が訪れる。

 

「ギャーくん」

 

「小猫ちゃん。どうしたの? こんな時間に」

 

 白髪の小柄な少女、塔城小猫である。

 

「さっきの話……大丈夫?」

 

 心配げな顔で尋ねる少女に対し、ギャスパーはきょとんとした表情になる。

 話、とは昼間リアスより聞かされた会談を狙う集団『禍の団』の情報と、その対応についてだ。説明の課程で敵がとるはずの作戦――ギャスパーの神器を利用した不意打ちも知らされた。

 小猫は、それを聞いたギャスパーがまた落ち込んでいないか心配だったのだろう。

 

「うん……僕は大丈夫だよ。敵が僕を利用しようとしてたのはショックだったけど……。頑張って……うん、頑張るから」

 

 ギャスパーの答えは小猫にとって意外なものだった。てっきり相当沈んでいるものと思っていたのだ。

 不思議そうな小猫に、ギャスパーは言葉を続ける。

 

「イッセー先輩も頑張るんだって。白龍皇の人は魔王さまと同じぐらい強いらしいけど、頑張ってどうにかするって言ってた。すごいよね。僕だったらきっと泣いて喚いて部屋から出てこれないよ。……それなら僕も頑張らなくちゃ。具体的にどうするかは決まってないけど、僕はイッセー先輩みたいになりたいから」

 

 どうやら小猫よりも先に一誠がギャスパーと話していたらしい。木場の時といい、本当に仲間思いな少年だった。

 先を越された形になるが、下手に小猫が慰めるよりそちらの方が良かったかもしれない。彼がやってきてからグレモリー眷族は本当に明るくなった。

 

「心配してくれてありがとう、小猫ちゃん」

 

 初めて出会った時はスケベ根性極まったダメ男だと思っていたが、今のギャスパーを見れば評価を改めざるを得ない。

 しかしまあ、それはともかく。

 

「じゃあ頑張るギャーくんにはこれをあげる」

 

「?」

 

 ギャスパーに渡されたのは袋型のパッケージだった。

 見ると――。

 

「に、にんにく……卵……?」

 

「サプリメント状だから匂いもしないし、これならきっと大丈夫」

 

 無表情でドヤ顔を決めるという器用なことをした小猫に、ギャスパーの顔はひきつっている。

 微妙な気遣いに、しかしやっぱりこうなるのかと思いつつギャスパーは――。

 

「おーやおやぁーー? 女の子二人集まって百合百合ですかァ? ダーメダメ、非生産的だよキミら。ヤるならちゃんと異性とヤらなきゃ。でもま、クソ悪魔どもだから仕方ないって話だったり?」

 

 覚えのある声に、小猫が素早い動作で振り向く。

 枯れた白髪、エクソシストのコート。狂気に満ちた瞳の少年はフリード・セルゼンだった。

 

「あなたは……! なぜこんなところに」

 

「来・れ・た・の・か? ってか。確かに結界いっぱいいっぱいで俺さまやんなっちゃった。でもんなもん知る必要ねぇってんですよ。なぁぜぇなぁらぁ――っと! あっぶね!」

 

 話の隙を突いてフリードへ攻撃を仕掛ける。しかし相手は素早い動きでバックステップし、小猫の拳を軽々と躱してしまった。

 

「ノンノン、そんなすっとろい動きじゃダメダメ。今の俺には当てらんねぇよ。鈍ガメ『戦車(ルーク)』は辛いよね」

 

 そう言って、コートから剣を取り出す。

 刀身から湧き上がる魔のオーラは尋常ではない質量だ。教会から持ち出された魔剣は4本あると言う。彼が持つのはおそらくその内の一振りだろう。

 

「ほいほい、魔剣ディルヴィングちゃんだよーっ、よっろしくぅーっ! ま、今回は斬っちゃダメなんだけど、一つお披露目ってね」

 

 そう言うや否や、フリードの姿が突然失せる。

 気付けば小猫は壁に叩き付けられていた。

 

「が、っ!?」

 

 なんだこの速さは。

 以前のように『天閃の聖剣(エクスカリバー・ラピッドリィ)』を持っている訳じゃないのに、小猫の目では全く追えなかった。

 

「流石に『戦車』は硬いねぇ。どうでもいいけど」

 

 へらへらと笑いながら近づいてくるフリードを見れば、総身を澱んだ紫のオーラが包んでいる。

 あれは、まさか――。

 

「闘、気……?」

 

 それも邪気を多分に含んだものだ。

 なるほどそれならばあの急激なパワーアップも頷ける。しかし、教会のエクソシストだったフリードに仙術が使えるはずはない。いったいどうなっているというのか。

 

「ご明察。流石……なんだっけ、ネコショウ? そんじゃま、旦那。後は頼んますぜ」

 

 フリードが()()に話しかけると、彼の影が蠢き形を変えていく。それはもはやフリードのものではない、背の高い男の影だ。

 同時にフリードの背後から燃えるような漆黒の邪気が噴出した。それは腕を作り、脚を作り、身体を作り、そして顔を作る。暗黒のヒトガタが少年少女を卑睨する。瞳の色は邪悪な黄金、縦に裂けた瞳孔は龍そのもの。しかしその存在は龍ではなかった。それは――。

 

「こ、小猫ちゃん……」

 

「ギャーくん、逃げて……」

 

 少女のかける声もむなしく、ヒトガタの手より無数の呪符が飛び交い、そして二人は意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

「あれ?」

 

「え?」

 

 深夜の旧校舎。

 月と星から降り注ぐ光が椅子に座った二人を照らす。

 

 気付けばギャスパーと小猫は部室にいた。

 何故自分たちはこんな時間まで残っているのだろう? もしかして眠ってしまったのだろうか。

 二人顔を見合わせて、しかしどうにも理由が思い出せない。仕方がないので小猫はそのまま部室に泊まっていくことにし、ギャスパーもそれに賛成した。

 なんだか身体がだるく、思うように動かないのだ。帰宅に体力を使うよりは、一応の宿泊設備がある部室で一晩過ごす方がいいだろう。

 

 何せ、会談が行われるのは明日なのだから。

 

 

 




恒例のイチャイチャ治療と、実は主人公が全盛期過ぎてるって話。
ノーリスクリレイズ持ちってちょっと流石にあり得ない。でもまあ十分怖いです。

禍の団英雄派? 知らない子ですね……。

んでもって今回からオリジナルボスが本格介入。
陰陽、風水、そして魔人。誰が元ネタになったかはわかる人にはわかる。
それに合わせてフリード強化。一応奴も剣士ですからね。


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第二十六話:会談の黒猫

 紫の空に術式で作られた月が浮かぶ。

 冥界は旧魔王領、レヴィアタンの城に大勢の魔法使いが集まっていた。

 彼らの目的は本日行われる天使・堕天使・悪魔、三大勢力トップが集う会談への襲撃である。

 率いるは旧魔王レヴィアタンの血を継ぐ悪魔、カテレア・レヴィアタン。妖艶な衣装に身を包む、眼鏡をかけた褐色の美女だ。

 

 三大勢力トップの内、一人でも落とせればよし。会談を成立させず、公的な勢力の団結を防ぐことができればそれでいい。

 元はぐれエクソシスト――『禍の団』に存在する天使か堕天使に連なる何者かが先走ったことで計画は遅れ、相手に警戒心を持たせてしまったが、こちらにはヴァーリ・ルシファーという内通者がいるのだ。調整はどうとでもなる。今は『旧』などと呼ばれているが、真なる魔王の血族は偉大なのだから。

 何より、今回は強力で信頼できる助っ人がやってきていた。

 

「カテレア、ここにいたのか」

 

「クルゼレイ」

 

 魔法使いたちが集まる広場。壇上に立つカテレアの隣に、貴族服を着た男がやってくる。

 クルゼレイ・アスモデウス。旧魔王アスモデウスの血を継ぐ悪魔であり、カテレアの恋人でもある男だ。

 本来ならば襲撃に加わる予定など無かった彼だが、会談の日程がずれたことで暇ができたのだろう。開戦の狼煙ともいうべき今回の作戦に参加を申し出てきた。

 

「何もあなたまで来なくとも。私だけで十分なのですが」

 

「そう言わないでくれカテレア。俺とてキミにもしものことがあればと思うと心配なのだ。我らが共に戦えば一人と言わずもう一人……いや、全員葬ることもできるかもしれん。それに正直、ヴァーリは信用ならん」

 

 いくらオーフィスから力を得ているとはいえ、相手は仮にも勢力のトップ。カテレア個人としては、そこまで大きな戦果が出せるかどうかは微妙なところだと思った。しかし、彼の言葉には同意するところもある。

 

 ヴァーリ・ルシファー。

 

 悪魔と人間の混血児であり、現白龍皇。戦いのみを生きがいとする、敵にとっても味方にとっても危うい気性の少年。

 戦力としてこちらへ引き込むことができたのは幸運だが、彼が求めるのは支配ではなく闘争である。真なる魔王としての使命感を持たない彼は、結局のところカテレアたちと根本的に相いれない。

 スカウトした時と同じように、彼女たちには理解できない理由でいきなり寝返ることも十分あり得る。爆弾の様な存在なのだった。

 

「まあ、構いません。確かにあなたがいれば作戦の成功率も上がるでしょう。……ただ、死ぬことだけは許しませんよ」

 

「ふふふ、わかっているとも。何せ我らが新しき世界を創造した暁には、キミと共に次代の子供を作っていくことになるのだからな」

 

「もう……まったく。馬鹿なことを言っていないで、着いてくるのなら早く準備なさい」

 

 強い口調で言い放つカテレアの頬は赤く染まっている。いじらしい彼女の姿に、クルゼレイは微笑んだ。

 嫌でも目に入るその光景を見て魔法使いたちが心の中で悪態を吐く中、カテレアの目前に通信魔法陣が開く。

 

『カテレア・レヴィアタン、頃合いだ。仕掛けろ』

 

 ヴァーリの声だ。

 簡素極まる報告に、カテレアの眼鏡が光る。

 

「時は来ました! 今こそ新世界創造のための第一歩を踏み出す時! 出撃です!」

 

 号令と共に魔法使いたちが動き出す。一斉に構築された術式が眩く輝き、次々と目的地に続くゲートが開く。

 それを見届けて、カテレアは傍らの恋人に語りかける。

 

「さあ、我々も行きますよ。準備はいいですか、クルゼレイ?」

 

「既に完了している。行くぞカテレア」

 

 そうして二人もまたゲートを開き、足を踏み入れた。

 

 自分たちを未だかつてない危機が待ち受けているとは知らずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

「――っ!」

 

「なんだ、これは……!」

 

 カテレア率いる軍団が見たのは駒王学園の校舎ではなく、漆黒に燃える大地だった。

 想定外の事態に狼狽する魔法使いたち。驚きに目を見開くカテレアとクルゼレイは、草木一本生えていない荒野に立つ人影を見つけた。

 

「あなたたちは……!」

 

 忌々しげにそれらを睨むカテレア。

 待ち構えていたのは魔王サーゼクス・ルシファーとセラフォルー・レヴィアタン、堕天使総督アザゼルに、天使長ミカエルといったそうそうたる面々。そして――。

 

「転移術式に介入された……? 謀られたという訳か……っ! やはり混じりものは信用ならんな、ヴァーリッ!!」

 

「騙して悪いが、約束してしまったんでね。お前たちも魔王の血をひくと言うのなら、一度真っ向からぶつかって見ればどうだ? 新しい景色が見えるかもしれないぞ」

 

 白龍皇ヴァーリ・ルシファー。

 カテレアたちから見れば寝返ったかたちになる少年は不敵に笑んで見せる。カテレアは激昂し、叫ぶ。

 

「ふざけたことを……! あなたとオーフィスの目的は一致していたはず、グレートレッドを倒せなくなっても良いと言うのですか!?」

 

「オーフィスに頼らなくとも、グレートレッドはいずれ倒すさ。しかし物事には順序というものがあることを再確認したんだ。急いては事をし損じる。魅力的なオファーはありがたかったが、人間一人倒せない俺が神に挑んだところで時期尚早と言う話だ。さて、やろうか――禁手化(バランス・ブレイク)

 

Vanishing(バニシング) Dragon(ドラゴン) Balance(バランス) Breaker(ブレイカー)!!!!!!』

 

 光翼を広げ手を前にかざして宣言すれば、煌めく鎧が装着され最強の白龍皇が姿を現す。

 迸る莫大なオーラを身体に受けて、カテレアの背後に浮かぶ魔法使いたちがどよめいた。

 今にも襲い掛からんとするヴァーリだったが、それを手で制して前に出る者がいた。サーゼクス・ルシファーとセラフォルー・レヴィアタンだ。

 

「クルゼレイ、カテレア、矛を下げてはもらえないだろうか? 今なら我々の間にも話し合いで解決できる道があると思うのだ」

 

「――サーゼクス! 貴様、ふざけているのか? 憎き天使や堕天使と手を組もうなどと言う偽りの王が、我々真なる魔王と何を話すと言うのだ! 侮るのも大概にしろッ、貴様はここで我らが滅ぼすッ!!」

 

「カテレアちゃん、こんなことはやめて!」

 

「セラフォルー! 私はあなたを殺し『レヴィアタン』の名を取り返します。覚悟なさい!!」

 

 怒りに身体を震わせながら、カテレアたち二人は懐より小瓶を取り出す。そして中に入った漆黒の蛇を取り出し、呑み込んだ。

 途端に総身から不気味な黒いオーラを溢れさせる。急激な力の高まりに大気が震え、旋風が吹き荒れた。

 

「あれがオーフィスから得たという力ですか。実に禍々しい。どうやら彼らの気性が激しく反映されているようですね」

 

「パワーだけなら大したもんだが、さて……。サーゼクス、交渉はもういいな?」

 

 凄まじいパワーアップを果たした敵に、ミカエルが感想を漏らす。アザゼルはサーゼクスに開戦の確認を取った。

 

「すまないが、もう少し待ってくれアザゼル。……これが最後だクルゼレイ、カテレア。降るつもりはないのだな?」

 

「くどいッ! 魔王気取りの愚か者が、今引きずりおろしてくれる!!」

 

「サーゼクス。あなたは良い王でしたが、我々の望む王ではなかった。故に我らが新しい王となります」

 

「カテレアちゃん……」

 

 その返答を聞いたセラフォルーは悲しげに眉を伏せる。瞑目しながら天を仰いだサーゼクスが目を開くと、その力強い瞳には決意が満ちていた。

 

「……残念だ。ならば仕方がない。二人とも、頼む」

 

「委細承知」

 

「了解にゃん」

 

 サーゼクスの言葉と共に、彼の背後から二人の影が姿を現す。

 一人は長身痩躯の男。漆黒の髪と同色の瞳、猛禽類に似た目つきは刃の鋭さ。触れれば斬れる斬撃の化身、剣鬼・暮修太郎。

 もう一人は闇色の美女。黒髪に着物、輝く黄金瞳に嗜虐的な光を湛え、猫耳と二股の尾を楽しげに動かす。黒猫・黒歌。

 闘気と妖力を纏った黒歌がひとり前へ出て宣言する。

 

「ふふふん♪ 最近はなんだかんだでシュウばっかが戦ってたからフラストレーション溜まりっぱなしだったにゃん。そんじゃ、約束通り今回は私だけでやるからシュウは休んでるのよ? ヴァーリも手出しちゃダメにゃん」

 

「あまり力みすぎるなよ。二人とも殺してしまっては情報が手に入らない」

 

「俺もか……。病み上がり後のいい運動になるかと思ったんだがな」

 

 黒歌の言葉を受けて、剣鬼と天龍が後方に控える。

 人を舐めたようなやり取りに、対峙する旧魔王派の二人は激昂した。

 

「悪魔もどきが……しかも一人でだと……? そのような輩に俺たちの相手をさせようと言うのか、サーゼクス!! 愚弄するにもほどがあるぞ貴様ッ!!」

 

「そちらがその気であれば良いでしょう。手始めにその醜い半獣から血祭りにして差し上げます」

 

 二人はドス黒く染まった魔力を練り、破壊力が凝縮された塊を作った。

 その魔力はオーフィスから借り受けた力により前魔王クラスにまで引き上げられている。決して侮れるものではない波動を前に、しかし黒歌の笑みは消えない。

 

「愚弄してるのはどっちかしらん? 私、こう見えて強いのよ?」

 

「ほざけッ!!」

 

 カテレア、クルゼレイの手から魔力波動が放たれると同時、背後の魔法使いたちからも攻撃魔法が降り注ぐ。辺り一帯を埋め尽くす光の雨は、後ろに下がった三大勢力トップたちも巻き込む規模だ。

 その威容を目の前にして黒歌が静かな動作で手を振りかざせば、異空間の鞘から倶利伽羅剣が抜き放たれた。

 

「――起きなさい『黒炎陣』」

 

 刃より発せられる力のうねりは刹那、目前の大気が黒く燃え上がり、瞬く間に大きく広がって黒き波濤となる。

 黒炎の津波が迫る攻撃を悉く飲み込んだ。三毒燃やす炎によって、編まれた術式が燃え、込められた魔法力が燃え、そして悪魔の異能である魔力すらも灰燼と消えていく。

 炎が消えたその跡には、何も残っていなかった。

 

「なん、だと……?」

 

「そんな馬鹿な! 力を高めた私たちの攻撃が……!?」

 

 唖然とする二人をよそに、倶利伽羅剣が舞うように閃き、刃の軌跡が術式を描く。それに共鳴するかの如く燃える大地が裂け、無数の火柱が立ち上った。

 

「浄化の炎が魔力を燃やす。あなたたちはもう私の手の平の内よ。安心するにゃん、肉体までは燃やさないから」

 

 旧魔王派の面々が転移したのは確かに駒王学園だ。開いたゲートの術式に異常は無かった。ただ、転移してきた座標にあらかじめ黒歌が結界を展開していただけのこと。

 対悪魔・魔法使い用の封殺結界『黒炎陣』。

 指名手配犯として悪魔に狙われることの多い黒歌が考案した、倶利伽羅剣の特性と仙術結界の混合秘術。この場においてあらゆる魔的な働きは瞬く間に燃え尽きる。そして今、黒歌は待機状態にあった機能を動かした。

 それが意味するところは、つまり。

 

「ま、魔法力が減っていく……!?」

 

「術式が崩れる……! 攻撃が……魔法が使えない!!」

 

「飛行魔法が維持できない! お、落ちる!」

 

 狼狽する魔法使いたち。

 それもそうだろう、彼らの力は魔法あってこそ。その源たる魔法力も術式もまともに機能しなくなっているのだ。

 魔法を使う力を失い、魔法使いたちは続々と地に落ちていく。そうして幾ばくもしないうちに、残っているのは二人の悪魔だけになった。

 

「ば、馬鹿な……。こんな馬鹿なことが……」

 

 あれだけいた魔法使いがたった十秒足らずで無力化された。

 ただ殺されるだけならば想定していたが、まさか大した攻撃のアクションも見せずにこれとは。しかも援軍を送るためのゲートまで消し飛ばされたため、これ以上の戦力補充は望めない。

 転移も不可能とくれば、退路は完全に断たれたも同然。

 

「……問題はありません。私たちが勝利すればよいのです」

 

 幸いにしてカテレアとクルゼレイの魔力は失われていなかった。それでも徐々に削られている感覚が止まらない。すぐに決着を付けなければ、いずれ敵わなくなるだろう。

 

 カテレアはその手に握る杖を構える。クルゼレイは亜空間より一振りの剣を取り出した。

 外部放出した魔力は先ほどと同じく瞬く間に燃やし尽くされる。それならばと器物に魔力を通わせて、それで叩く。

 地に降り立った二人は身体強化に魔力を注ぎ、並の『騎士(ナイト)』を凌ぐ速さで疾走する。

 

 二方向から迫る敵に対し、黒歌は不敵な笑みを作って迎え撃った。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

「サーゼクス殿、皆さまと共に結界の外へ。これより先、この場の環境は悪魔にとって辛いものとなります」

 

「……そのようだ。わかった、では彼らの相手はキミたちに任せよう」

 

「修太郎くんも黒歌ちゃんも怪我しちゃダメなんだから☆ レヴィアたんとの約束よ?」

 

「私たちにはさほど影響は無いようですが、戦いの邪魔になってはいけません。行きましょうアザゼル」

 

「俺はちょっと見ていきたいんだが……。ちっ、わかったよ。だからミカエル、鬱陶しい目でこっち見んじゃねえ」

 

 修太郎の言葉を受けて状況を把握したサーゼクスを筆頭に、三大勢力トップは全員結界の外へ転移した。

 場に残っているのは修太郎とヴァーリ、黒歌の三人と、旧魔王派の二人。そして落下の衝撃で身動きできない魔法使いの一群だけ。

 

「悪魔にとってふざけた結界だな、これは。俺でさえ碌に魔力が練れない」

 

 白龍皇の鎧に包まれたヴァーリが呟く。試しに魔力弾を作ってみたところ、瞬時に霧散したのだ。

 龍のオーラで肉体を包めば体内魔力の減少は防げたが、魔王並の魔力質量を持つヴァーリでさえこれだ。如何にオーフィスの力を受けて強化していようとも、旧魔王派の二人にとってはほとんどの攻撃手段を封じられたようなものだろう。

 

「最上級以上の悪魔とその眷族を同時に迎撃することを想定して作られた術だ。欠点はクロ自身も魔力を封じられるところだが、あれには妖力と闘気がある」

 

 隣に立つ修太郎が解説する。

 相手の持ち味を封じたうえで自らの持ち味を発揮するという、理不尽が具現化したかのような結界だ。

 

「唯一の打倒手段は接近戦だが……彼女は剣術までこなすのか。まさか、キミが教えたわけじゃないだろうな」

 

「俺に師としての能力は無い。基礎は闘仙勝仏殿に、剣術と体術はスカアハ殿に教え込まれている」

 

「……それはまた、凄まじい面子だな」

 

 視線の先には黒歌とカテレア、クルゼレイの三人が戦いを繰り広げている。

 中国拳法ベースの流れるような動作で振るわれる剣が、敵の攻撃を悉く逸らしていく。闘気の淡い光を纏う黒歌は、二対一の状況にあってさえ互角に勝負を運んでいた。

 

「敵の練度も中々だ。それなりに戦闘経験はあるらしい」

 

「現魔王派と過去戦争をやっていたこともあると聞くから、ある程度はやるだろう。俺とやっても意外と面白い戦いになったかもしれないな。もったいないことをした」

 

 修太郎の評価にヴァーリが補足する。

 プライドの塊と聞いていたから誤解していたが、自信を裏付けるだけの実力は持ち合わせていたようだ。

 前衛のクルゼレイが威力の高い剣撃を繰り出し、その穴をカテレアが杖術で埋める。中々良いコンビネーションだった。個人の技量としては黒歌が勝っているだろうが、敵の二人が終始冷静に一切の焦りを見せず事を運べば、あるいは付け入る隙を作れるかもしれない。

 

「だが無理だ。この陣が発動した今、純血悪魔ではクロに勝てん」

 

「ほう、随分な自信だ。俺としてはキミがやった方が早いと思うんだけどな」

 

「ヴァーリ、お前は何か勘違いをしている」

 

「どういう意味だ?」

 

 意図の不明な修太郎の言葉に、ヴァーリは疑問符を浮かべた。

 ヴァーリとしては自身を下した修太郎ならば、あの二人の悪魔を容易く破ることができると踏んだのだが。

 

「お前は知らんだろうがな。強い弱いを判じて言うなら、クロは俺より強いぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

 クルゼレイの放った渾身の一撃が大地を割る。

 剣先より迸る魔力波動は直後に燃え去るが、生まれた衝撃までは消せない。巻き上がった礫が衝撃波に乗って広範囲に飛び散り、弾丸の雨と化す。

 敵はそれを受けて、しかしその笑みにわずかの陰りさえ見せず剣から炎を噴き上げ相殺する。

 

「にゃははははっ!!」

 

 遊ばれている。

 膨大な魔力を込めた杖を振るう中、カテレアはそう感じた。

 目の前を舞う転生悪魔、黒猫の半獣は恐るべき力を持っている。クルゼレイの剣もカテレアの杖も、悉くが受け流されまるで当たらない。必殺の意志を込めて大きな攻撃を放っても、先ほどのように容易く打ち消される。

 しかしそれでいて何故か相手の反撃が来ない。翻弄するかのような動きで逃げ回るだけだった。

 

「貴様ァ……ッ!!」

 

 クルゼレイもその事実に気づいていたようだ。表情を忌々しげに歪め、憎悪の視線を敵に向けている。かつて否定した『悪魔の駒(イーヴィル・ピース)』の転生悪魔によって、今まさに窮地に立たされたこの状況。彼にとって、そしてカテレアにとっても屈辱極まる事態だった。

 その様子を見て黒猫はますます笑みを深くする。

 

「ほーらほら、あなたたち運動不足なんじゃない? 普段から身体を動かさないからこういうことになるにゃん」

 

「黙れ畜生風情がッ! 今滅ぼしてくれる!」

 

「いけない、クルゼレイ!!」

 

 顔を真っ赤に激怒して、一人敵へと特攻するクルゼレイ。嫌な予感がしたカテレアは制止の声を放つが、もはや遅かった。

 黒猫の背後、燃える車輪が現れる。

 

「――火車(カシャ)。黒炎ブレンドの特別製よ」

 

 その数七つ。全てが黒炎を吐き出しながら、疾風を超えて駆け抜けた。

 一つ目、二つ目を剣で受け止めたクルゼレイだったが、三つ目の車輪を受け止めた途端に込めていた魔力ごと武器を破壊される。そのまま殺到する火車に為す術無く吹き飛ばされれば、彼方で大爆発が巻き起こる。

 その光景をカテレアは信じられないといった目で見つめ――。

 

「きっ、貴様ぁぁッ!! よくもクルゼレイを!!」

 

 高速で接近し、杖を大きく振りかぶる。武器から溢れるほど莫大な魔力を込めた一撃は、後先考えない全力だ。当たればこれで終わるだろう。

 そして何故か黒猫は躱さない。不幸だったのは、それを不思議に思うほどの思考力をその時のカテレアが持たなかったことだ。

 

 黒猫はにやりとほくそ笑み、片手で刀印を結ぶ。

 神速の思念詠唱と共に、妖力で描かれる水天(ヴァルナ)真言(マントラ)

 杖を振り下ろすカテレアの眼前に突如銀の盆――水で出来た鏡が現れる。それを割った瞬間、途方もない衝撃が彼女の身体を貫いた。全身から鮮血が吹き出し、それと共に力抜け倒れる。

 

「……な、なぜ?」

 

「なぜもなにも、あなたは自分を攻撃したの。ただそれだけにゃん?」

 

 黒猫――黒歌が行ったのは妖術による呪詛に神々のマントラを被せ、疑似的な『神罰』を再現する術法だ。水鏡に映ったカテレアは彼女の現身。それを攻撃するということは自身を攻撃することに等しい。

 条件さえクリアしていれば、たとえ魔王級の威力を備える攻撃だろうと問答無用で跳ね返す秘術である。

 

「それにしてもこの陣と水鏡、相性悪すぎ。半分くらいしか威力でなかったにゃ。でも意外とあっけないのね。ま、いくら才能があったって、辺境に引っ込んでばかりじゃこんなものってことかしらん?」

 

 つまらなそうに呟く黒猫。しかしカテレアには反論出来るほどの体力が残っていなかった。

 魔力も使えず、接近戦でも敵わない。完敗だ。完全無欠に彼女達は負けた。

 下劣なる転生悪魔ごときに負けるなど、こんなことは認められない。そう思っても身体は動かず、悔しさのみが心に溢れる。

 

「ほんじゃ、ちょちょいとにゃーん」

 

 術式の帯がカテレアを縛るために編まれていく。

 そのまま為す術も無く拘束されようとしたところ、突如目前の地面が割れた。

 

「――!」

 

 燃え上がり、灰と消えながらも迸るドス黒い魔力のオーラ。飛び出してきた無数の触手が、黒猫を絡め取る。

 割れた大地より現れたのは、先ほど吹き飛ばされたクルゼレイ・アスモデウスその人だった。

 

「クルゼ、レイ……?」

 

「逃げろカテレア!! 忌々しいが我らはこやつに勝てん!」

 

 左半身を失い、おびただしい量の血を流しながらクルゼレイが叫ぶ。肉体の使い物にならない部分を強靭な触手に変え、燃える魔力を振り絞りながら黒猫を縛り上げていた。

 

「しか、し……私には、もう逃げるほどの力が……」

 

 かすれた声で諦めの言葉を吐く。傷ついた身体はもはや限界、第一にこの場では魔力による術式を展開できない。転移もできずにどうやって逃げるのか。

 するとクルゼレイが懐から何かを取り出す。一本の触手がカテレアの下に伸び、その何かを砕いた。降り注ぐ雫の煌めき。

 

「これは、フェニックスの涙……?」

 

 悪魔界における至高の回復薬、フェニックスの涙。

 現魔王派ならばともかく、旧魔王派においては極めて入手の難しいそれを、他ならぬ恋人のためにクルゼレイは用意していた。

 

「退路は俺が切り拓こう! ……さらばだ、カテレア。息災でな」

 

「クルゼレイ……!?」

 

 クルゼレイの全身に術式の紋様が浮かび上がる。

 膨大な悪魔の全生命力を全て破壊エネルギーと変える自爆術式だ。如何な黒炎といえども体内に展開される術まで燃やすことはできない。これの直撃を受ければ魔王とて消滅は必至、ダメ押しと言わんばかりに命を削って相手の肉に直接触手を食い込ませれば、もはや黒猫に逃れる術は――。

 

「盛り上がってるところ悪いんだけどにゃー。ごめんなさい、茶番に付き合う暇はないのよね」

 

 再び結ばれる刀印。渦巻く風神(ヴァーユ)真言(マントラ)

 暴風が吹き荒れ、土煙が舞い上がる。次の瞬間、クルゼレイの触手は空を掴んでいた。

 

「ばかな……!」

 

 呆然とするクルゼレイ。自爆術式はもはや止められない。

 焦りに頭を支配され、敵の姿を探せばすぐに見つかった。

 それは二人のはるか上空、地を卑睨する冷たい黄金瞳に戦慄する。

 

「ざーんねん」

 

 妖術とマントラの重ね技、権能模倣『風の化身』。

 その身を疾風と変えた黒猫の手により、悪魔の命を賭した行動は意味を無くした。

 黒猫は、絶望に固まり不気味な触手のオブジェと化したクルゼレイへと巨大な黒炎球を撃ち落とす。

 立ち昇る火柱の中で、魔力の全てと最後の頼みである自爆術式を諸共に消し飛ばされたクルゼレイは、そのまま全ての意識を断った。

 

「く、クルゼレイ……?」

 

 崩れ落ちる恋人を見て、放心するカテレア。回復した身体で立ち上がることすら忘れて男の下に這いずれば、信じられないことにまだ息があった。

 

「安心するにゃ、あなたたちは殺さない。敵の情報全部吐き出した後に、冥界で裁判にかけられて処罰を受けるのよ。これが今生の別れじゃなくて良かったにゃー」

 

 背後に降り立つ黒猫の言葉はこの上ない屈辱だった。

 誇り高き真の魔王たる我々が、汚れきった偽りの魔王どもに手で処断される。さらし首よりもひどい醜態を平然と語られて、カテレアの頭に血が上る。

 まるで路傍の石が如く一蹴されたクルゼレイのこともあり、彼女の頭からは今回の作戦など消え去っていた。

 

「貴様ァァァァァーーーーーッ!!」

 

 殺す。殺す。殺す。何があってもこいつは殺す。

 殺意と憎悪がオーフィスに与えられた力と呼応して、漆黒のオーラが噴出する。燃え散るそばから命を削り魔力を生みだしながら、うねる破壊波動と共にカテレアは特攻した。

 

 魔王級の力が完全開放されれば、如何に黒炎結界が強力であろうと燃やし尽くすまでそれなりのタイムラグがある。

 暴走し始めたカテレアの姿に黒歌は一つ舌打ちをした後、疾風に変化し距離をとった。

 

「まあ予想はしてたけど、完全に捨て鉢になられちゃこっちが困るにゃん。――という訳で」

 

 倶利伽羅剣の一振りで、黒炎陣が停止する。

 魔力の燃焼が無くなったことでカテレアの魔力はその質量を大きく増した。黒々としたオーラで尾を引き疾走する姿はもはや漆黒の蛇そのもの。それは無限の龍神(ウロボロス)の力を借り受けた証左だった。

 

「死ねェェェーーーーーーッ!!」

 

 絶叫するカテレア。

 対する黒歌の表情に焦りは微塵も無い。妖力と闘気と、己が身に眠らせていた魔力を解放する。三色のオーラが光り輝く柱となり、両手で印を組む彼女の身体を練り上げた術式が取り巻いていく。

 魔力、仙術、妖術、マントラ、原初のルーン、北欧式、ゾロアスター式……無数の異なる体系が織りなす力を取り込んで、それは姿を現した。

 

 おどろに燃える黒い炎の身体、爛々と輝く黄金の瞳、巨大な肢体はしなやかに狩猟者を体現し、九つに分かれた尾が大気を切り裂く。

 

 ――超絶変化、秘術『炎身大魔猫』。

 

 三位一体に高まった力が周囲の景色を歪ませる。圧倒的な存在の出現が、結界そのものを吹き飛ばそうとしていた。

 

 黄金瞳が閃くと、その疾走は音より速く。カテレアは認識すらできない。

 神速で目の前に出現した大魔猫より黒炎の前脚が無造作に振るわれれば、それだけで総身の魔力が燃え尽きた。

 

『これでおしまい』

 

 自身を満たしていた力が一気に消失し、唖然とするカテレア。

 魔猫の言葉すら理解できないまま、迫る前脚を見たのを最後に彼女たちの計画は終わりを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい暮修太郎、何だ今のは」

 

「クロの戦闘形態だ。一時的に神格クラスに通用する力が出せる。いわばお前たちで言う『覇龍(ジャガーノート・ドライブ)』のようなものだな」

 

 戦闘が終わって直後、珍しく動揺をあらわにするヴァーリに修太郎が答える。

 黒歌は倒れたカテレアに封印処置を施すためか、遠くで術式を展開していた。

 

「『覇龍』相当とは……。彼女は魔王よりも強いと言うことか?」

 

「相性を考えるなら、クロが魔王に勝てる可能性は高い。しかし……」

 

 対魔力特効を持つ『炎身大魔猫』は、悪魔や大半の魔法使いに対して無敵に等しい威力を発揮する。しかしその特性上、非常に不安定であるため消耗度合いが凄まじく、全力戦闘を行えば3分と保てない。以前スカアハに挑んだときは、これを突かれて容易く打ち破られた過去がある。

 それ故に、おそらく先ほどの二人よりもはるかに強いだろう現魔王と戦っても必ず勝てるとは言えない。

 

「何にせよ、それは今後の話だ。今考えることではない」

 

「……なるほど世界は広い。キミに気を取られて見逃していた。なあ暮修太郎、彼女と戦っても構わないか?」

 

「構わんが、今やるなら俺も同時についてくる。今度は死ぬが、それでもいいか」

 

「…………なら今は止めておこう。あいつらにああ言った手前、急いてはいけないな。それはそれでとてもそそられるが仕方ない」

 

 かなりの間が空いて、ヴァーリが答える。

 つまり強くなったら挑みに来るということだ。修太郎は内心で面倒なことになったとため息を吐く。

 

「ヴァーリ、お前は会談が終わった後どうするつもりだ。『禍の団』入りはこれで無くなったのだろう?」

 

「キミが以前薦めたとおり、旅にでも出るさ。その前にまた色々ごちゃごちゃしたものを片付けなければいけないが……まったく、裏切りも寝返りもやるものじゃないな」

 

 ぼやくヴァーリに「当たり前だ」と返す。

 三大勢力の和睦前と言うこともあり、今回の一件におけるヴァーリの処遇はアザゼルたちに一任されている。直接の被害は出ておらず、また情報提供という貢献もあって悪いようにはならないだろう。「これを機に勢力追放ともなれば好きに動けていいんだが」とはヴァーリの弁だ。

 

「二人だけで何話し込んでるのよ。こっちは終わったから、あそこで団子になってる魔法使いどもの捕縛、早くやっちゃってちょうだいにゃ」

 

 作業が終わった黒歌より声がかかる。

 見れば術式に縛られてミイラ染みた様相のクルゼレイ・アスモデウスらしきものを傍らに浮かべ、倶利伽羅剣を握っていない方の手で何やら引きずっていた。

 褐色の肌に大きさの合わない衣装と眼鏡――どこかで見たような気がする雰囲気の、幼い女の子だ。

 怪訝な顔でそれを見た二人の男に、黒歌が笑いながら答える。

 

「ちょっと前に思いついた封印術を試してみたの。魔力90%封印! 身体能力抑制! 反骨心低下! 超複雑に術式編み込んだから自力じゃ絶対解けない仕様! 副作用で子供になっちゃったけど、可愛いから別にいいにゃん?」

 

「つまり――」

 

「その幼女は――」

 

 カテレア・レヴィアタン。

 

 何をしてくれてるんだろうこの猫は。

 ドヤァ……と胸を張る黒歌の額にデコピンを浴びせた修太郎は、悲鳴を上げる彼女をよそにどう報告したものか頭を悩ませるのだった。

 




黒歌無双。何このボスキャラ。
大魔猫=覇龍あるいは極覇龍みたいな感じ。

指名手配かかってるので対悪魔メタ満載です。
黒炎陣は主人公と組み合わせると超凶悪。
相手は接近戦しかできなくなるので、死にます(直球)。

思えば原作グレモリー眷属も悪魔メタ充実してますね。雷光の女王、聖剣・聖魔剣の騎士二人に、イッセーも何気に聖剣持ちですし、小猫も浄化の気を覚えてます。
エクスデュランダルの聖剣貸し出しは卑怯臭いと思うんですが、それは何も言われないんだろうか。
ギャスパーの禁手もどきが封印されても、レーティングゲームの相手は泣くしかない。

ヴァンパイア、まだ続きます。


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第二十七話:魔人《その1》

「大丈夫ですか? 小猫ちゃん」

 

 かけられた声に目を開く。

 顔を上げればアーシアが心配げな表情でこちらを見つめていた。

 

「……はい。だいじょう、ぶ、です」

 

 答える小猫の頭はふらついている。

 まるで夢中の如く意識は曖昧で、ひどく身体が重い。一言声を返すことすら億劫だった。

 傍らに座るギャスパーもぼんやりと宙を見つめ、心ここに在らずといった様子だ。

 

「体調が悪いのでしょう? 無理をしてはいけないわ。ギャスパーと一緒に部室で待機していなさい」

 

 どう見ても大丈夫ではない様子の小猫とギャスパーにリアスが言い放つ。

 どちらにせよギャスパーは自らの神器をコントロールできないため会談の場に立つことを許されていない。体調が思わしくないなら尚更である。

 

「すみません、部長……。ここで、休んでいます」

 

「……ごめんなさい、部長」

 

 主の言葉に二人はゆっくりと頷く。

 その時、部室の扉が開き木場祐斗が入ってくる。

 

「部長、魔法使いたちの拘束が終わりました」

 

「ご苦労さま。怪我は無いかしら?」

 

「ええ、うまく不意を突けたので僕もイッセーくんもゼノヴィアもみんな無傷です」

 

 彼ら三人はギャスパーを捕えるために転移してきた魔法使いの一団を待ち構え、迎撃する役割を担っていた。

 報告によれば魔法使いたちは、一誠の武装解除――もとい洋服破壊(ドレス・ブレイク)を受けたのち拘束されたようだ。相も変わらない下僕の仕業にリアスは呆れて一つ溜息を吐く。

 

「何にしても、無事でよかったわ。それじゃ、後は彼女たちを引き渡して会談の開始を待つだけね」

 

「サーゼクスさまの方も無事終わったとの連絡も来ましたし、そう時間はかからないと思いますわ」

 

 通信魔法陣を消しながら朱乃が答える。

 どうやらあちらもうまくいったらしい。ここからでは結界の中で繰り広げられた戦いの様子を窺うことはできなかったが、正直な話リアスは微塵も心配していなかった。

 三大勢力トップが揃い踏み、且つ白龍皇とあの剣鬼に加えて黒歌がいるのだ。むしろ敵の方が可哀想に思えてくる。

 

 ちなみにヴァーリと暮修太郎が決闘を行ったことはこの場の全員が知っている。

 ゼノヴィアなどは戦闘映像を見たいと申し出てきたが、生憎と映像データは現在サーゼクスの下で保管されている。今すぐの開示は難しいだろうとのことで、一誠が質問攻めにあっていた。

 

「そうだ祐斗。ギャスパーと小猫の具合が悪いみたいなの。会談中の世話を頼めるかしら?」

 

「ギャスパーくんと小猫ちゃんが? わかりました。そういうことでしたら、任せてください」

 

 木場が快い返事を返すと、再び部室の扉が開く。

 担当の悪魔へ魔法使いを引き渡す作業を終えた一誠とゼノヴィアが入ってきた。

 

「部長、敵の引き渡し完了しました!」

 

「思ったよりも骨の無い相手だった。少し拍子抜けだね」

 

「ええ、二人ともよくやってくれたわ」

 

 労いの言葉に元気よく敬礼のポーズをとった一誠は、ソファにぐったりと座る後輩二人を見つけた。

 

「あれ、小猫ちゃんたちなんだか調子悪そうですけど、どうかしたんですか?」

 

「最近色々と事件続きだったから、きっと疲れが出たのかもしれないわ。ギャスパーも外に出たのは随分と久しぶりだし……。会談が終わったら一度医者に診てもらった方がいいわね」

 

「もしかして私のせいだろうか? 小猫はともかく、ギャスパーは無理に連れ出してしまった部分がある。すまなかった、ギャスパー」

 

「いえ、ゼノヴィアさんのせいじゃ、ありません……。これはきっと、僕自身の、問題ですから」

 

 ゼノヴィアの言葉に眠たげな口調で答えるギャスパー。小猫もうつらうつらとして、今にも寝てしまいそうだ。

 心配げな一誠とゼノヴィアに、木場が進み出る。

 

「心配いらないよ二人とも。会談中は僕がここに残って見ておくから」

 

「おう、頼むぜ木場」

 

「そうか、木場がいるというなら安心だな」

 

 そうして彼らは会談の開始を待つ。

 今まで殺し殺されの関係にあった三大勢力が和合するという歴史的なこの瞬間、それぞれが様々な思いを抱きながら時間を過ごす。

 旧魔王の脅威は過ぎ去った。この時を妨げる者はもういない。そう信じるが故に警戒心は最小に、忍び寄る影を認識できない。

 

 時はただ前へ進む。

 

 開催はもうすぐだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハハハハハハハハハハハッ!! 旧魔王さまが幼女化ぁ? おいおい何だそりゃ、傑作だな!!」

 

「申し訳ありません。なんとお詫びしたらよいものか……」

 

 アザゼルが修太郎の話を受けて笑い声をあげる。

 会談前の会議室、黒歌と修太郎は旧魔王一派の捕縛が完了した旨を報告しに来ていた。

 

「……封印措置ということであれば仕方がないとして、肝心の情報を話すことは可能か。まず問題とすべきはそこだが……どうかな?」

 

 謝る修太郎に微妙な顔のサーゼクスが尋ねた。同時に給仕係のグレイフィアが会議のテーブルにつく4人へと飲み物を注いでいく。

 

「記憶や人格に直接的な影響をもたらす効果は無いとのことなので、そこは問題ないかと。……そうだな? クロ」

 

「はい、大丈夫。肉体の影響で精神的に少し幼くなるかもしれないけど、それだけです。……たぶん。うにゃーん!?」

 

 修太郎の手が常人にはそれとわからない速さでブレて、黒歌が悲鳴を上げる。

 涙目の黒猫をよそに話は進む。

 

「子供のカテレアちゃん、見てみたいわ☆」

 

「話が聞けるのならばこちらとしては特に問題無いが……流石に面白がっては彼女が可哀想だろう」

 

「解こうと思えばできるようなので、用意が整えば解除させましょう」

 

「いや、別にこのままでいいんじゃねえか? その封印術で話が聞きやすくなるってんなら願ったり叶ったりだろう。そうじゃなきゃあの手の相手は死ぬまでだんまり決め込むぜ」

 

「アザゼルの意見も一理あります。まずは何よりも敵の情報。彼女の身体のことはその後でも良いでしょう。あるいは封印術の解除自体が交渉のカードになるかもしれません」

 

「おーおー、天使長さまは顔に似合わず腹黒いこって。何にせよ、その問題を解決するのは後でいいさ。カテレア・レヴィアタンには悪いがな」

 

 いくらか話し合った結果、カテレアの処遇は後回しとなった。

 報告を終え、退出しようとする修太郎たち。するとアザゼルから声がかかる。

 

「まあ待て暮修太郎。もうすぐ会談も始まる。なんなら立ち会っていけよ」

 

「自分はただの雇われ……部外者です。このような重要な場に顔を出すわけにはいきません」

 

「そう言うとは思っていたがな。お前さん、どこの勢力に属している訳でもないんだろう? 以前は日本の神に従っていたようだが、今は違うみたいだしな。正直な話を言えば、今回の勢力和合についてどこの神話にも属さない『人間』としての意見を聞きたい。どうだ? 『英雄』さまよ」

 

 サーゼクスたち魔王とミカエルもまっすぐに修太郎を見つめてくる。

 アザゼルの意見には両者とも賛成のようだった。

 

「……自分はそのような大それた者ではありません。ただ為すべき時に為すべきことをしただけに過ぎない」

 

 しばしの間をおいて答える修太郎。瞑目し、そうして目を開き、話を続ける。

 

「普通に考えて今まで反目し合っていたあなた方が急に和平を宣言し組むとあれば、それは『危機』の予兆として判断されるでしょう。真偽はともかく、そう思わざるを得ない」

 

 聖書の三大勢力は今現在世界で最も多くの者が認識する存在だ。

 知名度という点で言えば断トツに高く、また人間界に深く根を張る彼らが与える影響は凄まじく大きい。たとえ神話の中枢を成す神や魔王がいなくとも、その宗教的基盤は堅牢にして堅固であり、他神話勢力にとっても決して侮れるものではないだろう。

 何より、事情を知らない人間が三者和合の話を聞けばまず戸惑い、そして脅威と感じる。これはイメージ的な問題だ。

 しかし――。

 

「ただ、個人として言わせていただくならば、そこまで興味は湧かないのです」

 

「興味が無い、と来たか。何故だ?」

 

 アザゼルの問いに頷く。

 

「あなた方が種の存続を願う理由は理解できる。それは、命ある者として当然の判断でしょう。おそらく多少の混乱が起こるとしても、時流と思えば仕方がないと受け止めます。その上で、自分はそれに関心が持てません。何故ならば、どうあっても自分がやることは変わらない」

 

「為すべきことってやつか? それはいったいなんだ?」

 

 強者四人の視線を受けてなお、修太郎は動じない。その漆黒の双眸で彼らを見据え、静かに口を開く。

 

「無辜の民を邪なる力より護ること。そして――」

 

 傍らの黒猫に視線を移す。

 彼女はきょとんとしながら輝く黄金の瞳でこちらを見上げてくる。

 わずかな、本当にわずかな笑みを浮かべた修太郎は、視線を四人の方向へと戻し、続けた。

 

「クロ――黒歌を助け続けること。何が変わろうと、何が目の前に立ちはだかろうと、これだけは譲れない」

 

 響く声は低く鋭い。

 断固とした決意が大気を震わせ、何よりもその刃の如き視線が言葉の真実を物語る。

 

「……言い切ったな。それはたとえ俺たち全員が敵になってもか?」

 

「無論」

 

「神々と戦うことになっても?」

 

「当然」

 

「世界の全てを相手にしても?」

 

「存在の総てを賭けて」

 

 二人の視線が交差する。

 そしてアザゼルは確信した。おそらくこの場の誰もが同じように感じ取っただろう。

 この男は本気だ。出来る出来ないではなく、そうと決めたら必ずやる。どこまでもまっすぐに、己の何をも顧みず、そして相手が何であろうとも、一矢報いるだけの力がある。

 旧魔王の末裔が掲げるプライドなど比較にもならない。この強靭極まる意志力が、戦闘において種族を超えた驚異的な力を生み出しているのだ。

 

「はっ、そりゃあ確かに興味が湧かないだろうな。じゃあ何だ、今お前がこの場で仕事してるのは全部そこの悪魔のためか」

 

「はい」

 

 即答する。

 その様子にとうとうアザゼルはくつくつとした笑いを漏らした。

 

「お前は馬鹿だな」

 

「よく言われます」

 

「長生きできないぞ」

 

「ただ生きるだけの人生など必要ありません」

 

「だろうな。引き留めて悪かった、引き続き警護よろしく頼むぜ。お前の言う『厄介な奴』が来るかもしれないからな」

 

 アザゼルの言葉に首肯で答え、会議室を後にする。

 自然体で去る男をよそに、黒歌の顔は真っ赤になっていた。あまりの恥ずかしさにぷるぷると身を震わせて、言葉も無い様子だ。

 そうして遅れること数秒、慌てたように黒歌も退出して行った。

 

 二人が去った会議室で、堕天使総督は口を開く。

 

「おい、サーゼクス。俺の伝言をお前が聞いてるかどうかは知らないが、あの男を引き入れるなら早めにしとけ。そうでなければちゃんと雇用契約を結ぶことだ。あんなのに横から殴られたらたまったもんじゃない」

 

「聞いているとも。今現在検討しているところだ。しかしなるほど、彼は……危うい」

 

「聞けば彼は『神殺し』を成しているのだとか。それ故にでしょうか、彼にとってはおそらく我々も他神話の神々も『殺せる存在』――『生物の一つ』でしかないのでしょう。欠片の信仰心も感じられません。以前より把握はしていましたが、私たち天使の側には引き込めませんね」

 

「いい子だとは思うんだけど……。でも黒歌ちゃんは悪魔だし、何とかなるんじゃないかしら☆ 愛は無敵なのよ!」

 

「愛……ねぇ。そんな単純な話ならいいんだがな」

 

 小さな呟きは虚空に消える。

 どちらにしても、この話は本日この場で行うべきものではない。

 アザゼルは手を二度叩き、話を中断させる。

 

「まあ、何にせよ前座は終わった。とっとと本題に入ろうぜ。つっても事前の打ち合わせが充実し過ぎて出来レース感が酷いが……」

 

「……そうだな。今リアスたちを呼ぼう」

 

 サーゼクスの要請を受けてグレイフィアが通信魔法陣を開く。

 

 会談が、始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

 会談は問題なく進む。

 何しろ三者ともに通信で事前に話は通してあるのだ。時折アザゼルが不穏な発言を挟むことすら予定調和的に、順調とも言えるペースで進行していた。

 リアス・グレモリーによるコカビエル襲撃事件の説明、これに堕天使側が弁解する。一誠の質問にミカエルが天界の『システム』について説明し、アーシアやゼノヴィアが教会を追放されたことに関する謝罪を述べた。

 アザゼルの問いに白龍皇は強さを追い求めることを宣言し、赤龍帝は己が性欲に従い和平を求めることを告げる。

 

 そうして会談の最後。

 魔王ルシファー、天使長ミカエル、堕天使総督アザゼルの名において和平協定への調印が成された。

 この協定は会談が行われた場の名をとって『駒王協定』と呼ばれることとなる。

 かくして聖書の三大勢力は協調体制へ――。

 

「――と言ったところか」

 

 中天の月を背にして漆黒の影が浮かぶ。

 枯れた白髪、端正な容貌の少年――フリード・セルゼン。

 しかしながらその恰好は普段と違い、闇色の軍装を纏っている。軍帽の影より見える瞳の色は黄金、縦に裂けた瞳孔は龍のそれ。今の彼はフリードではなかった。

 夜の風に外套(マント)がなびく。少年の姿を借りた魔人が直下の駒王学園を卑睨する。

 闇を切り取る純白の手袋――その甲には無限龍(ウロボロス)に囲まれた五芒星(セーマン)。刀印と共に練り上げた呪力が大気を軋ませた。

 

 術者の念に呼応して、かねてより仕込んだ術式が発動する。

 町中に走る霊脈がその進路を歪め、学園を幾重にも囲むように変化していく。なるほど確かにこの町――駒王町は、大した霊格を持つ土地ではない。しかし今この時において、魔人の手により駒王学園は一級の霊地へと変貌を遂げた。

 

 そのまま霊地の力を掌握し、三大勢力の強固な結界を紙切れの如く破り捨てれば、もはや学園は彼の所有する異界だ。

 たとえ中にいる者たちが気付いたとて時すでに遅く、もはや企みは誰にも止められない。

 しかし。

 

「――お前は、来るだろうな」

 

 屋上を魔人目掛けて駆ける影が一つ。

 長身痩躯の剣鬼が銀光の刃を携えて疾走する。

 

高円(たかまど)――雅崇(まさたか)ァ!!」

 

「久しいな。その有り様でまだ生きているとは思わなかったぞ」

 

 刃の殺気を柳が如く受け流し、空中に悠然と構える魔人――高円雅崇は手の平を走る剣鬼へ向ける。

 

「しかし残念だが、お前と戯れる暇はない。――失せろ」

 

「ほざけッ!」

 

 神速の鮭跳びと共に剣鬼が飛ぶ。直後、屋上の床が大きく陥没した。

 己が放った念威を躱し、瞬く間に彼我の距離を踏破した修太郎を前にして、しかし魔人は焦ることなく冷酷な笑みを浮かべながら指に挟んだ呪符を差し出した。

 途端、学園全土の空間が賽の目状に区切られる。

 

「さらばだ、御道」

 

「ちっ!」

 

 放たれた超速の斬風は空間の歪曲に阻まれ、魔人へと届かない。

 忌々しげに顔を歪めた修太郎は、そのまま歪む景色に吸い込まれて魔人の前から消え去った。

 

「貴公もだ。黒猫」

 

「――にゃっ!?」

 

 襲い掛かる倶利伽羅剣の一撃が、すり抜けるように魔人の身体を通過する。疾風と変化して高円雅崇の背後をとっていた黒歌は、その光景に目を見開いて硬直した。

 そして先の修太郎と同じく空間の歪みに巻き込まれ、この場から消失する。

 

 強者たる二人の攻勢を難なく制した魔人は、破壊された屋上へと静かに降り立った。

 

「…………」

 

 感じる違和感に立ち止まる。

 無傷と思われていた魔人の頬からは血が流れていた。その鋭さから放った相手は明確。

 

「ふん、力は落ちたが腕は上げたか。ただでは起きん男だ」

 

 呟きながら指で一撫ですれば、傷は跡形も無く消え去る。

 無数の呪紋帯をまき散らしながら、魔人・高円雅崇は呪言を紡ぐ。

 領域の主たる彼が起こす大儀式によって、駒王学園の全空間は複雑に歪められていく。中空を無数の分割線が走っては消え、その繰り返しが遁甲術の迷宮を作りだした。

 もはや誰も逃れられない。全ては男の意のままに。

 

 異界形成を終えた高円雅崇は、懐から四枚の黒い羽を取り出す。羽にはそれぞれ朱色の五芒星が描かれていた。

 

「往け」

 

 霊力を込めてそれらを手放す。

 宙を舞う4枚の羽は瞬く間に人の形をとり、漆黒の影と化して校舎へと飛び去っていく。

 その光景を見届けた魔人もまた闇に溶け、この場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 薄暗い廊下を歩く。

 窓から降り注ぐ月明かりに照らされた通路は常よりも広く、自動車が二台まとめて通れそうなほどだ。

 自身の足音だけが響き渡る静寂の中、兵藤一誠は黙々と進む。

 

 会議室にて三大勢力和合の調印が成された直後、気付けば一誠は一人廊下に佇んでいた。

 周囲を見てもだれ一人いない。アーシアも、朱乃も、ゼノヴィアも、そして一誠の手を握っていたリアスも。

 広がった学園の廊下と、この特異な現象は、明らかに尋常のものではない。この学園で何かが起きているのだ。

 

「…………」

 

 左腕に嵌められたリングを確かめる。『禍の団』を迎え撃つ前にアザゼルから渡された物だ。

 何でも一誠が禁手(バランス・ブレイカー)になるための代価――その代替になる効果を秘めているらしい。「何があるかわからない」ということで受け取った代物だが、まさかアザゼルはこの事態を予測していたのだろうか? 何にせよ、秘められた力が本物ならば実に頼りになるアイテムである。

 ちなみにギャスパーも同様に、神器の制御器を渡されていた。彼の物は神器の能力を抑制する効果があるのだと言う。

 

 そうだ、ギャスパー。そして小猫。

 この異常な状況で、後輩たちは果たして無事でいるだろうか? 頼りになる『騎士』の木場がついているとはいえ、心配である。

 一度そう考えてしまえば、他の仲間たちも気にかかる。

 

 リアスと朱乃、ゼノヴィアにアーシア。

 一誠の状況を見るに、おそらく彼女達も一人になっている可能性がある。リアスたちは高い戦闘力を持っているが、もしこの空間で敵に襲われた場合、戦闘能力をほとんど持たないアーシアは窮地に陥っているはずだ。

 

「くそっ、どこにいるんだ? みんな」

 

 冷静さを失わないよう、はやる気持ちを無理矢理に押さえつけ、一誠は仲間を探す。

 時折見かける教室の扉を開けば、何故か保健室だったり、もしくは体育倉庫だったり、旧校舎の空き部屋だったりした。これはいったいどういうことだろうか。

 

『空間が滅茶苦茶に繋がっているな。気を付けろ相棒、嫌な予感がする』

 

「うわっ!? 起きてたのかよドライグ」

 

 内心の疑問に答えを返したドライグに、一誠は驚く。今の今まで言葉を発さなかったので、てっきり寝ているものと思っていたのだ。

 

『まったく失礼な奴だ。外の様子は常に窺っている。アルビオンがそばにいたからな』

 

「そう言えばそうか、ライバルだもんな。いや、それよりもドライグ! 今の状況がどうなってるかわかるか?」

 

『宿命のライバルに対してその反応か……。まあいいさ。今の状況だが、俺にもよくわからん。ただ、この広さと周囲の様子を見るに、土地全体の空間が強力に歪められているようだ。原因は……不明だが、ドラゴンに似た力を地下に感じるな』

 

「地下に……?」

 

『ああ、真下の方角に大きな力のうねりを感じる。地上にまで溢れるほどの密度だ。人間たちが『パワースポット』などと言う場所があるが、今のここはまさしくそれだな』

 

 パワースポット、と言うと、そのままの通り力を持つ土地のことだ。しかしそういった土地は神々や、その場所に元々住む有力者が管理していると聞いた。

 リアスたちからここ駒王学園がパワースポットであると知らされたことは無い。やはり、この異常と関係があるのだ。

 

「なら下を目指してみるか? うーん、でも……」

 

 一誠が今いる場所は、窓の外を見る限り三階以上の高さに位置している。

 その廊下を今延々と歩いているわけだが、一向に先へ進んでいる気がしない。窓から飛び降りようと試みたが、いざ窓に足をかけてみればなんと学園のはるか上空に繋がっていた。いくら悪魔になっていても、未だ空すら満足に飛べない一誠では確実に死ぬ高さだ。

 どうしたものかと頭を悩ませつつ、それでも歩みを止めずにいると、前方に教室の扉が見えた。

 

「ん? あれは……!」

 

 一誠は扉の横に座り込んだ人影に気付く。白髪の小柄な体躯は――。

 

「小猫ちゃん!」

 

 急いで駆け出し近づくと、やはり人影は塔城小猫だった。顔を蒼くし吐く息も荒く、壁を背にしてぐったりしている。

 

「イッセー……せんぱい?」

 

「ああ、俺だよ小猫ちゃん!」

 

 尋ねる声に答えながら上着を脱いで床に敷き、そこへ辛そうな小猫を横たえた。

 見たところ怪我は無いようだが、相当に調子が悪そうだ。しかし、悪いがそれでも聞かなければいけない。

 

「いったいどうしてこんな場所に? 木場とギャスパーはどうしたんだ?」

 

「わかりま、せん……気付いたら、ここにいました」

 

 切れ切れに答える小猫。やはり一誠と同じ状況にあるらしい。

 横になったおかげか先ほどより呼吸は安定してきたが、素人目に見ても尋常な容態ではない。

 リアスから悪魔は普通の人間が罹るような病気にはならないと聞いたことがある。ならば今のこの状態は悪魔特有のものだろうか? どちらにしても彼女をこのままにしては置けない。

 

「どうすれば……そうだ! 保健室!」

 

 一誠が最初に開けた教室の扉が保健室に繋がっていた。悪魔に効果のある薬品があるとは考えにくいし、そもそもそのような知識は持っていないが、休むには良い場所だ。

 問題は、ここから幾つめの扉がそうだったのか覚えていないことと、おそらく結構な距離があるということだ。

 来た道を引き返すことになるが、具合の悪い彼女を連れて当ても無く彷徨うよりはましだろう。異変そのものの解決には繋がらないとしても、目の前で苦しそうにしている仲間を捨て置くわけにはいかない。

 

「ごめん小猫ちゃん。俺にこうされるのは嫌だろうけど、少しの間だけ我慢してくれ」

 

 そうことわって、少女の小さな身体を背負った。

 何よりも驚いたのはその軽さ。とてつもなく軽いのだ。そう、まるで紙か何かで出来ているかのような――。

 

(余計なことを考えるな、俺! 今は小猫ちゃんを休ませないと!)

 

 小さな違和感を使命感で振り払い、もと来た道を引き返す。

 背中から感じられる体温と息遣いは、確かに生きている者の証だ。負担をかけないように慎重に、しかし急いで移動する。

 

 そうしてどれほどの時間が経っただろう?

 時間が経つごとに小猫の息は荒くなり、感じられる力は弱々しくなっていく。これは明らかにおかしい。はたして保健室で休む程度でどうにかなるだろうか?

 わからない。わからないが、それでも歩みを止めるわけにはいかない。

 先ほど開けた教室は、体育倉庫だった。一誠の記憶が正しければ、次の教室こそが保健室であるはずだが……。

 

「…………!」

 

 見つけた。

 おそらくはあの扉が保健室に繋がるものだ。記憶違いでなければ、だが。それでも可能性は高い。

 乱れかけた息を整えて、今まで通り慎重に、しかし急いで向かう。いくら軽いとは言っても、集中力を保ちながらの移動はそれなりの疲労を一誠に与えていた。

 

「もうすぐだから、小猫ちゃん。頑張って……!」

 

 少女を気遣う一誠が、それに気づいたのは偶然だっただろうか。

 耳に聞こえる風切り音。そして見知った殺気。

 反応するがままとっさに跳び退れば、足元に黒い光の槍が突き立った。

 

「――ッ! 誰だっ!!」

 

 目の前に伸びる廊下、その奥を睨みつける。

 月明かりで出来た窓枠の影。距離は100メートルほどか。離れたその場所より襲撃者が歩いてくる。

 

 月夜の静寂に軍靴の音が鳴り響く。歩みになびく外套(インバネス)の下に見える軍装が、起伏に富んだ身体を包む。影より現れたその素顔は――。

 一誠の顔が驚愕に染まった。

 

「天野、夕麻――レイナーレ……?」

 

 




黒歌「トップ陣の前で世界を敵に回してもお前を助ける宣言された件について」

原作17巻のあとがきによれば一誠たちの住む町は「駒王町」と言うのだそうです。
いいですねロスヴァイセ。実はこの作品書き始めてから好きになったキャラです。初見時はイッセーたちから一歩距離を置いたキャラクターということでスルーしてましたが、じっくり見ると実に可愛い。
今はまだ時期が時期なのであれですが、いずれは彼女もヒロインらしく活躍させたいところです。


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第二十八話:魔人《その2》

 魔人の空間操作に巻き込まれた修太郎は、視界が酷く撹拌された後、床の上に降り立った。

 

「ち……、やっぱりお前も飛ばされてきたか」

 

 声の主はアザゼル。難しげな顔で腕を組みながら、落胆した雰囲気を漂わせている。

 周囲を見渡せばサーゼクスにセラフォルー、グレイフィアの悪魔三人とミカエルが顔を突き合わせて会話していた。離れた場所の壁に背中を預けて瞑目するヴァーリの姿も見える。彼らが今いる場所は会談が行われていた会議室ではなく、駒王学園全校生徒を収容できる広大な空間――体育館だ。

 

「うにゃん」

 

 修太郎より遅れて数秒、黒歌が虚空より現れる。ちょうど真上に出現した彼女を、修太郎は横抱きに受け止めた。

 

「無事か、クロ」

 

「う、うん。シュウ……あの男――アレがそうなの? ちょっと尋常じゃないにゃん」

 

 腕の中に納まった黒歌がきょとんとこちらをみつめ、直後に状況を把握して疑問を口にする。

 静かに彼女を降ろすと、サーゼクスより声がかかった。

 

「この状況――修太郎くん、キミの言う『敵』が来たのだね?」

 

 相談は切り上げたのか、そう修太郎に尋ねる。

 

「はい、奴です」

 

 姿こそ少年の肉体を借りていたが、間違いない。

 禍々しい黄金の龍眼と、手の甲に掲げた無限龍(ウロボロス)五芒星(セーマン)、最後に相対した時と変わらぬ暗影の軍装。何よりも、あらゆる負の想念が具現したかのように重く濃密で、不快極まる邪気の波動。

 あの男こそ、世界最高峰の超能力者にして蠱毒を使う外道の邪仙。森羅万象の禍福を意のままに操る陰陽風水を極めし超越者。数百年の長きに亘り、日本の退魔組織と争い続けてきた最悪の魔人――高円雅崇(たかまどまさたか)

 

「土地をパワースポットに変えた後、その力を利用して俺らトップ陣まとめて一か所に強制転移……か」

 

 ぼやくアザゼルが、突然天井に向けて光の槍を放つ。

 鋭く速い閃光が劈くような唸り声をあげて、大穴を穿たんとするが――直後、光槍が消失した。

 

「……ダメだな。建物に当たる直前で別の場所に飛ばされてる。さっきヴァーリが壁を直接殴っても衝撃だけが別の場所に転移させられた。かなり面倒くさい状況だ」

 

 無傷の天井を見て嘆息する。同時に、体育館の外から爆発音が聞こえてきた。

 それを受けてサーゼクスがアザゼルに言う。

 

「いよいよ閉じ込められているということか……。ここで無暗に攻撃しても、おそらく学園内に散っている他の者を危険にさらすだけだろう。これ以上はやめておいた方がいい」

 

「わかってるさ。そっちはどうだ?」

 

「やはり空間の主導権はあちらに握られているようだ。私たちの転移術が発動しない。解析の方は……観測できる術式が非常に不安定且つ特異な代物なため、難航中だ」

 

「特異だと?」

 

「抽象的――文学的とでも言えばいいか。捉える者によって意味合いが微妙に違ってくるのだよ。おまけにところどころ切れ切れで、現状どこから手を付けていいかさえわからない」

 

 答えるサーゼクスの顔は苦い。敵がここに実力者を封じる理由などそう多く無いからだ。

 

「……狙いはひよっこどもか」

 

「あるいは捕えた旧魔王派の二人。何にせよ、敵は非常に手強い。力づくの脱出は他の者を危険にさらし、まともにやっても時間がかかる。さてどうしたものか……」

 

 これだけの戦力だ。力づくで術式を破壊しようと思えば容易い。

 しかし、それを行うことで発生する被害はまず避けることができない。まかり間違って互いが連れてきた護衛や、リアスたち次代を担う若者を殺してしまえば、成立した和平に何の意味も無くなってしまう。無論、最悪の場合はそれすら考慮に入れる必要があるが……。

 

「それですが」

 

 二人の会話に修太郎が割って入る。

 

「転移障壁を破るだけならばクロができます」

 

「まかせるにゃん♪」

 

「本当か!」

 

 アザゼルの声に皆の視線が集まる中、倶利伽羅剣をバトンのようにくるくる回す。そうして横チェキでポーズを決めた黒歌に、セラフォルーだけが「むむ……黒歌ちゃん、やるわね☆」などと反応を返すがスルー。話を続ける。

 

「この手の仙術結界は地脈の流れそのものに一部術式を組み込んでるから、まともに解除しようとしても情報が足りないのよ。だから地脈の流れを一部堰き止めて穴を作るにゃん」

 

「仙術……。相手は仙術使いでもあるのか」

 

 黒歌の解説にサーゼクスが呟く。

 

「いえ、仙人そのものと言っていいでしょう。奴は尸解仙の秘術により不老不死を得ています。魂を滅ぼさない限り、この世から奴が消えることは無い」

 

「不老不死の仙人とは……また凄まじく厄介だなおい。そのしぶとさ、邪龍か何かかよ」

 

 修太郎の補足にアザゼルがうんざりした表情になる。

 冗談のつもりで吐いた後半の言葉に対し、修太郎は予想外の答えを返す。

 

「当たらずとも遠からずと言ったところでしょう。奴は――」

 

 しかし返答は遮られた。

 館内へ現れた新たな気配に、一同が視線を向けたからだ。

 

「お前は、ハーフヴァンパイアの……」

 

「ギャスパー・ヴラディ……?」

 

 堕天使と魔王が声を漏らす。

 ギャスパー・ヴラディ。体育館の壇上に金髪赤眼の少年が立っていた。

 ぼんやりと夢を見るように。傍から見ても正気ではない様子で。

 

 少年は一度瞑目し、そして開く。

 異形の魔眼、神器『停止世界の邪眼(フォービドゥン・バロール・ビュー)』。霊地の力を受け暴走(オーバードライブ)状態にあるそれが時空間の不動縛を放たんとするが、しかし。

 

 奔る銀光、断頭の颶風。

 誰もがそれと知らぬまま、神速の剣鬼が通り過ぎると少年の首が飛ぶ。さらに一拍置いて、四肢、胴体がずれ落ちる。噴出する赤い液体が、むせ返るような鉄の匂いを放った。

 その事実を受けて最初に反応を返したのは少年の主、リアス・グレモリーの兄サーゼクス。

 

「修太郎くん……!? キミはいったい何を……!」

 

「サーゼクス殿。これはギャスパー・ヴラディではない。偽物――式神だ」

 

 崩れ落ちた少年の身体を見れば、燻るように肉を溶かして真実の姿があらわになる。呪符で出来た人形だった。

 本来のギャスパーよりも一回り小さなそれは、腐った血と腐汁を噴き出しながら壇上の床に溶けていく。

 

 式神とは、陰陽師の使役する精霊、または鬼神のことである。

 日常生活から戦闘まで実に幅広い用途を持つこの術は、陰陽師の代名詞でもあり、特に詳しい者でなくとも知っている人は多いだろう。

 おそらく高円雅崇は、この大仰な式神札へと霊的存在の代わりにギャスパー・ヴラディの精神を込めた。この血肉は修太郎たちに容易く感づかれぬよう、どこぞで狩った悪魔の肉体を使って気と精神の同調率を高めたが故のものだ。

 異界形成の前段階における準備は、これにやらせたに違いない。しかし小柄な少年一人だけでは手が足りないだろう。修太郎の勘ではもう一人、協力者にさせられた(・・・・・)者がいるはず。

 

 だが。

 

 ここで修太郎の頭に疑問が浮かぶ。

 

 だがしかし、何故偽物を使う必要がある?

 異界を創る準備にしても、ここで修太郎たちの時を停めるにしても、わざわざ式神の身体を与える必要はない。神器の力は少年の本体から術で投射しているのだろうが、単純出力ならば本体をそのまま使った方が上だろう。そもそも彼が禁手(バランス・ブレイカー)相当の出力を得たとして、単独では修太郎や黒歌にヴァーリを含めた上位陣を完全停止させることなど不可能だ。

 

 つまり今のやりとりはまったく意味が無い。そしてこのような無駄を、あの男がするはずはないのだ。

 

 ならば、そう。次がある(・・・・)

 

「クロ、障壁を張れ!! 本命が来るぞ!!」

 

「にゃっ!?」

 

『気付いたか。だが遅い』

 

 首だけのギャスパー・ヴラディが縦に裂けた黄金眼で嘲笑う。

 

 修太郎が黒歌へ指示を飛ばすと同時、館内中の床より大量の呪符が溢れだす。修太郎はとっさに無数の剣閃を放つが、切り裂かれたのは近くにあるものだけだ。手数も射程も圧倒的に足りない。他の面々も迎撃するが、撃ち落とすよりも前に転移障壁が攻撃を阻み、やはり間に合わない。

 努力虚しく呪符の波濤は瞬く間に体育館の床を、壁を、天井を、隙間なく埋め尽くしていった。

 

 符に描かれていたのはやはり無限龍の五芒星。しかしてその中央には目玉の紋様。総数は優に千を超える。

 それが、一斉に開く。

 

「おいおい……! こりゃあ、ちょっとシャレにならんぞ……ッ!」

 

「馬鹿な……これら全てが……?」

 

「ちっ、禁手化(バランス・ブレイク)――!」

 

 アザゼルが素早く黄金の短剣を取り出し、サーゼクスが消滅魔力の壁を現出させ、ヴァーリが白龍皇の鎧を纏う。ミカエルは十二枚の光り輝く翼を広げながら剣を執り、グレイフィアとセラフォルーは魔力で身体を覆った。だがそれでも。

 

「だめにゃん……! 防げな――」

 

「くそ……ッ!!」

 

 全方位数千にも及ぶ視線より発せられる暴力的な圧力は、それぞれが張った防御手段を悉く貫通する。

 

 停まる。

 

 停まる。

 

 何もかもが停まる。

 

 停止した空間に魔人の哄笑が響く。こうして、集えば神すら打倒しうる超絶の雄たちは戦わずして敗北した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

 剣戟の音が連鎖的に響き、薄暗闇に火花が散る。鋼と鋼の激突が刹那の間に闇を裂く。

 無限長に続く駒王学園エントランスを駆け抜ける疾風、その数三つ。

 

 一人は黒白の異能剣、聖魔剣の木場祐斗。

 

 一人は濃青の大聖剣、デュランダルのゼノヴィア。

 

 そして最後の一人は、枯れた白髪の魔剣士、漆黒の軍装に身を包む少年フリード・セルゼン。

 

 三者入り混じる戦闘はかつてのエクスカリバー争乱を想わせるが、その状況は大きく異なっていた。

 

「ヒャハハハハハハハハッ!! どうしたどうしましたどうしたんですかァ? オタクらそんなに弱かったっけぇ?」

 

「くっ!」

 

 嘲笑するフリードに、神速の聖魔剣が迫る。

 炎を、冷気を、雷を迸らせながらの連撃は、しかし同じく神速と化し移動する少年に傷一つ負わせることは無い。

 

「ぬるいぜイケメンくん」

 

「がっ、は……!」

 

 フリードの魔剣が聖魔剣を事も無げに跳ね上げる。そのままがら空きの胴体に鋭い蹴撃が突き刺さった。激烈な衝撃に喀血しながら吹き飛ぶ木場。

 

「はあああっ!!」

 

 烈昂の気合いと共に、荒ぶる聖剣の一撃が背後より放たれる。

 空間を破断させながら奔る大斬撃が秘められた破壊力を解放すれば、刃の延長線上に光り輝く剣圧の柱が生まれる。その一撃は床に大きく斬傷を刻むがしかし、目標の姿はそこに無い。

 

「こっちこっち」

 

 上方向より振り落とされた魔剣を、デュランダルで受け止める。直後、急激に増大した斬撃の圧力が聖剣ごとゼノヴィアを圧し潰しにかかった。

 

「ぐうっ!?」

 

「どうだい? ディルヴィングちゃんの味は。甘くて酸っぱい恋の味ぃ、それとも優しいママの味ってかぁ!」

 

 襲い掛かる破壊力に耐えきれず、為す術も無く弾き飛ばされるゼノヴィア。

 デュランダルを床に突き刺すことで倒れこそしなかったものの、衝撃の余波が全身にダメージを与えている。

 

(強い……!)

 

 会談終了直後、気付けばゼノヴィアは木場とこの場に立っていた。

 理解不能の状況に、仲間と合流すべく果てしなく伸びるエントランスをしばらく彷徨っていると、目の前に姿を現したのがフリードだった。

 公開授業中に侵入してきた彼だ。おそらくこの異常の詳細を知る者として、明確な敵である。話を聞き出すべくそのまま戦闘と相成ったわけだが、しかし彼は予想以上に手強くなっていた。

 異常なまでの反射神経に、木場と同等の神速、ゼノヴィアを上回る膂力と魔剣による圧倒的な火力。いずれも以前とは別次元にある。

 

 フリード・セルゼンはわずか13歳でヴァチカン法王直属のエクソシストになった経歴を持っている。

 性格的な面では最悪極まる外道だが、その実力は本物だ。身体能力・反射神経・戦闘センスのどれもがトップクラス。神器を持たず、異能を持つ訳でもない人間の中ではかなり強い部類に入るだろう。しかし、これほど圧倒的ではなかった。

 

「……フリード。キミ、人間を辞めたね?」

 

 木場が尋ねる。聖魔剣を構える姿にいささかの揺らぎも見られないが、やはりダメージは色濃いのだろう。頬に汗が伝っている。

 その質問に、嗜虐的な笑みで魔剣を玩びながらフリードは答える。

 

「正解正解ご名答~。俺さま魔人フリードちゃん。コンゴトモヨロシク~。実は俺、あの時逃げ延びたのはいいけど一度死んじゃってるんだよね。おお、世は無情、哀れフリードくんは道端のクソと化した……と思ったその時! 親切な旦那がこうして蘇らせてくれたってわけ。しかもおまけにチョーパワーアップまでさせてくれてさ。見てちょうだいよコレ、かっこいいっしょ?」

 

 そう言って服の袖をまくり上げる。その腕は黒い鋼のような光沢を放っていた。

 

「鬼の腕だってよ。効果的には『龍の手(トゥワイス・クリティカル)』と同じってんで、両腕ともこれだから俺の地力は常に2×2=4倍! あとこの目も特別製で、てめえらの攻撃はまるでスロウリィ! 全部見切れるぜ。脚もこの前ふざけたヤクザに潰されちまったから強力なのに交換済みさぁ。んでもって……」

 

 フリードの総身からぶわりと澱んだ紫色のオーラが溢れる。

 

「闘気も使えちゃう。ただでさえスッペシャールな俺さまがこんだけ強化されちまえば、そりゃお前さんがた敵わねえってばよ。――さてさて、せっかくお気づきのところ残念ですが、賞品なんて何もありゃしません。あ、でも魔剣の一撃はくれてやってもいいですですよ? なあに遠慮はいりません、言われなくてもやるからさ!」

 

 無造作に魔剣を振れば、剣先より迸る破壊力が衝撃の壁を作り二人へと襲い掛かる。

 魔剣ディルヴィング。破壊という一点に特化した伝説の一振り。適当に振るだけでさえ暴風暴圧を巻き起こすそれに、先ほどから木場とゼノヴィアは防戦一方となっていた。

 

「ハッハハハハハハ!! すっげえすっげえチョー最高! エーックスカリバーも中々良かったけどそんなもん目じゃないね!! いけすかねーイケメンくんも、クソデュランダルのクソビッチもまるで歯が立たねぇでやんの! リベンジ捗るわー、マジリベンジ捗るわー、ホント旦那には感謝感激雨あられですわ!」

 

 気になる単語を吐きながら、衝撃波を連続して飛ばすフリード。

 その継ぎ目にゼノヴィアはデュランダルを大きく振りかぶり、再びの剣圧一閃。ディルヴィングの衝撃波動と相殺する。

 

「行け、木場!!」

 

 言葉よりも先に神速の『騎士』が駆ける。にやりと嫌らしい笑みを浮かべるフリードが、再度ディルヴィングの破壊力を解き放とうと構えた。

 魔剣の切っ先よりそれが放たれる前に、木場はかざした左手の周囲に五本の聖魔剣を創造、釣瓶打ちに射出する。猛スピードで投射された剣弾は、フリードの魔剣によって悉く打ち払われるがしかし、近づくだけの時間は稼げた。

 

「近づけば勝てると思うかよ!」

 

「思わないさ」

 

 魔剣の激烈な一撃を逸らして捌く。まともに受けては吹き飛ばされてしまうが故に、決して正面からやりあったりはしない。

 瞬撃の応酬は瞬く間に十を超える。しかし、地力の差か木場は徐々に押されていく。

 

「そらそら、とっとと死んじまえよっ!!」

 

 ディルヴィングに莫大なオーラを纏わせて、フリードが一閃する。しかし、その一撃が砕いたのは床に突き刺さる一振りの聖魔剣だった。

 

「悪いけど、そういうわけにはいかないな」

 

 足の裏から発生させた剣を足場に、木場はフリードの上空を舞う。すぐさま刃を返して迎撃しようとするフリードだったが――。

 

「おおおおっ!!」

 

「くっそ、このビッチがっ!!」

 

 ゼノヴィアのデュランダルがそれを阻む。

 聖剣のオーラが魔剣のオーラと互いに喰い合い、鍔迫り合いは一時の拮抗を見せる。この決定的な隙を見逃す木場ではない。

 

 短い聖魔剣を複数創り出し、投射しながらフリードの背後に着地。短剣は全て片手で払われたが、それでいい。踏込と共に本命の一撃を放つ。

 両手で振るわれる聖魔剣が、がら空きとなったフリードの胴に吸い込まれ――。

 

「やっべぇ……なーんて言うと思ったか?」

 

 甲高い金属音に止められる。

 フリードの空いた片手には新たな魔剣が握られていた。

 

「魔剣ダインスレイブ。ここからはちっと優しくねぇぜ?」

 

 迸る凍気が床一面に霜を作る。不味いと思った瞬間にはもう遅く、咲き誇る氷華が無数の槍衾となって二人に襲い掛かった。

 木場はとっさに聖魔剣を炎属性に変えて防ぎながら、ゼノヴィアはデュランダルを盾にしながら飛び退る。反応に間に合ったのは幸運だった。しかしそれでも無傷とはいかない。鮮血が床に飛び散る。

 

「ダインスレイブ……! また伝説の魔剣か……!」

 

 歯噛みするゼノヴィア。

 態度はふざけているが、今のフリードは間違いなく強敵だ。

 ゼノヴィアは以前より腕を上げている。にもかかわらず、まるで歯が立たない。修太郎はどうでもよさそうだったが、格上との模擬戦は彼女に備わった危機感知能力を数段研ぎ澄まし、「お手本」を見たことで剣そのものの扱いも向上している。その証拠に、木場よりもゼノヴィアの方がダメージは少ない。

 

「……『旦那』と言ったね。それはいったい何者だい?」

 

 荒い息で木場が尋ねる。脚は霜に覆われ、大きな傷こそ無いものの血まみれだ。おそらく先ほどまでの様な神速の移動は出来なくなっているだろう。

 核心を突くような質問にしかし、フリードは素直に答えた。

 

「怖い人さ。あれに比べりゃコカビーの野郎なんかゴミも同然だね。しかし見事にハマってくれちゃってまあ、もうオタクら全員死亡確定だ。魔王さまも総督さまも天使長さまも、みんなみんな喰われちまうよ。ハハッ、ザマァ!!」

 

「なに……?」

 

「『なに……?』じゃねえってばさ。もうてめえらに助けなんざ来ねえって言ってるんですよ! こうして時間稼いどけば誰か来てくれると思ったかよ? 無理無理、今頃強い奴らは全員封殺されてるぜ。旧魔王の間抜けどもとは格が違うんだよ、旦那は」

 

 嘲笑うフリードは二刀を構えもしない。完全にこちらを舐めた態度だが、しかし今はそれよりも気になることがある。

 

「師匠たちを封じただと? そんな馬鹿な」

 

「いったいどうやって……」

 

「さあ? どうでもいいっしょそんなこと。わかる? ここにいるってことは、旦那からすればお前ら放置しても問題ない雑魚ってことなんだぜ? 今頃はイッセーくんもグレモリーの御嬢さんも同じような状況のはずさ。なら死ぬしかないだろ常識的に考えて」

 

 そうしてフリードは二刀を交差させ、構えた。同時に、魔剣から発せられる力が増大する。

 

「ほらほら、仲間助けたいなら頑張って俺を倒して見ろよ! どうせ無理だろうけどなぁ!!」

 

 膨れ上がる邪気は今までよりもなお強く、フリードは闇色の旋風を纏う。

 今まで手加減されていたのはわかっていた。だが目の前で力の桁を一つ上げられては、流石に戦慄を禁じ得ない。仲間のことは心配だがしかし、今はこの危機を乗り越えなければ話にならないのだ。

 

 二人の『騎士』は死を覚悟して、それぞれの握る剣を構えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

 駒王学園は新校舎に位置する講堂。そこにおいてもまた一つの攻防が繰り広げられていた。

 飛来する黒光を消滅魔力が叩き落とし、雷が焼き払う。撃ち漏らしたものを強固な防御障壁が阻み、反撃の水流弾が敵を穿つ。

 

 リアス・グレモリー、姫島朱乃、アーシア・アルジェント、ソーナ・シトリー、真羅椿姫の5名は会議室からこの場所へと飛ばされていた。突然起こった異常な現象に嫌な予感を感じた一同だったが、見事それは的中する。

 講堂には護衛の天使・堕天使・悪魔たちと、捕縛した『禍の団』構成員がおり、そこへ謎の敵が襲撃してきたのだ。

 

 状況的に見て狙いはおそらく旧魔王の二人。和平が成立したばかりというタイミングで少々の戸惑いはあったものの、これだけ多くの戦士たちが揃っている状況だ。防衛・撃退は容易かと思われた。

 しかし。

 

「また再生した……」

 

「……キリがありませんわね」

 

 敵は軍装に身を包む男女。その数はたったの三人。

 戦力差は十倍以上あるにもかかわらず、押し込まれているのはこちらだった。

 

「敵の戦闘力はおそらく平均的な上級悪魔と同じ程度だと思われます。しかし、あの再生能力が厄介極まりない」

 

「フェニックスを三人一度に相手にしているのと同じ、ということね」

 

 ソーナの分析にリアスが答える。

 当初は数の差から容易く撃破できたが、いくら消し飛ばしても、どれほど徹底的に焼き払っても、すぐさま元の姿に復元されてしまうのだ。そうして持久戦に持ち込まれた結果、一人、また一人と味方は倒れていき、今では十人程度にまで数を減らしてしまっていた。

 

 敵の異様な能力には驚愕するしかない。しかしそれよりも不可解なことがある。

 リアスと朱乃、アーシアは、敵の姿に見覚えがあったのだ。

 

 今も果敢に突撃してくる長身の男はドーナシーク。

 無数の黒い光を放ちながら飛び回る小柄な少女はミッテルト。

 後方より大きな一撃を飛ばしてくる妖艶な美女はカラワーナ。

 

 どれも過去リアスが消し飛ばした堕天使たちである。

 しかも彼らが使う力は一見すると光力のように見えて、その実全く違うものだ。

 高密度に凝縮された負の想念――所謂ところの呪力。

 信仰・祝福の真逆をいくこの力は特に天使のような聖性を持つ存在に多大な効果を及ぼす。天使より転じてなる堕天使が持つはずはない力だった。

 それに加え、あらゆる生物にとって毒となる呪いのエネルギーは、障壁や他の物体に当たるたびに大気中へと弾け、リアスたちの身体に少しずつダメージを蓄積させている。アーシアの神器『聖母の微笑(トワイライト・ヒーリング)』でさえ呪いの除去はできない。

 敵を打倒する手段がわからない現状、このままでは嬲り殺されること必至だった。

 

 突然の空間転移に滅ぼした存在の復活。この学園でいったい何が起こっているのか? 一誠は、木場は、ゼノヴィアは、小猫は、ギャスパーは、果たして無事であるのか?

 そして何より、勢力屈指の実力者が集っているにもかかわらず、未だ何ら改善が見られないこの状況。事態は想像より深刻であると考えられた。

 

(イッセー……)

 

 心中で想い人の名を呟く。

 赤龍帝・兵藤一誠。

 知り合ってからそこまで時間は経っていないが、それでもわかる。彼はどんな逆境にあっても屈することはないだろう。

 だから、この困難な状況にあってもリアスは諦めなかった。

 希望はある。この場には悪魔界の超越者――リアスの兄サーゼクス・ルシファーを筆頭に勢力のトップが揃っているのだ。どれほど敵が強大であろうと、いずれ何らかの変化が訪れるはず。他力本願は気に食わないが、それに頼るしかない現状、リアスたちはそれを待つことしかできない。

 

 皆が歯がゆい思いを抱く中、激闘は続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Boost(ブースト)!!』

 

 倍化の音声が響くとともに、総身を巡る力が膨れ上がる。

 そこへ襲い掛かる黒い光刃。一誠は迷うことなく籠手でそれを受け止めた。

 

「うおおおっ!!」

 

 右拳一撃。

 天龍の力が相手の顔面を捕え、跡形も無く吹き飛ばす。鮮血をまき散らしながら力無く倒れる敵だったが――。

 

「くそっ、またかよ……」

 

 飛び散った血液が時間が巻き戻されるかのごとく頭部へと集まり、瞬く間に損傷が復元される。衝撃の余波で破れた服装も同様に、傷一つない新品に戻った。

 そのまま何事も無かったかのように立ち上がる。

 

 敵は黒い長髪の美少女だ。可愛らしい容姿の目は何処までも冷徹に一誠を見つめている。

 その姿はかつて人間だった一誠を殺した堕天使――レイナーレそのもの。

 

 今現在、一誠は赤龍帝の鎧を身に纏っている。

 敵の実力は素の一誠を圧倒するが故に、何よりも臥せる小猫を守るために、この場で禁手化(バランス・ブレイク)せざるを得なかった。

 結果としてこちらがレイナーレを圧倒している訳であるが、何度叩きのめしても先ほどのように蘇ってくる。

 

「はあっ、はあっ、はあっ……!」

 

『どうした? 相棒』

 

 仮初の禁手(バランス・ブレイカー)となった一誠に与えられた時間は約20分。以前の10秒に比べれば格段にマシと言える。

 それに加えて節約しながら戦っている現状、時間はまだ10分以上残っている。にもかかわらず、一誠の精神には多大な負荷がかかっていた。

 

 天野夕麻。

 

 レイナーレ。

 

 一誠の初めての彼女。

 

 そして、一誠を殺した堕天使。

 

 初めて本気で殴った女性であり、好きな人に殺させた女。

 

 この10分足らずで彼女を何度殺しただろう。

 心臓を潰し、四肢を千切り、真っ二つに引き裂いた。頭を吹き飛ばし、胴体を両断し、波動弾で消し飛ばした。

 その感触は手にこびりついて消えず、飛び散る鮮血が鼻腔を刺激する。

 

 でも、死なないのだ。

 どれだけ脳漿をぶちまけようと、臓物をまき散らせようと、次の瞬間には元通り。

 あの冷たい視線で一誠を見つめながら、襲い掛かってくる。

 

『死んでくれないかな?』

 

 脳裏にフラッシュバックする少女の言葉。

 

「うおおおおっ!! アスカロンッ!!」

 

Blade(ブレード)!!』

 

 ひどく忌々しいこの状況を打破すべく、籠手の内より刃を解放する。ミカエルより譲られた龍殺しの聖剣が、輝くオーラを迸らせながらレイナーレを両断した。

 相手が魔の存在であればこれで消え去るはず。少なくとも何らかの変化が訪れてほしい。そう願った。

 しかし、そんなものは無い。

 

 袈裟がけにずれた肉体が、瞬く間に修復されていく。一誠は知らないことだが、霊地と化した駒王学園そのものが無制限にレイナーレの身体を復元させていた。

 そうして何事も無かったかのように再びの黒刃一閃。一誠は辛うじてアスカロンの刃で受け止める。

 

 鍔迫り合いの最中でさえ、レイナーレの姿をした敵は何も言葉を発さない。無機質な視線が殊更に一誠の心をざわつかせる。

 

「何なんだよ……お前……ッ!」

 

 声を振り絞りながら力を込めて、レイナーレを弾き飛ばす。

 

Boost(ブースト)!!』

 

「ドラゴンショット!!」

 

 力を溜めて放った極大の魔力砲撃が、目の前の廊下すべてを真っ赤に染め上げる。至近距離からの攻撃は、欠片一つ残さず敵を消し飛ばした――はずなのに。

 

「……!」

 

 闇が渦巻き影が集えばそこには元通りになった敵の姿。

 焦りが身体を支配する。いけないとわかっていながらも、一誠は自身の行動を止めることができない。

 

「うあああああああっ!!」

 

Boost(ブースト)!!』

 

 大気を裂く左拳がレイナーレの肩を砕く。

 

「消えろっ!」

 

Boost(ブースト)!!』

 

 右拳の激烈な一撃が腹部に大穴を開ける。

 

「消えろッ!!」

 

Boost(ブースト)!!』

 

 続けざまに繰り出した蹴りが、復元中の女を吹き飛ばした。

 背中の噴出口から魔力が噴き出す。超加速を果たした一誠は刹那の間に宙を舞うレイナーレに追いつき、そのまま馬乗りに大地へと押し付けた。衝撃で床が砕け、瓦礫が舞い散る。

 

『相棒、ペースを考えろ! この先何があるのかわからんのだぞ!』

 

 ドライグの忠告は聞こえない。

 マウントポジションをとった一誠は、眼下の敵へと無茶苦茶に拳を叩き付ける。

 復元速度を上回る拳の連打は廊下を砕き、大きな亀裂を作っていく。

 

Boost(ブースト)!!』

 

 大きく拳を振りかぶる。そのわずかな間に復元されるレイナーレの顔。

 その可憐な唇が、初めて言葉を紡いだ。

 

「そんなに何度もこの女を殺して、楽しいのか?」

 

 兜の中で目を見開く。

 次の瞬間、一誠は勢いよく弾き飛ばされた。

 

 体勢を立て直し着地した一誠は敵を見る。ゆらりと立ち上がる女の姿は、先ほどまでの無機質なものとは明らかに違う。そこには人の意志が反映された、ある種の癖のようなものが見えた。

 

「てめえ……何者だ……?」

 

 一誠の声に女が振り向く。その瞳は禍々しい黄金色に染まっていた。

 

「高円雅崇と言う。この式の主だ」

 

「たかまどまさたか……? 式、だと……?」

 

「ああ。現地調達の即席で作った代物だが、中々良くできているだろう? 赤龍帝・兵藤一誠」

 

 レイナーレ――高円雅崇は軍帽の位置を整えながら歩いてくる。

 炎のように揺らめく暗黒が、女の背後に見える。それが近づくにつれて一誠の心に重苦しい何かがのしかかってきた。不安、恐怖、憎悪、諸々の悪感情は、一誠が今現在抱えるものだ。

 思わず後ずさる。

 

「兵藤一誠、何をそんなに不安がっている。この程度の力を持つ相手など掃いて捨てる程いるだろう? 貴公は彼の名高き二天龍が一角、神すら超える赤龍帝だろうに、何を恐れる必要がある? 」

 

 黄金の龍眼が一誠を見つめる。

 ぎらぎらと不気味な光を湛えるそれは、何処までも深くこちらの心の内すら見通されているようで、凄まじく気持ちが悪かった。

 

「ライザー・フェニックスを破っておいて再生復元程度が何だと言うのだ。怖がるな、研ぎ澄ませ、力を高めろ。諦めるなよ、貴公にはそれしか取り柄が無いのだから(・・・・・・・・・・・・・・)。ああ、それとも怖いのは敵ではなく――」

 

 酷薄な笑みが一誠の記憶を刺激する。息が荒くなるのを止めることができない。

 

「この女の手によってまた何かを失うかもしれないということか?」

 

「黙れッ!!」

 

Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)!!!!』

 

 爆発的に高まった力は一誠の速度を超速にまで引き上げる。音の壁を容易く突破しながら敵に向かって拳を放つがしかし、手ごたえはまるで無かった。

 

「なっ……!」

 

「貴公は自分だけの酒池肉林を欲しているのだったな。やめておけ、向いていない。女が怖い(・・・・)などとあっては話にならんぞ」

 

 背後に立つ無傷の女が言葉を放つ。一誠はそれに対して拳を返した。

 しかし、当たらない。まるで煙を殴ったかのようにすり抜けてしまう。

 

「くそっ! くそっ! くそおっ!!」

 

「無様だな。それでも男か情けない。ここまで来てその程度の力しかないのか? 我が三式を破ることはおろか触れることすらできない(てい)で、よくもまあ二天龍を名乗るものだ。仕方がないな、一つ発破をかけてやろう」

 

 一誠の猛攻を一切無視してレイナーレの姿を借りた魔人が背後の廊下に手をかざす。

 すると、その空間に一人の少女が現れた。

 息も荒く細い手足を揺らす、白髪の、小柄な――。

 

「小猫ちゃん!? てめえ、何を――」

 

 小猫はレイナーレを吹き飛ばした隙に保健室の入り口へと置いてきたはず。――空間転移か。

 

「塵掃除だ。いつまでも残っていると煩わしいのでな」

 

 事も無げにそう言い捨てて、魔人はもう片方の手を小猫へとかざす。

 一誠の背筋に悪寒が走る。

 

 ダメだ。絶対にやらせてはいけない。

 

「やめろぉぉぉぉぉぉーーーーーッ!!」

 

Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)!!!!!』

 

 踏込に床が大きく砕ける。触れるだけで全てを焼き尽くす激烈なオーラの高まりが大気を真っ赤に染め上げる。

 その至近距離にいてさえ魔人は顔色一つ変えず、一瞥しただけで視線を小猫の方に戻した。

 引き絞った左拳による渾身の一撃が、魔人の顔面に放たれる。

 しかしそれは魔人の肌に一切触れることなく、ただすり抜けるだけだった。

 

「つまらん」

 

 かざした手の平を握り締める。

 ぐちゃり、と何かが潰れて、先の瞬間まで小猫がいた場所には赤黒い肉の塊が生まれていた。

 

「あ、あああああ……あああああ…………」

 

 視界が真っ赤に染まる。

 想起するのはいつかの教会。アーシアが死んだあの瞬間。

 

「……るさない…………! 絶対に許さないッッ!! ぶっ殺してやるッ!! ぶっ壊してやるぞッッッ!! 高円雅崇ァァァァァッッ!!!!」

 

Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)!!!!!!!!』

 

 咆哮は臨界点を突破し、際限なく高まる力が周辺空間を破壊していく。身じろぎひとつで地が砕け、大気は高温で歪み始める。

 学園全土を揺らす力が廊下一面を赤光で照らす。それでもなお破綻しない空間歪曲は、霊地の主が超絶であることを知らしめていたが、しかし怒る赤龍帝はそんなこと歯牙にもかけない。

 

「うおおおおおおおおおぉぉぉぉぉッ!!」

 

 紅蓮の閃光が魔人へ走る。龍王すら一撃のもとに砕く拳はしかし、今までと同じくすり抜け当たらない。

 だがそれがなんだ。原理は不明だが魔人が入るまでのレイナーレには普通に通用していた攻撃だ。一撃が当たらないならば、当たるまで繰り返すだけのこと。

 

 刹那の間に数十度の交差。どれもが霞を叩くが如く当たらないが、その回数が千を超えた瞬間、魔人の衣服がわずかに破れたのを一誠は確かに見た。

 

 いける。

 当たる。

 このまま殺してやる。

 

「この力の高まり……何度見ても素晴らしい。流石は二天龍の神器、この地上で二番目に強き龍たちの力よ。まあ――」

 

 魔人が手を上に掲げる。

 

「そんなもの、おれは要らんがね」

 

 それが振り下ろされた瞬間、駆ける一誠は途方もない力で圧し潰された。

 砕ける。堅牢を誇る龍の鎧が砕け散る。

 何が起こったのかわからない。ただ、かつてないほど高まった力が一瞬にして蹴散らされた。

 

 嚇怒の念は衰えず、しかし身体が動かない。倍化した力が抜けるのを感じた直後、魔人がこちらに手をかざすのが見えた。

 

「――宝貝(パオペエ)吸星陣(きゅうせいじん)』」

 

 その手に太極の法陣が出現すると、地脈に組み込まれた術式が宝貝に動力を運ぶ。通常であれば膨大な自然の気を必要とする仙人の魔道具は、それにより一瞬で起動した。

 

 空間宝貝『吸星陣』。

 

 その能力は「力の収奪」。

 まず最初に赤龍帝の高まった力が奪い取られる。一時的な狭域展開によって、倍化した力が失せる前にその全ては高円雅崇の手中に納まった。

 徐々に範囲を広げていき、少し離れて聖魔剣と聖剣の力が、さらに離れて魔力が、光力が、魔法力が。学園全土が収まれば、そこからさらに生命力を徴収していく。

 

「……時間停止の影響か。御道たちの力が集まりきらんな」

 

 倒れ伏す一誠をよそに踵を返す魔人はレイナーレの姿を脱ぎ捨てる。舞い落ちる黒い羽を握り締めたのは漆黒の影。人の形をした炎だった。

 

「まあいい。肉体の形成にはこれだけあれば十分だ」

 

 宝貝より膨大な力が溢れ、暗黒の炎に注がれる。

 燃え上がるヒトガタは徐々に確かな像を結び、その真の姿を現した。

 

 肩幅の広い長身に、刈り込まれ逆立つ漆黒の髪。手足はすらりと長く、暗影の軍装に身を包む。

 切れ長の目に嵌まる瞳は龍眼。全てを嘲笑うその色は邪悪な黄金。闇を切り取る純白の手袋には無限龍の五芒星。

 虚空の闇から軍帽を創り出して被り、同じ要領で漆黒の外套(マント)を取り出す。最後に黒い拵えの軍刀を腰に佩く。

 

 邪仙、大陰陽師、日本最悪の魔人――高円雅崇。

 

 暗黒の具現が今ここに蘇った。

 

 




精神攻撃は基本(キリッ)。
魔人さんはこういう奴です。

乱戦というか、別箇所の戦闘を同時に描くのは難しいですね。無駄に長くなりました。
もうちょっと圧縮しないといつまでたっても終わらんぞ……。
ヴァンパイア編終了後、ヘルキャット編(仮)は序章みたいに割と自由にやるつもりです。
曹操たちが出るかもしれない。


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第二十九話:魔人《その3》

 兵藤一誠は普通の少年である。

 父親はサラリーマン、母親は専業主婦。貧乏と言うほど困窮してはいないが、裕福ともいえない。所謂ところの中流家庭に育った。

 頭脳は並、運動神経は平均的、体格的にも目立った特徴は無い。容姿だって平凡で、甘く見てもせいぜいが中の上程度だろう。唯一他に負けないと自負しているものが性欲だが、長所と言うには俗すぎる。得意なことは何か、と問われれば、とっさに出てくるのが女体関連の妄想しかないのだから筋金入りだ。むしろ有り余るそれは周囲から見て悪評判以外の何物でもなかった。

 

 進んで悪事を働くほど飢えてはいないし、身を捨てて施しを与えるほど聖人という訳でもない。ただ、世間一般で言う常識的な感性の下、困っている人を助ける程度の善良さは持っている。本人は意識していないが、差別なく人と付き合える姿勢は稀有な資質と言えるだろう。

 あるいはその乳房に対する執着さえなければ、普通の好青年として青春を謳歌できたのかもしれない。しかし、そうはならなかった。

 

 堕天使によってもたらされた突然の死、そして紅髪の悪魔との邂逅が彼の人生を大きく変えた。

 切っ掛けはその身に宿った『赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)』。聖書の神が創造せし神をも殺す神滅具(ロンギヌス)の一つ、『赤い龍(ウェルシュ・ドラゴン)』ドライグの魂を封じた神器(セイクリッド・ギア)である。

 

 そして始まる悪魔生活。

 主となった上級悪魔リアス・グレモリーを始め、周囲を途轍もない美少女たちに囲まれて、一誠は幸せだった。

 上級悪魔となってハーレム王を目指すという目標もでき、日々やる事づくめで端的に充実していたと言ってもいい。少なくとも、以前までの女子に嫌悪され避けられる日々よりは生活に"張り"が出ていると感じる。

 

 しかし良いことばかりが続いたわけではない。人間だった頃とは一転して、悪魔の世界はひたすら暴力に溢れていたからだ。

 自らを殺した堕天使レイナーレよりアーシアを救うために戦ったことを皮切りに、上級悪魔ライザー・フェニックスとのレーティングゲーム、そして決戦。つい最近だとエクスカリバー争乱におけるコカビエル一派との死闘。

 喧嘩すら滅多にしたことのない一誠だ。いくら自身の性欲が並外れていようと、それだけを原動力としていくには無理がある。そんな時、支えてくれたのは自らの主と眷族仲間の存在だった。

 彼ら彼女らがいなければ、きっと一誠はここまで頑張れていない。だからこそ大切で、決して失いたくないと思う。アーシアを一度死なせた時のようなことになるのは二度と御免だった。

 

(くそっ……! ちくしょう……!)

 

 だが、そう思っていても一誠は負けた。

 敵は魔人・高円雅崇。

 目の前で無残に圧殺される仲間を見た彼の絶望は、憤怒は、生半可なものではない。いくら不完全な禁手(バランス・ブレイカー)であろうと、神器のシステムは担い手の意志に応えて限界を超えた力を発現させた。にもかかわらず、一切が通用せずに砕かれたのだ。

 

(また何もできないまま倒れるっていうのかよ……! なにが伝説のドラゴンだ……ッ!)

 

 天下無敵の赤龍帝。神や魔王すらも恐れる二天龍の一。その力を使ってさえ、一誠は何も守れない。

 かつてアーシアを失ったあの時のように。

 リアスを泣かせたあの時のように。

 

(嫌だ……そんなのは嫌だ……! 立てよ、俺! 立って奴をぶちのめすんだッ! この身体がどうなってもいい! 俺の命なんか捨ててもいいから……!!)

 

 窮地に陥らなければ力を出せない己の無才が恨めしい。もしも修太郎やヴァーリのような才能があれば、きっとこのような状況が訪れることも無かっただろう。

 それもこれも全て自分が弱いから。

 力が、力が欲しい。

 

(応えやがれ……! セイクリッド・ギア……ッ!!)

 

 願いは切に、しかし何にも届かない。世界は何処までも残酷に、起きるはずの無いことは決して起きないようになっている。

 今回もそうなる――はずだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

『…………!』

 

『ええ、ベルザード、わかってるわ。……誰かが目覚めたようね。外にいる敵の影響かしら? 覇龍(ジャガーノート・ドライブ)にも至っていないのに、何て特異な現象……』

 

『…………』

 

『わからないけれど、きっと悪いようにはならないでしょう。この事が必然なら、神器が彼の想いに応えたと言うこと。時期的には少し早いと思うけれどね』

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

 月下の大地より燐光が立ち上る。極彩色の光球が弧を描きながら天空の太極陣へと集積されていく。

 それはさながら流星群の如く、見る者へ感動を呼び起こさずにはいられないほど壮観だった。しかしこの現象の本質は美辞麗句で納まる代物ではない。昇る光は現在進行形で失われる命そのものである。天駆ける星々がその美しさを増すごとに、眼下の大地は死に満ちていく。

 

 破滅の異空間、空間宝貝『吸星陣』。

 

 鳥が落ち、獣が臥せり、虫が転がる。木々がしおれ、大気は腐り、地が罅割れる。地脈を通じ"外"の大地にまで影響を及ぼしながら、命の吸引は止まらない。

 この宝貝は生命のみならず環境をも殺す。起動には莫大な量の気を必要とするものの、それさえクリアしてしまえば吸収した力により自給自足が可能であるため、術者からの供給は不要だった。それはつまり、辺り一帯の生命力を枯渇させるまで停止しないということでもある。

 今宵、駒王町は草木一本生えない死の大地へと変わるだろう。陣の主が手心を加えれば別だが、ことそれだけに関しては全く期待できない。

 

 なぜならば陣の主――高円雅崇という男にとって、生物の生き死になど極めて些末な事柄であるからだ。

 この男は遍く森羅万象全てを嫌悪している。常人に求めるような感性を期待すること自体が徒労であり、全く無意味な行動と言わざるを得ない。

 

『その姿……貴様、前にも赤龍帝(おれ)と戦ったことがあるな?』

 

 倒れ伏す一誠の左腕、籠手の宝玉より声が響く。

 黒衣の魔人・高円雅崇は面白げにそれを見て、答えた。

 

「如何にも。覚えていたか『赤い龍の帝王(ウェルシュ・ドラゴン)』ドライグ」

 

『単身で『覇龍(ジャガーノート・ドライブ)』を破った敵だ。誰が忘れるものか』

 

 忌々しげな声音のドライグに、魔人は昔を懐かしんで目を細める。

 

「あれは確か……今の時代より200年は前のことだったか。土御門の陰陽師どもが雇った赤龍帝……実に目障りだったと記憶している。思えば以前の使い手もその少年と同じく情の深い人間だった。妻子を殺された程度(・・)のことで『覇龍』を発動させ、自滅したのだからな」

 

『外道が……! 貴様には一生わからん感情だろうさ』

 

「何を言っているドライグ。貴公には理解できるとでも言うつもりか。それとも長く人間と付き合ううちにわかった気になっているのか? ……まあいい。しかし『覇龍』、か……貴公らはあれを殊更重要視しているようだが、力に偏った欠陥機能などおれには通用せんよ。あんなもの、ただの枷でしかないだろうに」

 

『何だと……?』

 

 疑問符を浮かべるドライグ。それに対し、魔人は愉しげな笑みを浮かべるのみだ。

 訳知り顔の敵に問いを投げるべく、ドライグが言葉を放とうとしたその時。

 

「ほう、まだ立てるか」

 

 背に降り積もった瓦礫を押しのけ立ち上がる少年に、魔人は興味深げな視線を向ける。

 一誠の身体はボロボロだ。手足こそ折れてはいないものの全身くまなく血をしたたらせ、口腔から血を吐き出す現状は、外傷だけでなく肉体の内部にも大きなダメージがあることを示している。動き回ればそれだけ傷が深くなる可能性は高いが、それでも一誠は立ち上がることをやめない。

 彼の身体を動かすのは、己の無力さと敵の悪意に対する嚇怒の念。そして神器の内より湧き上がる、正体不明の声だった。

 

「諦めないことだけが……取り柄だって言ったのは、お前だぜ……!」

 

『相棒……? これはまさか、至ったと言うのか? いや、だがなるほど……面白い!』

 

 誰かが一誠の耳元で敵を許すなと叫ぶ。同時に、今のお前では奴を殺せないとも。

 だが、戦いを止める声は無い。湧き上がる力はむしろ祝福さえしているようで、今の一誠に迷いなど無かった。

 

「それで、立ち上がってどうする。魔王どもは封じた。助けなど期待できんぞ。自力では鎧ひとつ纏えぬ弱き赤龍帝が、おれを倒せるとでも?」

 

「……そうさ、俺は弱い。こんなになるまで力が出ない、ダメな奴だ。それでさえドライグがいなきゃ話にならないんだから、才能なんてこれっぽっちも無いんだろうさ。俺が弱いクズだから……小猫ちゃんを死なせちまった……ッ!!」

 

 悔しさに涙を流しながら、声を絞り出す。

 言葉を紡ぐごとに湧き上がる様々な想いが神器に灯り、真っ赤な光の鼓動を刻む。

 過去を想って後悔は絶えず、先を想って恐怖はぬぐえない。それでも、いや、だからこそ、今まさにすべてを喰らい尽くさんとする目の前の敵を許すわけにはいかなかった。

 

「だから勝つ! 何もできない俺だけど、たとえこの命が全部無くなっても、今ここで絶対にお前を止めてやるッ!! もう二度と、誰も殺させやしないぞッ!!」

 

 今までとは明らかに違う力の高まりを感じる。感覚は際限なく広がっていき、一誠の器を凌駕してなお止まらない。神器の中、確かに存在する「誰か」が、自身をその領域へと引っ張り上げていた。急激に拡大していく視野が激しい眩暈を誘うものの、しかし耐えて受け入れる。

 震える足で踏みしめる。拳を握り、視線は逸らさず、今最大の意志を込めて。こぼれる涙を振り切って、一誠は叫んだ。

 

「いくぞォッ、ドライグッ!! 奴に吠え面かかせてやるッ!!」

 

『無論だ相棒! 否! 兵藤一誠ッ! 高円雅崇と言ったな! 以前と今回において赤龍帝を舐めた報い、今こそ受けることになるぞッ!!』

 

 咆哮と共に旋風が吹き荒れる。真っ赤な風を纏い、今まさに天龍の力が真の産声を上げる。

 

Welsh(ウェルシュ) Dragon(ドラゴン) Balance(バランス) Breaker(ブレイカー)!!!!!!』

 

 解き放たれた力が熱風となって駆け抜け、迸る赤光が夜闇を吹き飛ばす。

 紅蓮の赤に彩られた堅牢なる龍の外殻、赤き龍帝が誇る力の象徴――禁手(バランス・ブレイカー)赤龍帝の鎧(ブーステッド・ギア・スケイルメイル)』の輝きが、今再び闇を裂く。

 

「さあ、第二ラウンドといこうぜッ! 高円雅崇ッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、時空間の停止によって静寂に包まれた体育館。

 空間そのものが凍ったような不動縛を受けてなお、彼らは意識を失っていなかった。

 神をも停める魔眼の威力を今も一身に受け止めるは魔王サーゼクス・ルシファー。全身より莫大な滅びのオーラを迸らせ、しかし精密極まる魔力操作によって神器より発せられた「視線」の大部分を消し続けている。

 それでもなお鉛のように重い大気の中、彼らは満足に動くことも出来なければ力を放つ事すら出来ない。最後の一線に留まりつつ、しかし打つ手は無かった。

 

 館内中に張り巡らされた呪符に込められているのは、陰陽師が初歩に習う単純な遠見の術法だ。ギャスパー・ヴラディの視界を区切り、それら全てに反映させることで、『停止世界の邪眼(フォービドゥン・バロール・ビュー)』の出力を神格クラスにまで通用する域へと引き上げていた。

 コストに見合わない絶大な効果は一見デタラメに見えて、当のギャスパー自身に相応の負担を強いている。暴走状態である事も含め、通常の万倍に達する負荷は、哀れな少年の精神を廃人へと変えるに十分なものだ。魔人は、彼を使い捨てる気だった。

 

 おそらく、この状態は長くともあと1時間続くかどうかと言ったところだろう。ギャスパーの精神が壊れれば、自然とこの拘束も解ける。

 しかし、その頃にはこの場の全員に戦う力など残っていない。何故ならば、現在進行形で僅かずつ力を削られているからだ。

 この現象は高円雅崇が行っている何らかの術法によるものだろうと、修太郎は当たりをつけた。

 

 呼吸すら満足に行えない停止空間において、今もおびただしい量の汗を流すサーゼクスを除けば、この場で最も動ける人物はヴァーリ、次点で修太郎だった。それでもここを脱出するための手を打てるかと言えば厳しい。魔眼の停止能力は、彼らの持つ能力にまで枷を嵌めている。

 だがそれで諦めているかと問われればそのようなことはまるでなく、各々が身の内で力を練っているのが確認できた。

 特に顕著なのはヴァーリで、何かと呼応するように力を高めている。そしてその原因を、修太郎は外に感じ取っていた。

 

 状況が動くのは近い。

 修太郎自身、このような時のために一応事前の手を打ってはいるが、はたして彼女がうまくやれるかどうか。

 何にせよ、今はただ己を研ぎ澄まして待つのみだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 溢れる力が赤いオーラとなって身を包む。手を握り締めながらそれを確かめ、一誠は高円雅崇を睨んだ。

 自身の宿主へとドライグが語りかける。

 

『相棒、今のお前の禁手は神器側から支援を受けた、非常に特異なものだ。持続時間は良くてせいぜい20分。お前の体力が限界に近い現状、代わりに命を削って維持している。わかるな?』

 

「ああ、俺の中で何かがガリガリ削れてるのを感じるよ」

 

『力を高めるには通常通り体力を消耗する。最大倍化は一回が限度だろう。命を使っても2回目で打ち止めだ。そして生命力を吸い取るこの空間……あまり時間はかけてられん。こちらも至ったとはいえ状況的には前に立ち戻っただけだ。実力差そのものが埋まったわけではない。何か策はあるのか?』

 

「策……ってほどでもないけどな」

 

 正体不明の回避能力に、禁手を一撃で解除するほどのパワー。内なる声の言うとおり、今の一誠では逆立ちしても高円雅崇に敵わない。

 

「どうした、こないのか?」

 

 復活した赤龍帝の鎧を前にしてもなお不敵に笑みをやめない魔人の態度は、油断でも慢心でもなく、確固たる事実として一誠とは別次元の実力を持つからこそのものだ。悔しいが、まともにやって勝てる相手ではない。

 だから――。

 

 背中の噴出口から魔力を噴かす。莫大な推進力を解き放ち、一誠は――魔人とは逆方向に高速で駆けた。

 

「奴とは戦わない、ここは退くッ!!」

 

 魔人の姿が急激に遠ざかっていく。そうして瞬く間に見えなくなり、敵が追ってこないことを確認した一誠は進行方向へ顔を向けた。

 

『確かに敵の力は底が知れん。戦っても勝てるかどうかはかなり怪しい。それはわかったがしかし、これからいったいどうするつもりだ? まさかこのまま逃げ続けるわけではないだろう』

 

「当たり前さ。まずはこの状況を変える。ドライグ、地下に力を感じるって言ってたよな?」

 

『ああ、今も感じている。空間が捻じ曲がっている関係上、ここからでは正確に判断できんが、おそらく学園の中心だろう』

 

「そこを叩く。そのためには――!」

 

 一誠は速度そのまま窓の方へ進路を変えようとする。

 この廊下の窓は学園の上空へつながっている。そこからいったん外に出て、目当ての場所へ全力の一撃を放ち、地下に潜む力を破壊する腹積もりだった。

 ドライグの言うとおりなら、地下に感じるという力がこの空間歪曲を生み出している元凶だと考えられる。これがあるかぎり一誠たちは逃げることが出来ず、またいつまでも仲間と分断されたままだ。

 

 一誠たちが助かる唯一の可能性、それは魔人をこの場に集う実力者たちにぶつけること。

 先ほど高円雅崇は、魔王たちを封じたと言っていた。状況も解決方法も判然としないが、それもこの異界が原因になることであるのなら、どちらにせよ場の破壊は必須事項だ。

 無論、達成したとして状況が好転するかと問われれば確証は全くない。完全に勘頼り、分の悪い賭けだがしかし、一誠が考え得る中では最も勝ちの目が見える案でもある

 

 そう思考しながら窓を突き破った一誠だったが――待っていたのは再び続く無限長の廊下。そして静かに佇む魔人の姿。

 この一帯は敵の領域。逃げる一誠を探すことも、空間を操作しこちらに引き寄せることも息をするかのごとく思いのまま行うことができる。

 

「逃がさんよ」

 

 驚く一誠に魔人が腕を一振りすると、不可視の力が身体を直撃した。

 頑強な鎧に身を包んでなお、全身を貫く衝撃は筆舌に尽くしがたい。兜の中で血を吐き出しながら、疾走を阻止された一誠は吹き飛ばされる。

 廊下を何度も転がりながら、身体中を駆け抜ける痛みをこらえて体勢を立て直した。

 

「がっ、ぐふっ……! 今のは……」

 

『おそらくは、極めて強力な念動力(サイコキネシス)だ。気を付けろ相棒、感覚を研ぎ澄ませなければなぶり殺しにされるぞ!』

 

「わかった、いくぞッ!」

 

 今度は退かず、正面突破。何とか隙を作り、外に出なければならない。

 赤い残像を残しながら魔人へと殴り掛かるが、やはり煙のようにすり抜けるだけで当たらない。

 同時に腹部を衝撃が走る。見れば、魔人の拳が鎧を砕いていた。そのまま流れるような動作で漆黒の外套が翻る。とっさに腕を交差して防御態勢をとったものの、念威を纏う蹴撃は慮外の威力で一誠を弾き飛ばした。

 

「ぐああっ!!」

 

 教室の壁を突き破った一誠はオーラを弾けさせて瓦礫を払う。拳を構えて敵を見据えようとしたその時、目当ての人物は既に目前へと迫っていた。

 抜き放たれた軍刀が閃く。邪念を纏う白刃が、黒い光の軌跡を残す。

 とっさに防御のオーラを固めながら背後に跳び退るものの、超速の斬撃は一誠を逃がさない。鎧などまるで無いかの如く鮮血がほとばしり、一誠は痛みに顔を歪めた。

 

「どうした兵藤一誠。おれに勝つのだろうが。この程度では話にならんぞ」

 

「うるせぇ……! 黙ってろ見てろよこの野郎!」

 

 それでも戦意衰えない一誠は手を前に突き出し、オーラの砲撃を放つ。赤い旋風が目の前の魔人に襲い掛かるが、しかし。

 

 四縦五横に走る純白の指。素早く組まれた結界は九字護身(ドーマン)の型。

 格子状の軌跡が赤い一撃を弾き、念威が煙を裂けばそこには無傷の男が立っている。

 

「くっ、アスカロン!!」

 

Blade(ブレード)!!』

 

 左籠手より聖なる刃を解放する。そのまま敵に突っ込む――かと思いきや、一誠は壁を切り裂きそこに飛び込んだ。

 高速で部屋を突き破っていく一誠に、魔人は壁を透過しながら追従する。

 

 そして始まる剣戟の舞。その戦いはひたすら一方的だった。

 一誠の剣技とも言えない拙い技量では、敵の剣を受けることすら満足にこなせない。致命傷を避けるのが精一杯であり、鎧の修復が追い付かないほどの速さで傷ついていく。

 対する魔人は未だ無傷。嘲笑うような笑みは絶えず、黄金の邪眼が卑睨する。

 

「そら、受け止めてみろ」

 

 視線一つで莫大な念が迸る。力場の鉄槌が魔人の視界内全てを圧壊させていき、暴威の嵐を巻き起こす。

 敵のわずかな仕草から大きな力の発露を感じ取った一誠は防御を固めるが、その行動もむなしく木の葉のように弾け飛んだ。部屋をいくつも破壊しながら、壁に激突して止まった一誠は、もはや意識を保つことすら厳しい状態だった。

 

『無事か、相棒? 本格的にジリ貧……いや、遊ばれているな。残り時間も少ない。手早く決めないとすぐに負けるぞ』

 

「わかってる……! くそっ、やっぱりダメなのか……?」

 

 蓄積したダメージに膝をつく。体力も限界、疲労も極限、血は足りずに視界も霞んできた。己が無力を噛み締める一誠は、自身の手へと何かが当たったのに気付く。

 それは、革製の黒いアタッシェケースだった。

 

「これは……!」

 

 一誠が声を漏らすと同時に、立ち込める埃を念が切り裂き、瓦礫を踏みしめ魔人が姿を現す。受けたダメージに跪く一誠を認めると、落胆した表情を見せた。

 

「もう終わりか。これでは暇つぶしにもならんな」

 

 そう吐き捨てて、両手で印を組む。

 臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前――目まぐるしく変わる手印により、高まる集中が魔人の念をさらに高位へと引き上げる。

 

 一方、力を高める敵を見た一誠は、ドライグへと自身のイメージを送りながら、叫ぶ。

 

「ドライグ、神器は所有者の想いに応えて進化するんだよな! それなら、これをやってくれ! 出来るな?」

 

『これは……! いや、面白い。選ばれたわけでもない者が使うには危険過ぎるが、今さらだ。いいだろう、何が起こるかわからんが、やってみよう。覚悟を決めろよ、兵藤一誠!!』

 

「応ッ!!」

 

 一誠は傍らのアタッシェケースを拳で砕き、中に収められたそれを右手で掴む。

 取り出されたのは一振りの剣。刀身に纏うオーラは何処までも不吉な妖しい輝きを放つ。

 

 ――伝説の魔剣・バルムンク。

 

 一誠が吹き飛ばされた部屋は旧校舎の一室、会談後に天界へ引き渡すべく件の魔剣が保管されている場所だった。

 

「うおおおおおおおっ!!」

 

 気合と共に全身の宝玉が光を迸らせる。一誠の想いを受けて、己が身の内に取り込もうと神器が輝きを増していく。

 しかし、当の魔剣は魔のオーラを強めてそれを拒む。担い手と認めてもいない人物に、己を使われてはたまらないと拒絶の意志を示した。

 

 一誠の意志と魔剣の意志とが鬩ぎ合う。その膠着状態は、致命的な隙だった。

 魔人より高まった力が放たれる。それは不可視の斬線。極限まで薄く展開された念動力の剣だった。視界内を縦横無尽に埋め尽くす割断現象が、硬直した一誠へと迫る。

 

 間に合わない、と思ったその時。急激に負荷が引き、神器が魔剣を取り込んだ。

 

「おおおおおおおっ!!」

 

 疑問は無視して輝く右腕を振りぬけば、圧倒的なまでの力が波動となって放出され、全ての念威斬撃を消し飛ばした。

 解き放たれた威力はなお止まらない。蛇のようにうねる力の波動が魔人へと襲い掛かる。

 

「ほう……」

 

 それは虚しく魔人の身体をすりぬけてしまうが、力を強めて放った攻撃を破られたことで魔人は感心の声を上げた。

 見れば、一誠の右腕に装着された鎧に肘から拳の方向へと長大な刃が形成され、かつてよりその趣を大きく変えている。

 

『相棒、先ほどの一撃でわかっていると思うが、凄まじいまでのパワーがその右腕に備わっている。取り込むのに時間がかかり過ぎて焦ったが、またも神器側からの後押しを受けたな。まったく今までに無いことだぞ、これは』

 

「へへっ、名づけるなら『魔剣龍の籠手(バルムンク・ギア)』ってとこか? まんまだけどさ」

 

『戦闘力が増したのは喜ぶべきことだが、本来お前はそれの担い手たる存在ではない。使うには相応の代償が必要になるだろう。現状はあと一発が限度だ。やれるか?』

 

「ああ、これなら!」

 

 右腕に備わった圧倒的な密度の力を実感して、一誠は吼える。

 刃より力の螺旋を開放。腕に纏った赤い竜巻は、その威力を誇示するかのように周辺空間を削り取る。

 一誠は確信していた。如何な魔人の力でも、これは転移できない(・・・・・・・・・)

 

「いくぞォッ! ドライグッ!!」

 

Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)!!!!!』

 

 極限まで体力を、命を削り力を高める。それだけで床は大きく陥没し、周囲の瓦礫は消し飛んだ。

 刃の照準を魔人へと合わせる。次の瞬間、一誠は閃光となって突撃した。

 

「無駄だ」

 

 それでもやはり当たらない。一誠は何にも阻まれることなく、魔人の身体を通過した。敵を守る何かの力は空間に由来するものではないからだ。

 だが、それで良かった。

 

 背部の噴出口からさらに魔力を噴かし、加速する。そのまま進路を上方へ、一誠の身体は空間歪曲の壁を突破して、天井を突き破った。

 天へと上る赤い螺旋の槍が、月夜に輝く太極陣を貫く。その直後、学園全土に渦を巻く命の流星群が弾け飛んだ。淡い緑色の燐光が大地へと降り注ぐ。

 

 魔人による命の吸引は終わった。しかし、一誠の攻勢は終わらない。

 極限の体力消耗から霞がかった意識に激を飛ばして、右腕の魔刃を駒王学園が中心部――グラウンド広場へと向ける。

 

「ドラゴンッ!!」

 

Transfer(トランスファー)!!』

 

 音声と共に一誠の高まった力が魔剣へと譲渡される。膨れ上がった真っ赤な破壊の渦が巨大な螺旋の暴威と化す。

 

「ドリルッ!!」

 

Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)!!!!!』

 

 自身の奥底、生の根幹をなす部分が大きく削れたのを実感するが、今そんなことはどうでもいい。再度の最大倍化によって膨れ上がったオーラが、力の螺旋と同化する。

 そこにあるだけで大地を震わす究極の力。今、一誠は一本の槍となった。

 背の噴出口に魔力が灯る。

 

「ブレイクゥゥゥゥゥゥーーーーーーーッッ!!!」

 

 咆哮と共に解放。渦を巻く紅蓮の柱がグラウンドへと落ちる。

 

 しかして魔人もただ見ているだけではない。

 かねてより用意していた多重結界防壁が一誠の進路上に展開される。地脈から無制限に力の供給が成されるそれらの術式は、霊地の要へと到達するまでに一誠の力を全て削ぎ取るだけの機能を持っている。

 

 無駄な努力ご苦労と余裕の笑みを見せる魔人だったが、その時。

 異界の外(・・・・)より飛来した極光の槍が全ての防護を破壊した。

 

「――なんだと?」

 

 霊地を覆う結界と、内部を埋め尽くす空間歪曲障壁、そして九十層を超える多重防壁。一誠よりも先にそれらを悉く貫いて、蒼光の柱がグラウンドの中心に突き刺さる。

 そうして弾けたエーテルが連鎖的に爆発を起こせば、霊地の中枢に続く道が開かれた。

 完璧なタイミングで起こった出来事に、如何な魔人と言えども体勢を立て直す暇は無い。

 

「いっけぇーーーーーーーーーーッ!!!!」

 

 そして一誠は、異界の要目掛けて突入する。

 グラウンドの地下は異様な広さで一誠を出迎えた。闇に包まれた広大な空洞の中央、一際激しく輝く法陣が見える。

 おびただしい量の呪文で囲まれた無限龍の五芒星、中央に太極を据えた積層式立体呪法陣が、甲高い音で啼きながら今も全力で稼働している。

 

「おおおおおおおおおっ!!!」

 

 それを認めた一誠は、さらに大きく魔力を噴かして突撃した。張り巡らされた防壁を紙を破るかの如く引き裂き、そして。

 

「砕け散れェッ!!!」

 

 振りかぶった拳と共に力の全てが解き放たれた。

 瞬間、法陣は完全に砕け散り、衝撃の余波が大地を破壊する。赤光の柱がはるか天まで伸びて、現出した賽の目状の分割線が弾け飛べば、空間歪曲が崩壊。巻き起こる暴風が止むと、そこには地下深くまで開いた大穴だけが残されていた。

 

「やった……っ! ――――うっ」

 

 自身を満たしていた力が急激に抜けて、倒れそうになる一誠。再び空洞を満たす闇の中、自身が開けた穴から降り注ぐ星の光を頼りにして、それを見つけた。

 

「……? あれは――」

 

 空洞に空いた大穴からさして離れていない位置、機能を破壊された小さな法陣の中心に倒れた人影が見える。

 細く小さなシルエット、白髪の小柄な少女は――。

 

「――小猫、ちゃん?」

 

 裸の身体、その大半を呪符に覆われているが、間違いない。倒れているのは死んだと思っていた塔城小猫だった。少し離れて同じく裸身を呪符に覆われたギャスパーの姿も見える。

 いったいどういうことなのか。失ったはずのものが目の前に現れて、一誠は困惑した。

 

『相棒!』

 

 ドライグの声に気配を感じ、一誠はそちらに振り向いた。

 空洞に広がる闇、その向こう。不気味に光る無数の眼光がこちらを取り囲んでいる。太く長い身体を引きずり、それは姿を現した。

 

「ドラゴン……? いや、蟲……!」

 

 蟷螂の様な上半身に巨大な芋虫の下半身、頭部の形は龍に似ているが、瞬く複眼は昆虫類のそれ。学園校舎と同等の巨体を誇る蟲は、極大の敵意を込めて一誠を睨みつける。

 現れたのはそれだけではない。蟻、百足、蜘蛛……異形の地虫が闇の中から迫ってくる。全てが身体より呪力を発して、目の前の悪魔たちを喰らおうとしていた。

 

「やらせるかよ! ――――ッ?」

 

 のしかかる疲労はもはや限界を超えている、それでもなお、一誠は諦めない。

 命を削って敵を蹴散らそうとするがしかし、突然鎧が解除される。連続した無茶な力の行使によって、とうとう神器の機能限界が訪れたのだ。

 

 急激な脱力に身体が崩れ落ちる。

 戦闘力を失った彼には迫る蟲たちに抗う術がない。それは自らの身どころか、傍に倒れる二人を守ることができないということだ。

 

(くそっ、ここまできて……!)

 

 無念の内に沈む一誠。

 その時、倒れる彼を何者かの腕が支える。

 

「良くやった兵藤一誠。予想以上だ、褒めてやる」

 

(誰だ……?)

 

 声の主は男。飄々とした不遜な物言いには聞き覚えがある。しかし、霞む思考ではそれが誰だか思い出せない。

 

「あとは俺たちに任せて寝てろ。格下ボコって調子づいてる野郎は、こっちでぶちのめしてやるからよ」

 

 意識を失うその刹那、一誠の目に映ったのは闇よりも昏い十二翼。そして眩い光の槍だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 駒王学園エントランス。

 倒れ伏す木場とゼノヴィアにとどめを刺そうとしたフリードは、二振りの魔剣を一つの長剣で受け止められていた。

 剣の主は金色の十二翼。神の如き大天使。

 

「あなたとは、確か初対面ですか。しかし話は聞いていますフリード・セルゼン。外道に堕ちたその魂、私の手で裁きましょう」

 

「――――ッ!!」

 

 迸る極光斬撃がエントランスを埋め尽くす。莫大な聖光波動が連なる校舎全体に溢れる。

 神速で逃げるフリードだったが、流石にこれは躱せない。下半身をまるごと消し飛ばされ、ゴミのように吹き飛んでそのまま動かなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方の講堂。

 不死身を誇る式神の猛攻に、魔力の枯渇したリアスたちは為す術も無く蹂躙されていた。

 場を覆い尽くす黒光の槍がその照準をこちらの心臓に合わせ、間も無く放たれんとしたその時。

 

「ソーナちゃんは私が守るんだから!!」

 

「そういうことだ。消えてもらおう――『滅殺の魔弾(ルイン・ザ・エクスティンクト)』」

 

 極寒の冷気が降り注ぎ、破滅の光球が無尽に走る。

 凍結粉砕。そして消滅。その連撃に再生復元の入る余地など微塵も無い。場に飛び散った呪力は欠片も残さず滅びを受けて、後には何もない空間だけが残った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 大穴の開いたグラウンド広場。

 白き天龍、黒猫、そして剣鬼が魔人と対峙する。

 強者に包囲され、一転して劣勢に立ったこの状況。しかし高円雅崇に焦る様子は一切なく、むしろ場を愉しむように眼下の敵対者たちを卑睨していた。

 

「……これは面白い。てっきりこの状況を破るのは、お前かサーゼクス・ルシファーぐらいのものと思っていたのだがな。なるほど、確かにおれは赤龍帝を舐めていた。しかし、あの蒼い魔法の一撃は、お前の差し金だな?」

 

 笑いながらまったく傑作だ、とこぼす魔人に、修太郎が口を開く。

 

「ここで滅びろ、高円雅崇」

 

「やれるものならやるがいい。俺は止めんよ、御道修太郎」

 

 宙に浮かぶ魔人と、地を踏みしめる剣鬼が睨み合う。

 そうして白銀の太刀を現出させる修太郎。黒歌は倶利伽羅剣を構え、既に鎧を纏ったヴァーリが身に魔力を溢れさせる。

 

 それに対し高円雅崇は腰の軍刀を抜き、総身から邪悪な闘気を発して漆黒の風を身に纏った。

 両者、高まる戦意は最高潮に、研ぎ澄まされた力が周辺大気を凍えるものに変えていく。

 

 今宵最後の戦いが始まった。

 

 




イッセー「木場のパワーアップフラグかと思ったか? 俺だよ!!」

せきりゅうていはドリルをてにいれた!!

魔人戦、次回こそ決着。


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第三十話:魔人《その4》

 高円雅崇(たかまどまさたか)は現在よりおよそ500年前に生まれた人物である。

 時代は戦国真っ只中、戦乱・疫病・災異に塗れた世において、『無限の龍神(ウロボロス・ドラゴン)』オーフィスを祀る一族の次期当主、それが彼だった。

 如何なる経緯をたどったのかは不明であるが、彼の一族はオーフィスより力の欠片たる『蛇』を授けられている。曰く龍神の眷族を自称する彼らは、その莫大な力を血に混ぜて継承していくことによって、わずか数代で京都の土御門に匹敵、あるいは凌駕するほどの法力と超常の異能を獲得していた。元来が霊能力の欠片も持たない武士くずれだったことを考えれば、これは驚異的なことだろう。

 雅崇はその最盛期において誕生した鬼才である。

 

 彼が生まれた時代、戦乱の世を駆け抜ける熱と混沌は日本に住まう妖物へと激烈な刺激を与えた。

 恐怖・憎悪・憤怒・享楽……高密度の感情が巻き起こす乱風が、本州はおろか北は蝦夷から南は九州まで際限なく吹き荒れる。それによって数多の妖異が地に溢れ、渦巻く邪念が呪いを呼ぶ。超常の御業を操る術師たちは各地でその手腕を発揮し、それは雅崇の一族も例外ではなかった。

 

 しかしながら、彼の一族は滅んだ。

 原因は時の有力者たちから淫祠邪教の認定を受けてしまったことによるものだ。これは当時の一族当主――雅崇の父親が成した所業に対する評価であったが、端的に言って目立ち過ぎたことが大きい。ともあれ当時の退魔組織から袋叩きにされたことで雅崇一人を除いて一族の人間は死滅した。

 その後、紆余曲折のすえ雅崇は陰陽師の家系である高円の家に養子として引き取られることとなる。

 

 成長し、陰陽師となった雅崇は、その隔絶した才能で次々と秘法秘術を習得・開発。数多の功績を残すものの、ある日忽然と姿を消してしまう。彼がまだ十代後半の時である。

 おそらくこの頃に雅崇は大陸へと渡り、仙術をはじめとする多くの技を学んだのだと考えられている。再び姿を現した彼は既に人ではなかったからだ。

 かくして魔人と化した高円雅崇は、日本の全退魔勢力と神々を相手に数百年もの長きに亘って激しい闘争を繰り広げることとなる。

 目的はかつて自身の一族を滅ぼした者どもに対する復讐……とされている。

 

 その激闘に決着をつけた存在こそが、御道修太郎(みどうしゅうたろう)

 彼が退魔剣士として活動を始めた当初、魔人は数多の術師が施した封印に縛られ、100年の眠りについた状態だった。しかし修太郎が14歳を迎えて数日後、わずかに弛んだ封を破って遂に目覚めることとなる。

 以降、修太郎の戦いは激化の一途をたどっていく。

 代表的なものとしては東北の九尾、飛騨の大鬼神などが挙げられるが、魔人が発端となった事件はそれだけにとどまらない。日本全土の妖怪が高円雅崇の放つ邪気に中てられて狂暴化する中、時には人の中でさえ狂う者が出たのだから、修太郎に休む暇など与えられなかった。

 退魔剣士・御道修太郎の戦いとはつまり、魔人・高円雅崇との戦いだったのだ。

 

 そして高円雅崇と、敵が従える祟り神との最終決戦。

 それまでに散って逝った仲間たちの屍を乗り越えて、己が力の一端を犠牲にしながら修太郎は敵を斬った。

 月緒の剣は退魔の剣。悪鬼調伏、神魔両断。天津神の加護を受けた修太郎の剣は確かにその時、比喩ではなく神をも滅ぼす代物だった。たとえ魔人が誇る天将たちがどれほど強大であろうと、従えた神がどれほど悍ましかろうと、放たれた刃は相手の本質(たましい)そのものを切り裂いた。

 それは同時に修太郎へと大きな災いを残し、大事なものを失う原因となったが、日本を苦しめた魔人・高円雅崇は確かにこの時滅びた――はずなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 開幕の一撃は壮絶だった。

 無数の魔力光弾が乱れ舞い、波となって押し寄せる。

 自らが放ったその間を縫うようにして駆け、ヴァーリ・ルシファーは閃光の速さで敵へと攻撃を仕掛ける。

 修太郎との戦いを経て、ヴァーリは己の神器が一段階成長したことを感じ取っていた。先ほど起こった赤龍帝の覚醒と共鳴するようにして昂揚状態となったアルビオンは、過去最高潮の制御補助を成している。戦意は高まり、気分は絶好調、病み上がりでうずく身体から放たれたエネルギーの奔流は、圧倒的なまでの波濤となって高円雅崇へと襲い掛かる。

 

 ほぼ抜き打ちで放たれた白光の暴威は、若き白龍皇に備わった規格外の才を如実に示している。にもかかわらず、やはり魔人の表情からは不敵な笑みが消えない。

 高速で背後に飛びながら、左手の刀印を振りおろし念威開放。念動力の剣が無数の割断現象を巻き起こし、迫る光弾の嵐を切り裂いていく。それでも全体の五割を消し去った程度であるが、残った光弾の規模では魔人の守りを崩すことができない。悉くすり抜けていく。

 大地を爆散し、土煙が晴れた後に現れた魔人の姿を見れば、外套の端が少し破れた以外は全くの無傷だった。

 

「流石は歴代最強となる白龍皇。わずかとはいえ初手で抜く(・・)とは」

 

「ちっ、話の通り厄介な……」

 

 魔人の称賛に閃光と化して飛ぶヴァーリは吐き捨てる。

 黄金の邪眼で空の閃光を追うさまは、まるで何かを見極めようとしているかのようだった。

 その隙を突いて黒歌が倶利伽羅剣を振るい、黒炎の波を連続して放つ。迫りくる壁、壁、壁、四方八方回り込んで魔人を包囲しながら殺到する。

 

「大した火力だが、甘い」

 

 刀印を一閃するとともに、地より溢れ出した水柱が龍の形をとって浄化の炎を受け止める。

 陰陽五行において、水とは火を消し止めるものである。すなわち――水剋火。

 いくら浄化の特性を帯びていようと火は火、森羅万象の理に抗う術は無い。黒炎の波を蹴散らした水龍は、続けて降り注ぐ数百の火車を飲み込んで天に昇る。

 そのまま黒猫を噛み砕かんと迫るが、直前で真っ二つに切り裂かれた。

 砕け散り飛ぶ雨霞の中、修太郎が斬風と共に現れる。

 

「クロ、術式付与(エンチャント)!」

 

「はいにゃ!」

 

 術式の帯が刀身へと絡み付けば、白銀の太刀が黒炎を纏う。同時に修太郎が消失。次の瞬間には魔人の目前へと移動していた。

 放たれた超速の一刀を、魔人は同じく超速の白刃で受け止める。黒炎の霊気と邪気の波動が衝突し、土煙が舞い上がった。

 両者共に、そのまま剣舞へと移行する。

 

 中空を閃光が走り、刃と刃が鎬を削る。

 刹那の間に生じた無数の火花が夜を照らし、巻き起こる斬風が結界となって余人へと立ち入る隙を与えない。

 驚くべきは高円雅崇。

 稀代の天才、神域の剣士たる修太郎と刃を拮抗させている。少なくとも、黒歌にはそう見えた。

 しかして実態は違う。剣術という分野において、間違いなく魔人は剣鬼に劣っている。にもかかわらず互角の状況を生み出しているのは、彼が常に纏っている秘術によるものだった。

 

 陰陽風水が秘奥『三式障壁』。

 その効果は運気の過剰集積による危難の回避・解消。これを纏う術者は現実を歪めるレベルの幸運を一時的に獲得することで、あらゆる災いが当たらないことになる(・・・・・・・・・・)

 実態としては可能性の拡大化。相手の攻撃に対して回避が成功する確率を強制的に100%へと近づけ、未来の方向性を固定するといったものだ。つまるところの運命改変である。

 あたかも敵の攻撃がすり抜けたように見えるのは、これによる回避が成功しているためだ。

 

 この術を力だけで破ることはできない。およそ何の工夫も見られない単純な突撃はまず外される。兵藤一誠の攻撃が悉く当たらなかったのはこのためだ。

 しかし絶大な効果にはリスクが付き物である通り、法則を無視するほどの幸運は後から相応の災いを招く。回避した危難の危険度が高ければ高いほど、それは逃れようのない破滅の運命として術者の身に襲い掛かるのだ。……本来であるならば。

 

 高円雅崇は風水師にして大陰陽師である。さらに左道の邪仙として呪いの扱いに長ける彼は、そういった災いを回避する術を知っている。

 呪相反転――高円雅崇は、術の発動で発生する揺り起こしの力を操り、自らの攻撃に重ねることができるのだ。喰らうべき制裁を相手に押し付け、自分は利だけを得る。効率的と言えば聞こえはいいが、極めて凶悪且つ悪質な術法であることに変わりはない。

 限界を超えて力を高めた一誠を一撃で沈め、先ほど放たれた黒歌の黒炎を難なく破ることが出来たからくりはここにある。

 

 敵の攻撃は確実に躱し、それと共に自らの攻撃力を上げ反撃する。危機に反応して自動で発動するため、不意打ちも通用しにくい。まさしく理不尽の具現。修太郎が現れるまで高円雅崇が滅ぼされなかった大きな理由の一つがこれだった。

 本来であれば捌ききれない修太郎の剣を凌いでいるのは、術の補助を受けているからこそ。実際は、平均して五回打ち合うごとに一撃は喰らっているはずであり、それらは全てすり抜けるようにして回避されていた。

 

 しかし、修太郎にとってこれは予想通りの展開である。既に何度も通った道だ。問題など何一つ無い。

 斬撃の回転率を上げれば、互いの中間距離を隔てていた火花の壁が徐々に魔人の方へと移動する。それと共に魔人の纏う軍装へと一つ、また一つと傷が刻まれていく。

 

 一見無敵に見える三式障壁だが、無論のこと崩す術は存在する。

 

 一つは、障壁の処理を超えるほどの連続攻撃。

 揺り起こしの蓄積がオーバーフローするまで間断なく攻め続けることだ。

 しかしこれは高速且つ高威力で行わなければならない。反撃の隙を作れば無意味であるし、威力が低ければ魔人が防ぐ。生半可な実力でこれを行うのは至難の業だ。

 

 二つ目は、躱す余地の無い攻撃を放つこと。

 たとえば神槍グングニル。たとえば魔槍ゲイボルグ。そうでなければ超広範囲を巻き込むか、もしくは認識できないほどの速度を有する攻撃。

 術の効果は「攻撃を躱せる確率」に対し作用する。襲い掛かる攻撃に躱せる要素が無い場合、障壁は途端に意味を消失してしまうのだ。

 

 三つ目は、同種の力による干渉。

 幸運に関連する術、または権能を用いれば力量に応じて封印・相殺することができる。しかし、これはこの場において関係が無い。

 

 先のヴァーリと黒歌は二つ目の攻略法を実践した。

 だが修太郎は前述の一つ目と二つ目を自らの技量のみで同時にこなしている。

 

 超高速で行われる一挙手一投足に十重二十重のフェイント、ブラフを混ぜ、こちらが行う些細な動きで相手の挙動を限定し、特定の行動を誘発。それを利用して、人体の構造上絶対に攻撃を躱せないだろう一点を作りあげる。

 修太郎には及ばずとも、まぎれもなく高円雅崇は剣の達人だ。しかし、それ相応の観察力を持つが故に嵌まる(・・・)

 一回なら障壁が回避させるだろう。二回目も同様だ。しかし、それが十回、二十回続けばどうか?

 

 念威の刃が身体を掠める中、黒炎の太刀が魔人を削る。そしてとうとう、蓄積された揺り起こしが臨界点を迎え……。

 しかし、剣鬼が思うと同様に魔人から見てもこれは予定調和、予想してしかるべき事態であった。

 足踏みひとつで大地が割れ、そこから無数の地蟲が溢れ出す。一匹一匹が呪力を放つそれらの蟲は、主の意向に従って敵対者へと襲い掛かった。

 

 迫る魔蟲の群れを鎧袖一触に悉く切り裂いていく修太郎だったが、その隙に魔人を逃がしてしまう。

 ヴァーリと黒歌が放つ追撃を回避しながら再び上空へと舞い上がった魔人は、修太郎を卑睨しながら口を開く。

 

「やはり腕を上げている。流石というより他は無いな。しかし、術式付与? そんなことなどせずともお前はおれを斬れるだろうに。月緒流退魔剣術は、降魔剣はどうした?」

 

「貴様こそ、自慢の天将はどうした。法力も相当落ちているように見えるぞ」

 

 彼らの間では今の攻防も小手調べに過ぎない。

 

 修太郎は、目の前の高円雅崇が完全ではないことを確信する。

 気で肉体を形成してはいるものの、かつてと比べておそらく六割程度の出力しか確保できていない。術よりも念動力を主に使っているのは、それだけ法力が衰えているということだ。

 

 そして同時に高円雅崇も確信した。今の修太郎は単独でこちらを討ち取れる手段を持っていない。

 本来であればこのような回りくどい方法を取らずとも、術ごとこちらを切り裂く術を持っていたはず。この男がそれをしないと言うことは、すなわち出来ないということに他ならない。

 

 しかし、それでもなお互いが互いを侮れないと評する。

 睨み合う両者の状況を崩したのは、大地を割って現れた巨大な蟷螂の上半身だった。

 龍に似た頭と芋虫の下半身――魔人が作った蠱毒虫だ。無数の光槍で身体を穿たれ、血反吐撒き散らしながら倒れ伏す。その背中には、黄金の鎧を纏う何者かがいた。

 

「アザゼル殿……か? その姿は……」

 

「おう、暮修太郎。俺が作った傑作人工神器の疑似禁手(バランス・ブレイカー)になる『堕天龍の鎧』だ。この蟲野郎が意外としぶとくてな。実験ついでに纏ってみた。どうだ、かっこいいだろう?」

 

 そう言って漆黒の十二翼を広げたアザゼルは、空を飛んで高円雅崇と相対した。

 

「お前が高円雅崇か……。よくもまあ今まで好き勝手やってくれたもんだな。だが、ここで終わりだ。――お前は危険すぎる」

 

 手に握る光の槍を魔人へと突きつける。

 

「そればかりは同感ですね。あなたから発せられる邪悪な力は尋常ではない。この世に在ってはいけないものです」

 

 金色の光が闇を照らす。輝く十二翼を羽ばたかせ、ミカエルが現れた。

 

「ソーナちゃんやリアスちゃんを虐めるなんて許せない☆ 私が仇をとってやるんだから!!」

 

「私としては投降することを勧めるが……。どうやらその気はないのだろう?」

 

 続けてセラフォルー、サーゼクスが姿を現す。

 

「俺は出来れば一人でやりたいところなんだが……今更だな。仕方がないか」

 

「これだけやって、無事に帰れるとは思わないことにゃん。塵も残さず消し去ってあげるわ」

 

 そこにヴァーリも加り、黒歌が修太郎の隣に降り立つ。それと同時に学園の敷地を天蓋が覆う。皆を治療する役目を担ったグレイフィアの結界だ。

 こうして高円雅崇を中心に、勢力屈指の戦力による包囲陣が敷かれた。

 

「なるほど絶体絶命という訳か。ではこちらも抵抗しなければいけないな」

 

 そのような状況にあっても魔人は敵を嘲笑う。

 暗影の外套を翻せば、それだけで総身の傷が無くなっていく。周囲から見境なく気を吸収し、さらに高密度の闇を身に纏った。

 

「とはいえ、戦力差は如何ともしがたい。故にこうしようか」

 

 魔人がそう呟くと、突如講堂が爆発した。

 驚く一同がそちらに振り向けば、天へと舞い上がる蛇体の姿。

 それは巨大な異形だった。蛇の身体に人型の上半身、備える頭は牡牛・人・牡羊の三つ。その中でも中央に据えられた人頭の容姿は見覚えがあるものだった。

 サーゼクスが驚愕に目を開く。

 

「まさか、クルゼレイか……?」

 

「馬鹿な……! 高円雅崇、お前いったい奴に何をしたッ!!」

 

 アザゼルの怒号が響き渡る。

 異形と化したクルゼレイ・アスモデウス。どう考えても尋常の現象ではない。何をすればこのようなことが起こるのか?

 不敵な笑みのまま、魔人は答える。

 

「貴公らとの戦闘前に、奴らは『蛇』を呑んだだろう? あれは、おれが手を加えたものだ」

 

 そう言って外套を翻せば、影の中よりある人物が現れた。

 目を閉じて眠る美しい女性。純白の翼を生やし、頭頂には光の輪が浮かぶ。真っ先に反応したのはミカエルだった。

 

「彼女は……!」

 

 この場の全員がその姿に見覚えを抱く。美女の正体はミカエルに随伴してきた天使だった。

 女の頬を手で撫でながら、魔人は語る。

 

「――天使。欲に嵌まれば堕ちるというのに、人並みの欲を持たされてしまった欠陥品。神はいったい何のためにこのような存在を創ったのだろうな。知っているかミカエル、この女は密かに貴公を慕っていたのだ」

 

「何を言って……」

 

「叶わぬ恋に生きるとは、まったく哀れな道化だと思わんか? せめて機械がごとく在れば良かっただろう。――このように」

 

 魔人の手の平に黒くうねる蛇のようなものが現れた。禍々しいオーラを放つそれは、確かにカテレアとクルゼレイが呑み込んだものと一致する。

 

「やらせるかよッ!!」

 

 アザゼルが光の槍を放つ。

 閃光は念動力の障壁によって狙いが逸れ、魔人の肩口を大きく切り裂くにとどまる。しかし動きは止まらない。

 傷口をドス黒い炎と燃え盛らせながら腕を動かし、魔人は漆黒の『蛇』を天使の口内へ押し込んだ。

 変化は一瞬にして起きる。

 

『あ、ああああ、アアアアアアアAAAAAAAAAーーーーーーーーッ』

 

 絶叫が響き渡る。

 苦悶の叫びと共に骨格が蠢き、溢れる光が物体として形を成す。

 輝きが治まると、そこには燃え盛る純白の車輪が一つ。軸の部分に女性の上半身を据えられて、裏側には四対の翼が風車のように配置されている。それは美しくも禍々しい異形だった。

 

「なんということを……」

 

 身を震わせて呟くミカエル。

 絶句する一同をよそに魔人の声が響く。

 

「『蛇』による強化と併せて潜在能力の全てを強制的に引き出した。今のこれ(・・)は本能のまま力を発散させるだけの怪物だ。貴公らで言う『覇龍(ジャガーノート・ドライブ)』や『覇獣(ブレイクダウン・ザ・ビースト)』と同じようなものと考えればおおよそ一致するだろう。まあ、こちらは二度と戻れんが」

 

「あなたは……ッ!」

 

 異形の様子を観察する魔人へと、ミカエルの剣が聖光を纏って迫る。

 極光爆裂。太陽の如き光が爆ぜ、辺り一帯から夜闇を駆逐する。広すぎる攻撃範囲は回避の余地を与えず、既に臨界点ギリギリとなった三式障壁を易々と抜くだろう。

 しかし、異形の天使が魔人をかばう。同時に発せられた聖光波動がミカエルの光を相殺する。

 

「――ッ!」

 

「しかし解せない、何故カテレア・レヴィアタンの反応が無い? ……まあいい。――行け」

 

 魔人の命に従うように、二体の異形が襲い掛かる。

 座天使(ソロネ)悪魔王(アスモデウス)、共に漲らせたオーラの質量は莫大極まる。咆哮一つで嵐が起き、腕の一振りで地が割れる。

 力だけを比べるならば、二体とも間違いなく前魔王を超えていた。

 

 その威容を目の前にして、しかし一欠けらも臆さずに、アザゼルとヴァーリがソロネを、ミカエルと魔王たちがアスモデウスを相手取る。

 敵の攻撃は威力こそ桁外れだが、傍から見てわかるほど隙だらけだ。それを躱せない弱者などこの場におらず、故に戦いは一方的に進む。

 光槍と魔力弾が翼を貫き車輪を割る。

 凍結魔力が蛇身を封じ、聖光剣と消滅魔力が巨体を消し砕く。

 だが、敵は止まらない。

 

 二体の異形は傷を受けた次の瞬間には肉を、骨を蠢かせながら再生と復元を行っていた。血を流し、叫び声をあげながら瞬く間に回復を終えるその姿は、どこか悲痛で物悲しい。

 それも当然、彼らは強制的に命を使わせられている(・・・・・・・・)

 

「天使はどうだったか知らんが、悪魔は確か1万年だったか? その分の生命力を1年の枠に圧縮している。兵器として使うにはちょうどいい塩梅だ。全てを消し飛ばす勢いでやらなければ、そいつらは死なんぞ」

 

「ちっ、ここまで命を弄ぶか、このクソ野郎が……!」

 

 異形どもの背後に控える魔人へと、アザゼルが怒りに燃えた目で吐き捨てる。

 

「何を憤っているアザゼル。堕天使にとっては悪魔も天使も敵だろう? それともまさか、本当に手を取り合って仲良くしようなどと思っているのか? そも貴公ら、揃いも揃って人間のような反応ばかり返して、いったい全体なんなのだ。理解ができんぞ気持ちが悪い」

 

 その言葉に、魔人は意味がわからないとでも言うように眉をひそめた。

 どうやらアザゼルの反応はそれほどまでに意外だったらしい。

 

「ああ、貴様にはわからんだろう高円雅崇」

 

 それに答える男が一人。

 輝く白銀の切っ先を天に、蜻蛉の構えで修太郎が魔人を睨む。

 

「いくら無限の視点を持とうと、それを雑音と認識しているうちは理解できる道理など無い。そもそも理解しようとすら思わぬくせに、身勝手な貴様の論など誰も聞きたくないのだ。そこまでして静寂が欲しいと言うのなら、ここで滅びて無明の闇に帰れ」

 

 背後に立つ黒歌が呪文を紡ぎ、術を構築する。

 修太郎の足元に魔法陣が敷かれ、そこからサンスクリットの術式――神々のマントラを中心にした呪文の帯が修太郎の太刀に巻き付き一体化、極大の刀身を形作った。

 星をも貫くその威容、灼熱に燃える朱と黒(ルージュノワール)火神(アグニ)の刃。先の術式付与(エンチャント)などとは比べ物にならない強度と鋭さに、この場の誰もが戦慄した。

 

 霊的器官(チャクラ)の第五――今現在の限界まで全開放。

 チャクラは闘気のブースターとしても用いることができるが、それとは別に第一から第五までがそれぞれ地・水・火・風・空の五大と密接な関係を持つ。その全てを励起させつつ、火の性質によって黒歌が創り上げた焔の刃と同調し、空の性質によって刃に高位の干渉力を与える。

 

 脱力からの緊張。皆が異形を迎え撃った中で、既に準備は済んでいる。

 修太郎が誇る斬撃の究極――『(いかづち)』の剣は、元来が高円雅崇を討ち取るために編み出されたものだ。神々すら認識できない超神速、閃光をも追い抜く人越剣は、三式障壁など当たり前のように無効化する。

 そして遥か天へと伸びるこの刃、全長にして300メートルを超えるそれによって、今や学園全土が修太郎の間合いに納まった。

 もはや逃げ場は何処にも無い。

 

 これぞ人魔連携、月緒流退魔剣術・降魔剣が崩し――『灼火天鎚』。

 

 斬撃が通り過ぎるのと、大地に鋭い斬傷が刻まれるのは同時。そして遅れることコンマ2秒後、朱と黒(ルージュノワール)の火柱が天地を繋ぎ、空間を粉砕した。

 刃の直線上にいたソロネは二つに分かたれ、直後に爆発四散。高位の干渉力が魂を砕き、それと共に消滅していく。

 爆炎を受けたアスモデウスは右半身を喪失し、今も叫びながら再生しようともがいている。しかしながら魔の存在が浄化の炎を受ければただでは済まない。修太郎により高められたマントラの神気が傷口を蝕み、それ以上の再生を阻害していた。

 

 そして魔人・高円雅崇は――。

 

「なる、ほど……。これが、今のお前が持つ切り札か……大した威力だが、しかしどうやら現状は一撃放つのが限度のようだな」

 

 失った左半身を燃える邪気で覆いながらもなお健在。溜まりに溜まった障壁の揺り起こしを全て念動力の防御に回して、致命傷を逃れていた。

 しかしその表情は苦悶一色。肉体そのものが維持できなくなってきているのか、徐々に輪郭が崩れていく。

 

「……ちっ」

 

 そして魔人の言う通り、修太郎も疲労困憊だった。

 ただでさえ肉体的負担が大きい『雷』の使用と併せて、チャクラの全力稼働と精密制御を同時に行うとなれば、修太郎をして全精力を消耗してしまうほどだ。そしてこの技、完成もしていなければ練度も低い。戦闘続行はともかく、先ほどの一撃を再度放つのは不可能に近かった。

 

「さて、ここらが潮時か……。得る物もあったとはいえ、今回はおれの負けだな。赤龍帝を侮ったこと、兵藤一誠に謝っておいてくれ」

 

「馬鹿を言うなよ高円雅崇、この期に及んで俺たちが見逃すと思うか?」

 

 立ち去ろうと印を構える魔人の前に、アザゼルたちが立ち塞がる。

 修太郎が厄介だと言っていた理由がよくわかった。こちらを封殺してきた手並みといい、先ほどの『蛇』といい、この男は危険すぎる。

 だが満身創痍の魔人は目の前の敵を無視して修太郎へと語りかける。

 

「ああ御道、確か先ほどおれの鬼神どもはどうしたと聞いていたが――もし既に打ち上げた後(・・・・・・)だと言ったらどうする? 覚えているだろう、第一天将だ」

 

 それはまるで世間話をするように、何気なく。

 しかし、その内容を聞いた修太郎は目を見開き戦慄した。

 

「――そら、落ちてくるぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それ(・・)は遥か天上にて待機していた。

 暗黒の海に最も近く、青い生命の星を望むその場所――衛星軌道上にて速度を増しながら待つこと数時間、遂に命令が下る。

 それが持つ能力は多くない。呪いを放つ訳でもなければ空間を操るわけでもなく、ただただ大きく硬いだけだ。それでも何か取り柄を挙げるとすれば、火を吐けることぐらいのものだろう。

 

 故にこれから行うことは至極単純、その巨体で以って敵を圧し潰す。

 

 前を向く鋼の鬼面が歓喜に歪み、後背の鬼面が炎を吐く。

 高円雅崇が誇りし超絶の式神、鬼神の暴威が今、高度1200キロメートルの彼方より駒王学園目掛けて落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クロッ!! 全力で学園上空に障壁を張れ!!」

 

「わ、わかったにゃん!」

 

 今までになく焦る様子の修太郎に、わからないながらも事態の深刻さを察した黒歌は、最速の術式構築で可能な全力の防御障壁を張り巡らす。

 そして、間もなくそれは訪れる。

 

 落ちる灼星、破壊の鉄槌。

 大きさにして直径100メートル、質量は千トンそこらでは収まらない。鋼で出来た両面の鬼頭――陰陽五行が金行を司る第一の天将・無銘凶星。

 超音速にまで加速した巨体が秘める運動エネルギーは、核爆弾など比べ物にならない破壊力を持つ。

 展開に間に合ったのもむなしく、鋼の鬼は黒歌の張った無数の障壁を紙屑の如く破り捨てていく。

 

「ミカエルッ、サーゼクスッ!!」

 

「ええ、わかっています!」

 

「これで終わらせはしない……!」

 

 学園を覆う結界に迫るそれは、しかしさらなる壁に阻まれた。

 三大勢力トップによる共同の光壁防御が、鬼神を刹那押しとどめる。そこへ駆ける白い閃光は白龍皇ヴァーリ。

 

Divide(ディバイド) Divide(ディバイド)!!』

 

 腕をかざして遠隔からの連続半減化が鬼神の勢いを大きく削る。

 

「負けないんだから! 『零と雫の霧雪(セルシウス・クロス・トリガー)』!!」

 

 結界を突き破った鬼の顔面に絶対零度の嵐が直撃する。

 が、これで限界。迎撃は叶わず。

 

『皆さまがた、転移します』

 

 グレイフィアの念話が全員へ届くと同時、駒王学園は消滅した

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――なんなんだ、あいつはッ!!」

 

 アザゼルが壁を叩く。

 修太郎たちが住むマンションの屋上に、学園にいた全員は転移していた。速やかな大規模転移はグレイフィアの腕前もそうだが、転移先にベオウルフがいたことも大きい。

 遠くには紅蓮の光に包まれた学園敷地が見える。今も感じる地響きは中規模の地震と相違なく、もしもヴァーリが半減化に成功していなかったら、グレイフィアが学園を囲う結界を強化していなかったら、鬼神が起こした破壊の余波だけでこの町は崩壊していただろう。

 

 魔人は、こちらが逃げずに迎撃するだろうと確信していたのだ。

 下手をすれば自分の身すら消し飛ばしかねない行動をとったのは、あるいはアザゼルたちではなく、修太郎を信じていたのかもしれない。

 ともあれ高円雅崇はまんまと逃げおおせたに違いなく、一同の表情は暗かった。

 

「俺らの部下どもは死傷者多数、捕えた『禍の団』構成員は生命力の枯渇でほぼ全滅。クルゼレイもあの調子じゃ生きちゃいないだろう。カテレアが残っているのは幸いだが……クソッ、やってくれるなあの野郎……!」

 

「……私たちは一度天界に戻り、和平を含めた今後の対策について講じてきましょう。ヴァルハラと、須弥山への説明もしなくてはなりません」

 

「すまないミカエル。私たちはこの場の後始末を行おう。怪我人も多いことであるし、どうにも今夜は騒がしすぎた。人間たちへの対処も行わなければ、今回のことが一般人に知られるとまずい」

 

「そうですね。しかしあなたも我々を時間停止から守ったことで相当疲労しているはず。少し休むと良いでしょう」

 

 魔王たちのやり取りを背後に聞きながら、修太郎は周囲を見渡す。

 兵藤一誠をはじめとするグレモリー眷族に、ソーナ・シトリーと真羅椿姫、天使・堕天使・悪魔の軍勢、わずかに残った『禍の団』の構成員……大勢の人物が集う中、その大半が怪我人だった。

 黒歌は臥せる塔城小猫の方へ行っている。ギャスパー・ヴラディの件も合わせて、高円雅崇の施術を受けたというのなら彼女が一度診た方がいいだろう。

 

 ここであの魔人を滅ぼせなかったのは痛い。

 あの鬼神、修太郎が戦った頃はまだ10メートルほどのサイズしかなかった。それでも脅威的だったのに、まさか魔王級が揃って防御に徹してさえ防げないほど強化されているとは。

 天将は高円雅崇が攻撃の切り札たる式神だ。全部で六つ、先ほどの鬼神は不可能だったが、大半を以前の戦いで破壊している。しかし時間が経った今、どれほどまで取り戻しているか見当がつかない。

 そもそもが何故、4年以上の時間をかけて完全復活していないのか、それが疑問だった。

 

「修太郎さん」

 

 掛けられた声に振り向けば、鎧を纏ったロスヴァイセがこちらに近づいて来ていた。

 

「ロスヴァイセ、今回はキミのおかげで随分助かった」

 

 兵藤一誠が異界の要に突入する際、その守りを全て破壊したのは彼女が放った魔法だ。もしも自分の身に何かあった場合に備えて、修太郎は事前に彼女へ協力してくれるよう頼み込んでいた。

 修太郎の身体には、今も彼女がかけたマーカーがついている。体育館ではそれを通じて外部に簡単な連絡を取ることができた。

 どうやら異界内部への侵入は出来なかったようだが、簡単な合図だけで一誠の攻撃とタイミングを合わせたのだから流石と言わざるを得ない。もしも何か一つずれていたら、修太郎たちは既に全滅していただろう。

 

「いえ、お役にたてたのなら良かったです。それよりも、どこか怪我をしていませんか?」

 

「ああ、掠り傷程度だ。しかし……」

 

 紅蓮に沈んだ学園を見る。

 何もしなければ一地方まるごと灰燼に帰す規模の攻撃を躊躇なくやってのける。高円雅崇はそういう男だ。

 あれは一人で完結している。他者にかける情など、理解はしても欠片たりとて持っていない。有したモノが強すぎるが故に、自分以外の全てを騒音としか捉えることができない欠落者だ。

 

 高円雅崇には生まれながらに優れた感覚があった。それは第六感や霊感、あるいは虫の知らせ――などと呼ばれるものとは一線を画す代物で、神仏をも超える圧倒的上位者、つまりは龍神(オーフィス)の視点だ。

 人の手に余るほどの知覚領域は彼に超越的な力を与えた。三式障壁という秘術を常時運用できるのも、衛星軌道上という超遠隔地に式神を飛ばせるのも、その感覚があればこそ。

 しかし同時に、それは赤子の頃から精神を苛ませてきた病でもあったのだ。

 

 耳を塞いでも、目を閉じても、ありとあらゆる感覚封印の業を施しても、常に何らかの情報が頭の中へと土足で入ってくる。

 たとえばそれは触覚として。たとえばそれは味覚として。たとえば嗅覚、たとえば視覚、たとえば聴覚。

 どこかの誰かが感じた感情。心の奥に秘める想念。遠いどこかで地震が、嵐が起きた。火に焼かれて誰かが死んだ。苦しい。痛い。悲しい。辛い。

 知らない誰かの達成感。何かを成したという歓喜。美味しいものを食べた。長年の想い人と添い遂げた。嬉しい。幸福。心地よい。

 身体の上を虫が這い、突如として知らない景色が頭の中に映り、背筋を貫くほどの快楽と絶頂が駆け巡ることもあれば、全身の神経を激痛が襲うこともあった。

 それが、起きている時はおろか寝ている時でさえ途切れない。

 

 オーフィス本人であれば無意識レベルで制御できるだろうそれも、元は人間でしかない高円雅崇にはどうしようもなかった。彼の一族に目覚めた超能力が助長した面もあるのだろう。

 加えて彼の生まれた時代、戦乱の世は激情に満ちている。仙術の素養という優れた才能が仇となり、遠隔地の邪気までが身体の中に入り込む。

 心は鬱屈し、疲弊し、しかし周りには理解者がおらず、よって世間への嫌悪感だけが募る。何かを壊したい衝動が止まらず、感情が制御できない。

 他者を顧みる余裕など、生まれた時から彼には無かった。

 

 「この世は五月蠅い」と、かつて魔人は修太郎に言った。

 

 故に真の静寂を望むのだ、と。

 ヴァーリから聞くに、オーフィスの目的も同じであるらしい。

 奇しくもその原因である存在と同じ願望を抱いたのは皮肉以外の何物でもないだろう。件の龍神はそれを次元の狭間(ふるさと)に望むがしかし、高円雅崇の故郷はこの地上、この宇宙である。

 だからこそ、自分以外をすべて滅ぼそうと企んだ。

 

 高円雅崇の目的は、所謂ところの世界滅亡。

 あれの標的はそもそも日本だけではなかったのだ。

 

 その願望は生物として完膚なきまでに終わっている。邪気と呪いに飲まれ、狂った思考はもはや手遅れ、故に必ず滅ぼさねばならない。

 だが、再び出会った魔人からは何か違う思惑を感じる。それが何かははっきりとつかめないものの、それでも奴は敵なのだ。

 

 しかし、世界を巡り数多の技を身に着けたことでかつての力を取り戻したと思っていたが、それだけではまだ足りないらしい。

 

「どうかしましたか、修太郎さん?」

 

「いや、なんでもない。ただ、月が綺麗だと思っただけだ」

 

 この因縁に決着を付けなければ、きっとこれ以上前には進めない。

 胸の奥でうずく歪な感覚を押し殺し、修太郎は蒼く輝く月を見つめた。

 

 一方、男の言葉を聞いたロスヴァイセは顔を赤くし、小猫を診る黒歌は不穏な気配に耳を反応させるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「マサタカ」

 

「……オーフィスか。久しいな」

 

「ん。マサタカ、ドライグの匂いがする」

 

「ああ、気を取り込んだからだろう。今代の赤龍帝は、中々意外性のある宿主だった」

 

「傷だらけ。蛇、いる?」

 

「不要だ。放っておけばじきに治まる。しかしまさか、おれがいないうちにここまで大所帯になるとはな。まあ利用するにはちょうどいいから文句は無いが……問題は俺自身の手が足りんことだな。兵隊を集めねばならん。しかし御道よ、お前はおれが変わったことなど気付かぬのだろうな。理解した気になっているのは、はたしてどちらなのか……」

 

「マサタカ?」

 

「自らの心すらわかっておらんとは、相変わらずの頑迷さだよ。互いに持ち時間は少ないのだ、そのままでは少々容易すぎるぞ。興が醒めてしまう」

 

「マサタカ」

 

「む、どうしたオーフィス」

 

「マサタカ、我、いつになったらグレートレッドを倒せる?」

 

「そう遠くないうちに。真龍グレートレッド……せっかく取り戻した肉体と引き換えにしたが、実際に戦ってみてわかった。倒すための算段は立っているし、準備も順調に進んでいる。忌々しくも愛おしき、我が大いなる父にして母よ。おれが必ずグレートレッドに勝たせて見せよう」

 

「ん」

 

 

 




これにて魔人戦終了。
投稿も遅れてしまいましたし、文章もグダグダ感がありますね。
申し訳ないけれども、どうしたものか。

魔人の障壁はおよそ単発の攻撃ならどれほど威力が高かろうとほぼ確実に回避できます。
レーティングゲームで言えばテクニック・カウンターを得手とするウィザード。接近もかなりいけるクチ。
いわばグレモリー眷属に対する天敵です。ある程度まともにやりあえるのは木場ぐらいでしょう。
弱点は浄化系。つまり黒歌。全力で大魔猫を使えば一応勝てますが、後から落とされるメテオに対して時間稼ぎができなくなるのでその場合全滅します。
サーゼクスが本気出しても同様。と言うか消耗も激しく、周囲を巻き込むので出せませんね。

魔人の発生はほとんど全部オーフィスのせい。
ちなみにオーフィスは魔人の一族に力を渡した後、ものの見事にそれを忘れています。
長い時を生きる龍神にとって、人間なんて所詮その程度。

※なぜかパンツアーマーのルビ振りが反映されない……。文字数の関係?

※話の最後、コピペ漏れてた部分を追加しました。


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第三十一話:魔の夜、明けて

 白を基調としたリノリウムの廊下をリアス・グレモリーは歩く。

 窓の外を見れば燦々と輝く太陽、ここは駒王町にある悪魔の息がかかった病院施設。

 

 会談の夜から五日、学園を中心に町を襲った被害は全て突然の直下型地震によるものとされた。目撃者などへの記憶修正や隠蔽も滞りなく済み、駒王町は一見元の様子を取り戻している。

 丸ごと消滅した駒王学園に関しては、地震の影響に対する点検と称して一週間のあいだ休校とし、悪魔たちの手によって復興作業が進められている最中だ。

 

 何しろ結界によって閉じ込められた鬼神の破壊力は地下数百メートルまで抉る大穴を作っており、いくら悪魔の建築技術が非常識的な物であろうと二日三日でこなせる規模ではなかったのだ。リアスは知らされていないことだが、一誠の魔剣による一撃がさらに1000メートル近い穴を穿っていたため、整地作業を非常に困難なものとしていた。

 

 今朝の様子を見るとどうやら外観だけは元通りになっていたようだが、これから防護・警備関係の術式を追加する予定らしい。コカビエルの襲撃に続き、今回の大破壊もあって、悪魔側の意向(リアスが思うにおそらくはサーゼクスの案)から学園を要塞化するようだった。

 三大勢力和合が成立した地であり、力を引き寄せる性質を持つという赤龍帝がいるのだ。土地の人間に対し悪い作用があるわけでもなし、別段あって困ることは無いだろう。しかし管理している立場のリアスからすれば自身の実力不足を実感してしまい、何とも言えない気持ちになる。

 

 今回、リアスは襲い来る敵に対して時間を稼ぐだけで何もできなかった。

 無論、その行動に価値が無かったとは言わない。人員的な被害を軽減させるだけでも有益ではあっただろう。

 それはわかる。しかしながら、後の展開を見る限り敵――魔人・高円雅崇にとってはどうでもいい足掻きだったに違いない。何せリアスたちが堕天使モドキをどう打倒しようが、最終的には宝貝の猛威と鬼神の一撃で以って全て喰らい尽くす手筈だったのだから。

 魔人の目は徹頭徹尾、あの場に集った強者にしか向けられておらず、そしてその中にリアスはいない。敵の眼中に映らないことが、これほどまで悔しいことだとは思わなかった。

 

 それは木場とゼノヴィアも同じだ。

 呪いによる霊的なダメージが大きかったリアスたちに比べ、二人は特に外傷が酷かった。魔人と化したフリード・セルゼンは終始二人を圧倒しつつも、一息に殺さず嬲り続けていたらしい。せっかく覚醒した聖魔剣も、扱いが向上した聖剣も、あの狂った少年の前では歯が立たなかった。二人の悔しげな顔が脳裏に浮かぶ。

 

 もしも一誠が異界の破壊に成功しなければどうなっていたか、結果は言うまでもない。あの場は間違いなく死地だったのだ。

 

 その一誠は魔人と戦う中で、正式な禁手(バランス・ブレイカー)に至った。

 眷族の主としては誇らしいことであるがしかし、彼の禁手は未だ不安定であり、問題点が非常に多く、実戦で運用するに耐えられるものではないのだと言う。魔剣の力も同様で、禁手状態にならなければ出すことすらできないとのことだった。

 

 分析・解析したのは神器(セイクリッド・ギア)マニアの堕天使総督アザゼル。性格的にはともかく、神器に対する知識は彼の右に出る者などいないのだから、まあ正確ではあるのだろう。

 本来であればあの時点の一誠は禁手に至れる器ではなかった。そのことが大きく関係しているらしい。つまるところ、今後も要鍛錬ということだ。

 リアスを含め、眷族もパワーアップを図っていかなければならない。

 

 そうこう考えているうちに、目的の場所に着いた。

 個室の扉横に備え付けられたプレートには『塔城小猫』の名前が書かれている。

 リアスはそれを確認すると、ノックをして部屋の中に入った。

 

「こんにちは、小猫。具合はどうかしら?」

 

 備え付けられた大きなベッドに上体を起こした小猫が見える。その傍らには彼女の姉、黒歌が椅子に座っていた。

 

「部長……こんにちは」

 

「はぁーい♪」

 

 無表情のままぺこりと頭を下げる小猫に、手をひらひらと笑んで応える黒歌。何とも対照的な姉妹だな、と思わざるを得ない。

 

「さて、お姉ちゃんはこれで退場するにゃん。そんじゃ白音、大人しくしてなさいよ?」

 

「……わかっています」

 

 その言葉を聞いた黒歌は立ち上がった。もう用は済んでいたらしい。

 

「黒歌、小猫の様子はどうなのか聞いてもいいかしら?」

 

「どうもこうも、報告はしてると思うけど……まあいいにゃ。前と変わらずよ。地脈の気を受け過ぎたせいで仙術の感覚が全開放されて、暴走してる。これは正直、自然に治るようなものじゃないにゃん」

 

「そう……」

 

「ま、今は私の方で封印を施してるから、そう大事にはならないだろうけど。どっちにしても仙術を覚えてコントロールできないと、自然の気だけじゃなく邪気まで吸収し過ぎて危ないにゃん」

 

 黒歌の返答は予想通りだった。

 小猫とギャスパーについて、修太郎と黒歌の推測によれば、彼女たちは会談の前日に魔人の手によって式神と入れ替えられていたらしい。

 そうして会談が始まるまでの間、校舎中に呪符や術式などを仕込むことで異界化の準備を進めさせられていた。

 

 本体は学園地下に作られた大空洞の法陣に組み込まれ、小猫は猫魈の資質を利用して地脈を制御する器に、ギャスパーは上位陣を封殺するための装置として使われたのだと言う。会談直前で式神の彼女たちが体調を崩していたのは、これらの術式が稼働し始めたことによる。

 ちなみに地下大空洞に関しては魔人が使役する蠱毒虫が作ったものらしい。公開授業の時にフリード・セルゼンが持ちこんでいた包みの正体がそれだったようだ。

 

 いくら霊地ではなかったとしても、大地を巡る気の質量は膨大だ。それを一時的に未熟な身体で受けた小猫は、その身に秘めた才能を限界以上に解放したまま戻らなくなってしまっていた。肉体の気脈――経絡系は拡張され、気の最大容量(キャパシティ)そのものが以前の五~十倍まで跳ね上がっている状態だ。

 

 一切の修行を積んでいないにもかかわらず、スペックだけなら黒歌と同等かそれ以上。これほどまでに体質が変わっていながら、未だ小猫が自我を保ちつつ五体満足で生きているのはもはや奇跡の領域だった。高円雅崇はギャスパーだけでなく小猫も使い捨てる気だったに違いない。

 しかしながら、今まで仙術の習得を忌避してきた少女にそれを制御する術は無く、故に意識が戻り体調が回復した今でも、結界に覆われた病院の個室で安静にしていなければ邪気に呑まれて正気を失う可能性が高かった。

 

「という訳で、これから私が白音に仙術を教えるから。よろしくにゃん♪」

 

「ええ、それは願ってもないことだけれど……」

 

 小猫を見ると、頷いて肯定した。リアスが来るまでの間に二人でそういった話を進めていたのだろう。

 転生者の増加により今までの魔力一辺倒ではなく、様々な術の使い手も増えてきた悪魔勢力だが、仙術の使い手は未だ貴重だ。黒歌は特に力の強い高位術者であり、その指導を受けられるということであれば、むしろこちらから頼みたいぐらいだった。

 

「でもあなた、地脈の整備もやらなければならないのでしょう?」

 

「だから今はその合間を見てになるけどね。とりあえず基本だけ覚えさせて日常生活に復帰できるようにするけど、本格的にやるのはあと2・3週間は無理かにゃん」

 

 腕を組んで胸を持ち上げながら黒歌は答える。

 無理矢理な方法で学園を疑似的な霊地に仕立て上げたことと、空間宝貝の凶悪な効果が合わさった結果として、現在の駒王町は土地の力を著しく弱めている。それによって世界を正しく循環するはずの気が滞り、不運・凶運などの良くない気が溜まる状態にあった。

 連鎖的に土地神の加護も弱まったことで、このまま放置すれば町中に悪霊が蔓延り、不幸な事故が頻発する不吉の土地になるだろう。

 

 三大勢力にもパワースポットの管理を行える者は存在するが、決して数は多くない。それにしても気や生命力という分野に干渉するには仙術使いが最適なのだ。

 会談の警備で獲得した敵の情報源(成果)を高円雅崇の手によってほとんど駄目にされた黒歌は、サーゼクスより打診されたこの仕事を受けることで代替とするつもりだった。とはいえ、一応できるというだけで専門的に技術を修めている訳ではない。故に迅速な解決とはいかず、難航している状況がある。

 

「じゃ、そういうことで。忙しいからもう行くにゃん。ばいにゃーん」

 

「ええ、ありがとう黒歌」

 

 手と尻尾をひらひら振りながら黒歌は去って行く。「仕事なんてめんどいにゃー」などとぼやき、気だるげに姿を消した。

 それを見届けたリアスは黒歌が座っていた椅子に腰かけ、小猫と向かい合う。

 そうしてしばらく、小猫が口を開いた。

 

「……姉さまから、前の主を殺した理由についての話を聞きました」

 

 黒歌の主が眷族の能力向上に並々ならぬ関心を寄せていたこと。

 その一環として眷族当人はおろか、その血縁にまで無茶な強化を強要したこと。

 そして猫魈の力に興味を持ち過ぎた主が白音――小猫にまでそれを行おうとしていたこと。

 軽い口調で隠してはいたが、つまりは小猫を守るために主殺しをやったということなのだろう。

 

 当時、仙術の習得によって邪気に呑まれかけていた黒歌は自身の殺意を止められず、短絡的な殺害行動をとることしかできなかった。今よりも小さく弱い小猫を連れて逃げることもできないが故に、置いて行くしかなかったのだ。結果として小猫を辛い目に遭わせてしまったことを、黒歌は謝罪した。

 

「そう……小猫はどう思ったの?」

 

「……姉さまが理由も無くあんなことをしたんじゃないということがわかって、少し安心したような気がします。それでも、まだ許すことはできないのかもしれないけど……向き合うことはできるはずだから。だから私は仙術を覚えたい。みんなのためにも私はもっと強くならなければいけません」

 

 黒歌の罪は、ある意味で悪魔社会全体の問題とも言える事柄だ。

 しかし、その理由を聞いたとして、すんなりと受け入れるには時が経ち過ぎてしまったのだろう。

 だが、答える小猫は覚悟を決めた様子だった。

 姉はあの時、確かに力に呑まれたけれど、やはり姉だったのだ。それを知ることができて、自らの力に対する忌避感は絶対ではなくなった。

 今の自身の状況と、今回の一件で感じた無力感を鑑みても仙術の習得は必須事項。何より姉と向き合うために、このトラウマを小猫は乗り越えなければならない。

 それを聞いたリアスは微笑んで答える。

 

「なら、私から言うことは何もないわ。仙術の習得、頑張って頂戴。もちろん、無理しない範囲でね」

 

「はい!」

 

 気合いを入れて答える小猫。

 その後は近況の報告と雑談をする流れとなる。

 どうにも小猫は味気ない病院食に辟易している様子で、リアスが見舞いで持参したお菓子や果物をしきりに気にしていた。外に出られないというだけで体調的には普段と変わりないのだから、食いしん坊の気がある彼女にとって入院生活というのは中々に辛い環境なのだ。

 そうして一通り話し終えた後、小猫は尋ねる。

 

「部長、ギャーくんの様子はどうなのですか?」

 

「ギャスパーは……まだ目覚めていないわ」

 

 比較的早く目覚めた小猫に対し、ギャスパーは未だ昏睡状態から復帰できていなかった。

 命そのものに別状はないものの、魔王級の強者10名近くを封じた負荷は、神器を通して彼の精神に莫大な消耗を強いていた。いずれは目を覚ますとしても、後遺症が残っていない可能性は否定できない状況だ。

 

「そう、ですか……」

 

 落胆した様子の小猫は、悔いている様子だった。

 自身らを攫いにきたフリードと魔人に対し、ギャスパーを守ることはおろか大した抵抗もできなかったことが悔しいのだろう。

 

「私、頑張ります」

 

 そう言って、決意も新たに小さな拳を握りしめる少女だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 小猫と別れたリアスがギャスパーの病室に入ると、ベッドの上はもぬけの殻だった。

 

「そんな……!?」

 

 慌てて駈け寄り、シーツの上に手を置くとまだ温かい。

 風を感じる方向を見れば、そこには全開になった窓があった。同時に屋上から魔力の波動を感じる。これは、ギャスパーのものだ。

 考えるよりも先にリアスは屋上へと走り出していた。

 

 屋上の扉を開くと目的の人物はすぐに見つかった。

 風に流れる金髪に、少女が如き華奢な肢体、こちらに振り向く顔は人形と見まがうほど端正で、血の色を連想させる赤い瞳が美しい。嘘も紛れも無くギャスパー・ヴラディその人だ。

 しかし、違う。

 見れば、足元の影に沸き立つ不気味な『闇』が身体の輪郭を膜のように覆っている。

 吸血鬼の能力に影を操るものがあるが、それとはまた異質な暗闇だった。それを確認した途端、リアスの背筋を悪寒が走る。

 その様子に、少年が微笑む。

 

『そんなに怖がらなくていいよ、リアス部長』

 

 口を開いているのはギャスパーだが、発せられる声はどこか深いところから響くようだった。

 輝く太陽に手をかざして視界に影を作りながら、言葉を続ける。

 

『あまり運動していないのもあれだから、こうして外に出てみたけれど、やっぱり光や太陽は苦手だね。眩しくて仕方がない』

 

「……あなたは何者? 高円雅崇と関係があるのかしら?」

 

『高円雅崇……あの男だね? でも彼と一緒にするのはやめてほしいな。確かに気持ちはわからないでもないけれど、僕はまったく無関係さ。あなたが知るものとは少し違うけど、僕もギャスパー・ヴラディだよ。そうだね、今は別人格……とでも言えばいいかな?』

 

「別人格……?」

 

 戸惑うリアスにギャスパーが答える。

 落ち着いた低いトーンの声音は常の怯えた彼とは正反対で、違和感しか感じない。

 

『あの男はギャスパー・ヴラディを調整する段で僕の存在に気付いた。それで何か思いついたんだろうね。呪いに染まった龍神の力を入れようとしたんだけど、僕とは相性が悪かったせいか失敗したようだよ。それで、こうして表に出られるようになったんだ』

 

 様子だけなら前から見ていたんだけど、とギャスパー。

 そんなことなど知らないリアスは、やはり困惑するしかない。『変異の駒(ミューテーション・ピース)』の僧侶(ビショップ)ということで元来が優れた才能を持つとされていたギャスパーだが、神器以外にもまだ何かあるのだ。

 

「あなたが別人格だと言うのなら、今までのギャスパーはどうなったの?」

 

『心配しなくても、もう一人の僕は無事さ。精神にかかっていた負荷は途中で僕が肩代わりしたからね。じきに目覚めるよ。今回あなたの前に現れたのも、それを伝えるのが目的というわけだ。さて、僕は今すごく疲れている。しばらく眠るとしよう……』

 

 ギャスパーの輪郭から闇が剥がれ落ちていく。それと共に感じていた悪寒が引いていった。

 

「まって! ギャスパーがヴラディ家から離れたのはあなたが原因じゃ……」

 

『リアス部長、急いではいけない。もう一人の僕は僕のことを知らないから、彼がそれに向き合えるほど強くなるまで待つことだよ。それじゃあ、またいつか……』

 

 リアスの制止もむなしく、ギャスパーはその場に崩れ落ちる。

 駆け寄って確かめると静かな寝息を立てていた。

 

「もう、いったいなにがどうなってるの……?」

 

 もう一人のギャスパーの言葉が本当であるならばまさしく朗報だが、それよりも最近の激動極まる事態にリアスは頭を抱えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

 修復――もとい新規建築された駒王学園の職員会議室に、修太郎は呼び出されていた。

 場にはサーゼクスとアザゼルの姿があり、通信法陣の窓にミカエルの顔が浮かんでいる。

 

「暮修太郎くん、今回キミに来てもらったのは他でもない『禍の団』への対処についてだ」

 

 サーゼクスの言葉にアザゼルが続ける。

 

「先日報告があったことなんだが、こっちの会談が終了した直後にヴァルハラと須弥山へ『禍の団』が襲撃を仕掛けたらしい。それについてはまあ、結果として問題なく対処出来たようなんだが……」

 

『突然敵の何人かが異形の姿に変じたのです。――あの時のように』

 

 ミカエルが答える。

 三大勢力のはぐれ者たちは神々の力に敵わず容易く撃退されたが、撤退の最中にその身を化け物へと変えた者がいたのだと言う。

 それはつまり。

 

「『禍の団』は、高円雅崇に掌握されている」

 

「そういうことだな。ヴァーリの情報によると最大派閥だった旧魔王派のトップはシャルバ・ベルゼブブだが、先のクルゼレイを見るにもう陥落していると予想していい。あれからまた少し調べたが、あの魔人はそういうことが得意なんだろう?」

 

「ええ、前はそれで邪教集団を乗っ取り、大鬼神を復活させました。しかしそうなると、今の奴には組織を欲する理由があるということになります」

 

 高円雅崇はその有り余る能力で以って、大抵のことを一人でこなせる。

 あの男にとって他人とは須らく邪魔なものでしかなく、故に組織を率いるとなればそれが必要だからに他ならない。

 単純に手が足りないのか、それとも『生贄』でも欲しているのか。わからないが、あの男が関わる以上、最大級に厄介な事態を起こす可能性は高い。

 

「ふむ、理由か。以前は単独でやろうとしてキミに敗れたのだろう? それを反省して仲間を作ろうとしているのではないかね?」

 

「それもあるかもしれませんが、仲間や友といった間柄は奴と最も縁遠いものです。反省したとしても、もっと別の案を出すでしょう。いや、となると、なぜ奴はフリード・セルゼンの自我を残していた……?」

 

 手駒として利用するなら自我など不要なはず。言っては悪いが、フリードの人格にそれほどの価値があるとは思えない。

 そもそも、あの男がここまで多くの勢力を相手取るという悪手に出ること自体が不自然に思えた。

 考え込む修太郎へとアザゼルが口を開く。

 

「まあ、その話は置いておこうか。問題はあの男が『禍の団』を実質上率いている可能性が高いということだ。俺らを異形化させる『蛇』と本人の能力もそうだが、何より目的が危険極まりない。オーフィスを使って何をするつもりかは知らんが、こっちとしても積極的に攻勢を仕掛けていかなければヤバいことになるのは明白だ」

 

『他神話勢力にも協力を申し出てはみたのですが、高円雅崇という存在そのものが認知されていなかったためか快い返事はいただけませんでした。直接襲撃を受けたヴァルハラと須弥山は一考してくれるようですが……』

 

「そのようなわけで、我々は今回の事案を各勢力における死活問題と判断する。暮修太郎くん、私たち聖書の三大勢力は、キミの力を必要としている。どうか協力してはもらえないだろうか?」

 

 頼むサーゼクスの目は真摯だった。

 なるほど確かに日本を含む全世界において、魔人と最も多く戦い、生還し、そして打倒した存在は暮修太郎をおいて他にいない。

 

「仙術にも長けてるだろう奴を捕まえるのは、俺らじゃ至難の業だ。こっちにもいないことはないんだが、敵がいつ現れるかわからんとなっちゃあ、フットワークの軽い実力者が一人でも多く欲しいんだよ。報酬は言い値でいい、頼むぜ」

 

 アザゼルが続けて言う。

 魔人の障壁は一定水準以上の実力を持っていなければ触れることすら出来ないが故に、必然戦える者は各勢力の最上級クラスに限られてくる。それらの人員は総じて重要なポストに就いているため動きにくく、その点を言えば修太郎は適任と言っても良かった。

 対する修太郎の答えは一つ。

 

「それについてはこちらから申し出たかったところです。奴が今ここにいるのは、あの時自分が仕損じたからに他ならない。その依頼、受けましょう」

 

 修太郎の言葉にアザゼルは悪戯気に、他二人は安心したように笑んだ。

 

「そりゃあ良かった。じゃあ報酬はどうする? 金でも物でも女でも、俺らが提供できるもんなら何でも用意してやるぜ? お前さんにはそれだけの価値がある」

 

「望むのであれば、キミを転生悪魔とすることもできるが……」

 

「買い被り過ぎです。報酬に関しては、場面場面で適切な支援をいただければ結構。転生はやめておきましょう。おそらく『蛇』の餌食になる。見た限り、あれは人外にのみ効果を発揮する代物だ」

 

「わかるのか?」

 

「何となくなので確証はありませんが……おそらくは」

 

 人外だらけの『禍の団』において、地力で劣る人間まで異形化させる意味は薄い。自我を失い暴走すると言うのなら尚更だ。それでは魔法も神器も使えなくなる。洗脳の方がまだいくらかマシだろう。

 英雄クラスの力を持っているならば別だが、生命力を圧縮させる関係上、人間では片手落ちもいいところだ。リソースの面から見ても人外に特化して調整している可能性が高い。あの男はそういった技術において、殊更無駄を嫌う傾向があるのだ。

 

「なるほど。一応考えてはいたが、本格的に俺らも対策を練らないといかんな」

 

「それよりも、クロ――黒歌の恩赦に関する件ですが」

 

「それに関しては目下審議中……というより、彼女が地脈の整備を受けた段階で実質的に恩赦は決定しているようなものだ。言い方は悪いが、我々に益をもたらす存在であると判断された。戦時でもあることだし、否を唱える者はいないだろう」

 

「そうですか……それは良かった」

 

 サーゼクスの答えに安堵の息を吐く。

 しかしそれは同時に彼女も『禍の団』との戦いに参加するということだ。そもそも修太郎が参戦する以上、間違いなく黒歌もついてくるだろう。

 今の修太郎が高円雅崇を完全消滅させるためには彼女の協力が必要不可欠であるとはいえ、心境は複雑だ。

 

『とはいえ、要所の支援はこちらとしても当たり前に行うことではあります。やはり対価は支払わねばなりません』

 

「ああ、ミカエルの言うとおりだ。正当な対価を支払わねば正当な契約とは言えない。これは、悪魔のルールでもある。修太郎くん、何か要望があれば言うといい。なに、別に今すぐでなくとも良いのだよ」

 

「まあ決まらねぇってんなら、決まったあとで俺に言えよ。ガキどもの指導するのに、しばらくこっちで教師やるからな」

 

「そう言うのであれば少し考えましょう。……そうですね、では――」

 

 続く言葉は激しく開いたドアの音に邪魔された。

 そこから弾丸のように飛び込んでくる人影が一つ。褐色の小柄な身体に漆黒の翼を広げ、手に掲げる杖を煌めかせて部屋の中を縦横無尽に飛び回る。

 突然の出来事にしかし、修太郎は慌てず闖入者を捕えようと手を伸ばし――。

 

「カティちゃん☆ そっちはダメなのよ! 今大事な話をしているところなのだから!!」

 

 新たに現れたもう一人の声に遮られる。

 見ればそちらには魔法少女姿のセラフォルー・レヴィアタンが慌てた様子で立っていた。

 

「そんなのかんけいありません! カティはいだいな真のレヴィアたんなのです! てんしもだてんしもきらめくスティックでまとめてまっさつしなくては!!」

 

 そういって空中に静止した闖入者。

 それは有り体に言って幼女だった。ひらひらと可愛らしい衣服――修太郎は知らないが、アニメ『魔法少女ミルキースパイラル7オルタナティブ』主役の衣装に身を包む、眼鏡をかけた褐色の幼女。

 すごい、見たことがある。

 

「サーゼクス殿……あれは、まさかカテレア……?」

 

「うむ、黒歌の封印を受けたせいか、どうやら高円雅崇の『蛇』が発動しなかったようなのだが……」

 

「プッ、ククククククク……ハーッハハハハハハッ!! おいおいおいおい、何だそりゃマジ傑作じゃねぇか! 旧魔王さまが幼女でラブリーな魔法少女さまかよ!!」

 

『……その様子だと本格的に幼児退行しているようですね。記憶も失っているのでは?』

 

「まさしくそうなのだ。今の彼女はただの幼女。だからこそ、扱いに困っている」

 

 爆笑するアザゼルと、困惑する修太郎、ミカエル。

 困った表情のサーゼクスに、セラフォルーが言葉を放つ。

 

「可愛いからこれでいいの☆ カティちゃんは新しい私の妹にするのだから! レヴィアたん二世なのよ!!」

 

 そう言って、空中の幼女を抱き寄せた。

 露骨に嫌な顔をして、身を捩じらせるカテレア。

 

「めっちゃ嫌われてるじゃねえか」

 

「そ、そんなことないもの! 魔法少女仲間に悪い人はいないんだから!」

 

 狼狽するセラフォルーをよそに腕から抜け出したカテレアは身軽に着地。

 

「レヴィアびーむ! だてんしはまっさつします!」

 

「痛ぇ!?」

 

 脛に魔力光線を受け、悶絶するアザゼル。

 

「てんしもまっさつ!」

 

『待っ……』

 

 続いて放たれた光線が、ミカエルの通信法陣を砕く。

 

「あなたはさいこうのまおうではない!」

 

「ぶっ!?」

 

 ついでに魔力で取り出したらしきパイをサーゼクスの顔面にシュート。

 なんというか、この場はどうしようもなく滅茶苦茶だった。

 

「にんげんも……」

 

 ここで初めてカテレアが修太郎の存在を認める。

 何故か睨み合う形になった。

 

「…………」

 

「…………」

 

 体格は幼女、魔力も幼女、立ち振る舞いも幼女、ついでに匂いも幼女。

 この場で手に入るありとあらゆる要素を元に総評して、今のカテレア・レヴィアタンは完全に幼女だった。

 

「…………ふぇ……」

 

「!?」

 

 そして、修太郎の鋭すぎる目を見た幼女の類は必ずこうなるのだ。

 大きな瞳にみるみる涙が溜まり、そして間もなく決壊。

 

「ふぇえええええええええん!! にっ、にんげんがこわいぃ~!!」

 

「よしよし、大丈夫よカティちゃん、修太郎くんは悪い人間じゃないの☆ 私たちの味方なのよ」

 

 泣きじゃくりながらセラフォルーにしがみつく幼女。

 なんだか幸せそうなセラフォルーに対し、修太郎はもう何をしにここへ来たのかわからなくなってしまった。

 

「とりあえず、これがクロのせいと言うならば、この場は俺が切腹すればよろしいか」

 

「いや、その結論はおかしいだろ」

 

 こうして、修太郎は『禍の団』打倒のため三大勢力に雇われることとなったのだった。

 

 

 




そんなこんなでヴァンパイア編終了。
次回からのヘルキャット編(仮)は、主人公がいろんな人といろんな場所を巡る予定。

今回は小猫のポテンシャル大幅アップと早すぎるギャスバロの覚醒。
ついでにもう一人のレヴィアたん誕生。意味はあんまり無い……こともないかもしれない。
総括して魔人さんは超余計なことをした。

しかしこの小説、朱乃の影が超薄いな……。


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番外話:黒猫のメモリー~フランス編~

 ――あなたが部屋に入ると、机の上に見慣れた日記帳が見えた。

 ――身内ながらよくよく不用心と言うか、ずぼらと言うか。

 ――これでは見てくれとでも言っているようなものじゃないか、と。

 ――心の中で言い訳をしつつ、あなたは日記を開いた。

 

 

 

 □月#日

 

 やってきましたフランス!

 国民の大半がカトリックとかなんとかで、天使たちの影響が強い国だけど、私の術にかかれば潜入なんてあくびがでるほど簡単。基本、本気で隠れた仙術使いを見つけられるのは仙術使いだけなのよ。

 修太郎なんかは勘だけで当たりをつけるけど、それは例外中の例外。

 っていうか気配察知だけなら普通に仙人並じゃない、あいつ。範囲は私がだいぶ上だけど、精度はあっちの方が上だったりするし。

 

 まあともかくフランス。

 詳しくは知らないけど、もうフランスってだけで服とか美術品とか料理とか、なんか全体的なイメージからしておしゃれよね。

 セレブっていうか何っていうか……うーん、所詮貧乏暮しがデフォルトの私じゃ何と言っていいかわからない。

 

 でもやっぱりフランスと言えば料理!

 何だっけ、オーヴェルニュとかブルゴーニュとか? 地方料理がいっぱいあるみたいだから、これはもうフランス全土食べ歩きツアーね!

 と言いたいところだけど、実はお金があんまり無い。飛行機のチケット代、二人分だと結構かかったのが痛かった。

 

 私が猫に化けて荷物に紛れれば一人分浮いたかしらん? でも貨物室って寒そうだし、修太郎だけ一人で機内食を満喫するのも気に入らない。

 あのなんちゃらの団っていう盗人がもう少しお金持ってたら良かったのに。まあ言ってもしょうがないか。

 ともあれ稼がなくちゃ話にならない。

 

 となるとやっぱり修太郎が頑張ることになるのよね。っていうかこれ書いてる時点で頑張ってるんだけど。

 即興でアクロバティックな動きをしたり、そこらへんに落ちてた良さげなものでジャグリングしたり。適当な店で買った仮面をかぶって、それっぽく。

 客の人が投げてくるものまで加えて、もう何十個っていう物を器用に投げてはキャッチしてる。傍から見て現実感が湧かないレベルの催しになってて、空き缶が硬貨と紙幣でいっぱい。

 かつてないほど大盛況ね。もうこいつ、大道芸だけで生きていけるんじゃないかしら?

 

 でもって私は横で見てるだけ。

 何この役立たずな感じ。

 楽をできるのはいいけど、こんなのちょっとみじめじゃない。ちょっと猫に化けてって物申して来よう。

 

 (ここから先の筆跡が荒くなっている)

 

 修太郎のバカ!

 なんで私までジャグリングするのよう!

 私に物が当たらなかったのは凄いけど、ちょっとは相談ぐらいしなさいよ!

 あの後しこたま引っ掻いてやったけど、どうせ10分もすれば傷跡も残らないし、うっぷん溜まりっぱなしだわ。

 私がいないとこの国の人と話もできないくせに! こんど言語通訳のリンク切ってやろうかしら。

 

 

 

 

 □月+日

 

 修太郎にサーカスのスカウトが来た。

 場所を変えてたとはいえ連日おんなじような事やってたら当然よね。

 なんかパソコンの動画サイトとやらにアップされてたみたいで、是非我がサーカスに入らないか? とのことらしい。

 そんなことよりこれガッツリ私の姿映ってるんだけど。絶対悪魔側にバレてるんだけど。

 

 という訳でスカウトは断って逃げ出した。

 お金を稼げるなら惜しいことしたと思うんだけど仕方ないわよね。

 実はこれ以上ごくつぶしになることが不安だったのは内緒だ。

 

 案の定、私たちが町を出た直後に悪魔と天使の小競り合いがあったみたい。追撃部隊が来たのね。まあ戦っても負けることは有り得ないけど、危なかった。

 そうそう、この間初めてフランスの高級レストランに行ってみたんだけど、料理が順番に出てきてびっくりした。というかマナーに苦労した。修太郎がそういうの載ってる本を買ってなかったら、本当に赤っ恥かくところだったわ。貧乏人が無理に行く所じゃないってことね。

 でも美味しかった。また食べたいな。

 

 

 

 

 ※月@日

 

 なんだか最近寝苦しい。

 別に安宿のベッドが硬いとかそう言うんじゃなくて、こう胸につかえがあるような。なんだか落ち着かない気分。

 ここ一週間ずっとそんな感じ。なのでこうして気を紛らわすために書いてるんだけど。

 うーん、別に悪い物を食べたとかじゃないと思うんだけどな。

 

 そわそわする。ぽっかりと何かが空いてる。

 例えるなら、人肌恋しい?

 

 ……あ、多分合ってる。ずいぶん久しぶりだけど、わかった。

 

 

 これ発情期だ。

 

 

 

 

 ※月×日

 

 修太郎のバカ

 

 

 

 

 ※月△日

 

 面白くない。つまんない。

 

 

 

 

 ※月□日

 

 私は悪くないんだから

 (何かを書いて消した後がある)

 

 

 

 

 ※月%日

 

 いいかげん考えがまとまらないので、書いてまとめようと思う。

 

 修太郎と仲違い、喧嘩? 喧嘩した。今は別れて私一人。

 原因は、久しぶりの発情期。

 中国ではサル師匠の修行の一環で心を鎮めるのが習慣になってたし、インドではなんだかんだでマントラの習得に集中してたところがあったから、いつの間にか過ぎてた。

 私は身体も成熟してるし、発情期自体はコントロールできるんだけど、やっぱりムラムラは発散した方がいいに決まってる。と言うか、私自身溜まってるから突然こんなことになってるんだし。

 それに気づくともう止める気にならない。

 となると、肝心の相手は一人しかいないわけで、当然修太郎になる。

 

 あいつは人間ではありえないほど桁外れに強いし、人格云々はこの際ともかく、種としては極上だ。顔も悪くないし、逞しいし、何よりとてもいい匂いがする。子供を産んでもいいくらいには気に入ってる。

 うん、気に入ってる。

 

 自慢じゃないけど私はエロい身体をしてると思う。

 おっぱいは大きいし、太すぎない範囲で全身肉付きもいい。胸だけじゃなくて、ヒップラインだって自信があるのよ? 猫又はエロくてなんぼなんだから、そんじょそこらの人間はもちろん、悪魔や堕天使にだって負けやしない。

 ……そういうこともされると覚悟して転生悪魔になったのに、何だかんだで今まで経験が無いのがあれだけど、本能的にどうすればいいかは何となくわかる。相手を満足させる自信はあった。

 

 修太郎は、いつも何を考えてるかいまいちわからないところがある。

 でも前にも言ってた通り普通に性欲があるんなら、きっと受け入れてくれるはずだと、そう思ってたのに。

 拒絶された。

 

 寝ているところに忍び込んで、直前まではうまくやってたんだけど、いざ行為に及ぶ時になって気付かれた。

 てっきりいつもみたいに呆れた顔で見返してくるかと思えば、起きた修太郎は必死の形相で、刀まで抜き放って、私の首を掴んで組み伏せて、驚くほど冷たい目でこちらを見つめた。「敵」を見る目。とても、とても怖かった。

 私の表情に気付いたのか、すぐに手を離して解放してくれたけど、私は混乱して逃げ出してしまった。

 

 何で? どうして? 何がダメなの?

 そんな言葉だけが頭の中にある。

 だって今まで一緒だったじゃない。私の身体に欲情するんでしょう? 今更拒むなんて意味がわからない。

 様子をうかがってた? もしかして、最初から私を警戒してた? じゃあ今までは嘘だったの? 本当に最初の約束を守るためだけに、その言葉のためだけにここまで着いて来たの?

 

 私は、信用してたのに。

 

 適当な町に飛んで、適当なレストランに忍び込んで料理を盗み食いしたりして、気を紛らわそうとしたけどダメだった。

 だって美味しいはずの料理が美味しくないんだもの。

 気配を消して周りから認識されないように術を使っていろんな遊びをした。

 でもつまらない。何にも笑えなかった。

 

 なんなのよ、これ。調子がくるってる。

 私、何が楽しくてここにいるんだろう。

 

 憂さ晴らしにそこらへんの男でも襲おうかと思ったけど、気持ちが覚めて興が乗らない。

 もしかしてずっとこのままなのかな。

 それは少し、嫌だな。

 

 今日はもう寝よう。

 

 

 

 

 ※月+日

 

 イライラする。

 

 今日、町で修太郎を見かけた。知らない女と一緒に歩いていた。

 相手は金髪で青い目の女。すらりとして出るとこ出たモデル体型で、客観的に見て美人だったけど、何よ、私のほうがスタイルいいしきれいじゃない。

 っていうか何であんなのと一緒にいるのよ。女なら誰でもいいの?

 

 あんまりにもイラついたから、通訳のリンクを切ってやった。

 突然会話が通じなくなって驚く女の姿を見てると、修太郎がこっちに気付いた。100メートルは離れてるはずなのに、あのバカの感覚はいったいどうなってるの?

 追いかけてきたから思わず逃げたんだけど、なんだかむなしい。

 

 どうすればいいんだろう。

 

 

 

 

 ※月*日

 

 猫の姿で町をふらついてたら、女の子に出会った。

 白い髪の毛で、目は赤い。アルビノってやつかしら? フード付きの服を着て、親と一緒にどこかに向かってる途中らしい。

 私に近づいて来て、お菓子を放ってきた。地面に落ちたものなんか食べるわけにはいかないから無視すると、さらに近づいて来て撫でてこようとした。

 嫌だったからかわすと、追いかけてくる。流石に親が止めたけど、なんか危なっかしい子だと思った。

 

 顔は全然似てないのに、白音のことを思い出す。

 そういえばあの子もよく私の後を追いかけてきてたっけ。懐かしい。

 今はどうしているんだろう? 私のせいでひどい目にあってなければいいって思うのは、ちょっと虫が良すぎるかな。

 

 最近夜が寒くなってきた。

 術を使えばそんなことはないはずなんだけどね。

 

 

 

 

 ※月=日

 

 町で何度か見かけた白髪の子だけど、様子がおかしいので調べてみた。

 女の子が、というよりもその親が、って感じなんだけど。

 それで後をつけてみると原因がわかった。所謂カルト教団にはまり込んでいるらしい。

 

 っていうかこれどう見てもはぐれ悪魔の仕業よね。建物からかなりの魔力がにじみ出てる。

 しかも私が近づかないとわからないってことは、相当高位の力を持ってる相手ってことになる。

 これ、どうしようかしら?

 

 うーん、なんか気に食わないから、とりあえずボコりましょう。

 ここのところストレス溜まってる自覚があるし、ちょうどいい機会だわ。

 そうと決まれば潜入ね。

 

 

 

 

 ※月$日

 

 修太郎と合流した。

 でもなんだか釈然としない。

 

 女の子を追って潜入したカルト教団は、予想通りはぐれ悪魔がボスだった。

 おおかた魔力を使って奇跡っぽいパフォーマンスを見せたり、洗脳したりして信者の魂なりなんなりを奪ったりしてるんだろう。

 ちんまいというか小物臭いけど、こういう形態のやり方は何気に厄介だ。

 というか、相当手馴れてる感じがある。何度もこういうことができる頭があるあたり、力に呑まれて行き当たりばったりに物を壊して回る雑魚とは違う。

 

 話を聞けば、今度サバト染みたことをやるとのこと。生贄がどうとか言ってたから、多分相当ろくでもないことに違いないと予想。

 集会に集まった人の中に子供の数が異様に多かったから、きっとその子たちが生贄なのね。

 私は別に正義をうたって生きてるわけじゃないけど、目の前でこういうことをやられるのは気に入らない。

 

 それで深夜、サバト会場に行ってみると、集められた生贄は案の定子供たちだった。その中にはあの白髪の子もいて、なんだか無性にイラッときた。

 ……何故か修太郎と一緒にいた金髪女もいた。どうやら捕まったらしく、魔力の縄でがんじがらめにされて、手も足も出ない様子だった。

 事情がわからないのでそのまま様子をうかがってると、教祖、つまりはぐれ悪魔が現れた。

 

 軽く上級悪魔の中堅どころって感じかしら? まあ何にせよ私なら余裕な相手。

 金髪女が悪魔と口論を始める。どうやら金髪は生贄の子供たちを助けに来たらしい。で、捕まってると。普通の人間じゃまず敵うはずがないのに、間抜けね。

 その後色々あって、金髪のあおり文句に悪魔がキレた。

 魔力一発、爆発四散! かと思いきや、絶妙なタイミングで修太郎登場。攻撃を斬って消した。

 

 ……なにそれ、出待ちしてたの? バカじゃないの? っていうかバカなの? この展開、めちゃくちゃイライラするんだけど。

 見惚れる金髪に子供たちの避難を頼んだ修太郎は、そのまま悪魔と戦闘。

 私はそのまま見てるだけにしようと思ってたのに、白髪の子がふらふらと別方向に駆けだしたものだから、攻撃の余波からその子を守るために結局出てくる破目になった。

 

 突然現れた私に驚いて硬直する悪魔を、修太郎が斬っておしまい。

 その直前からして手足ぶった斬られてのた打ち回ってたけど、相変わらず容赦もくそも無い。別にいいけど。

 修太郎を目の前にして、何を言おうか迷ってると、金髪が私をはぐれ悪魔の仲間かと思ったのか食って掛かってきた。別に怖くもなんともないけど、何も無いところから剣を取り出したのはちょっと驚いた。しかも聖剣。神器、かしら?

 

 私もイライラしてたから、売り言葉に買い言葉でバトルに発展。結論から言えば修太郎に止められたんだけど、サバト会場の建物は崩壊、消防車や救急車まで出張ってきて、大事に発展してしまった。

 なし崩し的に逃げ出した私たちは、こうして今一緒にいる。

 金髪は私のことを警戒してるし、修太郎は何も言わないし、居心地が悪いことこの上ない。

 

 っていうか、久しぶりに会ったんだから何か話しかけなさいよ修太郎。

 もしかして、逃げ出したことを怒ってる?

 でも、私は悪くないんだから。絶対に謝らないんだからね。

 

 

 

 

 ※月&日

 

 結局なりゆきで修太郎とまた一緒に行動することになった。

 

 金髪の名前はジャンヌって言うらしい。何それ、どう見ても偽名なんだけど。

 後で修太郎に聞いたところ、英雄で聖女なジャンヌ・ダルクの魂を受け継いだとかなんとか。そのせいで世間とうまく馴染めず、今は家出中なんだとか。

 聖女さまの生まれ変わりってこと? 修太郎が信じてるってことはまあ嘘じゃないんだろうけど、それにしてもないわー。実質ただの家出少女じゃない。不良じゃない。

 

 じゃあなんでそんな聖女(笑)さまと修太郎が一緒に行動してるかと言うと、行き倒れていた修太郎を金髪が拾ったのがきっかけらしい。

 金髪は自分に宿った英雄の力と聖なる神器をだいぶ持て余していたようで、どうしたらそれを活かせるか悩んでたみたい。

 じゃあ魔物から人々を守ればいい、と修太郎。結局のところ、人間が異常な力を手に入れた場合に活用できる場所はそういうところにしかないっていう考えだ。普通に暮らしたいならそんな力は忘れればいいとも言っていたけど、当のジャンヌは魔物退治の道を選んだ。

 

 一宿一飯の恩もあって、修太郎はそれに付き合うことにしたんだって言う。ちなみに修太郎のご飯を世話したのは金髪じゃなくて、金髪の下宿先の親御さんなんだけど。なんじゃそりゃ。

 あの時カルト教団に捕まってたのは、知り合いがそれにはまってたから助けようとして失敗したのが理由らしい。

 

 まあ、そんなことはどうでもいいのよ。

 問題は、修太郎が行き倒れてたってところ。

 なんでもあの後ずっと私を探していたらしく、飲まず食わずで走り回っていたようだ。それも昼夜問わず一週間近く。普通の人間なら死んでるわよ、それ。

 私は私で空を飛んで移動してたから足跡なんてほとんど残してないし、気の性質を変えて常時隠れてる状態だったから、見つからないのも無理はない。そう思うとちょっと罪悪感が湧く。

 

 でも、ふふん、なんだか悪い気分じゃないわ。

 そんなに一緒にいたいなら、もうちょっとだけいてあげてもいいのよ?

 

 

 

 

 ※月#日

 

 ジャンヌ(笑)と修太郎、なんだかやけに仲がいいのが気になる。

 シューくんってなによ。なんでいちいちそんなに近いのよ。私のほうが付き合い長いし、くせとか表情の変化とか、いっぱい知ってるんだから。

 思い付きで猫に化けて一日中修太郎にへばりついてたら、ジャンヌ(笑)が嫌そうな表情になってたから、鼻で笑ってやった。

 

 

 

 

 @月¥日

 

 ぐぬぬ、悔しい。

 今日、ジャンヌ(仮)と料理対決をした。

 修太郎とはともかく、私とジャンヌは出会った時からまったく関係が変わってない。つまり仲が悪い。

 っていうかあっちが一方的に敵視してくるのよ。私は確かに悪魔だけど、別に何も悪いことしてないじゃない。……いや、まあ私もあんまり相手が好きじゃないけど。

 

 ともかく、ひょんな話題から女子力どうこうの話になって、口げんかになった結果、どっちが美味い料理を作れるか勝負することになった。

 審査員は修太郎。聞いた瞬間げんなりした雰囲気を纏ってたけど、あんたしか適役がいないんだから仕方ないじゃない。

 結果は……私の負け。

 

 だって私、切って焼くぐらいの料理しかしたことないんだもの。むしろ初めて挑戦して食べれるレベルにまで仕上げた方がすごいんだから!

 あっちだってそんなに美味くなかったし! ところどころ焦げてたり、しょっぱかったりしてたし! 経験値を差っ引けば、私のほうが上よね絶対。

 

 それにしても修太郎ってば、もう少し私をひいきしてくれてもいいじゃない。

 勝負は公平に、っていうのは性格的にわからなくもないけど、美味しくしようとする気持ちは間違いなく私の勝ちなんだから、そこらへん汲み取って……くれるわけないわよね。ばーか。

 

 終日ドヤ顔のジャンヌがだいぶウザかった。

 でも私、あんたが自分の料理食べて顔しかめてたの見てたんだからね。

 

 

 

 

 @月$日

 

 今日はヤバかった。

 

 天使勢力に私の存在がばれて、凄腕のエクソシストたちが派遣されてきた。

 多分カルト教団での一件が原因だと思う。ジャンヌと派手にやりあったのがいけなかったんだろう。あの時はむしゃくしゃしてたから認識阻害系の術なんか使ってなかったし。あとはやっぱり修太郎のパフォーマンス動画も関係してるのかも。ネットの情報なんて今更全部消せないものね。

 

 やってきたのはゼニス・テンペストのデュリオなんちゃらっていう出鱈目な奴。それとやたらたくさんの魔剣を持つ剣士。

 修太郎はなんでも魔物を狩る仕事を斡旋している人物を見つけたらしくジャンヌと一緒に出払っていて、退屈そうな話は勘弁だった私は一人町を歩いていた。

 せっかくフランスの首都、パリに来たんだもの。観光しなきゃ損よね。

 気配はそれなりに消してたんだけど、相手は悪魔の探知機みたいなものを持ってたんだろう。本気で隠れればやり過ごせたにしても、油断してたから見事に罠にはまってしまった。

 

 戦ってみたら強いのなんの。

 剣士一人だけだったらまあ勝てる。神器を持っているようだけど、そこまで脅威に感じない。でもそこにゼニス・テンペストの使い手まで加わるとかなりきつかった。

 神滅具って本当反則。思い一つで竜巻とか雷とか、果ては火山弾まで撃ってくるのよ? 突然気温が氷点下ぶっちぎったり、もうめちゃくちゃ。神滅具って言っても実際に神を殺した使い手なんて聞いたことが無いし、そんなに大したものじゃないんじゃないかと思ってたけどこれはひどい。

 

 対悪魔用の結界でも組んでいたのかこっちの力も思うように使えなくて、徐々に押されていった。

 焦った私はでっかいのを一発ぶちかまして二人まとめて倒そうと思ってたんだけど、どうやら読まれていたらしく凌がれてしまった。

 それで大きな隙を作った私に魔剣使いが迫ってきた。

 

 死ぬかと思ったその時、またもや絶妙なタイミングで修太郎が登場。魔剣の一撃を受け止める。

 ねえ、やっぱりあんたどこかで出待ちしてるでしょ? バカじゃないのと思いつつ、でも少し嬉しかったりするからこういう展開は困る。

 修太郎の出現に、怪訝な顔をするデュリオなんちゃらと魔剣の人。人間がはぐれ悪魔を助ける理由がわからなかったんだろう。まあ当の私も未だにいまいちわからないし。

 

 その後魔剣の人がめちゃくちゃテンション上げて禁手化、六本腕に剣を握って突撃してきたけど瞬殺された。大人しく魔剣の能力だけ撃ってたらまだ良かったのに、あいつに剣術で挑むなんてバカね。

 でもってデュリオなんちゃらとちょっと会話した後、勝手にバトり始めた。

 

 二人ともがアホみたいな速度で移動するもんだから、すぐに遠ざかっていく。

 パリの夜空を炎と雷と竜巻が乱舞する光景って一種の世紀末よね。それが途中で真っ二つにされていくのも意味不明。

 空を飛べない修太郎だけど、デュリオなんちゃらは風を纏って空を飛べる。だから相手が巻き上げる瓦礫やらを足場にして何とか近づこうとしてるみたいだった。どれも風で落とされてたけど、これ相手から見ると完全に化け物のやることだわ。

 

 最終的には斬り倒したエッフェル塔の上に乗って空を飛ぶ相手を叩き落としてた。「ちょっ、おま」だなんて相手もドン引きよ。正直私もどうかと思う。

 落ちた場所でもドンパチやってたみたいだけど、結果的に修太郎が勝ったみたい。

 辺りを見るとすごい被害。一応他のエクソシストがバックアップに回ってたみたいで、結界やらなんやらを駆使して一般人を巻き込まないようにはしてたみたいだけど……これ本来私に対して用意してたやつよね?

 

 まあ、ともかく相手との交渉の末、私が悪魔としての姿を見せないことと、悪事を働かないことを守れば、あっちから仕掛けるようなことはしないってことになった。

 私たち二人を相手にする利点と、それで生まれる被害が割に合わないってのが大きいみたい。悪魔側からすれば犯罪者だけど、こっちではまだ何も悪いことしてないしね。わざわざ大人しくしてるやつをつつく必要はないんだって。

 それもうちょっと早く判断してほしかったけど、あっちは修太郎のことを知らなかったみたいだし……動画では仮面だったもんね。

 

 そんなわけで一件落着。

 でもジャンヌの姿が見えなかったので修太郎に聞いてみると、あの子は実家に帰ったらしい。

 これからどうするか親に自分の意志を伝えるんだと言ってたけど、珍しい歯切れの悪さからしてこれ何かあったわね。大方予想はつくから書かないけど、こんな朴念仁を気に入ったあんたが悪いのよ。

 

 でもなんだかんだで結構あの子と話してたから、いなくなるとそれはそれでちょっと退屈かも。

 

 

 

 

 @月&日

 

 二人になったので改めて修太郎と色々話してみた。

 家族のこととか、昔してたこととか、そこらへんの少し踏み込んだ話。

 

 修太郎は三人兄弟の三男で、末っ子らしい。末っ子って言うとちょっと可愛らしいイメージだけど、修太郎は違うわよね。

 父親もお兄さん二人も背が高かったみたい。月緒って言ったっけ? そこの一族に連なる人間は基本的に体格が良くて、普通の人よりも霊能力や身体能力に優れているんだとか。でも母親は普通の人で、どちらかと言うと小柄な体格だったみたいだ。

 黒髪で着物が似合う女性だったと言っていた。性格とスタイル以外は私に似ているところがあるんだって。確かに聞く限り結構まめな人みたいだし、私とは正反対かしら?

 

 父親は元ヤンキーで中々破天荒な人、母親は良家の出で厳しい人。お兄さんは上のほうが映画好きで、下のほうが退魔師志望。下のお兄さんには残念ながらそっち方面の才能があんまり無かったみたいだけど……。

 小さかったころの修太郎は強すぎる霊感のせいで悪い霊の影響を受けて、体調を崩して寝込むことがよくあったらしい。6歳ぐらいでそれも治まったそうだけど、今を見ればまったく想像がつかない。修太郎も私の小さかったころを聞いておんなじような感想を言ってたから、お互いさまってことね。

 

 家族のことを懐かしげに語る修太郎は、普段とは違って優しい目をしていたように思う。

 でも、もういないんだって。

 タカマドマサタカ、って奴の呪いでみんな死んでしまったと聞いた。

 

 そんな名前、私は聞いたことがなかったけど、相当厄介な奴だったみたい。九尾の狐を狂わせたり、鬼神を蘇らせたり、話を聞くだけでもなんとなくわかる。

 かなり手強い相手で、何人もの犠牲を出しながら最終的に修太郎がそいつを倒した。それで呪いはその時に受けたんだって。

 修太郎は霊的な耐性も強いし、神の加護を受けていたから死ななかった。でも家族は違った。

 私と出会ったのはその後のことになる。

 

 なんでもなかったかのように話したけど、そんなことはないはずだ。両親が死んでしまった時、私には妹が、白音がいたから頑張ることができた。でも修太郎は一人になったんだもの。平気なわけない。

 そのことについて悲しいのか後悔してるのか、具体的な感情はわからない。でも無念だったのは伝わってくる。

 同情はきっと望んでいない。私はどう接すればいいんだろう?

 

 そういえば、修太郎は家族から「シュウ」って呼ばれてたらしい。

 それじゃあ私も今度からそう呼ぼう。ジャンヌも似たような呼び方してたし、別にいいわよね。

 

 

 余談。

 何でもシュウは退魔剣士だったころ何度か寝こみを女妖怪に襲われてピンチになったことがあるらしい。

 高位霊能力者の精気は妖怪の類にとってはとても美味しいものだから、退魔剣士になりたてのころは特にそういったことが多かったようだ。

 実際搾り取られたこともあるらしく、対策として寝こみを襲われると自動的に反応するように訓練したとか。

 

 だからあの時、あんなに必死だったのね。

 私を拒絶したわけじゃなくて良かった……けど、そうなると当然シュウはもう経験済みってことになる。

 なんだか複雑……。

 

 

 

 

 ――!!

 ――背後に気配を感じたあなたは素早く振り向く。

 ――いつかのように男がいるかと思えば、そこには銀髪の女性。

 ――確か、姉の友人である北欧の戦乙女だ。

 ――あなたの手元にある日記帳を見た彼女は一瞬焦った顔になり、

 ――「なんだ、一冊目か……」などと安堵して言う。

 ――どうやら二冊目以降があるらしい。

 ――それでそこには彼女にとって知られたくないことが書かれてるらしい。

 ――「人の日記を勝手に読んではいけない」と諭す彼女だが、

 ――様子を見るに同じ穴のムジナだろう。

 ――なので適当に聞き流して、あなたはその場を立ち去ることにした。

 

 ――彼女の恥部分を見つけてみせると誓いながら……。

 

 




超久しぶりの日記風過去話。
主人公を本格的に意識し始め、ツンデレっぽい時期に入った黒歌さん。
でも今回の一件が後に響いて告白にまでは踏み切れないヘタレに。
ちなみに、この後ジャンヌとは再会してません。


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夏期講習のモンスターハンター
第三十二話:夢中の蛇


 

 ――夢を見ている。

 

 鬱蒼と茂る木々の合間を駆け抜けていけば、それを追うように爆炎の柱が舞う。

 疾走する少年――御道修太郎は巡る闘気を全開にして、敵を見つめた。

 

 それは、巨大な蛇だった。

 迸る神気は漆黒。長く大きな体を覆う鱗の色もまた漆黒。額から生える角は鋭く天を突き、紫電を発する。

 狂気に満ちた眼窩は紅蓮の炎を灯し、口腔から吐き出される黒煙が大気と反応して絶えず小さな爆発を起こす。撒き散らされる呪詛の念によって、周囲一帯の動植物が瞬く間に朽ちていく。

 あらゆる負の要素を発しながら、堕ちた蛇神は樹海を超えて山頂を目指す。

 

 霊峰富士。

 あの神が火口へ落ちれば、弾けた神気の衝撃で大噴火が起こるだろう。

 地は割れ、海嘯が町を飲み込む未曽有の災害が人々を襲う。

 

 問題は、それだけで済まないことだった。

 噴火の炎と共に飛び散った神の呪詛は本州全土を覆いつくす。そうなれば、そこに住む生命は一つ残らず死滅するだろう。つまり、事実上の日本滅亡だ。

 さらに、それを皮切りに呪いは大陸へと渡り、いずれは世界を蹂躙する漆黒の嵐となる。信仰の源たる人々を失えば神々はその力を大きく削られ、各神話勢力のバランスは崩壊。呪いの大地では魔物はおろか龍すらもまともに暮らせない。生きていけるとすれば、それは邪気と呪いの化身、悪鬼怨霊の類だけ。

 

 季節は10月。日本では広い地域で神が不在となる神無月だ。

 故に神州屈指の大霊地で繰り広げられる国家存亡を賭けた戦いにおいて、参加できるのは人間だけだった。

 しかし、今この場で蛇神と相対する人物は修太郎のみ。蛇神の放つ呪いに耐えながら、それを打倒しうる戦闘力を持つ者が彼以外存在しないために、英雄と呼ばれた少年は一人死地を舞う。

 出雲に封じられ身動きできない神々は彼に守りの加護と武器を授け、戦いに参加できない退魔師たちは様々な術具を託した。

 握る刃は愛刀・緋緋色金と、荒神調伏の霊剣・布津御霊――その複製。

 二刀を両手に、少年は逃げ場のない戦いへと身を投じる。

 

 極限まで研ぎ澄まされた闘気を刃に纏わせ、退魔の念を込める。

 月緒流が唯一無二の退魔剣術――降魔剣。

 技の構成は単純そのものだが、それ故に極めた者が使えば絶対の効力を発揮する。流派筆頭剣士たる修太郎のそれは、霊剣の助けもあり神々すら畏怖する切れ味を宿していた。

 

 しかしてそれを嘲笑う者がいる。

 蛇神の直上、暗影の外套をなびかせ、この異変の元凶が姿を見せる。

 暗闇の軍装を纏う偉丈夫は、世界の破滅を願う魔人――高円雅崇だ。

 互いにこの場この時こそ、怨敵との最終決戦。

 邪気に満ちた漆黒の風を纏いながら、闘気を高める修太郎へと魔人は語りかけてくる。

 

『やはりお前が来たか。予想通りだが、馬鹿な男だ。この場でおれと戦うことがどういうことかわかっていないはずはないだろうに。今まで後生大事に守ってきたものを捨てる気か?』

 

 この蛇神と戦えば、少年にとって一つの終わりをもたらすこと必定であるが故に。

 しかしその問いに返す言葉は今も昔も変わらない。

 修太郎は答える。

 

『捨てはしない。ただ、信じて託された。俺はそれを成し遂げるのみ』

 

 そもそも、今まさに世界規模の大量殺戮を準備しているこの男を放置する選択肢など存在しない。魔人を滅ぼすことは、少年にとって大事なものを守る事にもつながる。

 

『同じことだ。お前は選択したことこそ後悔せぬだろうが、必ず結果を無念に思うだろうよ。他ならぬおれがそうさせる』

 

『それでも、俺は迷わない』

 

 構えた二刀に闘気が満ちる。

 心・技・体の完全な合一が蒼い風となって大気を裂く。横溢する莫大な気に、黒い瞳が紫電の輝きを灯した。

 その様子に魔人は軍刀を構え、邪念を膨れ上がらせながら続ける。

 

『頑迷だな、愚かだぞ。……しかし、そうだな。たとえばその女(・・・)がどうなってもよいと、そう言えるのか?』

 

『何?』

 

 魔人の言葉に背後を見れば、そこには黒髪の美女。

 黒い和服を着崩して、煌めく黄金瞳でこちらを見つめ、天真爛漫な笑みを作る。

 気付けば修太郎の背は伸び、握る刃は白銀の一振りに変わっていた。闘気の鎧は見る影も無く弱々しく、頼りない。

 

 彼女の背後に漆黒の蛇が大口を開けている。燃える紅蓮の眼窩は歓喜に歪んで、今まさに獲物を飲み込まんと飛び掛かり――。

 

「待っ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 伸ばした右手が空をきる。

 目を覚ました修太郎は、そのまま手の平で顔を覆った。

 

「……情けない」

 

 一つ溜息を吐く。

 時計を見れば朝5時前。修太郎にとってはいつもの起床時間だ。

 布団から起き上がろうとしたその時、左腕に絡まる温かさに気付く。そちらを見れば、きめ細かく広がる艶やかな黒髪が見えた。

 修太郎の相棒である猫又悪魔の黒歌だ。

 

「にゃむ……にゃあー……」

 

 絶世の美女と呼んでも差支えない容姿を誇る彼女だが、ぴくりぴくりと猫耳を動かしながら、むにゃむにゃと気持ちよさげに笑んで眠る姿は、美しいというよりは可愛らしいという形容の方が当て嵌まる。修太郎の腕を抱えて丸まった姿などは、なるほど猫そのものだ。

 もう7月も序盤を過ぎ、暑さに寝苦しくなってきた影響で、掛布団には薄いタオルケットを使っている。

 その薄布は半ばまでまくられて、美女の起伏豊かな裸身が大半はみ出していた。

 まだ日も登りきらない薄暗闇に、白い肌はひどく映えて見え、呼吸に合わせてゆっくり上下するさまはまるで官能映画の一幕のようだ。端的に言って凄まじく色っぽい。

 

 そもそも、何故服を着ていないのか。

 まず疑問を抱くべきはそこだが、その点に関して修太郎は諦めていた。

 普段からして黒歌は和服の下に何も着ていないのがほとんどである。別段人に見せたいわけではないようなので、露出狂、と言うよりは露出癖と言うべきか。

 本人曰く、「開放的な服装が好き」とのことで、寝るときぐらいは全裸でいたいようだった。

 何かに縛られることを由としない彼女らしいと言えばそれまで。ならば別に和服でなくとも良いのではと思わないでもないが、そこら辺りは日本妖怪としてのポリシーなのかもしれない。よくわからないが。

 

 何も無ければ就寝時間は修太郎の方が早い。加えて最近の黒歌は、随分と日本のサブカルチャーが気に入ったらしく、やや夜更かし気味だった。

 元々寝床に潜り込んでくること自体はヨーロッパにいたころから度々あった。慣れ親しんだ、と言ってもいい。

 それを気付かれぬよう引きはがして起きるのはいつものことである。

 

「シュウ~にゃふふふふ……」

 

 楽しげな声を漏らしながら、さらに強く抱き込んだ腕に顔を擦り付ける。

 これが何気に関節を極めているので抜け出しづらい。スカアハより教わった体術はしっかりと彼女の身体に染み込んでいるようだった。

 形崩れを知らない豊満な胸は、むっちりと包み込むような柔らかさを持ちながら弾力に溢れ、肌に極上の心地よさを伝えてくる。

 思わずその感触に集中してしまうのは、男ならば誰でも有り得ることだろう。もしかするとヴァーリ辺りは平然と無視しそうではあるが。

 しかし、いったいどんな夢を見ているのだろうか? 彼女が幸せならばそれは何よりであるが、少し気になる。

 

 普段ならこのまま朝の鍛錬に取り組むところだが、しかし先ほど見た夢のせいだろうか、今日はもう少しこの寝顔を見つめていたい気分だった。 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの後、朝の鍛錬を終え黒歌を起こした修太郎は、二人して朝食を済ませた。

 

「私は昼から白音のところに行くけど、シュウはどうするにゃ? 私と来る?」

 

「いや、今日はアザゼル殿に呼び出されている。おそらく仕事だ」

 

 対『禍の団(カオス・ブリゲード)』並びに魔人・高円雅崇へのカウンターとして三大勢力に雇われている修太郎だが、索敵は勢力の専門家たちに任せているので、呼び出しが無い限り自由にしてもいいことになっている。

 その呼び出し自体もそこまで多くなく、今まで二、三回出撃した程度。

 散発的過ぎるテロ活動は、どうやら敵組織内でいざこざがあって統制がとれていないと予測されていた。

 それに魔人が関係しているかどうかまではわからないが、ともあれ修太郎は予定外の暇を持て余していた。なので最近は自身の鍛錬を重点的に行いつつ、たまに黒歌に付き合って白音――塔城小猫の仙術訓練に同席したり、ゼノヴィアとイリナの相手をしたりなどといった状況が続いている。

 

「ふぅん、仕事ねぇ……。シュウのことだからそこまでの危険は無いと思うけど、あんまり遅くなっちゃイヤよ?」

 

「心得ている」

 

 そう言って、黒歌と別れて家を出た。

 アザゼルが修太郎を呼び出すときは、大抵駒王学園の旧校舎を指定してくる。

 彼は学園でオカルト研究部の顧問教師を務めており、主にグレモリー眷族を中心として神器使いの指導を行っているらしい。

 普通の授業においても先生としてうまくやっているようなのは意外……というわけでもない。あの堕天使総督は大抵のことを飄々とそつなくこなすタイプだろう。

 抜け目なく、器用で要領がいいのだ。

 

 しかしながら今回の指定場所は生徒会室。

 早朝の学園は人が少なく、気配も薄めて歩いている修太郎に気付く人はいない。

 部屋に入ると、そこにはアザゼルだけでなくセラフォルー・レヴィアタンの姿もあった。

 

「おう来たか、暮修太郎」

 

「やっほー☆ 修太郎くん、元気してましたかー?」

 

「元気してました。そちらこそ壮健そうで何より」

 

 元気にあいさつする魔王少女はいつものコスプレ姿ではなく、会談の時に着ていたようなフォーマルな服装だった。

 

「…………」

 

 そんなセラフォルーの背後に隠れ、顔を半分だけ覗かせているのは、カティちゃんこと幼女カテレア・レヴィアタン。

 目を合わせてみれば、びくりと反応して顔を引っ込める。

 

「ほーらカティちゃん、隠れないでご挨拶しなくちゃダメでしょ☆ 魔法少女は顔で人を判断しちゃいけないのよ?」

 

「やー」

 

「はははっ、嫌われたもんだな暮修太郎」

 

 そう言って笑うアザゼルに、カテレアの魔力ビームが飛ぶ。

 アザゼルはそれを何事も無かったかのように防ぐが、実際のところ彼は修太郎を笑える立場ではない。むしろ攻撃される分、余計に酷いだろう。

 

 攻撃を防がれて悔しがるカテレアに対し、しかし件の総督は「ふはははは、効かんなあ、レヴィアたん!」などとラスボスっぽく応じている。大人げないがノリはいいアザゼルだった。

 

「ごめんね、修太郎くん☆」

 

「いえ、特段気にするようなことでは。……いつものことなので」

 

 そう、子供から怖がられるのはいつものことだ。

 いつものことなのだが、やはりどこか物悲しいのは内緒だ。

 

「それで、何か御用でも?」

 

「む。ああ、それなんだが……まずはお前さんにこいつを渡しておこう」

 

 カテレアとの小競り合いを中断し、アザゼルは懐より薄い板状の物体を取り出した。

 軽い金属でできているらしいそれは、修太郎にとってあまり馴染みのない物だ。

 

「これは……携帯端末ですか」

 

「ああ、そうだ。そいつは普通の電話としても使えるが、内臓してある術式を起動することで魔法的な通信も可能になっている。何かあった時に連絡が取れなきゃまずいからな。それにこのままじゃお前の方も自由に動けんだろう?」

 

 差し出されたそれを受け取る。

 

「お気遣い、まことに感謝します」

 

「雇い主側としては当然のことだ。それには通信以外にも色々機能が付けてあるから暇があったら弄ってみろ。何せ、俺の特別製だ。人工神器の技術も使ってクソ頑丈に作ったおかげで、戦闘中の心配も要らん」

 

 なんという技術の無駄遣い。

 そんなもの、修太郎なんかに渡してもいいのかと思わないでもないが、他ならぬ堕天使のトップが寄越すのだから別にいいのだろう。

 

「そうですか。ではありがたく使わせてもらいます。……ちなみに、自分はこういった機器の扱いについては門外漢なのですが、説明書などはいただけないでしょうか?」

 

「うん? あるわけねえだろ、そんなもん。使って覚える、ゲームの基本だぜ?」

 

 その言葉を聞いた瞬間、何となく嫌な予感がしたのは気のせいではない。

 余計なものには手を触れないようにしよう、と心に誓う修太郎だった。多分だが、碌なことにならない。

 とはいえ、その「余計なもの」が何なのかわからなかったりするのだが、この時の修太郎はまだそこに思い当たっていなかった。

 そんな修太郎をよそに、アザゼルが口を開く。

 

「で、本題の方だが……セラフォルー」

 

「はいはーい☆ 修太郎くんには今回、私の護衛をしてほしいの」

 

「護衛……ですか」

 

 セラフォルーを見る。

 当代最強の女性悪魔、魔王レヴィアタン。

 華奢ながら出るところ出た小柄な体躯、流麗に流れるツインテールは可愛らしい。

 見た目はどこからどう見ても可憐な美少女だがしかし、内在する力は半端ではない。

 正直な話をすれば、護衛などいらないのでは? と思わずにはいられないが、そういう話ではないのだろう。

 

「率直に言おうか。対魔人対策のため、京都陰陽師の総元締、土御門家に協力を要請したい。それと京都妖怪勢力を纏め上げる九尾の狐……八坂姫とも話し合いの場を設けてある。お前さん、どちらも知り合いだそうだな?」

 

「そうですが……説得を手伝え、と?」

 

「そうだ。高円の野郎についてはこっちも必死になって探してるが、未だに影の一つも踏めない状況が続いてる。あの手の敵相手にこのままじゃまずい。既に確立したノウハウがあるなら、利用しない手はないだろう」

 

「確かに。自分としてもあの方々の力を借りたいところではあります。よろしい。受けましょう」

 

 京都の陰陽師たちには過去何度も助けられている。

 以前の高円雅崇との最終決戦に赴く際、出雲に閉じ込められた神々から加護を授かるにあたって重要な役割を担っていたのは土御門の陰陽師だ。決戦の場においては彼らから預かった術具がなければ勝てるかどうかは危うかっただろう。

 しかし。

 

「妖怪勢力との話し合いに関しては、自分なしで行っていただきたい」

 

「ほう、そりゃまたなぜ?」

 

「京都の妖怪は自分のことを快く思っていないからです」

 

 八坂姫率いる妖怪たちも魔人と長い間相対してきた。高円雅崇の京都侵攻時などには、互いに助け合ったこともある。

 だが同時に修太郎は彼らの怨敵でもあった。

 高円雅崇は垂れ流す邪気だけで低位から中位レベルの妖怪を狂わせる。

 当時の修太郎は、全国を巡りながら休むことなく魔人の邪気に狂った妖怪たちを次々と討滅していた。その中には当然京都の妖怪も含まれている。

 

 原因は他にあるとはいえ、たかだか数年で万を超える妖魔を斬れば異形の天敵と見なされるのも当然。

 八坂姫個人がこちらをどう思っているかは知らないが、もしも修太郎が彼女と接触する場合、周囲の妖怪たちが黙っていないだろう。何せ修太郎には東北の九尾を斬ったという実績もあるのだから。

 

「なるほどな。だが暮修太郎、もしもその八坂姫がお前に会わせろと指定してきていたらどうする?」

 

「何?」

 

 アザゼルの言葉に、修太郎は目を見開いて驚く。

 

「あちらからの条件でな、「協力してもいいが、御道修太郎の姿を見たい」ってな具合で要求された。お前、やっこさんと過去に何かあったのか?」

 

 それは修太郎こそ聞きたい。

 彼女との面識などそれこそ数えるほどしかないのだ。会話すら碌にした覚えがないのに、いったい何だというのだろう。

 

「……わかりません。しかし……あちらが望むというのであれば、仕方がないのでしょう」

 

 欲を言えば、そもそも京都に近づくことすらあまり乗り気ではない。

 しかし毒を喰らわば皿までと言うように、受けた仕事に関して迷っていることこそ無駄の極致、愚の骨頂である。たとえ修太郎が個人的に狐妖怪を苦手としていても、やるべきことはやらなくてはならない。

 どうせなら、ついでに用事を済ませてしまってもいいかもしれない。

 

「決まりだな。悪い、こっちの都合ばかり押しつけちまって」

 

「いえ、妥当な所かと。自分としても問題はありません」

 

「そう言ってくれると助かる。でだ、押しつけついでに一つ調べてほしいこともあるんだが、頼めるか?」

 

「? 何でしょうか」

 

「200年前の赤龍帝のことだ。当時の土御門家に協力して高円と戦っていたらしくてな、そいつのせいで兵藤一誠の神器がちょっと面倒くさいことになってる」

 

「わかりました。聞いてみましょう」

 

 話もついたところでセラフォルーがぽんっと手を叩く。

 

「それじゃあ明日朝9時、駅前集合よ☆ よろしくね、修太郎くん」

 

「承知しました。ところで、個人的に連れて行きたい者が一人いるのですが、よろしいでしょうか?」

 

「もう一人? 黒歌ちゃん?」

 

「いえ、京都に悪魔を連れて行くのは面倒が大きいでしょう。なので――」

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

「新幹線ってこんなに速いのね! 私、初めて乗っちゃった!」

 

 栗毛のツインテールがゆらゆらと揺れる。

 京都行きの新幹線の中に修太郎とセラフォルー、そして追加で同伴してきた紫藤イリナが向かい合って座っていた。

 

 今回イリナを京都へ連れて行くのは、鋼糸術のさらなる熟達のためだ。

 土御門家に所属する退魔師に、修太郎へと鋼糸の基本を教えた人物がいる。当代きっての糸使いであるその人より直接教われば、イリナの技はさらなる高みを目指せるだろう。

 ゼノヴィアたちと違って学園に通っていないイリナは、どうやら今までひたすら特訓に明け暮れていたようで、以前最後に見た時とは見違えるほど実力を上げている。それこそ、もはや修太郎が口を出す余地すら無いほどに。

 

 指導という指導が出来た自覚は無いが、修太郎が導けるのはここまでだ。

 さびしいようなそうでないような、何とも言えない想いがある。何にせよ、関わった人が良い成長を見せるのは喜ばしいことだ。

 

 修太郎が京都へ行くにあたって、やはりと言うべきか黒歌と一悶着あった。

 しかし、未だ地脈の安定しない駒王町から彼女が離れるのはまずい。ああ見えて理屈がわからないわけではないので、一応納得はしていたようだが、拗ねていじけてしまった。

 それに関しては、何か美味しいお土産をたくさん買って帰れば機嫌も直るだろう。

 別れる前、最後に「悪い女に誑かされないように」などと言っていたが、京都でわざわざ自分に声をかけてくる女性はまずいないと修太郎は思っていた。自身の容姿が如何に一般人を怖がらせるか程度のことは、彼も自覚している。よって黒歌の考え過ぎである。

 

「ねえ修太郎さん、そういえば京都の退魔師ってどんな人たちなのかしら? これから行くところは土御門……って言うのよね」

 

 イリナが疑問を呟く。

 最初の内は敬語で接してきていた彼女だが、最近は大分くだけて話すようになった。それを違和感なくこなせるのは、彼女の気質によるところが大きいだろう。修太郎も悪い気はしていない。

 誰とでも仲良くなれるというのは稀有な才能だと思う。個人的にかなり羨ましかった。

 

「私も気になる☆ 修太郎くん、教えてくれないかしら?」

 

 セラフォルーが尋ねる。

 

「ふむ、そうですね……個人的な目線で言えば、割と付き合いやすい人たちだと思っています」

 

 頭の中で知り合いの退魔師たちを思い浮かべながら話す。

 

「日本の退魔師たちは土着の一族が多く、基本閉鎖的ですが、別に引きこもっているわけではありません。それぞれが管理する土地の中で起こった怪異の解決を主に行い、要請があれば他の地域にも出向きます。俺の家を含む月緒の一族は、どちらかと言えば他への出向を主な活動としていました。……それで、俺が出向いた中でも積極的に力を貸してくれたのは彼ら京都の陰陽師だけだったのです」

 

 特に修太郎は危険度の高い案件を預かることが多く、必然として他家の退魔師と多く関わってきた。

 その中でも京都の退魔組織――陰陽院の術師たちはかなり親切な部類にあたる。

 

「なんで? みんなで協力して仕事するんでしょう?」

 

 イリナが疑問符を浮かべる。

 

「それがそうでもないのだ。どこの退魔一族にも知られたくない秘伝、秘密というものがある」

 

 たとえば一族代々で禁術を研究・開発していたとする。

 その結果、手の付けられない凶悪な妖魔が生まれたならば、それを処分しなければならない。その際、体裁を取り繕うために助っ人の退魔師へ情報を与えない、ということがあった。

 他にも手違いで祟り神を封印から解放してしまったり、秘術の失敗で当主が異形と化してしまったりなど、パターンは多岐にわたる。

 退魔剣士時代、他家の要請に応えて修太郎が出向いた案件の大半はそういった部類のものである。

 

 特に魔人が活動していたころは「これは高円雅崇のせいだ」と言えば大抵のことが誤魔化せてしまっていた。

 日本の退魔組織は、横のつながりはあっても縦の管理が弱いという欠点を抱えているのだ。 

 

「おかげで何度も死にかける羽目になった。京都は土御門を筆頭に複数の退魔一族が管理している。互いが互いを見張っているために、そういったことが少ない」

 

「無責任……って言いたいところだけど、教会も宗派の違いで色々あるものね。エクスカリバーが奪われた時も、正教会だけ傍観していたし。どこの組織も問題を抱えてるってことかしら?」

 

「神話ですらそうなのだ。問題を抱えていない組織は無いだろう」

 

 たとえば北欧神話の悪神・ロキなどは、アース神族に所属しながら最終的には巨人側に立っている。

 現実ではどうなるかわからないところだが、少なくともそういうことをしそうな存在ではあるのだろう。

 

「私たち悪魔に協力してくれるかしら?」

 

 セラフォルーが尋ねる。

 

「今回に限ってはおそらく大丈夫でしょう。高円雅崇の脅威は誰よりも彼らが知っている。放っては置けないはずです。以前の戦いでは多くの力ある退魔師が死んでいますから、直接的な人員投入まではいかないでしょうが、奴に関する情報と、有効な術式の提供ぐらいは期待しても良いかと」

 

「よかった! あの魔人、とんでもない奴だったものね☆」

 

 ほっと息を吐くセラフォルー。

 とはいえまだ決まったわけではないのだが。

 

「その、魔人って人はそんなに厄介な相手なんですか?」

 

 イリナがセラフォルーに尋ね、セラフォルーが修太郎に視線を向ける。

 なぜこちらに説明を振るのか。ともあれ答えることにする。

 

「奴は非常に陰湿且つ用意周到にことを進める男だ。勝てない戦は決してせず、詰み手が見えるまで表に出てこない。仙術に通じる奴を見つけるのは極めて困難であるから、俺たちは後手に回ることの方が多かった」

 

 陰陽風水の卜占もさらに高位の術師である魔人には通用せず、逆に利用されて罠に嵌められたこともある。

 

「そしていざ正面から戦ったとしても、生半可な実力では太刀打ちできない力を持っている。『流星』に始まり、『紅炎』『海嘯』『砂塵』『雷霆』――そして『土蜘蛛』。奴の式神、六体の天将は、多くの退魔師を無残に屠っていった。特に『紅炎』は悪魔に対し効果絶大だろう。あれは太陽の炎そのものだ」

 

「――太陽! そんなものまで使えるの!?」

 

 驚くセラフォルーに修太郎は頷く。

 

「奴は自身が持つ龍神の力の断片をそういった領域まで利用できます。学園を襲った第一天将――『流星』と、第三の『海嘯』以外は自分が破壊しましたが、悪魔を相手にする以上は修復していると考える方が妥当です。そしておそらく、それらは強化されている」

 

 第一天将・無銘凶星。通称『流星』があれほどまでの威力を発揮していたのだ。他の鬼神も使うのであれば、同等の強化が施されていても何ら不思議ではない。

 

「故に京都陰陽師たちの協力は必要不可欠。セラフォルー殿には頑張っていただきたい」

 

「うん、私頑張っちゃう☆ 絶対協力してくれるよう説得して見せるんだから! 八坂姫との話し合い、修太郎くんも頑張ってね☆」

 

 セラフォルーの最後の言葉を聞いて、気分が落ちるのを自覚する。

 そうなのだ。なぜか会わねばならないのだ。

 正直、あまりいい予感はしない。そしてこういう時の勘はおそろしく当たるのが修太郎だった。

 

 ともあれ一路京都に向かう。

 いつも隣にいる黒猫は不在。こういう時、少し物足りなさを感じてしまうのはなぜだろう。

 快速で進む新幹線に揺られながら、修太郎は気分転換に窓の向こうの空を見上げるのだった。

 

 




投稿だいぶ遅れて申し訳ない。
一日が48時間あればいいのに……その分仕事時間が増えるか。ふぁっく。

そんなこんなで新章です。ちょっと黒歌の出番が少なくなるかも。
次回は修学旅行に先駆けて八坂姫が登場する予定。
ちなみにカテレアちゃんはお留守番です。本当は連れて行くはずでしたが、交渉しに行くのに子連れなんてなめてると思い直し断念。仕方ない。


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第三十三話:土御門

 放課後の時間帯、新生駒王学園の旧校舎はオカルト研究部部室。

 未だ病院から出られない小猫とギャスパーを除くグレモリー眷族に、顧問教師となったアザゼルを加えて話し合いをしていた。

 内容は、一誠の現状について。

 全員の顔を確認し、アザゼルが口を開く。

 

「さて、一昨日まるまるかけてブーステッド・ギアの解析を行ったわけだが、結果としてはそれなりに進展したと同時、新たな問題点が出てきた。イッセー、お前が説明しろ」

 

「お、俺がっスか……? わかりました」

 

 高円雅崇との戦いを経て正式な禁手(バランス・ブレイカー)に至った一誠だが、実戦で運用するには問題点が多すぎた。

 まず禁手化(バランス・ブレイク)するまでに時間がかかる。これは今までの使い手も同様だったが、一誠のそれはかなり不安定で、変身までに最低2分、最大でなんと15分も必要となる。その上で展開された禁手の持続時間は、最大で初回の20分、最低がたったの30秒という落差。

 

「そいつについてはイッセーが地力を上げ、神器を新たな段階に成長させることでどうにかなるだろう。問題は別のところだ」

 

 アザゼルが注釈を入れる。

 その彼が言う別の問題とは、籠手に取り込んだ魔剣バルムンクの存在だった。

 

「禁手になると自動的に魔剣が出てきたんですけど、こいつが勝手に俺の体力やら魔力やらを吸い尽くすせいで、本来の時間まで禁手を保てないんです」

 

 一誠は難しい顔で自身の現状を伝える。

 

「イッセーに魔剣の担い手たる資格が無いせいだな。己を使わせまいとして強制的に排除しようと働きかけている。このまんまじゃ一生禁手(バランス・ブレイカー)を使えない」

 

「アザゼル、どうにかならないの?」

 

 飄々と話すアザゼルに、心配げな表情でリアスが尋ねる。

 二天龍の神滅具が高く評価される最大の理由は、直接的な戦闘力の高さもさることながら、他の神器と比べて容易に禁手化できる部分にある。なにせたかが腕一本(・・・・・・)犠牲にするだけで、世界の均衡を崩しかねない力を得ることができるのだ。そのような機能を備える代物は後にも先にも二天龍の神器だけ。

 他の下級悪魔と比べてさえ地力で劣る一誠が、この先悪魔として上を目指すのであれば、禁手の使用は必要不可欠である。

 

「いや、それに関しては一応どうにかなったんです」

 

 一誠が答える。

 続く話によると、その後ドライグの進言にアザゼルが提案し『赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)』内部に潜ることとなったらしい。

 この神器内部への精神潜行は、本来であれば覇龍(ジャガーノート・ドライブ)のような激しい覚醒を経ることで解放される部分だが、一誠が禁手へ至るにあたって特殊な事情があったようで、一足先に可能となったのだと言う。

 

「特殊な事情……ですか? いったいどのような?」

 

 木場が疑問の言葉を投げかける。

 

「それについては今から説明する。イッセー、続けろ」

 

「は、はい」

 

 神器内部の空間――歴代所有者の残留思念が留まる場所に降りた一誠は、そこでとある人物に出会う。

 それは着物姿の成人男性だった。

 正体は、かつて高円雅崇と戦い敗れた200年前の赤龍帝である。

 一誠が仲間を殺された怒りで限界を超えた倍化を成し、そして魔人に打ち砕かれた瞬間に一人目覚めた彼は、怨敵打倒のために神器の内より手を貸した。そのおかげで一誠は本来至れるはずではなかった禁手に覚醒し、また彼の協力があったからこそ魔剣を神器に取り込むことができたのだという。

 

「まあ、それが今回の問題に繋がる部分になるんだが……」

 

 アザゼルが嘆息する。

 

 何故あの土壇場で魔剣と神器がすんなり融合できたのか?

 それは残留思念の男が生前剣術の達人であったからだ。

 バルムンクは、一誠ではなくこの男を所有者と認めたのである。

 その結果として、一誠は彼を経由してのみでしか魔剣の力を扱うことができない状態にあった。そして当の男は魔人を相手にする場面以外では意識を表出させる気がないらしい。

 

「つまり今のイッセーくんは、相手が魔人でない限り魔剣を使えない……?」

 

「そうだ」

 

 それは非常に困った事態だった。

 木場に返答したアザゼルは続ける。

 

「一応わかってると思うが、お前たちを高円との戦いに投入するつもりはない。無駄死にするだけだからな。これは各陣営トップ共通の判断だ」

 

「だから現状の魔剣はイッセーの枷にしかならない、と言うこと?」

 

「はい、部長。それでですね……」

 

 交渉の末、魔剣の意志を代弁した男はこう告げる。

 すなわち、バルムンクを己のものとしたいならば、その実力で以って奪い取ってみろ、と。

 

「その後、バルムンクを使うことができなくなった代わりに、禁手だけならまあ使えるようになりました。そっちの方は俺が修行すればなんとかなるとして……」

 

「問題はその残留思念の方にどうやって勝つか……ですわね」

 

「はい」

 

 朱乃の言葉に一誠は困った顔で返答した。

 続いてゼノヴィアが尋ねる。

 

「イッセーは、その人ともう戦ったのか?」

 

「ああ、一応、試しにな……ボロ負けしたよ。逃げるだけならなんとかできるけど、打ち合ったらすぐにやられた」

 

 一誠は肩を落としながら答えた。

 

 相手にはバルムンクがあるが、こちらもアスカロンが使える。

 破壊力という点では劣るとしても、武器の格としてはそこまで差は無いだろう。戦闘前の条件は互角だ。

 しかしそれ故に使い手の格が重要となる。

 頼みのブーステッド・ギアも当の神器内部に潜っている状態では使用できない。これによって導き出される結論はつまり、一誠の実力だけで達人クラスの武芸者に勝たねばならないということ。

 

 一言、無茶である。

 

「とまあ、こんな感じだ。通常の禁手は修行次第でまともになるだろう。しかし魔剣は使えん。要課題だな」

 

「魔剣が使えないことで何か神器に問題が出ることはあるのかしら?」

 

「今のところそんな兆候は見られない。このままスルーし続けてもいいかもしれないが……ただ、残留思念の方がどうでるかはわからん。ドライグが言うには、残留思念は恨みや憎しみなどの強い感情を核として神器に焼きついたものだ。高円への対抗意識があるようだし、痺れを切らしてイッセーに悪影響を与えるような事態も起こり得るかもしれない」

 

「そう……困ったわね」

 

 アザゼルの言葉にリアスが手を頬に当てながら息を吐く。

 

「大丈夫ですって、部長! 時間はかかるかもしれないけど、きっと何とかしてみせます!」

 

「イッセー……」

 

 それに対して勢いよく宣言する一誠。

 問題に直面しているのは彼自身だと言うのに、逆にリアスを励ますかのようだった。

 

「剣術を覚えるなら僕も付き合うから、いつでも言ってくれれば協力するよイッセーくん」

 

「おう、その時は頼むぜ」

 

「私も回復を……と言いたいところですけど、イッセーさんは神器の中で戦ってるんですよね。うぅ、私では協力できそうにありません……」

 

「その気持ちだけで十分だよ、アーシア」

 

「私も付き合うぞ。なんだったら、イッセーも一緒に師匠との模擬戦に参加するといい」

 

「いや、それはちょっと……」

 

 ゼノヴィアの申し出はありがたいが、正直な話、一誠が修太郎と模擬戦を行ったとして成長につながるかは甚だあやしい。

 以前一度だけアーシアに付き添って見たことがあるが、その光景は模擬戦と言うより出来の悪いバッティングセンターにしか見えなかった。ゼノヴィアが球で、修太郎がバッターだ。当然の如く打率10割である。

 自分があれに加わるのは遠慮したい。

 

「ああ、その暮修太郎だが、今はこの町にいないぜ。ちょっと仕事を頼んでるからな」

 

「む、そうなのか。また『禍の団』の敵が?」

 

 アザゼルの言葉にゼノヴィアが反応する。

 

「いや、セラフォルーに付いて京都の陰陽師と妖怪たちの協力を取り付けに行ってもらっている。おそらく数日は空けることになるだろう」

 

「京都と言えば、確か修学旅行の行先がそこだったような。陰陽師も妖怪もいるって、なんだか今までと大分イメージが変わるな」

 

「京都って、お寺がたくさんあるんですよね。教科書とテレビで見ました」

 

「知っているぞ、銀でできた寺や、金でできた寺があるんだろう? 今からでも楽しみだな!」

 

 一誠、アーシア、ゼノヴィアが話す。

 陰陽師と言えば、この学園にも同じ2年生に一人いるものの、その詳細を一誠は良く知らない。せいぜいが映画で見た程度の知識である。

 妖怪についても同様で、猫又や河童などのメジャーなものしかわからない。いったい京都の裏にはどのような不思議ワールドが広がっているのだろう?

 

「私たちも去年行ったわ。とても良いところよ」

 

 想像を巡らせる一誠にリアスが話しかける。

 

「部長は昔の日本文化が大好きですものね。お寺を回るたびに子供みたいにはしゃいじゃって……あの時のリアスは大変可愛らしかったですわ」

 

「もう、朱乃ったら、それは言わない約束でしょう!」

 

 それに対し、朱乃がからかうように言葉を放つ。

 恥ずかしがるリアスの反応は年相応に可愛らしい。こういう彼女もいいな、と一誠は思った。

 

「しかし、そうか、師匠はいないのか……仕方がないとはいえ、残念だ。となると、剣の訓練はイリナと二人でやるしかないな」

 

 ゼノヴィアが心なしかしゅんとした様子で呟く。

 たまにいなくなる時があるものの、修太郎との模擬戦は彼女にとってもはや日課も同然だった。相変わらずまったく敵わないが、その点において不満は無い。わかってやっているのだし、さらに言えば登る山は高ければ高いほど良いのだ。

 いないこと自体は残念に思うが、むしろその間に成長しておけば、修太郎も見直してくれるのではないかと画策するぐらいである。

 しかし。

 

「ん? 聞いてないのか? 紫藤イリナなら暮修太郎に連れられて京都だぜ?」

 

「な、なんだとッ!?」

 

 アザゼルから告げられた言葉はゼノヴィアにとって衝撃的だった。

 

「詳しい事情は知らないが、なんか京都の知り合いに会わせるんだとよ。悪魔じゃないから細かい手続きは要らないし、別に断る理由も止める権利も無いから同行を許可したが、問題あるか?」

 

「大有りだっ!! なんでイリナがそんな弟子っぽいことになってるんだ!?」

 

「知らねぇよ、俺に聞くな」

 

 凄まじい気迫のゼノヴィアに、アザゼルがめんどくさそうに答える。

 

「だっ、だって師匠は私の師匠であって、イリナの師匠じゃないんだぞっ!!」

 

「ゼノヴィアの師匠でもないんじゃ……」

 

「うるさいイッセー! これからなるんだ!! くっ、昨日の夜イリナがこそこそしていたように見えたのは気のせいじゃなかったのか。さては口止めされていたな? ……なんで私じゃだめなんだ。やっぱり悪魔になったのがまずかったのか? 確かに我ながら早まったと思っていたが……でも黒歌さんは悪魔だし、種族が問題というわけではないはず。まさか、この前下着姿で稽古を要求したのがダメだったのか……?」

 

 ぶつぶつと呟きながら、彼女は一同が驚く大変な事実を口にしていた。

 

「ゼノヴィア、お前本当に何やってるんだ……!?」

 

 呆れてツッコミを入れる一誠。

 

「桐生に相談してみたら教えてくれた。「つれない男を振り向かせたいなら、色仕掛けしながら強引に迫ってみたらどうか?」と。それで黒歌さんがいない時に訪ねてやってみたんだが……」

 

「相談する奴を思いっきり間違ってるぞ、それ」

 

 桐生とは、一誠たちと同じクラスの女子生徒、桐生藍華のことだ。男性の男性的戦闘力を数値化する能力を持つことから『匠』と呼ばれている。

 日頃からアーシアにいかがわしいことを吹き込んでいる彼女だが、まさかゼノヴィアまで唆していたとは。

 

「……で、結果は?」

 

 わかりきっているが、聞いてみる。

 

「一回睨まれて、即座に閉め出された。その後しばらく無視された。泣きそうだった」

 

「……そりゃそうなるだろ」

 

 というかこの娘、話を聞く限り下着姿で玄関の前にスタンバイしていたらしい。

 扉を開いてそんな光景を見たら一誠でも(凝視しつつ)戸惑うだろう。客観的に見てどう捉えても痴女の類である。

 

「いったい何がダメだったんだろう? これでもスタイルにはそこそこ自信があるんだ。やはり黒歌さんがいるからか? それとも下着をもっと可愛いものに買い替えた方がよかったんだろうか? 部長たちはどう思う?」

 

「ど、どうと言われても……」

 

 何もかもが駄目だとしか。

 方法とか相手とかタイミングとか雰囲気とか、その他諸々ツッコミどころ満載だ。

 そもそも剣の稽古なんて色仕掛けしながら要求することじゃない。むしろ、あの手の人物にとってはまったく逆効果ではないだろうか。

 

「くそぅ、こうなったら直接物申して……! うっ、そうだった、そういえばイリナは携帯電話を持っていないんだった……!」

 

 携帯電話を取り出すゼノヴィアだったが、そのことに気付いて動きを止める。

 そうしてしばらく悩んだ後、リアスの方向に振り向き。

 

「部長、今から私も京都に行きたいんだが……」

 

「駄目に決まっているでしょう。手続きが間に合わないし、何より明日も学校があるのよ?」

 

 その返答に、がっくりと肩を落とす。

 そんなゼノヴィアにアザゼルが声をかけた。

 

「なんだか知らんが、暮修太郎と連絡を取りたいなら方法はあるぜ?」

 

「ほ、本当か!?」

 

「ああ、あいつには俺特製の端末を渡してある。電話としても使えるやつだ。そういや市販の携帯との通信はテストしてなかったな……今のタイミングなら陰陽師との話し合いも終わってる頃だろう。ちょうどいい、かけてみるか?」

 

 その申し出に、ゼノヴィアは一も二も無く頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

『師匠! どうしてイリナは連れて行くのに私は連れて行かないんだ!!』

 

「お前が学生だからだ。切るぞ」

 

『えっ、ちょっ、待っ……』

 

 画面にタッチして通話を切る。

 昨日ある程度練習したとはいえ、使用経験がほとんどない機器の扱いは少々ぎこちない。

 

 初夏も過ぎ去り、気温は夏真っ盛り。

 外から眩い太陽が照りつける中、しかしこの場は涼しげな大気に満たされていた。

 京都は土御門の屋敷である。

 敷地内を漂う霊気は静謐で、且つ研ぎ澄まされている。屋敷の廊下に立つ修太郎は、以前訪れた時と変わらないその様子に懐かしさを感じていた。

 修太郎は端末を懐にしまい、背後の部屋に戻る。

 

「話しの最中に申し訳ない」

 

 部屋に入ると、三対の瞳がこちらを見つめてくる。一つはセラフォルー、他の二つは彼女の対面に座る白髪の老人と体格の良い男性のものだった。

 

「ふむ、修太郎殿、何かありましたかな?」

 

「いえ、特には」

 

 老人――土御門家の当主に返答する。

 痩身のまっすぐ伸びた背筋は矍鑠(かくしゃく)とし、長い間鍛錬を積み重ねた霊能力者特有の、衰えを感じさせない雰囲気を纏っている。既に一線は退いているものの、よく練られた法力の質からして、今でも大抵の妖魔を圧倒できるほどの実力は保持しているだろう。

 

「さて魔王殿、話を纏めましょう」

 

「はい。わかりましたわ、おじさま」

 

 老当主の言葉にセラフォルーが応じる。

 まっすぐに相手を見つめる彼女に常の軽い口調は無く、まるで本当に魔王のようだ、と本人が聞けば失礼と思うようなことを修太郎は考えた。

 

 アザゼルの予想はやや外れて、話し合いはつい先ほど終了したところだった。

 

 今回の交渉における土御門家は、京都だけでなくかつて魔人と戦った全退魔一族の代表としての立ち位置を持つ。

 この決定には皇室の一部も関わっており、非常に重要度の高い案件として認識されている。実質的に日本神話勢力との交渉と言っても過言ではなかった。

 

 その交渉の結果、三大勢力からの依頼に従い、日本側からの支援として魔人に関する情報の引き渡しと、『三式障壁』の効果を抑制する術式の提供が行われることとなった。しかし継続的に人員を派遣しての協力はやはり難しく、よほどの大事が起こらない限り不可能であるそうだ。

 基本的に彼らは三大勢力を矢面に立たせる構えなのだろう。

 

 日本側への見返りについてははもめにもめたが、結論として、聖剣と神器(セイクリッド・ギア)に関する技術を提供することで話がついた。

 日本神話最強の聖剣である天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)は未だ修復中だ。その関係からくる要求だろう。

 ともあれそれらの技術は悪魔のものではない。最終的な部分は持ち帰ってから検討し、後日通達することとなった。

 

 この話の最中、老当主とセラフォルーとの間で何度も探り合うような雰囲気が発生していたが、修太郎にはちんぷんかんぷんである。

 よくわからないが、セラフォルーがうまくやっているのは把握できた。そういうことが全くできない修太郎としては、思わず彼女たちを尊敬してしまいそうになる。

 

 ともあれ、これで交渉も終了である。

 形式として最後に挨拶を交わすと、老当主の横に座っていた男が快活に笑いながら修太郎へと話しかけてきた。

 

「よう、修坊。悪魔と一緒にいるって知った時も滅茶苦茶驚いたがよ、電話まで使うのか。今まではすぐぶっ壊れるからって使い捨ての通信符だったのにな。ははは、修坊も変わったなあ」

 

「そうでしょうか。そう言う久藤殿はお変わりないようですが」

 

「ははっ、まあ俺みたいなおっさんはたかだか数年じゃあそう変わらんだろうさ」

 

 久藤は土御門家に代々仕える退魔剣士である。

 高い背丈に広い肩幅、服の上からでもわかる巌のような筋肉、豪快な外見の通り強烈な剛剣を振るうだけではなく、高位の術式まで使いこなせる彼は、まさしく退魔剣士の理想形と言える人物だ。

 気さくで細かいことを気にしない性格から人付き合いがうまく、修太郎の数少ない日本における知己でもある。

 

 欧州で本格的に活動する際、手紙で連絡を取ったことから、彼は修太郎の事情を知っていた。

 その関係でたびたび大量の携帯健康食品を送ってくるのも久藤である。日本にいたころ、好んで食べていたことを覚えていたのだろう。

 

「そうは言ってもまだ現役でしょう。腕は落ちていないように見えます」

 

「そりゃあな。しかし俺ももう30過ぎだし、後進も育てなきゃいかん。最近は下の指導で忙しくてな、実力を維持するだけで精一杯だ」

 

「後進、ですか」

 

「おう。そういや修坊、雲居の爺さんとこに女の子連れて来たんだってな。あの、可愛らしい二つ括りの娘」

 

 雲居、というのは例の糸使いの退魔師である。

 土御門家に所属する隠密頭――所謂『忍』と呼ばれる役割を担う老人であり、魔人と直接戦闘した経験もある猛者だ。

 交渉の席へと入る前にイリナを引き合わせ、指導を頼んでいた。

 

「ええ、彼女には才能があり、前に進む意志もある。基本は俺が教えましたが、それ以上は雲居翁の指導を受けた方が良いでしょう」

 

 修太郎の言葉に、久藤は一瞬目を見開き、そして笑った。

 

「は――はははっ、修坊が他人に何かを教えたのか! すごいなそりゃ、今までで初めてなんじゃないか? いや、今日は驚くことばっかだ!」

 

「……それはどういう意味でしょうか?」

 

 笑う久藤に対し、わずかに眉をしかめる修太郎。

 わかる人にしかわからないほどの変化だが、久藤はちゃんとそれを見抜いた。

 

「そう機嫌悪くするなよ。俺は修坊が進んで他人と向き合うようになって嬉しいんだ。昔の修坊は人付き合いが大分アレだったからな。話し相手なんて俺か嬢ちゃんぐらいしかいなかったろう」

 

「確かにそうでしたが……」

 

 退魔剣士だった頃の修太郎は、他人との友好的接触を極力避けていた。

 それは単純に人付き合いが苦手だったこともそうだが、激戦続きで余裕が無かったことも理由として挙げられる。なにせ、魔人と相対するたびに近くの知り合った人物が死んでいくのだ。

 その中でしぶとく……と言うとやや語弊はあるが、最後まで戦い抜いた友人とも言える人物がこの久藤であり、彼の言う嬢ちゃん――土御門の巫女である。

 

 あの最後の戦いでは本当にたくさんの人が死んだ。

 蛇神の調査だけで千人単位の退魔師が骸と化し、当時の土御門当主も高円雅崇の手によって殺されている。その関係で、今の土御門は引退した先代が当主を務めていた。

 

「……二人とも世間話で盛り上がるのは良いがな、そういうのはせめて別の部屋でせんかね? 特に久藤よ、魔王殿の前じゃぞ」

 

「あ、申し訳ない。つい……」

 

「いいですわ、おじさま☆ 私は気にしないもの。むしろもっとじゃんじゃん話してくれてもいいのよ」

 

「う、むう……そうですかのう」

 

 交渉の場から一転、軽い口調で答えるセラフォルーに対し、老当主は驚いた顔を見せた。

 切り替えの早い魔王さまに面食らったのだろう。

 

「……ところで当主殿、見た目年頃の女の子から「おじさま」呼びされるのはどのような具合で?」

 

「む、うむ、不思議と悪くない……。最近では孫も「おじいちゃん」とは呼んでくれんからなぁ……」

 

 久藤の質問に対し恥ずかしそうに、それでいて黄昏ながら呟く老当主。

 

水守(みもり)殿ですね。彼女は今、どのような?」

 

「ああ……寝込みがちなのは変わらぬが、最近は安定しておるよ。ただ、今日はあまり具合が良くないようでな。まだ奥の座敷で寝ておるだろう」

 

「であれば、会わぬほうがよいですか」

 

「すまぬな、修太郎殿。そうしてくれると助かる」

 

 尋ねた修太郎へと申し訳なさそうに謝る老当主。

 彼には孫が二人いる。次期当主となる7歳の男の子と、その姉にあたる修太郎と同年代の女性、『神降ろしの巫女』水守である。

 水守はかつて魔人との最終決戦へと赴くにあたってその身に神を降ろし、修太郎へと神の加護を与えた人物だ。

 

 神格すら受け入れる器と霊的素養を有して生まれた彼女は、高円雅崇に匹敵する法力を持った最強クラスの陰陽師でもある。しかし、その代償として極めて虚弱な体質であった。

 それが寝ているというのならば、無理に起こす必要はないだろう。

 

「いえ、お気になさらず。いずれ機会もありましょう」

 

「……うむ、機会があれば、その時はよろしく頼む」

 

 そうして一同は部屋を後にする。

 その時に200年前の赤龍帝について聞くのも忘れない。老当主からは怪訝な顔をされたが、事情を話すと後程情報をまとめて送ってくれることとなった。修太郎に対するサービスだろう。

 

「出口まで案内しましょう」

 

 老当主と別れ、久藤が二人を先導する。

 

「セラフォルー殿、気分は如何ですか?」

 

「うん、ちょっと身体が重いけど、大丈夫よ☆」

 

 久藤に着いて行きながら修太郎がセラフォルーに尋ねる。

 土御門の屋敷には妖魔への対策として、土地の力を借りた強固な退魔結界が張り巡らされている。それによってセラフォルーの力は抑制を受けていた。

 交渉を終えてそれなりに疲れがたまっているはずであるが、彼女にそのような様子は見られない。そうでなければ魔王は務まらないということだろう。

 

「魔王殿はタフですな。この後また九尾の御大将と会うのでしょう?」

 

「明日になるけれどね。修太郎くんも一緒よ☆」

 

「やはり、会わねばなりませんか……」

 

「なんだ、嫌そうだな修坊」

 

 わずかな表情の変化に反応して久藤が声をかける。

 

「俺と彼女の間に接点はほとんど無かったはず。意図がわかりません」

 

「それは俺もわからんな。だが八坂姫は美人だぞ? 修坊、巨乳好きだろう?」

 

「それとこれとに何の関係があるのです。あと俺はバランス派なので、大きさは特に重視していません」

 

「嘘付けよ、オープンむっつり」

 

「何ですか、それは。嘘ではありません。人体の美しさとは総合的なバランスにあると考えます。女体もまた然り」

 

「じゃあなんだ、巨乳は嫌いか?」

 

「…………」

 

 押し黙る修太郎。

 その表情はセラフォルーにもわかるほど難しげだった。

 

「ははは、そういうところは変わらんなぁ。まあ、せっかく美女からのお呼ばれなんだから気楽にいけよ。男冥利に尽きるだろ」

 

「そういうものですか……」

 

 諦めたように瞑目する。

 そんな修太郎を見て、セラフォルーは呟く。

 

「修太郎くんも意外と男の子なのねー」

 

「こいつは普通に男ですよ、魔王殿。本人は隠しているつもりもないでしょうが、表情に出ないから誰も気づかんだけです」

 

「ふーん、と言うことは修太郎くん、結構エロエロ? 黒歌ちゃんと日々にゃんにゃんしてたりするのかしら☆」

 

「…………」

 

 好き勝手言う二人に再び黙る修太郎。

 あからさまに嫌そうな彼の様子は非常に珍しかった。

 

「修太郎さーん!」

 

 屋敷の門に差し掛かったその時、背後から声がかかる。

 見れば、イリナが手を振りながら近づいて来ていた。

 

「ほら見てNINJA! KUNOICHIの服装よ! 日本を影から支配したという戦士たち! 人々の信仰を守るため、これで私もっと強くなっちゃうわ!」

 

 テンション高く宣言し、くるりと回るイリナの服は動きやすそうな黒装束だった。しかし、その趣はどこかおかしい。

 対妖魔仕様の忍装束は実用重視であり、影に紛れるために肌の露出はそこまでないはずだが、彼女の着用しているものは不自然に脇や太もも周りの布が排除され、白い肌が見えている。

 明らかに下に着るべき衣服が無い状態だった。おそらく、雲居老人の仕業だろう。早くも気に入られたのか、良く可愛がられて(?)いるようだ。

 

「……そうか、頑張るといい。ひと月ほどここに居られるよう話は通している。その間に俺も魔物狩りの伝手を探しておこう」

 

「はい! 何から何までお世話になって申し訳ないけれど、この恩はいつか絶対返すわ!」

 

「ああ、楽しみにしている」

 

 そうして別れの段となった。

 土御門の屋敷の門前には、迎えに来たと思われる黒い高級車が停まっている。

 

「じゃあな、ある程度は仕方ないが、自重しろよ修坊。お前はもう前みたいな無茶がきく身体じゃねえんだから。そんで次に来る時はその黒歌って娘も連れてこい」

 

「じゃあ修太郎さん、ゼノヴィアによろしくね。きっとあの子、拗ねてると思うわ」

 

「心しよう。では二人とも息災で」

 

「元気でね☆」

 

 手を振る二人に応えて別れを告げる。

 おそらく次に会った時、イリナは格段に強くなっているだろう。

 それを少し楽しみに思いつつ、修太郎とセラフォルーは車に乗り、この場を去った。

 

 




退魔忍イリナ。
言ってみただけ。

主人公は別にゼノヴィアが嫌いなわけではありません。
対応がわからないので適当になってるだけです。

土御門周りは軽く流そうかと思いましたが、後の話を考えて結局そこそこ書くことに。
オリキャラの実力周りについてちょっと紹介。

老当主:70代。一対一ならリアスや朱乃に勝てるぐらいには強い

久藤:30代前半。原作ジークフリート(禁手未使用)ぐらいには強い。

雲居:60代。鬼神未使用の魔人相手に時間を稼げるぐらい強かった。セクハラ爺。

水守:主人公と同い年。本気を出せば八坂と同じぐらい強いが、継戦能力極低。

次回が八坂との対面になります。


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第三十四話:京狐

 静かな病室に時計が時を刻む音が響く。

 備え付けのベッドの上で、塔城小猫は座禅を組んでいた。

 仙術の基本は己と周囲の存在が発する気の在り方を把握することにある。何をおいても精神集中、身の内に巡る気を緩やかにたゆたわせつつ、周囲の気を認識する。

 気とは生命の力、あらゆる生物を動かす根源のエネルギーにして、森羅万象を巡りこの宇宙を満たすものである。

 

 精神を集中させ感覚の制御に意識を向ける。そうして徐々に周囲の気を取り込み、己が気脈に走らせていく。

 座禅、そして精神集中による気の制御法。今のところ彼女の姉、黒歌が命じた修行はこれだけだ。

 気を探る技術も、相手の気に干渉する術も教えてもらっていない。別に黒歌が指導を面倒くさがっているわけではなく、これには理由があった。

 

 今の小猫は高円雅崇が施した術式の影響で膨大な気のキャパシティを備えている。拡張された経絡系は潜在能力を以前の約十倍にまで高めたが、今まで仙術の才能を封じてきた小猫にはそれを制御する能力が著しく欠けていた。その結果として、水中に沈められた空の容器よろしく周囲の気を見境なく取り込んでしまう状態がある。

 高められた才能だけが独り歩きしてしまっていることで、仙術の感覚が暴走しているのだ。

 

 取り込む気が他者から漏れ出た生命力程度ならばまだいいだろう。しかし強い憎悪や怒りなどが混じった負の気――邪気・邪念まで大量に取り込んでしまえば、良くて発狂、最悪死亡する可能性が高い。このままでは日常生活すら満足に送れない状況だった。

 何を置いても高めるべきは制御力。故にこうして基礎中の基礎から徹底的に固めている。

 

 が、しかし。

 瞑想中の小猫の耳を突如騒音が襲う。

 ガサガサと何かの包装を開けるような音がし、そして解き放たれた匂いが鼻腔を直撃。

 香ばしいコンソメパンチの匂いは味気ない病院食に慣れた小猫の精神を容易く乱す。同時に、制御できなくなった気が衝撃となって身体を叩いた。

 

「うぁ……っ!」

 

「はいアウトー」

 

 眩暈にふらつきながら、小猫は声の方向を睨んだ。

 見れば、ベッドの横に座った黒歌がポテトチップスの袋を手に悪戯気な笑みでこちらを見ている。

 

「……姉さま」

 

「そんな目で見てもダメよ白音。これくらいで集中を欠いているようじゃ、話にならないにゃん」

 

「確かにそうですが……」

 

 言いながら、バリバリとポテトチップを食べだす姉を恨めしげに見る。

 自身の未熟は承知しているが、それでもやっぱりこの不意打ちは卑怯であるという思いは消えない。

 そんな彼女をたしなめるように、黒歌は手に持った袋の口を差し出す。

 小猫はしばし逡巡した後、無言でその中身を一枚取った。そのまま口に入れて噛み砕けば、舌の上に久しぶりの旨みが広がる。

 

「でもま、それなりに出来るようにはなってるから、そろそろ外に出てもいい頃合いかしらん?」

 

「外ですか。大丈夫でしょうか?」

 

 今小猫たちがいる病室は黒歌が特殊な結界で邪気を排除しているため比較的安全な訓練ができているが、ひとたび外に出ればそんなものは無い。

 不安げな妹の様子に、姉は笑いながら答える。

 

「暴走予防に封印をかけるからまあ大丈夫でしょ。でもってそれがうまくいくようになってから次の段階ね。ぶっちゃけ気の探知は今の時点でもそこそこできるだろうから、次は他者の気脈への干渉と、闘気の発現ってところかにゃん」

 

「闘気……」

 

「白音は『戦車(ルーク)』だから、闘気を纏って身体能力を強化すれば飛躍的に強くなれるにゃん。潜在能力を全て引き出せれば、肉弾戦だけなら最上級悪魔にも引けを取らないかもね」

 

「私にそんな力が……?」

 

 最上級悪魔といえばレーティングゲームでも最高峰に位置する悪魔のことだ。『皇帝(エンペラー)』ディハウザー・ベリアルを始め、一部には魔王クラスの力を備える者も存在するという。

 未だ無名の下級悪魔に過ぎない小猫にとっては遠すぎる世界。しかし、努力次第ではそこに届くと目の前の姉は言った。

 

「今の白音の状態はとんでもないイレギュラーなのよ。才能の拡張なんて現象、そうそう起こるものじゃないにゃん。不幸中の幸いというか、棚からぼたもちってところかにゃ? まあその分だけ基礎を磨かないと危険な状況になってるわけだけど……そこらへんは私とシュウでなんとかするから、あんたはきちんと頑張りなさい」

 

「はい姉さま、わかっています」

 

 頷く小猫を確認した黒歌は、腕を組んで胸を持ち上げつつ話を続ける。

 

「となると、闘気だけじゃなく体術も鍛えた方が何かとやりやすいかしら? どっちにしても、シュウに手伝ってもらった方がいいにゃん」

 

「体術……ですか」

 

「そ、体術――格闘術や武術を修めることは、自身の肉体を知ることにつながるにゃん。己の肉体と向き合い続ければ、おのずとその根源たる生命の力に触れることができる。達人と呼ばれる武芸者の中には、そうして大なり小なり闘気に目覚める人もいるのよ。中国の梁山泊にいた達人たちは大体そうだったし、シュウもその口ね。闘気は仙術使いだけの専売特許じゃないってことにゃん。と言っても、仙術の闘気と武芸者の闘気は微妙に違うところもあるんだけど……」

 

「?」

 

 小首をかしげる小猫に、黒歌は説明する。

 

「仙術の闘気は自然の気を取り込んで纏うものだけど、武芸者の闘気は内から湧き上がらせるものなの。どちらも同じ身体強化の性質を持つけど、自身の肉体と直結してる分、総量が同じ場合は基本的に武芸者が纏う闘気の方が強化効率も反応速度も上にゃん。ただ、尋常じゃないぐらいの鍛錬を積んで、且つ頭抜けた才能が無いととそこまで大きな出力は出せないのが難点かしらん?」

 

 修太郎のような可視化するほどの闘気を纏える武芸者は稀である。通常は陽炎のように現れる程度の質量しかない。

 あるいは人間ではなく、悪魔や龍のような強靭な生物がその境地に至れば安定して強力なものとなるかもしれないが、黒歌は寡聞にしてそのような例を知らなかった。

 

「多分制御がかなり難しくなるだろうけど、武芸者の闘気と仙術の闘気は理論的には両立可能なのよ。白音も最終的にそこを目指してみてもいいかもね。ただ、仙術の方を先に覚えてると難しいかもしれないにゃん」

 

「姉さまでも出来ないのですか?」

 

「うーん、確かに私は剣術もそこそこ使えるけど、こればかりは感覚的な部分の問題もあるにゃん。人と武器の完全な合一とか、無想の境地なんてのは私にはわからないもの。ある程度の才能があっても、武術に対してかなり真摯に向き合わないとダメなのね。きっと」

 

 二種の闘気を両立させるのは、姉の話を聞くだに相当困難なものであるらしい。

 生粋(?)のウィザードタイプである黒歌ならば特に執着する必要も無いのだろうがしかし、小猫の場合はどうだろうか。

 眷族の『戦車』という役割を担う以上、前衛としての能力は磨いた方がいいだろう。どちらにしても体術は鍛えるつもりである。何時になるかはわからないが、チャレンジしてみても損にはならないはずだ。

 

「まあ、それはそれとして……」

 

 ともあれ小猫の育成方針は決まった。問題はもう一人。

 黒歌は部屋の隅を見る。

 

「ひいっ……!」

 

 そこには真っ白なシーツにくるまった金髪赤眼の少年がいた。ギャスパー・ヴラディである。

 小猫たちが今いる場所は、彼の泊まる病室だった。

 

「お、お二人ともいきなりやってきて修行を始めて、いったい何なんですかぁ!?」

 

 泣きそうな表情で喚く少年の声は、いきなり現れてベッドを占領し、やりたい放題やってる二人に向けられたものだ。流石に我慢できなくなったのだろう。

 そんなギャスパーに小猫が言い放つ。

 

「何って、ギャーくんを鍛えに来たんだよ」

 

「そういうこと。白音を鍛えるついでに、キミのも見てあげるにゃん」

 

「え、ええええぇぇっ!?」

 

 驚いて叫ぶギャスパー。

 怯えた目を丸くしながらこちらを見る様子はどう見ても可憐な美少女である。

 

「と言っても、白音と同じく精神修行がメインだけどね。神器のことはほとんど知らないけど、力を制御する助けにはなるはずよ」

 

「そ、そんな……でも僕は……」

 

 俯く少年にはためらいの様子が見て取れる。

 一誠に触発されて自身の力と向き合う決心がついた矢先の魔人襲撃により、彼の中では自分の持つ力への恐怖が再燃していた。

 敵に利用され何の抵抗もできず、それにより起きた被害は甚大。あまつさえ彼の能力が味方に向けられたせいで多くの人たちが死に、学園は消滅するに至った。

 いったいどうすればよかったのか? 目覚めてより以降そればかり考え、今まで碌に眠れていないのだ。顔を歪めるギャスパーの目元には、濃い隈が浮き上がっていた。

 頑張るなどとは言ったものの、自分が強くなる光景がイメージできない。きっとこのまま何時までも弱く小さく、塵か埃のように転がっているのがお似合いなのだ。そんなことを考え、あまりにも不甲斐無い自分に頭がどうにかなりそうだった。

 こんなことならばいっそのこと――。

 

「「死んだほうがいい」だなんて思っちゃダメだよ、ギャーくん」

 

 ギャスパーの心を見透かしたかのように、小猫が語りかける。

 俯く顔を挙げれば、同級生の少女はいつの間にか少年の目の前にいた。

 

「ギャーくんが死ぬと、部長も一誠先輩たちも悲しむ。私だって……そんなの許さない。逃げちゃダメ。自分の力と向き合うの。私にだって出来るんだから、ギャーくんにだってきっと出来るはず」

 

 力強い言葉と共に、大きな瞳が真っ直ぐと見つめてくる。

 そんな少女にギャスパーは項垂れ――。

 

「……ダメだよ、小猫ちゃん。僕には出来ない。臆病者で弱いから、誰とも仲良くなんかなれないし、こうして迷惑ばっかりかけちゃう。こんな奴に生きる価値なんて無い。それならもう、いない方が……」

 

 静かな病室に乾いた音が響く。

 小猫がギャスパーの頬を叩いたのだ。

 驚いて前を向けば、目に涙を溜めた少女の顔がある。初めて見る小猫の様子に、ギャスパーは呆気にとられて言葉を切った。

 

「……ギャーくんが臆病で弱いなんてみんな知ってる。でもいない方がいいだなんて、私たちが一言でも言ったことがある? 私たちは仲間なんだから、誰もギャーくんを見捨てたりなんかしない」

 

 そう、リアス・グレモリーは、兵藤一誠は、眷族の皆はギャスパーを決して見捨てたりはしないだろう。たとえ付き合いが浅くても、それぐらいならわかる程に彼らは優しい。

 そんなことは、ギャスパーだってわかっているのだ。

 

「でも、僕は見てたんだ! 魔王さまたちが僕の能力で停められていくところを! 今回は助かったけど、次はきっと……」

 

「はいはいストーップ」

 

 なおも反論しようとすると、横から声がかかる。黒歌だ。

 椅子から立ち上がりギャスパーの前に立った黒歌は身体を屈め、悪戯気に微笑むと次の瞬間少年の頭をぐしゃぐしゃと撫でまわした。

 

「わ、わっ!? 何なんですかぁ!?」

 

 ほぼ初対面の人物からそのようなことをされて、ギャスパーは慌てだす。

 そんな彼に黒歌は満面の笑みを浮かべながら、指を突き付けた。しなやかな指先は妖しい輝きを纏っている。

 

「うるさいにゃん」

 

「――あふん」

 

 そのまま指で鼻先を弾くと、ギャスパーの顔が激しく跳ね上がる。そうして再び正面を向いた彼の表情は微睡むようにぼんやりとしていた。

 ギャスパーの顔の前で、黒歌の指がぐるぐる回る。

 

「ゆっくりと深呼吸をしてください。私の声に合わせて……1、2、3、はい」

 

「……すぅ~、はぁ~」

 

 そうして数度、深呼吸を続ける。

 

「息を吐くたびに、嫌なことが身体から吐き出されていきます。気持ちいいですね。全身から余計な力を抜きましょう。そのまま深く、深く、あなたの意識は沈んでいきます。あなたは強~い、あなたは強~い。神も魔王もあなたには敵いません。だから何も不安に思うことはない。そうでしょ?」

 

「……はい」

 

「ね、姉さま、いったい何を……?」

 

 ゆらゆら頭を揺らして黒歌の指示に従うギャスパーの様子は尋常ではない。明らかに何かされていた。

 

「ちょっとした催眠術よ。白音は黙ってて」

 

 疑問の声を上げる小猫へ、ジェスチャーで静かにするよう促した黒歌は、そのまま暗示を続ける。

 

「今のあなたはとてもしあわせ。だって私の声は気持ちいい。私の指示に従えば、もっとしあわせになれます。失敗しても大丈夫、焦らず、自分のペースで頑張っていきましょう」

 

「はい……」

 

「さあ、目を閉じて。私が今から言う言葉を復唱してください」

 

「はい……」

 

「僕は強い」

 

「……僕は強い」

 

「神器なんかこわくない」

 

「……神器なんかこわくない」

 

「にんにく大好き、どんぶり三杯食べたい」

 

「……に、にんにく大好き、どんぶり三杯食べたい」

 

「生麦生米生卵ー」

 

「……なまみゅぎなみゃごめなまたみゃごー」

 

 雲行きが怪しくなってきた。小猫の心を急な不安が襲う。

 

「あの魔人舐め腐りやがってなんぼのもんじゃい」

 

「……あの魔人、なめくさりやがってなんぼのもんじゃーい」

 

「修太郎さんと黒歌さんは空前絶後にお似合いなカップル。今すぐ婚約すべき」

 

「……しゅーたろうさんとくろかさんはくーぜんぜつごにおにあい……いますぐこんやくすべきー」

 

「脳筋ケルトのアホ女神は今すぐ切腹しろ」

 

「……のーきん、ケルトの……めがみ……ス、スカア……うっ、あたまが……」

 

 度重なる暗示にとうとうばたりと倒れ伏すギャスパー。

 姉を含めたその様子を、小猫はじとりとした目で見つめた。先ほどの怒りも消え失せて、ただただ呆れかえるばかりだ。

 

「……何やってるんですか」

 

「ふぅ、これで起きた時はそこそこマシになってるでしょ。ここまで根暗だとぶっちゃけウザいだけにゃん」

 

 なんという身もふたもない理由。直前までの説得はいったいなんだったのだろうと思えば、急にやるせなくなった。

 

「そんな顔しないの。まずは自分の力と向き合わせないことには始まらないにゃん。荒療治だけど、強制してでもさせなきゃ自信なんかつかないしね」

 

「それもそうですが……」

 

「それに、白音の言葉だってこの子に届いてなかったわけじゃないみたいよ? 言葉を聞いた時、瞳の奥が揺れてたにゃん。きっとこの子も頭ではわかってるのよ」

 

「……はい」

 

 姉の手が小猫の頭に伸び、優しく撫でてくる。

 懐かしい手つきに、思わず目を細めた。

 

「ま、さっきのだって洗脳ってほど強い暗示じゃないし、そもそもこの子結構そういうのに耐性できてるみたいだし、きっと二度目は効かないにゃん。ブーストかかるのは最初の内だけね」

 

「では速攻でやらなければいけませんね」

 

「そうね、いっそのこと色々詰め込んでみてもいいかもにゃー」

 

 何をとは言わない。

 

 こうして哀れな少年は、猫又姉妹に弄られる未来を獲得したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 セラフォルーとともに迎えの車に乗った修太郎は、京都駅よりほど近い場所にある高級ホテル『京都セラフォルーホテル』に宿泊することとなった。

 近くには『京都サーゼクスホテル』まである。確か修太郎がまだ退魔剣士だった頃、京都陰陽師たちの間でこれら悪魔の息がかかった施設の建設に関して何やら紛糾していたような覚えがある。魔人が関わっているわけでもなし、まったく興味の無い案件だったのでどういう議論を交わしていたかまでは知らないが、完成しているということは双方納得のいく形で決着がついたのだろう。

 

 絢爛なロビーで受け付けを済ませ、エレベーターに乗り、そうして通された部屋は王宮さながらの豪華さでこちらを迎え入れた。

 所謂高級スイートルームと言うやつで、修太郎一人ではどう見ても持て余す大きさである。煌びやかさだけなら過去滞在したアースガルズの部屋を上回るほどだ。若干気後れする修太郎だったが、雇い主の厚意に甘え気にしないことにした。

 

 ちなみに、当たり前だがセラフォルーとは別室である。彼女はホテルで待機していた他のスタッフと共に今回の交渉を各陣営に報告するらしい。

 部屋の位置は近いので、護衛を行うのに支障はない。いざとなれば壁を斬り刻んででも駆けつける次第である。

 

 広い部屋を見渡して、黒歌がいればまたはしゃぐのだろうなと思いつつ、矢鱈と大きな浴室でシャワーを浴びる。

 そうして汗を流していると、修太郎は突然部屋の方に出現した存在を感じ取った。

 

 修太郎は『力』に対して非常に鋭い知覚を有している。

 人体の極限まで発達した五感、生来備わった強い霊感、そして気を感じ取り操る才能。これらを統合して生み出された第六感は、幾度もの死線を潜り抜ける中でさらにその精度を増し、戦闘においては未来予知に等しい洞察力として発揮され、また普段の行動においては仙術使いの感覚を上回る索敵性能を見せる。

 闘気の運用に障害を抱えた今となってもその能力は衰えることなく、むしろインドで学んだ霊的器官(チャクラ)の覚醒も相まって今もなお成長し続けていた。

 

 たとえどれだけ広くとも、部屋一つ程度の範囲であれば何者かの侵入など手に取るように感じ取れる。

 故に、突然訪問者が現れたとしても驚くことはほとんどない。

 ……本来であれば。

 

 今回に限っては違った。理由は、訪れた人物である。

 浴室から出た修太郎を迎えたのは、金毛白面の美女だった。

 

「邪魔しておるぞ御道修太郎」

 

 備え付けの巨大なベッドに腰掛けて、飄々と言葉を紡ぐ女性はどう見ても人間ではなかった。

 さらりと流れる金髪の頭部から同色の獣耳を生やし、醒めるような美貌と纏う巫女装束の上からでもわかる妖美な肢体は王を惑わせ傾国を成すそれだ。何よりも背後に大きく広がる金色の九尾を見れば、目前に座す妖女の素性は明らか。

 

「八坂殿か」

 

「如何にも」

 

 日本屈指の大霊地、術式都市京都の地脈を管理し、数多の妖物を率いる妖怪大将――『九尾の狐』八坂姫その人である。

 

「何の用で来られた。自分と会うのは明日のはず」

 

 右手に嵌められた白銀のリング――斬龍刀に意識を走らせる。こちらに戦いの意志は無いが、警戒だけはしなければならない。

 動きには見せなかったつもりだが、空気の変化に気付いたのだろう、八坂はくくっと一度笑った。

 

「そう警戒するでない。ちょっとした確認と、知らせを伝えに来ただけじゃ。ふむ、その目つきと斬れるような気は確かに御道修太郎じゃな」

 

 組んだ緋袴の足で頬杖をつき、値踏みするかのようにこちらを見て答える。

 昔から狐と絡んで碌な思い出が出来たことが無い修太郎としては、どうにもやりにくい。退魔剣士だった頃、いったい今までどれほど騙され、惑わされてきただろう。東北などは最悪だった。

 とはいえ目の前に座る相手は京都の重鎮。無下にすることはできない。

 

「……知らせ、とは」

 

 修太郎の問いに、八坂は足を組み直した。

 

「まあそう急かすでない。それにしても西洋の寝居は豪奢じゃのう。どこもよく煌めいて目に眩いわ。見よ、この布団などはふかふかでわらわの身体を撥ね返しよるぞ。良いのう、気持ち良さそうじゃのう。このような布団に一度寝てみたいものじゃ」

 

「そう思うのであれば、セラフォルー殿に頼まれるがよろしいでしょう。ちょうど隣の部屋におられます」

 

「……何ぞつれないのう。色気の欠片もありゃせん。冗談でも「泊まっていけ」の一言ぐらい言えぬのか。お主、つまらぬぞ」

 

「つまらなくて結構。これが自分です。それよりも本題をお聞かせ願いたい」

 

 からかいの言葉を斬って捨てる男の対応に、九尾の美女は不満げに顔を顰める。

 そうしてしばらく、諦めたように一息つく。

 

「お主、明日の交渉の場には来るな」

 

 続く言葉は修太郎にとってさらに意図のわからないものだった。

 

「……それは、何故でしょうか」

 

 故に、そう聞くしかない。

 

「何故もなにも、お主が裏町に来ると混乱が起こるからに決まっておろう」

 

 裏町、とは京都の妖怪が住む異界のことだ。裏京都とも呼ばれる。

 本来こういった異界は山奥などの秘境に作られることが多く、町中に存在するものは珍しい。京都のそれは特に規模が大きいため、出身地でなくとも多くの妖怪が集まる場所である。

 

「そういうわけにはいきません。此度の自分はセラフォルー殿の護衛でもあります。気配を消していきます故、裏町の妖怪には気付かれることは無いでしょう」

 

 そう反論する。完全に気を断った修太郎は彼の闘仙勝仏さえ撒いて見せる。問題などどこにも無かった。

 しかし。

 

「隠神刑部や八天狗が来ておると言っても?」

 

「……!」

 

「此度の会合は日本の妖怪一同が重要視しておる。陰陽師――退魔師の方もそうであったろう? 今わらわの屋敷には各地方の有力妖怪が集まっておってな。山ン本の奴もおるのじゃ。お主、奴らの神通力を誤魔化せるとでも思うておるのか?」

 

 隠神刑部、八天狗、山ン本……どれも大妖怪に名を連ねる有力者たちだ。八坂と比べてもその力は劣っていないどころか、上回る者すらいるだろう。

 わずかに目を見開いて驚く修太郎に、八坂は続ける。

 

「鞍馬の爺様などはともかく、茨木のがお主を見ればただでは済むまいよ。そうなると処理が色々面倒じゃし、悪魔側との交渉も進まぬ。東北の二代目とも会いたくなかろう? だから来るな」

 

「茨木童子までいるのですか。……では自分はいったいどうすれば?」

 

「故に、わらわがこうして別途話す場所と時間を伝えに来たのじゃ。ほれ」

 

 そう言って懐――胸の谷間辺り――から何やら書簡を取り出し、修太郎へ放る。

 危なげなく書簡を掴んだ修太郎は、広げて内容を読んだ。書かれたことを理解してしばらく、訝しげな目で八坂を見る。

 

「何故またこのような場所を……」

 

「別によかろう。せっかくの機会じゃからな、わらわにも色々とやりたいことがあるのじゃ……と。む、これは……?」

 

 何かに気付いた八坂は立ち上がってテーブルの傍に歩み寄る。そこには修太郎がアザゼルより貰った携帯端末があった。

 

「おお、これは「すまーとふぉん」と言うやつじゃな。知っておるぞ、「けいたいでんわ」の進化系じゃ。人間たちはこの薄い板で離れた場所の相手と話し合ったり、写真を撮ったりするのじゃろ? まさかお主が持っておるとは意外じゃのう」

 

 手に持って色々な方向から端末を眺める八坂はまるで童女のようだ。九つの尻尾が楽しげに揺れている。

 

「貰い物です。使い慣れているわけではありません」

 

 そう答える修太郎は内心で困惑しきりだった。何故彼女はこんなにも馴れ馴れしいのだろうか。狐だからだろうか。

 そんな修太郎をよそに八坂は端末を弄り出す。

 気の済むままにさせようと放っておけば、端末のカメラをこちらに向けて何やら操作していた。

 

「む、こうか。っ……おお、撮れた……のか? のう御道、これはどうなっておるのじゃ?」

 

 パシャリと端末からシャッター音が鳴ると、八坂は修太郎へと端末を見せる。

 仕方がないので端末を受け取り、ぎこちない操作で確認した。

 

「……どうやら撮れているようですが」

 

 案の定、八坂が撮っていたのは修太郎だった。

 

「ふむ、見せてみよ。……おお、おお、綺麗に写っておる。当人が仏頂面なのはアレじゃが、技術の進歩は偉大であるのう。御道、今度はわらわも撮っとくれ」

 

「…………」

 

 言われるままに端末を操作し、一枚撮った。

 再び近くに寄り、端末を覗き込む八坂。

 

「良いのう、やはり綺麗じゃ。わらわはこういうものに触れる機会がほとんどないからのう。若い妖怪は写真機も使うというのに、まったく、古くから仕える者たちは頭が固くていかん。あやつら、自分どもが扱いを知らぬから敬遠しておるだけなのじゃ」

 

 ぶつぶつと文句を言う八坂。「これを機会に妖怪も新しい機械の扱いを覚えねば」と一人決意していた。

 

「……というか今更じゃが御道よ」

 

「何でしょう」

 

「何故にお主、上を着とらんのじゃ?」

 

 端末のカメラに写った修太郎は、その逞しい上半身を惜しげも無く晒していた。

 と言うのも、この後チャクラの修練を行う予定であったため、浴室には下着とズボンしか持ちこんでいなかったのだ。

 そう伝えると、合点がいったかのように頷く八坂。

 

「それは邪魔したのう。ふむ……」

 

 そのまま八坂はじっ、とこちらを見つめてくる。

 

「何か?」

 

「いや、ここまで礼儀を欠いても怒ったりはせぬのじゃな。噂では相当沸点の低い印象があったものじゃから、てっきりスパッと斬られることを予想しておったが」

 

「この程度でそのようなことはしません。立場としてはあなたが上でありますし、第一、分身(・・)を斬ったところで何になるでしょう」

 

 その言葉に八坂はにやりと口端を釣り上げた。

 

「……やはりバレておったか」

 

「中身が伽藍洞ともなれば、一目で」

 

 隣に立つ八坂には九尾の狐と呼ばれるほどの力が一切見られなかった。それでいて感じる気質は以前見た時のものと一致するため、術で作った形だけの分身と判断したのだ。

 そもそも、京都の全霊地を統べる彼女が、妖怪から見て危険人物である修太郎の下へ一人で護衛も付けずにふらふら出向けるわけがない。

 

「その物言い、やはりあやつに似ておる……まあ良いわ。それにしても以前会った時と雰囲気が違い過ぎて驚いたぞ。この地を離れて何ぞあったかのう?」

 

「それは……」

 

 次の瞬間、修太郎の手の中で端末が震えた。

 

「おおっ、何じゃ!? 何が起こっておるのじゃ!?」

 

 急な出来事に驚く八坂。

 

「連絡が入ったのでしょう。……少し離れていただきたい」

 

 震える端末に興味を示して覗き込もうとする八坂を修太郎は制止する。

 通話ボタンを押し、電話に出ようとしたその時――。

 

『やっほー! シュウ、私がいなくても元気してるにゃん? そのケータイ、魔法通信もできるっていうから試して――何その女』

 

 端末を通して宙に浮かび上がる魔法陣のウィンドウ。

 天真爛漫な笑みを浮かべる黒猫美女・黒歌が楽しげに声を弾ませ――半裸の修太郎とそれに寄り添う八坂を見た瞬間、トーンを絶対零度の領域に落とした。

 

「この方は九尾の八坂殿だ。後の日程を伝えにここへ――」

 

『へぇ……日程聞くのになんでシュウは半裸なの? そこ何処? ホテル? あとその女、近いにゃん。すぐ離れて』

 

 黒歌の疑問に、至極冷静な態度で答える修太郎だったが、続く彼女の口調は多分に棘を含んだものだった。

 その言葉に従い、思わず八坂を突き放す。何故だかよくわからないが、完全にウィンドウの向こうから放たれる空気に呑まれてしまっていた。

 

「むっ、急に押しのけるでない!」

 

「申し訳ない」

 

 思わず謝罪する。

 しかしながらそのさりげないやり取りすら黒猫の気に障ったようで――。

 

『私は一人さびしく部屋にいるのに、シュウは行きずりの女狐と何をしてるの?』

 

「待てクロ、お前は何か誤解して……」

 

『ばーかばーか! もうシュウなんか知らないにゃん。もう白音の所に逃げてやるんだから!』

 

 そう言い放ったのを最後にウィンドウは閉じて消えた。

 後には当惑し無言のまま佇む修太郎と、面白げな視線でこちらを窺う八坂だけが残る。

 

「ふむふむ、なるほど、これがお主が変わった理由か。感じる力の質からすると、悪魔かのう? それも猫又。話に聞くかつての『御道修太郎』なら出会い頭に斬ってそうな存在じゃな。となると、お主には少し悪いことをしたか」

 

 顎にしなやかな人差し指を当てながら、八坂はそんなことを言う。

 その言葉を聞いた修太郎は一つ息を吐き、彼女に告げる。

 

「……そちらの話は承知しました。今夜はもうお引き取り願いたい」

 

「む? そうじゃな、あまり長居しても仕方がないしのう」

 

 答える八坂は気付かない。修太郎の目が先ほどまでとは違う光を帯びたことに。

 低く平坦な声で修太郎は続ける。

 

「では送りましょう」

 

「よいよい、どうせ分身じゃ。このまま術を解除すれば――」

 

「遠慮なさらず」

 

 瞬間、銀閃が宙を走る。

 無拍子で放たれた刃がその閃きを見せたと同時、斬龍刀はリングに戻っていた。

 傍目には何が起こったか全くわからなかっただろう。

 

「――――」

 

 都合九つに分断された八坂の分身は、驚いた様子を見せる間もなく炎が散るように消え去った。

 一人残された修太郎はベッドに座り込み、再度息を吐いて言葉を漏らす。

 

「これだから、狐と会うのは嫌なのだ……」

 

 




遅れに遅れて2週間。申し訳ありません。
ここ数話書き直しが多くなってきたり、今回は途中でデータ消えてモチベ下がったりしましたが私は元気です。
ウィンドウズの自動更新で強制再起動されるの何とかならないかしら……。

ともかく八坂登場回。
原作での出番が少ないのをいいことに、好き勝手書きすぎたかもしれません。全体的に子供っぽくなったような。
作者的には猫耳も大変よろしいですが、狐耳も好きです。もふもふしてそうな尻尾もベネ。
同じイヌ科なのになぜか違う趣がありますよね。

次回は八坂とのデート回……になるのでしょうか?


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第三十五話:惑わし狐

 翌日の昼過ぎ。

 京都駅ビルは中央改札口前にて、修太郎は空を見ていた。

 八坂を追い払ったあの後、詳しい経緯の説明をするべく黒歌に連絡を取ろうとしたものの、聞く耳持たずで悉く拒否され結局何の話もできていない。

 何故自分はこんなことをやっているのだろう、と思わずにはいられなかった。

 自分としてはただ重要人物の護衛をこなし、少々話をして帰るだけの仕事だったはずである。それがなぜこのような痴話喧嘩染みたことになっているのだろうか。原因を考えても間が悪かったとしか言いようが無く、それだけに解せない。理不尽事には慣れているつもりだったが、この曖昧模糊とした胸中は如何ともしがたかった。

 視線を落とし、周囲を見る。

 

 日本有数の観光都市・京都の玄関口である京都駅は、同じく日本有数のターミナル駅でもある。

 未来志向のデザインは古都・京都のイメージと比較して賛否両論あるようだが、その巨大さと斬新さは観光の目玉となるに十分な物だろう。日々数十万の人々が乗り降りする駅内は、雑踏の音が絶えず響いていた。

 上を見れば、実に4000枚にも及ぶガラス窓で覆われた吹き抜けの大屋根が、鉄骨によって青空を縦横に区切っている。いつか訪れた駒王町のデパートよりもなお高く、風吹きぬけるような広大さを持つアトリウム構造には、ある種の開放感があった。しかしだからといって、修太郎の心が晴れることはない。

 

 八坂が言ったとおり、裏町で行われる交渉の場に修太郎は参加しないこととなった。

 どうやらセラフォルーには話が通っていたらしく、にこやかな笑顔で任を外されてしまえば修太郎としても文句は言えない。代わりの護衛は彼女の眷族が行うとして、本日一日修太郎はフリーになったのだった。

 

 完全に空いた午前中を鍛錬にあて、その後昼食を済ませ、駅ビル内でお土産を購入し、そして今、修太郎は待ち人が来るのを待っている。

 時刻はおやつ時、約束の時間からはもう既に一時間近く経過していた。

 それでも文句ひとつ垂れることなく直立不動で立ち尽くす修太郎は、その日本人離れした長身と堅気に見えない容貌もあって非常に目立っていた。無論、良い意味ではなく。

 普段ならば気配を薄めて注目されることを避けているのだが、それをやって待ち人に素通りされては敵わない。しかしながら、多くの人々から畏怖や好奇の視線を注がれるのはあまり気分が良いものではなかったし、警備員などはあからさまに警戒している。何せ一般人から見た修太郎の纏う空気は剣呑極まるものであり、それが一時間何かを待っているのだ。何が起こるか気が気ではないのだろう。結果として、彼の周囲には不自然な空白地帯ができていた。

 どうしたものか――もう帰ってしまおうか、などと思い始めた丁度その時。

 

「すまぬ、待たせたか?」

 

 隣に降り立ったその声に首を振り向かせる。

 輝く金毛、白磁の肌。京都の地脈を治める美貌の妖狐姫、八坂がそこにいた。

 

「話し合いが中々終わらんでの、こちらから指定しておきながら遅れてしもうた。いちおう余裕は持たせておったのじゃが、山ン本の奴がごねてのう……」

 

「いえ、来ていただけて何より」

 

 そう答えて、彼女の姿を見る。

 彼女は昨日見た巫女装束姿ではなく、清楚な純白のワンピースを着ていた。

 裾は膝下まである長いものだが、夏だからだろうか、大きく露出した真っ白な肩の柔らかいラインと二の腕が眩しい。生地は薄いようで、メリハリの利いたスタイルの曲線が透けて見えるようだ。とはいえ、実際に見えている訳ではないが。

 その可憐な姿から感じる力は莫大。分身などではありえない。間違いなく、九尾の御大将その人だった。

 

「その格好は」

 

「わらわも女子(おなご)じゃからの、この前偶然見つけた『ふぁっしょん雑誌』とやらにあった服を取り寄せてみたのじゃ。着回しがきいて便利な服と聞いておる。しかし中々着る機会が無くてのう……どうじゃ、わらわもまだまだ若かろう?」

 

 そう言って、くるりと回る。煌めく金髪とともに柔らかな生地のスカートがふわりと翻った。

 

「お綺麗です」

 

 若いかどうかはともかく。

 

「ふふふ、そうかの?」

 

 答えを聞いた八坂は満足げに微笑む。

 狐の耳と尾は隠しているようだが、幻術の類を使っているのか修太郎の目には薄く存在が確認できる。それらがゆらゆらと揺れていた。

 先導するように修太郎の前を歩きだす八坂は、どこからともなく麦わら帽子を取り出して被った。

 

「では、行こうかのう」

 

 そうしてしばらく、着いて行くままに彼女の後ろを歩く。

 道行く人々の視線は不思議と気にならない。通常、八坂のような金髪の美女が街を歩けば大なり小なり注目を浴びるものだが、おそらくなんらかの術を用いて誤魔化しているのだろう。普段黒歌と一緒に歩く際に展開されるものと似た術の気配がした。

 ふと、前を進む八坂が呟く。

 

「人間というのは不思議な生き物じゃのう」

 

 意識をそちらに向けて応じれば、彼女はそのまま話を続ける。

 

「わらわが京都の地に生まれて幾年月、その間ずっと人というものを見てきた。人間は我らと比べて弱い生き物じゃ。肉体的には勿論、精神的にも不安定で、同族相手でも容易に争いを起こす。欲も強く、天下統一だの他国征服だの、血の気の荒さでいうなら鬼と同等にも見える。身勝手で、子供な種族じゃ。正直な話、あまり好ましい動物ではない」

 

 しかし、と彼女は一息つく。

 

「定命の身であるからか、はたまた不安定な精神の賜物であるのか、お主らが見せる一瞬の煌めきが我らを魅了するのもまた事実。戦の際、ふとした瞬間に見せる爆発力。新たな技術の閃きと、それによる発展。まったくもって素晴らしきことよ。この街など、わずか数十年で見違えるように様変わりした。わらわたちではこううまくはいかぬ」

 

「…………」

 

「今の世は人間を中心に回っておる。信仰を必要とする神に天使、欲望を糧とする悪魔、そして血肉や精気を求める我ら妖魔。一様に人間よりも強靭な生命じゃが、それらに対してお主らが与える影響は非常に強い。文化などはその最たるものじゃ。わかるじゃろ?」

 

「……はい」

 

 投げかけられた問いに首肯する。

 確かに、今まで世界を巡り歩いた修太郎はそれを知っている。須弥山然り、アースガルズ然り、影の国然り……どこの神話体系にも人間が開発した技術・文化の気配が見え隠れしていた。

 例としては聖書の三大勢力が最もわかりやすい。特に悪魔などは転生悪魔の影響か、着実に人間のそれを基に変わっていっている。

 

「多くの神話では神が人を創ったと言うが、こうあっては何が真実かわからぬのう。お主や雅崇、土御門水守のような人でありながら異形を超えた力を持つ者も生まれるのだから、本に不思議なものじゃ。興味が尽きぬ」

 

 振り向いて、後ろ歩きにこちらを見る。

 修太郎には八坂の意図がまるでわからなかった。

 

「何が言いたいのです」

 

「わからぬか? つまりじゃな、此度は良い機会だと言うことじゃ。何せわらわはそう簡単に外へ出られる身ではなくてな、たまに九重と共に夜出歩くことはあるが、昼間などは中々のう。しかし治める者として街の空気も知らんようでは話にならぬであろう?」

 

 などと言って、悪戯気に笑う姿は少女のようでもあった。

 それはつまり。

 

「自分を出し(・・)にした、ということですか」

 

「そう思ってもらって構わぬが、お主と話したいことがあるのも本当じゃ」

 

 修太郎はしばし考え込む。

 彼女が自分と何を話すかと言えばタイミング的に高円雅崇のことだろう。なんにせよ、ここまで来ると修太郎も気になってくる。

 八坂の人格が良くわからないため油断は禁物だが、斬龍刀もあるのだ。もし彼女が修太郎に危害を加えようとしても、逃げるだけならばなんとかなるだろう。

 

「……承知しました。付き合いましょう」

 

「決まりじゃな。では……」

 

 八坂はぐるりと辺りを見回した後、修太郎を見て言う。

 

「まずは監視を撒かねばのう。これでは楽しめぬ」

 

 修太郎も辺りに意識を走らせる。

 八坂と合流した時より気付いてはいたが、強い力を持った妖怪たちが結構な数でこちらを取り囲んでいる。おそらくは修太郎を警戒してのことだろう。

 注がれる視線は鋭く、殺気すら帯びて修太郎の全身を刺す。自分自身に楽しむつもりは毛頭ないが、なるほどこれでは息が詰まる。

 しかしながら、高位妖怪たちが敷く包囲を抜けるのは骨でもあった。

 

「何か良い方法がありますか」

 

「そうじゃの、土地の力を利用してやってもよいが、それはそれで問題じゃから少し遠慮したいところじゃ」

 

「なるほど。では八坂殿、この場は自分に任せていただきたい」

 

「む、何ぞ案でもあるのか?」

 

 その問いに、修太郎は無言で闘気を纏った。

 蒼い炎の如き鎧に、それを目にした八坂は一瞬目を丸くする。

 

「では、失礼する。少々揺れます故、お覚悟を」

 

 対する八坂は、答えの代わりに楽しげな笑みを作った。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 そんな男女の背後を尾行する影があった。

 小柄な体躯に巫女装束を身に纏った可愛らしい少女である。歳の頃は小学校の低学年ほどだろうか、妖異の証である獣の耳とふさふさした尾を揺らめかせ、物陰から物陰へと移動していた。

 

 少女の名は九重(くのう)

 今現在目の前で男と二人歩く女性――九尾の狐・八坂の娘である。

 一人危険人物と接触する母親を心配に思い、お供である狐巫女たちを数名伴っての行軍であった。

 ぱっちりと大きく愛らしい金色の瞳で前方の二人を凝視する。

 

「ぐむむ、母上……何故(なにゆえ)そのような男と会う必要があるのです……」

 

 小さな顔の眉間にしわを寄せて呟く。

 ピンとまっすぐ立った尾は憤りに細かく震え、納得できないと表情が物語っていた。

 

 日本に住む妖魔の怨敵・御道修太郎のことは九重とて知っている。

 数多の悪鬼悪霊魑魅魍魎、妖獣魔獣鬼神荒神を討滅してきた日本最強の退魔剣士だ。東北の九尾を殺し、飛騨の大鬼神を滅ぼした功績は英雄と呼ばれるに足るものだろう。彼の魔人・高円雅崇に対して真っ向から抗して見せる人物でもあり、今日の日本が平穏な日々を送れているのも彼の存在があればこそ。結果として日本の妖怪たちを救った人物でもある。

 しかしながら、それとこれとは話が別だった。

 

「その者は九十九尾(つづらお)さまを殺した男なのですぞ……!」

 

 修太郎が殺した東北の地を治める九尾――九十九尾は、八坂とは旧知の仲でもあった。故に当然、九重も面識がある。

 九十九尾は姿も知らぬ九重の祖母、つまりは八坂の母と同年代に当たる古狐であり、その妖力は全盛期であれば魔王すら恐れるものであったと言う。

 

 九重が会った時は精神の衰えにより年老いた女性の姿をしていたが、それでも幼いながらに凄まじい妖怪だと感じた。

 彼女は、初めて九重を「八坂の娘」ではなく一人の妖怪として扱ってくれた人物である。厳しいだけではなく時には優しさも見せ、幼い九重は九十九尾の子供たちを羨ましく思ったものだった。とはいえ、八坂のことが嫌いなどということは死んでもあり得ない。

 つまるところ、九重は九十九尾に祖母の面影を見ていたのかもしれない。

 

 それを永遠に亡き者としたのが御道修太郎だ。

 そもそも、九重は九十九尾が魔人の手によって狂ったなどという話を信じていなかった。

 あの高潔で強い彼女が魔人如きの術中に嵌まるはずがない。どうせ殺戮狂いの剣鬼がしでかしたことに対する言い訳だと考えていた。

 そのような者とどうして母は会いたいなどと言うのだろう?

 

「何か考えがあるのですか……? 九重にはわかりませぬ……」

 

 本当ならば即座に止めに入りたいところだが、そう思うが故に物陰から様子を窺うに留まっていた。

 二人は何やら会話をしながら歩いているようだ。母が施した術のせいか、九重にも内容までは聞こえてこない。

 もっと近づこうかと思ったその時、九重は信じられないものを見る。

 

「……なん、じゃと……?」

 

 八坂が振り向き修太郎に対して笑いかけたのだ。今まで見た事の無い、子供のような笑みである。

 九重の背筋に電流走る。

 まさか、考えられないことだが、まさか母は……。

 

「あの男に、惚れた……というのですか……?」

 

 もしその予想が当たっていたとして、それはつまり、あの恐ろしい男が九重の新たな父になるということ。何だそれは。意味がわからない。あまりにも理解不能な事柄に、九重の意識が大量のエラーを吐き出す。

 頭の中が真っ白に染まり、視界が真っ黒になる。

 全身から力が抜け、呆然としながらその場にへたり込んだ。

 

「く、九重さま! お気を確かに!」

 

「ただ笑いかけただけでありまするぞ! まだ八坂さまが御道修太郎に心を寄せているなどと決まったわけでは……」

 

「……はっ! そ、そうじゃな。ただ笑っただけじゃ。まだ慌てる時間ではない」

 

 お供の声に気を立て直す。

 そう、思い返せば母があの凶悪な面相の男に恋をする要素など何一つ無いのだ。もしかすると色香であの男を惑わせ、籠絡し、首を断って、九十九尾の仇をとるつもりなのかもしれない。

 

(ふぅ……私としたことが……)

 

 先ほどの八坂が見せた表情が、あまりにも普段とかけ離れていたため混乱してしまった。

 深呼吸を数度行って気分を落ち着かせれば、普段の九重に立ち戻る。

 そうして観察を続行すれば、そこには蒼い炎のようなオーラを纏った男と、それに横抱きで抱えられる母がいた。

 

「……は?」

 

 思わず素っ頓狂な声が漏れる。

 それも束の間、母を抱えた男は神速で跳び去った。

 建物を足場にして瞬く間に彼方へと消えていく二人の姿。

 しばし、沈黙が場を支配する。

 

「や……」

 

「八坂さまが……」

 

「攫われた……?」

 

 お供の狐巫女たちが呆然として呟く。

 その直後、周辺を包囲していた妖怪たちの気配が騒ぎだしてやっと、九重の意識は回復した。

 

「は、母上ーーーーーーーーーーー!?」

 

「九重さま!?」

 

 絶叫する九重。

 そうして一人お供を置いて飛び出した。

 八坂に教わった術を駆使し、狐火を纏って駆け抜ける九重は疾風と見まがうスピードだ。

 急いで追従し、落ち着くように叫ぶ狐巫女たちをぐんぐん引き離していく。少女は今、混乱の極致にあった。

 

(母上母上母上母上母上母上母上母上母上母上母上ーーーー!!)

 

 胸中でそれだけを叫びながら、下手人が辿ったであろう経路を疾走する。

 しかし、母はおろか男の影一つ見えない。風下の方向へ向かったからか、匂いすらも流れてほとんど無くなってしまっていた。

 それでも諦めずに、妖力と体力の続く限り走り続け、母の姿を探す。

 そうして日も落ちてきた夕暮れ、街から外れた地域にある広場に降り立った九重は、ほどなくして完全に見失ったことを嫌でも理解した。

 

「うっ、うううっ、は、ははうえ゛ぇぇ…………」

 

 ぼろぼろと涙がこぼれる。

 あの男に攫われた母はいったい何をされるのだろうか?

 かつて高円雅崇に捕えられた妖怪たちは見るも無残に解体されていたと聞く。九重の認識の中で、御道修太郎はあれと同類だ。あるいは、少女の頭では思いもつかない凄惨な辱めを受けた末、切り刻まれて殺されるかもしれない。

 いったい自分はどうすればいいのか。何もできないのか。九十九尾のように母は殺されてしまうのか。

 

「ははう゛え゛ぇぇぇ……!!」

 

 ぐるぐると回る思考は絶望に沈んで、何が何やらわからない。嗚咽と涙だけが溢れて響く。

 町はずれで一人泣き叫ぶ妖狐の少女を慰める従者はいない。彼女たちは置いて来てしまった。

 術で姿を隠している今、まばらに歩く人間たちも誰一人それに気づかない。

 少女は今、世界に独りだった――のだが。

 

「………てい」

 

「うあ゛っ!?」

 

 聞きなれない掛け声がしたかと思うと、九重の頭を強い衝撃が襲う。

 痛みに頭を押さえながら衝撃の正体を見れば、そこには一人の少女が手を差し出していた。

 歳の頃は九重よりもやや上といったところだろうか。奈落の闇を連想させる黒い頭髪は長く、同じく奈落の如き黒瞳がこちらを覗き込む。端正な顔は作り物めいて、肌は病的なまでに白く美しい。その対照的なコントラストを覆う衣服は幾重ものフリルに彩られた黒いゴシックロリータドレス。

 にじみ出る不可思議な存在感に気圧され、わずかにのけぞる九重。

 対する黒の少女は――。

 

「我、参上」

 

 そんなことを言う。

 そして九重をはたいた(と思われる)方とは反対の手に持ったものを差し出してきた。

 

「あげる」

 

 鼻先に突きつけられるクリームの甘い匂い。

 見れば、それはクレープだった。

 

「???」

 

「食べる」

 

 少女に勧められるがまま、黄色い生地に覆われたそれを受け取り、食べる。乗せられたトッピング――苺とチョコレートソース――の酸味と甘味が舌の上に広がる。そこに生クリームが合わされば、至福の時間が訪れた。

 無心となって黙々と食べ続ければ、ほどなくクレープは全て胃の中に消えた。

 

「元気になった?」

 

 それを確認した黒い少女は、無表情でそう聞いてくる。

 

「うむ、かたじけない。お主はいったい……」

 

「我、お母さん。母は子供に優しいもの」

 

「そ、そうであるか」

 

 何者か聞こうとしたところの返答である。意味はわからない。

 胸を張って答える少女は相変わらず異質な気配を放っているが、悪意のある存在ではないようだ。

 それにしても、隠行の術を施してある九重を認識しているということは、この少女只者ではない。慰めてもらっておいて何だが、九重の中でわずかな警戒心が湧く。

 

「お主は……何じゃ?」

 

「ん。我は……」

 

「おれの身内だ、少女」

 

 突如、頭上から声がかかる。九重の背後に誰かいた。

 驚いて振り向くと、声の主は一人の男だった。歳の頃は三十代前半といったところだろうか。肩幅の広い長身、短い黒髪は逆立ち、切れ長の目には黒い少女と同じく奈落の闇がはめ込まれている。夏だというのに黒いコートを羽織った姿は異様以外の表現ができない。

 人間だ(・・・)。見た瞬間に、九重はそう思った。何故かはわからないが、そう思わなければいけない気がしたのだ。

 

「あまり側を離れないよう言っておいたのだが。彼女が何か迷惑をかけてはいないかな?」

 

「う、む……特には何も」

 

 むしろ世話になった立場である。

 覗き込む男の表情は逆光で窺えない。しかし、どこか愉しげに見えた。

 思わず気圧される。

 

「ならば良かった。ああ、おれは――」

 

「マサタカ」

 

「……と言う者だ。陰陽師をしている」

 

 割って入った少女に動じることなく、マサタカと呼ばれた男は続けた。

 マサタカ……まさたか。九重はその名に聞き覚えがあるような気がした。最近どころか、割と高い頻度で聞いているような……しかし、いまいち思い出せない。多分、そこまで重要なことではないのだろう。

 

「きみは妖狐か。かなり位の高い血族と見るが、何故このようなところに?」

 

 男は話を続ける。表情はやはり窺えないが、九重にはにこやかな笑みを浮かべているように思えた。

 そのことに酷い違和感を感じつつ、しかし警戒心は不思議と無くなっていく。

 自然と九重は男の目を見つめた。

 暗い、暗い、どこまでも暗い(うろ)の瞳。

 その最奥が、黄金に瞬く。

 

「なるほど、御道が八坂姫と……。くくく、居合わせたのは偶然であるが、何とも奇妙な縁とも言える。さあ、どうしたものかな……」

 

 九重は何も喋っていないにもかかわらず、男は状況を理解したかのように何か呟く。茫洋とした意識の中では、その内容まで認識することはできなかった。

 そうして男は手の平を九重の頭にかざそうとし――。

 

「てい」

 

「――む?」

 

 黒い少女に阻まれた。

 手刀一閃、男の腕が跳ね上がる。

 その瞬間、九重の意識は一気に現実へと覚醒した。

 

「マサタカ、子供には優しく。……めっ」

 

「……ふむ。ああ、確かに。此度の主旨にも沿わぬ。おれの悪い癖か。よろしい、少女よ」

 

「ふ、ふぁ……!? なんじゃ!?」

 

 寝起きのような感覚の中、急に呼びかけられた九重は慌てて応じる。

 

「きみの探しものを手伝おう」

 

「さ、探しもの……? お主、何故そのことを……?」

 

 何故男が自身の状況を知っているのだろう?

 その問いに、男は平然と答える。

 

「何故も何も、そのように泣き喚いていたではないか。母親を探せばよいのだろう?」

 

 そう言って男が腕を一振りすると、九重の真下に陰陽太極の方陣が敷かれた。

 そのまま刀印を構えながら、驚くほど滑らかに法力を動かす。

 

「血縁を見つけるなど容易い。文字通り『血』の『縁』をたどればよい。たとえ星の裏側にいようと、次元を隔てていようと、血脈の絆は潰えぬ。意志や言葉はおろか、死を以ってしても断てぬ絶対の契約よ。神々すらも抗えん」

 

 九重を基点として探査の光が不可視の領域に走るのを感じる。未熟な彼女の視点でもわかるほどに洗練された術式は、極めて高度な技術の賜物だと一目で理解できた。

 どうやらこの――名は忘れてしまった――男は、非常に強力な陰陽師であるらしい。

 さして間を置かず、男は何かを掴んだかのように一度目を瞑り――。

 

「見つけた」

 

「本当か!?」

 

 思わず大声を上げてしまう。

 男は懐から呪符を取り出し念を込めると、宙目掛けて投げつけた。風に巻かれたように飛翔した呪符は、瞬く間の内に一羽の小鳥となって九重の下へ舞い降りる。

 

「それがきみの母がどこにいるかを知っている。何もせず、ただ着いて行けばよい。それだけで障害など何一つ無く辿り着くだろう」

 

「う、うむ、あいわかった。大変世話になったのじゃ、この恩は……」

 

「いらぬ。所詮戯れだ。そのようなもの、余計である。もう会うこともあるまい」

 

 そう言って、男は踵を返す。

 黒い少女もそれに追随した。手には、いつの間に買ったのかクレープが握られている。

 

「日も暮れてきた。我らは帰ろう。怖い鬼が来てはたまらぬのでな」

 

「我、鬼なんか怖くない」

 

「おれが怖いのだよ。まったく情けないことだが」

 

「……ん、なら帰る」

 

 夕闇に消えていく二人の背中を見ていた九重を、小鳥の式神がつついて急かす。

 ともあれ、これに着いて行けば母の下まで辿り着けるらしい。真偽のほどは不確定だが、今の少女にはこの小鳥以外に頼るものが無い。

 疲れた身体を叱咤して、九重は小鳥の後ろを走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

 修太郎の神速で以って包囲を破った後、八坂の希望により二人は都市部を回る事となった。

 通常京都の観光スポットと言えば晴明神社や伏見稲荷神社などの霊地であるが、それらを統括する立場にある彼女にとしては、そのような場所に行っても仕方がないのだ。そもそも、行けば妖怪たちに見つかること確定である。

 とはいえ、修太郎とてそこまで街に詳しいわけではない。京都へは退魔剣士時代に何度も訪れていながらプライベートで繰り出したことは一度も無く、そもそも黒歌と出会うまではそういった遊びごととは無縁であった身だ。

 

 どうしたものかと悩んだ挙句、二人は京都駅ビルに戻ることにした。

 映画村や動物園などは過去娘の九重を連れて行ったことがあるようだが、どうやらそこはあまり利用したことがないとのことだ。

 盲点じゃった、とは八坂の弁である。

 派手に正面突破しておいて何ともあれだが、追手もまさかいきなり戻ってくるとは思っていなかったようで、完全に捜索の穴を突くことができたらしい。二人が駅ビルにやってきたとき、妖怪の気配はほとんど失せていた。

 

 悪魔との会談は昼間で終わったものの、夜には各地の有力妖怪との協議が行われる。

 時刻は4時を回り、刻限は夜8時といったところだろうか。実際に過ごせるのは3時間ほどとして、そうなれば複合商業施設である京都駅ビルはちょうどいいのかもしれなかった。

 

 まずは小腹がすいたと言う八坂と共に喫茶店で甘味を食べる。

 普段から和菓子系統は食べ飽きてるのか、八坂は積極的にケーキなどを頼んでいく。案の定、最終的に食べきれなくなったため、残りは修太郎が処理することとなった。

 調子に乗ったことを八坂から謝られたが、黒歌もよく同じようなことをやるので修太郎は特に気にしなかった。

 かねてより気になっていたので、「妖怪は甘いものを食べても太らないのか」と聞くと、脛を蹴られてしまった。解せない。

 

 続いて訪れたのは伊○丹。

 一階から順番に見ていき、服やアクセサリー、雑貨類を物色する。

 はしゃぐまではいかなくとも、興味津々に見回る八坂はやはり幾つになっても女性なのだろう。薄く確認できる耳と尾は楽しげに揺れていた。

 その様子に修太郎はそこはかとないデジャヴを感じ、これはもしかして世間一般で言うデートなのでは? などと考え始めたのはこの頃である。

 それはともかく、試着までし始めた彼女はこちらに感想を求めてくる。どれも非常に似合っていたので正直に答えると、「お主性質(たち)が悪いな」などと返された。どうにも解せない。

 

 その次は駅ビルよりほど近い家電量販店に行くこととなった。

 聞けば裏町にも最新機器を取りそろえたいのだと言う。どうやら八坂は昨夜の呟きを形にするつもりらしい。

 機械と妖怪、という組み合わせは中々ミスマッチであると思うのだが、それを言うならば悪魔や堕天使もそうである。であれば、これも時流なのだろう。

 

 八坂は特に携帯電話が気になっているのか、長い時間そのコーナーを物色していた。

 事あるごとにこちらへ質問してくる彼女であったが、別に修太郎も携帯端末周りに詳しいわけではない。結果的に店員が質問攻めにあい、難儀しているようだった。とはいえ、純白ワンピースを着たスタイル抜群の金髪美女に迫られることとなったその男性店員はまんざらでもなかったようだが。

 あまりにも置いてけぼりだったので一人端末の周辺機器を見ている(修太郎が持っているものと何故か互換性があった)と、今度は後ろから腿を蹴られた。

 曰く「お主はわらわの護衛でもあるのじゃろうが」とのこと。正式に請け負ったわけではないのだが、彼女の認識はそうなのだろう。しかし、やはり解せない。

 ちなみに店には修太郎が持っている端末以上のスペックを持つものは無かったようだ。

 

 そして今。

 夕暮れに沈む京都の街並みを卑睨する。

 京都タワーの展望台で修太郎と八坂は二人景色を眺めていた。

 

「今日は楽しかったぞ。御道修太郎よ、礼を言う」

 

「であれば重畳。こちらとしても甲斐があったというもの」

 

 そう返す。

 何かと不可解な一日であったものの、悪い時間ではなかったと思う。

 

「ただ、包囲の突破についてはそちらで弁解していただきたい」

 

 八坂を攫って見せたことで京都妖怪たちからの評価はまたもや下がっただろう。そんなものは元々あってないようなものだが、いきり立った妖怪に襲撃などされてはたまらない。

 

「わかっておるよ。手間をかけたのう」

 

「いえ、それよりも……」

 

 視線で話を促す。

 いいかげん本題を聞きたかった。

 それを察した八坂はわずかに唇ととがらせ、拗ねたようにじとりと見返してくる。

 

「無粋じゃのう。こんな綺麗な夕焼けであるのに、もう少し趣向を凝らした台詞の一つでも言えぬのか……まあよい」

 

 ふん、と一度鼻を鳴らして視線を逸らす。

 途端、周囲から人気が消える。人払いの術式か。

 

「今回お主を呼んだ理由はな、何、そう難しいことはない。ただお主がまだ我らにとって危険であるかどうかを確認したかっただけじゃ。結果は……寸でのところで合格、と言ったころじゃな」

 

 そう八坂は告げた。

 そのまま返答を待たず続ける。

 

「かつてのお主は悪意なく我らの同胞を殺し、時には同じ人間でさえ殺した。それも山ほどのう。雅崇が京都へ襲撃をかけた際に見た姿などは、まるで処刑機械のようであったよ」

 

「…………」

 

 無言の修太郎。

 

「しかし、共にこの場を巡って感じたことじゃが……かつてのお主は器物――刀剣そのものであったが、今のお主は紛れも無く『人間』に見えた。やや無愛想で朴念仁じゃがな。まるで見違えるようじゃ。やはりあの猫又が関係しておるのかのう?」

 

「今の自分は、彼女のために生きています」

 

「なるほど。新しく『大事なもの』を見つけたというわけじゃな」

 

 修太郎は首肯する。

 それに八坂は微笑んだ。

 そして問う。

 

「それなのに雅崇と戦うのか」

 

「……はい」

 

「もし勝てたとしても、今度は死ぬぞ。わかっておろう」

 

「…………」

 

 そう、わかっている。

 魔人が学園での一戦で見せた天将の一撃は、かつてと別次元の領域にあった。

 おそらく、以前までは他の神話勢力に気取られぬよう力の規模を調整していたのだ。信じられないことだがつまり、修太郎が知る過去の高円雅崇は手加減していたということだろう。

 しかし、それも今は解禁されている。かつては取らなかった手段や方法を躊躇いなく使ってくるはずだ。それに加えて学園での高円雅崇は完全ではなかった。

 修太郎の全盛期であってさえあれほど手ごわかった相手である。勝てる見込みは極めて薄い。黒歌が加わったとして、どうなるか。

 それでもやらなければ。そう感じる――のだが。

 

 あるいは、もしもそれでかつてと同じく大事なものを失うことになるならば――。

 胸中で黒い蛇が蠢く。

 しかし、修太郎はそれを無理矢理握り潰して続けた。

 

「あれは必ず倒さねばなりません。前に進むために、俺にはそれが必要だ」

 

 その返答に、八坂は一つ溜息を吐いた。

 

「頑固者めが……性質は真逆じゃが、やはりお主と雅崇は似ておるよ。自分勝手なところが特にのう」

 

「……あれと一緒にしないでいただきたい」

 

「怒ったか? しかしわらわにはそう見えるのじゃ」

 

 嫌そうに顔を歪める修太郎に、八坂は飄々と答えた。

 しかし、何故彼女は高円雅崇の事についてこんなにも訳知り顔で話すのだろう。

 疑問に思う修太郎の様子を察したのか、八坂が口を開く。

 

「何故わらわが雅崇の事を良く知っている風なのか気になるのじゃな? それはのう――」

 

 八坂が手の平を前に差し出せば、空間に格子状の軌跡が走る。

 それらが向かい合う両者を巻き込めば、次の瞬間二人は展望台の屋根に降り立っていた。

 驚く修太郎。

 

「これは、高円雅崇の空間歪曲……? なぜ、あなたが……」

 

「気になるか? 答えは簡単、この京都全体を管理している術式はな、わらわとまだ人間だった頃の雅崇が共同で作り上げたものであるからじゃ。これはその機能の一つじゃな」

 

 そう言って、麦わら帽子を被る八坂。彼女の背後より夕日の光が指し込めば、純白のワンピースを透かして綺麗な肢体のラインが浮かび上がる。静かに現出した九尾の金色が美しい。

 

「……そのような話、聞いたことがありません」

 

 高円雅崇がかつて陰陽師として活動していたことは知っていたが、修太郎の記憶によれば術式を作り上げたのは土御門の者だったはず。

 

「であろうな。まさか怨敵である者の名をそのまま使う道理もあるまい。そうでなくとも、奴は慕われるような人間ではなかった。優秀ではあったのじゃがな……」

 

 つまりは手柄の横取りか。

 しかし口ぶりを見る限りどうやら彼女は人間時代の高円雅崇と面識があり、そしてそれなりの親交があったように思える。

 各々の事情を考えれば不自然ではないが、意外な話だった。

 

 納得した様子の修太郎へと八坂は語りかける。

 

「御道――いや、暮修太郎。死ぬために生きるのは止めておけ。あの娘を大事に思うならば、奴に関わる必要はない。短い余生を無駄に縮める必要もあるまい」

 

「しかし……」

 

「それでも戦うと言うならば、何を優先するか選ぶのじゃ暮修太郎。生半可な決意では無駄死にするだけよ。愚直に臨むだけで勝てるほど、今のお主は強くない。そうであろう? 人間」

 

「…………」

 

 沈む夕日とは真逆の空より夜の闇が忍び寄る。黄昏の境界線が二人の頭上を通り過ぎようとしていた。

 しばし黙った修太郎が再び口を開こうとしたその時だった。

 

「ッ!」

 

 突如として横合いから飛来した何かを掴む。

 握った手の平を開けば、それは一枚の呪符だった。

 そして、それより間を置かず、彼方から何かが迫るのを認識する。

 

「は、ははう゛えぇぇぇーーーーーーっ!!!」

 

 八坂の方へ突っ込みながら泣き叫ぶ小さな人影。

 声に反応してそれを受け止めた八坂は、飛んで来た人影の正体を見て目を丸くする。

 

「九重!? なぜおまえがここに……? 鞍馬の爺様にあずけておったはず……」

 

「う、うぇぇ……は、母上が御道修太郎と会うと聞き、心配で抜け出してきたのです……」

 

「うぬぅ……あの爺め、そのことまで漏らしおったか……肝心な時に役立たぬ……」

 

 涙と鼻水をぼろぼろこぼして抱き着く九重をあやしつつ、八坂はぼやく。

 

「母上、御身体は何事もありませぬか? お怪我は? あの男に何か乱暴なことはされておりませんでしょうか?」

 

「わらわなら大丈夫じゃ、九重。ちぃとばかし一緒に遊んでおっただけじゃからのう。何も悪いことはない」

 

 優しく微笑みながら八坂は九重を抱きかかえ、頭を撫でる。

 どうやら九重はこの場に修太郎がいることに気付いていないようだ。その大きな瞳は、ただ母親だけを見ていた。

 

「うぅ……ぐすっ、では母上は御道修太郎をお慕いしているのですか? あの男が新しい父上になるなど、私は嫌ですぞ。たとえいなくとも、父上は父上がいいのじゃ」

 

「ふふふっ、何を馬鹿言っておるか九重、わらわはそのようなつもりなど微塵も無い。九重の父はわらわの愛する夫じゃ」

 

「本当ですか、母上……?」

 

「本当じゃ。まったく、九重は泣き虫じゃのう」

 

 そうしてしばらく時が過ぎれば、安心からか九重は八坂の腕の中で眠ってしまった。

 日は完全に沈み、空には星々が浮かぶ。街が放つ建物の光が京都の夜を照らし始めた。

 

「すまぬのう、話が中断されてしもうた」

 

「お気になさらず」

 

 九重を抱きかかえながら、すまなそうに微笑む八坂は、一人の母親として修太郎の目に映った。

 そんな彼女に近づいた修太郎は、自身が掴んだものを差し出す。

 

「それよりも八坂殿、これを……」

 

「む? なんじゃそれは、呪符か……?」

 

「おそらく式神です。九重姫を案内してきたのかと」

 

「この五芒星は……!」

 

 修太郎が見せた呪符には無限龍(ウロボロス)に囲まれた五芒星が描かれていた。

 高円雅崇の呪符である。

 それを認めた瞬間、八坂は顔をしかめて素早い挙動で彼方に振り向く。

 

「くっ、やられたわ。今京都から出たようじゃ。丁寧に結界の綻んだ部分まで指摘しおって……相変わらず嫌味な奴じゃ……!」

 

「霊地に異常は?」

 

「今のところ無い。とはいえあやつのやることじゃ、まったくもって油断はできん。ふぅ、三日間は徹夜確定じゃな……む?」

 

 大きくため息を吐いて八坂は項垂れる。

 そうして何かに気付いたのか呪符の裏面を見て、眉間に大きな皺を寄せると一気にそれを引き裂いた。

 

「なーにが『九重姫には何もしていないので心配は不要』じゃ! 逆に怪しさ満点じゃわ、アホ雅崇め!!」

 

 呪符の裏面はそのようなメッセージがあったようだ。

 修太郎が見た時は無かったので、魔人が京都から離れた瞬間に浮き出るようにもなってたのかもしれない。無駄に芸の細かいことだった。

 

「む~、せっかく楽しい時間であったのにのう、あやつのせいで若くなった気分が台無しじゃ」

 

「八坂殿は十分お若いかと。とても美しいと、そう思います」

 

 本心である。

 少女のようにぷりぷり怒るさまは、若かりし彼女がどのような者であったかを予想させる。

 昔日の稚気と今日の母性、相反するだろう要素を兼ね合わせた彼女はとても尊いものに映った。

 修太郎の言葉が嘘ではないとわかったのだろう。八坂はふふん、と悪戯気な笑みを浮かべる。

 

「何じゃ? 夫がおらぬからと口説こうとしても無駄じゃぞ。こう見えてわらわの操は固いからの。せめてもう少しいい男になってから、百年後に出直すことじゃ。その時ならば考えぬでもない」

 

「別にそのようなつもりはないのですが……。しかし気の長い話だ、嫌味ですか」

 

「まあ、それぐらい頑張らなければわらわはなびかぬと言うことじゃよ」

 

 彼女はまた一度笑い、そしてこちらを見つめた。

 

「暮修太郎よ、雅崇は強い。何故なら、あれは自分のために何もかもを切り捨てることができるからじゃ。『死んでも構わない』などと思っていては、まず勝てぬ。あの娘のために生きるのであろう?」

 

 その言葉を聞いた瞬間、初めて修太郎の瞳が揺らいだ。

 そうして眉間をわずかに歪め、夜空へと目を逸らす。

 

「…………」

 

「どうした、また怒ったかの?」

 

「いえ、そのようなことは」

 

 どこか歯切れの悪い修太郎の返答を、八坂は面白げに聞いていた。

 

「くくっ、狐の幻惑は効くであろう? 存分に悩むがよい若人よ。今まで悩んでこなかったツケじゃ」

 

 その言葉に、思わず修太郎は無表情を崩して苦笑する。

 なるほど確かに、流石は名高き九尾の狐か。

 

 これだから、狐と会うのは嫌なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 京都府近海。

 宵闇の空に浮かぶ影がある。

 黒衣の男、魔人・高円雅崇である。その腕に黒いゴシックロリータドレスの少女を抱え、叢雲に隠れる月を眺めていた。

 

「京都観光はどうだったかな? オーフィス」

 

 魔人が少女に語りかける。

 少女――無限の龍神オーフィスは、無表情で答えた。

 

「ん、悪くない」

 

「そうか、それは重畳」

 

 オーフィスの返答に目を細めた魔人は、手を前へ差し出す。すると空間を分割線が走り、格子状に区切られる。

 自身が本拠地と定めた場所へ転移しようとしたその瞬間、魔人の膨大な感覚野に何かの兆しが触れた。

 

「マサタカ?」

 

「すまぬオーフィス、あとで追いつく」

 

「ん」

 

 素早くオーフィスを押し出せば、瞬く間に少女の姿が失せる。

 次の瞬間、眩く輝く紫電の柱が魔人のいた場所を貫いた。

 膨大なエネルギーの奔流が海に大穴を開け、蒸発した海水が濛々と星空の明かりを曖昧にする。

 

 はたして魔人は健在であった。

 三式障壁の加護と念動力による超加速が極大の電撃波動――荷電粒子の砲撃から彼を逃がしたのだ。

 夜空に浮かぶ魔人は、その黄金邪眼によって周囲を見渡す。ほどなくして、襲撃者の行方を掴みとった。

 

「『魔獣創造(アナイアレイション・メーカー)』――禁手(バランス・ブレイカー)か」

 

 龍神の知覚を有した魔人の視力は古今無双。

 たとえ相手が成層圏の向こうにいようとも(・・・・・・・・・・・・・)、太陽フレアすら観測できる彼の目からは逃れられない。

 

 そして、その知覚が立ち込める蒸気に霧風が混じったのを看破する。

 

「『絶霧(ディメンション・ロスト)』……」

 

 今まで味わったことの無い転移の感覚には、流石の魔人も即応するのは難しい。

 誘われるがまま霧に包まれた魔人が念動力の刃でそれを払うと、目の前に広がるのは広大な自然。極めて高度に構築された異空間の中だった。

 

「ふん……」

 

 地に降り立ち、いつの間にか暗影の軍装に身を包んだ魔人が純白の手を無造作に振えば、膨大な念威が迸る。そうしてこちらへ向け急速に迫る大爆炎を引き裂いた。

 休む暇はない。

 虚空に散る爆炎の影から無数の刀剣が飛来する。素早く腰から引き抜かれた軍刀がその白刃を閃かせ、飛び交う敵の剣――聖剣を悉く弾き落とす。

 弾かれた聖剣群は如何なる力の作用かそのまま地に落ちることなく、勢いを失わずに再び魔人へと襲い掛かった。

 

「下らぬ」

 

 対する魔人はそう吐き捨てて法力を練る。

 そのまま一つ足踏みすれば、周辺の地面が隆起し、全ての飛翔聖剣を圧し潰して破壊した。

 そして、攻撃が止む。

 

「貴公ら、おれに何の用だ」

 

 隆起した大地の上に立つ魔人は、背後に現れた人物に声をかける。

 

「何の用、とはわかりきったことを聞く、高円雅崇。俺たちがあなたのような存在を野放しにするわけないだろう」

 

 声の正体は黒髪の青年だった。

 学生服のような衣装の上に漢服を纏い、鈍色の槍を携えている。その背後には、同じく学生服のような揃いの衣装を自分なりにアレンジして纏う若者たちが魔人を睨んでいた。

 魔人は青年の槍を見てわずかに目を細める。

 

「何とも命知らずな武具を持っているな。道士の修行か? しかしそれでは長生きできんぞ」

 

「最低限の努力という奴だよ。生憎俺は仙術の才能が乏しくてね。矯正具が無ければ話にならない。それに、長生きすることに興味は……ない!」

 

 青年の身体より闘気が溢れる。内なる武の闘気と外なる自然の闘気が合一し、透き通る青の炎となって全身を覆った。

 同時に鈍色の槍が亜空間に消えれば、代わりに神々しい光を湛えた槍が現れる。

 

「試すなどとは言わない。今俺たちの全力で以ってこの場であなたを滅しよう。……我が名は『天明旅団(デイブレイカーズ)』団長、聖槍使いの曹操ッ! 世を乱す魔人、高円雅崇ッ! 此処があなたの死地と知れッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この日、天界にて過去類を見ないほど強大な神器の反応が確認される。

 その正体は神滅具『魔獣創造』『絶霧』、そして『黄昏の聖槍』と目された。

 天使たちが確認のためその地点――南海の孤島に派遣されたところ、あったはずの島は跡形も無くなって、地下数千メートルまでを深く抉る大穴があるのみだったと言う。

 

 




龍神「イエスロリータ、ノータッチ」

そんな今回。あんたもロリやん。
オーフィスが止めなければ九重はひどいことになってたでしょう。

そして最後にさりげなく曹操たちが登場。ついでに魔人と激突。
何やら独自に集団を作っていますが、いつか言った主人公と同業者というのは嘘ではありません。
つまり彼らもモンハン。一狩り行こうぜ!

そういえば、スラッシュドッグがリメイク刊行されるとか。
D×D新刊でも天叢雲剣の使い手が出るとかどうとか。これを機会に日本の勢力が掘り下げられるのかな?

※5/28 22:15
物語後半、主人公と八坂の会話内容を大幅修正。
主人公のキャラのブレが気になったのと八坂のリアクションが性急過ぎるため。


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第三十六話:指導してみよう

「そのまま可能な限り力を抜いていけ。剣を支えられる限界点までだ」

 

「こ、こうか……?」

 

 デュランダルの青い刀身が天へと伸び、金色の刃が太陽の光を眩いばかりに反射する。

 いつもの屋上、様子を見る修太郎の前で聖剣を大上段に構えたゼノヴィアは、慣れない挙動に若干身体を揺らがせながら、指示に従って力を抜いていく。すると、ある一点で聖剣の重さに負け、剣を支える腕が大きく傾いだ。慌てて力を込めなおし、体勢を整える。

 

「抜きすぎだ。そうなる一歩手前で留めろ」

 

「ううん、なかなか難しいな……」

 

 首をかしげるゼノヴィアは、その仕草と裏腹に楽しげな表情だった。

 それもそのはず、彼女は今、自らが師と仰ぎたい人物から念願の指導を受けているのだ。

 こうなった経緯は簡単、イリナを京都に連れて行った件でゼノヴィアが駄々をこねた結果である。あまりにも鬱陶しく迫ってくるので、修太郎が折れた……わけではな

く、とりあえず何か適当な技を教えることになったのだった。

 とはいえ、修太郎の剣をそのまま教えることはできない。なぜならば彼の剣は非常に多くの技術が統合された結果生まれたものであるために、前提からして習得に要する時間が多すぎるからだ。

 故に今教えているのは修太郎の剣を構成する要素の一つだった。

 

 すなわち、脱力からの急激な緊張。最低値まで筋肉から力を抜き、次の一撃に全てを注ぎ込む運体技術である。

 最小の一から最大の百まで刹那の間に移行する筋力の爆発は、刃に絶大な威力を乗せるのは勿論、何よりも特筆すべきはその速さ。一瞬で最高速に達するため、相手の目から消失したように映るだろう。

 

「……よし、それでいい。込める力を最小までに落としたら、そこから一気に最大まで引き出せ。タイムラグは一切作らず、一撃に全てを込めろ。できるな?」

 

「ああ、やってみる……!」

 

 返答は若干の緊張をはらんでいる。

 そうしてしばらく瞑目したゼノヴィアは、勢いよく踏み込んだ。

 脱力状態となった筋肉が急激な緊張を見せれば、まるで銃弾が激発するかの如く振り下ろされた聖剣が閃光と――

 

「うあんっ!?」

 

 なる前に、ゼノヴィアはすっ転んだ。

 その勢いで手からすっぽ抜けたデュランダルを修太郎がキャッチする。そのまま自身の手の中で鈍らの鉄塊と化した聖剣を脇に突き刺した。

 

「振り下ろしに合わせて全身を連動できなければそうなる。剣を振る事ばかりに気をとられて、下半身の動きがなっていないな」

 

「ぐうぅぅ……、難しいぞ、師匠……」

 

 答えるゼノヴィアは四つんばいの体勢でうずくまったままだ。額を強く打ち付けたのか、プルプルと震えながら両手で頭を押さえている。血の匂いは無いので出血しているわけではないのだろうが、相当衝撃があったようだ。

 

「だがこれが基本だ。全ての斬撃を全ての体勢で、且つ即時に行えないようでは話にならない」

 

「むむむ……」

 

 ようやく顔を上げたゼノヴィアが難しげに唸る。

 

「何も常時運用しろと言っている訳ではない。そもそもこの技の脱力時は致命的な隙となる。ここぞというときに使えさえすれば十分だ」

 

 そう言う修太郎は常時運用しているわけであるが、そこまで教えることはしない。求められる器用さが桁違いに上がるからだ。速剣型の木場やイリナであればともかく、剛剣型のゼノヴィアでは習得に難がある。

 

「師匠がコカビエルを倒した時に使った『見えない剣』みたいにか?」

 

「『(いかづち)』と言う。現状、俺が単独で放てる最高の剣になる」

 

「おお、所謂『必殺技』というやつだな!」

 

 目を輝かせてこちらを見るゼノヴィア。

 それにどこかむず痒さを感じた修太郎は、空に目を逸らした。このような目で見られることに慣れていないのだ。

 思えば、インドのキシュキンダーで出会ったラーマの子孫にも同じような目を向けられ、困った覚えがある。

 

「まあ、そのようなものだ。……一応言っておくが、教えんぞ」

 

「む、残念だ。しかし師匠、やはり剣士であれば必殺技の一つでもあったほうがいいと思うのだが」

 

 突き刺さったデュランダルを回収しながら、ゼノヴィアは修太郎の顔を見上げて言う。

 それに対し、修太郎は軽く溜息を吐いた。

 

「これまで何度言ったかわからんが、俺はお前の師にはならない。そこまで面倒を見るつもりもない」

 

「うん。師匠が師匠でないかはともかくとして、私も流石に何から何まで教わるつもりはないぞ。必殺技は自分で編み出してこそだからな。ただ、先達として何かアドバイスが欲しいんだ」

 

 何とも退かない少女である。修太郎としてはその一直線な気質を嫌うことはないが、それに自身が巻き込まれるとなるとやはり困る。

 ともあれ、何か答えなければこの場を帰してもらえそうにない。

 

「では言っておくが」

 

「おお……! いいぞ、ドンと来てくれ!」

 

 修太郎の意外な反応に、やや驚きながら意気込むゼノヴィア。

 それに対して放たれた言葉は。

 

「まずデュランダルの力を使いこなせるようになることだ」

 

「うっ……!?」

 

「その聖剣は俺が見てきた中でも最高位に位置する鋭さだ。極限まで力を研ぎ澄ませれば、ただ斬るだけで必殺になるだろう。お前の場合は技だのなんだのを磨くより、それを目指せば当座は事足りる」

 

「ぐっ……!」

 

「剣士は剣を使ってこそ剣士と言うのであり、剣に振り回されるようでは名折れの極みだ。それはお前もわかっているだろう?」

 

「うぐぅ……!?」

 

 凄まじく痛いところを突かれ、ゼノヴィアは項垂れた。

 そう、わかってはいるのだ。純正の聖剣使いとしてデュランダルの担い手であるゼノヴィアはしかし、剣が持つ力をまったく使いこなせていない。

 デュランダルの切れ味は数多ある聖剣・魔剣の中でも最高峰に位置する。しかしながら常に放たれる莫大な攻撃的オーラを御することは極めて難しく、加えて持ち主の気質を威力に反映するせいもあってか、ゼノヴィアに要求される制御力は跳ね上がっていた。

 

 以前アザゼルから聞いた話によると、先代の使い手――ストラーダ猊下――はまるで手足のようにデュランダルを振るい、常軌を逸する程の強さを発揮していたらしい。

 つまりゼノヴィアは彼より数段劣る使い手だと言うことだろう。仮にそれを不満と思わなくても、自身の不甲斐無さは変わらない。

 これでは才能の持ち腐れだ。

 今まで後回しにしていたその事実を尊敬する人物から突きつけられて、高揚していた気分が一気に落ちるのを感じた。

 

「…………」

 

 ――少し言い過ぎただろうか?

 酷く落ち込んだ様子の少女を見て、修太郎はそう思った。

 聖剣使いとしての素養を持たない彼には、デュランダルの制御がどれほどの難易度であるか把握できない。そもそも修太郎は己と繋がった力の制御を誤ったことがほとんど無いのだ。故に彼女の悩みに対して適切な助言も持ち合わせていない。

 少々無責任な発言だったと反省する。

 

「……まあ、お前はまだ若い。悪魔であれば時間もある。これから出来るようになればいいだろう」

 

 誤魔化すように無難な言葉を絞り出し、目の前の青髪に手を置いた。この少女の前では何とも調子が狂う。何故自分がこんなことをしているかわからなかった。

 対するゼノヴィアは、いきなり優しくなった(ように感じる)修太郎の対応に一瞬目を白黒させる。

 

「し、師匠もまだ若いじゃないか。そう言えば、何歳なんだ?」

 

「……21だ。いや、今年で22だったか? あまりよく覚えていないが、その辺りのはずだ」

 

「自分の年齢を把握してないのか……?」

 

「中学校を出てから正確な年数は数えていないからな。何にせよ、俺の年齢など些細な問題だ」

 

 そう言って、おもむろにゼノヴィアの額を中指で弾く。全身を走る痺れに「わっ」と驚いたゼノヴィアは、額を押さえて修太郎を見た。

 先ほど床に強く打ちつけた部分である。無言の抗議にしかし、修太郎は我関せずと屋上の入り口に目を向けた。

 そうしてそのまま話を続ける。

 

「一度しかない学生生活だ。存分に学び、楽しむといい。悪魔の生は長いのだから、戦いのことはそれが終わった後でも遅くはない」

 

「うん、私は今の生活を楽しんでいるぞ。学生としても、剣の道を志す者としても」

 

「……ならばいい」

 

 ゼノヴィアの返答に修太郎がそう言うと、屋上の扉が開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

「それで、白音たちは赤龍帝ちんの家に同居することになったらしいのよ」

 

「そうか」

 

 場所は移って修太郎たちの部屋。

 床に座る修太郎の膝の上には着物姿の美女、黒歌の姿があった。

 

 ゼノヴィアとのやり取りを終えた後、屋上に現れたのは兵藤一誠ほかグレモリー眷族数名と、小猫の指導を行うために外へ出ていた黒歌だった。

 何でも夏休みの予定を話し合うためにゼノヴィアを呼びに来たらしい。なるほど、最近彼女が来るタイミングがやけに早いと思っていたが、学園は夏休みに突入していたようだ。

 そうしてゼノヴィアを見送った修太郎は黒歌と共に部屋へ戻り、今に至る。

 

 さて、黒歌が話していた内容であるが、どうやらサーゼクス・ルシファーの提案で兵藤一誠宅に眷族を同居させる運びとなったとのこと。

 何でも眷族のスキンシップ向上という名目があるようだが、それに男性眷族が含まれないのは少々解せない。

 しかしそれも、あの少年の夢はハーレムを作る事だったな、と思い出せば氷解した。何故それに魔王が協力するかは不明だが、もしかすると彼には彼なりの深い考えでもあるのかもしれない。どちらにしても、修太郎にはあまり関係の無いことだ。

 

「クロはいいのか。あの少年に妹を任せても」

 

「うーん、どうだかにゃー。赤龍帝っていう点では子供を作るのに極上だし、性格も割かし面白くて悪い奴じゃないし、合格をあげてもいいけど……」

 

 言いながら、手に持ったスナック菓子の袋から中身を取り出し口に運ぶ。そうして続けた。

 

「ま、結局のところは白音の意志次第ね。これからどうなるかはわかんないけど、少なくとも嫌ってるわけじゃなさそうだし、いざとなったらこっちで助けちゃえばオールオッケーにゃん」

 

 黒歌は背中をこちらに預けながら、スナックを口元に差し出してきた。

 修太郎は目の前のそれを無言で口に入れる。だが正直な話、あまりこういった菓子類は彼の好みではなかった。

 

 話の続きを聞けば、どうやらもう姫島朱乃などは夏休み開始直後から彼の家に住んでいるようだ。

 なんと受け入れ人数拡大のために大規模な改築をしたらしい。黒歌は修太郎がゼノヴィアの指導をしている間、小猫に付き添ってそこで過ごしていたようだ。

 しかし六階建てとは何とも尋常ではない。それを一夜で完成させたと言えば凄まじいが、おそらくは別の場所であらかじめ建てていたものを転移か何かで入れ替えたのだろう。どちらにしても驚かざるを得ないが。

 

「む? しかしゼノヴィアはまだ隣の部屋を借りたままのようだが」

 

「そりゃあ、あの子が部屋引き払っちゃうとイリナちゃんに行くところがなくなっちゃうじゃない」

 

「なるほど」

 

 今現在ゼノヴィアがイリナと共同で使っている部屋は、ゼノヴィアの名義で借りられているものだ。なのでゼノヴィアの退去はイリナの住居喪失と同義、収入が一切無い彼女は路頭に迷うこととなるだろう。

 そうならそうで修太郎がしばらく世話をしてやっても構わないのだが……。

 そう言うと黒歌は。

 

「私としてはできれば遠慮してほしいかしらん。そうなったら多分ゼノヴィアっちの方も押しかけてくるにゃー」

 

「…………」

 

 少し思い浮かべれば十分に想像できてしまう。

 「弟子じゃないイリナが一緒に住むなら弟子の私も……」などと意味不明なことを言ってきそうだ。

 ならばその方がいいのか、と思いなおした修太郎に黒歌は話を続ける。

 

「で、何故か赤龍帝ちんの家にいたアザゼルからこんなの貰ったにゃん」

 

 黒歌がその白い指をしなやかに一振りすれば、魔法陣が部屋の壁に展開される。それが消えると、何やら物々しげな扉ができていた。

 

「転移用のドアだって。設定すれば色々な場所に転移できるみたい。シュウのケータイでも操作できるらしいから、今度からこれで現場に移動しろって言ってたにゃん」

 

「端末で……?」

 

 これ説明書、と黒歌から渡されたのは文庫本サイズの冊子だった。

 確かに今までは呼び出される際、現場に移動するのにいちいち迎えが必要だったのでこういった品はありがたい。しかし機械の操作に疎い修太郎からすれば中々難しい課題である。今から気疲れする思いだ。

 そんな修太郎の思いを知ってか知らずか、黒歌は大きく伸びをしてこちらを押し倒すかのように体重をかけてきた。着物の隙間から覗く乳房が揺れ、今にもあらわになりそうだ。

 その動きに合わせて後ろ手で床に手をつき、身体を傾ける。修太郎の現状は、すっかり彼女の椅子だった。

 

「夏休みは、グレモリー眷族みんな冥界に行くみたい。だからしばらくお別れね。白音の修行も何とかひと段落ついたし、この土地もそれなりに回復してきたし、私もしばらくお休みにゃん。ね、何して遊ぶ?」

 

 などと聞いてくる。

 魔人の脅威が控える今、修太郎としては遊ぶ時間など無いのだが、それは彼女もわかっているだろう。その上で時間を作ってどうするか尋ねているのだ。

 が、しかし修太郎はそれと別のことを考えていた。

 思い出すのは少し過去のこと。

 

『狐の匂いがするにゃん』

 

 京都から戻って開口一番そんなことを言った黒歌である。ややつり気味の目つきでじとりと睨む猫の黄金瞳は、怒りと不満に満ち溢れていた。

 それに対し修太郎がとった対応は、とにかく滅茶苦茶甘やかすことだった。

 物を所望すればそれを買いに行き、何かをしたいと言えばそれを手助けし、何かをしてほしいといえばそれを行う。元々彼女は猫らしく気ままな性質で、これまでもわがままを言うことはよくあり、そして修太郎としてもそれに従うことを嫌だとは思っていない。

 

 そもそも、修太郎にとってはこのスタンスが常態なので、多少その内容が過剰になろうが大した問題ではないのだ。

 たとえ乗り物よろしく毎度彼女を抱えて(あるいはおぶって)移動することになろうと、食事(時々間食も含む)を手ずから食べさせることになろうと、部屋で椅子代わりにされようと、状況的に多少どうかとは思うものの(実際彼女の妹である小猫は、姉が男に運ばれてきた様子をみて何とも言えない表情になった)彼女が機嫌を直してくれるならば安いものだった。

 

 しかしながら、今の段階でこの対応をとったのはいまいちよろしくなかったらしい。

 町の地脈整備がひと段落して暇ができたことと、指名手配という気を張らなければいけない要素がなくなってしまったこと、さらに日本の豊かな食生活にサブカルチャーの誘惑も合わさって、すっかり怠け癖がついてしまったようなのだ。

 妹+αの修行をつけるとき以外は修太郎へ甘えるか、あるいは遊ぶばかりになり、かつて欧州にいた際に行っていた魔法の勉強などは滞りがちになっていた。

 

 これはいけない。

 

 修太郎は彼女の幸せを望みこそせど決して堕落させたいわけではない。自身の対応だけが原因というわけでもないのだろうが、このまま彼女がダメ人間もといダメ悪魔になってしまっては本末転倒である。

 では、どうしようか。

 

「クロ」

 

「なぁに――にゃん!?」

 

 黒歌を膝に乗せた状態で急に立ち上がる修太郎。

 驚く彼女が転がり落ちる前にそれを受け止め、横抱きに抱え上げる。右手は彼女の吸い付くような柔らかさを持つ太ももを支え、左手で華奢ながら女性らしい感触を伝える肩を抱き、そうしてじっと黄金の瞳を見つめた。

 

「えっ、えっ、シュウ……?」

 

 急な出来事に目を白黒させて慌てる黒歌に構わず、彼女の顔に自分の顔を近づける。

 

「なに? なんにゃの? ま、まさかそういうことにゃん? いやん、そんな昼間から……」

 

 頬を紅潮させながら身を捩じらせる黒猫に、修太郎は一言。

 

「お前、太ったな」

 

「 」

 

 燦々と太陽の光降り注ぐ夏の昼間、駒王町の一角で凄まじい爆発音が轟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

「――なんてことがあったのよ。まったく、シュウってばデリカシーの欠片も無いんだから!」

 

 しばらく後日。駒王町の一角にある公園のベンチである。

 頬を膨らませながら文句を垂れる黒猫は運動用のシャツに半ズボンというラフで涼しげな格好だった。胸元から覗く谷間と、肉付き良く伸びる生脚が太陽に眩しい。

 いつもと違う服装の理由は明白、なまった身体を元に戻す(ダイエットの)ためだ。

 

「話はわかりました。というか、どうしてそれを私に報告するんです?」

 

 通信魔法陣の向こうには凛とした風貌の美少女が一人。

 煌めく銀髪の戦乙女、ロスヴァイセである。

 微妙に困ったような表情で返答する彼女は、どこか疲れた様子だ。

 

「いや、最近あんまり会ってなかったから、近況報告も兼ねて。今忙しかったかにゃん?」

 

「いえ、大丈夫です。忙しいと言えば忙しいですが、暇と言えばそうなりますし……ふふふ……どうしてこうなったのかしら」

 

 だんだんと声のトーンが落ちていく。見るからに気分を沈ませたロスヴァイセは、薄く笑い始めた。

 

「ロスヴァイセ、もしかしてちょっと痩せたにゃん? 何かあったの?」

 

 普段は冷静な彼女だが、生真面目な性格のせいかストレスが溜まると時折情緒不安定に陥ってしまうことがあった。そんな時に相談役もとい話し相手になってあげるのが黒歌である。ちなみに修太郎だと高確率で逆効果になるのでダメだ。

 黒歌の問いかけにロスヴァイセは遠い目をして話し始めた。

 

「実は私の契約相手がですね、次々と失踪し始めてまして……」

 

「え?」

 

「黒歌さんはご存知かと思いますが……」

 

 話を続けるロスヴァイセ。

 ヴァルハラはヴァルキリー部門営業課(構成人数一名)課長ロスヴァイセは、来たるべき神々の黄昏(ラグナロク)に備えて勇者(エインフェリア)の徴用確保を命じられている。

 その契約形態は主神オーディン謹製の魔法を用いた書面によるもので、契約者は死後自動的にヴァルハラへ魂を召されることとなるのだが……。

 

「本来契約が有効である限り、契約者の状況は何処にいてもわかります。でも今、契約そのものが次々と解除されていまして」

 

「解除……? 術式を組んだのはオーディンでしょ? そんなことができる奴がいるの?」

 

 目を丸くして驚く黒歌。

 北欧の主神オーディンは誰もが知る魔法のエキスパートである。上位神格として絶大な術式構築力を持つ彼の神が手ずから作った契約を破れる者など、人間はおろかあらゆる人外を含めても数えるほどしか存在しない。ロスヴァイセはもちろん黒歌でさえ不可能だろう。

 

「……わかりません。それで私が下宿している斡旋所のおじいさんを通して知ったのですが、どうやらここ最近魔物狩りの方たちが行方不明になる事例が増えてきているようなんです」

 

「その行方不明になったのってロスヴァイセの契約者たち?」

 

「それだけではありません。……魔物狩りとして活動している方々が仕事中行方不明になるのは珍しいことではありませんが、それにしても異常な数の人たちが姿を暗ませています。それもある一定以上の実力者ばかりが」

 

 日々勇者雇用の営業活動に勤しむロスヴァイセは彼らを知っていた。

 優れた魔法使いに神器所有者、英雄の血をひく者……修太郎には及ばずとも、皆勇者と呼ぶにふさわしい実力を持つ者たちばかりである。魔物狩りとして激しい戦いを生き抜いてきた彼らの力は人間と言えどかなりのもので、それらがそろって仕事に失敗したなどとはいくら何でも考えにくい。

 

「何それ超きな臭い」

 

「ええ、私もそう思います。なので今それに関して報告書をまとめているところです。というか、契約打ち切りの扱いなのでこのままだと私の業績がガタ落ちに……うぅ……せっかくあれだけ苦労してとったのに……」

 

 ロスヴァイセの目尻からほろりと涙がこぼれる。

 契約者たちの安否もそうだが、今までの苦労が無駄になったことと、それによって起こるその他諸々の問題が彼女の精神にかなりのストレスとなって蓄積されているようだった。

 

「ロスヴァイセ、大丈夫? 何だったら私そっちにいくけど……」

 

「いえ、ご心配には及びません。それよりも、あんまり不摂生をしてはいけませんよ。お菓子ばかり食べて運動しなければ太るのは当たり前です。コストパフォーマンスも良くはありませんし、これを機に黒歌さんたちも自炊を……」

 

「うっ……じゃ、じゃあ元気でにゃんロスヴァイセ! あんまり無理しちゃダメよ?」

 

 長々とした説教が始まる前に会話を打ち切り、通信魔法陣を閉じた。

 そうしてベンチから立ち上がり、一つ伸びをしてジョギングに戻ろうとする。

 

 最近怠けがちなのは理解していたが、好きな人に「太った」などと言われては女としての意地も燃える。

 日々の鍛錬を欠かさず、仕事でも戦い続けている修太郎と違い、黒歌にそのような習慣はないため戦闘時の勘も鈍っているだろう。もしもそれが理由で敵から後れをとれば、修太郎に迷惑をかけることにもなる。

 差し迫った脅威もあることだし、膿は出しておくに限る……のだが、いまいちうまくいっていない現状があった。

 理由をぶっちゃけて言えば、一人で運動するのはあまり彼女の性に合っていないのだ。どうしてもどこかで手を抜いてしまう。先ほどロスヴァイセに連絡を取ったのもジョギングに飽きたせいだった。

 

 何かいい方法はないものか、と走り始めると、目の前の道に人が一人が佇んでいる。

 修太郎程ではないが、結構な長身だ。金髪と黒髪が入り混じった特徴的な頭、浴衣を自然に着こなしたその伊達男は――堕天使の総督アザゼルだった。

 アザゼルは黒歌を見つめてにやりと笑みを作った。そして口を開く。

 

「運動にもなって報酬も貰える。そんな割のいい仕事に興味はねえか?」

 

「……話を聞かせるにゃん」

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

 報告書をまとめたロスヴァイセがヴァルハラに戻ると、そこには意外な人物との遭遇があった。

 

「修太郎さん」

 

「ああ、ロスヴァイセ。久しぶりだな」

 

 北欧の主神住まう銀の宮殿ヴァーラスキャールヴ、オーディンの執務室に続く廊下に何故か修太郎が立っていた。

 傍らには赤毛のヴァルキリー、オーディンの現お付きを務めるジークルーネだ。なにやら修太郎と話をしていたようで、ロスヴァイセが挨拶すると彼女もまた「久しぶりですね」と簡潔に答える。そのまま報告書を手渡せば、一度こちらを労わるような目を向けてから修太郎に礼をし、執務室に消えて行った。

 後にはロスヴァイセと修太郎だけが残される。

 

「修太郎さんは、どうしてここに?」

 

「セラフォルー殿の護衛だ。普段は彼女の眷族がやっていることだが、今日は手が空いていないらしくてな」

 

 外交を担当する魔王セラフォルー・レヴィアタンは、三大勢力和合に際して忙しく各神話地域を回っている。

 そんな彼女は『禍の団』から重要人物として標的とされており、特に『ニルレム』という派閥から執拗に狙われていた。『禍の団』と極めて深いかかわりを持つだろう神出鬼没の魔人・高円雅崇のこともあり、常に一定以上の実力を持つ者が彼女の護衛に付けられている。

 それを今日は修太郎が務めることになったらしく、話が終わるのを待っているのだそうだ。

 

「……ジークルーネさんと何を話してらしたのですか?」

 

 とりあえず気になったことを聞いてみる。

 修太郎は表情を変えず、何ともなしに答えた。

 

「巨大な敵との戦い方、弱点について少々。異形化した敵とやりあう参考にと聞かれた」

 

「ああ……」

 

「どうした?」

 

「いえ、確かジークルーネさんは元々警備担当だった方なので、おそらくその関係かなと」

 

「そうか、なるほど。道理で戦い慣れているように見えたわけだ」

 

 納得したように頷く修太郎。

 そうしてしばらくこちらを見つめる。ロスヴァイセは久しぶりの対面に若干身体が硬くなるのを感じた。何せ修太郎はその鋭い目で一直線に瞳を覗いてくるのだ。あまりに自然なため無遠慮さは感じず、また不快でもないが、慣れていないと少し心臓に悪い。

 

「少し痩せたな。何かあったのか?」

 

 その声には若干の心配が込められているのを感じた。

 先ほどの黒歌、ジークルーネの対応といいそんなに自分は疲れているように見えるのだろうか。ちょっと泣きそうだ。そのことを微妙に悲しく思いつつ、ロスヴァイセは答えた。

 

「ええ、まあ。契約関係で少し……先ほど報告書で提出したことです」

 

 そうして、黒歌に話した内容と同じことを伝える。

 

「魔物狩りたちの失踪、それも実力者ぞろい、か……。何やら不穏だな。少なくとも、安心できることは無い」

 

「はい。時期的にもおそらくは『禍の団』が関係しているかと思うのですが……」

 

「その可能性は高いな。何のためかは見当つかないが」

 

 二人顔を突き合わせてしばらく意見交換をしていると、突如執務室の扉が開いた。

 現れたのはセラフォルー・レヴィアタン。フォーマルな服装の魔王少女は扉の傍にいた修太郎を認めると、大声でこんなことを言い出した。

 

「修太郎くんお願い! ソーナちゃんたちを助けて!!」

 

 今までになく必死な剣幕だ。

 呆気にとられるロスヴァイセをよそに、修太郎は目つきをさらに鋭くして応じた。

 

「……話を聞きましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

 冥界はシトリー領。シトリー家本邸の広大な庭、その一角に複数の男女が集まっている。

 ソーナ・シトリー以下眷族たちである。

 

 若手悪魔が集う会合の場にてリアス・グレモリー眷族とのレーティングゲームに臨むこととなった彼女らは、今まさにそのための特訓を行うところだったのだが……。

 一同の前にはソーナの姉、魔王セラフォルーの他に二名の人物が立っている。

 

「あの……お姉さま、これは……?」

 

「リアスちゃんたちのところには、アザゼルちゃんの他にもタンニーンちゃんと黒歌ちゃんが指導要員に入ったって聞いたの☆ それはいくら何でもあっちに有利でしょう? だからこっちも対抗しなきゃ☆ というわけでソーナちゃんのために助っ人を連れてきました!!」

 

 ドヤァ……と胸を張る姉に、妹は凄まじい困惑の表情を作った。

 それもそのはず、姉が連れて来た二人の人物とは……。

 

「このたびキミたちを見ることになった暮修太郎だ。どれほど力になれるかはわからないが、出来る限りのことはしよう。よろしく頼む」

 

「えっと……このたび何故かあなたたちの指導を仰せつかりました、ヴァルキリーのロスヴァイセです。一応、魔法が得意です。その……よろしくお願いします」

 

 長身痩躯が頭を下げる。傍目にもわかる鋭い気に、猛禽類の如き眼光、黒髪の男は暮修太郎。

 その隣で同じく頭を下げたのは、思わず息をのむほどの美少女。銀髪の戦乙女ロスヴァイセである。

 修太郎はともかく、なぜ北欧のヴァルキリーまでここにいるのだろう。

 

 突然のことにソーナはますます困惑し、真羅椿姫は若干引き、匙元士郎をはじめとする他の眷族は唖然とし、そして巡巴柄は泡を吹き失神することになった。

 

 




お待たせしました更新です。
時間は飛んで、なんだかんだでなし崩し的に技を教えてる主人公。ゼノヴィアの思惑通りです。
でもって久しぶりのロスヴァイセと一緒に原作ヘルキャットのタイミングに突入。
経緯に関しては次回。

ちなみに本作の小猫に関して明言しておくと、一誠に対する好感度は上がりこそしますが、決定的なイベントが起こらないので惚れるまでには至りません。
少なくとも本編完結までは良い仲間とか頼れる先輩とかそんな感じになります。

ちょっと最近大幅に遅れ気味なので、そろそろ活報使ってみようかな?


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第三十七話:夏と試練の15日

 セラフォルーの話を聞いた時、修太郎にそれを受けるつもりは全くなかった。自身はあくまで剣を執る者、戦士であり、指導者としての器は持ち合わせていないと思っているからだ。

 

 確かにやろうと思えば修めた技の一つか二つ誰かに教える事は可能だが、それも相手に相応の才能があればの話。イリナにしてもゼノヴィアにしても、時間をかけずとも確実に習得できるだけの素養があると確信したからこそ教えたのだ。そもそも、さわりだけやらせて後は放置するようなものを指導とは言わないだろう。

 

 だが修太郎はそうすることしかできない。練度を向上させる努力は死ぬほど積んでも、技術の習得に手間をかけた経験はほとんど無いのだ。故にどうしても「一から全てを教える」方法がわからなかった。

 これでは教え導く者として失格者も同然。まさか擬音で説明して理解できる者もいないだろう。

 

 だがさらに話を聞けば、あちらが期待しているのはそういった方面ではないのだと言う。

 その膨大な戦闘経験を活かした、所謂アドバイザーとして修太郎の能力を必要としているとのことだった。あとは格上と戦闘する機会に乏しいソーナ・シトリー眷族との模擬戦の相手などか。なるほど、その程度ならば修太郎にもできそうではあった。

 最近は『禍の団』のテロ活動もその頻度を増しており、呼び出しがかかればそちらを優先することになるだろうが、それがなければ特筆してやるべきことは多くない。受けること自体は可能である。

 

 しかしなぜ修太郎に頼むのか。悪魔への指導・アドバイスということであれば、同じ悪魔――たとえばセラフォルーの眷族などにやらせる方が効果的に思える。

 そう尋ねると、さほど意外でもない答えが返ってきた。

 アザゼルからの要請でグレモリー側の指導に黒歌が入ったと言うのである。

 なるほど、あちらには彼女の妹である小猫がいる。以前黒歌から聞いたところによると、今の小猫は日常生活こそ普段通りに行えるようになったが、戦闘行為となると話は別らしい。それを改善するのに適切な指導者を呼び寄せるのは自然な対応であるし、彼女の卓越した魔力操作技能はリアス・グレモリーたちにとっても参考となるだろう。

 

 セラフォルーたちにとって黒歌の実力は未知数。魔王級の力を持ち、多様な術式体系を融合させ操ることは知れているが、その底は未だ計れていない。彼女の真の実力を知る者がいるとすれば、それは修太郎以外に無いのだ。

 たとえば黒炎陣のような対悪魔用の封殺術や、それに類する術法がグレモリー眷族の誰かに授けられたとすれば、シトリー眷族の勝ち目は少なくなってくる。

 修太郎としては考え過ぎだと思うが、それが先方の認識ということだろう。つまりは黒歌がどういった内容の指導を行うか、修太郎に推測してもらいたいのだ。

 

 さて、依頼を受けること自体は吝かではなくなった。

 次は見返りの話になるが、これに関しては修太郎の要求がすんなりと通った。結構な無茶を言った覚えがあるのだが、どうやらあちらにとってはそこまで大したことではないらしい。まあ何にせよ話はまとまったのだ。

 

 しかしそこで横から声がかかる。

 声の主は北欧主神・オーディンだった。どうやらセラフォルーと修太郎のやり取りを聞いていたようで、そちらが良ければ魔法の指導者としてロスヴァイセを派遣すると言いだしたのだ。

 何故かと問えば、グレモリー対シトリーのゲームには来賓として自身も招待されており、良い勝負が見たいからとのことだ。

 

 天下に名高き赤龍帝に前代未聞の聖魔剣、伝説のデュランダルなどが揃い踏み、堕天使総督アザゼルや元龍王タンニーンまでが協力するグレモリー眷族と比較すれば、シトリー眷族のそれは何とも凡庸に映る。

 せっかく冥界にまで出向くと言うのにあっさりゲームが終わってはオーディンとしても面白くない。なので試合を盛り上げるために名目上はロスヴァイセを先遣の下見役とし、シトリー眷族の指導に当たらせることで彼女らに北欧の魔術を授けてもいいと申し出た。

 

 ロスヴァイセは修太郎の知る中でも屈指の魔法使いだ。神格を除くなら黒歌に次ぎ、演算処理能力だけなら筆頭に挙がるほど。指導力の高さも黒歌に魔法を教える姿を見て知っている。少なくとも修太郎には彼女以上の適任はいないと思えた。

 セラフォルーにもそう告げると、彼女は満面の笑みで一も二も無くオーディンの申し出を受け入れた。

 ひとり混乱するロスヴァイセをよそに話はどんどんと進む。

 ほどなくして正式にロスヴァイセを冥界に派遣する運びとなり、こうして修太郎は彼女と共にシトリー眷族の指導を仰せつかることになったのだった。

 

 しかしながら、それを当のソーナ・シトリーが受け入れるかどうかは別の話。

 彼女には彼女の訓練プランというものがあり、いきなり指導を頼んだなどと言って外部の人物を連れてこられても困るのだ。

 

「またお姉さまは勝手をして! 私には私なりの考えがあるのです。急にこのようなことをされても困ります!」

 

「そんな! お姉ちゃんはソーたんのためを思って……」

 

「ソーたんは止めてください。大体、私たちだけ魔王の支援を受けては他の家に申し訳が立たないでしょう!」

 

「それならサーゼクスちゃんだってタンニーンちゃんに頼んだのだから大丈夫……」

 

「そう言う問題では……」

 

「えっと、私たちはどうすればいいのでしょうか……?」

 

「待つしかないだろう」

 

 言い合う二人を見て困惑するロスヴァイセに答えながら、家族とは良いものだななどとどこかズレたことを思う修太郎だった。

 結局、セラフォルーとソーナの姉妹喧嘩一歩手前の話し合いにより訓練期間初日は潰れることになる。然もあらん。

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 その翌日、真羅椿姫は気分が重かった。

 理由は昨日シトリー家に訪れた客人、暮修太郎である。

 旧姓・御道の名を持つ彼は、日本最新の退魔英雄として天津神にも認められている。

 退魔関係出身の者が多いシトリー眷族には、無論のこと彼の名を知る者も多い。しかし実際に彼と会ったことがあるのは椿姫と、眷族の『騎士』巡巴柄だけだった。

 

 その椿姫にとって暮――御道修太郎は恩人に当たる。一応の、と頭につくが。

 椿姫の生家、真羅家は代々続く由緒正しい退魔師の家系だ。四神・黄龍の力を司る五大宗家と呼ばれる家の一つ、日本においてはトップクラスの家格を持つ名門である。

 その中にあって、椿姫は鏡から異形を呼び出してしまう異能を持って生まれた。鏡は古来より神聖視され、霊的にも呪術的にも優れた力を持つ器物だ。三種の神器の一つに鏡があるとおり、日本の退魔師にとって鏡とは特別視すべきものでもある。

 それ故に鏡を用いて不気味な現象を起こす椿姫の存在は外聞に悪く、また原理が全くわからないことから忌み子として隔離に近い扱いを受けていた。

 

 そんなある日、御道修太郎が数名の退魔師と共に真羅家に訪れる。最近知ったことだが、どうやら魔人の行方を真羅家の秘術によって捜索するよう依頼しに来ていたらしい。

 当時10歳だった椿姫は、結界に覆われた離れの窓より彼らを見ていた。

 第一印象は、若い人。真羅の家にやってくる客の中で当時の修太郎ほど若い人物は珍しかったからだ。

 

 ともあれ真羅家は先方の申し出を受け、秘術を執り行った。

 しかし術は失敗に終わる。彼の魔人が容易く己の居場所を探らせるわけがなかったのだ。

 術者――親戚の誰かだと思うが覚えていない――は呪いの反転により死亡。そのまま魔人は最も近場にある召喚地点――椿姫の不安定な異能に干渉して、数多の邪鬼を送り込んできた。

 

 それを悉く駆逐したのが修太郎である。

 莫大なまでの蒼いオーラを纏い、振るう刀は閃光の如く。

 鬼の残骸で山を作りながら駆け抜け、その手の刃で椿姫に襲い掛かる異形の首を断つ。超高密度の闘気が血飛沫を焼き、瞬く間に周囲は赤い霧で覆われた。むせ返る鉄の匂いが鼻腔を通って頭の中をかき回す。

 

 そんな中、目の前に立った修太郎の鋭い眼光を見て、椿姫は死を覚悟した。斬られる、と思ったのだ。

 事実、彼は椿姫を斬る構えを見せていた。しかし運がいいことにちょうどその時、修太郎の持つ刀が折れた。当時の彼が使っていた得物は量産品であったため、あまり堅牢なものではなかったのだ。

 おそらく、それによって生まれた間が明暗を分けたのだろう。真羅家から魔人の干渉が消え去ると、修太郎は椿姫から興味を失くしたかのように踵を返して去って行った。

 結果として、修太郎が邪鬼から椿姫の命を救ったという事実だけが残ったのだった。

 

 その後、騒動のせいで立場が悪くなった椿姫は日本にやってきたソーナ・シトリーと出会うまで辛い日々を送る事となる。

 

 椿姫が彼に抱く感情は非常に複雑だ。

 彼女にとって修太郎が命の恩人となったのは、椿姫の運が良かったことに起因する。もしもあの時刀が折れなければ、その後魔人が干渉を打ち切らなければ、邪鬼召喚の基点と見なされて殺されていた可能性が高い。

 

 巴柄ほど取り乱しはないが、正直な話、彼と会うのは怖かった。

 悪魔となって戦いを経験し、彼の強さがある程度把握できるようになったこともあり、その思いはなおさら強くなっている。白龍皇との一戦を映像で見たときは戦慄したものだ。

 故に、これから彼に会わねばならないかと思うとあまり気が進まなかった。

 

 結論から言えば、ソーナは修太郎たちを受け入れることにしたのだ。

 ライザー・フェニックスとのレーティングゲームを経てコカビエルや魔人との戦いを乗り越えたリアスたちと違い、ソーナと彼女の眷族は格上との戦闘経験があまりない。その差を埋めるためにも、少々言い方は悪いが彼らを利用することは悪い話ではなかった。

 椿姫はその報を彼らに伝えに行くようソーナに言われていた。

 

 彼ら――修太郎とロスヴァイセは、現在シトリー家の屋敷に滞在している。

 修太郎を後回しにして先にロスヴァイセの宿泊する部屋へと赴いた椿姫は、扉をノックをして了承を貰った後部屋に入った。

 誤算だったのは、その部屋に修太郎もいたことである。作業効率としてはちょうど良いとも言えるが、予期せぬ不意打ちに椿姫は驚くのを止められなかった。

 

 部屋のソファに座った二人は何やら空中に術式を展開し、話をしていたようだ。

 椿姫の知識によれば、おそらくはルーン魔術だろうか。意外なことに修太郎がそれを扱っているらしい。剣術だけでなく魔術もできるのかと、椿姫は嫌な悪寒に襲われた。

 

「あら、何の御用で……あっ! えっとですね、これは修太郎さんが術式を見てほしいとのことで一緒にいるのであって、別に昨晩からこうだったわけでは……」

 

 妙な間を置いて固まった椿姫に声をかけるロスヴァイセだが、彼女の視線が修太郎に注がれることに気付き、なんだかよくわからない弁解を始める。

 椿姫としては特に興味がある話ではないので、「はあ、そうですか」と生返事で返した。何にせよ、良識に収まる範囲なら部屋を汚さない程度で好きにすればいい。

 

 ともあれ仕事はこなさなければならない。

 後で修太郎と二人きりになるよりはロスヴァイセもいた方が気が楽だろうと思い直して、ソーナの決定を二人に伝えた。

 修太郎は「そうか」と簡潔に一言。逆にロスヴァイセは安堵したかのように一息吐いた。

 

「ふぅ……私、ちょっとオーディンさまに報告してきますね」

 

 そう言って、別室へと消えて行く。

 傍目から見てはっきりわかるほどの哀愁をにじませる戦乙女は気になったが、椿姫は早々にこの場を立ち去ることにした。

 しかし部屋から出ようとしたその時。

 

「キミは真羅家の者だな」

 

 背後からかけられた声に身体が硬くなるのを感じる。振り向けば、修太郎がこちらをまっすぐ見つめていた。

 

「どこかで知った気配だと思っていた。キミはあの時離れに隔離されていた少女だろう。なるほど、悪魔になったのか」

 

「……それが何か」

 

「いや、特に何も。キミが良いと思うならば言うことは無い」

 

 そう言って、目を術式に戻す修太郎。椿姫のことなど本当に何とも思っていないかのようだ。

 それならそれでいい。しかし、椿姫は何故か口を開いていた。

 

「そういうあなたはいいのですか?」

 

「何がだ」

 

「この件が――魔人の討滅が終わったら悪魔になるのでしょう。退魔の権化だったあなたが異形の仲間入りをして、本当にいいのですか?」

 

 自分の声に棘が含まれていることを自覚する。

 コカビエル撃破後のサーゼクスとの交渉において、彼は悪魔陣営に自身の武力を提供することを申し出ていた。結果として実現はしなかったが、要は悪魔に転生し眷族になると言うことだ。少なくとも、ソーナと椿姫はそう認識している。

 魔人が持つ人外を暴走させる『蛇』を警戒して眷族化を断ったことは、ソーナを通じて椿姫の耳にも入っていた。しかし彼の恋人である(と大半の関係者は思っている)黒歌は悪魔だ。ならばいずれ彼も悪魔となるのだろう。

 

 それが椿姫にとって一番違和感を感じる部分だった。

 何故なら彼は月緒の一族だ。日本神話の神を崇め、人民の守護を至上とし、全ての魔なる存在を敵視する。そんな化け物(にんげん)たちの一員であった修太郎が悪魔と恋仲に、ましてや悪魔そのものになるなど考えられない。

 『究極の人を目指す』月緒の一族にとって、人外への転生など言語道断。もしもそれを是としたならば、地の果てまでも追いかけてその者を粛清するだろう。修太郎が接触禁止指定されるまでに至った理由もおそらくそこにある。

 

 それに対する修太郎の答えは――。

 

「俺が悪魔になることがクロのためになるのならば、最終的にそうなるのも構わない」

 

「あなたは月緒の人間でしょう。そのようなこと、本家が許さないのでは?」

 

「本家などもう存在しない」

 

「え?」

 

「月緒の一族は滅んだ。だからこそ俺はここにいる」

 

 それきり修太郎は瞑目して黙ってしまった。答えたくないのだろう。

 明確な拒絶は続きを促す空気ではない。椿姫は一礼して部屋を立ち去ることにした。

 しかし月緒が滅んだとはいったいどういうことだ。

 確かに悪魔となってからの椿姫はあまり積極的に退魔師業界の事情を知ろうとはしなかったが、その話は初耳である。

 このことはソーナに伝えるべきだろうか。そう考えて、今後頻繁に彼と会わなければならない事実に気が付き、さらに気分が重くなるのを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかしその悩みは無意味なものとなる。

 なぜならば、この日から彼女たちに余計なことを考える暇など無くなったからだ。

 そして後悔する。何故このような男を受け入れてしまったのかと。

 

 以下はその内容を抜粋したものである。

 

 訓練初日。

 改めて互いに自己紹介を済ませる。

 その後、眷族の実力を測るため修太郎+ロスヴァイセ対シトリー眷族全員で「実戦形式」の模擬戦を行うことに。

 前衛修太郎、後衛ロスヴァイセのペア相手にチームワークで善戦するシトリー眷族だったが、様子見を終えた修太郎が自重をやめたことで全員文字通りの血祭りにあげられ、ソーナ含めた眷族全員が病院に緊急搬送される。

 泣きそうな顔で説教するロスヴァイセへ放った修太郎の言い訳は、「実戦形式なら死ねる内容でなければおかしい」だった。女神スカアハの教えである。

 

 二日目。

 妹を傷つけられたことで激怒したセラフォルーが屋敷にやってくる。

 そのまま修太郎とバトルと言う名の話し合いを繰り広げるが、いつかヴァーリにも話した「命の危機を己の覚悟と才で乗り越えてこそ力は飛躍する」と言う持論を聞き説得されてしまった魔王少女。そのままケルト(影の国)流の死亡上等な実戦形式が公認となってしまう。

 しかしながら、やはり死ぬのは認められないので、「ソーナ・シトリーとその眷族を絶対に殺さない」契約を結ぶことに。

 後日それを聞いた匙は「せめて『傷つけない』ぐらいにしてほしかった……」と語る。

 ちなみにこの激突でシトリー領の山が一つ無くなった。

 

 三日目。

 ソーナ含め眷族全員が治療を終え復帰。

 悪夢のような模擬戦は眷族共通のトラウマになっていたが、この日は病み上がりということで先日判明した各人の弱点を指摘するだけに留まり、一同安堵する。

 その後ロスヴァイセ指導のもと魔法の座学に取り組んだ。いたって平和な一日だった。

 彼女らの復帰の早さは医療機関が充実しているシトリー領である所以だが、一同は後日それを不幸に思うこととなる。

 

 四日目。

 午前中模擬戦。午後座学及び各人個別メニューの特訓を行う。

 模擬戦の相手は無論のこと修太郎。ソーナも含め、蘇る恐怖に委縮する一同。ソーナ自身が定めた訓練スケジュールであるが故に撤回できないのが辛かった。

 契約の通り死なない程度にぶっ飛ばされた彼女たちにとって、魔法で丁寧に応急治療してくれるロスヴァイセの姿はまるで本当の女神と同様に映った。

 ここに飴と鞭が完成する。

 

 五日目。

 ほぼ四日目と同じ内容で訓練が行われる。

 しかし巡巴柄が座学中に突然嘔吐。それを皮切りに由良翼紗と仁村留流子が幻覚症状(フラッシュバック)を訴え、花戒桃が急に泣き出し、草下憐耶は公衆の面前で表紙に小さな少年が描かれた薄い本を読みながら現実逃避に走る。

 さらに椿姫までが若干の幼児退行を起こし始めたことで、予定を変更して翌日を休息に当てることが決定される。

 

 六日目。

 休日。

 屋敷に割と本格的な医療器材が運ばれる。どうやらセラフォルーが手配したようだった。

 機材を前に「これで効率よく治療を済ませられるな」とこぼした修太郎を見て、皆が皆セラフォルーに対し「余計なことを……」と心中で涙ながらに呟いた。

 ロスヴァイセが精神カウンセラーの真似事をするようになったのは、ちょうどこの頃である。シトリー眷族からの評価はうなぎのぼりなのだった。

 

 七日目。

 修太郎がテロ迎撃に呼び出されたため不在となる。一同大喜び。ソーナでさえ一息吐いた。

 自主トレの時間がこれほど楽しかったなんて、とは仁村留流子の言葉。

 午後、ソーナが眷族を労ってお菓子を作る。

 修太郎がいなくなって安心した直後、まさかの不意打ちに戦慄する椿姫たち。屋敷が声なき阿鼻叫喚に包まれた。

 

 八日目。

 修太郎がヴァーリ・ルシファーと孫悟空の末裔・美猴を伴って帰還。

 ヴァーリは友人の美猴と共に各地を旅しながら、アザゼルの要請でテロリスト迎撃にも参加していた。

 偶然彼らと再会した修太郎は、ヴァーリに同じく龍の神器を持つ匙の臨時指導を頼んだらしい。美猴がついて来たのはおまけである。

 こうして匙を生贄に他メンバーはまたも自主トレと言う名の休息を謳歌するのだった。

 ちなみにこの日、昨日ソーナが作ったお菓子の余りが修太郎にふるまわれたが、特にリアクション一つなく完食された。

 仁村がどうだったか尋ねたところ、「美味くはないが食べられないほどではない。これぐらいなら慣れている」とのこと。この男はいったい日頃何を食べてるのか。

 

 九日~十四日目。

 午前模擬戦、午後座学及び個別特訓が常態化。

 ロスヴァイセのケアもあってか、修太郎ともそこそこ話せるようになるほど眷族の精神状態も安定……と言うよりぶっちゃけヤケクソさながら吹っ切れた者多数。

 匙と椿姫の神器が大きな成長を遂げたのが作用し、模擬戦でもそれなりに持ちこたえるようになる。

 予定訓練期間最終日にようやく修太郎へ一撃入れることに成功するなど、当初と比べて見違えるほどの結果を出した。

 

 こうして二人の闖入者を交えたシトリー眷族の訓練期間は終了。

 あとは休息と最終調整を行い、ゲームを待つのみとなる。

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 満身創痍の身体を押して、可能な限り素早く飛び退る。同時に風切り音が顎先を掠め、鋭い痛みが脳へと走った。

 風切り音の正体は一振りの刃、伝説の魔剣バルムンク。

 持ち主は着流しを着た体格の良い男――200年前に赤龍帝だったという人物だ。

 

 『赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)』の深層領域にて、兵藤一誠はその剣士と相対していた。

 一誠の目の前で魔剣を構える男の顔からは一切の表情が抜け落ち、しかしその瞳にははっきりとわかるほどの憎悪が燃えている。それが一誠に向けられたものではないとはいえ、放たれるプレッシャーは凄まじい。

 

 ドライグから聞いたこととアザゼルが仕入れた情報によれば、この男は実戦剣術の達人であり、かつて陰陽師に協力して魔人・高円雅崇と戦っていたらしい。

 一誠と違い才能にあふれていた彼は、その剣腕と赤龍帝の力によって何度も魔人の企みを阻止。奇襲をかけてきた当時の白龍皇すらも軽く退け、歴代でも屈指の強さを誇っていたと聞いている。心・技・体の全てが調和した理想的な戦士だったとドライグは言った。

 

 しかしそれでも魔人は倒せなかった。

 彼は自身の愛する妻と子を目の前で惨殺されたことから禁断の『覇龍』へと至り、怒りと憎悪に呑まれて暴走した。彼の妻子が辿った顛末は、アザゼルすら説明に躊躇うほど凄惨なものだ。一誠も聞いたのを後悔し、思わず彼に同調して怒りに身を震わせてしまった。あんなのは人間の死に方ではないだろう。

 

 死して残留思念となってもなお、神器の機能にまで働きかけるほどの執念は一誠にとって理解できるものではない。しかし赤龍帝の最期は悲惨なことが多いらしく、他の残留思念も多かれ少なかれ負の感情を基にして神器に焼き付いているという。

 あるいは自分も彼らと同じ道を辿るのだろうか? 一誠がそう思ってしまうのも無理からぬことだ。

 でもだからこそ、そうならないために努力を重ねなければならないとも感じる。

 

 拳を握って構え、目の前の剣士を見据える。

 戦いが始まってからまだ3分も経過していない。にもかかわらず、一誠の全身は斬撃の痕でボロボロだ。

 対する相手は汚れ一つない無傷。以前は1分も保たなかったのだから、曲がりなりにも進歩しているのだが、もはや笑いすら出ない実力差である。

 しかし一誠はそれを承知で毎日彼に挑んでいる。

 

 男は何故かあまり積極的に攻撃を仕掛けてこない。

 常に一定の距離を保ち、こちらがその外に出ると先ほどのように鋭く斬りかかってくる。どうやら、彼は迎撃を主体とする剣士であるらしい。

 

 シトリー眷族とのゲームが決まってから勉強したところによると、レーティングゲームではプレイヤーに細かくタイプを割り振っている。

 基本的にはパワー、テクニック、ウィザード、サポートの四種類に分類され、それによると一誠はパワータイプ。譲渡(ギフト)も合わせればサポートもいける口だ。

 パワータイプの弱点はテクニックタイプ。その中でもカウンターの使い手は天敵となる。魔人などがまさにそれだ。

 

 力を引き寄せると言う赤龍帝である一誠は、強くならなければならない。それならば弱点は出来る限り潰すべきであり、その相手として目の前の剣士は絶好だった。

 何せここではどれだけ深く斬りつけられても死なない。致命傷を負ってもただ意識が現実に戻るだけだ。

 過度な利用は魂そのものを傷つけるため、やるならば一日一回が限度だとドライグに言われている。だがそれで十分。

 アスカロンは現在貸し出し中なので剣術の特訓にならないのがネックであるものの、対人戦闘を経験するにおいてはかなり良い環境だ。日に日に戦闘時間が増えていることからも成果は出ている。

 一誠は思わずにやりと笑みを浮かべた。

 

 それが油断となったのだろう。 

 気が付くと、魔剣の刃が目前に迫っていた。

 

「――なっ!?」

 

 慌てて退こうと跳躍するも、流れるように軌道を変えた刃が左脚に深々と突き刺さる。激痛に動きが鈍れば、返す剣で左腹部からを右肩までを大きく斬り裂かれた。

 鮮血が勢いよく飛び散る中、朦朧とした意識で見たのは天を指すバルムンクの切っ先。

 振り落とされた刃が頭蓋を砕き、脳天から股にかけて通過したのを感じて、一誠は意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――ッ!! はあっ、はあっ!!」

 

 現実に戻った一誠は全身から冷や汗を吹き出し、顔を真っ青にして荒く息を吐いた。

 動悸は激しく、神器の中で斬られた箇所が絶え間なく鈍痛を訴える。服をまくってその部分を見れば、痣の様なものが浮かび上がっていた。

 精神体へのダメージが肉体に影響を及ぼしているのだ。今までの経験から痛みが治まれば消えるものだとわかっているが、その痛みはしばらく続くだろう。

 

「速っ……! 何だあれ、カウンターだけじゃないのかよ……」

 

『当たり前だ。今までは突撃してくるのを適当に迎撃していただけだが、相棒がそこそこ避けるようになったから少し本気を出してきたのだろうさ。気張れよ、これからが本番だ』

 

「マジか……神器も無いんじゃちょっと勝てる気がしないぞ……」

 

 ドライグの言葉にがっくりと肩を落とす一誠。今まで必死こいてやってきたものは、どうやらイージーモードだったようなのだ。

 一つ大きなため息を吐いて空を見上げる。

 昼間は紫色の空間が広がる冥界の夜空には、地上と同じく満天の星と淡く輝く大きな月が浮かんでいた。

 

 現在は8月15日。レーティングゲームまではあと5日となる。

 ゲーム前には魔王主催のパーティがあるらしいので、休息と調整も踏まえればこれ以上修行に使える時間は無い。その関係から元龍王タンニーンとの山籠もり修行を切り上げた一誠は、グレモリー家本邸に戻っていた。

 およそ2週間ぶりに眷族一同が集い、アザゼルを交えて各々修行の成果を報告。仲間たちは全員オーラの質・量共に向上させており、傍目に見ても強くなったのがわかった。特に黒歌から付きっきりの指導を受けた小猫と、あと何故かギャスパーのそれは見違えるようだった。

 そうして報告会を終え、今は屋敷のテラスでここのところ就寝前の日課となった神器内でのトレーニングを行っていたところである。

 

「しかし、初めて見た時にも驚いたけどすごい星空だな。冥界でこんな光景を見ることになるなんて思いもしなかった」

 

 椅子に座って空を眺めながらふと呟く。

 真っ黒な背景の上に散りばめられた大小さまざまな輝きは、まさしく綺羅星。これが術式で投影された偽物だとは到底思えなかった。芸術には明るくない一誠だが、それでもこの光景には何らかの芸術性を感じざるを得ない。

 山で苦しいサバイバル生活を強いられていた時も、この星空には慰められたものだ。

 

「見事よね。元は月だけだったのだけれど、何年か前に人間出身の転生悪魔が術式を構築して地上の夜空をそのまま再現したのだそうよ」

 

 背後からの声に振り向けば、そこには主たるリアス・グレモリーの姿。薄手のストールと赤いネグリジェを纏う彼女は、笑顔で一誠の隣に歩み寄り、椅子に腰を下ろした。

 久しぶりに会う主は変わりなく美しく、風に乗って女性特有の柔らかないい匂いが漂う。安心できる匂いだと一誠は思った。

 

「部長……? どうしてここに?」

 

「寝る前に少し散歩をしていたのだけれど、あなたの姿が見えたからここに来たのよ。迷惑だったかしら?」

 

「い、いえ、そんなことは全く全然!!」

 

 慌てて答える一誠に、リアスはくすりと笑う。

 そうしてしばらく、二人で夜空を眺めながら話をした。

 内容は主に山で行った修行のこと。

 報告会でも一度話した内容であるが、そこでは話せなかった内容――どうやって食料を確保したかやら、どういう風にして道具を作ったかやらを詳細に語る。

 その逞しいサバイバル生活の全貌にリアスは改めて引きつつ、興味津々に色々と聞いてきてくれる。あまり面白い話ではないと思うのだが、そんな彼女に一誠はうれしくなった。

 

 リアスも自身の修行について話してくれた。

 彼女に課されたトレーニングの内容は基礎的なものだと聞いているが、どうやらその他にも実践的な訓練を行ったと言う。

 ずばり、黒歌を相手にしての模擬戦である。リアスは朱乃に小猫、そしてギャスパーと共に彼女へと挑んだ。模擬戦は時々ゼノヴィアや木場、アーシアも交え、何度か行ったらしい。つまり一誠以外全員が黒歌と交戦したということだ。

 普段は色ボケているようでいて、黒歌は紛れも無く魔王に匹敵する力を持った悪魔である。手加減されても今のリアスたちでは到底敵わなかった。しかも彼女は何だか嫌に張り切っており、アーシアと言う優れた治療役がいるのをいいことに容赦のない攻撃を仕掛けてくるのだ。かなりきつかったとリアスはこぼした。

 

「後で聞いたのだけれど、彼女、暮さんとどっちが指導した方が勝つか賭けをしているのだそうよ」

 

 そう言うリアスはやや機嫌が悪い表情になった。

 確かに自身の知らないところで賭けをされればいい気はしない。だがそれを黒歌がやっていると聞けば、納得できる部分もあった。いかにもやりそうだからだ。おそらく修太郎は巻き込まれたのだろう。

 

 気が付けばそれなりの時間が過ぎ、意識に眠気が漂ってきた。

 明日は夕方まで休息する予定だが、そろそろ寝る時間だろう。解散する運びとなり、二人椅子から立ち上がる。

 

「はぁ……」

 

「どうしたの? 元気ないわね、イッセー」

 

 別れようとしたその時、ふとこぼれた溜息をリアスに聞かれてしまった。

 どうやって誤魔化そうか考える一誠だったが、まっすぐな瞳でこちらを見つめるリアスに気付く。これでは嘘を吐けない。

 わずかに逡巡した後、躊躇いがちに口を開いた。

 

「いえ、その……みんな成長してるのに、俺だけあんまりうまくいってなくて、情けないなと思ってたところで……」

 

 一誠の修行目的は体力の向上と禁手(バランス・ブレイカー)の安定化。主にこの二つだ。

 前者に関しては大いに成功と言えたが、後者に関しては未だに達成できていなかった。ドライグによれば、一誠の禁手到達が極めてイレギュラーであるせいで、神器が整合性をとれていないらしい。物事はそうそううまくいかないと言うことだろう。『あと一押しあれば……』とのことだが、その一押しが難しかった。

 一応禁手になれないことは無いのだが、このままではゲームで運用するには絶望的、とはアザゼルの言葉。皆に期待されていながら応えきれない自分が恥ずかしかった。

 

 項垂れる一誠を、リアスは優しく抱き締めた。

 薄手の生地を通して伝わる柔らかな胸の感触は、癒しにも等しい幸福感を一誠に与えた。

 

「情けないなんてことはないわ、イッセー。あなたは会談の時、あの恐ろしい魔人に立ち向かってみんなが助かる道を切り拓いたじゃない。情けないと言うなら私の方。あなたが苦しんでいる時に何もできなかったのだから」

 

「そんな! 部長こそ情けなくなんか……」

 

「ありがとう。でもあなたがそう思うように、私もあなたのことをそう思っているのよ」

 

「――ッ! ……すみません」

 

 落ち込んだ様子の一誠に苦笑したリアスは、何か思いついたのか口を開いた。

 

「そうね……そう言えば、あなたは私の命の恩人になるのよね。ならご褒美をあげないと。何がいい、イッセー? 私に出来る事なら何でもしてあげるわ」

 

「――!! マジっすか!?」

 

 その言葉に反応し、がばりと顔を上げる一誠。

 信じられないと言うような表情で、しかしその目は煩悩に塗れている。

 

「ええ、何でもいいのよ?」

 

「……何でも……そんな素晴らしい言葉がこの世にあったなんて……! ……う~ん、でも……」

 

 一誠は感激した後、首を捻って悩みだす。

 未だかつてないほどの早さで回転する思考は、全てピンク一色の内容だ。

 そうしてしばらく煩悶した後、意を決したかのように言葉を放つ。

 

「……部長、いいですか?」

 

「いいわ。私に何をしてほしいの?」

 

「では――部長のおっぱいをつつかせてくれないでしょうか……!」

 

 思い返すのはいつかの温泉にてアザゼルと話した会話。

 曰く、「女の乳首はブザー」なのだと言う。性欲の権化を自称する一誠をして思いもよらない発想は、流石数多のハーレムを築き上げた堕天使総督であると尊敬したものだ。

 未だ知らぬその境地、敬愛する主の乳房で体感したい。

 一誠から注がれる真剣そのものの眼差しに、リアスは一瞬戸惑い、そして苦笑した。

 

「まったく、仕方がないわねイッセーは。でも何でもすると言ったのは私だものね。いいわよ、それであなたが元気になるのなら……」

 

「まままままま、マジっすかッ!?」

 

 まさかの承諾に驚いたのは一誠の方である。てっきり笑顔で流されると思ったのだ。

 そうしているうちにリアスは乳房を晒すべくネグリジェをたくし上げる。

 

(たくし上げッ……!)

 

 白い脚線美が見えたかと思うと黒い下着が視界に映る。もはやこの時点で一誠の鼻からは血が溢れていた。何だこの状況、信じられない。

 そして眼前に待望のおっぱいが突き出される。出現と共に柔らかく揺れる圧倒的ボリュームは、何度目の中に収めても飽きることが無い素晴らしさだ。

 星空の下素肌を晒すのは流石に恥ずかしいのか、リアスの頬に紅が差す。

 

「では……いきます……!」

 

「ええ、いいわ」

 

『待て相棒』

 

 後は押すだけ、というところで待ったがかかった。

 声の出どころは一誠の左手。

 ドライグだ。

 

「何だよ、ドライグ」

 

『待つんだ相棒、それ(・・)はやめろ。嫌な予感がする』

 

「はあ?」

 

『何故だか知らんが現在進行形で神器が活性化している。そのことに、とてつもない悪寒がして止まらんのだ。だからそれだけはやめろ』

 

「なんでだよ。意味がわからないぞ」

 

『……俺もわからん。だが俺の直感がこう伝えている。「乳をつつくな、今ならまだ引き返せる……」と』

 

「はぁ??? そんなこと言われても、今更止まれるわけないだろ」

 

『そこをなんとか……』

 

 懇願するようなドライグに、しばし悩む素振りを見せる一誠。ここまでドライグが頼み込んでくるのは初めてと言ってもよかった。

 散々世話になっている身だ。聞いてやりたい気持ちも無いことも無い。しかしこの千載一遇の機会、果たして捨ててもいいものか……。

 

「ねえ、まだなのイッセー?」

 

「ごめんドライグ、やっぱ無理だわ」

 

『あっ……』

 

 然もあらん。

 埋まる指が伝える感触と発せられる桃色吐息を受けて、一誠は新たな領域を完全に自分のものとした。

 そしてそれは同時に、赤龍帝ドライグの未来を決定づけた瞬間でもあった。

 

 星屑散りばめた月夜に、音もなくドラゴンの泣き声がこだました。

 

 




お待たせしました更新です。
ケルト流死亡上等式訓練とおっぱいドラゴン不可避な話。

ゼノヴィアとの模擬戦はじゃれ合いに等しかったということですね。
ちなみに黒歌とは訓練期間中もちょくちょく会ってます。

椿姫と主人公の接点について。
幼い椿姫視点なのでアレですが、本当にあのまま主人公が椿姫を殺していたかどうかは不明。
基本初対面の幼女に好かれないのはこの頃から。命の恩人って普通フラグ立つのにね。

パーティーへの乱入はないので、次回からレーティングゲーム突入ですかね。
その前にロスヴァイセとの絡みがあるかもしれませんが。


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第三十八話:グレモリー対シトリー《その1》

 

「あれ、修太郎さん?」

 

 夜も更けたシトリー家本邸。

 ロスヴァイセが客間の扉を開くと、そこには先客がいた。修太郎である。

 ソファに腰掛け端末を片手に空中へと術式を投影しながら、ノートに何かを書きこんでいる。

 修太郎はこちらに一瞥もせず、ペンを持つ手を上げて応じた。

 

「今夜のパーティーに誘われていたようですが、行かなかったのですか?」

 

「悪魔の集まりに俺が行っても面倒にしかならない。ソーナ嬢には悪いが、辞退させてもらった。もっとも、クロは料理目当てに行くようだが……」

 

 そう言って机から顔を上げ、ロスヴァイセに「少し見てくれないか」とノートを差し出す。

 手に持っていた仕事の資料を机に置き、修太郎の隣に座ったロスヴァイセはノートの内容を確認していく。

 北欧のルーンとはまた違う古代の術式は、彼がスカアハより教わったと言う原初のルーン魔術だった。

 

「……ざっと見た限りこことここが繋がっていませんね。あと、ここは……体術による変数部分ですか。前にも思いましたが、いったい何の術式を組んでいるんです?」

 

「空中跳躍だ。いいかげん空を飛ぶ相手にも対応できなければならないと思ってな。昔は普通に出来たんだが……」

 

「……え? 今なんと……?」

 

「だから空中跳躍だ。前の方法で出来なくなったのだから、他の方法でやるしかないだろう?」

 

「いや、そうではなく……前は普通に出来たって、魔法も使わずにですか?」

 

「ああ、こう、闘気で大気を掴んでグッ、と。今思えば、自然の気に干渉することで足場にしていたんだな」

 

「えぇ……?」

 

 事も無げにそんなことを言う修太郎。

 彼が闘気の運用に障害を抱えていることは聞いているが、それが無い頃はそんなことまでやっていたのか。理論的には出来ないことは無い技術なのだろう。しかしつくづく出鱈目だと思わざるを得ない。

 

「話に聞く軽気功の達人はまるで空を飛ぶかのごとく宙を駆けると言う。それに比べれば俺もまだまだ」

 

「……弾幕を足場にするあなたも大概だと思いますが」

 

 そんなやり取りをしながらも、間違っているだろう箇所を訂正していく。

 綺麗に体系化された北欧のそれとは違って、スカアハの用いるルーンは多分に感覚的な部分が含まれている。大筋は自身が修めたものと似通っていても、本格的に学んだわけではないロスヴァイセでは、完全に修正することまでは不可能だった。

 しかしそれでも赤ペンだらけになったノートを見て、修太郎は喉を唸らせる。

 

「ほとんど赤が入ったか……これでも全力でやってみたんだが、やはり難しいな」

 

「まあ術式体系に癖がありますし、体術まで絡めたものとなるとどうしても複雑化してしまいます。『魔槍投擲』を基にしているんでしょうけど、これはかなり高度な組み方ですよ。難しくても仕方がありません」

 

「しかし俺がきちんと学び修めた術は『魔槍投擲(それ)』しかないのだ。キミの授業も聞いてはいたんだがな……理解まではいっても扱うのはどうもうまくない。ああ、別にキミの教え方が悪いわけじゃないぞ。俺が至らないだけだ」

 

 確かに修太郎は訓練期間後半、シトリー眷族と共にロスヴァイセの魔法講座にも参加していた。

 部屋の片隅で一人うんうん唸る強面の長身男性は、普段とのギャップも相まってかなりシュールだったように思う。

 しかしながら、それがきっかけとなってソーナたち眷族とも話すようになったのだから、結果は悪くなかったのではないだろうか。裏でカウンセリングの真似事をしていたロスヴァイセから見て、それ以降の空気は大分良くなってきたように感じた。

 

「何故今頃になって魔法を学ぼうと思ったんです? 修太郎さんに必要だとはあまり思えないんですが……」

 

 そういえば、とロスヴァイセは疑問に思ったことを聞いてみる。

 修太郎は剣術と体術だけでも十分以上に強い。純粋な人間で神にすら届く剣技を持つ者など、歴史上を広く見てもロスヴァイセは彼以外に知らないのだ。今更苦手な魔法を学ぶよりも、体術や気功を極めて魔法染みた技でも新たに習得した方が、効率面から見ても良いように思う。

 ロスヴァイセの言葉に、修太郎は一度瞑目した後、口を開く。

 

「何と言うか、うまく嵌まらんのだ」

 

「え?」

 

「……身に入らないと言うべきか。ここ最近、どうにも伸び悩んでいる。強くなるために取るべき道筋が見えない」

 

 だからシトリー眷族の訓練を見る事はいい機会に思ったと言う。

 他人の成長過程を身近で感じることによって、何かが変わるか期待したらしい。

 

「気分転換、と言えば少々彼女たちに悪いが、その代わり出来る限りのことは全力でやったつもりだ。とはいえ、それが成立したのは彼女らに相応の覚悟があったのと、キミがいてくれたからだろうな。苦労をかけてすまない、指導者としてやはり俺は向いていないと実感した」

 

 ありがとう、と修太郎はロスヴァイセに言った。

 

「……まあ、確かに最初は少しばかりやり過ぎだとは思いましたが、でも結果は出ています。彼女たちは見違えるように成長しましたよ」

 

 ソーナ・シトリーとその眷族たちは強くなった。

 悪魔として単純に地力を向上させただけでなく、戦士としても力をつけた。それこそ、修太郎の予想を超えるほどに。

 訓練最終日に行った最後の模擬戦で、まさか一撃もらうことになるなど当の彼とて思っていなかったのだ。

 

 ロスヴァイセの言葉を聞いた修太郎は、ごくわずかに笑んだ表情を作り「ああ、そうだな」と呟く。

 

「まあ何にせよ、良い経験になった。魔法を覚えようとしたのは、違う方向からのアプローチからならば、何か別の風景が見えないかと思ったからだ。単純に、それだけだ。今のところは芳しくないが……」

 

 ――諦める理由は無い。

 そう言う修太郎の目はいつも通りのものだったが、何故かロスヴァイセは気になった。

 今まで彼が悩むような言動をロスヴァイセに見せたことなど無い。彼は何処までも強く、まっすぐで、躊躇しない男だと思っていた。悩みや迷い、などという感情はこれまでの印象とは真逆だ。あるいは、彼も人間であると言うことなのだろう。

 しかし――。

 

 ロスヴァイセにとって、修太郎は親しい友人だ。

 出会ったきっかけは慌ただしいものであったし、ロスヴァイセも色々と恥ずかしい思いをしたものだが、だからなのか余計な遠慮も無く良好な関係を結べている。

 アースガルズにも友人はいる。だがここまで屈託なく付き合えているのは修太郎と黒歌の二人ぐらいだろう。私生活では割とずぼらな彼らと、生真面目な気質のロスヴァイセはかみ合っていたのかもしれない。

 もしも二人がいなければ、経験の全く無い営業活動の中で心が折れて田舎に帰ることになっていたはずだ。だからロスヴァイセは彼らに感謝しているし、何か困っていることがあるのなら出来る限り力になりたいと思っている。

 

「あの、修太郎さん……」

 

 気のせいならばそれでいい。だがもしも何かに迷っているのなら、話してはくれないだろうか。

 そう思って声をかけようとしたのだが――。

 

「にゃーん」

 

「む」

 

「えっ?」

 

 二人の間に突如として鳴き声が割り込む。

 そちらを見れば、一匹の黒猫が尾を揺らめかせながら座っていた。

 

「えーっと、黒歌……さん?」

 

 おそるおそる尋ねるロスヴァイセ。何だかばつの悪さを感じたのだ。

 そんな彼女をよそに、修太郎は慣れた手つきで黒猫を抱えると、自身の膝の上に乗せた。

 

「違うぞロスヴァイセ。こいつはクロの使い魔だ」

 

「使い魔……?」

 

 膝の上で背中を撫でられながら、ごろごろと喉を鳴らす黒猫。確かに良く見れば黒歌の猫形態と少し顔つきが違う……気がする。

 

「普段はクロの服の中に隠れているんだがな……。おそらく追い出されたのでここに来たんだろう。ほら」

 

 そう言って、修太郎は端末をこちらに見せる。

 画面には黒い西洋ドレスを着た黒歌の自撮り写真が表示されていた。豪華なホテルを背景に、満面の笑顔で横チェキしている。どうやらメールに添付されてきたらしい。

 

「どうやってここに……」

 

「さあ、クロがここに送ったのかもしれないし、自分で転移してきたのかもしれない。こいつは優秀だからな」

 

「そういえば、あの時も黒歌さんそっくりに化けていましたね」

 

 思い返すのは、忌々しき巨人王ウートガルザ・ロキをおびき寄せた時のことだ。あの時は使い魔が黒歌に化けて囮を務めていた。

 修太郎が手で背中の毛を梳けば、気持ちよさげに目を細める黒猫。

 しばらくすると、そのまま眠ってしまった。

 

「……眠っちゃいましたね」

 

「そうだな。しかし、これでは動けん。夕食がまだなんだが……」

 

 修太郎は膝の上で寝息を立てる黒猫を、やや困った風に見る。

 彼としては一日二日程度何も食べなかったところで支障は無いのだが、食べられるものなら食べておきたい。久しぶりに頭を全力稼働させたせいで、脳が栄養を欲しているのだ。

 

「それなら、私が何か持ってきますね」

 

 そう言ってロスヴァイセが立ち上がる。

 

「いや、別にそこまでして食べたいわけではない。後ででも構わないし、何だったら携帯食で済ませてもいい。キミも仕事があるだろう」

 

 机の上に置かれた資料を見る修太郎。その内容は、冥界のテレビ番組に関するものだ。

 あの巨人王の一件以来、アースガルズでは娯楽に飢えた者が続出していた。不満の声は中々大きく、主神オーディン主導の下、皆が推進活動に取り組んでいるのだ。修太郎たちも日本に来る以前、いくつかの企画に協力したことがあった。

 人外の世界の中でも、冥界は特に各種娯楽関係が充実している。ロスヴァイセはシトリー眷族の指導を行うついでにそれらの調査も命じられていた。

 

「いえ、いいんです。主だったものは纏め終わってますし、今日は切り上げても問題ありません」

 

「そうか……しかし、本当にいいのか?」

 

 言葉を投げかける修太郎に、ロスヴァイセは微笑みながら答える。

 

「はい。それに、今どこかでパーティーをやっているのに、私たちだけ仕事とか携帯食とか、ちょっと悔しくなりませんか?」

 

「……違いないな。では頼む、ロスヴァイセ」

 

「では申し訳ありませんが、ちょっと待っていてくださいね」

 

 そうしてロスヴァイセは客間から退室し、屋敷の厨房に向けて歩き出す。

 

 何だったら使用人に頼んで自分も一品か二品簡単に作ろうか。

 ここのところ食事は他人任せだったから、腕の確認も含めてそうしてもいいかもしれない。

 修太郎たちが欧州にいた頃は割と頻繁に手料理をふるまっていたものだが、それからもうどれくらい経ったろうか? 生憎と黒歌はこの場にいないものの、久しぶりに誰かの感想が聞きたい。

 そう思えば、何となく張り切ってしまう。

 

 思えば、親戚以外で最も親しい異性は修太郎ではないだろうか。ならばちょっと気合いを入れて――思考が飛んでしまった。頭を振って考え直す。

 問題は何の料理を作るかなのだ。

 

 煌めく銀髪を揺らめかせながら、久しく穏やかな気持ちで戦乙女は歩みを進めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃パーティー会場。

 

「あれ? 視覚リンクが切れたにゃん。もしかしてあの子寝ちゃった? うにゃ~ん、せっかくシュウの顔を見ながら美味しく料理を食べようと思ってたのにー!」

 

「……姉さま、そのお肉は私のです」

 

 仲良く料理を貪る猫姉妹がいた。

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 魔力の燐光が治まった後、リアス・グレモリー率いる眷族たちが立っていたのは多数のテーブルに囲まれたスペースだった。

 決戦当日、グレモリー本邸地下に存在する転移魔法陣からゲームのバトルフィールドへ移動した一誠たちは、眼前に見える光景から自身が今どこにいるか推察し始めた。

 

「――ここは……?」

 

 周囲を見渡せば壁際にファストフード店が連なっている。どうやらここは飲食店フロアであるらしい。

 どこかで見た覚えのある風景に、それを確かめるべく一誠はフロアの外へ顔を出す。そこには横に長い二階建てのショッピングモールと吹き抜けのアトリウムが広がっていた。

 

「駒王町のデパートね。まさか学園近くの施設が舞台になるだなんて予想していなかったわ」

 

 隣で同じく様子を窺っていたリアスが言う。

 そう、彼らが降り立ったバトルフィールドは一誠たちが普段利用するデパートだった。

 駒王学園に通う生徒の実に9割以上が普段から利用するだろうそこは、グレモリー眷族はもちろんシトリー眷族も良く知る場所だろう。

 驚く一誠をよそに、店内アナウンスが流れだす。

 

『皆さま、このたびはグレモリー家、シトリー家のレーティングゲームにて審判役(アービター)を務めます、ルシファー眷族『女王(クイーン)』グレイフィア・ルキフグスと申します。我が主、サーゼクス・ルシファーの名の下、ご両家の戦いを見守らせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします』 

 

 その後、グレイフィアによりゲームのルール説明がなされる。

 今回は駒王学園近くのデパートを舞台とした屋内戦。両陣営が転移された場所を本陣として、制限時間3時間の短期決戦(ブリッツ)形式で行われる。

 ゲーム開始前の作戦時間は30分。リアスたちは渡された資料に目を通しながら、作戦会議を始める。

 

 まずは本陣について。

 リアスたちはデパート東側2階の飲食フロア周辺。ソーナたちはデパート西側1階の食材品売り場周辺だ。『兵士(ポーン)』が昇格(プロモーション)するためには、それぞれが相手本陣に踏み入らなければならない。

 回復薬『フェニックスの涙』は各チーム一つずつ支給される。グレモリー眷族はそれに加えてギャスパーの神器を封じるための眼鏡も渡された。彼の神器が暴走すれば、ゲームそのものが台無しになる恐れがあるからだ。

 

「うぅぅ……まだあんまり使いこなせなくて……みなさん、すみません……」

 

「あまり気にすることはないよ。どちらにしろ、こうまで障害物になるものが多いと『眼』の効果は余り望めないしね。ヴァンパイアの能力だけでも十分さ」

 

 恐縮するギャスパーを木場が慰める。

 一同からしてみれば、こうしてギャスパーがまともに戦えるようになっただけでも大したものである。訓練期間中、黒歌に(あと小猫に)色々ちょっかいをかけられたせいかもしれない。

 

「それにしても、『デパートを破壊しつくさないこと』というルールは僕らにとって不利ですね。イッセーくんのパワーにゼノヴィアのデュランダル、副部長の雷撃も封じられてしまう」

 

 今ゲームに定められたルールの一つに、バトルフィールドへ無暗な被害を与えてはならないというものがあった。

 大出力の派手な攻撃が売りであるグレモリー眷族にとって、これでは持ち味を封じられたようなものだ。

 難しい表情になった木場に、リアスは答える。

 

「ええ、そうね。でもこれがレーティングゲーム。単純にパワーが大きいだけで勝てるようにはできていない。バトルフィールドやルールによって、戦局は180度変化する可能性もあるということよ。ここを突破できなければ、この先のゲームでも勝ち抜くことはできないわ」

 

「実際の戦場でも、今回のように実力を活かせない状況に立ち会うことがあるかもしれません。それを考えれば、これはいい機会なのかもしれませんわね。チームバトルの屋内戦に慣れるのに、このゲームは最適ですわ」

 

 リアスの言葉に頷いて賛同した朱乃は、この状況を好意的に捉えて発言する。

 しかしながら、他の眷族はともかく山にこもりっぱなしだった一誠は、パワーを抑えながら戦う訓練など積んでいない。

 心中を不安で満たす一誠だったが、ともあれ作戦は決まっていく。

 そうして与えられた時間を半分ほど残し、あとはゲーム開始を待つだけとなった。

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 ゼノヴィアは張り切っていた。

 教会でも噂となっていた悪魔界の疑似戦争遊戯・レーティングゲーム。その初陣の場であることも勿論だが、彼女にはもう一つの理由がある。

 それはこのゲームがどこかで観戦しているだろう師――と仰ぎたい人物である暮修太郎に、自分の実力を見せつける機会でもあるからだ。

 

 彼がシトリー眷族の指導に加わると聞いた時、当然の如く彼女は穏やかでいられなかった。

 どういうことか直ちに問いただしたいところだったが、しかしそこでゼノヴィアは考えた。今までの経験から言って、このまま問い詰めたところで彼の意志は変わらないだろう、と。最悪、逆に鬱陶しいと遠ざけられてしまう可能性だってある。

 ならば、今回は大人しく自分を鍛え上げることにして、彼から少しでも見直してもらうよう努力した方が建設的だ。

 

 そうして彼女は死に物狂いで修行に取り組んだ。

 デュランダルの制御を中心に、一誠から借り受けたアスカロンも使えるよう特訓した。黒歌との模擬戦闘では盛大にぶっ飛ばされたが、その甲斐もあって自分自身から見ても以前より強くなったと実感できる。新しい技だっていくつか編み出したのだ。

 そのお披露目が今この時。

 

 相手だって手強いだろう。リアスの親友にして学園生徒会長であるソーナ・シトリーは、戦略家だと聞いている。

 ゼノヴィアの仲間たちも破格だが、あちらの眷族も優秀だ。下馬評では八割がたこちらが勝つと予想されているらしい。だからと言って油断をすれば、容易く相手に勝利をもぎ取られかねない。

 故に、油断も慢心も無い。修太郎からすれば荒削りだろうが、教会の戦士として幾多の戦いを潜り抜けてきたゼノヴィアは、その行為がどれほど致命的なものか知っている。

 戦場独特の雰囲気を味わう中、彼女は研ぎ澄まされていた。

 

 木場祐斗もまたゼノヴィアと同じく、このゲームへと気合を入れて臨んでいる。

 かつてのライザー・フェニックス戦では『王』を守る『騎士』でありながら早々に退場してしまった。コカビエル戦ではせっかく覚醒した自身の禁手も通じず、会談でのフリード戦でもまた同様の無様を晒した。

 話を聞くだに恐ろしい魔人へ一矢報いた一誠と比べれば、なんと情けない戦果だろう。悔しくてたまらない。

 

 その思いを払拭すべく――相棒として赤龍帝・兵藤一誠と対等であるために、またリアス・グレモリーにふさわしい『騎士』であるために、このゲームに向けて一から自分を鍛えなおした。

 師であるルシファー眷族の『騎士』沖田総司の下で、それこそ基本の基本から。

 禁手の使い手となったことによる自惚れは無い。たとえ強力な神器を持っていようと、使い手が人格を持つ限りその感情は弱みでしかないからだ。

 

 それに――暮修太郎。

 あの超絶の剣士を一度でも目にすれば、得物の強弱など些細なことに思える。彼は木場の聖魔剣よりも威力に劣る刃で、コカビエルの防御を切り崩して見せた。

 人とは思えない速力と、剣の切れ味すら数段向上させる圧倒的な技量、同じ戦闘タイプの木場としてはどうしても意識せざるを得ない。ゼノヴィアが憧れるのもわかるというものだった。

 

 地道な特訓を経て、以前よりも自分が強くなった自覚はある。あとは成果を出すのみ。

 今も総身のオーラを静かにたゆたわせる彼の心構えに隙など微塵も無い。

 

 そうしてゲーム開始数分後、グレモリー眷族が誇る二人の『騎士』は、薄暗い立体駐車場を歩いていた。

 このデパートで相手の陣地へと移動するルートは三つ。

 一つはショッピングモールをまっすぐ行くルート。

 もう一つは屋上を経由してのルート。

 そして最後にここ、立体駐車場からのルートだ。

 

 いくら大きいと言えど、デパートの広さは限られる。人間が移動するのであれば、この三つ以外のルートは無い。おそらく、遭遇戦となるだろう。

 ここで大事となるのは戦力配分だ。

 リアスはソーナが『女王』に昇格した赤龍帝の力を警戒すると読み、一誠をショッピングモール側から侵攻させることで相手戦力をそちらへ集中させるようにしむけた。

 本命は木場たち。機動力と突破力に優れた彼らならば、一誠に刺客を送ったことで守りの薄くなった本陣に突撃し、『王』を討ち取ることができる。

 

 戦略としては妥当なところではあった。

 たとえシトリー側が木場たちの作戦に気付き迎撃しようとも、そうなれば今度は一誠側が手薄になる。一誠が『女王』となる機会を作ることもできるだろう。

 あちらがどのように対応しても、ある程度はこちらにとって有利な状況になる。やや眷族の性能に頼り過ぎな面はあるものの、それもまたチームの強みだ。

 

 二人の『騎士』は、物陰に隠れながら少しずつ進んでいく。

 薄暗い駐車場の中にあって、しかし悪魔の視力はいささかも落ちない。くっきりと視界内を把握しながら、車両用の坂道を下り一階に差し掛かった時、ひとつの影を見つけた。

 

 張りぼての車両が並ぶ中、白色灯の下に人影が見える。

 駒王学園の女子制服に身を包んだ細身のシルエット。腰に日本刀を携えたその姿は、シトリー眷族『騎士』巡巴柄。

 周囲に他の眷族はいない。完全に彼女一人だった。

 一誠を迎撃するために駐車場の防備は薄い――リアスはそう予想していたが、まさしくその通りだった……のだろうか?

 

「……SAMURAIスタイルか?」

 

 ゼノヴィアが呟く。

 巡巴柄はいつも首後ろの左右で二つ括りにした髪型だったはずだが、目の前に立つ彼女は所謂ポニーテールを結っていた。

 精神統一のためか瞑目していた両目を開けて、巡が木場たちへ視線を向ける。

 静かで鋭い目だった。

 以前までに見た彼女とはまったく違う。パーティーで会った時には普段通りだったはずだが、まさか髪型一つでここまで変わったわけではあるまい。戦闘態勢、と言うことなのだろう。

 

「キミ一人だけかい?」

 

 木場が尋ねる。

 たとえどこかに伏兵がいたとしても答えることは無いだろうが、一応だ。

 それに対する返答は、腰の刀を抜き放ったことで知れた。

 

「言葉は無粋……か」

 

 応答するようにゼノヴィアが腰の聖剣――アスカロンを抜き、木場も手元に聖魔剣を創り出す。

 二対一と言うあちらにとって圧倒的に不利な状況。しかしこれも勝負、手心など加えていられない。

 

(手早く沈めて先へ進む――!)

 

 グレモリーの『騎士』たちは同時に前へ出た。

 理想的な『騎士』としての才能を持つ木場と、優れた身体的素養を持つゼノヴィアは、その俊敏性をいかんなく発揮して敵『騎士』へと襲い掛かる。

 巡が卓越した使い手であることは知っているが、この猛攻を捌ききれるかと言えば不可能である。そう思っての行動だ。

 それは間違っていない。思考として当然の判断であり、誰もが同じように考えるだろう――「ソーナは戦力の配置を間違ったのだ」、と。

 

 だがしかし――。

 

「あなたたちは何か勘違いをしてる」

 

 初めて巡が口を開く。

 

「攻めるのは、私たちよ」

 

 それを聞いた瞬間、木場の腕が跳ね上げられた。

 

「――!?」

 

 懐を見れば巡の姿。日本刀の柄頭で聖魔剣を弾いたのだ。

 それよりも驚くべきはその速さ。『騎士』の特性を引き出して各種敏捷性を高めた木場ですら追いきれなかった。

 以前沖田に聞いたことがある。おそらく古武術――縮地の動き。

 

(この体勢は、まずい――!)

 

 そう思いながら、しかし前傾姿勢をとって疾走する際中の彼はすぐさま退くことができない。

 柄頭がわき腹に突き刺さる。かすれるように息を吐き出しながら、弾き飛ばされた木場は車両に激突した。

 

「おおおおおおおっ!!」

 

 木場を一蹴した巡へとゼノヴィアの剛剣が迫る。

 聖なる刃に赤龍帝の力が加わったアスカロンが秘める威力は莫大だ。ゼノヴィア自身のパワーも合わさって、容易に受け止められる斬撃ではない。

 しかし巡は真っ向からそれを迎え撃った。

 

 刹那、衝撃が解き放たれ大気を揺らす。

 刃同士が衝突する瞬間、巡は膝を深く曲げる。そのまま身体を沈め、バネの如く反発する力が丹田を通して刀に伝われば、両者の放った斬撃の威力が均衡。直後、素早く掬い上げる動きで刀身を滑らせ、絡め取るように聖剣を床に撃ち落とした。

 

「な――――!?」

 

 驚愕するゼノヴィア。

 今の全てが一秒にも満たない刹那の間に行われたことだ。彼女には何が起きたかわからなかったろう。

 深く床に突き刺さったアスカロンの刀身を押さえながら、巡の日本刀が滑り上がる。

 それにゼノヴィアが反応できたのは、彼女が持つ生来の反射神経と修太郎にさんざん痛めつけられた経験からくる本能的なものだ。剣を引き抜きつつ素早く背後に跳んで回避するも、襟元の布が切り裂かれる。

 

 退くゼノヴィアに巡は凄まじい速さで踏み込みながら日本刀を引き絞り、筋肉のしなりを解放して鋭い突きを放った。

 流れるような連撃に、たまらず横に逃れるゼノヴィア。一つ判断が遅ければ頸動脈が切り裂かれていた。

 続けざまに大きく跳躍し、距離を離して聖剣を構えなおす。

 

 その時、体勢を立て直した木場が声を張り上げた。

 

「ダメだゼノヴィア! 彼女は――」

 

 言葉が終わる直前に、巡は駆け出していた。

 木場たちを完全に無視して、リアスたちのいる本陣方面へと。

 それに反応して素早く追いかけるゼノヴィアだったが、もはや遅い。駐車場2階に繋がる坂道が幾重もの光の壁で覆われ、隔離される。見れば、通路の天井と床の四隅に魔法陣が仕掛けられていた。

 

「しまった……!」

 

 木場の口から悔しげな声が漏れる。

 敵の目的は木場たちと同じく速攻による本陣侵攻だったのだ。

 しかし、まさか無視されるとは。あちらは完全に『王』狙いと言うことか。

 隔離障壁はおそらくゲーム開始直後すぐにここへ来て設置したのだろう。この調子では敵本陣への道も塞がれているに違いない。

 

「……どうする木場。デュランダルのオーラを使えば、この程度の障壁なら破れるが」

 

「そうだね……でも」

 

 実のところ、障壁はそう問題にはならない。

 時間をかけて用意したものならばともかく、ゲーム開始から数分程度しか経っていない状況で張れる障壁の強度など高が知れている。何やら見た事の無い術式で編まれているようだが、木場とゼノヴィアの攻撃力ならば少々時間はかかるとしても突破できるだろう。

 だからこの場合問題となるのは、進退の判断だった。

 

 リアスを守りに戻るか、このまま本陣へ攻め入るか。

 

 普通ならばこのまま攻め入るところだ。

 本陣にはリアス、朱乃、アーシアの3人が残っている。ギャスパーは変化して索敵に出ているが、流石に敵が本陣へと近づけば気付くだろう。巡一人が特攻したところで、他を無視して『王』を獲れるとは考えにくい。

 だが本当にそうだろうか? そのような思いがよぎってしまうのは、敵の凄まじい技量を肌で感じたからだ。

 彼女の速さは明らかに尋常ではない。反応速度も動作速度も木場たちより一段階は上をいっている。

 これが、修太郎がつけたという訓練の成果なのだろうか? もしもそうならば、他のシトリー眷族はどれほど強くなっているのか?

 

 予測するに、一誠たちがいる方面からも敵が侵攻しているだろう。そしておそらく、その数はここよりずっと多い。

 ソーナが駐車場へ巡一人だけを配置したのは、彼女なら確実に遭遇戦を回避・突破できると確信していたからだ。事実、木場もゼノヴィアも彼女を止めることができなかった。

 ここに配置していない分は、ショッピングモール方面で展開しているに違いない。少なくとも、三人以上はいると見るべきだ。

 

 もしもそれら全てが合流した場合、リアスたちは果たして耐えられるだろうか。

 木場には予測できない。

 

 しかし逆に、この機会をチャンスとしてもいい。

 攻撃に手を回している以上、敵本陣も守りは手薄となるだろう。この点は当初の作戦で想定されていた通りである。

 あの注意深いソーナがわざわざわかる穴を作るだろうかと言う疑念はある。

 あるいはこの状況こそが罠かもしれない。

 

 迷う、がしかし、このような場面など実戦となれば何度も訪れるだろう。ここは眷族の力を信頼して、木場たちは当初の役割を果たすことにした。あまり思考に時間をかけては相手の思うつぼに嵌まりかねない。

 

「……よし、行こうゼノヴィア。部長たちには敵がそっちに行ったことを知らせて、迎撃してもらおう」

 

「ああ、わかった。少しばかり心配だが、残りのメンバーならうまくやるだろう」

 

 敵本陣方面に走りながら、木場は通信機器を通してリアスへ連絡をかける。

 しかし、通信機器から漏れ出てくるのはノイズの音だけだった。

 

「……ジャミングがかかっている。お見通しというわけか。ギャスパーくんが気付いてくれればいいけど……」

 

「要は私たちが素早く終わらせられれば問題は無いんだ。行くぞ!」

 

 二人の『騎士』は敵本陣へと駆ける。

 しかし木場はついに心中の不安を消し去ることができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

「あれ、小猫ちゃん、何持ってるんだ?」

 

 一誠と小猫はショッピングモールの物陰から物陰へと移りながら進んでいた。

 自動販売機の陰に隠れた一誠は、同じく隣に佇む小猫を見て問いかける。

 彼女は手に小さな車輪を持っていた。

 

「ああ、これは『火車』です」

 

「『火車』……って何?」

 

「本来は猫又が使う妖術なのですが、仙術の訓練に時間がかかり過ぎたせいでそこまで習得する暇が無かったので、姉さまがそれを使えるような道具を渡してくれたんです」

 

 そう言って何やら力を込めると、車輪から激しく炎が吹き上がる。

 

「う、うわっ!!」

 

 いきなり目の前が燃え上がり驚く一誠だったが、炎が治まるとそこには大きな車輪が現れていた。

 

「これが、『火車』?」

 

「はい。なんでも姉さまが昔術式付与(エンチャント)を修行する一環で作ったものらしくて、使いどころが無いまま死蔵していたのだそうです。姉さまは火車を普通に使えるので」

 

「へえ、どう使うんだ?」

 

「それは――えいっ」

 

 小猫は巨大な車輪の外輪部分を掴み、少し後ろへ下がった後、勢いよく振り回した。

 重い風切り音と共に燐火が舞い、車輪の一撃が一誠の鼻先を掠める。

 

「このように敵をぶっ叩きます」

 

「うわ、うわっ! びっくりした!! ちょっ小猫ちゃん、いきなりは止めてくれ!」

 

 突然のことに驚き、一誠は冷や汗を流す。

 単純すぎる攻撃方法だがしかし、『戦車』の特性も合わさって凄まじい威力を窺わせる。どうやら車輪はある程度サイズ調整ができるらしく、この分であれば周囲に無暗な被害を撒き散らすことも無いだろう。

 

「ぶっ叩く以外にも色々な使い方がありますが、それはまたの機会ということで。ひとまずは進みましょう」

 

「ああ、そうだな」

 

 車輪を元の大きさに戻した小猫と共に、ショッピングモールを進む。

 相手にこちらが本命と見せかけるためにも、慎重に事を運ばなければならない。

 今の小猫は猫耳と尻尾を生やし、猫又としての姿を見せている。その方が敏感に自然の気を感じ取れ、且つ制御もしやすいらしい。そもそもこの姿が彼女本来のものなのだから、当然と言えばそうなのだろう。

 しかし、猫耳。小猫の可憐な容姿と相まって何とも可愛らしいものだ。一誠は内心で感嘆の声を上げた。

 そうしてしばらく進むと、小猫が何かを感じ取ったのか歩みを止める。

 

「――――っ!」

 

「どうしたんだ、小猫ちゃん?」

 

 突然前方を睨みだした小猫に声をかける。

 彼女の猫耳と尾がせわしなく動き、まるで何かを探るような動作を始めた。

 そうして手元の火車を燃え上がらせ、大きく変化させる。

 

「先輩、敵です! 前方から猛スピードで、数は4人――あと10秒もありません、戦う準備を!」

 

「なっ!?」

 

 その報告に驚愕する。

 いくら相手にとって一誠が本命だとしても、一気に4人とは本気だ。あるいはこのまま攻め込む気かもしれない。覚悟していたとはいえしかし、やらねばなるまい。

 神器を解放し、赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)を出す。そうして倍化を開始した。

 禁手化するにはある程度の時間――約1分30秒程度が必要だ。一対一ならばともかく、複数との戦闘で変身するのは至難の業だろう。

 

 そうして戦闘態勢を整えると、前方から猛スピードで迫ってくる影が見えた。

 四人、と小猫は言ったが、影の数は一つ。近づいてくるにつれてその正体が明らかになる。

 

「あれは――何だ?」

 

 見た目は黒い球体だった。

 太く長い六本の触手を生やし、それを用いて天井、壁、床に張り付いてはしなやかに跳躍、凄まじい速度で立体軌道を描きこちらへ迫ってくる。

 何だあれは。

 シトリー眷族は、主であるソーナ以外の全員が人間ベースの転生悪魔だ。あのような奇妙な生命体は存在しないはず。まさか、ゲーム直前に新規加入した者がいるのか? しかしそのような話は聞いたことが無かった。

 

『相棒、あの黒い物体からドラゴンの力を感じる。これは……ヴリトラか』

 

「ドラゴン……まさか、匙?」

 

 全貌を確認して間もなく、球体は一誠のいる地点へ到達し――そのまま通り過ぎる。

 てっきり襲い掛かってくるかと思っていた一誠は、呆けた顔で見送ってしまった。

 

「無視、いや、突破された……!? 部長狙いか!」

 

「嫌な予感がします。追いましょう、いきますよ先輩」

 

「えっ、小猫ちゃ……うわっ!」

 

 一誠の手を掴んだ小猫は、反対側の手を火車の軸穴部分に当て、力を込める。すると車輪が炎を噴き上げつつ回転を始め、次の瞬間小猫たちを運びながら疾走した。

 凄まじい速度だ。先を行く球体に追いつけないまでも、距離を引き離されることはない。

 相手は追ってくる一誠たちに気付いたのだろう。球体の一部がほどけ、内部から人影が現れる。白髪の女生徒だ。確か、シトリー眷族の『僧侶』花戒桃と言ったか。

 

 花戒が手をかざすと魔法陣が展開され、無数の光が放たれた。光は一誠たちの前に着弾し、幾重もの網状障壁となって立ちはだかる。

 

「関係ない……ぶち抜きます」

 

 しかし小猫は止まらない。火車を燃え盛らせ、勢いよく突撃した。

 高速回転の摩擦エネルギーと紅蓮の炎が放つ熱量で、次々と障壁を引き千切っていく。しかし、明らかに速度は落ちた。みるみる内に相手は遠ざかる。

 

 全ての障壁を突破し、本陣へたどり着いた一誠が見たものは激しい戦闘風景だった。

 意外なことに戦況は防戦一方。防御障壁に閉じこもるリアスたちを、シトリー眷族が攻め立てている。

 敵は『兵士』匙元士郎、同じく『兵士』仁村留流子、『僧侶』花戒桃、そして『戦車』由良翼紗の4人。

 

 黒い球体の正体は予想通り匙だった。

 見れば右腕の神器『黒い龍脈(アブソーブション・ライン)』はかつて見たトカゲのような可愛らしいものではなく、右腕全体と肩までを覆う鎧のような形になっている。

 幾重にも黒蛇が巻き付いた腕からは無数のラインが伸び、それらが編み合わさって複数の拳を形作っていた。ライン一本一本を筋線維が如く編み込んだ黒腕は、その強靭性を如何なく発揮して連撃を放ち、リアスたちの防御を激しく揺さぶる。

 おそらくあのラインで以って同じように先ほどの球体を形成し、他3人を運んだのだろう。修業期間中に何があったか知らないが、見違えるような進化だ。

 

 花戒が空中にいくつもの魔法陣を展開し、牽制の弾幕を撃ち放つ。

 リアスたちが反撃に移ろうとする隙を的確に突く連続射撃は、驚くべき正確さだった。結果として、リアスたちは防御を固めざるを得ない。

 その障壁も、次々と割り砕かれては再生成されていた。仁村と由良の猛攻によるものだ。

 手足に魔法陣を纏わせた彼女たちの攻撃は、一撃目で障壁を揺らし、二撃目で罅を入れ、三撃目で完全に砕く。高出力を誇るリアスや朱乃の魔力を打ち破るとは、どうやら彼女たちは障壁の効果を弱める方法を持っているようだった。

 敵の攻撃は、最終的にアーシアの張った障壁が止めている。もしも彼女まで防御に加わっていなければ、既に防衛線は瓦解しているだろう。

 

「部長ッ!! ――くっ、頼む小猫ちゃん!」

 

「わかっています」

 

 このままでは危ない。

 地を疾走する小猫たちは、車輪を段差にぶつけて大きく跳躍した。

 空中をしばし浮遊する火車。

 そのまま小猫が一誠を敵――由良へと投げ飛ばす。

 

「うおおおおおおっ!!」

 

Explosion(エクスプロージョン)!!』

 

「兵藤くん――赤龍帝か!」

 

 倍化を終えた一誠と由良の拳が激突し、両者ともに後方へと大きく吹き飛んだ。

 相当パワーを向上させた一撃だったはずだが、由良に目立ったダメージは無い。激突の瞬間、由良の拳に防御膜が張ってあったのを一誠は確認していた。

 つまり戦果は全くない。だが、これで敵の攻勢に隙ができた。

 

「イッセーさん!」

 

「よくやったわイッセー! よし、今よ朱乃!!」

 

「見ていてくださいイッセーくん!!」

 

 障壁が解かれ、朱乃の手に大気を震わせるほどの力が集まる。

 黄金のオーラが紫電と共に悲鳴のような劈き声を生じさせ、そうして莫大なエネルギーの塊を作り上げた。

 

 ――雷光。

 

 元来が雷の魔力を得意とする朱乃だが、そこに自らの血筋――堕天使幹部バラキエルの力も加えて生み出した聖なる雷。それがこの力だ。

 彼の堕天使が誇る代名詞とも言うべき雷は、元より強大な破壊力を持つとともに、悪魔にとって天敵とも言える光の性質をも併せ持つ。それも踏まえれば威力は倍どころではないだろう。

 

 朱乃のような大出力のウィザードタイプが備える利点は、広域攻撃によって対多数戦闘で圧倒的アドバンテージを獲得できる点にある。

 多くの客を招き入れるために飲食店フロアの入り口は壁で隔たれておらず、大きく開かれている。範囲を調整すれば必要以上の破壊を振りまくことは無いだろう。敵は全て前方におり、いましがた仲間の一誠も射線を逃れた。

 

 容赦の必要は、無かった。

 

「はあああっ!!」

 

 気合いと共に手を振りぬけば、黄金雷が扇状に広がって放たれる。

 この雷の直撃を受ければ、如何に『戦車』の耐久力を以ってしても一撃昏倒は必至。『僧侶』である花戒でさえ、朱乃の出力を真っ向から受け止めるほどの障壁は張れない。

 これで4人まとめて撃破(テイク)。戦況は一気にこちらへと傾く。

 リアスはそう確信した。

 しかし。

 

「それを待っていました、姫島先輩ッ!!」

 

 絶望的な光を前に吼える男が一人。

 匙元士郎だ。

 緊張に顔をこわばらせながら、しかし恐怖の色は一切無い。黒い右腕を前に突き出し、無数のラインを纏め編み上げる。素早く、正確に、思考ではなく反射神経をフル稼働させ――そうして作り上げた巨大な蛇の群れが、仲間に向かう雷光を全て呑み込んだ。

 

「そんな……!」

 

「なんですって!?」

 

 驚愕するリアスたち。

 匙の神器はラインを繋いだもののエネルギーを吸収する能力を持つ。しかし、その吸収量には限界があるはずであり、全部ではないにしても朱乃の雷光まるごとなどキャパシティオーバーもいいところだろう。本来であれば自殺行為に等しい所業だ。

 そこで彼は、蛇が雷光を呑み込み終わるが否やラインを全て切り離した。

 

「それじゃあ……お返ししますよっ!!」

 

 切り離すと共に射出されたラインがリアスたちに接続しようと伸びる。

 しかし吸収限界を迎え、臨界を超えた黒蛇は黄金に膨れ上がり、リアスたちへと到達する前にその中身を解放した。驚く彼女たちにそれを躱す術は無い。

 迸る閃光が周囲を眩く照らし、凄まじい破壊音が辺りに轟く。

 

「ぶ、部長ぉぉーーッ!!」

 

 目の前の光景に目を見開き、叫ぶ一誠。

 わずかの間に起きた出来事だ。彼が介入する暇など無かった。心中を不安と焦燥が支配する。

 故に、迫る由良の姿に気付いたのは吹き飛ばされる直前だった。

 

「呆けちゃダメだ兵藤くん。戦いの途中だよ。臆せば死ぬ、ってね」

 

 大威力の蹴りをまともに喰らった一誠は2階から叩き落とされる。未だに倍化は健在であるため深刻なダメージは無いが、脳を揺らされて受け身をとることができない。このまま1階の床に激突すれば意識を失ってしまう可能性があった。

 それを救ったのは小猫である。火車を乗り回して一誠の身体を受け止めた。

 

「ぐ、うぅっ……ご、ごめん、小猫ちゃん……。そうだ、部長は!?」

 

「落ち着いてください先輩。部長たちは、まだやられていません」

 

「え……」

 

 小猫の猫耳がぴくりと動いている。リアスたちの気を感じているのだろう。

 確かにアナウンスも流れていない。ならば彼女らはまだ戦えるということだ。

 安堵に一息吐く一誠。

 

「もう大丈夫ですか? それじゃあ、いきます」

 

 火車を自身の身長の半分にまで縮めた小猫は、一誠の手を掴んで2階へ跳躍する。

 濛々と煙が立ち込める中、はたしてリアスたちは無事だった。

 見れば、薄緑の光壁が彼女たちを覆っている。

 光壁の主はアーシア・アルジェント。堅牢な守りの力は、サポートタイプの彼女に黒歌が授けた高性能防護壁だ。それを用いて、見事リアスたち全員を守り切っていた。

 

「ちっ、できればこれで決めときたかったんだけど……」

 

 ぼやく匙は、しかし戦闘態勢を解いていない。

 右腕から無数に伸ばしたラインを鞭のようにしならせながら、いつでも攻撃できるよう構える。

 他のシトリー眷族も同様に、再度突撃する態勢を見せた。

 

「匙……その力は、いったい……?」

 

 一誠は匙に問いかける。

 力は既にリセットされ、赤龍帝の籠手は再度倍化を開始していた。

 

「特訓の成果ってやつさ。なんせ、成長しないとマジで死ねるからな。大したもんだ――ろッ!!」

 

 不敵に笑う匙は、素早くラインを伸ばす。

 狙いはフロア照明。次の瞬間、全ての明かりが眩く弾けた。魔力の過剰伝達によりスパークさせたのだ。

 一誠の視界を閃光が焼く。

 

「甘いわ!!」

 

 しかし、リアスと朱乃はラインが照明に繋がれた瞬間、敵の意図を読み取り目を守っていた。

 そのまま突撃する匙たちを障壁と魔力波動で迎え撃つ。

 雷光を吸収し返すことに成功した匙の神器だったが、リアスの消滅魔力までは吸い取れない。花戒の魔法射撃が大半迎撃してくれるものの、相殺できずに飛んでくる攻撃に関してはラインを犠牲にすることで自分と仲間への防御とし、出来るだけ回避行動をとりながら突き進むしかなかった。

 

「――そこです!」

 

「くっ!」

 

 小猫も視界を潰されながら、しかし気の探知を使って敵に攻撃を加えることができた。

 一誠に迫る由良へと火車の一撃を加え、弾き飛ばす。

 

「ちっ、堅いなッ!!」

 

 匙の猛攻も、仁村の障壁破壊も、アーシアと朱乃が展開する防御を崩せない。

 一誠も迎撃に加わり始め、徐々に押されていく匙たち。次第に、こちらが攻撃を仕掛ける側となる。

 数に劣り、防御も抜けない。

 ここに来て、シトリー眷族に不利な状況となったのは明白だ。

 しかし、彼らは攻撃を止めない。

 

 退却してもいいはずだ。むしろそうすべきだろう。

 大きく成長した匙の神器は確かに恐ろしい。しかしながら、消滅の魔力を有したリアスとの相性は最悪であり、彼女がいる以上この場においてはもはや脅威ではなくなった。

 何よりも、彼らは闘気を纏った小猫相手に防戦一方だ。吹き上がる火車の火炎と、振るわれる重い一撃に対応できていない。

 これからの戦闘は分の悪い賭けになる。何故退却しない? 皆を一度に高速で運べるのは匙だけであり、彼が倒れないうちに退かなければ、確実に逃げる手段が無くなると言うのに。

 まさか犠牲(サクリファイス)戦法だろうか。しかし、それにしては戦い方が消極的に見えた。

 まるで、何かを待っているような――。

 

「リアス部長、新手です!! 気を付け――」

 

 小猫が叫ぶ。

 瞬間、肩に軽い衝撃が走った。

 直後に熱いものが吹き出し、そして激痛を発する。見れば、リアスの肩に小刀が突き刺さっていた。

 

「――え?」

 

 驚愕に声を漏らしたのはリアスではなくアーシアだ。

 今まで堅牢を誇っていた自身の防壁があっけなく貫かれたことに驚いていた。

 

「その障壁、北欧式と魔力の混合でしょ? あの人とロスヴァイセさんの読み通り。流石」

 

 声の主は巡巴柄。

 いつの間にか飲食店フロアに姿を現した彼女は、次の瞬間には目の前まで迫っていた。

 構えから解き放たれた日本刀は、もはや誰にも止めることはできない。リアスを切り裂かんと袈裟がけに走り――。

 

「だ、ダメですっ!!」

 

「……あっ」

 

 明かりを失い薄暗闇となった空間に、鮮やかな赤が舞う。

 背中を斬られ、目の前に倒れ込むアーシア。信じられないと言うように、リアスは彼女を見つめた。

 リアスをかばって負った傷は明らかに致命傷だ。

 

「――よかっ、た……」

 

 そう最後に言い残して、アーシアは消えた。

 

『リアス・グレモリーさまの「僧侶」一名、リタイヤ』

 

 無慈悲にもアナウンスが響き渡る。

 

「リアス!!」

 

「部長、危ないッ!!」

 

 一瞬呆けたリアスは、朱乃と一誠の声に立ち直る。時間にして一秒にも満たない短い間だがしかし、もはや遅かった。

 巡の刀が逆風に走る。朱乃が張った障壁を魔法で打ち破り、その勢いは止まらない。魔力を練って放つ時間も無かった。

 この一瞬で、ゲームの勝敗は決まった……かに見えた。

 

「――ッ!!」

 

 日本刀の刃がリアスに触れる前に、巡の動きが急停止する。

 力を入れるも、動かない。理由は、足元にあった。

 フロア内を満たす薄暗闇。その影から無数の手が伸び、巡の動きを止めていたのだ。

 

「この力は……ギャスパー!」

 

『す、すいません部長、遅くなりましたぁ!!』

 

 フロアの闇が蠢いて、そこから蝙蝠が飛び立つ。

 それらが渦を巻くようにして集まると、眼鏡をかけた金髪赤目の美少年が現れる。今の今まで索敵任務をこなしていたギャスパー・ヴラディだ。

 

「ギャスパーくんまで戻ったか……ここが限界だな。回復役を撃破しただけでも十分だ。巡、みんな、撤退するぞ」

 

 ギャスパーの姿を確認するや否や、匙たちが退却の構えを見せる。

 

「くっ、やらせるか!」

 

「逃がしません」

 

 吼える一誠たちをよそにラインが縦横無尽に走り、他の4人を捕まえると瞬く間に引き寄せ、黒い球体を作り上げた。一誠と小猫が攻撃を加えるが、しなやかに編まれた球体の防御を貫くことができない。逆に小猫の攻撃が天井方向へと大きく弾き飛ばしてしまう。

 球体はそのまま6本の触手をしならせて壁に張り付き、高速で跳躍し去って行く。

 残された一誠たちでは、もはや追うことは叶わなかった。

 

 




お待たせしました更新です。
何こいつら普通に強い。そんな話。

しかもさらりと小猫が武器を手に入れてたり、ギャスパーがニンニクで沈まなかったり。

シトリー眷属の中でも、匙と巡さんが飛びぬけて強化されています。特に巡さん。
木場もゼノヴィアも弱くありません。彼女が強くなったのです。理由などは次回以降。
シトリー眷属はみんなロスヴァイセから魔法を教わったことで攻・防・補のどれもある程度こなせるようになりました。
ただ、全体的に火力(パワー)が足りない。
そのせいで、グレモリー眷属に正面からぶつかるとどうしても力負けします。というか、それが普通です。
……サイラオーグ? あれは例外。

しかし、この作品のリアスたちは苦戦ばっかだなぁ。そのうち活躍させたいところ。


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第三十九話:グレモリー対シトリー《その2》

 濃霧の海を切り裂いて、銀色の鋼が疾風と走る。

 遠心力によって最大限まで威力を高めた刃は、分厚い鉄板すら容易に切り裂く鋭さだ。首筋に迫るそれを、木場は寸でのところでかがんで回避し、低い体勢のまま素早く体を捻り反撃の聖魔剣を振るう。

 しかし相手はすぐさま後ろへ下がり、白い空間の中に姿を消した。

 

「――くっ……!」

 

 もう何度目になるかもわからない展開に、思わず声を漏らす。

 

 先に進んだ木場とゼノヴィアを待ち受けていたものは、一面に広がる霧の空間だった。

 シトリー本陣を覆い尽くす濃霧は、少しでも離れれば互いを見失ってしまうほどの密度だ。それらは冬の大気にも匹敵する冷気を湛えており、生理的な反応として木場もゼノヴィアも身震いを止めることができなかった。

 

 なるほど、確かにこうやって本陣に目くらましを張れば敵が侵攻して来ようと容易く決戦に持ち込まれることはない。

 しかしこれでは、相手からもこちらが見えないのではないか。

 その疑問は直後の襲撃で間違いであると知った。

 濃霧を切り裂いて現れたのは、駒王学園生徒会副会長にしてシトリー眷族『女王』真羅椿姫。

 

 視界を遮られ、その機動力を活かせない木場たちとは違い、どうやら椿姫は霧の中でも敵を視認できているらしい。

 こちらが風の聖魔剣を創造するなどして霧を払おうにも、まるで意志があるかのごとくすぐさま元通りになってしまう。この霧が水の魔力を得意とするソーナ・シトリーの仕業であることは疑いようが無かった。

 ならばその眷族たる彼女たちが見通す方法を知っていても不自然は無い。

 

 椿姫がとった戦法は単純、霧に紛れてのヒットアンドアウェイである。薙刀(なぎなた)の名手でもある彼女の一撃は、『騎士』の速度に『戦車』の膂力も合わさって必殺の攻撃として二人に襲い掛かる。

 距離感を惑わし、姿を隠す幻術の滑らかさは『僧侶』の特性を引き出しているが所以だろう。

 同じ眷族の朱乃や、以前戦ったライザー眷族のユーベルーナは魔力戦闘を得意としていたが、椿姫の戦い方は三種の駒が持つ特性を全て利用しており、まさしく『女王』のお手本そのものだ。

 

 ゼノヴィアと互いに背中を合わせながら、襲い来る殺気を読むことで何とか敵の攻撃を躱し続けていられるが、攻勢に打って出るまではいかない。

 椿姫一人が迎撃に出ている現状、ソーナを除くとしても他のメンバーは全てグレモリー本陣へ侵攻をかけていると見ていい。つまり彼女さえ倒してしまえばこの場は切り抜けられるのだが、しかしそれが難しかった。

 戦場の悪さに加えて、何よりも相手の立ち回りが上手過ぎるのだ。手慣れていると言うべきか、木場の剣もゼノヴィアの剣も悉く受け流される。

 

 最小限の人員で防衛を成功させるこの布陣、リアスや朱乃、ギャスパーならば魔力を用いて対処することも可能だろうが、接近戦重視の木場たちとは凄まじく相性が悪い。

 ここでまとも戦える者は、気で相手の行方を掴める小猫ぐらいのものだ。それにしても、地形の把握までは行えないため十全とはいかない。

 広域攻撃が使えればまだ違うだろうが、こちらへの対策として単純ながら凄まじく嵌まる作戦だった。

 

 椿姫はどう見ても時間を稼いでいる。本陣まで侵攻してきた相手を場に釘付けにすることが、彼女の役目なのだろう。

 たとえリアスたちが敵の攻勢を押し返したとしても、返す刃で木場たちが包囲されてしまう。

 このままではまずい。

 退くなら今だ。この霧の中で多数から襲われては、如何な木場たちであろうと脱落は避けられない。やはり、リアスたちを放って侵攻を続行したのは悪手だったのだろうか?

 

 その時。

 

『リアス・グレモリーさまの「僧侶」一名、リタイヤ』

 

 アナウンスが鳴り響く。

 突如告げられた仲間の敗北に、しかし木場もゼノヴィアも態度を変えることは無かった。

 

「……意外と冷静ですね」

 

 霧の向こうから聞こえる声は椿姫のものだ。

 

「ええ、いちいち反応していては戦いなどできませんから」

 

 木場は冷静な口調で返す。

 とはいえ動揺がまったく無いわけではない。脱落したのはアーシアか、それともギャスパーか。

 内心には煮えくり返るような思いが渦を巻いていたが、それで焦ればこちらがやられる状況だ。

 

「確かに。戦場で臆せば死ぬだけです」

 

 直後、左後方の霧が割れる。

 下方から斜め上方への切り上げは、空を舞う燕が如く静かに、そして速く鋭い。

 

「――ふっ!」

 

 反応のまま聖魔剣で受け止めるが、薙刀の重量を存分に活かした攻撃の威力に身体を浮かせてしまう。会話に意識が逸れた隙を的確に突かれ、衝撃を受け流すタイミングを誤ったのだ。

 斬り上げた体勢のまま、流れるように薙刀の刃が返される。速い。

 このままそれが振り落とされれば負傷は避けられない。防御の薄い木場では、下手すれば撃破されるだろう。

 だが、それは彼が一人だった場合の話だ。

 

 椿姫の痛烈な一撃を迎え撃つは一振りの聖剣。

 ゼノヴィアだ。

 

「私を忘れてもらっては困るな!」

 

「忘れてなど!」

 

 振り落とされた薙刀が、ゼノヴィアの脳天を割る軌道に変化する。

 木場への攻撃はブラフ。椿姫は最初からゼノヴィアを狙うつもりだったのだ。

 しかしゼノヴィアもさるもの。

 突如として蛇のように動きを変えた敵の攻撃を、もう一振りの聖剣を取り出すことで受け止める。

 

 青い巨大な刀身は彼女本来の刃、デュランダル。

 切断の権化とも言うべき最強クラスの聖剣が、その莫大なオーラを解き放った。

 勢いのままゼノヴィアは膂力を振り絞り、敵の攻撃を椿姫の身体ごと撥ね飛ばす。

 そうして木場に向かって叫んだ。

 

「木場、出し惜しみは無しだ! この際多少の周辺被害もやむを得ない、やるぞ!!」

 

「――! ……そうだね、彼女はここで落とす!」

 

 ゼノヴィアに応じた木場は、精神力を集中させる。

 手を前にかざし、高まる戦意に火を灯せば、咲き誇るは聖魔の剣群。

 

「デュランダルよ!」

 

 同時にデュランダルより莫大なオーラが木場へと流れ込む。

 アザゼルより示されたデュランダルの可能性。オーラの譲渡によって他の剣を強化する能力だ。

 聖なるオーラを纏いながら、次々と床より立ち昇る聖魔剣がシトリー本陣を覆っていく。おそらく、店内に少なくない破壊をもたらすだろう。しかしこれは紛れも無く起死回生の一撃だった。

 だが。

 

「その程度」

 

 真羅椿姫は小揺るぎもしない。

 その背に翼を広げて空中へと跳躍すれば、たかだか最大2メートル程度の刃など恐るるに足らず。

 この剣群は確かに強力だ。悪魔からすれば見るだけで寒気すら感じる光景だろう。しかしこれより理不尽な脅威に連日さらされていた椿姫にとっては、今更どうということはない。

 むしろ、大技を繰り出すにあたって硬直した二人は明確な隙を作っていた。それを見逃すほど椿姫は甘くない。

 

 回避と同時に大きく身体を回転させ、魔力を乗せた薙刀を振るう。刃が最高速に達した瞬間、月牙状の光波が撃ち放たれた。

 

「木場ッ!!」

 

 木場の首筋に迫るそれを、間一髪アスカロンで切り裂くゼノヴィア。無音にも等しい光波の飛来に彼女が対応できたのは、完全な勘によるものだった。

 自身が危機から救われたことを肌で感じながら、しかし木場の表情に焦りは無い。ゼノヴィアの実力を信頼していたからだ。

 さらに精神力を研ぎ澄ませ、己が神器の力を引き出す。

 

「聖魔剣よ、吹き荒べ!!」

 

 天へと伸びる聖魔剣が、一様に輝く。

 その直後、凄まじい突風が辺りに吹き荒れた。木場が創造した聖魔剣には全て風の属性が付与されていたのだ。

 霧を駆逐しながら、空間全体を大気が暴れ狂う。店舗の商品が吹き飛んでいく中、空を飛ぶ椿姫はその影響の直撃を受けた。

 

「くっ!」

 

「――そこだっ!」

 

 大きく体勢を崩す椿姫へと、二振りの聖剣で風を切り裂きながらゼノヴィアが迫る。

 完全に隙を突いた。そう思って放った一撃は、しかし空を切る。

 見れば、上空へ舞い上がる敵の姿。ゼノヴィアが剣を振るう直前に、抵抗をやめて風に乗ったのだ。

 

 再び薙刀の刃に魔力が集まる。

 光波の一撃をゼノヴィアに振り落とさんとしたその時、椿姫の下に迫る影があった。

 

「はあああっ!!」

 

 咆哮をあげて空を駆ける木場。

 翼を広げた彼は、聖魔剣からの風を操作してさらなる加速を実行する。神速の刃が、椿姫に襲い掛かった。

 寸でのところで反応し、得物の()で受け止める椿姫。

 両者しばらく競り合ったのち、激しい攻防に移行する。

 

 空中戦は、風を味方に付ける木場が有利だった。

 加えて二人の距離は既に剣の間合いにある。椿姫の扱う薙刀は、その刃の形状から「薙ぎ払い」を最大の攻撃法としているため、距離が近すぎると力を発揮しづらい。鋭く巧みな剣捌きと、風の聖魔剣から放たれる鎌鼬(かまいたち)に防戦一方となる。

 とはいえ、『女王』の名は伊達ではない。受ける手傷を最小限に止めながらうまく敵の剣を受け流す。

 木場の神器制御に対する集中が途切れたためだろう。床を覆い尽くしていた聖魔剣は次第に砕け数を減らしていく。それに伴って風も弱まり、場は再び濃霧に覆われだした。

 それに乗じて敵の剣を弾き、再度幻術で姿を暗まそうとする椿姫だったが……。

 

「あああっ!?」

 

 木場の刃を受けた途端、突如として激しい痛みが身体中を駆け巡る。

 椿姫が受けたのは電撃を纏う聖魔剣だった。

 木場は敵の手強さをこの短時間で把握していた。おそらく普通に電撃を放つだけでは容易に防御されるだろう。故に、幻術で隠れようとする一瞬の隙を突いた。高速の属性変更は、修行で得た力の一つだ。

 落ちていく椿姫の真下には一際大きな聖魔剣の刃があった。デュランダルのオーラが込められたそれは、当たれば一撃のもとに彼女を撃破に追い込める。

 

「甘いッ!」

 

 もっともそれは、当たればの話。

 床から伸びる刃が椿姫に突き刺さる直前、彼女の背後が爆発する。それによってあらぬ方向へ吹き飛んだ椿姫は空中で半回転し、不恰好に着地した。

 

「な……!?」

 

 驚く木場。

 痺れて動けなくなった椿姫は、魔力で自分自身を吹き飛ばすことで無理矢理回避に移ったのだ。

 確かに一撃リタイヤ無くなっただろうが、あのタイミングで自分を傷つけないように出力調整するなど不可能だ。今の行動は自殺行為にも等しい。

 現に彼女の身体は衣服も含めてボロボロで、足元はひどくふらついている。それでも、その瞳から戦意は消えていない。

 

「情けはかけない、これで決めるッ!」

 

 絶好のチャンスに駆けるゼノヴィア。

 デュランダルのオーラで強化されたアスカロンが、椿姫に迫る。

 しかし。

 

神器(セイクリッド・ギア)――『追憶の鏡(ミラー・アリス)』」

 

 椿姫の眼前に、装飾された大鏡が出現する。

 盾の如く彼女を守るそれに、聖剣が突き立ったその瞬間。

 

「――ッ!?」

 

 ゼノヴィアはとっさにアスカロンを捨てた。

 直後、割れる鏡から莫大な波動が放たれる。

 デュランダルを盾にそれを受けたゼノヴィアは、凄まじい勢いで店舗の一つに吹き飛ばされた。

 

「ゼノヴィア! ……カウンター使いか!」

 

 神器『追憶の鏡(ミラー・アリス)』。

 リアスより聞いていた情報とは違う能力だ。おそらくは訓練期間中に成長を遂げ、能力を発展させたのだろう。

 見た限り、受けた攻撃の威力を増大させて返す……と言ったところだろうか。かなり厄介な力だ。

 

(でも、だからこそ、連続では使えないはず……!)

 

 空中に浮かぶ木場は聖魔の短剣を連続で生みだし、椿姫目掛けて投擲する。

 予想通り、椿姫は神器を使わず薙刀だけで防御を行った。しかし痺れが抜けないのだろう、次第に傷ついていく。

 

「く……うっ……」

 

 苦悶の表情で薙刀を振るう椿姫。

 いくら威力に欠ける短剣であろうと、聖なる力を有している以上、当たれば少なくないダメージを与えられる。仮に彼女が連続で神器を扱えたとしても、この攻撃ならば木場の損害も少なく済む。

 

(このまま押しきる!)

 

 短剣を順次放ちながら、勝利の確信と共に椿姫に迫る木場。

 その時、耳元に何かが飛来する音が聞こえた。

 

「――!」

 

 手に握る聖魔剣を音の方向に払う。

 刃が切り裂いたのは圧縮された魔力弾。硬質なそれを剣に受け、木場は椿姫への攻めを止めてしまった。

 その隙に、霧の向こうへと消える椿姫。

 

「援軍か……!」

 

 悔しげに呟く。

 もう少しというところで、間に合わなかった。

 続けざまに襲い掛かる敵の射撃を躱すため、急いで降下した木場は店舗の物陰に隠れる。

 攻撃の方向を探しても、敵の姿は見つからない。床の聖魔剣が全て砕けたことで、霧はもう元通りになっていた。

 

「ぐっ……黒歌さんの水鏡(みずかがみ)を受けたことが無かったら危なかったな……」

 

 店舗の奥からゼノヴィアが現れる。

 奇しくも木場が隠れた場所は、彼女が吹き飛ばされた店だったらしい。

 姿を見たところ、ややふらついてはいるが健在なようだ。戦闘続行は十分に可能だろう。だが、戦況は思わしくない。

 

「限界だ。いったん退こう、ゼノヴィア」

 

「できればこちらも一人は討ち取っておきたかったが……仕方がない、か……」

 

 ゼノヴィアの顔は悔しげだが、内心の思いは木場も同様だ。

 聖魔の剣群をもう一度放てばまたチャンスを作れるかもしれない。しかしそれでは木場の消耗が激しすぎ、この後が続かないだろう。援軍の戦力も未知数であるし、リアスたちの状況も気にかかる。ここは、態勢を整えなおす場面だ。

 業腹ではあるが、ともあれ敵『女王』に大ダメージを与えたことを良しとするしかない。

 木場たちは駐車場方面から撤退することにした。ショッピングモールから戻るとなると、十中八九多数の敵増援と鉢合わせするからだ。

 

「僕が道を開こう。……まさか風属性の修行を重点的に行ったのが、こんなに活きるなんてね」

 

「ああ、頼む」

 

 聖魔剣から放たれた突風が退路を開く。

 逃げに徹した『騎士』二人は、見事敵の追撃を無傷で潜り抜け本陣へ戻ることに成功した。

 

 試合開始から十数分、ゲーム序盤はシトリー側優勢で始まったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

「こりゃまたのっけから大番狂わせだな」

 

 空中に投影されたモニターを見ながら、アザゼルが呟く。

 場所は冥界、魔王領のレーティングゲーム観戦会場――各陣営の重鎮が集う所謂VIPルームである。

 

 先ほど繰り広げられたゲームの展開を意外に思っているのはアザゼルだけではない。この場に集う人物のほとんどが、同様の驚きを抱いていた。

 下馬評通りならばリアスたちの勝率は八割以上。にもかかわらず、実際はソーナたちが圧している。

 ソーナたちが健闘しているのか、それともリアスたちが不甲斐無いのか。各人物がそれぞれ評価しながら、話に花を咲かせている光景がそこにはあった。

 

「しかしなんともまあ、うまい具合に戦況が固定されやがった。これ、リアスたち負けるんじゃねえだろうな?」

 

 それなりに関わって指導してきた身としては、彼女たちの現状に苦い表情を作ってしまう。

 その時、横合いから呟く声が聞こえた。

 

「……ん~、グレモリーは開幕から速攻をかけるべきだったね。これ」

 

 そちらを向けば、面倒くさげに椅子にもたれかかる青年の姿がある。

 四大魔王が一人、ファルビウム・アスモデウスだ。

 アザゼルの視線に気づいたファルビウムは、眠そうな表情で「何さ?」と言った。

 

「いや、悪魔きっての戦略家と噂される、お前さんの意見を聞きたいと思ってな」

 

「……やだよ面倒くさい。そっちだってわかってるでしょ?」

 

 答えるファルビウムは本当に面倒くさそうだ。

 相手も把握していることを説明するのが嫌なのだろう。アザゼルも気持ちだけはわかる。

 

「そう言うな、ファルビウム。私としても意見を聞きたいところだ」

 

 そんな彼にさらなる声がかかる。サーゼクスだ。

 傍らには喜色を湛えたセラフォルーもいる。妹たちの優勢が嬉しいのだろう。

 

「サーゼクスまでなんだよ……まあいいけどさ、これ喋ったら僕もう働かないからね」

 

 そんなダメ宣言をして、ファルビウムは話し始めた。

 

「……前提として、今回のゲームはグレモリーにとって良い環境じゃない。それはわかるよね」

 

 話を聞く面々は頷く。

 リアスたちの持ち味は、メンバーを見て一目でわかる高火力だ。

 赤龍帝のパワーを筆頭に、聖魔剣、デュランダル、雷光、滅びの魔力と決め手には事欠かない。しかし今回のゲームでは、今まで経験の無い閉所での屋内戦であることに加え、被害を抑えなければならないというルールによりそれらの強みは活かしきれない状況がある。

 

「多分、力を出し切れるのは『騎士』の男の子と『戦車』の女の子ぐらいじゃないかな。ああ、あとは『僧侶』の二人は関係ないか」

 

 強大過ぎる赤龍帝の力は言わずもがな、雷光も消滅魔力も外れれば確実に大きな破壊を及ぼす。デュランダルは制御ができていない時点で論外だ。

 つまるところグレモリー眷族は、戦う前から攻撃力が制限されている状態だった。

 匙の雷光返しが成功したのも、朱乃が全力を出し切れなかったことが大きい。

 

「それに対して、シトリー眷族はどうも閉鎖空間での集団戦闘に慣れてるみたいだ。いや、どちらかと言うと障害物が多い場所での戦闘かな? 反応・判断・行動の全てが速い。なんというかアレだね、当たったら死ぬ、みたいな気迫を感じる。軍隊か何かで訓練でも受けたのかな、対応力だけならプロ並みだ」

 

 ソーナたちは決定力に欠けるものの、全員が安定した能力を持ち、それ故に屋内戦闘を苦にしていない。チームワークも素晴らしく、互いに目を合わせず、声も掛けずとも絶妙な連携が取れている。

 全力を出し切れる者とそうでない者が戦えば、よほど大きな戦力差が無い限り前者に有利なのは必定。将来的にはともかく、現状そこまでの差は両チームの間に存在していなかった。

 

「それに、グレモリー側は作戦を読まれてたのが痛い」

 

 今回リアスが立てた策は別段間違ったものではない。

 ゲームを行うに当たって重要な『王』と『女王』を奥に下げ、サポート役の『僧侶』たちは前に出さないというのはセオリー通りと言える。

 しかしだからこそ、それをソーナに読まれた。

 

 リアスは馬鹿ではない。それ故にいきなり全員で突撃するような、思考を放棄した脳筋戦法はとらないだろう。

 そもそも今回、グレモリー側はそういったパワープレイを許されていない。

 この戦いは彼女たちの『王』としての資質を周囲に見せつける意味合いもある。何から何まで眷族の性能に頼っていては、まったく評価につながらない。あの赤龍帝がいるのだから、力押しで勝てるのは当たり前だと思われてしまう。

 それを考慮して、しかし眷族たちの高い攻撃能力を活かす以上、攻め入ってくることは確実。おそらくアタッカーを二手に分けて、片方を陽動、もう片方を本命にするだろう。ソーナはそう読んだ。

 

「本当は全員で突撃された方がシトリー側にとって都合が悪かったはずだ。彼女たちは策を張り巡らせるタイプだから、力押しで速攻されると準備時間が無くなって、それだけ不利になる。地力では負けてるし、最悪その時点で敗北することもあるかもしれない」

 

「だからこそ、シトリー側から速攻を仕掛けたのか」

 

 サーゼクスの言葉にファルビウムは首肯する。

 匙たち多勢による速攻は、敵の出鼻を挫き、あわよくば『王』を討ち取る以外にも、相手の総攻撃を防ぎ時間を稼ぐ意味合いがあった。

 

「そうだね。まあ結果としては予想通り二手に分かれてて、そのせいでグレモリーは『僧侶』を獲られた。『騎士』が戻れば防げたはずだけど、その『騎士』たちも本陣側に誘導させられた形だ。中々うまいよね」

 

 木場たちが巡と遭遇した地点は、グレモリー本陣とシトリー本陣のちょうど中間地点にあたる。

 2階から1階に到達したことで、気分的には敵本陣に近いと感じていただろう。

 相手の守りは確実に薄くなっている状況。自然、敵を追いかけるよりも、このまま本陣に押し入って『王』を獲った方が速いのではないか、と考えてしまう。

 

「赤龍帝……イッセーがモール側にいたのも大きいだろうな。グレモリー眷族は、あいつに依存している傾向がある」

 

 アザゼルが補足する。

 彼ならばなんとかできると言う信頼感もあるだろうが、まさかソーナたちが赤龍帝を無視するとは思ってもいなかったに違いない。

 ファルビウムは続ける。

 

「極め付けはあの霧だ。あっちは見えなくて、こっちは見える。単純だけど非常に有効な戦法だよ。多分、前々から用意してたか、使ってたのかもしれないね。グレモリーの『騎士』たちが相手の『王』を獲れなかった時点で、フィールドは全てシトリーの戦場になった」

 

 いくらリアスや朱乃が優れたウィザードとしての素質を持っていようと、あれだけ丁寧に魔力が練り込まれた霧を見通すには実力もそうだが経験が足りない。

 

「霧を回避しようにも閉所だからね。これが外なら範囲外から絨毯爆撃って手もあるんだろうけど、逃げ場が無いんじゃどうしようもない。一人獲られちゃってるから、動かなければ判定負け確定の状況だし、もうグレモリー側に出来ることは全員で突撃かけて、それこそ総力戦に持ち込むしかないんじゃないかなぁ」

 

 このまま何もしなければ、時間切れで判定に持ち込まれるか、気付かないうちに各個撃破されるのがオチだ。

 それならば、こちらから攻撃を仕掛けることで多少なりとも主導権を握らなければならない。それがたとえあちらの思い通りだったとしても、戦闘力だけならば依然としてグレモリーに分がある。勝てる見込みを作るとしたら、その方法しかない状況だった。

 問題は、シトリー側がまともに戦ってくれるかだが……。

 

「ふむ、シトリーはそれに応じるか?」

 

 サーゼクスが問う。

 

「応じるだろうね」

 

 ファルビウムは答える。

 そして続けた。

 

「判定勝ちなんて消極的な勝利も、評価の上昇にはつながらないからね。序盤を制したからこそ、それ相応の試合運びが要求される。観客の期待、ってやつさ。グレモリーが動かなければ攻めてくるだろうし、動けば当然それに応じて迎撃するよ。まったく、面倒くさいよねぇ……」

 

 眠たげに瞑目するファルビウム。

 

「……そんじゃ、以上お仕事終了。僕もう休むよ」

 

 そう言ったのを最後に、彼は黙った。

 だらしなく椅子によりかかるさまは怠惰そのものだ。魔王の威厳など欠片もありはしないその姿に、アザゼルは思わずため息を吐く。自分のいいかげんさは棚に上げた形だ。

 

「どちらにせよ、このまま時間切れを待つことだけはあり得ないってことか。しかし下馬評の勝率とは逆の状況になるとはなぁ……。大体、あの神器は何だ。あそこまで成長した『黒い龍脈』なんて見た事ねえぞ。いったい何やりゃあんなことになるってんだ?」

 

 巡巴柄の急成長やら色々と注目すべき点はあるが、アザゼルが最も気になるのはそこだ。

 神器使いが短期間で異常な成長を遂げる例はそれなりにあるものの、あれはもはや「成長」と言うより「進化」に近い。ともすれば禁手と間違えそうなほど、基本性能が向上している。

 

「きっと修太郎くんのおかげね! ソーナちゃんをコロコロしかけた時はどうしようかと思ったけど、やっぱり頼んでよかったわ☆ あとでお礼言わなくちゃ!」

 

 ゲーム開始当初のハラハラした様子は吹き飛んで、満面の笑みを浮かべてはしゃぐセラフォルー。

 ちなみに彼女はシトリー眷族がこうなるに至るまでの過程をそこまで詳しく知らなかったりする。

 

「む、そう言えばその修太郎くんが見えないようだが……」

 

 セラフォルーとは対照的に妹を思って苦い顔になるサーゼクスだったが、話に出た当人の姿が見つからないことに気付いた。

 

「ああ、俺もさっきから探してるんだがな……。ゲーム開始前までは黒歌と一緒にいたのを確認してたんだが……」

 

 アザゼルも同じく修太郎がいないことに気付いていた。

 今回のゲームを観戦するにあたって、一応修太郎たちもVIP待遇で招待されている。そして彼はそれを受け、ここにやってきたはずなのだ。

 

「そやつなら、ゲームが開始されてすぐ部屋を出て行ったぞい」

 

 突如として背後から声がかかった。

 振り向けば、そこには古びたローブの老人がいた。

 隻眼と床まで届くほど長い白髭が特徴的なその姿は、まぎれもない北欧神話の主神、オーディンだ。背後には赤毛のヴァルキリーを侍らせている。

 

「――オーディン。暮の行き先はわかるか?」

 

「わしが知るわけないじゃろ。ただ、ここは息が詰まるとだけ言っておったな。挨拶もそこそこに、そのままロスヴァイセを連れて行きおった」

 

「息が詰まる、か……まあわからんでもないがな。 つーか、ヴァーリもどこいった? まったく、あいつら自由すぎるだろ……」

 

 おそらく修太郎たちがそれを聞けば「あなたには言われたくない」と答えるだろう発言をして、アザゼルはため息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

「良い滑り出しだ」

 

 モニターで繰り広げられた戦いを見て、修太郎は言う。

 

「そうですね。順調に戦えています」

 

 それに答えるのは対面に座るロスヴァイセだ。

 

「うにゃー……何やってんのよう、あの子たち。このまんまじゃ負けちゃうにゃん」

 

 修太郎の隣に座るのは黒歌。テーブルに突っ伏しながら、不満げな表情でそう言った。

 

「大体何よ、そっち滅茶苦茶いい動きしてるんだけど。いったい何をやったにゃん?」

 

「……スカアハ殿が影の国で俺たちにやったことと同じことをしただけだ。特別なことは何もしていない」

 

 いつも通りの仏頂面で答える修太郎。

 しかし黒歌は信じられないとでも言うように表情を変えた。

 

「それってアレでしょ、ギリギリで絶対躱せない、防御できない攻撃を放って『凌げるようになるまでボコるわ』って言う頭のおかしいやつでしょ?」

 

「ああ、少しでも手を抜いたり油断をしたりすると致命傷を負うアレだ」

 

「本気でやらないとソーナさんがやられちゃいますから、みなさん必死でしたね……」

 

「……バカじゃないの?」

 

 黒歌の顔には呆れの感情が満ちている。

 ある程度実力がある相手ならばともかく、未熟な子供相手に施していい訓練ではない。特に『兵士』二人はつい数か月前まで一般人だったのだ。

 

「だが限られた期間で効率よく戦力を上げるならば、肉体的な鍛錬よりも実戦での対応力が重要となる」

 

 秀才の集まりであるシトリー眷族に対して、グレモリー眷族は天才・異才の集まりだ。

 単純に性能を磨き上げるにしても、期間が定まっている以上はどうしても限界がある。あちらとて怠けてはくれないのだから、才能で負けている状況がある限り、まともにやっても到底超えることなどできないだろう。ならば別方面からのアプローチで戦力を高めるしかない。

 

「だからって……下手すれば再起不能じゃない」

 

「だがそうはならなかった。彼女たちの覚悟は相当なものだ」

 

 ソーナ・シトリーには夢があるのだと言う。

 ――下級悪魔でも通えるレーティングゲームの学校を作る。

 それが果たしてどれほど難しく、意義があることかなど修太郎は知らない。

 しかし、その目標に命を懸けると言う彼女たちの決意は、まぎれもない強さだろう。

 

 毎度のこと骨を折られ、血を流し、時には身体の一部を切り離され、人によってはしばらく流動食しか食べられない有り様になり、毎夜幻痛にさいなまれるような日々を送っても、彼女らは挫けなかった。

 それほどの価値があると信じるものを、ソーナたちは持っているのだ。

 

「あの『騎士』の子の異常な反応速度もその成果ってことにゃん?」

 

「巡のことか。そうとも言えるが、アレは俺も予想外だった」

 

「ふぅん……まあ、シュウの方はもういいにゃん。ロスヴァイセは何を教えたの?」

 

「私は、大体予想はつくでしょうが魔法をいくつか。とはいえ基礎理論からなので、そこまで多様な術式は教えられません。だから攻・防・補の基本三種と、それぞれ個人の役割に合った魔法をピックアップして指導しました」

 

 攻撃に関しては、前衛は障壁破壊、後衛は魔法射撃。

 防御に関しては、前衛は身体保護、後衛は魔法障壁。

 補助に関しては、前衛は反応強化、後衛は治癒促進。

 『王』であるソーナと『女王』である椿姫に関しては、これら全てを習得している。

 

「『騎士』の女の子がアーシアちゃんの防護壁を破ったのは、障壁破壊に特化させたからね?」

 

「ああ、巡の剣は速いが軽い。強力な盾の前にはどうしても止まってしまう。だから彼女には他のメンバーよりも強力な障壁破壊魔法を持たせた。特に北欧式を狙い撃ちにするものだ。お前が防御術式を教えるなら、北欧式との混合術が最も確率が高いと踏んだんだが、合っていたようだな」

 

 黒歌が習得している術式体系は、感覚的な才能に頼るものが非常に多い。他者に教えるなら、綺麗に体系化された北欧式が最も適しているのだ。

 修太郎はいつも通りの無表情だが、どことなく面白げな雰囲気があるのをロスヴァイセは感じた。「してやったり」という風に見える。

 黒歌も同じように感じたのだろう、「悔しいにゃ~!」と一度叫んで、修太郎の太ももを抓ろうとする。しかしながら、筋肉の詰まった彼の身体に抓めるほど余分な肉はない。仕方がないのでねこぱんちを放つ。

 

「それなりの障壁を張れるのが『王』と『女王』だけだったから、せっかくアーシアちゃんで防御を強化したのに~!」

 

「もっと強力な術を教えられてたら危なかったがな。お前が北欧式の勉強を怠っていたのが悪い。オーディン殿から貰った教本は、こっちで有効活用させてもらったぞ」

 

 気脈を乱す黒歌のぱんちを気功で受け流しながら、修太郎は古びた装丁の本を見せた。

 向こう一か月ほど彼女が放置していた北欧魔術の教本である。

 上級魔術までを全て網羅しているという触れ込み通り、これには非常に多様な術式が記述されている。ロスヴァイセはその内容を参考にしてシトリー眷族の指導に当たっていた。

 魔術書を見て、驚く黒歌。

 

「あーっ! 無いと思ってたらシュウが持ってたにゃん!? 探してたのに!」

 

「こんな危険物を居間に放っておくな。今度からはちゃんと保管しておけ」

 

 そう言って、置くように本の表紙で黒歌の頭を叩く。

 もぎ取るように本を抱えた黒歌は、急いで自身の亜空間にそれをしまう。

 

「ふーんだ、でもグレモリーの反撃はここからにゃん! これで勝ったと思わないことね!」

 

 そう悪態を吐いた。

 すると、修太郎たちより少し離れた席にいる人物が口を開く。

 

「確かに、これからが見ものだな。予想を裏切る展開になればいいが」

 

 暗い銀髪の少年は、ヴァーリ・ルシファーだ。

 腕を組みながら椅子に座ってモニターを見ている。

 

「お前がいるとは予想外だが、どういう風の吹き回しだ、ヴァーリ」

 

「アザゼルに誘われたんでね。兵藤一誠の成長も気になったことだし、サジ……と言ったか。そっちの方の仕上がりも見てみたかった。第一その件に関しては、まだキミから報酬をもらっていないぞ」

 

「ああ、すまんな。それについては後で話そう。それで、どうだ?」

 

「兵藤一誠は……どうかな。体術はそこそこやるようになったみたいだが、実際に見てみないことにはオーラも測れない。サジの方は中々予想外な進化を遂げている。今頃アザゼルは驚いているだろう」

 

 修太郎の問いにヴァーリは楽しげに答える。

 

「元士郎がああなったのはお前と戦った後だからな。今のあいつはそれなりにやるぞ」

 

「それは良い。禁手はまだなんだろう? 将来が楽しみだ」

 

 くくっ、と笑うヴァーリ。

 彼にとって、強者が増える事は望むところなのだろう。

 

「というか」

 

 そんな彼らに横合いから声がかかる。

 

「ここVIPルームじゃなくて警備室なんだけど、なんでおたくらここにいるのさ」

 

 呆れたような疑問の声を上げるのは茶髪の青年。

 ルシファー眷族の『兵士』ベオウルフである。

 彼は今回のゲームを開催するにあたって、観戦に訪れたVIPたちを守る警備担当の主任としてここにいる。

 修太郎たちは一応VIPとして登録された人物だ。それが揃いも揃っていきなりやってきたのだから、戸惑うのも無理は無かった。他の警備担当者も、修太郎たちに怪訝な目を向けている。

 そんな彼らの疑問に対し。

 

「あそこにいては何かと面倒なので」

 

「シュウがここに行きたいって言うから」

 

「私は黒歌さんに連れられて」

 

「俺もあそこは息が詰まる。こちらの方が気が楽でいい」

 

 答える4人。

 確かに彼らは全員が全員とも立場的に微妙な人物だったりする。気持ちはわからないでもなかった。

 

「まあ、いいけどさぁ……。邪魔だけはしないでくれよ」

 

 逆に考えれば、警備室にいることで彼らだけは確実に警護できるということになるのではないのだろうか。はたして彼らにそれが必要なのかどうかは別として。

 

「しかし、姫さまたち良くない状況だなぁ。シトリー側の『兵士』は昇格(プロモーション)済みだろ?」

 

 リアスについてはサーゼクス繋がりでそれなりに知っている。ベオウルフとしては彼女に勝ってもらいたいのだが、なかなか難しそうだ。

 

「そうですね。元士郎は『僧侶』、仁村は『騎士』になっているはずです」

 

「『僧侶』と『騎士』? 『女王』じゃないにゃん?」

 

 修太郎の説明に、疑問の声を上げる黒歌。

 『兵士』駒の売りは昇格(プロモーション)による駒特性の変化にあるが、普通は『女王』一択になるはずだ。

 

「確かに『女王』化による全能力の強化は魅力的だが、あれは今の元士郎たちには扱いきれない」

 

 修太郎の返答に、卓越した『兵士』であるベオウルフは同意するように頷いた。

 

「そうそう。『女王』の力を制御するにはコツがいるんだよ。いきなり出来ることが増えるから、初心者が完全に使いこなすのはキツいものがある。役割があるならそれに合わせた昇格の方が色々うまくいくんだな」

 

「へぇ~」

 

 元々は『僧侶』としてゲームに参加していた頃もある黒歌だが、他の駒が持つ特性まで詳細に把握しているわけではない。新しく知った事実に、感心の声を上げる。

 

「仁村は瞬発力――特に回避に優れ、遊撃に向く。故に『騎士』。元士郎は神器を精密制御するために、絶えずオーラを流動的に操る必要がある。故に『僧侶』。どちらとも『女王』の使用はしっかりと鍛錬を積んでからだ」

 

 模擬戦でも当初は『女王』に昇格して戦っていた匙と仁村だが、力の流れが散漫であることを修太郎に指摘され、ソーナの判断で今のようなスタイルとなった。

 本家『女王』の駒である椿姫でさえ、三種の駒特性を十分発揮できるようになったのはつい最近のことだ。悪魔に転生して数か月程度しか経過していない匙たちでは、よほど才能が無い限り『女王』を使いこなせないだろう。

 

「あっ、グレモリー側に動きがあるようですよ」

 

 ロスヴァイセの声に、全員がモニターへと目を向けた。

 レーティングゲームも中盤、下手すればそのまま終盤(エンディング)にもつれ込むだろう、決定的な戦いが始まる。

 

 

 




たいへんお待たせしました。更新です。
ゲーム序盤後半についてと解説的な話。
まさか何度も書き直す羽目になるとは思わなんだ。

リアスたちは縛りプレイ入ってるのに相手はまともに戦っても強敵と言う……。
まとめれば、両者とも訓練期間が同じである以上、単純なスペックはやはりリアスとその眷属たちが上ですが、ソーナたちは頭のおかしい訓練で得た経験とテクニック、あと戦術で互角どころか立場は逆転している状況です。
ちなみにたとえグレモリー側が開幕イッセー禁手化+全員突撃かましても、確実に半数は獲られます。あっちには強力なカウンターがあるからしょうがない。
主に主人公と魔人のせいでリアスたちハードモードに突入してますね。一応強化はされているはずなのですが……。

次回は総力戦。いやはや、集団戦闘は難しい。


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第四十話:グレモリー対シトリー《その3》

「――来ましたか、リアス」

 

 ソーナ・シトリーは、霧の結界に何者かが侵入してきたのを感知した。

 元来、この霧は暮修太郎との模擬戦で彼を打倒するべく編み出したものだ。

 時間をかけて大量の魔力を込め作り上げた結界は、もはや彼女の一部に等しい。見るのも聞くのも自由、とまでは流石にいかないが、誰がどこにいるか程度の情報は把握できる。

 既にデパート内の8割強を霧の中に沈めた今、ゲームフィールドはソーナに掌握されたと言っても良かった。

 

「各員、通達。グレモリーが攻めてきます。備えなさい」

 

『了解!』

 

 通信機器の向こうから、眷族たちの声が返ってくる。

 ここまではいい出だしだ。『王』は獲れずとも敵の回復要員を潰すことに成功し、地の利はこちらにある。総合戦力的にもそこまでの差は無い。訓練期間前までは2割あるかどうかといった勝率は、数倍に跳ね上がっていた。観戦者たちにとっては大番狂わせもいいところだろう。

 これもあの血反吐を吐いて止まらない狂気の訓練の成果……と考えるとまことに遺憾ではあるが、ともあれ暮修太郎とロスヴァイセに感謝したい。

 このゲームは勝てる。だが――。

 

『第一ライン、対象接触。トラップの発動を確認……突破されました』

 

『第二ライン、対象接触。迎撃開始します』

 

『先頭は木場祐斗、並びに兵藤一誠。事前に仕掛けたトラップは大半回避・破壊されました。……会長』

 

「ええ、どうやら周囲が見えているようですね」

 

 木場やゼノヴィアのような達人であれば、視界が潰されようとあるいは敵意に反応して防御することができるだろう。

 そのために意思を持たない攻撃――店内の資材を用いて作ったブービートラップを彼らの進路上に仕掛けたのだが、しかしそれすら看破するとなれば、リアスか朱乃が霧の視覚妨害を破ったと予測できる。しかし。

 

(――いえ)

 

 違う、とソーナは判断する。

 いくらリアスでも短期間でこの霧を完全に破ることは難しい。単純な透視術で突破できるような甘い構成ではないのだ。できてせいぜい視認距離を伸ばす程度だろう。

 思考するソーナに、『僧侶』草下憐耶から報告の通信が入った。

 

『敵の周辺を蝙蝠が飛んでいます。おそらくは……』

 

「なるほど、ギャスパーくんですね」

 

 封印されていた『僧侶』ギャスパー・ヴラディ。

 彼のポテンシャルならば、それも可能である。

 たとえば、蝙蝠(こうもり)の超音波を用いてソナーのように周囲を把握することもできるだろう。それだけでは精密な探知は望めないが、魔力によって増幅強化すればその限りではない。吸血鬼の多様な能力を考えれば、それだけではないかもしれないが。

 

『撃ち落とします』

 

「許可します」

 

 草下の申し出を承認する。

 普通の敵ならば、まだ少し対応に時間がかかるはずのところだ。やはりグレモリー眷族のポテンシャルは侮れない。

 しかし、それでも。

 

「勝つのは私です」

 

 自らの意志を示す第一歩たるこの試合、たとえ親友の評価を地に落とそうとも必ず獲る。

 霧の魔力構成を強めながら、ソーナはそう呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 濃霧の中、ギャスパー・ヴラディは周囲を探る。

 彼の知覚は、辺りの地形をはっきりと把握していた。

 

 吸血鬼は弱点の多い種族であるが、その代わりに様々な能力を備えている。

 例えば無数の蝙蝠に化ける力、動物に変身する力、影を操り物理的な干渉力を働かせる力、視線を合わせるだけで相手を惑わし、風や雷などの自然現象すら操れる者もいる。それら強力な異能の数々は、彼らを『怪物』の代名詞として認知させるに足るものだ。

 ギャスパーが今使っている能力もそんな内の一つ。

 すなわち、霧や蒸気に姿を変える能力である。ソーナの霧に紛れる形で知覚範囲を広げたギャスパーは、ショッピングモールを駆ける眷族たちを包み覆いながら周囲の様子を伝えていた。

 

 蝙蝠の音響探知(ソナー)を併用しての索敵探知が、塞がれた視界を補って余りあるほどの情報を運んでくる。

 複数の能力を同時に使うなど、以前の自分であれば絶対に出来ない真似だ。しかし今のギャスパーならば、十分可能なことだった。

 

『――蝙蝠が狙われてる』

 

 自分の中から声がする。

 直後、霧を突き破って圧縮魔力の塊が飛来した。

 だが、事前の声に従い回避行動をとっていた蝙蝠には当たらない。

 

 こうして時折、語りかけてくる何かをギャスパーは感じていた。

 漠然と、しかし確実に、自分とは別の視点が存在している。

 それに気付いたのは黒歌たちとの修行中。きっかけは、会談での一件――魔人と接触したことが原因だろう。

 正体不明の声に対し、不思議と恐ろしさは無かった。むしろそれ(・・)があることこそ自然だと、根拠のない確信があった。

 その影響だろうか、ギャスパーは自身に備わる吸血鬼の異能を十全に扱えている。黒歌たちと行った修行は順調すぎる程に彼の力を高め、即席の戦術すら成立させるまでに至らせていた。

 

 おそらく先ほどの攻撃を放ったのは、シトリーの『僧侶』草下憐耶。索敵中、ギャスパーの行動を妨害してきた人物だ。

 彼女が放ったガーリックパウダーの爆弾は非常に効いた。もしも猫又姉妹の執拗なニンニク押しを乗り越えていなければ、あれで落ちていた可能性が高い。

 思い出して、思わず草下がいるだろう方向に意識を向けるギャスパーだったが――自身の知覚に脅威が触れる。

 同時に無数の魔力弾が後方を走るリアスたちに降り注いだ。敵の攻撃だ。

 

 偏差をつけて放たれた光弾の雨は、恐るべき速度と正確性でリアスたちを狙う。

 その猛威を前に、しかしこちらとて黙ってはいない。

 

「――やらせません」

 

 白髪の小柄な体躯が躍り出る。小猫だ。

 手に握る車輪が高速で回転し、燐火撒き散らす炎の盾となって迫る猛撃を防ぐ。

 

「ふっ!」

 

 殿(しんがり)を走るゼノヴィアがデュランダルを薙ぎ、迸る波動をうまい具合に調整しつつ撃ち漏らしを処理していく。

 

 相手の攻撃はまだ終わらない。今この状況において、狩人はあちらなのだ。再び草下の圧縮魔力弾が放たれる。

 距離が近づき精度が増したからか、ギャスパーの蝙蝠は回避が間に合わずに数体ほど塵と消える。それを確認した直後、ギャスパーがいる周辺の空間が大きく弾けた。

 

『うあっ!?』

 

『――バレたね』

 

 霧になっているギャスパーに対し、圧縮魔力弾のような単発攻撃は効きにくい。しかし広範囲に威力を撒き散らすものならば話は別だ。

 影でダミーを作って走らせているためもう少しぐらいは誤魔化せると思っていたのだが、敵も甘くないと言うことだろう。炸裂弾を織り交ぜてこちらを潰しに来ていた。

 高速で飛来しては宙で弾ける魔力の衝撃に、たまらず姿を戻すギャスパー。

 着地したところを狙撃されるが、木場の聖魔剣が攻撃を弾き飛ばした。

 

「大丈夫かい?」

 

「はいぃ、な、なんとか……」

 

 その時、赤い光が眩く目に飛び込んできた。一誠の籠手が禁手化(バランス・ブレイク)のカウントを終えたのだ。彼の服がところどころ焦げているのは、今まで敵の攻撃をかわしていたからだろう。

 一誠はそのまま籠手を前方に突き出す。

 同時にギャスパーは再び霧と化し、リアスたちの傍に退避する。

 

「待たせたな! 輝け、ブーステッド・ギアァァッ!!」

 

Welsh(ウェルシュ) Dragon(ドラゴン)Balance(バランス) Breaker(ブレイカー)!!!!!!』

 

 赤光が解き放たれるとともに、迸る龍の波動が周囲の霧を大きく吹き飛ばす。

 嵐のような奔流は、まさしく力の権化。紅蓮のオーラが一誠の身体を覆うと、一瞬にして鎧を形成していく。

 

 禁手(バランス・ブレイカー)赤龍帝の鎧(ブーステッド・ギア・スケイルメイル)』。

 

 制限時間はMAX45分。

 城塞の如き堅牢な外殻が、龍帝の名を冠するが通り威風堂々と莫大なパワーを発散していた。

 一歩踏み出すだけで床を砕きそうな圧倒的オーラ質量だ。並の悪魔であれば、目にするだけで戦意を失うほどの力強さが秘められている。

 

「うおおおおぉッ!!」

 

 背部の噴出口から魔力を噴き出せば、生まれた推進力が凄まじい加速を生む。

 真っ赤なオーラで霧のベールを引き裂きながら、一誠は疾走した。

 

「今よ! ――朱乃!」

 

「ええ!」

 

 その衝撃で生まれた空白地帯を、朱乃の補助を受けたリアスが魔力の膜で覆っていく。

 今の今まで練り込まれていた力が見事にソーナの霧を押しとどめ、紅の不可侵領域を作り上げた。前方に大きく突き出たその領域は、リアスの魔力制御に従って形を変え、半径20メートルほどの半球形となる。

 

「ひとまずの視界と、戦う場所の確保完了……ってところね。でも――」

 

 問題はここからだ。

 霧を排除したからと言って、安全地帯を得たことにはならない。

 

「くっ、なんて正確な射撃……」

 

 結界形成の補助から離れ、防御に加わった朱乃が声を漏らす。

 

 リアスを基点に展開された紅の結界には、防御能力が付与されていなかった。

 敵の射撃は正確無比、移動しているのか何か他の仕掛けがあるのか、射線から場所が特定できない。すくなくとも、ギャスパーの索敵範囲外にいるのは確実だろう。

 つまり、進むしかない状況だ。

 元より身の安全を優先して閉じこもることに意味は無い。グレモリーの得意分野は攻めにある。そのために防御能力を排除して移動式の結界を構築したのだ。

 

「さあ、行くわよ!」

 

 『王』の声に従い、眷族たちは駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 濃霧を引き裂きながら走る影が二つ。

 赤龍帝の鎧を纏った一誠と、聖魔剣を携える木場である。

 二人はショッピングモール中央を目指していた。

 

 彼らの主な役目はリアスたちが通る道の開拓と敵戦力の誘引、そして可能であるならばソーナの撃破を行うことにある。

 禁手となり絶大なパワーを発揮する一誠と、彼の足りない部分を補える木場のコンビは相手にとって非常に大きな脅威だ。普通であれば無視などできない。普通であれば、だが。

 

 ソーナが二人を無視して、リアスのみを狙う可能性は十分あり得る。

 それでもリアスが彼らを突撃させたのは、戦場の流れを少しでも自分たちに傾けさせるためだった。

 グレモリー眷族は攻めに特化した構成のチームだ。その関係上、どちらかと言うと防衛戦は苦手としている。

 しかし攻め手としての資格を取られた今、後手に回っていてはあちらの思うツボに嵌まり、消耗戦を強いられるかもしれない。そうなれば、地の利を奪われたリアスたちは圧倒的に不利だ。

 

 そもそも、敵眷族を何人撃退しようと『王』であるソーナを獲れなければ意味が無い。長期戦は明らかに不利となるこの状況を打開するには、イチかバチかの賭けだったとしても攻めに回る人材を捻出するしかないのだ。

 ここが正念場である。

 

「くっそー、全然前が見えねえ。敵なんてどこにいるんだ?」

 

 走りながらぼやく一誠。

 迸るパワーを出来る限り抑えながらの行軍は、その類の訓練を積んでいない彼にとって一苦労だった。

 そのわずか後ろを並走する木場が口を開く。

 

「前よりも霧が濃くなってる……いや、多分だけど視界攪乱の効果も盛り込んだんだろうね。僕らが突入した時はあれでもまだ薄かったみたいだ」

 

 事前にリアスたちから霧の中を見通せるようになる魔力をかけられ、この突撃に臨んでいる彼らだったが、ソーナの霧はその程度で破れる代物ではないらしい。

 最低限の視界は確保できるようになったものの、完全には程遠い。流石はシトリー家時期当主、と言ったところだろう。

 

「うおっ!」

 

 何かが身体に引っかかる感触を感じた一誠は、直後に鎧を叩く衝撃に身をのけぞらせた。

 立ち止まった木場が、足元に転がった何かを拾う。

 

「トラップだ。これは……魔力で強化された釘だね。そこまで大きな威力は無いけど、僕みたいなタイプが直撃を喰らえばダメージは免れない」

 

「さっきから思ってたけど、どこの軍隊だよ……。鎧があって良かったぜ」

 

 ほっと一息吐く一誠だったが――。

 

「危ないイッセーくんッ!!」

 

 神速の聖魔剣が閃くと、白い背景に火花が散る。

 一誠の首筋目掛けて走った鋼は、寸でのところで木場の刃に受け止められていた。

 緩やかに反った片刃の白刃――日本刀の輝きが、一誠の目に映る。

 それを握るは華奢な人影、『騎士』巡巴柄。

 

「――ッ!!」

 

 振り向きと同時に裏拳を放つ一誠だったが、あっけなく避けられてしまう。

 飛び退る巡に、追撃をかける木場。両者の姿は瞬く間に霧の中へと消えていく。

 剣戟の音がこだまする。その向こうから木場の声が飛んだ。

 

「イッセーくん、先に行ってくれ! 彼女の相手は僕がする!」

 

「……ああ、わかった! やられるんじゃないぞ!」

 

 その言葉に返ってくる声は無かったが、依然として止まない鋼の音を背に一誠は駆け出した。

 しばらく進み、そして――。

 

 一面の白い景色を突き破り、黒腕の連撃が唸りをあげて迫る。

 横合いから突如として現れたそれらを、一誠はとっさに腕を交差させることで防いだ。しかし、人型では不可能なしなり(・・・)を入れて放たれた敵の攻撃は、勢い以上の重さを以って鎧もろとも身体を吹き飛ばす。

 素早く体勢を立て直して攻撃が来た方向を見れば、見知った男子生徒の姿があった。

 

「悪いな、ここは通さねえぜ」

 

「やっぱお前が出てくるかよ、匙!」

 

 霧の向こうから歩いてくるのはシトリーの『兵士』、匙元士郎。

 右腕を覆う『黒い龍脈』から伸びた無数のラインが、都合六つの腕を形作っている。

 

 匙の身体が横に揺れ、白い霧に姿が消えた。直後、側頭部に衝撃が襲い掛かる。

 

「――ッ!?」

 

 霧の向こうから大きく迂回した黒い腕が一誠を殴りつけていた。

 ダメージは然程もないが、思いがけない方向からの攻撃に気を取られた刹那――。

 

「隙ありだぜ、兵藤ッ!!」

 

 匙の急接近を許してしまう。

 神器に覆われた右拳が、鎧の腹部を剛打する。深く腰の入った一撃は、一誠の身体を大きく後退させ、そして次の瞬間再び引き寄せた。

 

「なっ!?」

 

 打撃を受けた一誠の腹部には、『黒い龍脈』のラインが接続されていた。その伸縮によって、一誠の後退を妨げたのだ。

 

「おりゃあっ!!」

 

 しなる黒腕のアッパーが、一誠を空中へ打ち上げる。

 そうして気合と共に繰り出される黒腕の連打、連打、連打。

 ラインで編まれた腕のリーチは人間のそれを遥か超えている。宙を舞う一誠に反撃は許されなかった。

 赤龍帝の力を吸収することで、匙の拳は刻一刻と威力を増す。鎧の上から伝わる衝撃が一撃ごとに激しくなっていくのを感じていた。

 

(くそっ、このままじゃまずい!)

 

 鎧が砕かれるその前に、噴出口から魔力を噴かす。

 発生した大推力によって飛翔する一誠だったが、ラインで繋がる匙もそれに追随して飛び上がった。

 急激な加速が匙の連撃を止める。その隙に腹部のラインを掴み、引き千切ろうとする一誠。しかし、複数が寄り合わさって構成されたそれは、中々千切れない。

 

「それなら……!」

 

Boost(ブースト)Boost(ブースト)Boost(ブースト)!!!!!』

 

 倍化の音声が響くと同時、増大したオーラの波動が匙の身体を叩く。

 

「これで、どうだッ!」

 

Transfer(トランスファー)!!』

 

 力を譲渡するのは、一誠が掴む黒いライン。

 序盤戦で匙が店の電球を破壊した時のように、過剰な力の供給で相手の神器を機能停止(ショート)させる作戦だ。

 しかし――。

 

「甘いぜ兵藤ッ!」

 

 凄まじいまでの力が匙の右腕に伝達された瞬間、腕の装甲がその継ぎ目を大きく開かせた。

 同時にそこから赤い粒子――余剰分の力が吐き出されていく。それによって、一誠が期待した神器のショートは起こらなかった。

 

『馬鹿な……!? それはアルビオンの……!』

 

 ドライグが驚きの声を上げる。

 匙の『黒い龍脈』が行った働きは、本来であれば神滅具『白龍皇の光翼(ディバイン・ディバインディング)』が持つ機能の一部だったからだ。

 

「返すぞ兵藤……喰らえッ!!」

 

 ラインで編み上げられた六つの黒腕が一つとなり、一際巨大な拳を形成する。

 濃霧の向こうから見えるシルエットはまさしく巨人のそれ。その威容から発せられるプレッシャーに、一誠の目が見開かれた。

 鎌首もたげるかのように拳を引き絞り、そうして溜めこんだ力が開放されれば、大きく唸りをあげて黒い鉄槌が落ちてくる。

 

 匙の一撃は、他ならぬ赤龍帝の力で限界まで強化されている。直撃を受ければ如何な天龍の鎧と言えどもただでは済まない。それを悟った一誠は、心中の動揺を気合いで吹き飛ばし敵の攻撃を迎え撃つ。屋内戦ということで抑えていた力を解放し、左腕を引き絞って全力の拳撃を放った。

 

「うおおおおおっ!!」

 

「はあああああっ!!」

 

 ぶつかり合う力と力。

 真っ赤な風が周囲の霧をごっそりと吹き飛ばし、発生した衝撃が両者の距離を開かせた。

 はたして勝者となったは、赤龍帝の拳だった。

 匙の黒腕は大部分が吹き飛ばされ、千切れたラインの線維を晒している。匙本人にダメージは全く無いようだが、先ほどの一撃が相手の全力であれば、これは大きな隙だ。

 

「匙ィィィッ!!」

 

 チャンスとばかりに噴出口から魔力を噴かす。

 一誠の籠手も少なくない傷を負い修復中だ。故に損傷した左拳ではなく、右拳による追撃が風切り音と共に放たれた。

 

「だから……甘いって言ってんだろッ! 兵藤ッッ!!」

 

 空中にある匙の身体が急に跳ね上がり、一誠の拳は空を切った。

 見れば、一本のラインが天井に伸びている。巨腕を振り上げた際に接続していたのだ。

 回避と共に匙の踵が一誠の後頭部を蹴りぬいた。それによって大きく進行方向へとつんのめった一誠は、体勢を崩してしまう。急いで振り返った時には既に遅く、匙は再び立ち込めた霧に姿を暗ませていた。

 着地して周囲を窺うも、敵を視認することができない。

 

(強い……!)

 

 鎧のおかげで大したダメージは受けていない。パワーでも大きく勝っている。禁手に至り、そして発動させた今、基本的な能力において一誠は匙を圧倒しているはずだった。

 苦戦しているのは霧のせいもあるだろう。リアスたちの処置によりある程度は視界を確保できているものの、未だ死角は多い状態だ。

 だがそれも、先ほどの接近戦には全く関係が無い。

 あの一戦、先手を取られ続けたのは一誠の方だ。もしも鎧を展開していない状態だったなら、最初のラッシュでやられていた。

 相手の行動には一切の躊躇いが無い。まるで獲物を狙う猛獣のように、隙あらば喰いつかれるという確信がある。

 一誠の背筋に寒いものが走った。

 

 禁手だから有利だの、基本能力で圧倒しているから勝てるだの、そんな理屈はまるで信用できない。

 匙元士郎は、間違いなく強敵だ。

 

 ならば――。

 

(今までと同じじゃねえか)

 

 悪魔に転生してからの数か月、戦いにおいて一誠が相手より優位に立っていたことなどほとんど無い。

 今までがそうなら、今回もそうだと言うだけのこと。何を臆することがある。

 強くなった実感が湧かないのは嫌になるが、無力を嘆く暇など才無き一誠には許されていない。自身の取り柄が諦めの悪さと根性だけであるならば、最後までそれを貫き勝利をもぎ取るしかないのだ。

 

(何となくだけど、わかるぜ匙。お前がどれだけの想いをこの戦いに懸けてるか……)

 

 あれほどの戦闘力をわずか半月で獲得するのに、彼らがいったいどのような手段をつかったのか。それは一誠の知るところではない。しかし、極めて辛く厳しいものであったことは嫌でもわかる。匙に限らずともシトリー眷族全員が、相当な決意と覚悟を秘めて戦いに臨んでいるはずだった。

 

 ――先生になりたい、そう匙は言っていた。

 

 素晴らしいと思う。一人の友人として、素直に祝福し応援してやりたい。

 だがしかし、それが自分たちの前に立ち塞がると言うのなら、一誠は友人の夢を打ち砕く覚悟を持たなければならない。

 たとえ自分の意志が彼らの夢に劣るものだとしても、勝ちを譲る理由にはならないが故に。

 

「来いよ、匙。お前の全てを受け止めて、俺はお前を超えていく」

 

 赤いオーラを漲らせ、一誠は拳を構えた。

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 巡巴柄が御道修太郎と出会ったのは、彼女がまだ10歳になったばかりの頃だ。

 当時の退魔師業界は、100年の封印から目覚めた魔人・高円雅崇についての話題で持ちきりだった。

 

 曰く、最強最悪の陰陽師。

 曰く、不死の邪仙。

 曰く、国家転覆を狙う外道。

 

 超絶の鬼神を従え、呪術においては並ぶ者おらず、単独で一国家の全退魔組織と互角以上の応酬を繰り広げたと言う規格外。その復活に、全国の退魔師たちは対応の検討を余儀なくされる。

 それは巡家も例外ではなく、周辺地域の退魔師たちと集まり会合を開くこととなった。

 巡の家は代々悪霊退治を生業とする退魔剣士の家系である。月緒一族ほどの格も実力も持ち合わせていないが、仕事においては堅実な手腕で高い評価を得ていた。

 とはいえ、魔人相手に通用するほどの力は無い。

 出来ることと言えばせいぜい敵が従える雑魚の掃討や、物資の保管・運搬などの後方支援ぐらいのもの。事実、巡家は何度かそれをこなしている。

 

 その日は、定期的に行われる報告会があった。

 季節は夏真っ盛り。開催場所の地域ではちょうど祭りが開かれており、ついでということで巴柄は家族と共にその場所を訪れていた。

 魔人が目覚めてはや1年、邪気に狂った妖魔が増加していたこともあり、地方の祭りと言ってもそこを管理する退魔師たちは警戒を怠っていない。つい最近東北の九尾が狂い、討滅された一件も彼らの警戒心を強めていた。

 それでも、その事件を止めることはできなかった。

 

 祭りの会場を襲ったのは他ならぬ土地神とその眷族だったのだ。

 下手人はとある邪教の一味。のちに大鬼神・両面宿儺を蘇らせる原因となる集団だった。

 荒御霊に姿を変えて発狂した神は祭りの会場を粉砕し、同じく狂った眷族と共に周辺の生物を次々と手にかけていく。

 理由(わけ)も分からず逃げ惑う人々と慌てふためく土地の退魔師たち、そして飛び散る鮮血。その狂乱の中で、巴柄は親とはぐれてしまった。

 

 立ち並ぶ屋台の香ばしい匂いは生臭い血の香りに。

 楽しげに歩く人々は赤黒い肉と臓物の塊に。

 先ほどまで賑やかしく楽しげだった光景が、一転して絶望に沈む。

 その急変に頭の処理が追いつかず、泣き叫ぶことすら忘れて呆然と彷徨う幼い巴柄はついに見つかってしまった。

 目の前に迫る巨大な異形。元は蛙か何かだったのだろう怪物は、長い舌で巴柄の身体を絡め取り、鋭い牙が生えそろった口を開けて喰らおうとする。

 真っ赤に染まった口腔の闇には、苦悶の表情で死んだ誰かの顔があった。それと目が合って初めて、巴柄は恐怖の悲鳴を上げる。今までの短い人生が走馬灯のように駆け巡る中、自らの死を確信したその時。怪物の巨体が真っ二つに分かれた。

 

 気付くと巴柄の身体は青年の腕の中にあった。

 

 その青年こそが御道修太郎。

 邪教の一団を追って現れた彼は、救出した巴柄を抱えつつ凄まじい速さで怪物たちを駆逐していく。

 

 緋色の太刀が閃くたびに、必ず一つの命が消える。

 修太郎から発せられる超高密度の蒼い闘気は、攻撃を一切通さないだけでなく文字通り触れるだけで敵を切り裂く刃だった。

 それに守られた巴柄は、死に瀕して加速した思考のまま一部始終を見届けることとなる。

 

 風より疾く。

 雷より激しく。

 炎よりも容赦なく。

 

 彼の刀と身体を覆う闘気に、常軌を逸したレベルの念――異形に対する絶対的な殺意が込められていることを、巴柄は直感で理解した。

 

 悪意は無い。

 憎悪も持たない。

 ただ、殺す。

 

 純粋な排除の意志は、存在そのものの拒絶に等しい。

 まるで機械のように、彼は斬撃という現象を振りまいていく。

 巴柄には、自分を守りながら戦うこの男が刀そのものに見えた。

 実家の道場で父が扱っていた業物の日本刀――それよりもなお鋭く、禍々しい輝きを秘めた妖刀。

 戦場で最も安全な彼の腕の中は、巴柄にとって最も恐ろしい場所に思えてならなかった。

 

 何時しか逃げ惑うのは異形の方となっていた。

 当初の数から実に8割以上を減らされた怪物たちは土地神が鎮座する山へと帰っていく。

 それを見届けてようやく、巴柄は親の元へ送り届けられることとなる。両親に引き渡された直後、緊張の糸が途切れたからか彼女は意識を失った。

 その後、土地神は修太郎によって討伐されたらしいが、あまりよく知らされていない。ともあれこの一件はソーナと出会い眷族悪魔となるまで、巴柄の心を苛むトラウマとなった。

 

 時が経ち心の傷が癒えた今でも、修太郎とだけは絶対に会いたくなかった。むしろ今だからこそ、会ってはならないと思った。

 なぜなら彼は魔を殺す。人であった時でさえ恐ろしく感じたあの念を、今の巴柄は浴びたくない。

 こちらから近づかなければ大丈夫であるはず。月緒は異形への転生を許さない一族だが、積極的に他勢力へと喧嘩を売るような家ではないからだ。

 

 故に学園で修太郎と再会したことは青天の霹靂だった。

 ましてや自分たちの強化指導に加わるなど、欠片足りとて想像しない。

 椿姫の場合と違って、修太郎は巴柄のことを覚えていないらしい。それはある意味好都合だったが、だからと言って状況が変わるわけではない。

 

 彼を見るとあの祭りの出来事を思い出す。

 恐怖に手が震え、足がすくみ、生きた心地がしなくなる。

 御道修太郎は巡巴柄にとって『死』の象徴であったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 交わる鋼が火花を散らす。

 白霧を割って二つの刃が縦横無尽に走り、互いの皮を、肉を、骨を引き裂こうと襲い掛かる。

 

「――はっ!」

 

 気合いの声と共に黒白の剣が神速で振るわれる。

 しかし迎え撃つ少女――巡巴柄は、刀身をわずかに傾げるだけでそれを受け流し、振りぬきそのまま返しの刃を放った。

 素早く上体を引き躱す少年――木場祐斗は、最小限の動きで行われたカウンターに内心驚愕しつつ、師より学んだ歩法を駆使して仕切り直しを図った。それが功を奏したのか、続けざまに放たれた巡の脚払いを回避することに成功する。

 

 その速さで先手を取り続けようとする木場と、凄まじい反応速度でそれを返し続ける巡。

 傍目には互角に見える応酬の中で、しかし木場は次第に追い詰められていくのを感じていた。

 

 つかず離れず、両者ともに剣の間合いで行われる戦闘においては、濃霧の有無はあまり関係が無い。霧に紛れようとする巡を追いかける形でこの状況に持ち込んだ木場だったが、相手の技量を前に攻めあぐねていた。

 未だ無傷の巡に対し、木場は全身に傷を作っている。一つ一つは小さいながらも、それは相手の優位を示していた。

 

 呼吸を整え、踏み込む。

 低い体勢から放たれた下段からの切り上げが、相手の胸元に迫る。巡はそれに刃を合わせようとし――電撃を発する聖魔剣を見て、素早く後方へ跳躍した。

 すかさず追いすがる木場。

 電撃纏う刃を紙一重のタイミングで避けていく巡だが、日本刀を魔力で覆って対応し始めた。そうして数合剣を合わせた後、電撃の隙間を突いて聖魔剣の鍔部分を絡め取り、木場の手から弾き飛ばす。

 

「くっ!」

 

 無防備となった身体目掛けて白刃の切っ先が走る。木場は胸元に聖魔の短剣を生み出し盾にして受け止めるが、衝撃で後退することになってしまう。

 息が詰まるのをこらえてすぐさま短剣を巡の方向へと投擲するも、既に彼女の姿は霧の向こうに消えていた。

 

(単純な速さなら僕の方が上だ。でも、相手は返し技の技量が凄まじい。迂闊に攻め込むと首を獲られかねない……!)

 

 深く息を吐き、心を落ち着ける。

 見てから対応するという反応速度もそうだが、動作の精密性が半端ではない。木場が勝っているとはいえ、速力も侮れない。一誠やゼノヴィアでは手に余る相手だろう。アーシアが撃破された時の様子を聞けば、リアスたちウィザード陣とは相性が最悪だ。

 やはり自分が戦って正解だと思う。しかし、その木場をしても翻弄されている現状がある。

 間違いなく、巡巴柄は敵の中でも屈指の強敵だ。たとえこの身を犠牲にしても、彼女はここで倒さなければならない。

 

(それなら――)

 

 己が神器に精神を傾け、集中力を極限まで高めていく。

 木場の神器『魔剣創造(ソード・バース)』が禁手『双覇の聖魔剣(ソード・オブ・ビトレイヤー)』。

 地・水・火・風・光・闇・雷・氷……あらゆる属性を持つ様々な形状の剣を瞬時に生み出す能力は、使いこなすことができれば所有者に無比の力を与えてくれるだろう。

 その精度と強度は、どれだけイメージを明瞭に、そして確固たるものとして描けるかにかかっている。

 アザゼルから指導を受け、神器運用能力を高める修行に取り組んだ木場は、一振りの特別な聖魔剣を創っていた。

 

「『双覇の聖魔剣(ソード・オブ・ビトレイヤー)』よ……!」

 

 淡い輝きと共に聖魔剣が創造される。

 従来の両手持ち長剣とは違う細身の片刃は浅く反り、黒白を分かつ線から翠色の輝きを放っている。

 その趣は、どこか日本刀に似ていた。

 

 直後、霧を裂いて背後から巡が現れる。

 速度の乗った突きが敵手の胸を穿たんと迫った。それに気づいた木場だったが、完全に回避不可能なタイミングだ。撃破は必至かと思われた。

 しかし。

 

「!?」

 

 巡の目前から敵の姿が消失する。

 次の瞬間、背後を取られていたのは巡だった。

 刹那の間に十を超える斬撃が飛ぶ。翠色の軌跡を残して放たれた刃の雨を、巡は凄まじい反応を見せて迎撃した。

 刃を鍔を柄を柄頭を、得物の全てを使って、次々と攻撃を逸らし躱す。その芸当は驚嘆すべきものだったが、木場の剣速はそれら全てを上回る。加えて、斬撃からは鋭い鎌鼬が放たれていた。

 

 それすらも魔力を込めた日本刀で防御する。

 手傷を最小限に減らしながら、しかし木場の隙を窺う目にはわずかな驚きの感情があった。だがその表情に焦りは無い。

 木場が放った神速の振り落としに刃を合わせ、膝をたわめ丹田で反撃の力を練り、絡め取るように相手の剣を撃ち落とす。芸術的な迎撃術から、続く滑らかな動作で高速突きを放った。

 だがそれは、木場に直撃する直前で不可解な圧力を受けて横に逸らされる。相手の動きも相まって完璧に回避されたことで、巡に致命的な隙が生まれてしまう。

 

「はあああっ!!」

 

 わき腹に迫る聖魔剣は、このまま何も出来なければ致命の一撃となるだろう。

 しかし間一髪、腰から抜き放った刀の鞘で受け止めることに成功した。鋭利な刃に鞘が砕ける一瞬を突き、巡は素早く後方へ跳躍する。

 そうして木場の姿を見つめ、日本刀を構えなおした。

 

「風……?」

 

「――聖魔剣・閃空刀(フラッシュ・ウィンド)。僕の新たな力だ」

 

 呟く巡に木場が答える。

 聖魔剣を構え佇む彼は、それとわかるほど高密度な風を纏っていた。剣そのものも旋風に覆われ、周囲の霧を吹き飛ばしている。

 

 ――閃空刀(フラッシュ・ウィンド)

 

 その能力は風の操作による自身の強化。

 鎌鼬により攻撃力を高め、風の鎧により防御力を補い、そして大気の壁を受け流すことで速力の爆発的な増大を可能としている。

 これを創ったのは、暮修太郎の戦いを見たことが切っ掛けだ。

 彼の剣圧・闘気・瞬発力を参考に神器の力で再現した結果、この聖魔剣が生まれた。

 これを使うことで、木場の戦闘スペックは凄まじく跳ね上がる。今ならば魔人となったフリード・セルゼンとも互角に渡り合えるだろう。

 

(……とはいえ、この剣の扱いはかなり難しい。現状の制御力じゃ体力を割いて維持するしかない)

 

 単一属性とはいえ攻・防・速の強化を高レベルで行うため、使うことはおろか維持するだけでも大変な労力がかかってしまう。今の今まで使わなかったのはこの制限のためだった。つまるところ、未完成なのである。

 早めに畳み掛けなければ、力を使い果たして動けなくなるだろう。

 決着は急がなければならない。

 

「――いくよ」

 

 木場の姿が消失したかと思うと、疾風もかくやと言うほどのスピードで巡の背後に現れた。

 閃空刀を振るえば、同時に放たれた鎌鼬が左右から襲い掛かる。

 通常ではありえない一刀三撃。たった一振りの刃しか持たない巡では対応できないと思われた。

 しかし。

 

「――」

 

 まるでそう来ると知っていたかのように、巡は体勢を低くする。

 頭上を鎌鼬が通り過ぎると刀を大きく上へ振りかぶり、刃を背後に切っ先を床の方へ向ける、そうして閃空刀の一撃を柄頭で受け止めた。

 驚きながらも木場が斬り返そうとすれば、下半身を捻り足払いをかけ、彼の体勢を崩す。その動作に合わせて上体を戻すと、押さえつけられたバネが開放されるかの如く真一文字に刃が走った。

 

「くっ!」

 

 崩れた体勢のせいで後退の足運びはわずか、しかし風を制御して加速することで木場はその一撃を回避する。だが完全とはいかず、わき腹を浅く切り裂かれた。

 

(これにも……対応するのか……!?)

 

 この反応、もはや尋常ではない。

 彼女たちの修業期間は木場たちと同じ半月程度のはず。にもかかわらずこれほどの能力を見せるとなれば、何らかの異能か、神器によるものとしか思えない。

 あるいは暮修太郎の施した指導の成果か。黒歌の話では彼はそういった能力に乏しいとのことだが、シトリー眷族の強化具合を見れば何かあったと考える方が妥当だろう。

 気になるがしかし、今はそんなことを考えている場合ではないのも事実。

 

 再度の加速、そして攻撃。

 正面からの最大速力で押し切るつもりだった。

 鎌鼬を織り交ぜた超速の連続斬撃に、しかし巡は冷静な表情を崩さず対応する。

 激しくぶつかり合う鋼と鋼。巻き起こる衝撃に霧風が舞う。

 戦況は基礎能力で勝る木場が圧倒的優位にあり、巡は防戦一方。しかし、攻めきれない。

 後ろに引くことでわずかにでも相対速度を落とし、迎撃の剣に体捌きを織り交ぜて致命傷を回避していく。全身切り傷に塗れつつ、だがその瞳は敗北を認めていない。

 木場は、それが不気味だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――巡巴柄は、暮修太郎との訓練を経てある技能を獲得している。

 

 厳密に言えば、技と言うよりもある種の『境地』に近しいものであり、それによって彼女はグレモリーの『騎士』二人よりも武芸者として一つ上の次元に立っていた。

 すなわち『思考加速』。

 極限の集中で以って脳に定められたリミッターを外し、通常の数十倍以上に達する反応速度を引き出す能力だった。

 

 巡がこの力に目覚めた原因は、幼い頃の出来事にある。

 彼女は怪物に食われる直前に一度思考の加速を経験し、修太郎が親元へ返すまでそれを維持していた。

 トラウマの象徴であり、恐怖の対象である修太郎との過度な接触。特訓の中でそれを乗り越えた巡は、結果として思考加速能力に目覚めたのだ。

 

 意識的な思考加速は無想と並ぶ武の極致。

 それは同一時間軸において他者を圧倒する観察力をもたらし、至高の見切りを可能とさせる。

 相手の視線を把握し、筋肉が見せる動きの予兆を感じれば、ただ速いだけの攻撃など見切るのは容易い。

 木場の猛攻を受けながら、今なお戦えているのはそのおかげだった。

 それでなくとも木場の閃空刀による速力強化は彼自身のスペックを超えている。剣筋はその速さ故に直線的過ぎ、本人の反応速度が追い付いていないせいか、動きそのものも単調だ。

 

 しかしながら、完全に見切っているとは言っても、その全て躱しきれるほどの能力を巡は持っていない。

 直撃こそ避けているが、全身は掠める斬撃と鎌鼬の余波でボロボロの血塗れ。服などは襤褸切れ同然にまとわりつくだけの有り様。聖なる波動のダメージが身体を蝕み、気力を振り絞らなければ倒れてしまいそうだった。

 

 この状況が長く続くようであれば敗北は必至。

 だがそれは考えにくいことだった。

 木場の力が未完成であるのは動きを見れば一目瞭然。馬鹿正直に苛烈な攻撃を浴びせているのは時間制限があるからだろう。丁寧に戦術を組み立て、実行する暇がないのだ。

 故に巡巴柄はその時を待つ。相手が最大の隙を作る、その時を。

 

 そしてそれは訪れた。

 木場の構えは平青眼。地面と水平に刃を外側へ向け、鋭い切っ先が巡の体を指し示す。

 突きの体勢だ。

 細身ながら引き締まった筋肉が力を溜め、臨界点に達したその瞬間に解放された。

 突進と疾風の加速を受けたそれはまさしく神速の体現。巡の目を以ってしても、見切れないほどの突きだった。

 

 だが閃空刀の切っ先が身体に触れる刹那、巡の身体が急激に横へとずれた。

 見れば巡の足元に血の擦れた跡ができている。本来の体勢であれば躱せなかっただろう一撃を、足元に広がる自らの血液を滑って避けたのだ。

 彼女の肩を深く切り裂きながら、木場の必殺は外された。

 転ぶように体勢を崩しつつも、手に持つ刃を相手の脇腹へと走らせる。

 

 勝利を確信した、その時だった。

 

「――がふっ」

 

 巡の口腔から血が迸る。

 同時に胸に広がる激痛。

 

 はたして木場の必殺は一撃であったのか。

 答えは否。

 彼が放った突きは二発。一撃目は、それこそ巡が全く認識できないほどの速度で放たれていた。

 一撃目は胸。二撃目は喉。

 躱したのは喉への一撃だけだったのだ。

 

 木場の師、沖田総司が誇る絶技・三段突きが模倣――無明剣二段突き。

 

 巡は己が目に頼りすぎたが故、気付かぬうちに敵の必殺を受けてしまっていた。

 つまるところ、彼女は負けたのだ。

 閃空刀の性能を全開にして放った代償か、木場の腕は血を噴き出している。明らかに疲弊した様子を見れば、もはや彼に戦闘能力は残されていない。

 ならばよし、とするか?

 

「…………」

 

 ――否。断じて否。

 

 この程度の傷が何だと言う。

 眷族の無様は王の無様。眷族の敗北はすなわち王の敗北につながる。

 ここで敵を生かしておいては、いつどこでソーナに危害が及ぶかわからない。

 諦めるな、戦える。まだ自分は死んでいないではないか(・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

「あ゛、あ゛あ゛ああああっ!!」

 

 激痛に意識は消えない。

 腕に込められた力は衰えない。

 吐き出される血は無理矢理呑み込み、崩れる身体で一歩踏みしめ斬撃続行。

 

「――なっ!?」

 

 驚く相手の身体に白刃が吸い込まれる。

 飛び散る鮮血は、あの時のように生臭かった。

 

 




お待たせしました更新です。
集団戦を書こうとしたら、まとまらなさすぎて読めたものではなくなってしまったので、結局一対一を書く形に。うまくいきませんね。

木場の強化はこんな感じです。
魔剣創造では特殊能力持ち属性剣いっぱい持ってたのに、禁手になると途端に出てこなくなったのが気になったので。実は描写してないだけで使ってたりするんだろうか。
しかし創造系神器はどこまでやっていいのかわかりにくいですね。
原作を見る限り、魔剣or聖剣創造ではそこまで無茶はできない仕様のようですが……。

たとえば幼女を救ったとして、そのあとすぐさま他の生物を虐殺する様子を見せつけた場合、フラグなんぞ立つわけがありません。むしろトラウマになってしかるべき。
そんな巡さんの思考加速はあれですね、某神速と同じようなものと思えば分かり易いです。こっちは身体能力まで上がりませんけど。


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第四十一話:グレモリー対シトリー《その4》

『リアス・グレモリーさまの「騎士」ならびにソーナ・シトリーさまの「騎士」一名、リタイヤ』

 

 アナウンスの声が、無情にも響く。

 

(木場……)

 

 どうやら彼は敵と相討ちになったらしい。

 だがその事実に動揺などしていられない。霧を突き抜け飛来する黒腕に対し、一誠はそれを躱して気配のする方向に踏み込む。

 白いベールで視界を遮られながらも勢いよく腕を振りかぶり、目星を付けた位置に鋭い拳を放った。

 

「ちっ!」

 

 舌打ちと共に影――匙は素早く後ろへ下がる。

 逃がさないとばかりに一誠は再び踏み込み、連撃を放った。

 

「ふっ!!」

 

 ジャブとフックを中心とした、鋭く、速く、コンパクトなラッシュ。

 拳闘そのものに関しては未だ素人然とした挙動が抜けない。しかし神器内部で行ったトレーニングの成果か、足運びは素早く隙が無い。

 赤龍帝のパワーも合わさり、一撃一撃に相手を昏倒させるだけの威力が秘められている。これをまともに受ければ、中級悪魔はおろか上級悪魔でさえただでは済まないだろう。

 

 対する匙はそれら全てを回避する。

 足だけではなく上体の動きで相手を惑わし、寸でのところでラッシュを潜り抜けていく。不可解なのは、時折空中を滑るような動きを見せていることだ。

 見れば黒腕の一つで背後の床を掴んでいる。その腕を操作することで、人体の常識では考えられない動きを見せて一誠を翻弄していた。

 

 一見して匙が有利に見えるこの戦い。

 実のところ匙も決定打を放つことができないでいる。

 

(硬い……!)

 

 理由は単純、匙の攻撃力では禁手化した一誠の鎧を砕くことができないのだ。

 相手から力を吸収しようにも、不意打ちで付けたラインは先の激突で既に剥がれている。赤龍帝のオーラを抜いて再度接続させるためには、直接神器で触れる必要があった。

 しかし一誠が隙の少ない攻撃に終始している今、それを行うのは至難の業だ。

 

 嵐のような拳打を潜り抜けながら、黒腕を伸ばして相手を打ち据える。

 だが一誠は止まらない。

 鎧が備える堅牢な防御は匙の反撃を受けてもなお健在。振るわれる拳が濃霧に穴を穿ち、その馬鹿げた威力を如実に示している。真っ赤なオーラを纏いながら一歩一歩踏みしめ迫る姿が、途轍もないプレッシャーを発していた。

 

(――――ッ……!)

 

 修太郎の鋭利極まるものとまた違う暴力的圧力は、目で見てわかりやすいだけに最悪の事態を容易に予測させる。

 『戦車』か『女王』に昇格(プロモーション)していればともかく、今の状態で一度でも直撃を許せば勝利は厳しいものとなる。攻撃が身体を掠めるたびに冷たい緊張感が背筋を貫いた。

 何せ相手は常に一発逆転の力を持っているのだから。

 つまりこれが、赤龍帝を相手にするということなのだろう。

 

 匙は床を掴んだ黒腕を操り、勢いよく背後に跳ねる。

 息を殺して濃霧に紛れ、再び一誠に攻勢を仕掛けようとしたその時。

 

「そこだッ!!」

 

 振り向いた一誠が、匙の方向にまっすぐ突っ込んだ。

 そのまま迷いのない拳の一撃。

 それに驚きつつ、しかし匙は黒腕を脚にして再び床を蹴り、一誠の攻撃を回避した。勢いのまま再び霧の中に潜むが……。

 

「――逃がさねぇッ!」

 

 一誠はすかさず背から魔力を噴きだして追いすがってくる。

 そして再度のラッシュ。

 不意打ち気味に迫られた匙は、回避に十分な距離を保つことができない。大気を引き裂く猛攻に冷や汗をかきながら、敵の拳を黒腕で逸らして身を守る。しかし一撃逸らすごとに腕を構成しているラインが引き千切れていく。

 

「くっ……!」

 

 ラインを伸ばして黒腕を再構成する匙だったが、一誠の連打は修復速度を上回っていた。

 

「おおおおおおっ!!」

 

「……!」

 

 吼える一誠が匙の顔面へ右ストレートを放つ。

 とっさに首を曲げてそれを躱すも、続けて放たれた左の二撃目が胸に突き刺さる。

 喀血しながら霧の向こうへ吹き飛ぶ匙。どこかの店舗に突っ込んだのか、ガラスが割れるような音と大きな倒壊音が一誠の耳に届いた。

 

 腕に伝わった確かな手ごたえに、しかし一誠は進むのをやめない。霧の中を突き抜け、匙が吹き飛ばされただろう店舗に踏み入る。

 直後、顎先に衝撃が走る。

 入り口の上に張り付くことで身を潜めていた匙が蹴りを放ったのだ。

 顔面をかち上げられ隙を作った一誠に、黒腕の連撃が襲い掛かった。

 それに対して一誠は腕を交差させ防御姿勢をとりつつ、拳の雨の中を突っ切って匙へと突進するが――突如として左腕を引っ張られた。

 

「――!」

 

 見れば、籠手にラインが接続されている。

 それは先ほど相手を殴りつけた方の腕だった。殴られる刹那、神器で一撃加えたのだろう。

 匙は六つの黒腕のうち三つを纏め巨大な腕を作り上げると、防御姿勢を崩した一誠の腹部にそれを叩き込む。

 

「……か……はっ……!」

 

 赤龍帝の力で強化されたパワーは、鎧の上からでも十分な衝撃を伝えてくる。

 結果、思わず大きく息を吐き出したことで動きが止まってしまう。

 ラインの伸縮によって吹き飛ばされることもできないまま、巨大化した拳による追撃の連打が放たれた。

 

 こじ開けられた両腕を黒腕によって押さえ込まれたことで、満足な防御も出来ずに殴られる一誠。

 徐々に大きくなっていく衝撃が鎧の下の本体に確実なダメージを与えている。おそらく殴られた部分は痣となっているだろう。

 

「な……めんなぁッ!!」

 

 咆哮一喝、痛む身体はそのままに、手首を返して腕を押さえる黒腕を掴む。そうして力任せに引っ張りつつ、自身も前に踏み出して匙の顔面へと頭突きを見舞った。

 

「ぐ、ぁ……ッ」

 

 直前に受けた攻撃のせいでクリーンヒットこそしなかったものの、超硬度を誇る兜との衝突は相手の意識をしばらく奪うに足るものだ。

 その隙に緩んだ拘束から腕を引き抜き、匙の顔面目掛けて左拳を放つ。

 が、匙は首を逸らしてそれを躱す。未だ意識は完全でない。無意識下の回避行動は、地獄の訓練がもたらしたものだった。

 しかし続く右拳は躱せない。腰だめから放たれた一撃が腹部に打ち込まれる。

 

 拳に伝わる手ごたえはしかし、何か柔らかいものに阻まれた。

 匙を見れば、破けた制服から幾重にも巻きつく漆黒のラインが覗いている。それは腹部だけでなく上半身全体を覆い、身体を保護しているようだった。

 なるほど、先ほど胸に与えた一撃もこれで威力を軽減されたに違いない。もしかするとこの防御は下半身まで覆っているかもしれなかった。

 

 そして幸か不幸か、腹部に加えられた一撃が匙の意識を呼び戻す。

 ほどけかけた黒腕の一つが再び編み込まれ、バネのように跳ね上がった。匙の身体に隠れて股下から飛び出した攻撃を一誠が認識することは叶わない。

 鎧の表面スレスレを疾風の如く駆け抜け、アッパーが顎に直撃する。

 

「――――」

 

 脳を揺らされがくりと膝を落としかける一誠。

 思うように意識が働かず、身体をうまくコントロールすることができない。

 その隙を突いて匙の右腕から伸びた大きな黒腕が襲い掛かり、凄まじい衝撃と共に一誠を大きく吹き飛ばす。このまま畳み掛けられるかと思われたが――。

 しかし、それだけだった。

 

「がはっ、げっ……げはっ……!」

 

 匙もまた、激痛とこみ上げる嘔吐感に追撃する余裕を奪われている。

 痛みに耐えることはできても、生理的な反応はまた別の話。これは、受けてしまった匙の落ち度だろう。

 さらに、いくら防御しているとはいえ赤龍帝の攻撃だ。全力でないにしろ手加減皆無の拳を喰らってただ済むはずがない。

 おそらく肋骨は何本か折れ、内臓にもダメージがあるはずだ。

 

(だけど……問題ない……)

 

 もはや先ほどまでと同様の動きをすることは叶わない。

 しかし、傷を負ったならば傷を負ったなりの動きをすればいい。幸いにして、匙は自分がどの程度の損傷でどれくらい動けるか嫌と言うほど思い知っている。

 そも匙の神器は、彼の意志が続く限り思うがままに操作できるのだ。多少のダメージはそれで補える。

 

 匙が息を整え終わると同時、一誠もまた立ち上がっていた。

 鎧にはところどころ罅が走り、佇む姿にも若干のふらつきが見える。

 ――通用している。

 その事実に、匙は口を笑みの形に釣り上げた。

 

「強いな……やっぱり強い。こっちは最初から全力全開で戦ってるってのに、まったく馬鹿げたパワーと頑丈さだ。おまけにこの霧の中でも俺の居場所をしっかり掴んでるときた」

 

「それはこっちの台詞だぜ、匙。第一、お前の居場所がわかるのだって、お前が強いからだ。ドラゴンの波動……っていうのかな、それが霧の向こうのお前からビンビン伝わってくる。タンニーンのおっさんに毎日追い掛け回されたのも無駄じゃなかったってことか」

 

 一誠の言葉に、匙は納得した。

 

「ドラゴンの波動、か……なるほどな」

 

 修太郎からの指摘で出来る限り抑えているつもりだったが、同じくドラゴンの力を持っている一誠には通用しなかったらしい。

 ならばもはや隠れること自体が無意味であるということか。

 

「……なあ、兵藤。俺はお前がうらやましかった」

 

 語りかける匙に、一誠は耳を傾ける。

 

「リアス先輩の自慢、伝説の赤龍帝。上級悪魔フェニックスを倒し、最上級堕天使コカビエルとやりあって、魔人の手から魔王さま方を救った功労者。誰もがお前を知っていて、期待してるのは馬鹿でもわかるぜ」

 

「…………」

 

 苦笑するその顔は、どこか自嘲しているようでもあった。

 一誠は、黙ってそれを聞く。

 

「すげえよな。悪魔になってから半年も経ってねえって言うのにさ。その点、同期の俺には何もない。……会談での話を聞いた時、俺は悔しかった。だってもし俺がその場に居たってよ、猫の手ほどの助けもできなかったのがわかったからな。まったく、嫌になるぜ! 何よりも会長たちが窮地に陥ってたその頃、俺は家でノンキに『お偉いさんが集まる面倒な場所に呼ばれなくてラッキー!』だなんて思ってたんだ。バカみたいだろ?」

 

 ぎりっ、と音が聞こえるほど歯を噛み締める。

 匙の顔には、もはや笑みなど無かった。

 

「俺は弱い……心も、身体も、何もかもが中途半端だ。だから、ここでそれを克服するのさ。赤龍帝で『兵士』のお前を、同じ『兵士』の俺が、誰もが見ているこの場で倒す。俺の夢のために、会長の夢のために……この一歩が、俺の『自信』になるッ!!」

 

 瞳はまっすぐに一誠を捉え、闘志に燃えている。その強い眼差しには一切の曇りも陰りも見えず、彼の強い意志だけを伝えていた。

 それに応えるかのごとく、『黒い龍脈』が輝きだす。

 無数のラインが漆黒の腕を編み上げる。その数、三つ。見るからに凝縮されたそれは、以前と比べ物にならない密度であることがはっきりとわかった。

 

「……!」

 

 筋線維の如きラインが脈動する。

 一誠の力を使っているのだろう。匙の総身を巡る未だかつてないオーラの充足が、離れていても伝わってきた。

 そして、こちらを射抜く目が一度閉じられ――開かれた、その瞬間。

 

「いくぜ、兵藤」

 

 黒腕の一つが床を蹴り、弾丸のように匙の身体が弾けた。

 まるで砲弾の如く地を滑るようにして疾走した匙は、驚く一誠の顔面へと右腕を叩き込む。

 走る衝撃はこれまでのどんな攻撃よりも激烈。堅牢を誇る赤龍帝の鎧を軋ませ、罅を入れる。

 

「が――はっ……!?」

 

 勢いよく跳ね飛ばされる一誠。匙はすかさず追いすがり、黒腕の拳を放った。

 とっさに防ぐ一誠だったが、防御した腕に痺れが走る。先ほどと比べ明らかに段違いなパワーは、防御の上からダメージを与えるに十分なものだ。

 

『この男……! 俺たちの力をそのまま返すとは、何という無茶を……』

 

 驚嘆するドライグ。

 今の匙は赤龍帝の力を全身に循環させている。一誠を利用することで限界以上の力を行使しているのだ。

 

「俺は、お前に勝つ! 今! ここでッ!」

 

「ぐっ……! 俺だって、負けるかよッ!」

 

 両者ともに、躱し、逸らし、受け止め、返す。

 応酬の加速は止まることを知らず、嵐の如き様相を見せた。

 

「兵藤ォォォォォッ!!」

 

「匙ィィィィィッ!!」

 

 もはや立ち入る隙など微塵も無い。

 ここに、吼える男の激突が開始された。

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 修太郎はモニターに向けた目をわずかに細める。

 考えるのは匙の戦い方について。

 今の匙は一誠から吸収した力を使い、身体能力全般を劇的に向上させている状態だ。それに合わせてラインの黒腕も盾の役目も果たせるまでに強化されているだろう。

 しかしながら、限界を超えた強化は一歩間違えれば自身にも莫大な負荷がかかる代物である。それに加えていくら赤龍帝の力を上乗せているとはいえ、一誠の禁手と比べれば明らかな劣化品であり、正直な話をすれば悪手以外の何物でもなかった。

 それは匙とてわかっているはすだ。

 

 そのような無茶な手を取らずとも、距離を取りつつ丁寧に戦えば勝利できる可能性は十分にある。ルールと地形が味方している状況で、且つ持久戦となれば時間制限のある一誠よりも匙の方が優れているからだ。わざわざ同じ土俵で立ち向かう必要など無い。

 ではなぜか?

 まさか自分の力を過信して調子に乗ったわけではあるまい。もしもそうなら訓練期間中でとっくに心が折れている。

 

(意地、か)

 

 それしか考えられない。

 匙は真っ向から一誠に挑み、そして勝ちたいのだろう。

 修太郎は以前にそういった類の話を本人から聞いていた。

 

 非合理的だと思う。

 それしかできないと言うならともかく、有効な手段を持っていながらわざわざ捨てるなど愚の骨頂だ。

 自らの激情を晴らすことは確かに有意義だろうが、それにかまけて目的を見失ってしまえば大事なものを取りこぼすことになる。特に戦いの場であるならばなおさら、個人の感情は脇に置くべき事柄だ。

 ――と、昔であれば斬って捨てていただろう。

 

 だが今の修太郎はそれを否定しない。

 あれはおそらく、匙がこれから進むうえでやらなければならないことなのだ。所謂"けじめ"というものである。

 敵がどうしてもこちらの害になるような相手なら話は別だが、彼らは互いに友人であると同時にライバルだ。故に対等で在りたいのだろう。

 それが、少し羨ましいと感じる。

 

「…………」

 

 もしも自分にライバルが現れるとするならば、どんな人物だろう。

 思い返すと、武技を競って対等に渡り合えた者など闘仙勝仏やスカアハぐらいのものだった。しかしながら、彼らは好敵手と言うより先達であり、競い合うといった関係は少々違う。

 実力を見ればヴァーリが近いが、彼と修太郎では戦闘スタイルが噛み合わない。デュリオもまた同様だ。美猴ならちょうど良さそうに思えるものの、どちらかと言うとあれは黒歌を目の敵にしている。

 

 競うなら、できれば純粋な武芸者が望ましい。

 正面から自分と斬り合えて、尚且つ拮抗する腕前を持っていれば最高だ。

 しかし、今まで出会った人物を思い起こしてみても、条件に合う人物は見当たらなかった。

 可能性の点なら現在失踪中だという教会の魔剣士は中々だった覚えがあるし、ペンドラゴンの嫡男も才気に溢れていた。先ほどの戦いを見れば木場祐斗なども有望だ。

 彼らが追い付いてくることに期待したいが、どうだろうか。

 

 修太郎が力を求めるのは武芸者として染みついた(さが)のようなものだ。

 始まりは強制的なものであったが、長く戦ううちにそうなってしまった。

 その想いは、魔人の復活を知ったことでより一層強く修太郎を駆り立てている。

 

 最強などいう肩書に興味は無い。

 ただ、強く。出来るだけ強く。眼前の壁を両断できればそれでいい。

 そして今、目の前に立ちはだかる壁は大きく厚かった。

 

 そういえば、木場の師はルシファー眷族の『騎士』だと聞く。

 元・新撰組一番隊組長、沖田総司。

 静かにこちらの様子を観察するさまには微塵の油断も隙も存在せず、極まった使い手であることは一目で知れた。

 機会があれば一つ試合を申し込んでみるのもいい。

 もしかすると、伸び悩みを見せるこの現状を打破することができるかもしれない。

 

「シュウ、どうしたにゃん?」

 

 考え込む修太郎の様子を見て、黒歌が疑問符を浮かべながら呼びかけた。

 別のモニターを見れば、匙、巡、ソーナの三名を除くシトリー眷族とリアスたちの激突が始まっていた。

 戦況は、やはりシトリー側の優勢。しかしグレモリー側はそれぞれの個人技でうまく攻撃を防いでいる。

 

「いや……そういえば、ゼノヴィアのあれはなんだ?」

 

「あ、やっぱ気付いちゃうにゃん?」

 

 修太郎の言葉を聞いて、黒歌が微妙な顔になる。

 グレモリー側の陣形は、中央にリアスを据えた十字形だ。前方に小猫、左右にゼノヴィアと朱乃、そして後方にギャスパーを置いている。

 小猫は火車と『戦車』の頑強な身体で、朱乃は魔力攻撃で敵の攻撃を撃ち落としている。それはゼノヴィアも同様で、デュランダルの波動を用いて迎撃に参加しているのだが……。

 

「聖剣の余波をただ飛ばしているだけだろう。オーラの制御など最初から行っていないな?」

 

「ん~、パワーを高めるだけならかなりいいところまでやれるんだけど、抑えて研ぎ澄ますっていうのがまだまだなのよ。私は聖剣の扱いなんてわかんないから、とりあえず力が及ぶ範囲を把握するように言ったら……」

 

 ああなったらしい。

 要は抑えきれないからそのまま使ってしまえ、という考え方だ。それは果たして進歩と言えるのだろうか?

 

「まあ、出来るようになるのは、別に間違っていない……のか……?」

 

「根本的に時間が足りないから、仕方ないにゃん。迎撃技としてはそれなりに使えてるし、今後に期待よ、シュウ」

 

 修太郎としては少し釈然としない思いがあるものの、黒歌の言葉も確かだった。

 特に問題点も見当たらないので、良いのだろう。多分。

 

「それに、あのルールじゃなかったらゼノヴィアっちだって凄いのが撃てるのよ?」

 

「……剣士が『撃つ』という表現を使うのはどうかと思うのだが」

 

「シュウだって、あんまり人のこと言えないと思うにゃん。斬撃飛ばしてるし」

 

「あれはああいう技だ。才能にもよるが、然るべき鍛錬を積めば誰でも扱えるようになる……はずだ」

 

 だいたい30年ぐらいやれば、だが。

 そう言うと、ベオウルフが反応した。

 

「適当だなぁ……いや、悪魔なら挑戦してみてもいいのか……?」

 

 修太郎の言葉に突っ込み、そして考える素振りを見せる。

 彼も彼で戦士であるからして、そう言った話題には興味があるのだろう。

 

「俺もキミとやりあってから色々と調べてみたが、武術というものは奥が深い。少しばかり美猴から手ほどきを受けて実感した」

 

 ヴァーリが口を開く。

 会談以降、彼が美猴とつるんでいたのはそういった目的もあったのかもしれない。

 

「しかし……予想よりも良く戦っている」

 

 それはさておき、修太郎はモニターに目を移す。

 こうしてグレモリー眷族が奮戦しているところを見ると、彼女たちの潜在能力が如何に優れているかがわかる。

 ソーナの布陣は凡百の相手ならば容易に封殺できる構成だった。何せ視界を著しく制限された中で、花戒、草下、そして椿姫の三人による精密射撃に加え、由良と仁村が隙を突いて襲い掛かるのだ。

 広範囲の破壊が禁止されたルールも合わさって、並の者では一たまりもない。

 

「守りの要はハーフヴァンパイアと黒歌の妹だな。あの二人がいち早く反応するからこそ、他が着いて行けているんだろう」

 

 ヴァーリはそう分析した。一誠と匙の戦いばかり注視しているようで、しっかりとそちらも見ていたらしい。

 仙術を発動している小猫と吸血鬼の異能を操るギャスパーは、他のメンバーよりも広い知覚範囲を利用して迎撃を行っている。もしも彼らがいなければ、あそこまで拮抗することはないだろう。

 

「そりゃそうでしょ、なんたって私が本腰入れて鍛えたんだから!」

 

 胸を揺らしつつ、ふふん、と自慢げにふんぞり返る黒歌。

 どうでもいいことだが、彼女の目の前には食べ物が乗せられた食器が置かれている。知らないうちにVIPルームに用意された食べ物を運ぶよう手配していたらしい。相変わらず、食の確保に抜け目のない猫だった。

 

「妹に暴走の危険性は無いのか?」

 

「一定以上の気を吸収できないように封印をかけてるから心配はいらないにゃん。とんでもない邪気が近くで発生しない限り、制御するのにも問題は無いはずよ」

 

 当然だが、そこの辺りに抜かりはないようだ。

 でなければそもそも小猫がゲームに出場することすら許可されなかったはずである。

 

「グレモリー側の『女王』も力を収束し始めていますね。効率そのものはまだ改善の余地が見られますが、良いセンスをしています」

 

 ロスヴァイセは朱乃を見てそう評価した。

 大規模攻撃が注目を浴びがちな朱乃だが、範囲を絞った攻撃が出来ないわけではないのだろう。徐々に環境へと適応してきたからか、反撃の力を強めてきている。

 総合的に見て、グレモリー側の不利はかなり改善されていた。

 

「ほら、勝負がわからなくなってきたでしょ? んでもって、ここから巻き返すにゃん!」

 

 そう言って、黒歌はにやりと笑みを作り修太郎を見てくる。激しい戦いに感化されたのか、やや興奮気味だ。

 

「確かに、このままソーナ嬢を残して全滅する可能性も出てきたな」

 

 それに対し修太郎は冷静そのものの口調で答えた。

 何とも含みのある反応に、意外なような、そうでないような、黒歌は少々不満げだ。

 

「なによう、まだなんかあるって言うの?」

 

「さあ、どうだろう」

 

 修太郎はそうはぐらかす。

 

「……ロスヴァイセ?」

 

「えっと……さあ、どうでしょう?」

 

「む~、何その『二人だけの秘密』みたいな感じ! 大人しく吐くにゃん!」

 

「わ、わっ! 黒歌さん!?」

 

 ロスヴァイセからも同じようにはぐらかされ、黒歌は立ち上がる。

 そしてそのままテーブルの向こう側に座るロスヴァイセに近づき飛び付いた。

 理由をぶっちゃければ修太郎を問い詰めても面白くないからだ。

 

「あっ、ちょっ、待っ……どこ触って……ひゃん!」

 

「ほらほら、大人しく聞かせなさいな!」

 

「あぅ、やめ……そんなとこ……ああんっ!」

 

「にゃははは! なんか調子でてきたにゃん!」

 

 くんずほぐれず。

 悪乗りし始めた黒猫の笑い声と、戦乙女の嬌声が警備室にこだまする。

 その光景を見て、満足げに頷きながらベオウルフが呟く。

 

「う~ん、じゃれあう女の子たちって良い絵だよなぁ。そう思わない?」

 

「そうでしょうか? 割とよく見る光景なので……」

 

「俺にはよくわからないな。何が面白いんだ?」

 

「ダメだこいつら、話になんねぇ」

 

 そんな会話をしていると、警備担当の一人が声をかけてきた。

 

「主任、よろしいですか?」

 

「ん? ああ、少し待て」

 

 一転して真剣な顔つきになったベオウルフは、席を立った。

 忘れていたわけではないが、ここは彼らの仕事場だ。

 流石に好き勝手し過ぎたかもしれない。

 

「申し訳ない。五月蠅くしすぎました。ほらクロ、いいかげんにもうやめろ」

 

「あ! むー、いいところだったのに……っていうか仕事してたのね、ベオウルフ」

 

「うぅ、できればもう少し早く助けてほしいです……」

 

 何か問題でも起こったのか、ベオウルフは部下に様々な指示を飛ばしているようだ。中々に慌ただしい。

 その様子を見ていると、ベオウルフと目が合った。

 

「何かありましたか?」

 

「ああ、まあね。でも、キミらは何も気にしなくていいから。これは俺たちの仕事だ」

 

 そう釘を刺されてしまう。

 なるほど道理である。非常時であればまだともかく、来賓に協力を求める警備担当など普通はいない。

 

「了解しました」

 

 修太郎としては正直な話気になって仕方がないが、ここは理解するしかないだろう。彼にも立場というものがある。

 しかし、自分が守られる側の立場にいることにはまったく慣れない。

 気を紛らわせる目的も含めて、ゲームを見るべくモニターに目を戻す。

 

 グレモリー対シトリーの戦いはもはや終盤、決着は近い。

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 殴る。

 確かな手ごたえと共に、相手の口から赤い飛沫が飛ぶ。

 

 殴られる。

 衝撃が身体を貫き、筋肉と骨の軋む痛みに意識を刈り取られそうになる。

 

 さらなる反撃は躱されてしまう。

 隙を突かれ、がら空きになった胴に剛打が撃ち込まれた。

 こみ上げる吐き気と口内に充満する血の味を飲み込み、踏み込んできた相手の腹にカウンターの蹴りを見舞う。

 

 そうすれば、今度は逆の状況だ。

 その隙に息を整え、相手が赤い液体を吐き捨てると同時、殴り合いを続行する。

 

 両者をつなげる漆黒のラインは互いの距離が離れることを許さない。

 本来ならば早々に切るべきであり、事実そうしようとした。しかし尋常ではない強度でそれは互いを繋ぎとめている。

 

 蛇の如く伸びる三つの黒腕を最小限の防御で逸らす。

 ビジュアルから見て脅威に思えるそれらの拳打は、その実そこまで高い威力は持ち合わせていない。まともに取り合えば、相手自身の右腕から放たれる本命が自分を襲うだろう。

 

 修行中、『こもった一撃』というものをタンニーンから聞いたが、今の相手――匙が放つ拳はまさしくそれだ。

 攻撃力も防御力も勝っているはずの一誠に確実なダメージを蓄積させる正体不明の力、なるほど恐ろしいと言える。

 それを如実に表すのが、匙の瞳に燃える意志の炎だ。渇望や欲望、執念とも呼べるものが、匙を突き動かしている。

 一誠の攻撃を受け続けてなお衰えない力は、その強い感情がもたらしているものなのだろう。何度殴っても倒れないと思わせる『凄み』があった。

 自分はいったい、あと何回攻撃を加えればよいのか?

 終わりの見えない戦いに寒気すら感じる。

 

 強い。目の前の友人は、こんなに強かったのかと改めて思う。

 そして、そんな彼がこうもまっすぐ自分と向き合い、ぶつかってくれることに心が昂ぶった。

 ならばこちらも相手に伝えなければいけないことがあるだろう。

 

 強靭に伸びる黒腕の一つを鷲掴み、引き抜くように匙の身体を引き寄せる。

 その勢いに乗って放たれた匙の拳に、あえて踏み込むことで紙一重で躱した一誠は、頭突きを相手の胸に喰らわせ勢いよく跳ね飛ばした。

 カウンター気味に決まった攻撃だが、おそらくはラインの防御により大したダメージを与えてはいないはず。

 だが距離は離れた。

 

「はぁ、はぁ……なあ匙、さっきお前は自分のことを弱いだなんて言ってたけど、それは俺だって同じさ」

 

 息を整えながら語りかける一誠に、匙は動きを止める。

 話を聞いてくれるのだろう。しかしラインを編みなおす様子を見る限り、油断も容赦もしない心積もりであるようだ。

 それに兜の下で苦笑する。

 

「ライザーの時だって、コカビエルの時だって、そして高円雅崇の時だって、俺は一人じゃなんにもできなかった。叩きのめされて、通用しなくて、そして結局最後の最後になるまでダメダメだったさ。俺が活躍できたってんなら、それは俺じゃなくて『赤龍帝』……ドライグのおかげなんだ」

 

 ドライグの力が無ければ一誠には何もない。そもそもリアスが自分を悪魔に転生することすらも無かっただろう。

 神滅具を外してしまえば、そこには煩悩に塗れた男子高校生が一人いるだけ。そう、自分には他の人たちが思うほどの価値など無いのだ。

 

「それなら――価値が無いなら、価値を作ればいい。俺はそう思う」

 

「価値を……作る」

 

「ああ。俺は今まで上級悪魔になって、ハーレム王になれればいいと思ってた。それは今でも変わってないさ。でも、それだけじゃダメなんだ。俺は自分の価値が欲しい。お前が言ったように俺が部長の自慢だっていうなら、それにふさわしい奴になりたい。ああそうだ、俺は……俺は……! みんなが誇れる『赤龍帝』になりたいんだ!!」

 

『相棒……』

 

 大声で言葉にすると、目の前が開けたような感覚が走った。

 他の人にとって一誠は既に赤龍帝であり、今更このようなことを言うのは意味の無いことに思えるかもしれない。自分で言うのもなんだが、漠然としすぎて何をすればいいのかすらわからないのだから、教師を目指す匙と比べればビジョンが曖昧にもほどがあるだろう。

 だが、それでいい。今はそれだけでいいのだ。

 

「だから、この戦いは俺が勝つ! この力を手に入れるために部長にあそこまでさせといて、ここで負けちゃかっこ悪いもんな! なあ、匙――おっぱいってのは、つついても気持ちいいんだぜッ!!」

 

 拳を構え、攻撃の意志を示す。そうして勢いよく踏み込んだ。

 戦闘再開だ。

 

「ふっ――ざけてんのか兵藤ッ!! 何を言うかと思えばおっぱいだと!? つついただと!? ああぁ!? 手前ばっかいい思いしやがって、ぶちのめしてやるッ!!」

 

 その瞳に嫉妬の炎を加えた匙が、嵐のような拳打で応じる。

 心なしか、口元は笑みを浮かべているように見えた。

 

「誰がぶちのめされるかよ! おっぱいは俺の力だッ! 揉んでつついて何が悪いッ!!」

 

 神器の中でドライグが呆れる気配を感じるものの、今はどうでもいい。

 殴る。

 殴られる。

 痛みに退き、意志を振り絞って前に出る。

 自分の目標、その最初の一歩を宣言したからか、それが無性に楽しかった。

 

「だいたい何だ触るって! 俺だって会長の裸を拝んだのはつい最近なんだぞ!! どうなんだよ! 女の人の身体ってのはやっぱり柔らかいのか!? プリンかマシュマロみたいってのは本当なのか!?」

 

「ああ本当だとも! むしろそれすら陳腐に感じられるね!! おっぱい最高だ!! っていうか会長の裸見たことあるのかよ!? ならいいじゃねえか!!」

 

「暮さんとの訓練中だぞッ!? めちゃくちゃ怖えぇんだ! いいわけあるか!!」

 

「お、おう……!?」

 

 殴る、蹴る、躱す、受け止める。

 殴って、殴られて、殴り返して、また殴られる。互いに叫び声をあげながら、その繰り返しに没頭する。

 

「羨ま……しいんだよッ、ちくしょう!!」

 

 そしてとうとう、匙の拳が兜を砕く。

 飛び散る破片の中、衝撃に額から血を流しながらも一誠は匙を睨み、笑った。

 顔面をひどく腫れあがらせた匙も、不敵な笑みを返す。

 

「うおおおおおおっ!!」

 

「はああああああっ!!」

 

 白熱する打撃合戦。

 純白の背景を赤と黒の旋風が蹴散らしていく。

 互いの想いを拳に乗せた応酬は、言葉よりも明確に意志を伝える。絶対に負けられない戦いがここにあった。

 

 そうしてどれほどの時間が経っただろうか。

 永遠に続くと思われたぶつかり合いにも、終わりが近づいていた。

 

 匙は、身体のほとんどを赤黒く染めて佇んでいた。吐く息も弱々しく、風切るような呼気を漏らしている。

 一誠も多くの血を流してはいるが、未だ健在。鎧は全身くまなく罅に覆われてはいるものの、その機能を損なってはいない。

 一見互角なようでいて、やはり正面からの戦闘では明らかな優劣があったのだ。

 これが匙の限界だった。

 

「……終わりだ、匙!」

 

 息を荒くしながら、一誠は歩みを進める。

 匙の瞳には未だ勝利への執念が燃えている。敵は諦めていない。

 それ故に容赦はしない。全力で沈める。

 

 案の定、黒腕の連打が鋭く襲い掛かる。今までになく苛烈なそれは、しかし込められた威力故に直線的になっていた。

 背部から魔力を噴出させることで攻撃の隙間を一気に駆け抜け、右拳の一撃を匙の顔面に打ち込んだ。

 鈍い手応えの直後、ぐらり、と匙の身体から力が抜けていく。

 

(何だ……?)

 

 それに違和感を感じる。

 あっけない(・・・・・)

 てっきり回避するかと思っていた。そのために左拳を本命として残していたと言うのに。

 まさかこれで終わりか? この程度なのか?

 その困惑が、一誠の挙動に決定的な隙を作ってしまう。

 

 気付けば、懐に匙の姿があった。

 一誠の背筋に寒気が走る。

 特大の警報が頭の中に鳴り響く。

 これだけの近さだ、威力のある攻撃など放てはしない。だと言うのに、嫌な予感が止まらなかった。

 まずい、動かなければ。

 反射神経を総動員して身体に命令を送るも、しかし間に合わない。

 

「ああ……終わり、だ……兵藤」

 

 直後、一誠の腹部に爆発したと錯覚するほどの衝撃が走った。

 

「が、っ……!?」

 

 身体から力が抜ける。

 胃から大量の血液がこみ上げ、そして吐き出された。

 今までと比べ想像を絶するダメージに立つことすらおぼつかなくなる。

 たまらずに、膝をついてしまう。

 

 ――匙が一誠と戦うことは、早い段階から決定していた。

 

 シトリー眷族のメンバーは、ロスヴァイセの協力を得てそれぞれが各人に合った魔法を習得している。

 たとえば巡の障壁割断や、花戒の連続精密射撃などがそれにあたる。

 そんな中で、匙が会得した技は――名付けて『魔力発勁』。

 衝撃ではなく魔力波動を敵の内部へと伝播させることで、堅牢な外殻を無視してダメージを与えることができる技だった。

 参考にしたのは無論のこと修太郎の寸勁打撃だ。

 

 しかしながら、魔法によるアシストと『僧侶』の特性による魔力制御の向上、そして匙自身のイメージ力を統合させても技の成功率は10%に満たない。

 対象が止まっていてさえそうなのだから、戦闘中に成功させるのは至難を通り越して奇跡の領域だ。

 それ故に、放つには相手が相応の隙を作った状態でなければならなかった。

 

「はあっ、はあっ、最後に、油断したな……兵藤……ッ……、残心は……はあっ、戦いの基本だぜ……!」

 

 匙は息も絶え絶えに一誠を見下ろしそう言った。

 一誠の攻撃はわざと受けた。覚悟を決めても意識を刈り取られそうになったが、牽制の一打であったことが幸いしたのだろう、何とか復帰し隙を突くことができた。

 発勁の成功についても賭けだった。もしも失敗していたならば、今頃自分は医療ルーム行きだ。

 しかし、正面から匙が勝つにはもはやこの方法しか思いつかなかったのだから仕方がない。

 

 対する一誠は答えない。ぐらりと身体を床に倒し、動かなくなる。

 

「サジ」

 

 背後からかけられた声に、匙は振り向く。

 もはや目も耳も使い物にならないほど痛めつけられた状態だが、それだけは聞き逃さない。

 そこには自らの主、ソーナ・シトリーが佇んでいた。

 

「見て、ましたか……会長……。俺、兵藤に……赤龍帝に、勝ちました」

 

「……ええ、大殊勲です。良くやりましたね、サジ。あとは任せて、休みなさい」

 

 微笑みを浮かべるソーナ。

 それを見て、匙は満足げに目を閉じる。

 やはり限界だったのだろう、そのまま尻もちをついた。

 

「会長……すみません、お言葉に甘えます……」

 

 そうして、光に包まれて消えていく。

 

『ソーナ・シトリーさまの「兵士」一名、リタイヤ』

 

 その様子を見届けたソーナは、次に倒れたままの一誠へと目を向けた。

 

「会長……? ぐ……がはっ!」

 

 砕かれた兜から、見開かれた目が覗いていた。ソーナの姿を認めた一誠は、ゆっくりと上体を起こそうとするが、うまくいかない。

 

「あまり無理はしないことです。あなたの根性は脅威的ですが、どのような物事にも限界というものがある。もう少し自愛なさい」

 

「だけど……ぐっ……!」

 

「その傷では、放っておいても医療ルーム送り。兵藤一誠くん、あなたはサジに負けたのです。そして、これからリアスも」

 

「そんな、こと……ッ!」

 

 確かにもう限界だ。匙に負けたのも、悔しいが認めるしかない。

 だが、敵の本丸を前にして黙っていられるほど利口でもない。

 オーラを振り絞り、魔力弾を放つ。この至近距離なら躱せないと思ってのことだ。せめて一矢報いなければ、赤龍帝の名が廃るだろう。

 

「無駄です」

 

 しかし、その攻撃はソーナの身体をすり抜けた。

 一誠の放った赤い旋風は霧を突き抜けガラス張りの天井を打ち砕き、異空間の彼方へと消えていく。

 

「な……!?」

 

 その光景に驚愕する。

 倒れ伏す一誠を見下ろしながら、ソーナは事実を告げる。

 

「あなたたちは、塔城小猫さんの仙術探知を使って私がショッピングモールにいると当たりをつけているのでしょうが、この私は幻影です。残念でしたね」

 

 すなわち、リアスたちの行動はまったくの無駄に終わる可能性が高いということ。

 ここにいてもグレモリー眷族は消耗するばかり。敵をどれだけ撃破しても、狙うべき『王』はこの通り無傷。まんまと消耗戦に持ち込まれている。作戦は、失敗だ。

 そのことをみんなに伝えなければならないのに、もはや立ち上がる力すら湧いてこない。

 意識はひどく混濁し、視界の大半を闇が覆う。

 今度こそ限界だ。

 身体を光が包んでいく。

 

『リアス・グレモリーさまの「兵士」一名、リタイヤ』

 

 アナウンスを背に、ソーナは歩みを進める。

 その瞳は冷静そのものに、ゲームの戦況を把握しているようだった。

 そうして、口を開く。

 

「準備は整いました、頃合いです。さあ、リアス……我が『霜の都』に沈みなさい」

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 変化は唐突だった。

 異変に対し、最初に反応したのは小猫。動物特有の優れた知覚が、漂う空気の変調を感じ取った。

 

「これは……?」

 

 同時に、辺りを囲む気配が一斉にこちらへと近づいてくるのを感じた。

 それは今まで射撃のみに終始していた者も同様に、苛烈な勢いで突貫してくるのだ。

 その対応に追われた小猫が報告を怠ってしまったのは、無理からぬことだったろう。

 彼らの陣形が急変した理由に気付いたのは、リアスの維持していた結界が崩れて間もなくのことだった。

 

 白霧が波のように押し寄せると同時、水気が凍気へと変じる。

 漂う極低温が大気中の雫を凍てつかせ、この場の全て――デパート内部の全域に纏わりついた。

 気づいた時には遅く、足元から立ち上る冷気によって急激に低下した体温は、既に身体を動かせる域にない。それを溶かすべく魔力の炎を発生させても、空気すら凍てつく大冷界の中にあっては燃え盛る前に砕け散るのみだ。

 そうして宙に浮かぶ無数のダイヤモンドダストが、蒼氷の星々となって絶対零度の輝きを振りまいた。

 動く者は、もはや誰一人として存在しない。

 

 空間を霧の魔力で埋め尽くし、然るのちそれら全てを凍気へと変換する。

 これこそが『霜の都』。

 回避不能の対象無差別、暮修太郎を倒すために編み出したソーナ・シトリーの決着魔道(ファイナリティ)だ。

 彼女が扱える魔力は水芸だけに限らない。姉には劣れど半月の間に磨かれた凍結魔力はこれだけの大規模展開を可能としていた。

 

 濃霧の中におけるリアスたちの奮戦は、確かに評価すべきだ。

 まさかあそこまで持ちこたえ、あまつさえ反撃できるとは思わなかった。

 だが、無駄なのだ。

 この閉鎖空間においてソーナに霧の広域展開を許した時点で、リアスたちの勝利は危ういものになっていた。そしてそれは、赤龍帝と聖魔剣が消え、時間の経過という要素が揃ったことで絶対となる。

 

 デパートの屋上で一人佇むソーナは、自分たちの勝利を確信した。

 

 




お待たせしました更新です。

匙と一誠の実力差については、正面から戦えば当然一誠の方が強いです。
しかし長期戦に持ち込めば匙が勝てます。ただ、そんな決着を本人が是とするかと言う問題で今回のような形に。青春してます。
個人的にはパイリンガルを入れられなかったのが残念ですが、一誠はきちんと習得済み。
戦闘中おっぱいおっぱい叫んだので、乳龍帝フラグは生きてる……はず。
ドライグ、残念。

眷属全員を囮にソーナ会長の奥義炸裂。結果は次回。
ちなみに主人公は耐えました。
ずいぶん長くなったこのレーティングゲーム、次回でやっと決着。そのまま章も終わりそうな感じ。
もう少し手短にできればよかったのですが……。


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第四十二話:グレモリー対シトリー《その終》

「おいおい……こりゃあまずいぞ」

 

 アザゼルの呟きは、周囲の者が発する騒々しさの中に消える。

 序盤から大きな番狂わせを見せたグレモリー家対シトリー家のレーティングゲームは、リアスたちの奮戦により勝敗がわからなくなるところまで持ち直した。

 白熱する『騎士』対『騎士』、『兵士』対『兵士』の戦いにおいては観客の反応もかなりの盛り上がりを見せ、ゲームもいよいよ終盤(エンディング)――というところでこれだ。

 

 ソーナ・シトリーの大規模魔力技法『霜の都』。

 デパート内全域の濃霧を全て冷気に変換させるこの技を単純な移動手段で回避することはまず不可能。霧は呼吸を通じて肉体内部にまで侵入しているため、一度でも中に踏み入ったならばダメージを逃れる術はほぼ無いと言っていいだろう。

 加えてこの技、今回のゲームルールに対し絶妙な親和性がある。まったくもって恐ろしい戦法だった。

 

「きゃーーっ☆ すごい! ソーナちゃんすごい! 見てあの氷の魔力、さすが私の妹ね!」

 

「…………」

 

 諸手を挙げつつテンションMAXではしゃぐセラフォルーに対し、隣のサーゼクスは真剣な表情でモニターを見つめている。

 内心は妹が心配で仕方がないのだろうが、そこは魔王。傍から見てわかるような取り乱し方は見せなかった。

 ゲームフィールドを映すモニターは、ソーナがいる屋上のもの以外全て真っ白な冷気に覆われて様子を窺うことができない。濃霧に包まれた直後と同じように、今ごろ撮影担当の悪魔が必死に調整しているはずだ。

 

 間もなくして店内の様子が映し出される。

 広がっていたのは一面の銀世界。

 槍衾の如く霜が床を覆いつくし、壁は薄氷によって余すところなくコーティングされている。ゆっくりと宙を舞うダイヤモンドダストは、まるで昼に輝く星のようだった。

 

 激変したデパート内の様相に反して、店内の被害は最小限に止められており、卓越した魔力操作の冴えが見て取れる。ルール上の逸脱は無かった。

 その光景を見れば、観客たちも流石に驚嘆せざるを得ない。

 この場の上級悪魔の中に、初見であれに対応できる者がどれだけいるだろう?

 今回のゲームはグレモリー家が不甲斐無いと言うよりも、シトリー家が予想を超えて成長したのだと評価しなければならない。

 

「ほっほっほっ、良いのぉ、やはり戦いはこうでなくてはつまらんわい」

 

 驚きざわめく周囲とは対照的に、オーディンは満足げな顔でモニターを見ている。

 

「そのためにわざわざヴァルキリーまで派遣しておいて良く言うぜ。いいのかよ、俺らの戦力を強化するようなことして。他の神が黙ってないんじゃないか?」

 

「ほほっ、半月で教えられることなど高が知れておる。問題無いわい」

 

「その半月でアレなんだがな……まあ、そっちがそれでいいならこっちとしても問題は無いけどよ」

 

 アザゼルは話題を打ち切り、モニターに目を戻す。

 ソーナの大技は間違いなくリアスに届いたはずだ。その結果は――。

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

『リアス・グレモリーさまの「戦車」、「騎士」、「僧侶」ならびにソーナ・シトリーさまの「戦車」、「僧侶」、「兵士」、リタイヤ』

 

 響き渡るアナウンスの中、背後から撃ちこまれたそれにソーナが反応できたのは、やはり訓練の成果だったのだろう。

 すなわち残心。横に跳躍することで襲撃を回避したソーナは、攻撃の方向に振り向いた。

 

「予想していなかったとは言いませんが、実際に直面すると驚かざるを得ませんね。――リアス、まさかあれを凌ぐとは」

 

 視線の先には翼を広げ空を飛ぶ紅髪の少女、リアス・グレモリー。

 周囲に消滅魔力の球体を旋回させる彼女は、まっすぐにソーナを見つめている。

 

「――キャスリングよ、ソーナ。小猫と、ゼノヴィアが頑張ってくれたわ」

 

 そう言って、背後に一瞬目を移した。

 そこには割れたガラスの屋根がある。先ほど一誠が魔力弾を撃ち込んだショッピングモールの天井部分だった。

 状況とリアスの言葉を統合し、ソーナは一瞬でその理由を把握した。

 

 おそらく、真っ先に異変に気付いた小猫を、ゼノヴィアがそのパワーで砕けた天井部分に飛ばし、冷気を回避した時点でキャスリング――『戦車』が持つ『王』との入れ替え転移能力を使うことでリアスを逃がしたのだろう。

 小猫には燃え盛る火車と、黒歌直伝の闘気がある。この場において鎧を纏った一誠に次ぐ耐久力を持つ彼女だからこそ、それが実行できた。天井に空いた穴から霧が漏れ、その周辺の凍気変換が遅れてしまっていたことも一因として挙げられる。

 ゼノヴィアにしても予想外の頑丈さだ。もしかすると聖剣のオーラがある程度ソーナの魔力を散らしていたのかもしれない。

 

「……なるほど。ですが、今のあなたで私に勝てますか?」

 

「勝つ、わ。そうでないと、倒れていったあの子たちに申し訳が立たない」

 

 力強くソーナを睨むリアス。

 凍り砕けた衣服のせいで見かけはボロボロであるが、傷に関しては先ほど『フェニックスの涙』で癒すことができた。炎と風を司る悪魔由来の品であるからか、もしくは単純に懐に入れていたからか、悪魔界至高の霊薬はあの低温下でも凍りつくことは無かったのだ。

 

投了(リザイン)はしませんか……。それもやむを得ないでしょう。しかし、この期に及んで私が手を抜くなどとは思わないことです」

 

 ソーナが手で合図を送ると、屋上に備え付けられている給水塔の陰より人物が現れた。

 『僧侶』草下憐耶だ。

 

「……!」

 

 リアスの顔が驚きを表すかのようにわずかな引き攣りを見せる。

 彼女は先ほどまでショッピングモールにいたはず。それがなぜここにいるのか。

 

 答えは草下が覚えた魔法にある。

 それは『短距離転移(ショートジャンプ)』。

 有効距離はおよそ5メートル程度だが、ショッピングモールの屋根へ退避するには十分。一度使うとある程度時間を空けなければならないため連続使用はできず、燃費もあまり良いとは言えないものの、緊急回避、奇襲を行うにあたって実に有用な能力だった。ギャスパーが彼女の射線を掴み切れなかったのもこれによる。

 

 ソーナは眷族を犠牲にしてリアスたちを術中に誘い大技を決めたが、決して無暗に使い捨てたわけではない。

 何しろあちらには予測不可能なポテンシャルを持つ赤龍帝がいる。もしも相手が耐えきった時に備え、戦力の確保は行ってあった。そして、それは草下だけではない。

 

「椿姫……!」

 

 『女王』真羅椿姫も未だ健在。

 木場との戦いで破れた制服は破棄したのか、纏う衣服を変えた彼女は手に持った一枚の用紙をリアスに見せる。

 そこに描かれていたのはシトリー家の紋章――悪魔召喚用の転移魔法陣だった。

 

「状況を待つ間に作成しておきました。一人分しか作れませんでしたが、せっかく材料があるのですから有効に使わなければもったいありません」

 

 雑貨品・文房具の店はこちらにありましたから、とソーナ。

 その声が、リアスの耳に遠く聞こえた。

 端的に言って、この状況は詰みだ。

 ソーナと草下は全くの無傷。椿姫は木場より負わされた傷が癒えていないようだが、その事実がこちらに味方をすることは無い。なぜならそれは、あちらにまだ『フェニックスの涙』が残っていることを意味しているからだ。

 

 衝撃を受けるリアスに対し、草下が抜き打ちの圧縮魔力弾を放つ。

 

「しまっ……!」

 

 とっさに反応するも、もはや遅い。躱せないタイミングだ。

 凶弾が吸い込まれるようにリアスの眉間へ迫り――しかし横合いから飛来した雷によって落とされた。

 

「なに……呆けているの……リアス……」

 

「――朱乃……! あなた、休んでいるように言ったでしょう!」

 

「休んでなど……いられるものですか……」

 

 雷の主は『女王』姫島朱乃。

 凍ってしまった悪魔の翼の代わりに堕天使の黒翼を広げて宙に佇む。

 傍目に見て痛々しいほどひどい傷を負った彼女は、呆れたように自らの『王』を見つめていた。

 

「アナウンスで呼ばれなかったのでもしやと思っていましたが、やはりあなたも残っていましたか」

 

「おかげ……さまで、ボロボロ……です、けれど。まったく……厄介な攻撃を、してくれますわ、ソーナ」

 

 息も絶え絶えに答える朱乃は、今にも倒れそうだ。空を飛んでいることすらやっとと言った様子だった。

 

「その火傷……自分自身を雷光で焼いて防いだのですね。中々無茶をする」

 

「そちらも……人のことは、言えないでしょう……?」

 

 冷静に言葉を紡ぐソーナに対し、朱乃は不敵な笑みを見せた。

 ソーナの凍結空間は、とっさに練った魔力の炎では到底太刀打ちできないほど強力なものだった。しかし、ゼノヴィアの周り――正確に言えばデュランダルの周辺だけ凍結速度が遅いことに気付いた朱乃は、凍気の魔力変換を光力によって妨害できると推測、自分自身に雷光を纏わせ、何とか脱出することに成功したのだ。

 とはいえ負った傷は深い。

 氷漬けになることは防いだものの、身体に浸透する冷気は体力・精神力ともに大きく削っている。また、扱いに習熟しているとは言えない雷光を無理矢理纏ったことで、火傷だけでなく光によるダメージも受けてしまっていた。

 

「朱乃……」

 

「リアス……心配してくれるのは、嬉しいですけれど……落ち着きなさい……。まったく……あなたがそんなことでは……私だって、怒りに身を任せることもできない」

 

 朱乃の周囲に無数の魔法陣が展開される。

 滑らかな魔力の発動は訓練の成果だ。朱乃は雷光の制御以外にも、リアスと同様の基礎鍛錬を行っていた。

 空中に生み出された砲口より、大小さまざまな雷撃が放たれる。

 このゲームが始まってから朱乃は自身の持ち味である広域高火力が発揮できないでいた。しかしこの開けた屋上であれば話は全く違う。

 床と水平に走る攻撃は、正確無比に建物だけを避けてソーナたちに襲い掛かった。

 

「っ……!」

 

 リアスは今、自分でも予想外なほど動揺していた。

 失策の結果、自身を庇って脱落したアーシア。木場に続いてチームの精神的主柱たる一誠の喪失。陥った窮地を打開するための作戦も、全てソーナの手の平の上だった。

 おそらく、このゲームにおけるリアスの評価は散々だろう。禁手に至った赤龍帝まで擁してこれなのだから、『王』としての器を疑われるに違いない。

 何よりも脳裏によぎるのはかつてライザー・フェニックスに敗北した時のこと。

 あの時とは何もかも違うはずなのに――自分たちは強くなったはずなのに、それでも負けてしまうかもしれないのだ。優秀な眷族を活かしきれない、自分のせいで。

 悔しくて、不甲斐無くて、挽回しなくてはならないのに、今もこうして傷だらけの朱乃を前に立たせる結果となっている。

 

(何をしてるの、リアス・グレモリー……!)

 

 心中で己を叱咤する。

 ソーナが強敵であることは知っていた。たとえ眷族の潜在能力がこちらと比べて見劣りするものであろうと、対抗してくることなどわかっていたはずだ。

 下馬評に惑わされ、意識しないうちに彼女のことを格下だとでも思っていたのだろうか?

 だとしたらなんという無様。

 何よりもそれは、自らの親友であるソーナを侮辱する行為に他ならない。彼女はこんなにも強く、そして真剣だというのに。

 ならば、この結果は自業自得と言うものだ。

 

 悔やむのは後からでもできる。今はこの状況を切り抜け、勝利を掴むことこそが先決だ。

 呆けている暇など無い。ここにリアスが立っていることこそ、不甲斐無い自身のために眷族たちが努力した成果であるならば、それを無駄にすることがどれほど愚かなことか。

 『王』たるリアスは未だ健在。戦う力は残っている。まだ負けてなどいない。諦める理由など何処にもないのだ。

 

 リアスの瞳に再び力の火が灯る。

 

「ありがとう、朱乃。私、どうかしていたみたい。もう、大丈夫よ」

 

「ふふっ、本当に……世話の焼ける、ご主人さまですわね。ひとつ貸し、ですわよ?」

 

 朱乃の雷撃乱舞にリアスの消滅魔力が混ざる。

 障壁を展開しながら回避行動をとることで攻撃を凌いでいたソーナたちだったが、リアスの加勢によってとうとうその均衡が崩れた。

 

「――くっ!」

 

 草下に雷撃が集中する。

 手数と制御を重視したため本来の威力に達していないとはいえ、朱乃のそれは依然として強力だ。そこにリアスの魔力波動を撃ち込まれてしまえば、ひとたまりもなかった。

 転移する暇も無く障壁が砕かれ、強烈な一撃が草下を撃ち抜いた。そしてそのまま光に包まれて消える。

 

『ソーナ・シトリーさまの「僧侶」一名、リタイヤ』

 

 続いてソーナに火力が集まる。一際巨大な雷撃が、空中を駆け抜けた。

 その前に立ちはだかるのは真羅椿姫。手を前にかざせば、巨大な鏡が盾の如く出現する。

 神器『追憶の鏡(ミラー・アリス)』。

 その能力は破壊された際に衝撃を倍化して相手に返すというものだ。

 加えてカウンターという性質上、どれほど破壊力の高い攻撃であっても鏡と同等の規模であるならば一度だけ必ず防ぐことができる。

 

 鏡が砕け散るとともに、雷撃の威力が凄まじいまでの衝撃波となって朱乃へと迫る。その速度は易々と回避できる域には無く、満身創痍であるならなおさら、朱乃の撃墜は決まったようなものだ。

 しかし神器による反撃はリアスの魔力波動によって受け止められた。練りに練られた消滅の力が衝撃波を相殺する。

 それによってエネルギーが大きく弾け、暴風が椿姫たちの視界を塞ぎ――直後、眩い閃光が姿を現す。

 

 黄金色に輝くオーラの塊は雷光の力。

 先ほどの巨大な雷は椿姫に神器を使わせるための囮。本命はこちらだった。

 椿姫の神器はその強力さ故に連続使用が出来ないという欠点を抱えている。これから先の成長次第ではわからないが、木場から聞かされた情報により現状それは確実と言えた。

 

「沈みなさい……!!」

 

 巨大な雷光の柱が放たれる。

 威力・速度・規模共に今の限界まで練り上げられた渾身の一撃だ。前に立ちふさがる椿姫ごとソーナを吹き飛ばすには十分。

 だがしかし。

 

「沈むのはそちらです。『追憶の鏡』よ――」

 

 呟く椿姫がかざした手の平を上に返せば、砕けた鏡の破片が宙へ浮かび上がる。

 確かに椿姫の神器は連続使用が出来ない。しかしそれはあくまで完全な状態(・・・・・)での話。

 匙の『黒い龍脈』が異例の進化を遂げたように、椿姫もまた神器をもう一段階成長させている。それがこの破片の再利用であった。

 

 そもそも、暮修太郎と戦うのに一度のカウンターではまるで手数が足りない。至近距離からのカウンターでさえ易々と躱す相手なのだから、これぐらいできなくては話にならないのだ。

 反射威力は等倍以下と性能は格段に落ち、また破片の全てを使えるわけではないため防御範囲も小さくなるが、それでもカウンター能力は十分に機能する。代わりに再使用までの時間が余計に増えてしまうものの、緊急手段として考えれば許容範囲内だろう。

 

 空中に集う破片が雷光の大部分を受け止め、隙間から漏れ出た分をソーナの障壁が防ぐ。朱乃渾身の攻撃は見事に凌がれてしまった。

 同時に神器によって返された衝撃波が、無数の流星となって朱乃に殺到する。

 それに朱乃が反応することはない。なぜなら、既に彼女は戦う力を持っていないからだ。

 傷だらけの身体を押して力を行使した彼女はついに限界を迎え、光に包まれフィールドから去ろうとしていた。

 殺到する衝撃波は、薄れゆく朱乃の身体に当たることなくすり抜けていく。

 

「朱乃……」

 

 朱乃は最後に一度リアスに微笑み、激励する。

 リアスも覚悟を秘めた笑み返し、そうして光が消えた後、力強い瞳で敵を見据えた。

 

『リアス・グレモリーさまの「女王」、リタイヤ』

 

 アナウンスが響いた直後、帯電する空気を切り裂いて椿姫が飛ぶ。

 『女王』の特性を引き出している椿姫は、『騎士』と同等の速さを誇る。いくら高いフィジカルを持つとはいえ、接近戦を専門としていないリアスでは対応できないはず。

 しかしなんとリアスは、迫る薙刀の刃に対し自ら飛び込んだ。

 

「――!?」

 

 予想外のことに驚く椿姫だったが、最も驚愕したのは次の挙動だ。

 リアスの手に魔法陣が生まれ、そこから何かが飛び出したのを見る。

 それは、剣の柄だった。

 

 素早く抜き放たれたものは、紅の刀身を持つ魔剣だ。

 リアスはそれを使って薙刀を受け止める。強い衝撃を身体に受けて表情を歪めながら、背後に滞空させていた魔力球体を椿姫目掛けて放った。

 咄嗟の反応で障壁を張る椿姫だったが、ライフル弾の如き形態をとって貫通力を高めた魔力は瞬く間に防御を砕く。これは草下が使っていた攻撃と同じものだ。

 それに対し椿姫は、薙刀を振り切って身体を捻ることで回避。その技巧は達人級と言って何ら差支えないものであったが、続く追撃を躱すことはできなかった。

 回避直後の無防備な身体に、黒く輝く魔力の鉄槌が叩き込まれる。

 

『ソーナ・シトリーさまの「女王」、リタイヤ』

 

 虚空に響く審判役の声。

 椿姫が残した光の粒子を切り裂き、地に降り立ったリアスはソーナと対峙した。

 しかし戦況をイーブンに持ち込まれたと言うのに、リアスが見る限りソーナの顔に焦りの色は無いようだった。

 

「……それは、木場くんの魔剣ですか」

 

「ええ、合流したあと護身用に持たされたの。十全に扱えるとは言えないけれど……盾代わりくらいには使えるわ」

 

「なるほど。兵藤くんといい、彼らはあなたに多くのものを残したようですね」

 

「イッセー……そうね。だから、負けられない。いくわよ、ソーナ」

 

「望むところです。私にも負けられない理由がある」

 

 両者とも空中に無数の攻性魔力を生み出しながら、歩を進める。

 互いに屋上の中央へ、一歩足を踏み出すごとに、少女たちが生み出す力の量は増えていく。

 圧縮を重ねることで一つ一つの力を追求するリアスに対し、ソーナはひたすらに多彩、水の刃と氷の槍とを乱立させている。二人が展開した力の質量は同じく膨大だが、その趣は対照的だった。

 

 激突の合図は両者同時。

 消滅波動と氷結水流がぶつかり合い、弾けて消えてを繰り返す。

 殺到する蒼を旋回する黒が削り、反撃の黒を巻き上がる蒼が散らす。魔力に関する力量は両者互角に見えた。

 このままいけば千日手。いや、『涙』を残すソーナが圧倒的に有利だろう。

 ならば――。

 

 握る刃を構えてリアスが駆ける。

 己が身を守る事だけに魔力を集中させ、波濤のようなソーナの攻撃を潜り抜けていく。

 立ちはだかる水のカーテンに目の前を塞がれながらも、魔力の傘でそれを突き破り、剣を振りぬいたその時。

 

「――!」

 

 舞い散る飛沫の中、待ち受けるソーナの手には一振りの細剣。

 それによってリアスの刃は防がれる。

 そしてそのまま接近戦に移行した。

 

 至近距離で放たれる魔力の応酬と共に、互いの剣が交わる。

 リアスとソーナの剣技は、木場や巡と比べると(つたな)いものだ。

 両者とも名門上級悪魔の教養としてフェッシング、あるいは剣道などといったものを修めてはいるが、しかしそのどれもがスポーツの域を出ていない。

 差が生まれるとすれば、それは経験の差だった。

 

 リアスの剣は魔力をぶつけ合う中でもまっすぐにソーナへと走る。

 しかしソーナは余裕を持ってそれを受け流していく。

 高いフィジカルから放たれるリアスの剣は魔剣の鋭さも相まって侮れるものではないが、訓練期間中ソーナを狙ってきた剣鬼の鋭剣と比べれば凌ぐのは容易い。

 剣術合戦において、ソーナはリアスに勝っている。

 だがしかし、それでもソーナは攻めきれない。

 

「流石……!」

 

 理由は魔力特性の差。

 距離が離れていた時は物量で圧し潰せた消滅の力だったが、剣の間合いの中においては迎撃のための材料(みず)を確保しきれない。

 何よりも特筆すべきはリアスの底力だ。至近距離での魔力操作は自分すら消し飛ばしかねないにもかかわらず、恐れも迷いも無く剣を振るっている。

 長年の付き合いだ。彼女の諦めの悪さは知っている。

 過去のライザー・フェニックス戦においても、兵藤一誠が極限まで痛めつけられなければ投了(リザイン)しなかったことはソーナでなくともわかっただろう。あるいはこれも兵藤一誠の影響だろうか? 根性、あるいは火事場の馬鹿力と呼ばれるものを、リアスは発揮している。

 

 その兵藤一誠が崩された時、ソーナはリアスに大きな精神的動揺を与えられると踏んでいた。彼女は自分よりも眷族を大事にするという『王』らしからぬ欠点を抱えているからだ。

 しかしそれは『女王』たる朱乃によって正された。そして今、互いに一対一で刃を交えるに至っている。

 

 ソーナにとってリアスは幼馴染であり、親友であり、最大のライバルだ。

 幼い頃から互いに何かを競い合い、時には喧嘩もしながら今まで生きてきた。彼女の美点も欠点もソーナは知っているし、それはリアスも同じだろう。

 ソーナに無いものをリアスは持ち、ソーナもリアスに無いものを持っていると自負している。

 その中でソーナがリアスのことを羨ましいと思うことがあるとすれば、それは彼女の持つ『出会いの才能』だ。

 

 姫島朱乃との邂逅に始まり、塔城小猫を保護し、木場祐斗を蘇生させ、ギャスパー・ヴラディを拾い、そして赤龍帝・兵藤一誠と出会った。

 その後もアーシア・アルジェント、ならびにゼノヴィアを自らの眷族に加えたことで、グレモリー眷族の潜在能力は凄まじいものとなっている。

 

 通常、これらの強力な人物を仲間とするならば、相応の問題が発生するものだ。タイミングもあるとはいえ、ここまで綺麗に収まることは極めて珍しい。驚くべきはそれらの出会いをリアスが意図して行っているわけではないという点である。これはもはや尋常ではない。彼女は、確実にそういった『縁』を持っているのだ。

 

 無論、自身の眷族もリアスのそれに劣るものではないと思っている。だからこそ、その才能も含めてソーナは彼女と対等で在らねばならないと考えるのだ。

 ソーナにとってこのゲームは自身の夢を叶えるための第一歩であるとともに、先んじるリアスと並び立つための場でもあった。

 精神の高揚を感じる。

 この戦いは、負けられない。

 負けるわけにはいかないのだ。

 ソーナ・シトリーは研ぎ澄まされていた。

 

「うっ……!」

 

 ソーナの剣が一層その鋭さを増す。

 剣術というものは、ある一定のレベルに達するまで攻め手よりも受け手の方に高い技量が要求される。剣士でもない両者が互角の腕前である以上、受けに回った方が圧されるのは自明であった。

 だがリアスは退かない。ここで退けば押し切られるのがわかっているからだ。

 

 自分は眷族を率いる『王』として、ソーナに劣っている。それは認めるしかない。

 思えば昔からソーナはリアスでは思いもつかない策を考え出すことに優れていた。感情的な自分に対し、理性的な彼女がそれを補う場面は多々あり、そのたびにリアスはソーナの能力を羨ましく思ったものだ。

 このゲームを見ても、ソーナの指揮能力は卓越したものだと良くわかる。厳しく統制されたシトリー眷族の動きは自身の眷族では真似できない。

 一言、すごい、と尊敬する。

 そして同時に感謝した。今まで格上か圧倒的格下ばかりと戦っていた自分たちが、初めて戦った同格の相手。それがソーナとその眷族であることに。

 

 集中力は最大、力も技も出し切っている。

 この場に仲間の眷族はいないが、しかし不安は無い。

 アーシアが守り、ギャスパーが導き、木場が残し、一誠が切り拓き、小猫とゼノヴィアに生かされ、そして朱乃から力をもらった自分。

 一人ではない。ここにみんなの力が集まっている。

 心が激しく奮い立つ。

 この戦いは、負けられない。

 負けるわけにはいかないのだ。

 リアス・グレモリーは前に進む。

 

 少女たちは舞う。

 激しく、鋭く、美しく、時には無様に。

 打倒の意志を曇らせず、互いの剣が砕けようとも。

 二人の頭に降参の意思は無い。それは互いを侮辱するも同然であるからだ。

 言葉は交わさず、しかし彼女たちはわかりあっていた。

 

 全力と全力、その限界を超えて競い合った結末は――。

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 リアスが目を覚ますと、そこは医療施設の一室だった。

 ぼんやりと曖昧な景色をしばらく眺め、そして唐突に覚醒。布団を押しのけ、勢いよく起き上がる。

 

 どうやらゲームで負った傷はほとんど治療されているようだ。痛みも無ければ動くのに支障も無い。つい先ほどまで激痛を訴えていたものが消え去るという、何とも言えない不思議な感覚をリアスは味わった。

 

 ゲームの結果はどうなったのだろうか?

 渾身の一撃を直撃させ、ソーナがフェニックスの涙を取り出したところまでは覚えている。その後も戦闘を続行した記憶はあるがしかし、決着がどうなったかはさっぱりだった。

 ベッドに座ったまま考えるリアスに、一人の人物が近づく。

 アーシア・アルジェントだ。起き上がっているリアスの姿を認めた彼女は微笑みながら口を開く。

 

「おかげんはいかがですか、部長さん」

 

「アーシア……」

 

 元気な様子のアーシアを見たリアスは、一度目を伏せ、再び彼女を見上げた。

 

「ありがとう、アーシア。あなたのおかげでソーナと戦えた。感謝してもしきれないわ」

 

「そ、そんな大したことは……! あの時は身体が勝手に動いたというか……結局、ゲームではあまりお役に立てませんでしたし……」

 

「いいえ、大したことよ。アーシアがいなければ、私は序盤戦で撃破されていたのだから。役に立っていないなんてことは無い。むしろ私の方が不甲斐無かったわ」

 

「部長さん……」

 

 その後の会話によると、既に眷族の仲間は傷を完治させているらしい。

 今はシトリー眷族の面々と交流を深めあっているとのことだった。アーシアはリアスの様子を見に来たのだと言う。

 

「それで、ゲームの結果はどうなったの?」

 

「それは……」

 

 最も気になることを聞いたその時、部屋の扉が開く。

 姿を見せたのはソーナだった。

 

「先ほど振りですね、リアス。調子はどうですか?」

 

「……ソーナ。ええ、大丈夫。このとおり元気よ」

 

 リアスの言葉に微笑みを向けるソーナ。

 そして、静かに問いかける。

 

「ゲームの結果はもう聞きましたか?」

 

「いえ、まだだけれど……何しろ、さきほど起きたばかりだから」

 

「そうですか……では私から伝えましょう。ゲームの結果は、引き分け(ドロー)です」

 

「え……?」

 

 その言葉にリアスは驚く。

 別に負けることを承知で戦っていたわけではなかったが、思い返せばあの状況でリアスが勝てた可能性はかなり低い。フェニックスの涙を使われた時点で敗北の色は濃厚だった。

 それが引き分けとは、どういうことなのだろう。

 考えていると、思考を察したソーナが答える。

 

「覚えていないのでしたら教えましょう。実のところを言うと、あの時私が取り出したのはフェニックスの涙ではないのです」

 

「……? じゃあ、あれは何だったの?」

 

「あれは偽物……ただの水です。雑貨屋に似たようなデザインの小瓶がありましたから、水を入れてメンバー全員に持たせていたのです。戦況によってはそれを使うそぶりを見せ、あなたたちに使用を阻止させるつもりでした。もうこちらに回復手段が無いと知れば、あなたたちは安心するでしょう。その思考の隙を叩く予定だったのです」

 

 確かにそんな展開にならないとは言えない。戦場においてわずかな隙が命取りとなることは、序盤のリアスを見れば明らかだろう。

 ぞっとしない話を聞いてリアスの表情が引きつった。

 

「それは……恐ろしいわね。じゃあ、涙は誰が持っていたの?」

 

「草下です。本来、あの子は後方からの補助支援を得意としていますから。思えば、早い段階で姿を晒させたのは失敗でした。まさか朱乃があそこまで戦えるとは……私もまだまだですね」

 

 そう言って、思案気な顔になるソーナ。反省でもしているのかもしれない。

 数秒後、再び口を開く。

 

「まあいいでしょう。ともかく私はあの戦闘中、涙の偽物を見せ、そして投げつけることであなたの意識を逸らそうとしました。唯一の回復手段を敵に投げつけるなど予想外もいいところですからね。ですが……」

 

 失敗したらしい。

 何故かと問えば、リアスは小瓶を全く無視してソーナへ攻撃を続行したのだと言う。結果として戦況は互角のまま、相討ちになってしまった。

 そこまで話を聞いて、だんだんとリアスも思い出してくる。

 

「確かにあの極限下において、小細工などさして意味を持たない。きっと私は戦闘者として純粋ではなかったのでしょう。その点あなたは流石です、リアス」

 

「…………」

 

「リアス?」

 

「え! ああ、うん。……そうね」

 

 ソーナの言葉に慌てて応じるリアス。その笑みはひきつり、額からは一筋の汗が流れている。

 実のところを言うとあの時リアスはきっちり小瓶に反応しており、それに向かって攻撃を放とうとしたのだ。しかしながら、集中が途切れてしまったのか狙いが狂って外れてしまっていた。

 つまりソーナの称賛は勘違いである。ばつが悪いどころの話ではない。

 

 そんなリアスの態度をソーナが見逃すはずもなく、リアスもこのままでは不義理であるとして、勘違いはすぐさま解消される。

 恥ずかしげに顔を赤らめるリアスにソーナは苦笑した。

 

「何にせよ、素晴らしい戦いでした。あなたが最初の対戦相手で良かった」

 

 そう言って、ソーナはリアスへと握手を求めるように手を差し出す。

 

「私こそ。今回のゲームで私に欠けている多くのことを学ばせてもらったわ。……勝てなかったのは残念だけれどね」

 

 リアスは微笑みながら差しのべられた手を取った。

 

「それは私も同じです。ですが、いずれまたゲームで勝負を競う機会もあるでしょう。その時こそ、白黒決着をつけましょう」

 

「ええ、いずれ。今度は私が勝つわ」

 

「ふふ、そっくりそのまま同じ言葉を返しましょう」

 

 互いに顔を見合った後、二人の笑い声が響く。

 そんな良きライバルたちの姿を見て、アーシアは静かに微笑むのだった。

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

 月の輝く星空の下、シトリー本邸中庭にて賑わいの席が設けられていた。

 指導者陣への感謝も含めたレーティングゲームの打ち上げである。

 

 中庭には多数の長テーブルが出され、そこに様々な料理が置かれていた。所謂バイキング形式だ。

 豪華絢爛、と言うほどではないが、ホテル顔負けの献立は見るからに食欲をそそる外観だ。

 

 その間を駆け抜ける黒い影が一つ。

 次々と料理を手持ちの受け皿に乗せ、手に持ったフォークで口に運んでいく。

 咀嚼するごとにピクピクと反応を示す猫耳と、二又の尾の持ち主は黒歌。

 実に幸せそうな笑みを浮かべて食べ物を味わっている。

 

「なんであの人がここにいるんだ……?」

 

 疑問符を浮かべるのは匙元士郎。

 黒歌はグレモリー側の指導者であり、シトリー眷族とはまったく関わりがない。

 本来であればここにるはずのない彼女が何故ここにいるかと問えば――。

 

「そりゃあ、暮さんに付いて来たからじゃないですか?」

 

 仁村留流子が答える。

 視線の先には修太郎の姿。彼はロスヴァイセ、椿姫二人と何やら会話しているようだった。

 

「まあ、それしかないよな……」

 

「ねえねえ、それよりも元士郎先輩!」

 

「うん? 何だよ仁村」

 

「暮さんのことなんですけど、ちょっと見返したくありません?」

 

「はあ?」

 

 そう言って、仁村が懐から何かを取り出した。

 それは液体の入った小瓶だった。

 

「……嫌な予感しかしないが、一応聞いておく。それは何だ?」

 

「あ、毒薬とかじゃないですよ。というか致死性の猛毒も効かなそうな人ですし」

 

「お前、あの人を何だと思ってるんだ……流石にそんなわけ……無いよな?」

 

 致死性の猛毒を無効化する人間なんているわけないだろうと反論したかった匙だが、否定しきれないところが何ともアレだった。

 なにはともあれ小瓶の中身である。

 仁村は続ける。

 

「これはですね、アルコールです」

 

「アルコール、って……そんなもんで何をする気なんだよ」

 

「正確には、アルコール度数を爆発的に増大させる魔法薬です。この薬を、こう……カクテルに混ぜてですね、暮さんを酔っぱらわせちゃおうと思いまして。ほら、そんな暮さん、見たくありませんか?」

 

 持ってきたカクテルのグラスに液体を垂らし、にやりと笑う仁村。

 

「まあ、見たくないと言えば嘘になると言えなくもないけどよ……やめとけよ。俺にはその試みが無謀に思えてならない」

 

 大きく成長を遂げた匙の奇襲すら掠りもせず凌ぐ男だ。眷族の総力を挙げてさえ、巡が何とか一撃与える(と言っても斬撃ではなくただの蹴り。ダメージはほとんど無し)のが精いっぱいなのである。

 冗談のようなシックスセンスを持つ彼に一服盛るだなんて不可能としか思えなかった。

 

「心配ご無用、この薬が効果を発揮するのは人肌に温まってから……つまりお酒が胃の中に入ってからです。だから飲む前にバレる恐れは多分ありません!」

 

「でもな仁村、あの人は一応俺たちを鍛えてくれた恩人だし、そういうことをするのはだな」

 

「元ちゃんたち、何やってるの?」

 

 そこに現れたのは花戒桃である。こそこそ話す二人を見て気になったらしい。

 

「ああ、花戒。お前もこいつを止めてくれよ。仁村のやつ、暮さんに一服盛ろうと……」

 

「ふふふ、嫁入り前の身体を先輩の前で剥かれて十日とちょっと……この仕返しをいつやろうかと考えつつ、今日! 普段お酒を飲まない暮さんだけど、今この時ならきっと嵌まってくれるッ! 行きます、元士郎先輩!!」

 

「ああっ、仁村!?」

 

 匙の制止もむなしく、修太郎の下へ走り去っていく仁村。

 ハラハラしながら眺めていると、驚くことに何事も無くカクテルを引き渡して戻ってきた。

 

「成功……しちゃいました……」

 

 匙の下に走ってきた彼女の顔は真っ青で、冷や汗だらだらだ。まるで先ほど死地から舞い戻ってきたかのようだった。仁村にとっては事実そうだったのだが。

 勢い任せにやって後悔するならやめればよかったのに、と言うのももう遅いだろう。匙もなんだか無性に緊張してきた。

 そして。

 

(あれ、これバレたら止めなかった俺も同罪じゃねえ?)

 

 なんてことに今更気づく。

 だが時すでに遅し、既に賽は投げられたのだ。

 

「ねえ元ちゃん、留流子がいったいどうしたの?」

 

 見る間に顔面蒼白となった匙を見て、花戒が再び問う。

 かくかくしかじか、匙はありのままを花戒に伝えた。花戒の顔もみるみる蒼くなる。

 

「留流子、あなたなんてことを! 今ならまだ間に合うわ、飲む前に取り返して謝りなさい!」

 

「でも乙女の尊厳が……いえ、そうですよね! ちょっともう一回逝ってきます!」

 

「仁村、字が! 字が違う!」

 

 再び走り出す仁村だったが、見れば修太郎はカクテルを口に運ぼうとしている。

 やばい、これはやばい。

 一服盛ったのがバレたら修太郎がどんな反応をするのかわからないし、穏便に済んでもソーナからの制裁は避けられない。

 と言うか、もし酔っぱらって彼が暴れ出したら止められる者が(おそらく)黒歌を除いて他にいないというのが何より不味い。

 この敷地内に存在する全戦力を合わせても、修太郎には敵わないのだ。

 何その人間、ちょっと意味不明過ぎるだろう。

 

「待っ――――!」

 

 涙目の仁村が制止の声を叫ぼうとした、その時。

 

「うにゃーん! 助けてシュウ!」

 

 横合いからかかる声に修太郎の動きが止まる。

 そちらを見れば、皿に山盛りの料理を乗せた黒歌がバランスを崩していた。

 修太郎は流れるような動きでカクテルをロスヴァイセに渡すと、疾風もかくやというほどの速度で動き、転びそうな黒歌を支えた。

 

「まったく、調子に乗るからそんなことになる」

 

「にゃはは……ごめんにゃ。シュウも食べる?」

 

 とまあ、そんなこんなでイチャつき始める二人をよそに、仁村と匙と花戒は安堵の息を吐く。

 彼女らに迫る自業自得(ピンチ)は無事回避された――。

 

 かに見えた。

 

「あら、おいしい」

 

「ん……?」

 

 振り向けばロスヴァイセ。

 その手には少しばかり量の減ったカクテルのグラス。

 そういえば、修太郎は先ほど彼女に薬入りのそれを渡していたような……。

 

『――――!?』

 

 理解し、戦慄する。

 まさかのロスヴァイセ。

 匙たちにとっての恩師、訓練期間を乗り越える一助になった女神さま。

 ロスヴァイセ課長改めロスヴァイセ先生である。

 

 酒乱の気があり、しかも悪酔いしやすい彼女はこの席でも酒を控えていた。

 しかしながら、会場の空気的にやはり飲みたくなったのだろう、度数も少ないことであるし、少しならばと修太郎がまだ口を付けていないカクテルを飲んでしまったのだ。

 

 数秒後、変化は訪れる。

 胃の中に入った魔法薬混じりの酒は、体内の温度を受けて急激にアルコールを増大させる。少量の摂取であったため中毒に倒れるほどではないのが幸いだったものの、しかし一気に出来上がるには十分な量だった。

 

「あれぇ……? なんだかきもちよくなっれきましたぁ……」

 

「ロ、ロスヴァイセさん……?」

 

 急に顔を赤らめ、呂律も怪しくなった彼女に椿姫が困惑する。

 ロスヴァイセはそれを無視してグラスの中身を一気に飲み干した。すごく胴に入った飲みっぷりだった。

 

「ぷはーっ、だいたいれすねぇ……むちゃなんれすよ。そりゃわらしはこうれいじゅつもにがてれすし、ゆうしゃさまのたましいらんかよべましぇんよ。おちこぼれのばるきりーでしゅよ! れもだからって、ひとりだけれそとまわりのえいぎょうなんて、ひどいとおもいましぇんか? しんらさん」

 

「え、ええぇ……?」

 

「はにゃしかけてことわられ、ことわられことわられれ……やっとノルマくりあしたとおもってたら、みんにゃしっそうしちゃうし、もうわらしどうすればいいんれす? しゃっきんにゃんかいっしょうかけてもかえしぇましぇんし、かれしはできないし、かれしはできないし、かれしはできないし! ついせんじつにゃんか、またアイドルのまねごとをやれにゃんていわれたんれすよ? まえやったのらってギリギリのギリギリれ、しゅーたろーさんたちがいなかったららいしっぱいだったのに! フレイヤしゃまにだってにらまれちゃうのに! いくらおかねがかせげるからって、もういやなんれすよ、あんにゃの! だいたい『ぶいえるけーふぉーてぃーえいと』ってなんれすか! にほんにきてしりましたけろ、パクリじゃないれすか!」

 

「は、はぁ……」

 

 目が座っている。

 ストレスの塊を吐き出すような愚痴の乱舞に、椿姫はめちゃくちゃ引いていた。

 というか何をやらされてるんだこの人。

 

「それもこれも、みんにゃじぇんぶ、うーとがるじゃ・りょきのしぇいでしゅよ! あのクズきょじんおうのせいでむだにゆうめいになっちゃうし、『ふぁん』なんていうひともでてきちゃうし、で、でもじぇんじぇんまったくもてないし、うぅ……わらし、そんにゃにみりょくにゃいですかねぇ……? う、うえええええぇぇん!!」

 

『!?』

 

 急に表情を崩して泣き始める戦乙女に、場の一同は驚く。

 匙・仁村・花戒は勿論、すぐそばにいた椿姫、ちょっと離れたところで料理を食べている由良と巡、草下、無論のことソーナも、そしてシトリー家に使える悪魔たちもその様子を凝視していた。

 

「ううぅ……ぐすっ、そのてんいいれすよね、がくせいっていうのは。はたらかなくれもいいし、べんきょうらけしてればすてーたすににゃるんですから。ともだちといっしょにあそんだりしてるのれしょう? まいにちまいにちふじゅんいせーこーゆーのなのもとに、いちゃこらいちゃこらしてるのれしょう? ……わたしにはそんながくせいじだいにゃんてなかったですけろ……いいなー、いいなー、がくせいっていいなー」

 

「あ、あの、ロスヴァイセさん……」

 

 椿姫は為されるがままにロスヴァイセに絡まれていた。

 周囲に視線を巡らせて、言外に『助けて!』と訴えるが、誰も手を出せない。と言うより出したくなかった。

 そんな中で動ける人物がいるとすれば、それは――。

 

「いかん、絡みだした。クロ!」

 

「ああ、うん。何となくこうなる気がしてたにゃん」

 

「ああん! なにすりゅんれすか、しゅーたろーしゃん!」

 

 ここに来てやっと事態を察知した修太郎たちがロスヴァイセを椿姫より引きはがす。

 椿姫の目には、半月前まで――最近もだが――あれだけ恐ろしかった剣鬼が、今この瞬間だけは英雄に見えた気がした。

 

「ほら、こっちに座って落ち着け」

 

「いーやーですー! もっろしんらしゃんとはなすんれすー!」

 

「……これはひどいな。宴会末期状態だ。椿姫嬢、ロスヴァイセは何杯飲んだ?」

 

「え、ええと、カクテル一杯だけですが……」

 

「一杯? いくらロスヴァイセでもそんな馬鹿な……まあいい。彼女はこちらで引き受ける。キミたちは今まで通り楽しんでくれ」

 

「え、ええ、はい、わかりました」

 

 そうして二人に引きずられていくロスヴァイセ。

 今まで真面目な姿しか見た事の無かったソーナ含むシトリー眷族の面々は、彼女に抱いていたイメージの崩壊にしばし呆然となった。

 

「うぅ……しゅーたろーしゃん、わらしれすね、じつはいまのしごとはずされそうにゃんでしゅ……。いまのじょうせいじゃノルマがれすね、たっせいれきないから、っておーでぃんさまがいってたんれすよぉ……。つぎはなんのしごとをやればいいんれすかね、やっぱりまたアイドルとかやらされちゃうんれしょうか? どうせ、も、もてないのに、よめいりまえで、ひらひら~なろしゅちゅのおおい、はじゅかしいかっこうばっかりさせられちゃんれしょうか?」

 

「大丈夫だロスヴァイセ。きっとそのようなことにはならない。もし駄目だとしても、その時はまた俺たちが助ける。安心しろ」

 

「そうよロスヴァイセ。大体そんな仕事、やりたくないなら突っぱねちゃえばいいにゃん! 私たちはいつでもあなたの味方なんだから、もっと頼ってもいいのよ?」

 

「うぅ……しゅーたろーしゃん、くろかしゃん……ありがとうございましゅ……」

 

 そんな彼らが座る一角だけ、雰囲気が完全に居酒屋だった。

 しかし誰もツッコミはしない。みんな頭を整理するのにそれどころではなかったのだ。

 

 ちなみにこの騒動が治まった後、仁村がやったことは結局ソーナにバレてしまい、下手人の少女とついでに匙はお仕置きを受ける羽目になった。

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

「いや、予想外のことばかりだったが、それだけに良いゲームだったな、サーゼクス」

 

「ああ、リアスの評価としては少々辛いものになっただろうが、当人たちは満足しているようだ。二人とも、きっとこれからますますの成長を期待できることだろう」

 

「ライバルってやつか……青春だな。おっさんとしては眩しすぎて溜息が出てくるぜ。もうそういう歳でもねえしな」

 

「そうは言うが、やはり対等の友人は互いを引き上げるものだぞアザゼル。あなたとミカエルもそういった関係だったのではないかな?」

 

「よせよ、あいつとはただの腐れ縁だ」

 

「ふふふ、数千年の腐れ縁とは、また業が深いな」

 

「ちっ……もうその話はいいだろう。息抜きも済んだし、問題はこれからだ」

 

「……ああ、『禍の団(カオス・ブリゲート)』だな」

 

「それと高円だ。『禍の団』は今のところシャルバ・ベルゼブブによって統率が為されているらしいが……そっちよりも奴の方がヤバい。奴は確実に俺たちの勢力に内通者を作っている」

 

「魔人・高円雅崇――100年の封印から目覚め、現代での活動期間は10年に満たないが、暮修太郎くんに情報を知らされるまで私たちは存在すら把握していなかった。これは異常なことだ」

 

「100年前も、それ以前も、聖書の勢力は日本にいるにはいたが、今と比べれば数はかなり少なかった。その時代ならまだわかる。だが現代である今、悪魔・堕天使・天使の目を抜けつつ話に聞くような破壊活動を行えたとは考えにくい」

 

「ああ、高円雅崇は我々に対し既に何かしている(・・・・・・)。これは確実だ。そしておそらく、上層部にまで手が及んでいるはず。でなければこれほどの情報操作はできない」

 

「その内通者本人にそういった自覚があることすら怪しいのがまた厄介だ。なんせ、憑依、洗脳、寄生虫――なんでもござれな敵だからな」

 

「こちらでも怪しいと思われる人物を目下捜索中だが、結果はあまり芳しくない。おそらく対象は一人二人で収まらないだろう。……頭が痛いことだ」

 

「これで本人の強さに加えて、馬鹿げた力を持つ鬼神もいるってんだから冗談にもならん。京都陰陽師たちに協力を申し出て正解だったな。やっこさんから提供された情報が無ければ苦労は倍どころじゃ済まなかった」

 

「例の障壁に関しては提供された情報を基にアジュカが対抗術式を構築している。おそらくそれで8割は回避能力を削げるはずだ」

 

「敵の仕込み――内通者を判別する装置はこっちで作ってる。完成まではもう少し時間が要るが……」

 

「それまで大きな動きはとれない、か。悩ましいな」

 

「仕方ないとも言えるが、どうもいいように動かされてるようで気に入らねえ。……そういえば、確かリアスたちのゲームを監視していた奴らがいたとか言ってたな」

 

「ああ、警備をしていた私の眷族が次元の狭間にいるのを見つけた。それによると、相手は『堕天使の姿』をしていたとのことだ」

 

「堕天使……しかも次元の狭間か。明らかに普通の奴じゃないな。怪しすぎる。だが、目的は何だ?」

 

「わからない……追跡部隊を送った直後、すぐに姿を暗ましてしまったらしい」

 

「何にせよ、俺たちは動けん。しかし、それはそれで問題だ。そうだな、そんじゃちょいと『遊撃部隊』ってのを作ってみるか」

 

「『遊撃』? 今の我らに人材の余裕は無いはずだが……」

 

「おいおい、ちょうど適任なのがいるだろう? 俺のところにもな。ついでだ、オーディンや帝釈天にも人手を要請してみるか。『強くて暇な若手いないか』ってな」

 

 




お待たせしました更新です。
これにて今章は終了。かなり長くなってしまいました。
ゲームの結果に関してはこのような感じで。決め手は朱乃さんの頑張り。
白黒つかなかったものの、評価的にはシトリー眷属大金星です。
そしてこの経験を基にリアスも王として成長することでしょう。きっと。

それはそうと、web連載されてる刃狗を読んで驚いたのが、真羅家の家格の高さ。
五大宗家って、そんなすごい家の出身だったんですね椿姫さん。
現状あまり修正する箇所はありませんし、物語への影響も無いに等しいですが、これには驚いた。
……巡さんあまり格の高い家じゃないことになってるけど大丈夫だろうか。

この後は番外挟んで次章です。
ようやく愛刀の行方が明らかになります。あとディオドラがひどいことになる(予定)。


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番外話:黒猫のメモリー~イタリア編~

 ――あなたの目の前には、まあ、うん、いつもの見慣れた日記帳がある。

 ――周囲を探っても、問題のある気配は無い。

 ――ここまで来たら見なきゃ嘘だろう。もう言い訳すらしない。

 ――慣れた手つきで、あなたは日記帳を開いた。

 

 

 

 @月*日

 

 魔物討伐の仕事を斡旋してくれる場所に行く。

 でもやっぱり新入りだからか、あんまり実入りのいい依頼は受けられなかった。

 下水道のスライム排除……シュウの腕を考えればはっきり言ってしょぼい。でもってやっぱ報酬もしょぼかった。

 

 受付の人からは「何こいつ」みたいな目で見られた。

 猫肩に乗せた強面男ってシュールだもんね。シュウの雰囲気に怯えたりしないのは、流石に慣れているからなんだろうけど。

 部屋の中に「いかにも」って感じの人がいっぱいいるし。でも見た限りシュウほど力のある人はいない。まあこんなのがゴロゴロいたら悪魔絶滅待ったなしだから当たり前ね。

 

 それにしても常に猫の姿でいるのはちょっと窮屈。

 宿の部屋か、深夜か、町の外では人型で行動できるんだけど、やっぱり物足りなさはある。

 認識阻害で乗り切ってもいいんだけど疲れるし……まあ、今のところはいいか。

 

 肩の上に座ってるのも、シュウの視点がわかって意外と面白い。

 私の頭がシュウの鎖骨に届くぐらいだから、身長差はだいたい30センチ?

 体幹が安定し過ぎてほとんど揺れないし、けっこう乗り心地はいい。歩幅も大きいから私が歩くのと比べてずんずん進む。

 こうしてるとロボットみたいね。心の中で「いけー! 進めー!」とか言ってみたり。

 ちょっと子供っぽい?

 

 

 

 

 ○月$日

 

 今日も今日とて仕事がしょぼい。

 いたずら妖精を追っ払えとか幽霊屋敷を調査しろとかそんなのばっかり。

 シュウは「これも必要なことだ」なんて真面目にやってるけど、はっきり言って役不足だと思う。凄腕のレーサーにオンボロ自動車運転させるような感じ。

 まあ本人に不満が無いならいいんだろうけど……っていうか何で私がこんなこと気にしてるのかしら。

 

 でも何だかんだでお金は集まってる。

 大した金額ではないとはいえ毎日やってれば貯まるものね。労働って大事。

 こう見えて私だって調査なんかでは役に立ってるはずだし、シュウもそろそろ羽を伸ばしてもいいころだと思うの。

 

 

 

 

 ○月&日

 

 なんてことを言ったらシュウが休みの日を作ってくれた。

 本人は毎日休まず鍛錬してるような奴だから、これは私のためなんだろう。

 そうじゃなくて、私はシュウに休んでほしかったんだけど……多分そういう発想が無いのね。これが俗に言うワーカーホリックってやつかしら?

 

 仕方がないから私から遊びに誘う。

 やっぱり人間息抜きは必要よ。私は人間じゃないけど。

 気配を隠しながらはちょっとめんどいけど、久しぶりに人型で町を歩いて個人的に気分が晴れた。

 屋台のデザートとか食べたり、観光名所みたいなところを見て回ったり、そこそこ楽しめたと思う。そう言えば何だかんだ色々あったから、のんびりフランス観光としゃれ込む時間がなかったのよね。

 宿に帰ってシュウに楽しかったかを聞いたら、少し考えたあと頷いた。嘘は吐いていないみたい。でもそこ考える必要ある?

 

 まあいいや、明日からまた頑張らないとね!

 

 

 

 

 ○月#日

 

 今日は結構大口の仕事だった。

 チームを組んでやるような案件で、ちょうど人数が欠けていたところを誘われた。ほぼ毎日顔を出していたから覚えられてたみたい。

 内容はずばり「ドラゴン退治」。

 確かに人間が相手するならチームでかからないとダメね。普通なら、だけど。

 

 相手のドラゴンはそれなりの格を持った奴で、確かフレイム・ドラゴンだったかしら。

 気性が荒くて狂暴・凶悪、背中の鱗が魔法薬の貴重な材料になるとかどうとか。ドラゴンの素材は魔法使いや悪魔に高く売れるから、リスクは大きいけどそれに合ったリターンはある。

 なんにせよ強い魔物だから、チームの人たちは万全の準備を整えてた。

 

 まあ、シュウが一人で殺っちゃったんだけどね。

 開幕速攻ドラゴンの首が飛んだのを見たメンバーの呆然とした顔と言ったらもう。

 一応ドラゴンの中でも上位の種族だもんねフレイム・ドラゴン。気持ちはわかる。

 

 獲物はシュウ一人で片付けちゃったから報酬の件でもめるかと思ったけど、素材をチームの人たちに譲ることで決着がついた。まあ、ドラゴンの爪とか骨とか持っててもこっちは処理しきれないし、妥当な所ね。

 これで仕事のグレードが上がるといいな。

 

 

 

 

 □月¥日

 

 なんかエクソシストが来た。

 神滅具ゼニス・テンペストのデュリオ……なんだったかしら。名字は覚えてない。

 なんでも仕事をするのでシュウを雇いたいらしい。

 私としては殺し合った相手に協力なんてしたくなかったけど、シュウはそれを受けてしまった。

 

 場所はイタリアだそうだ。っていうか国外じゃない!

 移動のお金は経費で落とすのだそうで、そこんところの心配は要らないとのこと。むしろ連れ出されるこっちがお金払う方がおかしいでしょ。当然よ、当然。

 それにしてもイタリア……イタリアと言えばピザとかパスタよね。

 勿論食事代も出るんでしょうね? でないと許さないんだから!

 

 

 

 

 □月=日

 

 デュリオの仕事を手伝った。主にシュウが、だけど。

 仕事の内容は吸血鬼退治。ルーマニアの本拠地から貴族階級の上級吸血鬼がやってきて、郊外の屋敷に集団作って住み着いたらしい。

 情報秘匿のために大規模な破壊は避けろとのことで、でもデュリオはそういうのを苦手にしてるから、ちょうど魔物狩りとして活動を始めたシュウに目を付けたのだそうだ。そっちもそっちで殺し合ったやつ相手にいい度胸してるわ。

 

 っていうかヴァチカンに近いイタリアに拠点構えるってどんだけ命知らずな連中なのよ。どう考えても殲滅されるに決まってるでしょ。

 デュリオが駆り出されるぐらいだから結構な案件らしくて、他のエクソシストたちも集まってたから気配を誤魔化すのが大変だった。

 で、作戦開始。シュウが切り込んで、エクソシストたちが討ち漏らしを叩く形だ。ほんとは事前に打ち合わせしてたんだけど、シュウが速すぎるから自然とそうなった。

 

 デュリオ以外のエクソシストたちも強い戦士だったみたいで、特に目立った被害もなくボスの部屋にたどり着く。

 そんでまあ、あとはフルボッコ。

 魔法はデュリオに即相殺されるし、教会の術式で異能も抑え込まれるし、霧になって逃げようとすれば凍らされたり散らされたりして戻されるし、見ていてかわいそうになるくらい詰んでた。

 

 相手いちおうデイウォーカーって話なんだけど、ここまで戦力が集まるとどうしようもないわね。

 仕事が終わった後、エクソシストたちから感謝された。教会の戦士にスカウトもされたけど、当然受けるわけがない。

 でも今回は結構疲れた。これでも裏で敵の気配を読んだりしてシュウをサポートしてたのよ? さらわれた人間たちを見つけられたのも私のおかげなんだから。

 別れるとき、デュリオが「また頼む」なんて言ってきた。結局食事代は自腹だったし、もう二度と受けるもんですか!

 

 

 

 

 □月&日

 

 イタリアの斡旋所に行った。

 なんでも吸血鬼退治の時にデュリオから場所を聞いたらしい。いつのまに。

 確かにこのままフランスに戻るのも何だしね。まだおいしい料理だって食べてないもの。 

 

 行ってみた場所はフランスのよりも大分オンボロで、喫茶店とバーも兼ねてるみたいだった。こんな路地裏に客なんて入るのかしら?

 店主は枯れ木みたいなおじいちゃん。老人と言ってもその道の人だからか、かなり肝は座ってる感じ。

 紹介してもらった仕事はフランスの時よりも難易度高めだった。なんでもヴァチカンが近い関係で教会が持て余していたり、立場上対処できない案件が回ってくるらしい。天使たちに利用されてるみたいでしゃくだけど、それでこっちが暮らしていけるんだから中々うまくできてる。

 あとはマフィア関連でも色々あるんだとか。フランスでもカルト教団がらみで魔物が絡んでたりしてたし、人間社会も物騒なのね。

 何よりも「お前さんならそれくらいできるんじゃないか?」だって。見る目あるのねおじいちゃん。流石は年の功。

 

 ふーん、仕事に関してはフランスよりもいい感じ。

 問題なのは、町の中に教会関係者が多いところかしら。まあ、仙術の認識阻害を破れる奴なんていないだろうけど。

 シュウと相談して、しばらくこっちで活動することにした。

 明日はさっそく周辺を散策しましょ。

 

 

 

 

 △月%日

 

 あれからしばらくイタリアで仕事を続けてた。

 フランスでやったドラゴン退治について知られたのか、大物討伐の仕事も時々あるし、これ結構順調なんじゃない?

 たまにやってくるデュリオの依頼がめんどくさいけど、いい感じにやれてると思ってた。

 

 人狼退治の依頼を受けた。

 町のはずれに住みつきだしたそいつを討ち取れという話。

 人狼と言えば吸血鬼と並ぶ怪物の代名詞だ。人狼そのものは種族規模で吸血鬼と敵対してるけどね。

 吸血鬼と違って人を襲わなくても生きていける種族ではあるけど、人食いをやる奴だっている。まだその人狼が人を襲ったっていう話は無いらしい。でも危険は未然に防がなきゃいけないから、排除するんだって。

 

 目的の相手は案外すぐに見つかった。

 夜中、町の肉屋に泥棒に入ったのがバレて騒ぎになってたから。

 私たちが到着した時はもう逃げた後だったけど、気配の痕跡をたどれば見つけるのは簡単だった。

 

 町はずれの森の中で追いついた私たちに、人狼は変身してこっちに襲い掛かってきた。

 あっちは多分人間とのハーフだったんだろう。持っていた神器の能力を使って、最後には禁手にまで覚醒したけど、それでもシュウには敵わない。

 結構強かったから手助けが必要かと思ってスタンバイしてたのに、その心配は無駄だったみたい。

 

 止めを刺すために近づくと、木陰から一人の男の子が出てきて立ち塞がった。

 聞くと、倒れている人狼の弟らしい。

 なんでも人間とのハーフである人狼兄弟は一族の中でも立場が弱くて、両親が亡くなったのを機に集落を離れてここで暮らしていたんだって。

 人狼の中では虐げられ、人間社会ともうまく馴染めず、でも弟を養っていかないといけない兄は、苦肉の策として町から食べ物を盗んでいたのだとか。

 

 その話を聞いて、私は自分が悪魔になるまでの生活を思い出した。

 両親が死んで、頼れる人なんて誰もいない中で、日々を必死に生きてた頃だ。

 自分と妹を守るためには何でもしなくちゃいけなかった。だから、この兄弟の気持ちはわかる。

 

 でもシュウは、話を聞いても止めを刺そうとするのをやめなかった。

 私が止めなかったら、きっとそのまま兄人狼を殺していたはずだ。

 私は、昔の私と似ているこの兄弟をシュウに殺してほしくなかった。なんだか昔の私を殺される気分になったから、シュウにだけはそんなことしてほしくないって、そう思った。

 その時のシュウはすごく怖かった。まるで機械か何かのような、初めて会った時に一瞬見せた顔。嫌いな顔だ。

 

 その顔が嫌だったから、やめるように説得した。

 私と白音が同じ立場でシュウの前にいたら同じように殺すのかを聞くと、驚いた表情になって動きを止める。

 しばらく何かを考えたあと刀を収めて、兄弟と話し始めた。

 

 最終的に、人狼は討伐したことにして兄弟に魔物狩りの仕事を紹介することになった。

 魔物狩りの中には異能が原因で世間から追われた人もいるし、人外とのハーフだってざらだ。兄弟の頑張り次第だけどうまくやれるはず。

 突然そんなのを預けられたおじいちゃんは顔をしかめてたけど。

 

 宿に帰る途中、シュウからお礼を言われた。仕事を続けていくうちに、昔みたいに敵は全部殺さなくちゃいけないと思ってしまっていたらしい。今は状況が違うってことを忘れてたって。

 その時のシュウはいつもの仏頂面で、でも少し落ち込んでるみたいだった。やっぱりそういう微妙にわかりにくい顔じゃないとシュウって感じがしない。

 

 宿でお風呂に入った後、シュウが髪の毛を梳いてくれた。

 グルーミングの本を読んだから、実践してみたかったんだとか。たまに本読んでると思ってたら、そんなの勉強してたのね。

 髪の毛を触られるのはちょっと恥ずかしかったけど、終わった後すごくさらさらになってて驚いた。

 力加減が絶妙で、なんかこう、ふわふわしてとても気持ちよかった。

 何だか幸せな感じ? 頼んだらまたやってくれないかな。

 

 

 

 

 △月@日

 

 またデュリオがらみの仕事を受けた。

 最近わかるようになってきたんだけど、あいつが持ってくる依頼割に合わなさすぎる。

 斡旋所に行けばもっといい仕事があるから、シュウも渋る様子を見せ始めたけど、でも結局受けるんだろうな。あれで結構押しに弱いから。

 舐められないために相応のものを要求するけど、シュウ自身はそこまで報酬の価値を重要と思ってないのかも。そんなのより仕事……と言うより戦いそのものを求めてる感じがする。

 本人が言うには「自分にはそれしかできない」かららしいけど……。

 

 今回の相手は、はぐれ悪魔の集団だった。

 ランクはSとかAとかで、かなり危険なやつららしい。私は確かランクSSだったはずだから、いちおう格下になるのかしら?

 こっちはデュリオとシュウと、あと何人か手練れのエクソシストで戦いに臨んだ。準備も整えて、それでも死傷者が出る激しい戦闘になった。

 

 敵は転生悪魔ばかりで、神器を持ってるのも結構いた。

 でもってこれがかなり手ごわかった。

 建物に潜ったり、魔剣を大量に生み出したり、時間感覚を狂わせてきたり、屋内戦なことと相手の駒特性とチームワークも合わさって、今までみたくすぐ撃破とはいかない。おまけに禁手化できる奴……多分こいつがリーダーだと思うけど、神器を鎧にして纏う強敵もいた。

 全部終わった時にはデュリオもボロボロになってたし、シュウだって手当てが必要な傷を受けてたくらいだ。私も猫のままとはいえ戦う破目になったし。

 デュリオと生き残ったエクソシストたちには感謝されたけど、ほんと割に合わない。

 

 一日中戦いづくめで疲れたし、シュウの傷も治さないといけないからホテルの部屋で気の交合をやった。

 互いの肌と肌を直接合わせて気を循環させる、まあ簡易式の房中術ね。

 自慢のナイスバディをシュウの胸板に押し付けて、ちょっと誘惑してみる。

 反応したらからかってやろうと思ったんだけど、髪の毛を撫でられているうちに私、眠っちゃったみたい。気付くとベッドの上だった。

 ううん、猫魈ともあろうものが一生の不覚……。

 

 

 

 

 △月Q日

 

 昨日の戦いで受けた傷を治療するために、デュリオたちと一緒に近くの教会へ行くことになった。

 そこには他者の傷や病気を治療できる力を持った、いわゆる聖女さまがいるらしい。まあ、おおかた神器持ちなんだろうけど、信者獲得のために祭り上げられるなんてめんどい人生ね、その子。

 実のところシュウの傷は私がだいたい治療を済ませたから、着いて行く必要は無い。

 でも聖女さまって言うのにも興味があったし、なんとなく行ってみることにした。

 

 どうやら聖女さまが治療できるのは人間だけなんだそうだ。っていうか悪魔を治療できる神器ってあるの?

 シュウがデュリオに聞いたところによると、どうやらあるらしい。敵を癒すなんて変なもの作るのね、聖書の神さま。

 聖女さまはは見る限り普通の女の子だった。表面上は笑顔でも、窮屈な現状に不満を持ってそうな感じ。悪いけど頑張ってとしか言いようがない。

 

 道中デュリオの買い食いに付き合ったせいで日も落ちてたから、そのまま教会に泊まることになった。

 私悪魔だからあんまりここにいたくないんだけど……空気がちくちくする。

 食べ物も質素で微妙だし、結界張って今日は早めに寝ちゃおう。

 

 

 

 

 △月U日

 

 朝起きるとちょっとした騒ぎがあった。

 なんでも昨夜、悪魔が聖女さまと接触していたらしい。

 気配を感じたシュウがそれを見つけて、悪魔に何をしているか聞き出そうとしたところ、戦いになったみたい。

 どうやら相手は上級悪魔だったようで、眷族を何人か召喚してきたんだとか。シュウを始末して口封じを狙ったんだろうけど、相手が悪すぎる。

 結局悪魔は眷族を囮にすることで逃げおおせたようだ。

 

 刀は私のところにあったから、逃がすのもしょうがないかな。でも鋼糸は持ってたからか、囮になった眷族悪魔はバラバラになってた。合掌。

 そういえば、シュウの鞄を買いなおすの忘れてた。前使ってたやつは仕事中に壊れたから、今はシュウの分の荷物も私の亜空間に収納している。

 今回はともかく、強敵相手だったらヤバいところだったし、早めに気づいて良かった。

 

 悪魔の誘惑を受けたってことで、聖女さまの立場は少し危ないとのこと。どっちにしてもこの教会にはいられないみたい。

 まあ治療系の神器は貴重だから、悪いようにはならないはずだってデュリオは言う。エクソシストの治療係に配属されたりとかするのかしら?

 それがダメなら魔物狩り相手に商売してもいいかもね。

 シュウがそう言うと「その時は世話を頼む」なんてデュリオが笑う。

 私はめんどいから勘弁だけど、もしそうなったらシュウは受けるんだろうな……。なんとなくわかる。

 

 

 

 

 ●月H日

 

 仕事の報告に行ったシュウを宿で待ってると、なんか女の子を連れて帰ってきた。

 金髪の可愛らしい子で、学校の制服らしき服を着てる。気配からして魔法使いかしら? かなりの魔法力を感じる。

 女の子の名前はルフェイ。

 なんでも人を探して魔物狩りの斡旋所に行こうとしたところ、道に迷って途方に暮れてたら人攫いに遭いそうになってシュウに助けられたんだとか。

 そりゃこんだけ可愛らしい女の子が一人で夜出歩いてたらそんな目にも合うでしょ。シュウってば、相変わらずタイミングいいわね。

 金髪といえばジャンヌを思い出す。今何やってんのかしら、あの子。

 ……まあいいや。

 

 そのまま斡旋所でシュウに人探しの依頼をしたんだって。

 探し人はルフェイの兄、名前はアーサー。家の人からも将来を有望視されてた天才剣士で、最高クラスの聖剣適性を持つ聖剣使い。でも勝手に武者修行に出たり、家の仕事にほとんど関心を示さなかったり、性格に問題がある人物みたいだった。

 

 今までも数週間家に戻らないことはあったようだけど、今回は家宝の聖剣まで持ち出してしまったから家の人はかんかんに怒ってるらしい。このままじゃ勘当されてしまいそうだから、それはまずいと妹のルフェイが探しに来たそうだ。家には無断で。

 ……兄思いなんだろうけど、この子も結構無茶するわね。

 

 ルフェイは私を見て驚いてた。まあ、はぐれっぽい悪魔が人間と一緒にいるんだから変に思うわよね。

 でもすぐに打ち解けて、会話するようになった。肝座ってるわ、この子。

 別に悪いことじゃないけど、今日出会ったばかりのシュウに付いて来たりちょっと無防備過ぎじゃないかしら?

 

 それにしても兄妹……白音は今どうしてるのかな。

 前シュウに調べてもらった時に、とりあえず殺されたりしてないのはわかったけど……。

 機会を見つけてまた調べてもらおう。

 

 

 

 

 ●月+日

 

 人探しって言ってもこれが中々難しい。

 この広いヨーロッパで人ひとり探すって、流石に個人じゃ無理だわ。っていうかこれ人選ミスなんじゃ?

 兄妹ならルフェイの気と似てるだろうから、近くにいればわかるはずだけど……。

 ルフェイは魔法で兄の痕跡を追ってイタリアまでやってきたらしい。でも時間が経ってしまったから、そこからの行方がわからないんだそうだ。

 とりあえず、私の知識も合わせて術式を改良していこうと思う。

 

 シュウは知り合いの魔物狩りたちにアーサーのことを訪ねて回ってる。みんないろんな場所に行き来しているから、情報網としては馬鹿にならない。そう考えると、人選ミスってのも間違いなのかしら?

 まあ、そっちはそれしだいってとこね。

 

 余談だけど、ルフェイは料理が作れる。しかも美味い。イギリス人なのに。

 私はと言うと、ジャンヌと勝負したのを最後に一切上達してない。

 だってデュリオとの契約で人型での活動に制限かかってるし、ほぼ毎日仕事があるし、しょうがないじゃない!

 

 いや、まあ私はシュウほど働いてるわけじゃないのも確かだけど……ぐぬぬ、年下に負けるのがこんなに悔しいなんて……。

 スタイルでは勝ってる! って言っても負け惜しみにしかならないのが悲しい。

 シュウがもっと欲情した目でこっちを見てくれれば自信がつくのに……。ほんと、女のプライドを傷つける男ね。ばーか。

 

 

 

 

 ●月-日

 

 デュリオが来た。

 正直お呼びじゃないので追い返したかったけど、シュウがルフェイの人探しについて調べてくれるよう頼んでたらしい。

 今までの借りを返せってね。教会の情報網は膨大だから、これ結構いいアイディアなんじゃない?

 

 でも結果はいまいち。宗派の違いのせいで思ったほどの情報は集まらなかったみたい。同じ組織なんだから、もっとちゃんとしなさいよ。

 私たちの方の術式もいちおう完成したんだけど、やっぱこれだけ時間が経ってると追いかけるのはかなり難しい。

 うんうん悩んでると、まだ帰ってなかったデュリオが案を出した。「餌でおびき寄せればいいんじゃない?」とか。

 そんな動物じゃないんだからと思う私。でもその言葉にルフェイが喰いついた。えっ、イケるの!?

 

 なんでもアーサーは「最強の聖剣使い」になることに対して興味を持ってるみたいで、腕のいい剣士の名を聞けばそこに現れるかもしれないとのこと。

 ああ、うん、腕のいい剣士ならちょうど身近にいるわね。

 じゃあ宣伝しようという話になって、ついでに各地の名のある剣士を打ち倒してシュウの名を上げようということにもなった。

 当のシュウは滅茶苦茶嫌そうな雰囲気を出してたけど、もうこれしか思いつかないんだから仕方ないじゃない。

 

 

 

 

 ●月P日

 

 あれから二週間、いろんな土地のいろんな剣士に果し合いを申し込んで、全戦全勝したシュウはその道でかなりの有名人になった。

 いつの間にか二つ名までついてたのには驚く。魔剣と書いてブレイドマスター、だって。

 悪魔の中にも二つ名・異名を持つ人はいるけど、みんなそういうの好きよね。「クリムゾン・サタン」とか「クイーン・オブ・ディバウア」とか。なんでかしら?

 

 時々決闘を申し込んで来る人も現れてきたし、順調に名は上がってる。

 でも当のアーサーは中々来ない。もうちょっと待たないとダメかしら。

 いつのまにか、ルフェイのシュウにたいする呼び名が「修太郎さん」から「お兄さん」に変わってたりしたけど、まあどうでもいいや。どうでもいい。

 

 それはさておき、流石にこのままルフェイまで勘当されちゃ本末転倒だから、いったん家に帰した。いちおう連絡はとらせてたから問題は無いと思うけど……。

 というか今更ルフェイたちの名字が「ペンドラゴン」だって知った。ペンドラゴンでイギリス人って、あのアーサー王のペンドラゴン?

 じゃあ、ルフェイの兄が持って行った家宝の聖剣は聖王剣コールブランドってことになる。またすごいのが出てきたわね。

 

 剣と言えば、シュウの刀もかなりの業物だ。

 聖なる力も魔の力も感じないけど、見る者の寒気を誘う気配がある。刀身全てが純粋な緋緋色金で出来ているらしくて、人が鍛える刃の中ではおそらく最高峰のものだとのこと。シュウは今までにこれで万を超える敵を斬ってきたんだって。数がおかしい。

 シュウは緋緋色金を天叢雲剣と同じ材質だって言ってたけど、あれって確かヤマタノオロチの身体から出てきた聖剣だから、ちょっと違うんじゃないかしら? たぶん、地上には存在しない金属だと思う。

 これ、指摘したらどうなるんだろう。顔真っ赤にして恥ずかしがるシュウとか見れたら面白い。まあ、そこまでのことにはならないだろうけど。

 ふふふ、いつか最高のタイミングで言ってやろう。

 

 

 

 

 ●月X日

 

 ルフェイが戻ってきた。

 家の人の反対を無視して。

 うすうす感じてたけど、似た者兄妹じゃない、あんたら。

 兄に会いたい気持ちはわからないでもないけど、もうちょっと後先考えて……って主を殺した私が言えることじゃないか。

 

 残念だけど、これから仕事だと伝えると、ルフェイも着いてくるって。まあアーサー探しの合間にやってた魔物狩りの仕事も手伝ってくれてたし、特に断る理由も無いけどね。

 でも今回はデュリオがらみの依頼だったりするから心配。例の割に合わない仕事だ。

 ルフェイの魔法の才能はかなりのものだけど、戦闘経験自体はそこまで無いから、危険な状況になったら私たちが面倒見ないといけない。

 ま、いざとなったら転移すればいいし大丈夫でしょ。

 シュウが後れを取る相手なんてそうそういないし、しゃくだけどデュリオもかなり強い。私だっているしね。

 そういえば最近全力を出す機会が無かったから、久しぶりに大暴れしたいな。

 

 

 

 

 ●月□日

 

 頭の中がぐるぐるして、胸の奥がどきどきする。気持ちを持て余してる感じがすごくて、体が熱い。

 シュウの顔がまともに見れない。落ち着かなきゃ。

 と言う訳で、ここ最近のことをまとめようと思う。

 

 あれからルフェイを連れて、デュリオの仕事に付き添うことになった。

 場所はイタリア、シチリア島。ヨーロッパ最大の活火山があることで有名な島だ。

 内容はキマイラの討伐。

 魔法使いが作る合成獣じゃなくて、ギリシャ神話に出てくるオリジナルのやつ。何でも突然変異種らしく、しかも繁殖して群れまで作ってしまっていて普通の戦士じゃ手におえないんだとか。

 

 準備を整えてキマイラの住処に行こうとしたその時、アーサーが姿を現した。

 眼鏡をかけた紳士風のイケメンで、一見して和やかな雰囲気だけど、なんだか不気味な男。

 アーサーは妹が私たちといることに驚いた後、案の定シュウに立ち合いを申し込んできた。

 でもシュウは仕事を片付けるのが先ってことで受けなかった。

 それでもアーサーは退かず、私たちがキマイラ退治に行くと聞くと、自分もそれを手伝うと提案してくる。早めに終わらせて自分と戦えってことだろうけど、妹の反応とデジャブるわ。どっちにしても一度叩きのめすつもりだったし、このまま逃がすよりはそっちの方がいいので了承する。

 結局、得するのはデュリオ一人だってところは気に入らないけどね。

 

 そのキマイラ退治は手早く済んだ。

 シュウとデュリオの活躍もあったけど、アーサーもかなりの腕前で、ほとんど一方的に終わってしまった。

 二人ともそこまで消耗してなかったし、というかむしろ身体があったまってちょうどいいって感じだったから、そのまま立ち合いを始めようとした。

 その瞬間、地震が島を襲った。

 

 と言っても大地が揺れてるんじゃなく、まるで空間そのものが揺れるような現象。強い力を持つ存在がオーラを解放する時と似た感覚だ。

 直後、火山が噴火して、中から巨人が現れた。

 天を突くような巨体と、顎と肩周りから生えた無数の大蛇……ここはシチリア島で、そして火山はエトナ活火山とくれば馬鹿でもわかる。

 ギリシャ神話最強の怪物、テュポーンだ。

 

 主神ゼウスを一度打ち負かし、弱体化を経てやっと封印されたという不死身の魔神。復活した理由は直前の空間震が関係してるんだろうけど、そんなのどうでもいい。逃げなきゃ死ぬ。そんな確信があった。

 だって明らかに神格クラスだ。それも弱体化してさえ主神と戦えるほどの。全盛期なら天龍にすら匹敵しそうな奴相手に、いくら強いとはいえ人間と悪魔が数人程度じゃ敵うわけがない。

 

 デュリオもアーサーもひどく驚いていて、ルフェイは怯えて腰を抜かしてた。少し戦える人なら絶望的な力の差がわかるはずだから、これは当然の反応。

 誰もが退こうとしてる中で、でもシュウだけはまっすぐテュポーンを睨んでる。

 一目であいつに挑む気だってのがわかった。

 

 このままテュポーンを放置すれば、島は滅ぶ。いずれギリシャの神が対処に来るとしても、その時にはもう遅い。何百万って人が一日も経たずに死ぬ。

 だから、時間を稼がなくちゃいけないってシュウは言う。今それができる可能性があるのは自分だけだとも。

 意味わかんない。理解できない。

 何百万って言っても見ず知らずの人たちだ。シュウには関係ないし、見捨てたってしょうがない。だって敵にはどうしたって勝てないんだから。

 私は無駄死になんて嫌。まだまだ悪魔として生きていたい。美味しい料理だっていっぱい食べたいし、楽しいことだってしたい。白音にだって、いつか謝らなくちゃ。……シュウとも、もっと一緒にいたいと思ってるのよ?

 

 でもシュウは曲がらない。

 自分には戦いの才能しかないから、それさえ否定して逃げてしまうと何で生きてるのかわからなくなる、って。

 必ず生きて帰るから心配は不要だ、って。

 だからお前はルフェイと逃げろ、って。

 

 本当にバカ。

 一人でどうにかできるわけないじゃない。

 確かに昔神殺しをやったことがあるのかもしれないけど、そのころと比べて弱くなってるって言ってたの覚えてるんだからね。

 だいたい、シュウがいなくなったら私はどうすればいいのよ。

 エクソシストとの契約はシュウがいて成り立ってたんだから、いなくなったら反故されるに決まってる。人間社会にも紛れにくくなるし、今までみたいな生活ができなくなる。そんなの嫌だ。

 

 ……一番嫌なのは、一人ぼっちになること。

 フランスでシュウと別行動をとってた間は、全然楽しくなかった。

 もうシュウは私の生活の一部になっちゃってるんだから、責任をとってもらわないと困る。

 

 ……うん、私はシュウが好き。

 シュウがいないなんて考えられないほど、愛しちゃってる。

 こんな土壇場で気付くなんて思ってなかったし、ロマンチックな雰囲気なんて欠片もあったもんじゃないけど、自覚しちゃったんだからしょうがない。

 シュウが死ぬことを考えるだけで胸が痛くなる。

 こんな状態で、逃げられるわけないじゃない。

 だから、覚悟を決める。

 シュウは困った顔になって、「馬鹿者」だなんて呟いたけど、バカはあんたよ。

 

 意外なことにデュリオとアーサーも残って戦うみたい。

 デュリオは「友達を放っておけないから」、アーサーは「彼が残るなら自分も残らないと勝負以前の問題になるから。あとテュポーンの強さに興味があるから」。

 まあ、理由はともかく仲間が増えるのは歓迎だから良しとする。

 おろおろしてるルフェイには、周囲の人たちの避難を頼んだ。戦うにしても周辺被害はシャレにならない規模になる。

 

 テュポーンの封印はまだ完全には破られてない。片腕と上半身の半分を火山から出しているだけだ。怒り狂って理性も無いようだし、勝機はある……かもしれない。

 敵の咆哮を合図に戦いが始まった。

 まさしく死闘、集中に集中を重ねて、絶え間なく攻撃を放ち続け、敵の攻撃を躱し続ける。

 デュリオもアーサーも私も、そしてシュウも、相手の攻撃をまともに受ければそれだけでアウトだ。互いが互いをフォローして助け合わなくちゃ、その時点で戦力のバランスが崩れて私たちは終わる。

 

 テュポーンの攻撃をデュリオが神器で、私がオリジナルの術で迎撃して、その隙にシュウとアーサーが本体を刻む。

 相手は不死身の化け物だ。高い再生能力も持ってるから、ちょっとやそっとじゃ全然堪えていないみたいだったけど、諦めないで戦った。

 

 いつしか体力も切れそうになって、でも精神力だけで持ちこたえていたその時だった。

 多分、何か手伝えることがないかと思ったんだろう、戦場にルフェイが戻ってきてしまった。

 私はそれに気を取られてしまって、気が付くと敵の攻撃が目の前にあった。そして、シュウが私を庇って吹き飛ばされた。

 一目でわかる致命傷。背筋がぞっとして、すぐさま駆けつけたけど、私の治療能力じゃどうしようもない。泣きながら声をかけることしかできなかった。

 

 でも、信じられないことにシュウは立ち上がった。

 とんでもない質量の気を身体に循環させることで自分の身体を無理矢理動かして、今までよりも速く、今までよりも強く。

 気の奔流で傷を穴埋めして戦うなんて、どう考えても命を削る行為。でもそれができるからこそ、今までシュウは生きてこれたんだろう。それが少し悲しい。

 

 大きな一撃をぶつけるから隙を作ってほしいと言って、シュウは走り出す。

 隙を作るって言っても、私の全力攻撃でだってピンピンしてるのにどうすれば。

 そう思ってると、待ってましたとばかりにデュリオが禁手化。もっと早めに出してよそれ、って思ったけど、後で聞くとまだ未熟だから体力の問題で無暗に使えなかったとのこと。

 

 アーサーもコールブランドで空間を切り裂いてテュポーンの顔の上に現れると、聖剣の能力を全開にして額に突き立てる。聖剣は魔物に特効効果がある。テュポーンもいちおう魔の存在だから、かなり効いたはず。

 私は前から特訓してた術式付与を全力でシュウの刀にかけた。

 

 デュリオの禁手が開いた道をシュウが駆け抜け、気付いた時には斬撃がテュポーンの額に叩き込まれてた。

 誰も認識できないほど速い一撃。威力もとんでもなくて、テュポーンの頭を割るぐらいのダメージを与えていた。

 普通の相手ならこれで死んでる。でも相手はギリシャ神話最大最強の怪物。まだ戦意を失っていないし、戦闘能力も残ってる。でもってこっちはもう限界。

 ヤバいと思った次の瞬間、雷の槍がテュポーンに突き刺さった。

 ギリシャ神話主神、ゼウスの登場だ。

 遅いってんのよ、もう。

 

 あとのことはあんまり覚えていない。疲れてたのと安心したのとで眠っちゃったみたいだった。

 ギリシャ神の誰かに傷を癒してもらったのか、私が起きた時にはみんな万全の状態に戻ってた。火山も周辺の被害もきれいさっぱり元通り。町の人たちも事件のことは覚えていないみたい。神さまってすごいのね。

 

 ルフェイは私とシュウに平謝りしていた。確かにシュウが攻撃を喰らったのはルフェイのせいと言えなくもないけど、私としてはあんまり責める気が起きなかった。

 もう済んだことだし、油断をしてしまった私も悪い。それに、戻ってきたのは善意からの行動ってのがわかってるしね。そこのところはシュウも同じみたいだ。

 でもルフェイは気が済まないみたいで、最終的に魔法使いの伝手をたどって白音の情報を調べることを条件に許した。

 

 アーサーはシュウとの決闘を諦めたみたい。今のままじゃ勝てないのがわかってるからだって。

 あくまで「今は」諦めただけってことは一目瞭然。

 とりあえず家に戻る事にしたようだ。一から鍛えなおすとかなんとか。

 あれ、いつかまた挑戦しにくるわね。

 

 デュリオはいつものように「じゃあまた!」って言って去って行った。ブレないわね。

 でもあいつがシュウに友情らしきものを感じてるのは本当みたいだ。今回の件でそれがわかった。

 悪いやつじゃないんだろうけど、私は最初の出会い方がアレだったからあんまりね……。

 

 三人と別れてイタリアの宿に帰る。

 シュウと二人きりの状況なんて今まで数えきれないほどあった。でも今はそれがなんだか愛おしくて、嬉しい。

 でもテュポーンを前にした時の言葉を思い出すと、怒りが込み上げてきた。

 

 シュウは自分に戦う以外の価値は無いと思ってるようだけど、それは違う。

 どれだけ強くたって、性根が歪んでたら誰も着いてこない。少なくとも、私はシュウが強いから好きになったわけじゃない。

 何考えてるかいまいちわからなくて、怠けることに厳しくて、デリカシーに欠けるけど、普段はお人好しだったり、押しに弱かったり、大抵の事を否定せずに受け入れてくれる、そんなシュウだから好きになった。

 

 流石に面と向かって好きだなんて言わなかったけど、そんなことを伝えるとシュウは驚きに固まってしまった。

 初めて見る表情だ。すごくレアな光景を見れて、怒ってたはずなのになんだかラッキーと思えてくる。

 しばらく眺めていると、再起動したシュウから一言「ありがとう」と言われた。

 そして笑った。

 あの仏頂面がデフォルトのシュウが、穏やかな顔で微笑んだ。

 驚くのはこっちの番だった。

 

 なによう、普段は鉄面皮なのにそんな表情もできるなんて反則じゃない。

 胸のどきどきが止まらなくなった。まさかあんな顔するなんて思わなかったんだもん。

 おかげでしばらくシュウの顔を直視できなくなったぐらいだ。

 大げさかもしれないけど、私にとってはそれほどインパクトがあった。

 

 それでおしまい。

 ふう……ちょっと落ち着いたかも。

 

 ちなみにあの空間震は、次元の狭間でグレートレッドが力を解放した影響だったらしい。座標の関係でシチリア島が一番大きな被害を受けたとのこと。

 余波だけでテュポーンの封印を壊しかけるとか、さすが世界最強ね……。

 普段は滅多に暴れないって聞くけど、いったい何があったのかしら?

 

 

 

 ――!!

 ――日記の持ち主の気が近づいてくるのを感じる。すぐ近くだ。

 ――少し慌てつつ、日記をもとの場所に戻す。

 ――そして持ってきていたお菓子を広げ、その人物を迎え入れた。

 ――彼女の関心はすぐさまお菓子へ。身内ながらちょろい。

 ――日記のページも終わりに近い。ここまできて邪魔されるわけにはいかないのだ。

 ――あなたは先ほど読んだ内容を想い出しつつ、目の前の姉を生暖かい目で見つめた。

 

 




お待たせしました更新です。
日記……日記? なにこれ無駄に長い。こ、こんなはずじゃ……。

聖女さまと接触した悪魔……いったい何ドラさんなんだ……。
ちなみのこの聖女はアーシアではありません。文中の通りこちらは人間しか癒せないので。
アーシアみたいに信仰上問題のある神器でもないので、追放まではされないでしょう。

テュポーンに関しては、全盛期だとこれ絶対天龍クラスはあるよなぁ、と思います。
でも世界最強十指にハーデスがいてゼウスが入ってなかったり、どうなってるんだろうD×Dギリシャ神話。


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体育館裏のカースソード
第四十三話:賑いの修業場


 

 駆ける。

 全身の躍動を前へ進むベクトルに変え、大きく跳躍する。疾風を追い抜くに達する時間は刹那、残像すら生み出す急加速は余人の目に止まらない。

 流れる景色を見下ろせば、荒涼とした地面に岩の柱が乱立している。

 その隙間から、伸びる鋼の輝きが見えた。

 

「――!」

 

 迫る一撃は鈍色の流星。

 まっすぐこちらに伸びるそれに対し、駆ける剣士――暮修太郎(くれしゅうたろう)は白銀の太刀を振るうことで弾き逸らした。

 同時に空中で身体を捻転させ、逆方向から放たれたもう一つの流星を撃ち落とす。そのまま岩柱に着地すると、襲い掛かる八つの人影を迎え撃った。

 

『おおおおっ!!』

 

 人影の正体は、古代中華の鎧を纏う青年だ。

 頭に金輪をつけ、烈昂の気合いと共に鉄棒を振るう人影たちは、なんと全て同じ容姿をしていた。

 彼の闘仙勝仏――斉天大聖・孫悟空が末裔、美猴(びこう)である。

 

 仙術によって為される八つの分身が、揃いの棍『如意棒』を持って修太郎に殺到する。伝え聞く『西遊記』の物語において孫悟空を助けた身外身の術だ。

 本体より多少劣るとはいえ、美猴の力を反映した分身たちはそれぞれ並の達人を凌駕する技量を持つ。

 波濤の如く迫りくる鉄棒の猛威に、修太郎は振るう銀閃の結界を以って防御に徹した。

 

 前後、左右、上方、下方。

 回転鋭く薙ぎ払われたと思えば、その隙間を縫って捻りの入った重い突きが姿を現す。

 完全に統制された分身たちのコンビネーションは、修太郎とて容易く打ち破れるものではない。

 多勢に無勢のこの状況、凌げるか押し切られるかは五分といったところだ。

 このまま戦うならば、だが。

 

 次の瞬間、修太郎は斬風の乱舞を放ち岩柱に大きな傷をつける。

 その隙を突かれて頬を棒が掠めたが、何のことは無い。そのまま続く震脚から衝撃の波が発せられ、岩柱を砕け散らせた。

 

『ちぃッ……!』

 

 舌打ちをして散開する分身たち。

 だが、このまま逃げるようなことはしない。

 半数を踏み台に半数が宙に舞いあがり、如意棒を天へと掲げる。

 そして。

 

『デカくなれッ、如意棒!!』

 

 未だ滞空する修太郎へと四つの巨大な柱が落下する。

 超重量が大地を叩き割り、空間全体を軋み震わせた。

 衝撃が暴風となって辺りに大量の土煙を撒き散らす。

 

 踏み場の無い空中だ。これは流石に躱せまい。

 美猴の予想はしかし、次の瞬間土煙を破って出てきた影に覆される。

 巨大化した如意棒の上を大地と垂直に駆け抜ける姿は、紛うことなき暮修太郎。蒼い炎の闘気によって土煙を吹き飛ばしながら、その身体に大した傷は見られない。

 受ける棒を一つに絞り、全身を使った化勁によって受け流すことで見事に攻撃を凌いだのだ。

 

 分身の一人に鋭い膝蹴りが突き刺さる。加速によって生まれた運動エネルギーを顔面に叩き込まれた分身は、間を置かずして消滅。如何なる体術の妙技か、その勢いを維持したまま身体を横に回転、刃の如き蹴撃が傍にいた分身の頸骨を砕き折り、同時に振るわれる太刀がさらにもう一人の分身を切り裂く。残る分身が放った攻撃を脇の下に通して回避しつつ、棒を掴んで引き寄せれば、そのまま斬龍刀を小太刀に変え、心臓目掛けて突き込んだ。

 

 休む暇は無い。

 今度は刃を野太刀に変えて、背後に感じる気配へと走らせる。

 超速に達した瞬間質量を増大させた斬撃は、二体の分身が放つ攻撃の一切を見事に弾いてその命脈を切り裂いた。

 

 このまま修太郎の攻勢が続くかと思われたがしかし、残る分身が伸ばした二本の棒が野太刀の刃を絡め押さえつける。

 瞬間、上空より影が迫った。

 

「受けな、暮修(くれしゅう)!!」

 

 無論のこと、美猴。

 しかし分身ではなく本体だ。

 

 すかさず斬龍刀を野太刀から太刀へと戻し拘束をほどくが、美猴の攻撃を完全に防ぐには間に合わない。

 辛うじて刃で受け止めるものの、分身とは比べ物にならない膂力と棍の冴えからくる大威力が修太郎を地に叩き落した。

 

「ぐっ……!」

 

 受け身と共に全身の筋肉を操作し、墜落の衝撃を受け流せば周囲の大地が爆ぜた。

 ダメージは最小限にとどめたがしかし、それでも息が詰まる程の衝撃が修太郎の動きを一瞬妨げる。

 その隙を見逃さず、分身たちが棒を構えて迫る。伏せる修太郎は転がりながら体勢を整えると同時に刃を走らせ、敵の攻撃を捌いていく。

 分身の数は二体。それぞれ挙動極めて素早く、振るう棍の冴えも決して侮れるものではないが、こと近接戦闘に限り神域の技量を持つ修太郎ならば凌駕することも可能である。

 

 突き込まれた棍を刃に滑らせ外側に逸らす。大きく一つ踏み込み、分身の懐に潜り込もうとすれば、すぐさまもう一体がそれを阻むべく攻撃を放った。

 修太郎の太刀は一方の棍を防ぐのに使われている。

 この攻撃は直撃する――。

 そう思われたが、しかし。

 

 棍が相手の胸に突き刺さろうとした刹那、修太郎の身体が跳ねた。

 跳躍と同時、大地と身体を水平にして高速回転、太刀と接触していた棍は威力を上方向に逸らされ宙を舞い、襲い掛かる棍は身体の下を通り過ぎる。その勢いのまま刃が振り下ろされれば、棍を構えた分身は脳天を裂かれて消失した。

 残るは得物を失った一体だけだ。

 着地した修太郎が刃を放とうと構えたその時。

 

「――!」

 

 蹴り出した地面が急激にぬかるみ、修太郎の足を飲み込む。

 見れば、遠くに立つ美猴の本体が如意棒を大地に突き刺し、こちらを眺めてにやりと笑っていた。おそらくは仙術の地形操作か。美猴が如意棒を引き抜けば、地面のぬかるみは一瞬にして元の固さを取り戻し、修太郎の足が土深くに固定された。

 それによって生まれた隙は大きく、分身に太刀を持った腕を取られ組みつかれてしまう。拘束を振りほどくべく、すかさず拳を繰り出す修太郎。

 しかし、それが敵を吹き飛ばすことは無かった。

 

「ちっ……!」

 

 美猴の分身は寸前にその身体を鋼鉄へと変えたのだ。

 絶大な勁力の籠った修太郎の拳は、それでも鉄像の半身を砕いたが、依然として動きは封じられたまま。

 そして、この好機を逃す美猴ではない。

 

 疾風の如く駆けながら、引き抜いた自身の髪の毛を口に含み、仙気と共に吹き出す。

 すると無数の猿が空中より次々と生み出された。

 

「いきなぁ!」

 

 号令を受けた猿たちは四足を用いて疾走し、修太郎に襲い掛かる。

 数を稼いだため先ほどのような精巧なものではないが、これもまた身外身の術。

 機関銃の如く飛び掛かる猿の群れを次々と拳や手刀で叩き落していく修太郎だったが、片腕と足を封じられた状態では限界がある。

 

 手刀が数匹をまとめて引き裂いた直後、とうとう猿が組み付きを成功させ、その身を鋼鉄に変える。重さが増した腕でもなお敵を迎撃し続ける修太郎だったが、一匹、また一匹と飛び付かれてしまっては、もはや抵抗できる余地など無かった。瞬く間に猿の群れが山と圧し掛かり、その全てが鋼鉄に変化する。

 それを確認した美猴は、勢いをつけて天高く飛び上がる。

 

「如意棒ッ!」

 

 振りかぶった如意棒は、天を突くような大きさだ。

 身外身の分身が持っていたそれよりもなお膨大な質量は、正真正銘の神珍鉄である証。全身に漲る闘気が妖仙としての膂力を最大限にまで高めれば、龍王すら一撃で昏倒するだろう破壊力の塊が生まれた。

 

「おおおおーーーーりゃあぁッ!!」

 

 解き放たれた一撃が大気との摩擦で燃え上がり、熱風を巻き起こしながら地に落ちる。

 目指すは鉄猿の山、その下に封じられた暮修太郎。

 はたして破壊の鉄槌は、誰にも止められることなく全てを砕いた。

 

 響く轟音、震える空。

 割れた大地が大きく弾け、衝撃波と共に飛び散った。

 隕石が落下したかのごとく、跡には土煙舞うクレーターが残るのみ。

 

 熱波の影響で赤々と輝く破壊痕の上空、如意棒を元のサイズに戻した美猴は、觔斗雲に乗って様子を窺うが――。

 

「……はっ、そうこなくっちゃあ面白くねぇ」

 

 美猴が見るのは地表ではなく、自身が立つよりもはるか上空。

 そこに小さな影が見える。

 だんだんとそれが近づけば、長身痩躯に猛禽を思わせる鋭い目つきがあった。

 修太郎だ。

 

 額から血を流し、両腕は芯が抜けたかのようにぶらぶらと風に揺れているが、それだけだ。白銀の太刀も、彼自身の命も未だ健在。

 どうやったかは知らないが、必殺の攻撃を凌がれた美猴は笑うしかない。

 だが同時に、それでこそだという感情もあった。あれぐらいで死んでもらってはつまらない。

 

 対する修太郎は落下しながら両腕の関節を嵌めなおす。

 先ほどの拘束は実に危なかった。全身を鋼鉄の猿に組み付かれ、超重量で押さえつけられてしまえば修太郎自慢の体術もまったく役に立たない。文字通り手も足も出ず、どうしようもない状況だったが、幸いなことに頭と首は動いたのだ。

 まずは頭突きで地面を破壊し、空いたスペースを使ってさらに強力な頭突きを繰り出す。そうして猿をいくつか破壊した後に両腕の関節を外して拘束から引き抜き、その際リングに戻していた斬龍刀を太刀に変える。あとは斬るだけだ。

 

 とはいえタイミングはギリギリ。わずかにでも遅れていたら確実に死んでいただろう。

 間一髪躱せたにしても、まったくの無傷というわけではない。凄まじい破壊力の余波は、小さいながらも修太郎の身体に確かなダメージを刻んでいる。

 

 ――素晴らしい。

 

 まっすぐに美猴を見据え、闘気と共に練り上げるは魔法の力。

 魔剣投擲ではない。連日の徹夜でやっと実用段階までこぎつけた術式、それはすなわち――。

 

 足元にルーン文字が数度瞬いて、次の瞬間に修太郎は虚空を跳躍した。

 

「な――マジか!?」

 

 予想外のことに驚く美猴はしかし、臨戦態勢を崩さない。矢のようにこちらへ突進してくる相手を迎え撃つ。

 正直な話、修太郎を相手に純粋な一対一の接近戦は厳しいが、それもまた良し。元々先ほどのようにちまちまやるのは性に合わないし、何よりもここで逃げては男が廃る。

 花果山が石猿一族の武威、目に物見せよう。

 

「おらッ、こいやぁ暮修!!」

 

 両者ともに凶悪な笑みを浮かべて、太刀と棍とが交わる火花を散らせ始めた。

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

「すみません、これ本当に模擬戦ですか」

 

「そうだけど、どうかしたにゃん?」

 

 互いに殺す気満々、どう見ても死闘。

 塔城小猫の疑問に黒歌はあっけらかんと返す。

 そんな姉猫を、妹猫は目を丸くして見つめた。

 

「あ! もしかして白音ってば、私の頭がおかしくなったって思ってるにゃん? 失敬ね、私だってこれが普通じゃないことくらいわかってるわよ」

 

「……いえ、まあ、そうならいいんですが……」

 

 失礼しちゃうにゃー、と憤慨する黒歌から目を逸らす小猫。この状況を許容すること自体が既に普通とは言い難いのだが、それは黙っていた。

 

「むむむ……あんなに楽しそうな師匠は初めて見るぞ」

 

 そのすぐそばには歯がゆげな表情で戦いを眺めるゼノヴィアがいた。

 

 ここは冥界、レヴィアタン領にある訓練用フィールド。

 黒歌たちは、その端にそびえ立つ一際巨大な岩柱の上で修太郎と美猴の模擬戦を眺めていた。

 

 このフィールドは本来、セラフォルーとその眷族が戦闘訓練その他諸々(主にセラフォルーの映画撮影)を行うために作られた場所だ。

 レーティングゲームで培った亜空間形成技術を応用して拡張された地下空間であり、都市ひとつが丸々収まるほどの広さに加え、セラフォルーの全力攻撃すら余裕を持って耐えるほどの頑強さを有している。なんとある程度の天候再現や、地形変更機能も備え付けられているらしい。

 なぜそのような設備を彼らが利用しているかと言うと、修太郎がシトリー眷族の指導を見るにあたって要求したものがこれだったからだ。

 

 日々の鍛練を怠らない修太郎だが、常々それを行う専用のスペースが欲しいと思っていた。

 気功やチャクラなどの自己内部だけで完結する修行ならば問題無い。しかし大威力の技を使う場合は周囲に対する影響も考えなければならない。今までは黒歌の形成した結界や異空間の中で行っていたが、それにしても限界はあるのだ。たとえば会談での一戦において放った『灼火天鎚』などの連携魔剣は、その超威力から中々修行できないでいた。

 強大な敵と相対しなければならない現状、扱える力が多いに越したことはないだろう。

 

 セラフォルー曰く、ここ数年は大して利用していないため、自由に使って構わないとのこと。維持・整備などのメンテナンスはあちら持ちなので、どれだけ破壊しつくしてもいいらしい。ありがたいことだ。

 

 と言う訳でさっそく使わせてもらうことになったその時、タイミングよくやってきたのが美猴である。

 黒歌と美猴はルーマニアで一戦交えていたが、修太郎はヴァーリの相手をしていたので今の彼がどれほどまで腕を上げているか正確に把握していない。それはあちらも同じであるため、丁度いいので手合せしようということになった。

 

 そしていざ試合開始といったところで現れたのが小猫とゼノヴィアである。

 新しい訓練場所が確保できたとして黒歌が小猫を呼び、修太郎と修行がしたいゼノヴィアがそれを耳ざとく聞きつけたのだろう。

 

 最低1キロメートルは離れているにもかかわらず、白刃と鉄棒が交わる音は明瞭に響いてくる。

 時折如意棒の一撃が岩柱を崩壊させ、斬撃の風が瓦礫を切り裂いて舞い乱れる様子を見せていた。オーラも放たず術も使わず、力と技だけで周囲に破壊を振りまくさまはまるで現実感が無い。

 

 舞い散る火花は一瞬たりとも絶えず、地表を滑り、天空を駆ける。

 地上戦では美猴が押し込まれているようだが、空中戦となると動きが直線的になりがちな修太郎はうまく追撃できないらしかった。

 結果として、互角の応酬が繰り広げられている。

 しかし。

 

「あ、そろそろ終わるにゃん」

 

 黒歌がそう呟くと同時、修太郎の片手平突きを美猴の如意棒が受け止めた。

 刹那、空中で睨み合う二人。

 修太郎はそのまま素早く握りを返すと、柄頭を空いた片手で殴りつける。途端、激しい衝撃が武器を伝播、棍を握る美猴の手が弾けるように引き離された。

 ――月緒流『鋼走(かなばしり)』が崩し『刃崩(はくずし)』。

 思わず息をのむ美猴。直後に放たれた刃が如意棒を完全に吹き飛ばすとともに、続く疾風の蹴りが顔面を直撃し、大地に墜落する。

 

 土煙の中起き上がる美猴の鼻先に、白刃が突きつけられた。

 勝負ありだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くっそ、相変わらずのバケモンっぷりだな暮修。俺っちも大分腕を上げたってのによぅ」

 

「唯一の取り柄だ。後れを取るわけにはいかない。そちらこそ、見事な分身術だった。以前の倍とは恐れ入る」

 

「倶利伽羅剣盗まれたせいで、クソジジイに滅茶苦茶しごかれたからな。今なら玉龍(ウーロン)にだって勝てるぜぃ」

 

「ほう」

 

 かかかっ、と笑う美猴と共に、修太郎は黒歌がいる岩柱の上に戻ってきた。

 二人とも服は破れ、鎧は砕けとボロボロだ。しかし動くのに支障はない程度にダメージは少ないらしく、ピンピンしている。

 

「お疲れにゃ、シュウ。術式の調子はどんな感じ?」

 

「ああ、悪くない。だがやはり発動が遅いせいか、細かい挙動が難しい。力の消耗も激しいな。要改良といったところだが、出来ると思うか?」

 

「ん~、ロスヴァイセにも聞いてみないとはっきりとしないけど、かなり強引に成立させた術式だから、これ以上となるとシュウの方が技量を高めない限りどうにもならないと思うにゃん」

 

「やはりそうなるか……」

 

 つまりは魔術の実力不足と言うことだ。正直な話、改善はかなり厳しい。

 

「おいおい、暮修なら魔法より軽功極めた方が早いんじゃねえか? 俺っちと打ち合えるほどってんなら、内功の練りは相当なもんぜぃ。それくらいありゃあ、軽功術なんざより取り見取りだろ」

 

 黒歌の返答に腕を組んで考え込む修太郎に、美猴が呆れた声を出す。

 それに対して反応したのは黒歌だ。

 

「そんなことは百も承知なのよ。肝心の師匠になる人がいないから仕方ないにゃん。それともあんたが教えられるって言うの? アホ猿(・・・)

 

「ああん!?」

 

 冷やかに言い放つ黒歌に、美猴は額に青筋を浮かべた。

 先ほども話にあったように、かつて闘仙勝仏の宝物庫から黒歌が倶利伽羅剣のレプリカを拝借したせいで、彼はひどく厳しい修行を課せられていたらしい。と言うのも、当時宝物庫の番を任されていたのが彼であったからだ。

 修太郎に不意を突かれて気絶させられたのは、状況と実力を加味すれば仕方ない。しかし課された責務を怠ったことは許すわけにはいかないとして、美猴は一から鍛えなおされることとなった。

 人の持ち物を勝手に盗んだ(彼女曰く借りてきた)黒歌も悪いが、美猴にしても言ってしまえば自業自得である。

 元々大して仲が良かったわけでもないため、ルーマニアでの敵対を経て現在、猫と猿の関係は最悪だった。

 

「やめろクロ。美猴、俺も軽功に関して鍛えてはいるのだ。しかし空を駆けるとなると手さぐりでは中々難しい。今は不完全だが、すぐに使うなら魔法(こっち)の方が手っ取り早いと踏んだ」

 

「……まあ、そういうことなら仕方ねえけどよ。俺も空飛ぶレベルの軽功使いなんて知らねえし、そもそも今の時代にいるかもわからねえしなぁ……」

 

「何よ、偉そうなこと言ってそっちだって何も知らないんじゃない」

 

「うるせぇな、中国は広いんだっての。……つーか、それよりもいいかげん倶利伽羅剣返せよ、バカ猫(・・・)

 

「にゃんですって!?」

 

 それを皮切りに二人の言い合いが始まる。

 その光景に修太郎は内心溜息を吐き、しかし止めることはしない。ここが市街地ならともかく暴れても何ら問題ない場所なのだから、一度ぶつかった方が何かと早いだろう。連戦となればおそらく美猴は負けるだろうが。

 

「師匠、次は私の番だぞ」

 

 横合いからかかった声に振り向けば、やはりと言うかゼノヴィア。

 ゲームでは実力を出し切れなかった感が激しく伝わってきたので、この場で確かめてみるのもいいだろう。……どうせ断っても諦めないのだろうし。

 修太郎としてはその元気を勉学に向けてくれると嬉しいのだが、意外なことにこの少女、成績は結構いいらしいのだ。意外なことに。

 

「ああ、わかった。移動するぞ」

 

「了解だ、師匠!」

 

「師匠ではない」

 

 ということで岩柱から降りようとした、その時。

 

「ちょっと待ってください」

 

 制止の声に立ち止れば、白い少女が手の平を前に待ったをかける。

 言わずと知れた塔城小猫だ。

 少女は無表情のまま修太郎に話しかける。

 

「暮さん、姉さまの話によれば今日は私の体術を見てくれると聞きました」

 

「む」

 

 確かにこれまでも、仙術修行の合間に黒歌監督のもと修太郎が訓練相手を務めることが何度かあった。

 彼女は今回もそのつもりでやってきたらしい。

 だが――。

 

 後ろを見る。

 

「はっ、お前のショボい仙術なんか俺っちに効くかよ! 魔術に妖術に浮気ばっかしてるもんだから半端も半端だぜ!」

 

「一つに絞ればいいってもんじゃないにゃん! あんたの古臭い仙術なんか、意外性の欠片も無くてかび臭いのよ!」

 

 視線を戻す。

 

「クロは取り込み中だぞ」

 

「……わかっています」

 

 まあ、黒歌がいなくても彼女の訓練相手を務める程度のことは可能だ。少々加減が効かないかもしれないが、町に戻ればアーシア・アルジェントもいることだしどうにでもなるだろう。

 

「ならば二人まとめてやろうか。ゼノヴィアもそれでいいな?」

 

「ああ、かまわない。正直、一人だとすぐに終わってしまいそうと思っていたところだ。出来るだけ長く師匠と戦ってたいからな」

 

 話はまとまった。

 ならばあとはやるだけだ。

 三人は場所を移動するために岩柱を離れた。

 背後でわめく猫と猿の声を聞きながら。

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 そして1時間弱。

 二人の少女は荒野に倒れ伏していた。

 それに対して前に立つ男は息切れ一つしていない。闘気を纏ってはいるものの、得物すら抜いていなかった。

 

「わかってはいましたが……」

 

「ここまで歯が立たないとは……」

 

 仰向けに天を見上げる少女たちは息も切れ切れだ。

 

 まず攻撃が当たらない。

 相手が速いとかそう言うことではなく――いや、それもあるのだが――完全に動きが読まれているのだ。

 よしんば攻撃が当たりそうになったとしても、受け流されるか撃ち落とされる。素手で。

 

 次に相手の攻撃が防げない。

 デフォルトで無拍子を刻む精妙な体術の前には、防戦一方などと言う展開すら望めない。為す術も無くボコボコにされた。

 一撃で昏倒しなかったことと、顔を狙われなかったことは彼の気遣いだろう。デリカシーの使いどころが間違っている。

 

 シトリー眷族から聞いた話によると、彼女たちが受けたものはこれよりもひどかったと言う。

 

「白音は足腰の鍛錬が足りない。ウェイトが軽いのだから、地に足付けた運体を心がけた方が良い。跳び上がるな、低い体勢を維持して下から抉り込むように打て」

 

「『バージョン3』で身体を成長させれば……」

 

「あれは未完成であるし、どちらにせよキミは小さく軽い。安易なパワーアップよりも地力を高めるべきだ」

 

「……はい」

 

 指摘そのものは的確であった。

 つい先ほどそれが原因で痛い目を見たのだから、文字通り痛感している部分だ。

 

「ゼノヴィアは出力だけなら見事だ。剣技も以前よりは上達している。しかし、鋭さに欠ける。今のお前が振るうデュランダルは刃と言うよりハンマーのそれに近い」

 

「そうは言っても師匠、デュランダルの制御は中々うまくいかないんだ。私の実力不足なのは重々承知しているが……何かうまい方法はないだろうか?」

 

「うまい方法……か。ふむ……」

 

 とはいえやはり、修太郎は聖剣使いとしての素養を持たないため、彼女がどういった部分で躓いているのか把握できない。

 なので推測で話すしかないのだが……。

 

「その剣が持ち主の気性を反映させるというのなら、お前自身がその剣と一体になればいい」

 

「…………うん?」

 

 意味がわからないという顔をするゼノヴィア。

 それもそうだろう、いきなり『剣と一体になれ』と言われてもどうしようもない。

 必死に頭を捻って、たどり着いた結論は一つ。

 

「それは、私とデュランダルを物理的に融合させるとか、そう言う話だろうか? アザゼル先生に頼めばできそうだが、流石にそれはちょっと……」

 

「違う。そんなわけがないだろう」

 

 だが修太郎の言い方も悪い。気を取り直して話を続ける。

 

「人剣一体、無想の境地。即ち明鏡止水の心を以って、剣を己が身体の延長とする」

 

「ムソウ……? メイキョウシスイ……?」

 

 聞きなれない言葉にゼノヴィアの頭は疑問符でいっぱいになる。

 言ってみた修太郎としても説明が非常に難しい。故にどうしても抽象的な言葉で表現せざるを得ない。

 

「一切の雑念、妄念を捨てた精神状態のことだ。自身が修めた武をあるがままに発揮できる。わかりにくいかもしれんが……」

 

「ううん、何だかすごそうだな。それで師匠、私は何をすればいいんだ?」

 

 月緒流の修練法にそのための方法がある。月緒の剣士を名乗るならば、必ず受けなければならない試練だ。

 確か――。

 

「一番手っ取り早い方法としては、『(うろ)』に入ることだ」

 

「ウロ?」

 

「ああ、身を清め、ただ一振りの剣だけを持って、黄泉路――黄泉へ通ずると言う洞穴に入る。その奥深くより一歩手前、現世で最も死に近い狭間の暗闇で三日三晩過ごすのだ」

 

 当然食料は持たされず、そして身を清めると言うことは水以外胃に何も収めてはならないということでもある。

 

「音も無く、身を包む衣と握る刃以外に触るものも無い。匂いも無ければ、暗闇であるから当然目も見えない。そのうち自分が生きているか死んでいるかすらもわからなくなるが、それでもなお自我を保ち、期日まで剣を振るい続けねばならない」

 

 無明の闇に包まれながら、ただ一心不乱に剣を振るう。集中に集中を重ねて恐怖すら消え去るほどに没頭するのだ。

 五感をすべて失い剣と己の境が無くなったその時、飢えも疲れも忘れ、無想の域に到達する。

 

「もし、失敗すればどうなるのですか?」

 

 それまで黙って聞いていた小猫が問う。

 修太郎の答えは一言。

 

「死ぬ」

 

 三日三晩ののち、意識がまだ残っていれば術によって虚から引きずり出されるが、そうでなければ死ぬ。そして黄泉の住人に死体を持ち去られ、魂もろとも二度と現世に戻れなくなる。

 

 この修行は月緒の剣士が乗り越えなければならない壁の一つである。

 これを三度経て無想に至れなかった者は退魔剣士になる資格を失い、次代のための糧として暮らすことを余儀なくされる。

 

「……頭がおかしいです」

 

「確かに毎年死人が出ていた。しかし通常数十年かかる境地を短期間で手に入れようと言うなら、それくらいしなければ不可能だ」

 

「でもそれをやればデュランダルの制御がうまくいくかもしれないんだな? ならば私はやるぞ、師匠!」

 

 寝転がったままの体勢で張り切るゼノヴィア。

 しかし。

 

「いや、説明しておいて何だがそれは無理だ」

 

「な、なぜだ?」

 

「まず黄泉路と繋がるとされる洞穴は日本に複数あるが、所謂霊地……パワースポットの一つとされる。その関係で、土地の管理者から使用許可を得なければならない。第二に、黄泉路とは黄泉比良坂、つまり黄泉の国へ続く道でもある。黄泉とは死者の国、伊邪那美命(いざなみのみこと)が治める常世の国だ。悪魔がみだりに近寄っていい場所ではない」

 

 日本の退魔師、特に黄泉路を管理するほどの家となると、悪魔を快く思わない者も多い。協力を求めても、よほどのことが無い限りはぐらかされるのがオチだ。

 伊邪那美命に関しては致命的で、彼女は基本的に寛容であるが、姿を見られるかもしれない事態を極端に嫌がる。神道系の名門である月緒一族ですら、厳密な条件を定めたうえで立ち入ることを許されていたのだから、他神話体系の侵入など論外だ。

 

「特にお前のような見目良い少女などが許可も無く近寄れば、たちまち二目と見れない姿に……どうしたゼノヴィア」

 

 そう説明していると、ゼノヴィアが驚いた顔をしているのに気付く。

 

「え、いや……その……」

 

 怪訝に問いかける修太郎。ほのかに顔を赤くして、何やら動揺している様子だ。

 

「なんだ、腹でも痛いのか?」

 

「し、師匠が私を褒めたから、驚いたんだ。てっきり嫌われているものと思っていた」

 

 そう言って、目を伏せる。

 なるほどこちらが好意的なことを言ったから照れているのだろう。修太郎としては客観的な意見を述べただけであるのだが。

 

「なあ、私は師匠から見て『見目良い』のか?」

 

「まあ、お前を醜いと思う者はまずいないだろう。第一、嫌いならば最初から関わろうとはしない」

 

「そうか! うん、ならいいんだ……ふふふ」

 

 一転して満面の笑みになるゼノヴィア。

 この程度で喜ぶとは、思い返せば扱いがおざなり過ぎたのかもしれなかった。少しばかり反省しなければならない。

 

「……続けてください」

 

 いつのまにやら正座の体勢をとっていた小猫が、じとりとした目つきで話の続きを促す。

 黒歌に似たその表情は、彼女たちが姉妹であることを再確認させた。

 

「ともかく重要なのは心を鎮め、無とすること。そのためには座禅を組むなりして、まず集中力を高めることだ。やり方は白音かギャスパー少年が知っている。動的なお前の気質では難しいだろうが、やっておいても悪いようにはならないだろう。地道に臨むといい」

 

「地道……か。わかった師匠、私は頑張るぞ! ……頑張るからな!」

 

「……あまり力を入れすぎるなよ」

 

 話の直後、馴染みの気配が背後から凄まじい速さで迫るのを感じた。

 素早く振り向いた修太郎は、それを受け止める。

 

「クロ――」

 

 言葉が途切れる。

 腕の中に飛び込んできたのは、修太郎の予想とはやや違うものだった。

 光沢の少ない闇色の黒髪とそれに付随する猫耳、ぱちりと大きな黄金色の猫目、黒い着物に赤い帯などの姿は変わらない。しかし、サイズが合わない。

 端的に言って小さいのだ。

 幼女な黒歌が、そこにいた。

 

「――――」

 

 思わず言葉を失う。

 そんな修太郎に構わず、にんまりと笑った黒い子猫は素早い身のこなしで身体をよじ登り肩の上に納まった。

 

「……姉さま?」

 

「これはどういうことだ?」

 

 困惑する小猫とゼノヴィア。

 すると遠くから美猴が走ってきた。

 

「おいこらこのバカ猫! 逃げてばっかじゃ話になんねぇだろうが! 大人しく正面から勝負しろぃ!!」

 

「うっさいにゃん、アホざる! ほんとうのたたかいはここからなんだから。ほらシュウ、あのさるをころころするのよ」

 

「おいそりゃ卑怯だろ! 暮修、そいつの言うことなんか聞くんじゃねえぞ。これは俺っちとそのバカ猫の勝負なんだからな!」

 

 などと言い合う。

 小さな手の平でぱしぱし頭をはたかれながら、よく気配を調べてみるとからくりがわかった。

 

「身外身の術か」

 

 目の前の美猴と肩ぐるましている黒歌、どちらも仙術の分身だった。

 仙術による変化や幻惑は魔術などと根本的な仕組みが違うためか、注意しなければスカアハの加護も反応が鈍くなりがちだ。その関係で見破るのが遅れてしまったのだろう。

 遠くを見れば、岩柱の上で睨み合う美猴(本体)と黒歌(本体)が見える。

 

「そうだぜぃ、どっちの仙術が優れてるか分身合戦だ。邪魔すんじゃねえぞ」

 

 そんな美猴(分身)をよそに、肩の上の黒歌を引きはがす。

 

 手も足も驚くほど細く、小さく、元々の黒歌が持つ豊満さは欠片も無い。

 強く抱けば折れそうなほど華奢な肢体だがしかし、純白の肌は既に女性特有の柔らかさを備えていた。細い首のうなじからはだけた肩の線は、幼いながらに色艶がある。猫又という妖怪は、他種族の雄と交わるために美しいのだと聞いたことがあった。幼くともまったく良くできている。

 端的に言って、大変可愛らしかった。

 

「どうしたにゃん?」

 

 わずかに濡れた瞳がこちらを見返してくる。

 普段見慣れた人物が縮んだ姿というのはかくも新鮮である。思わず注視してしまうのも仕方がないのだ。

 

「いや……」

 

 それはともかく、どうしようか。

 

 完成度の高い美猴の分身に対し、黒歌の分身がこんなにも幼いのは単純に練度の差だ。

 今まで使ったのを見たことが無いので、おそらくは見様見真似に違いない。

 身外身の術で作った分身は術者のそれを基とした自我を持ち、高度な自律行動を可能とするが、肉体的な技術以外を使うことはできない。遠距離から鋼鉄に変えた美猴のように、術者の腕次第では分身に干渉することもできるようだが、今の黒歌では不可能だろう。

 術そのものに精通し、且つ体術にも秀でる美猴を相手にこれでは条件が悪すぎる。

 この勝負は公平ではない。黒歌は美猴に嵌められたのだ。

 

「シュウ……」

 

「かっかっかっ!! いい気味だぜバカ猫! ほら暮修、そいつを寄越しな!」

 

 そう言って如意棒を構える美猴(分身)は、言動も相まってどう見ても悪役にしか見えなかった。

 それに対し、黒歌は修太郎の胸にすがりつく。

 

「いや……いやよぅ……こんなさるによごされるなんて……」

 

「あん?」

 

「そのながくてふとくてかたいぼうで、わたしのちっちゃなからだをめちゃくちゃにするつもりにゃん? うすいほんのように……うすいほんのように!!」

 

「おい、なに人聞きの悪いこと……痛えっ!?」

 

「……最低です」

 

「ああ、同感だ。幼い少女を辱めるなど、主もお許しにならない」

 

「おおぃ!? ちょっ、待て……うおっ、石投げんなお前ら!!」

 

 少女二人の蔑むような視線が美猴(分身)に突き刺さり、小石が雨あられと降り注ぐ。

 そして。

 

「シュウ、たすけて?」

 

 幼い指がぎゅっと修太郎の手を握る。

 

「悪いな美猴、流石にこの状況は看過できない。――クロは俺が守る」

 

「暮修ぅーーーーーー!?」

 

 魔法の煌めきと共に白銀の太刀が現れる。

 美猴は見た。修太郎の腕の中で幼い黒猫がこちらを見て嘲笑うのを。

 

「てっめぇこの覚えてやがれクソ猫ぉ!!」

 

 叫ぶ美猴(分身)に刃が走ろうとしたその時――。

 

「何をやっている美猴」

 

 横合いから声がかかる。

 声の主は暗い銀髪の少年、ヴァーリ・ルシファーだった。

 

「ヴァーリ!」

 

「人を迎えに行くだけの事にいったいどれだけ時間を使ってるんだ。俺もいいかげん待ちくたびれた」

 

 そう言い放つヴァーリの表情は不機嫌そのものだ。

 そして修太郎と黒歌の方に顔を向けて告げる。

 

「暮修太郎、黒歌、来い、アザゼルが呼んでいる」 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 駒王学園旧校舎の一室、ヴァーリに連れられそこを訪れた修太郎と黒歌は怪訝な表情になった。

 

「おう、やっときたか。えらく遅かったな」

 

「美猴が遊んでいただけだ。それで、要件とはなんだアザゼル。俺たちを集めて、まさかつまらないことじゃないだろうな?」

 

「まあそう急かすなよ」

 

 そう言ってアザゼルはこの場に集った面々を見る。

 

 まずは『白龍皇』ヴァーリ・ルシファー。

 

 続いて『孫悟空』美猴。

 

 『魔剣』暮修太郎と『猫魈』黒歌。

 

 『戦乙女』ロスヴァイセ。

 

 そして、天界の『切り札』デュリオ・ジェズアルド。

 

 これら錚錚たる面子を見渡して、アザゼルは不敵に笑む。

 

「いきなりで悪いが、この場にいるお前らにはチームを組んでもらう。揃いも揃って精鋭だ。活躍を期待するぜ?」

 

 

 




大変お待たせしました、更新です。
色々予定が重なった挙句に体調不良というコンボを喰らっていました。

何気に強くなってる美猴。だいたい黒歌のせい。
孫悟空と言えばまず觔斗雲ですが、分身術も何気にチート。というか孫悟空自体がチート。

新章開始と言うところですが、話が動くのは次回から。
もっとサクッと進められるようになりたい……。


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第四十四話:マーブルカラー

 紫色の空に轟音が響き渡る。

 冥界の僻地にある深い森の中、そびえ立つ古城は濛々と灰色の煙を吐き出していた。

 恐慌と怒気が混じる叫び声は喧々囂々(けんけんごうごう)、突然現れた襲撃者たちに向けられる。

 

「こっちだ、撃てッ! 殺せッ!!」

 

「クソッ、いったいどこから……!」

 

「怯むな、落ち着いて対処しろ! 敵は少ないぞ!!」

 

「我らが軍勢を相手にして、ただですむと思うなよッ!!」

 

 煙が作り出す薄暗闇を引き裂いて、白い閃光が空を駆ける。

 直後、雨のような魔力砲弾が城壁の大半を紙屑の如く爆砕した。

 

「馬鹿な……魔力で強化した防壁を……!?」

 

「白龍皇……裏切り者のルシファーめ!!」

 

 駆ける閃光にいくつもの攻撃が飛ぶが、圧倒的速度の前に悉くが空振りに終わる。

 それに気を取られていたのがいけなかったのだろう、別方向から降り注ぐ極彩色の光条を彼らが認識することは無かった。

 再度響き渡る轟音に、とうとう城壁が崩壊する。

 

 黒雲から雷霆が落ち、暴風の柱が無数に屹立。

 殺到する黒い炎の波が兵士ごと迎撃の魔力を飲み込み、堅牢なはずの建物を震わせた。

 天変地異と見紛う暴威の中、塵か埃の如く兵士たちが吹き飛んでいく。

 

「くっ! 退却、退却だ! 城の中へ入れッ!!」

 

 兵長と思しき男の号令に、兵士たちが籠城の構えをとる。

 降り注ぐ敵の爆撃に幾人もの犠牲を出しつつ、城内に戻った彼らだったが――。

 

「なッ……なんだ、これは……」

 

 そこに広がっていたのは鮮血の空間。

 赤黒い水たまりに投げ出された四肢、沈む無数の死体は全て首を刎ねられているか、頭を無残に潰されていた。無傷の武装はその用途を一切果たしていない証左であり、つまり彼らはわずかな抵抗すら許されず死んでいったのだとわかった。

 

 襲撃者は既に城の中に侵入していたのだ。

 血液の凝固具合を見れば、つい先ほど起きた出来事ではない。おそらくは爆撃が始まり、こちらが迎撃に出た直後あたりか。

 未だ城内で騒ぎが起きないことから、目撃者は全て殺されていると考えた方が良いだろう。

 その事実に、寒気を覚えずにはいられない。

 

「司令室に急げ! くそっ、外の攻撃は囮か……」

 

 つまりはそういうことである。敵は直接頭を叩く気なのだ。

 外の攻撃は無論のこと無視できない。かと言って司令官が殺されてしまっては大問題だ。先にそちらから対応する必要があるだろう。

 兵士を率いて血にまみれた通路を進んでいくと、金属同士がぶつかり合うような音が聞こえてくる。交戦の音だ。

 急いで駆け付けたその場所では、巨躯の騎士と鉄棒を構える青年が対峙していた。

 

「軍団長!」

 

 軍団長と呼ばれた騎士は傷だらけだった。鎧は罅割れ、手に持つ斧槍も刃が大きく欠けている。

 対する侵入者の青年は全くの無傷で、余裕のある笑みを顔に張り付けていた。風貌と気配から推測すれば、おそらく中国系の妖怪だろう。

 軍団長は、駆けつけた兵長に声をかける。

 

「……兵長、ここは終わりだ。部下を連れて退け」

 

「し、しかし……!」

 

「白龍皇がいたのだろう。ならばこやつらは『マーブルカラー』だ。噂が本当であるならば、我らでは勝てん」

 

 その名前なら聞いたことがあった。

 彼らが所属する『禍の団(カオス・ブリゲード)』への侵攻戦力として結成された、各神話混合の少数精鋭部隊である。『マーブルカラー』という呼び名は複数の勢力・種族が入り混じることから蔑称として付けられたものであり、敵部隊の正式名称は未だ不明。しかしわずか一週間足らずで拠点となる城をいくつも落とすなど、その戦果は凄まじい。構成メンバーに『白龍皇(バニシング・ドラゴン)』と『煌天雷獄(ゼニス・テンペスト)』が確認されている時点で破格の部隊と言えた。

 

 こうして襲われてみて実感する。敵の戦力は異常だ。

 対魔王級の防護が敷かれた城壁を容易く破壊するだけでなく、誰にも気づかれることなく侵入し、人知れずこちらの戦力を殲滅する。

 城内屈指の戦士である軍団長すら目の前の妖怪に一撃与えることなく満身創痍だ。

 

 悔しいが、退くしかない。

 後で臆病者と罵られようが、敵の情報を持ちかえる事こそ今最も重要な事柄だ。

 退却する時間はおそらく軍団長が稼ぐつもりなのだろう。一般兵はおろか兵長ですら歯が立たないことは明白なのだから、そうする以外に方法が無い。

 

「……御武運を」

 

 その言葉に無言で返す軍団長。

 この場を後にしようと踵を返した、その時。

 

「こちらは終わった」

 

 低く抑揚のない声が響いた。

 見ると、司令室に続く通路から男が一人歩いて来ていた。

 声の主は眼光鋭い長身痩躯の青年。鉄棒を構える妖怪のような人外ではない。人間だ。

 纏う蒼いオーラは寒気すら走るほどの鋭さを感じさせる。明らかに只者ではないが――。

 青年は白銀の刃を右の手に、左手で何かを引きずっている。

 

「司令……!」

 

 引きずられていたのはこの城の主であり軍団の上に立つ司令官、『禍の団』でも上位の地位に就く人物だ。

 四肢があらぬ方向に折れ曲がっていること以外は無事な様子で、どうやら気絶しているようだった。軍団長ほどではないが、彼も相当な実力を持っていたはず。それがこのザマとは。

 青年が持つ刃は魔法が宿った剣と見える。ならば聖剣使いではないだろう。おそらく何らかの強力な神器を持っているのだと予想する。

 

 刃の青年を認めた妖怪は、気さくな口調で答えた。

 

「おう、流石に速いな。ちょいと待ってろ、こっちもすぐに終わらせっからよ」

 

 その言葉に刃の青年は一瞬こちらを眺め、口を開く。

 

「『蛇持ち』はそいつと……そいつだ。今のうちに潰しておけ」

 

「あいよ」

 

「舐めるなよ、小僧どもッ!! 司令を返してもらうぞッ!!」

 

 軍団長が斧槍を振るう。

 巨体の膂力によって加速した得物が暴風と共に青年らへと迫る。激した様子は見かけだけなのだろう、技巧を凝らした鋭さだったが、しかし。

 

「わりいな……あんたの技、もう見切ってんだわ」

 

 言うが早いか、折れた斧槍が弾け飛ぶ。

 鉄棒が鎧を砕き、軍団長の腹を突き破っていた。

 同時に、妖怪の身体を覆うオーラが白色に輝き、棒を伝って弾ける。

 思わず目を覆うほどの眩さは浄化の力だ。その直撃を受けた軍団長は膝から崩れ落ち、絶命した。

 

 あっと言う間の出来事だった。

 刃の青年に気を取られてしまった兵長は、逃げる機会を失ったと悟る。率いた兵士ともども武器を構え魔力を漲らせ、襲撃者たちを見据えた。

 それに対し、軍団長の亡骸から鉄棒を引き抜いた妖怪が問いかける。

 

「なあ、降伏するなら命だけは助けてやらねぇことも無いんだけどよ、どうする?」

 

「愚弄するなよ下賤の妖怪め……!」

 

「ま、そう言うだろうな。――いくぜぃ」

 

 青年の姿が消え、気付くと鉄棒が胸を貫いていた。同時に浄化の力が流し込まれる。

 なんとあっけないことだろう。

 終わった、と確信する。

 意識が絶える直前、率いていた兵士が襲撃者らに襲い掛かる姿を見たが、次の瞬間に全員の首が飛んだ。

 ああ、これは。

 

(悪夢だ)

 

 心中の呟きは誰にも聞かれることなく、兵長の意識は闇に消えた。

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、俺このチームに要るかな?」

 

 そんな呟きが聞こえた。

 

「またか……どうした」

 

 声の主は金髪の青年、デュリオ・ジェズアルドだった。

 他のメンバーが無反応な中、チャクラの鍛錬を中断し話に付き合う修太郎。

 

 冥界での襲撃任務を終え地上に戻った彼らは、次の目的地を目指す列車の中でそれぞれの時を過ごしていた。

 黒歌は修太郎の膝を枕にして携帯端末をいじり、ヴァーリは窓の外の景色を眺め、美猴はいびきをかいて眠っている。ロスヴァイセは書類を作成しているのか、魔法をフル活用しつつ物書きに取り組んでいた。

 デュリオもまた、自身の隣に置いた鞄より書類を取り出し眺めているところだ。

 

「いやさ、このチーム滅茶苦茶強いじゃない? 特に後方火力なんかは猫さんと店員さんで間に合ってるし、白龍皇殿がいればもう俺にやることなんて……」

 

「デュリオさん、御託はいいので手を動かしてください」

 

「うへぇ……」

 

 デュリオの言葉はロスヴァイセの声に中断される。

 彼女の言い方が若干辛辣なのは、これが今まで何度も行われたやり取りだからだ。

 

「あーあ……シュータロくんがいるから結構楽できると思ったんだけどな……」

 

 そうぼやきながら書類に目を戻すデュリオ。

 その様子にかける言葉は一つ。

 

「頑張れ、リーダー(・・・・)

 

 未だ名称定まらぬ対テロ組織遊撃チーム、そのリーダーを務める人物こそデュリオだった。彼は上が送ってくる資料に目を通し、作戦の立案や、その成果の報告などを行わなければならない。

 

「く~っ、エクソシストだったころは、大体こういうの司教さまとか姐さんがやってくれてたからなぁ……つらいっスわ」

 

「すぐに慣れますよ。この程度の書類仕事は大した量ではありません。いずれは手伝いなしでもお一人でこなせるようにお願いします」

 

 答えるロスヴァイセは、デュリオの作った書類に手際よくチェックを入れている。

 流石、一人で課長職を務めていた人物は貫禄が違う。

 その言葉に項垂れながらも、デュリオは書類に目を通す。

 

 このチームの役割は、現在対応が後手に回りがちなテロ対策の状況を変えることにある。

 構成人数は現時点でデュリオ、ヴァーリ、美猴、ロスヴァイセ、修太郎、黒歌の6名。小隊規模にすら届かない少人数であるが、保持する戦力の規格外さは言うに及ばず。その高い潜伏性と機動力を以ってして、敵対勢力――つまりは『禍の団』への侵攻と情報収集を行う役目を担っていた。

 

 先ほど襲撃した敵の拠点では司令官と思しき悪魔を捕え、サーゼクスたちへと引き渡している。

 チームとして活動を始めてからおよそ一週間、これで4つ目の拠点制圧だ。ロスヴァイセは書類仕事を軽く大したことないなどと言うが、それは彼女が手馴れていることと、単純に能力が優秀だからこその話。勢力トップ直属という指揮系統を持つ以上、ある程度重要な部分の情報処理はこちらでこなさなければならない。デュリオも簡単な報告書や始末書を書いたことはあるが、これが中々つらかった。

 

「天使になるの、早まったかなぁ……」

 

 デュリオがリーダーを務めている理由は、彼が天使に転生したことに起因する。

 曰く、『御使い(ブレイブ・セイント)』。

 アジュカ・ベルゼブブが開発した転生器『悪魔の駒(イーヴィル・ピース)』の技術と、堕天使が提供した人工神器の技術を基に開発された天界の転生システムである。

 

 神を失った天界は、新たな天使を生み出すことができない。眼前に『禍の団』という脅威があり、またそれを乗り越えたとしても何があるかわからない現状、自勢力の人員確保は早い段階で行うべき事柄だ。

 『御使い』システムは主たる天使をキングとして、トランプに倣った配置で(エース)から(クイーン)まで12名の転生天使を作ることができる。

 現在は試験段階で、魔人の異形化する『蛇』の存在もあってか四大セラフ――ミカエル、ウリエル、ラファエル、ガブリエルの4名に絞り運用していると言う。

 

 その中でも、デュリオに与えられた役割は特別なものだ。

 すなわち『切り札(ジョーカー)』。どこにも属さず、しかし何にでもなれるカード。

 その名の示す通り、最強のエクソシストであったデュリオは最強の転生天使でもある。そして、次代のセラフ候補でもあった。故に、今の内から組織を率いる術を学ばせなければならないとして、小規模ながら人を纏める立場を経験させているのだった。

 

「ねえシュータロくん、今からでもいいからもう一枚の『切り札(ジョーカー)』にならない?」

 

「ならん」

 

 すげなく断る修太郎。

 信仰心を持たない修太郎が天使になっても、構成員として成り立たないだろう。性欲以外にも『堕ちる』要素がある以上、不適格だ。

 

「それよりもジョーカー、この列車はどのような目的でどこに向かっている。まだ聞いていなかったはずだが」

 

 外の景色を眺めていたヴァーリがデュリオを見てそう問いかける。

 端正な顔に不機嫌さを張り付けた彼は、実のところ強者を求めるべく自由に動きたくてたまらないはずだった。それでもチームとしての活動に付き合っているのは、アザゼルへの義理とテロ撃退の場が最も近く盛んな戦場であるからだろう。

 

 そんな白龍皇を前にしてさえ調子を崩さず、飄々とデュリオは答える。

 

「ああ、イギリスの……どこだったかな。うん、田舎町だね。その前に、『魔女の夜(ヘクセン・ナハト)』って知ってるかい、ヴァーリどん?」

 

 どん、などと言うデュリオの珍妙な呼び方についてはもう慣れたものだ。

 唐突な質問に、ヴァーリはよどみなく答える。

 

「……確かはぐれ魔法使いの集団だったと記憶している。それがどうした?」

 

「その通り。まあ、そんな碌でもない組織だから、構成員も碌でもない人たちばっかだったりするんだけど、それが『禍の団』に繋がってるかもしれないって疑惑があってね」

 

 『魔女の夜』に所属する魔法使いは魔法と言う特別な力に溺れ、自身の欲望を満たすために周囲への被害を顧みない者が多い。

 つまるところ『魔女の夜』はいわば無法者の集まりであり、その危険性と魔法使い全体の品位を損ねるふるまいから、多くの魔術結社に忌み嫌われている。

 力を求める傾向が強い彼らだ。かねてより『禍の団』とも何らかのつながりがあるのではないかと目されていた。

 

「つまりはそこを襲撃しろ、と?」

 

 つまらない、とでも言いたげな顔だった。

 ヴァーリとしては組織に組み込まれようとも強い者と戦えればどうでもいいのだが、ここ最近の戦いではあまり満足のいく相手と出会えていなかった。

 旧魔王派の主力級とされる人物はどれだけ強くともクルゼレイ、カテレア以下の実力でしかなく、巨大異形と化した敵も攻撃にさえ当たらなければヴァーリにとっては木偶も同然だ。

 

 それで今さら人間の魔法使いなど相手にしてどうなると言うのか。そもそも、魔法の実力でさえ大抵の者はヴァーリの足元にも及ばないのだ。

 『魔女の夜』には神滅具(ロンギヌス)を持つと言う魔女『紫炎のヴァルブルガ』なる使い手もいると聞く。楽しみとするならばそれぐらいだろう。

 そう考えるヴァーリに、しかしデュリオの返答は意外なものだった。

 

「違うんだなこれが。その『魔女の夜』からSOSが入ったのさ」

 

「なに?」

 

 デュリオの話によると、イギリスの魔術結社『黄金の夜明け団(ゴールデン・ドーン)』に、ある日突然『魔女の夜』を名乗る魔法使いから救援要請が入った。

 その魔法使いの話では「組織が堕天使に襲われている。何人も攫われ、何人も喰われた。拠点の場所を教えるから、どうか助けてくれ」とのこと。

 どうやらこの要請は複数の魔術結社に打診されたようで、悪魔メフィスト・フェレスが理事を務める『灰色の魔術師(グラウ・ツァオベラー)』にも同じようなメッセージが届いたらしい。

 

「堕天使……? グリゴリから『禍の団』に出奔した奴らか?」

 

「いや、どうだろうね。問題はこの『喰われた』って部分さ」

 

「ああ、悪魔ならばまだともかく、堕天使が人間を喰らうなど考えにくいことだ」

 

 ヴァーリの推測にデュリオが答え、修太郎が補足する。

 たとえば肉食の生物を素体とした転生悪魔ならば人を喰らいもするだろう。しかし元は神の被造物たる堕天使がそういった習性を持つという話は聞かない。

 ロスヴァイセが続ける。

 

「その堕天使の姿をした何かは、最近頻発している魔物狩りの失踪事件にも関与していると見られています。優れた魔法の武器や神器を持つ人間の戦士、または魔法の使い手が、それらと接触した後に消息を絶ったという証言があるのです」

 

「優れた魔法の使い手に、神器……なるほど、『紫炎祭主による磔台(インシネレート・アンセム)』が狙われていると言うわけか」

 

「『紫炎のヴァルブルガ』自身も魔法使いとしてはかなりの使い手らしいからね。それに『魔女の夜』の構成員も戦闘力だけならそこら辺の魔法使いより上だって聞いてる」

 

「逆に言えば、それほどの使い手がなりふり構わず助けを求めるほどの敵がいるということだ。それで、俺たちか」

 

「ふっ、それは胸が躍るな……!」

 

 修太郎の言葉にテンションの上がったヴァーリがオーラが膨れ上がらせると、対面の席で寝ていた美猴がようやく起きだした。

 

「……んん? どうしたよヴァーリ、なんか楽しそうだな」

 

「だがジョーカー、ならば急いで現場に向かうべきだと思うが。なぜこんなにのんびりとしている」

 

「無視かよ」

 

 ヴァーリの疑問はもっともだった。

 急ぎの案件ならばこうして列車に乗って向かうよりも、転移魔法なりなんなりで移動した方がはるかに効率がいい。

 それに対するデュリオの答えは。

 

「そりゃあ、今行っても遅いからだよ」

 

「なんだと?」

 

「救援要請が届いたのは三日前。近場の魔法使いが状況の確認に向かったのが二日前。その時点で『魔女の夜』の拠点は壊滅してるのさ。拠点はいくつかあったみたいだけど、それも昨日の時点で全部無くなっちゃってるんだよね」

 

 残念なことに、とデュリオ。

 現場には追跡・調査のための情報受け取りに行くのだと言う。

 ヴァーリは表情こそ変えなかったが、あからさまに落胆した様子になった。

 

「そんながっかりしないでよヴァーリどん。それにさ、現場に転移しようとするとうまくいかないらしいんだ。なんでも空間が複雑に歪んでるんだとか」

 

「おそらくは、対魔法使い用の転移妨害がまだ残っているのでしょう。聞く限り相当広範囲のようです。やはり敵はかなりの実力を持っていると見て間違いないですね」

 

 ロスヴァイセの分析にも、ヴァーリの表情は晴れない。

 出鼻を挫かれた感が抜けないのだろう。妙な所で年相応なところを見せる白龍皇だった。

 

「だがヴァーリ、こういった休憩できる時間というのは大事だ。たまにはリラックスするのも悪くはない」

 

 そう言う修太郎は、常在戦場が如く常に気を練っているのであまり説得力が無い。

 ヴァーリは仕方なさげに溜息を吐き、言葉を返す。

 

「……この程度でへばるような鍛え方はしていない。しかし、こういうことは俺よりも幾瀬鳶雄(いくせとびお)の方が適任だと思うんだがな」

 

「『刃狗(スラッシュドッグ)』殿は別行動だからねぇ。総督殿によれば、いずれ俺たちと合流するって話だけど」

 

 神滅具『黒刃の狗神(ケイネス・リュカオン)』の所有者、『刃狗』幾瀬鳶雄も本来であれば修太郎たちと行動を共にする予定だったが、神器使いなどの狙われそうな人物を保護する役目に回っていた。

 彼が選ばれたのは、人外である堕天使よりも同じ人間である鳶雄の方が何かと都合がいいからだろう。加えて、人柄も実力も申し分ない。

 ちなみに同じ人間であるはずの修太郎は、相手に無駄な緊張を強いる可能性が高いとして不適任とされている。

 

「そういや黒歌、お前は何してんだ?」

 

 未だ発言の一つすらもせず、寝転がる黒歌へ美猴が問う。

 時折デュリオたちの方へ視線を向けていたため、話を聞いていなかったわけではないようだが……。

 

「今冥界でやってるレーティングゲームの情報を見てたにゃん」

 

 そう言って、端末の画面を見せる。

 堕天使の科学力が無駄に詰め込まれた修太郎の端末は、地球上のネットワークだけでなく冥界までそのアンテナを伸ばせるらしい。

 映されていたのは悪魔界にて現在開催している、若手六家対抗レーティングゲームについてのまとめサイトだった。

 

「ああ、確かお前の妹ちゃんがグレモリーの眷族だったな。つーか、一応戦争中だってのにそんなのやってていいのかよ?」

 

「私はこれも政治的に意味があるんだって聞いてるにゃん」

 

「俺ら聖書の勢力は一纏まりになったけど、他の神話勢力に比べれば立場が弱いから、最初が肝心なのさ」

 

 六家対抗レーティングゲームの目的は、他神話勢力の重鎮と交流する場であるとともに、優秀な若手を通じて自勢力の実力を示すことにある。

 『聖書の神』という神話の根幹を失った彼らが今もなお他の勢力に飲み込まれないのは、世界最大の宗教として過去に築いた遺産があるからだ。故に今勢力としての弱みを見せるわけにはいかない。テロ対策にかかりきりになり、組しやすいと思われては今後の情勢に影響が出てしまう。

 新たな体制をとる以上、最初の勢いが肝要。たとえ実際のところが苦しくとも、対外的には余裕の表情を見せる場面だった。

 むずかしいよねぇ、とデュリオ。

 

「……あとは、平民階級の不安を煽らないようにする意味合いもあるはずだ。三大勢力が手を取り合った直後に不穏な空気が蔓延すれば、勢力和合そのものに否定的な意見を生み出しかねない。そこで民の視線を馴染みの娯楽に向ける。ようは、現状に対する目くらましというわけだ」

 

 デュリオの説明に補足するのは、意外なことにヴァーリだった。興味がなさそうに見えて、現状の考察は済ませていたらしい。

 

「はー、色々考えてんだなぁ。俺っちにゃめんどくさくてよくわかんねぇや」

 

「そりゃあんたに興味が無いだけでしょ、アホ猿」

 

「うっせ、お前に言われたくねえよ、バカ猫。そっちも五十歩百歩だろうが」

 

「やめろ二人とも。それで、ゲームがどうだと言うんだ、クロ」

 

 噛み付き合う二人を制して修太郎が問いかける。

 

「いや、この子ら優秀だにゃーと思って。見てよ、これ」

 

 そう言って端末を操作し、映像を空間に投影する。

 映し出されたのはレーティングゲームに参加する若手たちの情報だ。

 バアル、アガレス、グレモリー、シトリー、アスタロト、そしてグラシャラボラス。それぞれの『王』の能力評価が表示されている。

 黒歌の言うとおり、その数値はどれも軒並み高いが……。

 

「なんだこいつ、えらく能力が偏ってんな」

 

 美猴が示したのはバアルの『王』。

 他と比べて魔力が一段と低く、しかし一目でわかるほどパワーの数値が異常に高い。

 

「サイラオーグ・バアル。大王バアル家の次期当主で、若手最強。この前開かれたゲームでも、グラシャラボラスを破ってるにゃん」

 

 スクリーンにゲームの様子が流れる。

 緑髪の男を、体格の良い黒髪の青年が追いつめていた。青年――サイラオーグは肉体面で秀でているらしく、体術のみで相手の魔力攻撃を撃ち落としている。彼の身体は白色のオーラを纏い、一切の攻撃を受け付けていないようだった。

 

「闘気使いか」

 

「そ。シュウと同じ種類の闘気の使い手ね。このグラシャラボラスの方もそこそこやるけど、相手が悪いにゃん」

 

 超高密度の闘気は一定威力以下の攻撃を完全に無効化する。

 全身を巡る生命力の発露に自然消滅と言う概念は無く、高威力の攻撃で無理矢理剥がすか、消耗させるしかない。修太郎も同様の闘気を纏い多くの敵と戦ってきたのでよくわかる。

 画面で健闘するグラシャラボラスの悪魔は、悲しいかな火力が決定的に足りない。

 

「パワーはそれなりにあるようですが、彼に対抗できるほどではないのが辛いですね」

 

 ロスヴァイセの言葉は正鵠を射ている。中途半端なパワー型であるグラシャラボラスでは、パワー一極型のサイラオーグに敵わない。

 そうでなくとも、直接戦闘で彼に勝利できる者は六家の『王』にはいないだろう。

 

「特化型を真っ向から破るには、さらに特化した力を得るか、対極を極めた者であることが条件だ。もしもサイラオーグ・バアルを破るとしたら……」

 

「――赤龍帝。兵藤一誠か」

 

 修太郎の言葉にヴァーリが続く。

 力の権化たる赤龍帝ならば、サイラオーグ・バアルの異常なパワーも上回れるはず。現状では難しいかもしれないが、最も可能性が高い手だ。

 それ以外の方法を考えるとすれば、大勢で囲んで袋叩きにするか、何らかの搦め手を用いて嵌めるしかない。相手にも優秀な眷族がいる以上、それは至難を極めるだろう。

 

「で、どうなんだよヴァーリ。アザゼルに呼び出された時、ついでに赤龍帝にも会ったんだろ?」

 

「悪くは無い。以前見た時と比べて見違えるほどの成長を遂げていた。しかし俺を満足させるにはまだ足りないな。今後次第だろう」

 

 美猴の質問に答えるヴァーリは、そこはかとなく期待感を持っているようだ。

 二天龍の運命に従うならば、いずれ戦うことは必定。兵藤一誠には厳しい未来が待っている。

 

「そういや俺、まだ赤龍帝殿と会ったことなかったなぁ。歴代で一番弱いって聞いたことあるけど、どうなのシュータロくん?」

 

「能力面で光るものは見られないが、意志は強いように感じた。強くなるならば、それさえあれば十分だ」

 

 一誠とはあまり交流したことがないものの、匙やゼノヴィア、小猫から話を聞いて人となりは知っている。前に進む意志さえあれば、きっと彼は強くなれるだろう。

 そう答えつつスクリーンを見る修太郎は、何かに気付いた。

 

「この男は……」

 

 画面に映る六家の上級悪魔、その一人に見覚えがあったのだ。

 名前はディオドラ・アスタロト。この優しげな風貌の美少年を、修太郎は以前見かけたような気がした。

 情報を詳しく見る。

 アスタロト家は現魔王アジュカ・ベルゼブブを輩出した名門だ。

 どうやら既にアガレス家とゲームを行ったらしく、アスタロトは下馬評通り順当に負けていた(・・・・・・・・)。次はグレモリー家とのゲームが控えているようだが、まとめサイトによれば勝率は低いとのこと。

 

 どこで会っただろうか、すぐには思い出せない。敵対した相手の気配は忘れないので、実際に会えば敵だったかどうかの判断はできるだろうが……。

 

「そういや、このチームをゲームで考えたら誰がどのポジションになるんだろうかねぃ?」

 

「私は『僧侶』二つだからもう決まってるにゃん」

 

「そもそも、誰が『王』になるんでしょう」

 

「ヴァーリかデュリオじゃない?」

 

「いや、俺天使だし」

 

「じゃあヴァーリね」

 

「俺は駒など持っていないし、貰うつもりも無いが」

 

「たとえよ、たとえ。ちょっとしたお遊びにゃん」

 

「俺っちは『戦車』あたりが妥当だと思うんだが、どうよ? 腕力と頑丈さには自信があるからな」

 

「逆に『騎士』で素早さを高めるという選択肢もありなのでは?」

 

「シュウに二つでスピード倍プッシュじゃダメかにゃ?」

 

「シュータロくんなら『兵士』でもいいと思うけどね。元から充分速いんだから、プロモーションを活かす形でさ」

 

 気付くと何やら会話が弾んでいる。

 ともあれ疑問は置いて、今はこの時間を楽しむ方が有意義だろう。わからないことに悩んでも仕方がない。

 

 列車の振動に揺られながら、一同は目的地まで歓談を続けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 透き通った湖面に青空が映り、太陽の柔らかな光が降り注ぐ。水面の煌めきは散りばめられた宝石のように、深緑の森を彩った。

 耳を澄ませば小鳥のさえずりが聞こえる。風によるものか、それとも小動物か何かが移動しているのか、茂みが騒ぐ様子が感じ取れた。

 以前までと比べてそれを自然と思うのは、この環境に慣れ親しんだ証拠なのだろう。かけた眼鏡の位置を整え、ローブの青年は一つ大きく深呼吸をした。

 

 澄んだ空気が肺の中を満たすと、心なし身体が軽くなった気がする。

 魔術的に言えばマナ、仙術的に言えば気、あるいはプラーナ。それがこの場には満ちている。繊細な魔術を編み上げるにおいて、これ以上の環境は無いだろう。長い時間を場の構築に割いた甲斐があるというものだ。

 

「あらゲオルク、ここにいたの」

 

 背後からの声に振り向くと、金髪碧眼の美女がいた。

 彼女は青年――ゲオルクの仲間だ。

 

「ジャンヌ。何かあったのか?」

 

「もうお昼だから呼びに来たのよ。ご飯、食べるでしょ?」

 

「ああ、少し待ってくれないか。術式の状態を確かめているんだ。何せ、初めての試みだからな」

 

 湖面の中央に、光り輝く魔法文字で覆われた球体が浮かんでいた。百を優に超える層で構成された立体魔法陣は、時を刻むように目まぐるしく文字の配列を変えている。

 その複雑さ、巧妙さは筆舌に尽くしがたい。凡百の魔法使いでは扱うどころか機能を把握することさえ不可能だろう。

 

「――曹操たちの様子はどう?」

 

 そう言って、ジャンヌも魔法陣に目をやる。

 

「曹操もジークフリートも、あの中で楽しくやってるだろう。まったく、修行のためにこんなものを用意させるなんて、人使いの荒いリーダーだ」

 

「きっと悔しかったんでしょ。あの魔人、全力でやっても倒せなかったもの」

 

「途中から一対一に持ち込めばそうなるのは当然だ。戦力を持ってきた意味が全くなかったじゃないか」

 

「でもそのおかげでこっちは一人も死ななかったわ」

 

「…………わかっているさ」

 

 ジャンヌの言葉にゲオルクは渋面を作る。それについては重々承知しているのだろう。

 京都近海で捕捉した魔人との戦いは、最終的に痛み分けで終わっていた。

 魔人は今まで彼らが戦ってきた中でも最悪の強敵だった。多くのメンバーが死ぬだろうと誰もが思った。

 だがそれでも、ゲオルクの計算では十分勝利できる戦力があったはずだ。しかし犠牲を嫌った曹操の独断専行によってそうはならなかった。

 結局、魔人と曹操の激突で大規模な破壊が巻き起こり、それが相手を逃がす隙を生み出してしまう。あと一歩のところで作戦は失敗したのだ。

 

 曹操率いる『天明旅団(デイブレイカーズ)』は、北米を中心に全世界で活動する魔物狩り集団だ。

 今までは神話勢力の介入を避けるべく神滅具の本格利用を避けてきたが、それも今回の戦いで白日の下に晒されてしまっただろう。まだ『天明旅団』自体は捕捉されていないものの、今後の煩わしさを考えるとゲオルクは頭が痛くなった。

 

「……術式は安定しているようだ。帰ろう、ジャンヌ」

 

「はいはーい」

 

 ゲオルクはローブの裾を翻し、ジャンヌと共に森を抜ける。

 目の前が開けると、丘の上から景色が一望できた。

 広大な草原に風がそよぎ、蒼天の空はどこまでも広がっている。遠くに見える山々は深緑で彩られ、生命の息吹を感じさせた。この世界をいったい誰が作られたものと思うだろうか。空間全体から伝わる命の鼓動は、一つの生態系を確立させている。

 ここは神滅具『絶霧(ディメンション・ロスト)』の力によって形成された異界だった。

 

 ふと、上空より影が差す。

 見上げれば、ゲオルクたちの頭の上を巨大な有翼獣が通り過ぎて行った。獲物を探す有翼獣は、風を切り裂きながらはるか遠くへ飛び去った。

 草原を歩いて行くと、そこかしこに獣の姿が見て取れる。しかし先ほどの有翼獣と同じく、そのどれもが尋常の生物ではなかった。六足の獅子や多頭の蜥蜴など、全てが一つの例外もなく魔獣と呼ばれる存在である。

 

 ゲオルクたちは魔獣を無視する。魔獣たちもゲオルクらを無視した。

 見ると、ゲオルクとジャンヌの身体を薄く霧が覆っている。ここはゲオルクらが作った世界だが、その住人たちは彼らを神と崇めたりはしない。それぞれが持つ野生に従い、隙を作れば当然襲い掛かってくるのだ。例外は創造主たるレオナルドぐらいのものだろう。

 

 しばらく歩くと、大きな川のほとりに集落が見えた。

 集落、と言ってもその規模と趣は町に近い。事実、ここは数百名からなる『天明旅団』メンバー全員が生活する町そのものだった。

 旅団メンバーの大半は神器や特異な血筋によって人生を狂わされた者たちだ。世界を股にかけ活動していく中で、曹操がそういった人々を片っ端から保護していった結果、かなりの大所帯になってしまった。

 おかげで戦闘員よりも非戦闘員の方が圧倒的に多くなる始末。何故かこうして町まで出来てしまって、今後の管理にゲオルクが頭を悩ませる事態にまで発展している。今はいいが、数年後、数十年後はいったいどうするつもりなのだろう、と曹操を恨まずにはいられない。

 

「そう言えば、外に出てる何人かのメンバーに『刃狗』から接触があったって。彼ら、神器使いを保護して回ってるみたい」

 

 町の門をくぐりながら、ジャンヌが報告してくる。

 レオナルド特製番人魔獣の会釈を受けつつ、ゲオルクは思案した。

 

「『刃狗』……堕天使勢力か。同業者の失踪騒ぎはこちらでも把握してるが、そうなると『禍の団』――いや、魔人絡みと見た方がいいな。曹操が戻ってくるまでに調査と準備を進めよう。きっと、すぐに動きたがるはずだ」

 

 曹操がいない間は参謀役たるゲオルクが旅団を纏めなければならない。やることは山積みだが、もう慣れたものだ。

 頭の中で段取りを立てていると、騒がしい声が聞こえた。

 

 そちらに目を向ければ、広場でヘラクレスが大勢の子供にたかられている。腕に足に身体に頭に子供を纏わせているその姿は、控えめに言っても異様だ。顔が見えないため、オーラを見なければヘラクレスとわからない。

 ヘラクレスはゲオルクたちに気付くと、こちらに近づいてくる。言っては悪いが、その姿は珍妙な怪人そのものだ。

 

「……ゲオルク、助けろ。昼飯食ってちょいと相手してやったらガキどもが調子に乗って離れなくなった」

 

 しがみつく子供の足に口をふさがれ、くぐもった声で話すヘラクレス。

 それに対し、キャッキャと喜ぶ幼い子供たち。彼らもまた、生まれながら備わった力によって世間から見放された過去を持つ。かつては笑顔すら知らなかった子供たちが楽しんでいる様子は素直に微笑ましい。

 初めて出会った時のヘラクレスは子供嫌いだったと記憶しているが、変われば変わるものだ。邪魔をしては忍びない。

 というわけで。

 

「おい待て、無視すんなゲオルク!」

 

 踵を返すゲオルクを制止するヘラクレス。

 それに構わず立ち去ろうとするゲオルクだったが、引き留める力を腕に感じた。

 振り向くと、一人の少女が小さな手でローブの袖を掴んでいた。

 

「ゲオルクお兄ちゃんも遊ぼ?」

 

「う……いや、俺は……」

 

 この後はやることが山積みだ。遊ぶ暇など微塵も無い。しかし、このような子供にどう説明すればわかってもらえるだろうか。邪険に断って泣かせてしまうのも面倒だ。第一、まずは食事を摂らなければ。

 天才魔術師としての思考力を無駄にフル回転させるゲオルクを見かね、ジャンヌが少女をたしなめる。

 

「ゲオルクお兄ちゃんは忙しいからダーメ。私たちのためのお仕事がいっぱいあるの」

 

「えー……」

 

「あとでお姉ちゃんが遊んであげるから、それまでヘラクレスおじさんと遊んでなさい」

 

「おい、誰がおっさんだコラ」

 

「んー……わかった! お仕事頑張ってね、ゲオルクお兄ちゃん!」

 

「あ、ああ」

 

 ぎこちなく手を振って少女を見送りつつ、内心でほっと息を吐く。どうにも子供は苦手だった。

 

「悪いな、ジャンヌ」

 

「別にいいわ。でもいいかげん少しは相手できるようにならないとね」

 

「……子供の思考はわからないんだ。どう対応してもうまくいく気がしない」

 

「難しく考え過ぎ。変な所で不器用なんだから。フィーリングでいいのよ、フィーリングで」

 

「……それがわからないから困っているんだが」

 

 ゲオルクが子供たちと遊ぶには、まだまだ時間がかかりそうだった。

 そんなゲオルクに苦笑して、ジャンヌはそういえば、と疑問に思ったことを尋ねた。

 

「ゲオルク、あの修行空間って私たちは入れないの?」

 

「あれは極めて繊細な制御の下に成り立っているから、普通の人間と違って英雄の魂を引き継ぐキミらだと専用の調整が必要になる。今すぐは難しいな」

 

「ふぅん、まあいいわ。どっちにしても、使う気にはなれないもの」

 

 興味を失ったのか、ジャンヌは話を打ち切った。

 次にあの空間から出てきた時、はたして曹操とジークフリートはどれほどの力を手にしているだろうか。興味は尽きない。

 何にせよ、これから忙しくなることは決定事項だ。自分は参謀役として、せいぜい力を尽くすとしよう。ゲオルクはそう思いなおす。

 

 

 

 

 

 ちなみに昼食はジャンヌが作ったのだが、それを残さず食べさせられたゲオルクは、子供たちと遊んでいた方がましだったと後悔した。

 

 




お待たせしました更新です。
今回は二つのチームの話になります。

原作通りデュリオは天使に。
その代わり転生天使の総数はかなり少なくなっています。
ディオドラ? 普通に負けましたが何か?

そして綺麗な英雄派メンバー。
改めて思う誰だこいつら。


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第四十五話:炎と紫電

 9月も前半、日本では残暑に悩まされる季節でも、ここイギリスは違う。爽やかに肌を撫でる涼しい風が心地良い。

 駅から降りて歩いて行けば、なだらかな丘の坂道に煉瓦造りの家々が立ち並ぶ。近くの山に見える木々は深く、その中から伸びる小川が午後の太陽を受けて輝いていた。

 どこかに牧場でもあるのだろう、時折家畜の鳴き声が聞こえる。車の通りも少なく、都会特有の喧騒も無い。なるほど確かに、デュリオが言ったように田舎町だった。

 石畳の道を抜けて、緩やかな勾配の山道を行く。山道と言っても、車か何かが頻繁に通っているからか、段差などはほとんど無いに等しい。

 魔的な気配も、その他の異常も全く見られない。時折木々の隙間から小鳥の鳴き声が聞こえてくるだけだ。

 

「……なんつーか、のどかだねぃ」

 

 緊張感を欠いた美猴の言葉に、一同は同意していた。

 食事時を過ぎた昼の柔らかな日差しが眠気を誘う。

 

「絶好の昼寝日和だねぇ……寝ちゃダメかな?」

 

 リーダーの戯言は無視である。

 美猴は若干気だるそうに、ヴァーリは黙々と歩いている。

 ロスヴァイセを見ると、欠伸を噛み殺している彼女と目が合った。自身の失態を見られてしまったロスヴァイセは、恥ずかしげに顔を伏せ、歩調を落として修太郎の後ろへと下がる。この様子からして、徹夜でもしたのだろうか?

 

「ねーねー、シュウ」

 

 横を見れば、眠たげに目元をこする黒歌がこちらを見上げていた。修太郎が意識を向けると彼女は素早く猫の姿に化け、肩の上に乗ってくる。そうして身体を丸め、寝息を立て始めた。懐かしの定位置だった。

 

「ずるいなぁ、猫さん」

 

 リーダーの文句が聞こえた気がしたが、無視である。

 しばらく山道を歩くと、柔らかい膜を通過したような感触を受ける。直後、急に視界が開けた。

 おそらくは人払いと認識阻害の結界を抜けたのだろう。目の前には破壊され尽くした屋敷の残骸があった。

 柱は燃え尽き、土台は砕け、そこかしこに大きく抉られた地面が見える。燻る破壊痕から立ち上る匂いには血も混じっており、濃厚な死の香りが鼻腔を刺激した。のどかに見えたのは見かけだけ。間違いなく、この場では激しい戦闘が繰り広げられていたのだ。

 現場を検分しているのは主に悪魔と魔法使いたちだった。堕天使が数名いるのは、襲撃者の正体に関して意見を聞くためだろう。

 

 一同が様子を窺っていると、紅色のローブを着た魔法使いが近づいてくる。

 金髪に黒髪が混ざった長い髪、切れ長の目をした痩躯の男性だった。抑えているのだろうが、身体の奥底から感じるオーラは静かで深く、強者の気配を感じさせる。

 ローブの男は微笑みを浮かべながら一礼して、口を開く。

 

「皆さまがた、お待ちしておりました。私はルシファー眷族の『僧侶(ビショップ)』、マグレガー・メイザースと申します」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マグレガー・メイザースはサーゼクス・ルシファーの命を受け、この事件に関して補佐をしにやってきたと言う。

 

「いやぁ、調査・追跡って言っても俺らにはノウハウが無いから、協力ありがたいスわー」

 

「協力、と言ってもこの案件には私も興味がありますからね。お役にたてれば幸いです」

 

 軽い口調で話すデュリオ。

 ともすれば失礼なふるまいだが、マグレガーの態度はあくまでも穏やかだ。

 

 マグレガー・メイザースと言えば、近代魔術師たちの間では知らぬ者などいないほどのビッグネームである。

 魔術結社『黄金の夜明け団(ゴールデン・ドーン)』を創設した一人であり、多くの系統に精通した稀代の魔術師。以前ベオウルフに聞いたところによると、禁術研究の第一人者でもあるらしい。現魔王ルシファーの『僧侶』駒二つを消費して転生したのだから、その実力は推して知るべしと言ったところだ。

 現場の第一発見者は『黄金の夜明け団』の魔術師たちである。マグレガーは彼らと交渉するにあたってこれ以上ない人物だ。

 

「まさかあのマグレガー・メイザース殿とこんなところで会えるとは……一度魔法について語り合ってみたいものです」

 

 ロスヴァイセが呟く。

 彼女がこんなにも興味津々な様子になるのは、百均ショップ以外の場所では珍しい。

 おそらく修太郎が沖田総司に対して戦り合ってみたいと思うのと同じだろう。そう考えると少し親近感が湧く。

 

「なんだか失礼なことを考えられてる気が……」

 

 ともあれ、情報を受け取ることが先決だ。

 しかしながら、全員が雁首揃えて立ち会う必要は無い。

 いつのまにやら美猴は木にもたれかかって寝ており、ヴァーリは勝手に現場の様子を見に向かってしまった。マグレガーが名乗った時はどちらも興味深く相手の実力を探っていたようだが、勝手なことだ。

 まったくもって纏まりの無いチームだが、ロスヴァイセを除き規律や統制には縁遠い人物ばかりだ。むしろ、これぐらいが良い塩梅なのかもしれなかった。

 

「デュリオ、ここは任せる」

 

「シュータロくん?」

 

「時間の経ち具合にもよるが、気配の残り香を感じることができれば、もしどこかで敵と出会った場合にわかるかもしれない。少し見回ってくる」

 

「へえ……うん、いいよオッケー。じゃあロスちゃんはこっちで俺の手伝いを……」

 

「私も少し試してみたい術式がありますので、ここはデュリオさんにお任せします」

 

「ええ! それじゃこっちどうすんのさ?」

 

「頑張れリーダー」

 

「そんなぁ……」

 

「ふふふっ、では案内の者を呼びましょう。まだ検証が済んでいない部分もありますので。少しお待ちを」

 

 案内の者がやってくるまでの間、邪魔にならない位置に移動する。

 改めて現場の全景を眺めると、残骸を見ただけで相当大きな屋敷だったのだとわかる。

 砕けた煉瓦の一つ一つから魔術の残滓が感じ取れることを考えれば、本来は要塞レベルの防護を誇っていたはずだ。

 

「デュリオを放っておいてもいいのか?」

 

 屋敷跡を見ながら、ロスヴァイセに尋ねる。

 

「このままだと私任せになりかねませんし、たまにはいいでしょう。私はあくまでもヘルプ。リーダー業は全部デュリオさんにやってもらいます」

 

「……そうか」

 

 言葉の裏に、もう管理職は御免だというような強い意思を感じる。

 まあ、デュリオにはそれくらいで接するのがちょうどいいだろう。あれはやるべき時はやるが、極力やらない方向にもっていきたがる性質だ。

 そう思っていると、ロスヴァイセが。

 

「ふわぁ~。……す、すいません」

 

 一つ小さく欠伸をした。噛み殺そうとして出来なかったのだろう。

 しかし、何故修太郎に謝るのか。眠いのならば仕方がない反応であるし、そういった仕草も可愛らしくて良いと思うのだが。

 

「眠そうだな」

 

「ええ、今後のことも考えて新しい術を考えていまして……つい熱中してしまいました」

 

「ならば欠伸程度、遠慮する必要はない。もっと力を抜いても問題にはならないぞ」

 

「そうなのでしょうが、癖なんです。一応、プライベートではリラックスしてますよ? それに、欠伸した顔を見せるのはやっぱり恥ずかしいです」

 

「クロはしょっちゅうだが」

 

「そこは性格の違いと言うことで……と言うか、修太郎さんに言われたくはありません。あなたももっと力を抜くべきでは?」

 

「む……癖なんだ。仕方がない」

 

「私も同じですよ。ありがとうございます、少し目が覚めました」

 

 ふふっ、と笑う彼女は、魔法の光を飛ばして何かの観測を行っているようだった。

 元来火力重視の傾向が目立ったロスヴァイセだが、修太郎たちと付き合い始めてからはサポート系の術も多く習得している。攻撃・結界・空間操作などの術は大出力と天性の感覚を持つ黒歌に軍配が上がるだろうが、観測や索敵などといった演算速度や高速精密性が物を言う分野では圧倒的にロスヴァイセが上のはずだ。

 フルバースト魔法の多数同時照準などは見事の一言。いつみても惚れ惚れする美しい精度だと感じている。

 故に彼女の新しい術、と言うのは気になるが、作業を始めたのなら邪魔をするのも悪い。

 

 呼吸を整え目を閉じる。現場に残留した気から襲撃者の気配を把握するべく、集中。

 自身の肉体を自然と一体化させていくイメージで、深く、深く――――。

 が、しかし。

 

「…………駄目か」

 

 多くの人が戦い、そして死んだ場所だ。濃厚な魔術の痕跡に怨念や邪気の類まで混じっており、敵と思しき気配がわからない。

 場所を変えれば違うかもしれないが、少なくともこの場所では不可能だ。

 

「ロスヴァイセ、そちらはどうだ?」

 

 己の未熟を反省しつつ、ロスヴァイセの様子を窺う。

 彼女はまだ手元で術式を操作しているようだった。

 

「まだ観測中なので何とも。しかし、色々な場所がとんでもない高温で溶解しているようです。敵は炎使いでしょうか?」

 

「……この具合だと、苦しむ間もなく死ねるな」

 

 見える範囲だけでも土がガラス化している。魔術で防御したとしても、人間の術師ではひとたまりもない高熱だ。見た限りそれが何発も放たれている。

 もしも建物が頑丈でなければ、町にまで被害が及んでいたかもしれない。攻撃としては完全にオーバーキルな威力だ。卓越した使い手ならもう少し調整できそうなものだが、襲撃者は余程大雑把と見える。

 

「あのー、すいませーん!」

 

 横合いから声がかかる。

 そちらに目を向けると、屋敷跡の方向から一人の魔法使いが走ってくるのが見えた。

 とんがり帽子に大きなマントを身に着けた少女だ。小柄な体躯を包むのは学校の制服か何かだろうか、修太郎にとってはとても見覚えがある姿だった。

 

「キミは……」

 

 巻き気味の金髪が、立ち止まる動作に揺らされふわりとなびく。大きな碧い瞳で一度こちらを見上げて、少女は可愛らしくおじぎをした。

 

「案内役を申し付けられました、ルフェイ・ペンドラゴンです。よろしくおねがいします。それと、お久しぶりですシュウお兄さん」

 

 そうして少女――ルフェイ・ペンドラゴンは、にっこりと微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルフェイに案内されながら、ロスヴァイセと共に屋敷跡周辺を歩く。肩の上の黒歌は未だに規則正しい寝息をたてていた。

 突然現れた闖入者に作業中の魔法使いたちがこちらに一瞥送り、先導するルフェイを見ては視線を戻す。

 

 話を聞くと、最初に『魔女の夜(ヘクセン・ナハト)』からの救援要請を受け取ったのはルフェイだったらしい。

 その日は友人が席を立った間だけ、代わりに電話番のような仕事を引き受けていたとのことで、突然舞い込んできたメッセージにとても驚いたようだ。

 

「ほんの10分程度の予定だったんですけど、まさかこんな大変なことになるなんて……」

 

 『黄金の夜明け団』側としても当初は悪戯か何かと思っていたそうだ。しかし、他の魔術結社にも同様の連絡があったこと、連絡主の様子があまりにも必死だったこと、そして襲撃者に関する情報が昨今の失踪事件で有力視されているものと一致していたことから、彼らは腰を上げることにした。

 もしもその話が本当だったなら、次に襲われるのはこちらかもしれないからだ。

 

「私がここに派遣されたのは、生存者の行方を探し出すためです。お兄さまを探してた時の術式を研究結果として発表したら、何だか評価されてしまいまして……」

 

「ああ、クロと一緒に調整していたあれか」

 

 そう言えば、駒王町にやってくる少し前にルフェイから黒歌へ手紙がやってきた覚えがある。

 詳しい内容は読んでいないので知らなかったが、研究を提出するうえで連名の許可をもらいたいという話だったようだ。しかし、当時お尋ね者だった黒歌である。連名などできようはずも無く、結局ルフェイ単独での発表となったらしい。

 そのことに関して恐縮するルフェイだったが、黒歌はそのようなことを気にする人物ではないだろう。修太郎はあまり気にしないよう伝えた。

 

「それでルフェイ、生存者の探索はどうなった?」 

 

「それがうまくいかなくて……。私の術式は、対象者の持ち物から行方を追跡する使い魔のようなものを作り出すんですけど……」

 

 肝心の持ち物が原型をとどめていないことが多く、術式が効果を示さないらしかった。使えるものが見つかっても、既に持ち主が死んでいるのか反応が無い。

 確かにこれだけ破壊し尽くされていればそういうこともあるだろう。この場にいるのは、もしも襲撃者の遺留品が見つかった際に追跡できるかを試すためだが、今のところそのようなものが見つかる気配は無かった。

 

「キミも色々とやることがあるだろうに、大変だな」

 

「私は組織でも若手ですし、仕方がありません。でもおかげでシュウお兄さんや黒歌さんと再会できましたから。お二人とも、お元気そうで良かったです」

 

「クロは寝ているが……」

 

 それでもいいです、とにっこり笑うルフェイ。

 良くできた娘である。つくづく、このような可愛らしい妹を置いて放浪していたアーサーの気が知れない。

 

「そう言えば、アーサーはどうしている。今は家の仕事を手伝っていると聞いたが」

 

 ルフェイとアーサーの生家であるペンドラゴン家は、家宝にしてイギリスの国宝でもある聖王剣コールブランドの担い手たる一族だ。

 修太郎も詳しいことは把握していないが、日本で言う退魔師に近い役割を持つ家系のようで、国の要請に従い魔物関連の事件を解決に導く仕事を行っているらしい。つまり、アーサーはイギリスの退魔剣士なのだ。

 

「お兄さまは……時々敵を追って国外まで行ってしまうこともあるようですが、真面目にやっています。最低でも月に一度は家に帰ってきてますし……」

 

「それは真面目、なのでしょうか……?」

 

 ロスヴァイセが呆れた声を出す。

 

「家出をするよりはマシだな。だが確か、コールブランドは持っていないんだろう? 得物はどうしている」

 

 当たり前だが、アーサーは一度家に帰還した際にコールブランドを取り上げられている。

 そのまま厳重な封印が施され、当主の許可が無ければ誰にも持ち出せないようになったと聞いていた。聖剣を用いずともアーサーの剣腕ならば大抵の輩に対処できるだろうが、どうしているのだろうか。

 

「家に保管してあった無銘の聖剣を持っています。お兄さまは不満のようですけど……」

 

 その不満は修太郎にもわかる。

 地上最強の聖剣と比べれば、無銘のそれなど比べるまでもないだろう。修太郎も緋緋色金の太刀を手にするまでに、100を超える数の霊刀を使い潰している。

 

「だがそれも、剣術を鍛えるには悪くない」

 

 聖剣使い・魔剣使いは、得物自体に強い力が備わっている関係から、戦い方が「攻撃を当てる」方向に寄りがちだ。当たれば大抵勝てるのだから合理的ではあるのだが、いかんせん修太郎から見て彼らの「斬り方」は拙く見える。

 

 自身の経験と感覚から言わせれば、森羅万象全てには最適な斬り方というものが存在している。それを見つけるのは極めて難しく、修太郎とてモノによっては百回以上斬りつけてもわからないことがある。しかしもしも見つけることができたなら、たとえ木で作られた刃であろうと鋼鉄を斬る事すら可能であるし、龍を屠ることもできる。

 

 こう言うと誰もが困惑の表情を浮かべるのだが、同硬度の鉄刀で斬鉄を成す者もいるのだからきっと間違っていないはずである。他はともかく修太郎は出来るのだし。 

 剣を操るだけが剣士ではない。剣の性能を限界以上に引き出してこその剣士なのだ。

 

 聖剣使いは聖剣を使いこなしてこその存在だが、少なくとも修太郎の目から見てアーサーはひとまず出来ているように見える。ならば弱い武器を持って一度自分の剣技を見直してみるのも良いのではないかと考える。得物に頼るところから脱却すれば、彼はもっと強くなるはずだ。

 

 と、ルフェイが疑問の表情を浮かべていたので話してみると。

 

「…………? ともかく、お兄さまは強くなれるのですね!」

 

「……木刀で……ドラゴンを、斬る……? すみません、私は剣士でないので何を言ってるのかよくわかりませんが、頑張ってください」

 

 案の定これである。

 別にいいのだが、誰か同意してくれる人物はいないのだろうか。スカアハにさえ「理屈はわかるが理解はできない」と一蹴されてしまっている。

 

(これが語り合いたいということか……?)

 

 ロスヴァイセがマグレガーに対して抱く感情はこれなのだろう。

 なんだか親近感が湧いてくる。

 

「声を大にして『違う』と言いたい衝動が……」

 

 ともかくアーサーは息災らしい。

 さて、いいかげん世間話はこれまでにして本題に戻らなければならない。修太郎たちは、ここへ遊びに来たわけではないのだ。

 

「…………やはり、わからないか」

 

 歩きながら気の痕跡を探っていたのだが、最初の地点と同じく雑多な力の気配が混じり過ぎて判別ができない。

 

「キミの方は、どうだ?」

 

 ロスヴァイセに問いかける。

 彼女の手元には透明のウィンドウが開かれていた。観測結果が出たのだろう。

 ロスヴァイセはそれを見て、難しい表情で答える。

 

「転移を妨害している空間歪曲をどうにかした方がいいと思って調べていたのですが、思ったよりも範囲が相当……いえ、見てもらった方が早いですね」

 

 言葉に従い、ルフェイと共に覗いてみる。

 ウィンドウには屋敷跡とその周辺図が映し出されていた。

 

「白抜きが歪曲部分です。屋敷の中央にあるこの小さな点を中心に、ここから――」

 

 縮尺が調整され、図がより広範囲を映しだす。

 遥か天空から見下ろしたその図は、列車の線路と舗装された道路が細々と見える他は、大部分が森林と山々に覆われている。それが、所々多角形の白抜きで虫食いを作っていた。

 図の範囲はさらにぐんぐん広がっていく。そうして、都市部の端が見えるところで止まった。

 

「――ここまで。見ていただくとわかるように、非常に広範囲且つ多くの箇所に歪曲が発生しています。これらを基点に、その間の空間座標が乱れて転移系統の術式が作動しにくくなっているようです」

 

「これは……いくらなんでも広すぎます。いったい何のために……?」

 

「……わかりません。しかし、ただ転移を封じるだけなら無駄にもほどがある規模です」

 

「…………」

 

「シュウお兄さん、どうかしましたか?」

 

 ルフェイは修太郎の雰囲気が険しくなっていることに気づいた。

 修太郎はしばらく考えた後、ロスヴァイセの方に顔を向ける。

 

「……ロスヴァイセ、この空白地帯を組み合わせることはできるか?」

 

「組み合わせる……ですか。パズルのように?」

 

「ああ、頼む」

 

 言葉の理由はわからないが、雰囲気に押されロスヴァイセは術式を操作していく。

 地図の中から多角形の空白を切り取り、試しにいくつか組み合わせると不自然なまでに合う(・・)。そのまま言葉の通りパズルの如く作業を続けて行けば――。

 

「すごく綺麗な円形になりましたね」

 

「まさか、偶然……と言うことは……」

 

「ありえない」

 

 二人の視線が修太郎へと移る。

 彼の表情は見てわかるほど険しいものとなっていた。

 

「これは、奴の式神――第六天将『土蜘蛛』の仕業だ。今回の件、おそらく高円雅崇が関わっている」

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 木々の間を抜ければ岩地が広がり、川に入ったかと思えば草原を走っている。それらを抜ければまた森の中。植生も地面の色も、少し移動すれば180度様変わりする。

 つぎはぎで出来た歪な空間の中、逃げ続ける女は息も絶え絶えだった。

 

「なん、で……わたくしが、こんな、目にっ……!」

 

 悪態を吐く女だが、その顔はひどく青白く苦悶の表情に彩られていた。

 トレードマークたる紫色のゴシックロリータドレスは炎に焼けて襤褸切れ同然、逃亡の最中傷ついた体は血を流している。自慢の魔法力は底を尽き、体力も限界を突破していた。それでも、彼女は走るのを止めない。

 

 女の名は、ヴァルブルガという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『魔女の夜』が持つ拠点の一つに、奴らが現れたのはつい先日のこと。

 それは二人組の女堕天使の姿をしていた。

 堕ちたとはいえ神の手により創造された彼らは、人の水準を遥かに超えた美貌を誇る。その女二人組も、趣はそれぞれ違えど美女と呼ぶにふさわしい容姿だった。

 男たちが彼女たちを見て下世話な話をする中、ヴァルブルガは二人組の様子から嫌な予感がしたのを覚えている。

 

 二人組の堕天使は、傍目にはにこやかな笑顔を浮かべながら「中に入れてくれ」と言う。自身はグリゴリからの使いだ、とも。

 

 疑問なのはグリゴリの用件よりも、何故彼女たちがこの隠された屋敷の所在を知ることができたのかという点。

 ヴァルブルガがいたのは下っ端が詰める手狭な建物ではない。『魔女の夜』に所属する魔法使いの研究成果が保管された、幹部クラス直轄の魔術要塞とも言える屋敷だ。

 無法者の集まりである『魔女の夜』は敵も多い。故に重要拠点の存在はある程度上の構成員にしか知らされておらず、よほどのことが無い限り情報が漏れることは無い。

 

 グリゴリの堕天使が接触するなら、まずは下っ端たちが最初のはず。そうして順次こちらに報告が上がってくる手筈となっている。だが、そのような報せなど一切無かった。

 あるいは堕天使の良くわからない技術で以って把握できるのかもしれないが、昨今巷を騒がせている失踪事件のこともある。幹部の命令で皆が警戒態勢に入った。

 

 しかし、たかだか二枚羽の堕天使が二人程度、神滅具を持つヴァルブルガと手練れの魔法使い数十名にかかれば大した戦力ではない。

 襲撃者かもしれない相手を前に、場の雰囲気は楽観的だった。

 その時までは。

 

 裏で迎撃の準備を進めながら、相手に用件の断りを告げる。

 「用があるならもっと上の奴が直接来い」と。

 直後、屋敷が爆ぜた。

 

 衝撃にしりもちをついたヴァルブルガが目を開けると、燃え盛る景色が広がっていた。途方もない高熱による攻撃が建物に施された防壁を悉く貫通して、ヴァルブルガのちょうど真横を貫いたのだ。

 隣を見れば、そこにいたはずの仲間たちは影も形も無い。灰すら残さず昇華していた。

 ヴァルブルガが助かったのは、既に展開していた多重魔法障壁の存在もあるだろうが、彼女が宿す炎の神滅具『紫炎祭主による磔台(インシネレート・アンセム)』の加護によるところが大きかっただろう。そうでなければ人間が耐えられる熱量ではなかった。

 

 生き残りの魔法使いたちが恐慌の声を上げる中、さらなる激震が屋敷を襲う。

 天井を見上げると、不気味な光を放つ紫電が建物の屋根を噛み砕いている光景が見えた。要塞級の魔術防護はまるで紙か何かのように破られ、ほどなくして屋根全体が食い尽くされる。

 

 ぽっかりと空いた天井から覗く天空に、下手人の姿が見えた。

 輝く紅蓮の翼を持つ堕天使と、紫電迸らせる翼を持つ堕天使。どちらも嘲笑うようにこちらを見下している。

 そこから先はひたすらに蹂躙だった。

 

 まるで隠れたネズミをあぶり出すが如く、降り注ぐ爆撃の雨。

 こちらの魔法は相手の翼に叩き落され届かない。必滅の意思を込めて放ったヴァルブルガの紫炎も、炎の堕天使にはまるで通用しなかった。

 これはダメだ。勝てない。

 

 その判断は早く、すぐさま転移魔法を発動させ――。

 気付くと、森の中にいた。

 ヴァルブルガは『魔女の夜』が保有する別の拠点に逃げ込もうとしたはず。これはおかしいと魔法で上空から景色を眺めれば、そこに広がっていたのはつぎはぎの世界。パッチワークのように様々な地形が組み合わさり、一つの異空間を作り上げている。

 

 背筋を嫌な汗が伝うとともに、直感に従って背後に振り向くと、そこには炎の翼を持つ堕天使が酷薄な笑みを浮かべて佇んでいた。

 この時、ヴァルブルガは確信した。こいつらは、堕天使などではない。もっとおぞましい何かだ。

 

 思った時にはもう遅い。

 この異界は狩場。

 狩人は堕天使の姿をした化け物で、獲物はヴァルブルガたち魔法使い。

 

 決死の逃避行が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁーーっ……はあーーっ……」

 

 岩陰に隠れたヴァルブルガは、乱れた息を整える。

 せき込みそうな衝動を押さえ、こみ上げる吐き気を我慢するべく身体を丸めた。寒気が止まらず震えてしまうのは血が足りないからか、それとも過去味わったことの無い恐怖故か。

 彼女はあれから丸一日中逃げ続けている。限界はとっくの昔に超えており、それでも身体を動かせるのはそれほどまでに生への執着が強いからだろう。

 

 転移魔法は相変わらず発動しない。座標そのものが計測できないのだから当たり前だ。

 ヴァルブルガと同じように異界に取り込まれた魔法使いは、ほとんど堕天使の姿をした何かに喰われてしまった。

 奴らの正体は人の魂を喰らう化け物だ。美貌の下に悪意に満ちた怪物の顔を持っている。

 彼女が今こうして生きていられるのは、他の者を囮にしたことが大きい。そうでなければこの長時間逃げ続けることなど不可能だった。

 

「はぁ、はぁ、悪く……思わないでよねん……」

 

 柄にもなくそう漏らしてしまう。精神が弱っている証拠だ。

 紫電の堕天使はともかく、炎の堕天使にヴァルブルガの攻撃は通用しない。

 あれは途轍もなく強大な炎の塊そのものだ。大きな炎が小さな炎を飲み込んで火勢を増すように、ヴァルブルガの紫炎は相手にとって良質の燃料にしかならない。あるいはそれが、相手の目的なのかもしれなかった。

 

 敵の打倒は早い段階で諦めている。ヴァルブルガが求めるのはここから逃げ出す方法だ。

 この異界を形成する力は極めて強力であり、たとえ体調が万全だとしても、自身の力量では突破することは不可能。ならば基点を見つけ出し、破壊するのが最良だが、それもできない。

 

「…………」

 

 空を見上げる。

 広がるのは、やはりつぎはぎされた青空。てんでばらばらに動く白雲がとても不愉快に映る。その向こうに、極大の違和感が存在していた。

 恨めしいまでに澄み渡る天空にうっすら見えるのは、八方に展開される細長い骨組み。その頂点にこじんまりとした影が一つ。

 それは蜘蛛の姿に見えた。

 

 あれこそが基点。

 この異界の外からあの蜘蛛が空間を支えているため、異界内部の者が基点を攻撃することはできないようになっていた。

 

「……手詰まりですわ…………ッ!」

 

 途方に暮れるヴァルブルガは、背後から迫る音を感じて前方へ飛び込んだ。

 直後、爆裂。

 灼熱の閃光が巻き起こした爆風によって、彼女の身体は木の葉のように吹き飛ぶ。身体を襲う衝撃に耐えながら、なんとか意識を繋ぎとめた彼女が見たものは、件の堕天使の姿だった。

 

「……最っ、悪……」

 

 風になびく長い黒髪、整った容姿は可愛らしい美少女のそれ。しかし、その表情はこちらを完全に見下し、嘲笑うさまを隠そうともしない。

 一対の黒翼を紅蓮の炎と変えて、佇んでいるだけで地面が焦げ付くほどの熱気を迸らせている。

 堕天使は浮かべた笑みを一転させ退屈そうな表情を作ると、うんざりとした口調で言葉を放つ。

 

「逃げるのはもう終わり? 粘るのはいいけれど、こっちも暇じゃないのよね。手加減してやってるんだから、いいかげん禁手(バランス・ブレイカー)とやらになりなさい」

 

 涼やかな声音には悪意が満ちている。

 どうやらあちらはヴァルブルガの禁手(バランス・ブレイカー)をご所望であるらしい。そのために今までこちらを生かしておいたのだ、と言いたいのだろう。

 

「ぷっ、くくく……あはははは……!」

 

 それを聞いたヴァルブルガは、何だかひどく笑えてきた。

 なぜなら。

 

禁手化(バランス・ブレイク)……? 散々わたくしの炎を喰らっておいて、いまさらそんな無駄なことすると思っていますのん? あなた、少しお馬鹿さんなんじゃないかしらん?」

 

 何故この敵はこちらが禁手化すると思っているのだろう? どうせ使っても効かないものを使うはずなどないのに。

 そもそも、禁手を展開・維持する体力はおろか、通常の紫炎を放つほどの余力すら今のヴァルブルガは有していない。

 全てあちらが作った状況だ。相手は禁手の神滅具が目当てだったようだが、どうしてもヴァルブルガに使わせたかったなら、自身の特性を見せるべきではなかった。

 それが可笑しくてたまらない。この敵は確かに極めて強力な力を有しているかもしれないが、とんでもなく馬鹿だ。

 

「……あっそ。じゃあもういいわ」

 

 冷たさを増した声とは逆に、周辺温度が爆発的に高まっていく。堕天使の周囲にある地面はそれだけで溶け出し、マグマのように赤く輝く。

 充満する熱気に呼吸すら困難になる。破れた服から露出する肌が焼けていくのを感じた。

 堕天使の顔が歪に膨らみ、異形の姿へと変貌を遂げる。

 大きな嘴に、左右と額、計三つの真っ赤な目。鳥――いや、鴉だ。それが大きく口を開けて首を伸ばし、ヴァルブルガを飲み込まんと迫る。

 

 せめて最後は意趣返しに目の前の馬鹿な敵を嘲笑ってやろう。そう思って口を開こうとするが、焼けつく熱気に喉が痛みそれもままならない。

 

(……ちぇっ、意外とあっけないのねん)

 

 自分の人生はここで終わる。善行とは無縁の生き方をしてきたから、死ねばきっと地獄に堕ちるだろう。

 いや、目の前の怪物は魂を喰らう。そうなれば跡形も残らない。ヴァルブルガと言う存在は、何の痕跡も残さずこの世界から消滅するのだ。

 

(それは結構、嫌ね)

 

 だがもはやどうにもならない。

 諦めと共に目を閉じ――――。

 

 瞬間、一陣の風が駆け抜けた。

 

「…………?」

 

 熱気が急速に遠のき、焼けついた全身を冷ますかのように風が吹き付ける。押し付けられる慣性と、自身を抱く腕の感触に目を開ければ、まったく知らない青年の顔が見えた。

 黒髪、黒目、猛禽類の如き鋭い目つき。白銀の刃を右手に、左手でヴァルブルガを抱いている。

 背後に見える堕天使の姿が急速に遠ざかって行く。

 ヴァルブルガは、窮地を脱していた。

 

(ななななな――――)

 

 助けを期待していなかったと言えば嘘になるが、絶望的だと思っていた。まさか、本当に来るとは。

 しかも、なんだか――。

 

(こんな、お姫さまみたいな……)

 

 ヴァルブルガも女だ。見てわかるように服装も小物も可愛いものが好きで、所謂ところの少女趣味と評価されるだろう。しかしながら、彼女はリアリストでもある。現実的に考えて、このような状況などありえないと思っていた。

 ギリギリのギリギリ、命の窮地に助けが現れるだなんて、まるで御伽話か何かのようだ。

 恋愛など自分には関係ないことだと思っていたが、これは。

 

 そんなことを考えていると、青年の顔がこちらを向く。

 鋭い目がヴァルブルガの瞳を射抜けば、胸の鼓動が一つ高鳴った。

 

「あの、あなたは――」

 

「よし、生きているな。では、少しばかり我慢してもらう」

 

「へ?」

 

 低く平坦な青年の声音に、心地良い声だなと感じた直後。青年は横抱きの体勢をやめ、ヴァルブルガを小脇に抱えなおす。

 困惑する彼女をよそに、足元にルーン文字を輝かせ――凄まじい速さで空中を跳躍した。

 

「ひ、ひいいいいいいいぃぃいぃぃぃぃぃぃっ!?」

 

 その速度たるや彼女が今まで経験したことのない超高速。

 なけなしの魔法力を使って身体保護を発動できたのは幸運としか言いようがない。

 

 いったい自分はどうなってしまうのだろうか?

 かすかに感じたときめきは何処(いずこ)へ。確かに窮地から脱したはずなのに、ヴァルブルガの胸中に居座る不安が離れることはなかった。

 

 

 




大変お待たせしました、更新です。

ヴァルブルガの神器による火炎耐性云々は、独自解釈による設定になります。
神器持ちが偉業を成すということは、相応の影響を肉体に反映させているということ。デュリオが気に掛ける孤児たちのように力に耐えられなくて早死にする人もいれば、良い方向に転ぶ者も出ているはずです。
炎を使う神滅具で、しかも聖遺物ですから、火炎耐性ぐらい持てるでしょう、きっと。

今回は投稿する暇が無かったので書き溜めがあります。と言っても1話分だけですが……。
なので明日も更新あり。


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第四十六話:紅炎と雷霆

 魔人・高円雅崇の奥の手たる式神の中でも、第六天将・通称『土蜘蛛』は毛色が違う。

 第一から第五まではそれぞれ陰陽五行を司り、主に攻撃の切り札として使用される。その破壊力は一つの例外も無く桁違いで、学園で放たれた『流星』を見れば一目瞭然だ。

 しかし五行に含まれぬ第六の鬼神――空行鬼『土蜘蛛』は攻撃力を一切有していない。だがその分、極めて厄介な力を持っていた。

 

 その能力とは『地脈と空間の支配』。

 任意に空間を切り取り繋ぎ合わせ、広大な異空間を作り上げるのは序の口。条件さえ整えば土地の管理者からその権限を奪うことすら可能とする、恐るべき鬼神である。

 

 ロスヴァイセの観測結果から今回の事件が魔人絡みのものだと判断した修太郎たちは、さっそくそのことをマグレガーに報せ、対処することとなった。

 強力な機能を有する代償かどうかは定かではないが、土蜘蛛の作り出した異界は必ずどこかに入口がある。内側から出ることは難しくとも、中に入るのは比較的容易だ。

 

 基点が屋敷跡にあることはロスヴァイセからの情報でわかっている。

 寝ていた黒歌を起こし、調査に協力させればそれはすぐに見つかった。

 壁の残骸に張られていた小さな蜘蛛の巣である。

 マグレガーの魔法で異界への入口を開き、生存者または襲撃者を捜索すべく修太郎たちが中に侵入。それぞれ気配がする方へ手分けして向かい、そして今に至る。

 

『御道、修太郎ォォォォォォォッ!!』

 

 背後から途轍もない熱気と怨念が迫るのを感じ、修太郎はさらに速度を上げた。

 目線だけで振り向けば、灼炎の翼に三本の脚、紅蓮に燃える三眼の巨大鴉が猛スピードで追いかけてくる。

 翼を羽ばたかせるごとに、眼下の森が燃え上がる。今も煌々と放たれる眩いばかりの光熱は、小型の恒星と言っても何ら差支えない。

 熱波に耐えるべく、霊的器官(チャクラ)の第二を解放。闘気に水属性の性質を与え、同時に斬龍刀のオーラを身に纏わせる。

 

「第二天将、火行鬼……『紅炎』か」

 

 陰陽五行が火を司る、通称『紅炎』。

 陰の気に属する鬼神でありながら、陽の気の極致たる太陽の炎を宿す矛盾した存在である。

 炎熱と共に莫大な光力を撒き散らす鬼神は、まさしく悪魔や妖怪にとっての天敵。鎧を纏うヴァーリですらその身に触れればただでは済まず、黒歌などは最初から戦うべきでない相手だ。

 相性としては光力を弱点としない修太郎かデュリオ、ロスヴァイセ、妖怪でも精霊に近い起源を持つ美猴が適任だろう。それでも尋常ではない高熱の身体はこちらにとって致命的である。

 

 しかしまさか、鬼神そのものが単独で行動しているとは予想外だった。

 鬼神はどれも破格のスペックを有しているが、その分術者にかかる負担も莫大で、維持するだけでも並の術師数十人分の力が必要となる。

 この場にいるのは空行鬼『土蜘蛛』、火行鬼『紅炎』、そして木行鬼『雷霆』の計三体。

 いったいどうやってこれだけの鬼神を長時間実体化させているのだろうか? 見た限り力も底上げされ、固有の人格すら有している様子。以前はあれほど明確な自我など持っていなかったはずだ。

 

『喰らえッ!!』

 

 が、今は考える時間では無い。

 鴉の身体から炎の針が撃ち出される。岩石を一瞬にして溶かしつくすそれに当たれば、今の修太郎ではひとたまりもない。複雑な三次元軌道を描きつつ、弾幕の間を抜けて回避していく。

 

「ひゃ、あああああぁぁぁーーーっ!?」

 

 超高速の恐怖と肉体にかかる負荷()を受けて、女魔法使いが叫び声を上げるが無視する。

 空中で行われる精妙な体重移動が跳躍速度に緩急を生みだし、敵の狙いを悉く外させる。時には刃で相手の攻撃を弾き、その反動すら利用して空中を跳ね回った。

 そうしてしばらく逃げ回るが……。

 

「……埒が明かんな」

 

「ちょっ、あなた何を……うひいいいいいいいいいっ!?」

 

 魔法で宙を蹴り、地表へ向かって急降下。火炎の針を一気に振り切る。

 神速の跳躍に落下速度と自重をプラスした一刀が、その破壊力を余すところなく大地に刻む。葉脈の如き傷が走った直後、解放された衝撃に地面が大爆散、まくれ上がる岩盤と木々が鴉の視界を塞いだ。

 

『こんなものッ!』

 

 翼の一振りが炎の嵐を巻き起こす。炭化どころか消滅していくほどの熱量が、全ての瓦礫を消し飛ばした。

 しかし。

 

「こちらだ」

 

 修太郎の姿は鴉の上空、背中の真上にあった。あの一瞬で飛び交う瓦礫を足場にここまで跳び上がったのだ。

 鴉が気付くと同時、超速の銀閃が四縦五横に走る。

 そうして発生した格子状の斬風が、鴉の背を切り裂いた。

 

『ギィィィィッ!? 貴様ッ!!』

 

 ――九字護身法。

 道教を源流に陰陽道を経て作り上げられた日本の退魔呪術である。

 民間にも広がるほどポピュラーなこの術法は、その効果を発揮させるのに複雑な計算や制御を必要としない。ただ念と法力を込めながら動作をなぞるだけで完成する。簡易な術法であるため本来であればそこまでの威力は期待できないのだが、人間として極まった霊的素養を持つ修太郎が放てば、並の悪霊程度なら容易く消し飛ばせる。

 

 こうして試すのは初めてだったが、鬼神にも存外効果が見込めるようだ。敵に有効な手札を増やすべく、術方面で色々と考えていたのは無駄ではなかったらしい。これは修太郎向きの術だ。

 だがしかし、流石にこのクラスが相手となると決め手には欠ける。斬風では威力も安定せず、効率も悪い。とはいえ高熱故に直接刃を叩き込むことができないのだから、今はこれで凌ぐしかない。

 

 背を切り裂かれた鴉は傷口から黒い煙を吐き出しながら、怒りに燃える三眼で修太郎を睨む。

 

『あるじさまからは手を出すなと言われていたけれど、一度ならず二度までも私の獲物を横取りするなら……いいわ、殺してあげる!』

 

 異形の口から発せられる少女の怒声は、ひどく不気味で悍ましい。

 鴉が翼を羽ばたかせると、抜け落ちた羽根が炎の杭となって撃ち放たれる。

 それに対し修太郎は先ほどと同じく高速の三次元軌道で回避するが、彼方へ飛び去ったはずの杭は鋭くターンし、修太郎を追尾しはじめた。凄まじい速度だ。

 修太郎はそれを振り切るために、一層速度を上げる。空中の跳躍と大地の疾走を併用しつつ、つぎはぎの景色を風より速く縦横無尽に駆け抜けた。

 

「いやあああぁぁぁん! 降ろして、降ろしてええぇぇぇぇん!!」

 

「不可能だ」

 

 抱えられるまま、縦へ横へと超速で揺らされる女魔法使いはたまったものではない。

 しかし、その喚き声が修太郎に受け入れられることはなかった。これでも彼女の身を気遣って、加速度を最小限に落としているのだ。今以上の乗り心地は望めない。

 

 さて、こちらにも相手を削る手段があるとはいえ、敵の力は極めて強大、且つ修太郎の得意分野が通用しにくい。

 一人では何日間戦う羽目になるかわからないところだが、しかし今回の修太郎は一人ではない。

 

『ロスヴァイセ、デュリオ、そちらはどうなっている?』

 

 耳元に手を当てて念じれば、そこに装着された機器を通じて念話が飛ぶ。

 悪魔のレーティングゲームなどで使われるものを堕天使が改良した通信機だ。即時にクリアな応答を行うことができ、非常に重宝していた。

 

『ヴァーリどんが敵と交戦中みたいだよ。木で出来た化け物だね。犬……狼……いや、狐かな? わかんないけど、とんでもなく速い。いやー、ヴァーリどん楽しそうだ。でもさっきから通信に出てくれないのはねぇ……』

 

 返答はすぐさま、デュリオの飄々とした声が頭の中に響く。

 デュリオ、ロスヴァイセは戦闘管制、黒歌とマグレガーは共同で『土蜘蛛』の異界を解放する(すべ)を探している。

 

『おそらく『雷霆』だ。生存者は?』

 

『報告はありません。多分、いなかったのかと』

 

『把握した。こちらは一名発見、女性の魔法使いだ。美猴を一人寄越してくれ。受け渡したい』

 

『りょーかい。お猿さん、行ける?』

 

『……行けるけどよ、なんで俺っちが後詰めなんだ? どっちも強敵ってんなら、俺っちも直接出た方がいいんじゃねえか?』

 

 分身の操作に集中するべく後方に下げられたからか、美猴の声は不満げだ。

 彼もまたヴァーリに負けず劣らずの戦闘狂であるため、戦いたくてうずうずしているのだろう。

 

『美猴さんの分身術は非常に強力で、少ない人員を補うのに最適です。敵が「一撃必殺」持ちの強敵である場合は、それでサポートに回っていただいた方がリスクが少なくて助かるんです』

 

『……「一撃必殺」かい。ま、どっちも死んでもらっちゃ困るしな。わーったよ、これも修行だと思うかねぃ。じゃ、いっちょやってやんぜぃ!』

 

『と言う訳で、お猿さんが何人かそっちに行くんでよろしく~。こっちはこっちで準備してるからさ、それまで何とか踏ん張ってよ』

 

『了解した』

 

 そう言って、通信が切れそうになったところで――。

 

『ねえねえ、シュウ』

 

『何だ、クロ。解析はいいのか』

 

 黒歌が通信に割って入ってきた。

 

『私が担当した部分はもう終わったにゃん。その女魔法使いってどんな感じ? 美人? 可愛い? フラグ立った?』

 

『……よくわからないが、泥と埃に汚れて容姿はあまり判別できない。ただ、ぐったりして顔が青いな。あと、泣いて叫んでいる』

 

『…………ああ、うん……把握したにゃん……優しく運んでやるのよ?』

 

『善処しよう』

 

 通信を切る。

 最後に若干呆れられた感じがしたが、今はいいだろう。

 

「さて……」

 

 身体を反らして炎の針を回避する。迫る熱風を斬風で斬り裂く。空中を高速で跳躍し、敵を翻弄する。

 

『この、ちょこまかと……!』

 

 敵は強いが、隙が大きい。おそらくそれほど戦い慣れしていない。

 思考能力がある分『蛇』の巨大異形と比べて油断は出来ないが、無理さえしなければ時間を稼ぐ分には問題ない。

 

「ひぃぃぃぃぃ! うっ、吐き気が……」

 

「気張れ。もう少しだ」

 

 注意すべき点は修太郎に抱えられた彼女の体調――ではなく、敵に真の力を発揮させないことだ。

 あれらが魔人の『切り札』たる所以を使われないためにも、慎重に戦う必要がある。

 

 気がかりなのはヴァーリのこと。

 

(白熱し過ぎて下手に追い詰めなければいいが……)

 

 懸命に自分の体調と戦う女魔法使いをよそに、修太郎は心中で呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 木々を抜け、山を駆け、青空を飛ぶ。

 音すら置き去りにせんとばかりに、白光となって空を駆けるヴァーリ・ルシファーの目の前には、それすらも上回る速度で走る一体の獣がいた。

 絡み合った樹木が作り出すしなやかな肢体は肉食獣のそれ。鋭く前に突き出た鋭角の頭部はイヌ科の生物に似るが、目も無ければ鼻も無く、耳のような流線型の突起と凶悪に裂けた口らしき分割線が見えるだけだ。

 体長はおよそ15メートルほど。しかしながらその半分は、無数の棘を備える巨大な一本の尾で占められている。尾から生える槍状の棘はどれも鋭く、不気味な色合いの紫電を発していた。

 

 陰陽五行が木を司る鬼神。木行鬼――通称『雷霆』。

 ヴァーリが遭遇した時、この獣は堕天使の姿をしていた。金髪を二つ括りにした小柄な少女だ。

 少女は自身が喰らっただろう獲物の残骸で白骨の山を作り、その上に退屈な様子で座していた。おそらくは、修太郎が向かった方の敵が用件を終えるのを待っていたのだろう。

 可愛らしげな仕草で人の骨をしゃぶる少女の姿は、ヴァーリの目から見ても狂った光景としか思えなかったが、同時にあれこそが『怪物』と呼ばれるモノの在るべき姿なのだろうとも感じた。

 この様子だと、生存者は期待できない。

 

 少女はこちらに気付くと、一度きょとんと呆けた後に、にんまりと無邪気な笑みを浮かべた。

 真に恐ろしいのは、文字通り邪気など欠片も感じなかった点。ヴァーリが鎧を纏うのと、敵が攻撃を放つのは同時だった。

 素早く飛び退ったヴァーリの足元には、ちょうどヴァーリと同じ大きさの木で出来た槍が突き刺さっていた。見ると、少女の背から生えた翼は刺々しげな樹木のそれに変わっている。

 地面から突き出た槍は、翼から発せられた紫電に導かれるが如く引き抜かれると、そのまま乱立する棘の中に戻っていく。

 

 ああ、こいつは強い。

 

 確信は早く、故に返す攻勢は閃光の如く。

 手加減なしで放たれたヴァーリの魔力弾幕を、翼から放たれる紫電で悉く落としながら、敵も高速で飛翔する。

 この強さ、感じる力の質、翼の形と攻撃方法から、ヴァーリはすぐさま敵の正体を魔人の式神だと看破した。

 京都陰陽師と修太郎からもたらされた鬼神の情報は、サーゼクスやアザゼルらだけではなく『禍の団』対策に関わる人物のほとんどが受け取っている。当然としてヴァーリも目を通しており、頭に叩き込んでいたのだ。

 少女の姿をしているのは予想外だが、どうでもいい。どちらにしても敵なのだ。戦えば正体もはっきりするだろう。

 

 少女とヴァーリの戦いは、ヴァーリが優勢だった。

 流動するオーラの防御と天龍の鎧による二重の鉄壁は、少女の雷撃を完全に弾くことに成功していた。

 どうやら格闘戦は苦手なようで、修太郎との戦闘経験と美猴から受けた体術指導によって格段にレベルを上げたヴァーリは、敵を圧倒することができた。

 

 ドラゴンの強大なパワーによるインパクトと、莫大な魔力の爆発を受け吹き飛ぶ少女。

 あっけない決着に疑問を抱くヴァーリだったが、ここからが本番だった。

 瓦礫から煙を突き破って樹木の怪物が現れる。禍々しく凶悪な獣の姿こそ、鬼神としての本性なのだ。

 

 獣となった鬼神は飛行能力を失った代わりに、巨体でありながらヴァーリすら上回る速さを獲得していた。

 姿通りに反応速度も桁違いで、またその視界は全方向に及ぶのか、死角を突いてもまるで意味を成さない。

 耐久面はヴァーリからすればそれほどでもないが、並の手合いでは傷一つ付けられないだろう。ダメージを与えても、自己再生能力を持っているのか生半可な傷ではすぐに修復されてしまう。倒すならば高威力の攻撃で必殺を狙う必要があった。

 

 また、なぜかはわからないが、この敵に対しては半減化の通りが悪く、敵の実力に比してごくわずかしか力を吸収できない。その力も良くないものを多く含んでいるからか、処理に余計なリソースを割かれてしまうため、やらないほうがマシだった。

 

 しかし、それより何より特筆すべきは相手の攻撃力。

 

『キャハハハハッ!』

 

 獣の尾からヴァーリへと無数の細い紫電が飛ぶ。

 ヴァーリはそれを躱そうとしない。魔力を集中させ解呪の術式を編み上げると、障壁として展開し紫電を迎え撃った。

 悉く霧散する電撃。しかし、防御を行った隙に彼我の距離はさらに開く。

 

「……ちっ」

 

 あの紫電は攻撃ではない。呪術を利用したロックオン・マーカーだ。

 あれに当たると尾の槍と着弾点が紫電の線で繋がれる。その後、一拍置いて槍が射出され、紫電の導きの下に超加速し対象を打ち砕く。

 放たれた槍の威力たるや絶大、虚空を飛ぶ衝撃波だけで尋常の生物は物言わぬ肉塊と化すだろう。直撃を受ければ言わずもがな、天使だろうと悪魔だろうと問答無用で粉微塵になる。

 一度繋がれるとどれほど距離を置いても紫電が途切れることはなく、槍が破壊されない限り攻撃は必ず相手に届く。情報によれば、むしろ距離が開けば開くほど加速度が増し、最終的には雷速に達するのだと言う。冗談のような話だ。

 

『こいつはどーよ? そりゃっ!!』

 

 獣の尾から破壊力を持った電撃が放たれる。少女形態の時は無効化できたが、真の姿を現して格段に威力が増したそれは、如何なヴァーリであろうと無視できない。

 閃光の軌跡を描きながら回避していくと、追加でマシンガンの如く槍が射出される。直撃するものだけを選んで魔力を込めた腕で弾き逸らすが、着弾部位が痺れるほどの衝撃が走った。

 ロックオンを伴わない通常直射ですらこの威力。式神と言うよりも、殺戮兵器と呼ぶ方がふさわしい性能である。

 

「……なるほど、攻撃の切り札とはよく言ったものだ」

 

 強敵との邂逅に笑みを浮かべるヴァーリだが、鎧に包まれた腹部は隙間から赤い液体を流している。

 敵が真の姿を現して直後、ヴァーリは槍の攻撃を一撃受けてしまっていた。

 加速度の少ない近距離ですらなお、オーラと鎧の二重鉄壁を破られ、わき腹を大きく抉られた。それ自体は支給されていたフェニックスの涙で治したのだが、今は別の要因がヴァーリの身体を蝕んでいる。

 

『ヴァーリ、まずはこの呪いを解くことが先決だ。このままでは全身に広がるぞ』

 

「問題ない、アルビオン。魔力を巡らせて相殺させている。――あの敵は逃がさない」

 

 ヴァーリの返答に、相棒たる白龍は呆れた空気をにじませた。

 獣が放つ電撃は直撃すると噛み砕くようにまとわりつき、全てのエネルギーを消失するか、対象が砕け散るまで破壊し続ける。いわば雷の性質を持つ呪いだった。

 獣は常にその紫電を纏っており、それは尾の槍も例外ではない。

 

 オーラで受けたなら散らせただろう。鎧で受けたなら切り離して破棄出来ただろう。しかし生身に受ければ全身を蝕む猛毒も同然。魔力で抑えてはいるものの、ヴァーリの脇腹は今も傷口を広げている。

 槍という必殺があるにもかかわらず、それでもまだ殺しにかかるなど、製作者の性根が見えるような凶悪さだ。世界を滅ぼすと言う願いは伊達ではなかったらしい。

 

『逃がさないと言うが、どう追いつく。信じられないことに、あれはこちらよりもわずかに速い。このままでは離される一方だぞ』

 

「訓練中のアレを使う。実戦では初めてだが……」

 

『確かにアレならば追いつけるだろうが、一つ制御を誤れば死ぬのはこちらだ。やれるのか?』

 

「やるさ。ぶっつけ本番と言うのも悪くない」

 

 久しぶりの強敵。久しぶりの苦戦。今、自分は昂ぶっている。

 日々の鍛練は怠っていない。強くなるために思いつくあらゆることを実践しているつもりだ。目的のために、夢のために、ヴァーリ・ルシファーは止まることなどできない。

 

『制御の補助は担当しよう。だが、重要な部分はお前任せになる。……しくじるなよ』

 

「わかっている」

 

 新たな挑戦、それが必要となる敵との邂逅、緊張感が集中力を高める。

 全身の宝玉が輝き、修太郎との戦いを経て新たに開発した力を発動させた。

 

Half(ハーフ) Distance(ディスタンス) Driver(ドライバー)!!!!!』

 

 鎧の外観には変化は無い。しかし、ヴァーリの見る景色には円状のポインタが表示されている。

 思考操作でポインタを動かし、走る獣のはるか前方に合わせる。

 そして、実行。

 

Divide(ディバイド)!!』

 

 質量でも空間でもない、彼我の距離という事象の半減化。

 静止状態ではなく高速戦闘下、且つ長距離を対象とした実行は、鋭敏な感覚だけでなく高度な空間把握と正確無比な距離計算が必要になる。もしも失敗すれば身体が引き千切れ四散するか、もしくは障害物などと一体化して命を失うだろう。しかしヴァーリはアルビオンのサポートの下、それら全てを完璧にこなしてみせた。

 結果として起きるのは、一切のタイムラグを生じさせない瞬間移動。

 一秒の間も置かず、ヴァーリは獣を追い抜いていた。

 

『――ふあっ!? いったいどっから!?』

 

「さあな」

 

 慌てふためく獣をよそにヴァーリは閃光となって接近する。接触の刹那、懐に抉り込む角度で全力の拳を放った。

 

『―――――ガッ!?』

 

 相対速度を活かして放たれた超威力の拳撃だ。発勁よろしく撃ち込んだ魔力の炸裂も追加され、肉体の半分を爆散させながら獣の身体が宙を舞う。

 攻撃はこれで終わらない。両掌を上空の敵に突き出し、魔力を集中させる。

 敵は木行鬼。となれば、当然弱点ははっきりしている。

 生み出されるのは炎の魔力。凝縮に凝縮を重ね、超高温となった炎の種火は眩いばかりの白銀色だ。

 

「――受けろ、白龍の息吹を」

 

 圧縮された種火が術式によって指向性を持って解き放たれる。

 強烈な閃光と共に、白銀の波動が劫火の帯となって天を埋め尽くした。

 

『ギィィィイイイィィヤアアアアァァァァアァッ!!?』

 

 燃える天空に悍ましい少女の断末魔が響く。

 宙に煌めく火の粉を突き破って、燃え盛る木塊が森の一角に落下していった。轟音に大地が揺れ、燃え移った炎が森を赤く染めていく。

 ドラゴンのオーラ、それも天龍のものを練り込んだ炎だ。おそらく鬼神の命脈に届いたことだろう。

 

「おーおー、派手にやったなヴァーリ」

 

 かかった声に振り向けば、美猴がいた。身外身の術による分身だ。

 おそらくはサポートにやってきたのだろう。

 

「遅かったな美猴。悪いがこちらは既に終わった」

 

「知ってるぜぃ。いや、敵さん式神っつーレベルを超えてんな。ありゃ本来使い魔とか、強くて護衛レベルの存在だろうよ。こいつら普通に大ボスレベルじゃねえか。生半可な実力じゃ無駄死にするだけだぜぃ」

 

 美猴は周囲の被害を見ながらそうコメントする。

 ヴァーリに治療が必要なほどのダメージを与えるなど、最低でも龍王クラス以上の強敵だ。これ一体で都市ひとつはおろか、小国ひとつ滅亡にまで追い込むことができる。明らかに使い魔の領分を超える存在だった。

 

「戦ってみたかったか」

 

「そりゃあな。まあ終わっちまったんじゃ仕方ねえ。じゃ、俺っちは暮修のとこにいくぜぃ。あっちの方は悪魔じゃ分が悪いから、お前は無理せず傷の手当てでもしとけよ。あと山火事消してけ」

 

 そう言って、踵を返す美猴。

 雲を呼び寄せ、それに乗り移ろうとしたその時だった。

 

『……すでに終わった? 何言ってんの?』

 

 燃え盛る木々の間から響くのは少女の声。

 周囲の大地が枯れていく。植物は朽ち、空気は死に、地は干からびる。自然に宿るエネルギーが急激に吸い取られていた。

 

「――――ヴァーリッ!」

 

「わかっている!」

 

 二人が飛び退ると同時、立っていた地面が大きく爆ぜる。

 そこには紫電を纏う木の槍が深々と突き刺さっていた。

 

「自己再生、か……」

 

「あの火力で死なねえのか……本当に木かよ?」

 

 命を失った森の木々が粉々に砕け散り、炎は火の粉となって風と消える。

 立ち昇る煙を切り裂いて、紫電纏う尾が姿を見せれば――。

 

『ウチが死ぬとか、そんなこと! ぜってー! あるわけ! ないじゃん!』

 

 樹木の獣が雷鳴の咆哮を上げる。

 身体から根を伸ばし、周辺環境の気を吸い取ることで自己回復を果たしたのだ。まるで新品同様に、焦げ跡一つ残っていない。

 しかしまさか、あの炎を正面から受けてまだ動けるとは。

 

「――面白い、そうこなくてはな」

 

「じゃ、俺っちも役目を果たしますかね。援護するぜぃ、ヴァーリ」

 

 驚くべき事態に、しかし二人は一切臆した様子を見せない。むしろ喜々として闘志をみなぎらせ、臨戦態勢をとっていた。

 

『キャハハハハハッ!! 何さそのよゆー面? 悪魔や妖怪程度が、ウチに敵う訳ないっつーの!!』

 

 獣の頭部から細長い器官が伸びる。無数に枝分かれしたそれは、まさしく樹木の枝。紫電の瞬きを葉に、電撃球を実として結ぶ、雷霆の木だ。

 その枝に、凄まじいまでの雷電が満ちていく。

 木気は天より雷を呼ぶと言うが、金切り声のような集束音と共に周辺空間の静電気が吸い込まれるさまは、まるでブラックホールのようだ。

 

「おいおい、こりゃあヤバいんじゃねえか……?」

 

「来るぞ、油断するな――――」

 

『死んじゃえ』

 

 雷霆一閃。

 光が走り、わずかに遅れて轟音が空間を震わせる。

 閃光が治まった後、そこには巨大な裂け目だけがあった。地から天へと伸びる紫電はまばらに、帯電する空気が鳴き声を上げる。

 極大の破壊雷撃は大地を完全に消滅させていた。

 

 しかし獣は別方向の上空を見上げる。

 

『……ちぇっ、またその意味わかんないやつ? ウッザ……』

 

 はたしてヴァーリは無事だった。距離半減による瞬間移動で射線から逃れていたのだ。

 しかしながら、美猴の分身は回避に間に合わず消えてしまった。

 

「凄まじいな……なるほど、これが『雷霆』……」

 

『明らかに上位神格クラスの一撃だ。速度は雷光、範囲は広大、防御は叶わず、受ければ死ぬ。どうするヴァーリ、どうやら私たちは藪をつついてしまったようだぞ』

 

 アルビオンの声には驚きの色がある。

 学園に落ちた金行鬼『流星』と同じ類のどうしようもない威力――つまりはこれが『雷霆』の呼び名を持つ鬼神の真骨頂。

 

 見ると、獣は枝のような角の他に全身からも槍を生やしている。纏う紫電も勢いを増し、力を漲らせていた。

 

「つまりはこれが正真正銘本番と言うことか……行くぞアルビオン、このようなところで負けるわけにはいかない」

 

『まったく物好きな宿主だ……』

 

 獣の角は紫電の輝きを弱めている。流石に先ほどの雷撃は連射できるものではないらしい。

 何はともあれ、相手が神格に匹敵する力を使ったならば、こちらも同等の力を以って対処するのみ。

 

「往くぞ『雷霆』、我目覚めるは――――」

 

『待ってくださいヴァーリさん』

 

「――ッ」

 

 力を解放しようとしたその矢先、頭の中にロスヴァイセの声が響く。

 通信機を介したものではなく、術式によるダイレクトなものだ。いつまでもヴァーリが応じないので、強硬手段に出たのだろう。

 

『……戦乙女か。何だ?』

 

『今の雷撃で異界全体が歪み始めました。そのうえ『覇龍(ジャガーノート・ドライブ)』まで使っては、異界そのものが崩壊する恐れがあります。ここは私たちに任せてください』

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

「うっわ、今の凄い雷だなぁ。アレ、俺でもちょっと無理だわ」

 

 変容した景色を見て、デュリオが呟く。

 大地を縦に薙いだ極大雷撃は、異界を切り裂く巨大な亀裂を刻んでいた。

 

 空を見れば、空間を支える蜘蛛の脚が二本ほど剥がれ落ちていた。『雷霆』が放った雷撃の影響だ。

 よく見ると、大地がわずかに傾いている。大空の景色にもブレが見られ、わずかながら地響きも発生していた。

 

「ヴァーリさんは覇龍の発動を思いとどまってくれました。ただ、戦いをやめる様子はありません」

 

「ま、予想はしてたけどね。どっちにしても時間稼ぎがいるし、むしろそっちの方がいい。シュータロくんの方は?」

 

「生存者は美猴に引き渡したし、いい具合に時間を稼げてるにゃん。ただちょっと相手がキレかかってるかにゃ?」

 

 修太郎とヴァーリが戦っている地点のちょうど中間、宙に浮かぶ魔法陣の上で三人が会話する。

 ロスヴァイセは修太郎と『紅炎』がいる方向を、黒歌はヴァーリと『雷霆』がいる方向を向き、術式を編み上げていた。

 

「『紅炎』、要は熱量を全解放する自爆技だっけ? ただでさえここまで熱が届くほどなのに、そんなことされちゃ全員死んじゃうよ」

 

「だから撃たせるわけにはいきません。いきますよデュリオさん、あなたが(かなめ)です」

 

「こういうサポート、俺あんま経験ないんだけどなぁ……まあ、頑張りますよっと」

 

 純白の八翼を広げたデュリオは、背を預けて立つ美女たちの肩に手を乗せ、魂に宿る神器へと意識を向ける。

 神滅具『煌天雷獄(ゼニス・テンペスト)』は自然界の全属性を支配し、操る。

 ならば――。

 

「そんじゃ、やるにゃん。――倶利伽羅剣よ!!」

 

 黒歌の持つ倶利伽羅剣が、漆黒の炎を燃え盛らせる。

 三毒制す浄化の炎は、あらゆる邪悪を灰燼と帰す。魔力を核に数多の体系が入り混じる術式の帯が刃に宿れば、その勢いを極大まで膨れ上がらせた。

 そして、一閃。

 黒炎は意思を持つように天へ伸び、とぐろを巻いて前方を睨む。その姿は、はたして巨大な龍だった。

 

「いきます。狙撃形態移行――術式装填」

 

 精密精緻に構成された術式が解放されると、絢爛たる大魔法陣が現れる。

 それを皮切りに、澄んだ青と純白で描かれた法陣が次々と重ね合わさり、術式の砲門を作り上げた。最初に展開された魔法陣の中央に、術式の帯が取り巻く銃弾のような氷塊が浮かぶ。

 

「――完了。照準固定、属性強化、チャージ、3、2、1――いきますよ、デュリオさん」

 

「いつでもどーぞ」

 

 軽い口調ながら、デュリオが纏うオーラは最大まで高まっている。

 やる時はやる、という皆の評価は誤りではない。天使としても既に上級を超えた彼の力を疑う者など、誰一人としていないだろう。

 

 それを確かめた二人は、待機させていた術を発動する。

 

「燃やし尽くせ――『倶利伽羅の黒龍』」

 

「『霧国の氷柱(ニヴルヘイム・ピラー)』……射出(シュート)!」

 

 掛け声とともに力が解放された瞬間、両者の術は威力を膨れ上がらせる。

 炎の黒龍は熱量を増し、空間すら焼き尽くす業火となる。

 巨大化した氷界の柱は、如何なる炎も凍りつかせる絶対零度と化した。

 

 通常『煌天雷獄』は、生み出した雷や炎などで相手を攻撃する属性系神器だ。しかし今回のデュリオはその力を強化に転用した。他者の使う属性術式に干渉して神器のパワーを加える、いわば『属性強化装置(エレメンタル・ブースター)』だ。

 序列二位の神滅具の力が上乗せされた術式は、その威力を桁違いに上昇させる。

 

 他の対象に夢中になっている二体の鬼神は、音を超えて飛来する強大な力に気付く。

 両者ともがその速力を以って回避しようとするが――。

 

「悪いが、やらせねぇぜぃ」

 

 囲むように突き込まれた如意棒が行く手を阻む。

 待機していた美猴の分身体たちが、敵の致命的な隙を作った。

 

『――――くっ、こんな……!?』

 

 『紅炎』は柱に貫かれた直後、解き放たれた冷気とともに巨大な氷柱と化す。

 

『こいつッ!? ギィ……ヤァァァァアアァアアァアアッ!!!』

 

 『雷霆』は黒龍に巻きつかれ、再びの断末魔を上げて火達磨となった。

 

 規格外の強化を施されていながらも、範囲は最小限に、威力は最大に、卓越した制御能力は術者の実力だ。

 ほどなくして戦闘音が止む。

 

「んー、終わったかな?」

 

「そのようですが……」 

 

「どうなの、シュウ?」

 

 立ち込める冷気と熱気で、ここからでは敵の生死をすぐに窺うことができない。

 黒歌の声に対する返答はすぐだった。

 

『……逃げられた。他の天将だ。おそらくは『砂塵』。ヴァーリの方はどうだ?』

 

『こちらも同様だ。女が来て炎を消し、敵を連れて行った。そちらが土の鬼神なら、こちらは水の鬼神か』

 

 修太郎もヴァーリも苦々しげな雰囲気を漂わせている。

 報告を聞いたデュリオたちも同じ気持ちだ。あの強さ、あの破壊力、何よりもあの危険性。出来るならここで潰しておくべきだった。

 

「ま、生存者はいたんだ。任務は失敗ってわけじゃない。ボーナスを逃がしたのは痛いけど、敵の正体は知れたんだから結果は万々歳だと思っておこうよ」

 

「……そうですね。それじゃあ……ッ!」

 

「にゃっ! 空間が戻るにゃん!」

 

 鬼神が去ったと言うことは、『土蜘蛛』もここにいる意味は無いということ。

 空間を支える蜘蛛はもういない。つぎはぎの世界は崩れ、元の座標を取り戻そうとしていた。

 急いで戻らなければ、空間の崩壊に巻き込まれてどこに飛ばされるかわからない。しかし、それに対する不安を一同は持っていなかった。

 

「出番スよ、マグレガーさーん!」

 

『はい、お任せを。皆さん尋常ではない強敵を相手に見事でした。ここから先は私の担当、全員安全にこちらへ戻して見せましょう』

 

 よく通る男性の声が脳裏に響くと、生存者を含むチーム全員は異界からその姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 そこは薄暗い場所だった。

 石畳の広間には陰鬱とした空気が充満し、光源は石の壁に点在する小さな松明のみ。弱々しい火種は闇を駆逐するには足りず、今にも消えてしまいそうだ。

 その小さな炎が、風も無いのに強く揺れた。

 

 薄い闇に漆黒が開く。大口を開けた空間の裂け目から一陣の風が吹くと、四人の男女が佇んでいた。

 

「まったく、世話をかけてくれる。お前たちのせいで、こちらはとんだとばっちりだ」

 

 コートを纏った長身の男が口を開く。

 憮然とした表情で帽子の位置を整え、背後に目を向けた。

 

「だってさー、あるじさま『自由にやっていい』って言ってたじゃん! 絶対ウチら悪くないし!」

 

 拗ねるように文句を言うのは金髪を二つ括りにした少女。

 ヴァーリと交戦した鬼神『雷霆』である。

 

「そうだとしても、もう少し後のことを考えねば本末転倒だ。私たちの正体が知れれば、相手も対策を講じてくるだろう。当然、伝説の武具や神器を回収しにくくなる。魂の確保もだ。力を増すために、我らはそれを手に入れなければならない。命令を忘れたか?」

 

「ぐぅ……忘れてなんか……」

 

「貴様たちが派手に動いたおかげで、私は『永遠の氷姫(アブソリュート・ディマイズ)』を逃がした。『刃狗(スラッシュドッグ)』に阻まれてな」

 

 横から言葉を発したのは、紫紺の髪の妖艶な美女。

 切れ長の目で少女を睨む。金髪の少女は、慌てながらもう一人の少女の陰に隠れた。

 

金烏(ジンウー)、何か申し開きはあるか」

 

 男はもう一人に尋ねる。

 金烏(ジンウー)と呼ばれたのは黒髪の少女。ヴァルブルガを襲った炎の鬼神『紅炎』だ。

 可憐な容姿を忌々しげに歪める少女は、言葉にわずかな怒気を込めて答えた。

 

「その名で呼ばないで。呼ぶなら『レイナーレ』か『天野夕麻』にしなさい、ドーナシーク(・・・・・・)

 

 瞳に苛立ちの炎を宿らせる少女に対し、男は呆れたようにため息を吐く。

 

「それは元となった人格の呼び名だろう、我らの名ではない。第一、そんな名で呼んでどうする。そのようなことをしても、我らは解放されんぞ」

 

「そんなこと……っ!」

 

 彼らは主たる魔人より、滅びた堕天使の人格と姿を与えられている。

 男はドーナシークと呼ばれていたものを、紫紺の美女はカラワーナと呼ばれていたものを、金髪の少女はミッテルトと呼ばれていたものを、そして黒髪の少女はレイナーレと呼ばれていたものを、それぞれ有していた。

 主が何を思ってそれを寄越したかは知らない。深い計略あってのことかもしれないし、あるいはただの思い付きかもしれない。どだい彼ら式神には、主の考えを計ることなどできないのだ。

 

「我らは主殿より名を賜り、それに縛られる式神にすぎん。その証拠に、お前も自身に名を付けることが出来まい。わずかな記憶を頼りに着ぐるみの名を騙っても、虚しいだけだ」

 

「…………ッ! 黙れッ、私は……!」

 

 黒翼が燃え上がり、火の粉を撒き散らす。

 同時に広間が眩く照らしだされる。

 

 恐ろしく広い空間に、巨大な法陣が描かれている。その法陣を囲んで無数の小さな法陣が連なり、さらに外縁を同じように法陣が囲む。巨大法陣を取り囲むそれらは、一つの例外も無く血の痕に塗れていた。

 

 ここではとある大儀式が行われていた。血と肉と魂を生贄に行われる、禁断の秘術だ。

 その成果は、今もこの広間にある。

 レイナーレ、あるいは天野夕麻を名乗る鬼神は、自身の炎によって照らしだされたそれを見た。

 

 卵だ。人間大の黒い卵が、闇色の術式に取り巻かれて脈動している。

 その上に座る少女が一人、苛立つ火行鬼(レイナーレ)を見ていた。

 

「オーフィス……!」

 

 闇よりも深い漆黒の少女は、白い小さな掌をひらひらと振る。

 相変わらずの無表情。主とはまた別ベクトルで何を考えているかまったくわからない。

 苛立たしさに顔を背けた火行鬼(レイナーレ)は、炎を治めると早足で去って行く。

 

「あっ、待ってってば、お姉さまー!」

 

 それを追って、木行鬼(ミッテルト)も走り去った。

 後に残るのは土行鬼(ドーナシーク)水行鬼(カラワーナ)、そして卵とオーフィスのみ。

 

「オーフィス殿、このようなところで何を?」

 

 土行鬼の言葉に、オーフィスの返答は意外なものだった。

 

「我、卵温める」

 

「……温める、とは?」

 

「我、母親。マサタカの卵(・・・・・・)、温める」

 

「なるほど……」

 

 二体の鬼神は卵を見る。

 主は聖槍使いとの戦いで大きく力を削がれ、積極的な活動ができない状態にある。この中にあるのは新たな身体、肉を持った器だ。

 これの完成を以って魔人・高円雅崇は真の復活を遂げる。

 そうなれば、聖槍使いも御道修太郎も恐れる必要は無くなるだろう。あるいは神々すら下せるかもしれない。

 それにしても。

 

「ふむ、ドラゴンとは卵を温めるものなのか、土公(トゥゴン)?」

 

 水行鬼が土行鬼に尋ねる。

 そのようなことを聞かれてもわからない。『ドーナシーク』の知識には確定的な情報など無かった。

 

「オーフィス殿、ご教授願いたい」

 

 なので、直接聞くしかない。

 しかし――。

 

「知らない」

 

「……何と?」

 

「知らない。我、普通のドラゴンがどうするか、よくわからない。この方法、テレビでペンギンがやってた。だから我もやっている」

 

 平坦な口調で答えるオーフィス。

 龍神たるオーフィスは他のドラゴンと出自が異なる。無限の闇から生まれたとも、混沌の化身であるとも言われ、主たる魔人も彼女は生殖を必要としない完成された存在だと言っていた。

 ならば当然、子育ての知識など持っていないだろう。

 

「この城にテレビがあるのか……今度見てみよう」

 

 水行鬼が呟くが、どうでもいい。

 

 しかし解せない。

 なぜ彼女はここまで主に友好的……かどうかすら定かではないが、積極的に関わろうとするのだろう?

 『ドーナシーク』の知識によると、オーフィスは世間に無関心であったはずだ。

 そういえば、主もどこかおかしい。以前はもっと張りつめた空気を纏い、邪気を振りまいていたように思う。これは、人格が生まれたからこそ生じた疑問だろうか?

 

「……まあいい。私はただ従うだけだ」

 

 式神が考えたところでどうにもなりはしない。

 目下の問題はどうやって神器、ないしは伝説の武具を集めるかということ。金行鬼を筆頭に、彼らが力を大きく高めたのは属性に合ったそれらを取り込んだからだ。

 また、実体を維持するために力ある魂も集めなければならない。主が作り上げた鬼神の力は確かに強力だが、それ相応に莫大なコストがかかる。有象無象の一般人ではすぐに消化されて腹の足しにならないので、獲物は選ぶ必要があった。

 

 立ち去った二人は大量の魔法使いを喰らったようだが、今回の激戦でそれ以上に消耗したことだろう。『刃狗』と交戦した水行鬼のように、土行鬼も『天明旅団』の爆裂筋肉男と戦い、それなりのダメージを受けた。

 これでは先が思いやられる。

 

「さあ、どうするか……」

 

 火行鬼らのせいで大変面倒なことになっている。

 悩むなど、昔はあり得なかったのに。

 こういう時に人格があると不便だな、などと土行鬼は思うのだった。

 

 




超久しぶりの連日更新です。
思えば連載開始からはや1年以上経過……これからも頑張ります。

ヴァーリの新能力は、一誠の籠手が適切な倍化を知らせるようになったのと同じで、能力を発現しやすくなるソフトウェアが開発されたという感じ。
別に使わなくても距離半減はできますが、長距離でそれをやると高確率で全身が四散するか、[*いしのなかにいる*]状態になります。

デュリオの翼はまだ十枚ではありません。
何分天使歴が短いので……それだと八枚でも多いような気も……?

しょっぱなからバトルバトルなので、次回はちょっとした日常回の予定。
愛刀の行方はその後になります。


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第四十七話:休息の湯

「はああ~っ、生き返るぜぃ」

 

 夜空の下、気の抜けた声が響く。

 濛々と立ち込める湯気の中、透き通った湯船に浸かる人影がある。

 人影の正体は石猿の妖怪、美猴だ。

 

「うーん、いいねぇ。ご飯も美味しかったし、こうして温泉にも入れて大満足だ」

 

 同調するようにこぼすのはデュリオ。

 肩まで湯船に浸かり、身体の底から疲れを絞り出すように息を吐く。

 

「……確かに悪くない」

 

 ヴァーリが言う。

 驚くことに常日頃浮かべた仏頂面はわずかに崩れ、見るからに力を抜いている様子が窺える。

 

「イギリスに来て露天温泉があるとは思わなかった。中々良い趣味をしている」

 

 静かに瞑目しながら修太郎が口を開く。

 さしもの剣鬼も仕事後の熱い湯は骨身に沁みるということなのだろう、その表情は普段よりも柔らかかった。

 

 そんな彼らがいる場所は、ルシファー眷族が人間界に所有する共用の別荘、そこに造られた露天風呂である。

 『魔女の夜』拠点跡での一戦を終えた彼らは、仕事後の休息と今後に関する話し合いも兼ねてマグレガーよりこの場に招待されていた。悪魔界きっての魔術師と言えどもやはり元人間、故郷の空気は落ち着くのだろう。彼も含めて眷族一同休暇をここで過ごしているからか、別荘の中には快適な空間が広がっており、露天風呂もそういった設備の一つだった。

 およそ一週間、連日働き詰めだったデュリオたちにとって、この充実っぷりはありがたい。あるいはサーゼクスがマグレガーを派遣したのも、自分たちを休ませる意図があったのかもしれない。

 

 元々眷族全員+αが宿泊できるように建てられているからか、別荘は豪邸と見まがうほどの大きさであり、その分だけ露天浴場の面積も広大だった。

 まるで有名旅館のような趣で、貸し切り状態となれば解放感もひとしお。立ち昇る白い湯気の中、大きな月と満天の星空を望むこの光景は何とも風流である。

 

「いやあ、それにしても今回の敵は強かったねぇ」

 

「おいおいジョーカー、あんたは直接やりあってねぇだろ。まあ俺っちもだけどよ。あーあ、もったいねぇなぁ」

 

「そうは言うが美猴、お前の分身は『雷霆』の雷を回避できなかったようだぞ? それで大丈夫なのか?」

 

「うっせー! 本体なら躱せるっての!」

 

 ヴァーリの指摘に声を荒げる美猴。汗をかいている様子を見るに、結構微妙なところなのかもしれない。

 

「ちっ……そういや暮修はあいつらを一度ぶっ倒してんだろ? どうやったんだよあんな初見殺し」

 

「昔はあれほど強大ではなかったし、俺も俺で対抗手段はあった。後方からの援護で無効化することもできた」

 

「無効化って……あれを? どうやって?」

 

 デュリオの頭に疑問符が浮かぶ。

 今の鬼神は一撃のパワーだけなら上位神格に匹敵する。たとえ昔は今より威力が低かったとしても、ただの人間が無効化できたとは思えない。

 

「『式返し』という術がある。放たれた式神を相手の下に送り返す術だ。これは陰陽師にとって基本的な技能であるが、対鬼神用に特別な改良型が作られた。内容としては、膨大な法力と引き換えに実体化した鬼神を強制的に霊体へと戻し、保持していたエネルギーの全てを術者へ返すという術になる」

 

 鬼神が持つ桁違いの攻撃力を、当の魔人へぶつけるために生み出されたカウンター術式である。当時活躍していた陰陽師たちが、その知識の粋を集めて編み上げた必勝の法だった。

 

「何だよ、そんな便利なもんがあるなら使えばいいじゃねえか。京都の陰陽師たちからその術式も提供されてんだろ?」

 

「いや、されてないはずだ」

 

「はぁ?」

 

 理解不能な声を上げる美猴。

 かつて日本全土で猛威を振るったと言う魔人が復活したのだから、当然提供されていると思っていたのだ。

 

「鬼神対策に作られた『式返し』は秘法中の秘法だ。たとえ高円雅崇が復活したとしても、他の勢力に渡すなどありえない。なぜなら、その術式は全ての式神に対し有効であるからだ」

 

「ああ、そんなもの提供したら陰陽師たちが簡単に無力化されちゃうからか」

 

 デュリオの言葉に修太郎は首肯する。

 通常の式返しは対象となる式神の真名を必要とする。しかし、魔人の鬼神たちに付けられただろうそれは当の魔人以外誰も知らない。その情報に近づいた者たちは、悉く殺されている。

 故に『式神』という術の根本を突く術式を生み出さなければならなかった。その存在がたとえ未来に陰陽師全員を脅かすことになろうとも、魔人が誇る六天将はそれほどの猛威を振るっていたのだ。

 

「それに『式返し』を使ったとしても、使った術者は確実に死ぬことになる」

 

「何でさ? 鬼神の攻撃をカウンターするんだから、痛い目見るのは魔人の方でしょ」

 

「確かに一度はそれで倒したらしい。しかし……」

 

「それも返されたのか」

 

 言葉を発したのはヴァーリだ。湯船から突き出た岩を背に腕を組み、確信に満ちた目で修太郎を見る。

 

「ああ、二度目以降は返されたエネルギーをさらに返す術を身に着けたようだ。結果として、『式返し』は一人の命を犠牲に鬼神一発分を無効化できるだけの術になった」

 

 必勝だったのは一回まで。その時仕留められなかったことで、陰陽道が新たな秘法は生贄の術に堕とされた。

 

「うわぁー……じゃあ、もしも俺らに提供されてたら……」

 

「膨大な法力、ってこたぁ扱える奴は限られるんだろ? 一発止めるのにそれはいくら何でも割に合わねぇぜぃ」

 

 日本の退魔組織が人手不足になるはずである。実力者が一撃ごとに死亡確定となれば、たまったものではなかっただろう。

 彼らが表立ってこちらに人員提供しないのには、そういった事情もあったのだ。

 それに術式がこちらに引き渡されていたとしても、実用できたかどうかは微妙な線だ。人間と違って聖書の三大勢力は寿命が長い分若手の育成サイクルが非常に緩やかで、実力者の入れ替わりが遅々としている。転生悪魔などの要素を加味しても雲泥の差だろう。上位の実力者はそれだけ貴重な存在であり、若手ならなおさら使い捨てるような事態は避けることになるはずだ。

 

「だが、あれほどの威力を一人の命で無力化できるなら一考の余地はある」

 

 が、ヴァーリは否定する。

 

「直に見てわかった。『雷霆』の雷は確実に雷神と同等のそれだ。アルビオンもそう評価している。本来どうしようもないものを確実に止められる手があるなら、命の一つや二つ使い捨てるのが戦略というものだと思うが」

 

「雷神ねぇ……帝釈天や北欧のトール辺りか? まあ、それだとしょうがねえかもしれねぇな」

 

 同意する美猴。

 彼が暮らしていた所には、闘仙勝仏を始め多くの神仙が住んでいた。流石に体感したことはあまりないが、神格が持つ力の大きさは承知している。

 

「それでもダメだ」

 

 反論するのはデュリオ。

 常ならば眠たげにすら見える瞳が真剣にヴァーリたちを見据える。

 

「選択肢としちゃそういうのもあるかもしんないけどさ、少なくとも俺は認められない。戦う前から犠牲だなんて考えちゃいけないよ。そんなのを作らないために俺らは自分を鍛えるのさ。誰かが死んで悲しくなるよりも、戦って生き残って、今みたいにご飯食べて風呂入って笑う方が何倍もいいだろう?」

 

「……甘いな、ジョーカー」

 

「かもね、よく言われるよ。でも俺らは神滅具保持者だ。神すら超えるかもしれない力があるのに、この程度でビビっちゃだめでしょヴァーリどん」

 

 真剣な表情から一転、不敵に笑ってデュリオは答えた。

 言葉を投げかけられたヴァーリは一瞬むっ、と眉を動かす。

 

「ビビる? 俺が? 冗談、むしろ燃えているところだ。使い魔風情に舐められたままでは終われない」

 

「ははは、その意気だ。世界最強目指すんなら、それくらいじゃないとね」

 

 楽しげに笑い飛ばすデュリオとは対照的に、ばつが悪くなったのかヴァーリは小さく舌打ちをした。この男に乗せられたとわかったのだ。

 一瞬口論でも始まるのかと思ったが、デュリオ・ジェズアルド、これで中々リーダーらしいことをする。

 普段は微妙に頼りないが、事務仕事も落としている様子などは見られないあたり、能力的には素質のようなものがあるのだろう。目の前の光景を眺めながら、修太郎はそう思った。

 

「あ、そういや温泉まんじゅうには温泉水が使われてるって聞いたんだけど、そこんとこどうなの、シュータロくん?」

 

 また随分急な話題転換である。

 確かに重苦しい話よりも世間話の方が温泉にはふさわしい。休息と言うならば、今は戦いを忘れる時なのだ。

 

「確かにそういった製法のものもあるが、あまり数は多くない。今はもっぱら温泉地で売られているもの全てが温泉まんじゅうと呼ばれている。つまり大体は普通のまんじゅうだ」

 

「へえ、そうなんだ。俺、ほとんど日本に行ったことないからさぁ」

 

「そう大した知識でもないが、昔は妖怪討伐で全国を回っていたからな。山奥の霊泉にも入ったぞ。あれはいいものだ」

 

 山などで暴れる妖魔を滅した際に、時折土地神から霊泉の利用を許可されることがあった。

 あまり回数は多くないが、毎日を戦いの中で過ごしていた修太郎にとってたまに入る温泉は癒しの場だったのだ。

 

「霊泉っつーと、地脈の力を含んで湧き出た温泉だろ? あれ管理が厳しくて中々入れねぇんだよな」

 

「暮修太郎、それは他の温泉と何か違いがあるのか?」

 

「違い、か。基本的には入った生物の霊性を引き上げ、安定させるのが主だ。霊力が高まる、病や傷が癒える、呪いが解ける、場所によっては寿命が延びるなどもある。そういった効能は継続的に入らなければあまり意味は無いが、それより湯そのものがとても心地良い。魂が洗われる気分になる」

 

「へえ~いいなぁ、それ。シュータロくんのコネで俺らも入れないかな?」

 

「……どうだろう。実際に交渉しないことにはわからない。神にも色々いるのだ。実際、人とそう変わらん」

 

 気難しい者、怒りっぽい者、寛容な者、用心深い者……日本で様々な土地神と接し、世界に出て他神話の神にも触れ、尚更そのように思う。

 修太郎が神に対し信仰心を持たないのは、そういった面を知っているからでもある。

 神とて泣き、怒り、笑う。悪魔も天使も妖怪も、魔獣も精霊も同じだ。違いは力の大きさと、寿命の長さだけ。大体、何だろうと斬れば死ぬ(・・・・・)のだから特別視などできない。

 

「暮修って誰が相手でも物怖じしねぇよな。初対面の時とかよ、普通は神格と知ってあのクッソ強いジジイに斬りかかったりしねえっつーの」

 

「闘仙勝仏殿か。ああ、あれは強かった。色々調整不足だったとはいえ、あそこまで手が出ないのは初めてだった。またいつかやりたいな」

 

「……実際、お前もヴァーリとそう変わんねえよな。相手がクソジジイじゃなきゃ俺っちも同意するんだが……」

 

 どうにも美猴は闘仙勝仏に苦手意識があるようだ。先祖でもあり、師匠でもあるのだから、幼いころから何かとあったのだろう。

 それをよそに、デュリオが意外とでも言う風に口を開く。

 

「へえ、シュータロくん初代孫悟空殿に負けたんだ。ぶっちゃけ俺、シュータロくんが負けるところなんてあんまりイメージできないんだよねぇ」

 

「俺とて負けることもある。九十九尾殿と戦った際も初戦は敗走することになったし、世界に出てからは闘仙勝仏殿、テュポーン、スカアハ殿、クロウ・クルワッハ……まったく世の中は広い。自惚れる暇も無い」

 

「あ、テュポーン数えるんだ……ん? えーっと、クロウ……なんだって?」

 

 何気なく聞こえた気になりすぎる名詞に尋ねなおす。

 

「クロウ・クルワッハだ。最強の邪龍、『三日月の暗黒龍(クレッセント・サークル・ドラゴン)』。知らないのか?」

 

「いや、知ってるけどさ。あれって確か、もう滅びたんじゃなかったっけ?」

 

「それは間違いだ。奴は今も生きている。本人曰く、一度も滅びたことは無いのだそうだ」

 

 困惑するデュリオに対し、修太郎は淡々と答える。

 修太郎と黒歌の二人が邪龍クロウ・クルワッハと出会ったのは古代ペルシャ――現イランに行った時のこと。

 ゾロアスターの神々に接触するべく、現地の魔術師・祈祷師の研究活動に便乗すること数週間。苦労の末、とうとう軍神ウルスラグナと邂逅するに至った。

 ウルスラグナは英雄神、特に戦の勝利を司る。修太郎は彼の権能に特別の関心があるわけではなかった。ただ相手は仮にも軍神、武芸には長けるだろうと手合せを挑むつもりだったのだ。

 

「神相手かぁ……うーん、何って言うか、シュータロくんらしいね」

 

「羨ましいことをしているな。そうか、手順を踏めば神に挑んでもよかったのか……」

 

「いや、普通は手順踏んでもダメだからなヴァーリ」

 

「で、戦ったの?」

 

「いや……」

 

 手合せを申し出たはいいものの、当の軍神からは笑い飛ばされることになった。

 当たり前だろう。修太郎は人間で、ウルスラグナは神なのだから。悪魔と神でさえ隔絶しているのに、人が神に挑むなど本来ならば御伽話の領域だ。

 ウルスラグナは善の神。人を虐めて愉しむ趣味は無いとして、修太郎と剣を合わせることを断った。

 しかしてその程度で退く修太郎ではない。力を示せば戦えるのかと問えば、決意の程を知ったのだろう、ウルスラグナはそれに応えた。

 

 『山を三つ超えた場所に邪な魔物が住みつき、周辺住民が困っている。もしもそれを一人で退治できたならば、手合せに応じる』

 

 人が神に挑む、と言うのも実のところ前例が無いわけではない。ふさわしい実力があるならばそれもいいだろう、とウルスラグナは言った。

 その条件に一も二も無く頷いて、修太郎は一人目的の場所へ向かうことにした。

 ちなみにこの時最も苦労したのは、目的地への道のりよりも黒歌におとなしく待つよう説得することだった。

 

 さて、目的の場所にやってきた修太郎を待っていたのは、異形の怪物ではなく一人の男。

 金と黒の入り混じる頭髪、双眸は金と黒の虹彩異色。背は高く、全身を黒ずくめの衣服で覆っている。限界まで抑えられ、しかし濃密に過ぎる龍のオーラは邪な波動を帯びて、修太郎の鋭敏な感覚野を刺激した。

 

「出会った瞬間、斬らねば、と思った。ウルスラグナはこいつを殺せと言ったのだ。少なくとも、その時はそう確信していた」

 

 修太郎とて歴戦を積み重ねた戦士、敵の力量を見誤るほど愚かではない。相手が本気を出したなら、今の己ではまず勝てないだろうことぐらい容易に把握できた。

 しかし退魔剣士(じぶん)邪龍(やつ)が出会ったならば殺しあわねばなるまい。故に、戦いを挑むことに躊躇いは無かった。

 

「クロウ・クルワッハは常軌を逸した強さだった。パワー、スピード、テクニック……そのどれもが凄まじく、刹那の油断が命取りになる、そんな戦いだ。奴は人間界と冥界を巡る中で研鑽を積み、強くなったと言っていた」

 

 激闘は一晩中続いた。

 力と技の粋を尽くし、命を懸けて敵の鱗を一枚一枚剥がしていく。修太郎にとってはそんな気の遠くなる戦いだったが、相手は一撃全力を以って叩くだけでこちらを倒すことができる。

 極まった武威を前に、勝機は1%あるかどうか。敗色は濃厚――。

 

 そこまで話したところで、修太郎は押し黙った。

 視線を伏せ、考え込んだ様子になる。

 

「どうしたのさ、シュータロくん」

 

 そんな彼に、訝しげな表情でデュリオが問いかけた。

 

「……まあ、やはり駄目だった。強い一撃を喰らわせて、後は必死に逃げた。その時にいいのを貰ってな、おかげで散財する羽目にもなった。フェニックスの涙と言うのは、人間界では高価(たか)いのだ」

 

 それで終わりだ、と話を打ち切る修太郎。

 珍しく歯切れの悪い彼に怪訝な思いを抱くが、思えば負けた時のことを話すなど恥もいいところだろう。もしかしなくても悪いことを聞いてしまったかもしれない。

 気にはなったが、デュリオは追求するのも野暮だと判断した。

 それにしても。

 

「……ん~、いや、うん、どうしよう。クロウ・クルワッハが生きてるなんて予想外だったからさ、これ上に報告した方がいいかな? 結構重要な事実だと思うんだけど」

 

「どっちでもいいんじゃね?」

 

「右に同じだ」

 

「うっわ、キミら薄情。って言うか、ヴァーリどんもお猿さんも驚いてないっぽいね。もしかして、知ってた?」

 

 デュリオの疑問に、二人は揃って首肯した。

 

「サジの訓練に付き合う報酬がその情報だったからな。だから早く『禍の団』には壊滅してもらわなければならない。クロウ・クルワッハには興味がある」

 

「俺っちもヴァーリのついでに聞いてたぜぃ」

 

「そんじゃあ俺だけ仲間外れだったってこと? 酷いなあ」

 

「言う機会が無かっただけだ。今話しただろう」

 

「はぁ……ま、いいか。それで負けたのはわかったけど、ウルスラグナの件はどうなったのさ。って言うか、倒すはずだったのってクロウ・クルワッハじゃないでしょ。絶対別に魔物がいたと思うんだけど」

 

 一つ溜息を吐いたデュリオは、会話を続行する。

 まさかウルスラグナがクロウ・クルワッハの存在を知っていて修太郎を差し向けたとは考えられない。そんなのは悪神のすることだろう。

 

「おそらくはそうだろうが……クロウ・クルワッハと戦い始めたせいで、もはや確認するどころではなかったからな。残念なことだ」

 

 フェニックスの涙を得るべくすぐに欧州へ帰ったため、修太郎はウルスラグナと再会できていない。手合せの件も無かったことになっているはずだ。

 結局、あの探索は黒歌がゾロアスターの術式を手に入れるだけで終わってしまった。

 

「いやー、シュータロくん冒険してるなぁ。楽しそうだよね、そういうの。好奇心がくすぐられるよ」

 

「……そうだな」

 

 デュリオは笑みを浮かべて瞑目し、しきりに頷いている。

 それに同意したのはヴァーリ。空を見上げて何やら考え込んでいる様子だ。修太郎の話に思うところがあったのだろう。

 そんな中、唐突に美猴が口を開く。

 

「そう言えばよ、黒歌たちはどうしてんだ? 風呂入るっつってたけど、ここ女湯ねえよな」

 

 非常に今更な疑問だった。

 ルシファー眷族は『女王』グレイフィアを除き全てが男性で構成されている。そして、グレイフィアがこの別荘にやって来ることは極めて稀だ。つまり、この館には基本的に『女湯』などというものは存在しない。完全に混浴仕様なのだ。

 夕食後、男性陣はしばらくマグレガーとの会話に付き合っていた。しかし黒歌とロスヴァイセ、あとついでに何故か同席していたルフェイは早々に風呂へ行くと言って退室している。こうして一同は温泉を満喫しているわけだが、彼女らの行方は知れない。いったいどこにいるのだろう?

 

「もう入った後なんじゃない? 向こうの床濡れてるし」

 

 デュリオが答える。

 別荘は本館・西館・東館が組み合わさり『コ』の字を描く建物で、露天浴場はその中央の空いたスペースに位置している。

 男性陣は東館側の脱衣所から入った。女性陣は西館側から入ったのだろう。その証拠に西側の洗面台を見ると使用された形跡があった。

 

「ちょうど入れ違いってわけか。いや、一瞬まさか隠れてこっち覗いてるんじゃねえだろうな、とか思ったんだけどよ。流石にねえよな。いくらあのバカ猫が普段からあんな姿でも、そりゃどんな痴女だってんだよ」

 

 美猴はそう言って笑い飛ばすのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな彼らを遠巻きに見つめる視線が三つ。

 

(…………クッソ猿ぅ……!)

 

(…………完膚なきまでに申し開きのしようがない……)

 

(あぅあぅ……)

 

 黒歌、ロスヴァイセ、ルフェイの三人である。

 彼女たちは浴場の隅にて男性陣の様子を眺めていた。

 

 なぜこんなことになっているのか。

 状況は単純、女性陣の入浴中に男性陣が入ってきた。ただそれだけである。

 

 本来ならば彼らが近づいてくる前に黒歌が気付くはずだった。しかし、仕事後の温泉が気持ち良すぎて完全に油断していた。

 気付いた時には既に遅し、結果として黒歌たちが選択したのは「この場に残り、男性陣の様子を観察する」ことだ。

 早い話が出歯亀、れっきとした覗きである。

 理由は好奇心と新しい術を試すためだ。

 修太郎すら察知できないだろう、対スカアハ用に構築された気配・存在隠蔽の結界。それを展開して、黒歌と(半ば引きずられるように)他二人は隠れることになった。

 

(ちょっと見た目がいいからって調子乗ってんじゃないわよこのアホ猿! お前なんかお呼びじゃないにゃん、私はシュウを見たいのよ!)

 

 まるでエロガキそのものである。

 ダメだこの猫、早く何とかしないと――。

 そう思うロスヴァイセだったが、彼女も彼らから視線を外すことができない。

 

(え、エッチだ、破廉恥だぁ……で、でんも、これは後学のため……そう、これは後学のため、これは後学のためだから……)

 

 今まで男性経験はおろか男の裸姿ともほぼ無縁だった彼女だが、ウートガルザ・ロキの一件で修太郎と混浴したことがある。裸を見られ、裸を見た――と言ってもあの時は立ち込める湯気のせいで大事なところまでは見えなかったが。

 そう、見えなかった。見えなかったのである。

 故にこれは確認するチャンスなのだ。日本には「百聞は一見にしかず」と言う慣用句だってある。女の子だってエッチなことに興味を持ったっていいはず。と言うか、今まで持たなかったから彼氏の一人もできなかったわけで。覗きは軽犯罪に当たる行為だが、こちらの入浴中に入ってきたのはあちらだし、これは正当な理由となる……かもしれない。だいたい、悪いのは自分たちを引きとめた黒歌なのだから、これは不可抗力なのだ。おのれ悪魔め……。

 

 湯だった頭で展開した理論武装はボロッボロの穴だらけ。このヴァルキリーも色々とダメになっていた。

 

(あぅあぅ……)

 

 ルフェイについては完全にとばっちりである。

 未だ汚れを知らない無垢な少女は、突然男たちの裸姿を突き出されたことで思考能力が完全に吹き飛んでいた。兄アーサーや父親のものならば小さい頃に見たことあるが、血の繋がっていない他人の、それも大人の裸など初めてだったのだ。

 食べごろの林檎よりも顔を真っ赤にし、手で顔を覆って――しかし指の隙間を少し開けつつ――硬直している。

 

 確かに目の前の光景は少々刺激が強い。しかしながら、見る人が見ればこれほど目を引く空間も無いだろう。

 何せ、4人の男は誰もが鍛え上げられた素晴らしい肉体を持っているのだ。

 

 まずは美猴。

 常日頃品性に欠けたふるまいをする彼だが、改めてみると容姿だけは整っている。所謂スポーツ系のイケメンという奴だろう。にじみ出る俗っぽさと頭の残念さで評価を落とすが、黙って爽やかに笑っていれば相当モテるはずだ。いまさら惹かれはしないものの、黒歌たちもそこのところは認めている。

 普段の中華鎧姿はどちらかと言うと軽装で、男性陣では最も露出が高い。その関係から鍛え上げられているのはわかっていたが、何も着ていない状態だとまた違う印象になる。良く引き締まった筋肉は動物的で、野性味あふれると言えばいいだろうか、わずかな動作で肉体の持つ躍動感が伝わってくる。ワイルドで洗練された、男の身体だ。

 風呂場で上機嫌な姿には若干イラつくが、それはこちらが彼を知っているからだ。全体的なビジュアルのみを見れば極上の部類に入るだろう。

 

 次はデュリオ。

 金髪に透き通ったグリーンの瞳が印象的な、端正な顔。町を歩けば大半の女性が振り向く美しい容姿だ。これは転生天使になったから、というわけでもないだろう。やや垂れた目つきのベイビーフェイスを見るに、幼いころはさぞ可愛らしかったに違いない。それも今や水に濡れていて、美形と相まって耽美な雰囲気を漂わせている。

 色白で細身なため華奢なイメージのある彼だが、体つきは思いのほか逞しかった。もしかすると、接近戦も結構やるのかもしれない。神滅具という絶大な武器を持っていても、それだけで終わるようでは『最強のエクソシスト』などとは呼ばれないと言うことなのだろう。彼もまた、まぎれも無く戦士なのだ。

 

 続いてヴァーリ。

 悪魔の血をひくにもかかわらず天使にも例えられそうな美貌は、普段通りの仏頂面で愛想の欠片も無い。しかしながらやはり多少の脱力はしているようで、わずかに柔らかくなった表情は心なし物憂げにも見えた。メンバー随一の容姿も相まって、デュリオ以上の妖美な空気を纏っている。

 普段は元より夏でも長袖長ズボン、一貫して暑苦しい黒のビジュアル系ファッションに身を包んでいる彼であるが、やはり『世界最強』を目指している通り日々の鍛錬は怠っていないのだろう。鍛えられた身体は末端まで良く引き締まっており、さながら一級芸術品のようだった。

 その滑らかな白い肌には、肩からわき腹にかけて大きな傷跡が刻まれている。初対面の戦闘で修太郎が付けたものだ。神がかった美しい容姿とは対照的な、凄惨とも言えるその傷跡が、彼の纏う妖しく危険な雰囲気を加速させている。見ているこちらの方が溜息をこぼしそうだ。

 

 そして最後に修太郎。

 濡れた黒髪でわずかに目元を隠した様子は、水面に伏せられた視線と相まって普段とはまた違う印象がある。元々彼は鋭すぎる目つきさえどうにかすれば、水準以上に整った容姿をしている。心なし表情が柔らかくなっているからか、今はそれが前面に押し出されていた。

 しかし、それよりなにより見るべきは彼の肉体だ。

 服を着た彼は痩躯と言っていい印象があるものの、脱げば一味どころではない変化がある。すなわち、全身これ筋肉の塊。身体を構成する肉の隆起は、その一つ一つが縄のように引き絞られた筋線維だ。他の者を引き締まっているとするならば、こちらはひたすらに凝縮されている。「戦う」という、ただそれだけのために鍛え上げられた身体は、日本刀のように鋭くありながら芸術的ですらあった。全身にうっすらと残った歴戦の傷跡が、その印象をさらに煽り立てる。

 

 全員が全員(人格に多少の難を抱えているものの)男性的魅力にあふれていることは言うまでもない。

 趣の違う美しい身体を惜しげも無く晒したこの光景。金を払ってでも見たいと言う婦女子はごまんといるに違いなかった。

 故に、総評して。

 

(エロい……!)

 

(……ごくり……)

 

(あぅあぅ……)

 

 思わず生唾を飲み込んでしまう。

 そして同時に、男が女湯を覗きたがる心理を理解してしまった。

 隠れて見る無防備な濡れ姿。なるほどこれはいいものだ。たとえ気の無い相手だとしても見目が良ければ目の保養となるし、気のある相手がいるならなおさら、普段一緒にいる時には見れない姿と雰囲気が心を揺さぶってくる。

 

(はぁはぁ……シュウ……食べちゃいたいにゃあ……)

 

(お、落ち着いて!)

 

 ダメだこの猫、マジで早く何とかしないと――。

 そうは思いつつ、ロスヴァイセも今更やめられない。

 が、しかし。

 

「クロたちならそこにいるぞ」

 

((――――!?))

 

 彼女らにとっての衝撃発言、その主は修太郎だ。

 揺れる水面を眺めながら指先だけでこちらを指し示し、何食わぬ顔で言い放った。

 

(ど、どういうことですか黒歌さん! めっちゃバレてるじゃないですか!?)

 

(そんな……私の結界は完璧なはず……!)

 

 魔力を核に数多の系統で構築された黒歌の術式は、真っ当な手段での解析・解除が極めて難しい。修太郎は自分に対する幻覚・幻惑の類を無効化する加護を受けているものの、今黒歌が展開しているものは仙術の特性を混ぜた自然環境に作用するタイプの結界だ。穴は無いはずだった。

 

「んなまさか……何もいる様子はないぜぃ」

 

「俺も何も見えないなぁ……シュータロくんの勘違いじゃ?」

 

 その証拠に、仙術を会得している美猴ですら黒歌たちを認識することができていない。気配隠蔽は完璧なのだ。

 それに対する修太郎の答えは。

 

「そうだろうな。しかし俺はクロと『言語翻訳』の契約を交わしている。そのつながりを辿ればわかる。あれはここにいる」

 

 修太郎は外国語が喋れない。何せ最終学歴中卒である。英語はおろか、インド語もフランス語もイタリア語もほとんど習得していなかった。

 欧州で活動していた頃は、黒歌の悪魔としての能力を契約を通して借り受けることでコミュニケーションをとっていたのである。そしてそれは今も有効だ。

 契約のライン。彼はそれを辿って黒歌の居場所を把握しているのだと言う。

 

(……あ)

 

(黒歌さん!)

 

(う、うぅ~シュウのバカ! だからってなんでバラすにゃん! もうちょっと空気読みなさいよ!!)

 

 喚く黒歌だがもう遅い。

 と言うか、魔術の類を使わずにそれができる修太郎の感覚が意味不明だった。

 何だか特別なつながりっぽいので黒歌としては別に構わないのだが、この場では完全に裏目となってしまっている。

 

「暮修がそう言うんならそうなんだろうよ。……おい、バカ猫ォ! 覗きなんてしてないで出てきやがれ!」

 

 美猴が声を張り上げる。

 しかし黒歌たちはそれを無視した。

 当たり前だ。こちらの存在を確信しているのは修太郎だけ。誰がのこのこ出て行くだろうか。

 このままやり過ごすか、短距離転移でバックれて、何食わぬ顔で部屋に戻れば勘違いで済む話。当然疑惑は持たれるだろうが、それもしらを切ればいずれ有耶無耶になる。

 

「ちっ……出てこねえか。仕方ねえ……」

 

 何も反応が無いことを確認した美猴は、大きく息を吸う。そうしておもむろに湯船から立ち上がり、大声を出す体勢を見せた。

 その様子に黒歌はとてつもなく嫌な予感に襲われる。

 そしてそれは現実のものとなった。

 

「おいバカ猫、俺ぁ知ってるぜぃ! お前、普段は手馴れてそうに振舞ってっけど、まだ処女だってなぁ!! エロくてなんぼの猫又の癖に、耳年増の変態痴女ってのは笑えねえぜぃ!! かっかっかっ!!」

 

「え」

 

(え)

 

(な、なななななな――――――!?)

 

 実に愉快と呵呵大笑する美猴。

 ぽかんとするのはデュリオとロスヴァイセ。

 修太郎は表情を変えずいつも通り。ヴァーリは心底どうでもよさそうだ。

 

(え、黒歌さん、その、しょ、処女……だったんですか? 修太郎さんとは……?)

 

 隣のロスヴァイセが期待の目でこちらを見つめてくる。心なし口元も緩んでいるようだ。

 ――もしかして、仲間?

 そのような喜びにも似た感情が伝わってくる。

 

(ぐ、ぐぬぬ……)

 

 美猴の発言は不本意ながら事実だ。事実だがしかし、なぜわかった。

 自分はバラしていないし、修太郎もそういった事情を自分から明かしたりはしない。まさか心を読む力など持っているはずもないだろう。いったいなぜ。

 理由は本人から告げられた。

 

「クソジジイの仙術修行を途中で抜け出たのが仇になったなぁ! 今の俺っちは気の流れでそういうのがわかんだよ。こりゃ傑作だぜぃ!」

 

 上達の仕方が違うので一概には言えないが、確かに仙術一本に絞れば黒歌よりも美猴の方が上手な部分が結構ある。

 歯ぎしりする黒歌を知ってか知らずか、得意満面に笑い続ける美猴。非常に鬱陶しく、腹立たしい。もう我慢の限界だった。

 

「あれ、シュータロくん、猫さんとヤッてないの? 俺てっきり毎日ハッスルしてるものかと……」

 

「意外に俗っぽい表現を使うな、デュリオ。……色々と込み入った事情があるのだ」

 

「どうでもいいが、そろそろ風呂から上がる時間じゃないか?」

 

 他男性陣の会話は耳に入らない。

 今はそれよりも目の前の猿を処理しなければならなかった。

 

(く、黒歌さん……?)

 

 立ち上がった黒歌は、結界から出て姿を現す。

 世の男を魅了してやまないだろう豊満な肉体を惜しげも無く晒し、鋭い黄金瞳で美猴を睨んだ。

 羞恥心? 今はそのようなことを気にしている時ではない。

 今は、そう――戦いの時だ。

 

「かっかっかっかっか!! お、ようやく姿を見せたな痴女猫。この落とし前……」

 

「っさい……」

 

「あん? 何だって?」

 

 湧き上がる暗い感情――人、それを殺意と言う。

 

「うっさいってんのよーーーーッ!! このクソ猿ッ!!!」

 

 結界解除、術式展開。

 水天(ヴァルナ)のマントラにより湯船が一瞬にして黒歌の支配下に置かれる。そうして巻き起こった水流はその圧力を桁違いに増大させ、うねる水の大蛇となって美猴を丸ごと呑み込んだ。

 

「ぐぼぉおおおおおおッ!?」

 

 仙術を駆使して脱出を図る美猴。しかし、神々の真言によって力の格を向上させた黒歌の水牢は、その抵抗さえ一握の下にねじ伏せる。そのまま圧倒的強度で美猴を粉砕――もとい気絶させた。

 それと同時に爆散する湯の塊。温かな雨が降り注ぎ、白い湯気が一面を覆いつくす。

 

「――悪は去った」

 

「去った……じゃありません!!」

 

「うにゃん!」

 

 黒猫の頭をはたき、ツッコミを入れるロスヴァイセ。

 結界を解除したことで黒歌だけでなく自分たちの存在も露見してしまった。

 そもそも今、彼女たちは完全に裸なのである。湯船にタオルを浸けてはいけないというマナーを守ったが故に、身を覆うものは一切持っていなかった。おまけに先ほどの術で湯の大半が吹き飛んでいるため、湯船に身を沈めることもできない。

 湯気が晴れれば、男性陣に自らの裸体を晒すことになる。覗きを働いておいて何だが、女の心情的にやっぱりそれは嫌だった。

 

「ふふふ、心配いらないにゃん」

 

「は?」

 

 疑問符を浮かべるロスヴァイセ。理由を聞こうとするが、突然湯気が晴れた。

 鬱陶しいとばかりにヴァーリが魔力で風を起こしたのだ。

 

「きゃっ! み、見ないでくださ――あ、あれ?」

 

 白い裸体を手で覆い隠すロスヴァイセだったが、違和感に声を上げる。

 見ると、身体の重要な部分――胸の先端付近や、下腹部辺りが湯気のような白い靄で覆われていた。

 

「……なんですか、これ?」

 

「私特製の局所隠蔽術、『絶対規制光』にゃん。これがあれば、着けてなくても穿いてなくても安心よ」

 

 そう言って、指をブイ字にピースする黒歌。

 見れば彼女の大事な部分も不自然なまでに輝く光の帯によって隠されている。それでも揺れるダイナマイトボディがわかるのは彼女ならではだ。

 

「本当だ真っ黒い影で何も見えない。いやー、危ないなぁ、天使に異性の裸は天敵なんだよねぇ」

 

「何だこのマークは……翼の生えた、D? 幻か何かか?」

 

 デュリオもヴァーリも同じような状況らしい。

 各人で見えているもの、隠しているものは違うようだが、どうやらこの術は全員にかかっているようだった。ロスヴァイセからも彼らの大事な所は見えない。

 ひとまず安心と一息吐くロスヴァイセ。

 しかし。

 

「俺は見えてるが」

 

「え?」

 

 発言の主は修太郎だ。

 まさか、と黒歌に振り向く。

 

「ま、まあこれ幻術だし」

 

 そう言って、目線を逸らされた。

 ぎぎぎ、と修太郎を見る。

 

「修太郎さん、も、もしかして、私のも……?」

 

「ああ。美しい身体だ。節制しているのだな。たいへん素晴らしい」

 

 返答はサムズアップ。 

 流石は半神ヴァルキリー。長身のすらりとした肢体は、痩せていると言うよりも引き締まっていると評価する方が正しく、しかしそれでいて女性的なラインは十分以上に豊かで、乳房もヒップも常人のそれとは一線を画す美しさだ。

 そんな彼女を眺める修太郎はGJ(グッジョブ)とでも言わんばかりだったが、まったく無表情なのがとても腹立たしい。

 

「まさかキミまでいたとは予想外だが……それよりも――」

 

「ははは、破廉恥ですっ! い、一度までならず二度までもっ! せ、責任! 責任とってください!」

 

 今度こそ身体を隠すロスヴァイセ。

 この場合責任を取るべきは色々ミスした黒歌の方だったりするのだが、混乱する彼女にとってはどっちでも同じだった。

 

「いや、それよりもだなロスヴァイセ」

 

「それよりもとは何ですか! 乙女の恥を甘く見てるんですか! まったく、あなたはいつも――」

 

「それよりも、だ。後ろでルフェイが倒れているぞ。大丈夫なのか?」

 

「へ?」

 

「あ、本当にゃん。のぼせちゃったのね」

 

 水深を大きく下げた湯船に、目を回した少女がぐったりと浮かんでいる。

 どうやら、未だ成長途上の少女にとって、今宵のハプニングは刺激が強すぎたようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

「――ん、ううん……」

 

 光を感じて目を開ける。

 ぼんやりとする頭は急な覚醒にやはりうまく働いてくれない。

 はて、自分は何をしてこんなことになっているのだろうか……少女・ルフェイは現状を確認すべく、周囲を窺おうとして――思い出した。

 

「…………あぅあぅ……」

 

 自分の顔に体温が集まってくるのを感じる。

 思い浮かぶのは男たちの肌色と、逞しく盛り上がった肉の線。手で顔を覆って光を遮断しても目蓋の裏から消えてくれない。

 頭の中で現在考案中の術式理論を並べ立て、整理することで精神の安定化を図る。

 数分ほどして、ようやく頭が冷えてはっきりしてきた。改めて目を覚ます。

 その直後だった。

 

「目が覚めたようだな」

 

「うひゃう!?」

 

 横合いからかかった声に、飛び起きる。

 首を振り向かせると、鋭い目つきの無表情があった。

 

「シュウお兄さん……」

 

 修太郎は一つ頷くと、水差しからグラスに水を注いで渡してくる。

 そういえば、とても喉が渇いている。ありがたくそれを受け取り、口を付けた。冷たく冷えた液体が、喉だけでなく身体全体を潤していくのが感じ取れる。思わずほっ、と息を吐く。

 ルフェイたちがいる部屋は、どうやら和室のようだった。一面の畳張り、壁には掛け軸が飾られ、真贋は定かではないが日本刀まで置かれている。別荘は洋館だったはずだが……露天温泉があるのだから、今更な疑問だった。

 ルフェイは畳に敷かれたマット――布団に寝かされていたようだ。いつのまにやら着替えも済まされたようで、確かジャパニーズ浴衣……だったろうか。全体的にすーすーして着慣れない感じが微妙に落ち着かない。

 

「キミは風呂でのぼせたのだ。すまないな、クロが無茶をした」

 

「い、いえ。その……」

 

「まだ顔が赤いな。『黄金の夜明け団(ゴールデン・ドーン)』にはマグレガー殿から連絡がいっているようだ。今日はゆっくりしていくといい、とのことだぞ。安心するといい」

 

「あ、ありがとうございます。あの、他の方は……」

 

 それは安心だが、今はそんなことよりも浴場での光景を思い出してしまうせいで修太郎の顔が真っ直ぐ見れなかった。おそらく、他の男性メンバーでも同じだろう。もしもここに男が全員やってきた場合、また気絶してしまいそうだ。

 ルフェイの問いに修太郎は澱みなく答え始める。

 

「美猴はまだ気絶している。ヴァーリは練武場だな。デュリオはマグレガー殿と話し合いをしているようだ。クロとロスヴァイセは……二人で酒盛りだ。何やら色々と話している。明日に響かなければいいが、あの様子だとまあ無理だろうな」

 

 だから修太郎が看病していたらしい。

 思わずくすりと笑いが出た。

 修太郎の視線に疑問の気配が混じったのを感じる。

 

「いえ、今日の皆さまを見ていて、仲が良いなと思って……」

 

「そうか? 確かに想定よりはうまくやれているが……」

 

 ヴァーリと美猴辺りはすぐに抜けるものと思っていたからな、と修太郎。

 確かにあの二人は彼らの中でも一等の問題児だろう。その気になればいつでもチームから独立して活動を行うはずだ。しかし、今のところそれが起きていないのも事実。だから面白い。ルフェイはそう思った。

 

「私は良いチームだと思います。面白いです」

 

「……そうだろうか? 割と物騒だと思うが……」

 

 修太郎は合点がいかない様子だ。

 しかしふと何かを思い出したのか、空中に向けた視線をルフェイの方に戻した。

 

「ああ、そうだ。気になったことがあるのだが、聞いてもいいか?」

 

「えーっと、何でしょう?」

 

「随分今更だが……キミは何故ここにいる?」

 

 本当に今更だった。

 ルフェイがここにいる理由は単純、黒歌に連れてこられたからだ。

 修太郎とはそれなりに話したが、黒歌は寝ていたのでほとんど会話できていない。おそらくはその関係だ。そう伝える。

 

「まったく、あいつときたら……悪いな」

 

 嘆息する修太郎だが、怒っているような雰囲気は感じない。単に呆れているのだろう。

 そんな彼を見て、ルフェイはあることを思い出す。

 

「あ、でも私もシュウお兄さんにお聞きしたいことがありました」

 

「なんだ?」

 

 考えるのは兄アーサーのこと。彼が今携わっている仕事について。

 

「1週間以上前に来た手紙の内容なのですが、お兄さまは現在とある魔剣を追っているのだそうです」

 

「魔剣?」

 

「はい。と言うのも、その魔剣は人を操り魔を狩るのだそうで、地方を管理する上級悪魔すら大怪我を負う代物なのだとか」

 

「上級悪魔を倒し得る魔剣か……それで?」

 

 修太郎が話の続きを促す。

 ルフェイの予想によれば、その魔剣は修太郎にとっても決して無関係ではない。なぜなら――。

 

「魔剣の正体は一振りの日本刀です。確認されただけでも100近い魔物を屠っていて、ついた仇名は『黄昏の牙』。その由来は夕暮れのような緋色の刃(・・・・)にあります。シュウお兄さん、心当たりは?」

 

 ルフェイの言葉を聞き、修太郎の纏う雰囲気が様変わりする。

 研ぎ澄まされた、真剣の気配。冷たさすら感じる空気に、思わず背筋を震わせてしまう。

 それはそうだろう。先ほどの話は、彼にとって心当たりがあるなんてものではないからだ。

 

「ルフェイ、アーサーは今どこにいる?」

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 茜色の空に夕日が差す。

 立ち並ぶ建物が西日を受けて影を作り、路地裏の薄暗闇はその濃さを一層増していく。

 散乱するごみと、室外機から排出される生暖かい風によって澱んだ空気の中、男は一人走っていた。

 

「はあっ、はあっ、はあっ……!」

 

 吐く息も荒く必死な顔には、恐怖の感情が貼り付いている。高級感を感じさせる意匠のコートとスーツはその端々を無残に切り裂かれ、鮮血をにじませていた。

 恥も外聞もなく、時に転びながら逃げ回る男の正体は、人間ではなかった。上級悪魔に才能を見出され、人から転生した悪魔である。

 彼はある日、主より駒を受け取り、類まれなる膂力と頑強さを手に入れた。その力たるや人だった頃と比べるべくもなく、かつてであれば泣いて命乞いをした化け物どもも、腕力のみでねじ伏せることが出来た。

 

 だがそれがいけなかった。突然手に入った力に男は増長し、背後から主の不意を討って逃げ出してしまったのだ。

 主の上級悪魔は契約を重んじ規律に厳しい人物だったが、男にとってはそれが窮屈に思えてならなかった。だから逃げた。己は強くなったのだから、わざわざいけ好かない相手の下に付く必要も無い。

 そうして男は人間界で好きに生きることにした。当然『はぐれ』として扱われたが、それがどうしたというのだろう。

 この世は弱肉強食。強き者こそが多くを得、弱き者はただ奪われるのみ。かつては男も後者であったが、今は違う。

 気の向くままに奪い、貪り、暴力を振るった。誰も己を止めることはできない。頻繁にあった冥界からの追撃もテロの影響で少なくなり、男の人生は絶頂期にあった。

 昨日までは。

 

 今、男は逃げている。胸に恐怖を抱きつつ、無様に。今の彼は紛れもなく弱者であり、強者に喰われる哀れな獲物に過ぎなかった。

 こんなはずではなかった。

 胸中を駆け巡る戸惑いと絶望に呼吸が落ち着かず、身体が思うように動かない。久方ぶりに味わう感情に、男の精神は追いついていなかった。

 曲がり角の壁を伝う配管に足が引っ掛かり、勢いよく転ぶ。これで何度目になるだろう。

 

 逃亡が妨げられたことに、憤るよりも焦りが募る。

 後ろから追いかけてくる。『あれ』が追いかけてくるのだ。

 『あれ』には勝てない。ゆえに、逃げなくてはならない。

 背後から、路地を踏みしめる音がする。

 

「ひっ!?」

 

 耳の奥に警報の大音響を聞きながら、男はゆっくりと振り向く。とうとう追いつかれてしまった。

 薄暗闇の中、美しき鋼が姿を現す。

 それは一振りの太刀だった。

 おぼろげに浮かび上がるオーラは無垢そのもの。禍々しさなどという負の要素は一切排除され、だからこそどこまでも純粋にその用途を示していた。

 

 すなわち、斬り、そして断つ。

 

 刃金が備えるべき真のかたちがそこにあった。

 太刀の持ち主は、年端も行かない少女だ。

 薄っすらと輝く緋色の刀身に、炎の刃紋が妖しく揺らめく。燃える黄昏、日暮れ時の色だ。その色合いには、吸い込まれそうな絶対の殺意が込められていた。

 絶句する。

 と、同時、緋色の刃が目の前にあった。

 

「――ッ!」

 

 間一髪命を拾った男は、鼻先を掠める刃を見送って背後に跳躍。死地からの離脱を図る。

 だがその行動は無駄に終わった。相手は壁に囲まれた路地裏をしなやかな獣がごとく縦横無尽に跳躍し、男に追いすがってくる。

 身に纏う制服と体格を見るならば、相手の年頃は中学生あたりが妥当だろう。しかしながら振るう剣の鋭さは極まった使い手のそれ。

 未だ男が四肢の一本も失っていないのは、単純に刃を握る相手が肉体的に脆弱であるからだ。人外の視点から見れば、少女の挙動はあくびが出るほど遅かった。

 そう、相手の身体能力はこちらよりもはるかに劣っているはずだ。

 それでも湧き上がる恐れを止めることができない。勝てる光景が欠片も思い浮かばなかった。

 

「畜生ッ!!」

 

 身を覆うオーラを固め、拳を繰り出す。

 鋭く速く、重いジャブ。『戦車』の強靭な腕力から放たれるそれは、少女の身体などたやすく粉砕するだろう。

 しかし、結果はまるで逆だった。

 刃が踊るように舞う。緋色の軌跡が中空で幾重もの弧を描き、操り人形がごとく不可思議な動きを見せた。

 月緒流剣術が斬法『弓繰(ゆみくり)』。精妙且つ流麗な指先の操作が慮外の斬撃軌道を生み出す。

 直後、真紅の花が咲く。

 

「ぎゃあああああっ!?」

 

 男の腕は肉を骨から引き剥がされ、鮮血と共に赤々と花開く無残な姿を晒していた。

 オーラの防御も『戦車』の特性も、刃の前にはまったくの無意味。なぜならあれはそういうものだ

 ――退魔の力。

 光とは似て非なる、魔を殺すための猛毒だ。神が聖槍を前にして不死を失うように、あの刃の前では如何なる魔の護りも砕かれるが必然となる。少なくとも、男程度の実力では抗う術など皆無だった。

 自分はここで死ぬのだ。魂の奥底に侵食する激痛が、男の精神を微塵に打ち砕く。

 

「う、うわああああああっ!! 死ねッ! 死ねぇええええッ!!」

 

 遮二無二繰り出す両腕に、自慢の拳はもはや無い。振るった勢いの慣性を受けて、赤く濡れたむき出しの骨があらぬ方向に折れ曲がる。神経のちぎれる痛みすら、恐慌をきたした男は感じ取ることができなかった。

 希望は無く、助けは来ない。男の命運はもはや尽きた。

 振り回される腕の残骸は少女に血の一滴も浴びせることすらできず、無慈悲な緋色が三度閃く。

 

「――――」

 

 泣き別れになる腕と首。

 力なく倒れる死骸は、鮮血が噴出すより前に灰と消える。退魔の力が悪魔の身体に滅びをもたらしたのだ。

 それを見届けた少女は無感情に刃を鞘に納めると、踵を返して路地裏から出ようと歩き出す。

 途端、少女の身体が軋みを上げた。全身から力が抜ける。姿勢を保つことができない。太刀を杖にして座り込むのが精一杯だった。

 

 ――この身体は限界だ。

 そう考えるのは少女ではない。少女が握る緋色の太刀だ。

 

 太刀は思う。

 やはり(・・・)、と。

 やはり普通の人間では自身が持つ剣技を使うことはできないのだ、と。

 他の土地でもそうだった。自身を握った者は誰一人として与えた力に耐えることができない。その中には戦士としての経験を積んだ屈強な者もいたが、数度使えば容易に壊れた。

 

 太刀が担い手に与える力は、如何なる魔をも切り裂く刃と、人の極致に立つ剣だ。真に太刀を操りたいと願うならば、極限を極めた先を歩む剣士でなければならない。

 一般人ではどれだけ鍛えていても一度扱うのが関の山。それでも、太刀には自身を運ぶ身体が必要だった。

 太刀は人間を呼び寄せて、自身を握らせることで旅をしていた。真の担い手を探すためだ。

 

 人の究極、神域の剣士。かつて自身を操り、その莫大な念を己が緋色の刃に焼き付けた者。世界のどこかにいるはずだ。その者こそが、その者だけが、自身を支配し『剣』として使うことができる。

 だから、この身体を捨て次の身体を得なければ。

 

 現在太刀を握る少女は悪魔を殺したいと願っていた。彼女の両親は、はぐれ悪魔に奪われたからだ。

 先ほど滅した男が少女の仇だったかどうかは知らない。だが、少女の心がわずかに軽くなったのを太刀は感じ取った。これで彼女は前に歩き出すことができるだろう。もっとも、その結果は太刀が明確に意図したものではないのだが。

 

 まあ、そのようなことはどうでもよい。

 座り込む少女の腕がわずかに動く。太刀の刃を少し抜き、また納めれば、透き通るような刃鳴りの音が響き渡る。普通の者には聞こえず、ある程度の霊的素養を持つ者だけに聞こえる音だ。

 気付けば誰かがやってくるだろう。少女の身体は適当な人物――できれば女性が望ましいか――に任せればよい。他の土地に比べれば、この土地は格段に治安の良い土地だ。それだけで少女はどうにでもなる。身体を治した後は好きにすればいい。

 

 担い手の気配は近い。

 神州日本。自らが打ち鍛えられた国は、担い手の故郷でもある。

 器物はその用途を果たすことこそが本懐。衣ならば纏われること、履物ならば履かれること、太刀ならば無論『斬ること』だ。彼ならばきっと、自分を存分に振るえるだろう。

 無垢なる刃はただ、夢を見るかのように思いを馳せるのみ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 太刀が目指す場所は人の言葉でこう呼ばれる――『駒王町』。

 三大勢力の和平が締結された記念の場。そして、現在進行形で異形が集う魔境であった。

 太刀はそれを知らない。知るわけもない。

 そして、自身を狙う影が近づいていることも、また知らない。

 

 退魔の権化、その影を宿す緋色の刃は、己が存在意義を果たすべくその時を待つだけだった。

 




主人公「自分AT-X入ってるので」

大変お待たせしました。やっとこさ更新です。
なぜこんな話にこんなに時間を……。

さて、新刊も出て色々と新設定も出ましたが、個人的には教会爺ズの規格外っぷりよりもインシネレート・アンセムが独立具現型だったことに驚きました。っていうか彼女『刃狗』側のキャラかよ!
ちなみにこの話の彼女は保護されて堕天使側の施設に移送されました。鳶雄とは何やら因縁があるようなので、普通なら神滅具抜かれそうですが……どうしましょう。
何にせよ、今回の話は疲れた。

次回は愛刀が暴れます。


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第四十八話:緋剣

「はっ!!」

 

 大上段に構え、木刀を振り下ろす。

 脱力から瞬時に緊張、彼に教えてもらった斬撃の挙動は未だ完璧とは言えないが、それでも何とか形になってきた。

 

 9月も半ば、早朝の空気は冷気を帯びて、少女――ゼノヴィアの火照った肌を冷やしてくれる。

 場所は公園奥の森に面した広場。朝の人通りは少なく、集中するにはもってこいの場所だった。

 ジョギングを経て恒例の素振りはもう千回を優に超えている。それでもまだまだ、と思う気持ちは消えない。この程度では彼に届かない。

 

「やあっ!!」

 

 脳裏に描くのはいつか彼――修太郎が自分に見せた『大剣の使い方』。ゼノヴィアが目指し、そして超えるべき剣術の型だ。

 呼吸を整え、動きをなぞる。

 鋭く、速く、力強く、彼の大きな体格で振るわれる剣を、自身の体格に落とし込み最適化させる。

 

「ふっ!!」

 

 集中に集中を重ね、斬撃に没頭していく。

 結局、教えられた座禅はゼノヴィアに向かないことがわかった。そう彼に伝えると、じっとしていることが出来ないのなら逆に動き続けろと言われたので、そうしている今がある。

 

 斬りおろし、斬り上げ、薙ぎ、突く。

 空気を斬り裂く剛剣の技は、以前に増して鋭くなっていた。

 彼の動きを真似るにあたって実感できたことがある。それは力を追求するにも技が必要であるということ。

 腕力に物を言わせるだけでは駄目なのだ。重心の移動、踏み込みのタイミング、筋肉の連動などなど、改善する点はいくらでもあった。

 見様見真似だけでこれなのだから、やはり彼は凄い。自分の目に狂いは無かったとゼノヴィアは思う。あまり相手にされないのが辛いところだけれど。

 

 踏み込み、下がり、また前に出る。

 もっと、もっと速く、もっと強く。

 身体を巡る熱に身を任せる中、逆に思考は冷えていく。

 感覚のままどうすれば鋭い剣が放てるか、だんだんとわかってくる。集中している実感があった。それが心地良い。

 もはや何度素振りをしたかなどわからない。しかしそれの何処に問題があるのだろうか? こんなにも楽しいのに。

 冷たい思考のままテンションだけ上昇していく感覚が、ゼノヴィアの剣閃をどんどん鋭いものにしていく。もう少しで空さえ斬り裂けそうだと振りかぶったその時、けたたましい音が鳴り響く。

 

 携帯電話のアラームだ。

 その音を聞いてやっと、ゼノヴィアの動きが止まった。

 

 後5分……。

 そう言いたい衝動を押さえつつ、アラームを止める。

 以前集中し過ぎて学校に遅刻したので、前もって設定していたのだが、何と言うか水を差された気分だった。

 だが仕方がない。時間ならば支度をせねばならない。

 

 ゼノヴィアは汗でぐっしょり濡れていた。それほどまでに集中していたのだろうが、スポーツウェアが肌に張り付いて若干気持ちが悪い。

 部屋に帰ったらシャワーを浴びなければ。流石のゼノヴィアも汗臭いまま学校に行くのは避けたかった。

 とりあえず肌を伝う雫をタオルでふき取り、ジョギングついでに走りながらマンションへと戻る。

 

 マンションにたどり着いたゼノヴィアは、郵便入れに手紙が投函されていることに気付く。宛名を見ると、見知った人物だった。

 

「イリナからか」

 

 手紙は京都の紫藤イリナからだ。

 修太郎の紹介で京都陰陽師に預けられた彼女は、そこで陰陽隠密の修練を受けているのだと言う。

 陰陽隠密とは、つまり陰陽師のNINJA。ゼノヴィアはそう理解した。

 NINJAとはSHINOBI、イリナは女なのでKUNOICHIと呼ぶのだっただろうか。彼らは日本一強い戦士集団だと聞いている。となるとおそらく、修太郎も同様の修練を積んだに違いない。彼の家はSAMURAIらしいから、多分NINJAでSAMURAIのハイブリットなのだろう。だからあんなに強いのだ。何にせよ、イリナの待遇は実に羨ましい。

 

 イリナはどうも山に籠ることが多いらしく、手紙が来るのは不定期だった。

 彼女からの報告はとても楽しげで、元気にやっているのがはっきり伝わってくる。主に修行内容や人間関係を書いているイリナに対し、ゼノヴィアは悪魔生活や学園でのことを書いて返信していた。この文通にはアーシアも参加しており、今頃彼女の所にもイリナの手紙が届いているはずだ。

 今度はどんな話があったのだろうか。毎回だが、とても気になった。

 

 部屋に戻ってシャワーを浴び制服に着替えたゼノヴィアは、朝食の惣菜パンを食べつつさっそく手紙を読むことにした。

 まだアーシアたちが迎えに来ないので、それを待つ意味も含めてだ。

 

 手紙によると、この町に帰って来ることになったらしい。

 追い出されたのかと思えばそうではなく、流石にこれ以上世話になるわけにもいかないので、自分から出て行くことにしたのだと書いてあった。そもそも、元々の滞在予定期間は一か月だったのだと言う。

 いつ戻るかと言えば、なんと今日。部活動が終わった後、迎えに行かなければ。

 

 久しぶりに彼女と会えることは、ゼノヴィアにとって朗報だ。アーシアもきっと喜んでいるだろう。

 イリナが元気なのは間違いない。それよりもどれほど強くなったかが気になった。NINJAの技を修めたというなら、相当腕を上げたのだろう。今から再開するのが楽しみだ。

 

 楽しみ、と言えば学園も体育祭が近い。

 公開授業に続き、学園で行う特別なイベントとなればテンションは嫌が応にも高まる。

 運動が好きなゼノヴィアとしては、活躍するのに絶好の場となるだろう。公開授業の時はあまりうまくいかなかったが、もしもここで一位を取ることができれば、修太郎も褒めてくれるかもしれない。

 

 シトリー眷族を鍛えた関係からか、最近は彼の対応も柔らかくなってきた気がする。

 模擬戦後の指摘が積極的になり、動きの解説も時々だがしてくれるようになった。それでもやはり、もうちょっとだけ深い指導をしてほしいと思うのだ。

 

 ゼノヴィアにとって、暮修太郎とは憧れであり、目標である。

 聖剣も使わず、魔剣に選ばれたわけでもなく、自身の実力のみでそれらを超える剣を生み出す人の究極、神域の剣士。初めて戦う姿を見たその時から、目に焼き付いた刃の軌跡がゼノヴィアを魅了していた。

 「この世に断てぬものは無い」とでも言わんばかりの鋭さは、今までゼノヴィアが見た中でも間違いなく最高峰に位置している。だからこそ自らもその領域に立ちたいと思った。

 ゼノヴィアは、彼の見る景色が知りたかった。

 

 それならばもっと彼のことを理解する必要がある。

 思えば、ゼノヴィアは彼の来歴をあまりよく知らない。

 日本最新の英雄で、数多の妖魔を討滅し、恐ろしき魔人を倒した人物。欧州最強の剣士でもあり、現白龍皇と真っ向から戦って勝てるほどの実力者。とにかく強い。知っていることと言えばそれくらいだ。あとは黒歌をとても大事にしていて、懇ろな仲であるということぐらいか。

 

 彼は激戦の中で何を思い、どうやって強くなったのだろう。

 知りたい。けれど、踏み入った話を聞くのに今のゼノヴィアでは親密さが足りない。

 もっと親しくならなければ。そんな結論を出したゼノヴィアだが、肝心の方法がわからない。

 

 悩んだ末、ゼノヴィアは他人に相談することにした。その結果として心強い味方になったのは、クラスメイトの桐生藍華という少女だ。

 

『無表情で、無愛想で、人でも殺してそうな恐ろしい目つきの、つれない男性と親しくなるためには?』

 

 そう聞いたところ、的確(?)な返事が返ってきたのが彼女だけだったのだ。

 

 アドバイスに従い下着姿で訪問してみたり(しばらくシカトされた)、故意に胸を押し付けてみたり(何度もやったら投げられた)、イリナを参考に甘えた声を出したり(可哀想な子を見る目をされた)、わざと汗で透けるような服を着て修行に臨んだり(無言で自分の上着を着せてくれた)したが、現状あまりうまくいっていない。

 と言うか、女としてのプライドがズタズタに斬り裂かれただけだったりする。

 だが相談する相手がいるのといないのとでは安心感が違う。アーシア繋がりで知り合った桐生だが、今ではゼノヴィアにとってもかけがえのない友人となっていた。

 

 最近の彼はとても忙しいようだ。体育祭に誘ったとしても来てくれるだろうか。

 一誠の両親は来るだろう。リアスの家族もやって来るかもしれない。黒歌が小猫を見に来るなら、修太郎が来たっておかしくはない。

 彼が帰ってきたら、少し聞いてみよう。

 

 それに次のレーティングゲームも近い。何かといけ好かない相手のようだが、今度こそ活躍して見せる。

 意気込み新たに拳を握るゼノヴィア。

 その時、インターホンが鳴る音が聞こえた。おそらく、アーシアたちが迎えに来たのだろう。

 本日も、楽しい学園生活の始まりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

 授業を終えた放課後、兵藤一誠らグレモリー眷族は旧校舎の部室に集まっていた。今後開催される若手対抗のレーティングゲームについて話し合うためだ。

 グレモリー家とシトリー家以外にも、若手悪魔たちはゲームを行っている。

 映像記録の観賞はアザゼルの解説も交えて進められた。

 

 まずはバアル家対グラシャラボラス家。

 若手最強と名高いサイラオーグ・バアルの圧倒的戦闘力は、一誠たちに衝撃をもたらした。闘気の鎧によって相手の攻撃を一切受け付けず、正面から殴り飛ばしていくさまはいっそ清々しくさえある。はたして今の一誠が敵う相手だろうか?

 それでいて、彼は悪魔としての才能に恵まれなかった者であると言う。尋常ではない鍛錬に裏打ちされた自信が、サイラオーグにはあるのだ。故にこそ、あそこまでまっすぐに突き進むことができるのだろう。

 

「……この人なら、闘気を使わなくても勝てたはずですが」

 

 口に出したのは小猫だ。

 仙術かどうかの違いはあれど、同じ闘気の使い手として疑問に思ったのだろう。ここで手の内を晒すのは悪手ではないか、と。

 アザゼルは答える。

 

「本人の性格が性格だから何とも言えんが……そうだな、原因を挙げるなら暮を意識してるんだろう」

 

「暮さんを?」

 

「言っちゃあなんだが、あいつとヴァーリの映像記録は上級悪魔の貴族の間でそれなりに出回っていてな」

 

 何せ接触禁忌指定の人間と、ルシファーの子孫である白龍皇の激突だ。資料としての価値は十分以上。今現在、若手対抗戦に参加している家の者たちは、まず確認しているはずだった。

 修太郎はサイラオーグと同じ闘気を使い、且つ彼よりも卓越した技量を持っている。己の肉体を重視した戦闘法も共通していることから、意識するのも無理からぬことだろう。

 大王バアルの次期当主は人に名高き月緒の最強にも劣らない、そう言いたいのかもしれない。

 

 次はアガレス家対アスタロト家。

 ゲーム開始当初はアスタロト側の攻勢が目立ったものの、徐々にアガレスが圧倒し始めた。

 アガレス家次期当主、シーグヴァイラ・アガレスはソーナと同じく作戦を練って事に当たるタイプだ。つまりアスタロトは策に嵌まってしまったのだろう。巧みな試合運びに追い詰められ、一人、また一人と撃破(テイク)されていく。

 元々が人数で劣るアスタロトは、最終的に『王』一人を残して全滅、ほどなくしてアガレス家が勝利を収めた。

 

「……順当ね」

 

 リアスの呟きに皆が同意した。特に意外な展開も無く、下馬評通りの結末だ。

 アスタロト側も弱かったわけではないのだが、地力も人数も劣っていたうえで策に嵌まってしまえば勝ち目は無くなる。

 

「ディオドラ・アスタロト……」

 

 一誠が考えるのは、アスタロト家次期当主ディオドラ・アスタロトについて。

 シトリー眷族とのゲームを終えて数日、ディオドラは一誠の家を訪れ、アーシアにこう告げた。

 

『キミを迎えに来た。アーシア・アルジェント、僕の妻になってほしい。――キミを愛しているんだ』

 

 あまりにも唐突な告白に驚いた一誠は、ディオドラがアーシアの手に口づけることを許してしまった。

 

 何でもディオドラはかつてアーシアの神器によって命を救われた悪魔だったらしい。治療の際アーシアに好意を抱いたとのことだが、つまりは彼女が教会から追放される原因となった存在だということ。

 彼が現れなければアーシアは今も教会で聖女として働くことができたはず。しかしそうなると彼女はこの町にやって来ることはなく、一誠と出会うことも無かっただろう。いけ好かない気持ちは強いものの、心中は複雑な思いで一杯だった。

 

 そうして連日届くディオドラからの贈り物。

 そのどれもが一誠などでは手も出ない高価な品物で、相手の財力を思い知らされた。おまけに本人も甘いマスクの美男子であり、気品も上級悪魔の貴族としてふさわしいものがある。ディオドラは、世の女の子ならば誰もが憧れる王子様のような青年なのだ。

 もしかするとアーシアは一誠の手を離れて彼の下に行ってしまうかもしれない。アーシアは大事な女の子だが、恋人でもない一誠が彼女の自由を束縛する権利など持てるはずもない。悩みに悩んで、その光景を悪夢にさえ見るほどだ。

 

 が、その問題は当のアーシア本人から否定された。

 曰く、お嫁に行くつもりなど無い、とのこと。

 そもそも、主であるリアスを含めて眷族一同がディオドラにあまり良い感情を抱いていない。実のところプレゼントの山も迷惑なだけであるし、そのたびに恐縮するアーシアを見てしまえば良い印象など持てるはずも無かった。

 ともかくひとまず安心と息を吐く一誠だったが、そのディオドラが次回行なわれるゲームの対戦相手であるらしい。

 

 現魔王ベルゼブブの血族であるディオドラ。先ほどの映像を見る限り、油断はできないが勝てない相手ではない。サイラオーグ・バアルと比べれば付け入る隙は多いように見えた。

 何にせよ、どのような相手であろうと負けるわけにはいかない。今度こそ勝ち星を飾るのだ。

 

「さて、そのディオドラがお前らの次戦う相手になるが……」

 

「ええ、わかっているわ。相手眷族の情報は集めてある」

 

 そう言って、リアスが書類の束を机の上に置いた。

 

「ほう、仕事が速いな」

 

「勝率が高いとはいえ、最大限できることはしておかないとね。何より、今回こそは負けられない」

 

 リアスの言葉には気合いが溢れていた。全力で叩き潰すと言わんばかりにオーラすら立ち昇らせている。

 広げた書類にはアスタロト眷族メンバーの顔写真を始め、プロフィールがわかる限り記載されていた。

 

「流石に全て事細かく、というわけにはいきませんわね」

 

 一枚手に取り、内容を見て朱乃が呟く。

 

「私の伝手ではこれが限界よ。出来る限り分析してみましょう」

 

 リアスの言葉に従い、一同が書類に目を向けようとした――その時だった。

 部室の片隅が突如輝く。転移魔法陣だ。

 

 一誠にとっては見覚えの無い紋様だがしかし、リアスや朱乃はそれを見て驚きの表情を浮かべる。

 なぜならば、その紋様こそ彼女らが近い将来戦うべき相手を示すものであったからだ。

 

 転移の閃光が治まると、笑顔を浮かべる美青年の姿。

 

「ごきげんよう、ディオドラ・アスタロトです。会いに来たよ、アーシア」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 ひどい。

 ひどい気配だ。

 どこを向いても感じる力の残滓は、この世の存在が発するものではない。

 人には感じ取れない領域に魔的な乱流が渦巻いている。それらは町全体を取り巻き、魔都としての因果を形成しつつあった。これは明らかに尋常ではない。

 名も知らぬ男の身体を借りて、緋色の太刀は状況を分析した。

 

 雑多に混じりあう人外の気。その中枢を探るべく、歩みを進める。

 しばらくすると、人の気配が集まる建物に着いた。

 知っている。ここは学校という施設だ。

 太刀がまだ意思を持たなかった頃、主が通っていた場所でもある。無論、このような魔境ではなかったが。

 

 悪魔、天使、堕天使、妖怪、そして……これは、龍。

 どれも強い気を発しているが、特に堕天使と思しき者は格が違う。明らかにこの場に居ていい存在ではない。

 排除せねば。

 斬らねばならない。

 それこそが自身の存在意義なのだから。

 

 学校に足を踏み入れ、目的の場所に向かう。

 周囲の人間――おそらくは学校の生徒――から奇異の視線が注がれた。

 確かに、今操っている男はこの場に似つかわしい恰好ではない。所謂ヤクザ者と呼ばれる素性の人間だ。一般人にしては優れた肉体を持っているため選んだのだが、今回に限りそれが裏目になってしまったようだ。袋に入れて隠しているとはいえ、長物を持っているのも怪しまれる要素になっているのだろう。

 

 故に、立ちはだかる者が現れるのは必然だった。

 

「そこの方、すみませんが何の用があってここに――」

 

 駆けてくるのは一人の少年。その後に数名の少女が続く。

 悪魔だ。少年の方には龍も混じっている。

 目的地はすぐそこ。不思議と人の気配は少ない。人払いでもかけているのか、あるいは元々人の立ち寄らない区画なのかもしれない。

 何にせよ、彼らは邪魔だ。

 様々な問いかけをする少年だが、生憎と太刀に会話する機能は無い。そも、会話する気など微塵も無かった。

 故に。

 

「――匙、危ない!」

 

 抜刀。緋色の閃光が音も無く宙を走る。

 少女の一人が発した声を聞き、とっさに後ろへ跳んで躱す少年。良い反応だが、しかし。

 

「ぐっ……これはッ……!」

 

 束ねられた剣圧は斬風となり、刃の間合いを倍以上に伸長させる。

 少年は胸を真一文字に斬り裂かれ、血を吐きながら倒れ伏した。

 

「元ちゃん!?」

 

「元士郎先輩!!」

 

 慌て駆け寄る少女たち。

 それに対し、返す刃でもう一度斬撃の風を放とうと手首を返すが――。

 

「――やらせない」

 

 一振りの刀がそれを阻む。

 見れば、先ほど少年へ忠告を発した少女が行く手を塞いでいた。

 身のこなしといい、斬撃を見切った目の良さといい、かなりの手練れだと判断する。少なくとも、今まで斬ってきたはぐれ悪魔などよりは格段にやる(・・)だろうと予想できた。

 

 始まる剣戟合戦は、刃を数十重ねるまで続く。

 少女は紛れもなく強者であった。掠める鋼の冷たい温度が、弾ける火花の熱が、男の身体を通して太刀に伝わってくる。

 思った通り、相手は非常に目が良い。いや、こちらと同様(・・・・・・)思考速度を加速させているのか。その年齢で、敵ながら大したものだ。

 

 しかし、それでは中途半端。

 見るがいい、かつての主が振るった秘剣を。

 

 大きく地を蹴り突進する。

 踏み込みの脚を地に着けるより速く、背後に引き絞った腕を一文字に振りぬく。

 刃に乗る力は腕の振りぬきと最初の蹴り脚から伝わるもののみ。突き技ならばともかく、横薙ぎでは大した威力にならない。速度はあったとしても悪手であることに疑いようは無く、常識外の見切りを持つ少女であれば、それは一目瞭然だっただろう。

 

 故に、斬撃は当たり前のように防がれる。

 だがそれこそが、こちらの狙いだった。

 その瞬間、最小の動きで引き戻された刃は動きを反転させ、虚空を貫く一矢となる。

 踏み込みの脚は地面に着かず、突進は未だ続いたまま。薙ぎから突きへの転換は完璧に行われた。相手から見ると、受けた剣が急に消えて見えただろう。そして現れる鋭い突き。はたしてこの一撃を躱せるか?

 

 これは月緒の剣ではない。かつて主が対峙し、打ち倒した剣士の技。

 名を『影射抜』。

 暗殺剣法の奥義、一度限りの必殺剣である。

 

 しかし少女もさる者。

 とっさに身体を捻ったことで、心の臓を狙った突きは肩を貫くにとどまる。

 やはり、この身体では速度が足りない。

 

「ぐっ……あ……ッ」

 

 それでも太刀が持つ退魔の念が少女を死に近づける。

 霊体を穿つ斬傷と魂の奥底にまで響く激痛は、それだけで戦闘不能に追い込むだけの効果があったのだ。

 倒れた少女に、もはや立ち上がるだけの力は無かった。

 

「巡!!」

 

「巡先輩、今助けます!!」

 

 降り注ぐ魔力光弾の雨。それを縫うように少女が駆ける。

 連携の手並みは素晴らしい。だが無意味だ。せっかくの光弾雨も、仲間の通るルートを確保していてはこちらに利用されるだけ。

 

 魔力弾の間を潜り、向かってくる少女に接近。少女が放った蹴りが最高速に達する前に、足首を掴む。

 そのまま勢いを殺さず、振り回すように光弾雨へ向かって薙いだ。か細い身体が魔力の炸裂に襤褸と化す。

 

「あああああっ!?」

 

「仁村ッ!?」

 

 自身の攻撃に仲間を巻き込んだことで、残った少女の動きが止まる。

 その隙を逃す太刀ではない。

 弾幕の直撃を受けて気絶した少女を投げつける。その陰に隠れるように、疾風の歩法で加速して急接近。宙を舞う少女ごと貫こうとするが――。

 

 力が抜ける。

 身体が倒れる。

 

 常人に太刀の剣技を使わせるには、脳を含めた肉体のリミッターを外さなければならない。その反動が今やってきたのだ。

 見積もりではもう少し持つはずだったが、こうなったのは先ほどの少女剣士が予想外に強かったせいだろう。何にせよ、もはやどうしようもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「きゃああっ!!」

 

 投げられた少女――仁村を受け止めた花戒は、次に襲ってくるだろう攻撃を覚悟した。

 こうなったら刺し違えてでも。

 魔力を手の平に込め、凝縮させることで爆弾を作る。自分たち諸共吹き飛ばすつもりだった。

 しかし――。

 

「……あれ?」

 

 何もやってこない。

 見ると、男は地面に倒れ伏して動かなくなっている。

 いったいどうなっている。

 突如として現れた侵入者。手に持つ刃はまさしく妖刀と呼べるもので、今も恐ろしいオーラを発している。はたして何を目的として学園に侵入し、そして何故急に倒れたのか。

 疑問が頭を埋め尽くすが、周囲に倒れる仲間を見て思考を切り替える。

 

「皆を助けないと……そうだ、アーシアさん!」

 

 理由は不明だが、敵が倒れているのならちょうどいい。

 それよりも、仲間を癒さなければ。おそらくあの妖刀は何らかの特殊能力を持っている。でなければ匙や巡があの程度(・・・・)の傷で戦闘不能になるなどありえない。たとえ腕の一本や二本無くそうとも、戦闘を続行できるだけの心構えが彼らには備わっているのだ。

 幸いアーシアがいる旧校舎はここから近い場所にある。ソーナへの連絡は魔力通信で済ませるとして、リアスにも報告しなければならないだろう。

 倒れる男を魔力で拘束すると、花戒はアーシアを呼ぶために旧校舎へ走って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 残された太刀は悪魔が去ったことを確認すると、男の手を動かして刃鳴りの音を響かせた。

 この学校……いや、この町は霊力の強い者が多い。ほどなくして誰かやってくるだろう。

 太刀には悪意など一切無かった。何故なら太刀は器物であるからだ。

 ただ、自身の存在意義を確立するだけ。それだけだ。

 

 数分と経たず、人影が太刀の上に差す。

 その人物は太刀を握り、鞘に納めると目的地に向かって歩き出した。

 向かうは旧校舎。

 目的は、密集する魔の討滅。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突然やってきたディオドラは、リアスとの話し合いを要求した。

 内容は眷族のトレードについて。ずばり『僧侶』――アーシアとの交換だ。

 無論、リアスは断った。

 アーシアはもはや単なる下僕の一人ではない。家族――妹のような存在としてかけがえのないものになっている。それをぽっと出の、ましてや本当にアーシアを愛しているかすら定かではない輩に渡すなど、許容できるはずもないだろう。大体、トレードなどという手段で手に入れようという心構えが気に入らない。

 言葉には出さないが、一誠を含む眷族全員が同じ気持ちだ。

 

 完全なアウェーの中、ディオドラは笑みを絶やさない。それが不気味だった。

 以前家に来た時には見られなかった自信のようなものが、今の彼から感じられる。

 おかしい。彼はもっと焦っていいはずだ。アガレスに負け、グレモリーに対しても勝率は低く、後のバアルやシトリー、グラシャラボラスに勝てるとも限らない。

 なぜならリアスの調べによると、彼は1年ほど前に多くの眷族を失っているからだ。原因まではわからなかったが、その数7人。フルメンバー15名の内、実に半分近い人数である。アガレスにあっさり負けたのも、人数で劣っていたのが大きい。

 

 通常『悪魔の駒』の眷族が滅びた場合、希望すれば駒の再発行にて補填される。なるべく死亡要因を省いたレーティングゲームであっても、戦いである以上不慮の死は訪れるものであるし、それ以外の場面――たとえばエクソシストに討滅されるなどしていなくなることもあるからだ。

 しかしそれには相応の手続きが必要で、時間もかかる。現役プレイヤーならともかく、ディオドラはまだ成人に達していないため優先度が低く、まだ発行されていないか、発行されたとしてもつい最近であるはずだった。どう考えてもゲームには間に合わない。

 

 ディオドラは現魔王ベルゼブブの血族である。周囲からのプレッシャーも相当なものだろう。

 にもかかわらずこの余裕。

 どうにも解せない。彼に何があった?

 

 訝しげな視線を向けるリアスに、しかしディオドラは笑顔のまま。

 気持ちが悪い。

 直感的にそう思った。

 

 部屋を満たす拒絶の空気を感じ取ったのか、ディオドラは席を立つ。

 

「わかりました。今日はこれで失礼しましょう。ですが、僕は――」

 

「すみません! アーシアさんはいますか!?」

 

 ディオドラの言葉を遮るように、大きな音を立てて部室の扉が開く。現れたのはシトリー眷族『僧侶』花戒桃だ。

 血相を変えて部室に飛び込み、アーシアを見つけるとすぐさま駆け寄る。

 

「誰だい、キミは? 話の途中に入ってくるとは――」

 

「花戒さん、何かあったの?」

 

 ディオドラの発言は無視して、リアスは花戒に問いかける。明らかに尋常な様子ではない。何かが起きたのだ。

 

「侵入者です。説明は良ければ道中で。とりあえず下手人は捕縛しましたが、怪我人が出たのでアーシアさんの力をお貸し頂こうかと……」

 

「わかったわ、行きましょう。アーシアと、一応祐斗も着いて来て頂戴。朱乃はこの場をお願い」

 

「は、はい!」

 

「わかりました」

 

「了解しましたわ」

 

 判断は迅速に指示を飛ばす。本当に侵入者がやってきたと言うならば、ディオドラに構っている場合ではないだろう。

 

「待てリアス、俺も行く。この町はお前らの縄張りだが、一応俺は『先生』だからな。放っておくわけにもいかん」

 

 今まで状況を静観していたアザゼルも席を立つ。

 それを確認したリアスは、ディオドラに視線を向けた。

 

「悪いけれど話はここまでよ。次はゲームで会いましょう」

 

 先導する花戒と共に、リアスとアザゼルたちは部室から去って行った。

 

「…………」

 

 後に残されたディオドラは無言のまま。

 溜息を一つ吐いた次の瞬間も、その顔には笑顔が張り付いている。だが心なし苛立っているように見えるのは、目当てのアーシアがいなくなったからだろうか?

 

「ではディオドラさま。お帰りになるならあちらへ」

 

 扉ではなく部屋の隅を指しながら、朱乃がディオドラへ告げる。

 いっそ無礼とも言える応対だが、最初にそこから訪れたのは彼だ。文句を言う筋合いなど無い。

 わざわざ扉を通して帰すような客でもない、と言う意味もある。

 

「……そうだね、この場は退散しよう。どうも僕は事を急いていたようだ。確かに、キミたちに勝ってからでも遅くはなかった」

 

 答えるディオドラの目つきに侮蔑と苛立ちの色が混ざるのを一誠は見逃さなかった。彼は完全にこちらを見下している。

 今わかった。ディオドラは誰かを愛するような人物ではない。

 

「……お前なんかに誰が負けるかよ」

 

「へえ……」

 

 そんな言葉が思わず口から出た。

 睨み合う両者。

 窓を背にした逆光の中で、ディオドラの笑みは冷たい空気を孕み、こちらを嘲笑しているかのようだ。

 

「ふふふ、赤龍帝、確か兵藤一誠……だったかな? 僕は――」

 

 一誠の視線を受けたディオドラが言葉を続けようとした、その時。

 

 輪唱する鈴の音が、鋭く、美しく、不吉に鳴り響く。

 音が満ちると同時に、真紅の花が撒き散らされた。

 一拍遅れ、ぶちまけられた赤い液体の上にばらばらと肉の塊が落ちる。

 

「――――え?」

 

 呆けた声の主はディオドラ。赤い水の源泉は彼の左腕……だった場所。

 血の海に沈んだ肉塊の正体は、かつてそこに付いていたものだ。

 

『――!?』

 

 一同がそれを認識した、その直後。外に面する部室の壁が、細切れに弾け飛ぶ。

 塵も埃もたてることなく、飛び交う残骸より人影が現れる。手には一振りの刃――黄昏時、夕暮れの色を想わせる緋色の太刀だ。

 人影は音も無くディオドラに近づくと、その背後から鋭い突きを見舞った。未だ呆けたままの彼はそれに気付きすらしない。吸い込まれるように突き立てられた刃は、胸まで貫通した。

 

「ぐ、ぎぃぃいいぃい……あ、あ゛あ゛ああぁぁあああッ!!?」

 

 唖然とした表情から一転、青ざめた顔は苦悶一色になる。

 刃を引き抜かれたディオドラは胸から血を吹き出しながら倒れると、しばらく痙攣しそのまま動かなくなった。

 何だ。何が起こった。

 皆が唖然する。

 

「みんな逃げてください!! 今すぐに!!」

 

 異常事態にいち早く反応したのは小猫。

 襲撃者の気から強烈な死のイメージを感じとったのだ。

 仲間に逃げるよう促しつつ、自身は猫耳と二股の尾を出して闘気を纏う。『猫又モード・バージョン2』だ。

 そのまま火車の術具を起動させ、渾身の膂力を込めて人影に殴りつける。燃える車輪が直撃するその瞬間、一筋の閃光が虚空を裂くと火車は二つに割断された。

 

「――くっ!」

 

 黒歌が作った火車の術具は、妖力を込めれば聖魔剣すら受けることが可能なほど頑強だ。それが、こんなにも容易く。

 小猫自身は相手の攻撃を背後に跳んで躱したが、直撃を許していたならば同じ運命をたどっていただろう。寒気がするほどの切れ味だ。

 

 回避行動から宙に浮かぶ小猫に、襲撃者は刃を構える。

 速い。いや、動きが滑らかすぎるのだ。

 飛び交う殺気は攻撃の軌道予測。そのどれもが小猫の急所を通って幾重に斬り裂く軌跡を描いた。

 駄目だ。これは死ぬ。

 

「小猫ちゃん!」

 

 叫び声と同時、小猫の前に霧風が壁となって立ち塞がる。

 ギャスパーだ。肉体の一部を霧と変え襲撃者の視界を塞ぐとともに、おそらくは影の拘束も展開したのだろう。恐るべき斬撃が小猫を襲うことはなかった。

 

「小猫ちゃん、大丈――――」

 

 無事着地した小猫に声をかけるギャスパー。その瞬間、霧が微塵に弾け飛ぶ。

 姿を見せた襲撃者は、駒王学園の女生徒だった。表情は虚ろで感情が抜け落ちているようだが、その手に握る緋色の刃は桁違いの殺気を迸らせている。

 

「うあ、ああっ……」

 

「ギャーくん!?」

 

「どうしたギャスパー!!」

 

 力無く倒れるギャスパー。

 一誠が慌てて駆け寄り様子を見ると、彼の片腕はズタズタに切り刻まれていた。

 いったい、いつの間に?

 その原因は一つしかない。

 

「これはまさか、霧化したギャーくんを……」

 

「斬ったってのか、あいつは……!」

 

 部室に残ったメンバーの中で、一誠とゼノヴィアは下手人を知っていた。

 今時古風な三つ編みに眼鏡、クラスメイトにして友人の桐生藍華だ。彼女に異能の類を操る力はなかったはず。

 霧となった吸血鬼に対して、通常の物理攻撃は一切通用しない。広範囲に衝撃を与えればダメージは与えられるが、それだけだ。ここまではっきりと傷を刻むなど不可能である。

 とくれば、これはあの恐ろしげな刃が持つ能力と考えるが妥当だろう。

 

「桐生、お前……」

 

 いったいどういうつもりだ、と一誠が続けようとしたその時。

 

「イッセー、危ない!」

 

 ゼノヴィアの言葉が届くが早いか、一誠の目前に桐生が迫っていた。

 眉間を狙う切っ先を、とっさに展開した籠手で防ぐ。毎晩欠かさず行っている神器内での模擬戦は、劇的でこそないが着実に成果をもたらしていた。

 赤龍の籠手が走る刃を受け止める。

 

「よしッ……!」

 

 安心も束の間、刃は止まらない。

 龍の宝玉を貫き、手の平を穿ち、鮮血を舞い散らせた。

 

「なっ――――がっ、あ゛あ゛あ゛あぁぁあああぁああッ!!」

 

 襲い来る激痛は、まるでむき出しの神経に焼き鏝を当てられたかのようだった。

 この芯に響く強烈なダメージを一誠は知っている。

 

(ゲームの時、匙から受けた……あの拳と同じだッ……)

 

 それを何十倍、何百倍、いや何千、何万倍に増幅させたような力が全身を駆け巡った。

 道理でディオドラが動けなくなるはずだ。これは耐えられない。

 

『いかん、相棒! 早く引き抜け、死ぬぞッ!! それにこれは……』

 

 ドライグの忠告もむなしく、一誠の身体は動く様子を見せない。

 わずか一刺し。それだけで彼に内在する力は消し飛ばされてしまった。意識は急激に遠のき、あと数秒もすれば消滅すらあり得る危機的状況。

 だが、そうはならない。他ならぬ彼の仲間がそれを許さないからだ。

 

「おおおおおっ!!」

 

 吼えるゼノヴィア。

 抜き放たれたデュランダルは空間すら震わせるオーラを纏っている。重さと速さを両立させた剣閃は鋭く、狙い過たず相手を目指した。

 しかし桐生は迫る刃を潜るようにして横跳びに回避、如何なる体術かまるで蜘蛛のように壁へと張り付いた。

 

「あまりおイタをしていては……いけませんわよ!」

 

 それを狙うのは雷の一撃。

 狭い空間を拡散する雷撃網に、躱す余地など一切無い。

 決まった。

 そう確信した直後のことだった。

 

 風を断つ斬撃八連。

 剣閃の格子が迫る雷撃を切り刻む。

 

「な……!?」

 

 驚く朱乃。

 それもそのはず、いくら手加減して放ったとはいえ、まさか無傷で凌がれるとは思っていなかったのだ。

 驚愕の事実はそれだけにとどまらない。斬撃の余波が無数の鋭い風となって、朱乃の身体に傷を刻んだ。小さな傷だ。しかし襲い来る痛みは深さに反して大きすぎ、そのせいで追撃の魔力は霧散してしまう。

 緋剣を構えた桐生が、朱乃に迫る。

 

「やらせないッ!!」

 

 それを聖剣が迎え撃つ。

 狙うは桐生本人ではなく異様なオーラを放つ刀。弾き飛ばして無力化させるつもりだった。

 無論のこと、敵が黙って受けるはずなどない。回避しようと動き出すが――。

 

「……逃がしま、せん」

 

 それを阻んだのはギャスパーだ。激痛に霞む意識を振り絞って力を行使する。

 影から伸びる手が、桐生の動きを封じていた。

 それらはすぐさま切り刻まれるが、もはや回避する時間は無い。

 緋剣と聖剣が交差すると、オーラの炸裂が桐生の華奢な身体を弾き飛ばした。切り取られた壁から外に吹き飛んでいく。

 

「……やったか?」

 

 それなりに力を込めた一撃だ。しかし手ごたえはあまりなかった。

 部室から外を覗きこむが、旧校舎傍の林に落ちたのだろう、姿を窺うことができない。

 

「どうですか? 小猫ちゃん」

 

 朱乃が小猫に尋ねる。

 小猫は気絶した一誠とディオドラを小脇に抱えていた。仲間である一誠は当然として、立場的にディオドラも見捨てることはできない。

 それよりも、この状況でディオドラに息があるということ自体が不思議だった。何にせよこのまま放置すれば出血多量で死ぬ可能性が高く、可能な限り手早くこの場を切り抜けなければならないだろう。

 敵を感知するべく猫耳を動かした小猫は、すぐさま険しい表情になる。

 

「どうやら無事なようです」

 

 言葉の直後、林から少女が姿を現す。

 はたして桐生は小猫の言うとおり未だ健在。制服の端は擦り切れているものの、身体自体は全くの無傷だった。

 

「……自信を無くしそうだよ」

 

 自身の剣を凌がれ、思わずゼノヴィアは呟いた。先ほどから嫌な予感が止まらないのだ。

 桐生が持つ刀には見覚えがあった。あの美しい緋色の刀身は、初対面時の修太郎が使っていたものではないだろうか? とても印象的な刃だったので覚えている。

 

「私が相手を押さえよう。確かめたいこともある。二人はイッセーたちを診ていてくれ」

 

「気を付けてください。あの剣は尋常ではありません」

 

「掠めただけでも危ないですわ」

 

 小猫たちの忠告を背に二階から飛び降り、桐生と対峙する。

 ゼノヴィアが知る限り、桐生はごく普通の少女だ。剣術を習得しているどころか、運動を得意としているわけでもない、完全な一般人である。

 しかし、先ほどまでに見せた剣捌きは常軌を逸していた。一誠に急接近した俊足といい、明らかに一般人が扱える技ではない。それをあの刀がもたらしていると言うならば、もしや――。

 

 緋剣を構える彼女を見ると、既視感が強まった。予感が確信に使づく。

 

「いくぞ、桐生」

 

 全力の踏み込みが大地を砕く。『騎士』の特性を引き出し加速したゼノヴィアは、一息で桐生の背後をとっていた。友人である彼女を殺すわけにはいかない。しかし自身の予想が正しければ、全力でかかる必要があるかもしれない。

 振るわれる鋭い斬撃が、桐生の背中を目指すが――。

 

 瞬間、弾ける火花。聖剣の刃が緋色の刀身を滑り、空を切る。

 返す敵の刃は常識外の軌道を描き、受け流しの横薙ぎから兜割に移行した。

 本来であれば予測の難しいそれに、ゼノヴィアは反応できた。身体を半身にし、直上からの攻撃を回避する。鋭い斬風が通過して、なびく青髪の先端が落ちた。もしも後ろに避けていれば死んでいただろう。

 

 今度はこちらの反撃。

 聖剣の刃に踏み込みの力を乗せ、広範囲を巻き込む大斬撃とする。

 パワーでは勝っているのだ。このまま相手を宙に飛ばし、衝撃力を高めた波動で気絶を狙うつもりだった。

 だが通用しない。相手が行った受け流しは、まるで滑走路のようにデュランダルを上空に逸らした。急激なバランスの変化に対応できず、ゼノヴィアは体勢を崩してしまう。

 当然その隙を逃す敵ではない。緋色の刃が首を狙って走った。

 

 致死の一撃を前にゼノヴィアはしかし、体勢を立て直そうとはしなかった。逆に思いっきり剣を振るうことで、崩れた体を後方に移動させたのだ。

 断頭の緋剣が虚空を裂く。反らした顔の上を再び斬撃の風が通り過ぎる。

 刃を躱された桐生は隙を作った。今度は再びこちらの番だ。

 振るう剣にさらなる力を込め、速度を上乗せさせる。身体を捻り一回転、直後に踏み込み、前進と共に切り上げに移行。大地を抉りながら天へと昇る刃は、まさしく暴君と呼ぶにふさわしい力を炸裂させた。

 それにすら相手は反応する。緋剣が聖剣の猛威を受け止めた。

 目論見通りだ。

 踏み込みの力を強め、刀ごと相手を空に弾き飛ばす。

 

「――?」

 

 軽すぎる。そう感じた。

 その違和感は的中していた。宙を舞う桐生は想定より大きく飛んでいる。いや、自分から飛んだのか。

 彼女の身体は旧校舎二階、部室の真上にあった。

 

 緋剣より放たれた斬風が、校舎の屋根を切り刻む。

 嵌められた。敵はゼノヴィアより部室にいるメンバーの排除を優先したのだ。

 

 緋剣のオーラが密度を増した。次の瞬間、幾重にも放たれた斬風が嵐となって部室に落ちる。

 見るだけで怖気が走るほどの退魔力だ。悪魔にとってはもはや聖剣の一撃と何ら変わりないだろう。つまり、直撃は死を意味する。

 

 まだ間に合う。デュランダルのオーラを強め、斬撃波動を放とうとするが――。

 

「ぐっ……!?」

 

 灼けるような激痛に身体が止まる。

 何時の間に受けたのか、太腿が浅く切り裂かれていた。

 抜ける力を精神力で留めるも、この一瞬は致命的。退魔の嵐刃を阻むものは無い。

 

「二人とも――――」

 

 躱せ、と声をかけるももはや遅い。

 その時だった。

 

 

 

 

「――見つけましたよ」

 

 

 

 

 

 駆け抜ける疾風は輝く鋼と共に。

 斬撃一閃、聖剣の一撃が刃の嵐を引き裂いた。

 

 沈みだす太陽を背に、緋剣の前に立ちふさがるのは金髪の剣士。

 

「……木場?」

 

 否、直後に違うと判断する。

 剣士は確かに若い男性だった。しかし容姿は別物だ。眼鏡をかけ、高級そうな背広を纏い、薄い笑みを浮かべながら桐生を――いや、緋剣を見ていた。

 青年は屋根の上に降り立った桐生と対峙し、己が聖なる刃を構える。

 

 直後、消失。

 ぶつかり合う緋剣と聖剣。刹那の間に幾十もの応酬。放たれる斬風が、聖刃が、周囲を切り刻んでいく。

 横薙ぎ、受け流し、突き、振り下ろす。上下左右四方八方、互い重なる刃圏に生まれた火花は綺羅星の如く、夕刻の闇を否定する。

 まばたきする暇も無いほど激しい剣戟合戦は、極まった者同士の激突だ。

 

 ゼノヴィアの予感は確信に変わっていた。桐生の使う剣術は暮修太郎のものだ。おそらくあの緋剣がもたらしている力なのだろう。常日頃彼に叩きのめされていたゼノヴィアだからこそ、それがわかった。

 

 青年はその桐生を圧倒していた。

 二人が互角に渡り合っていたのは、ほんの数瞬の間だけ。

 驚くことに、青年は彼女が放つ剣を見切っているようだった。斬りおろしを受け止め、突きを躱し、斬風を打ち消す。青年の返す刃を少女の身体は受け止めきれない。

 徐々に傷を増やしていく桐生の片腕は、あらぬ方向に折れ曲がっている。剣を振るうたびに関節から血をしたたらせていた。原因は一つ、緋剣の力を受けて彼女のか細い肉体が自壊しているのだ。

 それでも彼女は斬撃をやめない。まるで憑りつかれたように、鋭い剣閃を放ち続けている。

 

 血に塗れる少女を前に、青年が容赦をする様子は見られない。薄い笑みは冷たさすら湛え、余裕を持って剣を振るう。

 ――遊んでいる。

 ゼノヴィアにはそう見えた。

 彼は全力を出し切っていない。その気になれば桐生を助けることなど造作もないはずなのに、あえて放置している。空恐ろしい領域の話だが、人命よりも剣技の観察を優先しているのだ。

 どちらにせよ、このままだと桐生は――ゼノヴィアの友人は死んでしまう。

 

 ――そんなこと、させるものか。

 

 担い手の意志に呼応するかの如く、デュランダルが輝きを増す。

 極限にまで高まるオーラは絶大な力の発露、延長線上を斬り裂き砕く光の刃だ。

 ゼノヴィアはそれを振り落とした。莫大な光波が月牙の形をとって放たれる。狙うは桐生ではなく、眼鏡の青年。

 あれほどの手練れならば当然躱すだろう。そう思ったが、しかし。

 

 青年が剣の切っ先を光波に向けた途端、輝く月牙の像がほどけていく。拡散し、無数の帯に変わった光波は旧校舎を穴だらけに破壊した。

 青年は場を一歩も動いていない。いったい何をしたと言うのだ。

 

 疑問を抱くも束の間、崩壊していく旧校舎。激しい剣戟の余波とゼノヴィアの波動攻撃によって、建物に限界が訪れたのだ。

 青年は素早く飛び退り、安全地帯へ移動する。しかし桐生はもはや身体が動かないのか、脱出することができないようだった。

 

「桐生!!」

 

 『騎士』の特性で加速したゼノヴィアは、瓦礫の間を駆け抜けて落ちる桐生を受け止めた。

 彼女はぐったりと目を閉じていた。三つ編みはほどけ、眼鏡を失い、全身くまなく裂傷が走り血に濡れている。

 最悪の結果を思い浮べながら様子を窺えば、華奢な身体は弱々しいながら呼吸に胸を動かしていた。良かった、生きている。

 それを確認した直後、彼女の目が開く。

 

「……あ、れ? ゼノヴィア、っち……?」

 

「桐生……! ああ、私だ。大丈夫か?」

 

「ん……なんか、からだ、が……いたい……んだけ、ど……」

 

 言い終わる前に、桐生はがくりと意識を失った。

 それに一瞬驚くが、呼吸は続いている。これだけの怪我だ、彼女ではとても耐えられるものではないだろう。早く手当をしなければ。

 

 しかし懸念が一つ。

 桐生の手に緋色の太刀は握られていなかった。

 それが意味することとはつまり。

 

「逃がしましたか。あの一瞬で己を投げ飛ばすとは……」

 

 聞こえた声に、ゼノヴィアは屋根の上にいる青年を睨んだ。

 助けてもらったことには感謝している。あちらとしても事情があるのだろう。しかし彼が桐生の命を奪おうとしていたのは明白で、それを知ってなお素直に謝辞を述べられるほどゼノヴィアは大人になれなかった。

 

「……あなたは誰だ?」

 

 感情を押し殺し、何者か問いかける。

 そうしてようやく青年は顔をこちらに向けた。

 ディオドラのにこやかなものとは違う、涼やかな笑み。しかしその碧い瞳には底知れない空洞が広がっている。桐生を抱いていなければ、思わず後ずさりしてしまいそうな怖さがあった。

 虚無のような視線がゼノヴィアを捉え、そしてデュランダルを見る。その時初めて青年の瞳に輝きが灯った。

 

「初めまして、聖剣デュランダルの使い手。私の名は……アーサー。アーサー・ペンドラゴンと言います。以後、お見知りおきを」

 

 笑みを深くして会釈する青年・アーサー。流れるような動作は大変優雅で様になっていた。

 その時、戦場跡に降り立つ影が一つ。

 黒白の刃を携える金髪の剣士は、今度こそ木場祐斗だった。アーサーに気付いた木場は、油断なく剣を握りながら彼を鋭く睨む。

 

「これはあなたの仕業か……?」

 

「違いますよ、聖魔剣の使い手。ふむ、あなた方の主もお戻りのようだ」

 

 言葉の直後、向こうの空からリアスが飛んでくるのが見えた。アーシアも一緒だ。彼女の神器ならば一誠たちも桐生も治療できる。ゼノヴィアは安堵の息を吐いた。

 降り立ったリアスたちを見ながら、アーサー・ペンドラゴンは笑顔で言い放つ。

 

「どうやら説明をした方がいいみたいですね。このままでは少々やりにくい。出来れば、あなた方にも協力してもらいましょう」

 

 涼しげなその笑顔は、やはりどこか虚ろに見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

「……まさか出迎えに誰も来ないなんて」

 

 夕方の住宅街を歩きながら、紫藤イリナは一人呟く。

 友人たちには手紙で戻ることを伝えていたのに、駅での出迎えは一切無し。1時間ほど待ってみたが、影も形も姿を現さない。

 彼女たちはイリナと違い学生だ。詳しくは良く知らないが、部活などで忙しいのかもしれない。そう考えると悪いのは急に戻ってきたイリナなのだろう。だからこれは仕方がないのだ。決して忘れられていたわけではないはず。きっと、そのはず。

 そう思いつつ、少し泣きそうになったのは内緒だ。

 

 イリナはとりあえずゼノヴィアのマンションを目指していた。

 ゼノヴィアからの手紙によると修太郎は最近忙しくしているとのことだが、運が良ければ会えるかもしれない。世話になったお礼をしなければならないし、お土産も渡さなければ。あとはゼノヴィアの部屋に泊まることで宿泊費を節約したいのもある。

 

 京都では多くのことを学ぶことができた。

 鋼糸術を始め、剣術、体術、退魔法術……時に山深く潜り己を高める陰陽隠密――NINJAの修練はとても厳しかったが、実力は格段に増したと断言できる。今まで聖剣使いとしての技術を向上させてきた彼女は、彼ら隠密の技を学ぶ中で自身の新たな道筋を見出したのだ。

 何せNINJA。そう、NINJAなのである。日本の影の歴史を支配したと言う、あのNINJAだ。

 おそらくは修太郎もその修練を積んだからこそ、あれほどまでに強いのだろう。確か彼の出身である月緒一族はSAMURAIだったはずなので、彼はNINJAでSAMURAIのハイブリットなのだ。それはもう最強になるしかない。

 

 京都を出る際、隠密修行の師であった雲居老人はイリナにこのまま陰陽師として活動することを勧めたが、それは断った。

 イリナの目的は神の教えを広め守ること。異形の悪意から教徒・異教徒の別なく人々を救うことなのだ。一所に留まってはそれを果たせない。

 

「ああ、主よ……私、頑張ります!」

 

 神は死んだ。しかしそれが信仰をやめる理由にはならない。

 日本神話では死んだ神が地下の国で暮らしていると言う。北欧神話などでも神にあの世があるらしい。ならば我らが神もどこかで自分たちを見守っているかもしれない。

 異教の技に触れた紫藤イリナの信仰心は、陰るどころか一層輝きを増していた。

 

「…………?」

 

 ふと、鈴の鳴る音が聞こえた。

 辺りを見回すも、人気の少ない住宅地が広がるだけだ。音の発生源になるものは見当たらない。

 何故だかひどく気になった。誰かが自分を呼んでいる気がしたのだ。

 そう思うと、また音が聞こえてくる。

 今度は何処で鳴っているかがわかる。路地裏の向こうだ。細い道を誘われるように歩くと、ほどなくして突きあたりにたどり着いた。

 そこにいたのは一匹の犬。口に一振りの太刀を咥え、イリナをまっすぐ見つめている。

 

「…………」

 

 耳に響く輪唱は止まらない。

 無意識に太刀へと手を伸ばす。

 手が柄に触れたその瞬間、紫藤イリナの意識は途絶えた。

 

 

 




お待たせしました更新です。
ディオドラ無残、そんな話。
眷属死亡後の補充関連は独自解釈になります。実際原作ではどうなんでしょう? イッセーが一度死んだ時もそこらへんの仕組みは語られてなかった気が。

襲撃者を片瀬か村山か桐生か悩んだ末の桐生。
ヤクザより長持ちしてますが、その分彼女の体はボロボロに。これも全部アーサーって奴の仕業なんだ。

次回、イリナ=サンの華麗なエントリー!


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第四十九話:緋剣乱舞

「『黄昏の牙』……その魔剣が敵ということね」

 

「正確に言えば『御道修太郎の剣』ですが」

 

 尋ねるリアスに笑みを浮かべるアーサー。

 日が沈み、星も見えてきた時間帯の駒王学園旧校舎。崩壊を逃れた部屋にて彼女たちはアーサーの話を聞くこととなった。

 この場にはグレモリー眷族以外にソーナ率いるシトリー眷族も同席している。今現在この学園――いや、リアスたちを襲う脅威『黄昏の牙』の件は、彼女たちも無関係ではないからだ。

 

 妖刀、通称『黄昏の牙』が持つ能力は主に三つ。

 一つ目は触れた人物の精神に干渉し、意のままに操る力。これを応用して霊力の高い人間を呼び寄せることも可能だと言う。

 二つ目は刃に宿る退魔の力。その強度・密度は尋常なものではなく、異形の者にとっては掠り傷でさえ大きなダメージとなるほどだ。

 そして最後に超人的な剣技を授ける力。この妖刀を持った人間は、たとえそれが何の訓練も受けていない一般人であろうと、上級悪魔すら討滅しうる剣の使い手と化す。

 

 『黄昏の牙』はこれらの能力を駆使して人間の身体を借り、目に付いた魔物を駆逐しつつ日本にやってきた。何故魔物を殺すかという理由はおそらく、あの太刀が元々退魔刀であったからだ。暮修太郎が使っていた緋緋色金の太刀――それが妖刀の正体である。

 使い手を選ぶ魔剣は数あれど、使い手を操る魔剣などそうそう無いだろう。これでは剣と言うより「剣の形をした化け物」と言った方が正しいかもしれない。

 

 そして今回、リアスたちがその標的にされている。

 あれはおそらく、こちらがこの地を去るまで絶対に逃がそうとしない。

 アーサーはそう言った。

 あれは殺意を持つ機械なのだ。

 

 青年アーサー・ペンドラゴンはイギリスの所謂対魔物エージェント、であるらしい。

 名門ペンドラゴン家の聖剣使いとして国の要請を受け、日本まで妖刀を追跡してきたとのことだった。

 アーサーは説明を続ける。

 

「あの刃は対象が人から離れた存在であるほど威力を増します。『魔物殺し』ならぬ『異形殺し』と呼ぶべきでしょうね。たとえば……赤龍帝殿は悪魔でドラゴンなのでしょう? 受けるダメージは単純に、まあ倍以上と考えますか。だから未だに意識が戻らない」

 

「…………」

 

 リアスは背後を見る。古びたソファの上に兵藤一誠が寝かせられていた。

 あの後アーシアの治療により皆の傷は癒されたのだが、ディオドラと一誠だけ意識が戻らなかったのだ。

 ディオドラについてはわかる。致命傷に等しい大怪我を負い、血も足りていないからだ。彼についてはシトリー家を通じて冥界の医療施設に緊急搬送することで対応している。今頃アスタロト家にも連絡が行っていることだろう。

 

 その彼と比べて一誠の傷は手の平のみ。人ならば軽傷とは言い難いが、悪魔にとってはそう大した傷ではない。小猫の診断によると気の流れにも生命力にも異常は見られないとのことだったので、ほどなく目を覚ますかと思っていたのだが、未だ目覚める兆候は無い。

 命に別状はないのだ。これは別の要因があると考える方が妥当だろう。

 それが彼の言う『異形殺し』によるものなのかどうかは定かではないが、あの刀がもたらしたものであることは確実だった。

 

「私のところの匙も意識不明の重体です。アザゼル先生が急ぎグリゴリの施設に運びましたが、予断を許さない状態であるとのことです」

 

 ソーナが告げる。

 匙は一誠よりもひどい状態だった。その原因は彼自身ではなく、彼の神器にある。

 彼の神器『黒い龍脈(アブソープション・ライン)』は、ヴァーリと一誠、つまり二天龍のオーラを吸収したことで極めて不安定な状態となっていた。神器の特徴が生身に表れていたほどだ。そこに強力な退魔の力を流されたせいで、宿主の命にまで影響を与える過剰反応を示したらしい。

 今の状況で最も痛い出来事がそれだった。アザゼルは匙の治療を行っているため、ここにはいないのだ。

 一誠に起こった異変も、匙と同様に神器が絡んだものかもしれない。もしも彼がいたならば、何らかの意見を出してくれただろう。普段の素行は褒められたものではないが、何だかんだで頼りになる大人なのだ。

 

「まあそれはさておき、あの刀は間違いなくまたここにやってくるはずです。今後の対応ですが……あなた方はどうするつもりですか?」

 

「迎撃……するしかないでしょうね。あなたの話が本当なら、野放しにはできないわ」

 

 リアスは宣言する。

 だからこそ皆を学園に残している。

 このままでは自宅まで襲撃されかねない。そうとなればこちらも抵抗せざるを得ないし、その過程で周辺にも大きな被害が出るだろう。

 まさかこの地を放棄するわけにもいかない。リアスたちは魔王の指名でこの一帯を任されているのだ。

 可及的速やかに解決しなければ、夜も安心して眠れない日々を送ることになる。

 

「一応上に報告しましたが、おそらく対応は間に合わないでしょう。少なくとも、一両日は私たちだけで対処する必要があります」

 

 ソーナも同じ意見だった。

 聞けば妖刀が与える剣技は暮修太郎のものだと言う。道理で巡が後れを取るはずだ。その恐ろしさと出鱈目っぷりは眷族一同身に染みて理解している。

 厳しい戦いになるだろう。しかしやらねばならない。ここで逃げては何のために研鑽を積んでいるのかわからなくなってしまう。

 二人の返答に、アーサーは笑んだまま口を開く。

 

「考えはわかりました。しかし、あなた方だけでは分が悪い。確実に何人か死ぬでしょうし、使い手によっては半数が滅ぼされる可能性もある。ここは共同作業といきましょう」

 

「それは願ってもないことだけれど……具体的にはどうするのかしら?」

 

「簡単です。私があの太刀に勝ちますので、そちらは相手が逃げないよう場を整えていただきたい」

 

 当たり前のようにアーサーは答えた。

 リアスは直接見ていないため実感こそ湧かないが、話を聞く限り相当な難敵であるはずだ。朱乃たちが揃って迎撃しても敵わなかったことから、それは確実だろう。

 目の前の青年はそれに一人で勝つと言っている。

 

「……あなたにそれができるの?」

 

「本人であればともかく、劣化した『彼』ならばまあやれるでしょう。少なくとも、あなた方の被害は少なくなります」

 

 そう言って、傍らの聖剣に手をかける。

 鞘に覆われてもわかる濃密な聖なるオーラは、リアスにすらプレッシャーを与えるほどのものだ。

 ――『支配の聖剣(エクスカリバー・ルーラー)』。

 七つに分かたれたエクスカリバー、その中でも最強の一振りとされる代物。長らく行方不明とされていたはずのそれを、青年は手にしていた。

 

 『黄昏の牙』の退魔力は人間に対して効果を示さないのだと言う。この場において、迎撃に最も適しているのはアーサーだった。

 ペンドラゴン家の勇名はリアスたちとて知っている。妖刀に操られた女生徒を圧倒したという報告も聞いていた。

 彼は強いのだろう。それこそ人間では考えられないほどに。

 ならば――。

 

「私はその提案を受け入れるわ。ただし、危なくなったら割って入るし、操られた人の命もできるだけ助ける事。それでいいかしら?」

 

「私もリアスと同じ結論です。条件を受けてくださるなら、出来る限り敵を逃がさないよう支援しましょう」

 

 アーサーの提案はメリットこそあれど目立ったデメリットは無い。受け入れない理由もまた無かった。

 青年は彼女たちの返答を聞き、わずかに笑みを深くする。

 

「ええ、ご自由にどうぞ。持ち主の命についてもできる限り善処してみましょう。私はただあれと戦い、最終的に回収できればそれでいい」

 

 そう言って席を立つ。

 

「何処に行くの?」

 

「見張りです。いつどこから相手がやって来るかわかりませんからね。警戒は私が担当しますので、あなた方は準備をお願いします」

 

 それでは、と聖剣を持って退室していく。

 時間が限られているので仕方がないことではあるのだが、どうやら彼に協力者と親交を深めるという選択肢は無いらしい。

 ともかく話はまとまったのだ。リアスたちは己が眷族を率い、迎撃の算段を立て始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

「――何か御用ですか、デュランダルの使い手さん」

 

「ゼノヴィアだ。アーサー・ペンドラゴン」

 

「これは失礼。ゼノヴィアさん」

 

 夜も更けた旧校舎、修復の終わった屋根の上でゼノヴィアはアーサーに話しかける。

 聖剣を腰に夜闇を眺める青年は、ゼノヴィアを見ようともしない。今宵は曇天、星の光は地上へ一切届かず、故に漆黒の闇が周囲を取り巻いている。

 明かりの点いた建物周辺はともかく、それ以外の部分は人間の目では様子を窺うことなどできないだろう。しかしそれでも、アーサーは視線を外へ向け続けていた。

 

「……見張りを変わった方がいいんじゃないか? あなたの目では見えないだろう」

 

「そうでもありませんよ。第一、見張りと言ってもわざわざ目で見る必要はありません。音でも風でも、感覚を研ぎ澄ませば何かしら掴めます。例えば、今あなたが近づいてきたことを感知できたように」

 

 返答したアーサーの横顔が笑む。

 まるで修太郎と同じようなことを言う。妖刀を持った桐生を圧倒したことから、凄まじい実力を持っていることは知っていたが、もしかすると一定以上の達人は皆このようなものなのだろうか。

 

「あなたは師匠……暮修太郎と知り合いなのか?」

 

 疑問に思ったことを聞いてみる。

 妖刀に関する説明を聞いた時から彼が修太郎のことを知る人物なのは間違いないが、一応だ。

 するとアーサーはようやく振り向く。

 

「師匠……? あなたは彼の弟子なのですか? まさか……」

 

「あ、いや、そうだったらいいな、と思っているだけだ」

 

 問いかける彼は困惑の様相を見せていた。

 急に変わった相手の様子に、そこまでおかしなことを言っただろうかと思いつつ、慌てて訂正するゼノヴィア。

 

「……ふむ、なるほど。ならば悪いことは言わないので、やめておきなさい。彼に教えを乞うたところで何も益などありはしない。他を選んだ方が無難でしょう」

 

「それは、いったいどういう意味だ?」

 

 アーサーのひっかかる物言いに、思わず睨みながら問う。

 彼は目線を夜闇に戻して答えた。

 

「言ったままです。彼は剣士として最高の才能を持っていますが、それは誰かに分け与えられる類のものではない。たとえ弟子になったとして、そのリターンなど彼が持つものと比べてごくごくわずかでしかないでしょう。教えられるどころか逆にこちらが喰らい尽くされてしまうだけです」

 

 心当たりはあるでしょう? と青年は言った。

 その時ゼノヴィアの脳裏に浮かんだのは、修太郎がデュランダルを手足のように操る光景。そして『ゼノヴィアの剣』を完成させた情景だ。

 

「…………」

 

「驚きました、あれを受けてまだ彼の下を離れない者がいるとは。どうやらあなたは私が思うよりずっと強い御仁のようだ」

 

 ゼノヴィアの様子から彼女の経験を感じ取ったのだろう。アーサーの目に驚きの色が宿る。

 そうして話を続ける。

 

「ならばわかるでしょう。御道修太郎はこの世の剣士にとって恐れるべき天敵だと。一度でも剣を合わせれば技を盗まれ、昇華され、自分の歩む道の先……そのさらに先を垣間見ることになる。それは武の探究者にとってこの上ない絶望でしょう。聞けば彼はまた腕を上げたと言うではありませんか。それはあれほど極まっていながら、まだ伸びしろがあるということに他ならない。少しばかり才能がある程度では差は広がる一方ですよ。まともにやってはまず追いつけません」

 

「……ならばあなたはどうなんだ。追いつけないと言うなら、何故あの時桐生を――あの女生徒を見捨ててまで敵の剣を観察したりした? 自分だけは別とでも言うつもりか」

 

 ゼノヴィアは語気を強める。

 諦めの言葉を吐きながらも、アーサー自身は全くそう思っていないように見えた。まるで他人事のような彼の様子に、思わず苛立つ。

 

「ああ、何かと思えば聞きたかったのはそのことですか。確かにあれは興が乗り過ぎました。今となっては反省するしかない。しかし可能性はあるかと思いますよ。例えば……彼が持っていないものを使えば」

 

「持っていないもの……?」

 

 疑問に思ってすぐ、それが何なのかわかった。

 

「聖剣……か?」

 

「そう。人類が望みうる最高の肉体を持つ彼ですが、聖剣使いとしての因子だけは持てなかった。確かに『アーサー・ペンドラゴン』は『御道修太郎』に勝てませんが、そこに彼が持たない要素を足せば勝負にはなる」

 

 そう言って、アーサーは鞘から剣を抜きはらう。

 刃から発せられる聖なるオーラが爽やかな風を起こすと、瞬く間に旋風と化してアーサーの周囲を取り巻く。聖剣の支配力が巻き起こる風を加速させ、増幅しているのだ。

 おそらく、この能力を使ってゼノヴィアが放ったデュランダルの光波を分解したのだろう。恐るべき力だった。

 

支配の聖剣(エクスカリバー・ルーラー)……良い剣です。苦労して手に入れた甲斐はある。まあ、彼にはどこまで通じるかわかりませんがね。ああ、そう言えば最初の質問ですが……」

 

 アーサーがこちらに振り向く。

 笑みを湛えるその瞳はやはり虚ろだ。整った容貌に夜闇が作る影も相まって、まるで人形にすら見える。

 

「彼には過去、妹共々大変世話になりましてね。ふふふ、こっぴどく負かされました」

 

「……妹?」

 

「ええ、妹がいるのですよ、私には。ただし不肖の……と呼んだ方が適当でしょうか。随分家を空けてしまっているので、今回の件は手早く済ませて戻らねばなりません」

 

 そして剣を抜いたまま、ゼノヴィアの横を通り過ぎる。

 凶器を手に持ちながら、しかしあまりに自然なその動き。もしも剣を振るわれたなら、まったく気づかず両断されていただろう。

 どっと冷や汗が噴き出す。

 

「何をしているのですか? ゼノヴィアさん。敵が来たようですよ。さあ、戦いの時間です」

 

 そう告げる彼の笑みは、どこまでも冷たい刃のようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

 漆黒の夜に涼しげな風が吹く。

 駒王学園グラウンド。曇天の空では月光も星の光も地上へ届かず、ただただ見通しの悪い闇だけが広がる。夜目のきかない人間ならば、明かりが無ければ歩みもおぼつかないほどだ。しかしこの場――学園に集う者たちはその大半が闇の住人、魔に属する存在である。故に敵の姿をはっきりと視認することができた。

 

 一誠を除くグレモリー眷属と匙を除くシトリー眷族たちが囲む中、緋色の刃を携えて闇から現れたのは暗色の外套を身に纏う人影だった。

 肩幅の小ささからおそらくは女性と思われた。フードを被っているため顔までは窺えないが、雰囲気からして歳は若いように見える。

 

「あれが『黄昏の牙』……」

 

 前衛組の後ろでリアスが呟く。

 初めて見た緋色の刃は宝石のように美しく、しかし奈落のような底知れない恐ろしさを纏っている。純血の上級悪魔として、本能が恐怖を訴えているのだ。握ってもいない手の平に汗がにじむのを感じた。

 

「……あの恰好、確実に一般人じゃありません」

 

 人物を見て、小猫が分析する。

 相手が纏う外套は魔法的な力を発している。確かにこの町は異能を持つ者も多い。おそらくその一人を捕まえたのだ。あの装備がどういった効果を持っているかまではわからないが、警戒する必要があるだろう。

 

 太刀の持ち主は静かに歩みを進め、こちらに近づいてくる。

 それに相対するのはアーサー・ペンドラゴン。濃密な闇の中、緋剣と聖剣が放つオーラの輝きが狭く周囲を照らしている。

 

「ふむ、これは……」

 

 剣を構えつつ、何やら考え込んだアーサーは困った表情を見せる。

 どうしたのか、と一同が思ったその時、太刀の持ち主が剣を握っていない方の腕を前に差し出した。

 籠手に覆われたしなやかな指先が、素早く曲げられる。

 

「皆さん。出来ればでいいので、躱してください」

 

 この場でアーサーの言葉を認識できた者は半分。その意味を理解した者はさらに半分。

 次の瞬間、夜闇を無数の銀糸が斬り裂いた。

 

「……え?」

 

「なっ……!?」

 

「そん、な……」

 

 舞い散る鮮血。

 飛来した斬糸は極細、夜目のきく悪魔すら光無しには見切れない。さらに無音、そして疾風の速度で飛来したならば、ただそれだけで回避できる人物は限られた。

 リアスもソーナも朱乃も椿姫も、皆立ったまま動かない。いや、動けないのだ。全身に巻き付き肉に食い込んだ退魔鋼糸が、彼女たちの身体機能を特殊な術法で封じていた。傷を受けつつも凌いだのはゼノヴィア、木場、小猫、巡の四人のみ。

 信じられないことに、相手の動作一つでメンバーの大半は戦闘不能になってしまった。

 

「どうにも来るのが遅いと思っていたら、なるほどこれを仕掛けていたのですね。対鬼神用の封殺鋼糸を用いた糸の結界、陰陽隠密が退魔鋼糸術……ですか」

 

 多くが倒れる中、アーサーだけは無傷で佇んでいる。その剣腕と聖剣の力で迫る銀糸を全て捌いたのだ。

 

「しかし、誤算だ。これでは協力を求めた意味も……まあいいでしょう。どちらにしろ予定に変わりはない」

 

 アーサーは静かに相手へ歩み寄る。太刀の持ち主も己が刃を構えた。

 高まる剣気が臨界点に達したその時、両者の姿はゼノヴィアたちの前から消失した。

 

 ぶつかり合う風と風。地上だけでなく皆を斬り裂いた糸の結界を足場にして、地を空を、激しい火花が流星のように駆け巡る。

 空中を交差する一瞬でいったいどれほど多くの刃を交えているのだろう。巡の目を以ってしてやっと追える速度と技量は、まさしく次元が違う。地が割れ、木々は倒れ、オーラの余波で校舎に深い斬傷が刻まれていく風景は、とてもこの世のものとは思えない。

 

 どうやら妖刀が新たに得た担い手はかなりの実力者であるらしい。桐生が使っていた時とは比べ物にならない力を発揮している。

 援護? 介入? そんなことは不可能だ。これはゼノヴィアたちの手に負える事態ではない。

 

「……ここはいったん彼に任せて、僕たちは仲間の救出をしよう」

 

「そう、ですね。アーシア先輩がいれば、まだ立て直しがききます」

 

「それにしても、まさかこれほどだなんて……」

 

 木場の言葉に小猫と巡が動き出す。皆の表情は苦渋に満ちていた。当たり前だろう、脅威を前に何もできないことほど悔しいことは無い。

 しかしゼノヴィアは戦う二人の様子を見ながら困惑していた。

 

「鋼糸……鋼糸だと? まさか……」

 

 嫌な予感がする。

 鋼糸術は確かに修太郎も使える技だが、それを行うには相応の素養と厳しい訓練が必要だと言っていた。故に使い手は少ないと聞いたこともある。それをまるで手足のように繰り出せるあの人物はいったい何者なのか。そもそも、退魔鋼糸などという特殊な装備をどこで手に入れたと言うのだろう。あの妖刀が技を授けても、肝心の得物を持っていなければ話にならないはずだ。

 ゼノヴィアはその条件を満たす人物を知っていた。『彼女』はちょうど今日この町に戻ってくる予定だったからだ。

 

 剣を交える二人の衣服は、互いの放つ斬撃の余波で傷を作っている。

 桐生とは鍛え方が違うのだろう、剣の力を引き出してなお未だ影響を見せない太刀の使い手だったが、表面積が多い分アーサーのスーツ以上に外套はボロボロになっていった。

 とうとう、外套が全て剥がれる。そうして露わになったその素顔は――。

 

「イリナ……!」

 

 緋色の刃を握るのは、栗毛をツインテールにまとめた少女。晴明桔梗の紋様が入った隠密衣装に身を包む、ゼノヴィアの元相棒だ。

 外套が剥がれると同時、イリナは刀印を結ぶ。

 途端、宙を舞う外套の切れ端が闇色の霧と化す。おそらく外套には幻術が仕込んであったのだろう、イリナの姿は闇にまぎれて見えなくなった。

 しかし。

 

「逃がしませんよ」

 

 アーサーは素早い動きで移動し、何も無い空間に刃を一閃する。

 甲高い金属音と共に、緋剣を構えるイリナが姿を現した。彼はあの一瞬で幻を見抜いたと言うのか。

 

 素早く飛び退ったイリナは、追随するアーサーへと銀糸を放つ。

 退魔鋼糸は元より闇にまぎれやすい加工が施されているのだろう。ゼノヴィアの目では全く捉えることができない。人間であるアーサーからすれば尚更見えにくいはずだ。

 しかし斬撃の糸は青年を避け、周囲の大地を斬り裂くにとどまった。おそらくは支配の力で糸の軌道に干渉したのだ。

 故にイリナを追うアーサーは止まらない。

 

 アーサーの斬撃乱舞によって無数の聖光波が飛び交い、縦横全方向からイリナを包囲する。支配の力の応用技だ。

 隙間の無い包囲網に対し、イリナは超速の斬撃で対応する。脱力、そして瞬発の繰り返しは、まるで鞭のようにしなる刃となって迫る光波を消し飛ばす。

 その隙を突き、がら空きになった胴体にアーサーの剣先が走った。

 接近の速度が乗った鋭利なそれは、しかし相手に触れる直前で止まる。いつの間にか張り巡らされた鋼糸が聖剣の鍔部分を絡め取り、それ以上の接近を封じていた。

 

 しばし膠着する二人の剣士。

 イリナの指先に魔法力――法力が集まる。練り込まれた力が術として起動すれば、青白い炎が鋼糸の上を走った。陰陽法術が陽火――退魔呪法の火だ。

 疾走する火炎が暗闇を青白い輝きで照らす。糸の上を伝い、それは聖剣を絡め取られたアーサーへと迫る。

 それだけではない。炎の疾走はグラウンド全体に張り巡らされた糸の結界にも及んでいた。この糸はリアスたちの肉体に食い込んでいる。つまりイリナは――妖刀は、邪魔者と標的を同時に攻撃するつもりなのだ。

 

「この術……御道修太郎のものではありませんね。やはり、宿主の技能も扱えるのですか」

 

 アーサーが呟く。

 火から感じる脅威度はさほどでもない。おそらくは初歩の術なのだろう。弱い悪霊には効果てきめんでも、中級以上の実力を持つ悪魔ならば手の一振りで払える程度だ。

 しかし、食い込んだ糸から肉体内部に流し込まれれば話は別。瞬く間に致命的な猛毒となって身体を蝕むだろう。

 アーサーは聖剣の力を使って拘束から素早く剣を引き抜き回避した。だがリアスたちの方は――。

 

「くっ! 聖魔剣よ!!」

 

 純白の風が吹き荒ぶ。

 凍てつく波動と共に疾風は駆け抜ける。黒白の刃が吹雪を放ち、走る火種を弾き飛ばした。

 窮地を救ったのはグレモリーが最速の『騎士』木場祐斗だ。

 彼が手に持っている剣は吹雪を纏っている。氷と風、二種類の属性を融合させた聖魔剣の応用技だった。

 

「あ、ありがとう、祐斗……」

 

「……危ないところでした。しかしこの糸、聖魔剣でも斬れないなんて、いったい何で出来てるんだ……」

 

 礼を言うリアスに対し、木場の焦りは抜けない。

 依然としてリアスたちの脱出は叶っていなかった。不可思議なオーラを放つ鋼糸は、聖魔剣の鋭さを以ってしても斬り裂けないのだ。

 

「……聞いたことがあります。陰陽師の中には金属の糸などを用いて魔を封じ、そして討滅する使い手が存在すると。元来術師としての才能に恵まれなかった彼らは体術を磨くとともに、弱い魔法力で強敵を滅するための様々な方法を編み出したのだそうです」

 

 リアスの傍らに拘束されたソーナが口を開く。

 

「その技を、イリナさんが……?」

 

「暮さんの技かもしれませんが……どちらにしろ、この状況は間違いなく致命的です。もしもアーサー・ペンドラゴンが負け、木場くんたちが敗れるようなことがあれば、私たちは一人残らず滅ぶでしょう。早く脱出しなければ」

 

 驚くリアスと冷静に判断するソーナ。

 アーサーという抑えがなくなれば、次は木場たちだ。もしもそれすら突破されたなら、もはやイリナを――あの妖刀を止める術は無い。

 リアスたちも魔力を練ろうと抵抗を試みたものの、オーラが霧散してうまくいかなかった。ギャスパーも霧化を封じられているようで、絡め取られた者は誰一人抜け出せていない状況だ。

 アーサーとイリナの激突を窺いつつ、木場は背後に呼びかける。

 

「ゼノヴィア! そっちは?」

 

「ああ、もう少し……だっ!!」

 

 デュランダルの鋭利なオーラが繊維を削りきれば、アーシアを封じていた鋼糸が斬り裂かれた。拘束の糸がバラバラと落ち、闇にまぎれて見えなくなる。

 この場で鋼糸を断ち切れるのは、ゼノヴィアのデュランダルだけだった。流石は最強の切れ味を持つ聖剣と言うべきか、だがしかしながら作業は難航している。この鋼糸はたとえ糸の結界から切り離しても、対象に食い込んでる部分はそのまま残ってしまうのだ。

 聖剣、特にデュランダルクラスのものとなると、オーラだけでも悪魔にとって致命傷となる。常に莫大な聖なるオーラを纏うデュランダルでは、身体に食い込む糸だけを斬ることは至難の業だった。

 

「次は部長を。消滅魔力ならこの糸も何とかなるはずだ」

 

「ああ、わかった。くそっ……私がもう少しデュランダルを制御できていれば……」

 

「ゼノヴィアは良くやっているさ。出会ったころのキミなら、こうはうまくいかなかったと思うよ」

 

「そうならば、いいんだけどね……」

 

 そうしてデュランダルの刃をリアスに食い込む糸へと近づける。しかしオーラは安定せず、糸を削る速度にはむらが生まれていた。

 自分が集中できていないことを自覚する。理由は妖刀に憑りつかれ敵となったイリナ、そしてアーサー・ペンドラゴンにある。

 アーサーがイリナを倒すのか、それともイリナにアーサーが敗れるのか。彼女の目ではどちらに転ぶかわからない。しかしどちらであっても、ゼノヴィアにとって良い結果にはならないだろう。

 

 今は迷う時ではない。目の前のことを確実にこなさなければならない時だ。

 大きく深呼吸するゼノヴィアだったがしかし、胸の鼓動まで落ち着かせることはできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

 これは良い身体だ。

 太刀はそう思った。

 今現在、太刀が操るこの少女――紫藤イリナはとても良く鍛えられていた。

 瞬発力高く、それでいて柔軟。若干膂力には欠けるものの、太刀がもたらす技さえあれば前者二つで補える。霊力は水準以上、法力だって中々のものだ。鋼糸術のためか、全身の筋肉に力が行き届く。剣術一辺倒ではこううまくはいかない。

 強度自体もこれまでの者と比べて高い。当人の気質によるものか、芯から活力にあふれているのも良かった。これならば内功を練り気を巡らせ、大きな無理せずに剣技を扱える。

 大事にすればかなり長持ちするだろう。使える技自体は半分にも満たないが、これだけの逸材は中々いない。

 

 故に――。

 

「ぼ、僕の目が――視線が、斬られたぁ!?」

 

 半吸血鬼の悪魔が喚く。

 何のことは無い。邪眼から発せられた干渉力を斬り裂いただけだ。形を持たぬから斬れないなどと、いったいどこの誰が決めたと言うのだろう。この程度、驚くに値しない。

 しかしそれが隙となったのか、目の前の相手が放った刃に身体を弾かれてしまう。

 

「ふむ、これは手強い」

 

 そのまま追撃すれば反撃の刃を放ったものを、相手は聖剣を油断なく構えこちらの様子を窺っている。

 先ほどから厄介なのがこの男だった。本来であれば既にこの場の悪魔全員始末しているはずのところを、この男一人に阻まれている。

 そのおかげで、いつのまにか悪魔たちの半数以上は自由の身になっていた。

 

 しかし太刀は焦るという感情を持たない。あくまでも冷静に対処しようと行動する。

 まずは目前に立ちふさがっている『何かに憑りつかれた男』を倒すとしよう。

 

 刃を鞘に収め、腰を低く構える。

 居合抜刀術だ。

 刹那の間、全身を脱力。そして疾走へ移行。

 月緒流が幻惑の縮地によって、距離感を惑わしつつ接近する。特殊な足捌きは短距離ながら凄まじい緩急を生みだすがしかし、男はそれに惑う様子を見せない。

 やはり見抜かれている。

 だがそんなことはどうでもよかった。要は近づければよいのだ。

 

 柄を握る腕が動くと同時、解き放たれた刃は音速を超える。

 太刀の刃渡りは1メートル足らず。抜刀の開始は間合いと言うのにやや遠い位置だった。しかし放たれた斬風は鋼よりも硬く、太刀の鋭さをそのまま反映させながら男へと飛んだ。

 

 しかし男は見切る。虚ろな瞳をこちらに向けたまま、斬風を打ち消しつつ超音速の剣を己が刃で受け流した。

 疾走の幻惑に惑わず、斬風を見切り、あまつさえ流すとは。凄まじい技量だ。称賛に値する。まさか初見でこれを凌げるとは思わなかった。

 

 だがしかし、鈴鳴る刃は既に届いた。

 

「――ッ」

 

 男は素早く飛び退るも遅い。

 傾げた頭の右側面が大きく裂け、鮮血を撒き散らす。

 この攻撃の本命は抜刀斬撃でも斬風でもない。

 『音』である。

 刃を抜きはらう際発生した音を圧縮、指向性を与え、音速の刃として放ったのだ。

 

 音の刃は指向性を持つが故に前兆をほとんど持たず、届く直前まで並の者には感じ取れない。感じ取れたとして、もはやその距離では回避不可能な状況となっている。つまり刃鳴りを聞いた瞬間、その者は既に斬られている。

 

 この技は月緒流でも、ましてや他の流派でもない。当時15歳の御道修太郎が魔人を打倒するべく考案した、我流剣法の一つである。

 超音速の抜刀と広範囲を薙ぐ斬風という回避至難の二段構えだけでは飽き足らず、遅れてやって来る音の刃が成す三段構えの魔技だった。

 

 完全に凌いだはずなのに何故――男に生まれたわずかな困惑、その隙を突いて銀糸を放つ。手足を封じ、全身を拘束し、札を穿った棒手裏剣で大地に縫い付けた。

 この退魔鋼糸は大鬼神・両面宿儺の頭髪が使われた特一級品だ。現代最強の陰陽師でもある神降ろしの巫女が手ずから込めた封魔の術によって、たとえ上級の魔物だろうと一度絡まれば逃げ出すのは容易ではない。

 もはや動けぬこの男だが、駄目押しに術を放つ。瞬く間に青白い炎が走り、男は火に包まれた。

 

 これでいい。

 こちらの消耗も軽くはなかったが、最大の障害は去ったのだ。

 己が身に込められた念に従い、太刀は疾走を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

 最悪の結果だった。

 桁違いの戦闘力を見せる紫藤イリナとアーサー・ペンドラゴンの戦いは、理解できない刹那の応酬で決着がついた。ついてしまった。

 ここから先、リアスたちは己の身を己の力だけで守らなければならない。一見当たり前のそれが、今ではとてつもなく難しいことのように思えた。

 

「……僕が先行します。隙を作るので攻撃を」

 

 木場の剣が形を変える。美しく反った片刃の聖魔剣――『閃空刀(フラッシュ・ウィンド)』だ。

 次の瞬間、一陣の風を残して木場の姿が消失した。

 

 直後、激突する鋼と鋼。

 イリナは木場の神速剣を難なく受け止めていた。

 そして始まる剣戟の舞。

 上下左右四方八方、風と駆ける木場は鎌鼬を生み出しながら果敢に攻め立てる。鋭利な嵐は相手を包囲し、糸を放つ隙を与えない。

 だがそれだけだ。

 

(やはり、防がれるか……ッ!)

 

 巡巴柄の時と同じ、いやそれ以上。

 桁違いの反応速度が閃空刀の斬撃を悉く受け流す。鎌鼬すら掠りさえしないことを考えれば、相手の技量は想像を絶するものだ。

 おそらくこれが妖刀――否、暮修太郎が持っている力なのだ。

 

 そしてその刃を見て思う。

 身の毛もよだつ、というのはこういうことなのだろう。

 使い手ではない。妖刀そのものが自分たちを殺そうとしている。そのことがはっきりわかるのだ。

 研ぎ澄まされた殺気は死を幻視するほど深く濃く重い。オーラの色はこれ以上ないくらいに無垢で純粋、美しいとさえ言えるのに、恐ろしさしか感じなかった。

 火に触れれば火傷するのと同じく、あれに斬られれば死ぬしかないと確信を持って言える。

 

 あれはこちらに何の悪意も持っていない。欠片の興味も無いだろう。

 だが殺す。死ねと告げる。

 それが使命、それが存在意義とでも言うかのように。

 無慈悲にして無感情、しかし極めて強い指向性――これは、機械の殺意だ。

 だからこそ恐ろしい。あれは絶対にこちらを逃がしてくれない。

 故に、ここで止めなければ。

 

 リアスたちは援護のタイミングを計りながら戦いの光景を眺めた。

 目の前には果敢に攻め立てる木場の姿。霞む速力は彼の全力、傍目には背後に下がるイリナが圧されているようにも見えた。しかし実態は逆、まさしく大人と子供の戦いだ。

 

 旋風纏う斬撃に、イリナは片手で袈裟薙ぎを繰り出す。木場の刃がそれを迎え撃った。

 

「ダメだ木場ッ! その剣は消える!!」

 

 ゼノヴィアの口から出たのはそんな言葉だった。

 直後、聖魔剣と緋剣が交わる。彼女の予告通り、イリナの剣は消失した。

 

「なッ……!?」

 

 否、交差の瞬間手首を曲げることで剣を引き戻し、木場の斬撃を躱したのだ。

 柄の半ばを緩く握った手の平は、その動作によって鍔方向にスライド。間を置かず行われたスナップで斬撃を加速させるとともに、握りを柄頭へ移動させる。伸びた間合いの分だけ身体を後ろに下げれば、刃の長さを保ったまま相手の剣を躱すことができる。相手からすれば、消失した刃が再出現したように見えただろう。

 柔軟かつ強靭、正確無比な手首の操作がそれを成す。

 月緒流が対人剣技、『霞昇星(かすみしょうじょう)』。

 

 後ろへの動きを交える関係から、この技は受け手に回ったときでなければ使用できない。

 動作のタイミングは極めてシビア。才ある剣士すらこの技一つ習得するのに一生涯を懸けることになる難易度の絶技だ。

 

 ゼノヴィアの忠告が功を奏したのか、それとも彼自身の尽力によるものか、木場は緋剣の一撃を辛うじて凌ぎ、何とか命を拾うことに成功する。

 ただ、無傷では済まない。左肩が大きく斬り裂かれ、鮮血をほとばしらせる。

 

「ぐっ……が……ッ!!」

 

 苦痛に顔を歪める木場。

 傷口から身体全体に冷気が駆け巡り、魔力を霧散させようとしていた。心はまだ戦えるのに、身体が言うことを聞いてくれないのだ。思わず意識が飛びそうになるが、何とかこらえる。

 致命的な隙を作る彼を助けたのは、己が主たちによる支援砲火だった。

 

 消滅魔力の弾丸が、黄金色の雷撃が、氷雪水撃の弾幕が、雨のように降り注ぐ。

 その危険度がわかったのだろう、イリナは木場への追撃よりも自身の防御を優先した。緋色の軌跡が攻撃の雨を駆逐していく。

 

 半ば予想していたとはいえ、その光景はリアスからすれば堪ったものではない。

 母方の血族、大王バアルから受け継いだ消滅の力は、名の通り『滅び』そのものだ。当たれば必ず何かを削る、攻撃としては最強クラスの特性を備えている。

 あの刃はそれを前にして、完全に立場を逆転させていた。

 朱乃の雷光や卓越したソーナの攻撃のみならず、消滅魔力すら逆に消滅させるほどの力、そのような魔剣・妖刀など聞いたことが無かった。

 

「いったい何だと言うの……?」

 

 思わず苦い表情になる。何故自分たちの前にやって来る敵はこうも強い者ばかりなのか。

 妖刀に操られた紫藤イリナはこちらを一蹴するほどの使い手になっている。殺す気でかからねば瞬く間にやられる可能性が極めて高い。

 自分たちの敵は妖刀だ。できることならそれは避けたいが、そうも言ってられない状況がここにある。

 

 鋼糸からの脱出もシトリー眷族はソーナだけしか済んでいない。絶望的な状況であるが、逃げるわけにはいかなかった。つくづく、一誠を冥界のグレモリー領に送っておいて良かったと思う。

 

 イリナを場に釘づけるべく魔力を振り絞るが、長くは続かないだろう。少しでも力を緩めれば、即座に突破される確信があった。

 そう考えた直後、緋色の旋風が爆撃を突き破る。無数の斬風を重ねて放った刃の嵐は、大地を抉りながらリアスたちを飲み込まんと迫る。

 

「くそっ!!」

 

 デュランダルの波動がそれを打ち砕くが、元より敵の本命はそれではない。

 爆撃に空いた穴から紫藤イリナが駆け抜ける。

 

 巡がそれを迎え撃つ。魔力を強め、相手を殺す気で刀を振るう。

 しかし彼女の剣は精彩を欠いていた。昼間穿たれた肩はアーシアの力で完治しているが、霊体の方は未だ傷ついたままだったのだ。

 駆ける緋剣が日本刀を両断すると、鮮血と共に巡は倒れた。

 

 イリナの足は止まらない。

 水と氷の壁を斬り裂き、雷撃網を霧散させ、消滅魔力を塵に変えながらリアスたちに迫る。

 その光景は全く以って出鱈目に過ぎた。何せ傷つき爆散する大地を、刀片手に少女が走ってくるのだ。

 

 イリナの――妖刀の狙いはリアスにあった。彼女が持つ滅びの力を最も大きな脅威と見なしたのだ。

 アーシアが防壁を重ねて城塞が如き壁を作るが、紙のように引き裂かれる。ギャスパーが再度の時間停止を試みるも、切っ先が邪眼の力をかき消した。

 背後に置き去られた木場が、聖魔剣より炎の嵐を放つ。一瞥すらされず、振りぬかれた刃が熱ごと炎を断ち切った。

 これほどの手を尽くしてさえ、止めるどころか相手の進路を変えることすら出来ない。気付くと、緋剣はリアスの目前にまで迫っていた。

 

 それを阻んだのは小猫だ。

 リアスの心臓を目指す刀身に横から蹴りを入れた。そうして初めてイリナの足が止まる。

 だが今度は返す刃が小猫目掛けて走る。最小にして最適、一切の無駄なく駆け抜ける一閃が、少女の正中線を両断するべく下方より襲い掛かった。

 

 そこに振り落とされるは青の聖剣デュランダル。

 鋭利なオーラとオーラの激突が、周囲の空気を大きく震わせた。

 

「イリナ……ッ!」

 

 無言のイリナは素早く腕を切り返し、ゼノヴィアに斬りかかる。

 腰を深く据えたゼノヴィアは、体重移動を駆使してそれら全てを捌ききった。余裕は全く無い。全てギリギリの対応だ。冷や汗が頬を伝うのを実感する。

 

「離れてくれ! イリナの相手は私がする!」

 

 言葉を放った直後より、剣戟の応酬が始まる。

 ゼノヴィアの身の丈に匹敵するデュランダルの間合いは、妖刀よりもはるかに大きい。自分の距離を保っていれば、相手の刃が届くことは無いはずである。

 しかし相手は斬撃を飛ばす術を持っている。だがそれはアーサーがやっていたように聖剣のオーラで打ち消すことが可能だった。

 

(間合いを保て、武器の長所を活かせ)

 

 一歩でも踏み込まれれば喰われるのはこちらだ。

 膂力で勝る状況であれば、力押しは決して悪手ではない。大剣の重さで振るわれる剛剣の一撃一撃が、イリナの刃を大きく押し返す。それによって生まれた動きの空白が、相手の攻撃機会を減らしていた。

 

 修太郎の剣は嫌になるほど受けている。その一瞬一瞬を、頭ではなくゼノヴィアの身体は覚えていた。見切れなくとも感覚で予想はできる。

 確かに妖刀は超絶の剣技をもたらしてはいるが、修太郎の才能を全て与えているわけではない。彼の化け物じみた対応力を、今のイリナは持っていないのだ。

 ゼノヴィアに勝機があるとすればそこだった。妖刀が致命的な技を繰り出す前に畳み掛けなければならない。

 毎日の訓練を思い出せ。集中しろ、もっと強く、もっと速くできるはずだ。

 だが及ばない、全て凌がれてしまう。

 

 アーサーの言葉が頭をよぎる。

 修太郎に勝つには修太郎に無いものを使うことだと、彼は言った。

 

(デュランダル……!)

 

 斬撃の権化、デュランダル。

 長い付き合いになるが、未だに使いこなせないゼノヴィアの聖剣だ。

 今こそ力を貸してほしい。そう願う。

 イリナをここで止められなければ、この場の全員は皆殺しだ。そんなこと彼女にはさせられないし、させてはならない。何よりもゼノヴィア自身がそうしてほしくないと思っている。

 

 ならばどうするか。

 斬るのだ。あの妖刀を。

 

「うおおおおおおっ!!!」

 

 渾身の膂力を込めて緋剣を弾く。

 その隙を突いて一歩下がり、大上段に振りかぶった。

 剣を弾かれたイリナも、腰を落として抜刀の構えを取る。

 そして、両者ともに脱力。

 

 合図は無かった。しかし撃発は全くの同時。

 超音速で鞘走るイリナの一刀に対して、ゼノヴィアが放った剣は確かにその時雲耀の領域にあった。極限に達したデュランダルの切れ味が、あらゆる抵抗を斬り裂いたのだ。

 

 交差は刹那、遅れて轟く爆音が余波と共に空気を震わせる。

 オーラの激突が旋風となり、砕ける大地、捲れ上がる地表が視界を塞ぐ。

 互角のぶつかり合い。はたして、勝者はどちらとなったのか。

 

「――あれは……!」

 

 空へ退避したリアスたちは、宙を舞う緋剣を見た。

 イリナの手に、もはや妖刀の姿は無かった。ゼノヴィアは勝ったのだ。

 

「やっ、た……!」

 

 自分の全てを出し切った感覚が脱力感としてゼノヴィアに降りかかる。一つ壁を超えたという、その実感があった。

 目の前には静かに佇むイリナの姿。

 イリナはゼノヴィアへ手を差し出した。

 

「イリナ――」

 

 その手を取ろうとした瞬間、違和感に気付く。

 イリナの指先からは鋼糸が伸びていた。はるか天へと、蜘蛛の糸のように。その先には、空中に制止する緋剣があった。

 

「イリ、ナ……」

 

 呆然と、そう口にするのが精いっぱいだった。

 彼女が指を素早く曲げれば、まるで流星の如く刃が落ちてくる。

 ゼノヴィアは勝ってなどいなかった。これもまた、妖刀の術中であったのだ。

 迫る緋剣を止めるものはない。ゼノヴィアにも躱すだけの力は無かった。

 これで終わりか、と目を閉じようとした。

 その時だった。

 

 

 

 

「目を閉じるな、前を見ろゼノヴィア」

 

 

 

 

 低く平坦な声が耳に届く。

 傍らを風が駆け抜ける。

 緋剣を弾く銀の閃光、鮮やかなその軌跡はゼノヴィアが憧れた力強い刃だ。

 広い背中が、少女の目前にあった。

 

「よくやった、あとは俺が請け負おう」

 

 鍛え抜かれた長身痩躯、纏う空気は刃の鋭さ、その眼差しは猛禽類を想わせる。

 

「――師匠……!」

 

 男の名は、暮修太郎。欧州最強にして日本最強の剣士である。

 

 

 




大変お待たせしました、更新です。

愛刀のやりたい放題。そんな話。

陰陽隠密の人たちは基本的に対妖怪の斥候などを担当する裏方ですが、戦闘においては身体の中に直接術をぶち込んだり滅茶苦茶えげつない戦い方をします。鋼糸は硬い相手に効きづらいので、知恵ですね。
イリナ=サンは京都でそういうのを学びました。

次回、色々と決着。


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第五十話:緋色の記憶

 修太郎は刀の切っ先を相手に向け、構えた。

 到着と同時に鋼糸の結界は全て両断している。拘束されていた者たちは全員解放されたはず。後ろを気にする必要はない。

 張り巡らされていた結界技を修太郎は知らない。これはおそらくイリナの技だろう。どうやら順調に実力をつけているようだった。

 

 そのイリナだが、先ほどから動かない。虚ろな瞳でこちらを見つめたままだ。

 

「師匠、なぜここに……?」

 

「アザゼル殿から連絡があった。間一髪だったな」

 

 ゼノヴィアの問いに振り返らず答える。

 斬龍刀によって弾かれた緋色の刃は、既に少女の手の中へと納まっている。修太郎は表情を変えず、しかし憐れむような瞳で己が愛刀だったものを見た。

 煌めく刃は美しく、帯びるオーラは極めて鋭い。修太郎が感じるのはそれだけだが、おそらく異形の者から見れば凶悪なまでの殺意を迸らせていることだろう。

 刃から滲み出る圧倒的密度の退魔力は、かつて修太郎が纏っていた力――月緒流『降魔剣』の技によるものだ。

 

 生命の根源たる闘気を伝達媒体として、使い手の念を刀剣へと込めるこの技は、月緒の退魔剣士が修める奥義である。

 念とは想い。強い望みが生む、意志の力のことだ。セイクリッド・ギアを稼働・進化させる力と言えばわかりやすいだろう。

 月緒の退魔剣士は常軌を逸した鍛錬の末、これに攻撃的な指向性を与えることで、あらゆる人ならざる者に有効な力――降魔念を体得している。

 

 太刀に宿る力の正体とはそれだった。

 当時の修太郎にとって、立ちはだかる異形は何であれ全て敵でしかなかった。だから刃に込めたのだ。『滅びろ』あるいは『死ね』と。

 歴代最強の月緒たる修太郎の降魔剣は、また歴代最強。正真正銘の神魔両断を成す、人外殺しの呪毒である。生半可な器では到底耐え切れる質量ではない。実際、今までに百近い数の霊刀を使い潰している。

 

 しかし、緋緋色金の太刀だけは別だった。

 あの太刀に使われている神鉄・緋緋色金は無垢なる鋼だ。

 金剛石よりも遥かに硬くありながら強靭で、長い時を経ても決して劣化せず、極めて高い霊的伝導性を誇っている。神々の武具や祭器にも用いられるこの超金属は、その性質を如何なく発揮して修太郎の莫大な念を余さず受け止めていた。

 その結果がこの騒ぎを引き起こしたのだとすれば、あれはまさしく。

 

(……過去の俺だ)

 

 かつて万を超える人外を斬り裂いて来た御道修太郎の形。それが目の前にあった。

 ならば自分が止めなければなるまい。

 修太郎は一歩踏み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 見つけた。

 その男の存在を感じた瞬間、太刀の思考によぎったのはそんな言葉だった。

 

 ――日本には『付喪神』と呼ばれる観念がある。

 これは森羅万象に神々が宿るという考え方であり、生物非生物問わず永い時を経てなお存在するものに霊性・神性を見出す信仰だ。

 その対象はまさしくこの世の全てに及び、山河などの地形や長く使われた器物、古い大木、猫や狐などの動植物まで千差万別。土地を司る神霊――土地神の他、猫又や九尾の狐といった妖怪も、元は付喪神としてこの世に生まれたものであると考えられている。

 発生の原因として、動植物の場合は長命による霊気・妖気の獲得が挙げられ、器物の場合は蓄積した想念による霊魂の発生がある。

 

 緋緋色金の太刀は、とある計画にて生み出された聖剣の失敗作である。生まれてからの長い時を宝殿の中で過ごしてきたため、修太郎に与えられるまで一度も使われたことが無かった。

 故に太刀に込められた想念は、全てが彼――御道修太郎のものだった。

 注がれた念はあらゆる人外に対する冷徹な排除の意志。すなわち、殺意。

 祭器でもなく芸術品でもなく、ただの人斬り包丁としてでもない。其はあらゆる人外を斬り裂く刃であると、彼がそう望んだ。だから己はそうなったのだと、太刀は考えていた。

 

 この身に焼き付いた念は彼のもの。記憶されたあらゆる技は彼のもの。

 ならば、この身は彼のもの。

 

 ドワーフの工房にて大量の魔法力を浴び、意識を覚醒させた太刀はそう思った。

 彼がいなければ己は完成しない。彼は己の半身であり、己は彼の半身である。故に、彼の存在を求めた。

 本能に準じて魔を斬りながら、世界を巡り彷徨うこと幾月、そして遂に再会した。

 

 悪魔に止めを刺そうとしたその時、目前に現れた一人の男。

 長身痩躯に鋭い瞳、何よりも自分と同じオーラを持つ存在を間違えることなどありえなかった。

 

 何故彼が悪魔を背にして己の前に立ちはだかるのか?

 そのようなことなど些細な問題だ。彼にこちらと争う理由など無いはず。

 さあ自分を使え。柄を握り、思うがままに振るってほしい。そうすれば、この刃はありとあらゆる障害を斬り伏せることができるだろう。

 

 再会の歓喜を思念の波に乗せて発するも、目の前の彼は白銀の刃を構えて微動だにしない。

 太刀の予想に反してとられた完璧なまでの臨戦態勢は、敵に向けるそれだった。

 

 刹那、虚空を銀の閃光が走る。

 突然の急襲。辛うじてそれを捌くと、透き通る鈴鳴りが響きわたった。そのまま剣舞に移行する。

 同じ動きと太刀筋ながら、より洗練された動作は一挙一動が霞むほど速く、それでいて正確無比。絶え間なく変化する刃の軌跡はまさしく千変、その超速も相まって、斬撃が無数に枝分かれしているようにも見えた。

 互いの刃を受け流す擦過音は、わずかな火花の美しい輝きと共に鋼の歌声を奏でる。それはとても幻想的な刃の交わりだった。

 

 何故だ。

 太刀は困惑する。

 こちらに交戦の意志は無い。己こそあなたが振るうべき刃なのだ。

 そんな程度の低い剣など捨てて、我が刃を以ってこの場の悪魔を滅ぼし尽くそう。

 これまでもそうしてきただろう?

 これからもそうするのだろう?

 

 思念波を送るが、拒絶される。

 こと彼にだけは太刀の精神干渉が全く通用しなかった。何せこの能力の成否基準は『御道修太郎』の精神強度。当の本人を前にしたとなれば、直接柄に触れたとしても効果は望めないだろう。

 ましてや今の太刀は力を削られていた。

 強大な退魔力を持つ太刀だったが、その力は当然無限ではない。

 聖剣にしろ魔剣にしろ、器物である以上担い手の意志がなければ全力を発揮できない。担い手そのものを操る太刀は、時間経過以外で自らの力を回復する術を持たなかった。だからこそ、消滅魔力でこちらの力を削ってくるリアスを優先して狙おうとしたのだ

 

 実のところゼノヴィアによって弾き飛ばされた時点で、太刀は未だかつてない窮地に陥っていた。デュランダルの莫大な威力は、太刀から相応のオーラを消耗させていたからだ。このミスは今まで短時間の戦闘ばかり繰り返してきた影響だった。

 紫藤イリナを操る精度も落ちてきている。敵に囲まれた状況でこのまま戦い続ければ、活動続行すら危うい。しかし、真の担い手足りえる男は己を握ってくれないどころか、こちらの力を確実に削ってくる。

 

 距離を空けなければならない。しかし、そのような隙は微塵も無かった。

 こう動けば数手後に斬られる。こう斬りかかれば数手後に詰む。彼我の動きから導き出せる戦闘結果のシミュレーションは、全てがこちらの敗北を知らせるものだ。

 技量、経験、身体能力――あらゆる要素において目の前の彼は上を往く。傍目には互角に見える応酬も、全てが彼主導の催しに過ぎない。当たり前だろう、太刀の戦闘力は所詮彼のデッドコピーでしかないのだから。

 空間を錯綜する攻撃の意志が、まるで檻のように紫藤イリナと太刀を閉じ込める。こちらの処理能力ギリギリで放たれる斬撃は、確実に太刀から力を奪っていく。

 ここまでくれば間違いない。彼は太刀の活動停止を狙っているのだ。

 

 何故だ。

 自分はあなたの敵ではないのに。

 何故、何故、何故――。

 

 彼の警戒を解かなければ。今現在、周囲の悪魔どもは様子見に徹しているようだ。やるなら今だろう。

 どうすればいいのか紫藤イリナの記憶からアイディアを探し出す。時間が無いので簡潔に、そしてストレートにこちらの意向を伝えられるものがいい。

 時間にして数秒、太刀はその方法を見つける。

 あとはそれを実行に移すだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 微睡みの靄の中、誰かに運ばれている。

 霞む意識で紫藤イリナはそれを認識した。

 

『受け取りましたか?』

 

 かかった声は、知らない女性のもの。

 

『ああ。少し堅苦しかったけど、ちゃんと受け取ってきた。作法も問題なかったと思う』

 

 頭上より降りてくる声は若い男のものだ。

 両方とも知らない声だった。いや、男の方はわずかに聞き覚えがあるような気がする。しかし顔は思い浮かばない。

 突然、視界が開ける。光がイリナの視覚に届くと、スーツを着た黒髪の女性が見えた。

 

(……誰?)

 

 全く覚えのない人物だ。長身に鋭い目つき、長く伸びた髪の毛は結われ、一つに纏められている。

 整った容貌で睨むようにこちらを見つめ、口を開く。

 

『確かに純正緋緋色金の太刀、これならばあなたの剣も存分に振るえることでしょう。くれぐれもぞんざいに扱わぬよう気をつけなさい、御道修太郎』

 

『了解した。出来る限り頑張ってみよう』

 

 イリナの視点に若い男――御道修太郎と呼ばれた少年の姿が映る。

 

(……………誰?)

 

 それはイリナの知る彼ではなかった。

 黒髪黒目、その目つきはやはり鋭く、しかしどこか眠そうだ。ぼんやりとした無表情は緊迫感の欠片も発しておらず、かつて感じた刃の気迫と一致しない。それでも『暮修太郎』の面影が確かにあった。

 イリナが知らないのも当たり前の話、目の前の彼は若いころの姿なのだ。

 はたしてやる気があるのか無いのか、何とも判然としない修太郎の返答を聞いて、女性の眉間にしわがよる。

 

『……宗家がそれの使用を許すのは、あなたが刀を壊し過ぎるせいで資金が無駄になるからです 。そのことを良く自覚なさい。……行きますよ』

 

 冷静な、しかし険のある口調でそう言うと、踵を返して遠くに見える大きな門へ歩み去っていく。

 

『すまない、まってくれ』

 

 修太郎は慌てて少女を追いかけようとする。

 しかしその前に少年はイリナを見つめた。

 そこで初めて気付く。

 イリナは、緋緋色金の太刀だった。

 

『これからよろしく。長い付き合いになればいいな』

 

 その顔がわずかに、しかし自然な動作で微笑んだ。

 

 

 ――暗転する。

 

 

『お前が御道か? 何だ、案外若いな。まあ、子供にはとても見えんが。俺は久藤ってんだ。よろしくな』

 

 大きな屋敷の前で大柄な剣士が快活に笑う。

 修太郎は彼と京都に潜む狂い鬼の討伐を行った。

 

『――とても大きな魂……あなたが御道修太郎さま? (わたくし)、土御門水守と申します。あの、道中よろしくお願いしますね』

 

 場所は変わって山の入り口。小柄な白髪の少女巫女が、修太郎を見上げて一礼する。その瞳は盲目だった。

 修太郎は霊山にて儀式を行う彼女の護衛を務めた。

 

 さらに場面は変わる。

 京都の街に退魔師が集まる。魔人討伐部隊の結成である。

 真羅、姫島、童門、櫛橋、そして百鬼。五大宗家の強力な術者が揃い踏み、土御門の陰陽師が音頭を取る。陰陽隠密の頭である雲居老人もそこにいた。

 修太郎も月緒の退魔剣士として黒髪の女性と共にその場に立つ。女性はどうやら月緒一族より派遣された随伴の術師であるらしかった。会話を聞く限り、まだ退魔師として知識の浅い修太郎に対する教師役でもあったのだろう。

 年相応に疑問を尋ねる彼は、イリナの目に新鮮に映った。

 

 戦うたびに修太郎は強くなった。それにつれて纏う雰囲気は鋭く研ぎ澄まされ、顔立ちも精悍なものとなっていく。

 退魔剣士として皆の前に立ち敵を圧倒するさまは、まさしく英雄と呼ぶにふさわしい。

 この時、修太郎はまだ15歳。誕生日を龍退治に費やした、中学三年生である。

 

(………?)

 

 流れるように繰り広げられる光景はおそらく、刀の記憶なのだろう。

 なぜこのようなものを眺めているのか、イリナにはまるでわからなかった。

 意識は微睡の中ではっきりとせず、流れに身を任せるしかない。

 

 

 ――暗転する。

 

 

 次に目にしたのは、蒼い炎と赤い霧。

 緋色の鋼が閃けば、血潮が弾けて蒼く燃える。疾風迅雷。真紅の霞を突き抜けて、斬る、斬る、斬る。

 絶叫し逃げ惑う妖魔の群れ、その間を縦横無尽に駆け抜けた。

 

(え?)

 

 その光景を見て、イリナは愕然とした。

 修太郎の手の中で光のように過ぎ去る風景は、激しい戦火に包まれている。しかしながら、異形の屍は一つたりとて存在しない。降魔の刃が魔の存在を完全に消滅させているからだ。

 そこに死体があるとすれば、それは全て人間だった。見るも無残なその眺めは、伝え聞く地獄を想像させるほど凄惨だ。

 魔人との直接交戦、その初回。たくさんの人が死んだ。圧倒的な敵の実力に、土御門の陰陽師たちも五大宗家の術師も対抗することは叶わなかった。

 

 イリナ――緋緋色金の太刀が振るわれるたびに、刀身に彼の想いが満ちる。

 ひたすら真っ直ぐ、ひたすら純粋に、斬滅の念が注がれる。

 総身の蒼炎がその勢いを増すと共に、少年の速度は物理法則を置き去りにした。

 

 そうして何もかもを超えた先――屍の山、その上に一人の男が立っている。

 暗影の外套と、闇色の軍装。黄金の邪眼光を宿すは、陰陽魔人大邪仙。

 狂笑する魔人の剣が、黒髪の女性を貫いていた。

 

 絶望は慟哭に、次の瞬間憤怒となり、憎悪を超え、純粋な殺意が迸る。

 魔人、死すべし。

 負の感情は刹那の間に降魔の念へと昇華され、目前の敵目掛けて奔った。

 

 戦場が燃え上がる。太陽の業火が降臨する。

 閃光が眩く視界を塞ぎ――。

 

 

 ――暗転する。

 

 

 深夜。山奥の儀式場に大勢の者が集まっていた。狂気に目を染め、一心不乱に何かへ祈りを奉げている。

 外道の儀式は最高潮、祈る者たちの魂が天へと上り、直後に地へ堕ちる。

 

 大地が激しく振動し、山が割れた。

 月夜を背にして浮かぶシルエットはひたすらに巨大。両面の大鬼神、飛騨の宿儺鬼だ。

 直後、場を幾重にも光の檻が囲み、大鬼神を封じ込める。数百人からなる特別部隊が結界を張ったのだ。

 大鬼神の頭上に浮かぶ魔人が言葉を紡げば、両面宿儺が動き出す。

 

 それを迎え撃つのは修太郎だ。全身に退魔の闘気を纏い、両面宿儺に突貫した。

 両者の死闘は五日間続いた。天をも衝こうかという巨体と、2メートルに届かない人間が演じる互角の応酬は、まるで現実味が無い。少年の手の中で、イリナはただただ驚くばかりだ。

 

 死闘を制した修太郎は、もはや死に体だった。

 それでも彼は、また一つ強くなった。

 

 

 ――暗転する。

 

 

 ――暗転する。

 

 

 ――暗転する。

 

 

 場面が変わるたびに、犠牲を乗り越えるたびに、修太郎は強くなる。

 血を流せば技が研ぎ澄まされ、骨を砕かれれば意識は先鋭化していく。常人ならとっくの昔に壊れてもおかしくない環境を、しかし修太郎は耐えてしまった。隔絶した才能と精神力が、それを許したのだ。結果、彼の強さは人でありながら人外を超える。

 かつて太刀に微笑んだ少年の姿はもはや無く、ここにいるのは完成された月緒の剣士。

 

 そして、最後の戦い。

 

 

 

 ――暗転する。

 

 

 

 そこでイリナは目を覚ました。唐突な覚醒に意識が驚き、目の前の光景にまた驚く。

 イリナは戦いの真っ只中にいたのだ。

 相手は暮修太郎。迫る白銀の猛攻を、緋色の剣閃が捌き凌ぐ。

 

「――え!? ……えぇっ!?」

 

 驚愕の声を上げるも、身体は止まらず勝手に動き出す。

 これは太刀の記憶ではない。質感も空気も完全に現実世界のものだった。イリナはここで初めて、自身の肉体が乗っ取られていることを知った。

 

「イリナ……?」

 

 少女が意識を取り戻したことに気づき、修太郎が眉をひそめる。

 剣戟の檻が緩んだ、その刹那。イリナの身体がひとりでに前進する。

 

「わ……きゃぁっ!?」

 

 太刀がイリナの意識を戻したのは、修太郎に隙を作るためだった。

 殺気の線を超えて近づくイリナに、しかし修太郎は剣を放てない。敵ならまだしも、まさか悪意の無い少女を問答無用で斬り捨てるわけにはいかないからだ。

 だがその身体は依然として太刀の支配下にある。

 そうしてイリナの身体は修太郎の刃圏を突破し――彼に抱き着いた。

 そのまま首に手をかけ、顔を近づける。

 

(は――?)

 

 少女の心が呆けた声を漏らす。

 鋭い目つきの黒い瞳が、イリナに近づく。唇と唇を重ね合わせる軌道は、まさしく。

 

(ええええええええっ!?)

 

 太刀が修太郎の警戒を解くために選び出したその方法とは――抱擁(ハグ)からの接吻(キス)

 幼いイリナが父や母に向かって度々とっていた行動である。もっとも、その時は頬にするだけだったが。

 意識はそのまま、しかし身体は動かせない。

 視界の端に、呆気にとられたゼノヴィアの姿が見えた。

 

(見ないでーーっ!!)

 

 顔に血が集まっていくのを感じる。驚き慌てふためくも、太刀の支配力は微動だにしない。

 修太郎には大変世話になった。感謝しているし、それなりに好意もある。だがしかし、それは年上の先達に対する尊敬のようなものだ。恋愛感情は微塵も無い。

 ファーストキスは幼い頃既に経験済みだ。確か相手は幼馴染の兵藤一誠。幼少時までカウントに含めるならば、これはセカンドキスになるのだろうか?

 太刀の力によって加速した思考で、イリナはそんなことを考える。

 

 互いの吐息が重なり合う。イリナの目には、もはや修太郎の顔しか見えない。

 目を合わせれば、黒い瞳は意志に満ちている。その奥底で幽かに煌めく光は、彼の身体を満たす気のエネルギーなのだろう。まるで夜空に輝く星のようだとイリナは思った。

 もはやどうしようもない距離。唇と唇が触れ合う、その瞬間。

 

 暗転――いや、風景が回転する。

 気付くとイリナは大地に寝かせられていた。

 修太郎に投げられ、強い力で取り押さえられたのだ。

 流石は神域の武を修める者。近づかれて何もできなくなるほど甘くはなかった。

 

「っ……痛たたたたっ!?」

 

 極められた関節が激しい痛みを訴える。身体を数センチ動かすだけで骨が砕けそうだ。

 イリナの手の中で緋色の刃は沈黙している。いつの間にか太刀の支配力は消え去っていた。

 

 痛みに悶える彼女に向かって、修太郎は普段通りの口調で声をかける。

 

「大丈夫か、イリナ」

 

「……おかげさまで」

 

 こうしてイリナの唇は守られた。

 しかし、身体が痛い。関節どころか全身が悲鳴を上げている。何よりも、太刀がとらせた突飛な行動が恥ずかしくてたまらない。

 何食わぬ顔でこちらを見つめる男に対し、何だか不公平ではないだろうかと目で抗議する少女だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふ――ふふ……」

 

 暗闇に笑い声が響く。

 

「――いや、油断したつもりはなかったのですが。手加減するとなると中々うまく調整できませんね」

 

 その声に振り向けば、ゆらりと闇夜に人影が浮かび上がる。

 金髪碧眼の青年――アーサー・ペンドラゴンだ。

 眼鏡を失い、着ているスーツは燃えて、上半身などは襤褸布のようになっている。曝け出された肌は火傷に燻り、顔面の半分は固まった血に覆われて、痛々しげな様子を見せていた。

 

「アーサー、か……?」

 

 修太郎が確認するかのように尋ねる。

 その声を聞いた青年は笑みを作り、答えた。

 

「ええ、お久しぶりです御道修太郎。健在で何より。さて――」

 

 鋭い閃光が二つ、闇夜を走る。

 一つは修太郎が撃ち落とす。だがもう一つは――。

 

「――え?」

 

 イリナの腕が、緋緋色金の太刀が宙を舞う。

 空中で手から離れた太刀は、アーサーの手に納まった。

 

「イリナっ!? アーサー・ペンドラゴン、お前はッ……!!」

 

 崩れ落ちるイリナをゼノヴィアが慌てて駆け寄り受け止める。

 イリナは太刀を持っていた腕を肩より先から失っていた。アーサーの剣が波動の刃を飛ばし、目にもとまらぬ速さで斬り落としたのだ。

 大量の血液が溢れだし、暗闇に水たまりを作り出す。この出血はまずい。

 

「申し訳ないゼノヴィアさん、状況が変わりましたので」

 

 非難の声を上げるゼノヴィアに、アーサーは悪びれず答える。

 声からまったく謝罪の意志を感じることができない。機械的な、形式通りの返答だった。

 

「状況が変わった……? お前はいったい何を言って……」

 

 そこまで言ってゼノヴィアは気付く。

 アーサーの身体に刻まれた傷が、急激な速度で消えていく。燻っていると思っていたのは火傷ではなく、急激な治癒の様子だったのだ。

 青年の碧眼に光が宿る。それは彼と初めて出会った際、デュランダルを捉えた時に見せたものと同じだった。

 

 誰だこいつは。

 脳裏によぎったのはそんな言葉だ。

 初対面の頃から得体が知れなかった。虚ろな瞳は人形のようで、見られるだけでも不気味な感覚が走った。今となっては何故このような人物の協力を許したか、まるでわからない。

 

(ああ、これは――)

 

 自分たちは惑わされていたのだ。

 アーサー・ペンドラゴンは味方などでは断じてありえない。今そのまやかしが解け、ゼノヴィアもはっきりとそれを認識することができた。

 彼の瞳に宿る光――それは飢えた獣が獲物を見る目にとても良く似ていた。

 

「……退けゼノヴィア。皆と共に避難しろ」

 

 修太郎がアーサーの前に立ちはだかり、そう告げる。

 口調こそ普段と変わらぬ平坦なものだが、纏う雰囲気は鬼気迫っていた。

 彼はイリナの手から離れた鋼糸を操ると、落ちたイリナの腕を引き寄せ、瞬く間に傷口を縫い合わせて応急処置を施した。

 それを確認したゼノヴィアは、素早くその場から離れようと悪魔の翼を開く。アーサーと修太郎がぶつかり合うのであれば、自身の存在は邪魔にしかならないだろう。

 が、しかし。

 

「逃がすと思いますか?」

 

 アーサーが剣を地面に突き立てると、無数の剣群が地より突き出でる。驚くべきことに、刃はその全てが聖なる力を有していた。剣の群れは凄まじい勢いで射出されると、上空のゼノヴィアへ殺到する。

 

「やらせると思うか」

 

 が、その悉くを斬撃の風が打ち砕く。

 神域の技量が白銀の太刀を暴風の魔剣に変える。鋼が如く鋭利な旋風は、空間を埋め尽くす不可視の剣となってゼノヴィアに迫る脅威を斬り裂いた。

 砕けた聖剣はその役目を果たせず、輝く粒子となって虚空に消えていく。

 

「ふふふ、『魔剣(ブレイドマスター)』とはよく言ったものだ。以前のあなたも大概非常識でしたが、もはや人間業とは呼べませんね」

 

 アーサーは大地より剣を引き抜き、虚ろな笑みを修太郎に向けた。

 もはや正体を隠そうともせず、その総身には禍々しいオーラが渦巻いている。

 修太郎はそのオーラに覚えがあった。

 

「貴様……『流星』だな?」

 

 その問いに、笑みを深くするアーサー。

 修太郎の目から見ても、人物の姿形は確かにアーサー・ペンドラゴンだ。身体も生気の通った人のそれ。しかし虚ろな瞳に宿る凶悪な光は、断じて彼本人のものではない。

 第一、修太郎は『御道』の名をアーサーに語ったことなど一度も無かった。

 

「――如何にも。大陰陽師・高円雅崇が始まりの鬼神、第一天将。それが私です。今まで通り『流星』とでも、もしくは『アーサー・ペンドラゴン』とでも、好きに呼んでいただいて結構。さあ、戦いましょう御道修太郎。私はそのためにここに居る」

 

 アーサーの笑みが凶悪に歪む。

 湧き上がるオーラが漆黒の風となり、青年の身体を包み込んだ。

 第一天将・金行鬼。

 鋼の鬼神が青年の身体を借りて、今再び修太郎の前に現れた。

 




大変お待たせいたしました。ようやく更新です。
前回より実に一か月超、まさかここまで投稿が遅れようとは。

主人公の過去と妖刀沈黙、そしてアーサー敵化。

今回は少々短いですが、次話は推敲済ませて明日にでも。
しばしお待ちください。


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第五十一話:鬼神剣

 構える青年――アーサー・ペンドラゴンの手には、聖剣ではなく一振りの禍々しい宝剣が握られていた。

 紫紺の刀身に赤銅の意匠が施された、両刃の長剣である。

 刃より迸る呪詛が瘴気を発し、大気を焼き焦がしている。常人であれば触れるだけで腐れ落ちるほどの呪力だ。

 もしやあれが金行鬼の正体であるのか。

 

 火行鬼たちの活動から、鬼神が力ある武具や器物を使って自身を強化していることは既に予測されていた。

 おそらく金行鬼の狙いはゼノヴィアのデュランダルと木場祐斗の聖魔剣、兵藤一誠のアスカロンとバルムンク、そして妖刀化した緋緋色金の太刀だったのだろう。なるほど確かにこれほど良い餌場も中々無い。遅かれ早かれここは襲撃されていたのだ。

 そう、予想はしていた。だからこそ修太郎に驚きは無かった。

 驚いたとすれば、それは相手がアーサーの身体を使っていること。

 

「……アーサーの身体を乗っ取ったのか」

 

「私は金烏(ジンウー)土公(トゥゴン)のような高位の霊格をベースとした式神ではありませんからね。こうして単独行動を行うには、原始的な憑依に頼るほかなかったのです。良い身体ですよ、この青年は。しかし乗っ取ったとはまた違う。この状態は彼――アーサー・ペンドラゴンの望みでもある」

 

「何?」

 

「わかりませんか。彼がこうなったはあなたのせいだと言うことが」

 

 そう言って笑みを張り付けたまま、おもむろに金行鬼(アーサー)は太刀を上空へ投げ上げた。天高く宙を緋剣が舞う。

 皆がそれに目を向けた瞬間、アーサーの姿は消失した。

 

「――!」

 

 目にもとまらぬ疾走は如何なる力によるものだろうか、完全に人の領域を逸脱している。

 しかして修太郎も同等の領域に身を置く者だ。蒼い闘気の残光と共に駆け抜ければ、疾走するアーサーに追いついた。

 直後、銀閃と紫閃が交わる。

 刹那の間に数十度の応酬、紫紺の剣が圧倒的呪力の質量を以って地を割り、白銀の太刀が鋭利な風で虚空を斬る。

 

 思考の加速が一秒を百倍近く引き伸ばし、互いの戦意が無数の斬撃予測線を描き出す。それらが作り上げる檻の中で、無想の境地が無意識化の超速演算を為せば、戦いは数十手先の未来にまで及び始めた。

 彼らが備える天性の才能は、互いの体勢、筋肉の動き、視線、速度と膂力、空気抵抗から重力の影響に至るまで、あらゆる戦場の要素を捉えだす。

 反応は反射を超え、もはや時間の軛すら突破せんと魂が唸りを上げるのだ。

 

 アーサー・ペンドラゴンは卓越した技量に紫紺剣の重さを乗せ、剛と柔の融合を成す。

 暮修太郎は圧倒的技量が生む鋭さを以って柔の極限を剛とし、それを迎え撃つ。

 袈裟切り、逆風、逆胴、唐竹、刺突――剣閃と体捌きの応酬は、まるで示し合せたかのように互いを傷付けることが無い。

 

 合わせた刃は百を超え、千を超えた。未だ緋剣は宙を舞ったまま。この刹那の攻防を見切れる者が、はたして世界にどれほどいるだろう。

 両者の実力、全く互角。そう評価してもいいように見えた。

 

 虚空を銀の鋭剣走る。紫紺の刃が受け止め逸らす。

 次の瞬間だった。

 突如として、しかし絶妙なタイミングで修太郎が背を向けたのだ。

 

 極限を超えた集中の中に生きる彼らの神経は、もはや未来に行われる動作にまで通っている。それに背を向けるという行為は一つ間違えば即死、分の悪い賭けなどと言うレベルではない無謀な行いだ。だがしかし、暮修太郎の才覚はそれを戦術として成立させる。

 アーサーが――金行鬼が放つ殺気をその背に受け流す。戦闘の拍子(リズム)を外されたアーサーにとって、それは目の前の目標を刹那の間見失うに等しかった。

 互い張り巡らせた斬撃予測線が、一瞬にして全て弾け飛ぶ。

 

(これは、龍尾返し――!)

 

 その崩し。

 所謂邪剣の類である。

 互いが構築した戦いの流れにコンマ数秒空白が生まれる。一秒を百にも分割する超高速戦闘の中において、それはもはや仕切りなおしも同然の時間だった。

 この戦い、いち早く体勢を立て直した方が勝つ。

 

 返す刃で放たれたアーサーの剣は、音すら断つ鋭さだ。しかし如何なる剣も当たらなければ意味は無く、『背後を向く』という自身の体勢を考慮していた修太郎は、当然の如くそれを躱す。

 振り向く挙動と踏み込みの向こうで、白銀の太刀が引き絞られる。

 放たれた神速の一刀は、『(いかづち)』に届かない。しかし、その速さは空気を燃やす。風を裂く鋭さにあってすら、灼熱と燃える斬撃になるのだ。

 

 闘気の筋肉により生まれた瞬発力そのまま、接触の刹那全身の関節を固め剛体法を成す。そこに渾身の勁力が加われば、絶大威力の斬撃がアーサーの剣を両断した。

 紫紺の鋼が欠片となって宙を舞い、剣技の余波がアーサーの胸に大きな傷を刻む。

 暗闇に、真紅の雫が飛び散った。

 

 アーサーは確かに強かった。以前戦った時より技も力も向上させ、修太郎とここまで打ち合えるほどに成長していた。

 だが、その程度では届かない。

 なぜなら既にアーサーの剣技は全て見て覚えている。その発展型すら修太郎は習得していた。だからこそ、戦闘中に背を向けるという無謀すら通すことができたのだ。

 

「そう、だから――『支配(ルーラー)』」

 

 アーサーの瞳が輝く。

 紫紺剣が砕けてなお、身を覆う凶悪な気配は消えない。

 その手にはいつの間にか別の剣が握られていた。迸る聖なる波動は伝説の聖剣・エクスカリバー。

 強烈な指向性を持って、支配の力が放たれる。

 

「――ッ!?」

 

 修太郎は動きを急速に鈍らせる。それどころか、動こうとするたびに皮膚が裂け、血を流していた。

 修太郎の体術は月緒流をベースに練り上げられている。その要訣は『肉体の完全連動による身体能力の超人化』。それが聖剣の干渉力で崩されたことにより、強烈な反動を生み出しているのだ。

 だが抗う。支配力のかかり方を把握し、それに逆らわず動くことで無効化する。

 しかし、そのわずかな時間は大きな隙となった。

 

 アーサーの手にはもう一振りの剣があった。

 莫大な魔のオーラは明らかな伝説級、高位の魔剣に相違ない。その刀身は暴力的な波動を漲らせ――。

 

「――魔剣、ディルヴィング」

 

 鉄槌剣が防御ごと修太郎を圧し潰す。

 解放された極大の破壊力はグラウンド全土に亀裂を刻み、学園校舎を大きく震わせるほど。その規模はもはや局地的な地震と変わらない。

 

 濛々と立ち込める土煙が割れると、血まみれの修太郎が現れた。

 すかさず放たれた蹴りは交差した剣で防がれるが、爆発する勁の衝撃がアーサーの身体を大きく背後に押し込む。

 が、相手もさる者。そこから素早く体勢を戻し、亀裂より脱出した修太郎にディルヴィングを走らせる。

 修太郎は卓越した体捌きでそれを回避していくが、大気震わせる波動の前に防戦一方となった。

 

「……ちっ」

 

 苦々しげに舌打ちをする修太郎。

 彼の剣――弐型斬龍刀は、その刃を無残に砕け散らせていた。修太郎の技を以ってしても、鬼神の力が加算された魔剣の一撃に耐えられなかったのだ。

 クロウ・クルワッハ戦で先代を破壊されてより、幾多の戦いを乗り越えてきた剣だ。愛着が湧き始めていただけに中々くるものがある。

 

 しかし今は別れを惜しむ時ではない。

 敵はここぞとばかりに攻撃を続行する。エクスカリバーも交えた二刀流による連続斬撃が、まるで嵐のように修太郎へと迫った。

 それでもなお見事な体捌きで躱す修太郎だったが、聖剣の支配力が地面をうねらせ動きを制限してくるとともに、周囲の岩盤が修太郎へと槍衾が如く殺到する。

 

 それらの猛攻を銀の軌跡が悉く撃ち落とす。

 修太郎の手の中には折れた太刀の切っ先があった。指に挟んだそれで以って斬撃を飛ばし、身を守ったのだ。

 

 思わず息をのむアーサー。まさかそんな残骸で防げるとは思っていなかったのだろう。

 そのわずかな隙を突き、震脚がうねる地面を砕く。踏み込みを蹴り脚にアーサーの横をすり抜け、瓦礫の中を駆け抜ける。飛び交う聖光波動と衝撃波動を背に疾走し、そして宙を舞う緋剣の柄へと手を伸ばす。

 しかし。

 

「――残念」

 

 金行鬼(アーサー)が笑む。

 その直後、足元より無数の武具が飛び出してきた。武具の群れは再び緋剣を上空へ弾き上げると、修太郎に襲い掛かる。

 刀剣から始まり、槍、斧、棍、矢など武具の種類は様々だが、共通しているのは全て金属であること。それらの武具は一つ残らず何かしらの力を発している。おそらくは宝具や神器の類だろう。決して直撃を許していいものではなかった。

 上体を後ろに大きく反らし勢いのまま回転、連続後転跳びで距離を離すが、修太郎を追うように大地は次々と武具を吐き出す。その尋常ではない速度にとうとう振り切れなくなり、軽気功の技を使って突き出る武具の上を渡りながら大きく後方に跳んだ。

 

 ふと夜闇に明かりが差す。先ほどの戦闘による余波が、曇天の雲を吹き飛ばしたのだ。

 そして、修太郎は見る。

 月光の中佇むアーサーの影は不自然なまでに巨大だった。グラウンドの半分を覆う歪な円形状に広がり、暗黒の沼を作っている。こちらを追う武具は、全てそこから生えてきていた。

 修太郎の強い霊感――見鬼の力が、影の中に潜む強大な存在を確かに視認する。

 

 それは巨大な鬼だった。

 天より降り注ぐ鋼の鬼面、直径100メートルにも及ぶ金属塊の大鬼神がそこにあった。

 

 はたして紫紺の長剣は、金行鬼の正体であったのか。

 答えは否。

 最も古き第一天将、その正体(ベース)とは『戦場に朽ちた鋼』。

 それは剣であり、槍であり、鎧であり、盾でもある。数多の怨念と呪いが成す、集合型の付喪神であった。

 

「ははは、やはり強い。剣技だけでは足りませんか」

 

 修太郎を見据えながらアーサーは呟く。その顔に湛えた笑みは、何故か満足げな様子だ。

 そうしてディルヴィングを影に沈めると、落下する緋剣をその手に収める。

 

「……ふむ」

 

 しばらく緋剣を眺めたアーサーは、なんとおもむろに修太郎へ投擲した。

 風よりも速く飛来する太刀に、しかし修太郎は微動だにしない。左の指で刃を挟み取り、右手で柄を握る。途端、莫大なオーラが刀身より溢れだす。本来の主に渡った妖刀はあまりの歓喜に鳴き声を上げ、鈴鳴る波の音を辺りに巻き散らした。

 

 返す刃で虚空を鞘に緋剣抜刀。奔る疾風は退魔の薄刃。その鋭さは空間にすら亀裂を入れる。

 神業とも言うべきそれを、アーサーは真っ向から打ち破った。

 その手には物理法則すら斬り裂く鋭刃、魔剣ノートゥング。バルムンク、ディルヴィング、ダインスレイブと共に教会から紛失した、伝説の魔剣だ。

 ディルヴィングがあるということは、ダインスレイブも持っているのだろう。元はフリード・セルゼンが使っていたと聞いているが、おそらく学園を襲った際取り込んだに違いない。

 

「……何のつもりだ」

 

 刃を構え、アーサーに問いかける。緋緋色金の太刀は金行鬼の目標であるはず。突然それを手放す意図がわからなかった。

 その疑問に対し、アーサーは当たり前のように――。

 

「私はあなたを倒したい。これは私個人の目的であり、アーサー・ペンドラゴンの目的でもある。ならば剣を持たないあなたと斬り合っても仕方がない。不利な相手を嬲るなど、興ざめも甚だしい。それにここからが楽しくなるのです。――いきますよ」

 

 答えた直後、オーラが急激に高まると、影の中から灼けた鋼が立ち上る。同時に漆黒の風が嵐と吹き荒れ、アーサーの身体を覆い尽くした。

 巨大な鬼神の影が中心に向かって収束していくと、次の瞬間、鋭い閃光と共に嵐が割れる。解放される邪気に、大気が弾けた。

 

 そこに立っていたのは金髪碧眼の青年ではない。

 紺碧の鎧甲冑を身に纏った、鬼面の騎士だった。

 炎のように揺らめくマント、スマートで鋭利なフォルムの装甲は、そのシルエットと裏腹に凄まじい重圧を放つ。眼光は真紅に燃え、強烈な戦意を漲らせていた。

 

「…………っ!」

 

 騎士がそこにいるだけで、周囲の大地が陥没する。金行鬼の莫大質量が2メートル弱の鎧に圧縮され、局地的な重力場を生み出しているのだ。

 凄まじい邪気と妖気――そして魔法力と光力。あらゆる属性が入り混じる混沌のオーラは、金行鬼が今まで取り込んできた武具によるものだろう。漏れ出る質量だけで空間が歪んでいるのが確認できる。火行鬼などとは比べ物にならない力の発露は、修太郎でさえ思わず息をのむほどだ。

 

 修太郎が知る金行鬼『流星』は、単純極まる質量攻撃のみの鬼神。その特性は重さと硬さ。それがアーサーという依り代を得るだけでこうも変わるのか。

 

(……いや、これは)

 

 感じられる力の高まりは、金行鬼だけでは為し得えない。使い手側に何らかの意志が無ければ不可能な現象だ。

 これが意味することとはつまり――アーサー・ペンドラゴンは鬼神と同調している。

 

『全力でいきます。さあ、尋常に斬り合いましょう』

 

 刹那、大地が爆散する。

 疾走の踏み込み、ただそれだけで学園全土が大きく震えた。

 超重量の甲冑を纏っているにもかかわらず、アーサーの速度はいささかも衰えていない。支配の聖剣(エクスカリバー・ルーラー)を握り、神速の刃を振るう。

 その猛攻を修太郎は捌く、捌く。

 剣と剣が交差するたびに、凄まじい重圧が修太郎の身体を貫く。

 アーサーが放つ一撃一撃に山脈が如き威容の質量が込められていた。先の紫紺剣をはるかに上回るそのパワーは、アーサーの巧みな剣術によってさらなる威力を発揮する。

 

(これは……ッ!)

 

 その圧力は如何な修太郎と言えど、技術で受け流せる許容量を超えていた。斬撃の応酬が十を超えた直後、すぐさま回避主体にシフトする。

 放たれるオーラを受け流しつつ、歩法と体捌きを駆使して敵の剣を躱していく。攻撃の激突は最小限に、わずかな隙を突いて鎧を削るが、そのたびにこちらも傷を負った。

 返される刃を避けきれない。アーサーの剣は振るわれるたびに鋭く、速く、重くなっていく。

 流れるような肉体の駆動、筋肉の脱力と緊張によるゼロからの最大速力、人体限界を超える膂力の発露――この運体術は。

 

(月緒流か……!)

 

 月緒の体術は、特殊な訓練によって自己の肉体を完全に掌握するところから始まる。アーサーは聖剣の力を駆使して自分の肉体を完全に『支配』することで、それを実践していた。

 地を駆け、宙を蹴る戦闘はその余波だけで戦場を砕く。巻き上がる大地、降り注ぐ瓦礫、倒壊する校舎の雨の中、二人の集中力は時間を停滞させていた。

 

 アーサーの眼光は歓喜に満ちてる。この刹那が楽しいと言わんばかりに、殺気を高めて刃を放つ。振るう剣は、技は、さらに研ぎ澄まされ高みに至る。妖刀の剣を観察し、支配の力によってもたらされた月緒の剣術を彼の才能は急速に学習していた。

 

 逆に修太郎は内心の表情を険しくしていく。その理由は、彼が握る剣にあった。

 妖刀・緋緋色金。

 振るうたびに緋剣のオーラが歓喜に高まる。イリナが握っていた時と比較にならないその質量は、この場の悪魔たちを震え上がらせるほどの寒気を放った。

 斬り裂け、滅ぼせ、己が存在の意義を感じさせてくれと、こちらへ訴えかけてくる。

 それが邪魔だった。

 

(――五月蠅い)

 

 故に、封じる。

 勝手に高まる力と伝達される剣の意志――そんなもの、今はリソースの無駄にしかならないからだ。

 結果として退魔力も封じられるが、一瞬の判断が命取りとなるこの修羅場で制御力に力を割いて死ぬよりはマシだろう。

 しかし、それは同時に剣の攻撃能力を著しく低下させることになる。

 緋緋色金の切れ味は何も無くとも鋭いが、アーサーの纏う金行鬼の鎧はそれすらも撥ね返す強度だった。障壁のようなオーラに加え、魔王級の攻性魔力すら容易く凌ぐ装甲、さらに鬼神が取り込んだ無数の異なる材質と属性が鎧徹しすら無効化する。

 大きな隙さえあれば攻撃を通せないこともないが、この高速戦闘下では不可能に近い。

 

(ならば――)

 

 風を断つ斬撃六連。常人からは全て同時に放たれたようにしか見えないそれを、アーサーは全て捌ききる。

 その返す刃を潜り抜けた修太郎は、踏み込みからの鋭い拳打を放つ。龍すら屠る鉄拳にしかし、超重量の甲冑姿は小揺るぎもしない。それを見届ける前に、軽気功の技と拳の反動を利用し背後へ跳んで退避した。

 すかさず追いすがるアーサー。相手の着地点を予想して、剣を握る腕に力を溜めこむ。

 

 だが修太郎はそれを待っていた。

 戦闘中に用意していた魔法を起動、空中を跳躍し、アーサーへ急接近する。

 月緒の体術は爆発力こそ凄まじいが、それを溜めこむ間――緊張の瞬間に大きな隙が生まれる。アーサーの体術は修太郎のそれを参考にしただけあって、かなりの完成度だ。しかし、所詮は真似事。歴代最強の月緒である修太郎には到底及ばない。

 

 突進と共に修太郎が放ったのは渾身の兜割り。

 その一撃と同時、相手に向かって六つの斬風が走る。先ほど捌かれた斬撃によるものが、遅れて迫ってきたのだ。それを理解したアーサーは、自身が嵌められたことを知る。

 

 六つの斬風と兜割りが重なる。月緒流『旋風重(つむじがさね)』が崩し――『七颪(ななつおろし)』。

 

 一点集中された斬撃の威力は七倍どころでは済まない。桁違いの威力を誇る剛剣が、アーサーに放たれた。

 緋色の刃が障壁のオーラを容易く断ち、鎧に打ち込まれる。しかし刃は鎧を斬り砕くことなく、表面に傷を刻むだけだった。

 尋常ではない硬さに加え、アーサーが回避行動をとったためだ。おそらく相手が生身であっても致命傷には遠いだろう。

 内心で舌打ちする修太郎と、目に宿る喜びを強めるアーサー。

 

『は――はははっ、楽しい!! 極限と極限ッ、鋼と鋼が鎬を削る火花ッ! 我が力が十全に引き出されている!! 血沸き肉躍るッ! これが人間、これが剣士!!』

 

「ほざけ……ッ!」

 

 神域に踏み込んだ武の応酬は熾烈を極めた。

 月緒の技を用いてすら、単純な剣技であれば修太郎はアーサーを上回っている。しかしその技量差を鬼神の力が埋めることで、全く互角の戦いを演じていた。

 否、形勢はアーサーに傾いている。その堅牢さと圧倒的な膂力によって、徐々に修太郎を追い詰めていた。

 修太郎も反撃を浴びせるが、鎧に傷をつけることしかできない。その損傷ですら次の瞬間には修復される始末。関節部の強度にも穴は無く、常時変質する鎧の材質では斬撃法の確立すら不可能。

 状況は誰がどう見てもジリ貧、しかし修太郎は退かない。傷だらけになりながらも、戦い続ける。

 

 その時だった。

 突如として、アーサーの周囲を光の縄が取り囲む。縄の一本一本に浮かぶ呪文は退魔の言霊。強力な異形封じの術法だ。

 光の縄は激しく紫電を迸らせながら、アーサーを縛り上げた。

 瞬間、場の時間が戻る。

 

『……なるほど、真羅の鬼封じですか。そういえば一族の者がいたのでした』

 

 アーサーの燃える眼光が、空中に佇むシトリー眷族の姿を捉える。

 ソーナたちが椿姫を中心として、対妖刀のために用意していた拘束結界を発動したのだ。

 椿姫の生家、五大宗家が真羅一族は異形憑きの家系。それを拘束・制御するための術法は腐る程用意されている。一族より追放されて久しい椿姫だったが、ある程度のノウハウは心得ているのだ。

 眷族全員の魔力がつぎ込まれたこの結界は、彼女たちの成長も合わさってコカビエル戦で展開したものを遥かに上回る強度を誇っている。如何に金行鬼が強大であろうと、これを無視することなどできないはずだった。

 

「ぐっ……副会長、これは……!」

 

「なんて重さ……今にも引き千切られそう……!」

 

 草下と花戒が悲鳴を上げる。それだけでなく、眷族のメンバーは全員苦悶していた。

 アーサーが言葉を発するたびに拘束が千切れそうになる。そのフィードバックが全員の身体を襲っているのだ。

 

「全力で耐えなさい! ――リアス、今です!!」

 

「ええ!!」

 

 ソーナの声に応えるように、リアスが前に出る。

 彼女は両手の間に漆黒の矢を浮かべていた。矢の正体は極限まで圧縮された消滅魔力。効果範囲こそ狭いが、あらゆるものを撃ち貫く滅びの矢である。

 

 名付けて『流星の滅矢(シューティング・エクスティンクト)』。

 

 ソーナに対抗して開発を始め、つい最近実用段階に持ち込めた必殺技だ。

 射出速度は音速に届かない程度。先ほどの戦闘を見るなら、アーサーに中てるのは至難の業となるだろう。しかしそこにソーナたちの拘束が加われば――。

 

(十分に中てられる……!)

 

 イメージを引き絞り、矢を放つ。

 アーサーは未だ動けず、回避は不可能。決まったと確信した、その瞬間だった。

 

『くだらない』

 

 アーサーは拘束する縄を無造作に引き千切った。

 

「きゃあああっ!!」

 

 反動で弾け飛ぶシトリー眷族たち。特に術の基点となっていた椿姫にかかる負担は大きく、落下する彼女を木場が受け止めることになった。

 続いて放たれたリアスの矢を紺碧の腕が横から掴み取り、握り潰す。ひたすら圧倒的なオーラ質量が、完膚なきまでに『滅び』そのものを消し砕いていた。

 

「な――」

 

 絶句するリアス。

 空中で固まる悪魔たちに、鬼面騎士の冷たい声が響く。

 

『歴代の真羅白虎ですら出来なかったことが、未熟なあなた方で可能だとでも? 身の程を知りなさい』

 

 戦いを邪魔されたからか、激烈な怒気が上空に放たれる。

 そのままアーサーが紺碧の手を上空へ向ければ、大地より聖剣の群れが立ち上り――。

 

『――「聖剣創(ブレード・ブラック)……」』

 

「――いや、それで十分だ」

 

 返答は地上からだった。

 直後、凄まじい殺気が辺りを満たす。極寒の冷気にも似た気配がリアスたちへ突き刺さると共に、鬼面の騎士すらも貫いた。

 修太郎の手に握られた緋剣が、その退魔力を解放していた。それは堰き止められた水が解放されたかのように、洪水となって溢れだす。

 オーラの奔流を制御し、収束させる。斬龍刀を扱う中で磨かれた精密且つ高速の制御技術は、退魔のオーラを瞬く間に刃の形へと変える。

 黄昏色の薄刃が、夜闇に燦然と輝いた。

 

『降魔剣……「破軍」か「天軍」か――それとも件の光速剣か。いいでしょう、受けて立ちます』

 

 それに呼応してアーサーも構える。

 腕の鎧が大きく変形しエクスカリバーに纏わりつくと、巨大な鋼の刃を形成した。

 数多の伝説級武具が持つオーラが刃に集中していく。空間が、重力が歪み、嵐が起こり大地が揺れる。

 

「デュランダルが啼いて……?」

 

「……なんて、力だ……ッ!」

 

 鬼神剣の鳴動にゼノヴィアのデュランダルが反応を示し、木場は己が神器を通じてその力を感じ取る。

 アーサーに集う力は大都市ひとつを完全に滅ぼしかねないほど膨大だ。修太郎の緋剣が放つ力も尋常なものではない。そんな攻撃が激突してしまえば、この町はひとたまりもなく、草木一本生えない荒野と化すだろう。

 

「駄目です、暮さん……! こんなところで――」

 

 邪気に中てられ、朱乃に抱えられた小猫が制止の声をかける。しかし両者とも力の高まりを止めようとしない。

 グレモリー眷族もシトリー眷族も、圧倒的格上同士の戦いをただ見守る事しかできなかった。

 

「悪いが――」

 

 先に動いたのは修太郎だった。

 刃に漲る力は極限まで研ぎ澄まされ、その質量はもはや実体と遜色ない。

 脱力、緊張、そして瞬発。

 斬撃と共に延長した刃は閃光が如く。

 

「今回はここまでだ」

 

 鋭く伸びた黄昏の刃がアーサーの足元――その空間を断ち斬った。

 今まさに鬼神剣が力を解き放つ寸前である。

 斬滅された空間は次元の狭間へ通ずる道を拓く。金行鬼の鎧を纏うアーサーは、自身の膨大な質量によって引きずられるままそこに落ちた。

 

『な――』

 

 呆けたようなアーサーの声。同時に鬼神剣の力も霧散する。

 自身が狙われていたならば迎撃も叶ったかもしれない。しかし明らかに逸れた斬撃の意図を察するのに、修太郎の剣は速すぎた。

 支配の力を利用して体勢を立て直すも、空間は環境そのものの修正力によって瞬く間に修復されていく。伸ばした手は届かず、アーサーは次元の狭間に追放されることとなった。

 

 修太郎が放ったのは降魔剣の変形『虚断(こだち)』。

 高位の霊感――認識力を以って距離、あるいは空間を斬り裂く秘伝の奥義。月緒の歴史上でも修太郎も含め三人しか使い手のいない絶技であった。

 この技で斬れるのはあくまで空間のみ。相手の強度を無視する効果などは持っておらず、先人はもっぱら結界・異界の破壊に用いていたという。

 

「――はあっ、はっ、はあっ……」

 

 アーサーが場を去ったのを確認した修太郎は、その場に膝を突く。

 本来ならば、今の修太郎は降魔剣を放てる身体ではない。変質した経絡ではそもそも念を練ることができず、また物体に込めることも不可能だからだ。

 今回の『虚断』は緋緋色金の退魔力を自身に通して変換することで放ったが、それでも絶大な負担が身を蝕んでいる。全身の神経が無視できない痛みを訴えていた。この分だとしばらく気を練ることすら辛いだろう。

 

 その緋剣は既に沈黙させている。このままではリアス・グレモリーたちと話すこともできないからだ。

 当初の目的は達成できた。しかし――。

 

「アーサー……」

 

 アーサー・ペンドラゴン。

 彼が敵に回るとは思わなかったと、そう言えば嘘になる。

 過去、修太郎はアーサーと戦い、完膚なきまでに打ちのめした。それは決め事がもたらした結果でもあったが、修太郎が彼の才能に期待したという側面もあった。逆恨みされても不思議ではないと思っている。

 金行鬼曰く、アーサーは暮修太郎を倒したいのだと言う。その目的が一致したからこそ、彼の鬼神はあれほどの力を発揮できるのだろう。

 しかし。

 

「お前は本当に――家族を、愛する者を、捨てられるのか?」

 

 自身の手を見つめる。

 剣を握るために特化されたような、ごつごつとした硬い手の平だ。

 アーサーが力を求めた末に金行鬼に憑り付かれたのだとすれば、それは修太郎のエゴが招いたこと。そう考えることもできる。

 それでもこれ(・・)は、家族を捨ててまで得たいものなのか?

 

 修太郎にはそれがわからない。

 わからないからこそ、気にかかる。

 あれには自分を気にかけてくれる両親と妹、恋人だっているのだ。それがどれほど幸せなことか理解していてこれならば、修太郎はアーサーを問いたださなければならなかった。

 ただ操られているだけならば良し。しかしそうでないなら彼の本意を聞き、斬るか救うか決めるのだ。

 決意と共に、修太郎は強く拳を握りしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 呼吸も整い、気の流れも落ち着いてきた頃。

 修太郎に遠くから声がかかる。

 

「師匠! 師匠!」

 

 声の主はゼノヴィアだった。

 彼女の下に行くと、泣きそうな顔のアーシアと目が合った。それだけではなく、リアスとソーナ、朱乃と椿姫もゼノヴィアを中心に集まっている。他のメンバーは壊滅寸前になった学園の修復作業に励んでいるようだ。

 

「どうしたゼノヴィア」

 

「イリナが……イリナの傷が、治らないんだ」

 

 ゼノヴィアの腕にはイリナが抱えられていた。

 彼女の傷は修太郎が施した応急処置そのままに、身体はぐったりとして動かない。傷口からは今も血を流し、ゼノヴィアの制服と地面を赤く染めている。

 

「わ、私の力でも治せなくて……どうしたら……」

 

 顔面蒼白でアーシアが告げる。

 治癒能力の連続行使で疲労しきっているのだろう。アーシアの吐く息は荒く、肩を大きく上下させている。それでも彼女はイリナの治療をやめようとはしなかった。

 しかし、現在進行形で癒しの力を発し続けているにもかかわらず、傷口にはまったく塞がる様子がない。見れば、切断面から立ち上る黒い瘴気が治療を阻害していた。

 

「不治の呪い……あの剣か」

 

 アーサーが使っていた紫紺の宝剣、おそらくあれには傷の治療を阻害する呪いが込められていたのだろう。

 大気が焼けるほどの呪詛である。解呪するには相応の使い手が必要となるが、しかし。

 

「……私たちではできなかったの」

 

「解呪の魔力は通用しませんでした」

 

 深刻な顔でリアスとソーナが答える。この分では朱乃と椿姫も駄目だったのだろう。

 ゼノヴィアがすがるような目でこちらを見上げてくる。

 

「師匠……」

 

「……離れていろ」

 

 ゼノヴィアを含め、一同を後ろに下げさせる。

 そうして緋剣の退魔力を今一度解放した。爆風のような力の発現はひたすら暴力的。オーラだけで周囲の悪魔に斬りかかろうとすらしているかのようだ。

 疲労を押してその狂暴なオーラを制御し、極限まで薄い刃とする。

 イリナの傷口にそれを振るえば、呪いの力は一瞬にして霧散した。

 

「凄い……」

 

 感嘆の声はリアスのものだ。

 緋剣を再度沈黙させれば、アーシアがイリナの傷を治癒すべく駆けつける。

 神器から発せられる光によって、イリナの傷はみるみる治っていく。ほどなくして血も止まり、腕も完全に繋がった。

 その光景を見届けて、しかし修太郎の表情は晴れない。

 傷が完全に癒えたにもかかわらず、イリナは目を覚まさなかった。

 

「――手遅れだ。血が足りない」

 

 人間は血液の30パーセントを失えば、命を失う。彼女の場合は1リットル半に届かない程度だろうか。応急処置で出血は抑えていたとはいえ、もはやそのラインは超えていた。

 紫藤イリナは、死んだのだ。

 

「……な、なあ師匠! 師匠の技でどうにかなるんだろう? 気功とか仙術とか、何かよくわからない技でイリナを……」

 

 ゼノヴィアが修太郎の服に縋り付きながら、今にも泣きそうな顔で尋ねる。

 修太郎は一度瞑目し、少女の目をまっすぐ見て告げた。

 

「ゼノヴィア。人は人を生き返らせることなどできない。それは神の御業だ」

 

 鋭い視線は何よりも雄弁に真実を語る。

 狼狽するゼノヴィアは迷子のように周囲を見渡した後、リアスに目を移す。

 

「リ、リアス部長、『悪魔の駒(イーヴィル・ピース)』は――あれを使えば、イリナを生き返らせることが出来るはずだ。アーシアの時もそうしたと……」

 

「……私の残っていた駒は、会談の時に失ってしまったわ。再発行もまだなの。残念だけれど……」

 

「なら、ソーナ会長……!」

 

「私の駒は実家に置いています。……しかし転移の準備もありませんし、今から持ってくるにしてもおそらく間に合わないでしょう」

 

「そん、な……」

 

 望みを絶たれ、力無く崩れ落ちるゼノヴィア。アーシアが傍に寄り添い、嗚咽を漏らす。

 ゼノヴィアとて戦士。イリナの治療が間に合わないことなど、とっくに気付いていたはずだ。それでも彼女にとって親友の喪失という現実を受け入れることは、ひどく難しかったのだろう。

 紫藤イリナは太陽のような少女だった。その人柄は、おそらく万人に好かれる稀有なものだ。

 いくら知人の死に慣れているとはいえ、修太郎とて無感情ではいられない。あの場でアーサーの攻撃を阻止できた者がいるとしたら、それは修太郎をおいて他に居なかったからだ。出来る事なら助けてやりたかったと思う。

 

「――いや」

 

 そこで気付く。いや、思い出す。

 ある。

 紫藤イリナを蘇生させる方法は、ある。

 しかし意識の無い彼女にそれを行うことは、いささか無責任だった。ともすれば彼女の生きる道を勝手に歪めてしまうことになりかねないからだ。

 だがこのまま何の覚悟も無しに死んでしまうのは、あまりにも理不尽だろう。加えてこれは彼女だからこそとれる選択でもある。それすらも、間に合うかどうかは賭けなのだ。

 迷う猶予は欠片も無い。

 

 修太郎は懐より端末を取り出す。

 呼び出す番号はある人物のもの。すぐに出てくれるか疑問だったが、数コール後、無事に繋がる音がした。

 

『もしもーし。どうしたのさシュータロくん。何か問題でもあった?』

 

「――デュリオ、ミカエル殿に連絡はつくか」

 

 取っ掛かりは掴んだ。後は幸運を祈るだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

『ふ、くくくっ、ははははははははははっ!!』

 

 色彩入り混じる万華鏡の海に笑い声が高く響く。

 原初の空間、混沌の海、次元の狭間の一角に、紺碧の鎧姿が浮かんでいた。鬼面の眼光は昂ぶりに燃え、ともすれば本当に笑顔で歪みそうなほどだ。

 金行鬼(アーサー)は当然のごとく健在だった。

 

「何が可笑しい。凶星(シォンシン)

 

 突如として声がかかる。

 いつの間にか金行鬼の上方に一人の男が佇んでいた。

 漆黒の両翼を広げた、コート姿の偉丈夫である。

 

『はははは……いえ、見事に出し抜かれましてね。我ながら酔狂にもほどがある。ああ土公(トゥゴン)、大体ひと月ぶりですか? 久しぶりですね』

 

「まったくだな。お前が連絡を取らない間に色々なことがあった。一度帰ってこい。今後の方針を詰めたい」

 

『無論帰るつもりですが……方針? 不要でしょう。我々はただ主の言葉に従えば良い』

 

「そこに問題が発生しているから言っているのだ。――我らの存在が公になった」

 

 偉丈夫――土行鬼(ドーナシーク)が告げる。

 しかしその言葉に対する金行鬼の反応は淡白なものだった。

 

『でしょうね。それが?』

 

「それが、だと? 主殿の命令が遂行できなくなるかもしれんのだぞ」

 

『そんなことは大した問題ではありません。どうせ金烏(ジンウー)雷星(レイシン)あたりが派手にやったのでしょう? 彼女たちがいる限り、それは規定事項ですよ』

 

 飄々と答える金行鬼には余裕すらある。言葉の通り、土行鬼の懸念をまったく問題視していないのだろう。

 それが土行鬼には不満だった。

 

「主殿は我々に期待していないと、お前はそう言うのか?」

 

『期待できる要素がどこにあるのです。我らは強いが、経験的には生まれて間もない子供も同然。神や魔王を前に、うまくできる保証は皆無ですよ』

 

 それを聞いて土行鬼は眉間のしわを深める。しばらく考え、そして尋ねた。

 

「一理ある。が、ならば主の狙いは何だ。お前にはそれがわかるのか?」

 

『だから言っていたでしょう? 「自由にやれ」と。ならばそうすればいい』

 

「何だと……?」

 

土公(トゥゴン)、あなたは真面目に考え過ぎです。もっと力を抜いたほうが良い。主が戻ってくるまで、ね』

 

 そう言って金行鬼は体勢を整え、土行鬼の横に移動する。

 ふと鎧の胸を撫でて呟く。

 

『ああ、痛い。痛覚など今まで感じたことがありませんでしたから、戸惑ってしまいます。もっと慣れが必要ですね』

 

「……御道修太郎とやりあったのか」

 

『ええ、とても楽しかった。中々いいところまでいきましたよ。次はきっと勝てます。願うならば、ハンデが無い状態で戦ってみたかったのですが……』

 

「御道、修太郎……か」

 

 土行鬼の表情は苦々しい。彼は過去に一度、修太郎に破壊されているのだ。

 その様子に金行鬼は苦笑する。

 

『安心なさい、あれは私が請け負います。何せ私は長男ですからね。弟妹は守らなければ』

 

「誰が弟だ。……変わったな、凶星(シォンシン)

 

『身体を変えましたからね。宿主の影響を受けているのかもしれません。反映させているのは戦意と技術だけのはずですが……これもまた面白い。さあ、帰りましょう。転移をお願いします。実は、ここから帰れなくて困っていたのです』

 

「……ふん。まったく、長兄が聞いて呆れる」

 

 土行鬼が指を鳴らした次の瞬間、二体の鬼神は空間の裂け目に吸い込まれて消えた。

 

 




イリナ死亡? そして学園再び壊滅。そんな話。

駒王学園「もうやめて」

原作で教会爺ズが強すぎたせいで相対的にアーサーが強くなり、結果この話では何かもう良くわからん戦闘力になってます。
インフレし過ぎてリアスたちがついていけないので、次章からテコ入れ入ります。

次回は事後処理とイリナの行方と一誠の話になる予定。


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第五十二話:スイッチ・オブ・ドラゴン

 

「――はっ!?」

 

 兵藤一誠が目を覚ますと、目の前には白い空間が広がっていた。一面が純白に覆われた、無限長のフィールドだ。

 そこが神器内部に広がる残留思念の領域であることを、一誠は即座に把握した。伊達に毎日潜っているわけではないのだ。しかし、いつもと雰囲気が違う。

 

 まず、全体的に罅割れている。地面は勿論、背景の白にも無数の亀裂が生じ、血のような赤い輝きを漏らしていた。真上を見れば、一際巨大な亀裂が大きな口を開けて一誠を卑睨している。距離感は曖昧だが、凄まじく高い位置にあるということだけはわかった。

 

 次に人が増えている。これまでは魔剣の持ち主である侍赤龍帝しかいなかったが、今は乱立する多数のテーブルに年齢・性別・人種も様々な人々が座っていた。テーブルの席は不自然に空いていて、閑散とした空気が漂っている。一誠の目にはそれが少し不吉に思えた。

 

 いったいこの空間に何が起こったと言うのか。

 妖刀に手の平を穿たれたところまでは覚えている。消滅の危機をゼノヴィアが阻止してくれたことも。

 おそらく自分は意識を失ったのだろう。しかしなぜ神器内部に迷い込んでいるのか?

 

『無事か、相棒』

 

 とりあえず、テーブルの人物に話しかけるべく動き出そうとすると、上方から馴染みの声が聞こえる。ドライグだ。

 

「ドライグ! なあ、これはいったいどうなってんだ? いやそれよりも外は、皆はどうなった!?」

 

 大声を張り上げる一誠。ドライグであればあるいは外の様子もわかるはずだ。

 

『落ち着け。とりあえず、相棒の仲間たちは無事脅威を退けたようだ。怪我人はともかく、死人は出ていないだろう』

 

「そうか、よかった……」

 

 緊張の息を吐き出す。もしもあのまま仲間が死んでしまうような事態になったなら、死んでも死にきれないところだった。

 

『それよりも、この状況についての説明だ。相棒、今のお前は中々面倒なことになっているぞ』

 

「面倒……?」

 

 神妙な様子のドライグに、一誠も真面目な表情になる。

 おそらくはこの異様な空間と関係があるのだろう。不吉な予感が強まった。

 

『まずは何故相棒がこの空間にいるかだが……大体予想はついているだろう、これはあの剣によるダメージが原因だ』

 

「剣……桐生が持っていた刀か」

 

 一誠の脳裏に緋色の刀身がよぎる。

 とても美しい輝きを放ってたが、同時に途方もない恐怖を感じた。あれは今の一誠が触れてはいけないものだ。

 

『あの剣は強力な龍殺し(ドラゴン・スレイヤー)に近い。その力を魂にまで及ぶほど流し込まれた相棒は、無意識に逃げ場を求めた。それがここだ。何せ毎日欠かさず潜っていたからな。若干「癖」のようなものがついてしまっていたんだろう』

 

「……確かにとんでもない痛みだった。あれが龍殺し(ドラゴン・スレイヤー)……?」

 

『少しばかり質は違うが、同じく存在そのものを根本から消し去る力だ。あれ以上受けていれば相棒は影も残さず消滅していた。仲間に感謝するんだな。相棒の魂がここに避難できたのも、ゼノヴィアと言ったか、あの聖剣使いが介入に間に合ったからだ』

 

「ああ、わかった。帰ったら礼を言っておかなきゃな」

 

 危ないとは思っていたが、本当に間一髪だったとは。ゼノヴィアには感謝してもしきれない。

 安堵する一誠とは対照的に、ドライグの様子は深刻だ。

 その理由は次の言葉で知れた。

 

『それなんだがな、相棒。今のお前はその「帰る」ことが出来ない状態にある』

 

「え?」

 

『「帰れない」んだ相棒。宝玉を通して剣の力を籠手にも流されたせいか、肉体と神器の結びつきが変になっている。相棒の精神と魂は、ここに閉じ込められたんだ』

 

「……え、ええええええええっ!!?」

 

 言葉の意味を理解して、絶叫する一誠。

 

「ちょ、ちょっと待てよドライグ!! 帰れないって……」

 

『疑うならば、やってみろ。そうすればわかるだろう』

 

 ドライグの言葉に従い、試しにこの空間から出ようといつものようにやってみる。

 意識を浮上させるイメージで肉体に戻ろうと試みるが……。

 

「……出来ない」

 

『驚くことに、あの時あの剣の力は籠手内部にいる俺にまで攻撃しようとしてきた。俺の魂は神器の最奥……システムの最深部にあるため届かなかったが、おかげで色々と引っ掻き回されてしまってな。今の状況の原因はおそらくそれだ。自動修復ではどうにもならん』

 

「…………」

 

 ドライグの話をよそに、再び身体に戻ろうと試みる一誠。

 だが何度やってもうまくいかない。心中を焦燥の念が満たしていく。

 

『テーブルの空きが見えるだろう? あそこには本来歴代所有者の残留思念が座っているはずなんだが、それも消し飛ばされてこの有り様だ。負の感情を基にした残留思念は、あの剣からすれば怨念や悪霊と同じようなものなのだろう。まあ格好の餌食と言う訳だ。まったく、この世にはとんでもない代物も……相棒?』

 

「……………………」

 

『どうした相棒、元気が無いな』

 

 黙ったままの一誠に声をかけるドライグ。

 一誠は焦った様子で頭を抱えていた。

 

「ううっ、元気も無くなるさ……! 帰れないってことは、部長のおっぱいを一生拝むことができなくなるってことなんだぞ!! 部長だけじゃない、アーシアや朱乃さんのもだ!! お、俺の生きがいが……」

 

『やはりそこなのか……もっとこう、他に無いのか? 命の危機でもあるんだぞ?』

 

「ねえよ!! 俺にはおっぱいだけだよ!!」

 

『……いつか「みんなが誇れる赤龍帝になる」と言った時の感動を返せ……』

 

 匙との一戦にて、実はかなり感動していたドライグである。

 やっと宿主が誇り高きドラゴンとして歩み始めたと思ったところに、これだ。一誠らしいと言えばそれまでなのだが、もう少しどうにかならないものだろうか?

 そんな想いなどつゆ知らず、一誠はついにおいおいと涙まで流し始めた。どれだけ女性の乳房に執着があるのだろう。ドライグには全く理解できない感覚だった。

 

「なあドライグ、何か戻る方法はあるんだろ……?」

 

 すがりつくように天を見上げる相棒は、何というか哀れだ。

 ドライグは魂だけで嘆息した後、返答する。

 

『ああ、ある』

 

「本当か!?」

 

『だが難易度はかなり高い。相棒なら出来ないことも無いだろうが……』

 

「それでもいいから教えてくれ! どんなに苦しくても、絶対に成し遂げて見せるぜ!!」

 

 希望の存在を知った途端、強い意気込みで立ち直る一誠。

 何をするのかすら一切説明していないのに、既に達成する気なのだ。彼は弱く、目立った才能も無いが、その意志力はドライグも評価するところだった。

 

『仕方がない……。方法とは、単純にセイクリッド・ギアを成長させるだけだ。お前が強く願えば、ちょうどいい具合にシステムが肉体と魂を繋ぎなおしてくれるだろう。だが先ほども言ったように、今の相棒では難易度が高い。相棒は最近神器を急成長させたばかりだし、ここに在るのは精神と魂だけ。無理ではないが、時間がかかることは覚悟しておけ』

 

「でもやるしかないんだろ? ならやるさ」

 

『……いいだろう。では――』

 

『話は聞かせてもらったわ!!』

 

 ドライグが説明しようとしたその時、間に割って入るように声が響く。

 そちらに振り向けば、一人の女性がドヤ顔で待ったをかけていた。

 スレンダーな身体にスリットの入ったドレスを纏った、金髪の美女だ。ややウェーブのかかった髪をなびかせ、こちらに歩いてくる。

 

『……エルシャか。どうしてお前がここに?』

 

 突然現れた謎の美女を前に、言葉を返したのはドライグだった。

 美女は親しげな口調でそれに答える。

 

『何だか騒がしくなってきたから出てきたのよ。こんな時に奥でのんびりやってるわけにもいかないでしょ?』

 

「えっ、と……どちらさま?」

 

 ドライグは知っている人物のようだが、一誠はこのエルシャと呼ばれた女性を見たことが無かった。

 ここに居るということはおそらく残留思念なのだろうが、それにしても感情豊かだ。

 

『ああ、彼女はエルシャ。歴代でも一・二を争う実力を持っていた赤龍帝だ。女性では最強になる』

 

『よろしくね、ボク♪』

 

 ウィンクをして答えるエルシャは、じろじろと一誠を観察し始めた。

 

「な、なんスか……?」

 

 まるで品定めをされているかのようだ。と言うか、実際されているのだろう。

 しばらくされるがままになっていると、エルシャは優しく微笑んだ。

 

『あなたが今代の赤龍帝ね? ちょっと頼りなさげだけど、良い目をしてるわ』

 

「あ、ありがとうございます……?」

 

 何の意図があるかはわからないが、どうやら御眼鏡に叶ったらしい。

 そんなエルシャにドライグが突っ込む。

 

『おいエルシャ、いったい何をしに来た。俺は今から相棒を脱出させなければならんのだ。あまり邪魔をするな』

 

『あら、そんな邪険にしないでよドライグ。かつての相棒同士じゃない。それに、彼をここから出すなら協力者がいた方がいいでしょ? あなたと二人きりでやるよりは、いくらか効率が良くなると思うんだけど』

 

『……まあ、そうかもしれないが』

 

『決まりね。それじゃあ他の人にも協力してもらいましょう』

 

『他……? まさかエルシャ、ベルザードもここに来ているのか?』

 

『いいえ、ベルザードはお留守番。忘れたの? ドライグ。ここには最近になって意識を取り戻した思念がいるでしょう?』

 

「それってもしかして……」

 

『俺だ。兵藤一誠殿』

 

 かかった声に振り向けば、そこには着流しを着た男が一人。

 200年前の赤龍帝にして現・魔剣バルムンクの担い手である侍だった。

 

 言葉を紡ぐ彼の目はかつて見た憎悪に燃えるそれではなく、人間らしい色を湛えている。陰気な雰囲気を一転させて生気すら感じさせる男の姿に、一誠とドライグは驚きを隠せない。

 そんな彼らをよそに、エルシャは話を続ける。

 

『さあ、やりましょうか。これから私たちが、未熟なあなたに赤龍帝の戦い方を叩き込んであげるわ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……」

 

 桃色のつややかな唇からため息がこぼれる。

 兵藤邸の自室にて、リアス・グレモリーは課せられた業務をこなしていた。

 上級悪魔と言えども一つの町を管理していくのは相応の手間と労力が必要となる。いくらソーナと昼夜に分けて分担しているとはいえ、学園生活や眷族の主としての活動も含めてリアスたちに休みは無い。

 特に最近は『禍の団(カオス・ブリゲード)』によるテロ活動もあり、町の監視には注力している。町全体に張り巡らせた結界より流れてくる情報を分析し、異常な存在が紛れ込んでいないか毎日精査するのだ。今は朱乃が処理したそれらの情報を確認しているところだった。

 

 地道な作業はそれ故に集中力を要する。

 精査の結果、結界が認識した情報には特に異常は見られなかった。そのことに安堵し、同時に憂鬱な感情が芽生えるのを自覚する。

 ――本当に異常は起きていないのだろうか?

 ここ最近、ずっとそんなことばかり考える。

 

 思い起こすのは妖刀『黄昏の牙』、そして金行鬼『アーサー・ペンドラゴン』のこと。

 彼らが学園を襲撃してから、もう五日が経つ。

 襲撃者が町に侵入してきた時、リアスたちは何も感じ取ることができなかった。監視結界は正常に動作していたのにも関わらず、である。

 

 魔人の誇る超絶の式神、六天将の独立行動については報告を受けている。

 隠密性に長け、その実力は一体一体が最低でも龍王クラス。最大攻撃力に至っては神にすら匹敵する冗談のような怪物だと言う。

 今の結界にはアザゼルとアジュカ・ベルゼブブによる改良が加えられているが、それでも穴はあるはずだ。はたしてその時、リアスたちは敵に抵抗できるのか。

 もしも鬼神が町に紛れ込んでいたら……そう思うと気が気でない。おそらくはソーナも同じ気持ちを味わっていることだろう。

 それに加え、リアスには個人的な心配事があった。

 

「……ふぅ」

 

 本日の作業を終えた彼女は、静かに席を立ち自室を後にする。

 廊下を歩いていると、にぎやかな声が階下より響く。時刻は夕飯時。その準備がもうすぐ終わるのだろう。

 声を背後に、一つの部屋を訪れる。

 扉を開き明かりを点けると、大きなベッドに一人の少年眠っていた。

 

(イッセー……)

 

 少年の寝顔を眺め、その名を心中で呟く。

 彼女の『兵士』兵藤一誠は未だ目覚めていなかった。

 命に別状はない。肉体的には健康そのものだ。しかし、意識が戻らない。

 アザゼルが解析した結果によると、今の一誠は魂を神器に封じられた状態にあるらしい。神滅具の防衛反応か、それともドライグの介入によるものかは不明瞭だが、『黄昏の牙』から一誠を保護したのだろう、とのことだった。

 

 布団をめくれば、彼の左手には宝玉を損傷させたブーステッド・ギアがある。

 一誠が死んだとき、この赤き籠手は消滅する。言葉を発さず、身体を動かすことも無いが、この中で一誠は生きているのだ。

 しかしこれ以上眠りつづけるならば、流石に一誠の両親を含め周囲を誤魔化しきれなくなる。

 そのため明日、ヴァーリと回復した匙の協力も交えてアザゼルがさらなる調査を行うことになっていた。だがその結果、打つ手が見つからなかったなら――。

 

(……我ながら情けないわね)

 

 思考がネガティブになっていることを自覚し、頭を振る。

 眷族の主たる己が、ここまで弱気になってどうする。一誠は生きているのだ。きっとどうにかなるはず。

 眠る彼の頬に手を置き、そのぬくもりを感じ取る。そうして額に一つ唇を落とせば、心の内よりわずかに勇気が湧き上がる気がした。

 

 部屋を出るべく振り返ると、扉の前に誰かが立っているのに気付いた。

 少女と見紛う華奢で小柄な体躯。人形めいた金髪赤目の容姿は――。

 

「ギャスパー……?」

 

 ギャスパー・ヴラディその人である。

 今のギャスパーは旧校舎の自室から出て木場と共にマンションで暮らしている。その彼がこんな時間に何故ここに。

 疑問を巡らせるのもつかの間、ギャスパーが口を開く。

 

『久しぶりだね、リアス部長』

 

 発せられた声はどこか深いところから響くような、冷たい空気を孕んでいる。常の気弱なギャスパーのものではない。

 リアスはその声の正体を知っている。

 

「あなたはギャスパーの……!」

 

 ギャスパーの瞳には、ほの暗い影が渦巻いている。その輪郭はうっすらと闇に包まれていた。

 目の前の彼は会談の後に出会ったことがある、ギャスパーの別人格を名乗る存在だった。

 

『そう警戒しないでほしいな。僕はあなたたちに危害を加えるつもりはない』

 

 寂しげに微笑んだギャスパーは、リアスの横を通り抜けて一誠に近づく。

 そうしてブーステッド・ギアに触れ、何かを把握したように一つ頷いた。

 

「……何故あなたがここに?」

 

 その様子を見て話しかける。彼はいったい何の用でここにやってきたのだろうか。

 ギャスパーは一誠の左手から視線を移し、リアスを見つめる。そうして口にした言葉は、リアスにとって意外なものだった。

 

『赤龍帝を起こそうと思ってね』

 

「え?」

 

『だから彼を起こすのさ。いいかげん、毎日がうるさくて敵わない。さあ、リアス部長――』

 

「ちょ、ちょっと待ってちょうだい! いきなりすぎて訳がわからないわ。どうしてあなたにそんなことが出来るの?」

 

 唐突な展開に声を上げるリアス。

 ギャスパーはそれもそうか、と説明を始めた。

 

『どこから話そうか……そうだね、神器「停止世界の邪眼(フォービドゥン・バロール・ビュー)」――これを制御するために僕……ギャスパーは訓練をしていた。アザゼル先生たちの協力を受けてね。結果としてそれは、ある程度実を結んでいるわけだけれど……』

 

 それはリアスも知っている。訓練の結果、ギャスパーは神器を制御できるようになっていた。しかしそれが今の状況とどのような関係があると言うのだろう?

 ギャスパーは続ける。

 

『その過程で僕は赤龍帝の血を何度か飲んだ。ドラゴンの血は吸血鬼の力を高める効果があるからね。その時、僕と赤龍帝――イッセー先輩の間に「繋がり」が出来たんだ』

 

「つながり?」

 

『うん。普通の吸血鬼じゃ起こらないことだけど、僕の場合はそうなった。今も声が聞こえるよ。どうやら彼も戻ってこようと必死みたいだ』

 

 ギャスパーの話が本当ならば、うるさい、とはそのことなのだろう。

 

「イッセーは何って言っているの?」

 

『……「部長のおっぱい揉みたい」』

 

「…………」

 

『あとは、触りたいとかつつきたいとか吸いたいとか……』

 

「うん、わかったわ。間違いなくイッセーね」

 

 それは確かにうるさいと思うわけだ。

 日ごろのギャスパーからそんな様子は見られなかったので、おそらくこの別人格を名乗るギャスパーだけが聞いていることなのだろう。

 いったい何時からそうなっているのかはわからないが、流石に同情を禁じ得ない。

 

『最初は幽かだったけど、今ははっきりと大きな声で聞こえる。こんなことではおちおちと寝てもいられない。だから彼を起こすことにした。悪いけれど、リアス部長には協力してもらうよ』

 

「構わないわ。それで、どうすればイッセーを起こすことができるのかしら?」

 

 ギャスパーの申し出に、リアスは一も二も無く頷いた。

 一誠が今すぐ目覚めると言うのなら、それ以上のことは無いだろう。

 ギャスパーは答える。

 

『揉ませればいいんじゃないかな?』

 

「え?」

 

『だから、「おっぱい」をさ。本人が揉みたいって言ってるんだから、揉ませてあげればいい』

 

「そ、それで起きるの……?」

 

 ギャスパーの提案に、リアスは困惑するしかない。

 神器、それも神滅具に起こった異常事態が乳房を触らせるだけで直るなど冗談もいいところだ。そんなことでどうにかなるなら誰も苦労はしない。

 普通に考えればそうなる。だがしかし、リアスは思った。

 一誠はかつて乳をつついて禁手を安定化させた男である。もしかすると、今回も何かが起こるかもしれない。

 理屈も何も全く以って理解できないが、揉ませるだけならタダだ。試してみる価値はあるだろう。

 と、リアスは自分を納得させた。……納得させてしまったとも言える。

 

「……わかったわ。イッセーのためだもの」

 

『え、わかっちゃうんだ』

 

「何か言った?」

 

『いや、何も。じゃあリアス部長、僕は後ろを向いているから、その間にお願いします』

 

 そう言ってギャスパーは扉の方へ移動し、リアスたちに背を向けた。

 

「…………」

 

 上半身だけ服を脱ぎ、乳房を露出させる。そうして眠る一誠の左手を取った。

 きっと傍から見ればこの光景は異常以外の何物でもないだろう。それを頭の片隅で自覚しつつ、籠手に包まれた一誠の手を乳房に近づける。

 

「……あん」

 

 肌に触れる籠手の硬い冷たさに、思わず吐息が漏れる。

 そうして数秒。何も起きない、そう思った次の瞬間だった。

 

『――この気配は!? 間違いない、部長のおっぱいだッ!!』

 

『なんだ、どうした相棒! とうとう頭がおかしくなったか!?』

 

『部長のおっぱいが、俺に触れている。その気配がはっきりわかる!! 今、俺の中で新しい何かが目覚めたっ! 今ならやれる気がする!! うおおおおおっ、待っててください部長!! いくぜおっぱい!!!』

 

『おいやめろ相棒、そっちに行くなッ!! 目覚めさせるなら、せめてまともに修行しろッ!!!』

 

 宝玉から声が響くと、赤龍帝の籠手が眩く輝きだす。

 

「え――?」

 

『うわあ、本当に目覚めちゃったよ。――冗談だったのに』

 

 赤き籠手がその輝きを加速度的に増大させれば、真っ白な光が辺りを包みこみ――。

 

『くそッ!! 俺たちの苦労は何なんだ……っ、相棒おぉぉぉぉぉッ――――!!!』

 

 ギャスパーの頭の中で、ドライグの叫びがこだまする。

 

 後日、事の顛末を聞いたサーゼクスは、広報活動の一環として特撮ヒーロー『乳龍帝おっぱいドラゴン』の制作を企画。赤龍帝ドライグがかつて抱いた不安は、加速度的に現実と化していくのだった。

 

 




遅れてしまってまことに申し訳ない。超お待たせしました、更新です。
色々と周囲の環境が変わり修羅場だったもので、書く時間が中々……。
今後はまだ何とかなるはず。

今回は赤龍帝の籠手への影響と、スイッチ姫不可避。そんな話。

それはそうと、アニメ三期始まりましたね。もう5話の放送終わってるタイミングですが。
まったくなにやってんだと。
何はともあれ黒歌美人で私うれしい。でもフェンリル弱体化しててちょっと悲しい。
ロキさんは何かデュエルしそうな外見で驚きました。
アーサーは大分イケメン。しかしスーツと言うより執事服っぽいです。
話の再構成には賛否ありそうですが、個人的には有り。覇龍楽しみですね。

次話は推敲済ませてすぐに投稿します。


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第五十三話:ディオドラ・アスタロトの憂鬱

「ううむ……」

 

 翌日、修復された駒王学園の教室にて、ゼノヴィアが唸る。

 腕組みをして見つめる先には彼女の携帯電話あった。

 

「ゼノヴィアっちー、じっとケータイ見てどうしたの?」

 

 そんな彼女に声をかけるのは三つ編み眼鏡の少女、桐生藍華。

 先日、緋剣に操られたことでボロボロになった身体は既に癒えている。堕天使の記憶操作技術によってあの時の出来事も忘れており、今の彼女は「危ないところをゼノヴィアに助けられた」という程度の認識しか持っていない。

 

「ああ、師匠からの連絡を待っている」

 

「師匠って、例の『100人は殺してそうな悪人面の、マフィアみたいな大男』だっけ? 何か約束でもしたの?」

 

「うん。私の親友に関する大事な用事なんだ。メールで伝えてくれると言っていた」

 

 桐生の言う人物とは、言わずもがな修太郎のことである。

 あの夜、死亡したイリナは修太郎の連絡により天界へと搬送されることになった。

 天界が新たに開発したという『御使い(ブレイブ・セイント)』システム。それを用いた天使への転生でイリナの蘇生を図るためである。その今後に関する報告が、修太郎からあるはずなのだ。

 

 はたして彼女はどうなったのか。襲撃後の翌日に「無事だ」とは伝えられたものの、正直気になり過ぎてここ最近あまり眠れない日々が続いている。

 『御使い』の根本は悪魔の転生と同じモノらしいが、新システムであるだけに何があるかわからない。早く直接会って安否を確かめたかった。これは、アーシアも同じ気持ちだろう。

 

「おいイッセー、快気祝いに今夜集まってDVD観賞しようぜ!!」

 

「一週間近く休んでたんだから、色々溜まってんだろ? ちょうど昨日レアものを仕入れたんだ!」

 

「おおっ! マジか!」

 

 教室の一角で同級生の男子生徒――確か松田と元浜――が、一誠と盛り上がっている。

 眠っていた一誠も昨日目覚め、本調子ではないにしろ元気に登校していた。

 原因不明の昏睡とのことだったが、リアスが何とかして目覚めさせたらしい。何故か当のリアスが微妙な表情だったのは気になったものの(あと何故かギャスパーが現場にいた)、眷族の皆が気にかけていただけあってこれは朗報だった。アーシアなどは涙を流して一誠に抱き着いたほどだ。

 あとはイリナの件がはっきりすれば自分も含めて皆安心することができる。

 

「やっぱその師匠って人、気になるわ~。ゼノヴィアっち、写真とかないの?」

 

「実は一枚も持っていないんだ。何度かこっそり撮ろうとしたんだが、気配を察知されて躱されてしまう」

 

「……それって隠し撮りするからじゃない?」

 

 しばらく桐生と修太郎について話していると、始業開始のチャイムが鳴る。直後に教室の扉が開き、担任教師が入ってきた。

 朝の挨拶がつつがなく行われる。しかし、今日のホームルームは少しばかり違った。

 

「えー、この時期に珍しいことですが、本日よりこのクラスに新たな仲間が増えます。どうぞ、入ってきて」

 

 そうして教室に入ってきた人物は――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「師匠! 師匠!」

 

 自室の扉を開くと、ゼノヴィアがいた。

 彼女の後ろには苦笑いするイリナの姿。二人とも駒王学園の制服に身を包んでいると言うことは、学園から帰ってきたところなのだろう。

 何やら興奮しているゼノヴィアを一瞥した修太郎は、彼女の頭越しにイリナへ声をかける。

 

「久しいな。身体は大丈夫か?」

 

「おかげさまで! ほら!」

 

 元気に言葉を返したイリナは祈るように手を組むと、後背から光を放つ。輝きが治まったそこには、純白の翼があった。頭上には光の輪が浮かんでいる。

 今のイリナは人間ではない。転生天使である。

 

「問題ないようだな。確か……ミカエル殿の『(エース)』だったか」

 

「そう、ミカエルさまの栄えあるエース! 一度死んじゃったのは運が悪かったけど、何事も結果オーライよね。むしろラッキーと言ってもいいわ! と言う訳で修太郎さん、これからもよろしくお願いします」

 

「ああ、聞いている。こちらこそよろしく頼む」

 

 ぺこりと頭を下げるイリナを見て、修太郎は答える。

 一度死んだとなるとショックの一つでも受けそうなものだが、どこまでもポジティブな少女である。まあ、彼女からすれば目覚めたら既に天使という状況だったのだから、実感など湧くはずも無いのだが。

 直後、思い出したように鞄を漁り始めたイリナは、何かを取り出して修太郎へ差し出した。

 

「はい修太郎さん。これ、返すわ」

 

「これは……」

 

 彼女の手には銀のロザリオが乗せられていた。天の祝福を内包する十字架は、エクソシストが扱う聖なる道具だ。

 修太郎はそれに見覚えがあった。何を隠そう、そのロザリオはかつてイリナから贈られ、しばらく修太郎の所有物だったものだからだ。

 

「私が引きこもってる時に修太郎さんが渡してくれたロザリオよ。あの時はどうもありがとう、ずいぶん時間が経っちゃったけど……」

 

 そう差し出された手に対し、修太郎は断る理由を持たない。ありがたく受け取ることにした。

 

「気にする必要は無い。しかしこのロザリオの力、何やら強くなっているようだが……」

 

 修太郎の手に納まったロザリオは、以前よりも強い力の輝きを放っている。個人的な見立てでは、上級悪魔ですら手傷を負うレベルに見えた。まるで一級品の聖具である。

 その疑問にイリナが微笑んで答える。

 

「ミカエルさまと私の祝福で、ロザリオの力を強化してあるわ。これなら武器としても使えるでしょ?」

 

 修太郎は神には祈らない人種だ。神道の神々ならばまだともかく、聖書の神となればなおさらだった。正直な話、ロザリオなど持たされても使いようが無いのである。こちらの思考が見透かされていたことに、内心で苦笑する。

 

「あ、でも気が向いたら祈りをささげるのに使っても良いのよ? 改宗は歓迎するわ。いえ、むしろ今から一緒に祈りましょう!」

 

「……それは遠慮する」

 

「えー」

 

 そんな会話をしていると。

 

「私を無視するなっ!!」

 

 視界の下方向にある青髪が叫んだ。

 

「どうしたゼノヴィア。腹でも痛いのか」

 

「違う!」

 

「ああ、イリナが学園に転入したことか? イリナ本人から『お前たちを驚かせたい』と口止めされていてな。悪かったとは思うが……」

 

「それもまあ驚きはしたが、違う!」

 

「ならば、いったい何だ」

 

 変わらない無表情の修太郎に、ゼノヴィアは目を輝かせながら答える。

 

「師匠が私たちを鍛えてくれると聞いた! 本当なのか?」

 

「ああ、そのことか。確かに、アザゼル殿から若手指導の協力を打診されている」

 

 新たに現れた強敵、六天将の侵攻に対抗するため、三大勢力は戦力を強化する必要があった。ゼノヴィアが言っているのはその件に関する話だ。

 修太郎(と言うより、実質的にはジョーカーチームそのもの)に話が回ったのは、若手対抗ゲームにおけるシトリー眷族の大躍進が大きな原因となっている。個人的にあまり乗り気ではないのだが、戦力が増えるのならば悪い話ではない。成功すれば、周囲への被害も少なくなるだろう。はたしてどれほどのことができるかはわからないが。

 

「そうか!」

 

 その言葉を聞いて、ぱっと笑顔の花を咲かせるゼノヴィア。とても嬉しそうである。

 

「まあ協力と言っても、どうお前たちに関わるかはまだ知らされていない。あまり期待はするな」

 

「ああ、私は頑張るぞ! なあ、イリナ!」

 

 一応釘を刺しておくが、あまり理解している様子は見られない。

 そんなゼノヴィアに、イリナは衝撃的なひと言を告げた。

 

「そうね。私もジョーカーチームで働くんだし」

 

「は?」

 

 絶句するゼノヴィア。親友が発した言葉の意味をしばし考える。

 

「イリナ、今何だって……?」

 

「だから、私今度ジョーカーチームに配属されることになったの」

 

「でも、学園では駒王町で働くスタッフだと……」

 

「それと兼任になるのかしら? 実質的にはバックアップね。細かい部分でお手伝いをするの。流石にあのメンバーに混ざって主力にはなれないわ」

 

「……師匠?」

 

 修太郎の方へ振り向くと、頷いて答える彼が見えた。

 

「本当だ」

 

 イリナの言うとおり、彼女はミカエル直属の配下としてジョーカーチームと合流する予定になっていた。修太郎は前もってアザゼルから聞いていたことを説明する。

 

 理由は主に三つ。

 一つは、単純にジョーカーチームの人手不足を補うため。

 神出鬼没の鬼神たちに対応するのに、今の人数では追いつかない可能性がある。少数精鋭は攻め手こそ強いが、守る側に立つと弱いのだ。とはいえ、新規に誰かを入れるにしても、チームと釣り合うほどの実力者は既に他の役割があてはめられている。そのため転生天使になり立てで、未だ目立った役職の無いイリナに白羽の矢が立てられた。

 

 次に、『御使い』であるイリナとデュリオは相互の強化を図ることが出来るため。

 トランプになぞらえて創造された『御使い』は、トランプゲームの役を組むことで能力を引き上げることが可能だ。イリナとデュリオであれば、Aのワンペアを組める。弱い役なので強化度合は低いが、それでも運用する価値はあるだろう。

 

 そして三つ目。これが最も大きな部分である。

 唖然とするゼノヴィアに修太郎は告げる。

 

「浄化の聖剣オートクレール……イリナはそれに選ばれた」

 

 オートクレールは、デュランダルの担い手として名高い聖騎士ローランの盟友であるオリヴィエが操ったとされる聖剣である。

 真に清らかな者しか持つことを許されず、その清廉な波動はあらゆる邪念を吹き飛ばし、憎み争う心を浄化すると言われている。

 

 目下の強敵である魔人、高円雅崇は呪いと怨念を操る方法に長けた術者だ。その実力は達人という評価すら生ぬるく、異形化の『蛇』を見てもわかるとおり、禁術によって強力な邪気と呪いを持った怪物を生み出す力を持っている。

 そういった存在に対しオートクレールの特性は絶大な効果を示すと予想されたため、天界はかねてよりこの聖剣の適合者を探していた。

 そこに現れたのがイリナである。転生天使になったことで聖剣使いの因子が強化され、彼女はオートクレールを操るに足る資格を得た。長らくゼノヴィアと行動を共にしていたことも関係しているらしい。

 

 ジョーカーチームは対テロ組織の攻撃面における最前線の一つ。その中で最も機動力の高い部隊であるため、有事の負担は相当なものとなる。相手に六天将まで追加されたとなれば、戦力強化も必要だろう。

 イリナ本人の実力不足は『御使い』の特性で補うことが可能であり、オートクレールは黒歌の黒炎、美猴の浄化闘気に次ぐ特効戦力となる。退魔鋼糸を扱えるということも地味に評価へと繋がり、今回の人事が発令されたのだ。

 イリナが言ったように、今はまだバックアップ……後方要員としての部分が大きいのだが、鍛えれば前線にも立てるようになるだろう。

 

「……と言う訳だ。確かにイリナは俺たちのチームに加わるが、今はまだ余程切羽詰まっていない限り前線には出せない。お前と同じだ。納得したか?」

 

「う、うう……」

 

 イリナは天使長ミカエルの直属、ゼノヴィアは魔王の妹の眷族。その立場には大きな隔たりがある。納得するしかなかった。

 言い聞かせるような修太郎の言葉にゼノヴィアは頷く。

 

「お前が強くなるのなら、いずれ共闘もできるだろう。今は励むことだ」

 

 そう言って、修太郎はゼノヴィアの青髪を撫でつけた。

 個人的に、彼女たちと魔人をぶつけるのはあまり良いこととは言えない。だが彼女たちが組織に属する以上、修太郎が口出しできる事柄でもない。

 しばらくくすぐったそうに目を瞑ったゼノヴィアは、ぐっと拳を握って修太郎を見据える。

 

「……ああ、絶対師匠に追いついて見せるからな!!」

 

「……いいかげん師匠と呼ぶのはやめろ」

 

「師匠が師匠になるのなら、その相談を聞いてもいいぞ」

 

 ブレない少女に、修太郎も慣れたものだ。「馬鹿を言うな」とその額を指ではじく。

 

「二人とも、俺はこの後用事がある。悪いが――」

 

 修太郎が言葉を続けようとした、次の瞬間だった。

 修太郎の背後、部屋の中から凄まじいまでの殺気が放射される。

 見覚えのある気配の方向へと視線を移し、そしてゼノヴィアは見た。夕刻の緋色を思わせるオーラが、まるで触手のようにこちらへ殺到しているのだ。

 

「ちっ……」

 

 修太郎は珍しく苛立たしげに舌打ちすると、伸びてくるオーラに手を伸ばした。指先が触れた瞬間、場を満たす殺気は一気に霧散する。

 

「悪いな」

 

 突然の出来事に驚くゼノヴィアたちにそう告げて、修太郎は部屋の扉を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クロ、やはり駄目か」

 

「うーん、そうね。刀の力が強すぎて……と言うより私の力と相性が悪すぎて封印も抑制も出来ないにゃん」

 

 部屋の中に戻った修太郎は、緋色の太刀と向かい合う黒歌に声をかけた。

 黒歌の周囲には無数の術式・魔法陣が展開されているが、それらはすべて食い破られたかのように破損している。机の中央に置かれた太刀――『黄昏の牙』が、退魔の力を放射して術をはねのけたのだ。

 

 先日の夜リアスたちに見せたように、『黄昏の牙』は人外、特に魔に属する存在に対し明確な排除の意志を持っている。それはもはや本能的なものであるらしく、相手が強力な力を宿す存在であるほどに強い反応を示し、下手をすれば修太郎が握っていてさえオーラを乱すことがあった。

 

 ジョーカーチームは修太郎以外の全員が人ではない存在だ。この事実は、今後の活動に支障を与えかねない。

 天使であるデュリオや、半神半人のロスヴァイセのような魔の気配を持たない者には妖刀の反応もわずかなものだが、他のメンバーは違う。特に天龍と魔王の力を受け継ぐヴァーリに対しては、彼との交戦を煽りかねないレベルで反応を強めていた。

 黒歌に関してもまた然り。鞘の中に納まってさえ気配を飛ばしてくるほどである。

 

 疲れたにゃー、とへたり込む黒歌の背中を支えると、またも妖刀が力を放射する。

 それを視線で黙らせて、彼女の様子を窺った。

 退魔力の影響か、顔色はあまり良くない。悪魔で妖怪の彼女からすれば、常に首筋へ刃物を突きつけられているようなものだっただろう。

 それにしても、大悪魔、大妖怪と言ってもいい黒歌にここまで疲労を与えるとは。どうやら修太郎という使い手を得てから、この妖刀はさらに力を増しているようだった。

 

「……この刀は使えない。下手をすると皆の足を引っ張ってしまう」

 

「じゃあどうするにゃん?」

 

「…………」

 

 『黄昏の牙』は、駒王町へと移動するにあたって多数の魔物を討滅している。

 それらの大半は野良の妖魔やはぐれ悪魔に分類されるならず者だが、地上を縄張りとする上級悪魔も数人ほど被害を受けていた。

 人間界で活動を許される悪魔――特に欧州などのキリスト教圏を管理する者たちは、長年天使・堕天使と争ってきただけあって相応の実力を持っており、緋緋色金の暴走に際しては病院送りになった者こそいるものの、一人の死者も出てはいなかった。

 今回はまだ良かったが、このままの状態で放置すれば、いずれまた同じことが起きるだろう。それは修太郎としても本意ではない。

 

「それなりに時間はかかるだろうが、調整が可能な相手に当てはある。その方に預けよう」

 

 確かにこの妖刀は強力だ。聖剣を持てず、降魔剣も使えない修太郎にとって、非常に大きな武器となるだろう。

 だがその力は、黒歌に危険を及ぼす可能性を孕んでいる。ならば修太郎にそのようなものを使う選択肢は無かった。それがたとえかつての愛刀であろうとも、である。

 

「でもしばらく手放すとなると、シュウの武器が無くなるにゃ。ドワーフの新しい剣はまだなんでしょ?」

 

「それについては、アザゼル殿から代わりの武器を貸してもらっている。当分はどうにかなるだろう」

 

 そう言って、修太郎は一振りの剣を取り出す。鞘に収まったそれは、両刃の長剣だった。

 抜くと刀身より膨大な質量のオーラが溢れだす。オーラは、光と闇が混ざったかのような色合いを示していた。

 

「……聖魔剣?」

 

「いや、『閃光と暗黒(ブレイザー・シャイニング・オア)の龍絶剣(・ダークネス・ブレード)』だそうだ」

 

「ぶれ……だーく……? 何にゃ? それ」

 

「『閃光と暗黒(ブレイザー・シャイニング・オア)の龍絶剣(・ダークネス・ブレード)』。よくわからないが、人工神器の試作品らしい」

 

「ふーん、変な名前」

 

 修太郎も否定はしない。テーブルの上の緋緋色金を鞘に収め、魔法のベルトポーチにしまいなおす。

 そうして座りこむ黒歌に手を差し伸べた。

 

「行くぞクロ。疲れているところ悪いが、仕事の時間だ」

 

「んー……やっぱきついにゃー。ねえシュウ、運んで?」

 

「それくらいなら、お安い御用だ」

 

 黒歌を横抱きに抱え上げると、彼女が編み上げた転移方陣が起動する。

 次の瞬間、部屋の中には誰もいなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

                  ―○●○―

 

 

 

 

 

 

 

「――はあっ!? はぁ、はぁ……」

 

 窓の外から聞こえてくる小鳥の鳴き声に、ディオドラ・アスタロトは目を覚ました。

 普段ならば微笑みを張り付けた顔は焦りと恐怖に歪み、全身を汗で濡らしている。乱れに乱れた呼吸を整えつつ周囲を見渡せば、高級家具が散乱する部屋が見えた。紛れもなくディオドラの自室だ。

 

「夢……? くそっ!!」

 

 苛立つディオドラは左腕をベッドに叩き付けようとし――それが無いことに気付く。

 

「ううっ……ぐ、ッ……!」

 

 瞬間、痛みにうずくまる。

 既に存在しない左腕から発せられる痛みは、異物で神経を挟み込まれたかのような辛さを強いる。

 何故だ。どうしてこうなった。

 

「あいつの、せいだ……ッ!」

 

 暮修太郎。

 1年以上前、突然現れて「お楽しみ」を邪魔し、ディオドラの眷族を半壊させた男。毎夜見る悪夢の登場人物でもある。

 寝間着に包まれた右腕をまくれば、男から受けた傷跡が残っている。良く見なければわからないほど薄くなってはいるが、無数に交差する斬傷の痕はおそらく一生消えないだろう。

 

 傷を見るたびにフラッシュバックする映像は、星の少ない闇夜の中で蒼く輝く長身の影。

 その腕が振るわれるたびに、血が舞い、肉が飛び、何かが両断されていく。こちらが放つ魔力の攻撃は一切直撃せず、それどころか拳の一撃で弾き飛ばされる。まるで悪夢のような光景は、紛れもない現実としてディオドラの命を飲み込まんとしていた。

 あの時命を拾うことができたのは、ディオドラの『僧侶』がシスターの少女へ記憶混濁の魔力を撃ち込むことに成功し、修太郎が追撃を止めたからだ。命を懸けた『僧侶』の活躍によって、ディオドラは逃げおおせることができた。

 

 修太郎に殺された眷族は『戦車』2名、『騎士』1名、『僧侶』1名、『兵士』3名の計7名。どれもディオドラが選び鍛えた精鋭だ。それを一夜にして失うなどと、誰が予想できただろうか。

 思えばあれと出会った時から、自分の人生はおかしくなった。

 あの損失さえ無かったならば、アガレスに負けることも無く、両親に無様を見せることも無かった。アーシア・アルジェントにも早い段階で再会できていたはずだ。そもそも、彼女をグレモリーなどにとられる事態も起こらなかったと、ディオドラはそう信じていた。

 

「くそっ……!」

 

 ディオドラは、暮修太郎から逃げていた。

 最初は報復の意志もあったが、調べるうちに自分の手におえる相手ではないことがわかったからだ。

 天に愛され過ぎた才能は最上級悪魔すら滅ぼし得る。それは例えば、古くは各地の英雄と呼ばれる者たちであり、近代では教会のヴァスコ・ストラーダとエヴァルド・クリスタルディの二大巨頭が挙げられるだろう。暮修太郎はそれらと同種の人類だった。

 ディオドラに出来ることは、短い人間の生を人知れず嘲笑うぐらいだったのである。

 

 そのスタンスに危機が訪れたのは三大勢力の和合が成立した直後のこと。なんと現魔王たちは暮修太郎を雇うなどと言い出したのだ。

 理由はテロリスト集団『禍の団』に対抗する戦力とするため。

 それと併せて修太郎の有用性を周知するべく、現白龍皇ヴァーリ・ルシファーとの戦闘映像も公開された。内容は一言、『化け物対化け物』。規格外の人間に危機感を抱く者もいないではなかったが、最強の魔王が従えるならばと、結果的に多くの上級悪魔は納得した。

 その事実はディオドラにとって衝撃的だった。何せ絶対に出会うまいと思っていた相手が、あちらからその距離を急速に縮めてきたのだ。しかも、最悪誰かの眷族として悪魔社会に加わる恐れもあると言うのだからたまらない。

 

 その直後に企画された若手対抗レーティングゲームなどは、厄ネタ以外の何物でもなかった。

 冥界全土が注目するそれは、魔王の近くにいる修太郎も当然目を通すだろう。果たしてディオドラの存在に気付いた時、相手はどうするのか。ディオドラは現魔王ベルゼブブの血縁だ。まさか襲い掛かってくることはないだろうが、しかし相手は彼の悪名高き『悪魔嫌い』の月緒一族。しばらくまともに眠れない日々が続いた。

 

 ディオドラの心労はそれだけで終わらない。

 三大勢力が和合するに当たって、各勢力が被った被害の整理と清算をある程度行うことになったのだが、過去ディオドラが働いた所業――聖女やシスターに対する誘惑・誘拐行為――はそれに抵触する恐れがあった。

 

 その結果、命を失うようなことは無いとしても、今まで紳士の顔で通してきたディオドラだ。一族にとって大幅なイメージダウンになることは避けられない。旧四大魔王の時代ならばともかく、現魔王政権においてそういった行為は褒められたものではないとされているからだ。その結果、次期当主の座から外される恐れもある。

 修太郎の登場は、ディオドラの立場を危うくする可能性を秘めていたのだ。

 

 案の定アガレスには負け、自身の見立てでもグレモリーに勝てないことは明白。そこに一族からのプレッシャーである。

 頭がどうにかなってしまいそうだった。

 

 そんな時に旧魔王――『禍の団』と接触できたのは僥倖だった。

 使用者に絶大な力を与えるというオーフィスの『蛇』。『禍の団』の作戦に協力することを約束し、ディオドラはそれを入手することができた。

 この判断に迷いは無かった。現魔王政権の方針には内心で嫌気がさしていたし、何よりも修太郎から離れたいという思いが強かったからだ。世界最強の一角であるオーフィスが後ろ盾ということも大きい。

 作戦は、いずれ訪れるだろうディオドラ対グレモリーのゲームにて決行される予定だったのだが――。

 

「僕の……僕の、力……」

 

 ディオドラの右手に集まった魔力は、以前と比べてひどく弱々しいものだった。

 原因は、自身の胸を貫いた退魔の妖刀『黄昏の牙』から受けた傷にある。

 胸から注ぎ込まれた退魔力により、ディオドラはひどい後遺症を負った。それにより魔力総量は半減、出力に至っては3分の1にまで低下、文字通り彼の才能は地に落ちた。

 今のディオドラに上級悪魔としての能力は無い。良くて中級程度、これでは若手対抗のゲームになどとても臨めない。何せ、自身の眷族にすら歯が立たないレベルなのだ。

 

 この後遺症は、おそらく一生治らない。左腕に関しては再生医療である程度まで戻せるだろうが、完治は不可能と言われていた。

 頼みの『蛇』も、腹の中から消え失せているようだった。胸を貫かれた際、『黄昏の牙』の退魔力が消し飛ばしたのだろう。あるいは、今ディオドラが生きているのはそのおかげかもしれない。

 だがこれで今からどうやって生きていけばいいと言うのか。

 

 能力を失ったディオドラは、もはやアスタロト家次期当主ではない。むしろ家にとってはお荷物も同然、良くて種馬が関の山だ。その立場すら、今の状況では危ういときている。

 端的に、ディオドラは詰んでいた。

 

「僕は……僕は、アスタロト家のディオドラだ。……現魔王ベルゼブブの高貴なる才能を引き継いだ悪魔だ。今まで順調に生きてきた。手に入らないものなんて無かった……今までも、これからも……何故だ? どこを間違えた?」

 

 一人呟き続けるディオドラ。ここ最近の彼は、ずっとこうだった。過去を思い出し、どうすればよかったか思案する。

 それは心の均衡を保つ手段であり、自身の「これから」に対する逃避だった。

 

「間違いなんて何一つなかったはずだ。僕は何も悪いことなんてしていない。僕は、悪魔として……」

 

 そして、その呟きに答える者は誰一人としていない。

 そのはずだった。

 

『ええ、あなたは間違っていない』

 

 突如として声が降りかかる。

 それは、ディオドラの右後方――枕元に置かれた宝石細工から発せられていた。

 

『利己的で傲慢、欲望に忠実。悪魔として実に正しい行為ではありませんか。そうでしょう?』

 

「!!」

 

 ディオドラは、慌ててそれに飛びつく。

 その宝石細工は彼に残された唯一の命綱だった。

 

『ごきげんよう、ディオドラ・アスタロト。何やら連絡をいただいていたようですが、何か問題でも?』

 

 宝石から流れてくる声は良く通る男のものだ。

 必死な様子のディオドラとは対照的に極めて冷静で、それでいて友好的な声音を崩していない。

 

「も……問題だらけだッ! キミは誰だ? シャルバを――シャルバ・ベルゼブブを呼んでくれッ!!」

 

『シャルバさまは今席を外していまして、しばらくお戻りになりません。それよりも、少し落ち着いた方が良い。あなたが置かれた状況は、こちらも把握しています。順を追って話しましょう。あなたは何がしたい――いいえ、何をしてほしいのです?』

 

 まくしたてるディオドラを、男の声は受け流す。

 宝石細工の正体は『禍の団』と連絡をとるための装置だった。

 男の言葉にディオドラは呼吸を落ち着ける。傷を負ってより連日、それこそ一日中発信していたのだが、一向に繋がる様子を見せなかったのだ。しかし確かに焦り過ぎていたのかもしれない。

 

「た、助けてくれ」

 

 考えた末、口を突いて出たのはそんな言葉だった。我ながら情けないが、そう言うしかない。

 

『何から?』

 

「な、何?」

 

『助けるとは、何からなのです? 力を失った現状から? 聖職者誘拐に関する追求から? それとも―――今まさにあなたの家へやってこようとしている、現ルシファーの刺客と、暮修太郎たちから?』

 

「な、は――!?」

 

 男が発した最後の言葉に、絶句するディオドラ。

 何を言っているのだ、こいつは。

 

『言ったでしょう? 「あなたの状況は把握している」と。あなたが「禍の団」と通じていることなど、現魔王たちはお見通しなのですよ。むしろ気付かないはずはない。何せ、各神話体系の重鎮が集まるゲーム会場は恰好の襲撃場所ですからね。それに関わる者たちは、最初からマークされていたと言う訳だ。同じく、その過程であなたが過去行ったことについても知っているでしょう』

 

「そんな――いや、ち、違う、それが本当にそうだとしても、キミに何故、今――奴が来るとわかるんだ……?」

 

『おや? 存外冷静ではないですか。それは……』

 

 男がそこまで話すと、屋敷中にチャイムの音が響き渡る。訪問者がやってきたのだ。

 しばらくすると、部屋の扉をノックする音が聞こえる。

 

「なんだ!」

 

 声を張り上げるディオドラに答えるのは、屋敷の侍女だ。扉の向こうからおびえた声音で用件を告げる。

 

「あ、あの、ディオドラさま……訪問の方が――ルシファー眷族のベオウルフさまと、あとお二人……」

 

「……帰ってもらえ」

 

「し、しかし、政府からの用件だと――」

 

「いいから追い返せ! これは命令だッ!!」

 

「は、はいぃっ!!」

 

 慌てて立ち去る侍女の足音を背に、ディオドラは頭を抱えた。

 

『どうします、時間はありませんよ?』

 

 宝石細工の向こうから、男の声が語りかける。

 もしもこのまま政府に捕まったとして、ディオドラはどうなるだろうか?

 テロリストに通じているとなれば、いくら現魔王に連なる一族の者であろうと処罰は免れない。徹底的な尋問の後、死刑か、または永久凍結刑か、それとも終身刑か。

 何にせよ、とても耐えられるものではなかった。そうなれば死んだ方がマシと言うものだろう。だが、自身にそれを行う気概は無い。

 故にディオドラは――。

 

「頼む、僕をここから助けだしてくれ。キミたちの下へ連れて行ってほしい」

 

『それは良いのですが……あなたを助けたことによる私たちへのメリットは、果たして何があるのでしょう?』

 

 再び絶句するディオドラ。この土壇場でそんなことを言い出すとは。

 いや、むしろそれは当然のことなのだろう。誰がメリットの無い相手を助けるというのか。

 

「な、何でもする。僕に出来ることなら」

 

『何でも、と言っても今のあなたにできることなどたかが知れている。そうでしょう?』 

 

 男の声には愉快げな色が混じっている。

 切羽詰ったディオドラとは正反対に、男はこの状況を愉しんでいるのだ。

 

「じょ、情報だ。情報を渡す」

 

『興味深い。ではどうぞ』

 

「アスタロトと交流の深い、ヴァサーゴ家の詳細な情報がある! それと現魔王アジュカや、その眷族についてもだ!」

 

『それだけでは弱いですね』

 

「魔王領の結界を通り抜けるパスを知っている。これなら……」

 

『ふむ、次は?』

 

「っ……!」

 

 言葉に詰まるディオドラ。焦りに支配された頭では、目ぼしいと思える情報はもう思いつかなかったのだ。

 

『きゃあっ! ベオウルフさま、困ります!!』

 

 階下から侍女の悲鳴と慌ただしい音が聞こえる。訪問者が屋敷に押し入ってきたのだろう。

 侵入者とくればしばらくはディオドラの眷族が抑えてくれるかもしれないが、何秒持つかわからない。何せ相手は冥界でも五指に入る『兵士』ベオウルフと、男の話が正しければあの暮修太郎がいるのだ。

 そう、あの暮修太郎が。

 焦りが心を埋め尽くす。冷や汗が止まらない。心臓がうるさく高鳴り、耳の奥にまで響いてきた。

 ディオドラは叫んだ。

 

「僕の祖父や祖母――歴代アスタロト家当主の隠居している地域と、侵入経路を教えるッ!! 捕えて人質にするなり何なりすればいいッ!!」

 

 それは、自分のために一族を売るという、さらなる裏切りの言葉だった。

 しかし男の返答は。

 

『申し訳ありませんが、既に知っています』

 

「う……」

 

 ディオドラの顔は蒼白になった。

 終わったと思った、その時。

 

『ですが……ふふふ、清々しいまでに身勝手。そして無様。悪魔は邪悪であるべきだが、誇れるものは必要だというのに。……ですがよろしい。その願い、聞き入れましょう』

 

「え――?」

 

 瞬間、ディオドラの周囲が賽の目状に区切られる。

 

『何にせよ、通信機は回収せねばなりませんでした。あなたの焦る姿、中々面白かったですよ』

 

 その言葉を最後に、ディオドラの見る風景が歪みだす。

 直後に扉が切り裂かれると、鋭い眼光がディオドラを貫いた。暮修太郎だ。

 斬られたと錯覚するほどの剣気に、全身から汗が噴き出す。

 ディオドラの視界が暗転するのと、虚空を刃が走るタイミングはほとんど同時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気が付くと、ディオドラは絨毯の敷かれた床に座り込んでいた。

 前に目を向けると、男が一人立っている。左目を仮面で覆った、銀髪の男だ。

 

「やあ。初めましてディオドラ・アスタロト。間一髪でしたね」

 

 この男こそが、通信機でディオドラと会話していた人物なのだろう。男の口調は変わらず友好的なものであったが、先ほどのやり取りを経た後では慇懃無礼に聞こえてならない。

 とはいえ、今更食って掛かっても仕方がない。一応、窮地を助けてくれた恩人なのだ。

 

「あ、ああ、助けてくれて……」

 

 戸惑いながらも礼を言おうとしたディオドラだったが、そこでむせ返るような悪臭に気付く。

 床についた右手に生暖かい液体が触れた。

 

「血……?」

 

 べっとりと纏わりつくそれを見て、周囲を見渡す。

 ディオドラと銀髪の男がいる部屋は、とても広かった。おそらくは会議室か何かなのだろう。中央に長机を備え、均等に配置された席に多数の貴族服を纏った人影が見える。資料らしき映像が空間に浮かび、まるで先ほどまで会議の最中だったかのようだ。

 しかし、席に座る者は誰一人として動かなかった。

 当たり前だろう。彼らは皆、首から上が消失していたのだから。

 

「――ひっ!」

 

 机と床の間から、厳めしげな面構えの首がこちらを見ていた。苦悶一つないその表情は、彼がそれと気づく間もなく絶命したことを示している。

 

「なっ、な、なんだっ? 何なんだッ……これは……!?」

 

 尻餅のまま後ずさり、銀髪の男を見る。

 男の端正な顔は、笑みを浮かべていた。どこまでも冷たい、極寒の笑みだ。

 

「何、大したことはありません。ただの間引きですよ。大仰に言えば粛清です。無能は要らない。そうでしょう? ディオドラ・アスタロト」

 

「ま、間引き……? 粛清……? 何を言ってるんだ?」

 

「シャルバ・ベルゼブブがあなたに提案した作戦はですね、はっきり言って壮大な無駄です。確かに各神話勢力の重鎮が集まる場で作戦を成功させれば、大打撃を与えることはできる。しかし、こちらが受ける被害は半端では済まないですし、今は様子見に徹している神々も動き出すようになります。リスクとリターンが釣り合っていないのですよ。その時だけ勝ててもまず後が続かない」

 

 わかるでしょう? と男は言う。

 

「しかしながら、そろそろ彼らにも何かしらの成果が必要だった。そうでなければ、旧魔王派閥の悪魔たちはともかくとして、堕天使たち他の種族は満足しませんからね。マーブルカラー、などと呼ばれているチームが攻め込んでくるせいで焦っていたのでしょう。あなたが再起不能なのにもかかわらず、シャルバは作戦を強行する構えでしたよ。今までは私もフォローしてきましたがね。流石に看過できません。何せそれでは――」

 

 ――利用する前に潰れてしまうでしょう?

 

 そう言葉を発する男の視線は、どこまでも冷たかった。

 ディオドラの背筋を、得体の知れない悪寒が貫く。

 

 

「キミは……キミはいったい、何者なんだ……?」

 

 ディオドラが問いかけた、その時だった。

 

「ねえルッキー、こいつらどんだけ食べちゃっていいの? 私さー、いいかげんお腹すいたんだけどー?」

 

 響いた声に振り向くと、そこには金髪を二つ括りにした少女が立っていた。

 裾丈の短いゴシックロリータドレスを身に纏うその少女は、釣り目気味のぱっちりとした瞳でディオドラを見つめると、手を振って楽しげに笑いかける。

 見た目だけはとても可愛らしいが、この状況にはあまりにも不釣り合いだ。発言も含め、端的に言って不吉だった。

 

「ああ、そうですね。あそこから――あそこまでの人たちは要りません。ミッテルトさん、処理してください」

 

「よっしゃ、あざーっす!」

 

 銀髪の男が指示を出すと、少女は背に黒翼を広げる。

 

(堕天使……?)

 

 そう思ったのもつかの間、少女の黒翼はざわめくように蠢き、表面を鋭利なものに変えていく。

 次の瞬間、男が指定した範囲の空間が抉れるように消失した。

 

「………は?」

 

 唖然としつつ少女の方を見ると、咀嚼する黒翼が見えた。それはもはや翼ではなく、鋭利な槍で覆われた捕食器官。目にもとまらぬ高速で、椅子に座る死体たちに喰らいついたのだ。

 

「うーん、やっぱ悪魔じゃ燃料には向かないわー。養分にはなるけど」

 

 肉と骨が潰れる残酷な咀嚼音とは対照的に、少女の声はどこまでも無邪気だ。

 その光景を見て恐れおののくディオドラに、銀髪の男が語りかける。

 

「そう言えば、自己紹介がまだでしたね。私は『禍の団』で参謀を務めておりました、ユーグリット・ルキフグス。以後、お見知りおきを。さて、ディオドラ・アスタロト。情報は要りませんので、何でもやってもらいましょうか」

 

 笑みを深める銀髪の男を見て、ディオドラはここにやってきたことを心底後悔した。

 




連続更新です。

イリナと、あと若手の今後にかかわる方針と、ディオドラの行方。そんな話。

逃げた先はさらなる地獄だった。弱体化したディオドラさんの明日はどっちだ。
頭のおかしい銀髪のシスコンは、原作とは微妙に違う理由で敵にまわっています。
金シスコンと銀シスコンの口調がかぶりまくってて作者的にちょっと失敗した感じがありますが、出来るだけ気にしないようにしましょう。

次章は一誠たちの強化と、ラグナロクになります。


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