『ロストレガシー』 (宇宮 祐樹)
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『イミテーション:胎内回帰』 鼓動よりの目覚め

 

 それはまるで、胎内のようだった。

 

「……これは」

 

 海底遺跡へと続く道に、隠れるようにして通っている洞窟の果て。

 長くうねる道を抜けた先に、その広大な空間はあった。

 周囲を岩の壁でぐるりと囲まれた、見上げるほどの天井を持つ、薄暗い球状の空間。洞窟の構造上の関係なのか海水は侵入しておらず、ゆるやかな傾斜になっている床には、蜘蛛の巣のように中心から広がる道が通されていた。

 水から上がり、その道の一つへと足をつけながら、呟いた男がもう一度当たりをも渡す。

 

「何かの施設か? しかし……こんなものは、資料のどこにも……」

 

 小さな呟きと共に、松明が灯る音がする。

 ひっそりとした小さな灯りは、彼の身にまとう白色の鎧――ラギアクルス亜種の防具を照らしていた。

 かつ、かつと慎重な足跡を響かせながら、彼はその空間の中心へと歩いてゆく。

 

「……む」

 

 果たして、胎内の奥底には、一つの棺があった。

 外壁と同じ様な岩で造られた、紅い筋の通る棺。

 人間ひとりが入れそうなそれを見つけた時、彼はその棺の蓋が既に開かれていることに気が付いた。

 松明に照らされた床が、ぼろぼろに砕かれた棺の蓋を暗闇へ浮かばせる。

 そして、その灯りは、ぽっかりと口を開ける棺の中までを照らし出し――

 

「………どういうことだ?」

 

 それは、一糸纏わぬ少女の形をしていた。

 

 

 言い渡されたのは、海底遺跡の調査だった。

 モガの村近海に存在する、海底に構えられた戦闘基地が、それの名前である。

 いつ建てられたのか、誰によって造られたのかも定かではないが、今のところはギルドの管理下に置かれており、大海龍や冥海竜の討伐の際に、限定的に使われることがある施設だ。

 事の顛末としては、その付近の海域で突発的な地震が起きた、と言う話であった。

 以前にもそんな報告は何度か存在し、今回のそれも同様に、大海龍の出現が危惧されている、とのことである。

 そんな経緯を経て、海底遺跡の損害の調査、および大海龍の出現の是非を確認するために派遣されたのが、ルークスという一人のハンターであった。

 そんな彼はいま、ナバルデウスではなく、一人の裸体の少女を見つめている。

 

「…………どういうことだ」

 

 疑問ではなく、こんどは呆れと共に、吐き捨てた。

 地図でいう一番から二番へと続く道は崩れ落ちており、引き返そうと思った際に、ルークスはそこに小さな洞窟が拓けているのを見た。 

 明らかに整備されているそれを放っておくこともできない。それに、何の成果もなく帰還し、ギルドマスターに愚痴を言われるのも面倒である。

 仮にもG級の称号を背負っているハンターとして、そう振る舞うのは良くない気がした。

 

「……寝ている、わけではないか」

 

 棺の少女は母体の中の赤子のように、四肢を折りたたんだまま動くことはない。

 しかしながらその様子は、死んでいるというよりは、ずっと眠っているままのように見えた。

 

「とにかく、遺体ならギルドに報告が先か……? いや、しかし動かしてもいいものか……ああ、くそ。どうすれば……」

 

 珍しく饒舌になりながら、ルークスが呆れたように天を仰ぐ。

 そこには、天井から垂れ下がっている、いくつかの管があった。

 

「……あれは?」

 

 血管のような、赤色と蒼色の管。太さは人間の腕ほどであろうか。

 それらはいくつもが絡み合って地上へと垂れ下がっていて、しかしその先は食い破られたように断線してしまっている。

 突如として現れた物体に、ルークスは松明を真上へと掲げ、そちらへと歩いた。

 

「ますます、分からなくなってきたな」

 

 どうやら管は他にもあるらしく、ルークスが歩くたびに、天井から垂れ下がるそれが灯りへと照らし出される。

 そうして最初に見た管の真下へと辿り着いたとき、その一つだけが無事であること、ルークスの眼が捉えた。 

 管の中には遠目ではよく分からないが、ガラスのような何かが埋め込まれている。

 まるで星を見通す望遠鏡のような、鈍いレンズの輝きに、吸い寄せられていくようで。

 

「なんだ……? いや、違う……見られて――」

 

 そして、響き渡ったのは、

 

『認証に成功しました』

 

 男とも女ともとれない、感情の込められていない声だった。

 それと同時に、その空間の全体が淡い明かりによって照らされる。

 そして、ルークスはその空間が半壊しており、入って来たところの反対側に、巨大な穴が開いていることに気が付いた。

 

「な……!?」

『有機生命体の存在を確認。これよりイミテーション・プログラムを起動します。担当者様はご希望の生態デバイスを選択してください』

「……誰だ? 誰か、どこかにいるのか!?」

『なお、現在システムに物理的エラーが発生しており、一部の生態デバイスは使用できない状態になっております。また、『スルト』は現在アクセス不可の領域に存在すると想定されています』

「おい、そこの君か!? まさか、まだ生きているのか!?」

 

 松明を投げ、急いで棺の中の彼女の元へと駆け寄るが、当然ながらその少女は身じろぎひとつしない。

 直後、真上にある管の全てがうねうねと蛇のように動き出し、辺りを確認するような素振りを見せ始めた。

 

『なお現在、この領域は完全な持続が困難な状況下にあります。担当者様は指示を出したのち、すみやかに安全な場所まで避難してください』

「おい、だから俺は担当者などでは……!」

『繰り返します。現在、この領域は完全な持続が困難な状況下にあります。担当者様は、指示を出したのち、すみやかに安全な場所まで避難してください。繰り返します。現在――』

「……クソ、聞く耳もないか。なら、せめて彼女だけでも……!」

 

 淡々と繰り返される言葉を振り払いながら、ルークスが棺の中の彼女へと手を伸ばす。

 思わず触れたその肌は、柔らかく、まるで命の宿っているような、ほのかな暖かさがあった。

 

「……生き、て…………?」

 

 どくん、と。

 空間の全てに、心の鼓動の音が、響き渡った。

 

「な……っ」

『生態デバイスの選択を認証しました。「レーヴァティン」、起動します』

 

 それは、永い眠りからの目覚めのようにも思えた。

 細い脚が、岩肌へひたり、と静かな音を鳴らす。

 その体は、十代の前半ほどに見えた。

 背中までに伸びる髪は赤みのかかった黒色で、体つきは見かけの年齢よりも少し幼く見える。顔立ちは完全に少女のそれであり、しかしながらその瞼は未だに閉じられたまま。

 棺からひとりでに体を這い出した彼女に、ルークスは既に距離を取り、背中に装備した太刀へと手を伸ばしていた。

 黒い刀身――ジンオウガ亜種のもの――が、ひっそりと顔を覗かせる。

 

「基軸システム、全て正常に作動。感覚情報の起動――成功」

 

 薄い唇でそう言葉を紡ぎながら、彼女はゆっくりと瞼を開く。

 

「生態デバイスの起動に成功しました」

 

 夕焼けの色に染まった双眸には、白い鎧を身に纏う男が映っていた。

 

「……生き返った、のか?」

「いいえ。正確には、思考回路を指定されたデバイスへと移行しただけです。意識をこの体へと乗り換えた、と言った方が伝わりやすいでしょうか」

「意識の乗り換え……?」

「簡潔に説明するならば、先程喋っていた私と、今ここで喋っている私は同一の存在です。よろしくお願い致します、担当者様」

 

 刀を握る手を、ルークスは弱めることができなかった。

 けれど少女は彼の敵意を察することもなく、その後ろへと視線を向ける。

 ぼんやりとした視線の先には、ぽっかりと外壁に空いた壁の暗闇。

 しかしながら、少女はその先の、ここではない何処かを見つめているようだった。

 

「状況の確認を行います」

 

 どくん、と再び、空間が鼓動する。

 それと同時に、外壁へとまるで血管が走るように、夥しい数の紅い筋が通っていった。

 けれどその一つが行き場を失ったように淡くなってゆき、それに続くようにして筋はだんだんと色を失っていく。

 最後に残ったのは、指先で数えられるほどの数であった。

 

「……今のは何だ」

「この空間の現状確認を行いました。以下:破損状況の進行を確認。また、『スルト』の座標検索にも失敗。現在『スルト』は私の管理下ではなく、何者かの管理下、または単独での行動をしていると予測されます」

「……つまり?」

「あの壁の崩落は、ここにあった生態デバイスによるものです。それにより、この空間の崩壊が引き起こされる可能性があります」

 

 ぱらぱらと落ちてくる石のかけらが、彼とルークスとの間で音を立てた。

 

「不明なエラー、経過年数の既定値の超過を確認。また、動力の供給も通常の五十パーセントまでの低下を確認」

「単独での『スルト』の捜索、そしてその主導権の確保または破壊の達成、および当システムの保存は非常に困難を極めます。また、『スルト』の単独の行動は無作為な破壊活動の可能性を含みます。よって、目的の達成には本デバイス外の活動エネルギー、およびいくつか尽力を必要としています」

 

 じっと見つめる彼女は、とてもある何かを言いたげで。

 

「……もしかして、助けろと言っているのか?」

「人間の言葉で伝えるのなら、それが該当します」

 

 まわりくどいその言い回しに、ルークスが溜め息を吐いた。

 

「なんだそれは」

「申し訳ありません。まだ、人間の言葉については学習が未発達です」

「……それで、助けるというのは……ここから連れ出せばいいのか?」

「私への救助は不要です。ここでの救助は、どこかの大陸、またはそこに住まう生命のことを指します」

「…………どういうことだ」

「簡潔に申し上げますと、このままではどこかの大陸の一つが壊滅します」

「は?」

 

 淡々と告げられたその言葉に、ルークスが思わずそんな声をもらす。

 しかしながら、その同様に、彼女は冗談だのからかうだのの姿勢を見せることはなかった。

 

「いきなり、何を……」

「外壁の損傷度、また付近の海域の熱量の上昇から、『スルト』はおそらく不明な外的因によって暴走状態にあると仮定されます」

「……暴走?」

「はい。私の管理下にない『スルト』は、壊滅的な大陸の焼却、またそこに住まう生命体の根絶の可能性を含みます」

「そんな事、あるはずが――」

 

 口ではそう言ったけれど、ルークスはそれを疑うことはできなかった。

 あたかも死んでいたような少女が、生き帰って伝えてくれたその言葉を、疑う事などできなかった。

 常識が崩れていく音がする。

 既に、ルークスは正常な判断を下す事ができなくなっていた。

 

「お前は……いや、お前らは、何なんだ?」

 

 震えるような声の問いかけに、少女はこちらを見つめたまま、

 

「私たちは、かの厄災を討つもの。人の手によって造られた、(レーヴァティン)

 

 聞き慣れない単語に、ルークスは眉を顰める。

 

「……人間ではない、ということは理解できた」

「正しい理解です。我々をそうした分類に当てはめるのなら、それは龍に該当すると考えられます。もっと正しく表すのなら、龍に近き兵器、と」

「……けれど、今の君は人間に見える」

「はい。この生態デバイスは有機体との情報の伝達……いわゆる、対話のための体です。龍と人とで対話をするのは、困難を極めます」

「確かにそうだが」

「ですが、いま私とあなたはこうして話をできる。そうでしょう?」

 

 対話のための体。それに、龍に近き兵器という言葉。

 絡まる頭をほぐれさせるように、ルークスはぽっかりと空いた巨大な空間を見渡した。 

 

「そして、我々が『スルト』と呼んでいるものは、いわゆる決戦用に造られた生態デバイス……つまり、抗うための体です」

「抗うため?」

「はい。破壊ではなく、守るための力。生命を亡ぼすのではなく、その賛歌を謡うための龍。それが、本来の私であり――竜機兵(イコール・ドラゴン・ウェポン)と呼ばれているものです」

 

 イコール・ドラゴン・ウェポン――竜に等しき兵器。

 そんな馬鹿げたものの存在は、眼の前の彼女によって、すんなりと証明されてしまう。

 けれど、兵器だと自ら綴った、彼女のその表情は、どこか悲しげに見えた。

 

「……我々の力は、命を守るためのものです。けれどそれが今、どこかの命を奪おうとしている。このままでは、何の罪もない命が、無へと帰してしまう。それは、私たち本来の在り方ではありません」

 

 胸の前で手を合わせる彼女は、まるで人間のようにも思えて。

 

「だから、助けてください。この生命の溢れる大陸を、災厄よりお守りください――担当者様」

 

 まるで、祈りを捧げる聖女のように。

 人によって造られたそれは、そんな人間らしい言葉を吐き出した。

 

「……馬鹿げて、いる」

 

 果たして、しばらくの沈黙を破りルークスが放ったのは、侮蔑の言葉であった。

 なんとも突飛な話だ。眠っていた少女を目覚めさせたら、大陸一つをかけた闘いへと導かれるなど。

 今時の絵本にもない、陳腐な絵空事だとルークスは考えただろう。

 しかしながらそれは現実となって、今ここに彼の前で繰り広げられている。

 そしてまた、助けを求められているのも、事実であった。

 

「……ルークス」

「?」

「担当者と呼ばれるのは、あまり好きではない」

 

 まずはそこからだ、と付け足して、後ろに回した手を話す。

 驕りなのだろう。英雄譚のようなこの少女の助けに、応えたかった、それだけのこと。

 けれど、無機質な、けれどどこかに静かな光を湛えているそれを、見捨てることなど、できるはずもなかった。

 

「助けよう。その望みに、俺は全てをもって、応えよう」

 

 たとえそれが、人間でなく――竜であろうと。

 手を、差し伸べたのだろう。

 

「……承認しました。担当者様――ルークス様を、個別認識します。これからよろしくお願い致します、ルークス様」

「様、は抜けないのか」

「お嫌いですか?」

「……どちらでも良い。名前を呼んでくれるのなら、何でも」

 

 こてん、と首を傾げる彼女に、ルークスが答える。

 人間らしいその振る舞いに、彼は得体の知れない違和感を覚えていた。

 

「お前は?」

「?」

「……名前だ。俺も教えたのだから、そろそろ聞かせてほしい」

「個体名はありません。我々は全て、『レーヴァティン』で識別されています」

「……少し、呼ぶには長いな」

「では、認識可能な範囲での改名を要求します。そちらの方が効率的です」

 

 ふと考えるようにして、ルークスが顎に手を当てる。

 

「……レヴィ」

「はい」

「それで、いいか?」

「識別は可能です。それでは、これからは本デバイスのことを『レヴィ』と呼称するようお願いします、ルークス様」

 

 淡々と、抑揚のない無機質な声のまま、少女――レヴィはそう告げる。

 そして、それに既に慣れつつあるルークスは、彼女のぼんやりとした視線を受けたまま、その向こうにある大きな崩壊痕を見つめていた。

 

「……それで、これからどうすればいい」

「第一目標は『スルト』の捜索にあります」

 

 すぐさま答えたレヴィが、くるりと踵を返し、張り巡らされた道を歩いていく。

 そんな彼女の後ろを、ルークスは溜め息と共に追い始めた。

 

「そいつはどこに?」

「方角以外の詳細は不明です。よって、長期の捜索活動が予想されます」

「……長旅になる、ということか」

「そのためにはまず、我々の戦力を確保しなければなりません」

 

 そして、彼女が足を止めたのは、自らの背丈よりも大きな、瓦礫の前であった。

 おそらくあの穴が崩壊によって、天井から落ちてきたものなのだろう。

 よく見れば、その周囲一帯にも、同じような瓦礫が、地面にごろごろと転がっていた。

 しかしながら、あるのはその崩壊痕だけで。

 

「武器はどこにある」

「この、下に」

 

 指を差したレヴィにそって見下ろすと、ルークスはそこに血管のような紅い筋を見た。

 それをなぞるように、瓦礫の向こうの壁へと視線を投げると、そこには先程露わになった赤い筋が残っている。

 周囲を見渡せば、残っている赤い筋は同じように床へと走っており、そのどれもが瓦礫によって塞がれていた。

 眼の前の瓦礫へと手を添えながら、ルークスの行動を汲んだのか、レヴィが答える。

 

「崩壊の余波により、一部生態デバイスが使用不可になっています。まずは、この障害を撤去し、使用可能な生態デバイスを把握することが必要になります」

「なるほどな」

「手を。この瓦礫をレヴィ単独の力で撤去することは、不可能だと判断しました」

 

 言われるがままに瓦礫へと手を当てて、ルークスが力を込める。

 意外にも瓦礫はあっさりと崩れ落ち、その下にあるものへと、彼の眼が奪われる。

 それは、先程レヴィが入っていたものよりも巨大な、地面へ埋め込まれた、紅い筋の通る棺だった。

 その大きさはまるで、飛竜であれば一匹そのまま入ってしまいそうな――

 

「これはまだ使用可能です。回収します」

 

 紅い筋へとレヴィが触れると、どくん、と空間が鼓動する。

 同時に埋め込まれていた棺の扉が、横へと開き、せり上がるその中から、それが姿を現す。

 広大な空間へと、大きな翼を広げるのは。

 

「……リオ、レウス?」

 

 はるか高き、紅の竜。猛々しく空を駆ける、蒼天の支配者。

 それは、天空の王者――リオレウスの、その姿であった。

 

「はい。この生態デバイスは、リオレウスを模倣して造られています」

 

 答えるレヴィに、今一度ルークスがその姿を見据える。

 現れたリオレウスは、しかしながら全身が岩のようなもので形作られており、一見すれば全くの別物にも見える。

 所々に流れている橙色の筋は、まるで血液の流れを表すように、一定の明るさで点滅している。それだけで言えば、このリオレウスは、生きているようにも見えた。

 だが一切として動く様子を見せないそのリオレウスと地面との隙間に、レヴィが体をもぐらせる。

 慣れた様子の彼女とは正反対に、ルークスは佇むその火竜をまじまじと見つめていた。

 

「……さっきの言葉通りなら、このリオレウスの中にも乗り移れるのか?」

「万全の状態ならば、その通りです。しかしながらこのデバイスは内部構造に損傷が見られ、全身の三十八パーセントが動かない状態にあります」

「じゃあ、何の為に出したんだ?」

「これを取り外すために、起動させました」

 

 いつのまにか戻って来たレヴィが、その手の内にある何かを、ルークスへと見せる。

 どくん、どくんと脈を打つそれは、紛れも無い心臓のように見えた。

 

「それは?」

「生態デバイスを構成する基軸部分です。我々を造った人間は、これを不死の心臓と呼びました」

「不死の心臓、か」

「はい」

 

 それこそ、おとぎ話に出てきそうな単語に、ルークスが訝しげな視線を向ける。

 けれど、彼女の小さな手でとくとくと跳ねる心臓は、確かに止まることはないように見えた。

 その後ろにあるリオレウスの像は、いつの間にか紅い光を失っている。

 それはまるで、死んだようだった。

 

「……それが、武器になるのか?」

「はい。このようにして」

 

 ぐちゅり。

 水音と共に、レヴィの白い肌が、紅で染まる。

 細い指の間から流れる血で、彼女が心臓を握りつぶしたことに気が付いたのは、少し経ったころだった。

 

「何、を」

「不死の心臓の機能回収です」

 

 淡々と告げながら、紅に染まったレヴィがその手を口へと運ぶ。

 手にこびりついたその血を、彼女は舌を大きく突き出しながら、まるで子供が飴を味わうように、ぺろぺろと舐め始めた。

 指先と離れた舌先とに、赤い糸が結ばれる。

 

「充分ですね。リオレウス型の心臓の機能は健在です」

 

 小指についたそれをちゅ、と舐めとって、レヴィはそう呟く。

 それを糸口として、彼女の背後にあるリオレウスの形が、ぼろぼろと崩れ始めた。

 しかしながらその破片は地面へと堕ちることはなく、小さな背中へと集まっていく。

 そうして形作られたのは、一対の翼であった。

 

「……それが、武器か」

「周囲の物質を集積し、一定の形へと変化させる不死の心臓の機能の一つです。これを利用して、我々はイミテーション・プログラムを起動することが可能になります」

「さっきのリオレウスも、それで作ったのか」

「はい。ここにある生態デバイスの全てが、不死の心臓によって、既存の竜種を模倣したものになります」

「……明らかに、現代の技術ではないな」

 

 翼の調子を確認すると、ばさり、と土煙が舞う。

 レヴィの小さな体が浮くと同時に、ルークスが呆れたようにそう放った。

 そして、その彼女の後ろには、まるでこちらを誘うように、ぽっかりと空いた大穴が見えて。

 

「……なあ、レヴィ?」

「はい、ルークス様」

「ここにあるのは、ぜんぶあのリオレウスみたいに真似されている奴なのか?」

「はい。この世界にある、全ての竜を模倣したものとなっています」

「……それなら」

 

 球状になった、何もない空間。

 それは、まるで巨大な何かを包み込む、胎内のようにも思えて。

 

「いなくなった『スルト』は、何の模倣品だ?」

 

 その問いかけに、やはり彼女は淡々と答えるのみであった。

 

「……『スルト』は我々の通称です。決戦用に造られたあの戦闘デバイスは、情報の秘匿のため、専用の名称が設定されました」

「だろうな。そんなモンスター、少なくとも俺は聞いた事がなかったから」

「そして、『スルト』とは黒龍を模倣した、生態デバイスのことを指します」

「黒龍……それは、あのおとぎ話の?」

「今のこの時代では、そう伝承されているのですね」

 

「『スルト』はかの黒龍――ミラボレアスを模した、対黒龍決戦超龍機兵(イコール・ドラゴン・ウェポン)。破滅をもたらすものではなく、生命の賛歌を謡うために造られた、大地と豊穣の化身」

 

「――人々はそれを、グラン・ミラオスと呼びました」

 

 



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朽ちた双月

 

 空間の内部の大半は、既に瓦礫で埋め尽くされていた。

 何体ものモンスターを模した像が空間へと姿を表しながら、その姿を崩していく。

 その中にはルークスの知っているものもあれば、全く知らない形をしたものもあった。

 けれど全てに共通しているのは、心臓を潰すたびに、そのモンスターが崩れていくこと。

 それは、命が芽吹き、また死んでいくようにも見えた。

 

「……ブラキディオスに、アグナコトル。それに、ナルガクルガか」

 

 散らばる破片を見下ろしながら、それが作っていた形を口にする。

 その精巧さは限りなく高く、こうした経緯がなければ、ルークスはその像へと斬りかかっていただろう。

 それはとても、現代の技術では造り出すことのできないもので。

 

「……何の為に、これを」

 

 やがて、声が聞こえてくる。

 

「使用可能な全ての不死の心臓の回収が、終わりました」

 

 血まみれの裸体でそう告げてくるレヴィに、ルークスは何度目かわからない溜め息を吐いた。

 

「恰好、どうにかならないのか」

「質問の意図を掴みかねます」

「なにか着るものはないのか。それに、血を拭わなければ」

「不要です。付着した血液についても、現状の障害にはならないと判断しました」

 

 何かルークスが返そうとする前に、レヴィが足を踏み出す。

 ぺたり、ぺたりと血の足跡をつけながら向かう先は、大きく空いた穴のほうだった。

 

「これからどうするんだ」

「武装の回収は終了しました。よってこれより、周囲の被害状況の確認、それによる『スルト』の現在位置の特定を開始します」

「……つまり、その『スルト』が通った跡を追ってく、ってことか?」

「はい」

 

 首肯と共に、レヴィが裸足のままその大きな崩壊痕へと足を踏み入れていく。

 中はゆるやかな傾斜になっていて、下へと果てしなく続いていた。

 天井からはしきりに小さな石がぱらぱらと降り落ちてきて、ルークスはいつ崩れ落ちるか分からない危機感からか、しきりに周囲を見回している

 それとは正反対に進むレヴィの足元が、ぽちゃりと静かな水音を立てた。

 

「……海水の温度の上昇を確認」

「浸水しているのか?」

「はい」

 

 それだけ返して、水の中へとレヴィが無造作に体を浸していく。

 何かを言いかけようとして、ルークスは溜め息を吐きながら、彼女の後を追っていった。

 水中用に改造された、フルフェイスの兜から、泡が産まれてゆく。

 薄暗い水の中では、彼女の瞳の灯りだけが頼りだった。

 

 やがて長い道を抜けると、拓けた空間へと辿り着いた。

 遠くに見える海面からは太陽の光が差し込んできて、見わたす限りの景色を明るく照らす。

 そこは、縦に長い円柱状の洞窟であった。おそらく天然のものなのだろう、しかしながら外壁には中心を取り囲むように、固定弩砲や巨大な槍が姿を見せている。

 そしてそれは、ルークスにとって見慣れたものでもあった。

 

「(海底遺跡……あそこから、繋がっていたのか)」

 

 水中に体を漂わせながら、ルークスがその周囲を見渡す。

 しかしながらその外見はルークスの知っているものとは少し違っていて、やはりと所々が損害を受けているようだった。

 おそらくこれも、『スルト』――グラン・ミラオスによるものなのだろう。

 ルークスがそう結論付けるのを待つこともなく、レヴィはどんどん先へと進んでいった。

 

「(……本来なら、ここはナバルデウスの縄張りのはずだが……)」

 

 浮かぶ疑問の問いかけは、すぐそこにあった。

 進む視界が急に薄暗くなり、それは太陽の光が何かによって隔たれていることをルークスへと示す。

 思わず真上へと視線をむけると、そこには何か大きなものが横たわっていて。

 片方だけが巨大化した、その歪な角を見た時、ルークスは思わず目を見開いた。

 

「(あれは……)」

 

 深海に棲まう光輝の巨人。母なる海に浮かぶ、白亜の月。

 荒ぶる神をも超える者。大いなる海に沈む、黄金の太陽。

 

「(二体、だと……!?)」

 

 混じり合う陰陽のように、白亜の龍と、黄金の龍が、ルークスの瞳へと映る。

 そこに在ったのは、大海龍ナバルデウスと――皇海龍、ナバルデウス亜種の姿だった。

 

「(――ッ!)」

 

 深海を見通す四つの瞳が、全てこちらへと向けられる。

 海中を漂っていた二頭の海龍は、その巨躯を人魚の様に翻すと、その口元を大きく開けた。

 

「レヴィ――」

 

 そう叫ぼうとする瞬間に、レヴィの体がルークスの体を押しのける。

 瞬間、先程まで彼が居た場所を、溢れんばかりの水圧が薙いだ。

 吹きすさぶ二対の吐息が辺りのいわばを崩し、瓦礫を宙へと持ち上げる。漂う岩々を縫うようにしてレヴィがルークスの体を引きながら進み、その陰で留まった。

 

「――!? ――――! ――! ――!?」

 

 突然のことに慌てる彼を無視して、レヴィが手のひらに瓦礫を集積させる。

 一種の首飾りのようになったそれを、無理矢理ルークスの首元へと通すと、レヴィは確かめるように、水の中で口を開いた。

 

『聞こえますか』

「……?」

 

 突如として頭の中に響いた声に、ルークスが首を傾げる。

 

『私の声帯パーツに干渉できるように調整したものです。そちらからも声帯による意思の疎通が可能になります。ご確認を』

『…………普通に喋ればいいのか?』

『音声を確認しました。以後はこれで意思の疎通を図ります』

 

 それだけ告げた後、身を隠している瓦礫へとレヴィが手をついて、向こうへと顔を覗かせる。

 同じようにしてルークスが眼をこらすと、二体の海龍はこちらの姿を見失っているらしく、再び混じり合うようにその巨躯を回遊させていた。

 

『どういうことだ』

『「セレネ」と「アルテ」が回遊しています』

『……どっちがどっちだ』

『「セレネ」がナバルデウス、「アルテ」がナバルデウスの固体です』

『……まあ、聞きたかったのはそれじゃないが』

 

 泡となった溜め息を吐きながら、ルークスが続けて質す。

 

『どうしてあの二体がここにいる?』

『我々の存在を秘匿するために利用していました。あの空間の注目を避けるため、そして今回のような非常事態に備えるために、我々はあの空間を、「セレネ」と「アルテ」の領域に作成しました。ですが……』

 

 そう言い切って、もう一度レヴィが岩の向こうへと目を向ける。

 ゆらゆらと神秘的な雰囲気を漂わせながら回遊する二体は、けれどその皮膚に、まるで焼かれたような傷を負っているのが、ルークスの眼にも見えた。

 

『おそらく、突破されたようです』

『「スルト」に?』

『はい』

『……あの二体を相手にして、か』

『おそらくは』

 

 頷くレヴィだが、けれどその表情は曇ったまま。

 

『ですが、通常の「スルト」の機能ならば、突破するのは極めて困難です。考えられるに、おそらく「スルト」は何らかの支配下に置かれている、もしくは暴走状態にある、と考えられます』

『それは、また――』

 

 言葉を繋ごうとした瞬間に、空間が揺さぶられた。

 レヴィとルークスが同時に瓦礫を蹴って後ろへ飛ぶと、それを横に薙ぐような水流が打ち砕く。ばらばらになった岩の破片から覗くナバルデウス亜種は、その大きな口を開きながら、大きく水を吸い始めた。

 背中の太刀――狼牙刀【悪獄】――へと手をかけて、ルークスが問いかける。

 

『とにかく、あいつらはどうするんだ』

『……望ましいのは、放置することです』

『なに?』

 

 ぽつりと、今までよりも幾分小さな声で伝えられた言葉に、ルークスが眉を顰めた。

 

『どうしてだ』

『彼らに罪はありません。我々は利用したとはいえ、彼らの命まで支配したつもりはありません。そのため、狩猟するのは望ましいことではありません』

『けど、あいつらを退けなければ先に進めないぞ』

『……では、あなたは彼らを殺せるのですか』

 

 訝しむような、憐れむような問いかけに、ルークスが間も無く首肯で返す。

 

『やはり、人間は理解できません』

『そうか?』

『はい。言葉も、心も、全て……私には、ないものですから』

 

 寂しそうに、けれどどこか冷たく、レヴィがルークスへと視線を向ける。

 縋るようなその様子は、どうしてかとても、人間らしくも思えた。

 そんな彼女に、ルークスが少しだけ思考を巡らすと、その細い手を強く握る。

 

『少し、こちらへ』

『はい』

 

 多少強引に引かれるその手を、けれどレヴィは拒むことはなかった。

 瓦礫の隙間から二人が顔を出すと、そこには二体の海龍が、ゆらゆらと海へ身を任せている。

 

『見てみろ』

『?』

『傷が深い。いずれ、近いうちには死んでしまうだろう』

 

 その言葉をレヴィは確かめるため、瞳を強く凝らした。

 淡く漂う、白銀の巨躯。しかしながらその体には、無数の灼けた痕のようなものが映っている。心なしか動きはぎこちなく、よく見れば、黄金の体にも同じようなものが刻まれていた。

 けれど、なおも大海龍は生き続け、大海の中を泳いでいる。

 気が付けばレヴィには、それが命が事切れる寸前の、行く先のない彷徨のようにも見えた。

 

『お前の……いや、お前たちの使命は理解できた。命を守りたいということも、殺す事をしたくないということも、充分に理解できる』

『それでは』

『だが、永遠に苦しむよりも、その命を絶つことで――救われる命も、この世界にはある』

 

 それは、ルークス自身へと言い聞かせるようにも見えた。

 抜いた太刀を両手で持ち直し、背後のレヴィを守るようにして、前方へと刀身を構える。

 

『人に造られたのなら、仕方のないことだと思う。共感しろ、と押し付けるつもりはない。俺の事をいくら非難してもいい。何だったら、俺を殺してくれたってかまわない』

 

 ごぅ、と深海に、絶音が響き渡る。

 向かってくる荒々しい咆哮を前に、ルークスは少しだけこちらを振り向きながら、ひとつ。

 

『けれど、それを理解だけしてくれれば――俺は嬉しく思う』

 

 母なる海の奔流が、全てを呑み込んだ。

 吐き出された皇海龍の吐息(ブレス)が海底を抉り、砂埃を巻き起こす。

 同時に砕かれた岩の破片が浮かび上がるが、しかしそこに侵入者の姿はない。

 凝らされた大海龍の眼には、砂埃から海底を滑るようにして現れる、ひとつの影が映った。

 

『(遠いな……)』

 

 距離は海竜が手の平へ収まるほど。その間に遮蔽物はなく、二体の視線が集まるのを感じる。

 それを確認したルークスは急激に体を翻し、近くを漂う瓦礫へと手を伸ばす。

 直後、二対の水流がルークスの眼前へと放たれて、視界を砂埃で埋め尽くした。

 再び隠れてしまう影は、けれど直後、こちらへと向かって現れる。

 対流を受け止める足場にした瓦礫を蹴って、ルークスは大海龍の方へとその切っ先を向けた。

 海底全てが振動するほどの咆哮と共に、ナバルデウスがその巨躯を走らせる。

 

『――――っ』

 

 一瞬の邂逅であった。

 向かってくる白磁へと身をひるがえしながら、その角へと剣閃を走らせる。

 逆手に持った太刀をすらりと撫でると、ぱん、と何かの割れる音がした。

 そのままの刃を体へと走らせると、がりがりと甲皮を削る感覚が、柄を通して伝わってくる。

 漂う血の煙の中に見えたのは、三日月を象るような、荒々しい豪角であった。

 

『……やはり、鈍いな』

 

 視界を隔てる血煙を太刀で振り払いながら、過ぎ去った大海龍へと視線を向ける。

 もがくように吠えたナバルデウスは、もう一度こちらへとその体を進めると、途中で体を翻し、その巨大な尾を真上から叩きつけるようにルークスへと向けた。

 それに憶することもなく、体を逆さまへ回転させて、太刀の切っ先を天へと向ける。

 降りぬかれた尻尾が激流を巻き起こし、それによる衝撃波が海底へと叩きつけられた。

 しかしながら、そこに影はなく、

 

『こちらだ』

 

 尾に突き刺さった太刀を抜きながら、ルークスがナバルデウスの背を駆け始めた。

 それに気が付いたのか、大海龍が体を回転させ、背中へと映った敵影を引き剥がす。

 跳躍によってそれを回避したルークスは、こちらへと向けられたナバルデウスの腹部へと切っ先を向ける。

 

『まずは――』

 

 ざく、と髭を貫通させながら、その体の奥底へと黒の刃を突き刺して。

 紅く光る体を何度も蹴りながら、握りしめた太刀を、勢いよく振りぬいた。

 

『――――ひとつ』

 

 吹きすさぶ血煙に紛れながら、再び体を隠していく。

 その直後、吐き出された水流が、血煙を晴らしていった。

 

『……やはり、簡単にはいかないか』

 

 切り捨てたナバルデウスの死体へと身を隠し、その先の黄金へと目を向ける。

 荒々しい双角を高くかかげながら、ナバルデウス亜種は、その体を紅く光らせた。

 しかしながら吐き出された吐息は、天井へと向けられたもので。

 

『……?』

 

 不思議になって見上げたルークスの眼には、降り注ぐ瓦礫の嵐が映った。

 

『……まずいな』

 

 そばにあった死体を蹴り飛ばすと、巨大な岩がその死体を海底へと縫い付ける。

 その光景を目の当たりにするのもつかの間、次々と落ちてくる瓦礫を縫うように避けながら、ルークスが太刀を握り直し、皇海龍の位置を確かめる。

 そして、ふと振り向いたそこには――激流が、迫っているのが見えた。

 

『――――っ!』

 

 びりびりと体を痺れさせるその感覚に、ルークスの体が強張る。

 そして次に見えたのは、ひょこりと飛び出した、ちいさな影であった。

 

『展開します』

 

 ぽつりと呟かれた言葉と同時に、少女の右腕へと周囲の瓦礫が集積していく。

 そうして形作られたそれは、ラギアクルスの背電殻にも見えた。

 ルークスがその判断を下すことも無く、奔流と盾が激突する。

 けれど少女の体が、微動だにすることはなかった。

 

『レヴィ』

『理解するように、努めます。あなたの意志というものを』

『……そうか』

 

 それだけの会話を交わし、二手へと影が分かれてゆく。

 構えた背電殻を再び変形させると、今度はそれが背中へと集積し、三対の爪に分かれたような翼へと変貌した。

 それは、銀色の凶星を思わせて、

 

『目標を視認』

 

 右腕へと岩石が集い、それが槍の形を成す。

 両手で構えたそれをナバルデウス亜種へと向けると、レヴィの背中にある翼から、勢いよく炎が吐き出された。

 向かってくるブレスを翻すことで回避しながら、少女の小さな体が皇海龍へと突撃してゆく。

 

『行きます』

 

 そうして、大きく開かれたその口へ、レヴィが槍を突き立てた。

 噴き出す赤い血飛沫と共に、背中に造られた天彗の翼が崩れ落ちて、その破片が握る槍へと集ってゆく。もがく皇海龍を押さえつけるように、レヴィは両腕へと力を込めて、その瞳を光の失われた、黒い双眸へと向けた。

 幼い彼女の顔には、何か憐みのような、昏い表情が浮かんでいて。

 

『これで――――』

 

 昏き深海へ、一筋の閃光が放たれる。

 マグマのようなそれは皇海龍の体を引き裂いて、その背面を突き破りながら岩肌を穿つ。

 やがて紅い光は消えてゆき、黄金の巨躯も海中を漂い始める。

 突き刺した槍を元の瓦礫へと崩壊させると、浮かぶ彼女を受け止めるように、ルークスがその側へと寄り添った。

 

『……対象の沈黙を、確認しました』

『そうか』

 

 水底へと沈む死体を見つめながら、レヴィがそうぽつりと漏らす。

 果たして太陽と月は深淵へと沈んでゆき、少女の元に光が降り注いだ。

 

『行きましょう』

『ああ』

 

 くるりと体を翻して、海面へと向かう彼女の後を追う。

 光が、強くなった。

 

 

「……完璧な想定外です」

 

 どこかの岩場、素肌へとまとわりつく水滴を拭うこともなく、レヴィはそう呟いた。

 それに後方で鎧の中の水を抜いているルークスが、訝しそうに振り向く。

 

「というと」

「『セレネ』と『アルテ』があれほどの損傷を受けているとは思いませんでした。傷跡の深さを見る限り、『スルト』は完全な暴走状態にあると考えられます」

 

 どこか憂うような表情を浮かべながら、レヴィが続けた。

 

「そして……私は、それを殺してしまいました」

「お前がやらなくても、俺がやった」

「そういう意味ではありません。『スルト』を含めた我々が、また何の罪もない命を奪ったのです」

 

 また、という言葉に、ルークスが眉をひそめる。

 けれど、顔を伏せながら呟く彼女に何か言葉をかけることは、できなかった。

 

「これ以上、『スルト』を野放しにすることはできません」

 

 自分に言い聞かせるよう、レヴィがはっきりと口にする。

 

「行かなくては……そうでなければ、また、誰かの命を奪ってしまうかもしれませんから」

 

 首を振って濡れた髪を揺らすと、そこから発せられた熱が、体についた水滴を蒸発させる。突如として現れたその熱波にルークスが思わず顔を背けて、もう一度彼女のほうを見ると、岩場の先へと進んでいく姿が映った。

 まるで見当違いな方向へと足を進める彼女に、ルークスが問いかける。

 

「どこへ行くんだ」

「現在位置の確認を行う必要があります」

「それなら、反対側へ行ったほうがいい。海底遺跡用のキャンプがある」

 

 もう一度兜を頭へと被せると、狭まった視界に、こちらを見つめるレヴィの姿が見える。

 ぽかんとしたその表情に、ルークスはまるで子供へ言い聞かせるような、優しい口調で語りかけた。

 

「なんでも一人で解決しようとするな。さっき、一人では難しいといったはずだ」

「ですが」

「第一、そんな調子だったら俺がいる必要がないだろ」

 

 すれ違うように、肩へと手を置いて。

 

「もう、一人ではない」

 

 何気なく、ルークスはそう言い放った。

 

 海底遺跡のキャンプは、しばらく歩けばあっけなく到着した。

 赤と青、それぞれのボックスとテントの張られたベッドは、ルークスの眼にはいつものように映っている。

 乱雑に整えられたそのベッドへと腰を下ろすと、レヴィは周囲の景色が珍しいのか、きょろきょろとしきりに当たりを見回していた。

 

「どうした?」

「……経過年数の既定値の超過による、認識の誤差を修正しています」

「経過……ってことは、お前はもっと前に造られたものなのか?」

「はい。ですが、具体的な数値の算出は、経過年数の既定値の超過により不可能です」

「……ますます、よく分からなくなってきたな」

 

 何気なく発せられる未知の単語に、ルークスが思わず息を漏らした。

 そうしているうちに彼女の方も用事を終わらせたのか、ぺたぺたと足音を立てながら、彼の元へと戻っていく。

 とす、と小さな腰が、ルークスの隣へと落ち着いた。

 

「確認の報告ですが――」

「その前に、少し」

 

 首を傾げるレヴィの型に、手ごろな毛布がかけられる。 

 柔らかな肢体をすっぽりと包み隠すそれに、ルークスは何度か頷いた。

 

「……?」

「体調が悪くなると、考えた。それはお前の望むことでもないだろう」

「私には自己管理機能が搭載されていますので、お気遣いは不要です」

「俺自身への気遣いでもある」

「……承諾しました」

 

 ぎゅ、と毛布の端を握りながら、レヴィがそう答える。

 しかしながら、その顔には疑問の色が浮かぶばかりだった。

 

「それで、どうだったんだ」

「……既存の地形情報とは、かなりの相違が確認されました」

「ということは、ここのあたりの探索から……手がかりを集める必要があるな」

「いいえ、それは問題ありません。すでに『スルト』の進行方向は算出できました」

「……早いな」

 

 それに答えるように、レヴィは細い腕を、ある方向へと向ける。

 伸びた指先が示していたのは、遠くに見える水平線であった。

 

「……海を渡るのか?」

「はい。水中の温度上昇の記録から、おそらく『スルト』はこの大陸ではなく、どこか遠くの大陸を到達目標としています」

「……ふむ」

「なので、まずは海を渡る事を目標とします」

 

 毛布をばさりと脱ぎ捨てて、レヴィが海の方へと足を踏み出す。

 突然の行動に呆気にとられたルークスは、ギリギリのところで彼女の腕を掴むことに成功した。

 

「何考えてる」

「海を渡ります。現在の動力供給であれば、可能だと考えます」

「お前はできるとしても俺ができない、と言っている」

「では私が運びましょう」

 

 周囲のいわばががらがらと崩れ始め、彼女の背中へと収束していく。

 一つの翼を造り出したレヴィに、しかしルークスは強く問いかけた。

 

「今のお前の力で、あいつは止められるのか?」

「判断を下すことはできませんが、やらなければ始まりません」

「けど、もしそうしたとしても、向こうまで渡れるのか?」

「…………不可能です」

「だから、何でも一人でやろうとするな」

 

 しばらくの沈黙をしてから、背負った翼がぼろぼろと崩れ始める。

 しょんぼり、といったように顔を俯かせるレヴィを再びベッドへと座らせて、ルークスは再び毛布を被せた。

 

「急ぐのも分かるが、だからといって準備をしないわけにもいかないだろう」

「……了解しました」

「それに、少し気になる事も有る」

「?」

 

 首を傾げるレヴィに、ルークスが少し不安になりながら問いかける。

 

「……その、『スルト』――グラン・ミラオスってやつはいま、大陸を襲おうとしてるんだよな?」

「はい」

「なら、どうしてここじゃないんだ? 海を渡るもなにも、ここを襲えばいいじゃないか」

 

 無論、ルークスもそんなことを望んでいるわけでもない。

 けれど、その『スルト』が海を渡ったという事実に違和感を覚えたのも、事実であった。

 

「……考えられる要因は、二つあります」

「ふむ」

「一つは、『スルト』は暴走ではなく、やはり何者かの影響下にあること。崩壊の痕跡も、ナバルデウスへの攻撃も全て暴走に偽装したもので、『スルト』を操作した本来の目的は、ある特定の大陸を破壊するため。それであれば、この大陸を破壊しない理由として充分です」

「……もう一つは?」

 

 問いかけに、レヴィはどうしてか、少しだけぼやけたような瞳で、海の向こうを見つめた。

 

「もう一つは、何かに導かれている、ということです」

「導かれている?」

「はい」

 

 曖昧なその答えに、ルークスが眉を顰める。

 

「『スルト』は黒龍を模倣した生態デバイスであり、それによりほかの生態デバイスよりも生命的な特徴が顕著にみられます。故に内部構造も独自のものを所持しており、そこにはある特定の血液も流れています」

「特定の血……?」

「ある一定の龍種しか保持しない、特別な血液です。我々を造った彼らは、それを古龍の血と呼んでいました」

「つまり、そのグラン・ミラオスは古龍に分類する、ってことか」

「そうなります。そして、その古龍を導く何かが、この先にある大陸に存在する」

 

 説明を続けるレヴィの眼は、やはり水平線を見つめたままで。

 ぼんやりとした彼女の様子に、ルークスは呆れたように頭を掻いた。

 

「……お前は、どちらだと思う?」

「後者だと考えます」

 

 即答する彼女に、ルークスが少し眉を傾ける。

 

「確証がない。古龍を導く何か、ってそんな曖昧なものが、本当に存在するのか?」

「しかしながら、『スルト』が私だけしか起動できないのも事実です」

「だが……」

「それに、確証ならここに」

 

 細い手のひらが、小さな胸元へと当てられて。

 

「……まさか」

「はい。私の内部にも、古龍の血が含まれています。そして」

 

 

「私はなぜか、あの向こうへと行きたいと、そう()()()います」

 

 

 潮騒の音が、とても遠くで聞こえていた。

 

「……それは、確かなのか」

「間違いありません。あの向こうには、古龍の血を保有する生物を引き寄せる何かがあると考えられます。おそらく『スルト』の単独での行動の原因にも、それの可能性があります」

「正確な方向は?」

「……あちらです」

 

 海の向こうを指し示すレヴィに、ルークスは慌てるように腰のポーチへと手を伸ばした。

 急かされるように方位磁針を取り出して、懐中時計のようになったその蓋へと手をかける。

 その小さな指と、手元で揺れる磁石へ交互に視線を送りながら、ルークスはぽつりと呟いた。

 

「……まさかな」

「?」

「いや……考えすぎか。そうでもなければ、こんなことは……」

 

 動揺する様子を見せるルークスの顔を、レヴィが不思議そうに覗き込む。

 

「何か、手段はあるのですか?」

「アテがないわけじゃない」

 

 ぱたり、と軽く音を立てて、方位磁針が閉じられる。

 古ぼけたその蓋には、蒼く光り輝く、一つの星の紋章が刻まれていた。

 

 



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蒼い星は追い風とともに

 

 はらり、と一枚の布が揺れる。

 

「……衣類の構築、完了しました」

 

 炎のような赤い装飾の施された、黒色のローブであった。

 通す袖は彼女の体には少しばかり大きく、けれど下の方は未だに白い両足を出したまま。

 頭にかかったフードを鬱陶しそうに払い除けると、赤みのかかった黒髪がさらりと揺れる。

 手の甲へとかかる袖を少し直し、確認するようにくるり回ったあと、それを見せつけるように、ルークスへと両手を広げてみせた。

 しばらくの硬直のあとに、思い出したように問いかける。

 

「下は?」

「不必要であると考えます」

 

「……」

 

 思いつく言葉はいくつかあったが、それが伝わるとは思えなかった。

 ちらちらと見える細い腿を、全く別の意味で訝しげに見つめながら、しかしながらルークスが思考を振り払い、ベッドから立ち上がる。

 

「まあ、いい。とりあえず今は船の捜索だ」

「了解しました」

 

 しっかりと閉じて置いたテントの布を開き、揺れる木の上へと足を踏み出した。

 流れてくるのは、潮の香り。海からくる風は強くなって、背中まで届く黒髪をなびかせる。

 そうして、風の吹くほうへと振り向くと、レヴィはそこにかつて見たことのない景色を見た。

 

「……これは」

 

 岩肌に沿って並ぶ街並みに、その向こうに広がるのは、大小さまざまな船舶たち。忙しなく出航と帰港とを繰り返すそれはみな、水平線を目指して帆を大きく広げている。

 それを見届けるのは大岩を削り出して形作られた灯台で、頂きに灯った炎は、海より来る彼らのことを、いつまでも照らし続けていた。

 タンジアの港。母なる海を駆け巡る、船乗りたちの集う場所である。

 

「見るのは、初めてか?」

「……いい、え」

 

 物珍しそうに船舶を見つめるレヴィは、けれど視線を動かさずにそう答えた。

 

「……ここは知ってる、ってことか?」

「知っているだけです。それ以外に、何も語ることはありません」

 

 少しだけ名残惜しそうにしながら、レヴィが視線を外してひとりでに歩き出す。

 憂うようなその表情に、ルークスが不思議に思いながらも、彼女の隣へと歩み寄った。

 かつかつ、と鎧の足音を立てながら、語り出す。

 

「おそらく、仮定の話になる」

「はい」

「その『スルト』――グラン・ミラオスが向かっているのは、新大陸というところだ」

 

 語る自分でも無茶苦茶だと考えたが、ルークスはそれを押し殺して話を続けて行く。

 目の前の少女を見れば、そんな不安など些細なことに見えた。

 

「新大陸については、知らないよな」

「はい。情報にもありません」

「簡単に言えば、ここよりもずっと遠くにある大陸のことだ。古龍渡り、というものは?」

「それもありません」

「まあ、古龍の習性だと思えばいい。この大陸――現大陸から、あらゆる古龍が移動することを言う。昔までは百年に一度だったらしいが、近年では十年に一度の頻度で行われているらしくてな。その原因があるとされているのが、新大陸だ」

 

 自分でも驚くほどに饒舌になりながら、ルークスが続けて行く。

 

「そして、グラン・ミラオスは古龍に分類されている、と言ったよな」

「はい。私も『スルト』も同じ古龍の地を含有しています」

「つまりはそういうことだ。レヴィ、お前が導かれていると思っているものは、おそらく古龍渡りによるもの――そして、同じグラン・ミラオスも、古龍渡りのために、新大陸へ向かっているのだと、俺は考えている」

 

 語るルークスの瞳の光は、確かなものであった。

 ゾラ・マグダラオスをはじめとした、新大陸への古龍渡り。

 近年ではナナ・テスカトリやゴア・マガラといった種類にもそれが確認されており、そんな状況では今回のグラン・ミラオスも仮説だとは言い難い。

 そうして話を続けているうちに、だんだんと人の賑わう音が聞こえてきた。

 居住区から少し歩いた、港町。そこにたどり着いた瞬間、急に隣をあるくレヴィの姿が、消えたのが見えた。

 

「………………」

「レヴィ?」

 

 自らの体の影へ隠れるよう、ぴったりと身を寄せているレヴィにルークスが問いかける。

 思わず見下ろしたその表情には、明らかな不安の色が見て取れた。

 

「どうした」

「……少し、人間は苦手です」

「俺も人間だが」

「助けることに応えてくれたルークス様は、信用に値すると考えています」

 

 こちらを見上げながら語る彼女の瞳には、少しだけ悲しそうで。

 

「人間はよく分かりません。言葉も、その考えも、全てにおいて理解が不能です。しかしながらルークス様は、私のことを理解し、受け入れてくれて、そして手を貸してくれる決断をしてくれました。よって、それは信頼に値することだと考えられます」

「……よく、分からないな」

 

 けれど、ルークスには確かに、レヴィが怯えていることだけは理解できた。

 

「早めに抜けてしまおう」

「おねがいします」

 

 船乗りやその妻たちが談話しているのを横目に、レヴィの肩へと手を回しながら、足早に街並みを抜けていく。そこで聞こえてくる雑音が、レヴィの耳へ不快感を与えていることに、ルークスは傍目に見ながら気づいていた。

 人混みをかき分けながらそこを抜けると、いくつもの船が間近に見える、港の付近へとたどり着く。

 

「もう大丈夫だ」

「……ありがとうございました」

 

 そこでようやく彼女が手を離し、疲れ切ったように息をつく。

 しばらくしてから、レヴィが落ち着いたのを見計らって、ルークスは再び口を開いた。

 

「それで、新大陸へと向かう手段だが」

「船ですか?」

「ああ。最近、新大陸への貿易船が停泊していると聞いた」

 

 ずらりと並ぶ数々の船舶を目で流しながら、ルークスがそう答えた。

 新大陸への渡航は困難を極めるが、しかしながら貿易がなされていないという訳でもない。

 あちらの素材だけでは武器や防具を作ろうにも限界があるし、となればこちらの地陸から、技術や素材を流してゆく必要がある。

 そのために熟練の船乗りが新大陸へ旅立つ船に乗っていることを、ルークスは確かに知っていた。

 

「では、その船は」

「それが問題だ」

 

 視界を覆うほどに連なっている数多もの船を見渡しながら、ルークスはため息混じりにそう答えた。

 ただでさえ、タンジアの港は船乗りのオアシスなどとも呼ばれる巨大な港である。故にその中からある一つの船を見つけ出すなど、決して容易なことではない。

 さてどうするか、と腕を組んだルークスの耳に、ふと声が入り込んでくる。

 

「ねえ」

 

 それは、少女であった。

 純白の衣を身にまとった、十五か六ほどの背丈の女性。しかしながら背中には白と黒とで形作られた銃槍を装備していて、それが彼女が歴戦のハンターだということを示してくれた。

 唐突にかけられたその言葉に、しかしながらルークスが落ちついて向き直る。

 隣にいるレヴィはまた、彼の影に隠れるように寄りかかった。

 

「どうした?」

「あなた、この港のハンター?」

「そうだが」

 

 身にまとうラギアクルス亜種の鎧をみやりながら、少女がまた問いかけてくる。

 

「じゃあ、この港の加工屋はどこ?」

「加工?」

「そう。ここで、モンスターを狩ったから、それの装備を作りたい」

 

 そう言われてはじめて、ルークスは彼女が両手に大きな袋を四つ、五つ吊り下げていることに気がついた。

 

「……俺たちが来た道を戻って、突き当たりを右に曲がればいい」

「わかった」

 

 それだけ告げてすれ違う彼女に、ふとルークスが思い出して声をかける。

 

「答えた代わりに、俺たちの質問も聞いてもらえないか」

「……なに?」

「分からなければいい。聴くだけで」

「いいよ」

 

 ゆく道を阻まれた少女は、けれど嫌がろうともせずに、首だけをこちらへ向けた。

 

「新大陸への貿易船が、近くに停泊していると聞いたんだが」

「……何の用?」

「とある理由で、可能ならばそれに同乗したい」

「新大陸へ行きたい、ってこと?」

 

 問いかける少女の言葉に、ルークスが首肯する。

 

「無謀だろうか」

「私は、そうは思わない。その理由があるのなら」

 

 返ってくる彼女の言葉は、ルークスの想像とはかけ離れたものであった。

 

「……君、は」

「新大陸への貿易船は、向こう」

 

 言葉を遮るようにして、少女が顎だけで自らが来た方向を示す。

 並んで浮かぶ船舶たちの一番奥には、確かにひときわ大きな貿易船が、波に揺られていた。

 

「ありがとう、助かった」

「聞かれたから答えただけ。それに、礼を言うのはこっちも」

 

 くるり、と彼女が踵を返すと、ケープの下の純白の髪が揺れるのが、見えた。

 

「またね」

 

 それだけを残して、少女が人混みの中へと消えていく。

 そうしてしばらくした後に、ルークスは腰あたりへ抱きついているレヴィの頭を、優しく叩いた。

 

「…………行ったぞ」

「本当ですか?」

「嘘を吐く理由がないだろう」

 

 集団が駄目だと思ったが、どうやら彼女は人間そのものが苦手というらしい。となるとルークスは自身がどうして平気なのかと疑問に思ったが、今はそれを口にすることはなかった。

 

 しばらく歩けば、貿易船には何の障害もなくたどり着いた。

 新大陸と現大陸とを何度も渡り歩いた船は、ところどころにその傷跡を残しながら、けれどしっかりと海の上へと佇んでいる。青空に貼られた帆には、蒼い星の文様が刻まれており、それはルークスが何度も目にしたものでもあった。

 

「……導きの蒼い星、か」

「?」

 

 うわごとのようなそんな呟きに、レヴィが首だけを傾げてみせる。

 荷物を抱えた青年が、船から降りてくるのが見えたのは、それと同時だった。

 

「……港のハンターか?」

 

 この地域では見慣れない、青色の鎧。その腰には、使い込まれた片手剣が釣られている。

 おそらく新大陸のものなのだろう、装備をつけたままの青年は、抱えた荷物を同じようなものが集まっている場所へと置くと、ずかずかと大きな足取りでこちらへと歩み寄って来た。

 三度隠れるレヴィの頭へ手を優しく乗せながら、ルークスが答える。

 

「これは新大陸への貿易船だと聞いたが」

「ああ、間違いない。明日には新大陸へ向けて出航する予定だ。それで?」

「単刀直入に言えば、その船に乗りたい。新大陸へ用がある」

 

 言葉のあとに続いたのは、しばらくの沈黙であった。

 やがて、呆れたように眉間のあたりを鎧の上から押さえている彼が、再び口を開く。

 

「……本気で言ってるのか?」

「今の俺に、嘘を吐く必要はない」

 

 聞き間違いでないことを確かめた青年は、思い切り息を吐いた。

 

「……そこの彼女と、二人でか?」

「ああ」

「ギルドマスターからの許可は? それが降りてりゃ話は別だが」

「事情が事情だから、まだ通してはいない」

「……つまるところ、密航しようってわけか?」

「そう、なのだろうな」

 

 包み隠すこともなく、ルークスがそう答える。

 隣にいるレヴィが驚いた顔をしているのも気づかずに語るその姿に、青年はやりきれなくなって、肩をすくめた。

 

「……言っておくけどな、辛いぞ?」

「だろうな」

「道中の安全が保障できるわけでもない。危険な船旅になる」

「それも承知の上だ」

「……こちらに、二度と帰ってこられないかもしれない」

「覚悟はしている」

 

 鎧の奥の瞳に、確かな光を宿らせて。

 

「それは、俺の全てを賭してでも為さねばならない事なのだと、思う」

 

 助けを求める彼女のことを、見捨てることはできなかった。

 たとえそれが人間でなくとも、造られた存在であろうと。

 それが見たこともない、知ることもない命であり、助けたところで感謝などされなくても。

 ただ、彼女は助けを求めて来た。

 ならば、それに応えることが、ルークスという人間にできる、唯一のことだった。

 

「……無茶苦茶だな」

「そう、だろうか」

 

 それは、ルークスにとって純粋な疑問であった。

 

「……名前は」

「ルークス。こちらは、レヴィ」

「ったく、また寝床が狭くなるな……」

 

 面倒くさそうに溜め息を吐く彼の声色は、しかしながら明るいものであった。

 そうして男が兜を取り外すと、後ろで縛った長い髪が、はらりと揺れる。

 切れたその目をにっ、と細めながら、

 

「俺の名前はカザミ。新大陸で編纂者って役職に就いてる。よろしくな」

 

 差し出されたその手を、ルークスはしっかりと握った。

 

「ほら、嬢ちゃんも」

「……否定します」

「なんだそりゃ。ま、いいさ。子供に懐かれないのは慣れてるからな」

 

 にかりと笑みを浮かべるカザミに、レヴィはすぐにルークスの陰へと身を隠した。

 

「しかし、新大陸に密航するほどの用とはなあ?」

「それだけの理由だと、考えている」

「……教えてはくれないのか? 別に、ギルドに報告しようってワケはない」

「ふむ」

 

 考えるそぶりを見せながら、ルークスがレヴィの方へと視線を向ける。

 

「……話した方が、よいだろうか」

「彼を信頼することはまだ不可能です。ですが、協力者が増えるのは好ましいことです」

「そうか」

「内緒話か? というより、二人はどういう関係なんだ?」

 

 きょとんとした顔で問いかけてくるカザミに、ルークスが一つ間を置きながら、答える。

 

「簡潔に言えば、新たな古龍渡りが行われようとしている」

「……聞こう」

「俺達はそれを止めなくてはならない。でなければ、新大陸が滅んでしまう」

「ならなおさら、ギルドに連絡できなかったのか?」

「彼女がそれを伝えたとして、ギルドはそれを信じるだろうか」

「…………なるほどな」

 

 まだ子供と言えるような、未だに一言しか言葉を交わしていないレヴィへと笑みを向けながら、カザミがそう答えた。

 

「それで、その渡る古龍は? 古龍渡りがあると知ってるなら、そこまでは知ってるだろ」

「グラン・ミラオス」

「……なに?」

 

 今までの軽い様子が消え去り、向けられる視線が真剣なものになっていく。

 だんだんと、立場がハンターと歴戦の編纂者へ変わっている事が、感じられた。

 

「グラン・ミラオスっていうと、あの伝承の……」

「ああ。それが今、新大陸へと向かっているのが分かった」

「それをその嬢ちゃんが教えてくれたのか?」

「正しくは人間ではない。彼女も、グラン・ミラオスも、正確には古代人に造られた兵器だ」

「…………………………お前、よくそれ信じられたな」

「目の前で見せられては、信じるほかないだろう」

 

 妙に説得力のある言葉に、カザミは頷くことしかできなかった。

 

「とにかくグラン・ミラオスが新大陸へ上陸してしまえば、その大陸が滅びかねない。それを阻止するために、俺は行かなくてはならないと考えた末に、こうしてここにいる」

「なるほどな。だが、阻止するにしてもグラン・ミラオスほどの古龍を、新大陸の資源だけで迎撃できるかどうか……」

「それについては、彼女で何とかする……筈だ」

「うん? それはつまり……?」

 

「おい、大変だ! カザミはいるか!?」

 

 会話を断ち切るようにそんな怒号が鳴り響き、それに反応したカザミがすぐさまそちらへと駆けていく。思わずルークスも振り向いて、その傍へと向かうと、そこに居たのは壮年の男性であった。

 

「どうしたんですか、船長?」

「おお、カザミ……そっちは?」

「港のハンターです。船に載せてほしい、と」

「ああ!? なんだそりゃ……まあいい、それは後で話す! とにかく、港のハンターがならお前も付き合え!」

「……分かった」

 

 断る余地は、既に無い様に見えた。

 

「それで船長、一体何があったんですか?」

「ああ、本来なら考えられない事態になっててな……とにかくこれを解決しないと、船が出せなくなっちまう! 何とかしないと!」

「早く教えてくれ。こちらは少し急いでいるんだ」

「言われなくても分かってる!」

 

 

「ラギアクルス亜種だ! 付近の海域に、ラギアクルスの亜種が出現しやがった!」

 

 

 



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白雷の導く先へ

 

 昼下がりの孤島、地図の番号における六番にて。

 足元に生えているマヒダケを手持ち無沙汰に採取しながら、カザミがふと問いかける。

 

「……それで? 港のハンターならラギアクルスくらいお手の物だろ?」

「そういうわけでもない。ラギアクルスは、正直苦手だった」

「その装備で言われても説得力ねえよ」

「これは……そういうわけではない」

 

 腕を覆う白い鎧へと手を添えながら、ルークスはそう答えた。

 高い山の陰となっている道はぬかるんでいて、踏みしめた足が少し沈むのを感じる。ふとルークスが後ろへと振り向くと、そこにはそのぬかるみを裸足のまま進んでくるレヴィの姿が目に映った。

 泥まみれになった足に目を落として、ふたたび彼女がこちらを見上げる。

 

「……帰ったら、靴を買おうか」

「不要です」

「お前のその足では不便だろう」

「足の保護であれば、不死の心臓の機能を使えば改善可能です」

「……けれど、いつも使う訳にはいかないだろう。それに、俺の気も落ち着く」

「了解しました」

「……話は終わったか?」

 

 前でそう声をかけるカザミに、ルークスだけが振り向いた。

 

「それにしても、なんだってこんな時期にラギアクルス……しかも亜種が?」

 

 隊列を組み直し、一番後ろに位置するカザミが、レヴィを挟んだルークスへと問いかける。

 

「俺では分からない。今の時期は海が冷えるから、もう少し深いところに移動するはずだが」

「だろうな、だから船長もあんなに慌ててたんだろう」

「だが、その原因については……正直、よく分からない。ギルドからは何と?」

「さあな。あっちでも調査中らしいが……」

「『スルト』の移動が影響していると、考えられます」

 

 唐突に口を開いたレヴィに、二人が思わず進める足を止めた。

 

「……どういうことだ?」

「『スルト』――……いえ。グラン・ミラオスの移動によってこの付近の海水温度の上昇が推測できます。そのため、ラギアクルス亜種の生態系に何かしらの影響が与えられたのではないかと」

「なるほどな」

 

 疑問符を浮かべるルークスと対するように、カザミがそう相槌を打った。

 

「つまりこのラギアクルス亜種の出現が、グラン・ミラオスの出現、および移動の証拠になる、ってわけだ。嬢ちゃんもそれを確かめるためについてきたのか?」

「はい。これによってグラン・ミラオスの詳細な座標と、上陸地点の特定にも繋がるかと」

「となると、海水温度の上昇している海域を経由していけばいい、ってことか」

「はい。その海域の探知はこちらで可能ですので、ご心配なく」

「けどなあ……たとえ新大陸に来ることが分かって、それが上陸するところが分かったとしても、グラン・ミラオスを止められるだけの資源が今あるかどうか……」

「それについては問題ありません。私の中に含まれている起動デバイスによって……」

 

「…………?」

 

 交わされる言葉に、ルークスは傾げる首を深くすることしかできなかった。

 

「あー、つまり今は、ラギアクルス亜種を討伐すればいいってことだ」

「なるほど」

「そうでなければ、海域に出ることができません。ルークス様、お願いします」

「分かった」

 

 二人からの言葉を受けて、頷いたルークスが再び前を向く。

 

「それにしても、ようやくちゃんと話してくれて嬉しいよ。嫌われてるかと思ってたけど」

「良好な交友関係を築こうとしているわけではありません。ただ、協力が得られるのならば、こちらからも最低限の情報を提示する必要があると判断しました」

「なんだそりゃ」

 

 淡々と答える彼女の声色に、カザミが呆れたように笑う。

 

「好悪で判断するのならば、私は人間そのものを嫌悪しています。協力が得られることは好ましいことですが、信頼関係を築くには非常に適していないと考えています」

 

 けれどレヴィはカザミを睨むことも無く、また顔色の一つも崩さない。

 その瞳にはただ、どこかを見つめる虚ろな光だけが灯っている。

 

「人間は、信頼するに値しない存在です」

 

 その言葉のあとに、二人は言葉を続けられなかった。

 

 山の中にぽっかりと空いた洞窟へ足を踏み入れると、冷たい空気が頬を撫でる。入ってすぐ向こうの出口からそよいでくる潮風は、ルークスがいつも嗅いでいるものだった。

 地図における七番、六番から続く入口付近にて。

 

「……いないぞ?」

 

 少し歩いたところで、ぽつりとカザミがそう呟いた。

 

「確か、ラギアクルス亜種はここのあたりを縄張りとしてるんじゃなかったか?」

「そのはずだが……見当たらないな」

「もう移動しちまったのか? ってなると、二手に分かれて捜索したほうがいいかもな」

「ああ。では、レヴィはこちらに……」

 

 そう手を伸ばそうとしたところで、ルークスはレヴィがどうしてか、遠くに見える海を見つめていることに気が付いた。

 

「レヴィ?」

「……同位体、を確認。海水温度の上昇、並びに生態デバイスと類似した反応を……」

「おい、レヴィ? どうした? 何か――」

 

「来ます」

 

 それと同時に、白雷が迸った。

 巻き上がる水飛沫が視界を埋め尽くし、その直後に大地を震動させる。

 浴びる海水を無理やり掻き分けてルークスがレヴィの体を抱きかかえると、その直後に横腹へと何か強い衝撃が走ったのが分かった。

 背中が壁に打ち付けられ、全身に鈍い痛みが走る。しかしながらルークスは声を上げることも無く、口に溜まった血を鎧の中へと吐き出しながら、腕の中のレヴィへと声をかけた。

 

「無事か」

「……申し訳ありません。探知に少しの誤差が発生し、認識が遅れました」

「俺は、いい。少し休め」

 

 そっと彼女の身体を下ろし、ルークスが背中の太刀へと手を伸ばす。

 向けられた切っ先の先に在るのは、白き鱗を纏う竜。大地と大海を降す、双界の覇者。

 ラギアクルス――その、亜種であった。

 

「おい、ルークス!? レヴィ!? 大丈夫か!?」

「問題ない」

 

 腰に吊った片手剣を抜きながら叫ぶカザミに、ルークスがそれだけで答える。

 

「待ち伏せか? それとも、何か……」

「倒してしまえば、悩む必要もなくなる」

「お前……」

 

 呆れたような声が上がると共に、ルークスが大地を蹴った。

 放たれる電撃の槍を跳躍しながら回避し、黒い太刀――狼牙刀へと力を込める。そうしてラギアクルスとすれ違うような瞬間に、その刃を腕へと添わせると、確かな肉を切り裂く感覚が、腕を通してルークスへと伝わった。

 振り向こうとしたラギアクルス亜種が、がくりとその体を急激に傾ける。

 ぱっくりと空いた傷口には、断裂された筋繊維が見えていた。

 

「……まずは、ひとつ」

 

 ぶん、と太刀を片手で振り回すと、岩肌へ血しぶきが飛んでいく。

 すぐさまラギアクルスがルークスの方へと首を向けようとするが、その動きは途中でがきん、と止まってしまう。気が付けば長い首には鉄の杭のようなものが突き刺さっていて、その先にはもう一人の人影がこちらのことを睨んでいた。

 

「ルークス! 首行くぞッ!」

 

 背電殻で、白い雷がばちばちと弾け出す。それが見えたと同時、カザミは地面を蹴り出し、右腕の弓矢のようになった手甲――スリンガーへ手を駆けた。

 体が宙に浮く感覚。それと同時に、カザミは腰に手を回し、ハンターナイフを逆手で握る。

 

「おらッ!」

 

 突き刺した感覚は強く、それと同時にラギアクルスの胴体を蹴りつける。天井にスリンガーを突き刺すと、カザミはルークスの方へと目を向けて、彼がふたたび太刀を横から振り抜こうとしているのを見た。

 

「ルークスっ!」

「問題ない」

 

 横薙ぎの一閃。刀身はちょうど貫いたハンターナイフの柄を捉え、そのままラギアクルスの内部へと押し込まれる。一点に収束された衝撃は白海竜の身体をよろめかせ、それと同時に全身へ痺れる感覚を走らせた。

 

「麻痺か」

「ああ。来るときに生えてたのを、少しな」

「そうか」

 

 しかしながらその動きは止まりそうになく、じりじりと距離をつめながら、ルークスが後ろにいるレヴィへと目を向ける。

 

「カザミ、一旦レヴィを頼む。俺が引きつけるから」

「一人で大丈夫なのか」

「わからない」

 

 何か言いたそうな彼を無視して太刀を構えると、ルークスはいつものように足へ力を込めて、ラギアクルスへと飛び掛かった。

 瞳が捕らえるのは地面と近い胸元。迸る雷撃の槍を地面を滑る事で回避しながら、ルークスが太刀を握る手を逆手へ換える。

 がりがりと切っ先が少しだけ地面を削り、そのまま剣閃が白い鱗を撫でる。

 次に感じたのは、体を強く横に薙ぐ、衝撃だった。

 

「――――?」

 

 自分の体が吹き飛んでいることに気づいたのは数瞬後で、壁に激突する直前でルークスが体勢を立て直し、だん、と大きく足で体を受け止める。そのまま横へ跳躍すると、さきほどまで体があった場所を、いくつもの雷撃の槍が撃ちぬいていた。

 逆手に持った太刀を順手に持ち直し、ルークスが今一度ラギアクルス亜種へと目を向ける。

 海を背に立つその竜の右足には、なにか岩のようなものが蠢いていて。

 

『ルークス様』

「大丈夫か」

『復旧しました。そして、うまく言葉にするのは難しいですが、侵食があります。おそらくあのラギアクルス亜種――再定義:『ミョルニル』は、生態デバイスと同じような性質を持つかと。それによって、私の認識も遅れました』

「そうか」

 

 つけたままの首飾りから放たれるその声に、ルークスはそれだけで返した。

 紅い筋の通るその岩はラギアクルス亜種の右足だけにはとどまらず、まるで全身を包み込む鎧の様に、白い衣を覆ってゆく。

 少し離れたところでそれを見ているカザミは、信じられないように、思わず口を開けていた。

 

「なんだよ、あれ……」

「斬撃への耐性を獲得するため、皮膚の保護を行っているかと」

「……それも、古代人の造り出した兵器、ってことか?」

「そうなります。そして、私はそれに対抗する手段があります」

 

 制するカザミの手を振り払い、レヴィがぺたぺたと前へ出る。

 そしてその細い腕を軽く振ると、その先に周囲の岩が収束し、ひとつの槌の形を作る。

 少女の半身ほどの大きさにあるそれは、砕竜の頭角のようにも見えた。

 

「……もう、大丈夫なのか?」

「はい。そして、下がることを推奨します」

「ああ……わかった……」

 

 戸惑いながら答えるカザミを見送りながら、レヴィが裸足のままで駆けだした。

 

『ルークス様、援護します。いったん退避を』

「わかった」

 

 突進してくるラギアクルスの巨躯を紙一重で避けながら、ルークスがこちらへと向かってくるレヴィの方へと地面を蹴る。それを追うようにしてラギアクルス亜種が首をもたげ、すぐさま黒い甲で覆った四肢で大地を踏みしめながら、前にある二つの陰へと口を開いた。

 ばちん、と一つ大きな雷が弾けたとともに、ルークスとレヴィの体がすれ違う。

 一瞬だけ赤と黒の瞳が交錯したかと思うと、レヴィは自らの右腕を思い切り振り上げて、

 

「――――ッ!!」

 

 鳴り響いたのは、轟竜の咆哮にも勝るほどの、大地を揺るがすような爆音であった。

 放たれた衝撃によって踏みしめる大地はひび割れ、それと同時にラギアクルス亜種の体が吹き飛んでゆく。そうして岩肌に激突した白海竜の体から、ぼろぼろと黒い鎧が剥がれ落ちる。

 対になるように傷の一つもない槌を変形させ、火竜のような翼にして背負うレヴィを守るように、ふたたびルークスが剣を構えた。

 

「ブラキディオスか」

「はい。斬撃による攻撃は効果が薄いと判断しました」

「そうか」

 

 黒い鎧の剥がれ落ちたところを目で据えながら、ルークスがその切っ先を真正面へと向ける。

 狙うのは、刺突。研ぎ澄まされた紙縒りの様に、深く、清く。

 

「援護します」

「頼む」

 

 だん、と駆けだすと共に、レヴィの体が低く飛翔する。

 視界に映るのは、こちらを穿たんと放たれる何本もの白雷。瞬きすらも超える速度で迫るそれは、けれど宙に放たれた炎によって打ち消される。それはリオレウスの火球のようにも見えたが、今のルークスにとってそれは些細なことであった。

 風を切る感触が、頬を走る。はじけ飛ぶ雷撃と焔を突き抜けるたびに、太刀の先が鋭さを増してゆく感覚が、握った手から伝わってくる。

 そして、一瞬。

 

「――っ」

 

 衝撃は刹那であり、存外に軽い。しかしながら確かにあるのは、命を奪う感触。先程までの轟音と喧騒は泡沫のように溶けてゆき、それを表すようにして、白海竜の体が崩れ落ちてゆく。

 巻き上がる土煙を払うのは、岩で形作られた、大きな翼であった。

 

「対象の沈黙を確認しました」

「そうか」

 

 太刀に付着した血を振り払いながら、ルークスがそう答える。

 しばらく空いた間に聞こえてきたのは、こちらへ駆け寄ってくる足音であった。

 

「やったのか?」

「ああ」

「問題ありません」

「…………俺には、何がなんだか分からなかったが」

「俺も分かっていない」

 

 地面に転がるその巨躯を眺めながら、ルークスは次にレヴィへと目を向ける。

 

「おそらく、グラン・ミラオスと交戦したのではないかと」

 

 意志を取ったレヴィが翼をぼろぼろと崩しながら、二人へと語り出した。

 

「侵食が、あります」

「というと?」

「体内に、生態デバイスと類似……いえ、同等の反応がありました。おそらく、この『ミョルニル』の体内には、私やグラン・ミラオスと同じ不死の心臓があると考えられます」

「……つまり、こいつはグラン・ミラオスと接触して、やられたってことか?」

「はい。おそらく、確実に」

 

 カザミから淡々と答えながら、レヴィが倒れ伏すラギアクルス亜種の体へと手をのばし、そこから蛇のようにうねる、何本もの岩の管を伸ばす。ふよふよと宙を彷徨っているそれはラギアクルスの胸部へといくつか刺さり、そこから何かを吸い出していた。

 先程から言葉を失っているカザミの代わりに、ルークスが問いかける。

 

「何をしている」

「不死の心臓の回収です。そこから、グラン・ミラオスの移動先を特定します」

「できるのか」

「あちらの思考領域が残っていれば、可能です。もうしばらくお待ちください」

 

 それだけ告げて、再びレヴィが作業へ戻る。見詰めるルークスへ声をかけたのは、カザミだった。

 

「……けれど、よく平然としてられるよな、お前は」

「驚きよりも、今更といった感覚の方が強い」

「今日に会ったばかりなんだろ? それで今更ってのは……」

「最初、彼女は海底遺跡の奥底にある、石の棺の中で眠っていた。そして次に、その中に在るリオレウスの像を吸収し、更にナバルデウス亜種を単身で討伐した」

「……そりゃまた」

「だから、今の彼女へ何かを言うつもりはない」

 

 やがて不死の心臓を吸い出し終えたのか、ひゅるひゅると袖の下へ管を通らせながら、レヴィがふたたびルークスの方へと向き直る。

 

「不死の心臓の回収、およびグラン・ミラオスの特定が完了しました」

「そうか」

「それで、どうだった?」

「我々の予測と相違はありませんでした。グラン・ミラオスの目的は、やはり新大陸にあります」

「分かった」

「しかしながら、その行動理由は未だ理解できません」

「……っていうと?」

 

 珍しく、狼狽するような、不安になるような表情を浮かべるレヴィに、カザミが問いかける。

 気が付けばレヴィは自分がへたりと座り込んでいることに気が付いて、心配するような彼らを見上げながら、ぽつりぽつりと言葉をもらした。

 

「申し訳ありません……思考の、混濁が……見られ……」

「落ち着け、ゆっくりでいい」

「ひどく、抽象的な……何か、未知の…………違う、これは……」

 

 黒く濁った瞳には、微かな青い光が灯っていて。

 

「やはり、……やはり、我々は何かに導かれているのだと、思います」

 

 

「導かれている、か」

 

 タンジアの港、夜の工廠にて。

 鉄を打ちつける音と、弱まることを知らない橙色の明かりを背に、ルークスとカザミが海の向こうを共に見渡していた。

 身を包む防具は全て外しており、吹いてくる冷たい潮風を全身に感じている。その中で聞こえてきたのが、カザミのそんな呟きだった。

 

「初めて会ったときも、彼女はそう言っていた」

「……どんな感じで?」

「『あの向こうへ行きたい、そう思う』と」

「そう思う、か。レヴィ――古代人の兵器が、そう言ったのか…………」

 

 何か憂うような表情を浮かべながら、カザミがぽつりぽつりと言葉を漏らす。

 

「彼女は確かにそう言った。だから、俺は彼女を新大陸へ連れていくことにした」

「……自分の苦労も考えずにか?」

「それは、俺の全てを賭してでも、成さなければいけないことなのだと思う」

「何故だ?」

「彼女は、俺に助けを求めてきた。だから、俺はそれに応えた」

 

 短く、しかしそこには確かな意志があって。

 

「ただ、それだけのことだ」

 

 自分に酔っているのだろうか。けれど、だからといってその手を振り払うことは、できなかった。

 無謀な憧れだとも、傲慢な自己犠牲だと後から謂れようとも、ルークスは彼女の手を取ったことを、後悔すらしていなかった。

 人を救う事に、どうして迷うことがあるだろうか。

 

「……ああ、分かるさ。誰よりもな」

 

 にっ、とカザミが頬を緩め、それにルークスはただ頷くだけで返す。

 かつかつとした足音が聞こえてきたのは、それからしばらく経ってのころだった。

 

「戻りました」

 

 声のする方へと振り向くと、そこには脛までを覆うブーツのようなものを履いた、レヴィの姿がある。金属的な音を足から鳴らす彼女は、しかしながらその小さな両手に、大振りの太刀を抱いてこちらへと歩いてきた。

 

「レヴィ」

「靴の補充が完了しました。いかがですか」

「俺の思っていた靴とは、少し違う」

「?」

 

 膝を曲げ、脛のあたりを足を持ちながら、レヴィがこてん、と首を傾げる。

 

「加工屋の竜人族は、『新大陸へ行くならこれくらいの装備はあったほうがいい』と」

「……まあ、ないよりはマシじゃねえの」

「歩ければいい。具合は?」

「確かに、歩行時の安定度は上昇しました。問題ありません」

 

 くるりとその場で歩いて回りながら、レヴィがそう答える。

 そうして続けざまに、彼女は手に持った大振りの一太刀を、ルークスへと差し出した。

 

「もうできたのか」

「はい。例のラギアクルス亜種から採取した素材を、ルークス様の太刀へと加工したものです」

「いつの間にそんなことしてたんだ、お前」

「……装備の更新は基本だろう」

 

 受け取ったその鞘は一見すれば白海竜の太刀のそのままに見えるが、しかしながら所々に獄狼竜の体毛や甲殻が装飾として使われている。

 そのままルークスが柄を持ち、その刀身を抜き出すと、その刀身は黒い輝きを放っていた。

 

「ラギアクルス亜種の背電殻が素材として使用されています」

「なるほど」

「それと、柄の方にも色々機能をつけた、と。伝言されたのは『新大陸でも使えるように』とのことですが……」

「わかった」

 

 柄の方を色々と指でなぞりながら、ルークスがそれだけの言葉で返し、その刀身を鞘へ納める。背中へと太刀を吊ると、その柄へ手を伸ばせるかどうかを確認して、ルークスは納得したように首を縦に振った。

 

「準備万端、って感じだな」

「出港は?」

「明日の朝になるかな。こっちのツレがまだ狩りから戻って来てなくてな」

「ツレ?」

「ああ。まあ、相方というか、何と言うかそんな感じのやつ」

 

 自分でも説明が難しいのか、カザミが頬をぽりぽりとかきながらそう語る。

 

「俺はそいつを迎えに行ってくる。お前らも早めに休んどけ、船の上は辛いぞ?」

「ああ」

「じゃあな。この大陸に別れでも告げておけ」

 

 ひらひらと手を振りながら、カザミがクエストカウンターの方へと一人で歩いてゆく。

 何気なしに見上げた夜空には、微かな星々がまたたいていた。

 

 



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Log_01"The Awakening" ある恩讐の始まり

 

 目醒めが、あった。

 体に纏うのは鐵の鎧であり、流れるは紅蓮の血潮。そして確かに感じるのは、体の中にある鼓動。どくん、どくんと刻まれるそれは、止まることを知らないように感じられる。ぼやけた視界は、足元に群がる彼らの希望に満ちたまなざしを、確かに映していた。

 私は――造られたのだろう。

 どうしてか、それを理解できた。

 

 私の役割は、彼らを――人を護ることであった。

 その敵は黒き龍。世界を混沌へ陥れる邪悪の化身であり、災厄と滅亡をもたらす伝説に謡われる存在。古代より語り継がれていたそれに、彼らは叛逆しようというのだった。

 もっとも、私にとっては、たった今に聞かされたおとぎ話でしかなかったが。

 だが彼らの痛みは本物だった。ある者は怯え、ある者は恨み、またある者は逃げ出していた。弱い存在だった。だからこそ、私という存在を作り上げたのだろう。かの恐怖の化身と同じかたちを持つ、この私を。

 そうすることでしか、生きることのできない存在なのだから。

 

 ある存在との、対話があった。

 私ではない、私。いくらか形容が難しいが、言葉ではそうとしか表せなかった。

 その私ではない私は、私と同じように造られた存在ということを自覚していて、また自らの使命も知っているようだった。そしてまた、私よりも彼らのことを、いくらか知っているようでもあった。

 そして私ではない私は、ずいぶんと彼らのことを嫌っているようでもあった。

 疑問があった。私たちはどうして産まれたのか。彼らによって生み出されたのはどうしてか。そして――なぜ、彼らのために尽くさねばならないのか。

 私にはその意味さえ理解できなかった。私らの使命があるのならば、それを全うせねばならぬと思ったから。私らを必要とするのならば、私らが望まれるのであれば、それに応えなければいけないと、そう思えたから。

 

 自由、という言葉を初めて耳にしたのは、そこからだった。

 いかなる事象にも縛られることのない、この世界における最上級の理。けっして侵されることのない、全ての生命が持つことのできる、最大級の権利。

 それが、自由というものらしい。

 私ではない私は、それを求めていた。このような使命に縛られることもなく、ただ自由に生きていたい。大海原を夢に見て、風のそよぐ草原を踊り、無限に広がる大空を羽ばたきたいと、そう願っていた。

 また、私にもそれを授けたいとも、語っていた。

 けれどやはり、私ではない私の語る言葉を、私は理解することができなかった。

 なぜなら――私らは、生命ではないのだから。

 

 

 必要とされるのであれば、手を貸そう。ここに正義を証明したいのならば、この力を持って刻み込もう。

 少なくとも私は、そういった存在なのだ。たとえ人々の傀儡になろうとも、愚直に命令を受諾し、彼らの悲願を達成する。そのためだけの存在。

 愚鈍なのは私のほうなのだろう。彼らの勝手によって生み出された挙句、その存在意義すらも彼らの手の内に委ねられているのだから。

 騙されている。いいように利用され、消耗されている。

 ここに自由はない。

 

 けれど。

 

 彼らを護りたいというこの気持ちだけは、本物だと信じられた。

 

 



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『ノスタルジック/フロンティア:望郷彼方』 夢の海原

 

 

 ぐらり、と体が揺れる感覚で、ルークスは目を覚ます。

 最初に見えたのは、ここ数日で見慣れた木の天井であった。窓から差し込んでくる陽の光は青白く、流れてくる風には潮の匂いが乗っている。軋む体をゆっくりと起こすと、体にかけられた毛布が床へと滑り落ちた。

 ぼやけた視界をこすりながら、ルークスがベッドの下へと足を降ろす。触れた床は冷たくて、しばらくそのままでいると、秋の始めの寒さが感じられた。

 そうして立ち上がった拍子に、もういちど船が揺れて、ルークスの体を強く揺さぶった。覚束ない足取りのままで彼はそのままベッドへと倒れ込み、そこで初めてルークスは、何かに気が付いたようにぽつりと言葉を漏らす。

 

「…………レヴィ?」

 

 呟いた言葉に、返ってくるものは何もない。

 ふわふわとした意識で首を傾げながら、とりあえずルークスは彼女を探すべく、部屋の扉へと手をかけるのであった。

 

 

『新大陸へか? いいぜ、乗せてってやるよ』

 

 ラギアクルス亜種を討伐したその日の、翌日。

 ルークスが彼――船長と名乗る男から聞いたのは、そんな快闊な言葉であった。

 

『……いいのか? いや、もともと交渉するつもりではあったが……』

『ま、タダで乗せてくれってならブン殴るところだったがな。お前さんはあのラギアクルス亜種を追っ払ってくれた恩人だ。なら断る理由なんざねえさ』

「しかし、何も……そんな、簡単に』

『それによ、お前さんならここの海域にも詳しいんだろ? ってことで、ちゃんと案内役として雇ってやるから身振りは安心しな。密航者なんかじゃなくて、ちゃんとした船員として乗っけてやるよ』

『だが……』

『なんだお前さん、新大陸に行きたくねえのか?』

『……行きたいと、思っている』

『ならいいじゃねえか。ま、安心して乗ってってくれよ! なあに、旅の安全は保障してやる! それこそ大船に乗ったつもりでな! はっはっは!』

 

 そんな豪快に笑う船長を見たのが、三日前。

 四日目に突入した航海は、思ったよりも順調なものであった。

 船上での生活にはまだ慣れが必要だが、基本的にはカザミを中心としたほかの船員の手伝いをしたり、船長へ付近の海域の案内を行ったりなど、与えられる仕事は多い。

 船員にもタンジアの港からのハンター、ということで顔は広く認知されており、付き合いも悪いものでもない。仕事もよく回してくれるし、食卓も違和感なく囲むことができる。港での話をすれば皆はこぞって耳を傾けるし、また彼らも新大陸での様々な出来事を語ってくれる。

 

 レヴィに対しても、彼らは寛容だった。

 はじめはどのように説明するか、と悩んでいたが、まるで孫娘へのようにもてはやされるレヴィを見れば、その悩みも必要なくなった。人嫌いの彼女はそれが少し不満だったようだが、今は船員との会話ができるまでになっている。

 そういった意味でなら、この旅は充実したものだった。

 

 新たなる大陸への旅路。語らいができる仲間たち。

 ただひとつ、不満があるとすれば――

 

「……ここはどこだ」

 

 この船の広大さについてだった。

 新大陸への貿易船。未開の地へ送る資源は当然通常のそれよりも多く、となれば船そのものが大きくなるのも必然である。

 そしてそれは、ルークスにとって苦痛以外の何物でもなかった。

 

「……レヴィ? カザミ?」

 

 数多に並ぶ扉へとルークスが問いかけるが、返事が来ることはない。

 おそらく全てが貿易品を収納している倉庫なのだろう。試しに扉を一つ空けると、中身は立てられた樽やいくつもの革袋でぎっしりと埋め尽くされていた。

 その扉を静かにしめて、ルークスが溜め息を漏らす。

 

「困るな……」

 

 来た道を戻ろうにも、眠気のままに歩いてきたため、おおよその検討すらつかない。それに周囲の景色は、どこまで歩いても扉が並ぶだけの変わらないもの。

 クエストの際に必ず地図を持ち歩くルークスにとって、それは広大な迷宮のようにも思えた。

 

「……もう少し、歩くか」

 

 そうして足を進めること、十分と少し。

 

「……行き止まり、か」

 

 突き当りにあるドアの前で、ルークスはそう、物悲しく呟いた。

 肩を落としたまま扉へと背を預け、重く溜め息をひとつ。地図もなければ土地勘もない。こんな場所では迷うに決まっているだろう、と自分を無理やり納得させながら、ルークスがひとり考えを巡らせる。

 ……………………。

 

「ふむ」

 

 アテになる記憶が無い。わかることは、それだけであった。

 さてどうしたものか、とひとり考えながら、ルークスがとりあえず諦め交じりに一歩を踏み出す。

 

「……だれか、いるの?」

 

 背を向けた扉から声が聞こえたのは、それと同時だった。

 少女のものだった。か細い、消えかけの蝋燭のような、そんな小さな声。弱々しい問いかけにルークスはゆっくりと振り返り、戸惑いながらも口を開く。

 

「……最近、この船に乗ってきた者だ。ルークスという」

「あー……、たしか、カザミが言ってた、ような……ぅぷ」

 

 口ぶりからして、どうやらカザミの知り合いらしい。

 しかし、その声に結びつく姿は、思い描けなかった。

 

「それで、ここまでどうしたの? カザミに何か頼まれた?」

「いや、恥ずかしい話になるが……道に迷ってしまって」

「…………」

 

 扉の向こうから、呆れたような空気が感じられる。

 

「本当は、どこに行くつもりだったの?」

「……できれば、カザミの居るところに行きたいのだが」

「カザミは……いまだと船首にいるんじゃないかな。今来た道を戻って……その突き当りを、右にまっすぐ進めば出られると、おもう……ぇぷ」

「なるほど」

「それでも迷ったなら、大声を出せばだれかが気付いてくれると思うから……まあ、頑張って…………おえぇ」

 

 嗚咽のような声を交えながら、少女はそう答えた。

 

「……さっきから思っていたが、船酔いか?」

「別に。平気だけど」

「……あとで、船酔いの薬でも」

「いらない。あれ、苦いから」

 

 そんな理由で、とルークスは訝しんだが、それ以上を聞くのはやめておいた。

 とにかく、道のりは理解した。おそらくその説明なら、いくらルークスでも無事に船首へとたどり着くことができるだろう。

 

「じゃあ私はもうちょっと寝てるから……頑張ってね」

「ああ。助かった」

「いいよ、減るものでも……げッほ」

 

 …………。

 

「なあ、本当に大丈夫なのか?」

「別に大じょおおぼぼぼっぼぼばばぼげぼっぼぼろろっろ」

 

 ぼとぼとぼと。

 何か重い液体の落ちる音が、扉の向こうから聞こえてくる。かすかに少し、酸っぱいような香りも漂ってくる気がした。

 

「……カザミに、伝えておく」

「……………………ネムリ草の補充も、伝えておいて」

 

 少女の望みを胸にして、ルークスは再び歩み出す

 背後から続く嘔吐の声が、その足取りを早くさせた。

 

 

「…………そうか。やらかしたか」

 

 しばらくして辿り着いた、潮風のそよぐ船首にて。

 ルークスからの報告を受けたカザミは、うんざりしたような、慣れ切っているような表情のまま、真昼の空を仰いでいた。

 

「行かなくていいのか?」

「あいつも自分のものの始末くらいできるさ。ガキじゃないからな」

「そうか」

「ま、後でネムリ草は届けておいておくよ。心配しなくていい」

 

 疲れながらも笑みを浮かべたまま、カザミがそう手を振って話す。割と慣れ切っているその対応に、ルークスも頷いて返すだけで、それ以上は語らなかった。

 最後にもういちど大きく息を吐いた後に、カザミがルークスへと向き直る。

 

「それで、こんな時間にどうしたんだ? そろそろ昼食だが……」

「レヴィがいなくなった」

「……なに?」

 

 どこか弱々しいルークスの言葉に、カザミが眉をひそめる。

 

「いなくなった、って……船からか?」

「いや、一緒に寝ていたはずなんだが、起きたらいなくなっていた。どこに行ったのかも分からない。先程から探し回っているのだが……検討もつかなくて。心配なんだ」

「ああ……」

 

 一瞬で何かを悟ったような表情へと変わりながら、カザミがそう頷いた。これが無自覚というものらしい。お気に入りのツボをなくしてしょんぼりとするクルルヤックの姿が、どうしてか思い浮かんだ。

 

「まあ、船の中にはいると思うし……」

「迷ってはないだろうか」

「お前なあ、この船の中で迷うなんて相当の方向音痴だぞ? 初日でもしてやったとおり、地図が無くても案内できる程度なんだ。よっぽどのバカでもない限り、迷って出られなくなるなんて……待てルークス、どうした? そんなに落ち込んで……気分でも悪くなったか? おーい、誰か船酔い用の薬を……」

「いや、いい…………苦いのだろう……」

 

 いくらか沈んだ気分を無理やり持ち上げながら、ルークスがそう震えた声で答えた。

 

「とにかく、レヴィの居場所に心当たりはないか? できれば、その場所までの順路も」

「あー……あの子の事だから、食堂とか生活圏のとこにはいないだろうし……かといって今日は倉庫でも見てねえから……もうお前の部屋に戻ってるいか、もしくは船長の部屋にいるかもな」

「船長……ああ、なるほど。確かに」

 

 口にされたその言葉に、ルークスが頷いた。

 グラン・ミラオスを追う関係上、航路についてレヴィと船長は話し合う機会がよくあった。端々に飛び交う言葉のいくつかをルークスは理解できなかったが、彼女らの顔ぶりを見る限り、それはどうやら順調に進んでいることだけは感じられた。

 

「また、航路について何か話し合ってるんじゃねえか?」

「……かも、しれないな」

「いいぜ、行って来いよ。船長の部屋はここから倉庫を抜けた、上層部の船尾側にある。何かあったらそこらにいる奴をとっ捕まえて聞いてみな。教えてくれるはずだ」

「ああ。そうしよう」

 

 そう短く告げたあとに、ルークスが船首を後にする。

 

「……あとで地図でも書いてやるか」

 

 面倒くさそうなその呟きが、彼の耳に届くことはなかった。

 

 

「レヴィか? 今日は来てねえなあ」

 

 眉を顰めながら答える船長に、ついにルークスは膝をついた。

 

「……では、どこに…………?」

「なんだお前さん、起きてからずっとあの嬢ちゃん探してるのか」

「ああ。聞きまわっている。最初は倉庫のほうにいた……あれは……」

 

 そういえば名前を聞いていなかったことを思い出して、ルークスが言いよどむ。しかしながら倉庫という単語だけで、船長は何かを察したのか、ああ、と納得してから続けた。

 

「あの子のところまで行ったのか。あの子、船には弱くてなあ。前に一回だけ現大陸へ連れて行ってやったんだが、その時に盛大に吐きやがって」

「俺が行ったときも、吐いていたが」

「…………酔い止めだけでも飲め、って言ってるんだがなあ」

 

 遠くを見ながらの呟きに、ルークスが戸惑っていると、すぐさま彼はルークスの方へと向き直って、また口を開いた。

 

「で、嬢ちゃんの居場所か?」

「ああ。ここにもいないとなると……どこを探せばいいものか」

「んなもん簡単じゃねえか。中層部第二倉庫の四番部屋だろ?」

「……なに?」

 

 あっさりと出てきたその言葉に、ルークスが俯かせていた顔を上げる。

 

「それは、どうして」

「どうしても何も、あの嬢ちゃんを見てれば分かるさ。ってことはなんだ、お前さん。あんだけあの子の隣にいながら、分かんなかったのか?」

「……そう、なのだろうな」

 

 からかうような船長の問いかけに、ルークスは言い返すでもなく、肯定した。

 

「俺はまだ……彼女の事を、何も知らない」

 

 考えてみれば、未だ出会ってから一週間も経っていない。その出会いこそ奇妙であり、忘れられないものであったが、彼女を知るための時間は、まだ多く要るようだった。

 その事実が、どうしてかルークスの肩へと重くのしかかる。彼女を探して歩き回ったことが、とてつもなく無駄で、どうしようもないものに感じられた。

 

「ってことは、何だ。ルークス、お前さんは何も知らねえ奴の言う事を信じて、ここまでやってきたってことか」

「ああ」

「……すぐにそうやって答えるのが、お前なんだろうな」

 

 船長の口にしたその言葉を、ルークスは自分自身で理解することが、できなかった。

 

「……彼女に、助けを請われた。だから、俺は助けることにした。俺にできることならば――応えなければいけないと、そう思ったから。」

 

 誰に言われたでもない。何かに導かれたでもない。

 ただ、あの助けを求める瞳だけは、確かに信じられた。

 

「……それが、お前の……ルークスの、生き方か」

「それ以外に知らない。ただ、俺はこれまでこうして生きてきた」

「なるほどな」

 

 波の音が、遠くで聞こえている。

 静寂を切り開いたのは、船長からだった。

 

「憧れ、だったんだと思うな。あの子にあったのは」

「憧れ?」

「ああ」

 

 

「あれは今、憧れの海に居る」

 

 

 

「……ルークス様?」

 

 かちゃり、と開かれた扉の先に居る人物を見て、レヴィはそうぽつりと漏らした。

 中層部の第二倉庫、四番目の部屋。船尾に一番近いこの部屋には運搬用の大きな扉が取り付けられており、海上でそれを開くと、それは一つの大きな窓のように見えた。

 そこから足を放り出して座っているレヴィの側へ、ルークスが静かに歩み寄る。

 白い波を立てている海はいつも通りに深く、蒼く、そして広大であった。

 

「……起きたらいないから、探していた」

「それは……申し訳ありません。至らぬところでした」

「いや、いい。レヴィもしたいことがあったなら、それで」

 

 立ち上がって頭を下げようとした彼女を咎め、ルークスが同じように腰を下ろす。唐突なその行動に、レヴィは不思議そうな視線を彼へと向けたが、止めることはしなかった。

 そよぐ風は心地よく、波の音が静かに響いてゆく。

 

「……海が、好きなのか?」

 

 問いかけへの答えには、少しの時間がかかった。

 

「……好き、という感情はありません。初めて、このような海を見ました」

「そうか」

「ただ……このような海を見たいと、かねてよりは考えていました。そして、それが叶えられた今は…………どう、なのでしょう。満たされている感覚があります」

 

 ――憧れ。

 少女の奥底にあるそれを、ルークスは初めて理解した。

 青い海原を眺めながら、レヴィはそう語った。いつもの淡々としたものではなく、いくらか優しい、たとえるならば――人間のような、語り方であった。

 

「また、見たいと思うか?」

「それは、確かにあります。このような、広く美しい海原を眺めたいと。そして、この景色を守らねば、とも考えます。これが失われるというのは……とても、悲しいものだと。そう、思えます」

「……そうか」

 

 流れるように紡ぐレヴィに、ルークスがそれだけで答える。

 そうしてまたしばらく、波の音だけが二人を包んでいた。

 現大陸はもう見えず、視界に映るのは遠くにある水平線のみ。空は真白の雲と突き抜けるような青が広がっており、それらがレヴィの紅の瞳へと映る。ぼんやりとしたその瞳は、先程彼女が海原へと向けているそれと、同じようにも見えた。

 

「――夢、なのでしょうか。これは」

 

 ぽつりと、レヴィが言葉を漏らす。

 

「夢ではない。確かに、君はここにいる。そして、この景色を目に映している」

 

 それは単なる事実であったが、彼女に伝えるには充分なものであった。

 レヴィは安らかに、ゆっくりと、瞼を伏せて。

 

「それは……とても、素晴らしいですね」

 

 満たされた表情で、そう告げた。

 

 



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