京太郎と咲が付き合っていたらの話 (みみなぐさ)
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【 1 】

いつからだろうか、小さな友人を、友人と思えなくなっていたのは。

 

それに気づいた頃は、何度となく疑ってみたりもした。

何かの気の迷い、一時的な錯乱、吊り橋効果、発情期的な何かetc...

でもやはり、何度疑っても、自分でも信じられなくても、それはどうやらそういうものらしかった。

友人の距離というものを遠く感じ、今まで何度も触れたことのある指先に緊張し、親しく交わす言葉の一つ一つに心臓が跳ねる。

 

 

それは所謂、巷で噂の、恋だとか愛だとかいうものらしかった。

 

 

 

 

 

いつからだろうか、将来という曖昧な先の想像の中で、常にその人が傍にいるようになったのは。

 

それが恋愛と言われるものであるかどうか、判断がつかない。

恋愛というものを、自覚したことがないから。

初恋すら、怪しいものだ。

だから、とにかく、それがそうしたものかどうかは分からない。

ただ、傍にいることが当たり前であるように思えていた。

 

だから、驚いた。

 

彼のその言葉に。

 

 

そして──私の言葉に。

 

 

 

 

 

【 1 】

 

 

「はい」

量は控えめであるものの、食堂のメニューにしては豪勢な料理の載ったトレーが、テーブルに置かれる。

「レディースランチ」

「おおう」

少女が置いた料理を見て、その横にいた少年が歓声を上げる。

「サンキュー咲、恩に着る!」

「もー、調子いいんだから」

少女はそんな少年に、じとーっとした視線を送る。

 

そんな二人に、通りがかりのクラスメイトが少年の肩に手を回す。

「なに、またやってんの?」

「おお、誠も飯か?」

「まーな。オレにはランチを頼んできてくれる可愛い奥さんなんていねーけど」

誠と呼ばれたクラスメイトは、からかうようにニヤニヤと咲を見る。

「咲ちゃんはイイ嫁さんだなァ」

「おー、そうだろ」

軽口に次ぐ軽口。

そんな中、少女はびしりと言葉を制すように手を上げる。。

「中学で同じクラスなだけですから!嫁さん違います!」

「まっこう否定ですか」

少年は酷いことを言う奴だ、とばかりに少女を見る。

「クックックッ」

クラスメイトは反応に満足したのか、低く笑いながら食べ物を求める生徒の列へと向かった。

 

「まったくもう……」

僅かに頬を膨らませながら、少女は本を手にとって椅子に座る。

その横に、少年も腰掛ける……が、その様子はどこか暗い。

黙ったままで、テーブルに肘をつく。

「……レディースランチ、食べないの?」

折角頼んできてあげたのに、というニュアンスが垣間見える、そんな言い方。

しかし少女の怪訝そうな言葉にも反応せず、少年は悩ましげな表情でふう、とため息をつく。

そしてつぶやく。

「まっこう否定ですかぁ……」

その言葉は、無駄に情感たっぷりであったが、そのことに気づいているのかいないのか、少女の耳がさっと真っ赤になる。

しかし、

 

「咲はオレの嫁になってくれるつもりだと思ってたんだがなー」

 

という、つぶやきと言うには大きな独白に、耳の赤さは目立たなくなる。

「ちょっと、京ちゃん!」

「むご」

慌てた少女に口を抑えられ、ついでに引き寄せられて二人が小さな塊になる。

「っもう、何言ってるの!」

少女が囁く様に怒鳴る。

「わはは、いてていてごめんごめん」

「分かってるの!?」

悪びれなく笑う少年に、少女が怒る。

「内緒にしてって言ったじゃん、私達が──」

 

 

 

「──付き合ってる、ってこと」

 

 

 

そう言って、少女──宮永咲は少しばかり照れたように俯き、

 

「悪かったって」

 

少年──須賀京太郎は、宥めるようにまた笑う。

 

 

 

「もー……気をつけてよね」

咲が体を起こして、京太郎が解放される。

「大丈夫だって、オレらのこと気にしてるヤツなんていねーだろ」

「そう言って、誰かに聞かれてたらどーするの。京ちゃんだって黙ってくれるって言ったじゃん」

「まあ、咲の性格考えるとな」

「うん……ならさ、もうちょっと」

「でも、傷ついたのは本当だぞ?」

咲が言葉を止め、京太郎を見る。

京太郎が、柔らかい表情ながらも真摯な視線で傍らの少女を見る。

「黙ってるって言っても、ああも否定されるとさ。ちょっと自信なくなるじゃん?」

「……ご、ごめん」

確かに、疑われることを恐れて、強く言い過ぎたとは自分でも思う。

 

「ちょっとは、悪いと思ってくれてる?」

「……結構」

そんな咲の言葉を聞いて、京太郎が頷く。

そして、

「……?」

左手を、テーブルの上に置く。

ちょうど、咲と京太郎の間。

「貰いたいなーって」

「?」

京太郎がにっと笑う。

「自信をさ」

そう言って、ぴこぴこと指先を揺らす。

その言葉の意味を、理解する。

咲の顔が赤くなる。

「こ、こんなところで?」

「こんなところだから、自信もらえるんだよ」

「で、でも……」

「大丈夫だって。誰も見てないし、テーブルの上って案外目に入らんから」

「うー」

軽く唸りながら、咲はおずおずと右手を、

 

 

京太郎の左手に重ねる。

 

 

どくどくと、鼓動を大きく感じながら、咲が京太郎を見る。

「もうちょい」

京太郎は涼しい顔で言う。

咲は、

 

「~~~」

 

俯きながらも、ゆっくりと、手を重ねたままで、

 

京太郎の指を、自らの指先でなぞる。

 

柔らかいタッチで、京太郎の指の隙間へとゆっくりゆっくり自らの指を潜り込ませていく。

指先から第二関節辺りを往復するたびに、咲の指はゆるゆると隙間に沈んでいく。

「っん」

ぴくり、と咲が肩を揺らす。

ゆったりとなぞっていた咲の指先を、京太郎が指先で握りしめた為だ

京太郎の指に挟まれて、咲の指は動けない。

咲の手のひらに抑えられて、京太郎の手が動く気配もない。

そのまま数秒、手のひらと手の甲、指先で体温を交わす。

 

 

「……」

「……」

 

 

僅かに、喧騒が遠ざかったような感覚。

それもつかの間。

「──っお、終わり!おしまい!」

ばっと、咲が耐えられず指を離す。

「もう、良いでしょ!?」

そう言って、持ってきた本を開いて、顔を隠すように埋める。

「ああ、十分十分」

京太郎は満足したように、箸を手に取り、ようやく当初の目的であるレディースランチを食べ始める。

そんな京太郎を横目で見て、そのさらっとした扱いに、もしかして自分はからかわれたのではないか、と思い至る。

ああもう、と小さく呟いて、先程の行いを思い出してまた顔を本に埋める。

咲は、うーとしばらく唸った後、落ち着いたのか京太郎を恨みがましく横目で見る。

 

 

 

「……京ちゃんから告白したくせに、なんで私がこんなに恥ずかしい思いしてるの……」

 

 

 

ぼそっと、聞こえるように呟いた声にも、京太郎は気にした様子もなくレディースランチを堪能している。

料理を堪能しつつ、

 

「でも、オレ振られたし」

 

と一言。

 

「ふ、振ってないってば! 振ってたら、か、彼女になってないし……」

 

咲の言葉の後半は、小さすぎて言葉になっていなかった。

やはり聞こえなかったのか、京太郎は再度レディースランチへと取り掛かる。

ああもう、ともう一度咲が呟く。

そして、京太郎がご飯に集中していることを確認し、自らも本へと視線を戻す。

しかし、次のページがめくられるまでは、結構な時間がかかった。

 

 

 

咲は気づかなかった。

咲の手のひらが重なった時からずっと、京太郎の耳は真っ赤であったことに。

 

 

 

 

 

少年一人と少女一人。

その時間は、少年が行儀悪く携帯端末を取り出すまで、静かに続く。

 

「あ、行儀悪いよ」

「んー」

「……メール?」

「ん」

 

「いや」

京太郎が端末を傾けて、画面を見せてくる。

咲はこれが、

 

 

「──麻雀?」

 

 

大きな分岐点であることを知らないが──

 

 

──正直、二人の仲に関係は無いので、割愛する。

 

 

                                           (第一話より)



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【 2 】

雀卓の上に置かれた雑誌を手に取って、言われたページを開いた先に踊る文字。

 

全国高等学校大会覇者

 

しかし、目に入ったのはそこに映る、自分よりも少しばかり年上である一人の少女。

 

「お姉ちゃん──」

 

その写真の、自然でありながらも違和感を覚える笑顔に、胸が少し痛む。

お父さんがなんでこんなものを、と思ったが、お姉ちゃんが写っているからだろう。

前にも、こうしておもむろにお姉ちゃんの載った雑誌を見せられたことがあった。

 

しかし、あの時とは違う。

今、私は再び麻雀に触れている。

雑誌の先の、お姉ちゃんと同じように。

 

 

このタイミングは偶然だろうか。

もし、これが少し前であったら。

もしくは、もっと後だったら──

 

 

 麻雀でなら、麻雀を通じてなら、お姉ちゃんと話せるかもしれない。

 

 

──このような感覚は、無かっただろう。

 

 

ぐっと、雑誌を握る。

あった迷いは、すっと通った意志が断ち切った。

再び。

今度こそ、会うだけじゃなくて、話をするんだ。

そう、決意を固めてたところに、

 

ぴんぽーん

 

家のチャイムが鳴る。

宅配便だろうか、とお父さんの向かう足音を聞く。

 

「おーい、須賀くん来たぞー」

 

予想外の来客。

慌てて玄関に向かう。

 

 

 

 

 

「おっす」

「きょ、京ちゃん。どうしたの?」

「いや、ちょっと顔見に来た」

「見に来た、って」

京ちゃんの意図を掴めない私は困惑する。

「とりあえず、上がってもらえって。玄関じゃ話もなんだろ」

お父さんが言う。

「あ、オレ出かけてたほうが良いか? 2時間くらい」

「ああいや、すぐ帰るんで」

応答する京ちゃんの苦笑に、一拍おいてお父さんの言った意味を理解する。

 

「なっ……!」

 

「お、金魚のマネか?」

お父さんが面白そうに、口をパクパクして言葉を探す私を見て言う。

「っ! 京ちゃん!」

もう、言葉もないとはこのことだ。

サンダルを足に引っ掛けて、通りがかりに京ちゃんの袖を引っ張って外に連れ出す。

「お、おい? あ、お邪魔しました」

「おー。咲、あんま遅くなるなよー」

悪びれもせず私を心配するような言葉をかけてくる所が、むかつきを増幅させる。

そんな相手へ律儀に挨拶などした京ちゃんに、八つ当たりであるが腹を立てる。

足音荒く、ぺたぺたと玄関の外へ。

 

 

「で、どうしたの?」

外に出て、十分玄関から離れて京ちゃんを見上げる。

「いや、麻雀部どーすんのかなって」

「どーすんのって?」

「入部するのかってこと」

京ちゃんは頭の後ろを掻く。

「いや、和を追いかけた後、元気なかっただろ? ちょっと気になってさ」

そして、心配を滲ませた笑顔で私を見る。

「誘っておいてなんだけど、無理に入らなくて良いからな?」

 

 

「嫌だったら、部長にオレから言うし。人数合わせなら、当てはあるから」

「だから、咲には好きなようにして欲しい」

 

 

そんな、京ちゃんの言葉に。

 

「そんなことで来たの?」

 

押さえようの無い笑みが湧く。

 

 

「そんなことって」

「ううん、そうじゃなくて……ふふ。なんだか、彼氏みたいだなって」

「いや、これでも彼氏ですよ?」

「うん、そうだね。ありがとう」

 

「でも、大丈夫。決めたから」

「ん、そっか。……いらん気を回したな」

「んーん。そんなことないよ、嬉しい」

愛されているのだと、実感する。

それが、嬉しくてくすぐったくて、温かい。

恥ずかしいから、言葉にはしないけど。

「……まあ、京ちゃんと一緒にも居られるしね」

「……おう……」

言ってから、だんだんと恥ずかしくなる。

 

「それに、京ちゃんが浮気しないか見張らなきゃだし!」

恥ずかしさをごまかすために、冗談めかした言葉が口をつく。

「浮気て……」

「だって麻雀部って女の子ばっかりだし、可愛い人ばっかだし」

言いながら、麻雀部のメンバーを思い出して、

「……可愛い子ばっかだし」

京ちゃんの部屋で見たイヤラシイDVDパッケージを思い出して、

「……京ちゃん」

原村さんの、

「──浮気じゃ、」

胸を思い出した。

 

 

「ないよね?」

 

 

「な、なんでだよ。そんなわけ」

「なんで、麻雀部なの?」

 

「ハンドボールはもうやらないって事は聞いてたけど、他の運動部でもなく。

なんで、やったことの無い麻雀部に入ろうって思ったの?」

 

京ちゃんの部屋にあった、

 

「いや、その、部長に誘われて、やってみたら楽しくて」

「部長に誘惑されて、女の子達に囲まれるのが楽しくて?」

「そんなこと言ってないだろ!?」

 

沢山のDVDの、おっぱいの大きい女の人たちに、

 

「でも、原村さんって京ちゃんが大好きなタイプだよね?」

「いや、そんなことねーって! え、いや、っていうかなんでわかんの??」

「へー?」

「い、一番は、咲だから!一番は、咲だからっ!!」

「ふーん?」

 

沸き上がった、京ちゃんへの熱い思いを、

 

「……さ、咲さん、なんでそんな怒ってんの?」

「怒ってないよ?」

 

 

「──怒って、ないよ?」

 

 

京ちゃんは、知らない。

 

 

 

 

その後、咲は京太郎と結構な時間、喧嘩とは名ばかりのいちゃこらを繰り広げ。

待っていた父の、ちょっと真剣な表情から繰り出された、

「避妊だけはしっかりとな」

という言葉に、再度激怒することとなるが──

 

 

「さ、咲ってば」

「……」ツーン

 

 

──それはまた、別の話。

 

 

                                           (第三話より)



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【 3 】

「は、はず……」

着ている服の可愛らしさに、思わず言葉が漏れる。

 

 

場所は雀荘『roof-top』。

染谷先輩の実家で、私たちは何故かそこを手伝いに来ている。

制服と言って渡されたのは、アイドル衣装と言われても可笑しくないような、可愛い意匠が施された衣装。

メイド雀荘だから、と言われたものの、それはなんというか、メイド服と言うにはあまりにも可愛らしさに全力すぎる。

そんな、可愛らしさ全開のアイドルメイド服。

それを、私が着ている。

あまり服に頓着しない方ではあるが、流石にこれは恥ずかしい。

 

「先輩はスカート長くていいなあ……」

そして、同時にひとつの問題。

私たちは、染谷先輩のご実家を手伝いに来ている。

そう、私たち。

正確に言えば、私ともう一人。

「あれも着てみたいですね」

そう、染谷先輩が着た衣装──膝下まであるスカートの、比較的伝統に則った雰囲気のメイド衣装を眺めながら、呟く少女。

原村さんである。

「も?」

思わず聞き返すが、原村さんがどうやら、こういう衣装を着ることにとても好意的であることは、今のアイドルメイド衣装を着た様子からもなんとなく分かっていた。

これが、ひとつの問題。

 

恥ずかしい格好をするのなら、一人より二人。

私も、そう思うのだが……例外というものがある。

美少女である原村さんは、このアイドルっぽい衣装がとても似合ってしまっているのだ。

そんな彼女と、同じ衣装で横並び。

これだけでもキツいのに、この衣装はある特徴を以って、同じ衣装であるからこその悲劇を招いてしまっている。

 

胸部素材の伸縮性。

 

それが、同じ衣装を着ているにもかかわらず、まるで別の衣装を着ているかのように、衣装の雰囲気を変えてしまっている。

 

 

分かりやすく言うと。

おっぱいを強調する服故に。

私と原村さんの格差が。

格差ががが。

 

 

思わず胸元を押さえる。

何かを、守ろうとするかのように。

具体的には、自尊心とかを。

 

 

大丈夫、以前デートした時に、京ちゃんだって言ってたもん。

『京ちゃん、胸の大きい女の人好きだよね』

って聞いた時。

『そんなことねえって。オレは胸の大きさとか関係ないから』

って。

 

正確には、

『そそそ、そんなことねえって。オレは、うん、ちっさ……胸の大きさとか、関係ないから?』

だったけど。

目は、獲物を追うシャチのごとく泳ぎに泳いでいたけど。

 

 

「はあ……」

そっと、ため息を吐く。

京ちゃんと付き合うまでは、今ほど胸の大きさを気にしてなどいなかった。

でも、付き合ってからというもの、事ある毎に京ちゃんの『好き』や『嫌い』が気になってしまう。

度々、京ちゃんは私のことが好きなのだと、態度だけでなく言葉でも伝えてくれる。

これが、凄く嬉しい。

自分が愛されていると、自信が持てる。

でも、それでも。

度々、胸の大きな人を、目で追う京ちゃんを見ると。

私の胸を、注視していたりする京ちゃんを見ると。

そして、そうした視線に気づかれていないと思っている京ちゃんを見ると。

なんだか、色んな不安が、心配が湧いてくるのだ。

 

お昼休みの時だってそうだ。

原村さんと一緒にご飯を食べる約束をしたと知った時の京ちゃんの反応を思い出す。

ご一緒してもよろしいですか、だなんて。

いつも一緒にお昼を食べているのに、私にはそんな気を回してくれたことなんて一度も無い。

それに、原村さんが嫁だなんだと聞いたときの、あの緩みきった顔。

ちょっと前に、私に嫁になってくれると思ってたのに~とか言ってたくせに。

 

ムカムカしてきた。

同時に、本当に心配になってきた。

 

 

──浮気されたら、どうしよう。

 

 

普段の振る舞いを見るに、万が一、億が一も無いだろうけど、仮に、原村さんが京ちゃんに告白したとして。

京ちゃんは、ちゃんと断ってくれるだろうか?

あの可愛くて綺麗な原村さんの魅力に、勝ってくれるだろうか?

 

いや、億が一というなら。

優希ちゃんに、涙目で迫られたら?染谷先輩にメイド服でご奉仕されたら?部長と一緒にロッカーに押し込まれたりしたら?

京ちゃんは、耐えられる?

断れる?

私を、選んでくれる?

 

中学時代の友人の言を思い出す。

曰く、『男は性質的に浮気性』だとかなんとか。

当時は胡散臭いと思い聞き流していたが、今になってその言葉がのしかかってくる。

 

いや、まあ、妄想なのは分かってる。

でも、失うことが怖くて、だから、予防線を張ってしまう。

失わないように。何か、手立てを得られるように。

 

 

 

「これ、うちのルール」

 

染谷先輩の声にハッとする。

そうだ、今は染谷先輩の手伝いに来ていたんだった。

……ん?

「ルール? え……?」

「メンツが足りない時、お客さんと打つのもメンバーの仕事なんです」

ああ、そうなんだ。

原村さんも雀荘初めてって言ってたけど、やっぱりネットとかで知ってるのかな。

そう感心しつつ、先程考えていたからか、原村さんの豊かなモノがちらりと視界に入る。

 

……はぁ。

良いなあ。

自分も、もう少し……いや、もうそこそこ……。

 

そんな事を考えながらノーレートだとか諸々の説明を聞いて、空いてる卓に原村さんと二人で入る。

「よ、よろしくお願いします」

自然、私と原村さんは対面。

となると無意識に、視線は胸元へ。

それに気づき、前を見ないように手牌へと目を落とす。

 

ああ、駄目だ。

なんか、これじゃあまるで京ちゃんだ。

山を確認した際に、別の山が視界に入り、くっと視線を上に向ける。

 

──というか、ズルい。

 

原村さんは、胸が大きいだけじゃないのだ。

 

上に向けた視線を、再び手元に。

沸々とした、謎の感情がお腹の中でじわじわと熱を持つ。

なんだ。

なんなんだ、あの整った顔は。艷やかな髪は。

原村さんは、胸が大きい上に、可愛くて、綺麗なのだ。

ずるい。ズルすぎる。

こんなの、落ちない男が居るわけない。

 

先程までの、ネガティブな妄想がちらつく。

 

もしかして、もう既に私の居ないところでは、二人きりで会ったりしているのでは?

そして、き、キスとかして……私とだってまだしてないのに……そして──

 

 

 

 

──いや。

 

いや、そんなわけない。

京ちゃんに限ってそんな……うう、考えちゃだめだ

意識しないように、集中して……

って考えてる時点で、集中してないんだけど、ああ……。

 

 

 

 

 

この後、カツ丼の化身が現れる事で、咲はようやく念願叶って集中出来るのだが──

 

……だめ、ダメだよ、京ちゃん、私が居るのに、そんな……

 

──文学少女の脳内では、それまで悶々と、昼ドラの様なドロドロ妄想劇を繰り広げることとなる。

 

 

                                           (第3局より)



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【 4 】

「今頃、風呂とか入ってんのかなぁ……」

 

ぼんやりと、妄想が口から漏れる。

その内容のアホさ加減に我ながら呆れるが、それも致し方ない事だろう。

なにせ、今この時、女子部員たちは学校の合宿所にお泊りしているのだ。

それを考慮すれば、オレの発言も仕方ないことだと、少なくとも同年代の男共は同意してくれることだろう。

女5人に男1人の部活、合宿、学校にお泊り……とくれば、イヤラシイ妄想の1つや2つ、男子高校生におまかせあれ!と言ったもの、ではあるが。

流石に、そこまでする気は起きない。

余計虚しくなるだけだ。

せいぜい、こうして部屋の窓から近所の夜景を眺め、仲間の入る風呂の情景へと思いを馳せる。

それが、オレにはお似合いだろう。

そうやって、ふっとニヒルに笑ったつもりだったが、窓に映ったのはただのにやにや笑いだった。

 

そう、ここはオレの部屋。

麻雀部は合宿中であるにも関わらず、住み慣れた我が家で湯けむりの先に思いを馳せる、須賀京太郎はそんな存在なのである。

いや、まあ、納得はしているのだけど。

単純に、部屋が別とはいえ男女隣室の宿泊は学校の許可が下りなかったのだ。

朝に、宿泊施設で合流する予定となっている。

 

ああ、今頃は湯上がりの火照った体を、夜空に冷ましている頃だろうか。

浮かぶのはもちろん、最愛の彼女……ではなく、和と部長。

いや、だって和は言うまでもなく、部長はなんかよく分かんないけどエロいんだもん、あの人。

そんな二人の後に、むくれ顔の咲が思い浮かぶ。

大丈夫、安心しろ咲。

オレが一番愛しているのは、咲に間違いないのだから。

でもほら、あるだろう?

美味しいご飯を食べながら、グルメ番組を見る感じ。

 

 

内なる咲へと自分自身でもよく意味がわからない言い訳をしながら、思考は咲のことへと移行する。

実際の所、咲はだいぶ心配性だと思う。

『京ちゃん、浮気とかしてないよね?』

と、聞く目は笑っておらず。

『おいおい、過去現在未来に渡って咲しか見えてない男にずいぶんだな? いつでもオレは、ねこまっしぐらならぬ咲まっしぐらさ』

と全てを抱擁するような優しい笑みで答えてやれば、

『でも今、あの胸の大きな人を目で追ってたよね』

という言葉とともに情熱的だと解釈出来なくもない視線でじっと見つめられる。

もちろん、そんな時にはこう返すのさ。

 

『ぐう』

 

いつだってどこだって、ぐうの音くらいは出せる。

オレは、そんな男でありたい。

 

 

 

……真面目に行こうか。

 

考えるに、咲は結構な勘違いをしている。

和への感情を、恋愛の類だと考えている所なんかが特に。

憧れと言えば憧れに違いはないのだが、それは付き合いたいとかそういった感情ではなく。

和はなんというか、アイドルみたいな感じなのだ。

遠くで眺めて、可愛いなーとかエロいなーとか思う感じ。

分類的には、同性に対してカッコいいなーと憧れるのに似ていると思う。

だから、万が一いや千が一、和がオレに告白してこようと、オレは咲を選ぶだろう。

そう確信している。

ただ、こういうことを咲に言うと、どうも自意識過剰野郎のような気がして、説明できずにいた。

 

 

それに、咲は自信が無さすぎる。

咲自身に、ではなく、オレが本当に咲を好きなのか、という自信。

その自信がないから、咲はオレに浮気を疑ったりするのだ。

 

咲は、自覚が無さすぎる。

オレがどれだけ咲の事が好きなのか、理解していない。

前だって、なんで麻雀部なの、とか聞かれたけど──

 

──お前のために決まってんだろ!

 

と。

言いたいけど、言わない。

態度や振る舞いで気づいてくれないかなぁと常々思う。

格好つけたいお年頃。

 

 

咲は、部活に入るつもりはないと言っていたけど、せっかくの青春だ。

楽しみのきっかけを増やすためにも、部活には入っていた方がいい。

それで、咲と一緒に入れるような、咲でも出来る部活を探していた。

運動部はまず除外。

男女別が基本だし、そもそも咲に向いてない。

大人数なのも除外。

咲はそういう環境を比較的好まないし、オレも少人数の方が咲と一緒に居られる機会が多く好ましい。

そんな感じで具合の良い部活を探していて、巡りあったのが麻雀部というわけだ。

部長に勧誘された時には、胡散臭いなと思ったものだが、実際に部室を見ればなるほど、確かに居心地が良い。

現状の部員構成も最上級生1人、上級生1人、同級生2人と丁度良い。

全員が女の子であることも。

それは、ハーレム云々ということではなくて──ゼロかと聞くのは酷である──オレにとって都合が良く、咲にとっても馴染みやすい環境ということだ。

オレにとって都合が良いというのは、まあ、結論を言ってしまえば咲が浮気する可能性の排除だ。

咲がオレに対して心配するように、オレだってそういうことは考えたりする。

独占欲の強い方だとは思わないが、やはり可能性は無い方がいい。

咲がそういう事をするとは思わないけど、咲は可愛いから、周りが放っとくとも思えないのだ。

だから、色々な意味で、麻雀部は適格だった。

 

 

咲が麻雀強いのは誤算だったけど。

 

 

結構メジャーな競技にも関わらず、中学時代から話題にすらしたことがなかったから、全く出来ないものだと思っていたのに。

おかげで、少し出来るようになってから引き入れて、京ちゃんかっこいい!と言われる計画が……。

まあ、咲が楽しそうだから良いのだけど。

 

そこで、思わずため息が出た。

思い返すと、麻雀部に入ってから良い所を見せられて無い気がする。

 

負けて、パシって、負けて、負けて、負けて、からかわれて、負けて……

 

そうした、一つ一つの出来事は、自分でもそう気にならない。

しかし、それらがこうも積み重なると、なんというか。

なんとなく、彼氏としての自分が揺らぐ。

 

オレ自身は、咲の事が間違いなく好きだし、咲を彼女として尊く思っている。

でも、彼氏としての自分はどうだろう。

咲の事をどれだけ知っているかと問われれば、長い付き合いでそれなりに、とは言えるものの、それだけだ。

深い部分を知っているとは、とてもじゃないが言えない。

パーソナルスペースにいる咲の事を、オレはどれだけ知ってるだろう。

考えてみれば、咲の部屋とか入ったこと無いしなぁ。

友達として過ごしていた頃は、咲に部屋には絶対に入れないと言われてたし、女の子の部屋に入ることへの抵抗もあって気にしたことは無かった。

恋人となってからも、そうした期間が長かったためか、特に気にしたことはなかった。

連絡も、直接会いに行くか、咲から電話してくるか、咲の家に電話することが当たり前だったから、何の問題もなかった。

でも、だからといって。

彼女がPCを持ってないことを、部活で知って驚く彼氏というのもなんというか、なんというか……

 

 

……ていうか、彼氏って何だろうな。

 

 

現状、ちょっと仲良くなった友人程度にしか思えない。

それが、なんとなく不安になって、ちょっと恥ずかしいくらいのスキンシップを要求したりするものの。

そのときばかり恥ずかしいだけで、結局いつもの感じと変わり無い。

……やっぱり、キスとかしないと変わらないものなんだろうか。

でも、キスっていつ頃からするのが普通なんだ?

がっついていると思われるのも嫌だしなぁ。

てか、咲がそういうことを嫌いだったらどうすんだ。

 

今は付き合って3カ月目。

これが早いのか遅いのか分からない。

某参考資料だと、出会って4秒で──いや、これは別物だった。

ともかく──

 

──いや、ともかくじゃないわ。

ぶっちゃけ、ぶっちゃけると──そういうことをしたいのだ。

でも、キスもまだの身の上で、そんなことを望むのは──いやしかし。

望んで、行動せねば、永久に辿り着けぬ道なれば──

 

 

 

……でも、嫌われたくないしなぁ

 

 

 

 

──以下、延々と、少年の青臭い妄想が続く。

 

 

                                           (1巻おまけマンガ辺り)



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【 5 】

「おめでとう」

「ありがとう」

ジュースの缶を渡しながらの祝辞と、缶を受け取りながらの返礼。

その無駄な形式張ったやり取りと口調に、思わず笑う。

咲はと思えば、同じように、嬉しそうに笑っている。

咲の隣に腰掛ける。

 

「でも、本当に良かったよ。全国に行けて」

「まだ、個人戦あるけどな」

 

プルタブを引きながら、のんびりとした会話。

今日は、麻雀インターハイ団体戦長野県予選、その結果が出る日。

我が清澄高校麻雀部は、見事その激戦を制し、全国大会への切符を手に入れた。

 

 

当然──というのはなんとなく情けないが──女子麻雀の方である。

 

 

「そーだ、京ちゃんの晴れ舞台だね。 応援するからね」

「いや、オレのことはいいよ。咲は咲の事に集中しとけって」

正直な所、良い所を見せられる気がしない。

今日の激戦を見たせいか、勝てるイメージが全く無かった。

男子麻雀は女子麻雀より数段落ちるらしいけれど、それでも初心者が楽に勝てるものでもないだろう。

負けるところは無数に見られているとは言え、いつもの面子以外に負けるところを見られるのは少しだけ抵抗があった。

 

「うーん」

 

咲は、ちょっと煮え切らない様子だ。

「まあ、頑張る」

団体で全国に行けることが決まって、当初の目的を達成してしまったからだろうか。

昨日までの熱が、どこかに行ってしまっていた。

これは、言及すべきだろうか。

……いや、これは競技者としての咲の問題だろう。

少し迷うが、話題を変える。

 

「でも、今日は凄かったな。大将戦なんて、もはやオレには何がなんだか」

「うん、本当に。衣ちゃん……はもちろんだけど鶴賀の人や、風越の人も凄かった」

「そうなのか? オレにはなんだか龍門渕が凄いイメージ強すぎてよく分かんなかったけど」

「鶴賀の人は、『打ち手』が見えてた人だと思う。人の1手と自分の1手に意味を持たせるっていうのかな」

「咲も何度かやられてたしな」

槍槓、というのだったか。

咲の槓は止められるのだ、ということに、咲には悪いが少し感動してしまった。

「う……か、風越の人は、強い手の人だった。手の入り方もだけど、それ以上に、牌を持つ手が強い感じ」

「気持ちが強い、みたいな?」

「うーん、近い気もするし、全く違う気もする。なんだろ、諦めないって事がそれに近い気もするけど」

「そういえば、0点まで落ちても、その後に持ち直してたもんな」

小さな体で吠えていた姿を思い出す。

吠えたというか、鳴き声っぽかったけど。

「あの0点は、そうした『牌を持つ手の強さ』がそうさせたんだと思う。あの時の衣ちゃんには、なんだか……思い通りにならない焦りの様なものを感じたから」

「えぇ……あれだけ思い通りに、好き放題してたみたいな状況で?」

「卓の上、というより卓の外への感じだったかな。衣ちゃんが意図していたか分からないけど、こうあるはずだと自分の思い描いていた景色と違う、という感覚……」

咲は、少し悩んだ顔をする。

 

「……卓を囲んだ相手だからなのかね。そうやって、相手のことがよく分かるのは」

「んー、たまに、かな。でも、たまに、こうした感覚があるんだよね。相手の牌を通じて、その内側を感じるというか」

オレの視線に気づき少し照れたように頬を掻く。

「まあ、私はそんな感じがするってだけだから、本当はどうなのか分からないけど」

「ふーん……でも本当に、今日は凄かったんだな。そんな人達を相手にしながらも、全国に行けるなんて」

「うん。皆、本当に」

 

咲は楽しそうに、今日のことを振り返りながら、麻雀部の皆のことを話す。

オレは、その横で相槌を打つ。

 

 

 

オレは当然、出場メンバーではない。

しかし、当事者ではない、という疎外感はあまりない。

部長や染谷先輩が、オレも団体戦メンバーの一人であると扱ってくれていたから。

でもやはり、選手ではないというのは一歩引いて見てしまうのだ。

そして、気づいてしまう。

麻雀を通した、5人の絆というものに。

 

いや、5人だけではない。

決勝での、卓を囲んだあの面子にも、確かにそれは見てとれた。

同じ空間で、同じように牌を打ったからこそ芽生えるもの。

 

 

 

オレには無い、咲との絆。

 

 

 

「染谷先輩は──」

「そうだな」

「部長は──」

「まあな」

「衣ちゃんたちも、本当に凄くて──」

「ああ」

 

不意に、咲の声が止む。

 

どうした、と咲の方を見ようとして、

「……京ちゃん、もしかして」

咲が、顔を覗き込んでくる。

 

その顔の近さに、ドキリとして、

 

 

 

「嫉妬してる?」

 

 

 

その言葉に、ドキリとした。

 

 

 

「ななな、何を嫉妬って証拠だよ?」

「へぇー」

あまり見たことのない、悪戯っぽい表情。

 

あーくそ、可愛いな。

 

「京ちゃん、嫉妬したんだ?」

「してねーって」

ジュースの果実の匂いと混ざった、甘いような心地のいい咲の匂い。

それを振り払うように、ぐいっと缶を煽る。

 

まさか、咲に見抜かれるとは。

一生の不覚だ。

幸い、今は夕方。

この顔の朱は、夕日に紛れて分からないだろう。

それにしても、なんでバレたんだ。

不覚。

恥ずかしさと悔しさで、同じ様な思考がぐるぐると回る。

どこまでバレているのだろう。

ああ、くそ。

 

 

咲の全てが、オレのものであれば良いのにだとか。

咲の得る全てが、オレからのものであれば良いのにだとか。

 

誰かの事を嬉しそうに喋る姿を見て。

誰かから得た感情を嬉しそうに話す声を聞いて。

 

そんなことを、少し。

本当に少し、思ってしまったのだ。

 

 

不覚。

不覚だ。

独占欲が強いほうだとは思わないが。

でも、麻雀に咲を取られるような気分になって。

 

……仕方ないだろ!

 

ああもう、誰に言い訳しているのかも分からない。

顔の熱さももう分からない。

熱いのか?!今のオレは熱いのか!?

 

 

──それとも、冷たいのか!?

 

 

 

「大丈夫だよ、京ちゃん」

「あ?」

思わず、ぶっきらぼうな声が出る。

まるでヤンキーのようだ、と他人事のような感想を抱いていると、咲は言う。

 

 

 

 

「京ちゃんが、私の一番だから」

 

 

 

そんな言葉を、真剣に、優しい表情で言う。

 

 

 

 

 

女は怖いな。

こんな言葉を、こんな顔で言ってくるのだから。

 

 

                                           (第55局の後)



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【 6 】

「ふー」

倒れ込むと、ギシリとベッドが音を立てる。

少し長湯になったかもしれない。

手を伸ばしてみる。

パジャマの先に伸びる手から、湯気がまだ少し見える。気がする。

 

しょうがない、今日は色々あったのだ。

全国麻雀大会の県予選、その決勝。

なんとか、全国への切符を手に入れることが出来た。

その喜びと満足感を、じわじわと実感する。

勝った瞬間よりも、仲間たちの嬉しそうな顔を見た時に、ああ、良かったと安堵した。

今になって、それが喜びとしてようやく認識された感じ。

タオルケットを引き寄せて、抱きかかえる。

 

──その、大きな喜びの実感と共に

 

タオルケットの心地よい触感に、顔を埋める。

 

──個人的な、小さな喜びが簡単に並んでしまうのは、何故だろうか

 

予選が終わって、軽く祝勝会をやった後の帰路。

帰り道のベンチで得た小さな、だけど心深くに感じた喜び。

 

京ちゃんの嫉妬。

 

身悶えするような心地に、タオルケットをぎゅうぎゅうと抱きしめる。

 

そして、あの顔を赤くした京ちゃんといったら!

夕日に照らされていたけれど、私には分かった。

あの赤くなった京ちゃんの表情が、可愛くて、愛しくて。

 

あんな顔は初めて見た。

 

こんな感情は初めて得た。

 

嫉妬というものが、これほど心地良いモノだとは。

これ程、愛されていると実感できるモノだとは。

 

──京ちゃんに、独占したいと少しでも思われていることが、これ程嬉しいものだとは。

 

 

ああ。

──ああ。

 

 

改めて、誰の目も無い場所で思い返してしまうと、感情が溢れて止まらない。

タオルケットの上から枕を抱えて、ぎゅううと抱きしめて、それが目に入る。

 

目一杯手を伸ばして、それに触れ、引き寄せる。

 

それは、中学時代、私と京ちゃんが付き合う前に、京ちゃんがくれたもの。

カピバラのぬいぐるみ。

ゲームセンターで、お小遣いをかけて取ったくせに「ウチにはカピがいるから」と、私にくれたもの。

 

それをぎゅううと抱きしめる。

そうすると、間接的に京ちゃんを抱きしめているようで。

ちょっと、ドキドキする。

同時に、湧き上がる思い。

 

「──抱きしめてみたいな」

 

溢れる想いを言葉にしてみると、切実な響きを持って生々しい。

予感していた様な恥ずかしさは無い。

お腹の奥でどくどくと鼓動を感じる。

ぬいぐるみに頬を押し当ててみる。

ちょっと、ホコリの匂いがする。

 

京ちゃんを力いっぱい抱きしめたい。

もしくは、力いっぱい抱きしめられたい。

 

この感情がイヤラシイのか、普通なのかの判断がつかない。

でも、最近は少し、偶にだけれど、焦燥感があったりする。

 

恋人という関係になってから、5ヶ月くらい。

もう半年も近いというのに、恋人らしさに進展がない。

 

中学時代、友人の持っていた雑誌には、キスまでの平均が1ヶ月とあったのを覚えている。

あくまでも平均だし、何よりああいった雑誌が信用できる情報を載せているとも思ってはいないけれど、それでも焦りはする。

焦りはするけど──焦るだけで、終わってしまう。

 

きっかけがないのだ。

結構な時間を、一緒に過ごしてきただけに。

その慣れた関係のままで、二人の道を歩いてしまう。

 

「京ちゃんはどうなんだろ」

 

考えてみると、あれ程えっちなDVDを隠し持っているにも関わらず、京ちゃんからのそうした動きはない。

 

──私に、魅力を感じないからだろうか。

 

胸元で抱きしめたぬいぐるみをパジャマ越しに感じる身体の感覚は、悲しいかな、豊満とは少し言い難い。

私も、少しは自信が持てるような身体だったなら、京ちゃんからのアプローチもあったのだろうか。

そうであったなら、京ちゃんからでなくとも、私から──

 

思わずため息が漏れる。

 

いくら『そうであったら』を妄想しても、そうでない現実があるばかりなのだ。

自信の持てる身体を妄想しようが、私にあるのは自信の持てない身体だけなわけで。

いや、自分の身体をそう卑下する訳ではないのだけれど。

でも、京ちゃんの好みは、明らかに和ちゃんタイプなわけで。

 

はあ。

 

ため息二度目。

 

自信、自信かぁ。

京ちゃんに愛されている実感は、今日ちょうどこれ以上無く得られたのだけど。

私からアプローチするには、ちょっときっかけがなぁ……

 

と、逃げ道を探して今日のことをまた思い返したところで。

ふと気づく。

 

今日、京ちゃんが真っ赤になって、そんな京ちゃんが可愛くて、私の率直な気持ちを伝えた後。

京ちゃんは立ち上がって、私の前に立って、無言で手を差し出してきた。

私は、照れ隠しかなと思って、

『もう行く?』

と、その手を取って立ち上がったけど。

あの時は、完全にこうした考えは無くて、京ちゃん可愛いなあとか考えてたから、その可能性すら思い至らなかったけど。

 

あの、私に差し出すには少し角度がおかしかったのは。

妙に顔の近くに、もっと言えば左頬の近くに手が近づいてきたのは。

私のためと言うには少し低く屈んでいたのは。

 

あれは、もしかして。

私に。

 

そういえば、私が立ち上がった後、しばらく京ちゃんは固まったように動かなかった。

その後も、なんだか元気がなかったようで──

 

──あれ、私

 

──やっちゃいました?

 

 

 

「──ぁぁぁぁ……!!」

 

 

 

後悔と羞恥心と──少しの安堵に、カピバラを抱きしめたまま、ベッドの上をごろごろと転がる。

京ちゃんに謝りたい、謝りたい事象だけれど……謝るには、少しばかり重すぎる案件で。

 

でも、そう、それは、今の私には覚悟の足りないハードルなのです。

今の覚悟では、足りないくらいの高いハードルなのです。

だから、私にもっと自信が持てたなら。

──そう、私が自信を持てたら。

 

目標を、一つ定める。

 

うん。

インターハイでいい成績を残せたら、京ちゃんにねだらせて下さい。

 

 

 

いわゆる、キスと言うやつを。

 

 

                                           (第55局の夜)



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【 7 】

「よくこんなとこ見つけたな」

「部屋を探してたら、ここに出て……」

「……また迷ったのか」

「えへへ」

呆れながら、向い合せに設置されたソファーの片割れへ腰掛ける。

咲は、残ったもう片方へと腰を下ろす。

 

ソファーの横の、広く取られた窓にはまさに都会といった趣の夜景が映る。

普段見慣れない景色だが、それもそのはず、ここは日本が世界に誇る首都東京。

インターハイ出場のために、我らが清澄高校は上京してきたのだ。

 

 

詳細に言えば、今日はインターハイ日程で言えば団体戦の2日目、その夜。

場所は利用している宿泊施設の中央棟最上階、説明書きを見るに、団体客用の貸し切り型の、主に宴会場として使われるフロアらしい。

しかし今はインターハイの為の専用宿泊施設と化しているため、無用の長物となっている様で、人気はまるでない。

一歩間違えればホラー感溢れる場所となっているのだろうが、座敷内部が見えない構造のためかそうした雰囲気はなく、温かい感じの灯りも伴って穏やかな静かさを保っている。

今腰掛けているソファーは、恐らく宴会場利用客の一時的な休憩場所なのだろう。

宴会場から少し離れたところに存在するこの一角は、夜景の見える位置に大きく設置された窓の隣に、小さな正方形の筒型の机を挟んでソファーが置かれているだけなのだけど、なんだか良い感じの雰囲気を醸し出している。

 

「でも、ここなら丁度良いでしょ」

「うむ、くるしゅうない」

「なにそれ」

 

わざとらしく王様感を出してみると、咲が笑う。

確かに、ここなら他に人が来ることもあまりないだろう。

オレたちは、二人だけで会える場所を探していたのだ。

 

 

インターハイの宿泊施設ということで、中央棟を挟んで男女は分けられ、それぞれの棟へと続く通路は教師か宿泊施設関係者かは分からないが、そうした人たちに見張られている。

だから男女で会おうとすれば中央棟か外で会うしか無いのだが、外の敷地内はまた別に巡回されているようだし、何にせよ夜に咲を外に連れ出すのは望ましくはないだろう。

かといって中央棟で会う、とすると、売店等が設置されている中央棟は結構な人通りがあり、知り合いに出くわす確率はとても高かった。

関係を隠しているオレたちとしては、そうしたリスクは避けたいところだ。

ただ二人で会っているだけ、にしても、こうして会っているところを見られれば、部長なんかは勘付きそうだし。

 

というわけで、どうしようか、と悩んでいたところで咲がこの場所を思い出したのだ。

道に迷って見つけたらしいが、まあ怪我の功名と言うやつだろう。

 

 

「今日は何やってたんだ?」

清澄高校はインターハイ3日目が初戦となるため、昨日今日と空白の時間だった。

練習の時間に充てるのかな、とも思ったが、状態をいつも通りに保つため、それぞれの自由時間となったらしい。

咲とは、昨日は和達と一緒に昼飯を食べに行ったが、今日は朝に会ったきりで何をしていたのかは全く知らない。

「お昼は和ちゃんと食べて、その後は近くの公園で本読んでたかな」

「なんだ、いつも通りじゃん」

「うん、まあ」

 

いつも通りなのは良いことだ。

そもそも、部長はそのために自由時間にしたのだし。

そう思うものの、釈然としないものがあった。

「明日本番で緊張してるのかなと思ったけど、そーでもなさそうだな」

会いたい、と言ったのは咲なのだ。

だから、なにかあるのかな、と少し身構えていたのだけど。

一番ありそうなのが、緊張している等の弱音の聞き手かな、と思っていた為に、勝手に肩透かしを食らった気分になっていた。

 

しかし、咲は首を振る。

「そんなこと無い。緊張してるよ」

「そーなん?」

「うん」

どうやら、思っていた通りのようだった。

しかし、それはそれで困惑する。

「緊張してるようには見えないけど」

そう、緊張しているようには見えなかった。

だから、オレとしてもどうすればいいのか分からないのだ。

弱音を吐いてくれれば言葉を掛けられるし、そうした様子を見せてくれたのなら何かしらフォローのしようもあるのだけど。

けれど、見る限り咲にそうした様子は無く、いつも通りのようにしか見えない。

「緊張してるよ?」

そういう咲の表情は、相変わらず穏やかだ。

 

「会いたいってのも、その緊張のため?」

「うん」

まあ、咲がそう言うのならそうなのだろう。

「ええと……まあオレに出来ることなら何でもするけどさ」

出来ることが何も思いつかないため、もういっそのこと咲に聞いてしまう。

「咲の緊張を解くには、どうすればいい?」

言ったところで、おや、と思う。

オレの言葉を聞いた途端、咲の表情が変わった気がしたのだ。

 

「緊張というか、なんだろ。不安、みたいなものなんだけど」

そういう咲は、なんだか煮え切らない様子で、どことなく落ち着かない様子だ。

今ははっきりと分かる。

確かに、今、咲は緊張しているようだった。

「へえ……」

なんだか、意外だった。

まあ確かに、普段の咲は常に不安そうというか、儚げな様子があるのは確かなのだけど。

でも麻雀が関わっている時は、その印象は一切なく、むしろそうしたものとは無縁なのだと思っていた。

「そっか、不安か」

「うん」

 

不安……不安か。

不安を解くにはどうすればいいだろう。

母が言うに、ホットミルクにはちみつを少し入れたものが落ち着くには一番良い、とのことだが。

この場合も当てはまるのだろうか。

子供なんかだと頭を撫でてあげたり、抱きしめて背中をぽんぽんと叩いてあげるのが定番だと思う。

でも、それを咲にするには少しハードルが高い。オレには。

付き合う前ならまだしも、付き合ってからは妙な気恥ずかしさがあるのだ。

どうするべきか。

悩むオレに、

 

「それで、京ちゃん」

 

咲が声を掛けてくる。

「ん?」

「ええと……」

 

おずおずと、オレの顔色を窺う様な仕草の後、両手の指先を合わせてもじもじし始める。

なんだろうか。

どうやら、咲にはして欲しいことが決まっている様だ。

優希と同じで、なにか作ってきてくれというやつだろうか。

そんなことを思いながら、咲の言葉を待つ。

オレがじっと見ていると、咲は観念したように、合わせていた指先を離す。

そして、

 

「ねえ、京ちゃん」

 

咲が、右手のひらを俺に向けてくる。

繰気弾を撃つベジータの構えだな、とぼんやり思う。

 

 

「自信、を、下さい」

 

 

僅かに俯きながら紡がれた、小さく、でも確かに聞こえた言葉。

アホなことを考えていたせいで、その言葉に、反応が一拍遅れる。

 

「……自信?」

「……」

 

コクリと、固く頷く咲の耳が赤いのは、きっと湯上がりだからではないだろう。

 

 

自信。

それはきっとアレだろう。

時折、オレが持ち出す咲へのお願い。

 

 

アレは、オレにとっては咲との気持ちを確かめるための、彼氏彼女であることを確かめるための『自信』。

言わば後ろ向きな手段だ。

でも、これはきっと。

明日からの戦い、その決意に根ざしたもの。

 

「……そんなんで良いのか?」

「……うん」

 

咲にとって、前を向くための『自信』。

 

オレへと手を向ける姿勢を保つ為か、もしくは別の理由の為に、その小さな手はぷるぷると震えている。

オレは、何でもない風を装いながら、その右手へと自らの手を重ねる。

 

「ん……」

 

お互いの指が触れると、咲は僅かに微かに肩を震わせて、吐息を漏らす。

 

 

咲は時偶、こういった静かで無自覚な色っぽさを出す。

ほんと、勘弁してほしい。

そわそわするのだ。

色々と。

 

 

体温が上がるのを感じる。

顔にだけは出ないでくれ、と祈りながら、手のひらを重ねていく。

ああ、手汗はかいてなかっただろうか。

今気にしても遅いというのに。

何故、こういうのは手遅れになってから気がつくのだろう。

合わせた手のひらからは心地良い温かさを感じるばかりで、細かいことは麻痺したように何も感じられない。

 

考えてみれば、自分からこういうことはしたことがなかったな。

いつもは自分が求めて、咲がそれに応じる。

咲から求められたのは初めての事だ。

 

自分から手をつないだことは何度かある。

だけど、こうして静かな場所で、手を重ねることそのものを求めるというのは初めてで。

やること自体は変わらないのに、どうも緊張して仕方がない。

 

僅かに指先を伸ばして、ゆっくりと折り曲げていく。

咲の指と指の間に自らの指を通して、ぎゅっと、咲の手を握り締める。

咲の手の小ささには、何度握っても、その度に驚いてしまう。

その小さな手の、小さな指が、同じように俺の手を握りしめる。

いわゆる、恋人つなぎというやつ。

 

鼓動が高まっていくのを感じる。

呼吸が荒くならないように維持するのがキツくなってくる。

恋人と手を重ねているだけだというのに、これは俺がヘタレだからだろうか。

女慣れしている方だと自負していたが、最近はなんだか調子がおかしい。

 

静かな、他に誰もいないホテルの一角。

咲の呼吸が聞こえる。

咲の体温を感じる。

背筋がぞくぞくとして、脳が妙な熱を持つ。

まるで、いやらしいことをしているような錯覚。

 

互いに向き合って座りながら、右手を恋人繋ぎして、ただ時間が過ぎる。

それはどこか誓いの儀式めいていて、傍から見ればシュールな光景にも見えるだろう。

だけど今のオレには、状況を笑う余裕はない。

意識していないと、やばいと感じた。

これ以上、咲を意識しないように。

 

 

そんなオレを他所に。

咲は、その繋いだオレの右手に、左手をそっと宛てがい。

 

 

 

胸元へと引き寄せる。

 

 

 

それは、もしかしたらゆっくりと、時間をかけて行われた出来事だったのかもしれない。

だけど、オレにとってはまるで一瞬の出来事だったかのように、それをただ見ていることしかできなかった。

右手に滑らかな布の感触、そして手よりも暖かな柔らかな体温を感じて、ようやく何が起きたのかを理解した。

理解したところで、再度固まった。

 

 

これはどういうことだろうか。

この手の甲に感じる柔らかさは、そういうことなのだろうか。

それとも服の柔らかさ?

分からない。

どういうつもりなのだ。

抱きしめても怒られないだろうか。

咲は目を瞑っている。

オレはそんな咲から目が離せない。

動けないし、動きたくない。

物凄く静かだ。

温かい。

というか、抱きしめたいんだけど。

 

 

まとまらない思考が、浮かんでは霧散していく。

確かなのは右手の温もりと、咲の手の小ささと柔らかさと、咲の可愛さと、抱きしめたいという思いだけ。

咲に手を引かれ、無意識に椅子から乗り出していた尻を、浮かせて抱きしめてしまおうか。

嫌がられるだとか良い悪いだとかはもう何も無く、ただ欲望と度胸がせめぎ合っている脳内。

よし、抱きしめよう、と決意したのはどれくらい経ってからかも分からず。

その抱きしめよう、と決めてからも体は一向に動かず。

 

「……うん、ありがとう」

 

そう言って、咲が微笑んでそっと手を押し返してくるまで、オレは微動だに出来なかった。

 

「……もう、良いのか」

 

思わず出た言葉。

文字面だけ見ればどうとも取れるが、その声色は我ながら未練以外が感じられない。

しかし咲は気づかないのか、そのフリをしているのか、

「うん、もう十分」

僅かに照れの入った笑顔で、言う。

……まあ、良いか。

咲の表情を見ていると、そう思う。

 

「ねえ、京ちゃん」

「ん?」

「いつも、ありがとね」

「なんだ、いきなり」

笑いながら咲を見て、はっとする。

咲が、オレのことを真っ直ぐに見ていた。

 

「いつも、違う風景へと踏み出してくれてるのは京ちゃんだから」

 

その瞳の輝きに目が奪われる。

 

「ちょっと、もうちょっとだけ待ってて」

 

静かに静かに、微笑む咲。

その視線は、オレを射抜くかのようで。

 

 

「私も、踏み出してみせるから」

 

 

そう言う咲の瞳には、火が点っている。

 

 

 

なんのことかは分からない。

けれど、その言葉を発する咲は美しくて。

 

「ああ、楽しみにしてる」

 

咲がどこに行こうとしているのか、分からないけど。

オレも、咲へと追いついて見せよう。

 

咲が踏み出す一歩の先へ、オレも一緒に行けるように。

 

 

 

 

 

「そうだ」

傍らの紙袋の存在を思い出す。

 

「?」

「飯から結構経ってるし、どうかなと思ってさ」

袋から小さく作られたタコスを取り出して、咲へと渡す。

「わ、どうしたのこれ」

「作った」

ちょっと自慢げに言うと、咲は目を丸くする。

 

「京ちゃんが?」

差し出されたタコスを手に取り、興味深げに眺める。

「なんか、本格的だね。お店で出してるものみたい」

「だろ?」

そして、恐る恐る口に運び、

「んっ!」

再び、目を丸くする。

その後、それほど大きくないそれを、小さい口で数回に分けながらも、瞬く間に食べてしまった。

「どう?」

反応で分かりきっているものの、それでも言葉で感想を求めてしまう。

さっきの雰囲気が影響しているのか、咲はどことなくしっとりとした雰囲気を纏いながら、言う。

「ふふ、美味しかったよ、京ちゃん。意外だった」

ペーパータオルで口元を拭う仕草もどこか艶めかしい。

オレは、そのストレートな褒め言葉にくすぐったさを感じながら、事の顛末を話す。

 

「いや、県予選の決勝で、タコス買いに行っただろ? その時、タコスの店を教えてくれた人とまた会ってさ」

「すごい偶然だね」

咲は穏やかに驚く。

だろ?とオレも穏やかに返す。

「どうせだから、作れるようになってみないかって言われて、オレもその方が良いなって思ってさ、教えてもらったんだよね」

 

そこまでは良かった。

そこまでは。

しかし、

 

 

「優希のために作ってみるかってさ」

 

 

そう、オレが言うと。

 

「……」

 

咲が、突然真顔になる。

 

 

「店を探すより、作ったほうが確実だと思ってさ。それで試作品が思ったより上手く出来たから、持ってきたんだけど──……て、あ、あれ。咲?」

「……」

「さ、咲さん?」

 

 

 

その後、咲は終始真顔であり。

綺麗な夜景の見える窓の横、都会のネオンの海に照らされながら、オレは小さい幼馴染のご機嫌を取ることとなる。

 

 

 

──さっきまで、あんなに良い雰囲気だったのに。

 

──なんでだ。

 

 

 

 

 

 

おかげで、後日京太郎の奢りで、地元近くの遊園地へと行く約束を取り付けるまで、咲の機嫌は直らず。

京太郎の財布は、さらに薄くなることが確約されるのだが──それはまた、別の話。

 

 

 

                                           (第66局より)

 



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【終わりの先(サキ)と始まりの前(サキ)】

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「なあ、咲」

 

「うん?」

 

「愛してる」

 

「知ってる」

 

 

                                           (物語の先より)

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少年と少女が、穏やかな春日向の中をゆったりと歩く。

特に会話をするでもなく、少年と少女はただ歩く。

そのゆったりとした歩みは、恐らく少女の歩みに合わせられていた。

少年の背は高く、少女の背は低い。

暖かい日差しは少年の影を地面の凹凸に映し、柔らかい風は少女の髪を撫でるようにして揺らす。

微かな足音、カバンの金具はぶつかり合って小さく鳴り、体の揺れに合わせて少しばかりの衣擦れの音がしている。

日常的でどこか規則的な風景。

少年は少女の半歩ほど前を歩き、少女は少年の影を追いかけるようにして歩く。

何度と無く繰り返されてきただろう、少年と少女の歩み。

 

そんな中、少年が足を止める。

 

 

 

 

 

「どうしたの?」

 

後通うのも数える程となった、中学校からの帰り道。

共に歩んでいた影が消えたことに気がついて、足を止める。

突然立ち止まった京ちゃんを振り返る。

京ちゃんは真剣な顔をして、足元を見ていた。

何かあるのだろうか、と思って私も足元を見るけど、そこには小石と僅かな道草があるばかり。

「?」

本当にどうしたのだろう。

そう思いつつも京ちゃんが動き出すのを待っていると、京ちゃんが顔を上げる。

その表情は、普段どおりの穏やかなものだ。

私は安堵して、京ちゃんの言葉を待つ。

それなりの付き合いで、なんとなく何かを話そうとしている雰囲気が分かるのだ。

 

案の定、京ちゃんは口を開いて、

 

 

 

 

「なあ、オレたち、付き合ってみるか?」

 

 

 

 

私は、突然の言葉に驚いて、思考が停止した。

思考が停止して、時間も止まった。

周りから音が消える。周りから色が消える。

空間が切り取られて、そこだけ置いていかれるような。

刹那とも長久とも思える空白。

そんな中、口を突いて出た言葉は。

 

 

「イヤ」

 

 

だった。

自分でも混乱する。

聞いた言葉を処理する前に、言葉が口をついて出た。

 

「っ……そうか……」

 

彼の一瞬痛みが走った顔に、胸の奥がいたくなる。

しかしそんな私を差し置いて、私の言葉は止まらない。

 

「──告白って」

「……?」

「告白って、女の子にとってすっごく大事なものなんだよ」

その言葉を言った瞬間。

気がついた。

「……」

 

私がどれ程、彼のことが好きなのか。

 

「とっても、とっても大事なの」

 

 

 

 

なあなあではない。

 

はっきりとした、真摯な。

 

疑い様の無い、言葉が欲しい。

 

 

 

 

「──咲」

 

「……」

 

「好きだ。オレの、……恋人になってくれないか」

 

「うん」

 

 

少女は、ぺこりと頭を下げる。

 

 

 

「よろしく、お願いします」

 

 

 

そして、顔を上げ、

 

少女の名前に相応しい美しさで

 

 

 

 

 

 

ふわりと、笑った

 

 

 

                                           (物語が始まる前より)



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