獣を狩れ、ゴブリンもまた然り (YSHS)
しおりを挟む

獣の狩人

 昼下がりの午後。冒険者ギルドに、一人の男が入ってきた。異様な風体の、『狩人』の男である。真っ黒なズボン、ベスト、ブーツにグローヴを着用し、その上からコートとケープを羽織っている。左右のツバが前に向かって尖るよう三角に折れた、猛禽の頭を連想させる帽子を被っていて、口と鼻をこれまた真っ黒なマスクで覆っており、人相はよく見えない。

 

 極めつけはその、血にまみれた身体だ。ギルド内の誰もが顔を歪めるほどに強烈な臭いを身にまとっていながら、狩人の男は意に介さないどころか、むしろ、たった今水浴びをしたばかりという風に堂々と、マジェスティックに振る舞っていた。

 

 しかし何よりも奇妙なのはその武器である。腰に下げた原理不明の鉄砲と、鉈と鋸の刃を併せ持った折り畳み式の近接武器――ノコギリ鉈のことである。対峙する敵――NPC(祈らぬ者)の中で表皮や装甲の硬い者には有効そうではあり、納得の武器ではある。が、他の冒険者が、剣や盾といった如何にも誇り高い得物を携えているのに対し、その武装はあまりにけったいなものだった。ただでさえ、攻勢に出るという意志表示が見える武装だというのに、それに対して衣服の下からは板金鎧や鎖帷子の音は聞こえず、しかも盾さえも持たないのであるから、非常に極端でアンバランスなものとなっている。

 

 「完了した。その報告を」

 

 ギルドの受付に向かい、狩人の男はただ一言それだけを受付嬢に告げた。

 

 「は、はい……」

 

 応対した受付嬢は絶望的な面持ちでいた。それでも、えずきつつも手続きを進めていくのは流石のプロと言ったところであろう。

 

 そんな受付嬢を遠巻きに見ながら、周囲の職員や冒険者らは、彼女への同情と、狩人への嫌悪感をあけすけにするのであった。

 

 しかし、いくらその狩人への嫌悪感が募っていても、それと同時に皆、狩人へそこはかとない恐怖心を抱いているためか、誰も受付嬢への助け舟を寄こさないのが実情であった。関わりたくないという気持ちも勿論あるが、そもそも彼は何ら悪事を――悪臭を振り撒く迷惑行為はあるが――犯しているわけでもなく、それに彼自身、優秀な冒険者でもあるということもあり、文句を言いたくても言えないのであった。

 

 再度述べるが、彼は優秀な冒険者、もとい狩人である。

 

 彼はほとんど誰とも組まず、ほぼ常に単身で危険なクエストに赴き、そして毎回血塗れになりながらも、これといった大きな負傷はせずに凱旋してくる。

 

 稀に彼と一緒にクエストに行ったという者が言うには、狩人は、慎重な対処が必要な獰猛なNPCを相手にしても、

 

 「獣だ」

 

 と言って躊躇なく突撃し、爾来、血で血を洗うように壮烈な攻撃の応酬を展開するのだと言う。

 

 たとえ、常人が喰らったら充分に致命傷となるであろう攻撃を受けようが、それでも彼は何ともないとばかりに、どころかお返しとばかりに一撃二撃三撃と返していく。人間が喰らったらひとたまりもないであろう強烈な一撃に吹き飛ばされようが、直後に何やら妙な赤い液体を、何らかの方法で自らの身体に投与して復帰するのだそうだ。

 

 当然、これは話半分に聞く者が大半である。如何に、才覚ある者らによって奇跡や魔法が――日の回数制限はあるが――行使される世界であっても、荒唐無稽過ぎたのであった。

 

 しかし、俄かに信じられない事柄であっても、人々はその狩人の逸話から、彼のことを『獣の狩人』と呼んだ。

 

 『獣の狩人』

 

 それは、狩人の彼が、NPCをはじめとした敵に対して『獣』と言い放つことから来ている。

 

 獣とは、通常、四つ足の動物や、或いは鳥類に向けて言われるものであるが、彼の場合は蛇や蛙や魚、虫といった存在の他、トロルやゴブリンなどの亜人型に対しても、それが人間に仇なすのであれば容赦なく獣だと言い切るのである。

 

 ともすると、同族である人間に対してもそれが適用されるらしい節がある。

 

 人々からすれば、そんな偏執的な攻撃性を孕む彼こそが、他の何者よりも『獣』らしく見えた。

 

 故に、彼は『獣の狩人』と呼ばれ、ギルドでは屈指の鼻つまみ者として見られているのであった。

 

 さて、彼の人生には一体何があったのか、次はそれについて語ろう。

 

 元来彼はこの世界の住人ではない。この世界にとっての異世界、即ち我々と非常に似通った世界から来たのだ。

 

 東ヨーロッパにあるチェコという国の首都プラハにて彼は生を受けた。当時は産業革命で石炭の需要が高まっていたため、のちに炭田が盛んなボヘミアに行った。しかし、ただでさえ石炭の採掘が盛んという不健康な地で、その上人も多く集まってて不衛生であったために、彼は難病にかかる羽目になったのであった。

 

 そんな彼が小耳にはさんだのが、国の東側にあるヤーナムという医療都市のことであった。

 

 そこには『血の医療』なる不可思議な医療が在り、如何なる病気も治せてしまうのだという。それを聞き、一縷の望みを懸けて彼はヤーナムへ赴き、そこで体験したことが、かくも彼を数奇な運命へと導いた。

 

 血の医療、青ざめた血、獣の病、獣化、悪夢の世界、獣狩りの夜、そして上位者。

 

 ゲールマンという老人の案内に従い、彼は獣を狩り、狩り、ある時は人間を狩り、狩り、最終的には上位者を狩った。

 

 そのさなかで、ヤーナムで何が起こっているのかを知った。

 

 自分は所詮、大いなる上位者の手のひらで踊らされ、利用されていたに過ぎなかった。他の人間も同じ。彼自身を導いていたゲールマンでさえも例外ではなかった。

 

 自らに課せられた使命を全うしたのち、彼はゲールマンによる介錯を以って、その悪夢の世界から抜け出すことになっていた。

 

 だが彼は拒否した。

 

 それに因ってゲールマンと衝突し、襲い来るゲールマンを退けたまでは良かった。その矢先に、月から舞い降りし『月の魔物』別名『青ざめた血』にあえなく取り込まれた彼は、そのまま相手の手に落ちることとなった。

 

 この世界に彼を送り込んだのも、きっと月の魔物の思惑によるものだろうと、彼は考えている。

 

 ギルドへの用件を終えて、彼は受付に背を向けて、出入り口へ足を向けた。そうして出入り口に近づいたところで、そこからギルドへ入ってくる男が居た。薄汚れた安物の革鎧と鉄兜を被って、中に鎖帷子を着込み、左手に小ぶりな円盾、腰に短めの段平を下げた男だ。

 

 ゴブリンスレイヤーと呼ばれている。その異名の通り、ゴブリンを専門に狩る者である。冒険者業を始めてから五年間、ずっとゴブリンのみを狩り続けて、現場冒険者における最高等級である銀の冒険者となった男である。

 

 そうした奇抜なことをしているためか、ギルドの冒険者らからは、雑魚敵ばかりを狩る腰抜けだの、偏屈な男だのと評判は良くなく、このギルドに於いて獣の狩人と並んで疎まれている。

 

 で、ちょうど鉢合わせになった獣の狩人とゴブリンスレイヤーは、お互いに歩む足を止め、

 

 「やあ」

 

 「ああ」

 

 一呼吸置いてからの、口に依る挨拶を交わして、再び歩き出し、すれ違ったのであった。

 

 このように二人は、お互いに似たようなところがあるからか、はたまた通じ合える何かを持ち合わせているからなのか、素っ気なくではあるがそれなりに挨拶や会話をしたりするのである。

 

 これが、このギルドに於ける日常の一部である。




〈参考資料・サイト〉

・「Bloodborne設定考察Wiki」, 〈http://bloodborne.swiki.jp/index.php〉2018年11月12日アクセス

 

 ・「Blood Borne考察(ブラッドボーン/ブラボ)」, 〈https://you0001.hatenablog.com/〉2018年11月12日アクセス

 

 ・ゆっくリム・ゲームチャンネル(2016年2月16日投稿), [ゆっくり実況]ブラッドボーン・ストーリー解説プレイ:01 ペイルブラッド /Bloodborne[Eng sub], 〈https://www.youtube.com/watch?v=G9_86EIrn9c&list=PLO1tlNtEJlLZq9pEYrSZkGBmOpsYfVuYW&index=2〉2018年11月12日アクセス

 

 ・「Bloodborne(ブラッドボーン) の物語、設定の考察・解説」, 〈https://matome.naver.jp/odai/2148851648003041301〉2018年11月12日アクセス

 

 ・ブラッドボーン:ストーリー&世界観考察(14)|リュンポスー楽天ブログ, 〈https://plaza.rakuten.co.jp/monhanp2nd/diary/201506110000/〉2018年11月12日アクセス

 

 ・ブラッドボーン:ストーリー&設定考察(最新版)(52)|リュンポスー楽天ブロブ, 〈https://plaza.rakuten.co.jp/monhanp2nd/diary/201512120000/〉2018年11月12日アクセス

 ブラボの考察、それも他サイトからの受け売りの考察を描写するので、今の内にここに載せます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

烏羽の狩人

【0】

 

 「ヨセフカ?」

 

 獣狩りの夜が始まって少しして、俺はヤーナムのある診療所へ足を運んだ。ヨセフカというのは、そこの診療所の女医のことだ。

 

 この街の住人は、余所者に冷たい。俺と同じく外から来た者ギルバートは、この街の者は陰気だと言っていた。そんな陰気な人間たちの中で、ヨセフカは比較的親切な人間で、俺に輸血液を、それも効果が高くなるよう調整された物を提供してくれた。

 

 「ああ、あなた、無事だったのね。良かった……」

 

 安堵して緊張がほぐれたように、ヨセフカは応答した。

 

 「でも……、何度来てもらっても、変わらないわ。扉は開けられない。でも、私に出来ることは――」

 

 「いや、そうじゃない、今回はお礼を言いに来たんだ」

 

 悲痛そうなヨセフカの謝罪を遮って、このように俺は、感謝の念を込めて、努めて優しく聞こえるように告げた。

 

 「お礼?」

 

 「そうだ。君がくれた輸血液は本当に効いた。お陰で、危うく死ぬところを、命拾いしたんだ。本当にありがとう……」

 

 「私はただ罪悪感だけで、別にそんな感謝されるようなことは……。……でもありがとう。あなた、優しいのね」

 

 面映ゆそうに、ヨセフカは逆にお礼を返してきた。今までの怯えと緊張がやわらいだように、少しだけ和やかになった。

 

 「お互い様さ。この街は余所者には不親切だ。どこもかしこも、俺が扉と叩けば、余所者だとかどっか行けだとか言ってくる。君は、俺がこの街に来て初めて優しくしてくれた人だ、友好的になるのは当然だろ」

 

 俺も宛然と、気丈な口吻で返した。

 

 「何だか、あなたと話していると、一寸だけ安心するわね……。出来るのなら、あなたとは是非一度、顔を合わせてお喋りしたいものね。今はそれが出来ないのが残念だけれど、きっとじきに……。今度の夜は長い、でも明けない夜も無いはずよ。ましてやあなたのような方が頑張っているのだから。そして狩りの夜が終われば、こんな風に扉越しに話すこともない。もしかして、あなたの顔も見られるのかしら。不謹慎だけど、フフッ、何だか楽しみね」

 

 「……ああ、俺もそう思うよ」

 

 照れ臭くなって、俺は一瞬返事が遅れた。

 

 そうして少しして、扉の窓のガラスの欠けた部分から、おもむろに彼女の輸血液が差し出された。

 

 「受け取って。役立つのなら嬉しいわ」

 

 何だか申し訳ない気持ちになって、しばし逡巡した。

 

 「……有難く頂く」

 

 のちに俺はそれを受け取ろうと手を伸べた。そうして輸血液に俺の手が触れた時、不意に彼女がそっと俺の手を握ってきた。

 

 「どうか、ご無事でいてくださいね……」

 

 ヨセフカは親指で俺の手を撫でてから、俺に輸血液を握らせて、名残惜しげに手を引っ込めた。

 

 「君もな」

 

 そう言い残して、俺は彼女の輸血液を手にその場を後にした。

 

【1】

 

 早朝、獣の狩人はギルドの椅子に座り、膝に小さなオルゴールを乗せ、ゼンマイを巻いて音を奏でさせていた。

 

 ゆったりとしたリズムの、子守唄が歌えそうな曲だ。甲高い音と低い音が合わさった音によるメロディ。しかし、低音が高音の足を引っ張って、全体的に曲のテンションが低く、聴いているとそぞろに不安になってくるような音だった。

 

 獣の狩人は暇さえあれば、いつもこの曲を聴いている。それは既にギルドでは日常風景の一部と化している。

 

 最初では、誰もが耳をそばだて、その珍しい物品に興味を持ったものであった。けれど、一部例外を除いて、やはりこのギルドで獣の狩人に興味本位で話し掛けられるような物好きはおらず、ギルドの者や冒険者らも次第にオルゴールへの関心も薄れてゆき、気にも留めなくなった。ついぞ、誰もそのオルゴールについて訊くことはなかったのである。

 

 さて、獣の狩人はいつもオルゴールを聴いているが、彼自身この曲を好いてはいない。むしろ忌まわしく思ってさえいる。曲が薄気味悪いということも彼は感じているが、それが主たる要因ではない。もっと別の、彼の苦々しい過去の出来事に因るものである。

 

 その時、獣の狩人の隣に座る者が居た。

 

 「ガスコインのかい」

 

 聞き覚えのある名前を聞いて、さっと狩人は顔を上げて、隣に座った者を見た。居たのは女だった。白いスラックスと黒いブーツに紺色の外套を着た、年配の女だ。年齢は大体四、五十くらいだろうか。顔の肌はもう妙齢とは言い難く、目元口元、頬には皺が刻まれている。髪の毛にも白髪が目立つ。とは言え、それでもその相好には若い頃の名残がまだ見られ、顔付きにはまだまだ覇気が見られた。

 

 「誰だ……」

 

 「おや、声を聞いても分からないのかい」

 

 と女は言って、懐から取り出した、中世のペスト医者が被っていた鳥の頭のようなマスクを自らの顔に被せた。そのマスクを被った姿を見て、獣の狩人はピンと来た。

 

 「お前、烏羽の……」

 

 彼女の名前はアイリーン、通称『烏羽の狩人』、または『狩人狩り』。かつて獣の狩人がヤーナムで出会った女狩人であった。

 

 「ククク、久しぶりだね。最後に会ったのはたしか……、あの大聖堂の前以来だったかね」

 

 と、さも烏羽は、楽しい思い出を語るみたいに笑ってはいるが、あれは笑い事ではなかった。

 

 あの時、大聖堂前にて満身創痍で倒れていた彼女に代わって、獣狩りの狩人が大聖堂内に居た敵――彼女と同じ狩装束を纏った謎の狩人を打倒したのであった。

 

 「笑い事じゃないだろ、お互いに死にかけた。お前だってな。俺はてっきり死んだものかと思ったくらいだ」

 

 その狩人がまた恐ろしく強敵であった。異邦の彎曲した刀を手に、こちらの攻撃をことごとく読んでは反撃をし、強烈な一撃に多くの輸血液が消費された。何度か返り討ちにされては狩人の夢に送り返されてしまったこともあった。

 

 「ククッ……、夢に住んでいたあんたなら死にゃしないだろうさ。事実あんたは、何度かあいつに殺られたんだろう」

 

 「一体奴は何だったんだ」

 

 「知りたいのかい」

 

 「言いたくないなら別にいいが……」

 

 「なら、あんたの想像に任せるよ、フフフ、フフ……」

 

 そうはぐらかして、烏羽は悪戯っぽく笑った。

 

 で、少し間を空けて、

 

 「ところでそのオルゴール、改めて訊くけど、ガスイコインのだろう」

 

 と、烏羽は、既に鳴り終わったオルゴールをコツコツと指で叩いて尋ねた。

 

 「ああ、彼の娘から預かった物だ。結局返せなかったがな……」

 

 淡々と語る獣の狩人だが、言葉尻をでの声はいささか暗く沈んでいた。

 

 「ガスコインは何か言ってたのかい」

 

 委細構わず烏羽は問う。

 

 「『どうか娘を』と……。その後、『すまない、ヴィオラ』と言って息を引き取った」

 

 ガスコインを倒した時、その死ぬ間際に刹那の間だけ、彼は人であることを許された。

 

 まず発せられたのが、自らに引導を渡した獣の狩人への感謝だった。次いで自身の娘の安否を聞き、獣の狩人にその娘を託したのち、助けられなかった自分の妻へ涙ながらの謝罪をしながらその肉体を霧散させた。

 

 「だが娘は守れなかった。俺は、娘に事実を告げようか迷って、先延ばしにした。その末にむざむざ彼女を死なせてしまった」

 

 もし、あの時、娘にヴィオラの真っ赤なブローチを渡していたら。もしオドン教会を教えていなかったら。もし、せめて一緒に居てやれたら。

 

 狩人の頭に、もしも――、もしも――、と詮無きことが次々に浮かぶ。

 

 「彼女の姉だってそうだ。彼女は妹の――」

 

 「ん? ちょっと、ちょっと待っとくれ」

 

 訝しげに眉を顰めて烏羽は話を引き留めた。

 

 「今、姉って言ったね」

 

 「言ったが、それがどうした」

 

 「妙だね……、あの子に姉なんて居るはずが……」

 

 「どういうことだ」

 

 「だから……、居ないんだよ、あの娘に姉なんて」

 

 「そんなはずはない、実際にあの家に……」

 

 「大方騙されたんだろうさ。そう言えば、あの子の友達に、いつもあの子のリボンを物欲しげに見ていた女の子が居たねぇ……」

 

 はたと狩人は、あの家を離れようとした時に、姉が何やら笑っている声が聞こえたことを思い出した。それに、聞き間違いでなければ、綺麗なリボン……、とも言っていたように聞こえた。その時は、慨嘆が一周回って笑い声に変わったと思って、また狩人自身の居た堪れない心境もあって、取り立てて気にしなかった。

 

 「思い返してみれば確かにおかしい……。俺がガスコインの娘にオドン教会を教えた時、たしか……『お父さんとお母さんとおじいちゃんの次に好き』と言っていて、姉のことには言及していなかった。だが、もしそうなら、たかがリボンのためにどうして……」

 

 「たかがリボンってだけじゃないんじゃないかね」

 

 やおら烏羽はそう口を切った。

 

 「どんな意味があると言うんだ」

 

 「あんた、ガスコインの娘の顔は直接見たのかい」

 

 「いや」

 

 狩人は首を振った。

 

 「あの子は、それは大層可愛らしい娘でね、天使みたいな女の子だったよ。その友達は、そんなあの子が羨ましかったんだろうさ。憧れていたのだろうさ。自分もあの子みたいになりたいと、そう思ったに違いないのさ……」

 

 「その友達の彼女にとって、あの白いリボンは美しさの象徴だった、と……。あのリボンを付けて、自分がその美しい少女になろうとしたのか。……あまり理解しがたいな」

 

 「少女とはそういうもんさね。女というのは、美しくありたい、そして愛されたいと思うもんだよ、さながら男が強い男でありたいと思うみたいにね。だからこそ、無意味と分かっていても、少しでもそれに近づけるならと思ってしまうのさ」

 

 と烏羽は結んだ。これに狩人は得心した。

 

 自らを高めるために、高みに居る人物を真似てみるというのはある。しばしば人は、自らの欲求を満たすために、不合理で不毛なことをする。それはひどく単純で、直情的で、ある意味で獣らしい振る舞い。

 

 「ところで――」

 

 狩人は切り出した。

 

 「お前はどうしてここに」

 

 「さあね、気が付いたら、久方ぶりにあの夢の中に居たのさ。それで外に出てみたら、この世界に居たってわけだよ。生活するための金銭がほとんど無かったから、手っ取り早く稼げる冒険者をやっていて、その中であんたの噂を聞いたものだから、はるばるこの町のギルドに足を運んだのさ」

 

 「挨拶をしにか」

 

 「いや、あんたに伝えたい情報がある」

 

 烏羽は、それまで気楽だった様子とは打って変わって真面目な顔つきをし、

 

 「この世界にも、“あの獣”が居るかもしれない……」

 

 そう告げた。

 

 「方々で妙な獣の目撃があったらしい。夜中、猿のような獣がどこかへ走っていって、それと同時に、見掛けられた獣の数だけの村人が忽然と姿を消すのだと、ね。どういうわけか、消えた後には妙な毛や体液が残されているにも拘わらず、争った形跡は見当たらなかった……」

 

 俄かに狩人の身体が緊張する。

 

 ヤーナムに居た獣だと判断するには薄い根拠だった。しかし、何故だか狩人の中にはそこはかとない確信があった。あの晩を体験した者としてなのか、或いは狩人としてか、とにかく自分の中の勘が、それについてさもありなんと囁いていた。

 

 「今のところはそれらしい依頼は来てないみたいだけどね、私はこれから依頼を注意深く見ることにするよ。あんたも、張り出された依頼や、他の冒険者の話に聞き耳を立てとくことを勧めるよ」

 

 狩人の肩に手を置いて、鴉羽は立ち上がって出口の方へ歩き出した。

 

 「ああ、そうそう」

 

 と烏羽は立ち止まり、首だけを狩人の方へ向けて、

 

 「何か分かったことがあったら、使者を通してメッセージを残しておいておくれ、私もそうするよ。私とあんたの夢は共有されていないみたいだけど、メッセージを送ることは出来るだろうさ」

 

 言い残して、今度こそ彼女はギルドを後にした。

 

 狩人は、烏羽の言っていたことを反芻する。何度考えても、やはり憶測の域を出ないことだが、それでも気掛かりだった。

 

 「ひとまず……」

 

 と独り呟き、これから依頼書が貼り出される掲示板に目を向けた。

 

 然り而して、その時間がやって来た。

 

 「皆さーん! 朝の依頼貼り出しのお時間ですよ!」

 

 ギルドの受付嬢の一人が高らかに言い、ギルドに集まっていた冒険者ら、待ってましたとばかりに浮き立つ。そうして依頼書の張り出された掲示板の前に群がり、あれやこれやと、独り言を言ったり、仲間と相談したりしていた。その中で獣の狩人は、素早く依頼書から依頼書へ視線をハシゴさせ、何か変わったことが掛かれたものはないかと探した。

 

 見つからなかった。否、あるにはあったのだが、しかしそれは到底獣と結び付くようなものではなかった。少しでも怪しいものをと見ていくと、全ての依頼が怪しく見える。

 

 狩人は諦めかけ、その上でもう一度、何気なく依頼書の群を見やったところで、隅のほうに、他の依頼書が被って隠れてしまっていた依頼書に気付いた。

 

 しかし群衆が邪魔で取れない。そこで狩人は、

 

 「そこの少年、それとその連れの少女! そう、お前らだ、その隅の隠れた依頼書を取って見せてはもらえないか」

 

 と狩人が声を掛けたのは、真新しい安物の武具を身に付けた、新米と思しき戦士と聖女の少年少女であった。

 

 「え、これ? これでいいのか?」

 

 気付いた新米戦士は、獣の狩人が言った通りの依頼書を取った。それで狩人に見せる間際、ふと新米戦士は依頼書を見て、

 

 「なあ、あんた一人か? 一人でゴブリンはキツイんじゃないのか。あんたも俺たちと同じ初心者だってんなら、俺たちと――」

 

 「ちょ、ちょっと、何してんの、やめなさい!」

 

 何やら持ち掛けようとする新米戦士を、連れの見習聖女が彼の襟首を掴んで引き止め、狩人の首元を指差した。新米戦士は、狩人の首元に下げられた“青く輝く認識票”を目にすると、あっと声を上げ、

 

 「こ、これは失礼……」

 

 バツが悪そうに件の依頼書を狩人に渡して、そそくさと掲示板に目を戻した。

 

 新米戦士の言った通り、これはゴブリン関連の依頼である。

 

 書面に簡易的に書かれた詳細に、獣の狩人は改めて目を通す。

 

 「やはりこれは、もしかして……」

 

 狩人はこの依頼について受付に尋ねようと思い目を向けたが、冒険者らによる依頼受付の波が続いていたため、当面は待つことにした。

 

 およそ三十分後、ようよう受付の人だかりは薄まったので、狩人は受付に赴いた。

 

 「この依頼についてなんだが……」

 

 狩人が訪ねた相手は、このギルドで最もゴブリンの依頼に精通した受付嬢である。

 

 彼女が、狩人の出した依頼書に目を落とそうとした時、ちょうどギルドへの来訪者を知らせるベルが鳴った。その音に反応した彼女は、いそいそと狩人の陰から顔を出して入り口を見やった。そして直後に、やや疲れが混じっていた顔に生気を湛え、相好を崩した。

 

 彼女の表情から、誰が来たかを悟った獣の狩人は、後ろを振り向かずに横へ半歩身体をずらした。来訪者は、獣の狩人が立つ受付の所まで歩み寄り、

 

 「ゴブリンか?」

 

 「ゴブリンだ」




 ちなみに冒頭のヨセフカ(本物)のデレはゲーム中に実際にあります。ガスコイン神父を撃破してオドン教会に行くまでに、都合三回輸血液を貰いに行くと聞けます。ご存じなかった方は是非お試しあれ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

小鬼狩りの夕、獣狩りの夜:前編

【0】

 

 「な、なあ、あんた、狩人さん、フヒヒ……」

 

 挙動不審に俺へ声を掛ける、ワインレッドの衣を被った男。

 

 「ん、お前か、どうした」

 

 「いやあ、あの、ほら、無事なようで良かったって、フヘヘヘ……。それでね、あんたがここを教えた人が、また来てくれたんだよ」

 

 そうボソボソと男は、教会の正面入り口の脇にある柱の陰に座る尼僧アデーラを示した。

 

 「そうみたいだな」

 

 この男とは、俺がガスコイン神父を倒して辿り着いたこのオドン教会で会った。そこで彼は俺に、生存者を見掛けたらオドン教会に避難してくるよう呼び掛けてほしいと頼んできたのである。

 

 正直なところ胡散臭かった。

 

 枯れ木のようにガリガリに痩せこけ節くれ立った体に、皺の寄った顔、白く濁った瞳。風貌がまるで老人のそれであるが、声の調子からしてそこまで年は言っていないかもしれない。喋り方はボソボソとしどろもどろで、薄気味悪い。

 

 こんなのを信用しようとは、当初はあまり思えなかった。他に避難出来る所と言えば、ヨセフカの診療所くらいのものであったが、しかしながらそちらのほうも大して変わらないように思えていた。

 

 ヨセフカのことを信用していないわけではない、むしろ彼女は親切で信頼出来る人物だ。けれど何かがおかしいと思った。オドン教会に辿り着いた後で診療所に行ったら、生存者を診療所に避難させてほしいという要請をされ、そこで違和感を覚えた。急な翻意への戸惑いなのか、はたまた態度がというか、雰囲気というか、とにかく何かが引っ掛かったのだ。

 

 それで俺は、怪我人は診療所に、壮健な者はオドン教会に送ろうという結論を出した。

 

 どの道それしかなかった。住人らが各々家に閉じこもっていても、やがて獣除けの香が切れて彼奴らの餌食になるのが関の山だ。だから皆が一ヵ所に集まって、残り少ない香を共有しておくのが最善となる。

 

 で、そうして生存者たちをこのオドン教会に集めたわけだが、今のところは何ら異常は見当たらない。差し当たって、オドン教会に彼らを避難させたのは成功と言えた。

 

 「この場所は、みんなの避難所になった、あんたのお陰さ」

 

 「気にするな」

 

 「それに、嬉しいんだ。こんな俺みたいなののお願いを聞いてくれて……、ありがとう」

 

 相変わらずボソボソとしているが、男は心底嬉しそうな風に感謝の旨を述べた。

 

 「もう、この街にはまともな生き残りなんて居ないのかもしれないけどさ。でも、あんたが出来るだけのことをしたから、ここに居る人たちは救われたんだ。凄い事だよ、狩人だからってんじゃない、あんたが凄いのさ……」

 

 このように結んで、男はまたもぐぐもった気味の悪い笑いを出した。こいつが気の良い奴なのは分かったが、やっぱりその不審者じみた笑い方は頂けない。

 

 「俺、変われるかな……」

 

 唐突に男がそう切った。

 

 「どうしたんだ、急に」

 

 「いや、あの……、最近さ、この夜が終われば、俺もちょっとは変われるかなぁって……。そう思うと、じっと我慢も苦じゃないんだって……」

 

 男は目を伏せて、何かに思いを馳せるように訥々と語った。

 

 「なら良い傾向だな」

 

 燻り停滞しているものへ投じた一石が波紋を広げ、事態を動かすことだってある。それが吉と出るか凶と出るかは分からない、もしかしたら悪い方へ向かうことになるかもしれないが、それでも、自分の意志での業であるのなら、悪い事ではない。

 

 「……本当に、あんたのおかげだよ、ありがとう」

 

 この男は卑屈だが、物事を打開するために行動を起こせる勇気ある男だと、俺は思った。

 

 「力になれて何よりだよ」

 

 俺がそう言うと、男は面映ゆそうに笑った。相変わらず笑い方は気持ち悪いが。

 

 「な、なあ、狩人さん……」

 

 ひとしきり笑って、おずおずと男は、上目がちに――そもそも盲目なのだろうが――こちらへ視線を寄越して切り出した。

 

 「ん?」

 

 「獣狩りの夜が終わったら、その、あんたと友達になれるかな?……」

 

 「俺と、友達にか?……」

 

 「いや、そんな資格は無いのは分かってるんだけど、だけど……、だけど……、その、もしお願い出来ればって……、ヒヒッ……」

 

 気まずさを誤魔化すように男は小さく笑った。

 

 「不敬なんだって、それはそうなんだけど、でも……、そんなことをちょっとでも考えておいておくれよ……、フフッ、フフフッ……」

 

 尻すぼみに捲し立てて、男は恥ずかし気に、自分の衣に隠れるように身を縮こまらせたのであった。

 

 「ああ、そうだな」

 

 こう言い残して俺はその場を後にした。

 

 そしてその後、あの男と交誼を結んだらということを、考えてみた。

 

 俺にも、これまでで数々の友人が居た。中には少々変わった奴だって居た。もう会うことはないかも分からんが。

 

 この街に来て、新たに人生を始めるに当たって、その最初の友達があの薄気味悪い男というのは一風変わった趣向だ。けど、ああいった色物の友達を持つのも、存外悪くはない。

 

 俺はマスクの下で小さく笑った。

 

 そのために、まずはこの忌々しい夜を越えなければ。

 

【1】

 

 「どうだ」

 

 腕を組みながら獣の狩人は、ゴブリンスレイヤーに尋ねた。

 

 「どうとは」

 

 「ゴブリンの仕業なのかどうかだ。村の女は、本当にゴブリンにかどわかされたと思うか」

 

 「俺の所見ではそうだ。この村に残された痕跡や状況からして、彼女らはゴブリンに連れ去られたとしか思えない。が、いくつか疑問な点がある。この村をマークしたゴブリンは、何故こうも頻繁に女を攫いに来たのか。村の男衆の不可解な失踪や、彼らの家や村に残された血や毛……。ゴブリンでない可能性も浮かぶが、だが手掛かりを再確認すれば、やはりゴブリンの疑いが強まる。――お前はどうなんだ」

 

 ひと通り陳述したのち、ゴブリンスレイヤーは問い返した。

 

 「俺も同じような考えだ。あれらの手掛かりからゴブリンどもの仕業だろうという推測に、取り立てて異論は無い。しかして、姿を消した男たちのことや、血痕や毛が残されていることに関してはゴブリンは直接には関係していない」

 

 と獣の狩人は肯定した。

 

 滅多に他冒険者と――否ほとんど無いと言ってもよい――組むことのない二人が、今こうして事の調査をしているのは、件のゴブリンの依頼――獣が噛んでいると見られる依頼を共に受けたからである。

 

 この二人は、ある意味では仲が良いとは言える。会えば挨拶をする。狩人がゴブリンの依頼を受けた時には、ゴブリンについて二人で語らい合うことだってある。(ギルドの隅のほうで陰気な男二人が語らい合っているのは異様な絵面である)

 

 しかし二人は組んで依頼を受けたことは全く無い。偶さか獣の狩人はゴブリンの依頼を受けることもあるが、それにゴブリンスレイヤーが同行することもない。さもあれば、危険度が高まった依頼を受けるゴブリンスレイヤーに獣の狩人が助力することもない。二人は互いの仕事に不干渉なのである。

 

 一方で、両者とも相手の仕事には全くの無関心とは限らない。互いの仕事に干渉しないのは、端的に言えば、両者とも相手を尊重し、その未見の手腕を信頼している証左と言える。

 

 「あれらの血や毛に何か心当たりがあるのか」

 

 と、遠慮無しにゴブリンスレイヤーは、獣狩りの狩人からの意見を請うた。

 

 「十中八九、俺の知る『獣』だろう。争った形跡が見られないことから、そこらの野獣によるものではない。それに農具や松明も一緒に無くなっていたのだから、彼らはそれらを持って自分から村を出たとするのが妥当だ。失踪した夜の月のこと考慮すれば、少なくとも村人が人狼に変異して身を隠したというわけでもあるまい」

 

 「なるほど。そう言えば、彼らの失踪が増えたのは、女たちが連れ去られた後だったな。ならば、女たちが連れ去られた事と、男たちが消えた事は、それぞれ違う要因というわけか」

 

 「それなりに纏まったな。なら、その線で調査してみよう」

 

 と狩人が結んで二人は議論を一旦切り上げ、それから出発に向けて装備を整える。

 

 ゴブリンスレイヤーはまず、腰に差した短い段平と小さな丸盾、投擲ナイフなどの武装の調子を見た。それから雑嚢やポーチの中の水薬(ポーション)解毒剤(アンチドーテ)といった必需品、並びに厄介なゴブリンの群れと相対した時の切り札、それらがしっかり揃っているかを確認した。

 

 片や獣の狩人は、夢の使者たちから必要な物を受け取り、不必要でかさばる物は使者へ預け、所持品を整理した。当然、武器も変更した。

 

 それはかつて獣の狩人がヤーナムでの長い一晩のさなかで迷い込んだ、古狩人たちの思念が彷徨う悪夢にて拾った旧式の仕掛け武器、その名も獣狩りの曲刀である。彼がよく使うノコギリ鉈によく似た形状の武器だが、こちらは刀身が鎌のように湾曲しており、ノコギリ鉈にあるようなギザギザした刃は無い。

 

 で、いよいよ出発するというところの二人に、

 

 「すみません、冒険者さん……」

 

 一人の女が声を掛けてきた。

 

 ひどくやつれた女であった。黒い髪の毛には白髪がいくらか混じり、蜘蛛の巣でも絡まったかのよう。顔からは生気が薄れ、よく眠れていないようでもあり、目の下には隈が染み、肌はくたびれてしまっている。

 

 「私の……私の家族を……、娘を……、夫を……、どうかお助けください……」

 

 と、急に女は、狩人の脚に倒れ込むように縋り付いて、そんな懇願をしてきた。それに対して彼はさほど反応を示さず、そのまま何もせずに女を静かに見下ろし続けた。やがて彼女は、他の村人によって狩人から引き剥がされた。彼女は弱い抵抗をしてから、掴んでいた狩人の衣服から手を落として、その場に膝を突いたまま項垂れ、さめざめと泣き出した。

 

 「お願いします……、どうか……」

 

 女は誰にともなく、神頼みするみたいに言った。

 

 狩人が顔を上げて周囲を見回してみれば、この光景を遠巻きに見る村人たちが目に入る。今狩人に縋り付いていた彼女に対して憐憫の眼を向ける者も居れば、まるで自分自身を見るかのように眺める者、目を背け努めて見るを拒む者。様々であった。

 

 この村に来てからというもの、こんなことは珍しくもなかった。入った時から村内には暗い空気が漂っており、二人が依頼を受けて来た冒険者だと知ると、たちまち何人かの村人が二人に駆け寄って、今しがたの女と同じように、娘を助けてほしい、妻を助けてほしい、父を、兄を、祖父を、といった具合に頼み込んできたのだ。

 

 ちらちらと村人らから注がれる視線に背を向け、二人は歩き出した。

 

 それから随分と長い間、それこそ村が見えなくなっても、二人は一言も言葉を発さなかった。あたかも、自分たちがあの村から監視を受けているみたいに。

 

 どれくらい時間が経ち、歩いたか。

 

 「ところでだが、ゴブリンどもが他の一群と対立して、争いを起こすのはあるのか」

 

 ゆっくりと獣の狩人が口を切った。未だあの村で味わった緊張が抜けないからか、喋り方は単調で、ぎこちない。

 

 「それが実現したということは聞いたことがないな、無論俺自身も見たことはない。だが、それが起こりそうだった事例ならいくらかある。例えば、ゴブリンの集団と集団の仲がすこぶる悪く、それに因って競争意識が増長し、被害が多くなったということがある。以前にも話したことがあるだろうが、ゴブリンは協調性も仲間意識も持ってはいない、従ってゴブリン同士が対立することはあり得る」

 

 「ゴブリン以外を相手に、というのはあるか」

 

 「それだと著しく可能性が下がるだろう。奴らは攻撃的だが、反面、臆病で卑屈だ」

 

 「攻撃性は高いのに臆病で卑屈とはな。なるほど」

 

 「人間相手であれば上手く出し抜けば、後は取り押さえて袋叩きにすればいい。しかし人間以上の膂力を持つ相手だとそうは行かない。そういった要因もあって、人間以外の敵と抗争を起こすことは難しい、まず避けるからな。それだけに、今回の彼奴等の挙動は妙だ。例えばあれを――」

 

 そう言ってゴブリンスレイヤーは、前方に見えた、何かの死体を指差した。人型の死体に見えるが、人間でないことは分かる。まず肌が緑色だ。大きさは子供程度で、栄養失調になっているみたいにガリガリで腹が膨れている。

 

 「ゴブリンの死骸だ。大分損壊が激しい」

 

 「これは冒険者の仕業じゃないな、素人のやり方だ、それも理性ある人間とはかけ離れている」

 

 言いながら狩人は、合点が行ったように二、三度程小さく頷いた。

 

 死骸は甚だしく損壊されていた。鍬などの農具か何かで、数人がかりで何度も何度も、そのゴブリンが絶命した後にも甚振ったと見える。そのお陰で、先ほど発見した時では、いくら日が傾いていたにしても、まだ辺りは十分に明るかったのに、狩人には一瞬何の死体か分からなかった。

 

 ゴブリンスレイヤーは、ゴブリンの死骸から、ある物を摘まみ上げた。それはひと摘まみの毛だった。

 

 「動物の毛だな。それに、このゴブリンの体表には、こいつのではない体液、おそらく唾液が付いている。獣に襲われたように見えるが、不思議にもこいつの身体には唯の一つも歯型や爪痕も見られない。毛や唾液が付着しているにも拘らず、だ」

 

 ゴブリンの死骸を調べ終えて再び移動を開始した後にも、二人は何匹かのゴブリンの死骸を発見したが、いずれも同様の状態であった。

 

 それから二人は、そのゴブリンの死体や血痕を辿るように移動していった。そうしていき、やがて辿り着いたのが、ゴブリンが住むには打ってつけの洞窟であった。

 

 すぐには攻めない、しばらくは待機である、少なくとも夕方までは。ゴブリンは夜行性だからである。そんな彼奴らにとって、夕方とは人間で言うところの明け方に当たるのである。まさに、判断力が極端に下がる時を狙っているということだ。

 

 で、そのうち日が傾き、空が橙と青のグラデーションに塗られ出したところで、洞窟から程近い所に腰を下ろしていた二人は、武器を手にのっそりと立ち上がった。

 

 洞窟の入り口に近づいてゆき、入り口の左右に立つ。しばらくそうしていると、洞窟の奥から、これから見張りとして立つゴブリンたちの気だるげな鳴き声が響いてくる。奴らは二人に気付きもしない。その馬鹿な見張りのゴブリンたちは、洞窟から出た瞬間に、二人によって頭を割られ、外に引きずり出されたのであった。

 

 「一つ」

 

 「二つ」

 

 口々に呟き、二人は狩る者としての足取りで洞窟に入っていった。




 エーブリエタースちゃんprpr


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

小鬼狩りの夕、獣狩りの夜:後編

 最近、夢の使者たちが、はたらく細胞の血小板みたいな幼女たちに見えます。


【0】

 俺がガスコイン神父へトドメを刺すと、彼は苦しみだしたのち、獣へと変貌したその巨体が地面に倒れ伏した。そして驚いたことにその身体は、溶けるように縮んでゆき、毛も抜け、骨格も人間に近づいていった。

 

 最終的にいくらか毛や獣の骨格、あと俺が負わせた傷を残し、ガスコインは元の人間の姿へ戻って呻いていた。

 

 慌てて俺は彼のそばへ行き屈み込んで、

 

 「おい、お前、大丈夫か」

 

 と声を掛けた。

 

 「ああ……、申し訳ない、とんだ迷惑を掛けてしまったようだ。だが、獣どもが……、あの獣どもが家内に群がり貪り喰っているところを見たら、もう私の中の理性が激情によって流されてしまったんだ。いや、思えばここ最近、獣へ向けて振るう斧がやけに軽く、奴らの肉を切り裂く感覚が……、ああ駄目だ、まだ私の中の獣は治まっていないようだ。君、本当に済まない……」

 

 「いや、いいんだ。お前の娘さんにも頼まれたことだ」

 

 実際には連れ戻してほしいとのことだったが、おかしくなっていたら元に戻してほしいとも言われていたので、間違ってはいないだろう。

 

 「やはり、あのオルゴールの()は、君が出していたのか」

 

 俺は黙って小さなオルゴールを出した。

 

 「ははは、そうか……。良かったよ、獣になってもその曲を忘れなかったことは僥倖だった……。君、頼む、そのオルゴールを鳴らしてくれまいか」

 

 ゼンマイを巻き、曲を流して、それを彼のそばに置く。

 

 「そう、そうだ、この曲だ。懐かしい……。この曲が私と彼女を引き合わせてくれたんだ。ああ、ヴィオラ、すまない、君を守れなかった……」

 

 ガスコインは目元を隠していた包帯に血の涙を滲ませて、すぐに手でそこを覆って嗚咽を漏らした。

 

 「君はなかなか腕のある狩人のようだ。それに優しい人間だ。そんな君を見込んで、不躾だとは分かっているが、頼みがある。どうか私の娘を……、君にそのオルゴールを渡した女の子を、守ってやってくれ!……」

 

 俺の腕を掴み、苦しそうに懇願する彼を前に、俺は黙って頷いた。

 

 「重ね重ねすまない……、そしてありがとう……。お礼は出来ないが、よろしく頼むよ。……すまない、ヴィオラ」

 

 その言葉を最後にガスコインは事切れた。

 

 彼が持っていた鍵を拾ってそこから離れた。後ずさりながら離れると、突然彼の肉体が激しくわななき出し、その果てに激しく四散し、血の雨を降らせ、後には霞と、虚しく鳴り響く小さなオルゴールが取り残された

 

【1】

 洞窟への侵攻を開始。

 

 先を歩くのはゴブリンスレイヤーである。彼の後ろで狩人は、左手に持った獣狩りの散弾銃をいつでも撃てるようにしながら続いている。この狭い洞窟内ではこの散弾銃は有効であるはずだ。

 

 それと右手の獣狩りの曲刀は、折り畳んだ状態でなら狭い洞窟でも十分振るえる。また、その刃にはノコギリ鉈のようなノコギリ歯は無いものの、しかし歯が敵の肉に食い込んで動きが遅れるリスクも無い。獣やゴブリンに立て続けに相対することを想定しての武装と言えよう。

 

 「三つ」

 

 松明の光が届かない先に潜んでいたゴブリンを、ゴブリンスレイヤーは敏感に察知し、即座に突撃して見事に相手の喉を刺し貫いた。

 

 その後更に進んでいくと、

 

 「トーテムを発見」

 

 立てた棒の先に動物などの骨を括りつけ、模様のある布や装飾品で飾られたこれは、ゴブリン・シャーマンが居ることの証。奴らは多数のゴブリンを従え、知能は幾分高く、罠を張ることもある。

 

 ここに来るまでにも、いくつか罠はあった。ところがそれらの罠は皆、人間を掛けるにしてはあまりにも大げさで、しかも既に作動して意味を為さなくなっていた。

 

 「四、五、六、七」

 

 時折居るゴブリンを次々と始末しながら進んでいく。そうして奥に進んでいくほどに、濃くなっていく血の臭い、及び生臭い臭い。加えて洞窟の肌に散見される血。地面を歩く血の跡。

 

 前方より、いきり立ったゴブリンたちの声。反応して、ゴブリンスレイヤーは横にずれ、狩人は散弾銃を発射した。

 

 「四匹追加、これで十一」

 

 散弾を受け地面に頽れて、即座に死ねなかった痛みに呻くゴブリンたちにトドメを刺しながら、狩人が告げる。

 

 ここに来るまでのゴブリンは、どれもこれもあまり調子が良くないように見受けられた。見るからに疲れた様子で奥から歩いてきて、二人を見つけると絶望したような声を上げる。攻撃的な姿勢はするも、しかしそれはどちらかというと威嚇に近いもので、消極的にも映る。

 

 やがて二人の耳に、ゴブリンたちが呻く声が届いてくる。どうやら最奥が近いらしい。これに伴って臭いはよりきつく、壁面に付着した血はより濃くなる。

 

 同時に死体も見つけた。ゴブリンの死体と、何やら毛むくじゃらの死体である。

 

 ゴブリンのほうは、洞窟に至る前に見つけたゴブリンの死骸と――いくらか損傷は薄いが――似た状態のものであった。そしてもう片方は、人型の死体であった。どちらも、洞窟内の道の隅に寄せられていた。片付けるのが億劫であるみたいに。

 

 「……『獣』だ」

 

 屈みこんで、その毛むくじゃらの人型の死体を調べて、獣の狩人は断定した。

 

 服を着ている。身体じゅうゴワゴワした毛に覆われていて、骨格は猿のようでも犬のようでもある。顔には包帯やボロ切れを巻いている。口には牙が確認された。それと瞳は蕩け、形を保っていない。

 

 「……俺が居た所ヤーナムでは、人がこのように獣へと変貌する風土病があった。激しい情動によって、人の内にある『獣性』が喚起され、これがとある力によって表出してしまう病……。あの街ではその病のことを――『獣の病』と呼んでいた」

 

 という狩人の説明に対し、

 

 「そうか」

 

 とだけゴブリンスレイヤーは応え、死体を照らしていた松明を前方に向け、歩き出した。その素気ない態度に狩人は、これといって気分を悪くした様子もなく、黙って立ち上がり追従した。

 

 洞窟の最奥のやや広い空間をゴブリンスレイヤーは覗く。その際、彼は特段姿を隠すようなことはせず、堂々とその空間に向かって松明の灯りをかざした。

 

 「よく見えないな」

 

 彼の横を抜けて狩人は一歩前に出る。そうして、何かの液体を湛え口に布を詰めた瓶をおもむろに取り出し、ゴブリンスレイヤーの持つ松明の火を使い、瓶口からはみ出している布に火を点けるや、すぐさま前に放った。

 

 瓶は空間の中央辺りに落ちて割れた。直後、飛び散るその可燃性の液体に乗って激しい炎が起こり、情緒的に揺らめく熱い光が空間内を照らしたのである。

 

 中に居たゴブリンどもは泡を喰い、その隙に場は一気に制圧された。

 

 「十七」

 

 最後のゴブリンを仕留めたゴブリンスレイヤーの言葉を以って、この洞窟のゴブリンの掃討は完了とした。

 

 厳密に言えば、死んだふりを決め込む個体や隠れている個体が居るかどうかを確認し、そのあとでゴブリンの子供を見つけて始末することで、ようやく確保となる。

 

 「シャーマンは負傷して虫の息だったようだ」

 

 報告するように言いながら、ゴブリンスレイヤーは、奥のほうで負傷に苛まれ呻き声を上げていたゴブリン・シャーマンにトドメを刺した。そのまま、幼ゴブリンが居るであろう更に奥へ彼は踏み込んでいった。直後に響いてくる、幼くも耳障りな金切声を聞き流しながら狩人は、件の攫われた女たちの保護をする。

 

 隅のほうでぐったりと蹲っていた彼女らは初め、ゴブリンたちから受けた辱めに放心して反応が薄かった。けれど、

 

 「もう大丈夫だ。家に帰ろう」

 

 出来るだけ優しげに狩人が声を掛けてやると、内何人かは、はらはらと涙を流したり、泣きながら喜びの情を溢れさせた。

 

 水が入った革袋を彼女らにいくつか渡して、狩人は辺りに目を配った。

 

 負傷し死んでいたのはシャーマンのみではなかった。十匹前後のゴブリンと一匹のホブゴブリンと、それと『獣』に変態した人間の死骸が、ゴミみたいに隅のほうで無造作に積み上げられていた。

 

 「分かり切っていたことだったが、どうやらお前の言う『獣』とやらとゴブリンはいがみ合う関係のようだ。ややもすると、ゴブリンとは最悪に相性が悪いかも分からない」

 

 幼ゴブリンの“処理”を終えて出てきたゴブリンスレイヤーが、低く声を落としながら言った。

 

 「その通りだろうな。奴らはゴブリンと同じで、主に夜に活動する。同じ『獣』に対してはあまり攻撃しないが、基本的に無差別に攻撃してくる」

 

 「たしか、激しい情動が要因になるとも言っていたな」

 

 「そうだな」

 

 相槌を打ちながら狩人は、服をゴブリンに剥かれて裸であった女たちに、使者から受け取った毛布を渡してくるませた。

 

 「それはまさしく厄介だな。ゴブリンによって激情し『獣』とやらに変化されては、事態は更にややこしくなる」

 

 「それは前線で仲間の死を目の当たりにした冒険者も同じだな。戦力も人民も失うばかりか、敵にもなる。前門の虎、後門の狼と言ったところか」

 

 ところで――と狩人は切り出す。そう言うことで言外に話しを変えるよう促している。

 

 「もうやることや確認することがないのならもう洞窟を出るが、それにあたって俺が先導をし、お前には殿を頼みたい」

 

 「解った」

 

 了解してゴブリンスレイヤーは、狩人に松明を寄越した。

 

 「お前はいいのか」

 

 「注意深く音を聞いて入れば接近は分かる。縦しんば生き残りのゴブリンが居たとしても、灯りを持っていないほうが却って奴らは油断する」

 

 「そうか」

 

 あっさりと狩人は、ゴブリンスレイヤーの考えに納得した。

 

 狩人はもう一度彼女らを見た。少なくとも洞窟を出るだけの気力と体力はありそうである。

 

 身体の状態や様子から、彼女らはいずれもゴブリン繁殖のための孕み袋として連れてこられたことが窺える。先ほどゴブリンスレイヤーが“処理”した幼ゴブリンを産まされた者も、中には居るはずだ。暴行の痕もあるが、孕み袋として機能出来る程度には容赦されていたようである。

 

 ただ、孕み袋は三、四人で事足りるはずなのに、この女たちは十人くらいは居る。ゴブリンどもはどうしてこんなにも女を必要としたのか。

 

 考えるまでもないとして、小首を振って狩人は洞窟からの撤収を始める。

 

 洞窟から出るまでの間には、問題は起きなかった。彼女らの歩みに合わせた分だけ移動は遅くなったが、気にすることではない。

 

 外に出ると、まだ完全に暗くはなっていなかった。西に見える山の裏からは、まだ辛うじて太陽の光が見える。それでも、少し離れた所にある物を見るとなると、夜の影によってその際部を認識出来ないくらいには暗いが。

 

 狩人は女たちが気掛かりだった。何日間も凌辱と暴行を受けて身も心も衰弱した彼女らだ。歩くことは出来るのは不幸中の幸いだったけれども、それでもやはり動かす足は重たげで、普通の感覚なら長い道を歩かせるのは憚られる。

 

 「急ごう」

 

 しかし彼としては出来るだけ早くここから離れたかった。暗い中で衰弱した女性を何人も抱えた状態で留まる危険のこともあるが、何よりも『獣』のことを危惧してのことだ。

 

 彼の予想が正しければ、おそらく彼奴等は今夜にでもこの洞窟に襲撃を掛ける。それでは困る。彼女らと、今夜この洞窟に来る『獣』を逢わせるはまずいのだ。

 

 狩人はゴブリンスレイヤーに、

 

 「これを持っておけ」

 

 と、持っていた獣狩りの曲刀を差し出した。

 

 「お前の武器はどうする」

 

 受け取りながらゴブリンスレイヤーは尋ねた。

 

 「問題ない、予備がある」

 

 と言って狩人は、随行する使者から一本の戦斧を受け取った。

 

 いたく重量感のある斧である。穂先に鋭い鋲が付いており、薄汚れた布を巻いたその柄は太い。狩人は片手で軽々と持っているが、それは片手で扱うには重そうであった。

 

 おもむろに狩人は両手を柄に添え、そして一気に引っ張る。それによりたちまち斧は槍程の長さの斧槍(ハルバード)へと変貌した。伸びたそれは間合いを広げるにとどまらず、柄が長くなったことによって威力は増大し、また穂先にある鋭い鋲により槍としても扱える。

 

 これぞ工房の仕掛け武器の一つ、獣狩りの斧である。

 

 「行くぞ」

 

 獣狩りの斧を縮め元に戻した狩人は、一声掛けて歩き出した。

 

 これから村へ戻る道すがら、狩人は注意深く周囲に目を配った。もし、松明を持った者、持っていなくとも人影の群れが練り歩いているのが見えたら、可能な限りそれらを避けるためである。

 

 「あ、あの……」

 

 と、不意に狩人の後ろから、少女が声を掛けてきた。

 

 「あの、あ、ありがとう……ございます……、冒険者さん……」

 

 狩人が振り向くと、出し抜けに彼女は述べた。

 

 「どういたしまして」

 

 そう一言だけ、けれども柔らかく返答した。

 

 彼女は、女たちの中で一番気丈なようであった。狩人が彼女らに救助の旨を伝えた時、最初に喜びの情を見せたのは彼女であった。

 

 「あの炎って、魔法ですか? 凄い、ですよね、魔法って」

 

 狩人の横に並ぶと彼女は、ひり出したような微笑を浮かべながら、つっかえつつもそんな取り留めのない話をし出す。能天気だからではなく、とにかく明るく振る舞うことで、絶望を糊塗しようとしているのであろう。

 

 「いや、魔法じゃない。あれは燃える液体が入った瓶の口に布を詰め、それに着火して投げた、それだけだ」

 

 狩人はその話に付き合うことにした。

 

 「へ、へえ、そんなのが、あるんですね……。冒険者って、凄いなぁ……。その炎の瓶ってやつを投げた後だって、こう、シュババババって……、その、カッコイイ……でした」

 

 えへへ、と、丸めた手で自分の顔を撫でながら少女は照れ臭そうな笑いをしてみせた。俯かないで、敢えて見せようとするように、顔を狩人のほうへ向けながら。

 

 

 「私、冒険者になろっかなって、思ったりして。それで、私に、冒険者のことをご教授してもらえたらなぁ……なんて」

 

 商人みたいに手を擦り合わせる仕草をしながら彼女は言った。

 

 「……そろそろ着くぞ」

 

 狩人は、彼女がいかな思いでそんなことを言い出したのかを大体悟って、何も言えず話を逸らした。

 

 そろそろ村に着くというのは本当であった。遠くのほうで明かりが見える。松明か何かを焚いて灯りを作っている、つまりそこに村があるということだ。

 

 しかし何かがおかしかった。妙な胸騒ぎがする。

 

 「今、何か声が聞こえなかったか」

 

 ある程度近づいたところでゴブリンスレイヤーが言った。勿論狩人の耳にも、やはり人の声と思しきものが聞こえた。

 

 だが、村から結構離れているはずなのに、人の声が聞こえてくるのはおかしい。

 

 「行ってみよう。君たちはここで待っていろ」

 

 ゴブリンスレイヤーに声を掛け、女たちにその場に留まるように言い含めて狩人は走り出した。

 

 走り、村に近づくに連れ、聞こえてきた声は気のせいではなかったと確信した。その声はやがて大きくなってきて、村に入る頃には喧騒として聞こえてきた。

 

 村の人々は皆家の外に出て、何かに怯え、武器を向けている。

 

 それは――

 

 「獣だ」

 

 人型で、服を着ているそれは一見して見分けがつかないが、毛深く、体格や骨格は明らかに常人からかけ離れている。

 

 出ていけ、出ていけ、と村人は口々に獣へ向かって叫ぶ。手に持った松明を振り、空を切る音を立てて武器を振る様を見せて威嚇している。

 

 獣どもはそれらに対し、吼えるように何か毒づいている。その様子は困惑しているようにも、或いは落胆しているか、悲嘆しているようにも見える。

 

 「ああっ、そんな!……」

 

 後ろから女たちの声が聞こえてきた。自分たちの住む村から漂うただならぬ雰囲気を察し、狩人の指示を無視して駆けつけてきたのだ。

 

 呆然とする女たちの中、一人の少女、ここに着く前に狩人に話し掛けてきたあの少女が、

 

 「お父さん、お母さん!」

 

 と声を上げて飛び込んでいった。

 

 それを狩人が腕を掴んだが、彼が思った以上に少女は強い力を出していて、また怪我をさせないように配慮して弱めに掴んでいたために、すぐに振り解かれて逃げられてしまった。

 

 急ぎ追い掛けようとしたのだが、その最中に脇を通り掛かった獣に危うくスキで串刺しにされそうになって、そのまま阻まれてしまった。

 

 獣は狩人に向かって踏み込み、スキを突き出した。が、狩人は獣狩りの斧でこれを弾き、即相手の頭へ一撃叩き込むと、さっさと少女の後を追う。

 

 その道中狩人が何体もの獣を瞬時にして屠りながら捜していくと、ちょうどあの少女が一軒の家に入っていくところを見つけた。

 

 まっすぐその家を目指し駆けてゆき、突入する。そこでは件の少女が、部屋の隅っこに追い詰められた女の前で両手を広げながら、何かを睨みつけていた。

 

 彼女の視線を追うと、その先には一匹の『獣』が居た。そいつは突き飛ばされ転倒した状態から立ち直ったようで、少女のほうを見ると牙を剥きグルグルと唸った。

 

 咄嗟に狩人が銃を構えるも、彼女らに当たることを危惧して発砲出来なかった。散弾銃であることが仇となったのだ。

 

 しかしその一瞬の躊躇の間にも獣は容赦なく彼女へ飛び掛かる。そこへ狩人は咄嗟に飛び込み、獣に組み付いた。壁に激突し、獣と揉み合う。だが人間と獣の腕力の差は大きく、獣は狩人の手を振りほどくと、彼の首筋に牙を突き立てた。

 

 血飛沫が床に散乱した。狩人の肉を食い千切らんと獣が首を左右に動かし、その激痛に狩人がもがく度に血はどんどん溢れ飛び散っていく。その血生臭い光景に、少女と女から悲鳴が上がる。

 

 無我夢中で狩人は手を振り回した。その中で彼は、自分が取り落としていた獣狩りの斧を再度掴むことが出来た。それに血路を見出し、活力が一瞬だけ戻った。

 

 狩人は、肉が食い千切られないように獣の頭へ腕を回し押さえ付けると、もう片方の手に持った斧の槍部を相手の脇へ突き込んだ。獣が絶叫しようと顎の力が緩んだところで、もう一突き、更に一突き。

 

 体勢を逆転させ、馬乗りになって何度も何度も突き刺す。

 

 何度か刺したところで狩人は首筋の痛みを思い出し、獣の上からどき、地面に膝を突いて呻いた。血が抜け、痛みに朦朧する意識の中で、幸いにも本能的に輸血液を取り出し自分へ注入することが出来た。

 

 その後、手を突いて、荒い呼吸に肩を繰り返し、肩を上下させる。心臓はバクバクと跳ね続けている。それに伴って傷口から血が溢れ出るが、輸血液の効果で徐々に傷は塞がってゆき、出血は沈静していく。

 

 そこへ、

 

 「平気か」

 

 いつの間にか現れたゴブリンスレイヤーが声を掛けた。

 

 「他の獣は……」

 

 「全て片付けた」

 

 彼の鎧じゅう、及び手にしている獣狩りの曲刀には、べっとりと赤黒い血が付いていた。

 

 差し出された手を握り狩人は立ち上がった。そしてふと床を見ると、獣と組み合った際にでもこぼれたのか、自分の荷物の一部が床にばらけていた。

 

 「ごめんなさい、冒険者さん。あの、私……」

 

 と謝罪をする件の少女に向かって、狩人は手のひらを突き出し、制止した。

 

 「別にいい」

 

 流石に狩人も、獣と激しく争った興奮から、彼女を慮ったような優しい言葉は出せなかった。彼女もそれで、ますます罪悪感を募らせて俯いた。

 

 しかし、悪いことはそれだけではなかった。

 

 「あなた?……」

 

 少女が守ろうとしてた女性が、たった今狩人が仕留めた獣の前で跪き、呆然とそれ見下ろしていた。

 

 よく見たら、狩人とゴブリンスレイヤーがゴブリン討伐に出発する前に、娘と夫を助けてほしいと言ってきたあの女であった。

 

 「母さん?……」

 

 怪訝な面持ちで少女は、母と呼んだ女性へおずおずと声を掛けた。

 

 「ああ、ああっ、そんなッ、そんなッ!……。ごめんなさいっ、ごめんなさい、あなたっ!……」

 

 突如として取り乱し獣に向かって謝り出す母親を見て、須臾にして少女は状況を悟り出した。

 

 「え……、お、お父さん?……。待って、そんな……。まさか、そんなことって!……」

 

 それを境に、外のほうから、またもや人々の叫び声が聞こえてくる。悲しみの叫び声だ。そして聞こえてくる声は、どれもこれも人の名前と、その人らへの謝罪や釈明の言葉であった。

 

 ――貴公は獣など狩っていない。あれは……やはり人だよ。貴公もいつか思い知る……。

 

 獣狩りの狩人の脳裏に、かつてヤーナムの旧市街で出会った男の言葉が過った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

一本の解毒薬

 この物語で主人公の着ている狩人シリーズ、下水道で拾ったやつ(マント付)にしようかか、それとも聖堂街で拾ったやつ(マント無し)にしようか迷っています。だってどっちもカッコイイんだもん。


【0】

 

 「ああ、勇敢なる狩人様、ご無事で何よりです」

 

 勇敢なる狩人様とは……。彼女に話し掛ける度にこれなものだから、正直なところ面映ゆい。

 

 彼女はアデーラ。ヤーナムで『血の医療』なるものを実施している組織『医療教会』の尼僧であり、そこの『血の聖女』である。

 

 最初に彼女と会ったのは、隠し街ヤハグルでだった。大分狩りに慣れてきた折、俺は頭陀袋を担いだ大男にいきなり襲われ、その街へ拉致された。その際に出会ったのが彼女であった。最初は彼女も錯乱していて、ひたすら怯えるだけでこっちの話を聞いてもらえなかったが、医療協会の名を口にしていたので、試みに、たまたま持っていた教会の服を着て話し掛けてみたところ、それで安心してもらえた。

 

 彼女も同じく、聖堂街で例の大男に襲われてヤハグルに連れてこられ、他の者も一緒に居たのだが皆別の所へ連れていかれ孤立していたらしい。そこへ来たのが俺であったらしい。で、仲間とも引き離され、よすがを失ってしまい困っていたとのことで、俺がオドン教会を教え、今に至る。

 

 「街は酷い有様ですが、ここにはまだ人が居ます。私はここで、彼らと共に医療教会の救助を待ちます」

 

 アデーラは教会内に顔を向けながら言った。

 

 「それがいい。ここは安全だ、少なくとも他の場所よりは」

 

 医療協会の助けは、おそらく期待出来ないだろう。何せ狩長はもう死んだ。俺が狩ったからだ。ヤーナム市街の、聖堂街へ続くあの橋で巨大な獣と成り果てていたのを。

 

 「本当に、感謝の言葉もございません。私に出来ることとと言えば、せいぜい、やはり、血の施し……くらいのものでしょうか」

 

 言いづらそうにアデーラは言葉尻を濁した。

 

 血の施しとは、ヤーナムの血の医療から来るものだろう。文字通り、アデーラのように血の医療によって血液を調整された血の聖女が、血を提供するというものである。

 

 勿論、血の聖女と呼ばれているだけあって、彼女らの血には特別な効果がある。アデーラの場合、通常の輸血液にある治癒効果の他に、少しの間だけ自然治癒能力が現れるというものがある。こちらを執拗に攻撃してくる手合いの猛攻を掻い潜りながら回復したい時に有効だ。

 

 「あなたが、更なる俗体を望むのであれば、ですが……」

 

 と彼女は俯きがちに、上目で俺を窺う。

 

 「ああ、受けることにするよ」

 

 彼女に気を遣ってのことではない。確かに彼女は、俗体など狩人様にふさわしくない、などと卑屈なことを言うが、彼女の血は役立つ。こっちとしては活用出来るものは積極的に活用していきたいものなのだ。

 

 彼女は俺が了承すると、嬉しそうに莞爾として微笑し、

 

 「解りました。では、こちらへ……、血の施しを……」

 

 そうして彼女から血を受けた。

 

 その別れ際、彼女が、

 

 「ご武運を、狩人様……、またご無事でお戻りください。お待ちしております、ウフフフッ……」

 

 彼女は俺の胸に手と自らの額を当て、そう言って笑った。

 

 ――その後。

 

 「随分とお熱いことじゃあないか……、嘘吐きの、余所者の、狩人様よ……」

 

 ある男の前を通り過ぎる時に、その男が嫌味を言ってきた。

 

 彼もまた、このオドン教会に俺が避難させた人間の一人だ。聖堂街に住んでいて、俺のことをやたらと嘘吐き呼ばわりしてくる、かなり猜疑心の強い人間である。

 

 あまりにも天邪鬼なものだから、避難場所とやらを教えてみろと言われた際、俺はオドン教会とヨセフカの診療所の二つの避難場所を列挙してから、敢えてヨセフカの診療所のほうを勧めてみたら、予想通り俺が言ったほうとは逆であるオドン教会のほうに向かったのであった。

 

 「男ってのはそんなもんだろうよ、馬鹿なもんだ。そんで女ってのも、そんな男どもをよく知っていやがる。あの聖女様だって同じようなもんだ。強そうな男に媚びとけば、そいつが自分を守ってくれるって知っている。俺には分かるぞ、何たって俺には特別な知恵があるからな」

 

 男はせせら笑った。

 

 否定出来ないことだから、何も反論しなかった。

 

 「それともう一つ、良いことを教えてやろう。聖女様に構うのなら、あの娼婦には注意することだな。あの売女め、聖女様を妬み嫉んでいやがるんだ。自分が、疎まれる卑しい存在だってことを分かっているんだ」

 

 向こうのほうで椅子に座っているアリアンナという娼婦の女を、男は顎でしゃくり示した。俺はその通りに彼女へ目を向ける。

 

 「ああして何でもない風を装っているんだろうが、きっとさっきからお前と聖女様の会話に聞き耳を立てているんだ。女の嫉妬ってのは怖いからな。恐ろしいもんだね。自分が出ていけばいいのに、股開きめ……」

 

 この男のように、何もかもを手放しに疑って掛かるのは、必ずしも合理的であるとは言えない。だが、今こいつが言ったことを切って捨てるのも危険だ。

 

 もう少し、彼女について気にする必要がありそうだ。

 

【1】

 

 午前、獣の狩人はギルドの席に座っていつも通り小さなオルゴールを動かし、ラガービールを飲みながら、テーブルに置いた二本の小瓶を眺めている。

 

 治癒の水薬(ポーション)解毒薬(アンチドーテ)が一本ずつ。二本とも、消費期限は今日までである。一応、切れた後でも飲めはするが、しかし物によっては効果が減退ないしは消失する場合があるので、いざという時にそんなことになっては意味が無い。

 

 だから、これらの飲み薬を今すぐ飲むなり処分するなりして消費し、新しいのに買い替える必要がある。

 

 基本的には彼はいつも、飲んで処理している。水薬は滋養強壮に良く、解毒薬は体内の老廃物・毒素除去の効果があるので、贅沢な健康ドリンクの感覚で飲める。

 

 とは言え今は飲まない。ビールを飲んでいるからだ。解毒薬を飲んでしまっては、アルコールが体内を巡っている気分が消えてしまう。朝から酒なんか飲んでいるのもどうかと思われるが。

 

 ふと彼は視線を感じて顔を上げる。見ると、新米と思しき三人の、いや四人の年若い――大体十代半ばくらい――男女が、狩人を……というよりテーブルに置いてあるオルゴールを物珍しげに見ている。

 

 オルゴールに意識が向いていたために、彼らは狩人に視線を返されたことに一瞬気付かなかった。彼らは遅れて気付いて、慌てて顔を逸らした。それから、何事もない体で、互いに会話をし出したのであった。

 

 どうやら、青年一人(剣士)と女二人(魔術師と武闘家)の駆け出しの一党が、同様に冒険者登録を行ったばかりの女(神官)に誘いを掛けたようである。

 

 ゴブリンの依頼を受けるそうだ。何でも、以前からたびたびゴブリンによって畑を荒らされたり家畜を奪われたりしていた村が、いよいよ腹に据えかねて討伐に向かったところ見事に出し抜かれ、残った物も奪われ、おまけに妙齢の女たちも攫われたのだと。

 

 息巻いて語るマジェスティックな青年剣士。頭に鉢巻をし、背中に長剣を背負っている。立ち振る舞いからして農村だとかの出身だろう。まだ身体の成長は未熟だが、農作業を手伝っていたからか、はたまた剣士に憧れて我流で剣を振っていたからか、存外に佇まいはしっかりとしている。ポテンシャルは十分にあると見える。

 

 しかし、駆け出し故か、持ち物が心許ない。ゴブリン退治に必須な解毒薬も治癒水薬も確保出来ていないと発言していて、その水薬が買えないのを、自身らが今勧誘している女神官で補おうとしている。

 

 はたと狩人は思い立ち、

 

 「なあ。なあ、そこの新米たち」

 

 と呼び掛けた。

 

 ビクリと彼らは身を強張らせた。

 

 構わず狩人は、テーブルの上の小瓶二本を片手で持ち上げて、

 

 「この水薬と解毒薬、期限が今日までで早く処分したいんだが、使うか」

 

 「えっ、いいんすか!」

 

 知らない人が唐突に物を渡そうとしてくることに疑問を持たずに浮かれる青年。そんな彼の後ろ頭を、武闘家の女がはたいた。

 

 「あんたねえ、知らない人から物貰っちゃいけないってお父さんとお母さんに言われたでしょ!」

 

 「けどよう、俺たち新米で金も無いんだぜ、貰えるもんは貰っといたほうが良いって。んで、あわよくば冒険のイロハを教えてもらったり……」

 

 遠慮のない青年である。そんな彼を見て、女魔術師が溜息を吐き、

 

 「授業料と称して、どっかに売り飛ばされたり、タダ働きさせられたらどうするの。大体、あの水薬にしたって、後でお金取られるかもしれないし、ひょっとしたら新人潰しの手合いかも分からないのに」

 

 このようにお利口な言葉で諭した。

 

 色々な意味で狩人は感心した。朝っぱらからビール飲んでる黒ずくめの男に対する警戒をするお利口さもさることながら、その人物の目の前でこんなにも歯に衣着せぬ意見を述べられるのはなかなかの太さである。親の顔が見てみたいものだ。

 

 「あ、あの、それじゃあお言葉に甘えて、それを頂きます」

 

 こわごわと女神官がテーブルに近寄ってきた。

 

 「ちょっと、話聞いてた? そんなの――」

 

 女魔術師が難渋するが、

 

 「はい、大丈夫です! いざとなったら、私が責任を持ちますから!」

 

 こう言って女神官は、それはそれは晴れやかで輝かしい笑顔を彼女らに向けた。

 

 その笑顔を見た女武闘家が、眩しげに目を細め、こすり出し、

 

 「あれ? 何で天使様がこんな所にご降臨なされているのかしら……」

 

 と呟いた。

 

 そんなこんなで、獣の狩人は件の駆け出し一党に期限切れ掛けの水薬と解毒薬を譲渡し、その門出を見送ったのであった。彼があの一党にしてやったことが、果たして彼らを生かすか殺すか、それは分からない。しかし狩人には関係ない。冒険は自己責任なのだ。

 

 「これは珍しいこともあったものねえ……」

 

 不意に後ろで、獣の狩人に聞こえるように誰かが言った。それは女性の声だった。彼が振り返ればそこには、このギルドの監督官の女性が、手を顎に当て感慨深そうな顔で佇んでいた。

 

 「まさか獣の狩人さんが、後輩の冒険者に餞だなんて」

 

 彼女との縁は、このギルドに於いてはゴブリンスレイヤーの次に深い。依頼受付の応対や、冒険に関する報告など、事務的なことが多いが、会話率は高い。

 

 「悪かったか?」

 

 「いいえ、むしろ良いことだと思いますよ。何か心境の変化でもあったのなら、尚更。もしかして、先日ゴブリンスレイヤーさんと一緒に依頼を受けたことが関係していたり?」

 

 やけに砕けた調子で彼女は訊く。いつもとはいくらか違った様子である。接する頻度が高いために彼に慣れたということもあるだろうが、今度の場合はおそらく彼に歩み寄ろうとしているからなのだろう。

 

 「それは分からない。ただ、あれはどちらかというと心境の変化によるものではない。依然として、冒険者は自己責任だとの考えに揺らぎはない。少なくともあれは処分という目的があった。あの行いが良いもので、かつ俺に損失が無いのなら、やっても構わないだろうと思ったんだ」

 

 「そういうものなのですか?」

 

 「そういうものだ。世の中には、自分の面倒すら見られないくせに、闇雲に人に情けを掛ける輩が居る。はっきり言って資本の無駄だ。自前の『瞳』で見えるだけのモノを浚ったところで世界は変わらない。それだったら、さっさと身を立てて、余裕を持って慈善活動をするほうがよほど良い。クリスマスキャロルのスクルージを見習え」

 

 これは彼がヤーナムを訪れる以前の生活で学んだことの一端である。

 

 監督官は興味深そうに目を丸くした。その時彼から何か人間的なものを感じ取ったからだ。

 

 いつも淡々と依頼、もとい狩りを遂行し、他のものにあまり興味を示すことのない彼から、この短い会話の中でその人生に触れたような気がしたのだ。

 

 と、彼女が沈思している間に、狩人はさっさと席を立って、ギルドを出ようとしていた。

 

 「あっ、獣狩りさん」

 

 気付いた彼女は慌てて彼を引き留めた。

 

 「まだ何かあるのか」

 

 彼は身体を半分彼女に向けるように振り返った。

 

 「いえ、大したことではないんですけれど。先日の依頼で出現していた『獣』について教えていただきたいのですが」

 

 「……俺が教えられる部分だけなら、後日纏めて提出しておく」

 

 そう告げて再び背を向けた。思わず監督官は引き止めようと口を開きかけたが、そうしたところで何を話すのかと歯止めが掛かり、口を噤んだ。

 

 知りたいことがあるはずなのに、具体的に何を聞くかは思い付かない。そのような不思議な感覚に、彼女は難しい顔をしながら腕を組んで首を傾げた。

 

 狩人はそれを知ることなく、ギルドを出て、そして狩人の夢に入った。

 

 ゲールマン無き後もここは変わらない。石段の上に立つ小さな建物。その背後に広がる青ざめた夜空に大きく浮かぶ亜麻色の月。そして石段の下にある植え込みに腰掛けている女形の動き話す人形。

 

 彼女は植え込みに腰掛けたまま、何やら歌を歌っている。狩人は歌詞をよく聞き取れなかったが、それはガスコインのオルゴールや、メルゴーの乳母が鳴り響かせていた曲のメロディであった。

 

 「何をしているんだ」

 

 狩人が声を掛けると、人形ははっとして、

 

 「ああ、申し訳ありません。狩人様、おかえりなさい」

 

 人形だから表情は変わらない。けれど、出迎える彼女は嬉しそうだった。

 

 「狩人様のお好きな曲に、歌詞が無いのも寂しいと思いまして、僭越ながら曲に合わせて詩を作っておりました。……お聴きになりますか」

 

 そのように謙遜したようなことを言っているが、しかし彼女は食い気味に狩人へ顔を寄せていて、如何にも聴いてほしそうな眼で彼を見ていた。

 

 「……じゃあ聴きたい」

 

 とりあえず聴いておく。

 

 ところが人形はいつまで経っても歌い出そうとしないばかりか、しばらくボーッと黙ったのち唐突に、あらあら、と首を傾げて、

 

 「即興で作っていたもので、歌詞を忘れてしまったようですね。すみません狩人様、どんな歌詞だったでしょうか……」

 

 「さてな。ところで血の遺志の変換を頼みたい」

 

 「承知しました。その後はどうされますか」

 

 「寝る」

 

 「解りました。では私がメルゴーの子守唄を歌いながら添い寝を……」

 

 「歌詞を忘れたんじゃなかったのか」

 

 「即興で歌えば、思い付くでしょう」

 

 と言って彼女は、例の子守唄のメロディに乗せて本当に、即興とは思えないほどに淀みなく歌ってみせた。朗々と詩を紡ぎ上げるその声は、母のように柔らかく、優しく、そしてこの上なく綺麗だった。

 

 月の淡い光の下で、この人形のような美しい女が歌うからなのか、それとも、彼女の歌唱が美しいからそう映えるのか。

 

 十分に歌い上げた彼女は、どうでしょうとばかりに――心なしか微笑が見える――小さく首を傾げて、

 

 「ほら、赤ちゃんの笑い声が聞こえますよ」

 

 人形はうっとりとした声音で、目を閉じ、耳に手をやって耳をそばだてて言う。彼女の言った通り、耳を澄ませてみれば、本当にどこからか赤子の鳴き声か聞こえてくる。どこからかは分からない。すぐそばで泣いているように思えるし、或いはどこか彼方から聞こえてくる気もする。そんなものである。その正体は不明。

 

 「ほら、ほら、聞こえますよね」

 

 人形は、身体と顔を狩人に、密着するほどにまで迫った。狩人はたじろいだ。

 

 何か嫌なモノが迫りくる予感がしたのだ。名状し難い、理解不能な、言い知れぬ不安を纏った、それでいて興味深く甘美な何かが。

 

 次いで狩人は、“あの夜”の終わりの間際で現れた、あの赤い月の魔物を思い出した。

 

 あの時と似ている。赤い月から舞い降りたあの魔物に、狩人は怖気を感じつつも、その一方で、暗くどこまでも続く深い穴を覗き込んだ時にも似た高揚感を感じ、それに囁かれ、惹き寄せられていった。

 

 そうしてあの魔物は、その細長い手で彼の身体を包み、抱きすくめた。

 

 はっと狩人は我に返って、人形を押し退けて後ずさった。

 

 人形は彼からの仕打ちに対して、気を悪くした様子など一抹も見せずに、ただ淡々と彼を見やるのみ。

 

 先ほどまでのことが嘘のように、何事も無さそうに。

 

 「やっぱりまだ寝ない……」

 

 それだけ告げて狩人は再び現実世界に戻っていった。

 

 「いってらっしゃい、狩人様……」

 

 淡々と人形は彼を見送った。

 

 次に目を開けたのは、ギルドの前でであった。

 

 狩人はギルドに入った。入ってすぐに、正面奥にある受付が目に入る。その前には、簡素で汚れて血生臭い鎧を纏った男が立っていた。

 

 「ゴブリンか?」

 

 挨拶代わりに狩人はその男に尋ねた。声を掛けられた男は背を向けたまま、

 

 「ゴブリンだ」

 

 と返答した。

 

 「そうか」

 

 狩人は納得したように頷き、それから近くのテーブルに座って、懐から取り出したオルゴールのゼンマイを巻きながら、

 

 「ラガーを一杯くれ」

 

 近くの女給にそう注文して、またオルゴールの音に耳を傾けるのであった。




 監督官さんがヒロインになるようです。まあビジネスライクな感じにする予定ですが。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

獣狩りの弟子

【お知らせ】
 1、予定外ですが、この回から、急遽思い付いたオリキャラを投入します。つきましては、小説情報に『オリキャラ』タグを追加いたします。オリキャラが出ないと安心していた方には、深くお詫び申し上げます。ですが、変に出しゃばらないよう調教しておきますので、伏して宜しくお願いします。

 2、主人公の国籍、及びヤーナムの所在をチェコとしていますが、しかしDLCの漁村の事を考えると、内陸国のチェコはおかしいんじゃないかと思いました。しかしながら、既に主人公の特徴などにチェコっぽいところを付加しており、また、もう一つの候補にルーマニアがあったのですが、あそこははやたらと領土が変わっていてややこしいため、引き続きチェコの設定を使います。漁村については、皆さんの啓蒙でもって補完をお願いします。

 3、卒論が大詰めになってきたので、投稿ペースを落とします。悪しからず。


【0】

 

 俺は今、信じられないものを前にしている。

 

 古い狩人たちが彷徨う悪夢の世界。その中での、かつての医療教会が実験を行っていたらしい施設。そこを進んだ先にあった時計塔にて、椅子に座りながら地面に大量の血を流し切って死んでいる女を発見した。何故死んでいるのかは分からない。身体には争った痕が無いことから、自尽も考えられる。

 

 驚くことにその女は、俺が拠点としている狩人の夢に居る人形と全く同じ顔立ちをしていた。体格も似ているようだ。あの植え込みの縁に腰掛ける彼女と姿が重なる。

 

 服装から、彼女は狩人らしい。白い羽の付いた三角帽を被っている。装束は狩人の多分に漏れず暗い色だが、やけに仕立てが良く上品で、緑系のブローチがあしらわれた白いスカーフに、左肩のマントが、まるで貴族だ。

 

 足を組んで椅子に座り、膝の上には剣が置いてある。この剣は片刃で、柄尻からは短めの剣が飛び出している。成程立派な様だが、命の尽きた今となっては、膝の上から落ちようとしている剣と言い、体勢の崩れたその姿と言い、虚しく物哀しい抜け殻にしか見えない。

 

 マリア様(Lady Maria)……、たしかそうだった。実験棟に居たアデラインたち――あの頭が肥大した不気味な奴らはそう言っていた。

 

 もっと調べてみようとこの女に手を伸ばした時、突然その腕が跳ね起きて俺の腕を掴んだ。

 

 狸寝入りでも決め込んでいたのか分からないが、彼女の目は開き、俺を引き寄せて顔を近づけてきた。

 

 「死者の周りをせわしく嗅ぎ回るものじゃあない。気持ちは分からないでもないが」

 

 俺の目と鼻の先で、ひどく端正な顔が、透き通った声で囁くように警告を紡いだ。そののち、彼女は俺の腕を離した。

 

 「なるほど、悪夢の中なら何でも有りなんだな」

 

 後ずさりながら俺は一人納得した。

 

 平静を装っているが、俺の胸の内はこの女に、マリアによって激しく揺さぶられていた。死人が突如として蘇ったというホラーにではなく、その蠱惑的な気品にだ。心臓を掴まれ、鼓動を支配されているみたいに。

 

 「秘密とは、甘いモノ、そして甘く誘う者。だからこそ、そこから引き摺り出す力が要る。純然たるヌバタマの死の引力が、お前をその無粋な好奇から弾き出すだろう……」

 

 マリアはゆっくりと立ち上がった。膝にあった剣を手に取って、もう片方の手で柄尻の短剣の首を掴む。そして金属が鳴り響く音と共に引き抜き両者を分離させれば、それまで一本だった剣は、今度は長物と短物の二本となる。

 

 これが……『落葉』。穢れた血族カインハーストの近衛騎士が扱っていた異邦の武器『千景』と同邦の武器。

 

 変形させた武器を両手に、悠然と俺に迫りくる。ただそれだけのことに俺は圧倒され、手に持った長剣を構えた。

 

 それと同時に、マリアがこっちへ突撃しようと床を蹴ったのが見えて、俺は避けようと身体を動かした。

 

 だが、そうしようと重心を移動させようとする間に、それよりも速く彼女は、煙のような残像を残しつつ俺へ肉薄していた。

 

 次の瞬間、重々しい金属音が炸裂した。俺が咄嗟に剣で彼女の攻撃を防いだのだ。

 

 続け様にマリアは、二本の剣による連撃を仕掛けてきた。だが、俺が無理矢理大剣を振って弾き返す。()()は二度も同じ手は喰わない。

 

 押し返されたマリアは、自らに付けられた傷を見た。

 

 「フフフフッ、なかなかやるな……」

 

 静かに笑いながら言うと、いきなり彼女は、手にしていた二本の剣を自身に突き刺したのである。

 

 またもや自決か、とは思わなかった。何故なら、自分の血を激しく散らしながらこちらを見る彼女の眼に、まさに戦いはここからだと言わんばかりの闘争心が滾っていたからだ。

 

 急に悪寒が走って、俺は彼女から離れた。その直後に、彼女が自身の身体に突き刺していた剣を引き抜くと、強烈な衝撃と共に四方八方に血の奔流を飛ばしたのであった。それはさながら滝の如し。飛来する血でさえ、離れていたはずの俺に強い衝撃を与える。

 

 思わず腕で顔を庇ってしまい、判断が遅れる。しまったと慌ててマリアを見るがもう遅く、彼女は血の螺旋を描きながら高く飛び上がり、そこから俺に向かって一気に下降してき、剣を床に叩き付けた。瞬間、そこから爆裂が起き、俺は吹き飛ばされた。

 

 何が何だか分からない。何故爆発が起きた。

 

 素早く立ち上がって俺は再び彼女に目を向ける。彼女は落葉を元の一本に戻し、切っ先をこちらに向けつつそれを顔の横で構えていた。

 

 次に彼女が剣を突き出すと、これに伴って血が鋭く飛び出してきた。辛うじて俺はこれを躱す。が、躱した俺のすぐ横で、それが灼熱の炎となって俺の肌を焼いた。

 

 「血が、燃えているのか!……」

 

 マリアはこれに悶える暇を与えてはくれない。再び落葉を二本に分離させ、素早く振る。それらが残した血の軌跡が、直前の攻撃と同様に激しく燃えながら俺を襲う。

 

 たまらず俺は、出来る限り彼女から離れ、輸血液を自分に投与して体勢を立て直した。彼女はと言うと、俺を深追いせずに、静かに佇んでいた。手に持った剣には彼女の血が纏わり付き、禍々しい刃を形成してひとしお長くなっていた。

 

 彼女は傲然と、俺に侮蔑の眼を寄こし、

 

 「お前にはどう映る。お前はこの燃える血を、華美だと思うか、はたまた醜悪だと思うか。燃え盛るこの血は、まさしく私の怒り……。哀れなローレンス……、彼は血を制御すると気負いながら、私のこの血には耐えられず、内側からその身を灼かれてしまった……。けれども因果応報。傲慢で冒涜的な研究のために罪無き人々を踏み躙ったことを、自覚するべきだった」

 

 そして先生……、と挟むマリア。

 

 「ゲールマン先生……、私の心はあの事件以来、あなたから離れてしまった……。だのに、どうして気付いてくださらなかったのですか?……」

 

 どこか切なそうな声で、ほろりと涙を落とす。

 

 俺がこの悪夢に来た時、同じく悪夢に迷い込んでいたシモンという男が言っていた。

 

 ――秘密には、常に隠す者が居る。それが恥なら、尚更というものさ。

 

 恥を隠したいというのは、誰にでもあることだ。だが、隠し事とは辛く、息苦しい。

 

 腰に銃を仕舞い、俺は持っていた大剣を頭上に掲げる。どこからか降り注ぐ月の光を受け、その剣身は青白く輝く。輝きを纏ったこの剣は、それまでよりも一際厚く、また剣幅が広がった。

 

 「俺がこれからやろうとすることは、ただの野暮天でしか……、ただの節介でしかないかもしれない……」

 

 この発光する剣を見て、感嘆の息を漏らしてから、言葉を紡ぎ出す。

 

 「それでも俺は、この月明りの導きを頼りに真実を暴く。……押し通らせてもらうぞ」

 

 こう結び、俺はマリアに剣を向けた。

 

【1】

 

 すっかりと日の暮れた夜。ギルドはくたびれた冒険者たちで溢れ返っている。近頃ゴブリンスレイヤーとよく一緒に行動している女神官もまた、未だ慣れぬゴブリン退治に疲れ、席に座って休んでいる。

 

 彼女はつい最近冒険者登録をしたばかりである。そして最初の依頼となるゴブリン討伐を受け、しくじった。

 

 青年剣士と、その連れの女格闘家に、女魔術師の三人が居たのだが、彼らは女神官を残して全員脱落してしまった。

 

 最初に青年剣士がゴブリンに袋叩きにされて死亡した。

 

 次いで女格闘家は体格の大きなホブゴブリンという個体に脚を折られ、その後ゴブリンたちに凌辱され再起不能となった。

 

 女魔術師は毒の塗りたくられた剣で腹を刺されて死にかけたものの、幸いにも女神官の治癒(ヒール)の奇跡と、たまたま持ち合わせていた期限切れかけの解毒薬(アンチドーテ)のお陰で一命を取り留めた。が、そのまま行動不能に。

 

 で、その絶体絶命の窮地に現れたゴブリンスレイヤーによって救われ、その後洞窟内のゴブリンを殲滅したのであった。

 

 爾来、彼女はゴブリンスレイヤーと連れ立ってゴブリン退治に同行しているのであった。恩義がある、ということもあるが、何よりも彼が心配で仕方がなかった。

 

 彼は偏執的なまでにゴブリン退治に執着し、他の何もかもを捨ててしまいそうなほどにゴブリン退治にこだわっている。他に人生の目的を持たず、ただひたすらにゴブリンを退治し続けるという行動をし続ける。忌憚なく言えば、己の時間を無為に浪費していると言える。だから心配なのだ。

 

 されど、彼女が気にしていることはこれだけではない。例えば、あの最初のゴブリンの依頼で、彼女と一緒に生還した二人の内の一人である女魔術師のことだ。

 

 あれ以来女魔術師は誰とも組まず、一人で、溝さらいや大鼠退治をしているらしい。依頼を受ける度に下水の臭いを衣服に付けて持ち帰り、服を洗う余裕も悪臭を消す余裕も無く、惨めで寂しそうな冒険者生活を送っている。女神官としても、そんな女魔術師を放ってはおけなかったのだが、しかし女魔術師のほうはにべもなく女神官をあしらうばかりであった。

 

 それに女魔術師はゴブリンに対してトラウマを持っているのだ。仲間に誘うにしても、ゴブリンスレイヤーも居るとなると、必然的にゴブリン退治に彼女を引っ張ることになる。それではいたずらに彼女を傷付けるだけだというジレンマである。

 

 ギルドの扉を開け、また冒険者の一団が帰ってきた。ふと女神官は、その人物らに目を向け、そして瞠目し、思わず二度見した。

 

 入ってきたのは狩人である。女神官が受けたあの最初のゴブリンの依頼で、水薬と解毒薬を期限が切れかけていると言って譲ってくれた恩人である。

 

 で、続いて入ってきたのは女である。年は大体十代後半くらい。狩人と似たような、羽の付いた三角帽を被り、手には何やら物々しい金属製の杖を持っている。

 

 いつも一人だと聞いていた狩人が、仲間と思しき人物を当たり前のように伴っていることにも驚きではあるが、女神官が驚いたのはそこではなく、三番目に入ってきた人物にである。

 

 それはあの女魔術師だった。例のゴブリンの依頼でたった一度だけ組んだあの女魔術師その人であった。

 

 ほとほと疲れた様子でギルドに入ってきた彼女を、羽帽子の女が、さも親しげに引っ張り込んだ。

 

 「ささ、私の切り札さん! 今日は私たちコンビの初陣成功のお祝いにビールでも飲みましょう、ビール! ラガー!」

 

 対する羽帽子はやけにハイテンションである。着用している衣服のほぼ全面が血にまみれ、チョコレートのように赤黒く、これらから激しい戦いをしたことが知れる。のだが、当の本人は全く疲れが見えないくらい漲っていた。

 

 「その切り札って言うのはやめて。今回はあなたに強引に連れ出されただけで、私はあなたと組んだわけじゃない」

 

 と言い立てて女魔術師は、羽帽子の女から離れようと、離れた所にある席に一人で座ろうとする。が、それに羽帽子がついて行って勝手に同席した。女魔術師は席を立とうとしたが、他に良い場所が見当たらないということで、諦めたようだった。

 

 「というか、何で私なのよ」

 

 「え、だって先生が、相方見つけてこいって」

 

 と羽帽子が、席の近くまで来た獣の狩人を見て言った。

 

 「本当に、他を当たってよ、頼むから……」

 

 女魔術師はぼやいた。勘弁してほしいという気持ちがしみじみと伝わってくるぼやきだ。

 

 「えー、だって他に組んでくれそうなフリーの人って居なかったんですもん」

 

 「この田舎者」

 

 と怒気を含ませて女魔術師は毒づくが、気力が枯れていては最早怒りの表情すらも出ない、浮浪者のように気だるげな相好であった。

 

 「田舎者だもーん、この辺境の地の村暮らしだったんだもーん。ね、先生? あたしって田舎者ですよね。先生なら知ってるでしょう、何て言っても前にゴブリンの巣から私を救ってくれましたし、その足で一緒に村に帰りましたよね? ゴブリンスレイヤーっていう人も一緒でしたよね?」

 

 言いながら羽帽子は目の上に手をかざして周囲をキョロキョロと見渡し、それから女神官の方の、ちょうど彼女の横に来ていたゴブリンスレイヤーを見つけ、

 

 「あっ、ゴブリンスレイヤーさーん、ご無沙汰してまーす!」

 

 席から立ち上がり、手を大きく振ってゴブリンスレイヤーに挨拶をした。

 

 ただでさえ、獣の狩人という――良くも悪くも――有名な人物と一緒に居て、かつ浮いた風体をしているのに、その上そんな目立つ行動をしたものだから、羽帽子自身やゴブリンスレイヤーらは、ギルドに居た者たちからの視線を一挙に集めた。呼び掛けられた当のゴブリンスレイヤーや、羽帽子の連れである獣の狩人はそれらの視線をどこ吹く風として平然と受け止めているが、恥じらいというものを持ち合わせていた女神官(聖職者)と女魔術師(エリート)のほうは居た堪れずに俯き赤面した。

 

 快活なものである。まさかこの闊達な十代後半の乙女が、つい最近ゴブリンの集団に玩具のように凌辱され、父親が獣となって、のちにその父親が処理され、然り而して何らかの事情があって冒険者とならざるを得なくなったという残酷な運命を背負っていると、誰が考えようか。

 

 事情を知っている獣の狩人とゴブリンスレイヤーはともかく、少なくとも、現在このギルド内で彼女を見た冒険者やギルド職員らは、気持ちの良いくらい元気の良い羽帽子の彼女に、相好を崩したり、やかましい奴だと呆れたりはしても、彼女の過去を察して憐憫を抱くことはない。

 

 さながら、破滅の未来へ向けて、水面下で病が進行するみたいに。




 ゲッターロボや虚無戦記の石川賢にブラッドボーンのコミカライズを描いてもらったら面白そう。十中八九、虚無るだろうけど。
 問題があるとすれば、ゲッター線に取り込まれた石川賢氏を取り戻す方法が見つからないことぐらいか。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

チュートリアル

 指定文字数超えてるのに卒論終わらない! 不思議! (白目)

 これはきっとメンシス学派が白痴のロマを使って俺の論文を隠匿しているに違いない!


【1】

 

 辺境の街のギルドで監督官を務めるこの女性は、その立場もあって苦労も多い。面倒な仕事を押し付けられることもしばしばだが、一番多いのは面倒な手合いの相手を押し付けられることである。

 

 冒険者の信用という観念を理解しようとしない朴念仁、自信過剰で身の程知らずなヌケサク。そういった輩に対しても、ギルドの職員は義務として、彼らが問題を起こしていない内は強く言うことは許されず、諄々と懇切丁寧に道理というものを説かねばならない。

 

 で、そういった面倒なのをいちいち職員たちは相手にしていられないし、新人に押し付け続けるのも忍びないので、監督官という少し責任のある立場であり、聖職者でもある彼女がやるのだ。監督官の彼女が、獣の狩人とよく話すのも、こういった背景があるからだ。

 

 獣の狩人は、身も蓋もなく言えばこのギルドの問題児である。

 

 一応、冒険者として腕は立つし、今までで問題を起こしたことはない。が、問題を起こしそうになったことはあり、またその苛烈な戦闘スタイルから、依頼を完了して帰ってくる度に返り血に塗れて物凄く生臭い。依頼の場所が下水だった時なんかは一際。

 

 当然、そんな彼に応対したいという物好きは誰一人としていない。だから、獣の狩人が血塗れで帰ってきた時には、不在でない限りは彼女が出るようにしているのである。このギルドのもう一人の変わり者ゴブリンスレイヤーを応対している受付嬢に通じるものがある。

 

 その一方で、監督官も獣の狩人に興味がないわけではない。それは彼がこの冒険者ギルドに初めて来た時からである。

 

 当時彼を応対したのは彼女だった。

 

 登録に当たって、文字が書けるかという彼女の問いに、狩人は首肯した。ところが、彼の書いた文字(チェコ語)は監督官には読めなかった。他にも彼は、別の言語で書いてみたが、いずれも彼女には読めず、結局彼女が代筆することになったのである。

 

 彼が書いたあの言語は、おそらく本物の言語だろうと彼女は考えている。少なくとも、看破(センス・ライ)の奇跡が使え、多くの嘘を見破ってきた彼女の見立てでは、彼の言語は嘘ではなかった。狂人の考え出す言語でもなかった。至高神の司祭という立場上、いくつもの古典言語を修めている彼女が見るに、彼が書いたあれらの文字列には、彼女の知る言語にもある規則性が認められたのである。

 

 だから興味深いのだ。

 

 つい最近までは、機会が無いために彼女と彼は事務的な会話しかしてこなかったのだが、狩人とゴブリンスレイヤーとが初めて組んだことや、彼が新人の冒険者に期限切れかけの水薬や解毒薬を譲ったりといったことを足掛かりに話すようになり、世間話がいくつか出来るようになった。

 

 で、その彼の口から語られる話が、彼女にはおもしろかった。中でも、チャールズ・ダーウィンなる人物らによって提唱された『進化論(自然選択説)』というものが、実に刺激的に感じられた。

 

 遍く生物は、げに合理的で巧妙に仕上がっている。それこそ彼らを設計したのは全知全能の神なのではないかと思うくらい。教会の権威が強い時世では特にそうだ。だからこそ、昨今の学者たちは、その神の偉大さを証明するために生物を研究している。

 

 これを否定するもの、それが進化論。古来より一部の人間らによって考えられていた理論。

 

 そんな、教会に背く、ひいては神に背を向けるような理論。生物は初めから完璧に造られてはおらず、環境に適応する形で完璧になっていくという理論。

 

 聖職者としては容認しがたいものであった。けれども、証拠こそ提示されてないが、理路整然と彼の口から語られる理論に彼女は引き込まれ、自身の内の世界が広げられ、凄く新鮮な気持ちにさせられるのであった。

 

 嘘を見抜く彼女に、嘘のような本当の話を語る彼。きっと相性が良いのだろう。

 

 さて、監督官と相性の良いかもしれないその獣の狩人が、今日も受付にやって来て、そうして監督官が対応する。

 

 「ゴブリンの依頼が欲しい」

 

 獣の狩人がそう口にすると、

 

 「あっ、ゴブリンですか!」

 

 と、ゴブリンスレイヤーの事実上の担当官である受付嬢が出し抜けに横から口を出してきた。彼女は嬉々として何枚かの書類を取り出してきて、

 

 「どのようなご依頼が宜しいですか!」

 

 狩人に見やすいようにその書類を広げて見せた。それらは彼女が独自に纏めたものらしい。どれもこれもよく纏められていた。何故かは不明だが、おめかししたゴブリンのイラストがある。ゴブリンにお見合いでもさせるのか。

 

 「何これ、ゴブリンのお見合いの書類?」

 

 渋い顔で監督官は小首を傾げて誰にともなく呟いた。

 

 そんな彼女に構わず二人は話を進める。

 

 「俺が面倒を見ているあの羽帽子たちに、ゴブリンの依頼をやらせてみようと思ってな」

 

 「はい! でしたらこれは如何でしょう。被害状況から、そこまで数は多くないようですよ。それと――」

 

 と言った具合に、狩人が言い終えるや否や受付嬢は、出してきた書類の中から素早くいくつかのゴブリン依頼を出してきて、滔々と説明を始めた。堂に入った説明をする様は、日頃から余るゴブリンの依頼に対する彼女の苦労が如実に現れている。

 

 それから受付嬢は、何かを察知したように、急に説明の口を止めた。この直後に、ギルドの扉を開く音と一緒に来訪者を知らせるベルが鳴った。彼女は顔を上げて、入ってきたその人物を見て、そして俄かに顔を綻ばせたのであった。

 

 「ちょうどよかった」

 

 そんな受付嬢の様子を見ながら、獣の狩人がそう言った。

 

 受付嬢はいそいそと元の受付まで戻り、近づいてくる来訪者ゴブリンスレイヤーを笑顔で迎える。

 

 「ゴブリン」

 

 彼女からの挨拶も聞かず、開口一番にこれである。いつもの調子だ。

 

 「ゴブリン」

 

 とゴブリンスレイヤーに声を掛けたのは狩人。

 

 「ゴブリン?」

 

 首を傾けながらゴブリンスレイヤーは聞き返した。

 

 「ゴブリン」

 

 狩人は首肯した。

 

 それに頷き返したゴブリンスレイヤーは、受付嬢に向き直り、

 

 「ゴブリン」

 

 と狩人を親指で差して言った。

 

 「はいゴブリン!」

 

 と元気良く返事をして受付嬢は、狩人から差し出された一枚のゴブリンの依頼書を受け取った。

 

 これら一連の流れを、監督官と、ゴブリンスレイヤーに付いていた女神官の二人は、怪訝そうな眼で見ていた。

 

 「ゴ、ゴブリン?……」

 

 ポツリと監督官が呟きを漏らすと……、

 

 「ゴブリン」

 

 「ゴブリン」

 

 「ゴブリン!」

 

 三人が一斉に彼女の方へ顔を向けて、またそう言うものだから、気圧されて彼女は顔を逸らした。

 

 これ以降は、流石に彼女も関わるのが面倒くさかったのか、この変人三人衆のやり取りについては一切口を出さなくなった。

 

 依頼の受付はとんとん拍子に進んでいった。ほとんどゴブリンしか言っていないが。

 

 やがてそれも終わり、果たして二人は、再び手を組みゴブリン退治に赴くことになったのであった。

 

 「行くぞ」

 

 歩き出しながらゴブリンスレイヤーは、そばに居た女神官に声を掛けた。

 

 「はい!」

 

 当の女神官は、ごく自然に声を掛けられたこと、即ち仲間に数えられたことに気を良くしたのか、嬉しそうに返事をして、速足な彼の後をトテトテと小走りで追い掛けていく。

 

 獣の狩人も、近くの席に座っていた羽帽子と女魔術師の二人に目配せをしてから歩き出す。見ていた羽帽子は、ニッと笑んで立ち上がる。心底嫌そうな顔で頬杖を突いていた女魔術師も、羽帽子に腕を掴まれて立ち上がらされ、しぶしぶと羽帽子と一緒に獣の狩人に続く。

 

 彼ら一行は、ギルドに居た者たちの関心を著しく引いた。

 

 ゴブリンスレイヤーと獣の狩人。口数が少なく、不愛想で、偏屈で、ほとんど他人と組まずに一人で依頼に行き、血生臭い異臭を漂わせながら帰ってくる。実は兄弟なんじゃないかというくらい共通点の多い二人は、類は友を呼ぶという言葉通りに、素っ気ないが仲は良いように見受けられた。しかし反面、二人が組んで依頼を受けることは、これまででただの一度しかなかった。仲の良い相手とさえも組まない、それが彼らという人物なのである。

 

 その二人が最近、非常に珍しいことに一緒に組んだ。それだけでも寝耳に水だというのに、そのすぐ後に、二人とも時期を同じくして弟子やら相方やらを、それも見目麗しい乙女を同行させだしたのだ。

 

 「おい、見たか。ゴブリンスレイヤーと狩人がまた一緒に、それも女連れで依頼に行くみたいだぞ。やっこさんらも、いよいよ身を固める気になったのかねえ。んで、この調子で臭いのほうもどうにかしてくれっといいが」

 

 「いや、ないない。逆にあいつら、女にも血の臭いを染み付けるかもしれないな」

 

 「あいつらだって男だ、たまには女ってもんが恋しくなるのだろうよ。慰安目的だったりしてな……、ククク……」

 

 そして今度は、そのお互いの弟子・相方を連れ立って、再び共同で依頼を受けたのであるから、話題にならないはずがない。ギルドの鼻つまみ者を話題にするということもあって、英雄の活躍を引き合いに出す時よりも、内容は下世話である。

 

 その時である。

 

 彼ら一党の話をしていた者たちの中で、一段と汚い話をしていた者たちのテーブルを、鞭のような斬撃が襲った。上に置かれていた物は、その一撃によって割られたり、煽りを食ってテーブルの外に飛んでいったりした。野郎どもは仰天し、椅子ごと地面に転げた。

 

 そんな彼らを冷たく見下す、羽の付いた三角帽子の女。左肩の貝殻骨の辺りからマントが垂れた黒い外套を羽織り、その首元からは翠玉色のブローチがあしらわれた白いスカーフ覗いている。狩人の弟子であると言われたら、十人が十人、納得するであろう出で立ちの女である。

 

 その手に握っているのは杖の柄。しかしグリップと首の部分から先が無く、代わりにそこからワイヤが伸びていた。そのワイヤには、等間隔にひし形の鋭い刃が連なっており、それらは木製のテーブルに突き刺さっていた。

 

 ワイヤは、まるで杖の柄の中に吸い込まれようとするかのように張っていた。そこで羽帽子は、杖を一瞬強く引っ張る。テーブルに突き刺さっていた刃たちは抜け、杖の柄に巻き取られるワイヤに従って、柄の下にノコギリのような形を取って棒状に連なった。

 

 「今、誰か私たちに対して汚いこと言いませんでしたかね」

 

 怒りを内包させた静かな言問いであった。

 

 ギルド内が水を打ったように静まり返った。それまで好奇心のままにゴブリンスレイヤーの一党について話していた者たちは、皆一様に顔を青ざめさせて、羽帽子に目を合わせないよう顔を伏せた。

 

 ギルドの職員も、止めるべきだとは思えど、羽帽子の剣幕に近付くことさえままならなかった。

 

 「やめなさい!」

 

 「あ痛っ!」

 

 ただ一人、女魔術師だけは、羽帽子の頭をはたいて止めに入ることが出来た。

 

 彼女は、なかなか出てこない羽帽子に痺れを切らして戻ってきたら、そこで羽帽子がよりにもよってギルドの中で騒ぎを起こしているのを発見したのである。だから慌てて止めに入った次第であった。不本意とは言え、女魔術師は羽帽子と組んでいるという状態にあるのだから、自分の評価に傷を付けないためには当然であろう。

 

 女魔術師に首根っこを掴まれて引き摺られる羽帽子は、チッと舌打ちをして不承不承ながら女魔術師に従い、矛を収めて歩き出した。そうしながら手に持ったその杖の先を、突くように地面に叩き付ける。ばらけていた刃たちは火花を散らしながら噛み合い、そうして、刃の付けられた一本の杖へと戻っていった。

 

 その後、何事も無かったかのように、一党は目的地へ赴いた。その途上にも、特段問題は無かった。強いて言うなら、

 

 「ねえ、ねえ、どうして邪魔したんですかー。だってあいつら許せないじゃないですか! 女の敵ですよ、女の敵!」

 

 未だギルドでのことを根に持つ羽帽子がぐちぐちと言い立てたり、

 

 「何でゴブリンの依頼なんて行かないといけないのよ、嫌って言ったでしょ」

 

 ゴブリンの依頼を受けるのが不服な女魔術師が渋ったりする程度であった。

 

【2】

 

 件のゴブリンの依頼を出した村は、それなりの規模であった。自給自足のみの小さな集落とは違い、外部との交易による収入源を持ち、比較的豊かな生活のようである。

 

 けれども住人の顔は浮かない。常に何かに脅かされてるようにピリピリとした面持ちで日常を過ごしている。

 

 「張り詰めてますね……」

 

 女神官が呟いた。

 

 「規模の大きいゴブリンの群れに付け狙われているんだ、これが普通だ」

 

 とゴブリンスレイヤーが答えた。

 

 「ちょっと、勘弁してよ、ただでさえゴブリンは嫌だっていうのに、その上大規模な群れだなんて……」

 

 こうぼやきながら女魔術師は、狩人に抗議の眼差しを向けた。

 

 「ゴブリンは最弱だが、数は多く、そして狡い。だからこそ冒険者としての心得を学べる。それと、お前はゴブリンに慣れておけ、奴らは割とどこででも遭うからな」

 

 それに対し狩人は淡泊に切り返した。ゴブリンにかれこれ三回殺されたことのある彼が言うのだから間違いない。

 

 女魔術師は観念するように溜息を吐いた。

 

 「あのう、もしや、ゴブリン退治に来た冒険者ですか」

 

 と、おっかなびっくりな調子で、男性が一人、近づいてきた。所々に白髪の混じった薄茶色の髪の毛の、およそ四十代くらいの壮年の男であった。

 

 「そうだ。そっちは代表者か」

 

 応えるゴブリンスレイヤーに、男はたじろいだ。血の跡を付着させたままな鎧姿の人間が出てくれば、誰でもそうなる。

 

 「え、ええ、そうです、ギルドに依頼を出しに行ったのも私です。まあ、ここで立ち話でも何ですから、まず私の家にでも――」

 

 「歩きながらでもいい、いくつか情報が欲しい」

 

 「そ、そうですか、解りました。では、みちみち話でもしましょう」

 

 男は一瞬戸惑ってから、ゴブリンスレイヤーの言葉に了解し、歩き出した。それに従って、一党も歩き出す。

 

 「巣の所在と、規模は判るか」

 

 「まだ見つかっていません、どこから来るのかも分かりません、何せうちの村は周囲を森に囲まれていますから。探しに行った者も居ましたが、見つけることは出来ず、帰ってこない者さえもいます。数については、大勢……としか」

 

 「田舎者(ホブ)は居たか」

 

 「ホブ?」

 

 「常人より大柄なゴブリンだ」

 

 「そう言えば、作物を盗んでいったゴブリンを追い掛けた者が、大きなゴブリンが居たと言っておりましたが……」

 

 「骨で作られたトーテムは」

 

 「さあ、どうでしょう……。捜索した者たちは、誰もそんな物のことは……」

 

 「では、攫われた女は居るか」

 

 「幸いにして、まだその被害はありません。……おそらく、あの娘のお陰でしょう」

 

 何故か男はそこで言い淀んだ。

 

 「あの娘とは」

 

 男の様子などは気にせずゴブリンスレイヤーは質問を重ねた。

 

 「あの家の娘です」

 

 男は一瞬だけ、その家を指した。

 

 その家から、ちょうど人が出てくるところだった。それは二十代後半くらいの男だ。

 

 「ああ、彼はあの家の者ではないんです。あの家には母と娘が二人で暮らしていて、父親は既に逝去しております」

 

 「へえ、ではあの人は誰なんです」

 

 羽帽子が無遠慮な口吻で尋ねて、女魔術師に肘で小突かれた。

 

 「母親の幼馴染と言ったところでしょうか。年は少し離れていて、子供の時分には姉弟のように仲が良くて。で、父親のほうが亡くなって以来、ああやって母娘の世話をしたりしてね」

 

 「それで、その娘とは」

 

 「……あまり人に話すのは憚られますが、あの子はちょっと前に冒険者になってたんです、一日だけですけどね。うちの倅が冒険者になるって言って家を出て、それについて行って登録したんです。ですが、二人とも、最初に受けたゴブリンの依頼で失敗して、私の倅は死に、あの娘はゴブリンどもに……」

 

 そう語る男の表情と声は、徐々に沈痛そうに暗くなっていった。

 

 彼だけにとどまらず、女神官と女魔術師の二人も顔をこわばらせていた。

 

 どこかで聞き覚えのある話――ではなく、まさしく自身らに降り掛かっていた事と酷似していたのだ。自らが犯した罪に怯える咎人が懲罰者を前にした時みたいに、二人の心臓はバクバクと打ち鳴らされ、視界や音の感覚が狭窄していった。

 

 「塞翁が馬とはよく言ったものです。あの娘がゴブリンどもに辱められた経験から出た助言のお陰で、今この村の娘は皆無事で、下手にゴブリン討伐に行こうとする血気盛んな馬鹿どもの被害が減らされているんです。私の主観ですが、でもそんな気がしてならない……」

 

 情動を迸らせながら彼はそう語った。

 

 「ゴブリン相手に用心するに越したことはない。仮令それに効果が無くとも、しないよりはマシだ」

 

 淡々と、ゴブリンスレイヤーは無感動に返した。彼の性質上、これはフォロウと言うよりは解説しているに近い。

 

 「ありがとうございます、そう言っていただけると気が軽くなります。――あ、ほら、娘のほうが戻ってきましたよ。あの、足を引き摺っている娘です」

 

 そう言って男が示したのは、例の家に向かって歩いていく、黒い髪を頭の後ろで括っている女であった。年の頃は十代半ば、ちょうど女神官と同じくらいで、成人したばかりのまだあどけない顔立ちを残している。男の言った通り、右足が悪いのか、重心を左足に偏らせながら右足を引き摺って歩いている。

 

 「あっ!」

 

 と、女神官と女魔術師が同時に声を上げた。つい反射的に出た声だったためにこれは大きく響いた。それがその娘の方にまで届いたのか、彼女はは一党の方を向いた。

 

 初め彼女は、目立つ風貌でかつ一党の先頭に佇んでいたゴブリンスレイヤーと狩人に目が行き、怪訝な顔をするのみだった。が、声の主が女であることから、次に後ろに居た女性陣のほうに目線を流し、

 

 「え……」

 

 女神官と女魔術師の二人と目が合うと、呆気に取られた声を漏らし、その場で立ち竦んだ。

 

 しばしの間、両者は黙って見つめ合い続ける。片や女神官と女魔術師は驚愕のあまり、それと気まずさに何と声を掛けたらよいのか分からず閉黙する。そして方や娘――かつてその二人と一度だけゴブリン退治で組んだ女武闘家は、悪夢でも前にしたみたいに震えて、声も出せないでいた。




 進化論について言及するためにネット検索して確認してみたら、進化論が否定されてた件。ジーザス。

 でも、進化論が提唱されるような生物の体系がどうやって出来上がったのか気になりますねえ。今後調べてみたいな。「サピエンス全史」を読めば何か分かるかな(ステマ)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

チュートリアル2

 ACヒロインがヤンデレ化して主人公に襲い掛かるオムニバスください。あと川越シェフがAFだった頃の画像ください。

 あと今更だけど、女魔術師じゃなくて女魔法使いの間違いでした。でも修正するのが面倒くさいので放置します。


【1】

 

 日が沈み切り、灯り無しではほとんど何も見えない森の中。獣の狩人と羽帽子は、松明を手にそこに居た。

 

 「急所には当てるなよ、ホブとは言え水銀弾はひとたまりもないからな」

 

 獣の狩人は、ホブと呼ばれる巨躯のゴブリンを前にして、それから目を離しながら、同行していた羽帽子に指示した。

 

 「解りました」

 

 神妙な顔で羽帽子は承知した。左手の松明を前方にかざしながら、右手の仕掛け武器レイテルパラッシュを握りしめた。

 

 剣に銃が付いた物、というよりは、剣の柄の形をした銃に剣身を装着した形態のそれは、変形前は間合いに優れたレイピアとして扱える。鍔辺りから飛び出たレバーを操作することで、剣身が引っ込み銃身が前に出、射撃形態へと変形する。

 

 ホブは焦っていた。このホブは、謂わば流れという個体であった。元々はゴブリン・シャーマンが率いていた群に居たのだが、そこが冒険者に襲撃されてしまい、自分を除き全滅してしまった。

 

 自身は人質を取ってどうにか逃げおおせることが出来たが、生き長らえた喜びはすぐさま引っ込み、自分をこんな酷い目に遭わせた冒険者への憎悪が取って代わった。

 

 そのままにホブは遮二無二に略奪を繰り返し、生き続け、現在では五十ものゴブリンを率いる長となった。目指すは、自分を追い詰めてくれたあの冒険者への復讐。性別が雄であること以外にはもう顔すらも覚えていないが、だが群の規模を膨らませ続け、人間どもを襲い続けていれば、いつかはその冒険者、もしくは類縁に辿り着くだろう。ただそのためだけに、このホブは甲斐なき邁進をしてきた。

 

 その結果がこれである。

 

 今夜は、ついに女を捕まえることにした。そのために、こうして人間の活動が弱まる夜に、何体かのゴブリンを差し向けて女を攫い、追い掛けてくる奴がいたらホブが立ちはだかるという算段であった。

 

 冒険者が村を訪れているのは、ホブらは斥候を通して知っていた。あわよくば、攫った女を餌に相手をおびき寄せ、一網打尽にしてやるつもりであった。

 

 ところが、追い掛けてきた二人の冒険者、獣の狩人と羽帽子は、ホブがシャーマンを真似て仕掛けさせた罠をことごとく回避し、追い付いてきたのである。狩人は、蛇のように湾曲した剣を、弓状に変形させると、娘を攫う役のゴブリンたちを須臾にして射ころしたのだ。

 

 これにホブが泡を喰っている内に、冒険者二人――獣の狩人と羽帽子の女はホブに追い付いたのである。咄嗟にホブは、攫った女を盾にしようとしたが、狩人によって妨害され、女も確保されてしまった。

 

 そうして狩人は、一緒に居た羽帽子を前に出したのであった。

 

 「その羽帽子の女を倒せたら、今夜のところは見逃してやる。彼女に息が残ってたなら、その後性奴隷にするなり何なり好きにしていい。尤も、下等なゴブリンには何言ってるのかさっぱりだろうがな」

 

 ホブは、狩人のその物言いに腸が煮えくり返った。見逃してやるなどと、さも格下を相手にでもするかのような上から目線な台詞。独り言みたいに抑揚のない話し方に、ゴブリンが人の言語は解らないことをいいことに侮りを明け透けにした態度。

 

 如何にも、相手をごく自然に馬鹿にしているのだということが、一番許せなかったのだ。

 

 ホブは空に向かってあらん限りの力で吼えた。その凄まじい叫びは森を飛び出して、夜空に染み渡っていくようだった。

 

 「ふむ……」

 

 悠然と腕を組んで佇んでいた狩人は、ホブがこちらの言葉を理解していることを悟ると、感心したように顎に手を当ててホブを見つめた。

 

 「どうやらこいつは通常のホブよりも強いらしい、気を抜くな」

 

 「はい、先生」

 

 右手に持ったレイテルパラッシュを構えながら、羽帽子は敵を見据えたまま小さく頷いた。

 

 その直後に、ホブは睨み合いの間すら挟まずに羽帽子に飛び掛かった。そこから棍棒による力任せな大振りの攻撃繰り出される。周囲を木々に囲まれていることも考えに入っていない。

 

 その薙ぎを潜り抜ける動きで、羽帽子は横に、棍棒に向かうようにステップ。彼女の帽子の羽を掠めて棍棒は空を切った。

 

 ホブは折り返し二撃目を振るった。無造作に避けられたのが業腹だったのか、それには更に力が籠ったものとなった。

 

 「そこだ」

 

 そっと狩人が呟くのと同時に、羽帽子がゴブリンに向けて発砲した。硬く冷たい破裂音と共に発射された水銀の弾丸は、ホブの脂肪で覆われた分厚い腹に容赦なく食い進む。これに堪らずホブは、棍棒を振り抜きながら膝を突いた。

 

 他方で羽帽子も、その棍棒の不規則な軌道を読み損ね、まともに喰らってしまい、吹き飛ばされてしまった。いくら勢いが減衰しているとはいえ、人間には恐ろしい威力のはずであり、普通なら立つこともままならない。これに対してホブは、しめたと思ったことだろう。

 

 が、地面に投げ出された羽帽子のその眼には、なおも生命の力が壮烈に燃えていた。

 

 彼女は素早く立ち上がると、たった今強烈な一撃を受けたとはとても思えない動きで、未だ体勢を立て直し切っていないホブへ喰らい付くように肉薄し、力を溜めるように腕を背後にまで引っ込めて、獣の手腕を模したその手を構えた。

 

 瞬く間に状況が覆ったことにホブが惑う間も置かず、羽帽子は構えた手を――爪を打ち出した。爪はホブの腹に容易くうずめられた。ホブの体内で爪は、中のモノを引っ掴むと、力いっぱいにこれを抉り出した。

 

 致命的な量の血飛沫がそこから跳び出し、羽帽子の全身を包んだ。これを心地良さげに彼女は浴びる。温かな血液の、むせ返るような鉄の匂いに巻かれながら彼女は恍惚とした息を吐く。奪った血の匂いを堪能しながらの、やり返してやったことへの快哉が、彼女の生命力を引っ張り上げてくれる。

 

 「その感覚を忘れるな。技術を磨くタイプのお前にとって、内臓攻撃は重要な攻撃手段だ。殺傷能力の低さを補うために、積極的にその技を狙え。相打ちをためらうな。敵の体勢を崩して、隙さえ作りさえすればこっちのものだ。今お前がやっているように、内臓攻撃での『リゲイン』が出来る。転倒した際に、相手から離れるか、逆に肉薄するかはしっかり判断しろ」

 

 「はい、先生……」

 

 狩人の泰然自若とした語りに、熱に浮かされたまま返事をする羽帽子。その二人の様子を、気息奄々の意識の中でホブは、愚鈍ながらも最期の最期で悟った。

 

 畢竟、このホブはこの二人の的にされる運命にあったのだ。自らの子に狩りを教えようとする獣から狙いを付けられた獲物と同様に。

 

 ホブはそう悟ったのだ。

 

 だがそれだけだ。次いでホブは、こんな運命を定めた何らかの存在への呪詛を綴ることになる、さながら人間が天災を神のせいにするみたいに。

 

 ゴブリンは後悔も反省もしない。たとえ因果応報の事柄であったとしても、何かを怨まずにはいられない、そんな性。他者を妬むばかりで自分から何かを創り出そうともしない、それがゴブリンだ。

 

 だからホブは性懲りもなく、立ち上がって羽帽子へ性懲りもなく飛び掛かる。そして、これを読んでいた、どころか誘っていた彼女によって頸を真一文字に切り裂かれ、今度こそ絶命したのであった。

 

【2】

 

 「お前の言った通り、罠が仕掛けられていた。で、その罠を辿ったら巣を発見出来た」

 

 「よし」

 

 狩人からの報告に、ゴブリンスレイヤーはそう返した。

 

 「トーテムは」

 

 「いや無かった。おそらくだが――」

 

 「ならおそらく、彼女が仕留めたホブは、小鬼王(ロード)小鬼英雄(チャンピオン)になろうとしていたのだろう。お前の言葉を理解していて、あれらの罠が奴の指示で仕掛けられていた物なのだとしたら、その可能性が高い」

 

 「これで奴らも、しばらく巣の中から動けんだろう。リーダーを失ったゴブリンたちを、後はどう片付けるかだが。本当なら、立てる音は羽帽子の銃声一発分のはずだったが、あのホブが激昂して叫ぶのは想定外だった。すまないな、ホブをあいつのサンドバックにするために無理を言って」

 

 「ゴブリン退治にアクシデントは付き物だ、進化しかけのホブを早めに仕留められただけでも御の字だろう」

 

 と、ここで、

 

 「本当に、何とお礼を申し上げてよいやら」

 

 代表者の男が声を掛けてくる。

 

 「攫われそうになった村の娘子を取り戻していただいたばかりでなく、あの大柄なゴブリンをも倒したと聞いて、皆喜んでおります。本当に、感謝に堪えません」

 

 「どういたしまして」

 

 狩人は男に向き直り、とりあえずそう言っておく。男との話を長引かせたくなかったからである。

 

 「あの攫われた娘も、初めあんな失礼な態度を取ったのにも拘わらず、助けていただき……」

 

 「ああそうか」

 

 話を長引かせる男に、面倒くさそうに狩人は相槌を打ちながら聞き流す。

 

 攫われた娘が初めやらかした失礼な態度というのは、つい昨日の事。一党がこの村で思いがけず再会した女格闘家が、その娘と何やら言い争っていたことに端を発する。

 

 主に罵倒しているのは娘のほうだった。その内容がまた酷いもので、女格闘家が冒険者稼業初日でゴブリン相手にしてやられたこと、その後ゴブリンどもに慰み者にされたことを大げさに、それも――詳らかにするのは控えるが――出来るだけ女格闘家が傷付くような物言いで嫌味に言っていたのである。

 

 当然、居合わせた女神官は見かねて、而して女魔術師は自分が言われたように感じて気分を害し、そこへ割って入ったのである。言い争いは輪を掛けて白熱し、ついに近くに居たゴブリンスレイヤーと獣の狩人にまで飛び火することになったのである。

 

 無論、内容は下品なものである。

 

 娘は、それ以前に女格闘家と話す一党を見ていて、女神官と女魔術師がかつて女格闘家と一緒に冒険をしたであろうことを目敏く看取していたらしく、これを種に三人ともがいずれもゴブリンに辱められたこと前提で、ゴブリンスレイヤーや獣の狩人にすり寄っているのではないかと息巻いたのである。

 

 これには女神官も開いた口が塞がらなく、女魔術師はブチ切れて、事態は更に泥沼となり、さては、獣の狩人を侮辱されたことでいきり立った羽帽子がそこへ突撃を果たし、それからは、何とも見応えのあるキャットファイトが展開されたのであった。

 

 放任主義気味なゴブリンスレイヤーと獣の狩人はこれを傍観。それまで、少女同士のドロドロとした諍いに尻込みしていた村人らは、監督役でもあるはずの二人が放置を決め込むと見るや、腹を括って彼女らの制止に入った。

 

 村の大人たちも、面倒事に対していつも及び腰であるわけではなく、流石にこのような事態となったら大人としての威厳を発揮し、どうにか彼女らを止めることに成功したのであった。

 

 とは言え、その後、一番暴れん坊であった狂犬こと羽帽子の抑制は、落ち着きを取り戻した女魔術師がすることになったのだが。

 

 これが、攫われた娘が働いたという無礼であった。代表者の男がやけに負い目を感じているように接してくるのもこのためだ。(ゴブリンスレイヤーと獣の狩人の監督怠慢が原因であるのでお互い様だが)

 

 ――恋と復讐に於いて、女は男よりも野蛮である。

 

 という文句が狩人の頭の中に浮かんだ。ドイツの哲学者の言葉だ。

 

 その哲学者の言う通り、男にとって女の思考には――逆もまた然りだが――理解しかねるところがある。あの娘が女格闘家に絡んだのも、而してそれが男陣にまで波及したのも、およそ男には無い価値観によって起こった事である。

 

 あの娘が全体どういった心情でそんな言動を取ったのか、牽強付会ながらも敢えて推量していくと、やはり異物に対する拒絶だとか、或いは女の覇権争いのようなものなのだと思われる。

 

 ゴブリンに傷物にされた女、それに因って活力を失った女。事実で言えばこれは村の厄介者である。

 

 男たちの中には、そんな彼女を見て同情――もとい腫れ物扱いをする者も居れば、邪推したり下卑た欲望の対象に定めたりする者も居る。

 

 女たちは、同情――或いは優越感のための比較対象として見るか、異物と化したその女を排除に掛かるかするだろう。(男女逆でも大同小異)

 

 殊に、いつ死ぬかも分からず、また女が完全な独力で生きていくのが困難なこのご時世では、女も男とは別の闘いを繰り広げている。例えば、余裕の無い女が、器量の良い女を見た時、きっと脅威に感じることだろう。そしてその器量良しが何らかの問題――手籠めにされるなど――を抱えら、どうするか。

 

 無論、そこにも色々な女が居る。恵まれた精神を内に宿す女なら、少なくとも虐げる真似はしない。が、恵まれない者であれば、ここぞとばかりにその女に追い打ちを仕掛けに行く。

 

 あの娘がむざむざゴブリンに攫われたのも、女格闘家と敵対して意地を張ったばかりにそうなった。個人同士の諍いは、時として人から危機感を奪い、愚かな行動をさせるものだ。

 

 「ところで、あいつらは……」

 

 と尋ねるように狩人は、周囲を見回して意識を向けた。そうしてすぐに、羽帽子、女魔術師、女神官それと女武闘家を見つけ、

 

 「あそこか」

 

 彼女らは何やら談笑していた。

 

 「いやあ、思い上がったホブぶっ殺すのは、もう気が狂うほど気持ち良いぞい!」

 

 と、目下思い上がっている羽帽子が高笑いをした。

 

 これの頭を、即座に女魔術師がはたいた。

 

 「痛ぁ!」

 

 「調子に乗らない」

 

 これに女武闘家と女神官は苦笑を浮かべた。

 

 「あなたも、あまりこの子を褒め過ぎないでちょうだい」

 

 「まあでも、事実だし、ね。……私じゃ出来なかった」

 

 女武闘家は、浮かべた微笑を僅かに強張らせながら結んだ。外面では立ち直ったように振る舞っている彼女であったが、時折このように表情に影を落とすことがある。

 

 ホブに挑んだのは女武闘家も同じであった。しかし彼女は敗北した。放った蹴り足を捕まれ、捻転された。そうして行動不能になった彼女を、ゴブリンたちは痛めつけただけでは飽き足らず、彼女の衣服を破き去るとよってたかって凌辱した。

 

 たかがゴブリン。子供程度の腕力と浅知恵しか持ち得ない、力自慢の村人にすら負ける、最弱の祈らぬ者(ノンプレイヤー)。それに負けたのだ。弱いはずの奴ら相手に、抵抗することもままならず、自らの身体を好き放題されてしまったのだ。

 

 人としての、女としての権利を踏みにじられ、ゴブリン以下の烙印を押されたのである。

 

 彼女の内心で渦巻くそれを敏感に察した女魔術師は、やりづらそうな面相をして、目を泳がせた。先ほどから、どうにも会話が立ち止まって仕方がない。場が重くて仕方がなかった。女神官も同様である。

 

 ただし、羽帽子は別であった。

 

 「出来るんじゃないですか」

 

 頭をはたかれた拍子に落とした帽子を拾い上げ、土埃を払い落として被り直しつつ、あっけらかんと羽帽子の女は言って切った。

 

 女魔術師は、余計なことを、とでも言いたげに目と歯を剥いて羽帽子を睨み付ける。

 

 「まさか、そんな、無理だよ……。だって、弱いんだもん、私。それに……怖いの。怖くて仕様がないの。今だって、またあいつらがやって来て、私を……、私を……」

 

 顔を青ざめさせた女武闘家は、自らを抱き竦めて、ブルブルと震えた。

 

 「あなた、これ以上はやめなさい……」

 

 羽帽子の無神経を、女魔術師は咎めようとするが、羽帽子はまるで耳を貸そうとせず、

 

 「そんなのぶっ殺せばいいじゃないですか! ひと時の恐怖さえ乗り越えてしまえばいいんです。え、それが出来ないって? なら、自分を殺すこと前提で行けばいいじゃないですか。自分を死に追いやる覚悟で、目の前のゴブリンを殺してしまえば、もう脅かされることはないんですから……」

 

 まるで秘密結社の洗脳。ある種の狂気である。亡者が寂しさから生者を道連れにせんとするように、羽帽子もまた、自身の気持ちを理解してくれる仲間を欲しているのかもしれない。




【謝罪】
 ゴブリンスレイヤーの世界で、中世から近世特有の女性蔑視的なことを書こうと思ったら、何か陰険な感じになっちゃったの巻。女性の方がいらしたら、申し訳ございません。悪気は無かったんです、……多分。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

チュートリアル3

 あけましておめでとうございます! ドーモ、ドクシャ=サン。サクシャです。ようやく卒論が終わったので、投稿します。初投稿です。就職先の都合上、4月になったらそこから半年は更新出来ないため、3月までには完結させたいです。

 血に酔った狩人「お前ホモ(サピエンス)かよぉ」(獣化)

 新年一発目の激寒ギャグ失礼しましたゾ~。


【0】

 

 「おお、ゴース、或いはゴスム。我らの祈りが聞こえぬか……」

 

 その男は、寝言を言うみたいにボソボソと低い声で何かへ、薄気味悪い祈りを唱えていた。

 

 「お前がミコラーシュか、メンシス学派の」

 

 俺がそう言うと、ミコラーシュはくつくつと笑い出した。

 

 「ロマを倒したのは君かい。お陰で赤い月が見つかってしまったじゃないか……」

 

 ミコラーシュはこちらを振り向いた。その頭には、奇妙な六角中の檻みたいな物が被せられている。ヤハグルで奴の死体が被っていた物と同じだ。

 

 「けど、我らは夢を諦めぬ! 何びとも、我らを捕らえることも、止められもせぬのだ!」

 

 演劇じみた大仰な動作で高らかに語るとミコラーシュは一礼をし、鷹揚な足取りでその場を立ち去ろうとした。

 

 「待て!」

 

 すぐさま俺は追い迫った。奴はゆっくりと歩いていたので、すぐに追いつく。俺は問答無用で仕掛け武器を振りかぶって、奴の背中へ叩き込もうとした。すると奴は、迫り来る俺に悠然と振り返った。そうして何かを手に持ち、これを差し出すように手を伸ばした。その次の瞬間、奴の手から煙のような光と共に数本の触手が飛び出して俺を弾き返したのであった。

 

 起き上がって即座に顔を上げたが、その時既にミコラーシュは消えていた。どこへ逃げたのかと、急ぎ奥へ走った。だが、奴を逃がすまいと焦ったために慎重さを欠いていた。

 

 角を曲がってすぐの所に奴は居た。その時奴は、両手に何かを持ちそれを頭上に掲げていた。その掲げている物を中心に、宇宙の光景があった。やがてこれが消えると、後には無数の小さな輝く星が残された。

 

 はっと嫌な予感がして構えた。次の瞬間、その星々は俺目掛けて流星のように飛んできた。咄嗟に前に向かって避けたが、追尾してくるそれらをよけきることは出来ず、俺のどてっぱらが抉られた。

 

 けれど俺は、焦ってはいたが、同時に奴を逃がすまいという執念も持っていた。だから痛みを堪えて素早く飛び立ち上がり、奴へ一太刀加えてやることが出来た。

 

 武器の刃が奴の胴体を斬り裂き、手に小さな手応えを感じた。その傷口は深く、ぱっくり割れていて、見るからに致命傷であった。次に、そんな深手を与えて、その手応えの小ささに違和感を覚えた。

 

 奴が背中から地面に倒れると、その身は蜃気楼のような歪みを纏い、跡形もなく消え去った。そしてどこからともなく、嘲りの哄笑が響き渡ってきた。

 

 「アッハッハァ! おお、勇ましいなッ(マジェスティック)! 夢の中でも狩人は狩人というわけかい……。けど、残念だけどね、ノロすぎるんだ……。渦巻く悪夢は混ざり合い、そして終わらないものなのだよ!」

 

 弄ばれている……。

 

 どこまでも続く廊下。複雑に折れ、絡み合う通路。ここでの主はミコラーシュなのだ。この悪夢の世界は奴の思うまま。その気になれば、俺をここで永久に彷徨わせることさえも出来るかも分からない。

 

 それでも俺は、前に進もうと思った。前に進めと俺の血が囁いていた。全ては、『青ざめた血』とやらを求めて。これを叶えるために、まずは奴を下し、そしてこの獣狩りの夜を終わらせる。

 

 俺は太腿に注射器を突き立て、輸血液を注入した。注入した血はそこから全身へ回ってゆき、俺に気を与え、朦朧とした意識を奮い立たせた。

 

 それから、夢の使者たちが地面から現れ、一つの盾を俺に差し出した。湖のように青いガラスが被覆された、幾何学模様の装飾がされた工芸の盾。医療教会が神秘の実験の際に、実験者が身を守るために使った、湖の盾と呼ばれる物だ。

 

 ミコラーシュが使ったのは、『エーブリエタースの先触れ』と『彼方への呼びかけ』という秘儀。ヨセフカの診療所に居たあの聖歌隊の女が使っていたモノと同じだった。あれらはいずれも聖歌隊が行った神秘の実験の賜物だと聞いた。なら、その神秘から身を守るこの盾が相手なら、果たしてどうなのか。

 

 「是非確かめさせてもらおうか」

 

【1】

 いよいよゴブリンの一群を討伐するために一党は、ゴブリンの巣へ移動していた。またそこには、自分も戦わせてほしいと志願してきた女武闘家も居た。

 

 「本当に、良かったのですか、またゴブリン退治なんて……」

 

 おずおずとした女神官にこう尋ねられて、女武闘家は、

 

 「分からない。でも、ずっとああして逼塞してもいられないでしょ」

 

 「でも、その脚、まだ調子が悪いのではありませんか」

 

 痛ましそうに女神官は、女武闘家に引き摺られる足を見た。

 

 「ああ、これ?」

 

 と、女武闘家は自嘲する顔をし、

 

 「これ、実はもうとっくに治ってるんだ。本当なら普通に歩けるはずなんだけど……」

 

 「歩ける? じゃあどうして引き摺ってなんかいるの」

 

 と女魔術師が疑問を出し、

 

 「もしかして仮病?」

 

 と羽帽子が率直に訊いて、そして女魔術師に尻を蹴られた。それを見て女武闘家は反応に困ったように笑った。

 

 「何でか分からないけど、鉛でも入れられたみたいに脚が重くて、普段歩く時はこうして引き摺っているんだ。一応、走ったり、蹴りは問題なく出来るのに……」

 

 さもそれが呪われた物であるかのように、憂うような眼、或いは忌まわしそうな眼で、女武闘家は自らの脚を見ていた。

 

 この時代のこの世界にはまだない、所謂心理学と呼ばれる学問で言うなら、ずばりこの症状はフロイトの症例にある『歩けない婦人』が近いだろう。何の異常も無いにも拘わらず、いつも脚が疼痛に苛まれた女エリザベートという女の症例である。

 

 その症状の原因は心の奥底にある葛藤に因るヒステリィ。女武闘家の脚に何の異常も見られない以上、彼女もまたエリザベート嬢のものと同様のものと考えられる。自然、その精神的な原因とは、同郷の青年をあたら死なせてしまった自責の念と、ホブに脚をへし折られたこととなる。

 

 ゴブリンごときに蹂躙され、誰も守れない役立たずな、壊れた脚。だから動かない。

 

 「あまり無理をなさらないほうが……」

 

 そう言う女神官を、女武闘家は睥睨した。息が詰まったように女神官は言葉を止めた。

 

 彼女とて悪気があったわけではなく、気遣ってのことだった。けど、最早ただの重荷となった脚を引き摺らされる女武闘家からすれば、素直に受け入れられる言葉ではなかった。

 

 「分かってるわよ、そんなこと……。でも、あそこでずっとうじうじしては居られないのよ、私は……」

 

 「それって、やっぱあの馬鹿女とか、口さがない人たちに陰でブツブツ言われるからですか。それとも……あなたのお母さんに負い目を感じてるんですか」

 

 羽帽子の言葉に女神官の顔が凍り付く。

 

 「や、やめなさい!……」

 

 と慌てて女魔術師が後ろから羽帽子の口を塞ぐも、

 

 「肩身が狭いから、逃げ出したいんですか」

 

 このように、女魔術師の手から脱して執拗に問うのであった。

 

 「うるさいわねッ!」

 

 女武闘家の堪えはすぐに崩れた。精神的にはまだ不安定であるのに、ここまで堪えられたのはむしろよくやったほうだろう。

 

 「そうよ! 村の奴らはここぞとばかりに私を追い出しに掛かってる、それは事実よ。女は蔑み、男は下卑た眼、厄介払いしたがってる老いぼれ! 皆楽しさに飢えてるから、さぞ私は良い話のネタになるでしょうねッ……。それに……、それに……」

 

 「それに?」

 

 物凄い剣幕の女武闘家を前にして、羽帽子は平然と見返しながら、そのように聞き返した。

 

 「母さん……」

 

 目に涙を浮かべて女武闘家は漏らした。

 

 「お母さんがどうしたんですか」

 

 「私みたいな厄介者が居たら、母さん、あの人と一緒になれない……」

 

 あの人、というのが誰を指しているのかは、おそらくこの場の誰もが知っていることだ。

 

 「あの人って、あなたのお母さんの幼馴染っていう、あの男ですよね」

 

 「……そう。ずっと母さんのことを心から思ってた。でも母さんは、別の人と結婚したの。その人は元冒険者だった。依頼のために村を訪れた時に母さんと出会って、それで結婚した。その二人の間に産まれたのが私。あの人からすれば、私なんて、惚れた女を奪った男の子供でしかないもの。それにゴブリンに凌辱されて冒険者辞めて帰ってきた奴なんか……、もう……、ただの、ゴミでしょ……」

 

 自棄気味に捲し立てていた彼女の言葉は次第に震え出し、途切れ、途切れ、やがて涙を我慢することでいっぱいになって、それっきり何も言えなくなった。女神官と女魔術師も、言葉に詰まっていた。いつも空気を読まない羽帽子は、何を考えているのか、同様に口を噤んでいた。

 

 この場の雰囲気に中てられていないのは、羽帽子を除けば、ゴブリスレイヤーと獣の狩人くらいだろう。

 

 「ここだな」

 

 ゴブリンスレイヤーは洞窟を前にして、委細構わず言った。

 

 「そうだ」

 

 ここへ案内をしてきた獣の狩人は首肯した。

 

 「中には入ったのか」

 

 「少しだけ。それと、ただのほら穴じゃない、注意しろ」

 

 「どういうこと」

 

 横から女魔術師が尋ねる。

 

 「入ってみれば分かる」

 

 言って先導する獣の狩人に、皆続く。前に狩人とゴブリンスレイヤー、間に女魔術師と女神官、最後に女武闘家と羽帽子の順に、入り口を潜って入っていった。

 

 「これは……」

 

 女神官が唖然と呟いた。

 

 「洞窟じゃないわね……、まるで遺跡か何かだわ。でも、どうしてこんな所に……」

 

 あり得ない物を見る眼で女魔術師が言った。

 

 石レンガで出来た床や壁、天井。上の隙間から伸びる木の根が、下に向かって壁を伝っていた。彼女の言う通り、これは洞窟とは言えない、遺跡か何かである。

 

 「おそらく本来は洞窟だ。今見ているこれは……夢や幻か何かだろう」

 

 彼女の疑問に答える狩人は、この遺跡を知っていて、またどうしてこうなっているかは大体分かっていた。が、説明が煩わしいために、答えを曖昧にしていた。

 

 この遺跡はかつて獣の狩人がヤーナムで探索したトゥメルの遺跡と――住み付いているのがゴブリンであることを除けば――ほぼ同じであった。

 

 「ゴブリン、昨日のことで高飛びしてないといいですね」

 

 進みながら、後ろのほうで羽帽子が、ふと気が付いたように言った。

 

 「何体かは逃げていることは考えられるが、だが向こうは五十体も居る、慢心もあって俺たちに迎え打とうとしている可能性が高い」

 

 「よし、皆殺しにしましょう、スレイヤーさん。だから私を前衛に出してください」

 

 「駄目だ。後ろを見張る役が減る」

 

 進言を却下された羽帽子は、チェッと口に出して引き下がった。

 

 廊下を道なりに進む。この廊下は鉤型に折れた道だ。

 

 以前狩人がヤーナムで探索した時、突き当りの手前には扉があった。灯りの点いたランタンを持った女性の像が両脇にあった扉であった。持ち上げて開く扉だ。だがここではその扉は既に開いている。

 

 その扉を潜ってすぐ突き当りとなっており、そこを曲がると前方にアーチがあって、その向こうに開けた所が見える。

 

 「ん……」

 

 そこでふと女神官が不思議そうに声を漏らした。

 

 「どうしたの」

 

 女魔術師が気付いて尋ねた。

 

 「今、声が聞こえました」

 

 彼女の言う通り、一行が向いている先からは、誰かが囁いているような声が聞こえた。

 

 男の声だった。ボソボソと、弛んだ声で何を言っているのか判然としない。何かに語り掛けているらしいのは判る。でも独り言のようにも聞こえる。

 

 「行くぞ」

 

 狩人が、皆に声を掛けてから一人で勝手に、どことなく急くように先へ進んでいった。そこで大きな空洞に出た。出た所にあった足場から地面まではやや高い。

 

 狩人はその足場から下を覗くと、一人の男が居た。その男が出す呟き声は、まさに一行の耳に届いていたものと同じであった。

 

 「ミコラーシュ」

 

 そう言って狩人は足場から飛び降りた。軽々とした着地であった。軽装とは言え、両手に武器を持っているとは思えない。

 

 「……やはり、君か。またこうして相見えることを待ち望んでいたよ」

 

 その男、悪夢の主ミコラーシュは振り向いた。よく学者などが着ているようなローブを身に纏い、頭には六角中の長い檻のような物を被った薄気味の悪い男。

 

 「……」

 

 その悪夢の主からの語り掛けを無視して狩人は、黙ったまま相手との距離を縮めに行く。その足取りは殺気立っていた。

 

 「私と君は、きっと似ているんだ。蓋し我々二人は、上位者へ至る道を歩んでいる者同士。こうして巡り合ったのは必然だったのさ……」

 

 相変わらず悪夢の主は、迫り来る狩人を前に悠々と語り続ける。そうして両者の間が十分に縮まったところで、狩人は右手に持った武器で、問答無用とばかりに悪夢の主に斬り掛かった。が、それと同時に悪夢の主は蜃気楼みたく姿が揺れたと同時に姿を消し、狩人の攻撃は空振りとなった。

 

 その瞬間だった。彼の周囲全方から、突如として多数のゴブリンが現れたのである。どこに潜んでいたのやら、連中はあたかもずっとそこに居たみたいに、忽然と姿を現した。そして一斉に飛び掛かったのであった。

 

 おびただしい数のゴブリンが狩人へ殺到した。

 

 ゴブリンスレイヤーらも、急ぎ駆け寄って助けようとした。だが間に合わなかった。狩人が悪夢の主のもとへ速足で歩いていく後を、ゴブリンスレイヤーが一番最初に追い掛けたのだが、梯子を――素早くとは言え――降りるまでの少しの時間差が命取りだった。

 

 瞬く間に彼の姿は積み重なるゴブリンらによって隠された。ゴブリン一匹一匹の体重は所詮子供程度、しかしそう何体も圧し掛かってしまえば相当な重圧となる。その山の中で腕を動かせないのは彼もゴブリンも同じだが、しかしゴブリンのほうは、その細い腕と小さな体躯を生かして、毒を塗った短剣で相手を仕留められる。

 

 が、そうはならなかった。

 

 突然、激しい咆哮が上がると共に、強烈な衝撃波がゴブリンたちを四方八方へと吹き飛ばした。咆哮はこの大きな空洞の中で幾重にも重なって反響した。その凄まじさを聞けば、今の衝撃波はその咆哮によってもたらされたのだと分かる。

 

 自身に群がる一切のゴブリンを纏めて吹き飛ばした当の狩人を見ると、彼は喉元に何やら禍々しい獣の手を押し当て、屈んでいた。

 

 そこから狩人は頭を上げ、周りを見出した。悪夢の主を探しているらしいのは見て取れる。

 

 彼の探す悪夢の主は、一行が出てきた所と向かいにある足場に居た。それを発見した狩人は、懐から、雷光を纏う金属の球体の付いた杭を取り出し、

 

 「邪魔だ」

 

 それを地面に突き刺すと、そこから前方のゴブリンの群れに向かって何本もの(いかずち)が走り、連中を蹴散らしたのであった。こうして開けた道を突っ走り、狩人は梯子の足掛かり二、三度程蹴って、飛ぶように駆け上がり瞬時にして足場へのぼった。だが、そこから続く道へは格子によって阻まれ、悪夢の主を追跡することが出来なかった。

 

 「狩人さん!」

 

 そうこうしていると下から女神官に呼び叫ばれた。これに狩人が振り向くと、下ではまだ残るゴブリンらに囲まれるゴブリンスレイヤーらが居た。これを見て狩人はすぐさま下へ降り、彼らのもとへ駆け付けた。

 

 「面目ない、勝手に先走ってまんまと罠に掛かるとは」

 

 目の前のゴブリンの群れを見据えたまま彼は、まずゴブリンスレイヤーへ謝罪を述べた。

 

 「俺もお前を過信していた。止めてやれず、こちらこそすまない」

 

 言われたゴブリンスレイヤーも、狩人を慮るように謝罪を返した。

 

 「だが、この状況を呼び出したのは俺だ」

 

 そう言って狩人は、自らの太腿に空の注射器を突き立て、そこから自身の血液を吸い出した。そうしたかと思うと、夢の使者たちから何やら大きく物々しい――太く分厚い鉄砲が円形に五本並んだ機械――ガトリング銃を受け取り、その機関部と思しき所から、抜き取った自分の血液を流し込んだ。そこへ更に、持っていた水銀弾を全て装填し、

 

 「責任を取ろう」

 

 とガトリング銃をゴブリンどもへ向ける。そして、機関部から伸びる円形に立ち並んだ砲身が、回転と共に無情な唸り声を上げた。




 なんか羽帽子がめっちゃでしゃばってる。でもキャラについて掘り下げる時、空気を読まないあの性格が便利だったりします。でしゃばらないようによく調教しておくと言ったけど、すまん、ありゃ嘘だ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

チュートリアル4

【1】

 襲い来るゴブリンの群れをどうにか退けたゴブリンスレイヤーの一行の消耗は著しかった。日に二回しか放てない魔術を使い切った女魔術師と、ゴブリンへのトラウマに因り疲弊した女武闘家は、奮闘の末に一部のゴブリン撃破に貢献するも、やがて撤退することとなった。それに当たって、戦いを継続が出来ない二人の護衛として羽帽子も一時離脱。残るはゴブリンスレイヤー、獣の狩人、それと女神官の三人。日に三度だけ地母神の奇跡を行使出来る女神官が行使出来る奇跡は、あと一度のみである。

 

 彼らは円形の空間に辿り着いた。ひどく寂れた場所だ。地面に敷き詰められている石畳の隙間からは何かの植物が伸びていて、また至る所の石レンガや石畳は砕けたり剥げたりして、土が露出している。そこら中に人骨や、錆びた武器が散らばっており、ここで激しい戦闘があったのも想像に難くない。

 

 辿り着いた彼らに、眩い流星のような光弾の雨が差し向けられた。しかし、それらは先陣を切っていた獣の狩人が持つ『湖の盾』により防がれた。

 

 「ふむ……、流石にもう『彼方への呼びかけ』も『エーブリエタースの先触れ』も通じないか……、その盾があるのなら尚更ね……」

 

 まあいい、と悪夢の主は結んだ。それから両手を左右に広げて、

 

 「おめでとう――と言うべきなのかな。何はともあれ、ここのゴブリンはもう狩り尽くされたよ、私が保証する。勿論、逃げたのは居ない、何故なら僕が逃がしていないからね。元々ここのカムフラージュのために住まわせておいたんだけど、むやみに数を増やしてくれたお陰で思ったより早くここが見つかってしまったし、始末に困っていたんだ、感謝するよ」

 

 と語った。

 

 「まあ、でも、見つかったからと言っても悪いことばかりじゃあない、何故ならまたこうして君と巡り合えたのだからね。私も、そして君も、目指す所は同じ……、なればこうして道が交わるのも運命……。けれど、けれどね、高尚な存在へと昇華されるのはいずれか一人のみ。他方は、もう片方を上位者へと押し上げる、案内人に過ぎないのさ……」

 

 斯様に悪夢の主は、囁くように訥々と紡いだ。これを境に、両者の間には幾許かの沈黙が流れ、その後おもむろに狩人が、

 

 「この野生の地から抜け出したいなら、おまえは別の道を旅する必要がある。なぜなら、おまえがどんなに叫んだとて、この獣は他の者が自分の道を通るのを決して許しはない、それどころか、散々邪魔だてした挙句、最後は殺してしまうからだ」

 

 と、まるで詩でも朗読する口吻で淀みなく語り出した。

 

 「……何だいそれは」

 

 「生まれつき、かくも邪悪で、罪深い性のため、飽くなきその貪欲が満たされることは決してない。食べた後の方が、食べる前よりも腹が減るという奴だ」

 

 ダンテ『神曲』地獄篇 第一歌より。

 

 悪夢の主は笑った。それまでのような、命運の尽きた道化師みたいな高笑いとはまた違う笑いだった。起き抜けの人間が、重要な報せを受けた時の笑いと似ていた。

 

 ヤーナムの医療教会にてメンシス学派の代表として上位の探求に腐心していた悪夢の主は、当然狩人の言っていたことが『神曲』の一節であることは知らない。が、趣は違えど同じく神が関わっているからか、或いは、同じ場所を目指す者同士で通じ合ったからなのか、そこはかとなく悪夢の主は理解したようでもある。

 

 「……おもしろい。そこまで言うのなら、是非見せてもらおうではないか……、君の道というものを」

 

 そう言って、パチリと指を鳴らした。その直後、彼のそばの宙から黒い煙が噴き出し、その中から巨人が現れた。常人の三倍はあろうか。全身の肌が緑に変色し、泥のようにふやけ、あちこちがくしゃくしゃにたるんでいて、所々に縫合で繋ぎ合わされた跡や、皮が破けた箇所が散見された。両手は手の代わりに巨大な鎌が取り付けられている。その歪で醜い姿は、獣の狩人の元居た世界で在った『フランケンシュタイン』という小説に登場する、フランケンシュタイン博士が死体を繋ぎ合わせて作り上げた怪物もかくやというものであった。

 

 「では、健闘を祈るとしよう……」

 

 と残して悪夢の主は背を向け、

 

 「ああ、そうだ、君の使っていた『獣の咆哮』と『小さなトニトルス』だけどね、見事な使いぶりだったよ……。獣、更に言うなら黒獣を研究していた我々にとっては過程の一つに過ぎなかったけれど、あそこまで有効に使ってもらえたのはかなり嬉しい。メンシス学派、並びにアーチボルドは君に感謝の意を示すことだろう……」

 

 振り返ってこのように言うと、今度こそ狩人たちの前から姿を消した。

 

 「逃げられたか……、まあいい、いつか必ずとっちめてやる。今は目の前のこいつに専念しよう」

 

 狩人は一人で納得し、気を切り替えると、持っていた武器、それと懐から取り出したキラキラと輝く青白い紙ヤスリをゴブリンスレイヤーに差し出し、

 

 「これを使え」

 

 ゴブリンスレイヤーは狩人の言う通りにこれらを受け取った。

 

 武器のほうはともかく、紙ヤスリのほうは何なのか。さしものゴブリンスレイヤーも迷ったのか、狩人を見やった。手放した武器の代わりに、狩人はもう一つの武器を取り出していた。

 

 それは戦棍(メイス)――とは形がよく似た物であった。持ち手の部分には針金がバネ状の螺旋を描いて巻き付けられており、その頭の槌部分の球体は薄く雷光を纏っている。その名も『トニトルス』。今しがた悪夢の主が言及していた、医療教会きっての変人として知られていたアーチボルトなる人物によって製作された独特な仕掛け武器。先ほど狩人が悪夢の主を追いかける際に、立ちふさがったゴブリンどもを蹴散らすのに使った『小さなトニトルス』と同じ原理の代物である。

 

 狩人はトニトルスの頭を自身のコートに強く擦り付けた。すると、薄く纏う程度だったその雷光は、より一層強い雷光がバチバチと立った。

 

 これにピンと来たゴブリンスレイヤーは、狩人の動作に倣うように、自分が受け取った武器に例の紙ヤスリを擦り付けると、その武器の刃には同じような雷光が走り出す。彼はこれを見て合点が行ったように、少しの間武器を眺めたのち、構えて、

 

 「奴を部屋の隅まで追い詰めたら、聖壁(プロテクション)を張れ」

 

 彼は、後方に控えていた女神官に向かって、意図を告げずにそう指示を出した。

 

 「えっ、……あ、はい!」

 

 一瞬困惑するも、彼の唐突さにはいい加減慣れてきた彼女は、すぐさま了解の返事をして聖壁の詠唱の準備に入る。

 

 「いと慈悲深き地母神よ、か弱き我らを、どうか大地の御力でお守りください……」

 

 奇跡行使のための地母神への礼賛の口上を唱え、後は任意のタイミングで発動するだけとなって、彼女は狩人とゴブリンスレイヤーの行動を見据えていく。万が一にも敵が彼女の方へ向かった折には、避けるために動けば詠唱はキャンセルされる、いや、そもそも彼女の身体能力で避けられるかも分からない。

 

 だから彼女は、彼ら二人の立ち回りを信じるしかない。

 

 二人は左右から死体の巨人へ接近する。巨人はそれに対し、身体を回転させて両手の鎌を振るった。これに対し二人は、狩人は飛んで回避し、ゴブリンスレイヤーは手前で踏みとどまってやり過ごす。大振りな攻撃により、巨人には隙が出来て、これを逃さず二人は巨人の脚にそれぞれ一太刀と一打浴びせた。

 

 巨人の脚は細く、腐敗が進んでいるぶん強度が弱い上、手に付けられた武器が重荷となっている。故に上半身に比べて下半身が貧弱過ぎる……。流石に一、二撃では倒れないが、深く効いているのが分かる。加えて、二人の武器に付加された雷光が、死体の巨人を稼働させている微弱な電気信号を阻害し、動きを鈍らせるのだ。

 

 言うに及ばず死体の巨人には合理的な知能は無い。すぐ目の前に、戦闘能力が見込めない女神官が居るのにも拘わらず、自らに甚大なダメージを与えて背後に回った二人に目を向けている。

 

 巨人は、部屋の入口正面にある、先ヘ進む道へ繋がるアーチに固まる二人へ向かって突っ込んでいく。両手を広げ、二人を挟みこもうとするように鎌を振った。これを二人は、巨人に突貫するように回避し、再びすれ違う。

 

 その瞬間。

 

 「聖壁(プロテクション)!」

 

 女神官が高らかに叫び、二人を振り返った死体の巨人の目と鼻の先に神々しい光の壁が出現した。それもあろうことか、アーチの中にその巨体を突っ込ませた状態でである。

 

 当然巨人は、鎌を振るどころか、動かすことすら出来ない。完全に拘束されている状態だ。

 

 すかさず獣の狩人とゴブリンスレイヤーは、女神官が発動させた聖壁越しに、巨人の脚に向かって同時に、お互いの武器が引っ掛からないように攻撃を与えた。その二つの攻撃はいずれも巨人の膝へ当たり、片方の膝は砕け、もう片方は関節を分断された。

 

 聖壁が消え、解放された死体の巨人は、壊れた脚で立つことは出来ずに両肘を突いてくずおれた。

 

 随行する夢の使者たちに武器を預け獣の狩人は、巨人の正面に移動し、大きく腕を引いた。

 

 力が籠り、震える腕。獲物を引き裂かんとする獣の鉤爪。

 

 溜めた力を一気に放つように腕を突き出す。それは死体の巨人の首筋の肉を突き破り、内部へ。そして強靭な握力で内臓などを大きく引っ掴むと、勢いよく引きずり出した。

 

 死体を繋ぎ合わせただけの身体は、構造そのものを壊され、瞬く間に崩壊する。そうしてその身体を地面に横たえると同時に、白い霧となって消えた。

 

【2】

 ゴブリン総勢五十三体。討伐完了として村へ戻る途上。

 

 「あの檻のような物を被った人、ミコラーシュと言ってましたけど、一体何が目的だったのでしょう……」

 

 釈然としない様子で女神官が狩人に尋ねた。

 

 「詳しい目的は分からない。奴の現実世界の肉体はとっくに死んでいる、だから奴が行動するには夢の世界が必要だ。あの洞窟の内部が遺跡に変えられていたのも、多分潜伏するためだろう。ゴブリンをカムフラージュに使っていたのは、ひとまず本当だとしておく。ゴブリン討伐は人気が無いからな。ただ、あの群が五十体以上にまで膨れ上がるのを放置して、間引きもせずに流用したり、ゴブリンスレイヤーという冒険者の存在を把握していなかったのは杜撰だったがな」

 

 それは説明するというより、自身の考えを纏めている塩梅の語りであった。

 

 そして漸う村に着いた。

 

 「先生ー! スレイヤーさーん!」

 

 イの一番に駆けてきて出迎えたのは羽帽子であった。物凄い走り方であった。力強く地面を蹴り、腕をしっかりと振るそのフォームは、つい最近まで一村娘に過ぎなかった女とは思えないものである。で、その後ろからは女魔術師が追いかけてきていた。こちらは羽帽子と違って普通の女の子らしい走り方だった。

 

 「いやいやいや、三人ともお疲れでしょう。あなたらが帰ってきてすぐに一休み出来るよう準備をしておきましたので、代表さんに報告がてらに一服どうぞ、どうぞ。あ、私たちのことはご遠慮なく。待っている間にゆっくりと休んでいたので、はい」

 

 「はぁ……、はぁ……、私はあなたのせいで疲れたけどね。ふぅ……」

 

 羽帽子の後ろで、追い付いてきた女魔術師が息を切らせながらぼやいた。

 

 「あら、あなたたちだったのね、おかえりなさい。てっきりこの羽帽子がまた何か突っ走ったと思った。安心したというか、くたびれ儲けなのか……、どっちなのかしらね……」

 

 皮肉げに笑う女魔術師。

 

 「苦労されているんですね……」

 

 女神官は苦笑いしか返せなかった。

 

 その後一行は、付近のゴブリンを殲滅したことを村の代表に告げた。その話は、立ち聞きしていた他の村人から村じゅうに伝播し、住人は皆緊張がすっかりと取れたように態度が柔らかくなった。

 

 「帰るぞ」

 

 それらとは対照的にゴブリンスレイヤーは、達成の余韻にも浸ることもなく、ひと仕事終えた仕事人よろしく帰還の旨を一向に告げた。

 

 反対の意を示す者は居ない。せいぜい、女魔術師が鼻で溜息吐く程度で、当たり前のように受け入れている。

 

 村人らの見送りに、女性陣は社交辞令程度に返礼して、そうしながら一行は帰り道を歩いていく。

 

 しばらく歩いたところで、前方に人影があった。女性の人影だ。それも大分若い。

 

 近づいていくと、それは女武闘家のものであるのが分かった。手頃な荷物を足元に置き、両手を後ろで組みながら街道の脇に立って、一行を横目で見ているようだった。

 

 「えっと……、あ、ああ! 奇遇だね!」

 

 一行が近づくと、何と声を掛けたら分からないという感じに少しの間逡巡して、そう言った。

 

 「ゴブリンか」

 

 「いや違うでしょ」

 

 ゴブリンスレイヤーの言葉に女魔術師が突っ込んだ。彼は冗談でそれを言ったのか、それとも素で言ったのかは判らない。

 

 「まあ……、ゴブリンって言えば、ゴブリンかな。でも、ゴブリン以外にも冒険をやったりはするかもしれないけど……。単刀直入に言うと、また冒険者をやろうって思って、ついては私も一緒に連れていってくれないかしらって。一度ゴブリンにやられたから、他に受け入れてくれそうな一党(パーティ)が居なくて。あっ、と言っても、しぶしぶ入りたいってわけじゃないわよ! それに、トラウマだって、いつか克服して見せるし、ちゃんと貢献するわ!」

 

 早口気味で長々と喋る彼女。

 

 「大丈夫なんですかね」

 

 彼女の様子に鼻白んだ様子で羽帽子が、ゴブリンスレイヤーと獣の狩人を交互に見やって尋ねた。

 

 「好きにすればいい」

 

 とゴブリンスレイヤー。

 

 「ちょうどいい、彼女を仲間に加えたらどうだ」

 

 獣の狩人は羽帽子の肩に手を置いて言った。

 

 「先生がそう言うなら、私は従いますけどね。そういうことだから、これからよろしく」

 

 「あ、うん、よろしくお願いします!」

 

 女武闘家はパッと嬉しそうに相好を崩し、それから武闘家らしく整然としたお辞儀をした。

 

 無事に契約成立ということで、ゴブリンスレイヤーは再び歩き出して、一行は先へ進み出す。女武闘家も、地面に置いていた荷物を持って、それに随行する。

 

 歩き出してからしばらくして、

 

 「あの……」

 

 女神官が、気遣わしげに女武闘家に声を掛けた。

 

 「どうしたの」

 

 「冒険者に復帰するにしても、やはりお辛いことも多いかと思われます。だからと言ってあなたの意思を尊重しないというわけでもありません。けれど……、もしまた辛くなった時には、その時は遠慮なくおっしゃってください、私に出来ることならお力になりましょう」

 

 「え、ええ、ありがとう」

 

 少し困ったように女武闘家は微笑んだ。女神官のその言葉は、女武闘家からすれば罪滅ぼしのためのものに聞こえたのだ。逃げろと女武闘家が言ったにせよ、女神官は女武闘家を見捨てて行き、それでゴブリンに酷い目に遭わされたのだから、罪悪感を感じるなというほうが無理がある。

 

 「まあでも、いつかは出ないといけなかったしね。父さんが死んじゃって、母さんも女だけでこのさき生きていくのは難しいしね。だから、あの人と再婚して幸せになってほしいって思うの。そのためには、私みたいなお邪魔虫は消えなくちゃいけない。今私が持ってるこの荷物も、そのために以前から用意しといたんだ。私が冒険者やめて村に帰ってきてからずっとそのままだった荷物に、必要な物を詰め直してね……」

 

 そこまで語って女武闘家は、しまったと慌てて口を閉じた。女神官をフォロウしようと思ったのに、ついつい夢中になって、後ろ向きな心情と捉えられかねないことを喋ってしまったのである。

 

 横目で女神官を見るが、目下彼女が何を考えているのか、女武闘家の混乱した頭では分からない。

 

 こうして二人の間に、気まずい沈黙が流れた。何か言葉を探す女武闘家だったが、

 

 「それと――」

 

 と少しして女神官が、自分の懐を探りながら口を切った。

 

 「これをあなたに」

 

 それで懐から取り出し差し出してきた物は、一つの折り畳まれた帯であった。頭や首元に巻く短い帯だ。

 

 「えっ、これ……」

 

 女武闘家は目を丸くしてそれを受け取った。

 

 「これ、父さんのだ……」

 

 「あなたのお母さんから預かった物です、機を見てあなたに渡してほしいと。村を出る前にあなたに渡そうと思ったのですが、でもどうしても見つからなくって。それで、もしかしたらと思ったら、予想通りあなたはここに来てくれた……」

 

 慈愛を籠めた、女神官のその優しい語り口、それと微笑みに、女武闘家は心が溶かされたように顔を綻ばせた。

 

 その微笑を浮かべたまま、手の中の折り畳まれた帯を愛おしそうに見つめ、

 

 「私の父さん、母さんにプロポーズする時に、これを渡したんだって。これからは一人だけの武闘家としてではなく、あなたを守る人間になりたい、だからそれを預かっていてくれないかって……」

 

 言いながら、女武闘家は畳まれていた帯を開いて、

 

 「えっ……」

 

 そして顔いっぱいに驚愕を現して立ち止まった。

 

 これに伴って、一行は自然と足を止める。各々女武闘家に、静かに目を向ける。

 

 彼女の帯には何らかの刺繍が施されているらしかった。しかしそれは、日が傾きかけ少しだけ暗くなった中では、横から覗いて見ることは出来ない。

 

 突如女武闘家は眼から涙を零した。それを皮切りに涙は激しく溢れだし、いよいよ人目を憚らず顔をクシャクシャにして嗚咽を漏らして泣き出した。

 

 一行はこれに反応を示すことはなく、ひたすら見守るだけだった。ただ一人、女神官だけは、腰を落として咽び泣く女武闘家のそばに屈みこみ、彼女の顔を自身の胸に導き、優しく抱き締めた。

 

 こうしている間にも日は西に向かってどんどん移動していく。しかし一行は彼女を急かすことなく、黙って待ち続ける。

 

 あの帯には何が書かれているのかは誰も知らない。知ろうとも思わない。何故ならそれは無粋なことだから。




 死体の巨人、瞬殺。戦闘描写はダレるから仕方がない。まあ充分にレベルがあれば初見でも倒せますからね。

 〈本文での『神曲』の引用元〉
 ダンテ『神曲』地獄篇対訳(上) 藤谷道夫 (https://appsv.main.teikyo-u.ac.jp/tosho/mfujitani16.pdf)(最終アクセス2019年1月12日)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

灰狼の狩人:前編

 ついに平均評価7になっちゃったけど、私は元気です(半ギレ)


【1】

 「小鬼殺しの鋭き致命の一撃が、小鬼王の首を宙に討つ」

 

 吟遊詩人がリュートを鳴らして唄っている。

 

 「おお、青く燃ゆるその刃を見るがよい。誠の銀にて鍛えられ、その忠誠は決して主を裏切らぬ。かくて小鬼王の野望も終には潰え、救われし美姫は勇者の腕に身を寄せる。然れど彼こそは小鬼殺し、彷徨を誓いし身、傍にさぶらうことは許されぬ。伸ばす姫の手は空を掴み、勇者は振り返ることなく立ち出づる」

 

 夕暮れの大路にその音色を響かせながら唄われているのは、ゴブリンスレイヤーの為の礼賛。ゴブリンという身近な脅威に日々悩まされる人々や、老若男女、貧富、職業が混交する聴衆を前に、吟遊詩人は腕の見せどころとばかりに張り切る。

 

 硬派で悲壮な英雄の生き様に憧憬の念を抱く男、美姫との悲恋へ切なげに吐息を漏らす娘。反応は上々。浮かび上がってきそうな笑みを抑え、彼は数度の旋律を挟む。

 

 「共に戦いし友、獣の狩人は既に影へ帰れり。彼は夜を歩む身、朝陽に曝され衆目に晒されてはならむ。何れまた巡り合う戦友に胸中で謝し、小鬼殺しは朝陽に向かい歩み続ける」

 

 登場する二人の英雄の対比。この節は、出来上がった詩に後で付け加えた物であった。だからなのか、それまでの詩の調子からはやや外れていた。しかし聴衆たちはそれを気にしない、むしろ受けは良かった。英雄と肩を並べるもう一人の英雄、裏の英雄、片方とはまた別の悲壮さを持つ英雄、そして二人の友情。これらの要素は、主に男に受けが良いようだった。殊に繋がりを大事にする職業人らは、胸に火が点いたように神妙な面持ちで、うんうんと頷いている。

 

 「辺境勇士、小鬼殺しの物語より山砦炎上の段、まずはこれまで……」

 

 パチパチという拍手。投げ込まれる銭の音。吟遊詩人にとってこれほどまでに心地良い音は他に無いだろう。

 

 満足げに去る聴衆らへ優雅な礼をして見送り、それから彼らが居なくなった後、拾い上げた帽子の中のおひねりを数え出す。

 

 「ねえ」

 

 とそこへ若い女が話し掛けてきた。

 

 「その小鬼殺しの冒険者って、本当に居るの?」

 

 「ああ、居るともさ」

 

 吟遊詩人は、存在だけを肯定した。何故なら、今度唄ったそれには多分に脚色がなされているからである。ゴブリン程度に姫が攫われるような国なぞ、もし存在していたのならとっくに滅びていることだろう。獣の狩人については、ゴブリンスレイヤーとつるんでいることくらいしか情報を持っていない。

 

 詩の中で登場した美姫というのは、実際の『山砦炎上』でゴブリンに攫われた村娘と、これを助けに行った貴族令嬢率いる鋼鉄級の一党を(パーティ)を合わせたもののことで、いずれも既に死亡している。

 

 更にそこへ、一人の男が近づいてきて、

 

 「私は、獣の狩人とやらに興味があるな」

 

 と言った男の風体に、吟遊詩人は一瞬固まった。

 

 ぼろぼろにくたびれた、猛禽の頭のような三角帽と灰色の装束の男だ。長年に渡って着用されていたであろうその生地は、ほつれ、やぶけ、擦り切れていて、その姿は浮浪者のそれである。全体どんなことをしていればそうなるのものなのか。

 

 「失礼。私はデュラと言う者だ。かつて故郷の町で狩人に身をやつし、そして今はこの国で冒険者なるものに身をやつしている。周囲からは『灰狼』と呼ばれている。それで、私が聞きたいのは、その獣の狩人についてなのだが」

 

 しかし、その堂々とした佇まいや、紳士的な物言いのお陰で、彼が浮浪者であるようにはあまり思えず、どちらかと言えば老練な騎士のようにも見える。

 

 「あまり詳しいことは言えませんが、ここから西へ二、三日ばかり行った町に居るとお聞きました」

 

 吟遊詩人は丁寧な口調でそう話した。灰狼の振る舞いを前に、いささか居住まいを正している。

 

 「そうか、西の町だな。感謝する」

 

 そう言って彼は一礼し、去っていった。

 

 一寸緊張していたからか、吟遊詩人は張り詰めた空気を出すように小さな溜息を吐いた。それと少しの罪悪感。

 

 詳しいことは言えない、と言ったが、あれはゴブリンスレイヤーと獣の狩人のプライバシィへの配慮ではなく、単によく知らないだけだからだ。所詮彼が語ったことなどは、風聞を纏めただけのものに過ぎない。

 

 ゴブリンスレイヤーと獣の狩人が『山砦炎上』以前に一度組んだことがあるのは事実である。それから随分間を空けてもう一度組んだこともある。が、この詩はその二回目以前に作ったものだし、そもそもそれらをこの吟遊詩人が把握しているかは怪しい。

 

 吟遊詩人としても、この詩で結構な金子を稼がせてもらった。灰狼に二人のおおまかな場所を教えたのは、そうした恩返しのつもりであった。

 

 灰狼を前に嘘を吐いているみたいで、据わりが悪かったようだが。

 

【2】

 正午前、冒険者ギルドで、一人の女が何やら騒いでいた。

 

 「だから! オルクボルグよ、オルクボルグ!」

 

 その女の耳は長く、尖っていた。而して人間離れした美しい容貌であった。だがそれを具に表現するのは難しい。肌が白いとか、目が大きいとか、髪が綺麗な緑色と言うだけでは表し切れない。敢えて表現するなら、自然的な美と言ったほうが適当であろう。

 

 「へへえ、あれが森人(エルフ)ってやつか。話に聞いた通り、えらく綺麗だ。妖精の末裔ってだけはあるな」

 

 ギルドに居た者は男女問わず一様に、彼女の美しさに見惚れている。

 

 年の頃は――途方もない長寿の彼女らには無意味だが――十七か八くらいに見える。動物の狩人が着るような軽めの装束をぴっちりと着こなし、背には大弓を背負っている。首からは銀板の認識票を下げていた。弓手か野伏(レンジャー)だろうと思われる。

 

 「オ、オーク? オークって、木のオーク……というわけではないですよね……」

 

 彼女を応対する受付嬢は戸惑ったように受け答えしている。どうやら二人の間には齟齬があるらしい。

 

 「木じゃないわよ。オルク、ボルグ!」

 

 「やっぱり冒険者の方でしょうか……」

 

 受付嬢とて膨大な人数の冒険者を記憶しているわけではないが、森人の口ぶりからして、わざわざ名簿を引っ張り出すまでもないほどに有名な人物だとは見ている。だから、自分の記憶の中でそれらしき人物が居ないか探していた。

 

 「まったく、気位の高い耳長どもはこれだから。ここは只人(ヒューム)の領域じゃろうに」

 

 そうしていると、森人の隣に居た小柄な老男が口を挟んだ。ずんぐりむっくりとしていて、剥げ上がった頭頂部に、白い髭を蓄えた男。彼は鉱人(ドワーフ)という種族である。

 

 「耳長の言葉が通じるわけあるまいて」

 

 「じゃあ何て言うのよ」

 

 「カミキリ丸に決まっておろうに」

 

 鉱人は得意げに答えた。

 

 「いや、カミキリ丸という名前にも聞き覚えがありませんが……」

 

 すぐさま受付嬢は否定し、それで森人は鼻で笑った。

 

 「私らが気位の高いと言うんなら、あんたら鉱人なんて頑固で偏屈な老害じゃない」

 

 と高笑いをした。

 

 「けっ、狭量な奴じゃのう、金床みたいな胸と同じくらい狭量じゃ」

 

 鉱人は吐き捨てて、取り出した容器から酒を呷った。

 

 「じゃあ鉱人の女は何よ、ビア樽なんじゃないの!」

 

 それにギロリと森人が流し目をし、食って掛かった。

 

 「ありゃあナイスバデェと言うんじゃア!」

 

 「あ、あのー……、ギルド内で大声や喧嘩は控えていただけると……」

 

 見かねて受付嬢が止めようとした折、

 

 「すまぬが喧嘩は他所でやってくれまいか」

 

 ぬっと三人に大きな影が被さった。見ると、鉱人と森人の後ろには、見上げるような体躯の、全身が鱗で覆われた、爬虫類特有の臭いを醸す蜥蜴人(リザードマン)の僧侶が立っていた。

 

 「連れが騒ぎを起こしてすまぬ」

 

 「いえいえ、冒険者の方々は元気な方が多いですから」

 

 受付嬢は吃驚の様をチラリと見せはしたものの、臆せず蜥蜴僧侶に微笑を付けて応えてみせた。ギルドの受付嬢をやっていることもあって、慣れたものである。

 

 「拙僧も人の言葉に明るいわけではない故、上手く言えぬが……、小鬼殺しと言ったところだろうか」

 

 「小鬼殺し……ですか。うーん……、何となく分かってきましたが……」

 

 いささかピンと来たように受付嬢は唸った。

 

 「拙僧が今言ったことが間違いですかな」

 

 「あれ、なかなかの好感触。ここからどうにか通り名を推測出来ないかしら……」

 

 と閃いたように森人が沈思しだした。

 

 「そうじゃなぁ……、よし分かったぞ! 小鬼殺しと来たなら、ずばりカミキリ丸じゃ!」

 

 「はあ? それさっきあんたが言って間違いだったやつじゃない、いくらそんな老け顔でも、ボケるにはまだ早いんじゃ――」

 

 と呆れて森人が、鉱人を見て、固まった。

 

 その顔は赤かった。目は焦点が揺れ、立っているだけだというのに身体がバランス悪そうに揺れている。これは疑いようもなく酔っ払っている。

 

 「いつの間にそんな飲んだのよ……」

 

 「拙僧が今言ったことが間違いですかな」

 

 再度蜥蜴僧侶が、今度は森人に顔を寄せて、同じようなことを言ってきた。爬虫類の生臭さと、それと蜥蜴の厳つい顔が急に迫ってきたものだから、森人は口や鼻を手で覆いながら仰け反り、

 

 「いや、半分当たりってとこでしょ、大したものよあなた」

 

 と流す。

 

 「で、どう言えばいいのかだけど……」

 

 「小鬼殺しではないのか?」

 

 また蜥蜴僧侶。

 

 「だから、それをどう変形したらいいのかって話でしょ」

 

 「拙僧が今言ったことが間違いですかな」

 

 「だから半分当たってるんだって」

 

 「じゃあカミキリ丸で決まりじゃろうがい!」

 

 「拙僧が思うに、小鬼を屠る者の意味で間違いないのだが」

 

 顎に手を当て目を閉じながら蜥蜴僧侶は言った。

 

 「それで、これを只人の通り名に変換すると?」

 

 「小鬼殺しですな」

 

 「だからそれが当たってるのは半分だって……」

 

 「カミキリ丸!」

 

 「また元に戻ったわね……」

 

 うんざりとして森人は眉間を指で摘まんで俯いた。

 

 それに蜥蜴僧侶が、一呼吸間を空けて、

 

 「拙僧が今言ったことは間違いですかな」

 

 これら一連のやり取りを見ていた、受付嬢や監督官をはじめとしてギルドの者たちは皆必死で笑いを噛み殺していた。

 

 実を言うと、監督官にはこの三人が誰を指名しているのかは端から見当が付いていた。数々の言語を知っている彼女に掛かれば、森人が最初に『オルクボルグ』という単語を出した時点で、それが『ゴブリンスレイヤー』という冒険者を指すのは分かったはずだ。しかし、何だか面白いことになりそうだということで黙っていたのである。

 

 そしたら案の定面白いコントを繰り広げてくれたので、彼女としても大いに満足であった。

 

 そこへ、折良くゴブリンスレイヤーが、ギルドの扉を開けて現れた。軋む扉と、ベルのの鳴る音で皆気付き、注目し出す。彼はそれらを意に介さないが、彼の連れである女神官は居心地悪そうに、縮こまりながら追従していく。

 

 「あっ、ゴブリンスレイヤーさん!」

 

 森人ら三人の間から、パッと花が開くような笑顔を覗かせて受付嬢が呼んだ。それで例によって彼は彼女のもとへ足を運んだ。

 

 「あなたがオルクボルグ?」

 

 唐突に森人が問う。

 

 「いや、俺はオルクボルグなんて名前ではない」

 

 「じゃあカミキリ丸じゃな!」

 

 「カミキリ丸でもない」

 

 ゴブリンスレイヤーも嘆息しながら否定する。

 

 「ゴブリンスレイヤーさん、この方々はどうやらあなたにご用がおありのようです。皆さん、この方がお探しの方のゴブリンスレイヤーさんだと思いますよ」

 

 と受付嬢はスムーズに取り持った。まるでかねてから分かっていたみたいだ。

 

 森人は口を半開きにして胡散臭そうな眼で受付嬢を見やり、

 

 「……ひょっとしてあなた知ってたでしょ」

 

 言われて受付嬢は半笑いになりつつも惚けた顔で視線を逸らした。

 

 「用とは? きっとゴブリンだな。そうなんだろう、そうに違いない、そんな予感がする。というわけで話を聞かせてくれ」

 

 一方のゴブリンスレイヤーは、ゴブリンの依頼が回されるものと、それも特別にやり甲斐のある仕事が回されるものと勝手に逸って話を進めようとしている。それを受付嬢が、さも遊びたい子供を相手にするみたいに、はいはいと言ってゴブリンスレイヤーと、彼を訪ねて来た三人の冒険者を奥へと案内していった。実に手慣れたものである。

 

 なお、その際に、

 

 「お前はここで休んでいろ」

 

 女神官に告げてから、ギルドの奥へ入っていった。

 

 ゴブリンスレイヤーらは、彼女が何かを言おうとするより前にさっさと行ってしまったため、一人取り残された彼女は大人しく椅子に座って待つことにした。その際、近くに羽帽子、女魔術師、女武闘家の三人が座っていて

 

 「あ、どうも」

 

 彼女らと目が合ったので、軽く挨拶をした。羽帽子は更に話し掛けようかと席を立ったのだが、女魔術師によって肩を押さえられて座らされた。女神官の疲労の様子を見た女魔術師が気遣ったのである。

 

 女魔術師の行動に素直に甘え、女神官は椅子に座りながら息を吐いた。

 

 と、そこへ、

 

 「なあ、君」

 

 二人の若い男女が話し掛けてきた。

 

 「え、あ、私、ですか」

 

 と、いくらかの疲弊でなまった頭で一瞬遅れて反応し、相手を見た。その二人は、たまにギルドで顔を見る新米の戦士と見習いの聖女であった。女神官とそう変わらない年齢であるように見受けられる、その佇まいやあどけない容貌で、首には白い認識票を下げている。二人とも、冒険者登録をしてまだ――女神官よりは若干長いが――まもない身である。

 

 「君って、あいつといつも一緒に居るよな?」

 

 新米戦士はやや緊張したような面持ちで、周囲を気にする素振りで女神官にそう尋ねた。

 

 「ゴブリンスレイヤーさんのことですか」

 

 「そう、あのいつもへんな恰好してるあいつ」

 

 と、新米戦士の連れの見習い聖女が、煙たがる風に言った。女神官はその彼女の様子から、そぞろに嫌な予感がした。

 

 「よければだけど、一緒に来ないか」

 

 矢張り、という感情が女神官の胸の内に降りて、思わず彼女は溜息を吐こうと息を吸い、いけないと気付いてこれをぐっとこらえた。

 

 「いえ、私は結構です……」

 

 その空気を吐きながら、女神官は努めて穏やかに、ゆっくりと言った。

 

 「何でさ。君はおかしいと思わないのか。あんな、ゴブリンばかり相手にしてるような怪しい奴……」

 

 途端に女神官は押し黙った。言い返せないのではなく、自分を押さえているのだ。

 

 「噂じゃ、あなたを囮にしてるって聞くわよ、あと他の冒険者を見捨ててゴブリンを狩っているとか言われているし」

 

 見習い聖女の言葉を聞いて、女神官は渋面を深めた。

 

 女神官も、本当ならこの二人を喝破してやりたいところであったが、しかし反面、この二人は飽くまで善意で彼女に声を掛けてきたということも慮っていた。だからそうするわけにはいかなかった。噂を鵜呑みにして人を悪く言うのはいけないことではあるが、だからと言って、十五歳の女性が何かしらの酷い目に遭っている可能性を考えれば、二人の行動は責められることではなかった。

 

 で、そうして女神官が、二人の言葉を聞きつつ自分自身を律していると、そこに近づく者が居た。それは羽帽子だった。

 

 羽帽子は我慢の限界といった感じに、勢いよく、それでいて静かに立ち上がると、止めようとする仲間の手を振り払いつつ速足で新米戦士のほうへ向かう。新米戦士はそれに気付いたものの、誰が近づいてきているのかまでは、当座には分からない。それで相手の顔、いや、被っている帽子と手に持った仕込み杖を見て顔を青ざめさせた。

 

 そうこうしている短い間に羽帽子は新米戦士の目前まで来たところで、いきなり彼の喉を掌で殴りつけたのである。蛙が潰されたようなえずき声を上げ、新米戦士は喉を押さえ床に膝を突いた。

 

 そばに居た見習い聖女が悲鳴を上げ、ギルド内がどよめいた。

 

 構わず羽帽子は、新米戦士の髪の毛を掴んで上を向かせ、それから右手に持った仕込み杖を相手の開いた口に突っ込んだ。

 

 「私の恩人を悪く言うのやめてくれます?」

 

 ひどく無機質な声で言い放った。

 

 直後に彼女は、女武闘家に羽交い絞めにされる。それでも羽帽子は唸り、仕込み杖を振り回そうとするので、その手を女魔術師が掴んで止める。

 

 「放してくださいッ! 止めないでくださいッ! こいつら偉そうにッ。じゃあ今からあなたらの武装取り上げてゴブリンの巣に放り込んでやりましょうかッ、そうすれば彼の有難味が分かるんじゃないですかァ、アァ! ていうかその噂流した人は誰ッ、即刻シメてやるッ!」

 

 このように喚き立てて、到底止まりそうもない羽帽子に、女魔術師は、

 

 「ああもうっ、やっちゃってちょうだい!」

 

 と、指を突き出して女武闘家に何やら指示を出した。

 

 必死な顔で羽帽子を押さえていた女武闘家はコクリと頷くと、羽交い絞めの状態から、今度は腕を首に回し、スリーパーホールドの体勢で絞め上げ、羽帽子のタップを無視してそのまま一気に落とした。

 

 そして、ギルドの中の誰かが、

 

 「ノルマ達成」

 

 と一言。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

灰狼の狩人:後編

情緒不安定なキャラって、要所要所の場面でテンションを演出するのに凄く便利ですよね。


【1】

 「大丈夫?……」

 

 ほっと胸を撫でおろして女魔術師は、死んで蘇生したみたいに顔を青ざめさせながら咳き込む新米戦士と、それを介抱する見習い聖女に目を向けた。

 

 「え、ええ、大丈夫そう……」

 

 声帯を殴られてしばらく声が出せそうにない彼に代わって、見習い聖女が応えた。

 

 「私たちの連れがごめんなさいね、ああいう娘なの。もっと早く止めるべきなんだけど、私たちとしてもあれを止めるのは怖くもあるし……。こっちが手を出して何だけど、あの娘をあまり怒らせないでもらえるかしら、こっちとしても大変だから」

 

 それに――、と間を挟んで、

 

 「あの娘も、私たち二人も、それにそこの神官の娘にとっても、あの人はゴブリンから救ってくれた恩人だから、正直余計なお世話なの」

 

 冷然と歯に衣着せず告げた。気を遣う口調ではない。それまで申し訳なさそうに潜めていた眉も、今では厳しく顰められていた。

 

 これを受けて新米戦士と見習い聖女はショックを受けて固まって、それから悄然と項垂れた。

 

 「ま、まあまあ、そこまで怒らなくても、ね?」

 

 羽帽子を担いで席に運び終えた女武闘家が、慌ててフォロウに入った。

 

 「あなたたちだって、何も悪気があったわけじゃないんでしょ。ただ私たちが嫌な目に遭ってるかもしれないからってだけで。ね、神官さん、あなたもそう思うわよね」

 

 と女武闘家は女神官へパスをする。

 

 「あ、はい、私もそう思います」

 

 それを女神官は咄嗟に見事繋げた。

 

 「ま、そういうことだから、お気遣いありがとうね。あ、そうだ、今度一緒にゴブリン退治に行きましょ。同じ白磁等級だし、今の内に仲良くなれば今後良いことがあるかも」

 

 このように女武闘家は一気に捲し立てたことで、その場は治まった。差し当たってこの場で重大な禍根は残さずに済んだのであった。

 

 獣の狩人が、また例によって全身に血を纏いながらギルドへ入ってきたのは、その二、三分程経った折であった。

 

 「おかえりなさい、狩人さん。あなたが来る前に、面白い事がありましたよ、本当に傑作でした。あとちょっと早く帰ってくれば見られたかもしれないのに」

 

 受付にやって来た彼を、監督官が鼻を摘まんで鼻声になりながら迎える。

 

 「それと、あなたのお弟子さんがまた仕出かしましたよ。どうにかなりませんか」

 

 「そうか、それはすまない、後で言っておくよ」

 

 「後で言っておくとか、どうせ注意するだけなんでしょう。ちゃんと叱ってくれなきゃ。あなたの昇級にだって響くんですからね、そうしたらいつまで経っても翠玉に行けませんよ?」

 

 「言うだけのことは言っている、そこからは力で強制するものじゃない。俺を昇級させるかどうかは勝手に決めればいい。それより――」

 

 話を換え獣の狩人は懐から書類を取り出した。

 

 「例のトゥメル遺跡の調査結果だ。綴りや文法が間違っていないかはそっちで確認してくれ」

 

 はあ、と諦観めいた嘆息をして監督官はそれを受け取った。

 

 「さらっと見た限りだと取り立ててミスはありませんね。ところで、ミコラーシュという人物の目的は一体何なのか分かりましたか」

 

 書類の内容を眺めながら彼女は質問する。

 

 「まだ分からない。だが奴は危険だ。自らが上位者になるためなら、町一つを滅ぼすことさえ厭わない」

 

 「何故そうまでして、人を超越しようとしているのですか」

 

 「進まなきゃならないからだ、人は。その場に留まるためにでさえ、人は全力で走り続けねばならない」

 

 これは、ルイス・キャロル著『鏡の国のアリス』、赤の女王の言葉。

 

 あたかも、預言者より言葉を賜わってきた福音記者の如く、至極当たり前のことを言う体で彼は答えを呈した。

 

 「一寸あなたが心配になってきます。まるであなたは、ミコラーシュという男と同じ志を持ってらしているみたいですね」

 

 監督官は受付机の引き出しの中に書類をしまいながら紡いだ。その面持ちは心配しているというより、見果てぬ夢を熱心に語る子供、兄弟、幼馴染、もしくは夫を前にしたものと似たものである。昵懇でありながら、間に何かが揺曳している関係。冒険者とギルドスタッフとは、かくあることが妥当なのかもしれない。

 

 また一人、ギルドに足を踏み入れる者が居た。

 

 その男は、入って真っ直ぐ、受付へ進んでいく。

 

 「あ、ようこそ」

 

 気付いて監督官が挨拶をした。依頼客ではないことは、装いや足取り、それと首元で一瞬煌めいた認識票を見れば判った。

 

 「久方ぶりだな、狩人よ」

 

 男は良く通る声で、受付の前に立っていた狩人へ向かって声を掛けた。やおら狩人は振り向いて、その男を見た。灰色の三角帽子と装束。背中に負った、籠手型の複雑で奇怪な武器パイルハンマー、腰背面に回している獣狩りの散弾銃。頭頂部まで剥げ上がった白髪交じりの髪の毛を後ろに流し、弛み皺が刻まれた顔の、右目を布を巻いて覆った男だ。

 

 「旧市街で会った時以来か」

 

 低い声で男は結んだ。

 

 ギルドの冒険者らはまたしても獣の狩人と、彼を訪ねて来た男を注視した。悪い意味でこのギルドの名物でもある獣の狩人を訪ね、加えて面識があったともなれば当然か。

 

 「デュラ」

 

 獣の狩人が男の名前を呼んだ途端、デュラと呼ばれた男は左手で腰背面の散弾銃を抜き、目の前の狩人へ向ける。が、狩人もそれを見越していたらしい動きで、デュラと全く同じ瞬間に、腰に下げた短銃――エヴェリンを向けた。

 

 俄かにギルド内が緊張に包まれた。

 

 互いに相手の頭へ銃口を向け合っている二人の様子を見て、周りの者たちは、狩人とデュラの間にはかつてどんな因縁があったのかとも考えた。

 

 女魔術師と女武闘家もこれをヒヤヒヤとした心情で見ている。現在テーブルに突っ伏して伸びている羽帽子と、あの銃を向け合う二人へ視線を行ったり来たりさせている。

 

 「フフ、ハハハハハ!」

 

 須臾にして、デュラの笑いが沈黙と緊張を破った。

 

 「貴公、銃を下ろしたまえよ。今のは軽い戯事というやつだ」

 

 デュラは銃を仕舞うと、両手を左右に広げてみせた。

 

 「あの時のことは事故だった、分かっているともさ。盟友が死んだことも、あれは貴公の自衛のためだ。我々が殊更に傷つけ合うことはない」

 

 狩人はゆっくりと銃を下げた。ただしその銃を腰に戻しはしないが。

 

 無事何事も起こらず和解を見せた彼らに、女魔術師と女武闘家はほっと胸を撫で下ろして、涎を垂らしながら依然気絶している羽帽子の背中に手を乗せたり、頭を撫でてやったりした。

 

 そこで、

 

 「あ、この前の」

 

 ちょうど、ゴブリンスレイヤーとの話が纏まって出てきた森人(エルフ)の女らが現れて、森人がデュラを指差し声を上げた。

 

 「む、たしか貴公は……吟遊詩人と話していた時の」

 

 デュラのほうも以前の邂逅を覚えていたようだ。

 

 「知り合いか、森人殿」

 

 と蜥蜴僧侶。

 

 「オルクボルグのことについて聞き回ってた時に。直接話はしてないけど」

 

 森人は何から話そうかと思案している。

 

 「そんなことより」

 

 そこをゴブリンスレイヤーが話を切り、

 

 「単刀直入に言う。今回の依頼、獣の専門家に同行を頼みたい」

 

 獣の狩人を指名して言った。

 

 「構わない」

 

 狩人は二つ返事で了承した。

 

 「ただ、彼も一緒でいいか。腕は保証する」

 

 顔を動かしてデュラを示した。

 

 「彼は?」

 

 ゴブリンスレイヤーが問うと、

 

 「私は元狩人、そして今は冒険者をやっている、灰狼ことデュラと言う者だ。以後お見知りおきを」

 

 灰狼のデュラは前に出て、名乗り上げた。

 

【2】

 どうして冒険者になったのか。

 

 彼ら一行、ゴブリンスレヤー、女神官、森人(エルフ)の弓手、鉱人(ドワーフ)の道士、蜥蜴人(リザードマン)の僧侶と、獣の狩人、灰狼の狩人、羽帽子、女魔術師、女武闘家らはそんな話で盛り上がっていた。

 

 「気ままに冒険して、美味いもんを食うためじゃ」

 

 鉱人道士はそう語った。

 

 「外の世界ってのを見たかったのよ、狭い森の中でずっと過ごすのも退屈でしょ」

 

 と森人弓手。

 

 「拙僧は、異端を狩ることで竜へと上り詰めるため」

 

 蜥蜴僧侶。

 

 ゴブリンスレイヤー、女神官はそれぞれ、

 

 「ゴブリンを駆逐するため」

 

 「神殿の中で仕えるか、外で仕えるかで後者を選んで、そのために冒険者に」

 

 と抽象的に語った。

 

 「私は、学院で修めた魔術を使って自分を世間に示したかった。冒険者稼業はその足掛かり」

 

 苦々しげに女魔術師は、自らの目的を過去形で語った。

 

 「私も彼女と似たようなものかな。父さんが教えてくれた武術で、人々を守りたかった」

 

 女武闘家も同様。

 

 「私は平穏な暮らしをしたかったのだが、……生憎と先立つものが無く、仕方なしに冒険者をして稼ごうとした。狩人よ、貴公はどうだ。」

 

 続いて語り終えた灰狼は、次いで獣の狩人へ話を振った。狩人は焚き火をぼうっと見つめ続けたのち、顔を上げて一同を一瞥してから、おもむろに口を切る。

 

 「『青ざめた月』を探している」

 

 その一言のみだった。

 

 「何よそれ、『青ざめた月』って」

 

 森人が聞き返した。

 

 「『青ざめた月』は『青ざめた月』だ。とにかくそれを求めて、冒険者を始めた」

 

 「あなた自身もよく分かってないんじゃない。ま、漠然とした目的ってのはあるわよね、世界最強を目指すなんてのも居るし。さて……、あとまだ聞いてないのは……、そこの羽帽子のあなたね。あなた、どうなの」

 

 「あっ、いよいよ私の番が来ちゃいましたか」

 

 自分を指差しながら羽帽子が応えた。やけに乗り気な様子だ。鉱人から貰った火酒の入った器に顔を赤らめ、いつもより若干陽気度が増している。そのせいもあるだろう。

 

 ――ちょっと話が長くなるんですけど。

 

 という前置き。

 

 女魔術師、女神官、女武闘家の三人は嫌な予感を覚え、これに伴って、羽帽子が以前新米戦士と見習い聖女に喰って掛かった時に、ゴブリンスレイヤーを恩人と呼んでいたことを各自思い出した。嫌な予感がしたことの根拠だ。

 

 「私の村って以前ゴブリンに襲われたんですよ、それで私もゴブリンに攫われちゃって。まあゴブリンを二、三匹程産まされたんですけど、そこをこのゴブリンスレイヤーさんと狩人の先生が助けてくださったんですよ!」

 

 両手をゴブリンスレイヤーと狩人に向けつつ、羽帽子は得意顔で言った。銀等級の三人は一様に顔を凍り付かせ、特に直接話を回した森人は息を詰まらせた。それでも羽帽子は委細構わず続ける。

 

 「でも、村を襲ったのはそれだけじゃなかったんです。そう、近頃流行りの獣化現象まで来ちゃったんですよ。皆さん分かりますよね、獣化現象。今度の依頼は、森人(エルフ)さんの領域でゴブリンが活発化して、同時に正体不明の獣まで出現し出した。だからまずスレイヤーさんに依頼して、そのスレイヤーさんが先生に要請したわけですからね。そう、その獣です。うちの村の男衆の多くがその獣になっちゃいまして、それに泣きっ面に蜂で村を襲撃されたんです。それで、それでですね、その内の一人が私の父だったんです!」

 

 物語の佳境を語る調子の羽帽子に対して、一同は――三人を除き――揃って絶句し何も口を挟めないでいた。

 

 「野獣と化した父は、母と、まだ無力だった私に迫り来ました。それに先生が飛び掛かって、彼は自分が致命傷を負うことを厭わず、すったもんだの末にそれを倒しちゃったんです」

 

 さて、と彼女は手のひらをパンと叩き、一時話を置いて転換させた。

 

 「私がどうして狩人になったかなんですけど、単刀直入に言えば、母に殺されかけたからなんです。無理心中ってやつです、無理心中。今言った通り、私の村は若い女たちの多くがゴブリンに手籠めにされた挙句、男たちまで獣化して、先生とスレイヤーさんに狩られちゃったものだから、もう気息奄々になっちゃって。私ら母娘も、このご時世で男を失ったことで寄る辺を失ったわけです。そうなるともう女は娼婦なり何なりにでもなるしかない。大方母は、母娘揃ってそうなることを憂いた、だから私を殺そうとしたのでしょうね」

 

 うんうんと彼女は頷く。

 

 「こうして私は母によって胸を刺し貫かれ、当人も同様に自決しちゃったんですが、私自身の命運はそこで尽きなかったんです。実はですね、先生がうちの獣化した父と取っ組み合ってる時に散乱した荷物の中にあった、やけに色褪せた血液(ペイルブラッド)の入った、針の付いた筒が家の中に残ってたんです。意識が朦朧とする走馬灯の中、先生がそれを自分自身に突き立てて注入したのを思い出して、咄嗟に私もそれを真似したんです。で、こうして私は狩人になって、冒険者登録をしたわけなんですよ! 参っちゃいますよね、ハハハハハ!」

 

 悲劇とした言いようのない過去だった。けれど当の本人は、それを悲劇として捉えているようではなく、どちらかというと失敗談ネタでも語っている風であった。

 

 「どう、して……、そんな笑ってられるのよ……」

 

 そう言問う森人は、目を情動でゆらゆらと潤ませ、えずきに言葉をつっかえさせていた。

 

 「さあ、楽しいと思えるからじゃないですか。嫌なことではあるけど、他人事だとでも思えば自然と笑えてきますよ」

 

 談笑はここで途切れた。それ以降は誰も口を開くことは出来なかった。そうしていると、夜も更けていったので、就寝をすることとなった。

 

 その中で現在、獣の狩人は起きていた。外敵の見張りや火の面倒を見たりしている。パチパチと爆ぜる焚火の中に、彼は木を数本投げ入れた。

 

 起きているのは彼一人だけではなかった。それは灰狼だ。二人は焚火を挟んで向かいに座っている。

 

 「彼女はいつもああなのか」

 

 口を切ったのは灰狼だった。

 

 「そうだな」

 

 「荒々しく、性急なところがある。貴公に似ているな」

 

 「そう思うか」

 

 「そうだとも。茫漠たる目標を目指し、闇雲に刃を振るう。狩人としてはあまり褒められたことではないな」

 

 「狩人はそういうものじゃないのか。いずれは獣になる、どんなに取り繕うとも……」

 

 ――知ってるかい。人は皆、獣なんだぜ。

 

 そんなことを誰かが言っていた、と、狩人は想起した。

 

 「貴公の言う通り、獣を狩り続けていると、時々自分が獣に寄り掛かっていることに気が付く。だから狩人は、信念を持とうとするのかもしれない……。最初の狩人ゲールマンは、獣狩りを介錯と称した。烏羽の狩人たちは、血に酔った狩人に死に場所を与えるという慈悲を施し、これを代々伝えてきた。聖剣のルドウイークは、月の導きというモノを手繰っていた。これら思想を錨とし、人は人でいられる」

 

 貴公はどう思う、と灰狼は結んだ。

 

 「御忠告をどうも。だが、獣の道を恐れてあまり人にこだわり過ぎると、停滞する。如何に高邁な精神を持とうとも、いずれは獣に堕ちる。」

 

 「そうか……、それが貴公の答えだと言うのなら、私も尊重しよう」

 

 灰狼には落胆の色は見られなかった。自分の考えこそが正しいという驕りがあるわけではないからだ。

 

 ――怪物と闘う者は、自らも怪物とならぬように心せよ。深淵を見つめる時、深淵もまたこちらを見つめている。

 

 フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ『善悪の彼岸』より。

 

 「話は変わるが、貴公、グウェントというゲームを知っているか」

 

 唐突に灰狼が獣の狩人に訊く。

 

 「何だそれは」

 

 「以前に組んだことのある男が言っていた戦略カードゲームだ。二振りの長剣を背負い、真っ白い髪の毛を後ろに流して、顔に左目を跨ぐような縦の傷が入った男だ。彼は出し抜けに、グウェントをやらないかと持ち掛けてきたんだ。勿論、私はそんなゲームも存じていないし、持っているわけもなかった。だが彼が言うには、国中で流行っているそうなのだが……」

 

 「知らないな。聞いたこともない。そんな変な奴には付き合うな」

 

 興味なさげに獣の狩人は切って捨てた。




 突然グウェントをしようと持ち掛けてくる男……一体何ヴィアのゲラルトさんなんだ?……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。