アルベルト・フォン・ライヘンバッハ自叙伝 (富川)
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前書き
前書きという名の戯言


 アルベルト・フォン・ライヘンバッハは我々、特にクロイツェル教授が最も尊敬する偉人の一人であった。
 彼の孫から交友のあった我々の下に「祖父の自叙伝を公開したいが、協力してくれないか」という相談が来た時、我々は内心小躍りしていた。勿論、自叙伝の資料的価値はさほど高くないが、それにしても、謎に包まれたジークマイスター機関の全容を明らかにする大きな手掛かりになるのは確かだろう。
 ジークマイスター機関に関してはゴールデンバウム王朝期の機密資料が公開されたことで、その研究は大きく進展した。というより、公開前は単なる陰謀論に過ぎなかった。しかし、公開された資料にはいくらか欠落があり、その創設者がマルティン・オットー・フォン・ジークマイスターであり、指導者がクリストフ・フォン・ミヒャールゼンであることしか明らかにはなっていない。アルベルト・フォン・ライヘンバッハ、カール・フェルディナント・フォン・インゴルシュタットと言った人物が構成員であったとして名前が挙がっているが、彼らはそれについて一様に沈黙を守った。
 しかし、我々歴史学者はあのアルベルト・フォン・ライヘンバッハが真実を黙ったまま死ぬはずがないと確信していた。果たしてやはり、彼の遺した自叙伝にはジークマイスター機関に関して多くの示唆が含まれていた。故人の思想や人柄を踏まえると、この本を多くの人が読めるようにしたいと思っていたはずだ。こうして一般に向けて出版することが出来たことをうれしく思いたい。
 最後に自叙伝を提供してくださり、出版に際しても助力してくださったエドガー・ライヘンバッハ上院議員に感謝を。

ハイネセン記念大学文学部史学科教授ブルクハルト・オスカー・フォン・クロイツェル
タップファー歴史学総合研究所所長クラウス・フォン・ゼーフェルト


 前世の記憶を持ったまま、好きな小説の世界に転生したら、何を感じるだろうか。

 

 前世の私はこう考えていた。最初は家族や友人と離れたことを悲しむだろうが、時が経てば少なくとも知識を自らの栄達か保身に役立てようとするだろう、と。そして斜に構えていた前世の私は「成功するかどうかは別にしてね」と付け加えるはずだ。

 

 もっとも、今の私には彼の考えが誤っていたことが分かる。転生者が感じるのはひたすらに「違和感」だ。あらゆる怒りも悲しみも苦しみも、全ては「違和感」から生まれる。栄達?保身?そんなものはどうだって良い。私の目に映る世界は全て「おかしい」世界だった。

 

 私は転生者だ。西暦二〇三〇年代、恐らくはこの世界のパラレルワールドである世界で平凡に生まれ、そして死んだ。そして私の生きた時代、一三日戦争のような悲惨な戦争は起きなかったが、人はついに火星にすら到達することは出来なかった。人工知能は結構劇的に進化したのだが、シンギュラリティと言うほど劇的な社会変革も技術進化も起こらなかった。そうして宇宙が遠いままだったから、スペースファンタジーとかいうこの世界からすると需要がどこにあるか分からないような小説ジャンルが生き残っていた訳で、前世の私はそういった小説を読み漁るのが好きだった。この世界はそうして読み漁っていた小説の内の一つと酷似していたが、まあそんなことはどうでも良い。どこの世界だろうと、人間が別の世界に放り出されたら碌なことにならないのだ。

 

 想像してみてほしい、地球上で全てが完結する世界に生きた私が、星と星を簡単に行き来し、あまつさえ戦争すらやっている世界で再び生きるのだ……。ストレスは半端なモノでは無かった。一例を挙げよう。私の生まれたライヘンバッハ星系第三惑星タップファーは自転周期二八時間だった。勿論、帝国標準時に合わせて可能な限り二四時間周期での生活が行われていたが、それにしたって私は自転周期二四時間の惑星で八〇年近く生きていた「意識」を持っているのだ。幼少期は自分の知る地球の時間間隔との違いか、それとも日照時間の違いか、とにかく朝が辛かった。地球とライヘンバッハ星系第3惑星タップファーの差異は他にも色々あり、それらは連携して私の体調を崩そうとしてきたが、ここでは割愛する。詳しく知りたければ図書館に行って西暦時代の地球に関する資料を調べつくした上で我が故郷タップファーに行ってくれ。私が何に苦しんだか、多少は分かってもらえるだろう。

 

 長々と書いてきたが……まあ、つまるところ「私は転生者である」という事をどこかに書き残しておきたいという気持ちを抑えきれなくなったというだけの話だ。信じるか信じないかはこれを読んでいるだろう歴史家諸君に任せよう。……本当に歴史家だよな?もし読んでいる君が私の愛する家族や信頼する同僚であったりするのならば……これはただのくだらない冗談だ。忘れてくれ。忘れなければ私はこの本を勝手に読んだ君を絶対に許さない。

 

 さて、私は記憶力には自信がある。あのフレデリカ・グリーンヒル・ヤン嬢にも負けてない、と勝手に思っている。実際は知らん。だが、彼女はどれだけ頑張っても精々宇宙暦七七〇年代の事しか覚えていないのだ。私は西暦二〇〇〇年代の事を覚えているのだから、やはり私の方が記憶力に優れていると言うべきだろう……冗談だ。まあ、とにもかくにも、私は生き残って老後に本を書くことを楽しみにしてきた。その為に逐一機密に触れない範囲で色々とメモも残しておいた。そういう訳だから、記述の正確性には少なからず自信がある。荒唐無稽な前書きで少なからず失望した歴史家諸君もこれ以降は安心して読んでほしい。私が面白くもない冗談を言うのは今に始まったことじゃないだろう?

 

                      ――アルベルト・フォン・ライヘンバッハ――

 



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第一章・ジークマイスター機関の蠢動
幼少期・シュタイエルマルク提督の『プレゼント』 (宇宙暦740年5月5日~宇宙暦745年5月5日)


 私は宇宙暦七四〇年五月五日にこの世界に生を受けた。帝国歴は知らん。父は伯爵家の三男で青色槍騎兵艦隊副司令官を務める帝国宇宙軍少将カール・ハインリヒ・フォン・ライヘンバッハで母は男爵家の娘であったアメリア・フォン・ライヘンバッハ。前書きでも触れたが、幼少期は大幅な環境の変化によってか、何度も体調を崩していた。生まれたのが裕福な貴族家じゃなければ、私の人生は幼少期に終焉を迎えていたかもしれない。

 

「男子か、よくやったぞ!アメリア」

「ありがとうございます、貴方様。実はこの子を産んでいる間の話なのですが、何か不思議な光のようなものが私のお腹に入ってきたのです。ですが、医師たちも看護婦たちも一切そんなものは目にしていないと……。」 

「それは不思議な話だが、何かの吉兆かもしれないな。よしアメリア、私は決めたぞ。この子にはアルベルトと名付けよう」

「アルベルト、ですか……?」

「不満か?」

「いいえ、しかし義兄様方が快く思わないのではないかと……」

 

 私の名前である「アルベルト」はライヘンバッハ伯爵家第二八代当主、アルベルト・フォン・ライヘンバッハから取られた。アルベルト・フォン・ライヘンバッハはコルネリアス一世帝の大親征の際に大活躍した人物である。コルネリアス一世帝にとってのウォルフガング・ミッターマイヤーとでも言えば分かりやすいだろうか?最終的に元帥号を授与され、オズワルド・フォン・ミュンツァーの後を継いで司法尚書に抜擢された。本来、帯剣貴族が閣僚になることなど有り得ない。当然、ライヘンバッハ一族の中で閣僚になった人間はアルベルトだけである。そんな偉人の名前を三男の息子に過ぎない私につける訳だから、伯父上たちはさぞ不愉快に思われただろう。

 

「あの無能共の言うことなど知ったことか!アルベルト、お前は私やアルベルト様のように誇り高き帝国軍人となるのだ。あの無能共とは違う、真の帝国軍人に!」

 

 父は控えめに評しても優秀な人物だった。プライドが高く、時に傲慢な言動もあったが、能力に関しては今の実力主義の軍でも一線級で通用するはずだ。そして伯父上たちは決して父の言う通り無能ではなかったと思うが……。まあ、父よりも出世が早かったのは、彼らが兄で父が弟だったからだろう。当然、父はその事に不満を抱いていた。私にアルベルトの名をつけたのは、母の不思議体験が理由ではなく、恐らく伯父上達への嫌がらせが理由だろう。

 

「アメリア、またアルベルトは体調を崩したのかい?」

「はい……すいません。クラウス義兄様」

「別に責める気はないよ。仕方がないことだ。ただ……帯剣貴族の名門であるライヘンバッハの男子としては心許ないのもまた事実だ。それは分かるね?」

「……はい」

「君からもカールを説得してくれないか?あいつは私とエーリッヒ兄上の事を嫌っているからな……」

 

 私の生まれたライヘンバッハ伯爵家はいわゆる帯剣貴族の中でも名門と呼ばれる部類にあたる。初代当主は大帝ルドルフの下で中央艦隊の一つである赤色胸甲騎兵艦隊司令官を務めたエーリッヒ・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍中将。以来、宇宙艦隊司令長官を二人、中央・辺境艦隊司令官を八人輩出するなど、軍部に少なくない影響力を持つ。そんな武門の家柄に生まれた私だが……前書きで触れた通り、虚弱体質だった。原因は分からない。私は前世の記憶とのズレだろうと思っているが、歴史家諸君も医師諸君も信じてはくれまい。「何が有り得ないかを言うのは難しい。何故なら昨日の夢は、今日の希望であり、明日の現実であるからだ。」という言葉を知らないのだろうか?……また話が逸れた。そんな私を伯父上達はライヘンバッハ家に縁のある下級貴族に養子に出そうとしていたそうだ。

 

「貴方様……またクラウス義兄様からアルベルトを他の家に養子に出してはどうかと勧められました」

「あいつは……!アメリア、気にするな。アルベルトは必ず良くなる。クラウスもエーリッヒも俺とアルベルトが邪魔なだけだ」

「しかし……エーリッヒ義兄様はそうかもしれませんが、クラウス義兄様は違うと思います。クラウス義兄様が紹介してくださった家はどこも下級貴族ですが、しっかりとした家ですし……。ライヘンバッハ家は帯剣貴族の名門、このままアルベルトをライヘンバッハ家に残しておくのは、アルベルトの為にも良くないと思うのです」

「……アルベルトは俺たちの息子だぞ。俺たちが信じてやらなければ誰が信じる?まだ見捨てるには早い」

「見捨てるなんてそんな……私はそんなつもりは……」

「ああ、分かってる、分かってるんだアメリア。とにかくまだ早い、まだ早いんだ」

「……」

 

 父と母は人並みに私を愛してくれた。父は軍務の合間を縫って私の虚弱体質を治す為に奔走していたが、実際の所、三男の息子である私がライヘンバッハ家に残ろうが養子に出ようが大して扱いが変わる訳でもない。父もそうだ。

 

 エーリッヒ伯父上は粗暴だったらしいが、それなりの武功は挙げていた。クラウス伯父上はツィーテン元帥の下で作戦参謀として重用されていた。そして二人にはそれぞれ男子が居た。私が虚弱体質だろうとなかろうとライヘンバッハ家は揺らがないし、父の立場も変わらない。にも関わらず父が私の虚弱体質を治す為に奔走していたのは、伯父上たちに対する意地もあるだろうが、私の事を愛していたからではないか、と思っている。父は貴族的なプライドは高かったが、思考様式は貴族然とはしていなかった。自分の息子を手元に置いておきたかったのではないだろうか。

 

 勿論、養子に出すことに賛成した母が、私を愛していなかったとは思わない。虚弱体質の男子が名門ライヘンバッハ家に残っていれば、軍務に就いても就かなくても笑いものになるのは目に見えている。というか実際、エーリッヒ伯父上は私の事を笑っていた気がする。エーリッヒ伯父上と最後にあったのは五歳の時だったと思うが……それでも覚えているのだ。クラウス伯父上はともかく、エーリッヒ伯父上に対する父の嫌悪感はよく分かる。あいつはその……何というか……ウザいのだ。名前の元となった初代様と似ている点と言えば声が大きいことぐらいだろう。

 

 さて、私にはこの頃の出来事で印象に残っていることが二つある。一つは先ほど書いたエーリッヒ伯父上に笑われた話だ。そしてもう一つは、青色槍騎兵艦隊司令官、ハウザー・フォン・シュタイエルマルク宇宙軍中将と父の会話である。

 

 あれは私の五歳の誕生日の話だ。突然連絡も無しに、父が上官のシュタイエルマルク提督を連れてタップファーに帰ってきたのだ。その頃私は母と共に故郷のタップファーに住んでいた。父は軍務が忙しく、故郷に帰ってくるのは年に数回程度だったが、帝都近郊に領地があったからだろう、他の軍人家庭よりはよく会うことが出来た。帰ってくるときは激務故か、前もって連絡が無いことも少なくなかった。しかし、それにしたって不可解な話ではなかろうか?中央艦隊の司令官が激務の中で帝都に近いとはいえ副司令官の私領を訪れるのだ。一応、私の誕生日を祝うとか何とか言っていたが……。シュタイエルマルク提督とは初対面である。どう考えても不自然だ。

 

 ましてやシュタイエルマルク提督は上官であり貴族である。父が自領に連れてくるのであれば、前もって連絡をしないというのはどう考えてもおかしい。歓待することが出来ないではないか。好奇心を刺激された私は、父とシュタイエルマルク提督の会話をこっそりと聞くことにした。

 

 父は大切な話は書斎に人を招いて行う。先回りして隠れようと思っていたのだが、どうにも隠れる場所が見つからない。困り果てた私は半分やけくそになって書斎のソファーに横になって狸寝入りを決め込んだ。私は実の息子だし、しかも五歳児だ。どう転んでも酷い目には合わないだろうと高を括っての行動だ。

 

「カール、この子は?」

「俺の息子だ。参ったな、アルベルトが入り込んでいたのか……」

「場所を移すか?」

「……いや良い、寝ているなら大丈夫だろう。途中で起きたとしても構わん。いつかは知らないといけないことだ。そうは思わないかハウザー?」

 

 私は二人の会話を驚きながら聞いていた。父は不機嫌になると他人の悪口をすぐに言う。そしてエーリッヒ伯父上やクラウス伯父上と並び、父が激しく罵っていた相手が上官のシュタイエルマルク提督だ。シュタイエルマルク家は立派な帯剣貴族家だが、所詮は男爵家に過ぎない。それだけなら父も構わないだろうが、シュタイエルマルク提督は気骨のある人である。自信家の父の事だ。上官のシュタイエルマルク提督と意見が対立することが多かったのだろう。

 

 シュタイエルマルク提督は「帝国軍の高級士官は、戦場を、個人的な武勲のたてどころとしか考えていない。したがって、同僚との協調性にとぼしく、兵士にたいする愛情も薄い。憂慮すべきである」という言葉を残しているが、私の記憶が確かなら父はこの言葉が自分に向けられたと思い込んで激しく怒っていた。それがどうだ?目の前の二人はかなり親しげにファーストネームで呼び合いながら話しているじゃないか。

 

「相変わらずだな、カール。確かに君の言う通りかもしれないが、この子が我々の話を聞いたことがきっかけとなって、我々が窮地に陥るということも無いとは言えない。場所を変えるかこの子を部屋の外に出そう」

「……そうだな、アルベルト起きてくれ」

 

 父はそう言って私の肩を揺さぶる。私は暫く寝ぼけているふりをして抵抗したが、しぶしぶソファーから起きて部屋の外に出た。しかし、私の好奇心は書斎から離れることを許してくれなかった。栄達にも保身にも興味が持てない私だったが、好奇心は人並み程度に備わっていた。部屋から出ると、そのまま扉に耳を当てた。結論から言って、中の会話はほとんど聞こえなかった。まあ当然だ。だからこそ父は大事な話を書斎でしているのだろう。ただ、断片的に聞こえた言葉がある。

 

「……………………」

「………………………機関…………………………ツィーテン……協力してきた。…………私を………………………………者は居…………、…………真っ先……われるであろう私………………………………今回の遠征軍を信……………………………………協力…………ない………………これまで……………………戦略レベル……の高……………………には、……………………必要だ」

「……危険……お前……………………可能性がある…………『グラープ』………………死ぬ………………俺に任せろハウザー。俺は突撃屋だ。………………………………正体………………………………ミヒャールゼンが………………上手く……………………………………違うか?」

「……コーゼル…………」

「……嘘…………」

「本当………………確証は…………………………………………時間…………………………平民出………………他の将官………………………………不幸………………。『グラープ』…………………しかない」

「本気………………………………………………友人………………」

「……理想…………………………………………出し抜く…………………………私以外……………………」

「……………………」

「カールには無理だ!」

「出来る!」

 

 そこまで聞こえたところで、不意に扉が開いた。愚かにも私は突然扉が開く可能性を一切考えていなかったのだ。扉を開いたのはシュタイエルマルク提督だった。

 

「君は……聞いていたのか?」

「えっと……いやその書斎に忘れ物をして……すいません」

 

 後から考えれば分かるが、五歳児なんだからもっと滅茶苦茶なことを言ってれば良かったのだ。それを下手に言い訳するのは「ずっと聞き耳を立てていました」と言っているようなものではないか。

 

「……そうか」

 

 シュタイエルマルク提督は恐ろしく真剣な目をして黙っていた。恐らくほんの数秒の話だろうが、体感では数分間ずっとシュタイエルマルク提督と見つめあっていたような気もする。あの時、私は完全に呑まれていた。殺されるんじゃないか、とすら一瞬考えた。

 

「何が有り得ないかを言うのは難しい。何故なら昨日の夢は、今日の希望であり、明日の現実であるからだ。」

 

 シュタイエルマルク提督は不意にそう言った。

 

「は……?」

「覚えておくと良い、西暦時代から技術者に伝わる言葉だ。最初に言ったのが誰かは私は知らない」

 

 シュタイエルマルク提督は少しだけ笑みを見せながら、分厚い書斎の扉を二度叩いて続ける。

 

「忘れ物は見つけられなかっただろう?代わりにこの言葉を持っていくと良い、君が為すべきことを見つければ、この言葉が助けになるはずだ」

 

 そう言ってシュタイエルマルク提督は再び扉を閉めた。流石になおも盗み聞きを続ける勇気は無かった。シュタイエルマルク提督は私が盗み聞きを試みていたことも、それが十分果たせなかったことも気づいた上で『プレゼント』を渡してくれたのだ。満足する他は無かった。

 

 私が父とシュタイエルマルク提督の会話の意味、そして『プレゼント』の本当の価値を知るには後一〇年の年月が必要だった。しかし、少なくともこの会話が恐らくは何か重要な意味を持つことはすぐに理解した。何故ならその直後、シュタイエルマルク提督と父は英雄となるからだ。

 

 宇宙暦七四五年一二月、同盟軍のブルース・アッシュビーを前に帝国艦隊が壊滅的な被害を被った「第二次ティアマト会戦」特に「軍務省にとって涙すべき四〇分」は帝国を大きく揺るがすことになる。

 

 銀河の歴史がまた一ページ。……言ってみたかったんだ。許してくれ。

 




注釈1
「何が有り得ないかを言うのは難しい。何故なら昨日の夢は、今日の希望であり、明日の現実であるからだ」という言葉は一般的にアルベルト・フォン・ライヘンバッハかクルト・フォン・シュタイエルマルクの言葉とされているが、本編の通り、それ以前から技術者に伝わっていた言葉であり、超光速航行を可能にしたアントネル・ヤノーシュ博士の言葉とされている。しかし、タップファー歴史学総合研究所の最新の研究によると、北方連合国家(ノーザン・コンドミニアム)で「ロケットの父」と呼ばれた研究者、ロバート・ハッチングズ・ゴダートが最初に言った言葉である可能性が高い。


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幼少期・ティアマトの衝撃(宇宙歴745年12月~宇宙歴746年3月)

 宇宙歴七四五年一二月五日から一二月一一日の間、ティアマト星系で行われた会戦は帝国軍の敗北で終わった。同盟軍の天才、ブルース・アッシュビー宇宙軍大将と彼の部下である七三〇年マフィアを前に帝国軍の精鋭を集めた遠征軍は惨敗・完敗・大敗を喫したのだ。しかし、帝国軍に全く良い所が無かった訳ではない。一一日の攻勢で帝国軍青色槍騎兵艦隊副司令官、カール・ハインリヒ・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍中将、つまり私の父が同盟軍第一一艦隊司令官、ヴィットリオ・ディ・ベルティー二宇宙軍中将を戦死に追い込んだ。さらに何がどうしてそうなったかは一切不明だが、『帝国軍の砲火』が同盟軍総司令官ブルース・アッシュビー宇宙軍大将の旗艦「ハードラック」の艦橋を直撃したのだ。

 

 もっとも、帝国軍の損害は「アッシュビーが死んだ」という事実を以ってしても覆い隠せない程に酷かった。中央艦隊から三個艦隊、それに辺境艦隊から三個艦隊、計五六〇〇〇隻を動員した帝国軍はシュタイエルマルク宇宙軍中将の青色槍騎兵艦隊を除く全艦隊が四割を超える損害を出した。つまり全滅判定である。全体では五六〇〇〇隻の内二〇〇〇〇隻にも満たない数しか帝国領に戻らない有様だった。

 

 特に指揮官クラスの被害は想像を絶するものがある。宇宙艦隊司令長官ハンス・テオフィル・フォン・ツィーテン元帥が戦死したのを筆頭に、宇宙艦隊総参謀長フィリベルト・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍上級大将、黒色槍騎兵艦隊司令官ヴァルター・コーゼル宇宙軍大将、赤色胸甲騎兵艦隊司令官クリストフ・フォン・シュリーター宇宙軍大将、宇宙艦隊副参謀長リヒャルト・フォン・シュタインホフ宇宙軍中将、宇宙艦隊副司令長官代理兼第一辺境艦隊司令官ウィルヘルム・フォン・ミュッケンベルガー宇宙軍中将、第三辺境艦隊司令官オスカー・フォン・カイト宇宙軍中将、第四辺境艦隊司令官クリストフ・フォン・カルテンボルン宇宙軍中将らが戦死。

 

 赤色胸甲騎兵艦隊副司令官エーリッヒ・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍中将、黒色槍騎兵艦隊第三分艦隊司令官ユルゲン・フォン・ミュッケンベルガー宇宙軍中将、宇宙艦隊総司令部人事部長ハンス・エドワルド・フォン・シュリーター宇宙軍中将、宇宙艦隊総司令部後方支援集団司令官オットー・フォン・アイゼナッハ宇宙軍中将、第四辺境艦隊副司令官ヨハン・ディードリヒ・フォン・メルカッツ宇宙軍少将らが行方不明。

 

 赤色胸甲騎兵艦隊第二分艦隊司令官ウィルヘルム・フォン・ゼークト宇宙軍中将、同艦隊第三分艦隊司令官カール・ラウレンツ・フォン・ハーゼンクレーバー宇宙軍中将、第三辺境艦隊第四分艦隊司令官マインラート・フォン・ビューロー宇宙軍少将らは同盟軍の捕虜となった。

 

 ハウザー・フォン・シュタイエルマルク宇宙軍中将ら青色槍騎兵艦隊の指揮官・参謀たちと、あとはエドワルド・フォン・クナップシュタイン宇宙軍中将、ミヒャエル・フォン・ヴァーゲンザイル宇宙軍中将、クリストフ・フォン・ツィーデン宇宙軍少将ら幸運にも生き残った僅かな将官も居るが、第二次ティアマト会戦に参戦した帝国軍の帯剣貴族将官、そしてその数倍の帯剣貴族佐官・尉官のほとんど全員が失われた、と言っても差し支えないだろう。

 

 そして、これほどの大敗となると責任を取る人間が必要になる。最後まで艦隊を維持したシュタイエルマルク宇宙軍中将に責任を取らせることは流石に出来ないとしても、彼と彼の部下を除いた将官たちには責任を取って貰う必要があった。先ほど私は、クナップシュタインやヴァーゲンザイルを「幸運にも生き残った」と書いたが、同盟軍に包囲されて戦死するのと、憲兵に銃殺されるのを選べと聞いたら勇敢な帯剣貴族である彼らは前者を希望するはずだ。その意味では彼らは不幸だったかもしれない。

 

「エーリッヒ様が行方不明でフィリベルト様とクラウス様とエドウィン様が戦死したって本当か?何かの間違いじゃないのか?」

「間違いない、一族のカール・オイゲン様やフランツ様も戦死が確認されたそうだ。」

「ライヘンバッハだけじゃなく、ツィーデンやミュッケンベルガー、アイゼナッハも一族の大半が戦死したか捕虜になったそうだ、これからの帝国軍はどうなるんだ……」

「……まあ、不幸中の幸いはカール様が武功を立てて生還されたことですね。シュタイエルマルク提督と一緒に表彰されるらしい、もっとも青色以外の生還者達には名誉ではなく軍法会議が待っているって話ですが……」

 

 帝国軍大敗の報はタップファーにまですぐに届いた。一時は屋敷中、いや惑星中が恐慌状態に陥った。物価が急激に高騰し、備蓄物資を開放する必要に迫られた。領民たちが自警団を結成し、同盟軍の侵攻に備えると言って非白人系への迫害を強めた。私設軍は私設軍で弔い合戦とか絶対不可能な事を言いだす有様であった。ライヘンバッハ家が取り潰されるというような噂も流れ、領民、使用人の間に不安が広がった。留守を預かる家臣団は不眠不休で対処に奔走した。しかし、父が武功を立てて生還した報が届くと、これらの動きはとりあえず沈静化した。ただ、他の貴族の領地では暴動が起きた場所もあったらしい。当主一族の戦死もさることながら、アッシュビーが回廊を超えて攻めてくるという噂が瞬く間に広がったことが大きい。

 

「情報統制が全く効いていないのか、統制する立場の側も動揺しているからな。これじゃどうしようもない」

 

 私は使用人と領民の会話を聞きながら素知らぬ顔でそんなことを言っていた気がする。だが、正直言うとあの時は内心父が生還したことが嬉しくて溜まらなかった。実を言うと私は第二次ティアマト会戦で帝国軍が大敗し、父が戦死するのではないかという恐怖に囚われていたのだ。「前世」の知識が私にその可能性を示唆していたし、それ以上に伝え聞くブルース・アッシュビーの噂は規格外だったからだ。

 

「ファイアザード会戦では帝国軍を損害無しで撃破。ドラゴニア会戦では帝国軍が完全に安全を確保していたはずの後方宙域に突然現れて、あっという間に帝国軍を撃破。ドーリア星域会戦では帝国軍旗艦をピンポイントで撃沈……まあ、話が盛られているとは思うけど、五歳児の耳にまで聞こえてくるっていうのは凄い」

「全くですな、御曹司。アッシュビーは化け物です。しかしいくら化け物でも不死身ではなかったようですよ」

「ヘンリクか……いきなり後ろから話しかけられるとビックリするじゃないか。……不死身じゃなかったってどういうこと?まさかブルース・アッシュビーはティアマトで戦死していた、とか?」

 

 ヘンリク・フォン・オークレールは父が私につけた護衛士だ。ライヘンバッハに仕える武官の一族の出身で帝国騎士である。だが容貌は貴族というより山賊と言った方が当てはまるかもしれない。いや、流石にそこまで汚い恰好をしている訳ではなかったが、大柄で強面、しかも顔には傷がついている。私の護衛士になる際に髭を切り落とし、髪型も整えたらしいが、傷は勲章として残したかったらしく、父に交渉したという。実力と経験重視、そして応急処置が出来る程度に医療知識がある人間を選ぼうとした結果、正規軍の前線部隊で地上軍大尉にまで昇進していたバリバリの現役軍人を連れてくることになったらしい。

 

 その後、父は「流石に怖すぎる、なんとかならなかったのか」と母に怒られていた。とはいえ、ヘンリクはその後長く私に仕えてくれた訳で、父の判断は間違っていなかったと言えるだろう。

 

「ほう……よく分かりましたな御曹司。その通りです。アッシュビーの奴、勝って油断していたようで、旗艦の艦橋に一発貰ったらしいですよ」

「いや、適当に言ってみただけだけだよ」

 

 そう言って私は誤魔化した。実のところ、アッシュビーの死は私にあまり驚きを与えなかった。前世の知識があったからだ。それで納得できない奴は、第六感が働いたということにしておいてくれ。

 

「それにしてもヘンリクはどこでそういう情報を仕入れてくるの?一介の護衛士が知ることが出来るような情報じゃないよね?」

「御曹司、俺は前線帰りですよ?色々と伝手が有るってことです」

「ふーん……まあいいや。あとさ、ヘンリク。御曹司って言うのは止めてよ、ディートハルト従兄様に悪い」

 

 ライヘンバッハ本家は第二次ティアマト会戦でほぼ全滅に等しい被害を受けた。当主フィリベルトはツィーデン元帥の参謀長を務め戦死。長男エーリッヒはシュリーター艦隊副司令官を務めていたが行方不明に。次男クラウスはツィーデン元帥の作戦参謀を務めており、やはり戦死。エーリッヒの長男リュディガーはバーゼル艦隊の戦隊司令官を務めており行方不明、次男エドウィンはカイト中将の副官を務めており、戦死。フィリベルトの弟であるカール・オイゲンはミュッケンベルガー艦隊分艦隊司令官を務め戦死。フィリベルトの従弟であるフランツはカルテンボルン艦隊参謀長を務め戦死。その他、分家や縁者も多くが戦死、または捕虜となった。

 

 生き残った者の中で最も当主に近いのが三男のカール・ハインリヒだが、その後となると話がややこしい。嫡流は途絶えているが、次男クラウスの息子で二三歳のディートハルトが辛くも生き延びている。そしてカール・ハインリヒの息子である私、アルベルトは虚弱体質でしかも幼い。

 

「ディートハルト様ねぇ……しかしカルテンホルン艦隊に属していて良いとこ無しだったんでしょう?カール様も多分、アルベルト様を跡取りにしたいでしょうし、やはりアルベルト様が御曹司ですな」

 

 ヘンリクの読みは正しかった。……まあ、ある程度の頭があれば誰でも予想できることではあるが、私は家督争いなどというモノに巻き込まれるのは嫌で仕方が無く、そうでないことを祈っていたのだ。ディートハルトと家督を争うとなると、間違いなく陰謀とか醜聞とかそういう類のモノが必要になるはずだ。前世の一般市民的感覚を微妙に引きずっていた私としてはそんなモノに巻き込まれるのは御免だった。

 

 

 第二次ティアマト会戦から三か月が経ったある日、父がタップファーに帰ってきた。戦後処理の全てが終わったわけではないが、「英雄」である父には故郷への帰還が許されたらしい。その時、父は二人の医者を連れてきていた。1人はいわゆる精神科医だ。「前世が~」というようなことは流石に言っていないが、それでも私はしきりに精神的ストレスを訴えていた。もう1人は「東洋医学」の専門家だという黒人男性だった。……私に人種差別的感情は一切ないが、素朴に何で東洋なのに黒人男性?と思ったのは事実である。

 

「アルベルト……お前はいずれはこのライヘンバッハ家を継ぐ立場となった。その為にはお前の虚弱体質を何とか直さなくてはならない。手段を選ぶ余裕もない。今まではエーリッヒやクラウスに邪魔されていたが、精神医学や東洋医学の方面から治療を試みることにした。お前も嫌だろうが、私も苦渋の決断だ。彼らを信じ、言う通りにしなさい」

「分かりました。父上」

 

 私の返事を聞くと、父は頷いた。

 

 銀河帝国において精神の病は「弱さ」とされ、迫害の対象となる。かの劣悪遺伝子排除法が猛威をふるっていたころならば、間違いなく死刑になっていただろう。とはいえ、実際の所、精神の病を患う患者はいつの時代にも居るものである。銀河帝国では表向き精神科医は存在しないが、非白人系が集められた自治領では精神科医が今なお存在している。彼らは「外」の貴族や裕福な平民向けに高額な報酬と引き換えに治療行為を行っているのだ。

 

 とはいえ、劣悪遺伝子排除法が有名無実化された今でも精神科医に頼るというのはかなりハードルが高く、余程のことがないと彼らが呼び出されることは無い。ライヘンバッハ家でも三男の息子に過ぎず、しかも虚弱体質なだけで表向き精神的な病を患っているようには見えない私の為に、精神科医を呼び出すことは反対されたのだろう。

 

 そして東洋医学は西洋医学に受け継がれている部分があるものの、体系としてはやはり「劣等人種の迷信」として冷遇され、今では僅かな医者しか残っていない。しかも数百年の冷遇は知識の劣化を起こしており、今ではまさしく「迷信」のようなレベルでしかなくなっている。

 

 しかし、こちらも自治領や辺境地域では腕の良い東洋医学者が残っており、追い詰められた貴族達から呼び出されて治療を行う者たちも存在している。繰り返すが彼らのお得意様は優等人種の中でもさらに優れていると認められた貴族たちである。……劣悪遺伝子排除法とか、西洋優越思想がいかに馬鹿らしいものか、よく分かる例ではないだろうか?

 

「ああ、それとな、アルベルト」

 

 父は書斎に戻る前に振り向いて言った。

 

「なんでしょうか、父上」

「……こんなことになってすまない、愚かな父を許してくれ」

「え?」

 

 父はそう言って足早に私の前から去った。後には私と黙って控えていたヘンリク、それに二人の医者が残された。父は何故私に謝罪したのか、謝罪だけなら分かる。虚弱体質の私を家督争いに巻き込むことになったことを謝っていると解釈できるからだ。しかし、「愚かな父」とはどういう意味なのか。

 

 確かなのは暫くして父は酒をよく飲むようになり始めたということだ。昔から酒好きではあった。しかしその酔い方は至って健康な物だった。すなわち、一に兄弟への悪態、二に上官への悪態、三に領地貴族への悪態。酒を飲んでは彼らに対する辛辣な批判を繰り返していた。しかし、第二次ティアマト会戦以後、父は酒を飲むときに一言も話さなくなる。たまに話すことがあれば、それはエーリッヒ伯父上やクラウス伯父上への謝罪だった。ちなみに領地貴族への悪態はその状態でも時々言っていた。あの状態の父に悪態をつかせた領地貴族たちを私は一周回って称えたいと思う。

 

 父が不健康そうな飲み方を始める一方で、私の健康状態は徐々に改善していった。父が連れてきた二人の医者のどちらの治療が良かったのか私には分からないが、私の虚弱体質はこの頃から改善へ向かった。私の身体を蝕む突発的な倦怠感、腹痛、頭痛は結局今に至るまで解消されていないが、些細な風邪で命の危機になるようなことは無くなった。

 

 そういう意味で言えば、ティアマトの四〇分は軍務省にとって涙すべき時間だったかもしれないが、私にとっては喜ぶべき時間なのかもしれない。戦死した者たちには悪い話だが。

 

 とにもかくにも、体調が改善していった私は宇宙歴七五一年に帝都オーディンの幼年学校に入ることになるのだが……。幼年学校での生活を詳しく書く前に触れておくべき事件がある。実際の所、当時私は帝都にこそ居たが、事件には全く関わっていない。年齢を考えれば当たり前の話ではあるが。しかし、これを読んでいる歴史家諸君は私にあの事件について知り得ることを話してほしいと願っている筈だ。私が同志達から聞いた話は後に回すとして、我が父カール・ハインリヒ、そしてシュタイエルマルク提督があの事件の前後、どのような行動を取っていたかを私が知り得た限りにおいて書いておこうと思う。

 

 「クリストフ・フォン・ミヒャールゼン提督暗殺事件」

 

 彼は崇高な理想の為にその命を散らしたのだ。銀河の歴史がまた1ページ……。

 



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少年期・シュタイエルマルク提督の秘密(宇宙歴751年4月~宇宙歴751年8月27日)

 突然だが、諸君は帝国軍幼年学校と帝国軍士官学校の違いを説明出来るだろうか?歴史家諸君には簡単だろうが、一般人諸君、特にサジタリウス腕の諸君には難しい問いだと思う。

 

 幼年学校とはその名の通り、一一歳から一五歳までの五年間、将来の尉官・佐官候補を教育する機関である。基本的に下級貴族や裕福な平民向けの機関であり、私のような帯剣貴族が通う学校ではない。一方士官学校は一六歳から二〇歳の五年間、将来の佐官・将官候補を教育する機関である。第二次ティアマト会戦までは貴族のみが入学を許されていた。士官学校のルーツは銀河連邦の士官学校であり、帝国建国当初から存在するが、幼年学校は晴眼帝・マクシミリアン=ヨーゼフ二世帝の時代に、ダゴンの人材損失補填を名目として帝国軍内部改革の手段として設置された。

 

 さて、ここまでの文章に異論のある者も居るだろう。それならばラインハルト・フォン・ミューゼルはどうなのか?イザーク・フェルナンド・フォン・トゥルナイゼンは?彼らは下級貴族かもしれないが、立派な将官になったではないか、と。そして彼らの伝記には幼年学校で彼らを見下すいけ好かない上級貴族が出てくるじゃないか、と。それらの話が嘘かというと、そういう訳でもない。

 

 幼年学校は第二次ティアマト会戦以前は確かに下級貴族、平民向けの教育機関だった。帯剣貴族がここに通うことは恥と言っても過言では無かった。しかし、第二次ティアマト会戦における人材の大規模損失はそんなことを言っている余裕を軍と帯剣貴族から奪ったのだ。すなわち、少しでも早く帝国軍は失った人材を補いたいし、帯剣貴族たちは軍における影響力を維持したい。必然的に、士官学校よりも任官の年が早い幼年学校に子弟を送るようになった。同時に士官学校の平民入学禁止が解除されたのだ。

 

 しかし、幼年学校で教えられることは士官学校よりレベルが低い。ラインハルトやトゥルナイゼンのように実力(と少しのコネと幸運)で上り詰める例外は居るにせよ、基本的に幼年学校上がりにも関わらず、身分のゴリ押しで将官に上り詰めるような奴はロクなのが居なかった。それでも帯剣貴族ならばまだ軍人として最低限の心構えが出来ていたが、第二次ティアマト会戦後、「今がチャンス!」とばかりに幼年学校に殺到してきた領地貴族の連中はそれさえできていなかった。ああいう手合いは軍人を犯罪者か何かと勘違いしているらしく、問題しか起さなかった。本当に忌々しい連中である。

 

 一方、平民上がりで将官になるような奴は基本的に士官学校を出てコツコツと地位に見合う能力と経験を得ながら昇進してくる。まあ、貴族の威光に縋る奴も居たが、それにしたって最低限の実力が無いと縋っても冷たく振り払われるだけだ。貴族将官=無能、平民将官(下級貴族含む)=有能というような図式が生まれ始めたのは第二次ティアマト会戦がきっかけだった。

 

 さて、私もまた、幼年学校に放り込まれたのだが、ライヘンバッハ家の場合は父が健在であるから本来焦る必要は無い。しかし、ディートハルト従兄上が既に軍人となっている以上、大功を立てて逆転されるという事もあり得る。父上が健在な内に、ディートハルト従兄上が家督を継ぐ目を無くすためには、私が軍人として一角の人物になっている必要があった。

 

 そういう訳で宇宙歴七五一年四月、私は帝都オーディンの幼年学校に入学することになる。その経験は私にとって得難いモノであったが、詳しく振り返る前に、「クリストフ・フォン・ミヒャールゼン提督暗殺事件」について書いておこう。

 

 諸君は宇宙歴七五一年一〇月二九日に起きたミヒャールゼン暗殺事件についてどこまで知ることが出来ているだろうか?まあ、恐らくは私がこの本を書いている時と何ら状況が変わっていないことだろう。故に結論から先に言ってしまおうと思う。ミヒャールゼンは暗殺などされていない。彼は自殺したのだ。

 

 

 私にとって、事件の始まりは幼年学校でクルトと出会ったことだと言って良いと思う。クルト・フォン・シュタイエルマルクはハウザー・フォン・シュタイエルマルク提督の息子であり、そして私の生涯の友である。あれは入学から一月程経った頃だっただろう。前世の感覚を引きずっている私は(それで納得できない者は生まれつき正義感が強かったとでも解釈しておくように)身分制を色濃く残している幼年学校での生活に馴染むことが出来ていなかった。

 

 当然だろう。第二次ティアマト会戦以前と同じように裕福な平民や下級貴族が入学してくる一方でやたらプライドが高い帯剣貴族のボンボンと、プライドが高いだけではなく品格……というか理性を有していない領地貴族の馬鹿息子共が殺到してきているのである。当時の幼年学校の雰囲気は殺伐としていた。タップファーではほぼ屋敷暮らしだった私は、ここで初めて生の身分制に触れた訳である。

 

 そんな私と同じように、クルトもまた孤立していた。……いや、孤高を保っていたと言った方が良いか?同じ孤立でも私とクルトでは何かが違っていた。シュタイエルマルク提督の息子ということもあって、私はクルトの事が気になっており、話しかけるチャンスを待っていた。ある日、木陰で彼が読んでいる本を見た時、そのチャンスが来たと思った。

 

「ふーん、トマス・ホッブズか……『万人の万人に対する闘争』で有名だけど……『リヴァイアサン』というのは聞いたことが無い本だね」

 

 私はそう言ってクルトに声をかけたが、どこか白々しかったかもしれない。何故なら『リヴァイアサン』を知らないと言ったのは嘘だ。むしろ『リヴァイアサン』こそホッブズの著作であり、『万人の万人に対する闘争』というのはホッブズの思想をゴールデンバウム朝に都合よく解釈した偽物である。

 

 トマス・ホッブズは西暦時代の哲学者、あるいは思想家だ。ゴールデンバウム朝御用達の共和主義者と言っても良い。私が前世で知る限りにおいて(あるいは歴史本を読み漁った限りにおいて)、彼は単純な絶対王政支持者では無かったはずだが、ゴールデンバウム朝はこの偉人の名前を借りて、大帝ルドルフの権力簒奪を『共和主義的に』正当化しているのだ。同じような例はいくらでもある。

 

「だろうね。『リヴァイアサン』は歴史から抹消された本だ。内務省の発禁対象本にすらなっていない。何故だかわかるかい?」

 

 クルトは私の方を見もせずに問いかけてきた。私には分かる気がした。

 

「トマス・ホッブズには『模範的な』共和主義者で居てほしいから……かな?」

 

 『リヴァイアサン』は様々な解釈が出来るが、それでもあまり(正しい意味での)共和主義者受けの良い本ではない。当然、同盟でも帝国内の共和主義勢力でもほとんど評価されていない、というか知られていない。一方、内務省にしてみれば、ゴールデンバウム朝を正当化する偉大な学者の書いた別の本を発禁処分にしては、その学者のゴールデンバウム朝を正当化する主張自体が説得力を失ってしまう。『リヴァイアサン』が共和主義思想のバイブルとして祭り上げられる可能性すらある。幸い、今の所共和主義者たちからもあまり知られていないのだから、『無かったこと』にしてしまうのが一番楽なのだ。

 

 クルトは少し驚いた顔をしてこちらを見た。

 

「君は歴史に興味があるのかい?えーっと……ライヘンバッハ君だったかな?間違っていたらごめん。しかし君も人が悪いな……その回答が出来るという事は、君も『リヴァイアサン』を読んだことがあるんだろう?」

 

 その言葉を聞いて私は思わず「あ」と間抜けな声を出してしまった。その通りであった。私は6年前から成長していなかったらしい。クルトの父親に対しても同じような失敗をしたというのに。

 

「ははは……。読んだことは無いんだけどね。ただホッブズは単純な王党派じゃなくて、例えば平等を……」

 

 そこまで言った所で私は気づく。ちょっと喋りすぎた。こんなところで堂々と『リヴァイアサン』を読んでいる人間とはいえ、ほぼ初対面だ。

 

「トマス・ホッブズは『模範的な』共和主義者だ……そうだろう?」

 

 クルトは少し笑みを浮かべながらそう言った。六年前に見たシュタイエルマルク提督の笑みに似ている、と思った記憶がある。

 

「そうだね……その通りだ。彼は『模範的な』共和主義者だ。陛下に楯突く不埒な輩とは違って、ね」

 

 私もそう言った。それでこの話は終わった。私とクルトはそれから他愛の無い話を少しして別れた。しかし、別れ際、彼は私にこう言ってきた。

 

「何が有り得ないかを言うのは難しい。何故なら昨日の夢は、今日の希望であり、明日の現実であるからだ」

「え……」

「覚えておいたら良いよ、君ならこの言葉を役立てることが出来るかもしれない」

 

 そう言ってクルトは私の前から立ち去ろうしたが、私はそれを引き止めた。

 

「待って!……君のお父さんも同じことを言っていたけど……どういう意味なんだい?」

 

 そう尋ねるとクルトは驚いた。

 

「父が?……いや、正直、僕もこの言葉が何の役に立つのかは分からないんだ。ただ、父から『もしも、幼年学校で開明的な価値観を持ち、尚且つ信頼できる人間に会ったらこの言葉を伝えなさい』と言われて……。というか、いつ父と会ったんだい?」

「六年前だから帝国歴四三六年かな?僕の父、カール・ハインリヒが君の父上の艦隊で副司令官を務めていたのは知ってるよね?」

「え」

「まさか……知らなかったの?」

 

 今度は私が驚く番だった。

 

「あ、ああごめん。そう言えばそうだった……かも?君は本当に人が悪いな……。もっと早く教えてくれても良いじゃないか!」

「えー……」

「父さんと知り合いだったのか、それなら今度家に来ないか?丁度良いことに先日父さんも出征から帰ってきたんだ。父さんが趣味で集めた地球時代の資料もある。『リヴァイアサン』を知っているくらいだし、君も興味はあるんだろう?」

 

 何故私がクルトから怒られたのか、今でも納得がいかないが……。私はクルトの誘いを受けることにした。地球時代の資料というのに興味をそそられたし、五歳の頃会ってから、私はシュタイエルマルク提督に憧れていた。父がダメな訳じゃないが、シュタイエルマルク提督はよりスマートで威厳があって……まあ格好良かったのだ。決して父がダメな訳ではないが。ただ酒を飲んで悪態をついている姿を、あるいは酒を飲みながら黙り込んで時に泣いている姿を「格好良い」と評することは……いくら身内でも難しい。

 

 

 結局、色々あってシュタイエルマルク邸を初めて訪れた頃には六月になっていた。シュタイエルマルク邸、というよりライヘンバッハ家も含む帯剣貴族の邸宅はほとんどが帝都オーディンと同じくゲルマニア州に存在するメルクリウス市に存在する。

 

 メルクリウス市はオーディンのすぐ東隣にあり、統帥本部、宇宙艦隊総司令部、兵站輜重総監部、赤色胸甲騎兵艦隊司令部、憲兵総監部、幕僚総監部、科学技術総監部など軍の重要機関が設置されている。なお、軍務省、教育総監部、近衛総監部、首都防衛軍司令部などは帝都オーディンに存在している為、帯剣貴族の中でもそれらの組織に近い一部は帝都オーディンに邸宅を有している。

 

「久しぶりだな、アルベルト君。御父上は元気にされているか?」

  

 シュタイエルマルク提督は六年前に比べてどこか疲れているような印象を受けた。それが単に身体的な疲れなのか、それとも精神的な疲れなのか、一時的な物なのか、長期的な物なのか。六年ぶりに会う私には分からなかった。

 

「ご無沙汰しております。シュタイエルマルク閣下。父は……まあ元気です。」

 

 我が父カール・ハインリヒも第二次ティアマト会戦以降、どこか疲れているような……そんな印象を受けるようになった。酒の飲み方が不健康になったとはいえ、軍人として長年身体を鍛えている。簡単に衰えたりはしない。だが、精神的には一気に老け込んだように思えた。今は黄色弓騎兵艦隊司令官を過不足無く務めているが、かつてのような覇気は感じられない。いつもどこか陰鬱そうな表情をしていた。

 

「そうか……」

 

 シュタイエルマルク提督は私の表情から何かを読み取ったらしく少し憂うような色を浮かべたが、すぐにその色を消して言った。

 

「君は地球時代の資料に興味があるらしいね。良い趣味だ。好きに見てくれ、分からないことがあればクルトに聞いてくれ。それと……資料室は自由に見て良いんだが、資料室の奥にある扉の向こうには貴重な資料が多く置いてあるから、入らないでくれ」

「承知しました、閣下。ところで父から閣下に手紙を預かっているのですが……」

 

 私はそう言いながら手紙を差し出す。

 

「手紙か……なるほど、良い手かもしれない。感謝する、アルベルト君。帰る前に私の書斎に寄ってくれ、クルトに聞けば分かるはずだ。返事を書いて用意しておく」

「承知しました。それでは失礼します」

 

 私は居間から立ち去り、廊下で待っていたクルトと合流した。その後、シュタイエルマルク邸の資料室に入れてもらったが、これが素晴らしいコレクションだった。前世における私の故郷である地域の本もあった。漫画まで置いてあったのは嬉しい誤算だった。正直、私の知っている本など『ファーブル昆虫記』位しか無いのだろうと思っていたが、『三銃士』『緋色の研究』『源氏物語』『罪と罰』『水滸伝』『ハリー・ポッター』『西部戦線異状なし』……私の前世の記憶にもあるような小説も多く蔵書に含まれていた。もっとも、これらの本はあくまで復元らしい。古くてもシリウス戦役後に復刻出版されたような代物しかない。本当に西暦時代から生き延びたような本は博物館で厳重に保管されている。

 

 だがそれにしても、私にとってシュタイエルマルク邸の資料室は天国だった。そこには私が失った日常の残照があった。私はクルトに頼み込み、幼年学校を出るのに時にライヘンバッハの名を使ってまで足繁くシュタイエルマルク邸を訪れた。……その度に父の手紙を携えて。父からシュタイエルマルク提督への手紙はわざわざ幼年学校の寄宿舎にある私の部屋に送られてきた。そして私はそれをシュタイエルマルク提督に手渡していたのだ。そしてシュタイエルマルク提督からの返事を私の手紙として父に送る。そんなことを繰り返していた。だが、蔵書に目を奪われていた私は、そんな不可解な行為を些細な事だと気にしなかった。

 

 とはいえ、そんな頭がお花畑の私も徐々に自分の行動に疑いを持つようになる。きっかけは八月一日のことだった。父からいつものように届いた手紙を見ると、そこには大至急同封されているデータチップをシュタイエルマルク提督に渡すようにと書かれていた。しかし八月の前半は幼年学校のスケジュールの関係でシュタイエルマルク邸に行くことが出来なかった。

 

 すると、八月一八日になって突然、シュタイエルマルク提督が幼年学校を訪問してきた。そこで生徒に対し講義を行った後、クルトに会うという名目で私に近づき、そしてデータチップを渡すようにと言ってきたのだ。シュタイエルマルク提督の目は恐ろしく真剣だった。まるで六年前、父の書斎の前で会ったときのように。

 

 もしかしたら「遅い」と言われるかもしれないが……父とシュタイエルマルク提督に対し、疑念を持ったのはこの時が初めてだった。私が渡したデータチップには一体何が書かれていたのだろう……。

 

 

 

 余談ではあるが……。宇宙歴七五一年八月二七日、パランティア星域会戦において同盟軍の名将ジョン・ドリンカー・コープ宇宙軍中将が、彼が指揮をしたとは思えないほどの精彩を欠いた指揮ぶりでハンス・ヨーデル・フォン・シュムーデ宇宙軍中将率いる帝国軍に惨敗し、三〇万人の戦死者を出し自身も戦死した。私は後にこの戦いの記録を見たが、コープは当初、まるで『帝国軍がその場所に布陣していると確信している』かのような指揮を執っていたように思える。実際の帝国軍は正反対の位置に布陣していたというのに。

 

 さらに言えば、援軍に向かったフレデリック・ジャスパー宇宙軍大将はまるで『コープがどのように負けるか分かっていた』かのような指揮によって、戦勝に沸くシュムーデ艦隊に痛撃を与えている。

 

 ……世の中には不思議なこともあるものだ。ただ……どのような種類の戦いであれ、決して勝利のみを得て理想を実現できるほど甘くは無い、という事では無いだろうか?

 

 そう、我々は敗北によって理想の実現に近づくこともあるのだ……望むと望まぬとに関わらず、な。そして彼は……ミヒャールゼンはその事をよく分かっていたのだろう。




注釈2
 トマス・ホップズは西暦時代の哲学者・思想家である。ゴールデンバウム朝では彼の思想の一部分……つまり、人間の自然状態が無秩序な「万人の万人に対する闘争」であるとすること。自然法がいまだ不完全な存在であるとすること。社会契約を服従と捉えていたことなどを組み合わせ、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの権力簒奪を正当化する論拠として喧伝された。なお、その際障害となる部分は抹消され、都合の良い部分を集めて新たに『万人の万人に対する闘争』という本が作り出された。
 その為、自由惑星同盟ではホップズは論ずるに足らない王党派とみなされて居る他、帝国内共和主義勢力でもあまり人気が無かった。稀に彼の本当の著書である『リヴァイアサン』を入手し、彼を共和主義者とみなして称える勢力が無かった訳ではないが、少数派である。
 しかしながら、バーラト自治大学人文学部歴史学科のエリオット・ジョシュア・マッケンジー名誉教授(故人)はかつてホップズを近代的政治理論と位置づけ評価する論文を発表している。マッケンジーは権威ある学者だったが当時は賛同する声が少なかった。近年ではジークマイスター機関のメンバーに影響を与えたこともあり、再評価の動きも出ているがハイネセン記念大学文学部史学科のブルクハルト・オスカー・フォン・クロイツェル教授らは、ルドルフの簒奪を正当化しうる思想であるとして批判している。


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少年期・ミヒャールゼン提督暗殺事件(宇宙歴751年9月3日~宇宙歴751年11月8日)

 クリストフ・フォン・ミヒャールゼンは不思議な魅力を持った、それでいて胡散臭い男だった。ただ、公的な彼の姿を知る人々は、彼を真面目だけが取り柄な地味な男だと評していた。まあ、表と裏で姿が違うのは、我々の間ではそう珍しくない。インゴルシュタットのようにどちらでもクソ真面目な奴もいるが。

 

 彼と会ったのは一度だけだが、私に強烈な印象を与えている。宇宙歴七五一年九月三日、私はクルトに相談した上でデータチップの内容をシュタイエルマルク提督に尋ねることにした。そして資料室では無く、シュタイエルマルク提督に面会することを目的に訪問させてほしい、と打診した。資料室目当てでシュタイエルマルク邸を訪れたとしても、提督がいつも在宅しているとは限らなかったからだ。それに対して、シュタイエルマルク提督は「君の疑問は分かっている。しっかり対応するつもりだ、ただ君からくる必要は無い、こちら側から向かおう」と返してきた。

 

 後から考えれば分かるが……。「しっかり対応する」とは言ってはいるが、別に自分が対応するとは一言も言っていない。私はまんまと騙されたのだ。しかし、この状況でシュタイエルマルク提督が初対面の別人を自分の代わりに会わせることにするなど誰が予想できるだろうか?……そう、シュタイエルマルク提督に会うべく面会室に入った私を待っていた人間こそ、クリストフ・フォン・ミヒャールゼン宇宙軍中将であった。

 

「……お初にお目にかかります。アルベルト・フォン・ライヘンバッハと申します」

 

 ミヒャールゼン提督とは幼年学校にある面会室の一つで会った。後から聞いた話によると、ミヒャールゼン提督の親族も幼年学校に居るらしく、その親族に会うという名目でやって来たらしい。それなのに何故その親族ではなく私がミヒャールゼン提督と面会することが許されたのか……。言うまでもない。幼年学校にすら我々の同志が居た、という事である。

 

 その時の私は内心、ちょっとしたパニックに陥っていた。シュタイエルマルク提督が居ると思い込んでいたのに、そこでは見ず知らずの胡散臭い人間がコーヒーを飲んで寛いでいたのだ。もっとも、名前を聞いた後でパニックに陥った理由は変わったが。

 

「うん、ご丁寧にどうも。私は軍務省で参事官をやっているクリストフ・フォン・ミヒャールゼンという者だ。宜しく、アルベルト少年」

 

 彼はコーヒーを飲みながら微笑んで私の挨拶に応えた。紺色のややくたびれたスーツに身を包んだ彼は、優男風の顔と相まってエリート軍官僚というよりもちょっと冴えない商社マンのように見えた。父やシュタイエルマルク提督からどこか疲れているような印象を受けたのに対して、彼はまさしく体力的にも精神的にも満ち足りている、そんな風に見えた。

 

「あの……シュタイエルマルク閣下はどちらに……?」

「逃げた」

「……は?」

「知ってるだろう?あいつは撤退戦が上手なんだ」

 

 ミヒャールゼン提督は笑いながらそう言った。しかし、私が唖然としているのを見ると軽く咳払いをしてから真面目そうな表情を取り繕った。

 

 後から聞いた話によると、ミヒャールゼン提督は自分から私に会うことを希望したらしい。つまり、逃げたというのは彼なりのジョークだったのだろう。それに応えられなかったことに若干の申し訳なさを感じるが、相手の身にもなって欲しい。あの状況でそんなジョークを出されて反応出来る訳がない。

 

 そして彼は、どこか芝居がかったような仕草で両腕を広げながらこう言った。

 

「さて、アルベルト少年、君の疑問を聞こうじゃないか!残念ながら私にはあまり時間が無くてね……」

 

 当然ながら私は彼に疑問をぶつけることを逡巡した。目の前の男がシュタイエルマルク提督で無いというのも理由の一つだが、それだけではない。歴史家諸君は信じてくれないだろうが、私には前世でミヒャールゼンという名前に聞き覚えがあった。

 

 彼がここに居る、その一事で私の中に恐ろしい可能性が浮かんでいた。ハウザー・フォン・シュタイエルマルクとクリストフ・フォン・ミヒャールゼンの間に繋がりがあった。そして恐らくカール・ハインリヒ・フォン・ライヘンバッハとも。だが、結局のところ私は疑問をぶつけることを選んだ。

 

 恐らく、それに対するミヒャールゼンの返答は、私の信じていた世界を大きく揺るがすことになるだろうということは分かっていた。だが、その真実がどれだけ大きな衝撃を私に与えようと、転生が私に与えた衝撃に比べたら小さな物だ。私はそう考えた。

 

「……8月に父から私にデータチップが届きました。『大至急ハウザーに渡せ』という指令と共に。様々な事情から、すぐにその指令を果たすことができませんでしたが、その時シュタイエルマルク閣下はわざわざ幼年学校まで来て、データチップを回収していきました」

 

 私はあの時のシュタイエルマルク提督の目を思い出す。真剣さもさることながら、焦燥・後悔・苛立ち……色々な感情が強く読み取れた。あの聡明で常にスマートなシュタイエルマルク提督から、である。

 

「ミヒャールゼン閣下。何故あなたがシュタイエルマルク閣下の代わりにここに居られるのかは分かりません。ですが、あのデータチップの内容について何かご存知なのでしょう?どうか教えていただけませんか?父とシュタイエルマルク閣下は一体、私に何をやらせていたのですか?」

「君はカールとハウザーの私信を運んでいただけ、それでは納得できないのか?」

 

 その言葉と同時にミヒャールゼン提督の雰囲気が変わった。刀を突き付けられているような、そんな錯覚を覚えた。サーベルではなく刀だ。歴史家諸君、意訳はしないでくれよ?

 

 我が同志、インゴルシュタットも似た雰囲気を漂わせていたが、ミヒャールゼンのそれはインゴルシュタットのそれを百倍に濃縮したかのような代物だった。とはいえ、それで怖気ずく私ではない。「保身に興味がない」と言うのは別に地位に限った話ではない。自覚は無いのだが、ブラッケによると私は自分に降りかかるリスクに対してやや無頓着な所があるらしい。もっともそれを言ったブラッケもすぐにリヒターから「お前が言うな」と言われていたが。

 

「納得出来ませんし、そもそも閣下がそれで私を納得させたいなら……、閣下はここに来るべきではありませんでした」

「……なるほど!正論だ。しかし私にも事情があってね。ハウザーに対して君に興味があると言ったのは嘘ではないのだが、どちらかというとコレが目的だ」

 

 ミヒャールゼン提督は懐から封筒を出し、私の方に差し出した。

 

「恐らく11月くらいに、君はミヒャールゼンという名を再び聞くことになるだろう。そうしたらこの封筒をカールかハウザーに渡してくれ」

「またメッセンジャーですか……」

「他に方法が無くてな。『面会を代わりに行かせてくれ』とハウザーに伝える事にすら苦労したんだ。リューデリッツとエーレンベルクが私に辿り着いたからね。今の私は処刑台の上で死を待つ囚人に等しい」

 

 そう言いながらミヒャールゼン提督はくつくつと笑っていた。私の方は突然衝撃的な話を聞かされて何も返せない。

 

「ああ、すまない、アルベルト少年。どうやら少し精神的に参っているのかもしれないな。君にこんなことを言っても仕方がないだろうに」

「いえ……」

 

 私はやっとのことでその一言だけを返した。だが言われてみれば私が前世で知るミヒャールゼンは謎の死を遂げていた。それがいつの話なのか、当時の私は覚えていなかった。

 

「さて、君の疑問は尤もだが……君がその答えを知るにはまだ早い。だから今はこれだけ覚えておきたまえ。『パランティア星域会戦』。君が幼年学校を卒業するころには詳細な会戦のデータがコンピュータで見れるようになるはずだ。君は聡明だ。見れば分かるはずだ」

「『パランティア星域会戦』……ですか?疑問に直接答えていただくことは出来ないのですか?」

「出来ない、という訳でもないが、今答えるべきでは無いだろう。ただ……君には本当にすまないことをしたと思っている。卑怯なやりようだが、私のこの謝罪も一緒に覚えておいて欲しい」

 

 それからミヒャールゼン提督は少し躊躇して続けた。

 

「ただ、そうするしかなかったというのは事実だ。恐らく私は……何度やり直しても同じ事をするはずだ。そして後悔も、無い」

 

 そう言った顔には苦悩が刻まれていたが、迷いの無い目をしていた。

 

 暫く沈黙が面会室を支配した。机の上のコーヒーを飲み切ると、ミヒャールゼン提督は立ち上がって面会室を出た。当時の私は何か言いたかったが、何を言うべきか分からなくて黙って見送った。あるいはあの瞬間、私が何か的確なことを言うことが出来れば、我々はミヒャールゼンという男を失わなくて済んだのかもしれない。……流石に思い上がりが過ぎるか。

 

 ミヒャールゼン提督の最後の言葉……。単純に解釈すれば私を巻き込んだことに対して言っているのだろうが、きっと彼は自分の人生自体を振り返って言ったのだろう。もしかしたら違うかもしれないが、彼が死んだと聞いたとき、私は自然にそう思った。

 

 

 宇宙歴七五一年一〇月二九日一四時三〇分過ぎ、クリストフ・フォン・ミヒャールゼン提督は軍務省の参事官室で頸部を撃たれて死亡しているのが発見された。当日は一一四〇〇名もの帝国軍士官の人事異動が発表されていた。さらにどういう訳か軍務省人事局は一〇時三〇分に出した第一次異動発表を20分後に撤回。人事局長マイヤーホーフェン地上軍中将が謝罪するほどの大きな騒ぎになった。そんな混乱の最中、ミヒャールゼン提督は射殺された。

 

 ミヒャールゼン提督は死の直前、第二次ティアマト会戦の生き残りであるハウザー・フォン・シュタイエルマルク宇宙軍大将と面会し、激しく口論していたという。しかし、そのシュタイエルマルクも一三時一五分頃には参事官室を辞去している。一三時二〇分頃には生きているミヒャールゼンの姿が多くの士官に目撃されている上に、一四時頃には軍服姿の人間が参事官室を抜け出す姿を見たという数人の士官の目撃証言がある。証言を信じるならば、シュタイエルマルク提督はミヒャールゼン殺害の犯人ではない。

 

 その他、ある者はミヒャールゼン提督と一四時過ぎにトイレで会ったと証言し、またある者は、ミヒャールゼンの親族を参事官室の近くで見たと証言した。このようなどこまで信用できるか分からず、中には厄介なことに相互に矛盾しているような証言まで存在し、捜査は難航した。

 

 同年一一月八日、私はシュタイエルマルク邸を訪れた。

 

「お久しぶりです……。シュタイエルマルク閣下」

「ああ、久しぶりだな。アルベルト君」

 

 シュタイエルマルク提督は最後に会った時と全く変わっていなかった。……少なくとも表面上は。

 

「ミヒャールゼン提督から封筒を預かっています。自分の名前が聞こえてくるようなことがあれば、閣下か父に渡すようにと言われていました」

 

 私は封筒を差し出す

「何?……そうか、ミヒャールゼンの奴、突然アルベルト君に会いたいなんて言うから何が目的かと思ったが……。そういうことか」

 

 シュタイエルマルク提督は一瞬驚いたようだが、すぐに納得した表情を浮かべると封筒を受け取った。

 

「すまないが……外してくれないか?一人で中身を確認したい」

「……分かりました。」

 

 私はシュタイエルマルク提督の書斎を出た。廊下ではいつものようにクルトが待っていた。私が挨拶をしている間はどうせ暇だからと廊下で本を読んでいることが多かった。

 

「終わった?それじゃあ、今日は何の本を読もうか?この前は2人で『西遊記』を読んだんだっけ?」

「今日は資料室には行かない」

「……そう。まだ父さんに用事?」

「そんなところ」

 

 私はミヒャールゼン提督が最後に遺した封筒の中身が気になっていた。とはいえ、勝手に中身を除くのは流石に人として間違っている。時間を置いて再び書斎に入れてもらい、駄目元でシュタイエルマルク提督に聞いてみよう、そう考えていたのだが……。

 

「ミヒャールゼンの馬鹿野郎が!」

 

 突然大きな声と何かを叩く音がした。……いや、実際の所、分厚い扉を隔てていたこともあり、完全には聞き取れなかったのだが……。『馬鹿』という単語は何となく聞き取れたので、恐らくこのようなことを言っていたと思う。

 

「今のは……?」

 

 私とクルトは顔を見合わせ、そして書斎の扉を恐る恐る開けた。

 

「どうされましたか、閣……」

 

 私は驚いた。シュタイエルマルク提督は泣いていた。あのシュタイエルマルク提督がである。

 

「……」

 

 私たちは無言で再び扉を閉めた。ミヒャールゼン提督の封筒に何が入っていたのかは今でも分からないが、チラリと見えた限りでは便箋とデータチップがシュタイエルマルク提督の机の上にあったような気がする。

 

 あの事件に関して、私は今も真実を知らない。シュタイエルマルク提督に聞くことは、この時も、それ以降も出来なかった。しかし、同志たちから聞いた情報などを組み合わせて、一つの推論に辿り着いた。それなりに自信もある。折角の機会だ。次はその推論をお披露目しよう。




注釈3
 ジークマイスター機関には多くの謎がある。その中でも特に大きな謎の一つが『七五一年問題』である。
 『七五一年問題』とは創設者マルティン・オットー・フォン・ジークマイスターや指導者クリストフ・フォン・ミヒャールゼンを始めとする少なくない数のメンバーがこの時期を境にジークマイスター機関から脱落を余儀なくされたと推測されるにも関わらず、後の救国革命第一世代の指導者に、ジークマイスター機関に関係していると思われる人物が多数存在することに対する疑問である。
 なお、ジークマイスターやミヒャールゼン以外にもメンバーが脱落していると推測される根拠は、情報公開後の軍務省の人事記録である。これによると、七五一年前後に士官の『事故死』『病死』が激増している。同様の現象は他の時代でも何回か確認されているが、例えばマンフレート亡命帝の暗殺前後、あるいはコルネリアス元帥量産帝の親征断念直後など、大きな政変があった時に限られている。このことから断定はできないものの、ミヒャールゼン暗殺事件前後に何人かの士官が粛清されていることは確かなように思われていた。
 
 さて、話を『七五一年問題』に戻すが、学界では主に二つの説が唱えられていた。一つ目は『二段階説』または『断絶説』と呼ばれる物であり、七五一年前後の粛清でジークマイスター機関の第1世代は大幅に減少したが、細々と生き残り、新たなメンバーを獲得したという説である。二つ目は『詐称説』であり、七五一年前後の粛清で第一世代は全滅したが、その後、救国革命の際に同盟の協力を引き出すために、革命指導者たちが同盟とつながりのあったジークマイスター機関のメンバーを詐称したという説である。
 しかし、ライヘンバッハの自叙伝に書かれていた真実と彼の推論は、両方の説を否定する物であり、学界に大きな衝撃を与えた。


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閑話・ミヒャールゼン暗殺事件に関する一考察

 私の推論を披露する前に、前提として宇宙歴七五一年頃、機関がどのような状況に置かれていたのかを解説しておこう。

 

 宇宙歴七五一年のミヒャールゼン暗殺事件前後、ジークマイスター機関はその存在が一部の軍高官に露見しかけていた。その原因は……やはり第二次ティアマト会戦にある。

 

 宇宙歴七四五年の第二次ティアマト会戦によって、機関の活動に気づきつつあった軍の高官、特にミヒャールゼンを疑い追及しようとしていたヴァルター・コーゼルを葬った機関は、暫くの休眠期間を挟み、その活動を再開した。しかし、アッシュビーの戦死とそれによるジークマイスターのリタイアは機関の活動をより困難にすることになる。

 

 優れた情報選別者と情報活用者を失った機関はその前の情報収集の段階で、より精度の高い情報を掴む必要性に迫られた。それでもミヒャールゼンと彼の部下たちは良い仕事をしていたと思う。とはいえ、ティアマト以前に比べ、より危険を冒す必要性に迫られたのは確かだ。

 

 ミヒャールゼンは……というよりジークマイスター機関全体が躊躇した。このまま活動を続けていても良いのだろうか、と。しかし、結局、彼らは活動を続行した。理由は二点、一点目は第二次ティアマト会戦で機関の障害となりつつあったツィーテンたちが消えている事。そして二点目は、同盟に解体したとはいえ、まだ七三〇年マフィアのメンバーが存在した事。

 

 ダスティ・アッテンボローの著書によると、同盟の名将ヤン・ウェンリーはこう言っている。「仮にブルース・アッシュビーを謀殺しようとする者が居たとすれば、その者たちが心理的拠り所にしたのは七三〇年マフィアの面々であろう」と。

 

 流石は名将ヤン・ウェンリーというべきか。彼がケーフェンヒラーと共にまとめた資料も彼らが得られる情報から考えると素晴らしい代物だったが、洞察力に関しても際立ったモノを有していたらしい。まさしく、アッシュビーを失った当時の機関にとって七三〇年マフィアは心理的な拠り所、希望であった。(勿論、我々はアッシュビーを暗殺していないし、しようとも思っていなかったが)

 

 しかし、やはり機関の方針には無理があったらしい。第二次ティアマト会戦に出征しなかった兵站輜重副総監、セバスティアン・フォン・リューデリッツ宇宙軍大将が機関の活動に勘付いた。この恐ろしく保守的な価値観と、優れた管理能力を併せ持った(しかし、指揮官としての才能は恐ろしいほど欠如していた)能吏は、機関の活動を暴くべく、行動を開始した。

 

 彼は機関を打倒するのに、軍の外にある力を活用した。彼はジークマイスター機関が軍に立脚する組織であることを見抜いていた。勿論、我々が軍人以外に同志や協力者を有していなかった訳ではないが……。やはり軍の外で、我々を撃滅せんとする動きがあることに気づくのには遅れてしまった。

 

 リューデリッツが動かしたのは内務省保安警察庁と軍の非主流派である領地貴族出身の軍人たちである。保安警察庁は主に一般犯罪を扱う部署であり、『庁』でありながらも『局』である社会秩序維持局に比べて下に見られる傾向があった。

 

 ハッキリ言って、ジークマイスター機関もこの組織が機関摘発に動くなど予想すらしていなかった。機関の警戒はもっぱら憲兵隊や社会秩序維持局に向けられていた。おかしな言い方だが、リューデリッツが頼ったのが憲兵隊や社会秩序維持局ならば、ミヒャールゼンはすぐにその動きを察知し、適切に対処できたはずだ。

 

 そして、第二次ティアマト会戦後に急増した領地貴族出身の軍人。すなわち、元々ルドルフ大帝から軍を任された家以外の出身者たちは、軍内で白眼視されていた。詳しい説明は後に回すが、「まともな」帯剣貴族にとって領地貴族は平民以上に憎らしい連中であり、場合によっては敵に近い存在だった。まさか名門帯剣貴族のリューデリッツが、領地貴族出身のエーレンベルクたちに助けを求めるとは……こちらも予想すらできなかった。

 

 宇宙歴七五一年、機関の構成員を炙り出すべく、リューデリッツたちは一計を案じた。同年のパランティア星域会戦に際し、統帥本部や宇宙艦隊総司令部に存在した容疑者たちに偽の情報を流して反応を確かめたのだ。恐らく、百戦錬磨のミヒャールゼンは罠に気づいたことであろう。しかし、当時機関には同盟側から情報提供を求める強い要請が来ていた。理由はアッシュビーの戦死によって動揺する国内を鎮める為に、七三〇年マフィアの健在を示す必要があったから……とは言いながらも、実際は「選挙が近かったから」だろう。

 

 

 ここからは推測になるが……ミヒャールゼンと機関はリューデリッツたちの罠に気づいた上で、それを出し抜いて機密情報を手に入れることを余儀なくされたのだろう。そして激しい暗闘の末、ミヒャールゼンは信頼に足る機密情報の入手に成功し、同盟側に流したのだ。

 

 同盟軍のジョン・ドリンカー・コープ宇宙軍中将はこの情報を信じて指揮を執ったと思われる。ところが、ミヒャールゼンが暗闘の末に獲得したその情報までもがリューデリッツたちの用意したフェイクであった。コープのパランティア星域会戦における信じられない程精彩を欠いた指揮ぶりはこれが原因だろう。偽情報を信じたコープはシュムーデ艦隊によって背後から奇襲に近い攻撃を受けることになった。

 

 さて、フェイクを掴まされたミヒャールゼンだが、恐らく情報を送ってしまった後でその事に気づいたに違いない。正しい情報を入手した上で同盟側に伝えようとしただろうが、そこでリューデリッツたちに存在が突き止められたのだと思われる。リューデリッツたちの監視下に置かれたミヒャールゼンはその目を盗んで、機関のメンバーに正しい情報の入ったデータチップを渡し、別のルートで送るように指示した。しかし、ミヒャールゼンがマークされたことで同盟側とのルートのほとんどが遮断されてしまった。

 

 唯一残ったルートがジークマイスター機関のもう一つの司令塔であるハウザー・フォン・シュタイエルマルク提督が掌握していたルートだったのだろう。シュタイエルマルクの存在は機関の内部でも一握りの人間しか知らない。シュタイエルマルクには機関と対立する側にあえて接近し、巧みにその捜査状況を操作するという役割があったからだ。

 

 そして、シュタイエルマルクにはミヒャールゼンと独立して動かせる同志が何人も居た。ミヒャールゼンの死後、我々ジークマイスター機関が勢力を温存できたのは、シュタイエルマルクを頂点とするもう一つの集団が丸ごと温存されたからである。

 

 とはいえ、ミヒャールゼンが直接シュタイエルマルクに会えば、リューデリッツたちにシュタイエルマルクの存在も露見することになるだろう。そこでリューデリッツたちの監視を躱して、シュタイエルマルクの元までデータチップを届ける為に利用されたのがこの私、アルベルト・フォン・ライヘンバッハだったのだ。

 

 私が届けたデータチップによって、フレデリック・ジャスパー宇宙軍大将はコープの敗北を予想することが出来た。そして恐らくはアッシュビーには劣るだろうが、少なくともコープよりは情報活用者としての資質に恵まれていたジャスパーは戦勝に沸くシュムーデ艦隊を猛追し、痛撃を与えることが出来たのだ。……つまり、私がデータチップを届けたことでシュムーデ提督は旗下の2割を失う損害を受けたことになる。

 

 最終的に、パランティア星域会戦は辛うじて同盟が一矢を報いたが……それと引き換えにミヒャールゼンの存在は完全に突き止められた。にも関わらず、すぐにミヒャールゼンが粛清されなかったのは、ジークマイスター機関の全容を明らかにするために泳がせる目的があったのだろう。

 

 そこでミヒャールゼンは組織の為に自分を切り捨てる決断をしたのだ。恐らく10月29日の軍務省における混乱は機関による工作の結果だと考えられる。その混乱の中で『表向き』犯人不明の状態で自分が殺害される。その一方で『裏』ではその下手人がシュタイエルマルクだという事に仕立て上げたのではないか。

 

 シュタイエルマルク提督が第二次ティアマト会戦前にツィーテン元帥による秘密捜査組織に属していたということは、第二次ティアマト会戦に出征せず、生き残った僅かな高官たちに知られている事実である。「第二次ティアマト会戦の生き残りであるシュタイエルマルクが独自に捜査を続けて、ミヒャールゼンに辿り着いた」というのはとても分かりやすい物語だろう。

 

 事実、ミヒャールゼン暗殺事件の際に証言を行った士官の一部はジークマイスター機関の息がかかった人物であるか、リューデリッツやツィーテンの秘密捜査を知る一部の上層部によって『用意された』証言者である可能性が高い。恐らく前者は「シュタイエルマルク提督が殺した」というストーリーを補強する為にミヒャールゼンが用意し、後者は「シュタイエルマルク提督は殺していない」という事にして事件を迷宮入りさせるためにリューデリッツや上層部が用意した証言者だろう。

 

 リューデリッツや上層部が隠蔽に走った理由は想像に難くない。宇宙軍大将が宇宙軍中将を射殺しただけでも大スキャンダルだが、それ以上に捜査の中で連鎖的にジークマイスター機関の存在まで明らかになってしまったら、帝国軍の威信はガタ落ちである。さらに言えば軍高官の首が残らず飛ぶだろう。……あるいは物理的に。

 

 ちなみに……。ミヒャールゼンの死体を最初に発見したハンス・フォン・フリートベルク宇宙軍大佐はジークマイスター機関の幹部である我が父、カール・ハインリヒの部下であった。このフリートベルクだが、事件の半年後に私邸の執務室で服毒自殺をしているのが発見される。彼がジークマイスター機関のメンバーだったかは分からないが……。彼は父に対して遺書を残しており、その遺書を父は「燃やした」らしい。何が書かれていたかも、何故燃やしたのかも分からないが、私は彼が何らかの事実を知っているために死ななければならなかった、あるいは死を選んだのだと思う。

 

 

 さて、ここまでミヒャールゼン暗殺事件について私なりに考えて導きだした推論を書いてきたが、結局、これが真実かどうかは分からない。先ほど書いた通り、ジークマイスター機関はミヒャールゼンラインとシュタイエルマルクラインの二つの指揮系統があり、ミヒャールゼンラインは宇宙歴七五一年前後に壊滅する。生き残りの一部はやがてシュタイエルマルクラインに合流したが、ミヒャールゼンラインに関する情報の多くは散逸してしまっている。

 

 ただ、ハッキリと言えるのは、これ以降シュタイエルマルク提督はリューデリッツやエーレンベルクから一定の信用を得た事、ミヒャールゼンの死の遠因となった同盟に対しジークマイスター機関が不信感を持ったこと、それによってジークマイスター機関が『外からの変革』ではなく、『内からの変革』を目指すようになったことである。

 

 

 何にせよ、「クリストフ・フォン・ミヒャールゼン提督暗殺事件」がジークマイスター機関の転換点となった事件であることは確かである。機関は偉大な指導者を失ったが、それによって理想を繋ぐことが出来た。とはいえ、ジークマイスター機関が活動の縮小を余儀なくされたのは事実であり、ジークマイスター機関は九年後の「イゼルローン要塞建設論争」まで休眠を余儀なくされることになる。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。




注釈4
 ライヘンバッハ伯爵の推論は今でも証明されていない。ただ、最新の研究によってフリートベルク大佐がジークマイスター機関の構成員であったことが確認されている。また、今まで社会秩序維持局や憲兵隊ばかりが注目され、保安警察庁に関する研究はあまり行われていなかったが、近年、元保安警察官僚の邸宅からジークマイスター機関に関する捜査資料の一部が発見されており、全ての資料が発見されればミヒャールゼン暗殺事件の真相も判明するのではないかと期待されている。

 ただ、この自叙伝が学界に大きな衝撃を与えたのはそれ以上にハウザー・フォン・シュタイエルマルクという今までジークマイスター機関と対立する側に居たと思われてきた人物が、他ならぬジークマイスター機関の指導者であったことが繰り返し明確に描かれていることが大きい。自叙伝の発表後、シュタイエルマルク提督に関する研究が盛んに行われるようになった。シュタイエルマルク提督がジークマイスター機関の指導者であった、という明確な証拠は今に至るまで発見されていないものの、彼の行動には不審な点が散見されるのもまた事実であり、研究の進展が待たれる。


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少年期・幼年学校初日・前(宇宙歴751年4月)

 さて、ミヒャールゼン暗殺事件に関して私の知る全てとそれに基づく推論を書いてきたが、ここで少し時間を戻して、私の幼年学校時代について振り返りたい。

 

 宇宙歴七五一年四月、私は帝国軍帝都幼年学校に入校した。ちなみに士官学校とは違い、幼年学校は皇帝直轄領や貴族領の中心都市にもいくつか設置されていた。幼年学校に尉官や佐官を養成する目的があることを考えると、士官学校と同じように中央に一か所だけではとてもじゃないが人材が足りない。とは言っても、大多数の帯剣貴族は帝都近郊に小さな領土を持っているので、基本的に帝都幼年学校へと入学するのだが。

 

 ちなみに、帯剣貴族と言うのは国家革新同盟の武闘派とルドルフを支持した銀河連邦の軍人にルーツを持つ。最もルドルフ大帝と皇室に厚い忠誠を誓う貴族集団だ。領土は帝都近郊にある代わりに、比較的小さいことが多かったが、軍の要職を占めることが多く、第二次ティアマト会戦前の貴族将官は殆どが帯剣貴族出身者である。

 

 なお、一般人諸君は貴族に対して「どいつもこいつもロクデナシ」というようなイメージを持っているだろうが、帯剣貴族は違うと声を大にして主張しておきたい。帯剣貴族は保守的ではあるが、皆、規範意識がとても強かった。貴族の中でも最も清廉で優秀だったのは我々帯剣貴族である。一般人諸君がイメージするロクデナシの貴族は大抵、中央以外に広大な領土を持ち、私利私欲にまみれているクズ揃いの領地貴族共であるから、我々帯剣貴族と一緒にしないように気を付けてほしい。

 

 さて、入学した私を最初に待ち受けていたのは帝国軍教育副総監ロベルト・ハーゼンシュタイン宇宙軍大将の訓示……というか演説である。

 

「……であるからして、ここに集いし諸君は銀河帝国中でも際立って優秀と認められた優等臣民である!憎き叛徒共の首魁アッシュビーが死んだとはいえ、叛乱軍には未だジャスパー・ウォーリックの如き皇帝陛下に逆らうばかりか、卓越した能力と死をも恐れぬ勇敢さ、皇帝陛下への比類なき忠誠心、それらを併せ持った偉大で尊き六〇余名の帯剣貴族を卑劣極まりない姦計を以って葬った極悪人共が残っている。諸君らはこの幼年学校で皇帝陛下の御為に勉学に励み、やがてこの悪辣なる反逆者共を討ち果たさねばならない!そしていつの日か……」

(長い……)

 

 まあ、こういう式典の訓示は長いのがお約束のような所はあるが、ハーゼンシュタインのそれは限度を超えていた。入校式の訓示で一時間半もぶっ続けでしゃべる奴が他に居るだろうか?彼の訓示には多分に上級貴族に対する「おべっか」が含まれていたが、あの場にいた上級貴族の子弟全員が彼に不快感を覚えたことだろう。

 

 ハーゼンシュタインは第二次ティアマト会戦の後の人材不足で引き立てられた者の一人であり、体制に対し極めて従順なだけではなく、それを他者に示すことに極めて偏執的だった。その性格故かデスクワークに極めて秀でており、また「体制を妄信する平民の高官」と言うのが、平民に対する極めて効果の高い宣伝になるだろうと思われたために教育副総監に登用された。

 

 

「……という訳であり、以上を以って私からの訓示を終わりたい。諸君らが卒業し、優秀な帝国軍士官となる日を心待ちにしている」

 

 彼は最後にそう言ったが、恐らく生徒たちはこう思ったことだろう。「お前が教育副総監を務めている間に卒業したくない」と。当然、卒業式でも教育副総監による訓示は行われるのだから。

 

「やっと終わったか……」

 

 私はそっと息をついた。周りの生徒たちもうんざりした表情をしていたが、疲れている様子は見られなかった。幼年学校に入学できるような生徒たちだ。精神的にはともかくとして、肉体的には一時間半立たされていた程度で疲れたりはしない。……一部の例外を除いて。

 

 残念ながら、私は一部の例外の方に当てはまる。体調が改善してから幼年学校に入るまでにそれなりに体は鍛えたが、それでも本来ならば幼年学校に入学できるレベルの運動能力はない。身分のゴリ押しで入学したのである。ただ、言い訳をさせてもらうと、私は努力をしなかったのではなく出来なかったのだ。私と同じように身分のゴリ押しで入学した貴族は少なくなかったが、彼らの大半は努力をしなかった訳だから、それよりはマシだろう。

 

 その後、何人かの高官が適当に訓示を述べ、軍楽隊の演奏が行われた後、入校式が終わった。

 

「えー、一五分後、中央電子掲示板で班分けを発表する。各生徒は確認した上で、所定の教室に向かうように」

 

 放送から指示が流れ、入学式の行われた大講堂から生徒たちが中央掲示板に向かっていく。私もついていこうとした時、大講堂の外からヘンリクが入ってきた。

 

「御曹司、御曹司は第一八教育班だそうです」

「……相変わらずヘンリクは凄いね、今度はどういう伝手?」

「いや、今回は普通に幼年学校側から各貴族家の同行者に伝えられました」

 

 ヘンリクはそう言ってから皮肉げな笑みを浮かべて続ける

 

「『中央掲示板は混み合うだろうから、上級貴族の皆様方にご足労頂くのは忍びない』だそうです。教育副総監の無駄話に一時間半も付き合わせておいて、今更ご機嫌を取ろうとしても遅いと思うんですがね」

「ははは……。ま、折角のご厚意だからね。甘えさせてもらおう。一八番教室は……」

「東棟一階ですな。ご案内しましょう。こちらです」

 

 私はヘンリクに連れられて教室へ向かう。その途中、同じように先にどの教育班に所属するか伝えられたらしい生徒を何人か見かけた。

 

 帝都オーディンの幼年学校は他の幼年学校より規模が大きく、毎年五〇〇〇人程度の新入生を受け入れている。受け入れた一年生はそれぞれ教育班と呼ばれる四〇人の集団に分けられ、生活を共にする。ちなみに、五個教育班二〇〇人で一個教育小隊、五個教育小隊一〇〇〇人で一個教育中隊、五個教育中隊五〇〇〇人で一個教育大隊(=一学年)、五個教育大隊二五〇〇〇人(=全校生徒)で一個教育連隊を構成する。帝国地上軍の歩兵連隊定数はおよそ五〇〇〇人であることを考えると、幼年学校の生徒は五人で一人前と計算されていることになる。

 

「ここです、御曹司」

「有難うヘンリク」

 

 士官学校でも幼年学校でも基本的に従者や使用人を連れて入学することは固く禁じられている。地球統一政府時代に高級士官が従者や使用人を連れて軍に勤務していたことは一〇〇〇年近く経った今でも腐敗と堕落の象徴的エピソードとして語り継がれている。大帝ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムは自らの信頼する部下たちが同じ轍を踏まぬように、軍人として勤務する際は身分に関わらず従者や使用人を連れて行ってはいけない、と定めた。(皇族のみは例外的に許される)

 

 当然、ヘンリクともここでお別れである。長期休暇の際にはまた護衛士として勤めてもらうことになるが。

 

「……御曹司に一つご忠告をさせていただいても宜しいでしょうかね?」

 

 ヘンリクは真剣な顔をしてそう言った。

 

「ん、忠告?何だい勿体つけて……。遠慮なく言ってくれ」

「御曹司は私のような者にもそうやって礼を言われます。それは人として勿論素晴らしいことではあるのですが……。基本的に上級貴族が帝国騎士や平民に礼を言うことなど滅多にありません。御曹司は良くも悪くも『上級貴族らしく』無い人柄です。ここではきっと『上級貴族らしく』振舞わなければ舐められるでしょう」

「……別に構わないよ。僕にとっては舐められるよりも自分らしく振舞えない方が苦痛だ」

 

 これは私の本心であった。勿論、自分が名門貴族家の次期当主であることは分かっている。当然その立場を弁えた振る舞いは必要だ。ただ、それでも許容される範囲内では自由にしていたいというのが私の考えだった。

 

「そういう事であれば何も言いませんけどね……。もしも御曹司が『舐められているな』と感じて、尚且つ我慢出来なくなったときは御曹司が『傲慢』と感じるくらいの態度を取られると宜しいかと。こちらは名門ライヘンバッハ、それくらいが丁度良い態……」

「分かった分かった。今日のヘンリクは母上みたいだね、まあ覚えておくよ」

 

 私は笑ってそう言って忠告を遮った。ヘンリクは少し心配そうな表情していたが、表情を切り替えると私に敬礼した。私は一瞬固まったが、よく考えれば今日から幼年学校生なのだから、帝国軍の末席に名を連ねたことになる。そしてヘンリクは地上軍予備役大尉だ。軍務の最中と言う訳ではないが、敬礼で別れるのも不自然では無いだろう。私もヘンリクを見様見真似で敬礼した。

 

「ふむ、まだ未熟者の敬礼ですな。亡きコーゼル閣下が見たら間違いなく怒鳴りつけるでしょう。あの方は『礼』に煩かったそうですからな。……それはともかく、御曹司が一人前の敬礼が出来るようになる日を心待ちにしておりますよ」

 

 ヘンリクはニヤリと笑いながらそう言うと、私の前を立ち去った。

 

 私はヘンリクを見送った後、一八番教室へと入る。そこには既に一人の生徒が居た。

 

 

「ふむ、ライヘンバッハ伯爵家のアルベルト君か。なるほど、幼年学校にとってはラムスドルフよりもライヘンバッハの方が大事という事か、それともあの使用人が優秀だったという事かな?」

 

 その生徒はこちらを見ながらいきなりそんなことを言ってきた。

 

「君は……?」

「私かい?私はラルフ。ラルフ・ヘンドリック・フォン・クラーゼンだ。爵位は子爵に過ぎないが、これでも建国以来続く一族でね。父は統帥本部情報副部長、祖父は元・第二辺境艦隊司令官、帯剣貴族としてはそこそこ存在感のある家だと思うよ」

 

 ラルフと名乗った少年は少し青みを帯びた黒髪の、輝く目をした、鼻筋がすっとした容姿をしていた。極めて容姿端麗という訳では無いが、少なくとも結婚相手には困らないだろうと思った記憶がある。

 

「ラルフ君と言うのか。何故か僕のことを知っているみたいだけど……。一応名乗らせてもらうよ。僕はアルベルト・フォン・ライヘンバッハ。ライヘンバッハ伯爵家当主カール・ハインリヒ・フォン・ライヘンバッハの長男で、一応次期当主ということになっている。これから宜しくね」

 

 私はラルフに対して手を差し出す。

 

「握手か!君は面白いな。しかし私とはしない方が良い、握手は対等な人間同士がするものだからね」

 

 ラルフはそう言って握手を拒んだ。と同時に私は自分の軽率を恥じた。ラルフの言う通りである。いや、ラルフと私には確かに爵位差が存在するが、そんなことを気にする私ではない。ただ、相手も気にしないとは限らないのだ。

 

「ああ、ごめん……。世間知らずなモノでさ……」

 

 私は照れ隠しにそう言ったが、すぐに気づいた。「基本的に上級貴族が帝国騎士や平民に礼を言うことなど滅多にありません」……礼がダメなら謝罪もダメじゃないか。

 

「世間知らずね。確かにそうらしい」

 

 ラルフは笑いながらそう言った。

 

「まあ、無理もないか、君は小さい頃身体が弱かったんだろう?それが原因でタップファーを出て他の貴族と交流することも少なかった」

「……そんなことまで知っているの?」

「情報は命、だからね。知れる範囲のことは全て知っておく、そして後は『何もしない』。じっと息を潜めて観察するんだ。君も暫くはそうすれば良いと思う、あの使用人が言っていたように傲慢な態度を取るのが嫌ならさ」

 

 どうやらヘンリクとの会話を聞いていたらしく、そんなことを言ってきた。

 

「……ご忠告に感謝するよ。ところで君は何故僕に話しかけてきたの?何もしないで観察していれば良かったのに」

「君に関して知ることができた事前情報が少なかったからだよ……。ライヘンバッハ家、特にカール・ハインリヒの周りは外に聞こえてくる情報が極端に少ないんだよね。後ろ暗いことが多い領地貴族だとそういう家もあるけど……。まあ、そういう訳で、他の生徒が来る前に君の人柄を掴んでおきたかった」

 

 ラルフはそう言いながら窓際の席の一つを指し示した。

 

「そろそろ他の貴族連中も来るんじゃないかな?その前に私の隣の席に座ってくれたら、私が世間知らずの君の頭脳となって助けてあげよう。どうする?」

 

 先ほど「何もしない」とか何とか言っていたラルフが何故いきなりそんなことを言うのか。多少怪しんだ私ではあったが、結局彼の提案に同意して、荷物を後方のロッカーに置き、彼の隣の席に座った。その後、他愛も無いことを少し会話をしていると、教室の扉が開いた。そこには黒髪の端正な顔立ちの生徒が居た。その生徒はどこか苛立ちを募らせているように見えた。

 

「ここが俺の教室か。……簡素だな、平民共向けなどこんなものか」

 

入ってきた生徒はそうつぶやくと手近な席に荷物を置いた。そして私たちの方に近づいてきた。

 

「俺はエーリッヒ・フォン・ラムスドルフ。ラムスドルフ侯爵家の次男だ。今の近衛兵総監の息子にあたる。今ここに居るという事は君たちも貴族か?」

 

 私たちは「そうだ」と答え、名前と爵位を明かした。

 

「ほう……お前がライヘンバッハの病弱息子か。カール・ハインリヒ様が優れた将帥であることは分かっているが、我が子可愛さに病弱な息子に当主を継がせようとするとはな。帯剣貴族家の当主としては相応しくなかったらしい」

 

 ラムスドルフは私の名前を聞いた途端にそんなことを言ってきた。勿論、私は腹が立ったが、これが恐らく挑発であることは流石に分かった。

 

「僕はともかく、父の悪口を言うのはどうなのかな?君がラムスドルフの子供だろうが、いやラムスドルフの子供だからこそ、幼年学校の一年生に過ぎない君が父を偉そうに評価するのは流石に滑稽だよ」

 

 私は穏やかに、微笑みさえ浮かべてそう言った。帯剣貴族は上下関係が厳しい。そして血筋もさることながら武功が物を言う。我が父カール・ハインリヒを馬鹿に出来る提督が居るとすれば、それはシュタイエルマルク提督位の物だろう。

 

「貴様……!」

 

 ラムスドルフは怒っている様子だった。挑発に来ておいて怒り出すのは意味が分からない。ただ、まだ一〇歳の子供なのだ。仕方がないだろう。

 

「あーアルベルト君、少し言いすぎじゃないかな?ラムスドルフ君は『対立軸』を作りに来ただけなんだから、本当に怒らせたらダメだろう?まあ、ラムスドルフ君も言いすぎだけどね」

 

 ラルフがそう私に言ってきた。

 

「対立軸?」

「ラムスドルフは代々近衛軍だけに将官を輩出している。にも関わらず、彼が近衛軍に直接配属される道がある士官学校では無く幼年学校に入ったのは次世代の軍高官とのパイプ作りが目的でしょ。最近、近衛軍は孤立している気配があるしね。そうでなくても領地貴族と平民の台頭著しい今、軍内政治は大きく変化している。そこから置いていかれるのは流石の近衛軍も不安なんだろう」

 

 ラルフはラムスドルフには目もくれず、私にそう解説した。確かにラルフの解説は理にかなっていた。ラムスドルフ侯爵家は帯剣貴族の名門だが、その中でも帝都族と言われる、近衛や憲兵を多く輩出する家柄だ。そして近衛や憲兵はその任務の性質もあり、他の帯剣貴族家との交流が少ない。というか時に嫌われている。

 

「ライヘンバッハだけと仲良くしてもメリットは小さい。最盛期のツィーテン家やケルトリング家並みの勢力を維持していたならともかくね。だからラムスドルフ君としてはライヘンバッハと対立した方がお得なんだよ。ラムスドルフ君は労せずしてライヘンバッハ嫌いの帯剣貴族たちと仲良くなれる。君も帝都族のラムスドルフ君に反感を持つ艦隊派や軍政派の帯剣貴族たちと仲良くできる」

「なるほど……」

「……いや、勝手に納得されても困る、俺は別にそんな意図があった訳じゃ……」

 

 ラムスドルフがそこまで言った所でまたドアが開いた。一目見て「ああ、平民の子だ」と分かった。服装もさることながら、オーラが違う。可哀想な彼は明らかに貴族らしい三人組が教室に居るのを見て固まり、それから目線をそらして離れた席に座った。

 

 そしてその平民の彼を皮切りに次々と生徒たちが入ってきた。いつの間にか廊下は騒がしくなっていた。気づけば中央掲示板での発表時刻を過ぎている。

 

「……ちっ」

 

 ラムスドルフは舌打ちをすると自分の席へ戻る。ラルフ・ヘンドリック・フォン・クラーゼンとエーリッヒ・フォン・ラムスドルフ、この二人以外の生徒たちといよいよ初顔合わせとなる。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。




注釈5
 アルベルト・フォン・ライヘンバッハの記述には領地貴族への反感と帯剣貴族への礼賛が所々に見え隠れしているため、その点に関しては厳密に客観的かつ中立的な記述が為されているか疑問を呈されている。

 ただし、帯剣貴族が所謂領地貴族よりも『皇帝一族』『銀河帝国』に対する忠誠心が高く、また、『高貴なる者の義務』(ノブリス・オブリージュ)の気風が強かったことは確かである。


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少年期・幼年学校初日・後(宇宙歴751年4月)

 銀河帝国には大きく分けて三つの貴族集団が存在する。一つ目は先ほども書いたように帯剣貴族。国家革新同盟の武闘派と銀河連邦軍の改革派にルーツを持つ。ライヘンバッハ家の初代であるエーリッヒ・フォン・ライヘンバッハもルドルフが台頭した時期には銀河連邦軍の青年将校だった。

 

 最も清廉な貴族集団であり、代々軍の要職を占めている。大帝ルドルフ以来の貴族の伝統を大切にしており、当然国家・皇帝への忠誠心も高い。なお、生業としてきた軍務の質によって艦隊派、軍政派、辺境族、帝都族などと言うような派閥を形成していたが、第二ティアマト会戦以降再編が進んでいる。

 

 二つ目は法服貴族。官僚貴族とも言う。大帝ルドルフを支持した銀河連邦末期の革新官僚にルーツを持つ。領地を持たない貴族も存在している他、平民の上位層が功績を挙げて爵位を授けられた場合は法服貴族と見做される。また、官職と連動して爵位が変動することが多い。

 

 建国期の革新官僚がルドルフを支持していた理由は、「それが国と人民の為に最良だ」と判断したからだ。それ故に革新官僚は国に対して忠実だったが、時にルドルフの強権に反発することも少なくなかった。ルドルフが能力以上にその温厚な性格を評価して、財務尚書に登用したクレーフェですら、ルドルフのカイゼル単位導入には反抗したことは、革新官僚とルドルフの関係が決して盤石では無かったという事を象徴しているだろう。現在は主流派とマクシミリアン=ヨーゼフ二世晴眼帝に重用されていた旧ミュンツァー派に分かれている。

 

 三つ目は領地貴族。一般人諸君が想像する「ロクデナシの貴族」は大抵こいつらの事だ。領地貴族は建前上、「大帝ルドルフから信を得て辺境を平定した者たちの子孫」ということになっているが、実際は違う。勿論そういう家もあることにはあるが、基本的にゴールデンバウム朝にとっての外様勢力が母体となっている家が多い。潜在的な反乱分子と言ってしまっても間違いないだろう。

 

 例えば、建国以来の名門領地貴族であるブラウンシュヴァイク公爵家の初代当主は銀河連邦で当初与党右派に属し、後から国家革新同盟を支持した大物政治家のジェームズ・ブランズウィック上院議員である。あるいはリッテンハイム侯爵家の初代当主は銀河連邦軍第四辺境管区総司令テオドール・リッテンハイム地上軍大将である。当然、彼ら外様の領地貴族たちは国家に対する忠誠心も皇室に対する忠誠心も希薄であり、往々にして個々の利益を追求し国益を損なう。まさしく「ロクデナシの貴族」だ。

 

 法服貴族と領地貴族が皇帝の『臣下』であることが名実ともに確定したのは、我々帯剣貴族、特にノイエ・シュタウフェン公爵の功績が大きい。彼が居なければ銀河帝国は早晩崩壊していただろう。かつて自由惑星同盟では「貴族・官僚・軍人の強固なトリニティがあったからノイエ・シュタウフェン公は叛乱を鎮圧できた」という説が主流派だったらしいが、帝国の歴史学者たちの見解は違う。「ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが銀河連邦を壊し、ヨアヒム・フォン・ノイエ・シュタウフェンが銀河帝国を作った」のだ。

 

 さて、ここまで貴族階級について詳しく説明してきたが、これは何故かというと、幼年学校でもこの三つの貴族集団による激しい対立が見られたからだ。第二ティアマト会戦の大敗と多くの帯剣貴族将官の戦死は、他の貴族集団に軍部介入の野望を抱かせ、その手段として多くの子弟が幼年学校や士官学校に送り込まれることに繋がった。

 

 私の所属していた第一八教育班でも貴族集団による激しい対立が起こっていた。しかも第一八教育班の場合はこれに平民対貴族、あるいは上級生対下級生のような対立関係も絡みあっていた。

 

 幼年学校一年生の教育班には指導生徒と称した三年生一人が寝食を共にするという決まりがあった。私たちの第一八教育班には領地貴族であり、男爵家出身であるマルセル・フォン・シュトローゼマン三年生が指導生徒として配属されたのだが、こいつが中々拗らせた奴だった。

 

「初めに言っておく。私は上級貴族が嫌いだ。平民も嫌いだ。だが人を能力で判断しない奴がこの世で一番嫌いだ。よって貴様らは私に自らの能力を示すことに全力を尽くせ。貴様らが優秀ならば私は貴様らを不当に扱うことは無いだろう」

 

 初めの挨拶がこれだ。教室に居た生徒たちは全員度肝を抜かれた。……いや、生徒だけではないか。シュトローゼマンの横で教官が顔を引き攣らせていた。

 

「私は最低限の指示しか出すことは無い。それさえ守れない奴は軍人になっても死ぬだけだ。死ななかったらもっと質が悪い。自分以外の人間を死なせることになるだろうからな。……私からは以上だ」

 

 それだけ言うとシュトローゼマンは教室から出ていった。その後、「何だあの男は」「男爵家風情が偉そうに」とラムスドルフを初めとする何人かの生徒がシュトローゼマンを非難し始めた。

 

「な、なかなか派手な挨拶だったね……」

「ふむ、シュトローゼマン男爵家の先代は確か帝国歴四三八年の第三次エルザス会戦で戦死している筈だ。第二次ティアマト会戦の損害で例外的に領地貴族でありながら将官にまで上り詰めた彼は敵も多かったらしくてね……。その戦死は彼を嫌った帯剣貴族上官の陰謀であった、という噂が一時期流れていたことがある」

「そうなんだ……」

 

 ラルフは私にそう解説してくれた。エルザス辺境軍管区はイゼルローン回廊の帝国側入り口付近を指す地名であり、幾度も同盟軍との会戦が行われた地域だ。確か第三次エルザス会戦はマーチ・ジャスパーの「敗北」の順番であり、帝国軍が完勝したはずだ。その戦いで戦死したとなると、確かにおかしな話だ。

 

「あー、何だ。あいつはあいつで苦労している奴でな……まあ、悪い奴じゃない、安心してくれ」

 

 教官は取り繕うようにそう言うと、私たちに端の席から順番に名前を名乗るように指示した。

 

「じゃ、俺からか。エーリッヒ・フォン・ラムスドルフ、ラムスドルフ侯爵家の次男だ。あの指導生徒じゃないが、俺も平民は嫌いでな。なるべく関わらんでくれ。まあ、田舎貴族と違って平民を迫害するようなことはしない。そこは安心するが良い」

 

 よりにもよって最初にラムスドルフが名乗った。教室の平民らしい生徒たちが顔を強張らせた。ちなみにラムスドルフの言った『田舎貴族』というのは帯剣貴族が領地貴族を揶揄する時に良く使う言い回しだ。

 

 ラムスドルフが名乗った後、生徒たちが順番に名乗っていった。ラムスドルフが家の名前も名乗ったことで、自然、後の生徒もそれに倣うことになった。貴族かどうか、あるいはどの爵位かを聞き逃さないように平民や下級貴族の生徒は集中しているようだった。

 

「皆様初めまして、私はクロプシュトック侯爵家の一門に連なるクライスト子爵家のヴィンツェルと申します。クライスト子爵家は爵位こそ低いですが、クロプシュトック侯爵家より格別の御信頼を賜り、代々マリエンブルク要塞司令官の役職と、宇宙軍中将の階級を得ております。どうぞよろしくお願いいたします」

 

 クロプシュトック侯爵家は領地貴族の一つではあるが、建国初期に大帝ルドルフによってブラウンシュヴァイクを初めとする外様勢力を牽制するために送り込まれた家である。その役割上、領内に存在するマリエンブルク要塞司令官の任命権と、有事の際にクロプシュトック侯爵領に駐留する帝国軍を指揮する権限を特別に与えられている。その為、ブラウンシュヴァイク公爵家からは敵視されている一方で、帯剣貴族との関係もイマイチ上手く行っていなかった。

 

「ふん、『穴籠り』のクライストか、どうにもこの教育班にはまともな貴族が居ないらしい」

 

 ラムスドルフが私の方をチラリと見ながらそう言った。後でラルフに聞いた話によると、元々クライスト子爵家は艦隊派に属する帯剣貴族の一つだったそうだ。しかし、クロプシュトック侯爵家に引き抜かれる形で一門入りしたらしく、その事で帯剣貴族家からは裏切り者と敵視されている。

 

 ちなみに「穴籠り」というのはクライスト子爵家がマリエンブルク要塞司令官を歴任していることを揶揄した言葉だ。帯剣貴族は軍の要職を占めていたが、同じ役職を世襲するようなことは滅多にない。マリエンブルク要塞司令官の役職を保障されているクライスト子爵家への反感もあるのだろう。

 

 さらに何人かの自己紹介が行われる。そして先ほどから班員の自己紹介は全く気にせずに一心不乱に『地球時代啓蒙思想史大全 五巻』というタイトルの本を読んでいる生徒に順番が回ってきた。生徒は本を畳むと立ち上がった。

 

「クルト・フォン・シュタイエルマルク。子爵家長男」

 

 白髪の精悍な顔立ちのその生徒は恐ろしく簡潔に名乗ると、座ってまた本を読み始めた。『シュタイエルマルク』の名を聞いて、教室が一瞬ざわつく。

 

 第二次ティアマト会戦大敗のショックを少しでも和らげようと、当時の帝国上層部は青色槍騎兵艦隊の将官たちを過剰に過ぎるほど喧伝した。ハウザー・フォン・シュタイエルマルク、カール・ハインリヒ・フォン・ライヘンバッハ、オスカー・フォン・バッセンハイム、リヒャルト・フォン・グローテヴォール、クレーメンス・アイグナーらは『銀河帝国史に残る偉大な将帥たち』とまで持ち上げられた。今では帝国で彼らの名を知らない者など殆どいないだろう。

 

「シュタイエルマルクか、君の父上は彼の父上の部下だったね、知り合いかい?」

「いや、シュタイエルマルク閣下に子供が居ることは知ってたけど、会うのは初めてだよ」

「なるほど。しかし、啓蒙思想史ね……。発禁本では無いにせよ、そんなものを持ち込んで今読んでいるとは、あれは相当の変わり者だね。噂には聞いていたけど」

 

 そうやって話をしている間にラルフの順番が回ってきた。

 

「ラルフ・ヘンドリック・フォン・クラーゼン。子爵家の長男です。皆さんと助け合い、高め合いながら立派な軍人になれるように頑張りたいと思っています。宜しくお願いします」

(ラルフ君、猫被ってるな……)

 

 ラルフはとても感じの良い笑みを浮かべながら、朗らかにそう言った。これまで挨拶した生徒は威圧するように貴族であることを強調するか、目立たないように小声で素早く済ませるかの二択だった為、ラルフの自己紹介は生徒たちにきっと好印象を与えたことだろう。

 

 そしてついに私の順番が回ってきた。私は特に誰かに喧嘩を売るようなことも無く、ラルフを見習って無難に自己紹介を済ませた。しかし、ライヘンバッハの名はシュタイエルマルクと同じように広く知られている。教室がクルトの時と同じようにざわついた。

 

「流石は『最も勇敢なる帯剣貴族』、ネームバリューは抜群だね」

 

 ラルフは小声でそう言った。『最も勇敢なる帯剣貴族』とはライヘンバッハの初代エーリッヒがルドルフからその戦死を惜しまれて贈られた言葉である。そして、第二次ティアマト会戦の後、改めて我が父カール・ハインリヒに皇帝陛下からこの言葉が贈られた。このように第二次ティアマト会戦の後、ライヘンバッハ伯爵家はあらゆる賞賛を受けたが、一方でいくつもの名門と呼ばれた帯剣貴族家が没落を余儀なくされた。

 

 第二次ティアマト会戦の後、戦死者の内の主だった者たちと、生き残った者たちは敗戦責任を追及された。人材不足は危機的であったし、出来ることならば同じ帯剣貴族家出身である軍上層部も生き残った将官たちを粛清したくは無かっただろう。

 

 だが、帝国史に残る大敗に際し、彼らに責任を取らせないという選択肢は無い。第二次ティアマト会戦の影響はあまりに大きかった。一例を挙げればコルネリアス二世皇帝陛下はあの戦い以来、何度も体調を崩している。……尤も、その程度の事は大したことでは無かったと我々はすぐに認識することになったが。

 

 ツィーテン侯爵家は子爵家まで爵位を下げられ、跡取りのクリストフは軍法会議にかけられて銃殺刑に処された。本家の軍人は全員一階級降格の上で退役。親類縁者も幾人かが退役・予備役編入を余儀なくされ、残りは全員閑職に回された。ケルトリング侯爵家、シュリーター伯爵家、ミュッケンベルガー伯爵家、アイゼナッハ伯爵家なども軒並み男爵家まで爵位を下げられ、一族の者たちは閑職に回されるか、退役・予備役編入を余儀なくされた。まあ、それでもマシな方かもしれない。子爵家・男爵家クラスでは貴族位そのものを剥奪された家もあるし、不運にも断絶した家もあった。

 

 なお、ヴァルター・コーゼル宇宙軍大将の家族を全員処刑するという動きもあったが、これにはシュタイエルマルク提督が全力で抵抗し、結局、ヴァルハラ星系追放まで処分は軽減された。……何故取り立てて失態も無いコーゼル宇宙軍大将だけが族滅されかけるのか、この動きがあった事に関しては帯剣貴族もまた選民主義に毒された貴族に過ぎなかったと言わざるを得ないが……。コーゼル宇宙軍大将の一族を全員処刑しろと言いだしたのは領地貴族のヒルデスハイム伯爵であることは明記しておく。また、コーゼル宇宙軍大将の一族が族滅されなかったのは、シュタイエルマルク提督が抵抗した事が大きいが、他の帯剣貴族の中でも「族滅は流石に不公平な処分に過ぎる」という意見が少なくなかったからだとも書いておきたい。

 

 ……大分話が逸れた。全員の自己紹介が終わった後、宿舎のそれぞれの部屋割りを決めることになった。幼年学校は一部屋で二〇名が暮らすことになる。ラムスドルフは貴族階級と平民階級で部屋を分けることを主張したが、クライストが反対し、数人の貴族生徒が追従した。

 

 私たち第一八教育班は貴族階級が二二名に平民階級が一八名、貴族階級二二名の内、侯爵家子息が一名、伯爵家縁者が三名(ただし嫡男は私だけである)、子爵家子息が三名、男爵家子息が六名、帝国騎士が九名で構成されている。そして一部屋二〇名は決定事項であり、動かすことは出来ない。ラムスドルフの案だと帝国騎士か男爵家クラスから二名、平民階級の部屋で過ごすことになる。帝国騎士ともなると、別に平民に対する蔑視感情など持っていないだろうが、二対一八となると流石に辛いのだろう。

 

 とはいえ、上級貴族側にしてみると、平民と二四時間を共にするなど考えられない。私以外の伯爵家縁者がラムスドルフを支持し、クライストたちと言い争っていた。しかし、そこで相変わらず本を読んでいたクルトが顔を上げて、ラムスドルフたちとクライストたちの間に割って入った。

 

「君たちはここが軍だと分かっているのかい?我々は幼年学校に入った時点で既に軍人だ。軍人の上下関係を決めるのは階級であり、階級を持たない我々幼年学校生は一律で曹長相当として扱われる。軍に所属している年数で同階級の上下関係が決まるように、幼年学校生は上級生に対し軍規に則った範囲で服従する義務を負うが、同級生に服従する義務など一切負わない、選民意識も程々にしろ」

 

 クルトは不機嫌そうな表情でラムスドルフたちの方を向き、一気に話す。

 

「君たちも君たちだ。クライスト君、君はクロプシュトック侯爵家の威光を笠にラムスドルフ君に対抗した。それはラムスドルフ君の意見に反対だからではなく、単に帝国騎士たちの支持を得たかったからだろう。そして帝国騎士の諸卿はそんなクライスト君に追従した。クライスト君がラムスドルフ君の意見に反対しなかったら、君たちは内心の不満を押し殺してラムスドルフ君に追従していたんだろう。そして誰が平民たちと暮らすか、また争いを始める。情けないと思わないのか?ハッキリと言いたいことを言うべきだ」

 

 今度はクライストたちの方を向いてそう言う。それで終わりかと思ったら、今度は傍観していた私やラルフ、平民たちの方を向く。

 

「君たちは部屋割りに何も意見が無いのか?君たちには当事者意識が欠如している。ここは軍だ、妙な遠慮をするのは止めろ。自分の頭で考えて、自分の口で話せない奴は軍人になっても役にたたない。これは父が、ハウザー・フォン・シュタイエルマルクが言っていた事だ。『平民だから貴族に逆らわずに無難にやり過ごそう』『貴族の言うことを聞いておけば大丈夫だ』……そんな平民根性を引きずっていたら、コーゼル提督やアイグナー提督のような立派な軍人には絶対なれないぞ」

 

 私はこっそりと周りの表情を見る。平民たちの顔色は様々だった。ただ一つ確実に言えるのは、ここでクルトが呼びかけなければ、第一八教育班に平民対貴族という構図の対立は生まれなかったであろうという事だ。……それが良いことか悪いことかは分からないが。

 

「ラムスドルフ君とクライスト君は別々の部屋として、後は各身分出身者が均等になるように部屋を分けるべきだ。反論があれば聞くが、『軍人として』頼む」

 

 そう言って全員の顔を見渡す。ラムスドルフが何か言おうとしたが、そこで新たな声が割り込んできた。

 

「それで良いだろう。私たちの代はいくつかの教育班で貴族階級と平民階級に部屋を分けたがな。大体の貴族がクソ貴族になって、大体の平民がクズ平民になった。まあ私のように反骨精神を刺激された奴も居ない訳じゃないが、この中で見どころのある奴は、シュタイエルマルク提督の息子と……ああ、あとは平民に何人か居そうだな、それ位か」

 

 そう言いながら再び教室にシュトローゼマンが入ってきた。シュトローゼマンは生徒たちを見渡す。

 

「まあ、上出来だろう……。実はもう私の方で部屋は決めてある。不満はあるだろうがシュタイエルマルクが言った通り、先任者の私に従え」

 

 シュトローゼマンはそう言うと一方的に部屋割りを発表する。その後、ラムスドルフらが不機嫌な表情をしていたが、宿舎の方へ移動し、各人の荷物を部屋に入れ、設備に関する説明を受けた後、それぞれ食事や風呂を済ませて就寝した。私の幼年学校初日は、こうして終わった。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。




注釈6
 「ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが銀河連邦を壊し、ヨアヒム・フォン・ノイエ・シュタウフェンが銀河帝国を作った」と言うのは銀河連邦軍の元宇宙軍少将であった、ジャン=クロード・ベルディエの著書に残る言葉である。ベルディエの本は発禁本に指定されていたが、恐らくジークマイスター機関には残っていたのだろう。


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少年期・クロプシュトック派への接近(宇宙歴751年12月16日~宇宙歴751年12月17日)

 幼年学校では一年生から三年生の間、普通の初等教育・中等教育の内容が行われると同時に初歩的な軍事訓練を受ける。本格的な士官教育を受け始めるのはそれが大方終わる三年生頃からだ。

 

 私の場合、幼少期に身体が弱かった分、勉学に励んでいたこともあって、三年生頃までは成績最優秀者とされる五〇〇番以内に名を連ねていた。あるいは前世の学習経験が活きたのかもしれない。尤も、社会系や国語系の科目では逆に前世の記憶が邪魔になったが。私のかつて生きた母国と銀河帝国では価値観も社会様式も違いすぎた。

 

「流石だねアルベルト、また試験で一〇〇番以内に入ったのか」

「……ラルフも本気を出せば良い線行くと思うけどね。どうせ手を抜いたんだろ?」

 

 宇宙歴七五一年一二月一六日、私とラルフは中央電子掲示板の前で二学期期末試験の結果発表を見に来ていた。幼年学校では試験の度に成績上位者五〇〇名と下位者五〇〇名が公開される。「上位者を称えると共に、下位者に奮起を促すため」らしいが、私とラルフ、そしてクルトは意図的に同学年の間で目に見える「ヒエラルキー」を作り出すことで競争させようとしているのではないかと疑っている。

 

「私の事を買い被りすぎだよ。私は今でも十分本気さ。ただ、勉学よりも情報収集にリソースを割いているだけだ」

「……なるほどね。それも嘘じゃないんだろうけど」

 

 ラルフは明らかに上位者に入ることを避けていた、というより目立つことを避けていた。初日に私に接近したのも、「派閥に属さないよりは属していた方が目立たないだろ?」とのことらしい。私が派閥らしい派閥を作らなかったのは計算違いだったようだが、今でも私の数少ない友人として付き合いは残っている。

 

「おいライヘンバッハの病弱息子!俺の成績を見たか?」

 

 突如として後ろから大声で話しかけられる。そこには得意げな顔をしたラムスドルフが取り巻きを連れて立って居た。

 

「見てないけど……その顔色だと今回は僕より上位だったみたいだね」

 

 私は『今回は』の部分を強調して言った。一学期の中間試験を自信満々で受けたラムスドルフは見事に上位者入り……出来なかった。

 

 当然だろう、平民や下級貴族たちは実力だけで幼年学校に入ってくる。全ての上位貴族が身分の力で入学してくる訳でもないが、全体的なレベルは平民や下級貴族の方が高い。一学期の中間試験はそれはもう酷かった。幼年学校一年生に伯爵家以上の縁者は三〇〇人弱居たが、その内上位五〇〇名に入ったのは私も含めてたった八名である。

 

「そうだ!お前は八七番だな?俺は七九番だ……。これでハッキリしたな、やはり貴様のようなひょろ長もやしが俺より優秀と言うのは間違いだった」

「……そして、僕より優れている筈の君が、一学期中間・期末、二学期中間と私に完敗してきたのは、君が努力を怠っていたからだと言うこともハッキリした」

「何!?」

「アルベルト……。ラムスドルフ君は言うまでもないとして、君も存外子供っぽい所があるよね」

 

 ラムスドルフは私の言葉を聞いて顔を真っ赤にし、そんな私たちを見ながらラルフは呆れたようにそう言った。その時、近くにいた平民の生徒が私たちを見て侮蔑するように言った。

 

「貴族サマたちはおめでたいな、その程度の順位で勝ちだの負けだの……」

「いや、勝ち負けに拘っているのはラムスドルフ君だけだよ」

 

 私は反射的にそう返した。そこに居たのは第二〇教育班に属する平民出身のカミル・エルラッハだ。エルラッハは優秀な能力と、無駄に強い反骨精神、そしてカリスマ性を併せ持った生徒だった。

 

 彼は初日に第二〇教育班の公爵家縁者を罵倒し、あっという間に貴族階級からの憎悪をその身に受けることになるが、その無駄なカリスマ性で平民や下級貴族たちの敬意を獲得し、貴族と激しく対立するようになった。彼のシンパは幅広く存在し、私の第一八教育班にも少なくない数が居る。

 

「貴様!卑しい平民の分際で無礼な」

「ラムスドルフ様に謝罪しろ!」

 

 ラムスドルフが何か言う前に取り巻きたちが一斉に吠える。名門帯剣貴族の私には何も言えないし、言わないが、平民のエルラッハの事はここぞとばかりに罵倒する。小物根性ここに極まれり、と言った所か。

 

「権力の犬がキャンキャンと喧しいな、ラムスドルフ様、犬の躾はきちんとしてくださらないと、他の生徒が困ってしまいます」

 

 エルラッハが火に油を注ぐようなことを言う。ラムスドルフの取り巻きたちは激しく罵倒するが、その度にエルラッハも言い返す。

 

「あーアルベルト、これはちょっと不味そうだ。いったん離れよう」

 

 ラルフが小声でそう言ってきた。

 

「……エルラッハ君は大丈夫かな?いつぞやみたいに袋叩きにあったら……」

「ここは中央電子掲示板の前だ、騒ぎが起これば教官たちが気づいて介入するし、エルラッハのシンパも少なくない数がここに居る、一方的にやられるようなことは無いだろう。それよりも私たちが巻き込まれるのが心配だ」

 

 私はラルフの意見に従い、共に中庭の方へ向かった。ちなみに私は以前、貴族の生徒に袋叩きにあっていたエルラッハを助けたことがある。その結果、私はより孤立を深めることになり、何故かエルラッハからも嫌われた。世の中には優しくしない方が良い人間も居るのだろうか?

 

 なお、私とラルフが離れた後、ラムスドルフたちとエルラッハたちが一触即発の状態になったらしいが、教官たちの介入で乱闘に発展する前に解散させられたらしい。そしてエルラッハとラムスドルフがそれぞれ反省文を書かされることになったそうだ。……幼年学校では定期的にこのような事件が起こった。時には実際に暴力沙汰になることもあった。その時、被害に遭うのも責任を取らされるのも大抵身分の低い生徒であった。

 

「おや、クルト君の周りに人が集まっているな?あの偉そうにしている奴は確か……第三六教育班のバルヒェットか。ブラウンシュヴァイク一門に連なる伯爵家の嫡男だったはずだ」

 

 中庭に出てすぐ、ラルフがそう言って、いつもクルトが本を読んでいる木陰を指差す。確かにそこには五人の貴族らしき生徒が居り、クルトに何か話しかけている。

 

「どう見ても友好的な様子じゃないね……。ラルフ、僕はクルトの所に行ってくる。君は来なくても良いけど……」

「分かっているさ。ここで見ているよ。何かあったら教官を呼んでくる」

「頼んだ」

 

 私はそう言ってラルフと別れた。ラルフは自分が当事者となることを徹底的に避ける。私と一緒に来てくれないのは薄情に思えるかもしれないが、「何かあったら教官を呼んでくる」と約束してくれたのは、ラルフ・ヘンドリック・フォン・クラーゼンという男の最大級の好意だ。

 

「クルト、どうかしたの?」

 

 私は問いかけながらやや強引にクルトと生徒たちの間に身体を入れる。

 

「大したことじゃない、バルヒェット君?が僕の事を嫌っている、ただそれだけの話」

 

 クルトは私の声を聞いて、読んでいた本から顔を上げた。それまではバルヒェットたちが何か言っている間もずっと顔を上げていなかった。

 

「別に嫌っている訳じゃない。いくら何でもおかしいと言っているだけだ。入学以来、卿は常に試験で一位をキープしているだろう。しかし私は卿が勉強をしている姿を見たことが無い。試験が近づいても常にここで本を読んでいる。何か『秘密』があるんじゃないかと思ってな」

 

 バルヒェットはクルトを睨みつけたままそう言う。

 

「『秘密』?」

「……彼らは僕が英雄の息子だから特別待遇を受けているんじゃないかと疑っているらしい」

 

 クルトは呆れたようにそう言う。

 

「自分で言うのも恥ずかしいけどね。僕は要領が良い。授業の要点を掴んで、試験に出そうな所に当たりをつけて、後はその日の内にそれを覚えれば、試験前に慌てて勉強する必要は無い」

「ふざけるな!そんなの机上の空論だろう」

「そうか?それならラムスドルフ君にでも聞いてみたらどうだい?彼も最初はそう言ってたけど、『やってみれば案外出来る物だ』って言っていたよ。アルベルト、今回の試験、ラムスドルフ君は何番だった?」

 

 クルトは急に私にそう聞いてきた。私は実の所、少し悔しかったがそれを隠して答えた。

 

「……七九。ちなみに僕が八七だ」

「前回のラムスドルフ君は百六十八番だったからね。きっと僕が嘘をついていないと保障してくれるはずだよ」

「ふん、同じ帯剣貴族同士の保障など当てになるか。卿らはすぐに互いを庇い合おうとする。第二次ティアマト会戦の後もそうだったな。特に卿の父は酷かった。英雄としての立場を利用して法を捻じ曲げ、コーゼルとか言う平民の一族を助けた」

 

 バルヒェットは厭らしい笑みを浮かべながらそう言った。それを聞いたクルトが眉をひそめた。

 

「僕の父上が法を捻じ曲げた?聞いたかいアルベルト。この国には僕らの知らない法律がまだ沢山あるらしい。バルヒェット君に是非ともご教授願いたいね」

 

 クルトは完全にエンジンがかかってしまったらしい。こうなるとクルトは止まらない。相手を打ち負かすまでやり込めようとする。シュタイエルマルク提督も昔はそうだったのだろうか……?

 

「……地方の判例法じゃないかな?ただ、ブラウンシュヴァイクの田舎法院の判例が帝国全域に効力を持つと思っているあたり、おめでたいよね」

 

 私も半分諦めて皮肉を重ねた。私も領地貴族には苛立ちを覚えていたからだ。この際、開き直って便乗しよう。そう思った。ところが、私の発言はちょっと不味かったらしい。

 

「な!卿はブラウンシュヴァイク公爵家を馬鹿にするのか」

「信じられん」

「何と愚かな……」

 

 バルヒェットは怒りよりも驚きが多分に含まれた声音でそう言い、今まで黙ってクルトを睨んでいた連中も驚いたような反応を示した。

 

「あちゃー」

 

 クルトは頭に手を当てて小声でそう言った。……私は少し納得がいかなかった。恐らくブラウンシュヴァイクを揶揄するのは無謀だったのだろうが、それにしたって、最初にバルヒェットとやりあっていたのはクルトではないか。

 

「……まあ、とにもかくにも、僕が試験でズルしているって言うんだったら証拠を持ってくるか、学校側に相談してくれ。アルベルト、行こう」

 

 クルトは立ち上がると私の手を引っ張って強引にその場を離れようとする。

 

「ま、待て!クルト・フォン・シュタイエルマルク!卿の悪行は必ずこのミヒャエル・フォン・バルヒェットが暴いて見せる!覚悟していろ!」

 

 バルヒェットは最後にそんなことを言っていたが、当然私たちは無視した。ラルフと合流し、教室に戻り、何があったかをラルフに説明した。

 

「君は馬鹿だね。流石に付き合いを考え直した方が良いかもしれない」

 

 私がブラウンシュヴァイク家を『田舎』と揶揄したと聞いた瞬間、ラルフはそう言った。

 

「はあ……別に良いけどさ、これで幼年学校を卒業し次第、アルベルトと僕は高確率でブラウンシュヴァイク公爵と対立する立場になる。今から覚悟を決めておかないとね……」

 

 クルトは疲れたようにそう言った。

 

「いや……自分で言っておいてあれだけどさ、所詮は幼年学校生の戯言でしょ?これで即ブラウンシュヴァイク公爵と敵対なんてことになるかな?」

「今はならない。ただ、君がブラウンシュヴァイク公爵を揶揄したことを知る幼年学校生が軍高官や貴族家の当主となったら、幼年学校での対立関係・友好関係がそのまま持ち込まれる関係上、敵対せざるを得なくなる可能性が高くなるだろうね」

 

 ラルフは心なしか憐れむような目でそう解説してくれた。

 

「……なるほど」

「まあ、言ってしまったものは仕方ないよ。別にブラウンシュヴァイク公爵家と対立しても、帝国で生きていけない訳じゃない。やり様はいくらでもあるさ、そうだろうラルフ?」

「ん、まあね。例えば、今さっきから私たちの方を見ながらニコニコしているクライストと仲良くなっておけば、少なくとも幼年学校では困ることは無いだろう」

 

 ラルフはそう言って自分の後ろ側を指差した。そこにはラルフの言う通り満面の笑みを浮かべたクライストとその取り巻きが居た。……あいつがこんなに良い笑顔をしている姿を見たことは無かったし、これからも見ることは無かった。

 

「じゃ、私は少し君たちと距離を置くよ。ほとぼりが冷めたらまた仲良くしよう」

 

 ラルフは笑顔であっさりとそう言うと教室を出ていく。それと同時にクライストがラルフの席に座った。

 

「いや~やってしまいましたなアルベルト様、クルト君」

 

 上機嫌のクライストは私たちをファーストネームで呼んだ。今まではそれぞれライヘンバッハ様、シュタイエルマルク君だった。

 

「……君は嬉しそうだね」

 

 ジト目でクルトはそう言った。

 

「嬉しい?まさか!そんなことは有り得ません。ただ、お二人がブラウンシュヴァイク公爵家と対立しそうだと聞いて、是非とも我々の力をお貸しさせていただけないかなと」

「『我々』ねぇ……」

 

 クライストはこの時点で既に幼年学校で五本の指に入るほど大きな派閥を作っていた。……まあ、派閥と言っても互助的な代物だし、あまり高位の貴族は所属していない。

 

「率直に申しますと、私としましてもクロプシュトック侯爵家から受けた使命を考えると、今の派閥では心許ないと言いますか……やはり帯剣貴族の雄たるお二人にご協力頂ければ、私としても胸を張って父や侯爵様に会えるという物でして、はい」

 

 クロプシュトック侯爵家はブラウンシュヴァイク公爵家を初めとする領地貴族の不穏分子に睨みを効かせる為にルドルフ大帝によって送り込まれた一族だ。その役割上、強大な他の領地貴族に対抗するために、他の貴族集団とも積極的に関わりを持とうとしてきた。

 

 クライストが幼年学校に入学したのも、帯剣貴族や平民を取り込んで派閥を形成し、親クロプシュトック的な貴族家・軍人を増やす為だった。それ故、クライストは自分の勉強そっちのけで派閥形成に奔走していた。そんな彼をクルトはあまり快く思って無く、時に対立すらしていたはずなのだが……。

 

「君は僕の事が嫌いだと思っていたんだけど?」

「罪を憎んで人を憎まず、と言うでしょう?ああいや、クルト君が罪人だとかそういうことを言いたい訳では無くてですね……。まあ、私の邪魔をする人は嫌いですが、クルト・フォン・シュタイエルマルクという人間を嫌ったことなど一度もありませんとも」

 

 クライストはいけしゃあしゃあとそんなことを言った。

 

「……ちょっと考えさせて欲しいな。幼年学校にはいくつか派閥があるけどさ、派閥に入った生徒たちって色々と大変そうだしね」

 

 私はクライストにそう返答した。

 

「分かりました。急かすつもりはございません。返答をお待ちしております」

 

 クライストはそう笑顔で言った。

 

 

 ……翌日、アルベルト・フォン・ライヘンバッハとクルト・フォン・シュタイエルマルクがブラウンシュヴァイク公爵家を罵倒したことと、ヴィンツェル・フォン・クライストの形成した親クロプシュトック派にその二人が加わったことが噂として幼年学校一年生の間を駆け回った。

 

「……君も人が悪いな。やっぱり僕の事嫌いでしょ?」

「……朝起きたら勝手に派閥に入れられていた身にもなって欲しいな?返答は待ってくれるんじゃ無かったの?」

「待っていますとも。ただ、人の口に戸は立てられませんからねぇ……」

 

 クライストは素知らぬ顔でそう言った。結局、クライストの思惑通り、私とクルトはこの後、周囲からクロプシュトック派の一員として見られることになる。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。

 

 

 



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少年期・シュタイエルマルク提督と父の真実・前(宇宙歴754年3月4日~宇宙歴754年3月25日)

 宇宙歴七五四年三月四日、私はいつものように食堂でクルト、クライストと共に食事を取っていた。私とクルトは幼年学校五年間の内、主に普通教育を受ける三年間を優秀な成績で過ごしており、来年度からの四年生では戦略研究科と呼ばれるエリートコースに入ることが確実視されていた。

 

『昨日正午頃、軍務省のクレランド報道官が臨時の記者会見を開きました。クレランド報道官の発表によると、帝国宇宙軍第一・第二辺境艦隊及び黄色弓騎兵艦隊は……』

 

「アルベルト様、クルト君。また大貴族の子弟と事を構えたそうですね!あれほど大人しくしていてくれと言ったのに……」

「悪いねヴィンツェル。でも流石にまだ寒い三月の夜に、後輩を裸で外に放り出すというのはね……。僕らの許容範囲を超えすぎている」

 

 私はそう言った。幼年学校における『平民いじめ』とそれに対する平民の『正当防衛』は日常茶飯事であった。私とクルトはそんな現状にかなりの不快感を感じていたが、私たちもそれなりに立場は弁えている。多少のことは我慢しようと努めているのだが、それでも見ていられないようなことは少なくなかった。

 

『……へと侵入してきた叛乱軍第六艦隊・第八艦隊・第一〇艦隊とロートリンゲン軍管区・フォルゲン伯爵領内に於いて交戦、これを大破せしめ、帝国辺境地域を脅かさんとする叛乱軍の意図を挫き、逆に叛逆者ドートリッシュ……』

 

「一晩位、鍛えてるんですから何とかなるでしょう!あの伯爵家はクロプシュトックと隣接した領地と縁戚関係にありましてね。あまり関係を悪化させるわけにはいかないのですよ」

「それは知っているよ。ラルフから聞いている」

「それならば……!」

「アルベルト、先月末の第四次ロートリンゲン会戦がニュースになってるみたいだ」

 

 クルトがクライストの苦言を完全に無視して、先ほどから国営放送の報道番組を流していたモニターを指差す

 

『宇宙艦隊総司令部関係者によると本会戦を指揮した黄色弓騎兵艦隊司令官カール・ハインリヒ・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍大将は近く宇宙軍上級大将に昇進の上、宇宙艦隊副司令長官として、黄色弓騎兵艦隊及び三個辺境艦隊を指揮下に収めるとのことです』

 

「へー凄いな。流石ライヘンバッハ。僕の父上とは大違いだ」

 

 クルトがニヤニヤしながらそう言った。シュタイエルマルク提督も第二次ティアマト会戦を生き残った数少ない実戦派の提督として同盟軍と幾度も交戦し、武功を挙げていた。だが、階級は今でも据え置きで大将。役職は赤色胸甲騎兵艦隊司令官と、一実戦指揮官に過ぎない。

 

「そういう言い方は勘弁してよ……反応に困る」

 

 私は返答に困り、結局そう答えた。

 

「そういう時は『そうだろう?』と返しておけば良いんだ。血筋に助けられているとしても、実力は本物なのだからな」

 

 そう言いながらシュトローゼマンが私たちのテーブルに近づいてきた。

 

「ここ空いてるよな?」

「ええ、どうぞ。シュトローゼマン先輩はライヘンバッハ提督を尊敬なさっているんでしたっけ?」

 

 クライストが勝手にそう答えてしまう。シュトローゼマンは初日の一件でクルトを気に入ったらしく、指導生徒としての役割が終わった今でも何かと気に掛けている。さらに、初日に公言した通り、私を含む成績優秀者に対しては優しく、劣等者に対しては冷たい態度を取った。それ故に、私やクルトはシュトローゼマンから取り立てて不利益を被ったり、不愉快な目にあわされたことは無かったが、この厄介な先輩を微妙に敬遠していた。

 

「近年の帝国軍の提督ではライヘンバッハ提督とシュタイエルマルク提督、後は故・コーゼル提督を尊敬している」

「コーゼル提督も……?」

 

 クルトは少し驚いていた。コーゼル提督は幼年学校卒業後、『異次元の武勲』を立て続けて平民でありながら大将に上り詰めた名将だった。彼は戦う度に功績を立てた。帝国軍が敗北した戦いでも、彼が居る場所だけは勝利し続けた。……私は二人、似た現象を起こしていた提督を知っている。一人は行進曲(マーチ)に呪われた提督、フレデリック・ジャスパー。もう一人は……天才ブルース・アッシュビー。

 

「ああ、領地貴族連中はあの方を無能無能と言いふらしているがな、あいつらは男爵(バロン)ウォーリックと行進曲(マーチ)ジャスパー、どちらか一方の攻勢ですら数分と保たせられないだろうな」

 

 シュトローゼマンは嫌悪感を滲ませながら吐き捨てるようにそう言った。……シュトローゼマンは時に自分が領地貴族であることを忘れているような言動をすることがあった。

 

「それより、卿らに教えたい情報があってな。聞きたいか?」

「校長が代わるって話でしょう?ラルフから聞いていますよ」

「……またクラーゼンか。だが、それが誰なのかは流石に知らんだろう?」

 

 シュトローゼマンは少し得意気な表情で尋ねる。私たちは確かに校長が代わるという話しか知らない。

 

「知らないようだな。聞いて驚くな。エルンスト・フォン・カルテンボルン宇宙軍少将。第二次ティアマト会戦で戦死したカルテンホルン宇宙軍中将の甥だ」

 

 カルテンボルン。その名を聞いて私とクルトは驚いた。第二次ティアマト会戦において戦死したカルテンボルン提督の一族は閑職へ回されたはずだ。帝都幼年学校校長というのは軍の出世コースからは少し外れているが、それでも要職だ。

 

「地方の幼年学校に左遷されていたらしいが、徹底的な管理教育で結果を出して、帝都幼年学校に戻ってきたらしい。ここで結果を出せれば、教育総監部入りも有り得るって噂だ」

「か、管理教育ですか……?」

 

 私は慄いた。銀河帝国における教育は前世のそれや自由惑星同盟のそれとはまったく違う。体罰は勿論、私生活もしっかり管理される。一応、土日祭日は存在し、手続きを踏めば外出は可能だが……。自由教育を知る私に言わせると、全体として帝国の教育体制はかなり管理教育的と言って良い。その帝国の基準で管理教育となると、正直言ってどのような物か想像がつかなかった。

 

「帝都幼年学校は領地貴族共のせいで規律が緩みがちだからな。この際一気に改革するつもりかもしれん」

 

 シュトローゼマンは腕を組んで推論を述べた。

 

「ま、そういう訳だ。卿らにとってはこの春休みが最後の自由になるかもしれん。精々楽しんでおけよ」

 

 シュトローゼマンはニヤついている。彼は来年度から帝国軍に入ることになる。新しい校長が何をしようと関係がない立場だ。ちなみに、惑星カール・パルムグレンの第四辺境艦隊司令部に配属されるらしい。

 

 私たちは互いに顔を見合わせた。貴族だ幼年学校生だと言っても所詮は一二歳の子供である。『管理教育で成果を挙げた新校長』に不安を感じても無理は無いだろう。

 

 

 宇宙歴七五四年三月二五日。幼年学校は春休み期間となり、生徒たちが一斉に実家へと帰省する。私も幼年学校の正面玄関近くで、クルトと話しながらヘンリクの迎えを待っていた。

 

「お、シュタイエルマルク家の車だ。それじゃあアルベルト、お先に失礼するよ」

 

 そう言って走りだそうとしたクルトを私は呼び止めた。

 

「待ってくれクルト。……例の件についてだが、父に聞いてみようと思う」

 

 私のその言葉を聞いてクルトが真剣な表情になる。

 

「まだ早くないか……?何が起きたのか、確証どころか傍証ですら十分に集まっていない」

「所詮、幼年学校生でしかない俺たちに調べられることには限界がある。これ以上は直接聞くしかない」

 

 クルトは悩んでいるようだった。……宇宙歴七五一年一一月八日。その日以来、私とクルトは出来る範囲で父たちの事を調べていた。私たちの父は、英雄と呼ばれる二人は、一体何を隠しているのか……。

 

「分かった……。僕も話をしてみるよ」

 

 クルトはそう言って車に向かっていった。暫くしてライヘンバッハ家の車も入ってきた。

 

「御曹司!お久しぶりです。いやーお元気そうで何よりです」

「ヘンリクも元気そうで良かったよ」

 

 ヘンリクを隣に乗せて、私も車に乗り込む。久しぶりに会う運転手と挨拶を交わした後、車は走り出した。

 

「そういえば御曹司、知っていますか?この前の第四次ロートリンゲン会戦。本当に薄氷の勝利だったそうですよ。カール・ハインリヒ様の『虚兵作戦』が見破られていたら、恐らくフォルゲン伯爵領は陥落し、叛乱軍にオリオン腕側の大規模拠点を与える結果になっていたでしょう」

「へーそうなんだ。そんなこと国営放送で一言も言ってなかったけど……」

 

 ヘンリクは鼻で笑うと続ける。

 

「御曹司、国営放送が真実を伝える訳がないじゃありませんか。……第二次ティアマト会戦からこの方、叛乱軍は何度も帝国領土に侵入しては帝国軍に損害を与え続けています。ここ数年の帝国軍が挙げた勝利らしい勝利と言えば、コープが自滅したパランティア星域会戦と行進曲(マーチ)ジャスパーの「敗北」順だった第三次エルザス会戦位です。去年の辺境防衛戦略大綱ではついにエルザス辺境軍管区の維持を諦めて、第一辺境艦隊司令部があるロートリンゲン辺境軍管区で敵を迎え撃つ戦略に変更したとか。いやはや、苦しい戦況ですねぇ……」

 

 ヘンリクはいつものようにそうやって一般には知られていないようなことをサラッと言う。

 

「ヘンリクは物知りだね……。ねぇヘンリク。ヘンリクはさ、昔から重要な情報を掴んでくるのが早かったよね?」

「ええ、伝手が優秀なモノで」

「そうだね。一介の地上軍大尉の『伝手』とは思えない程優秀だ。……あのさ、ヘンリクの事を調べたんだ。同期に統帥本部情報部長の息子が居てさ、彼に頼んで資料を調べさせてもらった」

「……それで?普通の地上軍大尉の人事資料でしたでしょう?」

 

 ヘンリクは見たところ普通の顔色だ。

 

「マルティン・オットー・フォン・ジークマイスター」

 

 私がその名前を出した瞬間、ヘンリクの顔色が変わった。

 

「一時期、君はこの人の部下として働いていた。……ある貴族の叛乱を鎮圧するために、宇宙軍と地上軍の合同作戦が実施された時の話だ」

「……確かに、そんな名前の提督の下で働いたこともありましたなぁ。とは言え、一介の地上軍大尉がそんな提督と関わりを持つことなんてありませんよ」

「……だろうね」

 

 私はそれ以上の追及を諦める。ヘンリクとジークマイスターの関係はクルトにも教えていない。私が前世の記憶を基に当たりをつけて調べた結果だ。半分、まぐれ当たりと言っても良いかもしれない。

 

 暫く、車内は沈黙が支配した。私もヘンリクも身動き一つしなかった。そのまま車は進み、ライヘンバッハ家に到着した。

 

「ヘンリク。僕は父と話してみるつもりだ。それが終わってからで良い。……君の本当の姿を見せてくれ」

 

 車を降りる間際、私はそう言った。ヘンリクの返事は敢えて待たなかった。玄関を抜け、大広間に向かう。そこに父の姿は無かった。執事によると、書斎で待っているとのことだ。

 

 私は父の書斎に入り、そこで言葉を失った。父の書斎の本棚が横に開き、秘密の部屋に入れるようになっていたのだ。書斎に父は居ない、中に入るしかなかった。

 

「久しぶりだな、アルベルト。幼年学校では活躍しているそうじゃないか。クロプシュトック派についたと聞いた時には耳を疑ったが、ブラウンシュヴァイク公爵家に喧嘩を売ったなら仕方がない」

 

 父はおかしそうに笑った。思えば、父と会うのは幼年学校入学当日以来だろう。長期休暇の際も、父は私と会うことを避けていたように思える。

 

「父上……この部屋は?」

「大したことは無い。ライヘンバッハ家の当主が代々、知られては不味い物をしまっている隠し部屋だ。……ここに愛人を連れ込んだ馬鹿も居るみたいだがな」

 

 父は壁際を指し示す。薄暗いが、よく見るとベットらしきものがある。

 

「俺が見つけたのもただの偶然だ。だが……父上とエーリッヒは知っていたのかもしれないな」

「何故、私をこの部屋に入れたのですか……?」

「何、お前に見せたいものがあってな」

 

 父はそう言うと机の上にある本を見せてきた。所々掠れている為、タイトルが読みにくい。

 

「A……Theo…Theory?……of……Justice……」

「まさか古代ブリテン語が読めるとはな……。だが意味までは分からないだろう。『せおりー』は論、『じゃすてぃす』は正義という意味だ」

「え……それじゃあまさかこれは……ジョン・ロールズの『正義論』、ですか?」

「……驚いた。発禁本を何故……」

 

 父は驚きに目を見張っている。だが私はそれどころではない。

 

「やはり……やはり父上は共和主義者だったのですね……父上だけじゃなく、シュタイエルマルク閣下やミヒャールゼン閣下も……」

「『やはり』か。推測は出来ていたのかな?」

「……ミヒャールゼン閣下と会った時にいくつか手掛かりを頂きました。『リューデリッツ』『エーレンベルク』『パランティア星域会戦』……。リューデリッツは兵站輜重副総監、エーレンベルクは軍務省高等参事官。それはすぐに分かりました。だけどそれだけです。しかし、パランティア星域会戦のデータを見て、違和感を覚えました」

 

 私は父にクルトと作り上げた推論を述べる。

 

「パランティア星域会戦のデータを見たのか?」

「コネを使いました。こういう時、ライヘンバッハ家の名前は有利ですね」

「なるほど。それで何に違和感を感じた?」

 

 私はコープの用兵がまるで、偽の情報に踊らされているようだったこと、反対にジャスパーの行軍が予め敵の情報を得ていたようだったこと。それらと並行して、父とシュタイエルマルク提督が私を経由してデータチップを渡そうとしていた事などを順に述べた。

 

「……つまり、どういうことだ?」

「父上とシュタイエルマルク閣下は反帝国的組織に属している。そして私を利用して情報のやり取りをしていた。違いますか?」

「……確証が無いだろう?」

「傍証は有ります。アッシュビーの用兵は時に用兵理論に反していた。それなのに神がかり的な勝利を上げ続けたのは何故か?……簡単です。帝国軍の情報を得ていたからだ」

「そんなものは傍証でも何でもない」

「確かにそうです。ただ、コーゼル大将はどうです?」

 

 父は虚を突かれたようだった。

 

「何?コーゼルだと?」

「……アッシュビーという偉大な天才のせいでしょう。ヴァルター・コーゼルと言う規格外の名将に関して、帝国軍はあまりに注意を払ってこなかった。……恐らくは『リューデリッツ』と『エーレンベルク』の二人も」

 

 私は父の反応を見ながら続ける。

 

「コーゼル大将はその軍歴の初期に数回敗北を経験した以外は全ての戦いで勝利しています。……時に用兵理論に反して『野性的な勘』で奇跡的な勝利を掴み続けていました。ええ、コーゼル大将は優秀な方だった。それは間違いありません。しかし、それだけでは無かった。コーゼル大将は……父上たちが作り上げた『カエサル』ではありませんか?」

 

 父は顔に驚きを浮かべている。隠す気もさして無かったのだろうが、それでも分かりやすかった。

 

「コーゼル大将の勝利は優秀な情報参謀……特に初期はハウシルト・ノーベル、後期はクラウス・フォン・シュテッケルの貢献が大きいようです。……この二人はかつて共通の上官を持っていました。その名はマルティン・オットー・フォン・ジークマイスター。どうやらミヒャールゼン閣下とも友人だったご様子」

 

 実を言うと、私は前世の「物語」でジークマイスター機関の存在を把握していた。父とシュタイエルマルク提督がその一員だったのは知らなかったが、「ジークマイスター機関が存在する」と分かっていればそこから逆算して、コーゼル大将の軍歴に存在する『異質さ』に気付くのは簡単だった。

 

「父上とシュタイエルマルク閣下がジークマイスターと関係を持っているという事実は突き止められませんでしたが、ジークマイスター提督と共通の友人を有している所までは辿り着きました。そして私の護衛士であるヘンリクもかつてジークマイスター提督の下で働いた経験があるようです。果たして偶然でしょうか?」

「偶然、と言っても別に問題は無いな」

「そうですね。ですから『傍証』です。残念ながら父上が本当のことを話してくれないと、『確証』には辿り着けそうもありません」

 

 私はそう言いながら父を睨む。父は暫く黙っていたが、やがてポツリと言った。

 

「お前は賢いな、アルベルト」

 

 父はそう言うと立ち上がる。

 

「シュタイエルマルク邸に行こうか。私たちのことについて、ちゃんと話そうと思う」




注釈7
 ジョン・ロールズは地球時代の政治哲学者であり、自由惑星同盟では今でもなお、彼の著書である『正義論』が読み継がれている。当然、この本は帝国においては発禁本に指定されている。

 銀河帝国では共和主義的思想が完全に葬られている訳ではなく、功利主義的なアプローチや先に述べたホップズ等の思想が歪曲される形で後々まで残っている。これは建国初期に大帝ルドルフの権力簒奪を正当化する過程で、どうしても過去の思想等を利用せざるを得なかったことが原因であるが、ジョン・ロールズを初めとする一部の学者については、歴史からその存在自体が抹消されている。


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少年期・シュタイエルマルク提督と父の秘密・後(宇宙歴754年3月25日)

「『法の精神』『世界人権宣言』『全体主義の起源』『アナーキー・国家・ユートピア』『宇宙時代の人権論』『シリウス革命論考』『星系間分権論』……。タイトルを読んだだけでも分かる。ここは発禁本の宝庫だ……」

 

 クルトは慄きながらそう言った。私も言葉が出ない。父、カール・ハインリヒに対して、反帝国組織の活動に関する推論を聞かせた後、私は父に連れられて、シュタイエルマルク邸を訪れた。シュタイエルマルク提督は一言だけ「ついてきてくれ」と言うと、後は何も言わず、私とクルトを資料室の奥の部屋へと案内した。

 

「シュタイエルマルク家の初代当主はルドルフ支持者ではあったが、慣れ親しんだ共和思想を否定できなかったらしく、銀河連邦崩壊時に散逸しつつあった貴重な書籍を手に入れてはこの部屋で保存していたらしい」

 

 シュタイエルマルク提督は驚く私たちにそう解説した。

 

「シュタイエルマルク家は代々、地球史研究を趣味としていることで知られている。特に私の曽祖父は軍人としての名声以上に地球史研究者としての名声を獲得し、今でも帝国の地球史研究者に幅広くその名を知られている。代々のシュタイエルマルク家当主は、共和主義思想家と言うよりは、地球史研究者としての崇高な使命感によって、これら貴重な『発禁本』を保管していたようだ」

「今まで一度も気づかれなかったのですか?」

 

 私は思わず尋ねた。この部屋の蔵書はかなりの数だ。恐らく、銀河連邦末期のまだルドルフが権力基盤を固めきれていない時期に蒐集されたのであろうが、それにしてもこれだけの蔵書が内務省社会秩序維持局の弾圧を逃れたという事は驚かざるを得ない。

 

「代々の当主が共和主義そのものに共鳴すれば、言動からあるいは気づかれたのかもしれない。だが、そうでは無かった。彼らにとってこれはちっぽけな自尊心を満たしつつ、人類の偉大な歴史に貢献している気分に浸る為の道具に過ぎなかった。……流石に穿った見方に過ぎるかな?」

 

 シュタイエルマルク提督は苦笑しつつそう言った。だが私は納得した。共和主義思想に共感「してしまった」人間は言動の端々にそれが表れる。勿論、意識すれば隠せるが、歴代シュタイエルマルク家当主全員が共和主義者の『癖』を隠しきったと考えるよりは、「書籍を保管している」という事実に満足して、内容は気にしていなかったというシュタイエルマルク提督の見方の方が説得力がある。

 

「……父さんはこの本に触れたことで共和主義者になったんだね」

「いや、それは違う。確かに私の中に共和主義的な素養を作り出したのはここにある書籍だろうが、結局私も先代たちと同じだった。それで自分が共和主義思想を実現しようなんてことは微塵も思っていなかった」

 

 シュタイエルマルク提督は懐かしむような表情をしている。そして自らの過去を語りだした。

 

「昔の私は帝国軍の改革を志す夢想家だった。今の私のように、ただ自己のみを律し、それで良しとするような卑怯者と違って、な。……士官学校への平民入学許可、貴族軍の解体と星域警備隊の創設、辺境人事の刷新、帯剣貴族による一部役職の独占禁止。まあ、色々なことを仲間たちと言っていたよ」

「……当時、ハウザーと志を共にしていた仲間たちの一人が私だ。だが、私たちには力が無かった。名門ライヘンバッハ家出身と言っても所詮は三男坊。そしてシュタイエルマルク家だって子爵家に過ぎない。だからと言って、上位貴族たちのご機嫌取りに精を出す、三流軍人になるのは御免だった。そんな鬱屈を抱えている中で、私たちはあの人と会った」

 

 私には「あの人」が誰なのか分かる気がした。

 

「マルティン・オットー・フォン・ジークマイスター提督……ですね?」

「……なるほど。そこまで辿り着いていたのか。リューデリッツより君の方がよっぽど優秀なようだ」

 

 シュタイエルマルク提督は苦笑してなおも続けた。やはりリューデリッツはジークマイスターの存在にまでは辿り着いていなかったようだ。

 

「あの人とは場末の酒場で出会った。あの人が私たち改革派青年士官を組織に招くつもりで接触してきたのかどうかは、今でも分からない。ただ、帝国軍の内部改革を志しながらも、血筋、あるいは身分故にそれを成し遂げることが出来ない事に無力感を感じていた私たちは、あの人の語る理想に惹かれた」

「『我々は次の事を自明の真理と見做す。全て人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、及び幸福の追求に対する不可侵の権利を与えられていること……』」

 

 父が引用したのはアメリカ独立宣言の一節だ。私の前世においては、あるいは自由惑星同盟においては当たり前に過ぎるこの言葉も、この帝国においては重みが違う。大帝ルドルフの否定、ゴールデンバウム王朝の否定、貴族階級の否定、四世紀以上にわたる銀河帝国の歴史の否定、そして……自己の価値観の否定。ジークマイスター提督からこの言葉を聞いた二人の衝撃はいか程の物だっただろうか。

 

「私たちはジークマイスター提督によって『啓蒙』された。私たちは彼の組織に入り、そこでミヒャールゼンと出会った。その直後、ジークマイスター提督は自由惑星同盟へと亡命した。『外からの変革』を目指して」

「同盟に亡命したジークマイスター提督と、帝国側のミヒャールゼン閣下、シュタイエルマルク閣下、そして父上は、『外からの変革』の為にブルース・アッシュビーに協力したのですね……。他方帝国側でも、ヴァルター・コーゼルと言う新進気鋭の平民軍人に目をつけ、彼に武功を立てさせることで、上層部に引き上げた」

 

 私はシュタイエルマルク提督と父に対し推論を述べた。ジークマイスター提督の亡命は個人的な憧れだけが理由だったのではなく、体制内での共和主義活動に限界を感じたからだろう。

 

「その通りだ。私たちはアッシュビーと自由惑星同盟という外圧によって銀河帝国の封建体制を揺るがし、コーゼルを旗頭に祭り上げて、新たな国家体制を作り上げようと目論んでいた」

 

 父は淡々と答える。父が何を考えているのか、その表情から読み取ることは出来なかった。だが恐らく、今に至るまで何度も苦悩したはずだ。伝統的帝国貴族である父にとっては、例え現体制に不満を感じていたとしても、反帝国組織に参加するというのはかなりハードルの高い決断だろう。

 

「でもそれは第二次ティアマト会戦によって頓挫した。同盟のアッシュビー、帝国のコーゼル、双方が戦死してしまうという失敗によって」

「いや、それは違う」

 

 クルトの指摘をシュタイエルマルク提督は否定する。推論に自信があったからか、クルトは少し驚いた様子だ。

 

「第二次ティアマト会戦は失敗ではない。むしろ成功しすぎたのが問題だった……。あの戦いはジークマイスター機関がツィーテンたち対抗勢力を一掃するために仕掛けた罠だった。無論、コーゼルも暗殺対象の一人だった。……コーゼルは優秀すぎた。彼はミヒャールゼンが反国家的組織を操っていることをほぼ確信していた。大義の為には……殺すしか無かった」

 

 シュタイエルマルク提督の顔には苦悩が浮かんでいる。シュタイエルマルク提督はコーゼル提督と極めて親しい仲だったとして知られている。恐らく、その友情は本物だったのだろう。……私にクルトやラルフが殺せるだろうか?

 

「だが、出征した将官がほぼ全滅するのは流石に予想外だった。確かに、機関にとって死んでくれた方が都合の良い者も居たが、そうでない者も……例えば我々の仲間だったシュテッケルのような者も戦死するか、捕虜になってしまった」

 

 シュタイエルマルク提督は悔やむような表情で振り返る。恐らく、シュタイエルマルク提督と父の『仲間』もその中に居たのではないか、と私は推測した。

 

「第二次ティアマト会戦前、機関はアッシュビーという脅威を巧妙に利用しながら軍上層部に勢力を拡大しつつあった。統帥本部は既に機関によって掌握されつつあり、軍務省にも一定の影響力を有していた。そんな中、機関の存在に気づいて抵抗を始めたのが宇宙艦隊総司令部のツィーテンたちだった。ツィーテンたちを排除できれば、機関の理想実現を妨げる者はもう存在しないはずだった」

 

 シュタイエルマルク提督はそこで言葉を切る。顔には深い悔恨が刻まれている。

 

「……ところが、ツィーテンたちが全滅したことで、第二次ティアマト会戦の敗戦責任を軍部全体で背負う必要に迫られた。我々が長い年月をかけて軍上層部に送り込んだ同志や協力者は殆どが敗戦責任を分担させられ、失脚してしまった。さらに機関の想定以上のペースで平民の台頭と他貴族集団の軍部介入が始まった」

 

 シュタイエルマルク提督はそう言って自嘲する。結果的にではあるが、ブルース・アッシュビーという天才が作り出した『軍務省にとって涙すべき四〇分』はジークマイスター機関にとっても同様に涙すべき四〇分になってしまったということだろう。

 

「父上たちは成功しすぎたということですね。帝国軍の屋台骨を揺るがすばかりか、自らの足元さえ切り崩してしまった」

 

 クルトはそう言った。クルトがどのような表情をしているのか読み取ろうと努力したが、残念ながら私の立つ位置からは確認するのが難しかった。

 

「リューデリッツとエーレンベルクは、パランティア星域会戦の前後に機関の存在に気づいたのですね?それでミヒャールゼン提督が暗殺された」

 

 私はクルトの表情を確認することを諦め、ミヒャールゼン提督暗殺事件について確認しようとした。しかし、この件に関しては父もシュタイエルマルク提督も答えない、あるいは答えられない様子であり、私は追及を諦めた。その後、事件を調べ続けた私が組み立てた考察については、以前に述べた通りである。

 

「それで……アルベルト、クルト君。お前たちはどうする?」

 

 話が一段落した時、父が尋ねてきた。私の答えはほぼ決まっているような物であったが……。クルトの考えが読めず、私は沈黙していた。

 

「憲兵隊に密告するのもアリだろう。他人の密告だと間違いなく族滅は免れないだろうが、息子の密告であれば功績と相殺され、私たちだけが処刑されるはずだ」

 

 シュタイエルマルク提督が淡々と言う。その声音は落ち着いていた。

 

「……少し考えさせてください。色々と衝撃が強くて」

 

 クルトは青ざめた顔で絞り出すようにそう言った。無理もない。父とシュタイエルマルク提督が反帝国組織に属していることを半ば確信していた私と違い、クルトは「確証も無ければ、傍証も不十分」とあまり信じていなかった。衝撃の大きさが違うだろう。

 

「分かった。だが、密告する時はその前に一言教えてくれると有難い。私たちにも……準備が必要だ。アルベルト、お前もそれで良いか?」

 

 父の問いかけに私は同意した。そして私は二人に尋ねた。

 

「何故、本当のことを話したのですか?先ほど父にも言いましたが、私たちの推論は確証どころか傍証すら不十分でした。誤魔化す方法はいくらもあったのでは?」

「あっただろうな。だが、誤魔化したとしてお前たちは納得しないだろう。そして確証を得るまで調べ続ける。……お前たちが我々を探っていることには前から気づいていた。同期の伝手を使って、統帥本部情報部長シュテファン・フォン・クラーゼン宇宙軍中将から色々と便宜を図ってもらっていたこともな。お前たちなりに気を付けては居たようだが……。お前たちにあまり派手に動かれると、リューデリッツやエーレンベルクが機関の生き残りに気づくかもしれない。それを防ぐには本当のことを話すしかないという結論になった」

 

 父は少し不機嫌そうにそう言った。私は、まさか調査していたことがバレていたとは思わなかったために少し慌てる羽目になった。

 

「……まさか息子を口封じで殺す訳にもいかんしな」

 

 父は小声でそんな物騒な事も言っていた。当時の私は気づかなかったが、今にして思えば、私とクルトは結構危うい橋を渡っていたのかもしれない。シュタイエルマルク提督はヴァルター・コーゼル宇宙軍大将を、父は直接的にヴィットリオ・ディ・ベルティー二同盟宇宙軍中将を、間接的に祖父フィリベルトを初めとする同族を、望むと望まぬとに関わらず手に掛けた。あるいは掛けようとした。

 

 確かに私とクルトは二人にとって大切な息子かもしれないが、もし機関の存在を明らかにしたならば……。いや、仮定の話は止めておこう。実際の所、私たち二人が父親と機関によって危害を加えられるようなことは無かったのだから。 

 

 私と父はその後、シュタイエルマルク邸を辞した。気づけば日は暮れており、空には二つの(モーント)が昇っている。惑星オーディンを周回する二つの衛星はゴールデンバウム王朝によって、フギン、及びムニンと名付けられた。しかし、人々は何故か二つの衛星を纏めて『(モーント)』と呼び続けている。その由来は遥か地球時代にまで遡ると言う。

 

 結局のところ、ルドルフがどれほど記録を改竄しようが、ゴールデンバウム王朝がどれほど栄えようが、人々の間に一度根付いた言葉や習慣が消えることは無い。民主共和政治も同じだ。このオリオン腕において完全に消え去ったように見える自由と平等の精神も、ジークマイスター邸の書斎で、あるいはシュタイエルマルク邸の資料室で小さな火を灯し続けていた。

 

 その火はマルティン・オットー・フォン・ジークマイスターによって、あるいはハウザー・フォン・シュタイエルマルクによって育てられ、このオリオン腕に確かに広まりつつあったのだ。地球時代からいくつもの冬を抜けて受け継がれてきたこの火を、実際にこの目で見た私は静かに感動していた。……その火の為に、夥しい程の血と涙が流されたことを、私はまだ本当の意味で理解していなかったのだ。

 

『おお、自由よ、汝の名の下に如何に多くの罪が犯されたことだろうか!』

                                   ―マノン・ロラン―

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。




注釈8
 マノン・ロランは地球時代のフランス革命期に極めて活躍した女性運動家であると言われているが、フランス革命と同じようにその詳細に関してはほとんど判明していない。

 ただ、人類史の中でも代表的な女性運動家であったことは確かなようであり、自由惑星同盟では『平民の為に剣を握って自由を勝ち取った救国の聖女』とされ、広く知られている。また銀河帝国においても優れた知性を持つ女性に対して『ロラン婦人の如き才女』と言うような言い回しが使われることが多く、ベーネミュンデ侯爵夫人やヴェストパーレ男爵夫人等が『ロラン婦人の如き才女』として称えられたことがある。

 ちなみに、ライヘンバッハは彼女の言葉を引用して『おお、自由よ、汝の名の下に如何に多くの罪が犯されたことだろうか!』と発言することが多かったが、この言葉をマノン・ロランが遺したとする資料は見つかっていない。

 なお、アルベルト・フォン・ライヘンバッハは「ロラン婦人ではなく夫人、剣は握ってないし、聖女でもない。青い靴下も履いてないし、ハイネセンのような銅像にもなってない。国と結婚したのは彼女ではなくエリザベス女王だ!ナチスドイツに処刑されたって最初に言いだした奴は誰だ。歴史家を名乗るのを止めちまえ!」と言い遺している。


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少年期・帝国版『有害図書愛好会』(宇宙歴755年1月3日)

ミヒャールゼン暗殺事件とシュタイエルマルク黒幕説を書こうと思って気づいたら宇宙歴740年から書いていたという罠。


 結論から言ってしまうと、私は幼年学校卒業のタイミングでジークマイスター機関に入ることになる。ただ、それよりも先に書いておきたいエピソードがある。私はジークマイスター機関の話を聞いて、素朴な「憧れ」のような物を持っていたが、それだけで私がジークマイスター機関に入る道を選んだかは怪しい。

 

 父たちを密告するという選択肢は絶対に有り得ないとして、私には「何も見なかった、何も聞かなかった」と自分に言い聞かせながら平凡な貴族軍人として一生を終えるという選択肢もあった。そうしなかったのは……やはりあの事件で帝国の現実を知ったからだろう。

 

 宇宙歴七五五年一月三日。私を含めた二〇人弱の生徒が幼年学校の敷地内にある特別教室棟の校舎に集まった。

 

 幼年学校一年生から三年生が、普通教育の一環で行う化学や音楽の授業の為に用意されたこの校舎は去年の四月から使われていない。新校長、エルンスト・フォン・カルテンボルンの『改革』の一環で、普通教育は大幅に簡素化され、愛国心を強調する『修身』、ひたすら軍事的な訓練に明け暮れる『教練』などに置き換えられた。「軍人に余計な教養は不要」という事らしい。

 

「ライヘンバッハ様、全員集まったようです」

「校長に気づかれていないか?」

「協力者が上手くやってくれている筈です」

 

 クライストは少し不安そうに答える。この場には旧第一八教育班のメンバーを中心に各身分の生徒が集まっている。大半が私と同じ四年生だが、他の学年も数名参加していた。私たちの共通項はただ一つ、校長エルンスト・フォン・カルテンボルンへ強い不満を有していることだった。

 

「ふん、『穴籠り』の派閥作りも多少は役に立ったな」

 

 ラムスドルフは吐き捨てるようにそう言った。そう、ラムスドルフを初めとする数人の上級貴族すらこの場には集まっていた。

 

「カルテンボルンの管理教育は限度を超えている、このままでは大変なことになるぞ……」

 

 ペインと言う名の子爵家令息がそう言うと、一斉に同意の声が上がる。

 

 新校長、カルテンボルンの幼年学校改革は我々の予想を超えた苛烈な物だった。まず従来の貴族・平民混合のクラスを分離・再編し、成績に関わらず平民に兵站輜重研究科や戦史研究科への編入を強制した。同時に貴族階級を全員戦略研究科か、統合作戦研究科のようなエリートコースへと編入した。

 

 それだけなら今までも稀にあった貴族偏重路線だと言える。だがそうではない、カルテンボルンは貴族側の転科希望も一切認めようとしなかった。さらに、貴族階級に対してこれまでの比ではない詰め込み教育を開始する。何せ、戦略研究科に入れておきながら従来の授業内容に加え、兵站輜重研究科や戦術研究科と言った他の科の授業も受けさせてきたのだ。常識外の詰め込み教育といって良い。

 

 対して平民に対しては恐ろしく無関心だった。最低限尉官クラスは務まるだろうが、それ以上の階級に必要となるような知識は一切与えなかった。従来の教育体制でも基本はそうだ。だが成績優秀者に対しては段階的に高度な教育を施す仕組みがあったのだ。カルテンボルンはそれを一切無くした。

 

 私生活に対する管理も強まった。長期休暇は大幅に削られ、最大で一週間に縮められた。建国記念日・大帝誕生日・皇帝誕生日を除く土日祝日は全て授業が詰め込まれた。校則は恐ろしく厳しくなり、「帝国軍人に相応しくない行動を取った生徒は退学処分にする」という条文が新設された。当然、この条文は恣意的極まりない運用をされている。

 

 監視カメラも大幅に増設された。同盟には「帝国でプライバシーが確保されているのは、トイレと風呂だけだ」という言葉があるらしいが、我々にはそれすらなくなった。「政治犯収容所でもまだマシだ」とはクルトの言葉だ。

 

 校長カルテンボルンの常識外の『教育』に反発が無かった訳ではないが、それを声高に主張したエルラッハを初めとする数人の生徒が即座に退学処分にされた。その発表の際にカルテンボルンが極めて高圧的な態度を取ったために、四月から溜まりに溜まっていた平民生徒の不満が爆発し、暴動が発生しかけた。それに対し校長は信じられないことに帝都憲兵隊の介入を要請して対応した。平民出身者七六名が反帝国分子として逮捕され、表向き校長に反発する動きは消えたが、水面下では校長を襲撃する計画すらあったらしい。

 

 ……ルーブレヒト・ハウサーら救国革命第一世代が多く巻き込まれたこの事件は今でも歴史の教科書に『帝国歴四四五年八月の幼年学校平民弾圧事件』として載っている筈だ。

 

 私や何人かの貴族生徒は流石に見過ごせず、それぞれ実家を頼り介入を試みた。校長が幼年学校に率先して憲兵を入れるなど、帝国基準でも常識外の行動である。それも共和思想が蔓延したとか、大きな事故が発生したとかなら分かるが、高圧的な教育方針に反発した生徒を抑え込むために憲兵隊を投入するなど、例えるならば子供の喧嘩にブラウンシュヴァイク公爵が介入するような物だ。……あの家ならやりかねないかもな。

 

 憲兵隊もいくら平民を対象にしているとはいえ、幼年学校生の「騒乱予備罪」での大量摘発には及び腰であった。そこに我々貴族階級から圧力がかかったために、憲兵隊はこれ幸いとすぐに逮捕者の殆どを解放した。ところが、校長は全員を退学処分とした。さらにカルテンボルンはこの時に介入した私たちを敵視し始め、貴族階級に対しても締め付けを強化することになる。

 

「図書室が閉鎖されたのは痛いよね。幼年学校で唯一の楽しみだったのに」

 

 クルトはそうボヤいたが、周囲からは無視された。図書館の閉鎖は「帝国軍人に相応しく無い蔵書が複数発見されたため、全ての蔵書を確認する」という名目で実行された。しかし、実際には憲兵隊に圧力をかけた生徒、特に図書室に入り浸っていた私たちへの報復であることは疑いようもない。……こういう時名門の名は損である。同じことをした生徒は他にも居るのに、気付けば私が一番目立っていた。

 

「あのさ、みんなこの会の目的を忘れてない?僕は単に『有害図書』を読みたいだけなんだけど」

 

 クルトは不機嫌になると皆に問いかけた。帝国では内務省情報出版統制局が毎年発禁本と青少年有害図書を発表する。当然ながら幼年学校において、これに該当する本を読むことは禁じられているが、カルテンボルンはそれに加え、自分が軍人にとって不要・有害だと考える書籍を『校内有害図書』に指定し、読むことを禁じた。これに猛反発したクルトが、ラルフと私を誘い、稀に見る熱意で作り上げた組織がこの『有害図書愛好会』である。

 

「もうそんなこと言っている場合でも無いだろ……。来年度からは校内に憲兵を配置するって話だぞ」

 

 ハルトマンと言う商人の息子が応じる。彼は有害図書愛好会の古参メンバーであり、オーディンの商業に影響を持つ父を通じて、幼年学校の出入り業者を利用して『有害図書』を持ち込む手筈を整えていた。

 

 宇宙歴七五四年六月八日、私を会長、クルトを副会長、ラルフを『非常勤参謀長』とし、ハルトマンを初めとする一〇数人の読書家や利害一致者を加えて『有害図書愛好会』は発足した。当初はその名の通り、『校内有害図書』の回し読みをしているだけだったが、八月の平民生徒弾圧事件を機にその活動内容は変化していく。

 

 強権を振るう校長に危機感を覚えた生徒たちが、精力的に活動する地下組織である『有害図書愛好会』に目をつけ、合流してくるのは自然な流れだった。もっとも、我々の組織が拡大した理由はもう一つあると思う。我々は生徒たちの支持を得るために、性的な方面での『有害図書』も入手していた。思想だの教養だのに興味のない生徒も女性には興味がある。そういう事だ。

 

 今ではラムスドルフやクライストすらこの会に参加している。定期的に会合を持っては『有害図書』の回し読みも程々に、カルテンボルンの強権から身を守る為の策を話し合っていた。

 

「そうだクルト。それに作戦が成功してカルテンボルンが失脚すれば『校内有害図書指定』も解除されるはずだ」

 

 私はクルトをそう言ってなだめると、皆の方へ向き直った。

 

「ケッフェル君、教育総監部の動きはどうだい?」

「ハーゼンシュタイン教育総監に批判的な一派が力を持ち始めています。元々、あの方の偏執的な忠誠心には大貴族たちも辟易していましたから」

 

 帝都教育政策審議会事務局参事官の息子であるケッフェルは答える。私の入学時、教育副総監を務めていたハーゼンシュタインは昨年に教育総監に昇格していた。

 

「カルテンボルン校長の登用には反対も少なくなかった。それが強行されたのはハーゼンシュタインの力が大きい。カルテンボルンの方針は徹頭徹尾『古き良き帯剣貴族を取り戻そう』『平民共は分を弁えろ』だからな。帯剣貴族大好きのハーゼンシュタインには魅力的だったんだろう」

 

 ラムスドルフが確認を兼ねて発言する。私は頷くと続ける。

 

「下地は出来たって所だね。カルテンボルン校長の足を引っ張ることが出来れば、後は勝手に反ハーゼンシュタイン派が潰してくれるだろう。とはいえ、エルラッハ君みたいに闇雲に叫んでも逆に潰されるだけだ、そこでクルトと私で一つ作戦を考えてきた」

 

 私はそう言ってクルトの方を見る。クルトは頷くと口を開いた。

 

「オーディン高等法院に校長を訴えよう」

 

 クルトの提案は皆の理解に至るまで数分を要した。

 

「高等法院だと?そんなことが……出来るのか?」

 

 やがて、ラムスドルフが半信半疑で発言する。

 

 銀河帝国では皇帝が立法権を持つ。だが、歴代の皇帝が好き勝手に法律を作ってきた結果、帝国の法体系は恐ろしく複雑であり、公平性どころか整合性すら取れていない法律もある。ところが、皇帝が決めた法律を変えられるのは皇帝だけである。その皇帝にしたって、既にある法律を変えるのは簡単ではない。父親や祖父が決めた法を子が変えるには相当の正当性が必要になるからだ。

 

 これらの事情から帝国において法律改正は滅多に行われず、問題が起こるたびに司法省は解釈変更によって何とか乗り切ってきた。その必然的な帰結として司法権の最高機関であるオーディン高等法院の力は強大化しており、宇宙歴七四七年/帝国歴四三八年には当時のオトフリート皇太子(後のオトフリート三世猜疑帝)が主導した租税法の大規模改正を断念に追いこんでいる。

 

 ちなみに、オトフリート皇太子は元々皇室の血を引くリンダーホーフ侯爵とコルネリアス二世の姉との間に生まれた子供だったが、当時の皇帝コルネリアス二世の体調が子供が居ないままに悪化したために急遽立太子された。立太子された時点で実力によって統帥本部次長を務めており、第二次ティアマト会戦後は統帥本部総長を務める予定だったが、同会戦の大被害を受け一時的に帝国軍三長官を兼任した。

 

「出来るんじゃないかな?オーディン高等法院はかつて帝国大審院と呼ばれ、官僚貴族の聖域だった。だけどマクシミリアン=ヨーゼフ二世陛下の宮廷改革の折に、オーディン高等法院と名を改められ、領地貴族出身の判事が多数登用された。晴眼帝陛下の意図は、官僚貴族と領地貴族が牽制し合って皇帝陛下の権力に逆らえないようにすることだった。だけど、昨今はオトフリート四世陛下の……その……色を好まれる気質もあり、高等法院が政治に果たす役割が極めて大きくなっている。そうだろうクライスト?」

「……よくご存じですな。その通りです。特にクロプシュトック本家のような大帝恩顧の領地貴族は外様を抑える為に高等法院を利用しております」

 

 突然話を振られたクライストは一瞬言葉に詰まりつつ、求められた通り解説する。コルネリアス二世の死後、オトフリート三世が後を継ぎ、そのオトフリート三世が猜疑心によって衰弱死した後はリンダーホーフ侯爵となっていた弟エルウィン=ヨーゼフ一世が緊急の中継ぎとして即位した。そして現在はオトフリート四世が皇帝なのだが……。政治にも芸術にも興味を持たず、ひたすら後宮に籠って子作りに励んでいる有様である。

 

 その間、オトフリート三世によって破綻は回避されたとはいえ、財政の危機的状況は何ら変わっていない。故に行政においてはその対処にあたるアンドレアス公爵やルーゲ伯爵ら官僚貴族の力が、立法においては皇帝の作った法律を自由に解釈出来る高等法院の力がそれぞれ拡大していた。

 

「そう、高等法院に官僚貴族系の判事が居ない訳でもないが、主流派は領地貴族系だ。仮に官僚貴族系の判事が当たったとしても、僕たちを粗略には扱わないはずだ。僕たち大勢の貴族子弟に恩を売れるし、軍部人事に司法権が介入出来たというのは彼らにとって喜ばしい先例になるだろう」

 

 クルトは得意気な表情でそう言う。

 

「オーディン高等法院は判例主義を標榜してはいるが、その実、貴族絡みの事件では恣意的な法律運用を繰り返している。個人的には気にくわないが、この際利用できるものは利用しよう」

 

 私はクルトにそう付け足した。だが皆の表情は懐疑的なままだ。そんな中で弁護士の息子であるビュンシェが手を挙げて発言する。

 

「どういう論理で訴えるんですか?」

「昨年の平民生徒弾圧事件で退学処分にされた平民生徒七六名を原告として、退学処分は校長の裁量権を著しく逸脱したものであると訴えさせる。証言者に私たちの名を連ね、弁護団は君の父親も含めた『大貴族御用達』で固める。そうすることでこれが単なる平民の訴えではなく、『我々』の総意であることも判事たちに伝える」

「……なるほど。昨年の事件で逮捕された生徒たちはいずれも不起訴処分となり、釈放されています。彼らを公的に退学処分とする理由はありませんね」

 

 ビュンシェは納得したように頷く。実際の所、退学処分が本当に校長の裁量権を逸脱しているかは微妙なラインではあるし、校長側にはいくらでも言い逃れの余地があるだろう。とはいえ、判事たちがここに居る全員、及びその一族とカルテンボルン校長のどちらを取るかは考えるまでも無く分かる。帝国の司法は力ある者が正義なのだ……。

 

「そういう訳だから貴族は実家と、平民は退学処分にされた生徒たちと連絡を取って、協力をお願いしてみてくれ。あとクライスト……」

「分かっています……本家筋の高等法院判事に協力を頼んでみましょう。ただ、ライヘンバッハ様は宜しいのですか?クロプシュトック派の高等法院判事を利用すれば、他の貴族たちは貴方様を本当にクロプシュトック派だと考えるはずです。単に幼年学校の中で済む話ではありませんからね」

「……分かっているさ。でも仕方がない」

 

 私はクライストにそう答えた。正直、派閥に組み込まれるのはあまり嬉しいことではないが、どの道この貴族社会では派閥と無縁でいられるはずもない。私が今まで比較的派閥から自由だったのは、第二次ティアマト会戦の被害で帯剣貴族の派閥バランスが大きく狂ったからだ。とはいえ、それも最近では再編されつつある。 

 

「クライスト様!協力者から連絡です。校長たちに気づかれそうだとのこと」

「分かった、ライヘンバッハ様!」

「ああ、それじゃあ皆、頼んだ。解散!」

 

 私たちは一斉に校舎を出て、いくつかの小集団に分かれる。全ての生徒が見つからないというのは不可能だ。私やラムスドルフのような、カルテンボルン校長でも迂闊に手を出せない大貴族の子弟が集まり、校長たちの注意を引く。クルトやハルトマンたちが我々と繋がっていることはバレているし、追手もかかっているが、それも逆手に取る。彼らはクライストやビュンシェ、ペインのようなノーマークの生徒たちが遠回りで宿舎に戻るまで時間を稼ぐ。我々はそうやって秘密会合を続けてきていた。クライストたちは宿舎に戻るとそこで騒ぎを起こしてクルトやハルトマンが帰還する隙を作る。そして最後に我々が堂々と宿舎へと戻るのだ。

 

 当然、カルテンボルン校長は激しく怒っているが、知ったことではない。どの道身分的に彼には私たちをどうこうすることなど出来ないのだ。結局彼は多少の奉仕活動を私たちに命じて、それで諦めざるを得ない

 

「おい、ライヘンバッハ」

「何?」

 

 宿舎に入り別れる間際、ラムスドルフが私を呼び止めた。

 

「……俺を見くびるなよ?ライヘンバッハ。お前は『伊達と酔狂で有害図書愛好会を作ったら、思ったより過激な組織になったけど、会長として責任は放り出せません』みたいな事を言っていたがな。最初からカルテンボルン校長を失脚させるつもりだったろ?お前が俺たちをその気にさせている間に、ラルフとクライストを使って既に根回しを始めていたのは知っている」

 

 ラムスドルフは私を睨みながらそう言った。私は正直、内心の動揺を隠すのに苦労した。まさかこの単細胞に気づかれるとは思っていなかったのだ。

 

「……最初から、というのは流石に違うけどね。『有害図書愛好会』という名称は確かに私の案だけど、組織を作りたいと言ったのはクルトだ。……でもさ、許せないって思ったんだ。去年の八月二四日、カルテンボルンは大勢の平民の前でエルラッハを足蹴にした。君はおかしいと思わなかったか?あのエルラッハがそこまでされても何も反抗しなかった。後に逮捕された七八名にも彼は入っていない」

 

 私はあの時の光景を思い浮かべる。カルテンボルンはエルラッハへ暴行をふるった後、平民たちを激しく罵った。

 

『祖国と皇帝陛下に命を捧げるだと?貴様らの命などゴミに等しい。ゴミを捧げられて喜ぶ奴が居るか!勘違いするなよ……貴様らがこの幼年学校で身の程知らずにも士官を目指していることはなぁ、本来は不敬罪で族滅されて当然の大罪なんだ。何が学ぶ権利だ、何が『軍人を分けるのは階級だけ』だ、図に乗るなよ平民共!』

 

『貴様らはゲルマン民族の血を引いているがな、所詮は下等種に過ぎん。我ら高貴なる帝国貴族と、貴様らが同じ民族だと思うなよ?貴様らはただ貴族の命令に従い、優等人種である我らに尽くすのが使命だ。それが出来ないのならば今すぐに死ね、死ぬことすら出来ないなら俺が殺してやる』

 

「七月一七日に、自殺した生徒が居るのは覚えているか?私とも顔見知りの生徒でね。一等臣民ではあったが、人種的ルーツは実はゲルマン系じゃないそうだ」

 

 私はそこで一度言葉を切る。

 

「私はエルラッハから聞いたよ……。その生徒はカルテンボルンが殺したそうだ。身の程を弁えない平民など生きている価値は無い、とな。そしてこう言われたらしい、お前たちが妙な真似をすればお前たちも殺すし、その友人も殺す、とな」

 

 エルラッハが幼年学校を去る日、私とクルトはエルラッハから全てを聞いた。『自分は平民階級の避雷針となることを心掛けていた。だが甘かった、私にそんな力はなかった』……そう言ってエルラッハは泣きながら、私たちに後を託した。

 

 甘かったのは私の方だ。知識としてそういう理不尽が起こり得ることは分かっていた。だが、どこか私にはそんな社会に自分が生きているという自覚が欠如していたように思える。……気持ち悪かった。信じられなかった。だが、聞かなかったことには出来なかった。

 

 不思議なものだ……。一度「そうである」と気づけば、同じようなことがこの国には有り触れていると気づいた。幼年学校の『平民いじめ』や『正当防衛』など可愛いものだ。

 

「だから、カルテンボルンを失脚させようと思ったのか?クロプシュトック派に身売りしてでもか?」

「……ああ」

「……貴様は馬鹿だな。まあカルテンボルンよりかはマシかもしれんが」

 

 ラムスドルフは呆れたような表情でそう言った。

 

「そう言えば何でラムスドルフ君は協力してくれたんだ?平民は嫌いだろう?」

「貴族らしくない貴族はもっと嫌いだ。……あいつは貴族が高貴たる一番の理由(ノブリス・オブリージュ)を分かっていない」

 

 ラムスドルフは激しい嫌悪を滲ませて吐き捨てる。……彼が良くも悪くも模範的な帯剣貴族であることを私は思い出した。

 

「そうか、君はそういう奴だったね……。有難うラムスドルフ君」

「握手だと……?そんな共和主義者みたいな真似できるか!」

 

 私が差し出した手を見て、ラムスドルフはそう言うと踵を返した。

 

 ……エーリッヒ・フォン・ラムスドルフは誇り高き帯剣貴族であった。他の誰が彼を貶めようと、私は彼の名誉を擁護し続けるだろう。




注釈9
 『帝国歴四四五年八月の幼年学校平民弾圧事件』、及び『幼年学校長弾劾事件』はその後の歴史に大きな影響を与えた。しかし、当時の人々にとってこの事件は大事件ではあったが、すぐに忘れ去られる程度の事に過ぎなかった。
 だが、それでも後世から見ればこの事件が与えた影響は決して小さなものではなかったことを今に生きる我々は知っている。


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少年期・箱庭での終戦と、帝国社会への宣戦(宇宙歴755年3月10日~宇宙歴756年5月15日)

やっと第一章終わりました。
原作時間まで巻いていかないと……。
あと、前のページに注釈一個増やしました。


 宇宙歴七五五年三月一〇日。オーディン高等法院に対してルーブレヒト・ハウサーを代表とする平民生徒七八名が「裁量権を著しく逸脱した退学処分の取り消しと校長の解任」を求め提訴した。と言っても、未成年者の為に、実際には法定代理人の親権者が法廷に立った。

 

 証言者にはクロプシュトック侯爵家、ラムスドルフ侯爵家、ライヘンバッハ伯爵家、グレーテル伯爵家、ノイエ・バイエルン伯爵家と言った大貴族家の縁者たちが名を連ね、弁護団はそれらの貴族家と縁の深い一流の弁護士たちが招集された。同時に、カルテンボルンが辺境時代に校長を務めていた学校では生徒の『病死』が異常に多いこと、あるいは過去に平民に対して激しい暴行を行っていたこと、第二次ティアマト会戦で兄が戦死した後、その遺産を息子から実質的に奪取したことなどが軍の内外で噂として流れ始めた。

 

 教育総監部ではハイドリッヒ・フォン・アイゼンベルガー本部長らがハーゼンシュタイン教育総監の任命責任を追及し、またカルテンボルンの更迭を主張した。同年四月一日、裁判の結果を待つこと無く、人事異動でカルテンボルンは実権の無い職である軍務省高等参事官補に転任させられることになった。

 

 宇宙歴七五五年四月二十六日、提訴から僅か一か月強という異例の速さで下された判決は原告側の全面的な勝訴であった。さらにオーディン高等法院は判決文で異例にも軍務省人事局、並びに教育総監部の責任に言及。その内容を一部引用する。

 

「……一部の貴族が高位階級を独占したことが、人材の流動性を失わせると共に将官に過剰な選民意識を与えることに繋がり、カルテンボルンの如き『陛下の良き臣民であり、将来、陛下の忠実な剣と盾になるであろう者たちを苦しめる、傲慢にして無知蒙昧な校長』を生み出したと言わざるを得ない。これは一校長の問題ではなく、軍務省人事局や教育総監部の体質の問題であり、高等法院は改善を強く期待する……」

 

 高等法院としては今回の事件にも、あるいは平民七八名にもそれほど興味は無く、単に自分たちと同じ領地貴族が軍高官に上り詰めることが出来るように、帯剣貴族が掌握している軍務省や教育総監部を牽制したかっただけだろう。しかし、この事件において平民側の味方に立った(ように見えた)高等法院は先のオトフリート皇太子(後のオトフリート三世猜疑帝)による租税法大規模改正に抵抗したこともあり、『万民の父』『正義の代弁者』『公正なる法の擁護者』と広く称えられるようになる。

 

 また、後の話ではあるが……。この『幼年学校長弾劾事件』においてカルテンボルン憎しの感情から平民七八名に協力した貴族たちは自由主義貴族を標榜し、開明派の一派閥として台頭してくることになる。尤も、彼らが最初から自由主義的な思考を持っていたとは考えにくい。恐らく大半は開明派の台頭に便乗したのだろう。私が見たところによると、この時期から明確に開明的な思想の持ち主だと言えたのは親フェザーン派のノイエ・バイエルン伯爵令息リヒャルト位だ。

 

 カルテンボルンはこの民事裁判の後、過去に行った平民への殺人、傷害が立件される運びとなり、内務省保安警察庁の捜査を経て、今度は罪人としてオーディン高等法院に送られることになった。当然ながら、この銀河帝国においても平民だろうが自治領民だろうが皇帝の許しを得ずに勝手に殺害すれば犯罪だ。とはいえ、取り締まる側と取り締まられる側が癒着している為に、大抵の場合、事件そのものが闇に葬られることになる。だが逆に言えば、今回のように隠しようがない程注目が集まっている状況で悪事が暴かれれば、然るべき捜査と手続きを経た上で、相応の罰を与えられることになる。

 

 

 

 宇宙歴七五五年五月五日、五年生になった私たちは幼年学校の始業式に出席した。カルテンボルン裁判は幼年学校のスケジュールを一か月ほど後ろ倒しにさせるという影響を与えたが、彼がそれまでに断行してきた『改革』が齎した影響を考えると、些細な事であったと言える。

 

「……であるからして、前校長の諸君に対する態度はとても教育者と呼べるものではなく、ましてや皇帝陛下の忠実な臣民を自らの判断で殺害するなどと言う事は当然ながら許されるものではない。前校長の愚行を止め、畏れ多くもマクシミリアン=ヨーゼフ二世晴眼帝陛下の作り出されたこの偉大な学び舎に秩序を回復した諸君らに、私、教育総監代理ハイドリッヒ・フォン・アイゼンベルガー宇宙軍大将は最大級の賛辞を送りたい。前校長の悪辣な振る舞いによって諸君らの学びは停滞を余儀なくされたが、諸君らはきっとこの試練を乗り越え、誇り高き帝国軍人となるに違いない。諸君らの輝かしい前途を祈り、私の訓示を終わりとする」

 

 ハーゼンシュタインに代わって教育総監に就任したアイゼンベルガーは前任者に比べると取り立てて有能だったわけでもないが、訓示の長さは精々二〇分程度だった。つまり、少なくとも前任者よりは忠誠心と常識のバランスを取るのが上手だったと言えるだろう。もっとも、訓示で一時間半話す奴がハーゼンシュタイン以外に居るとも思えないが。

 

 カルテンボルン体制で統合作戦研究科に入れられていた私は改めて戦略研究科に転属希望を出した。同様にクルトは戦史研究科、ラルフは兵站輜重研究科に希望を出し、五年生においては別々の研究科に入るはずだったのだが、どういう訳か『有害図書愛好会』に属していた貴族メンバーの大半は全員戦略研究科に集められた。

 

「少し目立ちすぎたね……。厄介者はまとめておこうという事だろう」

 

 本人曰く「逃げ損ねた」ラルフはそんな風に言っていた。士官学校の戦略研究科はエリートの中のエリートと言われる。士官学校より一段低いレベルの幼年学校教育でも、戦略研究科だけは士官学校並みの教育が行われており、やはり一定の特別視を受ける。そんな研究科ならば、強引に転入させても反発は少ないと踏んだのではなかろうか。実際は戦略研究科の勉強についていけない落伍者を多数生む結果となり、当然身の丈に合わない教育を強制された生徒たちの反発を買うことになるのだが。

 

 ちなみに私は戦略研究科三二八名の内、四八番という微妙な成績で卒業することになる。机の上でやる科目、すなわち戦術学、戦史、軍制学、情報処理学、教育学、フェザーン語学などでは三十番以内に入る成績を収めていたのだが、実技科目、特に体力が必要となる科目が足を引っ張った。

 

 四八と言うのはそう悪い数字では無いが、ライヘンバッハ家としては決して良い数字では無いだろう。ディートハルト従兄上は士官学校を二八番で卒業したそうだ。ちなみに、ラムスドルフは主席、クルトは三番、ラルフは二一番、後は知り合いだとバルヒェットが二六番、ビュンシェが五八番、クライストが一三二番と言った所であった。

 

 幼年学校ではいくつか大きなイベントがあった。研究科対抗フライングボール大会、パウマン川流域マラソン大会、武装障害物競走、エイレーネ山冬季行軍訓練、フェザーン練習航海……。フライングボール大会では失点を許してラムスドルフに怒鳴られた。雪山を彷徨いながら、宇宙軍士官に冬季行軍訓練が必要なのかと何度も真剣に考えた。練習船に襲撃をかけてきた宇宙海賊の知能の低さをあらん限りの言葉で罵倒し、それがどこぞの馬鹿貴族の陰謀と気づいてからはその貴族を見つけ出して殴り飛ばす事を誓った。

 

 

 

 

 

 宇宙歴七五六年五月五日、奇しくも私の一六歳の誕生日の日に幼年学校の卒業式は行われた。だが私にとってより感慨深かったのは卒業式よりもその前に行った式である。

 

「あーゴホン。それではこれより『有害図書愛好会』解散式を始めます。会長、アルベルト・フォン・ライヘンバッハ。副会長クルト・フォン・シュタイエルマルク。『非常勤参謀長』ラルフ・ヘンドリック・フォン・クラーゼン。前へ」

 

 クライストの言葉と同時に私たち三人が前へ出る。五月三日、会議室の一つに『有害図書愛好会』の中核メンバーが集まっていた。カルテンボルンの失脚後、新校長の下で図書室は解放され、校内有害図書指定もほとんどが解除された。それ故に、目的を達成した我々が集まることはこの一年で一回も無かったのだが……、どいつもこいつもこの組織にはそれなりに思い入れがあったらしく、気づけばクライストが中心となって『有害図書愛好会』解散式を行うという話になっていた。尤も、クライストだけは「こういう繋がりが後々生きるのです。最後にしっかりと強調しておくべきです」という理由で張り切っていたようだが。

 

「ではこれより、三役よりお言葉を頂きます。それではまずクラーゼン君からお願いします」

「えー、役職が示す通り、僕はほとんど会合にも出席していなかった訳で、このような場所に立たされるのは少し居心地が悪いと言いますか……。まあ有難うございました」

 

 ラルフはバツが悪そうに挨拶した。確かに『有害図書愛好会』の中核メンバーでもラルフとほとんど交流の無い人間も居る。ただ、ラムスドルフやノイエ・バイエルンのような目端の利く奴らは、ラルフが私の依頼に応じて早期からカルテンボルンの詳細な情報を調べ、提訴と同時にその悪行を暴露できる手筈を整えてくれていたことに気づいている。彼らはその後もラルフ・ヘンドリック・フォン・クラーゼンと言う男を決して侮りはしなかったし、常に警戒していたと言って良い。……ラルフとしては甚だ不本意だっただろう。巻き込んで申し訳ない。 

 

「じゃ、次は僕だね。僕としては『校内有害図書指定』を解除出来ればそれで良かったから、この結果には万々歳なんだけど……。君たちはもう少し読書の楽しみを知るべきだね。口を開けばカルテンボルンを罵倒してばかり、そんな有様じゃ口が腐るだろう。僕としてはもっと文学に親しんで、その感想を言い合うような組織をだね……」

「はい、ありがとうございました。ではライヘンバッハ様。お願いします」

 

 クライストが無理やり割り込んだ。……結局、最後までクルトは『有害図書愛好会』がその初期の目的から変質し、反カルテンボルンの地下組織となったことに不満を表明していた。まあ、それが丸っきり嘘という訳でもないのだろうが、本気で言っている訳でもないだろう。あいつもカルテンボルンを放っておいて良いとは思っていなかったはずだ。『有害図書愛好会』の闘争戦術のほとんどは、クルトかラムスドルフが考案した。何だかんだ言ってあいつは『有害図書愛好会』の頭脳として組織に貢献していた。

 

「そうだね……。今日まで共に闘ってくれた皆に、『有難う』と言わせてほしい」

 

 私はそう言って、皆に対して頭を下げた。「貴族らしくない」と結局幼年学校でも言われていた私ではあるが、何だかんだ言ってヘンリクの忠告には従っていた。幼年学校に入ってから、他人に頭を下げたことは一度も無いし、謝罪や礼を言った回数は両手の指で足りる。一年前にラムスドルフに礼を言ったのは私的には大きな決断だったのだが、ラムスドルフは気づいていたのだろうか?……単細胞に見えて聡い奴だから、気づいた上で流したのかもしれないな。

 

「頭を上げてくれ!ライヘンバッハ君。私たちも卿と共に闘えたことを誇りに思う。なあ皆!」

 

 感動した様子でノイエ・バイエルンが言い、帯剣貴族の子弟たちが同意の声を上げる。……実際の所、ノイエ・バイエルンは開明的な思想故にこの組織に入ったのだろうが、残りの連中はカルテンボルンの課す詰め込み教育に耐えられなかっただけだ。もしカルテンボルンの被害を受けていたのが平民だけだったら、ここまで多くの貴族子弟が組織に入ることは無かっただろう。

 

 とは言え、貴族、特に帯剣貴族はロマンシズムを刺激されると面白いくらいに単純な反応を返す生き物だ。「正義の闘いに勝利した秘密組織の解散式で、名門帯剣貴族であるリーダーが、自分より低い身分のメンバーに礼を言いって頭を下げる」という状況に彼らの軍事的ロマンシズムが激しく反応したのだろう。

 

「ライヘンバッハ様!貴方様は我々平民の恩人です。この恩は絶対に忘れませんし、代々後輩たちに語り継いでいくことをお約束いたします」

 

 戦略研究科四年生のルーブレヒト・ハウサーが私にそう言ってきた。彼は『有害図書愛好会』の中核メンバーではないが、カルテンボルンを訴える際に平民生徒たちの中で中心的な役割を果たした。

 

 ……実を言うと、カルテンボルンをオーディン高等法院に訴えるというアイデアを最初に思いついたのは彼だ。私たちはそれ以前から教育総監部の反ローゼンシュタイン派に干渉したり、カルテンボルンの悪行の証拠を集めたり、色々と活動していたのだが、カルテンボルンを失脚に追い込める最後の一手が足りなかった。そんな時に、エルラッハの紹介で私とクルトに接触してきたのが彼だ。エルラッハはハウサーに「君のアイデアを理解できる柔軟な頭があって、協力してくれるような性格と実現させられる能力を持った貴族などあの二人しか居ない」と言っていたそうだ。

 

「……ああ。ハウサーも協力してくれて有難う。平民の皆とも、またいつか肩を並べて闘いたい。宜しく頼む」

 

 私のその言葉は、おおよそ貴族が言って良いような代物では無かった。このような状況で無ければ、ラムスドルフなんかは私を糾弾したはずだ。現にこの時も顔をしかめていた。とはいえ、私はこの言葉を言わないで居ることが出来なかった。これは誓いだ。「貴族と平民が肩を並べて闘える」ような国に、この国を変える。私はそう決意していた。

 

「『何が有り得ないかを言うのは難しい。何故なら昨日の夢は、今日の希望であり、明日の現実であるからだ』。この言葉は私を常に支えてくれている。君たちにこの言葉を贈り、僕の最後の挨拶を終えたい」

「……ありがとうございました。それでは現時刻を以って『有害図書愛好会』を解散します」

 

 クライストがそう言った後も暫く生徒たちは残っていた。ラムスドルフは仏頂面だったが、残りの生徒は互いに『有害図書愛好会』での自らの『戦果』を誇り、他の生徒と思い出を振り返った。私の下にも多くの生徒たちが別れの言葉を言いに来た。

 

 「秘密組織マジック」とでも名付けようか?彼らの中でいつの間にか『有害図書愛好会』での日々は凄まじく美化されているらしく、入学当初は私を嫌っていたような領地貴族までもが「感動の別れ」を演じに来た。私は笑顔を浮かべて対応したが、内心では辟易していた。「平民はともかくとして、お前らは俺に反発していただろうが」と喉元まで言葉が出掛かったが、これでも名門貴族である。最後まで「良きリーダー」を演じ続けた。

 

 

 

 その一〇日後、私は久しぶりにシュタイエルマルク邸を訪れていた。父とシュタイエルマルク提督の真実を知った後、カルテンボルンの圧政もあって、私はシュタイエルマルク邸を訪れなくなった。凡そ、二年ぶりの訪問だろうか。

 

「……よく来たな、アルベルト君。幼年学校では大変だったね」

「皆の助けがあったから闘えました。シュタイエルマルク閣下にもご協力頂き、感謝しております」

 

 私は深く頭を下げる。カルテンボルンは酷い男だが、それでも帯剣貴族の名家出身ではある。カルテンボルンが失脚しそうになれば、帯剣貴族全体がカルテンボルンを庇いに行く可能性は少なくなかった。そうならないように、私やクルト、ラムスドルフのような帯剣貴族の子弟は実家に連絡を取ってそれぞれの親に帯剣貴族の動きを抑えこんで貰ったのだ。

 

「……エルンスト・カルテンボルンがあそこまで酷い奴だとは思わなかった。彼の兄は短気だったが、貴族としての責務(ノブリス・オブリージュ)は弁えた奴だったんだがな……」

 

 シュタイエルマルク提督は第二次ティアマト会戦においてカルテンボルン校長の兄と共に戦っている。それ以前にも面識があったのだろう。

 

「『第二次ティアマト会戦以降、帯剣貴族全体の質が低下しつつある。エルンスト・カルテンボルンはまだマシな部類だ。何とか帯剣貴族に自分が帯剣貴族たる理由を思い出させないといけない』とリューデリッツ閣下が嘆いていたよ」

 

 シュタイエルマルク提督は現在軍内で革新派と見做されているリューデリッツ派に属している。……ミヒャールゼン提督を追い詰めた提督の下で働いている訳だ。シュタイエルマルク提督はどんな気持ちだっただろう。

 

「さてアルベルト君……今日は何の用事だい?」

「シュタイエルマルク閣下……。私はこの国が窮屈でなりません」

 

 私はシュタイエルマルク提督に話し始める。シュタイエルマルク提督に会ったらすぐに機関に入ることを伝えようと思っていたが、いざ実行に移そうと思うと、どう切り出してよいのか分からなかった。

 

「ほう。それで?」

「ですから……その……、私は自由に生きたいのです」

「ふむ、自由に生きたいだけなら亡命と言う手段もあるが?」

 

 シュタイエルマルク提督は面白がるような表情で言う。ここまで言えば私が何を言いたいかは分かっているはずだが、あくまで自分で明言しろという事だろう。私は覚悟を決めて口を開いた。

 

「いいえ。私が自由に生きる為には、この国から不自由と不平等を追放しないといけないのです。何故なら私はとても自分勝手だからだ。私はこの国が!この社会が!苦痛で仕方がないんだ!」

「……」

 

 シュタイエルマルク提督は唖然としている。そうだろう。まさか私がこんなことを言うとは予想できまい。私はシュタイエルマルク提督を驚かせたことに少し満足しつつ続ける。

 

「閣下、なぜこの国には皇帝なんて代物が居るんです?宇宙に人類が進出して、もう一五世紀は経っているのに、この国の政治体制は中世以下だ!『自由・平等』という当たり前の概念までもが朽ち果てようとしている!……カルテンボルンが『まだマシ』だって?いいや違う!あいつは最低のクズだ!もうたくさんだ!どいつもこいつも他者の自由を平気な顔で踏みにじる。救いようがないのは踏みにじられた側も含めてそれが悪だと知らないことだ!……死ね!」

 

 私は感情に身を任せた。この人には本当の気持ちを言って良い。彼はきっと否定しない。私はこの一六年間溜まりに溜まった鬱憤を吐き出した。

 

「人は生まれながらにして選択の自由を持っているんです。その自由を侵害して良いのは、他者の自由が侵害されそうになったときだけだ!……閣下、この世にこんな国が存在している限り、私は決して自由になれない。同盟に行こうが、この国が存在していることを私は知っているし、そこの現実も知っている。この国がある限り、私はずっとこの国の不自由を憎み続けて生きていかないといけないんです」

 

 私はそこで言葉を切って息を整える。

 

「閣下。私をジークマイスター機関に入れてください」

 

 シュタイエルマルク提督は黙っている。そしてため息をつくと、「入ってこい」と言った。

 

「どうです、父さん?僕の言った通りでしょう?アルベルトの本心は間違いなくこの国を憎んでいるって」

 

 得意げな顔をしたクルトが入ってくる。クルトもまた、ジークマイスター機関に入る道を選んだようだ。尤も、私と違って資料室の発禁本を読み漁った上で選んだようだが。

 

「ああ……。君が我々に協力を申し出ることは予想していた。だがここまでこの国の体制を憎悪しているとは……何かきっかけがあった訳でも無いだろう?」

「……強いて言えばこの国に生まれたのがこの国を嫌うきっかけでしょうか?」

 

 私はそう言った。嘘はついていない。転生などと言う非現実的な事が起きなければ、私がここまで銀河帝国を憎悪することは無かった。

 

「っく、ははは!なるほど、つまり君は生まれながらの自由主義者だという事か」

 

 何が面白かったのか、シュタイエルマルク提督は大笑いしている。

 

「よし分かった。アルベルト・ライヘンバッハ、クルト・シュタイエルマルク」

 

 シュタイエルマルク提督は私たちの名を『フォン』の称号を外して呼んできた。

 

「ようこそ『機関』へ。歓迎しよう、新たな同志達よ」

 

 

 

 私はこの瞬間から自由の為の偉大な戦いに参加した。その戦いは覚悟していたよりも遥かに大変な物だったが、それでも私は機関に入ったことを終生悔いることは無いだろう。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……

 

 




注釈10
 この自叙伝にも登場した『有害図書愛好会』であるが、この組織は後世、『ラグラングループ』『ファウンディング・ファーザーズ』『七三〇年マフィア』『ヤン・ファミリー』に匹敵する人気を得ることになり、いくつもの小説、ドラマ、映画などが制作されることになる。その中ではファーストネームで呼び合う貴族と平民の姿や、エルラッハを庇いカルテンボルンに殴られるライヘンバッハとラムスドルフというようなエピソードがお約束のように描かれるが、これらは全て後世の創作である。
 
 何故このような創作が生まれたかというと、救国革命期に元・有害図書愛好会メンバーの貴族たちが『有害図書愛好会』を盛んに宣伝したことが大きい。特にノイエ・バイエルンが「『有害図書愛好会』こそ我々が目指すべき理想社会の有り様である!」と帝国議会で高らかに宣言したことはよく知られている。
 
 なお、『有害図書愛好会』について聞かれたアルベルト・フォン・ライヘンバッハはこう言い遺している。

「貴族にも平民にも、中二病は平等に訪れるという事さ」

 中二病という言葉が何を表すかは不明だが、ライヘンバッハが『有害図書愛好会』の神格化に協力せず、この組織について聞かれるたびに皮肉まじりの苦笑を浮かべていたことは広く知られている。

 とはいえ、『有害図書愛好会』が巷で知られる程開明的でなかったにせよ、グレゴール・フォン・ミュッケンベルガーがその副官に述べた「革命の歴史は、アルベルト・フォン・ライヘンバッハと『有害図書愛好会』によって始まった」という言葉は真理をついていると言って良いだろう。


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第一章登場人物紹介・年表

登場人物はともかく、年表は要るのではないかと思いまして……。


登場順、原作登場人物に★、ファーストネーム等をこちらで考えた原作登場人物に☆

 

 

・アルベルト・フォン・ライヘンバッハ

 自叙伝の作者。名門帯剣貴族、ライヘンバッハ伯爵家の三男、カール・ハインリヒ・フォン・ライヘンバッハの長男としてこの世に生を受ける。転生者であり、帝国の封建社会に嫌悪を感じていたが、カルテンボルンの一件で溜め込んだ鬱屈が爆発。『有害図書愛好会』の会長としてカルテンボルンを失脚に追い込む。幼年学校卒業後ジークマイスター機関に入る。座学は帯剣貴族の中でもそれなりに優秀。体力に難あり。

 

・ブルクハルト・オスカー・フォン・クロイツェル

 ハイネセン記念大学文学部史学科教授。知人のライヘンバッハ上院議員から自叙伝の原稿を渡され、学会に発表。その後、一般に対して注釈をつけた上で出版した。

 

・クラウス・フォン・ゼーフェルト☆

 タップファー歴史学総合研究所所長。知人のライヘンバッハ上院議員から自叙伝の原稿を渡され、学会に発表。その後、一般に対して注釈をつけた上で出版した。

 

・エドガー・ライヘンバッハ

 上院議員。アルベルトの孫。

 

・カール・ハインリヒ・フォン・ライヘンバッハ

 名門帯剣貴族、ライヘンバッハ伯爵家の三男。宇宙歴七四〇年時点で帝国軍少将。やや傲慢だが優秀な人物。自分より能力に劣る兄たちが出世することに不満を持っていた。

 宇宙歴七四五年の第二次ティアマト会戦時、青色槍騎兵艦隊副司令官を務めている。ベルディーニを戦死させ、英雄になる。この際帝国宇宙軍中将に昇進。

 宇宙歴七五四年までに宇宙軍大将に昇進し、黄色弓騎兵艦隊司令官を務めている。同年の第四次ロートリンゲン会戦で苦戦しながらも同盟軍を撃退、この功績で帝国宇宙軍上級大将に昇進し、宇宙艦隊副司令長官として一個中央艦隊と二個辺境艦隊を指揮下に収める。

 ジークマイスター機関の幹部である。

 

・アメリア・フォン・ライヘンバッハ

 カール・ハインリヒの妻。子供を愛している。基本的に故郷のタップファーに住んでいる。

 

・クラウス・フォン・ライヘンバッハ

 カール・ハインリヒの次兄。冷静で知的な人物。アルベルトも悪印象を受けなかった。カール・ハインリヒから嫌われている。

 宇宙歴七四五年の第二次ティアマト会戦で宇宙艦隊総司令部作戦部長を務めており戦死。

 

・エーリッヒ・フォン・ライヘンバッハ

 カール・ハインリヒの長兄。粗暴。身体の弱いアルベルトを嘲笑した。カール・ハインリヒから嫌われている。

 宇宙歴七四五年の第二次ティアマト会戦で赤色胸甲騎兵艦隊副司令官を務めていたが行方不明に。

 

・ハウザー・フォン・シュタイエルマルク★

 宇宙歴七四五年の第二次ティアマト会戦時、宇宙軍中将。青色槍騎兵艦隊司令官。大敗の中で唯一秩序を保って戦い、英雄となる。

 宇宙歴七五一年のミヒャールゼン提督暗殺事件時、宇宙軍大将。その後、軍部改革派のリューデリッツに接近する。

 ジークマイスター機関のもう一人の指導者。

 

・ハンス・テオフィル・フォン・ツィーテン☆

 宇宙歴七四五年の第二次ティアマト会戦時、宇宙軍元帥で宇宙艦隊司令長官。ジークマイスター機関の存在に気づき、対抗しようと動きつつあった。が、機関の罠により第二次ティアマト会戦で戦死。その後、名門帯剣貴族だったツィーテン家は没落する。

 

・フィリベルト・フォン・ライヘンバッハ

 アルベルトの祖父でライヘンバッハ伯爵家当主。

 宇宙歴七四五年の第二次ティアマト会戦時、宇宙軍上級大将で宇宙艦隊総参謀長。ジークマイスター機関の存在に気づき、対抗しようと動きつつあった。が、機関の罠により第二次ティアマト会戦で戦死。

 

・ヴァルター・コーゼル☆

 宇宙歴七四五年の第二次ティアマト会戦時、黒色槍騎兵艦隊司令官を務めている。階級は宇宙軍大将。当時では珍しい平民出身の将官。実はジークマイスター機関によって『カエサル』として用意された人物。しかし、優秀すぎてミヒャールゼンの存在に辿り着いたため、暗殺リスト入りする。ジャスパーとウォーリックの連携攻撃で戦死したが、戦死しなくても暗殺されていた。

 

・クリストフ・フォン・カルテンボルン☆

 宇宙歴七四五年の第二次ティアマト会戦時、第四辺境艦隊司令官。階級は宇宙軍中将。短気ではあったが、弟と違い貴族の責務(ノブレス・オブリージュ)を理解している人物だったらしい。同会戦で戦死。

 

・ヘンリク・フォン・オークレール

 アルベルトの護衛士。ライヘンバッハ一門の末席に名を連ねる帝国騎士。帝国地上軍で大尉まで昇進していた。

 ジークマイスター機関のメンバー。

 

・ディートハルト・フォン・ライヘンバッハ

 クラウスの息子。

 宇宙歴七四五年の第二次ティアマト会戦時、カルテンボルン艦隊に属していたが、何とか生還する。ライヘンバッハ伯爵家の家督をアルベルトと争う立場。

 

・クルト・フォン・シュタイエルマルク

 ハウザー・フォン・シュタイエルマルクの長男。読書好きで開明的な思想の持ち主。カルテンボルン校長による『校内有害図書指定』に反発し『有害図書愛好会』を設立。副会長に就任する。その後の反カルテンボルン運動でも愛好会の頭脳として活躍した。幼年学校を三番で卒業。ジークマイスター機関に入る。

 

・ジョン・ドリンカー・コープ★

 自由惑星同盟宇宙艦隊副司令長官。文句なしの名将だが、パランティア星域会戦において、リューデリッツらの罠にかかって偽情報を掴まされたために大敗し戦死。

 

・フレデリック・ジャスパー★

 宇宙歴七四七年の第三次エルザス会戦で帝国軍に大敗。「勝ち・勝ち・負け」の「負け」の順番だったらしい。

 宇宙歴七五一年に自由惑星同盟宇宙艦隊司令長官。リューデリッツらの罠に気づいたジークマイスター機関が送った訂正情報に従い、シュムーデ艦隊に痛撃を与える。

 

・ハンス・ヨーデル・フォン・シュムーデ☆

 帝国宇宙軍中将。パランティア星域会戦でジョン・ドリンカー・コープに完勝。その後、ジャスパーによって痛撃を受ける。

 

・クリストフ・フォン・ミヒャールゼン★

 ジークマイスター機関の二代目指導者。第二次ティアマト会戦前には統帥本部と軍務省をほぼ掌握しつつある状態まで機関の勢力を拡大させたが、同会戦で想定外の大損害を帝国軍が受けたことで歯車が狂う。

 宇宙歴七五一年のパランティア星域会戦でセバスティアン・フォン・リューデリッツらとの暗闘に勝ちきれず、同年に存在を突き止められたと思われる。その後、謎の死を遂げる。

 

・セバスティアン・フォン・リューデリッツ★

 宇宙歴七五一年頃、兵站輜重副総監を務める。階級は宇宙軍大将。保守的な価値観を持つが、極めて優秀な能吏であり、ジークマイスター機関の活動に気づく。暗闘の末、ミヒャールゼンの存在に辿り着き、ミヒャールゼンを死に追い込んだと思われる。

 宇宙歴七五六年頃には軍部改革派を率いている。名門帯剣貴族家出身。

 

・ハンス・フォン・フリートベルク☆

 宇宙歴七五一年のミヒャールゼン暗殺事件時、宇宙軍大佐。カール・ハインリヒの元部下でジークマイスター機関のメンバー。ミヒャールゼンの死体の第一発見者で、半年後に服毒自殺する。

 

・ロベルト・ハーゼンシュタイン

 宇宙歴七五一年に教育副総監を務めている。階級は宇宙軍大将。第二次ティアマト会戦の後の人材不足で引き立てられた者の一人であり、体制に対し極めて従順なだけではなく、それを他者に示すことに極めて偏執的だった。その性格故かデスクワークに極めて秀でており、また「体制を妄信する平民の高官」と言うのが、平民に対する極めて効果の高い宣伝になるだろうと思われたために教育副総監に登用された。

 宇宙歴七五五年には教育総監になっていたが、カルテンボルン登用の責任を追及され、失脚。

 

・ラルフ・ヘンドリック・フォン・クラーゼン☆

 アルベルトの同級生。子爵家の跡取り息子。父は統帥本部情報副部長(後情報部長)のシュテファン・フォン・クラーゼン。情報通で目立つことを嫌う。『有害図書愛好会』の『非常勤参謀長』を務めた。父の協力でカルテンボルンの悪事の証拠を固め、それを暴露する手筈を整えた。

 

・エーリッヒ・フォン・ラムスドルフ☆

 アルベルトの同級生。帝都族で代々近衛軍に将官を輩出するラムスドルフ侯爵家の次男。良くも悪くも誇り高き帯剣貴族であり、平民嫌い。ただし、『平民いじめ』やカルテンボルンは激しく嫌悪していた。単細胞に見えて、意外に切れ者。アルベルトが最初からカルテンボルンの首を取るつもりだったと気づいていた。『有害図書愛好会』のメンバー。

 

・マルセル・フォン・シュトローゼマン

 アルベルトたち第一八教育班の指導生徒。領地貴族の男爵家出身。大貴族嫌いで平民嫌い。完全実力主義者。父を第三次エルザス会戦の不自然な状況で失っている。優秀な部類であるアルベルトやクルトには好意的だった。

 

・ヴィンツェル・フォン・クライスト☆

 アルベルトの同級生。元・帯剣貴族である領地貴族の子爵家跡取り。クロプシュトック侯爵家の一門に連なり、代々マリエンブルク要塞司令官と宇宙軍中将の階級を世襲している。本家の意向を受け、親クロプシュトック侯爵家の派閥作りに邁進。ブラウンシュヴァイク公爵家に喧嘩を売ってしまったアルベルトとクルトを自派閥に組み入れた。『有害図書愛好会』のメンバー。

 

・カミル・エルラッハ☆

 アルベルトと同学年の生徒。優秀な能力と、無駄に強い反骨精神、そしてカリスマ性を併せ持った生徒。貴族に何度も喧嘩を売っていたが、それは自身に「平民階級の避雷針」たる役割を課していたからである。カルテンボルン体制下で当初、最も活動的かつ鋭い批判者として声高に反発したが、カルテンボルンに目の前で友人を殺されたことで抵抗を封じられる。その後、見せしめとして幼年学校を退学処分にされる。内心でアルベルトとクルトの開明性を評価しており、アイデアマンの友人、ルーブレヒト・ハウサーに二人を頼るように伝えた。

 他の退学処分にされた生徒は復学したが、彼は自身の経験から帝国軍の改革を志し、力を得るために士官学校への再入学を目指している。

 

・ミヒャエル・フォン・バルヒェット

 アルベルトと同学年の生徒。ブラウンシュヴァイク公爵家に連なる伯爵家の息子。クルトとアルベルトを目の敵にしていたが、カルテンボルン体制下では事実上の休戦状態となった。ちなみに、『有害図書愛好会』にも正規メンバーにはならなかったが、末端で協力していた。一方でアルベルトを失脚させてラムスドルフを会長に据えようと小細工を弄していたこともあったがラムスドルフの激しい怒りを買い断念した。

 

・エルンスト・フォン・カルテンボルン

 帝国宇宙軍少将。帝都幼年学校長に就任すると同時に宇宙軍中将に昇進。第二次ティアマト会戦で兄が死んで以降、地方に左遷されていたが、ハーゼンシュタイン教育総監に抜擢された。

 左遷される前から兄に比べ評判の良くない軍人であったが、左遷されたことで完全に暴走。信じられない程の『管理教育』で貴族・平民の双方を締め付ける。平民に対する蔑視感情は相当な物で、帝都幼年学校で少なくとも一人の生徒を殺害している他、辺境でも同様に生徒を『病死』『事故死』に追い込んでいる。エルラッハから全てを聞いたアルベルトとクルトの憎悪を買い、『有害図書愛好会』によって失脚させられる。さらにこれまでの悪事も暴かれ、オーディン高等法院で裁かれた。最低でも貴族位は剥奪された模様。

 

・マルティン・オットー・フォン・ジークマイスター★

 ジークマイスター機関の創設者。帝国史上最も優秀な反国体組織を作り上げた人物。同盟に亡命し、そこから組織を操っていたが、アッシュビー戦死の直後にリタイアする。

 

・ハウシルト・ノーベル

 ヴァルター・コーゼルの下で活躍した情報参謀。ジークマイスター機関のメンバー。

 

・クラウス・フォン・シュテッケル☆

 ヴァルター・コーゼルの下で活躍した情報参謀。ジークマイスター機関のメンバー。第二次ティアマト会戦で同盟軍から想定外の猛攻を受けた結果、同盟軍の捕虜となる。ジークマイスター機関が第二次ティアマト会戦で失ったメンバーの一人。

 

・シュテファン・フォン・クラーゼン

 統帥本部情報副部長(後に部長)。ラルフの父。

 

・ペイン、ハルトマン、ケッフェル、ビュンシェ

 アルベルトの同級生。『有害図書愛好会』のメンバー。ペインは子爵家令息。ハルトマンは大商人の息子。ケッフェルは教育政策審議会事務局参事官の息子。ビュンシェは敏腕弁護士の息子。

 

・ルーブレヒト・ハウサー☆

 アルベルトの一年後輩。統率力があり、カルテンボルンから警戒され退学処分にされた。アイデアマンでもあり、カルテンボルンをオーディン高等法院に訴えることを思いついた人物。エルラッハの助言でアルベルトとクルトを頼り協力を取り付けると、退学処分にされた生徒たちをまとめ上げ、原告団を統率した。

 

・リヒャルト・フォン・ノイエ・バイエルン

 アルベルトの同級生。親フェザーン派の領地貴族である伯爵家の長男。開明的な思想の持ち主。『有害図書愛好会』のメンバー。

 

・ハイドリッヒ・フォン・アイゼンベルガー

 教育総監部本部長。反ハーゼンシュタイン派の中心人物であり、ハーゼンシュタインの後教育総監代理に就任。帝国宇宙軍大将。

 

・コルネリアス・フォン・ゴールデンバウム二世★

 第二次ティアマト会戦当時の皇帝。甥であるリンダーホーフ候オトフリートを皇太子とするが、その翌年に弟アルベルトを名乗る何者かと対面する。アルベルトを皇帝にとも考えたが、結局、アルベルトは失踪したためにオトフリート皇太子がそのまま次の皇帝となる。

 

・オトフリート・フォン・ゴールデンバウム三世★

 猜疑帝。元々コルネリアス二世の姉とリンダーホーフ侯爵の息子。優秀な軍人であり、血筋に助けられながらも第二次ティアマト会戦前には統帥本部次長に上り詰めていた。第二次ティアマト会戦後、多数の貴族将官の戦死とそれに伴う軍上層部の引責辞任によって一時的に帝国軍三長官に任命される。最終的には帝国宰相も兼任したが、宇宙歴七五一年のミヒャールゼン暗殺事件前後に猜疑心に囚われるようになり、最後は衰弱死した。皇太子時代に財政再建に尽力し、皇室財産の解放で何とか破綻をギリギリで回避した。

 

・エルウィン=ヨーゼフ・フォン・ゴールデンバウム一世★

 オトフリート三世の弟でリンダーホーフ侯爵。オトフリート三世の衰弱死後、死ぬ直前に帝位継承者に指名されたこともあり、混乱した宮廷を治める為に中継ぎで即位する。その後、一年弱で甥のオトフリートに譲位する。

 

・オトフリート・フォン・ゴールデンバウム四世★

 オトフリート三世の長男。オトフリート三世が皇后を三度替え、帝位継承者を五度替えた挙句に衰弱死したためにすんなりと即位することはできなかった。一旦、オトフリート三世に指名され、能力も確かな伯父エルウィン=ヨーゼフが即位し基盤を整えた上で譲位を受けたが、後宮に籠って子作りに励んだ。当然、彼の治世では官僚貴族や高等法院、領地貴族の力が強まった。

 

年表

宇宙歴七四〇年、アルベルト誕生

宇宙歴七四五年、『第二次ティアマト会戦』帝国軍大敗。

宇宙歴七四六年、統帥本部次長オトフリート・フォン・リンダーホーフ宇宙軍上級大将。立太子される。

宇宙歴七四七年、財政危機への対処で皇太子オトフリートが租税法を大規模改正し、増税を行おうとする。が、オーディン高等法院の抵抗で断念。『第三次エルザス会戦』でジャスパー大敗。

宇宙歴七四八年、敗戦にショックを受けていたコルネリアス二世の前にアルベルト大公が現れる。アルベルト大公によって多くの貴族が金品を騙し取られる。

宇宙歴七四九年、アルベルト大公失踪。オトフリート三世即位。

宇宙歴七五一年、『パランティア星域会戦』でコープが戦死。ミヒャールゼンの存在がリューデリッツらに露見する。『ミヒャールゼン暗殺事件』発生。この頃宮廷が混乱し、オトフリート三世が衰弱死。

宇宙歴七五二年、オトフリートの弟、エルウィン=ヨーゼフ・フォン・リンダーホーフ侯爵がエルウィン=ヨーゼフ一世として中継ぎで即位。その後、宮廷の混乱を鎮めた後でオトフリート四世が正式に即位。

宇宙歴七五四年、『第四次ロートリンゲン会戦』で帝国軍、辛くも同盟軍を撃退。カルテンボルン着任。『幼年学校平民生徒弾圧事件』発生。『有害図書愛好会』結成。

宇宙歴七五五年、『幼年学校長弾劾事件』発生。カルテンボルン失脚。

宇宙歴七五六年、アルベルト、クルト、ジークマイスター機関に参加。

宇宙歴七五七年、オットー・ハインツ二世即位。

 

 



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第二章・リューベック騒乱
青年期・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン方面への赴任(宇宙歴760年6月)


第二章開始。
この話から本格的に第二次ティアマト会戦が帝国にもたらした影響を書いていきます。


 宇宙歴七六〇年六月。私はヴァルハラ星系第四惑星オーディンから、ボーデン星系第六惑星エーリッヒ・フォン・マンシュタインに向かう軍の輸送船に乗っていた。同惑星にはエルザス・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン辺境軍管区司令部と第二辺境艦隊司令部が存在する。厳密に言うと私の配属先はこの二つの司令部のどちらでも無い。しかし、エルザス・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン辺境軍管区司令部は私の配属先の上位司令部である為、一度出頭する必要があるのだ。尤も、面倒臭かったら多少の不利益と引き換えに無視しても良いのだが、どういう訳か同司令グリュックスブルク宇宙軍中将が私を名指しで呼び出してきた。

 

 私は幼年学校を卒業しておよそ四年弱で宇宙軍大尉にまで昇進していた。と言っても特に功績を上げた訳じゃない。幼年学校卒業生は通常宇宙軍准尉として任官するが、成績、品行共に優良と認められた卒業生は校長の推薦を受け、軍務省人事局の検討を経て、宇宙軍少尉として任官する。名門の血を引く私は、とりたてて優秀だった訳でもないのに、この制度によって少尉として任官し、軍務省国防政策局運用政策課に配属されることになった。

 

 軍務省での仕事には前世の経験が役に立った。前世の私はある地方自治体――惑星政府のようなものだ――で公務員として働いていた。当然、帝国軍務省と一地方自治体では仕事の質も量も全く違うのではあるが……。まあ基礎の部分では通じるモノが無い訳じゃない。少なくとも、私が職場に慣れるのを半年程度は縮めてくれたのではないか?歴史家諸君は信じてくれないだろうがね。

 

 宇宙歴七五八年、宇宙軍中尉に昇進した私は軍務省地方管理局辺境調査課に転属した。通常、局を跨いでの転属と言うのは中々無いのだが……。ライヘンバッハ伯爵家は旧艦隊派系の帯剣貴族だ。旧軍政派系の影響力が色濃い軍務省では扱いに困ったのかもしれない。恐らく、他の艦隊派系帯剣貴族と同じように、多少軍務省のエリート街道に腰掛けて箔をつけたら、すぐに前線に行くと思っていたのだろう。ところが私がいつまでも前線に行きたがる素振りを見せないので、痺れを切らして花形の国防政策局から追い出したのではないか?

 

 とはいえ、私はデスクワークが性に合っている。それに、ミヒャールゼンが死んでから機関の軍務省に対する影響力は低下した。嗜好と実益を兼ねて堅実に地方管理局長を目指したかったのだが……、そうも言っていられない事態が起きた。止むを得ず私は堅実な軍官僚ルートから外れ、シュレースヴィヒ=ホルシュタインなどというド田舎に向かっているのである。餞別として宇宙軍大尉に昇進させてもらったとはいえ、甚だ不本意な展開だが……。自由の為には仕方がない。

 

「ライヘンバッハ大尉、ここに居られたのですか」

 

 輸送艦の左舷側展望ブロックから宇宙を見ていた私は、背後から名前を呼ばれて振り返った。

 

「ハルトマンか。大尉は止めてくれ。公の場でもあるまいし……アルベルトで良いよ」

 

 私は背後に居た人間の顔を確認し、そう応じた。ユリウス・ハルトマン宇宙軍少尉。『有害図書愛好会』の古参メンバーであり、私の旧友だ。

 

「そういう訳にもいかないでしょう……。身分はともかくとして階級が違うのですから」

 

 ハルトマンは困ったようにそう言った。ハルトマンは未だ少尉だが、これが普通だ。私がたった四年で大尉に昇進している方がおかしい。……原因としては先に述べた血筋ブーストや厄介払いがあるとは思うが、それに加え機関の手回しもあったのかもしれない。

 

「……」

 

 純粋に実力でこの階級に上り詰めた訳でもない私は、ハルトマンという聡明な友人に敬語で話されるのがどこか後ろめたかった。だが、これも大義の為である。この国を変えるのには尉官では力が足りない。

 

「惑星エーリッヒ・フォン・マンシュタインまで後半日ほどだそうです。オークレール少佐が探していましたよ。『そろそろ戻ってきて欲しい』だそうです」

「そう。分かった。有難う」

 

 オークレール地上軍少佐……つまりヘンリクの事だが、私の軍入隊と同時に現役に復帰した。この四年間は帝都防衛軍で中隊長を務めていた。今回も私の辺境行きについてきてくれている。勿論、父が手を回した結果だ。

 

 ハルトマンと共に士官室に向かう途中、船体に衝撃が走った。

 

「う!」

「危ない!」

 

 私はバランスを崩しかけたが、ハルトマンの支えで大事に至らなかった。

 

「何だ!?」

『敵襲!敵襲!総員第一種戦闘配置、急げ!』

「敵襲だと!?馬鹿な、目と鼻の先に第二辺境艦隊司令部があるんだぞ!?」

 

 私は思わず艦内放送に怒鳴った。辺境とは言え、同盟軍の前線からは大きく離れている。ここで襲ってくる敵と言えば、常識的に考えれば宇宙海賊か、共和主義勢力だろう。だが、それにしたってマンシュタインの近くで襲ってくるなど信じられなかった。

 

「『辺境では非常識が常識だ。本土以上に何が有り得ないかを言うのは難しいと思え』……。シュトローゼマン先輩のあれ、アルベルトへの冗談だと思っていたんだがな……」

 

 ハルトマンが呟いた。私たちの幼年学校における先輩であるマルセル・フォン・シュトローゼマンは卒業と同時に第四辺境艦隊司令部に配属された。いわば辺境勤務の先輩でもある。故に、この輸送艦に乗る前に私たちはシュトローゼマン先輩に会って色々と話を聞いていたのだが、あの時は「先輩ってこんなによく冗談を言う人だったかな?」と言うのが私たちの共通の感想だった。……どうやら先輩は冗談を言っていた訳では無さそうだった。

 

「……私たちは『お客さん』だ。輸送艦隊が上手くやることに期待して引っ込んでいよう」

 

 私はハルトマンにそう言って、共に士官室へ向かった。

 

「御曹司!出歩くときは一言お願いしますとあれ程言ったでしょう!?」

「いや、私もいつまでも子供じゃないし、第一ヘンリクは私の部下でも上司でも無いだろう?」

 

 士官室には『お客さん』、すなわち、これから辺境軍管区司令部か第二辺境艦隊司令部に配属される士官が数人集まっていた。その中から凄い勢いでこちらへ向かってきたヘンリクに怒られたが、私は建前論で反論した。さらにヘンリクが何か言おうとしたとき、再び船体が大きく揺れた。

 

「おいおい……頼むぜ艦長」

 

 ヘンリクは少し怯えた表情でそう言った。私はそれを意外に思った。ヘンリクがこんな表情をしているのは見たことが無かった。私のそんな視線に気づいたのだろうか。少し言い訳がましくこんなことを言う。

 

「いや……陸の兵士にとって一番怖いのは陸に着かない内に死ぬことです。抵抗も出来なきゃ、逃げ場も無いですしね」

 

 ……確かにヘンリクの言う通りだ。『お客さん』である私たちは輸送艦隊に命運を託すしかない。私も少し怖くなってきた。それから一時間ほど戦闘は続いていただろうか。やがて衝撃音は聞こえなくなり、艦内放送で第一種戦闘配置から第二種戦闘配置へ切り変える旨が流れた。

 

「ったく、二辺の奴ら冗談じゃねぇぜ……」

「本当によう、目と鼻の先で自分たちの輸送艦隊が襲われているのに四〇分も気付かねぇって、あいつら何のために給料貰ってやがる」

 

 暫くして、士官室に不機嫌そうな士官が数人入ってきた。どうやら艦橋勤務の士官のようだった。ちなみに二辺とは第二辺境艦隊の事を指す。

 

「よう、『お客さん』。悪かったな。だが、悪いのは二辺の奴らだ。俺たちもこんなところで海賊が襲ってくるとは思わなかったが、それはあいつらが真面目な仕事をしていると信頼していたからでな。どうやら買いかぶりだったらしい」

 

 その中の一人が私たちに気づいて声をかけてきた。相当第二辺境艦隊に不満があるらしい。だが、彼らの言っていることが本当ならそれも無理はあるまい。

 

 宇宙歴七四五年の第二次ティアマト会戦、そしてその後の断続的な同盟軍による帝国辺境領侵入は帝国に多大な悪影響を与えた。その一つが、帝国の軍事力低下による星間航路の不安定化だ。オーディンのあるユグドラシル中央区、経済の中心地であるチューリンゲン・ヘッセン・バイエルンの各行政区などは今でも安定しているが、その他は酷い。同盟軍が侵入を繰り返すエルザス辺境軍管区に至っては事実上放棄され、軍管区司令部もシュレースヴィヒ=ホルシュタイン辺境軍管区司令部に統合された。その他の辺境軍管区でも戦力不足が著しく、主要航路ですら、海賊が出没することがあるという。

 

 この事態を解決すべく、コルネリアス二世は領地貴族共に自費で領軍を整えることを無制限で許したが、これは何ら航路の安定化に繋がらなかった。領地貴族による領軍創設は帝国軍人の大量引き抜きを招き、さらに一部の大貴族は軍や軍に艦艇を提供してる工廠から艦艇を『買い取り』領軍を整えた為、中央軍の弱体化と軍再建の速度低下を招いた。

 

 ……しかもだ!そうやって集めた領軍をあいつらは何に使ったと思う!?お互いへの嫌がらせだ!海賊に偽装した領軍を政敵の領土に向かわせる。政敵の領軍を海賊だと『誤認』して攻撃する。正規軍が海賊を追い詰めた所で突然、任務の『引継ぎ』を『提案』して、ものの見事に全ての海賊を逃がしてしまう……時にはわざと。追い込み漁のように領軍を使って政敵の領土に海賊を大量に侵入させた奴も居れば、無駄なプライドで自領への正規軍の立ち入りを拒否し、自領が海賊天国と化した後で「貴様らが仕事をしないからだ!」と言って正規軍の投入を『命令』する奴も居る。本当に領地貴族ってクソだ。死ね!

 

 ……一応、公平を期すために言っておくと、第二次ティアマト会戦後の粛清人事で中央に属していた名門帯剣貴族が残らず辺境送りになったのも事態の悪化の一因ではある。彼らは治安戦や航路安定に関しては丸っきり素人だ。お世辞にも海賊や共和主義勢力に上手く対応できたとは言えない。臣従は形だけで実質独立国と言っても良い各辺境自治領との関係も悪化させてしまった。だけど!それはあくまで軍務に対して自分の持てる知識と能力で対応しようとした結果であって、領地貴族共の薄汚い欲望による愚行とは全く以ってその性質は異なっているのだ!一般人諸君よ、そこはどうか分かって欲しい。彼らの失敗は一概に全て彼ら自身の責任とも言えないのだ……。領地貴族共は全部自分の責任だけどな!私たちのせいにするな、死ね!

 

 ……話が逸れた。すまない。とにかく、第二次ティアマト会戦以降、輸送艦隊勤務と言うのは命がけとなり、それ故に根拠地がある惑星の近くですら、安全を確保できない第二辺境艦隊に対する不満が大きいのだろう。「どうやら無事につけそうだ」と思ってからの襲撃だ。腹が立つのも無理はない。

 

 とはいえ、第二辺境艦隊にも言い分はあるはずだ。あくまで記録を見る限りだが、この時期、第一辺境艦隊と第二辺境艦隊は同盟宇宙軍の繰り返しの侵入に備える為に、ほぼずっと出撃態勢を整えていたと言っても過言では無い。仮に同盟宇宙軍の侵攻を阻止できなければ、安定しているユグドラシル中央区や各行政区等もただでは済まない。彼らの本音は海賊程度、多少は我慢してくれ、と言った所か。

 

「だがな、カイ……。おかしくないか?今日の海賊連中、全部高速戦闘艦だったぜ?海賊なら輸送艦や強襲艦を連れているだろうに。しかもやたら装備が良かった」

 

 別の士官が私たちに話しかけたカイという名前の士官に言う。階級章を見る限りだと少佐らしい。

 

「ふむ、そりゃそうだ。それにいくら二辺の連中でもだ、流石に四〇分も気付かねぇのはおかしい」

 

 カイは考え込むと、私たちの方を向き、問いかけてきた。

 

「ひょっとしてだが……あんたらの中に大貴族とか、あるいは大貴族に嫌われている奴とか居るか?」

 

 ……私は素知らぬ顔をしていたが、ハルトマンとヘンリクが私の方を見た。……お前ら何故こっちを見た、いや理由は分かるが、空気を読めなかったのか。案の定、カイが私を見る。

 

「あー、私ですかね?ライヘンバッハ伯爵家の御曹司で……ついでにブラウンシュヴァイク公に嫌われている可能性があります」

 

 私は渋々そう言った。「ライヘンバッハ伯爵家の御曹司」の段階で心なしか部屋の士官たちがこちらに好意的な姿勢を示そうとしてるように感じ……「ブラウンシュヴァイク公に嫌われている」の段階でハルトマンとヘンリク以外の士官が一斉に私の側を離れた。……気持ちは分かるが、ちょっと傷つく。やはり帝国の身分制は破壊しなければならない。

 

「……ブラ公か、そいつぁやべぇな!まあ強く生きろよ、坊ちゃん」

 

 だがカイは可笑しそうにそう言った。あまつさえ、『あの』ブラウンシュヴァイク公爵を「ブラ公」呼ばわりである。私はこの男に興味を持った。

 

「えーっと、少佐、あなたのお名前を聞いても良いでしょうか?」

「ん?何だブラ公にでもチクるのか?そいつは止めてほしいな」

「まさか。私もあの人は……」

「御曹司」

 

 思わず「ブラ公」の悪口を言いそうになりヘンリクに止められる。……そうだ、周りには他の士官も居るのだ。私は軽率を恥じた。

 

「ほー、大貴族の息子って本当に御曹司って呼ばれてんだな……ん?すまんな、ちょっと呼ばれた」

 

 そこで他の士官に呼ばれてカイは私たちから離れていった。私は後にこの宇宙軍少佐がカイ・ラディットという名であることを知った。

 

 その後、輸送艦隊は何事も無く惑星エーリッヒ・フォン・マンシュタインに到着した。私にとっては辺境勤務の始まりである。……本当の所属はさらに辺境だが。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。




注釈11
 帝国正規軍の辺境艦隊が置かれている惑星と、一部の軍の拠点が置かれている惑星はゲルマン系の偉人の名がそのまま付けられている。
 ボーデン星系第六惑星に付けられたエーリッヒ・フォン・マンシュタインの名は、地球時代の大戦で活躍したと伝わる将軍の名前から取られている。同時代からはエルヴィン・ロンメル、パウル・フォン・ヒンテンブルク、エーリッヒ・ハルトマン、ヨーゼフ・ゲッペルス、カール・デーニッツらが惑星の名前として付けられている。いずれも、偉大な軍人で活躍したらしい。


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青年期・『茶会(テー・パルティー)』計画(宇宙歴760年6月)

ドイツ語間違っていても見逃してください。
長い年月で発音が変わったという事で。


 惑星エーリッヒ・フォン・マンシュタインは一年を通して気温の低い惑星である。ボーデン恒星系は第四惑星と第五惑星が居住可能惑星、それも比較的地球やオーディンに近い環境であり、それらに比べると住環境的にはあまり良くはない。しかし、それ故に居住可能惑星ではあったが、銀河連邦時代は比較的開発が進んでおらず、改めて大規模な軍事拠点を建設するのに適していた。本格的な軍事拠点建設が始まったのはオトフリート一世禁欲帝の時代である。完成後は第四辺境艦隊の司令部が置かれ、その後、利便性の関係から第四惑星に存在したシュレースヴィヒ=ホルシュタイン辺境軍管区司令部が移転し、同地方最大の帝国軍拠点となった。なお、建設中におよそ一万人を超す死者が出る大事故が発生したが、オトフリート一世帝は「そんな報告を聞く予定はない」と冷たく対応したと言われる。

 

 私は同惑星について調べた情報を基に防寒対策を万全にしていたのだが、輸送艦は真っすぐに第一三ドックへと入港し、また、そのドックは私の予想よりも遥かに暖房が効いている様子だった。私の防寒対策は完全に無駄に終わった。

 

「シュトローゼマン先輩に聞いた話じゃ、辺境の基地は暖房もあまり効いていないって話だったけど……」

「ふむ、その話は正しいでしょうが、ここはマンシュタイン、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン地方最大の軍事拠点です。辺境と言っても環境は下手な中央地域の基地より良いでしょうな」

 

 私のボヤキに対して、ヘンリクがそう応じた。私の横ではハルトマンがコートを脱いでいる。暑くなったのだろう。

 

「まあ、防寒対策はこの惑星に長く居るハルトマンにとって無駄にはならないでしょう。御曹司の任地には無駄でしょうが」

 

 ヘンリクは可笑しそうだ。……私の任地は惑星エーリッヒ・フォン・マンシュタインではない。この惑星からさらに約二五〇光年ほど離れた地域にあるリューベック自治領(ラント)の首都星リューベック、それが私の任地だ。一年を通して温暖な気候であるらしい。……ちなみに、リューベックというのはあくまで帝国での呼び名だ。彼らは自身を第七艦隊共和国(リパブリック・オブ・セブンスフリート)と呼ぶ。

 

 銀河帝国には多くの自治領がある。自治領、と聞いて一般人諸君が思い浮かべるのは、「砂漠の惑星、あるいは極寒の惑星に多くの被差別民が厳重な監視下で暮らしている」ような光景ではないか?それは正解だ。但し半分だけ。

 

 銀河帝国の辺境地域には自治領とは名ばかりで、事実上帝国の支配が及ばない地域が複数存在している。それらの地域の住人は時に、一般的な帝国の惑星よりも豊かであり、また民主主義的な体制の中で生きている。信じられないだろう?だが事実だ。帝国ではあまり喧伝されなかったし、従って同盟でもあまり知られていないが。

 

 銀河帝国初代皇帝ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムは『地球統一政府(グローバル・ガバメント)』型の中央集権体制構築を目指したが、地球統一政府時代に比べ、人類の版図は大きく広がっていた。……ルドルフ、そしてその後継者たるノイエ・シュタウフェン公爵は『距離の暴虐』に果敢に挑み、そして敗北した。彼らは最終的にいくつかの辺境地域に広範な自治権を認める代わりに、形式的な臣従を得ることで妥協せざるを得なかったのだ。

 

「ライヘンバッハ大尉殿はおられますか!」

 

 私たちが輸送艦を降りると、一人の士官が話しかけてきた。……階級は少尉らしい。

 

「私です。何でしょうか?」

「大尉殿を案内するように仰せつかっております。グリュックスブルク中将閣下がお待ちです。どうぞこちらへ」

 

 私はヘンリク、ハルトマンと別れ、この士官に連れられて軍管区司令カルステン・フォン・グリュックスブルク中将の部屋へと向かった。

 

 

「アルベルト・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍大尉であります!」

「遠い所まで良く来てくれたな、ライヘンバッハ大尉」

 

 敬礼する私を見て、グリュックスブルク中将は笑みを浮かべている。グリュックスブルク中将は領地貴族の男爵家出身で、確かリッテンハイム一門の血を引いていたはずだ。私は親クロプシュトック派と思われているが、それ以前に比較的領地貴族に融和的な帯剣貴族と見做されているので、クロプシュトック派以外の領地貴族系将官からも愛想よく迎えられることが多かった。……ブラ公一門以外は。

 

 私は当たり障りのない挨拶をしてさっさと立ち去ろうと思ったのだが、グリュックスブルク中将は私を呼び止めた。

 

「ライヘンバッハ大尉。卿に頼みたいことがあるんだがね」

「……父かクロプシュトック侯爵様への言伝でしょうか?」

 

 私は半ば確信しながらそう答える。軍務省勤務時代も、よく言伝を頼まれたものだ。だが、予想は外れていた。

 

「もしかしたら、いずれはそれも頼むことになるかもしれないな。だけど違う」

 

 そこでグリュックスブルク中将は真剣な表情で声を潜める。

 

「リューベック駐留艦隊司令、ハウシルト・ノーベル宇宙軍大佐を探れ。怪しいと思ったら多少強引な手を使っても良い、責任は私が取る」

 

 驚きで心臓が飛び出るかと思った。何故なら、私がこんな辺境まで来た理由はグリュックスブルク中将が探れと言ったジークマイスター機関メンバー、ハウシルト・ノーベル宇宙軍大佐の支援を行うためだからだ。

 

「……理由をお聞きしても?」

「いや、悪いがそれは伝えられない、全てが終わった後、説明しよう」

 

 グリュックスブルク中将は私の目を見つめる。私はあるいは自分がジークマイスター機関のメンバーであることがバレたのではないかと恐怖したが、それならば私に「探れ」と言うのもおかしな話だ。

 

「分かりました。閣下のご命令に従います」

「宜しく頼む」

 

 私はグリュックスブルク中将にもう一度敬礼すると、部屋を出た。

 

 

「そいつはまずいですねぇ……」

 

 私はリューベック行きの輸送艦が出るまで与えられている部屋に戻り、すぐにヘンリクに相談した。

 

「ああ、どういうことだと思う?」

「恐らく、リューデリッツたちか誰かが、コーゼル提督もまた『カエサル』であったと気づいたんじゃないですかね?それでノーベルを探るようにグリュックスブルクに伝えた。リューデリッツの部下に、リッテンハイム系の貴族将官が居たはずです」

「計画に影響はあるだろうか?」

 

 私はヘンリクに尋ねた。ノーベルがマークされているとすれば、計画は断念せざるを得ないかもしれない。

 

「……いや、大丈夫でしょう。計画は既に動き出しています。計画が終わるまではノーベルがメンバーだという確証には至らないはずです」

 

 ヘンリクが冷静に答えた。

 

 ……我々、ジークマイスター機関は一つの計画を実行に移そうとしていた。計画名は『茶会(テー・パルティー)』。地球史に詳しいシュタイエルマルク提督らしいネーミングセンスだろう。さて、計画について説明する前に、少し近年の歴史に触れておこう。

 

 宇宙歴七四五年の第二次ティアマト会戦後、軍内で一つの計画が浮上した。『イゼルローン回廊要塞建設計画』である。ジークマイスター機関は大損害を受けたばかりだったが、全力でこの計画を潰しに行った。当然である。もし回廊に要塞が出来、それによって同盟軍が帝国領に侵攻でき無くなれば、機関はもう同盟軍という圧力を使って勢力を拡大することが出来なくなる。結局、宇宙歴七四五年の計画は、ジークマイスター機関の暗躍と財政危機によって立ち消えになった。

 

 その後、宇宙歴七五七年、オットー・ハインツ二世は息子であるオトフリート皇太子(後のオトフリート五世帝)の進言でオーディン高等法院に対し再度の租税法大規模改正を承認するように命令。ところが、オーディン高等法院は頑強に抵抗して譲らない。そこでオトフリート皇太子は一計を案じた。帝前三部会を招集したのだ。皇帝を除けば帝前三部会は事実上帝国の最高権力と言って良い。オーディン高等法院を以ってしても抗することは不可能である。

 

 帝前三部会とは大帝ルドルフが終身執政官時代に招集した民選議会にルーツを持つ。ルドルフは自身の支持者で固めたこの議会で『民意』によって承認を受けることで神聖かつ不可侵な銀河帝国皇帝へと上り詰めたのだ。これが帝前三部会として制度化されたのはエーリッヒ二世止血帝の時代だ。結果的にとはいえ宮廷革命で帝位を簒奪してしまった彼は、その権力の正当性を確保すべく、大帝の民選議会に目を付けた。これを意図的に模倣することで、改めて皇帝権力の正当性を確保したのだ。とはいえその後、マンフレート二世亡命帝の際に一回開かれたのみで、後は一度も開かれていない。

 

 帝前三部会は事実上領地貴族が掌握する地方会、官僚貴族と帯剣貴族の代表が選ばれる公僕会、そして中央地域の平民から代表が出る平民会の三つに分かれていた。そして各会に一票ずつが配分されていた。この内、租税法改正に賛同するのは恐らく公僕会だけである。誰もが――オットー・ハインツ二世も含め――オトフリート皇太子の『奇策』は失敗だと思った。ところが、いざ三部会が開かれると、帝国有数の領地貴族であるカストロプ公爵が租税法改正に熱烈に賛成。今まで増税には慎重だったクロプシュトック侯爵らも条件付きで賛意を示したことで地方会が賛成票を投じることになる。これによってオトフリート皇太子の租税法改正は成功した。

 

 何故カストロプ公爵が賛成したのか、その答えは直ぐに分かった。領地貴族としては異例なことに、カストロプ公爵は財務尚書へと任命されたのだ。租税法を実際に運用するのは財務尚書だ。彼が財務尚書である限り、カストロプ一門の領地に対する課税には『手心』を加えられる。また、他の貴族との取引カードにも使える。彼は財務尚書のポストと引き換えに、租税法改正に賛同したのだ。

 

 一連の絵図を書いたのはオトフリート皇太子ではない。オトフリート皇太子――後のオトフリート五世倹約帝――は全般的に考えて名君よりの人物だっただろうが、それでもここまでの奇策を打つ――そして成功させる――才覚は無い。今まで宮廷の非主流派だった旧ミュンツァー派、特にその中でも若手のリーダー格として台頭しつつあったクラウス・フォン・リヒテンラーデ子爵の働きが大きい。……尤も、カストロプを財務尚書にしてまで租税法改正をするべきだったかは若干判断が分かれるが。

 

 宇宙歴七五七年の租税法改正によって、オトフリート皇太子は着実に財政再建を進めていき、宇宙歴七六〇年にオトフリート皇太子がオットー・ハインツ二世から譲位されオトフリート五世となった時には未だ予断を許さないものの、国債発行額が増加から減少へと転じた。そんな中、一度葬り去ったはずのあの計画が息を吹き返した。

 

 宇宙歴七六〇年二月一〇日、兵站輜重総監セバスティアン・フォン・リューデリッツ上級大将ら将官三二名の連名でオトフリート五世に一冊の建白書が提出された。その名は『イゼルローン要塞建設建白書』。

 

 現在、軍部と官界は真っ二つに割れている。リューデリッツの『イゼルローン要塞建設建白書』を支持する『要塞派』と財政再建、あるいは艦隊再建、もしくは航路安定等、他の政策を優先することを主張する『保守派』である。『要塞派』と『保守派』の勢力は拮抗しているのだが、『保守派』の中では意見の対立が少なくなく、そのせいで全体として『要塞派』が優勢となっている。

 

 もしイゼルローン要塞が完成した場合、先に述べた通りジークマイスター機関にとっては死活問題である。ミヒャールゼン暗殺事件をきっかけに『外からの変革』から『内からの変革』路線に切り替えたとはいえ、帝国の体制は不安定であればあるほど望ましい。仮に要塞建設をきっかけに帝国の政情が安定してしまったら、機関の付け込む隙は無くなってしまう。

 

 ……その恐怖がミヒャールゼン暗殺事件以来休眠状態にあったジークマイスター機関に、新たなる大規模作戦『茶会(テー・パルティー)』の立案を決意させた。

 

 以下、作戦を説明しよう。

 

 帝国辺境自治領の中で、最もイゼルローン回廊から近いのがリューベック自治領である。このリューベック自治領はコルネリアス一世元帥量産帝の時代に一度叛乱を起こしたことで、総督府と駐留軍が置かれ、他の辺境自治領に比べ抑圧された状況にある。第二次ティアマト会戦以降、他の辺境自治領と同じようにこのリューベックでも独立の機運が高まっている。そこでだ、このリューベックの独立派を支援し、帝国総督府と駐留艦隊を無力化、同時に同盟軍艦隊をリューベックに招き入れることで、オリオン腕側に同盟軍の一大拠点を作り出すのだ。

 

 リューベックは銀河連邦時代に辺境地域の中心惑星として機能しており、連邦宇宙軍の大規模なドックも設置されていた。そのドックは現在もリューベック警備艦隊と帝国軍リューベック駐留艦隊に利用されており、今でも同盟一個正規艦隊を収容可能と見られる。仮に、『茶会(テー・パルティー)』作戦が成功すれば、リューデリッツのイゼルローン要塞建設案は断念せざるを得なくなる。当然だろう。既に回廊のこちら側に同盟一個艦隊が常時駐留できる拠点があるのだ。チマチマ要塞なんか作っている余裕は無くなる。

 

 リューベックには既に宇宙歴七四六年に機関のメンバーであるハウシルト・ノーベル宇宙軍大佐が駐留艦隊司令として着任していた。宇宙歴七四五年に最初の要塞建設案が出た際に、ミヒャールゼンは後々を見据えて布石を打っていたのだ。何という神算鬼謀であろうか。……既にノーベルは駐留艦隊をほぼ掌握しつつある。あとは軍中央の最新の情報を持った補佐要員――つまり私だ――が到着すれば、作戦はいつでも実行に移すことが出来た。

 

「……」

 

 グリュックスブルク中将に呼ばれたことで、私は動揺していたが、それを何とか抑えると、再び決意を新たにした。この作戦を成功させることこそ、自由への第一歩なのだ、と。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。




注釈12 
 作戦名の『茶会(テー・パルティー)』は恐らく、地球時代のアメリカ独立革命のきっかけとなった、『ボストン茶党事件(ボストン・ティーパーティー)』から取られていると思われる。

 この事件に関しては詳しく分かっていないが、一説によると、ボストンという都市においてアメリカ独立派の決起集会が行われたが、独立派の集会とバレてはイギリスに弾圧されるので、『茶会』という体裁をとって集まったという。ところが集会の中で群衆が暴走し、自らを『茶党』と名乗り、イギリス軍と激しく衝突したという事件であると言われている。
 尤も、いくつもの異説があり、キワモノとしては、ボストンの群衆が輸送船の中に積まれた茶葉を海に捨てたところ、まるでお茶のように見えたので、人々が面白がって『ボストン茶会事件(ボストン・ティーパーティー)』と事件を呼び始めたという説すらある。勿論、信憑性は低い。


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青年期・メルカッツ少佐の好意(おんがえし)とフェルバッハ総督の好意(きたい)(宇宙歴760年7月2日)

 宇宙歴七六〇年七月二日、私は惑星エーリッヒ・フォン・マンシュタインからの定期輸送艦によって、本当の赴任地であるリューベック星系第三惑星リューベックに到着した。

 

 リューベックは自治領であり、自治領府も置かれているのだが、帝国の官僚と軍人で構成されるリューベック総督府が行政と立法の最終決定権を握っており、また自治領域内に帝国軍リューベック駐留艦隊一〇二六隻の駐留を強いられている。中央地域にある自治領よりはマシだろうが、それでも他の辺境自治領に比べると、帝国の強い支配下にあるという印象が強い。

 

「惑星リューベック……。噂には聞いていたが、本当に多人種が共存しているんだな……。帝国にこんな星がまだ残っているとは思わなかった」

 

 私は市街の外にある帝国軍リューベック宇宙港から中心地にあるリューベック総督府へと向かう軍用車に乗っていた。朝市か、表通りにはいくつもの屋台が出ており、白色人種だけではなく、黄色人種や黒色人種の自治領民が交じり合って買い物をしていた。このような光景は中央地域では絶対に見れないだろう。私は感嘆していたのだが、私の呟きを不快感の表れと捉えたのだろうか、運転手の伍長が反応した。

 

「名門貴族家出身である大尉殿にこのような光景を見せてしまい、誠に申し訳ありません。しかしながら、この星系の不届き者共は総督府が出した再三にわたる人種隔離命令を拒絶し、あろうことか総督府を取り囲んで火をつけようとしたのです……。このような状況を放置するのは断腸の思いではありますが、しかしながら万が一でもリューベックの者たちが叛徒と化してしまえば、我々は……」

「ああいい。辺境には志願して来た。これくらいは覚悟してるよ」

 

 私は乱暴に伍長の口上を遮った。伍長が本当に標準的な帝国人のように差別感情を抱いているのか、それとも私に媚びてそう言っているのかは分からなかったが、どちらにせよ不愉快だ。

 

 ちなみに志願してきたというのは本当である。宇宙歴七五九年頃、リューベックにおいて大規模な暴動が発生したのだが、それに関連して多くの士官がこの星を去ることになった。ただ単に暴動を許してしまった責任を取るだけならば、辺境が常に人員不足であることを加味して、精々艦隊司令と総督が更迭されるだけで済んだのだろうが……。

 

 暴動のきっかけとなった事件がまずかった。何せ貴族階級の中尉らによって行われた少女に対する集団暴行を総督府が隠蔽しようとしたことが原因であった。帝国がいくら封建的な社会とは言え、何をしても許されるのは皇帝陛下だけである。貴族だとしても、あるいは貴族だからこそ、少女への暴行など不名誉極まりない話である。当初、この事実は揉み消されそうになっていたのだが、一人の心ある宇宙軍大尉が個人的な伝手でイゼルローン方面辺境を預かる宇宙艦隊副司令長官カール・ハインリヒ・フォン・ライヘンバッハ上級大将――つまり、私の父だ――に詳細な報告を行った。

 

 ……なるほど、確かに帝国には昔から被差別人には何をしても良いという見方があったかもしれないし、実際後の堕落した帝国軍ではそういう事が揉み消されたこともあった。だが私の父はこのような事を許すような高貴なる者の義務(ノブレス・オブリージュ)を履き違えた貴族では無かったし、この頃の帝国軍はまだ恥を知る組織であった。「相手が劣等人種であろうと、限度という物があるではないか。帝国貴族軍人と言えば優等人種の中の優等人種、それがこのような蛮行を行うなど許されない」。……少なくとも、まともな帯剣貴族ならこう考える。

 

 烈火の如く怒った父の圧力で軍務省人事局は下手人を軍法会議送りにし、リューベックの士官人事を刷新したのだが、同じ軍務省の地方管理局は二つの深刻な問題に直面することになる。一つは辺境地域、特に自治領の人材劣化が恐らくリューベックだけの問題では無いという事。もう一つは私、アルベルト・フォン・ライヘンバッハの取り扱いに困ったという事である。……ぶっちゃけると、この不祥事に激怒した父が人事局に怒鳴りこんでいるのを見ていた地方管理局がビビったのだ。それから翌年まで、私は腫れ物のような扱いをされていた。

 

 宇宙歴七六〇年になり、軍務省地方管理局は辺境地域の調査と人材刷新に本腰を入れた。その一環として地方管理局からリューベックの立て直しに士官が派遣されることになったのだが、ド辺境のリューベックに行きたがる奴などいない。そこで、丁度機関の方で『茶会(テー・パルティー)』計画が立案されていたこともあり、私がリューベック赴任を名乗り出たのである。私を持て余していた地方管理局は大喜びで、宇宙軍大尉の階級まで付けて私を送り出してくれた。全く有難い話である。

 

「着きましたよ大尉殿。ここがリューベック総督府です。どうです?堂々たる建物でしょう。何せ連邦時代に建てられた歴史ある総督府ですからね」

「……それは違うな、正しくは『連邦時代に建てられた歴史ある議事堂』だ。わざわざ議会の内装だけを変えて総督府にするとは、帝国も無駄に金のかかることをするよね。リューベックの人々への嫌がらせだろうけどさ」

 

 私は結局軍用車の中で伍長の差別感情に溢れた戯言を聞かされ続けた。それに苛立っていた所に、さもリューベック共和主義の聖地を『これぞ我らの象徴!』みたいに胸を張って紹介された為に、思わず反論してしまう。

 

「は……?」

 

 伍長は驚いている。私はそんな伍長を放置して軍用車を降りた。総督府の前には銃を携帯した兵士たちが何人も配置されている。装甲車も数台配置されているようだ。物々しい警戒である。どうやら、リューベックの反帝国感情の盛り上がりは私の想像よりも凄まじいらしい。

 

 総督府に入り、受付で手続きを済ませる。私の部署は三階だが、そこに行く前に四階の総督室に着任の挨拶に行こうとしたところで、後ろから声をかけられた。

 

「大尉。間違っていたらすまないのだが……。貴官はひょっとして副司令長官閣下のご子息かな?」

 

 振り返ると、そこには私より数歳年上に見える青年士官が居た。階級章は彼が宇宙軍少佐であることを示している。総督府の少佐となると、本来は課長補佐級だろうが、辺境は人材不足だ。あるいは課長級以上の役職かもしれない、と思った。

 

「本日付でリューベック総督府特別監査室長として着任しました。アルベルト・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍大尉であります。本日より宜しくお願いします」

「ああいや……。私はリューベック駐留艦隊第三任務群司令代理、ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ宇宙軍少佐だ。残念ながら総督府の所属じゃなくてね、勘違いさせてすまない」

 

 メルカッツ少佐は苦笑交じりにそう言った。

 

 私はその名前を聞いて驚いた。私が前世の『物語』で知るメルカッツと言えば、帝国軍の宿将として、あるいはイゼルローン共和政府軍の中核としてヤンとラインハルトという二大名将に一目置かれた人物だ。まさかこのような辺境の中の辺境で、彼のような名将と会えるとは思っていなかった。

 

「メルカッツ……少佐ですか。その、小官に何の御用でしょうか?」

「いや、何、一年程前に貴官の父上に世話になってな……。個人的に恩を感じているのだよ。……ここだけの話、総督府と駐留艦隊はあまり仲が良く無くてな、何か困ったことがあれば遠慮なく頼ってくれ」

 

 メルカッツ少佐はそう言うと総督府を出ていった。……ひょっとしてそれを言うためだけに総督府に来ていたのだろうか?だとすると、余程私のご機嫌を取りたかったか、余程その『恩』が大きかったかの二択だろう。無論、あのウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツが前者のようなくだらない事をするはずがない。恐らく後者だと私は考えた。

 

 一年程前の恩、と聞いて私には一つ心当たりがあった。リューベックの暴動に関する真実を父に伝えたのは、父の亡くなった戦友の息子だったと聞いている。メルカッツ家は確か第二次ティアマト会戦で没落した帯剣貴族家の一つだったはずだ。父と関係があってもおかしくは無い。

 

 メルカッツ少佐と別れた後、私は総督室に向かい、マックス・フェルバッハ総督に着任の挨拶をした。

 

「アルベルト・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍大尉、着任いたしました」

「良く来てくださった大尉殿。昨年の混乱以来、リューベック総督府の威信は地に落ちております。是非、大尉殿のお力でこの総督府を立て直していただきたい。このフェルバッハ、全力でお手伝いいたしましょう!」

 

 フェルバッハ総督は私に対して上司というよりもむしろ部下のような振る舞いをしてきた。総督を務めている人間は官僚であろうが、帝国軍では少将級として扱われる。当然ながら、一介の宇宙軍大尉に『殿』などと敬称をつける必要は無い。

 

「総督閣下が小官の任務に理解を示していただけるのは非常に嬉しいことですが、一介の宇宙軍大尉に総督閣下が下手に出る姿を他の者たちに見られると、総督府の秩序に悪影響が出るやもしれません。総督閣下の『真心』。このライヘンバッハ、確かに理解いたしましたので、安心して、総督閣下は自己の職務に奨励していただきたい」

 

 私は下手に出てきたフェルバッハ総督の顔を立てつつ、彼に対してやんわりと普通の態度を取るように要求した。多少無礼な言いようではあるが、名門帯剣貴族ライヘンバッハ伯爵家の御曹司としてはこれくらいの方が正しい。……不本意ではあるが。

 

「おお、承知しました。ではライヘンバッハ大尉。早速ですが貴官に相談したいことが……」

 

 フェルバッハ総督は微妙にへりくだりつつ、早速総督府が抱える問題について私に相談してきた。大きく分けて問題は三つ、一つ目は人材不足、二つ目は自治領民との衝突、三つ目は強制執行手段の欠如である。

 

 一つ目は言うまでも無い。元々、辺境への人材供給は後回しであったが、第二次ティアマト会戦以降は十分な人材を有している辺境基地の方が少ないという有様になっている。ましてリューベックは昨年の大暴動を受け、多くの幹部士官が更迭された。人材不足は推して知るべしである。

 

 二つ目も分かるだろう。元々リューベックは難治の地である。リューベック自治領(ラント)、別名『第七艦隊共和国(リパブリック・オブ・セブンスフリート)』の歴史は銀河連邦末期まで遡る。リューベック、もっと言えば、帝国において現在、エルザス辺境軍管区と呼ばれている地域は、銀河連邦時代に辺境『との』交易の中継地域として発展していた。

 

 銀河連邦は『地球統一政府(グローバル・ガバメント)』が強力な中央集権体制を構築した末に内部の腐敗と地方の反発で崩壊した教訓から、徹底した地方分権体制を取っていた。その結果として人類の版図は飛躍的に拡大していた。銀河連邦時代の人類領域は銀河帝国よりもさらに広大であり、エルザスですらまだ辺境地帯では無かったのだ。何せ、一部の人類はオリオン腕からサジタリウス腕へと進出していた位である。

 

 銀河帝国初代皇帝ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムは当然ながら、全ての人類をその統治下に置こうとしたが、呆れることに人類の版図が銀河系のどこまで拡大していたのかは、銀河連邦ですら完全に把握できていなかった。サジタリウス腕側に進出を目指した移民船団が複数あったことは地方政府に記録として残ってはいたものの、彼らの試みが成功したか失敗したかも判然とはしなかった。一応、『回廊』を通じて交易があった形跡は残っており、帝国はサジタリウス腕側の調査を検討してはいたが、結局、それは宇宙歴六四〇年まで三世紀近く実行されなかった。

 

 何せ帝国はオリオン腕側ですら満足に支配しきれていない。サジタリウス腕側の調査などやっている余裕が無かった。銀河帝国建国期、リューベックは『第七艦隊共和国(リパブリック・オブ・セブンスフリート)』を名乗り帝国の支配に激しく抵抗した。国名が示す通り銀河連邦宇宙軍第七艦隊を中核とする残党が集結していたリューベックは頑強に抵抗し、ついにルドルフ・フォン・ゴールデンバウム、そしてヨアヒム・フォン・ノイエ・シュタウフェンに征服を断念させた。

 

 ノイエ・シュタウフェン公爵との取引によって、形だけの臣従と引き換えに、広範な自治権を得たとはいえ、銀河連邦の流れを汲んでいると自負する『第七艦隊共和国(リパブリック・オブ・セブンスフリート)』は、専制主義に屈する現状に不満を持ち続けていた。宇宙歴六四〇年、ダゴン星域会戦で帝国軍が完敗し、共和主義国家自由惑星同盟の健在が明らかになると、『第七艦隊共和国(リパブリック・オブ・セブンスフリート)』は独立と、自由惑星同盟への加盟を一方的に宣言した。以来、三〇年程を帝国から独立して過ごすが、宇宙歴六六八年、コルネリアス一世元帥量産帝の大親征の際に帝国軍に敗北し、以降、リューベック自治領(ラント)として帝国の不本意な支配の下に置かれている。

 

 こんな土地なのだから、当然帝国への反感は凄まじい。故にその反感を刺激しないようにふるまうのがリューベック自治領勤務のセオリーなのだが、第二次ティアマト会戦以降、辺境自治領のセオリーを知らない士官が左遷されてくるにつれて、自治領民との緊張が急速に高まった。第二次ティアマト会戦の大敗による各自治領のナショナリズムの高揚も有り、フェルバッハ総督曰く、「今のリューベックは町中に叛乱の火種が散らばっているような有様」らしい。

 

 そして三つ目は強制執行手段の欠如であるが、最初にリューベックの行政・立法に最終的な決定権を持つのは総督府であると言った。それは決して誤りではないのだが、リューベック自治領全体の住民はおよそ九億人であり、自治領都のある惑星リューベックに限っても四億人の住人が住んでいる。……仮にこの住人が全て叛徒と化したとしよう。とてもではないが、総督府と駐留艦隊の戦力では抑えきれない。だからこそ、歴代の総督はアメとムチを使い分けつつ、背後に存在する本国の威光をちらつかせつつ、上手い事自治領民側も取り込みながら統治していたのだが、第二次ティアマト会戦以降はそれが出来なくなった。総督は辺境統治のノウハウを知らない帯剣貴族が務め、本国の威光は第二次ティアマト会戦の大敗で地に落ち、自治領民の取り込みなど頭の固い帯剣貴族に出来るはずもない。……今のリューベック総督府は名目上行政権と立法権の最高権力を握ってはいたが、自治領府と自治領民の反発を恐れて殆どそれを行使できない状態へと追い込まれていた。

 

「……という訳です。ライヘンバッハ大尉。是非、貴官の力でこの窮地を何とかしてください」

 

 フェルバッハ総督はまるで泣きそうな表情で私に頼み込んできた。よく見ると、彼の目の下には隈が出来ているし、服は目立つ汚れこそ無かったが、所々しわが出来ている。机の上には乱雑に書類が散乱していた。

 

 私はここにきてようやくフェルバッハ総督の低姿勢が単純な権威主義によるものでないと気づいた。多分、この人は前任者が更迭された後、出来る範囲で職務を全うしようと試みたのだろう。だが状況は最悪であり、すぐに打つ手が無くなったのではないか。そんな時に、軍務省からエリート軍官僚が自主的にリューベックに赴任するという話を聞いた彼はどう思っただろう。……彼の中で、私はただ単に『偉い人の息子』なだけではなく、この状況を打破できる『最後の希望』と見做されているのではないだろうか。

 

「……全力を尽くします」

 

 私はそう答えたが、少なくない罪悪感を感じた。彼の苦労の原因は、リューベック独立派を支援していた機関にもあるし、私はその機関の一員として銀河帝国のリューベック統治体制を完膚なきまでに破壊しようとこの場所に来たのだ。……この不幸な平民は恐らく、真面目一筋にリューベック総督府で働き、それ故に更迭されることもなく、気づけば総督の椅子に座っていたのだろう。何ともやりきれない話だ。……我々の計画が成功すれば、高確率で彼は死ぬし、死ななくても酷い目に遭うことは間違いない。

 

 私は彼に内心で謝ったが、計画を実行に移すことに躊躇いは無かった。明日、駐留艦隊司令部に挨拶に行き、ハウシルト・ノーベル宇宙軍大佐に接触する。その後、独立派のアジトへ向かい、独立派の指導部に加わっている同盟軍の諜報員に、帝国上層部の『要塞派』と『保守派』の争いについて伝えなければならない。

 

 全ては自由の為……そう自由の為なのだ。だが……もし自由を得ることと、目の前の哀れな役人を助けることが両立出来そうならば……可能な限りでそれを試みたい、と私は思った。ひょっとしたら、彼のような人間を冷徹に切り捨てられるようになることが、より優秀な工作員になる為の条件かもしれない。

 

 だがそうしてしまえば私は最早共和主義者を名乗る資格を失うのではないか、大の為に小を切り捨てるのが本当の共和主義者なのだろうか、当時の私はそんなことを考えていた。手を汚す覚悟という物がイマイチ出来ていなかった、とも言えるが……一方で私のこうした『甘さ』は、後の救国革命においては『強さ』ともなったのではないか、と私個人としては思っている。尤も、これに関しては自分で評価を下すより、歴史家諸君の評価に任せた方が良いかもしれないがね。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。




注釈13
 銀河連邦の行き過ぎた分権体制の下、多くの移民船団が辺境地域へと旅立っていった。その一部はやがて自由惑星同盟の設立に関わり、もう一部は『第七艦隊共和国(リパブリック・オブ・セブンスフリート)』のように、辺境自治領を構成したが、近年、リューベック星系からさらに辺境地域に人類のコミュニティが存在していることが判明し、話題を呼んでいる。このコミュニティは少なくとも最盛期のフェザーン自治領(ラント)程度の人口を有していると思われており、国交の樹立が期待される。


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青年期・リューベック駐留艦隊司令部にて(宇宙歴760年7月10日)

 惑星リューベックの領都はリューベックと名付けられている。……惑星と領都の名が同じというのはやはり不便に過ぎる、これも帝国の自治領民に対する嫌がらせだろうか?とにもかくにも、これでは書いていて紛らわしいので、あえて惑星はリューベック、領都はベルディエ――かつて、彼らは自分たちの首都をこう呼んでいた。由来は『第七艦隊共和国(リパブリック・オブ・セブンスフリート)』の英雄であるジャン=クロード・ベルディエ――と表すことにしたい。

 

 宇宙歴七六〇年七月一〇日、私は領都ベルディエから一二〇㎞ほど離れたところにある、駐留艦隊司令部を訪れた。隣接する基地には同艦隊の第一作戦群と第三作戦群が駐留している。

 

 残りの艦船と自治領警備隊の大半はリューベックの隣の惑星である、リューベック(ヒュンフ)――『第七艦隊共和国(リパブリック・オブ・セブンスフリート)』の呼ぶところの惑星ボストン――に駐留している。

 

「驚いたな……。まさかこんなに早く頼ってくるとは」

 

 メルカッツ少佐が苦笑しながら私を出迎えた。

 

 着任当日、私は翌日に駐留艦隊司令部に挨拶に行くためにアポをとったのだが、端末越しにノーベル宇宙軍大佐の副官に「非常識だ!」と怒鳴られて目的を果たせなかった。一応、着任し次第、駐留艦隊司令部の方に挨拶に向かうということは前もって伝えてあったのにである。いや、確かに厳密には非常識かもしれないが、こちらも向こうも同じ組織のメンバーな訳で、あまり言いたくないが私が名門帯剣貴族であることも併せてまさか怒鳴られるとは思っていなかった。

 

 仕方がないのでいつなら良いかと聞いてみると、「我々駐留艦隊は総督府とは違い日夜軍務に励んでいる。司令は貴様などに会っている暇は無い」との返答である。埒があきそうも無かったので、私は軍のデータベースからメルカッツ少佐のメールアドレスを調べて、彼に司令への取次ぎを頼まざるを得なかった。

 

「申し訳ありません……。他に頼れる人も居なかったので」

「まあ……仕方ないだろう。ロンぺル少尉は強烈な反貴族主義者だ」

 

 メルカッツ少佐は憂鬱そうにそう言った。彼も貴族だ。ロンぺル少尉とやらに困らされているのだろう。……というか、私は少尉に怒鳴られたのか?と一瞬遅れて気付いて愕然とした。そんな私の内心を察したのか、メルカッツ少佐が言う。

 

「辺境ではよくあることだ。どうせこれ以上落ちる場所も無いと、左遷された平民士官の一部は自分の反貴族的感情を抑えなくなる。そして、そんな『声のでかいやつ』が階級以上に力を持つことも、少なくは無い」

 

 メルカッツ少佐は私を案内しながら説明する。その最中にも怒鳴り声が聞こえてきた。メルカッツ少佐が眉をひそめる。

 

「少佐殿も苦労なさっているようで……」

「ああ……まあな。ただ慣れれば大したことは無い。ここでは『声の大きさ』以上に、『人間力』が大切だ。私は別に自分が『人間力』に秀でていると言うつもりもないがな、他が酷ければ、相対的に評価も上がるものだよ」

 

 メルカッツ少佐は皮肉げな笑いを浮かべている。彼は一年前もこの場所に居た。その時はもっと『他』は酷かったに違いない。その時、私たちの方に若い兵士が走ってきた。

 

「メルカッツ少佐!またペーターの奴が酔って警備隊と喧嘩し始めました!」

 

 それを聞いてメルカッツ少佐の顔色が変わる。

 

「何だと!?あれ程あいつに酒はやるなと言っただろう!コニーは何をしていた?あいつが酒を見た瞬間、ぶん殴って良いと伝えたはずだが」

「コニーは二日酔いでダウンしています……ペーターに煽られて飲み潰されました、ちなみにペーターですが、飲むときに『迎え酒は必要だ、必要悪なんだ』とか言ってました」

 

 メルカッツ少佐は天を仰いで頭に手を当てた。

 

「……馬鹿共が!ライヘンバッハ大尉、君もついてきてくれ」

「は?はぁ、分かりました」

 

 メルカッツ少佐はたまらずと言った感じで吐き捨てると、兵士と共に走っていく。私もその後ろをついていった。

 

 その先では、数人の帝国軍兵士と自治領警備隊の兵士が殴り合っていた。中心で喚いているのが『ペーター』だろうか?

 

「おい、話が違うぞレスト……。暴れているのはペーターだけじゃなかったのか?」

 

 メルカッツ少佐が低い声でウンザリしたように言った。

 

「は!自分が見た時は、確かにペーターだけだったであります」

「……なるほど、こいつらが馬鹿だということだけは分かった」

 

 メルカッツ少佐はそう言うと真っすぐに殴り合いの中心に飛び込んだ。

 

「し、少佐!?」

 

 私は驚いた。メルカッツ少佐は争いの中心で喚いていた『ペーター』とその相手を思いっきり殴り飛ばした。互いに集中していたからだろう、もろに拳をくらった二人が面白いように吹っ飛んだ。

 

「何しているレスト!大尉!。貴官らも手伝え!」

「は……は?」

「了解であります!メルカッツ閣下!」

 

 レストと呼ばれた兵士はそう答えると近くに居た帝国軍兵士を思いっきり殴り飛ばし……別の兵士に思い切り殴り飛ばされた。

 

「クソ貴族が!」

 

 レストを殴り飛ばした警備隊の兵士がこちらへ殴りかかってくる。私はとっさにその兵士の腕を掴み、そのまま投げ飛ばした。

 

「見かけによらずやるじゃないか大尉!レストも見習ってほしいな」

 

 メルカッツ少佐はそう言いながら既に数人を片付けている。私も何が何だか分からない内に巻き込まれ、最終的にメルカッツ少佐と私の二人だけが立っていた。

 

「全く……手間をかけさせおって……」

 

 メルカッツ少佐は不機嫌そうだ。

 

「あの……少佐、一体小官たちは何をしていたのでしょうか……」

「大尉、一つ良いことを教えよう。対話は大事だ。どんな相手だろうと最後まで対話の意思は捨ててはいけない。ただし、酔っ払いとサイオキシン患者は殴った方が早い」

 

 メルカッツ少佐はしたり顔でそう言った。私は唖然とせざるを得なかった。……今ではメルカッツ少佐の意見が正しかったと分かる。ただしこう付け足したい。……ブラ公リッテン候も殴った方が早い、と。

 

「おい、コニーどこに居る!」

「……ここです、閣下殿……」

 

 部屋の外から大柄の兵士が入ってくる。

 

「この馬鹿共を営倉にぶち込め、同じ部屋に入れておけよ?もう一度喧嘩したら次は骨を折ると伝えておけ」

「……了解です。サー」

 

 コニーは辛そうだった。……二日酔いだもんな。

 

「さて、大尉。こっちだ、ついてきてくれ。司令がお待ちだ」

「メルカッツ少佐……」

 

 私は『物語』で知るメルカッツ提督と目の前のメルカッツ少佐の差に愕然としていた。

 

「……大尉。これも『人間力』だよ。貴族だなんだとお高く止まっていたらダメだ。兵士の目線に立つことが、彼らの信頼を得るために大切なんだよ」

 

 メルカッツ少佐は私の何か言いたそうな表情を見て、尤もらしくそう言った。……その後聞いた話によると、メルカッツ少佐は駐留艦隊でも兵士たちからかなり慕われているらしい。「お貴族様なのに喧嘩の流儀を知っているから」「お貴族様なのに酒の本当に上手い飲み方を知っているから」……まあ理由は様々だ。

 

 信じられないことに、思いっきり殴り飛ばされていた自治領警備隊の兵士たちもメルカッツ少佐の事は一目置いているらしい。基本的に彼らは地元出身故に、帝国軍と極めて仲が悪い。「メルカッツ少佐の拳は出身も身分も区別なく襲う。実に共和主義的だ」とは私が後で会うリューベック独立派の幹部の言葉である。……まあ、何だ。老紳士が若い頃にヤンチャしていたというのは……そんなに珍しい話でもあるまい。うん。

 

「第三作戦群司令代理、ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ宇宙軍少佐、入ります」

「総督府特別監査室室長、アルベルト・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍大尉、入ります」

 

 私はメルカッツ少佐に連れられて司令室に入る。

 

「遅い!我々を舐めているのか!」

 

 司令室に入るなり怒鳴られる。執務机に座っている白髪の老人がノーベル大佐だろう。となると今怒鳴ってきた隣で立っている男が副官のロンぺル少尉とやらだろうか。イメージより大分年上だ。顔にはありありと「怒っています」と書いてある。

 

「……申し訳ありません。ノーベル大佐」

 

 メルカッツ少佐はロンぺル少尉の方を向いて「ふん」と鼻をならしてからノーベル大佐に対して丁寧に謝罪する。私も黙ってノーベル大佐に頭を下げた。

 

「いやいや、構わんよ。……また兵士が警備隊と喧嘩をしたんじゃろう?卿が彼らを止めるのが一番後腐れが無くて良い」

 

 ノーベル大佐はニコニコしながらそう言った。ロンペル少尉は面白くなさそうだが、黙っている。

 

「さて、そっちの若いのがライヘンバッハ大尉かな?わざわざこんな辺鄙な所までご苦労な事じゃて……。何か力になれることがあれば遠慮なく頼って欲しいのう」

「有難うございます。……それでは早速、司令殿に一つお願いがあるのですが……」

 

 私はノーベル大佐にそう言った瞬間、ロンペル少尉が「図に乗るな小僧!」と言ってきた。……大尉を小僧呼ばわりとは恐れ入った。

 

「ロンペル……。貴官の個人的な事情には同情するがな、流石に帝国軍人として度を超した振る舞いに過ぎるのではないかな?ライヘンバッハ大尉が貴官の弟を殺した訳でもあるまい」

 

 メルカッツ少佐がロンペルを鋭く睨みつけながらそう言った。ロンペルは少し怯んだ様子だ。その隙を私は見逃さなかった。

 

「ノーベル司令。是非お人払いをお願いできませんでしょうか?内密に話したいことがありまして……」

「ほう……。良かろう。ロンぺル少尉、メルカッツ少佐、少し外してくれるかのう?」

「司令!しかし……」

「承知しました。ロンペル、上官の命に逆らうか?」

 

 ロンペルは私を睨みつけると、メルカッツ少佐と共に部屋を出ていった。

 

「さて、ライヘンバッハ大尉。お願いとは何じゃ?」

「……司令はこんな言葉をご存知でしょうか?『何が不可能であるかを言うのは難しい』」

 

 ノーベル大佐は目を大きく開いて驚いた様子だ。「……そうか、卿がそうなのか」とノーベル大佐は小声で呟く。

 

「『何故なら昨日の夢は、今日の希望であり、明日の現実だからだ』じゃな?……コーゼル閣下がよく言っておられた言葉じゃ……」

 

 ノーベル大佐は懐かしむような様子だ。

 

 私はノーベル大佐に自分が機関の一員であることを証明し、ノーベル大佐も応じた。その方法については……悪いがここには書かないことにする。ただ、私たちにとって『何が不可能であるか~』は一つの挨拶のようなものだ。それだけで自分が機関の一員であることを証明するには足らないが、互いに『証明の準備』をさせることが出来る。聞いた話によると、ジークマイスター提督が好んで、同志に教えていた言葉らしい。

 

「なるほどのう……卿が機関のメンバーとなると、御父上も機関のメンバー、ということかな?」

「ご想像にお任せします。ただ、ジークマイスター提督が機関の創設者だったからと言って、彼の父が共和主義者であった訳じゃないでしょう」

 

 私はノーベル大佐の疑問にそう答えた。ジークマイスター機関のメンバーは他の構成員を全て把握している訳じゃない。ノーベル大佐はこの地方の機関構成員の中では幹部クラスだが、それでも中央の幹部……つまり、シュタイエルマルク提督や父と面識がある訳ではない。私もこの任務に先立ってノーベル大佐の存在を教えられたが、他の地方の幹部は知らないし、何ならノーベル大佐以外のこの地方における機関構成員も把握していない。

 

「……なるほどのう。確かに卿の言う通りだ。だが……もし卿や卿の御父上が機関の幹部であるのならばだ、一つだけ教えてほしいことがあるんじゃ」

「教えて欲しい事……ですか?」

 

 私は戸惑った。ノーベル大佐がそのようなお願いをしてくることは予想していなかった。

 

「……ヴァルター・コーゼルは何故死んだ?」

 

 ノーベル大佐は私の目を見つめながら徐にそう言った。

 

「えっと……いきなり何です?」

 

 私は戸惑いを深めながらそう答える。そこで私はハウシルト・ノーベルがかつてヴァルター・コーゼルを『カエサル』に仕立て上げた者の一人であると思いだした。

 

「ライヘンバッハ大尉。卿は一体何故機関に入った?」

「……自由が好きだから、とでも答えておきましょう。嘘はついていません。それは誓います」

 

 私はノーベル大佐の質問に一瞬詰まりながらそう答えた。

 

「そうか、儂は違うぞ。儂も自由は好きだが、それだけで命を賭けられるような人種ではない。儂はな、大尉、ヴァルター・コーゼルが好きだから機関に入ったんじゃ、他に機関に命を賭ける理由などない」

 

 ノーベル大佐はそう言いながら少し俯く。

 

「儂はな、帝国の理不尽な体制に不満を持っていたが、それを変えようとは思わなかった。諦めていたのだよ。大多数の平民軍人と同じくな。だがヴァルター・コーゼルは違った……あの方は云わば奇跡じゃ、どのような理不尽も全て実力で叩き潰した。貴族だろうが被差別民だろうが、あの方には関係なかった。あの方に重要だったのは正義と誇りの二つだけじゃった。あらゆる障害を捻じ伏せながら階級を上げていくあの方は平民の希望だったんじゃ」

 

 ノーベル大佐は過ぎ去った過去を懐かしんでいる様子だ。

 

「かつて、銀河連邦の将兵はルドルフ・フォン・ゴールデンバウムに新たな可能性を見た。大帝陛下の姿に魅せられていった。儂らにとってはコーゼル閣下がそうだった。あの方は何かを持っている。何かを変えられる。儂らはそう確信していた。……だから儂はジークマイスター閣下の誘いに乗った。儂らの希望が上り詰める、その手助けをしたいと思ってな」

 

 ノーベル大佐はルドルフの例を出したが、私はアッシュビーとジークマイスター提督の関係を思い出していた。同盟の現実に打ちのめされたジークマイスター提督はアッシュビーに新たな可能性を見出した。ノーベル大佐とコーゼル提督の関係も、またそうであったのだろう。 

 

「そしてだ、儂らの希望はついに統帥本部の次長まで上り詰めることになった。儂らは狂喜したよ……。あの方が帝国軍を変える、儂らはそう信じていた。……第二次ティアマト会戦で、あの方が死ぬまではな」

 

 ノーベル大佐はそこまで話すと再び私の目を見た。その目は険しいものだった。

 

「アッシュビーが相手ならまだ分かる。だがな、行進曲(マーチ)ジャスパーと男爵(バロン)ウォーリック如きにあの方が負ける訳があるまい!教えろライヘンバッハ大尉、第二次ティアマト会戦の前後、機関が動いていたことは知っている。一体あそこで何が起きたんじゃ、コーゼル大将は何故死んだんじゃ!」

 

 私は息を呑んだ。私はコーゼル提督が死んだ理由を知らない。だが、シュタイエルマルク提督がコーゼル提督を暗殺しようとしていたことは知っている。……それを目の前の老人に伝えればどうなるだろうか?想像したくも無かった。

 

「……司令。申し訳ありませんが、小官が機関に入ったのは僅か四年前。第二次ティアマト会戦で何が起こったのかは流石に存じ上げません」

 

 私はノーベル大佐に嘘をついた。そうするしかなかっただろう。『茶会(テー・パルティー)』計画を前にして、ノーベル大佐が離反するようなことになったら大変だ。

 

「……そうか。まあそうじゃろうな。もしかしたら、と思ったんじゃがのう、流石に知らんか」

 

 ノーベル大佐は気落ちした様子でそう言っている。……彼とコーゼル提督の関係を私の身に置き換えるならば、私とジークマイスター機関の関係そのものだろうか?もし、ジークマイスター機関が突如として私を残して消え去ったとすれば……私はきっとその理由を何が何でも突き止めようとするはずだ。……ひょっとすると、コーゼル提督を失ったノーベル大佐が今でも機関に残っているのは、真実を突き止める為なのかもしれない。

 

「悪かったのう、ライヘンバッハ大尉。卿も何か儂に話があるのじゃろう?」

「は!『茶会(テー・パルティー)』計画にゴーサインが出ました。小官は司令の支援と同盟側とのやり取りの為に派遣されてきました」

 

 私はノーベル大佐に対し軍上層部の状況を説明した。同時に、『茶会(テー・パルティー)』計画に関するいくつかの点に関する修正を伝える。

 

「なるほどのう……。分かった。儂の方でも準備を始めよう。今年中に準備を整える必要があるんじゃな?」

「はい、同盟宇宙軍第三艦隊が年明けと同時にオリオン腕側に進出し、リューベックに駐留する手筈になっています。この艦隊は議会にも知らせず、内密で行軍します。少し遅れて通常通りの動員と行軍で、第五艦隊、第七艦隊、第一一艦隊がオリオン腕側に展開、イゼルローン方面辺境を守る黄色弓騎兵艦隊、第一辺境艦隊、第二辺境艦隊を撃破、可能ならばフォルゲン恒星系を確保し、エルザス・ロートリンゲン辺境軍管区を完全に制圧下に置きます」

「ふむ、最初の一個艦隊と後の三個艦隊の展開には時間差がありそうだが、その間にリューベックが再度帝国軍に制圧される可能性もあるのではないか?」

 

 ノーベル大佐の疑念は尤もであるが、その点に関しては問題ない、何せ辺境防衛を預かっているのはジークマイスター機関の幹部である父だ。どうにでもなる。

 

「フォルゲンやボーデンに機関のメンバーを配置しています。彼らが帝国軍の対応を遅滞させる手筈になっています。仮にこれが上手く行かず、早期に帝国艦隊がリューベックに到着したとしても、第三艦隊とリューベック警備艦隊で遅滞戦闘に努めれば、三個艦隊の援軍が到着するまで耐えきるのはそう難しい事ではありません。最悪、リューベックや各惑星の地表で抵抗運動を続ければ、間違いなく同盟三個艦隊の到着までは耐えきれるでしょう」

 

 私は父の事は伏せつつ、そう答えた。

 

「なるほどのう。分かった大尉。ではお互い頑張ろうではないか」

「は!」

 

 私は敬礼し、司令室を去った。『茶会(テー・パルティー)』計画は機関が休眠状態にある間も、動き続けていた計画だ。同盟側との調整も完了している。間違いなく上手く行くだろう。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。



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青年期・リューベック独立派(宇宙歴760年10月18日~宇宙歴760年10月19日)

 リューベック自治領(ラント)はリューベック星系第三惑星リューベックに自治領府を置くが、他に同第四惑星ブラオン、アーレンダール星系第五惑星ファルスタ、ライティラ星系第三惑星ダルスブルクに分治府を置く。自治領府主席、副主席、総書記はいずれも帝国総督府の任命制であったが、分治府の首脳部はいずれも事実上の公選制で選ばれ、これを総督府が『承認』する形になっていた。

 

 勿論、総督府が機能している場合、これらの分治府首脳部にも親帝国的な人物だけが承認され、反帝国的な人物は絶対に承認されない。……ところが、第二次ティアマト会戦後の一連の流れで総督府の力が低下したために、総督府はこれら分治府首脳部に反帝国派の進出を許してしまう。

 

 宇宙歴七六〇年一〇月、アーレンダール分治府主席選挙でついに反帝国派の象徴の一人である非ゲルマン系女性活動家、バトバヤルティーン・オヨンチメグが当選する。近年、総督府は自治領民の反発を恐れてその絶大な権限を行使できていなかったが、流石にこの事態は許容できず、即日マックス・フェルバッハ総督は就任拒否と再選挙命令を発表する。

 

 これに対して自治領府のアデナウアー総書記、ライティラ星系分治府のアーレンバーグ主席らが激しく反発。自治領立法府は「今回の総督府命令は帝国と『第七艦隊共和国(リパブリック・オブ・セブンスフリート)』の間で結ばれた地位協定に反し無効」との議決を行った。一般の自治領民の間でも再び反帝国的な機運が高まりつつあった。

 

 マックス・フェルバッハ総督は少なくとも前任者よりはバランス感覚に優れており、事態を鎮静化させつつ総督府の命令を通すために、オヨンチメグの自治領立法府議員資格を認めることを発表したが、これはさらなる自治領民の反発を招くことになる。自治領立法府は総督府が立法の最終決定権を握るが故に完全公選制が取られていた。その為、「総督府の決定は重大な越権行為であり、これを認めることは立法府の建前上の独立すら揺るがすことになる」と猛反発を食らったのだ。

 

「申し訳ありません。フェルバッハ総督閣下……。小官の読みが甘かったです」

「いや……仕方が有りますまい。まさか総督府が譲歩したのに批判してくるとは……彼らは革命を起こしたいのだろうか」

 

 私の謝罪を受けたフェルバッハ総督の顔には深い疲労が滲んでいる。

 

 フェルバッハ総督にオヨンチメグの立法府議員資格を認めることを提案したのは私であった。……私たち機関としても、同盟側や辺境司令部の同志との連携が取れないタイミングでリューベックの独立運動が過激化するのは避けたかった。今、リューベックで革命が起きても辺境艦隊に潰されるだけである。

 

「……とにかく、自治領府や立法府と対話して、なんとか妥協点を見出しましょう。昨年の大暴動の再発だけは避けなければなりません。当面の課題は、駐留艦隊司令部で持ち上がっているアーレンダール艦隊派遣案を止めさせること、そして来月の第七艦隊創設記念日を無事に乗り切ることです。オヨンチメグ連帯国民大会の開催が予定されているとか」

「駐留艦隊の方はノーベル大佐と大尉殿の友人のメルカッツ少佐が抑えてくれることを期待しましょう。国民大会を中止させるのは……無理か。中止させても彼らは勝手に集まるでしょうな。軍を派遣して大会が暴動に繋がらないように抑止しますか?」

「逆効果でしょう。アレは火薬庫です。そこに帝国軍を近づけるのは火種を放り込むのと同じです。各駐留部隊はいつでも出動できる状態で待機させておきましょう」

 

 着任から僅か三か月で私はフェルバッハ総督から深く信頼されるようになっていた。現在の総督府は……控えめに評して見るべき人材が居なかった。私がリューベック総督府の調査と立て直しに来たことは広く知られている。私が監査に立ち入るたびに各部署はそれをやり過ごそうとするのだが、それがあまりにも雑だった。幼年学校を卒業して僅か四年しか経っていない私の目でも杜撰な仕事ぶりとそれを稚拙な偽装で隠蔽しようとしていることが明らかだった。

 

 リューベックの実情に全く合わない本国と変わらない画一的な仕事振りの行政局、リューベックの反帝国感情を煽るのがお前たちの仕事なのかと問い詰めたくなるような不公正な法整備と不平等な法運用を試みる保安局、馬鹿みたいに帝国の『伝統』を押し付け、躍起になって『第七艦隊共和国(リパブリック・オブ・セブンスフリート)』の痕跡を消そうと無駄な努力を繰り返す文化局、辞書に『増税』しか言葉が書いていない財務局、この混迷した情勢で思いついたように全ての教育機関に監視カメラ付きルドルフ大帝像を作ろうとした無能オブ無能の教育局。……ちなみに教育局長のコンラート・フォン・ランズベルクは領地貴族出身である。まあ、領地貴族としては珍しく、個人としては悪い奴では無かったが、あれは絶対に役人にしてはならない奴だと思う。

 

 気付けば私は総督府のあらゆる部署に口出しするようになっていた。彼らの無能と軽率は放置しておけば、今年一年保つことなくリューベックから総督府が消え去るのではないかという危惧を私に抱かせた。勿論、反発もあったが、公僕としての義務感と機関のメンバーとしての使命感で私はそれらを捻じ伏せた。

 

「そうそう、大尉殿の希望していた増員要請が認められましたよ。第二辺境艦隊とエルザス・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン辺境軍管区から一人の士官と数人の下士官を転属させてくれるそうです。いやはや、これも大尉殿の御威光ですな」

 

 フェルバッハ総督はいくらか表情を明るくさせてそう言った。総督府の現状が絶望的であることを思い知った私はすぐに上位司令部に助けを求めた。これでは『茶会(テー・パルティー)』計画が実行に移されるまで総督府が保たない。

 

「そうですか!それは良かったです」

 

 私も本心からそう言った。その後、フェルバッハ総督からいくつかの相談を受けた後、私は総督室を辞去した。

 

 

 

 

 同日夜、私は軍服から私服に着替え、かつらと眼鏡で最低限の変装をした上で領都ベルディエの外れにある歓楽街を訪れていた。その一角にある古いバーの二階にリューベック独立派の領都ベルディエにおける拠点が存在していた。

 

「マスター、マンハイム四三六年物の白ワインはあるか?」

「……おいおい、こんな場末のバーにそんな高級品がある訳ないだろ」

「無いのか、それじゃあいつものを頼むよ」

 

 私はマスターに声をかける。出てきた安物の酒を流し込んだ後、私はマスターにトイレを借りたいと申し出て、店の奥の方に向かう。すると、店の中からは死角になっている位置の壁が開き、中の男が私の腕をつかんで引きずり込んだ。

 

「痛……。毎度思うんだがな、引っ張る必要があるか?自分で入れるだろ」

「少しでもここを開ける時間を短くしたいんでな、悪く思わんでくれ帝国人」

 

 ……リューベック独立派が私たち機関にどういう態度を取るかは二極化する。圧政の中で自由の為に闘う私たちにやたら感動し、時に涙を流しながらその姿を称える理想主義者(ロマンチスト)、所詮帝国人は信用できないと無駄に冷淡な態度を取る現実主義者(リアリスト)原理主義者(ファンダメンタリスト)。比率的には一対二と言った所か。

 

 私は私を引きずり込んだ男と共に階段を上る。そこには一〇数人の男女が集まり、言い争いをしていた。

 

「今こそ立ち上がる時だ!国民は皆総督府への怒りを抑えきれなくなっている。分治府や立法府も今なら実力行使に賛同するはずだ!」

 

 大柄の茶髪の青年が熱心に決起を説き、数人がそれに同調する。

 

「ダメだ!協力者たちは年明けの決起を想定している、今立っても支援は受けられない!」

 

 それに対し、所々白髪の混じった恰幅の良い初老の男性が首を振って否定する。

 

「協力者など必要ないだろう!国民の団結を前にすれば総督府や駐留艦隊などひとたまりもない!」

「そうだろうな!そして辺境艦隊を中心とした大戦力がやってきてリューベック独立派は一人残らず絞首台送りだ!」

「死が怖いのか!ミシャロン!」

「無駄死は怖いな!チェニェク、お前は怖くないのか?」

 

 アルベール・ミシャロンは元自治領警察府検事の立法府議員だ。反帝国的なリューベック独立党の副幹事長を務めている。チェニェク・ヤマモトは家具職人の息子だが、リューベック自治領警備隊に入り警備隊曹長の階級を得ている。どちらも領都ベルディエにおける独立派の中心人物だ。

 

「二人とも落ち着いて。見てください、カールが来ましたよ」

 

 線の細い眼鏡をかけた青年が私の存在を二人に示した。私は軽く会釈して、会話に参加した。

 

「ミシャロン氏の言う通りだ。皆さん、大局を見失わないでください。オヨンチメグ氏の当選が認められないのは確かに不愉快な事ですが、それも年明けまで待ち、リューベックが再び独立すれば問題は無くなる」

「カール、それは分かっている。だが俺が言いたいのは、世論の話だ。マックス・フェルバッハは物分かりの良い総督を気取って、立法府や分治府の『穏健派』たちを取り込みつつあった。だが今回その化けの皮が剥がれた。奴も結局は腐りきった帝国人だ。モンゴル系の女性など分治府主席として認められないのだろうな」

 

 カールというのは私の偽名だ。チェニェクは独立派の中でも血の気の多い奴だが、頭の悪い奴ではない。ついでに言うと、私に対しても融和的だった。本心は分からないが、少なくとも友好を演出できる器量はある訳だ。

 

「皆、多少はフェルバッハ総督を信頼していましたからね。『少なくとも前よりはマシだ』という消極的な信頼ですが。それだけに現実を突きつけられたのでしょう。結局彼は前任者より誠実な訳ではなく、狡猾に過ぎないと。国民の反発を利用して、立法府議員の選任に総督府の影響力を及ぼそうとするとは……恐るべき手腕です」

 

 線の細い眼鏡をかけた青年――オリバー・シーツという大学の准教授だ――が付け足す。……リューベックの自治領民にはフェルバッハ総督と私のギリギリの妥協も、悪辣な姦計に見えたらしい。とはいえ、リューベックの歴史を考えれば無理もないか。

 

「カール、当初の計画通り『茶会(テー・パルティー)』計画が実行に移された時、不安要素となるのはリューベックの指導者層がどういう反応を示すかだったな?奴らは交渉を通じて自治権を拡大しようと考えている。それは俺に言わせれば夢物語だが、フェルバッハは狡猾にも夢物語の実現に期待を持たせ続けていた。確かに俺たちが武力革命に打って出た時、あいつらがどういう反応を示すかは読み切れない部分があった。だが今立てば間違いなく立法府や分治府の連中も立たざるを得ない。ここで総督府と妥協でもしてみろ、国民は帝国人より先にあいつらを処刑台に引きずり出すだろうな」

 

 チェニェクの言うことにも理が無い訳ではないが、彼は帝国軍を過小評価しすぎており、リューベック自治領民の精神力を過大評価しすぎている。チェニェクは今立ちあがり、その結果帝国軍が侵攻してきても抵抗は可能だと考えている。確かに艦隊戦では勝てないが、リューベック九億人がゲリラ的に抵抗すれば辺境の帝国軍が鎮圧するのはほぼ不可能と言っても良い。……本当に九億人全員が抵抗すれば、そして帝国軍が『常識的な』叛乱鎮圧方法を取ればの話だが。

 

 私は必死で彼らを説得した。説得する過程で止むを得ず、駐留艦隊司令のノーベル大佐が同志の一人であることを明かさざるを得なかった。尤も、「それならば尚更!」という意見もあったが……私の説得は何とか受け入れられた。リューベック独立派の中心的なメンバーが決起を思いとどまってくれるのであれば、オヨンチメグを巡っての立法府・分治府と総督府の対立は何とか落としどころが見つかりそうだ。私はそっと息を吐いた。

 

 

「おい、カール!ちょっと話があるんだ、少し残ってくれないか?」

 

 独立派の会合が終わり、私も拠点を立ち去ろうとしたとき、独立派のメンバーの一人であるブロンセ・ゾルゲに呼び止められる。ゾルゲは名前で分かる通りゲルマン系の住人であるが、熱心な独立主義者であり、人種を活かして総督府や駐留軍の建物に出入りしている記者である……ということになっている。

 

「……ああ、明日の軍務が辛くなるだろうが、別に構わないよ」

 

 私は軽く笑みを浮かべ、肩を竦めながら応じた。既に日付が変わっている。今から宿舎に戻って風呂に入り寝たとして……五時間寝れれば良い方である。

 

「軍務、ね。貴官は軍務より大切な物があるからこんなところに居るのだろう?それならば甘んじて受け入れるべきだ」

 

 ゾルゲも疲れた笑みを浮かべながらそう言った。……ブロンセ・ゾルゲは偽名である。私もこの時点では本名は知らない。知っていることはただ一つ、彼が自由惑星同盟軍の対外諜報セクションに属する人物だということだ。自由惑星同盟はジークマイスター機関の協力を得て辺境地域を中心に帝国領各地に諜報員を派遣していた。尤も、銀河帝国も似たようなことはしている。同盟の辺境星系政府は往々にして帝国との『取引』に応じることがある。例えば帝国諜報員に偽の戸籍を用意するような、そんな簡単な取引だが。

 

「カール、ゾルゲ。帰るときに偽装はしっかりやっておいてくれ。……それと重要なことは私にも伝えてくれないと困る、いいね?」

 

 ミシャロン氏は刺すような目線で私たちの顔を見つめながらそう言って拠点を出ていき、私とゾルゲだけが残った。ミシャロン氏は領都ベルディエに限らず、リューベック独立派における中心人物である。中々優秀な人物であり、私はともかくゾルゲの正体すらある程度察しているようだ。

 

「おっかない人だ。彼がリューベックに生まれた幸運を同盟は喜ばないといけない」

 

 ゾルゲは軽く笑いながらそう言った。私も同感であったが、彼にとってはこの土地に生まれたことは不運な事だっただろう。彼は昨年の少女暴行事件の後、自治領警察府検事を辞職し立法府議員に立候補した。同時に地下活動にも参加し、各惑星で個々に活動していた急進的な独立派組織をまとめ上げた。……彼としても本来はこのような運動に参加するのは不本意だったのではないか。検事として正義を実現できるのであれば、きっと地下組織のリーダーなどにはならなかっただろう。

 

「それで?ゾルゲ、話ってなんだ?」

「いや、大したことじゃないんだがな……。フェザーン弁務官事務所に新しい駐在員が派遣されていたらしい」

 

 ゾルゲはそんなことを私に言ってきた。ジークマイスター機関にとってフェザーンは重要な協力者の一つであると同時に、警戒しなくてはならない存在の一つである。フェザーンは長年勢力均衡政策を取っており、同盟か帝国のどちらか一方が勝ちすぎる、あるいは負けすぎる事態を防ぐべく、ジークマイスター機関に協力していた。もっとも彼らの目的はあくまで勢力均衡、ジークマイスター機関の活動が彼らの目的と対立する時は容赦なく妨害してくる。今回の『茶会(テー・パルティー)』計画をフェザーンが知れば妨害に動く可能性は低くない。

 

「……確かに時期外れではあるが……。それがどうかしたのか?フェザーンが計画に気づいたということか?」

「分からん。分からんが、この駐在員、三年前にもリューベックに赴任している。どうにもそれが気になる」

 

 ゾルゲはそう言って考え込んでいる。機関とて馬鹿ではない。フェザーンに対しては中央で軍務省に勤務しているシュタイエルマルク提督が対処している筈だ。クルトも今は在フェザーン帝国高等弁務官事務所に配属され、同盟側と協力してフェザーンに対する欺瞞工作を行っている。

 

「もしフェザーンが気づいているとすれば、もっと激しい動きがあるんじゃないか?機関の存在を帝国中枢に漏らす……のは自分の首を絞めることにもなるから無いにせよ、それに類するようなもっと効果的な妨害を行うはずだ。例えばそうだな……同盟の新聞社に第三艦隊の動員情報を漏らすとか。うん、それが一番手っ取り早いな」

「俺もそう思う。そう思いはするんだが……。まあ一種の勘だな、警戒はしておいた方が良い。情報を共有しておこうと思ってな」

「……分かった。こちらでも一応監視の目を強めておこう。二辺の同志を通じて報告も上げておく」

「宜しく頼む」

 

 私とゾルゲはその後暫く情報を交換してから別れた。気付けば時計の針は三時を指している。

 

(これは……徹夜かな)

 

 私は宿舎に戻る道を歩きながらそんなことを考えていた。

 



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青年期・フェルバッハ総督暗殺未遂事件(宇宙歴760年11月18日~宇宙歴760年12月23日)

 宇宙歴七六〇年一一月一八日、第七艦隊創設記念日を何とか無事に乗り切ったリューベック総督府に、惑星エーリッヒ・フォン・マンシュタインから補充人員が到着した。

 

「本日付けでリューベック総督府に配属されました。テオドール・フォン・アーベントロート宇宙軍中尉であります」

 

 アーベントロート中尉は金髪色白のどこか感じの良い印象を受ける快活な青年だった。

 

「良く来てくれた中尉!これでリューベック総督府も安泰だ。中尉、君の上官を紹介しようと思う。特別監査室長のアルベルト・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍大尉殿だ。非常に優秀な私の最も信頼する部下だ。彼の命令を私の命令だと思って……いや違うか、彼の命令を私以上の命令だと思って従うように」

「……総督閣下、流石にそれは……」

「何、アーベントロート中尉も平民より大尉殿の指示に従いたいはずだ、そうだろう?」

 

 その日、フェルバッハ総督はやたらハイテンションだった。まあ、無理も無いだろう。久しぶりの良いニュースである。アーベントロート中尉は苦笑している。

 

「承知しました。しかし、小官は帝国軍人として弁えるべきものは弁えております。総督閣下にも無論、忠誠を誓いますのでご安心ください」

「そうか!宜しく頼むよ!君にも期待している」

 

 上機嫌のフェルバッハ総督はそう言うと、私にアーベントロート中尉を職場に連れて行くように命じた。

 

「中尉、すまないな。あれでフェルバッハ総督も優秀な方でな」

「……それは分かっております。『内憂外患』そんな状況であの方は良くこの総督府を保たせました、そうは思いませんか大尉殿?」

 

 アーベントロート中尉はどこか意味深にそんなことを言った。私は怪訝に思ったが、『内憂』の部分が機関を指していると考えるのは早計だろう。無能の極みである総督府の役人たちを指していると考えることにした。

 

「全くだ。初めて監査に入った時驚いたよ……。教育局以外の全てに問題があった」

「?教育局は問題なかったので?」

「仕事のやり方はね。……そもそも何でそんな仕事をしているのかが理解できなかったけど」

 

 私はランズベルク局長の能天気な顔を思い出す。……あいつは無能な訳じゃない。ただ致命的に役人に向いていないんだ。軍人で例えるなら戦略的視野に著しく欠ける戦術レベルの名将と言った所だろうか。

 

「はあ……」

 

 アーベントロート中尉は分かっていない様子だ。だがこの後ランズベルクの元に挨拶に行った彼は私の言いたいことを分かったようだ。

 

 アーベントロート中尉の他にも数人の下士官が私の部署や他の部署に配属されたが、彼らはどこか私と距離を置いている。無理もない、アーベントロート中尉以外の配属者は皆平民だ、名門貴族の私に話しかけるのは気後れするのだろう。

 

 

 その日、私はアーベントロート中尉……と付いてきたランズベルクを連れて飲み屋に向かった。そこにはいつものようにメルカッツ少佐とヘンリクが居る。

 

「やあ!ライヘンバッハ大尉。先にやっているよ」

「御曹司!遅かったじゃないですか。……そちらの金髪の方は?」

 

 メルカッツ少佐とはあれ以来定期的に会う仲になっている。どうやら少佐の方も兵士からは慕われているものの、同僚とは上手く行っていないようだ。「あいつらと話すのは疲れる。ベルディエまで出向く方がマシだ」とはメルカッツ少佐の言である。

 

 ヘンリクの方は言うまでもあるまい。彼は私がこの惑星に配属されるのと同時に総督府防衛大隊の中隊長として赴任した。それなりに上手くやっているようだ。

 

「テオドール・フォン・アーベントロート宇宙軍中尉です。ライヘンバッハ大尉の部下として本日着任しました」

「いやーリッテンハイム侯爵の一門に連なる名家の出身らしいよ。僕もブラウンシュヴァイク公爵の一門に連なる名家の出身だけどね!」

 

 アーベントロート中尉が二人に挨拶し、その後でランズベルクがどうでも良いことを付け足す。

 

「ランズベルクの旦那……またこっちに来たんですかい?細君に怒られても知りませんよ?」

 

 ヘンリクがウンザリした様子で言うと、ランズベルクが青ざめる。

 

「エリーの事は今は良いだろう?……私だって友人と飲みたい時だってあるんだ!聞いてくれ皆、あいつまた私の買ってきた壺をゴミ扱いしたんだぞ!銀河連邦時代から続く由緒正しき窯の壺なのに……」

「まーた壺を買ったのか……。ランズベルク局長、こんなことは言いたくありませんが、辺境自治領勤務なんですからそんな壺を買う余裕なんて無いでしょう?小官はまだ一人身ですから分かりませんが、細君とお子さんの事を考えたら……」

 

 メルカッツ少佐がランズベルク局長に説教をしている。私は店員に日本酒を注文した。正直なところ、酒はあまり好きではないが、付き合いという物も大事なのだ。それに帝国本土では中々日本酒を呑める場所は無い。リューベックは所謂日系が一定数住んでいるから、今でも日本酒を作っている蔵があるのだ。

 

「どうした中尉?」

「すいません……あまりこういう所には慣れない物で」

「ああ、なるほど。まあ慣れれば格式ばった所より楽で良いもんだよ」

 

 私はアーベントロート中尉のジョッキに日本酒を注ぐ。本来は御猪口が欲しいのだが、どうもリューベックでは酒は造っていても御猪口は作っていないらしい。

 

「これは……不思議な味ですね」

「だろう?ワインやビールも悪いとは言わないが、私はこっちの方が好きだよ」

「……日本酒、ですか。リューベックには帝国本土で消え去ったような文化が今でも生き残っているのですね」

 

 アーベントロート中尉は店の壁に付けられたモニターを見ながらそう言った。そこではオヨンチメグ氏のアーレンダール星系分治府副主席就任が報道されていた。

 

 オヨンチメグ氏を巡る一連の騒動は結局、オヨンチメグ氏の就任を拒否し、再選挙で選ばれた人物が星系分治府主席に就任する代わりに、その主席がオヨンチメグ氏を副主席に任命した場合総督府は絶対に拒否権を行使しない、という条件で手打ちになった。無論、不満の火種はくすぶり続けていたが、それでもフェルバッハ総督は上手く切り抜けたという所だろう。勿論私もフェルバッハ総督の手となり足となり奔走したが、頭となる人間が優れていないと意味は無い。やはりフェルバッハ総督は優秀な役人であると言える。

 

「……非ゲルマン系の文化は嫌いか?」

「そんなに狭量じゃありませんよ。ただ……小官はゲルマン系の社会で生まれ育ってきました。その社会を守りたい、とはどうしても思ってしまいますね」

 

 アーベントロート中尉は日本酒を飲みながらそう言った。

 

 私たち五人は暫く歓談した後、飲み屋を出て別れた。その際ヘンリクが話があると私の方へ付いてきた。

 

「御曹司。あの中尉には警戒しておくべきでしょうな」

「……やっぱりそうかい?」

 

 私はヘンリクの言葉を予想していた。この辺境にリッテンハイム一門に連なる名家の出身である中尉が赴任。何らかの意図があると考えるのが自然だ。ただ、単にグリュックスブルク中将が私と父に慮って優秀な部下を送り込んできただけの可能性もあった。

 

「まあ、我々を怪しんでいる訳でも無いでしょうが、リューベックでキナ臭い動きがあるのは分かっているみたいですしね。注意するに越したことは無いでしょう」

 

 ヘンリクはそう言うと私と別れた。彼の宿舎は別の区画にある。本来は遠回りの道だった。

 

 

 新しいフェザーン弁務官事務所の駐在員、テオドール・フォン・アーベントロート宇宙軍中尉、往々にして暴走しがちなリューベック独立派、私はそれらを警戒しながらも総督府での仕事を無難に処理していた。やがて月は変わり、一二月二一日、ついにゾルゲから同盟宇宙軍第三艦隊司令部直属部隊がエルゴン恒星系の同盟軍基地まで到達したことを聞いた。残りの部隊も複数のルートを取り、ティアマト恒星系に向かっている。集結に時間がかかることを考慮しても、年明け、一月一〇日頃までにはリューベックに到達するはずだ。

 

 そろそろこちらでも独立派を動かすべきか、そんなことを考え始めていた宇宙歴七六〇年一二月二三日、その日の昼、私はランズベルクと共に総督府の中にある食堂に居た。食事を終え、食堂を去ろうとしたその時だった。爆音が轟き、総督府が激しく揺れた。この時私の頭の中にあったのは「独立派の暴発」だった。だがすぐにそうでは無いことが分かった。

 

「大尉、ライヘンバッハ大尉殿はおられますか!」

 

 慌てた様子でアーベントロート中尉が駆けてくる。

 

「どうした!何があったんだ!」

「総督が……総督が暗殺されました!」

 

 その瞬間、食堂の時が止まった。すぐにそれはパニックに取って代わられる。

 

「誰に?いやどうやって?自治領民がやったのか?ライヘンバッハ大尉、どうすればいいんだ……」

「中尉、ここを頼んだ」

 

 私はすがりつくランズベルクを放置すると総督室に向かう。一階の食堂から階段を駆け上がった。総督府の前では数人の総督府職員が集まっている。

 

「何をやっておるか!総督閣下を救出しろ!憲兵と軍病院には連絡したか!」

「す、すぐに!」

 

 一人の役人が走っていく、私は煙を吹き出す総督室の中に突っ込んだ。所々炎が燃えている。砲撃か?いや爆弾?

 

「総督閣下!ライヘンバッハ大尉であります。どちらに!」

 

 総督室の中には瓦礫が散乱している。執務机がひっくり返り、その陰に人の手を見つけた。

 

「閣下!」

 

 私は机を蹴り飛ばそうとするが、思ったより重く、動かない。

 

「誰か!総督閣下が机の下敷きになっている。力を貸してくれ」

 

 その声でようやく二人が部屋の中に入り、力を合わせて机をどける。その下には頭から血を流したフェルバッハ総督の姿があった。三人で力を合わせて何とか総督室の外へ身体を運び出す。

 

「大尉、まだ息はあります」

 

 アーベントロート中尉がそう言った。いつの間にかついてきていたらしい。

 

「おお、総督!誰がこんな酷いことを……」

 

 ランズベルクも居た。どうやらこの二人が私に力を貸してくれたようだ。……他の連中はボーっと突っ立て居た。

 

「担架!あと軍医を!急げ!」

 

 私の指示でようやく動き出す。数分後、担架で一階まで総督を運ぶ途中で軍病院から来た救急隊に引き継ぐ。

 

「総督府防衛大隊を招集しろ!憲兵隊を市街に……いやダメか。自治領府と警察府に連絡、戒厳令を出す。領民を統制させろ」

「待ってください大尉殿、それは越権行為です」

「お前、この状況で……」

「この状況だからです!落ち着いて!」

 

 アーベントロート中尉が私の肩を掴んでそう言う。それで少し落ち着いた私は近くに居たランズベルクに声をかける。

 

「ランズベルク局長、私が今言ったのはあなたへの進言です。認めていただけますね?」

「は?え?」

「貴方が現在総督府の最高位者です。他の局長はどこに居るかは分かりませんからね」

 

 その言葉を聞いて視界の端で財務局長と参事官が「自分は?」というように自分を指差したが無視する。

 

「わ、分かった。じゃあライヘンバッハ大尉の言う通りに皆頼む」

 

 その言葉で数人が動き出した。……たった数人である。何と嘆かわしいことだろうか。

 

 それから四〇分ほど経った時だっただろうか。駐留艦隊司令部からロンペル少尉らが総督府を訪れた。

 

「おお、ロンぺル少尉か。悪いが駐留艦隊司令部に協力を頼みたい、総督府は人員不足で……」

「アルベルト・フォン・ライヘンバッハ、貴様をマックス・フェルバッハ総督暗殺未遂と大逆罪の容疑で拘束する」

 

 私は耳を疑った。「は?」と間抜けな声を出してしまった。

 

「また、現時刻を以ってハウシルト・ノーベル宇宙軍大佐がリューベック総督府の指揮権を引き継ぐ。よって、総督府の全職員は駐留艦隊司令部の指揮下に入る。いいな?」

「いや、待て!駐留艦隊司令部と総督府は独立しているだろう?確かに階級で言えばノーベル大佐が引き継ぐのが相応しいように思えるかもしれないがこの場合は副総督が……」

「煩い!」

「がっ!」

 

 信じられないことにロンペルは私を足蹴にした。私は何が何だかわからなかった。

 

「これは不当だ!大体ライヘンバッハ大尉が暗殺犯だって?私はあの時食堂で彼と一緒に居た、無実は証明する!」

 

 意外な事にランズベルクがロンペルと私の間に立ちふさがった。

 

「時限式の爆弾を使ったのかもしれない。とにかく、調査は駐留艦隊司令部で行う。妨害するならば貴様も拘束する」

「何だと!上等だ、このコンラート・フォン・ランズベルクを不当に拘束するというのならば、ランズベルク伯爵家とブラウンシュヴァイク公爵家が黙っていないだろう。確かめてみるが良い!」

 

 ランズベルクがロンペルと押し問答をしている間にアーベントロート中尉が近づいてきた。

 

「やられました。申し訳ありません。小官の責任です」

「何?」

「詳しい話は後々。今はロンペルに従いましょう。小官を信じてください」

 

 アーベントロート中尉は小声で私に言う。私は不安でならなかったが、ロンペルと押し問答を続けていたランズベルクが殴られたのを見て、この場はロンペルに従わざるを得ないと判断した。

 

「分かった!私は貴官に従って出頭しよう。ランズベルク局長、皆さん、私は無実です。必ずそれを証明してこの場に戻りましょう。今は皆さんの職務に集中してください」

 

 私がそう言うと、ロンペルの連れてきた兵士が私を乱暴に引き立てた。私は訳が分からなかった。何故総督が襲われたのか、何故私が拘束されるのか、ノーベル大佐は何を考えているのか、アーベントロート中尉の言葉はどういう意味だろうか、『茶会(テー・パルティー)』計画はどうなるのか……何一つ分からなかった。

 

 ただ一つ分かっていることは、私がどうやら危うい立場にあるということだけである。

 

 



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青年期・茶会の終焉と奪われた聖夜(宇宙歴760年12月23日~宇宙歴760年12月27日)

 宇宙歴七六〇年一二月二三日、マックス・フェルバッハ総督が突如として暗殺されかけ、私はその下手人として何故か駐留艦隊司令部に拘束された。その後私は独房に放り込まれ、二日間を過ごすことになる。その間外で何が起こっていたのか、私は何一つ分からない状況に置かれた。

 

 宇宙歴七六〇年一二月二五日夜、私の下を再びロンペル少尉が訪れた。ロンペルは私を立たせると、そのまま司令室へと私を連れて行った。

 

「ご苦労じゃったロンぺル少尉。少し外してくれるかのう?」

「は!」

 

 部屋の中では当然ではあるがノーベル大佐が私を待っていた。相変わらず穏やかな表情だが、この人が一体何を考えているのか、私は確かめなければならなかった。

 

「……司令、これはどういうことです?何故フェルバッハ総督が襲われ、私がその犯人として拘束されているのですか?」

「ふむ、それは卿の心に聞いてみてはどうかな?」

 

 ノーベル大佐は表情を変えずにそう答えた。そう言われても私には分からない。そのまま黙ってノーベル大佐を睨んでいると、ノーベル大佐はため息を一つついて口を開いた。

 

「分からんか。言ったはずじゃ……儂が機関に命を賭けたのはコーゼル閣下の為だと」

「……確かにそう聞きましたが、それがどうしたというのですか」

 

 私はそう聞き返したが、「コーゼル閣下」という言葉を聞いた瞬間、かつてこの場所で考えた、最悪の可能性を思い出した。……目の前の老人にコーゼル提督に関して私の知ることを全て話せばどうなるか。

 

「本当に分からんのか。ということは卿は本当に第二次ティアマト会戦で何が起こったのか知らないらしいのう……。良かろう、儂が教えてやる」

 

 そういうとノーベル大佐は話し始めた。それは機関が第二次ティアマト会戦に際し、立案した『マルドゥク作戦』に関する話だ。その内容は大方今までにこの本に書いてある通りである。機関は障害となるツィーテンたちを第二次ティアマト会戦を利用して葬ったという話だ。ただ、ノーベル大佐が語る話は、シュタイエルマルク提督や父から聞いた話と二点違っていた。

 

 一点目は機関にとっても第二次ティアマト会戦の大敗が想定外であった、ということが語られなかった。徹頭徹尾、『マルドゥク作戦』は成功したとノーベル大佐は思い込んでいるらしい。そして二点目は……ヴァルター・コーゼル提督が実際に暗殺されたと彼は思い込んでいた。しかし、私の聞いた話では結局、暗殺者が手を出すまでも無く、コーゼル提督は戦死したはずだ。

 

「……なるほど、司令の話は分かりました。つまり……司令は機関を裏切った、という理解で宜しいですね?」

「……裏切った!?違うな!裏切ったのは機関の方だ!しかも、コーゼル閣下を殺すと決めたのはシュタイエルマルクだと!?ふざけるな!コーゼル閣下はシュタイエルマルクをどれ程信頼していたと思っている!」

 

 ノーベル大佐は机に手を叩きつけて怒鳴った。

 

「儂はなぁ、大尉。機関とシュタイエルマルクに裏切りの報いをくれてやるつもりだ。だがな大尉、卿は第二次ティアマト会戦の時にはまだ機関に入っていなかった、そうだろう?だからチャンスをやる。機関を抜けろ。儂とて無駄に若い命を散らしたいとは思わん。それに卿の父上には機関を潰す手助けをお願いしたいからな……」

 

 ノーベル大佐は私に向けてそう言った。私は当然、彼の忠告に従うつもりは無かった。しかし、ここでいたずらに抵抗しても無意味だ。一刻も早くここを抜け出して、同志たちにノーベル大佐の裏切り――本人の主観では復讐――を知らせなければならない。

 

「……司令の話が本当だとするならば、確かに小官としても見逃しがたい話です。しかし、それが本当だという証拠がどこにあるのですか?失礼ながら、司令の作り話かもしれませんし、あるいは司令が騙され……」

「これを見るんじゃ」

 

 ノーベル大佐は私の言葉を遮り、紙の束を放り投げてきた。私はそれに目を通して顔色を変える。それはジークマイスター機関の『マルドゥク作戦』に関する機密書類だった。

 

「そんな……馬鹿な」

 

 私は思わず呟く。ノーベル大佐は私の驚きを内容に対する物と考えたらしい。

 

「本物であることは卿なら分かるじゃろう?儂がある筋から手に入れた動かぬ『証拠』じゃ」

「……」

 

 私は声が出なかった。これがここにあるということは機関の中に、内通者が居るということだ。単にノーベル大佐と内通しているだけだとは考えにくい。ノーベル大佐にこの書類を渡し、彼の復讐心を煽り立てた『誰か』が居るのだろう。

 

「少し……考えさせてください……」

 

 私はやっとのことでそう言った。ノーベル大佐は少し憐れむような表情で頷くと、ロンぺル少尉を呼んだ。

 

「大尉。あまり時間は残されていないぞ?賢い選択を期待している」

 

 ノーベル大佐は私に最後にそう言ってきた。ノーベル大佐はどこか必死さを感じる表情をしていた。

 

 

 宇宙歴七六〇年十二月二七日の朝、独房の外が急に騒がしくなった。暫くして扉が開くと、そこにはメルカッツ少佐が居た。

 

「大尉!大丈夫か。無事で良かったよ……」

「メルカッツ少佐……助けに来てくれたのですか?」

 

 私はメルカッツ少佐に尋ねた。メルカッツ少佐は良い人ではあるが、フェルバッハ総督暗殺未遂犯として捕まっている私を解放しにくることは期待していなかった。

 

「ああ、貴官の部下に色々と話を聞いてね……。私は貴官とアーベントロート中尉の側につく。ノーベル大佐をこのまま放っておけば大変なことになる……」

「大尉殿の身分証明書と拳銃です。奪還しておきましたぜ」

 

 見覚えのある大柄の兵士がそう言って鞄を差し出してきた。確か……コニーと言っただろうか。

 

「変装道具も入ってます。バレない内にさっさと逃げやしょう」

「あ、ああ。有難う。しかし逃げるとは……」

「閣下、そろそろバレそうです。急いでください!」

 

 廊下の先から声が聞こえた。それを聞いて私はとりあえず疑問を捨てて、鞄の中の道具をつけて変装する。

 

「よし、迎えが来る手筈になっている。ペーターたちが騒ぎを起こしている間に合流するぞ」

 

 メルカッツ少佐はそう言って走り出した。慌てて私もついていく。途中、何度かすれ違う兵士たちが居たが、明らかに怪しい私たちを見て見ぬふりだ。どうやらメルカッツ少佐は兵士たちにも手を回しているらしい。流石は人望厚いメルカッツ少佐だ。私たちは裏手の資材搬入口に出た。

 

「コニー、後何秒だ?」

「一一秒です。カウントします。九、八、七……」

 

 コニーが「ゼロ」と言うのと、猛スピードで走ってきた軍用車が私たちの前で止まるのは同時だった。メルカッツ少佐は口笛を吹き、「良い腕だ」と称賛した。私たちが車に乗り込むと、車は猛スピードで走りだした。

 

「御曹司!無事で良かった……心配しましたぜ」

「ヘンリク!助かった。メルカッツ少佐もコニーも有難う」

 

 私は彼らに頭を下げて礼を言った。コニーは少し戸惑った様子だ。私が頭を下げるとは思っていなかったのだろう。

 

「ヘンリク、メルカッツ少佐でも良いです。今はどういう状況なんですか?」

 

 私の質問に彼らが代わる代わる答えたところによると、総督府を掌握した次の日、ノーベル大佐は「フェルバッハ総督暗殺未遂に関係している可能性が高い」として自治領府のアデナウアー総書記を初めとするベルディエ在住の独立派の要人たちを全員逮捕、内一二名を即決裁判で銃殺刑にしたらしい。さらに「叛乱の恐れあり」として自治領警備隊司令部を制圧。それから独立派の拠点となっていた複数の場所を強襲し、そこに居たアルベール・ミシャロンを初めとする過激な独立派の中核メンバーを悉く射殺、もしくは拘束したという。

 

 さらに自治領府及び分治府の一時権限停止、立法府・警察府の廃止、夜間外出禁止、報道統制、駐留帝国軍全将兵に対する逮捕権付与などを矢継ぎ早に発表した。この事態に地方分治府は当然反発したが、即座にノーベル大佐は駐留艦隊を派遣して威圧、駐留地上軍が分治府を取り囲み、反帝国的な分治府幹部が次々と逮捕された。

 

「馬鹿な……」

 

 私は愕然とした。この話が本当ならばリューベック独立派の中核が残らず弾圧されたということになる。しかもメルカッツ少佐によると、駐留艦隊司令部はまるでどこに独立派の拠点があり、誰が指導者であるのか残らず把握しているかの如く、極めて効果的に『頭』を叩いたらしい。……当然だ。ノーベル大佐は私を通じてリューベック独立派の活動を正確に把握していた。帝国総督府や憲兵隊が把握していないような拠点、人物にも残らず対処できたのだろう。

 

「現在、リューベック独立派は中核が壊滅状態ですが、だからこそ質が悪い」

 

 ヘンリクは表情を歪ませながらそう言った。

 

「……指導者を失ったリューベックの自治領民たちの間で不満が広がっています。従来彼らの不満を束ね、指導していた者たちが残らず収監されているために今でこそ大規模な暴動は起きていませんが……きっかけがあれば一気に燃え広がるはずです」

「アーベントロート中尉はこの事態を避けるために中央から送り込まれたそうだ」

 

 ヘンリクの説明に続いて、メルカッツ少佐が語る。

 

「アーベントロート中尉が?」

「ああ、ノーベル大佐が不穏な動きをしていることに気づいたグリュックスブルク中将の命令で、ノーベル大佐の内偵を行っていた。……アーベントロート中尉はどうやら大尉の事も疑っていたらしい。後悔していたよ……自分が大尉殿に相談していればノーベル大佐の計画を防げたかもしれないとな」

 

 それを聞いて私は複雑な気持ちになった。どうやらアーベントロート中尉は機関の動きに勘付いて活動していたようだが、ノーベル大佐が機関を裏切ったことで、結果的に機関に忠誠を誓う私を無実だと誤認したのだろう。

 

「……ノーベル大佐の計画とは何です?」

「分からん、ただこのリューベックで騒乱を起こし、何かやるつもりではないかとアーベントロート中尉は予想していた。何か大きな計画の一部ではないかと。例えば最近不安定な帝国と各辺境自治府の関係をさらに悪化させる為の一手ではないか、とな」

「……なるほど」

 

 私はアーベントロート中尉が『茶会(テー・パルティー)』計画の全容にまでは辿り着いていないことが分かり、一安心した。しかし、この状況は極めて不味い。

 

「御曹司、『上』には報告しておきました。向こうでも対応するそうですが、とりあえず混乱を避けるようにとの御命令です」

「混乱を避ける、ね。簡単に言ってくれるよ……」

 

 既に同盟宇宙軍第三艦隊がリューベックに向かっている筈だ。第三艦隊が到着したタイミングで、リューベックが帝国の支配下にあれば……第三艦隊は最悪壊滅するかもしれない。機関の遅滞工作にも限界がある。リューベック全域で帝国軍が抵抗する状態で辺境艦隊に退路を断たれれば、第三艦隊は袋のネズミだ。

 

「……御曹司、とにかく今はアーベントロート中尉に合流すべきです。総督府防衛大隊は概ね我々が掌握しています」

「……分かった。そうしよう」

 

 私たちはベルディエにある総督府防衛大隊の駐屯地へ向かった。

 

 

 

「アルベルト!無事で良かった!」

 

 車を降りるなり、私はランズベルク教育局長の熱烈な歓迎を受けた。後で聞いた話によると、アーベントロート中尉が各方面に根回しし、私を救出しようとしている間、ランズベルクは総督府でアーベントロートの不在を誤魔化していたらしい。

 

「大尉殿!申し訳ありません。自分が手をこまねいている内にノーベル大佐の暴挙を許してしまい……」

「いや、別に構わないよ。それよりも……これからどうする?」

 

 私は本心からそう言った。状況は極めて厳しいといって良い。ところが、私はこの状況をどうにかする手立てが一つも思いつかなかった。

 

「……とりあえずはエルザス・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン辺境軍管区司令部にこの状況を報告しましょう。後は上位司令部に任せるしかありません」

「そうか……」

 

 上位司令部に報告したとして少なくとも機関にとってこの状況が好転することは無い。アーベントロート中尉はそもそも機関と対立する側の人物だ。ここで私が彼と共闘する立場にあるのは偶然の産物だろう。

 

「御曹司、長時間の拘束でお疲れでしょう。どうぞこちらへ……」

 

 ヘンリクがそう言って私を連れ出そうとする。私はそれに応じた。この状況で頼りになるのはヘンリクだけだ。アーベントロート中尉もメルカッツ少佐も機関の協力者では無い。まして、ランズベルク教育局長は論外だろう。

 

「ヘンリク……この状況は極めて不味い、どうすれば良いんだ?」

「落ち着いてください御曹司。こういう時はもう一度目的とその為に必要な物を振り返りましょう。『茶会(テー・パルティー)』計画の目的はリューベックを自由惑星同盟軍の前線基地とすること。そしてその為に必要な条件は三点です」

 

 ヘンリクは落ち着いた表情で言う。

 

「一点目、『リューベック独立派の健在』。二点目、『リューベック駐留帝国軍の無効化』。三点目、『自由惑星同盟軍のリューベック進駐』」

「その通りです、さて考えてみましょう。現在我々は一点目と二点目が達成できていません。一点目に至ってはほぼ達成不能の状態です。三点目の『自由惑星同盟軍のリューベック進駐』はこのままなら達成できるでしょう。それで『茶会(テー・パルティー)』計画は達成できるでしょうか?」

 

 ヘンリクは私に尋ねる。私は即答した。

 

「無理だ」

「その通りです。無理です」

 

 ヘンリクはそう言ったきり黙った。私は続きの言葉を待った。しかし、ヘンリクは何も言わない。

 

「まさか……ヘンリク、君は……」

「……『茶会(テー・パルティー)』計画は失敗です。我々が為すべきは敗戦処理、とお考え下さい」

 

 ヘンリクは淡々とそう言って、私は天を仰いだ。

 

「なんてことだ……私が不甲斐ないばかりに……ノーベル大佐の裏切りに気づいていれば……」

「御曹司、落ち込んでいる暇はありませんよ。計画が失敗した今、我々は機関に少しでもダメージを与えないようにここから撤退する必要があります」

 

 ヘンリクは私をそう言って諭した。ヘンリクの言う通りだ、ノーベル大佐は機関とシュタイエルマルク提督への復讐を目指している。そして私にはフェルバッハ総督暗殺未遂の容疑が掛かっている。これを何とかしなければ不味い。

 

「御曹司、ノーベル大佐とは会いましたか?会ったのであれば、その時の話をお聞かせください」

「ああ、分かった……」

 

 私はヘンリクにノーベル大佐との会話を伝えた。ヘンリクは考え込み、やがて言った。

 

「……なるほど。どうやら何とかなりそうです」

 

 ヘンリクは笑みを見せつつそう言った。

 

「御曹司。何故、御曹司は拘束されたまま放置されていた上に、ノーベル大佐から『改心のチャンス』を与えられたと思います?リューベック独立派の一部は既に処刑されているという噂も流れています。実際、捕まった時点で本当にフェルバッハ総督暗殺を目論んでいた不運な連中が銃殺刑に処されているのは私自身がこの目で確認しました」

 

 私はヘンリクの指摘を受けて考える。言われてみれば……私を生かしておく必要はあるだろうか?こうして逃げ出すことは流石に予想できないにせよ、さっさと殺してしまわない理由という物も特に見当たらない。ノーベル大佐自身が言っていた通り、私に慈悲をかけたのか?父の助力を期待したのだろうか?……私はそう思った。

 

「父の存在じゃないか?」

「御曹司……御曹司がノーベル大佐の立場だとして、この状況でカール・ハインリヒ様が機関のメンバー『ではない』なんて考えますか?あの方はシュタイエルマルク提督の艦隊の副司令官を務めていたのですよ?」

 

 ヘンリクは少し呆れたように言った。私は若干イラっと来たが、言っていることはその通りである。

 

「それなら……慈悲をかけたのか?」

「御曹司、こういう分野で戦う時は敵の善意なんざ期待しちゃいけません。悪意を想定しないとすぐに死にますよ。……良いですか?奴さんは機関とシュタイエルマルク提督に復讐したい、しかし具体的にそんなことが出来ると思いますか?辺境の中のド辺境に居る平民の一大佐が、軍務省次官と強大な秘密組織を相手取って復讐をする、土台、無理な話ですな」

 

 ヘンリクは肩を竦めてみせる。

 

「知っての通り、機関のメンバーを全て把握している人間は一人も居ません。シュタイエルマルク提督ですら、ミヒャールゼンライン出身者は完全に把握している訳じゃない。当然、末端のノーベル大佐が機関に関して知る情報などほんの僅かな物です。……だから御曹司に改心を迫ったんですよ。御曹司はノーベル大佐にとっての唯一の手掛かりですからね」

 

 私は思わず唸った。全く以ってヘンリクの言う通りだ。

 

「となると、ノーベル大佐を利用しようとした『誰か』の意図が見えてきます。その『誰か』は『マルドゥク作戦』に関する資料を入手する程の力を持ってはいるが、機関を壊滅させる力は無い、またはさせる気が無い、あるいは……させることが出来ない」

「そうか……大分見えてきた。つまりノーベル大佐はただ単にリューベックにおける機関の作戦を破綻させるのが目的であると同時に、それしかできない。ノーベル大佐を唆した『誰か』も少なくとも機関を壊滅に追い込もうとしている訳ではない。ということは、私たちがやるべきことは……ノーベル大佐を黙らせることか」

 

 私は落ち着きを取り戻した。こういっては何だが、先ほどまでは私の失敗が機関全体の壊滅に繋がるのではないかという恐怖にすら襲われていた。それが単純にノーベル大佐を黙らせるだけで良い、というのはかなり『マシ』な状況だと言えた。

 

「まあ、それだけでもありませんがね。こちらに向かっている第三艦隊へこの状況を知らせる必要がありますから、少なくともブロンセ・ゾルゲかその仲間には何とか接触する必要がある。もし捕まっているなら解放しないといけない。ついでに、フェルバッハ総督暗殺未遂の疑惑を晴らしつつ、このままアーベントロート中尉の信頼を得続ける必要があります」

「それなりに厄介だな……。だがまだ何とかなりそうだ。有難うヘンリク、落ち着いたよ」

 

 私はヘンリクに礼を言い、再びアーベントロート中尉らの下へ戻った。

 

 ……ここに書いた通り、私の初めての任務は失敗に終わった。だが、失敗は終わりを意味するものではない。私の闘いはまだ始まったばかりであったし、リューベックにおける闘いはここからが本番であった。

 

 リューベック独立派に対する大規模な弾圧が行われた宇宙歴七六〇年一二月二四日は後世、『奪われた聖夜』と呼ばれることになる。そして同年一二月二七日、領都ベルディエから二〇〇㎞程離れた都市ロブセンで弾圧から逃れた大柄の茶髪の青年が叫んだ。「我らはついに聖夜までもを奪われた。奪還せよ!我々の全てを!」と。その声は瞬く間にリューベック中に広がっていく。後世『リューベック奪還革命』と呼ばれる一連の騒動にはジークマイスター機関が深く関わっていたことを私はここに明記しておきたい。

 

 

 



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青年期・クラークライン監獄の虐殺(宇宙歴760年12月27日)

 リューベック自治領(ラント)は帝国でも有数の難治の地である。その原因は帝国と対立を繰り返してきた歴史もさることながら、人口九億人且つ複数星系に跨って住人が暮らしているという事情によるところが大きい。リューベックがここまで多くの人口を抱えるに至った理由としては、リューベックが銀河帝国建国初期の有力な共和主義系抵抗勢力だったことが挙げられるが、これは別にリューベックに限った話ではない。

 

 城内平和同盟(ブルク・フリーデン)東洋の同胞(アライアンス・オブ・イースタン)ティターノ星系共和国(レプッブリカ・ディ・ティターノ)と言った諸勢力の流れを組む辺境自治領も歴史的・人口的にはリューベックと同じような状態である。しかし、これらの自治領がリューベック程帝国にとって厄介な地域となったことは無い。

 

 リューベックを難治の地たらしめる、人口以外のもう一つの理由がある。それは地理的条件である。イゼルローン回廊の帝国側出口から僅か五〇〇光年しか離れていない為に、自由惑星同盟との戦争を遂行する上で帝国はリューベックをどうしても統治『せざるを得ない』のだ。

 

 他の辺境自治領に対して帝国は広範な自治権を認めているが、これは直接統治するコストが馬鹿にならないからである。その為、先に挙げた辺境自治領には駐留軍も無ければ総督府も(リューベック並みに強大な権限を持つ物は)無い、フェザーン自治領(ラント)に近い状態で放置されている。あるいは、放置はしていないが、ローザンヌ伯爵領、トリエステ伯爵領のように、『貴族公選制』とでも言うような政体を許している。

 

「……しかし、このリューベックは叛乱軍との戦いを続ける上でどうしても放置する訳にはいかなかった。そこで帝国軍はこのリューベックに辺境の一地域としては過大な程の陸上戦力を配置することになる。その数およそ一五〇万、これは平均的な管区総軍の兵力に匹敵する。兵力が大幅に縮小されたとはいえ、最前線であるエルザス辺境軍管区総軍の全兵力をも僅かに上回ると言えばリューベック星系を中心とするリューベック自治領(ラント)の維持にどれほど帝国が気を配ってきたかが分かるだろう。……ちなみに、半数弱の約七〇万が領都のある惑星リューベックに駐留している」

 

 私たちに対してそう解説するのは総督府防衛大隊長ベルンハルト・フォン・シュリーフェン地上軍中佐である。あの後私たちは昼食をとり、それからアーベントロート中尉が協力を取り付けたというシュリーフェン中佐を入れて、今後の善後策を話し合っていた。

 

「ただし、総軍という形式をとっている訳ではなく、その内約一〇〇万が帝国軍少将に相当する総督の指揮下にあり、残り五〇万が基地防衛、強襲揚陸などを目的に駐留艦隊司令の指揮下にある。ただ、実際の所リューベックに駐留する各地上部隊は上位司令部が機能しなくても各個に戦闘を続けられるような指揮体系が整備されている。これは本国の防衛戦略が理由だな。万が一叛乱軍がリューベックまで到達するようなことがあれば、可能ならば自治領民を動員した上で、徹底したゲリラ戦を行う。駐留艦隊は各星系の連携を保ちつつ、必要ならば地上部隊の支援を行う」

「自治領民の動員……ですか?」

 

 私は思わず口を挟んだ。そんなことが可能だとは思えない。

 

「『可能ならば』だ。まあ、確かに今じゃ検討するだけ無駄とも言えるが、総督府が上手く機能している頃には一応このリューベックにも親帝国派が居たんだよ。ただ、上も無能じゃない。自治領民の協力が得られない場合もしっかり想定してある。つまり、各駐屯地や基地、あるいは秘密拠点は叛徒だけではなく、自治領民が敵に回ることも想定して整備してある」

「……尤も、限度はあるでしょうがね。何せ自治領民は九億人。帝国一五〇万が抵抗してもいずれは限界が来ますよ」

 

 悲観的な表情でヘンリクが付け足す。シュリーフェン中佐はチラリとヘンリクの方を責めるように見たが、結局何も言わなかった。……彼も同意見なのだろう。

 

「……二時間前に都市ロブセンで起きた暴動は帝国軍の介入で鎮圧されつつありますが、既にランペール州全域に混乱が波及しつつあります。ランペール州の自治領民の間で『祖国を奪還せよ!』『我らの代表を奪還せよ!』の声が広まり、一部は領都に向けて行進を始めたとか。ランペール州の駐留部隊は領都特別区とランペール州の境界に集結し、これを阻止する構えですが……」

「武力を行使しないことには無理だろうな」

 

 アーベントロート中尉とメルカッツ少佐がそれぞれ発言する。二人とも事態の深刻さを前に険しい表情だ。ちなみにランペール州は領都ベルディエのある特別区の西に隣接する州だ。……人口は二〇〇〇万人弱である。

 

「駐留艦隊司令部は強硬姿勢を崩していない。ランペール州自治領民が不穏な動きを止めないのであれば……これ以上の混乱を防ぐために拘束しているリューベック独立派を処刑する、と声明を発表した。ノーベル大佐は何を考えているんだ……」

「有効な手だとは思うが……」

 

 メルカッツ少佐の発言におずおずとランズベルク局長が答える。

 

「……相手が冷静ならばな。この状況では自治領民を刺激するだけだ」

「『独立の為ならば彼らは喜んで犠牲になるだろう』あるいは『処刑が始まる前に何としても彼らを解放するぞ!』かな……。どちらにせよリューベックの人々はもう脅しには屈しないよ、賽は投げられた」

 

 私はメルカッツ少佐に続けてそう言った。ランズベルク局長は青ざめ、どこかへと走っていく。……一〇分ほど後、彼は官舎から自らの家族を連れて戻ってきた。私たちは呆れたが、すぐにランズベルク局長が正しい判断をしたと思い知ることになる。

 

「シュリーフェン中佐!駐留艦隊司令部からアルベルト・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍大尉、テオドール・フォン・アーベントロート宇宙軍中尉、ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ宇宙軍少佐、ヘンリク・フォン・オークレール地上軍少佐、コニー・ブレスケル宇宙軍上等兵を引き渡すようにとの命令です」

「無視しろ!馬鹿に付き合うつもりは無い!」

 

 シュリーフェン中佐は辛辣だ。……彼はアーベントロート中尉がグリュックスブルク中将の密命を受けていることを知っている。アーベントロート中尉がグリュックスブルク中将から渡された命令書にはハウシルト・ノーベル宇宙軍大佐の離反行為が明らかになった時に限り、総督府と駐留艦隊の全職員に対し一時的に指揮権を持つという内容が書かれていた。尤も、法的根拠を考えると少し怪しいのだが……そこはグリュックスブルク中将もアーベントロート中尉も名門領地貴族のリッテンハイム一門、多少なりとも体裁を整えればゴリ押し出来るとの判断だろう。実際、シュリーフェン中佐はこの命令書を見てアーベントロート中尉の言う事を信用したらしい。

 

「アーベントロート中尉……この状況、本当に上位司令部の対応を待っているだけで良いと思うか?」

「それは……。しかし、我々に出来る事はありません。グリュックスブルク中将が対応なさるまで、この駐屯地に立てこもるしか……」

「中尉、しかしな、それでは大勢死ぬぞ?自治領民も帝国兵もな」

 

 私はアーベントロート中尉を説得にかかる。アーベントロート中尉も迷っている様子だ。恐らくこの場のイニシアティブを握っているのはグリュックスブルク中将の密命を受けているアーベントロート中尉だ。彼を何とか機関にとって都合が良いように動かさなければならない。

 

「中尉、我々も事態を悪化させないように行動するべきだ。まずは政治犯を収容しているクラークライン監獄。ここに向かおう」

「……クラークラインには駐留艦隊司令部から人が送られています。小官の命令書も通用するか怪しいですが……」

「その時は強行制圧するしかない」

「制圧ですか!?」

 

 アーベントロート中尉が驚いている。他の皆も同様だ。……少し強引に話をし過ぎたか?と私は後悔したが、やむを得ない。

 

「駐留艦隊司令部がリューベック独立派の処刑を考えているならば、何としてもこれを防ぐべきだ。処刑を執行してみろ、本当に取り返しがつかなくなるぞ」

「それは……そうですが……。総督府防衛大隊とクラークライン駐留大隊での戦闘を起こしかねませんよ!?」

「……私は賛成だ」

「メルカッツ少佐!?」

 

 アーベントロート中尉が驚き、私も少し驚く。ヘンリクは援護射撃をしてくれると思ったが、メルカッツ少佐がこうも早く賛成するとは思わなかった。

 

「何も戦闘が起こると決まった訳でもあるまい。要するに処刑を妨害出来れば良いのだ。やり様はいくらでもある」

「そうですな。小官もメルカッツ少佐の意見に賛成です」

 

 ヘンリクもここぞとばかりに同調する。シュリーフェン中佐は黙っているが、反対もしていない。このままアーベントロート中尉を丸め込めば……そう思った時にランズベルク局長が帰ってきた。

 

「な!?帝国軍同士で対立するのはダメだろう!独立派の奴らも可哀想ではあるが、反帝国的、時に皇帝陛下を愚弄するような言動を繰り返していた連中だ。同士討ちの危険性を背負ってまで助ける必要はあるまい!」

 

 ランズベルク局長は暫く事態を把握できていなかったが、やがて勢いよくそう言った。私はランズベルク局長を無視してそのまま強引にアーベントロート中尉を説得しようとしていたが、逆にランズベルク局長を丸め込んでからアーベントロート中尉を説得した方が良かったかと後悔した。

 

「局長、別に同士討ちをするという訳じゃ……」

「……メルカッツ少佐、少し聞きたいことがあるんだがな。今上がってきた報告によると、監獄の指揮を執っているのはヨーナス・ロンぺル少尉という人間らしい。私の記憶が確かなら、彼はノーベル大佐の無礼な副官だったな?」

 

 唐突にシュリーフェン中佐がメルカッツ少佐に確認する。……『無礼な』の部分をかなり強く発言していた。

 

「ロンぺル少尉だと……。ええ、シュリーフェン中佐の仰る通りです」

「やはりか……。メルカッツ少佐、私はあの男相手に同士討ちを避けられるとは思えないのだが、貴官はどう思う?」

 

 シュリーフェン中佐はウンザリした表情だ。……ロンぺル少尉は貴族と見れば誰にでも喧嘩を売っているらしい。メルカッツ少佐も黙り込む。

 

「大隊長、クラークライン監獄を守っている大隊長は御友人のアドラー中佐です。いくらロンぺル少尉が居たとしても、アドラー中佐なら話を聞いてくれるはずでは?」

「あいつは上官に絶対服従する人間だ。私と違ってアーベントロート中尉の法的根拠が怪しい命令書に従ったりはしない」

 

 ヘンリクの意見に対して、シュリーフェン中佐は首を振ってそう言った。「法的根拠が怪しい」と言われたアーベントロート中尉はムッとした表情だが、実際怪しいんだから仕方がない。何を以って『離反行為』とするのか?駐留艦隊司令部はともかく、総督府の上位組織は内務省ではないのか?『一時的』とはどの程度の期間か?そもそもアーベントロート中尉に対してグリュックスブルク中将が命令することが指揮系統的に妥当だろうか?などなど、疑問は尽きない。シュリーフェン中佐は命令書だけを見て従った訳では無く、この状況を総合的に勘案して判断したのだろう。

 

 その後も私、ヘンリク、メルカッツ少佐が監獄に向かうことに賛成し、アーベントロート中尉、ランズベルク局長が反対、シュリーフェン中佐も消極的な姿勢を取り続けた。そのまま議論は平行線を辿り、とりあえず食事をとってから、もう一度話し合おうと休憩を取っていた一八時二一分、私たちの耳にとんでもないニュースが飛び込んできた。

 

「メルカッツ少佐!ライヘンバッハ大尉!テレビを見てください!」

 

 そう言って大隊司令室にコニーが走りこんできた。彼はこの駐屯地についた後、暫くはメルカッツ少佐のすぐそばに居たのだが、私たちの話し合いに遠慮したらしく、いつの間にか司令室から居なくなっていた。

 

「上等兵!メインモニターで公営放送を流せ!」

 

 シュリーフェン中佐の指示でメインモニターに公営放送が流れ……私たちは絶句した。

 

『……法府書記エドマンド・グレス、同ジョン・ヘイグリッド、立法府議員キム・ウーリャン、同コートニー・サージェス。以上八名を不敬罪、内乱罪、陰謀罪他八つの罪で処刑する。構え!撃て!』

 

 その合図と共にモニターに映された自治領府・立法府・警察府の要人八名の命が失われた。私たちは何も言えない。このまま放っておけば遠からずこのような事態は起きうると皆が予想してはいた。しかし、こんなにも早いタイミングで、しかもわざわざ公営放送に処刑の様子を垂れ流すとは思っていなかった。

 

『次!警察府第三課課長ドナルド・シルバーパーク、自治領警備隊大隊長アベベ・イエトナイト、同アリツィア・コヴァルスカヤ、自治領府職員ヤスヒト・カトウ、同ジュン・カッセル、同イネス・レンドイロ……』

 

 銃殺された八名の遺体が運び出され、代わりに新たな八名が引き立てられてくる。男性だけでなく女性も居るが、共通しているのは彼らが非ゲルマン系であることだ。全員が猿轡をされ、腕を拘束されている。帝国の慣習として、罪人には銃殺刑に処される場合も最後に発言が許されている。しかし、監獄の連中は自治領民にはその権利すら保証する気が無いらしい。

 

「なんてことを……」

 

 思わずといった感じでそう呟いたメルカッツ少佐は一年前の大暴動をその目で見ている。ノーベル大佐も見ている筈なのだが、自治領民の怒りを恐れなかったのだろうか?……いや、違うか。恐れたからこそ、ここまで極端な反応なのだ。彼は決して辺境任務が短かった訳ではないが、そのキャリアは全て艦隊勤務。地上司令部勤務、まして自治領総督などという職務の経験は一切無い。

 

「……ヘンリク、君の中隊は頼りになるか?」

「……落ち着いてください、御曹司」

 

 ヘンリクは私の問いに答えず、代わりにそう言って私の肩に手を置いた。

 

「落ち着いているよ……。落ち着いて怒っている。いや、私個人の感情はどうでも良い。自治領民がこの放送を見てどう感じると思う?怒り?悲しみ?恐怖?……分からないけどね。最後はこう思うはずだ。『もう止めてくれ』と。私が止めなければ彼らが自力で止めようとするだろう……」

「……昨年の大暴動がもう一度起こりますな」

 

 ヘンリクも深刻な表情でそう言った。……私たちが話している間も、モニターの中では処刑が続いている。

 

「違うな……次に起こるのは暴動(アオフシュタント)ではない。……革命(レボリューション)だ」

「レボ……?」

「……古代ドイツ語なら革命(レヴォルツィオーン)という発音になるのかな。ヘンリク。私は一人でも行く。君がどうするかは任せよう」

 

 私はそう言って大隊司令室を出て行こうとするが、肩を掴んで止められる。

 

「……一〇分お待ちを。中隊に準備させます」

「分かった。だが……たった一〇分で何と多くの命が失われることだろうか」

 

 私はモニターに目をやった。また八名の尊い命が失われた。……この国の人間の何割が非ゲルマン系である彼らの命を尊いと感じれるのだろうか?この国にとって、彼らの命は安すぎる。

 

「大隊長、中尉。私とヘンリクは止めに行く。君らは好きにしろ!だがな、理屈で考えても、感情で考えても、このままだと大変なことになるのは分かるだろ!?」

 

 私は最後にそう言って司令室を出た。極自然にその後ろにはメルカッツ少佐とコニーが付いてきた。私は彼らがそうするであろうことは何となく察していた。メルカッツ少佐もあるいは帝国的価値観に毒されているかもしれないが、このような光景を良しとはしない。コニーはメルカッツ少佐が行くならついてくるだろう。

 

 

 私たちはヘンリクの中隊と共にクラークライン監獄に向かった。その途中、街の各所で人々が不穏な集団を形成しつつあるのを見た。憲兵隊と臨時で協力している領都警衛隊が対処しているが、道に出ている人の数はどんどん増えているように見えた。私たちはそういった集団の中を時に突っ切り、あるいは迂回し、一八時五四分にクラークライン監獄に到着した。

 

「突っ込め!一人二人吹っ飛ばしても構わん」

 

 私はヘンリクにそう言う。監獄とベルディエ市街の間には一本の深い水堀が存在している。私はこの水堀の上にかかる跳ね橋が上がっていることを懸念していたが、呆れることにこれだけの所業をしておきながら監獄側は呑気に跳ね橋を下ろし、門すら閉めていなかった。

 

 中隊の車両が次々に監獄の敷地内に入る。私はヘンリクの部下に監獄の司令部を制圧すると共に、跳ね橋を上げ、門を閉めさせるように指示した。私の予想が正しければ、ここにはもう数分もしない内に群衆が殺到してくるはずだ。

 

「よし、処刑場に向かうぞ!」

「待て!」

 

 私は声のした方を一瞥したが、対応するのが面倒で無視した。私の後ろをヘンリクら四〇名がついてくる。

 

「監獄の責任者のアドラー中佐だ!貴官らは何をやっているんだ!」

 

 声をかけてきた士官が追いかけてくるが、ひたすら無視する。

 

「良い判断です、御曹司。敵なら対処は簡単ですが、訳の分からない連中への対処は難しいもんです。尤も、時間をかければ強硬手段に出てくるでしょうね。急ぎましょう!」

 

 ヘンリクはそう言いながら前に立ちふさがった――あるいは不運にも立ってしまった――下士官を殴り飛ばして進む。勿論、監獄の処刑場がどこにあるかは把握している。……大体は、だが。念の為に隊を分けて捜索している。

 

「確か、次を左だったはずです!」

 

 同行する監獄勤務経験者の兵長がそう言った。扉の前に銃を持った数人の兵士が居たが、私たちが明らかに帝国軍であるのを見て戸惑っている。

 

「ここか!どけ!こんなバカな真似は止めろ!」

 

 私たちは扉の前に居る兵士たちと揉みあいになったが、こちらの方が数は多い。部屋の扉を炭素クリスタルの斧を使って強引にこじ開ける。

 

「中止しろ!即刻処刑は中止!」

 

 私はそう叫びながら部屋に入る、そこは厳密には処刑場では無かったが、処刑を待つ囚人を留め置く部屋の一つだったらしい。

 

「今だ!やれ!」

 

 私の乱入に室内の兵士たちが気を取られた瞬間、自治領警備隊員の制服を着た青年が叫び、数人の囚人が一斉に兵士たちにとびかかる。勿論手足は拘束されているが身体全体を使って倒れこむように兵士たちを押し倒した。

 

「な!止めろ!私は君たちを助けに来た!抵抗する必要は……」

「く、来るな!」

 

 私が呼びかけている最中に銃声がした。見ると、兵士が飛びかかってきた囚人を撃ち殺したらしい。事ここに至って、部屋の中の囚人たちは目の前の兵士を倒すことでしか自らが自由になる方法は無い、と思い定めたらしく、次々に兵士たちに飛びかかっていく。私は何とか止めさせようとしたが、そこでヘンリクから声をかけられる。

 

「御曹司、ここは何とかしますから、それよりも奥を!」

 

 ヘンリクが指差した『奥』を見る。恐らく処刑場へ続く道だろう。私は部屋を突っ切って処刑場に飛び込んだ。

 

「処刑は中止、中止しろ!」

 

 私がそう言ったのと、部屋の中の兵士が発砲したのは同時だった。私は一番近くの兵士を蹴り飛ばし、大声で「中止!発砲止め!」と叫ぶ。私は兵士たちに何とか発砲を止めさせると、撃たれていた側の人々に駆け寄った。

 

「大尉殿、この人はまだ息があります!」

 

 私の後ろをついて部屋に入り、犠牲者たちの方へ駆け寄った兵長が私にそう伝えてきた。兵長が抱えたその人物の顔を見て私は青ざめた。目の色が変わっているし、もっと彼の肌はゲルマン系らしい色白だったはずだ。だが、それでも見間違るはずがなかった。

 

「ゾルゲ……!軍医だ、軍医を今すぐに呼べ!」

 

 

 

 ……ブロンセ・ゾルゲの解放は自由惑星同盟宇宙軍第三艦隊に計画の失敗を伝えるために必要不可欠な条件であった。ゾルゲが死ぬ前に辿り着いたことを幸運と考えるべきか、処刑が始まる前に辿り着けなかったことを悔いるべきか。この時の私にはまだ分からなかった。




注釈14
 『貴族公選制』とは銀河帝国の辺境地域の一部で行われていた政体である。簡単に言えば、大統領制とほぼ同じ仕組みで大統領を『伯爵』と呼び変えているだけに過ぎない。尤も、大統領制と違うのは、銀河帝国側が常に『伯爵』を取り込もうと試みていることである。実際、トリエステ伯爵領では歴史上二回、領民に選挙で選ばれた『伯爵』が任期終了後の選挙を拒否し、息子に爵位を世襲しようとしたことがあるが、どちらも領民の強い反発で断念せざるを得なかった。


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青年期・『リューベック奪還革命』(宇宙歴760年12月27日)

書き終わって気づく。二話で一日すら進んでいないという事実に。
……いや、でもほら、革命とかって本当に分単位で情勢ががらりと変わるから(震え声)


『ライヘンバッハ!貴様何を考えている!』

 

 スピーカーから聞き覚えのある声がする。上階を見上げると、そこにはこれまた見覚えのある顔があった。

 

 処刑場の上階には処刑場全体を展望できるような高い位置に部屋が設置されている。その部屋から担当者は窓越しに処刑を指揮するのだ。ロンぺル少尉はその部屋から窓越しに私を見下ろしていた。……ドラマなんかで見る手術室をイメージしてもらえば分かりやすいだろうか?上から手術室を病院長や医局長が見下ろしている光景を見たことがあるだろう?

 

『総督を手に掛けたばかりか、処刑を邪魔するとは、貴様らのやっていることは叛乱行為だぞ!極刑に値する!』

 

 ロンペルががなり立てる。『叛乱』や『極刑』という言葉で、私に従っていた兵士たちが動揺するのが分かった。彼らは事態を正確に把握している訳ではない。

 

「叛乱を起しているのは貴様らだロンペル!私、アルベルト・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍大尉は宇宙艦隊副司令長官カール・ハインリヒ・フォン・ライヘンバッハ上級大将とエルザス・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン辺境軍管区司令カルステン・フォン・グリュックスブルク中将の密命を受けている!内容はリューベック自治領(ラント)における駐留艦隊司令部の内偵だ!」

 

 私はハッタリをかます。全て嘘という訳でもないが、当然父からそんな密命は受けていない。が、父の勇名とライヘンバッハの知名度に期待して嘘をついた。私は間髪を入れずに続ける。

 

「貴様らの企みは全て分かっているぞ!このリューベックで騒乱を起こし、それによって帝国と辺境自治領の関係を悪化させる。あわよくばリューベック全体で反帝国紛争を起こし、帝国軍がサジタリウス腕の叛乱軍に対処する力を無くす!それが狙いだろう!ここに居る第三作戦群司令代理メルカッツ少佐がその証人だ!」

 

 私はメルカッツ少佐を指し示す。当然、メルカッツ少佐はそんな陰謀など聞いていないし、証人でもないが、この場は空気を読んでくれたらしく、胸を張ってロンぺル少尉を睨みつけた。

 

『な、何!?馬鹿な、私たちは……』

「うるさい!」

 

 私はロンペルが反論してくる前に正当性を訴える。ロンペルに従っている兵士も、私に従っている兵士も誰も状況を理解して従っている訳ではないのだ。

 

「フェルバッハ総督を襲って、私を犯人に仕立て上げるとは考えたな!だが欲をかき過ぎた。総督が負傷すれば次に権限を継承するのは副総督!このリューベックでは現在副総督は空席だから、高等参事官か財務局長辺りが正しい継承者だ!それなのに駐留艦隊司令部が出張ってきたことは、悪辣な企みがあった動かぬ証拠!単に階級を理由に出張ってくるのであれば、領都警衛隊司令官ハンテンブルク准将やランペール方面司令官ロッテンハイム准将が継承するのが筋だからな!」

 

 私は一方的にまくし立てる。……論理的にはお世辞にも洗練されているとは言えないが、この場は勢いで誤魔化すべきだ。無理が通れば道理は引っ込むのだ。

 

『ば、馬鹿な事を言うな!処刑隊!丁度良い、この反逆者を撃ち殺せ!」

 

 ロンぺル少尉の指示を受け、迷いながらも監獄所属の兵士たちが銃を構えようとする。

 

「正義は我らにあり!中隊構え!」

 

 隣の部屋の騒ぎを収めた後、こちらの部屋に飛び込んできたヘンリクが叫び、私に従っている兵士たちが銃を構える。私の演説が功を奏したのだろうか、ヘンリクの率いる総督府防衛大隊第二中隊の兵士たちは私を当面の指導者として承認することにしたらしい。

 

「待て!双方銃を収めよ!」

 

 その時、新たな声が私たちの間に割って入る。先ほど私を追いかけてきたアドラーとかいう士官だ。

 

「ライヘンバッハ大尉の総督暗殺未遂はあくまで疑惑に過ぎん。裁判も経ずに処刑することは許されない!」

『な!アドラー中佐、小官に逆らうのか!?』

「図に乗るな小僧!貴官はノーベル大佐から『囚人』の扱いを一任されているに過ぎない、監獄と大隊の指揮官は私だ!」

 

 アドラー中佐は一喝する。そして私の方へ向き直った。

 

「これは普通ならば重大な越権行為ですぞ、大尉。それこそ叛乱行為と取られてもおかしくはない」

「小官は上位司令部より密命を帯びている」

 

 アドラー中佐は険しい表情だが、ロンぺル少尉よりは話が通じそうだ。

 

「その証拠は?」

「……小官の部下、アーベントロート中尉が命令書を持っている」

 

 アドラー中佐は首を振った。

 

「ではその命令書とやらを見せてもらうまでは、大尉殿の指示にも従えませんな。現状駐留艦隊司令部が総督府を指揮下に収めていることは確かに強引ではありますが、法的に話が通らない訳でもない。総督個人が指揮を執れない場合は大尉殿の御指摘通りですが、総督府全体が機能を停止した場合は駐留艦隊司令部がその権限を継承するのは越権行為とは言えません」

「……後悔するぞ中佐。小官の名を聞きそびれた訳でもあるまい」

 

 アドラー中佐の言ったことは正しい。私は不本意ではあるが、アドラー中佐をライヘンバッハの名で恫喝する。……が、これは逆効果だったらしい。

 

「……小官がこんな辺境に居るのは何故か分かりますかな?大尉殿。ブラウンシュヴァイク公爵の縁者に正論を説いたところ、気づけばこんな所に居りました。……今更何を後悔することがあるのか、教えて頂きたいですな!」

 

 アドラー中佐は皮肉めいた笑みを浮かべながら私を睨みつけた。役者が違う、と私は思わされた。

 

「ライヘンバッハ大尉、メルカッツ少佐、オークレール少佐を拘束し、処刑を再開せよ。オークレール少佐の中隊は武装を解除し……」

「失礼します!アドラー中佐、せ、正門に群衆が押し寄せてきました!」

 

 アドラー中佐の指示を聞き、いよいよ帝国軍同士の戦闘も覚悟しないといけないかと思ったその時、一人の士官が駆けこんできた。

 

「何だと!?」

「幸い、正門は乱入してきた帝国軍兵士たちが閉じたために、監獄内への侵入は許しておりません」

「待て!『正門は』だと?跳ね橋はどうなった?」

 

 私はつい、横から兵士に尋ねる。兵士はこの部屋の状況を知らないからだろう。私にすぐに返答した。

 

「ロストン少佐と乱入してきた兵士たちが押し問答を繰り広げている間に大量の自治領民が跳ね橋に殺到してきました。跳ね上げることは不可能かと」

『アドラー中佐、群衆に伝えろ!散らねば残り半数の囚人も処刑するとな!』

「アドラー中佐!まだ処刑をやるつもりか?怒り狂った群衆が門を打ち破る前に囚人たちを解放するしかない!」

 

 ロンペルと私がそれぞれアドラー中佐に語り掛ける。

 

 ……この時、私たちは誰も知らなかったが、ランペール州と領都特別区の境の都市レンドにおいて、リューベック駐留帝国軍第四師団と群衆の間で『戦闘』が起きていた。ランペール州全体を統括するカール・フォン・ロッペンハイム地上軍准将は帝国軍人には珍しく、自治領民を蔑視しない開明的な性格だったが、この場合はそれが悪い方向へ働いた。ロッペンハイム准将は帝国軍に一切の武力行使を禁じ、放水と催涙弾の使用にすら消極的であった。ある意味でその対応は間違っていない。火に油を注ぐ奴と、火を消そうとしない奴、どちらかと言えば後者の方が正しいに決まっている。だが、処刑開始と共に群衆の間で不穏な空気が流れ、ついにレンドに都市ロブセンからチェニェク・ヤマモト率いる集団が到着するに至り、瞬く間に大暴動へと発展した。

 

 ロッペンハイム准将は折り悪く、群衆を説得する為に司令部を離れていた。しかも説得の為に群衆に極めて接近しており、大暴動の初期に犠牲になった。ロッペンハイム准将が武力行使を許可しないまま殉職したことで帝国軍の対応は後手に回り、ロッペンハイム准将が殉職したことを第四師団長ラーネル地上軍准将が把握し、正式に発砲を許可した時には帝国軍の前衛部隊は群衆によってズタズタにされ、彼らの有していた武器はそのまま暴徒によって帝国軍に向けられることになった。

 

 帝国軍第四師団はランペール州と領都特別区の境界に部隊を広げて移動を制限していた為――そしてレンドの暴動発生後も暫く持ち場に残っていた為――にレンドに対して適切な戦力を派遣することが出来なかった。一方で自治領民の中には自治領警備隊で初歩的な軍事訓練を受けた者も少なくなく、レンドにおける第四師団と暴徒の『戦闘』はラーネル師団長が戦死した第四師団がレンドを放棄するという形で幕を閉じることになるが……この段階ではまだ第四師団が絶望的な抵抗を続けている。監獄を取り囲んだのは全員ベルディエの住人たちだ。

 

 

「……ロンペル少尉!この状況では処刑の継続よりも監獄の防衛を優先せざるを得ない。私と監獄駐留大隊は貴官に協力できかねる」

『な、何!貴様ぁ!』

「どうしてもやりたいのならば貴官が自分の手でやられると良かろう。オークレール少佐、貴官の部隊には一時的に私の指揮下に入ってもらう。良いな!」

「は!」

 

 アドラー中佐はそう言うと囚人たちを牢へ戻すように兵士たちに指示し、処刑場を去る。

 

「兵長、ゾルゲはどうか?」

「出血が酷い……大尉殿の介入があったからでしょう。見たところ急所は外れていますが……。監獄では応急処置が精一杯かと」

「分かった。軍医はまだか!」

 

 私がそう叫んだ時、医療班がようやく到着した。ところがそこでロンペルが口を出す。

 

『そいつを治療することは許さん!そいつは逆賊だぞ!?栄光あるゲルマン民族を騙り、総督府や駐留艦隊司令部に出入りしていた男だ!汚らしいラテン民族の分際で……恥を知れク』

「ああああああああ!」

 

 私は腰のホルスターからブラスター銃を抜き、上階のロンペルの居るあたりに向かって乱射した。処刑場に面している窓だ。万が一にも銃撃を受けても大丈夫なように防弾ガラスが完備されている。それでもロンペルは腰を抜かしたようだ。

 

「ウンザリだ!宇宙時代に何がゲルマン民族だ馬鹿野郎!人の価値はそんなもんで決まるか!お前の弟は平民だから貴族に殺されたんだろう!?それを憎んでおいて他民族への差別は許容するか!あまりの愚かさに愕然とするな!口を縫い合わせておけ!次に余計な事を言ったら俺が殺す。貴族の俺が平民のお前を堂々と殺してやる!ゲルマン系のお前がここで他民族にやってたみたいにな!」

 

 私はそうまくし立てた。そのまま医療班にゾルゲを連れて行くように命じた。ロンペルは何も言えないでいる。私は囚人たちが牢に戻されようとしている姿を確認してから、ヘンリクを連れて監獄司令部に向かった。その際、分隊を一つ残し、万が一にでも処刑が再開されないように見張らせるのを忘れなかった。メルカッツ少佐はロンペル少尉を見張ると言ってその場に残った。

 

 

「来たか!オークレール少佐、ライヘンバッハ大尉!」

 

 司令室にはアドラー中佐と私たちの部下が何人か居た。私たちを制止しに来たアドラー中佐とすれ違いになったらしく、部下は司令室をあっさり制圧したようだが、先ほど帰ってきたアドラー中佐に一喝されて、あっという間に奪還されてしまったらしい。

 

「状況はどうなっています?領都は……」

「見ろ、この惑星の住人は自らのリーダーたちを追悼する為にえらく野蛮な儀式をするらしいな!」

 

 アドラー中佐は不愉快そうにモニターを指差す。そこには民衆たちが……銃剣に憲兵の首を刺して高々と掲げた民衆たちが映っていた。口々に帝国や皇帝、駐留艦隊司令を罵倒している。『奪還せよ!』と叫び門を打ち破ろうとする。どこからか装甲車を用意し、それによって門を打ち破ろうとしているようだ。

 

「……彼らにそうさせたのは私たちでしょう」

 

 私はそう呟くがそれでも眼前の光景は見るに堪えないものだった。縛られた帝国軍兵士が跳ね橋の端に立たされ、次々に水の中に落とされた。ご丁寧に彼らの両足には重しとなるような様々な物が縛り付けてある。運よく硯を付けられたために沈まなかった憲兵も居たが、すぐに跳ね橋の上から銃撃を受け蜂の巣にされる。

 

 装甲車の前面にかつてその装甲車を運転していたであろう兵士が括りつけられ、その状態のまま門へと装甲車が激突した。衝突の瞬間は丁度私の見ていた監視カメラからは死角になっていた。縛り付けられていた兵士がどうなったかは……考えたくないし書きたくもない。『こっちを見ろ!臆病者!』そう叫んで兵士の腕を門の前で切り落としている自治領民も居た。泣き叫ぶ兵士の口に銃を突っ込んで……いや、もう止めておこう。もっと詳しく知りたいイカレ野郎は図書館に行って『リューベック奪還革命』の資料映像を確認すると良い。私は御免だ。

 

「発砲を許可する!奴らに節度を弁えさせてやれ!」

「な!?中佐!」

 

 私は止めようとしたが、中佐の鋭い眼光に怯む。

 

「言っておくがな、これは別に私個人の感情故の命令じゃないぞ!?このままだと間違いなく門は打ち破られる。その後、この監獄でも門の外と同じことが繰り返されるだろうな!貴官も私も仲良く暴徒の玩具(オモチャ)だ!平民も貴族も区別無くな!」

 

 私はアドラー中佐の言葉に同意せざるを得なかった。アドラー中佐の発砲許可によって、門に体当たりを繰り返していた装甲車が対戦車ミサイルの直撃で大破炎上した。機関銃が火を噴き、門のすぐ近くに居た自治領民が吹っ飛ぶ。群衆も黙っては無い。殺した帝国兵から奪った武器で応戦する。それは散発的なモノで、ほとんど脅威にはなり得なかったが、城壁から不用意に顔を出した兵士が撃たれ、水堀へと落下した。群衆は監獄側の反撃で悲鳴を上げていたが、その瞬間だけは歓喜の声がそれを上回ったように思える。

 

 帝国兵も黙ってはいない。狙撃手が居ると思われた場所に再び対戦車ミサイルが撃ち込まれた。門前の群衆の蛮行を見せられて、我慢の限界も来ていたのだろう。明らかに帝国兵の攻撃は防衛から復讐へと変わりつつあった。私は監獄側から打ち出されたミサイルが、群衆と、彼らが盾にしようとしていた帝国兵を纏めて吹き飛ばしたのを見た瞬間、アドラー中佐に再度進言した。

 

「中佐!既に群衆は押し戻されつつあります。過剰な攻撃はさらなる民衆の怒りを招くだけです。攻撃を止めましょう!」

「言いたいことは分かるがな……今銃撃を止めたらあいつらは大人しく家に戻るのか?」

「……」

 

 アドラー中佐は私にそう言った。私は言葉に詰まる。

 

「……跳ね橋を上げましょう。それで解決です」

「そう、跳ね橋があります。……銃弾にも限りがあるはずです」

 

 ヘンリクが進言するのに続けて私もそう言う。

 

「領都と寸断される。秘密通路はあるがな、この状況では使いたくない」

 

 アドラー中佐はそう言って拒否したが、私たちは説得し続けた。

 

 やがて群衆側が明らかに統率され、装備の整った集団へと変わっていった。私は直感した。ミシャロン氏の独立派が動いたのだ。ミシャロン氏自身は捕まっているが、あの人ならば機関や同盟側を出し抜いて、独自の秘密基地やメンバーを用意していてもおかしくないし、ミシャロン氏の『切り札部隊』なら軽率な動きはしない。ここぞと言ったときに動くだろう。……後で知ることになるが、ミシャロン氏の『切り札部隊』が動く一〇分前の午後二一時二〇分、レンドの大暴動に参加していたチェニェク・ヤマモトがロッペンハイム准将の戦死を把握し、その情報を領都に流したらしい。それを受けてミシャロン氏の『切り札部隊』は監獄襲撃の支援に動いたようだ。

 

「アドラー中佐、敵は明らかに跳ね橋の可動部を狙いつつあります!今上げなければ……」

「やむを得ないか……!」

 

 午後二二時〇八分、アドラー中佐によって跳ね橋を上げるように命令が降った。それによって跳ね橋が上がっていく。群衆と独立派がそれを妨害しようとしたが、監獄側も斉射でそれに応じ、何とか跳ね橋を上げることには成功した。……跳ね橋の上から逃げ損ねた数人の群衆が門の近くまで滑り落ちた。監獄側は彼らに容赦のない銃撃を浴びせた。私は勿論、アドラー中佐も情報収集の観点から発砲を禁じたが、その命令は届かなかったか、無視された。

 

 こうして、私にとっての激動の宇宙歴七六〇年一二月二七日は終わることになるが、『クラークライン監獄攻防戦』はその一日では終わらなかった。また、同日一九時一一分、総督府が陥落しランズベルク局長を含む数人の幸運な、あるいは目端の利く職員を除く全職員が混乱の中で死亡――虐殺された。総督府防衛大隊はすぐに防衛に出動しようとしたが、暴徒を前に行軍が出来ず、総督府方面で一際大きな爆発がした段階で救援を断念。駐屯地に戻って立てこもる他無かった。

 

 こうした状況下で領都警衛隊司令部は一早く対応し、領都の混乱を鎮めるべく抵抗を開始したが、同日二一時三〇分、司令部庁舎内でクラウス・ハンテンブルク地上軍准将が帝国軍中尉によって射殺されたことで指揮系統が混乱、また信じられないことに軍内にリューベック側に呼応している工作員が居ることが明らかになり、非常に苦しい状況に追い込まれ、ついに司令部庁舎に立てこもっての抵抗を余儀なくされた。

 

 同日二三時四二分、態勢を立て直した帝国軍第四師団を中核とする部隊がランペール州から領都ベルディエへ向かう群衆を襲撃したが、群衆は一斉に逃亡。以後、帝国軍は各所に散らばりながら反帝国活動と領都ベルディエへの『進軍』を続けるランペール州民に苦しめられることになる。

 

 尤も、私たちがこうした情勢を完全に知り得たのはもっと後の事である。……ミシャロン氏は我々機関も把握していない策をいくつも張り巡らせていたらしい。駐留帝国軍の通信網が爆弾テロによって各所で混乱、またいくつもの欺瞞情報によって我々は騙されていた。

 

 こうした混乱の中で『リューベック奪還革命』の初日は終わることになる。私は事態が完全に自身の――そして機関の――コントロールを離れたことを認めざるを得なかった。

 

 

 

 

 



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青年期・アルベール・ミシャロンの秘策(宇宙歴760年12月27日~宇宙歴760年12月31日)

 宇宙歴七六〇年一二月二七日から始まった『リューベック奪還革命』は日に日にその規模を拡大させていった。翌一二月二八日にはリューベック宇宙港近郊のルーテンブルク監獄に収監されていたライティラ星系分治府主席ダニエル・アーレンバーグが自力で脱出し、彼を主席としてリューベック革命臨時政府が発足。一二月三一日時点で惑星リューベックに存在する一三の州の内、領都特別区、ランペール、オシュトローへ、タンネンブルクの四州から帝国軍は撤退を余儀なくされ、他の州でも革命を支持する群衆との間で睨み合いが続いていた。完全に帝国軍が掌握している州と言えば駐留軍司令部のある領都ベルディエの東隣にあるフェルクリンゲン州とその隣のゲルスハイム州位の物だった。

 

 尤も、この事態が革命成功を意味するものかというと、一概にそうとも言えない。革命臨時政府が掌握する四州はいずれも平野部の開けた土地に存在しており、元々ゲリラ戦を志向していたリューベック駐留帝国軍が叛乱軍の襲来時は放棄することを前提としていた地域である。残りの州も多くの帝国軍部隊が戦力を温存した状態で拠点、または掌握した都市・地方に立てこもっており、革命臨時政府にとっては未だ予断を許さない状況であった。

 

 とはいえ、駐留帝国軍にしても、駐留艦隊司令部の指示に従って軽率な武力行使に踏みきった複数の部隊が群衆による強かな(あるいは狂気的な)逆撃によって少なくない損害を被ったことも事実であり、一二月三一日時点では革命臨時政府と駐留帝国軍は互いに危ういバランスの上で睨み合いを続けている。

 

 クラークライン監獄に立てこもる私たちも混乱する状況の中でどうやら自分たちが敵地の真っただ中に取り残されていると気づいていた。実際にはランペール州から撤退してきた第四師団を中心とした部隊が領都警衛隊の残存部隊と合流し、革命臨時政府を支持する群衆と激しく戦闘を繰り広げていたが、その時の私たちにそれを知る術は無かった。

 

「ここで間違いないのか?ヘンリク」

 

 宇宙歴七六〇年一二月二九日、私はヘンリクと共に監獄の牢の一つを訪問していた。

 

「はい、私はここでお待ちしております」

「分かった」

 

 私は牢を開けて中に入る。牢と言っても個室のようになっている。監視カメラがついてるが、ヘンリクが手を回して録画は止めてある。

 

「……そろそろ来る頃かと思っていたよ、カール。……いや、アルベルト・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍大尉」

「……ご無沙汰しております。ミシャロンさん」

 

 私の目の前に居るアルベール・ミシャロン氏はボロボロだった。独立派のアジトで会った彼はいつも紳士然とした格好であったが、目の前の彼の服はあちこちが破れ、顔には大きな青あざがあり、髪もボサボサになっていた。しかし、その鋭い眼光は全く変わっていなかった。

 

「アルベール、知り合いか?」

 

 牢に入っているのはミシャロン氏だけではない。他の囚人の中で知り合いらしい老人がミシャロン氏に声をかけた。

 

「ええ、総督暗殺未遂の犯人に仕立てられ上げた、我々の協力者ですよ。……ノーベル大佐の離反は予想出来なかったかね?私は可能性はあると思っていたよ。まあ、捕まっておいてそんなことを言っても格好はつかないがね」

「……とんでもありませんよ。貴方の『切り札』に領都の帝国軍は脆くも崩れ去りました」

 

 ミシャロン氏は頷いて言った。

 

「まあ、そこまではやれるだろうな。だが独力だとそれが限界だ。……君たちは『茶会(テー・パルティー)』計画を諦めているか?」

 

 ミシャロン氏の目は真剣だ。ここは嘘をつくべきでは無いだろう、と私は判断した。

 

「……ええ、残念ながら難しいでしょう、今の私の役割は敗戦処理です」

「処刑場への乱入もその一環か。だがあれは良い動きだった。私が死んだらこの局面を打破することは出来なかっただろうな。率直に礼を言おう」

 

 ミシャロン氏は淡々とそう言った。どうやらあの囚人待機部屋にミシャロン氏も居たらしい。……しかし、この局面を打破するとはどういうことだろうか?

 

「カール、いやアルベルト。君は機関の目的があって我々リューベック独立派に協力していたのだろう。だが、それだけかね?」

「……それだけとは?」

「我々の理念に、あるいはこの自治領の姿でも良い、君個人として価値あるものを見出したのではないか、ということだ」

 

 ……ミシャロン氏の言う事は間違っていない。本国とは違う自由な気風。全ての民族が――ゲルマン系ですら――対等に互いを尊重して生きる社会。本国では当に絶えた非ゲルマン系文化の伝統。私はそれらを気に入っていた。……ここにはここの不公正もあったが。

 

「……単刀直入に聞こうか。我々に力を貸す気は無いか?……機関のカールではなく、自由人アルベルト・フォン・ライヘンバッハとして。私の見ている物は機関の目的とは必ずしも合わない。だが……アルベルト・フォン・ライヘンバッハ、君はあるいは私と同じ物を見れるのかもしれない」

 

 ミシャロン氏の視線が私を貫く。彼は表情は変えないまま、まるで明日の夕食について話すような自然な調子で言った。

 

「私はここから、真のリューベックを作る」

 

 

 

 

 

『御曹司、準備できました』

「分かった。それじゃあ頼む」

 

 宇宙歴七六〇年一二月三一日、私は処刑場に居た。隣にはミシャロン氏と立法府議長のロシェ氏が並ぶ。ロシェ氏はミシャロン氏との話し合いの場に居た老人だ。

 

『三、二、一、どうぞ!』

「……リューベック自治領の全ての人々に呼びかけます。私はリューベック独立派代表、アルベール・ミシャロンです。独立派の方々は私の事をご存知かと思います」

「リューベック立法府議長、バーナード・ロシェだ。『第七艦隊共和国(リパブリック・オブ・セブンスフリート)』の同胞たちよ。アデナウアー総書記を初め、多くの同胞があの虐殺で亡くなった……。しかし、ここに居る青年士官のおかげで、私を初めとする少なくない諸君の代表はどうにか生き延びている。まずは諸君にそのことを伝えよう。その上で、同胞諸君に聞いてほしい話がある」

 

 ロシェ氏はそう言うと、横に控えていた私に発言を促す。私たちの作戦はこうだ。まずは過激な独立派に影響力を持つミシャロン氏と万民に知名度があるロシェ氏が放送に出ることで、リューベックの自治領民たちに「この放送を見よう」と思わせる。

 

「有難うございます。ロシェ議長……。私はアルベルト・フォン・ライヘンバッハ。銀河帝国リューベック総督府特別監査室長。宇宙軍大尉です」

 

 この放送はリューベックの全てのテレビに放送される。特に都市部の大きなモニターには総督府の流す番組を強制的に映す機能がついている。間違いなく多くの民衆が私の姿を見ている筈だ。

 

「先日、リューベックの多くの民の命を不当に奪ったこの処刑場から、放送を行う無礼をどうかお許しください。しかしながら、叛乱軍に気取られないように放送を行い、尚且つ邪魔をさせないようにするにはこの場をそのまま利用するしかありませんでした」

 

 放送を管轄するのは総督府であり、駐留艦隊司令部よりも強力に放送網に干渉可能だ。駐留艦隊司令部の権限では総督府の権限で放映されているこのクラークライン監獄からの放送を中止させることは出来ない。勿論、駐留艦隊司令部から総督府に放送を中止させるように命令が下れば即座にこの放送は暗転するに違いない。

 

 ヘンリクが私に向けて〇を作る。どうやら総督府の妨害は無いようだ。……当然である。私は知らなかったが既に総督府はほぼ壊滅状態だ。

 

「また、小官の力が及ばなかったがために、この場で亡くなった皆様にも深く謝罪をさせていただきます」

 

 私は目を伏せて、沈痛な表情を作って謝罪する。あるいはこの放送を見ている自治領民の一部は、数日前に処刑を止めた若手士官が私であることを覚えている、あるいは思い出しているかもしれない。私は意図的に暫く溜を作る。そこで事前の打ち合わせ通り、ロシェ議長が私の肩に手を置いた。私はロシェ議長を見て頷き、再び話し始める。

 

「皆さん、私はエルザス・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン辺境軍管区司令、カルステン・フォン・グリュックスブルク中将から一つの密命を受け、このリューベックに赴任しました。その密命とは、駐留艦隊司令ハウシルト・ノーベル宇宙軍大佐のサジタリウス叛乱軍との内通疑惑です」

 

 横でミシャロン氏とロシェ氏が大きく頷く。彼らには私の話に正当性を与えてもらわなくてはならない。……最悪、信じられなくても良い。この二人が「信じている」というメッセージを送ることで、私の味方になる自治領民も居るはずだ。

 

「私はフェルバッハ総督の協力を得て、密かにノーベルの動きを探っていました。しかし、ノーベルは私と総督のそんな動きに気づき、フェルバッハ総督を爆殺しようと試み、私をその犯人に仕立て上げたのです。それだけに留まらず、ノーベルは皆さんの代表を不当に拘束し、大量に虐殺しました。許されない大罪です」

 

 私はこの言葉を言う際に憤る演技をするよう言われていたが、実際の所、私はこの言葉を言う際に演技を必要としなかった。ここで亡くなった人々を思えば、自然と感情が溢れ出してくる。

 

「何故、ノーベルがそんなことをしたのか?それはノーベルが皆さんを差別していたからです。しかし、それだけじゃない。ノーベルの背後には、サジタリウス叛乱軍の影があります。サジタリウス叛乱軍は狡猾にも、ノーベルの差別感情を利用してリューベックの皆さんを挑発することで、リューベックにおいて帝国軍と皆さんが対立するように仕向けたのです」

 

 私は真剣な表情で口からでまかせを述べる。一体どれほどの人がこの与太話を信じるだろうか?まあ、ミシャロン氏とロシェ氏が居たとしても三割程度が少しでも「本当かな?」と思えば良い方だ。……今は、な。

 

「きっと皆さんは私の言うことを信じないでしょう。しかし、私は動かぬ証拠を掴んでいます。現在、自由惑星同盟を名乗る叛徒共の艦隊がこのリューベックを目指して行軍中です。恐らく、後一〇日もしない内にこのリューベックを同盟の版図に組み込むべく殺到してくるでしょう。その時になって慌てても遅い!リューベックの皆さん。小官を信じてください。これは全て叛乱軍とノーベルの陰謀です。そして帝国軍の将兵たちよ!目の前の人々は本当の敵ではない。本当の敵は叛乱軍と叛乱軍に通じたノーベルだ!」

 

 私は力強くそう言い切った。そしてミシャロン氏が再び口を開く。

 

「私は独立派の中心人物として同盟軍のリューベック接近を知っています。彼の言ったことは事実です。諸君、宇宙歴六六八年の屈辱を思い出してください。何故我々は敗北したのか……。コルネリアス一世元帥量産帝が名将だったから?違う!数の差がありすぎたから?違う!……自由惑星同盟が我々を見捨てたからだ!それにもかかわらず、彼らは再び私たちを都合良く利用しようとしている!……彼らは解放軍ではありません。単にリューベックを対帝国の前線基地としたいだけです!帝国の植民地から同盟の植民地に変わる、それが本当の独立か!」

 

 続いてロシェ氏も発言する。

 

「……リューベックは誰の物か?帝国か?同盟か?いや違う、我々の物だ!我々は我々自身の独立を危うくする全ての存在に抵抗しなくてはならない!ハウシルト・ノーベル、彼を何としても討ち果たす。それはこの革命(レボリューション)の目的なのだ!」

「銀河帝国も、最早リューベックの忠誠と希望を無視することは出来ないはずだ。今回のことで彼らも叛乱軍が悪辣な手腕でこの星を狙っていることを知った。真の敵を無視する程、帝国は馬鹿ではない」

 

 私は自治領民に対する自治権拡大を匂わせる。嫌らしく聞こえないように細心の注意を払った。

 

「私、アルベルト・フォン・ライヘンバッハは約束します。この監獄に今なお囚われている二一六人の囚人を解放します。叛乱軍を前に我々が対立することは何の益も生まない。どうか小官を信じてください」

 

 最後に私がそう述べ、放送は終わった。

 

『カット!……御曹司、大隊司令部がカンカンですぜ?』

「だろうね。まあ、なるようになるさ」

 

 私はミシャロン氏に対して肩を竦めた。……彼の作戦が上手く行くかどうかは微妙なラインだ。しかし、私は彼に協力することを選んだ。今から考えれば軽率な判断だったのかもしれない。しかし、私はアルベール・ミシャロンという男に惹かれた。人は理想の為ではなく、理想を体現した人の為に闘う。私は常に理想の為に闘う人間でありたいと願っていたが、終生、私は理想を体現した人……自由の為に命を燃やす人を見た時、それを放置することが出来ないで居る。……幼年学校において、カミル・エルラッハの意思を継いだ時もそうだ。クリストフ・フォン・ミヒャールゼンと最後に面会した時もそうだった。そして私はこれからもそうやって生きていくことになる。



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青年期・『真実(でっちあげ)』の創作(宇宙歴760年12月31日)

「……大尉。貴官は自分が何をしているかを分かっているのかね?」

 

 駐留大隊司令部に入った私を見て、アドラー中佐は開口一番そう言った。彼の後ろには銃を携帯した総督府防衛大隊第二中隊の兵士が立ち、その近くには目を閉じ、腕を組んで壁に背中を預けたメルカッツ少佐が居た。

 

 処刑場での放送と同時に、メルカッツ少佐率いる一個分隊が駐留大隊司令部に突入し、これを制圧した。メルカッツ少佐の協力を得るのは中々大変であったが、彼はほぼ軟禁されているロンペル少尉の側に居た為に領都の騒乱――あるいは狂奔――をその目で見ておらず、一方で監獄で行われた虐殺に心を痛めていた。最終的にメルカッツ少佐は駐留艦隊司令部から監獄駐留大隊司令部に対し、処刑再開の命令書が届いたことで私たちの計画に協力することを決意した。

 

 ……率直に言って、いくら貴族的選民意識が薄いメルカッツ少佐とはいえ、実際にあの民衆の蛮行を目にしていたら、私たちに協力してくれたかどうか怪しい気もする。尤も、今となっては彼があの蛮行を目にしてどう反応するかは分からないが。

 

「何をしているか分かっていないのは中佐殿の方でしょう。小官は小官の任務を果たすために出来ることならば中佐殿の御協力を得たかった。しかし、中佐殿は証拠を見せろの一点張り、これでは小官は任務を達成できない!」

「当たり前だろうが!貴官が嘘をついている可能性を考慮すれば……」

「ええ、その通りです。中佐殿の反応は正しい、正しいからこそ説得は諦めた!小官は任務を果たさないといけない。しかし、通常の手段では中佐殿の協力を得られない!ならば非常の手段に訴える!責任は無論小官が取りましょう」

 

 私はアドラー中佐の目を真っすぐ見つめてそう言った。アドラー中佐は私を睨みつけている。

 

「准尉!中佐殿を部屋へ連れていけ!丁重に扱えよ?彼は罪人ではなく同胞だ。……不幸にも叛乱軍に騙されている、な」

 

 私は中佐の側に立つ兵士に指示し、放送機器に近づく。

 

『監獄の兵士諸君よ!私の名はアルベルト・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍大尉!……分かるな!?ライヘンバッハ宇宙軍大尉だ!』

 

 私は家名を強調する。末端の兵士でも今の宇宙艦隊副司令長官を務めている貴族は知っている筈だ。……ライヘンバッハの名は何と便利だろうか。私個人としてはこの名に助けられることが、まるで帝国の身分制度に助けられているようで極めて不本意ではあるが、使える物を使わないのは馬鹿のすることだ。

 

『ルーカス・フォン・アドラー中佐は叛乱軍に掌握された駐留艦隊司令部の命令に従い、エルザス・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン辺境軍管区司令グリュックスブルク中将より全権を委任された小官の命令を拒絶した』

 

 兵士たちは無学だ。彼らは法的根拠や指揮系統はほとんど気にせずに、『偉そうな奴』、『力を持ってそうな奴』に従う。士官の一部がどう動くは分からないが、アドラー中佐程気骨のある士官はそうそう居ない。

 

『よって現時刻を以ってアドラー中佐、並びに叛乱軍に欺瞞されている監獄駐留大隊司令部の指揮権を停止。監獄内の全将兵を総督府防衛大隊第二中隊長ヘンリク・フォン・オークレール少佐の指揮下に組み込む。以上、エルザス・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン辺境辺境軍管区司令カルステン・フォン・グリュックスブルク中将の密命を受けた総督府特別監査室長アルベルト・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍大尉が命じる、監獄の将兵諸君は速やかに従うように』

 

 私は再三に渡って、自分の家名、地位、正当性などを強調する。強引にでも無理を通さなければ道理の通った事は何もできないのだ。

 

 同時に、監獄の各部署に第二中隊の兵士を派遣し、私の命令に服するか、背くかを確認させる。二〇分ほど経過した後、全ての部署からオークレール少佐を監獄の責任者として認める旨の返答があった。

 

「嘆かわしいな……。兵士はまあ良い。士官はこれがクーデターだと分からない訳でも無いだろうに」

 

 メルカッツ少佐は首を降りながらそう言った。私は反応に困り、聞かなかったことにした。

 

「……ヘンリク、作戦通り監獄は掌握した。ミシャロン氏たちを解放する。外の様子はどうだ?」

「相変わらずちょっかいを出しては来てますが、どこか様子を見ている雰囲気ですな。御曹司の演説を見たからでしょう」

 

 私はヘンリクに司令部を任せて、正門へと向かう。その途中、処刑場にとどまっていたミシャロン氏、ロシェ氏と合流した。

 

「上手く行ったようだな。言っただろう?帝国が強大だと言っても、辺境の司令部などこんなものだ。特に第二次ティアマト以降は質の劣化が酷い。領都警衛隊の司令官は少々厄介だったが、な」

 

 監獄の建物を出たところでミシャロン氏が平然とした調子で語り掛けてきた。ロシェ氏は「生きて出られるとは信じられん」と小声で呟いた。

 

「まだ分かりませんよ。……群衆は何をするか分からない。お二人の言葉も小官の言葉も通じなければ、その時は全員死にます。……平民も貴族も自治領民も、死は平等に訪れる。なんと無意味な区別でしょうか」

 

 私はつい、二人にそう呟いた。ミシャロン氏は肩を竦め応じ、ロシェ氏は目を丸くして「これまた信じられん」と呟いた。

 

「大尉殿!これをどうぞ」

「有難う兵長、後ろの二人にも渡してやってくれ」

 

 顔見知りの兵長が私に拡声器を渡した。私に言われて二人に対しても拡声器を差し出す。

 

「頼んだぞ!貴様らに我らの命が掛かっているのだ。馬鹿な民衆共に真実を教えてやってくれ!」

 

 兵長が笑顔でそう言った。ミシャロン氏は微笑して礼を言って拡声器を受け取り、ロシェ氏は不快感を何とか押し込めたぎこちない笑いを浮かべながら無言で拡声器を受け取った。

 

 ……同胞を大量に虐殺された直後の二人に掛けるには無神経な言葉ではあるが、それでもこの兵長の態度はかなり『マシ』な部類と言える。その理由は彼が私の語った『叛乱軍の陰謀』説を信じているからだ。『自分も自治領民も叛乱軍に騙されている』という共通の被害者意識が彼の好意――帝国基準では――の源だ。

 

「民衆は派手に暴れたらしいな。彼らが私たちを殺意の籠った目線で見ているのも分かる」

 

 城壁の上に上ったミシャロン氏は近くの帝国兵を一瞥した後、淡々とそう言った。

 

「『おお、自由よ!汝の名の下に如何に多くの罪が犯されたことであろうか!』」

 

 ロシェ氏は城壁の外を見て顔をしかめると芝居がかった調子でそう言った。

 

「その言葉は……?」

「ああ、いや。私の民族に伝わる警句のような物だよ……」

「ふむ……確か……ロラン夫人の言葉でしたか」

 

 私はロシェ氏にそう言ったが、ロシェ氏はきょとんとしている。

 

「そうか、これはロラン夫人の言葉なのか。それは知らなんだ」

「ロシェ議長、アルベルト。そんなことを話している場合でも無いでしょう」

 

 ミシャロン氏が苦言を呈する。……その通りだ。我々は民衆との話し合いの為にここに来たのだ。

 

「では……行きますか」

 

 私たちはリフトを使って門を開かないまま外にでる。民衆たちは私たちの存在に気づいているようで、発砲音が消えた。

 

『私はアルベルト・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍大尉!約束通り囚人の解放を行いたい!君たちの同胞であるミシャロン氏とロシェ氏を連れてきた!自治領民たちよ!私の話を聞いてくれ!』

 

 私は声の限り叫ぶ。惨憺たる有様の跳ね橋を渡りながら私は少しずつ群衆たちに近づいていく。

 

「!大尉、危ない!」

 

 ミシャロン氏の声で咄嗟に伏せる。私の頭上で風を切る音がし、すぐに発砲音が響いた。

 

「クソ!」

 

 ミシャロン氏が射線を塞ぐように立ち、少し遅れてモタモタとロシェ氏がそれに倣った。私はとてつもない恐怖を感じた。撃たれたことにではない、私が死ねば監獄と民衆は再び血で血を洗うような戦いを再開する。それは恐らく惑星……いや、リューベック自治領(ラント)全体へと広がっていくはずだ。

 

『撃つな!私は無事だ!』

 

 私はすぐに叫ぶ、監獄側にだ。その声が後数秒遅れていれば、監獄側は『反撃』に出ていただろう。

 

「アルベルト、私を盾にしろ」

「いや、それはダメです!」

 

 私はそれだけ叫ぶと、再びミシャロン氏の前に出て歩き出す。その瞬間、脇腹に熱を感じた。

 

「ぐぅ……『撃つな!銃撃は外れた!』」

「アルベルト!」

『……止めろ!我々の同胞を殺したいのか!?彼が死ねば同胞も死ぬぞ!』

 

 片膝をついた私をミシャロン氏が支え、ロシェ氏が群衆に向けて叫ぶ。そのロシェ氏の拡声器が新たな発砲音と共に吹っ飛んだ。

 

「な……」

 

 ロシェ氏は自分に向けて発砲があったことに絶句する。それが私を狙った結果たまたまロシェ氏の方向へ銃弾が飛んでいったのか、ロシェ氏を狙っての物かは分からなかった。

 

「……大尉!議長!あそこへ!」

 

 ミシャロン氏が指差した方向にはスクラップになった装甲車がある。私たちはそこへ駆け込んだ。

 

「……彼らは何を考えている!?何故私を撃つんだ!?」

「落ち着いて!……最初に言った通り、私の同志には予め大尉と共にそちらへ向かうことは伝えてあります。彼らがすぐに対処してくれるはずです」

「その彼らが君の指示に従っている保証はあるのか!?私たちを裏切り者と考えていたらどうする!?」

 

 ロシェ氏はすっかり動転している。彼らが話している間も、私は監獄と群衆に叫び続けていた。

 

「……いや、その可能性は低いです。もしそうならば群衆は率先して私たちを殺そうとするはずだ。全ての群衆が私たちに殺到し、今頃私たちはボロ雑巾のようになっているに違いありません。……発砲音は僅かです。同志達の指示を無視して、はねっ返りの馬鹿が撃っているだけだと思われます。尤も、それがきっかけで再度監獄との間で戦闘が始まれば……」

 

 ミシャロン氏の表情は険しい。だが、やがて群衆側の発砲音が途絶えた。それでも私たちは装甲車の陰に隠れていたが、やがて群衆の側から拡声器による呼びかけが行われた。

 

『アルベルト・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍大尉、革命臨時政府クリステンセン大隊司令部は貴官の訪問を歓迎したい。監獄側より我々の同胞へ不当な危害が加えられることが無い限り、貴官の身の安全は保障しよう』

 

 私はゆっくりと立ち上がり、装甲車の陰から出ようとしたところで脇腹に激痛が走り、倒れそうになる。脇腹……というより足の付け根と言った方が良いだろうか、その辺りから出血していた。私はミシャロン氏に肩を貸してもらい、痛みに耐えながらゆっくりと群衆の側へ向かう。

 

 やがて、群衆の側もきまりが悪くなったのだろうか、一台のジープがこちらへ走ってきた。……人間は誰でも状況次第でとことん残虐になることが出来る。だが、常に残虐であり続けることが出来る人間は極一握りだ。同じような例は他にもあった。

 

 一例を挙げよう。重傷を負い、側溝で動けなくなった憲兵少尉は寒さと痛みに耐えながら、その場で二日間を過ごした。幸運――あるいは不運――にも二日間彼は自治領民に発見されなかった。三日目に自治領民に見つかったとき彼は死を覚悟した。彼は迫りくる死に対して「やっと楽になれる……」と感じる程度に衰弱していたが、これから恐らく彼らの復讐心によって激しい拷問を受けるのであろうと考えると、朦朧とする意識の中で激しい恐怖が蘇った。しかし、憲兵少尉の予想は外れ、自治領民は彼を町医者に運び込み、そこに放置した。やがて不機嫌そうな医者がぶつぶつと帝国に対する不満を漏らし、時にわざと憲兵少尉を苦しませながらも、憲兵少尉の傷に対して適切な処置を施していった。……そして彼は領都憲兵隊の数少ない生還者となった。

 

 ……話を戻そう。ジープによって私も憲兵少尉と同じように医者へと担ぎ込まれた。脇腹の傷は幸い浅かった。そこで私は最低限の処置を受けると、そのままクリステンセン大隊司令部へと向かった。

 

「おお……!ミシャロンさん。よくご無事で……!」

 

 大隊長らしき青年がミシャロン氏を出迎えた。その周りには自治領警備隊の制服を着た男女が集まっている。階級章は外されているために分からないが、全体的に若い。自治領警備隊の士官クラスは各地の監獄に収監されている。恐らく何とか弾圧を逃れた士官だけでは足りず、下士官クラスを司令部要員として動員しているのだろう。

 

「彼のおかげでな。彼はノーベルと違い最後まで私たちと共に闘ってくれるようだ。……思う所はあるだろう。だが協力しろ。それがリューベックが生き残る唯一の道だ」

 

 ミシャロン氏は鋭い眼光で司令部を見渡した。司令部には私を激しく憎悪する目線がいくつもあったが、ミシャロン氏の眼光はそれらの目線を圧倒する。

 

「……我々があなたの命令に背く訳が無いでしょう。ライヘンバッハ大尉。貴官にはすまないことをしたな。だが、帝国が我々に与えた苦しみは……」

 

 そこまで言って大隊長らしき青年は激しくかぶりを振った。

 

「止めよう。そんなことを貴官に言っても仕方がないし、貴官が撃たれた原因は帝国の暴政だが、帝国の暴政の原因が貴官という訳でもあるまい」

 

 その言葉は自分と、他の司令部要員に言い聞かせるような響きを持っていた。

 

「私はマイルズ・ラングストン。革命臨時政府軍大佐だ。クリステンセン大隊とクラークライン監獄包囲部隊の総司令官を務めている」

「アルベルト・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍大尉です。……小官の力が及ばず、このような事態になってしまったことをまずは謝罪させてください」

 

 私は深く頭を下げる。

 

「……ライヘンバッハか。えらく大物だな。謝罪は良い。それよりこれからどうするつもりか聞かせてくれ」

 

 私はミシャロン氏の方を見るが、彼は何も言わない。私の口から説明させる気だろう。……ちなみにロシェ氏は革命臨時政府が臨時庁舎としている旧・総督府の方へ向かった。

 

 私はラングストン大佐に説明を始める。……ミシャロン氏は機関が裏切ることも想定していくつもの策を立てていたようだ。私は今でもどこまでがミシャロン氏の立てた計画通りだったのか判断がつかない。少なくとも、彼が捕まったことは計画通りでは無いはずだが……。結果論から言うと、私と連携を取ることが出来たのは監獄に収監されたからだ。「そこまで読んでわざと」というのは流石に無いだろう。私がどう動くかはいくら彼でも予想出来ないはずだ。私が間に合わず、彼が処刑されていた可能性もある。

 

 まあ……彼が何を考えていたのかは今でも興味が尽きないが、今は彼の作戦について説明しよう。彼の作戦を一言で言い表せば『既成事実の積み上げ』である。

 

 私たちは一つの『真実(でっちあげ)』を用意した。それは自治領民への放送でも語った通り、「帝国辺境部を混乱させることを狙い、自由惑星同盟がノーベル大佐の差別感情を煽って虐殺を起こした」という物語である。この物語は三つの大きな事実を下敷きにして構成されている。すなわち、「リューベックが著しい混乱状態にある」事、「自由惑星同盟がリューベックを前線基地とするべく活動している」事、「ノーベル大佐が虐殺を起こした」事だ。どれも歴然とした事実であり、唯一「自由惑星同盟がリューベックを前線基地とするべく活動している」事だけはまだ知られていないが、同盟軍第三艦隊がリューベックに襲来すれば自ずと大衆に承認された事実となる。

 

 そしてこの三つの大事実を補強する形でいくつもの事実を取捨選択して組み合わせた。「コルネリアス一世帝の大親征の際に自由惑星同盟がリューベックを見捨てた」事、「リューベックの混乱が間違いなく帝国辺境部の混乱へと波及する」事、「大抵の帝国軍人が自治領民に対する蔑視感情を持っている」事……。まあ他にも色々と私たちの『真実(でっちあげ)』を補強するような事実はある。

 

 私たちの究極的な目標は、この『真実(てっちあげ)』を帝国にも自治領民にも「事実である」と思わせることだ。……可能ならばそれをリューベックの独立に繋げる形で。

 

 当然、このような『真実(でっちあげ)』をされれば同盟側は怒るだろうが……。正直この情勢下で同盟側がどう思うかはそれほど重視していない。とはいえ、流石に第三艦隊に被害が出れば間違いなく機関・リューベックと同盟の関係が拗れるので、それに関しては引き続き回避する為に努力する必要がある。

 

「……という訳です」

 

 私は説明を終える。司令部の人々は呆気にとられた様子だ。

 

「……計画の趣旨は分かった。だがな、それがどう独立に繋がるんだ?というか、そんなことが可能なのか?」

「最初に『既成事実の積み上げ』と言ったでしょう。この『真実(でっちあげ)』は同盟を共通の敵として帝国とリューベックが共闘することを可能にします。その過程で、独立の『既成事実』を積み上げます」

 

 ラングストン大佐は懐疑的な表情だ。司令部要員も困惑と疑いを表情に滲ませている。

 

「……マイルズ、一つ聞かせてくれ。マックス・フェルバッハ総督は生きているな?」

 

 ミシャロン氏が唐突に確認する。ラングストン大佐は一瞬言葉に詰まり、答えた。

 

「……革命臨時政府はフェルバッハ総督を最優先確保目標の一人と設定していますが、今の所、フェルバッハ総督を確保、ないし殺害したという情報はありません。……我々の欺瞞情報を除けば、ですが」

「……だ、そうだ。アルベルト。計画成功の可能性がまた一つ高くなったな」

 

 ミシャロン氏は私の方を向いてそう言った。私は頷いて、そしてラングストン大佐に語りかける。

 

「私たちが一番恐れていたのは、フェルバッハ総督が既に死んでいることです。彼が死んでいれば計画は恐らく破綻する。だが、状況から考えて彼が死んでいるとは考えにくい。だから私はミシャロン氏の計画に協力することを決めました」

 

 私は一度言葉を切り、溜を作る。……別にここで変な演出をする必要も無かったが。

 

 

 

 

 

「私たちがこの状況を引っ繰り返すべく考え出した一手。それは惑星リューベックのどこかに居る、マックス・フェルバッハ総督の『奪還』です」

 

 ……『リューベック奪還革命』の大きな転換点が、クラークライン監獄の開城であることは多くの歴史学者諸君の共通した見解であることは疑いようもない。だが、それを成し遂げたアルベール・ミシャロンという男を諸君は過小評価しすぎているように私には思えてならない。

 



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青年期・私の罪と革命の犠牲(宇宙歴760年12月31日~宇宙歴761年1月3日)

 ラングストン大佐に計画を説明した後、私は革命臨時政府が臨時庁舎としている総督府へ向かった。総督府へ向かう際中、二度ほど騒ぎがあった。私は気にしていないよう振舞ったが、恐らく私を殺したい人間がその意図を防がれたことによる騒ぎだったと思う。

 

 総督府の大会議室に革命臨時政府の指導者たちは集まっていた。彼らの目は雄弁に私への反感――時に殺意――を伝えてきた。特にチェニェク・ヤマモト氏は私を思いっきり殴打した。彼は何も言わなかったが、彼の親友であったシーツ氏は……残念ながら私が到着する前に既に処刑されていた。ヤマモト氏は行き場の無い怒りの一端を私にぶつけられたのだろう。

 

 とはいえ、ロシェ氏の擁護とミシャロン氏の説得もあり、革命臨時政府は私を捕虜や罪人ではなく、きちんと交渉相手として遇することに決めたようだった。私を殴ったヤマモト氏はそのまま部屋を出ていき、彼らは何事も無かったかのように私に座るように促した。

 

「ライヘンバッハ大尉、革命臨時政府は貴官が同胞の一部を救ったことに謝意を示すと共に、貴官の要求する交渉の機会を設けることにした。貴官らが革命臨時政府並びに民衆と対立する意思が無いのであれば、貴官らは無事このベルディエを出ることが出来るだろう」

「……有難うございます。小官の敵は叛乱軍です。無論、徒にリューベックの民たちと敵対するつもりはございません」

 

 私がここに来た目的は監獄を開城するにあたっての交渉である。革命臨時政府側では交渉に応じない、あるいは応じたふりをして全将兵を拘束し革命裁判にかけることを主張する声もあったらしいが、ロシェ氏が何とか抑え込んだ。

 

『虐殺の報復で虐殺をやるか!貴族共の嘲笑する顔が見える。「自治領民は何と野蛮なのだろう」とな!』

 

 このロシェ氏の言葉は一定の支持を得たらしい。報復感情と理性の狭間で革命指導者たちは理性的な判断を優先したと評することが出来る。ただ、指導者たちが理性的な判断をしたからと言って、自治領民がそれに従う訳ではない。結局、囚人解放時に一度、監獄引き渡し時に二度、帝国軍と革命派が一触即発の危機に陥ることになり、私とラングストン大佐は最終的に常に監獄の正門を挟んで双方の不満を抑え込む必要性に迫られることになる。

 

 監獄の引き渡し方法も揉めた。革命臨時政府は駐留帝国軍に処刑責任者と監獄駐留大隊責任者の引き渡し、そして移動に必要な車両を除く全装備の譲渡を要求してきた。これは当然ながら帝国軍が呑める内容ではない。私は自分たちの立場を繰り返し説明し理解を求めた。私たちは敗北したから監獄を開城するのではなく、正義と人道に基づいて開城していること、その帝国軍の決断に相応しい態度を革命臨時政府側が取らないのであれば、部下を抑え込む自信が無いということ、その結果囚人に犠牲者が出ることも予想されうること……。

 

 私の交渉、というよりは説得が功を奏し、革命臨時政府側は態度を軟化させた。携行火器と最低限の弾薬の持ち出しは認めること。機関銃・携行ミサイル類等は持ち出さない代わりに革命臨時政府側にも引き渡さず、完全に破壊すること。監獄に備え付けの兵器に関しては監獄と同様に引き渡すこと。弾薬・食料・医薬品等は相当量を革命臨時政府側に引き渡すこと。監獄駐留大隊責任者は帝国軍が軍規に則って処置すること。囚人の内二〇名は即座に解放せず、領都ベルディエから五〇㎞離れた段階で解放すること等が取り決められた。しかし、革命臨時政府側が最後まで譲らなかった条件が一つある。……処刑責任者ロンペル少尉の引き渡しである。

 

 私は言葉を尽くして説得したが、彼らはロンペル少尉の引き渡し要求を頑として譲らなかった。報復に反対したロシェ氏もその対象が加害責任者のロンペル少尉個人であるならば、それは被害者たる我々の正当な権利であると発言した。頼みの綱のミシャロン氏も自治領民の不満を発散させる為にロンペル少尉を引き渡すべきだと私に言ってきた。

 

「監獄側の帝国軍が正義と人道に基づいて行動しているのであれば、当然、正義と人道に背いたロンペル少尉を引き渡すべきだ。アドラー中佐はともかく、彼は明らかに自治領民を蔑視していたし、その行いを考えれば、『上官に従っただけ』『騙されていた』等を理由に免責されることなど絶対に有り得ない!」

「……しかし!」

「ライヘンバッハ大尉、率直に話そうか。我々はな、個人的な復讐心が無い訳ではないが、それ以上に『必要だから』ロンペル少尉の引き渡しを求めている。貴官が民衆の立場なら『囚人が帰ってくるからそれで良し』と考えるか?……ハッキリ言おうか。ロンペル少尉は生贄だ。彼が死ぬ光景を見せられないなら、我々は民衆の報復感情を抑える自信がない。貴官らは監獄から出て1㎞もしない内に民衆の怒りをその身で知ることになるだろう」

 

 穏やかだが有無を言わせない口調で革命臨時政府主席のアーレンバーグ氏はそう言った。私は抗弁を諦めざるを得なかった。彼の言うことは理屈として正しいし、それに同盟軍第三艦隊の到着前に革命の方向性を決定づけておかなくてはならない。……時間が無かった。

 

 最終的に私は、ロンペル少尉を監獄の処刑場で処刑する映像を、領都ベルディエに限って全てのモニターに放送することを申し出た。それを聞いた革命臨時政府側は意外そうな表情をした後、立会人を出すという条件を付けた上で私の申し出を受け入れた。

 

 ロンペル少尉の処刑を申し出たのは当然ながら、彼に恨みがあるからではない。私の罪滅ぼし……いや偽善の表れだ。彼を革命臨時政府側に引き渡せば、間違いなく彼は死よりも辛い生があることを知り、苦しみながら息絶えることになる。それ位ならば、処刑場で銃殺される方がまだマシではないか、と考えたのだ。

 

 尤も、私はその安易な考えをすぐに後悔した。

 

『何故俺が死なないといけない!俺の弟を意味も無く殺した貴族は牢にすら入れられて無いんだぞ!?俺は軍人として命令に従っただけだ!なのに死刑だと!?そんなバカな話があってたまるか!』

 

 ロンペル少尉は自身が自治領民の不満を抑える為に処刑されることを聞くと、そう言った。

 

『……貴族と平民なら貴族の方が偉いんだろう!?平民と自治領民なら平民の方が偉いんだろう!?それがこの国の正義なんだろう!?俺の弟は助けないくせに何で自治領民なんか助けるんだ貴様は!……クソ、貴族はいつだってそうだ、自分勝手に人の命を弄ぶんだ!』

 

 ロンペル少尉がそこまで言った所で革命臨時政府側の立会人が反発して食って掛かったが、私はロンペル少尉の言葉に少なからず衝撃を受けていた。彼は多くの自治領民の命を奪った。それは人殺しを絶対悪と考える立場から言うと当然許されない大罪であるが、軍規や帝国法という観点で見ると彼が免責、あるいは減刑される余地はいくらでもある。少なくとも死刑になることは無いだろう。

 

 それなのに彼が死刑にされようとしているのは、究極的に言えば私が権威を笠に着て命令したからと言っても良い。結局、根本的な所で言えば彼の弟を殺した傲慢な領地貴族と私は同じことをしているのだ。

 

『……人殺し、地獄に落ちろ』

 

 ロンペル少尉は刑に処される前、最期に私を睨みながらそう言った。自治領民たちにしてみれば、「お前が言うな」という所であろうが、私は彼らのように同胞の命を奪われた訳ではない。良く言えば理想実現の為、悪く言えば自分の欲望の為にロンペル少尉を見捨てたのだ。……言葉で正当化することに意味は無い。私はこの瞬間、自分が罪人であることを本当の意味で自覚した。

 

 

「……構え、撃て」

 

 それでも、私は処刑の指示を出した。敢えて個人的な感情を抜きにして言えば……、ロンペル少尉の生死『程度』の事で革命臨時政府の反発を買う訳にはいかない。そして彼らも単に復讐心だけを理由に要求している訳ではなく(恐らく、数人は復讐心だけに動かされているだろうが)、実際に自治領民を制御する為に必要だから要求してきているのだ。

 

 ロンペル少尉は息絶える瞬間まで私を睨み続けていた。彼の所業に対する評価は別として、彼には私を恨む権利があるし、私はそれを受け止める義務がある。私はこの殺人を「必要だった」とは主張するが、「正しかった」と主張するつもりは無い。どれほど尊い理由があってもその為に誰かを犠牲にすることは決して正当化されない。誰かに犠牲を強いた者はその罪と向き合う必要がある。そして、偽善と言われようとも彼らの犠牲に意味を持たせないといけない。「より良い世界を作る為に必要だった」と。そして歴史家諸君、一般人諸君。君たちはそんな私たちの妄言を賛美してはいけない。……私たちの所業を拒絶せよ。否定せよ。糾弾せよ。革命による犠牲を肯定することは革命の理想を否定することでしか無いのだから。

 

 

 

 

 宇宙歴七六一年一月二日午前九時、クラークライン監獄の全囚人の解放が完了し、監獄駐留大隊と総督府防衛大隊第二中隊の全将兵が監獄を退去した。

 

 自治領民はロンペル少尉の処刑を放送で見て歓喜していた。興奮した彼らの一部は、「他の帝国人共も同じ目に遭わせてやれ!」と叫び、退去する私たちを囲もうとしたが、革命臨時政府の護衛部隊によってこれは防がれた。

 

 大半の臨時政府兵士・自治領民は帝国への反感や不満を捨てたわけではないが、さりとて何が何でも監獄から退去する帝国軍を襲わなくてはいけないとも思っていない。彼らは満足こそしていないが、ロンペル少尉の処刑によって多少の寛容さを取り戻したと言える。私たちは自治領民を刺激しないように細心の注意を払って行軍し、何とかベルディエから離脱することに成功した。

 

 フェルクリンゲン州最西部の街ヘルセの駐屯地についた段階で私はヘンリクに監獄駐留大隊を任せ、第二中隊とメルカッツ少佐を連れて別行動を取る。目的はフェルクリンゲン国立病院に軟禁されているフェルバッハ総督の奪還であった。駐留艦隊司令部はロンペル少尉の処刑を確認したことで監獄駐留大隊が私に掌握されていることに気づいた。司令部は私がフェルバッハ総督の身柄を狙うことに気づいたようだが、フェルクリンゲン国立病院に駐留艦隊司令部から派遣された部隊が到着する四〇分前、何とか私たちはフェルクリンゲン国立病院を制圧することに成功した。

 

「大尉殿!これはどういうことです?私を殺しに来たのですか?それとも助けに来たのですか?一体リューベックで何が起こっているんですか?」

 

 病室に居る総督は非常に痛々しい姿であった。頭に包帯を巻かれた状態で右足を固定され、腕や患者衣の下の胸にも包帯が見えた。だが、想像していたよりは元気な姿だったとも言える。最悪、今も意識を取り戻していない可能性もあるのではないかと覚悟していたので、私は安堵した。

 

「端的に説明します。駐留艦隊司令ノーベル大佐が叛乱軍と通じ離反、総督閣下を襲撃し、その犯人を私に仕立て上げることで総督府の権限を奪取し、リューベックに騒乱を齎そうとしております」

 

 私は堂々とフェルバッハ総督に状況を説明する。フェルバッハ総督の第一声を考えるに、総督は私が暗殺者であると知らされているが、自身を『警備』している部隊に対しても不信感を抱いていたのだろう。……ノーベル大佐にとってフェルバッハ総督は邪魔になり得る人物だ。総督は私たちが助けた時点で監禁に近い状態に置かれていた。

 

「ノーベル大佐は自治領府、警察府、立法府、分治府、自治領警備隊等に存在する独立派を根こそぎ監獄に収監し、それを虐殺しました。小官の介入で一定数が生き残りましたが、リューベック自治領(ラント)の民たちは激しく反発し、革命(レヴォルツィオーン)を起こしました。……暴動(アオフシュタント)ではありません。革命(レヴォルツィオーン)です」

「なんてことだ……大尉殿の言うことが本当なら、リューベックは終わりです……。自治領民と駐留帝国軍双方にどれほどの犠牲が出るか……。ダメだ、私には想像もつかない……」

 

 フェルバッハ総督は私の説明を聞き顔を青褪めさせ、頭を抱えた。

 

「ですから、小官は非常の手段に訴えてここにおります。フェルバッハ総督閣下。この状況を切り抜けられるのは閣下だけです。他の誰にも最悪の事態を避けることは出来ない。ですが、閣下ならばここから状況を改善することは可能です!」

 

 私は励ますようにフェルバッハ総督に声をかける。だがフェルバッハ総督は頭を抱えたまま動かない。小さな声で「なんてことだ……なんてことだ……」と呟いている。

 

「閣下。革命は今の所惑星リューベックに抑え込まれています。駐留艦隊司令部は地上の混乱を治められていませんが、リューベック自治領(ラント)全域に革命を波及させる最悪の自体は何とか回避しています。通信統制と航路封鎖が機能しているからです。これが自治領全域に波及してしまえばもう終わりです。私たちにはそうならないようにやるべきことが山ほどあります」

「……大尉、貴官の言うことが正しいかどうか、まずはそれを確認させてほしい。全てはそれからだ」

 

 フェルバッハ総督は青褪めた顔でそう要求した。私はそれを受け入れ、共にヘルセの駐屯地に向かうことを提案した。総督はそれを受け入れた。ヘルセの駐屯地では監獄駐留大隊が武装解除され、ヘンリクが拘束、アドラー中佐らが解放されていた。そこでフェルバッハ総督はアドラー中佐から「ライヘンバッハ大尉の背信行為」を訴えられた。

 

「……アドラー中佐、それは大して重要な事じゃない。数点確認させろ」

 

 フェルバッハ総督はアドラー中佐の訴えを遮り、領都と惑星リューベックの現状に関して矢継ぎ早に質問する。そして私がフェルバッハ総督に説明したことが概ね間違っていないと知ると、フェルバッハ総督は天を仰いだ。

 

「……馬鹿が!中佐、貴官は何年リューベックに居る……。処刑をすればこうなると、何故分からなかったんだ……」

 

 暫く黙った後、フェルバッハ総督は呻くようにそう言った。

 

「小官は命令に従ったまでです。あの時点では監獄駐留大隊は駐留艦隊司令部の……」

「ああそうか!分かったよ。それなら貴官らは今この瞬間から総督である私の指揮下だ、上位司令部の命令には従うんだよな!?よし命令する。駐留艦隊司令部の命令は全て無効!ライヘンバッハ大尉は全て総督命令に基づいて行動した、彼の行動の全てが肯定されるかは戦後の調査に委ね、今は不問とする!文句あるか中佐!?」

 

 フェルバッハ総督は全身から怒りを漲らせながらアドラー中佐にそう言った。

 

「総督閣下!確かに閣下は本来ならば……」

「うるさい!杓子定規もいい加減にしろ!私の命令に従えないなら私を殺せ!」

 

 フェルバッハ総督は怒鳴りながら自分の腰から銃をホルスターごと外して机に叩きつけた。……叩きつけた瞬間、腕の負傷のせいだろう。顔を激痛に歪め、呻き声をあげた。

 

 アドラー中佐は顔をしかめ、なおも何かを言おうとしたが、ヘルセ駐屯地のツァイラー司令がそれより早く口を開いた。

 

「ヘルセ駐屯地はフェルバッハ総督を正当な指揮権者と認め、フェルバッハ総督の指揮下に戻ります。……アドラー中佐、貴官が従わないというのであれば、私はオークレール少佐ではなく貴官を拘束せざるを得ない」

「ツァイラー司令……」

 

 アドラー中佐は黙り込んだ後、フェルバッハ総督への支持を表明した。

 

「ツァイラー司令、通信設備を貸せ。私が正当な指揮権者であることを全帝国軍将兵に伝える」

「承知しました」

 

 ツァイラー司令の案内でフェルバッハ総督が部屋を出ていく。私はその後ろに着いていきながら、何とか計画の第一段階が成功したことに安堵した。




注釈15
 『革命による犠牲を肯定することは革命の理想を否定することでしか無い』とは救国革命に対するアルベルト・フォン・ライヘンバッハのスタンスを端的に表している言葉であると言える。この言葉は形を変えながらライヘンバッハが折に触れて口にしていた。
 私、ブルクハルト・オスカー・フォン・クロイツェルは昨今の右翼思想家、分離主義的思想家に対して彼のこの言葉を贈りたい。「尊い犠牲」なんてものは存在しないのだ。歴史は事実の集まりである。それを歪めて美化することをアルベルト・フォン・ライヘンバッハは決して許さないだろう。


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青年期・『ベルディエ解放宣言』(宇宙歴761年1月3日~宇宙歴761年1月5日)

ようやく第二章の終わりも見えてきた……。
最初のプロットより二話ほど伸びちゃいましたが、大体書きたいことは書けたはずです。
第三章ではみんな大好きフリードリヒ四世が出てきます。


 宇宙歴七六一年一月三日。リューベック革命臨時政府は領都に存在する公営放送局の設備を利用して、惑星リューベック全域に対して放送を行った。その放送では領都リューベックを『第七艦隊共和国(リパブリック・オブ・セブンスフリート)』時代のベルディエに改称することが発表されたが、それはもう一つの発表に比べれば些細な事であるだろう。

 

「人民諸君よ!我々はついにクラークライン監獄から同胞を取り戻すことに成功した!そして新たに加わった二一六名の同胞と共に、我々はここに『ベルディエ藩民国(ネイティブ・ステート)』の建国を宣言する!……また、同胞の解放に尽力した帝国士官アルベルト・フォン・ライヘンバッハから自由惑星同盟の工作員がリューベックの騒乱に関わっていた事実に関する確度の高い情報を受け取ったことを併せて報告したい」

 

 この発表で注目すべきなのはベルディエ藩民国という名称だろう。前のリューベック革命臨時政府という名称と比してみたい。リューベック革命臨時政府はあくまで『臨時』であり『政府』である。対して今回の発表ではベルディエという『第七艦隊共和国(リパブリック・オブ・セブンスフリート)』に由来を持つ単語を使用しており、そして『臨時』という単語が消え、『国』を称している。一見すると、より先鋭化を増した印象を受ける。

 

 しかし、『藩』という言葉に注目してほしい。『藩』、もっと言えば『藩王国(ネイティブ・ステート)』という言葉は地球時代のイギリス語にルーツを持つ。一言で言えば、土着の諸侯の国という意味であり、大英帝国と建前上同盟関係にあったが、実質的にその影響下に置かれていた。さらに、ベルディエという単語のチョイスは一見、過激な独立思想の表れと取れるが、ベルディエという単語が指す地域はリューベック自治領(ラント)の一部である惑星リューベックのさらに一部でしかない領都周辺地域だけである。

 

 つまり、『ベルディエ藩民国(ネイティブ・ステート)』という名称は、地球時代の歴史知識を持たない自治領民や過激な独立派を満足させつつ、恐らくは地球時代の歴史に精通した人物も居るであろう帝国上層部との妥協に期待したメッセージが込められた名称であると言える。私とミシャロン氏が監獄の中で話し合って決めた名称であり、ミシャロン氏が革命派の指導者たちを説き伏せ、改名に賛同させた。

 

 なお、革命臨時政府改め藩民国は総督府庁舎を掌握しているため、惑星リューベックに対して自由に放送を行えたが、惑星外に関しては駐留艦隊司令部の徹底した惑星間通信妨害によって放送を実行できなかった。

 

 同日、銀河帝国のマックス・フェルバッハ総督はヘルセ駐屯地より全帝国軍将兵に対し通信を行った。総督府の指揮系統に属する全部隊に対し、指揮下への復帰を命じると共に、駐留艦隊司令ハウシルト・ノーベル大佐の指示で自分は監禁されていたと主張し、駐留艦隊司令部の指揮系統に属する全部隊に対し、ノーベル大佐の命令に対する非服従と総督府への協力を要請した。また、同時にエルザス・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン辺境辺境軍管区司令部にノーベル大佐の越権行為を告発しようとしたが、これは駐留艦隊司令部の通信妨害で失敗した。

 

 惑星内の通信であれば有線を用いた秘密通信経路もある為に完全な通信遮断は難しいのであるが、惑星間の超光速通信となると、何らかの迂回経路が無い限りは封鎖は容易だ。例えばA星とB星を直接に結ぶ経路が遮断されている場合は別のC星を経由するなり、強力な通信設備を搭載した艦船Dを経由するなりしないと、惑星間の通信は不可能になってしまう。

 

 翌一月四日。駐留艦隊司令部は声明を発表し、アルベルト・フォン・ライヘンバッハ、マックス・フェルバッハ、ルーカス・フォン・アドラー、マルティン・ツァイラー、ヘンリク・フォン・オークレール、ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツらをサジタリウス叛乱軍に協力する反国家的組織の構成員ないし協力者であるとして激しく非難した上で自らの正当性を強調した。

 

 同日、領都ベルディエの総督府防衛大隊司令部から通信が入った。総督府防衛大隊駐屯地は革命臨時政府――今は藩民国政府――の包囲下に置かれ、また独立派の手で領都全域の通信網が混乱していた為にずっと連絡が取れていなかった。

 

「ライヘンバッハ大尉殿!お久しぶりです。よくご無事で……」

「アルベルト!言いたいことは山ほどあるがな!とりあえずお前と総督閣下が無事で良かった!」

 

 モニターにはアーベントロート中尉とランズベルク局長の姿があった。アーベントロート中尉が一言何か言う度にランズベルク局長が毒にも薬にもならないようなどうでも良い事を長々と述べた。私たちは若干苛立ちを覚えたが、彼に悪気が無いことは私もアーベントロート中尉もよく知っている為に我慢していた。すると画面の外から若い女性が現れ、ランズベルク局長の腕を引っ張った。

 

「エリー!何をするんだ、私は友と話したいことが山ほどあるんだ」

「皆さんはもっと重要な事を話したそうですけどね。旦那様の無駄話に付き合ってはいられないと思います」

「な!無駄話って……」

 

 ランズベルク局長は絶句している。その間にエリーと呼ばれた女性――ランズベルク局長の細君である――がランズベルク局長を引きずって行った。

 

「ランズベルク局長は相変わらずだな……。中尉、貴官も大変だっただろう?」

「ええ、まあ……」

 

 アーベントロート中尉は苦笑している。しかし、表情を引き締ると口を開く。

 

「総督府防衛大隊と小官はフェルバッハ総督閣下とライヘンバッハ大尉殿を支持します。また、駐屯地を放棄する代わりに領都から安全に退却させるように革命臨時政府……、いや藩民国政府?とやらに認めさせました。遅くとも明後日までには合流できるはずです」

「そうか!貴官らが味方に付いてくれるのは心強い」

 

 私は本心からそう言った。……本当にグリュックスブルク中将の密命を受けているのは私ではなくアーベントロート中尉だ。彼と一刻も早く口裏を合わせないといけない。

 

 私はアーベントロート中尉と情報を交換した後、フェルバッハ総督に総督府防衛大隊が支持に回ったことを伝えた。

 

 惑星リューベックに駐留する約七〇万の兵士の内、約五〇万は総督府の指揮系統に属する。その内、三〇万程の将兵が正当な総督の指揮下に復帰した。しかし、残りの部隊は未だ駐留艦隊司令部に属している。その大半は積極的な意思ではなく、状況がハッキリしない為に惰性で駐留艦隊司令部の指揮下に留まっていた。

 

 これは正直言って私が想定していなかったことである。正当な指揮権者を担ぎ上げれば最低でも総督府系統の地上部隊は恭順すると思っていたが、まさかこんなにも多くの部隊が惰性で駐留艦隊司令部の指揮下に留まるとは思っていなかった。……またしても辺境軍人の無能を思い知らされた。

 

 

 

 

 宇宙歴七六一年一月五日、ベルディエ藩民国政府は『ベルディエ解放宣言』を発表する。

 

「我々は次の事を自明の真理と見做す。全て人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、及び幸福の追求に対する不可侵の権利を与えられていること……」

 

 かつてのアメリカ独立宣言を踏襲した文章で始まるこの宣言は自治領民の熱狂的な支持を受けたが、その内容はかつてのアメリカ独立宣言と違う部分があった。すなわち、アメリカ独立宣言は英国国王を非難する文章が含まれていたが、『ベルディエ解放宣言』では皇帝を直接的に非難する文章は一切書かれず、単に帝国から派遣された総督が「銀河帝国と『第七艦隊共和国(リパブリック・オブ・セブンスフリート)』の地位協定や各種条約に背いて」不当な統治を行ってきたことを非難するに留まっていた。

 

 同日、駐留艦隊司令部とマックス・フェルバッハ総督はそれぞれ声明を発表する。

 

「畏れ多くも『国』を名乗る叛乱勢力が何やら妄言を吐いているようではあるが、全帝国軍将兵はそのようなモノに惑わされてはいけない。領都を占拠した奴らがあくまで独立などという戯言を要求するのであれば、駐留帝国軍は領都に対する総攻撃を敢行するまでの事。多くの血が流れることを懸念する声があるが、そこで流れる血は皇帝陛下に盾突く犯罪者の血であり、その血が流れるのは喜ばしいことである。そのような者たちに慈悲をかけることはそれ自体が皇帝陛下への許されがたい侮辱であり、決して許されることではない」

 

「銀河帝国皇帝陛下よりリューベック自治領(ラント)の総督を命ぜられた者として、リューベック自治領(ラント)の民衆に多大な犠牲を強いたことを強く悔恨している。その直接的な原因は叛乱軍と通じたハウシルト・ノーベルにあることは明らかであるが、叛乱軍にこのような姦計を許した間接的な原因として歴代のリューベック総督が行ってきた恣意的かつ不公正な統治があることもまた明らかである。……私は当代の総督として歴代の総督に代わり全ての自治領民に謝罪したい。また、私の職権の範囲内で自治領民諸君の受けた傷を癒すことに尽力したいと思う。『ベルディエ解放宣言』はその為に私が為すべきことを示した要求であると解する」

 

 フェルバッハ総督は『ベルディエ藩民国(ネイティブ・ステート)』に関して一切言及しなかったが、『ベルディエ解放宣言』を黙殺せず、その内容に配慮することを明言した。藩民国政府や自治領民にとって十分な内容の声明では無かったが、『ベルディエ自由宣言』を妄言と切り捨て顧みることの無い駐留艦隊司令部との対比でフェルバッハ総督の声明が一定の評価を受けたのは確かである。

 

 この声明の後、駐留艦隊司令部はフェルクリンゲン州アストンに自己の掌握する駐留帝国軍を集結させ始めた。その目的が領都奪還にあることは明らかである。一方フェルバッハ総督は駐留艦隊司令部の命令を無視するように各部隊に命じた。

 

「我々もヘルセに部隊を集めるべきではないか?フェルクリンゲン州の集結地点アストンから最短距離で領都を攻撃するにはヘルセを通る必要がある」

「いや、我々もまた帝国軍であることを忘れてはいけません。我々が領都から近いこのヘルセに部隊を集めても、駐留艦隊司令部への対抗とは受け取られないでしょう。革命派に痛くもない腹を探られるのは御免です。最悪、革命派と駐留艦隊司令部の双方を敵に回しかねない」

 

 ツァイラー司令の提案に私は異論を唱えた。ツァイラー司令は不安そうな表情をしている。彼はこの駐屯地の司令だ。駐屯地の安全を第一に考えるのも無理はない。

 

「……あれは脅しだろうな。いや、領都奪還は本気だろうが、わざわざヘルセを通る素振りを見せているのは脅しだ。流石に総督の掌握する帝国軍を襲撃すれば駐留艦隊司令部の正当性は地に落ちる。例えフェルバッハ総督や私たちに内通者のレッテルを貼っていてもな」

 

 一方、アドラー中佐は落ち着いた表情である。顎に手を当てながら淡々と言った。

 

「では何の対処も必要ないということか?中佐?」

「そうは言っておりません。警戒は必要でしょうが、必要以上に慌てる必要は無いということです」

 

 フェルバッハ総督の質問に対し、アドラー中佐は私たち全員に聞かせるようにそう言った。

 

「小官もアドラー中佐の意見に賛成しますが、結論は違いますな。ここは慌てざるを得ない状況です」

 

 ヘンリクは腕を組み難しい表情をしている。私にも朧気にであるが、ヘンリクが懸念していることが分かっていた。

 

「どういう意味だ?オークレール少佐」

「現状、我々には駐留艦隊司令部による領都奪還作戦の決行を止める手段がありません。仮に駐留艦隊司令部がアストン以外に部隊を集結させてくれていれば、我々はこのヘルセから動くことが出来ました。ヘルセから動くことが出来れば、我々の取り得る選択肢は広がります」

「……ヘン、オークレール少佐の言う通りですね。実際に領都奪還作戦決行を止められるかどうかは別として、『止める素振りを見せる』ことはいくらでも出来ました。簡単な話、その集結地点とベルディエを繋ぐ道に移動するだけでも良かった」

 

 アドラー中佐の質問にヘンリクが答え、私が補足する。

 

「なるほど。身動きを封じられたということか。仮に集結部隊がギリギリまでヘルセへの進軍を続けつつ、最終的には迂回して領都に向かったとする。その時我々が集結部隊の進軍を妨害することはヘルセ攻撃の可能性がある限りは出来ないし、ヘルセを迂回したと分かった時には彼らは既に領都近郊まで進軍している、下手に手出ししようとすれば我々も革命潰しに動いたと取られかねない」

 

 メルカッツ少佐の言葉に私は頷いた。メルカッツ少佐は私の方を向いて問いかける。

 

「何か対応策はあるだろか?」

「一つ考えているのは、革命派に一度撤退してもらい、何とか武力衝突を遅らせることです。それと同時に私たちはヘルセの各部隊や総督閣下の指揮に従っているゲルスハイム州の第八師団等と共にフェルクリンゲン州の駐留艦隊司令部基地へ進軍します」

「そうか。駐留艦隊司令部基地には当然ノーベル以下駐留艦隊司令部の人間が居るし、メルカッツ少佐の第三作戦群を含む駐留艦隊の一部が駐留している。ここを抑えれば総督府側も宇宙戦力を手に入れる訳だ。放っておくことは出来まい」

 

 フェルバッハ総督が納得したように頷くがアドラー中佐とツァイラー司令は難しい表情だ。

 

「大尉のやりたいことは分かる。成功する見込みも無い訳じゃない。だが集結部隊が我々の動きを気にせず進軍を続ければどうする?あるいはヘルセの制圧に動けば?……帝国軍同士で銃火を交える訳には行くまい。我々の陽動を無害と見切る可能性はある」

「言っておくがクラークライン監獄やフェルクリンゲン国立病院とは規模が違う。武力行使無しで制圧することは不可能だぞ」

 

 アドラー中佐がそう言い、ツァイラー司令も続ける。

 

「だとしても他に方法はありません。少なくとも、我々が駐留艦隊司令部の横暴を止めさせるために動いたという事実は出来ます」

 

 私はそう言った。アドラー中佐とツァイラー司令の指摘は正しいが、現状ではこの作戦しか無かった。……フェルバッハ総督を奪還したのに過半数の将兵が駐留艦隊司令部に従い続けるとは予想していなかった。あるいは……ロンペル少尉の処刑が噂として伝わり、ネガティブな作用をした可能性もあるが、やはり辺境の人材レベルが低すぎるというのが原因としてあるだろう。領都ではそれに助けられて権威とでまかせで無理を通してきたが、ここにきて足を引っ張られた形だ。……世の中とはなんと上手く出来ているのだろうかね。

 

 私とミシャロン氏の計画にとって第一の誤算はフェルバッハ総督に過半数の将兵が従わないということだった。しかし、この誤算はすぐに問題では無くなる。……より大きな第二の誤算によって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宇宙歴七六一年一月五日。駐留艦隊司令部とフェルバッハ総督がそれぞれ声明を発表したのとほぼ同時刻、自由惑星同盟宇宙軍第三艦隊がライティラ星系に到達。同日中に同星系をほぼ制圧することになる。それは私たちの予想を大きく上回る速度でのリューベック到達であった。



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青年期・駐留艦隊司令部掌握(宇宙歴761年1月6日~1月7日)

前話最後の五行程を消して、同様の内容をこの話に加えました。


 宇宙歴七六一年一月六日。ライティラ星系陥落の報を受け、銀河帝国地上軍ヘルセ駐屯地は重苦しい空気に包まれていた。

 

「……ライヘンバッハ大尉のハッタリが本当になってしまったな」

 

 そう言ってアドラー中佐が溜息をついた。

 

「だから言ったでしょう。ハッタリでは無く、本当の事だと」

 

 私は少し不機嫌になりながらアドラー中佐に応じた。自由惑星同盟とノーベル大佐が内通しているという私の主張に対して、この場に居る面々は多かれ少なかれ疑いを持っていた。フェルバッハ総督は最終的にプロパガンダの一環として「ノーベル大佐が自由惑星同盟と通じている」という『真実(てっちあげ)』を事実と見做して宣伝したが、それにしても本心から信じ切っていた訳では無いだろう。

 

「しかし、惑星リューベックの状況だけを考えればこれは好都合です。革命派や駐留艦隊司令部に従う将兵たちが動揺しています。革命派はサジタリウス叛乱軍に疑念を抱いている様子で、慎重な姿勢を崩していません。また、ライヘンバッハ大尉の主張を信じて総督指揮下に戻る部隊も少しずつですが増えています」

 

 ツァイラー司令の言う通りであった。銀河帝国の長い歴史の中で、旧エルザス辺境軍管区を突破し、リューベック自治領(ラント)まで自由惑星同盟軍が到達したことなど一度もない。それだけに機関・同盟の動きを知る一部の人間を除いた革命派・駐留帝国軍双方が受けたショックは大きいはずだ。

 

 リューベック自治領(ラント)まで第三艦隊が進軍できたのは第二次ティアマト会戦以来の劣勢によってイゼルローン方面辺境軍全体が消耗し、後退を余儀なくされていることが大きい。しかし、私とミシャロン氏が創作した『真実(でっちあげ)』を聞いた人々は内通者(ノーベル)の協力を強く疑うはずだ。

 

「しかし一辺や二辺は何をやっているんだ?リューベックまで侵攻を許すとは……信じられん。やはりノーベルの手が回っているのか?」

 

 メルカッツ少佐は誰ともなしに問いかける。イゼルローン方面辺境を守る帝国軍は著しく弱体化しているが、だからと言ってリューベックまで同盟の正規艦隊を素通りさせる程無能ではない。……本来は。

 

 実を言うと、リューベックの騒乱を詳しく知らない機関の別の構成員たちが一辺司令部や二辺司令部から第三艦隊の存在を隠匿するように工作していた。彼らの動きは父、カール・ハインリヒも把握していたが、リューベックの詳しい状況が分からない為に、第三艦隊をどう動かせば良いか判断が出来なかったらしい。

 

「……総督閣下。サジタリウス叛乱軍は一個艦隊。どれほど多くの地上部隊を連れていようと一〇〇万を超えることはありません。ライティラ星系に部隊を残す必要もあるでしょうし、リューベック地上駐留軍七〇万が万全の状態で迎え撃てば耐えきることは可能です」

「大尉の言う通りだ。……『万全の状態なら』耐えきるのは難しい事じゃないな」

 

 フェルバッハ総督は皮肉気にそう言って溜息をつく。

 

「大尉。貴官が意味も無くそんな無駄な事を言うとは思わない。何か考えがあるんだろう?」

 

 フェルバッハ総督は私に尋ねてきた。その目を見た時、総督は既に私と同じ考えに至っているのではないか、分かった上で私に言わせようとしているのではないか、という根拠のない考えが浮かんだ。

 

「……駐留艦隊司令部を奇襲しましょう。実力を以って」

 

 私がそう言った瞬間、空気が張り詰める。

 

「正気か大尉。帝国軍同士で血を流すつもりか?」

「バルドゥング提督の故事に倣いたくは無いでしょう」

 

 アドラー中佐の言葉に私はそう返すが、その意味が通じたのはヘンリクとメルカッツ少佐だけのようだ。

 

 バルドゥング提督は航海士官の裏切りによって同盟軍の捕虜となった提督だが、彼は自身を狙う同盟の陰謀に気づいていた。気づいていながらも、部下や戦友を疑うことを嫌うあまり、何ら有効な手を打つことが出来ないまま囚われの身になったのだ。

 

「……勝算はあると思うか?大尉」

「駐留艦隊司令部が既に我々を実力で排除する覚悟を決めているのであれば勝算はありません。が、我々の方が先に覚悟を決めて動けば、間違いなく勝てるでしょう」

 

 その時、私は保元の乱の逸話――平治の乱だったかもしれない――を思い浮かべながらそう言った記憶がある。……私の言いたいことは歴史家諸君には通じていないだろうな。

 

「もし大尉の提案通りに動くのであれば、早めにやる必要があります。叛乱軍の艦隊が到着する前に全帝国軍を掌握しなければいけません」

 

 ヘンリクが私の言葉を補足する。

 

「……分かった。ツァイラー大佐、アドラー中佐、オークレール少佐。準備を始めてくれ」

「な!?」

「責任は私の首で取るさ。平民はこういう時都合が良い。命が軽い分、死ぬ時に他人を巻き込まなくて済む」

 

 フェルバッハ総督は覚悟を決めた表情でそう言った。ツァイラー司令やアドラー中佐は何か言いたげであったが、総督の表情を見たまま黙っていた。やがて、敬礼すると二人とも行軍の準備にかかった。

 

「……総督閣下は大した人だ。なあ大尉。私はな、こういう人を見るとどうにもやり切れない気持ちになる」

「……」

 

 メルカッツ少佐が私の方によってきてそう言った。その気持ちが恐らくはこの国であまり公言できる類の代物ではないだろうと予想し、私は黙っていた。

 

「何ともならない話かね?こういうのは」

 

 メルカッツ少佐は溜息を一つつくと司令室から出て行こうとする。私は思わずメルカッツ少佐を呼び止めていた。

 

「……小官が何とかして見せますよ。必ずね」

 

 メルカッツ少佐は黙ったまま私を見つめ、やがて「期待させてもらおう」と言って司令室を出て行った。

 

 

 

 

「御曹司!前に出すぎです!」

「すまない!」

 

 宇宙歴七六一年一月六日〇時。フェルクリンゲン州の中心部に存在する駐留艦隊司令部基地をヘルセ駐屯地を秘密裏に出立した三個大隊が急襲した。この部隊は本来ならば領都方面での有事に即応出来るように待機していたが、急遽駐留艦隊司令部基地攻略に動員された。

 

『やるなら速度が命だ。ライティラの叛乱軍の事も考えれば、今日中に襲撃を実行する位で無いと間に合わんし、ノーベルが叛乱軍と協力して何らかの動きを取る可能性もある』

 

 アドラー中佐の進言を受け、即応できる少数の部隊で奇襲的に攻撃を仕掛けることが決まった。どの道、大部隊を動かせば奇襲は不可能だ。

 

「帝国の兵士が何故攻めてくるんだ!?」

「こいつら変装した革、うっ!」

 

 奇襲部隊は難なく基地内に侵入できた。このタイミングで私たちが武力を以って駐留艦隊司令部を攻撃するとは思っていなかったらしい。革命派と同盟を警戒して、二個連隊弱の兵士が警備に配置されていたらしいが、その混乱振りは見ていて哀れになる程であった。

 

 私たちは目印として腕に白い布を巻き、出力を落としたブラスターを用いて警備部隊を排除する。

 

「大尉殿、第三訓練場に警備部隊の一部が立てこもっているそうです!」

「放って置け!必要以上に血を流す必要がどこにある!」

 

 私は兵士にそう答えながら、前方でライフルを撃ち続ける警備兵の脇腹を銃撃する。

 

「お見事です、百発百中ですね」

「体力が無い分、近距離戦は無理だからね。ブラスターでケリをつけたいのさ。……あと、味方を撃つ腕を賞賛されるのはあまり良い気分じゃない」

「は!申し訳ありません」

 

 私はヘンリクから一個小隊を預かり放送室を目指していた。数日前に負傷した脇腹が微妙に傷んでいたが、この程度の傷なら問題なかった。

 

「見えました!あれです!」

「総督府命令だ!抵抗を止めろ!」

 

 私の呼びかけに対する返答は激しい銃撃であった。他の部隊とは違って迷いが無い。ノーベル大佐に近い人間が指揮しているのだろう。私たちは通路脇の部屋に分散して入る。

 

「止むを得ないな……小隊撃て!」

 

 私の指示と同時に一斉に応射するが、出力を落としたブラスターでは埒が明かず、すぐに出力を戻して撃ちあうことになった。呻き声を挙げて隣の兵士が倒れた。敵味方双方での出血が拡大している。

 

「!手榴弾だ!伏せろ!」

 

 その声に反応して私は身体を伏せる。轟音と悲鳴が聞こえた。私のいる部屋とは別の部屋で数人の兵士が爆発に巻き込まれたようだ。それでも生き残った兵士がライフルを拾って乱射する。

 

「友軍同士で何やってるんだ……!」

 

 私はいささか倒錯した事を言った。友軍同士での襲撃を提案したのは私であるし、何なら私は反国家的組織の一員なのではあるが、それでも思わず口に出してしまった。

 

「大尉殿、このままでは他の部隊が放送室に集まってくる恐れがあります。突撃しましょう!」

「曹長、やるしかないのか!?」

「このままではジリ貧です。やるしかありません!」

 

 分隊長のワーナー曹長が進言してきた。私は覚悟を決めると、ハンドサインで向かい側の部屋に居る小隊長のハーマン中尉に突撃を指示する。やがて小隊長から突撃の指示が出る。

 

 私も必死で小隊に続く。放送室側からの射撃で数人が倒れるが、こちらの応射も同数の警備兵を打ち倒す。やがて距離が近づき、銃剣やナイフでの戦闘となる。奇襲側も防衛側もそれぞれの理由から重装備ではなく、携行火器での戦闘を行っていた。

 

「クソ貴族がぁ!」

「邪魔を……しないでくれ!」

 

 私も無我夢中で目の前の兵士を撃ち殺した。そこに現れた士官の銃剣による刺突を何とか避け、ブラスターをナイフに持ち替え、その士官に刺す。

 

「ロンペルの……仇……」

 

 士官は最後にそう言って倒れこむ。私は動揺しそうになったが、それより早く揉みあいながら私の方に二人の兵士が倒れてきた。私は目の前の兵士を手に持っていたナイフを刺そうとし、ギリギリの所でその兵士が腕に白い布を巻いていること――すなわち味方であること――に気づき手を止める。そして一瞬躊躇った後、その兵士と揉みあう警備兵にナイフを刺した。……急所を避ける努力をしながらである。しかし、結局その兵士は揉みあっていた相手に胸を刺されて息絶えた。

 

 そこで私は先ほど倒した士官が放送室防衛の指揮を執っていた士官であることに気づき、警備兵たちに武装解除を叫ぶ。その声は数分間に渡って黙殺され、私もその間戦闘を続ける羽目になったが、やがて少しずつ混乱が収まった。……その時までに小隊側一三名、警備兵側一七名の兵士が命を落とすことになった。

 

「……」

「大尉殿!放送を!」

 

 私は目の前の光景に呆然としていたが、ワーナー曹長に促され、放送設備に向かった。設備は壊されていたが、小隊の兵士が簡易的に修理したらしく、放送自体は可能になっていた。

 

 私は全館放送で警備部隊に抵抗を止めるように呼びかけ、総督府の指揮下に入るように訴えた。また、ほぼ同じ頃、駐留艦隊ドックをメルカッツ少佐と下級兵士たちが占拠した。第三作戦群の兵士たちがメルカッツ少佐の支持に回ったことは、警備部隊や駐留艦隊の兵士に少なくない影響を与え、ドックに近い部隊を中心に武装解除に応じ始めた。

 

 宇宙歴七六一年一月七日午前三時頃、駐留艦隊司令部基地のほぼ全部隊が総督府の指揮下に入ったが、駐留艦隊司令部はなおも抗戦していた。

 

「ノーベル大佐!ライヘンバッハ大尉だ。話をしたい」

 

 私は駐留艦隊司令部の立てこもる中央指令室に呼びかけたが、当然無視された。やがてアドラー中佐の指示で中央指令室に部隊が強行突入しようとしたその時、中央指令室から白旗を持った士官が出てきた。

 

「駐留艦隊司令部は総督府に対し一切抵抗しません。ノーベル以下叛徒一三名は我々の手で処刑いたしました。我々はノーベルの命令に騙されていただけです。総督閣下に寛大な処置をお願いしたい」

 

 士官はそう言って頭の後ろで手を組み跪いた。

 

「……制圧しろ!」

 

 アドラー中佐の命令で部隊が突入するが、士官の言った通り、既にノーベル大佐らは死亡していた。……ノーベル大佐の口封じは私が機関の為にやらなくてはいけない任務の一つであると言って良い。その事に対しては覚悟を決めていた。しかし、正直な話、ノーベル大佐を自分で手に掛ける事に対して気後れしていたのは事実である。私は内心でホッとした。……だからだろう。私はその動きに反応出来なかった。

 

「死ね!裏切り者!」

 

 最初に出てきた士官が突如そう叫び、服の下からブラスターを抜き出して発砲してきたのだ。

 

「クソっ!」

 

 私の近くに居たワーナー曹長が士官に乱射するが、それより早く銃撃は行われていた。……アドラー中佐に対して。

 

「き、さま……」

 

 アドラー中佐がゆっくりと倒れる。

 

「中佐!衛生兵、すぐに中佐を医務室……いや、軍病院に連れていけ!」

 

 ヘンリクが叫ぶ。……その後、士官から全身を五発撃たれたアドラー中佐は病院に搬送される途中に亡くなった。彼は私と対立することが多かったし、彼は恐らく私を嫌っていただろう。だが、私は彼の気骨ある人柄に好感を抱いていた。彼が私と対立したのは彼が帝国軍人として命令を遵守した一方、私が機関の構成員として背任を繰り返していたからだ。それなのに彼を恨める訳があるまい。……彼をこんな所で死ぬべき人間では無かった。融通は利かなかったが、それでも彼が高潔な軍人であることに疑いは無い。

 

 当時の私は何が起こったのか暫く分からず呆然とし、そしてやがて気づいた。士官はアドラー中佐に「裏切り者!」と叫んでいた。ノーベル大佐にとっての裏切り者は誰か?アドラー中佐の事もそう言えないことは無いが、彼が一番、裏切り者だと考えるのは……恐らく機関の構成員である私だ。

 

 銃撃を行った士官が死んでいるために分からないが、あるいはこの士官はノーベル大佐から「ライヘンバッハ大尉への復讐」を頼まれたのではないだろうか?だがあの士官と私の間に面識はない。

 

 ノーベル大佐は私の顔を知らない士官に対して、「指揮を執っている士官がライヘンバッハ大尉」だと言った可能性がある。ノーベル大佐が全館放送を聞いて私を指揮官と誤認していた、あるいはヘンリクが指揮官だと考えていたとすれば、私かヘンリクを狙うように指示し、結果的にアドラー中佐が撃たれるという状況は起こり得る。

 

 流石に考えすぎかもしれないし、今となっては分からない。だがアドラー中佐がもし私と間違われて撃たれたのであれば、ここに書き記しておく必要があるだろう。……それもまた、私の罪であるのだから。

 

 

 

 

 宇宙歴七六一年一月七日午前七時。ヘルセ駐屯地からシュリーフェン中佐の総督府防衛大隊に護衛されて、フェルバッハ総督が駐留艦隊司令部基地に到着する。ノーベル大佐の死亡により、リューベック駐留帝国軍七〇万の内のほとんどがフェルバッハ総督の指揮下に入ることを表明することになる。

 

 同日午後六時。自由惑星同盟宇宙軍第三艦隊がリューベック星系に到達する。同艦隊は第五惑星ボストンの駐留艦隊基地を制圧すべく、部隊を降下させた。本来、第五惑星に駐留する第二・第四・第五作戦群は同盟軍のリューベック到達と同時にゲリラ戦に移行することになっていたが、駐留艦隊指揮系統の混乱によって適切な作戦行動がとれず、地上で艦艇の大半を失うことになる。

 

 しかし、ボストンには約三〇万の地上部隊が駐留しており、その一部は適切な指示が無い為に殆ど抵抗も出来ずに無力化されたが、残りの部隊は惑星全域で同盟の降下部隊に対する抵抗を開始することになる。

 

 そして、駐留艦隊司令部を制圧したことで、ようやく機関との交信が可能になった。最後の交信は私が捕まった直後にヘンリクから行われた報告であり、それ以来機関はリューベックの状況を殆ど把握できていなかった。

 

『アルベルト!無事だったのか、心配したぞ』

「ハルトマン、すまない。私の不手際で『茶会(テー・パルティー)』計画を失敗させてしまった」

 

 画面の向こうには第二辺境艦隊司令部に属しているユリウス・ハルトマン宇宙軍中尉が映っている。

 

『いや、それは多分、別の方面の不手際だろうな。……まあ、詳しいことは後々話す。それよりも聞いてくれ、大事な話がある』

 

 ハルトマンは真剣な表情だ。私はリューベックの状況を報告しようと思っていたが、それを遮ってのハルトマンの発言である。一度聞く体制に入った。

 

『エルザス・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン辺境軍管区と第二辺境艦隊は既に動員を済ませて、リューベックに進軍中だ。……第三艦隊の動きは把握されている。すぐに撤退させろ』

 

 私は驚愕した。一体、何がどうなっているのか、これからどうなるのか一切想像が出来なかった。

 




注釈16
 保元・平治の乱は地球時代に起きた戦乱の一つであるが、詳細は不明である。

 ただ、一つ気になることがある。この乱の存在は自叙伝が書かれた時期にはまだ知られていなかった。というより、この自叙伝で言及されていた為に研究が行われ、どうやら地球時代の戦乱らしいという所まで突き止められたのである。

 アルベルト・フォン・ライヘンバッハが熱心な地球趣味者であることは知られていたが、彼の蔵書類にも保元・平治の乱に関する物は無かった。一体、ライヘンバッハはどこからこの乱の知識を得たのであろうか?


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青年期・『ベルディエの一番長い夜』(宇宙歴761年1月7日~1月9日)

「馬鹿な!早すぎる!」

 

 ハルトマンからの報告を聞き、私は叫んだ。

 

 軍隊が動くには時間がかかる。エルザス・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン辺境軍管区は艦艇五〇〇〇隻を有し、第二辺境艦隊は艦艇八〇〇〇隻を有している。だが、その全てがいつでも出撃できる訳ではない。同盟軍の奇襲に備え、第二辺境艦隊の二個分艦隊四〇〇〇隻は常に即応体制を整えているが、残りの艦艇は管区内の各惑星に分散配置されている。その全てを集結させるには最低でも一週間はかかる計算だ。

 

 しかもこれは単純に艦隊を集結させる時間の話だ。全艦艇を集結させれば当然、軍管区が手薄になる。その間隙を海賊や共和主義勢力に突かれる訳にはいかない。ということは一定の艦艇を軍管区に残し、尚且つその少数の部隊で軍管区部隊の本来の業務をやり繰りしなくてはいけない。その引継ぎにも時間がかかるだろう。また、中央に報告を上げ、その指示を受けるにも時間はかかるはずだし、各惑星から地上部隊を引き上げるのであれば、艦隊の集結にも余計に時間がかかる。

 

 さらに計画では機関の構成員が遅滞工作を行う手筈になっている。第三艦隊がリューベックに到達してから帝国辺境軍が対応に動くまで結構な時間が掛かるはずだ。既に動員を済ませ、さらにリューベックに進軍中というのは明らかにおかしい。

 

『グリュックスブルク中将が強権を発動したんだよ。「旧エルザス辺境軍管区に向かわせた偵察部隊がサジタリウス叛乱軍の姿を確認した」の一点張りで強引に第二辺境艦隊を集結させた。機関の構成員は当然遅滞工作に動こうとしたし、機関の構成員以外にもグリュックスブルク中将の強権に反対する人間は少なくなかったが……。軍務省から正式な出動命令が降りてきた。これじゃどうしようもない』

 

 ハルトマンは肩を竦めて首を振った。本来、軍務省から辺境軍管区や辺境艦隊に直接命令が降ることは無い。統帥本部を通さない命令は、何らかの政治的な力が働いた結果であると考えて間違いないだろう。

 

「だが早すぎるだろう。グリュックスブルク中将が第三艦隊の行軍に気づいていたにせよ、この動員は……」

『同感だ。というか、グリュックスブルク中将が強権を発動したのは去年の一二月二八日。その頃第三艦隊は回廊すら抜けてないはずだ。だからまあ……中将は元々知っていたんだろうな。機関が抑えている筈の軍務省から正式な出動命令が降りてきたことも考えて、俺たちは「奴ら」に嵌められたんだろう』

「『奴ら』?」

『……いや、まだ推論の段階だ、気にしないでくれ』

 

 ハルトマンは首を振った。私は気になったが、ハルトマンがまだ話す必要が無いと判断したのであれば、それを尊重するべきだと考えた。

 

 私はハルトマンにリューベックの情勢を伝える。ノーベル大佐が裏切った事を伝えると、ハルトマンは顔をしかめていた。

 

『状況は分かった。俺から上に報告しておく。それと二辺は軍管区の全艦艇を加え、リューベック星系から二〇〇光年の位置まで到達している。司令部は奇襲を考えているから、星系近くでは行軍速度を落とす筈だ。第三艦隊との会敵まで後二日と言った所だろう。それまでに第三艦隊に警告を頼む』

「短いな……機関の方で何とか出来ないか?」

『何とかしたからこそ、二日間の猶予が出来たと考えてくれ。本来なら今頃リューベック星系に到達していてもおかしくは無い。……これ以上の妨害はグリュックスブルクに気取られる』

 

 ハルトマンは険しい表情だ。……この通信も危ない橋を渡っているのだろう。

 

『後、軍務省は二辺と同時にフォルゲンの黄色と一辺にも出動命令を出している。あっちは辛うじて一万隻ほどの動員が出来たばかりらしいが、それでも時間をかければ第三艦隊は退路を塞がれて殲滅される。恐らく増援の三個艦隊は間に合わない』

「……分かった。何とかして第三艦隊に警告を出す。一応あてはある」

 

 私は通信を切った。……ブロンセ・ゾルゲに何とかして接触しなくてはならない。ミシャロン氏にゾルゲを保護するように伝えてあるから、生きていればミシャロン氏の下に居る筈だ。それに加えて、ミシャロン氏の計画を成功させる為にも一度革命派が制圧する領都ベルディエに行く必要があった。

 

 

 

 

 

 

 

「危険です大尉殿!そこまでする必要がありますか!?二辺が向かっている以上、リューベックの叛乱は終わりです。もうあいつらに妥協する必要はありません!」

 

 私はフェルバッハ総督に対して、共にベルディエに向かうことを提案した。その提案を聞くなり、アーベントロート中尉が反対する。

 

「中尉。これは叛乱(アオフシュタント)ではない、革命(レヴォルツィオーン)だ。……貴官も領都で見たはずだ。彼らは最早帝国軍を恐れない。彼らは団結する強さを知ってしまった。自由の味を思い出した」

「彼らが恐れるか恐れないかはこの際重要では無い。駐留帝国軍七〇万、二辺の鎮圧軍一〇〇万、これだけの数を相手にすれば革命派に勝ち目はない」

「……認識が甘すぎる。シュリーフェン中佐、惑星リューベックで四億人、リューベック自治領(ラント)全体で九億人、我々が武力を以って鎮圧を目指すのであれば、その全てを悉く打ち倒す覚悟と戦力が必要です」

 

 シュリーフェン中佐の意見は予想の範囲内だ。それに反論するのに苦労は無かった。

 

「……まあ、大尉の言うことにも一理あるのではないか?第四師団や第一三一歩兵連隊の例もある」

 

 一時的に駐留艦隊の指揮権を預かっているメルカッツ少佐が発言する。

 

 ランペール州東部に駐留していた第四師団はレンドの暴動で師団長と兵員一五〇〇名を失った。その後、副師団長の指揮の下でランペール州、及び領都特別区を転戦し、独自に暴徒鎮圧を試みていた。

 

 ところが、一二月三十日に革命臨時政府軍J・F・ケネディ連隊を都市クラクフで包囲した所、猛烈――狂気的な程に――な抵抗を受け、ついに打ち破ることが出来なかった。反対に革命臨時政府側の援軍部隊とJ・F・ケネディ連隊に挟撃されてしまい、ついにランペール州からの敗走を余儀なくされることになる。

 

 第一三一歩兵連隊は暴動を防ぐためにゾーリンゲン州ラベットの自治領府支部役人全員を拘束した所、反発した大量の自治領民が駐屯地に押し寄せ、大量の死傷者を出した末についに駐屯地を放棄せざるを得なくなった。

 

「それに、皆さんはサジタリウス叛乱軍の事を忘れています」

「?二辺が動いたし、一辺も動員をかけているんだろう?撃退は容易だ」

 

 ヘンリクの発言にシュリーフェン中佐が応じた。確かに彼の言うことは間違っていない。ただし、見落としている点がある。

 

「……今リューベックに来ているサジタリウス叛乱軍は帝国軍がこんなに早く動員を済ませて来るとは予想していません。ですから、間違いなくリューベックに地上部隊を降下させてくるはずです」

 

 私はそう言いながら内心でこう呟いた。……それに彼らは駐留帝国軍が無力化されていると信じ切っているからな、と。

 

 ゾルゲから聞いた話だと第三艦隊は可能な限り地上部隊を詰め込み、何とか一二〇万の地上部隊を連れてくるらしい。ノーベル大佐と私が計画通りに動いていれば、過剰な程の戦力だっただろうが、今ではその逆だ。リューベック全体を制圧するには過小に過ぎる。

 

「……そうか。つまりサジタリウス叛乱軍の艦隊が撃退されたとしても、降下した叛乱軍が革命派と手を組む事は避けられないのか」

 

 フェルバッハ総督は気づいたようだ。奇襲を受けた第三艦隊に降下させた地上部隊を回収する余裕があるだろうか?努力はするだろうが、間違いなく無理だ。置いてかれた同盟兵が革命派に助けを求めるのは容易に想像がつく。

 

「そうです。……だからこそ、革命派を抑えなければならない。革命派は叛乱軍に不信感を抱いています。一方で、ノーベル大佐を排除し、帝国地上軍に自治領民との対立を止めるように指示したフェルバッハ総督の動きに注目している。ここで革命派と妥協しましょう。革命派も帝国軍と叛乱軍がリューベックで泥沼の地上戦をやるような展開は望んでいないはずです」

 

 私はフェルバッハ総督を懸命に説得した。「革命派との妥協」という提案は思ったよりも簡単に認められた。アーベントロート中尉やシュリーフェン中佐も九億人と泥沼の地上戦をやるよりはマシだろうという考えに至ったのだろう。彼らは標準的な帝国人として多かれ少なかれ自治領民への差別感情を持ってはいるが、理性的な判断に支障をきたす程、差別感情に拘ったりはしない。

 

 問題はその内容である。私はリューベック自治領(ラント)に帝国に臣従する状態での独立を認め、帝国総督府を解体、駐留帝国軍を全て惑星ボストンに移すことを提案した。そして、その提案をこちらから領都に出向いて伝えることを主張した。アーベントロート中尉やシュリーフェン中佐はそこまでの譲歩には否定的であり、革命参加者への免責や自治領府等の復活に留めるべきと主張した。また、フェルバッハ総督自らが領都に向かうことには激しく反対した。

 

「皆の意見は分かった。少し考えさせてくれ」

 

 やがてフェルバッハ総督はそう言った。私としては何としてもフェルバッハ総督を連れて領都に向かわなくてはいけない。革命派は元々反帝国の色が強い。かといってコルネリアス一世の大親征の一件もあり、親同盟という訳でもない。その辺りを突いて、ミシャロン氏は同盟軍への不信感を煽るような『真実(でっちあげ)』を創作し、帝国と革命派が妥協できる余地を作り出した。

 

 しかし、元々革命派……というより自治領民の帝国に対する恨みは根深いのだ。中途半端な妥協では逆に革命派を怒らせるだけだろう。オヨンチメグ氏のアーレンダール星系分治府主席就任を拒否した際、代わりに立法府議員資格を認めることで宥めようとして逆に自治領民の反発を招いたのはその一例だ。

 

 翌一月八日。フェルバッハ総督は領都ベルディエに直接乗り込むことを決意した。私たちは駐留艦隊司令部と総督府の直通回線を利用して藩民国政府に対して交渉の呼びかけを行った。藩民国政府はフェルバッハ総督自らが領都に向かうと聞き色めき立った。藩民国政府側は「暫く検討した後で改めて返答したい」と答えた。数時間後、藩民国政府側から通信が入り、アーレンバーグ氏が交渉に応じる意思を示す。

 

 同日夜、フェルバッハ総督と私を含む数名は駐留艦隊司令部を出て、ヘリコプターで領都ベルディエへと向かう。日時に関して藩民国政府側との間で合意は出来ていなかったが、総督府側としては何としても同盟軍の降下作戦開始前に藩民国政府と接触しておきたかったのだ。

 

 突如として帝国軍のヘリコプターが接近してきたことで、ベルディエの藩民国政府軍は警戒し、私たちは危うく撃墜されそうになったが、何とか総督府防衛大隊駐屯地のヘリポートに着陸することが出来た。

 

「即断即決ですな。しかし、いきなりヘリコプターで乗り付けてくるのは礼を失しているのではないかな?」

 

 私たちを出迎えたラングストン大佐は少し不愉快そうに苦言を呈したが、私たちを総督府へ案内した。藩民国政府は総督がベルディエに来ることを伏せておきたかったようだが、派手にヘリコプターで乗り付けたからだろう。自治領民たちが何事かと駐屯地の方に集まってきていた。総督府に向かう最中、何度か立ち往生する羽目になったが、何とか無事に辿り着くことが出来た。しかし、そこで藩民国政府側の準備が整うまで数時間待たされることになる。

 

 私は別れ際、ラングストン大佐にミシャロン氏への伝言を託した。ゾルゲを通じて上空の第三艦隊に警告を行うためだ。

 

 明けて一月九日午前一時二分。私たちが待たされていた会議室に六名の藩民国政府指導者が入ってきた。帝国側交渉団七名と合わせて一三名によって行われたこの交渉は後に『ベルディエの一番長い夜』と呼ばれることになる。……ちなみに、リューベック地方では『ベルディエの一番長い夜』という言葉は小田原評定や「会議は踊る、されど進まず」と同じ使い方をされているらしい。実際、交渉開始からおよそ八時間、一切何の進展も無かったからそう言われるのも仕方がないのだが……。当事者としては複雑な気持ちである。

 

 午前一〇時少し前だっただろうか、一人の藩民国政府軍士官が会議室に入ってきて報告してきた。

 

「自由惑星同盟軍が降下を開始しました!」

 

 私は思わずミシャロン氏の方を見る。ミシャロン氏は首を振っていた。……どうやらゾルゲを通じて第三艦隊に警告を与えることは出来なかったらしい。ゾルゲが既に死んでいるという事なのか、単に通信が出来なかったという事なのか、ゾルゲを保護出来なかったという事なのか……。その時点でそれは分からなかった。

 

 士官の報告をきっかけに会議室に不穏な空気が流れる。藩民国政府に対して第二辺境艦隊がこちらに向かっていることは交渉の最初の段階で知らされている。それが無ければ、あるいは藩民国政府は私たち交渉団を拘束したかもしれない。だが、その不穏な空気は一時間もしない内に消え去ることになる。

 

 午前一〇時四〇分頃だっただろう。再び士官が駆け込んできて報告した。

 

「銀河帝国軍第二辺境艦隊が自由惑星同盟軍第三艦隊を急襲しました!戦況は不明ですが、降下作戦中の第三艦隊は劣勢に立たされていると予想されます!」

 

 その言葉は藩民国政府側と私に大きな衝撃を与えた。この瞬間から、『ベルディエの一番長い夜』は明け始めることになる。

 

 



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青年期・第四次リューベック会戦とベルディエの独立(宇宙歴761年1月9日~宇宙歴763年8月9日)

二章終了です。


 宇宙歴七六一年一月九日から始まった自由惑星同盟宇宙軍第三艦隊と銀河帝国宇宙軍第二辺境艦隊の会戦は『第四次リューベック会戦』と呼称される。と言っても、リューベックで同盟と帝国が衝突したのはこれが初めてである。第一次・第二次リューベック会戦は建国初期に、第三次リューベック会戦はコルネリアス一世元帥量産帝の大親征の際に銀河帝国と『第七艦隊共和国(リパブリック・オブ・セブンスフリート)』間で行われた。

 

 『第四次リューベック会戦』は当初帝国軍が圧倒的な優位に立って始まった。同盟軍は降下作戦を行っており、完全に油断しているように思われた。ところが、勢いだって突撃した第二辺境艦隊は強かな逆撃を被ることになる。降下作戦を行っているように見えた第三艦隊は既に第二辺境艦隊の存在に気づいていたのだ。これは第二辺境艦隊司令部に勤務していたジークマイスター機関構成員の働きによるところが大きい。第三艦隊司令官ハリソン・カークライト宇宙軍中将はこの情報によってギリギリのところで逆撃体制を整えることが出来た。

 

 なお、単に逆撃体制を整えるのではなく、降下作戦を行っているように見せるように提案したのは後の宇宙軍元帥シドニー・シトレ宇宙軍少佐であったらしい。……私とほぼ同年代にも関わらず、実力で少佐にまで昇進しているあたり、流石と言わざるを得ないだろう。

 

 第三艦隊の総艦艇は一三〇〇〇隻、対して第二辺境艦隊はエルザス・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン辺境軍管区の各部隊を加え、一二〇〇〇隻を擁していた。軍管区司令グリュックスブルク中将と辺境艦隊司令官スマルン中将は数で劣るものの、敵地深く進攻してきた第三艦隊は疲弊しており、尚且つ奇襲攻撃ならば打ち破ることは容易いと考えていたが、これは甘すぎる想定であったと言わざるを得ない。結局一月九日の奇襲攻撃は第三艦隊に五〇〇隻程、第二辺境艦隊に一一〇〇隻程の損害を発生させて終わることになる。

 

 同日、第一辺境艦隊と黄色弓騎兵艦隊が動員を完了したが、そこに自由惑星同盟軍第五艦隊、第七艦隊、第一一艦隊が回廊へ侵入したという情報が入り、身動きが取れなくなった。

 

 無論、この三個艦隊は第三艦隊と違い、通常の手続きを経て動員されたために銀河帝国側も襲来を予測していたが、これまでのデータとハイネセン=アムリッツァ間の距離を基にした分析によると早くても一月二〇日以前に帝国領に到達することは無いと判断されていた。であるならば、フォルゲンの艦隊の一部をリューベックに派遣したとしても帝国中央地帯で動員中の黒色槍騎兵艦隊、緑色軽騎兵艦隊の展開がフォルゲンに間に合う計算である。

 

 しかし、実際には議会で手続きを経るよりも早く既に三個艦隊は動員を開始しており、その進軍スピードは帝国軍の分析を上回っていた。勿論、これは機関も想定外のスピードである。……自由惑星同盟はジークマイスター機関を盲信していた訳ではなく、このように独自の行動も取っていたのだ。これは別に今に始まった事ではなく、かのブルース・アッシュビーもよくやっていた事である。

 

 その後もリューベックにおける会戦は数で勝り、尚且つ練度で勝る第三艦隊が優勢を維持することになる。

 

 宇宙歴七六一年一月一一日、第二辺境艦隊は再編の為にリューベック星系第九惑星ハーゲンまで後退、それを受けて第三艦隊は再度降下作戦を実行することになるが、同日午後八時、ダニエル・アーレンバーグ主席とマックス・フェルバッハ総督の間で一つの協定が結ばれたことが明らかになる。この『ベルディエ協定』が『第四次リューベック会戦』の趨勢を決定づけることになる。

 

『銀河帝国リューベック総督府とベルディエ藩民国(ネイティブ・ステート)政府は以下の事柄で合意した。

 

1、ベルディエ藩民国(ネイティブ・ステート)が惑星リューベック、惑星ブラオンに対し独自の主権を有すること

2、ベルディエ藩民国(ネイティブ・ステート)藩主は銀河帝国皇帝陛下に対し臣従し、その権威に服すること

3、ベルディエ藩民国(ネイティブ・ステート)と銀河帝国はその独立を脅かす共通の敵、サジタリウス叛乱軍に対し共同で対処すること……』

 

 内容は至って簡単な物である。……銀河帝国はベルディエ藩民国(ネイティブ・ステート)の独立を承認し、総督府を解体する代わりに、ベルディエ藩民国(ネイティブ・ステート)は銀河帝国皇帝に臣従する。そして共同で自由惑星同盟に対抗する、という物だ。

 

 内容は簡単であるが、合意に至るまでは大変だった。そもそも、マックス・フェルバッハ総督はリューベック統治に関して広範な権限を有しているが、だとしても勝手に独立を承認するような事が許されるのか、勝手に総督府を解体することが許されるのか、という問題がある。銀河帝国は人類における唯一の統治組織、と言うことになっている。当然ながら、総督が自治領に対して独立を許すなどと言う事例を想定した法律は存在せず、フェルバッハ総督のベルディエ独立承認が有効かどうかは全くの不明であった。

 

 当然、そのような不安定な承認に価値は無いと藩民国政府側は反発したが、確実な価値のある承認を求めようと思えば、藩民国政府側は結局、皇帝からの独立承認を引き出さざるを得なくなる。

 

 最終的に、藩民国政府側は協定の内容に同意した。このまま同盟と組んで帝国に対抗しても勝ち目はない。ならば帝国と組んで同盟と戦う他は無い。その戦いを通じて独立を目指すしかないと。

 

 ……実を言うとこの時点で戦況は第三艦隊優位に動いており、また既に増援三個艦隊が回廊を抜けつつあることを考えると、同盟と組んで独立を達成できる余地が無かった訳ではない。ただ、この時点で宇宙の詳しい戦況を把握していたのは駐留艦隊司令部基地位の物であったし、さらに言うならば、仮に第三艦隊と増援の三個艦隊が全てリューベックに到達できたとしても、帝国一五〇万は星系各地でゲリラ的な抵抗を行うはずだ。そう簡単に鎮圧できるとは思えない。……だからこそ駐留帝国軍を迅速に無力化出来ることが『茶会(テー・パルティー)』計画成功に必要不可欠だったのだ。

 

 

 

 

 『ベルディエ協定』の発表は第三艦隊司令部に衝撃を与えた。さらに、私たちの協力でゾルゲが第三艦隊に詳細な報告を行った。彼は意識不明の重体で病院に担ぎ込まれたが、傷が癒えた後、独自に潜伏し第三艦隊への報告を試みようとしていたが、全て果たせなかったらしい。最終的に不審人物として今度は藩民国政府軍に拘束されていたところを、ミシャロン氏が発見、保護した。

 

 ゾルゲの報告でリューベック自治領(ラント)での騒乱とその原因が自由惑星同盟にあるとされていることを知った第三艦隊司令部は仰天した。やがて、藩民国政府軍が帝国軍と共に同盟降下部隊と戦闘を始めると、第三艦隊司令部はついにリューベックの占領を不可能と判断した。自治領民四億人を敵に回して地上戦をやって、勝てる訳がない無い上に、時間をかければ帝国中央地域から動員の終わった艦隊がリューベックに派遣されてくる、撤退するしかないと考えざるを得なかった。

 

 宇宙歴七六一年一月一四日、自由惑星同盟宇宙軍第五艦隊がリューベック星系に到達。第三艦隊と共に第二辺境艦隊に総攻撃を仕掛けた。第二辺境艦隊は第五艦隊が到達した時点で抗戦を諦めており、早々にリューベックから撤退した。しかし、第三・第五艦隊の地上戦力およそ二〇〇万でリューベック自治領(ラント)全域を制圧することは不可能であった。両艦隊は最終的に地上部隊を回収し、撤退することになる。

 

 『第四次リューベック会戦』はこうして終わった。第二辺境艦隊は艦艇三六〇〇隻を失い、第三艦隊・第五艦隊は合わせて二〇〇〇隻弱を失った。会戦自体は同盟軍の勝利と言えるだろうが、戦略的には四個艦隊を動員してまで行ったリューベック制圧作戦が何も得ることなく終わった(それどころか何故か自分たちが悪役になっていた)ことから考えて、およそ勝利とは言えない結果となったと言えるだろう。

 

 

 

 一月二〇日。帝国領から自由惑星同盟軍の艦隊が全て撤退したことが確認された。同日、銀河帝国軍務省は「第四次リューベック会戦の勝利」を高らかに宣言する。

 

「叛乱軍は狡猾な策を以って辺境地域の警戒網をすり抜けてリューベックを奇襲したが、現地民と駐留軍が皇帝陛下の威光の下で一致団結して立ち向かい、ついに叛乱軍にリューベック占領を断念させた」

 

 ……これが軍務省の行った発表だ。リューベック奪還革命もノーベル大佐の離反行為も第二辺境艦隊の敗北も全部無かったことにされている。

 

 一月二一日。銀河帝国宮内省は皇帝オトフリート五世の意向として、「リューベック自治領主(ランデスヘル)ダニエル・アーレンバーグに『藩王』の称号を与える」と発表した。これによりリューベック自治領(ラント)はリューベック藩王国(ネイティブ・ステート)と名を変えることになる。

 

 帝国政府はマックス・フェルバッハ総督とダニエル・アーレンバーグ主席との間に結ばれた協定に一切触れなかった。しかし、協定の内容を完全に無視することは出来なかったらしく、総督府と駐留艦隊司令部、全駐留部隊の惑星ボストン移転を決定する。総督府の解体には応じるつもりは無いが、リューベックに過大な干渉をするつもりは無いというメッセージだとも言える。駐留部隊を全てボストンに置くという事は事実上総督府の権限を放棄することに等しい。総督府がどんな決定をしようと、近くに駐留部隊が居なければ自治領民がそれに従うことは無い。

 

 帝国政府のこのような妥協的な政策は、やはりリューベックの距離的な遠さがネックになったのだろう。リューベックの革命は既に駐留部隊だけで対処できる域を超えている。鎮圧には恐らく大部隊を派遣する必要があるだろうし、仮に鎮圧できたとしても、また同じような叛乱……革命が起きることは恐らく避けられない。地球時代で例えるのであれば、アメリカ……北方連合国家(ノーサン・コンドミニアム)と中東諸国の関係だろうか?

 

 一月三〇日、私を含む主だった者が軍務省への出頭を命じられた。私たちの職務は中央から送られてきた官僚、軍人が引き継いだ。通常、辺境での不祥事は辺境軍管区司令部が対処するが、どうやらその辺境軍管区司令のグリュックスブルク中将自体が出頭を命じられているらしい。

 

「アルベルト!久しぶりだな!」

 

 二月二日、惑星エーリッヒ・フォン・マンシュタインで帝都行きの輸送艦を待っていた私の下をハルトマンが訪れた。

 

「久しぶりだな……。元気そうで何よりだ」

「リューベックでは大変だったな……。あの『ベルディエ協定』はお前の差し金だろう?」

「一枚噛んだのは事実だ。……あの時は何が何でも革命派を対同盟の共闘に引きずりこむ必要があった。帝国だって本音を言えばリューベックの統治なんて面倒なことはしたくない。だが、リューベックが同盟に味方するのであればどれほど面倒であっても統治せざるを得ないし、軍だって送るしかない」

 

 私は『長い夜』を思い出しながら言った。

 

「逆に言えば、同盟と敵対するなら統治形態には拘らない、か……」

「ああ。……尤も、状況の変化もあるだろうけどね」

 

 私はそう言いながらハルトマンに対して新聞を放り投げた。

 

「赤線で囲んである部分を読んでみてくれ……経済面だ」

「……フェザーン自治領(ラント)立法府において、銀河帝国に対する航路安定を目的とした大規模な援助法案が可決。……ユニバーサル・ファイナンス、リッテンハイム侯爵領に一億帝国マルクを融資。……ジェノヴァ・コーポレーションがフォルゲン星系への進出を決定」

 

 ユニバーサル・ファイナンスもジェノヴァ・コーポレーションもフェザーン企業だ。特にジェノヴァ・コーポレーションは大規模宇宙建造物の建築に秀でていることで知られている。仮にイゼルローン回廊に要塞を作るのであれば、ジェノヴァ・コーポレーションの全面バックアップがあれば非常に心強いだろう。

 

「……次は政治面だ」

「……兵站輜重総監セバスティアン・フォン・リューデリッツ上級大将、帝国名士会議で演説。『昨今の辺境危機は全て要塞によって解決する』帝国名士会議、宰相府及び軍務省、財務省に要塞建設を促す勧告案を賛成九対反対三で可決。リッテンハイム侯爵、ノイエ・バイエルン伯爵ら、近く皇帝陛下に対し要塞建設支持を奏上する模様」

「回廊に要塞を作るのであればリューベックが多少不安定化した所で問題は無い。……それとね、『奴ら』の目的がようやく分かったよ。ハルトマン」

 

 私は溜息をついてそう言った。ハルトマンは黙り込んだままだ。

 

「『奴ら』というのはフェザーンだな?……ノーベル大佐を唆したのもフェザーン、グリュックスブルク中将を動かしたのもフェザーンだ。目的は、辺境情勢の悪化を強調し、帝国上層部における『要塞派』と『保守派』の論争に終止符を打つこと。……旧エルザス辺境軍管区が突破され、リューベックまでも侵攻を許し、第二辺境艦隊は完敗する。『要塞派』はこう言うはずだ、『それ見たことか!艦隊など役に立たない、要塞を作らないからこうなるんだ!』とね」

「……だと思う。グリュックスブルク中将はフェザーン企業の人間と何度も会っていた。きっとフェザーンのエージェントだったんだろう」

 

 私はブロンセ・ゾルゲから聞いた在リューベックフェザーン弁務官事務所の武官の話を思い出す。恐らく奴がノーベル大佐を唆した男だ。そして自らが蒔いた計略の種がどう育つかを見る為にリューベックに戻ってきたんだろう。

 

「フェザーンめ……天秤を維持する為に要塞建設を援助する気か。やつらまさかそこまでやるとはな……」

「……俺が思うに、フェザーンの狙いは同盟艦隊に消耗を強いることにもあったんじゃないか。同盟側は独自の判断で機関の計画よりさらに早い動員と行軍を行っていた。もしそれが無かったらどうなると思う?」

「……なるほど。同盟艦隊は万全の状態を整えた帝国艦隊に突っ込んでいくことになったのか。そうなっていたら……考えたくも無いな」

 

 少なくとも、リューベックの革命に対しては第二辺境艦隊の連れてきた地上部隊が鎮圧に動くはずだ。夥しい量の血が流れることになっただろう。

 

「……まあ、『茶会(テー・パルティー)』計画は失敗したし、要塞建設の流れを止めるのは難しそうだが……。今の所、機関の存在が露見する最悪のパターンにはなっていない。アルベルト、とりあえず今は軍務省の査問を切り抜けることだけを考えるんだ。軍務省には仲間も居る。悪いようにはならないさ」

「分かっているよ……。戦いはまだ終わっていない」

 

 

 

 

 軍務省で行われた査問会では私を含む二三名が査問の対象となった。マックス・フェルバッハ総督はリューベック騒乱の責任を追及されたが、自身も襲撃され重傷を負っていること、曲がりなりにも混乱を収拾し革命派を味方につけたことが考慮された結果、懲戒免職処分を下されることになった。リューベックの独立を勝手に承認したという事実は、互いにとって都合が悪く『無かったこと』にされた。それ故に刑事的な処分を受けずに済んだと言える。

 

 グリュックスブルク中将とアーベントロート中尉は免責された。……まあ、彼らは査問をする側と通じているのだから当たり前だろう。ただ、グリュックスブルク中将はどうも功を焦って独断行動を取っていたようで、この後閑職に回されることになる。

 

 シュリーフェン中佐、メルカッツ少佐、ランズベルク局長、私等はかなり厳しい査問を受けることになったが、結局、誰一人として処分されることは無かった。それどころか、リューベック騒乱の鎮圧に貢献したとして私を含む一一名が昇進した。

 

「あれは裁くための査問じゃない。単にリューベック騒乱の詳細を調べる為の査問だよ。……それとノーベルと繋がっていた人間が居ないかどうか、確かめる為の査問でもあった。エーレンベルクの奴はまだ機関が生き残っているのではないかと疑っている。……どうやら私も少し疑われているらしい」

 

 後に軍務省次官のシュタイエルマルク提督が私にそう教えてくれた。ちなみに、軍務省から各艦隊へ出た正式な出動命令にはシュタイエルマルク提督も関わっていた。何とか止められないかと思ったらしいが、エーレンベルクに勘付かれる恐れがあったために断念したという。

 

 リューベック騒乱の後も暫くの間『要塞派』と『保守派』の争いは続くことになる。フェザーンの全面的な支援とリューベックの騒乱は『要塞派』を勢いづかせ、徐々に『保守派』は押し切られ始めたが、『保守派』の利害がバラバラであることが逆に幸いし、完全に『保守派』の抵抗が封じられるまでにはしばらくかかることになる。

 

 しかし、宇宙歴七六三年八月九日。ついに皇帝オトフリート五世はイゼルローン要塞建設を決意。兵站輜重総監セバスティアン・フォン・リューデリッツを責任者に任命することになる。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。



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第二章登場人物紹介・年表

登場順、原作登場人物に★、ファーストネーム等をこちらで考えた原作登場人物に☆

 

・アルベルト・フォン・ライヘンバッハ

 自叙伝の作者。名門帯剣貴族、ライヘンバッハ伯爵家の三男、カール・ハインリヒ・フォン・ライヘンバッハの長男としてこの世に生を受ける。転生者であり、帝国の封建社会に嫌悪を感じていた。ジークマイスター機関構成員。

 軍務省国防政策局運用政策課員、軍務省地方管理局辺境調査課員を経て二章開始時点で銀河帝国リューベック総督府特別監査室室長を務める。階級は宇宙軍大尉。

 ジークマイスター機関の『茶会(テー・パルティー)』計画支援の為に赴任したが、ノーベル大佐の裏切りで同計画が破綻。その後、リューベック独立派のアルベール・ミシャロンと協力し、リューベック騒乱の泥沼化を防ぎつつノーベル大佐の口を封じた。騒乱終結後、宇宙軍少佐に昇進。

 

・ユリウス・ハルトマン

 アルベルトの幼年学校における同級生。『有害図書愛好会』メンバーであり、大商人の息子。ジークマイスター機関の構成員。『茶会(テー・パルティー)』計画支援の為に第二辺境艦隊司令部に赴任した。第二章開始時点で宇宙軍少尉。終了時点で宇宙軍中尉。

 

・ヘンリク・フォン・オークレール

 ライヘンバッハ一門の末席に名を連ねる帝国騎士家の当主。アルベルトの元護衛士であり、地上軍少佐。騒乱終結後、地上軍中佐に昇進。ジークマイスター機関の構成員。

 

・マルセル・フォン・シュトローゼマン

 アルベルトとハルトマンの先輩。領地貴族の男爵家出身。大貴族嫌いで平民嫌い。完全実力主義者。父を第三次エルザス会戦の不自然な状況で失っている。卒業後第四辺境艦隊司令部に配属され、現在は帝都勤務。

 

・カルステン・フォン・グリュックスブルク

 エルザス・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン辺境軍管区司令。宇宙軍中将であり、リッテンハイム一門。フェザーンから何らかの接触を受け、機関の『茶会(テー・パルティー)』計画妨害に動いた。

 

・オトフリート・フォン・ゴールデンバウム五世★

 財政再建に奮闘する皇帝。領地貴族の協力を得られ無かったためにひたすら歳出削減に取り組み、第二次ティアマト会戦以後の慢性的な財政赤字を何とかギリギリのところで凌ぎ切った。その後、何とかカストロプ公爵を切り崩して租税法改正に成功し、「ようやく財政を立て直せそうだ」と安心したのも束の間、そのカストロプが財務尚書として不正蓄財に励んだ結果、租税法改正が思ったほどの効果を上げなかった為に更なる歳出削減に取り組む羽目に陥っている。元々質素を好む人柄ではあるが、流石に内心ではうんざりしている。

 

・クラウス・フォン・リヒテンラーデ★

 かつてマクシミリアン=ヨーゼフ二世晴眼帝に重用された旧ミュンツァー派に所属する若手官僚。子爵。オトフリート五世に対し、租税法改正法案を通すために帝前三部会の開催を進言。カストロプ公爵を切り崩すことで長年断念させられていた租税法改正法案を可決させることに成功する。

 

・セバスティアン・フォン・リューデリッツ★

 宇宙歴七五一年頃、兵站輜重副総監を務める。階級は宇宙軍大将。保守的な価値観を持つが、極めて優秀な能吏であり、ジークマイスター機関の活動に気づく。暗闘の末、ミヒャールゼンの存在に辿り着き、ミヒャールゼンを死に追い込んだと思われる。

 宇宙歴七五六年頃には軍部改革派を率いている。名門帯剣貴族家出身。

 宇宙歴七六〇年頃、兵站輜重総監を務めており、階級は宇宙軍上級大将。オトフリート五世に『イゼルローン要塞建設建白書』を提出した。フェザーン勢力とリッテンハイム一門の協力を得ている模様。リューベック騒乱にどこまで絡んでいたかは不明だが、グリュックスブルク中将は必ずしも彼の思い通りに行動した訳ではない様子。

 宇宙歴七六三年にはついにイゼルローン要塞建設着工を実現させた。

 

・ハウシルト・ノーベル

 ヴァルター・コーゼルの下で活躍した情報参謀。ジークマイスター機関の構成員。

 宇宙歴七四六年にミヒャールゼンの指示で『茶会(テー・パルティー)』計画の準備の為にリューベック駐留艦隊司令として赴任。階級は宇宙軍大佐。機関よりもコーゼルに対して忠誠を誓っており、そこをフェザーンに利用され、機関を離反。『茶会(テー・パルティー)』計画を破綻させる。

 その後、アルベルトによって「叛乱軍との内通者」というレッテルを張られ、そのまま疑惑を晴らせないまま駐留艦隊司令部で自爆。

 

・ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ★

 リューベック駐留艦隊第三作戦群司令代理。階級は宇宙軍少佐。アルベルトの父から「多大な恩」を受けており、アルベルトに対し好意的だった。アルベルトがリューベックに赴任する一年前の大暴動の際に何かあったと思われる。

 リューベックの騒乱では早い段階からアルベルトの味方に立ち、要所要所で助けになった。開明的な価値観を持っている訳では無いが、貴族的選民意識は大分弱い。騒乱終結後、宇宙軍中佐に昇進。

 

・カール・ハインリヒ・フォン・ライヘンバッハ

 名門帯剣貴族、ライヘンバッハ伯爵家の三男。宇宙歴七四〇年時点で帝国軍少将。やや傲慢だが優秀な人物。自分より能力に劣る兄たちが出世することに不満を持っていた。

 宇宙歴七四五年の第二次ティアマト会戦時、青色槍騎兵艦隊副司令官を務めている。ベルディーニを戦死させ、英雄になる。この際帝国宇宙軍中将に昇進。

 宇宙歴七五四年までに宇宙軍大将に昇進し、黄色弓騎兵艦隊司令官を務めている。同年の第四次ロートリンゲン会戦で苦戦しながらも同盟軍を撃退、この功績で帝国宇宙軍上級大将に昇進し、宇宙艦隊副司令長官として一個中央艦隊と二個辺境艦隊を指揮下に収める。

 宇宙歴七五九年のリューベック大暴動を受け、リューベック総督府、駐留艦隊司令部の人事に介入し、腐敗を一掃した。

 宇宙歴七六〇年の『茶会(テー・パルティー)』計画においても本来ならば計画成功の為に臨機応変な対処を行う予定だったが、各勢力の思惑が絡んだ結果有効な手立てを打つことが出来なかった。

 ジークマイスター機関の幹部である。

 

・マックス・フェルバッハ

 銀河帝国リューベック総督。平民出身者であり、柔軟な思考と優れた実務能力を有している。宇宙歴七五九年の大暴動で総督府の上位士官が根こそぎ更迭された結果、いつの間にか総督に就任していた。前任者より遥かにバランスの取れた統治を行っていたが、それでも自治領民の反発を抑えきれず、絶望していたところにアルベルトが来たため、深く信頼していた。

 リューベック騒乱の最初にノーベル大佐の手によると思われる爆弾テロに遭い重傷を負う。その後、治療の名目で病院に軟禁されていたが、『リューベック奪還革命』の最中にアルベルトらによって救出される。混乱を収拾する為にアルベルトの進言を容れ、革命派との交渉に向かい、独断でのリューベック独立承認に踏み切る。騒乱終結後、責任を追及され懲戒免職処分になる。

 

・アルベール・ミシャロン

 リューベック独立派の中心人物。元自治領警察府検事の立法府議員。反帝国的なリューベック独立党の副幹事長を務めている。ノーベル大佐(というよりは機関)の裏切りまでもを予測して様々な手を打っており、アルベルトを説得してリューベック独立の為の計画に協力させた。その計画は一言で言えば既成事実を積み上げることでなし崩し的に帝国に独立を認めさせるという物であり、様々な誤算があったものの、最終的に一応の独立を達成することに成功した。

 

・チェニェク・ヤマモト

 リューベック独立派の中心人物。家具職人の息子だが、リューベック自治領警備隊に入り警備隊曹長の階級を得ている。ノーベル大佐による弾圧を逃れ、革命の口火を切った。

 

・オリバー・シーツ

 リューベック独立派の中心人物。大学の准教授。クラークライン監獄の虐殺で死亡。

 

・ブロンセ・ゾルゲ☆

 自由惑星同盟軍対外諜報セクションに属する人物であり、リューベック独立派の一員として加わり、機関の代表であるアルベルトと連絡を取っていた。クラークライン監獄の虐殺で重傷を負う。『第四次リューベック会戦』の最中、アルベルトの協力で帝国駐屯地に放棄されていたシャトルを利用して第三艦隊司令部にリューベックの状況を伝えた。その後は同盟に戻った模様。なお「ブロンセ・ゾルゲ」は偽名である。

 

・クルト・フォン・シュタイエルマルク

 アルベルトの親友。ジークマイスター機関の構成員であり、『茶会(テー・パルティー)』計画に際し、フェザーン勢力を欺瞞する為に在フェザーン帝国高等弁務官事務所駐在武官として赴任していた。

 

・テオドール・フォン・アーベントロート☆

 アルベルトの部下として配属された宇宙軍中尉。リッテンハイム一門であり、実はグリュックスブルク中将の命でノーベル大佐を調査する為に送られてきた人物。もし、彼がノーベル大佐の離反行為を見抜き、事前に防ぐようなことがあれば明らかにフェザーンの利害とは衝突することを考えると、独自の動きであると思われる。

 アルベルトの事をノーベルと繋がっていると疑っていたが、アルベルトが罠に嵌められ、拘束される姿を見て味方と判断した。その後、アルベルトの救出に奔走し、共に混乱の収拾に尽力する。騒乱終結後、宇宙軍大尉に昇進。

 

・コンラート・フォン・ランズベルク

 リューベック総督府教育局長。ランズベルク伯爵家の縁者。善人ではあるが、官僚としては極めて無能。というか官僚にしてはいけない人間。アルベルトとの個人的な友誼から味方に付いたが、割とお荷物だった。壺集めが趣味で、エリーという妻と子供がいる。

 

・ヨーナス・ロンペル

 駐留艦隊司令部付き士官。ノーベル大佐の副官業務を行っている。平民出身者であり、強烈な反貴族主義者。その理由は領地貴族に理不尽に弟を殺されたからである。が、自治領民の事は蔑視している。クラークライン監獄の虐殺を指揮し、その結果革命派に憎まれ、最終的にアルベルトの指示で処刑された。尤も、軍規・帝国法に照らせば彼が死刑に処される事は無く、アルベルトは彼を死に追いやった事を自分の罪であると認識している。

 

・ベルンハルト・フォン・シュリーフェン

 リューベック駐留帝国地上軍総督府防衛大隊長。地上軍中佐。グリュックスブルク中将の密命を明かし、協力を求めたアーベントロート中尉を「法的根拠が怪しい」と思いながらも諸般の事情を鑑み信用した。騒乱終結後、地上軍大佐に昇進。

 

・ルーカス・フォン・アドラー

 リューベック駐留帝国地上軍クラークライン監獄駐留大隊長。地上軍中佐。ブラウンシュヴァイク公爵の縁者に正論を吐いて辺境に追いやられた気骨の人。権威と勢いで押し切ろうとしたアルベルトに対しても一歩も退かなかった。一方で杓子定規に過ぎる部分もあり、自治領民の反発を予想しながらも駐留艦隊司令部の処刑命令に服従したり、フェルバッハ総督が駐留艦隊司令部の指揮権を無効と主張した際も当初反論しようとしたりした。最終的にはフェルバッハ総督に従ったが、駐留艦隊司令部での戦闘の際にノーベル大佐の手の者に撃たれ死亡する。

 アルベルトは彼を邪魔に思う一方で、気骨ある性格に好感を抱いており、その死を惜しんだ。もしかしたらアルベルトと間違われて撃たれた可能性もある。

 

・カール・フォン・ロッペンハイム

 リューベック駐留帝国地上軍ランペール方面軍司令官。地上軍准将。帝国軍人には珍しく、自治領民を蔑視しない開明的な性格だったが、それが悪い方向に働きレンドの暴動を招く。暴動初期に殉職。もしかしたら彼が強硬的な姿勢で最初から武力行使での鎮圧を目指していれば、『リューベック奪還革命』はその初期に鎮圧されていた可能性もある。

 

・クラウス・ハンテンブルク

 リューベック駐留帝国地上軍領都警衛隊司令官。地上軍准将。ミシャロンの仕込んだ内通者によって警衛隊司令部庁舎内で銃撃され死亡する。辺境には珍しい有能な将官だった。

 

・ダニエル・アーレンバーグ

 ライティラ星系分治府主席。クラークライン監獄とは別の監獄に収監されていたが脱出。革命臨時政府主席に就任する。騒乱終結後、オトフリート五世から『藩王』の称号を与えられ、名目的にリューベック藩王国の統治者となる。

 

・バーナード・ロシェ

 リューベック立法府議長。クラークライン監獄の虐殺を幸運にも生き延びた。ミシャロンとアルベルトの話し合いに居合わせたことをきっかけに、二人の計画に協力する。

 

・マイルズ・ラングストン

 革命臨時政府軍クリステンセン大隊長。ミシャロンの同志。

 

・マルティン・ツァイラー

 リューベック駐留帝国地上軍ヘルセ駐屯地司令。地上軍大佐。病院から救出されたフェルバッハ総督を支持した。騒乱終結後、地上軍准将に昇進。

 

・ハリソン・カークライト

 自由惑星同盟軍第三艦隊司令官。宇宙軍中将。

 

・シドニー・シトレ★

 自由惑星同盟軍第三艦隊作戦参謀。宇宙軍少佐。カークライト中将に第二辺境艦隊を誘い込んで逆撃する作戦を献策した。

 

・ハウザー・フォン・シュタイエルマルク★

 帝国軍務省次官。宇宙軍上級大将。ジークマイスター機関の指導者だが、エーレンベルクの目を気にして、リューベック騒乱に有効な手立てを打つことが出来なかった。

 

・フーベルト・フォン・エーレンベルク☆

 帝国軍務省高等参事官。宇宙軍中将。領地貴族出身者。リューデリッツと共にミヒャールゼンを追い詰めた。機関の生き残りが居ることを疑っており、リューベックの騒乱に関わった人物を集め査問を行うことで、機関の関与の有無を確かめようとした。

 

年表

宇宙歴七四〇年、アルベルト誕生

宇宙歴七四五年、『第二次ティアマト会戦』帝国軍大敗。

宇宙歴七四六年、統帥本部次長オトフリート・フォン・リンダーホーフ宇宙軍上級大将。立太子される。

宇宙歴七四七年、財政危機への対処で皇太子オトフリートが租税法を大規模改正し、増税を行おうとする。が、オーディン高等法院の抵抗で断念。『第三次エルザス会戦』でジャスパー大敗。

宇宙歴七四八年、敗戦にショックを受けていたコルネリアス二世の前にアルベルト大公が現れる。アルベルト大公によって多くの貴族が金品を騙し取られる。

宇宙歴七四九年、アルベルト大公失踪。オトフリート三世即位。

宇宙歴七五一年、『パランティア星域会戦』でコープが戦死。ミヒャールゼンの存在がリューデリッツらに露見する。『ミヒャールゼン暗殺事件』発生。この頃宮廷が混乱し、オトフリート三世が衰弱死。

宇宙歴七五二年、オトフリートの弟、エルウィン=ヨーゼフ・フォン・リンダーホーフ侯爵がエルウィン=ヨーゼフ一世として中継ぎで即位。その後、宮廷の混乱を鎮めた後でオトフリート四世が正式に即位。

宇宙歴七五四年、『第四次ロートリンゲン会戦』で帝国軍、辛くも同盟軍を撃退。カルテンボルン着任。『幼年学校平民生徒弾圧事件』発生。『有害図書愛好会』結成。

宇宙歴七五五年、『幼年学校長弾劾事件』発生。カルテンボルン失脚。

宇宙歴七五六年、アルベルト、クルト、ジークマイスター機関に参加。

宇宙歴七五七年、オットー・ハインツ二世即位。

宇宙歴七五七年、オトフリート皇太子がオーディン高等法院に租税法改正法案登録を迫るも拒否される。帝前三部会開催、カストロプ公爵派の切り崩しによって租税法改正に成功。

宇宙歴七五九年、リューベック自治領(ラント)で大暴動発生。

宇宙歴七六〇年、『イゼルローン要塞建設建白書』提出。

宇宙歴七六一年、『リューベック奪還革命』発生。『第四次リューベック会戦』で帝国軍敗北。

宇宙歴七六三年、イゼルローン要塞建設開始



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第三章・動揺する帝都
青年期・弾劾者クレメンツ大公(宇宙歴765年5月20日~宇宙歴765年5月25日)


この話はプロローグみたいな感じですかね?
イゼルローン要塞建設がどうなったかや、今のアルベルトの状況などは次回以降詳しく書いていくということで。


 宇宙歴七六五年五月二〇日。この日が、ゴールデンバウム朝絶対帝政の終わりの始まりであることに異論を持つ歴史家諸君は居ないのではないだろうか?少なくとも、私はこの自叙伝を書いている時点で異論を持つ歴史家を知らない。

 

 この日はイゼルローン要塞建設費用の高騰とそれによる財政危機の再来を受け、オトフリート五世が帝国名士会議を開いていた。この帝国名士会議での決定は皇帝の名の下に公示される。つまり皇帝の詔勅に等しい権威を持つ。また、帝前三部会を招集する権限を持つ。

 

 また、帝国名士会議は定員が決められておらず、尚且つ皇帝が出席者を選べる会議であり、オトフリート五世にとって都合の良い人物が議員として選ばれていた。以下、そのメンバーを書き記しておこう。

 

 長男のリヒャルト皇太子、三男のクレメンツ大公、国務尚書兼宰相代理アンドレアス公爵、財務尚書カストロプ公爵、司法尚書ルーゲ伯爵、科学尚書ハーン伯爵、宮廷書記長リヒテンラーデ子爵、軍務尚書ゾンネンフェルス元帥、宇宙艦隊司令長官ライヘンバッハ元帥、統帥本部総長クヴィスリング元帥、軍務副尚書アイゼンベルガー上級大将、軍務次官シュタイエルマルク上級大将、軍務政務官マイヤーホーフェン大将、宇宙艦隊副司令長官シュタインホフ上級大将、科学技術本部長エールセン技術大将、枢密院議長クロプシュトック侯爵、枢密院議員ノイエ・バイエルン伯爵、枢密院議員ゾンネベルク伯爵、枢密院議員ヘルクスハイマー伯爵、枢密院議員マリーンドルフ伯爵、枢密院議員バルトバッフェル子爵、大商人と高等法院判事が二人ずつである。

 

 なお、私は当時父の元帥府に勤務しており、父に付き従ってこの帝国名士会議の様子を目撃していた。同じようにそれぞれの要人に従う文官・武官併せて数〇名が部屋の内外に控えていた。

 

 出席者の中で課税か要塞建設に反対する人間、つまり帝前三部会開催に反対する人間はゾンネベルク伯爵とヘルクスハイマー伯爵、そしてライヘンバッハ元帥――つまり私の父だ――とクヴィスリング元帥、マイヤーホーフェン大将、そして二人の高等法院判事と目されていた。ところが、会議が始まってすぐのことだ。クレメンツ大公が発言を求めると立ち上がった。

 

「恐れながら申し上げたい。皇帝陛下は全人類の代表者として人類を正しく統治する責務を担っておられます。故に陛下は帝前三部会を開き、それによって御自身の立法が正当であることを全人類に確認すると仰っています。しかしながら、昨今の帝前三部会は大帝陛下や止血帝陛下の時代とは違い、それぞれの議員が己の欲望のままに活動する場と成り果てております。その様相はまるで地球統一政府(グローバル・ガバメント)の汎人類評議会、銀河連邦末期の衆愚政治ではありませんか」

 

 クレメンツ大公がそのような発言をするとは誰も予想しておらず、皆が呆然としていた。ただ一人、ブラウンシュヴァイク一門のゾンネベルク伯爵が同意の声を挙げる。しかし、彼はすぐにそのことを後悔しただろう。

 

「皇帝陛下はそのような帝前三部会を肯定し、その承認を銀河帝国の根本規範たる人類意思の表れと仰るが、私は絶対に同意しかねる。これでは皇帝陛下は事実上、帝前三部会の腐敗議員共の傀儡であるに等しい。皇帝陛下には是非とも長年栄光ある銀河帝国において積み重ねられてきた慣習と伝統を思い出して頂きたい。私は伏して皇帝陛下にお願い申し上げます」

 

 その発言で場が凍り付いた。完全な皇帝批判である。ゾンネベルク伯爵がサーっと青ざめた。……前半部分はまだ良い、あれは帝前三部会に対する批判であり、ギリギリ皇帝批判ではない。

 

「クレメンツ!貴様余を愚弄するか!」

 

 オトフリート五世陛下があそこまで激怒する姿を見るのは初めてであった。……そもそも陛下と会う事など殆ど無かったが。

 

 それでも怒りを抑えている様子で、端的に「出ていけ!」と指示した。クレメンツ大公はなおも何か言おうとしたが、その瞬間オトフリート五世は怒りが抑えきれなくなった様子で「馬鹿息子をつまみ出せ!」と叫んだ。しかし、大公をつまみ出せる人間が居る訳がない。周囲の人間が遠慮している間にクレメンツ大公は「父上!目を覚ましてください!」などと言い続ける。

 

 やがて、リヒャルト大公が落ち着いた口調で発言する。

 

「クレメンツ、ミッテルラインのワインは美味かったか?」

 

 その言葉を聞き、クレメンツ大公が一瞬動揺する。「父を懸命に諫める息子」の姿が剥がれかけた。……ミッテルラインはブラウンシュヴァイク公爵領最大のワインの名産地だ。リヒャルト大公はクレメンツ大公が恐らく課税に反対する最大の勢力、ブラウンシュヴァイク公爵と繋がってこのような暴挙に出たのであろうと予想し、皮肉をぶつけたのだ。

 

「……兄上の仰っている意味が分かりかねます。私はただこの国を憂いているだけです」

「憂いているのは自分の現状じゃないのか?軍内ではお前と疎遠なリューデリッツたちが台頭しつつあるし、それと対立するライヘンバッハは根っからの帯剣貴族で政治嫌い、唯一例外的に付き合いがあるのは、今お前と距離を置きつつあるクロプシュトックだからな」

「止めんか!……今日の帝国名士会議を中止する。卿らには改めて日程を伝える。……クレメンツ、例え皇子と雖もこれほどの無礼、覚悟はしているな?」

 

 リヒャルト大公の言葉にクレメンツ大公が反論しようとしたところでオトフリート五世が割って入り、中止を宣言した。クレメンツ大公が想定外の暴挙に出た衝撃はそれ程に大きかったのだろう。

 

 ……リヒャルト大公とクレメンツ大公が帝位を争う立場にあったのは後世の諸君も周知の事実だろう。長男のリヒャルト大公が優勢であるし、原則で言えばリヒャルト大公が帝位を継ぐのが筋なのだが……リヒャルト大公の母親は寒門の出身であり、またクレメンツ大公の支持者はリヒャルト大公に対抗できる程度に多いことが問題をややこしくしていた。

 

 リヒャルト大公の支持層は官僚貴族と帯剣貴族の一部だ。これはリヒャルト大公が財務官僚、国務官僚の経歴を持ち、官僚貴族と密接な関わりを持っていると同時に、オトフリート五世の緊縮財政路線を明確に支持していることが大きい。つまり、リヒャルト大公は国に忠実な貴族の支持を受けやすいのだ。

 

 一方のクレメンツ大公の支持層は大多数の帯剣貴族とクロプシュトック侯爵を中心とする譜代の領地貴族集団だった。帯剣貴族の支持はクレメンツ大公が帝国宇宙軍に勤務し、宇宙軍大将まで昇進していることが大きい。クレメンツ大公は積極的に前線に出て、身分にさして拘らない態度と派手なパフォーマンスで将兵の支持を集めているのだ。

 

 しかしながら、第二次ティアマト会戦後の激動は帯剣貴族という貴族集団自体の力を弱めている。その上、軍上層部で台頭しつつあるリューデリッツらの軍部改革派もそれに対抗するライヘンバッハ・クヴィスリングらの軍部保守派もリヒャルト大公と同じようにオトフリート五世の緊縮路線・課税改革方針を支持する立場だ。しかも皇族なのに前線に出てきては目立ちたがるクレメンツ大公の事をあまり良く思っていない。これでは大多数の帯剣貴族が好感を抱いていてもあまり意味は無い。

 

 故にクレメンツ大公が大切にしている支持基盤がクロプシュトック侯爵を中心とする譜代の領地貴族集団だったのだが……。『茶会(テー・パルティー)』計画の失敗以来、要塞建設を防ぎたいジークマイスター機関は要塞に関して中立の立場を取るクロプシュトック派への接近を始めた。

 

 軍部改革派はリッテンハイム一門を初めとする門閥貴族の後ろ盾を得ている。それと対立する軍部保守派が譜代のクロプシュトック派に近づくのは別に不自然な事では無く、また軍部保守派は概ね要塞建設に否定的な為、クロプシュトック派を要塞反対派に加えることも可能だ。

 

 ところが、軍部保守派の中核は私の父も含めて名門と呼ばれるような帯剣貴族家出身者であり、クロプシュトック派に接近できるような伝手が殆ど無かった。第二次ティアマト会戦前まで、帯剣貴族は帯剣貴族同士で固まっていれば良く、他の貴族集団等眼中に無かったからだ。

 

 ……そこで出てくるのが『有害図書愛好会』である。ヴィンツェルと私の縁を通じてクロプシュトック侯爵に近づいたのだ。クロプシュトック侯爵にとってクレメンツ大公との関係は重要ではあったが、宇宙艦隊司令長官と統帥本部総長が味方に付く方がより重要である。

 

 クロプシュトック侯爵家は『あの』ブラウンシュヴァイク公爵家とリッテンハイム侯爵家に対抗しないといけないのだ。今なお軍中枢に一定の勢力を保っている帯剣貴族家との協力関係は喉から手が出るほど欲しい。さらに言えば、ライヘンバッハやクヴィスリングがリッテンハイム侯爵家と協調する軍部改革派に対抗する為にブラウンシュヴァイク公爵家に近づくようなことがあればクロプシュトック侯爵家にとっては死活問題である。

 

 そういう訳でクロプシュトック侯爵家とその派閥は軍部保守派に遠慮してクレメンツ大公に少し距離を置くようになった。……これまで要塞問題にも課税問題にも沈黙を保っていたクレメンツ大公が突如として皇帝批判まで行ったのは、ブラウンシュヴァイク公爵の接触があったと考えるべきだろう。恐らく、クロプシュトック派とクレメンツ大公の不協和音に気づいて接近したに違いない。

 

 二〇日の名士会議の後、すぐにクレメンツ大公は記者会見を開き、オトフリート五世が増税を目指して帝前三部会を開こうとしていること、それを止めるよう説得したが、聞き容れられなかったことを話した。

 

「臣民の痛みを分かっていただけなかった」

 

 クレメンツ大公は最後にそう言うと無念そうに首を振った。大した役者である。帝国ではこの後、『弾劾者クレメンツ大公』という言葉が広まっていくことになる。勿論、あまりにも有名な『弾劾者ミュンツァー』を意識してのブラウンシュヴァイク公爵による宣伝工作だ。ミュンツァーが可哀想でならない、彼にとってブラ公のようなクソ野郎は当然弾劾の対象だっただろうに、そんな奴の宣伝工作に名前を使われるとはね。

 

 さて、そろそろ後世の諸君は少し疑問を感じているのではないかな?何故『弾劾者クレメンツ大公』に対しここまで非好意的なのか。彼は道を誤ったが、少なくともこの時点では平民の味方ではないか、と。

 

 ここでオトフリート五世の租税法改正法案について少し説明したい。一般に諸君らはオトフリート五世を異常なまでの倹約家、口を開けば平民への増税一辺倒と考えているのではないだろうか?それは大きな過ちであることを指摘しておく。

 

 オトフリート五世の租税法改正法案は確かに平民身分への課税強化も含まれているが、それよりも重要な点が二点ある。事実上特権階級を狙い撃ちとした新たな税の創設と、領地貴族の領民に対する直接課税制度の創設だ。前者については説明するまでも無く分かるだろう。後者についてはピンと来ない人間も多いのではないかな?

 

 銀河帝国の租税制度では皇帝直轄領に関しては皇帝から派遣された総督なり代官が課税を行う。その過程で不正が発生しない訳でも無いが、それは帝国財政を傾かせるほどでは無い。問題は各貴族領である。

 

 各貴族領ではその土地の領主が税金取り立てを代行する。そして代行費用を取った上で中央に税金を送るのだ。ちなみに各貴族領では国税とは別にその領地独自の税も課せられている。それらの一部は明らかに帝国政府が定めた租税法に違反する程の高税率なのだが、帝国政府がそれらを全てを調査・把握し、是正させるのは不可能であり、事実上野放し状態だ。

 

 当然、領地によっては生きていくのも難しい程の高税率を課せられることになるのだが、時には税金の支払いが滞るような時もある。そういう時は領主への納税よりも国への納税を優先すると法で定められているのだが、領地貴族共は有ろうことか自らの懐に税金を入れ、中央政府に対しては「今年は税が足りませんでした、領主税を免除してもこれだけしか税が取れませんでした」といけしゃあしゃあと嘘をつくのだ。酷い奴は十分な税金が取れていても同じことを言う。

 

 オトフリート五世の租税法改正法案はこの領地貴族共の不正の温床となっている課税代行制度を変えることが肝になっている。ハッキリ言ってしまおう。オトフリート五世の租税法改正法案が可決されれば、国から平民への課税は増えるが、領主税を合わせた現在の税の総額よりは間違いなく減る。……強欲領地貴族共が何と罪深い存在か良く分かる話だ。

 

 さて、強欲クソ領地貴族共がこんな租税法改正法案に賛成するわけがない。当然抵抗する。その一環としてオトフリート五世に対する中傷を『噂』として流し始める。「帝国一のドケチ」「金を集めたいのは単に性癖」「倹約マニア」等々……。諸君らが思い浮かべるオトフリート五世像はそういった中傷に歪められたイメージだ。

 

 実際の所、オトフリート五世だって好きで倹約している訳じゃない。あの方は強欲クソ害悪領地貴族共が第二次ティアマト会戦以降の財政危機で再建に一切協力しないで不正蓄財に励んでいたから、仕方なく常軌を逸した倹約をせざるを得なかったのだ。何と酷い話だろう。金集めが性癖なのは一体誰なんだろうかね!

 

 そして残念ながら、平民階級はオトフリート五世の租税法改正法案が自分たちにとってもメリットであるという事に気づいていなかった。平民階級は馬鹿ではないが、賢者でもない。無邪気に「増税反対!」と叫び、強欲クソ害悪死にぞこない領地貴族共の特権を守ろうとしていたのだ。何と救いようのない話だろうか!

 

 

 

 

 ……さて、話を戻そう。宇宙歴七六五年五月二五日。改めて帝国名士会議が開かれた。三男のクレメンツ大公に代わって次男のフリードリヒ大公が出席した他は参加者は同じである。クレメンツ大公は前回の会議とその後の独断での記者会見によって謹慎を命じられ、離宮の一つに幽閉されている。

 

 『弾劾者クレメンツ大公』が居ないことで会議は予定調和的に進み、結局帝前三部会を来年に開催することが決定する。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。

 

 



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青年期・『ベイカー街不正規連隊』(宇宙歴766年3月)

「ライヘンバッハ大佐。第四次ドラゴニア会戦における艦艇の損害、及び戦死者・行方不明者に関する最新の報告書です」

「ありがとう、シュターデン大尉」

 

 宇宙歴七六六年三月。私は宇宙艦隊司令長官カール・ハインリヒ・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍元帥の元帥府に所属すると共に、宇宙艦隊総司令部情報部第三課長を務めていた。

 

 情報部第三課は主に辺境情勢に関する調査と分析を行う課である。階級も既に宇宙軍大佐にまで昇進していた。明らかに家柄ブーストが掛かった出世スピードだが、実績が無い訳でもない。私はこの時までに「辺境政策に精通した優秀な軍官僚」という評価を確立していた。

 

 ……宇宙歴七六一年のリューベック騒乱は多くの帝国人にとって些末な事であったが、辺境星域の住人と各総督府、そして軍務省には大きな衝撃を与えた。防諜セクションや現地司令部もさることながら、各総督府の上位組織である内務省自治統制庁や各駐留軍を政策面で指導する軍務省地方管理局はリューベック騒乱を招いた責任を追及され、早急に辺境政策の立て直しを迫られることになった。

 

 自治統制庁と地方管理局は協議の結果、辺境自治領統治に関する新たなガイドラインを策定することで合意、両組織から招集された人員によってプロジェクトチームが結成されることになった。そのチームの中で中心的な役割を果たしたのが私である。地球で過ごした前世を持つ私は標準的な中央官僚が持つ帝国的価値観とは無縁だった。銀河連邦時代に近い感性を持つ自治領民の事は下手すると領地貴族共より理解しやすかったかもしれない。……彼らの帝国に対する恨み、不信感、敵意以外は。

 

 私が関わった『辺境自治領統治に関わる基本政策の大綱について』はリューベック騒乱によって動揺した辺境諸地域を鎮めるのに一定の効果を挙げた。その後も私は辺境政策に携わる軍官僚として出世し、宇宙歴七六四年には宇宙軍中佐として軍務省地方管理局辺境調査課課長補佐を務めていた。が、同年に父が元帥に昇進し宇宙艦隊司令長官に任じられたため、私は宇宙艦隊総司令部へと転属することになった。

 

「艦艇八六〇〇隻余を失い、戦死・行方不明者は九三万四〇〇人……。酷い有様だな。諸事情を考えればグローテヴォール大将達はよく保たせていると言えるけど……。叛乱軍がドラゴニアを突破するのは時間の問題だね」

 

 ドラゴニア星系は、同盟の最辺境有人地域であるアスターテ星系とイゼルローン回廊出口との間に位置し、第三惑星が居住可能である。しかしながら遠隔地であることと、条件があまり良くないことから、銀河連邦や同盟による入植は行われていなかった。

 

 宇宙歴六四〇年のダゴン星域会戦時、帝国軍はこの惑星に目をつけ、遠征の兵站を担う仮説基地を設置したが、ダゴンの大敗後は放棄されていた。その後、コルネリアス一世元帥量産帝が大親征を行う前に、改めて帝国軍艦隊を派遣し、この星系を掌握。ダゴン時代の仮説基地を補強する形で恒久的に一個艦隊が駐留可能な大規模な帝国軍の基地が建設された。

 

 親征失敗後も基地は維持され、長年に渡り帝国軍のサジタリウス腕側における大規模拠点として機能していたが、宇宙歴七四二年にブルース・アッシュビーによる奇襲攻撃を受け失陥する。宇宙歴七四五年の第二次ティアマト会戦後、自由惑星同盟はドラゴニア星系基地を拡張した上で常に三個艦隊の司令部を設置し、二個艦隊弱を常駐させ、必要に応じて集結させたうえで、帝国辺境地域への侵攻を繰り返していた。ちなみにリューベック騒乱の際に増援として到着した第五、第七、第一一艦隊もこの基地に司令部と主力を置いていた。

 

「ロクな支援を受けておりませんからな。身内同士で争っている場合でも無いでしょうに」

 

 私の部下の一人であるシュターデン大尉は苦々し気な表情でそう言った。

 

 宇宙歴七六三年。イゼルローン要塞が着工する直前に銀河帝国宇宙軍は三個中央艦隊と二個辺境艦隊、計五個艦隊五万隻を動員し、ドラゴニア星系に進軍。同盟宇宙軍三個艦隊との激戦の末に星系全域を制圧した。

 

 その後、同星系基地に青色槍騎兵艦隊と第一辺境艦隊を配置し、帝国側で最も回廊入り口に近いアムリッツァ星系に突貫工事で基地を作って黄色弓騎兵艦隊を配置し、要塞建設を妨害するであろう同盟軍を抑え込む体制を作り上げた。……勿論、巨額の費用をかけて、だ。

 

 以来、帝国艦隊は要塞建設を阻もうと進軍してくる同盟艦隊と激戦を繰り返してきた。アレンティア星域会戦、第二次パランティア星域会戦、第三次ドラゴニア会戦、惑星シルヴァーナの戦い、第三次パランティア星域会戦、シヴァ星域会戦……。これらの戦いは後にアスターテ=ドラゴニア戦役と呼称される。

 

「貴官の言う通りだ……。要塞建設の是非は置いておくとして、遥かサジタリウス腕で同胞が、戦友が苦しんでいるのだと思うと胸が張り裂けそうになる」

 

 私は本心からそう言った。……アスターテ=ドラゴニア戦役はその前半において帝国軍が優勢に立っていた。帝国艦隊の内、常に動員体制にあるのは青色・黄色・第二の三個艦隊だが、その後方のロートリンゲン辺境軍管区やシュレースヴィヒ=ホルシュタイン辺境軍管区にはさらに黒色・第一・第三の三個艦隊が駐留している。必要に応じてこれらの部隊が回廊を超え、救援に向かうことで帝国軍は概ね余裕を持って同盟宇宙軍を撃退出来ていた。

 

 しかし、現在は補給が滞った状況で戦力優位の同盟軍に対し連戦を強いられている。

 

 ……宇宙歴七六五年、要塞建設にかかる費用の高騰が問題となった。リューデリッツは要塞建設「だけ」の費用しか真面目に計算していなかった。例えばアムリッツァに基地を建設する費用、あるいは三個中央艦隊と三個辺境艦隊の動員体制をほぼ常に維持する費用、そしてそれらの艦隊に補給を行う費用……。こういったものをリューデリッツは過小に計算していた。

 

 彼の軍官僚としての能力を考えれば、これが無能故の計算違いで無いことは容易に想像がつく。彼は意図的に要塞建設にかかる費用を過小に見積もり、それを以ってオトフリート五世や財務省に要塞建設計画を呑ませたのだ。「作ってしまえばこっちの勝ち」と言うような確信犯的な思いもあったのかもしれない。

 

 実際、オトフリート五世は大激怒しながらも要塞建設の必要性は認め、名士会議招集と帝前三部会の開催を以って要塞建設費用の捻出を図った。これはリューデリッツの予想通りの流れだっただろう。……ただ一つ『弾劾者クレメンツ大公』の登場を除いて。

 

『我らの血税をガラクタにつぎ込むのを止めろ!』

『国は穴籠りの臆病者ではなく、勇敢な戦士達に報いるべきだ』

『嘘吐きのリューデリッツを弾劾せよ!』

『回廊の向こう側でこれ以上戦友に血を流させるのは人道上許されない』

『三部会の肯定は衆愚政治の肯定、三部会の皇帝は衆愚政治の皇帝だ!』

 

 これらは全てクレメンツ大公とその支持者として「臣民の味方」を気取るブラウンシュヴァイク公爵オットー、リッテンハイム侯爵ウィルヘルム、トラーバッハ伯爵クラウス、ヒルデスハイム伯爵アーベルらの発言だ。

 

『卿らがいつ血税を払った!臣民の血税を私物化しているのは卿らだ!』

『……戦士達にこれ以上犠牲を強いない為にも要塞が必要なのです。長い目で見れば必ずメリットの方が大きい』

『貴様らは不敬者だ!皇帝陛下の威光を何と心得るか!』

『戦友を飢えさせておいて何が人道だ!恥を知れ』

『クレメンツの奴……衆愚の神輿になっておいてよくもまああんなことを言えるな』

 

 一方こちらはリヒャルト大公とその支持者を中心とする要塞派、ルーゲ伯爵ヘルマン、リヒテンラーデ子爵クラウス、クロプシュトック侯爵ウィルヘルム、レムシャイド伯爵子息ヨッフェンらの発言である。

 

 ……そう、現在帝都では『弾劾者クレメンツ大公』を旗頭とする領地貴族とリヒャルト大公を支持する官僚貴族が真正面から激しく対立している。その対立は軍部を巻き込み、肝心の前線地域に対する補給も満足に行えない有様だ。

 

「何とかならないのでしょうか、ライヘンバッハ大佐……。このままでは前線部隊が……」

「……分かっているさ。父上もクヴィスリング元帥閣下も反要塞派だけどね、この現状を快く思っている訳じゃない。出来ることなら前線で戦う将兵にはしっかりとした補給体制を整えたい。だが……この状況では下手に動くとクレメンツ派かリヒャルト派のどちらか一方についたと見做されかねない。二人とも軍部の政治的中立を重視する帯剣貴族だ……。動きようにも動けないのだろうね」

 

 私はシュターデン大尉にはそう説明したが、内心ではもう一つの考えを思い浮かべていた。クヴィスリング元帥の考えは私が今言った通りだが、機関の幹部である父にはもう一つ考えがあるはずだ。……前線部隊を意図的に弱体化させることで同盟軍が要塞建設を妨害出来るようにする、という考えが。

 

「まあ、とにかくありがとうシュターデン大尉、私の個人的な興味に付き合ってくれて。もう遅い、今日は帰ってくれて構わない。私も用事があるから今日は帰るよ」

「承知しました」

 

 情報部第三課にとって第四次ドラゴニア会戦の情報を収集することは職権の範囲外という訳では無いが、あまり優先度は高くない。シュターデン大尉には私が頼んで調査、報告書を纏めてもらったのだ。

 

「皆も仕事が終わっているなら無理に残業せずに帰宅しなさい。何度も言っているが、残業すれば良い仕事が出来るという訳では無いんだ」

 

 私は今も残っている課員に対してそう声をかけた。模範的な帝国軍人たる彼らは上司であり大貴族の息子である私が帰るまでは絶対に帰らない。私が帰っても暫くは黙々と仕事を続け、日付が変わる直前にようやく数人が帰りだす有様である。……前世の地方公務員としての経験から言わせてもらえば、流石に常時〇時頃まで残業というのは異常……というか身体が持たないだろう。彼らは必要に応じてタンクベット睡眠も使用しているようだが、あれの連続使用は身体的な疲労軽減効果が落ち、やがて精神的ストレスを発生させる。

 

 ……幸い、模範的な帝国軍人たる彼らは上司であり大貴族の息子である私の命令には絶対に逆らわない。私が帰る前に一言釘を刺しておけば、彼らも無理に部署に残ろうとはしない。

 

 

 

 

 

 

 宇宙艦隊総司令部を出た後、私は乗用車に乗ってヴェストパーレ男爵邸へ向かう。そこで開かれているサロンに参加する為だ。サロンの主人であるブルーノ・フォン・ヴェストパーレ男爵は爵位こそ低いが、明敏な頭脳と洗練された立ち振る舞い、そして整った顔立ちの持ち主であり、高名な歴史学者として広く知られている。

 

 彼は熱烈な地球趣味者としての顔を持つことでも知られており、彼のサロンで話される話題は専ら地球史について――特にとある作家の作品について――である。サロンの名称、『ベイカー街不正規連隊(ベイカー・ストリート・イレギュラーズ)』からしても、彼の趣味が分かるという物だ。

 

 私は個人的な嗜好もさることながら、親友クルト・フォン・シュタイエルマルクを初めとする機関のメンバーとの接触の為に、このサロンを利用していた。現在クルトは宇宙軍中佐としてアムリッツァに駐留する黄色弓騎兵艦隊で機動打撃群司令を務めているが、僅か二六歳にして既にその名は広く知られている。……熱狂的な『探偵趣味者(シャーロキアン)』の一人として。

 

「おお、婿殿!元気にしていたか?」

「……お久しぶりです。クロプシュトック閣下」

 

 そこで私はなるべく会いたくない人間の顔を見つけてしまう。カミル・フォン・クロプシュトック伯爵。ウィルヘルム・フォン・クロプシュトック侯爵の叔父であり、分家の一つを継いだ人物だ。ちなみに予備役中将の階級を持つ。私はクロプシュトック派と軍部保守派の結びつきを強める為にこの人物の娘との婚約が決まっていた。来月、宇宙軍准将に昇進した後、挙式を行う予定になっている。

 

「他人行儀だなぁ……私の事は養父(ちち)と呼んでくれと言っただろう?」

「そうでした養父上様、ところで何故養父上様がここに……?」

「いや何を隠そう私も地球には興味があってだな……。婿殿がここに入り浸っているとヘンリクに聞き、一度来てみたいと思ってな」

「はあ……」

 

 私は中の様子を伺う。サロンのメンバーは少なくとも養父上の存在を不愉快には感じていないようだが……養父上が地球趣味者だという話は聞いたことが無い。

 

「……政治絡みですか?」

 

 私が小声で尋ねると養父上は小さく頷き、小声で返してきた。

 

「このサロンのメンバーをリヒャルト大公派に引き入れたい。協力してくれないか、婿殿」

「申し訳ありませんが……。皇位継承を巡る争いに軍部が関わるのは『暗赤色の六年』の例もあり好ましくないかと」

 

 『暗赤色の六年』はダゴン星域会戦での大敗をきっかけとする帝国史上最も陰謀に満ちた期間である。その詳細に関する説明は省くが……。即位したマクシミリアン=ヨーゼフ二世晴眼帝は『暗赤色の六年』を招いた責任の一端を帯剣貴族と官僚貴族の増長にあると見做し、強い不信感を抱いていた。その不信感は帯剣貴族たちに対しては帝国軍幼年学校の設立、官僚貴族に対しては大審院解体と高等法院設立という形で現れることになる。

 

 マクシミリアン=ヨーゼフ二世晴眼帝はルドルフ大帝を除き、帝国史上最高の名君とも言われるが、彼のその治世において帯剣貴族集団と官僚貴族集団の主流派は常に保守的な抵抗勢力であり、その事は現在の我々にとって極めて後ろめたい事実であった。帯剣貴族は本来、マクシミリアン=ヨーゼフ二世晴眼帝のような名君を支え、忠誠を尽くすべき存在なのだから。

 

「婿殿の言うことも分かるが、個人として少し手を貸してくれるくらいは良いだろう?我々クロプシュトック派は軍部保守派に多大な協力をしている筈だ」

「……承知しました。では主だった方に紹介させていただきます」

「おお!助かる」

 

 私は養父上の頼みを引き受けた。軍部保守派の二大巨頭、カール・ハインリヒ・フォン・ライヘンバッハとユルゲン・オファー・フォン・クヴィスリングは皇位継承争いに中立の構えを崩していない。彼らは要塞建設に反対しているが、財政再建とその為の税制改革には賛同している。リヒャルト大公は要塞建設を支持すると共に税制改革に賛同し、クレメンツ大公は要塞建設にも税制改革にも反対している。どちらかを支持できる状況では無いのだ。

 

 ちなみに同じような立場に置かれ、中立を選ぶ人物は少なくない。軍部改革派のフーベルト・フォン・エーレンベルクやエドマンド・フォン・シュタインホフ。財務尚書オイゲン・フォン・カストロプ。枢密院議員クリストフ・フォン・ノイエ・バイエルン。枢密院議員コンラート・フォン・バルトバッフェル等がそれに当てはまる。

 

「久しぶりだな、リヒャルト」

「おお、アルベルト!元気そうで何よりだ。来月に宇宙軍准将に昇進するようじゃないか!おめでとう。昇進記念のパーティーをいつやるかは決まったのか?」

「……近く結婚する予定だからな。昇進記念のパーティーはそこで纏めてやるよ」

 

 私は『有害図書愛好会』以来の友人であるリヒャルト・フォン・ノイエ・バイエルンに声をかけた。このサロンの参加者で、現在アムリッツァに赴任しているクルトと同じく、最も親しい友人の一人だ。

 

「結婚か……。確か相手はクロプシュトック伯爵の令嬢だったな」

「ああ……そうだリヒャルト。ついでに紹介しておきたい人が居るんだ。私の養父上となるカミル・フォン・クロプシュトック伯爵閣下だ」

 

 私がそう言うと共に養父上が進み出て右手を差し出した。握手の構えだ。一昔前なら決して許されない無礼だったが、最近では『開明的』であると自負する貴族たちの間で流行し始めた。

 

「カミル・フォン・クロプシュトックだ。初めましてリヒャルト君」

「ノイエ・バイエルン伯爵家嫡男のリヒャルトです。御令嬢とアルベルトの結婚を心から祝福させていただきます。アルベルトとは十年来の付き合いで……」

 

 養父上とノイエ・バイエルンが話し始めた。私はその間適当な相槌を打ちながらサロンを眺める。鹿撃ち帽とパイプに虫眼鏡を持っているのはサロンの主であるブルーノ・フォン・ヴェストパーレ男爵だ。根っからの『探偵趣味者(シャーロキアン)』である彼はサロンにおいて常にホームズの仮装に身を包む。

 

 ちなみに、彼にはこんなエピソードがある。二年前に同好の士から寄付を募り、自費で『シャーロックホームズ全集』の出版を強行したのだが、出版に際しては他の本と同じように内務省情報出版統制局が検閲を行うことになっている。そこで情報出版統制局はヴェストパーレ男爵にその内容を大幅に変えるよう迫ったのだが、ヴェストパーレ男爵は猛反発。伝手を通じて情報出版統制局に圧力をかけ、ついに帝都オーディンに限るとしながらも、ほぼ無検閲での出版に漕ぎ着けたという。

 

「養父上、ヴェストパーレ男爵の身が空いたようです。挨拶に向かいましょう」

「おお、そうか。ではリヒャルト君、是非アルベルト君とコンスタンツェの結婚式に出席してくれ」

 

 私は養父上と共にヴェストパーレ男爵の下へ向かう。サロンの主に真っ先に挨拶するのは当然の礼儀である。が、ヴェストパーレ男爵はバルトバッフェル子爵ら数名と神聖ローマ帝国史に関して議論している様子であり、仕方なく先に知己であるリヒャルトの下へ向かったのだ。

 

「ふむ、アルベルト君か。先程コンラートの奴が神聖ローマ帝国が末期において宗教による衆愚政治に陥っていたと主張していてな……その権威は今の時代で考えられているような絶対的なモノではなく……」

 

 私の顔を見るなりヴェストパーレ男爵はまくし立ててきた。私は適当にあしらうと養父上を紹介する。

 

「ほう!クロプシュトック閣下が地球史に興味があるとは知らなんだ。しかし一口に地球史と言っても様々な時代・地域がありましてな……。閣下はどのような時代に興味があるのですかな?」

「イタリア統一史ですな。その詳細を残す資料は殆ど残っていませんが、我が家には興味深い蔵書がありましてな……。何でもイタリアには数百種類を超えるパスタが存在したとか」

「ほう、パスタですか」

「ええ、このパスタの分布はどうやらイタリアの歴史と密接に関係していましてな。特に新大陸と呼ばれる地域の……」

 

 ヴェストパーレ男爵は必ず初めてサロンに来る人に同じ質問をする。「どのような時代に興味があるのですかな?」と。養父上もそのことは知っていたのだろう。澱みのない口調でヴェストパーレ男爵にイタリア史とパスタの関わりについて説明している。この様子を見ると、あらかじめ予習してきたのだろうが、元々地球に興味があったのかもしれない。

 

 その後も数人に養父上を紹介したが、養父上は地球史に対しそれなりの知識を持っているようだ。私は頃合いを見て養父上の側を離れた。この様子ならば私が居なくてもサロンに溶け込めるはずだ。流石は海千山千の貴族というところか。

 

「お疲れさん。それと結婚・昇進おめでとう」

 

 いきなり背後から肩に手を回された。友人の一人であるラルフ・ヘンドリック・フォン・クラーゼンの仕業である。ラルフは特に地球趣味者では無かったが、やはりクルトの勧誘でこのサロンに出入りするようになっていた。

 

「昇進は君もだろう?来月から宇宙軍中佐だってね」

「……辺境勤務だけどね」

「ガイエスブルクが辺境ならリューベックはどうなるんだ」

 

 ラルフは緑色軽騎兵艦隊司令部情報参謀を務めていたが、次の人事異動でガイエスブルク要塞防衛司令部情報副部長に転属することに決まっている。

 

 このサロンにはクルトの勧誘によって少なくない知己が出入りしている。勿論、それだけでなく、このサロンで新たに出来た知り合いも居る。私はラルフや知人たちと談笑しながらヴェストパーレ男爵邸での一時を過ごした。彼らの地球史理解は時に唖然とするレベルだったが……それでも私は地球の話を他人と出来ることを楽しんでいた。既に失った、遠い過去の記憶ではあるが、それもまた確かに「私」を構成する一部分なのだ……。

 




注釈17
 『探偵趣味者(シャーロキアン)』とは地球趣味者の中でも特に探偵小説を好む者たちを指し、帝国・同盟問わず一定数が自らを『探偵趣味者(シャーロキアン)』であると考えている。

 語源は地球時代の探偵小説の主人公、シャーロック・ホームズであるとされる。ブルーノ・フォン・ヴェストパーレ男爵のサロン、『ベイカー街不正規連隊《ベイカー・ストリート・イレギュラーズ》』の元ネタも同探偵小説に登場する組織である。

 「国境を超えて分かり合えるのは麻薬組織と『探偵趣味者(シャーロキアン)』だけ」「国や思想が滅びても『探偵趣味者(シャーロキアン)』は滅びない」というクルト・フォン・シュタイエルマルクの言葉は一度は聞いたことがあるのではないだろうか。


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青年期・アスターテ会戦(宇宙歴766年4月11日~宇宙歴766年5月6日)

 宇宙歴七六六年四月一一日。ドラゴニア星系基地を預かるリヒャルト・フォン・グローテヴォール宇宙軍大将は軍務省・統帥本部・宇宙艦隊総司令部・宰相府・国務省・財務省・内務省等一七の公的機関とブラウンシュヴァイク公爵家・リッテンハイム侯爵家・クロプシュトック侯爵家・カストロプ公爵家等一一の貴族家に同じ内容の機密通信を送った。

 

 これは明らかな越権行為であるが、グローテヴォール大将がこのような強行手段に出たのは近く自由惑星同盟軍によるドラゴニアへの大規模侵攻があると予測されていたからである。宇宙歴七六四年に同盟議会が一〇年の時限を付けて国家総動員法を可決し、政府と軍部に広範な大権が与えられたことで同盟軍の動きを帝国側が察知するのはより難しくなった。また、事前に察知出来たとしても回廊を超える遠征とは違って会戦に至るまでの時間が短く、有効な防備を整えるのが難しい。グローテヴォール大将やクヴィスリング元帥、ライヘンバッハ元帥はこれらの事情を憂慮し、危機感を抱いていたが、その危機感が政争に明け暮れる他の上層部には欠けていた。

 

『発 ドラゴニア辺境軍管区司令

 宛 宇宙艦隊司令長官

 

 辺境軍管区ノ実情ハ軍務尚書二報告スベキモ艦隊悉ク疲弊消耗シ遂ニハ日々ノ食料マデ事欠ク有様ニテ最早一刻ノ猶予モ無ク緊急二諸閣下ニ御報告申上グ

 

 ドラゴニア辺境艦隊総数既ニ一万五千隻ヲ切リ内地ヨリノ僅カナ補充戦力デハ到底再編ニ足ラズ 辺境艦隊既ニドラゴニア=アルテナ間ノ航路安定ニ足ル戦力ヲ持タズ 故ニ回廊出口側ニテ輸送艦隊悉ク叛乱軍ノ小艦隊ニヨリ壊滅ス 輸送艦隊ノ増発 護衛艦艇ノ増強 伏シテ請フ

 

 叛乱軍来攻以来 想像ヲ超エタル量的優勢ヲ以ッテ迫ル叛乱軍二対シ麾下将兵真二敢闘セリ 然レドモ叛徒ノ猛攻ニ将兵相次デ斃レ我等最早矢尽キ刀折レルガ如キナリ 軍管区各部隊遂ニ我身ヲ以テ矢玉ト為ス事ヲ決意ス 然レドモ本職艦艇一万五千 将兵百五十万 其ノ他多数ノ地上部隊ト支援部隊 悉ク矢玉ト為シテモ叛徒ヲ撃滅ス自信無シ

 

 故ニ本職ハ内地諸閣下ノ御高配ヲ信ゼリ 我等諸閣下ニ祖国ノ後世ヲ託シテ悉ク玉砕セントス 本職ハ諸閣下ガ我等ノ魂魄ヲ以テ祖国ニ平和ト安寧ヲ齎サンコトヲ祈念ス』

 

 グローテヴォール大将の機密通信文は帝国上層部に衝撃を与えた。要塞建設の是非を巡る論争に帝位継承争いが絡んだ結果、帝国上層部は前線部隊を放置したまま政争に明け暮れていた。その間も事前に策定された補給計画に沿って、物資は輸送艦隊によって前線に送られていた為、政争の当事者たちは前線部隊が玉砕を決意する程に苦しい状況に置かれているとは夢にも思っていなかったのだ。

 

 実際にはグローテヴォール大将の機密通信文にある通り、同盟艦隊の猛攻は帝国軍上層部の想定を超えた消耗を前線部隊に与え、ドラゴニア=アルテナ間の補給線が度々脅かされており、補給物資は多くが同盟軍によってスペース・デブリへと変えられていた。加えて、ジークマイスター機関は帝国領内の海賊組織や犯罪組織、反体制派組織に情報を流し、彼らが輸送艦隊を襲撃することを助けた。これによってドラゴニア連合艦隊は適切な補給を受けられず、また肝心の要塞建設にも悪影響が出ていた。

 

 即日統帥本部総長クヴィスリング元帥と宇宙艦隊司令長官ライヘンバッハ元帥はオトフリート五世に拝謁し、アムリッツァの黄色弓騎兵艦隊のドラゴニア星系派遣、フォルゲンの黒色槍騎兵艦隊のアムリッツァ進駐を上奏する。オトフリート五世はこれを承認したが、ここで再びクレメンツ大公派の横やりが入った。

 

「要塞建設計画自体に無理があったのだ……これ以上前線の将兵に血を流させるべきではない。要塞建設計画を撤回し、艦隊の撤退を許すべきだ」

 

 リッテンハイム侯爵は自身が要塞建設の実現に手を貸したことを忘れたようにそう言った。その他のクレメンツ大公派も一斉に艦隊撤退と要塞建設計画の撤回を求めて各省や軍に圧力をかけ始めた。

 

「ドラゴニア辺境軍管区に不足しているのは適切な補給です。それが為されれば要塞建設まで叛徒共を要塞から遠ざけておくことは決して不可能ではありません」

 

 軍務省次官シュタイエルマルク上級大将は記者会見を開き、ドラゴニア辺境軍管区の現状について説明した後、最後にそう述べた。……軍部改革派はリッテンハイム派の後ろ盾を得ることで要塞建設着工を実現したが、ここにきて軍部改革派とリッテンハイム派の間で不協和音が流れ出した。

 

 リッテンハイム侯爵が要塞建設計画に賛同したのは軍部への影響力を拡大させたかったからだ。要塞建設計画への支持はその手段に過ぎず、リッテンハイム侯爵自身はハッキリ言えば要塞建設の是非などには拘っていないのだ。

 

 リッテンハイム侯爵が軍部改革派に求めに応じて要塞建設計画を支持したのは、要塞建設費用の一部をフェザーン勢力が負担するということを聞いたことも大きい。フェザーンがバックアップにつくならば、自分の懐から金を出す必要は無い。故にリッテンハイム侯爵にしてみると要塞建設費用が高騰し、オトフリート五世による帝前三部会への再度の租税法改革法案提出が行われるというのは予想外であり、しかもその高騰を最初からリューデリッツが予想していたとするならば、リッテンハイム侯爵にとっては最早詐欺も同然である。

 

 リッテンハイム侯爵はそういった事情から軍部改革派に不信感を抱き、ブラウンシュヴァイク公爵とクレメンツ大公に急速に接近したのだ。

 

 

 

 宇宙歴七六六年四月一五日。緊急御前閣僚会議が開かれ黄色弓騎兵艦隊と黒色槍騎兵艦隊の移転について話し合われたが、ここで沈黙を保っていた財務尚書オイゲン・フォン・カストロプ公爵が艦隊の移転に反対する。

 

「現在の帝国財政は破綻こそしていないものの、極めて危機的な状況にあります。財務尚書としてはイゼルローン要塞建設計画にこれ以上国費を支出することには賛同できません。ドラゴニア星系基地を放棄し、一時的にイゼルローン要塞建設計画を断念することも検討するべきかと考えます」

「……ここで計画を断念すれば、これまで費やしてきた資金も物資も戦力も全て無駄になる」

「そう言って退くべき時に退くことができなければ、結果としてさらに多大な資源を無駄にすることになるでしょう」

 

 カストロプ公爵の言うことは一理ある。一理はあるがそれをカストロプ公爵が言うことにほぼ全ての閣僚が強い不快感を覚えたのは間違いないだろう。……何せカストロプ公爵が財務尚書に任じられて以来、国家予算の不正蓄財に励むと共に、自派閥の為に恣意的な予算配分や課税制度の運用を繰り返していることは公然の秘密である。

 

 さらに言えば今まで財務尚書らしい仕事を殆どしてこなかったカストロプ公爵がこの局面で『財政状況』を理由に要塞潰しに動いたのはブラウンシュヴァイク公爵やリッテンハイム侯爵らの暗躍があることは想像に難くない。

 

 私の養父上であるカミル・フォン・クロプシュトック伯爵がサロン『ベイカー街不正規連隊(ベイカー・ストリート・イレギュラーズ)』でやっていたように、クレメンツ大公が名士会議で公然と皇帝批判を行って以来、リヒャルト大公とクレメンツ大公の皇位継承争いは公然化し、互いが中立派を切り崩すべく動いていた。クレメンツ大公派がどのような条件を提示したかは分からないが、カストロプ公爵はクレメンツ大公派についたという事だ。

 

 カストロプ公爵の反対によって一度は統帥本部と宇宙艦隊総司令部によってゴーサインが出た黄色弓騎兵艦隊のドラゴニア派遣、黒色槍騎兵艦隊のアムリッツァ進駐の動きは止まることになる。以後、要塞建設計画の是非を巡り主にリヒャルト大公派とクレメンツ大公派を中心に激しい論争が起こる。

 

 そんな中、宇宙歴七六六年四月二二日。皇帝オトフリート五世が突如として国営放送を通じて詔勅を発表した。詔勅は歴代の皇帝が制定してきた法律の範囲内で帝国臣民に絶対的な効力を発揮する。

 

「余は二個艦隊の動員費用を皇室財産より拠出する事を決めた。関係省庁はその方向性で動員を進めるように。余は忠勇なる将兵を政争によって無駄死にさせることには耐えられない」

 

 オトフリート五世はそれだけを淡々と述べた。その後、宮廷書記官長リヒテンラーデ子爵が記者会見を開き詳細な説明を行う。

 

 皇室財産は歴代皇帝が合法不法の手段を問わず溜め込んできた財産である。一見すると私欲の為に臣民から不当に収奪した財産を溜め込んでいるようにも思える。しかしながら、今回オトフリート五世が行ったように艦隊を動員できるほどの額である上に、いざとなれば他の官僚や貴族に話を通す必要も無く、皇帝が独断で自由に動かせる資金である。つまり、皇帝権力の重要な源なのだ。オトフリート三世猜疑帝が皇太子時代に述べた「皇室財産は不可能を可能にする」という言葉はまさしく真理をついているといえよう。

 

 尤も、歴史上この皇室財産が実際に使われたことは少ない。歴代の皇帝は「金の力で不可能を可能にする」皇室財産を反皇帝勢力への見せ札(ブラフ)として使ってきた。実際に皇室財産に手を付けたのはオトフリート二世再建帝、エーリッヒ二世止血帝、マクシミリアン=ヨーゼフ二世晴眼帝、オトフリート三世猜疑帝、そしてオトフリート五世倹約帝の五人だけである。

 

 少しゴールデンバウム王朝の『裏』を知っている人間ならこの五人の名前でピンとくるだろう。再建帝と止血帝はそれぞれ『黄金狂時代(ゴルト・ラウシュ)』と『アウグストの血祭(ブルートフェスト)』の後始末の為に手を出さざるを得ず、晴眼帝は『暗赤色の六年』に終止符を打ち、同時に悪弊を一掃する為に強権を発動する過程で手を出し、猜疑帝は皇太子時代から尽力していた第二次ティアマト会戦後の財政再建の為に皇室財産に少しだけ手を付けた。

 

 しかし、オトフリート五世ほど積極的に皇室財産を利用した皇帝は他に居ない。彼は即位から数年間の危機的状況を躊躇わず皇室財産の一部を国庫に回すことで凌ぎ切った。その数何と三回。総額は不明だが、一時は国家予算約五兆帝国マルクの内のかなりの部分を皇室財産で補填していたとも聞く。

 

 宇宙歴七五七年の帝前三部会で租税法改正を条件付きながらも可決させることに成功した後は皇室財産からの予算拠出は全く行われていなかった為、今回の二個艦隊動員に関する支出がオトフリート五世帝統治時代で通算四回目の皇室財産利用となる。

 

 オトフリート五世の強権発動により漸く艦隊のドラゴニア派遣に目途が立ち、宇宙歴七六六年四月末には黄色弓騎兵艦隊が回廊を超える事が決定した。しかしながら……帝国上層部の対応はあまりに遅きに失した。

 

 

 

 宇宙歴七六六年四月二八日。フレデリック・ジャスパー宇宙軍元帥自ら率いる同盟軍四個艦隊が三方からドラゴニア辺境軍管区に殺到。圧倒的な数的劣勢に置かれたドラゴニアの軍管区司令部は全ての同盟艦隊に対応することを諦め、アスターテ恒星系にてフレデリック・ジャスパー宇宙軍元帥が率いる二個艦隊二万六〇〇〇隻に決戦を挑む。

 

 リヒャルト・フォン・グローテヴォール大将率いる青色槍騎兵艦隊と第一辺境艦隊の残存艦艇併せて約一万五〇〇〇隻は少ないエネルギーとミサイルを駆使して奮戦し、同盟軍に彼らが当初想定していた以上の損害を与えることに成功する。が、同三〇日、副司令官クレーメンス・アイグナー宇宙軍中将が戦死。兵士に人気の高かった平民中将の死は将兵たちの士気面に多大な影響を与える。

 

 アイグナー中将の戦死後、元々数で劣ることもあり、グローテヴォール艦隊は目に見えて劣勢に立たされるようになっていく。五月三日。グローテヴォール大将は抗戦を断念。彼は機密通信文に書いた通り、いざとなれば体当たりをしてでも敵に損害を与える覚悟を決めていたが、それを他の将兵に強いる意思も能力も有していなかった。

 

「私はここで死ぬ!だが、卿らが付き合う必要は無い。逃げたいならば逃げろ!援護しよう」

 

 グローテヴォール大将は直属部隊と共に殿を務め、今や生ける伝説――帝国にとっては死神――と化したジャスパー元帥を相手取りながらも友軍艦艇の撤退を最後まで援護する。

 

「司令官閣下、大方の部隊は安全圏に離脱しました」

「何?見たところまだ四〇〇〇隻程が戦場に残っているが……」

「……恐らく、旗艦だけでジャスパーを相手取るのは荷が重いだろうという事でしょう。それに見たところ残っているのは第二次ティアマトを生き抜いた古参の者たちのようです」

「……そうか、シュタイエルマルク閣下の薫陶を受けし者たちが我先に逃げる訳がないな。まして目の前には仇敵フレデリック・ジャスパー……。よし!各艦続け!あの忌々しい行進曲(マーチ)を我々の手で終わらせてやる!」

 

 グローテヴォール大将が率いる青色槍騎兵艦隊の四〇〇〇隻は殆どがシュタイエルマルク提督と共に第二次ティアマト会戦を戦い抜いた帯剣貴族たちが指揮する艦だ。会戦全体において彼らは補給の不足によって本来の実力を発揮しきれていなかったが、この最終盤において彼らは士気と練度によって補給の不足を補い、極短期間ではあるが往時の姿を取り戻した。その戦いぶりはジャスパー元帥の旗艦『ヴァージニア』も砲撃を受け小破する程であったという。

 

 しかしながら、補給不足で勝てる軍隊などこの世界に居るはずもない。やがて彼らは深刻な物資不足に直面することになる。そのタイミングで同盟軍は完全な包囲下にあるグローテヴォール艦隊に降伏を勧告した。

 

『各艦、全将兵に叛乱軍の降伏勧告に応じることを許す。だが私は誇り高き帯剣貴族である。私が戦いを止めるのは、この心臓が止まるときだ。……私と思いを同じとする者が居れば嬉しいが、降伏を選ぶ者が居たらそれを許してやって欲しい。そして降伏する者たちよ、私は卿らを恨まないが、卿らが我々の抗戦を妨げるようならば、ヴァルハラから卿らに復讐する。絶対にな』

 

 グローテヴォール大将の旗艦『ガーランド』はその直後、最も近くの同盟艦艇に突撃した。……文字通りの意味で。哀れな同盟艦艇を道連れに『ガーランド』は爆沈する。

 

 降伏に応じる艦も確かにあったが、大部分の艦艇は『ガーランド』に倣った。エネルギーやミサイルが残っている艦はそれを手当たり次第にばら撒き、それが出来ない艦は強引に白兵戦を挑み、それも出来ない艦は『ガーランド』のように体当たりを目論んだ。

 

 

 

『ジャスパァァァァァ!この悪魔!コーゼル閣下を返せ!』

『来るな!来るなぁ!』

『我らの生き様をその目に焼き付けよ!これが本物の軍人、帯剣貴族の中の帯剣貴族たる青色槍騎兵艦隊の姿よ!』

『こいつら……いかれてる』

『死ねジャスパー!ヴォーリック、ファン、ローザスも後から送ってやる!』

『……叛徒も叛徒だがな!帝都の馬鹿共を俺は絶対に許さねぇぞ!ヴァルハラでは覚悟しやがれクソが!』

『クソ、まるでティアマト以前の頃を見ているみたいだ……帝国軍には腰抜けしか残ってないんじゃなかったのかよ』

 

 グローテヴォール艦隊と戦った同盟軍将兵は死を恐れない狂気的な戦いぶりに恐怖した。通信回線には帝国軍人たちの勇ましい雄叫びと同盟軍兵士の恐怖に満ちた叫び声が溢れた。

 

 ラインハルト・フォン・ミューゼルがその光景を見れば勝敗が決した後も無駄に血を流す彼らに怒りを感じるだろうか?政争に翻弄され、最終的に体当たりなどという愚行を選ばざるを得なかった彼らに憐れみを感じるだろうか?……少なくとも、ラインハルトがこれを賞賛する光景は考えられない。

 

 だが……私に言わせてもらえるならば、アスターテ会戦でグローテヴォール大将たちが示した勇戦は『古き良き時代』の帝国宇宙軍が有していた勇気と高潔さが示した最後の輝きだったと思う。……私は新たな時代の到来を歓迎するし、古い時代に戻ることは絶対に許せない。許せないのではあるが……グローテヴォール大将たちの姿を否定することも出来ないのだ。私もまた、軍事的、あるいは貴族的ロマンシズムに毒されているのだろうか?

 

 

 ……まあ、私の感想はどうでも良いだろう。重要なのはアスターテ会戦による決定的な敗北を当時の要人たちがどう感じたかだ。

 

 宇宙歴七六六年五月四日早朝。朝食を採っている最中に幕僚総監フォーゲル元帥から直々に報告を受けたオトフリート五世はその内容を聞き青褪め、口を開いたり閉じたりを何度か繰り返した末に御前会議の招集を命じた。

 

 同日正午過ぎ、要人を集めた緊急御前会議の最中だった。突然オトフリート五世が倒れた。出席者たちは急いでオトフリート五世を病院に搬送する。が、病院についた時、既にオトフリート五世は事切れていた。死因は急性心筋梗塞であり、恐らくはドラゴニア辺境軍管区失陥の報告を受けた瞬間に発症。高齢者の一部が発症する無痛性の心筋梗塞であり、それ故に症状に気づくことが出来なかったと思われる。オトフリート五世はまだ四八歳であり、無痛性心筋梗塞を起こすにしては若かったが……彼が即位以来受けてきたストレスを考えれば分からなくもない話である。

 

 そして、財政再建に尽力した名君オトフリート五世倹約帝の突然死は……帝国にさらなる混沌を齎すことになる。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。



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青年期・フリードリヒ大公(宇宙歴766年6月某日~宇宙歴766年6月某日)

 宇宙歴七六六年六月某日。オトフリート五世が崩御してから約一か月が経過したある日、私は帝都の外れにある平民向けの歓楽街に向かっていた。上流階級向けのバーは皇帝崩御を受け軒並み休業している。歓楽街の入り口辺りで見覚えのある顔を見つけた。

 

「おうライヘンバッハ!久しぶりだな」

「お久しぶりです。シュトローゼマン先輩」

 

 この頃、シュトローゼマンは独立分艦隊の一つで参謀長を務めていた。階級は宇宙軍大佐である。

 

「准将昇進おめでとうライヘンバッハ。しかしあれだな、やっぱり名門は出世が早い」

 

 シュトローゼマンは少し不満そうにそう言った。

 

「返す言葉もありませんが……名門は名門で苦労もあるものですよ」

 

 私が苦笑しながらそう言うとシュトローゼマンも頷く。私たちは並んで歩きだす。今日はラルフやノイエ・バイエルンたちにも声をかけて幼年学校以来の友人・知人で飲むことになっていた。……皇帝陛下が崩御為さってたった一か月。飲み会をやるには不謹慎な時期ではある。しかし、その皇帝陛下の死によって我々は急遽出征することになった。それ故に一度集まろうという話になったのだ。

 

「二六歳で閣下と呼ばれ、ロクに部隊指揮の経験も無いのにいきなり戦隊司令官だからな。司令長官の考えも分かるが、お前も大変だろう」

「……幕僚の半分は経験豊かな者たちです。彼らの言うことを聞いて、醜態を晒さないように努めますよ」

 

 オトフリート五世の突然死は各方面に様々な影響を与えたが、その内の一つは帝国軍三長官の退任である。オトフリート五世の死因はドラゴニア辺境軍管区失陥の報告といってもよい。……今の三長官は皆帝位継承権争いから距離を置いていた。それが裏目に出て、リヒャルト大公派とクレメンツ大公派の双方から『ドラゴニア辺境軍管区失陥によって陛下の御心を寒からしめたこと』の責任を追及されてしまったのだ。

 

 来年四月を以って軍務尚書エーヴァルト・フォン・ゾンネンフェルス宇宙軍元帥、統帥本部総長ユルゲン・オファー・フォン・クヴィスリング宇宙軍元帥、宇宙艦隊司令長官カール・ハインリヒ・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍元帥の三人は揃って退役し、その元帥府は解散する。

 

 後任にはそれぞれ軍務副尚書ハイドリッヒ・フォン・アイゼンベルガー宇宙軍上級大将、地上総監ファビアン・フォン・ルーゲンドルフ地上軍元帥、幕僚総監カール・オイゲン・フォン・フォーゲル宇宙軍元帥が任命されることに決まっている。

 

 ゾンネンフェルス・アイゼンベルガーは軍部改革派に属し、クヴィスリング・ライヘンバッハ・ルーゲンドルフは軍部保守派に属する。フォーゲルも軍部保守派に近いスタンスだ。また、いずれも帯剣貴族家の出身者だ。三長官は退任に追い込まれたが、各派閥へのダメージはそれほど大きくない。

 

 ただし、兵站輜重総監セバスティアン・フォン・リューデリッツ宇宙軍上級大将も同時期にその任を解かれる予定だ。イゼルローン要塞が完成するか、計画が中止したときにイゼルローン要塞建設計画責任者の任も解かれ、予備役に編入されることが決まっている。

 

 さて、この三長官の退任決定は軍部に大きな影響を与えたが、その一つが私の従兄であり、家督を争う相手である幕僚総監部作戦部長ディートハルト・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍中将の復権である。上官のフォーゲル元帥に信頼されている彼は、フォーゲル元帥の宇宙艦隊司令長官就任と同時に宇宙艦隊総司令部作戦部長となることが有力視されていた。

 

 この事に焦った父は私を戦隊司令官として出征させ、そこで『武功』を立てさせることで私の立場を強化しようと考えた。そして自身の部下から信頼する佐官を選抜し私の下につけ、さらに幼年学校以来の私の知人・友人を形振り構わず艦隊に集めた。こうして私は急遽一〇〇〇隻ほどの戦隊を指揮する必要に迫られることになったのだ。

 

「アルベルトが来たぞ!」

「待ってました!我らの大将」

 

 酒場には一〇数名の知人が既に集まっていた。ラルフやヴィンツェル、後はハウサーの顔もある。ちなみにラルフは情報部長、ヴィンツェルは後方部長、ハウサーは巡航群司令として私の指揮下に入り、シュトローゼマン大佐は艦隊人事部長として従軍する。まだ来ていない知人では他にクルトが機動群司令、ビュンシェが情報副部長、ハルトマンが後方副部長、ペインが憲兵隊長、エルラッハが作戦副部長、別の分艦隊でノイエ・バイエルンが戦隊司令官、ラムスドルフが師団長を務める。

 

 幼年学校時代の知人以外ではヘンリクが副参謀長、シュターデン大尉が作戦参謀、メルカッツ准将が戦隊司令官、ツァイラー准将が師団長、シュリーフェン大佐が第一分艦隊作戦部長を務める。

 

(父上も強引な事をするな……ここに居る全員が何らかの形で出征部隊に加わるんだから。こりゃ、お友達戦隊と揶揄されても仕方ない)

 

 私は内心でボヤいてから席に加わる。後からラムスドルフやハルトマンも到着し、最終的には二〇数名が集まった。……なお、全員軍服では無く私服姿だ。皇帝陛下の喪中であるから、あまり殊更に帝国軍士官であることを示すのは避けなくてはならない。

 

「ブラ公の野郎!グローテヴォール閣下たちを殺したのはあいつらの仕業だろうが!何で三長官が責任を取らされるんだ!」

 

 いつもは集団から少し離れた所に居るラムスドルフが憤懣やる方無い様子で怒鳴ると、一斉に同意の声が挙がる。

 

「クレメンツ様には失望した!我らの忠誠を裏切るなんて……」

「だから言ったろ、リヒャルト様こそ帝位継承に相応しい」

「どっちも変わらん!下らん政争で何人が死んだ!」

 

 軍内部ではグローテヴォール大将たちの最期が伝わるにつれて、派閥を超えて彼らへの同情が広がっていた。そしてその同情は政争の当事者たちがグローテヴォール大将たちの戦死の原因として帝国軍三長官を批判し始めたことで怒りへと変わった。

 

「それくらいにしておけ、帝国じゃ『よくあること』だろ……。それに憲兵やマルシャの連中が難癖をつけてくるかもしれない」

「マルシャの汚物共は知りませんけどね。憲兵も政争にはウンザリしていますよ」

 

 マルシャとは一般的に社会秩序維持局を指す隠語である。憲兵は軍隊の嫌われ者とよく言うが、マルシャこと社会秩序維持局に至っては憎まれているといっても過言ではない。軍人がマルシャに抱くイメージは腐敗貴族の手先、既得権益の擁護者、サディストといったところだ。軍全体の反マルシャ感情には機関も何度も助けられたそうな。

 

「……そろそろ二軒目に行こう」

 

 私は店員たちが不安げな表情を浮かべているのを見て取り、皆にそう呼びかけた。……ここにはマルシャでも簡単に手を出せないような貴族が少なからずいるが、店員たちはそんなことは知らない。物騒な会話を聞いて不安に思うのも分かる。

 

 私たちが二軒目に向かっている最中の事だった。ある店から大通りに平民の出で立ちをした男性二人が飛び出してきた。

 

「無銭飲食だ!捕まえてくれ!」

 

 後から飛び出してきた店員が大声で叫ぶ。それを受けて私たちの内数人が逃げる二人に立ちふさがり取り押さえようとする。片方は思いのほか見事な動きで現役士官数人を躱してのけたが、もう片方はラムスドルフに呆気なく抑え込まれた。

 

「殿下ぁ!」

「離せ無礼者!何が無銭飲食だ!こいつらが法外な額を吹っかけてきたんだ」

 

 押し倒されたみずぼらしい青年が喚き散らす。

 

「人聞きの悪いことを言いなさんな……こっちはこれまでの付けを払えと言っただけですぜ」

 

 追いついた店員がそう返す。

 

「嘘をつくなぁ!確かにつけはあるが、五万帝国マルクも飲んだ覚えは無いぞぉ!大体、こんな場末の酒屋に五万帝国マルク分も酒があるかぁ!」

「払えないってんなら、こっちにも考えがありますぜ。……捕まえてくださり有難うごぜえます、後はこっちで引き受けるんで……」

 

 そう言って店員は青年を引き立てようとするが、そこで取り押さえられていない方の男が叫んだ。

 

「おい!卿らは私服だが帝国軍士官だな!?そのお方を放せ、故あって名は名乗れないが、その方はとても高貴なお方だ。このままゴロツキにこの方を引き渡してみろ、ただでは済まないぞ!」

「何……?いや待て、あの男見たことがある!確か……!」

 

 他の面々が酔っ払いの戯言かと呆れている中、ラムスドルフが驚愕の表情を浮かべる。そして男を連れて行こうとした店員の手を振り払った。

 

「何をするんですかい……?」

「貴様ら、このお方をどなたと心得るか!命が惜しければ立ち去れ!」

 

 店員は困惑した表情だが、やがて苛立ちを浮かべる。

 

「誰かは知りませんがねぇ。飲み食いした分は払うのが当たり前じゃありやせんか?貴族だろうが平民だろうがそりゃ変わらんでしょう。……どうしても邪魔立てするんでしたらタダじゃ済みませんぜ」

 

 店の方からぞろぞろと柄の悪い連中が出てくる。店だけじゃない、どうもこの店員は歓楽街に影響力を持っている質の悪い集団に属していたようで、裏路地や他の店からも人相の悪い連中が集まってきた。

 

「上等だ!この私が貴様らの相手になってやる!皆力を貸せ、このゴロツキに礼儀を教えてやろう」

「待てラムスドルフ!お前何を!」

 

 私はラムスドルフの肩を掴む、するとラムスドルフが囁いてきた。

 

「ここにおわすのはフリードリヒ大公殿下だ。……少なくともあっちに居る年取った男が侍従武官のグリンメルスハウゼンなのは間違いない」

 

 私も驚愕し、男の顔を見つめる。そう言われると、以前名士会議で見たフリードリヒ大公に見えなくもない。確証は無いが、近衛のラムスドルフが断言するのであれば恐らく間違いないだろう。

 

「……皆、この方を守り抜け」

 

 私が皆にそう言うと、皆は困惑しながらもそれに従う。やがて、私服の帝国軍士官二〇数名とゴロツキ数〇名の睨み合いになる。逃げてきた二人の男はその間にこの場を立ち去ろうとしたが、後ろもゴロツキに回り込まれ断念する。

 

 少しずつゴロツキたちが包囲網を狭め初めるが、こちらは本職の軍人である。その程度で怖気づいたりはしない。

 

「後方!一点突破!」

 

 私はそう叫ぶと後ろに向けて走り出す。友人たちとグリンメルスハウゼンと思われる男は殆ど遅れずに私の指示に従った。フリードリヒ大公と思われる男が置いてかれそうになったが、ラムスドルフとグリンメルスハウゼンと思われる男に手を引かれ、何とかついてくる。

 

 私は先頭に立ってゴロツキに殴りかかった。この時私はこんな事を考えていた。……とある後の名将は言いました。『対話は大事だ。どんな相手だろうと最後まで対話の意思は捨ててはいけない。ただし、酔っ払いとサイオキシン患者は殴った方が早い』と。

 

 私たちが突撃をかましてくるとは予想していなかったのだろう。ゴロツキたちを突破するのは簡単だった。ところが、暫く歓楽街の入り口方向に走っていると、前方からまた悪そうな連中が大挙してやってきた。

 

「突っ込むぞ!全員遅れるなよ!」

 

 私たちは再び正面から衝突し、今度は相手が数で勝り、尚且つ油断していなかったことで突破できなかった。そうこうしている内に後ろから追跡してきた連中も相手取ることになり、最終的に大乱闘に発展した。

 

「帝国軍人を舐めるな!」

 

 シュトローゼマンがそんなことを言いながら飛び蹴りをする。……完全に酔っている。他の面々も酒が入っていることもあり、罵倒しながら相手に殴りかかった。

 

 二〇分程経った頃、通報を受けたらしい保安警察庁の機動隊が到着した。憲兵隊はオーディン中心部ならともかく、こんな街外れの、しかも酒での喧嘩などに一々介入したりはしない。

 

 最終的にゴロツキの一部と私たち帝国士官二〇数名は拘束され、尋問を受けることになった。尋問はフリードリヒ大公が本人であることが確認されるまでの数時間続いた。これが私とフリードリヒ大公の最初の出会い……出会い?……まあ、初めての接点である。

 

 なお、フリードリヒ大公が関わっていたこともあり、事件の当事者が帝国軍士官二〇数名であることは伏せられた。また、書類上で架空の人物二〇数名が処分を受け、私たちは解放された。フリードリヒ大公が保安警察庁に圧力をかけたようだ。殆ど実権を持たない彼だが、それでも第二皇子である。それくらいの力はあった。

 

 

 数日後、私とラムスドルフの二人は新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)にほど近い皇室宮殿(パラスト・ローヤル)に呼び刺された。皇室宮殿(パラスト・ローヤル)ではかつて第三皇子クレメンツ大公が生活していたが、大公が離宮の一つで謹慎を命じられた後は第二皇子フリードリヒ大公が移り住み生活している。

 

 クレメンツ大公は三部会の平民票獲得の為に皇室宮殿(パラスト・ローヤル)の一階を商人たちに貸し出し、平民の自由な出入りを許した。皇室宮殿(パラスト・ローヤル)は大公の邸宅であり、保安警察庁や憲兵隊の管轄外であった。その為、民衆の政治論議が活発に行われ、オトフリート五世帝に不満を持つ活動家のたまり場になっていたという。

 

 フリードリヒ大公はそんな皇室宮殿(パラスト・ローヤル)の状況に良くも悪くも無関心であった。加えてクレメンツ大公に比べ庶民文化に良くも悪くも理解があった。それ故に宇宙歴七六六年頃には皇室宮殿(パラスト・ローヤル)内部には娼館や怪しい出店までもが溢れる有様となっていた。一方でクレメンツ大公程皇室宮殿(パラスト・ローヤル)の管理に熱意を挙げていた訳ではないので、保安警察庁や憲兵隊、社会秩序維持局の秘密捜査官が潜入しても余程の事がない限りは放置しても居た。

 

「……ライヘンバッハ。実に嘆かわしいことだな!この皇室宮殿(パラスト・ローヤル)はエーリッヒ一世陛下が息子の為に建てられた。以来、どのように使われてきたか知っているか?」

「知ってるよ……。皇太子殿下はリントシュタット宮殿で暮らされ、その兄弟や帝位継承権第二位の大公がこの皇室宮殿(パラスト・ローヤル)で暮らされる。故に歴代皇帝陛下の中には立太子前にこの皇室宮殿(パラスト・ローヤル)で暮らした方も少なくない」

「そうだ。……それが今では酷い有様じゃないか。欲深い商人や淫猥な売女、不敬な活動家に品の無い酔っ払い、マルシャの薄汚い下郎共にサイオキシン患者……。ここが帝都オーディンだと言うことを忘れそうだ」

 

 ラムスドルフは心底悲嘆に暮れた様子だ。……まあ、ラムスドルフの言うことも分からなくは無い。彼の言うように皇室宮殿(パラスト・ローヤル)が不穏分子と犯罪者を煮詰めたような暗い側面を持っていたことは否定できないからだ。しかしながら、皇室宮殿(パラスト・ローヤル)の中には外にはない自由な気風が存在したのもまた事実である。例えば開明的な官僚や貴族の一部が皇室宮殿(パラスト・ローヤル)に潜伏する活動家や息抜きに来た労働者などと身分制から離れて対等な議論を行えるような場所は他に無かった。カール・ブラッケやオイゲン・リヒターもこの頃はよく皇室宮殿(パラスト・ローヤル)を訪れていたと聞く。

 

「エーリッヒ・フォン・ラムスドルフ、アルベルト・フォン・ライヘンバッハ、フリードリヒ大公殿下のお招きによって参上しました」

「おお、フリードリヒ大公殿下が中でお待ちだ。案内しよう」

 

 皇室宮殿(パラスト・ローヤル)の入り口側に存在する庭園をコの字で囲む建物は基本的に平民に貸し出されている。中心にある庭園を挟んで奥にあるのがフリードリヒ大公が住む屋敷である。私とエーリッヒは侍従武官のグリンメルスハウゼン宇宙軍准将の案内でフリードリヒ大公の待つ応接室へ向かった。

 

「殿下、ラムスドルフ近衛軍准将とライヘンバッハ宇宙軍准将を連れて参りました」

「ん、大義である。まあ、二人とも適当に座ってくれ」

 

 フリードリヒ大公は気怠そうに空いている椅子を指し示した。……一応、大公への謁見という事で私たちは正装で来ていたのだが、大公は平服であるし、明らかに形式から外れた謁見だろう。

 

「……失礼いたします」

 

 ラムスドルフは困惑して固まっていた。そこで私が頭を下げ率先して椅子に座る。ラムスドルフも戸惑いながら私に倣った。

 

「ふう……。先日は済まなかったな。出征を控える卿らに迷惑をかけた」

 

 フリードリヒ大公はそう言って私たちに軽く頭を下げた。

 

「大公殿下!勿体ないお言葉です。臣下として当然の事をしたまでのこと。頭をお上げください!」

 

 ラムスドルフは慌てた様子だ。

 

「ん、そうは言うがな、卿らは俺の臣下という訳でもあるまい。俺はどう考えても卿らの忠誠に相応しい人間ではないからな」

 

 フリードリヒ大公はそう言うとくつくつと笑った。私たちは何と返して良いか分からず黙っていた。

 

「俺は偶然『第二皇子に生まれてしまっただけ』の男よ。兄上やクレメンツのような『本物』とは違う。だから、迷惑をかけた卿らにしっかり謝罪しておきたくてな」

「……畏れながら殿下、あまりご自分を卑下なさりませんよう……」

「ん。リヒャルト、酒を持ってきてくれ。卿ら、酒は飲めるな?」

 

 私たちは飲めると答えた。するとフリードリヒ大公は嬉しそうに「そうか、飲めるか」と頷く。

 

「……兄上もクレメンツも何をやっているのだろうな」

「……どういう意味でしょうか?」

 

 グリンメルスハウゼンがワインを運んできた。フリードリヒ大公はそれを受け取ると私たちのグラスにも注いで渡してきた。私たちは恐縮しながらそれを受け取る。暫くは私たちの軍務に関する他愛のない話をしていたが、やがてフリードリヒ大公がポツリと呟いた。

 

「父上が亡くなって既に一か月が経つというのに、未だ次の皇帝が即位していない。兄上とクレメンツが帝前三部会で激しく対立しているからな」

 

 オトフリート五世倹約帝が亡くなったのは宇宙歴七六六年五月六日である。実はその前日五月五日から帝前三部会が開催されていた。オトフリート五世帝の死亡によって一旦休会となったが、法案審議を続けるにせよ中止するにせよ、新皇帝が即位した後、最低一回は議員を集める必要がある。それがリヒャルト大公とクレメンツ大公双方が即位する上でネックとなった。

 

 諸君は帝前三部会のルーツを覚えているだろうか?それは大帝ルドルフが終身執政官時代に招集した民選議会である。ルドルフは自身の支持者で固めたこの議会で『民意』によって承認を受けることで神聖にして不可侵たる銀河帝国皇帝へと上り詰めた。さらに第一回帝前三部会を思い出してほしい。第一回帝前三部会は結果的に流血帝から宮廷革命で帝位を簒奪してしまったエーリッヒ二世止血帝によって開かれた。目的は自身の皇帝権力の正当性を確保することである。

 

 銀河帝国の制度において、皇帝が即位する為に帝前三部会の承認を受ける必要は全く無い。全く無いのではあるが、大帝ルドルフ、そしてエーリッヒ二世止血帝、マンフレート二世亡命帝がそれぞれ自身の権力の正当性を誇示する目的で帝前三部会を開いた結果、帝前三部会による皇帝権力の承認は象徴的な意味を持つようになった。もしも仮に即位した皇帝が帝前三部会の場で承認を受けることが出来なければその威信は大きく傷つくことになるだろう。

 

 現在、帝前三部会においてはクレメンツ大公の派閥が優勢だが、アンドレアス公爵やクロプシュトック侯爵を初め、リヒャルト大公を支持する者も多い。そしてクレメンツ大公が帝位継承者として全く瑕疵の無いリヒャルト大公を押しのけて皇帝になろうとすれば、中立派やクレメンツ大公派の一部がリヒャルト大公支持者と共にクレメンツ大公の即位に反対する可能性がある。そんな微妙なバランスの中でリヒャルト大公とクレメンツ大公は睨み合いを続けていた。……互いに自らが即位したとして、帝前三部会から承認を受けられる確証が無いからだ。

 

「馬鹿馬鹿しいとは思わんか?『神聖にして不可侵たる銀河帝国皇帝』になりたい皇子二人がだ、貴族と平民の支持を得られる自信が無い為に即位できずに居る。これを喜劇と呼ばずして何を喜劇と呼ぶんだろうな?」

「……」

「俺は兄上やクレメンツとは違って馬鹿だからな。『神聖』や『不可侵』の意味がよく分からん。一度あの二人に聞いてみたいな。『神聖にして不可侵たる銀河帝国皇帝』という言葉の意味を」

 

 私は内心でフリードリヒ大公に同意すると共に、目の前の人物を見直していた。フリードリヒ大公を『酒と女にしか興味のない馬鹿息子』と評価したのは誰だろうか?少なくともその人物よりはフリードリヒ大公の方が聡明かもしれない。

 

「どうした?顔色が悪いぞ?……卿らを見ていてつくづく思う。こういう立場に生まれて良かったことが一つだけあるとすれば、それは言いたいことを言えることだろうな」

 

 フリードリヒ大公は可笑しそうに笑った。側に控えるグリンメルスハウゼンが呆れた様子で首を振った。さらに一時間ほどフリードリヒ大公と言葉を交わした後、私たちは皇室宮殿(パラスト・ローヤル)を去った。

 

「……おい、ライヘンバッハ。フリードリヒ大公殿下を見てどう感じた?」

「巷で言われているような……その……残念な方では無い。それは確かだ」

「それだけか?」

 

 ラムスドルフは真剣な表情で私に問いかけてきた。

 

「あの方は……危険だ。クレメンツ大公殿下の野心と同等か、それ以上に」

「……まさか」

「お前は開明的に見える人間を片っ端から信用する癖がある。そいつは直した方が良い。あれは虚無主義者(ニヒリスト)だ。虚無主義者(ニヒリスト)に権力を与えて良い事など一つも無い」

 

 ラムスドルフは真剣な表情でそう言った。私の自叙伝の読んでいる諸君はフリードリヒ大公からそのような危険性を感じ取れただろうか?恐らく無理だったのではないかと思う。何故なら作者たる私、アルベルト・フォン・ライヘンバッハからしてラムスドルフが一体フリードリヒ大公のどこに対してそのような警戒心を抱いたのか分からないからだ。この自叙伝を書くにあたって色々と記憶を探ったが、やはり分からないままだった。

 

 ……ただ、一つだけ印象的な出来事がある。私たちが立ち去る間際、唐突にフリードリヒ大公が話しかけてきた。

 

「卿らは皇帝を敬うか?」

 

 私たちは当然「敬います」と答えた。

 

「痴愚帝や流血帝も皇帝だぞ?それでも敬うか?」

 

 フリードリヒ大公は少し笑いながらそう聞いてくる。ラムスドルフは即座に「勿論」と答えたが、私は黙り込む。ラムスドルフが非難の目を向けてくるが、フリードリヒ大公はそんな私を見て大笑いする。

 

「卿は正直だな!金狂いとシリアルキラーなんて敬えないか!……まあ、それが普通だろう。俺も大嫌いだ。………………だがまあ、羨ましいとは思うかな」

 

 痴愚帝や流血帝を「羨ましい」と言った彼の真意はどこにあったのだろうか?いくつか推測は出来なくも無いが、それを賢しげに語るのは止めておきたい。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。

 



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青年期・『ドラゴニア特別派遣艦隊』(宇宙歴767年7月21日~宇宙歴767年7月25日)

活動報告に書いてある通り、過去の皇帝に関する記述を少し改稿しました。
改稿したのは本筋に影響のない地の文の部分です。小規模ですし、活動報告と第二章年表を見れば把握できるはずです。こちらの不手際で申し訳ありません。


 宇宙歴七六七年七月二一日。銀河帝国首都星オーディンに独立艦隊等を寄せ集めた一万隻ほどの艦艇が集結した。『ドラゴニア特別派遣艦隊』と名付けられたこの艦隊の役割は、ドラゴニア辺境軍管区の宇宙戦力がアスターテ会戦で壊滅した後も各惑星で抵抗を続ける帝国地上軍の支援である。

 

 去年四月末のアスターテ会戦における帝国艦隊の敗北は帝国軍が事実上ドラゴニア辺境軍管区全域の制宙権を失ったことを意味する。しかしながら、今なお辛うじてイゼルローン回廊全域の制宙権は帝国側が保持している。グローテヴォール大将以下四〇〇〇隻の捨て身の突撃は同盟軍第四艦隊、第六艦隊を激しく消耗させ、両艦隊のイゼルローン回廊侵攻を断念させた。

 

 フレデリック・ジャスパー同盟宇宙軍元帥は残る第五艦隊と第八艦隊を率いイゼルローン回廊に侵入したが、オスカー・フォン・バッセンハイム宇宙軍大将率いる黄色弓騎兵艦隊が激戦の末にこれを撃退した。数で勝る同盟軍は押し切ろうとしたが、バッセンハイム大将は同盟軍を回廊の難所であるアルトミュール星系で迎え撃ち、その地形を活かして効果的にこれを阻止、さらにイゼルローン要塞用にアルテナ星系に集められていた固定砲台を簡易的な改装で支援砲台として転用することで数に勝る同盟軍との熾烈な砲撃戦を制した。

 

 この第一次アルトミュール会戦後、帝国上層部においてアスターテ会戦大敗の対処が検討された。本来ならば大艦隊を編成し、失陥したドラゴニア辺境軍管区の奪還に動きたい所であったが、オトフリート五世帝の崩御と帝位継承争いを無視して大艦隊を動員できるはずも無かった。苦肉の策として正規艦隊ではなく、独立分艦隊や近衛艦隊を寄せ集めた一万隻ほどの艦隊を編成し、これを用いてドラゴニア辺境軍管区全域で抵抗を続ける地上軍を援護することで時間を稼ぐという案が出されたのだが、それすらも現在の政治情勢では認められるか怪しかった。

 

 しかしながら、既に退任が決まっている帝国軍三長官は「最早失う物も無い」と言わんばかりに形振り構わない強権を発動し、関係各所に――宮廷書記官長リヒテンラーデ伯爵の言葉を借りれば、見えない銃剣を突きつけているが如き鬼の形相で――怒鳴りこんで出兵を承諾させた。特に最後まで抵抗していた高等法院に対しては三長官が揃って護衛小隊を引きつれたまま直接乗り込んだ。事実上の脅迫である。高等法院から助けを求められた憲兵総監クラーマー大将が慌てて仲裁に入る騒ぎにまでなった。

 

「……まあ、父上としては別にそこまでしてドラゴニア辺境軍管区を救援する必要性は感じてなかったと思うけどね。この場面でゾンネンフェルス元帥やクヴィスリング元帥に協力しないのは不自然極まりない」

「どうでしょうかね?大義の為とは言え多くの将兵に犠牲を強いるのは御当主様の本意じゃないような気もしますけど」

「コーゼル大将もグローテヴォール大将もアイグナー中将も父やシュタイエルマルク提督の親しい戦友だよ?彼らすら犠牲にしておいて、今更大義の為に犠牲を強いることを躊躇する物かね?」

 

 私の言い方は少し意地が悪かったかもしれない。……グローテヴォール大将たちを死に追いやったのは直接的には同盟軍であり、間接的には帝都の政争である。しかし、イゼルローン要塞建設を阻止したい機関による様々な工作もグローテヴォール大将たちを玉砕に追い込んだ原因の一つであることは疑いようもないだろう。

 

 第二次ティアマト以来――あるいはそれ以前も――機関の活動の結果、多くの血が流された。その事を思うと私は憂鬱な気分になる。私たちの活動は必要だった。犠牲も必要だった。だがそれが「正しかった」と、そう軽々に言ってしまう事は決して許されないと私は思う。

 

「御曹司……」

「分かっているよヘンリク。別に父やシュタイエルマルク閣下を非難するつもりは無い。それもまた『必要だった』。ただ割り切れないだけさ……」

 

 私は小さく笑いながらそう言った。……そう、必要な事だ。私たちは必要だから自由の為に多くの罪を犯してきたし、これからも必要だから犯さなければならなかった。そしてそのことを糾弾されることもまた必要なはずだ

 

 ドラゴニア特別派遣艦隊はオーディンに集結するにあたり、いくつかの宇宙軍基地を臨時で間借りしている。その一つが帝都近郊のオストガロア宇宙軍基地であり、そこに駐留する第一二特別派遣戦隊こそが私の率いる部隊だ。私はヘンリクと共に公用車でオストガロア基地に向かっていた。

 

 

「新鋭艦をわざわざ用意してもらえるのは有難いけどね。名前はどうにかならなかったのかな」

 

 戦隊旗艦のリューベックは標準型戦艦の一つであり、通信機能と機動性を強化したシュレージエン級の四三番艦である。シュレージエン級は第二次ティアマト会戦の大敗後に将来の主力艦として設計された。

 

 これまでの帝国艦は指揮官である貴族将官を守る為にひたすら防御性と単艦戦闘能力を重視していた。しかし、第二次ティアマト会戦の同盟軍による猛攻を前にしたことで、多少装甲とエネルギー中和磁場を厚くし、旗艦が単独で奮戦した所で指揮官の生存率に何ら寄与する部分が無いことが露呈した。

 

 むしろ、防御性を重視した結果として機動性を犠牲にしたために指揮官クラスの乗り込んだ艦は悉く包囲から抜け出すことが出来ず、また同盟艦隊の追跡を振り切ることが出来なかった。酷い事例では機動性で勝る護衛艦に旗艦が置いて行かれた結果、指揮官が捕虜になったという物もある。シュレージエン級はその反省から父の肝煎りで生産が進められている艦だ。しかし、財政危機と政争によって生産が進まず、未だ中央艦隊にすら十分な数が配備されていない。

 

「リューベック騒乱を終息に導いたのは御曹司の有名な『功績』ですからな。それを誇示するのは当然です」

 

 横を歩くヘンリクは真面目くさった表情でそんなことを言う。私は顔を顰めた。……あれが功績だって?

 

「さ、御曹司、いよいよ戦隊司令官としての着任です。気を引き締めてください」

「分かっているよ……」

 

 作戦室に入るなり、中に居た士官たちが一斉に私を見る。

 

「戦隊司令官閣下に敬礼!」

 

 参謀長のレンネンカンプ宇宙軍大佐の言葉に合わせ、幕僚たちが一斉に立ちあがり、私に敬礼する。後ろに立つヘンリクも私に敬礼している。私が答礼すると敬礼を止めた。私が司令官席に座るのを確認し、士官たちが着席した。

 

「アルベルト・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍准将だ。諸君らも知っているだろうが私に艦隊指揮の経験は無い。いきなり戦隊司令官をやらされたのはまあ、父の都合だろう。とはいえだ。ライヘンバッハの都合で将兵に無駄な犠牲を出すことだけは絶対に避けたい。貴官らには私の為ではなく、その為に私に力を貸してほしいと思っている。宜しく頼む」

 

 私の挨拶に困惑した表情の士官が少なくない中、ラルフやヴィンツェルといった貴族の友人たちが呆れたような表情をし、ハウサーら平民の友人たちが満足げに頷いた。

 

「ゴホン……司令官閣下。それでは我々も名乗らさせていただきたいのですが、宜しいでしょうか?」

 

 私の右隣に座るレンネンカンプ参謀長がそう質問し、私は勿論許可した。幕僚と戦隊に属する部隊の指揮官たちが順番に挨拶をしていく。副参謀長ヘンリク・フォン・オークレール地上軍中佐、情報部長ラルフ・ヘンドリック・フォン・クラーゼン宇宙軍中佐、後方部長ヴィンツェル・フォン・クライスト宇宙軍少佐、戦隊憲兵隊長マーシャル・ペイン宇宙軍少佐、作戦副部長カミル・エルラッハ宇宙軍少佐、情報副部長エッカルト・ビュンシェ宇宙軍少佐、後方副部長代理ユリウス・ハルトマン宇宙軍大尉、部下では無いが戦隊と行動を共にする第一六一混成師団長マルティン・ツァイラー地上軍准将らに関しては最早説明も要らないだろう。

 

 参謀長のパトリック・レンネンカンプ宇宙軍大佐は父の元帥府に属しており、宇宙艦隊総司令部で長年作戦参謀を務めていたベテランだ。あの第二次ティアマト会戦ではコーゼル大将の黒色槍騎兵艦隊で巡航艦艦長として戦い抜いた。髪が少し薄くなってきているが堂々たる体躯で准将の私よりよほど貫禄がある。ヘルムートという息子が居るらしい。

 

 作戦部長のマヌエル・フォン・エッシェンバッハ宇宙軍中佐も同じく父の元帥府に属している。こちらは比較的若手ではあるが、それでも三五歳である。二六歳で准将と呼ばれる私とは違い、いくつもの会戦に従軍して今の階級まで登り詰めてきた。彼の本家はヴィレンシュタイン公爵の反乱に巻き込まれて断絶したエッシェンバッハ伯爵家であるが、彼自身は帝国騎士出身であり、身分にさほど拘りは無い。ただし、エッシェンバッハ家を再興する夢を持っており、上昇志向は強い。私の戦隊に配属される際には父に対して熱心に自分を売り込んだらしい。

 

 人事部長のイグナーツ・フォン・ハウプト宇宙軍中佐は軍部保守派で父に近いアルベルト・フォン・マイヤーホーフェン宇宙軍大将が回してくれた人材だ。ただし、マイヤーホーフェン大将も持て余していたようで、「能力の高さは人事局一だが……扱いづらさでも人事局一だ。御父上に頼まれて卿の下に付けたが本当に良いのか?」と心配そうに聞かれた。

 

 厳密な意味での参謀は作戦部、情報部、後方部、人事部に属する幕僚を指すが、一般的には運用補佐部門の幕僚も参謀と呼称される。当然ながら、この第一二特別派遣戦隊にも運用補佐部門の参謀が大勢配属されている。

 

 この中で注目すべきは法務部長のカール・バーシュタット・フォン・ブレンターノ宇宙軍中佐だろう。彼の家は帝国騎士であり、代々の当主は皆帝都憲兵隊に勤務している。だがブレンターノ家は彼の父の代からジークマイスター機関の協力者になっており、憲兵隊の内部情報を機関に漏らしていたそうだ。それがバレそうになったこともあり、緊急避難を兼ねて私の戦隊の法務部長に転属してきた。

 

 そしてもう一人は私の副官に任命されたカール・ロベルト・シュタインメッツ宇宙軍少尉だ。帝国軍ノイシュタット幼年学校を優等で卒業した後、士官学校へは進まずにそのまま軍に入り、ザールラント方面で活動する独立分艦隊の一つ、第四猟兵分艦隊に配属された。この第四猟兵分艦隊は今回の『ドラゴニア特別派遣艦隊』編成に際して帝都に集結させられた部隊の一つであり、一部部隊がそのまま第一二特別派遣戦隊にも配属されている。

 

 シュタインメッツ宇宙軍少尉は今回の『ドラゴニア特別派遣艦隊』には従軍せず、また別の辺境地域に転属することになっていたが、そこを私が強引に自分の副官に引き抜いた。理由は前世の……と言っても信じないか。まあ、偶然顔を見た時に凄まじい将器を感じたとでも言っておこう。

 

「第二六一巡航群司令代理。ルーブレヒト・ハウサー宇宙軍少佐です」

 

 第一二特別派遣戦隊の総艦艇は約九〇〇隻であり、直轄部隊、一個機動群、二個打撃群、ニ個巡航群、ニ個駆逐群、地上支援群で構成される。ハウサーの他にクルトも私の指揮下で一個機動群を率いることになっているが、クルトは現在アムリッツァの黄色弓騎兵艦隊に所属しているためにここには居ない。他の指揮官は大抵が父カール・ハインリヒの元帥府に属する佐官だ。

 

 この日の幕僚会議は顔合わせのような物であり、ドラゴニア特別派遣艦隊の作戦目的と、その達成の為に各部署が行う業務について基本的な事が話し合われた後、解散した。

 

 

 宇宙歴七六七年七月二三日。各部隊での顔合わせが終わり、『ドラゴニア特別派遣艦隊』本隊における主要幕僚会議が開かれた。その主な出席者は以下の通りである。

 

司令官 ハンス・ヨーデル・フォン・シュムーデ宇宙軍中将

副司令官 グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー宇宙軍少将

副司令官 ロータル・フォン・ライヘンバッハ地上軍少将

参謀長 テオドール・フォン・ゾンネンフェルス宇宙軍少将

副参謀長 クルト・フォン・ヒルデスハイム宇宙軍准将

人事部長 マルセル・フォン・シュトローゼマン宇宙軍大佐

 

第一分艦隊司令官 グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー宇宙軍少将

第一特派戦隊司令官 ヨーゼフ・フォン・グライフス宇宙軍准将

第二特派戦隊司令官 リヒャルト・フォン・ノイエ・バイエルン宇宙軍准将

 

第二分艦隊司令官 ワルター・フォン・バッセンハイム宇宙軍少将

第四特派戦隊司令官 ミヒャエル・ジギスムント・フォン・カイザーリング宇宙軍准将

 

第三分艦隊司令官 クリストフ・フォン・リブニッツ宇宙軍少将

 

第四分艦隊司令官 マティアス・フォン・ハルバーシュタット宇宙軍少将

第一一特派戦隊司令官 ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ宇宙軍准将

第一二特派戦隊司令官 アルベルト・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍准将

 

近衛第三旅団長 エーリッヒ・フォン・ラムスドルフ近衛軍准将

第一六一混成師団長 マルティン・ツァイラー地上軍准将

第一六ニ混成師団長 パスカル・フォン・シェーンコップ地上軍准将

 

 

 特徴としては殆どが帯剣貴族出身者であること。また私やミュッケンベルガーのように若手の将官が多いことが挙げられる。

 

「この『ドラゴニア特別派遣艦隊』の目的は、ドラゴニア星系基地を襲い、イゼルローン回廊入り口まで進出しつつある叛乱軍の侵攻を留める為に、ドラゴニア辺境軍管区全域で今なお抵抗を続ける帝国地上軍を支援することである。期間は帝国宇宙軍の主力艦隊が反抗の準備を整えるまで。まあ最低でも一年間は任務にあたる必要がある。本作戦に当たって何か意見のある者は居るか?」

 

 シュムーデ提督がそう問いかけると早速手が上がった。副参謀長のヒルデスハイム准将だ。彼は『ドラゴニア特別派遣艦隊』では珍しい領地貴族――それもブラウンシュヴァイク一門の――である。シュムーデ提督が発言を許可した。

 

「畏れながら本作戦の意義をお尋ねしたく思います。何故この財政危機の今、ドラゴニア辺境軍管区に一万隻もの艦隊を派遣する必要があるのでしょう?」

 

 ヒルデスハイム准将の発言を聞いて数人の将官が不快感を表している。

 

「イゼルローン回廊防衛の為に決まっているだろう。副参謀長、分かり切ったことを聞かないでくれ」

 

 不機嫌そうに答えたのは参謀長のゾンネンフェルス少将だ。現在の軍務尚書エーヴァルト・フォン・ゾンネンフェルス宇宙軍元帥の息子である。ゾンネンフェルス伯爵家は第二次ティアマト会戦前から残る名門帯剣貴族家の一つであり、オトフリート四世帝の時代にも軍務尚書を輩出している。

 

「参謀長閣下、その答えは正確ではないでしょう。回廊では無く、要塞を守りたい、違いますか?」

 

 ヒルデスハイム准将はどことなく気取った様子でそう指摘する。

 

「……くだらん揚げ足取りは止めろ。要塞にせよ、回廊にせよ、結局俺たちがやることは変わらん」

 

 第三分艦隊司令官リブニッツ少将が淡々と言った。その横ではハルバーシュタット少将が腕を組んで頷く。リブニッツ少将は建国以来の名門帯剣貴族家であるリブニッツ侯爵家の血を引く。ハルバーシュタット少将はライヘンバッハ一門の子爵家当主だ。二人とも勇将としてその名を知られている。

 

「変わりますとも。回廊を守りたいのであれば、建造中の要塞を壊せば良いのです。イゼルローン回廊には居住可能惑星も無ければ大規模な艦艇基地が作れる惑星も無い。作りかけの要塞さえ壊せば、後はティアマト以前と同じくエルザス辺境軍管区で距離の暴虐で消耗した奴らを迎え撃てば良いだけの事」

 

 ヒルデスハイム准将の言うことは正論のように聞こえはする。同盟軍がイゼルローン回廊を恒久支配するには恐らく今帝国軍が建造中のイゼルローン要塞を奪取するしかない。ならばそれを壊してしまえばイゼルローン回廊を同盟軍が恒久支配することは不可能になる。……同様に帝国軍による恒久支配も不可能になるが。

 

 とはいえだ。『ドラゴニア特別派遣艦隊』が派遣されると決まり、その幕僚会議をやっている状況で今更そんなことを言っても意味は無い。ヒルデスハイム准将はそれを分かって敢えて言っている訳だから、他の士官たちが不機嫌になるのも当然だ。ついでに言えば、私はイゼルローン回廊に要塞が出来た結果を知っている。それを踏まえればヒルデスハイム准将の意見が間違っていることは明らかだ。……勿論指摘はしないが。要塞なんて出来ない方が我々機関には都合が良いのだ。

 

「ドラゴニア星系基地があるだろう……。あれがある限り距離の暴虐は不完全にしか機能しない」

「だったら壊せば良いだけの話だ。核を使えば簡単だ」

 

 メルカッツ准将の指摘に対してヒルデスハイム准将はそう答えた。会議室がざわつく。惑星への核攻撃は一三日戦争以来の禁忌だ。

 

「昔はともかく今のドラゴニアに民間人は住んでいません。相手が軍人なら躊躇する必要は無いでしょう」

「居住可能惑星に核をぶち込むだと!?ダゴンの過ちを繰り返すのか!」

 

 私は思わず口を挟んでいた。……宇宙歴六四〇年のダゴン星域会戦は帝国にとって大規模な狩猟以上のものでは無かった。帝国は当初、自由惑星同盟に対して「惑星に核攻撃をしない」という不文律を適用しなかった。恭順する惑星はともかく、全土を要塞化して徹底抗戦しようとした惑星に対しては容赦なく核弾頭が降り注いだ。かつて、ドラゴニア辺境軍管区と呼ばれる地域にはもっと多くの居住可能惑星があったが、今ではドラゴニア星系基地のあるドラゴニア星系第三惑星位のものだ。他に正規艦隊を恒久的に配置できるような惑星は殆ど無い。戦略的な事情を考慮すると、ほぼ第三惑星一択と言って良い。

 

 勿論、同盟側もやられっぱなしではない。……エルザス辺境軍管区と呼ばれる地域には同盟による熾烈な報復が行われた。尤も、『人道的観点』から住人を『避難』させただけ帝国よりはマシか。結果としてイゼルローン回廊の両端地域は居住可能惑星が極端に少なくなってしまっている。

 

 なお、帝国が同盟を対等な国家であると認めたことは一度も無いが、コルネリアス二世元帥量産帝が大親征前に送った和平使節団と自由惑星同盟国防委員会の間で「人類間の地上における戦闘に核を使うことは絶対に許されない」という内容の覚書が交わされた。ちなみに同じタイミングで最初の捕虜交換の基本的な枠組みが作られてもいる。

 

「過ちとは何を言うか!叛徒共が畏れ多くもコルネリアス二世帝陛下が作られた基地を……」

「黙れ!」

 

 色を為してヒルデスハイム准将が反論しようとしたその瞬間、副司令官のミュッケンベルガー少将が机をたたいて立ち上がる。

 

「確認しておこうか。『ドラゴニア特別派遣艦隊』は帝国軍三長官が総意によって宰相府、国務省、財務省の許可を受け、その専権によって編成と派遣を決定した。卿らは帝国軍三長官が何故帝国軍の指揮権を有するか、忘れた訳でもあるまい」

 

 ミュッケンベルガーは言い聞かせるように見回した。ブラウンシュヴァイク公爵の後ろ盾を得ているヒルデスハイム准将程あからさまで無いにせよ、この派遣に疑問を持つ士官は一定数存在する。ミュッケンベルガーはそういう人間たちにも確認しているのだろう。

 

「帝国軍の最高司令官は皇帝陛下だ。勿論、軍政のトップも軍令のトップも皇帝陛下である。だが皇帝陛下には銀河帝国全体を統治する使命があり、常に軍事だけに注力する訳にはいかない。故に帝国軍三長官が最高指揮権を分割して代行している。その意味が分かるか?……例え帝位継承が済んでいないとしても、いや済んでいないからこそ、今の帝国軍三長官の命令は皇帝陛下の命令に等しい絶対的な物であるということだ」

 

 ミュッケンベルガー少将はこの場の誰もが幼年学校や士官学校で習った常識を敢えて口に出した。「皇帝が全軍を直接指揮し、幕僚総監以下大本営が一元的にそれを輔弼する」というのが本来の帝国軍のシステムだ。実際、ルドルフ大帝とコルネリアス二世元帥量産帝の時代には皇帝自らが軍務尚書、統帥本部総長、宇宙艦隊総司令官の役割を果たし、その全てを大本営幕僚総監が輔弼していた。

 

 しかしながら、ミュッケンベルガーの言う通り、皇帝が常に軍事だけに注力している訳にもいかない。故にルドルフ大帝が亡くなった後、ジギスムント一世帝の時代に皇帝に代わって前線の指揮を執る宇宙艦隊総司令部が大本営と別に創設され、初代宇宙艦隊司令長官にヨアヒム・フォン・ノイエ・シュタウフェン公爵が任命された。

 

 また、ノイエ・シュタウフェン公爵の死後、ジギスムント一世は大本営から軍政権を分離して、軍務省を設置する。一説によるとジギスムント一世自身は特に軍を直接統括することに苦を感じていた訳では無いが、「自分の子孫が自分と同等に優秀とは限らない」と考え、皇帝の負担軽減の為に軍務省を設置したという。……ジギスムント一世はルドルフ大帝ほど遺伝子の力を信じていなかったようだ。

 

 統帥本部の設置はさらに時代が下り、ダゴンの殲滅戦の後である。尤も、その前身となったのはダゴン星域会戦以前にベルベルト大公の強権によって宇宙艦隊総司令部とは別に創設された遠征軍総司令部だ。……ベルベルト大公がどういう意図で宇宙艦隊総司令部と別に自分の為の司令部を用意したかは分からない。しかし、ダゴンの大敗とその原因としてのベルベルト大公の醜態が大本営(と皇族)から独立した「軍事のプロ」である統帥本部創設のきっかけとなったのは間違いないだろう。まさかベルベルト大公がそれを狙っていた訳は無いし、皮肉な話である。

 

 なお、統帥本部創設と同時に大本営は常設機関ではなくなった。しかしながら、皇帝の主席参謀ともいえる幕僚総監のポストは今なお残っており、序列上は軍政権を代行する軍務尚書、軍令権を代行する統帥本部総長の次に位置する。とはいえ、実権は格下の宇宙艦隊総司令官より小さいと見られている。ただし、帝国軍三長官と幕僚総監の関係性には皇帝権力の強弱や幕僚総監自身の資質等が複雑に絡んでおり、一概に閑職とも言い切れない。少なくとも今の幕僚総監フォーゲル元帥は宇宙艦隊司令長官への転任が決まっていることから分かるように、主流派では無いが三長官と対立していた訳でもない。当然、閑職に回されていたとも言えないだろう。

 

「……我々には既に三長官の総意でドラゴニア救援の命令が下された。卿らの一部はその事に不満があるらしいが、勅命に等しい三長官の命令に逆らうというのであれば、それ相応の覚悟が必要だ。その事を分かった上で発言しているのだな?」

 

 ミュッケンベルガーは淡々とした様子だが、その姿からは反論を許さない威圧感が感じ取れた。

 

「……小官は本作戦の意義を確認したかっただけです。命令に逆らうなど……そんなつもりはありません」

 

 ヒルデスハイム准将はそう呟くように言うと黙り込んだ。

 

「我々がドラゴニアに向かえば地上で戦う多くの将兵が救われるだろう。我々がドラゴニアに向かえば祖国に仇為す多くの叛徒を討ち取れるだろう。我々がドラゴニアに向かえばイゼルローン要塞に存在する皇帝陛下の財産を守り切れるだろう。祖国と皇帝陛下に忠誠を誓う帝国軍人としてそこに意義を感じられないなどということがあるはずもない。敢えて作戦の意義を確認する必要もあるまい。……他に司令官閣下に意見を述べたい者は居るか?」

 

 ミュッケンベルガーは全く声色を変えずにそう言うと座った。堂々たる姿である。ある英雄は「堂々たるだけ」と評したらしいが……私にはとてもじゃないがそんなことは言えない。その後、いくつか基本的な点を話し合った後、主要幕僚会議は終わった。

 

 宇宙歴七六七年七月二五日。『ドラゴニア特別派遣艦隊』は帝都オーディンを発ち、アムリッツァ恒星系へと向かう。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。

 



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青年期・ドラゴニアの地で(宇宙歴767年10月11日~宇宙歴767年10月17日)

「第一一特派戦隊司令部より連絡。『これより本戦隊は惑星シルヴァーナへの突入を試みる、貴戦隊は当初の作戦通りに本戦隊を援護されたい。貴戦隊の援護に期待する』」

「いよいよか……。通信員、第一一特派戦隊司令部に返信を頼む。『了解した。援護は任されたい。貴戦隊の幸運を祈る』以上」

 

 宇宙歴七六七年一〇月一一日。私はメルカッツ准将の率いる第一一特派戦隊と共にパランティア星系第五惑星シルヴァーナの帝国軍基地援護に向かっていた。

 

 惑星シルヴァーナはほぼ全域が砂漠であるが、酸素を含んだ大気が存在し、銀河連邦時代には二〇万人程の入植者が暮らしていたという。同惑星はダゴン星域会戦に際して帝国軍による核攻撃を受けたものの、元々の入植者が少なかった為か攻撃は限定的な物であり、放射能汚染が他の惑星に比べ軽微なレベルだった。それ故、ダゴン星域会戦後に汚染を免れた地域に自由惑星同盟軍の前線基地が設置されることになる。

 

 コルネリアス一世元帥量産帝の頃に帝国地上軍がシルヴァーナに侵攻。同盟軍シルヴァーナ基地は分艦隊規模の駐留が可能であり、その後、この同盟軍基地の奪取か、新たな基地の設営を目指す帝国軍と防衛する同盟軍の間で激しい戦闘が行われることになる。

 

 宇宙歴七六四年、帝国軍第二辺境艦隊と地上軍の猛攻を受け同盟軍シルヴァーナ基地は陥落。以後、数年に渡って帝国軍が惑星シルヴァーナを制圧下に置いていたが、今年四月の同盟軍による大規模侵攻の際、同盟地上軍が再度惑星シルヴァーナ基地を奪還。しかし、帝国地上軍守備隊は頑強に抵抗し、惑星全体で今なお同盟地上軍と帝国地上軍による激戦が続いている。

 

「第一一特派戦隊、叛乱軍の惑星シルヴァーナ包囲部隊に接近していきます」

「通信部長。通信封鎖を解除。通信回路を開け」

「承知しました」

「『本戦隊はこれより第一一特派戦隊の援護を開始する。敵は総数において我々に勝るが、惑星全域を包囲している以上、短期的には一点を攻撃する我々の方が優勢である。我々の目的はシルヴァーナの戦友たちの援護であり、叛乱軍の殲滅ではない。我々が為すべきことを為せば、目的を達成することは容易い。本職は各員の奮励努力に期待する』」

 

 私は内心では緊張していたが、それを押し殺し落ち着いた口調で訓示を行う。私はドラゴニア辺境軍管区において既に二桁を超す戦闘に参加している。しかしながら、その大半は同数、あるいは少数の敵に対する物であり、また今回のように重要な役割を担ってはいなかった。レンネンカンプ参謀長の言葉を借りれば、「ようやく戦力として数えて貰えるようになった」ということだろう。

 

「司令官閣下。この位置では第一一特派戦隊との間に叛乱軍の部隊が割り込む危険性があります。もう少し前進しましょう」

「参謀長の言うことは分かるが……こちらがあまり前に出れば叛乱軍に発見される可能性が高くなる。第一一特派戦隊の奇襲にも悪影響を及ぼすかもしれない」

「問題ありません。今更叛乱軍が我々の存在に気づいたところで適切な防備を整える時間的余裕はありません」

 

 レンネンカンプ参謀長はキッパリと言い切った。確かに参謀長の言う通りであろう。

 

「分かった。戦隊を前進させよう」

 

 第一二特派戦隊が前進し、第一一特派戦隊との距離を詰める。我々はシルヴァーナ二と呼ばれる衛星の陰からシルヴァーナに接近していた。既に第一一特派戦隊も第一二特派戦隊も陰から出ており、同盟軍に気づかれるのも時間の問題である。

 

「第一一特派戦隊、惑星シルヴァーナ包囲部隊に対して突撃を開始します!」

「よし、本戦隊も続くぞ!全艦砲門開け!」

 

 シルヴァーナを包囲するのは同盟軍第五艦隊第二分艦隊と第六独立分艦隊併せて六〇〇〇隻弱と予想される。しかしながらその一部は惑星シルヴァーナの同盟軍基地に降りている。帝国艦と違い同盟艦は大気圏内での活動が出来ない為、もう一度軌道上に展開するには最低三時間はかかる。また、惑星シルヴァーナ全域を包囲しつつ、パランティア星系全域に哨戒部隊を広げている関係上、極々短時間であれば二個戦隊約二〇〇〇隻でも包囲網突破は可能なはずだ。

 

 メルカッツ准将の第一一特派戦隊は突撃隊形を取って包囲網に突っ込んだ。薄く広がっていた同盟軍部隊は突撃を防ぐことが出来ず左右に押し出される。一早く混乱から立ち直った少数の部隊が第一一特派戦隊の左右から砲撃を浴びせようとするが、そこに私の戦隊が砲撃を浴びせていく。

 

 同盟軍部隊は統制を取り戻そうと努力している様子だが、基点と成り得る部隊が私の戦隊から集中砲火を浴びている為にその努力は実っていない。包囲網を突破した第一一特派戦隊から打撃群を中心とした一部が反転し、左右の同盟軍部隊に突入する。

 

「よし、この機を逃すな。本戦隊も突撃するぞ!」

「お待ちください司令官閣下!目前の既に統制を失った部隊を陣形を崩してまで殲滅する必要性はありません。我々はこのまま第一一特派戦隊を援護しつつシルヴァーナ二方面への離脱経路を守るべきです」

「情報部長として司令官閣下に報告させていただきます。目前の部隊は当初の作戦通り、第六独立分艦隊第一戦隊です。しかしながら第六独立分艦隊の混乱は予想よりも軽微な物であり、既に第二戦隊を中心に再終結を開始している様子です。一二分~四三分の間で本宙域に到着するかと」

 

 エッシェンバッハ作戦部長とラルフ……クラーゼン情報部長が私に異を唱える。レンネンカンプ参謀長も頷いて「小官も同じ意見です」と言う。

 

「確かに貴官らの言う通りだ。目の前の部隊に拘る必要性は無いな」

 

 私の戦隊はそのまま砲撃援護に徹する。やがて目前の部隊が撤退――あるいは潰走――を始めた。第一一特派戦隊は既に地上に対して支援物資の投下を開始している。本来ならば増援部隊も送りたい所ではあるが、要塞建設の是非で論争が続いている段階で更なる地上部隊の投下は難しく、今回の『ドラゴニア特別派遣艦隊』に同行した地上部隊も限られている。

 

 やがて、一個戦隊規模の部隊――恐らく第六独立分艦隊第二戦隊――がこちらに向かってきた。第一一特派戦隊が地上支援群を守る形で布陣する。エルラッハ作戦副部長の進言に従い、第一二特派戦隊からも一個機動群と一個駆逐群を派遣した。残りの部隊は引き続き遠距離からの砲撃支援に徹する。

 

 第六独立分艦隊第二戦隊は突撃陣形を取って突っ込んだが、第一一特派戦隊の激しい応射とクルトが率いる第一二特派戦隊からの援護部隊が横やりを入れたことで左翼部隊の進軍速度が僅かに遅れる。

 

 その瞬間、第一一特派戦隊から艦載機(ワルキューレ)部隊が一斉に放出され第六独立分艦隊第二戦隊の左翼を強襲した。左翼が明らかに崩れ始め、それを気にした右翼部隊の前進速度が低下する。メルカッツ准将はその瞬間を逃さなかった。第一一特派戦隊が強力な短距離砲を用いて右翼部隊に斉射三連を行い、逆に突撃を敢行する。

 

「見事な手並みですな……。まだ三〇歳にも満たない人間の指揮とは思えません。特に艦載機(ワルキューレ)部隊放出のタイミングが素晴らしい。アレは強力な武器ですが、放出のタイミングを誤ればエネルギーを使い果たした状態で七面鳥のように撃ち落されるか、宇宙母艦と一緒に沈められるか……まあ、難しい兵器です」

 

 エッシェンバッハ作戦部長が思わずといった様子で唸る。

 

「御父上の戦法をよく研究しているようですな。ヨハン・ディードリヒ・フォン・メルカッツ宇宙軍少将は帝国有数の猛将と言われていましたがね。勇気や戦術能力に秀でていたというよりも砲術畑出身で短距離砲の使い方に秀でていた」

艦載機(ワルキューレ)と組み合わせているのはメルカッツ提督自身の経験からですかね?確か、大佐時代は機動群司令だったはずです」

「……天性の才能もあるだろう。経験だけで言うならばメルカッツ提督よりも長く機動畑に居た提督はざらに居る」

 

 レンネンカンプ参謀長、ビュンシェ情報副部長、エルラッハ作戦副部長がそれぞれ批評する。

 

「だから言っただろう?『メルカッツ提督と一緒なら安心だ』って」

 

 私はそう言うと意識を切り替えた。第六独立分艦隊第二戦隊はほうほうの体で退いていく。一個戦隊で攻撃してきたことからも分かるが、どうやらあの戦隊の司令官は攻撃を焦ったようだ。時間は余計にかかるが、しっかり第六独立分艦隊の全部隊を集めてから進軍してきていれば、ここまであっさりと敗北することは無かっただろう。

 

 尤も、それだけの時間があれば大方の支援物資は投下できる。同盟軍側が焦ったのにも無理はないかもしれない。同盟側にしてみれば帝国の二個戦隊を相手にする必要は無く、その後ろの地上支援群さえ撃破できれば良いのだから、強引に突撃を試みるのも間違っては無いかもしれない。

 

「レーダーに反応!新たな敵部隊です。凡そ三〇〇〇隻!」

「何!第五艦隊第二分艦隊か!早いな……」

 

 私は思わず呟く。こちらの想定では同盟の包囲部隊がここまで早く集結し、迎撃に出てくるとは予想されていなかった。

 

「第一一特派戦隊司令部より連絡。『支援物資の投下は予定量の九割が完了。本戦隊は敵分艦隊との交戦を避け撤退する』」

「何?分かった。『異論無し、承知した』と返答しろ」

 

 私は驚いた。同盟軍の動きも早かったがメルカッツ准将の動きも早い。この段階では精々半分も投下出来ていればマシだと思っていた。

 

「……!なるほど!そういうことか!」

「どうしたレンネンカンプ参謀長?」

「アレを見てください司令官閣下」

 

 見ると数隻の帝国艦が惑星への降下を行っている。こちらに向かっている部隊から分かれた一部同盟艦が発砲しているが遠距離である為に有効な打撃を与えられていないようだ。

 

「……そういうことか!?戦艦ごと補給物資を投下しているのか?」

「そうです。青色槍騎兵艦隊、第一辺境艦隊の残存艦艇の一部をメルカッツ提督が艦隊に組み入れているのは気づいていましたが……なるほど。これならば物資を積んだ艦艇をそのまま降下させるだけで済みます。大幅な時間短縮になりますね」

 

 私はレンネンカンプ参謀長の説明を聞いて頷いた。アスターテ会戦で壊滅した青色槍騎兵艦隊、第一辺境艦隊の残存艦艇の内、黄色弓騎兵艦隊と合流できたモノはアムリッツァで再編されている。しかし、様々な事情で放棄された艦艇や、ドラゴニア辺境軍管区に残った艦艇が存在する。その一部をメルカッツ准将は物資降下用のシャトル代わりに使ったのだろう。元々特派戦隊に属している艦艇をこのように使うことは許されないが、既に員数外の扱いになっているドラゴニア辺境軍管区の艦艇ならばどこからも文句は出ない。

 

「第一一特派戦隊、後退して来ます」

「よし、本戦隊も続け!殿は旗艦直属部隊が務める」

 

 私は大貴族の息子の若造である。将兵の信頼を得るには過剰な程前線で共に戦っているというアピールが必要だ。これまでの戦いでも可能な限り私は前線に身を置いて戦った。数人の幕僚が私の指示に異論を述べたが、私は受け容れない。アピールは抜きにしても旗艦直属部隊は最精鋭部隊である。殿という役目に練度的に最も適した部隊であることは間違いない。

 

 同盟部隊による追撃は我々がパランティア星系を離脱するまで続いた。その後、私の戦隊は第一一特派戦隊と別れフォンセ星系へと向かう。イゼルローン回廊のサジタリウス腕側出口近くにある星系の一つだが、主要航路から外れている上に居住可能惑星も無い。この星系の第五惑星第二衛星、フォンセ五=ニに第一一特派戦隊の仮設基地が存在する。同じようにドラゴニア辺境軍管区の各地に『ドラゴニア特別派遣艦隊』の部隊は仮設基地を作り、半分ゲリラ的に同盟軍艦隊を攻撃したり、帝国地上軍の支援を行ったりしている。

 

 ちなみに、メルカッツ准将の第一一特派戦隊は第二分艦隊第四特派戦隊と共にアルレスハイム星系の小惑星帯に潜んでおり、第四分艦隊司令部と直属部隊、第一〇特派戦隊はヴォルテール星系に拠点を置いている。これらの拠点の一部は同盟軍の把握する所ではあったが、『ドラゴニア特別派遣艦隊』は危なくなったらすぐに仮設基地を放棄しイゼルローン回廊へと逃げ込み、その後同盟軍が維持できない別の惑星に拠点を作る為に、同盟軍はその対処を後回しにしている。

 

「作戦成功おめでとう。ライヘンバッハ准将」

「有難う。戦隊が留守の間基地の方は問題ないか?」

「ああ、心配は要らないだろう。今の所叛乱軍に気づかれている様子は無いよ」

 

 宇宙歴七六七年一〇月一七日。私が基地に戻ると基地司令を臨時に兼ねているツァイラー地上軍准将が出迎えてくれた。

 

「それよりいくつか話したいことがあるんだが良いだろうか?」

「分かった。レンネンカンプ参謀長、少し外す」

 

 私はツァイラー准将と執務室に向かう。ツァイラー准将はリューベック騒乱の後、ジークマイスター機関の協力者となった。彼は帝都近郊の惑星出身であり、中央地域での勤務を切望していた。そこでシュタイエルマルク閣下が中央地域の師団長のポストと引き換えにツァイラー准将を機関の協力者に引き入れたのだ。

 

 尤も、彼は「ジークマイスター機関」という名前も知らないし、その目的も知らない。そもそも彼にシュタイエルマルク提督と取引したという意識も無いだろう。彼は派閥に属するのと同じ感覚でジークマイスター機関の協力者となっている。彼は大抵の命令について機関の指揮系統に従うが、明確に帝国に仇為す命令――例えば皇帝陛下を暗殺しろとか、同盟軍に情報を流せとか――には従わない。彼はジークマイスター機関を反国家的組織だと知らないから協力しているに過ぎないからだ。

 

「ライヘンバッハ准将。貴官へ伝えなければならない情報がいくつかある。まずは帝都情勢だが、フリードリヒ大公を擁立する組織の試みは失敗に終わったようだ」

「……やはり無理か」

「うん、支持者が少ないのならともかく、支持者が居ないのではどうしようもないよ。後、クレメンツ大公派はともかくとしてリヒャルト大公派が猛反発した」

 

 私は「そうだろうな」と思う。リヒャルト大公が帝位継承を主張する有力な根拠の一つが「長男であること」だ。次男フリードリヒの即位を一時的にとはいえ容認することはできないだろう。クレメンツ大公に対して優位に立てる材料を自分から捨てることになる。

 

「だが、良い話もある。フリードリヒ大公を擁立する動きが出てきたことでリヒャルト大公とクレメンツ大公の双方が態度を軟化させた。先帝の『遺言書』の中に記載されていた事項の内、ルーゲ伯爵やリヒテンラーデ子爵の爵位引き上げについてクレメンツ大公派の高等法院が支持を表明し、カストロプ公爵の財務尚書解任についてリヒャルト大公派のキールマンゼク宮内尚書が『遺言の解釈を誤った』として撤回を宣言した」

 

 先帝の『遺言書』はオトフリート五世帝が生前に書いたとされる物である。しかし、全ての内容かどうかはともかく、一部の内容に関してはどう考えてもリヒャルト大公派によるでっち上げである。リヒャルト大公派はこの『遺言書』にリヒャルト大公が後継者として記述されているとしていたが、クレメンツ大公派は「奸臣による偽造」と全否定していた。

 

「それと枢密院でバルトバッフェル子爵が提案した『ブローネ侯爵レオンハルトの爵位を大公に引き上げ摂政とする』案が可決したよ。枢密院はリヒャルト大公派とクレメンツ大公派が激しく対立していたが、この案に関しては全会一致で可決したらしい」

「オトフリート三世帝の末弟か!なるほどな……」

 

 ブローネ侯爵レオンハルトの長兄はオトフリート三世猜疑帝、次兄はエルウィン=ヨーゼフ一世誠賢帝である。オトフリート三世が皇太子時代に優秀な業績を治めたことは広く知られているが、弟のエルウィン=ヨーゼフ一世帝も同様に優れた統治を行った。

 

 オトフリート三世が猜疑心に囚われた結果、宮廷は著しく混乱し、一時は「暗赤色の六年が再来するのでは」とも危惧された。しかしエルウィン=ヨーゼフ一世は類まれな決断力と鉄の意思でその混乱を治めた上で、色狂いのバカ皇子として有名だったオトフリート三世の長男オトフリートへの譲位を断行した。

 

 彼自身はそれが帝国にあるべき秩序を復活させると信じており、実際それは間違っても居なかったが、後世の歴史家の一部は「誠賢帝は自身が誠実であることに拘った結果、強精帝の下で貴族が増長する結果を招いた」として批判している。

 

 まあ、誠賢帝の決断の是非は置いておくとして、話をブローネ侯爵レオンハルトに戻そう。彼は欠点はあるものの概ね有能で人格的にも優れていた二人の兄に比べて能力的にも人格的にも問題のある人物であった。彼は統治者では無く芸術家であり、世捨て人だった。

 

 彼は後世に優れた画家、あるいは建築家として知られているだろう。彼はブローネ侯爵位を継いだ後、統治を家臣に任せ、自身はひたすら芸術に打ち込んだ。

 

 彼を象徴するこんなエピソードがある。オットー・ハインツ二世帝の即位式に出席する為に帝都オーディンに向かっている最中にインスピレーションが沸いた彼は、数秒の逡巡の後、創作の為に領地へ戻ることを決意した。彼は見事な地球時代ルネサンス風の絵画を書き上げたが、その代償として無断で即位式を欠席するという大罪を犯すことになった。オットー・ハインツ二世は当然ながらこの無礼に激怒したが、その後ブローネ侯爵から謝罪と共に献上された絵画を見て、その怒りを治めざるを得なかった。その絵画はあまりに見事であり、思わず衆人の前でオットー・ハインツ二世は感嘆の声を挙げてしまったのだ。

 

「ブローネ侯爵……大公ならば摂政に置いたところで何の問題も無い。格はあるがそれ以外何もないからな。帝位継承者が存在する状況で摂政を置くのは中々珍しい事だが、ジギスムント一世帝の即位後に帝国宰相から摂政を名乗ったノイエ・シュタウフェン公爵の例もある。皇帝が居て摂政を置くことが許されるならば、帝位継承者が居て摂政を置くことも許されるだろう」

「なるほどね。これからは摂政の下でリヒャルト大公派とクレメンツ大公派が争いながら帝国を統治していくことになる……訳が無いか。皇帝不在の非常事態を何とかする為の苦肉の策だろうな。……百日摂政にならなければよいが」

 

 私の言葉を聞いたツァイラー准将が眉を顰め、「滅多な事を言うものではない」窘めた。

 

「ああ、それともう一つ伝えることがあった。帝都でリヒャルト大公派とクレメンツ大公派の双方に属さない第三勢力が台頭してきたようだ。なんでも……開明派とか言うらしい」

「開明派?」

 

 ツァイラー准将の話によると、ヴェストパーレ男爵邸に集まっていた中立派の一部がリヒャルト大公派とクレメンツ大公派の終わらない政争にウンザリして、両派を批判しつつ、改革を叫んでいるらしい。

 

 主なメンバーとしてはやオットー・ハインツ二世帝の弟であるオイゲン・フォン・リヒター子爵を中心とする旧ミュンツァー派の左派、教育総監部本部長カール・フェルディナント・フォン・インゴルシュタット宇宙軍中将を初めとする実戦派の軍人、オトフリート三世帝の長女の子であるカール・フォン・ブラッケ侯爵や枢密院議員コンラート・フォン・バルトバッフェル子爵、枢密院議員ジークベルト・フォン・ノイエ・バイエルン伯爵といった既存派閥と距離を置く貴族が挙げられる。

 

「後、『あの』高等法院でも若手判事たちがトーマス・フォン・ブルックドルフ男爵を中心に開明派に同調する動きを見せているようだね。……皇帝不在で一年以上も政争をやっていれば、そりゃあ不満も溜まるだろう。三部会議員の中にもリヒャルト大公やクレメンツ大公から離れて開明派に同調する人間が出てきている」

「辺境出身者か?」

「そうだ。中央はともかく、元々海賊や犯罪組織の活発化で困窮していた辺境地域は皇帝不在による行政機構の機能不全で大打撃を受けつつある」

 

 辺境地域の代表は地方会に集まる貴族ということになっているが、主として中央地域の平民が集まる平民会にも少数が参加している。彼らにとっては中央の都合で地方が出血を強いられている状況には我慢がならないだろう。

 

「リヒャルト大公とクレメンツ大公が一部で妥協したのは開明派の批判を躱したいという事情もあったんだろうね……それと最後は明るい話があるよ。帝都情勢じゃなくてドラゴニア辺境軍管区の話だ」

「ドラゴニアの話で明るい話か、想像もつかないな」

「グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー宇宙軍少将率いる第一分艦隊がドラゴニア星系外縁部で同盟軍第二艦隊二個分艦隊に大勝したらしい。詳しい情報はまだ入っていないが、ドラゴニア辺境軍管区では久しぶりの大勝だ。噂によるとシュムーデ提督はこの機に乗じてドラゴニア恒星系を一度強襲することを考えているらしい」

 

 ツァイラー准将は嬉しそうにそう言った。

 

 グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー宇宙軍少将の父は第二次ティアマト会戦において戦死したウィルヘルム・フォン・ミュッケンベルガー宇宙軍中将である。ミュッケンベルガー中将は会戦に先立って、艦隊に対し伯父ヴェンデル・フォン・ケルトリング元帥の仇を取るように訓示したが、これが会戦後に「私戦を扇動するようなもの」と問題視された。

 

 最終的にミュッケンベルガー中将は「個人的な復讐心に囚われ、冷静な判断を欠いた」とされ、第二次ティアマト会戦大敗の原因の一端を担ったとされる。これによってミュッケンベルガー伯爵家は爵位を子爵に引き下げられることになる。

 

 ミュッケンベルガー少将は父を失った後、母の教育によって士官学校に入学。主席でこれを卒業した後、前線においても後方においても優れた功績を挙げ、二七歳の時に帝国軍少将に昇進した。ちなみに私は二七歳で宇宙軍准将、ハウザー・フォン・シュタイエルマルクは三一歳で宇宙軍少将、カール・ハインリヒ・フォン・ライヘンバッハは三〇歳で宇宙軍少将に昇進している。ミュッケンベルガー少将の出世スピードがいかに速いか分かるだろう。

 

「流石はミュッケンベルガー少将だな……。しかしシュムーデ提督がドラゴニア星系攻撃を考えているというのは本当か?僅か一万隻では無謀だろう」

「黄色弓騎兵艦隊と第二辺境艦隊、それに帝国軍中央にドラゴニア星系攻撃を何度も主張しているって噂だ」

「それは……」

 

 私は渋い顔をしているはずだ。いくら何でも今の政治情勢では無謀な上申だ。軍事的にもたった二個分艦隊が消耗した程度、ドラゴニア星系の防衛に与える影響は微々たるものだろう。

 

「シュムーデ提督らしくないな……あの人は凡庸だが、帝国軍でも最高クラスの『プロフェッショナル』だ。独創性は皆無だが、与えられた職責を全うすることにかけて右に出る将官は居ない。余計な功名心に囚われているとすればあの人の持ち味が無くなってしまう」

 

 第一次パランティア星域会戦では遥かに将帥として格上のジョン・ドリンカー・コープを討ち取っている。あれもリューデリッツらから与えられた情報に従って、その命令を全うしたから出来た勝利だろう。……直後にフレデリック・ジャスパーから痛撃を食らっていることを考えても分かる通りだ。

 

 私は、この時派遣艦隊の未来に一抹の不安を覚えていた。




注釈17
 レオンハルト・フォン・ブローネは悲運の天才芸術家として知られる。歴史学者エリオット・ジョシュア・マッケンジーは「彼の人生は人間が身分制に救われることなど一つも無いという事を示す実例の一つである」と評した。

 二人の兄、オトフリート・フォン・リンダーホーフ、エルウィン=ヨーゼフ・フォン・リンダーホーフはいずれも優れた才能を持っていた。彼の芸術的な才能はこの二人の兄が持つ政治家、あるいは統治者としての才能と比較してもなお劣るモノでは無かったといえるが、残念ながら当時の人々――特にリンダーホーフ侯爵や宮廷の政治家たち――は彼の芸術的な才能を全く必要としていなかった。彼はその才能に比較するとあまりにも相応しくない不遇の青年時代を送ることになる。

 そんな彼の人生は、宇宙歴七五一年に兄オトフリート三世から突如として帝位継承者に指名されることで一変する。彼はリンダーホーフ侯爵家の一門に連なる子爵家を継ぐことになっていたが、仮にオトフリート三世の次にレオンハルトが帝位を継承するのであれば、子爵というのはあまりに軽い爵位だ。

 宮廷は慌てて彼にブローネ侯爵の爵位を与える。仮にこのまま彼が皇帝になっていたとすれば、それは彼も含め万人にとって不幸な結果となっていただろうが、幸か不幸かその後、オトフリート三世が死の間際に帝位継承者をエルウィン=ヨーゼフに変えたために、彼は即位せずに済んだ。

 その後、彼はブローネ侯爵という何不自由のない地位で創作に励むことになるのだが……。革命の波はこの皇室生まれの天才芸術家も例外なく呑み込んでいくことになる。


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青年期・開明派の台頭(宇宙歴768年1月11日)

「おはようございます。司令官閣下」

「おはよう。シュタインメッツ少尉」

「作戦部より先のニュー・ブリスベーンにおける遭遇戦に関する報告書が届いています。それと今日の後方部・人事部・総務部とのミーティングに必要な資料を纏めておきました。ご確認ください」

 

 シュタインメッツ少尉に礼を言うと私は執務室の椅子に座り、自身の端末を確認する。余談だが、本当に重要な情報は電子媒体では無く紙媒体に記録される。戦場や悪環境において電子媒体よりも紙媒体がより長く情報を保持し続けるのは一三日戦争やシリウス戦役で証明された通りだ。とはいえ日常業務の些末な書類まで紙媒体で用意するのは物資の無駄というものである。

 

「少尉。君が優秀なおかげで助かるよ。私みたいな経験の浅い将官でも部隊の状態を逐一把握できるのは君の仕事が良いからだ」

「勿体ないお言葉です。しかしながら小官の纏めた資料はあくまで要点を絞ったものです。あくまで基礎的な情報に過ぎないとお考え下さい」

「分かっている。しっかり後方参謀たちと話をしてくるさ」

 

 私はそう答えるとニュー・ブリスベーンにおける遭遇戦に関しての報告書を読む。偵察に出た麾下の第二六一巡航群――ハウサーが指揮する部隊だ――が同じく偵察に出てきていたと思われる同盟の偵察部隊と遭遇し、これを散々に打ち破ったのだが作戦部の評価は二分していた。詳細は省くが、敵の偵察部隊は第二六一巡航群の三倍の戦力を有していたのだが、ハウサーはそれによる相手指揮官の油断を突き、これを散々に打ち破った。

 

 その戦術手腕に関して問題視する者は居ないが、そもそも数で勝る敵の偵察部隊と交戦する必要があったのかという点でエルラッハ作戦副部長やシュターデン作戦参謀が疑念を示している。戦力保全を第一とすべき状況であり、第二六一巡航群は交戦を避ける選択肢があったにも関わらずこれの検討を怠っており、ハウサー中佐が適切な判断をしたとは言えない、との意見だ。……エルラッハとハウサーは幼年学校以来の友人であるが、そういう関係を職務に持ちこむことをエルラッハは嫌う。それはエルラッハの美点であり、欠点であるようにも思われる。

 

 一方でエッシェンバッハ作戦部長はハウサー司令の判断に理解を示しており、他の作戦参謀にも支持する者が少なくない。交戦を避ける選択肢を選んだとしても確実に離脱できるとは断言できず、またニュー・ブリスベーンの位置関係を考慮すれば、最悪追撃によって帝国軍の仮説基地が同盟軍に露見することすら有り得る。仮に敵部隊を撃退する術があるのならばそれが無謀で無い限りは採用しても良いだろう、とまあ大体そういう意見である。

 

「少尉。君はどう思う?」

「小官にハウサー司令のような用兵手腕はありませんが……。私見を述べるのであればハウサー司令の判断は間違っていないかと思います」

「ほう……。エッシェンバッハ作戦部長たちと同じ意見か」

「はい。ハウサー司令は恐らくやろうと思えば叛乱軍の追撃を振り切って撤退することも出来たでしょう。しかし、戦隊全体の士気を考えて敢えて積極策に出たのだと考えます」

 

 私は納得する。確かにシュタインメッツ少尉の言う通りだ。

 

 宇宙歴七六八年一月一一日、派遣艦隊がドラゴニアに到着して約半年が経った。その間、『ドラゴニア特別派遣艦隊』は同盟軍の活動が低調だったこともあり、僅か一万隻という少数ながらも「帝国地上軍の支援」という作戦目標を十分に果たしていた。……しかしながら、それにもかかわらず各部隊での士気の低下が著しい。

 

 原因は言うまでも無い。……長い帝国史上において、一年八か月も皇帝の座が空位だったことなど一度も無い。兵士たちは極々素朴に自分たちの皇帝を誇りに思い、皇帝の為に命を賭ける。歴代の皇帝は自らの為に血を流す兵士たちを(帝国基準では)厚遇してきた。兵士たちはその厚遇に恩義を感じ、皇帝に忠誠を誓う。皇帝が居なければ一体誰に忠誠を誓えというのか?自らの血を誰の為に流せというのか?戦友たちは一体誰の為に死んでいるのか?

 

 その答えの一つは第一分艦隊や第一一特派戦隊にあるだろう。ミュッケンベルガー少将は自らの威風で、メルカッツ准将は自らの人徳で兵士たちの士気を維持している。皇帝が居ない以上、指揮官が兵士の偶像となるしかない。

 

「なるほどな……。確かに第一二特派戦隊でも士気の低下が目立ち始めている。ブレンターノ法務部長とペイン憲兵隊長も兵士同士のトラブルや職務怠慢が増加していることに危機感を抱いていた。ハウサーの快勝を喧伝すれば少なからず兵士たちの士気が回復するか」

「ええ。しかしながらハウサー司令と各戦隊司令には釘を刺す必要もあるかと考えます。独断専行という程の事ではありませんが、それでもハウサー司令は予め閣下と話をしておくべきでした。組織の秩序維持と危機管理の観点から考えるとハウサー司令の判断は危険でもあります」

「君の言う通りだな……。帝国軍人は全体的に功を焦る風潮がある。第一二特派戦隊は司令官の私からして武功に拘らない姿勢を示しているから麾下の司令たちも内心はどうあれ大人しくしている。ハウサーの判断を全肯定すると他の連中も『悪癖』を発症しかねん」

 

 私は苦々しい表情を浮かべているだろう。私の麾下についた指揮官は半数が父の元帥府に所属しているか私と個人的な面識がある。もう半数も独立艦隊の叩き上げや中央艦隊で経験を積んだエリートたちだ。能力的な質に関しては申し分ないのだが、どうにも功績に飢えたところがある。それでも軍隊秩序かライヘンバッハの名前が効いているのか私は何とか彼らを統制出来ている。

 

「シュタインメッツ少尉。君の意見は参考になった。私は君を頼りにしている。これからも支えてくれ」

「恐縮です。……しかしながら閣下。小官は未だ一七歳の若造ですし、士官学校すら出ておりません。勿論軍の中央で勤務した経験もありません。閣下やクラーゼン中佐、シュターデン大尉はそんな私にも目をかけてくださいますが、客観的に申し上げて小官は閣下の副官として相応しい人材とは言えません」

「ふむ……。私はそうは思わないがな?」

「客観的な話をしております。閣下に重用していただけるのは光栄ですが、他者から見たときに小官はそれに相応しい理由を何一つ有していないのです。閣下が小官を重用することは司令部に不和を招くことになりかねない、と愚考いたします」

 

 シュタインメッツ少尉は真っ直ぐに私を見つめながらそういった。どうやら私は諫められたらしい。なるほど、私は後の名将カール・ロベルト・シュタインメッツを知るが、他人はそれを知らない。何故私が彼を重用するのか、納得のいかない人間は少なくないだろう。……特にこの戦隊にはシュタインメッツ少尉よりも長く私と付きあいのある友人たちが多く属している。私が彼らよりもシュタインメッツ少尉を信頼するのはどう考えても不合理だ。

 

「覚えておこう。だが君に期待していることは変わらないよ」

 

 私は笑いながらそう返した。

 

 

 

 

「ふむ。いつ気づくかと思っていたが、まさか副官の方が先に気づくとは思わなかったな」

「どういう意味だ?」

 

 ラルフはそう言いながらワイングラスを傾ける。私は友人であり部下であるラルフ・ヘンドリック・フォン・クラーゼンと士官専用ラウンジで飲んでいた。

 

「君があの副官を重用していることを疑問に思う人間は少なくなかったという事さ。彼が門閥の出身だったり、士官学校の首席卒業者だったり、あるいは……とんでもない美少年だったりしたらまだ分かるんだけどね。どうにもそういう訳じゃなさそうだ。私は君がノーマルなのを知っているしね」

「……彼は優秀だ。信頼して何が悪い」

 

 私はラルフの言い様に少し不機嫌になりながら応じる。私もワインを喉に流し込んだ。

 

「あの副官に才能があるのは見れば分かるさ。だがアルベルト、君は第四猟兵分艦隊司令部の士官名簿を見た瞬間即決でカール・ロベルト・シュタインメッツを副官にすることを決めたというじゃないか」

「噂に惑わされないでくれ。若い平民の士官をリストアップして、その中で特にシュタインメッツ少尉が私の副官に適しているという結論になった」

「その根拠は?」

 

 ラルフは笑いながら尋ねてくるが、まさか「前世の物語で活躍した~」なんて言える訳も無い。一応言い訳も考えてはいるが……。

 

「過去一〇年でノイシュタット幼年学校を優等で卒業した生徒の九一%が爵位持ちだ。彼は貴重な九%の側だった」

「ヘルゲンシュタイン幼年学校も条件じゃ変わらない」

 

 ほら見たことか。抜け目のないこいつの事だ。私の言い訳など調べ上げた情報で大体封じているのだろう。副官の最終候補に残った、とある平民士官の出身校がヘルゲンシュタインだ。過去一〇年で幼年学校を優等で卒業した生徒の九二%が爵位持ちである。

 

 私はお手上げのポーズをした。他にも色々と言い訳を考えていたが、今の言い訳が通じないなら残りも無駄だろう。……ラルフの追及を予測した私はシュタインメッツ少尉の経歴を調べ上げて尤もらしい理由をいくつか創作したのだが、その中で最も統計を取るのに時間がかかり、またラルフを誤魔化せる自信のあった理由がこれだ。

 

「……ま、深くは訊かんさ。君とは引き続き友人で居たいし、私は別に誰が木槌(ギャベル)を打とうが構わない。私に関係が無い限りはね」

「何を言ってるんだ?」

 

 ラルフはどうも私やクルトに裏があることに気づいているらしい。木槌というのは議会の暗喩か、裁判所の暗喩か。しかしながらシュタインメッツ少尉の不可解な抜擢も私たちの裏側と関係があると思っている様子を見ると、やはり核心にまでは到達していなかったのだろう。

 

「さて、アルベルト。君に渡したいものがあるんだがな」

 

 ラルフはニヤニヤしながらバックから一冊の本を取り出す。

 

「大ベストセラーとなりつつあるヨハン・コナー作の『平民階級とは何か』……中々刺激的な出だしじゃないか。『平民階級とは何か?全てである。今日まで何であったか?無である。何を要求するのか?それ相応のものに』」

 

 ラルフは肩を竦めるとそのまま本を私に差し出してきた。

 

「お前……!何でそんなモノを持ってるんだ!?予め遠征に持ち込んでたのか!?」

 

 私は驚愕せざるを得なかった。

 

 『平民階級とは何か』とは去年の暮れごろから開明派の後押しで帝国中に流通し始めた啓蒙本の一つだが、その中でも特に過激な――時代が時代なら禁書指定されているだろう――モノである。元々、宇宙歴七五七年にメクレンブルク=フォアポンメルン行政区のブラッケ侯爵領で出版され、その後一部開明派貴族の領地や辺境自治区で読まれていた本だったが、去年ブラッケ侯爵とリヒター子爵の開明派二大巨頭が帝都での出版を強行した。

 

 当然ながらその内容は内務省情報出版統制局と社会秩序維持局に問題視されたのだが、ブラッケ侯爵ら開明派は弾圧に動いた両局を激しく批判。その結果最初は殆ど注目されていなかった『平民階級とは何か』に注目が集まり、帝都や中央地域の市民に広くその内容を知られることになった。

 

 ブラッケ侯爵はオトフリート三世猜疑帝の外孫であり、リヒター子爵はオトフリート四世強精帝の五男である。その他の開明派もこれまでの体制内改革派とは違いそれなりの地位にある人物ばかりだ。社会秩序維持局も遠慮して最初は穏便に済ませようとしていたが、ブラッケ侯爵らの抵抗は激しくついに実力行使に移った。

 

 宇宙歴七六七年一一月二八日。社会秩序維持局は内務尚書ノイエ・シュタウフェン侯爵の名前で、帝都防衛軍司令官カール・フェルディナント・フォン・インゴルシュタット、枢密院議員コンラート・フォン・バルトバッフェルの両名に参考人として出頭を命じるが両名は拒否。ならばと保安警察庁の部隊を動かして両名を拘束しようとするが、保安警察庁公安部長のシュテファン・フォン・ハルテンベルク伯爵らが意図的な不協力行為によって妨害。結果としてバルトバッフェル子爵とインゴルシュタット宇宙軍中将の帝都防衛軍司令部籠城を許してしまうことになる。

 

 そして同時に平民に人気のあるブラッケ侯爵やリヒター子爵らが街を練り歩き、社会秩序維持局の不当性を声をからして訴え、インゴルシュタット宇宙軍中将とバルトバッフェル子爵の潔白を叫ぶ。それを聞いた三部会の平民議員が中心となり帝都の活動的な市民約四〇〇〇名が両名を救うために帝都防衛軍司令部の周囲に集まった。

 

 群衆を解散させるべく、即座に保安警察庁の機動隊が動員されたが士気は低かった。そもそも保安警察庁は社会秩序維持局に良い感情を持っていない。両組織の確執は古くは銀河連邦末期まで遡る。ハルテンベルク伯爵らの行動も社会秩序維持局に対する反感と保安警察庁の職権拡大を目指す意図があったのだろう。

 

 宇宙歴七六七年一二月四日。クレメンツ大公が開明派を支持する声明を発表する。その数時間後にはオーディン高等法院が社会秩序維持局によるインゴルシュタット中将、バルトバッフェル子爵の出頭命令を無効と判示する。この報せを受けた社会秩序維持局は大きな衝撃を受けた。

 

 内務省報道出版統制局や保安警察庁がリヒャルト大公派の牙城となっていた為に社会秩序維持局はクレメンツ大公寄りの姿勢を取ってきていた。平民を支持基盤の一つとするクレメンツ大公が開明派との対立を望んでいないことは社会秩序維持局も分かっていた。とはいえ、開明派と社会秩序維持局を天秤にかければ常識的に考えて後者を取る。まして法と伝統を無視しているのは開明派の方だ。クレメンツ大公の理解も得られるだろう……。社会秩序維持局の高官たちはそう考えていた。

 

『昨日の敵は今日の友、今日の友は明日の仇。昨今の宮廷はまさしくそのような有様と言うのに何故自分たちだけは特別だと考えていたのだろうな?』

 

 後に司法尚書ルーゲ侯爵は交友のあるリヒターに対して肩を竦めながらそう語ったと聞く。……そう語ったルーゲ侯爵も後に「友人」リヒターらに主導された開明派によって地位を追われることになるのだから皮肉な話だ。

 

 宇宙歴七六七年一二月六日。リヒャルト大公と国務尚書アンドレアス公爵が仲裁に乗り出したことを受け、社会秩序維持局はバルトバッフェル子爵とインゴルシュタット中将の検挙を断念する。一応『平民階級とは何か』の出版に二年の期限を定めることに成功するが、量的制限が無い以上は大して意味が無いだろう。その期限が来るまでに帝国領内に大量の危険文書がいきわたる筈だ。社会秩序維持局の役人たちはその未来を思い一様に暗い表情になったという。

 

「まさか。遠征前にはまだ帝都じゃ流通していなかっただろう?……クルトの奴がヴィンツェルに無理を言って取り寄せさせたらしい。明らかな職権濫用だし、こんな代物を取り寄せさせるなんてブレンターノ法務部長に伝えたら大問題になるだろうな。……それとも見て見ぬふりをするのかな?法務部長も君たちと仲が良さそうじゃないか」

 

 ラルフはくつくつと笑っている。私は思わず頭を抱えた。クルトは馬鹿なのだろうか?あの本狂いは結局死ぬまで治らないのだろうな。……『平民階級とは何か』にクルトが飛びつかない訳が無いとは思っていたが、まさか後方部長のヴィンツェルに頼んで戦地まで届けさせるとは、あの時ばかりは流石に呆れ果てた。

 

「……あのバカ……」

 

 私はラルフから本を預かる。私も気にはなっていたが……流石に非合法なルートで戦地に取り寄せようとは思わない。クルトが機関ではなく後方部長のヴィンツェルを頼ったのも私が反対すると分かっていたからだろう。

 

「……これは独り言だけどね。こんな代物をばら撒いて君たちは何処を目指してるんだ?」

 

 ラルフは真剣な表情で尋ねるが、そんなことを聞かれても答えられる訳が無い。帝都の状況を詳細に把握している訳じゃないが、両大公による帝位継承権争いも開明派を軸とする騒乱も機関のコントロール下に置かれているとは到底思えない。間違いなくこの状況は特定の勢力の意図によって作られたモノではない。

 

「……とりあえずは来月のドラゴニア星系強襲を成功させたいね。後の事は分からないよ」

 

 私は手元の『平民階級とは何か』に目線を落とす。このような過激な文章が合法的に流通しているのだから、この国は専制国家として末期に入ってきているのかもしれない。あるいは、リヒャルト大公やクレメンツ大公は即位したとしても後世からロクな呼ばれ方をしないだろう……。私はそんなことを考えていた。

 




注釈18
 ヨハン・コナーの『平民階級とは何か』とはフランス革命に多大な影響を与えたエマニュエル=ジョセフ・シエイエスの『第三階級とは何か』を意識した……というよりも明らかにその内容を模倣して書かれた本である。特にその出だしは完全に『第三階級とは何か』と同じであり、内容に関しても国民主権という概念や代議員制に深く踏み込んだ内容になっている。

 なお、ヨハン・コナーなる名前は偽名であり、本来の著者は恐らく帝国大学歴史学部名誉教授ブルーノ・フォン・ヴェストパーレ男爵であると推測される。この推測が正しければ偽名のヨハン・コナーは北方連合国家陸軍少将ジョン・パトリック・コナーから取られていると思われる。

 ジョン・パトリック・コナーの人生は地球時代を題材としたドラマなどで何度も描かれているが、それによると一三日戦争の到来を予測し、その回避に尽力した人物とされている。また、一三日戦争後には北米大陸各地の残存陸軍部隊を集めレジスタンスを結成、自由を取り戻すべく暴走した無人兵器群の殲滅に尽力し、多くの人々を守ったという。その名声は高く、救世主とさえ呼ばれていたそうだが、ロサンゼルスの戦いで戦死、または暗殺されたらしい。

 ただし、実際にジョン・パトリック・コナーに関して残る資料は極めて少なく、北方連合国家の軍部良識派に属し、一三日戦争後にカリフォルニア地域の軍閥のトップであったことしか判明していない。その他の「レジスタンス結成」「無人兵器群との戦い」「救世主と呼ばれた」「ロサンゼルスで暗殺」等のエピソードを証明する歴史的資料は現存しない。しかしながら、架空の話としてはあまりにも様々な時代、様々な媒体で「英雄ジョン・コナー」のエピソードが語られているために、数度の戦乱の中でこれらを裏付ける資料が散逸したと思われる。

 なお、私が生前にアルベルト・フォン・ライヘンバッハ伯爵に対してこの話をした際には引き攣った笑みを浮かべながら「……まあ、一三日戦争は私の守備範囲外だから良いよ」と語っていた。

注釈19
『平民階級とは何か』を巡る一連の社会秩序維持局と開明派の対立を振り返った元社会秩序維持局職員の手記が手元に存在するので内容を一部ここに引用したい。

『……当時の開明派の勢力はまだ社会秩序維持局にとって対処可能な範囲内だった。しかしながら、開明派は平民の心を掴むことで間接的に当時の政治権力者の二五%以上を味方につけていた。社会の安定か派閥の勝利を優先する二五%強の権力者にとっては社会秩序維持局こそが騒乱の原因であったと言える……(中略)……二人の大公の勢力が拮抗している状況下において、二五%というのはキャスティングボードを握るに足る数字であった。我々の失敗の原因は自分たちが常に多数派に属していると錯覚していたことである。あの時、あの瞬間において我々は一派閥の少数派に過ぎず、大して開明派は多数派内の多数派となり得ていたのだ……』


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青年期・ドラゴニアの大敗(宇宙歴768年1月20日~宇宙歴768年2月17日)

 宇宙歴七六八年一月二〇日。私はホログラム通信を使い『ドラゴニア特別派遣艦隊』の部隊長会議に出席した。この会議には司令部参謀の部長クラスと戦隊司令、師団長クラスまでの全指揮官が出席する。議題は来月下旬に決行されるドラゴニア星系基地に対する強襲作戦についてである。

 

 ドラゴニア星系基地強襲作戦の話が最初に浮かんだのは去年の暮れ頃だ。背景には自由惑星同盟側で反戦運動が大きな盛り上がりを見せ、ドラゴニア全域に派遣されている同盟宇宙艦隊の活動が低調になっていることがある。その大きな理由として、要塞建設を望むフェザーンの献身的な努力もあったらしいが、元々同盟内部でも第二次ティアマト会戦後の総力戦体制に対する不満は存在していた。それがここにきて一気に爆発したという事だろう。

 

「壊滅的な打撃を与えられた帝国宇宙軍は少なく見積もって二〇年は同盟領に侵攻出来ない。ならば今こそ民力休養の時期ではないか?大英雄ブルース・アッシュビーが稼いだ時間を使い、同盟の地力を上げるべく予算を投じるべきではないか?この機に乗じて帝国領土を攻めたとしても、これまで帝国を苦しめてきた『距離の防壁』が、『距離の暴虐』と化して我々に襲い掛かってくるだろう」

 

 避戦派の代表的な論客だったエドワード・ヤングブラッド上院議員は議会でそう発言した。本題とは関係が無いが、一応、彼を含む初期の避戦派の大半が反アッシュビー派と重なっていた事実は指摘しておこう。

 

 絶大な名声を持つジャスパー、ヴォーリックら七三〇年マフィアが帝国辺境地域の奪取を主張し、当時の多数派市民がこの方針を熱烈に歓迎したことでこれら避戦派の声は退けられた。しかしながら、宇宙歴七四七年の第三次エルザス会戦におけるジャスパーの大敗、宇宙歴七五一年の第一次パランティア星域会戦におけるコープの戦死、宇宙歴七六一年のリューベック侵攻作戦の失敗等によって少しずつ反戦派・避戦派の勢力が拡大していくことになる。

 

 尤も、宇宙歴七六三年に帝国軍の大規模侵攻によってドラゴニア星系基地が失陥し、さらにイゼルローン回廊に要塞が建設されていることが判明すると一気に同盟世論は沸騰し、避戦論・反戦論をかき消した。その興奮はすさまじく、ついに「国家存亡の危機である」として同盟議会で国家総動員法が可決するに至った。歴史上、同盟に国家総動員法が存在したのはダゴン星域会戦前後の一三年間だけである。つまり帝国軍の動きは同盟の民衆にダゴン並みの危機感を抱かせたということだ。

 

 しかしながら、大半の同盟市民が予想していたように帝国艦隊がドラゴニア星系基地から同盟辺境星域を脅かすようなことは無く、また要塞の建設工事自体も、遅々として進む気配が無い。……帝国側は同盟も要塞も放置して見苦しい政争に熱中し、結果として要塞建設どころかドラゴニア辺境軍管区の維持にも支障が出るという醜態を晒していた。この有様を見た同盟市民たちは国家総動員法や軍拡の必要性に疑問を持ち始めることになる。

 

 宇宙歴七六六年、同盟議会の統一選挙を前にジャスパー元帥はドラゴニア辺境軍管区への大規模反攻作戦を実施する。この作戦は想定以上の損害を出した上に肝心の要塞破壊には失敗する。とはいえ、ドラゴニア星系基地の奪取とドラゴニア辺境軍管区の制宙権を確保した事実は同盟軍の勝利を喧伝するに足り、反戦論を一時的に抑え込むことに成功した。……そう一時的にである。

 

 帝国地上軍はドラゴニア辺境軍管区の各地で抵抗を続け、それを鎮圧する為に大規模な地上軍部隊が派遣された。しかしながら、明らかに投じる資金・物資・人命とそれによって得られる戦果が釣り合っていなかった。例を挙げれば惑星ソンムではファルケンハイン中将が作り上げた塹壕陣地を前に同盟軍は僅か一二kmしか前進できなかった。……一四万の死傷者と引き換えに。

 

 政府、国防委員会、統合作戦本部は戦況が同盟側優位であることと、各惑星への攻撃が必要であること、既に帝国地上軍は激しく消耗していることなどを再三に渡って強調したが。が、一二月上旬のアドベント攻勢、特にドラゴニア星系基地が炎上する様子がフェザーン系メディアなどによって大々的に放映されたことをきっかけに市民の不満が爆発した。

 

 これまで「帝国地上軍の瓦解は最早時間の問題」と国民に説明していたフィルダート最高評議会議長は急遽会見を開き、これまで国民に行っていた説明が誤っていたことを認め、次期議長選挙に立候補しないことを表明したがそれでも反戦運動が収まる気配は無かった

 

 そんな同盟の混乱を見たからこそ『ドラゴニア特別派遣艦隊』の中でも一度ドラゴニア星系基地とそこに籠る同盟艦隊を叩いてみても良いのではないか?という話が出てきたという訳だ。……尤も、まさかこんなやり方をするつもりだったとは知らなかったが。

 

「『ドラゴニア星系基地を熱核兵器で破壊せよ』ですか。非常に信じ難い命令ではありますが……小官は軍人です。それが正式な命令である以上従いはしましょう。ただそれはそれとして作戦の細部に関して数点疑念があります」

 

 私は不愉快さを飲み込み務めて淡々と質問する。私を含む部隊司令官たちは今この場で初めてドラゴニア星系基地攻撃に熱核兵器を使用するという話を聞いたのだ。しかも、その事は既に統帥本部の許可を受けているという。信じ難いことに派遣艦隊司令部の一部が独断で熱核兵器を使用する作戦案を統帥本部に持ち込み、既成事実を作ってしまったらしい。後でシュトローゼマンに聞いた話だと、司令部の参謀ですら作戦部の一部が知っていた位だったという。

 

「ふむ、聞こうか」

 

 私の発言に対してヒルデスハイム准将が鷹揚に応える。私はその態度に少し苛立ちを覚えながら続けた。

 

「まずは攻撃目標に関してです。ドラゴニア星系基地を破壊するのは宜しい。その為に熱核兵器を使用することも、まあそれが命令である以上は仕方がないでしょう。しかしながら惑星『全域』に対して熱核兵器を投下するなど正気の沙汰とは到底思えません。司令官閣下は今なお多くの帝国軍将兵がドラゴニア三で抗戦していることを知らない訳では無いでしょう」

「無論知っているとも。彼らの献身的な戦いぶりには頭が下がる思いだ」

 

 私はシュムーデ中将に向かって発言したがヒルデスハイム准将が応える。私はその事に対して不愉快さを隠しきれなくなっていたが、淡々と続ける。

 

「惑星全域に熱核攻撃を実施するということは、オフレッサー地上軍少将以下約三〇万の将兵を見捨てるということです。……我々の手で殺すといっても過言ではない。それでも核攻撃をやると?」

「ドラゴニア三の基地だけを破壊したとしてもその効果は一時的な物に過ぎない。我々の隙をついてやつらは基地を再建するだろう。遺憾ながら現状の帝国軍にドラゴニア辺境軍管区に充分な戦力を送る余裕は無く、叛乱軍の基地再建設を防ぐことは難しい」

 

 ヒルデスハイム准将は滔々と語る。私以外の諸将もドラゴニア三の熱核攻撃に対しては不満を抱いている。ヒルデスハイム准将の語り口は諸将に言い聞かせるような響きを含んでいた。

 

「ならばそもそもドラゴニア三自体の居住環境を悪化させ、正規艦隊の恒久的な基地建設を不可能にするべきだ。確かにドラゴニア三に取り残されながらも抵抗を続ける将兵たちには同情する。しかしながら、情に流され大局を見誤ることは避けなくてはならないのだ」

「司令官閣下も同じ考えですか?」

 

 私は先程から黙っているシュムーデ中将に語り掛けた。

 

「……オフレッサー少将ら装甲擲弾兵師団はグローテヴォール大将から撤収を許可されたにも関わらず、死地に留まることを選んだという。彼らは命を祖国の為に捨てる覚悟をしているはずだ」

 

 シュムーデ中将はしばし黙った後、私にそう答えた。

 

「それは祖国を信じているからでしょう!祖国は今の所オフレッサー少将やドラゴニア辺境軍管区の将兵たちの期待を裏切り続けている、その上我々までがドラゴニア三の残存部隊を惑星諸共焼き尽くすなど……!」

 

 私は自らの昂った感情を何とか抑えた。危険な発言ではあったかもしれないが、実際帝都の馬鹿貴族共の政争によって一番苦しめられているのはこのドラゴニアの将兵だ。そして我々はそんな現状に業を煮やした先代の帝国軍三長官の強権で動員された部隊ではないか。力及ばず見捨てることは仕方ないかもしれないが、主体的に核の炎で焼き尽くそうとするなど……信じられない話だ。

 

「……そもそも今更ドラゴニア三の基地機能を失わせる必要性を感じませんな。無論、あの基地に駐留する同盟軍艦隊が邪魔であることは間違いない。しかしながら懸けるリスクと得られるリターンに差があり過ぎる」

 

 私が言葉を途中で切った為に一瞬会議の場が静まるが、そこでカイザーリング准将が落ち着いた口調で質問した。

 

「祖国は大きな勝利を必要としている、という事だろう。戦略的な理由ではなく、政略的な理由で、な。……いや大きな勝利を必要としているのは祖国だけでもないか」

 

 第三近衛旅団長ラムスドルフ准将が皮肉気な口調で発言しつつ、シュムーデ中将、ゾンネンフェルス少将、ヒルデスハイム准将に目線をやった。

 

 ……歴史上、国内の不満を対外的な勝利によって解消しようとした国家の例は枚挙に暇がない。帝国もまた例外ではないという事だ。それはそれとしてシュムーデ中将、ゾンネンフェルス少将、ヒルデスハイム准将は個人的な理由から勝利――功績と言い換えても良い――を求めていた。

 

 シュムーデ中将は便利屋の如く使われ続ける不満、ゾンネンフェルス少将は同期ミュッケンベルガー少将の軍功に対する焦燥、ヒルデスハイム准将はブラウンシュヴァイク公爵の意向に対する忖度。私もその事に勘付いてはいたが、ラムスドルフはよりハッキリとそれに気づいていたのだろう。

 

 その後、諸将から作戦の細かい点について様々な質問が行われたが、結局作戦自体の実行は決まっている以上、私の発言も含めて全てが時間の無駄だった。ミュッケンベルガー少将やメルカッツ准将はそれを分かっているからか何も発言しなかった。しかしその顔色を見れば二人に発言したいことが無かった訳ではないということは分かったはずだ。

 

「それではこれにて部隊長会議を終了する。各員の奮励努力を期待する」

 

 シュムーデ中将が最後にそう言った時、会議室は重い空気に包まれていた。私も敬礼の後ホログラム通信を切り、思わず天を仰いだ。

 

 

 

 

 宇宙歴七六八年二月一七日。ドラゴニア特別派遣艦隊に属する各部隊はドラゴニア星系基地を目指して各仮設基地を出立した。当初の作戦案ではラインドル星系での集結後ドラゴニア星系に向かうことになっていたが、ゾンネンフェルス参謀長がこれを変更させた。

 

「ラインドル星系で一度集結すればドラゴニア星系の同盟軍がこちらの意図に気づく可能性がある。ここは奇襲の効果を最大限高める為に分艦隊・戦隊規模で同盟軍の警戒網を抜けた後、ドラゴニア星系外縁部で合流するべきだ」

 

 こうしてドラゴニア特別派遣艦隊と青色槍騎兵艦隊・第一辺境艦隊の残党を併せた計一万四〇〇〇隻が小部隊に分かれてドラゴニア星系を目指すことになった。ドラゴニア星系には第五艦隊と第八艦隊の拠点が置かれていたが、惑星シルヴァーナを包囲していた一個分艦隊のようにドラゴニア辺境軍管区の各地に散らばっており、戦力差は殆ど無い。仮に帝国側が奇襲を成功させれば、勝算は十分にあるといえる。

 

「尤も……『奇襲を成功させれば』の話だけどね」

 

 私は小さな声で呟いた。……我々ジークマイスター機関の目的はイゼルローン要塞の建設阻止だ。現状ジークマイスター機関は帝都の政争や同盟における反戦運動の高まりといった諸々の状況に対して殆ど影響を及ぼせていない。帝都では二人の大公と開明派がしのぎを削り、同盟ではフェザーン・ジャスパー派・反ジャスパー派・辺境諸地域の思惑が絡み合っている。機関の介入する余地は無い。だがそれでも状況を利用することは可能だ。

 

「偵察艦から報告です!前方の宙域に叛乱軍です!数はおよそ三〇〇」

「何!?何故そんな所に叛徒共の艦隊が居る?気づかれたのか?」

 

 レンネンカンプ参謀長の顔には焦りが浮かんでいる。

 

「分かりませんが、叛乱軍艦隊に目立った動きはないとのこと」

「ふむ……この辺りは恒星バッハの活動が不安定な為にレーダーや通信に支障が出やすい。叛乱軍艦隊がこちらに気づいていない可能性もゼロでは無いでしょう」

「しかしドラゴニア星系への到着時刻を考えると迂回は難しいです」

「そうだ。となるとここはリスクを冒してでも叛乱軍艦隊を突破することを考えなくてはなるまい」

 

 クラーゼン情報部長が意見を述べ、シュターデン作戦参謀とエッシェンバッハ作戦部長が補足する。

 

「ふむ……参謀長はどう思う?」

「この状況では仕方ないでしょうな……」

「お待ちください」

 

 そこにシュタインメッツ少尉が割り込んだ。顔色は悪いが、堂々とした口調で私たちに発言する。……シュタインメッツ少尉は常に「分を弁えた」副官として振舞っていた。彼が参謀たちの話を遮って自分の意見を述べるのは初めてである。

 

「目の前の艦隊がこちらの動きに気づいていないと考えるのは早計かと思われます。この恒星バッハは赤色超巨星であり、完全に叛乱軍側の勢力圏内です。よって激戦区ドラゴニア辺境軍管区においてもただの一度も戦場となったことはありません。単艦規模まで含めてもです。何故なら戦場とするにはあまりに状態が悪く、また戦略的にも何ら意義を持たない恒星系だからです」

「ふむ、それで?」

「そんな恒星系に何故このタイミングに限って叛徒共の艦隊が展開しているのでしょうか?三〇〇隻というこのような星系に派遣するには多すぎる艦艇数も気になります。いや、むしろもっと多いならばまだ分かります。その場合は恐らくこの戦隊の動きを叛乱軍側が察知し、その迎撃に出てきたと考えるのが自然でしょう」

 

 シュタインメッツ少尉は澱みの無い口調で説明する。

 

「……それで?貴官は何を言いたいのだ?」

「はい。小官は眼前の艦隊が我々を誘っているモノと考えます。その場合、状況は最悪といえるでしょう。単にドラゴニア侵攻作戦を叛乱軍側が察知したというだけの話では無く、恐らく作戦立案の段階から詳細な情報が叛乱軍側に漏れており、それによって叛乱軍側が我々の作戦を逆用し、各個撃破に出てきたということになりますから」

 

 参謀たちがざわつく。

 

「考えすぎではないのか?」

「……いや、そういうことも有り得るんじゃないですかね?帝国が一枚岩じゃないのは、帝都を見れば良く分かります」

 

 レンネンカンプ参謀長がそう疑念を呈するが、クラーゼン情報部長が意味ありげな視線をこちらに向けた後でシュタインメッツ少尉に同調した。とはいえ参謀たちの間では懐疑的な声が強い。当たり前だろう。シュタインメッツ少尉の意見は情報が流出している可能性を示唆している。

 

「私はシュタインメッツ少尉の意見にも一理あると思う。とりあえず我々は目前の艦隊を攻撃する素振りを見せるべきだ。その上で索敵を強化し、他に叛乱軍の部隊が潜んでいないかを確認しよう」

「しかしそれでは時間がかかりますし、目前の艦隊が仮にただの警備艦隊だったとすれば、我々が索敵を行っている間に、ドラゴニア星系基地に連絡が行くかもしれません」

 

 エッシェンバッハ作戦部長が意見を述べたが、私は首を振る。

 

「それでもこの状況は不自然に過ぎる。多少時間が余計にかかるとしてもここは一度索敵を徹底するべきだ」

 

 私の命令で二五隻の偵察艦が改めてバッハ恒星系の索敵に加わる。その間、第一二特派戦隊はゆっくりと前方の同盟艦隊に対して回り込むような動きで接近していく。

 

「……ルートⅪより報告です!第二惑星軌道上に叛乱軍艦隊を確認!」

「ボンCDXCIIIより報告!八時の方向に叛乱軍艦隊凡そ四〇〇隻」

 

 偵察艦より続々と報告が集まる。やはり同盟艦隊はこのバッハ恒星系で第一二特派戦隊を密かに包囲するつもりだったらしい。シュタインメッツ少尉の洞察が大正解だ。そして私の予測も大正解だ。……いうまでも無い事だが、シュタインメッツ少尉の洞察は正しい。今回のドラゴニア侵攻作戦に関してはジークマイスター機関が情報を同盟側に流した。今頃各部隊は同盟軍から袋叩きにあっている筈だ。

 

 当然、私には同盟側が第一二特派戦隊を襲うならばこのバッハ恒星系だろうと予測はついていた。だが、だからといってそこから逃げる訳にもいかない。もし各部隊が同盟の罠に引っ掛かって大損害を受けたとしよう。その時私の部隊だけが同盟の罠を華麗に回避した(あるいは私の部隊だけが襲われなかった)とする。その状況で私を裏切り者だと特定できない間抜けが帝国軍に居るとは思えない。

 

「馬鹿な……包囲されているだと……」

 

 エルラッハ作戦副部長が愕然とした表情でそう言った。少なくない参謀が動揺している。第一二特派戦隊の戦力は約九〇〇隻。対して現状把握できているだけでも同盟艦隊は二〇〇〇隻弱をこのバッハ恒星系に展開させているようだ。同盟軍はジークマイスター機関の流した情報を最大限活用したようだ。恐らくドラゴニア辺境軍管区に散らばっていた艦隊の大半を集めて、帝国の侵攻軍に対する攻撃部隊として配置したのだろう。

 

「狼狽えるな!状況は悪いが最悪じゃない。我々は敵の奇襲に気づくことが出来た。敵軍の機先を制するぞ!」

 

 私は冷静沈着に、如何にも自信有り気にそう叫ぶ。頼もしい指揮官に見えていただろうか?奇襲を予測していた分、他の参謀たちよりも落ち着いていたはずだとは思う。

 

「参謀長!この布陣を見る限り、恐らく叛乱軍は我々を九時の方向へ誘い込みたいはずだ。そこで我々は前方の艦隊を中央突破した後、そのまま時計回りで三時の方向を突破してバッハ恒星系を離脱する」

「恒星のすぐそばを通ることになりますな。なるほど。あの不安定な恒星バッハの近くならば叛乱軍の伏兵も居ないだろう、ということですか」

「そうだ。叛乱軍の戦力にも限りはある。まさか我々が早々に恒星バッハに突っ込んでいくとは予想して、部隊を配置してはいないだろう」

 

 私は予め考えていた離脱策を参謀長に披露する。

 

「その方向性で良いでしょう。詳細は急ぎ作戦部と情報部で詰めます」

「宜しく頼む」

「叛乱軍各部隊に動きあり!我々に向かってきます」

「こちらが気づいたことに気づいたか。まあ良い。通信開け」

 

 私は通信機器に近づく。長距離ならともかく、戦隊全体に対してなら通信も繋がるようだ。実際に戦闘が始まれば寸断されることも有り得るだろうが。

 

『第一二特派戦隊司令官、アルベルト・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍准将である。現在、第一二特派戦隊は叛乱軍の包囲下に置かれている。危機的な状況であるといえるだろう。しかしながら叛乱軍は完成していない包囲網の為に広く分散している。我々は敵軍の機先を制し、バッハ恒星系を離脱することが十分に可能である。私、アルベルト・フォン・ライヘンバッハが殿を務めよう。諸君らは安心して為すべき使命に集中したまえ』

「司令官閣下!麾下各部隊に連絡完了しました」

「よし、全艦突撃隊形を取れ!目標は前方叛乱軍三〇〇隻。進め!撃て(ファイエル)!」

 

 第一二特派戦隊が一気に同盟艦隊に突っ込む。同盟艦隊は抗戦しようとせずにそのまま散り散りに逃げた。

 

「一一時、二時、四時の方向から砲撃!敵の伏兵です!」

「司令官閣下、後方の敵部隊が急速に距離を詰めています」

「構うものか!このまま二時の方向へ進め!敵伏兵部隊を牽制しつつバッハへ突っ込むぞ!」

 

 同盟艦隊は実に効果的に伏兵を配置していた。特に四時の方向から数百隻の部隊が強引に突っ込んできた時には戦隊を分断されそうになり肝を冷やしたが、第七四機動群――クルトの部隊である――が持ちこたえている間に逆に第二六一巡航群――ハウサーの部隊だ――が突撃してきた部隊に対して突撃を敢行し、強引に活路を切り開いた。

 

「第二六二巡航群司令インゲ中佐戦死!指揮権継承者のエーミール少佐と連絡が途絶。臨時で次席幕僚ナールバッハ大尉が指揮を執るとの事!」

「第一六地上支援群旗艦ベートーヴェンⅥ轟沈、司令デンプヴォルフ大佐の生死は不明!」

「耐えろ!このまま恒星に突っ込むぞ!」

 

 第一二特派戦隊は少なくない損害を出しながらも何とか持ちこたえながら恒星バッハへと接近する。この動きはやはり同盟側の想定とは違っていたらしく、慌てて遠方の部隊がこちらに向かっている。

 

「第五六打撃群副司令ヘルムホルツ中佐の乗艦であるロールシャッハⅢより救援要請、推力を失い恒星バッハに引き寄せられつつあるとのこと!」

「指揮系統の混乱は避けたい!周辺の艦に何とか牽引させろ!」

 

 ロールシャッハⅢだけではなく、複数の艦が脱落しバッハへと墜落しつつある。同盟艦隊は無理に追撃してきていないが、今も遠距離砲での攻撃を続けている。

 

「よし、バッハを抜けた!この機を逃すな、一気に距離を稼ぐぞ」

 

 その後、包囲を受けた第一二特派戦隊は同盟軍の追撃を辛くも凌ぎ、バッハ恒星系を離脱することに成功した。同時刻にはドラゴニア辺境軍管区の各地でドラゴニア星系基地を目指していた部隊が数で勝る同盟軍に敗退しており、特に本隊はラインドル星系において三倍の敵に包囲されることになった。

 

 ハンス・ヨーデル・フォン・シュムーデ宇宙軍中将以下司令部は激戦の中で行方不明となる。私の先輩であるシュトローゼマン人事部長も例外ではない。本隊自体は副司令官グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー宇宙軍少将の指揮の下、辛くもラインドル星系からの離脱に成功するが、当初三六〇〇隻を有していた本隊は最終的に半数以下の一五〇〇隻にまで撃ち減らされることになった。

 

 また、第三分艦隊司令官クリストフ・フォン・リブニッツ宇宙軍少将らが戦死。第二分艦隊司令官ワルター・フォン・バッセンハイム宇宙軍少将は第一六二混成師団の反乱で拘束され、同盟軍に引き渡されて虜囚となった。第四分艦隊司令官マティアス・フォン・ハルバーシュタット宇宙軍少将は戦死こそ免れたものの旗艦を沈められたことで重傷を負った。戦隊司令官、群司令クラスになると戦死者負傷者の数はさらに増える。

 

 まさしく大敗であった。……ジークマイスター機関の思惑通りの大敗であった。




注釈20
 銀河帝国ではクリスマスから逆算した四週間をアドベントと呼び、クリスマスを祝う風習がある。アドベント攻勢は丁度その機関にドラゴニア辺境軍管区に展開する帝国地上軍部隊が一斉に行った反攻である。
 ユリウス・ファルケンハイン地上軍中将、アルバート・フォン・オフレッサー地上軍少将らドラゴニア辺境軍管区の地上部隊指揮官たちはアスターテ会戦前に一つの約束をした。「毎年、クリスマス・アドベントまで健在ならば、一斉に反攻に出ることでそのことを戦友たちに知らせよう」というのがその内容である。
 しかしながら結局一年目・二年目にはそんな余裕は無く、『ドラゴニア特別派遣艦隊』の支援を受けることが出来た三年目の七六八年に初めて実行された。後にパトリック・アッテンボローが「伊達と酔狂だけを胸に半場ヤケクソで喧嘩を売った」と評したように到底作戦と呼べる代物では無かったが、同盟側の油断もあり想定上の戦果を挙げることに成功する。特に、オフレッサー地上軍少将の奇襲で混乱したドラゴニア星系基地の一区画が一時的に炎上した様子は同盟市民に大きな衝撃を与えた。


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青年期・『回廊の自由(フリーダム・オブ・コーリダー)』作戦(宇宙歴768年2月25日~宇宙歴768年4月26日)

 宇宙歴七六八年二月二五日。私はイゼルローン要塞の完成した区画の一室で、幕僚数名と共にテレビ放送を見ていた。画面には統合作戦本部長ロバート・フレデリック・チェンバース地上軍元帥、宇宙艦隊司令長官フレデリック・ジャスパー宇宙軍元帥、地上軍将官会議副議長兼ドラゴニア統合任務軍司令官ブライアン・エイジャックス地上軍大将、統合作戦本部次長メルヴィン・コッパーフィールド宇宙軍大将、宇宙艦隊総参謀長シルヴェール・ルグランジュ宇宙軍大将、第五艦隊司令官ステファン・ヒース宇宙軍中将、第八艦隊司令官クリフォード・ビロライネン宇宙軍中将の七名と帝国軍の軍服を着た一名が映し出されている。

 

 

『……我がシェーンコップ家の先祖、クルト・フォン・シェーンコップは宇宙軍大佐としてダゴンの会戦に従軍しておりました。彼はそこで熱核兵器の非人道性を目の当たりにし愕然とし、その有様を克明に記録した映像を遺しました』

 

 四〇代半ば程の端正な顔立ちをした帝国軍士官が先程から市民に対して語り掛けている。清潔で整った軍服、洗練された立ち振る舞い、穏やかな口調からは彼が上流階級の出身者であることが伝わってくる。

 

『私はそれ故にドラゴニア三への熱核攻撃実施には強く反対しました。人道的に許されるはずがない!幸い、幾人かの恥を知る帝国士官は私に同調してくださいました。しかし、シュムーデ提督ら大多数の将官の意識はダゴン時代から全く変わっていなかった!』

 

 壮年の士官は悲嘆に暮れた表情でそう語る。その姿を見た同盟の市民たちはきっと彼の無念を感じ同情するだろう。……大した役者だ。

 

『彼らはあなた方……様々な不幸によって道を違えたかつての同胞を同じ人間だとは考えていなかった!いや、それだけじゃない。ドラゴニア三には今なお少なくない数の帝国兵が居ます。しかし、彼らには下級貴族の率いる平民の部隊など全く眼中に無かった……。卑劣極まりない!私はその瞬間、かねてから考えていた亡命を実行に移すことを決意しました』

『パスカル・フォン・シェーンコップ地上軍准将の連絡を受け、我々ドラゴニア統合任務軍は急いで迎撃態勢を整えました。ギリギリのタイミングだったと言えるでしょう。シェーンコップ准将の連絡が無ければドラゴニア三が核攻撃を受けていた可能性は否定できません』

 

 シェーンコップ准将に続いて横の同盟軍士官が語る。第五艦隊司令官ステファン・ヒース宇宙軍中将だ。アッシュビーの作戦参謀を務めていた人物でジャスパー派の重鎮である。ヒース中将とビロライネン中将、そしてエイジャックス大将とシェーンコップ准将はホログラムで会見に参加している。

 

『我々の迎撃作戦は成功し、帝国軍のドラゴニア派遣艦隊は壊滅的な打撃を受けました。統合作戦本部の概算では帝国軍一万四〇〇〇隻の内、イゼルローン回廊に逃げ込めたのは半数以下の六〇〇〇隻前後です。同盟市民の皆様。イゼルローン回廊の帝国軍要塞を破壊し、ドラゴニアを同盟の手に取り戻す時がついに来たのです』

 

 宇宙艦隊司令長官ジャスパー元帥が真摯な表情でそう語ると、居並ぶ諸将も頷く。第八艦隊司令官ビロライネン中将以外は皆ジャスパー派の将官であるし、ジャスパーと距離を置くビロライネン中将にしても作戦に反対する程ジャスパーを嫌っている訳ではない。

 

『統合作戦本部は同盟市民の皆様と最高評議会に対しイゼルローン回廊侵攻作戦の実施を提案します』

 

 最後に統合参謀本部長チェンバース地上軍元帥が穏やかな口調でそう語り、会見は終了した。チェンバースは七三〇年に士官学校を卒業し、アッシュビーら七三〇年マフィアとも交流があったが、地上軍の士官であったために七三〇年マフィアには数えられることは無かった。

 

 第二次ティアマト会戦後はフレデリック・ジャスパーの盟友として彼と協調することで出世街道を上り、現在の統合作戦本部長の椅子を手に入れたと言われている。彼自身決して無能という訳ではないのだが、宇宙における作戦は事実上宇宙艦隊総司令部が主導権を握っており、また宇宙戦力の管理に関してもジャスパー派の重鎮であるコッパーフィールド宇宙軍大将が掌握している。水準以上の事務処理能力と地上軍指揮能力を有するとはいえ、彼がお飾りの統合作戦本部長であることは否めないだろう。尤も彼自身はその事に不満を感じていなかったようだが。

 

「……ふざけるな!シェーンコップ、あの裏切り者め!」

 

 エッシェンバッハ作戦部長が堪え切れないといった様子で拳を振り上げ、机に叩きつけた。それを皮切りにして幕僚たちがシェーンコップ准将に対する罵詈雑言を――最低でも一二ダース以上は――吐き出す。

 

「何が『帝国軍の愚行を見逃せず亡命を決意した』だ。父母と妻子を引き連れて亡命しておいてよくもまああんなことが言えた物だ!」

「亡命の機会をずっと窺っていたのでしょう。同盟が自分を一番高く買ってくれるタイミングで亡命した。シェーンコップ准将らしい抜け目のない手腕です」

 

 ビュンシェ情報副部長が忌々し気に発言した横で、ハウプト人事部長が淡々と私に言う。周りの幕僚たちが興奮する間もハウプト人事部長は冷静さを崩していない。彼はどのような状況でも合理的で冷静だ。噂に聞くファン・チューリン程ではないが、やや偏屈な所もある。

 

 帝国から同盟への亡命は主にフェザーンルートで行われる。当然取り締まりの目もフェザーン側を重視している。第二次ティアマト会戦後の一時期は、イゼルローンルートでの亡命や兵士の亡命が増加したこともあって、多くの取り締まり組織がフォルゲンに拠点を置いていたが、現在ではそれらの拠点も規模を縮小している。イゼルローンに要塞が建設されつつあり、ドラゴニアが帝国によって掌握されている状況でイゼルローンルートを使った亡命はほぼ不可能であるからだ。

 

「シェーンコップ子爵一族は昨年末よりフォルゲン星系に滞在、今年の一月二〇日に同星系を発っていますが、その後消息を断っていたことが判明したそうです。同日にはアレンティア星系の帝国地上軍向けの物資を満載した輸送船団がフォルゲン星系を発ちましたから、恐らくそちらに紛れ込んだのでしょうね」

 

 ペイン憲兵隊長が憲兵総監部警保局第五課から送られてきた捜査資料を読みながらそう言った。

 

「一月二〇日か。私たちが初めて熱核攻撃の話を聞いた日だな」

「ええ、ですから元々シェーンコップは亡命を考えていたのだと思います。……正直、油断していたと言わざるを得ないでしょう。軍務省情報本部統合調査部や憲兵総監部外事局といった対外防諜も担当するセクションはこのドラゴニアでも活動しています。しかし統帥本部情報部情報保全課や憲兵総監部警保局といった対内防諜セクションはドラゴニア方面をほぼ放置していましたからね」

 

 ブレンターノ法務部長は険しい表情だ。彼の古巣は憲兵総監部警保局第三課、イゼルローン方面辺境に駐留する戦隊以下の独立部隊及び基地と地上軍及び駐屯地を統括する。つまりシェーンコップ准将の亡命を防げなかった責任を問われる部署だ。……まあ、ブレンターノ法務部長はむしろシェーンコップ准将も含むジークマイスター機関に協力する側の人物であったが。

 

 ちなみに同局第一課は中央地域に駐留する戦隊以下の独立部隊及び基地と地上軍及び駐屯地、第二課はフェザーン方面辺境に駐留する戦隊以下の独立部隊及び基地と地上軍及び駐屯地、第四課は中央艦隊といくつかの独立分艦隊、第五課は辺境艦隊といくつかの独立分艦隊、第六課は特定の自治領駐留部隊(フェザーン自治領内に配備が許されている少数の憲兵隊も第六課の直轄)、第七課はイゼルローン方面とフェザーン方面を除く辺境地域に駐留する戦隊以下の独立部隊及び基地と地上軍及び駐屯地を統括する。

 

 自由惑星同盟や共和主義勢力、いくつかの辺境自治領が絡んだ事件は外事局が、中央の軍機関関係は監査局が、予備役・退役関係は他情報機関との窓口でもある調整局が、貴族絡みの事件と貴族私兵の関係は特事局が、皇族と近衛関係は要人警護にも駆り出される警衛局が担当する。また各局の上に憲兵司令本部が置かれ、憲兵総監部全体を統括する。ちなみにミヒャールゼン提督暗殺事件では警保局と総務局を除く全部署が総動員された。

 

「しかしまあ、憲兵の無能を責めてばかりも居られんでしょう。戦術レベルで考えたとしても、元々ドラゴニアへの分進合撃には無理があった。艦隊を一二の小集団に分けておきながらドラゴニア星系到着時刻は二月一八日午前三時厳守というのは各部隊の作戦行動や各種判断を硬直させたに違いない。仮にシェーンコップ准将から作戦情報が漏れていなくてもちょっとしたトラブルで簡単に破綻する作戦だった、小官はそう思いますね」

 

 エルラッハ作戦副部長はウンザリした表情でそう言った。「戦術レベルで考えたとしても」という言葉は言外に「戦略レベルで考えれば論外」という事を表しているだろう。そしてそれは我々の間での共通認識だった。ドラゴニア星系基地は確かに要衝だが、落としたとしても維持することは不可能だ。現在ドラゴニアで活動可能な帝国軍はドラゴニア特別派遣艦隊一万隻と青色・第一の残党四〇〇〇隻だけなのだから。……それも最早半減したが。

 

 そういう意味では確かに核攻撃による破壊は純軍事的に悪い選択肢では無かっただろう。だがドラゴニア星系基地を破壊してもエルゴンやファイアザードの拠点がある以上、同盟軍がドラゴニア方面に派兵を続けることは可能だ。そう考えれば核を持ち出し、現地の地上部隊を見捨ててまで破壊を試みる必要性があったのだろうか。

 

「過ぎてしまったことを悔いても仕方がないさ。問題はこれからの事だよ諸君。バッセンハイム大将の黄色弓騎兵艦隊、パウムガルトナー中将の第二辺境艦隊は既にイゼルローン要塞防衛の為に動員を開始している。我々もこれに加わらなくてはならない。再編を急がないとな」

 

 私は務めて明るい口調でそう言った。

 

 『ドラゴニア特別派遣艦隊』の残存艦艇はおよそ六三〇〇隻。新たにミュッケンベルガー少将を司令官とし、温厚な性格で人望があるカイザーリング准将が副司令官となった。また、ノイエ・バイエルン准将が第一分艦隊、グライフス准将が第三分艦隊、メルカッツ准将が第四分艦隊の司令官を兼任し、私は副司令官を務めるカイザーリング准将に代わって第二分艦隊を指揮することに決まった。つまり私だけは司令官代理という肩書になる訳だが、二八歳で艦隊勤務歴二年の准将には十分重い肩書である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宇宙歴七六八年三月七日。自由惑星同盟最高評議会は統合作戦本部が提案した『回廊の自由(フリーダム・オブ・コーリダー)』作戦を実行に移すこと全会一致で可決する。

 

 宇宙艦隊司令長官フレデリック・ジャスパー元帥自らが遠征軍総司令官を務め、宇宙艦隊総参謀長シルヴェール・ルグランジュ宇宙軍大将が遠征軍総参謀長を務める。サミュエル・ジョージ・ジャクソン宇宙軍中将の第二艦隊、ハリソン・カークライト宇宙軍中将の第三艦隊、ステファン・ヒース宇宙軍中将の第五艦隊、ショウ・メイヨウ宇宙軍中将の第九艦隊、ツェーザリ・ブット宇宙軍中将の第一一艦隊の五個艦隊が動員された他、さらに複数の独立分艦隊が予備戦力として、アリアナ・キングストン宇宙軍大将が指揮する戦略支援軍集団が兵站と電子戦・情報戦強化の為としてドラゴニア三に進駐した。五個艦隊併せて艦艇五万二〇〇〇隻、これは第二次ティアマト会戦を超える規模の動員である。後方に展開する独立分艦隊は計算に入れていない。

 

 ジャスパー元帥が司令官を務めていた腹心の第四艦隊はアスターテ会戦での消耗から回復しておらず不参加、同じ理由でジャスパー派が多い第六艦隊も不参加である。この両艦隊が動員できないせいか、明確な反ジャスパー派であるジャクソン中将の第二艦隊、リューベック騒乱以来ジャスパーと距離を置いているカークライト中将の第三艦隊、ジャスパー派が掌握しているもののパランティア星域会戦の遺恨が燻っているブット中将の第一一艦隊が動員されている。

 

 大勝を挙げて士気が上がっているとはいえ、ドラゴニア特別派遣艦隊と一戦交えたばかりの第五艦隊を動員したのは、司令官ヒース中将がジャスパー派への忠誠心と能力を併せ持った人物であるからだろう。なお、残るショウ中将の第九艦隊もジャスパー派の庇護を受ける旧ウォーリック系の艦隊であり、忠誠心を重視しての動員と思われる。ジャスパー派は他に第一二艦隊も影響下に置いていたが、こちらは国家総動員法可決後に創設された艦隊である為に、練度面から動員出来なかったと思われる。

 

「……叛乱軍が大挙してイゼルローン回廊に押し寄せることが確実視される状況にも関わらず、帝国軍は一個中央艦隊と一個辺境艦隊、それにドラゴニア特派艦隊の残存部隊を併せ三万隻にも満たない戦力しか迎撃に動員できない。実に厳しい状況だね。一応フォルゲンに拠点を移している第三辺境艦隊も司令官の判断で即応体制に入っているが……帝国軍上層部は三辺の動員には消極的だそうだ。派閥を問わずな」

「軍上層部が消極的なのではない。その上の貴族たちが消極的なのだ。一辺と二辺が担当軍管区を離れて前線に動員されたことで、イゼルローン方面辺境のかなり広い範囲において、三辺だけで治安維持を行うことになった。その三辺までもが叛乱軍迎撃に動員されることになれば、イゼルローン方面辺境から纏まった宇宙戦力が消える。そうなればイゼルローン方面辺境は海賊と犯罪組織が支配する宙域と成り果てるだろう」

 

 統帥本部情報部長の父を持つラルフと大貴族の息子であるリヒャルトはイゼルローン回廊にあってなお中央の情勢に精通している。『回廊の自由(フリーダム・オブ・コーリダー)』作戦発表後も帝国中枢の動きは鈍い。私は激務の合間に彼らと会い、その事に対する見解を聞いた。

 

「何か理由を付けて中央艦隊を動員できないのか?」

 

 私はそう尋ねた。中央艦隊は主として対同盟戦に動員される部隊だが、辺境艦隊の果たす航路保全や治安維持の役割を代行することは可能だ。

 

「今の帝国軍三長官にそんな能力があるとでも?軍務副尚書のシュタイエルマルク上級大将はボーデンで赤色胸甲騎兵艦隊の演習を行うことを主張したが、軍務尚書アイゼンベルガー元帥は貴族のお偉方に睨まれるのを恐れてその主張を握りつぶした。宇宙艦隊司令長官フォーゲル元帥は幕僚総監時代に貴族に近づきすぎた、内心はともかく表立って貴族たちに逆らうことはできない」

「統帥本部総長ルーゲンドルフ元帥だけはシュタイエルマルク上級大将を支持したがな。とはいえあの方は気骨だけは十分だが地上軍将官だからな……。発言力が小さい」

 

 二人は否定的な意見を返す。銀河帝国の軍隊は皇帝の軍隊である。軍令では統帥本部が、軍政では軍務省が、前線では宇宙艦隊総司令部が皇帝の指揮権を代行するとはいえ、その建前は変わっていない。故に皇帝が一言「○○騎兵艦隊を動員する」といえばそれに逆らえる人間は居ない。尤も、現実にはそう簡単な話でも無いのだが……一応建前上は皇帝の意思だけで動員は可能である。

 

 が、逆に言えばその皇帝が不在の状況では法的に中央艦隊を動員する権限を持つ人間が一人も居ないのだ。帝国軍三長官が派遣した『ドラゴニア特別派遣艦隊』も建前上、皇帝から広範な権限を与えられている近衛艦隊と皇帝が三長官に広範な指揮権を許していたいくつかの独立艦隊――つまり元々特定の任務に従事していた動員済みの部隊――を別々にドラゴニア方面に派遣した扱いである。三長官はかなり強引な法解釈を行ったといえる。

 

 現在は摂政が置かれたことで動員権限保持者が存在するが、摂政はあくまで皇帝の代行者に過ぎず、皇帝程強力な権力を持っている訳ではない。摂政は皇帝に比べ閣僚会議や枢密院、高等法院などからより強い拘束を受けている。当然、中央艦隊を動員し、イゼルローン回廊に派遣しようとすればこれら諸組織の支持を取り付ける必要があるだろう。

 

「……まあ、イゼルローン回廊の地形を活かせば十分耐えきることは可能なはずだ。しかも率いるバッセンハイム大将は歴戦の猛将、パウムガルトナー中将は往年の名参謀長、ミュッケンベルガー少将は二〇年に一度の秀才、皆凡百の指揮官ではない」

 

 最後にリヒャルトはそう言ったが、指揮官の能力だけではどうにもならない状況があることは第二次ティアマト会戦におけるコーゼル大将やアッシュビーの最期、第一次パランティア星域会戦におけるコープの最期、アスターテ会戦におけるグローテヴォール大将とアイグナー中将の最期などを見ればよく分かる話だ。私たちが彼らと同じ轍を踏む可能性は諸々の事情を考慮するとかなり高いと言わざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 宇宙歴七六八年四月一二日、イゼルローン回廊入り口付近のシヴァ星系で自由惑星同盟軍第三艦隊第二分艦隊に所属するGⅡ偵察部隊と帝国軍黄色弓騎兵艦隊第三分艦隊に所属する第四一哨戒部隊が交戦、上位部隊の支援を受けた第四一哨戒部隊がGⅡ偵察部隊を撃退する。

 

 バッセンハイム大将は大々的にこの『第二次シヴァ星域会戦』の勝利を喧伝したが、同部隊の目的が偵察に過ぎない事を考えると、これを帝国軍の勝利と呼ぶのは誇張が過ぎるという物だ。しかし、帝国軍、特に大敗直後のドラゴニア特別派遣艦隊の士気は低く、誇張でも何でも士気が上がる材料が必要だったことは否定できない。同月二〇日頃には『第二次シヴァ星域会戦』に匹敵するような小競り合いが回廊の入り口付近で頻発するようになる。

 

 同月二三日、自由惑星同盟遠征軍は第一一艦隊を先頭に回廊への本格的な突入を開始、これにバッセンハイム大将の黄色弓騎兵艦隊、パウムガルトナー中将の第二辺境艦隊が苛烈な砲撃を浴びせ、多くの同盟艦艇を火の玉へと変えた。特にパウムガルトナー中将の部隊配置は巧緻極まりなく、同盟艦隊は二日間に渡って強硬突入を試みては一方的に砲撃を浴びることになる。

 

 しかしながら同月二五日深夜、代わって機動戦の名手として知られるカークライト同盟軍中将が率いる第三艦隊が突入を試みる。第三艦隊は電撃的に回廊へ突入、対応が遅れながらも相変わらず苛烈な二辺の砲撃を受けるが、それを物ともせずに回廊正面に陣取る黄色弓騎兵艦隊に突撃を敢行した。黄色弓騎兵艦隊との乱戦に持ち込むことでパウムガルトナー中将の巧妙な遠距離砲撃を無効化したのだ。

 

 全くの余談だが、カークライト中将は副参謀長のシドニー・シトレ宇宙軍准将に絶大な信頼を寄せていたそうだ。この作戦にもシトレ准将が一枚噛んでいるのだろうか?

 

「ふむ、バッセンハイム大将の気質を利用されましたな。叛乱軍第三艦隊が接近戦を望むからといってこちらが付き合う必要はありませんでした」

「しかし、後退する訳にもいかないだろう?」

「いえ、一時的な後退ならば問題ないでしょう。二辺の側面砲撃は極めて効果的です。遠からず第三艦隊は後退を余儀なくされたでしょうし、第三艦隊が後退すれば叛乱軍は戦線を整える為に回廊への突入を中断するでしょう。仮に第三艦隊が損害を顧みず突っ込んできたとしたら話は別ですが、それでも少なくとも第三艦隊の被害は甚大でです。遠征軍の戦力を削るという目的は果たされていますから、叛乱軍の回廊への侵入を許したとしてもさほど痛手ではありません。……どの道この戦力差では回廊侵入を防ぐことは難しいですからな」

 

 レンネンカンプ参謀長が旗艦リューベックの艦橋で私に対しそう解説する。

 

 パウムガルトナー中将の第二辺境艦隊は黄色弓騎兵艦隊支援の為に力を割かざるを得ず、その隙をついて第九艦隊が回廊突入を開始した。バッセンハイム大将は流石歴戦の猛将と呼ばれるだけあり、乱戦の渦中にあっても指揮統制を維持し、突入から一時間も経たないうちに第三艦隊に対して優勢に立つが、その頃になると二手に別れた第九艦隊が第三艦隊の両翼から回り込むように黄色弓騎兵艦隊に接近していた。

 

『今こそ我らの出番ぞ!左翼から回り込む叛乱軍部隊に砲火を集中し敵の侵攻を押し留める!』

「聞いたな!第二分艦隊が先陣を切るぞ!」

 

 ミュッケンベルガー少将の指示を受け予備戦力として後方に控えていたドラゴニア特派艦隊が黄色弓騎兵艦隊の左方から接近する第九艦隊の二個分艦隊に近距離砲戦を挑む、先頭は先の戦いで比較的戦力を保った第一二特派戦隊を中核とする第二分艦隊である。当然、その前衛集団には戦艦リューベックの姿がある。

 

「敵艦隊と一定の距離を保て!乱戦になれば孤立するのは我々だ。黄色・二辺の後退に合わせて退くぞ!」

 

 既にパウムガルトナー中将の第二辺境艦隊は回廊の端を通り後退を開始している。バッセンハイム大将の黄色弓騎兵艦隊は突入してきた第三艦隊を撃退し、右翼の第九艦隊の二個分艦隊に対しては遠距離での砲戦に徹しつつ、後退のタイミングを計る。

 

 翌、二六日午前。第三艦隊が安全圏まで後退し、第九艦隊も黄色弓騎兵艦隊にこれ以上の打撃を与えることは不可能と判断し後退していく。しかしながら回廊入り口は既に三番手の第二艦隊が固めており、突破口は同盟側に制圧された状態だ。それを確認し黄色弓騎兵艦隊とドラゴニア特別派遣艦隊は後退を開始した。

 

 この三日間の戦いで同盟軍第一一艦隊と第三艦隊は合わせて四〇〇〇隻程度を失った。なお、最終盤に攻撃に参加した第九艦隊の損害は軽微だ。一方、第三艦隊の突撃を受けた黄色弓騎兵艦隊は総数一万二〇〇〇隻の内一四〇〇隻余を、ドラゴニア特別派遣艦隊は三〇〇隻弱を失う。第二辺境艦隊は遠距離砲撃に徹していたことから損害は軽微だ。

 

 単純に与えた損害と受けた損害を比較すれば帝国軍が勝利したといえる。しかしながら同盟軍五万二〇〇〇隻に対して帝国軍は三万隻に満たない戦力しか有しておらず、またバッセンハイム大将とパウムガルトナー中将としては回廊入り口で同盟側に多大な損害を与えることで回廊内部での戦いを優位に進めようと意図があり、一方ジャスパー元帥を初めとする遠征軍司令部が回廊突入にかなりの犠牲を払うことを覚悟していたことを考えると、帝国軍にとって不本意な戦果であり、一方同盟側にとって望外に少ない損害であったといえる。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。




注釈21
 銀河帝国では貴族の亡命を防ぐためにかなりのリソースを投入しており、亡命阻止を職務の一環とする組織が乱立していた。

・宰相府中央情報調査室
・内務省社会秩序維持局
・内務省保安警察庁公安部公安第三課(地方領主担当)及び外事第一課(サジタリウス叛乱軍担当)
・内務省フェザーン運輸監査局
・司法省公安調査庁調査第一部第三課(地方領主担当)
・国務省航行保安局有事調査課
・国務省フェザーン高等弁務官府
・典礼省調停局特別査閲部
・軍務省情報本部
・統帥本部情報部情報保全課
・憲兵総監部警保局及び特事局第二部(通謀担当)
などである。

 この内、軍人の亡命事件は軍務省と統帥本部、憲兵総監部が取り扱うことは決まっていたものの、軍と関係のない亡命事件に関しては各省庁で管轄争いが起きやすく、また多くの組織が乱立する状況は亡命者側からするとそれだけ付け入る隙が大きいということでもあり、少なくない亡命者を足の引っ張り合いで逃してしまったとされる。

 なお、余談だが、銀河帝国の各省は最高法規であるルドルフ大帝の勅令に法的な設立根拠を持つ。一方でその下の部局は名目上法的な設立根拠を有さないか、後の皇帝による立法に根拠を持つ。しかしながら例外的に内務省社会秩序維持局だけはルドルフ大帝の勅令に基づいて設立された組織であり、また局長は閣僚、高等法院院長、枢密院議長などと並ぶ親任官(官僚制度における最高の位置づけ)とされる。内務省社会秩序維持局はこの『格』を背景に様々な職域に強権を振るい、他組織、特に内務省保安警察庁の猛反発を招いていたという。その一例が亡命者対処である。

 本来、社会秩序維持局の職域は帝国内部の思想犯・政治犯に対する取り締まりであり、思想犯・政治犯の亡命事件以外は職域とされていなかったのだが、「亡命者は共和主義者を標榜する危険思想を持つ叛徒の一員になろうとしているのだから全員思想犯である」として亡命者の取り締まりも管轄に含まれると主張した。


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青年期・アルテナ星域会戦(宇宙歴768年4月12日~宇宙歴768年7月16日)

 宇宙歴七六八年四月一二日から始まったイゼルローン戦役では六月までに二度の大規模会戦を含む無数の武力衝突が繰り返されていた。帝国軍は同盟軍の半分程度の戦力を有していなかったが、回廊の狭隘な地形を活かし各所で同盟軍に痛撃を与えた。

 

 黄色弓騎兵艦隊と第二辺境艦隊はいずれも帝国宇宙艦隊随一の精鋭だ。高い練度と豊富な実戦経験を有している。率いるバッセンハイム大将とパウムガルトナー中将は、シュタイエルマルク提督や父の下で奮戦し、第二次ティアマト会戦後の帝国宇宙艦隊を支えた名将だ。加えて、ミュッケンベルガー少将の下に再編されたドラゴニア特別派遣艦隊は指揮官のカリスマ性と能力に支えられ、実力以上の働きを見せている。

 

 メルカッツ准将やカイザーリング准将は若手とは思えない落ち着いた老練な指揮ぶりを見せる。ノイエ・バイエルン准将やグライフス准将は大胆かつ巧妙な奇襲攻撃を何度も成功させた。私やゼークト准将のような凡庸な将官も率先して前線に立ち勇戦する。

 

 ドラゴニア特別派遣艦隊に大勝を挙げ、さらに遠征軍が軽微な損害で回廊突入を成功させたことで同盟市民の間では楽観論が広がり、反戦運動は下火になりつつあった。しかし、帝国軍の善戦を受け再び勢いを盛り返しつつあった。

 

 とはいえ、同盟軍は苦戦しながらも数的優位を活かし着々と回廊の攻略を進めている。また帝国宇宙艦隊の劣勢によってドラゴニア辺境軍管区の各地上部隊から降伏が相次いでいることから、反戦運動は昨年末程の支持を得ることはできておらず、政府及び遠征軍の足元を揺らがせるほどの力は有していない。

 

 宇宙歴七六八年六月八日、アルテナ星系から六光年程同盟側にあるアルトミュール星系でサミュエル・ジョージ・ジャクソン宇宙軍中将率いる同盟軍第二艦隊とホルスト・フォン・パウムガルトナー宇宙軍中将率いる帝国軍第二辺境艦隊が衝突。同盟軍随一(・・)の勇将がジャクソン中将なら帝国軍唯一(・・)の知将がパウムガルトナー中将だ。二人の能力は拮抗し、艦隊の練度と能力も拮抗していた。士気の優位は第二艦隊にあるが、地の利はアルトミュール星系を知り尽くした第二辺境艦隊にある。

 

 結果として第二次アルトミュール会戦は五日間に渡って膠着状態となる。六月一三日、同盟軍は戦線に第五艦隊を投入することを決定、一方帝国側はドラゴニア特別派遣艦隊を援軍に派遣する。これによって同盟軍二万一〇〇〇隻、帝国軍一万四〇〇〇隻がアルトミュール星系に集まることになった。

 

「クソ!何だこの醜態は!」

 

 ……そしてアルトミュール星系は両軍合わせて三万五〇〇〇隻もの艦艇が戦えるような安定した星系では無かった。不定期に発生する強烈な恒星風、データに記録されていない未探査の小惑星帯、回廊有数の難所は両軍に対し平等に牙を剥いた。

 

「駄目です!司令部と連絡がつきません!」

「閣下!前方の敵艦隊と距離を取らなければ緊急回避システムが……」

「分かっている!だが分艦隊が回頭するスペースがどこにあるって言うんだ!」

 

 ジャクソン、ヒース、パウムガルトナー、ミュッケンベルガー、いずれも文句のつけようがない名将だったが、彼らはそのキャリアの中で恐らく経験したことが無い程の無様な乱戦を許容せざるを得なかった。きっと不本意な決断だったに違いない。

 

 私の第二分艦隊も二度にわたって敵中に孤立した。かと思えば気づけば敵の分艦隊旗艦を射程圏内に捉えていた。あるいは、包囲され降伏勧告を受けたが、実は逆に私の部隊とメルカッツ准将の部隊で敵を挟撃出来る状態だった。そのような凡戦――というよりは無秩序な混乱――が数度の戦線立て直しを挟んで一〇日余続き、やがて戦線に参加した全将兵――特に四人の最高指揮官――の神経を著しく磨り減らした後、これ以上得るモノがない事を悟った両軍は息を合わせたようにアルトミュール星系から後退する。

 

 後世の歴史家は若干の誇張を含んだ上で第二次アルトミュール会戦をこう評する。

 

『前半は数世紀に渡る同盟と帝国の戦史でも五指に入る接戦、後半は数十世紀に渡る人類の歴史でも五指に入る凡戦、後半が酷すぎる故に足して二で割っても凡戦という評価は変わらない』

 

 参戦した人間から言わせてもらえば……辛辣だが的確な評価だろう。

 

 尤も、それはあくまでアルトミュール星系という狭い戦場での話だ。イゼルローン回廊全体に視野を広げれば、フレデリック・ジャスパーは帝国軍を巧妙な罠にかけたといえる。アルトミュール星系が最たるものだが、その他にも回廊の数か所でジャスパーは意図的な膠着状態を作り出した。注目すべきはその立地だ。アルトミュール星系のようにアルテナ星系から殆ど離れていない場所もあれば、ジュール星系のようにかなり距離のある星系もある。つまり、狭い回廊を最大限広く使って帝国軍を分散させたということだ。

 

 その上で自ら第九艦隊を率いてバッセンハイム大将の黄色弓騎兵艦隊にA=二〇宙域で決戦を挑んだ。黄色弓騎兵艦隊は戦力の一部を応援として回廊の各地に派遣しており、本隊は手薄であった。第九艦隊の猛攻に対し黄色弓騎兵艦隊は一時はそれを上回る猛射で応じたが、数時間の後、ジャスパーが予め用意していた別動隊が左翼から黄色弓騎兵艦隊に突っ込み、散々にかき回した。バッセンハイム大将はついに耐え切れず撤退を余儀なくされる。殿を務めたバッセンハイム大将は戦死こそ免れたものの片腕を失う重傷を負う。

 

「帝都の馬鹿どもがようやく中央艦隊の派遣を決めたそうだ。血塗れのバッセンハイム大将が通信画面越しに何人かの高官を怒鳴りつけた……という噂もある。真偽は分からんがな。どうして奴らは手遅れになってからしか動けないんだろうな!グローテヴォール大将の次はバッセンハイム大将、いずれは私の順番も来るのだろうよ!」

 

 ミュッケンベルガー少将はドラゴニア特別派遣艦隊の作戦会議で珍しく苛立ちを露わにした。ミュッケンベルガー少将によると援軍部隊は赤色胸甲騎兵艦隊、黒色槍騎兵艦隊、紫色胸甲騎兵艦隊の三個艦隊で構成され、この内中央地域と辺境地域を隔てるシャーヘン星系に駐留していた黒色槍騎兵艦隊は既にイゼルローン回廊に向けて出立したらしい。

 

 黒色槍騎兵艦隊はオトフリート五世が健在の頃に一度動員され、フォルゲンまで進駐していたが、その死によって皇室財産からの費用拠出が停止したために中央地域への後退を余儀なくされた。しかしながら当時の帝国軍三長官、特に統帥本部総長クヴィスリング元帥が機転を利かせ、ノイエ・シュタウフェン公爵時代に作られた後放置されていた帝国軍シャーヘン基地などを再整備し、黒色槍騎兵艦隊の拠点自体をイゼルローン回廊により近い位置に移転させた。中央地域の中で拠点を動かす分には三長官の代行権限で事足りる。これが辺境となると行軍扱いとなり、皇帝の裁可が必要になってしまうが。

 

 六月のA=二〇宙域会戦で黄色弓騎兵艦隊が大打撃を受けた後、帝国艦隊は目に見えて苦戦を余儀なくされるようになった。いくら回廊の地形を知り尽くしていても戦力自体が足りないのだ。二万隻ちょっとで回廊を守りたいならそれこそヤン・ウェンリーでも連れてくるしかない。……要塞が未完成である以上、ヤン・ウェンリーでも難しいかもしれない。

 

 七月六日、ついに同盟軍の偵察部隊がアルテナ星系に到達する。最早同盟軍がアルテナ星系に雪崩れ込んでくるのも時間の問題だった。唯一好材料があるとすれば、黒色槍騎兵艦隊のアムリッツァ到達だ。アムリッツァからアルテナ星系までは一〇日とかからない。黒色槍騎兵艦隊の到達まで粘れば希望はある。

 

 ジークマイスター機関のアルベルトとしては黒色槍騎兵艦隊に間に合って欲しくは無かったが……帝国軍将官ライヘンバッハ准将としては一刻も早く黒色槍騎兵艦隊に来て欲しかった。矛盾しているのは承知しているが、私が人類の権利と理想に対する責任を有していることは、私が指揮官としての責任を放置して良い理由にはならないだろう。……往々にして前者を優先させることがあったとしてもである。

 

 七月九日、ついに同盟遠征軍がアルテナ星系から三光年の位置に進出する。帝国艦隊はパウムガルトナー宇宙軍中将が最高司令官を務め、ミュッケンベルガー宇宙軍少将が副司令官を務める体制であり、一部が完成しているイゼルローン要塞に艦艇二万一〇〇〇隻が集結している。

 

 イゼルローン要塞はドック機能が優先して整備されており、既に一万隻程度の収容が可能だ。我々が少数ながらここまで同盟軍に対抗できたのはイゼルローン要塞が限定的ながら後方拠点として機能したことが大きいだろう。……尤も他の機能、特に防衛システムの完成度は僅か三〇%に過ぎず、全体でも計画の四〇%程度しか完成していない有様であるが。

 

 七月一〇日深夜、ついにフレデリック・ジャスパー率いる同盟軍三個艦隊(二個艦隊は後方待機)とホルスト・フォン・パウムガルトナー率いる帝国軍二個艦隊強がアルテナ星系で開戦する。アルテナ星域会戦である。要塞の固定砲や通信設備、レーダー設備等の支援を受けることで帝国艦隊は同盟艦隊の猛攻を凌ぎ切ることが目標だ。一方同盟艦隊は黒色槍騎兵艦隊の到着前に勝負を決めるのが目標だ。

 

「砲撃を続けろ!物資は要塞に集積してあるぞ!出し惜しみはするな!」

『御曹司を死なせるなよ!これ以上ジャスパーにくれてやるものなどない!』

『我らの勇気と赤誠を示す時が来たぞ!』

「そうだ!卿らの戦いぶりは全て父に伝えよう!だが死に急ぐなよ!卿らが自身の口で報告するのが一番父を喜ばせるのだからな」

 

 カール・ハインリヒ・フォン・ライヘンバッハ、そしてオスカー・フォン・バッセンハイムが育てた黄色弓騎兵艦隊はハウザー・フォン・シュタイエルマルク、そしてリヒャルト・フォン・グローテヴォールが育てた青色槍騎兵艦隊と並ぶ帝国最精鋭だ。私の分艦隊はそんな最精鋭の先頭で戦っている。私の分艦隊にアスターテ会戦を生き残った旧青色槍騎兵艦隊の一部が加わっていることも将兵にとっては意味深いものがある。

 

 父の指揮を受けていた黄色弓騎兵艦隊の将兵にとって、ライヘンバッハ、そしてシュタイエルマルクの名は崇拝の対象と言っても良い。重傷を負い絶対安静のバッセンハイム大将に頼まれ、私は黄色弓騎兵艦隊の偶像(アイドル)として最前線に身を置くことになった。

 

「左翼の第二艦隊の戦列が乱れました!一部の部隊が突出したようです!」

「ミュッケンベルガー艦隊、第二艦隊に突入します!」

「司令官閣下、恐らく叛乱軍は右翼の立て直しに気を取られるでしょう。中央の我々も押し出す準備をしておきましょう」 

 

 エッシェンバッハ作戦部長が進言する。数分後、黄色弓騎兵艦隊司令官代理を兼任するパウムガルトナー提督から同趣旨の指令が来た。

 

「今だ!前進せよ!」

 

 第二艦隊に突撃したミュッケンベルガー艦隊が後退するのと入れ替えに中央の黄色弓騎兵艦隊が前進し敵を圧迫する。同盟軍の中央を支える第九艦隊は混乱する第二艦隊を庇うために後退出来ない、そのまま黄色弓騎兵艦隊の猛攻を正面から受けざるを得ない。一部を第二艦隊救援に出したこともあり、第九艦隊は押され気味だ。

 

 やがて第二艦隊の混乱が収まってくると同時に黄色弓騎兵艦隊も再び後退し、第九艦隊との間に距離を置く。一連の衝突で第二艦隊は二〇〇〇隻弱、第九艦隊も数百隻の損害を出す。対して帝国軍の損害は軽微だ。七月一〇日から翌一一日にかけての最初の衝突は帝国側に軍配が上がったといえよう。

 

 ジャスパーの指揮、というよりジャスパーの指示を受けた同盟軍全体の動きが精彩を欠いていた。後に知ったところによると、反ジャスパー派のジャクソン中将とカークライト中将のジャスパー元帥に対する不信感が高まっており、それが第一一艦隊の潜在的な反ジャスパー派にも影響を与えていたようだ。

 

 特に第二次アルトミュール会戦後、ジャクソン中将の不満が爆発したらしい。「自分を囮にジャスパーが美味しい所を持って行った」とジャクソン中将は感じたようだ。実際、ジャクソン中将は一個艦隊規模の戦線投入を「アルトミュール星系に大軍を配置するのは逆効果だ」と反対していたのだから、そう感じるのも無理は無いだろう。

 

 七月一二日、損害の大きい第二艦隊が下がり、代わって第一一艦隊が中央に展開、第九艦隊が右翼へと展開した。この日は配置変更直後であることもあって平凡な砲戦に終始した。

 

 七月一三日、同盟軍が全線にわたって攻勢に出る。数の優位を前面に押し出した戦法であり、帝国軍としてはセオリー通りに防御を固める他対処方法がない。帝国軍は初日とは打って変わって大損害を出すが、苛烈な応射は同盟軍にも同等の損害を発生させた。尤も、同盟軍は豊富な予備戦力を有している。翌日には第五艦隊に代わって第三艦隊が、翌々日には第九艦隊に代わって第二艦隊が攻勢に参加する。

 

 帝国艦隊は当初の二万一〇〇〇隻から一万五〇〇〇隻程度にまで撃ち減らされた。黄色弓騎兵艦隊第二分艦隊司令官イーヴォ・バッハマン中将、第二辺境艦隊副司令官ヘルマン・フォン・フォルゲン少将、ドラゴニア特別派遣艦隊第三分艦隊司令官ヨーゼフ・フォン・グライフス准将らが相次いで戦死、私の分艦隊でも第一二特派戦隊司令官代理ミヒャエル・フォン・アイゼナッハ大佐が戦死した他、第二分艦隊副司令官ハンス・ディードリッヒ・フォン・ゼークト准将が重傷を負い戦線を離脱した。

 

 それでも組織的な抵抗を続けられるのはパウムガルトナー宇宙軍中将の能力もさることながら、中核戦力である黄色弓騎兵艦隊の結束力によるところが大きいだろう。彼らは第二次ティアマト会戦以来続く、帝国軍の苦境を乗り越えてきた強い自負心を持つ。貴族軍人たちは高貴なる者の義務(ノブレス・オブリージュ)を未だ本気で信じ、兵士たちはそんな貴族軍人に進んで命を捧げる。勿論平民将官たちも「黄色」の名前を背負う自身の能力と立場を微塵も疑わずに戦う。

 

 七月一六日、連戦に疲弊した同盟艦隊が一度後退、帝国艦隊は束の間の休息を手に入れた。尤も言うまでもないことだが帝国艦隊の疲弊は同盟艦隊の比ではない。いくら精鋭部隊とはいっても、このままでは遠からず戦線は崩壊する。実際、一五日の攻勢では寄せ集めのドラゴニア特別派遣艦隊が消耗による陣形の乱れからグライフス准将を失い、戦線全体が崩壊しかけた。メルカッツ准将が多大な損害と引き換えに稼いだ一五分により、帝国艦隊は辛くも壊滅を免れた。

 

「司令官閣下!パウムガルトナー提督より命令です。『戦隊級以上の宇宙軍部隊指揮官、及びその第一指揮権継承者。師団級以上の地上軍部隊指揮官、及びその第一指揮権継承者全員は一五分以内に黄色弓騎兵艦隊臨時旗艦シーラスヴォに集合するように』以上です!」

 

 疲れ切った私が部屋に戻ろうとしたその時、シュタインメッツ少尉が走ってきて私に報告した。

 

「何?……参謀長に代わりに行ってもらう訳には……いかないよな、冗談だ」

 

 私は六分程度本気でそう口にしたがシュタインメッツ少尉の諫言を招くことを予想し打ち消した。

 

 指揮権を一時的にレンネンカンプ参謀長に委ね、私は副官のシュタインメッツ少尉、作戦副部長エルラッハ少佐、情報副主任ハーゲン中尉、総務副主任カウフマン中尉、後方副主任ノーデル中尉ら数名の幕僚を連れてシャトルで旗艦シーラスヴォへ向かった。現在第二分艦隊副司令官を代行している第七特派戦隊司令官代理ベルント宇宙軍大佐も向かっている筈だ。

 

「一体何だって言うんだ……」

 

 疲労を滲ませ私はボヤく。私はゼークト准将と共に常に最前線で指揮を続けていた。ゼークト准将が重傷を負い離脱した後は大事を取って少し後退したが、それでも前線に身を置き続けた。頭はずっと鈍い圧迫感を訴えている。リューベック騒乱終結後や軍務省勤務時代に三徹した時よりも酷い倦怠感である。……しかし、会議の場で青ざめた表情のパウムガルトナー宇宙軍中将と共に数人の士官に支えられたバッセンハイム大将が入ってくるのを見て私は気持ちを切り替えざるを得なかった。イゼルローン要塞で絶対安静のバッセンハイム大将がわざわざシーラスヴォまで足を運ぶなど明らかにただ事ではない。

 

「まずは諸卿の勇戦を称えたい。卿らは本当に俺の自慢の部下だ。……特派の者たちもよく戦ってくれた。正直に言おう。経験も浅く、叛乱軍に大敗した卿らを私は戦力に数えていなかった。しかしそれが誤りであったことを卿らはその戦いぶりで証明した。若く優秀な卿らを見て、何とか俺も帝国宇宙艦隊の将来に希望が持てそうだ」

 

 バッセンハイム大将は着席すると徐にそう言った。参謀長ケレルバッハ宇宙軍中将が敬礼の合図を出すタイミングを失い戸惑うが、バッセンハイム大将は気にしない。

 

「さて、連戦で疲れている卿らを集めたのは理由がある。三点、卿らに伝えることがある」

 

 バッセンハイム大将は穏やかな口調で切り出す。横のパウムガルトナー中将は青ざめた表情で俯いている。

 

「一点目。黒色槍騎兵艦隊は既に回廊に突入している。今日中にアルテナ星系に到達し、我々を支援してくれる手筈になっている」

 

 その言葉を聞き幾人かの将官がホッとした表情で溜息をつく。バッセンハイム大将とパウムガルトナー中将のただならぬ様子に皆不安を感じていた。予想よりも明るいニュースに安心したのだろう。……尤も、私も含めて大半の将官はその不安をさらに強めた。黒色槍騎兵艦隊が近づいているのならばそれを大々的に発表すればよい。部隊指揮官に加え第一指揮権継承者まで集める必要は無いだろう。

 

「二点目。残る二個中央艦隊の動員は中止された。……帝国軍上層部はイゼルローン要塞の防衛を断念し、回廊に展開する全艦隊に撤退を命令した」

 

 バッセンハイム大将はそう言い終わった後、堪え切れないといった様子で「クソ」と呟く。居並ぶ将官たちの表情は一様に暗くなったが、意外にも驚きの声は無かった。……皆、心のどこかでそう言うことが有り得ると覚悟していたのだろう。だが、続く言葉に平静を保っていられた者は一人としていなかった。温厚なカイザーリング准将も剛毅なミュッケンベルガー少将も沈着なメルカッツ准将も皆、動揺を抑えきれなかった。勿論私も。

 

「三点目。……帝都オーディンで爆弾テロが発生。皇室宮殿(パラスト・ローヤル)で行われた回廊救援部隊の壮行会が狙われた」

 

 ……時が止まった。あまりに信じられないその内容に皆言葉を失ったのだ。私も人生の中で十本の指に入るほどの間抜け面を晒していたと思う。驚愕から回復した幾人かの将官がバッセンハイム大将に詰め寄ろうとしたその瞬間、バッセンハイム大将は再び口を開く。

 

「確定した情報だけ伝える。摂政ブローネ大公、財務尚書カストロプ公爵、内務尚書ノイエ・シュタウフェン侯爵、枢密院副議長リンダーホーフ侯爵が即死。憲兵総監クラーマー大将、科学副尚書エールセン退役大将、枢密院議員ノイエ・バイエルン伯爵が死亡。フリードリヒ大公、オーディン高等法院副院長フレーゲル侯爵、幕僚副総監マイヤーホーフェン宇宙軍上級大将が最低でも重傷を負い入院。クレメンツ大公、エーレンベルク侯爵、ブラッケ侯爵らが最低でも負傷」

 

 バッセンハイム大将は淡々と語る。私の視界の端でノイエ・バイエルンが立ちあがって何かを言おうと口を開閉させ、やがて「馬鹿な……」と小さく呟く。枢密院議員ノイエ・バイエルン伯爵は彼の父だ。バッセンハイム大将は気の毒そうにノイエ・バイエルンを一瞥した後、躊躇いがちに続けた。

 

「なお、憲兵総監部は下手人を……ウィルヘルム・フォン・クロプシュトック侯爵らと断定したそうだ」

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。




注釈22
 自由惑星同盟の市民は大きく四集団に分けることが出来る。植民系・長征系・解放民・新解放民の四集団である。

 この内、解放民とは帝国辺境地域からその名の通り「解放」された人々であるが、実際にはダゴン星域会戦後に自主的に亡命してきた者たちも含んでいる。
 自由惑星同盟の政界上層部は植民系が、軍上層部は長征系が長年強い勢力を有し、もう一方がそれに対抗する形となっていたが、その状況に風穴を開けたのが七三〇年マフィアであった。

 ブルース・アッシュビーが集めた七三〇年マフィアはジョン・ドリンカー・コープを除き全員が解放民出身者であり、既成勢力との繋がりが希薄であった。(チャンバースも解放民出身者)

 アッシュビーが意図してそういう人間を集めたのか、それとも新進の気風に富む者を集めた結果、「持たざる者」であり、改革志向の解放民出身者を集めることになったのかは不明である。だが、結果としてアッシュビーの死後彼の幕僚たちが解放民の地位向上を目指して動き始めたのは歴史的な事実である。

 フレデリック・ジャスパーやウォリス・ウォーリックが帝国辺境攻撃に積極的だったのは一つには彼らの支持母体である解放民たちが今なお帝国に残された「同胞」を解放することを自分たちの英雄に求めていたことがあるといえよう。また解放民による軍部・政界の掌握……とまではいかないまでも植民系・長征系の牙城を打ち崩すことを二人が目指していたのは間違いない。

 一方で長征系出身者のジョン・ドリンカー・コープは内心はどうあれジャスパーやウォーリックを中心とする解放民勢力に対抗せざるを得ず、やがて古参の解放民系幕僚を遠ざけ、植民系・長征系の幕僚たちを重用していくことになる。パランティア星域会戦におけるコープの大敗は、ジークマイスター機関を巡る暗闘の産物かもしれないが、コープ自身が政治的な期待に拘束されて用兵の柔軟性を失っていたことも一因として挙げられるだろう。

 ただし、解放民系でもファン・チューリンは七三〇年マフィアが「同盟の軍人」では無く「解放民の英雄」として祭り上げられる事を快く思っていなかった。一方で既成勢力への不満は他の解放民と等しく有していたことから、既成勢力に媚びる気にもなれず、軍部の政治的な独立の実現に心血を注ぐことになる。

 ジャスパー・ウォーリックとコープの対立、そして独自路線を進み七三〇年マフィアから距離を置き始めたファン。七三〇年マフィアは急速に崩壊に向かっていくことになる。アルフレッド・ローザスの尽力により数年間にわたって七三〇年マフィアの軋轢は表面化しなかったが、ローザスが精神的に参ってしまい宇宙歴七五〇年に宇宙軍大将で退役すると対立が表面化していくことになる。

 「ローザスがもっと頑張っていれば七三〇年マフィアは解体しなかった」と言う人間も居るが、私としては賛同しかねる。ローザスが文字通り身を削って七三〇年マフィアの維持に尽力していたことは彼の回顧録を抜きにしても客観的に読み取れる事実だ。そもそもアッシュビー亡き後の七三〇年マフィアが(第二次ティアマト会戦で決定的な決裂を迎えたにもかかわらず)五年間に渡って辛うじて集団として成り立っていた事の方が奇跡であり、偉業と言っても良い。


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青年期・帝都帰還(宇宙歴768年7月17日~宇宙歴768年10月5日)

 宇宙歴七六八年七月一七日。ハンス・アウレール・グデーリアン宇宙軍大将が率いる黒色槍騎兵艦隊がアルテナ星系に到着。この時既に同盟軍はイゼルローン防衛艦隊を押し込み、要塞を中心点に包囲しつつあった。しかし黒色槍騎兵艦隊の到着によって同盟艦隊はイゼルローン防衛艦隊の殲滅を断念し後退する。

 

 黒色槍騎兵艦隊の到着後、帝国軍はイゼルローン回廊からの撤退に向けて準備を始める。元々要塞建設の作業員は後方へ退避していたが、代わりに帝国艦隊支援の為にエルザス辺境軍管区から大量の後方要員がイゼルローン要塞へと派遣されていた。帝国艦隊が撤退する前にこれら後方要員を退避させる必要がある。黒色槍騎兵艦隊を中心に、各艦隊の比較的損害が軽微な部隊が同盟遠征軍と対峙して時間を稼いだ。

 

 宇宙歴七六八年七月二〇日未明。突如として帝国宇宙艦隊は全線に渡って後退を始める。これに同盟遠征軍は困惑した。国防委員会や統合作戦本部は帝都オーディンで有力者が巻き込まれる事件が発生したことは掴んでいたが、その規模や詳細は帝国上層部の必死の情報統制によって掴めていなかった。

 

 尤も、あれほど大きな事件となると完全な隠蔽は不可能だ。同盟側もすぐにその詳細を知ることになるのだが、少なくともこの時点で遠征軍はクロプシュトック事件のことを知らず、黒色槍騎兵艦隊に続いて赤色胸甲騎兵艦隊、紫色胸甲騎兵艦隊の二個艦隊がイゼルローン回廊に向かっていると信じ込んでいた。

 

 ジャスパーは当初罠の存在を疑ったそうだが、やがて情報部が帝国軍の通信を傍受し、摂政と閣僚を巻き込む大きなテロ事件の発生によって帝国軍が撤退を余儀なくされたことが判明する。ジャスパーは帝国軍の動きからこれが真実だと判断し、追撃に動いた。

 

 イゼルローン要塞が大爆発を起こしたのはその瞬間だった。要塞に接近していた同盟軍第一一艦隊がイゼルローン要塞の崩壊に巻き込まれ艦艇数千隻を失う大損害を被り、その他の艦隊も崩壊した要塞の残骸と混乱する第一一艦隊が邪魔になり追撃を断念せざるを得なかった。

 

 一連のイゼルローン戦役において同盟側が最終的に投入した戦力が六万隻。その内一個艦隊に匹敵する規模である艦艇一万八〇〇〇隻余り、兵員二一〇万人余りを失った。一方帝国側は最終盤に到着した黒色槍騎兵艦隊を合わせて艦艇四万隻を投入。艦艇一万五四一一隻、兵員一六二万八〇二人を失った。両軍の被害を考慮するに回廊の帝国軍は物量差から敗北を避けることが出来ない一連の戦闘において最大限善戦したといえる。一方で同盟側は当初の想定を超える損害を出したものの、概ね大きな失敗も無く勝つべくして勝った、といえるのではないだろうか。

 

 自由惑星同盟本国ではこの後暫く反戦運動が高まるが、やがてドラゴニア辺境軍管区に取り残された帝国軍地上部隊が相次いで降伏、あるいは大敗すると同盟市民は概ね遠征軍の挙げた戦果に満足し、フレデリック・ジャスパー以下遠征軍首脳部を称賛するようになる。宇宙歴七六九年にはこの功績によってジャスパーは統合作戦本部長に就任し、チャンバースはウォーリックが敗れた政界という戦場に乗り出すことになる。

 

 余談だが同盟側では遠征軍の出した損害が決して首脳部のミスによるもので無いという事を強調する為にリヒャルト・フォン・グローテヴォール、クレーメンス・アイグナー、オスカー・フォン・バッセンハイム、ホルスト・フォン・パウムガルトナーらを「双璧の四天王」として名将として称えた。またグレゴール・フォン・ミュッケンベルガーを筆頭とするドラゴニア特別派遣艦隊の生き残りを指して「新世代の一一人」という造語が作られ、盛んに喧伝された。……ミュッケンベルガー少将やメルカッツ准将は順当だとして私がその一人に選ばれたのは単にライヘンバッハという有名すぎる名前とたまたま分艦隊司令官代理という目立つポジションにあったという事が理由だろう。

 

 

 

 宇宙歴七六八年一〇月四日。黄色弓騎兵艦隊司令官オスカー・フォン・バッセンハイム宇宙軍大将を乗せ、ドラゴニア特別派遣艦隊は帝都オーディンへと帰還した。黒色槍騎兵艦隊はフォルゲン、黄色弓騎兵艦隊と第一辺境艦隊の残存兵力はボーデンへと後退、アムリッツァの臨時基地はいくつかの小惑星で構成されていたが、全て恒星アムリッツァに投下され消滅する。イゼルローン回廊の失陥を受け帝国は再びエルザス辺境軍管区の放棄を余儀なくされた形だ。

 

「そこら中に憲兵が居るな……」

「無理も無いでしょう。……事が事ですからね」

 

 ドラゴニア特別派遣艦隊の艦艇三八〇〇隻が入港したのは第一二特派戦隊が出立したオストガロア宇宙軍基地であった。基地の空気は張り詰めており、目につくように多数の憲兵が配置されている。

 

「総監部の連中も居ますね。しかも警保や監査じゃない、あいつら多分特事局だ」

「軍内マルシャですか……司令官閣下の予想通り面倒なことになりそうです」

 

 憲兵総監部出身のブレンターノ法務部長が嫌悪感を滲ませながら発言し、ペイン憲兵隊長も顔をしかめた。

 

「何です軍内マルシャって?……どうせロクでもない組織でしょうが」

「社会秩序維持局の尖兵だ。軍務省や統帥本部と同じように、憲兵総監部も基本的には軍内事件に内務省が首を突っ込んでくるのを嫌っている。だが、特事局だけは相手取るのが貴族だからか積極的に社会秩序維持局と協力するらしい」

「よくご存じですね。クラーゼン情報部長。……『毒を以て毒を制す』という理屈は分かるんですがね。『深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているのだ』って言葉を知らなかったんですよあいつらは。曽祖父の頃はもう少しまともな組織だったんですが、今では社会秩序維持局の小役人共と同じロクデナシの集まりですよ」

 

 エルラッハ作戦副部長の質問にラルフが答え、さらにブレンターノ法務部長が顔をしかめながら吐き捨てた。ブレンターノ家が機関に協力するキッカケにも社会秩序維持局と憲兵総監部特事局が絡んでいたらしい。「強大な組織は強大な反発を招く」というのは確か最後の憲章擁護局長アレハンドロ・サラサールの言葉だったか、まさしく至言である。残念ながらサラサールと違い歴代の社会秩序維持局長はその事に気づいていなかったか、意図してそれを無視した。

 

 第一二特派戦隊の首脳部が旗艦リューベックを降りると憲兵の一団が私たちの前に立ちふさがった。

 

「アルベルト・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍准将。そしてヴィンツェル・フォン・クライスト宇宙軍中佐。お二人には憲兵総監部への出頭が命じられております」

「理由は?」

 

 壮年の憲兵が私に敬礼した後、徐にそう言った。私は端的に理由を問いただす。

 

「ここで口にするのは憚られる内容かと……」

「そうか、では後で聞かせてくれ。今は疲れているんだ。そこをどいてくれ」

「お待ちください。そういう訳にはいきません」

 

 私が横を通り抜けようとすると士官が腕を掴んできた。

 

「……拘引を命じられている訳でも無いんだろう?一応教えてやるが君たちは今非常に失礼な事をしている。私は生来温厚な質だが、家の名前と部隊を背負っているんでな。あまり無礼な事をされると私も笑って済ませられなくなる」

 

 私が睨みつけると士官は怯んだ様子だ。そこでブレンターノ法務部長が進み出る。

 

「少佐。貴官に聞きたいのだが先ほど『出頭が命じられている』と言ったな?ならば出頭命令書を見せてみろ」

「承知しました。こちらです」

 

 士官がブレンターノ法務部長に仰々しい書類を手渡す。

 

「……話にならんな。これはただの出頭要請書だ。直属の司令官たるミュッケンベルガー少将のサインも軍務尚書のサインも宇宙艦隊司令長官のサインも無い。である以上、これは強制力を持った出頭『命令書』ではなく参考人に対する任意の出頭『要請書』に過ぎない。違うか?」

「……」

 

 士官は黙り込む。ブレンターノ法務部長の言うことは正しい。強制力を持った出頭命令を出せるのは高等法院と内務省保安警察庁だけである。個人としてはこれに皇帝、摂政、内務尚書、司法尚書が加わる。

 

「憲兵総監部は確たる証拠があれば勿論拘束命令を出すことが出来る。だが出頭命令はその部隊の司令官か軍事行政の代行者である軍務尚書、あるいは全宇宙艦隊のトップである宇宙艦隊司令長官の承諾が無ければ出すことが出来ない。それが無い以上は単なる参考人としての出頭要請に過ぎず、正当な理由が有れば拒否は可能だ」

「まさか司令官閣下と後方部長の軍務が正当な理由にならないと言うつもりは無いよな?ドラゴニア特別派遣艦隊と第一二特派戦隊がどのような状況に置かれているか、知らない訳でもあるまい」

 

 ブレンターノ法務部長に続きヘンリクが睨みつける。士官は苦しい表情だ。

 

「……承知しました。また日を改めてご協力をお願いしたいと思います」

「ああ、覚えておこう」

 

 憲兵たちは私の前を立ち去って行った。

 

「……ふう。肝が冷えました……」

 

 大柄のレンネンカンプ参謀長の後ろに縮こまっていたクライストが呟く。

 

「まだ安心するのは早いですよ後方部長。特事局は簡単には引き下がりませんからね」

 

 ブレンターノ法務部長がそう言うとクライストは青褪めた表情で頷く。……帝都における爆弾テロの犯人がクロプシュトック侯爵ならば、一門に属するクライストと、一門に属する予定だった私はとばっちりを食う可能性がある。皇族であるクレメンツ大公とフリードリヒ大公に危害を加えている以上、クロプシュトック侯爵に対する大逆罪の適用は免れない。そうなれば少なくともクライストはタダでは済まない。

 

 帝国における連座制は時代が下るにつれて、若干緩和されている。貴族社会において複雑な姻戚関係が築かれるようになったことが理由だ。まず、ルドルフ大帝の勅令――事実上の憲法――に対してエーリッヒ二世止血帝が事実上の縮小解釈を施した上で新たに大逆罪の刑罰規定を設置した。さらにマクシミリアン=ヨーゼフ二世晴眼帝が下した『枢密院改組二関スル一連ノ勅令二関スル捕足』『高等法院設置二関スル件』『高等法院二於ケル法解釈二対スル指針』で示された一連の解釈――通称ミュンツァー解釈――によって多くの法律において連座制の規模が縮小された。

 

 それでも判例によると大逆罪の連座制度では「三親等以内の者を死刑とする」「五親等以内の者は死刑又は無期懲役とする」「九親等以内の者は罰することが出来る」となっている。(この他、直系・傍系・尊属・卑属の別に関しても色々とあるが省略する)クライストはクロプシュトック侯爵の曽祖父の妹の曾孫である。つまり八親等以内の血族にあたり、処罰される可能性はある。

 

 ちなみに私は結婚式の半月前にオトフリート五世陛下が亡くなった為に、未だコンスタンツェ――カミル・フォン・クロプシュトック伯爵の娘――と籍を入れていなかった。籍を入れていたら四親等以内で一発アウトである。しかしながら婚約者という立場は変わっていない訳であるから、油断も出来ないといえよう。

 

 

 

 

 

 

 

「そうか。お前の下にも憲兵が来たか……」

 

 宇宙歴七六八年一〇月五日。オストガロア基地に一泊した私はその後、帝都近郊のメルクリウス市にある自宅へと帰ってきた。

 

「……父上。私は今どのような状況に置かれているのでしょうか?イゼルローン回廊から戻ってくる間もある程度の情報は収集して来ましたが……どうにも判断がつきません」

「無理もないだろうな。帝都の人間でも状況を全て正確に把握している人間はいないはずだ。……お前はどこまで知っている?」

 

 父、カール・ハインリヒ・フォン・ライヘンバッハ退役元帥は腕を組んでそう言った。私は父に自分が聞いている限りの情報を話した。

 

 宇宙歴七六八年六月一二日。皇室宮殿(パラスト・ローヤル)で赤色胸甲騎兵艦隊と紫色胸甲騎兵艦隊の出征記念パーティーが行われた。皇族、親任官(閣僚や軍高官)、帝都在住の勅任官(各省局長級以上の官僚、少将以上の軍人)、帝都在住の伯爵位以上の貴族が出席資格を持ち、また公職につかない平民の有力者――主に軍や貴族と関係の深い商人――も少数ながら招かれていた。

 

 パーティーが始まって二時間ほど経った頃である。突如としてパーティー会場で爆発が起こった。不幸にも爆発の中心には摂政ブローネ大公を初めとする殆どの閣僚と、皇族二人、一部の軍高官が集まっていた。帝都の外では残念ながら詳細な情報がつかめなかったが、少なくない要人が死亡したようだ。

 

 憲兵総監部は四日後、ウィルヘルム・フォン・クロプシュトック侯爵を首謀者として断定した。クロプシュトック侯爵はパーティーに出席していたが、用を足すためにパーティー会場から出ており難を逃れていた。憲兵総監部はクロプシュトック侯爵とその一党の拘束に動いたが、その時既にクロプシュトック侯爵は帝都オーディンを離れ自らの領地へと戻っていたという。尤も、クロプシュトック侯爵は領地から自身の潔白を訴えているが……。

 

 難を逃れた政府と軍の高官たちは大いに狼狽えたが、ここで自身も軽傷を負ったクレメンツ大公が強いリーダーシップを発揮し、混乱の収拾に努めた。情報漏洩の防止と前線で戦う将兵を動揺させないことを目的に黒色槍騎兵艦隊の接近までイゼルローンに対して事件の存在を黙っていたのも彼の判断だ。クレメンツ大公は一連の事件を通じて大いに声望を高めたようだ。

 

「まあ、概ねお前の言う通りだな。……だが実際はもっと酷い」

 

 父は事件の詳細について話し始めた。その内容は私の想像を超える物であった。

 

 摂政ブローネ大公、宰相代理兼国務尚書アンドレアス公爵、財務尚書カストロプ公爵、内務尚書ノイエ・シュタウフェン侯爵、宮内尚書キールマンゼク伯爵、司法副尚書バルマー子爵、科学副尚書エールセン子爵を含む高級官僚二一名が死亡。生き残った残り三名の閣僚も全員重傷を負い入院している。

 

 宇宙艦隊司令長官フォーゲル元帥、幕僚副総監マイヤーホーフェン上級大将、憲兵総監クラーマー大将、兵站輜重副総監クルーゼンシュテルン大将、地上軍第一軍集団司令官ゲッフェル大将、赤色胸甲騎兵艦隊副司令官ヴァルテンベルク中将、教育総監部要塞砲戦監シュトックハウゼン中将、近衛第二分艦隊司令官フォルバー中将、統帥本部人事部長アルレンシュタイン中将、士官学校長フェルデベルト中将らが二四名の将官が死亡。またクヴィスリング退役元帥も爆発に巻き込まれ死亡したそうだ。軍務尚書アイゼンベルガー元帥を含む数名を除いて、他の軍高官の殆ども負傷しており、ある軍務省職員は「軍務省にとって涙すべき四〇分の再来だ」と嘆いた。

 

 その他、枢密院副議長リンダーホーフ侯爵、オーディン高等法院副院長フレーゲル侯爵、枢密院議員ノイエ・バイエルン伯爵ら領地貴族の出席者にも多くの犠牲者が出ている。最終的に五六名が死亡、三〇〇名以上が負傷しその二割は瀕死の重傷を負ったという。

 

「……これほど大きな事件だ。帝都のあらゆる組織が混乱していたが、それでも社会秩序維持局と保安警察庁の両組織は争うようにして皇室宮殿(パラスト・ローヤル)に殺到した。事件から一〇分後には保安警察庁の機動捜査隊が到着したのだが、その時点で既に帝都憲兵隊と憲兵総監部が現場を封鎖してしまっていたらしい。憲兵隊は当初保安警察庁どころか、社会秩序維持局の捜査員さえ現場に立ち入らせなかった。……随分と早い動きだとは思わんか?憲兵隊は総監を失い、副総監や局長クラスの一部も事件に巻き込まれていたのにな」

 

 父は難しい表情である。……父は憲兵隊の動きに疑念を抱いている様子だ。

 

「そして、それだけ早く動いた割に、犯人の特定には四日も時間をかけている。……この事件で当初疑われたのはリヒャルト大公殿下だ。リヒャルト大公殿下はパーティーに出席する予定だったが、腹痛を理由に出席を取りやめている。事件直後にはリヒャルト大公殿下がクレメンツ大公殿下を狙って事件を引き起こしたという噂がまことしやかに囁かれていた」

「……リヒャルト大公殿下がですか?しかし……犠牲者にはアンドレアス公爵を始めとするリヒャルト大公派の要人が複数含まれています。クレメンツ大公の支持者もフレーゲル侯爵を始めとして複数巻き込まれていますが、肝心のクレメンツ大公が軽傷で難を逃れていることを考えると……」

 

 私の意見を聞いて父は頷いた。

 

「その通りだ。事件の被害が明らかになるにつれてリヒャルト大公を黒幕とする噂は小さくなっていった。その代わりに様々な流言飛語が飛び交い始めた。ブラウンシュヴァイク公爵とクレメンツ大公が結託して起こした自作自演、リューデリッツ派による軍上層部へのテロ、リッテンハイム侯爵によるブラウンシュヴァイク派に対する攻撃、共和主義思想に被れた開明派と軍内改革派の一部による暴走、フェザーンの暗躍、帝前三部会の平民議員過激派による陰謀、果てはフリードリヒ大公がクーデター計画を失敗させて自分も巻きこまれたとか、政治に嫌気がさしたブローネ大公が多くの高官を道連れに自殺したとか、単なるガス漏れが原因だとか……まあ、他にも色々あった。……ちなみに私とクヴィスリング元帥、ゾンネンフェルス元帥による帝国上層部への復讐、という噂もあったぞ」

 

 父は苦笑している。なるほど、確かにどれもセンセーショナルで、証拠は一切無くても「もしかしたら……」と思わせる程度の力を持った噂だ。すぐに「まさかな」と笑って流すだろうが。

 

「そんな中、突如として憲兵総監部がクロプシュトック侯爵を犯人と断定する発表を行い、帝都のクロプシュトック派……というよりはリヒャルト大公派か?を一斉に検挙した。クロプシュトック侯爵を初めとする二〇名弱は憲兵総監部の追跡を逃れて帝都を脱出したか潜伏を続けている。……それとなアルベルト、お前に言わないといけないことがあるんだが……」

 

 父はきまり悪そうな様子だ。第二次ティアマト会戦の後、父はよく言えば冷静さを身に着け、悪く言えばやや翳のある印象を受けるようになった。父の内心は分からないが、多くの同志と戦友を失った戦いに思う所もあったのだと思う。それでも往年の果断さが損なわれた訳では無い。父のこんな様子は珍しかった。

 

「何でしょうか父上?」

「うむ……あのな、実はお前の婚約者であるコンスタンツェ嬢が助けを求めて来られてな。この家で匿っているのだ……」

「……は?」

 

 父は誇り高き帯剣貴族である。誇り高き帯剣貴族に助けを求める女性を見捨てるという選択肢は無い。……しかしそれにしたって限度があるという物だろう。我々は既に大義の為に色々なモノを犠牲にしてきたのだというのに……。



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青年期・第三六代皇帝クレメンツ一世即位(宇宙歴768年11月1日~宇宙歴768年12月)

登場人物の立ち位置を分かりやすくするために無理やり幕藩体制で例えます
リヒャルト大公=徳川家光+徳川家茂
クレメンツ大公=徳川忠長+徳川慶喜
フリードリヒ大公=徳川家定

貴族たちは大体こんなイメージです。時代ごちゃごちゃですが。
ブラウンシュヴァイク公爵家=伊達政宗
リッテンハイム侯爵家=前田利長
クロプシュトック侯爵家=松平容保
アンドレアス公爵=保科正之
ブラッケ侯爵・リヒター子爵=島津+松平春嶽





 宇宙歴七六八年一一月一日。オーディン帝国大学の敷地内に存在するリヒャルト一世恩賜大講堂において第八回帝前三部会が開催された。「オトフリート五世の崩御によって開会直後に休会が決定した第八回帝前三部会を再開する」という形式を取っている。

 

 通常ならばオトフリート五世が崩御した時点で第八回帝前三部会は中止となり、全議員がその資格を失うはずだった。しかし、二人の大公がそれぞれの思惑で帝前三部会の閉会に消極的だった――帝前三部会の承認を受けて厄介な反対派を黙らせたかった――ために、「休会」という形が取られ、その結果、大勢の帝前三部会議員が帝都オーディンに長期間留まる羽目になっている。

 

 一部の地方会・平民会議員は生活の都合もあり自ら職を辞したが、クレメンツ大公とその派閥が人気取りの為に支援を惜しまなかったために大半の議員は帝都に残っていた。彼らの一部は昨年の開明派と社会秩序維持局の対立において民衆を扇動し、開明派に強力な援護射撃を行うなどオーディンの政治情勢にも少なくない影響を与えていた。とはいえ、この所謂「八会組」は後の議員たちに比べれば遥かに体制に従順であり、また平民身分の代表と言いながらも身分全体に及ぼす影響力はさほど大きくなかった。

 

「忠実なる帝国臣民諸君!今日は余の為によく集まってくれた!……余は確信する。余の下に諸君らが結束し、為すべき使命を為せば、この輝かしい祖国に対する脅威を全て打ち砕くことが出来るだろう!サジタリウス叛乱軍も、航路を脅かす犯罪者も、恥知らずにも共和主義者を標榜する残虐なテロリストも、祖国に弓を引いた叛逆者も、全て例外ではない!」

 

 大講堂の一番前、そして一番高い場所――当然議長席よりも――に設けられた席から快活そうな大柄の美男子が語り掛けた。その表情からは自身の能力に対する揺るぎない確信が読み取れる。男の名はクレメンツ・フォン・ゴールデンバウム。彼はこの日、銀河帝国第三六代皇帝に即位する。

 

 クレメンツ大公……いやクレメンツ一世は時に大仰な身振りを交えながらスピーチを続ける。老いも若きも貴族も平民もクレメンツ一世のスピーチに聞きほれているようだ。……ただしリヒャルト大公派の残党は心穏やかではあるまい。

 

「皇帝が臣民に臣民足ることを求めるのであれば、皇帝も皇帝たるに相応しい器を示さねばなるまい……。余は約束しよう!全ての臣民に安心して眠れる夜を!暖かい我が家を!相応しい労務を!そして何よりも充分なパンを!」

 

 その言葉と同時に大講堂内部に議員たちの歓声が響く。平民議員たちが口々に熱狂的な支持を表明し、地方貴族たちも新たなリーダーへの期待を口にする。当初は不愉快そうな表情をしていた大貴族たちも空気を読み、満面の笑みを張り付けて歓声に加わった。

 

 クレメンツ一世は言葉を切り、歓声が収まるのを待つ。そして再び口を開く

 

「帝前三部会の諸君。余の閣僚を紹介しよう」

 

 クレメンツ一世の言葉と同時に、最前列に座っていた一〇名強が立ちあがった。

 

「宰相代理兼国務尚書ブラウンシュヴァイク公爵、内務尚書ブラッケ侯爵、軍務尚書アイゼンベルガー伯爵、財務尚書リヒター子爵、副宰相兼司法尚書リッテンハイム侯爵、宮内尚書ノイケルン伯爵、典礼尚書ヘルクスハイマー伯爵、科学尚書バルヒェット伯爵、宮廷書記官長バルトバッフェル子爵、無任所尚書エーレンベルク侯爵、無任所尚書フレーゲル侯爵、無任所尚書ランズベルク伯爵、無任所尚書フォルゲン伯爵、無任所尚書ゾンネベルク伯爵、無任所尚書ボーデン伯爵」

 

 ……後世、「極右と極左の連立政権」あるいは皮肉混じりに「帝国史上最も優秀な反国家的組織」とも称される第一次クレメンツ政権はここに誕生した。平民議員たちは自分たちの支援者であるブラウンシュヴァイク公爵やリッテンハイム侯爵、あるいは代弁者であるブラッケ侯爵やリヒター子爵の姿を見て無邪気に喜んでいたが、呑気な物である。クレメンツ一世の果断さは認めよう。だが内務尚書カール・フォン・ブラッケや司法尚書ウィルヘルム・フォン・リッテンハイムなど質の悪い冗談としか思えない。……果断が過ぎるという物だ。

 

「……この国はこれからどうなるんだろうね?」

 

 三部会が進んだ頃、クルトがウンザリとした様子で私に語り掛けてきた。先月、ハウザー・フォン・シュタイエルマルク上級大将は元帥に昇進し、宇宙艦隊副司令長官に就任した。宇宙艦隊副司令長官は自動的に公僕会議員資格を有するが、シュタイエルマルク提督は別に地方会議員の資格も有しているために、地方会議員の資格は息子であるクルトが代行している。私も同じような仕組みで父の地方会議員の資格を代行している。

 

 議場の中央ではブラウンシュヴァイク公爵が大仰な身振りで故・カストロプ公爵を弾劾している。故・カストロプ公爵は優れた政治屋であった。機を見るに敏とは彼の為にある言葉であり、徴税権を一手に握ることで莫大な不正資産を築き上げた。一方で彼のあからさまに過ぎるそのやり方は方々で顰蹙を買っていた。それでも彼の「奇術」を前にしては誰も――オトフリート五世倹約帝もアンドレアス公爵もブラウンシュヴァイク公爵も――手出しすることが出来なかったといわれる。「カストロプ公爵の弾劾」は第一次クレメンツ政権の全閣僚が同意した数少ない政治判断では無いだろうか。

 

「とりあえず同業者組合(ギルド)は潰されるみたいだな」

 

 早々に飽きた私は手元に配られた資料を勝手に読み始めていた。クルトは最初こそカストロプ公爵の弾劾を見て「帝国政治史に刻まれる瞬間だ」と眼を輝かせていたが、あまりに多くの貴族が同じような批判を繰り返す様子為に辟易した様子であり、私の読んでいる資料を覗き込んできた。

 

 「組合禁止法」……提案者の名前を取ってブラッケ法とも称されるこの法律は自由競争を促進し、ギルドによる不当な価格のつり上げを防ぐ、との大義名分で制定されるらしい。が、その提案者はブラウンシュヴァイク公爵たちを睨み付けながら法案審議の場でこう言った。

 

「……小さく産んで大きく育てる。それが出来ればこの法の意義は達せられるだろう。それが出来ればな」

 

 ブラッケの仏頂面とあからさまな不快感の表明は議員たちを不安にさせたが、結局この法律は全会一致で――あくまで公式記録上では――可決された。民衆と地方貴族、そしてその代表議員にとって物価の安定は長年の夢だ。彼らは物価高騰の原因として三つのモノを考えていた。一に宇宙海賊、二に官僚貴族と特権商人の癒着、三に土地の国有化。……彼らはこう考えていた。

 

『人類が一つの惑星に住んでいたころならともかく、この宇宙時代に物資が不足する訳無い』

『物資は足りているのだ。それが私たちの手元に来ない社会と経済のシステムに問題があるのだ』

 

 このような不満を実に悪辣に、実に狡猾に利用しているのがクソ領地貴族共だ。奴らこそが帝国に巣食う寄生虫なのに、奴らは中央政府や官僚に民衆の敵愾心を逸らし、「自分たちこそが腐敗した無能な官僚たちから民衆を守っているのだ」といけしゃあしゃあとのたまっていたのである。

 

 第八回帝前三部会ではこの「組合禁止法」が新たに制定された他、六の法律が改正され地方貴族や民衆がより強力な私的護衛部隊や自警団を設立することが可能になったが、最大の懸案事項である租税法改革には一切触れられないまま閉会した。その事に対し不満を漏らす議員がいなかった訳では無いが、大半の議員はそれぞれの意味でクレメンツ一世の手腕に期待しており、大きな混乱は起きなかった。

 

 

 

 

 

『フランツ・フォン・マリーンドルフ伯爵がカストロプ元・公爵の不正な資産を全額帝国中央政府に引き渡すことを表明。今後、資産の使い道を巡って上層部での対立が激化することが予想される』

『高等法院判事ブルックドルフ子爵他三名がリッテンハイム司法尚書に建白書を提出。リッテンハイム侯爵は立法権に対する過干渉であると反発』

『帝国学士院の貴族血統データを巡って典礼尚書ヘルクスハイマー伯爵と宮内尚書ノイケルン伯爵が対立』

『内務尚書ブラッケ侯爵、社会秩序維持局に一〇六点の捜査資料開示を命令。保安警察庁・民政局の独立を示唆』

『無任所尚書フレーゲル侯爵が閣僚会議と枢密院に対し典礼省・保安警察庁・公安調査庁の規模縮小を提言』

『開明派のレッケンドルフ国務次官補が辞意を表明。ブラウンシュヴァイク国務尚書は慰留の意向』

『宮廷書記官長バルトバッフェル子爵を議長とする自治領行政改革推進会議において、自治統制庁の省への格上げが提言される。宮廷関係者によると、バルトバッフェル子爵は内務省からの切り離しには肯定的だが、自治統制庁の規模拡大には警戒している模様』

 

「予想通りの内輪もめだな。開明派とクソ領地貴族が上手くやれるわけがない。しかもバランス感覚に優れた官僚貴族は開明派系統以外軒並み更迭されているからなぁ……」

 

 私の今の職場の上司が、勤務時間中にも関わらず帝国一般新聞(ライヒス・アルゲマイネ・ツァイトゥング)の記事を流し読みしながら呟いた。

 

 帝国の情報媒体は全て内務省情報出版統制局の検閲が行われている。とはいえその範囲内においても各紙面毎に傾向は分かれる。以前から上流市民向けの全国紙帝国一般新聞社(ライヒス・アルゲマイネ・ツァイトゥング)――後の民主(デモクラティ)前衛(ー・ラディカ)新聞社(ル・ツァイトゥング)だ――は最もリベラルな報道姿勢で知られていた。そしてその傾向は開明派の台頭に合わせて強まっており、内務尚書にブラッケ侯爵が就任した翌週には財務官僚四名と特権商人の大規模な収賄事件を紙面に掲載した。

 

 以前も政争絡みでそういう事件が表に出ることはあったが、基本的に国営メディアからの報道であり、帝国上層部の統制下にあった。帝国一般新聞社(ライヒス・アルゲマイネ・ツァイトゥング)がこのような報道を独自に行うことは極めて稀であり、またこのような報道を行ったにも関わらず誰一人処分されなかったことに至っては帝国史上初の出来事といっても過言ではない。

 

 とはいえ、悪名高い同盟の極右紙、経済(エコノミック・)産業(インダストリ)新聞社(アル・ジャーナル)の方がマシだろう、といえる程度には相変わらず偏向した質の悪い内容だったが……。オリオン腕の人々から報道の自由が奪われて約五〇〇年、仕方がないことだろう。

 

「……閣下は開明派を支持なさっていたのでは?他人事ではないはずです」

「それはそうだ。軍部の自称・改革派とは違って本気で国を良くしようとしているのは分かるからな。で、俺に何が出来る?」

 

 私が窘めると上司は肩を竦めて応じた。上司の名はオスカー・フォン・バッセンハイム宇宙軍大将。イゼルローン回廊を守り切れなかったこと、そしてイゼルローン要塞を独断で破壊したことを理由に彼は軍務省高等参事官という閑職に追いやられた。

 

 ……察しの良い諸君は気付いたかな?その通りだ。閑職に追いやられた彼の部下である私もまた、当然閑職に追いやられている。階級は一つ上がって宇宙軍少将、役職は高等参事官補だ。私の場合はクロプシュトック侯爵の姪と婚約していたことが響いての閑職行きだろう。婚約破棄自体は済ませているが……まあ、何事も無しとはいかなかった。クロプシュトック事件発生時に遠くイゼルローン回廊に居たことや、父の名声、ライヘンバッハ伯爵家の帯剣貴族家全体に対する影響力などを考慮して、辺境ではなく中央の閑職へと回されたに違いない。

 

「エーレンベルク軍務尚書の例もあるでしょう?高等参事官という閑職にありながら、リューデリッツ元兵站輜重総監と協調することで軍部改革派の重鎮となり、『アイゼンベルガーの懐刀』『軍務省の鷲』と呼ばれるようになりました。今では元帥・軍務尚書です」

「『軍部省の鷲』は半分悪口だ。それに奴は先代のエーレンベルク侯爵の甥。一か月で大将・軍務政務官から元帥・軍務尚書とはな。陛下かブラウンシュヴァイクか、誰の思惑かは知らんが余程エーレンベルク侯爵のご機嫌を取りたいらしい」

 

 バッセンハイムは不機嫌そうにそう言った。

 

「閣下はシュタイエルマルク提督の元帥府に属しておいででしょう。提督は閣下を高く評価しておられます。元帥閣下のお力を借りては如何です?」

「お高く止まったいけ好かない奴に評価されても嬉しくは無いし、あいつに借りを作るのは御免だ。卿の父上が現役ならばな……喜んで馳せ参じたのだが」

 

 バッセンハイムはそう言って溜息をついた。

 

 バッセンハイムは我が父と馬が合い、シュタイエルマルク提督とは不仲だった。しかしイゼルローン回廊失陥後にシュタイエルマルク提督が宇宙艦隊副司令長官に任じられ、元帥府を開設すると元帥府入りした。本人曰く「他が酷すぎたし、あのシュタイエルマルクが俺に頭を下げて頼んできたから仕方なく」らしい。

 

「……バッセンハイム大将閣下。元帥閣下を悪く言うのは止めていただきたい。それと閣下。今は休憩時間ではありませんが何故休憩室におられるのでしょうか?」

 

 私とバッセンハイム大将が話しているとそこに眉間に皺を寄せた若い士官が加わった。軍務省官房審議官カール・フェルディナント・フォン・インゴルシュタット宇宙軍中将である。

 

「インゴルシュタットか、卿こそ一体何の用だ?」

「カストロプ一門がクロプシュトック侯爵領と連携し離反した場合に軍務省が取るべき対応について軍務尚書閣下に申し上げないといけません。実戦経験の豊富な閣下の意見をお聞きしたい、と申し上げていたはずですが」

 

 インゴルシュタットは剣呑な表情だ。しかし取り立てて不機嫌という訳ではない。彼はいつもそうなのだ。バッセンハイムはウンザリとした表情だ。

 

「あれ、本気で言っていたのか……?クロプシュトックとカストロプ残党が手を組むなど有り得ん」

「同感です。しかし閣下。何があり得ないかを言い当てるのはとても難しいものです。昨日の夢が明日の現実とならないとも限りません。閣下はクロプシュトック侯爵のテロを予測できましたか?」

 

 インゴルシュタットは淡々と話す。

 

「分かった分かった……。それが資料だな?受け取ろう。俺なりの見解を加えてアルベルトに持っていかせる。それで良いな?」

「承知しました。それと閣下、執務室をあまり長く空けるのは宜しくないかと考えます。では失礼します」

 

 インゴルシュタットは敬礼すると私たちの前から立ち去った。

 

「点数稼ぎ……では無いんだろうな。もっと賢いやり方はいくらでもある」

「先日インゴルシュタット中将が仰っていました。『やることが無いんじゃない、やることを見つけられていないだけだ』だそうです」

「無能な働き者、と断じるにはちと惜しいわな。もう少し肩の力を抜けば良い塩梅になると思うんだが」

 

 バッセンハイムは手元の資料に目線を落としながらそう言った。

 

 カール・フェルディナント・フォン・インゴルシュタットはシュタイエルマルク提督の薫陶厚い模範的な軍人であり、実戦指揮でも兵站畑でも教育畑でも統合任務でも水準以上の実績を残してきた。故・クヴィスリング元帥は「どこに置いても必ず役に立つ」と評していたという。

 

 ちなみに、その名前で分かる通り、ダゴン星域会戦の敗戦責任を負ったゴットリーブ・フォン・インゴルシュタットの曽孫である。弾劾者ミュンツァーの弁論はゴットリーブ本人にとって無意味な物であったが、彼の遺された家族の運命を大きく変えた。彼の三親等以内の血族は皆「内通者の一党」として処刑台に送られたが女性と一〇歳以下の男子、そして五親等以上の親族が死を賜ることは無く、インゴルシュタット伯爵家は帝国騎士まで爵位を落としたがその命脈を保った。やがてマクシミリアン=ヨーゼフ二世晴眼帝の下で名誉回復が行われ、バルトバッフェル男爵家等四家と共に子爵位が授けられた。

 

 なお、本人は帝都防衛司令官を務めているときにクロプシュトック事件が発生し、その責任を取らされる形で軍務省官房審議官という閑職に回された。優秀な人材の不足や開明派との繋がりもあって、苛烈な処分を受けずに済んだといえる。

 

「しかし……もう一二月の中旬だぞ?クロプシュトック討伐はいつになったら始まるんだろうな?卿は心穏やかではあるまい。その……なんだ、コンスタンツェ嬢も心配しているだろう?」

 

 バッセンハイムは遠慮がちに私に尋ねてきた。表向き、我が母アメリアの姪アンドレアとしてライヘンバッハ邸に滞在しているが、コンスタンツェ嬢がライヘンバッハ伯爵家に匿われていることは公然の秘密となっている。女性とはいえ叛逆者の一族を匿うというのは大罪だが、クレメンツ一世もその他の権力者も黙認する構えだ。

 

 今の帝国軍を支えている軍人はほぼ全員がライヘンバッハかシュタイエルマルクの影響を受けている。高々女一人の事で処断するのを躊躇う程度にはライヘンバッハという家は大きい。名門か否かという観点で見ても、ライヘンバッハに匹敵する権威を持つ帯剣貴族家は最早ルーゲンドルフ、ノウゼン、ゾンネンフェルス、シュタインホフ、リンドラー等数えるほどしか残っていない。

 

「主導権争いが続いているようですね。ブラウンシュヴァイク・リッテンハイムらは長年クロプシュトック侯爵家によって掣肘されてきました。彼らにとってクロプシュトックは目の上のたん瘤であり仇敵です。しかし、クレメンツ一世と開明派はクロプシュトックを丸ごと潰す事に対し消極的だ。カストロプと同じようにクロプシュトックの資産を抑えたいということもありますが、クロプシュトック領、特にマリエンブルク要塞を押さえておけばブラウンシュヴァイク・リッテンハイムに最低限の抑えは効きます。他にも旧リヒャルト大公派と軍の一部はそもそもクロプシュトック侯爵がテロを実行したということ自体に懐疑的ですし、リンダーホーフやエーレンベルク、グレーテルもそれぞれの思惑で勝手に動いています」

 

 私はコンスタンツェ嬢については触れずに答えた。バッセンハイムは腕を組んで――左腕は義手である――考え込む。クロプシュトック侯爵は今なお潔白を叫び続けている。それは離宮の一つに幽閉されたリヒャルト大公も同様である。

 

 実際の所、クロプシュトック事件には多くの謎が残されており、確かにクロプシュトック侯爵の犯行であることを否定できる証拠は無いのだが、エーレンベルク侯爵やリッテンハイム侯爵、極端な話死んだアンドレアス公爵を犯人としてもそれは変わらない。尤も詳しい捜査資料を見ればクロプシュトック侯爵を犯人と断定する動かぬ証拠もあるのかもしれないが……それについては「今の」私に確認する術はない。

 

……銀河の歴史がまた一ページ。

 

 

 



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青年期・疑惑のクロプシュトック事件(宇宙歴769年1月~宇宙歴769年2月1日)

 宇宙歴七六九年一月。年明けを祝う暇も無く、帝国上層部では派閥同士の対立が激化していた。大まかに言えば保守的で利己的な領地貴族派と急進的で過激な開明派の対立ということになる。

 

 しかし、一口に領地貴族派といってもその内実はバラバラだ。まず同派の両巨頭、ブラウンシュヴァイク公爵とリッテンハイム侯爵の二人からしてあまり仲が良くない。両巨頭はクレメンツ一世の支持者という立場で今まで協力していたが、クレメンツ一世の即位後は様々な権益をめぐって微妙な緊張関係にある。

 

 さらにエーレンベルク侯爵、グレーテル伯爵といったクレメンツ大公の消極的な支持者、あるいは元・中立派の存在も無視できない。彼らは今でこそブラウンシュヴァイク公爵やリッテンハイム侯爵の風下に立たされているが、第二次ティアマト会戦頃はブラウンシュヴァイク公爵やリッテンハイム侯爵に比肩する勢力を有していた。第二次ティアマト会戦後の混乱に乗じてブラウンシュヴァイク公爵とリッテンハイム侯爵はその勢力を拡大させたが、それでもエーレンベルク侯爵らとの差は絶対的なモノではない。

 

 そして領地貴族であってもリンダーホーフ侯爵、フォルゲン伯爵、ノイエ・バイエルン伯爵らは明確な反ブラウンシュヴァイク・リッテンハイム派ともいえる人々だ。彼らはブラウンシュヴァイク公爵とリッテンハイム侯爵の専横を快く思っておらず、基本的にはクレメンツ一世に忠実に動き、場合によっては開明派に協力する。旧リヒャルト大公派に対しても融和的だ。

 

 一方の開明派はカール・フォン・ブラッケら過激派とコンラート・フォン・バルトバッフェルら穏健派――一般的な帝国基準ではそれでも過激な改革派――の二つの集団が存在する。しかし、調整能力に優れ、またオトフリート四世帝の息子という権威を持つオイゲン・フォン・リヒター、啓蒙主義に詳しく、歴史学者として声望厚いブルーノ・フォン・ヴェストパーレらが間に立っていることもあり、派閥自体は結束している。しかしながら開明派の主張は全体的に過激である為に、他の派閥の協力を得ることが出来ていない。但し、旧リヒャルト大公派を排斥した関係上、要職にある実務家のほとんどが開明派か平民出身者である。その為にクレメンツ一世は開明派に融和的であり、発言力では領地貴族派に充分対抗可能だ。

 

 そして最後に旧リヒャルト大公派の生き残りも一定の勢力を保っている。クロプシュトック事件で連座してリヒャルト大公派の多くが処罰されたが、テロ被害者のリヒテンラーデ、ルーゲ、ハーンらを処罰する訳にはいかず、またクレメンツ一世が旧リヒャルト大公派の残党を領地貴族派の牽制に利用しようと考えたために要職からは追われているが、派閥としての影響力が完全に消えた訳ではない。内務省自治統制庁長官にクラウス・フォン・リヒテンラーデ伯爵、国務省フェザーン高等弁務官事務所参事官にヨッフェン・フォン・レムシャイド伯爵令息らが任命されたことからもその事は読み取れる。

 

 各派閥にとって重要な対立点になっていたのは、「財政問題への対処」「故カストロプ公爵の資産」「省庁再編」そして「クロプシュトック派への対応」である。

 

 ブラウンシュヴァイク・リッテンハイムらは当然にクロプシュトック領への侵攻と徹底的な弾圧をやろうとしたが、開明派がそれに待ったをかけた。内務尚書ブラッケ侯爵が社会秩序維持局と憲兵総監部の捜査に疑問を呈し、高等法院では若手のブルックドルフ判事らが旧リヒャルト大公派の官僚一五名に対し「証拠不十分」として無罪を言い渡した。

 

 さらに、クレメンツ一世はクロプシュトックの処断には当然積極的だったが、クロプシュトック派全体の凋落は望んでいなかった。クロプシュトック侯爵領、そしてその派閥の存在はブラウンシュヴァイク・リッテンハイムら不穏分子の動きを建国以来掣肘してきた。クレメンツ一世は隣接するリューネブルク伯爵を通じ、水面下でクロプシュトック個人が自ら降伏するように説得を繰り返していた。

 

 軍部のエーレンベルク元帥はクロプシュトック征伐に大部隊を動員することに対し消極的だ。回廊戦役での敗北を受けて辺境防衛部隊を増強する必要があり、同時に旧カストロプ派の暴発に対する警戒部隊の展開に既に大部隊を動員している。この状況でさらにクロプシュトック征伐に大部隊は動員したくない、というのが本音である。また、実家のエーレンベルク侯爵家がクロプシュトック征伐に消極的だという事情もある。ブラウンシュヴァイク・リッテンハイム一門を掣肘するクロプシュトック侯爵家の消滅は両家にとって都合が良かったが、その他の貴族家には必ずしも望ましい事では無かった。これらの事情によって、爆弾テロから五か月近く経過したにも関わらず、未だクロプシュトック征伐は実施されていなかった。

 

 宇宙歴七六九年一月一七日。突如として国務尚書オットー・フォン・ブラウンシュヴァイク公爵が記者会見を開く。

 

「邪悪なる叛逆者、ウィルヘルム・クロプシュトックを討ち取ることは帝国臣民にとって最早責務ですらある!その崇高な使命を果たすことを妨げようとする者が帝国臣民に居るはずも無いが、結果として妨げている者が居ることは甚だ遺憾である。私、オットー・フォン・ブラウンシュヴァイクが本来高貴なる者が在るべき姿を臣民に見せよう!私の下に集った二一三二の貴族家、七七〇万の兵士たちはここに『愛国挺身騎士団』を結成し、クロプシュトックを討ち果たす!」

 

 その宣言と同時にクロプシュトック侯爵領に面するバルヒェット伯爵領からブラウンシュヴァイク公爵一門の私兵部隊がクロプシュトック侯爵領に雪崩れ込んだ。バルヒェット伯爵領には以前からブラウンシュヴァイク公爵一門の私兵部隊が集結していた。しかし、まさか独断で征伐を実行するとは誰も予想していなかった。

 

 この事態にクレメンツ一世とブラッケ侯爵は怒り狂った。しかし、一番猛然とブラウンシュヴァイク公爵を非難したのは司法尚書リッテンハイム侯爵だった。

 

「国務尚書ブラウンシュヴァイク公爵は畏れ多くも皇帝陛下の承認を得ないまま、自領の外に私兵を大規模に派遣した。確かに叛逆者クロプシュトックの征伐は臣民の崇高な義務ではあるが、それは皇帝陛下の詔勅に基づいて為されるべきであり、それが銀河帝国の正しい姿である。ブラウンシュヴァイク公爵の行為は明確な帝国法違反であり、司法省はブラウンシュヴァイク公爵を五つの詔勅・法令違反の疑いで捜査を開始した。ブラウンシュヴァイク公爵の私兵部隊が進軍を停止しない場合、告発も辞さない」

 

 リッテンハイム侯爵がここまで強硬に非難したのは、別に彼が誠実な官僚だから、という訳ではない。単にブラウンシュヴァイク公爵と水面下で結んでいた密約――クロプシュトック侯爵領の資産に関する利己的で表に出せない類の――を反故にされたからに過ぎない。

 

 その証拠に同月二三日、リッテンハイム侯爵領のアルテナ星系に集結していたリッテンハイム一門の私兵部隊が『忠君誠心連合艦隊』を名乗りクロプシュトック侯爵領に侵攻、その際にブラウンシュヴァイク公爵軍が制圧していたいくつかの惑星がリッテンハイム侯爵軍に譲渡された。つまり、ブラウンシュヴァイク公爵は抜け駆けに対する補償をリッテンハイム侯爵に対して行い、リッテンハイム侯爵はそれを受け入れたという事だ。

 

「司法省は国務尚書ブラウンシュヴァイク公爵の私戦扇動行為・内乱誘発行為・違法軍事行動疑惑に対する捜査を打ち切った。ブラウンシュヴァイク公爵は本心から忠君愛国の為に部隊を動かしており、その事に一切の私心は無い。その為、ジギスムント一世陛下二二号詔勅、アウグスト一世陛下一一号詔勅、エーリッヒ二世陛下五号詔勅、エルヴィン=ヨーゼフ一世陛下七号法令等への違反には当たらないと判断した。また、私、ウィルヘルム・フォン・リッテンハイムは一九二七の貴族家、五二一万の兵士と共に『忠君誠心連合艦隊』を結成し、叛逆者クロプシュトックを討ち果たす為に闘うことを宣言する」

 

 クロプシュトック侯爵領に雪崩れ込んだブラウンシュヴァイク公爵軍とリッテンハイム侯爵軍はあっという間にクロプシュトック侯爵領の三分の一を制圧下に置いた。クロプシュトック侯爵領の私兵部隊は長年の仮想的であるブラウンシュヴァイク公爵とリッテンハイム侯爵に激しく抵抗すると思われたが、その抵抗は散発的であった。民衆もまた両巨頭への反感は等しく有していたが、武力を持つ私兵部隊が殆ど有効な抵抗をしない以上、無力な自分たちだけが占領軍に抵抗するという選択肢は無い。民衆は早々に恭順の意を示し、占領軍に徹底的に媚びた。気を良くしたブラウンシュヴァイク公爵は「こんなに弱いのならもっと早く潰せばよかった」と側近に漏らしたらしい。

 

「……ライヘンバッハ少将。卿はどう見る?」

「クロプシュトック侯爵は中々の器量をお持ちですね。誘引作戦を立てたのはクライスト中将かフォイエルバッハ中将か……とにかく軍人でしょう。しかしそれでも自分の領地を一時的に宿敵に渡すという決断は中々出来ません。全ての領地がクロプシュトック侯爵の直轄地という訳では無いですし、一門をよく掌握しているともいえます」

「なるほど。そういう視点の評価もあるな……。クロプシュトック侯爵軍は私兵部隊が一万二〇〇〇隻、それにマリエンブルク要塞駐留艦隊等が加わって総勢三万隻程度。ブラウンシュヴァイク公爵とリッテンハイム侯爵の軍は合わせるとその倍はあるが……。上手く分散させられているな。こりゃ手酷くやられるぞ」

 

 私とバッセンハイム大将の予想は当たった。宇宙歴七六九年一月三〇日、クロプシュトック侯爵軍が一斉に反攻を開始する。同日未明、まず既に制圧下に置かれている筈の各惑星でクロプシュトック侯爵軍が一斉に占領軍を襲撃した。油断しきっていた占領軍は散々に打ち破られ、いくつかの惑星を追い出されることになる。

 

 これに激怒した――恐怖した、焦ったともいえるかもしれない――のが後方を任されていた、シュミットバウアー侯爵、シュタインハイル侯爵、ヘルクスハイマー伯爵、ローゼン子爵らだ。既に本隊はクロプシュトック侯爵領の各地に分散して侵攻している。後方の惑星を失っては補給が寸断される恐れがある。そして何よりも盟主たちの信頼を失い、怒りを買うことになるだろう。「貴様らは制圧した後方拠点を維持することすら出来ないのか」と。

 

 恐らくクロプシュトック侯爵も予想していなかっただろうが、後方を任されていた貴族たちは本隊に叛乱の規模を過小に報告する一方で、奪還された各惑星に再侵攻を開始する。クロプシュトック侯爵地上軍の大勝に驚喜したクロプシュトック侯爵領の民衆は大いに勢いづき、長年の教育と宣伝で培ってきたブラウンシュヴァイク公爵とリッテンハイム侯爵への憎悪を爆発させた。

 

 クロプシュトック侯爵領民にとっては、ありとあらゆる災いの原因がブラウンシュヴァイク公爵とリッテンハイム侯爵の陰謀である。嘆かわしいことに彼らの大半はこの馬鹿馬鹿しいプロパガンダを完全に信じ込んでおり、さらに嘆かわしいことにこのクロプシュトック侯爵の馬鹿馬鹿しいプロパガンダは六割方真実であったりする。

 

 輸送船を襲う海賊は全てブラウンシュヴァイク公爵の息が掛かっているし、惑星ニュルンベルクの大地震はリッテンハイム侯爵の破壊工作だし、フロンベルク子爵の病死はバルヒェット伯爵の呪いが原因だ。最近ではクロプシュトック侯爵領出身のゲストウィック国務省自治調整局トリエステ課長が妻に裏切られ、自棄酒を飲んで酩酊し裸で帝都を歩き回ったが、これもヘルクスハイマー伯爵に嵌められたからである。ああ、諸君も馬鹿らしいと思うだろう。しかしこれも事実である。

 

 クロプシュトック侯爵領軍と民衆は再侵攻してきた占領軍に激しく抵抗する。勿論、全ての民衆が立ちあがった訳では無いが、占領軍側は戦闘員と非戦闘員の区別を最初からやる気が無かった。各所で虐殺に近い凄惨な戦闘が起き、それに対する民衆の報復も凄まじかった。各地で凄惨な地上戦が開始されるが、これはその後の展開を考えると全く以って無益な戦いであったといわざるを得ない。

 

 

 

 

 

 そんな凄惨な地上戦が始まった日の翌日、二月一日。私は近衛第三旅団の司令部を訪れていた。とある密命を果たすためだ。

 

「軍務省高等参事官補っていうのは暇なんだな?探偵の真似事をして給料を貰えるなんて羨ましい事だ」

「……皇室宮殿(パラスト・ローヤル)警備責任者も私からしたら羨ましいけどね。今の帝都で一番安全で安定した職場だって噂じゃないか」

 

 私とラムスドルフ近衛軍少将は顔を合わせるなり、お互いの立場をあげつらった。軍務省高等参事官補についてはいわずもがな、皇室宮殿(パラスト・ローヤル)警備責任者というのは現在の近衛軍における閑職である。

 

 テロの後もグリューネワルト公爵――臣籍降下したフリードリヒ大公である――とその妻、及び四人の娘と三人の息子が居住している皇室宮殿(パラスト・ローヤル)には当然ながら警備が必要である。しかしこの混迷する政治情勢にあってグリューネワルト公爵程、無関係かつ安全かつ安定した立場にある要人は他に居ない。それもそのはずだ。彼が無能の極みで、お飾りの大公であったことは民衆にすら知られている上に、今では臣籍降下して一公爵に過ぎない。しかも未だ領地は与えられておらず、名誉職にすら就いていない。本人もその環境を受け入れており、宮殿で家族と一緒に引きこもっている。昔の放蕩癖も最近ではなりを潜めている。

 

 そんなグリューネワルト公爵を警備する近衛は『今の帝都で一番安全で安定した職場』あるいは、『帝国で最もホワイトな職場』といわれている。勿論皮肉交じりである。

 

「ふん、俺は確かに閑職にあるがな。それでもその職務を全力で全うしている。お前とは違ってな」

「グリューネワルト公爵閣下の話し相手になるのが君の職務かい?なるほど、確かにホワイトな職場じゃないか」

 

 私は軽く笑いながらそう答えた。ラムスドルフは不機嫌そうな表情だ。これ以上からかうと怒って私の頼みに応じてくれないかもしれない。

 

 ラムスドルフの父は皇室宮殿(パラスト・ローヤル)爆弾テロ事件――通称クロプシュトック事件――時に近衛兵総監を務めていた。その為、責任を追及され後備兵総監に転任させられており、息子であるラムスドルフも皇室宮殿(パラスト・ローヤル)警備責任者などという閑職に追いやられることになった。

 

「……お前に頼まれていた通り、爆弾テロ事件の際に現場を警備していた近衛を連れてきた。佐官二名と尉官四名、下士官は悪いが二名が精一杯だ」

「門閥や主要派閥とのつながりは……」

「無い。安心しろ。佐官一名が男爵家の分家筋で尉官二名が帝国騎士だがいずれも大物とは繋がっていない」

「……完璧だな。流石はラムスドルフだ。ありがとう」

 

 私が礼を言うとラムスドルフは顔をしかめながら、「この程度の事で一々礼を言うな。これは単に貸しだ、いつか返せ」と返してきた。私は苦笑する。

 

 ラムスドルフの案内で近衛第三旅団司令部の一室に入ると、一斉に近衛兵たちが敬礼してきた。

 

「手前の二人が近衛第一旅団第二大隊長バルドゥール・フォン・モルト近衛軍中佐と近衛兵総監部第二特別警護中隊長ファウスト・ノイヤー近衛軍中佐。そしてフォン・ブラームス、アクス、フォン・ジングフォーゲル、シュルツ、ここまでが尉官、フックスとシェーファー、二人は下士官だ」

 

 ラムスドルフが私に説明してくる。私はラムスドルフに頷くと、彼らに話しかけた。

 

「軍務省高等参事官補のライヘンバッハ宇宙軍少将です。本日はわざわざお越しくださり有難うございます。今日は皆様に皇室宮殿(パラスト・ローヤル)爆弾テロ事件に関していくつかお聞きしたいことがあり、お呼びだてしました」

 

 私の言葉に近衛兵たちは困惑した様子だ。やがてモルト中佐が一同を代表する形で発言する。

 

「小官らに答えられることならば答えますが……、失礼ながら軍務省の方が何故今になって我々に証言を求められるのでしょう?差し支えなければお聞かせください」

「申し訳ありませんが、それを答えることはできません。……ただ、私を動かしたのは官房審議官である、とだけお伝えしておきます。後は察していただきたい、察せなければ気にしないでいただきたい」

 

 その言葉でモルト中佐とブラームス大尉は私の背景に見当を付けたらしく、納得の表情を浮かべている。残りの面々は分かっていないが、二人の表情を見てとりあえず疑問を捨てたようだ。

 

「まずは皆さんに一人ずつ、当日の行動を教えていただきたい。覚えている範囲で結構です」

 

 私は聞き取りを開始する。ここにいる近衛たちの証言は最も信憑性が高い証言だ。貴族社会のしがらみから比較的自由であり、低い階級故に保身とも縁が遠い。職務故に周囲の行動に注意を払っていただろうし、その観察眼は凡百の貴族たちよりも信用できる。皇室宮殿(パラスト・ローヤル)の周囲は憲兵総監部警衛局警備企画課と帝都防衛軍司令部によって警備体制が敷かれていたが、宮殿内部は近衛の担当である。

 

 ノイヤー中佐は平民階級故に宮殿の正面玄関付近の警備を担当していたらしい。モルト中佐はグレーテル伯爵の警備担当として数名の部下と会場内に待機し、ブラームス大尉は常にアイゼンベルガー元帥の側に控えていた。アクス少尉は会場西側外壁、シュルツ少尉はフリードリヒ大公の控え室の警備に加わっており、ジングフォーゲル中尉は憲兵総監部に設置された合同臨時警備司令部に近衛兵総監部から連絡要員として派遣されていたそうだ。

 

 彼らの証言で気になる話がいくつかある。それを抜粋しよう。まずはモルト中佐だ。

 

「私はブラウンシュヴァイク一門の貴族たちが集まっている一角の近くに居たのですが……。その……もしかしたら爆弾が最初に仕掛けられていたのはそこだったのではないかと」

「何故そう思うのですか?」

「爆発の一〇分ほど前だったと思います。私の近くで掌典次長と若い貴族……確かランズベルク伯爵家の紋章を身に着けていたと思います。その二人が話し合っていました。そして掌典次長が若い貴族から黒いセラミック・ケースを受け取って、閣僚の皆様方が居る一角へと持って行ったのです」

「それが爆弾だったと?」

「分かりません。しかし……閣僚の皆様が居る一角は最も厳重な警備が為されています。近衛も無能では無いですし、憲兵総監部が言うように最初から爆弾が仕掛けられていたら気づきますよ」

 

 モルト中佐は少し不満気にそう言った。当時皇室宮殿(パラスト・ローヤル)の警備を担当していた近衛軍の上級士官は残らず責任を取らされている。モルト中佐の上官である近衛第一師団長に至っては軍法会議にかけられ、一時は銃殺刑に処されるところであった。クレメンツ一世即位の恩赦が無ければ危うかっただろう。

 

「なるほど。確かに気になりますね。掌典次長はあのテロで亡くなっていますが、ランズベルク伯爵家の縁者があのテロで亡くなったという記録はありません。私の方で聴取を行ってみようかとも思うのですが、何か特徴を覚えていませんか?」

「内務省民政局の官僚だと思います。チェリウス民政局長と一緒に居る所を見ました。チェリウス氏は平民出身ですから、血縁が理由で行動を共にしていたとは考えにくいかと」

「民政局……あー、なるほど。分かりました」

 

 私は民政局のランズベルクと聞き、あの(・・)ランズベルクを頭に思い浮かべた。他に気になったのはブラームス大尉の証言だ。

 

「小官はアイゼンベルガー元帥の側に護衛として控えていましたが、爆発の少し前ですかね?アイゼンベルガー元帥閣下が突然会場の外に向けて歩き出したんですよね。元帥閣下は宇宙艦隊司令長官のフォーゲル元帥閣下と前・統帥本部総長のクヴィスリング退役元帥閣下と談笑していたのですが、急に様子がおかしくなり、ついに二人との会話を放り出して、いきなり会場の外に出たんです」

「様子がおかしくなった?」

「ええ、しきりに懐中時計を取り出しては時間を確認しておられました。……まあ、そうやって会場の外に向かっている最中に、『ドカーン』です。先ほどまで近くに居たフォーゲル元帥閣下もクヴィスリング退役元帥閣下も亡くなられました。正直あの時は肝が冷えましたね。しかしアイゼンベルガー元帥閣下は流石の落ち着きでした。爆発が起きた途端、平静さを取り戻し、的確な指揮で憲兵隊の到着まで混乱の収拾に努めておられました」

「……なるほど。爆発が起きた途端に平静さを取り戻した、ですか」

 

 ブラームス大尉も不自然には感じているようだが、だからと言って流石にアイゼンベルガー元帥が黒幕、とは考えていないようだ。勿論私も同感である。そもそもやるメリットが無い。そして最後にジングフォーゲル中尉の証言だ。

 

「合同臨時警備司令部なんですけどね?普通は憲兵総監部の憲兵司令本部・警衛局・調整局、それに帝都憲兵隊司令部と帝都防衛軍司令部、そして近衛兵総監部第一局、内務省保安警察庁警備部が出張ってきます。しかし、今回は調整局が参加していませんでしたし、帝都防衛軍司令部と内務省保安警察庁が明らかに干されていましたね。つまり憲兵隊、特に帝都憲兵隊司令官のオッペンハイマー中将が強権を振るっていた訳です。そしてどういう訳か憲兵総監部特事局が参加していました。これは小官の妄想なんですけどね?憲兵隊、皇室宮殿(パラスト・ローヤル)で何が起こるか分かってたんじゃないですか?それで邪魔なクラーマー大将とか上層部を一掃する為に……」

「ジングフォーゲル中尉、滅多な事を言うな」

 

 ラムスドルフが苦言を呈すると、ジングフォーゲル中尉はバツの悪そうな表情で黙った。しかし、彼の言うことも分かる。父も言っていたが、今回の憲兵隊の動きは不自然だ。だからこそブラッケ内務尚書もクロプシュトック征伐にストップをかけたのだろう。

 

「貴重な証言、有難うございました。最後にお聞きしたいことがあります。カミル・フォン・クロプシュトック伯爵について何かご存知でしょうか?」

 

 私はクロプシュトック伯爵の写真を見せながら尋ねた。すると、おずおずとブラームス大尉が発言する。

 

「小官の見間違いで無ければ、この方は我々の近くでキールマンゼク宮内尚書、高等法院判事のバッセル子爵と談笑していたかと思います」

「それは……つまり既に亡くなっていると?」

「いや、それは……」

「恐らくそうでしょう。小官はあの爆発の直後、クロプシュトック伯爵の御令嬢が『お父様!』と叫びながら煙の中に突っ込んでいこうとしているのを止めました。あれが芝居だとは思えませんな」

 

 モルト中佐の発言を聞き、私は頷く。実は、コンスタンツェ嬢から自分を宮殿の外へ連れ出してくれた紳士的な近衛兵の話は聞いていた。今日集めた近衛兵の中でモルト中佐だけは私がラムスドルフに指定した人選だ。モルト中佐が実在し、彼の証言がコンスタンツェ嬢の証言を裏付けている以上、コンスタンツェ嬢の証言――つまり、カミル・フォン・クロプシュトック伯爵が既に死亡している――は信憑性が高いということになる。

 

 カミル・フォン・クロプシュトック伯爵はウィルヘルム・フォン・クロプシュトック侯爵の叔父であり、皇室宮殿(パラスト・ローヤル)爆弾テロ事件の首謀者の一人として指名手配されているが、未だ見つかっていない。さて、憲兵総監部は既に死んだ男を首謀者として捕まえたいらしい。なんとも奇妙な話だ。

 

「ライヘンバッハ……。お前、結構危ない橋を渡っているぞ?大方ブラッケ侯爵の指示で動いているんだろうが、下手したら『叛逆者の係累』扱いされて処刑台送りだ」

「分かっているよ。下手を打つ気はないさ。……次は奴の所に行って、それからグリューネワルト公爵、可能ならベーネミュンデ公爵にも面会しないとな」

 

 ラムスドルフの忠告は分かるが、そもそも私はジークマイスター機関の一員である。今更多少危ない橋を渡ることなど気にしない。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……・



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青年期・秘密捜査チーム(宇宙歴769年2月2日~宇宙歴769年2月14日)

とっても大雑把ですが地図を描いてみました。如何でしょうか?


【挿絵表示】



 宇宙歴七六九年二月二日。惑星ニュルンベルク近郊でクロプシュトック侯爵軍がブラウンシュヴァイク公爵軍を急襲し、これを壊滅させた。マリエンブルク要塞駐留艦隊司令官トラウゴット・フォン・フォイエルバッハ宇宙軍中将の指揮は際立っており、ニュルンベルクを占領するエルンスト・カルテンボルン率いるブラウンシュヴァイク公爵軍八二〇〇隻を三〇分で敗走させると、救援に集まってきた他部隊を各個に撃破した。

 

 数時間の後、惑星ニュルンベルクには一〇余りの艦隊の残骸と呼ぶべき小集団が残されるのみであり、ニュルンベルクとその周辺に存在していた一万隻余りのブラウンシュヴァイク公爵軍はその半数が撃破され、残り半数も散々に打ち破られることとなった。

 

 この日を境にクロプシュトック侯爵軍は宇宙においても領内の各地で反攻に転ずることになる。ブラウンシュヴァイク公爵とリッテンハイム侯爵の不仲、そして各貴族部隊の連携不足と練度不足に付け入る形でクロプシュトック侯爵軍は各地で侵攻軍を撃破する。しかし、クロプシュトック侯爵の予想に反し、大損害にも関わらず侵攻軍は中々撤兵しなかった。

 

 理由は二つ挙げられる。良くも悪くも貴族単位で部隊が高い独立性を有している為に他の部隊が損害を受けても殆ど影響が無かったこと。そして後方を預かるシュミットバウアー侯爵らが叛乱の規模を過小に報告していたことだ。ブラウンシュヴァイク公爵とリッテンハイム侯爵は愚者であるが無能者ではない。後方での叛乱の規模が適切に報告されていれば、少なくとも戦線の整理と補給線の維持の為に一度部隊を下げたはずだ。

 

 なお、余談ではあるが……、フォイエルバッハ宇宙軍中将と彼の率いる艦隊は紛れもない正規の帝国軍人だ。マリエンブルク要塞の帝国軍人はクライスト宇宙軍中将を始め、その殆どがクロプシュトック侯爵家に取り込まれている。フォイエルバッハ中将率いる駐留艦隊はその抑えとして配置されており、彼らまでもがクロプシュトック侯爵家側に付くのは帝国軍上層部にとっては予想外であった。

 

 クロプシュトック侯爵家側はあくまで「君側の奸に陥れられた」と主張しており、侵攻軍への抵抗も「大規模な強盗集団に対する警察権の行使」であり、「皇帝陛下に弓引く行為は何一つ行っていない」という立場だ。フォイエルバッハ中将ら駐留艦隊はこの見解を支持し、クロプシュトック侯爵の指揮に従うことを表明している。背景には数年来続いていたブラウンシュヴァイク公爵とリッテンハイム侯爵によるクロプシュトック侯爵領への破壊工作が原因で正規軍人の間でも両巨頭に対する不信感が強まっていたことが挙げられるだろう。

 

 

 

 

 

 宇宙歴七六九年二月四日。クロプシュトック討伐戦においてクラウス・フォン・トラーバッハ伯爵が高位貴族としては初めて戦死したこの日、私はコンラート・フォン・ランズベルク民政局福祉課長と面会していた。

 

「ああ、ファイネン掌典次長に黒いセラミック・ケースを渡したのは私だよ。それがどうしんだい?」

「ランズベルクさんは何故掌典次長にケースを渡そうと思ったんです?」

 

 リューベック騒乱の後に中央に戻った彼は領地貴族出身の官僚として実家やブラウンシュヴァイク一門の支援を受けて高位に登り詰める……はずだった。しかし、あまりにもポンコツ過ぎて再び福祉課長という閑職に回されている。流石、名門ランズベルク伯爵家出身者でありながらド辺境リューベックに左遷された男は一味違った。

 

「ああ、あのケースはね?来賓席のアンドレアス公爵閣下の席に置いてあったんだよ。でもほら、アンドレアス公爵閣下は宰相代理で国務尚書であらせられた。だから殆ど来賓席の方には来ないで主催者側のブローネ大公殿下や軍務尚書アイゼンベルガー元帥閣下の居るあたりで話しておられたんだ」

 

 ランズベルクの証言は現場の状況と合致している。アンドレアス公爵はブラウンシュヴァイク公爵やリッテンハイム侯爵を嫌っている。来賓席には彼らやその縁者が少なからず存在していた。その為にパーティーを主催する摂政ブローネ大公、キールマンゼク宮内尚書、アイゼンベルガー軍務尚書らと常に行動を共にし、来賓席には近寄らなかった。

 

「このままだと公爵閣下がケースを置き忘れるかもしれないし、誰かが間違って持って帰ることも無いとは言えない。まあ、とにかく不用心だと思ったからね。一応アンドレアス公爵閣下に届けておこうと思った」

「何故自分で行かなかったのです?」

「そりゃあ君……。私は民政局の一課長だし、爵位も男爵だよ?国務尚書で公爵のアンドレアス閣下に直接届けるなんて畏れ多いじゃないか。だからファイネンに頼んだんだが……」

 

 そこでランズベルクは悔恨の表情を浮かべる。

 

「爆発の中心は主催者席側だったそうじゃないか。彼には本当に悪いことをしてしまった……。私が彼にケースを届けることを頼まなければ彼は死ななくて済んだかもしれない。彼にこんな無残な死に方は相応しくなかった。……クロプシュトック侯爵を私は絶対に許せない!」

 

 ファイネン掌典次長もブラウンシュヴァイク一門の出身で、官僚貴族の巣窟である侍従職に食い込もうとしていた人物だ。同じような境遇であるランズベルクとは以前から面識があったのだろう。ランズベルクは無能の極みだがその人柄からか友人は少なくない。私やメルカッツ少将、アーベントロート少佐との交友関係すら未だに続いているのだ。

 

「なるほど……。貴重な証言を有難うございました」

「私の証言がクロプシュトック事件の真実を明らかにする助けになるのならこれに勝る喜びは無い。ファイネンの仇を取ってくれ!ライヘンバッハ君!」

「全力を尽くしましょう」

 

 

 

 

「……以上が内務省民政局福祉課長、コンラート・フォン・ランズベルク男爵の証言です。補足しますと、ランズベルク男爵は先代のランズベルク伯爵の三男ですが、能力の欠如故にあまりランズベルク一門、またブラウンシュヴァイク一門からは信頼されておりません。しかしながら、個人的な人柄の評価に関しては別であり、兄である当代のランズベルク伯爵と良好な関係を築いてはおります」

 

 私は報告を終えて自分の席に座る。

 

「……つまりランズベルク男爵の証言に裏は無く信頼はできる、ということかね?」

「私個人としてはそう考えております。門閥や派閥から何らかの干渉を受けた結果の証言では無いでしょう。……彼は嘘をつける人間でも無いですしね。とはいえ、勿論裏取りを試みる予定です」

 

 私は質問者である無任所尚書マティアス・フォン・フォルゲン伯爵に向き直って答えた。フォルゲン伯爵は唸った。

 

「大分見えてきたな……。少なくともウィルヘルム……失礼、クロプシュトック侯爵が黒幕という結論は間違いだ」

 

 旧リヒャルト大公派の一人であるが、リッテンハイム侯爵への牽制を担う貴族の一人である為に、クレメンツ一世の意向で粛清リストから外されたカール・ヨハネス・フォン・リューネブルク伯爵が勢いよくそう断言する。

 

「……一度整理しましょう。まず憲兵総監部の発表はこうです。皇室宮殿(パラスト・ローヤル)のテロはクロプシュトック侯爵によるもの。目的はクレメンツ大公を含む対抗勢力の暗殺。また同時にリヒャルト大公派の盟主であるアンドレアス公爵らを排除することで派閥内の主導権を奪取しようとした」

 

 軍務省官房審議官インゴルシュタット中将が発言する。彼はこの会議……つまり、内務尚書カール・フォン・ブラッケ侯爵の指示でクロプシュトック事件を再捜査し、その全容を明らかにすることを目的として結成された秘密捜査チームを事実上指揮する人物であった。

 

 出席者の地位としては無任所尚書フォルゲン伯爵が最も高いが、彼は後見人としての立場で出席している。またリューネブルク伯爵もそうだが、彼らは自身が所属している集団からこのチームに送り込まれた見届け人、あるいは証人である。彼らはチームの捜査結果の信憑性と正当性を担保する役割を担っているのだ。

 

「爆発物はクロプシュトック侯爵が会場内に持ち込んだ杖であり、クロプシュトック侯爵はこれを秘密裏に閣僚席の近くに設置し、頃合いを見計らって起爆した。この爆発を前にクロプシュトック侯爵派の主だった者は会場を去るか、閣僚席から遠ざかっており、このこともクロプシュトック侯爵の犯行であることを示唆している。なお、憲兵総監部は結局証拠不十分として立件しませんでしたし、公的にはそのような疑いがあったことも伏せられていますが、リヒャルト大公がクロプシュトック侯爵の犯行に関与していたことを憲兵総監部は示唆しています」

「このことでリヒャルト大公殿下は帝位継承者として完全に失墜した。陰謀家のレッテルを張られた訳だ。生き残った支持者の半数はクロプシュトック侯爵に連座して粛清対象となり、もう半数の内さらに半数はリヒャルト大公殿下の支持を止めた」

 

 インゴルシュタット中将の整理をリューネブルク伯爵が補足する。

 

「しかし、実際の所クロプシュトック侯爵の犯行を直接的に裏付けるのはいくつかの『目撃証言』と爆弾が仕込まれていたとされるクロプシュトック侯爵の杖だけ。後は全て状況証拠です。極めて杜撰な捜査だ……。同じく司法に携わる者としては許せませんね」

 

 内務省保安警察庁公安部長のシュテファン・フォン・ハルテンベルク伯爵が発言し、その場にいたメンバーが同意の声を挙げる。

 

「……そして、我々の再調査では別の筋書きが見えてきました。まずは近衛の証言です。彼らはクロプシュトック侯爵の杖が危険物で無いことを入り口で確認したと言い張っている。憲兵総監部はこれを責任逃れと切って捨てているが……ブレンターノ憲兵大佐」

「はい、小官が憲兵総監部で発見した監視カメラの映像には近衛兵がクロプシュトック侯爵の荷物、勿論杖も含めて検査を行っている光景が映っておりました。近衛兵が仕込み爆弾に気づかなかった可能性もありますが……」

 

 捜査チームの一人であり、私の元部下であるブレンターノ憲兵大佐が発言しながら、隣に座るハルテンベルク伯爵を見る。彼は現在憲兵総監部警保局に復帰しているが、そこから捜査チームに協力している。いわばスパイだ。

 

「だとしても、グリューネワルト公爵閣下の協力を得て我々が現場検査を行った結果、爆心地と杖の放置されていた位置には明らかなズレが存在しました。近衛兵がミスをしたと考えてもこの矛盾は解消できません」

 

 ハルテンベルク伯爵はブレンターノに頷きながらそう答えた。

 

「その通り。そしてそこで出てくるのがライヘンバッハ少将が集めてきた証言です。ランズベルク福祉課長からファイネン掌典次長に渡された黒いセラミック・ケース、これを爆弾と仮定すれば現場状況との矛盾は起こらない」

 

 インゴルシュタットは落ち着いた口調で話していたが、そこで一旦言葉を切った。

 

「……さて、この黒いセラミック・ケースは当初アンドレアス公爵の席に放置されていたそうです。もしそのまま爆発していれば、一体誰が犠牲になり、誰が疑われることになったでしょう?フォルゲン閣下、当時の状況を思い出していただけますか?」

「……当時、アンドレアス公爵の隣の席に座っていたのはブラウンシュヴァイク公爵だ。当然、その一門も多くが近くに居た。加えて、カレンベルク公爵・ルクセンブルク公爵・ブラッケ侯爵・エーレンベルク侯爵・私・グレーテル伯爵・ヴァイルバッハ伯爵……まあ、その辺りが居たかな」

「常日頃ならば当然に挙がる名前が無いと思われませんか?」

 

 インゴルシュタットがフォルゲン伯爵に尋ねる。フォルゲン伯爵は苦虫を嚙み潰したような表情だ。

 

「リッテンハイム侯爵・ヴァルモーデン侯爵・シュタインハイル侯爵……。ヘッセンの三候だな?そしてノルトライン公爵も居なかった。思えばあの時、リッテンハイム一門やその派閥の連中はいつも以上に会場中を動き回っていた。おかしいとは思っていたんだがな……まさかそういうことか?」

「アイゼンベルガー元帥はリッテンハイム一門と強く繋がっています。彼が『何か』を見て逃げ出したのは、爆弾の存在を知っていたから……、と考えることも出来ます。アイゼンベルガー元帥と言えば、彼が事件後に幕僚総監という閑職に追いやられたのもおかしな話です。後釜には高々大将に過ぎなかったエーレンベルクが就きました。あるいはブラウンシュヴァイク公爵かエーレンベルク侯爵か……、まあ殺されかけた側の誰かと何か取引があったのかもしれません」

 

 インゴルシュタットの言葉を聞いたフォルゲン伯爵は「俗物共め!……理解できん」と呟く。

 

「話が少し逸れました。誰が犠牲になり、誰が疑われることになったか?犠牲者はものの見事にリッテンハイム侯爵にとって邪魔な人物ばかりだったでしょう。そして犯人と目されるのはアンドレアス公爵。こちらもリッテンハイム侯爵……というかクレメンツ大公にとって邪魔な人物です。当然連座でリヒャルト大公派が大勢消えます。それが最初のシナリオだったのでしょうね」

「私とクラーゼン准将、それにブレンターノ大佐が事件を調べている最中にもそのシナリオの『残骸』は所々で発見出来ました。例えばブレンターノ大佐は『リヒャルト大公とアンドレアス公爵が二か月間で何度も密会を繰り返していた』という情報を纏めた資料を憲兵総監部で発見しました」

「リッテンハイム……何という愚かさよ」

 

 インゴルシュタットを補足する形で私も発言する。リューネブルク伯爵が顔をしかめながら吐き捨てた。

 

「黒幕に仕立て上げようとしたアンドレアス公爵が死んでしまったことで本当の黒幕であるリッテンハイム侯爵、あるいはクレメンツ大公殿下は大いに慌てたことでしょう。そして新たに黒幕を作り上げる必要性が生まれ、偶々爆発の直前に用を足そうと会場を出ていたクロプシュトック侯爵に白羽の矢が立った。しかし、元々クロプシュトック侯爵を黒幕に仕立てる計画では無かったために少なくない派閥要人を取り逃がしてしまった。さらに満足な物証を用意することが出来無かったために我々の再捜査を招いてしまった」

「決まりだな。クロプシュトック征伐をすぐにでも中止させよう」

 

 インゴルシュタットの言葉が終わるなり、間髪入れずリューネブルク伯爵が発言する。

 

「気持ちは分かるがそれは難しい。我々の捜査もまた直接的な物証を欠いている。いくつかの証言の他はブレンターノ大佐が憲兵総監部で発見した『アンドレアス公爵を黒幕と示唆する捏造された資料』、そして保安警察庁科学捜査研究所による現場検証で判明した杖と爆心地の位置的なズレ……。これでリッテンハイム侯爵を告発するのは難しい」

「そうでしょうか?状況証拠の積み重ねですがこれだけ揃っていればクロプシュトック征伐を止める位は可能では?」

 

 フォルゲン伯爵の見解にハルテンベルク伯爵が異を唱えた。

 

「無理筋でしょうな……。既に帝国はクロプシュトック侯爵を黒幕とする方向で動き出しております。今更『そうではなかった』と間違いを認めるのは至難の業だ。……やはり別の黒幕が居るという動かぬ物証が必要です。特に今回の場合はクレメンツ一世陛下としても真相を明らかにされたくは無いと思っているでしょうからな……」

「馬鹿な!ならばここまでの捜査は一体何だったというのだ!」

 

 内務尚書政務補佐官のヴィルフリート・グルックが述べた悲観的な見解に対し、リューネブルク伯爵が食って掛かった。

 

「……とにかく、捜査の進展に関しては尚書にお伝えしておきます。皆様には物証を探していただきたい。物証があれば望みはあります」

「……インゴルシュタットでもライヘンバッハでもハルテンベルクでも誰でも良い!何とか物証を見つけ出せ!」

 

 リューネブルク伯爵が私たちに向けて叫んだ。その表情は必死である。

 

「現在ブラッケ派は総力を挙げて帝国正規軍の出動に抵抗しています。しかし、ブラッケ侯爵閣下は大義で動く方ですが、その他の方も同じとは限りません。例えば、穏健派の一部は逆に正規軍を早めに出動させ、クロプシュトック侯爵領の重要地域を先に制圧するべきだと考え始めています」

 

 グルックは私たちにそう説明する。開明派でも意見が別れ始めているらしい。クロプシュトック事件の不正捜査疑惑を徹底追及したいブラッケたちとは違い、クロプシュトック侯爵領の権益を重視する一派が居るようだ。彼らは「ブラウンシュヴァイクやリッテンハイムがクロプシュトック侯爵領全域を制圧するのは悪夢だ、そうなるくらいならさっさと正規軍を出してしまった方が良い」と考えている。

 

「あまり時間的猶予は無いということですか?」

「残念ながらそういうことになります」

 

 ハルテンベルク伯爵の質問にグルックはそう答えた。

 

「……まあ、結局これまでとやることは変わりません。皇室宮殿(パラスト・ローヤル)爆弾テロ事件の真相を明らかにする。その為に物証を見つけ出す。それが我々の役目です」

 

 インゴルシュタットが最後にそう纏め、会議は解散した。

 

「アルベルト君」

「これは……フォルゲン伯爵閣下。如何なさいました?」

 

 私が秘密捜査チームの拠点となっているリューネブルク伯爵の別邸を後にしようとすると、そこでフォルゲン伯爵に呼び止められた。

 

「いや、御父上はご壮健かと思ったのでね」

「父上ですか?そうですね……ここ数年少し塞ぎがちでしたが、枢密院議員になってから少し元気になりました」

 

 私がそう答えるとフォルゲン伯爵はニヤリと笑う。

 

「卿の御父上は大の領地貴族嫌いだ。そして枢密院は領地貴族の巣窟。常人なら嫌になる所だろうが、卿の御父上にとってはむしろ望むところだろうな。思う存分舌戦を交えることが出来る」

「望んではいないと思いますけどね」

 

 私はフォルゲン伯爵の言葉に苦笑する。

 

「ところで卿の上官はバッセンハイムだったな?」

「はい、回廊戦役で縁が生まれ、そのまま補佐に就いております」

 

 間違ったことは言っていない。実際はバッセンハイムにも私にも閑職に回される理由があっただけに過ぎないが、同じ部署に配置されたのは回廊戦役で面識が出来たことが全く影響していない訳では無いだろう。

 

「バッセンハイムと言えばライヘンバッハ元帥府きっての猛将として知られていた。軍務省のデスクワークなどあの猪武者には合わん。卿もそう思わんか?」

「……戦場で最も輝く方だとは思っております」

 

 私は無難に答えながらも言外にフォルゲン伯爵の見解に同意した。

 

「そうだろう。バッセンハイムに伝えてくれ。『さっさとフォルゲンに来い、何なら儂の領軍を任せてやっても良いぞ』とな。卿にだから言うが、実を言うとシュタイエルマルクとうまくやっていく自信が無くてな……。まだあの猪の方がマシだ」

 

 フォルゲン伯爵はそうボヤいた。去年の暮れからシュタイエルマルク元帥は宇宙艦隊副司令長官として三個辺境艦隊と二個中央艦隊の指揮権を委ねられ、フォルゲン星系に赴任した。そして前線地帯に踏み止まる貴族の中で一番の大物がフォルゲン伯爵だ。辺境防衛では両者の協力関係が重要となる。我が父とフォルゲン伯爵は割と波長があったのだが、シュタイエルマルク元帥とフォルゲン伯爵はあまり上手くいっていないようだ。

 

「承知しました。バッセンハイム大将閣下にお伝えしておきます」

 

 

 

 

 

 

 私はフォルゲン伯爵と別れ、平民用の玄関に向かった。全員が全員、仰々しい車で集まっては目立つ。私は上級平民の弁護士に扮して地下鉄を利用してリューネブルク伯爵家別邸を訪れていた。帝都オーディンとその周辺には古風な蒸気機関車が走っているが、これは上流階級向けの鉄道であり、平民や下級貴族が通勤や通学に使う地下鉄が別で走っている。

 

 地上を走る鉄道とは違い地下鉄は機能性を重視した構造だが、あまり設備の更新がなされておらず、小規模なトラブルが頻発し、「ダイヤは努力目標」と揶揄される有様だった。しかし財務尚書リヒター子爵と内務尚書ブラッケ侯爵が国営蒸気鉄道の予算を縮小し、浮いた予算の一部で国営地下鉄道の再整備に乗り出した為に、最近では状況が改善しつつあった。

 

「遅かったな、ラッシュ」

「フェデラーさん……。私を待っていたのですか?」

 

 私がリューネブルク伯爵家別邸から最も近い国営地下鉄道キルヒプラッツ駅に入ると、そこではインゴルシュタットが待っていた。ピークの時間を過ぎており、帝都の中心地から少し距離があることから、利用者の姿は疎らだ。

 

「これからのことについて話したくてな」

「……例の件ですか?」

 

 私とインゴルシュタットは改札口を通り、プラットフォームまで降りる。

 

「ああ、森は動きそうか?」

「やはり無理でしょう。あの森は普通です。どこまでも普通な森です。森は静寂と安寧以上の何かを欲してはいません」

 

 森、とはグリューネワルト公爵を指す隠語だ。クレメンツ一世の支配体制は遠からず破綻する。それはジークマイスター機関の総意と言って良い。そのタイミングでどう動くかについて、機関ではいくつかの意見が出されていた。その内、インゴルシュタット……より正確に言えばジークマイスター機関の一部が練っているのがグリューネワルト公爵こと第二皇子フリードリヒを傀儡として担ぎ上げるというシナリオだ。インゴルシュタット自身はそのシナリオを支持している訳ではないが、機関の指導者として実現性を検討していた。

 

 そう、カール・フェルディナント・フォン・インゴルシュタットこそが、宇宙歴七六九年からのジークマイスター機関指導者である。少なくとも私が把握している限りでは四代目ということになるか。ジークマイスター、ミヒャールゼン、シュタイエルマルク、そしてインゴルシュタット。

 

 カール・フェルディナント・フォン・インゴルシュタットがどのタイミングでジークマイスター機関に参加したのかは私にも分からない。私が知っていることは精々、彼がミヒャールゼン・ラインではなくシュタイエルマルク=ライヘンバッハ・ラインに属する構成員であったということ位だ。彼が機関の構成員であるという事を私が正式に知ったのも宇宙歴七六八年の暮れ、シュタイエルマルク邸に呼び出された時の事であった。

 

 宇宙歴七六八年の後半、回廊戦役の敗北によって軍上層部は辺境防衛を強化する必要に迫られた。そこで名将シュタイエルマルク提督に白羽の矢が立ったのは最早必然であった。当時シュタイエルマルクは退役手続きの最中であったが、急遽手続きが中止され、元帥杖を与えられたうえで辺境防衛の任に当たらされることになったのだ。

 

 ジークマイスター機関として、シュタイエルマルクの栄達は喜ばしい事ではあったが、同時に困った事態でもあった。指導者が辺境に居ては機関の活動に支障が出る。我が父カール・ハインリヒが次の指導者になることも考えられたが、父はこれを固辞し、また世代交代の必要性を訴えた。言われてみれば父は既に五九歳、シュタイエルマルク提督は六二歳である。

 

 そこで父とシュタイエルマルク提督を含む古参のメンバーが後見職に退き、インゴルシュタットや私を初めとする若い世代が新たな指導部に任命された。

 

「そうか。しかし、あの森は人間の思惑で何度も荒らされている。もし森に意思があれば復讐心を抱いてもおかしくないんじゃないか?」

「……こういう環境に居たら忘れがちですけどね。逆境を前に立ち向かえる人間は圧倒的な少数派です。大抵の人間は諦観や絶望に呑まれるものです。そしてそれは罪ではありません。逆境に立ち向かう自由があるように、諦める自由や絶望する自由も保証されなければならない。とはいえ、立ち向かう道標を作ることで立ちあがる人も居るかもしれません。選択の余地が必要です。我々の活動は……」

 

 私はフリードリヒとの面会を思い出しながら滔々と語る。フリードリヒとのパイプを持つのは私だけだ。故にフリードリヒを「焚きつける」役割は私が担っていた。……いや、担わされたというべきか?

 

「ストップだ。ラッシュ。お前の悪癖が出ているぞ」

 

 インゴルシュタットが呆れた表情で私を遮った。私は口を噤む。日頃言いたいことを抑えているからか、同志たちに対して私は饒舌になりやすい。私が話す内容は同志たちから受けが良かったが、私が話しだす状況は同志たちの顰蹙を買うことが少なからずあった。

 

「……まあ、我々には切り札がある。本丸を落とすには至らないが、門扉はぶち抜ける切り札だ。ブラッケには悪いが、これは機関に利益が出るように使わせてもらわないとな。……最悪は取引もアリだ。二代目の成功例に倣いたいものだ」

 

 「二代目の成功例」について私は詳しく知らない。しかし、「二代目」ことミヒャールゼン提督と当時の皇帝オトフリート三世猜疑帝との間で何らかの取引があった可能性がある。私個人としてはアルベルト大公失踪事件あたりで何かあったのではないかと睨んでいるのだが……、まあその辺りは私の管轄外である。私は「正しい地球史」の再構築事業で忙しいのだ。歴史家諸君、君たちが頑張って調べたまえ。ジークマイスター・ミヒャールゼンの頃の活動に関しては私も知らないことが多いのだ。是非私が生きている内に全容を明らかにしてほしいものだ。

 

 会話が一段落した時、プラットフォームに列車が入ってきた。内務政務補佐官グルックが直接民政局を動かして導入した新型車両だ。古くからの財閥でも、貴族の庇護を受けた私有企業でもなく、フェザーンとのパイプを活かしてのし上がってきた新興企業が設計に携わっている。技術の一部は何と同盟産だ。当然、様々な横槍があったが、民政局は一丸となりこの新型車両導入を実現した。

 

 チェリウス民政局長を初めとする民政局員は閑職で燻っていたが、元々は内務省内で改革を志したり、既存の秩序に異を唱えた者たちだ。(ランズベルクのような無能も居るが)彼らはカール・フォン・ブラッケという巨大な太陽とヴィルフリート・グルックという誰よりも誠実で誰よりも勤勉な実務家の姿を見て、かつての在り様を思い出したらしい。

 

 カール・フォン・ブラッケとヴィルフリート・グルックは民政局を生まれ変わらせた。いずれは帝国全てをこのように生まれ変わらせたいと、彼らはきっとそう考えている。私は彼らのように正道を歩む者ではないが、願わくば彼らの理想を共に目指すことを許してほしい。当時の私は停車した新型車両に乗り込みながらそんなことを考えていた。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。



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閑話・宇宙歴769年2月8日・皇室宮殿(パラスト・ローヤル)・グリューネワルト公爵訪問

 これはライヘンバッハ伯爵の書斎に存在した備忘録から引用した内容である。
 ライヘンバッハ伯爵は自叙伝執筆にあたり、備忘録などを参考にしているが、敢えて描写の一部を省略したり、削ったりしている。(同様に加筆された部分もアリ)
 その理由は様々だろうが、下記の内容を省略したのは恐らく、フリードリヒ大公の内心に対する推論を長々と書いていたことから、フリードリヒ大公への配慮によって記述を控えたのだと考えられる。

 今回、編集者の間で話し合いがもたれた結果、フリードリヒ大公に対するライヘンバッハ伯爵の批評が多分に書かれた下記の記述は資料的な価値も高く、またフリードリヒ大公に対する再評価を進める上でも周知すべき記述であるとの合意に至り、エドガー・ライヘンバッハ氏の許可の下、原則非公開である備忘録の内、この部分を例外的に公開することになった。


「ライヘンバッハか。よく来たな」

「お邪魔いたします。閣下」

 

 私はフリードリヒに対し頭を下げた。私的な場であり、フリードリヒも細かい礼儀作法を気にするタイプではない。というか、あまり仰々しく振る舞うとむしろ機嫌を害する。とはいえ、相手は元・皇族の公爵閣下であり、いくら相手がフランクな付き合いを望んでいると言っても、最低限の礼儀は弁えないといけない。その辺りを考えた結果、貴族式・軍隊式の敬礼では無く、単純なお辞儀をすることでお茶を濁すことにしている。

 

「おまえも暇なのだな?俺のような名ばかり公爵のご機嫌を取っても意味は無いぞ?」

「意味が有るか無いか、そんな基準だけで閣下の下を訪れている訳ではありません。それに閣下が名ばかり公爵ならば小官も名ばかり少将です」

 

 私がそう返すとフリードリヒは「一緒にするな」と言いつつ小さく笑った。その時、応接間の扉が叩かれる。

 

「お父様ー。アマーリエです。紅茶をお持ちしました」

「ああ、入ってくれ」

 

 フリードリヒが答えると一〇代後半頃の少女がお茶を持って入ってきた。

 

「ライヘンバッハ様……。このような事を言うのも差し出がましいとは思うのですが、あまり父の下に入り浸るのはご自身のキャリアを考えると宜しくないかと……」

「ご心配なく、アマーリエ様。小官はさほどキャリアに拘っておりませんし、小官のキャリアは公爵閣下程度に傷つけられるほど脆くはありません。六月一二日の爆弾ですら、小官のキャリアは傷つけられませんでした」

 

 私は笑みを浮かべながらそう答えるとアマーリエ嬢は反応に困ったように眉を寄せた。

 

「『閑職に回された程度じゃ俺様のキャリアは傷つかないぜ』ということか?言うじゃないか、それならクレメンツにお前の事を告げ口してやろうか?」

「陛下が閣下の言葉を信じる訳が無いでしょう。そもそも会ってもらえるかすら怪しいものだ」

 

 私はフリードリヒの脅しを切って捨て、運ばれてきた紅茶を口に運ぶ。アマーリエ嬢は私とフリードリヒに礼をしてその場を立ち去った。

 

「相変わらず妙な所で気を利かせるな……紅茶は苦手なんだろう?」

「普通の紅茶は苦手です。が、アマーリエ嬢の淹れた紅茶は別です」

 

 私は平然と答えた。フリードリヒは呆れた表情だ。

 

「権威主義的な感想じゃないか。そういうのは嫌いだろう」

「勘違いなさらないでください。閣下の娘だという事実が一体何の権威になるというのです?アマーリエ嬢は美しい。美しい少女が私の為に淹れてくれた紅茶が美味しくない訳が無いでしょう」

「なんだ?アマーリエに気があるのか?駄目だ。あいつはフィーネやクリスティーネと違って俺にも優しい良い娘だ。お前なんかには勿体ない。……そうだ、お前にはコンスタンツェ嬢が居るだろうが」

 

 フリードリヒは不機嫌そうにそう答えた。アマーリエとクリスティーネはフリードリヒの娘だ。また、フリードリヒには他にカール、ベルベルト、ルートヴィヒ、カスパーという息子がいる。その内、カールは生まれつき身体が弱い為、地方で療養生活を送り、ベルベルトは侍女の息子である為に早々に臣籍降下し、今はフリードリヒとは離れて暮らしている。……ああ、後世の諸君、私も同感だ。悪趣味な命名だと思う。

 

 ちなみにフィーネというのはフリードリヒの最初の妻だ。ヴィレンシュタイン公爵家と縁があり、格はあるが没落した貴族の家の出身だったという。ジークリンデ皇后のような活発な性格だったらしく、ヘタレのフリードリヒとは仲が悪かったとも聞く。とはいえ、フリードリヒなりに愛してはいたのか、彼女が病死した際には葬儀場で大泣きしていたらしい。

 

「コンスタンツェ嬢ですか、懐かしい名前ですね。彼女は今頃どこで何をしているのか……」

「白々しい奴め……。実際の所コンスタンツェ嬢とはどうなんだ?ラムスドルフから半ダース程の噂を聞いているが……」

 

 私は肩を竦めて受け流す。コンスタンツェ嬢は父親を失い、実家が叛逆者に仕立て上げられたことで憔悴していた。最近では少し持ち直してきたが……まあ、社交界で面白おかしく噂されているようなことは何もない。

 

「全てくだらない噂ですよ。ま、私の事はどうでも良いでしょう。今日もいくつか面白い話を仕入れてきましたよ?少し軍事に寄り過ぎていることについてはご容赦いただきたいですが」

「俺が一番気になっている噂の真偽をまずは教えてもらいたいものだな?……それにだ、率直に言ってお前が仕入れてくる話はリヒャルト程面白くない」

 

 フリードリヒはそう言って紅茶を口に運ぶ。少し沈黙した後、やがてフリードリヒが口を開く。

 

「出来ればお前自身やお前を動かす意思についての話を聞きたいものだな?その話だけはきっと、リヒャルトよりもお前が話した方が面白いさ。……そうだな?まずはリューベック騒乱の真相、なんてどうだ?」

「物事には順序があります。小官からその話を聞きたいのならばまずは小官がその話をできる状況を作り出していただきたいですね」

 

 私は平然と返した。フリードリヒがこういう揺さぶりをかけてくるのは珍しい事ではない。最初は動揺を隠すのに苦労したが、今では慣れてしまった。私があまりにも動揺していないからだろう。フリードリヒは不機嫌そうに呟いた。

 

「リヒャルトが生きていればな……。あいつが居ればお前如きのプライベートなど丸裸に出来ただろうに」

 

 リヒャルト・フォン・グリンメルスハウゼン宇宙軍少将(当時)は皇室宮殿(パラスト・ローヤル)爆弾テロ事件で爆心地近くに居たフリードリヒ大公を庇い死亡した。彼が盾にならなければフリードリヒ大公は最悪死んでいたかもしれない。その死に様は「侍従武官の鑑」と持て囃されたが、同時に陰ではこんな事も言われていた。「フリードリヒ大公じゃなくて他の高官を守ってくれたら良かったのに」と。

 

 私は少し黙り込み、やがて口を開く。

 

「グリンメルスハウゼン大将閣下のことは……残念でした。小官は数度しかお目にかかったことはありませんが、率直に申し上げて、グリンメルスハウゼン閣下に天が二物を与えていれば、私も私を動かす意思もとうに破滅していたかもしれません」

 

 リヒャルト・フォン・グリンメルスハウゼンという男は非常に優れた情報蒐集者としての素質を有していた。その資質は彼の置かれた状況を考えると、あるいは亡きクリストフ・フォン・ミヒャールゼンに比肩しうる程優れたモノだったのかもしれない。

 

 インゴルシュタットの指示でやや不本意ながらフリードリヒ大公への接触を開始して三度目の時だっただろうか、突如としてフリードリヒ大公が分厚い一冊の文書を持ち出してくると、その中身を次々と読み上げた。

 

『帝国史上、最も優秀な反国家的かつ共和的な組織は、大量の共和主義者の血と引き換えに生まれたということもできる。フランツ・フォン・ジークマイスターという優秀――というよりは偏執的――な社会秩序維持局員にして、家庭における陰気な暴君への反発が、幼きマルティン少年を共和主義へと傾倒させていった』

『黒色槍騎兵艦隊司令官のシュライヒャー大将は平民初の元帥昇進も期待された名将だったが、彼を嫌う先代のブラウンシュヴァイク公爵の讒言によって、卑劣な内通者としてその生を終えることになった。若き幕僚であったカール・ハインリヒ・フォン・ライヘンバッハは常日頃からシュライヒャーへの反発を隠さない男だったが、ブラウンシュヴァイク公爵の陰謀には加担せず、逆にその存在を暴露しシュライヒャーを救おうとした。その結果はどうなったか?手近な歴史書を見れば分かるだろう。『弾劾者ミュンツァー』の名前はあっても『弾劾者ライヘンバッハ』の名前はどこにもない。つまり、そういうことだ。……カール・ハインリヒが漠然と抱いていた自らの家――特に三男という境遇――に対する不満が、帝国の制度に対する絶対的な憎悪へと変わった瞬間である』

 

 実際の所、核心に迫っていたこの二つの記述の他にフリードリヒは五つ程馬鹿らしい妄想の類――ひょっとすると私が知らないだけで事実なのかもしれないが――も読み上げており、グリンメルスハウゼンがジークマイスター機関の存在を確信していたかまでは分からない。あるいは自身が見聞きした情報を基にフリードリヒを楽しませる真実(ものがたり)を創り出した結果、偶々まぐれ当たりしただけなのかもしれない。それでも私はグリンメルスハウゼンという男に戦慄した。断片的かつ僅かな情報を基に、想像力の翼を最大限羽ばたかせた程度でジークマイスターという名前に辿り着くのはハッキリ言って異常だ。私のように転生者だったのではないかと疑うレベルだ。

 

 だが天は彼に二物を与えなかった。優れた情報蒐集能力を持っていたとしても、優れた情報判別能力と情報活用能力が無ければそれは宝の持ち腐れだ。ミヒャールゼン=ジークマイスター=アッシュビーという類まれな才能の持ち主が揃ったかつてのジークマイスター機関と、その三者の奇跡的な連携が崩れた後のジークマイスター機関を比較すればその事は一目瞭然である。あるいはヤン・ウェンリーにとってエドウィン・フィッシャーが如何に大切だったかを考えても分かるかもしれない。

 

 リヒャルト・フォン・グリンメルスハウゼンはその生涯において、自身の優れた情報蒐集能力を自らの主であり、親友であるフリードリヒ・フォン・ゴールデンバウムの無聊を慰めることだけに使い続けた。それは機関にとって幸運な事だっただろう。もし機関の対立者――例えばツィーテン元帥やリューデリッツ上級大将――とグリンメルスハウゼンが近しい関係にあったとすれば……グリンメルスハウゼンは自身の宝を腐らせることも無かった、かもしれない。勿論、私がグリンメルスハウゼンという男を過大に評価しすぎている可能性は否定しないが、彼の遺した文書を読めば私の評価があながち大袈裟で無いことを多少は理解してもらえるはずだ。

 

「なら残念と言うことも無いだろう?お前たちにとって危険な男が一人この世から消えた訳だ」

「まさか。あるいは別の可能性があったかもしれませんが、それでも現実の彼は凡庸な侍従武官でした。現に対立していた訳でもありません。どうして彼の死を喜べましょうか」

 

 「どうだかな」とフリードリヒは呟くが、そこで頭を振った。

 

「いかんな……どうしてもリヒャルトの事を思い出すと気分が沈む。お前に当たっても仕方がないだろうに」

「……やはり、中々吹っ切ることはできませんか?」

「当たり前だ。……ラムスドルフがお前の身代わりに死んだらお前はどうする?」

 

 フリードリヒは少し気色ばんでそう言った。

 

「……小官なら仇を討ちたいと思います。閣下はそうは思われませんか?」

「……止めてくれ!ライヘンバッハ!前にも言ったはずだ。俺に毒を注ぐな!」

「……酷い言われようですな。ではせめて最新の捜査情報位は……」

「それ以上言うなよ?俺はリヒャルトがお前を評価した内の後半部分を重んじて、お前を友人に準じて扱っているつもりだ。だがお前があくまで大きな意思の表れとして俺に接するなら前半部分を重んじてラムスドルフに突き出してやる!」

 

 グリンメルスハウゼンは私をこう評した。『根っからの共和主義者ですが、それ故に殿下の友人に成り得る稀有な若者です』と。全く以って正しい評価だったが、彼が私の何を読み取ってそう評したのか、私には全く分からない……恐ろしい話だ。

 

「前にも言っただろう……ライヘンバッハ。俺はただ平穏に暮らしたいんだ。誰にも迷惑をかけず、誰からも迷惑をかけられない。家族と友人と、適度に満ち足りた生活を送れればそれで良い。この小さな願いに固執することの何が悪いんだ」

「……敢えて、御不興を被る覚悟で進言させていただきます。この国ではその小さな願いを叶えることすら至難の業です」

「分かっているさ!なら皇帝になれば俺の願いは叶うのか!?そんな訳がない!」

「その通りです。だからこそ殿下が変えるのです!下は平民から、上は皇帝陛下まで、この国に自由に願いを叶えられる人間など居ません。勿論、グリューネワルト公爵などという称号を持っていても!」

「……俺に指図をするんじゃない!」

 

 フリードリヒは叫ぶ。私も声のトーンは大きくなっていたが、内心では冷静だ。溜息すらついていた。フリードリヒに対してではない。自分に対してだ。

 

「……俺は俺の生きたいように生きたい。他の誰かに流されるのはもう御免だ……」

 

 フリードリヒはそう呟いた。……そうだ。フリードリヒの根源はそこにある。彼は自由を渇望している。他の誰よりもだ。彼がどうしてそこまで自由を渇望していたのか。私には想像しかできない。理解できたのは恐らく亡きグリンメルスハウゼンだけだ。

 

 皇族は優秀であることを常に求められる。優秀でなくても問題は無い、優秀を演じられるなら。彼にとって不幸だったのは本当に非凡な才能を持つ兄と弟の存在だろう。彼らの存在はフリードリヒの凡庸性を容赦なく浮き彫りにしていった。いっそジギスムント二世やアウグスト二世のように本当に暗愚な男ならば良かったのだ。そうすれば自身が凡庸であることにフリードリヒは悩む必要は無かった。優秀を演じようと努力する必要は無かった。厳格な父もフリードリヒに期待しなかっただろう。

 

 最初の妻フィーネはオトフリート五世の選んだ女性だ。後ろ盾が無い為に長男リヒャルトの帝位継承の障害とならないという理由もあったが、凡庸なフリードリヒを支え、引っ張っていけるような活力を持っているとオトフリート五世は評価した。結果は見ての通りだ。妻の期待と激励はフリードリヒをさらに屈折させ、彼を放蕩息子へと変える最後の一押しとなった。フリードリヒは潰れたのだ。

 

 そこまでならよくある話の一つかもしれない。しかし彼は皇族だった。放蕩息子として冷笑され、軽視され、馬鹿にされる。……きっと帝国中から。成りたくて皇族になった訳じゃない。努力をしなかったから凡庸な訳じゃない。そんな思いもあっただろう。それでも彼はきっと諦めていた。もしかしたら自分を責めていたかもしれない。彼は凡庸だが暗愚では無かった、皇族という立場を理解していたし、何を求められて、何に応えられなかったかも理解できた。

 

 そんな彼も、とうとう去年の爆弾テロ事件でキレた。唯一無二の親友であるリヒャルト・フォン・グリンメルスハウゼンを自身とは一切関わりのない政略絡みの事件で奪われた彼は、世の理不尽を呪ったはずだ。そして「決めた」のだ。何一つ決められない・決めるつもりもない、そんな生活とは離れ、ただ自身の素朴な幸福を追い求めようと。

 

 私には――あるいは思い上がりかもしれないし、独り善がりかもしれないが――彼の気持ちがよく分かった。そして何よりも哀れなのは、彼自身が自身の求めているモノを理解していないことだ。彼は今までに一度も「自由が欲しい」という言葉を使ったことが無い。

 

「……閣下が望むモノを得たいのならば、まずは望むモノを見つけなさいませ。今のままで、閣下が望むモノは得られません」

「かもな、だが平和に暮らせる可能性もある。何故わざわざリスクを負う必要がある?」

 

 フリードリヒの答えは、やはり本当に欲しいモノに気づいていない答えだ。私はすっかり冷めてしまった紅茶を流し込み、立ちあがる。今日は潮時だろう。最後にフリードリヒに丁寧に挨拶し、応接間を後にした。

 

 

 

 

「また派手にやりあったんだな」

「……」

「お前は何がしたいんだ?ライヘンバッハ。グリューネワルト公爵閣下を焚きつける……なんて俗っぽい目的の為にお前が必死になる訳がない」

 

 宮殿を出ようとしたところでラムスドルフが立ちふさがる。

 

「人聞きの悪いことを言うなよ。俺はただグリューネワルト公爵閣下と話がしたいだけだ」

「お前な、そんな方便が俺に……」

 

 そこでラムスドルフが黙り込んだ。

 

「お前、それ本音だな?」

 

 私は黙り込む。やはり聡い奴だ。ラムスドルフは溜息をつく。

 

「またお前は……お節介な奴だな。閣下を哀れんだか?しかし、閣下を焚きつけたい訳でもない。ただ言葉を届けたいだけだ。……そうだな、閣下はあの事件で少し変わられた。今までとは違って能動的に皇族としての義務を放棄するようになった。宮廷の馬鹿貴族共は気付いていないが、飾りであることを止めると決断したらしい」

 

 「よく見ている男だ」と私は思った。ラムスドルフは私以上に常日頃からフリードリヒに接している。思う所もあるのだろう。

 

「だがな、怒りを表現するのに部屋に引き籠るって言うのは子供のやることだ。子供は大きな力の前には無力なものだ。閣下は自分の決断を遂行する方法を間違えている。極端な話、明日から『グリューネワルト公爵を奴隷身分に落とす』とクレメンツ一世陛下が決断したとして、グリューネワルト公爵閣下は抵抗することすらできないだろうよ」

「……過激な言い様だな、お前らしくも無い」

 

 私の突っ込みを無視してラムスドルフは続ける。

 

「だからお前はグリューネワルト公爵を煽ってるんだな?お前は個人個人の選択を最重要視して干渉しようとしない。だが他人が選択肢すら見つけられていない状況を見ると途端に首を突っ込む。そして選択肢をお前が適切だと考える程度に増やした上で言う事が『後は自分で考えなさい』だ。そういう中途半端な事をするから一部の奴から偽善者だとか無責任だとか夢想家だとか陰口を叩かれるんだ」

「言い返す言葉も無いね……だが、それが私の在り様だ。グリューネワルト公爵にとってはきっとこれが生まれて初めての決断だ。それは良い。だが選んだ選択肢を自分で理解できていないというのは……どうにも放っておけない」

 

 ラムスドルフは黙って私を見つめると、溜息をつき、私に背を向けて宮殿の中へと去っていく。

 

「やっぱりお前は気に入らないな……。まあ良いさ、閣下がお前に会うことを嫌がらない内は、俺も静観する」

 

 私はその背中を暫く見つめ、やがて宮殿を立ち去った。

 




注釈23
 「グリンメルスハウゼン文書」は初期ジークマイスター機関についてほぼ同時代の視点で記された数少ない文書である。しかしながら、現在ではジークマイスター機関研究よりも、宇宙歴七三〇年代から宇宙歴七五〇年代の貴族文化、宮廷の動きを研究する資料としての価値が高い。

 ライヘンバッハ伯爵はグリンメルスハウゼンを優れた情報蒐集能力者と評したが、後世では加えて優れた情報選別能力者でもあったと思われている。ライヘンバッハ伯爵がフリードリヒ大公から聞かされた五つの馬鹿らしい妄想というのがどのような話かは不明だが、グリンメルスハウゼンの『馬鹿らしい妄想』は七割方真実の一端をついていることが後世の研究で判明している。ライヘンバッハ伯爵が引用した、クロプシュトック侯爵領出身のゲストウィック国務省自治調整局トリエステ課長に関するエピソードも同文書の中に書かれている。

 また識者によってはライヘンバッハ伯爵が多用する情報~という括りでの評価を好まず、単に「歴史の目撃者となった凡人」や「史上最も優れた歴史記録者の一人」というような言い回しを使う。


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青年期・真実は炎の中に消えた?(宇宙暦769年2月16日)

 宇宙暦七六九年二月一六日。その日、私は約一週間ぶりに皇室宮殿(パラスト・ローヤル)のグリューネワルト公爵を尋ねていた。グリューネワルト公爵は親友グリンメルスハウゼンを失って以降はこれまでの放蕩ぶりが嘘のように隠者のような生活を送っている。

 

 この孤独な公爵とグリンメルスハウゼンの死後最初に会った時は驚いた。一気に二〇歳は老け込んだように見えた。亡き妻フィーネが最後に産んだ幼いカスパー殿下に対して向ける笑みは大層弱々しく、後ろ姿には諦観が満ちていた。

 

 言葉を交わしてすぐ、フリードリヒという男が本心で自由に生きることを望んでいることは分かった。それはひょっとすると私の共和主義思想が生み出した偏向した評価だったのかもしれないが、結果的には的を射た洞察であったといえるのではないか?

 

 「この人は放っておけない」……私はフリードリヒを傀儡とする機関の計画には否定的だったが、それとは別にこの公爵への同情心、あるいは憐憫の情によって彼の下へ足繁く通うことになる。

 

「クリスティーネ様……。まだお怪我の具合が良くなっておられないのですから、安静になさってください」

「うるっさいわね。あたし、一応皇族。あなた閑職の下っ端近衛兵。分かった?」

「承知しておりますから、こうして止めているのでしょう……。それにクリスティーネ様は『元』皇族であって今は一介の公爵令嬢に過ぎません」

「あ……言っちゃうのね?そういうことを言っちゃうのね?ならあたしも遠慮しないから!あなたね、そうやって無神経に物を言うから出世できないのよ!皇族を敬わない近衛兵なんて近衛兵失格よ!」

 

 皇室宮殿(パラスト・ローヤル)の美しい中庭を抜け、グリューネワルト公爵の居所である北館へ歩いていると見覚えのある二人が言い争っているのに出くわした。まさか無視する訳にもいかず、私は仲裁に入る。

 

「ご無沙汰しております。クリスティーネ様……。小官の事を覚えておいででしょうか?」

「アルベルト・フォン・ライヘンバッハ。伯爵家の嫡男で帝国軍少将。軍務省高等参事官補……だったわね?」

 

 私は片膝をつき左手を腰の後ろに回し頭を下げ、クリスティーネ嬢が差し出した手を右手にのせて接吻する。

 

「見た?ラムスドルフ。あなたもこれくらいできないと近衛の本流に戻れないわよ?……ライヘンバッハの動きもイマイチ洗練されてないわね。夜会を避けているからよ。あなたも帝国貴族なんだから少しは貴族らしく振舞う努力をしなさい、『帯剣貴族は野蛮』なんて陰口を叩かれるのはあなたも嫌でしょ?」

「良い気分ではありませんが、言いたい方には言わせておけば良いかと。……誰が一番野蛮なのかは後世の歴史家たちがきちんと判断してくれるでしょう」

 

 私は苦笑しながらクリスティーネ嬢に答える。クリスティーネ嬢への慰めの意味も入っている。彼女は負けず嫌いでプライドが高い。お飾り皇子の父の下に生まれたことで彼女やアマーリエ嬢は周りから馬鹿にされたり、嫌がらせされることも少なくなかったのだが、その度に彼女は反撃を躊躇わなかった。

 

「そうね!前半は同意できないけど、後半は至言だと思うわ。あなたたちトラーバッハ伯爵の死に様は聞いた?散々私をプライドだけ皇族並みの小娘なんて馬鹿にしてたけど、あいつにそんなことを言う資格は無かったわね。後世の歴史家はきっと私では無くあいつに『プライドだけが伯爵に相応しかった小物』という評価を与えるわね!」

「クリスティーネ様。トラーバッハ伯爵は愚かでしたが、それは我々が愚かでは無いことの証明にはなりません。我々もまた今この瞬間、後世の歴史家たちの批評対象となっているのです」

 

 私はそうクリスティーネ嬢を窘めたが、クリスティーネ嬢はピンと来ていないようだ

 

「……つまり、死人に口なし。反論できない死者の悪口は言うもんじゃない、ということです」

 

 ラムスドルフが私の横からそう補足すると、クリスティーネ嬢は不満気に反論する。

 

「生者にだって口があるとは限らないわよ?あいつはそこかしこで私や馬鹿父様の悪口を言っていたけど、それにあたしたちが反論できたと思う?」

「……トラーバッハ伯爵が愚者であることは、我々が愚者になる正当性を担保してはくれる訳ではありませんよ」

 

 クリスティーネ嬢は溜息を一つつくと、そのまま自然に私たちの間をスーと通り抜けていこうとして、そこでラムスドルフに腕を掴まれた。

 

「無礼者!」

「お許しを。しかしながら御身を守るのが小官の仕事であります」

「だ~か~ら~ちょっと開放区画を出歩くだけだって。怪我だって大したもんじゃないし。あんたちょっと融通利かな過ぎよ」

 

 クレメンツ一世が大公時代に平民に対して開放した皇室宮殿(パラスト・ローヤル)の区画は、今でも残っている。流石に爆弾テロ事件の後には一度封鎖されたが、冷遇されているフリードリヒにとって開放区画から入る賃料は貴重な収入であり、やがて封鎖は解除された。

 

「ラムスドルフ。何なら私が同行しようか?クリスティーネ様にも気分転換は必要だと思うし」

「お前……」

「そうね!回廊の死線をくぐりぬけて、若くして帝国軍少将に上り詰めたトップエリートのライヘンバッハが居るなら何の問題も無いわ!ドラゴニアのような辺境に飛ばされた挙句帰ってきたら閑職で燻っているそこの無能者とは違って優秀な男でしょうし」

 

 クリスティーネ嬢はラムスドルフを睨みながらそう言ったが、ラムスドルフは肩を竦めて取り合わない。

 

「ライヘンバッハ、お前グリューネワルト公爵閣下はどうする?」

「あんなボンクラの相手はあなたで充分よ!」

 

 クリスティーネ嬢はそう言い捨てると、簡単にラムスドルフの手を振りほどいた。ラムスドルフも令嬢相手にあまり強い力は使っていなかったようだ。クリスティーネ嬢は私の手を取り、中庭へと進んでいく。

 

 

 

 

「で、何であなたもついてきているのかしら?ラムスドルフ」

「御身に何かあれば小官の首が飛びます故」

「そんな言い方しかできないのか?ラムスドルフもクリスティーネ様の事を心配しているのです」

 

 私たちはクリスティーネ嬢の側に控えて歩く。中庭には屋台が立ち並び、休日だということもあって、人であふれている。中庭の辺りにはいかがわしい店も少ない。クリスティーネ嬢は時折、屋台に近づいては「これは何?」「ぼったくりね!あたしを世間知らずと舐めているの?」などと店主と話している。中には顔見知りも居るようで、向こうから話しかけてくることもある。

 

「おい!ライヘンバッハ……。お前また余計なお節介をしてくれたな?お前、クリスティーネ嬢が何で怪我をしているのか知っているか?」

 

 クリスティーネ嬢が『節分盆栽!』という謎の漢字――地球時代の中国・日本地域で使われた言葉である、同盟やアウタースペースの一部では今でも使われているという。……後、盆栽じゃなくて万歳では?――が書かれた屋台の海苔巻きを見て目を丸くしているのを見計らって、ラムスドルフが私に小声で話しかけてきた。

 

新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)の後宮に居る時に装飾品が倒れてきたって聞いたが?」

「お前な、仮にも公爵令嬢が装飾品の下敷きになるなんてことが自然に起こると思うか?人為的なモノに決まってるだろう」

 

 私は思わずラムスドルフの方を見る。確かにラムスドルフが指摘するようなことは私も承知しているが、グリューネワルト公爵、さらにその二女を標的に暗殺などを計画する意義など全くない。勿論、あらゆる勢力にだ。それ故にお転婆のクリスティーネ嬢が勝手に自爆したものだと考えていた。

 

「クリスティーネ様はこの通りのお転婆娘だ。お怪我なさる数日前の夜会でグリューネワルト公爵閣下を馬鹿にしたエーリッヒ皇太子とその取り巻きに猛反論して泣かせた。……衆目の集まるところでな。その報復じゃないかと俺は睨んでいる」

「だって仕方ないじゃない。一応、あんなのでも実の父親だしね。あたしやアマーリエ、ルートヴィヒがあいつを悪く言うのは当然の権利だけど、父様が腐った原因の一端はあいつらでしょ。あいつらが父様を悪く言うのは恥知らずよ!そのくせ、まるで父様の浪費が財政危機の原因みたいな言いがかりをつけてくるんだもの。我慢できる訳無いじゃない……後、お転婆で悪かったわね」

 

 クリスティーネ嬢は私たちの話を聞いていたようで、屋台の方を向きながらそのまま会話に加わってきた。海苔巻きに非常に興味を持っているらしく、親子連れが買った海苔巻きを羨ましそうに見ていた。ラムスドルフはバツの悪そうな表情を一瞬浮かべたが、諦めたようにクリスティーネ嬢に話しかける。

 

「……まあ、本職としてはそういう訳でクリスティーネ様には宮殿に居ていただきたかったのです。ほとぼりが覚めるまで様子を見ようと」

「ま、そうでしょうね。あなたが考える程度の事はあたしにだって分かるもの。でもその上で今日は出歩きたかったのよ。ほら見なさい」

 

 クリスティーネ嬢が中庭の入り口側を指し示すと、そこには人だかりが出来ていた。

 

「カール・フォン・ブラッケもいけ好かない奴だけど、叔父様と違って筋は通す男ね。きちんと父様に連絡してから開放区画を訪れるもの。ただ、警備の近衛に連絡しないのは迂闊だと思うけど」

「仕方がありますまい。ブラッケ侯爵は長く宮廷の本流とは縁のなかったお方ですし、第一警備の近衛部隊へ連絡をしなかったことを責められるべきはブラッケ侯爵では無く、皇帝陛下か……あるいは近衛兵総監部です」

「……どういうことだ?」

 

 クリスティーネ嬢が不機嫌そうに発言し、私がやや窘めつつも追従する。ラムスドルフは分かっていないようだ。

 

「どんな事情か知らないけど、叔父様がブラッケ尚書、リヒター尚書、バルトバッフェル書記官長を連れて皇室宮殿(パラスト・ローヤル)を訪れるそうよ。……平民の人気がそんなに大切なのかしら?ああはなりたくないわね」

「時代は変わっているのですよ。クリスティーネ様。なに、悪い事ばかりではありません。こうしてクリスティーネ様が皇帝に言いたい事を言えるのは時代が変わったおかげです」

 

 クリスティーネ嬢が人ごみの方へ歩いていき、私もその後ろに付き従う。ラムスドルフは蒼白になりながら「陛下がいらっしゃるだなんて聞いてないぞ……。そんなバカな……」と呟いているが、やや遅れて私たちについてきた。

 

 人ごみではクレメンツ一世がフランクフルトを手に持ちながら、平民たちに気さくに語り掛けている。その後ろにはブラッケ侯爵が今にも悪態をつきそうな顔で佇み、リヒター子爵が商人たちに屋店の服を見せながら何やら議論している。そしてバルトバッフェル子爵がじゃれつく子供たちに応えながら、その美しい母親――バルトバッフェルは美しくない母親たちにも平等な男だが、今日は美しい母親を選ぶ自由を行使したようだ――を口説いていた。

 

「叔父様!お久しゅうございます。クリスティーネでございます」

 

 クリスティーネ嬢は右足を左足の後ろに持っていき、軽くプリエをする。が、目線は下げずそのまま陛下に合わせたままだ。……わざと失礼に挨拶をするときのやり方らしい。私も気に入らない領地貴族に同じことをするので分かる。ちなみに、当然私も貴族として最敬礼をとる。ただし跪くことはしない。クレメンツ一世がそれを周囲に求めていない事が見て取れるからだ。勿論、私は視線を下げている。ラムスドルフは軍務の最中だから軍隊式の敬礼だ。

 

「おお!クリスティーネか!大きくなったな!フリードリヒ兄上は元気か?」

「陛下の御厚意によって、何一つ不足無い生活を送っております。……友人以外は」

 

 クリスティーネ嬢の応答で側にいたブラッケ侯爵が少し動揺したのが分かる。一方リヒター子爵は感心した様子だ。……バルトバッフェル子爵は面白がっているのが分かる。今にも口笛を吹きそうな表情だ。クレメンツ一世は流石に微塵も表情を変えない。どう振舞えば人から良く見られるのか、彼は知り尽くしている。

 

「そうか!グリンメルスハウゼンは残念だったな……彼こそ侍従武官の鑑よ。余としてもフリードリヒ兄上が望むのなら新たに優秀な侍従武官を付けたかったのだが、兄上はそれを望まれなくてな」

「陛下のご心配には及びません。この通り、ラムスドルフとライヘンバッハが良く仕えてくれていますので」

「ふむ。ラムスドルフ少将はここの警備責任者だったな?しかしライヘンバッハ少将は何故ここに居るのだ?」

 

 そら来た、と私は思った。私だって望んでこんな所に居る訳では無いのだが、フリードリヒに頼まれたのだ。「お転婆娘がクレメンツに物申したいらしい。ちょっと面倒を見てくれ」と。「ラムスドルフは皇帝相手じゃ使いもんにならん。不遜で無礼な叛徒気質のお前なら皇帝にも物怖じしないだろう」という有難いお言葉も頂いた。

 

「ラムスドルフ少将と小官はかつて縁あってグリューネワルト公爵閣下の知己を得ることになりました。ラムスドルフ少将からグリューネワルト公爵閣下が無聊を持て余していると聞き、小官として役にたてることもあるのではないかと、こうして軍務に支障が出ない範囲で閣下の下におります」

「陛下はご存じないのですか?貴族嫌いのライヘンバッハがどういう訳かグリューネワルト公爵に尻尾を振っているらしい、日陰者同士波長も合うのだろう、と噂になっておりますよ」

 

 「陛下は父様に本当に興味が無いのですね」とクリスティーネ嬢は笑う。バルトバッフェル子爵が明らかに笑いを噛み殺している様子だ。ブラッケ侯爵がそれに気づいたらしく、バルトバッフェル子爵を睨みつけている。クレメンツ一世はにこやかなまま、大仰な仕草で周囲の民衆に語り掛けた。

 

「おやおや、皆!どうやら余はクリスティーネの機嫌を損ねてしまったようだ!……すまんな可愛いクリスティーネよ……。余としても数少ない信頼できる肉親である二人の事は大切に想っているのだが、全人類の統治者としての使命を蔑ろにする訳にもいかぬのだ……。それだけに、今日はしっかりフリードリヒ兄上との時間を大切にするつもりだ」

「開明派の三巨頭をお連れになってですか?それは結構なことでございますね!巷で人気の高いお三方と会えるとなると、父様もきっとお喜びになられるでしょう!宮殿で父様がお待ちです!さあこちらへ!わたくしが案内しますわ」

 

 皮肉を織り交ぜつつ、クリスティーネ嬢が案内を申し出る。しかし、クレメンツはにこやかにその申し出を断った。

 

「いや、余に構わなくても良い。……怪我をしたのだろう?余としても心配でならないのだ……クリスティーネ、叔父として言わせてほしいのだが、もう少し我が身を大切にしてくれぬか?」

「ご心配をおかけして申し訳ございません……。しかし、わたくしは叔父様が来られると聞いてこう思ったのです。『エーリッヒ皇太子殿下もいらっしゃるかもしれない、何としても殿下に謝らなければ』と。官僚や軍人、大勢が集まる中で些細な戯言を聞き流すことができず、正論をぶつけて皇太子殿下を号泣させてしまい申し訳ありませんでした、と。このクリスティーネ、きっと姉様のように聞くに堪えない罵詈雑言を受け流せる度量を見に付けて見せます、と」

 

 バルトバッフェル子爵が爆笑し、即座にブラッケ侯爵に足を踏まれ悶絶する。リヒター子爵は肩を竦めて呆れた様子だ。周囲の民衆はクリスティーネ嬢の言ったことがよく分かっていない様子だが、その中には学の有る活動家も居るだろう。きっと近い未来には帝都にエーリッヒ皇太子の話が面白可笑しく広まっているはずだ。

 

「気にしなくて良いさ!あれはエーリッヒにも非があるからな。とはいえ夜会の最中に公爵令嬢(・・・・)からあのような鋭い舌鋒を受けるとは思っていなかっただろう。あまりに起こり得るべくも無いことが起こってしまったが故に動揺してしまったのだな。このような例は帝国史上見ても稀有だ……」

「ジークリンデ皇后位の物ですね」

 

 私はクレメンツの顔色に若干の苛立ちを確認してフォローに入った。クリスティーネ嬢は流石に言いすぎた。エーリッヒ皇太子を泣かせた話を広めたのは流石にまずい。これ以上は手酷い反撃を受けかねない。

 

「……そうだな、ライヘンバッハ少将。……クリスティーネ嬢はまるでジークリンデ皇后の再来のようだ。ジークリンデ皇后のような立派な女性になることを期待しよう。道は険しいだろうが」

 

 クレメンツはそう言うと宮殿の奥へと歩いていく。仏頂面のブラッケ侯爵、思案顔のリヒター子爵、激痛を耐えるバルトバッフェル子爵が後に続く。……バルトバッフェル子爵はこっそりクリスティーネ嬢にサムズアップをしていった。残念ながらクリスティーネ嬢に意味は通じていないようだが。

 

 クレメンツは恐らくクリスティーネ嬢への口撃に移ろうとしていたのだろうが、私の言葉に機先を制された。誰もが知る偉大な女傑、ジークリンデ皇后の名を出されては中々クリスティーネ嬢の振る舞いを貶すのは難しいだろう。「道は険しいだろうが」に行き場の無い苛立ちと不快感が凝縮されているように感じられた。

 

「あー不愉快ね。平民皇后の再来って……絶対噂されるわよこれ……。やっぱり叔父上って悪辣よね?ま、軟弱息子の悪評をうんと広めてあげたし、痛み分けって所かしら?」

 

 クリスティーネ嬢が不機嫌そうにそう言った。ジークリンデ皇后は貴族の血が流れているものの、自身は平民身分にあった。……確かにクリスティーネ嬢にとっては「ジークリンデ皇后の再来」というのは特大級の嫌味だろう。私は当初気づかなかったが。

 

「さ、二人とも行くわよ。あの海苔巻きっていうのを食べてみたいわ。……叔父様に見つからないようにね」

 

 そう言ってクリスティーネ嬢が歩き出したその瞬間だった。……轟音が鳴り響き、空気が揺れた。

 

「何だ!?」

 

 顔面蒼白、茫然自失といった様子だったラムスドルフが瞬時に表情を切り替えて周囲を見渡す。真っ先に思い浮かべたのはかつてこの場所で起こった事件。……クロプシュトック事件。

 

「まさか……!」

 

 私はフリードリヒとクレメンツが会う北館を見る。見た所損傷はない。炎も見えない。

 

「ライヘンバッハ!クリスティーネ様を安全な場所へ!」

「分かった!」

 

 ラムスドルフが北館に向けて走り出す。クレメンツ一世はまだ北館に入っていない。しかし、北館にはグリューネワルト公爵が居る。クリスティーネ嬢も大切だが、警備責任者としてまずは二人の安全を確保しようとするのは間違った判断では無いだろう。

 

「一体何なの!?父様は?父様に何かあったの?」

「分かりません。とにかく安全な所……近衛の詰め所へ向かいましょう!」

「駄目よ!まずは父様の安全を確認しないと!」

 

 クリスティーネ嬢はそう言って北館に向かおうとするが、私は咄嗟に肩を掴んでそれを止める。しかし、クリスティーネ嬢は何とか私を振りほどこうとしている。

 

(何とか止めないと……)

 

 そう思った時、視界の端に高く昇る白煙の姿を確認した。

 

「クリスティーネ様!あれをご覧ください。恐らく爆発はここでは無くあそこです」

「え?」

 

 私の指差す方向をクリスティーネ嬢は見て、その顔をさらに青褪めさせた。

 

「あそこって……あなた……」

 

 その様子を見て、私も気付く。

 

(……ここから見て左側の方向にあるのは……まさか爆発したのは新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)、なのか!?)

 

 

 

 宇宙暦七六九年二月一六日。新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)西離宮で爆発が発生。火災が発生し、全敷地の六分の一を焼き尽くした。皇宮警察本部の発表によると犠牲者はその規模に比して少なく、一三六名。しかしながらその中には西離宮に幽閉されていたかつての帝位継承候補者、リヒャルト・フォン・ベーネミュンデ公爵の名前があった。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。

 




注釈24
 『節分』というのは地球時代に存在した祭りだという。鬼と呼ばれる代表者が社会レベルから個人レベルまで様々な不平不満を演台で叫び、群衆はそれに対しひたすら野菜をぶつける。最終的には鬼であるかどうか関係無くひたすら互いに野菜をぶつけ合う。
 起源は不明だが、説としては住人同士での階級闘争、パレードで野菜が一斉に投げられた、町政に不満を持つ住人が、町の祝賀会で町の議員に向けて野菜を投げつけた、ファシストの台頭に抗議してひたすらエネルギーを発散する場を設けた、被差別住民がその記憶を留めるべく行っていた、などが挙げられる。最も有力な説は暴政に対する不満逸らしとして大量の豆を与えられた住人が受け取りを拒否して領主に豆をぶつけたことをきっかけに叛乱が始まった史実を基にしているというものである。

 期間中は街が野菜で埋め尽くされたという記録が残るが、これは流石に作り話だろう。街が真っ赤に染まったと記される資料自体は信憑性が高いが、これはナチスドイツによるスペイン空爆の事実を暗喩する資料であると解すべきだ。


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青年期・リッテンハイム侯爵の失脚(宇宙暦769年2月25日~宇宙暦769年3月2日)

 宇宙暦七六九年二月二五日。帝都オーディンでリヒャルト・フォン・ベーネミュンデ公爵の葬儀が執り行われた。通例で言えばリヒャルトは臣籍降下から間もなく、また現皇帝の兄であることから葬儀は皇族に準ずる扱いとなる。しかし、クレメンツ一世の感情面と、皇族扱いの大葬儀をやっている時間的・政治的余裕が無いという現実面から葬儀は一公爵としての規模にとどまり、帝都に居合わせた主な貴族と帝国軍四長官(・・・)・各部総監・帝都防衛軍司令官等軍の要人、皇帝の代理人として宮廷書記官長が参列するに留まった。

 

 そしてベーネミュンデ公爵の死から間もない宇宙暦七六九年三月二日。新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)ユリウス・ツェーザーの間において帝国名士会議が開かれた。今回の名士会議は議題の重要性から一週間の日程が取られている。四年前の前回は五日間の日程だったが一日目からクレメンツ大公が皇帝批判を行ったために以後の日程は全て中止された。なお、今回の主要な議題は下記の五つだ。軽く説明しておきたい。

 

『枢密院による内務尚書カール・フォン・ブラッケ侯爵・無任所尚書マティアス・フォン・フォルゲン伯爵・枢密院議員カール・ヨハネス・フォン・リューネブルク伯爵の解任動議について』

 

 宇宙暦七六九年二月二四日。ブラッケ・フォルゲンの二人が秘密裏に捜査チームを結成し、時にそれぞれの組織を裏切らせる形で――ブレンターノの内偵行為がその一例だ――機密情報にアクセスしていたことを理由に枢密院の貴族たちが解任動議を可決した。皇帝であるクレメンツ一世は当然にこれを拒否する権限があったものの、「枢密院との対立を避けたい、だけど開明派を怒らせたくも無い」という思惑によって、帝国名士会議の場で再度話し合うという(責任逃れ・決断の先送りともいえる)決定を下した。

 

 ちなみに秘密捜査チームの存在が枢密院の貴族たちに発覚したのは、リューネブルク伯爵の暴発が原因だ。二月の新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)西離宮大火で最初に実行犯として疑われたのがリューネブルク伯爵ら旧リヒャルト大公派だった。しかし、リヒャルトが火事で死亡していることが判明すると旧リヒャルト大公派への嫌疑は晴れた。……自分たちの旗頭を暗殺する必要がどこにある?

 

 一時皇宮警察本部に拘束されていたリューネブルク伯爵は枢密院議員に復帰すると、怒りに任せて、西離宮大火の首謀者を「皇室宮殿(パラスト・ローヤル)爆弾テロ事件の本当の黒幕である」と断じた。そして秘密捜査チームの存在とその捜査状況を明らかにし、「クロプシュトック侯爵の無実と自身の犯行が公になることを恐れ、先手を打ってリヒャルト大公を殺害したのだ!」と主張した。これを受けて、ブラッケとフォルゲンは捜査チームの存在とその捜査状況を公開せざるを得なくなったのだ。しかしながら未だ決定的な証拠も無かったために、枢密院は両名の行為を支持せず、解任動議に踏み切ったという訳だ。枢密院ではブラウンシュヴァイク・リッテンハイム系の力が強かったという事情もある。

 

『司法尚書ウィルヘルム・フォン・リッテンハイム侯爵に対する内務尚書カール・フォン・ブラッケの指揮権発動の是非について』

 

 これはブラッケとフォルゲンが公開した秘密捜査チームの捜査報告書が明らかにリッテンハイム侯爵の犯行を示唆する内容であったことから、リッテンハイム侯爵とブラッケ侯爵・フォルゲン伯爵の間で対立が発生。その結果リッテンハイム派が多数を固めるオーディン高等法院が内務尚書の解任勧告をクレメンツ一世に行った。

 

 これに対抗する形でブラッケは内務省保安警察庁と社会秩序維持局に対し、『ユリウス一世陛下三一号詔勅』・『三二号改訂詔勅』並びに『ジギスムント一世陛下三号詔勅二関スルユリウス一世陛下ノ三号補則』及び『マンフレート二世一一号詔勅』(以上は通称、閣僚法典の一部)に基づく指揮権発動を行い、リッテンハイム侯爵への強制捜査に乗り出した。

 

 これにリッテンハイム侯爵は仰天し、次に激怒し、やがて恐怖した。内務尚書の指揮権発動は極めて強力な効果を発揮する。しかしながら、今までは逆に大貴族の不正を隠蔽する方向で作用し続けてきた。……リヒャルト三世帝の折に当時のノイエ・シュタウフェン大公検挙を目指した内務省と司法省の捜査機関が閣僚の指揮権発動で捜査を断念したのはあまりにも有名な話である。ちなみに、当時の内務尚書と司法尚書に圧力をかけて検挙を逃れたノイエ・シュタウフェン大公家はその後流血帝の虐殺に巻き込まれ、断絶に追い込まれた。その後止血帝の下で再興するが、爵位は侯爵にまで下げられ、かつてのような絶対的な権力は最早残っていなかった。

 

 話を戻そう。リッテンハイム侯爵はブラッケ侯爵がまさかここまで強硬な姿勢を取るとは思っていなかった。慌てた彼は枢密院に対しブラッケの解任動議を通すようなりふり構わず圧力をかけ、名士会議の開催が決まると指揮権発動を唯一取り消すことが出来るクレメンツ一世に指揮権発動の是非を名士会議の場で議論するように働きかけたという訳だ。

 

『ウィルヘルム・クロプシュトックの処遇について』

 

 これについては説明するまでも無いだろう。ブラッケとフォルゲンの秘密捜査チームの捜査結果を踏まえて、クロプシュトック侯爵が叛逆者であるか否か、あるいは討伐軍を出すのか出さないのか、そういったことを議論する。

 

『故オイゲン・フォン・カストロプ公爵の遺産の使い道について』

 

 ブラッケとリッテンハイムの対立は開明派と保守派大貴族の対立にも飛び火しつつあった。その最大の争点が長年に渡り財務尚書を務め、不正蓄財によって巨万の富を築いたカストロプ公爵の遺産の使い道だ。ここでは簡単に説明しよう。要するに地方貴族が資産を管理するか、中央政府が資産を管理するか、という対立だ。

 

 銀河帝国の景気は元々悪かったが、ブラウンシュヴァイク・リッテンハイムによる私的なクロプシュトック征伐の開始によってオーディン=フォルゲン間航路等が断絶し、治安も悪化、経済状況は急速に危険水域に入り始めた。この状況を改善する為にリヒター財務尚書は租税対象外の補助金給付や帝国正規軍が管轄する軍事分野での公共投資を計画していたが、これに領地貴族が横槍を入れた。

 

 「リヒターの政策は無意味で中途半端なバラマキである。大規模な減税と公共投資を行うべきだ」というのが貴族共の主張だ。なるほど、一見正しく見えるかもしれないが、各貴族の領地において行政権を握っているのはその貴族である。故に中央政府が各貴族領に公共事業を行う時は貴族を間に挟まざるを得ない。……貴族に資金を与えて良い事など一つも無い。故にリヒターは貴族の干渉を排することが出来る軍事的公共事業や貴族の不当な搾取を防げる租税対象外の補助金給付を検討していたのだ。

 

『ザールラント叛乱軍・リュテッヒの大請願・ノイケルン暴動・トリエステ独立投票等への対応について』

 

 これは上の内容と少し関連している。クロプシュトック征伐による混乱は辺境地域に困窮を齎した。ブラウンシュヴァイク家・リッテンハイム家と関係のある貴族たちはこぞって私的征伐軍に私兵を出し、本来の領地から警備部隊が消え去った。帝国正規軍にしても資産没収によって不安定になっているカストロプ公爵領・回廊戦役の敗北によって同盟軍の侵攻が予想されるエルザスやロートリンゲン・そしてクロプシュトック侯爵領周辺宙域に大部隊を展開しており、帝国全土で警備が手薄な宙域が出来てしまった。

 

 そういった状況の中で海賊・犯罪組織・反帝国組織は活動を活発化させ、それによって星間航路が寸断、物価が高騰し、辺境住民は物資不足に悩むことになった。こうして溜まった辺境住民の不満は反帝国活動のさらなる活発化へと繋がり、さらに辺境情勢は不安定化していく。まさに負のスパイラルだ。

 

 ザールラント叛乱軍は帝国側の呼称であり、彼ら自身はウィントフック独立革命戦線(FREWLIN(フレウリン))と名乗っている。ザールラント警備管区で建国期以来しぶとく抵抗を続ける分離勢力だ。ザールラント住民に対する一貫した寛容さとザールラント外の住民(特に支配階級)に対する度を越した残虐性で知られる。『帝国史上、最も多くの貴族を殺した共和勢力』とも称されるが、彼らは共和主義者ではなく分離主義者だ。

 

 惑星リュテッヒはノイエ・バイエルン伯爵領の第二の都市でフェザーン貿易の拠点の一つだ。ここにノイエ・バイエルン伯爵領内外の困窮した辺境住民が押し寄せ、備蓄物資の開放等を求めて居座っている。その数は凄まじく、最低三〇万人はくだらない。『リュテッヒの大誓願』と聞いてピンとこなかった諸君。……『(セント)パトリックの流血祭』と言えば分かるだろうか?

 

 ノイケルン星系はザクセン=アンハルト行政区に存在する伝説の名将ミシェール・シュフランの故郷だ。シュフランは軍から退いた後故郷の星系首相を務めることになる。為政者としても優れており、穏健な共和主義者として広く支持された彼の記憶はルドルフ大帝を以ってしても消しきれなかった。ノイケルンは難治の地として知られたが、数年前にノイケルン共和主義者連盟が大打撃を受けたことで近年は安定している。しかし当代のノイケルン伯爵が閣僚に任命され帝都に常駐したことをきっかけに、ノイケルンの住民に対する抑制が緩み始めた。クロプシュトック征伐開始と同時にノイケルン伯爵領から私兵部隊が消えたことで、住民は再びの反抗を決意する。これがノイケルン暴動の簡単な経緯だ。……ちなみにノイケルンに関しては我々機関も一枚噛んでいる。

 

 トリエステは言わずと知れた伯爵公選制を取る辺境貴族領だ。政府レベルで反帝国意識の強かったトリエステはしかしながら高度の自治権を認められていたが故に歴史上大規模な反抗に転じることは少なかった。ところがカール・フォン・ブラッケの内務尚書任命が彼らの独立心を刺激した。ブラッケ侯爵領は世襲制ではあるが、銀河帝国に組み入れられた経緯にトリエステ伯爵領と似通った部分がある。その為にブラッケ侯爵領は孤立するトリエステ伯爵領の代弁者かつ支援者として長年に渡り交友を温めてきた。そのブラッケが自治統制庁を管轄する内務省のトップに就いたことはトリエステ伯爵領の住民にとって独立を達成するまたとない機会のように思われた。こうしてトリエステ伯爵アーロン・プレスコートは独立の住民投票実施を宣言。大方の予想通りブラッケはこれを承認こそしないものの妨害にも動かず、トリエステ伯爵領は独立への自信を深めた。……なお、トリエステ総督府と周辺帝国部隊には機関の手が深く及んでおり、間違っても独断での投票妨害に動かないように統制を強めている。

 

 この他、思想・組織色が強くない暴動や騒乱も辺境各地で起こっている。クレメンツ一世即位のタイミングで開明的(と思われた)な新皇帝の誕生に期待した為に一度辺境情勢は安定化に向かったが、クレメンツ一世が帝国経済どころか自身の閣僚すら統制できない有様が明らかになるにつれて、期待は失望と怒りに代わり、暴動や騒乱の増加に繋がった。しかもそれらは放置しておけば共和主義勢力や分離主義勢力と結合すること明らかであったことから自治統制庁長官リヒテンラーデ伯爵の悲鳴のような進言で名士会議の議題に加えられた。……尤も、リヒテンラーデ伯爵の危機感を共有していた人間は少ない。名士会議でも議題には上ったものの、深く話し合われることは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

「アルベルト!それにラルフ君じゃないか!一体どうしてここに?」

 

 私が帝都防衛軍司令部情報部長を務めるラルフ・ヘンドリック・フォン・クラーゼンと話していると、背後から聞き覚えのある声がした。

 

「リヒャルト……そうか、君は父上の後を継いだんだったね。名士会議のメンバーだったのか」

「ああ。まあ数合わせというか、格というか……まあ中身を期待されての抜擢じゃない。だが、お飾りで居るつもりは無いぞ!……私もブラッケ侯爵やフォルゲン伯爵の解任動議には反対だった。枢密院で私は圧倒的な少数派だったが、この名士会議の場では私と思いを同じくする方々は少なくない。必ずお二方を守って見せるさ」

 

 ノイエ・バイエルンは決意に満ちた表情だ。枢密院はブラウンシュヴァイク・リッテンハイム系の力が強いが、それはそれとして両巨頭の影響下に無い議員も少なからず存在する。しかし、ブラッケ・フォルゲンの支持に回ることは両巨頭と敵対することを意味し、確たる証拠が無い状況ではリスクが大きい。その為、枢密院においてブラッケ・フォルゲンを支持したのは開明派系統の四名とノイエ・バイエルンだけだった。ちなみにブラッケ侯爵家と関係の深い枢密院副議長リンダーホーフ侯爵は棄権した。

 

「……リッテンハイム侯爵との関係は良いのかい?ノイエ・バイエルンとリッテンハイムは経済的な結びつきも強いだろう?」

「知ったことか!我が父の仇、決して許さん!」

 

 ラルフの言葉に対してノイエ・バイエルンは強い口調で答える。私は遠くのリッテンハイム侯爵の方を伺うが、流石に聞こえなかったらしい。どうやらノイエ・バイエルンは秘密捜査チームの捜査を信頼しているようだ。

 

「秘密捜査チームが嘘をついている可能性もある。その時はどうする?」

「ブラッケ侯爵が嘘をつく訳が無い。なあ、アルベルト?」

 

 ノイエ・バイエルンはにこやかにそう言って、私に同意を求めてきた。私は内心で「人民に対しては」という保留を付けながら「その通りだ。ブラッケ侯爵が嘘をつくはずがない」と答えた。

 

 私とラルフ、ノイエ・バイエルンが会話しているとユリウス・ツェーザーの間に出席者たちが集まり始めた。出席者は全ての閣僚とクレメンツ一世が特に議題に関係があると判断した枢密院議員、官僚、軍人。比率的には開明派が三・保守派が六・旧リヒャルト大公派が一と言った所か。尤も、保守派が皆開明派と対立し、ブラウンシュヴァイク・リッテンハイムに好意的という訳でもない。その観点で考えれば反ブラウンシュヴァイク・リッテンハイム派が四・非ブラウンシュヴァイク・リッテンハイム派が二・ブラウンシュヴァイク・リッテンハイム派が四という風に変わる。

 

 名士会議の議長はグリューネワルト公爵フリードリヒが務めることになっていたが、当日になって「腹痛」を理由に欠席した。……フリードリヒは最早お飾りの皇族で居る気はない。しかし、仮病での当日欠席というのは自らを取り巻く環境に対する抵抗としては流石に幼稚に過ぎる。そもそも出席者の中にこれをフリードリヒの抵抗であると受け取った者が居るのかどうか……。

 

 何はともあれ、議長不在によって一時間ほど予定が遅れた。代わりの議長に国務尚書ブラウンシュヴァイク公爵が立候補し、開明派と非ブラウンシュヴァイク派――リッテンハイム派の一部も含む――から猛反発を食らい、能吏であるリヒテンラーデ伯爵に任せてはどうかというリヒター子爵の提案はクレメンツ一世にやんわりと退けられ、エーレンベルク侯爵他数名に推挙されたマリーンドルフ侯爵が「若輩の身に畏れ多い」と固辞し、故ブローネ大公の子ステファンの名が挙がったものの当人と連絡が取れなかった。

 

 名士会議の結果に対する直接的な責任を取りたくないクレメンツ一世はかなり悩んだ後、先々帝オットー・ハインツ二世の第二皇女の息子であるエドワルド・フォン・パルムグレン伯爵――カール・パルムグレンの子孫、格は十分だが権力・影響力は無い――の存在を思い出し、急いで彼を呼び寄せ議長に任命した。

 

 会議はすぐに激しい口調での論戦へと発展した。軸となるのはカール・フォン・ブラッケとウィルヘルム・フォン・リッテンハイムだったが、この二人の論客としての実力はブラッケが遥かに勝っており、リッテンハイムはすぐに防戦一方となった。リッテンハイムはブラッケの秘密捜査チームの捜査報告書は全て傍証に基づく推論でしかないということの一点張りで、ブラッケの攻勢を凌ごうとした。しかし、ブラッケ侯爵には切り札があった。

 

「現在、内務省保安警察庁は一人の兵士の遺体を収容している。縁者が無く、共同墓地に土葬されていた軍の兵士だ。憲兵総監部が埋葬の一切を取り計らったそうだが、書類にはこの遺体がハンスという名の上等兵であることが記されている」

 

 ブラッケ侯爵の指示でグルック補佐官らが出席者に資料を配る姿を確認しつつ、ブラッケはその切り札を出した。会議の場には困惑と緊張が広まる。一兵士の情報など何の意味があるのか?という困惑と一見価値のなさそうなその情報をここでわざわざブラッケ侯爵が出してきたことに対する緊張である。

 

「書類によると遺体は酷い有様だったらしい。大量の金属片が身体に突き刺さっているばかりか、全身に火傷を負っている上に身体の一部は欠損していた。その上、どういう訳か念入りに顔が潰されていた」

 

 ブラッケはそこで言葉を切り、ある参加者の方に向き直る。その参加者はブラッケの話に心当たりがあったのか、少し強張った表情をしている。

 

「まあ、無理も無いだろう。死因は昨年五月一二日にエルテンブルク演習場で発生した誤射事故だ。落下予測地点から大きく逸れた砲弾が外周の警備部隊付近に着弾。隊員二二名内四名が即死、七名が後死亡……まあ悲惨な事故だ。しかし一つ不自然な点がある。どういう訳か死人の一人……まあハンス上等兵の事なんだが、彼の遺体の遺伝子情報が別の人物と合致した」

 

 私は軍務尚書エーレンベルク元帥の後ろに尚書官房の幕僚の一人として控えてブラッケの話を聞いていた。ブラッケに「切り札」を与えたのは機関だ。当時帝都防衛司令官だったインゴルシュタットが事件直後、秘密裏に捜査に乗り出していたことは秘密捜査チームでも知られている。しかし、その捜査は結局実を結ばないままインゴルシュタットは左遷された……ということになっている。実際は違う。帝都防衛司令官として憲兵総監部の怪しげな動きをマークしていたインゴルシュタットは、ジークマイスター機関指導者としての手札も用いて憲兵総監部が秘密裏に処理しようとした遺体の確保に成功していたのだ。

 

 ミヒャールゼン亡き今でも憲兵隊には少なからず機関と繋がっている者が居る。一兵士の遺体程度ならば彼らは喜んで差し出すだろう。動機はブレンターノのように汚職・腐敗への反感か、あるいは私のように開明思想か、あるいはツァイラーのようにあくまで取引として協力しているだけか……、もしかしたら脅されて協力しているという事も有り得るかもしれない。

 

 ブラッケ侯爵の表情は普段から険しいが、今日は一層その険しさが増しているように見える。ブラッケ侯爵は落ち着いた、それでいて検事が被告人を追及するかのような厳しい口調で尋ねた。

 

「その人物の名はカミル・フォン・クロプシュトック元伯爵。皇室宮殿(パラスト・ローヤル)爆弾テロ事件の首謀者の一人であり、今なお憲兵総監部の追跡を逃れヴァルハラ星系に潜伏している、と憲兵総監部の報告には記されている。……さて、一つここで大きな疑問がある。六月一二日に皇室宮殿(パラスト・ローヤル)に居たカミル・フォン・クロプシュトック伯爵が何故一か月前のエルテンブルク演習場で事故死しているんだ?お答えいただこうか。オッペンハイマー憲兵総監!」

 

 出席者たちの視線がオッペンハイマーに集まった。前任者の死後に帝都憲兵隊司令官から転じたこの男が、リッテンハイム一門から軍に送り込まれた人材の一人であることは周知の事実だった。

 

「事ここに至りましては、憲兵総監部の捜査に一部瑕疵があったと考えざるを得ませんね……。本会議終了後、すぐに再捜査を……」

「結構!内務省には優秀な捜査機関があるのでな。貴官らは既に捜査する側ではなくされる側であることを自覚した方が良かろう。今この場で私は保安警察庁に対して憲兵総監部の不正捜査に対する指揮権を発動することを宣言する。皇帝陛下、宜しいですな?」

 

 オッペンハイマーは引き攣った愛想笑いを浮かべながら何とか取り繕おうとするが、ブラッケはそれを許さない。

 

「お待ちください。それはいくら何でも横暴が過ぎます!」

「横暴?私が一体何の法に背いた?言ってみろ憲兵総監」

「帝国では長年の慣習と伝統が制定法に準ずる効力を有します!ブラッケ内務尚書の指揮権発動は明らかにそれらに反しております!」

「黙れ!法に背いた慣習と伝統に何の価値がある!?このカール・フォン・ブラッケに『伝統に従って』指揮権を隠蔽に使えとでも言うつもりか貴様!」

「きょ、曲解が過ぎます、別に小官はそのような……。そうだ、そもそも軍部は統帥権の独立が保障されている!警察に軍人を捜査する権限は無い!」

 

 オッペンハイマーは必死で抗弁するが、ブラッケは話すだけ無駄だという風に頭を振ると議長席の後ろに座るクレメンツ一世に向き直った。

 

「畏れ多くも憲兵総監は陛下の統帥権を盾に司法の追及を逃れようとしているようです。事が軍の内部で済むことであるならば、あるいは憲兵総監の主張も是とされる余地はあるでしょう。しかしながらこれは大逆罪の捜査です。軍規違反の捜査ではありません。ヴィレンシュタインの叛乱に連座した者の中には軍人も居ましたが、彼らを検挙したのは内務省であり、彼らを裁いたのは高等法院です。憲兵総監部ではありません。大逆罪以外でも『幼年学校の悪魔』カルテンボルンは中将の階級を有していましたが高等法院によってその悪事が明らかになり、貴族位を剥奪されました。『リューベックの内通者』ノーベルも『ザクセンの背信者』プデラーも『町殺し』のヴィーデナーも内務省が捜査を担当しました。事が軍の内部秩序の問題には留まらないからです。今回もそのような事案に当たると臣は考えております」

 

 ブラッケは淀みのない口調で進言する。クレメンツ一世は難しい表情をして考え込んでいたが、やがて口を開いた。

 

「ブラッケの言が正しい。大逆罪の捜査だ……本来は内務省と司法省が管轄すべきであろう。非常事態宣言下で憲兵総監部が捜査を担当したこと自体は問題はない。しかし混乱も収まりつつある今、その捜査状況を見直すことは益になることはあっても害になることはあるまい。内務尚書の指揮権発動を余は是認する」

 

 クレメンツ一世はこちらも淀みの無い口調で断言したが、内心では苦渋の決断だっただろう。内務省の捜査状況次第では自分の尻に火が付きかねないからだ。リッテンハイム侯爵も苦虫を潰したような表情をしている。ブラウンシュヴァイク公爵が動いたのはその時だった。

 

「……議長。国務尚書から提案があるのだが、宜しいか?」

「え?……あ、承知しました。どうぞ」

「ブラッケ侯爵とフォルゲン伯爵の越権行為は問題だが、それよりも遥かに大きい問題が明らかになった以上、両名の責任を問うのは後にするべきではないだろうか、と思う。この際、ブラッケ侯爵とフォルゲン伯爵に全ての捜査を委ね、真相を明らかにしてもらおうじゃないか」

 

 その言葉に議場がざわついた。ブラウンシュヴァイク公爵はブラッケ侯爵・フォルゲン伯爵と激しく対立していたはずではなかったのか?そもそも枢密院に解任動議を出させたのはブラウンシュヴァイク公爵だ。

 

「そして、この状況では司法尚書が自身の職に対し忠実であると見做すのは難しいと言わざるを得ない。司法尚書リッテンハイム侯爵には御自身の疑惑が晴れるまで、一度職を辞していただいた方が良いと私は思う」

 

 騒めきが大きくなる。ブラウンシュヴァイク派の中にも動揺を顔に出している者が数名見受けられる。ブラッケが大して面白くもなさそうな顔でブラウンシュヴァイク公爵に視線を向け、「身内切りか」と吐き捨てた。

 

「……こ、公爵閣下……それは司法尚書リッテンハイム侯爵の解任を提案するということで宜しいでしょうか?」

「侯が自身で辞めるのであれば、それは必要なかろうて」

 

 ブラウンシュヴァイク公爵は涼し気な表情でそう言ってのけた。リッテンハイム侯爵は顔を真っ赤にして「ブラウンシュヴァイク……貴様……」と呟いている。

 

「さて、リッテンハイム侯よ。私は卿を信じているのだが、この場は分が悪い。潔白であるならば、いや潔白だからこそ、ここは潔く退かれよ。何、卿の潔白が証明された暁にはこのブラウンシュヴァイクが全力で卿の復権に尽くそう」

 

 ブラウンシュヴァイク公爵は白々しい顔でリッテンハイム侯爵にそう語りかける。リッテンハイム侯爵はブラウンシュヴァイク公爵を睨みつけていたが、やがて立ちあがり、クレメンツ一世に対して職を辞すことを申し出た。閣僚の任免はクレメンツ一世の専権事項だが、だからと言って名士会議=帝国中の有力者から「職を辞せ」と言われて無視できるはずがない。威信はガタ落ちだ。それならば自分から辞めてしまった方がまだマシ、ということだ。

 

「流石、ブラウンシュヴァイク公爵。鮮やかな手腕だ。俺たちじゃどうしようもない本丸を簡単に潰してみせるとはな」

 

 私の横に居るインゴルシュタットがやや皮肉気な口調で呟いた。機関の切り札は憲兵総監部の捜査に信憑性が無いことを示す動かぬ証拠だが、リッテンハイム侯爵の事件への関与を示している訳ではない。機関も、機関から切り札を受け取ったブラッケもこの場でリッテンハイム侯爵の首が取れるとは思っていなかったはずだ。

 

 帝国名士会議一日目は大方の予想に反して、司法尚書リッテンハイム侯爵の失脚と言う結果に終わった。



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青年期・名士会議は踊る、されど進まず(宇宙暦769年3月5日)

もっと良い地図を描きたいと思ったんですけど、心が折れて以下のようになりました。


【挿絵表示】




 宇宙暦七六九年三月五日。名士会議四日目の日程を終え、人々はクレメンツ一世が主催する立食形式のパーティーに参加していた。これまでの日程……厳密には名士会議二日目までにブラッケ侯爵・フォルゲン伯爵に対する解任動議は行われないこと、リッテンハイム侯爵家に対する指揮権発動が取り消される代わりに、新たに憲兵総監部に対する指揮権発動が認められること、リッテンハイム侯爵が司法尚書を辞任し、クロプシュトック侯爵領への正規軍派遣を中止すること、ブラウンシュヴァイク公爵が私兵軍を撤兵させること、リッテンハイム侯爵に対しては名士会議から私兵軍の撤兵を勧告すること、クロプシュトック侯爵に対し再度帝都出頭を命じ、これに応じる場合は征討令を一旦取り下げることなどが決定した。

 

 それは参加者の予想をはるかに上回るスピードでの決着だっただろう。しかし、名士会議三日目、カストロプ公爵の遺産の使い道が議題に上ると議論は停滞した。カストロプ公爵が有していた利権や資産に食い込みたい領地貴族と、あくまで国庫に納め中央政府の管理下で経済政策に使いたい開明派が激しく対立し、これに『軍拡』を主張する――ティアマト以来壊滅した部隊を書類上存在する扱いにしている為であり、実際には再編の方が正しい――軍部や治安対策に部隊を動かしてほしい辺境貴族の思惑も絡んで議論は遅々として進む気配が無かった。

 

「名士会議の出席者は五三名。私のような学者組はともかく、他の出席者はその背後に大勢の支持者を背負っている。背負ってるものが重くて軽々に妥協する訳にはいかないのだよ。大帝陛下はこのような有様を衆愚政治と呼び、それを解決する為に専制を敷かれた。しかしながら専制政治でも強権を振るえるリーダーが居なければ……『コックが多いと粥を駄目にする』だ」

 

 ヴェストパーレ男爵が誰かの発言に対してそう答えた。高名な学者である彼は開明派に多くの友人を持つが、その派閥の一員として振舞うことを務めて抑制していた。彼自身は常日頃から歴史の観察者になりたいのであって当事者には成りたくないという事を繰り返し言明していた。

 

「つまり、会議が往々にして何も生み出さないのは体制や主義の問題では無く人類普遍の真理という訳ですか。面白い」

 

 口元に笑みを携えながら、ラルフ・ヘンドリック・フォン・クラーゼンがそう呟き頷いている。帝都防衛軍司令部情報部長を務める彼は職務上の理由で帝都防衛司令官の随員として招集された。名士会議に出席している上官の指示に対応する為に会議中は新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)の一室に詰めている。

 

「『面白い』では済みませんよ……。地方は中央の機能不全によって壊滅寸前だ。名士会議を開くと聞いて漸く中央が重い腰を上げたかと思ったら……」

 

 シャウハウゼン子爵は暗い表情だ。ヴェストファーレン行政区の端に領土を持つシャウハウゼン子爵は現在様々な苦難に直面している典型的な辺境貴族だ。

 

「壊滅寸前は少々言いすぎではないか?」

「言いすぎなものですか!我がシャウハウゼン子爵家は中央に対する来年度の税金を未だ収めておりません。それが何故か、皆様はご存知ですか!?」

 

 宇宙軍少将で教育総監部副宙雷戦監を務めるグレーテル伯爵令息オイゲンが窘めるようにそう言ったが、シャウハウゼン子爵は首を振って逆に問いかける。現在、私の周りには元・有害図書愛好会メンバーを中心に一〇数名程の若手貴族と、ライヘンバッハ一門に属する若手貴族数名、そしてヴェストパーレ男爵ら政治と距離を置く開明派に近い貴族が集まっている。彼らに共通するのはこういったパーティーの場を好まないという点だ。

 

「知っているよ。……海賊だろう?『流星旗軍』が派手に暴れているそうじゃないか」

「流石にクラーゼン准将はよくご存じだ。その通りです。我が家の輸送船が『流星旗軍』の襲撃を受け、中央へ輸送予定の税金の約六割を強奪されました。……数年来続く不況の中で定められた通りの税金を揃えるのは非常に大変でした。我が家も我が領民も奪われた分の税金を補填する余裕など当に失っております……」

 

 シャウハウゼン子爵は悲嘆に暮れた表情だ。『流星旗軍』……それはヘッセン行政区からフェザーン回廊、さらにバイエルン行政区にかけての広い範囲を活動範囲とする宇宙海賊の大規模連合だ。第二次ティアマト会戦後、首領ジョン・ラカムの下で旗揚げした小さな組織は『専制主義打倒』『人民搾取に対する裁きの代行者』『自由を愛する全ての人間の味方』という御題目を掲げ、帝国の秩序に対し公然と叛逆した。

 

 帝国は政治犯に容赦しない。宇宙海賊たちは政治犯と見做された人物が帝国から徹底的な弾圧を受ける様を知っている。その為に海賊に限らず犯罪組織は務めて自身の政治色を薄める。その方が帝国から激しい取り締まりを受けずに済むからだ。ジョン・ラカムの一党はそういった犯罪組織のセオリーを無視していた。

 

 恐らく第二次ティアマト会戦での混乱と地方部隊の弱体化が無ければこの組織は帝国のメンツにかけてすぐに潰されていただろう。しかし、帝国はこの小さな宇宙海賊に対する対処を後回しにした。それはあの余裕のない状況ではあながち間違った判断でも無かっただろうが、気づけば旧式のフェザーン警備隊駆逐艦一隻に総勢二七名を数えるだけの組織だった『流星旗軍』は艦艇凡そ三〇〇〇隻~一〇〇〇〇隻――全てが戦闘艦ではない――、最低構成人数二万人を数える大組織へと変わっていた。

 

 その活動の特徴は標的を帝国の財閥・門閥傘下の特権企業・フェザーンの大企業・そして帝国の公務艦に限り、さらに強奪した戦利品を主に辺境の貧民に配っているという点だろう。彼らは自由惑星同盟でこう呼ばれる。「自由の義賊」と。

 

「まさか……海賊風情が国税に手を出したのか?」

 

 宇宙軍中将で青色槍騎兵艦隊の司令官代理――残存兵力の管理人とも言う――を務めるクヴィスリング男爵ヘルマンが「信じられない」という様子で尋ねた。ちなみにグレーテルらは私の幼年学校以来の知人であるが、クヴィスリング男爵やシャウハウゼン子爵は軍務に就いて以降に知り合った知人である。クヴィスリング男爵は大叔父である故・ユルゲン・オファーと我が父カール・ハインリヒが「保守派の二大巨頭」と呼ばれた縁で面識が生まれた。シャウハウゼン子爵はヴェストパーレ男爵のサロンで知り合った。惑星移民史を調べる趣味があり、歴史学者として高名なヴェストパーレ男爵を慕ってサロンに出入りしていた。

 

「私がわざわざ帝都に来たのは中央に『流星旗軍』への対処をお願いする為です。そして何とか我が領に課せられる来年度の税金を免除していただかないと……。最悪、リッテンハイム侯爵の御援助に縋るしか無くなります。……しかし、帝都に来てみて驚きましたよ。名士会議の議題に辺境情勢への対処が無いんですからね。リヒテンラーデ伯爵の尽力が無ければどうなっていたことやら……」

「同感だ。中央は辺境に対して無関心に過ぎる。我が領土のリュテッヒについてブラウンシュヴァイク公爵が何と言ったか聞いたか?『卿が領民を甘やかしていたのが悪いのではないか?平民に宇宙船の私有を許していたからこのような事態を招いたのだ』……馬鹿馬鹿しい。重要なのは請願を可能とした手段では無く、請願を実行した動機だ!」

 

 ノイエ・バイエルンが憤激しつつそう言った。彼の領地は中央地域と辺境地域の境目に存在する。リュテッヒに困窮した辺境民が押し寄せた理由の一端には確かにノイエ・バイエルン領が他領に比して領民の星系間移動を自由に認めているという点があるかもしれないが、それは問題の根本ではない。フェザーン方面辺境地域から一番近くにある経済的大都市がリュテッヒである以上、ノイエ・バイエルン家の統治方針に関わらず辺境民はリュテッヒに押し寄せるだろう。

 

 ちなみにノイエ・バイエルン伯爵領は帝国中央地域からフェザーンを繋ぐ貿易路の要衝に存在し、対フェザーン貿易の最大拠点となっている。ノイエ・バイエルン伯爵領よりさらにフェザーン側に存在する各領地はノイエ・バイエルン伯爵領に比して規模が小さい、治安が悪い、あるいは政治的立場が弱くノイエ・バイエルン伯爵家程大胆に自由主義政策を取り入れられない、といった理由で貿易拠点としては適していない。故に建国期は一伯爵に過ぎなかったノイエ・バイエルン家はフェザーン自治領と深い協力関係を築くことで莫大な財を為し、今ではブラウンシュヴァイク公やリッテンハイム侯、あるいはリンダーホーフ侯やエーレンベルク候に匹敵する大貴族と見做されるようになった。ノイエ・バイエルン伯爵家が時に「第二のフェザーン在帝国高等弁務官」と呼ばれる所以である。

 

「『流星旗軍』か……。シャウハウゼン子爵、小官の縁者に貴卿の事を紹介しようか?少しは力になれるかもしれない」

「おお!是非ともお願いいたします。ライヘンバッハ少将」

 

 シャウハウゼン子爵と私たちの中の数名は前々から面識があったが、それはあくまでヴェストパーレ男爵のサロンにおける個人対個人の関係だ。彼がこのパーティーで元・有害図書愛好会メンバーというグループに接近してきたのは少なからずその軍に対する影響力に期待したという打算的な面があるだろう。私たちのグループは大貴族の縁者である軍人で構成されている。一言でその性質を表すなら「現体制に漠然とした不満を持っていて、それでいて完全に排斥するのは難しい程度の影響力を持った青年将校の集まり」となるだろう。

 

 そしてブラウンシュヴァイク公爵やリッテンハイム侯爵と疎遠であることもシャウハウゼン子爵には都合が良いはずだ。両巨頭は財政的・政治的な援助と引き換えに次々と中小貴族を傘下に加えているが、シャウハウゼン子爵は可能な限り独立した身軽な貴族で居たいと思っている。シュタインハイル侯爵家が長い年月をかけて完全にリッテンハイム侯爵家の血統に乗っ取られたというのは、独立貴族たちに警戒心を抱かせるに充分な事実であった。

 

 私はシャウハウゼン子爵を連れて会場の一角に赴く。その一角は明らかに周囲とは異質なオーラで満ちていた。中央で腕を組み、目を閉じて座っているのが我が父カール・ハインリヒ。その両脇には厳つい大柄の男が二人立つ、『双璧の四天王』その一角を為すオスカー・フォン・バッセンハイム宇宙軍大将、『狂犬』マティアス・フォン・ハルバーシュタット宇宙軍中将。一線級の将帥として知られる元ライヘンバッハ元帥府の勇将だ。父が現役を退いた――あるいは退かされた――今でも自身をライヘンバッハ派と言って憚らない。

 

 さらに周囲には我が母アメリアの兄にしてカール・ハインリヒ長年の腹心であるアドルフ・フォン・グリーセンベック宇宙軍大将、かつての名門アイゼナッハ男爵家当主で我が従妹アンドレアの夫であるハイナー・フォン・アイゼナッハ宇宙軍中将、クヴィスリング元帥府の実戦派を率いてライヘンバッハ退役元帥派に加わったゲルトラウト・フォン・ファルケンホルン宇宙軍上級大将、断絶したメクリンゲン=ライヘンバッハ男爵家に迎え入れられたルーゲンドルフ公爵家の五男ホルスト・フォン・ライヘンバッハ地上軍中将などがズラリと並ぶ。つまり政治嫌いの『古き良き時代の』帯剣貴族集団である。ちなみに、私の元部下である『新世代の一一人』ハンス・ディードリッヒ・フォン・ゼークト宇宙軍少将もこの集団に加わっている。シュタイエルマルク元帥府と並ぶ帝国の最優秀武力集団といって良いだろう。

 

 私はラインラント警備管区司令を務めるホルスト・フォン・ライヘンバッハ地上軍中将にシャウハウゼン子爵を紹介する。ラインラント警備管区とヴェストファーレン行政区は隣接している。ラインラント警備管区でも『流星旗軍』は取締の対象となっていることを考えれば、協力に応じてくれる可能性は高いと判断した。

 

「シャウハウゼン子爵領の国税強奪事件に関してラインラント警備管区として協力するのは中々難しいかと……」

 

 ホルストは申し訳なさそうにそう答える。シャウハウゼン子爵があからさまに落胆する。

 

「何故です?『流星旗軍』はラインラント警備管区としてもマークしている組織では?」

「御曹司。『流星旗軍』がやった、という確証があれば我々としても動くことはできます。帝国司法省が認定した三八の第一級国家犯罪組織に『流星旗軍』も加わっていますからね。しかし基本的に軍は刑事事件の捜査権を有しておりません」

「分かっています。辺境軍管区内では軍が貴族領・直轄領の区別なく治安維持に動くことができるが、警備管区内では貴族領に関しては貴族の出動要請が無いと治安維持には動けない。行政区に至っては当該貴族領からの要請だけでは無く、帝国司法省の承認を必要とする。しかし例外はある。国家叛逆罪を含む緊急性を要する重大犯罪だ。そして司法省指定三八組織が絡む事件は全て例外的に軍が対応に動けるはずです」

 

 私がそう言うとホルストも頷いた。そして顔を顰めながら私とシャウハウゼン子爵に答える。

 

「つまり、司法省指定三八組織以外は軍の取締対象にならないという訳です。……司法尚書のリッテンハイム侯爵が軍出動の承認を出してくれないんですよ。『当該事件は指定犯罪組織の犯行と認めるに足る証拠が無く、貴族統治権尊重の原則から、帝国軍の出動はこれを認めない』……こういうロジックです。おかげで行政区内で活動する犯罪組織は野放し状態です。基本的に行政区に駐留する帝国軍部隊に治安維持の権限もノウハウも与えられていませんからね。辺境艦隊だって全て辺境軍管区と警備管区に駐留していますし」

「そんな……何故リッテンハイム侯爵は警備管区に承認を出さないのですか!?」

「それはシャウハウゼン子爵の方がご存じでしょう?……派閥に属さない貴族に対して、あのロクデナシ共がどのような態度に出るか、我々は充分に知っているはずです」

 

 私は言葉を失った。要するにリッテンハイム侯爵は自分の派閥に加わらない貴族の領地では犯罪組織の活動を取り締まる気が無いのだ。そして十分にその貴族を困窮させた所で支援を持ち掛ける。その対価として派閥入りや養子縁組、あるいは利権の譲渡を迫る。

 

「しかし、シャウハウゼン子爵。リッテンハイム侯爵はめでたく司法尚書を解任されました。これから司法省はクレメンツ一世陛下が直接指揮なさいます。つまり、今までのような理不尽は遠からず是正されるという事です。ラインラント警備管区として正式にシャウハウゼン子爵領への治安出動が可能になればいつでもお力になりましょう。……御曹司、それで良いでしょうか?」

「ええ、有難うございます。中将殿」

 

 ホルスト・フォン・ライヘンバッハ地上軍中将は私たちに笑いかけた後、父の方へ歩いて行った。シャウハウゼン子爵は暗い表情だ。

 

「シャウハウゼン卿……私は開明派にも少し知人が居るのですが、紹介しましょうか?」

「宜しいのですか?」

「ええ。……ブラッケ侯爵も同じ辺境貴族、シャウハウゼン卿の苦境に何か手を差し伸べてくれるかもしれません」

 

 私はシャウハウゼン子爵をインゴルシュタットに紹介した。インゴルシュタットは軍部で明確に開明派の一員として振舞っている数少ない将官の一人だ。私はそこでインゴルシュタットにシャウハウゼン子爵を任せてその場を離れた。

 

 会場を見回すといくつか纏まった集団が存在するのが分かる。とはいえ、貴族社会においては他の派閥や利益集団との関わり合いも重要である。我がライヘンバッハ伯爵家が私とヴィンツェル・フォン・クライストの交友関係をきっかけにクロプシュトック侯爵家に接近したように、どのような関係がいつ役にたつか分からないのが貴族社会だ。……どのような関係がいつ災いになるのかも分からないが。

 

 そのような中で殆ど他の集団と交流していない集団が三つ存在する。一つは先程説明したように私の父を中心とする軍部保守派だ。そしてもう一つはカール・フォン・ブラッケ侯爵を中心とする革新官僚集団だ。殆どが文官で、平民出身者もある程度混ざっているはずだが、その威圧感は軍部保守派の占拠する一角に勝るとも劣らない。ブラッケ侯爵の社交嫌いは筋金入りだ。ブラッケ侯爵の陣取る一角に近づけるのは盟友リヒター子爵や血縁関係にあるリンダーホーフ侯爵位の物だ。

 

 最後の一つは集団とは少し違うかもしれない。グリューネワルト公爵の息子であるルートヴィヒ、娘であるアマーリエ嬢とクリスティーネ嬢、そして三人に付き従う従者と護衛、それがその集団を構成する人々だ。微笑みを浮かべて座るアマーリエ嬢に対してクリスティーネ嬢はあからさまに退屈している様子である。無理もない。彼女らの一角には殆ど誰も訪れず、例え訪れたとしてもルートヴィヒに対して儀礼的な挨拶をしてすぐに立ち去ってしまう。私は三人と面識がある。気づいた以上は挨拶に向かうべきだろう。

 

「ご無沙汰しております。ルートヴィヒ様、アマーリエ様、クリスティーネ様」

「ライヘンバッハか。久しいな!」

「お久しぶりです、ライヘンバッハ様」

「ご無沙汰って程ご無沙汰でも無いと思うけど」

 

 私は左胸に手を当てて深く礼をする。それに対し御三方はそれぞれの反応を返す。

 

「ルートヴィヒ様、御快癒おめでとうございます。すっかり壮健になられたようで、このライヘンバッハ、非常に嬉しく思います」

「なーに、少し季節風邪をひいただけよ。父上も姉様方も少々過保護に過ぎる。あの程度少し寝れば治るさ」

 

 ルートヴィヒはそう言って大笑した。ルートヴィヒ・フォン・グリューネワルトは現在一二歳の少年である。父フリードリヒよりは叔父クレメンツ一世に似た人柄であるとされる。貴族たちも凡庸な父よりはこの快活な少年を評価し、期待しているようだ。多少は、であるが。しかしながら私の彼に対する評価は少々異なる。この少年は生まれつき身体が弱く、何度も体調を崩していた。父に似て皇族として人並みの責任感を有していた彼はそのことを務めて隠そうと、あるいは矮小化しようと試み、結果として快活な叔父クレメンツ一世の振る舞いを務めて模倣するようになった、と思われる。

 

 私の眼に映る彼はクレメンツ一世よりもむしろベーネミュンデ公爵ことリヒャルト大公に似ている。思慮深く、万事に対して自身の全力で向き合い、最善とは限らないが最悪ではない答えを捻りだす。若手貴族の間で流行となりつつある啓蒙思想に触れて、その表面をなぞるのではなく、歴史的な事象と絡めその本質を理解しようと試みる。そんな学者肌の青年であった。正直なところ、私はどこか流行り病のように開明的な価値観に傾いていった所がある我が友人たちよりも彼に善良な共和主義者としての芽を見出すことが出来た。

 

「ルートヴィヒ……貴方は少し無理をし過ぎです。今日もずっと立ち続けていますよね?少し休んではどうですか?」

「そうそう、あたしが代わりに馬鹿貴族たちの相手をするからさ」

「アマーリエ姉様……。流石に立っているだけで無理をしていると仰られるのは私を侮っておられます。無理をしているのは私よりもクリスティーネ姉様でしょう。この前も陛下に食って掛かったとか。本当に目を離したらすぐに暴走なさるのですから……」

 

 ルートヴィヒはアマーリエ嬢とクリスティーネ嬢の心配を取り合おうとしない。しかし、確かに言われてみればルートヴィヒは少し顔色が優れない様子だ。表情や声色、立ち居振る舞いでそういう印象を打ち消そうとしているようにも思える。

 

「ルートヴィヒ様。アマーリエ様はルートヴィヒ様のことが心配なのです。ここはアマーリエ様を安心させると思って少し休まれては如何でしょうか?」

「卿の言うことも一理ある。だが私は自身の地位に相応しい器量があることを臣民に示さねばならないのだ。あまり頼りのない姿を見せる訳にもいかないよ」

「畏れながらそういうことであれば尚更一度休まれるべきでしょう。ルートヴィヒ様、彼の天才ナポレオン・ポナパルトは一日に三時間しか睡眠を採りませんでした。しかし、こうも考えられるでしょう。大天才ナポレオン・ポナパルトを以ってしても、『休む』という行為無しに偉業を果たすことはできなかった、と」

 

 ルートヴィヒ様は地球史に造詣が深い。父親が全く、微塵も地球史に興味を持たないのに対して何と素晴らしい少年だろうか。

 

「ルートヴィヒ様、休む事は決してルートヴィヒ様の恥とはなりません。本当にルートヴィヒ様の力が求められる時にその力を発揮出来ないことこそ本当の恥です。もしナポレオン・ポナパルトが寝不足が原因で戦いに敗れたら、それによって彼は人類史上五本の指に入る愚将とされていた……かもしれません。臣民に自身の器量を示されたいのであれば、自身が適切に『休める』事をお示しなさいませ」

「そうそう、正直な話さ、あなたが何をしていようが今更あたしたちの評価に影響は与えないわよ。あんな馬鹿共の為にあなたが無理をするなんて割に合わないわ」

 

 私の言葉にルートヴィヒは少し考え込み、「卿の言にも一理あるか」と呟き、アマーリエ嬢の隣の席へと座った。私はそれを見て再び一礼してその場を立ち去ろうとした。

 

「ねえ、ライヘンバッハ。少し夜風に当たりたいんだけど、あたしをエスコートしてくれる?」

 

 そこにクリスティーネ嬢からお声が掛かった。顔には「退屈だから何とかして!」と書いてあったように思える。アマーリエ嬢が何か言おうとしたが、溜息をついて「お願いできますか?」と私に言った。

 

「……承知しました」

 

 断る理由もない。強いて言えば衆人環視の中でクリスティーネ嬢と連れ立ってテラスへ行くと何か変な噂が立つ可能性もあるが……。テラスはテラスで人がいるはずだ。問題は無いだろう。

 

「ありがとね。最近、ルートヴィヒったらあたし達の言うことを聞かないのよね……」

「仕方がありません。誰にでもそういう年頃はありますから」

「反抗期ってやつ?煩わしいわね……」

 

 (あなたが言うのか)と内心で思いながらも何とか口には出さなかった。すると突然クリスティーネ嬢が私の斜め後方に目線を移して声を挙げた。

 

「見て、あちらに居るのはバルトバッフェル子爵じゃなくて?」

「おや?本当だ。隣に居られるのはどなたでしょうね?お美しい方だ」

 

 テラスの端の方でバルトバッフェル子爵が美しい貴婦人と談笑している。貴婦人の方は黙って微笑んでおり、バルトバッフェル子爵が一方的に語り掛けている様子だ。クレメンツ一世やブラウンシュヴァイク公と同等かそれ以上に大仰な仕草を好み、またそれが似合う男ではあるが、今日はいつにも増して激しく身振り手振りを交えている。

 

「よっぽどあの婦人の事が気に入ったようね。でも見て?あの男、全然相手にされて無いじゃない」

 

 クリスティーネ嬢は「良い気味ね。あの女ったらし」とニヤついている。すると、バルトバッフェル子爵がこちらに気づいた。バルトバッフェル子爵は貴婦人に断りを入れると私たちの方に近づいてきた。

 

「これはこれはクリスティーネ様、今日も相変わらずお美しい。御尊顔を拝することができ、このコンラート・フォン・バルトバッフェル。実に恐悦至極にございます」

「バルトバッフェル卿も相変わらずの色男振りね。会場を見なさい?見る目の無い貴族女たちがあなたを探しているわよ?」

「相変わらずクリスティーネ様は険のある物言いをなさりますな!そこがまたクリスティーネ様の魅力でもございますが」

 

 バルトバッフェル子爵は微笑しながらクリスティーネ嬢に語り掛ける。クリスティーネ嬢はあからさまに「うぇ~」と不快感を示して見せるが、本気で嫌っている訳でもないようだ。想像はつく。バルトバッフェル子爵は人類の半数に対して極めて共和主義的に接する人物だ。比喩ではない。平民はもとより、自治領民や農奴の女性に対しても彼は平等に優しい。ただ優しいだけでは無く、「女性の為に」本気で男女平等や農奴解放を訴える開明派切っての変人である。社交界で冷遇されているクリスティーネ嬢に対しても当然、彼は最大限の礼を尽くして接していたのだろう。

 

「卿はカールの部下だったかな?」

 

 不意にバルトバッフェル子爵が私の方を向いて問いかけてきた。私は一瞬硬直し、それから「カール」が恐らく彼と同じ開明派のインゴルシュタットを指すと気づいた。

 

「正確には小官の上官はバッセンハイム大将です。しかし、インゴルシュタット中将にも良くしていただいています」

「なるほどね。実を言うと私はカールと幼馴染なんだ……。『友人』というやつだ、故・ゾンネンフェルス宇宙軍元帥とブルッフ予備役中将のような、極々正しい意味で、ね」

 

 そこでバルトバッフェル子爵は言葉を切る。……帝国で言う『友人』と同盟で言う『友人』、ついでに言えばフェザーンで言う所の『友人』は全て別物だ。バルトバッフェル子爵が引き合いに出したゾンネンフェルスとブルッフは職務や階級、門閥を超えた同盟式の『友人』であった。そのような関係が帝国貴族の間で築かれるのは極めて珍しい。バルトバッフェル子爵とインゴルシュタット中将はその珍しい例の一つなのだろう。

 

「カールが何をやっているのか、それは私が知るべきことではない。だから私は知らない。もし卿が知っているのならばそれを助けてほしい。……カールの事を頼むよ、ライヘンバッハ少将」

 

 バルトバッフェル子爵はそう言って私たちの前から立ち去った。貴婦人の下に戻り、再び談笑する。……よく見ると大仰な身振りとは正反対にその手振りは正確無比で、どこか一定の法則を感じられる。私はその動きにどこか既視感を感じた。それは『私』の記憶では無い。遠く過ぎ去った、ここではないどこかでの記憶だ。だがそれはここで口に出すべきことではない。

 

「……何よ、今の意味深な言葉」

「さあ?」

 

 私がそうとぼけるとクリスティーネ嬢が私の襟元を掴んできた。そのまま引き寄せようとしたのだろうが、これでも軍人の端くれだ。令嬢の力で体勢を崩す程柔じゃない。

 

「あんまり馬鹿にしないでくれる?あなたが何かよく分からない物を背負っている事位はあたしにだって分かるんだから。惚けるならもっと本気で惚けて頂戴。流石に腹が立つわ」

 

 クリスティーネ嬢が私をキッと睨みつけた。

 

「……御機嫌を害したことは謝罪させていただきますが、クリスティーネ様が何を仰っているのか小官には分かりかねます」

「うん、それで良いわ。馬鹿父様と同じ位、あたしにも気を付けなさいよ?」

 

 クリスティーネ嬢は嬉しそうに頷いてそう言った。そして私の襟元から手を放す。そしてテラスの柵に寄りかかる。私はどこか気まずい雰囲気で黙り込んでいたのだが唐突にクリスティーネ嬢が話し出した。

 

「そう言えばラムスドルフが面白い事を言っていたわ。伯父様が生きているかもしれないんだって」

「……は?伯父様というのはまさか、ベーネミュンデ公爵でしょうか?」

「そうそう。ラムスドルフが友人から聞いた話らしいけど、本人も全く信じていないようね。父様に面白い話をしろって命令されて渋々って感じだったし」

「どんな話なんです?」

 

 私は務めて冷静さを保ちながら尋ねた。

 

「いや……何でも近衛か皇宮警察の協力者を使って、別人の遺体を『ベーネミュンデ公爵』に仕立て上げたとか何とか。本物はオーディン防衛軍司令部に匿われているとか……」

 

 オーディン防衛軍司令部は帝都とゲルマニア州を除く惑星オーディン全域と二つの衛星を管轄する司令部だ。近衛軍・帝都防衛軍などと同じ宙陸統合部隊であるが、基本的には地上軍将官が指揮官を務める。……ちなみに閑職の一つである。別名は『地上の幕僚総監部』、現在はアルベルト・フォン・リューデリッツ宇宙軍中将が防衛司令官を務めている。リューデリッツ伯爵一門はイゼルローン要塞絡みのスタンドプレーにより軒並み閑職に回されていた。長兄セバスティアンは後備兵総監、次兄フランツはエッケオストマルク総督府警備艦隊司令といった具合である。とはいえ、皇室宮殿(パラスト・ローヤル)爆弾テロで大勢の高官が死亡しなければ、予備役編入や退役も有り得たことを考えるとまだマシな状況かもしれない。

 

「流石に有り得ないと思いますが……近衛や皇宮警察は特に忠誠心の厚い者が集まっている上に、プライベートも厳重な監視下にありますし……。リューデリッツ中将はともかく、オーディン防衛司令部の面々にベーネミュンデ公爵を匿うだけの器量があるとは思えません」

 

 私はそこで考え込む。本当にそうだろうか?クロプシュトック事件前までリヒャルト大公はクレメンツ一世に匹敵する勢力を誇っていた。リヒャルト大公派はリヒテンラーデ伯爵らが生き残っているとはいえ、要職からは悉く追われている。当然、皇帝に最も近い実力組織である近衛と皇宮警察は念入りな粛清が行われている。とはいえ、その粛清を生き延びたリヒャルト大公派が近衛や皇宮警察に残っていない、とも言い切れないのでは……。

 

 そしてリューデリッツ一門にはベーネミュンデ公爵に協力する動機があるだろう。クレメンツ一世の支持者である領地貴族から睨まれているリューデリッツ一門が軍中央に復帰する目は無い。今は軍部の高官が極端に減っている為に、やむを得ず彼らを数合わせで閑職に置いているが、時間が経てば少しずつリューデリッツ一門は軍から排斥されるはずだ。

 

(一応、インゴルシュタット中将に話をしてみるか……)

「あたしだって別に信じている訳じゃないわ。でも……西離宮の大火の原因はまだ分かってないんでしょ?まさか本当に失火だったってことも無いでしょうし……。何か裏はありそうよねぇ……」

 

 クリスティーネ嬢はそう言って考え込んでいる。確かにクリスティーネ嬢の言う通り、あの大火が一体誰が何の目的で――仮に目的がベーネミュンデ公爵の命なら、何故――起こされたのかは分かっていない。皇宮警察本部の「失火」という発表に納得している者は一人もいないだろう。

 

(機関としてももう少し本腰を入れて調べてみないとな……)

 

 私はそう考えていたが、結局機関が動くよりも早くその答えは明らかになった。

 




注釈25
 帝国の二大門閥貴族と聞けば、子供でもブラウンシュヴァイク公爵とリッテンハイム侯爵の名前を挙げるだろう。しかし、何故この二人が二大門閥貴族と呼ばれるのか、それを説明出来るだろうか?

 例えば、リッテンハイム家は侯爵だが、帝国には他にアンドレアス公爵、ノルトライン公爵、シュレージエン公爵、ルーゲンドルフ公爵、ザルツブルク公爵、フィラッハ公爵と言った公爵位を持つ貴族がいる。その内の数名、例えばルーゲンドルフ公爵家や、フィラッハ公爵家は帯剣・官僚貴族に属する一族である為に領地貴族であるリッテンハイム侯爵に比し『勢力で劣る』と見做されるのも分からなくもない。しかし、ノルトライン公爵やシュレージエン公爵は紛れもない領地貴族である。

 リッテンハイム侯爵がブラウンシュヴァイク公爵と並び称される理由、それは卓越した婚姻外交にある。婚姻を通じて他家を乗っ取り、平和裏にリッテンハイム侯爵家が影響力を及ぼすことが出来る領地・利権を拡大してきたのだ。以下、いくつか例を挙げよう。

 リッテンハイム侯爵家の盟友……ということになっているノルトライン公爵家は元々をノルトライン=ゴールデンバウム大公家と呼ばれ、大帝ルドルフの従妹の子シュテファンが初代公爵として送り込まれていた。リッテンハイム侯爵家も含む辺境の不穏分子を牽制するのが目的だ。……そのノルトライン公爵家に最初にリッテンハイム侯爵家の娘が嫁いだのがユリウス一世長寿帝の治世下である帝国暦一二六年・宇宙歴四三五年である。以来、ノルトライン公爵家とリッテンハイム侯爵家は急速に接近し、結びつきを強めた。そしてアウグスト二世流血帝による『血祭』でノルトライン公爵家が断絶に追い込まれた後、リッテンハイム一門からノルトライン公爵家の血を引く男子が送り込まれ、第二六代ノルトライン公爵位を継承した。それ以来、ノルトライン公爵家は完全なリッテンハイム侯爵家の傀儡である。

 ヴァルモーデン侯爵家とシュタインハイル侯爵家は元々リッテンハイム侯爵家と仲が悪く、大帝ルドルフは三者が牽制しあう関係を利用して統治に役立てようと意図していたと言われる。しかし、オトフリート二世再建帝の治世下でリッテンハイム侯爵家はクロプシュトック侯爵家と組みヴァルモーデン侯爵家の家督争いに介入、ヴァルモーデン侯爵家の資産の半分と引き換えに再建帝の支持を得て、帝国暦一六一年・宇宙歴四七〇年に当時のヴァルモーデン侯爵領をクロプシュトック侯爵家と分割、その後、リッテンハイム一門の男子にヴァルモーデン侯爵家の名跡を継がせ、傀儡として枢密院や貴族社会における強力な盟友に仕立て上げた。

 シュタインハイル侯爵家はリッテンハイム侯爵家の拡大に抵抗する素振りを見せていた。しかし、帝国暦二四七年・宇宙歴五五六年。リッテンハイム侯爵の讒言でアウグスト二世流血帝がシュタインハイル侯爵家当主アンゲルスを粛清、族滅こそ免れたが取り潰しの憂き目にあった。その後エーリッヒ二世止血帝の治世下である帝国暦二五三年・宇宙歴五六二年、シュタインハイル侯爵家は復活する。……リッテンハイム侯爵を後見人として。当主こそ確かにシュタインハイルの血を引いていたが、妻を筆頭に周囲の人間のほとんどがリッテンハイム一門から送られ、さらに息子はリッテンハイム一門の分家から嫁をとらされ、娘二人はどちらもリッテンハイム一門の家に嫁がされた。宇宙歴七六九年時点では完全にリッテンハイム一門に組み込まれている。

 リッテンハイム侯爵がブラウンシュヴァイク公爵と並び称されるのは一重に事実上掌握している領地が一侯爵領に留まらず、最低でも一公爵領、三侯爵領分を掌握しているからである。……勿論、同じようにして勢力に組み込まれた貴族家は他にも無数に存在する。

 


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青年期・混迷の帝都(宇宙暦769年3月24日~宇宙暦769年4月上旬頃)

 宇宙暦七六九年三月二四日。その日は酷く寒かった。季節外れの雪が薄く帝都に積もり、使用人たちは慌てて倉庫から薪を用意し、暖炉に火をつける羽目になった。

 

「おはようございます。父上」

「おはよう、アルベルト」

 

 その日、私は久しぶりにリラックスした朝を迎えていた。 

 

 三月一五日、名士会議からの出頭勧告に応じ、クロプシュトック侯爵が帝都に赴く事を発表した。翌日にはクロプシュトック侯爵領から艦艇五〇〇〇隻が帝都に向けて出立する。これを受けて中央政府は近衛第一艦隊と赤色胸甲騎兵艦隊を急遽動員し、帝都防衛軍宇宙部隊八〇〇〇隻と合わせて凡そ艦艇三〇〇〇〇隻を帝都に集結させた。万が一の事態に備えてである。

 

 この間、軍務省は不眠不休で首都星オーディン近郊で大規模会戦が起きた場合を想定した対策、そして首都星周辺航路を封鎖したことによる各方面への対応に追われることになった。閑職にある私も古巣の地方管理局の応援に駆り出され、随分と大変な目にあった。しかし、三月二二日にクロプシュトック侯爵とその私兵艦隊が首都星オーディンに到着すると、大きなトラブルが起こることも無く、無事クロプシュトック侯爵はベルリン州ラントシュトゥールにある別邸へと入った。

 

 ここからはクロプシュトック侯爵の協力を得た上で内務尚書カール・フォン・ブラッケ侯爵が再捜査を主導し、またその結果を受けクレメンツ一世による帝臨大法廷によってクロプシュトック侯爵に対する判決が言い渡されることになる。ちなみに帝臨大法廷では一八名の陪審員がクレメンツ一世から求められて意見を述べることが決まっているが、その一人が枢密院議員である父カール・ハインリヒ・フォン・ライヘンバッハ退役元帥だった。

 

「コンスタンツェ嬢はどうした?」

「まだ寝ています。遅くまで起きていましたからね。起こすのも可哀想でしょう」

 

 私は父に苦笑しながら答える。

 

「また書庫に籠っていたのか……。元気を取り戻してくれたのは嬉しいが、あそこにある本を彼女に見せるのは彼女の精神衛生上良くないと思うんだが……」

「父上、朝から私と女性に『相応しい』生き方について議論なさるおつもりですか?良いではありませんか、女性が政治や経済に興味を持って、それで誰の権利が侵害されるんです?誰にだってアメリア・イアハートになる道はあって良い、それが私の考えです」

 

 私は少し冗談めかしながらもキッパリと父の意見に反論する。ジークマイスター機関、あるいはもっと広く共和派・開明派と言い換えても良いが、そのメンバーが必ずしも男女平等について理解しているかというとそうとは限らない。……まあぶっちゃければ『自由』や『共和主義』というもっと根本的な部分に対する理解に相違点があることも少なくないのだが。

 

 我が父は古典的な帯剣貴族であり、ジークマイスター機関に加わった動機は父や兄への反感と能力主義への強い渇望だ。共和主義に理解が無い訳ではないが、それは多分に「能力ある者による支配」という考えに偏っている。また、女性を尊重はするが、「尊重」という行為に対する考え方も私とは違う。多分に騎士道精神に満ちた父は正しい男女関係を「男性は女性を危険から守る」という方向性で定義している。

 

 その考えで行けば『危険な軍事や思想、政治は男性が行うべきであり、女性がそのような事をする必要が無い社会が理想である。むしろ女性にそのような事をさせるのは男性の恥である』というような結論が生まれてしまう。

 

「アメリア・イアハートか……。あれは中々面白かったな」

 

 父は苦笑している。ある日の事だ。私と父が帰宅すると迎えに出てきたコンスタンツェ嬢が開口一番こう言った。

 

『旦那様!養父様!私、パイロットになりたいです!』

 

 当然、私たちは呆気にとられた。脳裏に浮かんだのはワルキューレを駆るコンスタンツェ嬢の姿である。反射的に「有り得ない」と思い、そこでカーテローゼ・フォン・クロイツェルの事を思い出して「何が有り得ないかを言うのは難しい」という言葉を思い出した。

 

 よくよく話を聞いてみると艦載機では無く飛行機のパイロットになりたいということらしく、目を輝かせながら『空の女王アメリア・イアハート~サイパンに消えた白薔薇~』というシリウス時代に書かれた本を差し出してきた。最初に古書店で見たときには「アメリア・イアハートの名がよく残っていたものだ」と感心し、内容を読んで「フィクションなら一流だが、伝記としては四流」と評価し、そのまま書庫の片隅に放置していた本だった。

 

「まあ……お前の妻だ。お前の好きなようにしたら良い」

 

 父はそう言うと手に持っていた帝国一般新聞(ライヒス・アルゲマイネ・ツァイトゥング)を私に渡してきた。

 

「アルベルト、言い忘れていたが今日は少し出かけてくる」

「どちらへ?」

「ハイナー君の所に行って少し調べ物をしてくる。著作の関係だ」

 

 父は退役後、故、ヨーナス・フォン・エックハルト宇宙軍大将の戦略理論を題材に兵学書の執筆に精力的に取り組んでいた。私は父を見送ると、手元に帝国一般新聞(ライヒス・アルゲマイネ・ツァイトゥング)に目線を落とす。

 

『国務尚書ブラウンシュヴァイク公爵は来月一日を以って帝国中央銀行(ライヒスバンク)のヴァイスバッハ頭取を解任することを発表。ヴァイスバッハ頭取は開明派に属し、大胆な規制緩和や経済構造の改革による民間投資の刺激が必要であると主張し、経済再建に対する中央銀行以外の役割を強調、金融緩和には消極的な姿勢を取り続けてきたことから、閣僚会議議長を兼ねるブラウンシュヴァイク公爵とは激しく対立してきた。今回、名士会議の決定という錦の御旗を以って……』

 

『内務省社会秩序維持局のアント報道官が元国務次官補で国税庁長官レッケンドルフ子爵を拘束したことを発表。内務尚書ブラッケ侯爵と財務尚書リヒター子爵は拘束を不当と判断し解放を求めているが、社会秩序維持局長フンク男爵は親任職の独立を理由にこれを拒絶。帝国大学のヴェストパーレ特任教授は「ブラウンシュヴァイク公爵は自身に対する最も先鋭的な批判者の口を封じに……』

 

『リューベック藩王アーレンバーグ氏が名士会議で裁可された新課税法に対し「著しく不当で一方的、到底受け入れられない」と声明を発表。旧城内平和同盟(ブルク・フリーデン)諸星は既に適用を拒絶することを決議、フェザーン自治領主(ランデスヘル)カリーニン氏は記者の取材に……』

 

『ローザンヌ選民評議会は賛成五七・反対一九・棄権一一でローザンヌ伯爵アレクセイ・ナロジレンコ氏の解任を決定した。ナロジレンコ氏は親帝国派として知られる。後任には下層民出身の独立主義者フィリップ・チャン評議員が選出される可能性が高い。自治統制庁長官リヒテンラーデ伯爵並びにローザンヌ総督府はチャンのローザンヌ伯爵襲名を阻止する構えではあるが、内務尚書ブラッケ侯爵は不介入を指示……』

 

『バルヒェット伯爵領にて大規模な富裕層向けカジノ施設の建設が開始。名士会議にて決定した地方交付金によって費用捻出の目途が立った模様……』

 

『リュテッヒの大暴動は未だに収拾の目途が立たず。ノイエ・バイエルン伯爵は隣接するラインラント警備管区の帝国軍警備艦隊司令部に出動を要請、軍務省筋関係者は記者に対し「背後に流星旗軍の関与が疑われる」と……』

 

 名士会議以来、ブラウンシュヴァイク公爵と開明派の対立が一層激しくなっている。ブラウンシュヴァイク公爵は名士会議の場で持論である大規模な金融緩和と減税を主張、国庫の負担はカストロプ公爵の遺産で補えば良いとした。さらに「地方の事はその土地をよく知っている人間に任せるべきだ」と発言し、地方交付金の増額を要求する。開明派は激しく抵抗したが、この問題に関しては普段から反ブラウンシュヴァイク・非ブラウンシュヴァイクを掲げている者たちも自分たちの利益となる為にブラウンシュヴァイクの側に立ち、開明派は結局押し切られた。

 

 名士会議の場でカストロプ公爵が財務尚書の地位を使って築き上げた巨万の富――本来は国庫に納められるべきだった――が地方貴族に無意味に分配されることが決定し、さらに国庫が未だ予断を許さない状況にあるにもかかわらず、政府の借金を助長する効果がある金融緩和――ヴァイスバッハ頭取の言葉を借りれば「小手先の安易な金融政策」――が実施されることが決まり、また「国税の」減税が決定した。……どうせ国の減税分はそのまま貴族の懐に入っているに決まっている。

 

 そしてこれは中央の人間があまり重く考えていないことではあるが、辺境自治領に対する課税が一層強化された。これについては後々詳細に説明することになるだろうが、一言だけ言わせてもらえば、辺境情勢が悪化している状況であまりにも軽率な増税策だった。

 

「アルベルト様。朝食の用意が完了しました」

「ああ、有難う」

 

 私は帝国一般新聞(ライヒス・アルゲマイネ・ツァイトゥング)をテーブルの上において食堂へ向かう。

 

「おはようございます……旦那様」

「おはよう、コンスタンツェ」

 

 食堂には既にコンスタンツェが居た。どうやら私が新聞を読んでいる間に目覚めていたらしい。ただ随分と眠そうだ。一応、今でも公的には従妹アンドレアということになっているが、今更コンスタンツェをライヘンバッハ伯爵家が匿っていると知れた所でさしたるダメージは無い。当初こそ屋敷内でも従妹アンドレアとして振舞ってもらっていたが、最近では普通に旦那様・コンスタンツェと呼び合っている。

 

「無理しなくても良かったんだよ?昨日も遅くまで起きていただろう?」

「いえ、旦那様が起きられたのに私だけいつまでも寝ている訳にはいきません」

 

 コンスタンツェはキッパリとそう言った。私はその彼女の様子を微笑して眺める。二人で朝食を摂っている時の話だ、それは唐突に起こった。

 

「何をなさいますか!」

「どけ!ライヘンバッハ少将を出してもらおうか」

 

 玄関の方から言い争うような声が聞こえる。私は不穏な空気を感じ、すぐに食堂の装飾品に仕込んであるブラスターを回収した。

 

「だ、旦那様?」

「コンスタンツェは隠れているんだ、私は少し様子を見てくる。トルベンはコンスタンツェを守ってくれ」

「承知しました、御曹司」

 

 コンスタンツェが使用人のトルベンに連れられ、食堂を出ていくのを確認し、私は玄関へと向かう。既に不穏な空気を察していたのだろう。使用人に扮していた護衛が集まってきた。我がライヘンバッハ伯爵家は父子揃って反政府組織の幹部である。いつ何があってもおかしくない。常日頃から憲兵隊や社会秩序維持局を想定した防御を整えていた。使用人の半数ほどを軍務経験者から雇用しているのもその一環だ。勿論、別に一伯爵家に相応しい警備兵も存在するが。

 

「何があった?」

「分かりませんが、リューネブルク伯爵が尋ねて来られたのは確かです。御曹司を出せと言っています」

「リューネブルク伯爵は武装した兵士を同伴しています。リューネブルク伯爵の御車が邸内に入った直後、一斉に軍用車が邸内に突入してきました。完全に不意を突かれたのと、リューネブルク伯爵の為に門を開けていたことが災いして、あっさりと邸内への侵入を許してしまったようです」

「……二名ここに残れ、コンスタンツェとトルベンが向かった方へ誰も通すな。残りは着いてこい」

「御曹司、危険です」

「時間を稼ぐ、それに邸宅に踏み込まれるのは色々と都合が悪い。あと伯爵の意図も知りたいしな」

 

 私はそう言うと有無を言わさず玄関の方へ向かう。日頃から気を使ってはいるが、ジークマイスター機関に繋がる情報がこの邸宅には存在する。既に日頃言いつけている通りに証拠隠滅作業が始まってはいるだろうが、なるべく時間を稼ぎたい。

 

「リューネブルク伯爵!我が家に兵士を連れて乗り込むとはどういう了見か!?」

「ライヘンバッハ少将、私は軍務尚書の要請を受けて貴官と御父上を保護しに参った。大人しく同行されたい、それが貴官の身の為である」

「保護?一体何のために?」

「ブラウンシュヴァイク公爵の刺客から守る為だ。詳しいことは軍務尚書が説明なさる、着いて来るんだ」

 

 私は困惑した。とりあえず最悪の可能性、ジークマイスター機関の存在が露見したという可能性は無くなった。しかし、ブラウンシュヴァイク公爵の刺客とはどういうことだ?何故軍務尚書の命でリューネブルク伯爵が動くのだ?

 

「同行していただけないならば、我々をこの邸宅に入れてもらおう。貴官を守る為にはそれしかないのでな。おい!」

 

 私が黙り込んでいるとリューネブルク伯爵が同伴した兵士たちに邸内に入るように指示を出した。

 

「な、何を為さるのですか!?……承知しました。状況は分かりませんが伯爵閣下に同行しましょう。ですから、邸宅が軍靴に踏み荒らされるなどという屈辱を小官と父に与えるのは止めていただきたい」

 

 私はやや早計にも感じたが、リューネブルク伯爵に従うことにした。リューネブルク伯爵はどうも想定以上の兵士を引きつれているようだ。下手に抵抗するべきでは無いし、抵抗してもいずれ力ずくで従わされるだろう。少なくとも邸宅への侵入を防ぐ術はない。

 

 リューネブルク伯爵は頷くと邸宅の外へと向かう。数人の兵士が私を取り囲む。その間際、護衛の一人にヘンリクにこのことを知らせるように命じた。ヘンリクは帝都防衛軍で連隊長を務めている。

 

 

 

 

 

「御曹司!卿も捕まったのか!」

「ハルバーシュタット中将閣下!お久しぶりです、このような時ではありますが、ご快復おめでとうございます」

 

 私がリューネブルク伯爵に連れられてやってきた部屋――機密防止と言われ、そこの辿り着くまでは目隠しをされていた――には既に多くの人間が収容されていた。見覚えのある顔もちらほらある。主にライヘンバッハ派に属する軍人が多い。

 

「おお、あの時は不覚を取った。叛乱軍め、この報いを必ず受けさせてやる。……しかし、それはそれだ。御曹司、一体これは何の騒ぎだ?それと卿の御父上は無事か?」

「父は私が拘束されるよりも早くアイゼナッハ卿の下へ向かわれました。ですから分かりません……」

 

 ハルバーシュタット中将は「うーむ」と唸った。部屋の中には同じように困惑したり考え込んでいる者が大勢居る。その大半はライヘンバッハ派か、それと縁が深い要人である。帝都在住の将官クラスのライヘンバッハ派は軒並み揃っているのではないだろうか。

 

 退役元帥ルーゲンドルフ公爵、統帥本部最高幕僚会議議長ファルケンホルン上級大将、地上軍中央軍集団司令官シュティール大将、地上軍第三軍集団司令官ライヘンバッハ大将、帝都防衛軍宇宙部隊司令官ハルバーシュタット中将、青色槍騎兵艦隊司令官代理クヴィスリング中将、地上軍第六装甲軍司令官ブルクミュラー中将、第三装甲擲弾兵師団長リブニッツ少将、赤色胸甲騎兵艦隊第三分艦隊司令官ゼークト少将、近衛第二師団長クロイツァー少将らは私とも直接面識のある人々だ。彼らはハルバーシュタット中将と同じように次々私の下に寄ってきては私の無事を喜び、父を心配した。

 

 肩書を見れば分かるかもしれないが、宇宙軍においては若干軍の本流から外れた役職に追いやられている一方で、地上軍ではまだまだ要職を独占している。大勢の地上軍将兵が失われたドラゴニア戦役では父の従弟ロータルのようにライヘンバッハ派に属する戦死者も少なくないが、それでも宇宙に比して地上においてはまだまだ帯剣貴族家の力が強いといえる。

 

 三時間……は流石に経っていないと思う。暫く時間が経った頃、再び扉が開きバッセンハイム大将が部屋の中に入ってきた。兵站輜重総監部整備回収局長アイゼナッハ中将も一緒だ。

 

「バッセンハイム大将閣下!」

「ライヘンバッハ少将か、それにライヘンバッハ退役元帥に近い連中が多いな……。聞け、俺はさっきまで別の建物に収容されていたのだがな、他に閣僚連中と幕僚総監部の連中が捕まっていた。幕僚総監部はゲルマニア防衛軍司令部に踏み込まれた。他の閣僚連中は開明派が各省庁で捕まり、門閥派はそれぞれの邸宅に踏み込まれたそうだ。フレーゲルのガキがゾンネベルク伯爵は抵抗して射殺されたとか何とか言ってた。あくまで噂だがな」

 

 バッセンハイム大将は険しい表情で一気にまくし立てた。

 

「……これは恐らくクーデターだ。とりあえず開明派と門閥派の主導ではない。そして当然俺たち軍部ライヘンバッハ派の仕業でもない。となると消去法でクーデターを起こしたのは旧リヒャルト大公派だってことが分かる。奴らベーネミュンデ公爵の敵討ちでもやるつもりだ」

「馬鹿な、有り得ない……旧リヒャルト大公派の勢力は小さいですし、往時からして軍に対する影響力は微々たるものでした。クーデターなど不可能です」

「何が有り得ないのか言い当てるのは難しいんじゃなかったのか?」

 

 バッセンハイム大将が私の口癖を挙げ、私は黙り込む。

 

「ちょっと良いかな?アルベルト君。君の父上はどちらに?」

「……アイゼナッハ卿と一緒では無かったのですか?」

「ということは、君と一緒では無かったという事か……。落ち着いて聞いてくれ。私が拘束された時点で私の屋敷にまだライヘンバッハ退役元帥は到着していない」

 

 アイゼナッハ中将は案ずるような表情で続ける。

 

「クーデターに気づいて潜伏なさったのかもしれないが……帝都の主なライヘンバッハ派は軒並み拘束されているようだ。大丈夫だろうか……」

 

 私もその言葉に不安を覚える。てっきり父はアイゼナッハ中将と一緒だと思っていた。果たして一体何があったのだろうか?この時の私に知る術は無かった。

 

 

 

 

 

 

 収用されて一〇日程が経った頃、監視に立っている兵士の一人が私に接触してきた。どうやら機関の構成員らしい。私の周りを一門の者たちが取り囲んでいる為に接触が送れたが、難を逃れたインゴルシュタットの命で帝都の情報を伝えに来てくれたようだ。

 

「そう警戒しなくても良いぜ。『フェデラーからラッシュ』へのメッセンジャーだ。久しぶり、っつっても分からねぇかな?何せ九年前の話だ」

 

 朝食の後、急な腹痛に襲われ慌ててトイレに行く羽目になった私は、用を足した後で付き添いの兵士からいきなり話しかけられた。

 

「あんたがリューベックに赴任する時に話した兵士なんだがな、流石に覚えてねぇか?……カイ・ラディット。ヴェスターラント解放戦線のメンバーで、第二八代ヴィレンシュタイン公爵たるギュンター・ヴェスターラントに仕える者だ」

「……思い出した。あの時の輸送艦に乗っていた少佐か」

「輸送艦を襲った海賊はフェザーンの息が掛かっていた。あの時は分からなかったがな。二辺も動かないように細工されていた。俺から連絡を受けたギュンターが急いで救援を送らなかったら、あんたも俺もあそこで死んでいた」

 

 「お互いこうして生きて会えて良かったな」とラディットはニヤりと笑う。しかしすぐに表情を切り替えた。

 

「本題に入るぜ。まずここはベルリン州の古い思想犯収容所だ。建国期に内務尚書アルブレヒト・フォン・クロプシュトックが秘密裏に建設した。既に閉鎖・解体されたはずなんだが、どうも代々のクロプシュトック侯爵はこの収容所を私的に使用していたようだな。他に開明派の一部官僚が放り込まれているが、これは一種の人質かもしれん。ブラッケやリヒターは既に解放されているんだが、民衆人気の高い二人に反クーデターをやられると大層不都合だからな」

 

 ラディットはスラスラと私に情報を伝える。

 

「フェデラーとバルトが今、ライヘンバッハ派の下っ端を巻き込んで奪還作戦を立てている。それまではここで大人しく待ってろ」

「帝都の情勢はどうなんだ?」

 

 私はラディットに尋ねた。収容されてから全く外の情報が入ってこない。

 

「まず、クーデターの首謀者はクロプシュトック侯爵・リューネブルク伯爵・ルーゲ伯爵の三人だ。リヒテンラーデ伯爵は協力を拒んで一端は拘束されたが、ルーゲ伯爵の説得でクーデター派に加わった。エーレンベルク侯爵が一早く支持を表明し国務尚書に就いた。アンドレアス公爵とノイエ・バイエルン伯爵も支持よりの姿勢だ。二人は皇室宮殿(パラスト・ローヤル)の一件でブラウンシュヴァイク公爵にも不信感を抱いているしな」

 

 ラディットはそこで一旦私の反応を伺ってきた。私は軽く頷いて「続けてくれ」と言う。

 

「軍では軍務尚書エーレンベルク元帥と後備兵総監リューデリッツ大将、そして統帥本部次長シュタインホフ上級大将と元・近衛兵総監のラムスドルフ予備役上級大将、黒色槍騎兵艦隊司令官グデーリアン宇宙軍大将、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン辺境軍管区司令ケルトリング中将。……そして帝都防衛軍司令官ディートハルト・フォン・ライヘンバッハ中将がクーデター派に加わった」

「……名前を挙げられてみたら納得だな。そのメンツは確かにクーデターに同調しかねない危険性を持ってる。尤も、その全員が見事にクーデター派に引き込まれるとは想定出来なかった。彼らが現体制に抱く不満は別々の種類であり、それぞれの関係性も一部を除いて希薄だ。バラバラの不穏分子を一体誰がまとめ上げたか……」

 

 私は少し考え込むが、ラディットがまた発言を始め、私は思考を打ち切った。

 

「クレメンツ一世は『兄暗殺』と『爆弾テロを首謀』の二つを理由に退位を迫られている。どちらも確証はないが、傍証は多少ある。後は力ずくで容疑を認めさせるつもりだな。今までの帝国でもよくあるパターンだ。あと、門閥派を中心に何人か殺された奴が居る。ブラウンシュヴァイク公爵はまだ生きているが、クーデター派の監視下に置かれた。このままいけば殺されるだろう」

「……クレメンツ一世を退位させてどうするんだ?」

「そんなのは決まっている。グリューネワルト公爵を即位させるんだろうよ。尤も、グリューネワルト公爵が何を考えているかは分からん。とりあえず沈黙を保っているが、近衛の警備部隊が臨戦態勢で皇室宮殿(パラスト・ローヤル)を守っている。どうやらラムスドルフ近衛軍少将らは父を含むクーデター派に同調する気が無いらしい」

 

 ラディットはそこまで説明すると「以上だ。とにかく助けが来るまで大人しくしているんだ、いいな?」と言い、トイレから私を連れ出そうとする。

 

「待ってくれ。父上は……」

「おい!御曹司は無事か!?帰りが遅いぞ!」

 

 私がラディットに父の安否を確認しようとすると、トイレの外から怒号が聞こえた。ハルバーシュタット中将の声だ。他にも聞いたことのある声がある。

 

「タイムオーバーだな。他の警備兵が来るかと思ったら一門連中が先か」

 

 「随分と愛されているな」とラディットは苦笑している。その表情を切り替え、冷徹な警備兵の振る舞いに戻るとラディットは私を連れてトイレから出た。外では二人の兵士が一門の者たちに迫られていた。

 

「皆さん。心配は要りません。私はこの通り無事ですよ。……普通に腹が冷えただけです。ご心配には感謝しますが、大騒ぎされたら私が恥ずかしい」

 

 私は苦笑しながらハルバーシュタット中将らに話しかける。結局、この時にはまだ父の安否について確認することが出来なかった。



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青年期・リューデリッツの執念(宇宙暦769年4月初頭~宇宙暦769年4月20日)

 宇宙暦七六九年三月二四日のクーデターは後世「三・二四政変」と呼ばれる。決起の中心となったのはゲルマニア防衛軍司令部とその傘下の数個大隊、また中央軍集団・第一軍集団・近衛軍の一部将兵が加わった総勢四〇〇〇名程である。特筆するべき点はその大半の部隊が平民の中堅将校が指揮する部隊であることだ。彼らは従来派閥や門閥と縁がない為に実力で政局に影響を及ぼす意思も力も無いと考えられていた。(勿論、民衆叛乱や暴動に動員した場合に「ミイラ取りがミイラになる」可能性は警戒されていたが)

 

 しかし、クーデター計画の実質的指導者である一人の将官は軍部において台頭しつつある平民将校の存在に目を付けた。その将官は自身の評判――軍部改革派の重鎮にして公平な人事を訴える平民軍人の庇護者――を活かし、体制に対して漠然とした不満、あるいは不安を抱えて燻っていた平民将校たちを取り込み始めた。そして彼らの不満・不安を少しずつクーデター派にとって都合が良い方向へと誘導していったのだ。この間、取り締まるべき憲兵総監部も社会秩序維持局も内務尚書カール・フォン・ブラッケ侯爵による激しい批判と締め付けによって身動きが取れなかったこともあり、平民将校たちの叛意は政変の瞬間まで気取られることすらなかった。

 

 これは一種思考の盲点を突かれたともいえる。クレメンツ一世が軍において最も警戒していたのは歴戦の帯剣貴族たちが集う軍部保守派(ライヘンバッハ派)、そして次に警戒したのが門閥貴族の縁者、最後にイゼルローン方面辺境を守っている軍部改革派(シュタイエルマルク派)だ。

 

 当時の常識で考えれば政治分野におけるプレイヤーは全員貴族階級であり、平民階級が脅威となるのは精々原始的な欲求による暴動――リュテッヒの大暴動のような――位だった。例外として共和主義者は階級に関わりなく体制を揺るがす重大な脅威に成り得ると認識されていたが、今回決起した平民将校は別に共和主義者という訳でも無く、本当の共和主義者――つまり私たち――は一切決起に加わっていない。これは帝国史の一つの転換点といえるかもしれない。歴史の担い手が再び人民に戻った、という意味合いで。

 

 尤も、当時の私にそのような事を知る術は無かった。帝国史に残るこの大事件において私は当事者どころか傍観者ですら居ることが出来なかったからだ。

 

「飲まないのかね、ライヘンバッハ少将。コーヒーは嫌いか?」

「嫌いではありません。しかしこのような手では飲む気にはなりませんね」

 

 私は目の前の男……セバスティアン・フォン・リューデリッツに自らの包帯でグルグル巻きにされた両手を見せつける。

 

「君にとっては最期のコーヒーになるかもしれない。無理をしてでも味わった方が良いと思うがね」

 

 リューデリッツは本気で私を案ずるような口調でそう言ったが、私は鼻で笑う。

 

「元帥閣下の御厚意に感激していますよ。こうして傷を治療していただき、末期の水まで用意していただいて、ね」

「私は別に君を痛めつけたかった訳じゃない。拷問は手段であって目的ではないからな」

 

 リューデリッツはそこでコーヒーを一口飲んだ。

 

「私の後半生は君たちに捧げてきた。君たちを地獄へ叩き落すこと、それが私の生きる目的だった。……とはいえ、だ。君個人に対しては同情していない訳でもない。私がミヒャールゼンの一党を完全に叩き潰していれば、君のような若者が道を誤ることは無かったのかもしれない」

「小官も元帥閣下の境遇には同情しておりますよ。ティアマトの敗戦で二人の息子を亡くされ、慕っていたツィーテン元帥もお亡くなりになった。本当の仇であるアッシュビーは既に死に、七三〇年マフィアとの間には距離の暴虐が立ちふさがる。閣下が別の仇を追い求めたくなる気持ち、よく分かります」

 

 私は務めて優しい声色でリューデリッツに語り掛ける。そして一度言葉を切って続けた。

 

「だからと言って閣下の八つ当たりで殺されるのは御免ですが」

「……口の減らない男だ。共和主義者というのは全員こうなのか?普通は委縮するか衰弱していると思うのだが……」

 

 リューデリッツはそう言って溜息をつく。私は肩を竦めて応じた。

 

「まあ、君が何を言おうと君たちはもう終わりだ。ミヒャールゼンの遺志を継ぐ者が居るのではないかという疑惑はずっと抱いていた。それはリューベック騒乱で確信に変わった。ハウシルト・ノーベルは君たちを恨んでいた。自分が死ぬことがあっても君たちの存在を告発出来るように様々な手を打っていた」

「内通者の戯言を元帥閣下は信用なさったということですか。流石に元帥まで昇進なさる方は並の軍人と思考回路が違うようだ」

「私の場合は最初から君たちの存在を疑って全てを観察していた。『並の軍人』が見逃す証拠も君たちの存在を知っていれば見逃さない」

 

 私の嫌味をさらりと受け流してリューデリッツは続けた。確かにリューベック騒乱の後、ハウシルト・ノーベルの遺品から反帝国組織の存在を告発する文書が発見されたが、そもそも当の本人こそが自由惑星同盟への内通者である。憲兵総監部は殆どこの告発を間に受けなかった。当時の軍務省高等参事官フーベルト・フォン・エーレンベルク宇宙軍中将は独自に捜査に動いたが、ノーベルの周辺を洗ってもノーベルの言うような反帝国組織の影は無く、結局何の成果も挙げられないまま捜査を断念した。

 

「イゼルローン要塞建設は君たちへの撒き餌だ。勿論、本気で建設したいと思ってはいたがね。案の定君たちは尻尾を出した。シェーンコップ、ブレンターノ、そして君。……君にはリューベック騒乱以来ミヒャールゼン一党の疑惑が掛かっていたが、正直に言って本当に君がミヒャールゼン一党に加わっているとは思っていなかったよ。建国以来の名門帯剣貴族、ライヘンバッハ伯爵家の当主親子が反帝国組織に加わっているとはね……。反帝国組織の首領が『帝国の双璧』と呼ばれていたのかと思うと震えが止まらない」

「小官も同意しますな。もし小官と父が皇帝陛下と祖国を裏切っていたとすると、この国は既に滅んでいるでしょうから」

「いや、君たちは私から見れば売国奴だが、君たち自身は憂国の士を気取っている。君たちはサジタリウス叛乱軍の脅威を上手くコントロールすることで軍部を掌握すると同時に帝国の専制体制を少しずつ弱体化させていこうと考えていたはずだ。君たちはサジタリウス叛乱軍が帝国を支配するような状況は望んでいない。……まあ、この点に関してはただの推測だが」

 

 私は注意深くリューデリッツから情報を抜き出そうとする。この口ぶりからして彼はシュタイエルマルク元帥の情報までには到達していない。つまり、私は拷問を耐えきったということだ。

 

 ラディットの接触から数日が経った頃、警備責任者らしき男から私たちに対して別の収容所への移送が通達された。その日の内にルーゲンドルフ公爵とバッセンハイム大将ら一〇名程が私たちと別れて別の収容所に連れて行かれた。翌日には私と第六装甲軍司令官のブルクミュラー中将、兵站輜重総監部整備回収局長のアイゼナッハ中将らも連れ出され、護送バスに乗せられた。

 

 そして新たな収容所で私は機関に関する情報を尋ねられ、拷問を受けた。恐らく帝臨法廷に引きづり出して裁く為だろう。顔などに目立つ傷を作らないように配慮されていた……と思う。「と思う」というのは途中から意識が朦朧としていて、記憶が判然としないからだ。

 

 だが少なくともウォーターボーディングを受けたことは覚えている。知識として知っていなければきっとパニックになっただろう。幸か不幸か、文字通りの意味で死にかけたためにウォーターボーディングを受けたのは一度で済んだ。……殺してしまったら意味がない。

 

 正直自信は無いのだが、リューデリッツの下へ連れて来られる数日前には自白剤のような物を投与されたのではないかと疑っている。と言っても朧気に注射を受けている光景が記憶に残っているだけだが……。多分全力で歌を歌った気がするのだが、実際の所そこで何か不味い事を話していないとも限らない。リューデリッツの自信に満ちた態度と併せれば私を不安にさせるのに十分な可能性だ。

 

「元帥閣下が小官を叛徒と疑っており、それを確信していることはよく分かりましたが、何か証拠があるのですかね?仮にも伯爵家の嫡男を裏切り者呼ばわりし、拷問にかける訳ですから、何か確証という物があるのでしょう?」

「勿論だ。法廷を楽しみにしておくと良い」

 

 リューデリッツは鷹揚に頷いた。しかし……仮にそのような証拠があるならば私を拷問にかける必要などないはずだ。リューデリッツは能吏だが、別にフランツ・フォン・ジークマイスターのような偏執的なタイプでは無いし、アルブレヒト・フォン・クロプシュトックのような歪んだ正義感の持ち主でも無い。エルンスト・フォン・ファルストロングのような完璧主義者でも無い。優秀で非の打ち所がない理性的な能吏が、意味も無いのに容疑者を殺害してしまう可能性を認識した上で拷問にかけるだろうか?

 

 あるいは別に情報機関や治安機関に勤務していた訳でもないリューデリッツが拷問を軽く考えていた可能性もゼロではない。しかし、初日のウォーターボーディングで私は文字通り死にかけているのだ。社会秩序維持局がテロ組織の下っ端を拷問するのとは訳が違う。私の持つ情報の重要性を考えるに死亡のリスクには再三の注意を払うはずだ。その上で拷問を続行した以上はそれ単体で私の首を取れるような明確な証拠をリューデリッツが持ち合わせていないということではないか?

 

 尤も、これは希望的な観測かもしれない。それに続けられていた拷問が打ち切られているということは、リューデリッツが私の自白を基に何か明確な証拠を掴んだ可能性もある。とにもかくにも、だ。私が今できるのはとにかくリューデリッツに情報を与えず、リューデリッツから情報を引き出すことだ。最悪、自殺するにせよまずは状況を把握する必要がある。

 

「……ライヘンバッハ少将。これが恐らく最期だろうから聞かせてくれないか?何故君たちはこんな真似をするんだ?ティアマトで何人が死んだと思っている?パランティアでも、リューベックでも、ドラゴニアでも、大勢死んだぞ。君たちの友人や縁者も少なからず亡くなっているはずだ。そこまでして何を為したい?卑劣な殺人者になって何を為したいんだ?」

「元帥閣下、元帥閣下の質問に小官は答える言葉を持ちません」

 

 私はキッパリとリューデリッツの質問に返答しない意思を示す。しかし、リューデリッツは真摯な目で私を見つめ続けている。数〇秒ほど私たちは無言で睨みあう。やがて私の方が折れた。

 

「……閣下。小官が思いますに、その質問は閣下自身に為さることも可能かと思います。閣下は帝国軍人です。閣下の従軍なさった戦いでも、閣下が兵站を取り仕切った戦いでも大勢が死にました。その中には誰かにとっての良き友人や良き家族が居たことでしょう。そこまでして何を為したいのですか?卑劣な殺人者になって何を為したいのですか?」

 

 私がそう言うとリューデリッツは虚を突かれたような表情になった。そして少し悩んだ後こう言った。

 

「私が殺したのは叛徒だ。叛徒を全て討ち果たすことでこの宇宙に平和が訪れる。叛徒共は宇宙と全人類の秩序たる皇帝陛下に背く重罪人だ。我々帝国軍人が戦わなければ奴らはこの宇宙に混沌と堕落を齎すだろう……」

「これは一般論ですが叛乱軍はきっと同じような論理で自身の殺人行為を正当化するでしょう。閣下のお二人の息子も、ツィーテン元帥も、そのような論理で殺されました。……つまるところ小官が言いたいのはこうです。人間と言うのはくだらない大義の為にいくらでも冷徹になれるということであり……救いがたいのはそれが無意味では無く、確かに歴史の前進に繋がるということでしょう」

 

 私はやや抽象的な物言いながら、現状許される範囲で最大限誠実な答えを返した。リューデリッツは少し黙り込んだ後、「理解できないな」と吐き捨てるように言った。

 

「それで構いません。理解できない方が自然なのです」

 

 私は内心でさらに付け足す。「『大義』はその為になされたことが非難されない時にその正当性を失うものです」と。……この言葉をそのまま口にすれば婉曲な大帝ルドルフ批判に繋がる。人類世界の救済・銀河連邦の革新を口にして登場した大帝ルドルフは歴史の一部分においては確かに偉大な英雄だった。彼の正当性は、彼が自身とその大義の批判を一切許さない社会を完成させた瞬間に失われた。

 

「……互いに話すべきことは話しただろう。これ以上は時間の無駄だ」

 

 リューデリッツの言葉を聞き、背後に控えていた兵士が私を立たせる。

 

「最後に一つお聞きしたいことがありますが、我が父にも同じような尋問をされたのですか?」

「……していない。できない、の方がより正確な返答かもしれないがな」

 

 リューデリッツは私の質問に対してそう答えた。貴族家当主は様々な特権で守られている。そして元帥号を授与された者は退役後も不逮捕特権で守られている。その為、貴族家当主と元帥号保持者を司法で裁くには一度皇帝が爵位と元帥号を剥奪する必要がある。(貴族家当主については隠居させてから裁くという手もある)常識で考えれば、いきなり父を捕まえて拷問にかけるようなことはできない。

 

 とはいえ、クーデターという非常事態下で父が原則通りに伯爵家当主・退役元帥に相応しい扱いを受けているかは微妙であり、私は父も拷問を受けているのではないかと危惧していた。

 

「なるほど。それは良かったです」

「……良かった、か。確かにそう言えるかもしれないな」

 

 私が安堵してそう言うと、リューデリッツは含みのある言い方で応えた。私は怪訝に思ったが、両脇の兵士が私に退室を促してきた為に深く突っ込むことはできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 宇宙暦七六九年四月二〇日。オーディン高等法院大法廷。数日前にオットー・ブラウンシュヴァイクらが死刑を宣告されたその場所で、私もまた死刑を宣告されようとしていた。

 

 帝国の司法制度は地方法院・高等法院・帝臨法廷の三審制を取っている。三審制、といっても民主国家のそれとは違う。銀河連邦時代の名残として残る三審制という制度であるが、銀河帝国では運用面で多大な問題を抱えており、全く機能していない。

 

 まずは刑事裁判についてだが、地方法院の判決に対する控訴は当該地方法院とその地方法院を管轄区に含む高等法院の双方が妥当と判断しない限りは認められない。ちなみに各地方法院はその地域の大領主の影響下に置かれていることが多い。……つまり、各貴族領での犯罪は事実上その貴族領の中で、領主の意向に多大な影響を受けながら裁かれることになる。そして裁かれる側の人間は不当な審理があったとしてもそれを上位の裁判所に訴え出ることが出来ない。

 

 また、高等法院の審理に不満があったとしても被告人の側から帝臨法廷の開廷を求めることはできない。帝臨法廷は原則として皇帝の意思『のみ』によって開かれる司法権の最高機関であるとされる。高等法院院長・司法尚書・(当該事件に関係する)皇族は皇帝に対し開廷を請願する権限、宰相・枢密院議長が高等法院院長・司法尚書に対し請願を要請する権限を持つが、皇帝がこれら臣下の意思を酌むかどうかは自由である。

 

 余談ではあるが、民事訴訟に関しても軽く説明する。民事訴訟では帝臨法廷の開廷は完全に皇帝の一存で決めることになり、臣下の側には開廷を請願する権利すら無い。一方で、地方法院を経由せず直接高等法院に訴訟を持ち込むことが許されている。私人間の関係では単一の地方法院よりも広い範囲を管轄する高等法院の方が適切な判断を下せる、という理屈だ。

 

 さて、そろそろ帝臨法廷とは何かという疑問に答えたいと思う。帝臨法廷とは読んで字のごとく『皇帝が臨席する法廷』である。院長及び一四名のオーディン高等法院判事、そして最低一二名・最大一八名――定数は無し、あくまで慣例の目安――の陪審員が出席し皇帝に法律的・政治的な見地から意見を述べ、皇帝はその内容を基に判決を言い渡す。先程説明した通り「司法権の最高機関」である為、判決は絶対であり、また判例主義を標榜する高等法院が最も重要視するのがこの帝臨法廷における判決である。

 

「……以上、諸般の事情を考慮し、被告人アルベルト・フォン・ライヘンバッハにはルドルフ大帝陛下勅令集第二編第七一条に規定される国家反逆罪を適用した上で、被告人の爵位を剥奪し、死刑に処するのが相当であると考えます」

 

 検察官を務めるのは開闢以来の名門官僚貴族家当主であるアルトリート・フォン・キールマンゼク伯爵である。旧リヒャルト大公派の一員だったが、先代がクロプシュトック事件で死亡したことで、粛清対象から外された人物だ。とはいえ、宮内省の官職を追われ、今では枢密院の片隅に議席を保つので精一杯という有様だと聞いていた。

 

「弁護人、審理の内容を踏まえ、被告人アルベルト・フォン・ライヘンバッハに対する判決の最終意見を述べよ」

 

 検察側のキールマンゼク伯爵の求刑・論告が終わり、判事席の真ん中に座るルンプ高等法院院長が厳かに命じる。その一段上では退屈そうに頬杖をついてボンヤリと法廷を見渡しているフリードリヒの姿がある。私はこの法廷で初めてフリードリヒが即位に同意し、クレメンツ一世が退位したことを知った。

 

「承知しました。院長」

 

 そう言って私の弁護人が立ちあがる。憲兵総監テオドール・フォン・オッペンハイマー大将、それが絞首台の上で首に縄をかけられた私を解き放とうと努力するただ一人の人間である。……そう、彼はあくまで努力するだけだ。本気で私を助けたい訳では無いし、むしろ本音を言えばさっさと黙って死んでほしい所だろう。

 

 オッペンハイマーという男はなかなかにしぶとい人間であり、ブラウンシュヴァイク派が粛清され、リッテンハイム派も少なからず打撃を受けた今回の一連の政変の中でどう立ち回ったか自分の命と職を見事に守り抜いて見せた。その彼が自分に命と職を安堵してくれたクーデター派から最初に与えられた任務が『アルベルト・フォン・ライヘンバッハのもっともらしい弁護』である。

 

 私の弁護人が『弾劾者ミュンツァーの再来』となることを避ける為に、おおよそミュンツァーに成りそうもない――そして立場上弁護人となってもおかしくはない――オッペンハイマーが選ばれたのだろう。当然その弁論は事前にリューデリッツから与えられた台本をなぞるだけの物にすぎない。

 

「……以上の点を考慮すれば検察側の求刑は重すぎて不当であると言えるでしょう。弁護側は被告人アルベルト・フォン・ライヘンバッハにはルドルフ大帝陛下勅令集第二編第七一条に規定される国家反逆罪ではなく、同編第七五条騒乱誘発罪、ジギスムント一世八号勅令(通称・国防保安法)違反、同九号勅令(通称・軍規保護法)違反との併合罪が適用されると考えます」

 

 オッペンハイマーは減刑を訴えるが、国家反逆罪とこれらの罪の違いは「国家に叛逆する意思」の有無である。しかも騒乱誘発罪は故意を要件としないが、国防保安法と軍規保護法は「情報を然るべき者以外に漏示する」旨の故意があれば十分であり、国家反逆の意思は問わない。しかし、情報漏示の故意が認められれば国家反逆の故意を推定するのは容易である。……ちなみに、故意を必要としない過失犯までもをカバーする法律としてはルドルフ大帝陛下勅令集第二編第七六条に規定される特定機密漏示罪が挙げられるが、オッペンハイマーはそちらには一切触れなかった。

 

 これはどういう意味か?簡単である。オッペンハイマーも「アルベルト・フォン・ライヘンバッハは意図的に背信行為に及んだ」と言外に認めているということだ。なんとも悪意ある台本だ。しかし、観客――傍聴席に詰めかけた主要メディアや有力者――にはこの悪意を見抜くことはできないだろう。

 

「被告人に対し最後の発言を許可する」

「……再三申し上げている通り、小官は無実であります。検察側が小官を反国家勢力の首魁とする大きな根拠は四点。一点目は自白、二点目は証言者、三点目はライヘンバッハ伯爵邸から発見された持ち出し禁止の機密書類、四点目はフェザーンの商社マンを装ったサジタリウス叛乱軍の工作員との複数回の接触に関する記録。小官はこの内三点目の機密書類の存在に関しては完全には否定しません。しかしながら残る証拠は全て虚偽のモノです」

 

 私は落ち着いた口調で話し出す。それは今までに何度も繰り返した言葉である。

 

「……この自白が虚偽であることは科学的見地から見て明白です。そもそも拷問や自白剤は意識レベルを低下させて尋問への抵抗力を奪う目的があり……にもかかわらず、この調書では些細な情報まで一つの矛盾も無く綺麗に……」

 

 私は雄弁に身振りを交えながら語り続ける。尤も意味はさほどないかもしれない。一五名の高等法院判事も、一五名の陪審員も全員リューデリッツの息が掛かっている筈だ。しかし、望みはゼロではない。開廷から暫くして気づいたことがある。検察官を務めるキールマンゼク伯爵も含めてリューデリッツと機関の長年の因縁を知らない者たちはこの裁判を茶番だと考えている。すなわち、軍部から頑固で融通の利かない帯剣貴族たちを追い出す為の儀式である、と。

 

 確かに常識で考えればその通りだろう。カール・ハインリヒ・フォン・ライヘンバッハは帝国の双璧と謳われた名将であり、宇宙艦隊司令長官を務めた男だ。そんな男が反国家組織の首魁であり、その息子も幹部であるなどというのは流石に荒唐無稽な話に過ぎる。今どき同盟の三文小説でももう少しマシなストーリーを作るはずだ。

 

 だから貴族たちは「常識的に」こう考える。軍部を掌握したいリューデリッツが対立勢力のライヘンバッハ派に仕掛けた陰謀である、と。

 

「小官の父カール・ハインリヒは元・宇宙艦隊司令長官です。機密書類を邸宅に持ち込んだことに関する非難は確かに甘んじて受け入れる必要はあるでしょう。しかしそれを以って、叛逆者の汚名をかぶせようとは、父が我らの祖国に果たした役割を考慮すればあまりに惨い仕打ちではないでしょうか?」

 

 ……ちなみに既に我が父、カール・ハインリヒはこの世にいない。政変の当日、帝都の異変を察知した我が父はアイゼナッハ男爵邸へ向かうのを中止し、自邸へ戻ろうとした。その最中クーデター派の部隊と鉢合わせた父の車は止むを得ず逃亡を余儀なくされた。そしてメルクリウス市東部のトゥーゲント大橋に差し掛かった折、クーデター派の封鎖部隊はついに父の車に発砲を始めた。故意か過失か、その内の一発が父の右後頭部に当たってしまった。

 

 このような詳細な情報も後々知った。私が父の死を知ったのは裁判が終わった直後、陪審員の一人として出席しているリヒャルト・フォン・ノイエ・バイエルン伯爵の口からである。つまり、この時点では私は父がどうなっているのか一切分かっていない状態でひたすら抗弁を試みている訳である。

 

 私は抗弁を続ける。キールマンゼク伯爵……というより、その後ろにいるリューデリッツが示した証拠はやはりどれも決め手に欠ける。同盟工作員との接触記録に至っては明白な捏造だ。……だがまあ、それも無理はない。そもそも正攻法で私や父の首を取れるなら最初っからそうしているのだ。旧リヒャルト大公派に協力して政変を起こしている時点で、正攻法では攻めきれないと白状しているようなものだ。

 

「……以上、小官の最終陳述を終わります」

 

 私は最後に判事席、そしてその一段上に存在する帝臨席に最敬礼すると、証言台を離れた。普通の裁判ならば、後は判決の言い渡しを待つだけだが、帝臨法廷では一五名の陪審員がその場で自分の意見を述べる。それは制度的には何ら判決に影響を及ぼすものではないが、衆人環視の中で陪審員たちの多数意見を全く無視して皇帝が判決を言い渡すことは難しい。

 

「小官は被告人には国家反逆罪が成立する、と考えます。以下理由を述べます……」

 

 最初に立ちあがったのは軍務尚書フーベルト・フォン・エーレンベルク宇宙軍元帥。リューデリッツと共にジークマイスター機関を追い詰めた男である。彼が有罪を主張するのは当然のことだろう。エーレンベルクに続き、統帥本部総長リューデリッツ元帥、宇宙艦隊司令長官シュタインホフ元帥、近衛兵総監ラムスドルフ元帥、幕僚総監リンドラー元帥が意見を述べる。前者三名はクーデター派である、当然のように私の有罪を主張する。特にリューデリッツは「被告人を擁護することが最早国家反逆罪と言っても過言ではない」とまで断じた。リンドラー元帥はクーデター前の統帥本部総長だがどうやらクーデター派に同調して元帥号を保ったらしく、私の有罪を主張した。

 

 軍人が一段落すると、今度は閣僚である。宰相代理兼枢密院議長クロプシュトック侯爵、国務尚書エーレンベルク侯爵、司法尚書ルーゲ公爵、内務尚書リヒテンラーデ侯爵、宮廷書記官長リューネブルク伯爵、アンドレアス公爵、リンダーホーフ侯爵、グレーテル伯爵、ブラッケ侯爵、リヒター子爵。

 

「私は被告人の行為に国家反逆罪が成立するとは思わないし、被告人が主体となり反国家的組織を運営していたとも考えるのは難しいと思う。しかし、それでも被告人の振る舞いが軍人として相応しいものであったかは……」

 

 クロプシュトック侯爵は私を一瞥した後で私の国家反逆罪を否定した。しかしながらその論理はオッペンハイマーのモノと同じく私を軍規保護法違反とする意見だ。……軍規保護法は程度によって罰則に幅がある。最高刑は死刑だがその死刑に関しても連座制が適用されるものとされないものがある。私が叛逆者となった場合、婚約者であるコンスタンツェ――公的には婚約は解消されているが、私が彼女を匿っていたのは周知の事実である――も巻き込まれかねないが、軍規保護法違反であればコンスタンツェに影響を与えない道もある。

 

 エーレンベルク侯爵、ルーゲ公爵は私を国家反逆罪とするべきであるとしながらも、その語調はそれほど強くない。あくまでそういう意見を言えと頼まれたから言っているだけなのだろう。彼らもどうやらジークマイスター機関の実在は信じていないらしい。

 

 リヒテンラーデ侯爵はクロプシュトック侯爵と似たような論理を主張した。違う点としては「被告人は必ずしも更生の余地がないとは私には判断できない」という一言を足している点だ。陪審員の助言は暗黙の了解として量刑には触れないことになっているが、リヒテンラーデ侯爵の付け足した一言は死刑以外の量刑を示唆する表現である。

 

 リューネブルク伯爵は私の方を見て少し罪悪感を滲ませているように見えた。彼は直情径行な所があり、それ故に腹芸が苦手であった。リューネブルク伯爵は最初こそ私を国家反逆罪で裁くべきとの意見を述べていたが少しずつ私に温情をかけるような内容になっていき、最終的にリヒテンラーデ侯爵と同じように死刑以外の量刑を示唆した。……尤も、最初に「国家反逆罪で裁くべき」とハッキリ言っていることもあって、リューネブルク伯爵の意見表明は全体的に何を言いたいのかよく分からない感じだった。……同情するならもっとハッキリとやって欲しいものである。

 

 アンドレアス公爵とリンダーホーフ侯爵は「陛下の御意思のままに。臣はそれこそが正義に適うことと思います」とだけ述べた。帝臨法廷に陪審員として呼ばれたからと言って、意見を述べなければならない訳ではない。「皇帝に任せる」というようなことだけ言って引っ込む陪審員はそう珍しい事では無い。ただし、状況によってがそれで皇帝の不興を被ることもあるが。

 

 グレーテル伯爵は国家反逆罪の適用に肯定的な見解を述べた。彼の息子と私は友人だが、だからこそ、ここで私を守るような素振りを見せる訳にはいかないのだろう。

 

 ブラッケ侯爵は暫く目を閉じて黙っていた後、勢いよく立ちあがり、「私はこの段階で被告人が帝国法を犯していると判断することはできない」と断言した。その表情は苦渋に満ちていた。

 

「私は私の信念に従い、この作られたストーリーを否定する。例え……例えそれで何を失おうともだ。収容所に囚われた私の同志達が私の決断によって危難に遭うことは……絶対に許容できないししたくない……。だが、彼らはきっと私が折れることを絶対に許容しない。何故なら私がここで折れれば目の前にいる豊かな前途を有していたはずの青年は間違いなく刑場の露と消えることになるからだ。捏造された証拠、強要された自白、政治に従う司法、正義と人道に悖るあらゆる要素がここにある」

 

 ブラッケはそう言うと真っすぐフリードリヒを見つめながらこの裁判の構造的な問題点も含めて指摘し始めた。証言者の証言に存在する不審な空白や証拠との矛盾点。有り得ない程に都合が良すぎる、反国家組織の全メンバーを記してあるとされる証拠品。捜査側ならばいくらでも用意できるライヘンバッハ伯爵邸にあったとされる機密書類。

 

「陛下が臣の意見を参考にされるのであれば、もう一度再捜査を行うべきであります。カール・フォン・ブラッケ、伏して懇願申し上げます」

 

 ブラッケはそこまで言って座った。隣でオイゲン・フォン・リヒターが溜息をついて立ちあがる。

 

「言うべきことはブラッケ侯爵が言ってくださった。私もブラッケ侯爵の意見に賛同します」

 

 そこでリヒター子爵は「ただし」と断りを入れる。

 

「もしも法廷に提出された全証拠、全証言が本物であるならば、被告人は極刑を免れ得ないでしょう」

 

 リヒター子爵はさらりと「極刑」という単語を口にした。そして再び座るとまた溜息を一つつき、「やれやれ……」と首を振ってまた溜息を一つついた。

 

 ブラッケ侯爵とリヒター子爵は裁判の正当性を高める為に呼ばれたのだろう。彼らが公明正大な司法を望み、日ごろから口にしていることは知られている。その彼らが私を有罪と言えば、裁判全体の正当性も高まるという物だ。尤も、普通に二人を呼んでもリューデリッツたちに都合の良い事を言うとは限らない。

 

 後に知ったことだが、この時未だ開明派の一部官僚は収容所に囚われており、ブラッケやリヒターは彼らの安全と引き換えにクーデター派に恭順させられていたという。 

 

 ……一五名の陪審員が意見を述べ終わった後、皇帝は一五名の判事と共に別室に向かう。被告人に下す判決を決定する為だ。

 

 三時間の後、フリードリヒは一五名の判事を引きつれて法廷に戻った。帝臨席に座ったフリードリヒは高等法院院長ルンプ子爵から判決文を手渡される。そしてルンプ子爵が自らの席に戻って着席したのを確認して、フリードリヒは口を開いた。

 

「判決を言い渡す。被告人アルベルト・フォン・ライヘンバッハを――」

 

 私には分からない。それが銀河の歴史をまた一ページ進めたのか……




注釈26
 「三・二四政変」において当初からクーデター派に参加した部隊は以下の通りである。
・ゲルマニア防衛軍司令部
・ゲルマニア防衛軍所属第三〇二独立歩兵大隊
・ゲルマニア防衛軍所属第三〇三独立歩兵大隊
・ゲルマニア防衛軍所属第三〇四独立歩兵大隊
・ゲルマニア防衛軍所属第二六機甲師団
・ゲルマニア防衛軍所属第一八二野戦重砲連隊
・中央軍集団所属第二歩兵師団
・第一軍集団所属第一一独立混成旅団
・第一軍集団所属第五二歩兵師団

・黒色槍騎兵艦隊
・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン辺境軍管区

 この内ゲルマニア防衛軍隷下の三個大隊を中核とし、兵員約四〇〇〇名が帝都中心部とメルクリウス市内を占拠した。

 襲撃部隊の目標は以下の通りである。上記する程優先度が高かったとされる。

・ブラウンシュヴァイク公爵私邸及び国務省(ブラウンシュヴァイク公爵の拘束)
・帝都防衛軍司令部
・内務省及び社会秩序維持局、保安警察庁
・軍務省
・高等法院及び司法省
・ブラッケ侯爵私邸及びリヒター子爵私邸(開明派盟主の拘束)
・近衛兵総監部
・門閥派閣僚私邸
・憲兵総監部
・ライヘンバッハ伯爵私邸並びにルーゲンドルフ公爵私邸
・開明派・中立派閣僚私邸
・宇宙艦隊総司令部並びに赤色胸甲騎兵艦隊司令部
・財務省並びに幕僚総監部
帝国国営新聞社(カイザーライヒ・ツァイトゥング)帝国一般新聞社(ライヒス・アルゲマイネ・ツァイトゥング)等、著名なメディア

 その重要性に比して近衛兵総監部と憲兵総監部の優先順位が低いのは前者が今なお少なくない影響力を持つラムスドルフ予備役上級大将によって容易に掌握できると判断された――「彼らは」そう考えたのだ、実際はともかくとして――からであり、後者は名士会議後、内務尚書カール・フォン・ブラッケ侯爵による再捜査が終わるまで職権の制約を受けることが決定しており、脅威になり得ないと判断されたからである。

 この内、宇宙艦隊総司令部並びに赤色胸甲騎兵艦隊司令部は実際には襲撃が実行されなかった。また保安警察庁庁舎といくつかの貴族私邸は激しく抵抗したが、残る施設は殆ど抵抗無くして占拠された。

 一連のクーデターの中で無任所尚書ゾンネベルク伯爵と典礼尚書ヘルクスハイマー伯爵、さらに枢密院議長シュタインハイル侯爵、侍従長ノームブルク子爵がクーデター部隊に抵抗し死亡。その他拘束対象者の護衛など多数が死亡、もしくは重傷を負った。

 特に激しく抵抗した保安警察庁の犠牲者数は凄まじく、当時庁舎に出勤していた職員の二割が死亡、ほぼ全職員が負傷した。この一件は旧体制崩壊後まで残る遺恨となり、以前から友好的とは言えなかった軍と警察の関係を著しく悪化させる結果に繋がる。


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第三章登場人物紹介・その一

前話後半、もう少し描写を丁寧にした方が良いと思い加筆修正しました。
内容自体は変わっていません。


(ほぼ)登場順、血縁関係に多少配慮。原作登場人物に★、ファーストネーム等をこちらで考えた原作登場人物に☆

 

・アルベルト・フォン・ライヘンバッハ

 自叙伝の作者。名門帯剣貴族、ライヘンバッハ伯爵家の三男、カール・ハインリヒ・フォン・ライヘンバッハの長男としてこの世に生を受ける。転生者であり、帝国の封建社会に嫌悪を感じていた。ジークマイスター機関構成員。

 軍務省国防政策局運用政策課員、軍務省地方管理局辺境調査課員、内務省リューベック総督府特別監査室室長を経て三章開始時点で宇宙艦隊総司令部情報部第三課長を務め、ライヘンバッハ元帥府に所属している。階級は宇宙軍大佐。

 その後、宇宙軍准将に昇進し、ドラゴニア特別派遣艦隊第四分艦隊所属第一二特派戦隊司令官を務める。一連のドラゴニア戦役で奮戦し宇宙軍少将に昇進するも、クロプシュトック事件の煽りを受けて軍務省高等参事官補に左遷される。内務尚書カール・フォン・ブラッケ侯爵が結成したクロプシュトック事件の秘密捜査チームに参加。

 『三・二四政変』の際、クーデターに乗じてジークマイスター機関の掃討を図るセバスティアン・フォン・リューデリッツによって拘束され、帝臨法廷に引きずりだされ、国家反逆罪の罪で起訴される。

 

・カール・ハインリヒ・フォン・ライヘンバッハ

 名門帯剣貴族、ライヘンバッハ伯爵家の三男。宇宙暦七四〇年時点で帝国軍少将。やや傲慢だが優秀な人物。自分より能力に劣る兄たちが出世することに不満を持っていた。

 宇宙暦七四五年の第二次ティアマト会戦時、青色槍騎兵艦隊副司令官を務めている。ベルディーニを戦死させ、英雄になる。この際帝国宇宙軍中将に昇進。

 宇宙暦七五四年までに宇宙軍大将に昇進し、黄色弓騎兵艦隊司令官を務めている。同年の第四次ロートリンゲン会戦で苦戦しながらも同盟軍を撃退、この功績で帝国宇宙軍上級大将に昇進し、宇宙艦隊副司令長官として一個中央艦隊と二個辺境艦隊を指揮下に収める。

 宇宙暦七五九年のリューベック大暴動を受け、リューベック総督府、駐留艦隊司令部の人事に介入し、腐敗を一掃した。

 宇宙暦七六〇年の『茶会(テー・パルティー)』計画においても本来ならば計画成功の為に臨機応変な対処を行う予定だったが、各勢力の思惑が絡んだ結果有効な手立てを打つことが出来なかった。

 その後、数年に渡って宇宙艦隊司令長官を務め、統帥本部総長クヴィスリング元帥と共に軍部保守派の領袖として知られたが、宇宙暦七六七年、前年のアスターテ会戦の大敗――というよりはそのショックによるオトフリート五世の崩御――の責任を取らされ、退役する。その直前には盟友クヴィスリング元帥、そして派閥的には対立するゾンネンフェルス元帥と協力してドラゴニア特別派遣艦隊の編成を実現させた。

 宇宙暦七六九年頃には枢密院議員を務めている。退役後も彼の部下たちを通じて軍への影響力を保っている。同年の帝国名士会議でも議員の一人として出席した他、クロプシュトック侯爵の叛逆罪について帝臨法廷で再審理が行われることが決まると、陪審員の一人に選ばれた。『三・二四政変』の際にクーデター派から逃走を試みた結果、事故で死亡。

 ジークマイスター機関の幹部である。

 

・オトフリート・フォン・ゴールデンバウム五世★

 財政再建に奮闘する皇帝。通称倹約帝。吝嗇帝とも。元々質素を好む人柄ではあるが、流石に内心ではうんざりしている。リューデリッツが確信犯的にイゼルローン要塞建設費用を過小に見積もって提示したために、折角好転しつつあった財政状態を再び悪化させてしまった。激怒しながらも要塞の必要性は理解していた為に追加の課税を実行する為に名士会議を開くが、その場で三男クレメンツからの皇帝批判を浴びてしまう。

 何とか抵抗を排し帝前三部会の招集までこぎつけるが、ドラゴニア派遣艦隊が文字通り玉砕したとの知らせにショックを受け、無痛性心筋梗塞で他界。急逝したために後継者を決めておらず、リヒャルトとクレメンツの対立を招いてしまった。その余波により何と二年近い間皇帝空位の状態が続いた。

 

・リヒャルト・フォン・ゴールデンバウム★

 オトフリート五世倹約帝の長男。母親は寒門出身者(正確には嫁いだ後に実家が没落した)。保守的ながらも明晰な頭脳と勤勉さを兼ね備えた人物であり、官僚貴族たちから厚く支持されていた。軍部でも大局的な視点を持った人物は明確ではないがリヒャルト寄りの姿勢を取っていた。父の緊縮財政路線を継承したために領地貴族と平民の人気は低かった。

 宇宙暦七六八年、公的に断定された訳ではないものの、事実上皇室宮殿(パラスト・ローヤル)爆弾テロ事件の黒幕という汚名を着せられ、新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)西離宮に幽閉される。クレメンツ一世即位後は公爵位を与えられ、リヒャルト・フォン・ベーネミュンデと名乗らされることになる。

 宇宙暦七六九年、西離宮大火で死亡。今でも出火の原因は分かっていないが、彼の死は旧リヒャルト大公派のクレメンツ大公派に対する憎悪、あるいは恐怖を爆発させ、クーデターという非常の手段を決意させる一員となった。

 

・クレメンツ・フォン・ゴールデンバウム★

 オトフリート五世倹約帝の三男。若いころから軍に勤務し、宇宙軍大将まで昇進した人物。演出と人心掌握に長けており、兵士や民衆から高い人気を得ていた。元々クロプシュトック侯爵と軍の艦隊派将校を有力な支持者としていたが、アルベルトとコンスタンツェの婚約を期にクロプシュトック侯爵家が自身と不仲であるライヘンバッハ伯爵家・クヴィスリング侯爵家と接近した関係で疎遠となる。

 宇宙暦七六五年の帝国名士会議までにクロプシュトック侯爵家の後援を諦め、ブラウンシュヴァイク公爵・リッテンハイム侯爵らと手を組んだ。同名士会議で皇帝オトフリート五世の批判を行い、『弾劾者クレメンツ大公』と呼ばれる。

 その後も開明的な改革者を演じながら、巧妙に領地貴族の利権を擁護して勢力を拡大、リヒャルト大公派に抗する。

 宇宙暦七六八年、支持者のリッテンハイム侯爵がブラウンシュヴァイク公爵、アンドレアス公爵、リヒャルト大公らを殺害、あるいは陥れるべく画策した皇室宮殿(パラスト・ローヤル)爆弾テロ事件に際して、その関与が疑われているがハッキリしたことは分かっていない。

 同年、クレメンツ一世として即位する。その閣僚は保守派の中でも特に質が悪い、国家への忠誠心など微塵も持ち合わせていない門閥貴族たちと、改革派の中でも特に急進的な開明派の官僚貴族(一部平民)に数名の中立派を混ぜたという顔触れであり、「極右と極左の連立政権」あるいは皮肉混じりに「帝国史上最も優秀な反国家的組織」とも称される酷い有様であった。

 宇宙暦七六九年頃には案の定保守派と開明派の対立が激化し、その中で開明派の内務尚書カール・フォン・ブラッケの捜査が引き金となり、司法尚書ウィルヘルム・フォン・リッテンハイム侯爵が失脚する。さらに叛逆者に仕立てられたウィルヘルム・フォン・クロプシュトック侯爵を追討することすら出来ず、クロプシュトック侯爵の追討令を凍結せざるを得なくなる。その状況下でリヒャルト大公が不自然な死を遂げたために、旧リヒャルト大公派から暗殺を指示したと疑われ、クーデターを招く。この『三・二四政変』で兄フリードリヒに譲位する。

 

・エーリッヒ・フォン・ゴールデンバウム

 クレメンツ一世の皇太子。

 宇宙暦七六八年頃、クリスティーネ・フォン・ゴールデンバウムの前で彼女と伯父フリードリヒを罵倒した結果、クリスティーネの猛反論を受け衆人環視の中で涙ぐんでしまう。

 

・ヨハン・フォン・アンドレアス

 皇室の血を引く領地貴族。ブラウンシュヴァイク公爵・リッテンハイム侯爵に匹敵する大貴族でもある。公爵。オトフリート五世倹約帝を強力に支持し、その信頼も厚く、宰相代理兼国務尚書を務めた。オトフリート五世の死後はリヒャルト大公の最も有力な支持者となった。

 宇宙暦七六八年のクロプシュトック事件で死亡。内務尚書カール・フォン・ブラッケ侯爵の秘密捜査チームは、本来の筋書きでは彼が同事件の黒幕に仕立て上げられる予定だったが、いくつかの偶然で本当の黒幕も想定していない死を遂げてしまったと推測している。公爵位は息子が継承。

 

・エルベルト・フォン・アンドレアス

 ヨハンの息子。宇宙暦七六七年に成人したばかりの若者。

 宇宙暦七六九年の『三・二四政変』ではクレメンツ一世がヨハン・フォン・アンドレアスの死んだ爆弾テロ事件に関与していたのではないかという不信感から最終的にクーデター派を支持する。

 

・オイゲン・フォン・カストロプ★

 オトフリート五世倹約帝下の財務尚書。領地貴族であり、ブラウンシュヴァイク公爵やリッテンハイム侯爵にも対抗可能な大貴族であった。公爵。オットー・ハインツ二世帝の治世時、皇太子オトフリート(後のオトフリート五世)とリヒテンラーデ子爵の説得で、領地貴族への課税も含んだ新租税法を支持した。その見返りとして徴税権を一手に握る財務尚書の地位を得て、その後長年に渡って不正蓄財に励んだ。その権勢は凄まじく、彼自身の卓越した政治力もあって、オトフリート五世もアンドレアス公爵もブラウンシュヴァイク公爵も手出しすることが出来なかった。

 宇宙暦七六六年にオトフリート五世が崩御した後の皇位継承争いでは当初中立派として振舞ったが、ブラウンシュヴァイク公爵やリッテンハイム侯爵と何らかの取引を行いクレメンツ大公派に加わった。その為、皇位継承争いが激化する中で一時は財務尚書解任に追い込まれたが、政争に飽き飽きした一部の貴族が半ばヤケクソでフリードリヒ擁立の素振りを見せたことで、両大公派が妥協し留任した。

 宇宙暦七六八年のクロプシュトック事件で死亡。クレメンツ一世即位後に長年に渡る不正蓄財を帝前三部会の場で弾劾された。この弾劾はクレメンツ一世政権で全閣僚が積極的に同意して行われた数少ない決定の一つだが、その莫大な遺産の使い道は保守派と開明派の対立の火種となった。

 

・ヘルマン・フォン・ルーゲ☆

 オトフリート五世倹約帝治世下の司法尚書。名門官僚貴族家当主。伯爵。オトフリート五世倹約帝崩御後に侯爵となり、さらに皇位継承争いでは一貫してリヒャルト大公派として振舞う。

 宇宙暦七六八年のクロプシュトック事件では重傷を負うも生き延びる。重傷を負ったことでリヒャルト大公派の中心人物であったが、クレメンツ一世即位後の旧リヒャルト大公派粛清を免れた。しかし司法尚書の地位は失う。

 宇宙暦七六九年、クロプシュトック侯爵らと共に『三・二四政変』を起こす。かつての同僚リヒテンラーデ伯爵を説得し、クーデター派に加わらせた。政変後、公爵・司法尚書となる。

 

・アルフレッド・フォン・ハーン

 オトフリート五世倹約帝治世下の科学尚書。伯爵。皇位継承争いではリヒャルト大公派につく。

 宇宙暦七六八年のクロプシュトック事件では重傷を負うも生き延びる。傷を負ったことでリヒャルト大公派の中心人物であったが、クレメンツ一世即位後の旧リヒャルト大公派粛清を免れた。しかし科学尚書の地位は失う。

 

・クラウス・フォン・リヒテンラーデ★

 かつてマクシミリアン=ヨーゼフ二世晴眼帝に重用された旧ミュンツァー派に所属する若手官僚。子爵。皇太子オトフリート(オトフリート五世)に対し、租税法改正法案を通すために帝前三部会の開催を進言。カストロプ公爵を切り崩すことで長年断念させられていた租税法改正法案を可決させることに成功する。

 オトフリート五世倹約帝治世下では宮廷書記官長を務める。オトフリート五世の崩御後はリヒャルト大公派につく。この頃伯爵となる。

 宇宙暦七六八年のクロプシュトック事件では重傷を負うも生き延びる。傷を負ったことでリヒャルト大公派の中心人物であったが、クレメンツ一世即位後の旧リヒャルト大公派に対する粛清を免れた。また、クレメンツ一世は門閥貴族の牽制役として旧リヒャルト大公派の一部を赦免して勢力を保たせたために、宮廷書記官長に比べれば格下ではあるが内務省自治統制庁長官という要職を任された。

 宇宙暦七六九年には帝国上層部で殆ど唯一、辺境情勢の深刻な悪化に気づき警鐘を鳴らしている。『悲鳴のような進言』で名士会議の議題に「辺境情勢について」を加えたが、肝心の会議では殆ど話し合われることは無かった。

 同年の『三・二四政変』ではクーデター派への協力を一旦は拒んだが、ルーゲ侯爵の説得で参加を決意した。政変後、侯爵・内務尚書となる。

 

・エドマンド・フォン・ゾンネンフェルス★

 第二次ティアマト会戦後の危機的状況下で頭角を現した名将。しかしながら結婚運悪く、三度結婚して三度とも妻に先立たれた。驚くべきことに、その三度の結婚相手は全員オトフリート四世強精帝の娘だった。彼自身も四一歳という若さでこの世を去る。最終階級は上級大将。死後、元帥号が追贈された。彼の友人ブルッフ中将はその訃報を聞き堪え切れず「ゾンネンフェルスは皇帝のため、才能・財産・精力の全てを吸い上げられて死んだ」と評してしまい、予備役に編入された。 

 

・エーヴァルト・フォン・ゾンネンフェルス

 故エドマンド・フォン・ゾンネンフェルス元帥の弟。「皇帝のため、才能・財産・精力の全てを吸い上げられて死んだ」兄に代わって名門ゾンネンフェルス伯爵家を継ぐ。兄に及ばないながらも優秀な軍人であり、宇宙暦七六五年には若くして軍務尚書の地位にある。リューデリッツやエーレンベルク、シュタイエルマルクをメンバーとする軍部改革派の首領。

 宇宙暦七六七年、前年のアスターテ会戦の大敗――というよりはそのショックによるオトフリート五世の崩御――の責任を取らされ、退役する。その直前には派閥的には対立するライヘンバッハ元帥、クヴィスリング元帥と協力してドラゴニア特別派遣艦隊の編成を実現させた。

 

・テオドール・フォン・ゾンネンフェルス

 エーヴァルトの息子。

 宇宙暦七六七年にドラゴニア特別派遣艦隊参謀長に就任。階級は宇宙軍少将。自分よりさらに若いミュッケンベルガー、アルベルトらの台頭に焦りを覚えていた。

 宇宙暦七六八年のドラゴニア戦役の中で戦略判断を誤り、分進合撃戦略を取った結果、各個撃破を招く。大敗の中で行方不明に。

 

・ユルゲン・オファー・フォン・クヴィスリング

 オトフリート五世倹約帝治世下の統帥本部総長。名門帯剣貴族の侯爵家当主。カール・ハインリヒ・フォン・ライヘンバッハ元帥と共に軍部保守派の領袖として知られた。

 宇宙暦七六七年、前年のアスターテ会戦の大敗――というよりはそのショックによるオトフリート五世の崩御――の責任を取らされ、退役する。その直前には盟友ライヘンバッハ元帥、そして派閥的には対立するゾンネンフェルス元帥と協力してドラゴニア特別派遣艦隊の編成を実現させた。

 宇宙暦七六八年のクロプシュトック事件で死亡。その派閥構成員の大半はライヘンバッハ派に合流。

 

・ヘルマン・フォン・クヴィスリング

 クヴィスリング侯爵家の分家である男爵家当主。ユルゲン・オファーは大叔父。

 宇宙暦七六九年時点で青色槍騎兵艦隊司令官代理を務める。階級は宇宙軍中将。中央艦隊司令官であるが、二年前に壊滅した艦隊であり、再編と練成が主任務。同年の『三・二四政変』時にクーデター派に拘束される。

 

・ハイドリッヒ・フォン・アイゼンベルガー

 宇宙暦七五五年時点で教育総監部本部長。ロベルト・ハーゼンシュタインの後教育総監代理に就任。帝国宇宙軍大将。

 宇宙暦七六五年には軍務副尚書を務めている。階級は宇宙軍上級大将。軍部改革派の一員であり、フーベルト・フォン・エーレンベルクを腹心とする。

 宇宙暦七六七年に軍務尚書に就任する。この時、宇宙軍元帥となる。貴族の威光に弱く、同盟軍が『回廊の自由(フリーダム・オブ・コーリダー)』作戦を発動した際もクレメンツ大公派の大貴族に「要塞防衛に軍を動かした」と思われるのを恐れて援軍を出さなかった。

 宇宙暦七六八年のクロプシュトック事件では奇跡的に軽傷で済んだが、内務尚書カール・フォン・ブラッケ侯爵の秘密捜査チームはリッテンハイム侯爵と縁が深いアイゼンベルガー元帥が爆弾の存在を知っていたのではないかと推測している。同事件の収拾にあたり、クレメンツ一世即位時には引き続き軍務尚書を務めていたが、その後何故か格下にあたる幕僚総監に転任させられている。

 

・ハウザー・フォン・シュタイエルマルク★

 ジークマイスター機関の幹部であり、第二次ティアマト会戦を利用した抵抗勢力の排除に貢献した。ミヒャールゼンの死後、ジークマイスター機関の指導者となる。

 宇宙暦七四五年の第二次ティアマト会戦時、青色槍騎兵艦隊司令官を務める。階級は宇宙軍中将。

 宇宙暦七五四年時点で赤色胸甲騎兵艦隊司令官を務める。階級は宇宙軍大将。

 宇宙暦七六一年時点で軍務省次官を務める。宇宙軍上級大将。

 宇宙暦七六七年に退役予定だったが、帝国軍三長官が辞任させられた影響で軍務副尚書として続投。同盟軍が『回廊の自由(フリーダム・オブ・コーリダー)』作戦を発動した際に演習を名目に赤色胸甲騎兵艦隊を動員することを提案したがアイゼンベルガー元帥に却下された。

 宇宙暦七六八年にはクロプシュトック事件で多くの高級士官が死亡した関係もあり、さらに退役が延期され、宇宙艦隊副司令長官に就任。この時元帥に昇進し、かつてのカール・ハインリヒのように三個辺境艦隊と二個中央艦隊の指揮権を委ねられ、フォルゲン星系に赴任した。

 

・クルト・フォン・シュタイエルマルク

 アルベルトの親友。元・有害図書愛好会副会長。在フェザーン帝国高等弁務官事務所駐在武官、ザールラント警備管区司令部情報参謀、第二二四巡航群司令、第七四機動群司令を務める。

 宇宙暦七六七年、ドラゴニア特別派遣艦隊所属第一二特派戦隊に第七四機動群を率いて合流する。ドラゴニア戦役では奮戦した。

 宇宙暦七六八年に父ハウザー・フォン・シュタイエルマルクが元帥・宇宙艦隊副司令長官となり、フォルゲン星系に赴任すると、これに従う。その後、シュタイエルマルク元帥府に所属しイゼルローン方面辺境で戦っている。

 ジークマイスター機関の構成員であり、現在は緊急性の高い情報をやり取りするイゼルローンルートでの同盟軍との直接連絡を担当している。

 

・アルベルト・フォン・マイヤーホーフェン☆

 宇宙暦七五一年に軍務省人事局長を務めている。階級は宇宙軍中将。名門帯剣貴族家出身者。

 宇宙暦七六五年には軍務政務官を務める。階級は宇宙軍大将。軍部保守派に属し、カール・ハインリヒ・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍元帥に近い人物。

 宇宙暦七六七年にはドラゴニア特別派遣艦隊所属第一二特派戦隊司令官を務めるアルベルト・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍准将の為に、自身の部下であるハウプト宇宙軍中佐を転属させた。

 宇宙暦七六八年には幕僚副総監を務めており、階級は宇宙軍上級大将となっていたが、クロプシュトック事件で死亡。

 

・エドマンド・フォン・シュタインホフ☆

 軍部改革派に属する軍人。ライヘンバッハ伯爵家に匹敵する名門帯剣貴族家の出身。

 宇宙暦七六五年時点で宇宙艦隊副司令長官を務める。階級は宇宙軍上級大将。翌年から始まった皇位継承争いでは一貫して中立派に属する。

 宇宙暦七六九年には統帥本部次長を務めている。『三・二四政変』でクーデター派支持を表明した。

 

・カール・フォン・エールセン

 宇宙暦七六五年時点の科学技術本部長。宇宙軍大将。子爵。

 宇宙暦七六八年には科学副尚書を務めているが、クロプシュトック事件で死亡。

 

・ウィルヘルム・フォン・クロプシュトック★

 ルドルフ大帝から信頼され、外様であるブラウンシュヴァイク公爵やリッテンハイム侯爵の封じ込めを任された元内務尚書アルブレヒト・フォン・クロプシュトックの子孫。名門中の名門クロプシュトック侯爵家の壮年当主。その成り立ちから領地貴族であっても帝国への確かな忠誠心を有している。

 宇宙暦七六五年時点で枢密院議長を務めている。軍の要人であるライヘンバッハ伯爵やクヴィスリング侯爵と誼を通じる為に姪コンスタンツェとアルベルト・フォン・ライヘンバッハの婚約を進める。一方でライヘンバッハ伯爵らに配慮するあまり、これまで後援していたクレメンツ大公と疎遠になり、ブラウンシュヴァイク公爵やリッテンハイム侯爵にクレメンツ大公が取り込まれてしまう。その為、その後の皇位継承争いではリヒャルト大公派の一員として振舞う。

 宇宙暦七六八年のクロプシュトック事件で偶然爆発の被害を受けなかった結果、リッテンハイム侯爵に黒幕に仕立て上げられてしまう。しかしながら、本来の計画ではアンドレアス公爵が黒幕に仕立て上げられるはずだったために関係各所の動きが遅れ、クロプシュトック侯爵はオーディン脱出に成功する。その後、叛逆者の汚名を着せられ、これを好機と見たブラウンシュヴァイク公爵やリッテンハイム侯爵の私兵部隊から領地に侵攻されるが、自領に駐留する帝国正規軍艦隊の支持を取り付け抵抗、潮目が変わるまで耐えきることに成功する。

 宇宙暦七六九年、クレメンツ一世が自身への追討令を凍結する代わりに出頭を命じると、これに応じ、一定の私兵部隊を連れながら帝都へ向かう。この部隊は少数であったが、帝都のリューデリッツやリューネブルク伯爵と協力することでクーデターを決行、これは後世『三・二四政変』と呼ばれる。一部の研究者からはその手際の鮮やかさから、元々叛逆者に仕立てられる前からクーデター計画を練っていたのではないかとも指摘される。

 

・クリストフ・フォン・ノイエ・バイエルン

 対フェザーン貿易で経済的に力をつけ、ブラウンシュヴァイク公爵やリッテンハイム侯爵にも対抗可能と言われる領地貴族、ノイエ・バイエルン伯爵家の当主。親フェザーン派の代表格。

 宇宙暦七六五年時点で枢密院議員を務めている。オトフリート五世崩御後の皇位継承争いでは一貫して中立派として振舞う。

 宇宙暦七六八年のクロプシュトック事件で死亡。

 

・ジークベルト・フォン・ノイエ・バイエルン

 ノイエ・バイエルン伯爵家の分家当主。

 宇宙暦七六七年時点で枢密院議員を務めている。皇位継承争いでは当初中立派として振舞っていたが、本人の歴史趣味から開明派に近いヴェストパーレ男爵のサロン『ベイカー外不正規連隊』に出入りしている内に、周囲の開明派に感化され改革を叫ぶようになる。

 

・リヒャルト・フォン・ノイエ・バイエルン

 クリストフの息子。有害図書愛好会のメンバーでありアルベルトの友人。主に経済的な視点での開明思想の持ち主。

 宇宙暦七六七年にドラゴニア特別派遣艦隊所属第一分艦隊第二特派戦隊司令官を務める。階級は宇宙軍准将。ドラゴニア戦役では勇戦し生還。

 宇宙暦七六八年にクロプシュトック事件で父が死亡したため家督を継ぎ、枢密院議員となる。ブラッケ侯爵らを信頼しており、彼らの秘密捜査の結果から、父の仇としてリッテンハイム侯爵を敵視するようになった。

 宇宙暦七六九年の『三・二四政変』ではクレメンツ一世への不信感から最終的にクーデター派を支持。

 

 

・エリアス・フォン・ゾンネベルク

 ブラウンシュヴァイク公爵家一門の重鎮。伯爵家当主。

 宇宙暦七六五年には枢密院議員を務めている。クレメンツ大公が皇帝批判を行った名士会議に出席しており、皇帝批判への同意ともとれる振る舞いをしてしまったために顔面蒼白になる。

 宇宙暦七六八年にクレメンツ一世が即位すると無任所尚書として入閣する。

 宇宙暦七六九年の『三・二四政変』でクーデター派に抵抗して射殺される。

 

・ルトガー・フォン・ヘルクスハイマー☆

 リッテンハイム一門の重鎮。同一門の謀略を担当。伯爵家当主。

 宇宙暦七六五年には枢密院議員を務めている。

 宇宙暦七六八年にクレメンツ一世が即位すると典礼尚書として入閣。貴族にとって重要な情報の一つである帝国学士院の貴族血統データを巡ってブラウンシュヴァイク派の宮内尚書ノイケルン伯爵と対立した。

 宇宙暦七六八年末にはリッテンハイム侯爵に従いクロプシュトック侯爵領に侵攻、後方の補給線維持を担当していたが、クロプシュトック侯爵の策で複数の惑星から追い出され、補給線を寸断される。盟主の怒りを恐れ、本隊に叛乱の規模を過小に報告する一方で、奪還された各惑星に強引な再侵攻を開始する。

 同年の『三・二四政変』でクーデター派から逃走を試みた結果死亡。

 

・レオンハルト・フォン・マリーンドルフ

 オイゲン・フォン・カストロプの叔父。一門のマリーンドルフ伯爵家を継承した。

 宇宙暦七六五年に枢密院議員を務めている。

 

・フランツ・フォン・マリーンドルフ★

 カストロプ一門の名家マリーンドルフ伯爵家の跡取り。後当主。

 宇宙暦七六八年にオイゲン・フォン・カストロプ公爵がすんなりと弾劾された理由の一つは幼少の遺児マクシミリアンに代わって遺産相続の手続きに携わった彼がオイゲンの不正蓄財を知った後、素直に――「積極的に」とさえいえる――その全容を中央政府に報告し、全額を国庫に返還する姿勢を示したからである。この姿勢が評価されカストロプ公爵家の一部領地を与えられ侯爵となった。

 宇宙暦七六九年の帝国名士会議に議員の一人として出席した際には、その稀有な清廉さを知るエーレンベルク侯爵らから議長に推薦された。

 

・コンラート・フォン・バルトバッフェル

 皇族の血を引く名門、バルトバッフェル子爵家の現当主。ダゴン星域会戦前は侯爵位を有していた一族であり、一度男爵位まで下げられたが、晴眼帝の治世で子爵となる。

 頭の回転が速く、社交性に富んでいる。開明派ではリヒター子爵に次ぐ調整家と評価されている。一方で軽薄な振る舞いが多く見られ、派手な女性関係で知られるが、宮廷の要人たちはこれらを一種の擬態であると見做している。その為、彼自身は本気で女性の権利向上に努めているが、周囲からは――同じ開明派でさえほとんどの人間から――まともに取りあってもらえない。なお、開明派内では穏健派。

 カール・フェルディナント・フォン・インゴルシュタットとは幼馴染。

 宇宙暦七六五年に枢密院議員を務めている。翌年からの皇位継承争いでは中立派として振舞う。この頃ヴェストパーレ男爵のサロン、『ベイカー街不正規連隊』によく出入りしている。

 宇宙暦七六七年に枢密院で「オトフリート三世猜疑帝の末弟ブローネ侯爵レオンハルトの爵位を大公に引き上げ摂政とする案」を提案し、全会一致で可決される。同時期、かねてから親交のあったインゴルシュタット、ブラッケ、リヒターらと共に開明派を形成、リヒャルト大公派・クレメンツ大公派双方を批判しつつ改革を主張する。同年には開明派の活動を快く思わない社会秩序維持局からインゴルシュタットと共に出頭を命じられるがこれを拒否して帝都防衛軍司令部に籠城。社会秩序維持局に拘束を断念させる。

 宇宙暦七六八年のクレメンツ一世即位時、宮廷書記官長として入閣。自治領行政改革に取り組んだ。この頃既にブラッケやリヒターに匹敵する程平民からの人気がある。

 

・セバスティアン・フォン・リューデリッツ★

 宇宙暦七五一年頃、兵站輜重副総監を務める。階級は宇宙軍大将。保守的な価値観を持つが、極めて優秀な能吏であり、ジークマイスター機関の活動に気づく。暗闘の末、ミヒャールゼンの存在に辿り着き、ミヒャールゼンを死に追い込んだと思われる。

 宇宙暦七五六年頃には軍部改革派を率いている。名門帯剣貴族家出身。

 宇宙暦七六〇年頃、兵站輜重総監を務めており、階級は宇宙軍上級大将。オトフリート五世に『イゼルローン要塞建設建白書』を提出した。フェザーン勢力とリッテンハイム一門の協力を得ている模様。リューベック騒乱にどこまで絡んでいたかは不明だが、グリュックスブルク中将は必ずしも彼の思い通りに行動した訳ではない様子。

 宇宙暦七六三年にはついにイゼルローン要塞建設着工を実現させた。

 宇宙暦七六六年、イゼルローン要塞の建設費高騰の責任を取り兵站輜重総監を辞任する。

 宇宙暦七六九年には後備兵総監を務めている。階級は宇宙軍上級大将。『三・二四政変』に平民将校を引き込み、実働部隊を指揮した。クーデター派に協力した動機はジークマイスター機関の生き残りに勘付き、そのメンバーを根絶やしにしたかったから。

 

・フランツ・フォン・リューデリッツ

 セバスティアン・フォン・リューデリッツの弟。

 宇宙暦七六九年にエッケオストマルク総督府警備艦隊司令を務めている。階級は宇宙軍中将。

 

・アルベルト・フォン・リューデリッツ

 セバスティアン・フォン・リューデリッツの弟。

 宇宙暦七六九年にゲルマニア防衛軍司令官を務めている。階級は宇宙軍中将。『三・二四政変』では重要な役割を果たした。

 

・ハンネマン・フォン・シュターデン☆

 宇宙暦七六六年時点で宇宙軍大尉。アルベルトの部下であり、宇宙艦隊総司令部情報部第三課勤務。

 宇宙暦七六七年にはドラゴニア特別派遣艦隊所属第一二特派戦隊司令部に作戦参謀として配属される。

 

・リヒャルト・フォン・グローテヴォール

 ハウザー・フォン・シュタイエルマルクの元部下。

 宇宙暦七六六年時点で青色槍騎兵艦隊司令官兼ドラゴニア辺境軍管区司令を務めている。階級は宇宙軍大将。政争の影響で補給が滞っている中で苦しい戦いを何度も強いられる。第四次ドラゴニア会戦では甚大な被害を出しながらもなんとか同盟軍を撃退した。同年には独断で有力者に電報を送り、窮状を訴えた。

 同年四月、フレデリック・ジャスパー率いる四個艦隊の侵攻を受ける。正攻法では抗しきれないと判断したため、ジャスパーと直属の第四艦隊を撃破することで一発逆転を狙い、アスターテ星系で迎え撃つ。その部隊の置かれた状況から考えうる限り最高の勇戦をしながらも力尽き敗北。自身は直属と共に殿を務め玉砕した。

 

・クレーメンス・アイグナー

 ハウザー・フォン・シュタイエルマルクの元部下。第二次ティアマト会戦に参戦した数少ない平民将官の一人。

 宇宙暦七六六年時点で青色槍騎兵艦隊副司令官を務めている。階級は宇宙軍中将。兵士から人望厚い人物であったが、それ故にアスターテ会戦では彼の戦死をキッカケに戦線が崩壊した。



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第三章登場人物紹介・その二

皆さん大体章が進むに連れて登場人物紹介をやらなくなっていくんですよね。
実際自分でやって見て気づきました。これ章が進むほど大変ですね。紹介を省いても良いんですが、主要人物よりは重要か重要じゃないか微妙なライン(例えばアンドレアス公爵とか)の方が紹介の需要がありそうっていうのが悩ましいです。帝国は貴族制ですから苗字だけだと後々混乱を招きかねないですし。

そういう訳なので登場人物紹介の続きは後回しにして今日中に最新話投下しておきます。
登場人物紹介その三とか年表はボチボチ作っておきます。


・オットー・フォン・ブラウンシュヴァイク★

 建国以来の歴史を誇るブラウンシュヴァイク公爵家の当主。ゴールデンバウム王朝から見ると実は外様の一族であり、警戒されている。一方でブラウンシュヴァイク側も国家への帰属心はさして持ち合わせていない。

 宇宙暦七六五年頃、クレメンツ大公に接近し、これを取り込む。それ以前から貴族への課税も含む租税法改正等に反対していた。

 宇宙暦七六六年にオトフリート五世が崩御すると、クレメンツ大公を支持して要塞建設や緊縮財政を批判する。また、務めて『臣民の味方』を演じた。この時期、リヒャルト大公派と激しく対立する。

 宇宙暦七六八年のクロプシュトック事件では軽傷を負うに留まる。内務尚書カール・フォン・ブラッケ侯爵の秘密捜査チームは、当初ブラウンシュヴァイク公爵もまた爆弾テロの標的の一人に含まれていたのではないかと推測した。同年のクレメンツ一世即位時、宰相代理兼国務尚書に就任する。

 宇宙暦七六九年、独断でクロプシュトック征伐を敢行するが、クロプシュトック侯爵の激しい抵抗にあう。同年の名士会議で撤兵に同意する。また同名士会議でブラッケ侯爵による追及を利用する形で首尾よくリッテンハイム侯爵を司法尚書の座から引きずり下ろした。名士会議後、いよいよ足元を固めて開明派との対立姿勢を鮮明にしていたが、『三・二四政変』で拘束され、国家反逆罪に問われあっさりと処刑される。

 

・ウィルヘルム・フォン・リッテンハイム(四世)★

 建国以来の歴史を誇るリッテンハイム侯爵家の当主。ゴールデンバウム王朝から見ると実は外様の一族であり、警戒されている。一方でリッテンハイム側も国家への帰属心はさして持ち合わせていない。

 宇宙暦七六五年頃、クレメンツ大公に接近し、これを取り込む。それ以前から貴族への課税も含む租税法改正等に反対していた。

 宇宙暦七六六年にオトフリート五世が崩御すると、クレメンツ大公を支持して要塞建設や緊縮財政を批判する。また、務めて『臣民の味方』を演じた。この時期、リヒャルト大公派と激しく対立する。

 宇宙暦七六八年のクロプシュトック事件では爆心地から離れており無傷だった。内務尚書カール・フォン・ブラッケ侯爵の秘密捜査チームは、リッテンハイム侯爵がクロプシュトック事件の本当の黒幕であると推測した。同年のクレメンツ一世即位時、司法尚書に就任する。

 宇宙暦七六九年、ブラウンシュヴァイク公爵が独断でクロプシュトック征伐に乗り出したためにこれを激しく批判したが、いくらかの取引の後、自身も私兵を率いて侵攻した。しかし、クロプシュトック侯爵の激しい抵抗にあう。同年、ブラッケ侯爵らの秘密捜査チームの存在が明らかになり、ブラッケ侯爵の強硬姿勢に慌てて名士会議を開き、ブラッケを失脚させようとする。が、ブラッケ(正確にはインゴルシュタット)の用意した切り札を前にその試みは失敗し、さらにブラウンシュヴァイク公爵の奇襲で失脚に追い込まれる。

 しかし、同年の『三・二四政変』時にはそれが幸いし既に領地に帰っていた為、拘束を免れた。

 

・クラウス・フォン・トラーバッハ

 ブラウンシュヴァイク派の名門領地貴族。伯爵。

 宇宙暦七六七年頃、クレメンツ大公派としてリヒャルト大公派と対立した。

 宇宙暦七六九年頃、クロプシュトック征伐に参加した結果、クロプシュトック侯爵軍の敗北し戦死。生前、クリスティーネ・フォン・ゴールデンバウムを馬鹿にしていた。

 

・アーベル・フォン・ヒルデスハイム

 ブラウンシュヴァイク一門の重鎮。伯爵。

 宇宙暦七六七年頃、クレメンツ大公派としてリヒャルト大公派と対立した。

 

・クルト・フォン・ヒルデスハイム

 ヒルデスハイム伯爵家の縁者。ブラウンシュヴァイク一門から軍に送り込まれた尖兵の一人。

 宇宙暦七六七年にドラゴニア特別派遣艦隊で副参謀長を務める。階級は宇宙軍准将。実家からのプレッシャーから功を焦っており、ドラゴニア三への核攻撃を画策した。

 宇宙暦七六八年の大敗時、行方不明となる。

 

・ヨッフェン・フォン・レムシャイド★

 建国以来の名門官僚貴族家、レムシャイド伯爵家の嫡子。優秀な内務官僚であり、またそれにも関わらず辺境勤務の経験も多く、特に難治の地であるアウタースペースの自治領政策に精通している。その為、貴族階級の特権意識を持ちながらも「下々の暮らし」を(貴族階級の内務官僚としては)極めて偏見なく理解している。

 宇宙暦七六七年頃、リヒャルト大公派としてクレメンツ大公派と対立した。

 宇宙暦七六八年にクレメンツ一世が即位するとリヒャルト大公派の主だった者は粛清されたが、門閥派への牽制として彼は粛清されず、国務省フェザーン高等弁務官事務所参事官に任命された。

 

・ブルーノ・フォン・ヴェストパーレ

 爵位こそ低いが、明敏な頭脳と洗練された立ち振る舞い、そして整った顔立ちの持ち主であり、高名な歴史学者として広く知られている。また、熱烈な地球趣味者としての顔を持つことでも知られており、いわゆるシャーロキアンである。帝国大学歴史学部特任教授。

 宇宙暦七六六年頃、後に開明派を形成する人々が少しずつ彼のサロン『ベイカー街不正規連隊』に集まり始める。

 宇宙暦七六七年頃には彼自身も開明派の一員として知られているが、彼自身は政治の世界から距離を置いている。しかし、開明派を形成する彼の友人たちが対立した際はその間に立つことを厭わない。

 宇宙暦七六九年の帝国名士会議にはその歴史学者としての声望と恐らくは開明派への影響力から議員の一人として選ばれる。

 

・カミル・フォン・クロプシュトック

 ウィルヘルム・フォン・クロプシュトック侯爵の叔父であり、分家の伯爵家を継いだ人物。予備役中将の階級を持つ。

 宇宙暦七六六年頃、彼の娘コンスタンツェとアルベルトの婚約が決まるが、同年のオトフリート五世の崩御、その後のドラゴニア戦役などが原因で挙式は上げられなかった。同時期、中立派のサロンを訪れてはリヒャルト大公派の支持拡大に努めている。

 宇宙暦七六八年のクロプシュトック事件で死亡。しかし、黒幕に仕立てられるクロプシュトック侯爵の縁者が死んでいるのは都合が悪いということでその死は隠蔽された。

 宇宙暦七六九年の帝国名士会議では内務尚書カール・フォン・ブラッケ侯爵が彼が死亡している事実を突きつけて憲兵総監部の捜査の不備を指摘、そこにブラウンシュヴァイク公爵が便乗し、リッテンハイム侯爵の失脚へと繋がった。

 

・コンスタンツェ・フォン・クロプシュトック

 カミルの娘。アルベルトの婚約者。

 宇宙暦七六八年のクロプシュトック事件で父が死亡する姿を目撃。クロプシュトック侯爵が下手人と発表された後は、婚約者のライヘンバッハ家を頼り、匿われた。気落ちしていた彼女を元気づける為にアルベルトは色々と試み、その結果として最終的に彼女は本の虫となった。アメリア・イアハートの伝記を読んでパイロットに憧れるような純真な性格。

 

・ラルフ・ヘンドリック・フォン・クラーゼン☆

 元『有害図書愛好会』非常勤参謀長。アルベルトの友人。察しがよくジークマイスター機関の存在に勘付いているが、物証がない事と彼の一族の家訓に従い、深くを知ろうとはしていない。

 宇宙暦七六六年にはガイエスブルク要塞司令部情報副部長に着任。階級は宇宙軍中佐。

 宇宙暦七六七年にはドラゴニア特別派遣艦隊所属第一二特派戦隊情報部長に転属。アルベルトを補佐し、一連の戦いで宇宙軍大佐に昇進した。

 宇宙暦七六八年には帝都防衛軍司令部情報部長を務めている。階級は宇宙軍准将。ブラッケ侯爵の秘密捜査チームに参加する。

 宇宙暦七六九年の『三・二四政変』では一早くクーデター派の動きに気づくが、上官のディートハルト・フォン・ライヘンバッハがクーデター派に繋がっていた為に有効な手立てを打てなかった。事態が進行する中でその事実を察し、独自に部隊を動かそうと試みるが、官僚主義に毒された同僚の拒絶に遭い断念。帝都防衛軍司令部を脱出し潜伏した。政変中は息を潜め、ライヘンバッハ裁判終了後に保安警察庁に出頭した。

 

・カール・オイゲン・フォン・フォーゲル

 宇宙暦七六六年時点で幕僚総監を務めている。階級は宇宙軍元帥。元・帝国騎士で元帥昇進時に子爵位を与えられた。

 宇宙暦七六七年に帝国軍三長官が退役したことで宇宙艦隊司令長官に就任する。

 宇宙暦七六八年のクロプシュトック事件で死亡。

 

・マルセル・フォン・シュトローゼマン

 アルベルトが幼年学校で親しかった先輩。領地貴族の男爵家出身。大貴族嫌いで平民嫌い。完全実力主義者。父を第三次エルザス会戦の不自然な状況で失っている。卒業後第四辺境艦隊司令部に配属され、その後兵站輜重総監部勤務、ガルミッシュ要塞駐留艦隊第二分艦隊副参謀長、第二猟兵分艦隊参謀長を務める。

 宇宙暦七六七年にドラゴニア特別派遣艦隊が編成されると同艦隊人事部長に就任。階級は宇宙軍大佐。

 宇宙暦七六八年の大敗時、行方不明となる。

 

・ファビアン・フォン・ルーゲンドルフ

 地上軍に影響力を持つ名門帯剣貴族ルーゲンドルフ公爵家の当主。軍部保守派の地上における重鎮。

 宇宙暦七六七年に統帥本部総長に就任した。階級は地上軍元帥。前職は地上軍総監。気骨と権威を十二分に持ち合わせた軍人であったが、地上軍出身である為に宇宙作戦では軽く見られ、影響力を発揮できなかった。

 宇宙暦七六八年のクロプシュトック事件で負傷し、そのまま退役に追い込まれる。

 宇宙暦七六九年の『三・二四政変』ではクーデター派に拘束される。

 

・ディートハルト・フォン・ライヘンバッハ

 アルベルトの従兄。ライヘンバッハ伯爵家の家督をアルベルトと争う立場。

 宇宙暦七四五年の第二次ティアマト会戦時、カルテンボルン艦隊に属していたが、何とか生還する。

 その後、カール・ハインリヒの下で冷遇されていた。

 宇宙暦七六七年には閑職である幕僚総監部作戦部長を務めていた。階級は宇宙軍中将。同年に上官のフォーゲル元帥が宇宙艦隊司令長官に就任したことで彼から信頼されていたディートハルトも宇宙艦隊総司令部作戦部長として復権する。

 宇宙暦七六八年のクロプシュトック事件でフォーゲル元帥が死亡した後は宇宙艦隊総司令部を追い出され、丁度同事件の責任を追及されたインゴルシュタット中将が左遷されて席が空いた帝都防衛軍司令官に転属する。

 宇宙暦七六九年の『三・二四政変』ではクーデター派に内通し、帝都防衛軍を事実上無力化した。

 

・ヴィンツェル・フォン・クライスト☆

 元『有害図書愛好会』メンバー。アルベルトの友人。クロプシュトック一門でマリエンブルク要塞を任されているクライスト子爵家の嫡男。

 宇宙暦七六七年、ドラゴニア特別派遣艦隊所属第一二特派戦隊後方部長に就任する。

 宇宙暦七六八年にクロプシュトック事件が起きると帝都帰還と同時に憲兵総監部特事局に拘束されそうになるがアルベルトに庇われる。その後、ライヘンバッハ伯爵家の協力で帝都を抜け出す。

 

・ルーブレヒト・ハウサー☆

 元『有害図書愛好会』メンバー。アルベルトの一年後輩。統率力と独創性のある人物。

 宇宙暦七六七年にドラゴニア特別派遣艦隊所属第一二特派戦隊第二六一巡航群司令代理を務めている。階級は宇宙軍少佐。ドラゴニア戦役中に武功を評価され宇宙軍中佐に昇進する。

 

・エッカルト・ビュンシェ

 元『有害図書愛好会』メンバー。敏腕弁護士の息子。

 宇宙暦七六七年にドラゴニア特別派遣艦隊所属第一二特派戦隊情報副部長を務める。階級は宇宙軍少佐。

 

・ユリウス・ハルトマン

 元『有害図書愛好会』メンバー。大商人の息子。幼年学校卒業後ジークマイスター機関に加わる。

 宇宙暦七六〇年に第二辺境艦隊司令部に勤務。『茶会(テー・パルティー)』計画支援に携わった。

 宇宙暦七六七年にドラゴニア特別派遣艦隊所属第一二特派戦隊後方副部長を務める。階級は宇宙軍大尉。

 

・マーシャル・ペイン

 元『有害図書愛好会』メンバー。子爵家令息。

 宇宙暦七六七年にドラゴニア特別派遣艦隊所属第一二特派戦隊憲兵隊長を務める。階級は宇宙軍少佐。

 

・カミル・エルラッハ☆

 アルベルトの幼年学校時代の知人。優秀な能力と、無駄に強い反骨精神、そしてカリスマ性を併せ持つ。幼年学校を不当な退学処分で去った後、敢えて復学せずに士官学校に再入学する。

 宇宙暦七六七年にドラゴニア特別派遣艦隊所属第一二特派戦隊作戦副部長を務める。階級は宇宙軍少佐。

 

・エーリッヒ・フォン・ラムスドルフ☆

 元『有害図書愛好会』メンバー。近衛に影響力を持つ帯剣貴族の名門ラムスドルフ侯爵家の次男。強い選民意識を持っているが、同時に高潔な精神を有しており、経済的・政治的・身分的弱者に対しても決して理不尽な真似はしない。高貴なる者の義務(ノブレス・オブリージュ)を正しく理解している人物。また、観察眼に優れている。

 宇宙暦七六七年には近衛第三旅団長を務める。階級は近衛軍准将。ドラゴニア特別派遣艦隊に旅団を率いて加わった。一連の戦いの中で近衛軍少将に昇進。また、多くの地上軍部隊が取り残される中で生還する。

 宇宙暦七六八年にはクロプシュトック事件のとばっちりを食らった父マルク・ヨアヒムが左遷されたことで、自身も皇室宮殿(パラスト・ローヤル)警備責任者という閑職に回されている。内務尚書カール・フォン・ブラッケ侯爵の秘密捜査チームに参加したアルベルトに協力し、クロプシュトック事件当時、警備にあたっていた平民・下級貴族の近衛兵を集めた。

 宇宙暦七六九年の『三・二四政変』では父が参加しているにも関わらず、当初クーデター派に対して徹底抗戦の構えを取っていたらしい。

 

・マルク・ヨアヒム・フォン・ラムスドルフ

 エーリッヒの父。

 宇宙暦七五五年頃には既に近衛兵総監を務めている。その後、長年に渡って近衛兵総監を務めていた。

 宇宙暦七六八年のクロプシュトック事件で警備の責任を問われ短期間後備兵総監を務めた後予備役に編入された。

 宇宙暦七六九年の『三・二四政変』ではクーデター派の一員として近衛兵総監部を制圧した。政変後近衛兵総監に復帰し、近衛軍元帥となった。

 

・ヘンリク・フォン・オークレール

 ライヘンバッハ一門の末席に名を連ねる帝国騎士家の当主。アルベルトの元護衛士であり、地上軍中佐。ジークマイスター機関の構成員。

 宇宙暦七六七年にはドラゴニア特別派遣艦隊所属第一二特派戦隊副参謀長を務めた。

 宇宙暦七六九年には帝都防衛軍に所属する連隊を指揮しており、階級は地上軍大佐。

 

・ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ★

 宇宙暦七六〇年時点でリューベック駐留艦隊第三作戦群司令代理。階級は宇宙軍少佐。アルベルトの父から「多大な恩」を受けており、アルベルトに対し好意的だった。アルベルトがリューベックに赴任する一年前の大暴動の際に何かあったと思われる。

 リューベック騒乱では早い段階からアルベルトの味方に立ち、要所要所で助けになった。開明的な価値観を持っている訳では無いが、貴族的選民意識は大分弱い。騒乱終結後、宇宙軍中佐に昇進。

 その後も交友は続いている。

 宇宙暦七六七年にはドラゴニア特別派遣艦隊所属第一一特派戦隊司令官を務める。階級は宇宙軍准将。ドラゴニア戦役ではミュッケンベルガー少将やゼークト准将、アルベルトと共に活躍し、同盟軍に「新世代の一一人」として名を知られた。戦役後、宇宙軍少将に昇進。

 

・マルティン・ツァイラー

 宇宙暦七六〇年時点でリューベック駐留帝国地上軍ヘルセ駐屯地司令。地上軍大佐。病院から救出されたフェルバッハ総督を支持した。騒乱終結後、地上軍准将に昇進。

 その後、ジークマイスター機関の協力者となる代わりに帝都勤務に栄転。第一六一混成師団長を務める。ただし、本人は反国家組織に協力しているという自覚は無い。

 宇宙暦七六七年には師団を率いてドラゴニア特別派遣艦隊の指揮下に入る。アルベルトの第一二特派戦隊と行動を共にし、生還する。

 

・ベルンハルト・フォン・シュリーフェン

 宇宙暦七六〇年時点でリューベック駐留帝国地上軍総督府防衛大隊長。地上軍中佐。グリュックスブルク中将の密命を明かし、協力を求めたアーベントロート中尉を「法的根拠が怪しい」と思いながらも諸般の事情を鑑み信用した。騒乱終結後、地上軍大佐に昇進。

 宇宙暦七六七年にはドラゴニア特別派遣艦隊第一分艦隊作戦部長を務める。

 

・リヒャルト・フォン・グリンメルスハウゼン★

 宇宙暦七六六年時点でフリードリヒ大公の侍従武官を務めている。階級は宇宙軍准将。類まれな情報蒐集能力の持ち主であり、閑職にありながらマルティン・オットー・フォン・ジークマイスターという名前に辿り着いて見せた正真正銘の化け物。しかし、それを活かす情報活用能力と情報判別能力は一切持っておらず、結局その情報蒐集能力は親友である主フリードリヒの無聊を慰めることだけに使われた。

 宇宙暦七六八年には宇宙軍少将に昇進していたが、クロプシュトック事件でフリードリヒを庇い死亡。その死はフリードリヒに多大な影響を与えたが、それが良い影響か悪い影響か、この時点では判然としない。「侍従武官の鑑」と称えられ、死後宇宙軍大将に昇進。

 

・フリードリヒ・フォン・ゴールデンバウム★

 オトフリート五世倹約帝の次男。優れた兄と弟が存在し、しかも自分が彼らより劣っている凡庸な人物であることを自覚できる程度の才覚があり、さらに皇室の一員として相応しくあろうと努力する程度に真面目な性格だったために、周囲の期待に応えきれない不甲斐なさに絶望する。その後は凄まじい放蕩生活を送った。一方で妻フィーネの事は彼なりに愛しており、また子供たちに対しては愛情を注いでいた。家族を除くと唯一リヒャルト・フォン・グリンメルスハウゼンのみを親友と認め心を許していた。

 宇宙暦七六六年にアルベルト、ラムスドルフと知り合う。

 宇宙暦七六八年に弟クレメンツが即位するとグリューネワルト公爵位を与えられ、フリードリヒ・フォン・グリューネワルト公爵を名乗るようになる。同年、クロプシュトック事件で唯一無二の親友グリンメルスハウゼンを失う。その後は放蕩を一切しないようになり、皇室宮殿(パラスト・ローヤル)に籠るようになる。この頃、アルベルトやラムスドルフとの交流を深め、彼らを他の人間よりは信用するようになる。

 宇宙暦七六九年の『三・二四政変』の結果、神輿としてフリードリヒ四世として即位させられる。

 

・オスカー・フォン・バッセンハイム

 ハウザー・フォン・シュタイエルマルクの元部下であり、カール・ハインリヒ・フォン・ライヘンバッハの元部下でもある。剛勇で知られる猛将。

 宇宙暦七六六年に黄色弓騎兵艦隊司令官を務めており、階級は宇宙軍大将。第一次アルトミュール会戦でフレデリック・ジャスパー率いるドラゴニア侵攻艦隊を撃退する。

 宇宙暦七六八年に自由惑星同盟軍が『回廊の自由(フリーダム・オブ・コーリダー)』作戦を発動し、大規模侵攻の素振りを見せると、艦隊を率いて回廊防衛に動く。数で劣る上に政争で援軍を得られなかった為に最終的に要塞を爆破して撤退を余儀なくされるが、それまで奮戦し同盟軍にも相当な痛手を与える。しかし自身も旗艦を沈められ負傷。肩腕を失う。

 ドラゴニア=イゼルローン戦役後、敗戦の責任を取らされるが流石に中央政府も政争に明け暮れた負い目を感じており、階級据え置きのまま軍務省高等参事官へ転属という温情措置が取られた。この頃、シュタイエルマルク元帥に請われその元帥府に所属する。しかし、敬愛する元上官カール・ハインリヒを今でも慕っており、明確にライヘンバッハ派として振舞っている。

 宇宙暦七六九年の『三・二四政変』でクーデター派に拘束される。

 

・ワルター・フォン・バッセンハイム

 オスカーの従弟。

 宇宙暦七六七年にドラゴニア特別派遣艦隊第二分艦隊司令官を務めていたが、翌年の大敗の際に第一六二混成師団の反乱で拘束され、同盟軍に引き渡されて虜囚となった。

 

・パトリック・レンネンカンプ

 宇宙暦七六七年にドラゴニア特別派遣艦隊所属第一二特派戦隊参謀長を務める。階級は宇宙軍大佐。当時のライヘンバッハ元帥府に所属していた。宇宙艦隊総司令部で長年作戦参謀を務めていたベテラン。第二次ティアマト会戦ではコーゼル大将の黒色槍騎兵艦隊で巡航艦艦長として戦い抜いた。髪が少し薄くなってきているが堂々たる体躯でアルベルトよりよほど貫禄がある。ヘルムートという息子が居るらしい。

 

・マヌエル・フォン・エッシェンバッハ

 宇宙暦七六七年にドラゴニア特別派遣艦隊所属第一二特派戦隊作戦部長を務める。階級は宇宙軍中佐。当時のライヘンバッハ元帥府に所属していた。比較的若手ではあるが、それでも三五歳。いくつもの会戦に従軍して今の階級まで登り詰めてきた。彼の本家はヴィレンシュタイン公爵の反乱に巻き込まれて断絶したエッシェンバッハ伯爵家であるが、彼自身は帝国騎士出身であり、身分にさほど拘りは無い。ただし、エッシェンバッハ家を再興する夢を持っており、上昇志向は強い。アルベルトの戦隊に配属される際にはカール・ハインリヒに対して熱心に自分を売り込んだらしい。

 

・イグナーツ・フォン・ハウプト☆

 宇宙暦七六七年にドラゴニア特別派遣艦隊所属第一二特派戦隊作戦部長を務める。階級は宇宙軍中佐。軍部保守派で父に近いアルベルト・フォン・マイヤーホーフェン宇宙軍大将が回してくれた人材。ただし、マイヤーホーフェン大将も持て余していたようで、「能力の高さは人事局一だが……扱いづらさでも人事局一」と評している。

 

・カール・バーシュタット・フォン・ブレンターノ☆

 宇宙暦七六七年にドラゴニア特別派遣艦隊所属第一二特派戦隊法務部長を務める。階級は宇宙軍中佐。

 彼の家は帝国騎士であり、代々の当主は皆帝都憲兵隊に勤務している。だがブレンターノ家は彼の父の代からジークマイスター機関の協力者になっており、憲兵隊の内部情報を機関に漏らしていた。それがバレそうになったこともあり、緊急避難を兼ねてアルベルトの戦隊の法務部長に転属してきた。古巣はイゼルローン方面辺境に駐留する戦隊以下の独立部隊及び基地と地上軍及び駐屯地を統括する憲兵総監部警保局第三課。

 宇宙暦七六八年には古巣に戻っているが、そこから内務尚書カール・フォン・ブラッケ侯爵の秘密捜査チームに協力していた。階級は宇宙軍大佐。

 宇宙暦七六九年の『三・二四政変』時には憲兵を集めて要人保護に動いたが、皮肉にも秘密捜査チームの捜査結果を基に内務尚書カール・フォン・ブラッケ侯爵が憲兵総監部の職権を制限していた為に少数の憲兵しか集められず、最終的には降伏を余儀なくされた。

 

・カール・ロベルト・シュタインメッツ★

 宇宙暦七六五年にノイシュタット幼年学校を卒業。士官学校へは進まずにそのまま軍に入り、ザールラント方面で活動する独立分艦隊の一つ、第四猟兵分艦隊に配属された。

 宇宙暦七六七年にドラゴニア特別派遣艦隊が編成されるにあたり、前世の記憶を基にアルベルトから副官に任命された。この時階級は宇宙軍少尉。一連のドラゴニア=イゼルローン戦役でその才能の片鱗を見せる。

 

・ハンス・ヨーデル・フォン・シュムーデ☆

 凡庸だが、帝国軍でも最高クラスの『プロフェッショナル』。独創性は皆無だが、与えられた職責を全うすることにかけて右に出る将官は居ない。要するに優秀な上司が適切な指示を与えたときに水準以上の能力を発揮できるタイプの提督。

 宇宙暦七五一年のパランティア星域会戦でジョン・ドリンカー・コープに完勝。その後、ジャスパーによって痛撃を受け、これによって昇進を逃す。階級は宇宙軍中将。その後、武勲を立てる機会に恵まれず、部隊を転々とする。一応、水準以上の部隊管理能力があると見做されており、別に閑職に回されていた訳ではない。

 宇宙暦七六七年、ドラゴニア特別派遣艦隊司令官に抜擢される。長年武勲を立てる機会に恵まれなかったことで功を焦っており、前のめりの姿勢が目立った。アルベルトはこれによってシュムーデ提督の持ち味が失われることを危惧した。

 宇宙暦七六八年、ドラゴニア星系への侵攻を強行した結果大敗。激戦の中で行方不明となる。

 

・グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー★

 第二次ティアマト会戦後没落したミュッケンベルガー子爵家の当主。士官学校を首席で卒業後、前線でも後方でも目覚ましい功績を挙げる。

 宇宙暦七六五年、二七歳の時には既に宇宙軍少将に昇進しており、これはシュタイエルマルク・ライヘンバッハの両元帥さえ上回る昇進スピード。

 宇宙暦七六七年にはドラゴニア特別派遣艦隊副司令官兼第一分艦隊司令官を務めた。その後のドラゴニア=イゼルローン戦役では二倍の敵を撃破するなど大活躍し、シュムーデ中将が行方不明になった後は指揮権を継承する。その戦いぶりは歴戦の猛将バッセンハイム大将や同盟からも一目置かれた。戦役の後宇宙軍中将に昇進。同盟からは「新世代の一一人」の筆頭と見做され、称えられた。

 

・ロータル・フォン・ライヘンバッハ

 宇宙暦七六七年にドラゴニア特別派遣艦隊地上担当副司令官を務めた。階級は地上軍少将。カール・ハインリヒの従弟にあたる。ドラゴニア=イゼルローン戦役の中で戦死する。

 

・ヨーゼフ・フォン・グライフス☆

 宇宙暦七六七年にドラゴニア特別派遣艦隊所属第一特派戦隊司令官を務めた。階級は宇宙軍准将。ドラゴニア=イゼルローン戦役ではミュッケンベルガー少将の旗下で奮戦し、「新世代の一一人」に数えられたが、最終盤のアルテナ星域会戦で戦死。

 

・ミヒャエル・ジギスムント・フォン・カイザーリング★

 宇宙暦七六七年にドラゴニア特別派遣艦隊所属第四特派戦隊司令官を務めた。階級は宇宙軍准将。温厚な性格で人望厚い。巧緻な戦いぶりに定評がある。ドラゴニア=イゼルローン戦役で活躍し、「新世代の一一人」に数えられた。

 

・クリストフ・フォン・リブニッツ

 宇宙暦七六七年にドラゴニア特別派遣艦隊第三分艦隊司令官を務めた。階級は宇宙軍少将。建国以来の名門帯剣貴族家であるリブニッツ侯爵家の血を引く壮年の勇将。翌年の大敗時に戦死する。

 

・ウォルフラム・フォン・リブニッツ

 宇宙暦七六九年に第三装甲擲弾兵師団長を務める。階級は地上軍少将。『三・二四政変』でクーデター派に拘束される。

 

・マティアス・フォン・ハルバーシュタット

 ライヘンバッハ一門に連なる子爵家の当主。ライヘンバッハ元帥府の勇将として知られる。

 宇宙暦七六七年にドラゴニア特別派遣艦隊第四分艦隊司令官を務める。階級は宇宙軍少将。翌年の大敗時に重傷を負い、戦線を離脱する。

 宇宙暦七六九年には回復し、帝都防衛軍宇宙部隊司令官を務めている。階級は宇宙軍中将。同年の『三・二四政変』でクーデター派に拘束される。

 

・パスカル・フォン・シェーンコップ

 ワルターという息子がいる。親友のワルター・フォン・バッセンハイムから取った名前。ジークマイスター機関構成員の一人。

 宇宙暦七六七年時点で第一六二混成師団長を務めており、階級は地上軍准将。ドラゴニア特別派遣艦隊に師団を率いて加わる。ドラゴニア特別派遣艦隊の情報を同盟軍に漏らし、翌年の大敗を仕組んだ。その後親友のワルター・フォン・バッセンハイムを裏切って反乱を起こし艦隊を制圧、自身は亡命し、核攻撃を防いだ英雄として歓迎された。

 

・レオンハルト・フォン・ブローネ

 オトフリート三世猜疑帝、エルウィン=ヨーゼフ一世誠賢帝の弟にあたる人物。侯爵。兄二人の政治家としての才能と比べても見劣りしない芸術的才能を有した天才。オットー・ハインツ二世帝即位式を無断欠席した際も、自身の絵画を献上することでオットー・ハインツ二世帝の怒りを治めた。

 宇宙暦七六七年、リヒャルト大公とクレメンツ大公の皇位継承争いが激化し、政治的空白が生まれていることを憂慮した貴族たちによって摂政・大公に任じられる。

 宇宙暦七六八年のクロプシュトック事件で死亡。

 

・オトフリート・フォン・ゴールデンバウム三世★

 猜疑帝。元々コルネリアス二世の姉とリンダーホーフ侯爵の息子。優秀な軍人であり、血筋に助けられながらも第二次ティアマト会戦前には統帥本部次長に上り詰めていた。第二次ティアマト会戦後、多数の貴族将官の戦死とそれに伴う軍上層部の引責辞任によって一時的に帝国軍三長官に任命される。最終的には帝国宰相も兼任したが、宇宙暦七五一年のミヒャールゼン暗殺事件前後に猜疑心に囚われるようになり、最後は衰弱死した。皇太子時代に財政再建に尽力し、皇室財産の解放で何とか破綻をギリギリで回避した。

 偽アルベルト大公事件前後にジークマイスター機関と接触があった可能性が有る。

 

・エルウィン=ヨーゼフ・フォン・ゴールデンバウム一世★

 誠賢帝。オトフリート三世の弟でリンダーホーフ侯爵。オトフリート三世の衰弱死後、死ぬ直前に帝位継承者に指名されたこともあり、混乱した宮廷を治める為に中継ぎで即位する。類まれな決断力と鉄の意思で宮廷に秩序を回復し、その後、一年弱で甥のオトフリートに譲位を断行した。彼自身はそれが帝国に秩序を回復すると信じており、あながち間違った判断でも無かったが、後世の歴史家の一部は「誠賢帝は自身が誠実であることに拘った結果、強精帝の下で貴族が増長する結果を招いた」として批判している。

 

 



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第三章登場人物紹介・その三

・カール・フォン・ブラッケ★

 メルレンベルク=フォアポンメルン行政区の大領地貴族であるブラッケ侯爵家の当主。ブラッケ侯爵家は外様の家柄であり、交渉と妥協によって帝国貴族となった為に代々開明的な気風が強い。カールも例に漏れず開明思想の持ち主だが、歴代の当主とは違い国政レベルでの改革を志している。宇宙暦七六七年頃形成された開明派の指導者。開明派内では過激派。

 オトフリート三世猜疑帝の第一皇女の息子であり、したがってオトフリート三世猜疑帝の甥が継承したリンダーホーフ侯爵家とは縁戚関係にある。

 宇宙暦七六七年頃、ヴェストパーレ男爵邸のサロンに集った帝位継承争いの中立派を糾合し開明派を形成する。同年に『平民身分とは何か』を巡って社会秩序維持局と開明派が対立すると、帝都の各地で熱弁を振るい民衆を扇動、民衆人気を武器とするクレメンツ大公を味方につけ、インゴルシュタット中将とバルトバッフェル子爵の逮捕を防いだ。

 宇宙暦七六八年にクレメンツ一世が即位すると内務尚書に就任。ヴィルフリート・グルックを初めとする開明派官僚を引き立て、内務省改革に乗り出した。特に人材の掃きだめであった民政局の再建に尽力した。自身の出自もあり、辺境の分離・独立の動きには融和的な姿勢を取った。同年、クロプシュトック事件の経緯に不信感を抱き無任所尚書フォルゲン伯爵と共に秘密捜査チームを結成する。これが露見した為に枢密院で解任動議が可決されるが、名士会議の場で憲兵総監部の捜査に不備があったことを証明し、逆に司法尚書リッテンハイム侯爵を辞任に追い込んだ。

 宇宙暦七六九年の『三・二四政変』では民衆人気から人質を取られてクーデター派への協力を強制されたが、アルベルトの裁判で我慢の限界に達し、クーデター派に公然と楯突いた。

 

・オイゲン・フォン・リヒター★

 リンダーホーフ侯爵家一門に連なるリヒター子爵家の当主。しかし、リンダーホーフ侯爵家の血は薄い。オトフリート四世強精帝の息子でオットー・ハインツ二世帝の異母弟であり、その為に両皇帝と遠縁のリンダーホーフ侯爵家一門で断絶したリヒター子爵家を継承した。帝国大学経済学部卒業後一貫して財務官僚としてキャリアを積んでおり、リヒター子爵家は領地貴族家であるが、本人は自他共に認める生粋の官僚貴族。元々リヒテンラーデらと同じ旧ミュンツァー派に属し、左派の中心人物であったが、宇宙暦七六七年頃形成された開明派の指導者となった。開明派随一の調整家。

 宇宙暦七六七年頃、ヴェストパーレ男爵邸のサロンに集った帝位継承争いの中立派を糾合し開明派を形成する。同年に『平民身分とは何か』を巡って社会秩序維持局と開明派が対立すると、帝都の各地で熱弁を振るい民衆を扇動、民衆人気を武器とするクレメンツ大公を味方につけ、インゴルシュタット中将とバルトバッフェル子爵の逮捕を防いだ。

 宇宙暦七六八年にクレメンツ一世が即位すると財務尚書に就任。前任者のカストロプ公爵が乱した秩序の回復に努めた。出来る限り門閥貴族の影響を排する形で経済政策を立てようと試みていたが、それ故に地方門閥貴族から批判を浴びた。

 宇宙暦七六九年の『三・二四政変』では民衆人気から人質を取られてクーデター派への協力を強制されたが、アルベルトの裁判で我慢の限界に達したブラッケ侯爵が暴発したことで、クーデター派のシナリオから外れた台詞を喋った。

 

・カール・フェルディナント・フォン・インゴルシュタット

 『ダゴンの大敗』で責任を取らされたゴットリーブ・フォン・インゴルシュタットの子孫。晴眼帝の下で名誉が回復されたために、子爵家の当主である。以前より官僚貴族の旧ミュンツァー派に近い人物だったが、宇宙暦七六七年頃に開明派が形成されるとその軍部における支援者となった。バルトバッフェル子爵とは幼馴染。

 実はジークマイスター機関の古参メンバーであり、シュタイエルマルクの後を継いで指導者となった。

 宇宙暦七六七年頃、教育総監部本部長を務めている。その後、秋の人事異動で帝都防衛軍司令官に転任した。階級は宇宙軍中将。ブラッケ侯爵・リヒター子爵らが形成した開明派の一員として振舞っており、それ故に社会秩序維持局から拘束されそうになったが、帝都防衛軍司令部に立て籠もり窮地を脱した。

 宇宙暦七六八年にクロプシュトック事件が起こると警備責任を取らされ帝都防衛軍司令官を解任される。その後、軍務省官房審議官へ転任。同年にはアルベルトと共にブラッケ侯爵の秘密捜査チームに参加する。実は帝都防衛軍司令官時代に憲兵総監部の偽証を明らかにする『切り札』を発見しており、ブラッケ侯爵にそれを渡した。

 宇宙暦七六九年に『三・二四政変』が起こると潜伏し、アルベルトら軍部ライヘンバッハ派救出の機を伺っていたが果たせなかった。

 

・トーマス・フォン・ブルックドルフ☆

 オーディン高等法院の若手判事。男爵家当主。開明派に近い人物。

 宇宙暦七六七年に開明派が形成されると高等法院や司法省の若手と共にこれに同調する動きを見せた。

 宇宙暦七六八年にクレメンツ一世が即位し、司法尚書にリッテンハイム侯爵が就任するとこれと対立した。同年のクロプシュトック事件の後、嫌疑に問われた旧リヒャルト大公派の官僚一五名に「証拠不十分」として無罪を言い渡した。

 

・オットー・フォン・ノイエ・シュタウフェン

 オトフリート五世倹約帝治世下の内務尚書。ノイエ・シュタウフェン大公の子孫。侯爵家当主。既にノイエ・シュタウフェン侯爵家は家格と過去の栄光だけを持ち合わせる家となっており、内務尚書としてはお飾り。

 宇宙暦七六八年のクロプシュトック事件で死亡。

 

・シュテファン・フォン・ハルテンベルク

 宇宙暦七六七年に内務省保安警察庁公安部長を務めている。伯爵家当主。激しい管轄争いと対立の歴史を有する社会秩序維持局が開明派弾圧に乗り出したことを受け、意図的な不協力行為でインゴルシュタット中将とバルトバッフェル子爵が帝都防衛軍司令部へ逃走するのを助けた。

 宇宙暦七六八年のクロプシュトック事件後、内務尚書ブラッケ侯爵の秘密捜査チームに参加する。

 

・ユリウス・ファルケンハイン

 宇宙暦七六七年のドラゴニア戦役前半、惑星ソンヌにおいて幾度も同盟軍の攻勢を退けた帝国地上軍の名将。階級は地上軍中将。

 

・アルバート・フォン・オフレッサー☆

 宇宙暦七六七年のドラゴニア戦役前半、惑星ドラゴニア三において残存兵力を纏めて長期にわたって同盟軍に抵抗した。装甲敵弾兵。階級は地上軍少将。アドベント攻勢ではドラゴニア星系基地の一区画を一時的に炎上させる程の被害を同盟軍に与えた。

 

・ホルスト・フォン・パウムガルトナー☆

 第二次ティアマト会戦時、ハウザー・フォン・シュタイエルマルク提督の下で参謀長を務めた。

 宇宙暦七六七年には第二辺境艦隊司令官を務めており、オスカー・フォン・バッセンハイム宇宙軍大将と共にジャスパー率いる同盟遠征軍を迎え撃ち善戦した。階級は宇宙軍中将。帝国軍唯一(・・)の知将。

 

・ハンス・ディードリッヒ・フォン・ゼークト★

 宇宙暦七六七年の回廊戦役でドラゴニア特別派遣艦隊第二分艦隊副司令官を務め善戦、『新世代の一一人』に数えられる。階級は宇宙軍准将。戦役終盤に重傷を負い戦線を離脱。

 宇宙暦七六九年には赤色胸甲騎兵艦隊第三分艦隊司令官を務めている。階級は宇宙軍少将。軍部ライヘンバッハ派の一員となっていたが、それ故に『三・二四政変』でクーデター派に拘束される。

 

・イーヴォ・バッハマン、ヘルマン・フォン・フォルゲン、ミヒャエル・フォン・アイゼナッハ

 回廊戦役終盤で戦死した帝国軍指揮官。バッハマンは黄色弓騎兵艦隊第二分艦隊司令官・中将、フォルゲンは第二辺境艦隊副司令官・少将、アイゼナッハは第一二特派戦隊司令官代理・大佐。

 

・ハーゲン、カウフマン、ノーデル

 アルベルトの幕僚。

 

・ラインハルト・フォン・ケレルバッハ

 宇宙暦七六八年に黄色弓騎兵艦隊参謀長を務める。階級は宇宙軍中将。

 

・エドワード・ヤングブラッド

 同盟議会における避戦派の代表格。上院議員。反アッシュビー派の一人でもあった。

 

・アレクサンドル・エティエンヌ・フィルダート

 宇宙暦七六八年における自由惑星同盟最高評議会議長。帝国のアドベント攻勢によって反戦派・避戦派の猛批判を浴び、次期選挙への出馬を断念した。

 

・ロバート・フレデリック・チェンバース★

 宇宙暦七六八年における自由惑星同盟統合作戦本部長。同盟地上軍元帥。七三〇年に士官学校を卒業し、アッシュビーら七三〇年マフィアとも交流があったが、地上軍の士官であったために七三〇年マフィアには数えられることは無かった。ジャスパーの盟友。ドラゴニア=イゼルローン戦役後、政界に進出。

 

・フレデリック・ジャスパー★

 『七三〇年マフィア』の一員。『行進曲(マーチ)』ジャスパーの異名で知られる。帝国からの「解放民」出身者であり、対帝国積極論者。第二次ティアマト会戦以降の積極攻勢、ドラゴニア奪還作戦、『回廊の自由(フリーダム・オブ・コーリダー)』作戦を主導。

 宇宙暦七四七年の第三次エルザス会戦で帝国軍に大敗。「勝ち・勝ち・負け」の「負け」の順番だったらしい。

 宇宙暦七五一年に自由惑星同盟宇宙艦隊司令長官。リューデリッツらの罠に気づいたジークマイスター機関が送った訂正情報に従い、シュムーデ艦隊に痛撃を与える。

 宇宙暦七六七年には宇宙軍元帥となっている。回廊遠征軍を率いてバッセンハイム・パウムガルトナーらと激戦を繰り広げた。

 

・ブライアン・エイジャックス

 宇宙暦七六八年における地上軍将官会議副議長兼ドラゴニア統合任務軍司令官。同盟地上軍大将。ジャスパー派。

 

・メルヴィン・コッパーフィールド☆

 第二次ティアマト会戦時、ベルディーニの艦隊に属していた。

 宇宙暦七六八年における統合作戦本部次長。同盟宇宙軍大将。ジャスパー派。

 

・シルヴェール・ルグランジュ

 宇宙暦七六八年における宇宙艦隊総参謀長。同盟宇宙軍大将。ジャスパー派。

 

・ステファン・ヒース☆

 第二次ティアマト会戦時、アッシュビーの作戦参謀を務めた。ジャスパー派。

 宇宙暦七六八年における同盟第五艦隊司令官。同盟宇宙軍中将。ジャスパー派への忠誠心と能力を併せ持った人物。ドラゴニア=イゼルローン戦役でも活躍した。

 

・クリフォード・ビロライネン

 宇宙暦七六八年における同盟第八艦隊司令官。同盟宇宙軍中将。非ジャスパー派だが対立している訳ではない。

 

・サミュエル・ジョージ・ジャクソン★

 宇宙暦七六八年における同盟第二艦隊司令官。同盟宇宙軍中将。七三〇年に士官学校を卒業するが、反アッシュビー・反ジャスパーの姿勢で知られる。同盟軍随一の勇将。回廊戦役でもそれなりに活躍したが、最終盤、ジャスパーへの不満から戦列を乱して損害を出す。

 

・ハリソン・カークライト

 宇宙暦七六一年における同盟第三艦隊司令官。宇宙軍中将。この頃はジャスパーに近い人物。シドニー・シトレを作戦参謀として重用し、リューベック会戦で帝国軍第二辺境艦隊を撃破した。

 宇宙暦七六七年にも引き続き同職にある。ジャスパーとは距離を置いている。回廊戦役では回廊侵入を成功させるなど活躍した。

 

・ショウ・メイヨウ

 宇宙暦七六八年における同盟第九艦隊司令官。同盟宇宙軍中将。旧ウォーリック系の人物であり、ジャスパー派に近い。

 

・ツェザーリ・ブット☆

 第二次ティアマト会戦時、コープの艦隊に所属していた。

 宇宙暦七六八年に第一一艦隊司令官を務める。同盟宇宙軍中将。ジャスパー派ではあるが、艦隊にはパランティア星域会戦の遺恨が燻っている。

 

・アリアナ・キングストン☆

 宇宙暦七六八年に戦略支援集団司令官を務める。同盟宇宙軍大将。

 

・シドニー・シトレ★

 宇宙暦七六一年に同盟第三艦隊作戦参謀を務めている。宇宙軍少佐。カークライト中将に第二辺境艦隊を誘い込んで逆撃する作戦を献策した。

 宇宙暦七六七年には同艦隊副参謀長を務めている。階級は宇宙軍准将。

 

・イグナーツ・フォン・クラーマー☆

 オトフリート五世倹約帝治世下の憲兵総監。

 宇宙暦七六八年のクロプシュトック事件で死亡。

 

・エドワルド・フォン・リンダーホーフ

 エルウィン=ヨーゼフ一世誠賢帝の長男。侯爵家当主。

 宇宙暦七六八年に枢密院副議長を務めているが、クロプシュトック事件で死亡。

 

・オトフリート・フォン・リンダーホーフ

 エルウィン=ヨーゼフ一世誠賢帝の次男。

 宇宙暦七六八年のクロプシュトック事件で兄が死亡した後家督を相続、枢密院副議長を務める。

 宇宙暦七六九年の『三・二四政変』では当初中立、後クーデター派を支持した。

 

・カール・オットー・フォン・フレーゲル

 ブラウンシュヴァイク一門の重鎮。侯爵。

 宇宙暦七六八年にオーディン高等法院副院長を務めているが、クロプシュトック事件で死亡。

 

・カール・ゲオルグ・フォン・フレーゲル

 カール・オットーの息子。侯爵。

 宇宙暦七六八年にクレメンツ一世が即位すると、無任所尚書として入閣した。

 宇宙暦七六九年の『三・二四政変』で拘束、処刑された。

 

・コルネリアス・フォン・エーレンベルク

 名門領地貴族であるエーレンベルク侯爵家の当主。

 宇宙暦七六八年のクロプシュトック事件で負傷。その後、クレメンツ一世が即位すると無任所尚書として入閣する。

 宇宙暦七六九年の『三・二四政変』ではクーデター派に協力し、国務尚書に就任。従弟は軍務尚書フーベルト・フォン・エーレンベルク元帥。

 

・フーベルト・フォン・エーレンベルク☆

 宇宙暦七六一年時点で帝国軍務省高等参事官。宇宙軍中将。領地貴族の名門エーレンベルク侯爵家当主の従弟。リューデリッツと共にミヒャールゼンを追い詰めた。機関の生き残りが居ることを疑っており、リューベックの騒乱に関わった人物を集め査問を行うことで、機関の関与の有無を確かめようとした。

 宇宙暦七六七年には軍務省尚書政務官を務めている。階級は宇宙軍大将。

 宇宙暦七六八年のクロプシュトック事件後、どこかのタイミングで異様な昇進を遂げ、元帥・軍務尚書に栄達。

 宇宙暦七六九年の『三・二四政変』ではクーデター派に内通する。

 

・ハンス・アウレール・グデーリアン

 宇宙暦七六八年、回廊戦役に際して撤退支援の為に黒色槍騎兵艦隊を率いて回廊に赴いた。階級は宇宙軍大将。

 宇宙暦七六九年の『三・二四政変』ではクーデター派の一員として振舞った。

 

・アルブレヒト・フォン・キールマンゼク

 オトフリート五世倹約帝治世下の宮内尚書。官僚貴族。伯爵家当主。

 宇宙暦七六七年頃の帝位継承争いではリヒャルト大公を支持。

 宇宙暦七六八年のクロプシュトック事件で死亡。

 

・アルトリート・フォン・キールマンゼク☆

 アルブレヒトの息子。

 宇宙暦七六九年の『三・二四政変』後に行われたライヘンバッハ裁判で検察官を務める。

 

・ヨアヒム・フォン・バルマー

 オトフリート五世倹約帝治世下の司法副尚書。官僚貴族。子爵。

 宇宙暦七六七年頃の帝位継承争いではリヒャルト大公を支持。

 宇宙暦七六八年のクロプシュトック事件で死亡。

 

・クルーゼンシュテルン、ゲッフェル、カール・アウグスト・フォン・ヴァルテンベルク☆、シュトックハウゼン、フォルバー、アルレンシュタイン、フェルデベルト

 宇宙暦七六八年のクロプシュトック事件で死亡した軍高官。左から大将・兵站輜重副総監、大将・地上軍第一軍集団司令官、中将・赤色胸甲騎兵艦隊副司令官、中将・教育総監部要塞砲戦監、中将・近衛第二分艦隊司令官、中将・統帥本部人事部長、中将・士官学校長。

 

・エリアス・フォン・ノイケルン☆

 ブラウンシュヴァイク派の領地貴族。伯爵家当主。

 宇宙暦七六八年にクレメンツ一世が即位すると宮内尚書に就任。帝国学士院の管轄を巡ってリッテンハイム派の典礼尚書ヘルクスハイマー伯爵と対立した。同年には彼の領地で暴動が発生する。

 宇宙暦七六九年の『三・二四政変』で拘束、他のブラウンシュヴァイク派と同様に処刑された。

 

・ヨハネス・フォン・バルヒェット

 ブラウンシュヴァイク一門の領地貴族。伯爵家当主。

 宇宙暦七六八年にクレメンツ一世が即位すると科学尚書に就任。

 宇宙暦七六九年の名士会議で地方交付金が拡充されると、それを大規模カジノ施設建設に充てた。同年の『三・二四政変』で拘束、他のブラウンシュヴァイク派と同様に処刑された。

 

・ミヒャエル・フォン・バルヒェット

 ヨハネスの息子、アルベルトとは幼年学校で同期であったが、仲は良くなかった。

 

・ハンス・ウルリッヒ・フォン・ランズベルク

 ブラウンシュヴァイク一門の領地貴族。伯爵家当主。

 宇宙暦七六八年にクレメンツ一世が即位すると無任所尚書に就任。末弟にコンラート、息子にアルフレッド。

 宇宙暦七六九年の『三・二四政変』で拘束、他のブラウンシュヴァイク派と同様に処刑された。

 子や末弟と違い、貴族基準ではそれなりに優秀。

 

・コンラート・フォン・ランズベルク

 ハンス・ウルリッヒの末弟。特権意識に毒されているものの基本的には極めて善良な人物、しかし官僚としては名門生まれにも関わらずド辺境に左遷されるくらい無能。

 宇宙暦七六一年にリューベック総督府教育局長。アルベルトとの個人的な友誼からリューベック騒乱で彼を支持したが、割とお荷物だった。

 宇宙暦七六八年には中央に帰還しているが、やはり閑職の内務省民政局福祉課長に回されている。男爵位を保持している。クロプシュトック事件では純粋な善意からアンドレアス公爵の椅子の上にあった爆弾を閣僚席=最も高官が集まる場所に運ぶよう侍従に頼んだ。コンラートがお節介を焼かなければブラウンシュヴァイク公爵、フォルゲン伯爵らが死に、アンドレアス公爵とリヒャルト大公が黒幕とされていた。どちらにしろろくでもない結果だったが、被害はもう少しマシだった模様。

 

・マティアス・フォン・フォルゲン

 イゼルローン方面辺境最大の領地貴族。伯爵家当主。以前のイゼルローン方面辺境にはフォルゲン伯爵家に匹敵する大貴族はいくらでも居たが、自由惑星同盟との戦争が激化するにつれてほとんどの大貴族が望むと望まざるとに関わらず領地を去ることになった。フォルゲン伯爵家はその中で例外的に元々の領地に踏み止まり抵抗を続ける貴族家。領地を追われたら行くところが無くなる中小貴族は大貴族のように領地を捨てる訳にもいかず、自然フォルゲン伯爵家の庇護下に入り、共に自由惑星同盟との戦闘を続けることになった。

 そんなフォルゲン伯爵家も元々は一般的な外様系領地貴族であったが、長年に渡る自由惑星同盟との戦いの中で中央への帰属意識を強めており、その気風は下手な帯剣貴族家よりも武闘派である。最前線の家故に、後方で権力争いに明け暮れる他の貴族を蔑視している。特に近隣であるブラウンシュヴァイク公爵家・リッテンハイム侯爵家のことは怨敵自由惑星同盟に匹敵する程憎んでいる。

 宇宙暦七六八年にクレメンツ一世が即位すると、中立派として無任所尚書に就任。同年には内務尚書ブラッケ侯爵と共にクロプシュトック事件の秘密捜査チームを結成、多忙なブラッケに代わり陣頭指揮を執った。この動きが露見し、ブラッケと共に枢密院で解任動議が可決されたが、同年の名士会議でリッテンハイム侯爵が失脚したことで難を逃れた。

 宇宙暦七六九年の『三・二四政変』ではクーデター派に抵抗した後、拘束される。

 

・エルンスト・グスタフ・フォン・ボーデン

 領地貴族の伯爵家当主。特定の派閥には加わっていないが、リッテンハイム侯爵家の血を引いている。

 宇宙暦七六八年にクレメンツ一世が即位すると無任所尚書に就任。

 宇宙暦七六九年の『三・二四政変』で拘束される。

 

・フランク・マテウス・フォン・レッケンドルフ

 官僚貴族の子爵家当主。開明派の一員。

 宇宙暦七六八年に国務尚書ブラウンシュヴァイク公爵の下で国務次官補を務めていたが、保守的なブラウンシュヴァイク公爵とは上手く行かず、辞表を提出する。

 宇宙暦七六九年には国税庁長官を務めていたが、内務省社会秩序維持局に拘束される。ブラウンシュヴァイク公爵に対する最も先鋭的な批判者の一人。

 

・ヴァルター・フォン・グレーテル

 領地貴族の伯爵家当主。ブラウンシュヴァイク公爵やリッテンハイム侯爵を以ってしても無視はできない勢力を有している。

 宇宙暦七六七年頃の帝位継承争いでは中立派として振舞う。

 宇宙暦七六九年のライヘンバッハ裁判ではアルベルトに国家反逆罪が成立するという見解を述べた。

 

・オイゲン・フォン・グレーテル

 ヴァルターの息子。幼年学校におけるアルベルトの友人の一人であり、元『有害図書愛好会』メンバー。

 宇宙暦七六八年に教育総監部副宙雷戦監を務める。階級は宇宙軍少将。

 

・カール・ヨハネス・フォン・リューネブルク

 領地貴族の伯爵家当主。クロプシュトック侯爵領と領地が隣接する。

 宇宙暦七六七年頃の帝位継承争いではリヒャルト大公を支持。

 宇宙暦七六八年にクレメンツ一世が即位するとリヒャルト大公派は粛清されたが、ブラウンシュヴァイク公爵家・リッテンハイム侯爵家を牽制する役割を担う家の一つであったために粛清対象から外された。同年には内務尚書ブラッケ侯爵の結成した秘密捜査チームに参加する。枢密院議員。『西離宮大火』で下手人として疑われたことに対する憤りから秘密捜査チームの存在を暴露しながらクレメンツ大公派を批判した。

 宇宙暦七六九年の『三・二四政変』ではクーデター指導者の一人となり、アルベルトを拘束した。その後のライヘンバッハ裁判では有罪を主張しながらもアルベルトの境遇に同情して手心を加えようとした。

 

・ランベルト・フォン・クライスト

 クロプシュトック一門の帯剣貴族家であるクライスト子爵家当主。

 宇宙暦七六八年時点で宇宙軍中将の階級にあり、マリエンブルク要塞防衛司令官を務める。ブラウンシュヴァイク公爵家・リッテンハイム侯爵家の侵攻を前に迎撃を指揮した。

 

・トラウゴット・フォン・フォイエルバッハ

 下位の帯剣貴族家出身者。インゴルシュタットと同じ開明派を標榜する軍人。

 宇宙暦七六八年時点でマリエンブルク要塞駐留艦隊司令官を務めている。階級は宇宙軍中将。駐留艦隊はクロプシュトック侯爵家の牽制も役割の一つとしていたが、クロプシュトック事件の経緯に不信感を持っていたこともありクロプシュトック侯爵を支持する。その後、侵攻してきたブラウンシュヴァイク公爵家・リッテンハイム侯爵家の私兵部隊を相手に八面六臂の活躍をした。

 

・ヴィクトール・ライムント・フォン・シュミットバウアー

 ブラウンシュヴァイク公爵家一門の重鎮。侯爵家当主。

 宇宙暦七六八年のクロプシュトック征伐で後方を預かる。

 宇宙暦七六九年の『三・二四政変』時に死亡。

 

・エーリッヒ・フォン・シュタインハイル

 リッテンハイム侯爵家一門の重鎮。侯爵家当主。

 宇宙暦七六八年のクロプシュトック征伐で後方を預かる。

 宇宙暦七六九年の『三・二四政変』時に枢密院議長を務めていたが死亡。

 

・ウィルヘルム・フォン・ローゼン

 ブラウンシュヴァイク公爵家一門に連なる貴族。子爵家当主。

 宇宙暦七六八年のクロプシュトック征伐で後方を預かる。

 

・バルドゥール・フォン・モルト☆

 帯剣貴族の男爵家の分家筋出身。

 宇宙暦七六八年に近衛第一旅団第二大隊長を務めている。階級は近衛軍中佐。クロプシュトック事件当時に警備を担当していた軍人の一人。

 

・ファウスト・ノイヤー、フォン・ブラームス、アクス、フォン・ジングフォーゲル、シュルツ、フックス、シェーファー

 クロプシュトック事件当時に警備を担当してた軍人の一人。左から近衛軍中佐、近衛軍大尉・帝国騎士、近衛軍少尉、近衛軍中尉・帝国騎士、近衛軍少尉、近衛軍曹長、近衛軍伍長。

 

・エルンスト・カルテンボルン

 帝国宇宙軍少将。帝都幼年学校長に就任すると同時に宇宙軍中将に昇進。第二次ティアマト会戦で兄が死んで以降、地方に左遷されていたが、ハーゼンシュタイン教育総監に抜擢された。

 左遷される前から兄に比べ評判の良くない軍人であったが、左遷されたことで完全に暴走。信じられない程の『管理教育』で貴族・平民の双方を締め付ける。平民に対する蔑視感情は相当な物で、帝都幼年学校で少なくとも一人の生徒を殺害している他、辺境でも同様に生徒を『病死』『事故死』に追い込んでいる。エルラッハから全てを聞いたアルベルトとクルトの憎悪を買い、『有害図書愛好会』によって失脚させられる。さらにこれまでの悪事も暴かれ、オーディン高等法院で裁かれた。最低でも貴族位は剥奪された模様。

 宇宙暦七六九年のクロプシュトック征伐時、ブラウンシュヴァイク公爵家の私兵部隊を指揮していたが、フォイエルバッハ宇宙軍中将の艦隊に惨敗した。

 

・クリストフ・フォン・ファイネン

 ブラウンシュヴァイク公爵家一門に連なる人物。コンラート・フォン・ランズベルクとは友人関係。

 宇宙暦七六八年に掌典次長を務めていた。クロプシュトック事件で死亡。

 

・カール・ホルスト・フォン・ヴァルモーデン

 リッテンハイム侯爵家一門の重鎮。侯爵家当主。

 

・ヴィルフリート・グルック☆

 カール・フォン・ブラッケ侯爵に見いだされ、重用された平民出身の開明派官僚。

 宇宙暦七六八年に内務尚書政務補佐官を務めている。ブラッケ侯爵と秘密捜査チームの連絡役を務めた。民政局立て直しに尽力した。

 

・アマーリエ・フォン・ゴールデンバウム★

 フリードリヒ四世の第一皇女。御淑やかな美少女。

 

・フィーネ・フォン・ゴールデンバウム

 フリードリヒ四世の最初の妻。宇宙暦七六七年以前に死亡。没落しつつあったエッシェンバッハ伯爵家一門に連なる令嬢であり、聡明さと気の強さと美しさを広く知られていた。オトフリート五世倹約帝は彼女が凡庸なフリードリヒを支え、成長させることを期待してフリードリヒと結婚させたが、結果としてフリードリヒをさらに追い詰めることになった。なお、皇子の妻となるには家柄的に相応しくないという声もあったが、オトフリート五世倹約帝が反対勢力を黙らせた。(また、その後フリードリヒが放蕩生活を始めたため、誰も気にしなくなった)

 フリードリヒとの間にカール、ルートヴィヒ、カスパー、アマーリエ、クリスティーネの五人の子を生す。フリードリヒとの関係は微妙だったようだが、何だかんだ愛されていたらしく、彼女がカスパー出産後死亡した際にフリードリヒは人目を憚らず号泣した。

 

・クリスティーネ・フォン・ゴールデンバウム★

 フリードリヒ四世の第二皇女。聡明で気の強い美少女。プライドが極めて高く、父親と自身を馬鹿にする者は誰であっても許さない。父フリードリヒが良くも悪くも放任主義で(しかし愛情は注ぎながら)育てたために、令嬢らしくない振る舞いが多い。ただし、やろうと思えば姉のような御淑やかな振る舞いも出来る……らしい。

 宇宙暦七六八年には従弟である皇太子エーリッヒを公衆の面前で論破し泣かせ、報復を受けると叔父クレメンツに直接不満をぶつけた。皇室宮殿(パラスト・ローヤル)警備責任者ラムスドルフ少将とライヘンバッハ少将の事はそれなりに気に入っている。また女権拡張論者(フェミニスト)であるバルトバッフェル子爵等少数の例外を除いて殆どの貴族を嫌っている。

 

・カール・フォン・ゴールデンバウム、ベルベルト・フォン・ゴールデンバウム、カスパー・フォン・ゴールデンバウム

 フリードリヒ四世の息子。長男カールは病弱であり、次男ベルベルトは母親の身分が低い、四男カスパーはまだ幼い。

 

・ルートヴィヒ・フォン・ゴールデンバウム★

 フリードリヒ四世の三男であり、後の第一皇子。快活な性格であり、父フリードリヒよりは叔父クレメンツに似る。ただし、カール程ではないが病弱な面がある。親しい人間からはむしろクレメンツよりも伯父リヒャルト大公に似ていると評される。思慮深く、万事に対して自身の全力で向き合い、最善とは限らないが最悪ではない答えを捻りだす。若手貴族の間で流行となりつつある啓蒙思想に触れて、その表面をなぞるのではなく、歴史的な事象と絡めその本質を理解しようと試みる。そんな学者肌の青年。

 

・テオドール・フォン・オッペンハイマー☆

 宇宙暦七六八年のクロプシュトック事件時に帝都憲兵隊司令官。階級は宇宙軍中将。同事件後、大将に昇進し、憲兵総監に就任。リッテンハイム派。同年の名士会議で内務尚書カール・フォン・ブラッケ侯爵にクロプシュトック事件の偽証を明らかにされる。

 宇宙暦七六九年の『三・二四政変』ではどう立ち回ったか地位と命を保つことに成功した。ライヘンバッハ裁判で形だけの弁護人を務めた。

 

 

 

 

 



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第三章登場人物紹介その四・年表

・ステファン・フォン・ブローネ

 レオンハルト・フォン・ブローネ大公の息子。放蕩癖あり。

 

・エドワルド・フォン・パルムグレン

 カール・パルムグレンの子孫、伯爵家当主。格は十分だが権力・影響力は無い。先々帝オットー・ハインツ二世の第二皇女の息子。

 

・ベルベルト・フォン・シャウハウゼン☆

 ヴェストファーレン行政区の端に領土を持つ典型的な辺境貴族。子爵。海賊連合『流星旗軍』の活動に悩まされている。惑星移民史を調べる趣味があり、暦史学者として高名なヴェストパーレ男爵を慕ってサロンに出入りしていた。

 

・ジョン・ラカム

 海賊連合『流星旗軍』の首領。

 

・アドルフ・フォン・グリーセンベック

 アルベルトの母アメリアの兄にしてカール・ハインリヒ長年の腹心。宇宙軍大将。ライヘンバッハ派

 

・ハイナー・フォン・アイゼナッハ

 かつての名門アイゼナッハ男爵家当主でアルベルトの従妹アンドレアの夫である。宇宙軍中将。兵站輜重総監部整備回収局長を務めており、『三・二四政変』で拘束された。ライヘンバッハ派。

 

・ゲルトラウト・フォン・ファルケンホルン

 クヴィスリング元帥府の重鎮。クヴィスリング元帥死亡後、ライヘンバッハ派に合流。宇宙軍上級大将。統帥本部最高幕僚会議議長を務めており、『三・二四政変』で拘束された。

 

・ホルスト・フォン・ライヘンバッハ

 ルーゲンドルフ公爵の五男。断絶したメクリンゲン=ライヘンバッハ男爵家に迎え入れられた。ラインラント警備管区司令を務め、地上軍中将。

 

・ゲオルグ・フォン・ヴァイスバッハ

 開明派に属する官僚貴族。宇宙暦七六九年に帝国中央銀行(ライヒスバンク)頭取を務める。大胆な規制緩和や経済構造の改革による民間投資の刺激が必要であると主張し、経済再建に対する中央銀行以外の役割を強調、金融緩和には消極的な姿勢を取り続けてきたことから、閣僚会議議長を兼ねるブラウンシュヴァイク公爵とは激しく対立してきた。その為、国務尚書ブラウンシュヴァイク公爵に解任された。

 

・クリストフ・フォン・フンク

 宇宙暦七六九年に内務省社会秩序維持局局長を務める。ブラウンシュヴァイク公爵に近い。

 

・ダニエル・アーレンバーグ

 宇宙暦七六〇年にライティラ星系分治府主席。クラークライン監獄とは別の監獄に収監されていたが脱出。革命臨時政府主席に就任する。騒乱終結後、オトフリート五世から『藩王』の称号を与えられ、名目的にリューベック藩王国の統治者となる。

 宇宙暦七六九年にも同職にあり、名士会議で裁可された新課税法に対し「著しく不当で一方的、到底受け入れられない」と声明を発表。

 

・アレクセイ・ナロジレンコ

 宇宙暦七六九年にローザンヌ伯爵を務めている。親帝国派として知られる。

 

・フィリップ・チャン

 下層民出身の独立主義者。宇宙暦七六九年にローザンヌ選民評議会議員であり、ナロジレンコの次に選出される可能性が高いとされた。

 

・オイゲン・ヨッフム・フォン・シュティール

 ライヘンバッハ派。地上軍中央軍集団司令官。地上軍大将。『三・二四政変』で拘束される。

 

・カール・ベルトルト・フォン・ライヘンバッハ

 ライヘンバッハ一門に属する。地上軍第三軍集団司令官。地上軍大将。『三・二四政変』で拘束される。

 

・ノルド・フォン・ブルクミュラー

 ライヘンバッハ派。地上軍第六装甲軍司令官。地上軍中将。『三・二四政変』で拘束される。

 

・ヨッフェン・フォン・クロイツァー

 ライヘンバッハ派。近衛第二師団長。地上軍少将。『三・二四政変』で拘束される。

 

・カイ・ラディット

 ジークマイスター機関に属するメンバー。ヴェスターラント解放戦線のメンバーで、第二八代ヴィレンシュタイン公爵たるギュンター・ヴェスターラントに仕える。

 

・クリストフ・フォン・ケルトリング

 ケルトリング侯爵家の分家当主。シュレースヴィヒ=ホルシュタイン辺境軍管区司令で宇宙軍中将。『三・二四政変』でクーデター派に参加。

 

・ゲオルグ・フォン・ルンプ☆

 宇宙暦七六九年のライヘンバッハ裁判時にオーディン高等法院院長を務めていた。

 

・コルネリアス・フォン・リンドラー

 宇宙暦七六九年の『三・二四政変』前に統帥本部総長を務めている。名門帯剣貴族家の当主。クーデター派に媚びることで元帥の地位を保つ。同年のライヘンバッハ裁判時には幕僚総監に就任しており、アルベルトの処刑を支持した。

 

 

年表

宇宙暦七四〇年、アルベルト誕生

宇宙暦七四二年、『第二次ドラゴニア会戦』ブルース・アッシュビーがドラゴニア星系基地を制圧

宇宙暦七四五年、『第二次ティアマト会戦』帝国軍大敗。

宇宙暦七四六年、統帥本部次長オトフリート・フォン・リンダーホーフ宇宙軍上級大将。立太子される。

宇宙暦七四七年、財政危機への対処で皇太子オトフリートが租税法を大規模改正し、増税を行おうとする。が、オーディン高等法院の抵抗で断念。『第三次エルザス会戦』でジャスパー大敗。

宇宙暦七四八年、敗戦にショックを受けていたコルネリアス二世の前にアルベルト大公が現れる。アルベルト大公によって多くの貴族が金品を騙し取られる。

宇宙暦七四九年、アルベルト大公失踪。オトフリート三世即位。

宇宙暦七五一年、『パランティア星域会戦』でコープが戦死。ミヒャールゼンの存在がリューデリッツらに露見する。『ミヒャールゼン暗殺事件』発生。この頃宮廷が混乱し、オトフリート三世が衰弱死。

宇宙暦七五二年、オトフリートの弟、エルウィン=ヨーゼフ・フォン・リンダーホーフ侯爵がエルウィン=ヨーゼフ一世として中継ぎで即位。その後、宮廷の混乱を鎮めた後でオトフリート四世が正式に即位。

宇宙暦七五四年、『第四次ロートリンゲン会戦』で帝国軍、辛くも同盟軍を撃退。カルテンボルン着任。『幼年学校平民生徒弾圧事件』発生。『有害図書愛好会』結成。

宇宙暦七五五年、『幼年学校長弾劾事件』発生。カルテンボルン失脚。

宇宙暦七五六年、アルベルト、クルト、ジークマイスター機関に参加。

宇宙暦七五七年、オットー・ハインツ二世即位。

宇宙暦七五七年、オトフリート皇太子がオーディン高等法院に租税法改正法案登録を迫るも拒否される。帝前三部会開催、カストロプ公爵派の切り崩しによって租税法改正に成功。ブラッケ侯爵領で『平民身分とは何か』出版。

宇宙暦七五九年、リューベック自治領(ラント)で大暴動発生。

宇宙暦七六〇年、『イゼルローン要塞建設建白書』提出。

宇宙暦七六一年、『リューベック奪還革命』発生。『第四次リューベック会戦』で帝国軍敗北。

宇宙暦七六三年、イゼルローン要塞建設開始。『第三次ドラゴニア会戦』帝国軍、ドラゴニア星系基地を奪還。『アスターテ=ドラゴニア戦役』開始。

宇宙暦七六五年、名士会議にて第二皇子クレメンツ大公が皇帝批判。『第四次ドラゴニア会戦』帝国軍辛勝

宇宙暦七六六年、『アスターテ星域会戦』帝国軍敗北。『第一次アルトミュール会戦』帝国軍辛勝。オトフリート五世倹約帝崩御。以後帝位継承争いが激化。

宇宙暦七六七年、『ドラゴニア特別派遣艦隊』出征、『ドラゴニア=イゼルローン戦役』開始。オトフリート三世猜疑帝の末弟ブローネ侯爵が大公・摂政に就任。開明派が形成、『帝都防衛軍司令部籠城事件』発生、開明派と社会秩序維持局が衝突。オフレッサー、ファルケンハインらによる『アドベント攻勢』が戦術的に成功。

宇宙暦七六八年、『ラインドル星系会戦』帝国軍大敗。同盟軍『回廊の自由(フリーダム・オブ・コーリダー)作戦』を発動。帝国軍善戦するも『アルテナ星域会戦』で敗北、要塞建設を断念。『皇室宮殿(パラスト・ローヤル)爆弾テロ事件/クロプシュトック事件』発生。第八回帝前三部会開催、クレメンツ一世即位。

宇宙暦七六九年、ブラウンシュヴァイク派・リッテンハイム派による『クロプシュトック征伐』開始。『西離宮大火』ベーネミュンデ公爵(リヒャルト大公)死亡。帝国名士会議の場でリッテンハイム侯爵が失脚。旧リヒャルト大公派を中心にクーデター発生、『三・二四政変』。カール・ハインリヒ、ブラウンシュヴァイク公爵死亡。フリードリヒ四世即位。『ライヘンバッハ裁判』が行われる。

 

 

 



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第四章・時代の終わり、伝説の始まり(仮)
壮年期・チェザーリ子爵とフリードリヒ四世(宇宙暦775年5月5日~宇宙暦775年9月20日)


漸く終わりと始まりが見えてきました。


 宇宙暦七七五年五月五日、新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)。その長い回廊を私は旧友に連れられて歩いていた。旧友の名はエーリッヒ・フォン・ラムスドルフ近衛軍中将、時の近衛兵総監マルク・ヨアヒム・フォン・ラムスドルフ近衛軍元帥の次男であり、自身も近衛第一師団長と侍従武官長を兼任している。

 

「わざわざ私の為にすまない。お前も多忙だろうに」

「陛下の御為だ。お前の為じゃない。……しかし、取次ぎさえまともにやってもらえないとはな。随分とお前も嫌われたな」

 

 ラムスドルフは私の方を見ないまま少し呆れた口調でそう言った。私を謁見室に連れて行くことは、当然ながら近衛の本来の職務ではない。にも関わらず彼がこうして私を引き連れているのは、私が宮廷の侍従たちから嫌われているからである。……新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)の人々が私を見る目は冷たい。まあ私の当時の立場と、その言動を考えれば宮廷の主流派が私を敵視することは仕方がないだろうが。

 

 新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)には大小多数の謁見室が存在するが、その中でも後宮から程近いこの部屋には皇帝の私的な客人を招くことになっている。部屋の中には年季の入った赤絨毯が敷かれ、その一角がやや高くなっている。その上には華美ではないが高貴さを感じさせる椅子があり、天井からは椅子と謁見者の間を遮るカーテンが吊り下げてある。しかし、今は椅子の両脇に括りつけられている。

 

「陛下。チェザーリ子爵をお連れしました」

 

 その椅子の上で気怠そうにこちらを見る御方こそ、銀河帝国第三七代皇帝フリードリヒ・フォン・ゴールデンバウム四世である。ラムスドルフが一礼して退室するのを見てからフリードリヒは徐に口を開いた。

 

「久しぶりだな、ライヘンバッハ少将」

「皇帝陛下の御尊顔を拝し奉り、恐悦至極にございます」

 

 私は臣下の礼を取るが、フリードリヒは顔を顰めながら手を振って「堅苦しいのが嫌だからここに呼んだんだ」と言った。

 

「陛下がそうおっしゃられるまでは堅苦しく行くしかありません。身分制とはそういうものです」

 

 私は目線をフリードリヒの方に上げ、やや砕けた口調で言った。

 

「面倒臭い、お前がそれを破壊したがるのも分からんでもないな」

「……小官が身分制破壊を企んでいるなどと言うのは根も葉もない中傷です」

「そうか?根も葉もある、と余は思うけどな」

 

 フリードリヒはからかうような口調でそう言う。私はやや顔を顰めながら「御冗談を」と言う。

 

「陛下は五年前の帝臨法廷で小官に無罪の判決を下されました。それは小官の忠誠を信じてくださったからでしょう?」

「違うな。余はリューデリッツの報告を聞いた時、お前ならやりかねないと思ったぞ?ただな、くだらん政争でこれ以上知己を失うのはな……。その、何というか……癪に障ってな」

 

 フリードリヒは言葉を探しているが出てこないといった表情でそう言った。

 

「余は皇帝即位を求められた時にあいつらにこう言ったんだ『俺は俺の事を好きにやる、卿らは卿らの事を好きにやれば良い、お互いに干渉はしない、それが卿らの神輿になる条件だ』とな。その条件通りに俺は好きにやった。それだけのことだ」

 

 フリードリヒは少しぶっきらぼうにそう言った。……帝臨法廷におけるアルベルト・フォン・ライヘンバッハに対する無罪判決は貴族・平民問わず多くの者の予想に反していた。とはいっても、私が実際に反国家的な行動を行っていたと確信していた人間は殆どいない。

 

 流石にあのセバスティアン・フォン・リューデリッツが手回ししただけあって、どの証拠も尤もらしく整えられていた。クーデターという非常の手段に便乗して私の首を取りに来ただけあって、殆どの証拠が捏造されたモノであったが、その内の数点はジークマイスター機関の存在を立証する本物の証拠であり、私も法廷では冷や汗をかかされた。

 

 それでも、そもそものストーリー――すなわち名将と謳われる元帥・宇宙艦隊司令長官経験者とその息子が反国家的組織の幹部である――が荒唐無稽な代物である。常識的に考えれば浅学な平民ですら「有り得ない」と思う。故に、人々は私を半ば無実と感じながらも、政治的な事情から私に有罪判決が下されることを確信していた。……政争の敗者にこれでもかと汚名を着せて、処刑台へ送るのがこの国の司法の常である。皮肉な事に司法への信頼度が低いことが、セバスティアン・フォン・リューデリッツの探り当てた真実を矮小化した。

 

 実際、全面無罪を主張したカール・フォン・ブラッケを除く全陪審員が程度の差は有れど有罪という意見を述べた。公にされていないがクーデター派の息が掛かった高等法院の判事たちも有罪を主張したのは間違いない。しかし、フリードリヒは高等法院長ゲオルグ・フォン・ルンプ伯爵から渡された判決文を数秒見つめた後に破り捨てると、「被告人無罪、証拠不十分」とだけ述べてさっさと退廷してしまった。

 

 リューデリッツの手回しで帝国中の主要メディアや有力者が集められた中での逆転無罪である。隠蔽不可能――そもそも帝臨法廷の判決を隠蔽すると言うこと自体、その権威を失墜させることになると思うが――と判断したクーデター派のルーゲ公爵、リヒテンラーデ侯爵らはリューデリッツと我が従兄ディートハルトの強硬な再審主張を退け、「ライヘンバッハ派への疑惑はオットー・ブラウンシュヴァイクの姦計による根も葉もないモノ」とし、私と拘束されていた軍部ライヘンバッハ派の要人を解放した。……尤も、全てが元通りになった訳ではないが。

 

「チェザーリ子爵という呼ばれ方にはもう慣れたか?」

「正直に言えばまだ慣れませんね。もうあれから五年も経ったというのに」

 

 私は苦笑しながらフリードリヒの問いに答えた。チェザーリ子爵アルベルト・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍予備役少将、それが今の私の肩書である。五年前から多くの事が変わったが、私個人にとって最も大きな変化の一つは恐らくチェザーリ子爵位の襲名であろう。

 

「悪いな。ルーゲがライヘンバッハ伯爵家の家督はお前の従兄に継がせろと煩くてな」

「……いいえ、陛下のおかげで小官は貴族位とライヘンバッハの家名を失わずに済みました。本音を言えば貴族位や家名に大した価値を見出すことはできませんが、今のこの国で自由に生きるにはどうしても必要です」

「……相変わらず他の貴族が聞いたら怒り狂うような事を言う。礼はリヒテンラーデに言え。貴族のお前に皇帝直轄領の代官に任じられた平民用の称号貴族位を与える。先例は無いが、だからこそできない理由もない」

 

 この帝国において貴族であるか否かは非常に重要であるが、当主であるか否かも同じ位重要である。『三・二四政変』の後、ライヘンバッハ伯爵家の嫡子の地位を放棄させられた私は、フリードリヒの意向を受けたリヒテンラーデ侯爵の手回しでオストプロイセン警備管区に存在する辺境の皇帝直轄地、惑星チェザーリの代官職とチェザーリ子爵の称号貴族位を与えられた。

 

 現在ライヘンバッハ伯爵家は従兄のディートハルトが継承しており、多少の問題をクリアすれば簡単に私からライヘンバッハの家名を奪うことが出来る。そうなれば当然私は貴族身分を失うことになる。しかし、チェザーリ子爵の称号貴族位を有している間はライヘンバッハの家名を奪われても私は貴族として扱われ、またチェザーリ子爵家の当主として一定の特権によって保護される。

 

「リヒテンラーデ伯爵……今は侯爵ですが……。自分で言うのも変ですが、小官の言動はリヒテンラーデ侯爵にとって不愉快な代物の筈です。何故あの方は小官に便宜を図ってくれるのでしょうか?」

「そんなこと本人に聞け。余は分からんし興味もない。……ああ、でもリヒャルトは昔からクラウス・フォン・リヒテンラーデに目を付けていたようだがな。『将来の帝国官界はクラウス・フォン・リヒテンラーデとオイゲン・フォン・リヒターを中心に動くでしょう』と言っていた」

 

 ここでいう「リヒャルト」とは故、リヒャルト・フォン・グリンメルスハウゼン宇宙軍大将の事だろう。大抵の人間はフリードリヒが「リヒャルト」といえば兄である故、リヒャルト・フォン・ベーネミュンデ公爵の事だと考えるが。

 

「まあ、そんなことはどうでもいい。本題に入ろう、ローザンヌはどうだった?」

「何とか流血の事態を回避することができました。これも陛下が小官に『特使』の肩書を与えてくださった御蔭です」

「そうか、それは良かった」

 

 私が今日フリードリヒに拝謁した理由は、内務省・帝国正規軍と独立派の公選伯爵・領主府の武力衝突が間近に迫っていると噂されていたローザンヌ伯爵領に対して、皇帝フリードリヒ四世の『特使』として派遣された件に関する報告をする為だ。

 

 『三・二四政変』の後、軍を追い出された私はフリードリヒの近臣として一定の身分を保障された。その後、私はフリードリヒとの個人的な信頼関係を基に彼から特別な庇護を受け、時にはフリードリヒから特別な権限を得て「好きに」している。ローザンヌ伯爵領に『皇帝特使』として派遣されたのも、私の頼みをフリードリヒが聞き容れてくれた――そして内務尚書クラウス・フォン・リヒテンラーデ侯爵がそれを黙認した――からだ。

 

 私が新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)の人々から嫌われている理由の一端はここにある。私は他者からフリードリヒの寵愛を良い事に専横を働く奸臣と思われているのだ。……実際、その批判はあながち間違っていないだろう。今の所それなりに分を弁えていたつもりだが、ルーゲ公爵からは「卿はエックハルトやシャンバーグの再来に成り果てるつもりか?」と睨まれた。

 

「報告を聞かれますか?」

「ん……。そうだな。聞いておこうか。今度は何をやった?」

 

 私はフリードリヒが「興味ない」と答えると予想していた。フリードリヒは今まで私のいくつかの『進言』を聞き容れ、便宜を図ってきた。すなわちブラッケ侯爵・リヒター子爵の留任、バルトバッフェル子爵領への経済制裁解除、スラーヴァ・インターナショナル社会長ドミトリー・ワレンコフへの勲章授与、レッケンドルフ前国税庁長官の解放、旧・カストロプ公爵領地域への人道支援等である。そのいくらかは他の有力者の横槍が入って私の意図する結果とはならなかったが、そもそもフリードリヒは私の『進言』がどのような結果を招こうとさして興味のない様子であった。

 

 しかし、今回は私の予想に反してフリードリヒは詳細な報告を求めてきた。その時の私は余程意外そうな表情をしていたのだろう、フリードリヒは溜息を一つつくとその理由を説明した。

 

「司法尚書ヘルマン・フォン・ルーゲ公爵、内務省自治統制庁長官ワレリー・フォン・ゲルラッハ子爵、それから内務省社会秩序維持庁長官アルトリート・フォン・キールマンゼク伯爵の三人が余に強い不満を訴えてきた。よく分からんがお前のせいで国政の大望が狂ったとか何とか言っていたな」

「……なるほど。御三方はローザンヌ星系でシリウスの『ラグラン市事件』を意図的に再現しようと計画していました。小官がその計画を頓挫させたことを非常に不満に思っているのでしょう」

 

 ゲルラッハ子爵とキールマンゼク伯爵は前内務尚書ブラッケ侯爵とは違い、分離主義勢力や共和主義勢力に対する強硬な弾圧を主張している(彼らの方が内務官僚の標準(スタンダード)であり、ブラッケ侯爵の方が異端であるが)。ルーゲ公爵は自身と縁戚関係にあるコールラウシュ伯爵――正確には彼の妻である娘とその娘二人――をザールラント叛乱軍――ウィントフック独立革命戦線(FREWLIN(フレウリン))――の爆弾テロで失って以来、急速に反辺境・反分離主義・反共和思想的な傾向を強めている。

 

 彼らは急進的な分離・独立主義者であるローザンヌ伯爵フィリップ・チャンとその支持者を見せしめとして処刑することでクロプシュトック事件とその後の紛争、また『三・二四政変』をきっかけに活発化した独立運動、共和主義運動を押さえつけようと企図していた。

 

 彼らは恐怖によってこれらの運動を鎮静化させ、帝国の威信を示す為にローザンヌ星系に一個中央艦隊と二五万の地上兵力を投入する段取りを整えていた。戦艦と戦車、そして銃剣による制圧とフィリップ・チャンを初めとする独立派指導者の『逮捕』。それは恐らく夥しい流血を招くことになるが、それもまた『強い帝国』を示したいルーゲたちにとっては望むところであった。彼らは地球がシリウスで犯した失敗を分析した結果、「あのような愚行は起こしてはいけない」ではなく、「もっと上手くやれば有効である」との結論を得たらしい。

 

「宇宙暦七六九年八月。トリエステ伯爵アーロン・プレスコートは住民投票の結果と前内務尚書ブラッケ侯爵との間に交わした覚書を根拠に帝国からの独立を宣言しました。一方でプレスコートはトリエステが主権を回復したとしつつ、未だ帝国の支配下にあることを繰り返し強調し、粘り強く中央政府と折衝を重ねました。リッテンハイム派やシュタイエルマルク元帥府とクーデター派の関係が緊張状態であったこと、ライヘンバッハ派・門閥派を対象とした粛軍の最中であったことなどから、帝国政府も妥協を余儀なくされます。最終的に陛下の承認の下、銀河帝国の歴史上二番目の属国となるトリエステ自治国が建国されました」

「そうだな。それは覚えているぞ。フェザーンのメディアも読んで大々的に独立承認をやったな。官僚貴族の苦虫を嚙み潰したような顔が印象に残っている」

 

 トリエステ独立に際してフリードリヒがやったことは『独立承認を記した文書にサインし、国璽を押す』ことだけだ。一方、リューベック独立に際してオトフリート五世倹約帝は三日三晩承認に踏み切るべきかを悩み、最終的に承認を決意した後は閣議を主導して反対勢力を黙らせ承認までこぎつけたという。フリードリヒがお飾りであることがここでも分かる。

 

「……ルーゲ公爵の言葉を借りれば、『妥協してはいけない所で妥協した』からでしょう。リューベック、そしてトリエステに続けと帝国各地で分離独立運動が激化しました。一方で国内改革を訴える者たちも増加し、その一部は明らかに共和主義的な思想に影響されています」

「そうだな、後者の代表的な論者の一人がお前だと聞いているぞ」

 

 フリードリヒの指摘する所は当然私も自覚していたが丁重に無視して続ける。

 

「ローザンヌ伯爵チャンはトリエステ伯爵プレスコートとは違い、教条的な共和主義者であり、明確に反銀河帝国・反身分制の意思を明らかにしていました。プレスコートが最初にブラッケ侯爵と、後にレムシャイド伯爵らと粘り強く交渉し妥協点を見出したのに対し、チャンは帝国を憎悪し交渉すら行おうとしませんでした。……まあ、一つには黄色人種とのハーフであるチャンを帝国中央政府が軽視しまともに遇しようとしなかった、という事情もありますが」

 

 フリードリヒはやや退屈し始めているようだ。不勉強なフリードリヒの事であるからそもそもローザンヌが『導火線に火が付いた爆弾』と評されている理由も知らないと思って説明していたのだが、これ以上はフリードリヒの集中力が続かなさそうだ。

 

「ともかく、こうして反帝国の姿勢を強めるローザンヌと中央政府の対立は激化していき、ついにルーゲ公爵たちはローザンヌを見せしめとして『焼く』、最低でもフィリップ・チャンとその一派を族滅することを決意しました。一方のチャンたちも黙ってはいません。先に独立したリューベックやトリエステ、中央に不満を持つ一部の辺境貴族までもを巻き込んで大規模な反乱を画策し始めます。尤も、リューベックやトリエステは動くつもりがありませんでしたが……、フェザーンの一部勢力やサジタリウス叛乱軍、城内平和同盟(ブルク・フリーデン)東洋の同胞(アライアンス・オブ・イースタン)が不穏な動きを始めました」

「……で、お前が首を突っ込んだわけだ。『小官に事態を収拾するチャンスを』だったな。それでお前はそのチャンスを活かしたようだが、何をやったんだ?」

 

 フリードリヒは私の説明を遮り再び最初の質問を繰り返した。もう少し各勢力の動向、特にブラウンシュヴァイク公爵が処刑された後混乱している旧ブラウンシュヴァイク派の各家に言及しておきたかったが、止むを得ないだろう。

 

「警備隊にクーデターを起こさせました。トリエステ伯爵領警備隊司令官ライアン・エドワード・ティアンム帝国軍少将待遇軍属。彼を説得し戒厳令を布告させ、独立派指導者層を拘束、すぐに裁判に掛けた上で無期懲役刑を下しました」

「うん?どういうことだ?」

「ティアンムには帝国の忠実な臣民として振舞ってもらいました。彼がローザンヌの統治権を奪取し、帝国に恭順する意思を表明することで内務省・帝国正規軍側は介入の大義を失います。……ティアンムがローザンヌの統治に失敗すれば、その時こそ帝国軍の介入を招くことになるでしょうが」

 

 ティアンムと彼の部下達を説得するのは本当に大変だった。……ある大尉は私に唾を吐いた。別の大尉は灰皿を私に投げつけた。ある中佐は激昂して私に銃を発砲し、私を庇ったヘンリクが負傷した。ティアンム少将の副官はティアンムが説得に応じかけた時、号泣して翻意を迫った。憲兵司令の大佐は私とティアンムの接触を中央政府側に密告しようとし、ギリギリで同僚の説得で思いとどまったそうだ。

 

 唾を吐いた大尉はフィリップ・チャンを拘束する小隊の隊長を務めた。感情を殺してチャンの弟を殴打した。灰皿を投げた大尉は帝国内務省ローザンヌ総督府に乗り込み事態の説明にあたった。総督府の役人たちは対価として冷笑と侮蔑を与えた。私に発砲した中佐は選民評議会の制圧を担当し、激昂した議員から『人民の敵』となじられた。ティアンム少将の副官は決行の前日に部屋で拳銃自殺した。敬愛する上官も祖国も裏切ることはできないと遺書には書かれていた。……私は彼らを本当に尊敬する。

 

「畏れながら陛下に一つ願いたきことがあります。ティアンム少将は現在軍事政権を成立させ、繰り返し帝国への恭順を表明していますが、帝国は今の所公式にこの政権を認めている訳ではありません。どうか陛下からティアンム少将にローザンヌ伯爵位を授けては頂けないでしょうか?」

「ん。まあそれくらいならな。宮内尚書と典礼尚書に話をしておく」

 

 宮内省は新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)や後宮、皇室宮殿(パラスト・ローヤル)やリントシュタット宮殿といった皇族の居所を管理する他、君主や皇族の世話をする侍従たちも宮内省の監督する。皇室財産の管理も任されているが、あくまで管理行為のみしか許されていない。監督下に帝国学士院があり、帝国の全貴族は学士院に遺伝子データを提出する。学士院の管理する家系図・血統表が貴族身分を保証する重要な要素の一つである。

 

 また、皇帝への謁見や逆に皇帝の詔勅が下される場合は宮内省がその段取りを決める為、有力な貴族が宮内尚書に就任した場合は皇帝を囲い込み専横を振るうこともある。歴史上ではマンフレート一世不精帝の時代に宮内尚書マールバッハ伯爵が絶大な権力を握った他、宮内尚書ではないがオトフリート一世禁欲帝時代に宮内省に所属する皇帝秘書官のエックハルト子爵が専横を振るったのも有名である。

 

 典礼省は公的な行事を取り仕切る省であるが、同時に貴族社会における調整役兼監視役と言う側面を持っている。典礼尚書は夥しい量の慣習・前例・伝統に帝国貴族で最も精通している――ということになっている――ので、典礼尚書が貴族社会の揉め事で白と言えば白であり、黒と言えば黒となる。

 

 とはいえ、典礼尚書が影響力を発揮するには本人が元々持つ影響力と資質が大きく関わる上に、仮に典礼尚書が黒と言った事象でも帝国の法律に帝国貴族で最も精通している――ということになっている――司法尚書ならば異議を唱えることもでき、その場合は大体司法尚書の言い分が通ることから、典礼尚書は他の閣僚より少し低く見られている。

 

 両省は帝国学士院の監督省としての立場を歴史上何度か争っているが、学士院が無くても職責の一部が重なっている為に宮内尚書と典礼尚書は仲が悪くなりやすい。

 

「『ラグラン市事件』くらいは流石の余も知っている。あれと同じことを好んでやる必要も無いだろう。『地球統一政府(グローバル・ガバメント)』と同じ轍を踏む可能性もあるからな」

 

 フリードリヒは少し考え込んだ後でそう言った。つまりは私がルーゲ公爵たちの計画を狂わせたことを支持する、ということだろう。

 

「よし、ローザンヌの事は良い。話は変わるが……少しお前に相談に乗って欲しい事がある」

「相談、でございますか?」

「うむ。まあ家族の話なのだ……」

 

 フリードリヒは難しい表情をしながら語りだした。フリードリヒの家族と言えばアマーリエ、クリスティーネ、そしてカール、ベルベルト、ルートヴィヒ、カスパーの六名だ。噂によると放蕩生活時代に産ませた隠し子が数名居て宮内省の手回しで辺境で暮らしているか消されたらしい。この内身体の弱いカール(二二歳)は断絶したエッシェンバッハ伯爵家、母が帝国騎士家であるベルベルト(一九歳)は断絶したリスナー子爵家を継いでいる。その為皇族として扱われるのはアマーリエ(二二歳)、クリスティーネ(二〇歳)姉妹とルートヴィヒ(一八歳)、カスパー(一五歳)兄弟である。

 

 その他、宇宙暦七七〇年にフリードリヒはエーレンベルク侯爵の孫であるシャーロットと再婚しているが、どうにも相性が悪かったのか二度の出産はどちらも流産であった。現在生きている子供はベルベルトを除き全員が断絶したエッシェンバッハ伯爵家の血を引くフィーネの子であり、現在の有力者たちとの関係性は希薄である。その為、側室を迎えた方が良いのではないかという意見が宮廷の一部から出ており、ルーゲ公爵の娘ハンナ、故フレーゲル侯爵の妹でカレンベルク公爵の養女となったアデレート、ノルトライン公爵の孫イザベラらの名前が挙がっている。

 

「シャーロット皇后陛下の事でしょうか?それとも側室の一件でしょうか?」

「ああ……まあそれも大変ではあるがそうではない。実はな……アマーリエをリッテンハイム侯爵に、クリスティーネをクロプシュトック公爵の息子に嫁がせるという話があってな……。お前はどう思う?」

 

 フリードリヒの目は私に「反対すると言ってくれ」と語り掛けているように思えた。……ウィルヘルム・フォン・リッテンハイム侯爵は今年三二歳、宇宙暦七六九年の名士会議で司法尚書の座から転落するが、それが幸いし『三・二四政変』を生き延びた。一門のシュタインハイル侯爵やヘルクスハイマー伯爵を殺されたことで当初は反クーデターの姿勢を打ち出していた。しかし、クレメンツ一世がフリードリヒ四世にあっさり譲位したこともあってクーデター派はすんなりと実権を掌握し、リッテンハイム侯爵も一門を殺された恨みは一旦抑え、恭順の意を示さざるを得なかった。

 

 一つにはオットー・フォン・ブラウンシュヴァイク公爵を初めとするブラウンシュヴァイク派の要人が悉く処刑され、ブラウンシュヴァイク派の各領地が混乱していたという事情もあるだろう。リッテンハイム侯爵としては中央との対立は止め、旧ブラウンシュヴァイク派諸侯の切り崩し、あるいは内紛への介入に集中したかった。とはいえ、その後も中央とリッテンハイム侯爵は微妙な関係性のままである。恐らくアマーリエ嬢をリッテンハイム侯爵に嫁がせるのは関係改善とリッテンハイム系勢力との和解を考えてのことだろう。

 

 ウィルヘルム・フォン・クロプシュトック公爵は今年五五歳、その息子ヨハンは二五歳である。『三・二四政変』を主導した後は宰相代理兼枢密院議長に就任した。しかしながらブラウンシュヴァイク派・リッテンハイム派との武力衝突、叛逆者追討令やそれによる経済制裁が祟り消耗しており、政変後はエーレンベルク侯爵・リンダーホーフ侯爵・アンドレアス公爵の三頭同盟やルーゲ公爵率いる官僚勢力に押され気味である。その為、最近では国政から距離を置き、領地の復興と隣接する旧ブラウンシュヴァイク公爵派の領地の制圧に注力している。

 

 恐らくクリスティーネ嬢をヨハンに嫁がせるのは、宮廷勢力とクロプシュトック派がの結束を再確認する目的があるのだろう。

 

「……難しい相談ですね。正直に申し上げるならば、小官は自由恋愛こそが人々にとって望ましいと思っています。その観点からいえば政略に基づいて婚姻を強制することは望ましくは無いでしょう」

「そうか!やはりお前もそう思うよな」

 

 フリードリヒは我が意を得たりとばかりに大きく頷いた。だが私は軽く首を振って続ける。

 

「しかしながら……アマーリエ殿下もクリスティーネ殿下も陛下の娘、皇女殿下であります。現実問題として銀河帝国においてお二人の結婚相手と成り得る者は限られます。領地貴族の公爵五家・侯爵一一家、帯剣貴族の公爵三家・侯爵一四家、官僚貴族の公爵六家・侯爵一九家。しかもその全てが爵位に相応しい財力・権力・資質を有している訳ではありません」

 

 ノルトライン公爵家やシュタインハイル侯爵家、ヴァルモーデン侯爵家はリッテンハイム侯爵家の傀儡だ。カレンベルク公爵家は既にその領地の大半をサジタリウス叛乱軍との戦いで失い、ブラウンシュヴァイク公爵家の庇護下で辛うじて存続している。ルクセンブルク公爵家は銀河連邦の旧主星テオリアを監視する為だけに作られた貴族家であり、既にその役目はほぼ終えている。ザルツブルク公爵家は農業政策の失敗で貧困に喘いでおり、とてもではないが皇女を娶ることはできない。

 

 シュミットバウアー侯爵家やフレーゲル侯爵家はブラウンシュヴァイク公爵の臣下と見做されている上に現在は当主を処刑され混乱している。当然、叛逆者の縁者という汚名も着せられている。ノイエ・シュタウフェン侯爵家は徹底的に力を削がれて今では家格と過去の栄光のみを有する。シュレージエン公爵家は領地が遠すぎるし反帝国感情が強くて治安が悪すぎる。フィラッハ公爵家が帯剣貴族の名家と呼ばれたのもかつての事、長い年月で政変や大敗に寄らず自然に軍部への影響力を失った帯剣貴族家も少なくない。

 

「政治的な状況を抜きにしても、小官が考えるに候補としては両手の指で数える程度しか残らないかと。アンドレアス公爵家、シュトレーリッツ公爵家、ルーゲンドルフ公爵家、ルーゲ公爵家、ラムスドルフ公爵家、クロプシュトック公爵家、リッテンハイム侯爵家、エーレンベルク侯爵家、リンダーホーフ侯爵家、ブラッケ侯爵家、マリーンドルフ侯爵家、リューネブルク侯爵家、リヒテンラーデ侯爵家、クヴィスリング侯爵家、リューデリッツ侯爵家……意外にありましたが、それでも一五家ですかね」

「……」

 

 フリードリヒは黙り込んでいる。私はその心情を慮りながらも、話を続ける。

 

「……実際の所、私は結婚が女性にとって最上の幸せとは限らないと思っています。しかし、人によっては、あるいは巡り合わせによっては結婚が最上の幸せとなることはままあるでしょう。自由恋愛はその可能性を高めますが、人類社会の一部に『お見合い』という風習が長く存在したように、定められた相手との結婚で幸せが生まれないと断言はできません」

「……つまり、お前は政略結婚に賛成という事か?」

 

 私は再び頭を振った。

 

「そういう訳ではありません。ですから最初に『難しい相談』と評しました。……卑怯な言い様ではありますが、これに関しては陛下と両皇女殿下、そして可能ならば婿候補となる二人を交えて答えを出すしかないかと思います。両皇女殿下が結婚を望まれるのであれば、その相手は自然一五家、そうでなくても侯爵位以上の家から選ぶしか無いでしょう。その場合は誰を選んでも大なり小なり政略的な意味合いが生まれてしまいます。……ですから小官としては『政略結婚である』という点だけを理由にリッテンハイム侯爵家・クロプシュトック侯爵家との婚姻に反対することは出来かねます」

 

 私はそこまで言うとフリードリヒを黙って見つめた。フリードリヒは目を閉じて腕を組み考え込む。そしてやがて「ふう」と息をつくと口を開いた。

 

「まさか、お前がリヒテンラーデと同じような事を言うとは、な」

「……お気を悪くなさったのであれば、謝罪させていただきます」

「ああ、まあ『お気を悪く』はしたが謝罪は要らん。相談したのは余だ。誠実にそれに応えて非難される道理もあるまい」

 

 フリードリヒは虚空を見つめ、再び溜息を一つつく。

 

「お前は言った。『下は平民から、上は皇帝陛下まで、この国に自由に願いを叶えられる人間など居ません』とな。まさしく至言だ。しかしお前は俺にそれを『変えろ』とも言っていた。……俺はこうして皇帝なんぞになってしまった訳だが、お前は同じことをもう一度俺に言えるか?」

 

 私の方を見ないままフリードリヒはそう言った。その声色には若干責めるような色もあった。だから敢えて私は断言した、内心の疑いと不安を捻じ伏せて真っすぐとフリードリヒを見て。

 

「勿論です」

 

 そして付け加える。

 

「陛下が変革を望まれるのであれば、小官も全力を尽くしましょう」

 

 フリードリヒは小さく笑う。そして私の方に再び目線を向ける。

 

「変革とやらについては今はどうでもいい、……俺はとにかく娘たちに幸せになって欲しい。リッテンハイムやクロプシュトックが娘を幸せに出来るだろうか?」

「それは小官では無く、ウィルヘルム・フォン・リッテンハイムとヨハン・フォン・クロプシュトックに問うべきことかと」

 

 「違いない」とフリードリヒは呟いた。

 

「……お前の言った通り、リッテンハイムとクロプシュトックの二人に実際に会ってみることにする。アマーリエとクリスティーネは……俺なんかよりもずっと大人だからな、政略結婚に異存は無いと言っている」

 

 フリードリヒは少し憂いを帯びた表情で最後にそう言った。

 

 宇宙暦七七五年九月二〇日、帝国宮内省はウィルヘルム・フォン・リッテンハイム侯爵とアマーリエ・フォン・ゴールデンバウム第一皇女の婚約を発表する。発表の時期をずらすそうだが、既にヨハン・フォン・クロプシュトック公爵令息とクリスティーネ・フォン・ゴールデンバウムの婚約も内定していると聞いた。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。



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壮年期・イゼルローン要塞は二度死ぬか?(宇宙暦776年2月~宇宙暦776年12月10日)

国防委員長さん、何で生きているんでしょうね?
いや、メタ的に言えば「折角だから」という理由になるんですけど


 宇宙暦七七六年二月。自由惑星同盟最高評議会は一つの計画を発表する。

 

「皆さん。我々の手でこの戦争を終わらせる時がついに来ました。皆さんはかつて我々が直面した危機的状況を覚えておいででしょうか?帝国軍によるドラゴニア方面侵攻、イゼルローン回廊への恒久基地の建設、それは我々を守る距離の防壁を無力化しかねない重大な脅威でした」

 

 マスメディアの前で語る壮年の男は覇気に満ちた表情で語っている。実際の所、『壮年』とは言ったが彼の年齢は既に還暦を過ぎている。全身に満ち溢れる覇気、快活な語り口、自信に満ちた表情、鍛え上げられた身体、それらと我々が知る男の偉業が見る者に男を若く見せるのだろう。

 

『その脅威は既に自由なる将兵たちの尽力によって去りました。しかし、客観的に分析すれば我々が脅威の排除に成功した理由の一端は、愚かにも専制主義を利用し全人類に対する背信を続ける犯罪者たちが内紛に明け暮れ回廊を顧みなかったことにある、と言わざるを得ません』

 

 男はそこで言葉を切って溜めを作る。カメラを通して彼を見るサジタリウス腕の自由な人々、そしてオリオン腕にあって今なお自立心と誇りを持ち続けるアウタースペースの人々を意識しての事だ。

 

『我々は違う。我々は皆さんに対する信頼を裏切らず、平和と繁栄に対する政治家としての崇高な義務を果たす。……皆さん。本日、自由惑星同盟最高評議会は賛成七反対二棄権二でイゼルローン回廊への要塞建設を決定しました』

 

 男……フレデリック・ジャスパー国防委員長がそう言い終えると同時にカメラのフラッシュが一斉に焚かれた。

 

『認めましょう。帝国の双璧、ハウザー・フォン・シュタイエルマルクとカール・ハインリヒ・フォン・ライヘンバッハは名将でした。誤解を恐れずに言わせていただけば、彼らは間違った思想と体制を盲信していましたが、その点を除けば極めて尊敬すべき敵でありました。……しかし彼らは最早我々の障害となることは無い。前者はその良識を疎まれついに退役に追い込まれた。後者は傲慢な貴族たちの愚行によって既にこの世にいない。私は断言しましょう。双璧亡き帝国軍に最早自由の軍隊を止める術は残されていないと!回廊に要塞を築き、専制主義の魔の手からサジタリウス腕を永久に解放しましょう!』

 

 

 

 

 

 

 

「現役復帰おめでとう。テオドール」

「有難うございます。ライヘンバッハさん」

 

 宇宙暦七七六年四月一三日。私は金髪色白の青年と共に帝都近郊の平民向けの酒場を訪れていた。勿論私も青年も平民が着るような安価で質の悪い服に身を包んでいる。

 

「君の勇戦と再会を祈って。乾杯(プロージット)

「……乾杯(プロ―ジット)

 

 私はテオドールことテオドール・フォン・アーベントロート宇宙軍中佐とジョッキを合わせる。先月まで彼の階級には予備役の三文字がついていたが、この春の人事異動で現役に復帰した。彼だけでは無く、グリュックスブルク宇宙軍大将、モーデル宇宙軍大将、シェーンベルク地上軍中将、フローベルガー宇宙軍少将、マイズナー地上軍少将、グロックラー地上軍少将、ドレーアー宇宙軍准将、ベンドリング宇宙軍准将ら、リッテンハイム侯爵派と見做され予備役に編入されていた軍人が現役に復帰する。

 

 その理由としては昨年にリッテンハイム侯爵とアマーリエ皇女の婚約が発表され、公的に中央とリッテンハイム侯爵派の和解が成立したこと、そしてティアマト・爆弾テロ・『三・二四政変』後の粛軍で軍の高級士官を悉く失った、あるいは排除した為に深刻な人材不足に直面したこと、自由惑星同盟がイゼルローン回廊への要塞建設を決定し、それに伴う大規模な辺境侵攻が予想されたことなどが挙げられる。

 

「申し訳ありません。小官だけ先に現役に復帰することになるとは……」

「仕方がないさ。ライヘンバッハ派に復活されたら今の軍上層部は困る。リッテンハイム派が復活してそれでも人材が足りなかったらシュタイエルマルク派、それでも人材が足りなければ平民軍人、ライヘンバッハ派を軍に戻すのは最終手段だろうよ」

 

 ハウザー・フォン・シュタイエルマルク宇宙軍元帥は『三・二四政変』に際して当初反クーデターの姿勢を取っていた。しかし、リッテンハイム侯爵と同じく、クレメンツ一世が想像以上に早く膝を屈したことで梯子を外された形となり、最終的にクーデター派に恭順せざるを得なくなった。

 

 シュタイエルマルク元帥はかつて公的にリューデリッツ元帥やエーレンベルク元帥と同じ軍部改革派に属していたが、それでもクーデター派に対する不信感と反感を隠さなかったことから退役に追い込まれる。一つにはシュタイエルマルク元帥と彼の元帥府がイゼルローン方面辺境の五個艦隊を掌握している状況がクーデター派に危機感を抱かせたという事情もある。

 

 シュタイエルマルク元帥府に所属していた軍人の一部は上官に倣い、あるいは反権威的姿勢が問題となり、退役や予備役編入の道を選んだ。パウムガルトナー宇宙軍上級大将、スナイデル地上軍中将、スウィトナー宇宙軍少将、ハーラー宇宙軍少将らは軍に留まったが、その一部は閑職に回され、そうでなくても万が一旧シュタイエルマルク派が叛乱を起こしても良いように監視者を送られた上で分散して配置された。

 

「……ライヘンバッハさんはこれからどうされるのですか?率直に申し上げて、このまま『革新運動』を続けるのは危険だと思います」

「陛下は我々……『憂国騎士団』の活動に理解を示している。それに警察総局は我々に融和的だし、軍の非主流派は我々に友好的だ」

 

 内務省保安警察庁はかつてセバスティアン・フォン・リューデリッツと協力関係にあった。それだけにリューデリッツが関わったクーデターで壊滅的な被害を被ったこと、そして内務省警察総局に格下げされたことに対し「裏切られた」という意識が強い。実際の所、リューデリッツは保安警察庁がクーデターでここまでの被害を受けるとは単純に想定していなかった。またクーデター派の中では保安警察庁の利益を擁護する立場となり、内務省社会秩序維持『庁』に吸収合併される動きを阻止してもいる。とはいえ、被害者意識は拭い去られず、本来は監視し、取り締まるべき我々『憂国騎士団』に対してかなり甘い。

 

 ちなみに『憂国騎士団』というのは『三・二四政変』後の粛軍で退役や予備役編入に追い込まれた軍部ライヘンバッハ派の将官三二名を中心に、反クーデター派として粛軍の対象者となった軍人二五七名、官僚・貴族四七名によって結成された民間組織である。政変後の政権に対し極めて敵対的な立場であり、言論や集会で公然と政権を批判する。

 

 その主張は次のような物だ。『国はクレメンツ一世陛下とエーリッヒ皇太子殿下とブラッケ侯爵とフォルゲン伯爵を解放せよ』『臣民は奸臣を排除し、フリードリヒ四世陛下をお助けせよ』『国は辺境の安定化に尽力せよ』『国は門閥貴族の不正蓄財を防ぎ、門閥貴族への課税を行え』『国は民衆の声を直接届ける場を設けよ』『司法は正義を取り戻せ』……。

 

 現在の『憂国騎士団』団長はマティアス・フォン・ハルバーシュタット宇宙軍予備役中将。副団長にハイナー・フォン・アイゼナッハ宇宙軍予備役中将、ホルスト・フォン・ライヘンバッハ地上軍予備役少将、フランク・マテウス・フォン・レッケンドルフ元国税庁長官、参謀長にノルド・フォン・ブルクミュラー地上軍退役中将らが就任している。そして私、アルベルト・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍予備役少将がゲルトラウト・フォン・ファルケンホルン宇宙軍予備役上級大将、アドルフ・フォン・グリーセンベック宇宙軍退役大将、オイゲン・ヨッフム・フォン・シュティール地上軍退役大将、カール・ベルトルト・フォン・ライヘンバッハ地上軍予備役大将と共に最高顧問を務めている。

 

 高々少将である私が大将クラスと並んで最高顧問の地位にあるのは対外的な広報戦略という意味合いが強い。私の名前は宇宙暦七六九年の裁判で民衆クラスにも知られるようになり、その後フリードリヒ四世の腹心として開明思想に基づいた言動を繰り返している中で改革派の象徴として知られるようになった。

 

 ちなみに、元々の象徴であるブラッケ侯爵は無任所尚書の肩書を与えられながらも帝都で軟禁されている。また、リヒター子爵は様々な思惑から財務尚書の地位に留まったが、周囲を政敵に囲まれ盟友を人質に取られている為に身動きが取れていない。さらにバルトバッフェル子爵とインゴルシュタット中将は帝都でカウンタークーデターを画策し失敗して以来、領地に引きこもっている。開明派の指導者が軒並み精彩を欠く中で、宇宙暦七七一年に『皇帝機関説』を発表した帝国大学歴史学部特任教授ヴェストパーレ男爵・元高等法院判事ブルックドルフ子爵・私の三名が新たな改革派の指導者として認知されるようになった。

 

「それでもかなり危うい立場だと思います。敢えてご忠告させてください。閣下はフリードリヒ四世陛下から信頼されています。そしてチェザーリ子爵という爵位も保持しています。単純に身を守るだけならば十分です。危険な橋を渡る必要はありません」

 

 アーベントロート中佐は真摯な表情で私に忠告する。数歳年下のこの青年が純粋な好意で私にそう言ってくれているのは分かった。しかし、それでも私は退く訳にはいかない。

 

「君の言うことはよく分かる。よく分かるが……それでも私には夢があるんだ。『昨日の夢は今日の希望であり、明日の現実である』……誰かがそうしようと試みる限りは、ね。……『トラーバッハの虐殺(ジェノサイド)』は君も聞いただろう?ああいうことはこれからも起こり続ける。誰かが変えようとしない限りは」

 

 私がそう言うとアーベントロートは黙り込む。貴族ではあるが、実直な青年である彼があそこまで醜悪な虐殺(ジェノサイド)を肯定することは無い。

 

 トラーバッハ星系は名門トラーバッハ伯爵家の領地であり、七〇〇〇万の帝国臣民と四五〇〇万から一億一〇〇〇万の私領民――領主一族の私有財産とされる帝国国籍を持たない民。農奴もこの中に含まれる――が暮らしていた。帝都からも程近く、鉄鋼産業で栄える豊かな土地であり、また歴代のトラーバッハ伯爵も概ね善政を敷いたこともあり、私領民ですら裕福な者が散見された。転機が訪れたのは宇宙暦七六九年だ。クロプシュトック征伐戦で当主クラウス・フォン・トラーバッハ伯爵が跡継ぎを遺さないまま若くして戦死する。

 

 豊かなトラーバッハ伯爵領を巡って親類縁者が骨肉の争いを繰り広げ、最終的にヨーゼフ・フォン・ザルツブルク公爵の次男ジギスムントが相続する。ザルツブルク公爵領は宇宙暦七四〇年代に農業政策に失敗して以来衰退の一途をたどっており、ヨーゼフとジギスムントは幸運にも獲得した豊かなトラーバッハ伯爵領を搾取することで自領を立て直そうと試みる。それは最早悪政と評することすら憚られる有様だった。

 

 消費税を初めとする間接税の大幅な――六〇%という帝国史でも稀な重税――増税を皮切りに、新税が次々と設けられた。子供が生まれたら課税、学校に入学したら課税、卒業したら課税、成人したら課税、結婚したら課税、離婚したら課税、病気にかかれば課税、怪我をしたら課税、死亡したら課税、相続したら課税、移住したら課税、開拓したら課税、修理したら課税、売却したら課税、怠惰と見做されたら課税、犯罪者――脱税・税未納も含む――を一族から出せば課税。

 

 トラーバッハ伯爵領民の経済レベルは帝国の中でも裕福であったが、流石にこれには耐えきれない。すると、あろうことかザルツブルク公爵は人身売買で税金を用意するようにと布告した。当然、人身売買は犯罪者を除き帝国法でも禁止されている。しかし、当時帝都は『三・二四政変』の後始末で混乱しており、中央政府がザルツブルク公爵の悪行を抑止することはできなかった。

 

 宇宙暦七七一年一月四日。故トラーバッハ伯爵の旧臣ヴィーゼ男爵を代表とする二〇名程の集団が秘密裏にトラーバッハ星系を離れる。密輸業者――一部は海賊も兼業する――を頼って帝都に向かい、直訴しようと考えたのだ。ヴィーゼ男爵はブラッケ侯爵・リヒター子爵・ルーゲ公爵・リヒテンラーデ公爵らの人柄を知っており、ザルツブルク公爵の悪行を見過ごすはずがないと確信していた。

 

 同年一月八日、帝国軍第一猟兵分艦隊第二戦隊がこの密輸業者を捕らえ、ヴィーゼ男爵らを海賊と繋がり懐を肥やしていたとして収監した。高等法院改め大審院は潔白を主張するヴィーゼ男爵らから貴族位を剥奪し、ザルツブルク公爵に引き渡した。勿論、ザルツブルク公爵の手回しである。

 

 同年二月一七日。ヴィーゼ男爵らはトラーバッハ星系第三惑星アンゲリィで公開処刑された。事ここに至り、トラーバッハ星系の領民たちは叛乱を決意する。ヴィーゼ男爵の遺児を中心に立ちあがった領民は一部トラーバッハ伯爵の旧臣らの協力を得て第三惑星アンゲリィを制圧する。……それがザルツブルク公爵の狙いとも知らずに。ザルツブルク公爵はすぐに領軍を投入し、略奪の限りを尽くした。ザルツブルク公爵家は最初からトラーバッハ伯爵領を――少なくともトラーバッハ星系第三惑星アンゲリィを――統治する気など無かったのだ。限界以上に絞りつくして後は放置、それがザルツブルク公爵家の思惑である。

 

 ……私がこの事態に気づいたのは略奪が始まった後だ。フリードリヒ四世陛下に帝国正規軍の出動を命じてもらい、強制的に事態を一公爵家レベルから国政レベルに引き上げた。私は自身が推薦したグレゴール・フォン・ミュッケンベルガー宇宙軍中将率いる第二辺境艦隊に同行して現地に乗り込んだ。私たちが略奪と虐殺(ジェノサイド)を終わらせた時、アンゲリィに残った人口は併せても精々三〇〇〇万人程度だった。アンゲリィには四三〇〇万の帝国臣民と最低二〇〇〇万の私領民が住んでいた。少なく見積もって三〇〇〇万人が亡くなったことになる。……この虐殺(ジェノサイド)は帝国史上屈指の規模ではあるが、残念ながら、数十年から一〇〇年程度に一度この規模の虐殺(ジェノサイド)は起こる。ダゴン星域会戦に先立つ核による虐殺(ジェノサイド)のように。

 

「民衆や同盟からはミュッケンベルガー中将と共に『トラーバッハの救世主』と称えられたがね。救世主が必要な社会なんて碌な物じゃないさ……。それにザルツブルクのクソ野郎はあの一件で何らお咎め無しだ。あれだけの規模の虐殺(ジェノサイド)、流石に情報統制も機能せずにかなりの数の臣民が真実を知っている。しかし、公的にはあの虐殺(ジェノサイド)は叛逆者リバルト・ヴィーゼの仕業ということになった。……ああ何と素晴らしい国だろうかね!この国は!」

「……」

 

 リバルト・ヴィーゼの処刑には私も立ち会った。ミュッケンベルガー中将に懇願し、最後に彼と話す機会を設けてもらった私は、彼にもっと早く力になれなかったことを謝罪した。しかし、彼は穏やかな表情――その目から抑え込んでいる激情を伺わせながら――でゆっくりと首を振り、私の謝罪を「不要です」と言った。そして口を開く。

 

『閣下が本気でこの国を憂いているのであれば、死にゆく私に餞別をください。……例えば、あなたの誓いを』

 

 私はその瞬間を思い出す。私の誓いを聞き一度目をつぶった彼はそのまま静かに死んでいった。最期の瞬間まで私を静かに見据えながら。奇しくもその様子はヨーナス・ロンペル宇宙軍少尉のソレと酷似していた。その場に居合わせたミュッケンベルガー中将は私の帝国貴族として極めて不穏当な『誓い』を全て耳にしたはずだ。しかし彼はその『誓い』を理由に私を責めようとはしなかった。彼は自分がその『誓い』を受け取って良い人物で無いことを知っていた。彼が少なくとも『武人』として非の打ち所がない人物であることを私は保証したい。

 

「……ああ、すまないなテオドール。今日は君の現役復帰を祝う席だというのに」

「いえ、私の方が出過ぎたことを言いました。……以前にもお話しましたが、私の立場に存在する『自由』はほんの僅かです。しかし、その『自由』の中では正義に背かぬ生き方をしたい、と思っております。ライヘンバッハさんが正義を為される限り、私もお力に成りたいと思います」

「有難う。テオドール」

 

 アーベントロートは立ちあがる。気づけば夜も大分更けてきている。私たちは連れたって会計を済ませ、酒場を出た。

 

「それではテオドール。辺境でも元気でやりたまえ。メルカッツ少将に宜しく」

「ええ。ライヘンバッハさんも……くれぐれもご無事で」

 

 私とアーベントロートは暫く談笑しながら歩き、広場で別れた。

 

「……ヘンリク、護衛は?」

「ブレンターノがついてます」

「そうか。彼がついているなら安心だ」

 

 私はいつの間にか隣を歩いているヘンリクに問いかけた。……現在の私は公的には辛うじて安全圏に留まっているが、既にいつ命を奪われてもおかしくはない立場である。つまり、裁判ではなく『不運な』事故のような形で。

 

「ハルバーシュタット子爵を襲った連中の正体は分かったか?」

「何てことは無いゴロツキたちです。糸を引いていたのは軍内マルシャ、特事局の連中でしたが」

「ゴロツキ、ね。やっぱり本気で消す気ではなかったか。となると警告?」

 

 私はヘンリクと話をしながら歩く。大通りに差し掛かると同時に目の前に車が止まる。ヘンリクが運転手を確認し、私たちは車に乗り込んだ。

 

「例の計画は気づかれているかな?」

「気づかれていないと考えるのは楽観的でしょうな」

「……向こうはどう動く?」

「暫くは様子見でしょう。権力者連中、特にクロプシュトック公爵やリッテンハイム侯爵からすると我々の動きは必ずしも都合が悪い訳じゃない。ただ、暫くはこちらも大人しくしておいた方が良いでしょうな。もうじき同盟との戦争が始まります。恐らくはティアマト前後に匹敵する激しい衝突になるはずです」

「あんまり派手に動くと戦争の邪魔になって政権の許容範囲を超えるってことか。それだけではなく軍や官界のシンパの支持も離れる。難しいね」

 

 私は考え込む。計画、といっても非合法な物ではない。『憂国騎士団』は務めて合法組織として――まあ稀に極めてグレーなゾーンに踏み込むが――振舞っている。また、今の私はジークマイスター機関から一度離れている。首領のインゴルシュタットが失脚していることもあるが、私は少し目立ちすぎた。今はスウィトナー少将やクルトたちを中心に活動を縮小し、慎重に機を伺っているはずだ。とはいえ、近く起こる同盟と帝国の大規模衝突に際し、恐らくはジークマイスター機関に対しても矢のような情報の催促が飛んでくるだろう。向こうは向こうで大変に違いない。

 

 

 

 

 

 

 宇宙暦七七六年一一月。自由惑星同盟は『授業の再開』作戦を発動。ドラゴニア=イゼルローン戦役と同規模の五個艦隊併せて艦艇五万二〇〇〇隻を投入する。……当然、同盟も財政的・政治的な問題を抱えていない訳ではない。しかしながら帝国の混乱と凋落は自国のそれと比較して明らかに酷いレベルだった。宇宙暦七六〇年代後半から七七〇年代前半にかけて最低一〇億人ともいわれる大勢の難民――『新解放民』とされる括りの第一波――がイゼルローン回廊を超えてサジタリウス腕側に流入してきたという事情もある。将来の帝国領侵攻や現在の帝国の混乱波及を防ぐことを目的に同盟政府が要塞建設を決定した時、市民は「これで戦火が遠のくのならば」と耐え忍ぶことを決意した。

 

 帝国政府も無能ではない……無能かもしれないが、少なくとも学習能力がない訳ではない。『大軍相手に援軍を送らなければ負ける』というドラゴニア=イゼルローン戦役での戦訓――「常識だ」というツッコミは無益だ――を活かし、三個辺境艦隊と五個中央艦隊、併せて八個艦隊を動員し、エルザス辺境軍管区に集結させている。

 

 迎撃軍総司令官に宇宙艦隊司令長官エドマンド・フォン・シュタインホフ宇宙軍元帥、副司令官には幕僚総監コルネリアス・フォン・リンドラー宇宙軍元帥、総参謀長にホルスト・フォン・パウムガルトナー宇宙軍上級大将、副参謀長にディートハルト・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍大将という陣容を揃える。本来の宇宙艦隊副司令長官はハンス・アウレール・フォン・グデーリアン宇宙軍上級大将だが、平民出身者がこの大一番で多くの貴族を差し置いてナンバーツーに付くと艦隊に不和が生まれる可能性があると危惧され、帝都の留守部隊を預かることになり、代わりにリンドラー元帥が副司令官に就任した。

 

 動員された八個艦隊は次の通り。赤色胸甲騎兵艦隊(クリストフ・フォン・ケルトリング宇宙軍大将)・青色槍騎兵艦隊(ラインハルト・フォン・ケレルバッハ宇宙軍大将)・黄色弓騎兵艦隊(オスカー・フォン・バッセンハイム宇宙軍大将)・紫色胸甲騎兵艦隊(カルステン・フォン・グリュックスブルク宇宙軍大将)・白色槍騎兵艦隊(フランツ・フォン・リューデリッツ宇宙軍大将)・第一辺境艦隊(オトフリート・フォン・ゾンネンフェルス宇宙軍中将)・第二辺境艦隊(グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー宇宙軍中将)・第四辺境艦隊(トラウゴット・フォン・フォイエルバッハ宇宙軍中将)である。

 

 また、士気を高める為にフリードリヒ四世の成人した子供であるカール・フォン・エッシェンバッハ伯爵、ベルベルト・フォン・リスナー子爵、オットー・ハインツ二世の庶子であるクリストフ・フォン・オストヴァルド伯爵、オトフリート五世の第二皇女の息子であるシュテファン・フォン・シュトレーリッツ公爵とクルト・フォン・ヴァイルバッハ伯爵、シュトレーリッツ公爵の子ハンス・オットー・フォン・アーネンエルベ伯爵、オトフリート五世の第三皇女の息子リヒャルト・フォン・ペグニッツ侯爵らが従軍している。彼ら臣籍降下したゴールデンバウム一族の貴族たちが一時的に軍の階級を与えられ、指揮官や参謀として前線に立つ。ルートヴィヒ・カスパーの両王子も従軍を志願したが、これは内務尚書リヒテンラーデ公爵と宮内尚書アイゼンエルツ伯爵の強硬な反対で実現しなかった。

 

 帝国上層部は誰もが勝利を確信した。まあ当然だろう。数に勝り、回廊の出口を塞ぐ遥かに有利な地形に布陣し、『政治情勢が許す限りでは』最良の指揮官たちを揃え、多くのゴールデンバウム血族を投入した。

 

 そしてそれは誤っていなかった。宇宙暦七七六年一二月七日。回廊から進出してきた同盟軍リチャード・ダグラス宇宙軍中将率いる第四艦隊は帝国軍の猛攻を受け回廊にすごすごと引き下がっていった。

 

 帝国軍は初戦の勝利に沸いた。負ける要素は無かったが、同盟軍の総司令官は宇宙艦隊司令長官ステファン・ヒース宇宙軍大将。アッシュビーの作戦参謀を務め、自身も多くの戦いで帝国軍を破ってきた名将だ。勝てるにせよ、苦戦は必至だろうと思われていた。実際はどうか?帝国軍はほぼ一方的に同盟軍を破った。しかも相手はあの忌々しき『行進曲(マーチ)』ジャスパーの薫陶厚き第四艦隊である。これで歓喜しない者は帝国軍人では無いだろう。

 

 帝都で知らせを聞いた者たち――私たち『憂国騎士団』も含めて――もまた歓喜した。一部の偏屈者は「これだけ有利な条件が重なれば誰でも勝てる」と皮肉気に語ったが、それすらも帝国臣民の耳には心地よく聞こえた物だ。

 

 そして宇宙暦七七六年一二月一二日。帝国迎撃軍は同盟侵攻軍に完膚なきまでに叩きのめされた。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。



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壮年期・第二次アムリッツァ星域会戦(宇宙暦776年12月8日~宇宙暦776年12月18日)

 宇宙暦二三二年、『冒険家提督』アーノルド・ジャンスキー銀河連邦宇宙軍退役中将はその著書の中で「ストラスブール――アムリッツァ恒星系の旧名――からリューベックに至る宙域近くにある暗黒星雲の後方にはバザード・ラム・ジェットエンジンの継続的な高出力使用に耐えうる星間物質濃度を満たし、ワープ航法時に基点となる大質量の安定した恒星系が存在する」と語った。

 

 そして彼は付け足した。「オリオン腕とサジタリウス腕にほとんどの恒星系が集まっていると言われながらも、両腕の間に太陽程度の恒星が複数存在することは知られている。仮にワープ航法技術、あるいはハザード・ラム・ジェットエンジン技術に一定の進歩があれば、暗黒星雲突破後同星系にワープを行い、安定した恒星系を飛び石伝いに『跳ぶ』ことでサジタリウス腕を人類の新たな生存域に加えることが可能になるだろう」と。

 

 彼はこの記述を相当の熱意をもって書いたようだが、大部分の市民はジャンスキーと『大熊』ナーセン、『襟立て将軍』モレンスキー、『ヴィントフックの革命家』ジョン・アラルコンらが繰り広げた冒険と闘いに関する記述にしか興味を持たなかった。

 

 ジャンスキーが八〇歳の時、彼の遠縁にあたるフェルナルド・フォン・ローゼンタール博士がラム・ジェットエンジン技術に半世紀ぶりとなる革新を齎す。しかし、当時銀河連邦は所謂『中世的停滞』に差し掛かり始めたころであり、ローゼンタールによるラム・ジェットエンジン技術の革新に対して大多数の市民は見向きもしなかった。それどころか、ローゼンタールの研究室は偉業を達成したにも関わらず、同時に発表された――恐らく広報官は良かれと思って――これまでに費やした莫大な研究予算が市民からの猛批判を浴び、ついに政府は援助金を打ち切る決定を下す。

 

 これに憤り――あるいは失望――を覚えたジャンスキーとローゼンタールは自らと同様に進歩的・開拓的気風に溢れた人々を――あるいは貧困にあえぐ人々を――集め、新たな移民船団を結成した。ジャンスキーが『ドン・キホーテ船団』と一種開き直って命名したこの一〇二万人の船団が、自由惑星同盟が公的に認めるサジタリウス腕進出に成功した最初の移民船団である。

 

 宇宙暦三一二年。帝国政府は後にイゼルローン回廊と呼ばれるオリオン=サジタリウス間航行可能地帯を隠す、広大且つ密度の濃い暗黒星雲をジャンスキー=ローゼンタール星雲と命名する。……もし当時の帝国科学省がジャンスキーとローゼンタールの率いた『ドン・キホーテ船団』がニュー・カノープス星系第四惑星カッシナにおいて、後に自由惑星同盟を構成する国家の一つである『ヒスパニア共和国』を建国したという事実を知っていれば、このような地名は付けなかっただろう。

 

 

 

 

 

 

 宇宙暦七七六年一二月から始まった同盟侵攻軍と帝国迎撃軍の戦いは後世『第二次エルザス=ロートリンゲン戦役』――同盟側呼称は『授業の再開』または『第二次アルザス=ロレーヌ戦役』――と呼ばれる。その最初の戦いが繰り広げられたのがイゼルローン回廊出口を覆い隠すジャンスキー=ローゼンタール星雲であった。

 

 といっても通信・レーダー設備が殆ど使い物にならなくなり、有視界戦闘すら覚束なくなる同星雲の中で大規模会戦を行うのは自殺行為である。よって戦闘は暗黒星雲を突破してきた同盟軍の艦隊に対し、暗黒星雲を囲むように布陣する帝国軍が猛攻を加えるという形になった。より正確に言えば広大な暗黒星雲を囲むのは不可能ではあるが、同盟軍の戦略意図がエルザス辺境軍管区の制圧にあり、暗黒星雲を突破した後の行軍路や後方との連絡を考慮すると大体同盟軍の侵攻路は予測可能となる。またそれ以外の地点にも封鎖では無く警戒を目的とした部隊を配置することで、同盟軍の確認後、素早く帝国軍が対応できる体制が整えられていた。八個艦隊という大軍が為せる技でもある。

 

「恐らく叛乱軍は暗黒星雲を利用して自らの身を隠し、機を見て帝国軍の警戒が薄い地点を狙い、迎撃軍本隊が殺到してくる前に包囲を突破しようと試みるでしょう。各艦隊は迅速な行軍を心掛けてください」

 

 経験豊富なシュタイエルマルクの元参謀長、ホルスト・フォン・パウムガルトナー宇宙軍上級大将は司令官たちにそう忠告した。

 

「参謀長の仰られる通りですが、小官から一点付け加えさせていただきたい。各提督方は敵軍もまた大軍を動員しているという事を頭の片隅に置いていただきたい。すなわち、敵艦隊が一点において突破を試みているとしても、他の方面が安全である保障はありません。その一点が陽動に過ぎず、他の一点、あるいは数点から叛乱軍が同時に突破を試みるかもしれません」

 

 機動戦の名手であり、陽動作戦を好んで用いるトラウゴット・フォン・フォイエルバッハ宇宙軍中将の提言は『自分ならどうやって突破するか』と考えた上でのものだろう。

 

 諸将は二人の言葉に頷いた。しかしながら彼らの忠告を皆が真剣に受け取った訳では無かった。……パウムガルトナー宇宙軍上級大将が排斥されつつあるシュタイエルマルク派の重鎮であることは、彼が帝国正規軍で随一の知将であることと同じ位広く知られており、また重要視されている。端的に言えば、彼は干されているのだ。

 

 にも関わらず、今回の迎撃軍で総参謀長を務めることになったのは内務尚書リヒテンラーデ公爵が閣僚会議で軍務尚書エーレンベルク元帥に対し強力に推挙し、またミュッケンベルガー宇宙軍中将ら実戦派帯剣貴族が普段はこの手の人事干渉を嫌悪し反発するにも関わらず黙認、あるいは支持した為である。

 

 そしてフォイエルバッハ宇宙軍中将は元々軍部開明派を標榜する人物の一人だった。軍部開明派、カール・フェルディナント・フォン・インゴルシュタット宇宙軍中将が率いた派閥――というより不平派の集まり――だ。ブラウンシュヴァイク公爵とリッテンハイム侯爵のクロプシュトック征伐に際し、クロプシュトック侯爵の説得に理を感じたフォイエルバッハ中将はクロプシュトック侯爵を支持した。その後は八面六臂の活躍ぶりを見せ、クロプシュトック侯爵から絶大な信頼を寄せられた。『三・二四政変』後、一度は中央に栄転したが、交友のあったインゴルシュタット中将がカウンター・クーデターを画策し失敗して以来は危険視されて辺境に飛ばされた。クロプシュトック公爵本人が彼を気に入り強固な後ろ盾となっているために軍は追われていないが、そもそもクーデター派やクロプシュトック派にとって外様の彼に味方は少ない。

 

 今回の迎撃軍には第四辺境艦隊を率いて加わっているが、第四辺境艦隊は本来フェザーン回廊近くのザールラント・バーデン・ラインラント方面を担当する。状況に応じて叛乱軍との戦いに加わるノルトラインの第三辺境艦隊を外して、遠くの治安戦専門の第四辺境艦隊が動員されたのは、フォイエルバッハの境遇を案じたクロプシュトック公爵が彼に武功を立てさせるべくゴリ押ししたからだ。……なお、第二次ティアマト会戦で三辺・四辺が動員されたのはツィーテン元帥が機関の影がある中央艦隊を避け、信頼のおける人員で遠征軍を固めようとした結果の例外措置である。表向きは『サジタリウス叛乱軍のゲリラ的抵抗に備えて』と発表されたが。

 

 さて、お察しの通り、彼らの存在は迎撃軍に不和を齎していた――軍務に支障をきたしかねないレベルで――。一部の司令官はパウムガルトナーを軽ろんじ、総司令部はフォイエルバッハに冷淡に接した。……尤も、見方を変えれば、あるいは彼らが能力と実績を兼ね備えた名将であることを抜きにして考えれば内務尚書リヒテンラーデ公爵と枢密院議長クロプシュトック公爵の『個人的なゴリ押し』で登用されたとも言える彼らに他の諸将が反発するのも無理はなかったが。

 

 代表例がこの二人というだけで、他にも迎撃軍に不和を齎している者は多かった……というよりはほぼ全員が誰かと険悪な関係となっていた。……例えばクロプシュトック征伐の際に矛を交えた後方主任参謀クライスト大将以下クロプシュトック派諸将と紫色胸甲騎兵艦隊司令官グリュックスブルク大将以下リッテンハイム派諸将は嫌悪を通り越して憎悪しあっていた。第二辺境艦隊司令官ミュッケンベルガー中将ら実戦派帯剣貴族は務めて門閥系軍人・平民軍人と距離を取り、時にはあからさまに侮蔑した。リンドラー元帥はクーデター派にとって外様である自分の立場を鑑み、クーデター派中枢に近い軍人をあからさまに厚遇した。シュタインホフ元帥は腐っても実戦経験者の帯剣貴族であり、何とか迎撃軍の不和を解消しようと最大限の努力を行ったが、その努力に彼の持つエネルギーの八割方を浪費することになった、……そしてやがて自身の苦労も知らずにゴマすりに励むリンドラー元帥を疎ましく思うようになった。エッシェンバッハ伯爵やヴァイルバッハ伯爵ら実戦未経験ながらやる気に満ち溢れるゴールデンバウム血族は、お飾りにされている状況に強い不満を覚えた。逆にオストヴァルド伯爵・アーネンエルベ伯爵らはお飾りとはいえ前線に引っ張りだされたことに強い不満を覚えて当たり散らした。リスナー子爵は母親が侍女であったことを理由に一部の貴族から蔑視されていたが、それが戦場でも続いていた。

 

「……まあ、それはもう酷い有様だったよ。特任将校共の口出しに加えて、迎撃軍内部の全方向対立。負けるべくして負けたと言わざるを得ない。……初戦であれだけ派手に勝てば纏まるだろうと軽く見ていたが、甘い想定だったよ」

 

 我が友人、ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ宇宙軍中将(戦時昇進)は通信画面越しにそう嘆いた。特任将校は宇宙暦七七一年のジーゲルト将軍の叛乱以降導入された制度だ。端的に言えば軍服を着た官僚貴族共による軍の監視である。政治将校、と言えば戦史に詳しい者は分かってくれるだろう。

 

「僕たちが不和を煽るまでも無く勝手に瓦解してくれたね。あの戦場は特に動きやすかった。始まる前はリューデリッツに近い連中が多いから殆ど身動きが取れないと思っていたんだけど」

 

 我が親友、クルト・フォン・シュタイエルマルク宇宙軍少将――またの名をジークマイスター機関幹部ドラグロワ――は後に呆れながらそう語った。

 

 宇宙暦七七六年一二月七日、警備が手薄な地点を狙い、暗黒星雲を突破してきた同盟軍第四艦隊はフォイエルバッハ宇宙軍中将率いる第四辺境艦隊による猛撃を受けた。恐らく、第四艦隊司令部の想定を超える速さでの対応だろう。しかし、率直に言って治安戦主体の第四辺境艦隊は同盟正規艦隊の相手としては力不足であった。第四艦隊司令部は突破可能と判断し、反撃に打って出る。

 

 まさにそのタイミングで来援したのがミュッケンベルガー中将率いる第二辺境艦隊、リューベック会戦大敗以来、雪辱を晴らすべく猛訓練に励みつつ、回廊戦役などで同盟軍と激戦を繰り広げた精鋭だ。フォイエルバッハ中将の第四辺境艦隊程ではないが、迅速な対応であった。第四艦隊は二人の連携を前に突破を断念、ほぼ一方的に被害を受けたまま回廊へと後退する。

 

 この勝利が帝国を沸かせたのは先に説明した通りだが、これに焦りを覚えた者たちがいた。帝国迎撃軍は八個艦隊を四個艦隊ずつに分け、片方を暗黒星雲の周辺宙域、もう片方をアムリッツァ星系に設営した後方基地に展開している。流石に八個艦隊は回廊出口封鎖に必要な戦力として過大に過ぎるという事情もあるが、これによって長期戦でも艦隊を入れ替えることで容易に戦線を立て直せる上に、万が一前衛四個艦隊が突破されても後衛四個艦隊による対応で容易に迎撃可能となるからだ。

 

 そして一二月八日は二辺・四辺だけではなく、クーデター派に参加したケルトリング大将率いる赤色胸甲騎兵艦隊とリッテンハイム派のグリュックスブルク大将率いる紫色胸甲騎兵艦隊も前衛艦隊として布陣していた。彼らは対立……とまではいかないが、疎遠のミュッケンベルガーとフォイエルバッハが武功を立てたことに不快感と焦りを感じた。特にケルトリング侯爵家の分家当主であるケルトリング大将は自身と同じくケルトリング一門の名門出身者であるミュッケンベルガー中将を本家継承争いのライバルと考えており、対抗心を燃やした。

 

 一二月一〇日、迎撃軍総司令部は二辺と四辺を後衛に下げ、代わって黄色弓騎兵艦隊と第一辺境艦隊を前衛に出すことを決定する。表向きには『初戦で消耗した二個艦隊に休息と再編の時間を与える』と通達されたが、初戦の消耗は両艦隊とも微々たるものである。勝利で士気も上がっており、適切な補給が為されれば後衛へ下げる必要などない。ケルトリング大将の上申、フォイエルバッハ中将への反感、ミュッケンベルガー中将らクーデター派と距離を置く実戦派帯剣貴族への警戒、リンドラー元帥の政治的配慮が重なった結果の措置だった。

 

 一二月一一日、二辺・四辺が前衛を離れ、反対に第一辺境艦隊が前衛に到着する。中央艦隊よりも即応性で優れるのが辺境艦隊である。翌一二日の未明、同盟軍第一二艦隊第二分艦隊が回廊を出て、暗黒星雲を突破する。帝国側はその時点で黄色弓騎兵艦隊がまだ到着しておらず、三個艦隊で対応することになったが、幸運にもケルトリング大将率いる赤色胸甲騎兵艦隊本隊が布陣する近くに同盟軍艦隊は現れた、ケルトリング大将は喜び勇んで第一二艦隊第二分艦隊に猛攻を加えた。

 

 第一二艦隊第二分艦隊はあっさりと暗黒星雲側に押し戻された。その後、第一二艦隊本隊を加えて数時間にわたって同盟軍は暗黒星雲からオリオン腕側へ進出するべく繰り返し帝国軍に攻撃を加えたが、帝国軍側は第一辺境艦隊を加えてこれを迎え撃ち、七度にわたる第一二艦隊の攻勢を跳ね返した。……尤も、腐っても一定の実戦経験と能力を持つケルトリング大将はこれが陽動であることに気づいていた。

 

 同盟軍第一二艦隊は散発的な攻勢に出て帝国軍に多少の損害を与えては帝国軍の反撃で必要以上に無様に潰走して見せた。崩れ方は酷いが実際に受けた損害は微々たるものだ。つまり、第一二艦隊に本気で帝国軍を突破するつもりはなく、むしろ帝国軍をその場にひきつけようと動いていたということになる。

 

 ケルトリング大将だけではなく、能力的には劣る門閥系の将官も流石にこの事には気づいていた。しかし、佐官クラスの前線指揮官の中には上位司令部が繰り返し無様に潰走する同盟軍部隊を無視していることに不満を覚える者が増え始める。散発的に行われる同盟軍の攻勢は戦略・戦術レベルで帝国軍に与える損害は僅かであったが、血気盛んな中堅指揮官たちの精神面に与える損害は決して少なくなかった。とはいえ、ケルトリング大将も無能ではない。自身の艦隊を統率しつつ、他の宙域にも気を配り、同盟軍が隙をついて暗黒星雲を突破する動きを見せないか警戒していた。

 

 ……しかし、ケルトリング大将の力量を以ってしても統率しきることが出来ない部隊が一つだけ存在した。オトフリート五世倹約帝の外孫であるクルト・フォン・ヴァイルバッハ伯爵を名目上の指揮官とする第一猟兵分艦隊である。

 

「……おい、ベルドルフ少将。叛乱軍が次に攻勢に出たら、我々は突撃するぞ」

「は!?しかし、ケルトリング大将は叛乱軍の誘引に乗るなと……」

「ふん!臆病者のケルトリングには何もかもが罠に見えるらしい。逃亡奴隷の末裔共が何か小細工をしてきたところで栄えある帝国軍には通じん。ベルドルフ、巨人が鼠の一体何を怯える必要がある?」

 

 勇敢ではあるが軍事経験が一切無く、高潔ではあるが高慢でもあったヴァイルバッハ伯爵は同盟軍第一二艦隊の八度目の攻勢でついに耐え切れず攻勢に打って出た。

 

 ヴァイルバッハ伯爵の第一猟兵分艦隊が同盟軍第一二艦隊に突撃したことで、ケルトリング大将の赤色胸甲騎兵艦隊でも前衛部隊が釣られるように突撃を始めた。

 

「ヴァイルバッハ中将は何を為さっているのか!?」

「閣下!既に複数の部隊が第一猟兵分艦隊に引っ張られて前進しています。この上は危険を承知で本隊も前進するしかありません!」

「……止むを得んな。一辺のゾンネンフェルス中将に連絡、『赤色胸甲騎兵艦隊はこれより叛乱軍第一二艦隊に突撃し、そのオリオン腕進出の目論見を阻止する。貴艦隊には後方にて援護と警戒を頼みたい』」

 

 ケルトリング大将は第一猟兵分艦隊と赤色胸甲騎兵艦隊前衛部隊に引きずられる形でついに突撃を命じた。同盟軍第三艦隊が警戒の手薄な宙域から暗黒星雲突破に成功したのはまさにこの直後である。本来ならば四個艦隊によって警戒されていた各宙域を全く気付かれずに突破することは不可能だっただろう。しかし、二辺・四辺と一辺・黄色の配置換えによって一時的に警戒が手薄になり、また黄色弓騎兵艦隊の進発が送れたことで警戒艦の数も減っていたことから、ケルトリング大将らはついに第三艦隊の動きに気づくことが出来なかった。

 

「閣下!五時方向から新たな敵部隊です!その数およそ一万二〇〇〇隻!」

「何だと!?」

「前方、両翼方向より叛乱軍です!恐らく第四艦隊と第一〇艦隊と思われます!」

「ッ!馬鹿な!何故今の今まで気づかなかったんだ!?」

 

 赤色胸甲騎兵艦隊は暗黒星雲の外縁部で第一二艦隊と戦闘状態にあったが、別宙域を突破しながら大きく後方に回り込んだ第三艦隊と、第一二艦隊の両翼から新たに表れた第四艦隊・第一〇艦隊に挟撃される形となった。第一辺境艦隊が五時方向に回頭し第三艦隊を迎え撃ったが、真っすぐ突撃する第三艦隊に対して回頭直後の一辺は態勢が悪く劣勢に立たされる。またほぼ同時期に反攻に転じた第一二艦隊の猛攻を受けて戦列の先頭に立っていたヴァイルバッハ伯爵が司令部ごとあっさり戦死する。混乱した第一猟兵分艦隊が赤色胸甲騎兵艦隊側に潰走してきた為に、ケルトリング大将は苦しい戦いを強いられることになった。

 

 一七時二一分、赤色胸甲騎兵艦隊旗艦『ヒンデンブルク』機関部が被弾、ケルトリング大将は第一分艦隊旗艦『シュペー』に移譲するべくシャトルに搭乗したが、不運にもこのシャトルに流れ弾が命中する。『ヒンデンブルク』被弾の時点で各艦にはケルトリング大将の無事が伝えられており、それ故に指揮権継承者第一位の副司令官ハードナー中将はケルトリング大将の戦死をすぐに把握できなかった。一八時〇七分、漸くケルトリング大将の戦死に気づいたハードナー中将は指揮権を継承しようと試みるが、この時点で既に指揮官を無為に失っていた赤色胸甲騎兵艦隊の戦列は崩壊しつつあった。

 

 一八時一六分、第一分艦隊旗艦『シュペー』撃沈、ウォルフガング・ハードナー宇宙軍中将戦死、赤色胸甲騎兵艦隊は秩序を回復できないまま一方的に同盟軍三個艦隊に撃ち減らされることになる。また、第一辺境艦隊司令官オトフリート・フォン・ゾンネンフェルス宇宙軍中将は模範的な帯剣貴族の一人であり、ケルトリング大将の友人であったが、この場合はそれが彼の判断を鈍らせた。秩序を回復できないまま混乱する赤色胸甲騎兵艦隊を『見捨てる』という決断が出来なかった彼は撤退の機を逃し、二三時四二分に同盟軍の包囲下に置かれ降伏することになる。

 

 この間、紫色胸甲騎兵艦隊は完全な遊兵となっていた。リッテンハイム派の司令官グリュックスブルク大将とクーデター派の司令官ケルトリング大将は折り合いが悪く、連携が十分に取れていなかった。グリュックスブルク大将はケルトリング大将と同盟軍が交戦状態にあることを認識していたが、個人的な好悪の情と、『他宙域を警戒する』という軍事的理由から救援に赴こうとしなかった。それ自体は間違っても居ないが、ケルトリング側の戦況を気に掛けようともしなかったのは明らかに不適切であっただろう。

 

 グリュックスブルク大将は一九時二三分にケルトリング大将戦死の報を聞き、初めて帝国軍が大敗しつつあることを知る。慌てて艦隊を率いて救援に赴いたが、その時点で既に戦場の趨勢は決していた。それでも本腰を入れて接近戦を挑めば第一辺境艦隊を救援できる可能性はあったが、グリュックスブルク大将は赤色胸甲騎兵艦隊を撃破した三個艦隊を相手取ることを恐れ、遠距離での砲撃戦に終始した。二三時一二分、同盟軍第四艦隊、第一二艦隊が赤色胸甲騎兵艦隊から第一辺境艦隊に標的を変えたことでグリュックスブルク大将は第一辺境艦隊救援を不可能と判断し、撤退の決断を下す。

 

 

 

 

 

 

 『ジャンスキー=ローゼンタール星雲の迎撃戦』において帝国軍は最終的に一個中央艦隊・一個辺境艦隊の過半を失う大敗を喫する。さらに同盟軍艦隊は余勢を駆ってアムリッツァ星系に侵攻、帝国軍艦隊は暗黒星雲への進発準備を整えていた黄色弓騎兵艦隊を中心に迎撃を試みるが、初戦での勝利に浮かれていた帝国軍は完全に油断していた。ロクな艦列も整えられず、準備が出来た艦隊からとにかく展開するという有様である。後に『第二次アムリッツァ星域会戦』と呼ばれる戦いの初期において、帝国軍は殆ど烏合の衆と化していた。

 

「友軍は当てにするな!我らだけで叛徒共を迎え撃つ心づもりでいろ!」

 

 例外的に艦隊として纏まりながら布陣した第二辺境艦隊司令官グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー中将は第四艦隊と白色槍騎兵艦隊第三分艦隊の接触を横目で見ながらそう断じた。艦隊ごとに固まって迎撃に出れていない以上、本来の力を発揮することは不可能だ。

 

「援軍要請だと!?『馬鹿め!』と言ってやれ!『馬鹿め』だ!」

 

 迎撃部隊の中心となったが故に、最激戦区に身を置かざるを得なくなった黄色弓騎兵艦隊は同盟軍第八艦隊・第一二艦隊・第三独立分艦隊の猛攻を受けている。そんな中オストヴァルド伯爵の部隊から援軍要請を受けたオスカー・フォン・バッセンハイム大将は怒鳴り散らした。

 

「総司令部の奴ら、ヴァルハラに行きたいなら一人で行きやがれ!」

「……『旅は道連れ、世は情け』って言うだろ?つまりそういうことだよ」

 

 総司令部からの死守命令を受けた青色槍騎兵艦隊第二分艦隊司令部では副参謀長カミル・エルラッハ大佐がコンソールパネルを叩いて叫び、その横で司令官クルト・フォン・シュタイエルマルク少将が何処かズレた呟きを漏らした。

 

『ライヘンバッハさん……どうにも再会の約束は果たせそうにありませんね』

 

 恐慌状態の紫色胸甲騎兵艦隊司令官カルステン・フォン・グリュックスブルク大将を見ながら情報副主任参謀テオドール・フォン・アーベントロート中佐は内心で呟いた。

 

「無理に攻勢を受けようとするな!八時方向に敵の突撃を逸らすぞ!」

「閣下!友軍が我が艦隊の八時方向に後退しつつあります」

「我々を盾にしようとしている連中の事など知るか!」

 

 そう言ってトラウゴット・フォン・フォイエルバッハ中将は副官カール・ロベルト・シュタインメッツ少佐の意見具申を退けた。八時方向で再編を試みていたフローベルガー宇宙軍少将率いる紫色胸甲騎兵艦隊第二分艦隊第四七戦隊は同盟軍第四艦隊の猛攻を正面から受けて爆散した。

 

 

 

 

 

 

 宇宙暦七七六年一二月一三日から一四日にかけての戦いで帝国軍は六個艦隊の内凡そ三個艦隊弱を失ったとされる。その大半は戦隊、酷ければ群レベルでバラバラに布陣せざるを得ない状況であり、本来の実力を何ら発揮できないままに無為に摺りつぶされた。そんな中でも一四日午後になると黄色弓騎兵艦隊や第二辺境艦隊、いくつかの分艦隊を中心に何とか指揮系統が確立されていき、帝国軍部隊は秩序を回復しつつあった。

 

 迎撃軍総司令官エドマンド・フォン・シュタインホフ元帥はこれ以上の抗戦は難しいと判断し、撤退を決断するが、これに対し副司令官リンドラー元帥が強硬に反対する。「今なお帝国軍は三個艦隊程度を保持しており、同盟軍も消耗している。サジタリウス叛乱軍にオリオン腕進出を許す訳にはいかない。全軍玉砕の覚悟で抗戦するべきである」と主張したのだ。特務主任参謀ベルンカステル大将――官僚貴族家の名門侯爵家当主――ら特任将校がリンドラー元帥を支持したことでシュタインホフ元帥は撤退の方針を撤回せざるを得なくなった。同じ部署に同格の指揮官を二人置けば九九%までは対立するというが、シュタインホフ元帥とリンドラー元帥の関係性もその例に漏れなかったと言えよう。

 

 総司令部が撤退か抗戦かで論争を繰り広げている間、前線部隊は完全に放置された。シュタインホフ元帥は抗戦派に遠慮してハッキリとした指令を出せず、パウムガルトナー上級大将は崇高な使命感から撤退論を自身の手で推し進めることを決意しそれに基づいた指令を勝手に出したが、ディートハルト従兄上が抗戦派としてパウムガルトナー上級大将の越権行為を咎めその指令を撤回した。

 

 宇宙暦七七六年一二月一五日一時一五分、左翼を守る第二辺境艦隊司令官グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー宇宙軍中将は白色槍騎兵艦隊第三分艦隊司令官代理ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ宇宙軍少将と連携して同盟軍第四艦隊に対し反攻に打って出た。初戦から戦い続けている第四艦隊に疲弊の色を見て取ったのだ。

 

 メルカッツ少将は上位指揮官の戦死後指揮権を継承、第三分艦隊の再編を手早く済ませていたが、故意に艦列を乱し既に組織的抵抗力を失っているように演じていた。これによって同盟軍艦隊は正面の二辺・四辺に注視し、既に打ち破った第三分艦隊を捨て置いていた。メルカッツ少将は慎重に同盟軍の目を盗みながら艦列を整え、前進してきた第四艦隊に逆撃を加える体制を作り上げた。一方、ミュッケンベルガー中将もメルカッツ少将の動きを見てその意図を読み取り、第四艦隊を誘い出すべくジリジリと後退を始めた。傍目から見れば他の帝国軍艦隊と同じように同盟軍の猛攻に押し負けたように見える。

 

 第四艦隊がミュッケンベルガー中将の第二辺境艦隊に止めを刺そうと主砲を短距離砲に変え接近戦を挑むべく距離を一気に詰めようとしたその瞬間、メルカッツ少将の第三分艦隊が矢のように飛び出し、第四艦隊前衛に突き刺さった。主砲を切り替える為に瞬間的に無防備となっていた第四艦隊前衛部隊は脆くも崩れ、艦列が大きく乱れた。第二辺境艦隊と第四辺境艦隊がこの機を逃さずに反攻に転じる。この反攻は成功し、一時的に第四艦隊は大損害を出して後退を余儀なくされた。しかし、ミュッケンベルガー中将もメルカッツ少将もその機に乗じようとはせず、左翼側の他の帝国軍部隊を纏めながら一光秒程後退した。

 

「ミュッケンベルガー中将!何故無断で後退したのか!叛乱軍は混乱し、攻勢の絶好の好機だったではないか!」

『中央の黄色弓騎兵艦隊は防戦で手一杯、右翼側の紫色胸甲騎兵艦隊は明らかに崩れつつあります。我々左翼部隊が部分的に叛乱軍を押し戻せたのは叛乱軍が中央と右翼側に攻勢を集中しているからです。我々の攻勢の目的は二つ、一つは我が方右翼に投入されようとしていた敵予備部隊を足止めすること、もう一つは左翼部隊を再編しつつ、負担を軽減しフォイエルバッハの四辺を中央援護に回せるようにすることです。また現状左翼部隊が本格的な攻勢に出た所で、中央と右翼はついてこれません。我々左翼部隊は一時的に敵第四艦隊に対し優位に立つでしょうが、時間が経てば崩れるのはこちらです。万全の状態であれば第四艦隊を短時間で崩壊させることも不可能ではなかったでしょうが……』

 

 ミュッケンベルガーは理路整然と自身の行動の理由を説明したが、それは総司令部の神経を逆なでするだけであった。

 

「もう御託は良い。見損なったぞ!臆病者め!ミュッケンベルガー、これ以上一光秒でも艦隊を後退させてみろ、貴様の指揮権を剥奪するからな!」

 

 特務主任参謀ベルンカステル大将は激怒しながらそう言った。特任将校には『戦意不足』を理由に指揮官を更迭する権限が与えられている。場合によっては特任将校自身が指揮権を継承することも可能だが、第二辺境艦隊司令部特務主任参謀ノルデン少将は昨年まで内務省に勤務していた人物である。当然、軍隊の指揮経験は無い。

 

 この直前、総司令部は右翼が崩壊しつつある状況に焦り、僅かな予備部隊を全て右翼側に投入していた。それでもなお右翼の崩壊は止まらない。総司令部の参謀たちの頭に『敗戦』の二文字が浮かび、それを打ち消すことが出来なくなりつつあった。この大一番、圧倒的多数での大敗、間違いなく総司令部の面々の首は飛ぶ。あるいは物理的にも。

 

 総司令部は明らかに冷静さを欠きつつあった。ミュッケンベルガーとメルカッツが反攻を成功させたのはそんなタイミングである。総司令部は左翼の勇戦に期待した。ミュッケンベルガーとメルカッツの勇名は広く知られている。『この二人が何とかしてくれるかも』そんな無責任な期待は両提督の冷徹な判断であっさりと裏切られた。故に総司令部は半ば八つ当たりの如くミュッケンベルガーを批判したのだ。

 

 

 

 

 宇宙暦七七六年一二月一六日午前八時頃、混乱する右翼側にあって勇戦を続けていた宇宙軍中将カール・フォン・エッシェンバッハ伯爵が戦死する。病弱故にフリードリヒ四世と故・フィーネ皇后の長男として生まれたにも関わらず、臣籍に降ることとなったこの青年貴族はこの戦役に際しても誰からも期待されていなかった。しかし、従軍したゴールデンバウム血族の中では格別の勇気を示した。

 

 副司令官に旧シュタイエルマルク派の老将エドマンド・ハーラー宇宙軍少将、参謀長にティアマト以来の叩き上げであるパトリック・レンネンカンプ宇宙軍准将、作戦部長にエッシェンバッハ一門の生き残りであるエリート参謀マヌエル・フォン・エッシェンバッハ宇宙軍大佐を迎えた彼は部下の意見を良く聞きながら、常に最前線にあって将兵を鼓舞し続けた。血筋的には皇太子になっていてもおかしくなかった人物が、最前線にあって奮戦する姿は右翼の将兵を奮い立たせ、同盟軍の猛攻を四度に渡って跳ね返した。……紫色胸甲騎兵艦隊司令部と迎撃軍総司令部が彼の稼いだ時間を有効に使うことが出来ていれば、彼はその奮戦に相応しい栄誉を生きて受け取ることになっただろう。

 

 危うい状況で辛くも踏み止まっていた右翼側前衛はエッシェンバッハ伯爵の戦死と同時に一気に崩れた。宇宙暦七七六年一二月一六日午後九時頃、黄色弓騎兵艦隊司令官バッセンハイム大将戦死の報が流れた――誤報であったが――ことで、迎撃軍総司令部はついにアムリッツァ恒星系からの撤退を決断する。その後退にあたっては第二辺境艦隊と第四辺境艦隊が殿を務めることになったが、同盟軍の苛烈な追撃を前に壊滅的な被害を被った。

 

 

 宇宙暦七七六年一二月一八日、即応体制で待機していたノルトラインの第三辺境艦隊が大敗の報を聞きつけ来援、これを受けて同盟軍宇宙艦隊司令長官ステファン・ヒース宇宙軍大将は追撃中止を命令、これによって『第二次アムリッツァ星域会戦』は同盟軍勝利で決着した。帝国軍がこの戦いで被った被害は第二次ティアマト会戦以降最大であり、動員した艦艇九万四〇〇〇隻の内、ジャンスキー=ローゼンタール星雲で一万九〇〇〇隻、アムリッツァ恒星系で四万八〇〇〇隻を失う。兵員は合計七四二万一六〇〇名を失い、その中にはヘルマン・フォン・ケルトリング宇宙軍大将、ラインハルト・フォン・ケレルバッハ宇宙軍大将、トラウゴット・フォン・フォイエルバッハ宇宙軍中将、クリストフ・フォン・オストヴァルド伯爵、カール・フォン・エッシェンバッハ伯爵、クルト・フォン・ヴァイルバッハ伯爵らの名前があった。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。




注釈27
 従来迎撃軍側の無能・不和ばかりが大敗の原因として強調されてきた『ジャンスキー=ローゼンタール星雲の迎撃戦』、そして『第二次アムリッツァ星域会戦』ではあるが、近年の研究によると帝国軍大敗を決定づけた最大の要素はそれらでは無く、ジークマイスター機関による情報工作であったと推測されている。
 ジャンスキー=ローゼンタール星雲を突破した同盟軍第三艦隊はピンポイントで帝国軍の警戒が薄い宙域を通り帝国軍に襲い掛かった。確かに当時帝国軍の警戒態勢は乱れており、戦力的にも十分と言えなかったが、同盟軍第三艦隊は第三艦隊で暗黒星雲の中を航行しており、その向こう側の帝国軍の警戒状況を知る方法は無かった。つまり、同盟軍総司令部の主観としては初戦と同様に暗黒星雲の向こう側には万全の警戒態勢が敷かれている、と考えるべきところであった。しかし、同盟軍総司令部は一切の躊躇なく第三艦隊にC=56宙域付近からの迂回攻撃を命じている。帝国軍側が戦略的・戦術的意義の無い艦隊再編を行っており、尚且つ代替戦力が未だ到着していない、という情報を知らなければ大博打も良い所だろう。

 さらに言えばケルトリング大将の赤色胸甲騎兵艦隊が手遅れになるまで第一二艦隊の両翼から回り込む同盟軍増援部隊に気づかなかったこと、ケルトリング大将が搭乗するシャトルが『偶然の流れ弾で』ピンポイントに沈められたこと、グリュックスブルク大将がケルトリング大将の戦死まで友軍の不利に気づかなかったこと、ギリギリになって迎撃軍総司令部で黄色弓騎兵艦隊と白色槍騎兵艦隊のどちらを派遣するか論争が起こったこと、ジャンスキー=ローゼンタール星雲での大敗にアムリッツァ恒星系の後衛部隊が暫く気づかなかったこと等に不可解な点が散見されている。

 その全てに機関の関与があったかは不明だが、クルト・フォン・シュタイエルマルク、クリストフ・フォン・スウィトナー、ギュンター・ヴェスターラントらがその地位を利用して同盟軍に協力した可能性は否定できない。


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壮年期・改革者の資質(宇宙暦777年1月12日)

 宇宙暦七七七年一月一二日。その日の惑星オーディンは雨が降っていた。私は帝都からオストガロア市へ向かう私用車の中に居た。ブレンターノを運転手とし、ヘンリクを従えている。

 

「……」

 

 帝都近郊のオストガロア宇宙軍基地は惑星オーディンに存在する宇宙軍基地としては四番目に大きく、今でも使われている宇宙軍基地の中では二番目に歴史が古い。その為か、基地を有するオストガロア市には帝都在住の宇宙軍人の邸宅が非常に多く存在する。

 

「少将閣下。レンネンカンプ邸に到着いたしました」

「ああ。……ブレンターノ、君も来るか?」

「……いいえ、小官はここでお待ちしております」

「……そうか」

 

 私は車を降り、傘を指す。雨は相変わらず降り続けている。その日のレンネンカンプ邸は多くの人々が訪れていた。同僚・元部下・幼年学校の同期生……皆故人を慕っていたのだろう。帝国軍人にとって公衆の面前で涙を見せることは恥ずべきことだ。しかし、軍服に身を包んだ者たちは少なからず目に涙を浮かべており、それを嗤う者も居ない。

 

 

 大規模会戦の後、戦死者は余程大物でもない限りは合同葬儀によって弔われるのが通例だ。古代北欧地域の風習を古代十字教等を参考にアレンジしたよく分からない方式で葬儀は行われる。帝国では内務省習俗良化局と典礼省神祇局――北欧神話をベースにしたゲルマン国教の祭事を管轄している――が認める範囲で宗教の自由が認められているが、軍人の葬式については必ずゲルマン国教の方式で行われる。

 

 パトリック・レンネンカンプ宇宙軍少将(一階級特進)の葬式もまた例外ではなく、合同葬儀で弔われることになった。しかし、それとは別に故人を偲ぶ事を目的に遺族が私的な集まりを開くことがある。

 

「チェザーリ子爵アルベルト・フォン・ライヘンバッハ予備役少将……?」

 

 受付の軍人に「御花料」とフルネームを記した封筒を渡すと、驚いた表情で私の顔をまじまじと見つめてきた。

 

「……八年前になるかな?私が初めて戦隊指揮官を務めたときにレンネンカンプ少将は参謀長として私を支えてくれた。後ろに居るヘンリクもその時に副参謀長を務めていた。それ以前には父の事も作戦参謀として支えてくれていた。……恩人が戦死したと聞いたらじっとしていられなくてね」

「そ、そうでありましたか。少々お待ちください」

「ああ、いや……」

 

 受付の軍人が奥の方に駆けていく。私は止めようとしたが間に合わなかった。……予備役に編入されたとはいえ私は宇宙軍少将の階級を持ち、元宇宙艦隊司令長官の実の息子であり、名門ライヘンバッハ伯爵家の血を引く、子爵位を持つ貴族である。帯剣貴族の中には部下思いの者も居るが、それにしても直接の部下でもない平民の一准将を偲ぶ私的な集まりに直接顔を出す者は居ないだろう。

 

 しかし、私が指揮した最後の部隊が回廊戦役の第一二特派戦隊である。しかも、リューベックでの僅かな経験を除いて私は殆どを軍務省や宇宙艦隊総司令部の机で軍歴を過ごしてきた。私にとって第一二特派戦隊は思い入れのある部隊であり、参謀長であるレンネンカンプ少将は共に回廊戦役の死線を生き延びた戦友である。……最初の頃は経験不足からレンネンカンプ少将に多大な迷惑をかけたものだ。

 

「ライヘンバッハ様……わざわざこのような場所まで足を運んでいただき、誠に感謝いたします」

「エルゼ・レンネンカンプさんですね?御主人の事は非常に残念でした」

「……上官であるカール様を救おうとした結果の戦死です。それを果たせないまま生き恥をさらすよりは、夫はカール様に殉死する道を選ぶでしょう。夫がカール様をお救い出来なかったことは残念です。しかし、それによって戦死したこと自体は悲しむべきことではありません」

 

 レンネンカンプ少将の妻であるエルゼ・レンネンカンプは気丈にそう言った。……『第二次アムリッツァ星域会戦』終盤、カール・フォン・エッシェンバッハ伯爵は乗艦『ケーニヒスクローネ』艦橋部近くが被弾した際、崩れた柱の欠片の下敷きになり、身動きが取れなくなった。エッシェンバッハ伯爵は自分がもう助からないことを悟り、総員退艦を命じた。しかしレンネンカンプ参謀長は部下を退艦させる一方でその場に残り、最後までエッシェンバッハ伯爵の救出を試みたという。

 

「……御主人のその人柄と能力を鑑みれば、間違いなくヴァルハラにおいても現世と同じく高潔で優れた将帥となるでしょう。……ヴァルハラに身分制はありませんから、ね」

 

 私はエルゼ夫人にそう語り掛ける。そして彼女の隣に立つ少年に顔を向けた。

 

「君がヘルムート君かい?御父上から色々と話は聞いているよ」

「お初にお目にかかります。パトリック・レンネンカンプの息子、ヘルムート・レンネンカンプと申します」

「今年の四月から士官学校に入学するんだったね?」

「……」

 

 私がそう尋ねるとヘルムートは少し逡巡し、また口を開く。

 

「……父上を殺した憎き叛乱軍は今も皇帝陛下の神聖なる領土を侵し続けています。私は一刻も早く立派な軍人となり、皇帝陛下の御為に働きたいと思っています」

「……という事は幼年学校を出てすぐに軍務に就くつもりかい?」

「はい」

 

 ヘルムートは今度は強い口調で応えてきた。

 

「……ふむ。君の御父上は幼年学校を下位集団で卒業した後、相当な苦労をしながら宇宙軍准将の階級まで登り詰めた。ティアマトでの大敗・皇室宮殿(パラスト・ローヤル)の悲劇・三・二四政変後の粛軍による人材不足、そして何よりも我が父カール・ハインリヒによって偶然そのセンスを見出されなければ、将官の地位を得ることは無かった……かもしれない」

 

 私はかつてレンネンカンプ少将と交わした会話を思い出しながら語る。

 

「レンネンカンプ参謀長は常々言っていた。『ヘルムートは私とは似ても似つかない程優秀な子供です。私はヘルムートを士官学校に通わせてやりたいのです』とね。……確かに幼年学校上がりと士官学校上がりではスタートラインが違う。人事考課でも士官学校卒業者の方が有利だ。貴族でも実力主義者は身分制よりも士官学校の成績を重視する。アムリッツァで勇戦したミュッケンベルガー提督もそういうタイプだ。ヘルムート君の気持ちも分かるが、御父上の遺志を酌んで士官学校を受験してはどうだろう?」

「……」

 

 私がそう助言するとヘルムートはやや暗い表情で俯く。そんな彼をエルゼ夫人は痛ましそうに見ている。そんな姿を見て、私は漸くレンネンカンプ家の置かれた状況を察することが出来た。

 

「……エルゼ夫人、故人を偲ぶ場でこのような事を聞くのは申し訳ないのだが……」

「はい、閣下のお察しの通りです。……晴眼帝陛下は平民が幼年学校に通えるように様々な奨学金・支援制度を整備なさいました。しかし士官学校は……」

 

 エルゼ夫人は言いにくそうに応えた。士官学校に平民の入学を許可したのはコルネリアス二世帝の皇太子オトフリートである。オトフリートは保守的な帯剣貴族たちの抵抗を排し、士官学校の入学選考制度を大きく変更して平民や領地・官僚貴族たちに士官学校の門戸を開いた。

 

 皇太子オトフリートがやがて皇帝オトフリート三世となり、さらなる強権を得たとき、オトフリート三世はマクシミリアン=ヨーゼフ二世晴眼帝の前例に倣いさらに士官学校改革を進めようとした。奨学金制度を初めとする支援体制の拡充が図られたが、やがてオトフリート三世帝が猜疑心に取りつかれ政治への活力を失うと、保守的な帯剣貴族の抵抗でオトフリート三世帝が設けようとした各種支援制度は全て廃止されることになった。

 

 「強者は強者から生まれる、弱者からは弱者しか生まれない」……それがゴールデンバウム王朝における一般的な考え方だ。平民という『弱者の子』が『強者の子』の集まる士官学校に入学することは有り得ない。ティアマトの敗戦でこの考え方は変更を迫られたが、それでも「平民でありながら士官学校に入学するのであれば、それに相応しい『強者の子』である必要がある。支援を受けなければ入学できない『弱者の子』など人材として役に立つ訳がない」というような論理が平気でまかり通っている。

 

 カミル・エルラッハは裕福な家庭の出身であり、また抜群の学力――入学試験で総合四位――を示して士官学校に入学できたが、それでも経済的な事情から二度退学を覚悟したそうだ。

 

「……レンネンカンプ参謀長には世話になりました。私が生きてこの場に居るのは彼の補佐があったからです。その恩を返す時が来ました。エルゼ夫人、ご子息の士官学校入学を経済的に支援させてはいただけませんか?」

「それは!……しかし宜しいのでしょうか?」

「腐っても皇帝直轄領の代官、そして子爵です。多少の蓄えはあります」

 

 私は胸を叩いて請け負った。実際の所、ライヘンバッハ伯爵家の主導権は従兄ディートハルトが握り、その資産も当然ながら私が手を出せる状況ではない。フリードリヒとリヒテンラーデに与えられたチェザーリの代官職もそれ程実入りが大きい役職ではない。個人資産で言えば他人を援助する余裕は無い。

 

 しかし、活動家アルベルト・フォン・ライヘンバッハに期待する者は陰に陽に多く、彼らは私への支援を惜しまない。多少の蓄えがある、というのは決してハッタリでもない。私には彼らの恩に報いる能力はある、と評価されているらしい。

 

「……ヘルムートと相談してまた改めて連絡させていただきます」

 

 エルゼ夫人はそう語り、私も頷いた。その後、夫人とヘルムートと別れ、私は邸宅内を歩き回る。元第一二特派戦隊後方副主任ヨゼフ・ノーデル少佐、同後方副部長代理ユリウス・ハルトマン予備役少佐を初めとする知り合いの姿もあり、彼らとレンネンカンプ参謀長の思い出を語り合いながら過ごした。

 

 

 

 

 

 

「待たせたな。ブレンターノ」

「……いえ」

 

 午後二時頃、私たちはレンネンカンプ邸を去った。どうしても外せない用事がある為だ。

 

「……少将閣下、我々の活動が無ければレンネンカンプ少将は……いえ、何でもありません」

 

 ハンドルを握るブレンターノ予備役大佐は難しい表情だ。……私も彼と同じ事は考える。今回の大敗にジークマイスター機関がどれほど関与しているのか、機関と一旦距離を置いている我々には判断が出来ない。だが無関係と言うことは無いだろう。ヨーナス・ロンペル、ルーカス・フォン・アドラー、ハンス・ヨーデル・フォン・シュムーデ、マルセル・フォン・シュトローゼマン……そしてパトリック・レンネンカンプ。私が面識のある相手だけで既にこれだけの人々が機関の犠牲になっている。

 

「今は『仕方ない』と言ってしまうしか無いでしょうな。どの道我々は地獄に落ちるでしょう。罪を嘆くのはそれからでも出来ることです。……今を変えることは今しか出来ません」

「……」

 

 ヘンリクが割り切ったことを言う。……確かにヘンリクの言う通りだ。しかし、我々は本当に『今』を変えられているのだろうか?……機関と切り離されていた当時、私は定期的にそのような疑念を抱いていた。

 

 『三・二四政変』で政治情勢が大きく変わり、機関の長期計画も大きな変更を迫られたはずだ。開明派を支援し軍だけでは無く政界・官界・財界の中枢にも影響力を伸ばしていく予定だったが、その開明派は中枢から遠ざけられ、宇宙のシュタイエルマルク系と地上のライヘンバッハ系で掌握しつつあった軍からも排斥された。一体、今の機関はどういう戦略で動いているのだろうか。一応、機関が関与したと思しき騒乱は定期的に起こっている、ジーゲルト将軍の叛乱・城内平和同盟(ブルク・フリーデン)の再軍備宣言・FREWLIN(フレウリン)掃討を名目とした惑星ブラメナウの虐殺……。しかし、一体何を目指してそれらの騒乱を起こしているのかイマイチ方針が見えてこない。

 

「御曹司。そろそろ到着します。心の準備は出来ていますね?」

「ああ」

 

 私は言葉少なに答える。今日の会合はあまり気が進まない。葬式の直後に金勘定とは、何とも醜い人間になったものではないか。

 

 ホテル・グロスヴォーンハオスは帝都近郊にある外国人向け――つまり主にフェザーン自治領(ラント)、その他リューベック、トリエステ、ティターノなど――の一流ホテルである。このホテルに私の支援者にして同盟者の一人、スラーヴァ・インターナショナル社会長ドミトリー・ワレンコフ氏が滞在しているのだ。今日は彼を初めとする私の支援者――というよりは私への投資家――たちと会合を持つことになっている。ワレンコフ氏のスケジュールの都合でどうしても今日しか会合できる日が無かったのだ。

 

 護衛を兼ねる私設秘書のヘンリクを従え、私はホテルに入る。フェザーン人向けのホテルだけあって会議室も存在しており、その一つに私は案内された。

 

「お待たせしました。前もってお伝えしていた通り元部下の葬式に参列していたのですが、積もる話もあり、つい遅れてしまいました」

「ふむ、確か平民階級の部下でしたな?結構結構。名門貴族の閣下が身分を気にせず平民の部下の戦死に心を痛める、極めて大衆受けするエピソードですな。しっかりと喧伝させていただきますとも」

 

 帝国一般新聞社(ライヒス・アルゲマイネ・ツァイトゥング)副社長のレニ・フォルカー・クラウン氏がニコニコしながらそう応えた。フェザーン支社長を経て副社長に就任した彼はブラッケ内務尚書時代に開明報道の旗振り役を務めたが、『三・二四政変』を経て開明派が冷遇され、社会秩序維持局が庁に格上げされると、社内の保守派から開明報道の責任を追及されるようになった。そんな彼が活路を見出したのが憂国騎士団報道である。フリードリヒ四世の寵臣である活動家アルベルト・フォン・ライヘンバッハと大物帯剣貴族揃いの憂国騎士団、社会秩序維持庁や保守派も手出ししにくいこの集団と結託することで保身と巻き返しを狙ったのだ。

 

「儂の都合ですいませんな、チェザーリ子爵。しかしフェザーンに戻る前にどうしても一度あなたと会って話をしておきたかった」

 

 鋭い眼光を持つ初老の男性の名はドミトリー・ワレンコフ。倒産寸前と言われたフェザーン六大財閥の一つ、情報産業の名門スラ―ヴァ・インターナショナル社を一代で立て直した剛腕の持ち主である。彼は短期的な利益では無く長期的な発展を見据える人間だ。自社と情報産業の更なる発展の為には自由惑星同盟と銀河帝国の長きにわたる戦争状態、さらに銀河帝国中央地域と辺境地域の断絶、本国地域と自治領地域の断絶、直轄領と貴族領の断絶、新世界と旧世界――この場合はシリウスを中心とするズィーリオス辺境特別区とそれよりさらに遠い地球近郊宙域――の断絶などを解決する必要があるという結論に達した。……つまり、革命後に台頭する全人類統合論に近い考えの持ち主である。

 

 彼はその結論に基づき、フェザーン自治領主(ランデスヘル)の地位を狙っている。その為にフェザーンでは少数派である自身の劣勢を補うべく、同盟や帝国の諸勢力と積極的に連携している。体制内改革派の開明派や憂国騎士団にも莫大な投資をしているが、その目的は我々の力で市場の自由を実現しつつ、さらに領地貴族の影響力を削ぎ中央政府への統合を進めることだ。その思想から分離主義には批判的ではあるが、リューベック藩王国のミシャロン国務長官が主張するような融和的分権主義、すなわち地方に一定の権利と財源を与えた上で中央政府と辺境自治領の間で欧州連合のような高度の統合経済圏を実現するという構想には前向きの姿勢を示している。

 

「言いにくい話ではありますが……他の方は商人の対等な交渉相手としてはその……不適当でして……」

 

 疲れたような表情でそう言うのはロイエンタール商会会長のヴィンセント・フォン・ロイエンタールである。元々財務省の下級官吏だった彼は有能な人材であったが、それ故に財務尚書オイゲン・フォン・カストロプ公爵の追従者に疎まれ出世の道を阻まれた。その後は鉱山への巧みな投資で莫大な財を成し、やがて名門マールバッハ伯爵家の三女レオノラを妻として迎え入れた。この結婚生活は残念ながら不幸な結果に終わったが、彼自身はその後も自身の才覚によって社会的な成功を治めることになる。

 

 宇宙暦七六八年、財務尚書カストロプ公爵が死亡した後、後任のオイゲン・フォン・リヒター子爵に見いだされ、カストロプ公爵の非合法な資産の処理を任せられる。開明派や非主流派の官僚たちとこの難しい仕事を達成した後、リヒターの信を得たヴィンセントは財務省国税庁課税部長の要職に起用されることが内定するが、その直前に『三・二四政変』が発生する。リヒターは政権中枢に留まったが、国税庁ではレッケンドルフ長官以下開明派官僚の殆どが職を追われることになり、ヴィンセントもその例に漏れなかった。

 

 そこでヴィンセントは同僚を纏め新たに商会を作ることを決意した。カストロプ公爵領赴任時の伝手でマリーンドルフ侯爵の信を得ると、一時的な当主不在と軍政執行、それに各種課税による衰退でボロボロになっていた旧カストロプ公爵領の再建に携わることになる。私と知り合ったのもこの頃である。

 

 彼は投資とカストロプ公爵領の再建事業の部分的な成功で財を成しているが、所謂新興企業の一つに過ぎず、財界の特権企業やそれと癒着する腐敗官僚・貴族からは蔑視されている。内務省や司法省から開明派残党の一つとしてマークされているし、実際そういう側面はある。こうしてロイエンタール商会は他の新興企業と同じように私と憂国騎士団への投資を始めることになった。

 

「……まあハルバーシュタット中将やらブルクミュラー中将は猪武者な面がありますからね。……選民意識はそれ程強くないんですが、逆に軍人としての誇りが強い分商人の皆様とは合わない部分もあるでしょう。頼みの綱は元官僚のレッケンドルフさんですが……ロイエンタールさんの元上司ですからね……」

「それにレッケンドルフさんは数字にも経済にも強いですが、駆け引きが完全に国税畑のそれなんですよ。それにちょっと清廉すぎるところがありますし……。対等な立場でお互いに利益を得ていくって感じじゃなくてですね、何といえば良いのかな……まあ、良くも悪くも優秀な官僚と言いますか」

 

 ヴィンセントは辟易した様子である。他の商人たちも一様に頷く。私の横に座るハイナー・フォン・アイゼナッハ予備役少将が居心地悪そうに身じろぎをした。温厚で後方畑に精通する彼はレッケンドルフと共に商人たちとの折衝も担当している。

 

「まあ流石事務方としての能力は抜群ですし打てば響くような対応の速さは有難いんですが、政治的なご相談はやはり子爵にお願いしたいと……」

「分かっています。……今日は憂国騎士団の長期計画について語って欲しいという事でしたね。昨年の大敗を受けての修正点も確認したいと」

 

 私は話し始める。憂国騎士団の短期目標は開明派の立て直しであり、具体的には帝都に置いて無任所尚書の肩書を与えられながらも幽閉されているカール・フォン・ブラッケ侯爵の解放と、開明派官僚の公職復帰を目指している。勿論、ライヘンバッハ派が同時に軍部に復帰出来ればなお良い。その具体的な手段として挙げられるのは民衆レベルでの扇動だ。かつて開明派やクレメンツ大公派がやったように民衆レベルで現体制への素朴な不満を煽り、自分たちこそがそれを解決する力と方法を有していると信じさせる。また軍部や官界の中立派・あるいは非主流派の切り崩しも重要である。例えば旧シュタイエルマルク派のパウムガルトナー宇宙軍上級大将や故・ケレルバッハ宇宙軍大将などは憂国騎士団メンバーから繰り替えし接触を受けていた。財務尚書リヒター子爵は憂国騎士団と距離を置いているが、憂国騎士団に合流した元官僚たちを通じて連携を模索している。

 

 この一連の地道な活動と並行して、帝国各地の分権主義活動や反帝国活動に介入して世論を憂国騎士団に有利な方向に誘導する。これは殆どの場合、私が担当しているが、状況に応じて憂国騎士団本隊が介入することもある。例えばトラーバッハの虐殺時にはその実態を憂国騎士団が各地で大々的に宣伝し、ルーゲンドルフ公爵らが公の場でザルツブルク公爵の蛮行を非難し、それを阻止できなかった現体制の無力を強調した。

 

 これらの活動はそれなりの成果は上げているが、現体制を揺るがすには至っていない。逆に言えばだからこそ保守派や社会秩序維持庁は我々の活動を忌々しく思いながらも潰そうとしないのだ。一応フリードリヒ四世が私の後ろ盾になっており、高位の帯剣貴族が多く属しているという事情も抑止力にはなっているが、それでも本気で向こうが潰す気になれば潰せる。

 

 では何のためにこのような活動を行っているのか?……私やレッケンドルフら数名はおおよそ今から一〇年程度の間に必ず帝国現体制の限界が訪れ、高確率で帝前三部会の開催に追い込まれると確信していた。草の根の活動はその決戦の場に備えての準備といって良い。今の体制を合法的に突き崩すにはチャンスを待つしかない。そしてそのチャンスでは短期決戦だ。相手が本腰を入れて対応に動く前に相手の対応能力を奪う。クーデターや革命と構造は同じだろう。

 

「……帝国が疲弊し限界が近づいていることはここにいる我々も同意する所だ。帝前三部会開催に追い込まれる、という予測も希望的観測は含まれているが、荒唐無稽な予測とは言えないだろう」

 

 ワレンコフ氏が淡々と話す。その横でクラウン氏が頷いている。

 

「だが、ジャンスキー=ローゼンタール星雲、そしてアムリッツァ星域での大敗は流石に予想外の筈だ。全く憂国騎士団の長期計画に影響を与えないとは思えない」

「勿論です。……アムリッツァの大敗は帝国の限界をさらに早めるでしょうが、同時に現体制の危機感をさらに煽る筈です。つまるところ、我々を強引に黙らせる路線を保守派に決意させる可能性があります」

 

 ワレンコフ氏は頷いている。

 

「ならばどうしますかな?チェザーリ子爵」

「少なくとも『建白書』の提出は延期ですね。今アレを出したら現体制が発作的に弾圧に乗り出すかもしれません」

「ふむ、確かにその通りですな。しかし、こちらの動きに関わらず、現体制が弾圧に乗り出そうとしてきたらどうしますかな?可能性としてはあり得るでしょう」

「……高度の柔軟性を保ちつつ、臨機応変に対処します」

 

 私は渋い表情でそう言った。今はそれしか言えないだろう。アムリッツァが齎した変数が大きすぎるのだ。しかし、ワレンコフ氏は納得していない様子だ。

 

「……例えばの話ではありますが、現在同盟の戦略目標はイゼルローン回廊の制圧と要塞建造です。つまり、その侵攻は帝国中央地域にまでは及ばないでしょう。最悪でもボーデン、あるいはシャーヘンまでで進軍を止めるはずです」

「……フェザーンの入手した情報でもそうなっている」

 

 言葉少なに口を挟んだのは在オーディンフェザーン高等弁務官事務所参事官のフィデル・ハシモトだ。ワレンコフ派に属す人物である。

 

「で、あるならば……そのラインで同盟と帝国の激戦が続くはずです。そしてやがて要塞が建造されたとしても同盟がすぐに態勢を整えて帝国に侵攻するなどと言うことは有り得ません。このタイミングが憂国騎士団にとって大きなチャンスになるはずです。やがて迫るであろう同盟軍、それに対処するには帝国も一枚岩にならざるを得ません。そこで我々を弾圧する路線に走るかもしれませんが、民衆と軍は我々を無為にすりつぶす決定を支持するでしょうか?アムリッツァではティアマトを超える損害を出しました。軍務省の涙も人材も既に枯れ果てていることでしょう。内紛で潰すにはあまりにも貴重な人材集団です。私が今言えることはただ一つ、そこまで憂国騎士団の勢力を保ってみせる、ということです」

 

 私は一気に語る。商人たちの一部は悲惨な未来予測に少し青褪めている。

 

「……子爵の見解は分かりました。勝ち筋が見えているのであればまあ良いでしょう。私としては引き続き支援を続けさせていただきます」

「自由な市場が実現するより先に市場が潰れかねないですね……。そこは『戦争を終わらせる』というワレンコフさんのお力に期待するしか無いですか。我々も当面支援は続けさせていただきます」

 

 ワレンコフ氏とロイエンタール氏がそう言った。横でアイゼナッハ少将が安堵する。

 

「ワレンコフさん。クラウンさん。宣伝活動の方はどうなっていますか?」

 

 私はそれを確認し新たな話題を振る。

 

「それはもう上手く行っております!民衆の味方アルベルト・フォン・ライヘンバッハ、フェザーンでも帝国でも大人気ですとも」

 

 クラウン氏は即座にニコニコしながらそう答える。

 

「……だと良いのですがね……。実際の所は違うでしょう?私の事を慮っていただけるのは嬉しいですが、遠慮なく本当の事を仰ってください」

「……」

 

 クラウン氏がニコニコしたまま困った表情をする。横でワレンコフ氏が溜息を一つついて話し始めた。

 

「クラウン氏は嘘をついている訳ではない。実際、フェザーンでも帝国でも、同盟でさえ子爵の人気は高い物がある。それは事実だ。しかし……」

「しかし?」

「……少なくない人間が子爵に対して冷笑を浴びせている。『権力闘争の敗北者が民衆に媚びているだけ』『顔と血筋の良さで偶像に祭り上げられた男』『百歩譲って善人だとしよう、それがどうした?善人であることが何の役に立つ?』『政争の一環に過ぎない』『現実を知らない夢想家の戯言』『偽善者』『実戦派気取りのボンボン、戦歴は回廊戦役だけ』『リューベックで無能を晒した男』『宮廷革命家、皇帝の金で反体制活動をやるという意味で』……まだ聞かれますか?」

 

 ワレンコフ氏が何とも言えない表情で私に聞いてくる。横のアイゼナッハ少将が机に拳を叩きつけた。

 

「……必要ならば。しかしそれだけ聞いておけばまあ実態は掴めたでしょう?ですから遠慮しておきましょう。……やはりそんな物でしょうね。憂国騎士団の活動も今の所大半の臣民からは冷めた目で見られています。支持が無い訳ではないのですが。……とはいえ、あのブラッケ侯爵やリヒター子爵だって最初は冷笑と侮蔑で迎え入れられました。我々もその先達に倣っているということでしょう。この上は両人のように我々が改革者たる資質を持つことを人民に示すしかありません」

 

 私は務めて笑顔を見せながら商人たちにそう語った。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。

 



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壮年期・皇女殿下はご機嫌斜め?(宇宙暦777年4月6日~宇宙暦777年4月21日)

お待たせしました。


 クロプシュトック星系第三惑星トロイアイトには帝都オーディンへ最短で到達できる星間航路が整備されている。技術的な面から評価すればトロイアイトルートは最短では無い。しかし、政治的都合から――特に国防上の都合から――帝都オーディンへ到達可能な星間航路の情報は公開が制限されている上に、広く利用可能な航路は五つに限られている。その中で最も帝都に近い航路始発点であるトロイアイトは『帝都オーディンの玄関』とも評される。……近年はノイエ・バイエルン伯爵領都ミュンヘンからのルートが整備され、対フェザーン貿易で栄える同地にその称号を奪われそうだが。

 

「……ヨハン様!皆、ヨハン様が帰られたぞ!」

「よくぞご無事で……!」

「はは!皆大袈裟だな!ザクセンの腑抜け共が私に歯向かえる訳がないさ」

 

 宇宙暦七七七年四月一五日。クロプシュトック侯爵領を訪れた私の前を歩く青年貴族……ヨハン・フォン・クロプシュトック侯爵令息は彼を見るなり駆け寄ってきた領民たちに対し気さくな笑みを浮かべて応じた。領民たちはヨハンの姿を見て口々にその帰還を喜ぶ。

 

 クロプシュトック侯爵家は帝国の中でも領民から慕われている貴族家の一つとして知られている。……ブラウンシュヴァイク公爵家とリッテンハイム侯爵家という強大な仮想敵を抱えていたクロプシュトック侯爵家は成立当初から領民に両家への憎悪を刷り込んだ。長い年月を経て、念入りなプロパガンダと偏向教育によってクロプシュトック侯爵家の領民たちには本能レベルで両家とその領民たちに対する憎悪の念が刷り込まれており、また両家へ対抗するべく自らの主人であるクロプシュトック侯爵家の下に固く団結している。貴族家と領民の双方にとって共通の敵を作ることで、領民の不満をそちらに逸らしているのだ。

 

 ……構図としては同じく領民の不満が殆ど無いと言われるフォルゲン伯爵家やブラッケ侯爵家と同じである。前者は帝国辺境を脅かす自由惑星同盟、後者は民衆の権利を脅かす銀河帝国中央政府という強大な敵を利用することで貴族家と領民の固い団結を実現している。

 

「……ああそうだ、アルベルト君、こちらへ来てくれ。皆、紹介しよう。我がクロプシュトック侯爵家一門に連なるチェザーリ子爵アルベルト・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍特務中将だ。コンスタンツェの夫、といえば分かるか?」

「おお!コンスタンツェ様の!」

「お噂はかねがね聞いております!」

「皇帝陛下の御側に控え、奸臣の専横に立ち向かう忠臣だ!父上が陥れられた際には危険を厭わずコンスタンツェやそこにいるヴィンツェルを救ってくれた」

 

 ヨハンは私の肩を叩きながら領民たちに語る。

 

「今日はクリスティーネとコンスタンツェに会いに来たのだが、そのついでにアルベルト君に我等の故郷(・・・・・)を案内しようと思ってな。……アルベルト君、どうかな?誠実で勤勉な我が同胞たちは?」

 

 『我等の故郷』『同胞』という言葉を強調しながら聞くヨハンに私は「先の侵略に対するクロプシュトック侯爵領の強さに得心がいきました」と微笑みながら答えた。

 

 ……クロプシュトック侯爵家の初代当主は『血のローラー』を実施した内務尚書アルブレヒト・フォン・クロプシュトックである。その弾圧対象となったのは過激派共和主義者や犯罪者だけではなく、地方分権活動家やブランケル派政治学者――地球時代最末期に『星系間分権論』を著したアギーレ・ブランケルの系譜に連なる――も含まれる。

 

 建国時の銀河帝国にとって共和主義よりも厄介だったのが分離・分権主義……というよりその原動力となった郷粋主義(ナショナリズム)である。郷粋主義(ナショナリズム)の高揚は大衆の政治的無関心以上にルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの台頭に貢献した。そして教条的共和主義者の抵抗以上にルドルフ・フォン・ゴールデンバウムを悩ませた。……何せ当時のカストロプ公爵やグレーテル伯爵など支持者の中にも郷粋主義者(ナショナリスト)が居るのである。

 

 さてこういった郷粋主義者(ナショナリスト)系にルーツを持つ領地貴族は全体的な傾向として自分の領地を第一に考える。領地貴族なんぞ多かれ少なかれどいつもこいつもそういう所があるが、郷粋主義者(ナショナリスト)系は今でも民意を気にすることが多く、他の貴族よりも領民『だけは』大切にする。(別に開明的という訳ではない、銀河連邦末期に大衆迎合主義(ポピュリズム)的指導者として権力を握った後遺症である)具体例を挙げるとするならば元財務尚書オイゲン・フォン・カストロプ公爵だろう。彼は自身と自身の故郷が如何に私腹を肥やすかしか考えていなかった。国家への忠誠心を欠片も持ち合わせていない代わりに、国家全体に対する野心も欠片として持ち合わせて無かった。ブラウンシュヴァイク公爵やリッテンハイム侯爵が帝国全体への影響力を増やそうとする一方でカストロプ公爵は徹頭徹尾今の自領と権益を豊かにすることだけに集中していた。

 

 そんな「国より地元」な郷粋主義者(ナショナリスト)系貴族は他の貴族の顰蹙を買いがちであるが、それを知りながらも何の因果か郷粋主義者(ナショナリスト)を弾圧したアルブレヒトの子孫であるクロプシュトック侯爵家もまた郷粋主義(ナショナリズム)を利用して領地を統治せざるを得なかった。その理由はやはりブラウンシュヴァイク公爵家とリッテンハイム侯爵家である。領土とする範囲で勝る――そしてクロプシュトック侯爵家を敵視する――両家に対抗するには平民に至るまで「臣民化」、欲を言えば「領民化」していないと難しかったのだ。

 

 また、ブラウンシュヴァイク・リッテンハイム・クロプシュトックは奇しくもいずれもその領地から見ると「外様」の貴族である。元々中央地域出身の上院議員であるブランズウィックや同じく中央地域出身の内務尚書であったアルブレヒトは言わずもがな。テオドール・リッテンハイムもたまたま銀河連邦崩壊時に第四辺境管区総司令の役職を務めていただけで、元々は他の地域出身である。……しかもテオドール・リッテンハイムに至っては軍事クーデターで現地の地方政府を崩壊させている。

 

 銀河帝国建国初期の未だ不安定な時期である、今のように「平民が束になろうと~」などとのたまう余裕は無い。ブラウンシュヴァイク家もリッテンハイム家も死に物狂いで領民の反乱を抑え込み、厳格な統治体制を確立した。一方で、両家と同じく他地域出身ながらもルドルフやノイエ・シュタウフェンと近かったアルブレヒトは帝国中央政府からの支援を期待することが出来た。「硬軟使い分けて領民を懐柔しつつ、郷粋主義(ナショナリズム)を上手く利用し不満をブラウンシュヴァイク・リッテンハイムに逸らす」という方針を取れるだけの余裕があったのだ。

 

「……慕われているのですね」

「一種の洗脳だな。生まれてから死ぬまで、この領地じゃブラウンシュヴァイク・リッテンハイムへの憎悪を刷り込まれる。多少生活に不満があってもそれは全て両家に向かう。ブラウンシュヴァイクやリッテンハイムが他の地域でどれほど恐れられていようが、力を持っていようが、ここでは農奴以下の存在だ。臣民も私領民もあいつらをこぞって馬鹿にする。まるで有色人種を相手にしているみたいにな。……アルベルト君、人は『誰某は正しい』『誰某は優秀だ』と言われるよりも『誰某は間違っている』『誰某は劣っている』と言われる方が信じるものなのさ。誰だって人の欠点を探している。絶対悪を叩くのはさぞ楽しいだろうよ」

 

 領民たちに笑顔で別れを告げた後、私に対してヨハンはそう言った。その顔には隠し切れない領民に対する侮蔑心が見える。

 

「……誰の目にも分かる欠点は誰が見ても分かるものです。そんなものをあげつらう事に意味はありません」

「同感だ」

 

 私の言葉にヨハンが頷いた。その後ろでヴィンツェルが気まずそうな表情をしている。私の言葉がそのまま領民の欠点を嗤うヨハンにも向けられていることに気づいたのだろう。

 

 私とヨハンは数名の護衛を引き連れ田舎道を歩く。一種のパフォーマンスだ。クロプシュトック侯爵家が領民と共にある、そう錯覚させる為の。……目的地はクロプシュトック侯爵家の別邸の一つであり、皇帝フリードリヒ・フォン・ゴールデンバウムの第二皇女、クリスティーネ・フォン・クロプシュトックが私の妻コンスタンツェと共に滞在している。

 

 

 

 

 

 

 草原を二頭の馬が走る。やや遅れて数頭の馬が続く。その様子を眺めながらヨハンが頭を抱えている。

 

「……アルベルト君」

「前にも言いましたが、私は妻の意思を尊重しておりますので」

 

 弱り切ったヨハンが私の方を向いて何か言おうとする。しかし、私は機先を制した。

 

「……私だってなるべくはそうしたいさ!しかし……クリスティーネに何かあったらどうするんだ?皇女殿下が落馬で……なんて事になって見ろ、クロプシュトック侯爵家は終わりだぞ!?」

「では殿下に直接そう仰れば良いでしょう」

「うむ……いや、しかしな……」

 

 ヨハンは煮え切らない様子である。私は気づかれないように小さく溜息をついて視線を前に戻す。二頭の馬、その鞍上でクリスティーネ皇女殿下とコンスタンツェが笑い合っている。

 

「皇女殿下に差し出口はできませんか?」

「……そうだ、といったら君は怒るんだろう。しかしね、君やバルトバッフェル子爵みたいには成れないよ」

 

 ヨハンは不機嫌そうな、あるいは悲観するような声色でそう言った。……クリスティーネ様がこの場にいたらきっと「ヘタレ」と笑うだろう。ヨハンの名誉の為に言っておくと、「ヘタレ」と面と向かって言われる位には彼もクリスティーネ様から信頼されているのだ。

 

「……まあ私やバルトバッフェル子爵が異端であることは殿下も理解していますよ。月並みな言葉ですが重要なのはヨハン様がクリスティーネ様のことをどう思っているか、という事でしょう。表面に出る態度よりも根底にある気持ちが重要だというのは政治の場と同じです」

「……覚えておこうか」

 

 ヨハンは前を向きながらそう言った。目線の先ではクリスティーネ様とコンスタンツェが馬を降りている。そのままの服装でこちらに向かおうとして付き人から何か言われているが、意に介さずそのままこちらに歩いてきた。 

 

「あら旦那様。お早いご到着ですわね」

「……クリスティーネ、私が早くついた訳ではないよ」

 

 ヨハンが少し呆れながらそう答える。横でコンスタンツェがバツの悪そうな顔をしているが、この程度を気にするクリスティーネ様ではない。

 

「久しぶりだね、コンスタンツェ」

「ああ旦那様……。お怪我の方は大丈夫なのですか?賊に襲撃されたと聞いて非常に心配しておりました……」

 

 私は後ろを振り向く。ヴィンツェルとブレンターノがさっと目を逸らし、ヘンリクが軽く笑っている。

 

「君たちはまた勝手に……」

「うう……あの優しい旦那様が私への連絡を忘れるなんて……。余程の重傷を負われたのかと、心配して夜も八時間しか眠れませんでしたし、食事も三度しか喉を通りませんでした……」

 

 コンスタンツェがわざとらしく袖を目元にあてて泣き真似をして見せる……が、乗馬のせいで袖が汚れていたらしく、それに気づいて慌てて泣き真似を止めた。

 

「……違うんだよ、確かに襲撃は受けたが、大したことは無い。あれは暴発した馬鹿の独断行動、流れ弾みたいなもんなんだ。その程度の事を一々君に伝えて余計な心配をかけたら悪いと思ってね……」

 

 私は頭を掻きながら言い訳がましく言う。

 

「お言葉ですが旦那様?大したことがあるかないかは相対的な評価です。確かに四方八方に喧嘩を売って、同時に売られた喧嘩を片っ端から買っている旦那様です。ザルツブルク一門に属するとはいえ子爵家程度の陰謀なんて本当に大したことが無いんだと思います。でも普通の人間にしてみれば帝国歌劇場で銃撃を受けるなんて十分大したことですよ?勿論、身分に関わらずです。普通の人間は年に三、四回も襲撃は受けませんからね」

 

 コンスタンツェは立腹した様子でそう言う。そして上目遣いで私に問いかけてきた。

 

「……旦那様は私に誓ってくださったではないですか。あれは嘘だったのですか?」

「それは違う!私は君に絶対に嘘はつかないし、絶対に君より先には死なない」

 

 宇宙暦七六九年の帝臨法廷で死にかけた私は解放された後ジークリンデ皇后恩賜病院に入院したのだが、そこで再会したコンスタンツェに号泣された。ある程度慕われているとは思っていたが、まさか彼女の中で親が決めた婚約者に過ぎない私が号泣する程大きな存在だとは思っておらず、私は少々驚いた。そして気持ちが高ぶってしまった私は恥ずかしながら「絶対に君を一人にしない」などと調子に乗って誓ってしまった。……とはいえ実際の所、活動が活動である。その後二度ほど死にかけた。その度に「危ない事はしない、してしまったときは可及的速やかに連絡する」とか「年の半分は家族と過ごす」とか色々約束していたのだが、それを悉く守れないダメ人間の私はついにコンスタンツェを激怒させてしまう。

 

「……それだけですか?」

「……次に死にかけたら、あるいは嘘をついたら公式の場から退き二人で暮らす、だね」

 

 私は意図的に発しなかった三つ目の誓いを口に出した。やはり惚けるのは誠実では無いと思いなおしたからだ。コンスタンツェの声色が段々冷たくなっていったという事実とは一切関係無い。

 

 コンスタンツェは大きく頷く。それからじっと私を見つめてきた。やがて溜息をついた。

 

「何だい?」

「いいえ、まだまだ止まる気は無いんだな、と思って」

「……すまないな。君は苦労を掛けている。夫らしいことも碌にできていない」

 

 私の敵対者は皆が上品な連中と言う訳では無いし、法律や権威を気にするタイプでもない。中には私を黙らせるのに親類縁者に危害を加える人間も居るだろう。……二年前に亡くなった母アメリアとコンスタンツェ、それに従兄ディートハルトの下では安全が保障されない数名の古参家臣は五年前、正式にコンスタンツェとの式を挙げた後からクロプシュトック侯爵家の庇護下に置かれている。

 

「夫らしいこと、ねぇ……」

「何だい、その目線は?」

 

 気づけばヨハンとクリスティーネ様が近くに寄ってきていた。

 

「ヨハンはライヘンバッハと違って別に主流派に反旗を翻した訳でも無いし、馬鹿父上の御守で忙しい訳でもない。気楽な一侯爵令息だわ。ところがどういう訳か私は『夫らしいこと』をして思った覚えがあんまり無いのよねぇ」

「……酷い、それはあんまりじゃないかクリスティーネ」

 

 クリスティーネ様の言葉にショックを受けたような様子でヨハンが呟く。が、この程度のやり取りはいつもの事であると聞く。

 

「ねえコンスタンツェ、いっそ夫を交換しましょうか?ライヘンバッハは私を個人として見るし、やること為すこと一々口出ししてこない。ヨハンはいつでもあなたの側に居れるでしょうし、余計なブランドがついてない相手には普通に誠実で温和よ?」

「クリスティーネ様、お戯れを……」

 

 コンスタンツェが困ったような表情で私の方を見てくる。ヨハンが額に手を当てて首を振り「先に戻っている」と言って踵を返した。私は――というよりその場の人間たちは皆――何とも言えない表情でそれを見送る。

 

「……クリスティーネ様、いくら何でもお戯れが過ぎるというものです」

 

 私はやや呆れた表情でクリスティーネ様に話しかける。コンスタンツェも微妙な表情だ。クリスティーネ様は小さく肩を竦めて私に向き直った。

 

「まあね、自覚はあるわ。……夫を男の友人と比較したり、友人の夫と交換してほしいと言ったり……禄でもない女よね。でも言わずにはいられないのよ」

「クリスティーネ様……」

 

 クリスティーネ様はそう言うと屋敷の方に歩いていった。その背をコンスタンツェが気の毒そうに見つめている。

 

「あの二人、上手く行ってないのかい?」

「……少なくとも、クリスティーネ様は満足できていません」

 

 私が尋ねるとコンスタンツェはそう答えた。コンスタンツェはクリスティーネ様と同年代であり、信頼されているそうだ。

 

「ヨハン様が悪い訳ではありません。ヨハン様は御人柄も良く、器量も良い方です。血筋もしっかりしていますし、侯爵位に相応しい能力の持ち主です。ですが……良くも悪くも普通の貴族です」

「……普通?」

「クリスティーネ様は幼い頃から周囲の悪意に晒されて育ってこられました。……『普通の貴族』にとって皇女というブランドは絶対的なモノです。しかし、そのブランドがありながらも御父上であるフリードリヒ四世陛下に対する侮りや嘲笑から馬鹿にされ続けていました」

 

 そこでコンスタンツェは言葉を切り、その先を言うか迷う表情を見せる。しかし、やがて再び口を開いた。

 

「結論から言ってしまえば、クリスティーネ様は不安なのです。『皇女殿下』という肩書に自信を持てないのです。……私は詳しくは知りません。しかし、フリードリヒ四世陛下の即位前後で多くの貴族が『変節』しました。残念ながらクロプシュトック侯爵家もそうです。同じことがクリスティーネ様の周囲でも起こったでしょう。そして……この混迷した政治情勢で同じことが再び起こらないという保証はありません」

「なるほどな……」

「ヨハン様は良い方です。しかしクリスティーネ様に対しあまりにも多くの線を引き過ぎています。確かに『皇女殿下』に対する距離感としては間違っていないでしょう。しかし……」

「クリスティーネ様が夫に望む距離感ではない、ということか」

 

 私は考え込む。クリスティーネ様はフリードリヒからヨハンとの政略結婚について尋ねられ、積極的に同意した。しかし、ヨハンとの夫婦関係に対して完全に割り切れている訳では無いのだろう。むしろクリスティーネ様の人柄とこれまで培ってきた経験を考えれば、『皇女殿下』として敬われ囲われて過ごすのは望むところではないはずだ。

 

「……ヨハン様も分かっています」

「え?」

「アルベルト君も聞いたでしょう?『君やバルトバッフェル子爵のようには成れない』と。ヨハン様だってクリスティーネ様の求める夫婦関係は察しています。察した上で手をこまねいているのです」

 

 私の側に残ったヴィンツェルが私にそう語った。ヨハン・フォン・クロプシュトックは貴族としては善良な部類と言って良い。しかし、クリスティーネ様はそもそも「貴族」という存在に不信感を抱いている節があった。ヨハンもその事には気づいていたが、それでも「貴族」という枠組みを超えることは難しいものなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 銀河帝国の男性皇族は伝統的に中央省庁や軍で勤務することが多い。これはジギスムント一世鎮定帝が自身の経験に基づいて皇太子リヒャルトに士官学校入学と軍隊勤務を強制したのが始まりである。即位当初行政や軍務に携わった経験が無かったために苦労したジギスムント一世鎮定帝は皇帝が一定の統治能力を有するためには中央省庁や軍での勤務経験が必要であるとの考えを持つようになったのだ。

 

 その後もリヒャルト一世名文帝が皇太子オトフリートを財務省に入省させ、オトフリート一世禁欲帝――散文帝とも――が皇太子カスパーを近衛兵総監部に、第二皇子クリストフを典礼省に、第三皇子ユリウスを宮内省に入省させた。この頃になるとゴールデンバウム家の男子は公職に就くべきである、という風潮が形成されていた。

 

 軍隊勤務を経験した皇族としては、ユリウス一世長寿帝の皇太子フランツ・オットー、アウグスト一世節制帝の皇太子エーリッヒ、リヒャルト三世無精帝の第一皇子ルートヴィヒ、リンダーホーフ侯爵エーリッヒ等二八名が挙げられる。しかし、宇宙暦六四〇年に自由惑星同盟の存在が明らかになり、さらに同年のダゴン星域会戦で帝国軍が大敗、皇位継承が確実視されつつあったベルベルト大公が失脚すると、その後は軍隊勤務を経験する皇族の数は激減する。

 

 ダゴン以降軍務に就いた皇族はマクシミリアン=ヨーゼフ二世晴眼帝の皇太子コルネリアス、マンフレート一世不精帝の第二皇子レオンハルト、ヘルムート一世不運帝の皇太子ルートヴィヒ、第二皇子フランツ・オイゲン、コルネリアス二世大敗帝の皇太子オトフリート、オトフリート五世倹約帝の皇太子クレメンツ等僅かに九名である。……なお、オトフリート四世強精帝の庶子は計算に入れていない。また、宇宙暦七七六年のアムリッツァ星域会戦に参加したゴールデンバウム血族はいずれも臣籍に降っており、何かの間違いで彼らが帝位を継承しない限りは皇族として数えられることは無い。さて、この内、皇太子コルネリアス、皇太子オトフリート、皇太子クレメンツはいずれも帝位継承の有力候補ではあったが、最初から立太子されている訳では無かった。最初から帝位継承を確実視されていた皇族で軍隊勤務を経験したのはヘルムート一世不運帝の皇太子ルートヴィヒただ一人である。

 

 なお、この皇太子ルートヴィヒはシャンダルーア星域会戦の大敗で負った傷が元で若くしてこの世を去る。また、第二皇子フランツ・オイゲンは兄が戦死した戦いで生き残ってしまったために帝位継承者として不適格との声が挙がり、最終的にルクセンブルク公爵家へと追い出される羽目になる。有名なマンフレート二世亡命帝が幼少期に亡命したのも、その後に帝位を継承出来たのもルートヴィヒが戦死し、フランツ・オイゲンが失脚した為である。

 

 ……話が逸れた、本題に戻ろう。宇宙暦七七七年四月六日、皇太子時代のコルネリアス一世親征帝から数えて十人目となる皇族の軍隊勤務者が誕生した。フリードリヒ四世帝陛下の皇太子ルートヴィヒ・フォン・ゴールデンバウム宇宙軍上級大将である。

 

「……汝、宇宙軍予備役上級大将ルートヴィヒ・フォン・ゴールデンバウム皇太子を宇宙艦隊司令長官に任ず。エルザス=ロートリンゲン地方を奪還し、サジタリウス叛乱軍のオリオン腕進出を阻止せよ」

 

 新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)の大広間で跪くルートヴィヒを見下ろすフリードリヒはいつも通りの無気力さであるが、見る人が見ればその無気力がいつものように無関心からくるものでは無く、ルートヴィヒを宇宙艦隊司令長官に任ずることを快く思っていない為であると分かるだろう。カール・フォン・エッシェンバッハ伯爵の戦死後、父であるフリードリヒ四世は非常に落ち込み、息子をアムリッツァ星域に送ったことを後悔した。一方、ルートヴィヒは慕っていた兄が無能な上官から適切な救援を得られず戦死に追い込まれたことに憤り、ついに帝国再建に立ちあがることを決意した。日頃から重臣たちの無能に不満を感じていたこともある。

 

 ルートヴィヒは手始めに迎撃軍総司令部を激しく弾劾した。既にシュタインホフ元帥が解任され軍法会議に掛けられることは決定していたが、幕僚総監リンドラー元帥や特務主任参謀ベルンカステル侯爵、さらに軍務尚書エーレンベルク元帥の責任を激しく追及する。いつもは無気力なフリードリヒ四世が厳罰に前向きであったこともあり、最終的に迎撃軍総司令部は解散に追い込まれ、首脳部は更迭される。……同盟軍の大軍が迫るタイミングで首脳部全員を更迭したのは純軍事的に考えると悪手も良い所だが。だからこそルートヴィヒが動くまで他の高官はシュタインホフ元帥の首だけで責任問題を決着させようとしていたのだ。

 

 迎撃軍は緊急的に第一作戦総軍に再編され、黄色弓騎兵艦隊司令官バッセンハイム宇宙軍大将が指揮官に就任した。ルートヴィヒは迎撃軍総参謀長パウムガルトナー宇宙軍上級大将を推したが、迎撃軍総司令部全体の責任を追及している中、パウムガルトナーだけを免責するのは筋が通らないと猛反発を受け、渋々これを撤回した。

 

 その後、ルートヴィヒは自分が新たな迎撃軍を編成し、指揮を執ると言い出した。当然揉めにもめた。迎撃軍総司令部の責任追及には前向きだったフリードリヒ四世もルートヴィヒが前線に出ることには難色を示した。軍は宇宙艦隊副司令長官グデーリアン宇宙軍上級大将を指揮官に推した。財務省は財政的に大艦隊の動員は避けるべきであると提言した。国務省と内務省は皇太子が元帥府を開設し権力基盤を作ることを警戒した。論争を終結させたのはフォルゲン星系陥落の報だった。バッセンハイム大将は援軍無しに戦線を持たせることは出来ないと明言した。ルートヴィヒは非主流派を結集しついに自身の迎撃軍を編成することに成功したのだ。

 

「拝命、謹んで御受けいたします。皇帝陛下と祖国……そして忠実で善良な帝国臣民の為、このルートヴィヒ、必ずや皇帝陛下のご期待に応えましょう」

 

 ルートヴィヒは皇帝陛下と祖国に並べ、『帝国臣民』の為戦うと明言した。これは極めて異例である。臣民の存在を強調するのはかつて帝位継承争いの時期にクレメンツ大公が取った手法に酷似している。

 

「汝、宇宙軍予備役中将カール・ウィリバルト・フォン・ブルッフ男爵を宇宙軍大将に昇進させ、宇宙艦隊総参謀長に任ず。皇太子ルートヴィヒ・フォン・ゴールデンバウム宇宙軍上級大将を支え、サジタリウス叛乱軍を討て」

 

「汝、宇宙軍中将・軍務省高等参事官補フォルカー・エドワルド・フォン・ビューロー子爵を宇宙軍大将に昇進させ、宇宙艦隊副司令長官に任ず。皇太子ルートヴィヒ・フォン・ゴールデンバウム宇宙軍上級大将を支え、サジタリウス叛乱軍を討て」

 

「汝、宇宙軍中将・オストプロイセン行政区警備隊司令ラルフ・ヘンドリック・フォン・クラーゼン子爵を宇宙艦隊副参謀長に任ず。皇太子ルートヴィヒ・フォン・ゴールデンバウム宇宙軍上級大将を支え、サジタリウス叛乱軍を討て」

 

「汝、宇宙軍少将・第四猟兵分艦隊司令官オイゲン・フォン・グレーテル名誉男爵を宇宙軍中将に昇進させ、白色槍騎兵艦隊司令官代理に任ず。皇太子ルートヴィヒ・フォン・ゴールデンバウム宇宙軍上級大将を支え、サジタリウス叛乱軍を討て」

 

「汝、宇宙軍少将・幕僚総監部宇宙監部教育局長ヘルマン・フォン・クヴィスリング男爵を宇宙軍中将に昇進させ、青色槍騎兵艦隊司令官代理に任ず。皇太子ルートヴィヒ・フォン・ゴールデンバウム宇宙軍上級大将を支え、サジタリウス叛乱軍を討て」

 

「汝、宇宙軍少将・第一六警備艦隊司令ハンス・ディートリッヒ・フォン・ゼークト男爵を宇宙軍中将に昇進させ、紫色胸甲騎兵艦隊司令官代理に任ず。皇太子ルートヴィヒ・フォン・ゴールデンバウム宇宙軍上級大将を支え、サジタリウス叛乱軍を討て」

 

 ルートヴィヒを支えるべく集められた軍人たちが次々と名前を呼ばれる。皇太子の出陣とあって扱いは盛大だが、参列者たちは白け切っている。ルートヴィヒの人選はいっそ清々しい程に帝国軍の主流派を敵視したものだ。やり方も強引である。白色・青色・紫色の各艦隊は司令官が戦死、あるいは敗戦責任を追及されて不在となり、また艦隊自体も緊急的に第一作戦総軍司令官に任命されたバッセンハイム大将の手で第一打撃艦隊・第二機動艦隊・第三独立艦隊・第四予備分艦隊・第五予備分艦隊に再編された。その為、この三つの艦隊は書類に名前が載っているだけの状態になっていた。

 

 そこに第二猟兵分艦隊や第一近衛艦隊、各警備艦隊、さらに一部私兵艦隊まで動員した混成艦隊をぶち込み、司令部メンバーは上から下まで門閥派・クーデター派を外したメンバーで固めた。ハッキリ言って正気の沙汰ではない。純軍事的に見てもこのような混成艦隊の編成には不安しか無いし、ルートヴィヒ皇太子の人選は政治色・派閥色が薄いという条件を最優先に設定するあまり、逆に能力に不安のある人材も含まれている。

 

 ……そして、そんな無茶苦茶な人事を行うように皇太子殿下を唆した奸臣と噂される男が居る。

 

「汝、宇宙軍予備役少将アルベルト・フォン・ライヘンバッハ名誉子爵を宇宙軍特務中将に昇進させ、宇宙艦隊総司令部特務主任参謀に任ず。皇太子ルートヴィヒ・フォン・ゴールデンバウム宇宙軍上級大将を支え、サジタリウス叛乱軍を討て」

 

 当然、私である。……確かに何名か知り合いは紹介した。しかし主犯は私ではないのだ。ルーゲ公爵が居殺さんばかりに私を睨みつけ、キールマンゼク内務次官が面白くなさそうな表情で私を冷たく見つめている。……今回は私のせいじゃないのに。何でもかんでも私の責任にしないで、皇太子殿下を怒らせた自分たちの失策を反省して欲しい。

 

「……皇太子殿下の御身は我が命に代えてもお守りいたします」

 

 私は内心でそんなことを愚痴りつつ、フリードリヒにそう言った。彼は軽く頷く。形式とは違うが、この場で言うべき言葉はこれだと考えた。

 

 私がフリードリヒから辞令を受け取り、自分の控える場所へ戻ろうとすると、内務尚書リヒテンラーデ侯爵と目が合う。リヒテンラーデは私の内心を知ってか知らないでか僅かに唇の端を上げて笑っている。……特務主任参謀の任免権限は基本的に内務省にある。そう、フリードリヒ四世に対し私をこの地位につけるように推薦したのはリヒテンラーデ侯爵なのだ。何故か全部私の陰謀と言うことになっていたが。

 

 当時の私は彼が何を考えているのか、多少は察しが付いていたが全ては見通せなかった。今になって考えると、ひょっとするとこの時点でリヒテンラーデ侯爵は私の未来を予測していたのではないだろうか?彼が革命のエネルギーを正しく評価できていれば、私を上手く「使う」事が出来たかもしれない。尤も、ラインハルト・フォン・ミューゼルというイレギュラーを前にすれば無意味な事ではあるが。

 

 

 

 

 

 

 

 ヘッセン行政区とニーダザクセン行政区の境界付近にあるキフォイザー恒星系は星間航路の要衝であり、過去に数度戦場となっている。……ブラウンシュヴァイク公爵家とリッテンハイム侯爵家によって。宇宙暦七七七年四月二一日、その外縁に存在するガルミッシュ要塞に帝国迎撃軍主力二万五一〇〇隻は滞在している。ガルミッシュ要塞は一応、帝国中央政府と帝国正規軍の管轄下にあるが、時代によってはブラウンシュヴァイクかリッテンハイムの影響下に置かれていることがあった。そして現在の要塞上層部もリッテンハイム系の人材で固められており、仮にかつてのクロプシュトック征伐のような事がリッテンハイム侯爵家に対して行われれば、ガルミッシュ要塞はリッテンハイム侯爵家の側につくであろう。

 

「おお!追いついたかライヘンバッハ。クリスティーネ姉上の様子はどうだった?」

「我が妻コンスタンツェと共に草原を馬で走り回っておいででした」

「相変わらずのお転婆振りだな!クロプシュトック侯爵の息子も大変だろう」

 

 ルートヴィヒ皇太子殿下は爽やかに笑う。その机の上にはアルブレヒト・フォン・ブルックナーの『地球後史』が載っている。過小評価されつつあった人類の歴史に対する地球時代の影響を丹念に追った名著の一つだ。

 

「俺の我が儘でトロイアイトまで行ってもらってすまんな。姉上がクロプシュトックで上手くやれているか心配でな……。今の俺の立ち位置的にクロプシュトック領の領都には行けない。行ったら痛くも無い腹を探られてしまうし、クロプシュトックも俺を抱き込もうとするだろう」

「……と、ウェスターラントに言われましたか?」

 

 私はやや意地悪な口調で問いかける。するとルートヴィヒは少し難しい顔をする。

 

「卿はヴェスターラントを嫌っているのか?」

「そういう訳ではありませんが、彼は野心家ですから」

 

 私がそう言うとルートヴィヒが噴き出す。横に立つ首席副官のグローテヴォール少将、次席副官のホフマイスター准将も微妙な表情だ。

 

「……なるほどな!同族嫌悪という奴か!卿にもそういう一面があるのだなぁ。それならば仕方ないが、程々に頼むぞ」

 

 余程面白かったらしくルートヴィヒは腹を抱えている。私は憮然とした表情で「私に野心はありません」と言うが、「一番厄介なタイプだな。野心を野心と認識していないタイプは当然のようにとんでもない事をしでかす」と言われてしまう。やや自覚がある為沈黙せざるを得ない。

 

「さて、ライヘンバッハ。シャーヘンのバッセンハイム大将から連絡があった。ヤヴァンハールを失陥したとのことだ。奪還の動きをチラつかせて何とかノルトライン方面への侵入は防いでいるがそれも時間の問題らしい。援軍部隊の一部をノルトラインに向かわせて、防備を整えてほしいそうだ」

「ではゼークト中将の部隊を向かわせるべきでしょう。正直に申し上げて、他の部隊は単独行動に耐えうるレベルではありません」

「クラーゼンとグレーテルもそう言っていた。しかしゼークト艦隊は我々の切り札でもある。他の艦隊は決定力に欠けるし、万が一の時に頼りになるかは微妙だ。ここはビューロー艦隊を向かわせるべきじゃないか?予備役部隊中心とはいえ、経験で言えば援軍部隊随一だ。ビューロー大将も熟達の指揮官だ」

「我々が頼りにされているのは数だけです。質はバッセンハイム大将やミュッケンベルガー中将に任せれば問題ありません」

 

 ビューロー大将は名門伯爵家の分家当主である。本家は既に断絶しているが、その一門は今でも軍に一定の影響力を持つ。とはいえ、既に衰退している一門であり、またライヘンバッハ派に若干近かったことから軍内では冷遇されていた。用兵能力は水準以上のモノを有していたが、ここ数年は閑職を転々としている。ブルッフ大将もだが、名将でも長らく実戦を離れていた者たちがすぐに一線級の将帥として返り咲けるかは微妙だ。軍事の世界は日々変化している。技術も用兵も細かな事務形式も、当然敵味方の練度も顔触れも。ザールラント叛乱軍相手とはいえ、実戦に身を置き続けていたゼークト中将の方がこの場合は頼りになるだろう。

 

 そして何よりもビューロー大将から信頼されている作戦部長ギュンター・ヴェスターラント宇宙軍中将、彼が問題だ。彼はインゴルシュタット失脚後の機関で急速に重みを増している人物……らしい。ビューロー大将を送れば彼が蠢動する余地が出来てしまう。今の私はジークマイスター機関の方針を全て把握している訳では無く、ヴェスターラントをフリーハンドで活動させるのはいささか怖い。

 

 ……リヒテンラーデ侯爵がどこまで把握していたかは分からない。流石に機関の存在を突き止めてはいない……はずだ。いくら何でも機関の存在はリヒテンラーデ侯爵の許容範囲を超えると思う。それでも、リヒテンラーデ侯爵が私を特務主任参謀に任じた理由の一つは、ギュンター・ヴェスターラントへの牽制では無いだろうか、と私は想像している。今となっては確認のしようも無いが。

 

「うむ……少し考えさせてくれ。勿論、事は急を要する。それは分かっているがな」

「承知しました。……それでは小官はこれで失礼いたします」

 

 私はルートヴィヒの執務室を出た。皇太子ルートヴィヒ・フォン・ゴールデンバウムの出陣、それは私と憂国騎士団に想像より早い機会(チャンス)を与えることになる。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。

 

 

 

 

 




注釈28
 マクシミリアン・カストロプ記念大学のシェイラ・ブリット名誉教授は論文「『星系間分権論』がその後の地方制度に与えた影響」の中でルドルフによる貴族制度の復活を郷粋主義(ナショナリズム)系支持者に対する妥協の産物であると評している。事実、ルドルフ支持者の内、郷粋主義者(ナショナリスト)として知られたイオシフ・パパドプロス――カストロプ公爵家初代当主イオニアス・フォン・カストロプ――、モーゼス・グレーテル=ハラ――グレーテル伯爵家初代当主モーゼス・フォン・グレーテル――などは全て地方の領地貴族として中央から追い出されている。

 同化政策の辛辣な批判者であったパパドプロスやゲルマン至上主義に懐疑的であったグレーテル=ハラらは地方転出後、国政への口出しを控えるようになり、一方の帝国政府も彼らの領地――いずれも故郷である――への口出しを控えるようになった。つまり、「故郷に広範な自治権を与える代わりに帝国に従う(そして中央に干渉しない)」という取引が行われたのだ。尤も、単に邪魔になっただけのジェームズ・ブランズウィック――上院議員、ブラウンシュヴァイク公爵家初代当主――やエイブラハム・ロブレード――ロブレード・ファイナンス・グループ会長、ヴァルテンベルク侯爵家初代当主――なども地方に追いやられている他、現地有力者であるフィリップ・ダグラス・マグナンティ――エルドラード行政区自治体評議会会長、カンザス星系首相、ブラッケ侯爵家初代当主――、テオドール・リッテンハイム――銀河連邦地上軍大将、第四辺境管区総司令、リッテンハイム侯爵家初代当主――、ディアゴ・アラルコン――下院議員、ヴィントフック行政区名家出身、ザールラント伯爵家初代当主――らがそのまま領地貴族となっており、全ての領地貴族が郷粋主義者(ナショナリスト)という訳ではない。

 なお、ハイネセン記念大学文学部史学科のブルクハルト・オスカー・フォン・クロイツェル教授は同論文を「『星系間分権論』の評価にこだわるあまり、それを阻害する事象に対する考察を怠っている」と批判しているが、私、クラウス・フォン・ゼーフェルトの見解を述べるのであれば、少なくとも銀河帝国がトマス・ホップズ、エドマンド・バーク、ジャン=ポール・サルトル、マイケル・サンデル、アリ・エルッカ・カタヤイネン、アロイス・グリルパルツァーらと同じようにマリーヌ・ル・ペン、ナタリア・チェルニフスカヤ、レイノ・ブランケルら過去の著名なナショナリストの存在を歴史書から消せなかったことは事実であり、ブリットの見解もあながち的外れとは言えないだろう。


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壮年期・ノルトラインの嫌われ者(宇宙暦777年5月3日~宇宙暦777年6月3日)


【挿絵表示】


緑が同盟勢力圏
青が帝国勢力圏
黄色が双方の勢力から独立した地域です

なお、同盟勢力圏と言いつつ、反同盟勢力は完全に駆逐されている訳では無く、例えばクラインゲルト等では未だ正規軍の抵抗も続いています
一方、帝国勢力圏と言いつつ、その実「クロプシュトック公爵派勢力圏」「リッテンハイム侯爵派勢力圏」という風に分かれており、それらの一部は中央政府の十分な統制下にありません。
双方から独立した地域はリューベックのような辺境自治領だったり、叛乱軍(同盟軍に非ず)が帝国の統治機構を追い出してたり、ブラウンシュヴァイク派の残党が立てこもってたり、あるいは単に混乱していたりと、特定の勢力として纏まっている訳ではありません。


 宇宙暦七七七年五月三日、フォルゲン星系とシャーヘン星系の中間に存在するボルゾルン星系において自由惑星同盟軍三個艦隊と銀河帝国軍第一作戦総軍が衝突する。ボルゾルン星系は恒星の活動が不安定である上に、星系全体に四重の小惑星帯が存在し、天体の数も多い。一方でロートリンゲン辺境軍管区の主要航路であるフォルゲン=シャーヘン間航路から程近く、フォルゲンに進駐した同盟宇宙軍がシャーヘンを突破しヘッセン行政区やニーダザクセン行政区に突入するのならばこの星系を拠点にゲリラ的な抵抗を続けるカイザーリング少将の第四予備分艦隊を排除する必要がある。

 

 フォルゲン星系全域をほぼ掌握した同盟宇宙軍は五月一日、第三艦隊をボルゾルン星系へ派遣する。この報を受けた第一作戦総軍司令官バッセンハイム大将は指揮下の艦隊約三万隻の大半を率いてボルゾルン星系に向かう。同盟軍側はこれに驚いた。ボルゾルン星系は明らかに大艦隊同士が決戦を行うに適した星系ではない。ダゴン・アルトミュール・ジャンスキー=ローゼンタール星雲のように戦略的な重要性を持たない限り、不安定な星系での決戦は避けるのが定石である。

 

 バッセンハイム大将が敢えて定石を無視したのは、敗残兵――しかもその一部は元々練度が高いわけじゃない――を強引に再編した第一作戦総軍が質量共に兼ね備え、士気も高まっている同盟正規艦隊と正面から戦っても勝てる見込みが無いと判断したからである。ボルゾルン星系のような不安定な宙域での戦闘では様々なアクシデントが両軍に対して降り注ぐ。しかし、どのようなアクシデントが、どの程度の頻度で襲い掛かってくるかは未知数であり、運が悪ければ同盟軍の損害に比して帝国軍がより大きな損害を受ける可能性もある。バッセンハイムが決戦の地にボルゾルン星系を選んだのは一種の賭けであると言って良い。

 

 同盟軍は不本意ではあったが、このバッセンハイムの挑戦状を受け取らざるを得なかった。バッセンハイム指揮下の一部部隊はロートリンゲン地方各地に広がりゲリラ戦を繰り広げ、主力は同盟軍との決戦を避け遅滞戦略に務めていた。バッセンハイムは決戦に際してこれらの部隊を集結させており、同盟軍側はここでバッセンハイムを叩き、抵抗戦力を粉砕するという欲望に抗うことが出来なかった。さらに言えば帝国中央地域からルートヴィヒ皇太子率いる援軍が向かっていることは承知しており、援軍部隊との合流前に第一作戦総軍の戦力を削る機会を無視できなかった。

 

 同盟宇宙軍がボルゾルン星系に投入した戦力はおよそ三個艦隊四万隻弱。これは同盟宇宙軍が帝国辺境に投入した部隊の半数程度に過ぎない。また帝国軍第一作戦総軍の総兵力と大差ない。ボルゾルン星系という不安定な星系においては数の優位を活かすことができないという判断が理由だ。また、帝国の辺境戦力の中核である第一作戦総軍がボルゾルン星系に注力している間、黒色槍騎兵艦隊が駐屯している総軍の根拠地であるシャーヘンはともかくとして他の方面が手薄になることが予想される。あわよくば、ボルゾルン星系での決戦に合わせ全方面で帝国軍勢力に打撃を与え、帝国辺境に築き上げた解放区を広げようという意図から同盟軍は予備戦力を多めに取ったのだ。

 

 宇宙暦七七七年五月一二日。ボルゾルン星系会戦が当事者たちの予想通り消耗戦の様相を示しつつあるこの日、自由惑星同盟宇宙軍第二艦隊はフライブルク星系第三惑星ヤヴァンハールからノルトライン警備管区のデルシュテット星系に向けて進軍を開始する。同日にはランズベルク星系第六惑星レーシングに第七軌道作戦軍・第八軌道作戦軍・第二二装甲軍を中核とする同盟地上軍が降下作戦を実施した。同惑星は七六九年の『三・二四政変』後、帝国正規軍とランズベルク伯爵家旧臣を中核とする叛乱軍による内戦が発生しており、同盟軍の侵攻に全くの無力であった。

 

 同年五月一五日、ネルフェニッヒ星系第七惑星より一五光秒の距離で第九警備艦隊所属の第二一二警戒部隊が同盟軍第二艦隊を発見する。ネルフェニッヒ星系に駐留する警備部隊は鉱山惑星の第四惑星を死守する構えを見せるが、第二艦隊は軌道上の警備部隊五二〇隻を文字通り粉砕すると地上には目もくれずそのままデルシュテット星系への進軍を続ける。上位司令部である第九警備艦隊は第八、第一〇警備艦隊の来援を待つ目的でデルシュテット星系の放棄を決定するが、これにノルトライン公爵ヨッフムが反発、最終的にノルトライン公爵軍を中核とする諸侯連合七二〇〇隻に第九警備艦隊三二〇〇隻を合わせた約一万隻で迎え撃つことが決定した。

 

 同年五月二〇日、ラザール・ロボス同盟宇宙軍少将率いる第二艦隊第二分艦隊二四〇〇隻がノルトライン公爵領都ブロックラントを電撃的に奇襲。ブロックラントには四〇〇〇隻からなる駐留防衛部隊が存在したが、ロボス少将の速攻を前にその大多数が地上を離れること能わず、虚しく地上に残骸を晒すこととなった。慌てたノルトライン公爵がブロックラントに戻ったときには既にロボス分艦隊が撤退した後であり、人道的配慮から人口中心地は外されていたものの、西大陸の穀倉地帯を中心に少なくない地域が軌道砲撃とミサイル対地爆撃を受けており、四基の宇宙ステーションの内、二基は人員を退去させた上で完全に破壊されていた。

 

 五月二四日、第八警備艦隊がデルシュテット星系に向かう途中、シュトルベルク星系において第二艦隊第二分艦隊の奇襲を受け壊滅する。第二分艦隊は事前に同星系第五惑星を急襲し、ノルトライン公爵一門の代官ベッキンゲン子爵を拘束した上で第五惑星に立ち寄ろうとした第八警備艦隊を衛星の影から急襲したのだ。

 

 五月二七日、カジェタノ・アラルコン同盟宇宙軍少将率いる第二艦隊第三分艦隊が惑星クイールシードに設置された補給基地を急襲する。翌二八日にはハイルブロン星系でフェーデル伯爵軍の攻撃を受けるが、これも難なく撃退した。

 

 デルシュテット星系に集結する一万の艦隊は第二艦隊がノルトライン警備管区で暴れまわる様子に大いに動揺した。五月二八日、デルシュテット星系外縁部に第二分艦隊が出現したことを受け、ついにノルトライン公爵は一つの決断を下した。……ルートヴィヒ皇太子の援軍部隊がノルトライン公爵領で行動することを許可したのだ。信じられないことに、我々援軍部隊はおよそ半月に渡ってノルトライン警備管区の外れ、ヴェルトハイム星系に押し留められていた。背景にあるのはリッテンハイム派と中央の微妙な関係や、強引に援軍部隊を纏めたルートヴィヒ皇太子への反感だろう。

 

 同年の五月三〇日、エドワード・ルーサー・フェルナンデス宇宙軍中将率いる同盟軍第二艦隊がついにデルシュテット星系への侵攻を開始、数で劣り、動揺する諸侯連合軍はヨーナス・オトフリート・フォン・フォーゲル宇宙軍少将率いる第九警備艦隊の奮戦も虚しくあっという間に瓦解した。

 

 宇宙暦七七七年六月二日、フォーゲル少将率いる第九警備艦隊は一二〇〇隻弱まで撃ち減らされ、さらに第二艦隊の半包囲下に置かれ、完全に退き際を失う。フォーゲル少将は同世代、同階級の諸将に比べ用兵能力で優れた面があったものの、一部の帯剣貴族家にありがちな後退を恥とする考えを持っていた。そして、それが彼の戦術判断を誤らせた。無論、フォーゲル少将も玉砕するつもりがあった訳では無いが、後退を厭い「友軍支援」「殿の役目を果たす」「叛徒に一矢報いなくては」といった思いに気を取られた結果、ロボス同盟軍少将率いる第二艦隊第二分艦隊による後方遮断を許してしまう。フォーゲル少将率いる第九警備艦隊は完全な包囲下に置かれ殲滅されるのを避けるためにデルシュテット星系第五惑星マキシミリアムへの降下を選ぶしか無かった。

 

 宇宙暦七七七年六月五日、ルートヴィヒ皇太子の援軍部隊――公称・第二作戦総軍――から分離した一万二〇〇〇隻からなるノルトライン派遣艦隊がノルトライン星系第五惑星ブロックラントに到着する。司令官は……アルベルト・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍特務中将、つまり私である。そして副司令官に白色槍騎兵艦隊司令官オイゲン・フォン・グレーテル宇宙軍中将、参謀長に第二作戦総軍作戦主任参謀カール・エルンスト・ディッケル宇宙軍少将、副参謀長に総軍司令官次席副官エドワード・ホフマイスター宇宙軍准将らといった陣容である。様々な口実でノルトライン派遣艦隊司令部に追いやられた我々には一つ共通点が存在する。……ギュンター・ヴェスターラントにとって障害になるという点である。

 

 ギュンター・ヴェスターラントは狡猾な男であった。第二作戦総軍で派遣艦隊司令官に誰を任命するか論争が起きた際、私はゼークト中将を推薦した。その理由は先に述べた通り、部隊練度と経験を考慮した結果だ。一方で奴はビューロー大将を推薦した。ビューロー大将はヴェスターラントと懇意にしている。奴が自身の影響力拡大を目指してビューロー大将を推薦したのは明白であり、周囲の人間――例えばクラーゼン中将やホフマイスター准将――にもそれは分かっていた。……ところで、私とゼークト中将は公私共に長い付き合いのある仲である。第二次ティアマト会戦で一族を悉く失ったゼークト中将の後ろ盾になったのが我が父カール・ハインリヒであることは有名な話だ。誠に不本意な話ではあるが……ヴェスターラントとビューローの関係は私とゼークトにも当てはまってしまう。つまり、私自身全く以ってそういう意図は無かったが、私がゼークトを推薦したこともまた、周囲から派閥争いの一環であると見做されてしまった。

 

 ……いつの間にか、「ゼークトか、ビューローか」という争いは「ライヘンバッハか、ヴェスターラントか」というルートヴィヒ皇太子の寵臣の座を巡る争いとしての側面も持ってしまった。そしてそこでヴェスターラントはルートヴィヒ皇太子に対して狡猾にもこんなことを言った。

 

『……ではライヘンバッハ特務中将閣下御自身にノルトラインを救援していただくのは如何でしょうか?気鋭の指揮官として知られるライヘンバッハ特務中将閣下ならば能力は無論信頼できますし、その人柄に一点の曇りもないことは皇太子殿下御自身がよくご存じのはずです』

『おお!なるほど、それは良いな!ライヘンバッハなら確かに信頼できる」

『お待ちください殿下、それは……』

『……ライヘンバッハ特務中将はどういう訳かノルトラインに格別の関心をお持ちの様子。この場は特務中将閣下の御手腕を拝見させていただこうと思います。小官のような若輩者には見えぬ景色も閣下には見えておられるのでしょう』

 

 薄ら笑みを浮かべながらヴェスターラントはそう言ってのけ、さらにディッケルやホフマイスターら反骨精神豊富かつヴェスターラントを嫌う者たち――その一部は私の事も嫌っている――が纏めて派遣艦隊司令部に押し込まれた。私を含む反ヴェスターラント派は皇太子殿下の近くから排斥され、さらにノルトライン情勢全体の責任を負う立場にされた。それでいて表向きはヴェスターラントが私に譲歩した形であり、皇太子殿下もヴェスターラントの下劣な意図には気づいていないのだ。

 

「……閣下!閣下!」

「……ん?ヴィンクラーか。どうした?」

 

 六月五日、銀河標準時一七時、惑星ブロックラント上を走る蒸気機関車――貴族の懐古趣味である――の客室で私が物思いに耽っている――つまり、ヴェスターラントの厭らしい面構えを思い出して苦虫を嚙み潰したような表情をしている――と副官のアルフレッド・アロイス・ヴィンクラー宇宙軍大尉が声をかけてきた。

 

 アルフレッド・アロイス・ヴィンクラー宇宙軍大尉は宇宙暦七七一年に帝都士官学校を席次五位で卒業した秀才だ。卒業後は辺境の総督府や警備艦隊に勤務することが多く、宇宙暦七七五年にオストプロイセン警備管区惑星チェザーリ駐屯地に配属された。

 

 チェザーリは……総督である私の意向で迫害を受けた人々を多く迎え入れている。心的傷痍軍人支援会会長カール・フランツ・ディッケル、反戦物理学者アドルフ・リーヴ、オーディン文理科大学法学部名誉教授シュテファン・フォン・クレペリン、元伯爵令息ミヒャエル・フォン・バルヒェットといった面々はいずれもチェザーリの外では安全を保障されないだろう。尤も、私が彼らを保護するよう指示を出したからと言って他の人間もそれに従うとは限らない。端的に言って私の方針に反感を持つ人間は少なくなかった。ヴィンクラー大尉――当時中尉――はそんなチェザーリの排外主義者、右翼を内務省社会秩序維持庁が煽り起こしたある暴動を鎮圧するに際に秀でた手腕を示し、頭角を現した。社会秩序維持庁の画策で私に近い駐留部隊高官が身動きを封じられている中、ヴィンクラー中尉は『少々荒っぽい方法で』指揮権を掌握し、情報に踊らされず群衆の鎮静化に努めた。

 

 ヴィンクラー中尉の働きはチェザーリの破局を回避する一助となり、マルシャ・排外主義者・右翼の陰謀を頓挫させることが出来た。その後、ルートヴィヒ皇太子から第二作戦総軍の陣容を相談された際、私は提出する推薦士官リストの末席に彼の名前を載せた。それによって彼は大尉に昇進し第二作戦総軍の後方参謀の一人となることが出来た。

 

「情報部長のエッカルト・ビュンシェ大佐から連絡がありました。ノルトライン公爵家の一部に不穏な動きがあると……」

「参ったな……。そんなに私が信用できないかねぇ」

 

 私は天を仰いで溜息をつく。そして誰に言うともなしに呟く。

 

「私は以前クロプシュトック公爵領を訪れたとき、熱烈な歓迎を受けた。『同胞の味方』『一門の英雄』としてね。それがこのノルトライン公爵領では『売国奴』『共和主義者』扱いだ。いや、別に共和主義者扱いは嫌じゃないが、テロリスト……つまりザールラント叛乱軍やら十字教抵抗派(プロテスタント)やら銀河人民赤旗武装戦線やらと同じ趣旨で使われるのは不本意だ」

「心中お察しします」

 

 民衆レベルでの私の評価は、地域によって大きく変わる。開明派・クロプシュトック派領地貴族領、帯剣貴族領、独立・分離・分権派が強い地域では私に肯定的な情報が積極的に報じられるため、私の人気は高い。……自分で言うのも恥ずかしいが。中央地域、親フェザーン派――ノイエ・バイエルン伯爵領など――領地貴族領、辺境自治領などでは私の評価は悪くはないが、否定的な意見もそれなりにある。これは帝国一般新聞(ライヒス・アルゲマイネ・ツァイトゥング)や同盟系フェザーンメディア、ワレンコフ系フェザーンメディアといった支持派だけでは無く、様々な思惑から私を批判する不支持派のメディアが少なくないからだと思われる。そしてその他の貴族領……つまりリッテンハイム派、アンドレアス=リンダーホーフ派、エーレンベルク派、旧ブラウンシュヴァイク派などの領地では私の評判はあまり良くない。メディアを握るその地の保守派領地貴族が私を旗印とする改革派官僚・帯剣貴族と対立する以上は仕方がない。

 

 尤も、私は声こそ大きいが小物である。つまり、リッテンハイムやらエーレンベルクにとって何が何でも口を封じて滅ぼさないといけない敵ではない。潰せるチャンスがあれば潰すが、協力(あるいは利用)してメリットがあれば躊躇なくそうする程度の存在だ。故にリッテンハイム領で私の名前を聞いても民衆は胡散臭さを感じるだけで排斥しようとはしない。旧ブラウンシュヴァイク派諸領の場合は胡散臭さを感じながらも私の分権支持者という肩書に期待すらするかもしれない。クロプシュトック公爵領民にとってのブラウンシュヴァイク・リッテンハイムのように、民衆レベルでの公敵となっている訳では無いのだ。……本来ならば。

 

「……何か作為的なモノを感じます。今まで殆ど縁が無かったノルトライン公爵領で閣下の悪名がここまで轟いているのは不自然です」

 

 私の前の席に座るカール・エルンスト・ディッケル参謀長――カール・フランツは長兄である――が難しい表情で言う。ディッケル参謀長の一族は十年ほど前まで授爵に最も近い平民一族の一つと言われていた。しかし、本家跡取りのカール・フランツが第二次ティアマト会戦後の激戦の中で反戦思想に目覚め、帝国で五本の指に入る程偉大な反戦活動家と成り果ててしまったことで、授爵から大きく遠ざかってしまった。

 

 ちなみに、厳格な身分制を敷いているイメージの有る帝国だが、支配階級の下層と被支配階級の上層を分ける壁は実はそれほど高くはない。要は『国家への貢献』を示せばよいのだ。貴族制度の枠組みを使って保護(そして囲い込み)する価値がある一族であると示せればよい。手っ取り早いのは私財を税として国家に収めることだろう。ジギスムント二世痴愚帝のそれは度が越しているとしても、代々の皇帝もその治世に一〇人程度は爵位を平民に与えてきた。レオポルド・ラープなんかはその代表格だ。

 

 財力が無くても能力によって貴族の末席に名を連ねることは不可能ではない。特に官僚貴族は役職の上下とリンクして爵位も変動しやすく、必ずしも爵位とセットで領地を与える必要も無い為、平民が爵位を得やすいとされる。平民で事務次官に上り詰めた者は帝国の歴史上二一名居るが、この全員が一代限りの爵位を与えられており、うち六名は一族の者も能力を示したため、永代の子爵・男爵・帝国騎士位を授爵している。

 

 帯剣貴族家、すなわち平民軍人の授爵は官僚貴族に比して厳しいが、それでも名門と呼ばれる帯剣貴族家と関係を深めることで少なくない平民一族が帯剣貴族家の末席に名を連ねた。ディッケル家もそういうルートで授爵を目指していたのだ。また、学問・芸術分野での授爵も可能であり、帝国学芸院(アカデミー・ディズ・ライヒス)に名を連ねた者は必ず男爵位以上の貴族として扱われる。

 

「兵士の士気にも影響が出ていますな。具体的には閣下への不信感と言う形で。私見を述べさせていただければ、小官としても兵士の気持ちに賛同いたします」

 

 ディッケル参謀長の横でホフマイスター副参謀長が皮肉気に語る。この硬骨漢が私を見る目は日に日に険しくなっている。私が改革者か、あるいは単なる扇動家・政治屋軍人か、彼は自身の目で見極めようとしていた。どうにもヴェスターラントとの小競り合いが祟って、彼の中における私の評価は否定的なモノになりつつあるらしい。

 

 ホフマイスターは別にディッケル家のような授爵に近い一族――準貴族層、あるいは上層ブルジョワジーとでも言おうか――の出身ではない。宇宙暦七五九年に士官学校を下位の成績で卒業後、常に前線にあって堅実に武勲を積み重ね、人材不足にも助けられて門閥に近い訳でもないのに三八歳の若さで宇宙軍准将にまで昇進している。

 

「……」

 

 私は黙り込む。現在、ノルトライン公爵領では様々な流言飛語が飛び交っているが、その中にこんな内容がある。

 

『アルベルト・フォン・ライヘンバッハは叛乱軍に内通している』

『ライヘンバッハはノルトライン公爵を暗殺し、領地と財産を奪うつもりだ』

『ライヘンバッハは帝都で命を狙われてノルトライン派遣艦隊司令官の名目で逃走してきたのだ』

『ノルトライン派遣艦隊には銀河解放戦線のシンパが相当数浸透している』

『ライヘンバッハはノルトライン派遣艦隊を利用して叛乱と革命を起こすつもりだ』

『ライヘンバッハは実はフリードリヒ四世の意向を受けてノルトライン公爵領を査察している、将来のリッテンハイム征伐への布石だ』

『中央政府はリッテンハイム派潰しの一環でライヘンバッハを送り込んできた。毒を以って毒を制すという意図である』

『中央政府にとってノルトライン公爵領の存亡はどうでもよい、それよりもこの戦いを利用してライヘンバッハを葬るつもりだ』

 

 ……私がノルトライン派遣艦隊司令官に内定してからノルトライン公爵領で俄かにこのような噂が流れ始めた。誰がこのような手回しをしたのか?……決まってる、ギュンター・ヴェスターラントだ。ジークマイスター機関の工作員や関係のある組織――銀河解放戦線(通称、戦線)・革命的民主主義者武装同盟(通称、革民同)・銀河連邦臨時人民自治評議会(フェデラシオン・コミューン)(通称、コミューン)の三大共和組織等――を総動員すればこの程度の工作は容易い。元々私への不信感は存在したのだから。

 

 ヴェスターラントの目的は何か?……私という存在を最大限利用してノルトライン公爵領に混乱をもたらすことだろう。実際、ノルトライン派遣艦隊が長らく公爵領外に止め置かれたのはノルトライン公爵家が流言飛語に惑わされて私を警戒したからでもある、そしてそのせいでノルトラインの諸侯連合と警備艦隊は数的不利を承知で同盟軍第二艦隊と交戦せざるを得なかった。

 

「失礼します。閣下、後一五分でケルントに到着します」

 

 客室に司令部付き将校として同行するヘンリク・フォン・オークレール地上軍大佐が入ってくる。ルートヴィヒ皇太子の出征に合わせ、クロイツァー近衛軍予備役少将ら数名のライヘンバッハ派が現役に復帰した。復帰した者たちはヘンリクも含め全員がルートヴィヒ皇太子の第二作戦総軍に参加していたが、私がノルトライン派遣艦隊司令官に就任した際、ルートヴィヒ皇太子の厚意でヘンリクを司令部付き将校として付けてもらうことが出来た。

 

「ああ、分かった」

 

 ケルントにはノルトライン地方で最も美しい湖畔が存在する。ノルトライン公爵はその畔に別荘を構え、夏の間をそこで過ごしているという。公爵が市街地では無くこの別荘に私を呼びつけたのは警戒心の表れだろう。

 

 

 

 

 

 ケルントの駅には厳戒態勢が敷かれていた。プラットホームにはノルトライン公爵軍の兵士が整列しており、列車の到着と同時に全ての入り口から客車内に突入していった。私たちが降りる出入口だけは兵士が突入せず、代わりに青色の瞳を持つ茶髪を七三分けにして前髪を撫でつけた若い将校が数人の兵士と共に直立不動で待っていた。

 

「ライヘンバッハ特務中将閣下、ようこそケルントへ。小官は閣下の案内と歓待を担当するノルトライン金虎騎士団所属、アレクサンデル・バルトハウザー少佐と申します」

「歓待、ね。ノルトラインの文化では銃剣を携えて客人を歓待するのかね?」

「勿論その通りです。客人の安全を守れなくては歓待の仕様もありませんから。閣下の領地では違うので?」

 

 バルトハウザー少佐は私の嫌味をさらりと受け流す。……平民出身で階級は少佐、年齢は二〇代前半といった所だろうか。特務中将を出迎える人間として相応しいとは思えない。ノルトライン公爵の意図が透けて見える。

 

 とはいえ、バルトハウザー少佐の所作は洗練こそされていないが、最善を尽くしていることは感じられた。である以上、恐らくノルトライン公爵から厄介ごとを命じられて困惑しているだろうこの平民少佐を追い詰める必要も無い、と私は考えた。

 

 私たちはバルトハウザー少佐の案内に従い公用車に向かう。そこで私はバルトハウザー少佐を呼び止めた。

 

「少佐……車が足りないような気がするのだが?我々の護衛をどうするつもりだ?」

「……公爵閣下は派遣艦隊高官と落ち着いて話し合いたいそうです」

「だから……それで何故護衛を置いておこうとするかと聞いているんだ!」

 

 私はやや気まずそうに応えるバルトハウザー少佐に詰め寄る。バルトハウザー少佐は少々躊躇った後口を開いた。

 

「閣下の艦隊には良くない噂があります。率直に申し上げて公爵閣下はノルトライン派遣艦隊の兵士を信頼しておりません」

「な!」

 

 その説明にディッケル参謀長やホフマイスター副参謀長、ヴィンクラー大尉が気色ばむ。私もバルトハウザー少佐に護衛を連れて行くよう詰め寄ったが、バルトハウザー少佐は結局最後まで首を縦に振らなかった。

 

「閣下の護衛の方々の安全はこのバルトハウザーが保障します。信じていただきたい」

 

 「卿は逆の立場で信じられるか?」とホフマイスター副参謀長が不機嫌そうに答えたが、結局バルトハウザー少佐を説得できず、我々は護衛の安全を保障するという少佐の言葉を信じて公用車に乗り込まざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 

 

「遅いっ!貴様らの怠惰で偉大な帝国の版図が失われてしまったではないか!」

 

 ヨッフム・フォン・ノルトライン公爵は私たちを見るなりそう怒鳴りつけ、手に持っていたグラスを投げつけてきた。私はそれを体で受け止める……義理も無いので身をずらして避ける。すると「何故避ける!」とさらに怒鳴ってきた。

 

「小官らにデルシュテット失陥の責任があると?」

「当たり前だ!」

「ヴェルトハイムに我々を留めておいたのは公爵閣下でしょう」

 

 私はどうせ無駄だろうと思いながらも一応抗弁する。

 

「デルシュテット会戦の時には既に入領を許可していた!卿らが戦列に参加すれば我々は叛徒共を回廊の彼方まで追い返すことが出来たのだ!」

「我々が戦列に参加するのは物理的に無理でしょう」

「無理!?無理と言ったか貴様!栄えある帝国軍の宇宙軍中将が!それも帯剣貴族の名家ライヘンバッハを名乗る者が無理と言ったかぁ!」

 

 そこまで怒鳴るとノルトライン公爵はゼェゼェと肩で息をする。そこで隣に居たひょろ長い青年が薄ら笑みを浮かべながら口を開く。

 

「父上、そうチェザーリ子爵(・・・・・・・)を怒鳴っては可哀想でしょう。何せ彼はライヘンバッハの苗字を背負っているだけで一族からは実質的に追放された身、いわばライヘンバッハの落ちこぼれ、帯剣貴族の落伍者です。期待した我々が愚かだったのです」

 

 エーリッヒ・フォン・ノルトライン公爵令息がそう言ってノルトライン公爵を宥める。その実、ただの私に対する罵倒であるが。

 

「そうだな、そうだ。全て卿の無能が悪いのは間違いないが、だとしてもそれを考慮せず真の貴族としての基準を卿に求めた我等にも非があるか。このことはしっかりと中央に報告するから卿は安心せよ」

「……報告とは?」

「つまりだ、卿らの失敗でデルシュテット星系は失陥しただろう?だがそれは全て卿らの責任と言う訳では無い。期待した我々にも僅かに、そうほんの僅かに非はあるのだ。その点も考慮して卿に寛大な処置をとるよう願ってやるという事だ」

 

 私の横でホフマイスターが「馬鹿馬鹿しい」と呟く。エーリッヒ公爵令息には少し聞こえたようで、ホフマイスターに何か言おうとするが、私はそれを遮って口を開く。

 

「公爵閣下の温情に痛み入ります。では小官は閣下の報告と共に帝都に帰還させていただきましょう」

 

 私がそういうとノルトライン公爵父子は虚をつかれた表情をする。私の言ったことが意外だったのだろう。だがやがてニヤつくと、上機嫌で「ぜひそうすると良い。卿が重罰を与えられないように名門ノルトラインの名で取り計らうぞ」と言い出す。黒い噂が絶えない私を追い出せるならそれに越したことは無いからだろう。だがその次に私が言った言葉で凍り付く。

 

「そして小官はノルトライン派遣艦隊従軍特務主任参謀としてノルトライン派遣艦隊司令部全将校、並びに主要部隊司令部全将校にデルシュテット星系失陥の責任があると判断し、これを解任します」

「……は?」

「指揮権の上位継承者が殆どその資格を失ったため、軍法に従い指揮権は上位司令部たる第二作戦総軍司令部が継承、すなわちルートヴィヒ・フォン・ゴールデンバウム宇宙軍上級大将が継承なさることになるでしょう」

「ま、待て、そんな無茶な話が……」

「無茶が通れば道理が引っ込みます。小官はこの無茶を通せる程度の権限と政治力は持ち合わせていますよ?」

 

 ノルトライン公爵が困惑しているのを確認した上で私は続ける。

 

「デルシュテット失陥の責任が誰にあるかは今話し合うべきことでは無いでしょう。本気で責任を追及すれば、『誰に本当の責任があったとしても』ノルトラインの今と未来に悪影響を及ぼすに違いありません」

 

 言外に、「デルシュテットが陥落したのはお前らのせいだ」と批判し、「今責任問題を話し合うならただで済ませる気はないぞ」と匂わせる。……尤もノルトライン公爵父子も本気で私に全責任を負わせる気があった訳では無いだろう。戦後は分からないが、少なくとも今は。これは確認と牽制である。

 

「……ふん!いいだろう。卿がそこまで言うのであれば名誉挽回のチャンスをやる」

 

 ノルトライン公爵は私の言いたいことを理解した上でいきなりそんなことを言ってきた。……本来は私を散々に脅しつけた上でこの言葉をぶつけるつもりだったはずだ。

 

「デルシュテットを取り戻してこい。ノルトライン公爵家はその功績と相殺で卿の不手際を忘れてやる」

「不手際、ね。まあデルシュテットを放置する気は元からありませんよ」

 

 私はふてぶてしいノルトライン公爵に呆れ果てながらそう返した。……同盟軍第二艦隊は同盟最精鋭艦隊とも言われる。指揮官も名の知られた者ばかりであるが、特に近年急速に功績を挙げ台頭してきたラザール・ロボス。彼との戦いはきっと一筋縄ではいかないだろう。「ついに来たか」そんな思いを胸に私はノルトライン公爵の戯言を右から左に聞き流していた。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。

 



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壮年期・激戦のノルトライン(宇宙暦778年2月12日)

 自由惑星同盟市民の間で銀河帝国に対する敵意と憎悪は出自・派閥に関わりなく等しく共有されている。反戦派や避戦派に属する者たちも、当然ながら現状の帝国統治体制には不快感を感じている。しかしながら、事が帝国という国では無くその臣民となると話は変わってくる。簡単に言えば、「加害者」と捉えるか「被害者」と捉えるかで見解の相違が生まれるのだ。

 

 例えばリューベック市民を例に出そう。彼らが専制主義の犠牲者であることは同盟国内で広く知られており、彼らを敵視する同盟市民は全くいなかったといって良い。……宇宙暦七六一年のリューベック騒乱までは。

 

 一連の騒乱の全体像は機密保持の壁に阻まれ一般に対して明らかにされていない。しかし断片的に公開された、あるいは漏洩された情報からリューベック独立派と同盟情報部に接触があったと誠しやかに囁かれている。「信憑性が薄い」とこれらの情報を切り捨てるにせよ、騒乱後のリューベックが同盟という脅威を煽り立てる形で実質的独立を達成したことは同盟市民にとって極めて不愉快な事実だ。こうなると『藩王国』などと言う皇帝権力を前提とした枠組みに甘んじているのも気に入らなく感じてくる。

 

 しかしながらそれを以ってリューベック藩王国とその市民を「共和主義に対する卑劣な裏切り者」「皇帝を奉じる専制主義の信望者」と一方的に詰るのはどうにも気まずい。リューベック騒乱でバーナード・ロシェとアルベール・ミシャロンが指摘した通り、宇宙暦六六八年のコルネリアス一世元帥量産帝による親征に際して同盟が『第七艦隊共和国(リパブリック・オブ・セブンスフリート)』を見捨てたのは紛れもない事実だ。

 

 当時の同盟中央政府は第一次ティアマト会戦の大敗を受けて慌てて戦力集中を図った。その結果、前線加盟国の一部を事実上見捨てることとなり、その問題は一〇〇年以上の時を経た今でも加盟国間、あるいは中央対地方の関係にしこりとして残っている。同じように「見捨てられた」エル・ファシルなどの前線諸国は独自路線を採るリューベックの立場を擁護する。このようにリューベック藩王国成立を祝福するか批判するか、同盟国内では意見が割れるのだ。

 

 リューベックの例は少し極端だったかもしれないが、このように同盟国内の帝国臣民に対するスタンスは常に寛容派と厳格派に割れる。そして、両国の関係性や経済事情といった社会情勢で同盟市民の帝国臣民に対する感情は容易に変動し、「解放軍」として正義と慈愛の心を持って帝国領に侵入した同盟軍将兵が次の瞬間――あるいは別の地域では――「復讐者」「愛国者」あるいは「圧政者」となる……なんてことは歴史上何度もあった話だ。

 

 宇宙暦七七七年に自由惑星同盟が発動した「授業の再開」作戦においてもその事情は変わらなかった。ただし、今回の同盟軍は市民感情では無く、補給と戦略の事情によって「解放軍」としての顔と「破壊者」としての顔を使い分けることになった。「授業の再開」作戦の目標は究極的にはイゼルローン要塞の建設であり、帝国イゼルローン方面辺境の解放はその手段だ。当然の話だが、帝国首都オーディンへ一気に攻め入って帝国を民主化……なんてことは考えていない。(市民と軍人の一部にそういう意見もあったが)

 

 同盟軍はエルザス=ロートリンゲン地域で徹底的な民主化教育を始めている。この二地域に存在する有人惑星とその住民を自由の民として同盟の一員に迎え入れる為だ。当然ながらその障害となる旧統治者――貴族や代官――とその支持者に容赦はしない。相当数の地上軍部隊を投入して恭順する市民には食料と本を、反発する臣民には銃弾と死を等しく与えている。

 

 一方でそれ以外の地域――シュレースヴィヒ=ホルシュタイン、ノルトラインなど――に解放区を建設するつもりは無かった。同盟の国是を考えればいずれはこれらの地域も解放する必要があるが、まずはその拠点となるイゼルローン要塞を完成させないといけない。そしてそこからエルザス=ロートリンゲン地域を橋頭保に少しずつ解放区を広げていけばいずれは帝国全土の解放も可能である……との考えに基づいている。

 

 にも関わらず自由惑星同盟宇宙軍がノルトライン・ヘッセン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン方面へ進出を繰り返すのは占領では無く破壊が目的だ。これらの地域を占領した所で補給の維持は心もとない。艦砲射撃・対陸爆撃・質量攻撃で地上の軍・政府・貴族の拠点を潰す、勿論これらの手段だけで惑星の全抵抗戦力を沈黙させることは不可能だが、攻撃を行った惑星の統治機構や軍拠点の機能を当面低下させられれば同盟軍の目標は達成できる。すなわち、要塞が完成し、エルザス=ロートリンゲン地方の民主化が達成され、同盟政府の統治体制・軍の防衛体制が整うまで帝国軍が反攻に使うであろう拠点を潰せれば問題ないのだ。纏めると、エルザス=ロートリンゲン地方では「解放者」、それ以外の地方では「破壊者」としての顔を見せたと言うことになる。

 

 宇宙艦隊総参謀長ハリソン・カークライト宇宙軍大将がこの「策源攻撃戦略」を提唱したが、カークライト宇宙軍大将が拠点制圧に拘らない新戦略を打ち出せたのは腹心であるシドニー・シトレ宇宙軍少将の働きが大きいだろう。シトレ少将は民間への被害を「必要な犠牲」と許容するカークライト大将と最後の最後に対立し、宇宙艦隊総司令部を追い出されることとなったが、「策源攻撃戦略」の基礎研究に携わり、その完成に貢献した。

 

 

 

 

 

 

 年が明けて宇宙暦七七八年になっても自由惑星同盟宇宙軍と銀河帝国宇宙軍による激戦は続いていた。宇宙暦七七七年五月の第一次ボルゾルン星域会戦は睨みあったまま二か月間程散発的な戦闘が続いた後、双方兵を退いた。その後バッセンハイムがシャーヘン星系から直接フォルゲン星系を突く素振りを見せたために第二次ボルゾルン星域会戦が起こり、その結果としてボルゾルン星系が一時的に同盟の掌握する所となったが、すぐに奪還作戦が発動され第三次ボルゾルン会戦――これは第一次・第二次に比して格段に激しい戦いであった――を経て再び帝国勢力圏となっている。しかし、現在ボルゾルン星系は同盟軍によって包囲されており、星系に立て籠もる第四予備分艦隊の消耗も著しい。バッセンハイム大将はルートヴィヒ皇太子の第二作戦総軍にも協力を仰ぎ、近くボルゾルン星系の包囲部隊を攻撃する方針であった。

 

 ボルゾルン星系で同盟軍と帝国軍の主力が幾度も衝突している間、他の方面でも熾烈な戦いが繰り広げられていた。特にランズベルク星系、ヴァンステイド星系、デルシュテット星系の三星系は数度に渡って双方合わせ一万隻以上が砲火を交える大規模会戦が起きている。

 

 ランズベルク星系は帝国軍の要衝シャーヘン星系を迂回してニーダザクセン行政区に突入する為に必要な拠点である。ニーダザクセン行政区は宇宙暦七六九年の政変でブラウンシュヴァイク派諸侯の半数以上が処刑されたことで著しい混乱状態にある。当初、帝国内地への干渉を控える方針であった同盟政府であったが、直にその混乱を見て介入の欲望を抑えきれなくなったのも無理はない。

 

 例えば、フレーゲル侯爵家を継いだハンス・クレメンス・フォン・フレーゲル、シュミットバウアー侯爵家を継いだカール・エドマンド・フォン・ブラウンシュヴァイク、ヒルデスハイム伯爵家を継いだマクシミリアン・フォン・ヒルデスハイムらがそれぞれ「第三二代ブラウンシュヴァイク公爵」を勝手に襲名しブラウンシュヴァイク公爵の遺産――領地・領民・債券・美術品等――を継承する権利を主張して争っている。また、リッテンハイム侯爵家は逆賊討伐を名目にブラウンシュヴァイク公爵領へ雪崩れ込み、バルヒェット伯爵領やハーネル子爵領を実効支配している。オルテンブルク星系では領民が代官のシャイド男爵を追放しヴェスターラント伯爵家の再興を求めて決起した。ノイケルン子爵領では共和派がシュフレーン共和国建国と自由惑星同盟加盟を一方的に宣言した。ブラウンシュヴァイク公爵領ではブラウンシュヴァイク公爵の二人の弟が公爵位を巡って争い、劣勢の末弟オイゲンがついに自由惑星同盟軍の派兵を要請した。

 

 ランズベルク星系も例に漏れず、領土を接収しようとする帝国地上軍とランズベルク伯爵家旧臣が激しい内戦を繰り広げていた。これに同盟地上軍も参戦し、地上では三つ巴の争いが、宇宙では帝国宇宙軍第二作戦総軍主力と同盟宇宙軍第一二艦隊の壮絶な殴り合いが続いている。地上戦力を投入している分、他の星系とは違い同盟軍としても簡単には退けないのだ。

 

 ヴァンステイド星系は全方面で唯一同盟宇宙軍が守勢に回っている。同盟側がノルトラインやニーダザクセン、ヘッセン方面の戦況を重視していることがその主たる要因ではあるが、この方面をバッセンハイム大将から全面的に任されたグレゴール・フォン・ミュッケンベルガー宇宙軍中将率いる第一打撃艦隊の活躍も大きい。同方面ではリューベック藩王国が『未回収のリューベック』奪還を狙って蠢動しているが、ミュッケンベルガー中将はリューベック藩王国警備艦隊を牽制しながら同盟宇宙軍に対し攻勢に出るという離れ業を続けている。ミュッケンベルガー中将はシュレースヴィヒ=ホルシュタイン辺境軍管区の直轄艦隊五〇〇〇隻を指揮下に加え、アンドレアス公爵領やリンダーホーフ侯爵領からも私兵艦隊を供出させた――それがどれほど凄い事なのかはノルトライン公爵の人柄を考えてほしい、アンドレアス公爵やリンダーホーフ侯爵はあそこまで酷く無いにせよ、門閥領地貴族の一員である。彼らから私兵艦隊の指揮権を分捕るなんて『皇帝より皇帝らしい』『威厳が軍服を着て歩いている』ミュッケンベルガー中将だからこそできた芸当だ――ことで他の方面とは違い後方を二線級の部隊に任せることが出来た。

 

 ミュッケンベルガー中将は二度に渡りこの方面を守る同盟軍第三艦隊を打ち破り、特に第一次ライティラ星域会戦では第三艦隊の戦列を突き崩し、中央突破を成功させかけた。シトレ少将率いる第二独立分艦隊が第一打撃艦隊の脇腹に猛射を浴びせたことで紡錘陣形を乱され逆に窮地に追い込まれるが、反撃を受ける先頭集団の指揮統制を維持しながら頑強に抵抗し、最小限の損害でライティラ星系からの撤退を成功させた。

 

 そして私が受け持つノルトライン方面は……非常に苦しい戦いを強いられていた。先に述べた通り、同盟軍は拠点制圧に拘っていない、彼らの目標は破壊である。である以上、必然的に攻める同盟軍が守る帝国軍より有利である。彼らはどの拠点をどの程度の戦力でいつ攻撃するかを常に選択することが出来、対する帝国軍はその同盟軍の動きを見て対応するしかない。どうしても後手に回らざるを得なかった。ミュッケンベルガー中将が危険を冒して攻勢に出ているのも、同盟側に主導権を渡せばシュレースヴィヒ=ホルシュタイン辺境軍管区の各地を荒らされ後手に回らざるを得ないと分かっているからだ。

 

 ……しかし、ノルトライン警備管区では我々が到着した時既に同盟軍第二艦隊が攻勢に出ており、しかも防衛戦力は第一次デルシュテット会戦で壊滅していた。この不利な状況を打破する唯一の方法はデルシュテット星系の奪還だ。デルシュテット星系を制圧すれば同盟軍はヤヴァンハールからの補給路を断たれ、後退を選ばざるを得なくなる。しかし私に分かることを分からない同盟軍ではない。二度のデルシュテット星系攻撃はいずれも失敗した。

 

 同盟軍戦力を各地に誘引した上で実施した第一次デルシュテット奪還作戦ではカジェタノ・アラルコン宇宙軍少将率いる第二艦隊第三分艦隊に頑強に抵抗され、第二艦隊の再終結前に星系を奪還することが出来なかった。第二次デルシュテット会戦ではルーブレヒト・ハウサー宇宙軍准将率いる別動隊による奇襲攻撃もあり第二艦隊を一時的に混乱させた。しかし、攻勢に出ようとしたノルトライン派遣艦隊はラザール・ロボス宇宙軍少将率いる第二艦隊第二分艦隊を突破できず、最大のチャンスを活かせなかった。ノルトライン派遣艦隊は立ち直った第二艦隊から逆撃を受け一連の戦いの中で最大の損害を出すことになる。

 

 

 

 

 宇宙暦七七八年二月一二日。ノルトライン警備管区フェーデル伯爵領フェーデル星系第二惑星ドルトムントにおいて銀河帝国宇宙軍ノルトライン派遣艦隊直衛部隊三二〇〇隻は第二艦隊第三分艦隊二八〇〇隻と交戦状態に入っていた。

 

「ファイエル!」

『ファイア!』

 

 平凡な陣形から平凡な号令と共に始まった平凡な砲戦は、当然の帰結として数で勝る帝国軍が優勢に立った。……そう、通常ならば当然の帰結ではある。実際の所を言えば練度面に問題を抱えるノルトライン派遣艦隊がたった四〇〇隻程度の数的有利で同盟軍正規艦隊の中でも精鋭として知られる第二艦隊に対し優勢に立てるというのは異常な事である。

 

「中央管制射撃の成果ですな。帝国軍と叛乱軍の技術格差は微々たるものです。それ自体は残念な事ではありますが、つまり技術力の土俵で戦えばそれだけ練度差を気にしなくて良くなるという事でもある」

「……しかしリスキーな戦術でもあります。地球軍六万隻が黒旗軍(ブラック・フラッグ・フォース)八〇〇〇隻に大敗した第二次ヴェガ星域会戦。それはチャオ・ユイルンが仕掛けた『静寂の五秒間』無しには有り得ませんでした」

 

 情報部長ビュンシェ宇宙軍大佐は私たちが用いる新戦術――廃れた戦術の焼き直しだが――をそう評したが、作戦部長エッシェンバッハ宇宙軍大佐は不安そうにそう言った。

 

 シリウス戦役時、地球は相対的に少ない人口で莫大な戦力を運用するために艦艇の自動化を進めていた。『静寂の五秒間』はそんな地球軍艦隊のデータリンクシステムに対しチャオ・ユイルンが仕掛けた破壊工作を指す。第二次ヴェガ星域会戦序盤において数の優位を活かした地球軍は自由シリウスを中核とする植民地連合軍主力二万三〇〇〇隻を圧倒した。植民地連合軍も奮戦するが、数的不利を覆すには至らず、ついに撤退を余儀なくされる。地球軍はヴェガ星域を卑劣で不遜な分離主義者たちの墓標とすべく、全軍を挙げて追撃戦に移ろうとした。

 

 チャオ・ユイルンが切り札を切ったのはその瞬間だ、地球軍のデータリンクシステムに存在した小さな――本当に小さな――欠陥を突いた破壊工作は陣形を変更しつつあった地球軍艦艇の動きをほんの一瞬止めた。戦後の検証によると五秒から八秒程度で自動復旧システムがチャオの工作を無力化したとされる。しかし、その数秒間でジョリオ・フランクール率いる奇襲部隊八〇〇〇隻が地球軍艦隊主力に「熱狂的な」あるいは「自殺的な」とも評される突撃を敢行した。フランクールが優先的に狙ったのは数百隻から数〇〇〇隻存在したと言われるデータリンクを維持する指揮艦・中継艦である。これによってデータリンクシステムの各所を寸断された地球軍は陣形変更中であったこともあり、一気に混乱した。あるいはコリンズ・シャトルフ・ヴィネッティの『地球軍三提督』が生きていれば結果は変わったかもしれないが、能力と胆力の双方、良くても片方に欠けていた凡百の地球軍指揮官たちには暴れまわるフランクールと黒旗軍(ブラック・フラッグ・フォース)を止められなかった。

 

 『第二次ヴェガ星域会戦』の地球軍大敗は『土星決戦』における地球連合艦隊――通称・アンドロメダ艦隊――の壊滅、一三日戦争のきっかけとなった『第七次中東戦争』――別名・『無責任紛争』、あるいはJ・P・コナーが評する所の「過去と未来の全人類の目に明らかな、現在の人類の誰もが予想しなかった失敗」――、西暦二七五ニ年前後に起きたとされるドロイドの叛乱『コルサント・ゼロ』、宇宙暦七年の宇宙ステーション――銀河連邦議会が設置されていた――崩壊事故『ブレイク・ザ・ラプラス』と共に、人類に遺伝子レベルで先進技術への懐疑心を刻み込むことになる。

 

「だが止むを得んよ。ノルトライン派遣艦隊総数約一万五〇〇〇隻、その内サジタリウス叛乱軍を仮想敵としてきた戦力は大目に見積もって六割と言った所だ。勝つために必要以上のリスクを負うのは反対だが、リスクを負わないと戦えないというレベルでは選択の余地が無い」

「人事部としては新戦術を評価します。少ない人員で艦隊運用が可能になりますから。さらに私見を述べさせていただければ、先進技術の失敗と評される事例は実際の所、その失敗を直接引き起こした人物が別に存在します。『第二次ヴェガ星域会戦』のチャオ元帥とフランクール元帥、『土星決戦』のセリザワ軍務局長、『コルサント・ゼロ』のティラナス辺境伯、『ブレイク・ザ・ラプラス』のマーセナス委員長……。我々がマーセナス委員長のように初期対応に失敗するか、敵にチャオ元帥のような鬼才が現れない限りは新戦術が破綻することはありません。」

 

 少し不機嫌そうな表情で副参謀長ホフマイスター宇宙軍准将が発言し、人事部長ハウプト宇宙軍大佐が淡々と意見を述べた。

 

「中央情報司令部があらゆる情報を一元的に管理し分析する、これによって艦隊戦指揮と情報戦指揮を完全に分離させ、情報参謀を情報分析とデータリンクシステムの防衛・維持に注力させる、中央情報司令部が分析した情報と、最上級司令部の戦術判断をデータリンクシステムを通じて全て共有させることで各艦艇に人間の反応速度を超えた迅速な行動を可能にさせる。遠距離砲撃戦ではこの効果が顕著に出る。電子戦・情報戦に勝っている限りは将兵の練度に左右されず精密な射撃を続けることが可能だ。とはいえ……」

 

 私は戦術スクリーンを見上げる。前衛の第一戦隊が少しずつ崩れ始めている。第二分艦隊が時間をかけて少しずつ砲線密度を変えていたからだろう。猛攻を受ける右翼側が怯む一方で、左翼側の部隊が少し飛び出しかけている。私はデータリンクシステムを通じて第一戦隊左翼部隊に戦列を維持するよう命じる。反応が遅ければ直接操作で強引に後退させることも考えなくてはいけない。

 

「機械頼りの砲戦は精密だが単調だ。最上級司令部が大まかな目標を設定して砲撃を行っているが、当然ながら一つ一つの戦場に最善の戦術判断をすることは出来ない。下級司令部が最上級司令部から共有された大まかな戦術判断と戦況に発生した齟齬を是正することが出来なければ、少しずつ隙が生まれてしまう」

「自動化を進めた艦隊に存在する最大の欠点は上級司令部になればなるほど多大な負担がかかることだ。……通常以上にな。その負担を低減するために中央情報司令部を艦隊司令部から独立させたが……」

「第一戦隊司令オストバッハ准将は経験豊富な実戦派の帯剣貴族軍人です。……しかしその下が問題です。オストバッハ准将も精鋭第二艦隊を相手にしながら麾下の部隊の『足の上げ方、降ろし方』まで指導するのは大変でしょう」

「……」

 

 ディッケル少将とホフマイスター准将、後方部長オルゼンスキー大佐がそれぞれ言葉を交わす。彼らの言う通りだ。自動化艦隊は個々のスペックを見れば有人艦隊より遥かに強い……ように見える。にも関わらず同盟や帝国の艦隊があくまで人工知能やデータリンクシステムを補助としてしか使っていないのには理由があるのだ。戦術即応能力の低さ、そして『静寂の五秒間』で示された通りの情報攻撃を受けた際の脆弱性、これが如何ともしがたい。故にこのノルトライン派遣艦隊にしても通常の艦隊より機械に頼る比率を高めているが、完全に委ねている訳では無い。

 

「両翼を前進させて我が方前衛部隊を支援させろ。ただし接近しすぎるな。重厚な砲線構築でこちらの前線をすり減らし、疲弊させたところで一気に格闘戦に持ち込む。第二艦隊の一八番だ」

 

 私の指示を受けほぼ間髪入れずに右翼のルーブレヒト・ハウサー宇宙軍准将率いる第三戦隊と左翼のエルンスト・フォン・ファルケンホルン宇宙軍准将率いる第四戦隊が第三分艦隊中央への砲撃を強める。データリンクシステムを積極的に利用することで情報伝達がスムーズに進む。とはいえ、これがさらに大艦隊同士の戦いになったり、あるいは不安定な星域での戦いになったり、あるいはカークライト同盟軍大将の影響もあり情報戦に強い第三艦隊や第一二艦隊を相手取ることになったりすればこうも上手くはいかない。勿論、この戦いも接近戦に持ち込まれればデータリンクシステムは使い物にならなくなるだろう。

 

「第一戦隊が押されています。予備部隊を投入しましょう」

「ああ、二八三打撃群を第一戦隊右翼側後方に展開しよう。中央右翼側の綻びが無視できない」

 

 この頃になると戦況はやや同盟軍優勢へと傾いてきた。こちらも予備戦力を投じながら戦線の穴を埋めつつ管制射撃で確実に第二艦隊第三分艦隊に損害を蓄積させるが、地力の……練度の差か、時が経つにつれてこちら側の損害が増大してきた。こちらの管制射撃の『パターン』が読まれ始めたのかもしれない。

 

「閣下、ご覧ください。敵軍右翼・左翼部隊の一部が少しずつ陣形を変更しています。これは恐らく紡錘陣形への再編……つまり中央突破の前触れかと」

「卿の言う通りだな……。第一戦隊は持ちこたえられるか?」

 

 エッシェンバッハ大佐の忠告を受けて、私は彼も含めた作戦参謀たちに意見を求めるが、皆一様に首を振る。第二艦隊は攻撃型の編成を取っている。機動力や情報戦力はそれほど高くないが、正面決戦に備え、高火力・重装甲の戦艦や砲艦を多く備えており、『地力』のあるタイプの艦隊だ。長期戦や遠距離での砲戦で真価を発揮する。その第二艦隊がいよいよ格闘戦に出てくるという事は、つまり向こうの指揮官は勝負が決したと判断したという事だ。凡百の指揮官ならともかく、ラザール・ロボスと共にノルトライン派遣艦隊を翻弄し続けているカジェタノ・アラルコンの判断だ。間違いなく第一戦隊は踏みとどまれない。私もそうだろうとは思っていた。

 

 ……第二艦隊第三分艦隊司令官カジェタノ・アラルコン宇宙軍少将、解放民系軍人の名家であるアラルコン家の出身者である。士官学校を上位の成績で卒業後、積極的に志願し前線勤務についてきた。彼が属した部隊はその五〇%以上が『壊滅』判定以上の損害を敵から与えられ、七〇%以上が敵に『壊滅』的な被害を与えてきている。つまるところ、彼は常に戦場の最も危険な場所に身を置き続け、そしてそこで生き延びて武勲を挙げてきているということだ。彼の敢闘精神は同盟軍随一と言われ、数年後には正規艦隊司令官に就任することが確実視されている。『超新星』ラザール・ロボスと『黄金の精神』シドニー・シトレが台頭してきた昨今の同盟軍においても、両名に引けを取らない存在感を示し続けている。解放民系・地球系・アラルコン一族の期待を一身に背負った壮年の闘将だ。

 

 アラルコン家は地球時代から続く(とされる)名家であり、銀河連邦時代には多くの議員・軍人・官僚を輩出した。中でもサロモン・マスティーニ師との右腕として『旧敵国条項』撤廃に尽力したサカリアス・アラルコン下院議員、分権派指導者の先駆けとされるジョン・アラルコンなどは今でも教科書に名前が載っている。しかし、アラルコン家出身者で最も有名なのは銀河連邦末期から銀河帝国建国初期にかけて活躍したダリオ・アラルコン下院議員・ディエゴ・アラルコン下院議員の兄弟だろう。ダリオ・アラルコンは弱者の権利を擁護し『公正』な社会を追い求めた大叔父ジョン・アラルコンやサカリアス・アラルコンを尊敬しており、彼らに倣わんと議会に置いても良心的な姿勢を貫いた。……尤も大叔父に似て法律よりも道徳を重視する嫌いがあり、また『正義』を実行することは形式的な制度を遵守することに優先するという思想を持っていた。その思想傾向からだろうか、良心的な政治家として知られたダリオは当初こそ『鋼鉄の巨人』ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムを敵視したが、次第に彼の辣腕に期待するようになっていった。

 

 ……当時各地で結成されていた地域政党の一つ、ヴィントフック公正党幹事長であったダリオは党を挙げてルドルフの国家革新同盟に合流することを決断したが、この決定に弟のディアゴが反発した。分離主義者であるダリオはルドルフの権威主義・統一主義的志向を危うんだのだ。兄弟の対立はヴィントフック公正党の分裂を招き、ダリオ率いる左派が国家革新同盟に合流し、ディアゴ率いる右派は故郷ヴィントフックに戻りヴィントフック独立党を結成した。

 

 宇宙暦三一六年四月一二日、ディアゴ・アラルコンの懸念は現実となった。国家革新同盟総務委員長ルートヴィヒ・エルンスト・シュトラッサーら左派を対象に行われた『新月粛清』において、ルドルフと共闘していた分権派・分離派の大物たちが次々に粛清される。この頃、既に「弱肉強食」を掲げるルドルフと対立していたダリオの名前も粛清リストに入っていた。ダリオはイエッセ・ユハ・クーシネン率いる親衛隊の襲撃を受け全身に二〇数発の銃弾を受け死亡する。銃弾を受けたダリオの顔は判別が出来ない程に崩れていたが、国家叛逆者として共和国広場に晒された。

 

 ……ディアゴ・アラルコンとウィントフック独立革命戦線(FREWLIN(フレウリン))の戦いはその瞬間から始まった。ディアゴはルドルフに対し硬軟織り交ぜた交渉を行い、ブラウンシュヴァイクやカストロプ、グレーテルと同じく粛清対象者から逃れ、ザールラント伯爵位と一定の自治権を手に入れた。その後、ディアゴとウィントフックの人々は自身の復讐心を巧妙に隠した。

 

 時を経て宇宙暦三五五年、ディアゴの子エドマンド・フォン・ザールラント伯爵は『第七艦隊共和国(リパブリック・オブ・セブンスフリート)』と手を組み帝国に対し反旗を翻す。ノイエ・シュタウフェン公爵率いる辺境鎮撫軍はザールラント伯爵家の不満を察していたが、それが世代を超えて復讐を決意させる程の執念だとは見抜けなかった。第一次リューベック星域会戦で銀河連邦軍第七艦隊とザールラント伯爵軍の挟撃を受けたノイエ・シュタウフェン公爵はその生涯で数少ない敗北を喫することになった。

 

 しかしながら第一次リューベック会戦を生き延びたノイエ・シュタウフェン公爵は最終的に態勢を整えザールラントへ侵攻、ザールラント伯爵軍も抵抗するがついに力及ばず壊滅する。なお、「壊滅」と書いたがこれはあくまで正規の宇宙部隊の話であり、その後も各地で反帝国派が抵抗を続け、ついに宇宙暦七七七年には『帝国で最も多くの貴族を殺した共和主義組織』と評されるようになる。ただし、アラルコン家自体はこの時リューベックに亡命し、ダゴン星域会戦の後自由惑星同盟へと移住する。その後は解放民系の名家として同盟軍に重きを為している。

 

「敵叛乱軍!急速に陣形を変えていきます!」

「叛乱軍前衛部隊が前進を開始、第一戦隊右翼の第一〇二二巡航群に砲撃が集中しています!」

「第一〇五機動群を前衛へ。格闘戦に備えろ」

 

 第二艦隊第三分艦隊の突撃は矢のように鋭く、光のように速かった。機動戦はラザール・ロボスの一八番だが、他の提督が同じことを出来ない訳では無いのだ。第一戦隊は懸命に防戦に努めるが、第二艦隊第三分艦隊の勢いを留めることは出来ない。荷電粒子レーザー砲の射程距離内に入り、双方の電磁シールドにかかる負担が増大する。一点に集中して突撃する第二艦隊第三分艦隊に対し、第一戦隊の応射は分散しており、シールドを貫けないことも多いようだ。レールガンやレーザー水爆ミサイルといったシールドを貫通する物理兵器の射程距離内に入れば被害はさらに拡大するだろう。

 

「直属部隊で敵の勢いを殺すぞ。前衛は第七七打撃群。データリンクシステムを停止、手動操艦でに敵に殴りこむ!第一戦隊はその間に再編に務めろ!」

 

 直属部隊は旧ライヘンバッハ元帥府に属していた下級軍人が多く属しており、他より相対的に精鋭と呼べる部隊だ。私の手持ちの札はアラルコン少将に比して少ないが、それでも切り札には違いない。

 

 直属部隊が前進し、第一戦隊の崩壊しつつある戦列の穴を埋める形で第二艦隊第三分艦隊と距離を詰める。第一戦隊がその間に後退するが、後退の仕方も整然とした物とは言いにくい。流石にオストバッハ准将が直接指揮する部隊は難なく戦列を整え、直属部隊の支援を始めたが、周りの部隊の統制を回復するのに手間取っている。

 

「戦艦バッハ一二大破、戦列を離れる!巡航艦ボーデン一二七・一二九・一三五撃沈!」

「一時の方向からミサイル六二!」

「デコイ発射、残りは対空砲火で撃ち落とすぞ」

 

 艦長のアルレンシュタイン大佐がミサイル迎撃の成功を確認してから私に向き直った。

 

「司令官閣下、叛乱軍の砲撃はリューベック付近まで届いております。それだけではなく既にミサイル群の一部が前衛部隊を抜けており、極めて危険な状況と言えるでしょう。旗艦を後退させることを許可していただきたい」

「艦長の職権に指揮官が口出しをする気はない。……する気は無いが、後数分で良いからここで持たせてくれないか?艦長、君の手腕ならできると信じている」

 

 私がそう言うとアルレンシュタイン大佐は一瞬困った表情をした後、すぐにそれを取り繕い「お任せください。最善を尽くします」と凛々しい表情で応えた。本音はともかくとして、建国以来の帯剣貴族家アルレンシュタイン子爵家の分家に連なる彼が「信じている」と言われて「無理」という事は出来ないだろう。帝国軍において指揮官の無茶な命令に応えないといけない状況は日常茶飯事であるが、アルレンシュタイン大佐にそういう状況を強いてしまったことに若干の気まずさを感じた。……しかし、第二艦隊第三分艦隊にはこのままこちらに食いついてもらわないといけないのだ。

 

「耐えきったか!」

 

 猛攻を加えていた第二艦隊第三分艦隊の艦列が不意に乱れる。我が軍左翼のハウサー宇宙軍准将率いる第三戦隊が第二艦隊第三分艦隊の紡錘陣形の横腹を抉ったのだ。さらにファルケンホルン准将率いる第四戦隊が前進し直属部隊、第一戦隊と協力して第三分艦隊の前衛部隊に対し半包囲を構築する。予備戦力として残していた第二戦隊はさらに大きく迂回して第二艦隊第三分艦隊の後背を突こうとしているが、こちらは間に合わないだろう。

 

「この機を逃すな!反転攻勢に出るぞ!」

 

 第二艦隊第三分艦隊に突撃したハウサーの第三戦隊だが、時間をかければ逆に包囲されることになるだろう。その前に第二艦隊第三分艦隊の前衛部隊を叩く必要がある。アラルコン少将も私の考えを読んでいたはずだ。流石に無策で突撃してきたとは思えない。策が成る前に中央突破を成功させる自信があったか、第三戦隊の突撃に対処できる自信があったか、大方そんなところだろう。

 

 しかし、私にも勝算が無い訳では無い。第三戦隊司令官ルーブレヒト・ハウサー准将がその真価を発揮するのは単独行動、そして変則的な戦いを行う時だ。ハウサーは決断力と状況把握力の双方に秀でており、困難な状況で臨機応変な対応を取ることが出来る。平凡な砲戦での彼は「他よりは優秀な指揮官」程度であるが、このような状況ではアラルコンやロボス相手でも引けを取らない……と私は評価している。

 

「……いいぞ。流石ハウサーだ」

 

 ハウサーは私の期待通り、粘り強く柔軟に敵中で戦い続けている。第二戦隊の一部を密かに合流させているハウサーの率いる戦力はおよそ一二〇〇隻、アラルコンの想定以上の脅威であるはずだ。

 

 ハウサーの奮戦の間、直属部隊・第一戦隊・第二戦隊は若干苦戦しながらも着実に前衛部隊を削り取る。「勝てるぞ」と思いかけたその時だった。

 

「!敵前衛の一部部隊が反転していきます!」

「何?……まさかこの態勢からハウサー部隊に突撃する気か!?」

 

 ハウサーの第三戦隊はどちらかと言えば第二戦隊第三分艦隊主力を重視して相手取っていた。前衛部隊を押さえていた部隊が簡単に蹴散らされる。

 

「まずいな……」

「閣下、早急に第三戦隊と合流するべきです。突撃しましょう」

「何?」

 

 ディッケル少将の進言に耳を疑う。第三分艦隊前衛部隊は頑強に抵抗していた。無理攻めではなく着実に戦力を削るべきと進言したのは彼だ。

 

「よくご覧ください。一部が反転してから前衛部隊の動きが悪くなりました。恐らく、前衛部隊の指揮官が直属部隊を率いて反転したのでしょう。今ならば敵前衛部隊を崩すことは容易です」

「なるほどな……よし、全艦突撃せよ!」

 

 これまでの抵抗が嘘のように第三分艦隊前衛部隊の戦列が崩壊していく。一方、第三戦隊も予想外の攻撃に混乱しつつあり、このまま放置すれば敵前衛部隊と引き換えに第三戦隊に多大な損害を出しかねない。

 

 私が率いる直属部隊が第三分艦隊前衛部隊を突破した時、ハウサーの第三戦隊はまさに首の皮一枚で生き延びているような状態であった。しかし、救援を得たハウサーは持ち味を生かして態勢を整える。第三戦隊が秩序を回復するのと反比例するように第三分艦隊の方は目に見えて動きが悪くなり、ついに後退し始めた。

 

「追撃されますか?」

「……出来るならそうしたいが、流石に無理だな。こちらもかなりの被害を受けた」

 

 私がそう言うとホフマイスター准将は「同感です」と頷く。この戦いに勝敗を付けるならば恐らく帝国軍の勝利と言うことになるだろうが、この時司令部のメンバーが抱いた印象はギリギリで判定勝ちしたというようなものだった。……その報告が来るまでは。

 

「報告します!叛乱軍の通信データから先ほどの戦いで叛乱軍第二艦隊第三分艦隊司令官カジェタノ・アラルコンが戦死したとの情報が得られました」

「……何!?」

「本当なのか、情報部長!」

「裏付けはまだ取れていませんが、状況から考えるとほぼ間違いないかと」

 

 私はホフマイスター准将と顔を見合わせる。恐らく私もホフマイスター准将と同じように「信じられない」という表情を浮かべていただろう。

 

 ドルトムント星域会戦はノルトライン方面の戦況を大きく変える転換点となる。銀河の歴史がまた一ページ……。

 




ギリギリまでロボスを死なせようか迷ったのはここだけの話


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壮年期・沈黙従甥の帰還(宇宙暦778年6月27日~宇宙暦778年10月25日)

 宇宙暦七七八年二月一二日のドルトムント星域会戦は同盟軍と帝国軍のノルトライン方面における戦いの転換点になった。将来の正規艦隊司令官と確実視されていた第二艦隊第三分艦隊司令官カジェタノ・アラルコン宇宙軍少将とその司令部を失ったことは第二艦隊に少なくない衝撃を与え、その軍事行動を消極的にさせた。アラルコン少将敗死の背景には同盟軍全体に蔓延する弱体化した帝国軍に対する慢心があると考えたのだ。

 

 第二次ティアマト以来、同盟軍と帝国軍が分艦隊レベルで衝突した回数は一〇〇〇回を優に超す。しかしながらその中で帝国軍側が同盟軍を討ち破ったと明確に言えるのは二八二回に過ぎず、その大半はエドマンド・フォン・ゾンネンフェルス、エーヴァルト・フォン・ゾンネンフェルス、エドマンド・フォン・シュタインホフ、ハンス・アウレール・フォン・グデーリアン、グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー、ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ、ミヒャエル・ジギスムント・フォン・カイザーリング、クルト・フォン・シュタイエルマルクら「常連」によって占められている。

 

 ノルトライン方面を預かる指揮官の中に「常連」やそれに準ずる一線級の指揮官は居ない。アルベルト・フォン・ライヘンバッハは回廊戦役の一時期に脚光を浴びた提督だが政変絡みで長らく一線を退いていた。率いる兵も寄せ集めであり、練度も装備もバラバラだ。この程度の部隊にアラルコン宇宙軍少将が討ち取られるのは全くの想定外だっただろう。討ち取った側のノルトライン派遣艦隊司令部も想定していなかったのだから間違いない。

 

 カジェタノ・アラルコン宇宙軍少将の敗因はその戦歴と能力だろうか。彼は常に指揮官先頭を旨とする勇将であった。その原動力は勇気というより自身の能力と天運に対する強烈な自負だったと推察される。マーロヴィア星域で警備部隊が壊滅した際、彼の乗る艦だけは無傷で生還した。惑星エガリテの第八三戦隊司令部ビルが爆弾テロに遭った際、生体認証システムの不調でたまたま入り口に足止めされた彼は無傷だった。第一〇艦隊の駆逐艦リューカスⅩが事故で爆沈した際、彼は意識を失っていたがいくつかの偶然で低酸素状態を逃れ軽傷で生き延びた。指揮官になってからもこのような例は枚挙に暇がない。

 

 海賊や分離主義組織、帝国軍の砲撃は何故かアラルコン少将の旗艦を避けた。アラルコン少将が一光秒進めば敵は一光秒退いた。アラルコン少将は常に死地にあって生き延び、武功を挙げ続けていた。いくつもの戦いで生き残れて「しまった」彼は少しずつ危険に対する感覚が麻痺していた……のかもしれない。実際どうだったのかは分からないが、彼が今までに潜ってきた死線と比較して「ライヘンバッハ程度」あるいは「ノルトライン派遣艦隊程度」が相手と慢心していた可能性はあるし、ラザール・ロボスという新世代の名将の台頭に焦った可能性もある。アラルコン家(ザールラント伯爵家)とノルトライン公爵家の因縁が彼を焦らせた可能性もゼロでは無いだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 宇宙暦七七八年六月二七日、ノルトライン派遣艦隊は数度の交戦の末、同盟軍第二艦隊をデルシュテット星系に押し込むことに成功する。攻撃の主軸となっていた第三分艦隊を欠き、残る分艦隊も第三分艦隊の損害を受け慎重になっていたことがその原因だ。

 

「ファイエル!」

『ファイア!』

 

 ガス惑星であるデルシュテット星系第六惑星の第三衛星軌道上に布陣した第二艦隊と第一一衛星に布陣したノルトライン派遣艦隊の戦いは極めて凡庸な遠距離砲戦に終始した。尤も、第六惑星デルシュテット六の周囲には多くの岩石や氷、小惑星が存在しており、双方がその地形を活かし別動隊を向かわせようと試みていた。しかしながらアラルコンを欠いた第二艦隊と勢いに乗るノルトライン派遣艦隊の力量はほぼ拮抗しており、互いが互いの別動隊に適切に対応したため、戦況はまさに千日手の様相を呈していた。

 

 その中で活躍したのはやはりラザール・ロボスとルーブレヒト・ハウサーの二人だろう。双方が指揮する別動隊は上級司令部の指示を得た上でさらに独自の判断で変化自在に動きを変える。帝国軍は臨時に増強された二個戦隊半で構成されるハウサー分遣隊を、同盟軍はロボス子飼いのコーネフ准将が率いる分遣隊を切り札として投じたが、ハウサー分遣隊は練度の低さが指揮官の足を引っ張り、コーネフ分遣隊はロボスがその他の第二分艦隊の指揮にリソースを割かれている関係で僅かに精彩を欠いていた。結果としてハウサー分遣隊とコーネフ分遣隊の双方が千日手を打ち破るに足る戦果を挙げることは出来なかった。

 

 戦況が動いたのは月が変わって七月八日である。その情報を聞いた第二艦隊司令官エドワード・ルーサー・フェルナンデス宇宙軍中将は敗北を悟った。

 

「ヤヴァンハール基地が帝国軍の襲撃を受けて壊滅しただと!?馬鹿な!その情報は確かなのか!?」

 

 フライブルク星系第三惑星ヤヴァンハールにはノルトライン方面で活動する同盟軍の兵站基地がおかれている。勿論、補給路への攻撃は同盟軍も警戒する所であり、一個独立分艦隊を中核とする任務部隊がヤヴァンハール=デルシュテット間の補給線警備に従事していた。ボルゾルン星系を中心とする現在の前線から補給線が離れている事を考えれば十分な戦力である。

 

 私たちの付け入る隙がそこにあった。私からの支援要請を受けたバッセンハイム大将は大胆にも麾下の中核戦力であるウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ宇宙軍中将率いる第三独立艦隊を全てヤヴァンハール攻撃に投入した。当初、他の部隊と共にボルゾルン星系を目指して行軍していたメルカッツ艦隊は星系外縁部を掠めるようにして突如として進路を変更、同盟軍の警戒網を圧倒的な戦力差で突破し、短時間の内にフライブルク星系へと到達した。その行軍は疾風の如く……というよりは暴風の如き強引な代物であった。ヤヴァンハール防衛に向かった任務部隊は三倍以上の戦力を有するメルカッツ艦隊を前に完敗し、哀れヤヴァンハール基地は大量の補給物資と共にメルカッツ艦隊に焼き払われることになる。

 

 「戦力に余裕も無いのに、敵勢力圏の奥深くに一個艦隊を堂々と突入させる」という常識外れの用兵に同盟軍の対応も遅れた。過去四度の会戦と同じようにボルゾルン星系へと進軍していた同盟軍三個艦隊は予備部隊と共に慌ててフライブルク星系のメルカッツ艦隊を包囲しようとしたが、包囲網が完成した頃にはメルカッツ艦隊は既にフライブルク星系を離脱していた。

 

「……潮時だな」

 

 フェルナンデス宇宙軍中将率いる第二艦隊は即日デルシュテット星系の放棄を決定する。我々ノルトライン派遣艦隊の追撃を躱しながら撤退する第二艦隊の殿を務めたのはやはりラザール・ロボスであった。ロボスの変化自在の用兵を前にノルトライン派遣艦隊の攻勢は三度に渡って防がれる。ついにはネルフェニッヒ星系において白色槍騎兵艦隊第四分艦隊が第二艦隊第二分艦隊に大敗し、ノルトライン派遣艦隊は第二艦隊追撃を諦めることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 デルシュテット星系第五惑星マキシミリアム、第二艦隊の撤退に伴い、地上部隊もその殆どが撤退した。勿論、ノルトライン派遣艦隊は地上部隊収容作業を妨害しようとしたが、ロボス少将の活躍もあって結局果たせなかったのは先に書いた通りだ。

 

 マキシミリアム中央大陸西部の第九警備艦隊司令部ビルは地上戦が行われた星の軍事拠点とは思えない程綺麗なままであった。地上戦の初期……つまり諸侯連合軍と警備艦隊が第二艦隊に敗北した直後の降下戦時に、地上の帝国軍側が殆ど抵抗らしい抵抗をしなかったからだろう。マキシミリアムにおける地上戦が熾烈化したのはドルトムント星域会戦で帝国軍が勝利した後の話であり、それまでは一部の部隊が散発的に抵抗を続けるだけであった。当然、軍事的要衝である第九警備艦隊司令部ビルが陥落してから長い時間が経った後の話である。故に第九警備艦隊司令部ビルは目立つ汚れも傷も無いままなのだろう。

 

 私は副官のヴィンクラー大尉、司令部付き将校のオークレール地上軍大佐らを引き連れて、奪還したマキシミリアムの第九警備艦隊司令部ビルに入る。

 

「ぐ……このような醜態をお見せして申し訳ありません。閣下……」

「何を言うんだフォーゲル准将。君は充分に戦っただろう。名誉の戦傷を醜態とは言えないね」

 

 第九警備艦隊司令官であり、マキシミリアムで抵抗戦力を指揮していたフォーゲル准将は中央司令室に運び込んだベットの上で全身傷だらけの状態で私たちを出迎えた。特に胸の火傷跡が痛々しい。デルシュテット星系の戦いで重傷を負っていた彼だが、地上に置き去りにされた帝国駐留軍、諸侯連合軍の混乱を治めるべく部隊の掌握に乗り出した。宇宙軍所属の彼に指揮権は無かったが、それでも数にして四個師団程度の部隊が彼の命令に従った。

 

 理由は簡単だ。ノルトライン公爵らが艦隊戦で敗北し逃亡した後、駐留軍はともかくとして、諸侯連合軍の地上部隊を指揮していた貴族将校らの殆どが逃亡した。良心か勇気か不運によって逃亡できなかった数名も実戦経験が殆ど無く、自身が部隊を指揮することに不安を覚えていた。そんな状況においてフォーゲル准将が宇宙軍の所属であることなどは大した問題ではない。置き去りにされた兵士たちと、不安に耐え切れなかった貴族将校たちはフォーゲル准将の指揮を殆ど抵抗なく受け入れた。

 

「……君は」

 

 フォーゲル准将は紫色胸甲騎兵艦隊で陸戦隊の指揮を執っていた経験がある。とはいえ地上戦に関しては素人に近い。だからだろう、フォーゲル准将を補佐していた幕僚の中には地上軍や第九警備艦隊以外に所属する将校もちらほら見られる。その中で私は見知った顔を見つけて歩み寄った。

 

 

「エルンスト!?エルンストじゃないか!無事で良かった……御父上も喜ばれるだろう」

「……」

 

 第二辺境艦隊第一分艦隊所属戦艦カーメルXIX内務長エルンスト・フォン・アイゼナッハ宇宙軍大尉は私の顔を見て僅かに笑みを浮かべながら敬礼した。

 

「一体どうして君がここに居るんだ……?アムリッツァ会戦で行方不明になったと聞いていたが……」

「……」

「アムリッツァ会戦最終盤の撤退戦中に艦橋に被弾したカーメルXIXは艦長以下主要クルーを失った上に敵中に孤立しました。しかしダメージコントロールで艦橋を離れていたアイゼナッハ内務長を臨時の艦長代理とし、友軍との合流を目指しました。距離的に近いのはフォルゲン星系でしたが、敗残兵狩りが行われているのは容易に想像がつきました。そこでアイゼナッハ内務長は後退を焦らず一度惑星クラインゲルトで補給と簡易的な修理を済ませた上で、あえて恒星の活動が不安定な宙域を踏破し、惑星ヤヴァンハールまで辿り着いたのです。その後はヤヴァンハール防衛部隊と共に後退、このデルシュテットに辿り着きました」

 

 黙り込んでいるエルンストに変わって茶髪の青年……と言うよりは大人びた雰囲気の少年がはきはきとした口調で説明する。

 

「ふむ……卿はひょっとして士官候補生かね?」

「は。帝都士官学校二年、ウルリッヒ・ケスラー准尉であります。クラインゲルト子爵領の出身であり、休学の上志願してクラインゲルトの防衛部隊に配属されました。クラインゲルト子爵閣下の命でカーメルXIX航海科に転属し、アイゼナッハ大尉殿と共にデルシュテットまで退いて参りました」

「何だって……」

 

 私は驚きに目を見張る。全く予想もしていなかった出会いであった。

 

「……伯父上。ケスラーは優秀な少年です」

 

 不意にエルンストが口を開く。ケスラーを初めとする周囲の人間たちが一様に驚愕の表情を浮かべる。誰かが「あいつ喋れたのか」と呟いた声も聞こえた。

 

「……そうか。エルンストにそこまで言わせるとはな……。ケスラー准尉。卿の名前は覚えておく。これからも励むことだ」

「は!」

 

 エルンスト・フォン・アイゼナッハは名門アイゼナッハ男爵家当主ハイナー・フォン・アイゼナッハと我が従妹アンドレア・フォン・グリーセンベックの息子である。つまり、エルンストから見て私は従伯父(いとこおじ)にあたる。我が父カール・ハインリヒが自身を慕うハイナーを可愛がっていたこともあって、私もまたアイゼナッハ一門、そしてエルンストとは面識がある。

 

 だからこんなことも知っていたりする。……エルンストが人前で滅多に話さなくなったのはフィリップ・マーロウの影響である。小さい頃はただ無口なだけでは無くたまに気取ったセリフを吐いていた。成長するにつれて恥ずかしくなってきたが、今更無口キャラを止めることも出来ないでいる。葉巻を格好良く吸いたいがどうしても咽る。実は甘党で本当はコーヒーも好きじゃない。幼馴染が恋人であるが、これらの事実を知られている為に頭が上がらない。一方でその幼馴染がエルンストに惚れたきっかけはそんな「マーロウ節」だったりする。勿論エルンスト本人は知らない。

 

「フォーゲル准将、アイゼナッハ大尉を借りるぞ。御父上に連絡をしなくてはな……フォーゲル准将?」

「は、は!承知しました。……その、御父上というのはまさかハイナー・フォン・アイゼナッハ予備役中将閣下でしょうか?」

「ん?そうだが?」

 

 私の答えを聞いてフォーゲル准将の顔色が少し悪くなった。後に聞いた話によると、フォーゲル准将はエルンストを優秀な後方幕僚とは認識しており、またある程度は頼りにはしていたそうだ。しかし、殆ど口を開かず、ケスラーとかいう士官候補生に身振り手振りで指示を出し、そのくせ何故か並の幕僚より遥かに優れた仕事振りを示すエルンストに困惑し、持て余していたらしい。さらに極稀に口を開く際には大抵フォーゲル准将の不手際を指摘する内容であったり、油断を指摘する内容であったり、警戒を促す内容であったりする上に、それらの指摘が正しいことがフォーゲル准将をそれなりに不愉快にさせたという。「アイゼナッハ」という家名を持つことは知っていたものの、かつては伯爵家であったアイゼナッハ家には、分家も多数存在する。まさか本家嫡男がこんな所でこんな事をしているとは思わなかったらしく、割と粗略な扱いをしていたそうだ。

 

 余談だが、アムリッツァ会戦からおよそ二年間に渡ってエルンストの消息がハッキリとしなかったのは本人が積極的に自身の事を話さなかったことが大きい。アイゼナッハ家は男爵家となったとはいえ、建国以来の名門であり、その嫡男が生きていることが分かれば普通はすぐに連絡が行く。エルンストがもう少し自身の存在をアピールしたら、それこそフォーゲル准将なんかは即日アイゼナッハ家に連絡を入れるだろう。後日、実家に戻ったエルンストは呆れ果てた両親と烈火の如く怒った恋人に迎えられたと聞く。

 

 

 

 

 

 

 

 宇宙暦七七八年九月、ノルトライン派遣艦隊は主戦場をロートリンゲン辺境軍管区に移す。同盟軍第二艦隊は当初フライブルク星系第三惑星ヤヴァンハールに踏み止まってこれを迎え撃とうとするが、メルカッツ艦隊による徹底的な基地攻撃で拠点機能が低下していたこともあり、同月下旬ごろにはヤヴァンハール放棄を余儀なくされる。

 

 これに伴い、同盟軍の全方面で戦線の縮小が実施され、地上で泥沼の消耗戦が行われていたランズベルク星系からの撤退も実施された。この際、帝国軍第二作戦総軍は地上部隊を収容する同盟軍第一二艦隊に猛攻を加え、少なくない損害を与えるが、攻め切ることは出来なかった。元々この方面は地上では帝国軍が優位に立っていたものの、宇宙では第一二艦隊が優位に立っていた為、仕方がないともいえる。

 

 一方でさらなる激戦区となったのがヴァンステイド星系である。同星系を突破された場合、アムリッツァ星系などが脅かされ、フォルゲン星系に司令部を置く同盟侵攻軍は窮地に追い込まれる。防衛戦力が増強され、ミュッケンベルガー中将率いる第一打撃艦隊は一度戦線を引き直し、再編に務めている。

 

 戦線の縮小に伴い、同盟軍がボルゾルン星系を確保する戦略的利益は小さくなり、宇宙暦七七八年一〇月二日、同盟軍はボルゾルン星系からの全面撤退を実施する。戦線を縮小した同盟軍はその戦力の過半をフォルゲン星系とヴァンステイド星系に集中させ、ここで帝国軍を迎え撃つ構えを見せていた。

 

 宇宙暦七七八年一〇月二五日、迎撃軍総司令官兼第二作戦総軍司令官ルートヴィヒ・フォン・ゴールデンバウム宇宙軍上級大将はフォルゲン星系奪還作戦の発動を決定する。イゼルローン方面辺境最大の人口を有し、居住環境と埋蔵資源の双方に恵まれているフォルゲン星系の奪還は帝国軍がロートリンゲン辺境軍管区を再度版図に組みこむために必要不可欠な条件だ。

 

 フォルゲン星系には自由惑星同盟宇宙軍第八艦隊・第一二艦隊が駐留しており、また後方のアムリッツァには第二艦隊・第三艦隊が駐留する。ヴァンステイド星系の第一〇艦隊は恐らく戦力外と見做してよいだろうが、それでも最大四個艦隊を相手取る必要がある。また、同盟本国で新たに第九艦隊の動員が始まったという情報も有り、時間をかければ防衛戦力はさらに強化されるだろう。

 

 帝国迎撃軍は第一作戦総軍から第一打撃艦隊を除いた一万九〇〇〇隻に加え、第二作戦総軍からヴァンステイド・ノルトライン・ランズベルク方面の警戒部隊を抜いた一万六〇〇〇隻、そして黒色槍騎兵艦隊一万二〇〇〇隻の合計四万七〇〇〇隻をフォルゲン星系奪還に投入することを決定する。同盟軍の予想動員艦艇数四万五〇〇〇隻を超すが、第一作戦総軍が疲弊しており、第二作戦総軍が寄せ集めであることや防衛側の有利を踏まえると、数的有利は当てにならないだろう。

 

 ルートヴィヒ皇太子は中央政府と交渉して黒色槍騎兵艦隊の参戦を認めさせたが、それ以上の動員に中央政府は及び腰であった。フォルゲン星系奪還に投入する四万七〇〇〇隻以外で活動している各地の警備部隊や別動隊を合わせれば現在動員している艦艇数は七万隻を超す。帝国中央政府が貴族課税を含まないあらゆる手段を講じた上で財政的に許容可能な動員兵力はおよそ九万隻と試算されているが、これはあくまで限界の話であり、実際は七万隻でもかなり無理をしている。ルートヴィヒ皇太子は中央政府の不協力を批判したが、これらを踏まえると一概に中央政府を「無能である」「怠惰である」と責めることも難しいだろう。

 

 フォルゲン奪還作戦に先立ち、ノルトライン派遣艦隊司令部は解体され、所属していた者たちは元の役職に戻った。私も再び迎撃軍総司令部特務主任参謀兼第二作戦総軍司令部特務主任参謀、つまり政治将校のポジションに戻ることになる。イゼルローン方面辺境を巡る決戦の時は刻一刻と近づいていた。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。

 



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壮年期・辺境鎮撫(宇宙暦778年12月~宇宙暦779年4月)

 宇宙暦七七八年一二月の第二次フォルゲン星域会戦で帝国迎撃軍はとても苦しい戦いを強いられた。まず帝国迎撃軍を苦しめたのは同盟軍が想定以上に戦力を動員・集中配備してきたことである。一〇月二五日の迎撃軍総司令部会議で決定されたフォルゲン星系奪還作戦はギリギリまで味方にも詳細は伏せられ、同盟軍の戦力を分散させる為にヴァンステイド星系やドヴェルグ星系への欺瞞行動が実施される予定であった。ところが迎撃軍総司令部内部のジークマイスター機関メンバーやそれに類する反国家的組織の工作員によって帝国軍の行軍計画は筒抜けになっており、同盟軍は早々に戦力をフォルゲン星系へと集中させることが出来た。結果、事前予測を上回る六万隻を越す大艦隊がフォルゲン星系周辺に配備されることとなった。

 

 さらに物資面での不安も帝国迎撃軍を苦しめた。本来、本土で戦う帝国迎撃軍に補給の不安は無いはずである。しかし、帝都及び中央地域とイゼルローン方面辺境の間に存在するニーダザクセン行政区、そしてヘッセン行政区は『帝国本土であって帝国本土で無い地域』だ。前者はかつてブラウンシュヴァイク公爵家の強い影響下にあり、現在は政治的・経済的混乱が著しい、一部は無政府状態や内戦状態に陥っている。後者は今もリッテンハイム侯爵の強い影響下にあり、現在は帝国中央と緊張関係にある。両地域を経由した補給は様々な要因で途切れがちであり、ミュッケンベルガー中将が睨みを効かせていたシュレースヴィヒ=ホルシュタイン辺境軍管区を経由する迂回補給路に頼らざるを得なかった。当然、ヘッセン行政区やニーダザクセン行政区を経由するよりもメルレンベルク=フォアポンメルン行政区やシュレースヴィヒ=ホルシュタイン辺境軍管区を経由する方が時間もコストも余計にかかる。少しずつではあるが、帝国迎撃軍は物資面で困窮しつつあった。

 

『……親愛なる臣民将兵諸君よ。……諸君は「人民の大提督」という言葉を知っているだろうか?宇宙歴二九五年八月五日、一人の偉大な改革者とその同志たちが腐敗しきった醜悪で無力な銀河連邦軍上層部を打倒すべく立ちあがった『シャハナ蜂起』、人民はシャハナから首都へと進軍するその改革者を歓呼の声で迎えた。「人民の大提督、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウム宇宙軍中将万歳!」と』

 

 宇宙歴七七八年一二月一日。帝国皇太子ルートヴィヒ・フォン・ゴールデンバウム宇宙軍上級大将はエルザス・ロートリンゲン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン・ノルトライン・ヘッセン・ニーダザクセンの六区で活動する全帝国軍将兵に対しこう呼びかけた。

 

『やがて改革者が終身執政官となり、そして皇帝陛下となったとき、人々は既に「人民の大提督」という言葉を忘れていた。ゴールデンバウム家も、その功臣も、民衆も。……それはとても不幸なことであったと余は思う。何故ならば、「人民の大提督」という言葉は恥ずべき屈辱ではなく誇るべき栄誉であった。考えてもみて欲しい、民亡き国の皇帝の何と惨めな事だろう!勇無き軍の総帥の何と醜悪な事だろう!』

 

 銀河帝国において帝国歴一年の銀河帝国建国前の歴史事象に年代と共に言及することはタブー視されている。大神オーディンを頂点とするゲルマン教が北欧神話にルーツを持っており、そしてゴールデンバウム王家が『天界を統べる秩序と法則の保護者』である関係上、地球全土が焼かれた西暦時代に関してはゴールデンバウム王家と無関係という扱いになっている為に言及しても問題ない。一方で宇宙暦時代の事象に触れる際は細心の注意を払う必要がある。最もよく使われる表現はBevor Großer(大帝以前)であり、BGと略される。

 

『余はここに宣言したい。銀河帝国皇帝は全人類の支配者にして全宇宙の統治者、天界を統べる秩序と法則の保護者、神聖にして不可侵なる存在であると共に「人民の」……いや、「諸君の大提督」であると。そして余はその名代として、また諸君の(・・・)皇太子として再び諸君に語り掛けたい。大帝陛下の建軍演説から四七〇年の時を経て、余は諸君と諸君の父祖の忠誠と勇気に対して再びこう言わせてほしい。「ありがとう(ダンケ・フュア・イーレ)」と』

 

 この後もルートヴィヒ皇太子の演説は異例を極めた。兵士たちに対し親しげに、見る者を安心させる朗らかな笑みを浮かべながらルートヴィヒ皇太子は自分を何度も「人民の皇太子」であると強調する。兵士たちの素朴な皇室崇拝の感情を刺激しながらも、一方で蔓延しつつある支配階級への不満に配慮して高圧的な表現は徹底して避けた。やがて演説は少しずつ兵士たちの愛郷心や復讐心を煽る内容へと変わっていき、その一方でルートヴィヒ皇太子は徹頭徹尾「共に闘おう」という姿勢を示し続けた。

 

 ルートヴィヒ皇太子の二八分間にわたる演説は後世「ルートヴィヒ人民皇子の民友演説」と呼ばれることになる。このルートヴィヒ皇太子の演説は後世と当時の兵士たちにこそ高く評価されたが、同時代の支配階級と同盟人からは酷評を極めた。彼らはルートヴィヒ皇太子の演説を「兵士と民に媚びた」と見做し、不快感を示すか、嘲笑を浮かべた。中央ではルートヴィヒ皇太子を迎撃軍総司令官の職から解くべきだという声すら挙がった。幽閉されている先帝クレメンツ一世を彷彿とさせる手法に不満と危機感を抱いた旧リヒャルト大公派が少なくなかったのだ。

 

 余談だが「ルートヴィヒ皇太子の民友演説」を起草したのが私、アルベルト・フォン・ライヘンバッハであることは当時と後世に広く知られているが、ルートヴィヒ皇太子が二度に渡って私の提出した原案にノーを突きつけたことはあまり知られていない。こういうと実際のルートヴィヒ皇太子が保守的な人物であったと考えるかもしれないが、むしろその逆だ。第一案は保守的かつ無難に過ぎて却下、第二案は体制批判に取れる内容が散見され却下された。第二案の却下はまあ当然と言えば当然である。それを以ってルートヴィヒ皇太子が頑迷な人物であったと見做すのは酷だ。

 

 「ルートヴィヒ皇太子の民友演説」は支配階級と同盟の不評を他所に、兵士たちの士気向上に一定の効果を挙げたのは間違いない。兵士たちは自分たちが皇帝の軍隊に属している事を思い出した。そして辺境出身者は故郷を荒らしまわる同盟軍への憎悪を爆発させ、中央出身者は中央が辺境と同様に『共和主義の魔の手』によって焼かれることを恐怖した。ルートヴィヒ皇太子は平民に「媚びた」が他には何も突飛な事は言っていない。当たり前の事をもう一度再確認させただけだ。

 

 

 

 

 

 

 宇宙暦七七八年一二月一五日、帝国迎撃軍はフォルゲン星系での決戦に臨んだ。動員兵力は五万隻、一方迎え撃つ同盟軍の戦力は六万二〇〇〇隻にも及ぶ。帝国迎撃軍の戦力が増強された分、かつての回廊戦役を越す戦力が相まみえた。この数日前、あまり知られていないが迎撃軍総司令部で会戦の趨勢を左右する大きな出来事が起きていた。勝負師、オスカー・フォン・バッセンハイムが賭けに出たのだ。

 

 突如としてバッセンハイムの命を受けたテオドール・フォン・アーベントロート宇宙軍大佐率いるチームが第五予備分艦隊司令官クリストフ・フォン・スウィトナー宇宙軍中将、第二作戦総軍総司令部作戦部長ギュンター・ヴェスターラント宇宙軍中将、第二機動艦隊司令部参謀長フリードリヒ・フォン・ドレーアー宇宙軍少将、第一作戦総軍後方主任参謀クリストフ・フォン・バーゼル宇宙軍准将ら八名を拘束した。さらに佐官以上の高級将校二一名が役職を解かれ更迭された。

 

 空いたポストには元第九警備艦隊司令官ヨーナス・オトフリート・フォン・フォーゲル宇宙軍少将、元紫色胸甲騎兵艦隊作戦副部長ハンネマン・フォン・シュターデン宇宙軍准将、元第四辺境艦隊司令官副官カール・ロベルト・シュタインメッツ宇宙軍中佐らが任じられた。彼らは皆所属部隊の壊滅後、後方で待機を命じられていた。バッセンハイムの意図は明白だ。総司令部内部に存在する不穏分子を一斉に排除したのだ。スウィトナーやヴェスターラントのようなジークマイスター機関メンバーだけではなく、小悪党のバーゼルや無能のドレーアーなども更迭対象になっていることから分かる通り、バッセンハイムは総司令部の『穴』には気づいたもののそれが何処にあるかは分からないまま、とりあえず怪しい連中を根こそぎ粛清した。

 

 この強硬かつ不可解な人事はかなりの反発を受けるがバッセンハイムは黙殺した。総司令部に不和を齎す可能性を認識しながらも、内通者と邪魔者の排除に踏み切ったのだ。だが結果的にはそれが功を奏した。

 

 宇宙暦七七八年一二月二八日、同盟侵攻軍の右後背方向からウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ宇宙軍中将率いる第二機動艦隊が突如として襲い掛かった。同時に帝国迎撃軍右翼のグレゴール・フォン・ミュッケンベルガー宇宙軍中将率いる第一打撃艦隊が前進する。苛烈な応射を受け数を減らしながらもミュッケンベルガー艦隊は同盟軍右翼に肉薄し、メルカッツ艦隊と共に同盟軍右翼を押しつぶす。

 

 ……帝国迎撃軍は数で劣り、苦しい戦いを強いられている中で繞回進撃を実行してのけた。もし総司令部内部に『穴』が存在するままであれば、バッセンハイムの大賭けが成功することは無かっただろう。なにせそもそも数的不利の状態で繞回進撃に踏み切るのはハッキリ言って自殺行為だ。事実、メルカッツ艦隊が欠けた帝国迎撃軍左翼部隊は将官六名が戦死する非常に苦しい戦いを強いられた。勇将ハンス・ディードリッヒ・フォン・ゼークト宇宙軍中将の紫色胸甲騎兵艦隊が頑強に前線に踏み止まらなければ帝国左翼軍が持ちこたえられたか怪しい。左翼を預かるビューロー宇宙軍大将は僅かなミスもあったがゼークト中将の奮戦にも助けられ同盟軍の猛攻を凌ぎ切り古豪健在を内外に示した。二八日の攻勢成功後、帝国軍は会戦の主導権を同盟軍から奪取することに成功した。

 

 連日のたたき合いの末、帝国迎撃軍は右翼側のメルカッツ艦隊・ミュッケンベルガー艦隊を主軸に同盟軍を徐々に押し込んでいった。宇宙暦七七八年一月五日、第七惑星方面から回り込んだカイザーリング艦隊がフォルゲン星系第四惑星フォルゲンに到達、惑星を守る第一二艦隊と交戦を開始する。これを受けて同盟侵攻軍総司令官ステファン・ヒース宇宙軍元帥は第六惑星軌道上での交戦を断念し、艦隊を第四惑星軌道上へ後退させることを決意する。同月八日頃から帝国迎撃軍所属の地上部隊が惑星フォルゲンへの断続的な降下を開始、降下作戦の指揮を執ったのは陸戦隊指揮経験を有する宙陸統合作戦のエキスパート、フォーゲル宇宙軍少将であった。

 

 二月に入るとフォルゲンにおける地上戦で帝国軍側が確固たる優位を築き始めた。元々フォルゲンは帝国内でも反同盟の気風が強い地域であり、帝国軍による大規模な反抗が始まった以上、民が同盟軍に従う理由は無かった。強引で露骨な同化政策に対する反発も大きく、同盟地上軍は民間の不協力もあり思うようにその実力を発揮できなかった。同盟議会で侵攻軍の撤退が議論され始めたのもこの頃だ。当初は意見が割れたが、同月二〇日の国防委員会会議でイゼルローン要塞建設完了の報告が挙がったことがきっかけとなり、同盟政府は占領地の放棄を決定する。

 

 二月一二日、同盟侵攻軍はフォルゲン星域内に残る地上部隊の収容を終えると共に、後方星域の地上要員の撤収の目途が立ったとして星系からの撤退を宣言する。帝国軍側も多大な犠牲を被っており大規模な追撃戦を行う余力は残っておらず、同盟侵攻軍主力の撤退はスムーズに行われた。

 

 三月二日、同盟侵攻軍の撤退を確認した迎撃軍総司令部は解散、大損害を被った第一作戦総軍と臨時編成の第二作戦総軍は中央地域に戻り再編が行われることが決定された。また、黒色槍騎兵艦隊と白色槍騎兵艦隊がイゼルローン方面辺境に残り、各地の秩序回復と残敵の掃討に当たるよう命令された。

 

 

 

 

 

 宇宙暦七七九年三月一〇日、私はルートヴィヒ皇太子の計らいで惑星リューベックへと向かっていた。目的は一連の第二次エルザス=ロートリンゲン戦役のどさくさに紛れてリューベック藩王国国防軍が進駐したライティラ星系・アーレンダール星系・メーレス星系の返還とアルフレート・カール・レオ・フォン・オスマイヤー総督他、拘束されている帝国臣民の解放を実現することだ。

 

 リューベック藩王国はかつて、リューベック自治領(ラント)を構成した五つの星系の内、領都が置かれていた人口中心地リューベック星系とそこから程近いクルトシュタット星系を領土とする銀河帝国の属国である。宇宙暦七六一年のリューベック奪還革命をきっかけに皇帝から広範な自治権を認められた同国は二つの大きな課題に直面していた。

 

 一つ目は経済的な困難である。曲がりなりにも自治領として帝国統治体制に組み込まれていたリューベックでは自治領に設置されたリューベック拓殖銀行(帝国政府系)が発行するリューベック・マルク―基本的に帝国マルクと同価値――とリューベック中央銀行(第七艦隊共和国系)が発行を続けていた独自通貨ピアレスの双方が流通していた。独立後、帝国政府はリューベック・マルクの発行を停止することをリューベック藩王国に通達、これまでに発行されたリューベック・マルクについても宇宙暦七七一年四月一日を以って帝国国内における全銀行での取り扱いを停止することを決定した。独自通貨ピアレスについても自治領時代、帝国内務省リューベック総督府によって一帝国マルクに対して一二五ピアレスと定められていた交換比率が撤廃された結果、一帝国マルクに対して平均三五六ピアレスまでその価値は下落した。

 

 二つ目は『未回収のリューベック』問題である。リューベック自治領(ラント)は全星系での独立を目指していたが、最終的にライティラ星系・アーレンダール星系・メーレス星系の三星系は帝国内務省自治統制庁の直接統治領とされ、リューベック星系とクルトシュタット星系のみが独立を認められた。リューベック国民の郷粋主義(ナショナリズム)的な意識からして『第七艦隊共和国(リパブリック・オブ・セブンスフリート)』の伝統的な領土であった三星系が今なお帝国統治圏内に留められている状況は首肯し難い。またさらに大きな問題として、リューベック藩王国の食料自給の問題もある。自治領時代の食料自給率は八七・三%であったが、この内生産の五五%を担っていたアーレンダール星系、一三%を担っていたライティラ星系を失ったことで、藩王国の食料自給率は三〇%程度まで落ち込んだ。藩王国政府の開拓事業によって未開の地であった惑星リューベック西大陸が切り開かれ、農地へと転用されたが、それでもリューベック藩王国人口五億七〇〇〇万人を養うには足りなかった。……元々、惑星リューベックは気候こそ温暖で農耕に適しているが、山地が多くて平野が少ない。銀河帝国という外敵の存在が無ければリューベック星系第三惑星ベルディエに『第七艦隊共和国(リパブリック・オブ・セブンスフリート)』の首都がおかれることは無かっただろう。他の領土、例えば惑星ブラオンはリューベックに比して鉄鋼資源に恵まれているが一年を通じて気温が低く、土地の質も大規模農業に適していないし、クルトシュタット星系は数〇〇〇人の入植者が居るものの、本格的な入植が行われる前に事業が放棄されたために、そもそも生存可能な土地が少ない。

 

「……つまり今回、リューベック藩王国政府が旧リューベック自治領(ラント)各星系への占領に踏み切ったのは食糧自給問題解決の為、ということですね」

「そうだ。私は今のリューベック首脳部を知っているが、国民感情に流されて道を誤るような人たちではない。今回の暴発には他の理由があったと考えるのが自然であり、私の思いつく限りでは食糧問題がその理由だろう」

 

 私は副官のヴィンクラー大尉にリューベック藩王国について解説する。ヴィンクラー大尉も勉強はしているようだが、そもそもリューベックを初めとする辺境情勢に精通している帝国軍士官は少なく、それに関連した資料も限られている。

 

「帝国政府はリューベックとトリエステの両藩王国が自主的に帝国統治下に戻ることを望んでいる。『自主的に』というのはつまるところ経済的に追い詰め、困窮させ、国民たちに『自治領時代の方がマシだったじゃないか』と思わせたいということだな。……まあ、何といえば良いのか。机上の空論と言えば良いのか、都合が良すぎる想定と言えば良いのか」

「普通に考えれば自分たちを困窮させようとする帝国に不満が向かいますよね」

「……前・内務省自治統制庁長官レムシャイド伯爵、そして今の内務省自治統制庁長官ラートブルフ子爵、どちらも私の見た所、貴族官僚としては悪くないんだがね。内地の臣民を基準に外地の自治領民を考える傾向がある。内地の臣民は結局のところ損得勘定で動く、『伊達と酔狂』なんて言葉は歴史の彼方に忘却されてしまっている。良くも悪くも統治者の事を信じているのさ。外地はそうはいかない」

 

 レムシャイド伯爵やラートブルフ子爵を無能とは言えないだろう。自他共に認める現場主義者の内務官僚であるレムシャイド伯爵、リヒテンラーデ一門の跳ねっ返りと称されるラートブルク子爵、どちらも帝国基準では異端にとされる人材だ。レムシャイド伯爵もラートブルフ子爵も各辺境自治領との『交渉』を成り立たせている。その一事で彼らが凡百の貴族官僚とは一線を画することが分かる。彼ら以前の内務官僚には各辺境自治領との交渉を行う能力も、そもそも発想も無い。辺境蔑視や貴族価値観に染まった官僚たちは辺境自治領など命令を下す相手に過ぎない。第二次ティアマト会戦以前はそれでも良かった。辺境自治領が離反することや中央の命令を拒絶することなど、中央と辺境の力関係からしてほぼ有り得なかったからだ。内務官僚は第一に自身の栄達と保身、第二に帝国内地の繁栄を考えていれば良く、辺境自治領などはそもそも眼中に無かった。

 

 今でも貴族官僚には辺境を侮る価値観が蔓延しているが、宇宙暦七六八年にリヒテンラーデ侯爵が内務省自治統制庁長官に就任して以来は、リヒテンラーデ派主導で自治領統制の立て直しが行われている。リヒテンラーデは中央と地方の力関係の変化を承知しており、辺境自治領の反抗が帝国統治体制への深刻な打撃と成ることを危惧している。リヒテンラーデに近いレムシャイドや一門のラートブルフもリヒテンラーデの意を酌んで硬軟織り交ぜた方策で辺境自治領の離反を防いでいる。

 

「閣下。リューベック藩王国国防軍が停船を求めてきています。それと政府の特使が閣下に面会したいと」

「政府の特使?」

「藩王国国防軍高度国防計画基本会議事務次長マイルズ・ラングストン地上軍少将と名乗っています」

「ラングストンだって?……会おう」

 

 マイルズ・ラングストンはかつてのリューベック騒乱時、アルベール・ミシャロンの腹心として私に協力した人物だ。

 

「お久しぶりですな。ライヘンバッハ特務中将閣下」

「ラングストン少将……」

「お互い年を取りましたな。年月が流れるのは早いものです」

 

 ラングストン少将はやや疲労の滲む様子で私にそう言った。

 

「ライヘンバッハ特務中将閣下。リューベック藩王国政府は帝国中央政府との対立を望んでいません。小官はその事をお伝えする為に派遣されてきました」

「……少将殿、しかし現実問題として貴国は帝国領土である三星系を非合法な手段で占領している。サジタリウス叛乱軍の侵攻に合わせてのこの暴挙、『叛意が無い』と見做すのは無理筋だ」

「それは事実の誤認があります。我々は駐留帝国軍が撤退し放棄された三星系を宗主国たる帝国への忠誠の証として代わりに防衛しようと試みたのです。事実、我々は三星系を除く他の星系に足を踏み入れていませんし、帝国正規軍との交戦も行っていません」

「……」

「酷い詭弁だ……」

 

 私はラングストン少将の弁明を聞いて思わず黙り込み、代わりに側で控えてたヴィンクラー大尉がそう呟いた。ラングストン少将はヴィンクラー大尉を一瞥して私に向き直った。

 

「閣下、お人払いをお願いできませんか?」

「……良いでしょう。皆、少し外してくれ」

 

 私の指示でヘンリクやヴィンクラー大尉らが部屋を出ていく。ラングストン少将はそれを見届けてから私に「ありがとうございます」と言った。

 

「……実際の所、無理筋であることは我々も認識しています。認識してはいますが……丸っきり嘘をついている訳でも無いのです。アムリッツァ星域会戦の大敗後、ライティラ星系・アーレンダール星系・メーレス星系に駐留していた帝国正規軍が残らず逃げ出したのは事実です」

「……そんな報告は聞いていませんが……」

「それはそうでしょう。敵前逃亡してきたなんて馬鹿正直に報告しますか?……順番が逆なのです。我々が進駐したから帝国正規軍が撤退したのではなく、帝国正規軍が撤退したから我々が進駐したのです。証拠もありますし、証言者も居ます。オスマイヤー総督以下一〇〇名前後の内務官僚と軍人は駐留帝国軍の逃走に同行せず任地に残りました。彼らは卑怯者たちに怒りを覚えています。我々の潔白はともかくとして、駐留帝国軍の不法行為を証明してくれるでしょう」

 

 私は腕を組んで考え込む。ラングストン少将は無言でそんな私を見つめている。

 

「……いや、ダメです。だとしても貴国がそれに乗じた事実は変わらないでしょう。第二次エルザス=ロートリンゲン戦役中から明確に帝国に従う姿勢を打ち出していたならともかく、貴国はあの戦役中明らかに叛乱軍の行動に乗じて不穏な動きを見せていました。それを無かったことにするのは帝国の威信に関わります」

「それは……仕方が無かったのです。我が国の民意を貴方なら知っているでしょう?故郷を、同胞を奪還する。それが今のリューベックの国是です。勿論政府が旗を振っている訳じゃない。民衆が自然にそれを望んでいるんだ。……アムリッツァの大敗以降、リューベックでは穏健独立派を母体とするロシェ派と旧警備隊・武装闘争派を母体とするヤマモト派が激しく対立しました。最終的に政府はロシェ派が掌握する所となりましたが、軍と市民はヤマモト派を支持していました。その上、アーレンバーグ藩王を初めとするロシェ派の一部も感情的にはヤマモト派にシンパシーを感じていました。我々は第二の革命を防がないといけなかったのです」

「……」

「同盟か帝国か、我々はどっちつかずの姿勢を取るしか無かった。同盟に付けば使いつぶされるのが目に見えていた。今回の同盟軍は辺境を解放するのが目的であって、帝国を打倒する意図は無かった。つまり、どれだけ上手く事が運んでも、リューベックは今後帝国との最前線になる。帝国に付けば軍と市民が間違いなく第二の革命を起こす、帝国に無謀な戦いを挑んで返り討ちに遭うかもしれない。だから我々は対内的に『自主独立』を打ち出し、対外的には中立を守ろうとしたのです」

「中立、ねぇ……?」

「……仰りたいことは分かりますが、我々は同盟とも帝国とも刃を交えていません。ギリギリ中立を保ったと言えるでしょう。こちらの都合ですが、軍を抑え込むことが出来なかったのです」

 

 ラングストン少将は苦しい表情だ。宇宙暦七六一年の独立以来、リューベック賢人会議議長バーナード・ロシェを中心とする親帝国派とリューベック国防軍首都防衛軍司令官チェニェク・ヤマモトを代表とする反帝国派は微妙な緊張関係にあった。宇宙暦七七七年のアムリッツァ星域会戦で帝国軍が大敗した事をきっかけに、弱腰な主流派――つまりロシェたち親帝国派――に対する非主流派――ヤマモトたちのことだ――と国民の不満が爆発したことは想像に難くない。

 

 余談だが、これはリューベック特有の事情ではない。程度の差はあれトリエステ、ローザンヌ、ティターノ、平和同盟などでも対帝国協調路線と反帝国路線の対立は存在する。内務省自治統制庁は各地の協調派を支援していたが、その事実がさらに国民(自治領民)を反帝国路線支持に向かわせるという悪循環が生まれていた。宇宙暦七六九年のローザンヌ伯爵アレクセイ・ナロジレンコ失脚と独立主義者フィリップ・チャンの台頭はその一例である。

 

「……そちらが腹を割って話してくれた以上、こちらも腹を割って話します。貴国が三星系の確保に拘れば、帝国正規軍は必ずリューベックに侵攻します」

「必ずですか?ニーダザクセンとザクセンの旧ブラウンシュヴァイク派諸侯領の混乱を放置してリューベックに来るとは思えませんが……」

 

 ラングストン少将は半信半疑といった様子だ。確かに旧ブラウンシュヴァイク派諸侯領の混乱は著しい。その混乱に付け込む形で、リッテンハイム・クロプシュトック・アンドレアスといった諸侯が勢力を拡大しているのも問題だ。対処を後回しにしていた結果、同盟軍の侵攻に際して迎撃軍は苦しい戦いを強いられた。

 

「その通りです。第二次ティアマト会戦以前ならいざ知らず、今の帝国にかつての余裕はありません。……良くも悪くも、です」

 

 私はそこで言葉を切る。そして思わずため息をついてしまう。

 

「このままだとリューベックは焼き尽くされます」

「……は?」

「ルーゲ公爵を筆頭とする強硬派が少し前にローザンヌでやろうとしたことは流石に聞き及んでいるでしょう。それと同じです。リューベックを血祭に上げることで、他の辺境自治領や旧ブラウンシュヴァイク諸侯領の不穏分子を鎮静化する。そういう計画が中央で進んでいるのです」

「馬鹿な……ローザンヌとリューベックは事情が違う」

 

 ラングストン少将は驚愕の表情を浮かべながら首を振った。確かに僅かな警備隊を有するだけのローザンヌと従属国ながらも主権を確立してから一〇年余りが経過し、独自の宇宙軍を創設しているリューベックを同列視することは出来ない。加えて、政府主導でリューベック藩王国諸星は全土の要塞化を進めている。対地砲撃や質量攻撃に備え、地下に大規模シェルターを建設し、多くの統治拠点や軍事拠点をそちらに移転している。継戦能力を維持するための軍需工場や農業プラントも設置されている。

 

「……要は宇宙戦力を殲滅出来ればそれで良いのです。征服では無く破壊を目的とするのであれば、地上戦を挑む必要性は無い。惑星上の大都市という大都市を焼き尽くし、土地も、財産も、生命も灰燼に帰させる。大質量を落下させ、大規模な気候変動と津波を誘発する。かつて黒旗軍(ブラック・フラッグ・フォース)が地球にやったような徹底的な破壊、それをリューベックに対して行ったという事実があれば帝国各地の不穏分子に対する牽制としては充分です。勿論、地下シェルターの存在は知っています。しかし貴国の食糧事情を考えれば地上の主要な穀倉地帯を潰すことで遠からずシェルター内に逃げ込んだリューベック政府と国民を無力化することが出来るはずです」

「……『全人類の支配者にして全宇宙の統治者、天界を統べる秩序と法則の保護者』が聞いて呆れますな」

「ですから言ったでしょう。帝国にはかつてのように手段を選んでいる余裕も無いのです」

 

 ラングストン少将は嫌悪感を滲ませながら皇帝への皮肉を口にした。自由惑星同盟を相手にした十数回を除き、銀河帝国が居住可能惑星の環境を悪化させるレベルの攻撃を実施したことは無い。……無論、『公的には』や『正規軍は』という注釈がつくが。

 

 ラングストン少将が言った通り、あまりにも無秩序な武力の行使は皇帝支配の正当性を揺るがしてしまう。地球統一政府軍(グローバル・ガバメント・ガード)による植民星へのコロニー落とし、タウンゼント首相死後の宇宙戦国時代における絶滅戦争は現在ズィーリオス辺境特別区と呼ばれる地域やさらに遠方に存在した多くの居住可能惑星を滅ぼした。そこに存在した数えきれないほどの命と、無数の輝かしい未来は惑星と命運を共にした。

 

 ……これらは人類が犯した取り返しのつかない過ちの一つであり、そのトラウマは大きい。連邦末期に各地で頻発した星系・連合体単位での武力衝突に対し、銀河連邦宇宙軍は全くの無力を晒したが、これは後世言われるような無能と腐敗だけが原因では無い。それと対立していた良識派も地球統一政府軍(グローバル・ガバメント・ガード)の悪行を想起させることから連邦宇宙軍を星系間紛争に介入させることを躊躇したのだ。

 

 全くの余談であるがルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが軍を退役させられる原因となった『シャハナ蜂起』はそういった星系間紛争の一つがきっかけで起きた。当時ルドルフは銀河連邦宇宙軍第三辺境管区第一一方面警備司令を務めていた。同時期、ルシタニア経済統合会議と呼ばれる星系連合体が勢力を伸ばしており、ルドルフの管轄する第一一方面に存在したパルス王国と激しく対立していた。ルドルフはこの星系間紛争に対して冷淡であったが、やがてパルス王国とルシタニア経済統合会議が武力を用いて衝突し始めると、「連邦の秩序を乱し、市民を危険に晒す」として軍事介入を中央に訴えた。しかし軍は文民統制を理由に独自判断での介入を禁止すると、連邦議会に状況を報告、これで連邦議会が介入を指示すれば問題なかったが、星系自治権の尊重を理由に連邦軍の動員が否決されてしまう。

 

 この時点でルドルフは暴発しかけていたが、ファルストロング参謀長の懸命の説得で思いとどまり、法の範囲内で秩序の維持に努めた。しかし、衝突から二年後、ルシタニアの奇策によってパルス主力軍が壊滅。勢いにのったルシタニア軍がパルス各地で狼藉――酷い場合は虐殺――を始めるに至り、ルドルフは正規軍による介入に踏み切った。ルドルフと彼の下に集まりつつあった優秀な将兵の高い能力もあり、ルドルフは数週間の内にルシタニア軍を散々に打ち破り、パルスを解放する。ところがこの越権行為が中央では問題視され、ルシタニアとその息のかかった諸勢力が連邦議会から軍に圧力をかけた。これに屈した軍首脳陣は秘密裏にルドルフの身柄を拘束し、ありとあらゆる罪状を着せ軍法会議にかけて葬り去ろうとした。

 

 しかしながら当時の第三辺境軍管区司令で良識派に属していたラングトン宇宙軍大将は自身の激しいルドルフ嫌いにも関わらず、ルシタニアの違法行為やルドルフの大義名分――ルドルフ以前には数える程しか発動されていないが、連邦宇宙軍にも治安出動の権限は認められていた――を一切無視したルドルフへの処罰には抵抗し、その擁護に回った。(なお、自身は後にルドルフによって失脚させられた)

 

 これによって首脳部の思惑を手遅れになる前に知ることが出来たルドルフは激怒し、麾下の部隊を纏めて連邦首都への行軍を開始した。ルドルフとその一派は盛んに自身の正当性をアピールし、腐敗した無力な連邦と軍に失望していた市民は既に英雄として名声を得ていたルドルフを歓呼の声で迎えた。ルシタニアの横暴に不快感を抱いていたエルドラード行政区自治体評議会――ブラッケ侯爵家の母体となった――などもルドルフ支持を表明した。

 

 最終的にルドルフは宇宙軍少将に降格され、退役に追い込まれたが、逆に言えば事実上叛乱に近い軍事行動を採りながらもその程度の処分で済んでいることが、当時のルドルフ人気と連邦軍の無力を象徴しているといえよう。

 

「……帝国中央はあくまで三星系の返還を求めると?」

「間違いなく。というよりもそれが最低ラインであり、貴国が第二次エルザス=ロートリンゲン戦役で取った不審な行動に関して、納得の行く説明が無ければ、三星系を返還しても制裁が発動される可能性があります。尤も、もし貴国が三星系を返還してくだされば、小官が貴国を守りましょう」

「……閣下が?」

「ルートヴィヒ皇太子はリューベックの境遇に同情的だ。しかし戦役中の貴国の行動に苛立ちを覚えているのもまた事実。貴国が三星系を返還した上で、先ほど私に話した弁明をすれば、多少は言い逃れの余地も生まれてきます。そこまで来れば、小官がルートヴィヒ皇太子にリューベックを助けて貰えるように説得できます」

 

 私はそういったがラングストン少将は不審な様子である。

 

「……閣下は何故そこまでリューベックに肩入れするのですか?今回の特使訪問もどうせ閣下が希望したのでしょう?」

「それは今話すべき話では無いでしょう。問題は私の意図では無く、貴国の意図だ。……いつか貴官やミシャロン氏には話せる時も来るでしょうし」

 

 リューベックに肩入れする理由なんて簡単だ。大嫌いな帝国が、私の故郷の文化さえ断片的に残る共和主義国家リューベックを焼こうとしているのだ。そこに住む多くの人々が一部の権力者のエゴで殺されようとしているのだ。これに憤らずにいられるだろうか?……その帝国の軍人が何を言っているのか、と言われたら返す言葉も無いが。

 

 ラングストン少将は暫く考え込んだ後、溜息をついて立ち上がった。

 

「とりあえず政府に掛け合ってみましょう。閣下の言葉を今更疑う気もありません。閣下がいわゆる奇人変人の類であることは革命の時に理解していますから、ね」

 

 ラングストン少将との会談はその言葉で終わった。

 

 

 

 

 ラングストン少将と共にリューベックを訪れた私たちはそこでオスマイヤー総督以下三二一名の帝国人を保護した。そちらの引き渡しはスムーズに進んだが、『未回収のリューベック』撤兵問題は揉めに揉め、月が変わって四月になってもまだ撤兵は実現しなかった。しかし、四月一二日、水面下で内務省と交渉していたリューベック藩王国在オーディン高等弁務官アドルフ・シュライエルマッハーに対し内務省自治統制庁長官ラートブルフ子爵が最後通牒が突きつける。私の動きを利用してリヒテンラーデ侯爵も独自にリューベックの制裁回避に動いていたようだ。これを受けてついに避戦派――親帝国派――主導で撤兵が決定された。司法省・軍務省を中心に計画されていたリューベックへの制裁が発動する四日前の出来事であった。

 

 時を同じくしてフェザーンでも一つの動きがあった。同盟、帝国の勢力均衡に苦心していた第三代フェザーン自治領主(ランデスヘル)プラカッシュ・クマール・シンが『病気療養』を理由に辞任し、代わって両国の和解を唱える改革派のドミトリー・ワレンコフが第四代フェザーン自治領主(ランデスヘル)に就任したのだ。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。



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壮年期・捕虜交換(宇宙暦779年6月5日~宇宙暦779年9月7日)

 宇宙暦七七九年六月五日、私は帝都のヴェストパーレ男爵邸を訪れていた。

 

「ヴェストパーレ先生、帝国学芸院(アカデミー・ディズ・ライヒス)入会おめでとうございます」

「ああ……やっと私の順番が回ってきたよ。昨年倒れた時は私も『四一番目の椅子』で死ぬのかと覚悟したものだがね」

 

 詩人、小説家、版画家、演劇家、哲学者、医師、科学者、民族学者、批評家、教育者、史学者、聖職者といった様々な背景を持つ会員四〇名で構成される帝国学芸院(アカデミー・ディズ・ライヒス)は帝国で最も権威のある学術団体である。帝国地理博物学協会会長、帝国文学者協会会長、帝国文化芸術振興会議議長、国立中央博物館館長、帝国国営出版社社長、オーディン文理科大学学長などそうそうたる顔ぶれがそろっている。地球史研究の第一人者であり、帝国地球史学会会長であるヴェストパーレ男爵は長らく帝国学芸院(アカデミー・ディズ・ライヒス)入りの有力候補とされていたが、開明派との関りが祟るなどして果たせていなかった。

 

「君も無事ライヘンバッハ伯爵家を継承できたようで何よりだ。正式に軍に復帰することも決まったのだろう?……その原因を思えば手放しでは喜べないが、まあ良かったじゃないか」

 

 我が従兄にしてライヘンバッハ伯爵家当主であったディートハルト・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍大将は先のアムリッツァ星域会戦における大敗の責任を取らされ、他の多くの高官と同じく軍を退役に追い込まれた。特に責が大きいと判断されたシュタインホフ元帥が「病気療養」、パウムガルトナー上級大将が「断絶した分家を継承する」という名目で辺境送りにされ、リンドラー元帥が「自殺」させられたことを考えれば、単に当主の座と軍から退くだけで済んだ従兄はまだマシな方だったと言える。

 

 総司令部に属していた高官はベルンカステル侯爵を初めとする内務省からの出向組を除いて全員何らかの処罰、懲罰人事を受けた。総司令部の外でも当時の軍主流派――つまりリューデリッツらクーデター派――に連なる者たちの一部は敗戦の責任を連帯して負うこととなり、軍部の人事が大きく動いた。代表的な例が統帥本部総長リューデリッツ元帥の退役、宇宙艦隊副司令長官グデーリアン上級大将の予備役編入、軍務尚書エーレンベルク元帥の幕僚総監転任である。

 

 迎撃軍総司令官を兼ねていたシュタインホフ元帥の失脚もあって空席となった帝国軍三長官のポストは緊急的な措置として皇太子ルートヴィヒ・フォン・ゴールデンバウム宇宙軍元帥が兼任し、宇宙艦隊副司令長官には第一作戦総軍司令官オスカー・フォン・バッセンハイム宇宙軍大将が昇進した上で就任した。ミュッケンベルガー中将、メルカッツ中将、シュタイエルマルク中将、カイザーリング少将、フォーゲル少将らも昇進し、敗戦責任によって空いた中央や実戦部隊の要職に就くことになる。

 

 一連の人事異動の中で旧ライヘンバッハ派と旧シュタイエルマルク派の要人が軍に復帰する。リューデリッツ元帥ら軍部クーデター派にとってこの二派閥は絶対に組むことが出来ない相手であったが、ルーゲ公爵ら政官界のクーデター派にとって旧ライヘンバッハ派と旧シュタイエルマルク派は必ずしも対立する相手ではない。強いて言えばルーゲ公爵やキールマンゼク伯爵は私の事を嫌っていたし、警戒もしていたが、妥協できない相手ではない。こうして私もめでたくライヘンバッハ伯爵位を継承することが出来た訳である。

 

「課題は山積していますがね……。ライヘンバッハ家は帯剣貴族の名門です。ですがそれ故に問題となるのが譜代家臣の扱いです。代々の当主も一門衆も皆正規軍で勤務してきました。ライヘンバッハ家の譜代家臣は従軍し当主や一門衆に付き従う武官と、領地経営に専念する文官に分かれます。前者の例がブルクミュラー家や一門入りしているハルバーシュタット家、オークレール家などです。これらの家は帯剣貴族的価値観を持っているが故に、文句なしの名将である父とその忘れ形見である私に忠誠を誓っています。しかし領地経営に携わる一族の方は伝統的な領地貴族的価値観を持っています。つまり、実力よりも血筋を重んじますし、文官らしく『剣を振るうしか能が無い』武官たちへの反感も持っています」

「家臣同士で対立があるということかね?」

「対立というほどの事でも無いですがね……。クラウス伯父上はどちらかと言えば文官肌のお人でした。その子であるディートハルト従兄上もそうです。文官たちは私よりも従兄上を支持しているのです」

 

 ヴェストパーレ男爵は腕を組みながら椅子の背にもたれ掛かった。

 

「よくある話だな。我がヴェストパーレ男爵家も他人事ではない」

 

 ヴェストパーレ男爵はくつくつと笑いながらそう言った。ヴェストパーレ男爵は早逝した従兄に変わって家督を相続した。彼の相続はすんなりと決まったが、その次が問題だ。ヴェストパーレ男爵は今年五三歳で妻は四八歳、共に未だ老齢とは言えないが、出産適齢期は大きく過ぎていると言えよう。加えて、男爵は数年前から体調を崩して寝込むことが増えている。しかしながら彼の子は今年一〇歳になる娘マグダレーナただ一人であり、もしヴェストパーレ男爵に万が一の事があれば、その家督を誰が継ぐことになるのかは問題となる。

 

「この一年で随分と親しい親戚が増えたよ。願わくば私たちに向けるその好意を、私が居なくなってからも娘に向けて貰いたいものだがね?……もしもの時は頼むよ。カールやコンラート君が排斥されている今、私が頼れるのはオイゲンと君位だ」

「出来る限りの事はしますが、そのような弱気な事は言わないでください。先生」

「弱気だなんて心外だな。リスクヘッジだよ。軍人の君なら分かるだろう」

 

 ヴェストパーレ男爵は穏やかに笑いながらそう言った。

 

「先生には娘に歴史を教えていただきたいのです。あの子がライプツィヒ大学の門戸を叩くまでは壮健で居て頂かないと」

「ああ、それなんだけどね。帝国学芸院(アカデミー・ディズ・ライヒス)入りを機に来年から再び帝都に戻ることになったよ。といっても文理科大の方だがね」

「本当ですか?それはおめでとうございます」

「……ノイエ=バイエルンのライプツィヒ大も簡単に入れる大学という訳では無いが、帝立の文理科大はより難関だぞ?あそこはリヒャルト一世帝が文系の最高学府として創設した大学だ」

「さて、親バカと言われるかもしれませんが、ゾフィーならやってくれそうな気がしますよ。あの子は聡明です」

「なるほど。期待して待っていようじゃないか」 

 

 私の娘、ゾフィー・フォン・ライヘンバッハは今年で五歳となる。今は妻と共にクロプシュトック侯爵領都トロイアイトに住んでいる。全くの余談であるが、私の願いは半分だけ叶った。つまり一四年後にゾフィーはオーディン文理科大学歴史学部へと入学したものの、既にヴェストパーレ男爵自身はこの世を去っていたということである。

 

 話が一段落した後、ヴェストパーレ男爵が徐に切り出した。

 

「次の任地は決まったのかね?」

「ノルトライン警備管区司令、ニーダザクセン鎮定使、エルザス=ロートリンゲン特別軍政区司令官、この辺りかと思いますが……。フェザーンでの交渉次第ではそちらへ行くことになるかもしれません」

「フェザーン……。ということはあの噂は本当かね!?」

「ええ、オフレコでお願いしますよ……。国務省からホージンガー自治調整局長とワイツ第一課長、そして軍務省からシュタイエルマルク高等参事官、財務省からシェッツラー外治局第一課長がフェザーン入りしています。同盟側と捕虜交換交渉を行う為です」

 

 ヴェストパーレ男爵は難しい表情で考え込む。現在帝国上層部では内密にフェザーンで捕虜交換交渉が行われており、さらにこの機に休戦協定や交戦法規を巡る話し合いまで行われているという噂がまことしやかに囁かれていた。尤も、知識人たちの見解は一致している。「ただの噂、もし交渉が行われていても決裂する」と。ヴェストパーレ男爵も当然そういう見解だっただろう。

 

「同盟側に捕虜交換を応じる動機はあるだろう。あの国の政体で権力を維持するのに、捕虜交換というイベントはすこぶる都合が良い。第二次ティアマト以来同盟軍は数度に渡って回廊を超えて帝国側に侵攻してきていた、全体として優勢を保っていたとはいえ、それなりの数の将兵が帝国軍の虜囚となっている。特に大規模な地上戦が各地で行われた先の戦役では、激戦地に部隊ごと取り残された者たちも居た」

「同盟・帝国双方で外征専門部隊は予め敵地に取り残されることを前提とした部隊編成が行われています。アルバート・フォン・オフレッサー地上軍少将が率いた第九装甲擲弾兵師団は帝国宇宙軍の撤退後も数年に渡って抵抗を続けました。ランズベルク星系で抵抗を続ける同盟軍独立混成第六統合作戦軍も年単位での橋頭保確保やゲリラ戦を視野に入れて編成されている部隊です。……とはいえ、全ての部隊がこれら精鋭部隊と同様にカタログスペックを発揮できる訳では無い。机の上の計算では三年間独力で戦える部隊が、現実でも同様に戦えるとは限らない」

 

 私の言葉にヴェストパーレ男爵は頷き続ける。

 

「同盟軍が優勢を保っているにも関わらず、数度に渡って反戦運動が勢いをもったのはその辺りにも理由があるな。『必要のない戦争で血を流したり、捕虜になったりするなんてバカみたいじゃないか』という戦死者や捕虜の家族による批判は大きかった。……いや、過去形じゃないな、彼らによる政府批判は今も続いている。捕虜交換が実現すれば彼らは満足し、政府批判を止めるだろう。一部は捕虜交換を実現した今の政府を支持するかもしれない」

「大規模な捕虜交換は滅多に実現しませんからね。捕虜交換をビジネスとするフェザーン企業もありますが……彼らを雇うにはカネがかかりますし、民間の力では限界もあります。勿論同盟政府や同盟軍が捕虜交換に後ろ向きな訳ではありません。国務委員会、国防委員会、人的資源委員会、財務委員会、司法委員会、同盟警察庁、同盟下院拘束将兵問題特別委員会、統合作戦本部……とまあ色々な組織が帝国と接触して捕虜返還交渉に臨んでいますが……」

「そもそも帝国も同盟も互いを対等な国家と認識していない。『外務省』とでも言おうか?『国際』問題、『外交』問題を専門的に一括で担当する部門・省庁が存在していない。両国がいざ対話に乗り出そうとしても上手く行かない理由の一つだな。捕虜問題に限っても両国に乱立した官僚組織が十分な連携も取らないまま勝手に動くから纏まる話も纏まらない。亡命者取締もそうだが、実情を無視してあくまで『この宇宙に人類国家は自国のみ』という姿勢を堅持しようとするからこうなるのだよ」

「同感です」

 

 ヴェストパーレ男爵は机の上のコーヒーをゆっくりと口に運んだ。それから人差し指を私の方へ軽く立てた。興が乗ってきた時にするヴェストパーレ男爵の癖の一つだ。

 

「ところが今回の捕虜交換交渉は、君が身構える程度には実現可能性があるらしい。確かに国務省と軍務省、財務省から人が出ているのは期待が持てる。宰相府と司法省を外したのは完全にリヒテンラーデ派と軍部で話を纏める為だな?ふむ……帝国政府全体にとって捕虜交換はさほど旨味がある話ではない。少なくとも同盟政府に比べればな。だが軍部が積極的なのは分かる。今の軍部は慢性的な人手不足だし、捕虜の中には名の通った帯剣貴族が少なくない。しかしリヒテンラーデ侯爵の意図が分からん。何故あの人が乗った?」

「……」

 

 実を言うと私はリヒテンラーデ侯爵の意図を聞いている。しかし例えヴェストパーレ男爵が相手であっても迂闊に話すことはできない。

 

「今回、フェザーンのワレンコフ自治領主は極めて熱心に捕虜交換交渉の仲介に乗り出しました。彼無しでは交渉にこぎつけることも難しかったでしょう。恐らくはワレンコフ自治領主からリヒテンラーデ侯爵に何らかの見返りの提供があったのではないでしょうか?」

「賄賂、かね……」

 

 ヴェストパーレ男爵は納得していない様子だ。リヒテンラーデ侯爵は清廉潔白とは言えないが、少なくとも有能であり、慎重な人物だ。捕虜交換なんて大それたことを「袖の下」で決める人間ではない。

 

「まあ、ここで考えても仕方がない事ではある。まだ交渉が纏まるとは決まっていないしな」

「もし纏まったとしたらいつ以来の捕虜交換でしょう?政府が本腰を入れて関与したのは久しぶりでは?」

「帝国歴三九六年の亡命帝交換以来だね。あれはシャンダルーア星域で戦死したルートヴィヒ皇太子の遺体を取り戻すことが主目的で、捕虜とマンフレート皇子はオマケ扱いだった。ところが、その後マンフレート皇子は同盟の後援を受けて宮廷クーデターを実行、マンフレート二世として即位する。クーデター派の中核は亡命帝と共に帰還した元・捕虜たちだ。……帝国上層部はそれですっかり捕虜交換恐怖症になってしまった」

「思い出しました。当時のエーレンベルク侯爵もクーデターの犠牲者でしたね……」

 

 ヴェストパーレ男爵は「よく知っているじゃないか」と言うと、口角を少しだけ上げながら続ける。

 

「君が捕虜交換に携わるとしたら……エーレンベルク公爵やルーゲ公爵は黙ってないな。亡命帝交換の二の舞になりかねない」

「勘弁してください。私にマンフレート二世帝陛下のようなカリスマ性は無いですよ」

「否定するのはそこだけかい?それじゃあカリスマ性があれば同じことをする、とも取れる」

 

 ヴェストパーレ男爵は可笑しそうに笑う。私は憮然とした表情で肩を竦めた。ヴェストパーレ男爵は開明派の一員と見做されているが、自身は務めて歴史の観察者たらんとしている。ブラッケ侯爵を始めとする彼の友人が軒並み今の体制に批判的な人物であることは、彼が反体制的な人物であることを意味しない。彼はただ単に次の時代を作るか、あるいはこの時代に潰されることで歴史に名を遺すであろう人々を観察しようとしているだけなのだ。

 

「扇動者としての才能はあると私は見ているんだけどね、まあ確かにカールやルートヴィヒ皇太子のような内側から湧き出るカリスマ性みたいな物は感じないな。とはいえカリスマ性は後天的に身に着けることも不可能ではない。君の経歴は少しずつ『権威』を纏い始めていると私は思うよ」

「私とミュッケンベルガー大将が並んだとして、『権威』を感じるのはどちらか。一〇〇人に聞けば一〇〇人がミュッケンベルガー大将と言うでしょう」

「それは君。比べる相手が悪いよ。だがまあ、彼をナポレオンと見立てたら君はカール大公……いやベルナドットといった所かな」

「……ベルナドットですか。中々含みのある見立てです」

 

 ジャン・バティスト・ベルナドット。フランス革命期の軍人であり、早逝したルイ・ラザール・オッシュを除き唯一ナポレオン・ポナパルトに比肩する天才であると目された男。誰よりもフランス共和制に忠実であろうとした彼は、ナポレオンが第一共和政を崩壊に追い込むその瞬間を文民統制に服して傍観した。祖国を愛するが故に、愛する共和制を崩壊させたナポレオンの下でナポレオン戦争を戦った彼は常にナポレオンに対する反感を隠さなかった。ところが運命という物は不思議な物で、彼は最終的に北欧スウェーデンの皇帝として即位する。そして第六次対仏大同盟の立役者となり、ナポレオン・ポナパルトに引導を渡した。ナポレオンを以ってして「我らが失墜の主たる要因の一つ」と言わしめたこの男は、間違いなくナポレオンと同じ「革命の鬼子」であると言える。

 

「ベルナドットを知っているのか……相変わらず君の歴史知識には感服させられる。学会でもベルナドットを知っているのは西欧地球史研究者のほんの一部だろう。ましてその反応を返せる者が一体何人いるか……」

 

 ヴェストパーレ男爵が感心しているのを他所に、私はある思いを抱いていた。軍事的才能という観点でミュッケンベルガー大将をナポレオンに擬えるのであれば、ベルナドットに擬えられるのは私よりも相応しい人間が何人もいる。ヴェストパーレ男爵が私をベルナドットに擬えたのは軍事的才能だけでは無く、「革命の鬼子」あるいはもっと単純に「共和主義者」という側面、換言してしまえば「反体制派である」という事実を意識しての事だろう。(勿論、私は自身が共和主義者などとこの人に言ってはいないが)

 

 だとするならば、だ。ナポレオンに擬えられるべきはミュッケンベルガー大将では無いことを私は知っている。果たしてこの世界の未来で、本来の世界の未来で起こったことが起こるかどうかは分からない。だがどのような未来であれ、そこに『彼』の姿が無いなどと言うことはあり得ない。私をベルナドットとするならば、『彼』こそがナポレオンに相応しい……

 

「いや、違うな」

「ん?何が違うのかね、アルベルト君」

「いえ、独り言です」

 

 そう、違う。『彼』をナポレオンと見立てるのであれば、ベルナドットに見立てられるに相応しい男は私ではない。なるほど、あの人は『矛盾の人』と呼ばれたが、ベルナドットにもそういう側面はある。……本来の世界で、『ナポレオン』はついに『ベルナドット』に勝つことが出来なかった。だが『ベルナドット』もついに『ナポレオン』を討つことが出来なかった。……『ナポレオン』の命を奪ったのは『ベルナドット』の死であった、という言い方をすれば、『ベルナドット』が『ナポレオン』を討ったと言えるかもしれないが。

 

「……『彼』のモデルの一人がナポレオンなら、『彼』のモデルの一人がベルナドットでもおかしくは無い」

「は?」

 

 真実を知る者はただ一人、その一人はこの世界に居ないし、居たとしても既にこの世を去っていることは疑いようが無いだろう。尤も、その人は確か『彼』に特定のモデルは居ないと言っていた。『特定の』モデルは居ない、『特定の一人ではない』モデルならばあるいは……なんて、所詮はただの妄想だ。

 

 私は困惑するヴェストパーレ男爵にもう一度「何でもありません」と言って微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フェザーン・帝国間貿易の約六割はフェザーン=リュテッヒ航路を経由する。それ故にこの航路は『銀河の表通り(ギャラクシック・メインストリート)』とも言われる。しかし、それを織り込んだとしてもこの密度は異常だ。船団の周囲に数えきれないほどの民間交易船が集まり、ピッタリと並走、あるいは追走している。……いや、民間だけではないようだ。名の通った貴族家や財務省、内務省の船も複数確認できる。

 

「……本当に商魂たくましい連中だ、そして厚かましい」

 

 私はレーダーの反応を見て苦笑しながら呟いた。私の横で眠そうな表情をしている大男がそれに反応する。

 

「ん?何の話だ?」

「見てください。船団の周囲を沢山の民間船が航行しているでしょう?何故だと思います?」

「何故って……ここはフェザーン=リュテッヒ航路、帝国とフェザーンの貿易の約六割はこの航路を通ると言われている。そりゃあ民間船も多いだろう」

 

 大男……宇宙艦隊副司令長官オスカー・フォン・バッセンハイム上級大将は「何を分かり切ったことを」というような表情で応える。

 

「だとしても、この数は偶然では無いですよ。……船団の護衛部隊に期待しているんです」

「は?期待?」

「ここ数年、辺境の治安は著しく悪化しています。先の戦役後、帝国軍は漸く各地の秩序回復に本腰を入れ始めましたが、中央地域……特に旧ブラウンシュヴァイク派領土の混乱が凄まじく、辺境にまでは未だ手が回っていません」

「あそこはな……ただでさえ厄介なのにリッテンハイムやクロプシュトックたち欲深クソ領地貴族が対立を煽ってるからな……あいつらの横槍は正規軍でも無視するのは難しい」

 

 「お前もそう思うだろ?」と言わんばかりの表情のバッセンハイムに私は苦笑した。リッテンハイム侯爵家はともかくクロプシュトック公爵家は私と縁戚関係にある。貴族の常識で言えば悪く言うべきではないし、私が批判するのは絶対に許されない。バッセンハイムだってそれは分かっているだろうに敢えて聞いてくるのだ。

 

「……まあ、何にせよ、辺境の治安は悪い訳です。そしてそれはこのフェザーン=リュテッヒ航路も例外じゃない。『流星旗軍』……奴らは完全に調子に乗ってます。堂々と銀河の表街道で強盗を働くんですからね。……メクリンゲン=ライヘンバッハ男爵家のホルストさん、知ってます?」

「ルーゲンドルフ公爵の五男坊のことか?あのクソ頑固爺の息子とは思えない爽やかな美形だったな。まあ無能とは言わんが、あの洗練された立ち居振る舞いと爽やかなルックスが無ければ流石にライヘンバッハ一門入りは出来なかったんじゃないかね?」

「ラインラント警備管区司令を務めているんですけどね……荒れに荒れてます。爽やかさの欠片も無い暗い表情で『流星旗軍』を駆逐できるなら命を捨てたって構わない、と言っていました」

「……なるほど、話が見えてきた。つまり主要航路でも安心できないから商人たちは護衛を必要としている。だが、一々雇うのはコストも馬鹿にならないし、『流星旗軍』相手に多少の護衛では安心できない。そんな時に捕虜交換船団がフェザーンに向かうと聞いた商人たちは、それを利用しようと考えた、ってことだな」

「ええ、ついでに守ってもらおうという意図です。どの船も明らかに積み荷を満載していますね」

 

 バッセンハイムは呆れた表情だ。その時、私の副官であるヴィンクラー少佐から端末にメールが入った。

 

「呆れた連中だな……俺たちの任務は奴らの御守じゃないぞ」

「ええ、同感です。……しかし見捨てる訳にもいかない」

 

 私はそう言いながらヴィンクラー少佐のメールを画面に映し出した状態で端末を見せる。

 

「……ほう?こんな報告は聞いていないが……」

「『良き帝国軍人』とされる人間には二種類います。武人か官僚か、です。官僚はこんな些末な事(・・・・・・・)を一々報告しません。さて、どうしますか?閣下」

 

 私の問いにバッセンハイムは忌々し気に舌打ちした。

 

「気にくわんが、軍人としての本分は果たさんとなぁ。行くぞ副代表」

「了解いたしました」

 

 ヴィンクラー少佐のメールの内容は『流星旗軍』が船団に近づいているという内容の報告だ。

 

「奴ら、正規軍に喧嘩を売るのか?」

「場合によっては。しかし今回は違うでしょう。民間船が目の前で襲われようと捕虜交換船団の護衛部隊が動かないと踏んでいるんです」

「ふん、本気でそう思っているならおめでたい奴らじゃないか」

 

 バッセンハイムは不機嫌そうにそう言ったが、私の感想は違う。ここは帝国だ。治安維持を任務とする部隊でならともかく、捕虜交換船団の護衛を任務とする部隊が、勝手についてきた民間船を守る為に働く義務はない。

 

「黙れ!貴官らは恥という物を知らんのか?それにここで賊共の暴挙を見逃せば、奴らはますます調子に乗るではないか!」

「し、しかしですね、既に日程に遅れが……」

「良いではありませんか、むしろ言い訳が出来たと思えば良いのです。周りの民間船の殆どはフェザーン船籍です。そしてサジタリウス叛乱軍は民草の命をやたら気にします。我々が民間船を守って遅れたとしれば、非難することは無いでしょう」

 

 バッセンハイムはここで民間船を守ろうと考える程度に良識のある人物ではあるが……、私が居なければ、そして『流星旗軍』が既に民間船を襲っている状況では周囲の軍人に押し切られるはずだ。『もう手遅れです』とか『捕虜を危険に晒すことになります』とかそういう理屈で民間船の救援を諦めるだろう。

 

「ヴィンクラー少佐、報告感謝するよ」

「いえ……しかし何故『流星旗軍』が仕掛けてくると予想できたのですか?」

「……何、自分ならどうするか、と考えたらね」

「は?」

 

 『流星旗軍』がただの海賊連合だとは思えない。仮にただの海賊連合であってもどこかの勢力の紐がついている筈だ。それが何処なのかは分からないが、仮に捕虜交換を邪魔したい側の紐付きならここで『流星旗軍』に仕掛けさせるはずだ。一番良いのは輸送中の捕虜である同盟兵に被害を出すことだろう。だがそれは護衛部隊の量と質を考えると無理だ。ならば恐らくはその周りに集るであろう民間船を狙う。恐らく捕虜交換船団が民間船を見捨てたら、その事実をフェザーンや同盟で喧伝する手筈が整っている筈だ。

 

「……」

 

 私はリヒテンラーデ侯爵の忠告を思い出す。彼は捕虜交換を邪魔しようとする勢力が居ることに気づいていた。そして可能な限り私に対処するように命じたのだ。

 

(機関の仕業でも筋は通る、か……)

 

 そう、ジークマイスター機関にとっても捕虜交換……そして同時に行われる自然交戦規範遵守宣言による緊張緩和は望ましい事では無いはずだ。

 

(両国代表が公式に「自然状態から導き出される交戦における規範」を遵守することを宣言する。一応、両国は未だ互いを国家とは認識していない状態だが、事実上の国際条約と言っても問題ないだろう。間違いなく原作でこんな事象は起きてないだろうな。同盟がイゼルローン要塞を完成させた世界線で今更何を言っているんだって話だが……)

 

 宇宙暦七七九年九月七日、フェザーン=リュテッヒ航路、ボールゲン星雲近郊で『流星旗軍』の艦艇約一五〇〇隻が捕虜交換船団後方の民間船団を襲撃する。捕虜交換船団の護衛を務めるルーブレヒト・ハウサー宇宙軍少将率いる第二猟兵分艦隊は人道的見地から民間船団防衛に協力、一時間程度の交戦の後、これを撃退する。

 

 なお、同時に捕虜輸送船の一つ『ブルッフⅣ』の内部で暴動が発生したが、これは想定の範囲内であり捕虜交換船団副代表である私が素早く対応し平和裏に鎮圧、隠蔽した。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。



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壮年期・フェザーンに蠢く影(宇宙暦779年5月27日~宇宙暦779年9月15日)

「ライヘンバッハ卿。この国は誰の物だと思う?」

 

 内務尚書を一〇年近く務め、近く財務尚書へと転じると噂されているクラウス・フォン・リヒテンラーデ侯爵からそんな質問を投げかけられたのは宇宙暦七七九年五月二七日の事であった。

 

「無論、皇帝陛下の物です。銀河帝国は……さらに言えばその財産、臣民、文化、歴史、自然に至るまであらゆるものは全て皇帝陛下の所有物であり、その御為に存在を許されております」

「実に教科書的な回答だ。ライヘンバッハ卿。しかし『私』が『君』に聞いているんだ。その意味を考えて欲しいものだ」

「そうは仰られますが、『そうあるべき』と考える姿を尋ねられているのではなく、『そうである』と考える姿を尋ねられているのですから、小官にはこのようにしか答えようがありません」

 

 「銀河帝国は皇帝の所有物だ、その現状を理解しろ」という言葉は私がジークマイスター機関に入ってすぐの頃、ハウザー・フォン・シュタイエルマルク提督に繰り返し言われたことである。その頃の私はこの言葉を額面通りに受け取っていた。実の所、リヒテンラーデ侯爵から上記の問答を持ち掛けられた時も、本当の意味で理解していた訳では無い。「銀河帝国の究極の目的は国体護持、言い換えればゴールデンバウム家の繁栄にある」のである。……尤もリヒテンラーデ侯爵の見解に則れば、それも違うのだろうが。

 

「なるほど。確かにそうだ。では私の見解を述べようか。……この国に所有者や主権者など存在しない」

「……ほう?」

 

 私はリヒテンラーデ侯爵の言葉の先を待つ。彼の口からこのような発言が出るのは意外であった。

 

「……そもそも国家などというものが存在しない」

 

 リヒテンラーデ侯爵は眼に危険な色を漂わせながらその言葉を発した。私は息を吞み、おずおずと問い掛ける。

 

「……『国家とは最も劣悪であるが故に、最も現実に近いフィクションである』ですか?」

「ローマン・ダールズリーの『観念国家論』か。内務尚書の前で引用するには不適当な一節だな。だが帝国の実情を考える上では適当な一節だ」

 

 リヒテンラーデ侯爵は淡々とそう言ってのける。ローマン・ダールズリーはシリウス戦役時にリギル・ケンタウルス星系自治州首相、後にリギル・ケンタウルス星系共和国初代大統領を務めた人物である。新人類代表会議副議長も務めた偉人であるが、ジョリオ・フランクールのクーデターに連座して投獄、処刑された。彼が学者時代に書いた『観念国家論』はシリウス主導の強力な新秩序構築に疑問を投げかける内容であり、必然的に今の帝国の体制に対しても懐疑的な内容ということになる。

 

「フィヒテは国家を一つに結び付けるのは言語と文化の同質性だと言った。ルナンは国家を一つに結び付けているのは一人一人の自由な意思による選択だと言った。ゲルナーは経済的合理性によって国家は生まれたと言った。帝国に対する人々の結びつきはどの観点から見ても中途半端だ」

「閣下はこの国が国家として成り立っていない、と?」

「『国家がそこに確かに存在する』人々がそう信じるのを止めた瞬間に崩れ去る程度に宇宙時代の国家という枠組みは脆く、そして油断すれば人々は簡単に『国家』がフィクションであることに気づいてしまう。国民国家(ネイション・ステート)という枠組みは人類が地球という狭い領域で、長い歴史を共有している時代に『発明』された。地球時代は良かった。多少政府がしくじっても、共有している長い歴史と文化が『国家』という枠組みへの信用を担保する。人々は素朴に『我々は一つの国に属していないといけない』と考える。土地が限られているという点も重要だ。『国家』と『土地』が密接に関係している上に、『国家』の無い土地が存在しない為に人々は『国家』という枠組みを受け容れる」

「ふむ……今は違う、と?」

「辺境に精通する卿なら分かるだろう。……『人類』というアイデンティティは最早朽ち果てつつある。ザールラントを見たまえ、彼らが他の星の出身者を何と呼ぶか知ってるか?」

「……異星人(エイリアン)

 

 私は渋面に成りながら答える。一般人諸君で『エイリアン』という言葉を知る者は最早少ないだろう。地球時代、この言葉は地球外生命体という意味合いで使われていた。人類が宇宙に進出すると、地球居住者が地球外居住者を差別する意味合いで使われるようになった。しかし地球の終焉と共に『地球外生命体(エイリアン)』という言葉も役目を終え、忘れ去られるようになった。

 

「彼らにとって我々は同じ種族ではないのだ。……コールラウシュ伯爵は気の毒だった。一時は私の末妹の婿にとも考えていた男だった。彼はあんな死に方をするべき男では無かったし、まして彼の家族に……特にまだ一〇歳にも達していなかった二人の娘に一体何の罪があったというのだろうか」

「……」

「だが、ザールラントだけではない。表面化していないだけでこの国の……いや人類という種族そのものの連帯が崩れ去りつつある」

 

 そこでリヒテンラーデ侯爵は言葉を切って立ちあがった。窓の側に歩いていき、再び話し始める。

 

「何故、戦争が続くのか?……私の答えはこうだ。全人類が争うよりは、二つの陣営で争った方がまだマシだから、だ。確証は無いが、伝え聞くサジタリウスの状況を考えたら向こうも同じような理由だろう。……つまりフィクションだ!この戦争は『銀河帝国』という虚像を尤もらしく見せる為の演出に過ぎない!」

 

 リヒテンラーデ侯爵は振り向いて私に語り掛ける。

 

 

「常識で考えたまえ、帝国がサジタリウス腕を支配する力があると思うか?このオリオン腕すら統一出来ていないというのに。叛乱軍が帝国を『解放』する力があると思うか?その帝国に劣る国力しか有していないというのに。帝国にとって本当に怖いのはサジタリウス叛乱軍という外敵ではない。国内に潜む様々な不穏分子……いや、対立の火種といった方が適切か?それが爆発することだ。地球統一政府末期や銀河連邦末期のようにな」

「強大な外敵は国家を団結させますからね」

 

 私はそう言いながらも考える。リヒテンラーデ侯爵の見解は中々に大胆ではあるが、帝国の知的エリート層の中には同様の見解――つまり簡潔に表現すれば『強大な外敵は国家に必要不可欠である』となる普遍的な真理――に辿り着いている者も少なくないだろう。多少のニュアンスの違いはあるだろうが。

 

 にもかかわらず、リヒテンラーデ侯爵が彼らと違う結論に辿り着いたという点、その点が私は気になっているのだ。

 

「……で、あるならば、何故閣下は緊張緩和を支持なさるのですか?国内を纏めるのに外敵は必要なのでしょう?」

「簡単だよ。私は他の者たちが気づいていない三つの事に気づいているからだ。一つは『銀河帝国』という偶像の底に気づいた。……この国は最早命数を使い果たしつつある。強大な外敵との接戦を演じている余裕もない。その持てるリソースの全てを国内の安定に使わないと早晩崩壊する」

 

 リヒテンラーデ侯爵はそこで一度言葉を切ると、私の目を見据えて話し出す。

 

「もう一つは……卿たちだ。リューデリッツの言うことをもっと真剣に聞いておくべきだった。リューデリッツがミヒャールゼンを死闘の末潰して作り出した猶予をこの国は浪費した。卿たちは随分と立派に育ったようだ」

 

 その時の私は背筋が凍る思いだった。リヒテンラーデ侯爵がジークマイスター機関の存在を確信しているのはその口調から分かる。セバスティアン・フォン・リューデリッツの一派が私に狙いを定めて以降、私は機関から距離を置いていた。少なくとも今の私の周囲を洗った所で機関の存在には辿り着けないはずだ。必死で平静を装いながらリヒテンラーデ侯爵の次の言葉を待つ。

 

「だがそんな些細な事はどうでも良い。私が本当に恐れているのはあくまで帝国を作り変えたい君たちではない……帝国を壊したい亡霊共だよ」

「は?」

 

 リヒテンラーデ侯爵はそう切り出しながら私の表情を観察していた。私はリヒテンラーデ侯爵の言っていることが本当に分からず間抜けた声を出す。

 

「ふむ……その反応だと知らないのか?だが卿の動きは知らない者の動きでは無かったと思うのだが」

 

 リヒテンラーデ侯爵は意外そうな表情で考え込む、その様子を見ている内に、私の思考も追いついてきた。『帝国を壊したい亡霊共』……機関は気づいていない。だが私は『知っている』

 

「亡霊というのはまさか……」

「やはり知っているか?……そうだ。奴ら……いや奴らの抱える古ぼけて腐りきった『歴史』。それは人類を再び種として団結させる可能性を持つ。だが奴らはそんなことを望んではいない。奴らを動かすのは欲望と復讐心だけだ」

 

 リヒテンラーデ侯爵は険しい表情をしながら続ける。

 

「……地球教の台頭。それが私に講和を決意させた三つ目の要因だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「地球教、ねぇ……」

「やはり信じられないか?」

「まあね。確かに最近地球教は元気だけど、別に地球教に限った話じゃないよ。武装闘争も辞さない十字教抵抗派(プロテスタント)や理神教最高存在派、汎神論過激派なんかに比べたら法の範囲内で布教に務める地球教なんて可愛い物さ。そりゃ、多少胡散臭いし、人の不幸に付け込むようなやり口に思う所が無い訳じゃないけどね」

 

 宇宙暦七七九年九月一五日、フェザーン自治領(ラント)のホテル・シャングリラ、その一室で私は親友のクルト・フォン・シュタイエルマルク宇宙軍大将にリヒテンラーデ侯爵の話を打ち明けていた。リヒテンラーデ侯爵は地球教への警戒心を示した後、私に協力を求めてきた。……ジークマイスター機関が存在しない、あるいは協力できない場合は私個人として協力して欲しいとまで言われた。

 

「……僕の見立てだと、リヒテンラーデ侯爵の意図は二通りかな。一つはジークマイスター機関が実在するのかどうか、君の反応を観察していたという可能性。もう一つは既にジークマイスター機関の存在を確信した上で、自分の欲望の為に利用しようとしている可能性」

「前者は無い……と思う。あくまで印象の話だが、プラフとは考えにくかった」

「なら後者かな?リヒテンラーデ侯爵は丸っきり嘘をついている訳では無いんだと思うよ。現体制に見切りをつけた上で、ジークマイスター機関が目指す新たな体制作りに協力する。多少民主的な体制に変わっても自分と自分が握る官僚勢力は外せないと踏んでいるし、絶対帝政に比べて劣るとはいえ民主政体でも私腹を肥やせない訳じゃない。……リヒテンラーデ侯爵は賢いからね。泥船で暴利を貪るより、新しい船で安定的に利益を得ることを選んだんだろう」

 

 クルトは少し嘲笑するような口調で尤もらしくそう言った。

 

「……君もこの国は泥船だと思うか?」

「当たり前だろう。そんなこと誰だって分かってるさ。平民だってボンヤリと気づき始めているよ」

 

 クルトは何でもないようにそう言う。あまりにもあっさりと言うので、私は苦笑する。

 

「リヒテンラーデ侯爵と他の権力者の違いは地球教の存在を知っているかどうかなんかじゃないよ。単に立場の違いさ。エーレンベルク公爵やクロプシュトック公爵なんかは領地貴族だから極端な話帝国が崩壊しても自領さえ無事なら構わない。だから泥船をどうこうしようとは思わない。むしろ沈む前に持ち出せるだけの富を持ち出そうと考えている。ルーゲ公爵はクーデターまでやらかしてブラウンシュヴァイク公爵一門を粛清した、そしてリッテンハイム侯爵とも対立している。泥船が沈んだら命の保証はない。呑気に新たな船を作っている余裕は無い。リヒテンラーデ侯爵はそこまで追い詰められていないから新しい船を作って自分が船長になろうとしているのさ」

「……」

「地球教なんていうのは大義名分だろう。『強大な外敵』の存在は結束を強めるからね」

「……なるほどね。そういう意図『も』ありそうだ」

 

 私は端末に目線を落とす。時間を確認すると既に一九時を三〇分も過ぎている。流石に遅い。

 

「ところでアルベルト。会って欲しい人というのはいつになったら来るんだい?僕たちがスミシー中将に会いに行かないといけないことを忘れているのかい?」

「確かに遅いな……少し確認してくる」

 

 私は部屋の中にクルトを待たせて、ロビーに降りて行った。

 

「ヴィンクラー少佐!ハシモト参事官はまだ来ないのか?」

「先ほど連絡がありました。『急用が入った、日付が変わる前には行けるかもしれないが分からない』とのことです。丁度ご報告しようと思っていた所です」

「何?……おいおい、勘弁してくれ……」

「どうなさいます?」

 

 私は考え込む。私とクルトには外せない用事がある。とある人物との接触だ。自由惑星同盟国防委員会事務総局戦略計画部特別戦略分析室室長ジョン・ニコラス・スミシー同盟宇宙軍中将。マルティン・オットー・フォン・ジークマイスターが去った後の同盟におけるジークマイスター機関指導者である。その素性は私も知らないが、軍務省のデータベースによるとエルゴン星系出身で、若いころは前線に勤務していたが第二次ティアマト会戦での負傷をきっかけに後方勤務に就くようになったとされている。データベースの備考欄には酷い火傷を負ったという噂の存在が記されていた。

 

「……無理をさせたくないしな。ハシモト参事官との面会は後日に改めよう。連絡を頼む」

「承知しました」

 

 ヴィンクラー少佐と別れ私は部屋に戻る。恐らくへそを曲げるであろうクルトの事を想像してゲンナリとした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ハシモト参事官というのは帝国軍大将二人との約束をすっぽかすような男なのかい?フェザーン人には珍しいタイプじゃないか」

「もう良いだろう……。あの人は今回の捕虜交換事業に深くかかわっているからな。私のような名ばかり副代表とは違って忙しいんだろう」

「君はともかく僕は忙しいんだけどね?軍務省高等参事官として交渉団に入れられたのはバッセンハイム上級大将や君みたいな箔付けじゃなくて、その能力を信頼されての事だから」

 

 予想通り不機嫌になったクルトを宥めながら私はフェザーン領都ミネルヴァ西部の下町――開拓時代に拠点が置かれていた地域であり、今は労働者の街となっている――の裏通りを歩く。

 

「……あのな、私も別に遊んでいた訳じゃないんだぞ?リヒテンラーデ侯爵から捕虜交換船団の防諜を託されていたんだ。フェザーンの反ワレンコフ派や帝国の対同盟強硬派、同盟の反帝国派、このあたりは捕虜交換の実現を快く思っていないからな」

 

 私も軽く言い返す。「しかしね……」とクルトがぼやこうとするが、私はそれを遮って指差す。

 

「あの安宿で合ってるな?」

「ん?ああ。あそこの二〇五号室でお待ちだよ。……スミシー中将を見ても驚くなよ?」

 

 クルトは先にスミシー中将と接触している。その彼曰く、『驚愕する』らしい。

 

(それこそジークマイスター提督が出てきたら驚きだな。生きてたら一〇〇歳くらいか?……まるっきり有り得ないとも言えないな)

 

 しかし私の予想は裏切られた。

 

「大きくなったな……アルベルト坊」

 

 私の方を向きながら恐らく微笑みを浮かべているだろうその男の顔は溶けたラードのように崩れている。酷い火傷を負ったとの情報があったが、流石にこれは予想外だ。今の技術なら多少の……というか酷い火傷を負った所で元通りに治すのは簡単だ。それでも火傷した場所とその状況が悪ければ多少の傷は残るかもしれないが、それにしたってこんな有様にはならない。

 

「その顔は……」

「放射線の影響で再生治療に失敗した、と言うことになっている。勿論嘘だ。治せないのは本当だけどね。顔を隠したかった」

 

 私が絶句していると男は「まあ座りたまえ」と腰を下ろすように勧めてきた。私は言われるままに椅子に座る。

 

「自由惑星同盟国防委員会事務総局戦略計画部特別戦略分析室室長ジョン・ニコラス・スミシー同盟宇宙軍中将。それが一応今の名前だが、君たちには本当の名前を名乗ろう。クリストフ・フォン・シュテッケル。元帝国宇宙軍少将だ」

「生きておられたのですか!?同盟の捕虜になってからほどなく戦傷で他界したと聞いていたのですが……」

「敵を欺くならまず味方から、と言うだろう。まあ君たちの御父上には知らせていたがね。……他にも何人か生き延びているメンバーも居る。元々捕虜扱いだったメンバーと合わせて今回の捕虜交換でそちらに向かわせる」

 

 「ね、驚愕するでしょ?」とクルトがそう言って笑う。確かに驚きだ。シュテッケル少将が生きていて、しかもこんな酷い傷を負っているなんて。

 

「さて、再会を喜ぶのもここまでだ。使命の話をしようじゃないか」

 

 スミシー中将は顔色を――厳密には分からなかったが――変えて私たちに報告を促した。私たちは帝国の現状を話す。リヒテンラーデ侯爵からの協力要請、ヴェスターラントの暴走……そういったジークマイスター内部の問題も報告する。それに対しスミシー中将は同盟の現状を話した上で、これからの方針について話し合った。話し合いが終わった時には既に二四時を過ぎていた。

 

「それにしても地球教か。リヒテンラーデ侯爵ともあろう人が随分と小物を警戒しているものだ」

「……やはりシュテッケル少将閣下もそう思われますか?」

「確かに大義名分としては小物ですよね……。うーん、リヒテンラーデ侯爵の意図が読めません」

 

 クルトは今更ながらリヒテンラーデ侯爵がわざわざ地球教などという物を持ち出してきたことに疑問を持っているようだ。……私はリヒテンラーデ侯爵の意図……というか地球教のヤバさを知っていたからリヒテンラーデ侯爵が紛れもない本音を話していたことが分かるが、クルトの立場では疑問を持つのも無理はない。

 

「まあ……どういう意図であれ大したことは無いだろう。所詮、辺境のカルト宗教だ。我々の障害となる存在ではない」

「そうですね」

 

 クルトがスミシー中将の言葉に同意する。私も一応頷いたが、どこかのタイミングで二人にも警戒を呼び掛けないといけないと考えていた。今は馬鹿馬鹿しい話だとしても、地球教がこのまま拡大路線を採るならいずれはこの二人が真剣に耳を傾けざるを得なくなるはずだ。

 

「大分遅くなったな……。明日は二人とも早いんだろう。引き止めてすまない」

「いえ、理想の為ですから」

 

 クルトがにこやかに答え、私も頷く。スミシー中将との話し合いは有意義な物だった。私たちはスミシー中将に挨拶し、ホテルを離れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……何のつもりだ」

「……アルベルト・フォン・ライヘンバッハとクルト・フォン・シュタイエルマルクだな?」

 

 スミシー中将が居たホテルを出て暫く歩いていると私たちの前に、一人の男が立ちふさがる。目深にフードをかぶった男を前に私とクルトはいつでも戦闘に移れるように準備する。

 

「人違いだな」

「何が有り得ないかを言うのは難しい。何故なら昨日の夢は、今日の希望であり、明日の現実であるからだ」

「……ほう?」

 

 男はジークマイスター提督やシュタイエルマルク提督が好んで使っていたフレーズを唐突に呟いた。油断はできないが、それでも私たちが何者か……そしてそのフレーズが私たちにどういう意味を持つかは知っていることになる。

 

「……同志よ、忠告する。捕虜を信じるな。仲間を信じるな。そして気づけ、地球教は既に卿らの喉元に刃を突きつけていると」

 

 男はフードを軽くめくりながらそう言う。その下の顔は直接的な面識は無いが私たちも見覚えがある人物だった。

 

「……どういう意味ですか?何故貴方がそんな……」

「悪いが長話はできない。追われている身だ」

 

 クルトが動揺した様子で語り掛けるが、男はそう言って振り返る。

 

「使命を果たせ。ジークマイスターの無念を晴らすんだ」

「待ってください!」

 

 男はそう言って走り出した。私たちは追いかけたが男は予め逃走経路を確保していたのか、すぐに見失ってしまった。

 

「……これは、リヒテンラーデ侯爵とアルベルトの警戒も的外れではないかもね。シュテッケル閣下に報告しよう」

「待て。これはまず帝国側(こちら)……いや私たちで調べよう。あの人の忠告も気になる」

 

 私は踵を返そうとしたクルトを制止する。クルトは少し考え込んだ後で、「分かった。あの人が忠告してくるのは異常だ」と答えた。

 

 ホテルに戻ると、慌てた様子でヴィンクラー少佐が近寄ってきた。

 

「か、閣下!」

「ヴィンクラー少佐……待っていなくても良かったんだぞ?卿は副官であって従士や奴隷ではないのだ」

「は!しかしどうしてもお伝えしないといけないことがありまして……連絡を差し上げようとしたのですが、繋がらなくて……」

 

 ヴィンクラー少佐は焦った様子だ。私は端末を取り出して電源を入れる。ヴィンクラー少佐からの通信やメールが三〇分程前からいくつも入っている。密会の最中という事もあり、端末の電源を切っていたのだ。

 

「すまないな。電源を切っていた。それで伝えないといけない事ってなんだ?」

「フィデル・ハシモト参事官がサウスアイランドで御遺体で発見されました!」

「何だと!?」

 

 フィデル・ハシモト参事官はドミトリー・ワレンコフ自治領主の腹心の一人だ。憂国騎士団としての活動をワレンコフ氏にバックアップしてもらっている関係で交友があったが、それ以上に地球教絡みで協力関係にあった。地球に対してドミトリー・ワレンコフ自治領主の一派が面従腹背の状態であったことは後世の諸君も知っているだろう。私が辺境情勢に介入を繰り返している中で気づいた地球教の動きはハシモト参事官を通じて逐一ワレンコフ氏に報告していた。

 

「背後から一刺しされたようです。御遺体からは財布がなくなっていて、自治領警察は恐らく金目的の通り魔的犯行ではないかと言っています」

「待て待て待て。フェザーンは宇宙一治安の良い街だろ?サウスアイランドはその南に隣接した宇宙港を擁する中心都市だぞ?有り得ないだろう」

「小官もそう思っていましたが、宇宙港から程近い中心部はともかくその周囲は治安が悪く、迷い込んだ観光客相手にこういった事件も稀に起こるとか」

「ハシモト参事官はフェザーン人だぞ!?」

 

 私は思わず声を荒げるが、クルトに宥められる。

 

「アルベルト、ハシモト参事官は捕虜交換船団の関係者だ。亡くなったら真っ先に報告が来るのは間違いない。しかし詳しい状況までは普通は分からない。ヴィンクラー少佐はわざわざ自治領警察まで行って聞いてきたんだ。そこまでして揃えた情報なのに、報告しているだけで怒鳴られるのは理不尽というものだ」

「……そうだな。その通りだ」

 

 私はクルトの言葉に頷いて平静を取り戻す。ヴィンクラー少佐は額に汗を浮かべながら、口をもごもごと言わせている。

 

「ん?どうしたヴィンクラー少佐。何か言いたいことがあるのか?」

「いえ……その、小官もおかしいとは思ったのです。ハシモト参事官がフェザーン人だというのもそうですが、『背後から一刺し』って、素人に出来ますかね?しかもあの方は確か情報畑出身者でしょう?」

「……確かにな」

 

 私は先程の忠告を思い出していた。『地球教は既に卿らの喉元に刃を突きつけている』。ハシモト参事官に対してもそれは同じだったのかもしれない。地球教はハシモト参事官の喉元にずっと突きつけていた刃を押し込んだのではないか。この時点では何の根拠もない想像だったが、結論から言えばこのフィデル・ハシモト参事官の死こそが地球教による『我々』に対する最初の攻撃だった……ともいえるかもしれない。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。



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壮年期・捕虜交換式典にて(宇宙暦779年9月17日)

 銀河帝国と自由惑星同盟は互いを正当な国家とは認めていない。銀河帝国から見た自由惑星同盟は辺境の叛乱勢力、自由惑星同盟から見た銀河帝国は銀河連邦の一部を占領するクーデター勢力である。この建前に拘ることで様々な弊害が出ているのは今までに書いてきた通りだが、その一つに捕虜の扱いが挙げられる。

 

 自由惑星同盟はその複雑な建国経緯から銀河帝国とは違い、銀河連邦と同一の国家であることを明確に打ち出していない。だがそれはそれとして自由惑星同盟はその加盟国の中に銀河連邦亡命政府を含んでいる。自由惑星同盟は銀河連邦亡命政府こそがオリオン腕における唯一の合法政府であり、銀河帝国は銀河連邦政府を非合法な手段で排除したクーデター勢力であるという立場を取っており、従って同盟構成国で活動する非合法勢力の一員である銀河帝国軍将兵は、『同盟国内法の』犯罪者という扱いになる。銀河帝国から見た自由惑星同盟将兵も同様に叛乱勢力の一員であり、『帝国国内法の』犯罪者という扱いになる。あまり知られていないことではあるが、銀河帝国だけではなく自由惑星同盟においても長らく公的な意味で『捕虜』なる身分は存在せず、従って捕虜の取り扱いを決めた法律も存在しなかった。

 

 それ故に銀河帝国では帰還兵を『思想犯』として辺境の矯正区へぶち込んでいたことは有名であるが、一方の自由惑星同盟もその初期においては捕虜を捕虜に相応しく――具体的にはジュネーブ条約、南極条約、モノケロース条約に定められた基準を満たす待遇――遇していた訳では無い。

 

 今でこそ実質的に国内犯罪者と帝国兵の捕虜は分けて扱われているが、自由惑星同盟における捕虜は当初犯罪者として扱われた。特にコルネリアス一世帝の大親征をきっかけに宇宙暦六七〇年に憲章擁護法が制定され、憲章背信罪――同盟という枠組みに対する背信行為を裁く。建国期の分権主義者を念頭に置かれた規定だが帝国兵への法的制裁に転用された――の適用範囲が大幅に拡張されてからは酷かった。捕虜を含む『反憲章的』犯罪者を取り締まる組織として法秩序委員会憲章擁護局が、憲章擁護法違反者専用の裁判所として同盟最高裁戦時犯罪特別高等裁判所――通称・戦特栽――が置かれた。

 

 そこで為された裁判は極めて恣意的な法運用が為され、さしたる罪状も無く市民感情のままに死刑が下されることも少なくなかった。特に『フォン』の称号を持つ者とそれ以外に対する量刑格差は異常と呼べるほどであり、当時の良識派はその有様を「愛国的共和主義者を自称する者たちも処刑台の上では貴族を優遇するようだ」と揶揄した。あるいは戦特裁判事アドルフ・ケスティングの「『フォン』とは即ち未来の死刑囚の称号である」という言葉も当時の司法の暴走振りを端的に表しているだろう。

 

 不平等な法運用のその必然的な帰結として法廷の場は『共和的思想』を強制する場と成り果てた。すなわち、裁判官と大衆の慈悲を乞うために、祖国と皇帝と上官を悪し様に罵倒し、自由惑星同盟への忠誠を高らかに叫び、さしたる知識もないままに共和主義を肯定する言葉を並べ立てる場へと変貌したのだ。被告人が自分からそれを言うのならばまだしも、裁判官によってそれを強制された例も枚挙に暇がない。

 

「私は共和主義者として、このような不公正の存在を認容する自由惑星同盟という国家に忠誠を誓うことはできない」

 

 そう言い切った銀河帝国宇宙軍所属、クリストフ・ハンセン少佐は裁判官と聴衆の嘲笑に晒され、悪意に満ちた罵倒を一時間ほど受けた後、「憲章を冒涜した」として死刑判決を下された。彼が帝国内反体制組織銀河連邦臨時人民自治評議会(フェデラシオン・コミューン)の幹部であったことは、死刑執行の数日後に最高評議会宛てに銀河連邦臨時人民自治評議会(フェデラシオン・コミューン)からの絶縁状が送りつけられたことで判明した。

 

 宇宙暦六七三年のバードリー対憲章擁護局裁判及びフォン・ハーゼンクレーバー対国防委員会裁判、宇宙暦六七八年のラッセル・アルトドルファー対シャンダルーア星系政府裁判、宇宙暦六八二年のカスナー対同盟裁判を経て宇宙暦六八三年に憲章背信罪の規定が削除され、憲章擁護局と戦特裁が廃止されたとき、冷静さを取り戻した同盟の人々はこの大規模人権侵害を自由惑星同盟史上最も恥ずべき汚点の一つとした。

 

 宇宙暦六八三年以後は、新たに制定された戦争犯罪特別法によって戦時犯罪に関する法整備が進められた。これによって戦争犯罪の主体は「自由惑星同盟軍並びに各星系実力組織を構成する者」「国家転覆の意図を有す武装勢力を構成する者であって国家転覆の主体的故意を認められる者」「国家転覆の意図を有さない武装勢力を構成する者」「国家転覆の意図を有す武装勢力を構成する者であって国家転覆の主体的故意を認められない者」の四種に整理されることになった。この内帝国軍将兵は「国家転覆の意図を有す武装勢力を構成する者であって国家転覆の主体的故意を認められる者」か「国家転覆の意図を有す武装勢力を構成する者であって国家転覆の主体的故意を認められない者」にあたり、その振り分けは同盟最高裁の判例によると「戦争倫理に反す行為を故意に行ったか」「組織を管理すべき立場にあってその管理を全うせず、それによって戦争倫理に反す行為を招いたか」「主体的意思が認められる環境にあったか」の三点を重視するという。(通称、シュペンタール・ルール)

 

 法秩序委員会の審査と同盟最高裁の決定によって国家転覆の主体的故意を認められた帝国軍将兵は戦争犯罪者として裁かれ、基本的に捕虜という扱いは受けない。捕虜交換の対象ともならず、死刑判決が下る可能性も存在する。逆に国家転覆の主体的故意を認められなかった帝国軍将兵は「完全なる自由意志の下に無く、責任能力が限定的である」として免責され、「自由・自主・自律・自尊の精神に基づく自由意志の回復」を目的に各地の「更生施設」に入所させられる。一応、「更生」を終え、同盟戸籍を「回復」し「社会復帰」する道も存在する。その為、事実上は同盟軍が運営する捕虜収容所は、しかし書類上は人的資源委員会の「更生施設」とされている。

 

 ただし、この段階で国防委員会が指定した「国防上極めて重要な価値を有する者」は「更生施設」への入所を許されず、国家転覆の主体的故意を認められた者たちに準ずる扱いを受けることになる。つまり、捕虜交換の対象に入らない。

 

 

 

 

 

 

 ……だから、今回の捕虜交換は極めて特例的であると言える。帝国軍将兵七六〇万人、同盟軍将兵四二〇万人、同盟側はシュペンタール・ルールの適用を受けた者、帝国側は大逆罪の適用を受けた者を除くほぼ全将兵が捕虜交換の対象となった。これまでの捕虜交換と規模が違うのは言うまでもないが、同盟国防委員会や帝国軍務省から「国防上極めて重要な価値を有する者」と指定され、捕虜交換のリストから外されていたはずの者たちも今回は対象に含まれたのだ。

 

「あの男が帰ってこれるとは驚いたな……」

 

 宇宙暦七七九年九月一七日、フェザーン自治領(ラント)地上警備隊第一機動隊――師団規模の戦力を有する――駐屯地で捕虜交換式典は行われた。その最中、壇上で私の隣に座る軍務省高等参事官クルト・フォン・シュタイエルマルク宇宙軍大将は、『あの男』に対する嫌悪感を隠さずにそう呟く。

 

 クルトの視線は捕虜たちの最前列に向けられている。そこには同盟各地の捕虜収容所で自治委員会のトップを務めていた者たちが並んでいる。その中心にいるのは今回帝国軍帰還兵代表を務める元・第一辺境艦隊司令官オトフリート・フォン・ゾンネンフェルス宇宙軍中将だ。彼より高位、あるいは先任の捕虜が居ない訳では無かったが、様々な事情から彼が帰還兵代表を務めることとなった。

 

 そしてその五つ左側の席に座るのが『あの男』こと元・第九装甲擲弾兵師団長アルバート・フォン・オフレッサー地上軍少将である。『ミンチメーカー』と渾名される程勇猛な――というよりは狂気的な――戦いぶりで知られた彼は、宇宙暦七七二年五月七日に同盟軍の虜囚となる。帝国では地上軍の若き英雄、忠勇なる帝国軍将兵の鑑として兵士から尊敬を集め、貴族将校からすら一目置かれていた彼は、しかしその残虐な戦いぶりによって同盟市民の激しい憎悪を買っていた。彼が投降したことが同盟の主要メディアで報道されると、同盟市民は声を揃えて「死刑にしろ!」と叫んだ。しかし同盟最高裁は彼を「国家転覆の意図を有す武装勢力を構成する者であって国家転覆の主体的故意を認められない者」と判示し、戦争犯罪者ではなく一般の捕虜として人的資源委員会に引き渡した。

 

 同盟市民の怒りは凄まじく、その日の内に同盟最高裁と人的資源委員会のホームページが置かれているサーバーがダウンした。非難が殺到したのだ。両組織だけではなく、捕虜行政に携わる国防委員会や統合作戦本部、法秩序委員会にも非難は飛び火し、ついに同盟議会上院で法秩序委員長トリネ・セーレンセンの不信任決議案が提出され、さらに同盟最高裁長官エルキュール・アーケルマンが弾劾裁判にかけられる寸前にまで至った。

 

「憲章擁護局と戦特栽の暴走の反動で、シュペンタール・ルールの適用は帝国軍捕虜の人権を保障する方向性で運用されている。オフレッサー少将がシュペンタール・ルールに照らして戦争犯罪者に当たることはほぼ間違いないだろう。……だが『ほぼ』だ。市街戦で毒ガスを使用したり、捕虜同士で殺し合いをさせたり、死体を繋ぎ合わせて晒したりしたことは『ほぼ』間違いないが証拠がない。だから同盟最高裁はオフレッサー少将を一般の捕虜として扱うしかなかった」

「『疑わしきは被告人の利益に』だね。なら仕方ないか」

 

 クルトはあっさりとそう言った。私は何とも言えない顔でクルトを見つめていただろう。クルトは理念と現実が衝突した時にあっさりと理念を優先する所がある。アルバート・フォン・オフレッサーという外道を同盟最高裁が裁けなかったことをあっさり「仕方ない」というあたり、やはりどこかズレている気がしないでもない。

 

「それだけじゃないさ。どういう訳かルーゲンドルフ老や貴官の従伯父(いとこおじ)コルネリアス老がオフレッサーの救命に動いた。圧力をかけられた軍務省は捕虜に対する報復まで匂わせてオフレッサーを守った」

 

 私とクルトの会話を聞いていたのだろう。バッセンハイム上級大将が訝しむような声でそう言った。

 

 退役元帥ファビアン・フォン・ルーゲンドルフ公爵は地上軍の宿老だ。宇宙軍はフィラッハ公爵家やケッテラー公爵家、ツィーテン侯爵家等の没落によってライヘンバッハ伯爵家を始めとするいくつかの帯剣貴族家が対等な勢力を有しているが、地上軍においては建国期から勢力を保ち続けているルーゲンドルフ公爵家が頭一つ分抜けている。その権勢はすさまじく「一度や二度政争に敗れた程度で揺らぐ地位ではない」とまで言われている。実際、国家・貴族社会・帝国軍という枠組みではなく地上軍という枠組みに限って見れば、ルーゲンドルフは最早対等なプレイヤーでは無い。何があっても……それこそ国ごと引っ繰り返すような化け物が出てこない限り揺らぐことの無い地盤を有している。アルトドルファー侯爵家、リブニッツ侯爵家、ゾンネンフェルス伯爵家、ライヘンバッハ伯爵家、クルムバッハ伯爵家といった地上軍に勢力を持つ家々もルーゲンドルフ家に挑戦することは無い。

 

 そして私の従伯父(いとこおじ)で退役上級大将のコルネリアス・フォン・ライヘンバッハ子爵は分家のカルウィナー=ライヘンバッハ家を継承し、現在ライヘンバッハ一門の分家を取りまとめている人物である。ルーゲンドルフ公爵と同じく、地上軍の長老にあたる。既に表舞台からは去っているが、ライヘンバッハ派に絶大な影響力を持つ。……若造の私は神輿であり、事実上はコルネリアス老やその息子のカール・ベルトルト、グリーセンベック、シュティール、アイゼナッハといった父の腹心による集団指導体制が築かれているからだ。

 

「ルーゲンドルフ老が奴を気に入っていたのは知ってる。だとしても男爵家の次男程度、一々気に掛けるような方じゃないだろうに……」

「オフレッサー少将が地上軍の汚れ仕事を担ってきたという話、いよいよ本当かもしれませんね」

「……なるほどな。オフレッサーを同盟に調べられると地上軍の長老方が困るって訳か」

『自由惑星同盟軍捕虜交換船団副代表、シドニー・シトレ宇宙軍中将』

 

 私たちがオフレッサー少将について話し合っている間に、自由惑星同盟宇宙軍捕虜交換船団代表クリフォード・ビロライネン宇宙軍大将のスピーチが終わり、副代表のシドニー・シトレ宇宙軍中将の名前が呼ばれる。シトレ中将の次はバッセンハイム宇宙軍上級大将、そして私がスピーチを行う。余談だが、政府使節団よって明日行われる自然交戦規範遵守宣言式では帝国側代表ヨッフェン・フォン・レムシャイド伯爵、副代表リヒャルト・フォン・ノイエ・バイエルン伯爵が先にスピーチを行い、同盟側代表エドワード・ヤングブラッド上院議員、副代表ロイヤル・サンフォード下院議員がその後にスピーチを行うことになっている。

 

「自由惑星同盟宇宙軍、そして銀河帝国宇宙軍の将兵の皆さん。お初にお目にかかります。今回の捕虜交換に際し、船団副代表を申し付けられました。自由惑星同盟宇宙軍中将シドニー・シトレと申します」

「噂には聞いていたが、これまた随分と黒いな」

 

 私の横でバッセンハイム上級大将が呟く。オフレッサー少将に比肩しうる長身、地上軍人を名乗っても通じるであろう鍛え上げられた屈強な肉体、そして浅黒く光る肌を併せ持つシドニー・シトレ宇宙軍中将は先の第二次エルザス=ロートリンゲン戦役でラザール・ロボス宇宙軍中将と共に卓越した手腕を示した提督だ。イゼルローン要塞の完成によって終戦の期待が高まっていた当時の自由惑星同盟ではロボスら数名と共に「最後の英雄たち(ラスト・ヒーローズ)」と呼ばれていた。

 

「ですが紛うことも無き名将です」

「分かっている。劣等人種でありながらミュッケンベルガーを苦しませた男だ。この俺でさえ第二次フォルゲン星域会戦では奴の部隊には手を焼かされた。軍人を五〇年もやってくれば分かることがある。人種としての優越性は個人としての優越性を担保しないということだ。昨今の堕落した貴族軍人や口だけは一人前の平民軍人に比べれば、あの黒いのの方が何百倍も優れた提督だよ」

「……」

 

 オスカー・フォン・バッセンハイム宇宙軍上級大将は今年六八歳、上級大将の定年六〇歳を過ぎてもなお前線に立ち続けている。彼のように軍の長老と呼ばれるような人物は平民や劣等人種への差別意識が強いと思われがちであるが、必ずしもそうとは限らない。バッセンハイム上級大将のように長年前線に勤務していた者たちは平民や劣等人種の能力を認めることにさしたる抵抗を感じないらしい。尤も、当然個人差はあるが。

 

 強烈な自信家であるバッセンハイム上級大将の場合は自分を苦戦させた劣等人種や自分が評価するに足る平民が蔑視されることは、自分が馬鹿にされているように感じるらしい。

 

「自由惑星同盟軍の帰還兵の皆さん。長きにわたる収容所生活、お疲れさまでした。皆さんは市民の自由と諸権利の為にその身を捧げられました。皆さんの高潔な選択は、自由惑星同盟にイゼルローン回廊への要塞建設を成し遂げさせました。この要塞は戦いの為の要塞ではありません。不幸にも道を違えることとなった我々とそしてオリオン腕の同胞たちが、共に戦乱という名の暗いトンネルから抜け出すための光明なのです。争いの日々は今、終わりを告げようとしています。明日にはここフェザーンの迎賓館『フォルティーナ』において政府の代表が交戦法規の順守を宣言します。自由惑星同盟と銀河帝国の過去は両国民の血と涙で綴られてきました。私は明日の宣言式が血と涙に代わり、インクと汗が歴史書を綴る日々に繋がると信じています」

 

 シドニー・シトレ宇宙軍中将は深みを感じさせるバリトンボイスで穏やかに、しかし力強い口調で語り掛ける。前のビロライネン宇宙軍大将に比べてより直接的に講和・終戦への期待を口にしている。ビロライネン宇宙軍大将に比べて官僚的な匂いが殆どしない。

 

「……そして、皆さん。そんな輝かしい未来を実現させたのは皆さんの献身的な戦いぶりです。私は先の戦役の功績で、『最後の英雄たち(ラスト・ヒーローズ)』などと呼ばれておりますが、それは違う。『最後の英雄たち(ラスト・ヒーローズ)』、それは私などでは無く、自由と平等と平和の為に身を捧げ、そして遠く異郷の地で虜囚として苦難の日々を送ってきた皆さんです。皆さんこそがこの悲劇の歴史の最後に、その名を最も燦爛と刻まれるべき英雄なのです。同盟は英雄たちの自由と諸権利の回復に、全力を尽くすでしょう」

 

 シトレ宇宙軍中将は最後に帰還兵たちに微笑みかける。そして帝国軍帰還兵の方を向き直り、再び話し出す。

 

「銀河帝国軍の帰還兵の皆さん。皆さんも長きにわたる更生施設での生活、お疲れ様でした。人的資源委員会も同盟軍も皆さんが快適な生活を送れるように最大限配慮してきました。しかし、慣れぬ異国の地での生活、さぞかし大変だったでしょう。……ところで皆さん、皆さんは私の姿を見てどう思われますか?」

 

 シトレ宇宙軍中将の突然の問いに帝国軍帰還兵の顔に困惑が浮かぶ。

 

「私は同じ質問を、先の戦役時に現地の帝国民や捕虜の帝国兵士に行いました。『人類種の遺伝子を衰退させる劣等人種、存在自体が人類に対する罪、肌の色はその魂の汚れを表している……』などとまあ、散々な言われようでした」

 

 シトレ宇宙軍中将は苦笑を浮かべながらそう言った。最前列に座る帰還兵の一部が気まずそうな顔を浮かる。

 

「皆さん、今、私は皆さんに同じ質問を行いたい。皆さんは黒人を、黄色人種を、女性を、身体障害者を、性的少数者を、一体どう思われますか?……恐らく、先の戦役時に私を罵倒した民衆や兵士と同じ答えを返す方も居るでしょう。しかし、私は信じています。長きにわたる捕虜生活、生の自由惑星同盟、多人種・多思想の共存する国の実情に触れ、我々を理解してくれた人々が居ることを。……それはかつての銀河帝国では認められることの無い変容でした。叛徒の思想に触れ、洗脳されたと見做された捕虜は祖国において再び収容所へ送られました。しかし、これからの銀河帝国ではそうではない、と。私は希望を持っています。相互理解。それこそが我々にずっと必要な事だったのです。我々は一五〇年の時を経て、ついにその事を理解しました。だから私は、そして皆さんはここに居るのです」

 

 シトレ宇宙軍中将の語る言葉を聞く帝国軍の帰還兵たちの顔には困惑が浮かんでいる。中には明確に反発の色を浮かべる者たちも居るが、それは比較的捕虜として暮らした期間が短い者たちだろう。他の者たちは反応に困っているような様子だ。捕虜交換の式典で同盟軍人がここまで長々と、直接的に帝国軍人に語り掛けたのは初めてだ。ビロライネン宇宙軍大将のスピーチも帝国軍帰還兵への言及は少なかった。

 

「……私には夢があります。銃弾と札束では無く、誠意と愛情を以って両国の人々が交流するという夢です」

 

 銃弾が指すのは同盟軍と帝国軍による戦争だろう。札束が指すのはフェザーンにおける商取引だろう。戦争と商売、自由惑星同盟と銀河帝国を繋ぐ線は長らくこの二つしかなかった。

 

「私には夢があります。この銀河の全ての人々が再び、自明の真実として人々が同胞であると語れる日が来るという夢です」

 

 銀河連邦崩壊後の長きにわたる分裂は人々のアイデンティティに深刻な打撃を与えている。『人類』という定義そのものの価値が下落し、個人主義と国家主義の二極化が進んでいる。

 

「私には夢があります。この先の未来に生を受ける我らの新たな同胞たちが、親や本人の肌の色、門地、言語、文化、思想信条等に関わらず、全ての同胞から祝福を受ける日が来るという夢です」

 

 シトレ宇宙軍中将は揺るぎない口調で自身の『夢』を語る。私の横でバッセンハイム上級大将が「まさしく夢だな」と吐き捨てるように言った。

 

「皆さんが私の『夢』に理解を示して下さるのであれば、これに勝る喜びはありません。私はこの記念すべき場所に集った皆さんと共に、輝かしい未来を作り出せることを信じています」

 

 シドニー・シトレ宇宙軍中将のスピーチが終わり、バッセンハイム上級大将の名前が呼ばれる。元々、バッセンハイム上級大将は今回の捕虜交換にそんなにやる気を持っていない。バッセンハイム上級大将が捕虜交換船団の代表に選ばれたのは、軍部人事の都合である。言ってしまえば、元帥昇進の為の大義名分を用意する為の箔付け人事なのだ。

 

 現在、帝国軍三長官はルートヴィヒ皇太子が兼任しているが、この状態は非常措置であり、どこかで是正する必要がある。軍務尚書には地上軍総監エルンスト・フォン・ルーゲンドルフ地上軍元帥、統帥本部総長には統帥本部次長ゲルトラウト・フォン・ファルケンホルン宇宙軍上級大将、そして宇宙艦隊司令長官は宇宙艦隊副司令長官オスカー・フォン・バッセンハイム宇宙軍上級大将の就任がそれぞれ内定していたが、ルーゲンドルフ元帥を除く二人は上級大将であり、元帥に昇進しないと三長官への就任資格は無い。また、ルーゲンドルフ元帥にしても地上軍出身の軍務尚書は史上三人目であり、自身が軍務尚書に相応しい力量を有していることを証明しないといけない。

 

 結果として、ルーゲンドルフ元帥は軍務尚書就任に先立ってニーダザクセン鎮定使、ファルケンホルン上級大将はエルザス=ロートリンゲン特別軍政区司令官、バッセンハイム上級大将は捕虜交換船団代表にそれぞれ任命され、帝国軍三長官の重責に相応しい能力があるか見定められることとなった。とはいえ、どのポジションも重要ではあるが彼らの能力であれば無難に務められるはずであり、実質的には箔付け人事といって良かった。

 

「……私から言うことは以上だ。諸卿らに祖国帰還を赦した皇帝陛下の御慈悲に感謝し、一層その御為に忠誠を尽くせ」

 

 バッセンハイム上級大将のスピーチは極めて平凡な内容であった。同盟兵士たちには『臣民の分際』を弁えるように言い、帝国兵士には皇帝陛下への感謝と忠誠を新たにするように言う。尤も、バッセンハイム上級大将のスピーチが型通りの無難な代物であることは必ずしも悪い訳では無い。

 

 帝国において帰還兵が称賛を受けるか、罵倒を受けるかは権力者の気分で変わる。政略的に、捕虜の帰還を肯定的に捉える方がメリットが大きければ、帰還兵たちは「祖国の為に尽くした勇者」として様々な栄誉を与えられる。一方で帰還兵を持ち上げるメリットがさして存在しなければ、「生き恥を晒すな」「死んで詫びろ」「臆病者」などと辛辣極まる罵倒を食らうことになる。帰還兵たちがどういう扱いを受けるか、その評価に大きな影響を与えるのがこの式典の場における帝国軍代表と帰還兵代表のスピーチだ。帰還兵を受け取りにきた帝国軍代表が帰還兵をボロクソに貶したら、その時点で帝国軍における帰還兵の未来は閉ざされたものと考えて良い。帰還兵代表が何らかの失言をやらかせば、連帯責任でその時の帰還兵の未来は閉ざされたものと考えて良い。

 

 余談ではあるが大物貴族が捕虜交換で帰還することが決まれば、その実家は政財界や社交界、メディア関係者に大金をばら撒く。その貴族が「名誉ある降伏」を行った勇者であり、決して命を惜しんだ卑怯者ではないということにする為だ。この根回しが功を奏せば帰還した貴族はこれでもかという程の美辞麗句を以って賞賛され、功を奏さなければ不名誉な降伏を行ったばかりかその事実を金で隠蔽しようとした貴族の恥として末代まで笑いものにされる。その貴族の下で戦った兵士たちの評価もその貴族の評価と連動している為、貴族家同士の対立に起因する陰謀によって根回しが上手く行かなければ、その貴族は数〇万から下手したら数〇〇万の部下と共に卑怯者のレッテルを貼られることになる。

 

(つまり私がこの場に居る七六〇万名の帝国軍将兵の運命を決める訳だ)

 

 帝国軍帰還兵たちの顔には安堵の色がある。典型的かつ強面の帯剣貴族であるバッセンハイム上級大将は帰還兵たちから自分たちに不利なスピーチをするのではないかと恐れられていた。そのバッセンハイムを乗り越えたことで、ひとまず安心したのだろう。

 

『帝国軍捕虜交換船団副代表、アルベルト・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍大将』

「行ってくるよ」

「頑張って」

 

 私はクルトと言葉を交わし、演壇に立つ。

 

「帝国軍将兵諸君。同盟軍将兵諸君。お初にお目にかかる。私が捕虜交換船団副代表を務めるアルベルト・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍大将だ」

 

 私は威厳を持って、しかし軽く口角を持ち上げ、笑みを浮かべながら話し始める。帝国帰還兵たちは不安を隠しきれていない。私の言葉次第で、彼らの立場はさらに悪くなるのだから。

 

「先ほど、サジタリウス腕のシドニー・シトレ副代表は帰還兵諸君を英雄と呼んだ。私もその言に大いに賛成したい。諸君はそれぞれの祖国の為に勇敢に戦った英雄である。我等前線に身を置く誇り高き帝国軍人にとってそれは自明の真実で疑いようもない事である」

 

 私はそこで大袈裟に溜息をついて見せた。そして軽く首を振り、さも残念そうに再び口を開く。

 

「私の祖国では残念ながら、虜囚となることを恥と考える文化が存在する。このような誤った文化の存在は大いに嘆かわしい事だ。諸君は称賛されこそすれ、非難される道理など存在しないのだから」

 

 私は少しずつ声に力を込めていき、最後は静かに、しかしハッキリと断言する。帰還兵たちの間でざわめきが広がった。政略や宣伝工作次第では英雄として迎え入れられる帰還兵たちだが、それでも基本的に世間の風当たりは強い。帝国正規軍でも虜囚となること自体は罪では無いが、降伏は原則として認められていない。平たく言えば「降伏を選ぶことが抗戦を続ける時よりも皇帝陛下と祖国の名誉となる場合」だけ自主的な降伏が許される。にもかかわらず帯剣貴族でも五本の指に入る大物――ということになってはいるが、一門の存在が無ければ影響力は発揮できない――私が、虜囚に対しここまで肯定的な事を言うのは普通は考えられない。

 

「安全な場所で、金と命と謀を弄ぶ者たちは言う。『虜囚となったのは貴様らの無能が原因だ』と。リヒャルト・フォン・グローテヴォールの無念を想い、私は彼と諸君らに代わって叫ぼう。『責任を果たさぬ者たちが、負わなくても良い責任までもを負わされた者たちに何を言うか!』と」

 

 今回の帰還兵たちにとって、ドラゴニアの勇将リヒャルト・フォン・グローテヴォールの名は重い。勿論全員では無いが、捕虜の中で最も多いのはドラゴニア戦役の大敗によってサジタリウス腕側に取り残された者たちだ。

 

「私はライヘンバッハの名を背負い断言する。リヒャルト・フォン・グローテヴォールと彼に従った者たちは皆良く戦った。あの戦いで死んだ者たちは皆望んで死んだわけではない。背信者たちの蠢動の犠牲となった被害者だ。そして諸君は生存者だ。諸君の生還を喜ばない理由がどこにあるだろうか!?陛下を除き宮中に諸君を批判する資格のある者は一人も居ない!」

 

 「背信者」という言葉が指すのは一応はドラゴニア特別派遣艦隊を敗走へと追い込んだシェーンコップ地上軍准将だ。だが、この場に居る人間たちにはこの言葉が「金と命と謀を弄ぶ者」に向けられていることが一目瞭然だろう。

 

「安全な場所で、金と命と謀を弄ぶ者たちは言う。『貴様らは命を惜しんで皇帝陛下を裏切った』と。ヴァルター・コーゼルの屈辱を想い、私は彼と諸君らに代わって言う。『臣民の無為な死を皇帝陛下が喜ばれるとお思いか!』と」

 

 第二次ティアマト会戦で虜囚となった者たちも多い。宇宙軍主体で行われたこの戦いの大敗はアッシュビーによる包囲網の完成もあり、多くの虜囚を生んだ。

 

「皇帝陛下は全人類の支配者であり、全宇宙の統治者である。偉大な皇帝陛下の英知によって生かされている我等、一たび陛下が『死ね』と命ずれば、命を惜しむことは無い!」

 

 私は拳を握りながら勢いよく叫んだ。捕虜たちの一部から「そうだ!」というような同意の声が挙がる。そんな捕虜たちの反応を確かめつつ私は意識して間を開け、声色を落ち着いたモノへと変化させて、続きを話し出す。

 

「だが陛下がいつ我等に、そして諸君等に『死ね』と命じたのか?陛下の為に死を選ぶこと、それこそが臣下の道という言にもなるほど一理はある。しかし陛下が望んでもいない時に、望んでもいない所で、一方的にその命を陛下に捧げ奉ることは果たして正しき臣下の振る舞いなのか?それが臣下の忠誠を証明するのか?陛下の御為になるのか?……私はそうは思わない」

 

 ゆっくりと首を振る。

 

「私は告発する!皇軍将兵の命を、あろうことか陛下の名を騙り私事の為に浪費している者たちが居たことを!その者たちこそ、諸君に死を命じた者たちである。その者たちこそ、諸君の良き上官に、良き同輩に、良き家族に死を命じた者たちである。『もう沢山だ!』そうだろう?奴ら奸臣に捧げる命など、我等は持ち合わせてはいないのだから」

 

 私は突如として声を荒げる。感情を露わにさせながら、帰還兵の本心を抑圧する分厚く固い壁に打撃を与えていく。決して皇帝批判はしない。奸臣を名指しもしない。帰還兵たちが漠然と感じる後方への不満は、抽象的な扇動の方が発火しやすい。敵を具体化しすぎると裏目に出ることもある。例えばリューデリッツやエーレンベルクを支持する者も居るだろう、ブラウンシュヴァイクを恐れる、あるいは恩を感じている者も居るだろう。全ての兵士がブラッケやリヒターに好意的とも限らない。『敵』という枠組みを憎むことを赦し、そこに誰を落とし入れるかは兵士たちの判断に任せるのだ。

 

「金と命と謀を弄ぶ者たちは、諸君を『卑怯者』と罵るだろう。知ったことか!諸君には我等がついている。諸君の名誉と忠勇は、その価値と意味を知る軍人である我々が保障する。……諸君、大いに胸を張れ!陛下の御為に!全てを捧げる為に!我々は帰ってきたぞ!と」

 

 私は最後にそう言ってスピーチを締めくくる。帝国兵たちは歓声を挙げ拍手をするが、同盟兵たちは当たり前の如く、微妙な反応である。しかし、私の今までの伝統から外れたスピーチはそれなりに興味深かったようで、好奇の視線が向けられていることを感じた。

 

「……本心だとしたらば、貴官には『よく言った』という所だ」

「良い演技だったよ。練習に徹夜で付き合った甲斐があるね」

 

 バッセンハイム上級大将は憮然とした面持ちでそう言い、クルトはそんなバッセンハイムを気にせず抜け抜けとそんなことを言う。

 

「勿論本心ですし、演技などではありません」

 

 私はクルトを軽く睨みながらそう言って席に座る。七七九年の捕虜交換で帰還した者たちから、多くの革命派将校が誕生したことは広く知られている。彼らをその立場へと追いやる、その最初の一押しが私の演説だった……という評価が巷では為されているようだが、それは結果論という物であろう。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。

 

 

 

 

 

 

 



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壮年期・降伏禁止規定の功罪(宇宙暦779年9月17日~宇宙暦779年10月2日)

 同日二〇時、私は自治領主府主催の夜会に参加していた。フェザーン政財界関係者の他に同盟軍・帝国軍双方の捕虜交換船団幹部と、帰還兵の自治委員会委員長らが出席している。政府関係者は敢えて出席していない。あくまで捕虜交換は軍同士の接触という扱いなのだ。私も当然に出席したが、帝国側代表のバッセンハイム上級大将はこうした夜会を苦手とするタイプの猪武者である。私もこういう場を好んでいる訳では無かったが、あからさまに不愛想で不機嫌な上司に代わってフェザーンの有力者や同盟・帝国双方の軍人ににこやかに対応する羽目になった。

 

「いやはや、見事なスピーチでしたね。ライヘンバッハ大将閣下」

 

 帝国軍帰還兵代表、オトフリート・フォン・ゾンネンフェルス宇宙軍中将は少なくとも表面上は友好的な笑みを浮かべながら私に接してきた。しかしながらゾンネンフェルス宇宙軍中将は軍部改革派の領袖エーヴァルト・フォン・ゾンネンフェルス宇宙軍退役元帥の次男であり、クーデター派に近かった人物だ。私とは対立する勢力の一員だった。とはいえ、ゾンネンフェルス家は軍部改革派を標榜するだけあり、かつてシュタイエルマルク退役元帥らと共に様々な軍部の悪弊の打破に取り組んでいた。

 

「我々が軍の主流を掌握する間、帰還兵を蔑視する文化の改善は成し遂げることが出来なかったことの一つです。公正ではありますが保守的な価値観の持ち主であったリューデリッツ元帥閣下があくまで降伏に否定的な姿勢を取っていたこともその一因ではありますが、結局のところ我々には勇気が足りなかった。『生きて虜囚の辱めを受けず、死して皇室への忠義を示すべし』帝国軍で絶対的な正義とされていた心構えです。これに疑問を投げかければ、すぐさま『非国民め!』と吊るしあげられる。大英雄たるシュタイエルマルク元帥閣下ですら、降伏を良しとする姿勢は激しい批判を受けました」

「嘆かわしい事です」

 

 私は言葉少なに応じる。

 

「誰もが降伏禁止規定を不合理な規定だと考えていました。だけど誰も口にすることはできなかった。閣下はそれを口にした、それだけでも称賛に値します。……ですが、実際の所、政府は閣下のスピーチを認めるでしょうか?閣下の見解を黙殺して、帰還兵にはこれまでと変わらぬ冷遇を続けるのではないでしょうか?」

 

 ゾンネンフェルス中将は不安気な表情である。軍上層部の力関係を知るゾンネンフェルス中将は「ライヘンバッハ」という名前だけでは安心できないのだろう。ライヘンバッハ派の領袖とは言いながらも、実権を握るのは長老衆である。彼らが認めなければ私の影響力は発揮されない。

 

「そこは安心してください。……言いたくても言えない状況にあったのは貴官ら改革派だけでは無いのですよ」

 

 私は苦笑を浮かべながら答えた。ゾンネンフェルス中将はまだ不安そうであるが、ひとまず今は納得することにしたらしい。ふとゾンネンフェルス中将が視線をどこかへ向ける。どこを見ているのかと私もゾンネンフェルス中将の見ている方向を見る。

 

「……サジタリウス腕での暮らしは満たされたモノではありませんでした。しかし、得る物も多かった。我々が戦っていた相手。それは私たちと何ら変わりのない人間でした。そんな当然のことを私はサジタリウス腕に行くまで気付くことが出来なかった」

 

 ゾンネンフェルス中将はシトレ中将の方を見る。シトレ中将はクルトと話し込んでいる。

 

「閣下はシトレ宇宙軍中将のスピーチをどう思いましたか?……私は……彼と同じ夢を見たい、と思いました」

「……随分と思い切った発言ですね」

「実はね、閣下。私は捕虜になってすぐの頃、精神を少し病んだんですよ」

 

 ゾンネンフェルス中将は恥ずかしそうにそう言った。私は驚いた。精神を病んだことにではない。捕虜が精神を病むことは珍しくない。ゾンネンフェルス中将がそれを隠そうとせず、自分から私に言ってきたことに驚いたのだ。言うまでも無いが、帝国において精神病患者は先天的・後天的の別も、程度の別も無く蔑視の対象である。ゾンネンフェルス中将はこれから軍部へ復帰を試みるはずだ。精神を病んだという事実はゾンネンフェルス中将の復帰をかなり難しくするだろう。

 

「クリストフ……失礼、ケルトリング大将はやや視野が狭い所もありましたが、その分情に厚く、家族や部下、友人を大切にする男でした。……私は彼を見捨てられなかった。だが助けることも出来なかった。ただ判断に迷い、無為に将兵を死なせた。そして……自決することすら出来なかった。自分がここまで無能な卑怯者だとは思いませんでした」

「ご自分を卑下なさらない方が良いでしょう。ケルトリング大将の戦死は貴方の責任では無いですし、降伏を恥とする考えは『軍務省にとって涙すべき四〇分』を初めとする数度の敗戦で多くの指揮官を無駄死させてきた誤った考えです。貴官ら改革派もそう考えていたはずです」

 

 私は思わずゾンネンフェルス中将を励ます。ゾンネンフェルス中将は頷き、続ける。

 

「サジタリウス腕の更生施設で自暴自棄になった私を助けてくれた人も同じような事を言っていました。……その人は東洋系の女性でした。随分と失礼な事も言ってしまいましたが、彼女は献身的に私を支えてくれました。彼女を始め、シャトー=サランの人々は皆素晴らしい人格者だった」

「シャトー=サラン……」

「ええ、悪名高き洗脳収容所ですよ。でもそんなのは嘘っぱちです。単に帝国にとって都合が悪いからそういうレッテルを貼られているだけですよ」

 

 ゾンネンフェルス中将はやや憤りを滲ませてそう言った。

 

 ゾンネンフェルス中将が収容されたシャトー=サラン捕虜収容所は精神を病んだ捕虜を治療を通じて共和思想に親和的な人物に教化する手法を採っている。かつて各地の収容所で行われていた強制的な共和思想の教育はカスナー対同盟裁判の結果、人権侵害として違憲判決が出された。

 

 その為自由惑星同盟の捕虜収容所――更生施設――では、憲章違反の指摘を受けないように捕虜の価値観を自然に変化させる様々なアプローチを取っている。例えばセントクレア捕虜収容所では様々な制限を付けた上で捕虜を一般の街で暮らさせるという手法を導入しており、一定の成果を挙げている。問題のシャトー=サランは精神的な不調に付け込む形で特定の思想を植え付けるやり方が思想・信条の自由を保障する同盟憲章第一一条違反ではないかと長年に渡り問題になっており、下級審・星系審レベルでは違憲判決も出ていたが、同盟最高裁は七二一年のチェ対人的資源委員会裁判で合憲と判示した。

 

「私はシトレ中将の理想を支持したい。閣下も本当はそうなのでは無いですか?」

「……皇帝陛下次第ですね。陛下が平和を望まれれば、その実現に臣下として全力を尽くしますよ」

 

 軍務省によると毎回の捕虜交換で帰還兵の五三%前後が矯正区に送られる。その六割は半年以内に社会復帰が許されるそうだ。一方シャトー=サラン捕虜収容所出身者は八七%が祖国帰還後矯正区送りにされており、半年以内に社会復帰を許される者は一割を切るという。この結果を見るにゾンネンフェルス中将が共和主義者に『仕立て上げられて』送還されてきた可能性は低くないだろう。ゾンネンフェルス中将が帝国帰還兵代表に選ばれたのは同盟側の推薦によるところが大きいとも聞いている。……シャトー=サランでの生活はゾンネンフェルス中将にとって本当に幸福な事だったのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

「自由意志を尊ぶ国に自由意志を奪われる。哀れなものだと思いませんか?閣下」

「……ゾンネンフェルス中将の事ですか?」

 

 ゾンネンフェルス中将が立ち去った後、暫くして私に近づいてきた男は開口一番そう言った。収容所自治委員会連合会書記を務めていたユリウス・ファルケンハイン地上軍中将だ。ドラゴニア戦役時、惑星ソンヌの防衛を担当し、同盟軍に多大な出血を強いたが、回廊戦役終結と同時に武装を解除し、同盟軍に部隊ごと投降した。ちなみに今は平民階級にあるが、五〇年前までファルケンハイン家は子爵位を有していた。所謂没落貴族である。

 

「別に彼に限った話ではありません。シドニー・シトレにせよ、クリフォード・ビロライネンにせよ、フレデリック・ジャスパーにせよ、我らが祖国に盾突くその意思は、本当に自由に選択されたものなのでしょうかね」

 

 ファルケンハイン中将は面白くもなさそうにそう言う。

 

「小官はこう思うのですよ、閣下。自由などと言うモノは幻想に過ぎないと。人はあらゆるものから自由にはなれない。自由意志なんてものは存在しない。我々が今有する意思、それは本当に自分だけのモノだと断言できますか?」

「自由意志への懐疑、ですか。……人類は長い歴史の中で常に自由意志への懐疑を抱いてきました」

「そんな難しい話では無いですよ。例えばシトレ中将は劣等人種の解放を願っている様子ですがね、彼が白人の……そうですね、ブラウンシュヴァイク公爵家に生まれていたとしましょう。果たして同じ思想を抱きますかね?教育、血縁、文化……様々なしがらみが個人の人格を作り出していきます、それは自由と言えるのですか?サジタリウス叛乱軍の皇帝陛下に対する憎悪、それは本当に彼ら自身が抱いた憎悪なのですかね?小官にはそう思えない。サジタリウス腕の奴らは帝国の奴隷であることを止め、『共和主義』あるいは『自由』の奴隷になることを選んだ、それが実際の所ではないかと思いますよ」

 

 ファルケンハイン中将は皮肉気に語る。

 

「……どうせ誰かに隷属して生きるしか無いのであれば、小官はその事を自覚していたい。隷属している自覚も無い者たちこそが、本当に哀れな存在です。小官は皇帝陛下に全てを捧げると決めている。そんな小官を、『自由』やら『平等』に全てを捧げると決めている者たちが嗤うのです。滑稽でなりませんな。我々は本質的な所で何も変わらない」

 

 ファルケンハイン中将はそこで「つまらない話をしました、失礼いたします」と言い私から離れていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ユリウスの奴はあれで昔はサジタリウス叛乱軍に期待していたんだろうよ」

 

 「ミンチメーカー」アルバート・フォン・オフレッサー地上軍少将はファルケンハインを見ながらそう言った。

 

「古い付き合いだ。俺の目は誤魔化せねぇよ。あいつは中々難儀な性格をしていてな。表向きは皇帝陛下の事を盲信しているようで、その実色々な事に気づいている。『眼』が良すぎるんだな。本人は皇帝陛下や祖国、伝統に盲従していたい。ただキレすぎてそういうのの負の側面って奴が見えすぎるんだ」

 

 オフレッサーは馬鹿にするような哀れむような、あるいは羨むようなよく分からない口調でそう評する。

 

「ただなぁ……やっぱり賢すぎるんだ。アンタみたいな無欲な馬鹿にはなれねぇ。保身も考えてしまうし……他の主義主張、制度、思想の問題点が見えちまうからそういうのも信じられねぇんだ。体制に盲従することも、反体制を狂信することも出来ない、賢すぎるのも考えもんだな」

「……初対面でアンタ呼ばわりか。見た目に似合わず礼は尽くす男だと聞いていたが」

 

 私の言葉にオフレッサーは困ったように笑う。

 

「アンタが礼を尽くすことを望むならそれでも良いが……むしろそれで良いのか?」

 

 その言葉に目の前の男、身長およそ二メートル、頬には大きな傷跡、危険な色を秘めた眼、筋肉モリモリマッチョマンの変態が慇懃に接してくる様子を想像する。随分と辟易しそうだ。

 

「俺も出来れば楽をしたい。アンタの事はシュトローゼマンから聞いてる。アンタに気に入られたかったらざっくばらんに腹を割った方が良いと助言されたんでね」

「シュトローゼマン先輩を知っているのか!?」

「辺境勤務時代に面識があってな。しかも捕虜になった時期が近かった。境遇も似ている。俺もシュトローゼマンも領地貴族、それも門閥と全く縁がない辺境貴族だ。官僚や軍人になっても出自で冷遇される、しかも門閥の援助も受けられない」

 

 第二次ティアマト会戦以前、軍部で栄達できるのは皆名門と呼ばれる帯剣貴族家だけであり、それ以外の出自は徹底して冷遇された。にも関わらず、その頃から軍人の道を選ぶ領地貴族や官僚貴族が居なかった訳ではない。その大半は、食い扶持に困った辺境の下級領地貴族か都市部の下級官僚貴族である。オフレッサー男爵家やシュトローゼマン男爵家のような辺境に領土を持つ小貴族は貴族社会の主流からは離れており、門閥とのつながりも無い。門閥側に彼らを派閥に組み込むメリットが無く、小貴族側もメリットはあるが派閥入りによって生じる負担を背負いきれない為だ。

 

「俺は皆が嫌がるような汚れ仕事を率先して引き受けた、積み上げた信用で何とか装甲擲弾兵科への転科試験までこぎつけた。不器用な俺だが体格には恵まれている。装甲擲弾兵は決戦兵力、他の兵科より弓矢働きの力がモノを言う。……リブニッツの旦那を戦場で助けたのが俺の幸運だった。頭が筋肉で出来てる旦那の価値基準は分かりやすい、『強い=偉い』だ。チャンスを活かすために手段は選ばなかった。多くは語らんが、地上軍首脳部の暗部として欠かせぬ存在となった俺は二〇台で将軍と呼ばれる身分に登り詰めた」

「そしてドラゴニア戦役で虜囚となった」

「……少し読み違えた。リスクを負いすぎた。ペースは遅くなるが、あのまま中央地域に居ても出世は出来たはずだ」

 

 オフレッサーは顔を顰めながらそう言う。

 

「このまま帝国に戻っても俺の立場は悪い。地上軍の長老たちは捕虜となった俺を助けた。それは俺が握っている情報の流出を恐れてだ。だがだからこそ、帰還した俺をもう長老たちは使わないだろう。いくら便利だからといって、一つの道具に頼り過ぎるのは良くないと気づいたからだ。……最悪、消される可能性すら、ある。長老たちが俺を助けた事を気づいている奴は気づいている、それに気づいていれば俺が長老たちの弱みを握っていることは容易に想像がつく」

「……それを私に言ってどうする?」

「アンタの道具になりたい。使ってくれ」

 

 オフレッサーは私の目を見据えて端的に言った。誠実さと必死さを伝えるその目の奥には、しかしながら暗い野心の炎があることが見て取れる。

 

「知人友人たち曰く、私は変わり者らしい。生憎、私は人を道具として使うという発想を持ち合わせていなくてね」

「……アンタが俺の事を嫌っているのは分からなくもない。俺がアンタの立場で、俺のような残虐な男を好きになる理由は無いからな。しかしな、人間の首を楽しんで狩る男が居ると思うか?好きで女子供をガス室に送る男が居ると思うか?人肉ステーキやら血のワインやら、そんなもんを本当に楽しんでいると思うか?俺は単に必要だから、必要とされたからやっただけだ。……責任逃れをしたい訳じゃない。そういうことじゃない。殺すからには殺される覚悟もしている。ただ、俺は異常者じゃないくて単に忠実なだけだってことを言いたい。だからアンタが俺を『そういう風』に使わなきゃ、俺も『ああいうこと』はしない」

 

 私はオフレッサーを見据える。アルバート・フォン・オフレッサーは地上軍の英雄だ。曰く、一個小隊で二個師団相手に一二〇日も耐えた。曰く、全身を一三発のブラスターに貫かれても斧を振り続けた。曰く、薔薇の騎士連隊の大隊長一人、中隊長二人を相手に互角に戦った。曰く、虜囚になりながらも単身で収容された基地を制圧した。その華々しい戦果を知らぬ地上軍人は居ない。しかしながら彼ほど詳しく知れば知る程英雄と呼ぶことを躊躇する男も居ないだろう。

 

「……私は帰還兵の擁護者になると決めている。貴官も例外ではないさ。コルネリアス老やシュティールに口利きはしておく。それ以上は無理だ、特定の帰還兵に肩入れはできない」

「今はそれで良い。アンタが元帥府を開くとき、必ず俺のような男が必要になるはずだ。その時呼んでくれ」

 

 オフレッサーは満足した様子で頷きながらそう言った。そして敬礼して私の下を立ち去っていく。その後ろ姿に私はそっと「だとするならば元帥などにはなりたくないものだ」と呟いた。

 

「そう嫌ってやらないでください。……オフレッサーのは確かに度を越しているかもしれない。しかしこうでもしないと我々は出世できないのですよ。昔に比べれば随分マシになりましたがね」

「シュトローゼマン先輩!」

 

 後ろから聞こえる声に振り向くとそこには旧知の仲である元・ドラゴニア特別派遣艦隊人事部長マルセル・フォン・シュトローゼマン宇宙軍大佐の姿があった。

 

「先輩はお止めください。私は虜囚となった一宇宙軍大佐、閣下は今をときめく大物帯剣貴族の宇宙軍大将ですよ?」

 

 シュトローゼマンはどこか弱々しく笑いながら言った。

 

「先輩は今でも先輩ですよ。その……一応兵站輜重総監部にポストを用意しています。一、二年務めれば閣下と呼ばれる身分になれる見通しです」

 

 私は先程オフレッサーに言った言葉を思い出し、少しバツが悪くなりながら、小声でそう伝えた。

 

「そうらしいですね。クルト……いや、シュタイエルマルク大将閣下が大いに憤っていました。『そういう権力の使い方は腐敗貴族と同じじゃないか』と。小官に閣下の目を覚まさせるようお命じになりました。そういう訳ですから、一応高等参事官閣下の命に従い、お諫めさせていただきます。……ただまあ、長年虜囚の身にあり、色々と背に腹は代えられない訳でして、閣下の御厚意は有難く受け取らさせていただきたいな、と」

 

 シュトローゼマンは苦笑しながら少しいたずらっぽくそう答えた。……帰還兵の内、軍務に復帰する者は七二%と言われるが、階級が上昇するのに反比例して復帰率は低下していく。高級将校程、ポストが限られている為に軍務への復帰が上手く行かないことが多く、復帰できても数年の内に予備役編入や退役を余儀なくされることが多いのだ。

 

 私はシュトローゼマンの帰還を知り、その復帰を助けるべくライヘンバッハ派の中でも信頼がおけ、また忠実なアイゼナッハ中将にお願いして、彼の古巣である整備回収局にポストを用意してもらった。シュトローゼマンは後方畑や人事畑、総務畑を渡り歩いてきた為に整備回収局の適性も高い。また、シュトローゼマンの上司になる予定のアンヘル准将はライヘンバッハ派の優秀な人材であり、ライヘンバッハ派の復権とリューデリッツ派の凋落が進む中で数年の内に上のポストに移ると見られており、その時は後釜にシュトローゼマンが座る見通しになっている。……バリバリ特定の帰還兵に肩入れしている訳だ。

 

「まあ……他の帰還兵を見捨てて私だけを厚遇するのであればともかく、閣下は帰還兵全体の地位向上に努めている訳です。恩恵を受ける私が言うのも違う気がしますが、多少は良いのでは?」

「駄目な物は駄目でしょう。正当化をする気は無いですよ」

 

 私は苦笑しながら肩を竦める。厳密に言えば、同盟ならともかくこの帝国において私が図った便宜を裁く法は無い。少なくとも違法では無いのだ。また貴族たちの認識であってもこれが道義に反するとはみられないだろう。若干の不公平感を覚える貴族はいるかもしれないが、シュトローゼマンが『先輩』、私が『後輩』という関係を考えると、むしろ美談と感じる貴族すらいるのではないか。

 

 この日、私は他にも多くの帰還兵たちと話した。オフレッサーのように私に擦り寄ってくる者も多かったが、オフレッサーに言った程度の援助しか約束しなかった。それでも帰還兵たちには充分だったようで、露骨に安堵する者や感激して泣き出す者まで居た。同盟軍人とも話をしたが、彼らはどちらかというとクルトと話をしており、私の下へ来るものは少なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宇宙暦七七九年の捕虜交換直後、帝国で政変が発生した。帝国軍三長官を兼ねる皇太子ルートヴィヒが帝国宰相に就任したのだ。三長官と帝国宰相を皇太子が兼任するのは半世紀前のオトフリート三世猜疑帝以来の事だ。新たに国務尚書にクロプシュトック公爵、財務尚書にノイエ・バイエルン伯爵、典礼尚書にグレーテル伯爵が就き、内務尚書から司法尚書にリヒテンラーデ侯爵が、司法尚書から宮内尚書にルーゲ公爵が、財務尚書から宮廷書記官長にリヒター伯爵――爵位が上げられた――が、内務副尚書から内務尚書にレムシャイド伯爵がそれぞれ転じた。これまで国務尚書として権勢を振るっていたエーレンベルク公爵は閣外に追放され、引退を余儀なくされた。

 

 表向きは宇宙暦七七七年にエーレンベルク公爵の孫シャーロットがフリードリヒ四世との間に待望の男子を産んだことが役職を辞す理由とされた。つまり、新たな皇子と国務尚書の権力が結び付けば、ルートヴィヒ皇太子の継承に支障が出るかもしれない。それを避ける為に臣下として自ら職を辞した、という形である。

 

 尤も、これは当然に口実である。ほぼ同時期に、フリードリヒ四世の側室であるルーゲ公爵令嬢ハンナ、少し遅れてノルトライン公爵令嬢アデレートも男子を産んでいるが、両名共に公職を辞しては居ない。ノルトライン公爵は単に枢密院議員に過ぎないとしても、ルーゲ公爵は司法尚書、そして今年からは宮内尚書である。国務尚書より序列が低いと言っても、宮内尚書の権限は小さくない。本当にルートヴィヒ皇太子の皇位継承を確実にするためであれば、ルーゲ公爵も職を辞すべきだろう。このことからも本当の目的が国政に強い影響力を及ぼしていた三大領地貴族……エーレンベルク公爵・アンドレアス公爵・リンダーホーフ侯爵を排除するあったと分かる。

 

 エーレンベルク公爵家を継いだのは幕僚総監フーベルト・フォン・エーレンベルク元帥である。エーレンベルク元帥は水面下でエーレンベルク公爵を失脚させる陰謀に協力していたらしく、その見返りにエーレンベルク公爵家の実権を握ったようだ。幕僚総監への転任により、近々退役に追い込まれると言われていたエーレンベルク元帥ではあるが、その前にしっかりとエーレンベルク公爵家の実権を奪う、強かな処世術と言える。

 

「また派手にやったじゃないか、アルベルト」

 

 宇宙暦七七九年一〇月二日。そんな政変の混乱をさておいて、私は帝都のクラーゼン子爵邸を訪れていた。白色槍騎兵艦隊司令官に任命されたラルフ・ヘンドリック・フォン・クラーゼン宇宙軍大将は苦笑しながらそう言った。

 

「?……何の話だい」

「心当たりが多すぎるのか?あのスピーチだよ。君が降伏を是としたことで中央は上から下まで大慌てだ」

 

 私は得心が行く。

 

「君のスピーチがきっかけとなり、軍務省に『軍規改正検討会議』が設置された。降伏に関する規定を始め、不合理だったり現実にそくしてなかったりする規定が見直される予定だ。議長はカール・ウィリバルト・フォン・ブルッフ宇宙軍上級大将。故エドマンド・フォン・ゾンネンフェルス宇宙軍元帥の親友であり、故人やその弟と同じく、軍事的合理性に反する伝統に批判的な人物だ。思いがけず親友とその弟が成し遂げられなかった降伏禁止規定の見直しに携われることになったブルッフ上級大将だが、大いに喜んでいたよ」

「妥当な人選だね」

「ああ。君が推薦しただけあってね」

 

 ラルフはからかうような笑みを浮かべながらそう言った。

 

「……私が推薦?どういうことだ」

「惚けないでくれ。あのスピーチは巷で言われているような君の暴走では無く、軍部の総意だ。そうだろう?勿論根回しをしたのは君だろうが」

 

 ラルフは確信を持った口調でそう言った。やはり鋭い奴だ。

 

「降伏禁止規定は死兵を生み出す。勝って国に帰るか、負けて死ぬか、その二択を突きつけられた将兵は死に物狂いで戦う。どんなに絶望的な状況になってもだ。だから戦場を知らない貴族連中の中には降伏禁止規定を本気で賞賛する奴もいる」

「……」

「……勿論、実際はそんなに都合の良い話は無い。降伏禁止規定はダゴン以来、帝国軍を慢性的に悩ませてきた『障害』だ」

 

 ラルフは皮肉気な口調でそう言う。その通りだ。降伏禁止規定は帝国軍に多大な不利益を与えてきた。私が降伏禁止規定を撤廃したいのは人道上の配慮もある、だが軍事的な理由も当然のごとくある。

 

「まず将兵教育だ。……帝国軍将兵に降伏は有り得ない。だから降伏後、どういう振る舞いをすればよいのか全く教育されていない。たとえ降伏を禁止していても、戦争である以上は捕虜というのは必ず生まれるモノだ。捕虜になってしまった将兵は、その状況でどうすれば良いか教育されていない為に、多くの情報を漏らす。それどころか、捕虜教育の不足によって簡単に敵軍の協力者になる。あくまで皇帝陛下への忠誠を誓おうとしても、プロの尋問に対して素人以下の捕虜たちが抗えるわけがない。たとえ非協力的な将兵が相手でも情報は抜き出し放題だ」

 

 ゾンネンフェルス中将が代表的な例だろう。虜囚を恥と考える文化によって精神を病み、捕虜教育の不足によって同盟に都合が良い人物へと仕立てられた。

 

「……それだけじゃない。帝国軍捕虜は絶望的、衝動的、狂奔的な暴動を起こしやすい。皇帝陛下への忠誠?そんな高尚な理由じゃない。単にパニックになっているだけだ」

 

 私もラルフも忌々し気な口調だ。帝国軍人の端くれとして、捕虜教育の不足には悩まされてきた。

 

「そして戦術的拘束。部隊ごと、組織ごとの降伏が許されないから、絶望的な戦線を切り捨てるという決断ができない。降伏が許されない状況での戦線切り捨ては現地部隊に死を命じることと同義だからね。帝国は人命が軽いと言われるけどね、それにしたっていくつもの部隊を本当の意味で見捨てたら将兵の士気に関わるよ」

「ドラゴニア戦役の後の地上軍の動揺は酷かった」

「……さらにいえば、降伏が許されないことで将兵が死地から可能な限り逃れようとするようになった。負ければ死ぬ、なら勝つときだけ戦いたい、そう思うのは人情って奴だ」

 

 降伏禁止規定の適用を逃れる為に、劣勢の戦線に将兵が行きたがらないとなるとそれはもう本末転倒だ。死兵を生み出すもへったくれもあったもんじゃない。ちなみにオフレッサーはそんな誰もが嫌がる戦線に好んで参戦しては叛乱軍に猛威をふるい、名を挙げた。

 

「そして最大の問題。……この帝国にも『重い命』がある」

「貴族だな。……降伏が許されない、だが死なせるわけにもいかない。叛乱軍は大物貴族を包囲して、他の部隊を誘引する戦法を好んで使う。明からさまな罠、あるいは罠すら作らず堂々と迎え撃つ準備をしていても、他の帝国部隊が救出に向かうからだ。当然毎度の如く大敗を繰り返す。一人の大物貴族を救出するために、数人の貴族と数千人の兵士を犠牲にしたこともあった」

 

 ちなみにオフレッサーはこのような戦場で大物貴族救出を八度命じられ、その全てを成功させている。これは驚異的な数字だ。『どんな死地からも救い出す男』、地上軍の長老たちがオフレッサーを引き立てたのもよく分かると言うモノだ。

 

「まともな軍人なら降伏禁止規定を擁護しようとは思わない。だが……建国期から存在する伝統だ。下手に否定したら袋叩きだ。特に軍の外の連中は皆批判するだろう。だから軍人は誰も軽率に批判出来ない。だから君が動いた。君が真正面から批判の声を挙げる。他の首脳部は『ライヘンバッハ伯爵も困ったお人だ……』と言いつつ『だがライヘンバッハ伯爵には逆らえないから……』とか『公的な場での発言を無かったことにはできない……』と『仕方なく』降伏禁止規定の見直しに乗り出す」

「……お見事。その通りだ。軍上層部、特にルーゲンドルフ公爵やコルネリアス老を始めとする地上軍長老にとって降伏禁止規定は憎悪の対象ですらある」

 

 私は観念してラルフに自白した。ラルフは満足そうに頷く。

 

「確かにね。地上軍は宇宙軍が敗北したら終わりだ。師団規模……いや、軍規模で部隊が惑星に取り残されたことも一度や二度じゃない。その度に地上軍部隊は死を覚悟しての絶望的な戦いを余儀なくされる。ドラゴニア戦役は……特に酷かったね」

「勿論、宇宙軍も他人事じゃない。宇宙軍で大物貴族が死地に取り残されることは稀だ。だが地上軍は部隊ごと取り残される訳だ。……当然、全ての大物貴族が逃げられるとは限らない。救出作戦はいつも大量の血を流して行われてきた。……地上軍首脳部からは支持、宇宙軍首脳部からは黙認を取り付けてあのスピーチをやった。皇太子殿下にも協力をお願いした。降伏禁止規定の見直しをブルッフ上級大将に任せるように頼んだ。あの人なら悪いようにはしないからね」

「大した貴族振りじゃないか」

 

 ラルフはまたからかうように言った。私は肩を竦めて受け流す。

 

「……しかしまあ、ルーゲンドルフ元帥からは苦言を呈されたよ。『兵士たちが簡単に降伏するようになった、降伏禁止規定の見直しは結構。だが時と場合を弁えてくれ』とね」

「ん?ああ……今ニーダザクセン鎮定使を務めているんだったね。ゼークト大将の紫色、ハルバーシュタット大将の黄色、カイザーリング中将の三辺が指揮下に入っているんだっけ?ニーダザクセン鎮定使と言いながらも実際には旧ブラウンシュヴァイク派が掌握していたニーダザクセン行政区、ザクセン=アンハルト行政区、ザクセン行政区の全てを管轄としている訳だ。流石に全域の秩序回復には時間がかかりそうだが、主要航路の安定化には成功しつつあるらしいじゃないか」

「まあ、ルーゲンドルフ元帥も本気では無いんだと思う。でも下から突き上げを食らったんだろうね」

「……なるほどねぇ」

 

 今回の私のスピーチは世間の予想に反し、軍上層部から大きな批判を受けることは無かった。一方で中堅・下級将校や兵士の一部は強く反発している。降伏禁止規定で一番苦しむのは彼らだというのに、長年刷り込まれた洗脳は恐ろしい。

 

「ニーダザクセン鎮定総軍だけじゃなく、各地で秩序回復に取り組んでいる前線指揮官たちは下からの突き上げを食らっているそうだ。『流星旗軍』討伐に動いた緑色のメルカッツ大将から聞いた話だけどね」

 

 第二次エルザス=ロートリンゲン戦役の終了後、帝国軍は体制の立て直しと並行して各地の混乱収拾に乗り出した。疲弊した状態での軍事行動は無理をしたものであるが、先の戦役時に帝国内部の不穏分子が同盟軍と呼応したことを考えると、最早対処を後回しにするわけにはいかないという判断だ。

 

 結局、この年が終わるまでに各地の混乱が収拾されることは無かった。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。

 

 

 

 

 




注釈29
宇宙暦七七九年の政変後の帝国統治体制

皇帝フリードリヒ・フォン・ゴールデンバウム四世
皇太子ルートヴィヒ・フォン・ゴールデンバウム宇宙軍元帥

閣僚
宰相ルートヴィヒ・フォン・ゴールデンバウム宇宙軍元帥
副宰相兼国務尚書ウィルヘルム・フォン・クロプシュトック公爵
内務尚書ヨッフェン・フォン・レムシャイド伯爵
軍務尚書エルンスト・フォン・ルーゲンドルフ地上軍元帥
財務尚書リヒャルト・フォン・ノイエ・バイエルン伯爵
司法尚書クラウス・フォン・リヒテンラーデ侯爵
宮内尚書ヘルマン・フォン・ルーゲ公爵
典礼尚書ヴァルター・フォン・グレーテル伯爵
科学尚書アルトリート・フォン・キールマンゼク伯爵
宮廷書記官長オイゲン・フォン・リヒター伯爵
無任所尚書ヨハン・フォン・アイゼンエルツ伯爵
無任所尚書マティアス・フォン・フォルゲン伯爵
無任所尚書カール・ヨハネス・フォン・リューネブルク伯爵

その他機関
枢密院議長フランツ・フォン・マリーンドルフ侯爵
枢密院副議長ウィルヘルム・フォン・リッテンハイム侯爵
枢密院副議長カール・フォン・ブラッケ侯爵

司法省
大審院長ゲオルグ・フォン・ルンプ伯爵

内務省
副尚書シュテファン・フォン・ハルテンベルク伯爵
自治統制庁長官オズヴァルド・フォン・ラートブルフ子爵
社会秩序維持庁長官ワレリー・フォン・ゲルラッハ子爵


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壮年期・女優登場(宇宙暦780年3月20日)

 激動の七八〇年代、その口火を切ったのは自由惑星同盟の野党統一会派「国民平和会議」の若手リチャード・オルトリッチ上院議員であった。反アッシュビー・反ジャスパー派に属する中堅議員であり、長征系軍人一族の名門オルトリッチ家の次期当主と見做されている。

 

「私は……私は七三〇年マフィアと常に対立する側にあった。彼らは新進の気風に溢れていたが、その反面、伝統と文化を蔑ろにする側面があった。……同盟に、共和主義に、自由に全てを捧げてきた長征系一族の一員として、先祖たちが培ってきたものを守る使命が私にはあった。だから私は彼らと……特にフレデリック・ジャスパーと同じ旗を仰ぐことが出来なかったのだろう。だが、幾たびの国難に颯爽と立ち向かった彼らに、私はある種の敬意を抱いていた。私も彼らも共に愛国者であると考えていた。……だから非常に残念だ。フレデリック・ジャスパーが国家に対する深刻な裏切りを働いていたことが」

 

 オルトリッチが自由惑星同盟上院議会で明らかにしたのは同盟・フェザーンの大企業六社と与党「自由と解放の銀河」の贈収賄疑惑である。この疑惑によってロバート・フレデリック・チェンバース前・最高評議会議長が逮捕され、国防委員長を経ていよいよ最高評議会議長へと登り詰めようとしていたフレデリック・ジャスパーとその一派の政界と軍部における地位は失墜した。後世言うところの「ベアルート事件」である。

 

 「国民平和会議」は「自由と解放の銀河」によって小選挙区制が導入されたことを受けて、旧来からの各党が共倒れを防ぐべく政策協定、候補者調整を行う目的で宇宙暦七七四年に設立した会派である。尤も、植民系・主戦・過激分離派「生贄の代弁者」、植民系・反戦・過激分離派「虚栄を弾劾する一六星系の独立党」、新解放系・反戦・急進分権派「銀河の為の唯一の選択」、長征系・主戦・過激統一派「共和前進党」、諸派・中庸・急進分権派「万国労働者連盟」、諸派・中庸・統一派「社会共和会議」などは参加を拒否したが、これらの政党の多くは翌年の選挙で議席を失うこととなった。

 

 この「ベアルート事件」を追及する過程で「国民平和会議」の各党派で次世代を担う人材たちに注目が集まった。旧立憲自由党長征系からはリチャード・オルトリッチ、ブライソン・フォーク、レナータ・サラサール、同植民系からはロイヤル・サンフォード、ネイサン・バーカー・ロックフェラー。旧自由共和党系からはアンリ・クレマン・フィリップ・ドルレアン、アニエスカ・シヴェスエキ、ジェームズ・ソーンダイク。旧新進党系からはジョアン・レベロ、ホアン・ルイ、サイラス・シャノン、ローランド・ケプナー。旧国民憲政党系からはピーター・カプラン、ウィリアム・オリヴァー・アーチボルト・トラバース、ユン・ハンギョムらが台頭し、彼ら「ベアルート組」はその後の同盟の政局を引っ張っていくことになる。

 

 激しい批判にさらされた「自由と解放の銀河」ガライ・アンドラーシュ最高評議会議長は内閣総辞職を表明、この後、野党統一会派「国民平和会議」が政権を獲得することになり、「ベアルート組」の多くが閣僚・準閣僚級ポストを与えられることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 時を同じくして銀河帝国でも大きな動きがあった。宇宙暦七八〇年三月二日。帝国宰相ルートヴィヒは帝国名士会議を開き、その場でこう宣言した。

 

「臣民諸君。私は問う。戦争か?課税か?道は二つに一つだ。この会議では諸君らにそれを選んでもらいたい」

 

 名士会議の場で配られた資料には嘘偽りない、銀河帝国の本当の財務状況が記してあった。これは異例な事だ。銀河帝国と大物貴族の関係性は常に緊張をはらんでいる。帝国の本当の財務状況は……というより帝国の弱みになりそうな情報は常に大貴族に対しては隠匿され、一部の官僚貴族と皇族のみの知る所であった。

 

「……これは……」

 

 思わず絶句したのは枢密院議長フランツ・フォン・マリーンドルフ侯爵だ。銀河帝国の財政状況が悪い事は誰もが理解していた。しかしその程度は貴族たちの予想をさらに超えるモノであった。貴族たちには明らかにされていなかったが、当時ルートヴィヒ皇太子とそのブレーンは帝国暦一〇〇年代までに発行された統一特別債――高利率――に代表される特権的債券の撤廃まで検討していた。そんなことをすれば貴族の叛乱が各地で勃発し、さらにフェザーンに代表される辺境自治領や名義を偽った同盟の債権家からの帝国政府への信用にも関わる。流石に断念せざるを得なかった。

 

「賢明なる臣民諸君なら分かるはずだ。……この戦争を終わらせる時が来たと」

 

 ルートヴィヒ皇太子が迫ったのは自由惑星同盟との戦争を終わらせるか、特権階級に対し全面的な課税を行うかの二者択一であった。これにすぐに反応したのは軍務尚書エルンスト・フォン・ルーゲンドルフ地上軍元帥である。

 

「皇帝陛下が大神オーディンから賜った人類社会の秩序と安寧を守るという崇高な使命を卿らは知らぬ訳ではあるまい。である以上、サジタリウス腕で蠢動する叛徒共を一人残らず討ち果たすことは、我等帝国臣民の責務ぞ。よもやこの場にその責務から逃げる卑怯者はおらんな?」

 

 父親譲りの眼光で出席者たちを睨みつける。しかしそれを物ともせず真正面から受け止めて、リッテンハイム派領袖、元・司法尚書ウィルヘルム・フォン・リッテンハイム侯爵は嘯く。

 

「それは卿らの責務であって我等の責務では無いな。我等の責務は人類社会の秩序と安寧を守るべく、与えられた領土の民草共を庇護し、導くことにある」

「馬鹿を言うな!ではこの宇宙に皇帝陛下の威光に盾突く叛逆者が存在することをリッテンハイム候は認めるおつもりか!」

「バッセンハイム!口が過ぎるぞ!」

 

 宇宙艦隊司令長官オスカー・フォン・バッセンハイム宇宙軍元帥が食って掛かり、枢密院議員ヨッフム・フォン・ノルトライン公爵が怒鳴りつける。

 

「……皇太子殿下にお聞きしたいのですが、戦争を終わらせるとは具体的にどうされるおつもりですかな?」

 

 それを横目に枢密院議員フーベルト・フォン・エーレンベルク公爵が穏やかな口調でルートヴィヒ皇太子に問いかけた。

 

「サジタリウス叛乱軍を許すつもりは無い。だがサジタリウス腕の全ての人類がサジタリウス叛乱軍に与している訳ではあるまい。その認識の下、各惑星の自主的統治組織が自治領という形で忠誠を尽くしたいと申し出れば、それを許す。……もし各統治組織ではなくその合議体として自治権を求めるのであれば、旧城内平和同盟(ブルクフリーデン)に準ずる扱いとしてこれを認めよう」

「バ、バカな!それは有り得ませんぞ皇太子殿下!それでは事実上憎きサジタリウス叛乱軍の独立を認めることではありませぬか!」

「そうですぞ!どうかお考え直しくださいませ!畏れ多くも大帝陛下がお創りになれたこの偉大な帝国を―」

「ではフィラッハ公とカレンベルク公は課税に賛成なさるということですな。大いに結構」

 

 血相を変えてルートヴィヒ皇太子に翻意を求めるフィラッハ公爵とカレンベルク公爵の口は国務尚書ウィルヘルム・フォン・クロプシュトック公爵の皮肉気な指摘で遮られた。フィラッハ公爵とカレンベルク公爵はその言葉に苦渋の表情を浮かべ、そして黙り込んだ。

 

「我がファルケンホルン侯爵家は必要とあらば当然にその財産を差し出そう。臣下としてそれが当然の務めだ」

「ルーゲンドルフ公爵家もそれに倣う」

「バッセンハイムもだ!金を惜しんで忠義を果たさぬ者が居るとは思えんな」

 

 統帥本部総長ファルケンホルン宇宙軍元帥が揺るぎない口調でそう言い、ルーゲンドルフ元帥とバッセンハイム元帥が同意する。さらに幕僚総監バウエルバッハ宇宙軍元帥、地上軍総監アルトドルファー地上軍元帥、統帥本部次長シュティール地上軍上級大将、軍務次官アルレンシュタイン宇宙軍上級大将、統帥本部総参謀長グリーセンベック宇宙軍上級大将、枢密院議員・国防諮問会議議長ゾンネンフェルス宇宙軍退役元帥らも同意の声を挙げる。彼らは皆歴戦の帯剣貴族であり、当然にその言葉は忠誠心から出ている……と言いたいところだが、実際は軍部の権益を守る為だ。戦争が終わればその後に軍縮が待つ。帯剣貴族の権力は軍部の権力と直結している。一方で課税対象となるような資産はそれ程多くない為、課税されてもそれほどダメージは受けないのだ。

 

「ライヘンバッハ伯爵家も当然に、国家の為に必要ならば財産を差し出す覚悟です」

 

 私、赤色胸甲騎兵艦隊司令官アルベルト・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍大将も静かに同意の声を挙げる。

 

「しかし、帯剣貴族二五〇〇家悉くがその財産を返上するとしても、それは国家全体の負債から見ては微々たる額に過ぎない。財政を好転させるには全く足りない。そうだろう?ノイエ・バイエルン伯爵?リヒター伯爵?」

「……そうですな。帯剣貴族のお歴々の覚悟には感服いたしましたが、客観的な事実としては、その通りです」

「抜本的な改革が必要です。貴族階級への課税、せめて私領民に対して臣民と同率の課税をお許しいただきたい。帝国臣民の倍以上存在するとも言われる私領民への直接課税が導入できれば、国家の税収は単純計算で二倍以上に跳ね上がる」

 

 枢密院議員・宰相府国防諮問会議副議長ハウザー・フォン・シュタイエルマルク宇宙軍退役元帥の指摘に財務尚書に転じたノイエ・バイエルン伯爵と無任所尚書・宰相府社会経済再建計画推進委員会副委員長に転じたリヒター伯爵が応じる。私有財産の提供を口にした帯剣貴族たちが程度の違いはあれどシュタイエルマルク元帥を睨む。「余計な事を言いやがって」ということだ。

 

 シュタイエルマルク退役元帥は退役後、領地で隠棲していたが、宰相となったルートヴィヒ皇太子の招聘に応じて宰相府に設置された国防諮問会議の副議長に就任した。宰相府に新たに設けられた国防諮問会議・社会経済再建計画推進委員会・自治政策検討会議の三組織にはルートヴィヒ皇太子の見込んだブレーンが集められており、ルートヴィヒ皇太子が既存の省庁を挟まず直接的に帝国の立て直しに乗り出したことを意味する。

 

「馬鹿を言うな!私領民は畏れ多くも大帝陛下が我ら帝国貴族に下賜なさった財産であるぞ!所有権の絶対不可侵は大帝陛下が保障なさっている!」

「貴族資産の絶対不可侵性は大帝陛下がお定めになっているのです。勿論皇帝陛下が命令なさるのであれば、それが妥当である限り我ら臣下は従う義務がありますがな。いささかリヒター伯爵のご提案は性急に過ぎるのでは?」

 

 枢密院議員のカール・ホルスト・フォン・ヴァルモーデン侯爵が顔を真っ赤にして怒鳴り、無任所尚書カール・ヨハネス・フォン・リューネブルク伯爵が窘めるような口調で言った。

 

「財務尚書。まさか私領民制度を最大限活用してきた卿までもが私領民への課税を考えている訳ではあるまいな?」

 

 リッテンハイム侯爵がノイエ・バイエルン伯爵に問いかけた。

 

「……最後の手段としては考えています。他に手段があれば、そちらを選ぶべきとも考えていますが」

 

 ノイエ・バイエルン伯爵家における私領民の地位は独特だ。ノイエ・バイエルン伯爵家私領民は経済活動に関する一定の条件を満たせば直接国税が掛からないにもかかわらず、ノイエ・バイエルン伯爵家の地方税でも減税・免税の対象になる。ノイエ・バイエルン伯爵領においては帝国臣民よりも私領民の方が平均的な租税負担が軽いのだ。この制度を活かしてノイエ・バイエルン伯爵家は自領に多くの企業や人材を集めてきた。それはノイエ・バイエルン伯爵家の発展の礎となった。

 

 議論が進むにつれて、各参加者の旗色が明確になり始める。リッテンハイム派を中心に多くの領地貴族は課税反対であり、終戦も止む無しと主張する。これに対し殆どの帯剣貴族が終戦に反対し、全ての貴族に税負担を求める。開明派は課税と終戦の双方を主張する。リンダーホーフ侯爵やマリーンドルフ侯爵が双方の主張に配慮して穏健な――どっちつかずともいう――立場を採る一方で、カレンベルク公爵やザルツブルク公爵は課税にも終戦にも強硬に反対する構えだ。彼らは財政再建が必要なら平民から搾り取れば良いと主張する。閣僚はそんな名士たちの議論にあまり積極的に口を挟まないが、クロプシュトック公爵、ノイエ・バイエルン伯爵以下領地貴族系の閣僚は課税の必要性を認識しつつもその幅を可能な限り小さくしようと試みている。一方で意外にもルーゲ公爵、リヒテンラーデ侯爵以下官僚貴族系の閣僚は静観の構えだ。恐らく課税と終戦のどちらが実現しても国政に得である――そして領地貴族と帯剣貴族のどちらが弱体化しても官僚貴族たちにとって得である――為に議論に参加する必要が無いのだろう。また課税・終戦の枠組みとは別に財務尚書ノイエ・バイエルン伯爵、司法尚書リヒテンラーデ侯爵、無任所尚書リヒター伯爵の三人は平民に対する増税に明確に反対する立場を表明した。

 

「ブラッケ侯爵。卿はどう思う?」

 

 課税派帯剣貴族と終戦派領地貴族に別れて議論が白熱する中、黙り込んでいるブラッケ侯爵に対して枢密院議員コンラート・フォン・バルトバッフェル子爵が問い掛けた。バルトバッフェル子爵は昨年枢密院議員の職に復帰した。カウンター・クーデターの責任を全てインゴルシュタット中将に被せ、巻き込まれた被害者として振舞ったのだ。といってもバルトバッフェル子爵を非難することはできない。それを提案したのは中央のレムシャイド伯爵であり、快諾したのは他ならぬインゴルシュタット中将なのだから。

 

「私か?……そうだな、いささか妙な表現にはなるが……今日まで帝国とサジタリウス叛乱軍は財政のかろうじて許す範囲内で戦争を続けてきた。だがそれももう限界だ。帝国国土の……失礼、中核地域の約八分の一を巻き込んだ第二次エルザス=ロートリンゲン戦役、並行して巻き起こった暴動・叛乱・独立運動……サジタリウス腕は抜くとしても最大で国土の五分の一が無政府状態へと陥った。国家財政とそれを支える経済は既に破綻を迎えたと言わざるを得ないだろうな。この上戦争を続けて得られる物は破滅しかないよ」

 

 「尤も、それは今に始まった話では無いがね」と肩を竦めながらブラッケ侯爵は付け足した。枢密院副議長カール・フォン・ブラッケ侯爵は面倒そうにバルトバッフェル子爵の問いに答える。三・二四政変のあと長らく自宅に軟禁されていたブラッケ侯爵であるが、ルートヴィヒ皇太子の政権掌握と同時に解放された。その後、リッテンハイム侯爵と共に枢密院副議長の職を与えられたが、これは明らかにリッテンハイム侯爵と対立することを期待しての人事であろう。

 

「ではブラッケ侯爵も終戦に賛成だと?卑劣な共和主義者共の叛乱を野放しにすると?」

「それは卿らに聞きたいものだ。軍部が主導する秩序回復作戦、あまりうまく行っていないようじゃないか。この状況でサジタリウス叛乱軍と事を構える余力が本当に軍にあるのか?それこそ卿らはオリオン腕の叛乱を野放しにする気ではないかと思ってしまうな」

 

 ファルケンホルン宇宙軍元帥の問いかけにブラッケ侯爵は「秩序回復作戦」を例に出して言い返す。第一次秩序回復作戦はルーゲンドルフ地上軍元帥の指揮の下、主要航路を解放し、機能不全に陥っていた帝国の通商・交通網を回復させた。しかし順調なのはそこまでだった。旧ブラウンシュヴァイク派諸侯は帝国軍の本格介入を受けて団結した。これまではフレーゲル侯爵がクロプシュトック公爵家と、ヒルデスハイム伯爵がアンドレアス公爵家と、シュミットバウアー侯爵がリンダーホーフ侯爵家と手を組んで対立していたが、帝国中央政府から正式に征討令が出た以上、分裂してブラウンシュヴァイク公爵家の主導権争いをしているような段階では無くなった。正式に「叛逆者」と認定された以上、これまでのように他家の支援を受けることはできない。

 

 「リップシュタット愛国貴族連合」はこうして誕生した。帝都に幽閉されている前帝クレメンツ一世とその皇太子エーリッヒの解放を大義名分としているが、それが口実に過ぎないのは言うまでもない。その他、旧世界……つまりかつての人類史で中心となっていたズィーリオス辺境特別区やオストマルク行政区でも分権・独立・復権派組織が激しく蠢動する。勿論、フェザーン方面辺境全域を活動範囲とする『流星旗軍』も相変わらず辺境を悩ませているし、リューベック・トリエステの両藩王国を始め、各辺境自治領の位置するアウタースペースも不穏な動きを見せている。

 

「帝国国内の不穏分子を扇動しているのはサジタリウス叛乱軍だ。根本を断てば枝葉は自然に枯れる」

 

 クリストフ・フォン・バウエルバッハ宇宙軍元帥はそう言い切ったが、本心からそう信じている訳では無い。帝国正規軍に比肩する軍事力を有する敵が居てくれないと困るという思いから、帯剣貴族たちは長らく「サジタリウス叛乱軍黒幕説」を主張してきた。ヴィレンシュタイン公爵の叛乱のような同盟と一切関係の無い事件であっても、帝国軍務省と憲兵総監部は「サジタリウス叛乱軍による工作の証拠」を見つけ出し、激しく糾弾した。

 

「さて、それはどうかな?私はサジタリウス叛乱軍ですら枝葉に過ぎないと思うがね」

 

 ブラッケ侯爵は皮肉気にそう返すが、それ以上は何も言わなかった。とはいえ、不穏分子が大量に生み出されるこの帝国の体制こそが全ての元凶である、というブラッケ侯爵の考えは言うまでも無く他の出席者に伝わった。しかしそれを黙殺する形で議論は続く。結局、この日の名士会議で課税と終戦のどちらを選ぶか結論が出ることは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「課税か、終戦か、か。ルートヴィヒも大胆な二択を突きつけたものだ」

「皇太子殿下にしてみればどちらに転んでも構わないのでしょう。膨大な軍事費にメスを入れるか、莫大な貴族財産にメスを入れるか、どちらが実現しても国政にはプラスです」

「だろうな。領地貴族にとってサジタリウス叛乱軍との戦争など本音を言えばどうでも良い。そして卿ら帯剣貴族にとって個人資産への課税など軍縮に比べれば取るに足らないことだ。ルートヴィヒの二択から答えを選ぶのであれば、奴らはそれぞれダメージの少ない方を……そして憎き政敵にダメージを与えられる方を選ぶだろう」

 

 名士会議の終了後、私は侍従武官長エーリッヒ・フォン・ラムスドルフ近衛軍大将に案内され、いつもの謁見室でフリードリヒ四世帝へ拝謁した。先帝クレメンツ一世や先々帝オトフリート五世と違い、国政に興味を持たないフリードリヒ四世帝は名士会議にも初日の開会宣言だけ出席し、残りは様々な理由を付けて欠席している。

 

「……だが、その二択から奴らは答えを選ぶだろうか?」

 

 フリードリヒは物憂げな表情でポツリとそう言った。

 

「どういう意味です?」

「邪魔なモノは全てカーペットの下に掃くのが奴らの主義だ。選択に窮した奴らが……選択を強いるルートヴィヒの排除に踏み切らない保証はどこにもないだろう」

「……」

 

 フリードリヒの懸念は正しい。領地貴族と帯剣貴族の利害対立が絡む以上、すぐに貴族が団結してルートヴィヒ皇太子に反抗するとは思えないが、終戦派領地貴族と課税派帯剣貴族の勢力が拮抗していることを考えると、問題を先送りにする為にルートヴィヒ皇太子を黙らせようとする可能性は高い。これまでと同じように妥協案として平民への増税が行われ、大貴族たちがそれなりの寄付を行い、軍人たちが俸給を返還してお茶を濁すかもしれない。

 

「ルートヴィヒはあれで潔癖なところがあるでな……。貴族共の取引を認めないかもしれない。余はルートヴィヒにマンフレート二世の轍は踏ませたくない」

「……マンフレート二世帝を暗殺したのは長兄ルートヴィヒ皇太子の子ブランデンブルク侯爵ユリウスである、というのが一番の有力説ですが、未だにその下手人はハッキリしません。しかしそれを扇動したのがフェザーン自治領(ラント)であるという説は、学界の一致する見解です」

「……一体どこの学界なのかは聞かない方が良いだろうな?で、それがどうした?」

 

 フリードリヒは若干の呆れを含みながら私に問う。ちなみにブランデンブルク侯爵家はマンフレート二世帝暗殺後の政治的混乱の中で自由惑星同盟に亡命し、その後は一貫して銀河帝国の皇位請求を続けている。同時期に政争絡みで亡命を余儀なくされた家は数あれど、ブランデンブルク侯爵家の亡命はその中でも不自然な経緯を辿っているため、同盟・フェザーン・アウタースペースの帝国史研究者の多くと、帝国内反体制組織の多くはブランデンブルク侯爵ユリウスをマンフレート二世暗殺の首謀者と見做している。

 

「当時のフェザーンにとってマンフレート二世帝は邪魔な存在でした。しかし今のフェザーンにとってルートヴィヒ皇太子は邪魔な存在ではありません。フェザーン自治領主(ランデスヘル)ドミトリー・ワレンコフは両国の和解を推進しています。勿論、旧来の勢力均衡派の力もまだまだ強いですが、フェザーンの主流派は既に勢力均衡論を断念しています」

「そうなのか?」

「ええ。……帝国は弱体化しすぎたんですよ。フェザーンは勢力均衡論に基づき、第二次ティアマト会戦後から帝国に対して大規模な支援を行っていました。イゼルローン要塞建設計画だってフェザーンの全面的なバックアップがあって初めて実現性がある計画でした。……しかしその支援が実を結ぶことは無かった。いくら支援しても帝国は国力を回復しない、当然同盟はフェザーンのあからさまな帝国支援を快くは思わない、多額の対帝国支援と対同盟貿易への悪影響にうんざりしたフェザーン財界では親同盟派と融和推進派が徐々に勢力を拡大しました。その流れの中で政権を握ったのがドミトリー・ワレンコフ、フェザーン六大派閥創業家出身者にして融和推進派の領袖です」

「詳しい事はどうでも良い、フェザーンはルートヴィヒを支持していると言うことか?」

「そうなりますね」

 

 フリードリヒは「そうか……」と安堵の溜息をもらした。政治に疎いフリードリヒでも分かる程度に、フェザーンの勢力均衡政策の存在は常識である。

 

「加えてルートヴィヒ皇太子殿下には我々が居ます。マンフレート二世帝陛下には我々が居ませんでした。我々が居る限り、ルートヴィヒ皇太子殿下の安全は保証されたも同然です」

 

 私はそう言いながら、後方に控えるラムスドルフの方を振り向いた。ラムスドルフは「我々」と言う括りが嫌だったのか顔を顰めている。フリードリヒの不安はまだ解消された訳では無いようだが、それでも私の言葉に頷き、「頼んだぞ」と言った。

 

「あー時にライヘンバッハよ……。卿は妻君との仲は上手くいっているようだな?」

 

 少々の間を挟んだ後、フリードリヒが突然私にそんなことを言ってきた。とても言いにくそうな様子だ。

 

「え?……ええ、まあ……。私には勿体の無い良い妻です」

「それは結構な事だ。で、だ。ライヘンバッハよ。卿の妻君はその……娘と仲が良いそうじゃないか」

「そうですね。妻はクロプシュトック公爵の年の離れた従妹ですから」

「うん。ところでな……ライヘンバッハよ卿に頼みがある」

 

 「連れて参れ」とフリードリヒがラムスドルフに言う。ラムスドルフは淡々と「承知いたしました」と言い、部屋を出て行った。

 

「あー、ライヘンバッハ伯爵よ。余はな。年上好きだった。それは知っておるな?」

「……ええ。アイゼンエルツ伯爵の妻君にも手を出したと聞きました。口の悪い者はそれと引き換えに閣僚のポストを与えたとか噂していますよ」

「それは誤解だ!……余に閣僚をどうこうする力があると思うか?いや、違うのだライヘンバッハよ。そのだな……アイゼンエルツの奴が勝手に……その、『据え膳食わぬは男の恥』という言葉が確かあっただろう?そう言うことなのだ。それにあそこまで段取りを決められて手を出さなかったらアンゼルマに恥をかかせることにもなる。いや、それで済めばよい!余は皇帝だからな、皇帝の不興を買ったと見做されたら可哀想なアンゼルマはきっと……」

「アンゼルマ様はフィーネ様と遠い親戚だそうですね。私はフィーネ様に会ったことはありません。しかし残された写真を見せていただきましたが、どことなく目元の辺りが似ていたような気もします」

 

 私がそう言うとフリードリヒが黙り込んだ。そして溜息をつく。

 

「フィーネ様の事が忘れられませんか?」

「忘れられる訳がない!……他の女を見れば見る程……抱けば抱くほどフィーネの事を思い出す。シャーロット、ハンナ、アデレート、ディアナ、エリーゼ、パウラ。……皆が悪い訳では無いのだ。いや、むしろ良い女だ。余なんかには勿体の無い器量の良い者たちだ。だが……だからこそ考えてしまうのだ。彼女らは余を愛しているのか?愛しているとしてもそれは『皇帝フリードリヒ四世』への愛では無いのか?とな。そしてフィーネを思い出す」

 

 フリードリヒはどことなく寂しそうに見える。後宮に入った女たちとフリードリヒの仲は決して上手く行っていない訳では無いのだが……フリードリヒは特定の女性を寵愛することはなく、どこか淡々とした、しかし冷淡ではない程度の関係性を築いている。

 

 今、フリードリヒの後宮には多くの貴族令嬢が入内している。ブラウンシュヴァイクの没落、リッテンハイムの排斥を経て、現在の貴族社会は勢力の拮抗する家柄がいくつも乱立している状態だ。だからこそ、競い合うように大貴族たちはフリードリヒに娘を嫁がせる。そして勢力が拮抗しているがために、入内させた家も他の家の入内を妨害することが出来ない。

 

 原作のような……失礼。ブラウンシュヴァイク一門とリッテンハイム一門が頭一つ抜けたまま勢力を維持しているような状況では他の貴族家が娘を嫁がせるのは難しかったかもしれない。さらにいえば、リヒャルト大公の一件がリッテンハイム侯爵の思い通りに進んでいればアンドレアス公爵家・クロプシュトック公爵家を初めとする多くの貴族家が没落していただろう。精々エーレンベルク公爵家、ザルツブルク公爵家、ブラッケ侯爵家程度が一定の力を残すだけで、今日のような割拠状態にはならなかったかもしれない。やはり、フリードリヒにここまで多くの令嬢が嫁ぐことは無かったかもしれない。

 

「……失礼ながらそんな所だろうと思っていました。余計な事かとも思いましたが、クリスティーネ様には私から上手く言ってあります」

「知っておるよ。クリスティーネの奴が余の誕生日に手紙を送ってくれたのだがな。『ライヘンバッハに感謝するのねクソ変態親父』と書いてあったよ……」

 

 「トホホ……」と擬音がついても違和感がない様子でフリードリヒは苦笑した。しかし浮かべる笑みはとても暖かい。いつもの皮肉気な笑みとは全く違う。……アマーリエ、クリスティーネの姉妹、カール、ルートヴィヒ、カスパーの三兄弟は最愛の妻フィーネとの子だ。フリードリヒは公の場では態度に出さないが、目に入れても痛くない位にフィーネとの子を溺愛している。それ以外の子、例えば二男ベルベルトや三女ロジーナ以下の皇女の事も愛していない訳ではない様子だが、私の目から見ればあからさまに差を感じる。

 

「さて、ライヘンバッハ。そんなお前を見込んで頼みがある」

「私に、臣に出来ることがあれば何なりとお申し付けください」

「うむ。つまりだな。クリスティーネに上手い事言っておいて欲しいのだ」

「は?」

 

 フリードリヒはそこで黙り込んで扉の方を見つめる。ラムスドルフが呼びに行った誰かを待っているのだろう。そのラムスドルフが一人の少女を連れて戻ってくるまで大体二分程度位そうしていただろうか。

 

「失礼します。皇帝陛下。シュザンナ様をお連れいたしました」

「陛下!」

 

 無表情のラムスドルフの後ろから花が咲くような笑みを浮かべた見目麗しい少女が飛び出して来た。

 

「おお!シュザンナ!良くぞ参った」

 

 フリードリヒも屈託のない笑みを浮かべながら少女に向けて手招きをする。

 

「紹介しよう!アルトナー子爵家の一人娘シュザンナだ。どうだ?可憐な娘だと思わんか?それだけでは無いのだ。シュザンナは純粋でな!人を疑うと言うことを知らんのだ。余はそんなシュザンナを昔から気にかけていてな。そしたらだ!この前の戦役でアルトナー子爵家の投資している工場が酷い被害を受けてな……危うく下種な新参貴族に身売りさせられるところだったのだ。酷い話ではないか。余は許せなくてな。ラムスドルフに命じてシュザンナを『保護』したのだ」

「陛下の御高配が無ければ、私は今頃……」

 

 シュザンナはそう言って身を震わせる。

 

「安心するが良い!シュザンナよ。余がお前を守る。無論、アルトナー子爵家の事も万事余に任せておけ!何も心配しなくてよいぞ!」

 

 フリードリヒはやたら格好つけた様子でそう言い切る。「陛下!」とシュザンナが抱き着き、フリードリヒは馬鹿みたいなだらしない顔をしながらそれを受け止めた。そしてニマニマとしていたが、私の唖然とした表情とラムスドルフの無表情――長い付き合いだ。私には呆れていることは分かる。そしてフリードリヒとラムスドルフの付き合いも長い、当然フリードリヒも気付いただろう――に気づき我に返ると「ゴホン」とわざとらしく咳払いした。

 

「……という訳なのだ。ライヘンバッハよ」

「どういう訳ですか」

 

 私は思わず突っ込む。全く意味が分からない。

 

「だから!これは正義の行いであってだ、余には何ら疚しい所は無いのだ。……しかしだな。ここオーディンとクロプシュトック公爵領のトロイアイトは遠い。余はシュザンナを保護したに過ぎないのだが、そのことがクリスティーネの『誤解』を招く可能性もある。いや!貴族共は油断ならんからな。余が正義と人道に基づいてシュザンナを保護していることを意図的に悪し様に……つまり、オトフリート四世強精帝の如く……せ、性欲やら何やらで囲い込んだように言い立てる可能性もある。というかそう言い立てるに違いない。だからなライヘンバッハよ。卿からクリスティーネに上手く言っておいてくれぬか?『誤解』は避けたいのでな。うん。……一応、ルートヴィヒやカスパー、アマーリエにもフォローを入れておいて貰えると助かるな」

「『誤解』ですか……」

「よ、余が年上好きなのは卿らも知っているだろう?」

 

 疑いの視線が抑えきれなかったのだろう。フリードリヒは言い訳がましくそんなことを言った。

 

「ライヘンバッハ伯爵閣下は陛下をお疑いなのですか?」

 

 少し舌足らずな声でシュザンナがそう聞いてきた。幼い少女の目にはフリードリヒへの全幅の信頼と、私への若干の敵意が見えた。

 

「……まさか。シュザンナ嬢の姿を見ていたら、疑いなんて起こりようがないよ」

「?」

「皇帝陛下の事が大好きなのは見ていたら分かるさ。陛下は期待は裏切っても信頼は裏切らない。とてもお優しい方だ。シュザンナ嬢の信頼を裏切る訳が無いし、きっと君の事を大切に守るだろう」

「勿論だ。卿に言われるまでも無い」

 

 私は精一杯優し気な表情と声音でそう言った。フリードリヒへの牽制の意も一応込めている。フリードリヒはそれを感じたらしく、もっともらしい表情で鷹揚に頷いた。シュザンナ嬢はまた「陛下!」と感激している様子だ。

 

「じゃ、頼んだぞライヘンバッハよ。余は少しシュザンナと話がしたいのでな。今日は下がっていいぞ。後何か話があれば聞いておくが?」

「……いえ。まあ……一応クリスティーネ様には取り成しをしておきますよ」

 

 私とフリードリヒの面会……そしてシュザンナ・フォン・カールスバート侯爵夫人との初めての出会いはこうして終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で?実際の所どうなんだ?」

「陛下が言うことが全てだ。俺がどうこう言える話じゃない」

 

 新無憂宮の廊下を歩きながら、私は親友……と言いたいが恐らくは「勘違いも程々にしておけ」と答えるであろうエーリッヒ・フォン・ラムスドルフ近衛軍大将と話していた。その内容はシュザンナ嬢についてだ。

 

「……俺の記憶が確かならアルトナー子爵家はエッシェンバッハ伯爵家の血を引いていた気がするんだが……」

 

 今は宇宙艦隊総司令部作戦副部長を務める私の元部下、マヌエル・フォン・エッシェンバッハ宇宙軍少将の将官昇進パーティーに出席した際に、アルトナー子爵の姿もあった気がする。あのパーティーは断絶したエッシェンバッハ伯爵家本流から近いブロウナー=エッシェンバッハ帝国騎士家が主催したために、エッシェンバッハ一門に縁がある貴族たちが大勢出席していた。

 

「……らしいな」

「なあラムスドルフ……まさかあの噂って本当なのか?フリードリヒ四世帝陛下が旧エッシェンバッハ一門……特にその子女に近衛を張り付けて護衛と監視を行っているって……」

「馬鹿な話だ」

「……否定はしないのか」

 

 ラムスドルフは私の言葉には答えず、そのまま前向いて歩き続ける。

 

「シュザンナ嬢も可哀想に。陛下は……きっと彼女を通して亡き妻の面影を見ているんだろう。陛下の年上好きは恐らくフィーネ様が陛下より年上であったことに起因する。しかしながら……陛下も既に四四歳、自分より年上の女性にフィーネ様の面影を見出すのは難しくなってきたのだろうな」

「……」

「陛下は仰られていた。『彼女らは余を愛しているのか?愛しているとしてもそれは『皇帝フリードリヒ四世』への愛では無いのか?』と。……もしもシュザンナ嬢がフィーネ様の事を知ったら……きっと今の陛下と同じ疑念を抱くことになるかもしれないな」

 

 ラムスドルフは何も言わない。私も返事を求めている訳では無い。私はどこかやり切れない思いを抱えながら、新無憂宮の廊下をラムスドルフと歩いていた。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。



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壮年期・政争が彩る艦隊司令官の日常(宇宙暦780年10月)

注釈30
宇宙暦七八〇年一〇月人事異動後の帝国軍指導体制

 帯剣貴族諸派とは本家を派閥の中心に置き分家筋や陪臣一族、治める領土出身の将兵によって構成される派閥である。名門と呼ばれるアルトドルファー一門やシュトックハウゼン一門、ゾンネンフェルス一門、クルムバッハ一門等が形成する諸派は地上軍の覇権派閥ルーゲンドルフ派や宇宙軍二大派閥のライヘンバッハ派、シュタイエルマルク派にも抗しうるが、そこまでの力を持つ諸派は少ない。大抵の諸派は保守のライヘンバッハ派に近いが、ライヘンバッハ派(あるいはライヘンバッハ一門)との確執や懸案ごとの利害関係からリベラルのシュタイエルマルク派や門閥派を支持する場合もある。

軍務省
尚書    エルンスト・フォン・ルーゲンドルフ地上軍元帥(ルーゲンドルフ派)
副尚書   カール・ベルトルト・フォン・ライヘンバッハ地上軍上級大将(ライヘンバッハ派・ルーゲンドルフ派)
事務次官  ウィルヘルム・フォン・アルレンシュタイン宇宙軍上級大将(帯剣貴族諸派)

統帥本部
総長    ゲルトラウト・フォン・ファルケンホルン宇宙軍元帥(ライヘンバッハ派・帯剣貴族諸派)
次長    オイゲン・ヨッフム・フォン・シュティール地上軍上級大将(ライヘンバッハ派・ルーゲンドルフ派)
総参謀長  アドルフ・フォン・グリーセンベック宇宙軍上級大将(ライヘンバッハ派)

幕僚総監部
総監    クリストフ・フォン・バウエルバッハ宇宙軍元帥(帯剣貴族諸派)
副総監   カール・ハルトヴィン・スナイデル地上軍上級大将(シュタイエルマルク派)

憲兵総監部
総監    テオドール・フォン・オッペンハイマー宇宙軍大将(門閥派)

兵站輜重総監部
総監    カール・ウィリバルト・フォン・ブルッフ宇宙軍上級大将(皇太子派・シュタイエルマルク派)  
副総監   ハイナー・フォン・アイゼナッハ宇宙軍大将(ライヘンバッハ派)
 
後備兵総監部
総監    ヘルムート・ハインツ・フォン・モーデル宇宙軍上級大将(門閥派・リッテンハイム派)
副総監   アルベルト・フォン・リューデリッツ宇宙軍大将(リューデリッツ派・シュタイエルマルク派)

教育総監部
総監     アルツール・フォン・シェーンベルク地上軍大将(門閥派・リッテンハイム派)
副総監    トーマ・フォン・シュトックハウゼン宇宙軍中将(シュタイエルマルク派・帯剣貴族諸派)

科学技術総監部
総監     ランドルフ・フォン・アスペルマイヤー技術大将(帯剣貴族諸派)
副総監    ユリウス・フォン・ゼーネフェルダー技術中将(シュタイエルマルク派)

地上軍総監部
総監     リヒャルト・クレーメンス・フォン・アルトドルファー地上軍元帥(帯剣貴族諸派)
副総監    ラインヴァルト・フォン・クルムバッハ地上軍上級大将(門閥派・帯剣貴族諸派)

近衛兵総監部
総監     マルク・ヨアヒム・フォン・ラムスドルフ近衛軍元帥(帯剣貴族諸派)

宇宙艦隊総司令部
司令長官   オスカー・フォン・バッセンハイム宇宙軍元帥(ライヘンバッハ派)
副司令長官  フォルカー・エドワルド・フォン・ビューロー宇宙軍上級大将(皇太子派・シュタイエルマルク派)
総参謀長   ニコラウス・オットマー・フォン・ノウゼン宇宙軍上級大将(帯剣貴族諸派)
副参謀長   クルト・フォン・シュタイエルマルク宇宙軍大将(シュタイエルマルク派)

赤色胸甲騎兵艦隊司令官 アルベルト・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍大将(ライヘンバッハ派)
紫色胸甲騎兵艦隊司令官 ハンス・ディートリッヒ・フォン・ゼークト宇宙軍大将(ライヘンバッハ派)
橙色胸甲騎兵艦隊司令官 グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー宇宙軍大将(帯剣貴族諸派)
白色槍騎兵艦隊司令官  ラルフ・ヘンドリック・フォン・クラーゼン宇宙軍大将(帯剣貴族諸派・アルトドルファー一門)
黒色槍騎兵艦隊司令官  フォルクハルト・ディッタースドルフ宇宙軍大将(シュタイエルマルク派)
青色槍騎兵艦隊司令官  ヘルマン・フォン・クヴィスリング宇宙軍大将(ライヘンバッハ派・帯剣貴族諸派)
黄色弓騎兵艦隊司令官  マティアス・フォン・ハルバーシュタット宇宙軍大将(ライヘンバッハ派)
褐色弓騎兵艦隊司令官  コンラート・フォン・アルレンシュタイン宇宙軍大将(帯剣貴族諸派・アルレンシュタイン一門)
緑色軽騎兵艦隊司令官  ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ宇宙軍大将(ライヘンバッハ派)
灰色軽騎兵艦隊司令官  フリードリヒ・フォン・ノームブルク宇宙軍大将(門閥派・旧ブラウンシュヴァイク派)

第一辺境艦隊司令官   ヨーナス・オトフリート・フォン・フォーゲル宇宙軍中将(帯剣貴族諸派)
第二辺境艦隊司令官   ギュンター・ヴェスターラント宇宙軍中将(シュタイエルマルク派)
第三辺境艦隊司令官   ミヒャエル・ジギスムント・フォン・カイザーリング宇宙軍中将(帯剣貴族諸派)
第四辺境艦隊司令官   ルーブレヒト・ハウサー宇宙軍中将(ライヘンバッハ派)
第五辺境艦隊司令官   オイゲン・フォン・グレーテル宇宙軍中将(門閥派・ライヘンバッハ派)
第六辺境艦隊司令官   クリストフ・フォン・スウィトナー宇宙軍中将(シュタイエルマルク派)


 宇宙暦七八〇年時点で銀河帝国宇宙軍は一八個正規艦隊を有する。より正確に言えば銀河帝国に正規艦隊と言う呼称は無いが、自由惑星同盟やフェザーン自治領、あるいは帝国でも公的な場以外では自由惑星同盟宇宙軍正規艦隊とほぼ同等の戦力を有すると見做される艦隊を総称して俗に正規艦隊と呼称することが多い。

 

 帝国正規艦隊という俗称が指す艦隊は近衛艦隊・中央艦隊・辺境艦隊の三つであり、それぞれ二個・一〇個・六個艦隊が存在する。近衛第一艦隊及び赤色胸甲騎兵艦隊が惑星オーディンに常駐し、近衛第二艦隊がヴァルハラ星系に本拠を置く。近衛第二艦隊から分派された任務部隊と四六の警備艦隊――分艦隊規模の定数を満たしているのは半数以下の一五個警備艦隊、書類上だけに存在する部隊も少なくない――から選抜された部隊が皇帝直轄領の治安維持にあたる。赤色を除く九個中央艦隊は帝都に近い諸星系に分屯し、皇帝からの出兵命令に備え練度を高める。俗にいう帝国正規艦隊の内一二個艦隊の拠点はこの通り基本的に中央地域に集中している。辺境地域に駐留する六個辺境艦隊と貴族の私兵部隊で対応できない事象が発生しない限りはこの中央の戦力が動くことは無い。

 

 近衛艦隊は装備こそ最新であるが、練度面で疑問符がつく。兵士に関しては中央地域や皇帝直轄領の志願兵から忠誠心と能力の双方に優れた者が選抜される。惑星オーディン東北大陸ヴィズリルに設けられた近衛軍兵学校で新兵は六年間、他部隊で経験を積んだ古参兵は二年間知識と技術を叩きこまれる。その為全艦隊の中で最も高い士気と能力を有している……と兵士の練度に関しては一応高く評価されている。問題は率いる指揮官の練度だ。第一・第二近衛艦隊司令官は軍政派、その中でも特に近衛族に属する帯剣貴族家の持ち回りポストと化している。参謀・下級指揮官ポストも縁故や派閥関係、箔付けで選ばれることが多い。彼らは往々にして無能であり、そうでなくても大抵は前線勤務よりも後方勤務のキャリアが長く、戦術指揮よりもデスクワーク、宇宙戦よりも地上戦に適性を持つ者が多い。

 

 特筆すべきは他の艦隊と違って皇帝が軍務省や統帥本部、そして財務省を通さずに動かすことが出来る点だろうか。近衛艦隊は近衛兵総監部が統括し、財源は宮内省が管理する宮中特別費を充てることが可能だ。尤も、実際に近衛艦隊を動かすことは稀だ。オトフリート五世倹約帝、クレメンツ一世驕慢帝、そして今のフリードリヒ四世帝――というよりルートヴィヒ皇太子――は近衛艦隊を積極的に活用しているが、これは帝国の長い歴史からみると珍しいことだと言える。

 

『近衛艦隊司令長官代理  エーリッヒ・フォン・ラムスドルフ近衛軍大将

 近衛第一艦隊司令官   エーリッヒ・フォン・ラムスドルフ近衛軍大将

 近衛第一艦隊司令官代理 ファウスト・フォン・クロイツァー近衛軍中将

 近衛第二艦隊司令官   トマス・ガイストリッヒ・フォン・フィラッハ近衛軍大将……』

 

 私は手元の端末に目を落とす。そこには近衛軍宇宙部隊に絞って宇宙暦七八〇年一〇月三日時点での各部隊指揮官リストが表示されている。皇帝侍従武官長と近衛第一師団長を兼任しさらに近衛軍宇宙部隊のトップであるラムスドルフ大将、慣例によって近衛艦隊司令長官と近衛第一艦隊司令官を兼任するラムスドルフに代わって第一艦隊司令官を務めるクロイツァー中将、共に前線でいくつも武勲を挙げた勇将だ。……ただしその武勲は全て地に足のついた戦いで挙げた物である。そしてフィラッハ近衛軍大将は現在のフィラッハ公爵家嫡男――近衛軍のいくつかのポストは凋落したフィラッハ公爵家が今も有する数少ない特権――である。この人事から一端が分かるようにおおよそ適材適所という言葉から最も縁遠い軍、それが帝国近衛軍である。

 

「……」

 

 私は溜息を一つついて画面を切り替えた。リストの絞り込み条件を中央艦隊指揮官に切り替えて表示する。今回の人事異動で主要艦隊の殆どがライヘンバッハ派によって押さえられた。一方でシュタイエルマルク派の勢力は伸び悩む。中将以下、特に佐官クラスでは未だライヘンバッハ派に匹敵する勢力を持つシュタイエルマルク派だが、パウムガルトナー、ケレルバッハ、ハードナーといった派閥重鎮を軍から相次いで失ったことで上層部における「駒」の数でライヘンバッハ派に差をつけられている。統帥本部や軍務省、各監部の要職に食い込み、中堅クラスの派閥構成員を擁護できる大将クラス以上の派閥構成員が殆どいないのだ。それでもブルッフ、ビューローら皇太子が抜擢した大物将官を取り込むことで何とかライヘンバッハ派に対抗しているが、劣勢は明らかだ。

 

 俗に軍部二大派閥とも呼ばれるライヘンバッハ派とシュタイエルマルク派はカール・ハインリヒ・フォン・ライヘンバッハとハウザー・フォン・シュタイエルマルクをそれぞれ領袖とし、両名を慕う部下達を中核として成立した派閥だ。しかしながら、我が父カール・ハインリヒが三男とはいえライヘンバッハ伯爵家本流の出身であったのに対し、シュタイエルマルク退役元帥はフィラッハ公爵家の流れをくむ一子爵家の当主に過ぎず、我が父のように強力な一門の後ろ盾を得ることが出来なかった。エーレンベルク侯爵家やリューデリッツ伯爵家、ゾンネンフェルス伯爵家の協力が得られている内はそれでもライヘンバッハ派に対抗する勢力を有していたが、それらの家々が軍部に持つ影響力が低下するにつれて、シュタイエルマルク派自体の勢力も徐々に小さくなっている。

 

「……まあ、現場主義の彼らには望むところかもしれないが」

 

 中央艦隊司令官が官僚ポストと揶揄されるようになってから久しい。。常に実戦に身を置く辺境艦隊に対し、中央艦隊の出撃機会は一年に二、三回あるかないか。その二、三回にしても当然全艦隊が出撃する訳でも無く、ローテーション(と政治的配慮)によって一部の艦隊にしか動員が掛からない。七四五年の第二次ティアマト会戦以降は流石に中央艦隊の出撃機会も激増したが、それでも中央艦隊司令官が辺境艦隊司令官に対して多分に政治的、官僚的能力が求められることは間違いない。

 

 そもそも中央艦隊は帝国中央地域各所に駐屯する艦隊であり、同規模・同練度の『外敵』を想定して編成されている部隊である(勿論叛乱鎮圧も任務に含んでいるが)。銀河帝国が建国時に多くの『外敵』を抱えていたこと、そしてそれらの内少なくない数を排除できなかったことはこれまでに書いてきた通りである。ルドルフもノイエ・シュタウフェン大公も銀河帝国の統治が及ばない地域に帝国を脅かす『外敵』が生まれる危険性を重々承知していた。辺境自治領・公選貴族領・外様貴族といった不穏分子が『外敵』に協力すれば、銀河帝国を崩壊させることも不可能ではない。帝国など銀河に広がった――あるいは忘れ去れた――人類領域全体から見れば少数派(・・・)に過ぎないのだから。

 

 将来の外敵の出現を視野に入れてルドルフやノイエ・シュタウフェンは帝国中央艦隊の規模を最低一〇個艦隊と定め、これ以下への軍縮を禁じた。尤も、二代ジギスムント一世鎮定帝は早々に軍縮に取り組み、書類上のポストは残しながらもその定数を大きく減らし、一部を辺境艦隊に再編する。建国初期の銀河帝国に一万二〇〇〇隻からなる艦隊を一〇個も維持する余裕は無かったからである。一方で地上軍は外征戦力の一部が解体されるにとどまった。

 

 ジギスムント一世は諸侯にほぼ無制限の私兵部隊保有を許したが、その宇宙戦力――特に恒星間航行能力を持つ軍艦――に関してだけは厳しく制限した。また、各諸侯領に重石となる正規軍の地上戦力を置き、それらを支援する六個辺境艦隊を各地に派遣することで、諸侯の離反を防いだ。これら正規地上軍と辺境艦隊が諸侯の反乱に即応し封じ込め、その間に動員した中央艦隊で粉砕する、という発想である。諸侯の保有する宇宙戦力を制限しておけば、多くの艦艇は必要ない。地上戦力と違って宇宙戦力を速成することはできない。

 

 銀河帝国宇宙軍の保有艦船数は年を追うごとに減少していたが、それが増加に転じたのは宇宙暦三三六年の事だ。五年前のダゴン星域会戦で帝国正規軍は保有する戦力の半数を投入し、その殆どを殲滅された。これ以降、銀河帝国は宇宙軍戦力の近代化更新と再編・増強を全力で進めることになる。なお、中央艦隊に付けられた「胸甲騎兵」「弓騎兵」「軽騎兵」といった兵科名はその艦隊が戦場で果たすことを期待される役割を示している。胸甲騎兵艦隊は重装甲の艦が多い、弓騎兵艦隊は砲戦に強い……等とされているが、長年の戦争の中で平均化が進み、近年では兵科ごとの違いは小さくなっている。

 

 宇宙暦三五一年にはコルネリアス一世親征帝によって新たに黒色槍騎兵艦隊が創設され、初代司令官に平民のマルクス・バッハマン宇宙軍大将が任命される。配下の指揮官も悉くコルネリアス一世親征帝の求める基準を満たした平民将校が任命された。コルネリアス一世帝の意図は、来るべき親征に際して平民軍人の力を既存の貴族軍人の反発を受けずに円滑に活用することにあったとされる。その後も黒色槍騎兵艦隊は「平民艦隊」と蔑視されながらも正規艦隊随一の練度と勇猛さで知られることになる。また、宇宙暦七五一年まで士官学校に入学できなかった平民にとって、一兵卒からの叩き上げで平民が辿り着ける最高の地位と位置付けられることになった。そして宇宙暦三九八年、シャンダルーアでの大敗以降劣勢に立たされていた帝国は最後の中央艦隊である橙色胸甲騎兵艦隊の創設に踏み切る。こうして今に知られる帝国軍一八個正規艦隊が揃った。

 

「……」

『バルヒェット大佐の復権に対する閣下の御尽力、大変感謝しております。我々旧ブラウンシュヴァイク派は今後とも閣下と良い関係を……』

 

 私は机の上に投げ出されている格式ばった手紙に目線を動かす。送り主は灰色軽騎兵艦隊司令官フリードリヒ・フォン・ノームブルク宇宙軍大将、ブラウンシュヴァイク公爵の派閥に属していた伯爵家の分家筋出身だ。『三・二四政変』で壊滅的な被害を被ったブラウンシュヴァイク一門とその派閥だが、ノームブルク伯爵家はアンドレアス公爵家との血縁が味方し粛清を生き延びた。またノームブルク大将自身も遠くズデーテン地方に赴任していた為に難を逃れた。現在、生き残ったノームブルク大将率いる灰色軽騎兵艦隊は軍部ブラウンシュヴァイク派最後の牙城となっている。黒色槍騎兵艦隊が「平民艦隊」と陰口を叩かれるように灰色軽騎兵艦隊も元々「外様艦隊」と陰口を叩かれるような他貴族集団の厄介者を集めた部隊だった。軍部ブラウンシュヴァイク派の巣窟となったのも、半分は軍主流派・帯剣貴族集団が厄介払いの意図を込めたからという側面がある。

 

「バルヒェットを助けたことに下心は無い、はずだったんだがなぁ……」

 

 私はしみじみと呟く。バルヒェット伯爵家はブラウンシュヴァイク一門の名門、そしてその本流筋であるバルヒェットは旧ブラウンシュヴァイク派にとって大切な同胞だ。私が彼を粛清の間の手から守り、そしてかけられた国事犯指定と臣籍剥奪処分を私が助力して取り消させたことは、旧ブラウンシュヴァイク派の面々に対する大きな貸しとなる。……バルヒェットを助けた時にはそんなことまでは考えていなかったのだが。

 

 バルヒェットが私を嫌っていたことは当時幼年学校に居た者なら誰でも知っている。勿論、卒業後もクロプシュトック派に近づいた私とブラウンシュヴァイク一門のバルヒェットでは折り合いが悪かった。だから、『三・二四政変』後にリッテンハイム軍に領地を追われたバルヒェット伯爵一門が私を頼ってチェザーリへ逃げてきたとき、私たちの関係を知る平民や帯剣貴族出身の同期は驚いた。私を頼る位ならばバルヒェットは死を選ぶと予想していたからだ。一方領地貴族たちは納得した。個人的な好悪の情は関係無い、家を背負っている以上はどのような恥辱に塗れようとも生き抜かないといけないのだ。領地貴族たちはむしろ私が彼を助けた事に驚愕した。身包み剥がして警察総局なり社会秩序維持庁なりに突き出した方が圧倒的に得だ。

 

 ……バルヒェットは私の顔を見るなり土下座して詫び、慈悲を請い始めた。見かねた私はすぐに彼を助け起こし、全力で匿うこと約束した。その後のバルヒェットは過去の彼からは想像もつかない程「良い奴」になった。チェザーリの民に混じって治水に参加し、自主的にチェザーリ駐留帝国軍の訓練に参加して全身に傷を作り、共和主義者の聖典をいくつも覚えて私の下に逃げてきた知識人たちの信頼を勝ち得ようとした。……そんな彼を見て私は改めて貴族制度を呪った。彼がそこまでしないといけないのは貴族制度があるからであり、私が彼を守れてしまうのも貴族制度があるからだ。前の彼は「嫌な奴」だった。だがそれもまた彼の在り様だ。この国で個人の在り様なんてものはこんなにも簡単に変わらないといけない、そして変えることができてしまうものなのだろう。

 

「……さて、返事を書かないとな」

 

 ノームブルク大将の手紙には自邸での晩餐会への招待も書かれている。少しでも私との繋がりを強化したいのだろう。軍内で冷遇されている旧ブラウンシュヴァイク派にとって、私は数少ない『味方』だ。現在、講和・課税問題を巡って帯剣貴族と領地貴族は全面的な衝突状態にある。軍部でも継戦・課税支持で一致するライヘンバッハ派と主要な帯剣貴族諸派が、課税反対の軍部門閥派及び終戦支持のシュタイエルマルク派との間で一触即発の状況にある。ノームブルク大将率いる軍部ブラウンシュヴァイク派はリッテンハイム系を中心とする軍部門閥派と対立しているが、領地貴族出身であるが故にライヘンバッハ派やシュタイエルマルク派、帯剣貴族諸派からも白眼視されている。だから、理屈で考えればバルヒェット大佐の復権は帯剣貴族にとって得であり、領地貴族――特にバルヒェット伯爵領を乗っ取ったリッテンハイム派――にとって損なのだが、私が根回しに動くまで復権が実現する気配は無かった。

 

「失礼します。閣下、お迎えに上がりました」

「ああ、少しだけ待ってくれ。……もう少しで終わる」

 

 ノームブルク大将率いる旧ブラウンシュヴァイク派の力は私が密かに計画する粛軍に必要不可欠である。軍部ライヘンバッハ派は巨大派閥だが、残念ながらその重鎮の中で信頼に足るのは母の実家グリーセンベック男爵家と同家を通じて私と血の繋がりがあるアイゼナッハ男爵家だけといって良い。私が神輿で居る限りはライヘンバッハ派は私に従うだろう、しかし軍部の掌握、改革に乗り出すとなると話は変わってくる。私が最終的に目指していたのは皇帝や帯剣貴族が私物化する軍では無く、人民の監視と承認の下国家に仕える軍だ。ライヘンバッハ派の重鎮……というよりも帯剣貴族の重鎮たちに気付かれないように、その牙城を崩す努力をする必要があるのだ。

 

『……帝国正規軍は皇帝陛下の軍であり、将兵の命は全て皇帝陛下に捧げられます。しかしながら……今の帝国軍がそうでは無い事を、私たちは知っています。貴下の同胞たちに関して私が突き止めた幾つかの事実をお教えしたい。近く、貴下と内密に会う機会を設けて戴きたく存じます。――ライヘンバッハ伯爵,チェザーリ子爵,オルトリング男爵,帝国宇宙軍大将,アルベルト・フォン・ライヘンバッハ――』

 

「……よし、終わった。ヴィンクラー中佐、後方参謀のハルトマン少佐を呼んでくれ」

「了解いたしました。視察の同行を命じられるのですか?」

「いや、ちょっとしたお使いを頼むだけだよ」

 

 赤色胸甲騎兵艦隊司令官次席副官アルフレッド・アロイス・ヴィンクラー宇宙軍中佐は信頼に足る副官ではあるが、手元の手紙の内容を考えると副官としてだけではなく、人間として信頼できる者に託す必要がある。幼年学校の同期生であり、志を共にするハルトマン少佐はその条件を満たしていた。ハルトマン少佐に手紙を託し、私はヴィンクラー中佐と共に公用車へと向かう。

 

「今日の予定を確認したい」

「は!一〇時三〇分よりエイレーネ演習場にて行われるプファイル(正規艦隊陸戦軍機動猟兵連隊全般を指す俗称)とトロンべ(帝都防衛軍中央管区即応連隊の通称)の合同演習を視察、一三時五〇分に同演習場を発ち、一五時より軍務省尚書官房トラーバッハ特別監察委員会に出席、一九時より帝国一般新聞社(ライヒス・アルゲマイネ・ツァイトゥング)の企画でブルックドルフ男爵、ヴァレンシュタイン法務博士と鼎談、二二時よりルーブレヒト・ハウサー宇宙軍中将の昇進記念パーティー二次会に参加となっております」

「トロンべ、トロンべね……あー、ヴィンクラー中佐。君はトロンべに対して含むところとかは無いかね?」

「は?」

 

 私の突然の質問に対し、ヴィンクラー中佐は訳が分からないといった表情で応じた

 

「いや、トロンべ……帝都防衛軍中央管区即応連隊は帝都防衛軍最精鋭の市街戦部隊であり、対テロ不正規戦における事実上の最大戦力といって良い。……最近はロンデルでも派手に動いたし、平民出身の君としては思う所もあるのではないかなと思ってね」

「トロンべは狂信的、急進的な共和主義勢力を帝都の治安を守る為に職務として取り締まっている訳ですから、別に思う所等はありませんが……」

「……」

 

 帝都憲兵隊の腐敗と弱体化が進む一方で、帝都防衛軍所属部隊の治安出動と警察総局機動隊の緊急配備が行われる回数が急速に増えている。食料事情の悪化や各地の分離主義・共和主義の活発化は帝都に置いても緩やかに影響を与えており、民衆の間では革命機運の醸成が進みつつある。これに乗じて活動する共和主義勢力や分離主義勢力、宗教過激派の取締りは今の憲兵隊には荷が重い。憲兵隊の凋落と反比例して治安行政での影響力を強めた社会秩序維持庁はしかしながら強力な実働戦力を持たない――この秘密警察は創設以来クーデター予防として実働戦力を引き離されていた――為、帝都防衛軍や警察総局への出動命令を乱発した。

 

 その例の一つ、ロンデル暴動――アーネベルク州ロンデル市政庁前で地球教徒一〇六〇名余りが請願集会を開催、その際に司法省指定特別犯罪組織の一つである地球教系宗教過激派『大地の子ら』のメンバー複数人の参加が確認されたことから、社会秩序維持庁ロンデル支署が警察総局アーネベルク州警察支署機動隊に出動を命令、これが地球教徒の混乱と反発を招く形となり、最終的にトロンべこと帝都防衛軍中央管区即応連隊が治安出動し武力を以ってこれを鎮圧する騒ぎとなった。その後、社会秩序維持庁は同暴動参加者の検挙を進め、最終的に地球教徒五八六名が拘束、その六割が生きて自らの家に帰ることは無かったとされる――が発生したのは今から約一週間前の九月二六日である。

 

「本請願集会は帝国法に何ら反していない。適法に手続きを経て内務省習俗良化局から承認された平和的な集会だ。全く信じ難い暴挙である」

 

 地球教総大主教は即座に声明を発表。内務省社会秩序維持庁、帝都防衛軍司令部、内務省警察総局、そして宗教を管轄する内務省習俗良化局と典礼省神祇局に対し「国認宗教制の根幹を揺るがす治安機関の暴走であり、リヒャルト一世帝陛下が定めた諸法規にも反する」と厳重に抗議した。また帝国政府の諸勢力・諸組織に対し行っていた献金・寄付の引き上げを検討するとともに、帝国政府・軍情報部に対し行っていた自由惑星同盟の情報提供を一時的に停止することまでもを口にした。さらに帝国・同盟双方の地球教徒たちが一斉に『ロンデル教難連帯』を掲げ抗議活動を開始、一部地域ではロンデルと同じような治安組織との衝突にまで至った。

 

「……」

「?」

 

 私はヴィンクラー中佐の顔を少し見つめる。ヴィンクラー中佐の顔には困惑しか存在せず、トロンべ……あるいはロンデル暴動というキーワードに対し過剰に反応する様子はない。

 

「そうか。なら良いんだ」

 

 ……私と親友であるクルト・フォン・シュタイエルマルクが内密に進めている地球教関連の調査において、軍内部に地球教に近い人材が相当数浸透していることが明らかになっている。アルフレッド・アロイス・ヴィンクラー宇宙軍中佐もまた、調査の中で浮上した人物の一人だ。彼が今交際している女性は地球教フロイテンベルク教管区の司教の娘なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『先月二九日、惑星カストロプ主権回復準備会議議長にマクシミリアン・フォン・カストロプ名誉帝国騎士が選出。フランツ・フォン・マリーンドルフ侯爵を養父とし、英明の誉れ高き俊英である。オーディン文理科大学法学部政治学科を昨年次席で卒業、開明派の若手からは「人民公子マクシミリアン」の呼び名で知られる。カストロプ新議長は近く共和派・独立派・復古派・侯爵派・排外派の各勢力と対話の機会を設ける方針を表明』

『内務省社会秩序維持庁長官ゲルラッハ子爵が「公人としては領内自治・学内自治・軍内自治を盾に不穏分子を匿い、私人としては不逞の輩を邸内に招き大いに増長させている。皇室と帝国の安寧を損なう反国家勢力の試みを助長するそのような輩が未だに拘束すらされることなく要職にあることが私にはどうにも許し難い」とコメント。枢密院副議長ブラッケ侯爵、オーディン文理科大学学長ヴェストパーレ男爵、赤色胸甲騎兵艦隊司令官ライヘンバッハ宇宙軍大将ら開明派を念頭に置いての発言か』

『ガルミッシュ要塞司令官人事を巡って激しい対立か。旧要塞司令官ドレーアー中将(軍部リッテンハイム派)は重ねて転任を拒否。新要塞司令官クライスト中将(軍部クロプシュトック派)及び新駐留艦隊司令官ファルケルホルン中将(軍部ライヘンバッハ派)は着任できず。軍務次官アルレンシュタイン上級大将は「断固たる処置」に言及。統帥本部が宇宙艦隊総司令部と地上軍総監部にガルミッシュ要塞攻略案の検討を指示したとの情報も』

『サジタリウス叛乱軍国防委員長リチャード・オルトリッチが「大規模な軍縮計画策定」を軍部に指示。閣僚からは「最低ラインとして五年二五〇万」(人的資源副委員長ホアン・ルイ)、「あくまで(講和成立といった)前提は何もない軍縮であり、状況の変化によってはさらに大規模な軍縮も有り得るだろう」(法秩序委員長ジェームズ・ソーンダイク)との発言も』

 

 私は演習場から軍務省へ移動する公用車の中で、帝国一般新聞(ライヒス・アルゲマイネ・ツァイトゥング)電子版を流し読みする。他にもシュトレーリッツ公爵領での銀河解放戦線による爆弾テロ、サラエヴォ星系での民族主義の高揚、惑星シャフシュタットでの治安部隊とノーフォーク公爵派住民の武力衝突、キールマンゼク星系におけるリップシュタット愛国貴族連合工作員の逮捕、亡命貴族で五指に入る大物ブランデンブルク侯爵が同盟政府からの亡命帝国人テロ組織『暁の向こう側』に対する支援停止要請を拒否、地上軍第一七軍集団内部でのクーデター未遂……。物騒なニュースばかりだ。

 

 名峰エイレーネ山の麓に設けられたオーディン最大の演習場エイレーネ第一演習場でプファイルとトロンべの合同演習が始まったのは今朝六時である。プファイルとトロンべは共に垂直離着陸機多数を保有する機動歩兵部隊であり、地上軍と陸戦隊の違いはあれどその運用には共通する部分がある。同じ帝都に駐留する部隊であることから、毎年、春と秋の二回に合同演習が組まれることになっていた。今回は八日間の日程が組まれており、今日はその三日目だ。ただでさえ多忙な中央艦隊司令官の職にあり、さらに政治的に重要な立ち位置に居る私は全八日間の日程の内たった一日の数時間程度しか視察できない。参考までに帝都防衛軍司令官ベルンハルト・フォン・シュリーフェン地上軍中将の視察時間を挙げると、八日間の内三日間、最終日は終日演習場に滞在する。これで将兵が私に命を預ける気になるとは到底思えない。

 

 しかし、だからと言ってこれから始まる会議に出席しない訳にもいかない。超党派で構成されるトラーバッハ特別監察委員会は宇宙暦七七一年のトラーバッハ征討――別名トラーバッハの虐殺(ジェノサイド)――におけるザルツブルク公爵家私兵軍、トラーバッハ伯爵家私兵軍の軍事行動が帝国法や軍規に反する疑いがあるとして再調査に乗り出した。リッテンハイム侯爵と並ぶ終戦派の巨魁ザルツブルク公爵を黙らせるべく、特権階級への課税と自由惑星同盟との継戦を掲げる帯剣貴族たちによる陰謀である。……とはいえザルツブルク公爵家がトラーバッハで行った殺戮が帝国法と軍規に反していないはずもなく、少しばかり事実を恣意的に解釈してザルツブルク公爵の悪行を際立たせるだけだ。丸っきり事実を捏造する訳では無い。長年トラーバッハの一件を追っていた私としては例え政争に関連していても、やり方に多少の問題があるとしても、ザルツブルク公爵家とトラーバッハ伯爵家を裁きの場に引きづり出せるのであれば満足せざるを得ない。私に後を託したリバルト・ヴィーゼの無念を晴らす絶好の機会なのだ。

 

『アンゲリィ血の三月慰霊祭実行委員会がアルベルト・フォン・ライヘンバッハ宇宙軍大将、クルト・フォン・シュタイエルマルク宇宙軍大将、グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー宇宙軍大将の三名に対し慰霊祭出席を要請。シュタイエルマルク宇宙軍大将は即日参加の意思を表明。ザルツブルク公爵家、トラーバッハ伯爵家は「トラーバッハ征討をトラーバッハ虐殺(ジェノサイド)と言い換える歴史修正主義者の試みに正規軍人が協力することは信じ難い、軍務省に対し厳重に抗議する」と声明を発表』

 

 トラーバッハ星系第三惑星アンゲリィの人々もこれを機に再びザルツブルク公爵家との対立姿勢を打ち出している。とはいえ、その活動は一枚岩という訳では無い。独立派最大組織「トラーバッハの為の唯一の選択」はトラーバッハの皇帝直轄領編入を訴える一方、それに次ぐ勢力の「正統トラーバッハ」は旧トラーバッハ伯爵家遠縁のリンダーホーフ侯爵家から新たなトラーバッハ伯爵を迎えることを主張する、共和派との繋がりがある「トラーバッハ臣民同盟」はトラーバッハの自治領化を叫ぶ。今は反ザルツブルクで団結しているが、一歩間違えばランズベルクやノイケルン、カストロプのような分裂状態に陥るだろう。

 

「何ともまあ、最近は先行きの不安になるニュースばかり載るな」

「それに比例するように閣下のお名前が紙面に登場する頻度も増えましたな」

「……クラウン社長のお気に入り、だからね。帝国一般新聞(ライヒス・アルゲマイネ・ツァイトゥング)は露骨な程に私を持ち上げる」

 

 私のボヤキに対して、隣に座る首席副官ヘンリク・フォン・オークレール地上軍准将が笑いながら言った。私は帝国一般新聞(ライヒス・アルゲマイネ・ツァイトゥング)社長を務める丸顔に黒縁眼鏡の小太りの壮年男性を頭に思い浮かべ、少し辟易しながら答えた。

 

「メディアの魔力に取りつかれていないと良いんだけどね」

「魔力……ですか?」

「メディアは『第四の権力』なんて言われることもあるのさ。……そもそも第一から第三までの権力がごちゃ混ぜになっていてメディアが全面的にそれに服従する専制国家じゃ馴染みが無い言葉だがね」

「知っています。大帝陛下も連邦の八大害悪の一つとしてメディアを挙げていましたよね」

 

 ヴィンクラー中佐が頷きながら会話に参加する。私はその言葉に眉を顰めて応えた。

 

「それはどうだろうかね?問題は情報を発信する側では無く受け取る側にあると私は思うよ。自分の見たい情報、聞きたい言葉、それをたった一つの真実としてそれ以外を排斥する。メディアというのはね?多様な情報を発信する物だし、それで良いんだ。誤りはいけないが、最悪本当だと信じたのなら結果的に誤りを広めてもそれは仕方ないさ。だから勿論、受け取る側がそこから情報を取捨選択する、というのも間違ってない。ただ連邦の人々は……まあサジタリウスの人々もかもしれないが、自分の能力を過信しすぎたんだよ。そもそも絶対的に正しい情報なんて中々お目にかかれる物じゃあない。ところが自分が選び抜いた情報だけは絶対に正しいと信じ込んでしまった。メディアの誤りは他のメディアや受け取り手によって是正されうる。受け取り手の誤りは……結局のところ受け取り手自身にしか是正しえない」

 

 私は苦々しい思いを抱きながらそうまくし立てた。私の「スイッチ」が突然入ることに慣れているヘンリクは動じないが、ヴィンクラー中佐は私の強い口調に少し驚いた様子だ。

 

「……情報を解釈と言い換えれば昨今の聖典紛争も当てはまりますな」

 

 ヘンリクが突然そんなことを言う。このまま私に口を開かせたら体制批判の一つでも出かねないと考え、話題を変えようとしているのだろう。いくら私でもそこまで軽率では無いのだが。

 

「宇宙時代にもなって聖典の解釈を巡って争うんだから人は変わらないね。聖典を持ち出すなとは言わないが、それを巡って殺し合う位なら土の中に埋めたまんまにしておけば良かっただろうに」

 

『ノルデイッヒ子爵夫人暗殺事件において犯行グループの遺体から「統治無き世界を!」「皇帝・議会・憲法、全ての支配を打倒するまで我々の闘いは終わらない」と書かれた紙が発見される。聖書主権国家樹立を主張する十字教抵抗派(プロテスタント)が関与か』

「変わらない、という言葉は撤回しようかな。悪化しているね。これのどこが十字教新教派(プロテスタント)だよ」

 

 私は溜息をつきながらそう呟いた。一体何がどう捻じ曲がればこんなカルト集団がプロテスタントを名乗ることになるのだろうか。一三日戦争後の混乱で宗教全般が失墜したが、よりにもよってこんな連中が生き残ってしまうのも歴史の皮肉と言えようか。

 

「夫に先立たれ、息子を軍で失い、孫を育てながら薔薇の世話だけを趣味に生きていた老婆が、何だって『支配の象徴』になるんですかね?」

「ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが作り出したこの国で貴族という地位にいる以上は、多かれ少なかれ貴族制度と不当な支配の恩恵を受けているということになるらしい。そして貴族である以上民衆を虐げている可能性は否定できないし、これから意図せず民衆を虐げる危険性もある。もしかしたら自分の友人や家族や部下がその貴族の犠牲になるかもしれない。技術が高度に発展し、貴族が絶大な権力を握るこの世の中、老婆でもやろうと思えばいくらでも地獄は作り出せる。だから何であれ貴族を殺すのは正当防衛であり、肯定されるそうだ」

「……略奪も?四肢を切り捨てるのも正当防衛?」

「知らん。俺に聞くな」

 

 ヴィンクラー中佐が理解できないという様子で尋ねるが、ヘンリクも肩を竦めてそう答えた。

 

「正当防衛な訳がない。大体、そんな主観的な基準で正当防衛が成り立つなら秩序は成り立たないよ。それこそトマス・ホッブズの恐れた世界の到来だ。万人が正当防衛を唱えて万人を害する。だから法規範が重要なのさ」

「トマス・ホッブズの恐れた世界……万人の万人に対する闘争ですか」

 

 ヴィンクラー中佐が不安そうな表情で呟く。私も正直に言えば不安であった。帝国は命数を使い果たしつつある。ルートヴィヒ皇太子がブレーンと共に立て直しに奔走するが、それも焼け石に水だ。終戦と課税、どちらを実施するかを巡る争いも激化する一方で決着には程遠い。領地貴族と帯剣貴族という二つの貴族集団による全面抗争へと発展しつつある課税・終戦問題が決着した時、恐らく二つの貴族集団は大いに疲弊していることだろう。それはルートヴィヒ皇太子や開明派……そして私たち機関にとって望ましい事ではあるが、しかしこの帝国という国を支える三本の柱の内二本が深刻なダメージを受けることもまた事実だ。帝国という家そのものが倒壊してしまえば、ルートヴィヒ皇太子も開明派も私たち機関も纏めて土の下である。

 

(獅子帝の登場まで後一五年程度。メルカッツが大将、ハウサーが中将、シュタインメッツが准将、エルンスト……アイゼナッハが中佐。心なしか私と関わりのある人間の出世が早くなっている気がするね。少なくてもシュタインメッツがこの時点で将官は早い。……加えてケスラーとレンネンカンプ、それにデータベースではメックリンガー、ケンプ、オーベルシュタインが士官学校生。ファーレンハイトが今年幼年学校を卒業、ワーレンとルッツが幼年学校生か。……こう考えると獅子帝の部下達は出世が早すぎる……あのシュタイエルマルク提督やミュッケンベルガー提督、父を超えるペースじゃないか)

 

 私は溜息をつく。まさしく化け物揃いだ。私も今年で四〇歳、家柄と派閥と幸運に恵まれ何とか宇宙軍大将にまで辿り着いた。それでも彼らには劣る。

 

(全部彼らに任せて引っ込む、というのは無責任だろうね。……この世界でも彼らには彼らに相応しい戦いがきっとあるだろう。それまでに私の戦いは私の手で終わらせたいものだ。この地位に立って漸くスタート地点が見えたんだ。……戦争を終わらせる、軍を掌握する、立ち止まる訳にはいかないさ)

 

「閣下。メルクリウス市に入りました。後二〇分程で軍務省に到着します」

「ああ……分かった」

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。

 

 

 

 



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壮年期・『帝都防衛第一四号行動計画』(宇宙暦780年10月25日~宇宙暦780年11月12日)

 宇宙暦七八〇年一〇月二五日。この日、私は赤色胸甲騎兵艦隊司令官としての職務を早めに終え、惑星オーディンゲルマニア州メルクリウス市に位置するカルウィナー=ライヘンバッハ子爵邸を訪れた。軍部ライヘンバッハ派による会合に出席するためである。 

 

「……本日の議題に入る前に一つ諸卿に提案がある。先日、セバスティアン・フォン・リューデリッツ退役元帥閣下が亡くなられた。リューデリッツ退役元帥閣下がティアマト以降の帝国軍に多大な貢献をしたことは間違いない。聡明な退役元帥閣下のことだ、ヴァルハラでもその能力に相応しく遇されることは間違いないだろう。そう考えるとあるいは不要なことかもしれないが……我等も閣下の平安を祈り黙祷を捧げようではないか」

 

 私の言葉に反対は無かった。私も含めリューデリッツに対して良い感情を抱いている者はこの場に居なかったが、それはそれとして「死を悼む」というポーズは必要だ。……特に、リューデリッツ伯爵が暗殺されたのではないかと疑う社会秩序維持庁の捜査が開始されているこの状況では。

 

 ゴールデンバウム王朝期の資料が公開された今日でも、「混迷の宇宙暦七八〇年代」における政争の全貌は明らかになっていない。セバスティアン・フォン・リューデリッツ退役元帥の突然死も例外では無く、宇宙暦八一二年に旧社会秩序維持庁職員の私物からリューデリッツ退役元帥の死因を毒物とする確度の高い鑑定資料が発見されており、恐らく暗殺されたのであろうと推測されているが、それ以上の事は何も明らかになっていない。

 

 私がこの本を書いている今では、暗殺の黒幕としていくつかの個人・組織の名前が挙がっている。最有力候補とされているのは勿論ジークマイスター機関だ。しかし、「失脚して完全に過去の人となったリューデリッツを機関が宇宙暦七八〇年に暗殺する意味は無い」「リューデリッツが唱えていた陰謀説に逆に脚光が当たる結果となることが容易に想像がつくし、実際そうなった」等と反論する声も根強い。私としてもジークマイスター機関黒幕説には懐疑的だ。当時のジークマイスター機関はクルトを中心とする共和派とヴェスターラントら分権派のスタンスの違いが表面化しつつあり、リューデリッツ暗殺などを試みている余裕は無かったはずだ。

 

「惜しい方を亡くした」

 

 私は黙祷を終えてそう呟く。……この言葉はポーズでは無い。私にはセバスティアン・フォン・リューデリッツの死を惜しむ理由があった。

 

 セバスティアン・フォン・リューデリッツは在職時から失脚後までジークマイスター機関の調査を一貫して続けていた。私を初めとする重要人物はリューデリッツによって継続的な監視下に置かれていたし、第二次エルザス=ロートリンゲン戦役時にはバッセンハイム提督に対して機関の存在に気を付けるように忠告を与えていたと聞く。そんなリューデリッツだが、近年その言動に僅かな変化が見られた。私を含む数名の将校を売国奴として憎悪するのは変わらなかったが、加えて妙な陰謀論を唱えるようになった。

 

『フェザーンが宗教組織を用いた大規模なスパイ網を構築しております。軍は最早穴だらけだ!内務尚書閣下のお力を是非貸していただきたい。この国の存亡が掛かっているのです!』

『エルザス=ロートリンゲン戦役の序盤、帝国軍は常に後手に回った。何故か?……フェザーンの情報操作だ』

『先の戦役の真の目的は儂の首だ!フェザーンと亡霊共め……儂を失脚させる為だけに叛乱軍と帝国軍を手玉に取りおった!』

 

 彼は半年ほど前から近しい人間にそんな言葉を漏らしていたそうだ。「かつては究極の合理主義者と呼ばれた人が非合理的な陰謀論に取りつかれる姿は見たくありませんでした」と肩を竦めたのは赤色胸甲騎兵艦隊副司令官ゾンネンフェルス宇宙軍中将、「兄上は貴様への憎悪ですっかり冷静さを失ってしまった」と嘆いたのは後備兵副総監リューデリッツ宇宙軍大将である。しかし、我が親友クルト・フォン・シュタイエルマルクの感想は違った。

 

『リューデリッツは僕達と同じ物を追っているのかもしれない。もしフェザーン=地球教による反国家勢力が本当に存在するならば、それは相当昔から帝国軍内に根を張っている組織の筈だ。ジークマイスター機関と目指す物は当然違う、だが事情を深く知らずに利用されている末端の協力者が僕達のソレと重なっている可能性はゼロではない。僕達の協力者の一部が他の組織にも情報を流している気配は察していた。コミューンや戦線は帝国軍内にも少なくないシンパを抱えているから、てっきりその辺りの組織だと思ってたんだけどね』

『リューデリッツはジークマイスター機関を追う過程で別の組織に辿り着いてしまった、しかしそれに気付いていなかったということか?』

『……少し探ってみるよ。リューデリッツと父は政治的に同志の関係にあった。三・二四政変をきっかけに決裂したとはいえ、その縁は完全に切れた訳じゃない。』

 

 セバスティアン・フォン・リューデリッツが急性心不全で他界したのはその会話から五日後であり、クルト・フォン・シュタイエルマルクが『交通事故』で重傷を負うのはその日から一二日後……つまり昨日の事だった。

 

「シュタイエルマルク君の事故は巷ではザルツブルク公爵の差し金だと言われている。軍務省や憲兵総監部、警察総局には捜査を求める平民共が殺到しているそうだ。平民たちはシュタイエルマルク君の受難を我が事のように憤っているようだな」

「シュタイエルマルクはミュッケンベルガーと並ぶ帝国軍の顔、しかもミュッケンベルガーと違って愛想が良いからなぁ。しかも軍人の癖に政治的な発言を忌避せず、ブラッケやリヒターを支持すると言って憚らない。事あるごとに平民を持ち上げ、時には大貴族と事を構えることも辞さない。軍や政府の不祥事が発覚するたびに平民の記者達はこぞってシュタイエルマルク君のコメントを載せる」

「しかし、今回ばかりは私も平民共に同意しますな。状況証拠からザルツブルク公爵の仕業であることは明白だと言うのに、オッペンハイマーにゲルラッハめ……!帝国軍大将、宇宙艦隊副参謀長が襲われたというのに捜査すらやらないとは……!」

 

 会合の場では当然その話も出る。統帥本部総長ファルケルホルン元帥の疑問に兵站輜重副総監アイゼナッハ大将が答えると、宇宙艦隊司令長官たるバッセンハイム元帥が憲兵総監部と社会秩序維持庁への憤りを漏らす。ライヘンバッハ派の重鎮たちにとって、シュタイエルマルク派の旗頭ということになっているクルトの負傷はハッキリ言って他人事だ。しかし現場の人であるバッセンハイム元帥にとってクルトは戦友であり、優秀な部下であるという意識が強い。また、紫色胸甲騎兵艦隊司令官ゼークト大将はクルトを露骨にライバル視していることで知られるが、彼もまたバッセンハイム元帥と同じように憤懣やるかたない様子である。

 

 ゼークト大将が「帯剣貴族と帝国軍のメンツにかけて領地貴族共に報復を」と叫び、ゼークト大将と同じく猪武者タイプのハルバーシュタット大将とブルクミュラー大将が同調する。他の面々も他派閥とは言え正規軍大将を白昼堂々『事故死』させようとするザルツブルク公爵には不快感を覚えており、シュタイエルマルク派と共闘してでもクルトの事故とトラーバッハ問題に関する真相究明を目指す方針で固まりそうだ。

 

(さて、果たして本当にザルツブルク公爵が黒幕なのだろうか……)

 

 リューデリッツの急死と合わせて考えると、私にはどうにも別の勢力が黒幕に思えて仕方ない。そもそもザルツブルク公爵がクルトを暗殺しても何のメリットも無いのだ。確かにクルトはザルツブルク公爵にとって一番面倒臭い対立者だが、クルト一人消しても帯剣貴族全体に漂う反ザルツブルク……反領地貴族の風潮は消えない。むしろ、今こうしてライヘンバッハ派がシュタイエルマルク派との一時的な共闘を決意したように、余計帯剣貴族たちを刺激するはずだ。

 

(やはり地球教か?しかしリューデリッツを消す動機があるのか?リューデリッツの陰謀論を信じる者など殆どいないというのに……)

 

「……御曹司?」

「……ん?どうしたグリーセンベック」

「いえ、心ここに在らず、といったご様子でしたので……」

 

 上座に座る私から見て右側の隣に座るアドルフ・フォン・グリーセンベック宇宙軍上級大将が小声で話しかけてきた。父カール・ハインリヒが参謀長として重用した人物であり、また私の母方の伯父に当たる人物である。ライヘンバッハ一門ではあるが平民から授爵して三〇〇年程の(相対的に)歴史の浅い男爵家の当主である。しかし、ライヘンバッハ派要人の中では私が全面的に信頼する数少ない人物である。

 

 軍部ライヘンバッハ派には大きく分けて三つの系統があるが、その内の一つ、通称『外様衆』――父カール・ハインリヒの代になってからライヘンバッハ派に加わった、あるいは重きを為すようになった者たち――の事実上の指導者を務めている。グリーセンベック男爵家と同家を通じて私と血縁のあるアイゼナッハ男爵家は他の重鎮とは違い「ライヘンバッハ伯爵家」よりも「アルベルト・フォン・ライヘンバッハ」を優先してくれる。その理由には個人的な親交、父に対する忠誠心もさることながら、下世話な話として私個人を通じてライヘンバッハ派と繋がっているが故に、私が居なくなると彼らの権力も低下する、という事情がある。

 

「アルベルト、人の上に立つ者は敵に畏怖を覚えさせるだけでは無く、味方に畏敬の念を覚えさせなければならん。たとえ気心の知れた人間しか居ない場であっても安易に隙を見せるな」

 

 皺だらけの痩せた老人がしゃがれた声で私を叱責する。老人……コルネリアス・フォン・カルウィナー=ライヘンバッハ地上軍退役上級大将は七二歳の時に大病を患って以来、毎年「コルネリアス老はもう長くない」と噂されながらも、結局その後も六年に渡ってライヘンバッハ一門の分家筆頭として重きを為している人物だ。宇宙暦七七八年まで断続的に地上軍副総監を一一年に渡って務め、その間常に地上軍総監の椅子に最も近いと言われていた。

 

 地上軍総監ルーゲンドルフ元帥が統帥本部総長に転じた際と、リューデリッツ派が凋落しライヘンバッハ派が軍中枢に復帰した際は通常ならば間違いなくコルネリアス老が地上軍総監の地位を得ていただろう。ところが、前者では我が父カール・ハインリヒが宇宙艦隊司令長官を務めていた為に「宇宙軍と地上軍の実働戦力を同じ貴族家が掌握するのは望ましくない」という理由からコルネリアス老は地上軍総監職を辞退せざるを得ず、後者では退役元帥ルーゲンドルフ公爵の「嫡子エルンストに総監職を」という強い意向に配慮して辞退、さらに退役を余儀なくされた。余談だが、コルネリアス老に代わって地上軍総監に就任したルントシュテット上級大将(当時)とルーゲンドルフ大将(当時)はどちらも当時四〇歳という若輩者――相対的に――であった。私も当時四〇歳であり、全てが終わった今から考えれば、何か運命めいたものを感じる。

 

 軍部ライヘンバッハ派では主流派にあたる『長老衆』――代々ライヘンバッハ伯爵家に仕えてきた一族や分家筋出身者で構成される――の頂点に立つ人物であり、私を呼び捨てにしたことからも分かるように一門の実力者として私を超える絶大な権力を持つ。ライヘンバッハ派と協調する地上軍の覇権派閥ルーゲンドルフ派の重鎮でもあり、息子カール・ベルトルトの嫁にはルーゲンドルフ老の孫娘を迎え入れている。我が父カール・ハインリヒは宇宙軍に地盤を持つ上に当初は跡継ぎで無かったことから一門の地上軍軍人と縁が薄く、しかも一門の大物宇宙軍軍人が悉くティアマトで散華した為に、コルネリアス老の支持無くしては軍内派閥はともかくライヘンバッハ伯爵一門を纏めることはできなかったとも言われる。私がディートハルト従兄上との家督争いに勝てたのもコルネリアス老ら一門の地上軍軍人の支持があってこそだった。

 

 ちなみにあと一つは私の幼年学校における同期生など個人的な繋がりからライヘンバッハ派に加わっている『若衆』だ。重鎮が多く権力を握っている『長老衆』は成り上がりの平民や堕落した領地貴族家の出身者までもが大きな顔をしている――そして『長老衆』の意向を無視し私に忠実な――『若衆』の事を快く思っておらず、あからさまに冷遇している。この会合にも『若衆』からはギリギリ『外様衆』とも見做されるクヴィスリング大将(名門帯剣貴族家分家筋)、メルカッツ大将(帯剣貴族家当主)、ゼークト大将(帯剣貴族家当主)の三名しか出席を許されていない。

 

「ああ、申し訳ない、コルネリアス老。……皆、続けてくれ」

 

 私の言葉に聞き、最初に口を開いたのは近衛軍第二艦隊司令官ファウスト・フォン・クロイツァー近衛軍中将だ。

 

「……でありますから先ほど言った通り、宮廷は日に日に終戦派の勢力が大きくなっておるわけです。フェザーンから中立派、保守派諸侯に大金が流れている、これが一番の原因である訳ですな。保守派……つまり課税も講和も反対だ、という頑迷な連中の事ですが、その代表格でありましたカレンベルク公爵も最近はスタンスを終戦派に近づけております」

「結局金か」

 

 吐き捨てるようにハルバーシュタット大将が言った。ハルバーシュタットを含む数名は帝都の外からホログラム通信によってこの会合に参加している。率いる艦隊と共に辺境に赴任している為、映像はやや粗いが、それでもハルバーシュタット大将の表情からはハッキリとした嫌悪感を読み取れた。

 

「カレンベルク公爵の場合は金だけじゃない。奴の本来の領土はサジタリウス叛乱軍との戦争で著しく荒廃している。かつてはブラウンシュヴァイク公爵、今はアンドレアス公爵の庇護を受けて帝国内地の飛び地に避難している訳だが、勿論本領への復帰・復興を諦めている訳では無い。……フェザーンの連中はそこにつけ込んだ、終戦が成ればフェザーンが音頭を取って復興支援を執り行う。イゼルローン側の交易拠点としてサジタリウス腕からの投資を呼び込む、だから終戦に賛同してくれ、とな」

「相変わらず御当主様は物知りですなぁ……」

 

 私の説明に感心半分、呆れ半分といった様子なのは『長老衆』の一人、シュティール地上軍上級大将だ。

 

「……カレンベルク公爵が求めているのは本領安堵、つまり我々軍部がカレンベルク公爵の本土復帰と防衛に便宜を図れば、公爵を課税派……とまでは行かなくても再び保守派のスタンスに近づけることはできるはずだ」

 

 私のそんな提案に対する一同の反応は断固たる拒絶だった。

 

「御当主様、恐れながらそれはカレンベルク公爵家の為に軍を動かせ、という事ですかな?忠勇なる帝国軍将兵に、あのような俗物共に命を捧げろ、と命令するのは気が進みませんな」

「そもそもカレンベルク公爵が領土を失ったのは自業自得だ。我々の防衛指導に従わず、『自由』、『尊厳』あるいは『人道』といった概念で自縄自縛に陥っている叛徒共にみすみす核攻撃の大義名分を与え、八一〇〇万の領民と三五〇万の帝国軍兵士を磨り潰し、それでいて当主一族と譜代家臣からは一人の戦死者も出さず落ち延びてきたような奴らだぞ」

「いくら若の命でもこればっかりは……我がガルデン男爵家の六代当主ハンス・アクセルは惑星カレンベルクの地方都市にて被爆しながらも勇敢に戦い祖国に命を捧げました。カレンベルクの奴らも軍の犠牲があってこそ五体満足で内地に辿り着けた。しかしあの連中は内地に辿り着いてから核攻撃を許した正規軍がいかに無能だったかを力説した!その命を自己弁護と正規軍への誹謗中傷に費やした!あのような……あのような恥知らずの末裔を……」

 

 『長老衆』が一斉に反発の声を上げ、一部『外様衆』も同調する。ダゴン星域会戦後の報復戦期、所謂第一次エルザス=ロートリンゲン戦役において帝国正規軍は大敗に大敗を重ねた。いくつもの星が核の業火に焼かれた。数年前にサジタリウス腕外縁部で起きた破壊と虐殺がオリオン腕外縁部で『やや上品に』拡大再生産された(例えば降伏勧告『は』されたし、核攻撃開始までの時間的猶予『だけ』は与えられた)。

 

 その原因を帯剣貴族たちは領地貴族の腐敗と怠惰、非協力に求める。……実際の所、長年軍縮と平和ボケに晒されてきた帝国宇宙軍の劣化も激しく、装備・戦術・人材・体制のどれをとっても同盟軍に勝る要素が無かった。それ故一概に領地貴族だけに大敗の責任があるとも言えないが……しかし領地貴族の帝国正規軍に対する不協力が著しかったのも間違いはない。当時のエルザス警備管区司令シュミードリン宇宙軍中将は「我々は二つの敵を同時に相手取ることを強いられている。叛乱軍とエルザス愛国義勇軍である。尚、主敵は後者である」というとんでもない報告を軍務省に対しぶちまけ更迭されたが、これは大袈裟でも何でもない。貴族の義勇軍は正規軍を友軍として扱わず良くてデコイ、最悪敵軍として扱い一部星系への進入・惑星への降下を許さず、あろうことか同盟軍の仕業に見せかけて正規軍の補給を脅かしたり施設を破壊したりといった事までやってのけた。(ちなみに後任のシュリーター地上軍中将も「我、戦線崩壊ノ危機ニアリ、全力ヲ以ッテ内憂ニ当タラザルヲ得ズ、外患ヲ回廊ニ留メル余力無シ」と電文を打っている。こちらは「内憂」と表現をぼかしたことで更迭を免れた)

 

 余談ではあるが、領地貴族が下手をすると叛乱軍以上に正規軍を敵視した理由は戦後の研究によって同盟の国防委員会域外情報総局(S E R)(Service of the External Reconnaissance of Free Planets)と最高評議会直轄機関中央情報本部(C I H)(Central Intelligence Headquarters)の情報操作によるものだと判明している。サジタリウス叛乱軍への過小評価を背景に、『サジタリウス叛乱軍からの辺境防衛は中央政府が辺境貴族への統制を強化する口実である』という風聞が実しやかに囁かれ、領地貴族たちは正規軍を中央からの侵略者だと警戒したのだ。……ダゴンでの大敗を中央政府と正規軍が隠蔽していたのもまずかった。第一次エルザス=ロートリンゲン戦役後、ダゴンでの大敗は帝国でも広く知られ、多くの亡命者をサジタリウス腕に走らせることになるが、戦役以前は情報統制が上手くいっていたのだ。同盟の対外情報セクションはそれを逆手に取って離間工作に利用したといえる。

 

「御当主様。我々は帝国軍の、ひいてはこの国の誇りを体現しているのです。確かに御当主様の案はカレンベルク公爵を翻意させるかもしれません。しかし我々は諸侯や官僚とは違う。真の貴族は皇帝陛下と国にのみ忠誠を誓う。その為に与えられた力を、軍を、権力を政争の為に私物化することは許されない。我々がその超えてはならない一線を超えてしまえば、その瞬間から我々は領地貴族共や官僚貴族共を批判する資格を失います」

 

 軍務副尚書カール・ベルトルト・フォン・ライヘンバッハ地上軍上級大将はいつものようにそんな『長老衆』の反発を理路整然とした口調で論理化する。彼の怜悧な頭脳を以ってすれば、自分の論理に存在する矛盾に気付くことは容易だろう。『帝都防衛第一四号行動計画』を主導する彼が『超えてはならない一線』として軍の私物化を挙げるのは御笑い種だ。

 

「……開明派のバルトバッフェル子爵と終戦派のフォルゲン伯爵が両派の協調を模索しているのは知っているかね?特権階級への課税は開明派の悲願、だがその悲願は一度脇に置いて、サジタリウス叛乱軍との講和を実現、膨大な軍事予算にメスを入れることで経済と財政の再建に取り組む。勿論終戦派の領地貴族もこれに協力する。……ブラッケはともかくリヒターは条件次第で乗るぞ?最早手段を選んでいる場合ではないだろう」

「同感です。だからこそ『帝都防衛第一四号行動計画』の発動が必要です」

 

 グリーセンベック上級大将はカール・ベルトルトの返答を聞いて軽く顔を顰め黙り込む。藪をつついて蛇を出したと思ったのだろう。『帝都防衛第一四号行動計画』は軍務省が策定する帝都防衛の戦略の一つだ。帝都防衛軍や近衛軍、帝都周辺の地上軍部隊が何らかの事情で無力化される事態を想定し、首都星オーディンに駐留する宇宙軍部隊の陸戦隊が帝都近郊に展開、無力化された諸部隊に代わり防衛にあたるという内容の戦略である。……表向きは。

 

 実際の所、この戦略は「帝都防衛」ではなく「帝都放棄」を目的としている。常勝の帝政国家で帝都放棄などと言う事態を想定することは許されない。その為、この戦略では徹頭徹尾「宇宙軍陸戦隊が帝都防衛にあたる」というお題目を掲げてあるが、要所要所に皇帝陛下をはじめとする要人、政府機関、国家・皇室資産、戦力を保護・保全するための行動計画が盛り込まれており、これは容易に帝都放棄作戦に転用可能だ。

 

「……『帝都防衛第一四行動計画』は軍を政争の為に私物化することには当たらないのか?」

「当然でしょう。帝国にあるべき秩序を回復するための作戦ですよ?帝国正規軍がその本分を果たすだけです」

 

 沈黙が場を支配する中で、バッセンハイム元帥が苦々し気な表情で問いかけた。少なくない出席者が頭に浮かべながら発言できない問いかけだ。……防衛計画の体裁を取った帝都放棄計画。しかしながらこの『帝都防衛第一四号行動計画』にはもう一つばかり別の顔がある。

 

「『三・二四政変』を忘れたか!同じことを!あろうことか我々がやると言うのか!」

 

 バッセンハイムは激昂してテーブルを叩きながら叫ぶ。……『帝都防衛第一四号行動計画』の別の顔、それはクーデター計画である。宇宙軍陸戦隊が迅速かつ的確に政府・軍の要衝に展開し、要人や資産を『保護』……言い換えれば『確保』する。必要に応じて宇宙軍の拠点にそれらを『移送』し、場合によってはそのまま帝都を『脱出』……言い換えれば『拉致』する計画、それが『帝都防衛第一四号行動計画』だ。

 

「……言葉を慎め。バッセンハイム」

「コルネリアス老……しかし!」

「既にこの計画は御当主様の裁可も得られている。軍要人の殆ども支持、あるいは黙認の構えだ。官僚はクロプシュトックの息が掛かった連中を使える。足りない分は平民でも何でも使えば良い。第一四号行動計画には最早何の障害も無い。……それでも計画に異を唱えるのか?」

 

 コルネリアス老がその痩せこけた身体にはあまりにも不釣り合いな鋭い眼光でバッセンハイムを睨みつける。

 

「納得は必要ない。理解も必要ない。必要なのは服従だ」

 

 コルネリアス老はバッセンハイムから視線を逸らさずに淡々と呟くように言った。

 

「議論は必要ない。妥協も必要ない。必要なのは行動だ」

 

 コルネリアス老は視線をグリーセンベックやアイゼナッハに向けながら続ける。そして私を見てさらに言葉を続ける。

 

「思考は必要ない。感情も必要ない。必要なのは覚悟だ」

「……」

 

 深淵を覗く目、と父はコルネリアス老の目を評した。この席……当主という席に座る前にはよく分からなかったが、今ではこれ以外にコルネリアス老の目を表現する術を思いつかない。睨み返す位の心持ちで無いと、この老人の視線を受け止めることはできない。非論理的だが、この老人の視線から逃げたその瞬間、私が生涯を捧げると覚悟している大望は志半ばにして途絶えるだろう、という考えが私には漠然とあった。

 

「計画は成功する。祖国は栄光を取り戻す。バッセンハイムよ。何を躊躇する?」

「それは……しかし……」

 

 バッセンハイムが口ごもる。バッセンハイムに限らず政争が激しかった時期に前線に立ち続けていたゼークトやハルバーシュタットらには事実上のクーデター計画である『帝都防衛第一四号行動計画』に対する感情的なしこりが存在する。しかしそれを理路整然と言語化する能力は彼らに無く、また感情論で押し切るにはコルネリアス・フォン・ライヘンバッハという老人は手強過ぎた。化け物じみた胆力の持ち主である彼らのさらに上を行くのがこの老人だった。

 

「全ては皇帝陛下と祖国の為に」

 

 コルネリアス老は目を瞑るとまるで祈るような口調で言った。

 

「その一事、その一事だけを覚えておけば、我らが道を誤ることは、決して、無い」

 

 コルネリアス老のその言葉はさして大きくなかったが荘厳な雰囲気と共に会議室に響き渡った。後には静寂が残る。その静寂を破るのはいつもこの男の役割だった。

 

「……では『帝都防衛第一四号行動計画』の進捗状況について御報告します。現在……」

 

 コルネリアス老の嫡男たるカール・ベルトルト・フォン・ライヘンバッハ地上軍上級大将は父の言葉の醸し出す重苦しい雰囲気など物ともせず口を開いた。

 

「……以上が『帝都防衛第一四号行動計画』第七版の概略となります」

「質問だ。三・二四政変以来、主要な貴族家はオーディンの別邸などにかなりの私兵部隊を置くようになった。これについてはどうする?」

「地上軍の主要な部隊がこちらについている以上、さしたる脅威にはなり得ないかと」

 

 カール・ベルトルトの説明が終わると同時に、シュティール大将が質問する。さらに数名が計画の細部に関して質問を行い、それにカール・ベルトルトが返答する。

 

「……警察総局による社会秩序維持庁への捜査妨害も順調に機能しています。憲兵総監部に関しては反オッペンハイマー派に対する支援によって『第一四号行動計画』から目を逸らすことに成功しています」

「地上軍総監部調査部は抑えられているのか?」

「……アルトドルファー元帥に圧力をかけているのですが、『自分にはクルムバッハを抑える力は無い』の一点張りです」

 

 地上軍副総監クルムバッハ上級大将はティアマト以降門閥派に接近した貴族の一人だ。名門帯剣貴族にも関わらず、ブラウンシュヴァイク公爵になりふり構わず擦り寄る姿勢は多くの帯剣貴族から嫌悪の対象となっていた。しかしながら、憲兵総監オッペンハイマー大将と同じく絶妙なバランス感覚で排斥されることなく軍の中枢に居座ってきた。ポイントは派閥と派閥が存在する限り必ず必要になる『裏の』調整役に収まることだ。そこで少なくない帯剣貴族にも「こいつは利用価値が有る」あるいは「何だかんだ言って最後は帯剣貴族の為に尽くす」というように思われることで、帯剣貴族集団の一員でありながら、軍部門閥派の一員でもある、という状態を維持しているのだ。

 

 ちなみにクルムバッハ上級大将とオッペンハイマー大将では役割の被る部分も多く、下手をすると「クルムバッハが居るからオッペンハイマーは要らない」「オッペンハイマーの方が使えるからクルムバッハを切ろう」と思われる可能性もある為、互いの仲は悪い。一応、クルムバッハ上級大将は今は旧ブラウンシュヴァイク派・アンドレアス=リンダーホーフ派に協力しており、オッペンハイマー大将はリッテンハイム派・エーレンベルク派に協力しているが、隙あらば互いの『顧客』を奪おうと切磋琢磨?している。

 

「面倒な……しかしあの狸もついにヤキが回ったな。このサボタージュは高くつくぞ」

「アルトドルファー元帥はわざと協力を拒んでいる訳では無いのでは?実際門閥派と繋がるクルムバッハ上級大将を抑えるのは難しいでしょう」

「抑えられないなら抑えられないなりに出来ることはいくらでもある。アレはただクルムバッハを口実にして言質を取られないように逃げているだけだ」

 

 地上軍総監アルトドルファー元帥は「昼寝のアルトドルファー」という異名で知られる(勿論蔑称も兼ねている)。「敵を作らず・作られず」がモットーの日和見主義者ではあるが、彼が一流の軍政家であり、保身の達人であることは疑いようがない。ルーゲンドルフが覇権派閥となっている地上軍では権力闘争も宇宙軍とは違って歪んでいる。つまり、出世したい者はライバルの失点をルーゲンドルフに報告する。そしてルーゲンドルフの力でライバルを失脚させる。故に、アルトドルファー元帥が「敵を作らない」、より正確に言えば「生きている敵を作らない」のは驚異的だ。自分が敵を作らないようにしても、必ず誰かが悪意を以ってルーゲンドルフに讒言を行う。そんな足の引っ張り合いの地上軍でトップに立っているにも関わらず、「敵」が居ない。つまり「足を引っ張る隙も無かった」のか「足を引っ張ろうとしたけど全く上手くいかなかった」のか「足を引っ張ろうとした敵が全て失脚した」のか……ただ一つハッキリ言えることは、アルトドルファー元帥が「気づいた時には」元帥・地上軍総監に栄達していたという事実だけだ。

 

「まあ、アレは決起の障害にはなり得ないだろう。当面はクルムバッハだけ注意しておけば良かろうて」

「御当主様。『予備計画』の方はどうでしょうか?」

 

 カール・ベルトルトが私に質問してきた。『予備計画』とは読んで字のごとく、『帝都防衛第一四号行動計画』の『予備計画』だ。『帝都防衛第一四号行動計画』が事前に漏れた時に発動する……という事になっている。計画の主体はライヘンバッハ派の上層部が身動きが取れなくなった時の為に『若衆』……という事になっている。

 

「ああ、第七版の内容を反映させる必要はあるが、概ね完成したといって良いだろう。次回会合で内容を提示したいと思う」

「了解しました。……それでは『帝都防衛第一四号行動計画』についてはこの辺りにするとして、次にガルミッシュ要塞における正規軍と要塞駐留艦隊の睨み合いについてですが……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「メルカッツ大将」

 

 会合終了後、私はカルウィナー=ライヘンバッハ子爵邸を出ようとするメルカッツ大将に近づき、話しかけた。

 

「……ああ、ライヘンバッハ大将」

「お疲れのようですね……。退屈なさったでしょう?」

 

 私は周囲に残る将官らに気付かれないよう、小声で問いかける。

 

「まあ。私には難しい話ばかりでしたな」

「そうでしょうそうでしょう。……私も含めて、全部理解している人間なんて居ないでしょうから」

 

 私が冗談めかして言うと、メルカッツ大将は苦笑する。

 

「……申し訳ない、メルカッツ大将。小官は良かれと思って貴方をライヘンバッハ派に誘ったつもりでしたが……これならクルトの所に居た方が楽だったでしょうね。余計な世話を焼きました」

 

 私がそう言うとメルカッツ大将が小さく噴き出した。

 

「どうされました?」

「いや、君もシュミードリン中将やホフマイスター少将と同じことを言うのかとね」

「ああ……。彼らなら、というか貴方の下につけた者達は確かにそう言うことを言いそうです」

「君も面白い人材を渡してくれたね。……彼らにはこう返しておいた。『君たちと共に闘えるのだから、ライヘンバッハ派に入ったのも悪い事ばかりではない』とね」

 

 メルカッツ大将は茶目っ気のある笑みを浮かべながらそう言った。メルカッツ大将の下につけたのは私が目を付けた人材の中で「出自で冷遇されている」「御しにくい」「私を嫌っている」という三つの条件を満たした者たちである。前者二つの条件までならゾンネンフェルス中将、シュターデン少将のように私の艦隊に置いて活用できるのだが、流石に私を嫌っている者たちを私の下に置く訳にもいかない。

 

「上手くいっているようで何よりです。その……彼らの事を丸投げして申し訳ない。放っておけば辺境で野垂れ死にしかねないので……」

「構わないよ。皆優秀な人材だ。まあ一癖も二癖もある連中だが……今までに任されてきた部下を思うと大したことじゃない」

 

 メルカッツ大将は遠い目をしながらそう言った。帝国において自分の幕僚を自由に任命する方法は元帥府を開設するか、政治力を発揮して上層部、特に軍務省人事局に便宜を図らせるかしかない。当然、政治力の無いメルカッツ大将は自分の思い通りの幕僚を任命出来たことは無いのだろう。

 

「メルカッツ大将……。あと少しの辛抱です。『予備計画』が発動すれば多少は軍の風通しも良くなるはずです」

「だと良いね。……まあ、バッセンハイム元帥閣下も君も上司としてはすこぶるやりやすい部類さ。君が思っている程不満も無いよ」

「言わせていただくと……貴方の上司は今までが酷すぎたかと。それと比べられても……」

 

 ハハハ、とメルカッツ大将は笑うと私の肩を軽く叩く。

 

派閥(ここ)に入って分かった。……私は槍働きにしか能がない人間だが、君には色々出来ることがありそうだ。いつぞやの約束、期待しても良いんだろうね?」

 

 メルカッツ大将は穏やかな口調とは裏腹に、真剣な表情で問いかける。『帝都防衛第一四号行動計画』、紛れもないクーデター計画だ。そんなものの存在を聞いたメルカッツ大将がどういう反応をするか、それが心配で声をかけたのだが、やはり思う所はあるらしい。

 

「小官は嘘吐きですが、貴方を騙す言葉を持っていません。……お任せを」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)完成前の一時期に大帝ルドルフが居所を構えたオーディン東大陸ゲルマニア州ブーリ市、通称・旧帝都。建国期には多くの貴族が邸宅を構えていたが、政治・軍事・経済の中心地が新帝都オーディンへと移るに従い、殆どの貴族が居所をオーディン近郊のメルクリウス市やクヴァシル市へと移している。しかしながら建国期の功臣達が暮らしていた邸宅には歴史的・文化的な価値が有り、今でも多くの貴族家は別邸としてブーリ市の旧邸宅を保存していることが多い。結果としてブーリ市西部には最低限の管理要員のみが住み、主を邸内に有さぬ有力貴族の邸宅が立ち並ぶ。他の区域が観光地としてそれなりに繁栄しているのに対して、要人の邸宅が立ち並ぶ西部の一角はさながらゴーストタウンのような様相を呈している。

 

 そんなブーリ市に今でも生活基盤を置く貴族は余程の酔狂者か、貴族社会の中心から距離を置きたい――あるいは置かれる――何らかの事情を持つ者だけだ。建国期以来の名門帯剣貴族家、カールスバート伯爵家は後者の例に当てはまる。

 

 初代当主はルドルフの下で白色槍騎兵艦隊司令官を務めたクルト・フォン・カールスバート、以来幕僚総監を務めた三代当主エーリッヒ、軍務尚書を務めた六代当主シュテファンを始め、多くの高級軍人を輩出してきた。転機が訪れたのは宇宙暦四五三年の事である。重商主義・能力主義を掲げたジギスムント二世痴愚帝に対し、『名門』と呼ばれる家々の貴族が軒並み抵抗の姿勢を見せる中、カールスバート伯爵家九代当主エルヴィンは幕僚総監の要職にありながら、早々にジギスムント二世帝を支持する。

 

 ジギスムント二世痴愚帝がマクシミリアン=ヨーゼフ二世晴眼帝の如き名君ならば問題は無かった。しかしジギスムント二世痴愚帝の『改革』は失敗し、ジギスムント二世帝はゴールデンバウム王朝屈指の暗君として歴史に名を刻む。当然その支持者であったエルヴィン……そしてカールスバート伯爵家の権威も地に落ち、他の帯剣貴族家から白眼視され孤立を深めることになった。

 

 ジギスムント二世痴愚帝の『改革』に一致団結して抵抗した名門帯剣貴族たちは裏切り者のカールスバート伯爵家を露骨に冷遇し、軍中枢から排斥した。カールスバート伯爵家と関係があった諸家は落ち目のカールスバート伯爵家から距離を置き、ツィーテン侯爵家やケルトリング侯爵家、ライヘンバッハ伯爵家、シュリーター伯爵家と同等の権勢を誇ったカールスバート伯爵家は見る見るうちに傾いた。いつしかカールスバート伯爵家は他の貴族から向けられる非難と不信の視線、時代が下った後の嘲笑と憐憫の視線に耐え切れず、ブーリ市の別邸へと移ることを余儀なくされた。

 

 九代当主エルヴィン以来、カールスバート伯爵家は名門として最低限の優遇は受けながらも、中将以上の階級を得た者はおらず、いわゆる「帝国軍三長官」のお膝元である三機関の要職に就く人間すら稀だ。同等の権威を持つはずのライヘンバッハ伯爵家やゾンネンフェルス伯爵家、シュタインホフ伯爵家出身者は悉く軍部中枢での栄達が約束されているのを考えるとやはりカールスバート伯爵家が冷遇されていることは否定できない。

 

 カールスバート伯爵家の現在の当主、アドルフ・フォン・カールスバート宇宙軍少将もその例に漏れず、名門伯爵家の当主にも関わらず現在は第二一警備艦隊司令として辺境のザールラントに赴任している。カールスバート少将は今年五八歳、辺境のポストが全て閑職とも言えないが、それにしても名門伯爵家の当主が五八歳で一警備艦隊司令の宇宙軍少将に過ぎないというのはお世辞にも良い待遇を受けているとは言えないだろう。

 

「お待ちしていましたよー、シュトローゼマン男爵」

「これは……わざわざ出迎えていただけるとは光栄です。カールスバート名誉男爵」

 

 ……故にカールスバート伯爵家が軍内反主流派たる開明派やシュタイエルマルク派に近づいたのは当然の帰結であった。平民さえ同志に加える両派がカールスバート伯爵家を迫害するはずもない、カールスバート伯爵家が「痴愚帝の奸臣」とされたのは三世紀も前の事であり、頑迷な主流派帯剣貴族ならともかく、合理性と公平性を重んじる――少なくとも本人たちはそう信じている――両派にとってはどうでも良い事だ。

 

 宇宙暦七八〇年一一月某日。私の密命を受けた兵站輜重総監部整備回収局第一課長マルセル・フォン・シュトローゼマン宇宙軍大佐はそんな建国期以来の名門貴族家にしてシュタイエルマルク派の重鎮たるカールスバート伯爵邸を訪問する。館の主であるアドルフはザールラント方面に赴任している。シュトローゼマンを出迎えたのは嫡子たる名誉男爵、教育総監部水雷戦監科第二課員クリストフ・フォン・カールスバート宇宙軍大佐だ。

 

 カールスバート大佐も名門出身の貴族将校としては冷遇されているといえる。宇宙暦七六八年に士官学校を首席で卒業後、前線で多くの武功を挙げ将来を嘱望されているこの青年将校は三二歳で宇宙軍大佐の地位にある。士官学校主席卒業者としては少し遅めの昇進速度であり、また名門伯爵家の嫡男としても辛うじて格好がつく程度の階級だ。参考までに言うと三二歳で私は宇宙軍少将、ミュッケンベルガー提督は宇宙軍中将の地位にあった。

 

 シュトローゼマンはカールスバート大佐に先導されて邸内を歩く。邸内は清潔に保たれていたが、それでも建国期に建てられただけあって、どこか古臭い雰囲気が否めない。上手く誤魔化されているが、注意深く観察すれば柱や壁に経年劣化による損耗が見て取れる。

 

「……一応この家も建国期の遺産でしてねぇ。ガタが来ているのは勿論分かってますが、色々改築規制があってあまり大きく手を入れることが出来ないのですよ」

 

 カールスバート大佐は苦笑しながらシュトローゼマンに語る。帝国の中心がオーディンに移ってからも暫くはブーリ市の旧邸宅を別邸として使う貴族が少なくなかった。しかしリヒャルト一世名文帝が遺産保護勅令で定めた諸基準を守りながら、実際に旧邸宅で暮らすのは難しく、やがて貴族たちは旧邸宅に最低限の管理要員を遺して放置するようになった(売却・解体するのは体裁が悪い)。

 

「愛着のある家ではありますが……そろそろメルクリウスに移りたいものですよ。いい加減こんな片田舎に引き籠るのはウンザリです」

 

 カールスバート大佐は優し気な笑みを浮かべながらも、しかし目に強い意志を携えてそう言った。

 

「ここです。どうぞ」

 

 やがてカールスバート大佐が一つの扉の前で立ち止まる。シュトローゼマンがその扉を開くと、中には既に書類の散乱したテーブルを中心に平民の服装に身を包んだ十数人の男が居た。その内の七割方はまさしく疲労困憊といった様子である。無理もない、軍務の合間にブーリ市のカールスバート伯爵邸に足を運び、『予備計画』立案に携わっていたのだから。

 

「……おう、来たかマルセル」

「アルバートか。……ふん、相変わらず意地汚く生き延びてるみたいだな」

 

 部屋の片隅からシュトローゼマンに野太い声がかかる。そこには恐らく壁際の本棚から調達したであろう数十冊の本で即席の椅子を作り安酒を煽っている巨漢が居た。アルバート・フォン・オフレッサー地上軍少将。シュトローゼマンの旧友であり、捕虜となっていた間も少なからず縁のあった男だ。

 

「おいおいおい……旧友との再会を祝う気は無いのか?」

「死人との再会を喜ぶ気にはなれんな。……ブレンターノ准将、全員揃ったかね?」

 

 「ひでぇな、傷ついたぜ」と呟くオフレッサーを軽くあしらうとシュトローゼマンは黒髪の憲兵准将に声をかける。「はい」と答えたカール・バーシュタット・フォン・ブレンターノ宇宙軍憲兵准将の顔立ちは端正であるが、それでいて年に見合わぬ色濃い疲労を感じさせる。

 

「よし、じゃあ始めよう。これがライヘンバッハ大将閣下から頂いた『帝都防衛第一四号行動計画』の最新版、そしてこっちが『予備計画第七版』に対する『上』の評価だ。検討して『予備計画』に反映してくれ。ああそれと、次回の会合までに予備計画の仮装案を作っとけ、とのことだ。老人たちが煩いらしい」

「老人用の別案を一から作れ、と。簡単に言ってくれますねぇ……。何徹すれば出来ますかねぇ?ねぇ中尉?」

 

 カールスバート大佐が溜息をつきながらいきなり隣に立つ中尉に話を振った。中尉は「え」と驚いてから困ったような笑みを浮かべながら「さあ」と答える。

 

 シュトローゼマンはそんな二人を放置してバックから紙の資料を取り出す。幕僚総監部情報部第二課長エッカルト・ビュンシェ宇宙軍准将が進み出て受け取る。彼とカールスバート大佐、そしてこの場には居ないがオークレール地上軍准将の三人が『予備計画』立案の中心者である。

 

「……確認しますが、マルティン・ツァイラー地上軍中将の第四機動軍はあてにして良いのですよね?」

「問題ない、第四機動軍は予備計画へ参加する」

「帝都防衛軍と中央軍集団はどうなりましたか?」

 

 シュトローゼマンに対して矢継ぎ早に質問が行われる。

 

「シュリーフェン中将は相変わらずだ。中立堅持、『一四号行動計画』にも『予備計画』にも加担しないらしい。だが麾下の部隊に協力を禁じる気はないそうだ。中央軍集団の方はメクリンゲン=ライヘンバッハ大将が決意してくれた。こちらを支持するそうだ。……認めたくは無いが、アルバート、お前の証言も役に立ったよ」

 

 「そいつは何よりだ」とオフレッサーが笑う。一方『予備計画』策定チームはどよめく。中央軍集団を引き込めたのであれば、帝都制圧の実働戦力としては申し分ない。一応各々がシュタイエルマルク派やライヘンバッハ派新参の若手将校を『予備計画』に引き込む手筈となっているが、彼らが部隊ごと協力したとしても良くて連隊規模だ。

 

「十分だな。中央軍集団がこちらに付くのなら、戦力的な不安はほぼ解消されたといって良い。帝都防衛軍も敵にならないならそれで良い」

「シュリーフェン中将とメクリンゲン=ライヘンバッハ大将は優先警戒対象から外しますか?」

「シュリーフェン中将はまだダメだねぇ。予備計画の詳細を漏らすようなら消さないと。ブレンターノ准将閣下、監視はつけているのですよね?」

 

 赤色胸甲騎兵艦隊司令部後方主任参謀カール・オルゼンスキー宇宙軍大佐の提案をカールスバート大佐が否定し、ブレンターノに尋ねた。

 

「……ええ、いつでも消せますよ」

 

 ブレンターノ准将が少し陰のある表情でそう答えた。その様子をカールスバート大佐やシュトローゼマンは怪訝に思ったそうだが、その時は深く聞かなかったらしい。

 

「他に『予備計画』の脅威となるのは……」

 

 失脚したグリュックスブルク宇宙軍大将と並び軍部リッテンハイム派きっての実戦派として一目置かれるモーデル上級大将、憲兵総監部に強い影響力を持ち軍内に独自の情報網を保有するクルムバッハ上級大将、そして幾度もの政変を生き延び未だ憲兵総監の地位を保有し続ける保身の化け物オッペンハイマー大将などの名前が挙がるが、それを遮ってシュトローゼマンが発言する。

 

「門閥派は無視しても構わんと言ったはずだ。『行動計画』が奴らの注意を引く」

「……いや、奴ら『予備計画』の存在にも勘付いています。幕僚総監部情報部第三課の動きが最近怪しいんです」

「第三課……アーベントロートか」

 

 情報畑に属している者ならば、一見小物に見える幕僚総監部情報部第三課長テオドール・フォン・アーベントロート宇宙軍准将が軍部リッテンハイム派きっての切れ者であり、侮れない男であることを知っている。

 

「第三課はオークレール准将と私を内偵対象に加えたようです。……『行動計画』を追うのであれば必要のない動きだ。幕僚副総監閣下の力で止めてもらおうとしたのですが……今後一切の協力を拒否されました。調べたところ、地上軍総監閣下が副総監閣下を邸宅に招いてから副総監閣下の様子がおかしくなったそうです」

 

 ビュンシェ准将は眉間に皺を寄せながらそう言った。私が個人的に進める『予備計画』の重要人物である彼も軍部主流派が肝入りで進める『一四号行動計画』の中では末端も良い所だ。

 

「ラルフ、か」

「でしょうね」

 

 シュトローゼマンの呟きにビュンシェが同意する。他の面々は数名を除いて置いてけぼりだ。

 

「地上軍総監アルトドルファー元帥は白色槍騎兵艦隊司令官クラーゼン大将の養父だ。アルトドルファー元帥は明らかに何かを知っている動きをしている。どこからアルトドルファー元帥に情報が流れたか?十中八九クラーゼンだな。……どこまで知っていると思う?」

「行動計画は確実に。ラルフならライヘンバッハ派の一部に情報網を食い込ませていてもおかしくない。そこまでだ……と思いたいんですがね……」

予備計画(こっち)はバレていない、というのは甘い想定か。まあそうだな。あいつもアレで化け物じみた所がある。そうでなくてもクラーゼン子爵家を含む情報閥は侮れない。ここにも何人か人が居てもおかしくないな」

 

 シュトローゼマンの発言に場が騒めく。

 

「まさか!もしそうだとしたら予備計画は……」

 

 オルゼンスキー大佐が動揺を露わに発言するがシュトローゼマンは頭を振る。

 

「情報閥は正真正銘のバケモンだ。そんな次元で動かんよ。あいつらのルーツは連邦保安庁、そのルーツはテオリア惑星同盟情報保全局、そのまたルーツは……と追っていくとキリがない。流石に眉唾だが……ルーツを追っていけば北方連合国家(ノーザン・コンドミニアム)中央情報局(C I A)にまで繋がるという話もある」

「……」

 

 シュトローゼマンの言葉に一同は一様に黙り込んだ。情報閥を構成する貴族たちは銀河連邦を見捨てルドルフ支持に回った各情報セクションの幹部たちが授爵された一族だ。彼らは国家という枠組みも政体という枠組みも思想も主義主張も気にしない。ただただ情報を扱い、大衆の望むものに奉仕する。北方連合国家(ノーザン・コンドミニアム)中央情報局(C I A)から続く伝統、情報機関の政治的中立性を徹底した結果の副作用と言っても良いかもしれない。とはいえ、全員が全員ルドルフ支持に回った訳では無く、共和主義思想を捨てられなかった一部は反銀河帝国運動に合流し、後ろ暗いことがありルドルフの粛清を恐れた一部は辺境に逃れている。前者は今でも銀河解放戦線や革命的民主主義者武装同盟で重きを為し、後者は名高い東洋の同胞(アライアンス・オブ・イースタン)首長連盟公安局やティターノ四大マフィアの一つ「ミランドラ」の設立などに携わった。 

 

「ちょっと脅かしすぎたな。まあ情報閥と一括りに言ってもその内実はバラバラだ。クラーゼン大将がその一員であるからと言って、今回の件にクラーゼン子爵家、そして情報閥が関わってくるとは限らない。ビュンシェ、奴の目的は何だと思う?」

「……専門家としての知見を述べれば分からないという返答ですね。奴の友人として知見を述べるなら……保身では?」

 

 ビュンシェの言葉に困惑するような空気が流れる。しかしシュトローゼマンは「俺もそう思う」と同意を示した。

 

「『騒乱が起きればすぐに隠れ潜む、全てが終わった後、勝者に全力で媚びる』それがクラーゼン子爵家の処世術だと常々言っていましたからね。……実際、歴代のクラーゼン子爵家当主で失脚した者は一人も居ません。ラルフ自身その方法で『三・二四政変』を生き延び、見事に軍に残りましたからね。あいつ、今までに一度も予備役編入されてないんですよ」

「知ってるよ。羨ましい限りだ。……まあ、だからといってクラーゼンを放置しておく訳にもいかん。ブレンターノ准将、監視を頼む」

「……了解です」

 

 ブレンターノが頷いたのを確認し、シュトローゼマンは話を続ける。結局『予備計画』策定チームの会議は夜更けまで続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……わざわざご足労頂き、大変恐縮しております」

「かしこまる必要は無いよ。今は私人として来ているからね。ハウサー」

 

 宇宙暦七八〇年一一月一二日、帝都近郊のオストガロア宇宙軍基地で私は第四辺境艦隊司令官としてバーデン警備管区パルムグレン星系第三惑星カール・パルムグレンに赴任するルーブレヒト・ハウサー宇宙軍中将に会っていた。隣には参謀長として赴任するカミル・エルラッハ宇宙軍少将が機嫌の悪さを隠そうとせず佇む。

 

「……二人ともすまない。私の力が足りないばかりに、バーデンなんてド辺境に行かせることになってしまった」

「フェザーンが近い分ド辺境とは言えないのでは?」

「……バーデンは本当にただの通り道だよ。ラインラント警備管区やバイエルン行政区と違って開発の進んだ良い有人惑星が無いからね。フェザーンの船も寂れたバーデンは連続ワープでさっさと通過する。それでも国境地帯には違いないからね。後ろ暗い連中があの地域には山ほど居る。……それに加えて第四辺境艦隊の活動範囲にはあの(・・)永年紛争地帯ザールラントが含まれている。最近はラインラントも流星旗軍が暴れているし、本当に大変な艦隊を任せることになってしまった。ズィーリオスと並ぶ帝国有数の危険地帯だ」

 

 私の言葉にハウサーは苦笑し、エルラッハはますます眉間の皺を深めた。

 

「そんなところに我々を送るとは。老人方は余程平民がお嫌いな様子だ。閣下が引き立てた他の平民軍人も閣下とメルカッツ大将の所に居る連中以外は辺境送りらしいですな?……ああ、そうだ。閣下は第四辺境艦隊隷下に付けられる増援部隊の陣容を見ましたかな?」

「第三二、第三三、第三四、第四一、第四二の各警備艦隊で構成される総勢計一〇〇〇〇隻だったね?」

「閣下、小官は先んじて各部隊を見回って参りました。どうみても併せて六〇〇〇隻程度、半数以上が二世代以上前の老朽艦です。残りは一世代前の老朽艦か、現役の戦傷艦ですな。最早大規模な不法投棄としか言いようがない。我々の仕事はザールラント叛乱軍に粗大ゴミを破壊していただくことなのかもしれませんな!」

「……すまない。援軍部隊の実態までしっかり確認しておくべきだった」

 

 老人達に援軍部隊の派遣を指示した所、想定したより簡単に受け容れられた。流石の老人達もその程度の良心は残っていたか、と考えた私は底抜けのバカだった。……いや、各辺境艦隊が近年の辺境情勢悪化で消耗していることは軍部でも話題になっており、老人達もその辺りを加味して援軍部隊の派遣を決意したのだと思ったのだ。

 

「……その、こんな事を頼める義理は無いのだが……一応使命の方は真面目に果たしてほしい」

「故、トラウゴット・フォン・フォイエルバッハ宇宙軍大将の影響で軍部開明派の巣窟となっている第四辺境艦隊を掌握、ライヘンバッハ派に取り込め、でしたっけ?やってはみますけど……その、粗大ゴミと一緒に来た若輩の指揮官の言うことを聞いてくれますかね?あそこは難物揃いでしょう?」

「……まあエルラッハが居れば何とかなるんじゃないか?」

「ああ……」

「ああ、では無いだろう。何納得してるんだ」

 

 第四辺境艦隊と関わることの多い、ラインラント警備管区司令だったメクリンゲン=ライヘンバッハ地上軍大将は「第四辺境艦隊は愚連隊のようだった」「だが彼らを嫌悪する余裕は私に無かった。いつしか帝国軍らしからぬ執念と泥臭さで悪党を粉砕する彼らは、私の天使になっていた」と振り返る。メクリンゲン=ライヘンバッハ大将は人生最大の後悔として「ラインラント警備管区司令時代に流星旗軍を葬れなかったこと」を挙げ、人生最大の喜びとして「地獄のようなラインラントから中央に栄転できたこと」を挙げる。……一昔前、ラインラント警備管区司令という役職は決して閑職で無かったが、メクリンゲン=ライヘンバッハ大将が転属した後は紛れもない閑職として扱われている。彼の在職中にそれほど情勢が悪化したのだ。

 

「遠からず君たちの事は呼び戻すつもりだし、第四辺境艦隊が預かる魔の三角地帯については本腰を入れて対応するつもりだ」

「有難うございます。閣下の辣腕に期待して、職務に励みたいと思います」

「……まあ、私も期待はしておきますよ。とにもかくにも、帝国軍人としての本分を果たしましょうかね」

 

 宇宙暦七八〇年一一月一二日、課税か終戦かで帝国中央が揺れる中、ルーブレヒト・ハウサーとカミル・エルラッハの二人は辺境へと旅立った。同時期、カール・ロベルト・シュタインメッツ宇宙軍准将やアルフレッド・ケッフェル宇宙軍准将ら少なくない『若衆』が辺境への赴任を余儀なくされた。軍部ライヘンバッハ派の重鎮が主導して行われたこの粛清は被害者の殆どが平民であり、またシュタイエルマルク派の庇護下にある者達ではなくライヘンバッハ派の内部での話であり、形の上では全て栄転としていたこともあり、殆ど注目されることは無かった。しかし、私が『予備計画』の実行を決断した要因の一つがこの粛清であったことは間違いない。

 



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壮年期・七八〇年危機~グーデンバッハ空襲・第一七回国防諮問会議~(宇宙暦780年12月7日~宇宙暦780年12月10日)

 ユーバーホーレン星系はキフォイザー星系外縁部のガルミッシュ要塞よりヴァルハラ星系側へ二一七光年程離れた宙域に存在する。有人星系は第五惑星のみであり、有人と言っても建国初期に流されてきた共和主義者の末裔たちとその監視に一応置かれた一個連隊の兵士、合わせて精々一万人を超す程度しか住人は存在しない。所謂『流刑地』の中では恵まれた環境であるが、その理由は星系全体でみると資源に乏しく、わざわざ帝国政府が本腰を入れて開発するメリットは無かったこと、そしてクロプシュトック侯爵領とヴァルモーデン侯爵領の境界線上にあって両侯爵家が手を出しにくかったことが挙げられる。

 

 しかし居住可能惑星を放置しておくのも勿体無かったので内務省の管轄下において、収容所惑星の一つとして建国初期の叛乱に連座した者たちの中で従順と判断された者たちがこの惑星に放り込まれた。恐らく、ジギスムント一世帝は時代が下れば通常の直轄領とすることも視野に入れていたのであろう。尤も、他の多くの収容所惑星、中央自治領と同じく後の帝国政府がユーバーホーレン星系に関心を持つことは無く、ユーバーホーレン星系第五惑星は忘れ去られた収容所惑星として放置されることになったが。

 

 宇宙暦七八〇年一二月七日、ガルミッシュ要塞司令官ヴィンツェル・フォン・クライスト宇宙軍中将とガルミッシュ要塞駐留艦隊司令官エルンスト・フォン・ファルケンホルン宇宙軍中将の二人は、そんなさびれたユーバーホーレン星系第五惑星での滞在を余儀なくされていた。二人は秋の人事異動でガルミッシュ要塞に赴任することが決定していた。ところがリッテンハイム派の前要塞司令官ドレーアー宇宙軍中将が辞令を拒否し、率いる艦隊と共に要塞に立て籠もった為に要塞に赴任できなかったのだ。言うまでも無いが、課税派と終戦派……言い換えれば帯剣貴族と領地貴族の対立に起因する事態である。クロプシュトック派のクライスト中将が要塞を抑え、ライヘンバッハ派に近いファルケンホルン中将がそこに艦隊を率いて駐留することになれば、リッテンハイム派諸侯は常に領地を脅かされることになる、それはリッテンハイム侯爵、そしてドレーアー中将にとって首肯し難い未来図であった。

 

 結果としておよそ二か月の間、旧駐留艦隊と新駐留艦隊はキフォイザー星系からユーバーホーレン星系の間で睨み合いを続けることとなった。時として一触即発の事態もあったが、しかしドレーアー中将もクライスト中将もファルケンホルン中将も事態をそれ程深刻に捉えてはいなかった。政治的に対立しているとはいえ、まさか帝国軍同士で相討つ事態にはならないだろう、リッテンハイム侯爵と軍で何らかの取引が行われて手打ちになる、と誰もが予想していた。

 

「甘い予想だったな……しかしこれは油断の代償にしても重すぎるんじゃあないか」

 

 ユーバーホーレン星系第五惑星首都グーデンバッハ――といっても他に町が一つ、村が四つあるだけだが――には敵襲を知らせるサイレンが鳴り響いていた。一〇分ほど前から続く軌道上からの爆撃によって、町の各所で建物が倒壊、炎上している。駐留帝国地上軍の対空防御システムが降り注ぐミサイルの多くを打ち落としているが、廃れた収容所惑星の防御システムでは量的・質的に十分な対空砲火を形成することが出来ず、数発のミサイルが先程から断続的に地上に着弾していた。

 

「っ!駐留地上軍は何をやっているんだ……。大規模多重防御層形成システムを使え!」

 

 また一発のミサイルが都市郊外に落ち大爆発を起こす。ファルケンホルン中将はその様子を見ながら毒づくが、指向性エネルギー中和磁場発生装置を中核とする大規模多重防御層形成システムは莫大な建造・維持コストから限られた都市にしか配備されていない。仮に配備されていたとしても、グーデンバッハの発電能力では一瞬の展開にも耐えられないだろう。

 

「閣下!先ほどの至近弾で車が全滅しました!」

「はあ!?…………何とかしろ!」

 

 エルンスト・フォン・ファルケンホルン宇宙軍中将は苛立ちのあまり、副官を怒鳴りつけた。滞在しているホテルから臨時司令部に戻らないといけない。距離を考えると流石に走っていくのは非現実的だ。しかし足止めを食らうよりはいっそ……。ファルケンホルン中将は士官学校以来の長距離走を覚悟したが、幸いにも横転している装甲車の一つが使えそうだというが分かった。副官や護衛、ホテルの従業員ら一〇人余りで何とか装甲車を起こし、漸くホテルを出ることが出来た。……しかし、装甲車は数〇〇メートルも進まない内に停止を余儀なくされた。グーデンバッハ都市運営委員会事務局ビル前に、大量の民間人が押し寄せ、道路を塞いでいたのだ。

 

 これが辺境の惑星ならば住民たちは自分の身を守る為にするべき行動を分かっていただろう。しかし中央地域の、しかも時代から取り残されていた旧収容所惑星の住民たちには、軌道上からミサイルとレーザーが降り注ぐ状況に冷静に対応できる知識は無かった。結果として半狂乱になった住民たちが軍や内務省、都市運営委員会の施設に押し寄せることとなり、一部は暴徒化することになった。

 

「クソ!ああもう一人二人轢いても構わん!強引に押し通れ!」

 

 ファルケンホルン中将はいよいよ苛立ちのあまり強硬手段に出ようとする。しかしそれを聞いた運転手がアクセルを踏む足に力を込めるよりも早く、一発のミサイルが再び地上に着弾した。今度の着弾点は郊外では無い、中心部から殆ど離れていなかった。凄まじい爆風が民間人を一気に吹き飛ばし、漸く道が開ける。……道自体の舗装も所々吹き飛んだが。

 

「……ぐ……」

 

 勿論、装甲車も無事では済まなかった。爆風で吹き飛ばされた装甲車は二転三転した挙句、丁度先ほどホテルで見た時と同じように横転した。ファルケンホルン中将は文字通り世界が二転三転する様子を眺めながら全身を強かに打ち付ける。やっとの思いで装甲車を這い出したファルケンホルン中将はそこでグーデンバッハ宇宙港の方の空が真っ赤に染まり、その中で同港の管制塔がゆっくりと倒れていく様子を見た。

 

「……何てことだ」

 

 ファルケンホルン中将の顔色が蒼白になった理由は単純だ。炎上するグーデンバッハ宇宙港にはガルミッシュ要塞臨時司令部、同駐留艦隊臨時司令部が置かれており、敵襲の瞬間にもクライスト宇宙軍中将を初めとする多くの軍将兵が勤務していたのだ。

 

「ハァハァ……血迷った、か!グフッ……リッテンハイム……ッ」

 

 ヴィンツェル・フォン・クライスト宇宙軍中将は避難中に空港に着弾したミサイルの爆風で全身を強かに打ち付けていた。動けなくなり、炎上する空港の中ただ死を待つのみの状況に置かれていたが、幸運にもクライストの下に火が回る前に軌道上からの砲撃が止み、それによって開始された救助作戦によって命脈を保つことが出来た。

 

「クライスト中将も存外しぶといな、まあ何にせよ助かったのは良い事だ」

 

 クライスト中将が生還したことを知ったファルケンホルン中将は本心からそう言った。同部署に同格の指揮官が二人いれば九九%まで対立するというが、この二人はそもそも『部署』にすら辿り着けなかった為にそれ程険悪な仲では無かった。よってファルケンホルン中将は素直に同僚の不運に同情し……仇を取ることを誓った。

 

「ガルミッシュの阿呆共に自分の仕出かしたことの重さを思い知らせてやる……皆、覚悟は良いな?」

 

 骨折した右腕をギブスで固定し包帯で首から吊り下げ、頭には何重にも包帯を巻き、服の下にも何枚もの湿布を張りながらファルケンホルン中将は幕僚たちに語り掛けた。まさに満身創痍ではあるが、これらの傷の内八割ほどは治そうと思えば簡単に治せる。しかしファルケンホルン中将は落とし前をつけるまであえて簡易的な治療しか受けなかった。

 

政争(遊び)の時間は終わりだ……」

 

 ファルケンホルン中将は瞳に復仇の固い決意を滲ませながら呟いた。

 

 

 

 

 

 銀河帝国の体制下でイマヌエル・カントもまたその思想体系を大きく歪められた哲学者の一人である。『単一国家』や『道徳』という概念を浸透させるために西暦時代のカントの難解な思想が持ち出され、簡略化の過程で意図的に歪められ、公教育の場で使われていた。軍務副尚書カール・ベルトルト・フォン・ライヘンバッハ地上軍大将はそんな「都合の良い」イマヌエル・カントを「人生の師」として公言している。要人の中でも一際時間に正確な事で知られ、また「一般的には」清廉……というより潔癖な人物として知られている。

 

 宇宙暦七八〇年一二月七日、カール・ベルトルトが日課である食後二時間の読書を始めてきっかり一五分後、私的な端末に一本の通信が入った。通信の相手……ガルミッシュ要塞駐留艦隊第二分艦隊所属第一六任務群司令、アルノルト・カルテンボルン宇宙軍大佐は命令通りに部隊を率いてユーバーホーレン星系第五惑星を奇襲したことを報告した。

 

「上出来です、カルテンボルン大佐」

『……』

「クライストは生き残ったみたいですが……まあそれは仕方ありませんね。あわよくば、という話でした。二兎を追う者は一兎をも得ず、と古人も言っています」

 

 カール・ベルトルトはスケジュールを乱されることを極度に嫌う、父コルネリアス老が倒れた時でさえ、スケジュールの乱れを嫌って翌日まで見舞いに行かなかった。一般的な親子の情からしても異質であるし、貴族としても異質といって良い。しかしそれはただのポーズに過ぎなかった。今受けている通信のように本当に大事な用事があれば簡単に投げ捨てる程度の芝居だった。

 

『約束は……守っていただけますね?』

「カルテンボルン伯爵家の再興、一門の軍中枢への復帰でしたか。……卿の叔父上は厳格と冷酷の境目を知らない冷血漢でした。故に、カルテンボルン伯爵家は取り潰されることとなった。……しかしカルテンボルンの血筋からすると叔父上のような例は異端です。卿の御父上は立派な帯剣貴族でした。代々の当主も勇猛果敢、鉄心石腸、いずれも栄えある帝国軍の為に忠誠を捧げてきました。そんなカルテンボルンの青き血を在野に捨て置くのは忍びない。……卿が叔父上と違い、正しくカルテンボルンの誇りを示すのであれば、私は約束通り卿を再び同胞として迎え入れましょう」

『閣下の御期待に応えることで、カルテンボルンの血統の価値を必ずや証明してみせましょう』

 

 カルテンボルン大佐の力強い言葉をカール・ベルトルトは軽く頷いて受け止める。

 

「……では別命あるまで引き続きガルミッシュ要塞の方を探ってください。頼みましたよ」

 

 カール・ベルトルトはそう言って通信を切る。そして溜息を一つつくとどこかに連絡を取り、「ああ、私です。命令を遂行してください」と一方的に述べる。「命令」の内容は簡単だ。『不自然でない形でカルテンボルン大佐の口を封じる』……カール・ベルトルトに約束を守る気など全く無かった。

 

「……この程度の事でカルテンボルン伯爵家が許される訳が無いでしょう。三代は命を賭けて贖罪していただかないと」

 

 カール・ベルトルトはカルテンボルン大佐の叔父が起こした不祥事を思い出し渋面を作る。帝都幼年学校長があろうことか生徒から訴えられたのだ。忌々しい高等法院――今は大審院と名を変えているが――によって堂々と軍務省と教育総監部が批判され、その権威は大きく失墜した。軍と帯剣貴族集団はイコール――少なくとも貴族の殆どの意識では――であり、従って公的に責任を取ったのは教育総監ハーゼンシュタイン大将一人であったが、全ての帯剣貴族は当事者として、官僚貴族からの糾弾、領地貴族からの嘲笑を受け止めることとなった。帯剣貴族たちの中には今でもその時の屈辱を忘れておらず、カルテンボルン家を露骨に嫌悪・冷遇する者も居る。

 

 カール・ベルトルトにしてみればそのような些事を引きずり、わざわざカルテンボルン家への迫害などに労力を割くというのも馬鹿げた話だとは思う。思うのだがそれはそれとしてカルテンボルン家はまだ『筋』を通していないという思いも強い。実際カルテンボルン家が帯剣貴族の体面に泥を塗ったのは間違いないのだ。カルテンボルン大佐に任せた裏工作は当たり前だが表に出せる類のモノではない。そんな汚れ仕事の報酬に伯爵家の再興は高すぎる。カール・ベルトルトに言わせれば、今回の裏工作で漸くカルテンボルン家は『スタート』に戻ってきたのだ。もっと派手な功績……誰にも文句を言わせない武勲……今のカルテンボルン家はそれを手に入れる機会と手段を奪われている。それを返してやるから後は自力で戻ってこい、それがカール・ベルトルトの考えであった。

 

「……分を弁えているのであれば生かして使ってやるつもりでしたが、たった一度死線を潜り抜けた程度(・・)で再興を望むとなると……扱いにくい」

 

 カール・ベルトルトはそう呟くとカルテンボルン大佐の事を考えるのを止めた。そして携帯端末で同じくライヘンバッハ一門に属する中央軍集団司令官ホルスト・フォン・メクリンゲン=ライヘンバッハ地上軍大将に連絡を取った。

 

「……ああ、メクリンゲン卿。私です。かねてからの予定通りガルミッシュ方面で戦闘が発生しました。これで『一四号戦略』発動の大義名分が出来ました」

『……ではついに?』

「ええ。主要な諸侯は一〇日後の名士会議に備え帝都に滞在しています。今ならば帝国に巣食う寄生虫共を根こそぎ廃することが出来るでしょう。リッテンハイム派の殆どとブラウンシュヴァイク派の一部を粛清しそこなった『三・二四政変』と同じ轍は踏みません。……どうしましたか、計画に何か気になることでも?」

 

 カール・ベルトルトは画面越しに話す同門の大将の顔色が優れないことに気付き問い掛けた。メクリンゲン=ライヘンバッハの顔色が優れない理由は二つの迷いにあった。メクリンゲン=ライヘンバッハは躊躇しながらも、その内の片方を解決するべく――そしてより秘匿しておきたいもう片方の迷いから目を逸らす為に――一つの疑問をカール・ベルトルトにぶつける。

 

『……いえ。計画は成功するでしょう。しかしその後の事を思うとどうにも不安で……。諸侯が消えた後の領土をどうすればいいのか、と』

 

 これまでの会議でも諸侯を排した後の事は話し合われてきた。そこでは「中央の軍事力によって混乱を治める」「混乱が収まった地域から順番に直轄領に組み入れる」「必要ならば帯剣貴族の一族から新たな領主を派遣する」というような意見が出ていたが、辺境の警備管区を預かり、一部地域の行政を管理しつつ『流星旗軍』との死闘に身を置いていたメクリンゲン=ライヘンバッハにはその話し合いが具体性を欠くように感じられた。本来ならば諸侯の領地ごと……せめてリッテンハイム侯爵らヘッセンの三侯爵の領土位は具体的に統治を回復する段取りを詰めておくべきでは無いだろうか?

 

「確かに一時的な統治機構の麻痺、ないし消失によって混乱は起きるでしょう。しかし中央の軍事力を用いればどうにでもなりますよ。何。軍にだって行政官が居ない訳ではありません。エルザス=ロートリンゲンの少なくない地域やザールラントの特別軍政区、あるいは各地の旧収容所惑星には長年軍政が敷かれているでは無いですか。……ああそうそう。近年では制圧した旧『城内平和同盟(ブルク・フリーデン)』一七星系を直接統治下に置く為に軍務省主導でズデーテン域外鎮定総督府が設置され、成功を収めています」

『確かにノウハウはありますが……軍が面倒を見れる地域には限りがあるでしょう』

 

 そんなメクリンゲン=ライヘンバッハの懸念に対して、しかしカール・ベルトルトは事も無げに言い切った。

 

「面倒を見れない地域は放っておけば良いじゃないですか。平民や劣等人種は宇宙に上がってこれませんし」

『……』

 

 その返答にメクリンゲン=ライヘンバッハ大将は絶句する。カール・ベルトルトはそんなメクリンゲン=ライヘンバッハを不思議そうに見た。

 

『し、しかし……そう、食料はどうしますか?ご存知かとは思いますが、殆どの惑星は産業効率化の為に惑星単位での分業制を採用しています。農業惑星以外は他惑星からの輸入に食料を頼っている訳ですが……』

 

 『統治できない?ならしなくて良いじゃん』などという答えが来ると予想していなかったメクリンゲン=ライヘンバッハは言葉に窮しながらも咄嗟に食料問題を口に出す。

 

「ああ、なるほど輸送網の心配ですか。卿はあの『流星旗軍』に悩まされましたからね。不安に思うのは分かりますが流石に過大評価が過ぎるのでは?軍が本腰を入れて輸送網を維持すれば海賊や反政府勢力などは問題になりませんよ。少なくとも私兵軍よりは正規軍の方が適切に対処できるでしょう」

 

 「そういう事ではない」とメクリンゲン=ライヘンバッハは叫びそうになった。農業惑星から適切な量の食料品を回収し、適切な場所に適切な時間で適切な量を運ぶ。門外漢であり、しかも中央から派遣された軍が独力でそんなことが出来る訳がない。仮に届けられたとして、各惑星で民衆に食料を供給するのは誰の役割だろうか。現地の商人は諸侯とべったりだ。場合によっては諸侯の一門の貴族が経営している。軍政下に置かれている一部地域のように配給制度を実施するのだろうか。……必要な管理能力を持った軍人の数が圧倒的に足りないだろう。

 

「ま、勿論混乱はあるでしょうが、帝国の次の一〇〇年、二〇〇年を考えれば多少の損害は仕方がありません」

『億単位で死者が発生するかと……』

 

 メクリンゲン=ライヘンバッハは旧ブラウンシュヴァイク派諸侯の領地を念頭に置きながら、『億単位』という言葉を口にした。……『三・二四政変』で不運にも統治者一族を軒並み失った地域は著しい混乱状態にある。例えばノイケルンでは共和派が恐怖政治によって『守旧派』への苛烈な粛清――ノイケルン国際大学の試算では人口の四割が直接的・間接的に命を失ったとされる――を行っている。ランズベルクでは王党派、旧伯爵家派、共和派が血みどろの内戦を繰り広げる。バルヒェットはリッテンハイム侯爵私兵軍と旧バルヒェット伯爵家私兵軍の地上戦の余波で貧困に喘ぎ、アッフェンバッハとヴェスターラントでは深刻な飢饉が続く。同じことは『一四号戦略』で粛清された諸侯の領地で規模を大きくして再現されるだろう。

 

「私の言う多少の損害にはそれも含まれています。長期的に見れば腐敗貴族が居なくなりますから、帝国貴族領の文明的停滞が解消され、ここ三世紀ほど続いてきた人口減少も歯止めがかかるはずです。外宇宙の人類居住圏を順次帝国の支配体制に組み入れれば、そこから人を連れてくることもできますよ。まあそれは内務官僚と国務官僚の仕事ですが、我々としても協力は惜しみませんしね」

『……』

「心配はいりません。皇帝陛下と軍。帝国の欠かせない両輪(・・)が残っていれば、末端などいくらでも替えが効きますから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ホルスト・フォン・メクリンゲン=ライヘンバッハ大将は自邸の執務室で椅子に腰を掛け、顔を覆い隠しながらのけぞっていた。つい先ほどまでのカール・ベルトルト・フォン・ライヘンバッハ上級大将の会話で精神的な疲労を感じざるを得なかったからだ。

 

「……どの口で諸侯を批判できるのでしょうか」

 

 そんな、メクリンゲン=ライヘンバッハの言葉に、机の上に投げ出されている端末から応じる声がした。私、アルベルト・フォン・ライヘンバッハだ。疲弊した声色の彼に私は語り掛ける。

 

『諸侯は自らの領地の為に、平気で他の領地や国を犠牲にする。それを嫌悪する帯剣貴族も、所詮は『優先順位』が違うだけなんでしょう』

「軍の為なら、平気で他の貴族や国を犠牲にする。という事ですか」

『諸侯と違って国が無ければ軍は成り立たない。帯剣貴族が領地貴族より国に忠実なのは、結局その事実があるからに過ぎない。……残念ながら、我々誇り高き帯剣貴族にさえ、そういう側面はあります』

「……」

 

 メクリンゲン=ライヘンバッハは図らずも、先ほどの会話で自分を悩ませていた二つの迷いが解消されたことに気付いた。「このままクーデターに協力して良いのだろうか」……そして「御当主様――つまり私――に協力しても良いのだろうか」という二つの迷いは今は綺麗に晴れている。

 

「……何にせよ、道は見えました。後は進むだけです」

 

 メクリンゲン=ライヘンバッハはそう呟き、私との通信を切断した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宇宙暦七八〇年一二月九日。ガルミッシュ要塞から二光年の宙域に置いて帝国軍旧ガルミッシュ要塞駐留艦隊の哨戒部隊を新ガルミッシュ要塞駐留艦隊が急襲。不意を突かれた旧駐留艦隊側の重巡航艦一隻、駆逐艦一隻が轟沈、駆逐艦一隻が大破する。第七任務群、第一一任務群が救援に駆け付けるも数的不利から撤退する。

 

『ファルケンホルン中将は頭がおかしいのではないか!?風聞に惑わされて友軍に砲口を向けるなど信じられない!』

『我々はガルミッシュ要塞を不法に占拠する武装集団を攻撃しただけです。何か問題でも?』

 

 フェザーンメディアの取材に対してドレーアー、ファルケンホルンの両中将はそう答える。ファルケンホルン中将はガルミッシュ要塞『奪還』作戦の発動を宣言しキフォイザー星系外縁天体F=二八に仮設基地を設置、ドレーアー中将もガルミッシュ要塞『防衛』作戦の発動を宣言し、麾下の部隊を集結。新旧要塞駐留艦隊の衝突は最早避けられない情勢となった。

 

『帝国宰相府はガルミッシュ要塞周辺に展開する全帝国軍部隊指揮官の指揮権を停止することを決定した。全部隊は国防諮問会議議長の統制を受け容れ、いかなる武力行使も国防諮問会議議長の許可無く行わない事。この決定に従わない者は国家叛逆罪に問われることも覚悟せよ』

 

 同月一二月一〇日、帝国宰相ルートヴィヒがリントシュタット宮殿で緊急記者会見を開き、以上の談話を発表。さらに宰相府がこの問題を預かることを宣言し、全関係者に対しリントシュタット宮殿への出頭を命じた。

 

 同日午後二時、第一七回国防諮問会議が臨時招集される。出席者はシュタイエルマルク、ゾンネンフェルスの両退役元帥を初めとする国防諮問会議議員一二名に加え、軍側から軍務尚書ルーゲンドルフ元帥以下八名の軍高官と、近衛第一・近衛第二・赤色・白色・灰色の艦隊司令官五名が出席。政府側から国務尚書クロプシュトック公爵、司法尚書リヒテンラーデ侯爵、内務尚書レムシャイド伯爵、無任所尚書兼宮廷書記官長リヒター伯爵、社会秩序維持庁長官ゲルラッハ子爵、警察総局長ノルデン子爵ら一九名が出席。そして「グーデンバッハ空襲の黒幕である」「叛逆を企てている」と軍部から弾劾されているリッテンハイム侯爵ら大貴族一七名がルートヴィヒ皇太子の命令で出席した。

 

「やあアルベルト!元気そうで何よりだ!」

「ライヘンバッハ大将、ご機嫌麗しゅう」

「……これはクラーゼン大将にノームブルク大将。お早いご到着ですね」

 

 私を初めとする五名の艦隊指揮官はいずれも帝都近郊に司令部を置いていた為に、ルートヴィヒ皇太子から出席を命じられた。緊急記者会見に先駆けて出頭命令は届けられていたが、帝都勤務の私や第一近衛艦隊司令官ラムスドルフ大将らと違い、星系外にいるフィラッハ、クラーゼン、ノームブルクの三名はギリギリの到着になるはずだった。

 

「そりゃあ、私もノームブルク卿も部隊を放り出して帝都に入り浸ってる不良軍人だからね」

「……その見解には賛同できませんな。正規艦隊司令官ともなると求められる役割は軍人の域に留まらないのです。私は……そして私の部隊は何分複雑な立場にありますので」

「なるほど。確かにノームブルク卿の場合はそうかもしれない。となると不良軍人は私とアルベルトだけだね」

「……勝手に巻き込まないでくれ」

 

 私が顔を顰めて「不良軍人」という言葉を否定すると、ラルフは肩を竦めて壁の方を顎でしゃくった。私たちが居る控室から見て、議場となるマルティン・ルターの間があるのはその方角だ。

 

「他の控室は見てきたかい?」

「……ああ、一門の老人達に会ってきたよ。その後クロプシュトック公爵とリヒテンラーデ侯爵に挨拶してきた」

「いや~参った参った。話しかけるだけで殺されるんじゃないかって位皆気を張り詰めててね。回廊戦役や第二次エルザス=ロートリンゲン戦役でもここまで重苦しい空気は経験しなかった。ルーゲンドルフ元帥に挨拶したんだがね、ノームブルク卿なんて足が震えてたよ」

「クラーゼン卿!」

「ん。冗談冗談。……まあ何にせよ、だ。軍人の戦場が宮殿になったら色々と終わりだと思うんだけどねぇ。アルベルト、君はどう思う?うん?」

 

 そう言って話を振ってきたラルフの目は笑っていない…ようにも見えた。……シュトローゼマンからの報告によると、ラルフは帝国軍のクーデター計画に勘付いているという。私は「同感だ」と素知らぬ顔で応えた。

 

「『同感だ』って君!君自身、宇宙より宮廷で戦ったキャリアの方が長いじゃないか……ま、私もそういう人間だから今更何か言うつもりもやるつもりも無いんだがね。一つ友人の誼で忠告させてくれ」

「……何だい?」

「宮廷には宮廷の、戦場には戦場の論理がある。二つの論理の均衡を取らないと見えるモノも見えなくなるよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リッテンハイム侯爵は皇帝陛下に弓引いた叛逆者である。ガルミッシュ要塞駐留部隊の私物化に留まらず、帝国正規軍への敵対行為……即刻厳重に処罰するべきだ」

 

 恐ろしい程張り詰めた空気の中始まった第一七回国防諮問会議、口火を開いたのは豪胆で鳴る宇宙艦隊司令長官バッセンハイム元帥である。バッセンハイム元帥の発言が終わると僅かに沈黙が続く。誰がどう応じるのか、出席者たちは互いに互いの様子を伺っているのだ。

 

「……ふむ。本当にグーデンバッハを攻撃したのはガルミッシュ要塞駐留艦隊なのかね?」

 

 そんな中口を開いたのは退役元帥の称号を持つ枢密院議員エーレンベルク公爵である。今回の会議に呼ばれた領地貴族は一七名。リッテンハイム侯爵に近いと目される人物が八名、アンドレアス=リンダーホーフ同盟に近い人物が五名、その他四名という内訳だ。いずれも枢密院議員の役職を保持する。

 

 エーレンベルク公爵はアンドレアス=リンダーホーフ同盟に近い人物だが、元軍部ということもあり、この会議でも帯剣貴族の肩を持つのではないか、と予想されている。というのも、アンドレアス=リンダーホーフ同盟は基本的に反リッテンハイム同盟、あるいは非クロプシュトック同盟であり、ハッキリ言って烏合の衆――皇太子・クロプシュトック公爵によって先代のエーレンベルク公爵が追い落とされた際に、三頭同盟を形成していたはずのアンドレアス公爵・リンダーホーフ侯爵が協力したのは記憶に新しい――だが、反リッテンハイムと非クロプシュトックの二点でのみ協力する派閥だ。

 

 課税・終戦を巡る争いでは流石にリッテンハイム派と共同戦線を張ったが、別に仲良しこよしという訳では無い。その為、アンドレアス=リンダーホーフ同盟の中からは今回の「リッテンハイム派の暴発」によって、課税回避よりリッテンハイム派の追い落としを優先する者が出るだろうと噂されている。

 

「軍務省は偵察衛星のデータを開示しています。攻撃部隊は間違いなくガルミッシュ要塞駐留艦隊です。偽造されたデータで無い事は調べればすぐに分かる話です」

「……しかし不自然だ!ガルミッシュ要塞からユーバーホーレン星系まで誰にも気づかれずに行軍することが出来るはずがないだろう!」

「ええ、ですから気づいた者も居るのかもしれません。……例えばガルミッシュ要塞やユーバーホーレン星系周辺を治める貴族家等は気づかなければおかしいでしょうね……」

「なんだと……!」

 

 リッテンハイム派のヴァルモーデン侯爵が疑義を呈するが軍務副尚書ライヘンバッハ上級大将は暗に「それこそがリッテンハイム派諸侯の協力があった証拠ではないか」と指摘し、あっさりと退けた。

 

「気づかなかったとすればそれは無能の誹りを免れないですし、気づいていて見過ごしたのであれば……それは最早叛逆行為と見做されても仕方がないでしょう」

「……で、どうなのかね?諸卿らはガルミッシュ要塞駐留艦隊の暴走に気付いたのかね?」

「待て!同じことはユーバーホーレン星系駐留軍にも言えるではないか!ガルミッシュとユーバーホーレン、一触即発と言われていたあの状況下におけるユーバーホーレン星系側の警備体制は厳重だったはずだ。それなのにガルミッシュ要塞から進軍する一個任務群に気付かないなんてことがあるのかね?あるとすればとんだ無能だ!」

 

 軍務副尚書ライヘンバッハ上級大将と統帥本部総長ファルケンホルン元帥の追及に対して、ヴァルモーデン侯爵が反論する。するとファルケンホルン元帥が色を為した。

 

「貴様等!よもや襲撃を受けた側に原因があるとでも言う気か!盗人猛々しい発言にも程がある!」

「あ、あそこまで完全な奇襲を許すなど、帝国のメンツに関わる話ではないか。ファルケンホルンとクライストの責任こそ追及するべきだ!大体、『盗人猛々しい』とはどういう意味だ!我等が一体何をしたというのだ!……一万、いや一億歩譲ってガルミッシュ要塞駐留艦隊が襲撃を実行したとして、それが何故我等の叛逆の証となるのだ!」

 

 ファルケンホルン元帥の一喝に怯んだヴァルモーデン侯爵に代わって、同じくリッテンハイム派のノルトライン公爵が反論する。リッテンハイム侯爵自身は会議の最初から一言も発さず会議の様相を見ている。

 

「ふん!この期に及んでよくそんなことが言えるな。リッテンハイム派諸侯とガルミッシュ要塞駐留部隊の癒着の証拠はこれでもかと挙がっているのだ。リッテンハイム派諸侯がドレーアー中将を通じてガルミッシュ要塞駐留部隊を私物化していたことは既に立証された事実だ!」

「金品授受、偏向人事、物資横領、不祥事隠蔽、特定貴族家優遇……。仮にも正規軍部隊のやることではありませんね。流石に目に余る腐敗ぶりです。……今の国家にも軍にも国費を投じて貴方方の私兵を養う余裕は無いのですよ。そうですよね?リヒター伯爵」

「……一公僕としての立場で意見を述べさせていただくならば、リッテンハイム侯爵家とドレーアー中将の関係には不適切なモノがあると言わざるを得ませんな。ただ、これはあくまでドレーアー中将の要塞司令官としての資質に対する意見だという事を、皆様には強調しておきたい」

 

 軍務次官アルレンシュタイン上級大将が資料の束を掴み、それを使って机を叩きながら迫る。軍務副尚書ライヘンバッハ上級大将は元財務尚書であり、開明派のリヒター伯爵に話を振るが、リヒター伯爵は慎重な姿勢を崩さなかった。その後も軍部によるリッテンハイム侯爵批判は続き、国防諮問会議議員の大半もリッテンハイム侯爵の処罰に肯定的な姿勢を取る。

 

「宰相殿下に伏してお願い申し上げます。軍部は国政を壟断するリッテンハイム侯爵とその一党の逮捕を望んでおります。どうかその為に、中央艦隊と地上軍を動員することをお許しいただきたい」

 

 場の雰囲気がリッテンハイム侯爵処断に傾いたことを見て取った軍務尚書ルーゲンドルフ元帥がルートヴィヒ皇太子に向き直り奏上する。今まで議論の流れを見守っていたルートヴィヒ皇太子はそこで初めて口を開いた。

 

「……軍部の意見は分かった。しかしリッテンハイム侯爵、卿の意見を聞かずに結論を出す訳にはいくまい。弁明があるなら聞かせて欲しい」

 

 ルートヴィヒ皇太子は自分と同じく一度も発言していないリッテンハイム侯爵に弁明を促す。出席者の視線がリッテンハイム侯爵に集まった。幾度の政争を生き延び、しぶとく中央政府への浸透を続け、政官界においてはクロプシュトック派・ルーゲ派・開明派の消極的な反リッテンハイム連合に果敢に挑み、財界においては政府系・ノイエ・バイエルン系・ブラッケ系の対立にフェザーンの一部勢力から支援を引き出した上で食い込み、軍部においては鉄の結束を誇る帯剣貴族集団から陰に陽に迫害を受けながらも確固たる橋頭保を築き上げた。ブラウンシュヴァイクとカストロプが失墜したとはいえ、アンドレアス、リンダーホーフ、クロプシュトック、エーレンベルク、グレーテル、ノイエ・バイエルン、ブラッケ、フォルゲンといった有力諸侯は健在だ。これらを単独で相手取りながらも未だにクロプシュトック公爵と並ぶ領地貴族の巨頭で有り続けているのは偉業と言わざるを得ない。

 

「黙っていないで何か言ったらどうだ。皇太子殿下が卿の言葉を聞きたいと言っておるのだぞ?」

 

 黙り込んでいるリッテンハイム侯爵に対し、少し焦れた様子でクロプシュトック公爵が詰め寄った。リッテンハイム侯爵にこのような態度を取れる貴族は限られており、その限られた内の一人がクロプシュトック公爵だ。先代のエーレンベルク公爵を失脚させ、その派閥を排斥・吸収したクロプシュトック公爵派は政官界においてリッテンハイム派を凌ぐ権勢を誇る。元々クロプシュトック公爵家が中央官僚であったこと、リッテンハイム・ブラウンシュヴァイク両家と激しく対立していた為に長年中央政府よりの立場を取っていたことがクロプシュトック公爵の栄達に味方した。官僚貴族たちはクロプシュトック公爵に対して比較的反感を持っておらず、クロプシュトック公爵に協力・服従することへの心理的・政治的ハードルは他の領地貴族に同じことをするよりは格段に低かった。

 

 一方で、早い段階でライヘンバッハ派との協調路線を採ったからだろう。軍部主流派との太いパイプが得られたものの、帯剣貴族に遠慮して子飼いの軍人を中央に送り込むことが出来なくなった。結果的に軍部においてはリッテンハイム派がクロプシュトック派に勝る影響力を持つに至っている。勿論、軍部主流派がクロプシュトック公爵に味方すればその勢力差は簡単にひっくり返ったが。

 

「……いや、失敬。しかし先程から何故、私の責任を追及しているのか(・・・・・・・・・・・・・・・・)理解できませんでな。……ふむ。皇太子殿下、臣が考えますに、帯剣貴族諸卿はどうにも心得違いをしていらっしゃるようです。英明で知られるリヒテンラーデ卿やリヒター卿なら気がついてもよさそうな物だが」

 

 クロプシュトック公爵の言葉を受け、リッテンハイム侯爵が漸くその重い口を開いた。そして薄気味悪い笑みを浮かべながらそんな予想外のことを言った。出席者たちの困惑を他所にリッテンハイム侯爵は語り出す。

 

「ハッキリさせておきましょうかな。……ここで話し合うべきことは、卿等の進退だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リントシュタット宮殿で第一七回国防諮問会議が開かれているのと時を同じくして、帝都でも異変が起こっていた。

 

『本日午後二時一六分、軍務省は憲兵総監テオドール・フォン・オッペンハイマー宇宙軍大将を解任、贈収賄と特別背任の容疑で逮捕した。また同時に反国家的策謀への加担が疑われる憲兵総監部の全職権を停止し、宇宙軍特別警察隊がこれに代わって帝都及び軍内の秩序維持にあたる。ヴァルハラ星系外の全憲兵総監部所管組織、及びその将兵は今後宇宙軍特別警察隊司令長官の統制に服すこと』

『宇宙軍特別警察隊司令長官クリストフ・フォン・バウエルバッハ宇宙軍元帥の名に於いてヴァルハラ星系全域に戒厳令を布告する。帝都防衛軍司令部、ゲルマニア防衛軍司令部及び、ゲルマニア州全域の宇宙軍部隊、惑星オーディン全域の地上軍部隊は今より宇宙軍特別警察隊の指揮下に入るべし。戒厳令下において、以下に挙げる政府機関は宇宙軍特別警察隊に対し最大限協力し、その指導監督に従うべし。内務省社会秩序維持庁、同警察総局……』

 

「始まったか」

 

 赤色胸甲騎兵艦隊副司令官オトフリート・フォン・ゾンネンフェルス宇宙軍中将はオペレーターの読み上げる二通の通達――前は軍務省官房長ツィーデン宇宙軍中将の名で、後者は幕僚総監バウエルバッハ元帥の名で出された――を聞きながら、緊張を滲ませつつ呟く。胸につけた小さな白薔薇のブローチを無意識の内に撫でた。

 

 元々、ガルミッシュ方面での戦闘勃発を受けてすぐ、赤色胸甲騎兵艦隊は惑星オーディン衛星軌道上に展開していた。勿論、『帝都防衛第一四号行動計画』遂行の布石だ。諸侯の警戒対象となっている主要な地上軍駐屯地が不審な動きを見せれば、諸侯はクーデターの存在を察知し逃げるなり抵抗するなりしてしまうだろう。それを防ぐための「奇策」、それが衛星軌道上からの陸戦隊降下である。

 

 故に通達前に『帝都防衛第一四号行動計画』の主兵力となる赤色胸甲騎兵艦隊陸戦隊の帝都降下は行われており、手筈通りなら既に先遣隊が統帥本部と宇宙艦隊総司令部に突入している筈だ。通達を受け、地上軍の各部隊も動き始めるだろう。それらの部隊が動く前に一刻も早く帝都や主要目標を制圧し、『予備計画』を発動しないといけなかった。『予備計画』の発動が遅れれば『帝都防衛第一四号行動計画』が成功してしまう(・・・・・・・)からだ。

 

「帝都防衛軍司令部から通信が入っています!司令官代理閣下に状況の説明を繰り返し求めています」

「近衛兵総監ラムスドルフ元帥が閣下と至急話がしたいと……」

「無視しろ。帝都防衛軍は障害にならん。近衛にこちらをどうこうする胆力も能力もない。……いや、そうだな。『これは軍部の総意だ、邪魔建てするのであれば、ルーゲンドルフ老が黙っていない』と伝えたまえ」

 

 メインスクリーンに映し出された降下作戦の様子を見ながらオペレーターに応える。『予備計画』は初動でどれだけ多くの機関と部隊を制圧できるかが肝要だ。ここで艦隊の指揮を執るゾンネンフェルスには最早祈る事しか出来ない。

 

「閣下。陸戦隊の指揮を執っているシュターデン少将から連絡です」

「!、来たか!ああ、繋いでくれ」

『失礼します。副司令官閣下、現在第一作戦目標の六二%を制圧完了。「予備計画」必須目標に限れば八〇%を制圧しております』

 

 メインモニターに細身のエリート風の青年将校が映し出される。その将校、ハンネマン・フォン・シュターデン宇宙軍少将は『一〇年に一人の秀才』と将来を嘱望される人物だ。宇宙暦七六二年に士官学校を首席で卒業、宇宙軍中尉として第八警備艦隊司令部に着任、同艦隊が活動範囲をオストプロイセンからシュレースヴィヒ=ホルシュタインに移転するにあたっての事務作業で見せた卓越した手腕を評価され、カール・ハインリヒによって宇宙艦隊総司令部に引き上げられた。その後は宇宙艦隊総司令部と中央艦隊の情報・作戦・総務畑を転々としながら経験と功績を積み上げていた。傷一つない完璧な経歴から栄達は間違いないと言われていたが、宇宙暦七七八年のフォルゲン星域会戦で臨時に一個戦隊を任された際に精彩を欠き、以後『理屈倒れ』という不名誉な仇名で呼ばれている。

 

 尤も、精彩を欠いたと言っても期待されたほどの辣腕を発揮しなかったというだけで、戦隊指揮官としての職務自体は過不足なく勤め上げたと言える。戦隊司令官の職を務めるのが初めて、さらにその戦隊が本来自分とは全く縁のない部隊、そして会戦直前にいきなり司令官に抜擢された、という事情を考えると、シュターデンは良くやった方だ。シュターデンがそれでも『理屈倒れ』と陰口を叩かれたのは、その神経質で融通の利かない性格――といってもその行動はいつも合理的ではある――を少なくない人間に疎まれているからであるが、それ以上にシュターデン帝国騎士家が五代前にその忠節を見込んでライヘンバッハ伯爵家の推挙によって貴族階級へと引き立てられた新参の一族であるからだろう。要するに嫉妬である。

 

『ところで閣下。閣下の命令書を持った士官が拘束した高官をヨハン・ライヒハート記念収容所へと集めよと求めています。……本当に従っても宜しいので?本来の「予備計画」ではシュパンダウ等四か所の収容所に移送し、シュトローゼマン大佐が身柄を預かるとのことですが……』

「……ああ、その件か。勿論問題ないよ。命令したのは私だがライヘンバッハ大将閣下の意向を受けている。もしかしたらシュトローゼマン大佐は聞いていないかもしれないがね」

 

 ゾンネンフェルスは何でもないような様子でそう答える。しかし、そこで言葉を切って真剣な表情でシュターデンに向き直った。

 

「実はね……ここだけの話、シュトローゼマン大佐は復讐を目論んでいる疑いがある」

『復讐ですか?』

「彼の父の死には、当時の軍上層部が関わっている可能性が高い。実はね、オフレッサーは帯剣貴族による組織的な非主流派将校暗殺は地上軍だけでは無く、宇宙軍でも行われていたと証言しているんだ。暗殺された将校としてはエドマンド・フォン・ヒルデスハイム、クレーメンス・アイグナー、クリストフ・フォン・ミヒャールゼン、ウォルフガング・ハードナー、カール・シュテファン・フォン・シュトレーリッツらの名前が挙がっている。そして……恐らくシュトローゼマンの父も」

『馬鹿な……!有り得ません!帝国宇宙軍がそんなこと……!』

 

 勢いよく否定するシュターデンに対しゾンネンフェルスも「そうだ。私もそう思う」と同意し、宥める。

 

「だからシュトローゼマンには任せられんのだ。……疑惑は疑惑でしかない、本腰を入れて調査する必要がある。シュトローゼマンの復讐権を否定する気は無い。復讐権は貴族特権の一つだ。しかし疑惑が確信に変わるまではただの殺人、犯罪だ。故に、ライヘンバッハ大将閣下はシュトローゼマンでは無く別の者に高官の身柄を預けさせた。身柄の受け取りに向かう者は皆、私が選んだ信用できる人材だ。安心してくれ」

『……なるほど。了解しました。しかしライヒハート……本当にライヒハートへ?』

 

 シュターデンは「ライヒハート」という言葉を、非常に恐ろしい、非常におぞましいといった様子で発しながら、再度ゾンネンフェルスに確認する。

 

「それだよ。貴官のその反応。帝国人なら誰もがライヒハートを忌避する。法と秩序、正義と平和、そして……死と恐怖の象徴ライヒハート。実際はただ警備が厳重で少しばかり(・・・・・)特殊な用途なだけの普通の収容所だ。…………貴官の得意な合理的思考を働かせたまえ。ライヒハートの立地はメルクリウス市の帝都側の外れ、帝国政府の有する収容施設では最も帝都から近い。警備も厳重な上、機密保持も容易だ。皆、まさかあの(・・)ライヒハートに帝国屈指の権力者たちが収容されるとは予想していないし、考えない。特に名誉や格式を重んじる貴族は、何の変哲もない極一般的な(・・・・・・・・・・・・)政変でライヒハートが使われるなど、想像すらしないだろう」

 

 ゾンネンフェルスの説明を受け、シュターデンは少し考え込む。

 

『確かに閣下の言う通りですね。高官を一か所で拘留するのはリスク管理の観点から不安もありますが……、警備戦力を集中しやすいという側面はあります。帝都中心地から近い為、反粛軍派も大戦力も動かしにくいでしょう。遮蔽物も多く、防衛側が有利な地形です。……了解しました。命令に従います』

「ああ、宜しく頼むよ」

 

 教本通りの見事な敬礼を決め、シュターデンは通信を切った。ゾンネンフェルスは画面からシュターデンが消えると同時に、大きな溜息をついて、座り込んだ。生真面目なシュターデンだ。一度命令に従うと決めれば、最後までやり遂げるだろう。一方であの『理屈倒れ』は生半可な理屈で丸め込める(・・・・・)相手ではない。彼に対して、『予備計画』の変更を納得させるのがゾンネンフェルスが今回果たさねばならない役割の中で最も重大な役割だった。

 

「……ふう」

 

 ゾンネンフェルスはこれから起こる事柄を思い浮かべ、陰鬱な気持ちになった。彼にとって過去の自分……すなわち勤勉で誠実で模範的な帯剣貴族であった自分は否定の対象であるが、だからと言って、過去の自分が積み重ねてきた全てを否定することはできない。そもそも、自分を生まれ変わらせたキッカケこそ、古き自分にとって唯一本当の意味での(・・・・・・・)友人であったケルトリングではないか。

 

「……ケルトリング、ケルトリングか」

 

 ゾンネンフェルスの中で再び迷いが生まれる。亡き友人の忘れ形見である少年。生前の友人とは約束を交わしていた。片方が戦死した時は、もう片方がその家族の力になると。しかし、少年が最も救いを必要としていた時に、自分は惨めにも虜囚の身にあった。そして彼を救ったのは政敵であったはずのグレゴール・フォン・ミュッケンベルガーだった。……ミュッケンベルガー、まさしく帯剣貴族の鑑のような人物だ。ミュッケンベルガーの庇護を得て、友人の遺児はケルトリングの名を捨てさせられながらも、路頭に迷う事もなく「フォン」の称号も保持したまま士官学校に通っている。

 

「……」

 

 翻って自分はどうだろう。虜囚の身にあったことは今更恥じまい。しかしだ。自分が今やっていることは彼の力になるどころか、苦境に追い落とす行為ではないか。それは明らかに恥じるべきことだ。

 

「……副官。少し外す」

 

 短くも濃密な思考の末、ゾンネンフェルスは司令室を立ち去る。一人で自室に戻ると、私的な端末を用いて一通のメールを作成した。勿論、艦隊全体に通信規制が掛かっている今、ゾンネンフェルスの私的な端末も地上との連絡は取れない、ことになっている。……今回の変に際して、地上との隠密のやり取りの為に、少しばかり改造が施されているのだ。

 

「私はこの国の民たちに、友情が、何物にも代えがたいことを思い出させなければならないのだ」

 

 ゾンネンフェルスはそう呟きながら、地上へ……グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー宇宙軍大将の養子であり、親友クリストフ・フォン・ケルトリング宇宙軍大将の忘れ形見であるユリウス・フォン・ミュッケンベルガーへと一通のメールを送った。その様子はどこか鬼気迫っており、普段のゾンネンフェルスとは違う……危うい均衡の上にあるような、見る者を不安にさせる何かがあった。

 

「それにだ。模範的な帯剣貴族であるミュッケンベルガーが息子の命程度(・・)で止まるものか」

 

 そして、ゾンネンフェルスはミュッケンベルガー……というよりは帯剣貴族への侮蔑を滲ませながらさらにそう吐き捨て、自室を後にした。その胸では小さな白薔薇のブローチが輝いていた。

 




注釈31
 「帝国宰相」という役職は長らく慣例として空席とされ、国務尚書が宰相代理を兼任していた。それに従って建国当初宰相府が担っていた事務の殆どが他省庁に移管された。例えば科学技術庁が省に格上げされて独立、国土振興庁自治統制局と文化統合局が内務省に合流、残る広域調整局等が国務省に合流、司法省公安調査庁創設と同時に公共安全庁が解体といった具合である。それでも宰相府という名前は書類上に残っていたが、これは基本的に険悪で対立関係にある各省庁が合同で一つの業務に当たらないといけない際にその協力の場として宰相府が必要とされたからである。

 一例を挙げるとライヘンバッハ伯爵が軍務省地方管理局時代に関わった辺境自治領統治に関するガイドラインの策定は、内務省自治統制庁と合同で行われていたが、軍務省も内務省も互いの風下に立つ気は無く、主導権争いの末妥協案として両省庁から同人数の官僚が宰相府に出向して業務に当たることとなった。

 そんな状況が変わったのが宇宙暦七七九年、皇太子ルートヴィヒの宰相就任である。ルートヴィヒは自身の住むリントシュタット宮殿に宰相府を移転――これまでは一応国務省ビル内に宰相府も置かれていた――、国防諮問会議・社会経済再建計画推進委員会・自治政策検討会議を設置する。その事務局に主に政争で下野していた開明派官僚、あるいは各省庁や地方組織で冷遇されている下級貴族・平民出身官僚を迎え入れ、各省庁に頼らない独自のブレーンを揃えた。その中には救国革命第二世代の穏健派指導者ヨシュア・フリッツ・ホフマンやエルネスト・ツィーグラーの名前があり、後には工部大臣ブルーノ・フォン・シルヴァーベルヒ、内国安全保障局局長ハイドリッヒ・ラングらも宰相府に籍を置くことになった。


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壮年期・第二幕(宇宙暦780年11月18日~宇宙暦780年12月12日)

「大将閣下、陸戦軍司令部より報告です。第一三化学防護大隊が要塞空調システムのNBC兵器を無力化しました。第一三工兵大隊による爆発物処理も本日中には完了するとの事」

 

 宇宙暦七八〇年一一月一八日。グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー宇宙軍大将率いる橙色胸甲騎兵艦隊はザクセン行政区における旧ブラウンシュヴァイク派――自称・リップシュタット愛国貴族連合――最大の拠点であるレンテンベルク要塞を制圧した。二か月前のゾンネベルク星系会戦における大勝――ザクセン行政区におけるリップシュタット愛国貴族連合指導者カール・エドマンド・フォン・シュミットバウアー=ブラウンシュヴァイク侯爵を戦死させた――と合わせ、これでザクセン行政区におけるリップシュタット愛国貴族連合の宇宙戦力はほぼ壊滅したと言えよう。

 

 尤も、リップシュタット愛国貴族連合は新たなブラウンシュヴァイク公爵の席を巡る内部対立が激しく、他の派閥との繋がりが薄い。シュミットバウアー侯爵派を壊滅させたところでリップシュタット愛国貴族連合全体に与える影響は限定的である。

 

 ニーダザクセンに陣取るヒルデスハイム伯爵派、ザクセン=アンハルトを抑えるフレーゲル侯爵派はシュミットバウアー侯爵派の苦境に殆ど支援の手を差し伸べなかった。それ故に両派がシュミットバウアー侯爵派の壊滅によって受けるダメージは殆ど無いだろう。

 

「こちらは情報部と陸戦軍第一三情報保全群からの報告書です。要塞守備兵に対する捕虜尋問の結果が載っております」

 

 ミュッケンベルガーは「ああ」と一言だけ発し、副官から渡された紙の資料に目を通す。最初は普通に目を通していが、突然怪訝な顔をすると、資料を最初から読み直し始めた。段々とその顔が険しくなっていく。

 

 ミュッケンベルガーの険しい表情を見た副官は自身が叱責されるのではないかと内心心穏やかでは無かったが、表面上は素知らぬ顔で控えていた。その副官、アレクサンドル・バルトハウザー宇宙軍中佐は軍部門閥派・リッテンハイム系に連なる士官であるが、元々ノルトライン公爵家の私兵軍に属していた所を私、アルベルト・フォン・ライヘンバッハに見出されたという経緯を持つ。そんなバルトハウザーがミュッケンベルガーの副官に選ばれた事情には、ミュッケンベルガーの悲願であるミュッケンベルガー伯爵家再興が関わっていた。

 

 ミュッケンベルガー伯爵家――現在は男爵家――の再興を目指すミュッケンベルガーにとって一番手っ取り早い選択肢は「伯爵家以上の縁者が務める」という不文律がある帝国軍三長官に就任すること――バッセンハイム元帥も伯爵位を賜った上で宇宙艦隊司令長官となった――である。しかし、ライヘンバッハ派に付いたところで新参者の自分が年功序列を無視して三長官に付けるとは思えない。

 

 となると、あえて派閥の外に出てライヘンバッハ派以外の勢力が抑えるであろう三長官の職を目指す――第二次ティアマト会戦や『三・二四政変』直後のような非常事態を除き、基本的に一つの派閥が三長官職を独占することは無い――か、政官界に工作をして爵位を上げるしかない。三長官のポストを狙うことができ、同時に政官界にパイプを持つ勢力としては軍部門閥派、そして開明派と近い軍部シュタイエルマルク派が挙げられるが、後者に近づくことは軍部ライヘンバッハ派との対立を意味し、帯剣貴族家集団から排斥されるリスクを負わなくてはならない。(そもそも保守的なミュッケンベルガーに革新的なシュタイエルマルク派は合わなかったが)前者もライヘンバッハ派から嫌われてはいるが、クルムバッハ上級大将やオッペンハイマー大将の例で分かるようにやり方次第で妥協の余地はあった。

 

 ミュッケンベルガーは自らの孤立を防ぐために門閥派に取り込まれることは避けたが、パイプを築こうと試み、その一環として門閥派に属しながら私の覚えも良いバルトハウザー中佐を副官に選んだ。

 

「……捕虜はこれで全員か?」

「は。その通りであります」

 

 資料から目を離さずミュッケンベルガーが問う。バルトハウザーは即座に答える。この上司は曖昧な返答を一番嫌うのだ。いついかなる時に、どのような質問が来ても「はい」か「いいえ」はハッキリ答えなければならない。それがバルトハウザーが親切な古参の副参謀長から教えられ、また自分でも実感しているミュッケンベルガーと上手に付き合うコツであった。

 

「貴官はこの資料を見て何も感じなかったのか?」

 

 ミュッケンベルガーはバルトハウザーの顔を見ながらそう尋ねる。バルトハウザーは内心で焦る。上司の機嫌はそこまで悪くなさそうだが、自分の返答次第ではどうなるか分からない。曖昧な返事は返せない。バルトハウザーは自分がこの資料を見た時に感じたことを思い出そうとする。

 

「……」

 

 上司の指が苛立たし気に机を叩き始めた。バルトハウザーは必死で頭を働かせるが思いつかない。これ以上は上司の不興を被るだろう。バルトハウザーは半分諦めの気持ちで口を開く。

 

「……捕虜が多いな、と感じました」

「それだけか?」

 

 バルトハウザーは叱責を覚悟で素人のような感想を述べたが、ミュッケンベルガーの叱責は無かった。しかし窮地を脱した訳では無い。さらなる質問に苦慮しつつ、バルトハウザーは半ばヤケクソになって答える。

 

「要塞戦らしく地上戦要員が多かったかと」

「地上戦要員が多い、では無い。正しくは『しかいない』だ。しかも貴族の捕虜は一人もいない。見ろ」

 

 ミュッケンベルガーは不機嫌そうに自らが持つ資料を副官に突きつける。バルトハウザーは慌てて資料にある捕虜リストに目を通す。

 

「これは……」

「気づかなかったのか?作戦部の結論通りレンテンベルクの駐留艦隊がゾンネベルクで壊滅したとしてもだ、これはどう考えてもおかしい。……逃げ遅れた奴も、見捨てられた奴も、『滅びの美学』を信じる奴も、降伏する奴も、誰一人居ない。ここが奴等の最後の拠点だったはずなんだがな」

 

 バルトハウザーは冷や汗をかく。上司は明らかに立腹している。こんな簡単な事に気付かなかった自分を呪った。

 

(妙だとは思っていた。ゾンネベルクで大勝したとはいえ、レンテンベルクの宇宙戦力が枯渇する程の損害は与えていないはずだ。指導者のシュミットバウアーが死んだから取り巻き共が私兵を連れて自領に逃げ帰ったのかとも思ったが……)

 

 ミュッケンベルガーはそんなことを考える一方で、帝国軍が抱える構造的問題に内心、苛立ってていた。凡庸なバルトハウザーは捕虜リストのおかしさに気付かなかったが、ミュッケンベルガーにしてみればその事はさして問題ではない。バルトハウザーもしっかりと読み込めば異常に気付けたのだろうが、司令官に対する報告書を副官が長々と読んでいる訳にもいかない。自分の行った質問にある程度答えられたことから考えるに、最低限目は通し、すぐに持ってきたのだろう。それで気付かなかったのであれば仕方がない。問題は異常に気付いたはずの情報セクションの担当者たちが報告書でこの点を指摘していないことだ。

 

 帝国軍人、特に中央艦隊のエリートは悪い意味で官僚らしい所があり、自身の職務範囲を超えた責任を負いたがらない。彼らは司令官に判断材料を提供することに関して優秀だが、自身の判断を提供することに関しては落第点を付けざるを得ない。……尤も、それは帝国軍の厳罰主義にも原因があるだろう。同盟軍では単に敗戦しただけで更迭されることは無い。実際にはその敗北の原因となる様々な事項に対する責任を追及され、時に予備役編入を余儀なくされることもあるが、戦争犯罪でも犯していない限り制裁は人事上のものに限られ、少なくとも「無能であること」を理由に法的に裁かれることは無い。

 

 しかし、帝国軍は違う。敗戦の度に司令官の首が飛ぶ。時には物理的に。そんな有様だからダゴンのインゴルシュタット、シャンダルーアのクロッペンドルフの例を見るまでもなく、司令官は責任逃れの為に幕僚に責任を被せようとする。それを知っている、あるいは実際に目撃してきた幕僚たちは自身の判断・意見・思考を表明することで司令官から責任を転嫁されることを極度に恐れている。結果として帝国軍では時に無為・無能・無責任が蔓延ることになるのだ。

 

 後に聞いた話によると、そういった帝国軍の悪弊に悩んでいたミュッケンベルガーは凡庸ではあるが責任から逃れようとはしないバルトハウザーの事を高く評価していたという。

 

「……副官。情報部に賊軍の戦死者のリストを急いで作らせろ。貴族、あとそうだな……自決者は別に分かるようにさせろ」

「了解しました」

 

 そう言ってミュッケンベルガーの前を離れたバルトハウザーを見送り、ミュッケンベルガーは思索にふける。

 

(……恐らくレンテンベルクには練度の低い地上軍(捨て駒)だけが残された。宇宙艦隊の残党と貴族共はどこかへ逃げ出した。何故だ?何処に行った?あれだけの数、見逃すはずがない)

 

 ミュッケンベルガー大将率いる橙色胸甲騎兵艦隊はザクセン行政区を貫く「帝立基幹星道六号線」を帝都オーディン側から進んできた。反対方向のメルレンベルク=フォアポンメルン行政区側には第六辺境艦隊の警戒部隊が布陣している。その六号線と丁度交錯するブラウンシュヴァイク公爵家が派閥を挙げて整備した「私立副都心環状星道」はザクセン=アンハルト行政区側を紫色胸甲騎兵艦隊が封鎖し、ブランデンブルグ警備管区側はノイケルン星系の叛乱勢力の存在が遮断している。

 

 勿論、宇宙は広く、どこまでも繋がっている。理屈で言えば航路は自由に設定でき、星道を通る必要はない。しかし、ワープには重力制御が必要不可欠であり、星系間ワープともなると誘導基地の観測データ、補助制御無しで跳ぶのは自殺行為だ。軍艦ならば軍務省情報監査局航路情報課に集積されていた情報によって誘導基地がなくともある程度自力で跳べる(叛乱以前、つまり一〇年以上前のしかも穴抜けのデータではある)が、だとしても正規軍の警戒網に一切引っかからないというのは有り得ない。

 

「……どうもきなぐさいな」

 

 ミュッケンベルガーは思索にふける。様々な可能性を想定し、その時自分が取るべき行動を考える。祖国と、そしてミュッケンベルガー伯爵家の栄光を取り戻す為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「諸卿等に見て貰いたい資料がある。……おい」

 

 宇宙暦七八〇年一二月一二日、リントシュタット宮殿、第一七回国防諮問会議。リッテンハイム侯爵は唐突にそう述べると、後方に控えていた従者たちが紙の束を抱えて一斉に散らばる。それに対し帯剣貴族の後方に控える副官や幕僚たちが身構え、数名がリッテンハイム侯爵の従者の前に立ちはだかり、主に近づけないようにブロックする。

 

「剣呑な。見て貰いたい資料があると言っただろう。儂に後ろめたい事は何もないぞ。卿等と違ってな」

「……オークレール准将。資料を」

 

 リッテンハイム侯爵は不機嫌そうにそう言う。その後も少し睨み合いが続いたが、帯剣貴族を除く貴族たちの席に資料が配られたのを見て私はヘンリクに資料を受け取り、配るように促した。

 

「……ぐう」

「ほう……」

 

 先に資料に目を落とした貴族たちが次々と顔を顰めたり、絶句したりしている。ブラッケ侯爵が冷笑を浮かべ、リヒテンラーデ侯爵が溜息をついた。クロプシュトック公爵が鼻白み、ノイエ・バイエルン伯爵が眉間に指をあて揉み解す。エーレンベルク公爵とシュタイエルマルク退役元帥だけが変わらない様子で淡々と資料に目を通していた。

 

「何だこれは……」

 

 資料に書かれていたのは大貴族たちの不正の証拠であった。アンドレアス公爵、エーレンベルク公爵、シュレージエン公爵……主要な領地貴族の名前が軒並み並び、主に現地の警備艦隊や要塞防衛部隊との癒着が暴かれている。だがそれだけには留まらずさらに軍務省の地方軍務局、内務省の行政総督府、国務省の通商代表部や高等弁務官府、司法省の地方法院や高等公検部、国税庁の地方支署、典礼省の地方調停部、さらに警察総局や社会秩序維持庁を初めとする治安維持機関の支署との癒着まで調べ上げられている。

 

 場にそぐわない口笛が小さく響いた。

 

「お見事。勝負あったね」

 

 口笛に比して明らかに小さな声で発せられたラルフの言葉であったが、近くに座っていた者たちの耳には確かに届いた。気楽な物でラルフは明らかにこの状況を楽しんでいる。その様子に小さく苛立ちを覚えている自分に気付き、少しだけ驚いた。徹底的に傍観者・観察者を気取る友人の気性には慣れたつもりであったが、それは気のせいだったらしい。

 

 恐ろしい程張り詰めた空気の中、出席者たちが資料をめくる音だけが響く。よく見ればリッテンハイム侯爵自身やその一門の不正までが明記されている。出席者たちの困惑と不安が漂い、誰もが互いの様子を伺う。破裂寸前の風船が議場に存在し、発声するだけでそれが割れる、そんな感じの危惧を皆が共有していたように思える。

 

 この空気を打破できるであろう数人の人物の内、リッテンハイム侯爵はただ悠然と笑みを浮かべながら座っている。間違いなく貴族の不正と無関係なルートヴィヒ皇太子もショックから立ち直っておらず、顔は恐ろしく蒼白だ。開明派の三巨頭、ブラッケ、リヒター、バルトバッフェルも沈黙する。清廉潔白なブラッケは冷笑を受かべ、清廉だが清濁併せ吞むが故に裏工作も厭わないリヒターは黙り込んだまま目を瞑る。主に軍部開明派との癒着が明記されているバルトバッフェルは引き攣った笑みを浮かべながらお手上げのポーズを取った。帯剣貴族たちはリッテンハイム侯爵の意図を図りかね困惑している様子だが、カール・ベルトルトだけは蒼白な顔でリッテンハイム侯爵を睨みつけている。国防諮問会議議員たちに目をやると、ゾンネンフェルス退役元帥がロマンスグレーの紳士的な雰囲気に似合わない渋面を浮かべ、シュタイエルマルク退役元帥は机の上に資料を投げ出して天を仰いでいる。諸侯の中では珍しく資料に何も汚点が書かれていないマリーンドルフ侯爵が先程から口を開こうとしては何を言って良いのか分からない様子で断念する。

 

 バサッ、資料を机に放りだす音がやけに響いた。視線が一人の人物に集まる。……退役元帥エーレンベルク公爵だ。エーレンベルク公爵の顔色は全く変わっていない。いつもと全く同じ、平静なままだ。その事がむしろ私を……そして恐らく出席者の大半を困惑させ、不安にさせた。周囲の視線とそこに込められた猜疑を全く気にしない様子でエーレンベルク公爵は口を開いた。

 

「………………で、これが何か?」

 

 概念上の風船が急速に萎む。拍子抜けしたような空気が議場に流れた。それはリッテンハイム侯爵の先の一言以上に耳を疑う発言だった。

 

「え、エーレンベルク公爵……その……え?」

 

 先程から口を開いては閉じるを繰り返していたマリーンドルフ侯爵が困惑を隠そうとせずエーレンベルク公爵に話しかけた。エーレンベルク公爵はそんな青年貴族の方に顔を向けると何でもないような口調で言った。

 

「……まあ機密であるこの情報がどこから漏れたのかは分かりませんし、その点は問題でしょうが……。ただ単に諸侯の普通の統治行為(・・・・・・・)が記されているだけでしょう?」

「は?」

 

 哀れな青年貴族はエーレンベルク公爵の発言に理解が追い付かずフリーズする。大半の出席者たちが同じような様子だったが、ただ一人、カール・ベルトルトだけは悔しそうに歯を食いしばっている。いつでも冷静沈着な彼がそのような様子を見せることに、帯剣貴族たちは底知れぬ不安を感じている。……そんな中、私はエーレンベルク公爵の言わんとするところ、リッテンハイム侯爵の言わんとするところに理解が追い付いた。

 

「は……ははは……」

 

 もはや呆れを通り越して感心する。思わず小さな笑いが漏れ、他の出席者から視線が集まる。私が理解に至ったことをリッテンハイム侯爵も分かったのだろう。勝ち誇った笑みで私を見る。エーレンベルク公爵もどこか蔑みの籠った視線を私に向けた。

 

 ……エーレンベルク公爵のこの様子、リッテンハイム侯爵と事前に組んでいたのだろうか?今でも分からない疑問ではあるが、確かなのはやはり彼が只者ではないということだ。組んでいればその深謀は凄まじいし、組んでいなければ胆力と場の流れを掴む力が異常だ。どちらにせよ、リッテンハイム侯爵はエーレンベルク公爵が自らに都合の良い発言を行ったことを評価し、適切に報いるだろう。

 

「先ほどから不思議でならなかったのですが、臣が手に染めた不正とは一体何を指すのです?どうも帯剣貴族諸卿は臣がドレーアーに金や女を与えたことを不正と言い張っているようですが、そもそもそれは不正なのですかな?(・・・・・・・・・・・・・・・・)司法尚書?臣は一体何の法を破っておるのです?」

 

 あんまりと言えばあんまりな問いだ。リッテンハイム侯爵は居並ぶ帝国の権力者たちに対し、不正の概念そのものを変えるよう迫っている。それによって自分の行為を正当化しようとしているのだ。

 

 視線を感じた。天を仰いでいたはずのシュタイエルマルクがこちらを真っすぐ見ていた。その目はおおよそいつものシュタイエルマルクからしたら考えられない程暗く、無機質だった。私は一見して何の感情も読み取れないその冷たい目に、何よりも熱く激しい激情を見て取った。……銀河帝国の暗部、専制主義の現実を見つめ続けていたジークマイスター機関の元リーダーは何よりも雄弁に私に語り掛けていた。『これがこの国の姿だ』と。

 

「……大審院長。答えたまえ」

 

 リヒテンラーデ侯爵は自分に向けられた問いを部下に投げた。投げられた方の大審院長ヘルダー子爵は一瞬ビクッとした後に、愛想笑いを浮かべる。

 

「デリケートな問題故に、正式な司法の場以外で大審院長が発言するのは望ましくないかと……。宰相府制令起草局長官にご回答をお願いしたい」

「……リッテンハイム侯爵の行為は『勅令集解』、『高等法院判例解説』及び『大審院判例解説』、『法解全書』に照らし合わせると、ジギスムント一世帝陛下二六号詔勅が禁じる私戦等準備行為の類型に当てはまると考えます。また、ドレーアー中将への利益供与は当然ながら贈賄罪にあたると思われ……」

 

 ヘルダー子爵、こちらも回答を回避。しかし投げた相手が悪かった。開明派の宰相府制令起草局長官ヴァレンシュタイン法務博士は気骨の人だ。帝国で五指に入る権力者、リッテンハイム侯爵が相手だろうが微塵も臆すことなく理路整然とその「不正」を指摘し始める。ところがその指摘は思わぬ所から遮られた。

 

「もういい!制令起草局長官、黙りたまえ!」

「……は?しかし……」

「黙れと言っているんだ!……ヴァレンシュタイン長官、今回の事はデリケートな領域だ。事は貴族自治権……いや貴族制度そのものに関わるのだ。貴様の口出しするべき話ではないのだ」

 

 国務尚書ウィルヘルム・フォン・クロプシュトック公爵だ。苦虫を潰したような表情でヴァレンシュタイン法務博士を黙らせようとする。

 

「……法に関する話題で行政・立法側の法解釈の『番人』たる制令起草局長官が口出しするべきでない話などあり得るのですか?特に司法側の『番人』たる大審院長直々の指名……」

「皆まで言わせる気か。平民(・・)

「な……」

「リッテンハイム侯爵!卿の質問には筆頭閣僚たる国務尚書クロプシュトック公爵が答えよう。卿の行為は全く以って問題ない。何の法にも反していない」

「ま、待て!クロプシュトック公、卿は何を言っているのだ!」

 

 クロプシュトック公爵はヴァレンシュタイン法務博士が怯んでいる内に勝手にリッテンハイム侯爵に潔白を言い渡した。そこで漸く宰相たるルートヴィヒ皇太子が介入する。

 

「皇太子殿下。進言申し上げます。閣僚一同リッテンハイム侯爵の無実を確信しております。どうか軍部の求める制裁には応じませぬよう」

 

 しかし、ルートヴィヒ皇太子を遮る形で宮内尚書ルーゲ公爵が口を開く。その横では典礼尚書グレーテル伯爵が頷く。二人とも苦渋の表情だ。

 

「……一体卿等は何を言っておるのだ……?リヒテンラーデ侯爵、卿はどう思う?」

 

 ルートヴィヒ皇太子は何か恐ろしい物を見たような表情で縋るように能吏リヒテンラーデ侯爵に質問するが、リヒテンラーデ侯爵は無言で頭を下げて何も言わない。

 

「リ、リヒター伯爵?レムシャイド伯爵?」

 

 ルートヴィヒ皇太子はさらに宮廷書記官長と内務尚書に問いを重ねるが、リヒター伯爵は「罪がないとは申しません。ただ、裁けませぬ」と淡々と答え、レムシャイド伯爵は「リヒター伯爵の見解に概ね賛同いたします」と答えた。

 

 そうだろうな、と私も思う。リッテンハイム侯爵の行為を罪とすれば、リッテンハイム侯爵が調べ上げ、ここに提出した資料に記された各貴族の行為も全て罪とせざるを得ない。リッテンハイム侯爵の提出した資料を黙殺するという選択肢は無い。既に大勢の貴族がその内容を目にしてしまったのだ。

 

 ……帝国は公私の境目が曖昧すぎるのだ。大帝陛下は確かに贈収賄を厳格に取り締まったが、その大帝陛下の時代からして、私人と公務員の間における金品のやり取りは大規模に……そして大っぴらに行われていた。ルドルフが重んじたのは目的だ。ルドルフは地方に送り込んだ部下と、地方で取り込まざるを得なかった有力者にかなりの裁量を与えた。地方貴族となった彼等は統治を成功させる為に奔走した、中央も著しく混乱している以上、支援を当てにするべきではない。制度的、法的に問題があるやり方であっても効果が見込めるならば手段は選んでいられなかった。それは資金や物資の調達においても例外ではなく、客観的に見れば賄賂以外の何物でも無いような金品

のやり取りが盛んに行われた。

 

 ルドルフはそれを大義に背いていない限りにおいて容認した。……無理はない話ではあるが、せめて黙認に留めるべきだった。ルドルフは贈収賄罪の違法性阻却事由として「緊急性」「非代替性」「公益性」の三点が認められる場合を挙げ、それを自身の勅令集第二編――刑法典である――に盛り込んだ。……時代が下り、ジギスムント一世鎮定帝時代に確立された「貴族自治権」の概念、オトフリート二世再建帝時代に確立された「下賜財産の不可侵性」、アウグスト一世文治帝(愛髪帝)によって定義された諸侯の「半公権力性」、などが組み合わさった結果、贈収賄罪は死文化した。

 

「馬鹿な………………………こんな事が…………あって良いのか」

「良いはずがありませぬ。殿下!」

 

 息も絶え絶えにルートヴィヒ皇太子が口に出した嘆きに対しヴァレンシュタイン法務博士だけが力強く同意する。正確に言えばヴァレンシュタイン博士以外のルートヴィヒ皇太子が登用した身分の低いブレーンたちも同様だ。彼等は軒並みこの事態に憤っているのだ。

 

 無理もない話だ。先ほど「贈収賄罪は死文化した」とは言ったが、そうはいっても「緊急性」「非代替性」「公益性」の三点を取り繕うことができなければ贈収賄罪は成立するのだ。……リッテンハイム侯爵の例は明らかにどの点も取り繕えていない。三点の中で最も証明が簡単なのは「公益性」であるのだが、その「公益性」にしても、ドレーアーが正式な転属命令に従っていなかったこと、それをリッテンハイム侯爵の一派が不遜にも公然と支持していたことから認められる可能性は低い。これを「違法性無し」と認めてしまうのは流石に行き過ぎというものだ。

 

 ……流石に行き過ぎなのだが、それに近い不適当な関係が各地で行政機関と諸侯の間に築かれている以上、リッテンハイム侯爵を罪に問うと他の諸侯にも飛び火する可能性がある。故にクロプシュトック公爵はヴァレンシュタイン博士の言葉を遮った。

 

「……そうだ。軍務尚書閣下、ドレーアー中将は軍法を犯しています。その事はどうお考えになられるのですか?」

「!そうだ。起草局長官の言う通りだ!」

 

 唖然として固まっていた軍務尚書ルーゲンドルフ元帥がヴァレンシュタイン法務博士の指摘を受けて再び口を開くが、リッテンハイム侯爵の返答で再び固まらざるを得なかった。

 

「そうですな。で?それが我々に何の関係があるのです?軍の内部の話を持ち出されても困る」

 

 ルーゲンドルフ元帥に反論は出来ない。「ドレーアー中将とリッテンハイム侯爵の癒着が~」という論法はもう使えない。使えばそれに近似した関係……分かりやすい例としてはクロプシュトック公爵家とクライスト中将の関係だろうか……そう言ったものも軒並み問題としなくてはならない。

 

(リッテンハイム侯爵がドレーアー中将に叛逆を指示した、という証拠があれば良いんだけどね。……まあある訳もない。帯剣貴族(こちら側)の自作自演なんだから。……癒着の事実で押し切れなかった以上どうしようもない)

 

「……リッテンハイム侯爵にはドレーアー中将の軍法違反を誘発した罪がある」

「判例に照らしても私戦等準備罪に当てはまるのは歴然だ、皆様はヴィレンシュタイン元公爵が何を為して裁かれたかを忘れたのですか……!」

「ふむ。卿等がどう思うかは自由だが……諸卿はどう考えられるのかな?」

 

 絞り出すようにバッセンハイム元帥が指摘し、ヴァレンシュタイン法務博士も追及するが、リッテンハイム侯爵は暗に他の貴族に対し「その論法で自分が裁かれるならお前らも無事では済まない、自分が済ませないぞ」と匂わせる。

 

 議場が沈黙に包まれる。明らかに勝負はついた。帯剣貴族側の敗北だ。次にリッテンハイム侯爵はガルミッシュ要塞での『同士討ち』を持ち出すだろう。統制不足に対する責任を軍部に求めるはずだ。前代未聞の――流血帝と止血帝の一件はノーカンである――帝国軍同士の会戦。被害はともかく、その重みで言えば第二次ティアマトやシャンダルーアの大敗を超える。帝国史に残る一大不祥事になることは間違いない。その責任は誰かが負わなくてはならない。そしてリッテンハイム侯爵にそれを負わせることが出来なかった以上、責任を負えるのは軍部の帯剣貴族しか居ない。

 

「……甘いよ」

「え?」

 

 突如として隣に座るラルフが囁いてきた。私はラルフに向きなおる。

 

「どうせ軍部で済むって考えてるんでしょ?君も老人の方々もそういう所視野が狭いよね。……良くて内閣は吹っ飛ぶよ。皇太子殿下の改革も志半ばで終わる。悪くて……『リッテンハイム朝銀河帝国』かな」

「……ぞっとしないね」

 

 ラルフの言葉で私は思わずそう答えてしまう。するとラルフが嫌な笑みを浮かべる。

 

「焦ってないね?これはもう一波乱ありそうだ」

 

 ラルフは目を輝かせながらそんなことを言う。私は思わず舌打ちを――我ながら本当に珍しいことだ――一つして、顔を背けた。

 

 議場ではリッテンハイム侯爵による逆撃がいよいよ華麗なまでに決まろうとしていた。帯剣貴族たちは皆沈痛な表情でその宣言を聞く。

 

「……皇太子殿下、臣、ウィルヘルム・フォン・リッテンハイム侯爵はここに内閣と軍部の……」

 

 リッテンハイム侯爵は高らかに宣言する。ところが、そこにガタンという物音が水を差した。一人の出席者の椅子の音だ。上質な議場の椅子を乱暴に、文字通り「蹴った」その人物は吐き捨てた。

 

「これ以上茶番に付き合うのは御免だ」

 

 枢密院副議長カール・フォン・ブラッケ侯爵は冷たく吐き捨て一人議場を後にしようとする。隣に座る枢密院副議長マリーンドルフ侯爵がとっさに腕をつかみ慌てて引き止めようとした。言うまでもなく、このままブラッケ侯爵を行かせれば彼は重罪となる。……もっと重大な罪がたった今、罪で無くなったということを考えると釈然としないが。

 

「ブラッケ侯爵、お待ちを……」

「この国は終わりだ!私はもう知らん!」

 

 ブラッケ侯爵はマリーンドルフ侯爵の腕を振りほどくと出席者たちを睨みつけながらそう叫び、再び歩き出した。全くの善意から引き止めようとした善良な青年貴族は哀れにもブラッケ侯爵に振りほどかれた拍子に手の甲を強くテーブルに打ち付けた。

 

「茶番を茶番と言えることも一種の才能だと思うんだ。だって茶番であることを当事者が気づくのは難しいし、気づいたとしてもそれを言い放つのは……」

 

 ラルフの呑気な言葉を黙殺しながら私はブラッケ侯爵を見つめる。私にはブラッケ侯爵の心境が痛い程良く分かった。きっと私も、予備計画の存在が無ければ彼と同じ行動を取っただろう。

 

「ま、待ってくれブラッケ!行くな!」

「殿下……」

「何なんだこれは……何なんだ?」

 

 ルートヴィヒ皇太子がリッテンハイム侯爵の提出した紙の束を掴みながら激情を迸らせる。顔にはハッキリと「理解不能」と書かれている。

 

「……」

「私にはもう卿しか頼れん……。この……このおぞましい者達の中に、私を一人見捨てるのか!?」

 

 ブラッケは初めて沈痛な表情を浮かべるが、しかしルートヴィヒ皇太子に対して「もう少し早く頼っていただければ、ここで私は頷いていたかもしれませぬな。……いや、そもそもこうはならなかったでしょうに」と語り掛けて踵を返す。ルートヴィヒ皇太子はブラッケを政府に戻しながらも枢密院副議長という実権の無い役職に据え、ただリッテンハイム侯爵とやり合わせることしかしなかった、その事もブラッケには失望の対象だったのかもしれない。

 

 ブラッケがいよいよ扉に手を掛け、それを開いた。

 

 

 

 

 

 

 次の瞬間、ブラッケ侯爵は扉の向こうに居た人物に銃底で殴り倒された。

 

「カール!?」

 

 リヒター伯爵が動転して叫ぶ。他の出席者も一様に動揺する。

 

「動くな!」

 

 倒れたブラッケ侯爵には目もくれず、銃を構えた帝国軍兵士たちが議場に突入する。……『一四号行動計画(クーデター)』の発動を知る高官たちはそれまでの沈痛な表情をあっさりと捨て、リッテンハイム侯爵に向き直った。……実際の所、リッテンハイム侯爵が開き直るのも、それが成功してしまうのも(・・・・・・・・・・・・)想定の範囲内だった。手法――つまり、無関係の大勢の貴族を巻き込むことで自分の罪状を矮小化する――は完全に予想外だったが。

 

 とはいえ、帯剣貴族達にしてみると、リッテンハイム侯爵を国防諮問会議の場で裁けなくてもそれは関係無いのだ。可能ならばこの場で有罪にした上で権力を奪取したかったが、出来なかったら出来なかったで構わない。後付けで色々と罪状を上乗せして殺してしまえば良いだけの話なのだから。つまり今までのリアクション一つ一つが全て芝居だった、と言うことになる。

 

 ……尤も、その内の数名は『一四号行動計画』の存在を知らない他の要人と同じく驚愕の表情を浮かべた。といっても理由は違う。彼らの驚愕は先頭の人物――つまりブラッケを殴り倒した人物だ――を見たからだ。……気持ちはよく分かる。一度彼と接した者は、例え地上軍や帝国軍のトップに立とうが、彼の事を忘れはしないだろう。さらに言えばこの帝国で彼を知らない地上軍人が居たらそれはモグリだ。

 

「オフレッサー!?死んだはずじゃ」

「残念だったなぁ、トリックだよ」

 

 軍務尚書ルーゲンドルフ元帥が思わずといった様子で叫ぶ。その男……ザールラント叛乱軍に火だるまにされたはずだったアルバート・フォン・オフレッサー地上軍少将は獰猛な笑みを浮かべながら応じた。

 

 兵士たちが突入した後から後からゆっくりとカールスバート宇宙軍大佐が議場に入る。口元には微笑を携えているが、その顔には隠し切れない優越感が見て取れる。数世代に渡って虐げられていたカールスバート伯爵家、その屈辱を思えばカールスバート大佐の喜びもひとしおの事だろう。……しかしながら足元に頭から血を流して倒れる人物が彼の尊敬するカール・フォン・ブラッケであることに気付いたカールスバート大佐は優越感を滲ませた表情のまま固まった。

 

 そして彼の脳は徐々に現実に追いついていき……一気にパニックに陥った。

 

「馬鹿馬鹿馬鹿!誰がやった!……すぐにブラッケ侯爵の手当てをしろ……急げ!」

「……突然目の前の扉が開いたんだ。反射的に殴っちまっても仕方ないだろ。まさか出てくる奴が居るとは思わんし」

 

 オフレッサーが決まり悪そうにボヤくが、カールスバート大佐は気づかない。そして私は深呼吸を一つする。漸く出番がやってきた。恐らく帯剣貴族の老人方はオフレッサーの存在に驚きながらも自分の周りの兵士たちが味方だと信じて疑っていないことだろう。状況をコントロールしていると信じている彼らの背中を撃つのは心苦しい。

 

「第二幕開始か」

「そうなるのかな」

 

 ラルフの言葉に適当に答え、私は立ち上がる。最後に一度、シュタイエルマルク退役元帥に視線を向ける。……この計画についてシュタイエルマルク退役元帥は何も知らない。だが何も知らないことが、何も分からないことを意味するとは限らないのだ。

 

『やれ』

 

 シュタイエルマルク退役元帥の唇がそういう風に動いた気がした。私は小さく頷いて口を開く。

 

「突然の非礼、お許しください。しかし小官は正義の為、人道の為、そして祖国の為にやり抜くべき使命を負っている。……皆様、暫しお時間を小官に頂きたい」

 

 さあ、昨日の夢物語は今日希望となった。明日の現実を創り、「あり得ないことなどない」と高らかに宣言しようではないか。

 

 ……と格好つけた所でこれを読んでいる諸君が結末を知っていることを考えると甚だバツが悪いのだが。

 

「私は、帝国軍上層部による組織的暗殺、背任及び叛逆行為の存在を告発する。帝国軍を振粛し、皇帝陛下の御手と、祖国と臣民の下に、正義と栄光を帰さん!」

 

 

 

 

 

 

 

 ダニエル・ライト・マーセナスは銀河連邦第二代最高元首であり、ルドルフ以前に唯一銀河連邦の最高元首職と筆頭首相職を兼任した人物として知られている。尤も、ルドルフと違って独裁者という訳では無い。初代筆頭首相を務めている最中の選挙によって第二代最高元首に指名されたために、後継首相が正式に就任するまでの数日間、図らずとも両職を兼任することになったというだけの話だ。が、悪辣なルドルフ・フォン・ゴールデンバウムはこの「前例」を掘り返して首相職を退くことを拒否した。共和派が起死回生の一手として打ち出した、最高元首就任によるルドルフの首相職「追放」作戦は失敗し、逆に名誉職であったはずの最高元首職に行政府のトップである首相職が組み合わさり、絶大な権限を与える結果となってしまった。

 

 ユングリング市カッセル街一九番地。帝都オーディンから車で四〇分程のこの場所にはそんなダニエル・ライト・マーセナスの名を冠した大聖堂が存在する。帝国国内での布教を許されている「六五公認分派」の一つ、「地球教派」のオーディン支部だ。マーセナスは地球・シリウスといった『旧戦犯諸国』の銀河連邦受け入れに尽力した人物であり、さらにかなり薄いが旧地球系財閥創業者一族の血を引いていた為に地球教から聖人認定を受けている。地球教の史観によると、マーセナスは欲望に囚われ畜生道に堕ちたシリウスの引き起こした動乱に終止符を打ち、平和と秩序を回復した聡明で偉大な地球人なのだ。……尤も、当時の民衆――マーセナス自身も含めて――に彼が地球人であるという思いは全く無かった(有ればそもそも当時の連邦で高官になれる訳がない)だろうが

 

 

 話を戻そう。聖マーセナス大聖堂は地球教が保有する宗教施設の中でも五本の指に入る大規模施設として知られ、帝国中の地球教徒が生涯の内一度は訪れるとされている。とはいえ、今までは地球教徒自体が少数であったことから、大聖堂を訪れる人は疎らであった。ところが、分権主義や個人主義が各地で力を持ち過激化する中で、そのカウンターパートの一つとして「地球人類」というアイデンティティの共有を人々に呼びかけ、団結と連帯を訴える地球教派が急速に支持を集めており、当時のカッセル街は地球教の巡礼者で溢れ返っていた。

 

 そんなカッセル街一九番地に、黒塗りの複数のワゴン車が乗り付けたのは国防諮問会議が始まったのとほぼ同時刻である。中から降りたスーツ姿の男たちは聖マーセナス大聖堂に隣接する地球教オーディン支部事務局ビルに隊列を組んで雪崩れ込んだ。折り畳み式の携帯ケースを小脇に抱えた男たちは一斉にビルの各所に散らばり、手当たり次第に資料や端末を押収する。

 

 一五分ほどして、さらに数台のワゴン車が到着する。赤色胸甲騎兵艦隊司令部憲兵隊長マーシャル・ペイン宇宙軍准将は険しい表情でそのワゴン車を降りた。他の車から降りた男たちが一斉にその後ろに並び、三〇代前半に見える男がペイン准将の横に並んだ。

 

「クソッ!内警の奴ら抜け駆けしやがった!」

「……やってくれたね」

「やはり内警に声をかけるべきではありませんでした」

「しかし公調だけでは手が足りない。特に地球教地方拠点へのガサ入れはそれが顕著だ。君たちが動かせるのは行政管区単位で置かれる司法省公安調査局、彼等が動かせるのは州単位で置かれる州警察警備部。警察が庁か総局に格下げされ、建前上各行政管区の警察本部が旧保安警察庁のラインから外れ社会秩序維持庁のラインにつけられた今でも、各警察本部の警備部は警察総局公安部の指揮に従っている」

 

 ペインは隣に並んだ男に対しそう応じながらも考える。ちなみに内警とは内務省警察総局、公調とは司法省公安調査庁の事を指す略称である。「公安」という場合はこれに内務省社会秩序維持庁を加え、「公安警察」という場合はそこから公調を除く。さらに言えば内警という呼称は自治領(貴族領)警察(領警)、国務省地方行政統括局(地方支分部局)公安総局(国警)との区別を目的とする為、一般的には単に警察と呼ばれることが多い。

 

「公調第二部の他の部署に声をかけた方がマシでしたよ。何なら『亡霊』を追っていた私のチームだけじゃなくもっと公調第一部(うち)から人を出しても良かった」

「……別々に動いていたとはいえ、この件に元々関わっていた内警を外す理由はない。いくら地下空間を突き止めたのが公調自慢の宗教対策部門、調査第二部第四課とはいえね」

 

 ペインは内警の抜け駆けに関しては必要経費と割り切ることにしたが、隣を歩く男は不満そうな表情だ。ペインは眼前の地球教オーディン支部事務局ビルを見上げる。至って凡庸な、一般的な建物のように見えるが、その地下には内務省習俗良化局・典礼省神祇局・内務省消防総局・国務省帝星振興局・帝都特別行政府といった公的機関には報告されていない大規模施設があるという。

 

「……チェックが済んでいる人員は限られている。内警も公調も……勿論憲兵も信頼に足る人間しか動かせなかった」

「『亡霊』と繋がっていないだけで、信頼に足る人間では無かったようですがね。これなら質は落ちてもうちの地方支局を動かした方が良かったかもしれない。『亡霊』の連中もそんな下っ端まではスリーパーを入れてないでしょう。逆にね」

 

 隣の男……公安調査庁調査第一部のヴェッセル上席調査官は忌々し気に応えた。そしてそのヴェッセルが指揮する公安調査庁の職員たちも当然調査第一部の所属……と言いたい所だが、半数以上が第一部ではなく調査第二部第四課の精鋭たちだ。

 

 調査第二部は国内の反体制組織を監視する部門であるが、その中でも第四課は宗教組織を担当している。第五課……海賊を担当する課と同じく元々分室に過ぎなかったが、数年前に課に格上げされた。これまで宗教組織を専門で監視する情報機関は殆ど存在しなかったが、宗教過激派の出現に危機感を抱いた公安調査庁が一早く宗教対策分室の予算と人員を増強、今では国内最初かつ最大かつ最精鋭の宗教対策部門として知られている。

 

 ……まあ最大・最精鋭とはいってもそもそも宗教対策部門が公調第二部第四課の他には内務省習俗良化局統合政策課調査官室(宗教担当)と内務省良化特務機関調査部第五課位しか無い。習俗良化局の情報機関に比べれば大規模であっても、公調全体の中ではむしろ小規模な位の組織であったりする。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ペイン准将ですね。帝都憲兵隊のラフト少尉です。ハルテンベルク警部から准将閣下をご案内するように仰せつかっております」

 

 公調の捜査官を従えながら支部に入ろうとしたペイン准将に対し、パンツスーツに身を包み、長い金髪を後ろで一括りにした女性が話しかけてきた。帝都でこのような格好をしている女性は旅行客かフェザーン企業の社員と相場が決まっている。

 

「……少尉?貴女がかね?」

「女性が軍人に成ってはいけない、という法はありませんから」

 

 ペインが困惑のまま発した疑問に対してラフト少尉はそう応じた。ペインはその口調から、彼女が何度も同じような疑問に対し何度も同じような返答を返してきたことを察した。……確かにラフト少尉の言うように女性の帝国軍人は存在するが、その大半が医官や技術職の人間――大抵は自治領出身者――であり、尉官以上の階級を持つ者に限れば帝国軍全体で僅かに七〇〇名程度に限られる。その七〇〇名にしても、大半が近衛兵総監部や後宮警備局、軍務省宣撫局等、「女性にしかできない軍務」がある職場に勤務している。

 

「……そうか。まあ……頑張りなさい。同じ憲兵として力にはなろう」

「御厚意には感謝しますが、准将閣下が想像するような複雑な事情等はありませんので。小官は小官の意思のみで憲兵となりました」

 

 ペインが同情の色を浮かべたのを見て取ったのか、ラフト少尉はすげなくそう言って踵を返した。

 

「待ちたまえ、貴官は貴族だろう。……自分の意思だって?信じられん……それは御家族は承知なさっているのか」

「承知なさっていないなら小官はここに居ませんよ。……着きました。こちらです」

「ああ……」

 

 ペインは奇怪な物を見るような目でラフト少尉を見つつ、彼女の指し示す部屋に入る。

 

「ライヘンバッハ晴眼伯」

「ん?」

「いえ、そう呼ばれている方の腹心ですから、もっと違う反応を期待していたのですが」

 

 ラフト少尉はそう言って扉の横に立った。部屋は応接室のようで、古風な暖炉の横にアンティークのテーブルとソファが置かれている。暖炉の上には煤に塗れた猟銃が飾られており、壁にはペインが見たことの無い生物のはく製がいくつも掛かっている。他にも大小さまざまな装飾品がこれでもかと並んでいるが、特に部屋の隅に置かれたくすんだ赤くて丸い珍妙な置物は独特の存在感を放っている。顔?のようなものが書かれていたようだが、どうにもはっきりしない。その置物を一人の青年がパイプを咥えながら見分していた。青年は入室したペイン達には目もくれずに話す。

 

「一見すればガラクタだがね。相当な珍品だよ。かつて三大陸合州国の寒冷地帯に伝わっていた民芸品で『だるま』という。……見たまえ、中に一回り小さなサイズの同じ置物が格納されている。おい」

 

 青年は咥えていたパイプで置物を指し示す。部屋の隅に控えていた黒服が青年の指示に従って置物に触れるが、暫くしてどこか困惑した様子で立ち尽くし、「開きません」と言った。

 

「うん?おかしいな……。まあ無理もない。驚嘆するべきことにこの部屋の装飾品は全て一三日戦争以前の遺物らしい。この『だるま』も長い年月の中でどこか劣化したんだろうよ。……ああ、勿論そのソファもだ。間違っても座るな。地球教徒共もこのソファは使ってなかったらしい。……何のための応接室だという話だがね」

 

 青年……エーリッヒ・フォン・ハルテンベルク伯爵令息は無表情のままそう語った。二二歳にして公安総務課総務統括係係長の要職にあるエーリッヒ・フォン・ハルテンベルク警部は官僚貴族の名門ハルテンベルク伯爵家の嫡子である。官僚貴族の常として外見や雰囲気は貴族然としていないが、その立ち居振る舞いを少し眺めれば、彼が名門の出であることは分かるだろう。

 

 ハルテンベルク伯爵家は内務系官僚貴族の大物、特に本家は保安警察庁――今は警察総局――の要職を歴任している。当代のシュテファン・フォン・ハルテンベルク伯爵は保安警察庁最後の長官であり、今は内務副尚書の位にあって、警察閥のトップとしてマルシャと近い秩序閥の宮内尚書キールマンゼク伯爵らと次期内務尚書の座を争っている。

 

「『コンポ二スト』ですね?……赤色胸甲騎兵艦隊司令部憲兵隊長マーシャル・ペイン宇宙軍准将です」

「そう言う君が『ディリゲント』か。エーリッヒ・フォン・ハルテンベルク。内務省警察総局公安部公安総務課総務統括係係長、階級は警部だ」

「『ターゲリート』です。司法省公安調査庁調査……」

「ああ、君は良い」

 

 ハルテンベルク警部は煩わしそうに手を振ってヴェッセル上席調査官の挨拶を遮る。同格とはいえハルテンベルク警部よりヴェッセル上席調査官が一応の先任者の筈だが、家格差故か全く気にした様子もない。ヴェッセルも決して寒門出身者という訳では無いのだが。ヴェッセルが気分を害した様子になり、ペインとラフト少尉もどこか非難するような色を浮かべてハルテンベルク警部を見る。

 

「何だね?『公調と仲良くする気はない』。当たり前だろう」

「……我々も、貴方方と仲良くする気は無いですけどね。作戦を破綻させかねない暴走は禁じ手でしょう」

「暴走?君たち公調(しろうと)と一緒にしないでくれ。これは暴走じゃなくて奇襲だよ。作戦を破綻させることも私が指揮を執っている限りあり得ない」

「は!素人はそちらでしょう。優秀な人材は悉くマルシャに持ってかれて、それを拒んだ連中は地方に飛ばされるか他機関に引き抜かれるか。宗教対策部門すら増設できない体たらくではありませんか」

「そんなことも無いさ。口ばかり達者な無能者が軒並み本庁を去った。その一事だけで警視総監を引き継ぐ者として、未来に心が躍るよ」

「貴方がまだ本庁に居座っているのに?」

 

 ハルテンベルク警部とヴェッセル上席調査官が舌戦を交える。公安と公調は管轄の競合する組織の常として険悪な仲だが、二人の様子はそれを考慮しても険悪だ。特にヴェッセル上席調査官は露骨にハルテンベルク警部への敵意を露わにしているように見える。単なる縄張り争いだけではなくそれ以上の因縁か確執がありそうだが、優秀とはいえ任官して日の浅いハルテンベルク警部とヴェッセル上席調査官の個人的な関わり合いは少ない。もしかしたらヴェッセル上席調査官の経歴――内務省保安警察庁が警察総局に再編される際の人員削減で職を失った――が関係しているのかもしれない。

 

「憲兵、君たちにもハッキリ言っておく。こんな事はこれっきりだ。……保安警察庁(われわれ)は七六九年の屈辱を忘れていない」

 

 ハルテンベルク警部は不機嫌そうな様子でペインに対しても釘を刺す。……まあ抜け駆けはともかくとして、ハルテンベルク警部の反応は官僚として普通の物だろう。今、ペインがやっていること、ハルテンベルク警部やヴェッセル上席調査官が協力させられていることは横紙破りにも程がある。公調側でもヴェッセル上席調査官はともかく、その下に付けられた調査第二部の人員には不満が燻っている。憲兵の指揮下に入ることもそうだが、この案件の連絡調整官(リエゾン)を畑違いの調査第一部のヴェッセル上席調査官が務めている事に対しては思う所もあるだろう。

 

「それじゃ、私は部下の方を見てくる。……ああ、ペイン准将。『アレ』は別の部屋で拘束している。お嬢さんに場所は伝えた。……貸すだけだぞ?押収したブツは全部こちらで引き取る約束だ」

「……それは物の話です、参考人は……」

「それは承服しかねますな!公調側(こちら)が指定する押収品は引き渡してもらいます」

 

 ハルテンベルク警部の言葉を受けてペインが口を開くが、ヴェッセル上席調査官がそれを遮る形で話に割り込む。ハルテンベルク警部は煩わしそうに顔を顰めヴェッセル上席調査官に向き直る。

 

「話が違うな……押収品の現物は押収した組織が管理するはずだ」

「先に合意を破ったのは内警です。そちらが先走って我々公調に与えた損害は補填していただく」

「情報は共有する。それで構わんだろう」

「それは大前提だ!補填にはならない!……大体内警(そちら)は宗教犯罪に対して素人でしょう。宝の持ち腐れだ。四課(ウチ)なら現物の些細な痕跡から様々な情報を…」

 

 ハルテンベルク警部とヴェッセル上席調査官が言い合いながら部屋を出ていく、部屋の中に残されたペインは溜息を吐き、何となくもう一度『だるま』を見てから部屋を出る。

 

「何というか……酷いですね」

「対立するのは仕方がない。警察総局公安部と公安調査庁は管轄が重なる部分も多いんだ。流石に内警とマルシャの関係よりはマシだけどね」

「……末端からトップまで年中殺し合っているような両組織と比べればどんな対立もおままごとです」

 

 部屋の扉の横に立ち、一部始終を見ていたラフト少尉は辟易した様子でそう言った。ペインは思わず苦笑するが、ラフト少尉の次の言葉に笑みをひっこめた。

 

「リヒテンラーデ侯爵でもマルシャと内警を協力させるのは無理でしょうね」

「……侯爵の名前を出すか。中々察しが良いじゃないか。少尉」

「……閣下は私を女だからと馬鹿にしてはいませんか?犬猿の仲の内警と公調を一緒に動かせるような殿上人なんてリヒテンラーデ侯爵だけです。そんなこと赤子にだって分かります」

 

 ラフト少尉は明らかに気分を害した様子で応えながら、ペインを案内する。『参考人』に話を聞かなくてはならない。ペインはラフト少尉をまじまじと眺めて呟いた。

 

「顔採用という訳でも無いのか」

「……閣下、『せくはら』って言葉をご存知ですか?フェザーン勤務の機会があれば是非とも赴任前に調べておくことをお勧めします」

 

 ラフト少尉はそう言いながら一つの部屋の前で立ち止まる。扉の前には小銃を携えた屈強な男二人が立つ。シュタイエルマルク大将の手回しで派遣された帝都憲兵隊の所属だろう。ペインが率いている赤色胸甲騎兵艦隊の憲兵隊には内通者が居る。故に今回は単身で密かに帝都に降り、シュタイエルマルク大将が用意したチームと合流した。彼等はこれまで地球教捜査からは全く縁のない仕事をしていた。ペインのチームに何かあった時の予備要員としてシュタイエルマルクから注意深く選定された彼等は地球教と一切関係の無い人物であることと、胡散臭い命令にも従順に従う人物であることが保証されている。

 

 とはいえ、理由も知らされずに変な宗教組織に突入させられたことに思う所が無い訳では無いようで、ペインに対しては胡散臭い物を見るような目線を寄越し、ぞんざいに敬礼してきた。ペインも同等の無礼さを込めた適当な敬礼を返し入室する。

 

 その部屋には先ほどの地球趣味漂う応接室や、その他の清貧を旨とする地球教徒の居室とは違い、フィン・ユールのチェアやアーベントロートのカーペットといった貴族御用達の高級ブランドがある一方で、同盟のマーベルやフェザーンのクラシカル製の安価な――あくまで帝国基準だ――ベットであったり本棚だったりが共存している。普通なら雑多な印象を受けかねないナンセンスなチョイスの仕方ではあるが、それでいて部屋全体で見るとどこか格調高い趣を感じさせる。優雅さと実用性を調和させ、そこに囁かな貴族的感性――例えば同盟企業の中でもマーベルは経営者の右翼的言動から禁輸指定を受けている、その製品を入手した事と公然と使用していることは遠回しな彼の権力の誇示だと言える――を混ぜ込んた部屋の主の独特の感性が窺える。

 

「そうか、この騒ぎは貴様の仕業か。一本取られたよ。このタイミングで地球教への強制捜査に動くとはね。……ああヨハンナ、紅茶を頼む。そこの可憐なお嬢さん(フロイライン)にも」

 

 フィン・ユールのロッキングチェアに腰掛けながら男は片眉を上げて言った。男の言葉を受けて、妻が奥のキッチンへと向かった。三人の監視役の内一人もついていく。それを一瞥しつつ、ペインは部屋の主に対して嫌悪感を隠さないで語り掛けた。

 

「宇宙軍特別警察隊司令部別班、主任戒厳査察官。マーシャル・ペイン宇宙軍准将です。会えて本当に光栄ですよ。……………クリストフ・フォン・バーゼル『元』宇宙軍少将」




注釈32
 銀河帝国司法省公安調査庁は元々銀河帝国宰相府公共安全庁という名の組織であり、さらにさかのぼると内務省保安警察庁と同じく、その源流を銀河連邦の行政組織に持っていた。内務省保安警察庁が前身組織の銀河連邦広域刑事警察機構から腐敗した人員を一掃しつつも、ルドルフを支持した革新官僚(後の官僚貴族達)を中心に組織をほぼ維持したのに対し、公安調査庁の前身となった機関の殆どは解体、縮小、廃止に追い込まれることになった。
 一握りのルドルフ支持者を除きそれら情報機関の構成員たちは、殆どが下野を余儀なくされ、彼等に取って代わった内務省社会秩序維持局から厳しい監視の目を向けられた。社会秩序維持局員の目を欺いて共和主義勢力に合流した者もいたが、殆どの者は従順に忠実に一般の臣民として暮らしていた。地球時代から権力の中枢に奉仕し続けた『情報閥』はここに無力化された……かに見えた。

 ジギスムント一世鎮定帝の時代に起きた、共和主義者による大反乱、「連邦主義者(フェデラリスト)たちの乱」は帝国中枢に多大な衝撃を与えた。内務省社会秩序維持局の苛烈な粛清によって共和主義者、銀河連邦支持者は完全に駆逐されたはずだった。しかし「連邦主義者(フェデラリスト)たちの乱」によって、今なお相当数の共和主義者達が帝国各地に潜伏し、体制を転覆させようと試みていることが明らかとなった。社会秩序維持局のこれまでの捜査活動は一体何の意味があったのか。当時の社会秩序維持局長ワルトハイム伯爵は「我々の努力があったからこそ、『連邦主義者(フェデラリスト)の乱』はこの程度の規模で済んだのだ」と保安警察庁長官フェーネンダール侯爵の批判に反論したが、ジギスムント一世鎮定帝やノイエ=シュタウフェン大公が抱いた社会秩序維持局への不満と不信を拭い去る程の説得力はなかった。

 元々、強権的な社会秩序維持局の姿勢に反感を抱いていた者たちは少なくない。保安警察庁調査部が公安部と名前を変え、かつての規模と予算を取り戻したのを皮切りに、各省庁が社会秩序維持局の介入を排し自分の縄張りを守るために、それぞれの職域を担当する情報機関を設立し始めた。その過程で旧連邦の情報機関構成員たちが大勢公職に復帰したのは言うまでも無い。

 宰相府公共安全庁はそのような各省庁の情報機関の中で最大規模の組織であり、「連邦主義者(フェデラリスト)の乱」以前から存在した内務省社会秩序維持局、軍務省宣撫情報局、皇帝官房秘密情報部第六課(GI6)(後の国務省情報統括総局)の三大情報機関に匹敵する強力な組織としてノイエ=シュタウフェン大公肝入りで新設された組織であった。

 しかしながら、公共安全庁内部には複数の連邦情報機関出身者が入り混じっていた為、やがて出身機関ごとに激しい派閥争いが繰り広げられるようになる。かつての同部署における同僚たちが他省庁の情報機関に所属していることもあって公共安全庁は一つの組織として纏まることが出来ず、機能不全に陥った。その中で各情報機関の連絡機関であった宰相府中央情報調査室が力を持つようになっていき、公共安全庁は解体されることが決定する。

 これを受けて当時、公共安全庁の主流派であった旧連邦保安庁派はルーツを同じくする司法省刑事局公安課への「身売り」を画策する。しかし、流石に一省庁の主流派をそのまま一つの課で受け入れるというのは非現実的であったために調整は難航した。『宰相府潰し』の急先鋒だった国務尚書ベルンカステル侯爵や社会秩序維持局に近い大審院長メッテルニヒ伯爵らの批判も強く、保守派の大物である枢密顧問官ブローネ侯爵や軍務省尚書官房高等参事官バルトバッフェル侯爵らも難色を示した。誰もがこの構想には無理があると思い、公共安全庁の解体と職員の解雇は避けられないと考えた。

 救いの手はイゼルローン回廊の向こう側から差し出された。再就職先が見つかったという意味ではない。自由惑星同盟の発見、ダゴン星域の敗戦、そして第一次エルザス=ロートリンゲン戦役の大敗である。

 強力な外敵の出現は、帝国内部の不穏分子たちの動きを活発化させた。それだけではない。第一次エルザス=ロートリンゲン戦役では自由惑星同盟情報機関の活動による多くの貴族のサボタージュが問題となり、暗赤色の六年間には多くの皇族・貴族が私利私欲のままに陰謀の糸を張り巡らせ、一部の貴族は帝国を捨て同盟へと走り始めた。

 『特権階級への監視』その必要性を痛感した司法尚書オスヴァルド・フォン・ミュンツァー伯爵によって、公共安全庁は生き永らえ、生まれ変わることになる。帝国唯一の、特権階級を監視対象とする公然部門を有する規制官庁にして情報官庁、司法省公安調査庁として。



 公安調査庁が競合機関に対し優位に立っているのは、その設立の理由でもある特権階級への監視と、亡命貴族に対する追跡・防諜・対策の分野である。しかし、司法省直轄の情報機関として主に司法省指定特別犯罪組織の情報収集や、特別犯罪組織指定令の適用請求などを口実に幅広い分野での情報収集活動を実施している。

 公安調査庁調査第一部は体制内不穏分子を担当する部門であり、国内情報機関で唯一貴族を監視対象とする公然部門である。(社会秩序維持庁・警察総局・国務省・典礼省等には非公然部門が存在)それ故に諸侯から蛇蝎の如く嫌われており、諸侯は事あるごとに「公調廃止論」を唱えていた。

 公安調査庁調査第二部は国内の反体制組織を監視する部門である。第一課がサジタリウス腕の銀河連邦亡命政府とそれに従う戦線系共和主義組織を担当、第二課が革民同系分離主義組織を担当、第三課がコミューン他左派系非合法組織を担当、第四課が宗教過激派を担当、第五課が『流星旗軍』を初めとする宇宙海賊を担当していた。この他、ザールラント叛乱軍等の個別の監視対象組織担当の分室が複数存在した。

 公安調査庁調査第三部は自治領及びサジタリウス叛乱軍を担当している。亡命貴族とその勢力も第三部の担当であり、ブランデンブルク侯爵などが支援する「暁の向こう側」、ハーゼンクレーバー伯爵が関わる「サジタリウス辺境軍管区」、クレーフェ侯爵が最大の支援者の一人である銀河有数の人権団体「アル=アーディル・インターナショナル」、それら全てと関わる「サジタリウス大公国政府」などが監視対象となっている。


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壮年期・「アウト・オブ・コントロール」(宇宙暦780年12月12日)

「その組織……オフレッサー少将は『刑吏(ヘンカー)』と呼んでいたそうですが、それが一体いつ頃から活動を始めているのか……残念ながら小官には突き止めることが出来ませんでした。地上軍総監部やルーゲンドルフ公爵邸に対して現在行われている強制捜査の結果を待つしかありません」

「強制捜査……」

 

 私の発言に議場はどよめく。リントシュタット宮殿に武装した兵士が突入してくる時点で、既に私のやろうとしていることは察しているだろうが、実際に口に出されると驚きもあるらしい。

 

「ただ、宇宙暦七四五年の第二次ティアマト会戦以後、セバスティアン・フォン・リューデリッツ宇宙軍元帥による軍部改革に乗ずる形で、その組織が宇宙軍に活動の範囲を広げたのは確かです。軍の再編で多くの地上軍人が軍中枢などに移りました。その中に組織の息のかかった複数名の地上軍人が居たのです。」

 

 私はそう言いながら諸卿の反応を悠然と眺める。帯剣貴族達の反応は二つに別れる、いっそ哀れな程に狼狽しているのはバッセンハイム元帥ら、『刑吏(ヘンカー)』の存在を知らない高官たちだ。逆に組織について知っている者達の反応は薄い。唖然としている、あるいは呆然としているといった様子だろうか。

 

 それ以外の出席者で見るとリッテンハイム侯爵は忌々し気に舌打ちしてから私をずっと睨んでいる。エーレンベルク公爵は一つ呆れたように溜息をついて身に着けた片眼鏡(モノクル)を外して目を閉じた。「見るに堪えない」という事だろうか。他の面々は皆動揺している。……少なくともリヒテンラーデ侯爵を含むその内の何人かには動揺する理由も無いと思われるのだが、明示的に協力を得られている訳でも無い。少なくとも表向きは何も知らない振りをしておくということだろうか。

 

「『一部高官やその派閥の利益の為に部隊や物資が軍の正当な指揮系統と関わりなく動かされていた。組織的な暗殺や汚職も行われており、その為に書類の改竄や偽造が日常的に行われていた』……これが本当なら流石に内務省としても看過できかねる」

「出鱈目だよレムシャイド伯。……我々に銃口を突きつける者たちの言うことを信じるのか!」

 

 内務尚書レムシャイド伯爵が手元の資料を読み上げると、統帥本部総長ファルケンホルン元帥が即座に否定する。が、実際の所レムシャイド伯爵からは内務省警察総局公安総務課別室――非公然の軍部監視部門――の捜査資料を、リヒテンラーデ侯爵からは司法省刑事局公安課と公安調査庁調査第一部第二課(軍部担当)の捜査資料をそれぞれ提供されている。つまり今私が告発している内容の一部はレムシャイド伯爵が既に報告を受けている内容の筈だ。

 

 ちなみに、情報提供は一応『地球教対策』の名目で受けたが、彼らも海千山千の官僚だ。私の真の目的について察しがついていなかったとも思えない。この辺り、帯剣貴族のクーデターに「協力する」と明言してしまったクロプシュトック公爵と、あえて私の動きに何も気づかない「ことにして」黙示的に後押しするリヒテンラーデ侯爵・レムシャイド伯爵の差が際立つ。やはり魑魅魍魎渦巻く官界に入って間もないクロプシュトック公爵と非主流派とはいえ官僚貴族の名門に生まれ育ったリヒテンラーデ侯爵・レムシャイド伯爵では立ち回り方も変わってくるのだろう。

 

「信じない。と一蹴するには証拠が揃いすぎているな。……ライヘンバッハ伯によると卿等が謀を弄んでいるその密会の音声記録まで残っているとか」

「そんなものがある訳がない!あるとすればそれは偽造だ!」

「偽造かどうかは然るべき機関で調べて貰っても結構です。既に宰相府、司法省、内務省宛てにデータは送りました。原本も必要ならば提供しますよ」

 

 私はそう言いながらポケットからデータチップを取り出す。「偽造だ!」と叫んだシュティール上級大将は無念そうに顔を顰めた。私の言っていることがハッタリでないことは帯剣貴族達自身が一番よく分かっているだろう。私自身がボイスレコーダーを身に着けて取った記録も有れば、ヘンリクやブレンターノ准将の協力を得て会合場所に仕掛けた盗聴・盗撮記録もある。……まあ自分たちが担ぐ神輿が担ぎ手に対して反乱を起こすことは想定していなかったのだろう。『私に対しては』皆ザル警備も良い所だった。

 

「帝国暦四三八年の橙色陸戦軍後方部門による組織的横領、帝国暦四四二年のミヒャールゼン提督暗殺事件、帝国暦四四三年の第一六軍集団玉砕、帝国暦四五一年の『赤旗派』による東華航宙公司二二五便・帝国航宙七六五便同時爆破事件などは『刑吏(ヘンカー)』による策動……彼らの言う所の粛清の結果によるものであり、いずれも領地貴族出身の軍人や、開明派、地上軍内の改革派軍人を排除する目的で起こされたと思われます」

「御当主様!」

 

 私はそんな風にさらりとミヒャールゼンの死も『刑吏(ヘンカー)』のせいにする。一方、私の言葉についに堪え切れないといった様子でシュティール地上軍上級大将が叫んだ。

 

「中核メンバーは軍務省尚書官房情報保全監アルホフ地上軍中将、兵站輜重総監部高等参事官マイザー地上軍中将、統帥本部情報部参事官コールライン地上軍少将、憲兵総監部憲兵司令本部主任監察官レマー宇宙軍少将、後備兵総監部後備調査課別室室長オーム地上軍准将の五人の名前が挙がっており、内マイザー中将についてはそこに居るオフレッサー少将と同じく『刑吏(ヘンカー)』の存在と、自身の関わりについて証言に応じています」

「オフレッサー……貴様……!拾ってやった恩を忘れたのか!」

 

 ルーゲンドルフ元帥が怒りをあらわにオフレッサー少将を怒鳴りつけた。一方のオフレッサー少将は「馬鹿馬鹿しい」と怒りを滲ませながら吐き捨てる。オフレッサーの怒気によって前に座っていたマリーンドルフ侯爵がビクッと身を震わせた。

 

「……恩ねぇ。俺は田舎者だから殿上人の考えることは分かんねぇが……。多少、金と地位を与えれば脅迫して味方殺しなんてさせても恩になるのか?それにな、一番大事な話だが……ライヘンバッハの変人伯はアンタらと違って俺を殺す気はない、それだけでもありがてぇ話だ」

 

 そう言ったオフレッサーは憎しみの籠った目線をルーゲンドルフにぶつけるが、これは恐らく芝居だろう。オフレッサーは味方殺しをするにあたって脅迫など受けていないし、与えられた金と地位……ついでに名誉と女……は「多少」なんてモノではない。確かに彼は私に言ったように快楽殺人者でもないし、共感性に乏しい異常者でも無いのだが、必要とあればとことん残虐になれる強欲な人間であることは間違いなかった。……もっとも、それを理由に私はオフレッサーを悪く言えないかもしれない。「必要だ」と考える基準が違うだけで、私も欲望の為には客観的に見て残虐な事をしてきたと言える。

 

「……オフレッサー少将に関しては先ごろザールラント方面で戦死した、との報告がされているかと思います。これは『刑吏(ヘンカー)』によって粛清対象となったオフレッサー少将を守るための虚偽報告でした。……オフレッサー少将を殺そうとしてくれた御蔭で、我々は漸くその組織の全貌に辿り着けました」

「ザールラントじゃ世話になったなクソ野郎共」

 

 捕虜交換から帰還したオフレッサー少将は激戦地に送り込まれ続けた。帯剣貴族たちに私はオフレッサーの安全を保障するように取りなし、彼等はそれに応じた。ところがそれは殺さないというだけで、死なせないという意味では無かったという事だ。……ところがこの化け物ミンチメーカーは上層部の悪意によって繰り返し死地に送り込まれながらもしぶとく生き延びた。やがて、それに恐怖した高官の誰かが『刑吏(ヘンカ―)』にオフレッサーを粛清するように命じた。結果的にそれはオフレッサーに復讐を決意させ、私の告発に協力する決意を固める最後の一押しになった。

 

 私はオフレッサーを冷たく一瞥すると、再び口を開いた。

 

「まあ……『容疑者』たちの自白はここにあるチップに取れています。他にそこに居るオフレッサー少将と、兵站輜重総監部高等参事官の職にあって様々な陰謀に物資を融通していたマイザー中将から詳細な証言を得ることが出来ました。とはいえ実際の所、その他の物証は時間が経過しており、組織的な隠蔽が徹底的に行われたこともあって、細かな点まで立証するのは困難です。……だから、小官はこのタイミングでこういう手段を取らせていただいた」

「実力行使で冤罪を着せるという手段かね」

「容疑者たちが大罪を犯した所で一網打尽にする、という手段です。……皇太子殿下、そして諸卿方、ここに居る者達は言い逃れのしようもない大罪を犯しました。皇帝陛下の軍を私物化し、神聖な帝都を踏み荒らした挙句に忠実な臣下たちを害そうとしました。その計画の全貌は全てこのアルベルト・フォン・ライヘンバッハの知る所であります。無論、『証拠を出せ』と言われれば何だって出せます。……その上で私は、軍部に巣食う寄生虫たちを一掃したい。この軍部のクーデター未遂を機に、全ての罪を白日の下に晒し、膿を出し切りたいと考えております。どうか皆様のご理解とご協力をお願いしたい」

 

 私がそこまで語り終えると、沈黙が議場を支配する。やがてルートヴィヒ皇太子が口を開いた。

 

「……ライヘンバッハ伯爵の言う所は分かった。手段に関しては到底認め得るところでは無いが、この国の腐敗は先程目の当たりにしたばかりだ。軍もまた例外でなかった、という事だろう。妥当性はともかく必要性は認める。……それでライヘンバッハ伯爵、卿の望みは何かね?」

「皇太子殿下……!お待ちを……」

「小官に戒厳司令官として帝国全軍の指揮権、全官吏への指揮権を頂きたい」

 

 帯剣貴族が叫ぶがルートヴィヒ皇太子は全く耳を貸そうとしない。リッテンハイム侯爵やリヒテンラーデ侯爵らも口を開こうとせず、事態を静観している。クロプシュトック公爵は少し顔が蒼い。私の資料に官界のクロプシュトック派が帯剣貴族によるクーデターに加担していた事実は一切書かれていない。とはいえ、クロプシュトック公爵は実際には帯剣貴族たちに対してクーデターへの協力を明言していた。当然その証拠を私は有している。大変危うい立場だと言えるだろう。だからこそ私は今回の告発から官界のクロプシュトック派を除いた。尻に火が付いた彼らの協力を期待しての事だ。

 

「許そう。他には?」

「皇太子殿下!」

「『刑吏(ヘンカー)』を初めとする叛乱勢力によって暫く危険な情勢が続くかと思われます。皇太子殿下と政府要人の方々には一時的に小官の確保した安全な場所に避難していただきたい」

「……ふむ、まあ良い……」

「それは駄目だ。ライヘンバッハ」

 

 私は内心で舌打ちしながら割り込んできた声の方へ向き直る。近衛第一艦隊司令官エーリッヒ・フォン・ラムスドルフ近衛軍大将が腕を組みながら私を睨んでいる。

 

「皇太子殿下は近衛がお守りする。貴様は安心して粛軍に取り組め」

「……言いたくないがな、ラムスドルフ。君の下に居る連中は信用できない」

「ああ、俺もそう思う。この宮殿は厳重な警備が敷かれていた。ところがどういう訳か貴様の犬が大挙して押し寄せている」

「クーデター派が紛れ込んでいた。それを利用させてもらった」

「仲間の振りをして通してもらったのか?ふん……騙されるだろうな。貴様の主観はどうあれ、客観的に見てこれはクーデターだ。目的が違うだけでやってることはそこの軍部高官(叛徒)達と変わらん。『本来の』クーデター派が仲間だと勘違いするのも止む無しと言った所か」

 

 ラムスドルフは冷笑を浮かべながらそう言った。その隣ではノームブルク大将が白い顔をして私を見ている。そしてラルフが真面目くさった――内心面白がっていたのは間違いない――顔で腕を組んで考え込んでいる。

 

「……分かった。ならラムスドルフ、君も皇太子殿下に同行してくれて構わない」

「『貴様の主観はどうあれ、客観的に見てこれはクーデターだ』そう言ったのが聞こえなかったのか?クーデター派に護衛対象の身柄を引き渡す近衛が何処にいる」

「応じない、と?」

「この時世だ。今更クーデター程度(・・)でどうこう言う気はない。だが皇太子殿下の政治利用は近衛の誇りにかけて許すつもりはない」

 

 私とラムスドルフが睨みあう。その間にいるノームブルク大将は居心地悪そうだ。

 

「……残念だラムスドルフ」

「……」

 

 銃を抱えた兵士がラムスドルフに近づく。ルートヴィヒ皇太子が慌てて割り込んだ。

 

「止めろライヘンバッハ!……ラムスドルフ!私はライヘンバッハの粛軍に協力したいのだ。分かってくれるな?」

「殿下。臣下の分を超えているやもしれませんが、御諌め申し上げます。殿下、御自身の立場を御自覚なさいませ。帝国三大貴族集団の一つと殿下が本気で対決なさる。彼等のこの体たらくを見れば、それもまた取り得る選択肢ではあるでしょう。ですが、それはこの男の暴走に引きずられて、軽々に踏み切って良い決断ではありません。この男に全てを委ね神輿となるべきではありません。この男が上手くやる保証は無く、この男が正義であるという保証もない。殿下は殿下自身の手で道を切り拓かれるべきだ」

 

 ラムスドルフはそう言うと組んでいた腕をほどき、右腕を私に向けた。その手には小さなブラスターが握られていた。

 

「!それは……」

「動くな。小さなブラスターだが、ライヘンバッハ伯爵の頭と心臓に一発ずつ打ち込む程度のエネルギー量はある」

「銃を下ろせ。さもないと撃つ」

「試してみろ。貴様等雑兵が俺をハチの巣にするより早く、俺はこいつの命を終わらせるぞ」

 

 ラムスドルフはカールスバート大佐に対して素っ気なくそう言う。その目線は相変わらず私を貫いていた。後ろで物音が聞こえる。私の後ろ、つまり斜線と重なった場所に座っている帯剣貴族たちが一斉に逃げ出したようだ。

 

「皇太子殿下は近衛が護る。良いな?」

「……ふむ。私たちの事を何か勘違いしていないか?私たちは追い詰められた叛徒が皇太子殿下に害を為すことを恐れているだけだ。皇太子殿下を神輿としようなどと畏れ多い事は考えていない……」

「長口上を聞く気はない」

 

 ラムスドルフはピシャリと私の言葉を遮った。私は思わず顔を顰める。このような事態は想定していなかった。皇太子殿下を囲い込もうとすれば一部の真面な近衛は抵抗するだろうが、本丸たる近衛兵総監部を早々に抑えて適度に脅し付ければあっさり屈すると踏んでいた。

 

「ラムスドルフ。そこまで皇太子殿下の身柄に拘るとは卿たちこそ良からぬ事を考えているのではないか?」

「下衆の勘繰りだな。職務に忠実なだけだ」

「真っ当な疑義だろう。職務に忠実な近衛?ライオンと同じだな。ああ、ライオンは知っているか?殆ど絶滅状態、今は精々数○○匹がズィーリオスの辺境地帯に生息している程度……ッ」

 

 熱いモノが頬を掠めた。『命が縮み上がるよう』とでも形容しようか。リューベック以来の感覚が私を襲う。

 

 

 

「……長口上は要らないと言った。ライヘンバッハ、皇太子殿下の身柄は諦めろ。答えは(ヤー)か否《ナイン》か、二つに一つだ」

 

 ラムスドルフは焦れた様子で私に返答を迫る。

 

「……」

 

 私は無言でラムスドルフを睨みつける。可能なら(ナイン)と言ってしまいたい。皇太子殿下を制御下に置けないのは危険だ。皇帝陛下のような無能でなく、行動力と決断力と判断力を持ち合わせている皇太子殿下は「駒」ではなく独立した「プレイヤー」になり得る素質がある。とりあえず今この瞬間に関しては、皇太子殿下には「駒」で居ていただきたいのだ。……そもそも、「駒」であったとしてもラムスドルフが皇太子殿下を神輿に私と対立する可能性だって否定できない。皇太子殿下は何としても制御下に置きたい。

 

「沈黙は肯定と受け取る。……皇太子殿下、御立ちください。この場を離れましょう」

「待て!」

「……何だ?命の捨て所をここにすると決めたか?」

「……」

 

 ラムスドルフは余裕を感じさせる表情だ。だがその額を一筋の汗が流れた。……私の脳裏を一つの考えがよぎる。ラムスドルフの射撃の腕は同期でも五指に入る。そうは言っても実戦で発砲した経験は殆ど無い筈だ。故に私が全力で回避行動をとればラムスドルフは当てられない可能性がある(・・・・・・)。よしんば当たったとしても死ななければ良いだけの話(・・・・・・・・・・・・)だ。ラムスドルフの数発を躱せれば、あとはカールスバート大佐やヘンリクが何とかする。

 

「……」

「!」

 

 私が膝に力を込めたその時、ラムスドルフの表情が変わる。長い付き合いだ。気取られたかもしれない。だが今知ったことか。ラムスドルフの指に力が入るその前に全力で躱す。これしか……。

 

 

 

 

「……ラムスドルフ大将、この場に武器の持ち込みは禁じられておりますぞぉ」

 

 

 

 

 

 

 まさしく緊張の一瞬であったが、そこに呑気な、間延びした声が割り込む。宮廷書記官長補を務めるヨハン・ディトリッヒ・フォン・アイゼンフート伯爵の声だ。

 

 即座に「こいつは何を言っているんだ?」との思いが籠った目線が彼に集まった。真っ当と言えば真っ当な指摘ではあるが、小銃を抱えた大量の兵士たちに囲まれて言う言葉ではない。……これまでの会議でこの老人は一度も発言しておらず、それどころか時々睡魔に負けていたように思われる。もしかしたらこの老人は寝ぼけて自分が小銃を抱えた兵士に囲まれていることにも気づいていなかったのかもしれない。

 

「クッ……」

 

 ラルフが思わずといった様子で小さく噴き出した。すぐに真面目な顔を取り繕ったが、先ほどからのどこか真剣身を感じられないラルフの反応に気づいているノームブルク大将が変な物を見るような目線でラルフを見ている。

 

 私も思わず呆けてしまう。むしろこの瞬間こそラムスドルフの射線から逃れる最大の機会だったというのに。しかし、ペースを乱されたのはラムスドルフも同じだった。

 

「……宰相殿下より特別に許可を戴いております」

「おぉ……そうだったのですか?宰相殿下」

「ああ……私というより皇帝陛下がな……ラムスドルフ侯爵に私を守るようにと」

「それは結構な事でございますなぁ。差し出口を挟みました」

 

 「ほっほっほ」と笑い、アイゼンフート伯爵はほっこりしたような表情で頷いている。その様子に毒気を抜かれそうになりながらもラムスドルフは私に語り掛ける。

 

「……落ち着け。妥協しろライヘンバッハ。皇帝陛下と宰相皇太子殿下の身柄以外の事、つまり粛軍の一切について近衛は口を出さない。……お前は事を起こす前に最悪の事態を考えたはずだ。これは最悪か?」

 

 私は考え込む。首席副官であるオークレール地上軍准将がそこで「閣下」と小さく声をかけてきた。彼の方に目線をやり、そして私は決断した。

 

「……皇太子殿下のお近くに連絡係を付けさせろ。それと皇太子殿下への謁見は誰にも許すな。……君が本当に近衛の職責に忠実なら望むところのはずだ」

「応じる義理はないが……良いだろう、許してやる」

「よし、交渉成立だ」

「閣下!」

「ここで銃撃戦をやる訳にはいかないさ。……戒厳司令官として命ずる。罪人たちを『逮捕』したまえ。そして高官の方々を『保護』、丁重に避難させろ。いいな?」

 

 私はカールスバート大佐にそう命じる。カールスバート大佐は少しだけ不服そうだが「了解しました」と言って行動にとりかかった。兵士たちが一斉に高官たちを拘束する。『逮捕』か『保護』か、名目に違いはあっても実態としては同じだろう。

 

「……え?僕も?」

 

 ラルフが心底驚いた様子で自分を捕まえようとする兵士に声を掛けた。ラルフが私の方に目線で「何故?」と訴えかけてきた。

 

「君は自由にしておけない」

「何もしないさ。クラーゼン子爵家の家訓は……」

「争いの当事者になるのを避け、勝者に全力で媚びる、だろ。……つまり私の勝ちが決まるまでは君は味方じゃない。危害は加えないから全部終わるまで大人しくしておいてくれ」

 

 ラルフは肩を竦めると「分かったよ。……でも罪人扱いは嫌だな」と冗談めかして言う。私は一つ頷いてカールスバート大佐に話しかけた。

 

「大佐。一応再確認しておく、クラーゼン大将は『高官』の方だ。丁重に『保護』しろ」

「は!」

「有難う。やっぱり持つべきは誠実な友人だね」

 

 ラルフは私に一つウインクを寄越すと、兵士に従って部屋を後にした。私はそれを確認して皇太子殿下の方へ振り向く。

 

「……やってくれたね」

「何の事だ」

「扉の外」

 

 私に銃を突きつけながら、皇太子殿下への近くへと歩み寄っていくラムスドルフに対して私は語り掛けた。……私があっさり取引に応じたのは別に命を惜しんだからではない。

 

「何故ここに貴官らが居るのだ!?」

「?……!、何をやっている!助けんか!」

 

 カールスバート大佐の驚愕の声と、ノルトライン公爵の無駄にでかい声が聞こえてくる。扉の外に直立不動……かどうかは分からないが近衛軍の分隊が控えていたからだろう。カールスバート大佐たちの反応を見て彼らが私の味方でないことに気付いたらしい貴族たちが騒ぎ立てている

 

「……貴様の護衛士は相変わらず優秀だ。無血で事が済んで良かったよ」

「ヘンリク。君が気づいてくれた御蔭だ」

 

 私は側に歩み寄ってきた自身の護衛士に語り掛けた。「勿体ないお言葉ですが、特殊部隊に籍を置いていたことがあれば誰でも気づきますよ」とヘンリクは謙遜する。ヘンリクがハンドサインで扉の外に控える部隊について知らせてくれなければ、私は取引に応じず、結果としてこの部屋で要人を挟み近衛と粛軍派が銃撃戦を繰り広げることにもなったかもしれない。

 

「ヘンリク」

「はい」

 

 カールスバート大佐たちと近衛が銃を向け合って睨みあっている。私はヘンリクに止めさせるように指示した。ヘンリクがカールスバート大佐たちと近衛の間に入る。カールスバート大佐たちが不承不承に構えを解くのと同時に、ルートヴィヒ皇太子の周りに数人の近衛軍士官が駆け付けた。その内の一人には見覚えがあった。

 

「久しぶりだな……バルドゥール・フォン・モルト近衛軍准将。今はラムスドルフの次席副官を務めていると聞く」

「……小官の事を覚えておいででしたか」

「妻の恩人を忘れるものか」

 

 私はモルト准将から目線を動かし、ラムスドルフに語り掛ける。

 

「……軍部のクーデターの動きにいつから気づいていた?モルト准将はリントシュタット宮殿の警備担当者じゃないはずだ。いつの間にここに伏兵を?」

「答える気はない。……ただ、クラーゼンの奴を拘束したのは正解だった、とだけ言っておいてやろう」

粛軍派(私たち)の動きにも気づいていたのか?」

 

 ラムスドルフは私のその質問には面倒くさそうに手を振って何も答えず、「用は済んだだろう」と私に議場を退去するよう促してきた。私は溜息を一つついて踵を返す。

 

「そう邪険にするな……言われなくても出ていくさ。やるべきことが山積みだ」

「……貴様が馬鹿なのは知っていたがここまでとは思わなかったよ。こんなことは痴愚帝の猿真似に過ぎない」

「願わくば痴愚帝では無く晴眼帝の例に倣いたいものだ」

「無理だな。……せめてナウガルトのような無様を晒さないように足掻いてみろ」

 

 冷たく吐き捨てるラムスドルフの声を背に私は議場を立ち去った。痴愚帝の腹心として軍制改革に取り組んだアドルフ・フォン・ナウガルト。軍務官僚としては必ずしも無能では無く、また中堅官僚時代は清廉な実務家であった。ところが不相応な抜擢人事で栄達したことで私欲と復讐心に囚われ、また肝心の改革にも私情を挟んだことで支持者を失い、実の息子すら彼を見放した。最後は断頭台の上で「帝国史に残る醜態」を晒したといわれる。私としても同じ轍を踏むのは御免だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 惑星オーディンゲルマニア州メルクリウス市郊外に位置する帝国軍士官学校は帝国軍が有する教育機関では最も長い歴史を誇っている。その士官学校で創立以来経験した事がない異変が起こっていた。

 

「急げ!西門を塞げ!」

「机が足りないぞ一年生!」

 

 紺色の無地の制服に身を包んだ学生たちが慌ただしく駆け回る。校舎の中から机や椅子、果ては訓練場から持ち出してきた有刺鉄線や装甲車を校門に並べてバリケードを作ろうとしている。

 

「……アダン、大丈夫か?俺も手伝おう」

「ああ、すまない」

 

 ウルリッヒ・ケスラー三年生は式典用のピアノを運び出している一団に額から汗を流すジョルジュ・アダン・ニードリヒ三年生の姿を見つけ、手伝いを買って出た。二年前、自由惑星同盟軍による『授業の再開』作戦発動を受け、郷土の防衛に参加するべく休学してクラインゲルトに戻った学生は三二名、その内帝都士官学校に通っていた候補生は八名。……生き延びたのはたったの六名、士官候補生はケスラーとニードリヒの二人だけだった。

 

 クラインゲルト子爵家から許可を受け中央で学んでいる以上、クラインゲルト子爵家の窮地には当然その恩を返さないといけない。少なくとも帝国の常識ではそうだ。クラインゲルト子爵は帝都で勉学に励む学生たちに対し、『志願不要』と伝えたが、結局全員が各教育機関を休学し、クラインゲルト子爵領軍への入隊を志願した。

 

 元より平民・陪臣階級出身者であり、特に有力者の庇護を受けている訳では無いクラインゲルト出身者たちにとって郷土防衛に参加しないという選択肢は無かっただろう。参加しなかったら間違いなく周囲から白眼視され、軍での昇進や中央省庁での採用でも不利に働く。……もっとも、完全に義務感だけで彼らが郷土に戻ったという訳でも無いようだ。クラインゲルト子爵家は長年「概ね」善政を敷いており、ケスラーを含む士官候補生八名に対してもかなりの支援を行っていた。それに対して学生たちは勿論感謝していた。さらに言えば休学の上前線勤務を志願したという経歴は軍でも中央省庁でも有利に働く、あの時点ではクラインゲルト子爵領が第二次エルザス=ロートリンゲン戦役で五本の指に入る激戦地になるとは誰も予想しておらず、打算によって郷土に戻った者たちもいただろう。

 

「おいウルリッヒ。このバカ騒ぎは何なんだ?」

「お前が知らないことを俺が知るはずも無いだろう」

 

 簡素な士官学校の制服に国防戦傷章と国防殊功章の略章を身に着けたニードリヒの問いに対し、第五級皇帝勲章と国防殊勲章の略章を身に付けたケスラーが答える。これらの勲章は彼らが先の戦役に参加した戦場帰りであることを明らかにしている。さらにニードリヒの国防戦傷章は彼が本当の最前線に居たことを証明し、ケスラーの二つの勲章は前者は直接皇帝名義で与えられる代物であり、後者は志願して前線に向かった候補生に対し一律に与えられる物より一段階高い代物だ。士官候補生でありながら卓越した功績を挙げたことを証明している。尤もケスラーは生涯勲章、特に皇帝勲章を「飾る訳にもいかんのに、捨てるに捨てられなくて困る」と有難がる様子もなく持て余していたそうだが。

 

あれ(・・)には聞いたのか?」

「貴族様方もカール・マチアス様の事はよく分かってる。詳しい事は何一つ知らされてない」

 

 ケスラーはどこからか持ち出してきた木箱の上に立って偉そうに学生たちに指示を出している痩せた美青年をあごでしゃくって示した。それに対してニードリヒは呆れたように応える。無理もない。ケスラーやニードリヒがこの『バカ騒ぎ』に参加させられているのは『あれ(・・)』ことカール・マチアス・フォン・フォルゲン一年生の命令によるものだった。ところがその当人すら詳しい事情は知らないという。

 

 ……イゼルローン方面辺境に踏み止まり、中小貴族たちの拠り所となって同盟軍に抗するフォルゲン伯爵家は名実ともにイゼルローン方面辺境の顔役だ。その放蕩息子であるカール・マチアスはそれを良い事にイゼルローン方面辺境出身者達を自分の部下のようにこき使う。ケスラーとニードリヒに限らず辺境出身の身分の低い者達は先の戦役に参加している。士官候補生ではあるが、戦場帰りでもあるのだ。

 

 一方、カール・マチアスは領軍と共に玉砕した次男アウグスト、母親と共に領主館で自害した五男カール・リヒャルトと違って先の戦役には参加していない。一応、当時士官学校では無く一般大学に通っており、しかもフェザーンに短期留学中であったという事情はあるが……それに加え父マティアス――先の戦役では帝都を離れることを許されなかった――に泣きながら懇願して留学を延長してもらい、戦場から逃げたという不名誉な噂もある。フォルゲン伯爵の長男ヘルマンは回廊戦役で戦死、三男アルノー・エックハルトは若くして病死している為、このままいけばカール・マチアスがフォルゲン伯爵家を継承することになるが、人望は皆無であった。

 

「……クーデターだ」

「ん?」

「帝都でクーデターが起きた。じきにここにもクーデター派が来る。だからバリケードを作ってる」

 

 抑揚のない声が突然ニードリヒとケスラーの会話に割り込んだ。ピアノを挟んで二人の向かい側を持ち上げている学生の声だった。ニードリヒとケスラー、さらに一緒にピアノを運んでいた二人がその言葉に驚愕する。

 

「……信じられない。確かなのか!?」

「知らない。ミュッケンベルガーの養子がそう言っていた」

「!」

「クーデター派は士官学校に通う貴族の子弟を捕らえる計画だ。惑星の外に居る軍部要人に対する人質として、我々には利用価値が有るらしい」

 

 どこか不気味な光を帯びた目を持つ学生は淡々と、どこか投げやりに説明する。聞いている側は当然投げやりになんてしてはいられない。

 

「大変じゃないか!何で卿はそんなに平然としていられるんだ!?」

「他人事だからな」

「他人事って……」

「卿等だってそうだろう。こんな『馬鹿騒ぎ』に付き合う理由もない」

 

 学生はどこまでも平坦な口調で続ける。その様子にニードリヒが絶句して黙り込んだ。

 

「……失礼。見た所卿は貴族階級の出のようだが……平民(われわれ)はともかく卿は他人事ではあるまい」

「……貴族にも色々とある。私の場合人質としての価値は無いからな」

 

 ケスラーの問いに対してそう言うと学生はピアノを地面に降ろす。気づけば第二校舎通用口のバリケードのすぐそばまで来ていた。

 

「後は工兵班に任せれば良い」

 

 青白い顔をした士官候補生はそう言って早歩きで校舎の中へ入っていった。ケスラーとニードリヒもピアノを降ろし、顔を見合わせた。

 

「なあウルリッヒ。もしかしてこれ、相当大変な事が起きているんじゃないか?」

「もしかしなくてもそうだろうな」

「……お前はいつも冷静なままだな。尊敬するよ」

「取り乱す理由がない。現実的に考えてみろ、俺達に何かできるか?あの変な二年生の言う通りだ……御貴族様同士の喧嘩なんて心底どうでも良い。……ああ、アイゼナッハ内務長は少し心配だが」

 

 ケスラーは自分とニードリヒを生還させてくれた、酷く無口でありながらも頼りになる青年貴族の事を思い出した。確か名門出身者だったはずだ、クーデターに巻き込まれていないとも限らない。

 

 とはいえ、現実問題としてアイゼナッハを助けるどころか、そもそもどこにいるかすらケスラーは知らない。ケスラーは内心で大神オーディンにアイゼナッハの無事を祈ると、「そら行くぞ。運ばないといけない物がまだまだあるだろ」とニードリヒや後ろで立ちすくむ二人に声をかけて歩き出す。置いていかれた三人は何となく顔を見合わせるが、結局の所ケスラーの言った通り、自分たちが何かを出来る訳でもなく、とりあえず小走りでケスラーの背を追いかけることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あくまで協力しない、と?」

 

 フェルディナント・ミュラー宇宙軍中佐は困惑と渋面を作りながら目の前の老人に問いかける。老人……『皇帝陛下の』死刑執行人ヨハン・ライヒハート一五世はゆっくりと頷く。

 

「先程も言いました通り、我々も決して貴方を粗略に扱わない。俸給は据え置き、『この仕事』に取り組んでいただけるなら臨時で五〇〇〇帝国マルクをお支払いします。ああ、一人当たりで五〇〇〇帝国マルクです。総額では無いですよ」

「お金の話では無いのじゃよ。中佐」

 

 帝国では珍しく、イースタン系ルーツの血を感じさせる老人は、皺くちゃの顔に影のある穏やかな笑みを浮かべて答える。老人……そして老人の一族は帝国の身分制度における最下層に置かれている。貴族はおろか、平民たちや私領民――俗に『農奴』と呼ばれる者たちも含めて――彼等の事を激しく嫌悪し、蔑視する。イースタン系にルーツを持つ者達も老人の一族は恐らく差別するだろう。「隔離されども平等」と言い放ち領内では極端なイースタン系至上主義政策を施行するブルンタール自治領・シロンスク自治領・ベーマーヴァルト自治領等……つまり旧「東洋の同胞(アライアンス・オブ・イースタン)」構成国ですら、死刑執行人一族の特別移住(亡命)は拒否するという。

 

 ……フェルディナント・ミュラー宇宙軍中佐はそんな死刑執行人一族に対し差別感情を持たない帝国でも極々限られた人間の一人だ。シュタイエルマルク派の若手将校として同輩、部下から慕われるこの男は、恐らく帝国軍に置ける最も過激な平等論者の一人だっただろう。何せ帝国軍の階級制度を撤廃することすら大真面目に主張していた人物なのだから。だがだからこそ、開明派や改革派、共和派ですら偏見を持つ死刑執行人に対し、この人物は何の悪感情も抱いていなかった。

 

「……では忠誠心ですか?信じられません!貴方方が歴史の中でどれほど不当な差別を受けてきたか……。たまたま大帝陛下が法務士官を務めている時に先祖が部下だったことで、貴方方の一族は帝国で最も差別を受ける……人でなし、物の一族として扱われてきました」

「……儂は一応ライヒハートの一五世当主じゃが、血の繋がりがあるのは先代だけじゃよ。儂もあの秀逸な冗談は知っておる。『実力で評価されたい?結構、死刑執行人になりなさい』……儂はそうした、ということじゃな」

 

 老人は有名なブラックジョークを引き合いに出してくつくつと笑う。フェルディナントとその部下達は一様に困惑を浮かべる。

 

 ……ライヒハートは「死刑執行人の頂点」と言われる。皇帝陛下個人の所有物であり、他の死刑執行人と違い、司法省では無く宮内省が管轄する。皇帝自ら罰を下した死刑囚にのみ刃を降ろし、それはこの帝国において永久に罪人として記録・記憶され、死後の世界……煉獄でも特別の苦しみを受け、縁者は今世と後世の全てにおいて皇帝陛下の庇護を外れ、あらゆる呪いと不幸を受けることを意味する。

 

 

 帝国人民にとってこのようなライヒハートで処刑される皇帝の敵とその一族を永久に断罪し、戦い続けることは崇高な使命ですらある。ライヒハートに処刑された死刑囚の遥か遠縁の一族を殺戮し、娘に暴行を加えたある海賊の男はその一族がライヒハート収容所の死刑囚と遠縁であると分かった段階で釈放され、何の罪にも問われずむしろ帝国司法省から感謝状と金一封を贈られたという。私もかつてかけられた帝前裁判で死刑判決が下っていた場合、僅かにではあるが、一族から絶縁された上でライヒハート記念収容所に送られライヒハート一四世に処刑されていた可能性がある。このエピソードを始めとする『皇帝の敵』に対する容赦無い迫害が自身の縁者……コンスタンツェやゾフィーに降りかかっていた可能性があると思うとゾッとする。

 

 ライヒハートは徹底した実力主義で知られる。一応、優生思想に基づいて血縁が重視されてはいるが、それ以上に皇帝陛下の所有物として優れた『質』を保つことが重視されており、血縁者が不適格と見做された際は帝国司法省が管理する六八〇〇名――貴族家所有は除く――の死刑執行人から後継者が選ばれる。老人の父ライヒハート一四世も元はウリュウというこれまた死刑執行人の『名門』の出であり、プロイセン行政区第五地方法院の筆頭死刑執行人を務めていた。先々代ライヒハート一三世――公的記録では東スラヴ人とアングロサクソン人にルーツを持つとされていたが『ゲルマン人』との外見的な差異は無い――との血縁は一切無い。

 

 ちなみに一般の処刑であれば、死後に名誉が回復される可能性もゼロでは無い。軍法会議で処刑されたゴットリープ・フォン・インゴルシュタットや司法省によって死刑が執行されたハンス・クレメント・シュライヒャーなどがその例である。

 

「何て言えば良いのでしょう……。公正な扱いでは無く、公正な評価を求めるという事ですか?」

「ふむ。それも違う。いいかの?これは儂個人のスケールの話では無いのじゃよ」

 

 困り果てたフェルディナントが尋ねる。「金」でも「身分」でも無いのなら老人が「名誉」に価値を見出しているのではないかと考えたのだ。だが、老人は首を振って否定した。そして改まった口調で話し出す。

 

「君は『公正な扱い』と言った。そこで聞こう。諸君等はこの国の法律が公正だと思うかの?」

「まさか」

 

 フェルディナントは間髪入れず応えた。老人は一つ頷くと続ける。

 

「そうじゃ。不公正極まりない。法の正義、そんなものはオリオン腕からとうの昔に無くなっておる」

「……」

 

 フェルディナントと部下達は困惑を深める。話の行き先が分からなかったのだ。

 

「だから儂は君たちに協力できない。大金を積まれても、銃口を前にしても、首に刃を当てられても、この不名誉な社会階層から這い上がる機会を与えられても、絶対に協力してはならない。儂こそがこのオリオン腕に残る正義の最後の砦じゃから」

「………………は?」

 

 老人は誇りと強烈な自負を感じさせる口調で言い放つ。

 

「……『一応は』判例主義を標榜している大審院・高等法院よりもさらに不公正の極みであるのが……恣意的極まりない帝前裁判とその結果に下る皇帝陛下の『私刑』では?失礼ながらその執行機関である貴方の立ち位置は……正義の最後の砦から程遠いのではないかと思うのですが」

 

 フェルディナントは理解に苦しむといった様子で老人に問いかけた。

 

「それは皇帝陛下を侮辱しているように聞こえるの?……まあそれもよかろうて。皇帝陛下が間違いを犯されなかったことも無い。……だが考えてもみてくれ。この国の裁判程不確かな物は無いじゃろう?不正が横行し、拳や金、謀で容易く判決が変わる。酷い時には下った判決が執行されない事も有るし、判決を下した裁判官が逆に裁かれることもある。裁判所自体が弾劾されたことも一度や二度の話ではない。貴族階級の犯罪者が収容されるヒンデンブルク特別収容所がヒンデンブルク『宮殿』と揶揄されていることは知っているじゃろう。……帝国司法省に司法を司る力は無く、帝国大審院に判決を下す力は無い」

「……ですな」

「そんな国に於いて、唯一絶対に揺るがない存在……誰にも左右されることなく自由に、公正に裁きを下せる存在こそが皇帝陛下じゃ。皇帝陛下は常に自分の意思だけで判決を下す、皇帝陛下は常に正義。……それが事実かどうかはさておき、その建前だけはこのオリオン腕で唯一絶対であり、また絶対であり続けた秩序じゃ。その秩序にのみ儂は服従し、この身を正義と秩序の執行機関として、万人に公正に刃を降ろす。この公正さのよって立つ基準(皇帝陛下の御意思)は過っているかもしれないが、歪んではいない。導き出された公正さそのものは絶対に揺らがないのじゃよ。皇帝陛下が絶対に正しいとは言わん。が、絶対の存在であることは確かな事実じゃ」

 

 老人は一度息をついで再び口を開く。

 

「この身は絶対の正義と絶対の秩序に服するからこそ存在意義がある。皇帝陛下に背いた死刑執行人に死刑執行人(ヨハン・ライヒハート)を名乗る資格は無い。それは最早ただの殺人者じゃ。儂は殺人者になる気はない」

「……」

「……それは、困るな」

 

 老人の硬い意思を前に黙り込んだフェルディナントに代わって背後に立つ一人の男が口を開く。少し前にライヒハート記念収容所に到着したその男は感情の読めない目でライヒハートを見下ろしながら前へ出る。

 

「罪人の数は多い。あれだけの人間を丁寧に、形式に則って、そして確実に処刑するには貴方の力が必要不可欠だ」

「貴官らにとって罪人だとしても、皇帝陛下にとって罪人とは限らんでな。陛下に一言命ぜられたならば当然役目を果たそう」

「我々は大義の為に起った。勿論、陛下の御意思にも沿った行動だ。有象無象の権力の亡者とは違う」

「それを証明すれば、役目を果たすと言っておるんじゃがの?」

 

 老人は男の目線を物ともせず言い返す。それに対して男は懐からブラスターを抜き出し、老人に突きつけた。

 

「コーゼル大佐!」

「……御託は結構。やれ、と言っている」

「無理、と言っておるじゃろ」

「金も地位も約束するし、失敗しても貴方に責は及ばないようにする」

「無理な物は無理じゃ」

「では仕方ない」

 

 空気を切る音が二回、ほぼ同時に何かが焼ける音が二回。ブラスター銃特有の発砲音がした。

 

「がぁ……」

「次は額だ」

「大佐!やり過ぎだ!」

 

 耳を一発が掠め、脇腹を一発が貫く。男、セバスティアン・コーゼル宇宙軍大佐は無表情のまま淡々と狙いを定める。慌ててミュラー中佐が斜線に割り込んだ。

 

「…………やれば良かろうて。我はこの国唯一の正当なる刃なり……我が背を見て帝国六八〇〇人の刑吏たちは自身が殺人者で無い事を確かめる。我が身は、我が名は決して揺らがせるわけにはいかなんでな……!」

「結構。中佐、治療費は私個人に請求したまえ」

 

 コーゼル大佐はそういうとフェルディナントをブラスターの銃底で殴り倒し、宣言通り老人の額に銃弾を撃ち込んだ。

 

「職責に忠実であったことだけは敬意を表するに値する。全員、この老人に黙祷」

「た、大佐……。なんてことを」

「この手の人間は説得するだけ時間の無駄だ。片付けろ。ああ、あとこの老人の末路を教えて施設の人間に協力させろ。拒否する奴が居たら撃て。撃ちたくなければ私の前に連れてこい。……ああ、誰かミュラー中佐を医務室へ」

 

 コーゼル大佐は淡々と指示を出しながら部屋を出ようとする。そこにフェルディナントが倒れ込んで額を抑えながらも声をかけた。

 

「殺す必要は無かった!」

「殺さない必要も無かった」

「刑吏が居なくなるだろう!」

「全身ホロでも使えば良いだけの話だ。ライヒハートの姿で死刑を執行すれば、細かい形式が整ってなくても大衆は納得する」

「無茶苦茶だ!そんなの映像を解析されたら……」

 

 掠れ気味のミュラーの声を無視し、コーゼルは部屋を後にする。彼には多くの仕事がある。お人よしのボンクラ――あくまでコーゼルの主観では――の相手をしている暇はなかった。

 

「……あの老人は、皇帝陛下の命とあらば喜んで俺や母の命も奪ったんだろうな」

 

 コーゼルは冷たい声色で誰ともなしにそう呟く。第二次ティアマト会戦の戦犯、ヴァルター・コーゼル。コーゼルが戦死した以上、誰かが代わりに責を負う必要がある。遺族は帝前法廷で裁き、処刑するべきだ……。かつてそんな声が貴族階級の一部から挙がっていた。

 

「それが公正だ、と胸を張って……!」

 

 平坦だった声色が少し震える。父を、母を、自分を愚弄した者達の顔が次々と浮かんでくる。全ての顔に悪意が刻まれてはいなかった。だが自分の言動への絶対的な自信、正義に対する確信は全ての顔に浮かんでいた。あの老人と同じように。殺される側、迫害を受ける側の気持ちを僅かでも思えば、そのような顔は出来ないだろうに。

 

 ……シュタイエルマルクの擁護があり、結局コーゼル一族が帝前法廷で裁かれることは無かった。いや、仮にシュタイエルマルクの擁護が無くても、流石に帝前法廷まで持ち出してコーゼル一族が血祭に挙げられることは無かっただろう。コーゼル本人ならともかくその遺族程度(・・)を処罰するとなると、それはそれで帝前法廷とライヒハートの格式を貶めることになる。

 

 コーゼルは突然フッと笑う。

 

「……俺もあの老人を撃つときは同じ顔をしていたんだろうな。あの老人と縋る物が違うだけだ」

 

 コーゼルは胸元の白薔薇のブローチに目線をやり……そして軍服のポケットから取り出した円形のレリーフにそれを移した。馬鹿な事をしていると言われるかもしれない。だが誰もが隣人の痛みに思いを馳せることが出来る世界がその先に待つのであれば、自分はこの独善の道を進まなくてはならない。独善を厭う者はどこにも辿り着けない。今まさに、ライヘンバッハ伯爵は独善を厭い道を閉ざされつつある。自分は道を歩む。歩まなければならない。脳裏によぎるのは、幼少期に聴いた司祭の説法だ。

 

『我々はどこから来たのか?何者であるのか?どこへと向かうのか?一緒に考えてみよう。どこから?「我々は地球から来た」何者?「我々は地球人だ」どこへ?……そう、貴方は気づいたはずだ。三つ目の問いに答える言葉を人類は持たないことを。……一つの星で血を分けた我等兄弟が何故殺し合う必要があるのだろうか?その問いに対する答えがそこにある。我々は向かうべき場所を定めることなく航海へと乗り出し、そして拠るべき大地を見失った。だから争いが生まれた。皆が皆、違う方向を向いて進もうとしたから。……もう一度やり直そう。我々は分かり合える。長き断絶は確かに存在する。だが我々はそれよりさらに長き友好と繁栄の歴史を共有している。そう、我等の母なる大地の中で。より良い未来を再構築する為に、もう一度自分たちを再定義しよう。難しい事は必要ない。『我々は地球人だ!(We are Mankind)』胸を張ってそう言うだけで良い。全ての一歩は我等の隣人が我等の兄弟だと気づくことから始まる。そして皆で母なる大地へ還ろう。そこからまた、航海を始めよう……』

 

 帝都を追い出され、各地を迫害された彼の一族は最終的に旧ティターノ星系共和国(レプッブリカ・ディ・ティターノ)首都マーニ=プリーテへと辿り着いた。銀河の掃きだめ、裏社会のフェザーン、人でなしの終着点、ファルストロングのゴミ箱……不名誉な仇名で彩られたこの背徳の都で過ごした彼が荒むことなく真人間として軍人になれたのは一重にその司祭とハウザー・フォン・シュタイエルマルクの御蔭だったといえよう。

 

「……地球は故郷。地球を我が手に。兄弟よ……母なる地球が我等を導かん」

 

 

 

 

 

 

「軍務政務官リヒテンベルク地上軍大将、同バイガロファー宇宙軍大将、尚書官房長ツィーテン宇宙軍中将……国防政策局運用政策課長レーデ=アルレンシュタイン宇宙軍少将、尚書官房総務課長補佐カイト宇宙軍准将。以上一七名の拘束に成功。しかしながら高等参事官コート=クヴィスリング宇宙軍大将……情報監査局次長代理アルバラード地上軍准将。以上八名の所在は不明」

「官房審議官ノルデルヴェルデン=フェーデル地上軍少将、情報本部長クルーゼンシュテルン宇宙軍大将は自邸に籠り出頭を拒否、後備戦略局長ゲッフェル地上軍中将はオーディン第一空港で拘束、高等参事官補ヴァイマール宇宙軍中将と国防政策局調査第二課長タルティーニ地上軍准将は帝都を脱出した模様」

「自決を図った国防政策局長ヘルネ=ライヘンバッハ宇宙軍中将と官房参事官カウフマン宇宙軍准将はジークリンデ皇后恩賜病院に搬送しました」

 

 軍務省で部下からの報告を聞くマルセル・フォン・シュトローゼマン宇宙軍准将の顔は険しい。『予備計画』……アルベルト・フォン・ライヘンバッハとクルト・フォン・シュタイエルマルクによって企てられた『粛軍計画』の肝は初動にある。帯剣貴族集団全体が共謀した『帝都防衛第一四号行動計画(クーデター計画)』に便乗する形で粛軍派を構成する身分の低い中堅将校を軍の各所に送り込み、さらに同行動計画を乗っ取る形で軍高官の大半を拘束する。大抵のクーデター計画と同じく、『帝都防衛第一四号行動計画』も兵士たちには詳細が説明されることは無い。兵士たちはただ高官たちの『命令』に従って動くだけだ。だからどこかの段階で『命令』の中身をすり替えてしまえば、本来帯剣貴族集団に味方し領地貴族諸侯を拘束するはずだった兵士たちを逆に帯剣貴族集団の排除に用いることが出来る。

 

「第一次拘束措置対象者から最低でも一〇名を取り逃がした。多いと見るべきか少ないと見るべきか……。殆ど血を流さないでこの結果なら上出来か。他の方面はどうなっている?」

「それが……」

「どうした?」

 

 シュトローゼマンは怪訝そうに部下達に向き直る。部下達は一斉に一人の初老の男に目線を集めた。初老の男、シュトローゼマンの部隊の参謀長のような立ち位置であるシンドラー少佐は少し青い顔で報告する。

 

「統帥本部や地上軍総監部、国営通信社や国防臣民会本部ビルの制圧に向かった部隊と連絡が途絶しました」

「何故それを早くに報告しない!それはつまり我等に抵抗する勢力が存在するという事ではないか!」

 

 シュトローゼマンは血相を変えて立ち上がる。怒鳴りつけられたシンドラーは恐縮するが、それでもおずおずと理由を述べた。

 

「申し訳ございません!……しかし、どうやらこれらの部隊は連絡こそ途絶しているものの、なおも健在であり、目標の制圧にも成功しているようなのです……」

「何?」

「間違いない情報です。……少なくとも統帥本部については。国営通信社や皇室宮殿(パラスト・ローヤル)も確認できています」

「馬鹿を言うな。ならば何故こちらに報告を寄越さないのだ?」

「分かりません。小官は各制圧部隊に所属している知人たちに部隊の現状を確認しました。ですが、彼等の大半は粛軍計画を知りません。彼等はそもそも何故統帥本部や国営通信社を制圧しているのかも知りません。まして、制圧部隊が我々への報告を怠っている理由など……」

 

 険しい表情のままシュトローゼマンは考え込んだ。

 

「……直接人を向かわせて調べさせよう」

「既に手配しています」

「手回しが良いな。シンドラー少佐、流石に貴官は優秀だ」

 

 皮肉を込めてシュトローゼマンは部下であるシンドラー少佐を労った。それを感じたシンドラーは目線を逸らす。彼は優秀ではあったが、誤りを極度に恐れる悪癖があった。『悪癖』と評したのはつまり、誤りを恐れる余りに上官に確実な情報しか伝えず、確度の低い情報は上官の判断に悪影響を及ぼさないようにギリギリまで伝えない傾向にあるからである。裏を返せばそれだけ自身の職務に責任を負っているという事でもあり、実際情報の確度を上げるための行動は惜しまない男ではあるが、参謀役としては問題のある男でもある。

 

「……申し訳ありません」

「長い付き合いだ。貴官がこういう局面に向いていないことは分かっている。それでも側に置いているのは私だ。今更責めんさ」

 

 シュトローゼマンは嘆息しながらそう言う。粛軍計画の実働部隊には大きく分けて五名の指揮官が居る。シュトローゼマンはその中で最も重要な部隊を私から委ねられた。能力面でもっと相応しい者は居たが、最も信頼できるのはシュトローゼマンであった。そしてシュトローゼマンも同じ理由で自身の補佐役にシンドラーを選んだ。『悪癖』を考慮してもシンドラーの高い責任感と報告の正確性、そして何よりも捕虜生活を共にした部下であるという事実はシュトローゼマンがシンドラーを選ぶのに十分な理由であった。

 

「となると派遣した者達の報告を待つしかないな」

「……派遣した者達ともつい先ほど連絡が途絶しました」

 

 シュトローゼマンの顔が紅潮する。シュトローゼマンは自身の激情を何とか押さえつけ、やっとのことで口を開いた。

 

「……分かったシンドラー、貴官の実績を信じる。貴官はたった一度を除いて本当に手遅れになる前に報告をあげてきた。このどうしようもない苛立ちは全てが終わった後に行き先を決めよう。ああ、報告の遅い貴官にか、焦燥を隠し切れなかった自分にかだ」

 

 ちなみに手遅れの一度は捕虜になった際だという。『次に手遅れだった時も捕虜で済む保証は無いが、それで済めば俺がこいつを殺してやろう』……シュトローゼマンはそう思った。元来気が短い男である。結論から言うと、シンドラーがシュトローゼマンに殺されることは無かった。ただし手遅れでもあった。にも関わらず、シンドラーがシュトローゼマンに殺されなかったのは、この不穏な事態の原因がシンドラーの報告の遅さ以外の所にあり、その責任の一端をシュトローゼマンも担っていたからだ。この時点では知らぬ事ではあるが。

 

 焦れたシュトローゼマンが手近の粛軍派部隊――近衛兵総監部を制圧に向かった部隊。大半の軍機関がメルクリウス市にある中、近衛兵総監部は軍務省のある官庁街に程近い場所にある――に直接乗り込もうとしたとき、帝国軍の最高機密にあたる秘匿回線の一つを通じて通信が入った。

 

『シュトローゼマン准将閣下。御無事そうで何よりです。貴官は第二部隊を掌握されていますか?』

 

 制圧部隊は役割と担当地域によって五つに分けられている。第一部隊はシュターデンが実質的に指揮する赤色胸甲騎兵艦隊陸戦軍であり、これは統帥本部や地上軍総監部といった軍中枢施設が置かれるメルクリウス市を抑える。第二部隊はシュトローゼマンが指揮する帝都防衛軍と憲兵隊の改革派混成部隊であり、帝都中心部、特に軍務省を含む官庁街とメディア施設を中心に抑える。第三部隊はバルヒェットが指揮する旧ブラウンシュヴァイク派と宇宙艦隊総司令部隷下陸戦部隊の混成部隊であり、大貴族の私邸が置かれるビューダリッヒ地区を抑える。第四部隊はカールスバートが指揮するカールスバート伯爵家の私兵部隊であり、国防諮問会議の開かれているリントシュタット宮殿を抑える。第五部隊はツァイラーが指揮する第四機動軍であり、帝都近郊の空港・宇宙港・主要幹線道路・通信施設といった各種インフラを抑える。

 

 この五つの部隊の内、粛軍派が完全に掌握しているのは第二・第四部隊のみだ。第一・第三・第五部隊は粛軍派が主導権を握っているが、幹部の中には粛軍計画を知らず、帯剣貴族のクーデター計画のみを知る者も少なくない。また、末端はどちらの詳細も知らない。故に、この第一・第三・第五部隊は迅速に目標を制圧すると共に、部隊内部に存在する非粛軍派将校の身柄を拘束している。

 

 五つの部隊が奇襲によって目標を制圧すると同時に、メクリンゲン=ライヘンバッハら私の粛軍計画に賛同した将官が率いる部隊でも非粛軍派将校の粛清が、逆に非粛軍派将校が指揮官を務める一部の部隊(第一〇軍集団や第七機動軍等)では粛軍派中堅将校による指揮権奪取が敢行された。これが終わり次第、メクリンゲン=ライヘンバッハの中央軍集団などが第二陣として制圧部隊に合流したり、あるいは抵抗する部隊の制圧に向かったりする予定だ。

 

「バルヒェット大佐……。部隊はほぼ掌握している。制圧目標もだ。その問いかけはどういう意味だ?」

『小官は指揮権を剥奪されました。ヴァーゲンザイル少佐が現在ビューダリッヒ制圧部隊を指揮しています』

「何!?」

『ヴァーゲンザイル……あの愚か者とグレーザー中尉の一派が組んで小官から指揮権を奪いました。……面目次第もございません』

 

 バルヒェットは真底悔しそうに歯噛みしながらそう言う。グレーザー中尉の一派とはバルヒェットから事前に報告を受けていた『多分に好戦的な平民共』『物を知らぬ不穏分子』の事だ。シュトローゼマンは表面上平静を保ちながらも動揺する。ハッキリ言ってしまえばバルヒェットの報告など微塵も気にしていなかった。貴族的な平民蔑視の感情からくる悪印象、もっと言えば讒言や愚痴の類とすら思っていた。

 

 ……責めることは出来まい。バルヒェットを知る人間なら誰だってそう思う。私だってそう思う。

 

「貴官は今どこにいる?連絡できる程度には自由の身なのだろう?詳しい話を聞きたい。軍務省まで来れるか?」

『……場所についてはご容赦を。閣下もご存知の傍観者が手をまわして小官を匿っています。ええ、閣下の思い浮かべた通りの男です。素知らぬ顔で小官の部隊に鼠を潜ませていました。本当に腹立たしい男です。……軍務省には向かえますが、オストガロアの方へ向かおうと思います』

「オストガロア?シュターデン少将の所へ向かうのか」

『ヴァーゲンザイルはゾンネンフェルス中将の命令書を盾に小官を拘束しました。グレーザーはともかくヴァーゲンザイルは……愚かではありますが、馬鹿ではありません。小官の指揮権を奪うような大それたこと、一人で決断出来る男ではありませんし、そもそもそんなことをする理由がありません。ですから、ゾンネンフェルス中将かどうかは分かりませんが誰かがヴァーゲンザイルに小官から指揮権・部隊・拘束した諸侯の身柄を奪わせたはずです』

「しかし……もしゾンネンフェルス中将が貴官から指揮権を奪わせたのであれば、シュターデン少将も一枚噛んでいるかもしれんぞ」

『それを小官の身で確かめます。ゾンネンフェルス中将がヴァーゲンザイルに渡した命令書の真贋、シュターデン少将がこのことを知っているか否か、二人が小官から指揮権を剥奪したとしてその目的は何か。直に問いただしましょう。……小官からの連絡が途絶えた時は閣下からライヘンバッハ大将閣下にお伝えください。ゾンネンフェルス中将とシュターデン少将が不穏な動きをしていると。そして、バルヒェットが身命を賭してそれを確認したと』

 

 バルヒェットは決意を湛えた目でシュトローゼマンを見つめる。

 

「……分かった。無理はするな。意外に思うかもしれんが……俺はお前の事がそんなに嫌いじゃない。お前はブラウンシュヴァイク一門なんかに生まれたせいで馬鹿に育ったが、それにしてみると意外に骨のある男だ。人は生まれを選べない。お前は不幸な生い立ちにしては頑張ってるよ」

『……相変わらずの物言いだな。貴様を慕う第一八班の連中は頭がおかしいんじゃないか?』

「その頭がおかしい奴に命を拾われたお前は何だろうな?」

 

 シュトローゼマンは分かりやすく嘲りの笑みを浮かべながらラムスドルフを煽る。

 

『……バルヒェット伯爵家が再興した日には自分の首を心配しておけ』

「そんな日は来ないさ。断言しても良いがな。お前もそっちの方が幸せだろうよ。没落貴族の方が名門貴族よりも生きやすい時代が来る」

 

 バルヒェットは舌打ちをしてシュトローゼマンを睨みつけながらキッチリとした敬礼を決め、シュトローゼマンの答礼を確認できたかどうかも怪しい勢いで通信を切った。シュトローゼマンは肩を竦める。きっとバルヒェットは暗転した通信画面に唾でも吐きかけていることだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『帝国臣民諸君に告ぐ。私はアルベルト・フォン・ライヘンバッハ。皇帝陛下から伯爵位と宇宙軍大将の階級を授かり、赤色胸甲騎兵艦隊司令官の職を任されている者である。臣民諸君、特に帝都に暮らす者達は、先頃から街を闊歩する兵士の姿を見て困惑と不安を抱いている事と思う。……安心して欲しい。彼等は皆皇帝陛下への忠義を果たすべく行動している。皇帝陛下の大切な臣民に危害を加えることは絶対に有りえない。彼等は皇帝陛下と宰相皇太子殿下、そして皇帝陛下と宰相皇太子殿下から戒厳司令官に任じられた私、アルベルト・フォン・ライヘンバッハの命で、皇帝陛下と宰相皇太子殿下、国家に弓引く逆賊達を討ち果たすべく行動している』

 

『逆賊とは誰か?軍の長老たるコルネリアス・カルウィナー=ライヘンバッハ、ヨーゼフ・リブニッツらと現役軍人であるカール・ベルトルト・カルウィナー=ライヘンバッハ、オイゲン・ヨッフム・フォン・シュティール、テオドール・オッペンハイマー、ランドルフ・アスペルマイヤーらである。彼等は皆、帝国軍の最高指導者にあたる。……彼等は自らの権力と財産の為に皇帝陛下の軍隊を動かし、自らが国政を壟断するにあたっての障害となる皇帝陛下の忠臣達を排そうと画策していた。私、アルベルト・フォン・ライヘンバッハは諸君等も知っての通り、彼等とは浅くない関係にある。当然のことながら、私は再三にわたって彼等を翻意させようと試みたが、その努力は実を結ばなかった』

 

『本日、帝国暦四七一年一二月一二日。宰相皇太子殿下の命で各界の名士がリントシュタット宮殿に集まった。逆賊達は愚かにもその場で宰相皇太子殿下を欺瞞し、その御前で政敵を討たんとした。しかし、流石は英明なる宰相皇太子殿下。逆賊達の口車に乗ることは無く、毅然とした態度で逆賊達を叱りつけた。すると逆賊達はあろうことか皇帝陛下の軍を動かし、皇帝陛下と宰相皇太子殿下を害しその野望を果たそうとした。……私は皇帝陛下と宰相皇太子殿下を守るべく、実力を以って立ち上がった。宰相皇太子殿下は私を戒厳司令官に任じられた。逆賊を全て討ち果たし、帝国に安寧を齎し、そして帝国軍から全ての膿を出し切り、有るべく秩序を回復するようにと仰せられた。軍部良識派の両翼と名高いシュタイエルマルク、ゾンネンフェルス両退役元帥は即座に私への助力を約束してくださった。クルト・フォン・シュタイエルマルク宇宙軍大将やフリードリヒ・フォン・ノームブルク宇宙軍大将は一早く私の下に馳せ参じ、共に闘うことを誓ってくれた』

 

『諸君、今更私が説明する必要も無く分かっているだろうが、今この国は存亡の危機に瀕している。イゼルローン回廊を見よ!叛乱軍が巨大な要塞を築き、エルザス=ロートリンゲンを常に脅かしている。エルザス=ロートリンゲンを見よ!先の戦役は忠勇なる帝国軍兵士の献身と、皇太子殿下の導きによって我等帝国臣民の(・・・・・・・)勝利に終わったが、一時的に叛乱軍の魔の手に堕ちたフォルゲン、ノルトライン、リューベックは荒れ果て、貧困に喘いでいる。ブラウンシュヴァイクを見よ!悪辣で強欲な腐敗諸侯は皇帝陛下の敵に堕ち果ててなお、微塵も自らを省みようとしない。多くの同胞が盗賊と虐殺者の支配に苦しんでいる。ノイケルンを見よ!盗賊と虐殺者を追い出すまでは良かった。彼等は正しい行いをした、彼等はその瞬間、全臣民の模範であった。……しかし彼等は血に濡れた誤った共和主義を掲げ、信ずる心を失った。人々は恐怖に支配された。同胞を、隣人を信じられず、団結を叫びながら殺し合い、憎みあっている。ザールラント!流星旗軍!城内平和同盟(ブルク・フリーデン)!ズィーリオス!……国家は崩壊しつつある。その原因は?国家に巣食う寄生虫と……そこから目を逸らし続けた私たちであり、君たちだ』

 

『諸君!闘おう!闘うのだ!苦難を討ち滅ぼす時が来た!皇帝陛下の下に、皇太子殿下の下に団結するのだ!陛下は、殿下は、諸君の忠誠を欲している!君たちが立ち上がる時が来たのだ!……良き貴族は主役である君たちを導き、援けてきた。君たちが自分の足で歩く必要はなかった。諸君の中にはその歴史を知るものも居るかもしれない。だから私が教えよう。今は違う。そんな貴族は最早一握りだ。君たちは君たちの力で立ち上がらなければならない。……怖いはずだ。迷うはずだ。だからせめて、良き貴族足らんとする私は武器を取ろう。勇気ある君たちの剣として敵に打ちかかり、誠実なる君たちの盾として敵を受け止めよう。だから臣民よ、自らの向かうべき場所が分からぬ者は私の背中を追え!そして私の言葉を聞く正しく高貴なる貴族達よ。武器を取り、臣民を先導するのだ。私と共に、貴族が貴族たる理由を再び臣民と皇帝陛下に示そうではないか。皇帝陛下万歳!帝国に栄光を!……臣民に勝利あれ!』

 

 広い銀河の星々で、人々は互いに顔を見合わせる。……ブラッケの人々は冷笑を浮かべた。なるほど、晴眼伯の名は伊達では無い。このような内容の演説を行える貴族は帝国広しと言えど、彼一人であろう。とはいっても所詮、政変に関連した扇動でしかない。ブラウンシュヴァイクの人々は虚ろな顔のまま再び労働に戻る。絶望に囚われた心を再動させるのは理想家の綺麗事ではなく大量の食糧と適切な休息だろう。クロプシュトックの人々は熱狂した。彼等は自らが最も忠実な臣民と自負している。どんな演説だろうが、忠誠を求められれば喜んで答えるだろう。まして画面に映るのは『同胞』であるライヘンバッハ伯爵。彼等にとって内容は重要ではなかった。リューベックでは誰も演説を聞いていなかった。彼等は余所者の言葉を聞くまでも無く、自分の足で立ち、歩んでいた。

 

 私のメッセージを正しく受け取り、立ち上がる地域も無かったわけではない。例えばフォルゲン、例えばカストロプ、例えばバルヒェット、例えばランズベルク、例えばリヒテンシュタイン、例えばエッシェンバッハ、例えばヴェスターラント。これらの地域に共通して救国革命期やその後の統合戦争期に活躍する指導者が存在したことは特筆すべきことだろう。私が人々を扇動しただけでは無く、それを糧に民衆を啓蒙し先導する誰かが居なければならなかった。私の演説に好意的な態度を示した地域は帝国の中で少数派であった。しかしリヒテンラーデ侯爵の言葉を借りれば、「決して無視しえない少数派」であり、私の演説は「大帝陛下の治療を掻い潜って潜伏していた『考え、話し、主張する民衆』という病理が制度の腐敗に助けられ、どれほど多くの地域に転移していたかが分かった瞬間」であっただろう。……しかしながら、大半の地域は私の演説から何の影響も受けなかった。それらの地域の民衆は一様に困惑か無関心の表情を浮かべ、日常に戻ろうとした。

 

 ……それで良かった。粛軍の過程で「決して無視しえない少数派」の存在が表面化したのは充分な結果だ。長年の潜伏と闘争でセクト化・テロ組織化している共和派、政財界のインテリ集団である開明派、それとは全く別系統の民衆レベルでの改革支持派が逆賊を討つという大義名分の下公然化したことは、改革を進める上で大きな進展だった。本当に、それで良かったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白薔薇を身に着けた大柄の男が、散々に痛めつけられた軍服の男に対し口を開く。

 

『これより、叛逆者への判決を言い渡す』

 

 私の演説が流れてからおよそ一時間後。突如として帝国中に流された映像は、私の演説の何十倍、何百倍もの衝撃を人々に与えた。

 

 そして、状況は、私の手を離れた。……離れて、しまった。



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壮年期・『匙』は投げられた(宇宙暦780年10月某日~宇宙暦780年12月10日)

「皆さん。一つ重要な問題が残っている。どこまでやるか、誰をやるか、です」

 

 宇宙暦七八〇年一〇月某日。粛軍派の会合でオトフリート・フォン・ゾンネンフェルス宇宙軍中将が放ったその言葉は、出席者たちの沈黙によって受け止められた。

 

「……カルウィナー=ライヘンバッハ家には退場してもらう。さもなくば、御曹司の下にライヘンバッハ派の力を結集させるのは不可能だろう」

「当然、それは単に政治的生命を断つというだけの話ではありませんな?」

「……そうだ。あの親子は……消さないといけない」

 

 アドルフ・フォン・グリーセンベック宇宙軍上級大将は婉曲な表現でコルネリアス、カール・ベルトルトの父子とその縁者を粛清リストに入れるべきだと発言する。「退場」の意味する所は皆察しが付いていたが、ゾンネンフェルス中将はあえて確認の質問を挟んだ。その厳しい表情はグリーセンベック上級大将の「甘え」を咎めているようだ。グリーセンベック上級大将はそれを若干不快に思いながら、より直接的な表現でゾンネンフェルス中将の質問に答える。

 

「グリーセンベック上級大将閣下、カルウィナー=ライヘンバッハ子爵家を潰したとして、ライヘンバッハ一門内の保守派は大人しくなりますか?」

「今のように御曹司の決定に真っ向から異議を唱えることは出来なくなるだろう」

「なるほど。……確認しますが、本当にそれで十分(・・)なのですか」

 

 ゾンネンフェルス中将はグリーセンベック上級大将を睨むように迫る。その言わんとする所は明白だ。カルウィナー=ライヘンバッハはライヘンバッハ一門の中核であり、ライヘンバッハ派長老衆の筆頭であり、軍部保守派と地上軍の重鎮だ。だが、カルウィナー=ライヘンバッハを排除した所で、別の誰かがそれに取って代わるだけでは無いのか?勿論、長い年月をかけて今の地位を固めたカルウィナー=ライヘンバッハに比べれば改革の抵抗勢力としては弱いかもしれない。だが私の意思に真正面から(ナイン)を突きつけるカルウィナー=ライヘンバッハに代わって、遠回しに(ナイン)を伝える誰かや、(ヤー)と口では言いながらも何かにつけて足を引っ張る誰かが抵抗勢力を纏めたら、改革の障害となることは疑いようもないだろう。

 

 ゾンネンフェルス中将もグリーセンベック上級大将も粛軍への賛意は変わらないが、その為に流す必要がある血量に対する考え方は正反対だと言える。ゾンネンフェルス中将は改革の抵抗勢力を根こそぎ潰そうとしている。故に同じ帯剣貴族の血を流すことに消極的なグリーセンベック上級大将の姿勢に批判的なのだ。

 

「ブルクミュラー大将閣下。シュレーゲル=ライヘンバッハ少将。粛軍後のライヘンバッハ派で地上軍将官を取りまとめるのは貴方方だ。意見をお尋ねしたいのですが」

「ゾンネンフェルス中将。貴官が徹底した改革を望む気持ちはわかる。皇帝閣下の下に軍を、御曹司の下に派閥を結集させることの重要性も分かる。だが、あまり身内を殺し過ぎると結局後で困るのは我々だぞ?」

「不必要な恨みを買うことになります。私が御当主様に従うのは勿論正義が御当主様にあるからですが、大叔父上が父ロータルの仇でなければ、きっと協力を躊躇したことでしょう」

「では殺すのはカルウィナー=ライヘンバッハ家系列だけで良い、と?」

「……シュティールもダメだな。あの男が後方で蠢動していると目障りで仕方ない。いつ足元を掬われるか……」

「同感ですね。地上軍の面汚しだ」

 

 ノルド・フォン・ブルクミュラー地上軍大将とクリスティアン・フォン・シュレーゲル=ライヘンバッハ地上軍少将はライヘンバッハ派の地上軍将官で私に協力する数少ない人物だ。そして二人とも官僚的なシュティール上級大将を嫌っており、シュレーゲル=ライヘンバッハ少将に至っては本人が口にした通りコルネリアス、カール・ベルトルト父子を恨んでいる。

 

「待て待て。シュティールの管理能力・調整能力は粛軍後の地上軍でこそ必要となる。言いたくは無いが……貴官らだけでアルトドルファーやクルムバッハ、モーデルと渡り合えるのか?」

「その物言いは無礼でしょう!」

「落ち着けクリスティアン。自分が猪なのは自分が一番よく分かってる。……アイゼナッハ大将。シュティールは味方殺しを始め多くの陰謀に関わっている大罪人だ。生かして使う?それでは粛軍の筋が通らない。それこそ地上軍の狸共に付け入る隙を与える」

「だが……」

「シュティールの免責は絶対に看過できない。これはクルト・フォン・シュタイエルマルク宇宙軍大将の見解と考えて貰って差し支えない」

 

 自身も後方畑に属し、シュティール上級大将の事を必ずしも嫌っていないハイナー・フォン・アイゼナッハ宇宙軍大将が擁護に回るが、ブルクミュラー大将は譲らない。さらにシュタイエルマルク派のユリウス・フォン・ゼーネフェルター技術中将も同調する。

 

「……」

 

 ゼーネフェルター技術中将の発言を受け、アイゼナッハ大将は苦渋に満ちた表情で口を閉じた。その様子をゾンネンフェルス中将が呆れたように見ている。ゼーネフェルター技術中将はシュタイエルマルク大将から全権を委任されてこの場にいるが、殆ど時間を無為に黙り込んで過ごす。ただ、時々思い出したように口を挟み、それは全て入院中のクルト・フォン・シュタイエルマルク宇宙軍大将の意思を伝える内容だった。

 

 クルトがザルツブルク公爵の陰謀(とされている事故)で重傷を負い脱落を余儀なくされてからは、シュタイエルマルク派の粛軍計画における発言力は著しく小さくなっている。無理もない。シュタイエルマルク派の高級将校で、この場に適した政治力と能力があり、クルトが全幅の信頼をおける人間と言えばスウィトナー宇宙軍中将位なものだ。そのスウィトナー中将が辺境に勤務している以上、クルトの代わりを務められる人間が帝都に居ないのだ。

 

 派閥全体の指導者代理としては人物もいるが……スナイデル上級大将はシュタイエルマルク退役元帥と同じ政治嫌い、ディッタースドルフ大将は生粋の戦闘屋、リューデリッツ大将はライヘンバッハ嫌い、ブルッフ・ビューロー両上級大将はシュタイエルマルク派にとって外様、それ故にこの場の、粛軍計画の指導者としては適さない。

 

 ゼーネフェルター技術中将はシュタイエルマルク退役元帥が艦隊司令官の頃に派閥に入った古参幹部であるが、良くも悪くも技術屋、あるいは技術官僚であり、指導者としては凡庸な人物だ。だがだからこそ、クルトは他の人物と比較して良くも悪くも無力で無害な彼を自身の代理として粛軍計画のシュタイエルマルク派最高指導者に選んだ。

 

 周囲の人物もそのような事情は知っている。ゼーネフェルター技術中将の任命は「自らが不在の間粛軍計画の遂行をライヘンバッハ大将とその側近に託し、詳細に関しても一切を委任する」というメッセージであり、逆に言えばそのゼーネフェルター技術中将が口を挟んだ(挟むように命じられている)という事は、それはこの場に居ないシュタイエルマルク大将が絶対に妥協できない部分での話ということだ。

 

「……ではカルウィナー=ライヘンバッハ家に連なる者と、シュティール、これを粛軍計画における処刑対象者とします。その他の有象無象はとりあえず殺しはしない、そういう事で宜しいですか?」

 

「異議なし」と真っ先に行ったのはシュレーゲル=ライヘンバッハ少将だ。やがて出席者たちがそれぞれ同意の意を示す。それを見てゾンネンフェルス中将は顔を顰めた。

 

「で、あるならば一応確認を。殺しはしないだけで、ファルケンホルン、ルーゲンドルフ、バッセンハイム、アルレンシュタイン、ノウゼン、バウエルバッハ、ラムスドルフといった各帯剣貴族家についても軍中枢から排斥するつもりなのですよね?」

「……排斥、というのは表現として少し過剰だな。適度に力を削ぐ形になる。例えばルーゲンドルフ老と軍務尚書にはきっぱり隠棲していただく。メクリンゲン=ライヘンバッハ地上軍大将がルーゲンドルフ家を継承する。そして派閥と一門を再編していただく」

「ライヘンバッハも身内を切りました。当然ルーゲンドルフも身を切る事に異存はありません。ルーゲンドルフが作り出した地上軍の歪な体制を私が終わらせましょう」

「特定の分野とは言え皇帝陛下を超える権力を一介の貴族家が握るのは望ましくなかった。軍内部の権力は分立されるべきだ。それによって皇帝陛下の軍に対する統制は相対的に強力になる」

 

 ゾンネンフェルス中将の確認に対してグリーセンベック上級大将、メクリンゲン=ライヘンバッハ地上軍大将、クナップシュタイン宇宙軍少将がそれぞれ発言する。

 

「権力の分立……それは大変結構。しかしケルトリング系、ハーゼンクレーバー系、エックハルト系、フェルゼンシュタイン系、シュリーター系、ローエングラム系といった没落した帯剣貴族家の復興によってそれを為そうという話が挙がっているようですが、まさか事実ではありませんな?」

「そういう手段も多少は取り得る。だが勿論それだけじゃない。シュタイエルマルク派を中心に、下級貴族や平民など幅広い階級から優秀な人材を登用し、帝国軍の再建を進める。没落貴族の中に優秀な人材が居れば、結果的に断絶や衰退した名門を復活させる形になるかもしれんが……それも気に入らんか、ゾンネンフェルス中将?それは流石に潔癖に過ぎやしないか?」

「……気に入らない、とは申しませんが……」

「ゾンネンフェルス、実際問題として軍を支える帯剣貴族を蔑ろにすることは出来ん。大は終戦から、小は新型巡航艦の採用まで、我々は取り組むべき多くの課題を抱えている。帯剣貴族集団全体を敵に回すことは出来ない。我々はより多くの敵を滅ぼすことではなく、より多くの味方を増やすことを考えなければならないのだ」

「……それは尋常の思考ですな。しかし我々は非常の手段に訴えようとしているのです。帯剣貴族集団全体を敵に回すことは出来ない?今更何を仰るのですか。敵に回す覚悟で決起しなければ決起する意味がありません。血を流す意味がありません。諸卿方は甘えている。『きっと分かってくれる』『寛容に接すればあちらも悪いようにはしないだろう』そんな馴れ合いの意識から貴方方はまだ完全に抜け出せていない!」

 

 ゾンネンフェルス中将は苛立ちのこもった口調で出席者たちに訴えかける。

 

「政治に妥協は必要だ。だが戦争に妥協は必要ない。少なくとも戦う前から妥協することを考えるのは愚将のすることだ。良いですか?皆さんは今安全マージンを取っているんです。志半ばで、不本意な死を、敗退を遂げたくない。だから名誉ある降伏を選べるように、今の時点から布石を打っている。今勝者たる我々が温情ある措置を取れば、今敗者たる彼等は恩を感じる。それで大人しく従ってくれれば良し、そうでなくても……例え今敗者たる彼等が後に勝者となったとしても、この恩の存在は無視できない。きっと我々が今彼等にするのと同じように、温情ある措置を取ってくれるはずだ。そう期待している。……馬鹿馬鹿しい。断言しても良いでしょう。粛軍計画自体は成功しますが、改革は失敗します。良くて、我々は軍部改革派として次の一〇〇年間軍部の有力派閥となれるかもしれません、しかしそれが上限です。それ以上は何も為せません。それで良いのですか?ライヘンバッハ伯爵閣下、お答えいただきたい!」

 

 ゾンネンフェルス中将は真摯にこちらを見つめながら尋ねた。私は答えた。「妥協はしない」と。そして続ける。「だが不必要な血を流す気も無い」と。ゾンネンフェルス中将があからさまに落胆する。失望の表情こそ浮かべていなかったが、強い諦観のようなモノがうかがい知れた。そんなゾンネンフェルス中将に私は「徹底した粛清」を約束した。公正な人事考査、軍事力の均等配置、用兵思想の転換、無駄な戦力の再編、貴族軍の解体・編入、腐敗の一掃、中央政府による戦争終結努力への協力、この場のライヘンバッハ派とシュタイエルマルク派で合意を見た七項目について障害となる人物はどのような立場の貴族であろうと容赦はしない、と明言した。粛軍後の姿勢次第では、後から処刑台に送ることすらありうる、と言及した。それはグリーセンベック上級大将やアイゼナッハ大将の立場からするとやや苛烈に過ぎる発言であっただろう。しかしゾンネンフェルス中将は……私の言葉では満足できなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地上車(ランドカー)の中は物々しい雰囲気に包まれている。大型人員輸送車の中に詰め込まれているのは帝国屈指の権力者たち、その中でも閣僚・官僚の地位にある者たちだ。

 

 一番奥の席では宮内尚書ルーゲ公爵が腕を組み目線を伏せる。その横で社会秩序維持庁長官ゲルラッハ子爵が不機嫌そうな表情で視線をあちらこちらに移している。現在の官界の主流派である保守派、その強硬派の代表格とされるのがこの二人だ。国防諮問会議に出席していない科学尚書キールマンゼク伯爵、無任所尚書アイゼンエルツ伯爵、内務次官ベルンカステル侯爵、帝国国営鉄道管理公社社長ハーン伯爵、宮内省皇宮警察本部長シャーヘン伯爵といった面々も保守強硬派の一員とされている。

 

 その手前の席には宮廷書記官長リヒター伯爵、財務尚書ノイエ・バイエルン伯爵、警察総局長ノルデン子爵の三人が座っている。不安を隠すためかノルデン子爵はリヒター伯爵とノイエ・バイエルン伯爵に盛んに話しかけ、二人は少し辟易した様子だ。リヒター伯爵は言わずと知れた開明派の領袖であり、ノイエ・バイエルン伯爵は経済的自由主義者としての顔からリヒター伯爵と政治的に近しい立場だ。その二人に話しかけるノルデン子爵は決して開明派でも無ければ、経済的自由主義者等を含む広義の意味での改革派でもない。しかし宿敵である社会秩序維持庁が『体制内不穏分子』として彼等を激しく敵視している為に、『敵の敵は味方』理論でノルデン子爵――というより警察官僚全体が――開明派の擁護に回っていた。故にリヒター伯爵もノイエ・バイエルン伯爵も辟易としながらも表面上は愛想よく小心者の警察総局長の不安解消に付き合っている。

 

 通路を挟んで反対側に座る内務尚書レムシャイド伯爵はそんな頼りないノルデン子爵の姿を見て呆れた様子だ。官界の主流派である保守派、その穏健派のナンバーツーとして知られるレムシャイド伯爵は、同時に内務省自治閥のトップであった。保守強硬派と保守穏健派は決して険悪な仲では無く、温度差はあるものの概ね政策的な相違はない。無論、派閥的にも対立はない。開明派におけるブラッケ侯爵率いる左派とバルトバッフェル子爵率いる右派の関係と同じだ。

 

 ただし例外が一つだけある。内務官僚だ。強硬派に秩序閥――社会秩序維持庁・習俗良化局・情報出版統制局等出身官僚――が、穏健派に警察閥――保安警察庁・警察総局出身官僚――が属している関係上、内務省内ではこの二大治安維持組織を中心に強硬派と穏健派の激しい派閥争いが存在している。

 

 その中でレムシャイド伯爵率いる自治閥――自治統制庁出身内務官僚――は必然的に同じ穏健派のハルテンベルク伯爵率いる警察閥と連携しており、また保守穏健派と開明右派の良好な関係を背景に新機軸政策研究会(通称新政会)――開拓局・民政局の開明派官僚を中心に教育局・労働局・商工総局等の平民官僚で構成される、いくつかの他省にも似たような組織が存在し協力関係にある――を庇護下に置くことで最大派閥となっている。対して秩序閥は統制閥――教育局や労働局出身の貴族官僚――を抱き込み、省内第三派閥である商工閥――商工総局出身官僚――と時に連携しながら自治・警察・開明閥連合と激しく対立しているのだ。

 

 レムシャイド伯爵ら自治閥は秩序・統制閥連合を押さえ込むために、次期内務尚書のポストを同盟者のハルテンベルク伯爵に与え、その後短期間開明派の大物(バルトバッフェル子爵など内務省からは外様の人物)を中継ぎに据え、警察総局長から内務次官に進む予定のノルデン子爵に繋ぎ、そして現在自治統制庁長官を務める自治閥若手リーダーでリヒテンラーデ派のホープであるラートブルフ子爵に繋ぐという予定を立てていた。故にノルデン子爵が失脚するとラートブルフ子爵までポストが繋げなくなる。レムシャイド伯爵としてはこの警察総局長にもっとしっかりしてもらわないと困るのだ。

 

 レムシャイド伯爵の隣には司法尚書リヒテンラーデ侯爵が座る。国防諮問会議の場で帯剣貴族達が提出した資料を未だ手放さず、真剣な表情で読み込んでいる。彼を官界一の切れ者と称える者も居れば、官界一の風見鶏とも揶揄する者も居るが、彼が開明派のリヒター伯爵と並び、官界の秩序の維持に大きな役割を果たしていることに疑義を挟む者は居ないだろう。保守派、開明派だけではなく、宮内省書陵局長ボーデン侯爵令息や国営通運社社長ウィルヘルミ子爵といったリッテンハイム派、無任所尚書リューネブルク伯爵や財務省尚書官房高等参事官フロンベルク子爵、国務省資源政策局長カルナップ男爵といったクロプシュトック派、司法省領邦間移動管理庁長官ヘルダー子爵、典礼省尚書官房会計課長フォートレル帝国騎士といったグレーテル派、さらにアンドレアス=リンダーホーフ派やノイエ・バイエルン派等、多くの派閥が入り乱れる今の官界が機能不全に陥っていないのはリヒテンラーデ侯爵による調整の賜物であった。

 

 宮廷書記官長補アイゼンフート伯爵は呑気なもので、地上車に詰め込まれて数分もしない内に再び夢の世界へと旅立った。一応、派閥的には保守穏健派に属することになるのであろうか?それともノイエ・バイエルン派……あるいはもっと広く親フェザーン派と捉えた方が適切なのだろうか?現在、内務省商工総局出身者の中では最も栄達している人物であることを考えると、保守強硬派に近い人物と見做すことも出来なくもない。出自的には列記とした官僚貴族家であるが……。何にせよ、官界で近い将来の閣僚就任が確実視される宮廷書記官長補の要職に在りながら、誰からも無害かつ凡庸な人物と思われているのがこの御仁だ。これでも若き頃は国営通運社社長を務め、『ラインラントの鷹の目』と異名を取った程の人物なのだが……。周囲は専ら「入閣で満足して鷹の目も曇った」と噂している。

 

 アイゼンフート伯爵の隣に運悪く座ることとなった司法次官ブルックドルフ男爵は迷惑そうな様子だ。老伯爵に寄りかかられ、そのいびきを間近で聞くことなったとしたら誰でも不快だろう。困り切った様子のブルックドルフ男爵であるが、近くに座る司法副尚書オーケルマン子爵や大審院長ルンプ伯爵は見て見ぬふりだ。

 

 宰相府宰相官房国家安全保障局長グローテヴォール宇宙軍中将と宰相府宰相官房危機管理監オールコック男爵は若干肩身が狭そうだ。宰相府勤務の官僚たちが皇太子の強い要請で結局は『保護』対象から外された中で、例外的に連行されているのがこの二人だ。皇太子殿下の安全保障政策の懐刀である故に、皇太子殿下の傍に置いておくべきではないという判断だ。

 

 そしてその二人の前に座るシュタイエルマルク退役元帥は窓の外をじっと眺めている。盟友ゾンネンフェルス退役元帥が即座に私、ライヘンバッハの支持を表明したのに対し、シュタイエルマルク退役元帥はあくまで「帝国軍人としてクーデターに与することは出来ない」と協力を拒否した。シュタイエルマルク退役元帥のこれまでの政治的姿勢を考えると当然の話だ。シュタイエルマルク退役元帥は常に正当な権威に服してきた。自身の利害や感情は全て度外視して、である。今回もそれは変わらないようだ。……裏の顔を考えると即座に支持してくれるかとも思ったが、リスクを考えると確かにまずは私に与しない選択肢を選ぶ方が正しいかもしれない。

 

「カールスバート大佐。本当にこの道で良いのかい?」

 

 不意に座席の中から手が挙がる。ラルフ・ヘンドリック・フォン・クラーゼン宇宙軍大将は車内の緊張など全く気にしていないような呑気な声で問いかけた。

 

「は?」

「我々が護送されるのは郊外のホテル・エクセルシオールだったはずだ」

「大将閣下……何故貴方がそれを知っているのですかねー」

 

 カールスバート大佐が眉間に皺を寄せながらラルフに尋ねるが、ラルフは「そんなことは今重要じゃないさ」と取り合わない。

 

「リントシュタット宮殿からホテル・エクセルシオールに向かうんだろう?……左の窓から見えるあの屋根は、僕の記憶違いじゃ無ければ皇室宮殿(パラスト・ローヤル)じゃないかい?」

「……」

 

 その言葉を聞いたカールスバート大佐は窓の外に目線を向ける。

 

「……西に向かっているな。どこへ向かっているモノかと考えていたのだが」

 

 淡々と呟いたのはシュタイエルマルク元帥だ。それを聞いてカールスバート大佐も僅かに顔色を変える。リントシュタット宮殿は帝都中心部、新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)から南西側に程近い場所に立地している。ホテル・エクセルシオールは後に特別遡及裁判所が置かれ「正義と人道の道」あるいは「地獄への(善意が舗装した)道」と呼ばれる通りにある。つまり、帝都の東側に立地している。皇室宮殿(パラスト・ローヤル)はリントシュタット宮殿よりさらに西側に立地しているので、リントシュタット宮殿からホテル・エクセルシオールに向かうのであれば、皇室宮殿(パラスト・ローヤル)が見えるのはおかしいのだ。

 

「……まあ予定は予定ですからねー。皆様の安全の為により良い選択があるならば、そちらへ変更しますよ。どうかご安心を」

 

 何でもない様子でカールスバート大佐がそう言うとラルフも「そうか。なら良いんだ」と肩を竦めた。

 

「……どういうことかな?何故計画と違う道を進んでいるんだい?」

「私が命じました。反粛軍派が帝都の東側に潜伏していて、ホテル周辺のクリーニングが間に合っていないそうです」

「大尉。それは初耳だな。何故報告しなかった?」

「……すいません。一度安全な場所へ辿り着いてからご報告しようと考えていました。そちらには詳細な情報も伝わっている筈ですので」

 

 カールスバート大佐は運転手に話しかけたが、それに応えたのは副官の男である。カールスバート伯爵家に長年仕えている男であり、カールスバート大佐は大層この男を信頼していた。……その男の胸には白薔薇のブローチが付けられている。この男だけでは無く高官達を詰め込んだこの地上車の中には、カールスバート伯爵家に縁がある特に信頼できる者達が同乗していた。

 

「……まあいい。それで安全な場所とは?」

「到着すれば分かります」

「……大尉?君は何を言っているのかな?私は何故、この部隊の指揮官であり、護送任務の責任者であるのに、この車が何処に行くか知ることが出来ないのかな?」

「……」

「大尉?…………ああくそ。誰に口説かれた?クラーゼン大将か」

 

 カールスバート大佐は自身の脇腹に押し当てられた硬い感触に思わず顔を顰める。

 

「若様。今は我々に従ってください。これが伯爵家の為でもあるのです」

「伯爵家?では父の命か?そんな訳はあるまい。馬鹿な真似は止めろ、大尉」

「……」

 

 大尉は黙ったままカールスバート大佐に応えようとしない。カールスバート大佐は他の部下にも目を向ける、全員顔色が悪いが、カールスバート大佐を助けようとする気配はない。

 

「……貴様らも大尉に同調するのか。こんなことなら家に仕える者達では無く自分の部下を信じるべきだった」

「若様。後ろの席にお戻りください」

 

 カールスバート大佐は舌打ちして人員輸送車の後方へと戻る。ラルフが大層ニコニコしながら自分の隣に座るように手招きする。それを丁重に無視しようとしたカールスバート大佐であるが、部下の突然の離反にこの男が噛んでいるのではないかと疑ったこともあり、その招きに応じることにした。

 

「貴方の仕業ですかー……?」

 

 カールスバート大佐は表面上は常日頃の飄々とした仮面をかぶってラルフに話しかけた。ラルフはそんなカールスバート大佐を一瞥し、鼻で笑う。

 

「しないよ、そんなこと。僕がそんな誰かから恨まれるような事をすると思う?」

「しないんですか?」

「しないよ。アルベルトやクルトに聞いてみたら良い」

 

 ラルフは軽く笑いながらそう言う。しかしカールスバート大佐は信じない。

 

「でも今起きていることに貴方は驚いていない。他の官僚たちは気づいてすらいないから分かるが、貴方は気づいた上で平静のままだ」

「……いや、これでも驚いているし慌ててもいるんだ。『そういう話』があったのは知っているけど、本当に彼等がこんな強引な手段を取ってくるとは思わなかった」

「……彼等?」

 

 ラルフはそれっきり黙り込む。カールスバート大佐は暫く様子をうかがっていたが、やがて諦めて視線を前に向ける。

 

「大尉が裏切るとは……」

「大佐。大尉を恨んでやるな。禁断症状の前に信頼関係は意味をなさないんだ」

「禁断症状……そんなまさか……麻薬ですか?」

「アルベルトもクルトもリヒテンラーデ侯爵も、奴等が自分達と同等に上品だと考えていたから足元を掬われるのさ。そして現在進行形で、僕も足元を掬われそうだ」

 

 ラルフは自嘲の笑みを浮かべる。カールスバート大佐はそこに何か恐ろしいモノを見たような心持になり黙り込む。やがて車は帝都の外れに差し掛かる。元々近年の不況と治安悪化で多くなかった人通りがさらに少なくなり、寂れた街並みが視界に広がる。高官たちも流石に異変に気が付いて、不安そうな様子だ。

 

 一軒の廃工場に護送車は止まる。カールスバート大佐は窓の外から周囲を確認し、二〇名程の帝国軍人が居るのを確認した。皆白薔薇のブローチを付けている。そしてその軍人たちは護送車と共に走っていた護衛の装甲車数台に近づき……中から降りてきた兵士たちに向けて発砲した。

 

「な……」

 

 白薔薇の軍人たちは装甲車の中からさらに兵士たちを引きづり出し、容赦なくその命を奪っていく。護送車の中の高官たちがその光景を見て口々に騒ぎ出す。「動くな!」大尉が発砲し、一条の光がルーゲ公爵の頭のすぐ上を掠めた。

 

「君の部下は優秀だね。明らかにおかしな状況なのに、まだあの大尉に従っている」

 

 ラルフが皮肉気に指摘する声を無視してカールスバート大佐は立ち上がって怒鳴る。

 

「大尉!どういうつもりだ!」

「煩い!黙ってろ!」

「うぐ……」

 

 大尉がカールスバート大佐に発砲する。カールスバート大佐が左腕を抑えて倒れ込んだ。隣に座るラルフが強くカールスバート大佐を引き寄せなければ、もっと重い傷になっていたかもしれない。

 

「……」

 

 大尉の他の軍人たちは明らかに動揺して固まっている。高官たちも同様だ。ノルデン子爵などは失神している。そんな中、護送車の扉が叩かれる。

 

「扉を開けろ」

「え……」

「早くしろ!」

 

 大尉の命令で運転手が扉を開いた。外の兵士たちを殺戮した白薔薇の軍人が乗り込んでくる。

 

「手筈通りだ。これで良いだろう」

「……」

「おい!」

「……ああ。ご苦労だった。全員護送車を降りてくれ。後は我々が引き継ぐ」

「頼む。……それと薬はあるか?いつもより代謝が良いのか何か知らんが、どうも頭が痛くなってきた」

「とりあえず降りろ、話はそれからだ」

 

 白薔薇の軍人に促され、大尉を含む兵士たちが護送車を降りる。そして軍人は護送車の扉を閉め、カールスバート大佐の方に近づき、冷たい目で見降ろした。暫くそうしていたが、やがて護送車の外から再び発砲音が聞こえ、それと同時にその軍人は踵を返す。カールスバート大佐もラルフも角度的に見えなかったが、その瞬間をリヒテンラーデ侯爵やシュタイエルマルク退役元帥は見た。先ほどまで護送車を制圧していた兵士たちが白薔薇を付けた軍人たちに射殺されていたのだった。

 

「突然の御無礼、伏して謝罪させていただきます。我々は宇宙軍特別警察隊の……」

「亡霊同士の潰し合いか。いやはや、珍しいモノを見せて貰った」

 

 白薔薇の軍人が何事か口にしようとしたが、それをリヒテンラーデ侯爵が不愉快そうな口調で遮った。

 

「礼を言えば良いのかな?クラーゼン子爵」

「……さて、何のことでしょう。小官は何もしておりません」

「亡霊共め。本当に形振り構わぬのだな……私なりに奴等への備えはしていたつもりだが、まさかこんな所でひっそりと殺されそうになるとは思わなんだ。ライヘンバッハ伯爵も大変だろう」

「……」

 

 リヒテンラーデ侯爵は返事を求めていない口調でそう言う。周囲の高官たちは置いてけぼりだ。

 

「GI6に連絡しました。後一〇分もしない内に皆様の保護に現れるでしょう。それまで暫くお待ちください」

「ふむ。貴様等はどうする?また歴史の闇に還るか?」

「……無論。そこが情報閥(われわれ)の居場所ですから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 皇室宮殿《パラスト・ローヤル》には皇位継承権の高位請求者が居住する。皇帝位を巡る争いを避けるために皇位継承権第一位――つまり皇太子――と第二位を引き離しておく目的でエーリッヒ一世帝が第二皇子リヒャルトの為に造らせたこの宮殿はそれ以降も同様の目的――に加え、皇位継承権第二位保持者の保護という目的――から長らく利用されてきた。

 

 しかし、現在の皇太子ルートヴィヒと第二皇子カスパーは極めて良好な関係であり、ルートヴィヒとフリードリヒ四世からするとカスパーを新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)から追い出す理由はなく、むしろ警備体制の緩い皇室宮殿(パラスト・ローヤル)に住ませるのは心配だ、と新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)にカスパーを留まらせた。

 

 また両名に比べて遥かに年若い第四皇子アウグスト(四歳)、第五皇子クリストフ(三歳)、第六皇子ジギスムント(二歳)、第七皇子クレメンツ(〇歳)はそれぞれを支持するルーゲ公爵家、ノルトライン公爵家、シュトレーリッツ公爵家、エーレンベルク公爵家が皇室宮殿(パラスト・ローヤル)への移住を拒絶している。

 

 七七七年の政争直後に不審な病死を遂げた第三皇子リヒャルト(エーレンベルク公爵令嬢シャーロットの子)の例を見て分かるように、後宮においても油断は出来ないというのに、好き好んで警戒の薄い皇室宮殿(パラスト・ローヤル)に移り住みたくはないだろう。皇太子ルートヴィヒと第二皇子カスパーの健在、皇帝側近にして侍従武官長たるラムスドルフ大将の辣腕、複数勢力による均衡、この三つの要素が後宮での争いを鈍化させているが、逆に言えばどれか一つでも崩れれば後宮は地獄と化す。

 

 開明派の積極的支持と官界の消極的承認があるとはいえ、門閥の支持が薄いルートヴィヒは僅かな失点も命取りであり、表舞台に立っていないカスパーはさらに立場が弱い。ラムスドルフが辣腕を発揮できるのはフリードリヒ四世の信頼があっての話で、それが無くなれば後宮の秩序維持は不可能になる。複数勢力の均衡は七七七年の政争でエーレンベルク公爵家が混乱した途端第三皇子リヒャルトがヴァルハラへと旅立ったように、容易に崩れうる。

 

 フリードリヒ四世が有力門閥の側室そっちのけでアルトナー子爵令嬢シュザンナに溺れるのも無理からぬ話だ……と大分話が脱線した。

 

 つまるところ、私が説明したいのは何故皇室宮殿(パラスト・ローヤル)を粛軍派の拠点にできたのか、という話だ。バックハウス――編注、エーベルト・バックハウス、統合戦争期のジャーナリスト・作家――の小僧が皇室宮殿(パラスト・ローヤル)を制圧して戒厳司令部と宇宙軍特別警察隊司令部を設置した事についてとやかく言っているが、当時は誰もそこに住んでいなかった。カスパー皇子を追い出してなどいないし、確かにカスパー皇子と私の仲は上手くいっていなかったが、別にこの件は関係ない。私が嫌いならそれでも良いが誤った歴史を喧伝するのは止めて欲しいモノだ。

 

 

 宇宙暦七八〇年一二月一〇日午後六時。皇室宮殿(パラスト・ローヤル)『名文帝陛下の間』、クロプシュトック事件の起きた『文治帝陛下の間』と並ぶ皇室宮殿(パラスト・ローヤル)最大規模の大広間、そこは大量の機材が運び込まれ、多くの人員が行き交う粛軍派の拠点となっていた。

 

「つまり今、閣僚は国務省情報統括総局――通称GI6、創設時の名称皇帝官房秘密情報部第六課(Geheimen Informationen 6)が由来――の手に渡っているんだな」

「……申し訳ありません」

 

 沈痛な面持ちで頭を下げるカールスバート大佐、その後ろにはふてぶてしい表情のラルフの姿が見える。本人曰く「国務省ではなくカールスバート大佐に保護されることを選んだ」らしいが、状況を考えるととてもそうとは言えないだろう。むしろ国務省(GI6)から保護されたのはカールスバート大佐だ。この通信だってラルフ……というか情報閥の握っている回線を経由していて発信源の探知が出来ない。

 

「いや、私の責任だ。貴官の話には心当たりがある。今は詳細に説明できないが、『奴等』を甘く見ていたのは私の手落ちで君の手落ちじゃない。……だから間違っても命を賭けて償う、なんてこと馬鹿な事は止めたまえ」

「!」

「顔に書いてある。貴官の命の使いどころはそこじゃない。私の命令は聞けるな?」

「……は」

 

 地球教。十中八九カールスバート大佐の部下を凶行に走らせたのは奴等だろう。……だが方法が分からなかった。方法、というのは部下を凶行に走らせた方法の事ではない。『粛軍計画』の存在を知った方法、カールスバート大佐が参加する事を知った方法、カールスバート大佐の配置を知った方法、それが分からないのだ。分かりたくない、と言うべきかもしれない。地球教に粛軍派の情報が流れている、そう考えざるを得なくなるのだから。

 

 目的は……やはりリヒテンラーデ侯爵の暗殺だろう。だがあまりに方法が雑だ。リスクが高すぎる。リューデリッツ退役元帥の事故死を始め、奴等の関与が疑われる他の不審死に比べてあまりに『らしくない』。私の仕業に見せかけようという事だったのかもしれないが、そもそも私には閣僚を殺す動機が殆どない。仮に殺すとしても私が閣僚を殺すのなら方法が不自然――何故わざわざ暗殺のような真似をするのか、身柄を拘束しているのに政治的な正当性も無く隠れて殺すメリットがない――に過ぎる。

 

 もし奴等が首尾よくリヒテンラーデ侯爵を暗殺していたら、恐らくカールスバート大佐も死んでいただろうから私たちが詳細を知ることは無いだろう。それでも私は地球教も下手人候補の一つとして疑う(多分、優先度は低いが)だろうし、警察や公調も地球教捜査に関わる人間は当然リヒテンラーデ侯爵の主要な対立者の一つとして関与を疑うはずだ。少なくとも警察のハルテンベルク警部や公調のヴェッセル上席調査官は「私がリヒテンラーデ侯爵を暗殺する」なんて可能性が隕石が落ちる可能性より小さい事を知っている。私率いる粛軍派、派閥盟主を撃たれた復讐に燃える警察と公調の追及を地球教は躱す自信があるのだろうか。

 

 正直、粛軍派や警察が無名の組織である地球教を調査して、何か証拠をつかんでそれを公表したところで疑う人間は少なくないだろう。だが、そもそも『目立たない』のが強みであり、それを自覚している地球教は『目立つ』という致命傷になり得るリスクを背負おうとするだろうか。あの亡霊組織がそんなリスクを負うだろうか。

 

 一つだけ可能性があるとすれば、この粛軍に便乗してペイン准将率いる捜査チームを地球教オーディン支部に踏み込ませたことによって、地球教が自暴自棄になっている場合だが……。ペイン准将たちの動きと地球教による閣僚襲撃が関連しているなら、つまりこういうことになる。「地球教はペイン達の動きと粛軍計画を予め知っていた、そして慌てて閣僚襲撃を画策した。ペイン達の動きを一切封じようともせずに」……正直これは論理として不自然だ。ペイン達の動きを妨害する方法はいくらでもあるし、それらは閣僚襲撃なんかより遥かに目立たない。そもそも地球教オーディン支部からサイオキシン麻薬取引の重要な書類やら要人暗殺の物証やらを無くしておけばそれで済む話だ。論理的に考えるならば、ペイン達が地球教の拠点に踏み込んだことと地球教が閣僚襲撃を企てたことに関連性は無いはずだ。

 

「ラルフ。君は自分の息のかかった人間を使って、『奴等』の暗殺部隊を排除した。そしてそれに変装させることで上手く閣僚たちの危機を救った。カールスバート大佐の話から推測するに、そういう事をしたはずだ。……何か知っていることがある、そうだね?」

「……奴等の目的、とかね。まあすぐに分かる、というかもう分かっている頃合いの筈だ」

 

 私の問いに対してラルフ・ヘンドリック・フォン・クラーゼンはどこか悲しそうな表情でそう言う。続く言葉を待ったが口を開く気配はない。私はさらに追及をしようと思ったが、ラルフは首を振ってそれを遮る。

 

「僕にそれを聞くより優先してやる事が山ほどあるんじゃないのかい?」

 

 ラルフは私の後ろを見ながらそう言った。そこにはリントシュタット宮殿から共に移ってきた、あるいは中央の各部署から皇室宮殿(パラスト・ローヤル)へ移ってきた粛軍派の幹部たちが立ち並ぶ。その中の何人かは下級将校が行き来する空間と、自分達が状況を見定める空間が同じである事に戸惑っている。高級サロンで優雅にワインを嗜みながら謀略の完成を待つ……という程間抜けな人々では無いが、それにしてもさながら野戦司令部の如く変容した大広間では無く、格式高い会議室で状況を見守る物だと考えていたのだろう。

 

 突然ラルフの端末が鳴る。ラルフはそれを一瞥すると、悲し気に表情を歪めた。

 

「……僕は友人の葬式には出て悲しい思いはしたくない。その点、君はやはり友達思いだと思う」

 

 ラルフはそう言って肩を竦める。私は言葉の意味を図りかねた――後に分かった時には大したダブルミーニングだと感服した――が、そこで通信は遮断された。私は溜息をつきたくなったが必死でそれを我慢した。付き従う者達に不安を抱かせるわけにはいかないからだ。

 

 後ろの支持者と協力者に向き直ろうとしたその瞬間、右腕に誰かが縋りついた。

 

「だ……大丈夫なのか?婿殿、閣僚を逃がしてしまっては……!」

 

 国務尚書ウィルヘルム・フォン・クロプシュトック公爵はすっかり青褪めて動転した表情だ。国防諮問会議の場で即座に粛軍派への支持を表明した――表明させられた、ともいえる――クロプシュトック公爵は戒厳副司令官にして宰相代理の役職を担っており、一時的に全閣僚の各省庁に対する指揮権を代行する立場にある。一時的に現役の総軍上級大将の階級も与えられている。

 

「心配いりません。大多数の諸侯や高官は拘束できています。計画は予定通り進んでいます」

「婿殿……!こうなる前に一言相談して欲しかった!クロプシュトックは卿に全てを賭けざるを得ないのだぞ……!」

 

 単に私が決起しただけならば、クロプシュトック公爵家には私と縁を切るという選択肢が残される。「連座制」の抜け穴はいくつかあり、それを利用する事が可能だ。だがクロプシュトック公爵家が帯剣貴族家のクーデターに協力していた証拠を私は握っている。少なくとも、私が決定的な敗北を喫するその瞬間、私が一切の政治的影響力を失うその瞬間まではクロプシュトック公爵家は私を裏切れない。私を裏切れば宰相皇太子殿下かルーゲ公爵、リヒテンラーデ侯爵あたりに叛逆の証拠が示されることは容易に想像がつくだろう。

 

 だからこそ私は「こうなる前に一言相談」などはしなかった。クロプシュトック公爵家が帯剣貴族のクーデターに協力するという墓穴を掘るのを静観し、後戻りできない状況に追い込んだ。……大体、「一言相談」などしたら余計な事をしかねないのが我が養父ウィルヘルム・フォン・クロプシュトック公爵である。上の事情を抜きにしても相談なんてする訳がない。

 

「……相談されたとして、それで公爵閣下はどうなされたのですかな?」

「まさか『別の選択肢があった』訳でも無いでしょう。我々には絶対の大義がある。叛逆者を討ち果たすという大義が」

 

 グリーセンベック上級大将とゾンネンフェルス退役元帥はクロプシュトック公爵への侮蔑を隠さない。官僚貴族から諸侯へと転じたクロプシュトック公爵家は帯剣貴族家や官僚貴族家に対し仲間意識を抱いている。だが、相手もそう思っているとは限らない……というか大多数の帯剣貴族や官僚貴族にとってクロプシュトック公爵家は他より「マシ」なだけで、唾棄すべき寄生虫の一種であることには違いないのだ。

 

「もし他の選択をしていた可能性が1%でもあるのなら、むしろ御曹司に感謝すべきではないかなぁ?」

  

 苦笑交じりにそう口にしたのは『昼寝のアルトドルファー』こと地上軍総監アルトドルファー元帥だ。白髪の老元帥は帯剣貴族の協力要請をのらりくらりと躱し、一たび粛軍派が決起するとまるで最初からその一員であったかのように極自然に私の側に付いた。「丁度良かった伯爵。この頑固者を一緒に説得してくれんか?」……国防諮問会議の会場を後にした私が真っ先に見たのは、私の行為の是非について激しく討論するゾンネンフェルス退役元帥とシュタイエルマルク退役元帥、その二人の側に当然のように立つアルトドルファー地上軍元帥の姿であった。周囲を取り囲む粛軍派の兵士はどうしてよいか分からない様子だった。

 

「……養父殿。心配は要りません。宰相皇太子殿下の様子はご自分で見られたでしょう?結局の所、皇帝陛下と皇太子殿下が味方に付いている以上我々の負けは有り得ません。……違いますか?」

「それは……確かにそうではあるが……」

「帯剣貴族たちのクーデターが宰相皇太子殿下の支持を得られたと思いますか?」

「……」

「帯剣貴族はやり過ぎました。軍が残れば国が割れても良い、そんな乱暴な理論で自分たちの継戦・課税の主張を押し通そうとした。……養父殿。失礼を承知で言わせていただくと、他の腐敗貴族ならともかく皇室第一の忠臣クロプシュトック公爵が宰相の……亡国となった後の宰相の地位に惑わされるとは思いませんでした。……閣下。叛逆者に貶められながらも忠義を貫き、ブラウンシュヴァイク公爵とリッテンハイム侯爵相手に戦い抜いたあの頃の閣下はどこへ行ってしまわれたのですか?」

 

 クロプシュトック公爵は決まり悪そうに黙り込んで目を逸らす。

 

「……これが唯一の機会ですよ。養父殿。皇室第一の忠臣クロプシュトック公爵ここに在り、そう天下に知らしめるのです。リッテンハイムが何だというのですか。領地から切り離してしまえば多少高官に伝手があるだけのただの人です。国家に貢献し、官僚・軍人の支持も厚い閣下とは違います。……宰相皇太子殿下はいずれ即位なさる。その時に宰相の座に座るのは誰か?それはこの軍部による大規模な『叛乱』の鎮圧に誰が最も貢献するかで決まりるでしょう」

「……協力すれば儂を宰相にする、そういう事か?」

「養父殿と同程度には、私も杓子定規な官僚貴族に辟易していますよ」

「自分が宰相にならなくても良いのか?」

 

 クロプシュトック公爵はその言葉を探るように口にする。私は驚いて目を丸くした。

 

「その発想はありませんでしたね。私に政治の事は分かりません。養父殿にお任せしますよ」

「……吐いた言葉には責任を持つことだ、婿殿よ。……分かった。そこまで言うのならば儂は婿殿を信じる。腹を括ろうじゃないか」

 

 (元々選択の余地は無いだろう)と思いながらも私は丁重に礼を言う。そして邪魔者を追い出しにかかった。

 

「クロプシュトック公爵。派閥の高級官僚の皆様にもご協力いただくことになるでしょう。全ては軍と官界の腐敗を一掃する為、皇帝陛下の下に国家を取り戻す為、です。……フォイエルバッハ大佐。養父殿を部屋にお連れしてくれ」

「は!」

 

 クロプシュトック公爵が子飼いの軍人たちに連れ添われながら大広間を後にする。その様子を横目で見つつグリーセンベック上級大将とノームブルク大将が近づいてくる。

 

「御当主様、兵站輜重総監ブルッフ上級大将と教育副総監シュトックハウゼン中将が支持に回りました」

「小官らが説得に当たっている地上軍副総監クルムバッハ上級大将も我々への協力を口にしました」

 

 軍中枢の制圧は言うまでも無く粛軍計画成功の必須条件だ。しかしながら粛軍派の戦力も限られている。力による掌握と並行して、懐柔による制圧も進めていかなければならない。各機関を制圧すると同時に拘束した高官の内、帯剣貴族のクーデターを知らなかった(あるいは知らないことになってる)者達――つまり私たち粛軍派と決定的な対立関係ではない者達――の取り込みを始めていた。

 

「これで兵站輜重総監部と教育総監部は掌握できるか。ブルッフ上級大将には軍務省に入ってもらおう。シュトックハウゼン中将が抵抗に回らなかったのは後々の改革の事を考えるとやりやすいな。……他は?ビューロー上級大将は何と言っている?」

「まだ連絡がありません」

「元より我々総出で時間をかけて説得していく予定でした。今は拘束した高官を護送している段階でしょう。仕方がありません」

「それもそうか。粛軍計画を知らなかったブルッフ上級大将とシュトックハウゼン中将がほぼ即決で支持に回ったのは上振れと考えるべきだな。……そう考えるとクルムバッハは意外だな」

「そうですな……。説得にあたったシュトライト中将も拍子抜けしたそうです」

「クルムバッハも付き合ってみると案外大義を分かっている男ですぞ?」

 

 訝しむ我々にそう言ったのはアルトドルファー元帥だ。ニコニコと好々爺の笑みを浮かべながら平然と言い切ったが、それはクルムバッハ上級大将を知る者達からするととても信じられない話だった。アルトドルファー元帥の言葉はその内容とは裏腹に、クルムバッハ上級大将の動きがアルトドルファー元帥の関与を受けた物であることを物語っているように我々には感じられた。

 

「……元帥閣下が仰るならその通りなのでしょうね」

 

 アルトドルファー元帥は油断ならない人物だ。ラルフ・ヘンドリック・フォン・クラーゼンの義父にあたるこの人物は粛軍計画を察していたように思われる。粛軍計画後の動きから推測するに、きっと粛軍派の力を利用してルーゲンドルフの力を削ぎつつ、クルムバッハ上級大将と共に新たな派閥を立ち上げようと考えていたのだろう。帯剣貴族のクーデターに協力したり、私のカウンター・クーデターを密告したりするよりも、その方が利益が大きいと判断した。……私には分からないのだが、アルトドルファー元帥はどこまで知っていてその判断を下したのだろうか。果たして『奴等』の……白薔薇党の策動を知った上でその判断を下したのだろうか。あの流血を認容して、自分の利益を最大化しようと動いたのだろうか。

 

「さて、帝都の制圧は予定通りに進んでいる。皇太子殿下を『保護』できず、閣僚連中に逃げられたのは非常に痛いが……最悪の状況ではない。近衛が側に張り付いているとはいえ、皇太子殿下はリントシュタット宮殿にいて基本的には我々を支持する立場だ。ラムスドルフの一派には出し抜かれたが近衛兵総監部自体の制圧には成功し、宮内省・皇帝官房・皇宮警察本部も抑えた。直接軍を入れられた訳では無いが、事実上新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)は掌握したといって良い。……明日一番で私は養父殿と共に参内する。その後はグリーセンベック上級大将、頼むぞ」

「は、お任せください、御当主様。ゾンネンフェルス退役元帥閣下やブルッフ上級大将閣下と共に軍に秩序を取り戻しましょう」

 

 本当なら今すぐでも参内しておきたい所だが、一度新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)に入れば暫くは身動きが取れなくなる。最低限、帝都を完全に掌握するまでは戒厳司令部に身を置いておきたかった。

 

「頼む。……宰相皇太子殿下から戒厳司令官の任命を引き出せた時点で政治的にはほぼ盤石な立場だが、皇帝陛下自身のお言葉、詔勅を頂くその瞬間までは油断できない。……そう考えると皇帝陛下を押し切れるルーゲ公爵辺りは逃がしたくなかった。皇宮警察本部を制圧したシュレーゲル=ライヘンバッハ少将に再度厳命を下しておいてくれ、『誰一人新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)に入れるな、出すな』とな」

 

 シュレーゲル=ライヘンバッハ地上軍少将は中央軍集団司令部において作戦部長の職にある。今回の粛軍計画に際しては中央軍集団の精鋭二個騎兵大隊を直卒し、中央軍集団の駐屯地から帝都まで一気に駆け抜け、新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)の正門すぐ横に立地する皇宮警察本部の制圧にあたった。他の中央軍集団部隊も動員の完了した部隊から順次帝都へと展開する予定だ。

 

 中央軍集団が属するのは地上軍総監部直轄部隊である征討総軍である。征討総軍は各辺境軍管区司令部や警備管区司令部隷下の管区総軍、行政区地方軍務本部の指揮監督下に入る地方総軍よりも一段上に見られる存在である。宇宙軍における正規艦隊と同じ扱いと見て良い。その為、管区総軍や地方総軍の軍集団が三個軍か二個軍で構成されるのに対し、征討総軍の軍集団は五個軍で構成される。属する軍集団の数も二二個軍集団とダントツで多い。質と量の双方で帝国軍の栄光を体現するのが征討総軍である。……戦力不足、定数割れ、充足切れに悩む地方部隊からは「半分潰してこっちに回せ」と言われているが。

 

 そんな征討総軍で最精鋭部隊とされるのが中央軍集団であり、その司令部作戦部長は紛れもない要職だ。その反面、征討総軍の他の軍集団が外征の度に動員されるのに対し、中央軍集団は常に帝都に駐留し続ける為、やや名誉職のような側面も持っている。この辺り、シュレーゲル=ライヘンバッハ少将とコルネリアス、カール・ベルトルト父子の微妙な関係が窺えるというモノだ。

 

「ん?……またエルンストか……」

 

 私の私的な端末には先程から絶えず連絡が入っている。当然の話ではある。ただ意外なのは私の従甥エルンスト・フォン・アイゼナッハ宇宙軍中佐からも何度も連絡が入っている事だ。私が知る限り最も寡黙なこの男は基本的に音声通話を使用しない。故に何度も通話のみでの連絡が入っている事を少し不思議に思ったが、端末を持ったビュンシェ准将が近づいてくるのを見て自分の端末を懐にしまった。

 

「……閣下。戒厳司令部作戦命令一号『戒厳司令部の指定する戒厳部隊指揮官へ指揮権を移譲せよ』に対する現時点での各部隊司令官からの返答です。第四軍集団司令官ランツィングァー大将、第一二軍集団司令官エメリッヒ=ルーゲンドルフ大将、オーディン大洋連合艦隊司令長官ゾンマーフェルト大将が(ナイン)。中央軍集団メクリンゲン=ライヘンバッハ大将、軌道軍集団司令官ブルクミュラー大将、第八軍集団司令官シュテッフェンス大将、中央大陸(ミズガルズ)防衛軍司令官ケッテラー中将、第二猟兵分艦隊司令官マイヤーホーフェン中将が(ヤー)。他、軍級以上の部隊司令官についてはこちらの資料に纏めております。……大多数の指揮官は未だ返答しておりません」

「……まああまり意外性はない顔触れだな。(ナイン)と答えた者の指揮権は停止。特に第一二軍集団司令部は叛乱部隊として全権限を剥奪、第一二軍集団を戒厳司令部の直接指揮下に置く。……出頭命令を出してみようか?」

 

 『出頭してくれれば多少は穏便に済ませられる』そんな私の甘い言葉をゾンネンフェルス退役元帥やグリーセンベック大将を初めとする周囲の人々は即座に否定できない。エメリッヒ=ルーゲンドルフ大将は地上軍の宿将だ。ルーゲンドルフ老と同い年であるが、『戦場で死ぬ』と言って一線を引こうとしない。その闘志は今なお一目置かれるものの、大規模な戦争のたびに戦場に行かせろと駄々をこね、前線に立ったら立ったで上司の『若造』や宇宙軍の『軽輩』を舐めてかかって一切言う事を聞かない。ただ、老練な用兵手腕は流石のモノで、帝国の劣勢期を支え続けている名将であることも否定は出来ない。

 

 ……出来ないのだが自分の部隊や友軍部隊の損耗を一切顧みないその姿勢は戦果を考慮しても無視しえない欠点であり、上記の扱いにくさと併せて多くの『若造』や『軽輩』を悩ませてきた。もっとも、その欠点も帝国が優勢だった頃、あるいは拮抗していた頃ならば大きな問題では無かった。あの御老人の問題点はその頃の大量突撃ドクトリンから転換出来ていなかったことにしかない。人柄も傲慢と言えば傲慢だがその実績を考えると一概に老害とも言い切れない。情けをかけたくなる程度には高潔な部分も持ち合わせているのだ。『若造』であっても指図する人間でなければ寛大であり、他の重鎮と違って裏も無くオフレッサーを可愛がっていた。

 

「要らないでしょうなぁ。……あの御老人に改心の機会を与えた所で、我々への反抗に役立てられるだけです。除きましょう」

 

 甘い方向に流れかけた空気を止めたのはアルトドルファー元帥だ。のんびりとした口調だがそこから冷徹な意志と……若干の苛立ちを感じた。エメリッヒ=ルーゲンドルフ大将の上司として頭を悩ませていた『若造』の一人としては、情けをかけようとしている我々の事を二重に理解できなかったのだろう。一つは個人的確執から、もう一つは戦略的な意義から。 

 

「……そうだな。出頭を待つ時間は彼等の得にしかならない。当初の計画通り、第一二軍集団司令部を急襲、司令官以下幕僚を全員拘束しろ。……ああ(ヤー)と答えた者には『戒厳部隊指揮官の到着まで部隊を掌握し、戒厳司令部の統制に従うように』と……」

「既に伝えております」

「第四と大洋艦隊はどうしますかなぁ?」

「即決で反抗に回るのは第一のヴァルトハイム、第五のベネジュ、第一二のエメリッヒ=ルーゲンドルフ、東方艦隊のヴァルテンベルク、航空のヴェネト、帝都防衛軍宇宙部隊のカルナップ、第一猟兵のゲッフェルと予測していた。所詮、ゾンマーフェルト程度は軌道軍集団と赤色の即応部隊で何とかなるがランツィングァーは頭を刈れる体制では無いな。今挙げた連中の抑えに回している部隊を動かせばランツィングァーも刈れるかもしれん」

「いや、ベネジュあたりはどの道動くだろう。他も今動いていないだけでは警戒は解けない。第八軍集団を第四軍集団に当てる」

「……それは大丈夫かね?」

「シュテッフェンスは征討総軍軍集団司令官唯一の平民でシュタイエルマルク派、第八軍集団は信用して良いはずです」

「ふむ、アレも中々御し難い曲者だぞ。だからこそクルト君はシュテッフェンスではなくゼーネフェルダーを代理に選んだのではないかな?」

 

(御し難い曲者なのは貴方もですけどね)

 

 私は内心でそう呟く。ゾンネンフェルス退役元帥の言葉は多少の地位の違いはあれど、「シュテッフェンス」の部分をゾンネンフェルスに入れ替えても成立するのだ。

 

 独特の魅力を感じる渋い声はゾンネンフェルス退役元帥の武器だ。ゾンネンフェルス退役元帥が口にする言葉は聞く者にまず反発では無く共感を感じさせる。この御仁に恥をかかせること、心労をかけることを無意識に躊躇する。ゾンネンフェルス退役元帥がかつてシュテッフェンス大将に罵倒され、以来シュテッフェンス大将を嫌っているのは有名な話だが、聞く者達はそれを知っていてなお、ゾンネンフェルス退役元帥の意見に傾きそうになる。

 

「ラスター君とグロッケン君の機甲軍を動かそう。第四軍集団なら師団長のルカーシェク君やシュトルツ君も旧知の仲だ。私が説得する。これで第四軍集団は動けないはずだ。……シュテッフェンス君は適当な役目を与えて軍団から切り離そう。副司令官のマイズナー君は門閥派だから一緒にね。第八軍集団なら軍司令官にハーゼンバイン君が居る。彼なら大過なく代理を務められるはずだ」

 

 ゾンネンフェルス退役元帥はかつて自身が子飼いとしていた軍人たちや縁戚関係にある軍人の名前を次々と挙げる。清々しいまでに自己の利益を押し出した提案だ。そうであってもゾンネンフェルス退役元帥の言葉と姿から受ける印象は『滅私奉公』だ。いかにも粛軍派の為に、大義の為に自分の持てる力を全て発揮しようといった風情を感じた。何故だろうか……こうして文字に起こせばそんな印象は全く感じないのだが……。思い返せばゾンネンフェルス退役元帥は自他共に認める軍部改革派の重鎮で、文句なしの名将だったのだが……実際に挙げた功績を一つ一つ挙げていくとどうにもパッとしない。

 

「……第四軍集団はそれで良いでしょうが、第八軍集団はシュテッフェンス大将に任せましょう。真っ先に(ヤー)と返してきた忠臣は厚遇しないといけません」

「うむ、それはその通りだ。だから厚遇するのは良い、ただ権限を与えたままだと万が一という事もあるだろう。……それにね、ライヘンバッハ伯爵、ルカーシェク君やシュトルツ君の立場で考えて欲しい。士官学校の恩師であるラスター君や肩を並べた戦友のグロッケン君が居るとなると、私もルカーシェク君たちを説得しやすいが、彼等から恨み妬みも買っているシュテッフェンス君だと、ね」

「……」

 

 クルトの忠告通り、厄介な御仁だ。要はシュテッフェンス大将を外せば自分の力で第四軍集団の動きを封じる、そうしないのなら第四軍集団の問題に関与はしない、そういう事だろう。とはいえ、シュテッフェンス大将に敵が多いのも事実、周囲からの評価が極端に割れているのも事実、だ。だからこそルーゲンドルフ老はシュテッフェンスが征討総軍で軍集団司令官に就任することを認めたのだ。……このような事態に、シュテッフェンス憎しでルーゲンドルフ老の味方に付く者が出ることを期待して。ゾンネンフェルス退役元帥のいう事にも一理はあった。

 

(さて、どうしたものか……)

 

「ならシュテッフェンスは儂が貰おうかなぁ」

 

 言葉に詰まった私に代わってのんびりと口を挟んだのはアルトドルファー元帥だった。私に微笑みかけていたゾンネンフェルス退役元帥が一瞬言葉に詰まり、そしてアルトドルファー元帥に向き直る。

 

「……ほう。アルトドルファー元帥。それは……お勧めしませんな。シュテッフェンス大将は曲者ですよ?」

「構わん構わん。あれ位骨のある若者で無いと、老人が消えた地上軍は背負えんだろう。老人たちは腐っても屋台骨には違わんでのぉ。ま、シュテッフェンスがどれだけ厄介でもエメリッヒ=ルーゲンドルフやガイゼルバッハは超えんだろうて」

「しかし……」

「ゾンネンフェルス退役元帥。地上軍総監部は人手不足なのだ……。ルーゲンドルフが叛逆した今、ルーゲンドルフを気にせず使える大将は喉から手が出るほど欲しい。分かるであろう?なーに、ちょっと儂を手伝ってもらうだけの話よ。そう重要な事は任せんさ」

「……」

「……」

 

 ゾンネンフェルス退役元帥が困ったような笑みを浮かべてアルトドルファー元帥を見る。アルトドルファー元帥はのほほんとした表情のまま平然と見つめ返す。両名の気性か、外見か、態度か、声色か、何が為せる業かは分からないが、全く以って何の敵意を感じさせない二人のやり取りは、しかし粛軍後を見据えた巨頭同士の激しい鍔迫り合いであった。いくらゾンネンフェルス退役元帥がシュテッフェンス大将を嫌っていても、一応は同じ軍部改革派の人間だ。アルトドルファー元帥に取り込まれるのは避けたい。

 

「アルトドルファー元帥閣下、……粛軍後の人事についてですが第八は変わらず改革派、第四はある程度ゾンネンフェルス退役元帥閣下の顔を立ててください」

「……まぁ、当然だろうなぁ。第八はわざわざ弄る理由も無し、第四から功労者の意見を排する理由も無し」

「……ここが落としどころでしょう。ゾンネンフェルス退役元帥閣下」

「何でも構わんよ。……私はただアルトドルファー元帥が心配だっただけだ」

 

 二人の間に割って入ったのは私……ではない。そこまでの役者ではない。グリーセンベック上級大将だ。ゾンネンフェルス退役元帥とアルトドルファー元帥の政治家染みた小競り合いに対しいかにも「辟易だ」といった表情で割り込んで無理矢理押さえつける。そういう事が出来る胆力と能力と実績の持ち主が彼だ。家柄の無さはこの局面ではむしろプラスに働く。『茶番を茶番と言える人間は貴重だ』とラルフが言ったが、確かにそういう面で言えばグリーセンベック上級大将は軍部にとって貴重な人間だった。

 

「結構。……御二人共、あまりシュタイエルマルク大将を蔑ろにするようであれば、それも(・・・)小官が伝えます。良いですね」

「蔑ろになんてとんでもない話だ」

「あの狂犬の怒りは買いたくないのぉ……ああ勿論良い意味じゃよ?」

 

 グリーセンベック上級大将の言葉は双方に釘を刺した言葉だ。シュタイエルマルク大将が不在の内にその派閥のシュテッフェンスを追い落とそうとしたり、逆に取り込もうとしたり……多少の事はクルトも『不在の迷惑料』として譲るだろうが、やり過ぎればそれは後への禍根となる。『それも』というのは、「ここまではクルトも許容する」「ライヘンバッハ派も許容する」という意味を込めた上で、「これ以上は許さない」という意思を示している。ゾンネンフェルス退役元帥もアルトドルファー元帥も私と違ってクルトの事は侮っていない。真剣な表情でグリーセンベック上級大将の言葉に頷いた。

 

(……やりにくいな)

 

 ゾンネンフェルス退役元帥とアルトドルファー元帥は私より明確に格上の存在だ。敵対されるよりは遥かにマシとはいえ、近くに居られると動きにくくて適わない。ビュンシェ准将も気まずそうだ。だがこの二人は常に私とグリーセンベック上級大将の目が届く場所に置いておきたい。

 

「……グリーセンベック上級大将。少し外す」

「どちらへ?」

「長い戦いだ。休めるうちに休んでおきたい」

「承知しました」

 

 私は一度『名文帝の間』を離れることにした。と同時に、私は会議室の一つにバッハマン宇宙軍少将、オークレール地上軍准将、ビュンシェ宇宙軍准将、ブレンターノ宇宙軍准将、ハーゲン宇宙軍中佐、ブラームス近衛軍中佐、ハルトマン宇宙軍少佐ら戒厳司令部に居る腹心達を招集する。私が席を立った直後に、私に近い部下達が一斉に戒厳司令部を立ち去るのはあからさまではあるが、それでも両元帥の牽制にグリーセンベック上級大将を残した上で、腹心たちと話をしたかった。

 

 グリーセンベック上級大将はグリーセンベック上級大将で男爵家に仕える子飼いの部下や我が父から受け継いだ部下を大勢手元に置いている。短い時間ならグリーセンベック上級大将に戒厳司令部を任せても問題はないだろう。

 

「……始まったな」

「そうですな」

 

 私は会議室で他の腹心たちを待つ間、ヘンリクに話しかけた。

 

「……ヘンリク。どうだ?案ずるより産むがやすし、という奴だ。存外上手く行っただろう」

「閣僚の多数に逃れられていますが……」

「それでも想定した最悪の中じゃ、最高にマシな状況さ」

「御曹司、失礼を承知で確認させていただきます。それは逃避ではありますまいな?」

「……」

 

 ヘンリクが念を押すように問い掛ける。私は溜息を一つついて目線を逸らした。ヘンリクを含む父の代からの古参の部下達は『予備計画』に反対していた。……元々、先にあったのは帯剣貴族のクーデター計画だ。私はそれを阻止すべく、秘密裏にクルトに相談した。クーデター計画を『阻止』するのではなく粛軍に『活用』するべきだと提案してきたのはクルトだった。

 

 大胆な発想の転換だった。それだけで、無謀ともいえる計画だった。だがクーデター計画の詳細情報をクルトに流せば流す程、その無謀な計画は現実味を帯びていった。クルトが抜擢したカールスバート大佐は『大胆不敵』という言葉が似合う男でリーダーシップに溢れていた。その部下達は柔軟で熱意があり果断だった。足りないのは精度と人員だった。カールスバート大佐のチームは人間の判断力と対応能力を信じすぎている。放っておけば戦場の霧が彼等を破滅させるだろう。私はヘンリクとシュトローゼマンを呼び出し、カールスバート大佐のチームに合流するよう命じた。

 

 驚愕したのはヘンリクだ。私とクルトがクーデター計画阻止に動いているモノだと思っていたら、それを利用して軍部高官を根こそぎ粛清しようとしているのだ。驚かないはずがない。

 

「そう見えるかい?……そうかもね。私……粛軍派の中の相対的な基準では『悪くない』状況だ。もっと悪い状況をいくつも想定していたからね。だが……客観的に見ると、少々不味いかもしれない」

「……」

「だがルビコンは渡ってしまった。引き返すのも立ち止まるのも今は無しだ」

「……」

「ヘンリク、予備計画に反対していた君には悪い事をしていると思っている。付き合わせてすまない」

 

 私はヘンリクに目線を合わせて、それから深く頭を下げる。するとヘンリクは苦笑して答えた。

 

「微塵も悪いと思っていないのに謝らないで頂きたいですな」

「……いや君にとって本意ではないことに付き合わせて申し訳ないと思っているよ」

「御曹司は昔からそうです。ロンペルは貴方の贖罪を最期まで贖罪とは思わなかったでしょうし、ヴィーゼは別に貴方の謝罪を欲しがっては居なかった。ただ一方的に押し付けただけです。貴方の謝罪はいつだって貴方自身が筋を通す為の謝罪だ。相手を見ていない。……度し難いのはそうと分かっていて開き直っていることですな」

 

 ヘンリクはどこかぶっきらぼうに、呆れるように、私をそう評した。……私も当時は若かった。今の私ならば彼の指摘に思う所も、正直、ある。だが当時の私は反射的に否定しようとした。

 

「それは違う……!」

「違いませんよ。今だって謝る必要のない相手に謝っているんですから。結局の所、これは俺が選んだ道でもあるんです。謝罪は要りません」

 

 私の否定をヘンリクは受け流し、そう言って笑った。

 

「長い付き合いになりましたな、御曹司。……貴方が我儘なのは当に分かっていることです。貴方はこの国が割れようが、焼けようが、崩れ去ろうが、一切気にはしない。それはシュタイエルマルク大将も同じで、それ故に貴方方は本質的に機関の中ですら異端だ。しかし……シュタイエルマルク大将と貴方は似ているようで一点だけ違う。……貴方は今を生きているが、今を見ていない。歴史を見ている」

「……」

 

 その言葉はあまりに抽象的で私は返す言葉に困った。「歴史を見ている」とはどういう意味か、私は今でもよく分かっていない。

 

「俺は最初、『予備計画』が正気の沙汰とは思えなかった。あまりにリスクが大きいと。成功しても軍の権威秩序が崩壊すると。軍の権威秩序が崩壊すれば他の利権集団、特に諸侯を抑えられなくなると。下手をするとクーデター計画が引き起こす以上の混乱を政府に齎し、国を割ることになるかもしれないと。多くの民が焼かれることになるかもしれないと」

「……」

「その俺の主張に対する御曹司の反論に、俺の懸念を否定する要素は一切入っていなかった。貴方はこう言った『腐りきった帝国を立て直すためには大胆な外科治療が必要だ。腐った部分を切り捨てる位の大胆な治療が』……御曹司、気づいていない訳じゃ無いでしょう。それは御曹司が今切り捨てようとしている帯剣貴族達が奉じる大義と同じです」

「……確かにね。だが私は彼等とは違う。私は戦場以外の現実を知っている。少なくとも彼等よりは。そして私よりもっとそれに詳しい者達の言葉に耳を傾けられる。活用できる。上手くやれる」

「……」

 

 私の言葉を聞いたヘンリクはやや躊躇した後、意を決した様子で口を開いた。

 

「言わせてもらえるなら、御曹司。貴方は確かに彼等と違う。貴方は上手くやろうとしているが、上手くできなくても良いと割り切ってる」

「どういう意味だい?」

「計画の成否に拘っていない。貴方は『腐った部分を切り捨てる』のが自分の役目だと認識している。そこに対する責任には真摯に向き合っている。でもそこから先の『治療』は違う。自分の手で成し遂げたいという希望はあるが、それが失敗しても仕方ないと思っている。……今に真摯に責任を負っていない」

「……随分手厳しい評価だね。流石にそこまで言われるのは不本意だよ」

「申し訳ありません。……ただ、御曹司が歴史を見ているといったのはそういう意味です。……端的に言いましょう。シュタイエルマルク大将は今の人々へ責任を果たした結果、国が無くなっても仕方ないと考えている。貴方は今の人々より後世の人々への責任を果たすために国を無くそうとしている(・・・・・・・・・・)

 

 私はヘンリクの言葉に対し反論しようとするが、ヘンリクが手を振ってそれを遮った。

 

「ああ、分かっています。別に『銀河帝国』という名前と枠組みが残る事は許容されているんでしょう?でも貴方が許容できる『銀河帝国』。それはもう今の『銀河帝国』と別物だ。そこまでは分かる。俺にも、恐らくシュタイエルマルク大将にも。……御曹司そこから先を俺に教えてくれませんか?貴方に付き従うと決めた男に少しでも誠実でありたいと思っているなら、是非に」

「……『人類は一つで無ければならない』それは私の揺るぎない確信だ。だが、『人類は一つの国家で無ければならない』と、私はそうは思えない。どうしてもね。……私はどうしても国家を妥協の産物と捉えてしまう。『仕方なく』権力を与えないといけないのであれば、それは小さい方が良く、そして分立されるのが望ましい」

「……つまり三権分立の……貴族制度にしたいって事ですかい?」

 

 私は難しい顔をしながら吐き出されたヘンリクの言葉に思わず吹き出す。

 

「何でそんな話になるんだい!ようは統治組織を複数作ろう、そう言っているんだ」

「諸侯制度…じゃあありませんよね?連邦や同盟みたいな形にしたいって事ですかい?」

「ん~まあそんな感じだよ。……私自身も考えが纏まっている訳じゃないんだ。自由な世界を作りたいだけで、無法地帯を作りたい訳じゃないから、ね」

 

 私はヘンリクに対してそう語った。この当時、既に私の(というのも少々恥ずかしいが)「集団安全保障論」はその着想を得ていた。しかし、この時点ではただの妄想に過ぎず、この時代に適応させる方法論も全く思いついていなかった。

 

「分かりませんなぁ……。つまるところ、御曹司の目指す世界では『二足す二は四である』と言えるんですかい?」

「勿論」

「……うーん。まあそれだけ分かれば良いでしょう。今は納得しておきます」

 

 ヘンリクは首を傾げながらそう言う。ヘンリク・フォン・オークレール。ラテン系ゲルマン人――というか大体ラテン人――の帝国騎士である私の第一の忠臣は、こうして私の共犯者となった。私がこの日から背負う重い、重い十字架を、彼もまたその主観に置いては背負うこととなった。『私を止めなかった』という理由で。だが……その点についてのみ、私は謝らない、謝りたくない。それは彼を侮辱することになるだろうから。

 

(いずれ、どこかの『誰か』が今よりマシな世界を作ると分かっていても、それよりもさらに素晴らしい世界をこの手で作れる可能性が僅かでもあるとすれば、私はそれに挑戦したい。批判する者は居るだろう。『それがどうした』。私は人間で、これは私の人生で、そして世界は自由だ。物語に生き方を強制されるのは御免だ。『誰か』による救済を願って、惨めに苦しい人生を送るのは御免なんだ。……我儘で悪いね)

 

「柄にもなく喋り過ぎました。……それもこれも他の連中が遅いのが悪い。全く、何をやっているのやら……」

 

 ヘンリクがそう言った直後である。扉が激しくノックされた。「入れ」という私の言葉を聞かない内に扉が開け放たれる。そこに立つのはハルトマン少佐だった。

 

「アルベルト!端末で国営放送をつけろ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マルセル・フォン・シュトローゼマンはその光景を軍務省で見た。軍務省国防政策局訓練課員エルンスト・フォン・アイゼナッハ宇宙軍少佐の端末を借りて何度もアルベルト・フォン・ライヘンバッハへと連絡を試みながらである。自身の端末を含むアルベルトへの連絡経路を封じられていた彼に、残された唯一の希望は、今、潰えた。

 

「間に合わなかった、か」

「……」

 

 

 

 

 ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツはその光景を旗艦の作戦会議室で見た。『逆刃刀』シュミードリンは間抜け面を晒し、『不撓不屈』ホフマイスターは天を仰ぎ、『デットラインの傀儡師』グラッベ=フィラッハは笑みを凍り付かせ、『警備艦隊司令長官』カルナップは絶句し、『砲戦芸術家』ヒューベンタールは盛んに目をこする。……メルカッツの下に集う難物たちが一様に動揺を露わにした理由は彼等が眺める会議室のメインスクリーンにあった。

 

「こんな……こんな手段で君は約束を果たすのか?アルベルト……」

 

 

 

 ドミトリー・ワレンコフはその光景を自治領主公邸執務室で見た。そして動揺する補佐官には一瞥もくれず立ち上がりコートを羽織る。

 

「閣僚を招集しろ。帝国はたった今……崩壊した」

 

 

 

 

 アルベール・ミシャロンはその光景をリューベック第二宇宙港の自己所有の宇宙船で見た。一瞬黙祷を捧げるように目を閉じてうつむく。

 

「……アルベルトは失敗した。ラングストン、出してくれ」

「閣下……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白けた歓声が辺りを包む。群衆は暗黙の了解に従い『舞台』の上の人々に喝采を送っていたが、その表情には明らかに困惑と不安があった。ヨハン・ライヒハート一六世を名乗らされた青年はその『舞台』の上で呆けたように立っていた。正確に言えば、むせ返るような血の臭いに吐き気をこらえるのに必死ではある。ただそれ以外のどんな動作も億劫で出来なかった。

 

 大柄で、そして冷酷な男が近づき、彼に語り掛けた。その後ろには頭に包帯を巻いた線の細い男が立つ。

 

「ご苦労。次は三時間後だ」

「……」

 

 目の前の光景が信じられない。出来る事なら今すぐこの場から逃げ出したい、あるいは意識を手放してしまいたい。だが自分の肩には施設の職員たちの命が……そして息子の未来が掛かっている。

 

「……私を恨んでくれ。すまない」

 

 線の細い男が小声で囁く。先ほどまでは冷酷な男と同じく全くの無表情であったが、青年に語り掛ける瞬間、一瞬泣きそうな顔になる。

 

「……」

 

 冷酷な男は線の細い男を冷たく一瞥し立ち去る。入れ替わるようにして兵士たちが『舞台』に上がった。ある者は嫌悪感を隠さず、ある者は嬉しそうに、ある者は哀れむような表情で『後始末』に取り掛かった。ヨハン・ライヒハート一六世を名乗らされた男は呆然とその光景を眺める。選択の余地はなかった。彼がやったことは号令をかける事。見届ける事。ただそれだけだった。

 

 

「……疲れただろう。裏で少し休もう」

 

 線の細い男が青年を支えるようにしながら舞台の下へ連れて行く。

 

「次は」

 

 青年が掠れた声を出す。線の細い男が「どうした?」と耳を寄せた。

 

「次は、何人殺すんですか」

「………………予定では、八人だ」

「止めませんか。もう……」

 

 青年はそう言って泣き出す。線の細い男は崩れ落ちそうな青年の身体を支えつつ、「止める訳にはいかないんだ……すまない」と謝罪した。

 

「……ミュラー中佐。映像が流れ始めました」

「分かった」

 

 

 

 

 フェルディナント・ミュラーはその光景を全てが終わった処刑場で見た。ファビアン・フォン・ルーゲンドルフ退役元帥、クリストフ・フォン・バウエルバッハ宇宙軍元帥、ウィルヘルム・フォン・フィラッハ宇宙軍予備役上級大将、アルツール・フォン・シェーンベルク地上軍大将、ランドルフ・フォン・アスペルマイヤー技術大将、クリストフ・コールライン地上軍少将。以上六名に死刑判決が下され、そして刑が執行される映像を。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……




注釈35
 帝国の官僚機構は皇帝官房(府)・宰相府・国務省・内務省・軍務省・財務省・司法省・宮内省・典礼省・科学省の二府八省から構成され、各省庁のナンバーツーである副尚書級の職にある者までを閣僚と呼称する。

 皇帝官房官房長、宮内省侍従職部侍従長、枢密院議長、大審院長等も閣僚級ポストとされているが、一般的に閣僚という言葉が指す対象としてこれらは含まれない。対して、形式上は皇帝官房に属する宮廷書記官長は事務次官級ポストであるが、その役割の重要性から閣僚と同列視される。閣僚会議を初め、枢密院本会議、枢密顧問官会議、名士会議、大本営御前会議、統帥本部最高幕僚会議等、宮廷で開催される諸会議の『書記』を務め、皇帝に提出される官庁の殆どの書類に目を通す立場にあるからである。

 一方で宮廷書記官組織は定員わずか四二名、しかも全員各省庁からの出向職員で構成されている。さらに官房三課長経験者か各省庁内部部局筆頭課長経験者が出向するという不文律も存在している。当然ながら送り込まれる人員は各省庁の精鋭であると同時に、各省庁での栄達か、関係組織幹部への再就職が約束されている人物であり、元の省庁への帰属意識は強い。宮廷書記官長からすると扱いにくい者達だ。各省庁の情報を集約し皇帝に報告する、という宮廷書記官長の強力な権限は、このような組織としての脆弱性によって統制されているといえよう。

 結果として宮廷書記官長には組織内の統制と閣内の意思統一を図れる調整能力に秀でた高級官僚が任命されることになり、転じて閣僚の調停者たる宰相(及び国務尚書)か、貴族の調停者たる典礼尚書、またはその両方を目指す貴族にとっての登竜門とされることになった。

注釈36
 帝国の官僚機構は実に非効率的であった、と言うのが通説だ。その原因は建国初期に中央省庁を再編して緊急的に構築された体制をそのまま維持し続け、さらに必要に応じて官僚組織を増設し続けてきたことにあると言われる。銀河連邦が『スクラップ・アンド・ビルド』方式に拘った結果、官僚組織が情勢の悪化に対処する十分な能力を備えることが出来なかったという反省から、帝国には官僚組織の肥大化を肯定的に捉える土壌があった。

 『尚書制』という制度にも問題があった。尚書制は全権を持つ皇帝が手に負えない部分を臣下が代行する、という制度である。閣僚が各分野の行政を担い、その統括を筆頭閣僚が行う一般的な民主国家における内閣制度においても無駄が発生しない訳では無いが、帝国においては皇帝がまず全権を有している所から始まり、その一部を適時各尚書が代行するという形を取っている。これによって尚書同士の所掌事務が曖昧になり、また皇帝が臣下に事務を任せる過程でどの部署も担当しない隙間事務が生まれてしまった。内務省の自治領『統制』と国務省の自治領『行政指導』、国務省の貴族領『行政』評価と財務省の貴族領『財務』評価、典礼省の『貴族間』調停と国務省の『地方紛争』調停、内務省の情報出版統制と国務省の報道通信検閲などは省際事務の典型例と言える。

 さらに、皇帝を頂点に置く組織図故に、宰相ですら同輩中の首座でしなく、閣僚間が対等とされたことで対立が起きやすいという問題も抱えていた。この傾向は宰相が空座となり国務尚書が宰相代理を務めるようになり加速した。


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壮年期・「この日、オーディン戦勝記念広場で六つの人生と共に一つの時代が終わった」――D. Sinclair(宇宙暦780年12月10日~宇宙暦780年12月18日)

「歴史の変転と勝敗の帰趨は、ともに一瞬で決する。しかし、大部分の人間は、その一瞬の後姿を、遠い過去に向って眺めやるだけである。現在がその一瞬であると知る者は少なく、自らの手でその一瞬を未来に定める者はさらに少ない。しかも極めて残念なことに、より悪意を持つ者が、より強い意志を持って未来に対するケースが多いように思われるのだ」
         ――ダリル・シンクレア,ガンダルヴァ国際大学理事,歴史学部名誉教授

「だとするならば、780年のライヘンバッハ伯爵は相対的に善人だったと言えるだろうな」
         ――ゲオルグ・スチュアート・リヒター,
           公益社団法人特定機密管理・公開推進センター上席待遇客員研究員




 歴史上、ライヒハートの名を以って行われた処刑は二〇〇例強存在するが、その九割以上が宇宙暦三一六年から宇宙暦三二一年と宇宙暦三五一年から宇宙暦三五六年に集中している。

 

 『ライヒハート』による最初の処刑は宇宙暦三一六年にルートヴィヒ・エルンスト・シュトラッサー、オーギュスト・レーム、アンドレイ・スタルヒンら二七名の「恐ろしき陰謀家」に対して行われた。以後およそ五年間、間に悪名高い『劣悪遺伝子排除法』制定と議会の永久解散を挟みながら、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが自身の手で鉈をふるったこの粛清期において『ライヒハート』は多用された。

 

 尤も、この時期において『ライヒハート』の名は大して重要視されていなかった。そんなライヒハート一世が皇帝の処刑人として広く認知されたのは、宇宙暦三二一年の「共和国の至宝」アントワーヌ・シュフラン処刑によってだろう。シュフランが処刑された理由はただ一つ。「生きていることがルドルフの邪魔になる」。それだけだ。他の罪人と違い、シュフランには何の瑕疵も無く、罪状も無く、それらをでっち上げられてすらいなかった。徹頭徹尾、ルドルフが殺したいという理由だけで「万民の友人」「(法と道徳に次ぐ)第三の基準」「人類の良心」と呼ばれた男は断頭台に送られた。純然たる皇帝による殺人がそこにあった。それを誰も止められず、裁けないという事実は人々の心を打ちのめし、共和政の敗北を実感させた。その処刑を執り行ったのがヨハン・ライヒハート一世であった。シュフランの処刑を機にルドルフは鉈を置いたこともあり、人々にヨハン・ライヒハートの印象が強く残る事となった。

 

 後世、ある種の神格化の為にこの時期に行われた著名な処刑が『ライヒハート』の手によって行われたとされたが、実際の『ヨハン・ライヒハート一世』という人物は単にルドルフの狂信者の一人でしか無く、他の狂信者よりも早くルドルフと面識があったが故にいくつかの処刑を任されたに過ぎない。アントワーヌ・シュフランを殺したのが他の処刑人であれば、「皇帝陛下の」処刑人という称号は別の名前に冠されていたかもしれない。

 

 宇宙暦三五一年。「連邦主義者(フェデラリスト)の乱」に直面したジギスムント一世とノイエ・シュタウフェン大公は乱の鎮静化の為に打てる限りの手を打った。その一つが『ライヒハート』の聖域化だった。急遽用意した『ヨハン・ライヒハート二世』による共和主義者の首魁『ジャン=リュック・シュフラン』の処刑は露骨なまでに三二一年の処刑を模倣していた。余談だがこの『ヨハン・ライヒハート二世』はヨハン・ライヒハート一世にそっくりであったが一切血の繋がりがない一処刑人であり、一方『ジャン=リュック・シュフラン』はアントワーヌ・シュフランの孫であったが、それだけで「連邦主義者(フェデラリスト)の乱」とは一切関係のない人物だったと言われる。

 

 この処刑を皮切りにジギスムント一世とノイエ・シュタウフェン大公は『ライヒハート』の権威を盛んに宣伝し、体制を支持する民衆たちに『ライヒハート』で処刑された人間の家族や友人、果ては同郷の人間まで徹底して差別し、迫害し、断罪するように扇動した。今に至る『ライヒハート』の原型がこの時完成した。

 

 概ね宇宙暦三五三年後半以降、体制は『ライヒハート』による処刑を威圧手段として使う余裕を手に入れ、共和派民衆や罪人に対し司法取引を迫るようになった。国家に対する犯罪によって死ぬか、皇帝に対する犯罪によって死ぬか、という取引である。連座制の一部適用除外と組み合わせたこの取引は非常に成果を挙げたという。

 

 宇宙暦三五六年、「連邦主義者(フェデラリスト)の乱」の完全鎮圧が宣言されて以降、ジギスムント一世は務めて『ライヒハート』の使用を避けた。一連の乱を通じて流血の象徴となった『ライヒハート』を民衆の目から遠ざけたのだろう。「連邦主義者(フェデラリスト)の乱」で共和派は敗北したが、根絶することは結局できなかった。そして「連邦主義者(フェデラリスト)の乱」では帝国体制側も甚大な被害を受けた。ジギスムント一世はそれらの事実と共に、乱の存在自体を矮小化することを選んだ。

 

 その後、『ライヒハート』はいくつかのエピソード――痴愚帝による商人処刑や流血帝に命じられた『ライヒハート八世』による『ライヒハート七世』の処刑など――を挟みながら今へと受け継がれてきた。しかし、ジギスムント一世による聖域化によって、『ライヒハート』は銀河帝国皇帝自らの銃であり、縄であり、斧であり、剣であると定義され、『ライヒハート』による処刑は皇帝自らが銃や剣を使用して処刑を行うのと同義とされたことで、『ライヒハート』が実際に使用されるのは極々稀な場合となった。

 

 例を挙げると、宇宙暦七〇〇年代で『ライヒハート』の使用によって処刑されたのは化学兵器の研究を秘密裏に行った挙句、バイオハザードを起こして町を丸ごと一つ「殺した」フリードリヒ・ヴィーデナーと自身の特殊性癖(ディスモーフォフィリア)を隠さんとするあまり、革命的民主主義者武装同盟に軍事機密を片っ端から流し、二〇年に渡って革民同の活動を支援し続けていたトーマス・フォン・プデラーの二人だけである。

 

 宇宙暦五六三年に行われたアドルフ・シャンバーグの処刑、宇宙暦六四六年に行われたゴットリープ・フォン・インゴルシュタットの処刑、宇宙暦七三六年に行われたコルネリウス・フォン・ヴィレンシュタインの処刑、宇宙暦七六九年に行われたオットー・フォン・ブラウンシュヴァイクとその一派の処刑などはいずれも『ライヒハート』の使用が噂されたが結局軍務省、あるいは司法省による死刑執行という通常の形式で行われた。

 

 

 

 

 

 

 故に、その映像が銀河に齎した衝撃は計り知れないものがあった。その六人が『ライヒハート』で処刑されるのであれば、彼等と血縁関係にある者達は銀河帝国皇帝にとって最も憎むべき敵であるという事になる。……それはすなわち、『帯剣貴族』という集団そのものを銀河帝国皇帝は公敵と見做したという事である。ルーゲンドルフ公爵家やフィラッハ公爵家、バウエルバッハ伯爵家と血のつながりがない帯剣貴族を探す方が難しい。

 

 シェーンベルク大将が処刑されているのも衝撃的だ。シェーンベルク子爵家はあのリッテンハイム侯爵家に連なる家柄なのだ。となれば、『リッテンハイム侯爵家』も銀河帝国皇帝は公敵と見做すのであろうか。

 

 気になる前例があった。止血帝エーリッヒ二世は流血帝の治世下で『ライヒハート八世』が行った処刑を無効と宣言した。正確に言えば、『ライヒハート七世』が『ライヒハート八世』を僭称する人間に殺害された後、『ライヒハート』は空席になっており、改めて『ライヒハート八世』を止血帝エーリッヒ二世が任命する、という体裁を取った。『ライヒハート』の名が当人の死亡と共に次代に受け継がれる決まりとなっている以上、七世死亡前から八世を名乗っているのはおかしい、という論理だ。……尤も、そうだとしても七世の死後、八世が流血帝から正式に任命を受けている点は説明の仕様がないはずなのだが。

 

 とはいえ、この前例にならい、フリードリヒ四世が『ライヒハート一六世』を名乗る青年による処刑を無効とする可能性はあった。

 

 ……人々は困惑していた。ライヘンバッハ伯爵は正気なのか。こんなことをすれば帝国は崩壊しかねない。一体何を考えているのだろうか。そもそもこれは本当にライヘンバッハ伯爵の意思なのだろうか。あの『ライヒハート一六世』は本物なのだろうか。フリードリヒ四世とルートヴィヒ皇太子はライヘンバッハ伯爵を支持したのか……。この瞬間、全銀河が、私の一挙一足に注目していたといっても過言ではないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……自分たちが何をしたのか。分かっているのか?」

 

 私は務めて冷静さを保ちながら問い掛ける。正面のスクリーンには六つの顔が並ぶ。その中でもライヒハート記念収容所から戒厳司令部の通信に応答している男――セバスティアン・コーゼル宇宙軍大佐――が即座に反応した。

 

『人民と国家にとって必要な事を為した、ただそれだけの話です』

 

 その言葉にスクリーンのこちら側に立つ者達が一斉に激昂する。一際大きな声が左側のスクリーンから飛ぶ。処刑映像を見て慌てて戒厳司令部に直接通信を入れたブルクミュラー地上軍大将の声だ。

 

『ふざけるな!貴族軍人が全員叛乱を起こすぞ!』

『でしょうな。ですからライヘンバッハ大将閣下には重ねて第二次処刑の実行許可と貴族軍人全員の拘束命令をお願い致します』

『馬鹿を言うな!火に油を注ぐ気か』

『その通りです。この機に変革を受け容れない帯剣貴族共は燃やし尽くしてしましょう。そうすれば火は消えます』

「……何という」

 

 私の近くでビュンシェ准将が絶句する。少なくない者がビュンシェ准将と同じ反応を示し、それ以外の者は一斉にがなり立てた。喧騒の合間を縫うようにしてグリーセンベック上級大将の冷静な質問が飛ぶ。

 

「ゾンネンフェルス中将、貴官程の人間が何故こんな暴挙に及んだ?」

「そうだオトフリート……!こんなことは狂気の沙汰だ……」

 

 途方に暮れたような表情でゾンネンフェルス退役元帥が息子に語り掛ける。

 

『私は正気です。グリーセンベック上級大将閣下、父上。正気を失っているのは白薔薇ではない。貴方方だ』

「何だと!」

『いや失礼。正しくは「狂気に陥っている」ですね。貴方方の高潔な志は私も充分に理解している。私が殺そうとしている人間の中には貴方方と同等に惜しむべき者も居るでしょう。それも理解している。……ただ貴方方の発想はどこまでいっても「貴族」でしかない。その点で貴方方は正気で無いのだ。……我々「白薔薇党」が目指す世界に貴族は障害でしか無い』

 

 ゾンネンフェルス中将は嫌悪感を隠そうともせずそう言い放つ。今度は絶句する者の方が圧倒的に多かった。平民のコーゼル大佐が貴族を悪し様に言うことは想定の範囲内だが、ゾンネンフェルス中将の口からここまで直接的な貴族敵視の言葉が出るとは想定していなかったのだろう。

 

『単純な話です。私は人が人として生きることが出来る世界を作りたい。「課税」?「終戦」?それは枝葉の話です。もっと根本的に、私は一握りの人間がその人格と能力と努力からして相応しくない地位を占めるこの国の体制に問題を見出しています。貴方方自身は地位に相応しい器量をお持ちだが、他人……特に身分の低い者が相応の地位を得ることが出来ない現状に対しあまりに無頓着だ。貴方方は恥ずべきなのです。帝国国籍保持者三二〇億の一パーセント程でしかない支配階級の、さらに三分の一程度でしかない帯剣貴族を、貴方方は帝国国籍保持者の九七パーセントと「事実上の」帝国臣民二〇〇億、さらに銀河に散逸した一〇〇〇億とも言われる同胞よりも優先している。貴方方はそのおかしさに気付けていない』

 

 憐れみと嘲りが混ざったような口調でゾンネンフェルス中将は語る。「数の問題ではない!国を誰が支えているかという話だ!」即座に反論したのはブルクミュラー地上軍大将である。「急ぎ過ぎだ馬鹿者!」顔を顰めてブルッフ宇宙軍上級大将が吐き捨てる。「おかしいのは卿等だ……こんな蛮行を冒して『人らしく生きられる世界を』だと!?」メクリンゲン=ライヘンバッハ地上軍大将は悲痛な表情だ。「卿等は自らの行動で、老人達が軽々に平民を引き立てなかったのが正しいと証明したのだ」ゼーネフェルダー中将は厳かに諭す。「坑道から金を採掘するのと河原から砂金を探すのでは効率が違う。高貴なる者が居ることではなく、高貴なる者が、自身が高貴である理由(ノブレス・オブリージュ)を忘れることに問題があるのだ」グリーセンベック上級大将は必死に語り掛けた。

 

『何と言われようが、我々「白薔薇党」は考えを変えることはありません。……むしろ貴方方は数日の内に我々の正しさをその目で確認することになるはずだ。高貴なる者とやらが実際はどれほどのものだったのか、それを見れば貴方方も少しは啓蒙されることでしょう』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宇宙暦七八〇年一二月一二日。帯剣貴族集団によるクーデター計画。それに便乗する形でアルベルト・フォン・ライヘンバッハ率いる粛軍派が決起した。……クルト・フォン・シュタイエルマルクの薫陶厚い、身分と階級の低い軍人たちは皆白薔薇のブローチを身に着けてこれに参加する。「白薔薇党」、そう名乗った彼等の「計画された暴走」によって事態は私の想定を遥かに超えて進展する。

 

「戒厳司令部を新無憂宮に移す。事ここに至っては皇帝陛下を戦火に巻き込む危険性があっても国家の最高意思決定機関を我々の最高責任者……つまり私が掌握する必要がある」

 

 最初に私が打ち出した決定は迅速に遂行された。皇室宮殿(パラスト・ローヤル)から新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)皇宮警察本部への司令部移転作業が急ピッチで進められると共に、私を含む粛軍派上層部は先んじて皇宮警察本部へと移動する。

 

「市内で『白薔薇党』による貴族将校への私刑が始まっています。早急に辞めさせなければなりません」

「分かっている。オークレール准将とブレンターノ准将が対応にあたる。人員のスクリーニング中だ。『白薔薇』シンパが居たら大変だからな」

「御当主様、『白薔薇党』による通信妨害の一部解除に成功しました」

「シュターデンに繋がるか?」

「お待ちを……不安定ですが何とか」

「よし、あの理屈倒れに繋げろ!」

 

 私はやや八つ当たり気味にそう命令する。『白薔薇党』による処刑は、当然ながらライヒハート記念収容所への人員輸送が滞りなく行われなければ成り立たなかった。私は拘束したルーゲンドルフ退役元帥らをライヒハート記念収容所に連れていけなどとは一言も命令していない。第一派部隊として帝都を制圧し、人員を拘束した赤色胸甲騎兵艦隊陸戦軍の指揮権は艦隊司令部作戦主任参謀と陸戦軍特務主任参謀を兼務するシュターデン宇宙軍少将が事実上掌握していた。その時の私の視点からすると、彼が『白薔薇党』の一員である可能性が非常に高かった。

 

『このような事になり、本当に申し開きの仕様もございません……。司令官閣下……このシュターデン、一生の不覚でございます。この身を以って罪を償わせていただきたく思う所存です。御免!』

「おい馬鹿、待て!」

『止めないか!少将!』

『放せ!放してくれ!私はこのような蛮行に加担してしまったという事実に耐えられないのだ!こうあっては最早死を以って我が罪を同胞達に償い、帯剣貴族としての誇りを僅かながらでも示すしか……』

「止めろシュターデン少将!まずは説明を、説明をしたまえ!」

 

 通信が繋がるなりシュターデン少将はそう言ってブラスターを抜き放ち自分の頭に向けて発砲しようとする。隣に立つバルヒェット大佐が止めようとするがシュターデン少将は「死なせてくれ」と喚き散らして暴れる。

 

『仕方ない……』

『グ……』

『誰かシュターデン少将を医務室へ。彼は錯乱している。ふんじばって口に詰め物……。いや、タンクベットに叩きこんで眠らせておけ!』

 

 手に負えないと判断したバルヒェット大佐が鳩尾に拳を叩きこんだ。シュターデン少将がゆっくりと崩れ落ちた。恐らくシュターデン少将の名誉への配慮だろう。罪人のように縛り上げるのではなく、意識を失わせることにしたようだ。

 

『……失礼しました閣下。シュターデン少将閣下も閣下に直接経緯を説明し、裁きを受けたいと言っていたのですが……』

「いや、よくシュターデン少将を止めてくれた。……ところで何故卿がシュターデン少将と一緒に居るのだ?」

『帝都制圧部隊の中で良からぬ動きがあり、小官もヴァーゲンザイル少佐に拘束されそうになりました。何とか虎口は脱したのですが、その後シュターデン少将に真意を問いただそうと独自に動いておりました。……結果はご覧の有様です。力及ばず、「白薔薇」共の蛮行を許してしまいました』

「そうか……」

 

 バルヒェット大佐は無念そうにそう言った。

 

『シュトローゼマン准将閣下から何か聞いていませんか?』

「『白薔薇』の通信妨害が行われていた。アイゼナッハ中佐の端末で警告を飛ばしてくれていたみたいだが……それを活用することは出来なかった。……私の不徳だ」

『……小官も、シュトローゼマン准将も完全に欺かれました。シュターデン少将もです。彼は「白薔薇」について何も知りませんでした。黒幕はゾンネンフェルス中将です』

「みたいだな。……最悪だ。現在衛星軌道上を抑える赤色胸甲騎兵艦隊はゾンネンフェルス中将に掌握されている。参謀長ディッケル少将他、『白薔薇』への加担を拒否した人間は拘束しているそうだ。……利害的に『白薔薇』が粛軍の妨害をすることはあり得ない、とはいえ『白薔薇』に我々の生命線を握られているのは最悪だよ」

『ゾンネンフェルス中将が「白薔薇党」の一員でも、配下の将校、兵士は今も閣下に忠誠を誓っている筈だ。閣下が直接呼びかければ赤色は閣下の統制下に戻るはずです』

「そうだな。……だがそれは出来ない。少なくとも今の段階において、我々に『白薔薇党』との対立、粛清を選ぶことは出来ない。粛軍派の実働部隊の約四割が『白薔薇党』のメンバーによって掌握されていると予測される。『白薔薇党』と対立すれば、これらの部隊は敵に回るかもしれないし、最低でも指揮官不在になる』

『しかし……』

 

 私はそこで不服そうなバルヒェット大佐の発言を遮って続けた。

 

「もっと大事な事がある。『白薔薇党』を否定すれば、ライヒハートでの処刑も否定されることになるという事だ。ライヒハートでの処刑が否定されれば、誰かがあの六人を『間違って』殺した責任を負わなければならない。ゾンネンフェルス中将達の首で解決する問題だと思うかい?……処刑の正当性を否定したら連鎖的に粛軍の正当性が揺らぐよ」

『待ってください!ということは、ライヒハートでの処刑を粛軍派の意思であったと言われるおつもりですか?それは駄目だ!軍と貴族階級からの支持を失います!』

「バルヒェット大佐。そんなことは分かっている。だが望むと望まざるとに関わらず、既に外部から見たらあの処刑は不自然な点はあれど粛軍派の……アルベルト・フォン・ライヘンバッハの命令で行われたものなんだよ」

『……今からでも「白薔薇」の首謀者を裁くべきです。粛軍の正当性は揺らぐかもしれませんし、配下の暴走を許したことについて批判はあるでしょう。結局、黒幕は閣下では無いかという疑義も残るかもしれません。それでも、反粛軍派との「落としどころ」を作るべきです。このままだと我々は軍の大半を敵に回して内戦を行うことになります』

「……そういう意見は、実の所上層部でも根強い。ただ粛軍派の実働戦力が『白薔薇党』に頼る所が大きいことと、帝星全域の制圧が終わっていないことから、今すぐの『白薔薇党』粛清にはどうしても踏み切れない」

『しかし!』

「バルヒェット大佐。赤色胸甲騎兵艦隊陸戦軍特務主任参謀に卿を任命する。『白薔薇党』を追認するにせよ、排除するにせよ、その兵力を削ぐ必要がある。シュターデン少将は欺かれていた。で、ある以上、指揮下の陸戦部隊も『白薔薇党』に掌握されておらず、欺かれて協力させられている部隊も多いはずだ。帝都に展開する陸戦部隊を戒厳司令部の指揮下に戻してほしい。ただし、我々が『白薔薇党』を制御出来ていない事は絶対に漏らすな。忘れてはならないが、我々は『白薔薇党』と同等かそれ以上に厄介な抵抗勢力をいくつも抱えている。準備なく、内輪もめをすれば我々は破滅する」

『御命令は謹んでお受けいたします。ですが閣下!これは叛乱です!看過しては帝国の威光は失墜します!平民共が最早貴族(われわれ)に従わなくなる。今すぐにでも粛清するべきだ……』

「バルヒェット大佐。貴官の意見は覚えておく。自分の為すべきことを為せ」

『閣下!』

 

 バルヒェット大佐との通信を終えた私は頭の中を整理する。

 

 

 

 

 先行きは著しく不透明だ。法治国家ではなく人治国家たる帝国においても、暗黙のルールは存在している。白薔薇党はあまりにも無作法に、無遠慮に、無神経に、六名の命を奪った。暗黙のルールの枠組みの中で生きる人間にとって衝撃的な行動だ。自由惑星同盟で例えれば官憲が無抵抗の市民を道端で射殺するが如き愚行、あるいは失政を行った政治家を大衆で撲殺するが如き蛮行だ。少なくとも貴族階級にとっては。

 

 粛軍派上層部の動揺は著しい。ただし、離反の動きは今の所ない。既に「共犯者」である以上、私の首を差し出した所で彼等もただでは済まないからだろう。当面は私に白薔薇を粛清させようとするか、皇帝陛下から勅旨を引き出し処刑を正当化しようとするはずだ。比率的には前者が八、後者が二程度か。とはいえ、どちらの選択肢も採れないまま無為に時間が過ぎれば、私に可能な限りの責任を被せて保身を図るだろう。それでも自裁は免れ得ないだろうが、家を残せる可能性はある。そして一人がそういう動きを見せれば、他の人間も雪崩を打って私を見捨てる。

 

 どちらの選択肢を採用するか。粛軍派上層部の大半は白薔薇を粛清するべきと考えている。理由はバルヒェットと概ね同じだ。一方、ゾンネンフェルス元帥とグリーセンベック上級大将ら数名は処刑の正当化を主張している。私がバルヒェットに説明した理由に加え、グリーセンベック上級大将は「既に結果は変わらない」として処刑の正当性を揺らがせるべきではないと主張している。彼に言わせれば、「今更白薔薇を粛清しても貴族階級の不信感は拭い去れない。反抗する者は反抗する。であるならば、みすみすそのような者達に反粛軍の大義名分を与えてやる必要はない」らしい。

 

 確かに、白薔薇の非を認める方が反旗を翻す者を増やすという意見には一理ある。重要な事実として、我々が首都と皇帝と皇太子を握っていることを忘れてはいけない。なるほど、感情を度外視して政治の論理で考えればグリーセンベック上級大将の言う事は正しい。今からでも皇帝の支持を得て、「あれは皇帝の意思による正当な処刑だ」と言ってしまえば公人である貴族たちが反旗を翻すのは難しくなる。

 

 「前例に倣えばルーゲンドルフやフィラッハを族滅することになる!そんなことできるか!」とブルクミュラー大将が怒鳴ったが、「馬鹿正直にそこまでする必要はない!そんな『道理』と『慣例』は有耶無耶にしてしまえ!」とグリーセンベック上級大将も一歩も引かない。「あの無法者を容認するのか!?」とクナップシュタイン少将が発言すると、「『裏』でケジメはつけさせる。何も表立ってやる必要はない」とゾンネンフェルス元帥が応じる。「帝国軍の鼎の軽重が問われるぞ!」「貴方は自分に火の粉が降り注ぐのを恐れているだけじゃないのか!」「馬鹿を言うな!貴官らは冷静さを欠いている。白薔薇共を殺せば解決する問題か!」……etc.

 

 議論は皇宮警察本部への移動によって一度中断された。結論は出ていない。私自身はグリーセンベック上級大将の言う事に説得力を感じていたが、厳正なる対応を求める多数派の意見も間違っていると切り捨てることは出来ない。これは最早直感の域の話になってくるが、こんなことを許してしまえばきっと取り返しのつかないことになる。私はそう確信していた。理性はグリーセンベック上級大将に傾き、感情は実現不可能な『中庸』を志向し、そして直感が大音量で警告を発する。

 

「……」

 

 亡き父カール・ハインリヒとシュタイエルマルク退役元帥に語った通り、結局の所、私は欲深い人間なのだろう。故に、事が自分の思想信条に関わると、理論も感情も全て抜きにして『最善』を尽くす。独善と言われようが知ったことでは無い。それは何故か。不本意ではあるが……突き詰めると、結局それが自分にとって「快」であり、「利益」であるから私は命を賭けたのだろう。……俗っぽい言い回しになるが、今回の白薔薇党の動きはどう転ぼうが私へ「快」を齎すことは無い。この流血は不快でしかない。だから私は、この局面で著しく指導力を欠いた。いつものような『独善』とも批判されるような『最善』を見出せなかったからだ。

 

 しかし私は精力的に動いてはいた。それは一種の逃避でもあったかもしれない。白薔薇党の暴走によって綻んだ計画を修正する。自分の手持ちの資源を適切に分配し、信頼できる人材に管理させ、足りない部分は八方手を尽くして補った。今から振り返ってもあの期間ほど勤労に励んだことはなく、そしてあの期間ほど的確な判断と正確な事務処理を行えたことは無かったように思える。……最上段階の戦略判断を保留したままでなければ、誇れることだっただろう。

 

 この時も私は結局「白薔薇党を粛清するか」「皇帝から支持を得て処刑を正当化するか」の二択を棚上げして、より下位の事案の処理に取り掛かった。私はノームブルク大将を呼び出す。

 

「ノームブルク大将。卿の艦隊をヴァルハラへ呼ぶことは出来ますか?」

「……申し訳ありませんが、それは難しいかと存じます」

「貴官でも無理ですか?旧ブラウンシュヴァイク派ならば白薔薇党が知らない秘密の連絡手段の一つや二つ、お持ちでないかと思ったのですが……」

 

 白薔薇派による通信統制は厳重だ。帝都に存在する送受信施設の全てを白薔薇党が掌握している訳ではない。しかし、衛星軌道上に存在する通信衛星は白薔薇党が完全に抑えている。なおかつ、軍務省の機密通信網を始めとする衛星を経由しない惑星間超光速通信設備は、完全に白薔薇党が掌握しているものとみられる。白薔薇党は今の時点において敵ではない。その為我々も通信網を使用することは出来ているが、白薔薇党に不利な通信に関しては厳重な規制が掛かっている状態だ。

 

「我々は常に粛清の危機に晒されてまいりました。……旧ブラウンシュヴァイク派が掌握していた連絡手段、という事は叛徒となった者達が知る連絡手段という事です。私が知る限りの連絡手段は全て憲兵隊に差し出しました」

「そうですか……」

「……それと閣下。ヴェルフ、ジークフリート・テクノロジーズ、ザクセン信用保険会社、ヴェルフ・サイエンスの四社が我々への支援を考え直したいと……」

 

 ノームブルク大将を粛軍派に引き込んだのは彼が持つ旧ブラウンシュヴァイク派への影響力を見込んでの事だ。そしてノームブルク大将を通じて財界における粛軍派のパートナーとして選んだのが、旧ブランズウィック・グループの諸企業であった。七六九年の粛清で彼等はその資本の七六%を失った。支店、研究施設、工場、輸送船、株式、鉱山、在庫品、土地……その大半はルーゲ公爵らによって国営企業及び、官僚貴族系特権企業に分割された。しかし、一部は当時のリューデリッツ派が押さえ、軍内部での支持基盤の整備に用いられた。

 

 リューデリッツの失脚後、その派閥は空中分解した後、シュタイエルマルク元帥を旗頭に据えて規模を縮小させながら再編された。しかしシュタイエルマルク元帥はリューデリッツ派の保有する資産の継承に対しては興味が無かった。多くの資産はライヘンバッハ派……特にコルネリアス老ら地上軍上層部へと流れた。私は旧ブランズウィック・グループにその返還を条件に粛軍派の支持を求めた。直接的には資金提供であるが、将来的に終戦へと国の方向性を変えていく際に財界において軍需産業の抵抗を排する『戦力』が必要だった。私を支持する新興企業や共同戦線を張るワレンコフ系フェザーン企業だけでは心もとなかった。

 

「何!……まあそうなるか……ノームブルク大将、率直に見解を聞かせてください。彼等旧ブランズウィック・グループ残党と交渉の余地はあると思いますか?」

「……分かりません」

 

 旧ブランズウィック・グループの支援は本来それ程重要では無かった。どちらかといえば将来への布石としての意味合いが大きかった。しかし、「白薔薇党」の暴走で事情が変わった。軍需産業内部でもシェア争いがあり、改革路線だからこそ得られる利益を提示すれば、軍の運営に支障が出ない程度の支持派を獲得できる見込みはあったのだ。だがライヒハートは不味い。軍需産業の幹部には帯剣貴族も多い、つまり、ライヒハートで殺された六人と血の繋がりがある者も少なくない。帯剣貴族と関わりのある軍需産業の支持を得られる見込みが一切無くなったと言っても良いだろう。財界全体を見ても、大貴族を嬉々としてライヒハートへ送り込んだ私に支持を表明する企業があるとは思えない。旧ブランズウィック・グループの支援は一気に生命線の一つへと変わってしまった。

 

「ヴェルフ・サイエンスのフォン・プレスブルク社長はオーディンに居ますよね?ノームブルク大将、彼に直接会って私の伝言を伝えてください。……言うまでも無いとは思いますが、大将。貴官は既に引き返せない場所に居ます。仮にオッペンハイマーの如くなりふり構わず保身に走っても、絶対に命脈を保つことはできません。私が成功しなければ、貴官は……」

「分かっています。……ただのメッセンジャーではなく、死ぬ気で財界の旧ブラウンシュヴァイク派を説得しろ、という事ですね。お任せを。……それで伝言とは?」

「アドルフ・カーボン・テクノロジーとスツーカの処遇をお任せします。その他にもルーゲンドルフが握っていた軍需産業の権益の多くを貴方方にお譲りしたいと、そうお伝えください」

「!……宜しいのですか?」

「宜しくはないです。ですが仕方ない……。粛軍派上層部は何とか説得します」

 

 「分かりました」といってノームブルク大将が踵を返す、私はそこであることを思い出しノームブルク大将を呼び止めた。

 

「待ってください!……確かプレスブルク社長の孫が幼年学校に居ましたよね?彼の出世……」

 

 私はそこで自分の考えの卑劣さにはたと気づき顔を顰める。ノームブルク大将は怪訝そうだ。

 

「閣下?」

「いや……プレスブルク社長のお孫さんだが、大変勇気のある人物だと聞き及んでいます。私は彼を未来の正規艦隊司令官にと大いに期待して、優先的にチャンスを与えようと考えています」

「……」

「貴官の艦隊で面倒を見てもらうことになるかもしれません。それを言いたかっただけです」

 

 ノームブルク大将は私が最初何を言おうとしたか――つまり、孫の軍歴を人質にしようとした――察した様子だが、何も言わずに「承りました」と頷き、私の前を立ち去った。

 

「閣下。少し休まれては如何ですか?」

「そんな暇はない」

「だとしても、閣下は冷静さを失いかけています。閣下が先程口にしようとした事は、閣下が破滅すれば意味の無い脅しです。……と、いうよりも、ノームブルク大将がここに居る時点でプレスブルク社長がどう動こうが、閣下が破滅すればお孫さんの軍歴は閉ざされるでしょう」

「分かっている。だが私が成功すれば……」

 

 私はそこで気づき溜息をついた。ヘンリクの言う通りだった。言う必要のない事を私は言おうとした。プレスブルク社長が孫の出世の為に私を支援するような人間であれば、私が脅すまでもなく彼は孫の軍歴の為に私の支援に動く。どの道私が破滅すればノームブルク大将の失脚と共に孫の出世の道も閉ざされるのだから。

 

 というかそもそもの話、いくら馬鹿な領地貴族でも孫の出世程度で私を支持するかの判断を左右するとは思えない。

 

「確かに、少し疲れているかもしれないな……。もう夜も遅いか」

「はい」

「……だが今休むのは流石に怖い。タンクベットで三〇分寝てくる。それで良いか?」

「怖くても普通に休む、それも将の器量かと」

「……分かった。だが何かあればすぐに起こしてくれ。どんな些細な出来事でも、だ」

「お任せください」

「……ああ、忘れていた。メクリンゲン=ライヘンバッハ大将に帝都への進軍を早めるように伝えなくては……」

「閣下、それは先程電文で伝えました」

「そうか……そうだった。……いけないな。ヘンリク、後私は何をやる必要がある?」

「閣下。まずはお休みください。それが今やるべきことです」

「……」

 

 私は結局ヘンリクの勧めを容れて、仮眠を取ることにした。……しかし、四時間もしない内に申し訳そうな顔をしたヘンリクに叩き起こされることになる。

 

 宇宙暦七八〇年一二月一三日早朝。リューベック藩王国で軍部によるクーデター発生。元リューベック国防軍大将チェニェク・ヤマモトを政府首班とし、リューベック共和国の建国が宣言された。藩王セオドア・ロールストン以下政府首脳陣は拘束、反国家的行為を理由に処刑された。共和国政府は布告第六号で国務長官アルベール・ミシャロン、内務長官代行アルフレッド・ルノー、国防軍第一艦隊司令官マイルズ・ラングストンら八名の拘束命令を公示した。また、帝国との断交を一方的に宣言した。

 

 そして、それは最初の爆発でしか無かった。リューベックを皮切りに、帝国各地で燻っていた火種が一斉に燃え広がり、激しい爆発を連鎖して引き起こすことになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は精力的に活動した。主敵たる帯剣貴族の動きを迅速に封じると共に、本来は中立と見做されていた帝都防衛軍や第二、第九、第一〇軍集団といった各部隊に新たに適切な備えをする。

 

 一二月一三日から一五日にかけて軌道軍集団がオーディン中央大陸の主たる軍港を占拠し、大洋艦隊を無力化する。同時に東方艦隊司令官ヴァルテンベルク地上軍中将を迅速に拘束、西方艦隊司令官レーマーバーグ地上軍中将――機関の調べによると同性愛者――に『要請』して東方艦隊司令官を兼務させた上で粛軍派を支持させ、殆ど粛軍支持派が居ないオーディン西大陸を海上封鎖させた。これによってオーディン中央大陸において粛軍派と反粛軍派の均衡が成立し、北大陸における優勢が確定した。

 

 事前計画に沿って、第一軍集団のヴァルトハイム大将ら要注意人物の身柄拘束も進める。帝都及びメルクリウス市の軍機関に勤務する高官の多くは、帯剣貴族による領地貴族排斥のクーデター計画を隠れ蓑にする形で拘束が可能であった。しかし、帝星各地に点在する地上部隊司令部に勤務する軍部高官に対しては、帝都中心部を制圧した上で改めて対処する必要がある。帝都中心部と違って、彼等に警戒されず予め拘束部隊を配置する事が出来ないからだ。

 

 一二月一三日。ブレーメン州バート・オレンハイムに置かれた第一二軍集団司令部に宇宙軍特別警察隊第一司令部――憲兵総監部第一野戦憲兵旅団第二・第六憲兵大隊及び征討総軍中央軍集団第一機動軍第一機動連隊で構成――が強制捜査を開始する。エメリッヒ=ルーゲンドルフ地上軍大将以下、ルーゲンドルフ公爵家と縁深い者で固められた第一二軍集団は特警隊第一司令部の受け入れを拒否。特警隊は第一二軍集団を一種の「見せしめ」とする意図もあり、司令部ビルへの突入を敢行する。この結果、司令部隷下警備大隊との間に激しい銃撃戦が起こる。特警隊と第一二軍集団の双方に犠牲者を出し、エメリッヒ=ルーゲンドルフ大将ら高官を含む司令部要員も特警隊へ最後まで抵抗した結果、半数以上が命を落とした。尚、エメリッヒ=ルーゲンドルフ大将も自決を図ったが搬送先の病院で一命を取り留めた。……表現としては取り留め「させられた」の方が良いかもしれない。

 

 同日中にエメリッヒ=ルーゲンドルフ大将と同じく、指揮下部隊の動員を図っていた地上軍の将校七名に出頭命令が下ると共に、水面下で二〇名前後の将官クラスに戒厳司令部からの『警告』が行われた。

 

 第一二軍集団司令部の制圧が完了したと知らせを聞いてすぐ、私は新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)に参内した。戒厳令の布告は皇帝の専権であるが、緊急措置として閣僚首座(原則は宰相だが空座の際は国務尚書)には行政戒厳権が、軍政の責任者(原則として軍務尚書)に軍事戒厳権が認められている。どちらも大帝勅令集第一編に規定された戒厳令の一部または全部を一定の範囲に適用する権限だ。しかし、戒厳令を完全かつ全領土に適用するには皇帝陛下の詔勅が必要になってくる。

 

「やったなライヘンバッハ伯爵」

「……」

新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)の老人共が青くなったり赤くなったり。いやはや、珍しい物を見せて貰った」

 

 皇帝フリードリヒ四世は呆れたような表情で私を見る。……そして私も恐らく同じような表情でフリードリヒを見ていた。

 

「……畏れながら陛下。何故……アルトナー子爵令嬢を御傍に?」

「御機嫌よう。ライヘンバッハ伯爵閣下」

 

 玉座に座るフリードリヒの膝の上にはシュザンナ・フォン・アルトナー子爵令嬢が座っていた。純真無垢という言葉がこれほどなく似合う、花咲くような微笑みを浮かべ、彼女は私を真っすぐに見つめていた。今この帝都と、フリードリヒ、そして私が置かれている状況を考えると不釣り合いなほどに穏やかな、幸せそうな様子である。

 

 私は「久しゅうございますな、アルトナー子爵令嬢。御壮健そうで何より」と笑みを――恐らくはぎこちない――浮かべ答えた。そしてその表情のままフリードリヒに目線を合せる。フリードリヒは少し黙り込み、それからゆっくりと私から目を逸らす

 

「……まあ聞け」

「はい」

「余がこうしている原因は卿にある。故に卿には、今余に苦言を呈する資格はない」

「……ほう」

「卿のせいでラムスドルフが近衛を連れてルートヴィヒの所に居るでな。今の後宮は無法地帯よ。これは非常措置なのだ」

 

 そこまで言ってフリードリヒは「シュザンナ、余が良いと言うまで耳を塞いでいなさい」と囁く。シュザンナ嬢は不服そうな表情だったが、さらにフリードリヒが一言二言囁くと顔を紅くして耳を塞いだ。

 

「仲が宜しいようで。ええ、クリスティーネ様も安心するでしょう」

「安心は出来んだろうな……。実子の『病死』など気にも留めず少女と戯れているような父を見て、安心できる娘はおるまい」

「……何ですって?」

「エレーナが死んだ。昨晩遅くの事らしい」

「!」

「正直、片手で数えられる程度しか会ったことない『娘』だ。悲しいか、と聞かれると何とも、な。だが……父と子を相次いで失って悲しんでいるパウラは見てられん」

 

 フリードリヒは力なく笑う。フリードリヒの後継者はほぼ皇太子ルートヴィヒで確定であり、ルートヴィヒに不慮の事態が発生してもカスパーという『スペア』――貴族たちの言い回しを借りた――が居る。とはいえそれは危うい均衡の上での「確定」であり、貴族たちは「万が一」に備え自分の娘や妹をフリードリヒの後宮へ送り込んだ。ルートヴィヒの正室が貴族同士の激しい対立によって遅々として決まらないこともその動きを促進した。貴族の中にはルートヴィヒ・カスパーの系統が断絶することをほぼ確信して「その次」を狙う者もいれば、ルートヴィヒが本来後ろ盾となり得るクロプシュトック・リッテンハイムと距離を置いていることからそれに取って代わる事を狙って側近となる「弟」や「妹婿」を作ろうと画策する者も居たのだ。

 

 パウラ・フランツィスカ・フォン・ルーゲンドルフはそのような経緯からフリードリヒの第五夫人として後宮に送り込まれたルーゲンドルフ公爵――私が死地へと追いやる事となった地上軍のフィクサー――の末娘である。エレーナ・フォン・ゴールデンバウムはそんな彼女とフリードリヒの間に去年生まれた娘であった。……後ろ盾は勿論ルーゲンドルフ公爵、そして地上軍に影響力を持つ帯剣貴族達だ。 

 

「今朝、その知らせを受け取るまで、余はお前に『好きにしろ』と言うつもりだった。だが……愚かな余でも経験に学ぶこと位は出来る。パウラのように嘆き悲しむ娘たちは見たくないのだ。あまり苦しめんでくれ。……エレーナが死んだ時も、ルーゲンドルフ公爵が死んだ時も、シュザンナの下に居たような男が言える言葉では無いだろうが、な」

「……申し訳ございません」

「卿に原因はあれど、責任は無い話だがな。……そう、エレーナの死に責任を持つ者は今ものうのうと生き永らえている。今の後宮は殺人者が徘徊しているのだ。……余の妻たちは皆後ろ盾を有し、命がけで守ってくれる従者たちを有している。だがシュザンナを守れるのは余だけだ。ラムスドルフが帰ってくるまではな」

 

 皇帝フリードリヒ四世はどこか空虚な表情で私にそう言った。……フリードリヒ四世の一五名の子供はカール(エッシェンバッハ伯爵)、ビーネ(第四皇女)、リヒャルト(第三皇子)、コルネリア(第五皇女)、そしてエレーナ(第七皇女)と既に三分の一が亡くなっている。流産した三回を合わせれば生存率はほぼ五〇%と言って良い。信じられない低確率……と言いたい所だが、実際「皇帝」にとっては珍しくない。

 

 フレデリック・ハーバーサイド――編注、ローザンヌ国立大学人文学部准教授――の近年の研究によると、ルドルフ大帝からカスパー二世までを対象として統計を取った場合、皇子の成人までの生存率は四二%、皇女の成人までの生存率は六一%、足して平均すると五二%となるそうだ。(尤も、成人前の臣籍降下を死亡に合算したデータであり、流産・死産に関しては詳細な資料が残る一二名の皇帝から平均を出して推計を行っていることから、正確性に疑義は呈されているが)

 

「……陛下。臣は一刻も早く、この帝国と陛下の御宸襟に安寧を齎したく存じます。是非、臣に御命を頂ければ、陛下を苦しめるあらゆる敵を臣が討ち果たしてみせましょう」

「……選択の余地はなかろうて。卿が余を害するとも思わんが、余が思い通りにならなければ『必要な程度』『必要な措置』を行う事を卿は躊躇わんだろう。……だがライヘンバッハ。分かっていると思うが余は家族の事についてだけは、卿を特別扱いする気はない。……意味は分かるな」

「宰相皇太子殿下、次官皇子殿下を始めとする皇族の方々はこのライヘンバッハが必ずお守りいたします」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一二月一四日早朝。多くの被告が欠席する中、裁判でエメリッヒ=ルーゲンドルフ大将ら第一二軍集団司令部は国家叛逆罪等八つの罪状で有罪とされ、軍籍と爵位を剥奪した上で死刑判決が下された。

 

 同日午後、出頭命令に応じ第一七装甲軍司令官と第六航空軍司令官が出頭。両司令官に加え、第一二機動軍司令官は戒厳司令部に無断での動員を行った事について、叛乱の意図が無かったことを口々に弁明した。その他の多くの部隊も第一二軍集団に対する戒厳司令部・宇宙軍特別警察隊の容赦ない処罰を見て動きを封じられた。予め粛軍派から要注意人物とされている人物に対してはその所属部隊の指揮権限者やその継承者、あるいは憲兵隊長宛てに拘束命令が発令されているが、それらの命令の六割程度がこの日に遂行された。ただし、宇宙軍特別警察隊へ引き渡されたのは第二五歩兵師団長や第一一装甲擲弾兵連隊長、第九軍集団参謀長ら数名に留まり、多くの部隊は様々な理由を付けて引き渡しを拒否、あるいは遅らせようとした。

 

「態度を保留しているのでしょうね」

「……戒厳司令部がいきなり軍集団一つを潰してくるとは予想外だろう。同じ目にあうのはどこの部隊も避けたいはずだ。だが……帯剣貴族をライヒハート送りにするような戒厳司令部を支持は出来ない。よってひとまず様子見って所か」

「『保留』というのは中々面倒です。当初の予定だと皇帝陛下が戒厳を布告なされた時点で多くの部隊が最低でも『中立』という態度を明らかにしている算段だった。しかし、彼等の『保留』は『反抗』を視野に入れている。『中立』ではない」

 

 メクリンゲン=ライヘンバッハ地上軍大将が苦虫を嚙み潰したような表情で私に語り掛ける。若き日は帯剣貴族随一のハンサムと言われた彼であるが、地獄のラインラント戦線を預かっている間に実年齢に比してさらに一〇年は老け込んだ。今なお美形と言って良い顔立ちではあるが、若白髪が目立っている。そんな彼が中央軍集団の再編を終え、部隊と共に帝都へと移ってきたのは昨日の遅くの事だった。

 

『我々は弾劾する。奴等は栄光の国史における、決して拭い消すことが出来ぬ致命的な汚点である。我々は弾劾する。奴等は血に酔う愚かで野蛮な、傲慢で独善的な、そしてふてぶてしく、恐ろしく自らを省みない、肥大化し、濁り切った自意識を持つ、最も救いがたい者共である。我々は弾劾する。奴等は国家の病巣である。皇帝陛下を排し、人類を再び混沌なる生き地獄へ突き落さんとす、度し難い悪魔のような者共である。……全帝国将兵に告ぐ!奴等の存在は歴史における必然である!すなわち、それは試練である!人類種を滅びへ誘おうとする、地獄からの使者達が、今再び姿を現したのである!全帝国将兵は、一心奮起して、この試練に打ち勝たなくてはならない!』

 

 一四日午後二一時一七分。突如として軍務省宣撫局が管理する国軍放送網――軍施設内に居住する将兵及び家族向けの放送網――がジャックされる。その中では第四軍集団司令官ランツィングァー大将が拳を握りしめて演説する。

 

『これは国家秩序の危機である。権力欲しさに帝都の逆臣達は渡ってはいけない橋を渡ってしまった。これは大規模な平民による叛乱であり、それ以外の何物でもないのだ。時計の針をBevor Großerに戻す訳にはいかない。第九軍集団司令部は軍法に基づき上位司令部の判断に拠らず、叛乱鎮圧のために出動する。各司令官の良識に期待したい。 地上軍大将 第九軍集団司令官 エーリッヒ・フォン・グッゲンハイム伯爵』

 

 演説中、ルーゲンドルフと距離を置く故に中立派と目されていたグッゲンハイム大将が各部隊に平文を送り、反粛軍の意思を明確にする。

 

「諸君!帝都の同胞達の尻拭いと行こうじゃないか!」

『迷惑な話ですな』

「違いない!でもまあ、嫌われ者の我々に選択肢は無いからねぇ。全く地上軍軍人っていうのはさ……平民には難儀な商売だ!戒厳司令部に連絡。『我、此れより第五軍集団との交戦を開始せり。司令部は戒厳司令官に迷惑料の支払いを期待す』以上!」

 

 第八軍集団司令官シュテッフェンス地上軍大将は楽しくて仕方がない様子で、副司令官代理ハーゼンバイン地上軍中将は不愉快そうに、異口同音に叫ぶ。

 

撃て(ファイエル)

 

 第八軍集団第九戦術支援軍を中核に、各軍隷下の野戦重砲師団、各装甲師団隷下の機動砲兵大隊が容赦ない砲撃を開始する。目標は粛軍派を血祭にあげるべく帝都に進撃する第五軍集団第六機動軍隷下の第一一騎兵師団、第一二騎兵師団である。直撃を受けた部隊が時折吹き飛ぶが、撃ち出された砲弾の数からすると、その被害は著しく軽微だ。第五軍集団第六戦術支援軍の野戦高射砲が第八軍集団部隊の超長距離砲撃を相次いで「撃ち落として」いるからだろう。また、騎兵師団がその特性を生かして「道なき道」を進撃していることも理由の一つだ。第八軍集団の想定とは違う進撃路であるが故に、一部の部隊が砲撃に参加できず、参加している部隊の命中率も低下している。

 

 懐古趣味の見掛け倒しと笑われる征討総軍の騎兵部隊は、それでいて即応性と適応能力という観点では中々に馬鹿に出来ない力を持っている。「騎兵」という名前は変わっていなくても、そこで用いられる馬――実際の所、地球由来の厳密な意味での馬ではないが――は時代と共に大きく変化しているのだ。

 

『ふーむ。損害を諸ともしない。手強いですな』

「は!飼い主の為なら命など惜しくないってか!流石精強第五軍集団(ルーゲンドルフのクソ犬ども)!……付き合う必要はない。人の戦い方を教えてやれ」

 

 

 

 

 

『……審判の時は来た!人民よ、判決を下すのだ!大帝陛下より信を賜りし英傑達の末裔よ。真に高貴なる者達よ。何故震えて隠れようとする?「我等が人類史の担い手である。我等が人類の庇護者である」何故、そう胸を張ることができない?……勿論、貴様等が自分で自分を騙してきたからだ!人類種の害虫たる貴様等は必死にその事実から目を逸らしてきた。そして自らの高くも卑しく、大きくも小さな城で自らに価値が有ると、自らに言い聞かせ慰めてきた。ああ何と滑稽な事だ!国務省の人口統計を見てみるが良い、大きく右下がる曲線を見て、きっと赤子すらも貴様等の無為無能を笑うだろう!』

 

『……貴様等が否と!我等常に優良種足らんとしたと!そう言うのであれば、手近な人民の前に首を差し出すが良い!この数〇〇年の決算の日が来た、それだけの単純な話なのである!貴様等が地位に相応しい器量と歴史を有していたならば、皇帝陛下と人民は貴様とその血族の、さらに数〇〇年の繁栄を許す。そうでなければ、自らの為した罪過に相応しい末路を、皇帝陛下と人民は貴様等に許す。単純な、単純な話なのだ!』

 

 一二月一八日。テレスクリーンに映るのはゾンネンフェルス宇宙軍中将である。帝都に放送設備を置く全てのチャンネルが例外なくこの演説を流している。戒厳司令部は嫌々ながら帝国全土にテレスクリーンの電源を切る事を禁じ、常に戒厳司令部の発する情報を受け取ることを命じている。今の所、それで利益を得るのは白薔薇派であるが、だからと言って放送通信網を手放す訳にもいかない。

 

 画面の中のゾンネンフェルス中将には目もくれず、メクリンゲン=ライヘンバッハ大将は私に語り掛ける。

 

「……やはり白薔薇党は排除するべきでした。表立って動いたのは第四・第五・第九だけだ。だが水面下ではその何倍もの部隊が反粛軍に動き始めている筈です。粛軍支持派の部隊を総動員しても帝都近郊を維持するのが限界だ……」

「今更態度を軟化させても奴等は矛を納めんよ……。いいかね?粛軍派はルーゲンドルフを殺したんだ。あのルーゲンドルフをだぞ?」

 

 メクリンゲン=ライヘンバッハ大将に反論したのはゾンネンフェルス退役元帥だ。メクリンゲン=ライヘンバッハ大将を気遣うような調子で彼は続ける。 

 

「……白薔薇を粛清した所で、卿の兄上を抱き込まないとルーゲンドルフの連中は納得しない。そして粛軍派が卿の兄上、軍務尚書ルーゲンドルフ元帥と妥協するという選択肢を持っていないのは、他ならぬ卿が一番よく知っている筈だ。ルーゲンドルフの非主流派が奉ずる卿自身がな」

「……」

「それでも卿は白薔薇を粛清しろというのかね?」

「それは論理のすり替えです、ゾンネンフェルス元帥閣下。白薔薇の行った処刑をどう扱うかと、ルーゲンドルフをどう扱うかは別の問題だ」

「いいや、同じ問題だよ。白薔薇を粛清すると、ライヒハートでの処刑が不当であったと認めることになる。ルーゲンドルフ家に罪無しと認めることになる」

「ですから!ルーゲンドルフ家に罪はあるが、ライヒハートではなく法に依って裁かれるべきだった、と、そう主張すれば……」

「ルーゲンドルフ公爵家自体の責任は限定され、卿が新たな当主となって権益を引き継ぐことができる、と?」

 

 ゾンネンフェルス退役元帥はメクリンゲン=ライヘンバッハ大将の言葉を遮ってそう言った。その言葉にメクリンゲン=ライヘンバッハ大将が明らかに気分を害した様子になる。それを見て取ったゾンネンフェルス退役元帥は「すまない。これは良くない発言だった」と素早く詫びを入れる。しかし、「だが」と引き下がることなく続ける。

 

「卿が反粛軍派だとして、その論理を受け容れるかね?大体、君たちはそもそもルーゲンドルフ老と軍務尚書を殺す気はなかったんだろう。その理由を思い出したまえ。……彼等を殺せば多くの貴族将校が反旗を翻すからじゃないのか?『ライヒハートではなく法に依ってルーゲンドルフ老に死刑が下されるのならば問題は無かった』という主張を大人しくルーゲンドルフ派が受け容れるなら、君たち自身最初から法廷を経て彼等を刑場に送ったんじゃないのか?」

「……ではゾンネンフェルス元帥閣下は、御子息の見解に賛同為されると?」

「そうは言っていない。ケジメは付けさせるとも」

「その『付けさせる』という言い方も気に入らない。御子息の命で済む話ではない!元帥閣下……いやゾンネンフェルス伯爵家はどうケジメを付けられるのか!?ルーゲンドルフの血を流したケジメを!」

「何を言うのか……!愚息に非はあれど、その道を選ばせた責任は誰にある!……いや、ライヘンバッハ伯。卿を責める気はない。大多数の帯剣貴族達が道を誤ろうとしていたことは間違いないのだからな。しかし、卿の統制が部下に及んでいなかったことは一つの事実だ、そうだろう?」

「……シュタイエルマルク、つまり軍部改革派の下に居る者達が暴発したというのも一つの事実ですぞ、ゾンネンフェルス元帥閣下。閣下はシュタイエルマルク大将に随分甘く接しておられたではありませんか。後見人として彼の横紙破りを諫めるべき立場にあった、違いますか?」

「……それは軍部全体が負うべき責任だ。かの英雄を我々は大切にし過ぎたのだ」

 

 私は小さく溜息をつく。このような言い争いは日常茶飯事だ。私は目の前の二人の議論に割り込む覚悟を決める。ゾンネンフェルス元帥からすると、私に預けていた嫡子がいつの間にか危険思想に染まっていた、というような感覚だろう。一方メクリンゲン=ライヘンバッハ大将からすると、ゾンネンフェルス元帥の嫡子が古巣であるシュタイエルマルク派の下級将校を扇動して(あるいは神輿にされて)暴走した、というような感覚だろう。そこはどちらの解釈も成り立つ所だ。故に私は両者を懸命に宥めた。宥め終わればきっとまた「白薔薇を粛清するか否か」という話題に戻り、また言い争いになるのだろう。一分一秒を争うこの重大な局面では無駄でしかない時間だ。私は焦燥感と徒労感を覚えつつ、目の前の意見対立の処理に取り掛かった……。

 

 

 




(リヒターの言葉を人伝に聞き顔を顰め)「無能・敗者と直接的に痛罵しないのはリヒターの甥らしくある。が、舌鋒の鋭さ自体はブラッケによく似たものだよ」
                     ――アルベルト・フォン・ライヘンバッハ


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壮年期・停滞する帝都、混迷する銀河(宇宙暦780年12月14日~宇宙暦780年12月28日)

注釈35
 鎮定使、及び鎮定総督とは大規模な叛乱の鎮圧、広域大災害への初期対応、感染症の封じ込めなど、強力な権限を必要とされる事態に皇帝から臨時的に任命される役職である。一定の地域における軍事・行政の全権(場合によっては司法権も)を委任され、その権限は極めて強力である。大まかな目安として、一つの星系を管轄する場合は鎮定総督が、複数の星系を管轄する場合は鎮定使が任命されることが多いがその限りではない。
 鎮定使、及び鎮定総督の下には各省庁と軍部から多くの人員が付けられるが、この人員によって形成される行政組織を、鎮定使が長となる場合は鎮定庁、鎮定総督が長となる場合は鎮定総督府と呼称する。どちらも原則として皇帝官房の下に置かれ、皇帝が必要と考える時は、長を鎮定担当無任所尚書として入閣させることができる。
 
 鎮定庁及び鎮定総督府の軍事的側面に着目した呼称が鎮定総軍である。鎮定庁・鎮定総督府と鎮定総軍は通常別組織として扱われる一方で、その線引きは非常に曖昧である。
 鎮定総軍は宇宙軍・地上軍の通常の指揮系統から独立した組織であるが、通説では皇帝の軍事行政権代行者である軍務尚書及び皇帝の軍事命令権代行者である統帥本部総長の指揮監督には服す義務があると解されている。
 一方で、皇帝が鎮定使を任命した段階で鎮定使の管轄する地域に関する軍政権と軍令権は皇帝の下に戻っているから、軍務尚書及び統帥本部総長は鎮定使に対し指揮監督権を有さないという見解も有力である。
 なお、皇帝が直接行政権を行使する皇帝官房に置かれた組織は所掌事務において重複があった場合、各省庁に優越してその権限を行使できるため、鎮定庁及び鎮定総督府は各中央省庁の指揮監督を受けないとされている。この点を重視する立場から、軍事行政においても鎮定総軍は軍務省と統帥本部から独立するという主張もある。




 決起の日から一〇日が経った。粛軍派と反粛軍派で睨みあう帝星オーディン。その様相は膠着状態と言って良い。……既に粛軍派の劣勢が明らかな膠着状態ではあったが。

 

 第四・第五・第九軍集団が反粛軍に動いたことは、粛軍派にとって脅威となり得なかった。どの軍集団も連携も準備も不足している状態で殆ど衝動的に決起した。完全に戦闘態勢を整えていた粛軍派を脅かすには至らず、帝都に進軍しようとした第五軍集団はカールシュタットで中央軍集団の後援を受けた第八軍集団即応部隊を前に敗走を余儀なくされた。

 

 第九軍集団はレオバラードとヴァルター・ヴァルリモントにて麾下部隊を結集させようと試みていたが、粛軍派が先んじて鉄道網を抑えている為に思うように果たせていない。

 

 第四軍集団は後退を重ねている。司令部は駐屯地すら捨てて中央大陸北端のアドルフスハーフェンへと逃れた。殆どの部隊は同行できず、一部の部隊は既に恭順の意を示している。粛軍派はここに優勢を確立した……ように見える。

 

 ……薄氷の上に築かれた優勢であった。多くの部隊が不穏な動きを見せていた。粛軍派の戦力にも限りがあり、対応が間に合っていない。

 

 エイレーネ山にて冬季戦訓練中だった第一一装甲軍と第二装甲擲弾兵師団はアドルフスハーフェンへの移動を開始した。反粛軍派への合流を企図しているのは明らかである。教育総監部教導監部エイレーネ冬季演習計画部長フォン・シェドルツェ地上軍少将、第一〇軍集団戒厳部隊指揮官カントロヴィチ地上軍少将は制度上の指揮権を行使し続けているが、両部隊は完全にこれを黙殺している。粛軍派は両部隊が第四軍集団司令部と合流することを止められない。

 

 オーディンで二番目に大きい空軍拠点、ライムント航空基地は第五軍集団司令部に「占拠」され、協力を「強制」されている。同基地の輸送部隊の「強制されているとは思えない程の勤勉さ」により遠からぬ未来、二個師団が第五軍集団司令部と合流するだろう。

 

 中立を維持するとの内意を伝えていた帝都防衛軍司令官シュリーフェン地上軍中将、粛軍派を早々に支持すると予想されていたゲルマニア防衛軍司令官ファルケンハイン地上軍中将は揃って戒厳司令部の統制を拒絶する姿勢を見せた。シュリーフェン中将は戒厳司令部の命令書を三度に渡って「手続きの不備」を指摘して突き返し、ファルケンハイン中将は「戒厳令下においてもゲルマニア防衛軍司令官の職権は全面的に停止されている訳ではなく、その本来の職責の範囲内で秩序維持に努めるのは当然の事である」と応じ、帝都の海の玄関口、ハンブルガーハーフェンを臨むカラン高地に砲兵部隊を展開した。

 

 拘束を免れた憲兵副総監グライフェンベルク地上軍中将と軍務省尚書官房高等参事官補ヴァイマール宇宙軍中将がキルヒェンジッテンバッハから反粛軍の檄文を発した。『庇護下』のラムスドルフ近衛軍元帥とビューロー宇宙軍大将は戒厳司令部への協力を明確に拒絶した。グロックラー地上軍中将を初めとする軍部リッテンハイム派も不穏な動きを見せている。帝国屈指の貴族たるリッテンハイム公爵領やその縁故の家々の領からは、多くの兵士が帝国地上軍に志願「させられている」。ここオーディンにおいても一二〇万~一三〇万――二個軍集団に匹敵する――近い地上軍兵士がリッテンハイム一門の領地出身者であった。地上軍以外の所属や後方要員を含めればその数は数倍へと膨れ上がる。

 

 西大陸のニダヴェリエール防衛軍司令部は戒厳司令部の承認を得ず隷下部隊と西大陸に駐留する第一一軍集団に対し治安出動を命じた。未だ敵対には踏み切っていないが、時間の問題だろう。西大陸の僅かな粛軍派部隊は大陸東部のオクトゴーンに集結し、西方艦隊の根拠地を死守する構えだ。

 

 装甲擲弾兵総監部は「装甲擲弾兵総監部は伝統に従い、ただ皇帝陛下への忠節を全うする」との声明を発した。この言葉は粛軍派への強い警告と捉えられた。銀河帝国の長い歴史の中で軍にあって唯一政治不介入を貫徹し続けている組織が装甲擲弾兵総監部である。その尋常ではない徹底振りからすると、進行中の政変にこのような声明を発表すること自体が異例の事であり、その裏には「中立不介入」以外の何らかの意図があると考えられた。

 

 第一衛星フギンに位置する帝都防衛軍宇宙部隊司令部と第二警衛線統括司令部、第一警衛線の中核を為すヴァルハラ星系第一防衛要塞「グラム」防衛司令部は戒厳司令部に従う意思を示しながらも、戒厳部隊指揮官の受け入れを明確に拒絶した。粛軍派の赤色胸甲騎兵艦隊及び第二猟兵分艦隊の艦艇の入港も拒否している。第二警衛線の各要塞・砲台・衛星は厳戒態勢を敷き、その砲口は明らかに周辺の粛軍派艦隊に向けられていた。

 

 第二衛星ムニンに位置する第一警衛線統括司令部と近衛第二艦隊司令部は早々に戒厳指揮官を受け入れ粛軍派に屈服したが、一部の将兵が反発し宇宙港合同管理庁舎――司法省領邦間移動管理庁オーディン査証監査局・財務省オーディン税関部本関・国務省ムニン宇宙港警備支局・国務省航路保安局ヴァルハラ保安部本署・内務省民政局麻薬情報課オーディン密輸対策官室ムニン事務所・内務省民政局オーディン検疫部ムニン検疫所・典礼省オーディン迎務局ムニン警衛部などが存在――を占拠して立てこもっている。脅威になり得る勢力ではないが、巻き込まれた形の各省庁は人質となった職員への配慮を強く求めており、対応を誤れば官界との間にさらなる亀裂が入る。

 

 粛軍派の『保護』を拒んだ多くの閣僚級官僚は国務省レーヴェンスハーゲン分室に立て籠もっている。レーヴェンスハーゲン分室は国務省尚書官房情報通信課に所属し、国務省の機密通信網を管理する組織だが、実際には情報機関たる国務省情報統括総局(GI6)の強い影響下に置かれ、準軍事組織である国務省公安予備隊が警備している。粛軍派は主に政治的制約から同施設に手出しできない。官僚たちは罪人では無く、従って戒厳司令部に公安予備隊と武力衝突を起こす大義名分は無いのだ。

 

 中央省庁の官僚たちは、レーヴェンスハーゲン分室に立て籠もる閣僚たちの存在を盾に戒厳司令官の指揮に消極的抵抗を試みている。扇動者はルーゲ公爵の盟友たる皇宮警察本部長シャーヘン伯爵と娘婿であり官界五大公爵家の一つローゼンベルク公爵家嫡男、大審院最高公検部総長ローゼンベルク名誉子爵の二人だ。特にローゼンベルク名誉子爵は戒厳司令部の行動一つ一つを「司法権の独立を脅かす」「帝国法に反する疑いがある」と非難する。官界の雄たる一九名の侯爵の内、半数以上がそれに同調し、ローゼンベルク公爵家を初めとする官界五大公爵家――これにルーゲ公爵家を加えて六大公爵家とも言う――も公的には沈黙を保ちながらも、これを支持する構えだ。

 

 自由惑星同盟最高評議会は賛成六反対三で新たな出兵案を可決。それに伴い七八〇年度第一次国防補正予算案を下院に提出した。下院・上院、共に可決されるかどうかは怪しいという政治情勢ではあるが、否決された場合も最高評議会議長の国防大権が発動され、出兵案が実行に移される見通しである。この国防大権の発動を止めるには上院の特別多数による大権命令無効決議の可決が必要である。しかし、出兵反対派の野党「自由進歩党」「社会共和会議」「平和市民戦線」「イニシアティブ諸宗派議員連盟」に加え、仮に与党「国民平和会議」から旧「自由共和党」「新進党」系のリベラル議員が出兵反対派に回っても、上院議員の半数程度に留まり、国防大権の発動を止めることは出来ない。

 

 またそれに先立ち国防委員会は財務委員会に対して国防予備費の支出を求めた。財務委員会はこれを承認し、イゼルローン要塞に駐留する第一一・第一二艦隊が慌ただしく出撃の準備を整えている。正確には両艦隊に随伴する地上部隊が、であるが。

 

 第一辺境艦隊司令官フォーゲル宇宙軍中将は反粛軍派に近い考えの持ち主であるが、戒厳司令部に対しエルザス=ロートリンゲンの防衛に必要な範囲内で従う事を明言した。一方、第二辺境艦隊司令官ヴェスターラント宇宙軍中将はこの機に乗じてヴェスターラント星系へと軍を進め、一方的にヴェスターラント伯爵位とヴィレンシュタイン公爵位の継承を宣言、独自の勢力圏を築いている。隣接する旧ブラウンシュヴァイク派諸侯は揃ってこの“ヴェスターラント伯爵”の襲爵を支持する構えだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「見渡せば敵ばかり。不味い状況だ。……反粛軍派が態勢を整えるのは時間の問題ですな」

「……帝星の状況だけを見れば、ね」

 

 私の言葉に対し、粛軍派の上層部は重い沈黙で応える。無理もない。帝国は今、無政府状態へと陥ろうとしている。引き金を引いたのは自分達だ。幸いと言うべきなのは、弾丸が今の所自分達に向かっていない事だろう。

 

「我々は今、まさに啓蒙されている訳だね」

 

 私は嘆息しながら沈黙を破った。幾人かが私に責めるような目線を寄越す。私はそれを静かに見返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……リューベックのクーデターと同じ日、惑星ヨーゼフ・ゲッペルスで平民の下級将校が蜂起した。第六辺境艦隊司令官クリストフ・フォン・スウィトナー宇宙軍中将は拘束――下級将校の主観では救出――され、粛軍派への支持と協力を表明させられた。反粛軍派と見做された何人かの将校が「文字通りの意味で」吊るし上げられたのに対し、スウィトナー中将がそうならなかったのは、彼がシュタイエルマルク退役元帥直系の実戦派軍人として高い声望を有していたからだろう。貴族軍人たちはこの事件に驚きはしたが、さして気には止めなかった。スウィトナーは平民の味方を気取るシュタイエルマルク派の夢想家の一人であり、その部隊で平民が「図に乗る」のは充分考えられることであったからだ。

 

 しかしながら、それは始まりに過ぎなかった。多くの無垢な兵士たちにとって、ヨーゼフ・ゲッペルスは皇帝陛下の忠実な剣であり、盾である、帝国軍将兵の模範を示した英雄的行動と映ったのだろう。

 

 一二月一四日。ブランデンブルク星系警衛軍司令官が戒厳令を根拠として部隊を動かし、軍務省ブランデンブルク地方軍務局を皮切りに行政機関を相次いで占拠。さらに地上軍オストプロイセン警備管区総軍第二軍集団司令官と第四軍集団司令官が独断で粛軍派支持を表明し、戒厳司令部の正当性に疑義を呈する管区総軍司令官から指揮権を停止される。いずれも平民階級の指揮官である。

 

 一二月一五日。カラシニコフ星系にある兵站輜重総監部管理下の兵器工場地帯で労働者と兵士による叛乱が発生。ニーダザクセン鎮定総軍第一統合軍地上部隊(征討総軍第六軍集団)で大規模な兵士叛乱発生。憲兵総監部ノルトライン憲兵司令部に迫撃砲が撃ち込まれる。

 

 一二月一六日。ケヴィン・バッへム地上軍准尉らがローゼンベルク星系の第九猟兵分艦隊司令部ビルにて「ローゼンベルク愛国兵士分艦隊」の結成を宣言し、大多数の兵士がバッヘムらを支持し、第九猟兵分艦隊司令官は在ローゼンベルク・フェザーン自治領(ラント)駐在弁務官事務所へと逃げ込んだ。事実上の亡命である。

 

 同日。トラーバッハ星系の叛乱鎮圧に動員されていた帝国地上軍第一五軍集団において命令不服従が広がり事実上軍集団としての機能を停止。ザルツブルク公爵家は第三猟兵分艦隊に支援を要請し、第三猟兵分艦隊司令部は一旦受諾するが、貴族将校も含む多くの将兵から「ザルツブルク公爵の私戦、いや大規模な強盗に加担するのか」と批判を浴び、四時間後に要請拒否に転じる。

 

 一二月一七日。かねてから黒い噂が絶えなかった第二一警備艦隊の戦艦「アドルフⅣ」において兵士叛乱が発生。瞬く間に各艦に波及。叛乱勢力は第二一警備艦隊第二戦隊司令官フォン・トゥルナイゼン宇宙軍准将に対し「トゥルナイゼン愛国兵士分艦隊」司令官就任を嘆願。トゥルナイゼン宇宙軍准将は二度にわたり拒否するも、上位司令部及び同輩の逃走を受け嘆願を受諾する。

 

 一二月一八日。第四辺境艦隊司令官ハウサー中将・ラインラント警備管区司令オーベルシュタイン中将・ザールラント警備管区司令ドロイセン中将が中立協定を締結、将兵に冷静な判断を呼びかける。が、これに憤慨した粛軍派兵士がハウサー中将の暗殺を試みる事件が発生。ザクセン地方総軍司令部でも参謀同士で刀傷沙汰に発展。

 

 同日、カラシニコフ星系において「国家の諸問題に対応する皇帝陛下のカラシニコフ星系労兵評議会」(通称カラシニコフ・レーテ)の結成が宣言される。以後、各地で蜂起した兵士・民衆の多くはカラシニコフと同様の組織を設立し、自らの立ち位置を「皇帝陛下の直接命令にのみ服する臣民の自主的な統治組織の一員」――ゼネラル・レーテ運営実施要綱より引用――と定義していくことになる。

 

 一二月一九日。オーベルシュタイン中将が第四辺境艦隊の指揮権を奪取しようと試み、副司令官エルラッハ少将に面罵される。

 

 同日。ゲアハルト・フォン・シュテーガー宇宙軍大佐の扇動によりオストプロイセン警備管区で兵士による叛乱が発生。叛乱勢力は警備管区司令バルタザール・フォン・ハーゼ宇宙軍中将を惨殺。この段になって紫色胸甲騎兵艦隊司令官ハンス・ディードリッヒ・フォン・ゼークト宇宙軍大将が粛軍派不支持を明言。叛乱勢力の「史上類を見ない程、徹底的かつ完璧な掃討」を行うと表明。

 

 一二月二〇日にはズデーテン域外鎮定総督フォン・カルナップ中将の暗殺事件や、ディッセンクルップ星系における独立派と地元出身の将兵の蜂起、映画『ホテル・アルマダ』で有名なラドヴィリシュギス自治領虐殺事件などが発生し、混乱は完全に帝国全土に広がった。

 

 この間、民衆レベルでの騒乱も多発しており、ロールシャッハ星系、キール星系、ヘルツェゴビナ星系、ビブリス星系、ボーデン星系、バルヒェット星系、ランズベルク星系などは完全な無政府状態に陥った。ブランデンブルグ星系、バイエルン星系第三惑星リュテッヒ、シレジア星系第四惑星ビルバオなどの統治組織は流血を避けるべく労兵評議会(レーテ)に対しほぼ全面的に降伏している。キフォイザー星系、マールバッハ星系、トラーバッハ星系、シュタインハイル星系などでは既に騒乱が「叛乱」のレベルに発しているか、本来の統治組織側が強硬な姿勢を取っているかの理由で流血の事態へと至った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「白薔薇の乱」において、帝国中央地域――国務省によって「全土に安定した行政システムの構築が為されている」と評価されるユグドラシル中央区及び一一行政区の俗称――の有人四六八星系の内、一一二星系で粛軍派民衆による決起が発生した。正確な人口分布も定かではない辺縁地域に至っては有人星系の九割近くにおいて何らかの形で暴動、叛乱、蜂起と称すことが出来るような混乱が発生したと推定されている。それら混乱を起こした側の勢力全てに共通していたのが「皇帝支持」「粛軍支持」の旗印であったが、実際の所それは大義名分に過ぎず、二〇数年間続いてきた農作物の不作、行政機能の低下、重税、社会資本の摩耗、富の偏重、不公正な統治、それらによって蓄積された不満こそが民衆を、そして兵士を暴力へと走らせた原動力だった。

 

 「白薔薇の乱」において混乱を免れた星系はほぼイコールで「豊かな星系」と言い換えて間違いない。(つまり、国務省から一度成熟した星系というお墨付きを得ていた中央地域の四分の一が「貧しき星系」と化していたということでもある)

 

 そのような背景からするととりわけ異彩を放っていたのはカストロプ星系である。何しろ、帝国中央地域でも一〇本の指に入る「貧しき星系」、それがカストロプ星系である。にも関わらず、カストロプにおいては何の混乱も発生しなかった。

 

「不思議な事ではないさ。カストロプの民は、皆等しく『希望』という精神的財産を有している」

 

 少し後の話になるが、カストロプ臣民未来会議議長・人民カストロプ再生機構代表マクシミリアン・フォン・カストロプ男爵はフェザーンメディアに対してこう語った。カストロプは粛軍中も抜け目なく立ち回った。プロイセン行政区地方軍務局長のフォン・ノートン中将と膝詰めで会談し、自分と共に粛軍派を支持することを認めさせた。その上で、後見役たるマリーンドルフ侯爵など当主が身動きを封じられた近隣諸侯の領土に支援を申し出た。

 

「奪われたから、奪い返す。それは将来再び奪われることを『是』とすることだ。施し、施される。それで良いではないか。奪い、奪われる。それと効用の総量は変わらないだろう」

 

 カストロプのこの言葉は称賛を浴びた。彼の父が帝国全土から富を収奪したことを差し引いても、彼が父の死後置かれた厳しい境遇を考えると、強欲かつ冷酷にカストロプ公爵領から富を奪った周辺貴族たちに復讐心を抱かなかったことは驚嘆に値する。後見役のマリーンドルフ侯爵もまた、カストロプ男爵を立派に育て上げたことについて称賛された。

 

 周辺貴族たちは内心はどうあれ表向きは感激し、恥じ入る態度を見せた。そうせざるを得なかった。カストロプ男爵はひたすら無私に旧カストロプ公爵領を含むプロイセン行政区の秩序を保つことに尽力した。その間、やろうと思えばいくらでも私腹を肥やす機会があったにもかかわらず彼はそうしなかった。カストロプの民もともすれば自領以上に行政区の秩序維持に尽力する彼を支持し、一切騒乱を起こさなかった。プロイセン行政区最貧のカストロプ星系が「そう」なのである。まして彼等よりは恵まれている他の星系の人々が、軽々に騒乱を起こすことは出来なかった。

 

 彼は粛軍派の支持を表明しながらも、実質的には中立の立場を取った。一切の混乱を、対立を、流血を起こさないことによって彼は名声を高めた。かねてより一部界隈で「人民公子」と持て囃されていたカストロプが一躍時代の寵児として帝国政界に飛躍するきっかけとなったのが「白薔薇の乱」である。

 

 ……全くの余談だが時間的棄民政策と後世評される『未来移民』が事実上の強制政策となったのはこの時だ。これについて、「カストロプは経済学的アプローチにより不穏分子となり得る集団を特定し、それらが組織化・過激化しないよう、公費負担でのコールドスリープを持ち掛けた。つまり、『未来移民』は虐殺(ジェノサイド)にあたるか否かは別として、少なくとも一種の隔離政策だったとは評せよう」というイェルク・クライトロプの興味深い分析がある。これは、評価が二分されるマクシミリアン・カストロプという人物の実像に迫る上で外せない研究だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「我々の理念が不逞の輩に汚されている……。帝国全土で賊共が我等と皇帝陛下への忠誠を叫びながら叛乱を起こしている……」

 

 ブルクミュラー大将は内面に抑え込んだ激情を感じさせる苦渋の表情でそう言った。彼がそう感じるのも無理はない。「粛軍」という言葉故だろうか。民衆は自分達を苦しめる叛徒として、領主と並んで軍を口々に罵りながら畑に火を放ち、館を打ち壊し、「貴族」と名乗る盗賊を吊るし上げている。その姿はブルクミュラー大将からすると醜悪としか言いようがないのだろう。「在るべき物を在るべき場所へ戻す」ことについて何ら抵抗のない私であっても、その無秩序な破壊には心を痛めざるを得ない。

 

 混乱の性質は場所によって違うが、ヴェスターラントのように一定の秩序を保ち、「貴族」対「民衆」という分かりやすい構図で争っているならまだマシだ。フォルゲンでは領主不在の中で伯爵家を敵視する「自主独立派」と帝国中央を敵視する「伯領分離派」によるテロリズムの嵐が吹き荒れる、その中で「公体明徴会議(フォルゲン・レーテ)」による魔女狩りが始まった。シュトレーリッツでは領都中央区で貧民による請願が行われているのと時を同じくして、公立博物館で火災が発生し、幾度の戦乱を超えて辛うじて保たれてきた名画一二〇点、彫刻二八点、刀剣四五振り等が一夜にして塵と化した。「芸術の都」シュトレーリッツ、その中でも「文化史の最先端」八番街の住人とアルター・ホーフ芸術大学の学生達は怒り狂い、報復として貧民街へ火を放ち、農村部の不逞分子への武力制裁を公爵家に求めた。ランズベルクでは第一四軍集団を中核とするランズベルク鎮定総軍の分裂により、鎮定総督府が機能を停止した、再燃した対立は最早内戦の域である。

 

「戒厳司令部情報部の分析によると、帝国正規軍の八%から一五%に及ぶ部隊が『粛軍派』を名乗る兵士によって掌握されたようですな。推計ですが粛軍支持派の将兵が何らかの行動を取った部隊は既に全軍の四割を超すようです。これはあくまで帝国軍の実戦部隊に限った数字です。予備役や後備役、非正規戦部隊や各基地の動向は今も調査中です。ただまあ、実戦部隊と同程度には我々への支持を表明する将兵が居るでしょう」

 

 ヘンリクが淡々と報告するが、それを聞いても高官たちの顔に喜色は無い。

 

「喜ばしい事だとは思えないな!新任将校の頃世話になった上官がノルトラインで殺された。憲兵隊に努める娘婿が平民共に部隊を追われた。命の危険を感じた義叔父と弟が自衛の為に反粛軍派に合流した。奴等は本当に我々の『味方』なのかね?」

奴等(レーテ)は『秩序の敵』だよ。獣と一緒だ、本能に身を任せているだけさ」

「ハーゼ中将の最期を見たか!?人があんな死に方をして良いものか!」

「『粛軍派』を名乗る暴徒の一部が貴族資本への略奪を行っている。これは由々しき事態だ。……諸侯から戒厳渉外部に凄まじい量の抗議、批判が殺到している!官公庁も黙っちゃいない!」

「そんなことはどうでも良い!兵卒とはいえ仮にも、双頭の鷲(ドッペルアドラー)を背負う者達が私利私欲のまま略奪に手を染めるなど……!帝国正規軍の栄光を奴等は汚している!」

「あの連中はただの叛徒です!共和主義者(テロリスト)と我々の理念は違う」

「奴等の粛清は度が過ぎている。大義無きただの殺人では無いか!あれでは魔女狩りのようなものだ!」

 

 グリーセンベック宇宙軍上級大将が、ゾンネンフェルス退役元帥が、アルトドルファー地上軍元帥が、メクリンゲン=ライヘンバッハ地上軍大将が、クナップシュタイン宇宙軍少将が、マイヤーホーフェン宇宙軍中将が、ブルッフ宇宙軍上級大将が、口々に否定的な言葉を発する。

 

 ついに罵詈雑言も含めて一二ダース――誤字ではない――程の嘆きが場に吐き出され、部屋の中を漂う。おおよそ理性的に吐き出せる限りの悪態をつき終わり、いよいよブルクミュラー大将らが本能に任せてより制御されていない、戦場で吐き出されるような悪態をつき始めようかとしたその時、私の隣に座る男がこの場に現れて初めて口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それがどうした。些細な事さ」

 

 男は平静を装った表情で静かにそう言い切った。

 

「誰が針を進めようと、時間(とき)が刻まれていることに変わりはない」

 

 私は彼が化粧をしてこの場に居ることを知っている。彼はまだ回復していない。事故の傷は深かった。しかし深いだけの傷ならば問題は無かった。手術後に起こした感染症が彼を生死の狭間に追い込んだ。……果たしてそれが本当に感染症だったのか、かの教団(・・・・)が手を尽くして彼を病院に閉じ込めようとしていたことを考えると、怪しい話である。

 

「……求めよ、されば与えられん。というやつだ。意味は分かるかい?欲しいものがあるなら、進め、ということさ」

 

 彼は何度も退院を希望したが、その度にアクシデントが起きて彼は希望を果たせなかった。粛軍派は善意四割警戒心六割で、彼の早く退院したいという希望に力を貸さなかった。ここに座る数時間前、ついに彼は自身に対する『深刻な医療ミス』の存在を手に主治医を半ば恫喝して自身を封じる檻から逃れ出た。

 

「……何が言いたいか分からんな」

「そうかな?簡単だよ。白薔薇が作った流れにとことん乗ってやれと言っているだけだからね」

「貴様……」

 

 居殺さんばかりに睨みつける強面のブルクミュラー大将に対し、軍服を脱げば学者と言われても納得するような風情の優男は臆せず断言する。

 

「白薔薇が求める通り……いや、それ以上に徹底して粛軍をやれば良い。反抗する人間は全力で潰す。そうすれば今暴れてる民衆も満足するさ。内乱?大いに結構……思い出せ、彼等にその覚悟は無いが、我々はそれを覚悟して決起したはずだ。……例えこの命尽き果てようとも、国家を正道に戻す。そういう覚悟を我々はしてきたはずだ。先に覚悟を決めた側が勝つ、事はそういう段階に来ているし、そうであるならば本来我々は既に勝っていなければならない。違うかい?」

 

 

 

 

 銀河の歴史はこうして進みだす。……クルト・フォン・シュタイエルマルク宇宙軍大将の帰還を以って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「呼び立ててすまないなぁ。ライヘンバッハ伯爵。本来ならこちらから出向くべきだと思うのだがな」

「いえ、伯爵閣下に不自由を強いているのは我々ですから」

 

 宇宙暦七八〇年一二月二二日。私は激務の合間を縫ってヒンデンブルク特別収容所を訪れた。

 

「不自由、不自由ときたか?儂にはそうは思えんし、卿も本音を言えばそうであろう?」

 

 私がヒンデンブルク特別収容所を訪れた目的……それは目の前にいる人好きのする笑みを浮かべる老人に会う事である。老人の名前はガイエス・オトフリート・フォン・カベルツェ=ヴァルトハイム。地上軍大将にして伯爵家当主。第一軍集団司令官を務める地上軍の英雄である。元々はヴァルトハイム伯爵家の分家の三男だったが、ライヒハートでその命を散らしたルーゲンドルフ公爵に幼い日から仕え、その厚い信任と比類なき武勲、そして将兵からの高い声望によって、第一軍集団の要職を一六年に渡って務めている。

 

「……不自由でしょう。閣下は今この収容所の一室に拘禁されている訳ですから」

「収容所、収容所か?ふん、卿は犬小屋を新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)と名付ければ、そこが皇帝陛下に相応しい居所になると思うか?思わんだろう。ここも同じだ。ホテル・ヒンデンブルクの方が体を表す名としては相応しい」

「しかし、閣下に相応しい場所ではない筈です」

「かもしれん。かもしれんが、卿の部下達が儂を引きづり出した『第一軍集団司令部』なんて豪勢な建物も儂に相応しい場所ではなかったわ。そうさな……スヴァログ星系第三惑星モーコシはルイン川西岸地域に置かれた野戦司令部。振り返ればあそこが一番儂に相応しい場所であったわ」

 

 そう言うとヴァルトハイム大将はかかかと笑う。ヴァルトハイム大将の輝かしい軍歴の中でも、『ルイン川の奇跡』は特筆に値する。

 

 四二年前『銀河帝国サジタリウス辺境軍管区属領サジタリウス』と『ファイアザード独立国』という二つの名前を使い分ける当地の政府で政変が発生したのを機に、銀河帝国は大規模な侵攻部隊を送り込んだ。そうして発生したのが、かの天才ブルース・アッシュビーの前に帝国軍が惨敗・完敗・大敗を喫したファイアザード星域会戦である。その際、帝国地上軍征討総軍第五軍集団の内二個軍はファイアザード独立国領内にあって自由惑星同盟宇宙軍の軍事拠点と大規模な資源採掘拠点があったスヴァログ星系に展開した。二六歳のヴァルトハイム地上軍少将は師団長として部隊と共に第三惑星モーコシへと降下した。

 

 そして、ファイアザードの大敗を受けてその後七年間に渡って孤立無援のまま抗戦を続けることとなる。元より、外征部隊たる征討総軍はそれを想定した部隊である。軍集団付属の支援部隊はその土地に資源さえあれば自力でそれを採集し、加工することが出来る。地球時代で例えると小国の全軍と同等かそれ以上の能力と戦力を有するのが征討総軍軍集団と呼ばれる存在である。が、それはあくまでカタログスペックの話であり、現実には宇宙軍の支援も無ければ星系外部からの補給も無い状況で、部隊が組織的抵抗を続けるのは極めて困難だ。

 

 第五軍集団はその困難をやり遂げた。モーコシに同盟軍が築いていた生産設備に助けられたとはいえ、その帝国軍史でも稀な成功は、最激戦区カルガノ地峡の側面を流れるルイン川を僅か一個師団と二個連隊で四年間守り続けた「ルイン川の軍神」ヴァルトハイム地上軍中将(戦時昇進)の存在無くして有り得なかっただろう。宇宙暦七四五年、ヴァルトハイム地上軍中将は英雄として帝国本土へ凱旋した。しかし彼への称賛はその武功と比べれば控えめなものだった。……なぜなら、彼をオリオン腕へと運んだのが第二次ティアマト会戦の敗残軍だったからである。

 

「……」

 

 私はそんなヴァルトハイム大将を油断なく見据える。この御仁は地上軍の中でも最も無能という言葉と程遠い所にあり……そしてこの一六年は無為という言葉と程近い所にあった人物だ。それはどちらもルーゲンドルフ公爵の為に行動した結果だろう。……この人物はルーゲンドルフ公爵の親友だったのだ。親友を死地に、それもライヒハートなんて場所に送った男の事を快く思う理由はないだろう。

 

「閣下。そろそろ本題に入りましょう」

「……ん、そうだな。卿は忙しいだろうからな。では手短に済ませようか。儂は、ルーゲンドルフの親友であるが皇帝陛下の臣下も帝国軍人も辞めたつもりはない。よって儂は同じ双頭の鷲(ドッペルアドラー)の下に立つ者達が相撃ち血を流す様を座して見るつもりはない。儂に卿等とルーゲンドルフの信望者の仲介を任せて貰えんか」

 

 私はヴァルトハイム大将を見て沈黙する。私が聞きたいのはその先の話であった。しかしヴァルトハイム大将が口を開く様子はない。仕方なく私は口を開く。

 

「……それはかなり興味深い申し出です。しかし閣下。現実的な成算はあるのですか?」

「あるとも。それが儂の役割故にな。……ルーゲンドルフ公爵閣下が第一軍集団司令官なんてポジションで儂を飼殺していた理由は『それ』よ。地上軍の安全装置、それが儂の役割よ」

「……なんですって?」

「あのファビアンが、地上軍人の増長に気付かなかったとでも?コントロールする者が居なくなった時、貴族意識を肥大化させた者達がどう動くか。それくらいは分かる男だ」

 

 ヴァルトハイム大将はニヤっと笑って続けた。

 

「卿等はファビアンの事をただの無能な石頭と思っておるだろう?だがファビアンはファビアンなりに時代の趨勢という奴を掴んで色々と備えておった。終わりなき栄華など存在しない。ルーゲンドルフもまた例外ではない。ファビアンは自分が凶刃に斃れることも想定しておった。……流石にライヒハートは、ちと誤算だったろうが」

「……」

「儂はまあ、地上軍の象徴という奴だ。土がつかんように随分と長い事仕舞い込まれていたがな。……卿の下に居る暴れん坊共ですらも、儂の事を嫌ってはおらん。そういう立場に儂は祀り上げられた。一つの軍を維持すること、それは儂が命に代えても成し遂げなければならん使命であるし、儂にはそれをする力がある」

 

 ヴァルトハイム大将は達観したような表情で語る。その口調はいかにも出来て当然、当たり前の事を言っているようなさらりとしたものだ。……他の誰が言っても妄言だろうが、この御仁の言葉には説得力がある。単純な話だ。この御仁が半世紀近い軍歴の中で一体何百万……あるいは何千万の同胞の命を救ってきたのか、という事だ。この御仁はつまるところ、地上軍における私の父であり、シュタイエルマルク退役元帥なのだ。

 

「この老骨に万事任せてくれんか。ライヘンバッハ伯爵。儂の言葉であれば、きっと多くの地上軍将兵が耳を傾けてくれるだろう。頼む。皇帝陛下の臣下が殺し合う事態を引き起こしてはならんのだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは『停滞』だ。アルベルト。君も諸卿もアリもしない希望に縋っている」

「……」

 

 銀河帝国軍上級大将へと昇進したクルト・フォン・シュタイエルマルクは辛辣な言葉を私に吐きかけた。私たちは軍務省の一室……通称シュテファンス・ツィンマーに足を運んでいた。演説を好んだ四代軍務尚書シュテファン・アロイス・フォン・ツィーテン宇宙軍元帥が多額の費用を投じて整備した演説室である。

 

 

「内戦は元より覚悟していたはずだよ……怖気づいたのかい」

「避けられる『流血』は避ける。それだけの話だ」

 

 クルトは壁に背を預け、上級大将に不釣り合いな無骨な軍用水筒を傾けながら私を批判する。私も自然、素っ気ない口調でクルトに応えた。眼前の光景、演台のセットアップに尽力する数人の将校を何気なく見渡しながら、である。

 

「悪い癖が出たねアルベルト。君は君自身に嘘を付けない人間だ。だから、君が嫌な事はどうしても出来ないんだろう。……好きにすると良いさ。昔と同じだ。少し出遅れたが君が立ち止まっている間は僕が進んでおく。君もそう望んでいるようだしね」

「……」

「僕が好きに動き出したのは知っているだろうに……それが君から見れば火薬庫の側で火遊びするようなことだろう……だが君は止めないのさ。自分が立ち止まっている自覚があるのに、他人の足を止めるのは君の格率に照らして『正しくない』んだろう」

「……何だって?確率?」

「君はカール・ベルトルトより余程道徳的だ、と言っているんだよ。……少なくない後世の歴史家は君を嫌うだろう」

 

 クルトはやりきれなさそうに、馬鹿にするように、あるいは吐き捨てるようにそう言った。私が反論しようとしたその時、控室側の扉が静かに開いた。端正だがやや神経質そうな顔立ちの青年を筆頭に数人の屈強な地上軍人に囲まれ、ヴァルトハイム地上軍大将が入室する。

 

「ミュラー准将、ミュラー中佐、悪いな。貴官らには迷惑をかけた」

「謝罪すべきは小官と愚弟です。閣下。恩を仇で返すような真似をしてしまい……」

「良い良い。若人というのはな、大人しいよりは騒々しい方が良いものだ」

 

 かかかと笑いながら歩く老人に、謝罪した青年軍人は恐縮しきりの様子だ。その斜め後方に立つ青年軍人は憮然とした表情である。頬が赤く腫れている。

 

「ライヘンバッハ伯爵。紹介しよう。アルフレッド・ミュラー地上軍准将。地上軍総監部経理部第三課長を務めている」

「総監部ですか……」

 

 地上軍総監部と言えば帝国軍でも貴族軍人の牙城だ。ティアマト以降、平民軍人にも出世の道は開けたというが、地上軍の場合は現場レベルの話に留まっている。中央軍機関の課長クラスに平民軍人……それも恐らくは門閥や軍閥との関わりも無い人間が昇進するのは並大抵の事ではない。

 

「伯爵閣下のお力添えがあっての事です」

「儂は優秀な人材を相応しい場所に配置するよう助言しただけだ……。そして彼がフェルディナント・ミュラー宇宙軍中佐。准将の弟でな、監獄を抜けるのに協力してくれた」

「……戒厳司令部の意向に従ったまでの事です。『白薔薇』はあくまで戒厳司令部の指揮下にある、考えるまでも無い事です」

 

 フェルディナント・ミュラー宇宙軍中佐は仏頂面で応える。ヴァルトハイム地上軍大将ともう一人の輸送は白薔薇党に対して秘密裏に行われた。白薔薇党の指導者達が存在するライヒハートではなく、ヒンデンブルクに彼等が拘禁されていたのは幸運だった。

 

「良く言う。自分の仕出かしたことの重大性に漸く気づいただけだろう」

「長兄殿。勘違いされては困る。小官は自分の行いが誤っているとは微塵も考えてない」

「お前……まだそんな世迷言事を!」

「また殴りますか。一発は長兄殿の迷惑料として受けましたが次も同じとは考えないで欲しいものだ」

 

 ミュラー准将が「どうしてお前は……!」と言いながら拳を握りしめ、ミュラー中佐が憮然とした面持ちで兄の事を睨みつける。その時、ヴァルトハイム大将の隣に立っていた大男がミュラー准将の肩を抑えながら口を開いた。

 

「……儂とヴァルトハイム伯は貴官の兄弟喧嘩にいつまで付き合えば良い?」 

「げ、元帥閣下……失礼いたしました」

「ふん……叛徒共の暴虐極まりない振る舞いがその身に流れる下賤の血故という事がよく分かったわ。平民とて、血というモノの束縛からは逃れることが出来んのだな」

 

 不機嫌そうに大男……宇宙艦隊司令長官オスカー・フォン・バッセンハイム宇宙軍元帥は吐き捨てる。その言葉を聞きミュラー中佐が色めき立つが、ミュラー准将が無理矢理頭を下げさせた。

 

「……似合わない物言いですね」

「そうか?常々儂は平民というモノのどうしようもない知性の欠如に辟易していた。卿の前でもそれを隠した覚えはないが」

「『敬意』だろ」

 

 私とバッセンハイム元帥の会話に横から口を挟んだのはクルトだ。

 

「今の元帥閣下には罵倒に『敬意』が無い。……ああ、後余裕もない。優雅じゃないね」

「……父親は貴様ほど敵意を振りまいていなかったぞ。シュタイエルマルク大将。貴官こそ余程余裕がないようだ。それとも足りんのは思慮か?」

「いいや、適度な運動と知的活動さ。あとはカフェインか?……藪医者に軟禁されててね」

 

 苦々し気なバッセンハイム元帥に対しクルトは飄々としたものである。……クルトの言葉を聞いて分かった。バッセンハイム元帥は確かに勇気ある者への敬意を忘れない人物だ。そして平民であろうと優秀な軍人に対しては相応の評価をし、敬意を持つ人物だ。……どうやら私が引き起こした事態は身分卑しき勇ある者に対するバッセンハイム元帥の敬意を失わせるに十分だったらしい。

 

「閣下に不自由を強いたことは……」

「やかましい。謝罪など求めとらんわ。思いつめた物よなライヘンバッハ伯。……儂はな、愚物堅物俗物揃いの老人共に比べれば、これでも卿の思考を理解し、気持ちに共感できる方だと思っていた。だがこれは……」

 

 バッセンハイム元帥は顔にありありと失望の色を浮かべている。「理解も共感も出来てなかった、という事じゃあないかい?」とクルトが口を挟む。バッセンハイム元帥はそちらには一瞥もくれない。

 

「他に手は無かった、儂にはそう思えんぞ伯よ」

「だが帯剣貴族が道を誤ろうとしていたのは事実。そして卿にもその自覚はあった。だからこうして儂と共にここに来たんだろ」

 

 絞り出すようなバッセンハイム元帥の非難を即座に淡々とした口調で遮ったのはヴァルトハイム大将である。

 

「……一族郎党の為だ。ライヒハートに送られては一溜りもない」

「オスカー、儂も卿も『止められなかった』人間であり、その一事に責任はある。ライヘンバッハ伯は形はどうあれ愚行を止めた。……聞いているぞ。『双頭の鷲(ドッペル・アドラー)を公然と掲げるクーデター軍など存在してはならない』。ファビアンにそう泣きながら直訴したそうではないか。……今更ながら、儂等にはやれることがある。ならばそれをやる事に異存はない。卿もそれは同感だろうに」

「……」

 

 バッセンハイム元帥は苦渋の表情だ。無念・悲憤・後悔……その内面に渦巻く感情の嵐がひしひしと伝わってくる。ヴァルトハイム大将は一瞬同情の色を見せたが、それをすぐに飲み込み険しい表情で続ける。

 

「帝軍相撃つ危機を目前に恨み言を吐くのが、『双璧を継ぐ者』と謳われた名将オスカー・フォン・バッセンハイムの生き方か!」

「……分かった!分かってる!ヴァルトハイム伯。……感情の整理を付ける為に言っただけの事だ。協力しない訳じゃない。ライヘンバッハ伯。卿の尻拭いをしてやる。赤色胸甲騎兵艦隊司令官の上位司令官が帝国宇宙艦隊司令長官だからな!……だがこれが最後だ」

「分かっております。……深く感謝申し上げます」

 

 私は深々と頭を下げる。その耳にクルトの皮肉気な声が届いた。

 

「……もう遅い。帝軍は既に相撃っている」

「キフォイザーもカールシュタットも所詮小競り合いだ。本格的な衝突は止められる」

 

 私は頭を上げると顔は合わせずクルトに言い返した。だが言葉に力があったとは……到底思えない。実の所、私もクルトの見解に賛同する部分はある。今更引き返すことが出来る、そんな都合が良い展開があるのか。そんな疑問はあった。だが眼前の二人の老将の絶大な名声を以ってすればあるいは、そう思える程度にオスカー・フォン・バッセンハイムとガイエス・オトフリート・フォン・カベルツェ=ヴァルトハイムは偉大な英雄であったのだ。彼等が「出来る」と言った事に、私の如き若輩が「無理だ」とは言えなかった。少なくともこの時までは。

 

「時間だな。……シュタイエルマルク上級大将。卿は儂達を軽蔑し、憎んている。それは良い。だが自らが否定すべきと思い定める相手が皆愚劣である可能性というのは、そう高くは無いのだ。それは本来、人間に個性を認める卿こそが辿り着くべき答えであるが……卿はまだ若い。故に世界の深みを未だ捉えられていないのだろう。……生き急ぐでない。卿はこれからの帝軍に必要な人間である」

「……一つだけ。ヴァルトハイム大将閣下。私は貴方も貴方の御友人も誰も憎んでいない。貴方を快く思わない全ての人間が貴方より劣っていると、そう自然と考える傲慢さと、貴方を敵視する何者かを悉く感情の徒と見做すその狭量さ。しかしそれは貴方が栄光に満ちた軍歴の中で得た勲章ともいえる。私にとってそれは忌々しくもあるが敬意を払うべきものでもあった。……過去を誇りながら貴方はこれからの帝軍を見守っていれば良かったのです。それは老害と呼ばれるものなのでしょう。……しかし、貴方という英雄にはそうなる権利すらあった。必要悪としての役割もあったかもしれない。あるいはもしかしたら、貴方ならば上手く老兵として消えていくことが出来たかもしれない」

 

 クルトはどこか哀れむような表情でヴァルトハイム大将に語り掛ける。無礼にも程がある言葉の弾丸に対し、しかしヴァルトハイム大将は残念そうな表情をするだけだ。むしろバッセンハイム大将の方が気色ばんだ。しかしヴァルトハイム大将がセッティングされた壇上へと歩み始めたため、バッセンハイム大将も何も言わずその後に続く。その背中を見ながらクルトは小さく呟いた。

 

「今この瞬間、貴方方は帝軍に必要とされない人間へと堕ちることになった。僕はそれを本当に残念に思う」

「クルト!言葉が過ぎ……」

 

 私はクルトを強く窘めようと向き直ったが、その表情を見て言葉を失った。……彼の表情から苛立ちの色も嘲りの色も消えていた。眉尻は下がり、「泣き出しそう」とも形容できるような沈痛な表情を浮かべていた。……これもまたバッセンハイム・ヴァルトハイム両大将への挑発ないし嘲りであると考える人は多いだろう。だが二〇数年来の友人である私には彼がふざけている訳ではないことが分かった。そもそも彼は皮肉を好むが悪趣味でも無礼でもない。振り返れば、今日のクルトはバッセンハイム・ヴァルトハイム両将に対し、あまりにも「らしくなかった」。

 

「アルベルト。覚えておくんだ。象徴を象徴足らしめるのは神秘性だ。僕は最早祈る事しか出来ない。オスカー・フォン・バッセンハイムとガイエス・オトフリート・フォン・カベルツェ=ヴァルトハイムに対して、彼等の名誉ある軍歴に相応しい評価を下す歴史学者が生まれることを。その歴史学者が、能力と名声で他に比類なきことを」

 

 

 

 

 

 

 

 

 宇宙暦七八〇年一二月二五日に行われたオスカー・フォン・バッセンハイムとガイエス・オトフリート・フォン・カベルツェ=ヴァルトハイムによる和解の呼びかけは多くの歴史学者が酷評するような「致命的な思い上がりと現実感覚の欠如の産物による世紀の迷演説」ではなかった。彼等はベストを尽くし、そこに勝算は確かにあった。彼等の尊大とも取れる兵士への「投降」の呼びかけは、彼等が将の中の将、勇者の中の勇者、バッセンハイムとヴァルトハイムである事実により許された。彼等が身勝手に人々へ押し付けた「高貴なる者の義務(ノブリス=オブリージュ)」「臣民の分際」もまた、彼等がバッセンハイムとヴァルトハイムである事実――そして水面下で粛軍派と反粛軍派による現実的な「落としどころ」に関する折衝が開始されたという事実――により許された。惜しむべきは彼等の言葉を許したのが貴族と軍人だけだった、という事だ。

 

 グッゲンハイム地上軍大将とヴェネト地上軍中将がそれぞれ「妥協」を示唆するコメントを発信した。粛軍派を標榜する少なくないレーテで臨時会合が持たれた。いくつかの粛軍派部隊につく戒厳部隊司令官は演説に合わせて発された戒厳司令部の停戦命令――実際それが必要とされるような戦闘状態にある部隊は未だ極少数であったが――を遵守する意向を表明した。官界五大公爵家当主で帝国産業報国会会長のフライエンフェルス公爵、皇枝一八家門筆頭ルクセンブルク公爵、統帥本部最高幕僚会議名誉議員アルレンシュタイン宇宙軍退役元帥、国防臣民会教導部長パウムガルトナー予備役上級大将、帝国領主会議議長シュレージエン公爵、ゲルマン教理庁長官アンドレアス司教枢機卿が相次いで「和解」への賛意を表明した。

 

 宇宙暦七八〇年一二月二五日オーディン標準時(WZ)午前九時の演説放送から翌六日正午までの約二七時間は、この流血の季節の中で例外的に訪れた安寧の時だったかもしれない。しかし、オスカー・フォン・バッセンハイムも、ガイエス・オトフリート・フォン・カベルツェ=ヴァルトハイムも、私も粛軍派上層部も、それが偽りの安寧であることにはすぐに気付かされた。

 

『バッセンハイムとヴァルトハイムを吊るせ!』

 

 民衆は激怒した。彼等には難しい事は分からないが、バッセンハイム・ヴァルトハイム両将が正しい事をしている自分達の事を非難していることは分かった。民衆は彼等の演説を酷く理不尽なものだと受け取った。民衆は多くを望まない。せめて日々を生きていけるだけの食糧が欲しい。せめて飲んでも病気になる恐れが無い水を飲みたい。せめて子供たちの人生が貴族の理不尽で汚されないようにしてほしい。せめて無実の罪で突然官憲に襲われることはないようにしてほしい。せめて突然機械が爆発するような環境ではなく、少なくとも命の危険が無い環境で働かせて欲しい。せめて給与は額面通りに払って欲しいし税金は法律で決まっている分だけ持っていって欲しい……。

 

 元来、帝国民衆の多くは権利意識が希薄である。そんな帝国民衆が、それでも自分達に要求と復讐の正当な権利があると確信して決起した意味を、両将は……いや、私も含め粛軍派は誰も理解していなかった。民衆にとって、オスカー・フォン・バッセンハイムも、ガイエス・オトフリート・フォン・カベルツェ=ヴァルトハイムも、政府が垂れ流す公式発表によく出てくる老人以上の存在ではなかった。そして民衆は長い歴史からそこに名前が出てくる老人が自分達にとっては本当にどうでも良い存在であることを学んでいた。帝国正規軍において一兵卒に至るまで悉くが敬愛と畏怖の対象とする両雄は、民衆の大半にとっては道端の石のような存在であった。

 

 一方的かつ高圧的に、なんら民衆の苦境に寄り添わず、何なら民衆など眼中になく帝国軍の和解を呼びかけたことで、道端の石は、憎悪の対象となった。両将は間違いなく一つの時代を代表する偉大な将帥であり、そう評されるに足る戦功と栄誉はこれでもかと大衆に喧伝されていたが、民衆には二人の老人が権力を使って適当な美辞麗句で自らを飾り立てているだけにしか見えなかった。……他の欺瞞に満ちた空虚な栄光で自らを包む老人達がそうしているように。

 

『これが帯剣貴族の認識である。……彼等は民衆を顧みない。彼等は忠誠を尽くす自分に陶酔し、戦功を挙げることにしか興味を持っていないのだ。彼等は皇帝陛下や国の為に剣を振るっているのではない。ただ、己の欲望の為に剣を振るっているのだ』

 

 後に白薔薇党六人衆――白薔薇党の指導層たる六人の将官、ゾンネンフェルス宇宙軍中将を除き全員が平民の地上軍将官――と呼ばれる中の一人アルトゥール・クライスヴァルト地上軍中将は民衆の激昂を見届けた後でそう演説した。このクライスヴァルト地上軍中将は、戒厳司令部と白薔薇党の間に立ち、バッセンハイム・ヴァルトハイム両将の一時解放に尽力した人物だ。白薔薇党の中では穏健派……というかそもそも白薔薇党よりも戒厳司令部寄りの立場を取っていた人物の筈だった。しかし、この演説を皮切りにクライスヴァルト地上軍中将は白薔薇党の指導者の一人である事を隠さないようになっていく。

 

 ……つまり一杯食わされた、という事だ。白薔薇党はバッセンハイム・ヴァルトハイム両将の演説が民衆にどう受け取られるか、正確に洞察した上で、敢えて和解演説をさせたのだ。

 

 各地の労兵評議会(レーテ)と粛軍派部隊は民衆の強硬姿勢に引きずられる形で相次いで和解拒否の声明を発した。その内のいくつかは戒厳司令部に対し「国家中枢の悪性腫瘍に対し断固たる外科手術を実施すること」(ダンツィヒ=レーテ声明文より)というような要求を行い、ビブリス=レーテに至っては「戒厳司令部の姿勢に関わらず、我々ビブリスの労兵評議会は例え単独でも秩序と正義の敵に対する闘いを続けよう」との声明を発した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「反粛軍派は態度を軟化させつつあります。彼等に中央機関と実戦部隊における一定の勢力を認め、ある程度の権益を返還すれば妥協は可能でしょう。幕僚総監か後備兵総監あたりにファルケンホルン元帥閣下を押し込んで、その元帥府に反粛軍派……というよりか旧ルーゲンドルフ派諸将を集める方向で如何でしょうか」

「師団長以下、実際に部隊指揮に携わる中級指揮官の人事を刷新する事について、旧ルーゲンドルフ派は『未来志向の建設的人事』であれば受け容れたいという意向を示しています。……平たく言えば、ある程度手足を縛られることは覚悟するが、手足を切り捨てて生き延びるような体裁の悪い形にはしないで欲しい、という事でしょう」

「……また、グライフェンベルク憲兵副総監から重大な情報を入手しました。こちらをご覧ください」

 

 居並ぶ諸将を前に、アイゼナッハ宇宙軍大将とゼーフェヒルト地上軍中将が代わる代わる口を開く。両将はキルヒェンジッテンバッハにおいて、反粛軍派のグライフェンベルク地上軍中将、ゲッフェル宇宙軍中将との間で秘密裏に折衝を行っている。その場にはカベルツェ=ヴァルトハイム大将が同席しており、事実上はカベルツェ=ヴァルトハイム大将と粛軍派の交渉と言っても良いかもしれない。

 

「憲兵総監部の捜査によると、ライヒハートにおける悲劇は、戦線系反政府組織が主体的関与を行った可能性が濃厚であると事」

「ほう……」

 

 殊更真面目くさった表情でアイゼナッハ大将が放った言葉に、諸将は一斉に驚きの声を挙げる。……一つの儀式である。

 

「首謀者は帝国臣民最大の敵、アルカディアの叛乱勢力首魁エマニュエル・ゴールドスタイン、その背後にはブランデンブルク侯爵閣下とサジタリウス叛乱軍の存在が疑われます」

「……あー、何だ。証拠はあるか?」

 

 白けきった表情でブルクミュラー大将が問うと、メインスクリーンに何らかの書類らしきものが映し出される。

 

「憲兵総監部外事局の資料です。外事局が陰謀を察知してすぐ、グライフェンベルク副総監にも報告が上がったそうですが、オッペンハイマー元憲兵総監が緘口令を敷き、特事局に捜査チームを設置。グライフェンベルク副総監は完全に蚊帳の外に置かれていたそうです」

「一義的責任はオッペンハイマー元憲兵総監にあるとはいえ、グライフェンベルク地上軍中将も責任を痛感し、この混迷の事態を収拾し次第、一線を退くとのこと」

「一刻も早く帝国軍内部に浸透した叛乱勢力及びその危険思想に同調した者達を排除し、軍内秩序を回復する必要があります。その限りにおいて、諸将は戒厳司令官の統制に完全に服す意思を示しています」

 

 二人が報告を終えると会議室に沈黙が訪れた。これは提案だ。反粛軍派が粛軍派に提案したストーリーだ。それを呑むか呑まないか、諸将は必死に頭の中で検討している。

 

「……常套手段ではある。とりあえず全て自由惑星同盟(アライアンス)銀河共和戦線(フェデラル)の責任にしておくっていうのはね」

 

 投げやりな口調でクルトがそう呟くと、数名が咎める視線を送る。自由惑星同盟はサジタリウス叛乱軍というのが正式な呼称であり、銀河共和戦線は本拠地の名前を取ってアルカディアの叛乱勢力と呼ぶのが正式な呼称である。

 

「シュタイエルマルク上級大将、発言は慎みたまえ……」

「お言葉ですがゾンネンフェルス元帥閣下。我々は一応終戦を是とする者達の集まりです。それを休戦と呼ぶか停戦と呼ぶか、そんな見解の違いはあるかもしれませんが、何にせよ一旦は戦争を止めて内憂にあたろうと考えている勢力です。我々は国と認めぬ相手と終戦なり休戦なり停戦なりの条約を結ぼうとしている訳ですか?」

「そういう話は今しなくても良いだろう……」

 

 ゾンネンフェルス元帥は疲れたように肩を竦める。クルトも溜息をついて矛先を納めた。

 

「……ま、止むを得んでしょうな、この線で行きますか」

「しかしな……これだけの事を全部サジタリウスとアルカディアの仕業にするのはな……それはそれで帝軍の権威が」

「オッペンハイマーに泥を被せますか、反政府勢力の陰謀が成功したのではなく、奴が仕事に失敗した、と」

「そうしたところで、だな。そんな無能者に帝国軍は一体何年間憲兵総監を任せていたんだ?……皇帝陛下の威信にも関わる」

「そういう発想があの寄生虫を生かしてきたわけだ。そろそろ汚泥と一緒に消すのも良いだろう」

 

 粛軍派の高官たちは皆苦虫を嚙み潰したような表情でストーリーについて話し合い始める。やがてそれは反粛軍派にどれだけのポストを残すか、反粛軍派の中級指揮官たちをどの地域に飛ばすか、白薔薇党をどう処刑するか、そんな話へと変わっていく。私はその様子を見守っていたが、余りに現実が見えていないその討議についに口を挟んだ。

 

「諸卿等は民衆の反応を見ていないのか?民衆は反粛軍派の事を完全に『皇帝の敵』と考えている、そんな連中と生半可な妥協をすれば我々への信用も完全に失墜する。違うか?」

「学のない民衆などどうにでもなるでしょう。皇帝の敵は滅びた、帝国万歳、そう伝えれば問題ありません」

「それで通用しなかったからこの騒ぎなんだ!『民衆は無知ではあるが、真実を見抜く力を持っている』。ああ、故人マキャヴェリは良く言ったものだ。……私も見誤っていた。まさかバッセンハイム大将閣下とカベルツェ=ヴァルトハイム大将の演説が、民衆を激発させるとは……。彼等がそこまで追い詰められている事を、私は気付いていなかった」

 

 屈辱と恥ずかしさで一杯になりながら私は話す。自分がここまで間抜けな言葉を話すことになるとは、全く予想できなかった。……いや、予想できなかったこともまた、私の傲慢さなのだろうか。私は人々の想いをくみ取れる人間であると、そんな風に自分を評価していたのだろうか。全く情けない話だ。

 

「いいか?このオーディンですら民衆の暴動が起きているんだぞ、三部会の議員崩れか文理科大の学士か知らないが、活動家が地方都市で民衆を煽り立てている。ビーレフェルト、ダレス、ヴェステンカールシュタット、グナイセナウ、ハンブルガーハーフェン、ノイヴィート、これらの都市が白薔薇に扇動された民衆の勢力下におかれていることについて、諸卿等に危機感は無いのか?」

「閣下、それらの都市は丁度、粛軍派と反粛軍派の勢力圏の境界に位置しています。故に、今現在我々は反粛軍派を刺激しない為にそれらの都市から手を退いています。反粛軍派も恐らく同様でしょう。一たび反粛軍派と和解できれば、我々の部隊と反粛軍派の部隊にそれらの都市は挟撃、包囲され容易く屈服するでしょう」

「屈服しなければどうする?私は虐殺者にはなるつもりはないぞ。殺すのが一人だろうが一万人だろうが『私が』殺人者であることは変わりない。だが私が殺すのが一人か、一万人かで『九九九九人が』死者となるかどうかが変わる。故に私は殺人を常に恐れている。諸卿等の中には私を弱腰と罵りたい者も居るかもしれないが、私は私の決断で死ぬ人間に可能な限り責任を持ちたいのだ」

 

 シュレーゲル=ライヘンバッハ近衛軍兼地上軍中将(昇進)が軍事的な見地から民衆暴動の脅威を低く見積もって見せるが、それに対する私の反応は苛烈だった。シュレーゲル=ライヘンバッハ中将は私の想定外の激発に一瞬口ごもった。それを横目にブルクミュラー大将が口を開く。

 

「閣下。小官とて、軍人の矜持はあります。弱き者に好き好んで銃を向けるつもりはありません。しかし、それが襲い掛かってくる相手であれば、好みなど横に置いて銃を向ける他無いのです。人間という生き物は意外と脆い。弱き者とて、拳程の石があれば人間を殺せる。運が弱き者に味方すれば、屈強な軍人とて万が一があるかもしれない。小官はそう考えております。閣下、地方都市を占領する者共を『民衆』と考えるのはお止めください。そこに居るのは敵なのです」

「……ブルクミュラー大将、貴官は思い違いをしている。貴官が言うような事はそれこそ私がこの身で知る事である。私は知った上で、貴官の考えを否定しているのだ」

「は……?」

「リューベックで私を撃ったのは、一三歳の少女だった。四日前まで箱入り娘で、父親が帝国軍に処刑された三日前から復讐者になった。私はリューベック政府にそう聞かされた」

「……何と」

「貴官らは戦場を良く知っているかもしれないが、リューベックの事はさして知るまい。ローザンヌの事も、トラーバッハの事も。故に、諸卿には謙虚に今から私のいう事を胸に刻んで、この未曽有の危機に真剣に対処して欲しい。私がこの帝国で起きてきた騒乱から学んだことだ」

 

 私は会議室を見渡す。私の言葉に納得の行っていない人間も明らかに見受けられる。それでも私はこの場の誰よりも辺境政策に長らく携わってきた人間だ。予備役復帰後は実戦部隊に身を置き本省での辺境関連業務と縁が遠のいたが、その代わり第二次エルザス=ロートリンゲン戦役を通じてその目で辺境の実情を見てきた。その経歴に価値を見出せない人間はハッキリ言って無能だ。そして、この場にそこまでの無能は居ない筈だ。

 

 私は真剣な表情で語り掛ける。

 

「国家にとって民衆とは統治すべき対象である。その原則を見誤ってはならない。……社会と秩序の防衛の為、集団を弾圧すべき時が国家にはあるのかもしれないが、それは守られる圧倒的多数の民衆を背後に背負って行うから統治行為になるのだ。一たび、国家がその背後に民衆を庇う事を忘れては……建前であっても国家が民衆を守るという姿を放棄すれば、それは最早国の体を為していない。『民衆は無知であるが、真実を見抜く目を持っている』。銃口を向けられた民衆は自分達が見捨てられたことに気付くだろう。帝国国民としてのアイデンティティを失うだろう。その時に今までと違うのは、我々の後ろに帝国国民としてのアイデンティティを持った民衆が存在しない点だ。この動乱に脅威を感じる民衆は皆無に近い。希望を抱く民衆は世に溢れ返っている。臣民に銃口を向ける我々の背中に希望を持つ人間は、およそ民衆と言う言葉がつかえない程に絶対的な少数派なのだ」

 

 私はそう言って会議室を見渡すが、私の言っている事がイマイチ理解できていないような顔色ばかりが並んでいる。例外はメクリンゲン=ライヘンバッハ地上軍大将を含め極僅かだ。その僅かな例外の一人であるクルトが溜息をつき、話を始めた。

 

「……要するにアルベルトはこう言いたい訳だ。今軍がたった一人でも民衆に銃を向ければ、我々は統治すべき国民を失う。すなわち我々は国家ではなくなり、この争いは単なる集団と集団の最終戦争……あるいは階級闘争へと変貌すると。そして我々はその争いで圧倒的な少数派であり、敗亡は必至であると」

 

 私はその言葉に大いに頷き、そして身を乗り出す。

 

「反粛軍派との内戦を避ける、それは確かに重要なことだ。だが、私たちは私たち自身の拠るべき場所を見失ってはいけない。諸卿等には厳に安易な強硬論を慎んでほしい。……これは繊細な話なんだ。反粛軍派と如何に妥協するかと同程度に、いやそれ以上に私たちは民衆と如何に妥協するかを考える必要があるんだ」

 

 諸卿は分かったような分かって無いような表情だが、ひとまず一様に頷く。その様子に不安を感じながらも、私はひとまず口を閉じる。

 

「……僕から一つ付け足そう。諸卿は民衆を愚かだと考えている。僕はそれを否定はできない。当然だ、上流階級とどれほど教育レベルに差があるのかを考えればね。……でもそれは、我々が民衆を容易くコントロールできることを意味しない」

 

 クルトは険しい表情で続ける。話しながら、私にもその厳しい目線を向けてきた。

 

「諸卿等が、反粛軍派との和解をどう民衆に説明するつもりかは分からない。ライヒハートの処刑をどう説明するつもりかも分からない。皇帝陛下に逆らったはずの逆賊と肩を並べる正当性をどう説明するつもりかも分からない。ただ分かる事が一つある。無知蒙昧なる民衆は、高尚にして賢明なる我等貴族が知恵を絞って絞って絞り切って、やっとの事で出した非の打ちどころのない見事な大義名分(言い訳)など、どうせ理解できないという事だ。……僕が思うに彼等は満足を求めているのであって、それを与えずして妥協することは不可能だ。そして彼等を満足させるには『皇帝の敵』『民衆の敵』の完全なる掃討が必要不可欠だ。ライヘンバッハ上級大将、僕の認識に間違いはあると思うか?」

 

 私はクルトの問いに言葉少なく答える。「何が不可能であるかを言うのは難しい事だ」と。その言葉に力が籠っていたかどうかは私には分からない。ただ、六年前に読んだグリーセンベック上級大将の手記には私が「憔悴した様子であった」と書かれていたし、オーソン大佐(当時)は「苛立たし気に見えた」と証言を残している。彼等がそういうのであれば……そうなのであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「センセーショナルな見出しばかりだな」

 

 一二月二七日朝刊号の帝国一般新聞(ライヒス・アルゲマイネ・ツァイトゥング)を顔を顰めながら読んでいたユリウス・ハルトマン宇宙軍少佐が嘆くような口調で言う。ハルトマンは私たち三人が囲むテーブルに新聞を置く。そこには彼の言う通り刺激的な見出しが躍っている。

 

『二提督陸軍皇帝に謁見せり』

『許すなカノッサの再演!臣民の怒り帝都に吹き荒れる!』

『ヴィルヘルム街(官庁街)を占拠せよ!』

『「国家の中に国家は要らぬ」荘厳クロプシュトック公、軍国主義者に鉄槌を』

 

「クラウン氏も良くやる。国営といくつかの諸侯資本以外はどこも追従して民衆を煽ってるよ。……暫くテレスクリーンは暫く見たくないね」

 

 クルトはそう言ってコーヒーカップを口に運ぶ。淡々としたものだ。

 

「……」

「大分参ってるね。……だから余計な事はせずさっさと鉈を振るっとけばよかったんだ」

「よせよ……結果論だろ」

「どうかな?」

 

 私が黙り込んでいるのを落ち込んでいると解釈したのか、クルトがそう声をかける。ハルトマンが私を庇うがクルトは皮肉気に肩を竦め、ソファーにその身を沈めた。

 

「ユリウス、機関の方はどうだ?」

「ヴェスターラントの思惑通りだ。地方の奴等は完全にあの貴族主義者のクソ野郎にのせられてる。ヴェスターラントの成功が連中を独立の夢に酔わせた。……組織の分裂を避けるために同志たちは白薔薇を支持するとさ。地方閥を取り込んだのは失敗だった。連中は視野が狭い、思慮が浅い、そして欲が深い。呉越同舟とは言うが、あんな小カストロプみたいな連中を内部に取り込めばこうなるのは目に見えていた」

「……それも結果論だ」

「クソ!スウィトナー中将が拘束されて無ければ……!」

 

 ジークマイスター機関はリューデリッツの攻勢を受けてその勢力を一時期大きく減じていた。そこから回復する過程で、ジークマイスター機関は変質せざるを得なかった。統一国家志向のジークマイスター機関とは本来相容れない地方出身者の取り込みに注力した。政争の敗者や犯罪者も協力者として招き入れた。さらには、これまで完全に接触を断っていた体制外反政府組織との連携を模索した。戦線・革民同・コミューンを代表とする急進的な共和主義勢力だ。

 

 ……ジークマイスター機関のメンバーからすると、彼等の行動は無秩序で残虐で過激に過ぎた。ジークマイスター機関の構成員からすれば、幼年学校を爆弾で吹き飛ばすことで何かが変わるとは思えなかったし、救貧物資を満載した輸送船を奪取したことから正義の一かけらも感じることは出来なかったし、幹部殺害の報復で人口密集地に劣化ウラン弾をばら撒いたことに対しては正気を疑った。

 

「そんな手段(テロ)が目的となってるような連中と組んだ結果がこれ、か。……グライフェンベルク憲兵副総監の報告書は捏造だろうけどね、案外的外れとは言えないかもしれないよ。帝都の政治情勢が翌日には辺境自治領にまで広まっている。労兵評議会(レーテ)だって?そんなものが同時多発的にポンポン出来て溜まるか。仕込みも無くこんなに上手く行く筈がない。あまりにも民衆の憎悪が一方向に傾き過ぎだ。……誰かが念入りな準備をしている。コールドスタイン、ジン・ジャナハム、ヒューリック、その辺の連中が一枚噛んでるに違いない、同盟も後ろに居るかもな」

「クルトは私達の『粛軍計画』がジークマイスター機関から漏れたと思ってるのか?」

 

 エマニュエル・コールドスタイン銀河連邦亡命政府副首相兼内務兼国防大臣兼銀河共和戦線最高司令官。

 ジン・ジャナハム革命的民主主義者武装同盟統一執行部書記長。

 ファン・ヒューリック流星旗軍第一三独立外郭部隊司令官。

 

 いずれも名高い反帝国主義者である。コールドスタインは連邦主義者(フェデラリスト)の乱を主導した銀河帝国の元司法次官と同一人物であり、全身を機械に置き換えながら生き永らえて反帝国運動を指揮し続けているとされる。「される」というのはあくまでこれが銀河連邦亡命政府(共和戦線の上位組織・自由惑星同盟オブサーバー政治組織)の公式発表であるからだ。自由惑星同盟は「少なくとも技術的に不可能ではない」と言及しているが、銀河帝国は「滑稽に過ぎるプロパガンダ」と相手にしていない。

 

 ジン・ジャナハムは革民同の前身組織である共和主義・分権主義的小組織の統合体である『軍事同盟』の頃から組織の指導層が使用しているコードネームの一つである。その為、ジン・ジャナハムは複数人存在しているが、一応、『真のジン・ジャナハム』は統一執行部書記長であるとされている。……連邦末期には辛うじて機動戦士が生き残っていたらしい。だとするならば今のオリオン腕でそれが忘れられている事もまた帝国の重大な罪ではなかろうか。サジタリウスに一部の作品が持ち出されていたことは不幸中の幸いと言える。

 

 ファン・ヒューリックは流星旗軍の古参幹部で最強の軍事指導者とされている。流星旗軍の一派を率いて辺境宙域、特にズィーリオス特別区方面で活動している。アウタースペースに『解放区』を設けると共に、ズィーリオス各地の惑星を『解放』して回っており、宇宙海賊という叛逆の次に重い罪に問われ、性犯罪者の次に嫌われる立場に有りながら、その人気は高い。自由惑星同盟では彼を主人公とする「オリオン腕のロレンス」なる映画が製作されるほどだ。当然、銀河帝国は全力を挙げてその封殺に動いているが、どうも内憂(フェザーン)外患(アウタースペース)の有力勢力が後ろ盾になっているらしく、殆ど成果を挙げられていないのが実情だ。……しかしファン・ヒューリックとは大層な……不敬な名前を名乗っているモノだ。恥ずかしくないのだろうか。

 

「共和派諸組織が動いたと仮定すれば、機関内部の寄生虫から情報が流出したと考えるしかない……フェザーンでの忠告は覚えているかい?」

「亡命したシェーンコップ准将が会いに来た件か。……なるほど、地球教への調査を優先しすぎたな、先に足元を固めるべきだった。あの人はきちんと『同志を疑え』と言ってくれていたのに」

「我々が今回の逆クーデターを成功させることが出来たのは、返還された捕虜の協力があったからだ。……そして、我々の行動を利用した者達がこの想定以上の混乱を巻き起こすことに成功したのも、恐らく返還された捕虜の協力があったからだ。……まあゾンネンフェルス中将を見れば言うまでも無い事だけどね」

 

 部屋が沈黙に包まれる。クルトがカップをテーブルの上に置く音が嫌にハッキリ聞こえる。私は額を嫌な汗が流れたことを自覚しながら前のめりになって口を開いた。

 

 オトフリート・フォン・ゾンネンフェルス宇宙軍中将は私の艦隊の副司令官を務めている。この人事は私が一敗地に塗れて軍内で蔑視される彼の後ろ盾となったことを広く示す目的があった。……その裏には自由惑星同盟に「仕込まれた」可能性がある彼に対する監視という目的があった。その目的は果たせず、今彼は平民の過激派下級将校たちと行動を共にしている。

 

「連中の望みはなんだ?」

「流石に分からないさ。ただまあ、少なくともこの事態が全て望み通りかは怪しいね。きっと、この混乱は僕たちも含めて多くのプレイヤーが動いた結果だろうから」

「……」

「アルベルト。決意は固まったかい?……主導権を取り戻す必要がある。ところが、僕達は今、僕達自身の主導権すら握れていない。粛軍派は多くを取り込み過ぎた。だから……ゾンネンフェルス退役元帥やアルトドルファー地上軍元帥、老人達を排除するんだ」

 

 クルトは目に危険な色を帯びさせて、私に尋ねた。ハルトマンも私を見つめている。

 

「敵だらけのこの状況で、曲がりなりにも味方となっている者達に銃を向けるのは……自殺行為としか思えない」

「死んだって良いじゃないかアルベルト。死を恐れてこのまま反粛軍派と妥協するのか?納得しない民衆を力づくで押さえ込むのか?君は保身で民衆に死を齎すのか?不作為もまた故意には違いないんだ。君は可能な限り殺人者になりたくないんじゃないのか?」

「無責任にはなれないということだクルト!私は結果に責任を持ちたいんだ。私は失敗を恐れない。私が失敗しても歴史は必ず正道へと戻される。だからと言って『失敗したって構わない』そんな心持ちになれるものか!ヴァルハラで死んだ者達に、『最善は尽くしたから評価してくれ』と言えるものか!リスクを負うべき場面はあるが、今は本当にそうすべきなのか?老人達を排除してこの粛軍派すら二つに割るリスクを負うべきなのか?」

「リスクが怖いなら何で粛軍計画に乗った!?」

「それが絶対的に正しいからだ!ルーゲンドルフ老たちは軍の為に、権力の為に内戦を起こそうとした。ならば我々が国家の為に内戦を覚悟して起つことは最早非常手段だ!君は違う考えなのか!?」

 

 私とクルトは思わず立ち上がって睨みあう。クルトはこれまでに見たことが無い程険しい表情をしている。私もきっとそうだろう。クルトは自分を落ち着かせるようにゆっくりとした口調で応えた。

 

「これだって正しいさ。反粛軍派に迎合すれば僕たちは帝国史に残る民衆弾圧を行うことになる。それは国の滅亡を意味する。滅亡しない可能性は……実の所ゼロとは言えない。だがそんなことを許容するなら、僕たちは何のために国を裏切ってきたんだ?億単位の民衆の血を代償にこの腐った体制の寿命を一〇〇年ばかり伸ばす為か?……いや、そもそもこの弾圧行為は僕達が国を裏切らなければ必要とされなかった。今より多少は国家の命数が残っていただろうからね。ならばここで日和ったら僕たちは完全な道化じゃないか。民衆に流血を強いただけの、とびっきり迷惑な道化だ」

「私はいくつも命を奪っている。それは最早変えようのない事実だ。だが個々の民が命を奪われる者になるかどうかは、今からでもいくらでも変えようがある事実だ。……私の決断で、誰が死に、誰が生きるかが変わるんだ。粛軍計画は、きっと歴史から命を奪われる者を減らす。それを私は疑いようもなく確信していた。だから乗った。これはどうだ?反粛軍派と妥協したら民衆弾圧を避けることは無理だろう。だがその規模は私たちの努力で減らせるんじゃないのか?老人を殺した後、私たちが失敗したら反粛軍派と妥協した時以上の惨禍を人々に齎すことになるんじゃないのか?それは正しいのか?それは……」

「アルベルト!」

 

 クルトは堪えられないという様子で頭を振って私の言葉を遮った。そして、意を決したという様子でその言葉を放つ。

 

「歴史家の批判がそんなに怖いのか?」

「クルト!」

 

 じっと私たちを見守っていたハルトマンが血相を変えて叫ぶ。クルトは少し顔を青褪めさせながら続ける。

 

「……何だって?今何といった?」

「僕は君が自分の命を惜しむ人間ではないことを知っている。だが同時に、僕は君が無意識的にせよ歴史家の評価を惜しむ人間だとも思っている」

 

 私は言葉を失う。顔が紅潮するのが分かった。私はその瞬間、人生で五本の指に入る程の屈辱を感じた。しかしそれよりも大きく「裏切られた」と感じた。……恐らくクルトも停滞し続ける私にそういう感情を抱いていたのかもしれない。

 

「ああクルト……それは最上級の罵倒だぞ……私は今君に対して感じたことの無い程の怒りを……ああもう良い。少し一人にしてくれ、私は君を今許せそうにない」

 

 あまりの事に私は頭を抱え身振りでクルトに出ていくように促した。しかしクルトは一歩も引かない。

 

「それは僕の台詞だ。僕は歴史家の評価を気にする事が悪いとは思ってない。だがそれは一つの指標であるべきだ。今目の前で生きる人々の為に、君は歴史家の罵倒を甘受すべきだ!君にそれが出来ないとは、今この瞬間まで考えたことも無かった!」

「ふざけるな!……歴史家だと?私がそんな軽い次元の話をしているものか!君こそかくあるべきという理想ばかり並べて、いつも失われる命を考えてない!」

「君が言えたことか!」

「そこまでだ!頭を、冷やせ、二人共……」

 

 ハルトマンが立ち上がり私とクルトの肩を抑え、強引に座らせた。「互いを貶め合ってるだけで何の生産性も無い会話をしているぞ、自覚しろ」とハルトマンは私たちを見ながら叱責する。

 

「……私はな、ハルトマン。要はクルトが無謀な道を歩こうとしていると言いたいんだ。老人老人と言うが自分の片腕や片足に等しい存在を切り捨てて、どうやって敵と戦うんだ?民衆を巻き込んで玉砕する気か?馬鹿げた冒険主義だ」

「僕はアルベルトが臆病になっていると言いたいね……。民衆を共通の敵として圧政者と握手をする、民衆と共に圧制者を打倒する、その二者択一でアルベルトは前者を選ぼうとしている。明らかに血迷った決断だろ、そうは思わないかユリウス?」

「……私は一介の宇宙軍少佐だぞ。どっちが正しいかなんて分かる訳がないだろ。だが……クルトが馬鹿げた冒険主義に陥っているとは思わないな。むしろ我々の原則に忠実なのはクルトだ」

「しかしな……」

「もちろん!」

 

 私はハルトマンの言葉に異議を唱えようとしたが、ハルトマンは掌を私に向けながらそれを遮った。そして続ける。

 

「勿論……アルベルトが血迷っているとは思えない。クルトは流石に言いすぎだ。アルベルトが言う通り、犠牲ばかり増やして何も得られない可能性は低くない、いや高いかもしれない。……ただ、粛軍派で内部抗争を起こして、それが失敗して泥沼の内戦や粛軍派の壊滅を招いてしまったとしても、ここで我々自身が民衆を殺戮するよりは幾分マシな結果だと思う。道義的な話をするならな」

「人の生き死にを、我々の道義で決める訳にはいかない。我々は我々の道義ではなく民衆の幸福にとって最適の選択をするべきだ」

「……民衆に銃を向けることになる選択が、民衆の幸福にとって最善の選択になるのか」

「最善じゃない、最適だ。私は別に反粛軍派と妥協するからといって民衆弾圧を全面的に支持するつもりはない。だが敢えて言おうか……相対的には!相対的には銃を向けることも最適の選択になり得る。そういう状況だってある。勿論、これは最終的な話だ。反粛軍派と妥協した後、彼等が考えるような大規模で不必要な武力鎮圧は絶対に許すつもりは無い。私の命に変えても」

 

 私がそう言うとハルトマンは険しい表情で黙り込む。一方クルトは頭を振って立ち上がった。

 

「アルベルト、君がそうまで言うなら僕は引き下がる。君の言う通りにしようじゃないか」

「クルト……。すまない」

「その謝罪は愚弄だ。君は正しいと思ってるんだろう。民衆に銃を向けることが」

「それは言い方が悪すぎる……。私は一人でも多くの命が守られる結果を見て行動したいだけだ。その結果の為ならばそういう手段も許容する覚悟を示しただけだ。……これまでと同じだ!より多くの人々の幸福の為に、友軍を死地に送り込んできたじゃないか」

 

 クルトは何も言わず、部屋の扉へと歩いていく。「クルト!」と私が呼びかけると、振り返り片手を振って言った。

 

「大丈夫。大丈夫だ。君の迷惑になるような事はしない。……馬鹿げた冒険もしない。心配するな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「閣下の懸念通り、特警隊の一部で不穏な動きがあります。第一司令部から警護を名目に特警隊員を将官に付けるべきだという案が上がってきました」

「それは不穏な動きか?」

「……閣下が言うように、シュタイエルマルク上級大将が良からぬことを考えているのであれば間違いなく。第一司令部はシュタイエルマルク派の巣窟です。それが突然こんな提案をしてきた訳ですから」

 

 クルト、ハルトマンと話した後、私はすぐにシュトローゼマンを呼びシュタイエルマルク派の動きを精査させた。クルトは私に従うと言った。だが変な話、私にはそれがクルトからの決別にしか聞こえなかった。クルトが私の日和った考え――彼から見れば――を受け容れるはずがないのだ。言葉での抵抗を辞めた、ということは言葉以外の抵抗を始める、ということにしか思えなかった。……結果は翌日すぐに出た。

 

「よく特警隊から動くと分かりましたね」

「……邪推の可能性もあった。だが……もし私を見限ったとすれば、あいつは初手から詰ませにかかるはずだ。それがあいつの十八番だし、私からクルトへの信頼度が高い間に効果的な手を打ってくるはずだ。そう考えれば、特警隊から動かしてくるのは読める。……その提案、通していたら粛軍派の将官は皆クルトに生殺与奪を握られることになっていたな」

 

 私は公用車の中で隣に座るシュトローゼマンに尋ねた。運転席にはヘンリクの甥が、助手席にはヘンリクが座っている。

 

「新無憂宮外苑警備責任者のウェーバー大佐はどうなった?シュタイエルマルク退役元帥の直参だろ」

「ブレンターノ宇宙軍中将が警備区画を分割し、西苑警備に押し込む手筈です。正門警備責任者は中央軍集団のルッツ大佐が引き継ぎます」

「西苑警備からも外せないのか」

「シュタイエルマルク上級大将の反発を考えなければ可能ではあるでしょう。……『君を疑っている』というメッセージをシュタイエルマルク上級大将に送っても良いのであれば、やりようはあります。自然な再編に見せるならここが限界です」

「そこまでやるなら……クルトは完全に潰しにかからないといけないな。そうしないとこちらの首が取られる」

「同感です」

 

 皮肉な話になりそうだ、と私は心の中で思う。内部抗争を行っている余裕はない、内部抗争を行った上で反粛軍派を潰せる力は無い、そう考えたから私はクルトの考えに同調せず、民衆に犠牲を強いかねない反粛軍派との妥協を考えた。……その結果、私はクルトを敵に回したかもしれない。

 

「……」

 

 その考えがよぎり、私は一瞬身を震わせた。彼を敵に回す。辛いだけではない、苦しいだけではない、考えるだけで恐ろしい話だ。

 

「ラムズフェルドとウォルトンの部隊を皇宮に入れておきます。それで少なくとも皇宮内の数的優位は確保できます」

「ヘンリク……正直に教えて欲しいんだが二人は信頼できるか?」

「俺が保証しますよ。あいつらは閣下の事を好いてますし……何より一門衆が大嫌いです」

「ふむ……アルバートソン地上軍少佐は呼べないか?」

「愛好会の後輩か。確かに彼なら信頼できる」

「所属は中央軍集団第一機動軍第二歩兵師団第八歩兵連隊……。特警隊第三司令部の隷下に入って粛軍派の第二猟兵分艦隊司令部があるバレンハイム宇宙軍基地に派遣されてますな」

「督戦部隊か。それは帝都に戻せないな……分かった」

 

 クルト・フォン・シュタイエルマルクとの敵対は避けなければならない。しかし、彼の言いなりになって粛軍派内部の保守的な重鎮たちを悉く粛清しては大変なことになる。私はまさに袋小路に迷い込みつつあった。

 

「しかし我々が備えていることは察するでしょう。これでシュタイエルマルク上級大将閣下が考えを改めてくれれば……」

「無理だ」「難しいだろうな」

 

 ヘンリクの言葉をシュトローゼマンと私は否定する。いっそクルトに従うべきか。クルトと対立するよりは、ゾンネンフェルス退役元帥やアルトドルファー地上軍元帥と対立する方がまだ勝ちの目が残っているかもしれない。

 

「……いっそ殺すか」

 

 シュトローゼマンがついにその言葉を口にする。私はすぐにそれを否定した。

 

「大雑把に言って粛軍派の半分はクルトの信望者だぞ!民心も私から離れるだろう、有り得ない選択だ!」

「閣下が盟友たるシュタイエルマルク上級大将閣下に害を為すと考える人間は居ません。反粛軍派や地球教とかいう例の宗教過激派の仕業に見せかければ……」

「……そう上手く行くものか」

 

 私は半分感情的にシュトローゼマンの提案を否定する。シュトローゼマンも本気で口にしていた訳ではないのだろう。「馬鹿な事を口にしました、申し訳ありません」と引き下がる。

 

 車内を沈黙が満たす。……私は体感にして凡そ一〇分程の間、深く考え込んだ。そして、私はシュトローゼマンの提案が一定の妥当性を持っている事を認めざるを得なかった。……クルトは必要とあれば、私を排除するかもしれない。いや、排除するだろう。そうと分かっていて、私が親友の情で備えるべきを備えないのは、あまりにも愚かな話である。……まさに苦渋の決断だった。

 

「……シュトローゼマン准将。一応、検討だけはしておいてくれ」

「!……宜しいのですか?」

「……あらゆる状況を想定しなくてはならない」

「承知しました。……小官のチームで、という事ですね?」

「ああ。ヘンリク、君も……」

「分かっております、口外はいたしません」

 

 私は一つ頷き、そして運転手のロベール・フォン・クリストハルト地上軍准尉――ライヘンバッハ伯爵家陪臣たる世襲帝国騎士(ライヒスリッター)、母はヘンリクの妹――に声を掛ける。

 

「ロベール、車を皇宮警察本部へ」

「了解しました。東側のフォン・ローゼンベルク門から東苑周りで宜しいですか?」

「ああ、それが一番安全だ。頼む。……今日も長い一日になりそうだ。全く頭が痛い」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 帝都の外れにある歓楽街、常日頃は煌びやかな通りも戒厳令下の状況では殆ど灯りも無く闇に包まれていた。……しかしどんな時も酒は人類と共にあるもので、広い通りから外れるといくつかの小さな酒場は、命知らずの若者や飲んだくれのろくでなし、果てはその双方を兼ね備えた粛軍派の不真面目な将校や兵士の為にひっそりと店を開けていたという。

 

 帝都とゲルマニア州を管轄とする宇宙軍特別警察隊第一司令部、地上軍中央軍集団、そして帝都憲兵隊と内務省帝都警察局はこれを黙認していた。特警隊は取り締まる余裕の無さから、中央軍集団は取り締まるノウハウの無さから、帝都憲兵隊と警察局は取り締まるやる気の無さからである。勿論、歓楽街からさらに帝都の外へと抜ける道は特警隊の精鋭が張り付き、不審人物は片っ端から拘束していたが。

 

 しかし粛軍派の中にはそんな状況を快く思わない将校も居た。中央軍集団第一独立混成旅団に所属するエドワルド・パウマン地上軍少尉もその一人であり、彼は責任感と幾ばくかの愚かなのんだくれ共への同情から軍が歓楽街の違法営業に対応しないことを不快に感じていた。

 

「酒目当てで戒厳令に違反する人間は、軍の怠慢で違反『させられている』ようなものだ」

「そうですかねぇ……?やっぱり最後は外に出る奴が悪いと思いますけど」

「臣民は軍の都合で家に閉じ込められているのだから、軍としてはせめて彼等の安全を確保する努力を尽くす必要がある。それは戒厳令違反者として処罰を受けないという意味での安全も含むし、そうであるならば、酒飲み達を誘惑する酒場は封じていかなければならない」

「うーん……」

 

 ワルター・キム曹長は若い小隊長の意見に対して曖昧に返事をした。違法営業を行っている酒場とて、好き好んで戒厳令に反している訳ではあるまい。そうしなければ生活が成り立たないという理由があるのだろう。とはいえ、パウマンもその程度の事は分かっている筈であり、ならばわざわざ口にする必要はない、と考えたからだ。

 

「別に俺達が頑張ったところで、って感じしません?どうせゲルマニア州との境界では特警隊の連中が頑張ってる訳ですし、本当に不味い人間はそこで捕まるでしょう。……そろそろ御偉方の都合で振り回されてうんざりってもんです」

 

 一方、パウマン少尉に付き合わされている小隊第七班長たるノルトホフ伍長は帝国軍兵士としてはあるまじき悪態を堂々とついた。基本、下士官は師団や軍を跨ぐような異動は無いものだが、地上軍の顔である中央軍集団の、さらに最精鋭部隊である「不倒(ウンスターブリッヒ)」第一独立混成旅団には各部隊から熟練の将兵が集められている。当然彼も三〇年の軍歴を重ねており、彼は小隊長たるパウマン少尉に対しても物怖じしない態度だ。

 

 小隊先任曹長たるキム曹長としてはこのような発言を叱りつけるべきではあるだろうが、キム曹長も正直、「御偉方の都合で振り回されてうんざり」していた。彼が副分隊長たる軍曹として三・二四政変を経験した際に、自分も悪態をついたことを覚えていたという事情もあった。

 

「その点は同意したいが、軍から給料を貰っている以上、それに見合った仕事はしなくてはならない。……見えた、あれが『鶯』か。分隊配置に付け。六班は裏手を抑えたか?……よし」

 

 『鶯』。パウマン少尉の第六小隊が今日立ち入る酒場の名称である。帝国軍は「分隊」及び「分遣隊」という戦術単位を流動的に使用しており、五人程度で分けられている班を組み合わせて臨機応変に編成する。第六小隊は六六名一二班体制であり、その内、六・七・八班一七名が分遣隊を構成し、『鶯』摘発に動いていた。

 

「ん……?『六班待て』」

 

 パウマンが分遣隊を率いて突入しようとしたその時、『鶯』の入り口から一人の大男が現れた。そして真っすぐにパウマンの方へ歩いてくる。パウマンは六班に留まるよう伝える。

 

「止まれ!」

 

 兵士が銃口を向けて命じると、大男は足を止め、「俺は装甲擲弾兵のオフレッサーだ。指揮官と話をさせてくれ」と言った。そしてカードらしきものを兵士の方に投げた。

 

「オフレッサー?……『黒い暴風』のオフレッサー少将か?何故こんな所に……」

「小隊長、どうしますか?どうやら……本物の身分証ですが」

「……警戒は続けろ。オフレッサー少将閣下、指揮官の第一独立混成旅団第一歩兵連隊第六小隊長、パウマン地上軍少尉であります」

 

 オフレッサーを名乗る男はそれを聞きゆっくりとパウマンの方へと近づく。

 

「独混ってことは巡察隊か。この辺りに巡察は来ないって話だったが」

「我々は当地区の巡察隊ではありません。本来はムゼウムコート・プラッツからウンダーアイゼンハイムにかけての巡察を命じられています」

「ムゼウムコート・プラッツだ?おいおい街区を二つは挟んでねぇか?」

「上位指揮官たる第一混成中隊長初め、当地区の警備部隊や巡察部隊からは、我々が担当する地区での戒厳令違反事案に関連する限りで活動を認められています」

「なるほど。……仕事熱心な事で」 

 

 オフレッサーは半笑いで肩を竦める。その様子を不快に思ったのか、パウマンはやや声色を硬くする。

 

「閣下は何故こちらへ?戒厳令下での夜間及び不要不急の外出は原則として禁止されています。軍人とてそれは変わりません」

「軍務中だ」

「夜の違法営業中の酒場で?率直に申し上げて、信じ難い話です」

「ほーう?少尉殿はこの俺を信じられないのか。嘘なんて吐いたこと無いんだがな」

 

 パウマンは表情を変えずオフレッサーを尋問する。オフレッサーは面白がるような口調だったが、その身体からは無言の威圧感がある。兵士たちも緊張の面持ちだ。この状況でよもや襲い掛かってくることは無いだろうが、仮に襲われたらいくら精強で鳴る独混の兵士でも……地上軍最強を自負する独混の戦士でも……並みの装甲擲弾兵など微塵も恐れない独混の勇者でも……たった一〇名ばかりでは到底勝ち目は無い。

 

 中央軍集団最強と言われるカウフマン中佐が「敵として会えば迷わず逃げる、奴は戦車(パンツァー)重装騎兵(ヨートゥン)――帝国軍が主力とする五メートル級パワードスーツ――が相手するべきだ」と評した男がオフレッサーである。そうであるならば、一個小隊に満たない戦力で事を構えるのは自殺行為としか言いようがない。

 

「……そう怖い顔すんなよ少尉殿。同じ旗の下で戦う同胞じゃあないか。なあ?」

「だからこそ、英雄たる閣下には全将兵の模範となる行動を取っていただきたいと思います。……同行をお願いすべきところではありますが、『軍務中』ということであればそれは現状求めません。ただ、戒厳司令部に照会の方はさせていただきます」

「……んー。そいつは困るな……」

 

 オフレッサーは笑みを浮かべながらパウマンに近づく。その動きを見て周囲の兵士たちが身構えるが、相手が地上軍少将ということもあって制止の声は挙げられない。

 

「……骨がありそうだな、お前。丁度良い、一枚噛ませてやるよ」

「何ですって?」

「一人で来な、俺の『軍務』を教えてやる。……その代わり、命は張ってもらうぜ」

 

 オフレッサーはそう言うと『鶯』へと踵を返す。

 

「小隊長……どうされますか」

「……ここで待て。まさか取って食おうという訳でも無いだろうが……二〇分経過して音沙汰無ければ突入、良いな?」

「了解しました」

 

 パウマンは一度深呼吸し、そして『鶯』へと歩みを進める。そして彼は証人となった。アルバート・フォン・オフレッサーが銀河の歴史をまた一ページ書き進めたことの証人に。




注釈36
 『未来移民』とは宇宙暦七七二年頃から約三〇年間に渡ってカストロプ星系で実施された政策である。その後、カストロプ自身の知名度上昇と共に政策への注目も集まり、複数の貧しい星系で同様の政策が取られ、いくつかの星系では宇宙暦八三〇年頃に至るまで新規の『移民活動』が続けられていた。
 『未来移民』政策とは絶対的貧困状態(生存に支障がある状態)にある人々を『基礎集団』と『余剰集団』に分け、『余剰集団』に超長期間のコールドスリープを実施する政策である。この際、『余剰集団』の資産を行政府が接収し、これを『基礎集団』に無償で分配。これによってその土地の資源と、その政府の行政能力・財政能力に合った適正人口(一人一人の所得水準が絶対的貧困線を上回る)を維持し、円滑な復興・発展が実現するとされた。
 さらに、復興・発展が一定の水準に達するごとに、『余剰集団』を順次解凍。復興・発展を通じて生み出された余剰資源を解凍直後の『余剰集団』に優先して配分。その上で住居や職を斡旋し、『基礎集団』化することで、さらなる復興・発展の原動力とするとされた。
 この政策の肝は「四次元的平等」の実現であった。『基礎集団』は『余剰集団』の資産を獲得する一方で、長期間復興・発展の為の労働に従事することになる。『余剰集団』は保有する資産を放棄し、さらに行政府に自らの「時間」を差し出す代わりに、『基礎集団』が生み出した資産から給付を受けることが出来る。
 行政府としても数百万人の貧民を救済ないし抑圧するよりは、数百万人のコールドスリープ装置を購入する方が遥かに安上がりであることから、「誰も見捨てない政策」「全ての民衆が幸福の内に生きられる政策」として盛んに喧伝されることとなった。

 最終的にカストロプ星系で六二〇〇万人、オリオン腕全域で約一〇億人が『未来移民』政策によって一〇~五〇年後へと「移民」することになった。
 ……その結末は知っての通りだ。識者によってその数は数百人から一億人まで幅があるが、多くの人々が希望を抱いたまま永遠の眠りにつくことになった。そもそも、コールドスリープは管理者が自由に冬眠期間を制御できるような都合の良い代物ではない。確かに移民事業等で恒常的に使われる技術ではあるが、細心の注意を払いつつ、多大なコストを掛けて運用するからこそ、コールドスリープ技術は信頼性を獲得できるのである。しかしそのような完璧な管理・運用が為されてなお、〇・〇〇二六%の確率(これは航空機死亡事故の約三倍の確率である)で死亡事故が発生するとされる。
 そのような繊細な技術を『未来移民』政策を採用するような貧困惑星の行政府が採用した結果、管理者側の技術・知識の不足や資金の不足、設備の故障や運用面での失敗が多発することとなった。また、そもそも地方政府が安価に購入したコールドスリープ装置自体がすこぶる劣悪な代物であり、「稀に死人が生き返る棺桶」としか表現できない例すらあったという。
 しかしその実態は悉く隠蔽され、地域によっては問題を政府が把握した後も長く政策が続けられた。さらに、それを告発しようとした関係者やジャーナリストの弾圧、時に暗殺なども行われたという。結局、この問題は宇宙暦八三六年のエルスハイマー=マッケンゼン報告まで半世紀以上放置されることとなった。
 同報告は銀河を震撼させ、上院に特別調査委員会が設置されることなった。委員長にはウルリッヒ・ケスラー宇宙軍元帥の「政界に対し暗黙の内に銃口を突きつけるような極めて強力」な推薦でサジタリウス系少数野党党首ダスティ・アッテンボロー下院議員が就任。委員にも『未来移民』政策と無関係であるサジタリウス系やブルーラント系の議員・識者(すなわち、政界では非主流派である)が顔を並べた。これは、エルスハイマー=マッケンゼン報告を強力に後押ししたフリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト上院議員が、同時に政界主流派が『未来移民』問題を長らく作為的に隠蔽、または暗黙の不作為によって放置していたことを告発したためであった。
 同調査委員会は七年間に渡って徹底的な調査を実施、三名の委員が不慮の事故に遭い、一名の委員が暗殺され、アッテンボロー委員長自身も襲撃にあうなど激しい抵抗にあったものの、その全容がほぼ解明。昨年一一月に最終報告書が公表された。この間、六名の議員資格保持者、三五名の議員経験者、六名の首長経験者を含む五〇〇名近い公職者が問題への関与を理由に逮捕されている。最終報告書の公表を以ってアッテンボロー委員会は解散されたが、所管を警察省に移しなおも追及は続いている。一方で、余りに劣悪な条件下にあった為に、解凍処置を保留し、改めて良好な設備下に移された上で現在も二億人近い『余剰集団』が銀河の各地で眠りについている。彼等を安全に目覚めさせる技術の開発が待たれる。

 ……マクシミリアン・フォン・カストロプは『未来移民』政策の考案者であるが、早い段階で政策からは離れていた。彼がこの事態にどれほどの責任を持つかは、今なお議論の対象となっている。ノーフォーク公爵トマス・バーナード・フィッツアラン=ハワードは、自身がカストロプから私的な場で旧シュレージエン公爵領における『未来移民』政策の実施に口利きを行うように求められたことを証言している。また、コールドスリープ装置の性能や管理体制について質問した所、「私も閣下も彼等が目覚めるか否かを知る術はありません。恐らく寿命が尽きていますから。故にここで議論するのは無意味でしょう」と笑っていたという。
 一方、人道危機・平和統合ネットワークのアンリ・サルヴィ事務局長と共和・共栄イニシアティブのテルイチ・マキノ代表はカストロプが少なくともコールドスリープについた者の半数程度が再び目覚めないことを承知していたとした上で、カストロプ星系以外の星系に対し、カストロプが積極的に「棄民」を推奨した事実はなく、この事態に責任を持つ多くの公職者がカストロプ一人にその責任を転嫁しようと試みていることを批判した。
 長年の論争に終止符を打つ機会が一度だけ存在した。調査開始から三年後、未来棄民問題を白日の下に晒したヒューマン・ライツ・サーベイヤーズのクラウス・フォン・マッケンゼン統括調査員が衝撃的な証言を行う。『未来移民』政策を通じてカストロプが未必の故意を以って対立者への殺害を企図していたことをいくつかの物証、証言と共に報告書に記載していたものの、ビッテンフェルト上院議員が読み上げた完成版ではその記述が消失していたのだ。これを受けて、アッテンボロー委員長がマッケンゼンを参考人として招致、この場で改めて調査資料を提出しその事実を報告する予定であったが、その三日前にホテルで何者かに射殺された。……そしてカストロプの評価は今なお、定まっていない。ただし政財界にしぶとく生き残っていたカストロプの流れを汲む勢力は、この問題で今度こそ完全に失墜、壊滅した。

 一連の事件によってオリオン偏重が指摘されていた政財界のバランスが大きく変動することなり、サジタリウス系やブルーラント系の政治勢力が力を持つことなった。一方政財界の混乱に付け込む形で国防軍将校を中心とする帝政主義者(ルーヴェニスト)や同盟復権を目論む同盟主義者(アライアニスト)、オリオン腕共和派などの連邦主義者(フェデラリスト)、統合秩序を否定する分離主義者(セパレイティスト)、宗教系の地球主義者(ネオ・シオニスト)普遍主義者(カトリシスト)聖書中心・無政府主義者(プロテスタンティズム・アナーキスト)、ゴールデンバウム系帝位継承権請求者を担ぐ正統主義者(レジティミスト)立憲主義者(ナチュラリスト)形式主義者(フォーマリスト)といった諸勢力が活動を活発化させつつある。   
 仮にこれらの勢力がいくつかの加盟国政府の実権を握った時、果たして統合秩序は対応できるのであろうか。集団安全保障、その機能をライヘンバッハ伯爵は人類が必要としている不完全さを備えた制御メカニズムと評した。統合から二〇年が経とうとする今、ライヘンバッハ伯爵が唱えた国家多元主義(インターナショナリズム)が、彼の言うように本当にジンテーゼなのか。それともかつて獅子帝が酷評したような空想と妥協の産物なのか。その真価が問われようとしている。

注釈37
 建国期の二大政党、立憲自由党と国民憲政党は、現在の基準から見れば前者が保守穏健派、後者が保守強硬派と言える政党であった。当初バーラト星系共和国において強い力を持ったのは国民憲政党であった。しかし、自由惑星同盟の成立後は立憲自由党がこれに取って変わった。

 サジタリウス六強戦国時代において周辺大国の圧力に晒されていた五つの星系国家(後にセントラル・ファイブと呼ばれる)がバーラト星系共和国、すなわちハイネセン一派の持つ『神話性』に着目し、これを神輿として担ぎ上げた。……セントラル・ファイブには象徴が必要だった。サジタリウス六強戦国時代末期、レべリオ(後のランテマリオ)、サジタリウス大公国(後のエルゴン)、グレートイスパニア(後のジャムシード)、ニュー・カノープス、アムステルダム自由諸邦(後のティアマト)、開拓者共和連合(後のリオ・ヴェルデ)に大勢力が形成され、セントラル・ファイブは六国から見て吹けば飛ぶような小国へと落ちぶれていた。しかし、セントラル・ファイブは長らく血で血を洗う争いを続けており、最早その断絶は互いの歩み寄りでは埋められない程に広まっていた。……故に、セントラル・ファイブは五国間の紛争地帯にひっそりと住み着いた余所者を、象徴とする道を選んだ。今更、他の国の風下に立つ位ならば、バーラトに住み着いた余所者の下につく方がマシだった。都合が良い事に、バーラトの余所者たちはオリオン腕の脅威を盛んに喧伝しながら、六国の勢力圏を突っ切ってここまで辿り着いた。セントラル・ファイブは、ハイネセンの遺志を継ぎ、民主主義の騎士となる事を宣言する。『自由惑星同盟』の誕生である。六国の内比較的健全な共和政を維持していたニュー・カノープスとリオ・ヴェルデ、そしてその従属勢力が相次いで同盟に参加、ティアマトも自由惑星同盟に高等弁務官を送り、国交を樹立した。
 困惑したのは国民憲政党である。長征の主流派だった彼等は、長征の中で六国やセントラル・ファイブから冷淡な扱いを受けていた。そもそも、セントラル・ファイブの紛争地帯にひっそりと住み着くことになったのも、各国が受け入れを拒否(あるいは同化を強いてきた)したからだ。サジタリウス腕の人々が急に掌を返して、自分達を称えながら『自由惑星同盟』という枠組みを作ったことが理屈としては理解できても、感情が適合できなかった。対して立憲自由党は上手く『自由惑星同盟』に適合した。
 ランテマリオとジャムシードを滅ぼし、エルゴンが降伏するまでの一連の建国戦争の中で、セントラル・ファイブと六強国、すなわち植民星の政治勢力を上手く取り込んだ。セントラル・ファイブや六強国は戦国時代を生き抜く中で多かれ少なかれ民衆を抑圧していた。それを快く思わない政治勢力にとって、ハイネセン神話の登場人物たる立憲自由党の議員たちは非常に都合が良い神輿であった。宇宙暦五八八年民主化運動を経た『黄金の五九〇年代』において、自由惑星同盟の政治・経済統合が進んだ後、立憲自由党は同盟上院・下院の第一党を長らく占めることとなった。尤も、その代償として地域制由来の高い独立性を持つ支部・派閥の乱立に長らく苦しめられることにもなる。

 この黄金の五九〇年代に結成されたのが共和独立党、後の自由共和党であり、エルゴン、ランテマリオ、ジャムシード、ティアマトと言った「最初から自由惑星同盟でない」地域の民意を代表する人々が結成した分権派政党だ。立憲自由党には植民系の中でも統合派の政治勢力が参加しており、同盟秩序を不快に思う植民系の人々の受け皿にはなり得なかった。
 黄金の五九〇年代を通じて旧戦犯諸国の権利拡大が為され、同盟議会上院・下院の選挙制度が大きく変更されたことで、分権派の政治勢力もまた躍進することとなった。

 宇宙暦六七〇年代、コルネリアス帝の大親征の影響により、同盟の人権状況が著しく悪化した。捕虜や亡命者の迫害や、それを批判するリベラル派への弾圧、また広く愛国的でない人々が様々な不利益を被ることになった。これは民衆の復讐意識もさることながら、当時の為政者たちがコルネリアス帝の大親征で明らかになった自分たちの腐敗し、傲慢になり、堕落しきった姿から国民の目を逸らすために憎悪を煽った面がある。そのような時代背景の中、恐怖政治下のフランスパリの如く、陰鬱な空気に包まれたハイネセンの片隅で、新進党は結成された。宇宙暦六八三年、権勢を振るった憲章擁護局長イヴァン・カリニッチが最高評議会議長の大権に基づく命令で逮捕されるまでの間、新進党と社会共和会議は激しく政府を批判し、人権侵害に抵抗し続けた。そして宇宙暦六八〇年の総選挙で憲章擁護局に迎合し続けた立憲自由党の議席はついに過半数を割り、新進党と社会共和会議が躍進した。

 以後、星系単位で小選挙区・比例代表並立制が採用される上院では立憲自由党が四、自由共和党が三、新進党が一、国民憲政党と社会共和会議で一、その他の政党で一という割合が、人口単位で大選挙区制が採用される下院では立憲自由党が四~五、国民憲政党と新進党で三~二、自由共和党が一、社会共和会議が一、その他の政党が一という割合が、一世紀弱に渡って維持されていた。左派が社会共和会議、リベラル派が自由共和党・新進党、中道が立憲自由党、右派が国民憲政党である。リベラル派の自由共和党・新進党議員数が上院と下院で逆転しているのは、地域単位の選挙では分権的な自由共和党が強く、人口単位の選挙では集権的な新進党が強い事を示しており、これは同盟有権者の投票行動を端的に示す特徴と言われていた。
 宇宙暦七七四年、フレデリック・ジャスパーと「自由と解放の銀河」の躍進によって、この一〇〇年弱に渡って固定されていた議席配分が崩れた。間髪入れず、ジャスパーは下院に人口単位の小選挙区制度を導入。また、それに伴う死票を減らすという口実で上院の比例代表制選出議員を三倍に増やした。これにより、従来に比べ上院の地域代表的な意味合いは薄まり、また下院では従来複数投票制により一人の有権者から複数の候補へ票が流れていたが、一人の有権者が一人の候補にしか投票できなくなったため、政党同士の票の奪い合いがより激しくなり、大規模政党の当選者が激増することになった。


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壮年期・帝都惨禍(宇宙暦780年12月28日~宇宙暦780年12月31日)

 地獄のような光景をこの目で見たのは初めてだった。私は元来気が小さい人間で、しかも鈍臭い。とても戦場ジャーナリストなど務まる筈がない人間である。きっと、本物の戦場に放り出されたとすれば無様に腰を抜かして死を待つか、恐怖のあまり発狂すると思っていた。……しかし、そうはならなかった。不思議な事にその光景はどのような映像機器を通してみるよりも現実感が無く、従って私は奇妙な程白けた気分のまま、いつものような笑顔で大衆の知的好奇心に奉仕することができた。事が終わって一部の視聴者から「不謹慎だ」と非難を浴びるほど、私は冷静に職責を果たした。

――ロブ・フォーブス、CTN(セントラル・テレビジョン・ネットワーク)報道局国際部長、『映像のオリオン 第八集 国家の中の戦争 ~改革は混沌を導いた~』より



 宇宙暦七八一年二月二日。憲兵総監部から軍務省監察本部と名を改めた組織のビル。五階第六小会議室。そこでは一人の尉官が五人の佐官と向き合っていた。

 

 尉官の名前はエドワルド・パウマン地上軍中尉。五人の佐官は左から、オットー・フォン・ライフアイゼン宇宙軍少佐、アヒム・バルシュミーデ地上軍中佐、カール・オスター軍警隊大佐、エッカルト・フォン・コヴァレフスキー軍警隊少佐、ノーマン・クーゲル・シンデルマイザー宇宙軍少佐。オスターが『査問委員長』、バルシュミーデが『査問副委員長』、残る三人が『査問委員』の肩書を持っている。コヴァレフスキーを除いてライヘンバッハ伯爵家と縁が深い下級将校である。

 

「……なるほど。一二月二八日の事はよく分かった。……貴官はアルバート・フォン・オフレッサー地上軍少将の軍規を外れた行動を知りながら、それを報告しなかった。貴官はそれによって自身に惨禍の大晦日(カタストロフィー・ジルヴェスター)への責任があると考えるか?」

「オスター査問委員長殿。私にも帝都防衛を命じられた中央軍集団の一将校としての責任はありますが、それ以上に関しては小官の置かれた立場を御考慮ください。小官は一小隊の小隊長であり、オフレッサー少将閣下は戒厳司令部付き将校です。オフレッサー地上軍少将閣下が『軍務』と言い、さらに『密命』と言ったならば小官にそれを疑う術はありませんでした」

「上位指揮官に判断を仰げばよい話だ」

「勿論です、ライフアイゼン査問委員殿。しかし、オフレッサー少将閣下は口外を禁じました。反粛軍派……失礼、軍国派叛乱軍の息が掛かった人間を警戒しての事です。実際、アドラーブル空港やシュヴィヒテンベルクの守備隊が軍国派叛乱軍に通じており、帝都は軍国派叛乱軍に脅かされることになりました。小官が何ら無警戒に全てを報告していたら、軍国派叛乱軍はさらにその裏をかいたでしょう」

 

 パウマン地上軍中尉はそう言って抗弁する。実際の所、彼自身も自らの判断が正しかったと自信を持って言う事は出来ないが、一方で『あの悪夢』の中で自分が為した行動は必ず国家・臣民・軍の為になっている筈だとも思うのである。そうであるならば、このような『査問』で裁かれるのは御免である。まして、オフレッサーなどと言う野蛮な男のとばっちりを食うのは辛抱ならない話だ。

 

「まあ貴官の責任については後々考えるとして、だ。……宇宙暦七八〇年一二月三一日の事について、改めて貴官の口から聞かせて貰おうか。貴官の処遇に関する事は抜きにしても、我々は、あの失態から最大限の教訓を学び取らなければならない。先に言った通り、コヴァレフスキー少佐は『軍務省帝都事変調査委員会』から派遣されている。なるべく詳細に語るように」

「……承知しました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……宇宙暦七八〇年一二月三一日。前線でどのような戦いが行われていたのかについては、パウマン中尉の証言も含む、『帝都事変調査報告書』に詳しい。しかし、その内容に触れる前に大晦日の惨禍(カタストロフィー・ジルヴェスター)至るまでの流れを説明したい。

 

 前日、一二月三〇日の事である。オーディン中央大陸――「ミズガルズ」と命名されている――西南部フランドル州キルヒェンジッテンバッハ市。古くは西方開拓の前線基地として発展し、今も交通の要衝であるこの都市が「消滅した」

 

 粛軍派と反粛軍派で和解条件の大筋が纏まりつつあり、楽観論が広まり始めていた――しかし私とクルトの暗闘が始まりつつあった――中での出来事だった。キルヒェンジッテンバッハにおいて、反粛軍派と和解交渉を行っていたアイゼナッハ大将、ゼーフェヒルト中将とは連絡が取れなくなった。周辺に展開していたオーディン防衛軍司令部隷下第四二装甲軍は高い放射線量を感知して即座に後退、しかし相当数の兵士が被爆し大きな被害を被った。

 

 少なくとも戦術級、第四二装甲軍の被害を考慮するとあるいは戦略級の核兵器が使用されたのは明らかだ。……しかし誰が何故、そしてどうやって使用したのか、当時は全く分からなかった。少なくとも反粛軍派の行動とは考えにくい、同地にはルーゲンドルフ公爵家の分家である子爵家当主クリストフ・フォン・ザイツ=ルーゲンドルフ地上軍中将が率いる地上軍征討総軍第四軍集団第五戦術支援軍を初め、大陸南西部の反粛軍派部隊が多く集結していたのだ。和解交渉開始に伴い一部はキルヒェンジッテンバッハを退去したが、なお多くの将兵が駐留していたはずだ。

 

 反粛軍派の過激派は独断で核を使いかねないが、流石にザイツ=ルーゲンドルフ中将以下大陸南西部の反粛軍派戦力の過半を巻き込んで使うのは有り得ない。一方粛軍派の過激派、白薔薇のような連中も独断で核を使いかねないが、こちらはこちらでキルヒェンジッテンバッハを市民ごと吹き飛ばすことは考えにくいし、いくら連中の力が強いとはいえ、流石に核の使用を試みれば戒厳司令部が気づく。少なくとも、事後に何ら痕跡を見つけられないという事は有り得ない。そもそも、キルヒェンジッテンバッハは粛軍派と反粛軍派の双方が厳しい監視下に置いていたのだ、核攻撃があれば誰かが気づく。キルヒェンジッテンバッハは大規模多重防御層形成システムが配備されている上に、駐留する部隊も含め都市防空能力も高い、強固で大規模な核シェルターも存在した筈で、気づいたならばここまで壊滅的な被害を受けることは無いだろう。

 

「一つ思い当たることがある……」

「……何です?アルトドルファー元帥閣下」

「地上軍は未だ戦術核を配備している。有人惑星での使用はコルネリアス二世長征帝陛下の頃にサジタリウス叛乱軍との取り決めで禁じられたが、無人惑星については禁じられていないからの。無論、第五戦術支援軍も核攻撃能力を有している筈。キルヒェンジッテンバッハの中に居る第五戦術支援軍が保有する核が誤って起爆した。……それ位しか儂はこの状況を説明する術を思いつかんなぁ」

「待ってください。自然交戦規範遵守宣言で原則として惑星・衛星大気圏内の核使用は禁止されたはずです。宇宙軍はともかく、地上軍の核兵器は全廃が決まり、いくつかの保管場所に集められている筈では?」

「卿は若いのぉ……。地上軍が本気で核武装を解除する訳が無い。殆どの部隊で今でも現役装備じゃ。……あ、いや、儂は勿論核廃棄を推進したがの、儂は実権の無い総監じゃったからなぁ。いやすまんすまん」

「……戦術核の被害では無いですが」

「……卿は長征帝陛下が命じたとはいえ、地上軍がサジタリウス叛乱軍との約束を守って戦略核を廃棄すると思うかの?儂は思わんぞよ。……ちなみにあくまで儂の個人的な考えであって、地上軍総監として客観的事実を述べている訳ではないぞ」

「……」

「……」

 

 アルトドルファー元帥の洞察は半分当たっていた。騒乱後の検証で粛軍派・反粛軍派双方の核兵器がキルヒェンジッテンバッハに対しては使用されていないことが分かり、論理的帰結として、第五戦術支援軍の保有する核が起爆したと結論付けられることになるからだ。

 

 とはいえ、今の時点ではアルトドルファー元帥の洞察は洞察でしか無いし、もしその洞察が当たっていたとしても『たまたま』事故で核が起爆したなどと言うふざけた考えで動ける筈もない。(なお、私は今でも事故だったとは一切考えていない)

 

 帝都の戒厳司令部や各地の粛軍派部隊は混乱しながらも情報の収集に努めた。私はすぐに反粛軍派との接触を試みたが、反粛軍派も著しい混乱状態にあって、生産的な話は何ら出来ず、状況の把握にはつながらなかった。しかし、反粛軍派を代表して交渉していたグライフェンベルク・ゲッフェルの両中将に加え、ザイツ=ルーゲンドルフ中将もキルヒェンジッテンバッハの消滅以来安否が確認できていないことは知る事ができた。状況から考えて、粛軍派のアイゼナッハ大将、ゼーフェヒルト中将も含め、これらの将官は核爆発によって死亡した、と考えざるを得なかった。

 

『大変なことになったな、ライヘンバッハ伯爵』

「リヒテンラーデ侯爵閣下……」

『政争で忙しい所だと思うが、帝星で核が使用されたとなるとすぐに出来る限りの手を打たねばならん。分かっているか?』

「そうですね、戦略核が使用されたとなれば周辺地域にも多大な影響が……」

『周辺地域?認識が甘いな。ミナバ運河を何とかしないとキルヒェンジッテンバッハ近郊で汚染された水が大陸南西部全域に広がっていく。そしてニョルズ海へと流れ込み、場合によっては大西洋沿岸まで影響が及ぶ』

「……浄化装置をすぐにミナバ運河に手配します」

『内務尚書が既に手配したが、内務省だけで周辺河川も含むミナバ運河全域に対応するのは流石に無理だ。軍の力を借りねばならん。戦力はいくら出せる?』

「キルヒェンジッテンバッハ近郊に展開する部隊は対核装備が行き渡った部隊から動かせます」

核攻撃下即応師団(ペントミック)は出せないのかね?』

「……自然交戦規範遵守宣言後、部隊規模が縮小された上に主にイゼルローン方面辺境に展開しています。しかも帝都の部隊は指揮官が反粛軍派についたので……」

『……不幸は続くな』

 

 リヒテンラーデ侯爵は顔を顰めて溜息をつく。私は情けない気持ちになったが必死にそれを隠し画面に向き続けた。

 

「増援を現在手配しています。医療支援、食糧支援、住宅支援など、様々な支援を複合的に行えるよう、鋭意努力している最中です」

『それは結構な事だが、軍が二つに割れている状況でキルヒェンジッテンバッハの核被害対応に充分な部隊を割けるのかね?』

「……」

『……政府は反粛軍派にも協力を求める。良いな?』

「それは……戒厳司令官として頷けない提案です。……しかし内務省や各地方行政府が被害低減の為に緊急避難的な対応を取る場合は、戒厳司令官としては最大限現場の判断を尊重します」

『書面は』

「一三時に通達の形で内務省尚書官房と司法省尚書官房宛てに。両省が受け取った後各地方行政府にも順次送ります」

『足りんな、戒厳命令として布告してくれ』

「それでは手続きに時間が……」

『何のための戒厳司令官かね。貴官が強権を発動すれば良い話だ。言っておくが、一三時までに戒厳命令として布告しないのであれば、内務省と司法省は皇帝陛下に戒厳司令官の解任を求めるぞ。責任の所在は引き受けたまえ』

「……承知しました」

『頼んだぞ。……ああ、忘れるところだった。国務尚書は案の定役に立ってない。地方行政の知識と経験が多少あったところで、国全体を動かせるものではないわ。使える国務官僚を何人か教える。協力は惜しまんから貴官が上手く使え』

「はい。感謝いたします」

 

 局外中立を志向していた閣僚たちは、キルヒェンジッテンバッハの核被害を受けて中立堅持派と秩序維持派に分裂した。前者は宮内尚書ルーゲ公爵以下保守強硬派、後者は司法尚書クラウス・フォン・リヒテンラーデ侯爵以下保守穏健派と枢密院副議長カール・フォン・ブラッケ侯爵以下開明派である。これに伴い、幅広く官界で行われていたサボタージュの一部が解除され、断片的であるが戒厳司令部の命令に従い始めた。ブラッケ侯爵ら開明派は国務省レーヴェンスハーゲン分室を出てフランドル州州都アントウェルペンに向かい、派閥を挙げて核対応に動く構えだ。

 

「諸卿らが何と言おうと、戒厳司令部はこの事態を手をこまねいて見ているつもりはない」

 

 粛軍派上層部は、「今は状況の把握に努め、防備を固めるべき」という意見と「混乱に乗じて反粛軍派を叩くべき」という意見が六対四の割合で対立していた。しかし私はその対立を一蹴し、核被害の対応に戒厳司令部のかなりの力を投入することで押し切った。

 

「反粛軍派にはとにかく停戦を。今は大陸南西部の人命最優先だ」

 

 こちらは全面的な反対にあった。「まずは反粛軍派の出方を見るべき」との意見と「反粛軍派を叩く絶好の機会だ」という意見の両派が直接的に反対したため、押し切る事が出来なかった。

 

「分かった。なら向こうが停戦を求めてきたら応じる、これは譲れない」

『……』 

 

 不服そうな高官たちの顔を睨みつけながら私は宣言した。そして、一二月三〇日の間に中央軍集団第一機動軍の先遣二個大隊が対核装備・除染設備と共にオーディンを出立する。

 

 私は冷静なつもりだった。しかし、帝星で核が使用されてしまうという未曽有の事態に、浮足立っていたことは、最早否定のしようがないだろう。帝都の部隊を順次大陸南西部に送るべく慌ただしく部隊の配置が変わる中で、多くの混乱が生まれていた。それは反粛軍派にとって見逃せない『隙』だった。

 

 だが……粛軍派と反粛軍派が対峙する前線は帝都から遥か遠い。私が覚悟していたのは精々が拘束を免れ帝都に潜伏する反粛軍派の幾人かが逃走、あるいはテロを起こす程度の事で、まさか……あのような惨事が起こるとは、一体誰が予想できただろうか……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宇宙暦七八〇年一二月三一日。午前一〇時三〇分。最初の異変が起こる。ゲルマニア州と帝都特別行政区の北の境界に近い小都市、ギーセン。そこに駐留している中央軍集団第一野戦軍第三歩兵師団所属第二連隊第五大隊第二中隊からの定時連絡が無かったのだ。しかし、大隊司令部が確認の連絡を行った所、一二分後に平文で通信機器の故障を訴える電文が届いたため、粛軍派はこの異変を見逃した。

 

 そして午前一〇時五一分、帝都北部リヒテンベルク街プレンツラウアー・ベルク。シュタッケルベルク鉄道ラップランド線と国営地下鉄道北部線(ノルトバーン)のオスト・ディアガルデン駅でそれは始まった。

 

「駄目だこんな数持ちこたえられない!」

「おい、アレク……こっちにこい!」

「班長!駄目だ、ラップランド線のホームとも連絡が付かなくなった!あっちが落ちたら後ろを取られるぞ」

「クソ……改札口を放棄する……」

「不味い……奴等こっちに突っ込んできます!」

「応射しろ!」

 

 五分も満たない内に、オスト・ディアガルデン駅は制圧された。移動を制限すべく配置されていた二〇名ほどの将兵は一人を除き戦死した。その一人、アレクサンデル・ライザー一等兵は証言する。

 

「自分は敵兵が現れた際に用を足しに行っていて……そのままトイレの入り口で応戦していました。班長に従って後退しようと思ったんですが、敵兵が突撃してきて、とても合流できそうになかった。……ええ、急いでトイレの奥に入り、天井裏に隠れました。でも何が悪いんですか?何の前触れもありませんでした。シュタッケルベルクと国営のホームにそれぞれ一班ずつ。そして改札口と入口を中心に二班一〇名。多いくらいの配置だと思ってました。まさか……中隊規模の敵が現れるなんて……え?もっと多かったんですか?そうですか、なら自分は生き残ったことを不名誉だとは思いません。あの場で出来る事なんて何もなかった!天井裏に隠れてこうして何が起こったか伝えることが出来た、それで充分じゃあないですか!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オスト・ディアガルデン駅から三分後には帝都西部郊外の国営地下鉄道西部線(ヴェストバーン)キルヒプラッツ駅で同じ光景が見られた。

 

 ほぼ同時刻には国営地下鉄道西部線(ヴェストバーン)オリエンタリッシュ・マルクト駅とオーディン・ミッテランド・ウント・シュリーフェン鉄道ローマン・センター駅が。

 

 一一時〇二分には国営地下鉄道中央環状線(ツェントルムリングバーン)・シュタッケルベルク鉄道ヴェストゲルマニア線等四路線が乗り入れるオーディン中央駅(ハウプトバーンホーフ)が。

 

 一一時〇四分頃には国営地下鉄道西部線(ヴェストバーン)及びオーディン・ユニバーサルライン空港線のフェザーン高等弁務官事務所前駅と国営地下鉄道中央環状線(ツェントルムリングバーン)等八路線のターミナル駅であるヴィルへイム街西駅が。

 

 一一時一〇分には国営地下鉄道東部戦(オストバーン)オーディン海難審判所前駅と国営地下鉄道のシャーマン街東車両基地が。……相次いで奇襲攻撃を受け、警備についていた部隊がいずれも壊滅する。ほぼ同時刻、戒厳司令部はようやく帝都に反粛軍派の地上部隊が多数浸透している事を把握する。

 

「敵軍はホテル・ハノーファーを制圧し臨時指揮所を置いた模様!マルサス=ブレンハウザー通りからリヒャルト一世名文帝恩賜公園までの警戒線は完全に崩壊!」

「ノイケルン街の第三検問所に敵部隊が殺到。第一機動軍第六機械化大隊は既に損耗率二割に到達!援軍を求めています」

「リヒテンベルク街方面、ファルケンベルクとフェンププールを失陥。オーディン防衛軍第六混成師団第二大隊はライニッケンドルフ街へ後退!」

「帝国大学シェーネフェルトキャンパスからの支援砲撃でモアビートの第一検問所と一個中隊が壊滅、敵軍がヘルムスドルフ・プラッツからオーバー・ファルストロングまで進出しています。偵察ドローンの情報によるとその規模はおよそ一個機械化大隊!」

 

 数分も経たない内に戒厳司令部は野戦指揮所さながらの怒号に包まれた。

 

『こちら第一機動軍司令部!ミッテ街の防衛指揮者は第一機動軍第三機械化大隊指揮官で相違ないか!?』

『特警隊第一司令部第二野戦憲兵大隊です!我々は中央軍集団ではなく戒厳司令部の統制に服せば良いのですよね?』

『帝都防衛軍第二混成旅団の上位司令部を聞きたい!我々は帝都防衛軍司令部の命令は待たなくて良いんだよな?というかそもそも目の前の部隊は帝都防衛軍じゃないよな?』

「帝都の防衛・秩序維持は原則として戒厳司令部の職責である。戒厳司令部から追って指示あるまで各部隊は現地点の防衛と維持に努めよ!」

 

 現在の帝都は粛軍派についた複数の部隊が混在して展開している。それぞれの部隊が担当とする地区と、任務こそ決まっていたが、そもそも反粛軍派の部隊と戦闘が起こる事は想定されていなかった。その上奇襲を受けて指揮系統が寸断され、所属も違う部隊が混在し、まさしく粛軍派の帝都部隊は烏合の衆だった。

 

「シュリーフェン地上軍中将を帝都防衛軍司令官から解任し、中央軍集団司令官メクリンゲン=ライヘンバッハ地上軍大将を帝都防衛軍指揮官に任命する。一四時を以って帝都防衛の全権を中央軍集団に委ねたい。宜しいか?」

『私は異存ありませんが、正直に申し上げれば現状帝都に展開する部隊の全てを小官は把握できていません。また、中央軍集団の半数以上は帝都特別行政区ではなく周辺のゲルマニア州に展開しています。戒厳司令部として状況を明瞭化しないまま指揮権だけを引き継がれても、混乱を収拾できるとは限りません』

「……分かった。まずはオーディン防衛軍司令官のケッテラー地上軍中将や特警隊第一司令部統括官のアシャール宇宙軍中将に部隊の統制を回復してもらおう。指揮権の一元化はその後だ」

『それが宜しいかと。中央軍集団の一部部隊を帝都に向かわせます。一八時頃には敵軍の浸透が激しい帝都西部から帝都北部にかけて、帝都の外から砲撃を開始します』

「一八時?」

『国道三号線が爆破されました。現在復旧工事を行っています。それが終わるまでは効果的な兵力を送る事は出来ません。……爆破は中央軍集団内部の仕業だとみています。そもそもゲルマニア州を反粛軍派が突破出来た事自体、粛軍派内部の協力が無ければ……』

「……スリーパー、か。恐れていたことが現実になったか。了解した。身辺に気を付けてくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 指揮権者すらハッキリしない程の著しい混乱状態にある中で、厳しい状況に置かれた前線の将兵はその勇気と能力を試されることとなった。この試練を乗り越えた部隊がいくつかある。一つは赤色胸甲騎兵艦隊陸戦軍である。

 

「マクファーレン中隊がアウタースペース連絡評議会事務所を奪還。区道三四号線を確保、ミツボシ東洋講堂に孤立していた特警隊は辛うじて健在!」

「よーし!大きい、これは大きいぞ……。第一野戦軍第二砲兵大隊にベッサウ街とクロムウェル街中の野砲を集めてミツボシ東洋講堂に運び込ませろ!反攻の橋頭保にするぞ」

 

 赤色胸甲騎兵艦隊特務主任参謀バルヒェット宇宙軍准将(戦時昇進)はその知らせに歓喜の声を挙げた。敵軍が野戦重砲を持ち込もうとしていたミツボシ東洋講堂の陥落を防ぐことが出来たことは、未だ辛うじて戦線を維持している帝都東部の諸部隊にとって大きな勝利である。

 

 赤色胸甲騎兵艦隊陸戦軍は宇宙軍の部隊であり帝都占領が完了した後は地上軍の諸部隊に帝都の秩序維持を移管し、中央大陸東部へと転戦した。しかし宇宙港などいくつかの重要拠点の警備に引き続き部隊を残していた。

 

 メルクリウス市の軍機関や宇宙関連施設を警備していた赤色胸甲騎兵艦隊陸戦軍が反粛軍派の初撃をほぼ受けることなく、纏まった戦力を保持して統制を保ったまま戦闘に入る事ができたことは、大晦日の惨禍(カタストロフィー・ジルヴェスター)では粛軍派にとって数少ない幸運材料だったと言って良い。

 

 陸戦軍の兵力は三〇万、これは地上軍の管区総軍軍集団が完全に定数を充足した本来の数(・・・・・・・・・・・・・・)に匹敵する。(管区総軍軍集団は野戦軍・装甲軍・航空軍で構成。これに戦術支援軍と機動軍が加わる征討総軍軍集団は定数五〇万前後)

 

 勿論陸戦軍の過半は帝都を離れていた為、一二月三一日時点で帝都での戦闘に参加できたのはオーディン第一宇宙港と周辺警備にあたっていた第二赤色陸戦軍団六万人の半数第七赤色陸戦師団と第八赤色陸戦師団合計三万人であるが、これは帝都東部から南部の防衛において大きな戦力となった。

 

 しかし……。それでもなお、帝都東部地域は……そしてバルヒェットは厳しい状況に置かれていた。

 

「区道三四号線を移動中の汎用自走砲二両が破壊されました!第二砲兵大隊第一中隊は移動を中止!」

「馬鹿な!一体何故だ!?」

「だ、第二ラインラント金属オーディン支社ビルから激しい攻撃を受け、自走砲は愚か戦車ですら突破は難しいとのこと」

「第二ラインラント金属って……二〇分前までこちらの狙撃兵が展開してたビルだろ、こちらの勢力圏じゃないのか!?」

 

 第七・第八赤色陸戦師団司令部は旗下部隊の指揮に集中している。他部隊との連携など、広い視野での判断は陸戦軍司令部で行う必要がある。緊急性・重大性が高いと判断された情報は矢継ぎ早に報告され、それに対しバルヒェットは必死に対応する。

 

「キフォイザー戦勝広場の物資集積所に襲撃!ベッサウ街第四検問所との交信途絶!」

「なんだと?誤報じゃないのか?状況を確認して必要なら第八の予備兵力から一個中隊を割け!」

「第七陸戦師団第二機甲化大隊に甚大な被害、グロースジードルング・ブリッツから対戦車ヘリが展開しているとの報告!」

「対戦車ヘリだと!?そんなものまで持ち込んでいるのか!?……いや、元々帝都周辺に居た部隊から流れたのか!航空部隊は使えない、中型無人対地制圧機(ドローン)が何機か遊んでたな?第二機甲に渡してやれ」

 

 大貴族の子弟は、有事の際には私兵軍の指揮官となる。大抵有能な補佐役が付き、お飾りの指揮官として据えられるが、当主や嫡男となるとまるっきりお飾りで居る訳にもいかない。バルヒェットも軍級部隊の指揮の基礎を征討総軍で作戦参謀を務めた退役地上軍少将から高いレベルで学んでいる。……宇宙軍の同階級における他の軍人よりは、という注釈はつくが。とにもかくにも、それによって辛うじて赤色胸甲騎兵艦隊陸戦軍の事実上の司令官代理という過分な地位を務められていた。

 

「オーディン高等公検部庁舎方面で新たに装甲車二台を含む中隊規模の敵を発見。第七陸戦師団は既に部隊をクラップ・マルクトまで進めており対応できないとの事!」

「中央軍集団の部隊がその辺りまで後退していた筈だ、時間を稼がせろ!」

「レール川のエドガー・ブリュッケが爆破されました!マクシミリアン街との連絡が途絶!」

「橋を落としただと!?連中退路はどうするつもりだ!死兵とでも言うつもりか!」

 

 だが、何事にも限界はある。敵を押し戻したはずなのに、戦線の後方に相次いで新たな敵が現れる状況に、バルヒェットは疲弊していた。戦闘開始から凡そ一時間と三〇分。バルヒェットの器量の限界が見えたその瞬間、その男が現れた。

 

「……地下鉄だ。大佐」

「は?」

「私は最初、奴等が建国以来の秘密地下道など、私達が知らない経路を使っているのではないかと疑った。しかしそれではいくら何でも数がおかしい。兵士もそうだが重砲や戦車、装甲車等が多すぎる。それに秘密通路を利用しているのであれば叛徒共が出現する位置は我々の喉元、新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)や官庁街、あるいは貴族の邸宅に限られるはずだ。ところが、連中の出現する位置はあまりにも広範囲であり、尚且つ目立つ。そんな場所に秘密通路があるものか。また、秘密通路ならば距離は短く、あまり遠方から姿を隠すことは出来ない筈だ。ゲルマニア州の警戒部隊が気づかないのは……一部が裏切っていたと仮定しても不自然だ」

 

 眉間に皺を寄せた険しい表情でその痩せ型の男……シュターデン地上軍少将は淡々と語る。敵軍の奇襲が始まった当初は「有り得ない!」と見ていられない程に取り乱していたが、その様子は最早微塵も見受けられない。

 

「今の今まで集まった情報を分析し、敵の狙いを考え続けていた。……地下鉄の駅だ。連中は地下鉄の駅から奇襲を繰り返している。そしてその目的は陽動に違いない」

「待てシュターデン……少将閣下。陽動だと?何の陽動だ?」

「恐らくは、要人の暗殺か、皇帝陛下の拉致、あるいはその両方。……ここまで大規模な陽動を行うのであれば、あるいはライヒハートの解放も視野に入れているかもしれない」

「……それは……」

 

 バルヒェットは数秒考え込み、シュターデンの分析に説得力があることを認めた。

 

「少なくとも地下鉄で移動しているというのは有り得る話だ。……おい、司令部直属の精鋭部隊(プファイル)からすぐに偵察班を編成しろ」

「それと、連中の部隊の有人化率は極端に低いようだ。反粛軍派の拠点からオーディンが遠い事を考えると、これは理に適っている。粛軍派が警戒している人の移動よりは物の移動の方が隠蔽性が高い。市街戦での奇襲故に我々は浮足立っているが、相手の大半が無人兵器とアンドロイドならば、統制を回復すれば容易く押し返せる。……おい、マクファーレン、エルナルド、ザイフリートに敵軍の無人化率を調べるよう伝えてくれ。赤色の誇る殊勲兵(エース)である彼等ならやってくれる筈だ。……バルヒェット」

「何だ?」

「偵察班が確証を掴むまでは、これは仮説に過ぎん。今は眼前の問題に対応する事に集中してくれ。そして……確証を掴んだ後の事は私に任せて貰おう」

「……了解した」

 

 赤色胸甲騎兵艦隊陸戦軍は大晦日の惨禍(カタストロフィー・ジルヴェスター)において粘り強く戦った。そして、反撃の瞬間を待ち続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、一二時〇五分頃、シュパンタウ街ジーメンス・パルク――ライヒハート記念収容所の裏手、番地を二つ挟んだ広大な公園――では血で血を洗う激闘が続いていた。帝都に浸透した反粛軍派部隊は、同公園を要塞化した上で砲兵陣地としようと試みていた。これは二つの点で不味い。帝都東北部が砲兵の傘によって守られる形になり、粛軍派部隊がより苦しい戦いを強いられるという点、そして直近のライヒハート記念収容所が砲撃を受け、恐らく甚大な被害を出して収容所を放棄せざるを得なくなるという点だ。

 

 故にコーゼル大佐はその動きに気付いた瞬間に、収容所の内部から三個中隊を割き、公園の北方から二個中隊、東方から一個中隊を突入させようと試みた。

 

「ハイヤー大尉、ダメです。第二小隊は完全に足を止められた!突撃は失敗です!」

「クソッ。……第二小隊を後退させる、支援攻撃を……」

 

 その瞬間、轟音が鳴り響く。ジーメンス・パルクの東門から二つのルドルフ像の間を通って装甲車を盾に少しずつ内部へ進み、駐車場とテニスコートの境界まで辿り着けていた第二小隊の半数が一瞬で『削られた』。テニスコートの向こう側から鉄網を踏み倒しながら、鉄の恐怖が現れた。

 

「フィールドグレー……連中そんなものまで!帝都を灰燼に帰す気か!?」

 

 フィールドグレーとは帝国軍の強化外骨格装備兵、同盟で言う装甲機動歩兵(パワードスーツ)を指す言葉だ。第三世代型五〇ミリメートル対陣地機関砲装備中型陸戦強化外骨格――ヨートゥン――、第四世代型対地支援型大型飛行強化外骨格――通称フレースヴェルグ――、第四世代型一二〇ミリメートル汎用高射砲装備大型陸戦強化外骨格――通称ムスペル――とそれぞれ北欧神話にちなんだ別名が地上軍総監部によって名付けられているが、同盟のそれが塗装の色にちなんで橙色の丘(オレンジ・ヒル)と呼ばれるのと同じく、帝国のそれも塗装の色にちなみフィールドグレーと呼ばれることが多い。

 

「退避!退避!」

「ダメだ、間に合わ……」

 

 装甲車が吹き飛び、第二小隊の兵士たちが木端微塵となる。一人としてルドルフ像より門側には辿り着けず、肉片へと変わる。さらに背部の小型汎用ミサイル四基が東門の側、ルドルフ像近くに展開していた中隊に降りそそいた。こちらは距離もあり、素早く後退することで大きな被害は回避できた。しかし、ゆっくりと歩みを進めるヨートゥンを止める術はなく、やがて退避することもかなわずその絶大な火力で磨り潰されるだろう。

 

「散開しろ!固まれば纏めて吹き飛ばされるぞ!……おい止めろ、フィールドグレーに対戦車無反動砲(シュツルムファウスト)は無駄だ!対戦車誘導弾(シュペアー)の用意が終わるまで」

 

 言い終わる前に鉄の嵐がシュツルムファウスト……歩兵携行対戦車無反動砲を持ち出した兵士をズタズタにした。勇敢な兵士の打ち出した砲弾は明後日の方向へ飛んでいく。秒速一二〇メートルの弾丸も、誘導性が無い以上フィールドグレーの機動性を前にしては無力だ。しかも大抵は発射までの時間で掃討されるだろう。

 

 戦術教本において対戦車無反動砲(シュツルムファウスト)による対パワードスーツ戦闘では散兵戦術を取りながら最低一二人の射手による飽和攻撃を仕掛けることとされている。照準合わせから発射までに三人、着弾までに一人が無力化され、また回避行動で三発が逸れ、人為的要因で二発が逸れ、それでも三発が着弾してパワードスーツを無力化するという計算である。しかし神出鬼没のパワードスーツに対して教本通りの攻撃を仕掛けられることは稀だ。

 

『第三小隊第一二班。東門より約六八〇メートル東方、カーシービル屋上より攻撃を開始します』

「射手を援護する!全員ありったけの弾丸をフィールドグレーに!装甲は抜けなくても反動は伝わる!」

 

 散会した兵士たちが一斉に銃撃を開始する。歩兵中隊が装備している対戦車誘導弾(シュペアー)など、早々高性能な代物ではない。戦車(パンツァー)ならともかく、フィールドグレー相手に無策で撃ったところで回避される。というより、そもそも誘導自体不可能だ。

 

「第五班、レーザー照射します!」

『……駄目だ、レーザーが認識できない。照射を継続してくれ』

「回避運動をやらせるな!」

「機関銃手も散開するんだ、狙われるぞ!」

「撃て!撃て!」

 

 ヨートゥンは銃撃が集中して照準が安定しない機関砲を諦め、肩部の自動小銃で応戦する。さらに、ヨートゥンに随伴して前進してきた敵の歩兵がハイヤー中隊に容赦なく銃撃を浴びせる。

 

「第五班はもうダメだ!照準器を持ってる奴は誰かいないか!」

「大人しく沈めデカブツが!」

「第七班が引き継ぐ、援護を!」

『三秒で良い、目標のこちらから見える位置に照射を続けてくれ』

 

 著しい損害を出しながらも中隊は何とかヨートゥンへの集中攻撃を維持する。戦車や装甲車ならば無視できる歩兵の銃撃も、中に人が入っているヨートゥンは無視できない。反動に弱いというのはパワードスーツの数少ない弱点である。

 

「まだか!」

『よし良いぞ……発射(ファイエル)

「着弾まで四秒!四、三、二、一」

 

 ドン!対戦車誘導弾(シュペアー四一五)がヨートゥンに突き刺さり爆発する。ハイヤー中隊は歓声を挙げた。

 

「当たった……当たったぞ!」

「やれたか……!」

 

 しかし、ドンドンドンドンという一定のリズム重低音と共にヨートゥンを囲む兵士が吹き飛ぶ。ヨートゥンは左腕部から首元にかけての装甲が酷く歪み、一部は内部機構が露出しており、肩部の自動小銃も見当たらない。しかし、それでも健在であった。

 

「駄目だ!直撃してない!」

「銃撃を続けろ!奴は生きてるぞ!」

「落ち着け!攻撃は効いている!ミサイルの再誘導を急げ!」

「第七班が今の攻撃で吹き飛んだぞ!」

 

 ハイヤーは唇を噛みしめ、そして怒鳴った。

 

「早く駆逐戦車(ヤークトパンツァー)を回させろ!これじゃあ敵軍の陣地構築を阻止する所の話じゃないぞ……こちらが壊滅する!」

「駄目です、路地の老朽化が激しく大きく迂回しているそうです!」

「ならせめて援軍を!一個中隊で突破するのは無理だ!」

「ライヒハート記念収容所の正門側も猛攻を受けていて防戦で手一杯だと……」

「そりゃ収容所の部隊はそうだろうさ!この帝都に一体どれだけの兵士がいると思ってる!?いくらでも暇人が居るだろう!」

 

 第一軍集団の旗下部隊、第二機動軍第四機械化師団で一つの中隊を率いるロバート・ハイヤー地上軍大尉は白薔薇党の理念に賛同してライヒハート記念収容所に中隊を率いて参上した。同じような経緯でライヒハート記念収容所に勝手に集まった部隊はそう少なくない。故に、ライヒハート記念収容所には同規模の重要拠点に比して比較的多くの戦力が存在していた。

 

 しかし、その代償としてライヒハート記念収容所は周辺部隊から孤立していた。白薔薇党のシンパ自体は帝都に幅広く存在するが、ライヒハート記念収容所の周りはテコでも動かぬ頑迷な人間たち――白薔薇党の視点で――で固められ、事実上包囲状態になっていた。

 

 実際、ライヒハート記念収容所が猛攻を受ける中、周辺部隊は早々に潰走ないし後退している。……あるいは、「敢えて」反粛軍派部隊にライヒハート記念収容所を明け渡そう、と考えた将校すらいるかも知れない。将校の中には収容されている人間の元部下や遠い親戚すら居たのだ。

 

「第九班、レーザー照準器を喪失しました!ミサイル誘導不能、誘導不能!」

「野郎、片っ端から誘導手を潰してやがる……もっと第一小隊、弾幕を!動きを封じろ!」

「無理だ!中隊長、敵部隊が突撃体制を取ろうとしている、野放しに出来ない!」

「……最早これまでか!全員着剣しろ!コーゼル大佐は命に代えてもここを抜けと仰った。かくなる上は命を懸けて奇跡をつかみ取るしかない!」

「……!」

 

 悲壮な表情でハイヤー大尉は叫び、兵士たちも多くが覚悟を決めた表情で小銃に剣を装着する。兵士たちも望んでここに来た。士気は高いのだ。

 

「何人かは対戦車無反動砲(シュトルムファウスト)を担いでけ!後方は気にするな!我等の屍を超えて、同胞たちが真の正義を実現することを願おう!いざ……」

「……そうそう早まるもんじゃない。勿体ないじゃあないか。命は切り札だ。効果的に使わねばな」

 

 ハイヤー大尉が「突撃」と叫ぼうとしたその瞬間。その肩を叩くものが居た。金髪長身で肌を浅黒く焼いた筋肉質の男性がそこには立っている。それは地上軍が誇る殊勲兵(エース)の一人。装甲擲弾兵一個小隊に勝る戦闘力と評される怪物。中央軍集団第一独立混成旅団第一猟兵大隊、通称『英雄大隊』を率いる不死身の大隊長。帝国・同盟地上軍の中で最も人間の限界に迫っている兵士の一人。

 

「何だと……?誰だ……まさか貴方は!?」

「アドルフ・カウフマン。中央軍集団第一独立混成旅団第一猟兵大隊長。貴官らの救援要請に応えて参上した」

 

 アドルフ・カウフマン地上軍中佐。二等兵として一般部隊に徴兵された後、ワルターシュタットの戦いで目の良さを買われ狙撃小隊の補充人員となる。その後、僅か二年間で三二一名を射殺。二年四カ月で四〇〇名の大台に乗せる。しかしその後ほどなく目を負傷し一線を退く。最終記録は四三〇名で、帝国軍狙撃兵歴代狙撃記録二〇位。

 

 この時点で軍曹として狙撃分隊を率いていた為、正式な下士官教育を受け軍に残ることを選択。小隊長たる曹長として消耗品同然の扱いで第二次エルザス=ロートリンゲン戦役で前線に回されたが、そこで際立った功績を挙げ続ける。また、個人としても戦役中に戦車二両、自走砲一両、車両八両、ヘリ二機、無人化兵器(ドローン)四機、アテナ級輸送機一機、機械兵三七機、重装騎兵(パワードスーツ)四名を含む将校・兵士八三名という驚異的な撃破記録を打ち立てる。その後も指揮官としての功績と兵士としての記録を積み上げ続け、現在に至る。

 

「……なるほど。ヨートゥンまで持ち出してきたか。そりゃ絶望もしたくなる」

「そ、そうです。高名なカウフマン中佐に救援していただけるとは有難い!英雄大隊のフィールドグレーであのヨートゥンを叩きのめしてください!」

 

 ハイヤー大尉が目を輝かせてそう言うと、カウフマンはヘラりと笑って事も無げに「俺達のフィールドグレーはここに居ない」と言う。

 

「な、何故ですか?」

「帝都西部のオーディン文理科大学リヒャルト一世名文帝陛下記念キャンパスに送った。あそこが落ちたら新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)に精密砲撃が可能になる。そうなりゃ連中は皇帝陛下に弓引くリスクを負わず皇宮警察本部(粛軍派の本拠地)だけを狙い撃てる」

「そ、そんな……フィールドグレーが居なければいくら『英雄大隊』でも……」

 

 ガックシ、という擬音がピッタリな肩の落とし方を見せるハイヤー大尉の背中をパンと叩いてカウフマンは笑った。

 

「木偶の坊の殺し方なんていくらでもあるさ。命の使い方、手本を見せてやる。……中隊配置についたか!よし、では始めるぞ!」

 

 パン、パン、パンと大きな音が立て続けに鳴る。音の度にヨートゥンと一緒に突出していた反粛軍派の兵士たちの頭が吹き飛ぶ。こと狙撃に限って言えば地上軍の猟兵たちは装甲擲弾兵に勝る実力を持つと言われる。その最精鋭である第一猟兵大隊の狙撃支援班が繰り出す弾丸一発一発が正確に反粛軍派の兵士を撃ち抜き部隊の損害を拡大させていく。突撃態勢を取りつつあった反粛軍派が明らかに怯んだ。

 

「ん?ありゃ機械兵(ブリキ)じゃあないか?……はーなるほどね。烏合の衆には機械人形で十分ってか。どうする大尉?舐められてるぞ」

「……」

 

 ハイヤー大尉はその言葉を聞き赤面する。先ほどまで苦戦していた敵兵が機械兵だったとは。道理で射撃が正確な訳だ。相手が機械ならばいくらでもやりようはあった。機械兵の裏をかく動き、例えば門に拘らず適当な柵を乗り越えて侵入するだけでも正面で殴り合うよりマシだったろうし、EMP兵器を使えば一瞬で方が付いたかもしれない。

 

「しかし、機械兵ならビビらねぇから狙撃手に派手に銃声を鳴らさせた意味もないな。ま、いいか。……お前ら行くぞ!」

 

 バババババ、茂みから激しい銃撃がヨートゥンに浴びせられる。ヨートゥンが機関砲と肩部機銃を向け応射するが、その時には茂みに兵士の姿が無い。すると別の方向からも銃撃。やはり応射するが、兵士たちは逃げている。そんなことを数度繰り返す。

 

「ハイヤー大尉、もう一度前進するぞ、門は避けて両脇の柵を超えろ。……機械兵共には撃ち勝てよ?」

「はい!……しかしフィールドグレーの気を引いたところで、撃破できなければ……」

「まあ見てろ」

 

 やがて、明らかにヨートゥンの銃撃が正確になった。次々に両脇の茂みに潜んでいた兵士たちが血祭に挙げられる。

 

「ああ、不味い。きっと赤外線センサーを使い始めたんだ」

「今だ!」

 

 その合図と共に公園の門から少し内部側、駐車場端の案内掲示板の裏から四人の兵士がヨートゥンに向けて発砲する。しかし普通の銃弾ではない。ヨートゥンに着弾した銃弾は激しく発光する。

 

「だ、ダメです!あの程度の光じゃ安全機構でカットされる!」

「いいや、これで良いさ」

 

 ハイヤー大尉が言った通り、一瞬だけ硬直したヨートゥンはすぐに動き出し、案内掲示板に向け突貫する。

 

「パイロットは誘導された。あの地点に」

「え……?」

「閃光弾を打ってきた小賢しい兵士をまず殺す。近いから機関砲で撃つよりもこのまま轢き殺した方が早い。肩の自動小銃は一つが吹き飛び、もう一つも茂みの兵士に乱射した。パイロットの心理として、叩き潰して事が済むならそこに『甘える』。弾薬は無限じゃないからな」

 

 カウフマンの言った通り、ヨートゥンはスラスターを吹かせ案内掲示板ごと兵士たちを押しつぶそうとする。

 

「だが、俺の部下はそう簡単に死なない。辛くも逃げ延びる兵士をパイロットは目線で追う。二人は大胆にもヨートゥンの脇を抜けた。一人は茂みに全力で飛び込んだ。が、あと一人は無様に門へと逃げ出している。まずはそいつから……パイロットは考える」

 

 ヨートゥンの目線が門へ逃げる一人へ止まる。

 

「パイロットはそこで気づく。斜線上にルドルフ大帝陛下の像があることに。僅か一人の為に大帝陛下の像を吹き飛ばして良いものか?逡巡する」

 

 ヨートゥンは機関砲を向けるが、発砲しない。

 

「そして丁度良い獲物に気付く。そう。俺達だ」

「え?」

「よく見るといつの間にか小賢しい兵士たちが門ではなく柵を超えて公園に侵入している。これは痛い目を見せてやらねばならない。大帝陛下の像と一緒に兵士を撃つべきか否か、そんな面倒臭いことも考えないで良い。この馬鹿共を血祭に挙げたらならば、兵士一人くらい逃がしてもおつりが出る。これ幸いとさあ構えた。狙いを定めた。そして……引き金に指を掛けた」

「ま、不味い!後退、後退しろ!」

 

 ハイヤー大尉が慌てて後退を命じるが、カウフマンは全く動じない。

 

「三、二、一、……ドカーン」

 

 カウフマンがそう言った瞬間、激しい爆発が襲った。ただしハイヤー中隊ではなく……ヨートゥンを。

 

「え……?」

「や、やった……『英雄大隊』がフィールドグレーをやったぞ!」

「よっし!進め、進め!」

 

 ハイヤー中隊は勢い付く。ハイヤーは何が起きたのか分からないという様子だ。カウフマンはハイヤーに微笑む。

 

「……今のは、対戦車誘導弾(シュペアー)?」

「いいや、対戦車無反動砲(シュトルムファウスト)だ。見ろ」

 

 茂みの中から兵士が一人、対戦車無反動砲(シュトルムファウスト)を携えて現れる。

 

「あの兵士……そうか、最初からあそこに!」

「そうだ、至近距離で対戦車無反動砲(シュトルムファウスト)をぶち込む。全てはその為の誘導だ。予め茂みに対戦車無反動砲(シュトルムファウスト)を隠していた。戦意にみなぎる歩兵が対戦車兵器を持って近くにいれば、パイロットも馬鹿じゃあないから肉薄攻撃を警戒する。が、閃光弾を撃ち込むなんて小賢しい真似をした挙句、無様に逃げ惑う兵士が一人近くに居た所で、何の警戒もしないのさ」

「……」

「大尉。呆けている暇はないぞ、部下達が指示を待っている」

「ああ……よし!あとはブリキ人形共を片付けるぞ!公園を……」

 

 ハイヤー大尉が指示を下そうとしたその時、彼等が潜む駐車場横の樹木群にミサイルが降り注ぐ。

 

「中隊長!フィールドグレーがもう一機!」

「奴等どれほどの戦力をここに割いているんだ……!」

「……装甲がボロボロだな。公園の北側で余程激しい戦闘があったと見える。カリウスの中隊が居ればヨートゥンは何とか潰しただろう。……北への援軍は間に合わなかったか。二個小隊をさらに北門へ回せ。……大尉」

「はい!」

「貴官の中隊はそのまま奥へ、俺が連れてきた二個小隊は援護に回す。あのフィールドグレーは私と狙撃班に任せてくれ」

「な……お一人で戦うつもりですか!?」

「随伴歩兵は僅かだし、フィールドグレーの損耗は激しい。あれなら対戦車無反動砲(シュトルムファウスト)を何処にぶち込んでも機能停止に追い込める。俺一人で十分だ」

 

 第一猟兵大隊の兵士がカウフマン中佐に対戦車無反動砲(シュトルムファウスト)を手渡す。

 

「大隊長、こちらを」

「ああ、すぐに追いつく。大尉、そろそろ敵軍の陣地構築も進んでいる筈だ、今叩かなければ不味いぞ」

「……了解しました!御武運を。中隊進め!」

 

 ハイヤーの中隊が第一猟兵大隊の二個小隊と共に樹木群を突っ切ってテニスコートの裏手へと向かう。北側から来たヨートゥンがそちらへと機関砲を向けたその時、ヨートゥンの左側二メートル程の地面が爆発する。

 

「デカブツ!俺の首は欲しくないか!?恐らく国防殊勲章、二階級昇進、終身年金モノの首だぞ!」

 

 爆発の原因はカウフマン中佐が投げた手榴弾だ。両手を広げ獰猛な笑みを浮かべながらカウフマン中佐はフィールドグレーの左方八〇メートル程の場所でその身を晒す。公園の奥側に進むハイヤー中隊とは反対の位置だ。ヨートゥンは一瞬硬直し、カウフマン中佐へと肩部小銃を乱射する。

 

「撃たれるって分かっていれば、避けるのはそう難しい事じゃ無いんだ。特に生身の人間が撃つ訳じゃ無いならな」

 

 カウフマン中佐は対戦車無反動砲(シュトルムファウスト)を抱えながら器用に前転しそのままヨートゥンの周りを全力で走る。ヨートゥンの小銃は空しく地面を穿つ。恐らくパイロットは激しく動揺していただろう。対戦車無反動砲(シュトルムファウスト)の有効射程距離はバリエーションによって違うが大抵五〇メートルから一五〇メートル。とはいってもヨートゥンの装甲を抜く必要があることと弾速が遅いことを考慮すると確実に仕留めるには肉薄する必要がある。カウフマン中佐との距離は既に五〇メートル程。もう撃っても良いが近づけるところまでは近づきたい。

 

(オフレッサー……目論見通りここと文理科大は抑えてやる。この俺がお前さんの出世の為に骨を折る形になったんだ。せめて手早く済ませて貰わんとな)

 

 二〇分後、多大な犠牲を払いながらジーメンス・パルクの中央広場から北半分を制圧したハイヤー中隊の下に、アドルフ・カウフマン中佐は合流する。撃破記録に重装騎兵(パワードスーツ)一、機械兵六を加えて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同じ頃、大陸南部シェルミ州オストガロア宇宙軍基地。第二猟兵分艦隊陸戦軍航空総隊司令部ブリーフィングルーム。

 

「ユトランド州、リトアニア州、シェラン州の北部三州は元々別の大陸であったが、大陸移動によって中央大陸(ミズガルズ)の一部となった。その際の衝突で形成された中央大陸(ミズガルズ)中央部を東西に貫く

オーディン最大の山岳地帯、それがスリヴァルディ山脈である。スリヴァルディ山脈はほぼ完全に北部三州と大陸の他の地域を遮断しており、その為大小一〇〇を超える連絡路が作られた。反粛軍派は北部三州に兵力を結集、再編を行いながら、これら連絡路の確保に乗り出している」

 

 ブリーフィングルームには六〇名を超す大勢のパイロットが終結している。陸戦軍航空隊に所属する者だけではなく、母艦空戦隊……すなわち第二猟兵分艦隊各艦に配置されたパイロットも最大限招集されているからだ。その前で作戦士官が説明を行う。戦場は帝都だけでは無かった。

 

 メインスクリーンの地形図が山岳の丁度中央付近にズームする。Yを逆にしたような形の道路と周囲を囲む山々。そこには帝国地上軍第八軍集団を初めとする諸部隊を表すアイコンが所狭しと並んでいた。

 

「本日午前一〇時、北部三州と帝都を繋ぐ最大規模にして最短経路となる大陸縦貫高速道路に対し、反粛軍派が第五軍集団を中心として大規模な攻勢に乗り出した。既にワレンシュタインからノルトシュミットに至る北方一五一キロメートルが敵軍制圧下に置かれたが、第八軍集団がシュミットベルク・バイパス付近に構築していた大規模な防御陣地によって、その勢いは押しとどめられた」

 

 第二猟兵分艦隊第一二〇三航宙旅団第一六母艦空戦隊第六中隊『ガイエス』中隊長代理ホルスト・シューラー宇宙軍少尉。後のトップエースたる彼も今は士官学校を卒業して僅か四年の若輩者。非常招集を受け緊張の面持ちでブリーフィングに出席し、メインスクリーンを見つめていた。そのメインスクリーンでは作戦士官の説明に合わせ、地形図の北方に第五軍集団を表すアイコンが現れる。その少し南には後退中と見られる第八軍集団隷下部隊のアイコンもだ。第五軍集団の部隊は両脇の山々と南方の山々から猛攻を受けているようだ。 

 

「しかし、反粛軍派は大規模な航空部隊を送り、第八軍集団の陣地を航空支援で強引に突破することを目論んでいる。現地では隷下の第九航空軍に加え、ミズガルズ防空軍から即応可能な四個航空大隊が展開し抗戦しているが、如何せん航空軍集団が敵に回っては量と質の双方で分が悪い。制空権は喪失寸前の状態にある。そこで第二猟兵分艦隊陸戦軍航空隊の諸君にも出撃命令が下った。第一陣として巡航揚陸艦三隻からなる制空隊を派遣する。また、現在所属に囚われず稼働可能な予備機をかき集めている。母艦空戦隊で大気圏内飛行経験のある者は順次予備機に乗り込み、第二陣の巡航揚陸艦と共に臨時航空支援隊として戦場へ向かってくれ。……何としてもシュミットベルク・バイパスを抜かせるな。健闘を祈る。以上解散」

 

 陸戦軍航空隊のパイロットたちが一斉にブリーフィングルームを出る一方で、母艦空戦隊の動きは鈍い。

 

「おいおい……重力下での空戦なんて士官学校以来だぞ……勘弁してくれ」

「予備機ってまさか白い棺桶(ワルキューレ・Yウイング)じゃないだろうな?あれで航空軍とやり合えってそんなの鴨撃ちだぜ」

 

 シューラーの横を険しい表情の空戦隊パイロットが通り過ぎる。シューラー自身も不安を隠せない。宇宙空間と大気圏内ではまるで勝手が違うのだ。そして白い棺桶ことRSS-4F『ワルキューレ・Yウイング』……。科学技術総監部帝国艦載艇研究所(Reichs Schnellboot Segelflug)が開発した単座式戦闘艇の傑作RSS-4『ワルキューレ』に大気圏内飛行能力を持たせたあらゆる任務に投入できる大型汎用戦闘機(マルチロール)、と言えば聞こえは良いが……宇宙空間で扱う機体をどれほど改修した所で航空機としての性能は低い。図体ばかり大きい、姿勢制御が難しい、ミサイル搭載数は僅か六基、装甲は厚いが翼部に被弾すれば簡単に推力を失うと良い所無しだ。大気圏内外を問わず活動できるという点と、こんな機体でも陸戦軍には無いよりマシという点で制式採用されているが、パイロットたちからの評判は頗る悪い。

 

「シューラー!情けない顔じゃないか、ヴィリスを墜とした男がそんな顔をするな」

「ベックマン大尉……」

 

 ……二日前、第二猟兵分艦隊の一部将校が反粛軍派に繋がり武装蜂起を図っている事が明らかになった。粛清の鉈が振るわれ、空戦隊もその四分の一が反粛軍派のシンパとして拘束されるか、逃亡を余儀なくされた。『ガイエス』中隊を率いたエースもミズガルズ防空軍所属の機体を奪取して逃亡を図り、心ならずもシューラーがこの手で撃墜することとなった。皮肉にもそれで彼は撃墜記録を五機とし、エースと中隊長代理と呼ばれる立場になった。

 

「俺はもう九年間、碌に空を飛んで無い。だが上に言わせると『九年前に空戦を経験している』ということになるらしい。お前さん、士官学校出て何年だ?」

「四年です」

「結構、正直お前さんの方が空での戦いは上手いかもしれんな。ま、お互い死なない程度に頑張ろうじゃないか。いいか?随伴無人機を最大限頼れ。お前さんが生きてれば何とでもなる」

 

 第一六母艦空戦隊第一中隊『ワルター』中隊長カール・ベックマン宇宙軍大尉。撃墜数駆逐艦一、空戦艇九。軍務について一七年のベテランパイロットであり、ゲッペルスⅥ(所属空母)においては現在一番の実績を誇っている。それだけあってシューラーに気を配る余裕もあるのだろう。

 

「ベックマン大尉!シューラー少尉!」

「……貴様等。こんな所で何をしている」

「状況は聞きました。我々も出撃させてください!」

「馬鹿を言うな!」

「司令官閣下の許可はあります!」

 

 ブリーフィングルームを出た二人の前に六名の士官学校空戦科の候補生が駆け寄ってきた。空戦科は訓練の都合からメルクリウスではなくオストガロアにあり、現役の航空隊や空戦隊と行動を共にすることも少なくない。

 

「何だと……!?」

「……間違いありません。ベックマン大尉、司令官閣下の許可です」

「志願しました!私欲で動く軍国派にこれ以上好きにさせることはできません。挙国一致で敵を撃つべき状況であります!」

「駄目だ、許可しない。俺達は連れてかないぞ……貴様等が実戦に出ても死ぬだけだ」

「国の為に死ねるなら本望です!第一、ここで指をくわえて見ていて、軍国派が国を滅ぼせば、我々は緩やかに死ぬ他ありません!それは軍人として耐え難い苦痛であります!」

「……我々候補生とて随伴無人機位はやれますよ。第一、この前の内通騒ぎでパイロットが足りていない筈です。大尉たちこそ、このまま欠員が居るまま鉄火場に向かうなんて、死にに行くようなモノではありませんか?」

「ケンプ、言葉を慎め!」

「貴様等が来たところで足手まといだ……このシューラーでさえ、俺に言わせればようやっと使い物になってきたというレベルだ。……悪い事は言わん、大人しくここに居ろ」

 

 士官候補生とベックマン、シューラーは激しく言い争うが、ブリーフィングルームから出てきた第一六母艦空戦隊隊長、エルネスト・オグス宇宙軍少佐がその論争を終わらせた。

 

「『ワルター』隊、『ガイエス』隊。司令部の決定だ。ひよっこ達を連れていけ!今は猫の手も必要な状況だ」

「オグス……本気か?」

「お守りをしろ、なんてことは言わん。……自己責任、こいつらにはそう言い渡してある」

 

 ベックマンは天を仰ぐ。オグスも溜息をついて「一五分以内に準備を済ませろ」と言ってその場を去る。

 

「ベックマン大尉……」

「分かってる。シューラー、アイオンとケンプはお前に任せる。残りは俺の隊で」

「しかし……」

「お前は指揮経験が浅い。二人でも荷が重いくらいだ」

「……は」

「ひよっこ共、二つ命令だ、俺とシューラーの言う事は絶対に聞け。そして敵を倒すより逃げることを優先しろ。お前らが墜ちる方が迷惑だ。……俺は貴様等の親に貴様等の死に様を伝えるなんて辛気臭い役回りは御免だぞ」

 

 そう言ってベックマンは身をひるがえした。「は!」と一斉に応じた士官候補生たちが嬉しそうにその後に続く。

 

「シューラー隊長。宜しくお願いします」

「……アイオン候補生にケンプ候補生。貴官らはもう少し思慮に富んでいると考えていたのだが」

「御手は煩わせないよう努める所存です」

 

 シューラーは小さく舌打ちし、「とりあえず生きて帰って見せろ」と二人の候補生の肩を叩き空戦隊の格納庫へと足を向けた

 

「ケンプは五番機、アイオンは七番機を使え」

 

 そう指示を出す一方でシューラーは(これから折角軍の風通しが良くなるだろうに、わざわざ今命を散らすことは無いだろうに……)と心の中で嘆いた。航空軍集団の精鋭を相手にして二人を生きて帰らせる能力は今の自分に無い。ベックマンや第二猟兵分艦隊のトップエースであるガーランド宇宙軍中佐ですら慣れぬ空戦では自らの身を護るので精いっぱいだろう。よって候補生たちは彼等自身の腕に頼る他ない。

 

 シューラーは眼前を歩くパイロットたちを見ながらこの中で何人が生きて帰れるかと考え、暗然とした気持ちになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 帝都西部、ブレーメン街ブラウアー・ツァイデン。オーディン文理科大学リヒャルト一世名文帝陛下恩賜キャンパス(帝都西キャンパス)では血で血を洗う戦闘が続いていた。

 

 午前一一時二二分、戒厳令下で封鎖されていたキャンパスにオーディン地下鉄道西武線(ウェストバーン)から侵攻した反粛軍派の二個中隊が到達。ブレーメン街を管轄とする第一野戦軍第一〇歩兵師団第六大隊は奇襲の混乱の中で敗走し、ブレーメン街の七割が一時反粛軍派の占領下に置かれる。

 

 午後一三時〇二分、戒厳司令部は帝都西部から中心部へと後退してきた部隊をビスマルク街の中央防災公園で再編し臨時戦闘団を設立する。第一〇歩兵師団第二歩兵連隊長フォルクセン大佐を指揮官とするフォルクセン臨時戦闘団はモルダウ川東岸部の敵を押し戻すべく、ポツダム街南部からブレーメン街東北部、ゲーリング街南端へと進出。反粛軍派が橋頭保とするオーディン文理科大学帝都西キャンパスの奪還に向け進撃を開始した。

 

 午後一四時頃、第一独立混成旅団第一猟兵大隊副大隊長フランシス少佐を指揮官とするフランシス臨時大隊が東門に到達。経済学部一号館へと攻撃を開始する。東北方面からも帝都防衛軍第二混成旅団第八大隊長トレスコウ大尉を指揮官とするトレスコウ臨時大隊が侵入、手薄な機械工学実験棟を奪取した。

 

 文理科大の各棟で行われた戦闘はまさしく死闘と呼ぶに相応しい。フランシス臨時大隊は強化外骨格装備兵(フィールドグレー)を集中投入し職員駐車場を数分で制圧、大学東通路沿いにキャンパス中心部に進軍しようと試みるが、大学には頑丈な建物が多く、要塞化された第一食堂を中核に組まれた『要塞線』がフランシス臨時大隊の進撃を止めた。

 

「先に建物を潰す。フィールドグレーは制圧射撃を。一つ一つの部屋を虱潰しに潰すんだ」

 

 ゼッフル粒子が散布された史学部第二教育棟二階では窓から飛び込んできた一条の光線で大爆発が起きた。陸戦隊や装甲擲弾兵の如く戦斧(トマホーク)を携えていた敵味方の兵士三〇名あまりと共に建物の三分の一が吹き飛んだが、なおも戦闘は続いた。ゼッフル粒子濃度が下がってのを見て取った兵士が軽率に小銃を持ち出し、それが再び爆発を起こす。

 

「何やってやがる……!突入部隊を後退させて、外壁が吹き飛んで露出している各部屋に攻撃を加えてやれ!」

「中隊長!危ない!……クソッ、狙撃兵が居るぞ」

「文学部側から射線が通ってる。中隊長の仇だ……あの狙撃手はズタズタに引き裂いてやる……」

 

 理数学部研究棟と教育棟を繋ぐ回廊では反粛軍派に味方した特殊作戦総隊第一作戦隊と粛軍派についた中央軍集団第一独立混成旅団第一猟兵大隊がぶつかった。帝国地上軍屈指の精鋭同士が妙技を尽くして相手を屠る。回廊を兵士の血と炭素クリスタルの斧による破壊の跡が彩るが、互いの戦力と実力が拮抗するが故に転がる躯の数は少ない。野戦迷彩の装甲兵と漆黒の装甲兵がぶつかり合う。

 

「これ以上醜態を晒さぬな!改心しろ『英雄大隊』!帝国地上軍の正道に……」

「うるせぇくたばれゴキブリ野郎!」

「哀れな……奸臣ライヘンバッハの口車に乗ったか!」

「黙れクソったれの軍国主義者が!」

「この国はお前らの遊び場じゃねぇしブラスターはお前らの玩具じゃねぇんだ『軍国派』!」

 

 オーディン文理科大学帝都西キャンパス奪還に割かれた部隊はフォルクセン戦闘団の三分の一に上る。しかし部隊の多くが進撃路の途中で建物に潜んだ狙撃兵や対戦車兵の攻撃を受け移動を阻害されており、作戦開始時刻には多くがキャンパスに辿り着けていなかった。

 

『信じられん!連中民家に立て籠もっている!帝国軍人の誇りは無いのか……』

『本部!本部!こちらバード機甲中隊!どの道も高所を取られている!このままじゃ一方的にやられるだけだ!どうすればいい!』

「……やむを得ん。建物の保全は気にするな!敵兵の有無に関わらず我に攻撃可能な全ての建物に重火器の使用を許可する」

「団長、それでは民間人が……」

「これ以上愛国者に血を流させるな!叛徒を討つために臣民は粉骨砕身して努力すべし!これは神聖なる義務だ!……クソッ」

『続け!屋根伝いに敵兵を掃討するぞ!……ああ!必要なら壁もぶっ壊せ!』

『俺達の、ゴホン……陛下の街でこれ以上好きにやらせるものかよ!』

『修理費は貴族共から取り立ててやれ……!』

 

 午後一四時二〇分からは道一本挟んだキャンパス南の運動場でも、フォード小隊(帝都防衛軍第一三一歩兵師団所属)とカッファー小隊(中央軍集団第一機動軍第一機械化師団所属)が戦闘を開始した。この二個小隊は予定されていた攻撃部隊の半数であり、当然に苦戦を余儀なくされた。南運動場に仕掛けた攻撃は失敗し、逆に前線拠点として確保していた学生体育会館に追い込まれていたのだ。南運動場に運び込まれた三両の自走砲を守る兵士の数は、フォード・カッファー両小隊と大して変わらなかった。

 

 しかし運動場に掘られたいくつもの簡易塹壕、最も入り口側のそれに飛び込んだフォード小隊第二分隊は想定外の光景を目にする。黒い装甲服に身を包んだ兵士、特殊作戦総隊の精鋭が炭素クリスタルの斧を構えて立っていたのだ。塹壕に飛び込んだ兵士たちはあっという間に殺戮され、同時に奇襲から立ち直った各塹壕や土嚢陣地から激しい銃撃が浴びせられる。突撃したフォード小隊は一〇分も経たず壊滅し、カッファー小隊も銃撃を物ともせず接近戦を仕掛けてくる特殊作戦総隊の黒い装甲兵に大きな被害を出しながら何とか学生体育会館へと逃げ延びるので精一杯だった。

 

「全員分かってるな……後に続く奴等の為にも、あの死神共は俺達が殺す。中央兵の誇りに掛けて、この脅威は排除する……!」

「小隊長!来ます!」

「行くぞ……侵略者共を地獄に叩き落とす!」

 

 一四時五二分。二名の装甲兵を道連れにしてカッファー小隊は全滅。しかしその五分後には新たな部隊が南運動場へと到着し攻撃を開始。勿論、南運動場だけではなく文理科大学帝都西キャンパス全域で終日激戦は続くこととなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてオーディン文理科大学帝都西キャンパスでの激戦と時を同じくして帝都地下鉄道西部線(ヴェストバーン)シャーマン街東車両基地でも死闘が繰り広げられていた。オーディン文理科大学帝都西キャンパスからモルダウ川を挟んで一キロメートル程西にあるこの基地は、帝都地下鉄道の車両が地上に姿を現す数少ない地点の一つだ。

 

 オーディンにおいては帝都都市計画法において建築物に厳格な高さ制限が課せられており、高架路線の整備が事実上不可能となっている。また騒音規制も中心部に近づけば近づくほど厳しい。「皇帝陛下の美しい帝都」を実現する為に設けられたこれらの規制のしわ寄せとして、帝都オーディンの鉄道路線はその殆どが地下に整備されている。……故に、オフレッサーはこの基地が反粛軍派の襲撃を受けると予想した。そう、忌々しい事に予想してのけたのだ。あの大男は……。反粛軍派の馬鹿共が畏れ多くも帝都を戦場とすることを。そして、その手段として地下鉄道を利用することを。

 

「パウマン中尉、友軍の一部がモルダウ川東岸部に到達したらしい。これは援軍の到着も近いな」

「ザンクト・ボニファティウス橋が落とされて、ゲッシェ・マイブルグ橋は敵軍が掌握しています。ヨハネス・グーテンベルク橋からモルダウ川を渡るとすると、今日中にはとても辿り着けないでしょう」

「中尉。そうとは限らん、この場所の重要性は上も分かっている筈だ、可及的速やかに援軍は送られる。……兵士にはそう伝えるべきだ」

「!……その通りです。申し訳ありません」

 

 この車両基地が攻撃を受けた時、「たまたま」パウマン少尉率いる一個小隊が近くに居て援軍に駆け付けた。反粛軍派の先鋒部隊を迅速に駆逐した後、パウマン小隊は手際よく爆薬を仕掛け地下へと続くトンネルを塞ぎ、塹壕を掘り、土嚢を積み上げ、機関銃を配置し、狙撃手を展開し、事務所に通信ケーブルを引いて指揮所を設け、戒厳司令部に報告を上げると共にシャーマン街の防衛部隊に援軍を求めた。

 

 午前一一時三二分、反粛軍派の攻撃が再開された。元々電車が行き来するトンネルであり、短時間で完全な封鎖は出来なかった。瓦礫を崩し、または踏み越えて反粛軍派の兵士たちが車両基地の制圧に掛かる。パウマン小隊は苦しみながらも何とかこれを撃退し続けた。

 

 一二時を回るころには帝都西部の各街区における防衛線は完全に崩壊していた。シャーマン街防衛部隊の第一野戦軍第一〇歩兵師団第五大隊についても、丁度東端に位置する車両基地から浸透する部隊をパウマン小隊が抑え込んでいたこともあり、比較的善戦していたが周辺街区が突破されたために後退を余儀なくされた。

 

「誰も覚悟していなかった。誰も」

「……」

「今日の朝。敵軍の真っただ中で孤立しながら夜を迎えると予想していた将兵は、誰も居なかった。少なくとも私の大隊では」

 

 第一〇歩兵師団第五大隊長シュペーア少佐はパウマン少尉が守る車両基地に部隊を率いて合流した。シュペーアの部隊を含め、各地から七〇〇名程の将兵がこの場所に敗走してきている。そしてその周囲を反粛軍派は二個大隊で包囲し、同時に地下鉄側からも攻勢を仕掛けていた。

 

「それが普通です。地下鉄を使って敵軍が浸透してくるなどと予想できる人間は異常者です」

「だがその異常者の御蔭で、帝都は未だ踏み止まっている。シャーマン街東車両基地。オフレッサー少将閣下はピンポイントで敵軍の作戦行動を破綻させた。地下鉄から地上に重火器を持ち出せる地点は限られている。その限られた地点の中でもこの車両基地は最良の条件だ。砲兵陣地となり得る大学のすぐ近くであり、地上への開口部が広く、そして開口部の近くに広いスペースがあり、大通りに面している」

 

 アルバート・フォン・オフレッサーは帝都に奇襲を仕掛ける戦力を約三万人と見積もった。というよりも、もし反粛軍派が動員できる戦力がそれよりも少ないのであれば、帝都に対する奇襲攻撃は大規模浸透作戦ではなく、少数部隊による破壊工作と暗殺によって行われるだろうと予測していた。

 

『まさか、有り得ない!……そんな大軍をどうやって帝都に』

『聞いたことはないか?地上軍の妖怪共は大量の私兵を抱えているって話をよ。地上軍の兵士が二〇万人居たとしよう。俺の見立てじゃその内五万人は連中の息が掛かってると見て良いだろな。帝都の周囲に一体何万の地上軍兵士が居る?三万程度、動かせない方が不思議だぜ』

 

 オフレッサーの見立ては正しかった。特殊作戦総隊が組織的に離反し一日にして帝都の半分が制圧下に置かれた。綿密な計画の下行われた攻撃であることは明らかであった。

 

「まだ破綻させた、とまでは言えないでしょう。精々が破局を遅らせているといった程度です」

「……そうだな。我の戦力も随分と消耗している。せめて今日一日は……持たせてみせたいが」

 

 瓦礫と共にトンネルの入り口近くで鉄くずと化しているのは帝国軍の戦車だ。四度目の攻勢で強引に展開しようとしたこの戦車は肉薄攻撃を受け沈黙するまでに一〇名余りの勇士をヴァルハラ送りにした。戦車と共に押し出した敵兵による被害はそれに倍する。戦車の破壊が後五分も遅れていれば、戦線崩壊は免れなかった。

 

 唯一の好材料は撃破した戦車が入り口の半分を塞いでいることだ。トンネル外からトンネル内への攻撃を困難にする為、止むを得ずパウマンたちは前線をトンネル開口部まで上げることになった。しかし仮にパウマンたちが全滅したとしても、この戦車を撤去するまでの間重火器の地上への展開は遅れるはずだ。

 

「大尉殿。車両基地の各地に爆薬を仕掛けようと思います。力を貸してください」

「力を貸したくはない頼みだな……」

「我々が斃れた後も戦いを終わらせない為に、義務を果たす必要があります」

「…………やるしかないのか。………………去年中央軍集団の辞令を受けた時、私は大喜びした。漸く戦場から離れられる。家族に帝都で良い暮らしをさせられる、とな。その帝都がこの有様とは、運命とはかくも理不尽なモノだったか」

「……いいえそれは違います」

「何?」

「理不尽なのは……人口密集地を地獄に変えながら正義を語る人でなし共が、貴族などと呼ばれて偉そうにふんぞり返っている現実です。……白薔薇のやったことは正しい、そう言ってしまうのはやはり軽率なのでしょうか?」

「…………私はね。流石にやり過ぎだと『思ってた』よ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 銀河帝国首都、オーディン。ルドルフ大帝が、メルセデス伯爵が、リヒャルト一世帝が心血を注いで作り上げた都が炎に沈んでいる。自由惑星同盟のティーンエイジャーたちが一度は妄想しただろう光景。同盟の主戦派が祝杯を揚げた光景。帝国主義者と王党派諸勢力のトラウマ。……私の人生における汚点の一つ。

 

 ヴレーデン街八番地を火元として巻き起こった炎は瞬く間に帝都の南方で燃え広がった。帝都南部エルケレンツ街二番地。前線の後方にあって安全が確保されていると思われたこの地区は反粛軍派以外に迫る大火という脅威を抱えることになった。

 

 火災に対処すべき帝都特別行政府・帝都警察局・内務省警察総局・帝都消防本部・国務省防災政策局消防司令本部といった機関はいずれも機能していなかった。無理もない。銃撃戦の中で避難誘導や消火活動を行う想定などしている訳が無いのだ。

 

「ご覧ください!帝都特別行政府の庁舎が今まさに、崩れ落ちようとしています!炎の勢いは全く衰えを見せません。……はい?うん……」

 

 CTN――セントラル・テレビジョン・ネットワーク――のオーディン担当記者であるロブ・フォーブスはフェザーン本国に対してこの混乱を決死の覚悟で生中継していた。同行して放送を検閲していた将校は振り切った。CTN社が所有する恒星間電波送受信設備と中継衛星は勿論戒厳司令部の監視下に置かれていたが、そこは商魂逞しいフェザーン企業である。戒厳司令部の混乱に付け入り殆ど強行する形で報道を行っていた

 

「はい、えー皆様!ただいま入った情報によりますと帝都防衛軍司令部が放棄された模様です。繰り返します!帝都防衛軍司令部、このオーディンを守る最重要拠点が放棄されました!他、詳細は判明していません!オーディン陥落も間近ということか、市民の不安が心配……」

 

 そこでロブは黙り込む。より正確に言えば黙り込まされた。頭上を三機の対戦車ヘリが通り過ぎ、爆音が彼の声を遮った。

 

「えーCTN各支局によりますと、既に帝星オーディンの全域で戦闘が開始されています。スリヴァルディ山脈には既に数十万の陸上戦力と数千機の航空戦力が展開しており、一部では戦端が開かれている模様です。またカールスルーエ近郊で……ん、違う?あ、レオバラード?ここレオバラード?……ぇとレオバラード近郊で再度粛軍派と軍国派部隊が衝突したという情報もあります。………………先ほど中継で、えーご覧いただきました、軌道エレベーター『ビブロスト』内部でも銃声と爆発音が、えーCTNのエリオット特派員のすぐそばで銃撃戦が行われており、ます。えーまたさらにこのオーディンも軍国派に寝返った部隊によって取り囲まれている状況にあるとの噂が臣民の中で流れ……」

 

 ロブの背後で対戦車ヘリが火を噴く。恐ろしい金属音を響かせながら墜落し、夜空を一瞬炎が彩る。

 

「ああ!ヘリが、ヘリが落ちました……!戒厳司令部が天上不可侵の原則を曲げてまで投入したアパッチが、撃墜されました!ご覧ください、他のヘリが建物を攻撃しています。ここまで軍国派の兵士が浸透しているようです。新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)から直線距離で僅か二〇㎞程度のこのエルケレンツ街までもが、戦場となっております。拡大中の火災と合わせてまさに危機的状況です!」

「そこで何をしている!?報道許可証は……いやそれよりも早く退避しろ!」

「えーっと……曹長殿!軍国派部隊は現在どの辺りまで到達しているのでしょうか?」

「知るか!前触れもなく突然現れて、気づけば町中が敵兵だらけだ!いいから逃げろ!」

「わ、分かりました!でも何処に……?」

 

 ボン!と爆発音と共に装甲車が破壊される。「敵襲!一〇時方向!」「射撃を許可する、繰り返す、射撃を許可する」「被害状況を確認!」「死者一負傷者四以上!」通りを兵士たちが駆け巡り、発砲音が徐々にロブの方に近づいてきた。

 

「とにかく東側か南側に逃げろ!ここにいるよりは安全だ!早く!」

「は、はいぃ」

「退避退避!」

 

 ロブたちは脱兎のごとく逃げ出した。ただしカメラだけは『戦場』に向けたまま。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……そしてフェザーン自治領(ラント)領都フェザーンではCTNが伝えるオーディンの惨状を多くの市民がスクリーン越しに眺めていた。いや、市民だけではない。自治領主館の隠された一室、そこでこのフェザーンの名目上の支配者と実質的な支配者もその光景を眺めていた。……ただし片方はホログラムであったが。

 

「顔色が悪いぞ、自治領主(ランデスヘル)

「……総大主教猊下につきましては、御機嫌麗しゅうございます」

「この前は災難だったな。跳ねっ返りの若造共が貴様の命を狙ったと聞く」

「……」

 

 帝国司法省公安調査庁から極秘に齎された地球教過激派による『ワレンコフ暗殺計画』の情報。フェザーン自治領主(ランデスヘル)を狙う暗殺計画などは星の数ほどあるし、その内の半数はフェザーンを憎悪する外国勢力が関わっている。そしてその中には拝金主義者を嫌う頭のおかしいカルトも少なくない。その点で地球教過激派のテロリスト数名が拘束されたというニュースを(捕物時の大騒ぎは別として)深刻にとらえた者は殆ど居なかった。

 

 ……しかし、フェザーンの治安当局、情報当局は今回の暗殺計画についてその一切の兆候を掴めていなかった。これは異常だ。こと情報戦においてフェザーンの当局は同盟や帝国に殆ど後れを取ったことは無い。名高い東洋の同胞(アライアンス・オブ・イースタン)首長連盟公安局ですら、フェザーンでの工作活動では幾度となく辛酸を嘗めさせられている。そんなフェザーンの治安当局・情報当局が帝国司法省公安調査庁『如き』に尻尾を掴まれる間抜けジャンキー共の動きに一切気付かない、そんなことがあるだろうか。

 

(無いに決まってる。内部で情報が握りつぶされたに違いない)

 

「……今なお、事件の全容は掴めておりません。フェザーンの不安定化を避ける為にも、さらなる調査が必要かと」

「必要ない。我々で不届き物は処罰した」

「……承知しました」

 

 ホログラムの総大主教は有無を言わさぬ声でワレンコフの言葉を遮る。ワレンコフは不承不承ながら引き下がった。総大主教はそんなワレンコフの様子など気にも留めず話し出す。

 

「帝国国内の対同盟強硬派を弱体化させ、対諸侯強硬派に主導権を握らせる。我々はその目的によって自治領主府がライヘンバッハ伯爵を支援することを許可してきた。しかし事態は明らかにライヘンバッハ伯爵の手に負えない領域へと来ている。我等地球教にとってはこの上無い僥倖だな。この混乱と疲弊は宗教にとって最良の土壌となる。我等の信仰に大いなる地球(テラ)が応えてくださった、あるいは地球を捨てた者共に天罰が下ったと言えよう」

 

 よく言う、とワレンコフは思った。この混乱に地球教が関わっていないなどという考えはワレンコフに無かった。帝都の状況は不明だが、この混乱を総大主教が『僥倖』と評するならば、そこに地球教の工作が無い『筈が無い』のだ。

 

「そして同盟では再び主戦派が盛り返した。反戦派の中でも『一撃講和論』なる戦争ありきの野蛮な主張が力を持っている。……当然だな。今同盟軍が出兵したとして、帝国軍は最早一個艦隊の動員すら危うい状態だ」

 

 辺境、そして回廊の安全を確保する為に自由惑星同盟が費やした金銭と人命は莫大なモノだ。例えそれに数倍する損害を銀河帝国に与えていたとしても、とてもではないが戦果に酔い、さらなる勝利を求めてオリオン腕を突き進みたいとは思えない程に。イゼルローン要塞の確保と授業の再開作戦による帝国側軍事拠点への打撃によって、同盟は最低でも向こう一〇〇年間の安全を確保したと言う事ができる。それ故に帝国で和平派が力を持ち、マンフレート二世亡命帝の腹案に近い対等講和と呼べる草案が意図的にリークされるに至って同盟内部では反戦派の力が増大した。

 

 ……もっとも帝国がこの惨状となれば反戦派も含めて掌を返すだろう。平和主義者や人道主義者だけが反戦派を構成している訳では無いし、平和主義者や人道主義者も、「帝国が無力となっている今もなお、オリオン腕の民衆を見捨てるのか。それが真の平和か、それは人道的か」と詰められれば中々反論できない。

 

「ワレンコフ。地球(テラ)の決定を伝える。フェザーン領主府は自由惑星同盟の対帝国作戦を全力を挙げて支援せよ。無論、その際に多くの権益を抑えることは忘れず……」

「お待ちください!」

 

 「なんだ?」と総大主教は不快感を隠さず問う。ワレンコフは畏まった様子ながらもハッキリと総大主教に抗弁した。

 

「……地球(テラ)の力が浸透しているのはオリオン腕です。サジタリウス腕側の軍や政界で影響力を獲得するにはまだまだ時間がかかるでしょう。今、同盟が帝国を屈服させてしまえば、オリオン腕に獲得した影響力を放棄することになる。それは得策とは思えません」

「ふむ。サジタリウスに関してはお前の言う通りだ。しかし、それは時間が解決する問題だろう。そして、同盟がオリオン腕に進出した所でオリオン腕の信徒が離れることは有るまい。オリオン腕の信徒を維持しつつ、サジタリウス腕に食い込んでいけば良いのではないか?」

「勿論そういう考え方もあります。しかし、同盟がオリオン腕への『人道支援』を始めれば、困窮している民衆は彼等に感謝し歓迎するでしょう。彼等は本来、我々の信徒となるべき存在であった、とお考え下さい。このまま混乱が続けば彼等は地球教を縋る。むざむざ将来の信徒を同盟に譲る必要はありません」

「帝国は死に体だ。お前は『帝国には国力を回復する時間が必要だ』と言った。それ故我等はお前の緊張緩和(デタント)を容認してきた。だが最早どれほど時間を置こうが望みは無いのは明らかだ」

「しかし……」

「ワレンコフ」

 

 総大主教は厳かにワレンコフの名前を読んだ。抗弁しようとしていたワレンコフの身が固まる。ワレンコフは息が詰まるような思いをしていた。ワレンコフは常々、地球教の聖職者というものを「卑怯だ」と感じていた。悪意と自意識なんてモノを肥大化させただけで、真っ当に生きる多くの人間を威圧できる不気味な雰囲気を獲得しているのである。これを卑怯と呼ばずして何を卑怯と言うのだろうか、ワレンコフはそう思っていた。

 

「……ワレンコフ、お前には良くない噂がある。我等への恩と母なる地球への敬意を忘れ、ひたすらわが身の利を追求しようとしている、と」

「そんなことは有りません!私はただひたすら地球教の為に骨を折って参りました、そのように仰せられるのは……」

「骨を折っただと?ワレンコフ、お前は今まで何を為してきた?」

 

 総大主教の言葉に明らかな苛立ちが乗る。それは抑揚のない、やや人間離れした老人のしわがれ声に初めて見られた感情であった。それにワレンコフがいささか呑まれる様子を見て、総大主教は首を振る。

 

「……まあ良い、今までの三人も無能だった。お前もそうだった、というだけの話だろう。ワレンコフ、この混乱の最中にフェザーンの国家元首を変えることは『まだ』デメリットの方が大きい、本部はその一事で未だフェザーンをお前に任せている。……身の振りようはよく考えるが良い。地球の為に為すべきことのみを淡々と為し、分を弁えるならば無能に対しても我等は寛容だ」

「……お言葉、肝に銘じさせていただきます」

 

 総大主教の姿が消える。ワレンコフは隠された部屋から出て、自分の執務机に向かった。平静を装った顔、振る舞いのまま、手元の紙片に書き殴る。ちなみにこれは『食べれる紙』である。書かれた内容を隠滅するのに、食べてしまうというのはとても有効な手段だった。故にワレンコフは怨念を込めて書きこんだ。

 

『くたばれ総大主教(グランドビジョップ) この死にぞこないのロクデナシが!』

 

 ワレンコフは諦めない。実際の所、彼は自身の経営する会社の繁栄を第一に望みつつも、第二に生理的嫌悪を禁じ得ない傲慢で醜悪な地球教聖職者共を残らず地獄に叩きこむことを望んでいたし、私を含む志を共にする者に語っていた全銀河の平和と統合という崇高な理念は第三の望みに過ぎなかったのだ。

 

「死んでくれるなよ……ライヘンバッハ」

 

(もし死ぬなら帝国側の地球教徒を皆殺しにしてから頼む)という本音は盗聴を警戒して口にしない。自分の執務室なら安全だ、そんな幻想は当に捨てている。フェザーン自治領主(ランデスヘル)。またの名を地球教の雇われオーナー。そうである限り安寧の地などないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦火は拡大し、激化する。

 

『ワルターⅢ-Ⅰ、誘導弾発射(フォックスツー)!』

『どちらを向いても帝国軍機!常日頃なら嬉しい光景だが、な!』

『レスターⅡ-Ⅰ、後方注意(チェック・シックス)!……クソッ』

『ラインⅡ-Ⅱ、ラインⅣ-Ⅰ、レーダーロスト!』

『クソッ……本当に俺達に正義があるのか!?』

『やられた、ベイルアウトする!』

『こちら巡航揚陸艦リスナーXXXII。方位〇九、距離二八〇。新たに爆撃機(シュヴァーン)四、護衛機八。トーチカ群を狙っている「ガイエス」隊、「シュペーア」隊、迎撃せよ』

『シューペアⅠ-Ⅰ、了解』

「『ガイエスⅠ-Ⅰ、了解』……ワルター隊各機も俺に続け!」

 

 多くの勇士が命を散らす。

 

「カールスルーエとエアランゲンの核融合発電所群が巡航ミサイルで壊滅的な被害を受けました!各ワイゲルト砲に必要な電力量を現在確保できません!」

「何としても代替電源を確保しろ。必要なら周辺都市の民間用発電施設をここに繋ぐんだ」

「そんな……今は一二月ですよ!?とんでもない数の臣民が凍えて死にます!」

「ストーンヘンジを動かせなきゃどの道皆死ぬしかないだろ!スリヴァルディの空を何としても砕くんだ!」

 

 歴史ある街並みが、昨日まで存在した日常が灰燼と消える。 

 

「砲兵陣地はあと二つ、公園南駐車場とフライングボール練習場脇です!」

「ああ!砲撃が始まったぞ!不味い……」

「慌てるな、公園と砲兵陣地の過半は制圧している。この程度の支援砲撃ならライヒハート記念収容所も耐えるだろう。……大隊旗を掲げろ!フライングボール練習場から潰していくぞ!カリウス、二個小隊でついてこい。装甲車は中央広場に置いておけ!ケネス小隊は西門、ハーヴェイ分隊は植物園、カイト分隊は北門駐車場、シュナイダー小隊は公園東側の区道一七号線を固めろ。残りは中央広場を守れ。ハイヤー大尉、貴官がここの指揮を執れ」

「第三・第四狙撃班は中央広場に移動。フライングボール練習場を制圧後、その屋上に展開しろ」

 

 その様は最早言い逃れの仕様もない。

 

「見ろ!!!ペリカーンだ!友軍のヘリだ!」

「友軍だよな?援軍だよな?」

『車両基地の地上部隊!兵員と物資を降ろす!援護を頼む!』

「敵を押し戻す!手始めにあの車両のラインまで前線を押し上げるぞ!」

「正面の塹壕を奪還する!アルニム!パーソンズ!班員を率いて俺に続け!」

「バーター班射撃準備!エゴンは機関銃を使え!」

 

 宇宙暦七八〇年一二月三一日……。

 

「……戒厳司令部は大陸北部アドルフスハーフェンを本拠点とする帝国軍の正規の指揮系統を離脱した諸部隊が皇帝陛下と国家への叛逆の意思を持つことを確認した。ここに宣言する。我々は今、叛乱軍との闘いの中にある。ここに宣言する。我々は今、国家の存亡を賭けた闘いの中にある。ここに宣言する。我々は今、皇帝陛下と正義と生存の為の闘いの中にある」

「叛乱軍の名称は『軍国派』。すなわち、国家の中に軍というもう一つの国家を作り出さんとし、不遜なるその望みを絶たれた軍国主義者達こそが、皇帝陛下の、全帝国軍人の、そして我等臣民全ての敵である。諸君らの暮らしは、幸福は、誇りは、『軍国派』によって踏みにじられた。………………怒れよ臣民!臣民よ武器を取れ!今日この瞬間が歴史の分岐点である。善良なる諸君が奴隷に落ちるか、悪辣なる彼等が報いを受けるか、その分岐点である!私、アルベルト・フォン・ライヘンバッハは諸君と共に闘う!これは聖戦である!我々は命尽きる瞬間まで全土で戦い続ける!陛下の為!未来の為!そして諸君の自由と幸福の為に!帝国万歳!銀河に正義を!万民に幸福を!」

 

 銀河帝国は、内戦状態に陥った。

 

 銀河の歴史がまた一ページ……。

 




帝国首都星オーディン・地図

【挿絵表示】


メモ
一二月三一日時点の帝国宇宙軍正規艦隊の所在星系・所在地・状況
赤色胸甲騎兵艦隊……ヴァルハラ星系・第三惑星オーディン周辺宙域・粛軍派として宙域を制圧
紫色胸甲騎兵艦隊……ザクセン=アンハルト行政区ラウシャ=フレーゲル星系・外縁宙域・軍国派としてビブリス星系等の要衝に進軍中
橙色胸甲騎兵艦隊……ザクセン行政区フレイヤ星系・レンテンベルク要塞・軍国派寄りの中立
白色槍騎兵艦隊……ヴァルハラ星系・第八惑星ヴィーグリーズ・粛軍派に従属
黒色槍騎兵艦隊……ニーダザクセン行政区シャーヘン星系・第三惑星シャーヘン・粛軍派支持
青色槍騎兵艦隊……ユグドラシル中央区モラヴィア星系・第五惑星アウステルリッツ・軍国派と粛軍派に分裂
黄色弓騎兵艦隊……ユグドラシル中央区アルメントフーベル星系・第二惑星メーメル・軍国派寄りの中立
褐色弓騎兵艦隊……ユグドラシル中央区フォアアールベルク星系・第三惑星フランツ・ヨーゼフ・軍国派寄りの中立
緑色軽騎兵艦隊……バイエルン行政区ニーダトラーケー星系第二惑星アレクサンドル=ポリ・粛軍派寄りの中立
灰色軽騎兵艦隊……ヴァルハラ星系・第五惑星ヘーニル・粛軍派支持
第一辺境艦隊……ロートリンゲン警備管区フォルゲン星系・第四惑星フォルゲン・同盟軍に備える為中立を維持
第二辺境艦隊……ザクセン=アンハルト行政区オルテンブルク星系・第五惑星ヴェスターラント・事実上の独立
第三辺境艦隊……ニーダザクセン行政区バルヒェット星系・外縁部・粛軍派と軍国派による内紛を抑える為中立を表明
第四辺境艦隊……バーデン警備管区プロヴァンス星系・第三惑星エルヴィン・ロンメル・中立
第五辺境艦隊……ズィーリオス辺境特別区ドレスデン星系・ゲルデルン要塞・中立
第六辺境艦隊……メクレンブルク=フォアポンメルン行政区ヘルツェゴビナ星系・第三惑星ヨーゼフ・ゲッペルス・粛軍派支持
近衛第一艦隊……ヴァルハラ星系・第三惑星オーディン、オーディン宇宙港基地・中立
近衛第二艦隊……ヴァルハラ星系・第三惑星オーディン、第二衛星ムニン・粛軍派に従属




一二月三一日時点の地上軍征討総軍の所在星系・所在地・状況
中央軍集団……ヴァルハラ星系・第三惑星オーディン中央大陸(ミズガルズ)中央部・粛軍派として展開中
第一軍集団……ヴァルハラ星系・第三惑星オーディン中央大陸(ミズガルズ)中央部、ヴァルター・ヴァルリモント市・粛軍派の手で東部方面総隊として再編中
第二軍集団……ヴァルハラ星系・第三惑星オーディン東大陸(ヨトゥンへイム)・軍国派寄りの中立
第三軍集団……ザールラント警備管区及びフェザーン方面航路・フェザーン航路の安定を維持する為に中立を堅持
第四軍集団……ヴァルハラ星系・第三惑星オーディン中央大陸(ミズガルズ)北部・軍国派として再編中(一部は粛軍派に)
第五軍集団……ヴァルハラ星系・第三惑星オーディン中央大陸(ミズガルズ)スリヴァルディ山脈・軍国派として戦闘中
第六軍集団……ニーダザクセン行政区アルンスベルク星系・第四惑星リップシュタット等・軍国派支持(しかし多くの将兵が粛軍派を支持)
第七軍集団……ヴァルハラ星系・第三惑星オーディン南大陸(ムスペルヘイム)・中立
第八軍集団……ヴァルハラ星系・第三惑星オーディン中央大陸(ミズガルズ)スリヴァルディ山脈・粛軍派として戦闘中
第九軍集団……ヴァルハラ星系・第三惑星オーディン中央大陸(ミズガルズ)東部・軍国派として展開中
第一〇軍集団……ヴァルハラ星系・第三惑星オーディン中央大陸(ミズガルズ)西部・粛軍派として西部方面総隊として再編中
第一一軍集団……ヴァルハラ星系・第三惑星オーディン西大陸(ニダヴェリール)・軍国派寄りの中立
第一二軍集団……ヴァルハラ星系・第三惑星オーディン中央大陸(ミズガルズ)中央部ヴァルター・ヴァルリモント市・粛軍派の手で東部方面総隊として再編中
第一三軍集団……ヴァルハラ星系・第八惑星ヴィーグリーズ、マルティネス・クレーター基地・現在は情勢を静観
第一四軍集団……ニーダザクセン行政区ランズベルク星系・第六惑星レーシング・軍国派と粛軍派に分裂
第一五軍集団……ブランデンブルク警備管区トラーバッハ星系・第三惑星アンゲリィ・軍国派と粛軍派に分裂
第一六軍集団……ユグドラシル中央区アルメントフーベル星系・第二惑星メーメル・軍国派寄りの中立
第一七軍集団……ユグドラシル中央区ルクセンブルク星系・第三惑星ルクセンブルク(テオリア)・クーデター未遂から程なく機能停止中
第一八軍集団……ユグドラシル中央区モラヴィア星系・第五惑星アウステルリッツ・軍国派寄りの中立
第一九軍集団……エルザス=ロートリンゲン辺境軍管区及びシュレースヴィヒ=ホルシュタイン辺境軍管区の各地・同盟軍に備える為に中立を堅持
軌道軍集団……ヴァルハラ星系・第三惑星オーディン周回軌道上・東大陸(ヨトゥンへイム)に突入予定
航空軍集団……ヴァルハラ星系・第三惑星オーディン各地・軍国派として戦闘中


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壮年期・帝星擾乱(宇宙暦780年12月31日~宇宙暦781年1月4日)

「知らない天井……ではないな」

 

 皇宮警察本部本庁舎地下三階、高級将校の居住区画。私はタンクベットからその身を起こす。無駄に広いこの部屋はタンクベットによる休養でしか使わない。恐らく一度も使われないだろう職人仕立ての調度品。豪華なだけで何の意味も持たない装飾。銀河帝国特有の光景だろう。自由惑星同盟の仮眠室ならばもっと機能的で無駄を排している筈だ。

 

「……」

 

 端末を見て時間を確認する。オーディン標準時で朝六時。設定通り、二時間で起床できたようだ。私は昨日脱ぎ捨てた軍服に再び身を包む。通常時ならば従卒に清潔な軍服を用意させる所だが、今はその時間も惜しい。

 

 私はタンクベット使用時特有の偏頭痛――稀に起こる症状だが、私は元々ストレスが偏頭痛に直結する人間であり、従ってタンクベット使用時にこの症状を起こしやすかった――に顔を顰め、軽く頭を振りながら部屋を出る。

 

 やや薄暗い仮眠室と違って通路は光で満たされている。一瞬眩しさに顔を顰め……そして視界に入った男の顔を見て幾分かの気まずさを覚える。

 

「埃っぽくて息苦しくて気に入らない街だ。君は昔、そんなことを言ってたな」

 

 ……部屋の前ではクルト・フォン・シュタイエルマルク宇宙軍上級大将が待っていた。チューブ状の軍用レーションを口にしている。私に同様のモノを投げて寄越し、彼は私に話しかけた。

 

「……ああ」

「今はどんな気分だ?少しは清々したかい?」

「まさか」

 

 私は不機嫌さを隠さず首を振る。そしてレーションを口に運び、その強引な味――如何にも化学調味料で強引に食べれる味に纏めました、という味――にゲンナリする。こんなものを好むクルトは本当に味覚が可笑しい。高級軍人が美味いモノを食べたって良いではないか。質素にしてれば戦争に勝てるという話でもあるまいに。

 

「『気に入らない』という理由だけで住民の生活と歴史への敬意を蔑ろにするものか。……最低の気分さ」

「そうかい」

 

 私はクルトと並んで司令室へと歩き出す。……完全に不意を突かれた。帝都西部は反粛軍派改め軍国派叛乱軍の手に堕ちた。帝都北部は敵味方の兵力二万が入り乱れ指揮統制もままならぬまま建物一つ一つを奪い合う混戦状態となった。帝都南部は業火に包まれつつあり、帝都東部も一進一退の攻防が続く。帝都は戦場となった。

 

「僕は意地が悪いから君をしっかりと刺す。この惨状は君の失敗が招いたことだ。反粛軍派……いやもう軍国派か。連中が体制を整えるまで君が手をこまねいてたからこうなった」

「……その通りだ」

「そして僕の責任でもある。一番大切な時、僕は無様にも病院のベットの上に居た。白薔薇なんて連中の暴走を許し、君にも迷惑をかけた」

「その通りだ」

 

 クルトは淡々とした口調だ。「どうすれば成功だったのか」こうなった今でも私には分からない。だが失敗したことは事実である。私は胸の内に苦いモノが広がっていくことを自覚しながらクルトの言葉を肯定する。

 

「だから『最悪』は避けようじゃないか」

「分かってる。向こうは賽を投げたんだ。……私たちももう進むしかないさ」

「よし」

 

 横を歩くクルトは私に左手を差し出した。掌を上に向けている。和解の握手、とでも言えば良いだろうか。我々は互いに寝首を搔こうという邪な考えを抱いていた。考えを捨てる、その意思表示としてクルトは左手を出したのだろう。

 

「……」

 

 私は前を向いて歩みを止めぬまま、クルトの左手を自分の右手でしっかりと握り、そして離した。

 

「やろう」

「……ああ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私が仮眠についた午前四時、戦線の間隙を縫って戒厳司令部には三人の将官が招集された。線の細い額縁眼鏡の青年は幕僚総監部高等参事官クリストフ・フォン・バルトゥング地上軍大将、小太りで豊かな髭を蓄えた目つきの悪い壮年は教育総監部防空戦監エーリッヒ・シュトラスマン地上軍小将、大柄ながらも青褪めた表情の壮年はミズガルズ防衛軍ケーニヒスベルク州防衛部長ラルフ・ニコラウス・フォン・ラデツキー地上軍准将。

 

 彼等に共通しているのは地上軍の門閥からも主流派閥からも縁遠く、従っておおよそ出世コースとは言えない地位にあり、しかし叩き上げの実戦派で本来ならば軍集団を任されても不思議ではない実力の持ち主である、ということだ。ルーゲンドルフを初めとする帯剣貴族家や地上軍の軍閥が花形と言われるポジションを独占したために割を食っている人間、ともいえる。元々粛軍後の人事リストに名を連ねていた彼等を戒厳司令部の地上戦対応能力向上のために招集したのだ。

 

 現在戒厳司令部には地上戦の専門家が居ない。アルトドルファー元帥は前線を張って昇進してきた人間ではないし、実戦派の地上軍人は現在それぞれの指揮部隊を率いて激戦の渦中にある。今更感のある話ではあるが、戒厳司令部には地上戦の専門家が必要だった。

 

 彼等を中心として新たな防衛戦略が練り直されてた。戒厳司令部に戻った私とクルトに、彼等はさっそくその戦略を進言してきた。

 

「防衛ラインは西をモルダウ川、北を中央環状線に設定しましょう。まずはそこよりも中心部側に侵入してきている軍国派部隊を駆逐します」

「そこまで下げるのか!?」

「防衛ラインより外側の部隊はそのまま戦線の維持、現有地点の防衛に徹してもらいます。防衛ラインに集めるのは主に中央軍集団第一野戦軍第二歩兵師団です」

「帝都南方に展開していた第二歩兵師団は奇襲による混乱も無く司令部、戦力共に健在です。現在は消防に代わって消火活動と避難誘導に当たっていますが、官僚と公僕にそろそろ本来の仕事に戻ってもらいましょう。第二歩兵師団を主軸に軍国派の突出部隊を包囲殲滅。防衛ラインを段階的に押し上げます」

 

 メインスクリーンには戦術状況図が示されている。友軍を示す青色と軍国派を示す紫色が入り乱れている。全ての戦況を把握できている訳では無いが、こうしてみると敵軍が各部隊の分断と包囲を見事に成功させていることが分かる。

 

「それでは前線部隊を見捨てることになる。敵を押し返すまで持ちこたえられない」

「いいえ、持ちこたえることは可能です。確かに、現状軍国派は非常に巧妙に粛軍派部隊を分断し、包囲しています。……しかし小勢の軍国派に我の前線兵力を殲滅することは不可能です。少なくとも短時間では。軍国派には予備戦力がありません。戦略レベルで見た場合、包囲されているのは軍国派ですから……ラデツキー」

「……前線部隊は街区ごとで再編します。各街区において最も高い階級にある指揮官を臨時戦闘団団長に任じてその街区における全権を委ねます」

「とはいっても、連絡の取れない指揮官や、孤立している指揮官も相当数存在します。戒厳司令部と連携が取れている指揮官を積極的に戦時昇進させ、戦闘団の指揮に当たらせます。繰り返しますが、彼等には現在の戦線の維持と拠点の防衛に注力させます。それだけで小勢の軍国派には大きな負担となります。包囲の解除や周辺部隊との合流を試みることは推奨しません」

「防衛ラインの外にいる部隊は、本来の指揮系統の立て直しを諦めるという事かね?」

「そう言っても間違いはないでしょう。特に帝都北部では戦線が入り乱れて各部隊が独自の判断で戦闘を行っている状態です。帝都西部もオーディン文理科大学失陥を防ぐ為に動かせる部隊を臨時戦闘団として投入しました。はっきり言ってしまえばこれは現状の追認です」

 

 バルトゥング大将の説明に戒厳司令部の高官たちは難色を示す。バルトゥング大将が言っている事は、現場に丸投げするということでもある。簡単に頷ける提案ではない。しかし一方でこうも乱戦となってしまえば最早本来の指揮系統へ立て直すのが至難の業であるのも事実であった。

 

「各上位司令部にとっては不愉快な話じゃな」

「そうですかね?彼等にとって一番不愉快な話は、帝都の戦いにおける敗将として歴史に名を刻むことでしょう。少なくとも我が曾祖父ならばそう考えますよ、アルトドルファー元帥閣下」

「む……」

 

 バルトゥング大将らの提案を受け容れれば上位司令部は役割を失う事になるだろう。アルトドルファー元帥は一時的な話とはいえ隷下部隊の指揮権を失う形になる上位司令官たちの気持ちを慮った。しかしバルトゥング大将はその懸念を一蹴する。

 

「ライヘンバッハ上級大将閣下。御決断ください」

 

 私はホログラムで出席するメクリンゲン=ライヘンバッハ上級大将に目線を向ける。メクリンゲン=ライヘンバッハ上級大将は頷いて答えた。

 

『中央軍集団司令官としては異存ありません。我が軍集団は東部戦線及びゲルマニア州の掃討作戦を抱えています。帝都に展開中の二個師団及び、郊外に待機中の二個師団については指揮権を戒厳司令部に移管します』

「敵軍はかなり無茶な博打をしています。中央大陸(ミズガルズ)南部は粛軍派が完全に抑えており、その中心にたった(・・・)数万で攻撃を仕掛けるのは無謀です。持ち込んだ物資が尽きるか、将兵の疲弊が限界を迎えるまでに新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)官庁街(ウィルヘルム街)を制圧できなければ奴等は終わりです。今は前線を維持する事だけ考えましょう」

 

 ラデツキー准将の言葉は正しい。軍国派叛乱軍は帝都を戦場にした。皇帝の居所に向け野砲を撃ちこんだ。政治的には有り得ない……非常識と言って良い一手だ。軍国派の正統性は地に落ちた。粛軍派がライヒハートで帯剣貴族を処刑したことすら最早さしたる問題ではない。彼等は皇帝陛下に弓を引いたのだ。

 

 時間は粛軍派に味方するだろう。連座制によって退路を断たれ、止むを得ず軍国派に付く貴族将校は居るだろうが、それより遥かに多くの将兵が粛軍派の味方に着く筈だ。最早、戒厳司令部の正当性に異を唱えられる段階は過ぎたといって良い。軍国派が明確に『叛乱軍』となった今、これ以上『中立』を標榜することは叛逆者の汚名を被るリスクがある。

 

「……分かった。卿等の提案を採用する。健在な前線指揮官を中心に部隊を再編し、前線を死守させる。反攻は第二歩兵師団の配置を待つ。帝都に攻め入った軍国派が攻勢限界に達した後、時間を掛けて行うこととする。それまでは皇室の方々の警護を万全にしろ。奴等はきっと皇帝陛下初め皇族を狙う筈だ」

 

 軍国派はここまでの事をした以上、何としても帝都……というより皇帝陛下を抑えたい筈だ。皇帝陛下さえ粛軍派から奪えば、その瞬間に正規軍と叛乱軍の立場は逆転する。あるいは皇帝陛下ではなく、宰相皇太子殿下か次官皇子殿下を奪取しようとするかもしれない。「皇帝陛下は粛軍派によって脅されている」「皇帝陛下を救出するのだ」宰相皇太子殿下や次官皇子殿下がそう言えば、軍国派叛乱軍も最低限の正当性を主張できる。

 

「宜しいのですかな?それは叛徒共が帝都を踏み荒らす姿を黙って見ているということでしょう」

「……今は守勢に回るべき時さ。宇宙の戦いも地上の戦いも基本は変わらない。攻めるべき時と守るべき時を見誤って勝てた戦いが戦史上あるというのならお聞きしたいものだ」

 

 クルトも私の判断を支持する。こうして帝都の戦いにおける基本方針が決まった。軍国派叛乱軍帝都侵攻部隊の攻勢限界まで前線を維持する。皇室と重要拠点を死守する。この方針の下、各街区の部隊は臨時戦闘団として再編された。指揮系統の混乱が収まった訳ではないが、ひとまず各前線指揮官と兵士は持ち場を死守する事に集中できるようになった。帝都の戦いは膠着状態――地図の上では、の話だが。実際の所各戦線では血で血を洗う戦いが続いている――に陥った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戒厳司令部が部隊再編の拠点としている皇居西苑は喧騒に包まれていた。片輪が外れかけたトラックの隣で兵士たちが不安そうに立ち竦んでいる。木々の合間にいくつものテントが乱雑に立っている。管理事務所には赤十字の旗が掲げられ周囲は負傷者で溢れ返っている。大帝像の前で整列する野戦服を汚した兵士たちの部隊章はバラバラだ。

 

「どけどけ!邪魔だ!」

「各部隊指揮官は不足している弾薬量を申告するように!」

 

 新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)の方面から装甲車とトラックが列を為す。近衛軍の装備を引きずり出してきたようだ。

 

「貴様等はどこの所属だ!」

「エ、エルベ街のの生き残りです!所属は第一歩兵師団第五歩兵大隊第四中隊第二小隊であります!」

「結構、手足は無事に付いてるな!グラッセ臨時中隊へようこそ!」

「は、は?」

 

 右を見ると途方に暮れた様子の下士官と兵士の一団を肩に紺色の布を巻いた年若い将校が強引に自分の指揮下に収めている。所属ばかりか装備も雑多な集団が将校の後ろに続いており、その数は中隊というには少ない。

 

「ここにある歩兵携行対戦車砲(シュトルムファウスト)を持っていくぞ!」

「待ってくれ!うちの中隊長に確認を……」

「そいつはどこにいる?まだ生きてるのか?」

 

 左を見ると装備を巡って第一野戦軍の部隊章を付けた下士官と帝都防衛軍の部隊章を付けた将校が言い争っている。

 

「原隊復帰の必要はないそうだ。手近の紺布に従えとさ」

「無茶苦茶だ!この状態で戦えと!?」

「これはもう軍の体裁を為して無いんじゃないか……」

「まあな。とはいえいつまでもへばってる訳にはいかねぇさ。連中もうモルダウ川を渡ってるらしいぜ」

「そりゃ不味いだろ……もう目と鼻の先じゃねぇか」

 

 疲れ切った様子の兵士たちが私とすれ違う。濃厚な血の香りが彼等が潜り抜けてきた激戦を私に伝えてくる。

 

「よし!良い子だ……」

「信じられん……直せるのか」

「貴重な装甲車だ。ちょっとショートしたくらいで見切るのは勿体無ぇよ」

「第二〇六整備大隊……ちょっといいか!ヨースター中隊長を知らないか?」

「ん?……誰だそりゃ?」

「ミッテ街ホーファー区の警備責任者だ」

 

 道の真ん中で力尽きた装甲車を整備兵が弄っている。その部隊章を見て話しかけた兵士はどうやら部隊指揮官を探している様子だ。

 

「……おいあれライヘンバッハ伯爵じゃないか」

「馬鹿を言うな」

「階級章見ろよ……偽物って事は無いだろ」

 

 ある程度秩序を保って後退してきた部隊は最低限の補給を済ませた後、フォルクセン大佐、ディッケル大佐、ヴィトカ大佐の戦闘団に組み入れられ、即座に西部防衛線に投入された。今は臨時戦闘団の投入まで決死の遅滞戦闘に努めた死に体の部隊に備蓄装備と散々に打ちのめされ瓦解させられた部隊の残りカスを組み入れて再度の戦力化を試みている。

 

 皇宮西苑は凡そ敗残兵二〇〇〇人を収容している。中央防災公園、リヒャルト一世帝恩賜美術館、オーディン戦勝記念広場、リントシュタット宮殿、帝都中央成花市場、ノイエ=オーディン駅前広場等にも帝都各地から後退した兵員が終結している筈だ。

 

「オットー・ヒースマン准将と連絡が取れました!防災公園からは八〇〇人、リントシュタット宮殿から三二〇人出せるそうです」

「戦力の逐次投入は避けるべきだ、大尉!合流地点は確保できたか?」

「駄目です、ファルストロング伯爵の別邸、ノルトライン公爵の別邸、どちらも空きません!ただ、シュトレーリッツ公爵は帝国軍が損害として五億帝国マルクの支払いに応じるなら敷地を貸すと……」

「貴族共はこれだから……!」

「シロンスク高等弁務官事務所、トリエステ伯爵家公館、ティターノ総領事館、いずれも敷地提供を拒否するそうです。フェザーン高等弁務官事務所とメーメル自治連絡官事務所からの返答は未だありません」

「ふん!治外法権でも気取ってるのか?……三等臣民が」

 

 戒厳司令部を示す旗が高く揚がっている野戦指揮所では慌ただしく士官たちが行き来していた。シュトラスマン少将やその幕僚たちが各拠点と連絡を取りながら戦力をかき集めている。

 

「大佐殿、大乗教が避難民の保護を条件に神殿敷地の提供に応じると回答してきました」

「こういう時に頼りになるのは葬儀屋共だな……。少し狭いが、合流地点は大乗教帝都神殿だと伝えろ!カラル中佐、どうだ?司令部要員は確保できたか?」

「お待ちを!『第二歩兵連隊司令部が出してくれるんだな……?七人?いいぞ、よし、すぐに回してくれ!』……何とかなりそうです!」

「高射砲中隊と連絡がつきました。オーディン・アーセナル・ホテル……ライヘンバッハ上級大将閣下!?」

 

 私が野戦指揮所のテントに近づくと若い士官がそれに気付いて敬礼してきた。その声は喧騒の中でも野戦指揮所の人員を驚かせるに足りたらしく、一斉に私の方へと視線が集まった。

 

「これはまた……よく司令部を出ましたな。狙撃や暗殺のリスクも低くはないでしょうに」

「シュトラスマン少将、突然悪いな。後退した部隊は士気の低下が著しいと報告を受けた、兵士たちに直接声を届けたい」

「……なるほど。何を話すつもりですか」

「この国は岐路に立たされている。そして貴族の思い付きではなく、兵士一人一人の努力が国の命運を決める、そう伝えるつもりだ。だがそれ以上に、『敵前逃亡の罪に問われることはない』と私の口から彼等に約束したい」

 

 地下鉄からの突然の奇襲に戦線は崩壊した。帝都という事もあり、帝都北部を中心にある程度の部隊が戒厳司令部の命令を待たず自主的に拠点の死守に臨んだが、踏み止まれなかった部隊が殆どだ。その後、戒厳司令部が正式に死守命令を発したことで、後退した部隊の兵士間では処罰に対する恐れが広まっていた。

 

「ほう。そんな提案戒厳司令部の高官たちがよく頷きましたな。こうも無様に潰走した以上、前線部隊への八つ当たりは避けられないと踏んでいましたが」

「今は頷くしかないさ。軍国派の連座制も尉官以下について適用を除外するつもりだ。今の内に押し切っておかないとな」

「ふむ……分かりました、西広場の辺りに将兵を集めてます、そこで話してください。……ところでそこの民間人たちは?」

「国営放送、フェザーン・インフォメーション、東和電台、リベラル・オリオン・テレビジョン、そしてヘッセン・ルントフンクのスタッフだ」

「……この際、全て見せてやることにした、と。諸刃の剣ですな」

 

 シュトラスマン少将は呆れたように肩を竦めた。私……そして戒厳司令部が反軍国派のプロパガンダを張ること自体は問題ない。そこに国家の制御が十分利かない非国営メディアを巻き込むことに対してやり過ぎだと感じたのだろう。

 

 フェザーン・インフォメーションはフェザーン系放送局フェザーン・テレビジョンの傘下、東和電台は東洋系資本で支えられ東洋人コミュニティーに大きな影響力がある、リベラル・オリオン・テレビジョンはブラッケ侯爵らがスポンサーとなっている開明派貴族系メディア、ヘッセン・ルントフンクはリッテンハイム侯爵家が牛耳る地方放送。

 

「国家が一丸となって『敵』と対するべき状況なのだ。全ての臣民に協力を呼び掛ける必要がある」

「……臣民の『協力』ね」

「言いたいことはわかるさシュトラスマン……。貴族として、軍人として、忸怩たる思いはある」

 

(私の失敗の尻拭いに臣民を動員するのだから)という言葉は口にしない。代わりに口にするのはお決まりの定型文だ。

 

「だが、軍国派の愚行は断じて許されるものではない。皇帝陛下の宸襟を悩まし奉ったばかりか、ついには皇都オーディンを戦火に晒す真似をする、帝国史を遡ってもここまでの大罪人は居ない。……そう、奴等は『渡ってはいけない橋』を渡ったのだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦場は帝都オーディンだけではない。中央大陸(ミズガルズ)東部と西大陸(ニダヴェリール)の各地で粛軍派と軍国派が衝突し、多くの帝国軍将兵と民間人の死傷者を出している。年を跨ぐまでは互いに軍事衝突を避けるような意識が強く、たまに衝突しても小競り合い程度のものであったが、帝都における戦闘の激化に伴って各地の戦闘も激しさを増していった。

 

 一月一日、中央大陸(ミズガルズ)中部に存在する交通の要衝レオバラード。その西部に広がる麦畑で、軍国派の第九軍集団第一〇機動軍第二一機械化師団と粛軍派の中央軍集団第一野戦軍第二〇一装甲師団が衝突した。レオバラード包囲を目的に北上する第二一機械化師団を足止めすべく、第二〇一装甲師団がディッセンクルップ十字路で迎え撃った形だ。

 

 さらに西南西に二一キロメートル離れた小都市ヴォサルミでも軍国派の第一〇野戦軍第七六歩兵師団と粛軍派の赤色胸甲騎兵艦隊陸戦軍第一陸戦旅団が激しく衝突した。こちらは北へ突出していた軍国派の根元を刈り取るように第一陸戦旅団が基点となるヴォサルミへと突入した。

 

 この二つの戦い――ディッセンクルップ十字路の戦いとヴォサルミ=バルジの戦い――から始まる軍国派と粛軍派の一〇日余りに及ぶ戦闘、これこそが帝国戦史に残る激戦の一つ、レオバラード=ヴァルター・ヴァルリモント間の大戦車戦である。

 

 同日には西大陸(ニダヴェリール)では粛軍派拠点のオクトゴーンへ繋がる州道二号線と国道一七号線でついに武力衝突が起こった。第一一軍集団司令部は軍国派の帝都急襲を受けて態度を変え、戒厳司令部支持を表明したが、隷下部隊の半数近くが軍国派に付いたニダヴェリール防衛軍司令部に従ってオクトゴーン攻略作戦に参加した。オクトゴーンに籠る粛軍派部隊は僅かであるものの、士気は高く一〇倍近い敵相手に奮戦している。

 

 最大の激戦地はスリヴァルディ山脈である。軍国派部隊が集結する北部三州と帝都を含む中央大陸(ミズガルズ)中央部を隔てる惑星最大の山岳地帯は、惑星最大の戦場となった。特に大陸縦貫高速道路シュミットベルク・バイパスを中心とする直径三〇〇キロメートル一帯――誰が呼んだか、通称『円卓』――では「白い山肌が赤く染まった」と言われるほどの激しい戦闘が行われた。軍国派は『円卓』に対し第四・第五軍集団を中核におよそ一〇〇万の兵力を動員し、粛軍派は第八軍集団を中心におよそ七〇万の兵力でこれを迎え撃った。勿論、スリヴァルディ山脈の他の地域でも大隊級から師団級まで小部隊同士が各地で衝突した。

 

 第八軍集団司令官カール・シュテッフェンス地上軍大将は数の差を埋めるべく中央大陸に存在する師団に片っ端から協力要請を飛ばした(東部戦線は除く)が、ゲルマニア防衛軍からの一〇個師団や第二猟兵分艦隊陸戦軍(五個師団)、地上軍工兵総隊など一部の部隊しか参戦しなかった。軍国派に近い保守派系部隊とリッテンハイム派などの門閥派系部隊が積極的もしくは消極的に協力を拒んだからだ。帝都攻防戦が始まって戒厳司令部がシュテッフェンス大将を北部方面総軍総司令官に任じ、協力要請が命令に変わった後もこの怠慢傾向は変わらなかった。(はっきり言えばシュテッフェンス大将の人気が無かったことも原因の一つである)

 

 数を揃えられなかったシュテッフェンスは山脈の各地に強固な防御陣地を築き、敵部隊の進軍路を限定。山道を利用した奇襲攻撃や架橋爆破などで足止めを繰り返しながら、後方に設置した砲撃陣地からあらん限りの火力を前線に投射した。他の部隊からも火砲をかき集め、これを集中的に運用した。事前観測によってスリヴァルディ山脈全体に数百のキルポイントが作られており、軍国派の激しい電子妨害にもかかわらず誘導ロケット砲や巡航ミサイルも有効な火力支援として活躍した。

 

 これに対して軍国派は少数部隊による浸透と航空戦力の爆撃によって後方支援陣地を崩しにかかった。しかし浸透した部隊はファルケンハイン中将が指揮する予備兵力によって各個撃破され十分な効果を挙げることはできなかった。軍国派は仕方なく粛軍派の火力支援を避けるように戦力の一部を迂回させたが、一方で航空戦力による打撃に『円卓』早期突破の望みを託し、稼働戦力の八五%以上をスリヴァルディ山脈に投入した。航空軍集団を中心にその数は約一万二〇〇〇機とも言われる。

 

 一方のシュテッフェンス大将もこれは予期しており、粛軍派に付いた各部隊から予備機も含め航空戦力をかき集めた。一月二日以降は東部戦線と航空部隊の一部を共有するという離れ業までやってのけた。

 

 第八軍集団第九航空軍二〇〇〇機、ミズガルズ防空軍六個航空大隊三〇〇〇機、赤色胸甲騎兵艦隊陸戦軍第一~第一〇航空隊計一〇〇〇機、ゲルマニア防衛軍航空支援隊三〇〇機、ミズガルズ防衛軍航空支援隊三〇〇機、第二猟兵分艦隊第一二〇三航宙旅団・第一二〇四航宙旅団・第三〇二独立空戦隊計一四七七機、そして第二猟兵分艦隊陸戦軍所属の第二〇〇六~第二〇一〇航空隊計五〇〇機。これにいくつかの小部隊が加わって合わせて九〇〇〇機以上がスリヴァルディ制空戦に参戦した。どの部隊も二割~三割の損害を出し、第九航空軍に至っては半数を失っている。

 

 それだけの損害を出してもなお、粛軍派の航空部隊は退かなかった。戦場の勝敗はパイロットたちの目からしても明らかにスリヴァルディ制空戦の結果に掛かっているように思われたからだ。

 

 スリヴァルディ山脈の地上、時に雪降り荒ぶ極寒の大地では一進一退の攻防が続く。シュテッフェンス大将とファルケンハイン中将が築いた防衛線と苛烈な砲撃、そして氷点下の銀世界は軍国派の戦力を容赦なく削り取ったが、軍国派の苛烈な攻勢は粛軍派に同等以上の損害を与えた。

 

 第八軍集団はかなり早い段階(粛軍派が本格的な武力衝突の回避を目指していた段階)からスリヴァルディ山脈での陣地構築に取り掛かったが、完璧な陣地を築くには時間も資材も足りなかった。そして広いスリヴァルディ山脈の全域を守るには戦力も足りず、軍国派が帝都への最短経路を諦め、手薄な地点から突破に掛かると、防衛戦の名手であるファルケンハイン中将を以ってしてもその全てを守り切る事は困難であった。

 

 この上、もしスリヴァルディ制空戦が敗北に終われば、そして軍国派が航空優勢を確立すれば、粛軍派の防衛線は決壊するだろう。その後は軍国派……古い時代を奉じる叛乱軍が帝都に入城し、皇帝陛下を害し、国政を壟断し、軍を私物化し、平民を虐げるだろう。そんなことは兵士たちに許容できることではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 第二猟兵分艦隊は保有する航空・航宙戦力の殆どをスリヴァルディ制空戦に投入した。勿論大気圏内運用可能なワルキューレは数が限られているが、周辺の基地や工場から宇宙軍地上軍、機種や状態も問わず『飛ばせる予備機』をかき集めた。そして僅か五日間の空戦で投入した航空戦力の四〇%を喪失した。

 

『ガイエスⅠ-Ⅰ。こちらワルター隊のフォルケ。クスィと共に指揮下に入る』

『シュパンタウⅢ-Ⅰ、ラックスだ!宜しく頼むぜ宇宙軍!』

「話は聞いている!ガイエスⅠ-Ⅰ、ホルスト・シューラー!アムレットと呼んでくれ!」

 

 妙な言い方だが「まともな」戦場ならとっくに戦える状態ではない。しかし背後に帝都を背負っている以上、彼等に撤退の選択肢は無いのだ。指揮系統は既に半壊していると言って良いが、各巡航揚陸艦と野戦航空基地防空司令部が混戦の中でそれぞれ機体を受け入れてはそのまま指揮下に置いている。

 

 ホルスト・シューラー宇宙軍少尉率いるガイエス隊も既に六名と連絡が途絶し、逆にワルター隊から逸れた二名と乗機を失ってワルキューレ・Yウイングに乗り換えた地上軍パイロット一名を加えて隊としての体裁を整えている。

 

 戦場全体がギリギリのラインで踏み止まっていた。航空軍集団は質と量の双方で粛軍派の航空部隊を圧倒している。不幸な事に、気候状況はすこぶる快晴であった。週末には大寒波が訪れると予測されていたが、それまでスリヴァルディの空が持つかは怪しい状況だ。

 

『翼ある限り飛び続けろ!大丈夫だ!俺達は戦えている!』

 

 しかし士気は高い。第二猟兵分艦隊のトップエース、ヴィスター・ガーランド宇宙軍中佐の激励に応えるパイロットたちの声が通信回線に溢れる。ガーランド中佐自身、慣れぬ空戦で二度落とされながらもなお戦場に立っている。彼が率いる第二猟兵分艦隊最精鋭のメテオール隊は既に半数以上の顔ぶれが予備パイロットと壊滅した部隊の生き残り、所属部隊からの落伍者に取って代わられている。

 

『陣地がまた一つ潰された。防衛部隊は全滅だろう。円卓(ここ)を抜かれれば、ミズガルズの全域でこの光景が繰り広げられるって訳だ』

『クソ……おい聞こえるか!お前ら頭おかしいんじゃないのか!?腐敗貴族共の為にどうしてこうも戦える!』

『やめろアイオン。軍人たるもの上官の命令には服従すべし。彼等は正しい』

『しかしケンプ……』

『だが!……頭を使わぬ軍人、是非を知らぬ軍人など殺人機械(ブリキ)に等しい存在ではないか。臣民として正しいのは我等だ!』

 

 意外にも二人の士官候補生は激戦を生き延びていた。まさしくベックマン大尉が評した通り、下手に宇宙に上がってしまったベテランパイロットよりも、圏内飛行課程中の士官候補生の方が空には慣れていた、と言えるかもしれない。もっとも、ワルター隊に加わった四人の候補生は既に全員ヴァルハラへと旅立っていることを考えると、これは単純に「武運」の問題なのかもしれない。

 

「無駄話は終わりだ!……司令部(HQ)、聞こえるか!ガイエス隊戦闘空域に到達した」

『待ってたぞ俺の勇者達!地獄に墜ちるなよ!奴等を墜としてやれ!』

「ここがもう地獄さ……さっさとクエストを寄越してくれ!」

『いいとも、ガイエス隊はアッセム峠、拠点(プンクト)ベーカーへ。クルーガー隊は八時間に渡って制空任務を続けている。そろそろ休息が必要だ、代わってやれ!』

『方位〇二〇、距離一八〇〇、高度二三〇〇!』

「バルトⅤ、聞いての通りだ!ウォーミングアップを済ませたらすぐに向かう!全機続け!」

 

 前線を突破してきた爆撃機が四機、戦闘機が二機、低空を飛んでいる。一機は黒煙をふきながらやや後方に離れた位置だ。直衛機や僚機を悉く失ったが退くに退けずそのまま突っ込んできた部隊だ。

 

「アイオン、ケンプ!後ろについてこい!」

 

 ガイエスⅡ-Ⅰ、ラックス、フォルケがその護衛無人機と共に戦闘機と戦い、他の機体がそれぞれ爆撃機を狙っている。シューラーは迷わず黒煙を吹く一機に向かう。ヒヨッコを抱えている以上弱い敵に当たるべきだ。ミサイルには限りがある。装甲は硬いが鈍足の爆撃機を墜とすには機銃で十分だ。被弾しつつ爆撃機は射線から逃れようと試みたが、やや右後方を飛ぶケンプ機が軌道を修正しながらさらに銃撃を浴びせた。コクピットに銃弾が飛び込んだらしく、爆撃機はそのまま制御を失う。

 

『クソ、スコアが伸ばせると思ったのに!』

「弾を使わないで済んだ!幸運に思っとけ馬鹿が!この後嫌でも戦う事になる!」

『悪いなアイオン。……しかしそろそろ単独撃墜が欲しいですな、共同撃墜だけじゃエースになれない』

「調子に乗るな士官候補生。エースになる前にお前らは士官にならなきゃなんないんだ!……今死んだらエースはおろか士官にもなれないぞ」

『分かってますよ隊長』

『……自衛なら良いですよね?』

 

 本当に分かっているか怪しいケンプに、明らかに分かって無さそうなアイオン。シューラーは呆れながら機首を未だ抵抗する二機の戦闘機に向ける。しかし、数の差は圧倒的な上に、軍国派側は激戦を潜り抜けて消耗していた。シューラーたちが加勢するまでも無く、決着はすぐについた。

 

『隊長、全機墜としたがこっちも無人機を一機やられた。あの状況で反撃できるあたり、やっぱり航空軍の連中は手強いぜ』

「無人機なら良いさ、兵器工廠が一八時間でワルキューレをYタイプに改修してくれるからな」

『気分が悪いぜ……。空の男としてはこんな戦い方はしたく無かった』

「個人技で勝てる相手じゃない、袋叩きにしなきゃ俺達が鴨にされる」

『同感です。一対一で無様に墜とされる位なら多対一でも無様に勝つ方がまだ軍人として意義深い』

『ケンプの言う通りだ。……ラックス、北の連中は皇帝陛下の空軍を汚した。誇り高い死に方はできんだろう』

宇宙(ソラ)の連中は相変わらず言う事が暗い……分かってるよ!俺も向こうに居たかもしれねぇと思ったらな……』

「円卓が感傷に浸りながら生き残れる戦場だと思うかラックス?……全機担当空域に向かうぞ」

 

 ガイエス隊、有人機八機、無人機七機の計一五機はスリヴァルディの空を飛ぶ。見渡す限り戦闘が繰り広げられている。その合間を空戦を避けながらガイエス隊は担当区域に向かう。しかしその途中、通信回線に救援要請が入ってきた。 

 

『ガイエス隊か!どうやら戦神は俺を見放して無かったな。シューラー、悪いがこちらを優先して欲しい!シュネー隊のフォスターだ。敵のネームドに梃子摺ってる。援護を頼む』

「シュネー隊のフォスター……エルベルト大尉か!司令部(HQ)どうする?」|

『ガイエス隊、少し待て!……シュネー隊は区画FⅡAか、そこは不味いな……フォスター!お前でも持たせられないのか?』

『無理だ、もう三機やられてる!「四葉」のシューマッハは俺が抑えていたがその間に他が……』

『フォスター!どうした!』

『嘗めるな地上軍が!……尾翼に掠ったが一機墜としてやった!だが間抜けはもう居ない!逃げるので精一杯だ』

『……クルーガー隊、後ニ〇分耐えろ!ガイエス隊はシュネー隊の援護を』

「ガイエス隊了解し……」

 

 ガイエス隊が進路を変更し、シュネー隊を襲う「四葉」隊へと向かったその瞬間、一気に通信回線に声が溢れた。 

 

『……第一二機甲連……令部より……空部隊!区画KⅡTへ反…………一時間で良い!何とか航空機を抑えて……戦線崩壊の危』

『TⅠH砲兵陣地より各部隊……ンコツが!聞こえるか!?観測情報を…………いつでも撃てる!誰でも良い、情報を!』

『……第一〇中隊だ!酷い爆撃を受けている……これでは顔を出せない!』

司令部(HQ)……シュネー隊の担当空域だけじゃない、どうもRⅢ番代の区域は地上がかなり不味そうだぞ」

『……ガイエス隊はシュネー隊と共に地上の支援に回ってくれ!クルーガー隊の代わりにはヒルシュ隊を上げる』

「了解、だが地上支援には戦力が足りない」

『こちらも戦力に余裕がない!君達は優秀だ!バルトⅤが管制している部隊の中じゃ一番健闘している!何とかやってくれ!』

「……分かった〝何とか″やってみるさ!」

 

 おおよそ命令とも言えない巡航揚陸艦バルトⅤ管制官の言葉に半分自棄になりながらシューラーは応える。そのまま「四葉」隊との激しい空戦に突入する。ガイエス隊の乱入に気付いた「四葉」隊はシュネー隊と素早く距離を取って痛撃を避けた

 

「ちぃ……クソ!」

 

 全身に掛かるGは宇宙空間における戦闘の比ではない。地上軍のエース部隊相手では腕も機体も分が悪い所ではない。シューラーは必死に逃げ惑う。迂闊に援護しようとしたシューラーの随伴無人機が爆散する。

 

「おおおおおおお!」

『終わりだ』

 

 その破片を辛くも避けるが、大きくバランスを崩す。混線か、それとも意図的か。敵パイロットからの死の宣告がシューラーの耳に届いた。

 

「……お前がな。ケンプ!」

 

 その時、遥か上空から一機のワルキューレ・Yウイングが突撃し、機銃弾をばら撒く。シューラーは強引な推力偏向で減速し、そのまま機体を左に逃がした。シューラーがあと少しで通る筈だった空間を死が埋め尽くし、そこに「四葉」隊の機体が突っ込む。『んぁ……』っと間抜けな声を挙げて機体は爆散した。

 

「腕に驕ったな!二機の連携(ケッテ)戦術、基礎の基礎だ!」

 

 シューラーはそのまま再加速し旋回する。丁度すれ違った敵機に機銃を打ち込み黒煙を吹かせる。ガイエス隊の参戦でシュネー隊は息を吹き返した。四半刻程の戦闘でガイエス隊は二機、シュネー隊は一機を失ったが、「四葉」隊は四機を失っている。数的不利と、恐らく弾薬消費が理由だろう。「四葉」隊が退いていく。

 

司令部(HQ)。四葉が退いた!」

『ガイエス、シュネー、よくやった!ヒュージ隊が代わるから一度下がれ』

「ガイエスⅠ-Ⅰ、了解した」

 

 「ガイエス」隊、「シュネー」隊が戦闘空域を離脱したその時、異変が起こった。

 

本部(HQ)!こちらヒルシュⅢ-Ⅰ!レーザー攻撃を受けている!不味いぞ、一方的にやられている!』

『アックス隊が丸ごと消えた!とんでもない火力だ!』

『全機後退!後退ぃ!』

 

 通信回線を悲痛な声が満たす。原因はすぐに分かった。地上軍征討総軍航空軍集団が有する重巡航管制艦。全幅一四六三.七七メートル、全長六三三.三メートル、全高一五〇.三九メートルと宇宙軍の巡航艦を大きく上回るサイズであり、一二基の大型巡航ミサイルと大気圏内において実用的な火力を発揮する高出力レーザー砲「ブルートガング」を搭載する。兵器の性質上、外征を目的とする征討総軍に属しながらも帝星より離れたことは一度もない。

 

「おいでなすったな……『アイガイオン』」

 

 本土防空の要、難攻不落の空中要塞、帯剣貴族の道楽の象徴、重巡航管制艦『アイガイオン』。死の暴風が『円卓』の空に吹き荒れた。この日出撃した粛軍派航空部隊は何れも壊滅的な被害を受け、一時的ではあるが軍国派が航空優勢を確立。第八軍集団司令部は第一防御陣地帯の放棄を決定。これによりスリヴァルディ山脈の防衛線は最大で三八キロメートル後退することとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……『アイガイオン』の投入は帝都の戦況ともリンクしていたのだろう。一月三日の夕方、赤色胸甲騎兵艦隊陸戦隊が一部地下鉄道網を奪還した。帝都では防戦一方だった粛軍派が初めて反攻に成功した、そう評価しても良い勝利だった。恐らくは、それがリスクの大きい『アイガイオン』投入の引き金になったのだと思う。追い詰められた軍国派がなりふり構わずスリヴァルディ山脈の突破に動いたのだ。

 

 そしてその日の深夜、軍国派はさらにリスクの大きい手を打ってきた。

 

「会談中失礼いたします。……閣下、新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)に叛乱軍が侵入しました」

「来たか……」

 

 ヘンリク・フォン・オークレール、豪胆なる我が護衛士も声に余裕が無い。当然だろう。

 

 私は深く息を吐いて動揺を押さえ込む。ここが勝負所だ。軍国派の馬鹿げた選択、成功するはずのない博打、起こり得ない成功。非常識と非現実の積み重ねで軍国派はついに皇帝陛下の玉座に手を掛ける所まで辿り着いた。

 

(恐れるべきはルーゲンドルフ老……か。どれほど国家の中枢に入り込んでいたのか)

 

「クロプシュトック公爵閣下、賊軍が新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)に侵入いたしました。地下区画に御避難ください」

「な……何たる失態だ!卿は『万全の警戒態勢を敷いているから問題ない』と言っていたではないか!」

「ええ、問題はありません。これは想定の範囲内です。新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)の地下には無数の秘密通路があります。侵入を許すことは最初から覚悟していました」

「馬鹿な!皇帝陛下の御身を何と心得……」

「万全の警戒態勢を敷いております!新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)の何処に敵が現れようと二〇分で殲滅できる手筈になっております」

 

 クロプシュトック公爵は感情の起伏が激しい。そういった点を指して「暗愚」と嘲る者すら居る位だ。私はその見解に同調はしないまでも、やはりこうも素直に動揺と苛立ちを表されると内心で辟易する。

 

「とにかく、御身を第一に御考えを。小官は皇宮警察本部へ戻ります。非常時故、無礼は御許しください。それでは失礼いたします」

「む、婿殿……皇帝陛下に何かあったとしても儂は知らんぞ、何も知らんかったからな!」

「承知しております。皇帝陛下の御身の安全に責任を持つのは戒厳司令官故、国務尚書閣下に責は及びませぬ」

「当然だ!全部卿が勝手にやったことなのだから、それで儂が何故責を取らねばならん!」

 

 喚き散らすクロプシュトック公爵を適当にあしらいながら、私は新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)内における行政府、シュテファン宮殿を後にした。

 

 私の乗る後部座席がリムジンタイプの地上車(ランドカー)、そしてそれと同型の地上車(ランドカー)が二台。幕僚を乗せる防弾仕様の公用車三台、周囲を固める警護車両六台は通常黒塗りの大型車だが、戦時という事もあって全て装甲車。その後ろに通信車の代わりに軽戦車砲塔を乗せた支援装甲車が一台、そして兵員を満載した装甲兵員輸送車二台が続く。

 

 車列を並べて移動する、その途中である。近衛軍の一部隊が私たちの行く手を遮った。

 

「近衛軍のリーメンシュナイダー少佐です。ライヘンバッハ伯爵閣下の車列ですね、お迎えにあがりました。先導いたします」

「グリーセンベック上級大将か?手回しが良いな」

 

 一人の近衛がこちらに呼び掛ける。しかしそれを見たヘンリクは険しい表情だ。

 

「閣下、様子がおかしいです。リーメンシュナイダー少佐は大隊長、警備任務も割り当てられていると記憶しています。閣下の安全の為とは言え、その任務を放置して自ら兵士を率いてくるでしょうか」

「……」

「もっと言えば、わざわざリーメンシュナイダー少佐に閣下の警護を任せるでしょうか?」

「……戒厳司令部に連絡を取って確認してくれ」

 

 案の定、私を保護しろなどという命令をグリーセンベック上級大将は出していなかった。

 

「逃げろ!」

 

 私は運転手のロベールに対して極めて簡潔に、そして揺るぎなく告げた。ロベールはすぐにその命令を遂行した。支援装甲車に対戦車無反動砲(シュトルムファウスト)が撃ち込まれたのはほぼ同じタイミングだった。

 

 本性を現したリーメンシュナイダー少佐達と、私の護衛小隊が銃撃戦を始める中、私と幕僚達の車が別方向へと走り出す。途中、追い付いてきたのか、それとも別動隊が居たのか分からないが数台の車両が行く手を塞ごうとする、体中をぶつけながらも壮絶なカーチェイスの末に何とか戒厳司令部に辿り着いた私は愕然とする。

 

「戒厳司令部で自爆テロだと!?」

「司令部要員に多数の死傷者が出ています。将官ではベルンシュタイン准将が死亡、クナップシュタイン少将、ラデツキー准将が意識不明の重体、トイフェル中将、ビュンシェ少将も負傷なさって現在治療中です」

「第一近衛師団第四大隊など一部の部隊が裏切りました。現在は混戦状態です」

「皇帝陛下は後宮にて御健在です。しかし軍国派の浸透部隊とラムズフェルド中佐の部隊が周囲で交戦中です」

「軍務省と国務省でも爆発物が発見されました。爆発物処理班が対応しています」

 

 十分な備えはしていた筈だった。近衛軍は大半が武装解除され、現在新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)に配置されていた近衛軍将兵は特に皇帝陛下への忠誠心に厚いと判断された者達だ。思想傾向と出自も近衛軍総監部や憲兵総監部から引っ張り出してきた資料を基に厳密に精査されている。勿論、戒厳司令部も私やグリーセンベック上級大将が信頼する者達で固めていた。

 

 さらに言えば、そこまで人員を選別してなお、裏切者が出る可能性自体には備えていた。情報管理を徹底しながらも司令部要員には特警隊で監視を付けた。新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)の防衛部隊指揮官には正式な書類で戦後の栄達を保障し、兵士には多額の報奨金で密告を奨励した。他にも様々手を打ったはずだ、しかし良いようにやられている。

 

 新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)の各門を守る部隊は問題なく戒厳司令部の統制に服している。これは数少ない好材料だ。というよりも、後宮の次に重要な拠点を任せるだけあって、人事には特に気を配った。各門の防衛指揮官が裏切ったとすれば、最早誰も信用できない状態と言って良いだろう。

 

「閣下、新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)の外から援軍を呼びましょう」

 

 一人の幕僚が私に進言する。頭の中で一瞬だけ検討し私はすぐに「駄目だ」と答えた。

 

「その部隊が軍国派についたら終わりだ。元々の方針通り、新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)内部の敵には新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)内部の戦力で当たる」

「しかし、戦力が……」

「落ち着け。末端の兵士まで賊軍に付くものか。混乱を収めれば兵士たちは帰隊する。急ぎ、全ての近衛部隊に現在の配置へ留まるよう命令しろ。また、賊軍側に付いた近衛部隊への攻撃も現時点では禁止とする。後宮周辺三㎞圏内と皇宮警察本部周辺二㎞圏内への侵入も禁止だ」

「何故そのような命令を……」

「混戦を避ける為、そして裏切った近衛部隊を明らかにする為だ。この状況で戒厳司令部の命令を無視して後宮や皇宮警察本部に向かう部隊があれば、それは間違いなく軍国派に寝返った将校が率いた部隊……まずはそれを明らかにする。後宮にはひとまずフェルトン中佐の部隊を向かわせる」

 

 私の指示を受けて慌ただしく幕僚が動き出す。自分が充分に落ち着いている事を確認しながら、私は指揮卓へと向き直った。

 

「さあ始めるぞ。ここが正念場だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜闇の中、近衛軍同士が激しい戦闘を繰り広げる。戒厳司令部の努力も完全には実らず、一部では同士討ちすら発生した。庭園は兵士の靴で踏み荒らされ、宮殿の外壁は脆くも吹き飛ぶ。自然の森と人工の森、業火は区別なく焼き尽くす。歴史ある大広間では激しい銃撃戦が行われ、無数の弾痕が絢爛豪華な壁画を塗りつぶす。新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)で働く一〇万人の延臣、身分の別なく不運な者は死に、より不運な者は恐怖と苦痛の中で死んだ。

 

 明けて一月四日の朝、新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)は無残な姿を人々の目に晒した。特に後宮周辺は浸透した軍国派とラムズフェルド中佐率いる粛軍派の兵士が無数の屍を晒す。大帝ルドルフと流血帝アウグスト二世を除いて、かつてこれほど多くの死体に囲まれて朝を迎えた皇帝は居なかっただろう。

 

 ……そう、フリードリヒ・フォン・ゴールデンバウム四世帝陛下は無事生き残った。紙一重だった。ラムズフェルド中佐率いる防衛部隊は三〇〇名の内一二七名が戦死、八五名が重傷を負い退役を余儀なくされた。残る兵士たちも無傷の者は一人とて居ない。たまたま(・・・・)新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)に居た装甲擲弾兵一個小隊の加勢が無ければ、間違いなくラムズフェルド隊は全滅し、皇帝陛下の御身も危険にさらされていた。

 

 次官皇子殿下こと、第二皇子カスパー・フォン・ゴールデンバウム典礼省上級次官殿下も生き残った。血の気の多い彼らしく、近くに迫った特殊作戦総隊の兵士に対して自らブラスターを握り応戦したという。第二皇子侍従武官と警護部隊は新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)を巡る戦いで半数が戦死した。

 

 第六皇子ジギスムント・フォン・ゴールデンバウムは混乱の最中に命を落とした。状況は判然としないが、避難中に流れ弾に当たったとも、宮殿の火災に巻き込まれたとも、対立勢力に暗殺されたとも言われている。つまり、実際は死んだかどうかも分からない。ハッキリしているのは傍に仕えていた者達が全滅したということだけだ。ただ、状況から見て公式記録上は死んだという扱いにされた。

 

 寵姫の一人、フロレンツィア(アンドレアス公爵一門ハーン伯爵家出身)はフリードリヒの子を懐妊していたが、この戦闘によるショックによって流産してしまった。……本当に原因がこの戦闘にあるかは分からないが、帝国の公式記録上はそういうことになっている。

 

 ……朝日が照らす新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)。軍国派の浸透部隊は既に壊滅し、裏切った近衛部隊も混乱が収まると大半の兵士が再び軍旗の下に戻った。裏切りを主導した将校は殆どが死亡した。いくつかの建物で残党が抵抗していたが、最早皇帝陛下の御身を脅かすことはないだろう。

 

 誰かが「勝った!」と叫んだ。その者に対し数名が非難の視線を向ける。しかし叫んだ者は続ける。「皇帝陛下の御命が全てだ!我等が国は健在なり!」

 

 「……そうだ!」「勝利だ!勝利だ!」幾人かが扇動に乗る。勇ましい言葉が少しずつ戒厳司令部を埋め尽くす。

 

 言葉とは裏腹に白けた空気が漂う。これが勝利と呼べるものか、と。国家の象徴的建造物「新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)」。なるほど、その歴史の中で一度も暴力と業火に晒されなかった訳ではない。流血帝の御代に至っては一部が戦場となってすらいる。しかし、そんなことは関係無いのだ。帝国人の精神世界において、「新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)」は紛れもなく無謬の存在なのだ。

 

 誰かは泣きながら「帝国万歳」と言った。誰かは虚脱したように座り込んだ。誰かは無言で司令室を立ち去った。ゾンネンフェルス退役元帥は「国辱だ」と呟いた。アルトドルファー地上軍元帥は雲隠れした。ナウムブルク近衛軍准将(皇宮警備隊長)は自殺した。

 

「賊軍の侵入経路を突き止めたというのは本当か」

「はい、第二宮廷図書館裏手の森林に地下通路が有りました。逆にこちらから兵を送りますか?」

「第二、第三の襲撃が無いとも限らない。今は警備を固める方が優先だ。地下通路は爆破しておけ」

「了解しました」

「やはり失伝された地下通路があったな……改めて新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)の地下を調査する必要がある」

「人員を割きますか?」

「……後宮周辺に限ってな。それ以上は人手が足りない」

 

 気落ちしている暇はない。今もなお帝都では戦闘が続いている。皇帝襲撃の報は前線部隊を大いに動揺させたはずだ、皇帝陛下と戒厳司令部の健在を示す必要がある。

 

「前線部隊の動揺を抑える為にシュタイエルマルク上級大将が各戦線に直接出向かれています」

「正しい判断だろう。くれぐれも身辺警護を厳重にな」

「閣下、新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)の被害状況について各貴族家と官庁から問い合わせが殺到しています」

「……隠蔽できる状況では無いだろうが、わざわざ士気に関わる情報を喧伝したくはない。被害は現在調査中ということにしておけ」

「閣下、皇帝官房及び侍従部と調整し、午前一〇時に皇帝陛下御自ら、臣民に御姿を御見せになることで合意しました」

「宜しい。私も傍に控える」

「それと……宰相皇太子殿下が新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)に参内し、皇帝陛下の御無事を確認されるとの事。戒厳司令部と近衛軍は万全を期するように、と」

「何…………いや、仕方ないか。他ならぬ皇太子殿下の御意向ならば従う他あるまい。大至急、皇室宮殿(パラスト・ローヤル)からの移動経路を……」

「閣下!大変です!」

 

 私が矢継ぎ早に指示を出している所にブラームス近衛軍中佐が駆け込んできた。近衛軍との折衝担当であり、被害状況を確認させていた筈だ。非常に焦燥に駆られた表情をしている。

 

「どうした?何があった?」

 

 私は平静を保ちながら尋ねる。頭の中ではいくつかブラームスが言いそうなことが予想できていた。近衛軍にさらなる裏切者が居た、とか。近衛軍の重要人物が戦死していた、とか。軍国派浸透部隊の残党がテロ行為に及んだ、とか。

 

「……」

 

 ブラームスは私の手元に紙片を滑り込ませる。つまり、口頭では伝えるのが憚られるという事だ。この場に居る者達は戒厳司令部で直接私を支える幕僚たち、いわば腹心だ。彼等にすら聞かせることができない話……私はそこで漸く一抹の不安を覚える。そして紙片を開いて思わず驚きの声を挙げた。

 

「何だと!?」

 

 紙片の内容はこうだ。それは恐ろしい情報だった。

 

『近衛軍の一部部隊が、軟禁されていた先帝クレメンツ一世帝陛下、エーリッヒ皇子、クリストフ皇子と共に姿を消した』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 帝都西方二〇五キロメートルに位置するベルリン州アドラーブル航空基地は航空軍集団第二一航空軍が拠点としていた基地の一つだ。航空軍集団は戒厳令の布告から間を置かず軍国派についた司令官ヴェネト地上軍中将の命令に従い、その大半が軍国派の掌握する北部三州か東部ミクラガルズ州へと逃れた。しかし、アドラーブル航空基地の管制隊と駐留する第二一航空軍第八二航空師団第二航空大隊はこの動きに同調しなかった。

 

 これは珍しい例ではあるが、他に皆無な例という訳ではない。軍国派が帝都を戦場に変えるという愚行に出る前であっても、上位司令部の行動を疑問に思い、戒厳司令部の指揮下に入る部隊は散見された。アドラーブル航空基地管制隊も第二航空大隊も戒厳司令部からはその一つと思われていた。

 

 実際の所、それは擬態に過ぎなかった。地上軍の帯剣貴族達が何世紀にも渡って地上軍将校の中に張り巡らせた愛国的なネットワークは極めて強固であり、私と戒厳部隊によって想定外のカウンタークーデターを受けてなお、充分に機能していた。

 

 帯剣貴族の中でも限られた者達だけが知る高度に秘匿された帝都脱出経路、そのゴールがアドラーブル航空基地であり、管制隊司令と第二航空大隊長にはどのような状況でも基地を保持する事が使命として密かに与えられていた。基地の地下には計画倒れに終わったはずの超音速ステルス輸送機が三機、公式記録上は配備されていない筈の大気圏離脱艇(HLV)が一機、万全の整備体制で待機しており、アドラーブル航空基地に逃れた高官を迅速に安全な場所へと逃がす体制が整えられていた。

 

 ……そして一月四日の深夜、その基地から「要人」を乗せて一機の超音速ステルス輸送機が密かに飛び立とうとしている。私もクルトも戒厳司令部も、誰もその動きには気付いていない。『アイガイオン』が粛軍派航空部隊に多大な損害を与え、スリヴァルディ山脈上空を制圧したため、各防空軍や前線部隊も暗闇に紛れる超音速ステルス輸送機に気付くことはできないだろう。

 

 輸送機の中でその「要人」はほくそ笑んだ筈だ。至高の頂きに一度は上り詰めながらもそこから追い落とされた男。隠棲したかに見せながらも密かに政官界や財界、軍部に影響力を忍ばせていた男。軍国派を唆し、帝都を戦場にしてまで、内戦を引き起こしてまで権力の座に帰ろうとした男。「白薔薇の乱」においては星の数ほど居る「黒幕」、しかしその中でも五本の指に入る大物。

 

 壮大なる野望を乗せた輸送機がエレベーターで地上に姿を現した。北部三州から現皇帝と粛軍派に反発する勢力を糾合する。偉大なる帝国の再建、その偉業を以って歴史に名を刻む。男にはそれを成し遂げる自信があり、そして権威と能力もあった。輸送機が滑走路に侵入する。

 

 輸送機が飛び立った瞬間、男の手で新たな時代が始まる。流血とエゴの時代が。

 

「……」

 

 そして空港近くの丘の上から一人の男がその様を見ていた。男の目には、狂気を孕んだ獰猛さ、隠し切れない野心が見え隠れしている。しかしそれは彼の目を見る者がこの場に居ないからだろう。彼は自身の危険性を完璧に抑え込む術を見に付けていた。体制に対する狂信と、権力に対する狂信、かの男は自然にそれを使い分けることができた。……故に私も欺かれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 数分後、アドラーブルの夜空に閃光が満ちた。

 

 ……そしてその下で、アルバート・フォン・オフレッサーが静かに嗤っていた。彼の行動原理がその時、体制維持にあったのか権力欲にあったのか、それは私にも分からない。

 

 



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