高円寺のヒーローアカデミア (えぬえむてぃーえす)
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プロローグ

 

 

「席を譲ってあげようって思わないの?」

 

 

 

バスの優先席にドッカリと腰を下ろしたガタイの良い若い男。真新しいブレザーの制服を着た高校生。

彼の真横には年老いた老婆と、その男子高生と同系統である、これまた新品のブレザーに身を包んだ女子高生が立っている。

 

 

 

「そこの君、お婆さんが困っているのが見えないの?」

 

 

 

オレンジ髪でサイドテールにしている女子高生は、優先席を老婆に譲ってやって欲しいと思っているようだった。

静かな車内で女子高生の声は良く通り、周囲の人たちから自然と注目が集まる。

 

 

 

「実にクレイジーな質問だね、ガール」

 

 

 

少年は怒りや無視、あるいは素直に従うのかと思ったが、そのどれでもなくニヤリと笑って足を組み直した。

 

 

 

「何故この私が、老婆に席を譲らなければならないんだい? どこにも理由はないが」

 

 

「君が座っている席は優先席よ。お年寄りに譲るのは当然でしょう?」

 

 

「理解できないねぇ。優先席は優先席であって、法的な義務はどこにも存在しない。

この場を動くかどうか、それは今現在この席を有している私が判断することなのだよ。

若者だから席を譲る? ははは、実にナンセンスな考え方だ」

 

 

 

何とも高校生らしくない喋り方である。金色に煌めく髪も、存在感があるというより場違い感がある。

 

 

 

「私は健全な若者だ。確かに、立つことに然程の不自由は感じない。しかし、座っている時よりも体力を消耗することは明らかだ。

意味もなく無益なことをするつもりにはなれないねぇ。それとも、チップを弾んでくれるとでも言うのかな?」

 

 

「そ、それが目上の人に対する態度!?」

 

 

「目上? 其処な老婆が私よりも長い人生を送っていることは一目瞭然だ。疑問の余地もない。

だが、目上とは立場が上の人間を指して言うのだよ。ところでかく言う君は、実に生意気極まりない、ふてぶてしい態度だねぇ」

 

 

「な……! あんたも『雄英生』でしょう!? 人助けをしたいとは思わないの!」

 

 

「も、もういいですから……」

 

 

 

女子高生はムキになっていたが、老婆はこれ以上騒ぎを大きくしたくないのか。手ぶりで女子高生をなだめるが、

男子高生に侮辱され彼女は怒り心頭のようだ。

 

 

 

「どうやら君よりも老婆の方が物わかりが良いようだ。いやはや、まだまだ日本社会も捨てたものじゃないね。

残りの余生を存分に謳歌したまえ」

 

 

 

無駄に爽やかなスマイルを決めると、少年はイヤホンを耳につけ爆音ダダ漏れで音楽を聴き始める。

勇気を出し進言した女子高生は、悔しそうに歯を噛みしめていた。

 

 

半ば強引に言いくるめられた上、偉そうな態度は癪に障るだろう。

 

 

それでも言い返さなかったのは、少年の言い分にも納得せざるを得なかったからだ。

 

 

道徳的な問題を除いてしまえば、席を譲る義務は事実どこにもない。

 

 

 

「すみません……」

 

 

 

女子高生は渋面ながらも、老婆へと小さな謝罪の言葉を口にする。

 

 

バスの中で起きたちょっとしたハプニング。この騒動は、自我を貫いた少年の勝ちで終わった。誰もがそう思った時だった。

 

 

 

「あの……私も、その子の言う通りだと思うな」

 

 

 

思いがけない救いの手が差し伸べられた。その声の主は女子高生の横に立っていたようで、

思い切って勇気を出した様子で少年へと話しかける。これまた同じ高校の制服を着た女子高生である。

 

 

 

「今度はラウンドガールか。どうやら今日の私は思いのほか女性運があるらしい」

 

 

 

やれやれとイヤホンを外しながら、男子高生は再度目線を上げる。

 

 

 

「ラ、ラウンド!? 丸顔ってこと!?……お婆さん、さっきからずっと辛そうだよ…。

席を譲ってあげてもらえないかな? その、余計なお世話かもしれないけれど、社会貢献にもなると思うんだ!」

 

 

 

パチン、と少年は指を鳴らした。

 

 

 

「社会貢献か。なるほど、中々面白い意見だ。確かにお年寄りに席を譲ることは、社会貢献の一環かも知れない。

しかし残念ながら私は社会貢献に興味がないんだ。私はただ自分が満足できればそれでいいと思っている。それともう一つ。

このように混雑した社内で、優先席に座っている私をやり玉にあげているが、他にも我関せずと居座り黙り込んでいる者たちは放っておいていいのかい?

お年寄りを大切に思う心があるのなら、そこには優先席、優先席でないなど、些細な問題でしかないと思うのだがね」

 

 

 

少女の思いは届かず、少年は堂々とした態度を終始崩すことはなかった。サイドテールの少女も老婆も、続ける言葉はなく悔しさを噛み殺す。

 

 

 

「あの……この席に座ってください……」

 

 

 

車内に満ちた重苦しい沈黙を破り、後部座席に座っていた黒髪、猫背の男子高生がおずおずと立ち上がった。

 

 

 

 

「あ、ありがとうございますっ!」

 

 

「アタシからも…ありがとうございます!」

 

 

 

丸顔のショートボブ少女とサイドテールの少女は頭を下げると、混雑をかき分け老婆を空いた席へと誘導した。

 

 

 

「いや……距離が遠かったとはいえ、本来であれば席を譲るように自分から立ち上がらなければならなかった……

車内で声をあげることが恥ずかしいからと手をこまねくだなんて、俺はなんてことをしてしまったんだ。

頭が真っ白だ…辛いっ…! 帰りたい………!」

 

 

「い、いえ! そんなことありませんよ! とても助かりました……」

 

 

 

気落ちしている男子高生に、そう老人は何度も感謝しながら、ゆっくりとその席に腰を下ろした。

 

 

しばらくブツブツと呟いていた男子高生だが、ふと気を取り直したかのように、優先席に座る少年のところへ歩み寄る。

 

 

 

「君……君の言い分もわかるのだが、世間の皆さんはヒーロー養成校の代名詞ともいえる、俺たち『雄英生』に信頼や期待を寄せている。

君はおそらく普通科へ入学するのだと思うのだが、それでもやはり一括りに見られることも多いと思う。

その時に取り立てて白い目でみられて困ることになるのは君の方だと思うんだ。気を付けた方がいいと思う。」

 

 

「私は完璧な人間だ。凡人たちにどう見られようと困るようなことはないさ。

もし困るとすればそれは体面ばかり気にしている君たちだけだろう。その時は諦めたまえ。

そして勘違いをしているようだが、私はヒーロー科への入学だよ。覚えておくといい。」

 

 

 

((((マジかよ!!!))))

 

 

 

バス内の乗客たちの声がそろう。

 

 

 

「ところで凡人の君たちに聞きたいのだが、実に美しいとは思わないかね?」

 

 

 

車内の状況などお構いなしに、少年は髪をかき上げながら問いかけた。

 

 

 

「すまん…話が読めないのだが……」

 

 

 

話しかけた男子生徒は、思ったことをそのまま伝えてみる。だが少年はそんな答えを期待していたわけではなかったのか、

がっかりしたようにため息をついた。

 

 

 

「何を言っているんだい君は。私が聞いたのはそんなことじゃない。

完璧な肉体美と『個性』を持つこの私そのものが、この場で美しく輝いているということだよ。わからないかな?」

 

 

 

((((なるほど、わからん。))))

 

 

 

「………初対面の人たちの前でも、この自信…!! 見習いたい…」

 

 

「「えっ!! そこ!?」」

 

 

 

乗客全員の心を代弁するかの如く、先ほどの女子高生2人が言葉を発する。

 

 

この日は、彼ら『雄英生』が下車するまで当バス内は混乱を窮めた。



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