めざせゴブリンマスター (葵原てぃー)
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めざせゴブリンマスター

 わたしが()()に気がついたのは、物心がついたばかりの幼い頃、寝床で母の腕の中。

 

 幼子なりの体力(スタミナ)を使い果たして眠りにつこうとした折、閉じたまぶたの裏に浮かんだ小さな姿。目を開ければ途端に視界から消える、奇妙な観測対象。

 ひょっとしたら赤子の頃、あるいは母の胎内(そのまえ)から見えていたのかもしれないが、それについての是非はどうでもよい。

 とにかく、わたしが目を閉じたときに見ることができた()()が、小鬼(ゴブリン)と呼ばれる矮小、かつ混沌に属する魔物であることは母親から教えてもらえた。

 

「悪い夢を見たのね。可哀想に、怖かったでしょう」

 

 当時、幼児であったわたしの覚束ない言葉を正しく理解できていた確証はないが、寝かしつけた子が突然目を開けてまくし立てる様子に、母はわたしが何か悪い夢でも見たのだろうという結論に達したらしい。

 

「それは、ものを盗んだりする小鬼と呼ばれる魔物よ。いい子にしていればちっとも怖くないけど、悪いことをするとさらわれちゃうの」

 

 ぼんやりとした記憶を思い返してみれば、なんとも柔らかい説明ではあった。実際に小鬼の所業を見聞きした今となっては笑いぐさだが、子供のしつけに利用するには充分な脅かしであったとも言える。

 なので、それ以来わたしは、まぶたの裏の住人()()に関して言及したことは一度もない。

 

 最初はその小鬼が薄暗い洞穴らしき場所で這い回る姿が見えるばかりだったが、わたし自身が強く両親から教えられたこと──親の言いつけを守る。まずは見て覚える。危なくなったらとにかく逃げる──の3つを頭の中で幾度となく繰り返しているうちに、まぶたの裏に見えていた小鬼にもそれが伝わっていたようで。

 洞窟を襲った危機を見て覚え、即座に脱け出して森をさまよい、また別の洞窟に転がり込んで、また見て覚えて逃げ出して。

 わたしが同年代の友達と外を遊び回るようになった頃には、最初のまぶたの中の住人も逃げ続けるうちにすっかり大きくなり、ひとつの観察用の窓の中で数人の子分を従えているのが見えた。

 しかしまあ、その頃はまだ平和だったのだ。「頭の中で小鬼を飼っている」などと口にすれば正気を疑われると判断できるだけの分別が育っていたのは我がことながら褒めておきたいところである。

 

 ともあれ、でかく育った小鬼(なんでも田舎者(ホブ)と言うのだったか)が逃げた洞窟の数が二桁を越えて久しい頃。わたしが数えで十になる年。

 

 頭の中で、はじめて人が死んだ。

 

 ……の、だと思う。わたしが見ているのは一匹の小鬼とその周囲わずかな範囲であって、子分を従えていた云々もあくまで小鬼の様子を見てそう思っただけに過ぎない。

 とにかく、今までも小鬼たちが獣を狩ったり食べられそうな木の実を乱獲したり、あるいはそれで腹を壊したりしている様子はたびたび見ていたが。

(ちなみに小鬼の汚物類を見る羽目になったのは早い頃から慣れていた。匂いがしなかったので気にしなければ実害はない)

 とにかく、まぶたの裏では田舎者が巨大な石槌を降り下ろした直後に返り血で染まり、力任せにもぎ取られたであろう只人(ヒューム)のものであろう大腿部を貪り喰う様子を見て、ああ、今、人が死んだんだと直感的に理解できた。

 

 小鬼が人を殺し、食べてしまうことは知っていた。ただ、頭の中の小鬼はそれまでずっと危険な相手から逃げていたから、その機会がなかっただけだ。

 

 ただ、いくぶん慣れていたようにも見えたので、ひょっとしたらわたしが見てないうちに()ることはやっていたのかもしれないが。

 

 翌日の朝食後、わたしは吐いた。胸がむかむかしてぐったりした。頭がぐるぐるして、一日中何をどうしていたかもよく覚えていなかった。

 

 ──ただ、その日の夕食は珍しくごちそうだったことは覚えている。

 当然だけど、人肉が食卓に並んでいた、などというオチでもなかった。

 

 そして次の日。頭の中の小鬼はまた逃げた。

 襲ってきた奴を返り討ちにしてただろお前。と思わず目頭を抑えてしまったわたしは悪くないと思う。

 とにかく、子供程度の力しかないはずの肉体は、すでに田舎者(ホブ)ですらない、小鬼英雄(チャンピオン)と言ってよい体躯と剛力を兼ね備え、子供程度の悪知恵しか思いつけないはずの頭脳も、たび重なる観察と危険感知に大きく寄せた成長で()()()()生き延びることに成功していた。

 それでいて、そいつは変わらぬ臆病さを発揮し、さらにあちこちを逃げ回っていた。

 

 ある時わたしは近所を通り掛かった旅人から、小鬼についてほんの少し話を聞く機会があった。

 巣穴を出て成長する小鬼のことを『渡り』と言うらしい。それは知らなかった。頭の中の小鬼などはもうすっかりベテランの『渡り』であろう。

 それ以外のことはだいたい()()()()から知っていた。

 

 盗む。

 殺す。

 犯す。──そして、()えた。

 

 年頃のメンタルに対して実に精神的に()()映像には頭を抱えたものであるが、その()の方がもっとひどい。

 すっかり小鬼英雄としての格が板について、ようやく逃げることも少なくなってきたまぶたの裏の住人。

 その隣に、()()()()()()()()小鬼が見える窓が浮かび上がっていたのだ。

 見え始めたときにはすでに軽く這い回っていた、もしかしなくても小鬼英雄の仔だろう。……そうして一度増え始めると、成長の早い小鬼の増加は止まらない。

 わたしのまぶたの裏はあっという間に住人を増やし、さながら小鬼の展覧会の如き混沌を提供することになった。まあ幸いにも、増えた窓は六つ止まりであったが。

 

 そんな訳で、『渡り』の話を聞いた時にはもう、小鬼たちの生態について妙に慣れきってしまっていたのだ。

 

 ──奇妙な話である、と思うべきであった。

 どれだけ奇特な旅人であれば、わざわざ小鬼の話を聞かせ歩くような真似をする必要があるというのか。

 今にして思えば、どこかのお節介からの神託(ハンドアウト)でも承けていたのかもしれないと推察もできようが。

 陰惨な内容に似合わない軽妙な語り口であった旅人の、さらに似つかわしくない鋭い目。

 それがわたしだけを見つめていたと、そんな気がして無性に不安になった。

 

 一度不安になってしまえば、そこは成人すらしていない若輩の身。すねに傷こそ持たぬまま、まぶたに小鬼の群れを飼うという異端が暴かれることを恐れに恐れた。

 

 こわくてこわくて、たまらなくなって。

 たすけてくれ、たすけてくれと、こえにもだせずに。

 ずっとふるえて、おびえて、ふさぎこんでいたら。

 あるよる、ねむるまえに。

 

「マカセロ」

 

 と、耳ではなく、頭の中に声が返ってきた。

 

 まぶたの裏の一番大きな窓の中で、小鬼英雄が号令を出す。

 その周囲に浮かんだ窓の数々ではその仔たちが、さほどの年も経ず、渡りでもない小鬼にしては恵まれた体格でそれに呼応する。

 

 洞穴を出て、森を駆け抜けた。

 森を出、草原を泳ぎ、街道に沿いすらしない大暴走。

 小鬼英雄を党首とし、仔たちが血筋ではない小鬼どもを従え一党を率いる、大規模襲撃(レイド)である。

 

 そうやって件の旅人と、彼が逗留していた村が一つ、跡形もなく消え去った──ように見えた。

 その全ては、わたしのまぶたの裏で起こったことだ。

 現実ではない。理由も定かでなく、ただ怖がっていたわたしにとって都合がいいだけの妄想である。

 わたし自身にそう言い聞かせつつ、わたしは噂が届くのを待つ。そして季節がひとつ移り変わる頃に、ようやくそれを耳にする。

 

 小鬼の大襲撃で、村がひとつなくなった、という噂だ。

 

 西部辺境、開拓地では小鬼の被害に絶えず悩まされているとは聞いたが、村一つが一夜にして消滅の憂き目に逢うほどの災禍など、よほどのことである。

 

 つまり。

 まぶたの裏の小鬼たちは、現実に存在する。

 そして、わたしの願いを叶えてくれる……というのはあまりに都合のいい考え方にすぎる。

 それこそずっと見てきた小鬼のことだ。旗色が悪ければ逃げるし、高圧的に出れば反発し、下手に出れば調子に乗るというのはよく解っている。

 やってもいいと思えることならやってやってもいい、程度の依頼(クエスト)が可能な相手がいる、ぐらいの心構えでいる方が賢明だろう。

 

 ──気がつけば、何も怖くなくなっていた。

 自分の持つ能力に根拠のない全能感を覚え、()()をする他者への理解が及ばなくなる。

 ああ小鬼というものはこのような気持ちで過ごしているのかと、小鬼を見続けていた年月に比しては遅く、定命の身の寿命と比すればあまりに早く、小鬼という種の真髄を()()()

 

 危険だ。

 

 調子に乗ったらなにもかもが台無しになる、とささやく理性と、なあに、今回もなんとかしてやったんだからいつまでだって自分だけは上手くいくのさ、とがなり立てる小鬼の思考が頭の中でぶつかり合う。

 ささやく程度の理性と拮抗するがなり声というのも、小鬼の種族としての弱さを端的に表しているかもしれないが。とにかく、その衝動に身を任せれば破滅するのだということは理解した。

 

 ともあれ。

 

 その日わたしは、小鬼使い(ゴブリンマスター)を目指すべきだという宿命のようなものを感じ取ったのだ。

 

 ……数年を経て宿敵となる小鬼殺し(ゴブリンスレイヤー)の上げた産声を、見知らぬ老圃人(レーア)がとりあげたことにすら気づかずに。



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わたしはゴブリントレーナー

 小鬼使い(ゴブリンマスター)とは、一般には『小鬼論仮説』に記される()()()()()に与えられた称号である。

 同書は、およそ社会というものに反逆することしか考えない精神性と脆弱な肉体に短絡的知能を兼ね備えながら、知らぬ間に数を増やしては山野にはびこり、人里にて悪行を働く小鬼(ゴブリン)という害悪を記した、れっきとした学術書ではあるのだが、その実、見るべき内容がほとんどない。

 

 小鬼の名前と外見、混沌の勢力における雑兵的種族であることと、「ものごとに大失敗する(ピンゾロを振る)と一匹産まれ落ちる」「緑の月からあらゆるものを奪いに降りて来る」といった只人(ヒューム)に伝わる口伝の類がわずかに併記されているのみで、先祖帰りの田舎者(ホブ)呪文使い(シャーマン)の存在どころか、具体的な繁殖方法すら記載されていないのだ。

 これならば、冒険者ギルドで発行していると聞く怪物手引書(モンスターマニュアル)の小鬼の頁の方がよほど有用なのではないだろうか。

 

 さて、小鬼使いについてだ。

 邪悪にして脆弱な小鬼という種は、まさにその邪悪さによって仲間内ですらいがみ合うような存在である。

 彼らだけでは何をどうしたところで小規模の群れしか構築できず、混沌の軍勢とて雑兵として用いるにはどうしても数が不足するはず、という的外れな理論から著者によって創作された存在が小鬼使いだ。

 小鬼は無数に召喚され使役される。それを行うものが小鬼使いである、という仮説で、弱さに見合わぬ小鬼の膨大な数を説明づけるためだけの()()()()()である。

 

「これはひどい」

 

 思わず声に出して呟く。

 王国でも数少ない書庫に収められていた学術書ですらこのありさまだ。知識階級における小鬼に対する無理解と、研究への熱意のなさ(予算が下りない現実)が嬉しくなるほど理解できた。

 これならば、辺境の村人の方がよほど優れた知識を蓄えていると言っても過言ではないだろう。知識階級敗れたり。

 

 小鬼とは、邪悪で脆弱だが、決して無力な存在ではない。

 子供程度の能力()()()()のではなく、子供程度の能力()()()のだ。

 人族の子供が一般的な小鬼への印象と同等程度に脆弱であれば、間違いなく人族はすでに滅び去っている。

 

 最弱の魔物。子供程度の能力。

 

 おおよそこの二文の相乗効果で、小鬼は風が吹くだけで全滅するとばかりの勢いで見くびられているのだ。

 

 ──わたし個人としては、実にありがたい話である。

 

 閉じた瞳のまぶたの裏に、浮かぶ六つの小鬼窓。

 ひとつは小鬼……いや、寝起きの合間に木々の梢の柔らかい部分をもぎ取っては前菜(サラダ)のように咀嚼する、もはや巨大小鬼(ギガンテ)とでも呼ぶべき個体が居座っている。

 残りの窓にはそこまで常識はずれの小鬼はいない。

 みな巨大小鬼の仔らしく堂々たる体格をしているが、彼らが産まれた当時は小鬼巨人もまだ小鬼英雄(チャンピオン)ぐらいの体格しかなかったので、単に長生きできたかどうかの差だろう、とわたしは思っている。

 

 わたしは小鬼使い。

 ……を、目指すだけの無害……というには語弊があるので、まあ多少の毒を持った只人(ヒューム)である。

 まず勘違いしないでほしいのは、わたし自身は王国産まれの王国育ち、軍に守られた都市で生き、王の慈悲によって与えられた国民としての権利と果たすべき義務を享受し、遵守している秩序の徒(ローフル)であるということだ。

 

 わたしが頭の中で小鬼を飼い、育て、教え導いた結果強くなった小鬼たちが村を滅ぼしました──。

 

 そのような与太、誰が信じるというのか。当のわたし本人だって未だに半信半疑である。

 十年前、わたしが唯一能動的に小鬼たちへ攻撃を指示し村を滅ぼした()()()一件とて、同時に起こった魔神王の軍勢による大規模襲撃の一環として扱われているのだ。なにかと好都合ではあるが複雑でもある。

 

 ともあれ、話はまず()()一件まで遡る。

 村をひとつ滅ぼした現・巨大小鬼(ギガンテ)率いる小鬼の大群は、その直後に四方八方へと離散した。小鬼の考えを追想(トレース)して考えるに、恐らくは分け前の量に不満が出たのではないかと思われる。

 大群で村を襲えば潰すのは楽だが、自分以外の小鬼(ぼんくら)もほとんど死なない。分け前はおよそ乱取りで早い者勝ち。上位種にぶんどられることも考えれば、各自で得られる旨みは少なくなるのだ。

 であれば、少ない数で同じように上手いことやれば、それだけ自分たちで独占できる量が増えて得である。

 数が少なくても同じようにできるのかって? なあに俺なら上手くやるさ。上手くいかなくたって他の連中を囮にして逃げりゃいい。俺だけは逃げちまえばそれでいいのさ。

 実に邪悪で短絡であり、小鬼の群れが村を滅ぼすまでに膨れ上がることが滅多にない理由がよくわかる思考回路である。

 

 それから五年経ち十年経ち、わたしが小鬼使いとしての経験(キャリア)を積むうちに、窓の中の小鬼たちも巨大小鬼以外はたびたび入れ替わり代替わりを果たしていた。

 喉元に槍を突き込まれて絶命した大物(ホブ)もいたし、だんびらで脳天から断ち割られた呪文使い(シャーマン)もいた。炎の矢(ファイアボルト)で半身を吹き飛ばされるなんていうのも珍しい話ではない。

 珍しいというのは、突然洞窟に流れ込んできた水で溺死したり、山火事かなにかの煙に巻かれて窒息したり、洞窟の崩壊に巻き込まれて圧死した小鬼だったりのことだろう。まったく不運な小鬼もいたものである。

 

 で、ええと……ああ、そうそう。経験の話である。

 小鬼が『渡り』として移動することで力と知識を蓄えて成長するというのは、この書に()()通り知識階級()()にはわりと知られていると思われる話だが、その経験の積み方にかなり個性が出てくるのだ。

 

 あまりものを考えない、おおらかで気前のいい小鬼は大物(ホブ)を経て小鬼英雄(チャンピオン)に至る。

巨大(ギガンテ)はさすがに例外中の例外だと思いたい)

 悪知恵が働き、気が利いて上位に気に入られる小鬼は呪文使い(シャーマン)として辣腕を振るうことが多い。

 臆病ですばしこく、最後に襲いかかって最初に獲物にありつくような小鬼は、だいたい狼乗り(ライダー)になって、働いているように見せかけるのが実に上手い。

 

 で、今回注目するのはそのどれとも違う。

 何をやってもどんくさく、よたよたしてはすぐ転ぶ。まともに狩りもできないから、宴などがあっても爪弾きにされ、小指一本を分け前にされて外の見張りに回されるようなそんな小鬼だ。

 これが産まれた直後、一世一代の賭けに勝ち、渡りに渡りを繰り返して育つと、なんとびっくり王者(ロード)になった。

 できなかったことが多い時間が長かったためか、ものごとを他の小鬼に任せるのが非常に上手かった。王者としての素質を開花させた瞬間、あれよあれよという間に彼の率いる群れは膨れ上がったのだ。

 

 小鬼は邪悪で矮小であるが、決して無力ではない。

 小鬼は馬鹿だが、同じ失敗を繰り返す間抜けでもない。

 小鬼は怠惰で愚かだが、努力をしないわけではない。

 

 眠っている時を除けばまぶたの裏で誰よりも小鬼を見ている(と断言したいが、この身の平穏のためにそれができない)わたしは今、ワクワクしながらその小鬼王(ゴブリンロード)を眺めている。

 

 役に立たない学術書は本棚に返却し、早々に帰宅したわたしは自室の寝台でまぶたを閉じ、誰よりも近い位置で小鬼王を観察する。

 

 まず観察しろ、そしてとっとと逃げろ。

 十年を越える経験から、すっかりわたしから出す基本的な教えがこの二つだけになっていたこの頃。小鬼王が今どこにいるのか、どこを襲おうとしているのか、そんなことは知らないしどうでもいい。

 重要なのは、小鬼王が十年前に村を滅ぼしたとき以上の規模の群れで大襲撃(レイド)をしようとしていることだ。

 

 小鬼英雄がいる。呪文使いも複数いる。

 十年前にはいなかった狼乗りもいるし、目を背けたくなるようなありさまの盾を抱えた連中までいる。

 そして普通の小鬼となると、もう桁を三つ数えるほどで──。

 

「……んんんっ? 盾ぇ?」

 

 そこで気づいた。略奪するための襲撃になんで盾が、それもわざわざ複数も用意する必要があるのか。

 巣の防衛で()()が上手くいったからと、環境の違う平野の襲撃にまで持ち出すなんていうのは、まるで新米がやるような──。

 

 ヤバい、逃げろ。その襲撃は間違いなく失敗する。

「──ミタイダナ!」

 

 久方ぶりに意識して飛ばしたわたしの思念に気づくが早いか、戦端が開かれた前線を無視して遁走を始める小鬼王。脇目も振らずに一目散。見ていて気持ちがよくなるほどの逃げっぷりである。

 そして逃げたのならば、ひとまずは安心だ。

 

 失敗するだろう襲撃には最早興味の一片もない。

 わたしは()()()()()()()()()()()()に関心はあれど、それがもたらす結果に頓着することはほとんどない。

 人が死ねば悼ましく思うし、混沌の勢力の暴虐に眉をひそめるだけの良識だって持っている。そのあたりは至高神の神官による嘘看破(センス・ライ)に誓ってもいい。

 

 ああ、久しぶりに高揚する出来事(イベント)であった。

 閉じた瞳はそのままで、わたしは睡魔(ザントマン)に身を任せる。視界をうろちょろする小鬼の窓を気にせずに眠るのにもすっかり慣れたものだ。

 

「──さて、それではみんなおやすみなさい(そう、考えるだろう事はわかっていた)

 

 耳に入ってきただけの聞き慣れない声を、いちいち気にする気力もなく。

 わたしは、眠りに落ちたのだった。



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ゴブリン食育計画

 ある朝、眠りから目を覚ましたわたしは、寝台の中、まぶたの裏で一匹の小鬼王(ロード)が死んでいることに気がついた。

 獣道すら見当たらない森の中、腹部に浅傷を受けている以外には目立つ外傷もなく、白目を剥いてこと切れている様はわたしならずとも気分が悪くなること請け合いだ。

 

 ──逃げに入ったうちの仔が死ぬのは予想外である。少しでも危険だと思ったら一目散に逃げる、を偏執的に繰り返して()()()うちの小鬼たちは、自分の力を過信するということに関して極めて縁遠い。

 逃げきれないような多人数に囲まれたにしては死に方が綺麗すぎるし……毒でも使われたか。見た感じ傷口は綺麗なものだが、すべての毒物が小鬼が使うような汚物系毒物ではないことを考えると、ひょっとしたら暗殺者の類に仕留められた可能性もある。

 つまり、小鬼王(ゴブリンロード)級の敵であれば、国か、あるいは被害を避けたい当事者が組織ぐるみで阻止に動くということでもある。

 それは少々面白くない。というか怖い。震える。

 

 最終的に金剛石の騎士(謎のヒーロー)宝剣の一撃(クリティカル)で首をはねられるまでを想像して気分が悪くなったので、わたしは職場に体調不良を報告してその日は仕事を休ませてもらうことにした。

 こういう時こそ、普段から真面目に勤務している積み重ねが役に立つ機会である。そう、わたしは健全な祈るもの(プレイヤー)なのであるから。

 明日からはまた元気に働こう。

 ありがたいことに、わたしが作る、木の実や果実をふんだんに使った甘味(デザート)を楽しみだと言ってくれている人もいるのだから。

 

 さて、小鬼は雑食である。

 人族を殺して食う、というのは最弱とはいえ魔物として恐れられる以上は最低限のふるまい(エチケット)だが、別に彼らは人族しか食べないような偏食でもない。

 野菜にだってかじりつくし、鶏や牛、羊だってお構いなしだ。飢えれば共食いすらするかもしれないが、そこまで追い詰められる前に略奪に走るのが小鬼だ。畑を荒らして家畜をさらうという食に根差した被害が無くならないからこそ、小鬼は忌み嫌われているのだ。

 

 繰り返すが、小鬼は雑食である。

 そして頭の中で延々と無数の小鬼との付き合いを繰り返していると、たまには彼らに向けて極めて偏らせた指示をしたくなるときもあった。森に住まう小鬼に、特定、あるいは限定した果実や木の実、茸のみで命を繋がせてみた、というのはその一例である。

 もちろん指示を無視する小鬼が大半だったが、なんだかんだで試行回数が莫大である。食えれば何でもいいとばかりに偏食を受け容れる個体もわりと存在した。

 

 知識として持っているものもそうでないものも、とにかく適当に食わせた。おかげで、()()によっては量や食い合わせ次第で腹を下したり暴れだしたり、あるいは唐突に絶命するような食材があるということも知ることができた。

 

 これは珍しくこの能力(ゴブリン)がわたし本人の役に立った事例である。

 

「あっ」

「どしたの?」

 だからある日、わたしは偶然にも()()に気がついた。思わず声を上げたわたしに同僚が訊ねる。基本的に目立ちたくないわたしとしては不覚だったが、ことがことだけに誤魔化すわけにもいかなかった。

 

 目の前の樽一杯に詰め込まれた()()()()()果実が、複数個をいちどに摂食することで突然の死を招く危険なものである()()()()()()からだ。

「毒──かもしれない」

「ええっ!?」

 まさか「これをまとめて食べた小鬼が絶命したのを何度か見たことがある」などと正直に言えるわけもない。

 それでもわたしは、自分が巻き込まれて死ぬ可能性と、意識して被害を避ける行動に走った結果、何かあった際に疑われる可能性を天秤にかけ、特に後者を強く恐れたのだ。

 

 結果として、わたしの懸念は的中した。

 一定量までは摂取しても無害だが、致死量(只人(ヒューム)成人男性でおよそ12個)に至れば絶命する毒素を自然に生成する、美味かつ稀少な果実。

 稀少なはずのそれを樽一杯に用意して売り込む。という恐るべき神を崇拝する邪教の徒によって計画された、実効に期待しないからこそ発覚の危険性も極めて薄い、あまりに迂遠な無差別暗殺計画──だったらしい。

 わたしの報告によって最初から躓いたが、もしも気づかなければ菓子などに使うことで致死量まで濃縮させていた可能性も低くなかっただろう。

 

 無論、取り調べは受けた。わたしに限らず、同僚や上司、さらには上司の上司の上司まで波及したらしい。親族が行商をやっているという同僚や、仕入れ責任者の偉い人は特に詳しく話を聞かれたというから、小心者としては震えるばかりだ。

 もっとも、計画を見破ったわたしには、どちらかというとお褒めの言葉が贈られる形ではあったが。

 

「それにしても、よく気がついたものだ」

「昔、確かどこかの書庫で見た覚えがありましたので」

 

 図鑑で見た、とは言っていない。

 書庫でまぶたの裏を見たら、その果実を手に絶命している小鬼を見ただけで。何度か繰り返し検証し、危険な果実もあるものだと呆れた覚えがあったのだ。

 以前小鬼使い(ゴブリンマスター)の存在を唯一記していた学術書『小鬼論仮説』を読んで、その的外れさに盛大に安心したように、わたしは空き時間に読書することがわりと趣味である──少なくとも、そう思われるように振る舞っているつもりではある。

 であれば、多少業務に関係のない知識があったところで、読書の成果であると説明すれば納得してもらえるだろうし、本を枕に目をつむっていれば、居眠りしていると思われることこそあれど、まさか小鬼を観察しているなどとはつゆとも思われることはないはずである。

 もっとも、うっかり本当に寝てしまうこともあるのだが。

 

 ともあれ。

 わたしの職場を唐突に襲った謎の陰謀は、結果としてよりにもよって小鬼(ゴブリン)ごときに打ち砕かれることになったのであった。

 

 

 

 × × × × × × × × ×

 

 

 

「お待たせしました。『対混沌勢力大綱』『魔物進化論』『辺境風土記』『小鬼論仮説』──」

「最後の一冊は役に立たん。返してこい」

「あ、はい。でも突然どうしたんですか? 小鬼殺し(ゴブリンスレイヤー)さんがわざわざ神殿の書庫まで小鬼のことを調べに来るなんて」

小鬼王(ロード)にとどめを刺す際に、奴の聞き苦しい共通交易語の中に妙な内容が聞こえた」

「ええと、確か、脅迫から命乞いに切り替える時でしたよね」

「俺もお前も、小鬼王にあのような言葉を掛けてはいなかった。であれば、他に()()()がいたのだ」

 

 

 ──ナニガ()()()()()()()ダ!

 

 

「奴らに、いちいちそんな言葉を投げかけるような間抜けが、な」



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ゴブリン誘拐事件

 ()()のゴブリン、盗ったら泥棒!

 

 さて突然どうしたかといえば、わたしのまぶたの裏で日々暴虐を謳歌している小鬼(ゴブリン)たちについてである。

 わたしが日常を目立たぬよう出しゃばらぬよう、かといって職場での奉公に手を抜くこともないようにと心掛けるように、小鬼たちもめいめい血腥くろくでもない時を過ごしている。

 

 わたしの最初の小鬼(オリジン・ゴブリン)巨大(ギガンテ)化して以来、すっかり昼夜問わず日の大半を寝て過ごすようになってしまい、果たして変化の乏しさを嘆くべきか手が掛からなくなったと喜ぶべきか。

 そうとなれば自然と残る五つの窓に目が掛かることになる訳で、日々逃げ惑っては成長する小鬼という種族たちはまさに日進月歩(ばいそく)の成長を見せてくれる。

 三つ目の窓から見える小鬼は久しぶりに英雄(チャンプ)級まで成育したし、五つ目の窓の小鬼も流れの大物(ホブ)として用心棒をしながら各地の巣穴を逃げ回っている。六つ目の窓の小鬼などは術士(シャーマン)として初めて術の行使に成功したばかりの初々しい威張りっぷりだ。

 

 ただし、先日の小鬼王(ロード)の一件に限らず、小鬼はやはり脆弱なので死ぬときはあっさりと死ぬ。

 四つ目の窓の小鬼は、突如としてねぐらに満ちた毒気(ガス)に巻かれ、真っ先に逃げ出そうとしたところで矢に貫かれてこと切れた。その前の小鬼は、小さな村から家畜を盗もうとした際に、うっかりと逃げ時を逃して囲まれて叩かれて無惨に死んだ。

 他の窓とて、上手いこと育つ前に死んだ個体は、すでにひとつの窓につき両手の指ですら数えきれない。巨大小鬼は寿命(そもそも大往生を迎えた小鬼というものを見たことがないが)まで含めて例外中の例外である。

 

 さて、それでは冒頭の一文に立ち返って二つ目の窓の小鬼の話である。例によって観察(ピーピング)渡り(ドリフト)を重ねて北方の洞穴に流れ着き、それなりにこなれた呪文使い(シャーマン)として小さな群れを率いていた小鬼がいた。

 それが唐突に()()()()()()()

 ことによれば不可視(インビジブル)という術があると読み物に習った覚えもあるので、あるいはその類いかといぶかしんで数日。週を挟んでその窓に変化がないのを再確認して、わたしは確信した。

 

 二つ目の窓の小鬼は、何者かによって()()()()のだ。

 

 そもそもわたしのまぶたの裏に在る時点で不思議極まる小鬼窓だが、まず観察できる小鬼を意図的に交代することが出来ない。ただしその小鬼が死んでいれば()()を意識するだけで窓には新しい小鬼が映るようになる。

 交換を念じるまでは小鬼の死骸の様子が映りっぱなしで、大抵は肉食の獣に食い荒らされるか放置されたまま腐敗してゆく。そういえば五年ほど前にはしばらく、妙に腑分けされたように四散する小鬼が散見された覚えがある。それだって交換するまではそのままだった。

 まあそんな訳で、わたしのまぶたの裏の小鬼は、死ねばただ消えるといった代物でもないのだ。

 そして、消えた術士の窓に交換を念じても新しい小鬼に視点(フォーカス)が切り替わる様子はない。つまり術士は生きているが、わたしの制御下にはないということになる。……はて、もうなんのことやら。

 おかげで空白となった窓をひとつ抱えざるを得なくなり、観察と育成を楽しめる窓が占めて四つになってしまったことを、はてさて嘆くべきか楽しむべきか──。

 

 

 

林檎焼菓(アップルパイ)、三枚焼き上がりました」

「冷える前にそれぞれ獅子分け型(じゅうろく)に切り分けてください」

檸檬水(レモネード)、いくつ用意しますか?」

(ゴブレット)に二十四、氷詰めの水差し(ピッチャー)に十二で。水差しの方は水を二割減らして味を濃く」

鉱人(ドワーフ)のお客様から、飲み物は酒にしてくれと御注文(オーダー)が」

 

 仕事中の厨房は、さながら戦場に例えられる。

 料理人(コック)菓子職人(パティシエ)が真剣に火と刃を操る中を、伝令のようにわたしたちが忙しなく往来(いきき)するのだ。()()に比べれば冒険者に襲撃されている小鬼の巣穴とて、およそ平穏と表現して過言でもないだろう。

 

「はあ、ようやく休憩ですね」

「疲れました」

 人数にして三十を超える同僚のうち一人と共に、二人一組(ツーマンセル)で四半時の休息を取る。今日は特に来客の多い日なので、残念ながら書庫に足を伸ばすだけの余裕もない。わたしは控室の椅子に腰を下ろし、少しでも疲労を抜くためにゆっくりと深く息を吐いた。……んん。

「喉が渇きました」

「私もー。それじゃちょっとお水汲んで──ごめん、少し待ってね」

 わたしが渇きを覚えてぽつりと漏らした言葉に同調した同僚が、汲み置きの瓶に向かって歩き始めたところでなにかに気づいて踵を返した。小走りで厨房の方、廊下の向こうに姿を消していく同僚を見送る。

 

 わたしが職場の菓子の差配に関して菓子職人(ほんしょく)に次ぐ権限を預かっているように、同僚もこの職場においては独自の役割(ロール)を任されている。

 確証はないが、たぶん摘まみ食いを注意しに行ったのだろう。今日の休憩時間はそれほど長くない。わたしは立ち上がって木杯(ジョッキ)に二つ、水を汲んで木机(テーブル)に置く。同僚には悪いが、先に一口だけ唇を湿らさせてもらい、軽く目を閉じる。仮眠ではない。

 

 三つ目の窓の小鬼が最近棲家を変えたので、最近はそれを特に注視している。砂舞う不毛の荒野から、昏き墓所へと突然居所を変えたわたしの三番目の窓の小鬼──小鬼英雄(チャンピオン)

 日常的に逃げ回る小鬼のこと、棲家を変えるなどそれこそ日常茶飯事なのだが、今回ばかりはいささか状況が異なる。小鬼英雄は、彼が率いる群れごと移動……否、転移(テレポート)させられたのだ。見も知らぬ()()から、いずことも知れない所へ。

 

「お待たせ。あ、水汲んでくれたんだ。ありがと」

「あ、いえ」

 耳に届いた同僚の声にパッとまぶたを上げて笑みで応える。気づかれるはずもないことだが、それは気づかれないように努力しなくてもよいということではない。

「まあ、摘まみ食いにも困ったものよ。銀蝿(セサミフライ)とか言うんだっけ?」

「そのように言うところもあるとは聞きますが……さすがにハエ扱いはどうかと」

「それもそうか。じゃ、ナイショで」

「はい」

 同僚はなにかと物怖じしないところがあり、そこが上司に気に入られている感がある。日々をおっかなびっくり過ごす私とはなんとも大違いである。

 

 そう、おっかなびっくり、だ。

 

 十年一昔の以前、あったかどうか定かでもない神託(ハンドアウト)に怯えて小鬼に頼った頃と同じ。

 転移した小鬼英雄が、ひょっとしたらわたしの足の下に潜んでいるかもしれない、という月憂(きゆう)がしくしくとわたしの胃と精神を苛んでいる。

 

 次に休憩に入る同僚と交代し仕事に戻り、せっせかと働いて、陽の落ちる前に家に帰り、ぐったりと寝台に身を沈める間にも、わたしは怯えて震えるのだ。

 まぶたの裏の小鬼の後ろに、ある日わたしが映るようなことがあれば。という想像を幾度となく繰り返し、そうならないよう細心の注意で小鬼を寄せ付けないように考えては、そのための実効指示の効果の不確かさに項垂(うなだ)れてきたのだ。小心者としての年季が違う。

 

 転移したということは場所が不確かだということだ。

 それが朽ちた墓所であるからには、それが只人(ヒューム)の忘れられた施設である可能性も低くない。陽の射さぬ地下であれば、それが都の地下である可能性とて万に一つよりは高い確率と言えるのではないか──。

 

 

 

「あ」

 たまの休みの日。家でのんびり小鬼の観察をしようとまぶたを下ろしたところ、ちょうど小鬼英雄が負傷したところを目撃した。角の折れた小柄な兜鎧が、血飛沫の中で小鬼英雄の右目に右籠手を叩き込んでいたのだ。

 ひょっとして、墓所を守るために迷い出たさまよう鎧(リビングアーマー)だろうか。

 直後、逃走に成功した小鬼英雄の背後には他にもいくつか小鬼とは違う姿が見えたので、恐らくは冒険者の一党なのだろうが。

 ……墓所の守護者(ガーディアン)を呼び覚ました冒険者が、墓所を荒らす小鬼英雄の群れを相手に一時の共闘を果たした、という可能性も捨てがたい。絵になる。いやむしろ詩になる。

 

 右目を喪う危機を切り抜けた小鬼英雄は、後日ふたたびやって来るだろう冒険者の脅威から逃れるべく、群れを捨てて逃げに入る……かと思いきや、なんとそのまま居座るつもりらしい。

 逃げろよ、と思考しようとしたところで、彼らがそこに転移で送り込まれたということを思い出した。つまり()()()()()()のである。

 事前に探索して逃げ道を確保しておけば、と思うのがわたしたち只人の浅はかさ。そもそも小鬼がそんな勤勉な避難対策などをするはずがない。よってその運命は、残念ながらもはや風前の灯と言えるだろう。

 

 

 

 ──まさか崩れた岩盤の下敷きとなって圧死するなどとは、実際にそれを見るまでついぞ思わなかったが。



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ゴブリンは歌わない

「おどろおどろしき呪と共に、足下より天高き塔を築いた邪悪なる魔術師。それを追って槍使いの紡ぐ『飛翔(フライ)』の呪文が、勇士たちを頂へと誘う」

 己の詩に感極まったように、若い吟遊詩人がじゃじゃん、と六弦琴(ギター)をかき鳴らす。

「行く手にはだかる樋嘴(ガーゴイル)も、彼らを阻むこと能わずたちまち地に墜ちる」

 晴れた日の昼下がり、広場の一角で吟じられる勇壮な歌は、昼食を終えた人々から注目を集めていた。

「雲霞の如き小鬼ばらは、小鬼殺しの一振りにて尽く命脈断ち割られ」

 都の流行はとにかく移り変わりが激しい。金剛石の騎士(ダイヤモンドナイト)の新作が飽きられるまで三日もかからぬ中、此度は乾坤一擲の新作らしい。

「真正面より振るわれた重戦士の偉大なる一撃(クリティカル)が、邪悪なる魔術師を六十層の高みより落と(ZAP)した」

 歌われるのは西の辺境、邪悪なる魔術師の築いた塔がわずか三人ながら名のある銀等級一党(パーティ)によって攻略される冒険譚。

「おお交差する運命(クロスオーバー)に導かれし勇士たち、別れを惜しみながら再会を誓い道を分かつ」

 歌い手の力量こそせいぜいが冒険者における玉石級(ちゅうけん)ほどだろうが、いくつもの詩の主役(メイン)を飾る辺境の勇士が()()()冒険行となれば、注目ぶりと話題性も他とは一線を画するようである。

「最高、最強、最優の辺境三勇士による魔宮滅亡の段、ひとまずこれまで」

 一礼する吟遊詩人に向け、拍手と硬貨(おひねり)が降り注いだ。受けが取れたことにひとまずホッとする若い吟遊詩人。

 

 わたしは、そんな様子をボーッと眺めていた。

 

 槍使い、重戦士は気にならない。強いのだろうが、あくまで辺境の冒険者で、都に住むわたしに接点はない。

 それより小鬼殺し(ゴブリンスレイヤー)だ。

 以前に別の吟遊詩人(今日の若い詩人より歌が上手かった)の歌を聞いた際に、その存在と辺境最優の称号、そして他人の評価を長剣大業物(まっぷたつ)に分ける冒険者であるということを知った。

 ひたすら小鬼退治の依頼ばかりを請け負い、貧しい寒村を幾度となく小鬼の脅威から救ってきた英雄(ヒーロー)としての評判と、小鬼よりも上の強さを持つ敵に挑もうとしない臆病者(チキン)としての悪評。

 それでいて(ギルド)から第三位(ぎん)等級の認定、詩人から辺境最優の勲を与えられる、なんとも風変わりな存在であった。

 

 最優? とんでもない、わたしにとっては()()である。

 

 食後の口休めにと購入した巻き菓子(クレープ)をちびちびと口で千切りながら、今日もわたしはまぶたの裏へと心を馳せる。第一窓(ギガンテ)は食っちゃ寝で第二窓(ぬすまれた)のもそのままだが、他の窓では昼飯時(まよなか)らしく()たり()ったりお盛んなのも小鬼らしい見慣れた日常風景である。

 そういえば昔一度だけ、乙級怪奇譚(ホラー)の絵巻物のように、単独で()()に及んでいる最中の小鬼の頭部が柘榴のように砕かれるのを目撃したことがあった。あの時にわずかに窓へ映った全身鎧兜(フルアーマー)が、まさに小鬼殺しであった可能性は高い。

 そもそもわたしの見てきた経験(しにざま)からして、ゴブリン退治をするような駆け出し冒険者に、全身を防具で守るような慎重さを持ち合わせる者はおおよそ皆無だったからだ。

 知識、経験、金銭、そして畏怖。様々な要素が不足しているからだろうし、それでも小鬼側が七割で死ぬとなればそうそう是正もされないだろう。

 

 小鬼は、たぶんわたしよりは強いのだが、一般的な成人であれば誰でもたやすく叩き伏せることが出来るだろう程度には弱い。それでいて好戦的で狂暴だ。

 だが武器を使う。毒も使う。罠だって仕掛ける。

 互いに素手であれば、体格差もあって精々が爪で引っ掻かれる程度の被害(ダメージ)しか与えられないだろうが、切れ味の悪い小振りなナイフでも、首や腹といった急所を刺されれば死ぬのは小鬼も只人も変わらない。

 それが群れれば、致命的(クリティカル)なことの一つや二つが起こるだけの試行回数を稼ぐのも容易であるのだから。

 

「ごちそうさまでした、と」

 

 甘味(デザート)がすっかりわたしの腹に収まる頃には、小鬼の子種もそれぞれの胎にきっちり収まっていた。

 

 知識として役立つことはないだろうが、基本的に小鬼の()()呪文使い(シャーマン)の方がねちっこく、長引く傾向がある。田舎者(ホブ)小鬼英雄(チャンプ)は成長してもさほど変わらずさっさと出す。無論個体差は前提とした傾向だ。

 小鬼王(ロード)は普通の小鬼よりさらに早く、代わりに数えきれないほどに回数をこなしていた。

 巨大小鬼(ギガンテ)は──あそこまで巨大になってからは見たことがないのでちょっとわからない。

 ちょっとだけゾッとする。

 

「……寒」

 

 軽く身震いしてからまぶたを上げて立ち上がる。年越しも近い冬の休日、多少は歩いて体を暖めないと体調を崩しかねない。

 やってたことは出歯亀みたいなものだが、この程度で動揺するだけの情緒などすっかり麻痺を通り越して擦りきれている。それは嘆くべきことかもしれないが、いちいち嘆いていてもどうしようもない。

 

 きっとわたしは小鬼使い(ゴブリンマスター)になるのだから。

 

 

 

 小鬼に歌というものを教えてみたことがある。

 ラララですらなく、あーあーとかうーうーといった調子外れの代物ではあったが、教えた小鬼たちはぎゃーぎゃーごぶごぶと愉快そうに騒いでいたので、それなりに伝わってはいた、とは思う。

 仕留めた餌(ぼうけんしゃ)を前に肩を組んで拍子(リズム)に乗り、まあ合唱でもなく勝手にがなり合う程度だったが、愉快に歌っている間だけは仲良し小鬼(フレンドリー)という珍しいものが見られたのだ。

 耳障りで騒がしいからと、その群れを従えていた巨大な人食い鬼(オーガ)に不機嫌そうに叩き潰されたり、あるいは歌っていたせいで危険を感知できず、熊や冒険者に皆殺しにされるまでのことだったが。

 町や村といった集落を道で繋ぐことで強度を増している只人の社会とはやはり比較にならない。騒がしくも愉快な歌という文化を保つには、小鬼とその社会はあまりに脆弱にすぎるのであろう。

 

「──ん?」

 

 小鬼育成の過去の失敗例を夢に見たある日の早朝、目を覚ましたわたしのまぶたの裏に、前日までと異なる色が存在していた。

 不可知の手段で奪われていた小鬼の窓(にばんめ)が、洞窟の闇の黒一色から窓一面の白へと正反対に変化していたのだ。

 その中央には、ひしゃげた鉄鎧にねじり潰されたかのような無惨な姿。呪文使い(シャーマン)だったはずの小鬼が金属鎧に身を包んでいたとは、どのような指導(コーチング)を受けていたというのか。彼はもはや全く別の上位種であったに違いない。

 

 今、わたしの感じるこの悔しさは、ひょっとして敗北感というものだろうか?

 

「あ」

 

 骸の腰から、華美な装飾仕立ての鞘がもぎ取られる。

 わたしの目の前であるとも知らず死体漁り(スカベンジ)を働いた、黒手袋に鈍色の手甲の持ち主を視線で追おうとして、中央に小鬼の骸を据えたまま微動だにしない窓の気の利かなさに腹が立った。

 そして腹を立てた自分の理不尽に気づいて、意識してゆっくり気を落ち着け、分析する。

 

 窓に映る白一色は雪景色だ。おおよそこの辺りの平地に積もる量ではないので、恐らくは雪山、あるいは遥か北方の地だろうか。

 小鬼王は胸甲止まりだったがこちらは鉄の全身鎧。()()が呪文使いであるにも関わらずの重装備、しかも奪われた鞘からして名剣・魔剣の類を振るっていたことも想像には難くない。……小鬼魔戦士(エンハンサー)だろうか?

 いや、そもそもわたしのまぶたの裏から小鬼を拐かすような得体の知れない力から考慮すると、恐らくは小鬼聖騎士(パラディン)として信仰を押し付けられていた、というのが妥当なところ、かもしれない。

 

 そこまで考えて落ち着くと、わたしは思考の方向性を切り替える。

 雪上に打ち捨てられた小鬼の死骸は、もはや顧みられることもなく埋もれてゆく運命しかないだろう。交換、と意識して念じると、あっさりと白一色の風景は元来の闇一色へと切り替わった。

 ──ちょうど産まれ落ちるところなので、今だけは肌色と血の赤に塗れてはいたが。

 

 聖騎士、いやその前に司祭(プリースト)か。

 小鬼に神を信仰させるなど、きっと小鬼に歌を教えるよりもはるかに難題ではあるだろうが、さてどのように試してみようか?



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ゴブリンですら岩をも砕く

 小鬼(ゴブリン)というものは、基本的に愚かだ。

 自分こそが誰よりも尊く、それ以外の全てが自分のために用意された利用すべきモノである、と常日頃から本気で考えている。これは対象が同族(たまよけ)冒険者(えさ)、あるいは魔神や鬼(クソじょうし)、それこそ育成者(わたし)が相手でも変わらない。

 しかし、どれだけ愚かであったとしても、それは成長しないということを意味しない。むしろ小鬼は大抵の只人(ヒューム)よりも圧倒的に早く育つのだ。

 生後一年の小鬼と、生後一年の只人が殺し合いをする条件で考えれば、成人して久しい小鬼が負ける道理はない……あれ、どうして秩序勢力(わたしたち)滅んでないの?

 

 まあ、十年以上小鬼の生態を観察せざるを得なかった例外(いきもの)にしか訪れないだろう根源的恐怖からあえて目を逸らし、わたしはたまの休日を堪能すべく自作の焼菓子(クッキー)を口に運んだ。

 甘味は好きだ。口にするだけで心が落ち着く。

 小さい頃、空に浮かぶ月が突如として頭上に落ちてきて潰されて死ぬのではないかと、夜を恐れたことがある。

 震えて寝台(ベッド)で布団をかぶって目をつぶれば、そこにはそんなことを気にする素振(そぶ)りをまったく見せない小鬼達の乱行姿があったのだ。月が落ちてこなくたって人はああして死ぬのだと、諦観して気にしなくなるまでさほど時間は掛からなかった。

 そうやって、まぶたの裏で繰り広げられる暗闇と死、流血と汚物で彩られた風景と共に育ち、気が()()……もとい、自我が崩壊しなかったのは、間違いなく甘いもののおかげである。はるか南洋の蜥蜴人(リザードマン)の言葉で、万歳(ビバ)という喝采の言葉があるそうだが、まさにそんな感じだ。甘味万歳(ビバあま)

 

 さて、思考をわたしのことから小鬼のことに戻そう。

 先日ひとつの群れの長として独立した呪文使い(シャーマン)が、配下の小鬼が盗み帰った鉱人(ドワーフ)の工具に目をつけて奪い取った。

 例えばそれがノコギリであれば、短剣(ダガー)の方が武器として使いやすいと投げ捨てただろうし、釘であれば地面にばらまいて踏んだ間抜けを指差して笑うぐらいの使い方で済んでいただろう。

 だが、小鬼が盗み、呪文使いが目をつけたのは、輝く小さな金属製の棒であった。

 ピカピカに輝いているからさぞ大事にされているものだろう、と判断して盗むものを選ぶ程度の価値観は小鬼にもある。使い道がよくわからなければなおさらだ。

 

 解らないなら調べればいいよね……と、わたしが仕事の休憩時間に書庫を漁っている間に、向こう(ゴブリン)はあっさりとその使い方を把握してしまっていた。

 恐らくは、したっぱの小鬼が職人から工具を盗めてしまうほどには鉱人の現場と小鬼の棲家が近いのだろう。

 百聞は一見にしかず(みたほうがはやい)とはそれこそ鉱人に伝わる言葉だったか。だが、盗み見て覚えることに関しては、小鬼はおよそ他の追随を許さない。

 無論、その覚えたことによる優位を独り占めしようとする心の狭さも小鬼の常ではあるのだが、そこはそれ、ずる賢さに定評のある呪文使い(シャーマン)のこと。肉体労働に使用するための知識であれば、手下に恵んでやった方がよっぽど役に立つことが理解できるのだ。

 

 使い方を()()するということは、応用が利くということ。

 小鬼とて洞窟を棲家とする立場上、拾った円匙(スコップ)で柔らかい土を掘り、盗んだ鶴嘴(マトック)で邪魔な岩を砕く、ぐらいのことは自然と体得している。

 それが小さな金属棒の使い方の一つや二つで大きく変わるものか、と侮ってしまえばさあ大変。

 小鬼の貧弱な膂力では、鶴嘴でも尖端を食い込ませる()()がやっとで歯も立たなかった岩盤の扱いが、鶴嘴で尖端を食い込ませることができる()()の岩盤であれば、それを容易に割ることができるようになったのだ。掘削の速度が段違いである。

 それが何を意味するかというと、だ。

 

 自分たちの棲家という場所が限定される防衛専用戦術だった壁掘りの奇襲が、拠点(えさば)を地中から強襲するほどに実用的な速度を獲得する、ということだ。

 

 

「──ああ、これは死んじゃうなあ」

 

 ここしばらくは工具(ハンマー)代わりに使っていた重い棍棒(ヘヴィメイス)を振り上げる田舎者(ホブ)の一撃が、頭上から降ってきた鋼鉄の両手剣(だんびら)によって弾き飛ば(ディザーム)される。

 得物(こんぼう)を鶴嘴の欠けた側、後端に叩きつけることで硬い岩盤を一撃粉砕(クリティカル)する感触に慣れていたとはいえ、目測を外して岩盤をそのまま叩いていた経験も少なくない大物(ホブ)

 その際に、手を痺れさせて武器を取り落とせば格下の小鬼どもに笑われてムカつくだろうと鍛え上げ、実際に笑った小鬼を片手でひねり潰した実績もある確かな握力(もの)が、真正面から否定された。

 ヤバくなったら逃げようよ、と呟きかけるわたしの声に耳も貸そうとせず、それでも小鬼(それ)なりの勝算を抱いて敵に掴みかかる。ああ、()()()()つもりか。

 けれど、渾身にて降り下ろされながら、わずかにも大地に触れることがなかった鉄塊(だんびら)が、行きと全く同じ軌道で跳ね上がり、大柄な緑肌を股下から真っ二つに断ち割るまで、時間はまったくかからなかった。

 

相棒(ホブ)、死んだよ? 逃げたら?」

 地下で総指揮を執っていた呪文使いは、わたしの報告(しらせ)にびくりと身体を震わせた。

 彼の目にも、敵の姿とそれに蹴散らされる配下の小鬼たちの姿が映っている。だが敵対者(ぼうけんしゃ)が狭く暗い坑道(ぬけみち)を呪文使いの懐にまで踏破しきるにはやや遠く、余裕とまではいかないが幾ばくかの猶予はあった。

 壁抜きの奇襲も、力矢(マジック・アロー)の呪詛も防がれた。恐ろしい精度の槍の技も、抗魔(カウンター・マジック)の術も目の当たりにした。

 欲張るのもいいけれど、命があっての物種である。

 巨人(トロル)の棲まう遺跡を囮に工事時間を確保し、いつかの小鬼王(ロード)が率いた以上の数に増やした小鬼たちの巣。それを、地下からそのまま建設現場(ひとざと)に繋いで奇襲から圧殺を図る目論見は破綻した。

 ひょっとしたら地上側でも合わせて包囲攻撃をしていたかもしれないが、この様子では増援も望み薄だろう。

 

 ぎゃあぎゃあとひとしきり聞き苦しい怨嗟の声をがなり立てたあと、ようやく呪文使いは身を翻して逃走を開始した。無論他の小鬼(あしでまとい)は放置である。

 ほどなく、坑道は突如として濁流に沈んだ。押し流されつつなんとか泳いでそこから脱出……する直前に、足首ごと水は凍りつき、その動きをがっちりと封じた。

 途端に恐慌をきたし、力矢を自らの足に発射! 己の足ごと氷を砕きながら、巣の出入口であった地割れ(クラック)を地上まで必死に這い上がり、今度こそ脱出──したところで、彼の命運(チャンス)は尽きたらしい。

 

 ぐちゃり、と。

 わたしのまぶたの裏で、先だっての小鬼(ホブ)に続いて小鬼(シャーマン)が死んだ。

 

「あ、なにか踏んだ!」

「……ゴブリン。たぶん上位種(シャーマン)

「ボクが倒した魔神将(ゴブリン)の仲間?」

「あれはゴブリンではないと何度も言ったはずだが」

「……ボロボロだったところに勇者(あなた)の踏みつけがとどめを刺したみたい」

「ボクの体重がスッゴく重いみたいな言い方やめてよ!」

「うん? このゴブリン、なにか光るものを握っているな。どれどれ……」

 

 呪文使いの亡骸を足元に、その命を奪ったことに一切の呵責を見せない冒険者が三人、笑顔を見せながらはしゃいでいる。屈んで手を伸ばすその首元に光るのは、窓越しにも眩く輝く金と白金の──。

「…………!」

 まずい、と考える前に慌てて目を開いた。

 瞳に写るのは自宅の自室。寝台の上には最近夜も暖かくなってきたので減らした毛布が一枚きり。

 死んだ二つの窓の小鬼を再確認することもなく、わたしは心のなかで交換と絶叫した。

 汗がどっと噴き出す。あれが()()、白金等級の生ける伝説(レジェンダリー)なのだと確信する。

 

 勇者とは神々の寵愛(ギフト)神託(ハンドアウト)を受け、混沌の勢力が企む邪悪な計画を直観(インスピレーション)で察知し、問答無用の一撃で解決して回るというではないか。

 今のわたしが世界で一番恐れるのは、そういった理由のない(ノーヒント)襲撃である。先ほど踏み潰された小鬼が明日の私の姿でないとは言い切れないのだから!

 

 

 

 × × × × × × × × ×

 

 

 

「最初にゴブリンに盗まれた職人さんの工具、冒険者の訓練場に届けられたそうですよ」

「そうか。()()は判るか?」

「ええと……なんでも、硬い金属や岩石を切ったり割ったりするのに使うものだと言ってましたけど」

(のみ)か? いや、(たがね)か」

「あ! それですそれ。呪文使い(シャーマン)と思しきゴブリンが大事そうに握っていたそうです」

鉱人(ドワーフ)技術の一骨子(ひとつ)だ。逃していれば取り返しがつかなかったかもしれん」

「それは……今回のような地面からの奇襲が?」

「そうだな。間違いなく増えていただろう」

「取り返してくれた方に、感謝しないといけませんね。あ、ただ」

「なんだ」

「これを拾うときに、息を呑むような声が聞こえた、と言伝(ことづて)もあったそうです」

「確かなのか?」

「なんでも金等級の凄い方だったそうなので、恐らく」

「そうか。であれば、だ」

 

 小鬼殺し(ゴブリンスレイヤー)は確信する。

 小鬼王討伐時にちらりと存在の可能性が見えた()()()()()()は、やはり確かに存在するのだと。

 ただし、常に全ての小鬼を見ているわけでもないようだ、とも。

 

「そいつのポケットの中には、小鬼がいるということなのだろうな」



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どこにでも住むゴブリン

「先輩先輩、同僚先輩」

「……なんでしょうか同僚後輩さん?」

 

 平時につき、職場にて適度に確保されている休憩機会。二人きりの場でしか通じないだろう()()()た呼び掛けに、同僚先輩(わたし)はまぶたを上げて視線を向けた。

 

 わたし自身は秘めごと(ゴブリン)のこともあって、普段もすすんで話の口火を切ることはないのだが、人間関係にトラブルを抱えたくないので会話にも気を使う。

 基本的に信頼のおける人(コネクションで)しか同僚が増えない割に寿退職(いわいごと)の絶えない職場だ。見習い(ノービス)の頃から数えて六年働き続けているわたし、それより遅く勤め始めた目の前の後輩とてすっかり中堅(ミドル)から熟練(ベテラン)に数えられる働き手である。さてどのような話題かと身構える。

 

「ちょっと弱音を吐きたいので聞いてくださ──そんな嫌そうな顔しなくてもいいでしょうに」

「これは嫌そうではなく、面倒そうな顔と言います。その満面の笑顔で何に弱っていると」

 

 この後輩は気さくで物怖じしないことから、お偉いさん(うえのほう)からも新入りたち(したのほう)からもわりと評価が高い。

 一方でお局サマ(すぐうえ)からはもう少し礼節を弁えて欲しいと思われてもいるし、無闇に偉そうに振る舞う貴族サマ(うざいの)からは毛嫌いまでされている。

 なんでわたしがそんなことを知っているかと言えば、恐らくは次のやり取りが理由になるだろう。

 

「いいじゃないですか、愚痴くらい聞いてくださいよ。折角の休憩時間なんですから」

「その折角の心安らぐ時間をわたしから奪わないで」

「先輩無口ですから、漏れないと信頼してますよ?」

 

 理由にならない返答に辟易しながら口をつぐむ。

 口論はわたしが恐れる破滅のひとつ『思わぬ言葉(ゴブリン)が口をついて出る』可能性の塊であるから、このように意見の対立になる以前で意識して押し黙るように心掛けているのだ。

 その結果として、押しが弱く口は固い(だんまりさん)という印象がへばりついているわたしは、扱い的にはいわば説話にある涸れ井戸のそれである。我が国の王は別に驢馬耳(パットフット)ではないのだが。

 

 ともあれ同僚後輩の担当(おしごと)ならではの苦労──というよりは彼女の友人の比類なき可愛さを吹聴する尊み(のろけ)を黙って聞くことになった。

 

「いやもう、可愛くて可愛くて仕方なくて死にそうで困る。可愛さで死んで即座に可愛さで生き返っちゃいそう」

 

 それでいてプライバシーの侵害や悪評の流説といった漏洩(しくじり)に当たる発言は一切ないのだからまっこと有能な後輩である。

 でも尊みで蘇生(リザレクション)の奇跡を超えるのはやりすぎであろう。

 

 

 

 さて、そんなこともあっていつもよりやや精神的に疲れて帰宅した日。

 いつものように夕食を済ませ、寝台の上でまぶたを下ろすと、時刻はすっかり宵の口(よもあけて)、寝床を抜け出した小鬼たちが雁首揃えて好き勝手しているのが、やはりいつものように見て取れた。

 

 さんざん立木の梢を食い荒らしては森の一角を枯らせていた巨大小鬼(ギガンテ)は、餌を求めて北へじわじわ移動していったらしく、雪山で大きめの熊か何かの肉を食べているのが見えた。巨大小鬼に丸呑みされない大きさの動物はもはや珍しいレベルなので、()()が彼の餌として見込めるのであれば何よりである。

 

 雪山と言えば、以前誘拐されていた小鬼が変わり果てた姿で返された二つ目の窓では現在、一匹の元乗り手(ゴブリン)が得意気に揺られながら果実にかじりついている。

 小鬼が騎乗する獣といえば狼が定番だが、それ以外の獣に乗ろうと試みる個体がいないわけではない。

 ではなぜ小鬼の乗り手といえば狼なのかと言えば、一番の理由は狼には喰いでがないことに尽きるのだろう。

 

 馬や牛、羊といった家畜は、肉が多い上に味がよく、一方で狼は小さい上に不味い……らしい。

 悪食の小鬼のこと、死んだ狼だけを食べないという選択肢はないが、飢えてもいないのにわざわざ飼い狼を屠殺して食べる前例が皆無な割に、牛などは即座に喰い尽くされるのを比較して見るに、おおよそ明らかとは言えるだろうが。

 

 で、だ。この小鬼乗り手(ゴブリンライダー)が悠々と揺られている場所が珍しいのである。

 背中に板状の硬そうな何かを備えた、巨大な首長の竜──似たような姿絵を本で見た覚えはある。確か剣竜(ステゴ)といっただろうか?

 まあ、わたしは小鬼以外のことにさほど詳しくはないので、違うかもしれない。特に調べる気もない。

 

 何をどう間違ったのか第二窓の小鬼が、群れの長であったらしき呪文使い(シャーマン)に命じられて、この剣竜の背に鞍を据え付けたのが先日のこと。

 普通にまたがってあっちへ行け、こっちへ行けと……たぶんそんな内容の小鬼言葉を投げ掛けていたのだと思うが、まったく聞き入れられず、たびたび背から転げ落ちていた。

 熱帯雨林(ジャングル)もかくやという深き密林の奥らしき場所であるためか、地に落ちた小鬼は平然と復帰しては竜の背に再度飛び乗っていた。珍しく根性(ガッツ)がある個体である。

 

 なので、小鬼使い(ゴブリンマスター)を目指す者として、彼にちょっとだけ囁いてみたのだ。

 

 ──ただの鞍よりも、むしろもっと大きな籠とかをくくりつけて、そこに住んじゃえば?

 

 小鬼は小柄で、剣竜とおぼしき四ツ足は長大である。

 その背に並んだ板は据えた鞍へ座るのには邪魔でしかないが、籠をひっかけてぶら下げるための楔としてはこと欠かない程に数があるし、昼間であればほどよく日除けにだって出来るだろう。そして何より。

 

 ──偉く見える……いや、偉くなれるよ?

 

 一番強ければ一番偉いとも限らないが、その可能性が極めて高いのが小鬼の社会だ。そして小鬼にとって、英雄(チャンプ)よりも強大な剣竜の威を借りることが出来るのであれば、それは限りなく絶対者に等しいと言えるだろう。

 まあ、それでも巨大小鬼(うちのこ)よりは見劣りするのだけど。

 

 結果として、悪戦苦闘しながら鞍にまたがろうとしていた小鬼乗り手(ライダー)は、近くの遺跡を根城にしていた呪文使いのいち配下から、森の中を悠々と籠に揺られて生活する野営小鬼(キャンパー)へと文字通り鞍替えしたのである。

 

 ……うん。遊牧小鬼(ノマド)とか竜騎小鬼(ドラグーン)という呼び方はどうにもそぐわなかったのだ。

 ただ跨がれば事足りる鞍とは違い、小鬼製の籠ではしょっちゅう底が抜けて下に転がり落ちていたりするが、その辺りはまあ些細なことだろう。

 

 

 

 今回はそれなりに成果らしきものが上がったと思うが、やはり小鬼使い(ゴブリンマスター)への道は険しい。

 渡りになれば成長しやすい小鬼のこと、住み着く場所が狭くなければ定住したままでも大物(ホブ)になりやすいのではないか? と、天井を高く広く削るような洞窟の拡張工事をさせてみたり、冒険者に襲われた際に逃げて渡りを少しでも増やすため、棲家のあちこちに抜け道を掘らせたりした件数は、十や二十で収まらない。

 その結果、上位の小鬼が増えたかどうかはまあ、さほど変わらないような気もしているが。

 

 それを考えると、こうして悠々と剣竜の背に住み着いた野営小鬼はかなり()()出来ではないだろうか。

 日中には、河を渡る巨大な剣竜の姿に驚き、慌てふためいて逃げていく小船や筏を笑って指差す姿をたびたび散見しているのだ。実に調子に乗って好き勝手している──のはまあ、小鬼にとってはいつものことだが、それを単独(ソロ)で継続し続けられるのは余裕にあふれていなければ無理だろう。

 

 英雄(チャンプ)王者(ロード)では、どれだけ強くなっても、本人や率いる配下に小鬼としての限界が存在する。

 

 呪文使い(シャーマン)であっても、盗み見聞きして覚えられる呪文には限界があるだろう。

 神話級の戦記物に散見する万物分解(ディスインテグレート)城壁崩し(メテオストライク)を小鬼に向けて唱える()()()な呪文使いがいれば話は別かもしれないが。

 ……万が一覚えられれば極めて逃げやすそうだから、飛翔(フライト)の呪文を小鬼の前で披露する呪文使いはいないだろうか? たしか以前、辺境最強が唱えたとか詩に聞いたような──。

 

 と、それはまた別として、そう。乗り手(ライダー)の強みだ。

 只人たちの乗り手(それ)とは異なり小鬼の()()は、乗る対象の強さをそのまま借りて、自らが強くなったように見せかける役割(ロール)と言える。

 それでも今回の剣竜のように、飛竜や火竜に騎乗するような真似が出来る小鬼がいれば、その小鬼が好き勝手する際の影響が飛竜や火竜と同等となってしまうのだ。

 

 あまりに手軽であり、同時に危険でもある。

 

 小鬼は臆病で怠惰、強欲で卑怯なので、危険を冒して凶悪な獣を手懐け(テイム)したりすることはない。

 先程小鬼が狼に乗る理由を考察したが、小鬼にとって狼の強さが小鬼でもなんとか出来ると思われている、というのがやはり一番大きいのだろう。

 知らないということは恐ろしいことだが、逆に恐怖を感じないという利点にもなる。

 

 もしも、群れの全員が飛竜や火竜に乗るような小鬼の集団が発生したとすれば、それはそれは恐ろしいことになるだろう。

 

 ──まあ、まずそんなことはないのだろうけど。

 

 

 

 それにしても、今日は同僚後輩の相手で疲れた。明日は休みだけれど、早々に寝ることにしよう。

 

 いつものように、わたしはまぶたの裏から意識を外す。目に見えているものから全力で目を逸らし、心と頭をゆっくり休ませるのだ。

 

 何を見ても、何を聞いても、考えてはいけない。

 そうしないと、きっとわたしの心はいつしか壊れきってしまうのだろうから。たぶん。



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