PERSONA5 ORIGINAL ~笑う骸と銀の蝶~ (ウィーン-MK-シンくん)
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7/18 or ?/? 始まりの小雪
筋肉。それは人間が己(おの)が肉体で作ることが出来る、最高の芸術(アート)だと私は思う。
特に、十代半ばから二十代の男性が形作るソレは者にもよるが国宝にさえ成りうる。
「うん……出来た」
私はそこで一息吐いて、筆を置いた。
私の目の前には足つきの画板と、それにたてられた一枚の絵画があった。
我ながら良いモノが出来た、と私が紙面に再現した芸術に浸っていると不意にその背中から声をかけられた。
「小雪」
振り返るとそこには私の同級生兼(けん)仲間の、喜多川祐介(きたがわ ゆうすけ)が立っていた。
「喜多川くん、どうしたの?」
「どうしたもこうしたもないだろう。時計を見てみろ」
へ? と私が間の抜けた声を出して時計を見ると、それは18時30分を示していた。
これには素直に驚いた。先ほど昼食を済ませたばかりだと思っていたらもうこんな時間になっていたとは。
窓の外に目を向ければ、確かに茜色の空が広がっていた。
「向こうは既に男子二人が着いてるそうだが、どうだ。出れそうか……?」
「だいじょうぶ……って言いたいところなんだけど、私はこの画材道具を片づけたら美術室(ここ)の鍵も職員室に返さなきゃいけないし、もう少しかかるかな。あ、でも喜多川くんはもう出れるんだよね? 待っててもらうのも悪いし、先行って」
「それには及ばない」
「え?」
「此処の片づけも戸締りも、後は俺がやっておこう」
「いいの? でも、やっぱり悪いし」
「まだ集合時間までは幾分かあるし、問題は無い。加えて言えば、男と違って女子の準備は何かと時間がかかるものだろう…せっかくの花火大会だ。余裕を持って行くと良い」
「んー……わかった。ありがとう、喜多川くん。向こうに着いたら何か奢るね」
「おお! それならオジヤを頼む。以前の鍋では食べ損ねたからな」
「うーん、出店にあるかわかんないけど……うん。わかった、探してみるね! それじゃあ、またあとで!!」
「ああ、楽しみにしているぞ」
◇◇
喜多川くんと別れた私は今、地下鉄の電車で渋谷駅前にある和服レンタルショップへと向かっていた。
あの後すぐに今回共に参加する女子メンバーの一人である高巻杏から連絡を受け、もう一人の女子メンバーである新島真を含めた三人で浴衣の着付けに行くことになったのだ。
7時前というこの時間は普段それほど混む時間帯ではないのだが、花火大会の弊害か今日は酷く混みあっていた。
電車が目的地に到着すると、私は人の波に抗いながら保々の体でどうにか無事に電車を降りることが出来た。その後は中央改札を出てブチ公像の前に目を向けるとちょうど今(いま)談笑していた杏と真が自分に気づいて手を振ってくれているのが見えた。
「ごめんっ、お待たせ!」
「ううん、私たちもいま来たところだから、気にしないで。ね? 杏」
「そうそう! みんなの集合時間まではまだあるし、こんなの遅れた内にも入らないって」
「……ありがと」
「――それじゃあ、行きましょうか」
――夜7時30分 渋谷駅前
「おっせーなー、アイツら。なにやってんだか」
髪は金髪に染め、赤い無地のTシャツを着たいわゆるヤンキー風の少年は溜息混じりそんな愚痴を零した。
「そう言うな竜司。女子の準備は時間がかかるものだ」
そう言って少年を窘めたのはしっとりした青髪と浴衣姿の映える日本男児、というかよく見れば先ほど学生服で小雪と別れた喜多川祐介だった。
しかしそんな祐介の言葉にその少年、坂本竜司は我が意を得たりといった風に顔を輝かせてしまう。
「なら少しくらい先に見て周っても良いんじゃね? 俺もう腹減っちまったよ」
「待て。たった今集合時間を過ぎたばかりじゃないか、入れ違いになったらどうする?」
「少しくらいダイジョブだって! ほんの5分だけだからっ、暁! お前も行くだろ?」
「いやー……ハハハ」
話を振られた黒ぶち眼鏡の素朴な少年、来栖暁は苦笑いでやんわり断る。
「んだよー、二人ともつれねえなぁ。っとオあアッ!!! 美人なお姉さん方発見ー! スイマセーン!! そこのお姉さんガター!!」
「おい竜司ッ――…… あっ」
二人の男子に同道を断られた竜司は一度は諦めモードに入っていたものの、次の瞬間横目に浴衣美人二人を見つけると声を上げて走り出した。
祐介は当然これを止めようとしたが此方(こちら)も浴衣美人三人を発見し、固まってしまったためにそれは叶わなった。
しかし、それは竜司と同じように欲望めいた理由からではなく――もっと別の理由。
自分が止めるまでもなくあの馬鹿(竜司)を止めるのに一番適した人物を、その中に見つけたからだ。
また、竜司も次に聞こえてくる声にはまるで瞬間冷凍されたように固まってしまうこととなる。
「
“竜ちゃん……なにしてるの?”
」
傍(はた)からその声を聞いた祐介と曉は足早に「竜ちゃん」から距離を取り、今しがた到着した女子三人のうち二人の影に隠れると、「竜ちゃん」に声を掛けた最後の浴衣美人が坂本竜司へと迫る。
そう、「竜ちゃん」とは竜司のことである。これのみを聞けば、世の大多数の男共は羨む状況なのだろう。
だがもし今の状況だけを見て代わってくれと申し出る男が居れば、竜司は全力でそいつと代わってやりたかった。
しかし祐介と暁は現状の本質を理解しているため、竜司自身から頼まれてもそれに応じることは出来ない。
そんな二人が今の竜司のために出来る事と言えば、ただ目を伏せてその姿を見ないようにしてやることだけだった。
「付き合ってまだ1ヶ月(ひとつき)も経ってないのに、さっそく浮気?」
「こ…、小雪? いやコユキサンっ?! 違うんだ。これは――」
「歯ァ食い縛れ♪」
――パーン、パンパーン!!!
その後、花火大会は急な大雨で中止となったため打ち上げられたのは三発のみであったという。
?/?
「つまり貴方たち怪盗団はメジエドの件とは別に彼女、佐倉双葉の心を救うべく本人の依頼を受けてその心を盗んだということね?」
新島冴検事は自身の尋問に答える目の前の男をまっすぐに見据えながら考える。
「(やはり彼がまったくのデタラメを言っているとは思えない。もっと詳細に話を訊く必要があるか)」
今回の取り調べにかけられる時間で次に話す案件は訊く予定になかったのだが、この際少しぐらい長引いてでもこの件を彼がどう認識しているかは訊いておいた方が良い。
冴はそう考え、さっそく話を切り出した。
「それじゃあ次の質問よ。この写真に写る女の子に、見覚えはあるかしら」
冴がスーツの懐から取り出して彼の前に置いた一枚の写真には、艶やかな黒髪をお下げにしたどこか儚げな印象を抱かせる一人の女子高生が写っていた。
「織田小雪。元(もと)秀尽学園の生徒で、今は洸星高校に二年生として在学してるけど……この娘も怪盗団の協力者ね」
「ッ……!」
確信を持っているように思わせる冴の声音に、一瞬ではあるが彼の体が震えを見せる。
「(…この反応を見る限り当たりのようね)」
そう考えた冴は彼との距離を縮めるべく、互いを隔てる机に身を乗り出すようにして問い詰める。
「聞かせてもらえる? 貴方たちとこの娘の間に、何があったのか」
――話しなさい。
この度読者の皆様には突然の失踪でご迷惑をおかけいたしました。ツイッターとも関連付けたかったので一時退会をさせていただいた次第です。
今まで投稿していた分は今日中に上げますので、よろしくお願いします(´・ω・`)
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7/3
それは心の怪盗団、<THE・PHANTOM(ザ・ファントム)>が次の標的について話していた時のことだった。
「皆、ちょっといいか?」
「「「「?」」」」
構成員の一人、喜多川祐介が上げる声に集まっていた全員が疑問符を浮かべる。「次のターゲットに当てでもあるのだろうか?」と。
聴けばどうやら祐介の同級生で気になる人物が居るようで、名前を織田小雪というそうだ。
しかしその者が悪人なのかを訊くと、そういうわけでもないらしく、いまいち話が見えなかった。
悪人でないのなら、なぜ次のターゲット――改心の対象にする必要があるというのか。
「皆が疑問に思うのは当然だと思う。そうだな……例えるとこれは双葉の時と似たようなケースだ」
「えッ!? それって!!」
杏の驚きの声に、祐介は真剣な面持ちで頷く。
「ああ、どうやら織田さんにもパレスが存在するみたいなんだ。異世界ナビで確認したから、おそらく間違いない」
――パレス。
それは個人の歪んだ欲望、認知が形を成して生まれる異世界のことだ。
異世界ナビはこのパレスに入るために使う謎のアプリなのだが、これついての詳細は未だにわかっていない。
パレスには必ずそれを創りだした本人のシャドウと、核となっているお宝が存在する。
怪盗団はこのお宝を奪うことでパレスを壊し、悪人たちを改心させる活動をしているのだ。
しかし、祐介が例に挙げた佐倉双葉は自ら怪盗団に依頼して自分の欲望を盗ませている。
その理由は双葉が抱えていた過去のトラウマが、歪んだ認知を作り上げて彼女自身を崩壊させかけていたからだ。
7月1日に日本のデータベースを攻撃するといった内容を世界的ハッカー集団のメジエドを名乗る者たちが怪盗団にメディアを使って知らせてきていたこともあり、もはや一刻の猶予も無いと考えた怪盗団は同じくハッカーである双葉を助けた後に協力してもらう形でこの窮地を脱した。
これが予告のあった6月27日から30日における、およそ3日間のことだった。
「俺が織田さんの問題について知ったのは金城を改心させた翌日、6月24日のことだ。あの日は洸星高校で作品展示会があったんだが、そこで俺が彼女の作品を見たのがきっかけだ」
なんでも祐介はその時見た織田小雪の作品に、奇妙な違和感を感じたのだという。
例えるならば、永遠に完成することがない完結品のような、そんな違和感を。
「それがどうしても気になった俺は、しばらくその作品に見入っていたんだが、どうも本人がその様子を見ていたようでな。向こうから声をかけてきたよ」
祐介からすればこれは渡りに船だったため、直接そのことを訊いてみたそうだ。
そんな祐介の問いに対し、小雪は無言で背を向けてついてくるよう促したらしい。
そうして祐介が連れられたのは、洸星高校の総合保管庫だった。
「総合保管庫?」
「在校生が過去に作った作品を保管しておく巨大倉庫だ。生徒一人一人に一定のスペースが与えられている」
「へぇ。流石に私立はお金の使い方も凄いのね」
「まあ、そうかもな」
と祐介は途中で真の疑問にもに答えつつ、説明を続ける。
「と、ここまで話せばもう皆ある程度の察しはついているだろうが俺は彼女のブースに案内された。そして……彼女の抱える問題も、そこで見つけたんだ」
そこにあったのは、破壊しつくされた作品群。それも、展示会で見たものとは比較にならない輝きを持つものばかりで芸術に人生をかけている祐介がそれに憤るのは当然のことだった。いったい誰がこんなことを、と。
しかしそんな祐介からすれば次に発した彼女の回答は予想しえない、正に驚くべきものだった。
「織田さんは自らの手で、それを行っていたんだよ」
「ちょっ、それどういうことだよ?! 何で作った本人がンなことする必要があんだっ!!」
竜司の上げた声には皆が同感だった。しかし、怪盗団のリーダーである暁はそれと同時に今の竜司が少し普段と違う様子であるようにも感じていた。
そうして暁が竜司へ怪訝な目を向けている間にも話は進む。
「俺も気になって訊いてみた。よくわからなかったがな」
「? 答えてもらえなかったってこと……?」
「いや……」
言葉に詰まる祐介に話を聞いているメンバーはそれぞれ顔を見合わせて首を傾げる。
そして祐介はようやく言葉がまとまったのか、口を開く。
「皆は、幸せを苦痛に感じることはあるか?」
「……織田さんが、そう言ったの?」
真の確認の言葉に祐介は頷いて補足を加える。
「正確には【自分は幸せになってはいけないから】と言っていたが、いずれにせよ彼女が心に何らかの傷を負っていることは確かだと思う」
祐介は駅構内の連絡通路という人通りが多い場所にも関わらず、次の瞬間には勢いよく頭を下げていた。
「頼む皆、俺は織田さんを助けたい。力を貸してくれ……!!」
語っている内に熱が入っていたのか、祐介の両手は握りこぶしを作っていた。
今でこそ数々の美術コンクールで入賞するほどの活躍を見せている祐介だが、かつてはその才能を世に出しきれない苦しみの中に居た。
祐介が心の怪盗団に入ったのは暁たちにその苦しみから助け出されたことで、ならば自分も彼ら怪盗団のように苦しむ人々の助けになろうと思ったからだ。
故に理由こそ定かでないが、嘗ての自分と同じように才能を発揮できずにいた織田小雪のことを、他ならぬ喜多川祐介が放っておくことは出来なかったのだ。
救いを求められたわけではない。だがどんな事情があるにせよ、苦しむ人を見つけたなのなら全力で助ける。そのために出来ることならば何でもする。それが怪盗団に入ると決めた、祐介の想いだった。
そして、そんな想いをぶつけられた者たちが出す答えなど……考えるまでもない。
「なーに水クセェこと言ってやがる!」
頭を下げる祐介の肩を力強く後ろに組みながら、坂本竜司は笑ってそう言った。
「ホント、今更だよね」
高牧杏も竜司に続くように、いきなり肩を抱かれたことに驚いている様子の祐介に笑顔を向けてそれに同意した。
「困っている人を助ける怪盗団が、助けない理由なんてないじゃない」
そこへ怪盗団の参謀を務める新島真も加わったところで祐介はそれぞれの仲間を見回し、最後に優し気な笑みで首肯するリーダーの来栖暁を見てようやく安堵することが出来たのだった。
「感謝する……」
驚きから変わって安堵で目を伏せた祐介の感謝に四人は、絶対にその想いに応えようと決意した。
◇
肖像画とは古代ローマの彫刻において反映した、いわゆる人物画だ。
写真等の補助的な材料に基づいて制作されることもあり、理想化や戯画化とさまざまな作風はあるが、外観の類似性が保たれる限りにおいて、それは肖像画といえる。
私が今キャンバスの上で表現しているのも肖像画であり、現在は戯画化で目の前にある男性型の石膏像を描いている。
どちらかといえば自分は理想化の方が得意だったのだが、ある問題から私はその手法を使えなくなってしまい、以来はずっとそれ以外の方法で描き続けている。
「うん……できた」
私はそう言って筆を置くと、やっと一息つけた気がした。
ふと、美術室の窓に目を向ければ、その向こう側にある洸星高校の中庭に建てられた柱時計があと2分ほどで18時になろうかという時刻を示しており、そこから視線を上げた先にある大きな空も紅く染められていた。
キャンバスに目を戻せば、そこには先ほど完成した今月の課題作である肖像画が在るのだが……。
「なにも見えない……」
夕日に照らされたキャンバスは光の逆行の影響か、まるで今の私の心のようになにも映していないように見えた。
「……帰ろ」
と私が帰宅の準備を始めるべく、画材道具を片づけようと作業用の席を立とうとした時だった。
「――おや、小雪くんじゃないか。こんな遅くまで……感心だね」
「安西先生(あんざい せんせい)……」
いつのまにやらそこに居た洸星高校の美術教諭、安西輝彦(あんざい てるひこ)が声をかけてきた。
「ん……? おやおや、これは見事なものじゃないか!」
「え、ちょっと……」
安西先生は席を立つタイミングを失っていた私の背後に回り込んで、絵(それ)を一目見るなり「うん、うん」と頷いていた。
「この出来なら間違いなく、次のコンクールでも良い評価を貰えるよ。6月の展示会直後に作風を変えると言ってきた時はどうなることかと思ってたけど、無用な心配だったかな」
「そんな……私は……」
安西先生の高評価に私が戸惑っている間に、時刻は18時を過ぎていたらしい。
『ゴーン、ゴーン、ゴーン』と、下校時間を知らせる時計塔のチャイムが鳴り響いていた。
洸星高校には学生たちの作品を保管しておく【総合保管庫】があり、それこそが今もその存在を主張している時計塔なのだ。
美術を専門とする学校として考えればそう珍しいものでもないだろうというのがそれの建設に関わった校長の言い分らしいが、私の感覚から言えばそれでも中々に前衛的な設計である。
私の言葉はそのチャイムの音で先生が中庭の柱時計に意識を向けてしまったため、流されてしまった。
「もうこんな時間か、それを片づけたら君もすぐに帰るんだよ?」
そう言って、安西先生は後ろ手を振りながら美術室を後にした。
私はしばらく先生の出ていった出口を見つめてから、先程まで夕日を浴びていたキャンバスに目を戻す。
「やっぱり……なにも見えない」
その後は私も手早く帰り支度を済ませ、寮に帰宅した。
◆◆
――バタン
「……ただいま」
暗闇の中、誰も応える事のない声を発した私は出入り口のすぐ側にあるスイッチを押して室内の電気を点灯させる。
靴を脱いだ私はまず居間に移動して寝室に通じる襖を開けるとそこに持って帰ってきた荷物を放り投げる。襖を閉めてそのまま台所に向かった私は冷蔵庫からスポーツドリンク入りのペットボトルと夕食のカロリーメイトを取り出してグラスと一緒に居間に持って行く。
居間へ戻ると、私は中央に設置された白い丸テーブルの上にそれらを置いてその下にあるクッションとその上にあったリモコンを引きずり出して今どきは珍しいブラウン管――のような飾りを付けた最新の薄型テレビに電源を入れると、クッションを座布団替わりに夕食を取りながらチャンネルを回す。
やがて全てのチャンネルを回し終えて目ぼしい番組を見つけられなかった私は、最後にスポーツドリンクを飲み干してテレビの電源を落とすと、壁際の白いソファーにその身を投じた。
私は自身の顔がソファーの背もたれの方を見るよう、横向きとなって先生の言葉を思い返す。
「コンクールでも良い評価を貰える、かぁ……」
ゴロン、と横向きだった姿勢を仰向けに変えた私は、何とも言えない気持ちだった。
別に、自分は良い評価を貰いたいわけではない。ましてコンクールになど何の興味も無かった。
ならば何故、自分は絵を描いているのか? なんてことはない……これはただ過去の出来事から目を逸らすべく行っている逃避にほかならない。
自分が作風を変えたのも、以前の展示会でその【良い評価】とやらを貰ってしまったからだ。
それなのにあんなことを言われてしまっては何の意味も無いではないか。
だって私は――
『 “幸せになっちゃいけない、だろ?” 』
「ッ……!!」
私は慌てて身を起こし、声のした方へ体を向ける。
すると、そこには少し前まで見慣れていた……逆に言えばしばらく見ることはなくなっていた【かつての仲間】が暗い笑みを浮かべて立っていた。
『 “なんだよ、久しぶりだってのにつれねえじゃねーか。――なあ? 【――】” 』
思わず両手で耳を塞いで後ずさるが、すぐにその背は部屋の壁についてしまい、“ソレ”から目を逸らすことも出来なかった私はやがて過呼吸を起こしてしまった。
『 “…まぁ、そうだよな。今のお前が俺たちに合わせる顔なんて持ち合わせてる筈ねえか。当たり前だよなア? 俺たちが潰れていったのも、全部お前のせいなんだから” 』
手足が痺れる。
全身が思うように動かなくなり、次第に意識も遠のいていく。
しかし次に聞こえてきた声によって、私が手放しそうになっていた意識は強制的に引き戻された。
「 小雪! 」
そんな声が聞こえた瞬間、私はいつのまにか以前通っていた学校のグラウンドに立っていた。
しかし今の私にとって、そちらはさほど重要なことではなかった。
なぜなら、私の後ろから聞こえてきた今の声が自分個人にとっては最も大事なことだったから。
「あ……ぁぁ……」
振り返ると、そこにはかつて私が憧れ、そして私を助けたがために、周囲からの期待やそれに付随する様々なもの、果てはその才能まで奪われた、私の一番謝りたい人が夕日の逆光を背に笑顔で立っていた。
言いたいことは山ほどあったが、未だに残る驚愕と震える体も合わさって私は今言葉が上手く出せない状態だった。
でも、そんな事情なんてその人は全く理解してくれないのだ。
「ったく、お前はいつも泣きそうな顔してんなぁ。うっし! そんじゃあラーメンでも食いに行こうぜ? 悩みならそこで聞いてやる」
そう言って、その人は私に背を向けて歩き出そうとした。
この邂逅は余りに突然で、私は未だに何が何だかわからないような心持(こころもち)だったけど、なんとか自身の振るえる手をその背に伸ばす。
何の根拠も無かったけど、今引き止めなきゃ絶対に後悔するような焦燥に駆られて気づけば、私はその人の名を呼んでいた。
「――――――――竜ちゃんッ!!!!」
「ウワアっッと!! んだよ、いきなり大声上げて。ビックリすんだろうが」
と、竜ちゃんは飛び上がるように驚いて体をこちらに向けてからそう抗議してきた。
「うっ、ごめん……」
「いや、別にいいけどよ」
竜ちゃんはため息混じりにそう言ったものの、本当は言うほど気にしていなかったのだろう。
竜ちゃんからそれ以上の声を上げることはなかった。
「……本当に、ごめんなさい」
「だーから、それはもう良いって言ってんだろ? 第一俺は――ッ!?」
「全然気にしてねえよ」とでも竜ちゃんは続けるつもりだったのかもしれない。
それを言われる前に本能に従って行動した結果、私は思い切り竜ちゃんの胸に飛び込んでいた。
「……小雪?」という竜ちゃんの困惑した声が聞こえてくるが、知ったことではない。
「……違うんだよ、竜ちゃん」
私が言葉を紡ぐたび、竜ちゃんは困惑を深めている様子だが気にせず続ける。
「…私、ずっと竜ちゃんに謝りたかったの」
私は竜ちゃんに縋りつきながら、彼の胸の中で懺悔した。
そこからはとにかく泣きながら叫んで謝った。謝って謝り倒した。
喉が枯れて、目じりの涙が渇き果てるまで、何度も。何度も。
私が叫んでいる間、竜ちゃんはそれをずっと受け止めてくれていた。
最後には子どもをあやすような感じで頭を撫でられてしまっていた私だが、不思議と嫌ではなかった。少し恥ずかしかったけど……。
それから竜ちゃんは、ほんのり顔を火照らせていた私に目を合わせる。
対して私は竜ちゃんからどんな言葉が放たれるのかと不安で、ただその場に居ることにも苦労した。
そんな様子に竜ちゃんは一つだけ優し気に微笑んで、私に言った。
「小雪は悪くない。だから気にすんなよ」
「……ぇ」
が、私はその言葉に困惑してしまう。
「(いくらなんでも、これはおかしい。だって、あの仲間想いの竜ちゃんだよ? そんな人が、いくら私が思い詰めていたからって『気にするな』だなんて言う? これじゃあまるで……)」
と私がその困惑の正体に辿り着く前に――
『 “ほら、またそうやって逃げる” 』
「――!!」
最悪の形で、その答えがやってきた。
“その”声に私が驚いた瞬間、竜ちゃんと夕暮れの世界は硝子が砕ける音と共に砕け散った。
後に残されたのは、真っ暗な闇だけ。
だが、逆に増えているものもあった。
それは先ほどまで一人だった【かつての仲間】が、仲間『たち』に数を増やし――在りし日は私がマネージャーを務めていた、秀尽学園陸上部となっていたことだ。
それを見た私は心胆から凍える想いだった。
息も詰まったことで呼吸も上手く行うことができず、額と背中にヒヤリとした汗が滲む。
私はそれらの事象に対して身を守るべく意識を飛ばそうと試みるも、その数を増やした部員たちの糾弾がそれを許さない。
『 “お前は逃げて楽になろうとしてるんだ。テメェの過去と一緒に俺たちのことまで忘れて、自分だけ幸せになろうとしてやがる” 』
私は自身の目と耳を塞いでしゃがみ込むが、そうまでしても声は耳の奥まで聴こえてくる。
『 “結局お前の罪悪感なんざ嘘っぱちだ。自分で助かることも出来ない、かと言って救いを諦めきれてるわけでもない。そんな奴の贖罪に、意味なんてねえんだよ!!” 』
私の精神はもう限界だった。
と私の心が完全に凍りつこうとしていた時、
「小雪」
かつて私を救った人の声が聞こえた。
自身の目と耳を塞いでいた私は、その聞こえてきた声に手を退かしてしまった。
そうして耳と同時に目も解放した私が声のした方を見ると、そこには笑顔の“竜ちゃん”が居た。
「竜ちゃん……」
しかしこの時の私はもう、完全に拠り所を求めて縋る意味で名前を呼んでいた。
私はすぐそのことに気づき愕然とするも既に遅く、笑顔だった“竜ちゃん”の表情は忽ち剥がれ落ちてその向こう側――暗い深淵が覗いていた。
「『 “全部オ前のセイだ” 』」
“竜ちゃん”から放たれたその言葉を最後に、私の意識は今度こそ途絶えた。
――
目覚めは意外にも静かなものだった。だがそれが良好な目覚めだったかと訊かれれば、否定せざるを得ない。
寝汗の沁みついた肌着は泥のように重いし気持ち悪い。頭はガンガンと響くくらい酷い頭痛に襲われている。これが良好なものと判断するには少々無理があると思う。
天上に吊るされたオレンジ色の電灯は、覚醒した筈の体を眠りに誘う。
私は再び重さを増してきた瞼が落ちきる前に、グッタリと鉛のように感じる体をしぶしぶと起こす。
顔を洗おうかとも思ったがまだ起きる時間には早く、時計の短針は午前2時を指していた。
この時点でもう一度寝るのは確定なのだが、未だ汗に濡れている現状ではそれも難しい。
必然、私は着替えることになるのだがそれとは別に、今はやるべきことがあるためそちらが済んでからとする。
居間のソファーを辞した私は寝室の隣にある作業部屋に行き、そこにある収納棚から工具箱を取り出すとそれを手に寝室へ向かう。
寝室に入ってしっかりと襖を閉めた私は、寮に帰ってきてすぐに部屋半に放り捨てた荷物を見つけると工具箱を脇に置いてその荷物の中の一つ――安西先生に褒められた肖像画を引き寄せた。
その過程で絵が視界に入るも、私は特に何の感慨も抱かずそれを壁に立てかけた。
工具箱にはこういった絵を壁に飾るための器具なども入っており、美術科の生徒は重宝している者が多い。
もっとも、それならば私が使う目的はある意味で全く逆ということになるのだろうか?
と私は益体もないことを考えつつ、その工具箱から一際重厚な鉄器を取り出した。
ここで、唐突に竜ちゃんたちと安西先生の言葉を思い出す。
『 “小雪は悪くない。だから気にすんなよ” 』
『この出来なら間違いなく、次のコンクールでも良い評価を貰えるよ』
『 “お前は逃げて楽になろうとしてるんだ” 』
『6月の展示会直後に作風を変えると言ってきた時はどうなることかと思ってたけど、無用な心配だったかな』
『 “全部オ前のセイだ” 』
――――――――――――――――――――――――。
「はあ、はあ、はあ、はあ、はぁ……ッ痛(つ)!!!!」
気づくと私は、先程までは明るかった暗闇の寝室で荒い息をついていた。
そしてどうやら床には見る影も無いほどに壊された絵画とおそらくはその巻き添えをくらったであろう電灯の残骸が散らばっているようで、窓の月明かりが辛うじてそれを知らせてくれた。
鉄器を握っていた両の手は震える膝を抱えていたのだが、その時に走った鋭い痛みで私は思わず蹲ってしまう。
痛みの先を見てみると、左右の手のひらに幾つもの血豆が出来ていた。
重い工具を素手で振り回したのが良くなかったのだろう、殆どが痛々しく潰れていた。
「もう、何回目よ……これ? フ……フフ――ひッくっ……」
どうしてあの時、自分だけが助けてもらってしまったのかと何度も考えた。
だけど出来の悪い私の頭は、いつも同じ答えになってしまう。
理由なんて無かった。ほんのちょっとの運と、偶然による結果。――それが答え。
今、他の皆がどのように過ごしているかはわからない。けど少なくとも、今の私より不幸にはなってない筈だ。でなきゃそもそも、人生そのものが嘘だ。
私の今の母親が教えてくれた。
幸せになる権利は一人一人、平等にあるのだと。
それならば、多くの仲間が居る中で一人救われた私の幸せはそこで終わり。
故に私は、今も苦境の中に居る。
だから、最後まであの陸上部に居続けたみんなの苦境も今は終わっていなければならない。
幸せになっていなくてはならない。
そして私は、その上で皆に謝らないといけない。
逃げ出してごめん、と。置いていってごめん、と謝ることが出来なければ、私にはいつまでも、幸せを得る資格が無いのだ。
「うん……だいじょうぶ……ちゃんといくから……だから」
――モウコナイデ。
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7/4 驚愕の再会 part1
「なるほど、ワガハイが居ない間にそんなことになっていたのか」
来栖暁にそう声を掛けたのは右肩にかかった学生鞄――ではなく、そこから首から上を出した黄色のスカーフが特徴の黒猫だった。いや、正確には猫とも違うのだが……今は置いておく。
彼の名はモルガナ。現在は鞄に身を潜め、共に暁の通う秀尽学園高校へと向かっている。
どう見ても猫にしか見えない彼だが、普通の猫とは大きく異なる点が一つあった。
なんと彼は人の言葉を話すのだ。「だからワガハイは人間だ」と彼は言うが、その彼がどんな言葉を使っていたとしても大多数の人間の目にはただ猫が鳴いているようにしか認識されない。
なぜならそれは、「猫が人間の言葉を使うことなどありえない」という大衆の認知が存在するためだ。
よって彼の言葉を認識するにはどうにかしてその認知を崩す必要があり、暁たちは認知世界で人語を使う彼の姿を認めたことで対話が可能となった経緯がある。
故に、今の暁はモルガナと話しているに過ぎない。別にただ延々と独り言を続けているわけではないのだ。
「ねえママ~、あのお兄ちゃん誰と話してるのかなぁ?」
「しっ! 見ちゃいけません!」
――閑話休題(それはともかく)。
今でこそ彼は怪盗団の仲間となっているが、もともとは無くしてしまった自身の記憶を探すために人々のパレスを渡り歩いていた。
と、このような理由により暁たちが心を盗む怪盗団として初めて改心させた悪人のパレスに運悪く囚われてしまっていたところを偶然迷い込んでいた暁と今この場には居ない仲間の坂本竜司に助け出されたというわけだ。
そこから紆余曲折あって、現在は暁たちと共に悪人を改心させながら無くした記憶を探している。
暁は先ほどそのモルガナに、彼を除く団のメンバーで話した【織田小雪】について伝えたところだった。
怪盗団が行う改心の対象は全会一致で決める、というのが団発足当初からのルール。なので仮にモルガナが今ここで反対していたら今度は彼を交えた全員で協議を交わす必要があった。――が、やはり彼も優しき団員の一人。
詳しい事情は未だ定かでないが、今も苦しんでいることは明らかである少女の話を聞いて「否」と言う筈もなかった。
「わかった、そういう事ならワガハイも賛成するぞ。っと、それならまず最初のアプローチの方法をどうするかだな……ん、どうした?」
モルガナはいつのまにか、暁が虚空を見つめていることに気づき声をかけた。
暁は何事かを考える時、いつもそのような動作をしていたので気になったのだ。
暁は先日の話し合いで気になっていた、竜司の様子について話した。
「フム……つまり竜司と織田小雪の間には何かがある、ということか」
――たぶん、と暁は付け加えるもその目は確信に満ちていた。
「わかった。ワガハイもそちらに合流した時は気にかけておこう」
――やっぱり、まだこっちには来れないか。
「ああ、すまんが合流はもう少し先になりそうだ。まだ経過を見ておきたいんだ」
――構わない……双葉が心配なのは皆一緒だ。
昨日とその前の日の幾日か、モルガナは怪盗団の活動からは離れていた。
その理由というのが今二人が話題にしている、佐倉双葉である。
双葉は先月の末に心の怪盗団が助けた少女であり、暁の住む喫茶店ルブランの店主(マスター)にして暁の現後見人の義娘にあたる。
彼女は6月の30日から眠り続けており、以降の様子をモルガナに見てきてもらっていた。
保護者(マスター)からは「偶にあることだから心配無い」と聞いてはいたがパレスから帰ってきて間も無かったため、双葉が家に一人になる時間だけでもと用心の意味で一番認知世界の知識があるモルガナがその後の様子見を買って出たのだ。
「そのことなんだが、実は良い報せがある。昨日、双葉の意識が回復した」
――次の作戦で、協力は得られないか?
「むむっ、確かに双葉の後方支援能力はズバ抜けてるが……厳しいと思うぞ。意識が戻ったとはいえ、まだ万全というには程遠い」
――そうか。
少し残念ではあるがちゃんと意識が戻っただけ良かった、と暁は思った。
「まあ心配だったパレス関連のことで体に変調をきたした感じは無かったが、ワガハイが様子を見に行くと決まって熱に浮かされたような顔色になるんだぜ? 無理はさせない方がいい」
――わかった。それならモルガナはしばらく双葉(そっち)を頼む。
「もともとそのつもりだ。お前らも、その小雪って娘をしっかり助けてやれよ」
――任せろ
◆◆
「それじゃあ今日はこれで終わります。日直さん、号令をお願い」
担任の川上貞代がそう声をかけて日直が締めると、ようやく生徒たちは肩の荷が下りたのか川上が教室を出るのと同時に常ある喧騒を取り戻し始めた。
この時点で早めに帰り支度をしていた者たちは既に廊下へ出ており、他は後で部活や委員会がある者がそれまでの時間を読書や友人との雑談に当てている。
そして後ろから二番目に位置する席では、暁がスマホのグループチャットでモルガナがしばらく来れないことを他のメンバーに連絡していた。
__
Akira
『――とのことだ』
Makoto
『そう…それは残念ね。でも良かった。双葉、ちゃんと目が覚めたんだ』
Yusuke
『だがこれでモルガナの言うとおり、ひとまずは安心だな』
Ann
『そうだね。それじゃあそっちはモルガナに任せて、ウチらは最初の作戦に入ろっ!』
Ryuuzi
『だな。暁も問題ねえよな?』
Akira
『問題無い』
Makoto
『そういえば、祐介の学校に行くのは初めてね』
Ann
『あー、確かに。あたしもまだ美術校って見たこと無いんだよね。どんな所なんだろう?』
Yuusuke
『どんな所、か。多少は変わった部分もあるが、普通の学校だぞ。校門で待ってる』
__
暁はチャットを閉じるとスマホはブレザーのポケットに仕舞い、今朝電車に乗る前(モルガナとはその時別れた)より随分と軽くなった鞄を右肩に預けて退室。祐介の待つ洸星高校へ向かうべく、秀尽学園を後にした。
◆◆
――17時より少し前。日が高くなっているこの季節の中では、夕暮れに差し掛かるこの時間帯こそが最も過ごしやすいと俺は思う。
「皆もそう思わないか?」
「いや知らねーし。てか、今はンなこと言ってる場合じゃねえだろっ」
これらの声は上が祐介、応じたのが竜司である。
場所はとある学校の正門、すぐ側にある壁には “洸星 美術高等学校”と刻まれた看板が取り付けられている。
ここまで見ればわかる通り、暁たち怪盗団は同じ団の仲間である祐介とターゲットの織田小雪が通う洸星高校に集まっていた。
その理由は勿論、今回の標的である織田小雪に接触するためだ。
「む、そうだったな。なら早速だが竜司、これを着てくれ」
「? あんだコレ?」
竜司は祐介からおそらく畳まれた衣服と思われる物を受け取ると、ちょうど両端にある袖口の辺りを持つように広げてみた。
それによって姿を現したのは、洸星高校で使われている指定体操服だった。
「先ほど保健室で借りてきたものだ。生憎一人分しか調達出来なかったが、暁には俺のものを貸し出そう」
竜司は暁と共にその場で着替えると、集合時からずっと気になっていたことを口にした。
「そういや、杏と真は?」
この疑問に答えたのは現地で待っていたことから連絡を受けていた祐介だった。
「そのことなら聞いている。お前たちが来る少し前に連絡があってな…なんでも自分の教室まで迎えに来た杏と学校を出ようとした矢先、生徒会へ急な仕事が入ったらしい。その場に居た杏も流れで手伝いに行ったとかで、到着は遅れるそうだ」
「はぁ? ったく、何だってんだよこんな時に。んで、俺たちはここの体操着なんて着てどうすりゃ良いんだ? こんなの着せられた時点で、もうだいたい予想はつくけどよ」
「ああ…。おそらくだが、お前たちの予想通りだ」
『――潜入か』
その暁の言に祐介は「そのとおりだ」、と一つ頷いて肯定する。
「でも、真の作戦にしちゃシンプル過ぎんじゃねえの?」
祐介はこのいつになく鋭い竜司に、少しだけ関心しながらその問いに答えた。
「そうだな。今回の作戦を考えたのは真じゃなくて、俺が考えたものだ」
「『?』」
この祐介の言葉に、暁と竜司は一度お互いの顔を見合わせた後に首を傾げる。
しかし、そうなるのも無理はない。
なんせ暁たち怪盗団の作戦は、先月より怪盗団のメンバーとして参加するようになった女子メンバーの新島真が、参謀役としてそれらを考えるようになっていたのだ。
…にも関わらず、何故その真ではなく祐介が今日の作戦を考えることになったのかを二人が疑問に思うのは当然の帰結である。
だが詳しく聞いてみると、どうやら祐介が作戦を考えたそのことからして真の思惑だったらしく何も心配は無いことが判った。
なんでも真は『これからの怪盗活動を考えるなら自分抜きでのことも想定して、皆も考える練習はしておいた方が良い』と言っていたそうだ。
確かに今日のような事もある以上、これからも不測の事態というのは十分に起こりうる。それを考えると真の言うとおり、作戦を考えられる者を増やしておくのは今後のために悪くないと言える。
「今回、真がの作戦立案を俺に任せたのは皆には無い地の利が在ったからだろう」
「けど、それを俺たちだけで進めんのか? 遅れてくるって言ってんだし、ここは待ってた方が良くね?」
「…いや、織田さんの状態を考えればあまり時間はかけられん。それに織田さんから話を聞かなければパレスを開くことも出来ないんだ。真たちがいつこっちに来られるのかもハッキリとしない以上、今回はここに居る俺たちで進めるしかあるまい」
実際、祐介の言葉は正しい。
時間をかければそれだけ織田小雪の精神は摩耗していくし、パレスの侵入に使う異世界ナビも実はその使用にはパレスを形作っている者の名と場所に加え、そこに対する本人の認知まで入力しなければならないという性質がある。
これらを考えると、確かに織田小雪との接触は急務であると言えよう。
「そう心配するな。大本は俺が考えたと言っても改良はしてもらっている」
「なら…良いけどよ」
「よし、では始めに今回の目標を確認するぞ」
と祐介が取り出したのは、洸星高校の見取り図だった。
「おまっ…こんなのいつ用意したんだよ!?」
「ついさっきだ。今どきの教育機関ならば校内パンフレットなど珍しくもないぞ…、ここだな」
祐介はその見取り図――洸星高校を紹介するパンフレットの案内図に自身の目と指を這わせながら、それらを竜司の疑問に応じつつ目標の場所で留めた。
「いいか? この正面玄関を抜けて突き当りのすぐ左に一学年の教室棟に続く階段がある。ここを上がってしばらく右に進むと空き教室が二つ並んでいるんだが、この内一つを素通りして反対の壁側に手を付いた所が実習棟への連絡通路に出る扉となっている。おそらく、織田さんはその実習棟の第四美術室だ」
「ならそこに今から行けば良いんだな?」
「まあそうだが、ここで真からのオーダーがある。今回の織田さんへの接触は、一名で行うようにとのことだ」
「それが、真の言ってた改良か?」
「ああ。接触役が一人なのは『残った二人にも別の役割があるから』だそうだ」
作戦としては以下のとおり。
1・まず一人が接触役として、織田小雪の居る第四美術室へ向かう。
2・残った二人はパレスの潜入時に効率良く現場に行くため、道順を調べる斥候役と周囲に怪しまれないよう織田小雪に関する情報を集める聞き込み役に別れ、それぞれの役割をこなす。
「そして最後に二つ、注意がある」
祐介はそこで一度言葉を止めて校門の少し先、校舎より手前にある窓が無い詰所のような建物を指さした。
「あそこには常に一人の警備員が立っている。幸い俺生徒を一人一人覚えているわけではないようだから、その体操服さえ着ていれば引き留められたりはしない筈だが」
問題なのは校舎だ、と警備員の居る詰所をさしていた指は、再びパンフレットの案内図に向けられる。
それは校舎の一階、次に注意しなければいけない入り口付近に置かれた。
「この昇降口から右手に職員室がある。言わずもがな、ここは一気に階段まで駆け抜けていくべきだろう」
故にターゲットとの接触役は職員室(ここ)を出入りする教師たちの隙を突いて迅速にここを突破できる者が望ましい、と祐介は考えていた。
流石に教員ともなると祐介たち生徒の顔もある程度は覚えているため、見つかると騒ぎになる危険があるのだ。ならば最速で二階を目指した方が危険も少ないというのが祐介の見立てだ。
「というわけで、接触役は暁に行ってもらうのが良いと俺は思うんだが」
『任せろ』
「なら、俺は周囲への聞き込み引き受けよう。竜司は斥候を――ブフォっ?!」
「『!?』」
頼む、と続けようとした祐介はその直前に遠目で視界に入ったある女生徒を見た驚愕で、つい吹き出してしまった。
だが暁と竜司からすればそれは脈絡も何も無い突然の出来事だったため、こちらのほうに驚いていた。
「おいおい、急にどうしたんだよお前っ」
「ゴッホ、ゴホ……お……さん……おっ……んがッ――ごっほごほっ!!!」
「だーもう、何言ってっかわかんねーって! オッサンがどうしたって?」
と竜司が咳込む祐介の言葉をどうにか聴き取ろうと四苦八苦している横で、暁は祐介が何を見て驚いていたのか先ほどの彼と同じように視線を動かすことで突き止めていた。
『竜司』
暁は二度ほど竜司の肩の上を右のひとさし指先で叩くと、それを校門の先の昇降口の方に向け直した。
竜司も「暁まで何だよ…――」とは言いつつ、素直に振り返って暁の指さす先をその目で追った。
そして、
「…え」
“――ドクン”
竜司の心臓が一つ大きく跳ねる。
しかしそれに続くようにして校舎裏辺りから響いてきた“ゴーン、ゴーン、ゴーン”という総合保管庫(時計塔)の鐘の音は、果たして偶然か。
暁が指し示した校門の向こうにある昇降口から、やや俯き気味にこちらへ歩いてきていたのは、今日彼らが目的としていた人物――織田小雪だった。
「――こっほ、こほ!! くっ、どうして織田さんがっ…想定より一時間早いぞ」
先ほどチャイムが鳴ったことからわかるとおり、今は17時を回ったばかり。
祐介は今日までに織田小雪が下校する最近の時間も調べており、それが完全下校時刻である18時だったことも把握している。
まさかそこから一時間も早く出てくるとは思っていなかったため、事前にそれを調べていた彼には余計衝撃が大きかった。
何にしても、不測の事態によって動揺している今の状況は立て直す必要があると祐介は考えた。
「……仕方ない、ここは一度離れて――、?」
「様子を見よう」、そう続けようとした祐介だったが、校門の先が俄かにざわつき始めたことに気づき、ほんの数瞬の間だけ咳込む祐介に気を取られていた暁と共に目を向けた。
するとそこには軽い人だかりが出来ており、騒動はその中心で起きていた。
「オイっ! しっかりしろよ小雪!!」
「あれは織田さんと……竜司!? いつの間に…いや、それよりも」
――何が起きている?
そこには先ほど対応の再考を決めたばかりの織田小雪と、ついさっきまで自分たちの傍らに居た筈の竜司も居て、祐介と暁は目を剥いた。
だがそれは自分たちが少し目を離している内に織田小雪へ接触しに行っていた竜司に対して、ではない。
驚いたのは、先ほどまでこちらに歩いてきていた織田小雪が竜司の腕の中でグッタリと身を預けるようにして気を失っていたからだ。
この短い間に何が起きたのか、今の段階では見当もつかなかった。
『――、(あれは……?)』
と、そうこうしている内に状況はまたも変化を見せる。
洸星高校の校舎内へと続く昇降口から、(距離があるため、まだ判別できないが)教員らしき一人の男が騒ぎを聞きつけて来たのだ。
「不味いぞ…竜司のやつ気づいてない」
祐介は一瞬自身の懐に意識をやって、そこに入っているスマホで竜司を呼び出そうかと考えるも、もう一度視線を前に戻してそれが間に合わないことを悟る。
見ると既に先程まで人だかりを作っていた生徒たちは皆、険しい顔で自分たちの方へ近づく教師に気づいたようで、一斉に左右へ別れる形で道を開けてしまっていた。
そしてやはりというか、中心に居た竜司は当然のごとくその乱入してきた教師に見とがめられている様子だった。
竜司と教師は数言ほどのやりとりを交わすと教師の方が自身の胸元についた無線機で校門前の警備を呼んでしまったようで、祐介たちの視界に入っていた一人の警備員が現場へ急行していくのが見えた。
「止むを得ん。俺たちも行くぞ!」
祐介と暁は急ぎその後を追って、どうにか気づかれることなく二人はそれまで聞き取れなかった竜司の声を拾える位置にまで辿り着くことが出来たのだった。
「クソ、放せよ!!」
「こらっ、大人しくしろ!!」
見ると既に竜司は先ほどの警備員に取り押さえられており、最早一刻の猶予も無いと考えた二人は一度お互いに目を合わせると暁が頷き、それに祐介が頭を抱えてから溜息混じりに応じる形で、現状の早期打開をすべく強硬策を打つことにした。
祐介は目立たぬようゆっくり人だかりへ近づき、暁も同じようにして祐介とは反対の人だかりの向こうへ回りこんだところで、祐介は大きく声を上げた。
「 見ろ!! 何だアレは!!? 」
突然だが、言葉を交わす生物には一つ、当たり前の共通点がある。
それは意識の外から来る刺激がそれまで認識していた刺激を上回ると、そちらに意識が逸れてしまうというもの。
例えば目覚まし時計。
あれは眠りについていた意識を聴覚への刺激によって覚醒させるものだが、ようはこれも半覚醒状態時などによく出る睡眠欲という刺激から、その意識を逸らしているのだ。
そしてこの現象は先ほど例に上げた睡眠時のような、ある意味一種の集中状態の時ほど起こりやすい。
つまりはこの手法こそ、皆が竜司たちに意識を向けている今の状況には打ってつけと言うわけだ。
「おいそこ!! 何を騒いでる!!?」
『(――ここだ!)』
暁は前もって準備して自身のポケットに忍ばせていた潜入道具【煙玉】を取り出すと、祐介が教師の気を引きつけた瞬間を狙って、勢いよく地面に打ち付けた。
そして、それは早くも効力を発揮して大量の白煙で辺りを包んだ。
「何だ、この煙は!? いったいどこから出てきた!!」
この突然の事態に只なんとなくで人だかりを作っていた生徒たちはもちろん職員も混乱したが、その一方で警備員は多少の混乱は見せたもののやはり学園の警備を担っている性質上それも一瞬のことだった。
しかし、暁にとってはその一瞬で十分(じゅうぶん)。
「ガっ…ハ」
暁は正にその一瞬で竜司を取り押さえていた警備員の背後を取って、首筋に手刀を叩きこんだのだ。
警備員はそのまま小さな呻き声と共に意識を落とし、“ドサリ”と地面に沈んだ。
『――? 行くぞ』
暁は何故か驚いている様子の竜司にそう促すと、尻餅をついていた竜司に手を差し出した。
「……おまえ、容赦ねえのな」
と竜司が一度暁から差し伸べられた手を取って腰を上げると、揃って校門に駆け出す。
そしていつのまにそこで待っていたのかという祐介とも合流する形で、慌ただしくもその場を後にした。
――その後、洸星高校では意識を失った警備員と女生徒が介抱されるのだった。
~続~
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7/4 驚愕の再会 part2
“ゴーン、ゴーン、ゴーン”
時計塔のチャイムが鳴ると、午前最後の授業も終わりを告げる。
そして皆が昼食をとるべく思い思いの場所や友人の元へ向かう中、私も自身のお弁当が入った桃色の巾着を持って、窓際の一番後ろの席に座して伏せるこの学校では一番と言って良い友だちに向かい、声をかけた。
「ユキ、もうお昼だよ。ご飯にしよ?」
「…ああ、もうそんな時間か。ありがとう、シホ(・・)」
とユキは痛々しく包帯の巻かれた手で目元を擦りつつそう言って、机のフックに掛けられた袋から購買で買った焼きそばパンと150ミリの紙パック飲料(ドクダミ茶)を取り出し、同梱されていたストローを『▼飲み口』と書かれた紙パックの挿入口に取り付け、それを一口飲む。
次にユキは焼きそばパンを食べようとサランラップの包みを解こうとするが、
「あれ…っかしいな。ンッッ!」
「ぅ~っ!!!」とユキはどうにか包みを解こうとパンの腹辺りに来ていた先端へ指をかけようとするも、どうやら両手の包帯が妨げとなって上手くいかないようだった。
そして、私がユキの一つ前の席についてから見守ること一分。
焼きそばパンは未だ包みの中で、もうユキの目も潤みだしていた。
「えーっと…その、開けようか?」
恐る恐る私がそう訊くと、ユキは少し顔を赤らめて「…オネガイシマス」――と、か細い声でラップに包まれたそのパンを両手で私に差し出した。
そして(特に意味は無いが)私も同じようにそれを両手で受け取って、中の焼きそばが崩れぬよう持ち手の部分は残す形で包みを解いて、それを返した。
「クスン……ありがと」
ユキはどうにか涙を収めると、さっそく包みの開け口から頭を出した焼きそばパンを先端から一口齧る。
すると無意識なのかどうなのか、それを噛みしめる度に頬と目もとが若干緩んでくる。
私はそんなユキの様子に安堵して、自身も昼食にありつくべくユキと同じ机に置いた巾着袋から二段に別れたお弁当を取り出し、手を合わせた。
「いただきます」
私が取り出したのは洸星高校(ここ)の購買で特別に販売されている【無限のランチボックス(定価1800円)】だ。
しかしこれは当たり前のことだけど“無限の”というのは別に「いくらでも詰め込める無限のスペースを持った五次元ボックス」なんて、魔法めいた意味じゃない。
ようはお弁当の蓋の部分に好きなデザインを書き込める仕様になっていて、無限の可能性を秘めていることからそんな名前が付いたそうだ。
あいにく私はまだそこに手を加えたことがないため、今はただ無地の蓋でしかないのだが、いつかは自分だけのお弁当箱に仕上げたい、と私は考えていた。
――閑話休題。
洸星高校は最寄り駅の遠さから基本的に学生寮への入寮を推奨しているのだが、私は諸事情によりこの学校の生徒としては珍しい自宅通いをしている。
そのためお弁当などはお母さんに用意してもらう方が多いのだが、今取り出したこれは珍しく私手ずから用意したものだった。
上下に分けられたそれを左右に置いてそれぞれの蓋を開くと、まず目につくのは玉ねぎ、ピーマン、鶏肉をお米と炒め、最後にケチャップで味を付けたチキンライスで、これが正に赤く煌めくルビーのような存在感を主張する。
そしてここまでくれば自ずともう一つの予想はつくであろう。
左側がチキンライスとくればもう片方の右側はそう、云わずと知れた黄金色の一品だ。
つまり、何が言いたいかといえば…
「オムライスこそ至高ッ!!」
「いや、それはおかしい」
左手で握りこぶしを作りながら力説する私に、ユキは最もらしく返してくる。
「だいたい何でご飯のおかずが卵焼きだけなのよ、シホのお母さんってそんなに手抜きだったっけ?」
「ううん、今回は作ったの私だから。でも手を抜いたつもりは無いよ? バイト先で教わった看板レシピだもん」
と私は得意げに右側の厚焼き玉子から一口分お箸で切り取って、それをもう片側のチキンライスに崩して食べる。うん、おいしい。
「看板レシピってアンタ……シホのバイト先ってお蕎麦屋さんじゃなかった? 何で蕎麦屋が……って、それ言ったらカレーもそうか」
なぜ蕎麦屋にカレーがあるのか? これがわからない。
「シフトは今日も入ってるの?」
「うん、17時から」
「そう…」
「ユキは放課後どうするの?」
「そうだね…どうしようか。こんな手じゃ、部活にも行けないしね」
とユキはそこで自身の手に巻かれた包帯に目を向けると、何故か暗い笑みを湛えてそう言った。
私はそれを務めて気にしないようにしつつ、「それなら」と誘いの言葉を口にした。
「今日は、ユキもお店に来ない? オムライスぐらいならご馳走するよ」
私の言葉に「んー」、とユキは虚空を見つめてしばし黙考するも、
「ごめん。やっぱり蕎麦屋でオムライスって変な感じだし、今日のところは…」
「誘ってくれてありがとう」、と感謝を紡いだ。
それに対して私が「…そっか」と言葉を返した所で『ゴーン、ゴーン、ゴーン』、と窓の外から昼休み終了を告げるチャイムが聞こえてくる。
「さて、と。午後も頑張るかなー」
そしてユキはいつの間に食べ終えていたのか、そこぬけに明るい様子で身体を伸ばして自らの席へ戻っていった。
「(…ユキ)」
私はそのとき見た親友の背中がどうしても気になって身が入らず、気づけば午後の授業も終わっていて親友の姿も教室内には見当たらなかった。
「(――…明日、話せばいいよね)」
この後にバイトを控えていた私はそう考えて、自分も教室を後にした。
織田小雪(ユキ)が倒れたのを知ったのは、この翌日のことだった。
◆◆
「――すまん小雪くん、今なんと?」
学期末テストがもうすぐそこまで迫っていたこともあり、自身も教員側としてその準備を進めていた安西は、今しがた目の前の生徒から告げられた内容を最初は信じることが出来なかった。
それはそうだろう。何せ今安西の前に立つ女生徒――織田小雪は、先日自分が褒めたばかりの作品をあろうことか、紛失してしまったと言うのだ。
コンクールの締切は期末テストが終了した翌日であることを考えると、コンクールに出せるだけの作品を新たに作るにはあまりにも時間が足りなすぎる。
故に“聞き間違いであってほしい”という思いから聞き返したのだが、小雪の返答はそんな安西にとって無常なものだった。
「ですから、コンクールに出す作品は無くなりましたので私は辞退させていただきます」
「グッ…紛失場所に心当たりはないのかね?」
安西は怒鳴りたい気持ちを文字通り「グッ」と抑えた。きっと一番ツライのは無くした本人だろうからと。
「さあ、もしかして噂の怪盗団にでも盗まれたんじゃないですか?」
だというのに、この言動である。これは安西からすれば自身の気づかいが無駄にされたようなもので、当然良い気はしない。
それも、自分が目を付けていた作品に対して作者本人が無頓着(この調子)なのでは苛立つのも仕方のないことだった。
「…話はわかった。出ていきたまえ、私は忙しいんだ」
「…失礼しました」
小雪は不機嫌そうに背を向けた安西にそう言って、一度丁寧に会釈をしてから廊下へと退出した。
「はぁ」
そうして職員室を後にした私は、胸に手を当てて溜息をついていた。
「シホに、悪いことしたな」
私は歩き出す。
あの子(シホ)が私を気にかけてくれていたのには気づいていた。
けど、今の私にはそれがどうしても苦しくて…声をかけることすらしないまま、つい教室を出てしまったのだ。
「(明日、ちゃんと話してみようか…――いや)」
やっぱりダメだ、と私は自分の考えを正した。
「(話したら、私はきっと楽になる…――になってしまう)」
“ソンナノ私にあっちゃいけない”
「(――甘えるな。助けを求めるな。私(おまえ)はもう逃げたんだ…)」
“だったらこれ以上何かを望むなんてことしちゃいけない。そうでしょう?”
そんな風に思考へ没頭していると、いつの間にか私は校門の在るすぐそこまで歩いて来ていた。
「(…そうよ。私に助けを求める資格なんて、もう無いんだから)」
そう、思ってたのに……。
「なんで……」
居る筈のない人が、
『『“ゼンブ――オマエノセイダ”』』
そこに居た。
「小雪いいいいイイイイーーーーッッ!!!!!!!!」
ブツン、とまるでテレビのスイッチが切れるかのように。
私の意識は、そこで途切れた。
◆◆
「――“冥土(めいど)そば”?」
「違う、“冥土そば”ではない。“MEIDO蕎麦(メイド そば)”だ」
「は? どう違うんだよ、それ。てかどういう意味だよ」
「知らん。何せ俺も入ったことは無いからな」
「あんだよ?! 来たことあんじゃねーのかよお前!!」
「誰もそんなことは言っていないが? とにかく、真たちにこの座標を送るぞ」
もう既に日が沈む中、暁たち怪盗団の男子三名は祐介が自身の学校から近かったこともあり目をつけていたという蕎麦屋の前に集まっていた。
というのも、これから合流する同じ怪盗団の女子二人に暁たちによる洸星高校潜入の詳しい結果を何処かしらへ腰を落ち着けた状態で話したかったからなのだが…。
「こんなトコでまともなモンが食えんのかよ? 戸(この)向こうが全然想像出来ねえんだけど」
珍しくもっともな感想を口にする竜司に対し、祐介は――
「? それが良いんじゃないか」
と言いつつ、既に「M」、「E」、「I」、「D」、「O」、とそれぞれ一文字ずつ店名を入れられた暖簾に向けて、いつもの両手に窓を作るポーズで構図を取っていた。
「…暁(おまえ)はどう思う?」
竜司は半ば助けを求める意味で、同じように店の看板を見上げていた暁に尋ねた。――が、
『ユニーク』
「マジかよ、おい」
竜司はガクリ、と肩を落とす。味方は居なかった。
そして三人がしばらくその店の前で待っていると、先ほど祐介のスマホから現地の座標を送っておいた女子二人が降車駅に着いたと残り二人のスマホにも合わせて返信が入る。
それから更に5分待つと、遠目にだが連絡のあった女子二人の姿がようやく確認出来た。
――
「ごめんっ暁、待たせちゃった?」
先んじたのは一人目の女子、高巻杏(たかまき あん)だった。
暁が視界に移ってからは此処まで小走りで走ってきたため、両端に結ばれたツインテールがよく揺れて男子の目は自然とそこに引き付けられた。……約一名は別の所へ目が行っていたようだが、馬鹿は置いておく。
『いや、大丈夫』
「そっか! なら良かった。あ、二人もゴメンね」
「いやイイけど、なんかお前俺らの時と暁の扱い違わねーか?」
「え!? そ、そうかな~? 竜司の気のせいじゃなーい?」
しかしこの馬鹿(りゅうじ)、運は良いらしい。
当の杏がほぼ暁のことしか見えていなかったため、竜司の送っていた視線は気づかれていないようだった。
と二人がそんなやりとりをしている間にも二人目の女子――新島真(にいじま まこと)が、今回自分の代役を任せた祐介に話の先を向けていた。
「――それでどうしたの? 何かトラブルが遭ったって聞いたけど」
「ああ、実は――「ああーー!!↑ ああー!!↓ お、おお、俺ハラ減っちまったなー?!! あとは中で話そうぜーー!」
竜司はそれはもう判りやすく祐介の言葉を遮って、一人その“MEIDO蕎麦”に入って行ってしまった。
「ちょ、竜司ズルい!? 私もー!!」
すると、つい先程まで竜司と話していた杏も思わずそれに続かん、と暖簾をくぐって行く。
「あ…ごめんね、私ったら。確かにお腹空くわよね。あとのことは中で話しましょうか」
と真も店の向こうに消えていくと、残すは暁と祐介のみとなった。
「まったく、竜司の奴め。どうせもう逃げられんと言うのに…」
『はぁ』
祐介は「やれやれ」と肩を竦め、暁は溜息を吐きながら続いた。
「? お前たち、まだ座ってなかったのか。心配せずとも5人も居るなら座敷も選べると思うぞ」
祐介がそう声をかけるも、先に入っていた者たちは何故か全員固まっており聞こえていないようだった。
その事に暁も初めは首を傾げていたが、皆の視線を追った次の瞬間から我に返るまでの間は、そこで固定されてしまうこととなる。
「……よく分からんが、ここは俺も皆に合わせて固まった方が良いのだろうか? とすると、ポージングは――コレだな」
シュバッ! と祐介が荒ぶる鷹のようなポーズを決めた所で、ようやっと店員が暁たちの来店に気づいたらしい。
そして、その黒とベージュが入り混じったやや特殊なメイド服を猫耳型のウィッグと合わせて纏った店員は、小走りで暁たちの元までやってくると両手を顔の前まで持って行き――
「い、いらっしゃいませ!」
緊張からか目は殆ど閉じた状態で若干顔を赤らめながら震える声で、雇い主である店長(オーナー)に教えられた挨拶を始めた。
「ど、どうかワタシのことは……シホにゃんとぉ、お―― 『『『鈴井/志帆/鈴井さん/!?』』』 へ?」
「……む? 君は、確か」
こうして、いまいち状況を飲み込めていない一同は、それぞれの再会を果たしたのだった。
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