ようこそ無聊を砕く教室へ (虚夢象限)
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入学

 人は平等であるか否か。

 くだらない命題だ。しかし俺なりに敢えて答えるとすれば、この問いが生じた瞬間にのみ不平等は存在できるということ。

 俺にとってこの命題は、チンパンジーと人間は平等であるか否かという問いと大差ない。大事なのは差という概念を認め、受け入れること。あるいは等しく無価値であると切り捨てること。

 そして同時にこうも思うのだ。平等でありたいと願い、訴えるのは、いつだって弱者だけであると。

 

 本当にくだらない。

 

 

♦︎♢♦︎

 

 

 満員のバス。座席にどっしりと構えた金髪の男に、OLが喚き立てる。

「席を譲ってあげようって思わないの?」

 全く意に介さず鏡を見続ける男に憤り、彼女は続ける。

「そこの君、おばあさんが困ってるのが見えないの?」

「実にクレイジーな質問だね、レディー」

 そう言って足を組み直し、ニヤリと笑って続ける。

「何故この私が、老婆に席を譲らなければならないんだい?」

「君が座っているのは優先席よ。お年寄りに譲るのは当然でしょう?」

 そうなのだ。この男が座っているのは優先席。普通の感性の人間であれば席を譲るだろう。

 それと同時に、電車の女性専用車両のことなどを思い浮かべて、柄にもなく平等について考えたりするものだ。

「理解できないねぇ。優先席は優先席であって、法的な義務は存在しない。この場を動くかどうか、それは今現在この席を有している私が判断することなのだよ。若者だから席を譲る? ははは、実にナンセンスな考え方だ。チップを弾んでくれるとでも言うのなら考えないでもないのだがねぇ」

「そ、それが目上の人に対する態度?」

 案の定、激昂した彼女を視界の片隅に追いやり俺は考える。

 おそらく大多数の人は金髪の彼が悪いと思うのだろうが、彼は自身の持つ権利を行使しただけに過ぎない。その権利を自ら放棄しておいて不平等を嘆く凡夫よりよほど道理がわかっていてむしろ好感を覚えるくらいだ。

 しかし、残念だ。正直期待外れと言わざるを得ない。わざわざこんな愚鈍な女に構って口論を続けるのは......

 「見苦しいな......」

 思わず口から漏れてしまった落胆の言。

 ゲンナリしつつも視線を戻すと、言い争いは新局面を迎えていた。

「あの......私も、お姉さんの言う通りだと思うな。おばあさん、さっきからずっと辛そうにしてるみたいなの。席を譲ってあげてもらえないかな? 社会貢献にもなると思うの」

 金髪の男や俺と同じ高校の制服を着た少女が勇気を出して話しかけた。

「今度はプリティーガールか。生憎と私は社会貢献には興味がないんだ。それにお年寄りを大切に思う心に、優先席かそうでないかなど些細な問題でしかないと思うのだがね」

 そう言って彼はこちら側を一瞥した。続いて決意に満ちた顔の少女がこちらに向き直る。

 うん、嫌な予感しかしないな。

「どなたかおばあさんに席を譲ってあげて貰えないでしょうか? 誰でもいいんです、お願いします」

 ほら、思った通り。今の一言でバス内に緊張が走った。皆見て見ぬ振りをし始めている。わかりやすいなお前ら。

 しかし俺も他人事ではいられない。俺は今優先席ではないが老婆から最も近い席に座っている。

 ......鬱陶しく絡まれるのはごめんだな。寝るか。

 

 

♦︎♢♦︎

 

 

 高度育成高等学校入学式。欠席者1名、1-D倉崎智紀。

 

 あの後ぐっすり眠って寝過ごしてしまい、学校に着いた頃には既に入学式もホームルームも終了していた。

 今は学生証端末を受け取りに職員室に来ている。

「入学早々寝坊とはいいご身分だな、倉崎」

 1-D担任の茶柱に揶揄されるが構わず話を続ける。

「今日はいい天気ですからね、呑気にのどかな春を満喫したくなったんですよ」

「本当に面白い生徒だな、お前は。入試で全科目白紙、面接でも一言も発さなかった生徒は長い歴史の中でもお前が初めてだろう」

「緊張で頭が真っ白になっただけですよ、それより必要なものを受け取って早く帰りたいんですがね」

「まあいいだろう」

 そう言って簡単な説明とともに学生証端末とプリントを受け取り、俺は寮の自室へと歩を進める。

 Sシステムか......

 

「この学校、案外退屈しなさそうだな......ククク」

 

 

♦︎♢♦︎

 

 

氏名   倉崎 智紀(くらさき ともき)

クラス  1年D組

誕生日  12月28日

 

評価

学力   E-

知性   E-

判断力  E-

身体能力 E-

協調性  E-

 

【面接官からのコメント】

 面接においては終始一言も発することがなかった。本校の入試のシステムを理解した上での行動であるのなら末恐ろしいことであるが、判断材料に乏しいためDクラス配属とする。



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授業初日

 翌日、教室に着いた俺は辺りを見回す。どうやら昨日のうちにクラスメイトたちは打ち解け、既に人間関係が構築されつつあるようだ。

 しかしこの学校に来た目的は自分に匹敵する人間と友誼を深めることであるため、特に気にせず席に着く。

 全員を視界に収め俺が目をつけたのは、窓際最後列のぼんやりとした雰囲気の男だ。あの掴み所のなさは驚嘆に値する。それからバス内で言い争いをしていた優先席君。この二人以外にはもはや興味すら抱けない。

 見所のない生徒が多いことに軽い失望を抱きながらも、それを一片たりとも態度には出さず授業の始まりを待つ。

 正直に言えば、授業で得られるものなど何一つないだろう。既知を長々と聞かされ辟易とするのは目に見えている。それでも今日、出席したのは己の目的が半分。それから監視カメラの位置の把握とSシステムの理解のためだ。俺の予想では、今日中に明日以降出席すべきか否か見定めることができるはずだが......

 おや? 優先席君に絡んでいた茶髪の女がこちらに向かって来ている。昨日の件もあるし軽く確かめてみるとしよう。

「あの......昨日休んでたよね? 私は櫛田桔梗と言います。ここにいるみんなと友達になりたいんだ。よかったら君も名前教えてくれないかな?」

「倉崎智紀だ。鬱陶しく絡んで来ないのであれば邪険にはしない」

「うん、わかった。連絡先は交換してくれるかな?」

「ああ、構わない。そうだ、窓際最後列の彼と金髪の彼の名前を知っているか?」

「綾小路君と高円寺君だね。彼らがどうかしたの?」

「いや、少し気になってな」

「そっか。あっ、連絡先ありがとう。これからよろしくね」

 そう言って笑顔で連絡先を交換した後、彼女は自分の席へ戻って行った。

 しかしあれは......距離の詰め方がなかなかに上手い。不愉快の二歩手前をしっかりと見極めて立ち入らないようにしている。それに俺の一言に対しても表情が一切崩れなかったことを鑑みるに......

「真っ黒だな」

 聞こえない程度の小さな声でボソリと漏らす。

 すると綾小路の隣の黒髪の女が凍りついたようにこちらを見つめていた。

 もしかすると聞かれたのかもしれない。飛んだ地獄耳だ。あまり迂闊な発言は今後慎むことにしよう......

 

 

♦︎♢♦︎

 

 

 昼休み、俺は学食に来ていた。

 午前授業を終えた時点で俺は確信した。授業態度を評価されていると。

 特定の教員が注意を促さないだけならば、放任主義の可能性もある。しかし複数の教員が全く同じ姿勢を示していた。このことから、不真面目を容認しているのはこの学校の教育方針であることがわかる。

 更に、彼らは揃って、私語や居眠りなどをした生徒をその都度”見ていた”。これは放置するだけならば必要のない措置だ。教室後方に仕掛けられている監視カメラのことと合わせれば、生徒は授業態度を監視され、評価されていると考えられる。

 そして今、この場所に来てわかったことだが、無料の山菜定食を食べている先輩が不自然なほどに多い。よって、もらえるポイントは学校側の評価によって変動していることが推察される。試しに数人に話しかけてみたが、彼らは揃いも揃ってDクラス。評価はクラス単位でなされていることがほぼ確定した。

 もしかしたらクラス分けも作為的なものがあるかもしれない。

 ......それにしても、この山菜定食、絶妙な不味さだ。食べられないほど不味くはないが進んで食べたいとも思えない。かといって毎日食べるとしてもそこまでストレスを感じることはない。そんな不味さ。

 食事を続けながら今後について考えを巡らす。Dクラスの現状、そしてクラス単位の評価であることを考えれば、もはや授業に出席する必要などない。貰えるポイントが減ったことに彼らが気づくのはおそらく五月一日。それまでは欠席しても問題ないだろう。もしクラス全体でポイント減少の阻止に動いたのならば櫛田から連絡が来るはずだ。その時は出席することにすればいい。

 はぁ、入試で手を抜いたのは失敗だったかもしれないな。他クラスの英傑と仲良くなれればいいんだが。どうしたものか......

 



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閑話「倉崎智紀の独白」& おまけ

壮絶な過去はないため、もしかしたら期待外れだと思う方もいるかもしれません。


 思えば、小さい頃から好奇心旺盛だった。

 日常の些細な疑問も放置しておくことができない、そんな潔癖症にも似た知識欲。どれだけの時間がかかろうとも、納得のいくまで徹底的に調べ上げたものだ。

 そして俺は、ただの一度も躓くことはなかった。

 俺は難しいと感じる心を持たない。理解するために必要な前提知識がなんなのか把握し、遡って理解していくだけ。ただ純粋な探究心だけが俺を突き動かした。

 座学では問題を解く道筋が勝手に頭に浮かび上がってきたし、運動では最も効率的なフォーム、鍛え方、戦略に至るまで自然に導き出せた。

 気付いた時には、俺は全てにおいて常人を遥かに凌ぐ実力を備えていた。

 

 必然、俺は周囲から浮いた存在となった。

 人は多かれ少なかれ、似た者同士で連む。特に精神が成熟しきっていない幼少期、それも閉鎖的な環境である小中学校では、際立ってこの傾向が見られる。

 幼さ故の野生的なヒエラルキーが瞬く間に形成され、同じ立ち位置の人間同士で仲良くなる。

 では俺の場合はどうか?

 いじめられることはなかった。誰とでも表面上仲良くすることはできた。だが、どのグループにも馴染むことはなかった。

 皆、住む世界が違うような異質さを感じ取っていたのだろう。

 真綿で首を絞められるような歯がゆさと共に、徐々に距離は開いていった。

 頂点は手の届く範囲で君臨していなければならないのだ。逸脱した頂点は切り離され、新たな頂点が現れる。

 俺はあらゆるヒエラルキーから締め出されていった。

 

 社会からじわりじわりと隔離されていく日々。

 遣る瀬無さも薄れていき、いつしか俺は”同じ世界の住人”を渇望するようになった。

 傲慢だとは思わない。凡人には凡人なりの価値があることは認めているし、こちらから一方的に突き放すつもりもない。

 ただ俺は、そう......

 

 俺に匹敵する異質な人間とならば、心から笑い合うことができるのではないか。

 

 そんな淡い期待を抱いただけだ。

 距離を置かれるのは、ひどく寂しいものだから。

 

 

♦︎♢♦︎

 

(中学時代おまけ)

 

 俺は今日も体育を見学する。

 実力を隠すつもりは毛頭ない。既に皆に知られていることなのだから。

 では何故体調不良でもないのに見学をしているのか?

 それは俺が参加すると授業が崩壊するからだ。

 

 入学当初はもちろん参加していた。体力測定ではアスリート顔負けの結果を叩き出し、サッカーやバスケなどチームプレーにおいても、俺の入ったチームは例外なく勝利した。

 ワンマンプレーをした訳ではない。寧ろ俺がボールを触っている時間は少ない方だ。そればかりか、他のメンバーをどれだけ弱い人材で構成しようと、やはり勝利した。だからこそ、俺は異質であり恐怖された。

 結果、一学期が終わらないうちに、チーム分けが決まった時点で諦める人間が続出した。

 無理もないことだ。結果が見えていることをわざわざ行う意味など、平凡な中学生に考えつくはずもない。

 俺は体育の授業の意義を喪失させてしまったのだ。

 それから俺は一度も体育に参加していない。

 

 バレーボールに興じるクラスメイトを遠目に見ながら、思考を切り替える。

 お題は、担任に勧められた高度育成高等学校のことについて。

 もともと、高校は家から一番近いところに進学するつもりだった。どんな学校に行こうとも、今更教えてもらうことなど何もない。違うのは生徒の学力だけだが、秀才程度の人間ならば、底辺と大差ないため魅力はない。

 諦観とともに選んだ進路だったが、昨日紹介された学校は、それを変えるに値するだけの特徴を持っていた。

 外部から隔離された環境で、徹底的な実力主義。どうやら学力や内申書だけでは合否を判断していないようで、過去には不良生徒が受かった事例もあるらしい。

 担任がしつこいほど推してきたため、少し探りを入れてみたが、何か裏がありそうだった。

 そこで、同じクラスにこの学校を志望している生徒がいたため、色々と聞いてみた。彼はこの学年では二番目の学力を持つ秀才だ。偏差値は75を超えているし、進路は思いのままのはずだ。にもかかわらず、彼はやんわりと諦めるように言われているという。学力だけで判断されないとはいえ、これは一体どういうことなのか。

 

 もしかしたら、今の段階で既に合否が確定しているのではないか?

 そんな馬鹿げた仮説が浮かび上がる。

 何れにせよ、面白い......

 この学校ならば、同じ”異質”な存在と出会えるのではないか?

 そんな予感がする。




倉崎について

高円寺に比べれば他者に対して関心を持っているし、堀北と違ってその価値も認めています。かといって綾小路のように他者を駒として見ている訳でもありません。
実力は綾小路に匹敵しますが、特に隠したりはしません。
クラス間の争いには高円寺と同じく興味がありませんが、進んでクラスの和を乱すようなことはしません。
嫌いなことは面倒事、鬱陶しい事、見苦しい事。
また、”友人”の頼み以外で彼を動かすのは難しいです。


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0ポイント

 五月一日。

 今日は俺の記念すべき3回目の登校日。授業初日以来だ。

 授業初日にSシステムについてある程度の理解を得た俺は、今日まで学校を欠席することに決めた。

 別に俺は、何か意図があって欠席していたわけではない。必要がないから行かなかったというだけのことだ。クラス内での立ち位置は悪くなるが、俺の目的の障害にはならないと判断した。それに異質な存在は、時が経つにつれ自然と浮かび上がってくるはずだからな......

 とはいえ、折角の空いた時間を無為に過ごしていたわけではない。最新の学術成果に対する考察に耽ってもいたが、最低限の情報収集は怠らなかった。

 実際、敷地内全域の監視カメラの位置の把握も済んでいる。

 争いごとに積極的に関与するつもりは、もちろんない。だが、この学校のシステムを考えれば、面倒に巻き込まれる可能性は極めて高い。

 しかも残念なことに、異常な数の監視カメラが仕掛けられているにもかかわらず、不自然なほど死角が存在していた。つまりは暴力的な手段もある程度は容認されているということ。

 本当は保身に走らずとも、面倒を叩き潰すことは容易だ。しかし俺は、非生産的な足の引っ張り合いを進んで行う気はない。他者を出し抜き蹴落とすことよりも、研鑽を積むことに時間を費やすほうが、社会全体の発展につながるのは間違い無いのだから。

 この学校は実力についてどのように捉えているのだろうか?

 どのような人材の育成を目指しているのだろうか?

 ......わからないな。

 

 今は考えるだけ無駄だと悟った俺は、喧騒に包まれた教室に足を踏み入れる。

 教室内は、ある一つの話題で持ちきりだった。

「倉崎くん久しぶりっ」

「ああ、久しぶりだな」

 櫛田が話しかけてきたので適当に返答をする。彼女は俺と唯一話したことのあるクラスメイトだ。今日の話題はもちろん、クラスを賑わせていることと同一と見ていいだろう。

「倉崎くんはポイント振り込まれてた?」

 そう、俺たちDクラスはポイントが全く振り込まれていなかった。いや、それは語弊がある。正確には......

「ああ、0ポイント振り込まれていたな」

「え? それって何か違いあるのかな?」

 彼女含めクラスメイトの大半が、ことここに至ってなお、自分たちの状況が理解できていないようだった。

 正直に言えば俺も、0ポイントの可能性は半々だと思っていた。減点はクラス順位による一定量である可能性、もしくは5万ポイントまでといった下限を設けた変量である可能性を考えていた。

 しかし下限が0とは、容赦のないことをするものだ......

「わからないのなら気にするな。先生から説明もあるだろうしな」

「そっか、やっぱり先生に聞くのが一番だよね」

「ああ、ありがたいお話が聞けるだろうな」

「ところで今日はどうして学校に来たの? やっぱりポイントのことが聞きたかったのかな?」

 不思議そうに首を傾げた櫛田。

 狙ってやっているのだろうか? すごく可愛い。計算され尽くした完璧な角度だ。

 しかし悪いな櫛田。俺はこの程度で取り乱したりはしない。

「いや、今日からは出席しないと恨まれてしまうからな。俺は事を荒立てるつもりはないんだ」

「そっか、じゃあこれからは毎日来るってこと?」

「ああ、改めてこれからよろしくな」

「うん、よろしくっ」

 

 俺たちの会話が終わるのを見計らったかのようなタイミングでチャイムが鳴り、続いて険しい表情をした茶柱先生がポスターを片手にやってくる。

「せんせー、ひょっとして生理でも止まりましたー?」

「これより朝のホームルームを始める。が、その前に何か質問はあるか? 気になることがあるなら今聞いておいた方がいいぞ?」

 バカのあまりにもあんまりな発言を無視して、茶柱先生は生徒に質問を促した。

「あの、ポイントが振り込まれてないんですけど、毎月一日に振り込まれるんじゃなかったんですか?」

「本堂、前に説明しただろ、その通りだ。今月も問題なく振り込まれたことは確認されている」

「え、でも......振り込まれてなかったよな?」

 ガヤガヤと騒ぎ出す生徒たちに、鋭利な言葉の刃が突きつけられる。

「......お前らは本当に愚かな生徒たちだな」

「愚か? っすか?」

「ポイントは振り込まれた。このクラスだけ忘れられたなどという幻想はない」

「ははは、理解できたよティーチャー。このクラスの支給額は0ということだね」

 高円寺が傲慢な態度で核心を突く。

「態度に問題はあるが、高円寺の言う通りだ。自分で気づいた生徒が数人とは、嘆かわしいことだ」

 

 その後再び騒然とした教室内で、茶柱先生は質問に答えるとと同時に、この学校のシステムを淡々と説明した。

 話を度々遮る鬱陶しい生徒がいたため、半分眠りながら聞いていたが、俺の予想と変わらなかった。

「さて、もう一つお前たちに伝えなければならない残念な知らせがある」

 絶望に支配された静寂の中、黒板に張り出された1枚の紙。

「先日やった小テストの結果だ。揃いも揃って粒ぞろいで、先生は嬉しいぞ」

 一部の上位を除いて、ほとんどの生徒は60点前後。欠席した俺を除けば、最低点は14点。高円寺は同率首位の90点、綾小路は50点だった。

 俺は訝しむ。あの綾小路が平凡な生徒であるはずがない。現に今も、この事態に全く動揺しているようには見えない。勉強に興味がないだけなのかそれとも手を抜いたのか......

「良かったな、これが本番だったら8人は退学になっていたところだ」

 付け加えられた一言に、Dクラスはもはや暴動寸前の有様となっていた。

 更に追い討ちをかけるかのように、クラスポイントがクラスのランクに反映され、卒業時にAクラスだけが恩恵を受けられるという新情報が発覚する。

 お小遣いを増やすために争うのだと思っていたが、そんなことはなかったようだ。俺は進学も就職も全く困らない。そのため、学校の恩恵を受けるなどという発想はすっかり抜け落ちていた。

 というかこいつら、それ目当てで入学した奴ばかりなのか? どれだけの研鑽を積み、自らの価値を高められるか。それが重要なんじゃないのか? 学校による進路の支援などおまけに過ぎないだろうに。

 不純な動機で入学した自分を棚に上げて、そんなことを思う。

 いつの間にか始まったガリ勉キャラと高円寺の口論を最後に、俺の意識は闇に落ちた。

 




次回は綾小路と共に呼び出されるのか、はたまたクラス会議でリンチされるのか。
実はまだ決めてません。
来週から授業とレポートで忙しくなるため、更新は遅くなります。


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クラス会議

 放課後。俺が目を覚ますと、クラスのリーダーっぽい男が教壇に立ち、黒板を使って会議の準備らしきことをしていた。驚くべきことに、クラスのほぼ全員が集まっている。

 どうやら俺はあの後熟睡してしまったらしい。皆が事実と直面してしまった以上、あまり不用意な行動をとると針の筵になってしまう。これからは気をつけなければ......

「おはよう、倉崎くん」

 櫛田が、グループを抜け出して声をかけて来た。

「ああ、おはよう櫛田。ところで、あれはクラスの方針を決める会議か何かか?」

「うんっ。倉崎くんにも参加して欲しいんだけど、時間あるかな?」

「俺が入っていったらリンチに遭いそうなんだけどな」

「自業自得じゃないかな?」

「おい......」

 笑顔で正論を宣う櫛田に、返す言葉もない。今みたいな言動は絶対にしないと思っていたんだが、どうやら違ったらしい。

 八方美人を装っているが、本当は攻撃的な性格なのかもしれない。上辺には全く魅力を感じないが、素の彼女に罵られたら新たな扉を開いてしまいそうだ。

「あはは、ごめんごめん。ちゃんとフォローするから安心してっ」

「それならありがたく参加させてもらおう。流石にクラスメイトの名前くらいは覚えておきたいしな」

 フォローすると言った櫛田に甘えて、参加することを決意する。実際、この機会を逃したら完全にクラスで孤立してしまう。将来の面倒を最小化するためにも、ここで免罪符を得たいところだ。

 とは言え面倒なことに変わりはないな......

『1年Dクラスの綾小路くん。担任の茶柱先生がお呼びです。職員室まで来てください』

 心の中で愚痴をこぼしていると、それを遮るかのように校内放送が鳴り響く。

「あいつ何かしたのか?」

「うーん、どうなんだろう......」

「あの先生、生徒指導とかするようなタイプには見えないけどな」

 俺たちクラスメイトの注目を集めた綾小路は、逃げるように教室を後にする。

「実は先生もAクラスに上がりたいと思ってたり?」

「どうしてそう思ったんだ?」

「なんとなく、かな。これでも私、人を見る目はあると思うんだ」

「確かにあり得る話ではある。生徒が実力で評価されるのなら、先生もまたそうであるはずだ」

「だよねっ。だけど茶柱先生はどうして私たちに冷たいのかな?」

「さあな。何か意図があるはずだが......」

 生徒を奮起させるためにしては、今日の朝の言動はやり過ぎな気がする。だがあの綾小路を呼び出したとなれば、何か企んでいるのは間違い無いだろう。

 ともあれ、現時点では情報不足と言わざるを得ないか。

 

「みんな、そろそろ対策会議を始めたいと思う」

 リーダー君が堂々と会議の開始を宣言する。

「まず初めに、このまま0ポイントのままでいいのか、みんなの意思を統一しておきたい」

「ポイントないとか、そんなの絶対嫌!」

 ギャルっぽい女の喚き声に同調して、主に女子生徒が姦しく騒ぎ立てる。

「そうだね、これについて反対意見のある人はいるかな?」

 リーダー君がゆっくりと全員を見回す。誰も反対する素振りは見せなかった。

「無いみたいだね。Aクラスを目指すのかどうかは意見が分かれるところだと思う。だけど今最も重要なことは、この状況を脱することにあると思うんだ。ポイントを貰えないままじゃ、上のクラスに上がることも真剣には考えられないんじゃないかな」

「あたしもさんせー」

「さっすが平田くん、やっぱり頼りになるね」

 リーダー君の名前は平田というらしい。女子からはほとんど盲目的な信頼を受けているようで、彼を囃す声が多い。

 イケメンでリーダーシップもあり、会話の組み立て方からもそれなりに優秀であることが伺える。これで惚れない方が難しいのかもしれない。

「来月ポイントを獲得するためには、クラス全体で協力しなきゃならない。まず思いつくのは、遅刻や授業中の私語はやめるよう互いに注意すること。それからもちろん、携帯を触るのも禁止だね」

「ポイントのためだもんね、あたしたちも我慢しなきゃだよね」

 なんとも無難な対策だが、これが必須なのは確かだ。その上でどのようにプラスを増やしていくのかを議論するのがこの場で必要なことだが......

「遅刻といえば、須藤くんってほんと最悪だよね。一番遅刻多いのあいつじゃん。須藤くんがいなかったら少しくらいポイント残ってたんじゃない?」

「だよね......もう最悪。なんであんなのと同じクラスに......」

 やはりこうなるか。

 俺を差し置いて袋叩きにされる須藤という男には同情を禁じ得ない。こいつら責任転嫁だけは一人前のようだ。

「そういえばアンタって今まで学校来てた? 初めて見たんだけど」

「あっ、そういえばそうだね」

「一回だけ見たことある気がするけど」

 スケープゴートを哀れんでいたら、いつの間にか俺が標的になっていた。

「初めまして、倉崎智紀だ。今まで体調不良が酷くてな。今日が3回目の登校日だ」

 こういう時は堂々とするに限る。少しでもオドオドした素振りを見せたら、明日からいじめられっ子にクラスチェンジだからな。

 それに櫛田も援護射撃してくれるはずだ。

「もしかしてアンタが一番の戦犯なんじゃないの?」

「体調不良って絶対仮病だよね」

「マジありえないんだけど」

 思った以上の集中砲火だな。自重する気が失せてきたがどうするか......

「いや、こんなことになるなんて思いもしなかったんだ」

 まあ、ここで本当のことを言うのはリスクが高すぎるからな。

「全然反省してるように見えないんだけど?」

「どう反省すればいいのかさっぱりわからないな。体調不良だし」

「アンタねぇ!」

 櫛田を待つ間、適当に遇らう俺。女子って怖い。

「ていうか一ヶ月も休んでたとかズルくない?」

「でも一ヶ月も独りで何してたんだろ? ちょっとウケる」

 あれ? ちゃんと救いの手差し伸べてくれるよな? おーい?

 俺は少し不安になり櫛田を凝視する。

「みんな聞いて。これはクラス全体の問題だと思うの。全員に少なからず落ち度はあったんじゃないかな? 倉崎くんだけを責めるのは良くないよ」

「櫛田さんの言う通りだと思う。誰が悪かった訳でもない、これはクラス全員の問題だよ。だからこそ、全員で改善していかなければならない。もちろん倉崎くんも協力してくれるよね?」

「ああ。ポイントがあって困ることはないからな」

 救いはここにあった。しかし結構追い詰められてたぞ俺。

 もしあのまま責められ続けていたら、鬱陶しさのあまり会議を滅茶苦茶にするところだった。ギリギリまで静観する櫛田ちゃんホント悪魔。それに引き換え平田のなんと天使たるや......

「ありがとう倉崎くん。それで、他に何か意見のある人はいるかな?」

 平田が上手くまとめてくれたことで、この場は平静を取り戻した。だが、誰からもポイントをプラスにする案は出てこない。

 どうやらDクラスは、騒ぐ囃す嬲るしか能のない烏合の衆だったようだ。って、意見を出さなかった俺が言えたことじゃないか。

 俺をサンドバッグにしようとしなければ、案の一つや二つは出しても良かったんだがな......

「それじゃあ今日はもうお開きにしようか。一旦頭を冷やす時間も必要だろうしね。明日から頑張っていこう!」

 




ひよりと有栖が登場するまで結構かかりそうです。
話し相手が櫛なんとかさんしかいないせいで彼女出番多すぎますね。
まあ原作での扱いがアレだから多少はね......


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勉強会の誘い

 あれから早くも一週間が経とうとしていた週末。ほとんどの生徒は黙って授業を受けていた。唯一須藤だけは堂々と居眠りしていたが、ポイントをプラスに転じる手段が明らかでないため、誰にも咎められることはなかった。

 一方、戦犯候補筆頭だった俺は一転して、真面目に授業を受けていた。そのため、クラス内で俺の評価はそこまで低くない。今ではクラス全員の名前も覚え、普通に会話することもできる。特別仲の良い生徒は存在しないが、概ね良好な人間関係を築けたと言っていいだろう。

 本当に須藤には感謝してもし足りないな......

 こんなことを考えているのも、全ては眠気を誤魔化すためだ。俺の力を以ってすれば、目を開けたまま眠ることなど容易い。だがそれをしてしまうと、ある重大な問題が発生する。

 自慢じゃないが俺の眠りはとても深く、そして長い。たとえ昼寝であろうとも、一度眠ってしまったら数時間は絶対に起きない。

 そんな俺が、目を開けたまま居眠りをするとどうなるか? 

 答えは簡単、放課後まで微動だにしない不気味な人形の出来上がりである。

「たうわ?!」

 っと、綾小路の奇声で大分目が覚めた。

「どうした綾小路」

「すみません茶柱先生。ちょっと目にゴミが入りまして......」

 あいつ何してるんだ? 俺たちはポイントに敏感なお年頃なんだぞ?

 そんな俺の疑問は、堀北が手に持つコンパスを見て即座に解消された。

 ......マジかよあの女ありえないだろ。コンパスで隣人を突き刺すとか絶対頭おかしい。

 できることならば、全く関わらず卒業を迎えたい。切実に。

 

 授業が終わるなり、堀北に詰め寄る綾小路。まるで夫婦漫才のような口論を眺めていると、我らがリーダー、平田の声が聞こえた。

「中間テストが近づいてる。赤点を取れば、即退学だという話は、全員理解していると思う。そこで、参加者を募って勉強会を開こうと思うんだ」

 うーむ、なんという尊さだろうか。彼はDクラスのメシアに違いない。

「もし勉強を疎かにして、赤点を取ったら即退学。それだけは避けたいんだ。それに、高得点を取れればポイントのプラスにも繋がるはずだよ。テストの点数が良かった上位数人で、テスト対策に向けて用意をしてみたんだ。だから、不安のある人は僕たちの勉強会に参加してほしい。もちろん誰でも歓迎するよ」

 平田は須藤を見つめ、優しく話しかけた。

「......ちっ」

 やはりと言っていいのか、平田の好意を無にする須藤。

 お前ほんとブレないよな。そんなにクラスでハブられたいのか?

「今日の5時からこの教室でテストまでの間、毎日2時間やるつもりだ。参加したいと思ったら、いつでも来てほしい。もちろん、途中で抜けても構わない。僕からは以上だ」

 そう言って話を終えた途端、数人の赤点生徒がすぐに席を立ち、平田の下へ向かう。

 赤点組の残りは須藤、池、山内、そして俺の4人。

 俺以外の3人は平田が気に入らないという理由だろうが、俺は違う。そもそも俺は、小テストを受けていれば十中八九満点を取っていた。そのため他人事のように考えていたら、見事に出遅れてしまったというだけのこと。

 まあ、俺以外にも参加しない奴がいるなら問題ない。どうせヘイトは須藤に集中するはずだ。

 はっ! まさかとは思うが、俺たちのために罪を背負っている訳じゃないよな? お前はキリストなのか?

 いや、ないか。

 

「倉崎、ちょっといいか?」

 昼食を食べ終え教室に戻って来た俺に、綾小路が話しかけて来る。

 話をしてみたいとは常々思っていたが、なかなか接点がなかったためこれが初めての機会だ。

「今度の中間テスト、どうするつもりなんだ」

「特に何も。俺は学力に不安はないんだ」

「そうなのか。でも四月中ほとんど授業受けてなかっただろ? それが心配でな」

「50点のお前に心配されてもな......」

 少し探りを入れてみる。

「そうだな、正直俺も自信がない。それで、良かったら一緒に勉強会をしないか?」

 全く動じる気配はない、か。だが話はなんとなく見えた。

「なるほど。平田の勉強会に参加しない赤点組を集めるつもりだな?」

 綾小路はわざわざこんなことをするタイプではない。事を荒立てないように、目立たないようにしているイメージだ。

 にもかかわらず、話したこともない俺を誘うということは......

「ああ。ちなみに勉強を教えるのは堀北だ」

「やはりか。すまんが俺はパスだ。バカトリオは見苦しいし、何よりあのコンパス女には近寄りたくない」

「見てたのか......」

「いきなり奇声あげてたからな。全く、お前も大変だな」

 つまりはそういうこと。不幸にも小間使いにされてしまったようだ。

「それにあの女が教師役じゃ誰も集まらないだろ」

「そうだよなぁ......」

「......まあ、頑張れ。もしお前の身が危うくなったら参加してやるよ」

「助かる。その時は頼んだ」

「「はぁ......」」

 不覚にも溜息が同調してしまった。

「これ、連絡先だ。何かあったら連絡してくれ」

 連絡先を交換した後、バカトリオの説得に向かう綾小路。

 結果、案の定玉砕していた。......お前の勇姿は忘れない。

 

 

♦︎♢♦︎

 

 

 夜中、俺は総額50万ポイントに届くハイスペックPCで作業をしていた。

 Dクラスに今まで振り込まれた総額は10万ポイント。到底買えるわけがない。

 だが、俺はこれまで何人かの上級生と接触し、ポイントが税金などと無縁であること、法外な契約すら認められていることは確認済みだった。

 そこで昨日、競技プログラミング界で名を馳せた2年の先輩に話しかけたのだ。

「俺の手持ちの10万ポイントと、先輩のそのPC、賭けて競プロで勝負しませんか」と。

 その時彼が手にしていたのは20万台のノートPC。当然このような不相応な賭けに乗ってくるはずもなく、最初はすげなく断られた。だがそんなことは想定内。俺は先輩のプライドを刺激することにした。

「先輩のことはよく知ってますよ。コンテストで一度も優勝できない、惨めな”万年次席”さん?」

 彼の実力は最高峰と言ってもいい次元にある。だというのに、なぜか毎度二番手に甘んじてしまう。それこそが彼の有名たる所以だった。

「......いいだろう、勝負を受けてやる。だがその言葉を口にした以上、こんな端金では終わらせないぞ? 徹底的に叩き潰してやる」

 おそらく逆鱗に触れたのだろう。挑発に乗った先輩は、自ら賭け金を釣り上げた。

「俺が負けたら、これに加えて俺の部屋にあるデスクトップPCもお前にやろう。総額70万以上はするはずだ。その代わりお前が負けたら、手持ちの10万に加えて、今後お前が取得したポイントの8割を渡してもらう」

 一気に馬鹿げた規模の勝負になったが、俺としては好都合。一切動揺することなく受け入れ、そして勝利した。

「なんかすみません......」

「......いや、いいんだ。完敗だ、持っていけ......」

 小細工の一切無い、完全な地力の差。現実はいつだって非情なのだ。

 俺は争いごとを進んでする気は無い。パソコンが持ち込み可、あるいはリアルマネーが使用可であったなら、自前で揃えただろう。

 それに、本当はポイントで買えるようになるまで我慢するつもりだった。一ヶ月で限界を迎えてしまったのは完全に想定外である。

 ......俺は悪くない、というかこんなルールを設けている学校が悪い。いや、これは現実逃避か。

「ありがとうございます。お詫びと言ってはなんですが、何か困ったことがあったら力を貸しますよ」

「......ああ、覚えておこう」

 

 そんな心温まるエピソードの戦利品が、このPCというわけだ。

 主用途は研究。そのため、演算能力の高さは必須だった。それから......

 一人ぼんやりと思考の渦の只中にいた俺は、通知音で現実に復帰する。

『夜遅くにすまない。勉強会の件だが、堀北が言っても聞かなくてな。学力を測るためにも、初回だけは参加してくれないか?』

 綾小路からのメッセージだった。どうやら俺は堀北に、考えなしに学校をサボる低脳だと思われているらしい。

 全く困ったものだ。コンパスちゃんにはできれば近寄りたくなかったんだが......

「これもまた自業自得、か」

 ......仕方ない。ここで過去のツケは清算するとしよう。

『わかった。いつからだ?』

『ちょっと揉めててな。早ければ明日の放課後からだ』

『バカトリオか。櫛田に協力してもらえば良いだろ?』

『そのおかげというか、そのせいというか、そんな感じだ』

『なるほどな。お前いい加減あの女の孤独思考矯正してやれよ』

 以前から、綾小路と堀北の関係には少し興味があった。この機会を逃す手はない。

『俺にできるわけないだろ......』

『そうか? 案外聞き分けがいいかもしれないぞ? 男が絡むと女は化けるもんだ』

『一応言っておくが、俺と堀北はただの隣人だからな?』

『そう主張したいなら、もう少し気をつけた方がいいぞ? 多分クラス全員お前らできてると思ってるから』

『マジかよ......』

 あの堀北が綾小路とだけは打ち解けている。これは恐るべきことだ。

 おそらくほとんどの奴は、男女の関係だと結論付けて考えをやめるだろう。だが、これはそう単純な話ではない。

 綾小路は一般に、存在感が希薄、無表情、あるいは平凡な生徒だと思われている。では堀北はどうだろうか? 彼のような存在を無価値と決めつけ、切り捨てる方が彼女らしくないだろうか?

 そう。彼は見事に、彼女の心の隙間に侵入を果たしているのだ。しかも、普段の様子や先ほどのやり取りからも色恋沙汰は感じ取れない。

 やはり彼は不可解だ。そして......

「......面白い奴だ」




今回ようやく綾小路と接触しました。
次回から多分原作と乖離していきます。どうなるかは私にもわかりません......


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勉強会

 翌日放課後、俺は勉強会に参加するため図書館にいた。

 櫛田の尽力でバカトリオも参加を決めたということで、俺は早々に退散することを決意する。

「なあ、あいつら来る前に早く終わらせたいんだが」

「そう。じゃあ先にこれを解いていてくれる? 私が問題ないと判断したら解放するわ」

「へいへい......」

 五科目全てのテストを用意していたらしく、その上結構な分量だった。

 さっと目を通し、難易度を確認する。

「なんだこれは」

 想像以上に簡単過ぎて思わず笑ってしまった。

 まさかとは思うが、小テストもこの程度の問題だったということだろうか? 高校生の標準を知らないため、なんとも判断がつかない。少なくとも、難関大の入試問題はこんなお粗末なものではなかった。

「何か文句でもあるのかしら?」

「いや全くこれっぽっちも」

「そう」

 怒らせるとコンパスで刺されそうなので、とっさに否定する。

 俺に文句があるとすれば、それは不毛な時間を過ごさなければならないことだけだ。その時間が増えるという点では、分量の多さは確かに気に入らない。しかし、彼女はそのような文句を想定していた訳ではないような気がする。

 バカにされたとでも思ったのだろうか? だがそれは、俺が問題を解けるという前提がなければおかしい。この勉強会に参加させられている時点で、この前提は成り立っていないはずだが......

 まあ、考えるのは後だ。まずはここを脱出するためにすべきことをしよう。

「連れてきたよ〜!」

 問題を淡々と解き続けていた俺は、その声に心の中で舌打ちする。

 櫛田に引き連れられてきたバカトリオと沖谷。これで騒がしくなるなと思っていたら、真っ先に口論を始めたのは櫛田と堀北だった。

 少し意外な展開だ。堀北としては、どうしても櫛田を追い出したいらしい。この勉強会成立に一番貢献したのは櫛田だ。それを排除すれば崩壊するのは目に見えているのだが、そんなこともわからないのだろうか?

 まあそうなれば晴れて俺は自由の身。少し期待して待っていたのだが、結局堀北が折れたため俺の願いは叶わなかった。

 その後、今度こそ勉強会が始まった。どうやら堀北は全員に50点を目標に教えるらしい。

 なるほど。赤点ラインの計算方法に気付いていたとは。少し見くびっていたか?

 

 しばらくして、全ての問題を解き終えた俺は、ピリピリとした雰囲気に戸惑いを隠せなかった。

「あまりに無知、無能すぎるわ」

 一体どうしてこんな状況になっているのか。バカトリオの馬鹿さ加減に、コンパスちゃんがガチギレしていた。どれほどの無知を晒したというのか。

「っせえな。勉強なんて不要だろ。バスケやってプロ目指したほうがよっぽど将来の役に立つぜ」

「そうやってあなたはバスケットでも本当に苦しい部分からは逃げてきたんじゃないかしら。練習に対しても真摯に取り組んでいるようには思えないし。何より周囲の和を乱すその性格。バスケットはチームプレーなのよ? あなたのような人間は、絶対にプロになんてなれない」

「っ!」

 コンパスちゃんの針は、須藤の逆鱗にクリティカルヒットした!

 暴走一歩手前の須藤と堀北の口論が続く中、俺は綾小路の様子を伺う。

 堀北を助けるのか。助けるとして、須藤を物理的に止められるのか。それとも巧みに説得して大人しくさせるのか。非常に興味深い。

「今すぐ勉強を、いいえ、学校をやめて貰えないかしら? そして幼稚な夢は捨てて、バイトでもしながら惨めに暮らすことね」

 表情は変わらず。力んでいる様子もない。綾小路は完全な自然体だった。考えを読むことはおろか、行動に移す瞬間を捉えることすらできないだろう。いや、何もする気がないという可能性もあるか。

「はっ......上等だよ。やめてやるよこんなもん。ただ苦労するばっかりじゃねえか」

「おかしな事を言うのね。勉強は苦労するものよ」

「わざわざ部活を休んで来てやったのに、完全に時間の無駄だ。あばよ!」

 結局最後まで、須藤は手を出さなかった。綾小路の対応が見れず、俺は人知れず落胆する。

 今日の勉強会、完全に時間の無駄だったな......

 そんな俺の後悔もつゆ知らず、堀北は口撃を続けた。その結果、赤点組が須藤を先頭に図書館を出て行き、続いて櫛田も立ち去る。

 重い静寂が、図書館を支配した。

「ご苦労だったわね。勉強会はこれで終了よ」

「そうみたいだな」

「俺には何が何やらさっぱりだが」

 本当に訳がわからなかった。櫛田に対する態度も、こんな奴が勉強会を開いたことも。

「あなたたちは、あの下らない人たちよりは幾分かまともということかしら。もし勉強が必要なら、特別に教えてあげるけど?」

 なぜこれほどの上から目線で話せるのだろうか? 俺からすれば堀北も須藤も大差ない。いや、それどころか......

「遠慮しておくよ」

 綾小路はなぜ彼女を見限らないのだろうか。色恋沙汰でないのは確かめた。では友情かと言われると、それもなぜかしっくりこない。であれば、彼女に一体どんな可能性を見出したというのか。

 わからないことだらけだが、今はっきりしていることが一つだけある。

 

 ————それは俺が今、少しばかりキレているということ。

 

「下らないのは堀北、お前だ。お前程度に教えてもらうことなんて、何もない」

 普段は見苦しいため避けている口論。その火蓋を、俺から切る。

「どういう意味?」

「Dクラスで一番のお荷物は、お前だ」

「理解できないわね。それに、あなたがそれを言っても説得力がないわ」

 確かにバカトリオは見苦しい。見捨てたくなる気持ちもよくわかる。だが......

「あらゆる行動には責任が付きまとう。お前が主導した勉強会で、須藤たちのモチベーションは底をついた。それもお前の独りよがりが原因で、だ。この責任をどう償う?」

 言いがかりに近い。それに実際、四月の行動を考えれば、俺も人のことを言えた義理じゃない。だが、俺にはあって彼女にはないものがある。

 それこそが免罪符。協調性のない彼女には絶対に手にすることのできない、ある意味最も強力な武器。

 全ての人間は多かれ少なかれ、罪を抱えて生きている。では全員が罰を受けるのかといえば、そんなことはない。罪に問われるのは一部の人間だけだ。

 Dクラスは小さな集団だ。孤立すれば、何かあった時は全ての責任を押し付けられるだろう。

 別に気にしないと言われればそれまでだが、孤独と四面楚歌では天と地ほどの差がある。ましてやAクラスを目指すのであれば、そんな存在は足手まといよりタチが悪い。敵でないのなら、彼女が嫌う無能そのものだ。

「彼らが勝手に勉強せず、勝手に退学するだけよ。私には関係のない話だわ」

「本当にそう思っているのか? 足手まといにだって価値はあるんだ。同じ赤点でも、0点と30点の差は大きい。それに、テストの結果がポイントにどう反映されるのかはわかっていない。切り捨てたあいつらの点数が原因で、他クラスに競り負けて、貰えるポイントが大幅に減少する、なんてことも考えられるだろ」

「詭弁ね。それに仮にそんなことがあったとして、責められるべきは彼らでしょう?」

 詭弁なのは事実だ。だが、彼女はあまりにも視野が狭すぎる。

「違うな。確かに須藤たちにも責任はあるだろうが、お前の責任が消えるわけじゃない。それにあいつらが退学になれば、責められるべき人間はお前しか残らないだろ。一つ訊くが、お前はこの勉強会を開くにあたって、クラスの皆と相談したのか?」

「そんなことをする必要性があるとは思えないわね」

 思った通りだ。”異質”ではない、ただの孤独。

「あんな奴らでも、クラスメイトとの関係はお前より良好なんだ。今日のことを言い触らされたら、お前は完全に悪者扱いされるだろう。お前の独断なんだ、誰にも責任転嫁はできないし、孤独なお前に助けは来ない。もし退学者を出すことにペナルティが科せられていたら、お前が一番の戦犯に祭り上げられるな」

「それは————」

「もちろんあくまでも可能性の一つに過ぎない。だが、お前はこの学校で一ヶ月間何を見てきたんだ? これは考慮せずに捨て置いていい問題なのか?」

「遅刻や私語等のマイナスは、0以下にはならないわ。0の状態である今こそ、勉強のできない生徒を排除したほうがいい。ほぼダメージはないのと同じじゃない」

 彼女は常に切り捨てる側。どう足掻いても開いていく距離に、絶望したことなどありはしないのだろう。それがどうにも腹立たしい。

 あるいは実力を隠してうまく擬態すれば、溶け込むことはできる。だが、それは偽りの平穏。距離が縮まることはなく、少しの衝撃で破綻する。

「0以下になるかならないか、そんなことはどうでもいい。重要なのは、数もまた力だということだ。人海戦術が有効なのは、お前も知っているだろ? 平均点ではなく合計点で評価される可能性、あるいは数が揃わないと参加資格すら与えられない試験なんてものもあるかもしれない」

「可能性ばかり論じていても仕方がないでしょう? 赤点組を切り捨てたほうが、将来的にクラスのためになる可能性だってあるのだから」

 彼女は学力面だけを見て、足手まといだと決めつけている。この学校を攻略する最初の一歩すら、踏み出せていない。

「やはり何も見えていないようだな。あいつらが入学できている時点で、学力だけで判断されていないことは明白だ。それともあいつらは、退学することが前提の見せしめ要員として入学を許されたのか? 違うだろ。つまるところお前は実力というものを、自分の都合のいいように解釈しているってわけだ。その身勝手な解釈、あるいは先入観が、今の状況を作り出したんじゃないのか? 学校側がこの言葉をどう定義しているのかは定かでない。だからこそ、追求する価値、必要性がそこにはある。あいつらだって重要なヒントなんだ。それを理解しようともせず、安易に切り捨てるのは、愚か者のすることだ」

 黙り込んだ堀北に解答を手渡し、俺は立ち去ることにする。綾小路は結局、一言も口を挟んではこなかった。

「問題に解答できるか否かは大して重要じゃない。不可解に興味を抱き、命題に落とし込む。それができないのなら、お前はそこまでだ。試しに俺が一ヶ月もサボっていた理由でも考えてみるといい」

「あなたまさか————」

「じゃあな」

「俺も帰る」

 彼女に背を向け歩き出した俺に、綾小路がついてきた。

 正直意外だった。何か俺と話したいことでもあるのだろうか?

「すまないな。ちょっとキレて言い過ぎた」

「別に倉崎が謝る必要はない。今日のは完全に堀北が悪い」

「それで、あのまま放っておいて良かったのか?」

「八つ当たりされたくないからな......それに、一人で考える時間が必要だろう」

 なんというか......

「まるで父親視点だな」

「違う」

「それで、愛しの娘さんに成長の見込みはあるのか?」

「どうだろうな、正直俺にもわからん。それと娘じゃない」

 どう成長するのか、どこまで成長できるのか。綾小路にもわかってはいないようだ。だが一つはっきりしたことがある。

「そうかよ。それで、お前はなんで普段実力を隠しているんだ?」

 ————その瞬間、彼の雰囲気はガラリと変化する。

 それは紛れもない”異質”。

 擬態を解いた綾小路の核心に、俺は迫っていた。



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