青ざめた血の水平線に ([この名前は既に使用されています])
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Prologue.01

 

海上に、砲撃の音が響いた。

 

 

「各艦第三戦速!! 六時の方角へ早急に離脱!! 急げ!!」

 

 

叫んだ軽巡洋艦、天龍の近くに大きな水柱が上がる。その水飛沫は彼女の僚艦である曙、漣、雷、響との間を遮るが、無線によって伝えられたその指示は問題なく彼女たちへと伝わった。

 

 

「くそ、洒落にならねぇぞ!! なんでこんなところに戦艦クラスがいやがるんだ!!」

 

 

「喚いていたて仕方ないでしょ、さっさと逃げるわよ!!」

 

 

無線から駆逐艦、曙の声が聞こえてくる。平静を保とうとしているが、しかしそれでも僅かに震えを隠せていない声である。

 

自身も艦隊との速度を合わせながら、天龍は周囲を見渡す。先程まで複縦陣を組んだ状態で航行していたが、今は隊列が崩れ、各艦同士の距離も離れている。右舷側には漣と響が、左舷側には雷と曙がそれぞれいるが、とても隊列と呼べる代物ではなかった。

 

しかし距離が離れていようと、艤装を背負った艦娘の視力を持ってすれば僚艦の表情の具合は問題なく察することが出来る。駆逐艦たちの様子に、目立った懸念は見受けられない。いくら、現状遠征任務を主として行っている練度のそう高くない艦娘であろうと、その内側に宿っているのは在りし日の軍船の魂だ。想定外の敵艦との遭遇程度では狼狽えない。

 

しかし、いくらか緊張し過ぎなきらいがある。艦娘としては低めの練度も相まって、敵艦からの砲撃を躱しつつ、陣形を新たに組み直すのは些か難しそうだと、天龍は感じた。

 

 

「……いいか、てめぇら、応戦しようなんて考えるなよ!! 今は逃げるが勝ちだ!!」

 

 

「普段あんなに戦いたがっている天龍がそんなこと言うなんて意外ね……きゃッ」

 

 

無線越しに聞こえてくる雷の軽口と、僅かな悲鳴。敵戦艦の砲撃による至近弾……幸いにして直撃はしていないようだが、僅かに障壁に掠ったのか、艤装にはダメージ判定が出ている。

 

 

「オレだってな、時と場合くらい弁えてんだよ!! 死にたくなきゃ全力で走れ!!」

 

 

「天龍の姉御ー、これマジで不味いんじゃない? すっごい近いんですケドあの人達」

 

 

「とても逃げ切れるとは思えないね」

 

 

右舷側にいる二人、漣と響からの無線。見れば背後の敵艦隊は、踏み込めば近接戦闘さえ行えるであろう距離まで近づいてきていた。この距離から主砲を放たれては、いくらこちらが回避に集中しているとは言え、躱し続けるのは至難の技だ。

 

 

「くそ、こっちの戦闘用兵装が万全ならなぁ!!」

 

 

「無いもの強請ったってしょうがないでしょ!! どうすんのよ旗艦様!!」

 

 

天龍たち、横須賀鎮守府第六支部・第二艦隊資源収集部隊は現在、他支部との資源交換を終えて帰投しているところであった。そのため兵装は最低限。メインはドラム缶などの受け取った資材の搬送兵装であり、ろくな戦闘兵装を装備していない。

 

そして天龍自身も含め、この艦隊のメンバーはおおよそ遠征任務を主として行っている面々であり、戦闘に関してはそれほど熟れているわけではない。

 

翻って、敵は――

 

 

「――こんだけ近けりゃ目視で確認出来るな」

 

 

戦艦ル級、一隻。随伴には重巡リ級が二隻と軽巡ホ級が一隻、それに駆逐イ級が二隻……そのうち一隻は後期型と呼ばれる強化タイプだ。

 

とてもじゃないが、遠征用装備の軽巡一隻と駆逐四隻でまともにやりあえる相手ではない。

 

 

「敵に空母がいないのが幸いだね」

 

 

「幸いと言っても不幸中の、だけどねー……わわわっ、と」

 

 

「漣、大丈夫?」

 

 

「へーきへーき、と。ちょっと障壁貫通して服が汚れちったくらいね。あー、もー」

 

 

どこか緊張感の無い僚艦のやり取りを聞きながら天龍はそっとため息をつく。彼女たちなりに緊張をほぐそうとしているのだろうか。

 

 

(――だが、どうする?)

 

 

旧式の電探しか積んでいなかったことが仇となった。そして、まさか陸からそう遠くないこの海域で、戦艦クラスが混ざるような大規模な敵艦隊と遭遇するとなんて思いやしなかった。

 

それらの要因が重なって、敵艦隊を発見した時には既に砲雷撃戦が行えるようなミドルレンジに……更に、離脱にもたついたため、今や一層距離を詰められている。

 

現状、なんとか敵の攻撃を紙一重で躱してはいるが、このままではいずれ追いつかれる。更に言えば一人でも敵戦艦の砲撃による直撃を喰らえば、中、大破は免れない。機関部を損傷すれば航行速度も当然減速する。当然ながら、そうなっては逃げ切ることなど夢のまた夢だ。

 

 

「天龍。一応聞いておくけれど、近海に救難信号は出したのかい?」

 

 

無線から聞こえてくる響の冷静な声。

 

 

「あったりまえだろ、あいつらと遭遇した時点でとっくに出してはいる。もうどっかの鎮守府には届いてんだろ。だが、いくらここが鎮守府近海っつったってそう早くはやってこれねぇさ」

 

 

「運良く近くに味方の艦隊が航行していた……なんてのはないかしら?」

 

 

「流石にないっしょ。漣としてはそんな希望的観測にも頼りたい気分だけれどね」

 

 

だが実際問題、そんなに都合の良いことは無いだろう。漣もそれが解っているからこその台詞だし、雷とて本気でそんなことを願っていたわけでもない。そうであって欲しいと言う単なる幻想である。

 

天龍は考える。

 

 

(このままじゃ逃げ切れやしねぇ。救援艦隊が来るまでまだ暫くは掛かる。その間の時間を稼ぐのがベストだが、それにしたってこっちの兵装が貧弱過ぎる……どうすりゃいい?)

 

 

天龍の脳裏に、『囮』と言う単語が微かによぎる。自分が敵艦隊を引き付ければ、四人の駆逐艦たちは逃げ切れるのではないだろうか?

 

最大航行速度は、五人の中では天龍自身が最も遅い。最低限艦隊運動をする上で速度を合わせねばならぬが故に、現状他の四人は速度を抑えている形だ。自身が離脱すれば艦隊の最高速度は当然上昇するだろう。

 

 

「……なぁ」

 

 

「馬鹿なこと考えるんじゃないわよ、天龍」

 

 

言いかけた天龍の耳に、曙の渇いた声が響いた。

 

 

「大体あんたの考えていることは解るけれど、そんなの駄目。絶対に。絶対に、よ」

 

 

「……だけどよ、この状況をどうにかするには――」

 

 

「駄目って言ってんのがわからないの? クソ提督だって言っていたじゃない、あいつの言うことに同調するのも癪だけれど、全員が生きて帰ることを最優先に――きゃあッ!!」

 

 

「曙!?」

 

 

左舷で大きな水飛沫が上がった。重巡リ級の放った砲弾が着弾した衝撃で、水面が派手に揺れる。

 

その着弾地点には、曙の姿があった。

 

 

「――いっ、つ……たい、わね!!」

 

 

「ぼのぼのー!! 大丈夫ー!!?」

 

 

「たかが主砲……と、魚雷管……と、機関部……が、やられただけよ、へ、平気よ平気!!」

 

 

「控えめに言って致命傷だね」

 

 

「おい、損害判定は!?」

 

 

「……なんとか中破」

 

 

「大破じゃないだけマシか……各艦第一戦速、速度を落とすぞ」

 

 

「なっ、馬鹿じゃないの!! いま速度を落としたらあっという間に追いつかれて――」

 

 

「全員で生きて帰れつったのはお前だろ? 良いから無理すんな」

 

 

しかし、そうは言っても事態は最悪に近い。こちらに被害を与えたことで、敵艦隊は益々勢い付いている。こちらの速度が落ちたことも相まって、一気に攻め込んでくる。

 

砲撃も心なしか激しさを増している。このままでは――

 

 

「――!! 漣、響!! 後方から右舷へ雷跡確認!!」

 

 

不意に、雷からそんな声が上がった。

 

 

「っ、雷撃警戒!!」

 

 

「不味いッ」

 

 

緊迫した二人の声。

 

瞬間、右舷側で大きな爆発が巻き起こった。

 

 

「――響、漣!! おい!! 無事か!!?」

 

 

天龍の呼びかけに対して、無線からはノイズだけが返ってくる。最悪の自体が脳裏に浮かぶが、二人の艤装は『大破判定』を受けていなかった――どれだけの一撃であろうとストッパーが働く筈だ――だが、それでも万が一、と言う思いは消えない。

 

 

「……こちら、響。判定小破。直撃はしなかったけれど爆風に巻き込まれた」

 

 

「っ、良かった……沈んじゃいねぇな。漣はどうした?」

 

 

「……漣は、私を庇って被弾。こっちも直前で魚雷を誘爆させてギリギリ直撃は防いでいるみたいだ。沈んではないよ。意識も明瞭。ただ無線機器が吹っ飛んでいるから通信は不可。判定は――大破」

 

 

「――っ、大破、か」

 

 

判定大破。

 

『判定』とは、艦娘の艤装における『障壁損害度』を表す用語である。これが高ければ高いほど、敵の攻撃は障壁を貫通しやすくなる。貫通したダメージは当然、艦娘自身の肉体を損傷させる。

 

それでも判定中破であれば、一撃で死に至るほどのダメージが通ることはないとされる。実際の所、現状、そういった報告は一切上がっていない――だが、それが大破ともなれば。

 

判定大破は、いうなれば危険信号だ。次の被弾に対して、まともに障壁を展開することが出来ないと言う、艤装側からのサインである。

 

故に、次に直撃を受ければ――場合によっては、死ぬ。艦娘としての言葉で表すならば――轟沈する。

 

沈みゆく。

 

仄暗い、深い深い海の底へと。

 

 

「……響、漣を護衛しながら先にいけ。雷、曙は後方警戒しつつ、その後ろから続け」

 

 

「……どうするつもりだい?」

 

 

「最後尾にはオレがつく。いいから行け」

 

 

「馬鹿じゃないの!! 旗艦が最後尾って、何よそれ!! 天龍、あんた――」

 

 

「解ってるって、安心しろよ、一人で沈むつもりはねぇからよ」

 

 

だが、沈むかもしれない。

 

天龍の中には、その覚悟が既に存在していた。中破一人、大破一人を抱えた状態で、この敵艦隊から逃げ切ることはまず不可能だ。ならば、誰かが足止めしなければならない。

 

この中で無傷なのは響、雷、そして天龍。旧式と言えど天龍は軽巡洋艦である。装備している主砲も旧式の14cm単装砲であり、性能はお世辞に高いとは言えないが――。

 

しかし、天龍には固有の近接兵装である軍刀がある。

 

 

「……時間くらいは、稼げんだろ」

 

 

一隻で、戦艦や重巡の混ざった敵艦隊六隻を相手にする。いくら撤退戦とは言えど、背後には負傷した仲間がいて、攻撃を通すわけにはいかないともなれば――

 

 

「――無茶よ」

 

 

曙の声が無線から伝わる。

 

 

「無茶でもやんなきゃなんねぇだろが。旗艦命令だ、大人しく従っとけ」

 

 

「普段からクソ提督にあれだけ罵声浴びせているあたしが今更上下関係なんて気にすると思っているわけ!!?」

 

 

「ならなんか他にいい案でもあんのかよ?」

 

 

「……っ」

 

 

その言葉に、曙は言葉を詰まらせる。彼女自身、既に中破している身だ。天龍のように自身が重荷を背負おうとも、背負えるだけの状態にない。

 

だからこそ、何も言えない。

 

 

「――て、天龍」

 

 

曙と言い合っていると、ふいに、微かに震えた雷の声が、無線から聞こえてきた。

 

 

「? なんだ、どうした」

 

 

「ま、まえ、まえ……ぜ、前方上空に――多数の艦載機確認!!」

 

 

「――な」

 

 

艦載機――艦載機だって? まさか――敵の空母? 馬鹿な、他の敵艦隊と更に遭遇……いや、むしろ挟み撃ちにされたってのか?

 

いや、あり得ない。なんでたかが資源輸送の遠征艦隊をそんな大掛かりな作戦で襲う? いくら深海棲艦でも、そんなコストに見合わないことはしないはずだ。だけれど、なんでだ? なぜ、そもそも、この海域に戦艦クラスがいた? どうやって警戒網を抜けてきた?

 

何か、事情があったとしたら。

 

この海域に、敵空母がいたとしても、おかしくは――

 

 

「待って。天龍。あれは――」

 

 

「識別札――白二本!! 味方!! 味方の艦載機!!」

 

 

「白二本……五航戦、瑞鶴の艦載機か!!」

 

 

救援艦隊――そう理解した瞬間に、天龍の無線に通信が入る。

 

 

「こちら横須賀鎮守府第四支部、第一遊撃部隊旗艦、叢雲。救難信号を受信して援護に来たわ。状況を教えてくれるかしら」

 

 

「ありがたい――!! こちら横須賀鎮守府第六支部、第二遠征部隊旗艦、天龍。敵は戦艦ル級一、重巡リ級二、軽巡ホ級一、駆逐イ級二。こちらの被害は大破一、中破一」

 

 

「了解。そちらはそのまま真っ直ぐ、出来うる限りの速度で進んで頂戴。おおよそ三十秒で合流出来る筈よ――瑞鶴、艦載機を援護に回して」

 

 

「このままいきゃいいんだな? 了解したぜ、通信終了」

 

 

無線が切れると殆ど同時に、前方からやってきた瑞鶴隊の艦載機が、天龍たちの背後に肉薄しつつある敵艦隊へと迫る。

 

それを認識した深海棲艦たちはすぐさま対空射撃へと移る。だが制空権を奪っている以上、有利はこちらにあった。落としきれない攻撃機から魚雷や爆弾が投下され、水面を派手に揺らす。爆撃に巻き込まれて駆逐イ級が大破炎上――撃沈している様が見て取れた。

 

その間に天龍たちは離脱を進める。逃すまいと深海棲艦の砲弾が放たれるが、空からの攻撃に気を取られている所為でまともな命中精度を持っていない。近場に着水する砲弾を尻目に天龍たちは先を急ぐ。

 

――やがて、前方から四隻の艦娘がやってくるのが見えた。

 

 

(――四隻?)

 

 

前方からやってくるのは、駆逐艦、叢雲、夕立、綾波、そして重雷装巡洋艦、木曾の四隻だ。正規空母瑞鶴の姿は奥に見える。

 

駆逐艦三に、軽巡クラス一。その編成は、数と艦種で言うならば、天龍たちの編成よりも脆弱である。背後には空母瑞鶴が控えていると言う点ではかなりの戦闘力が発揮出来るのだろうが、しかしその瑞鶴の艦載機は現在、援護に回されている。

 

――この編成で、やり合うのか?

 

向こうは、戦艦や重巡の混じった重量編成である。イ級が先程一隻、爆撃で撃破出来ていることを考えても――些か厳しい。

 

夜戦であれば勝機は見えるかもしれないが、まだ夕暮れにも遠い時間帯である。

 

と、天龍がそこまで考えた時、叢雲隊と天龍隊が交差した。

 

すれ違いざまに、無線が走る。

 

 

「叢雲から天龍隊へ。このまま真っ直ぐいけば瑞鶴がいるわ。そこで待ってなさい、すぐ片付けてくるから。通信終了」

 

 

「お、おい!! お前ら――」

 

 

一方的に通信を終え、無線を切断した叢雲に向けて天龍は言葉を掛け損ねる。慌てて背後へと走り去っていく四隻の艦娘へと視線を向ける。

 

その時、気が付いた。

 

 

――彼女たちが持つ、『異質の兵装』に。

 

 

 

「……ねぇ、天龍。あの人たち、横須賀鎮守府第四支部……って、言ったわよね」

 

 

雷の言葉が、聞こえてくる。

 

横須賀鎮守府第四支部――第一艦隊。その言葉が、天龍の脳裏を刺激する。

 

そして、思い出す。

 

 

「……そうか」

 

 

道理で、異常に救援の到着が早いと思った。

 

あれが。

 

 

「――あれが、噂の――」

 

 

 

――血に酔った艦娘たち――か。

 

 



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Prologue.02

「叢雲、なにか作戦はあるっぽい?」

 

 

「特にないわよ、好きに暴れて好きに沈めなさい」

 

 

「やったぁ!! よりどりみどりっぽい!!!」

 

 

「腕が鳴りますねっ」

 

 

「はっ、俺に勝負を挑む馬鹿は何奴だぁ?」

 

 

叢雲たちの艦隊は、ろくな陣形すら組んでいない。それどころかまともに航行速度すら合わせておらず、皆思い思いの――最高速度で突き進んでいる。

 

艦隊運動においてはベストな航行速度と言うものが存在している。そしてそれは通常の場合、決して自身が出せる最高速度などと言うものではない。

 

いくら艦の名を有しているとはいえ、艦娘と呼ばれる存在は列記とした生物だ。常時最高速度で駆け続ければ当然疲弊する。

 

何より、最高速度と言うものは人によって――そして、艦によって違う。当然足並みを合わせなければ隊列も陣形も組めたものではないし、連携も援護も何も有ったものでない。

 

実際、叢雲たち四人もお世辞にも隊列が組めているとは言い難い。これでは作戦があるもなにも、まともな作戦を組むことすら出来ないだろう。

 

各艦が、好きなように、思うままに、戦いに臨んでいる。

 

 

――最初に、敵陣に飛び込んでいくのは夕立だった。

 

瑞鶴の艦載機が天龍たちの護衛のため引いた今、敵艦隊の主砲は新たに現れた敵――すなわち、叢雲たち四人へと向けられている。

 

雨あられの如く降り注ぐ砲弾を、まるで被弾など恐れないかのような速さで駆け抜け、一瞬で近接戦闘の距離へと潜り込む四人。海原を蹴る圧力によって水飛沫が激しく跳ねる。

 

その先頭を駆ける夕立の手には、艦娘の兵装としては酷く似つかわしくない、余りにも野蛮な武器――巨大な『手斧』が握られていた。

 

海上を駆けてきた勢いそのまま、夕立は重巡リ級へと飛びかかると、その手斧を無造作に振り下ろす。重巡リ級の腕部装甲と、手斧の暗く分厚い刃が激しく衝突し――そして、重巡リ級の装甲が、砕けた。

 

 

「――さぁ、素敵なパーティしましょ?」

 

 

装甲が砕けたリ級は、とっさに距離を取ろうと後ずさる。夕立はそのリ級の腕を左手で掴み、強引に引き寄せた挙げ句、その胴へと手斧を叩き込んだ。

 

鈍い音がして腹部の装甲が破砕される。重巡リ級の口から、嗚咽のような、空気が漏れる音がした。

 

そして夕立の腰部に取り付けられた艤装――そのアームから伸びた、二本の12.7cm連装砲B型が、装甲の無い重巡リ級の腹部へと立て続けに連射される。

 

ゼロ距離で放たれた砲は、いくら駆逐艦のそれと言えど、重巡リ級に致命的なダメージを与えるのに十分なものであった。ましてや、その腹部にはダメージを軽減するために必要な装甲が無いのだから。

 

 

「ちょろいっぽい」

 

 

そして止めとばかりに、夕立は重巡リ級を蹴り飛ばす。その刹那、夕立の構える手斧から〝がしゃりッ〟と奇怪な金属音が響いた。

 

瞬間、手斧はおおよそ少女の体躯に似つかわしくない『長柄の大斧』へと変化しており――遠心力によって振り回されたその斧の先端が、重巡リ級の身体を捉える。

 

無骨な刃が重巡リ級の胴を引き裂く――筋繊維が強引に千切られ、圧壊。自身を保つための外側を失ったリ級の臓器を派手に撒き散らす。

 

しかしそれで終わりではない。夕立の振るう斧は、一度の回転で止まらず、更に一周して、もう一度振るわれる。

 

勢いを殺さぬまま。更に踏み込み、深々と。圧倒的な暴力を以て、一度目の衝撃でズタズタとなった重巡リ級の胴体を捉える。

 

切断された――と言うよりは、破砕された、と表現すべきであろう。僅かに残っていた暗い黒色の装甲と、悍ましくも赤い血飛沫、白い肉片と内臓を撒き散らしながら、重巡リ級の身体は上下に分割された。

 

そのまま海へと着水し、悲鳴すら無いままに沈んでいく、水面にぶち撒けられた重巡リ級の亡骸を見ながら――夕立は大斧を両手で掴み、また〝かしゃりッ〟と音を立てる。瞬間、大斧はまた手斧へと姿を変えていた。

 

……と、その夕立へと砲を向ける存在があった。もう一隻の重巡リ級である。だが、その砲弾が放たれる前――否、どころか正確に照準を合わせられる前に、鋭い銀色の刃が一閃する。

 

――砲を構えていた、重巡リ級の腕が、装甲ごと切断されていた。

 

血飛沫が飛ぶ。

 

ぼちゃり、と、重巡リ級の腕が海面に落ちる前に、二撃目の刃がリ級の胸を貫く。貫いているのは、小型の刃物だ。そしてリ級が自身に何が起こっているのかを僅かに理解した瞬間――

 

――その首が跳ね飛ばされた。

 

リ級の首を跳ね飛ばしたのは、一本の刀だった。美しい銀色の刃を煌めかせ、柄の部分にはハンドガードがついている。

 

 

「――弱すぎるッ」

 

 

重巡リ級を殺しせしめたのは、重雷装巡洋艦、木曾だった。しかし、重雷装巡洋艦と言う艦種にとっての、必殺の武器足り得る『魚雷』を使った撃破ではない。

 

その両手に握られた、一対の『刀剣』による撃破だ。

 

長い、一本の刀と、短いナイフのような短刀。短刀の方にはリ級の血が塗れているが、刀の方には血の跡すら無い。血が付着するよりも早く、首を切り落としたのだ。

 

木曾は短刀を軽く振り、血を払うと、刀の柄と短刀の柄を激しくぶつからせた。〝キンッ〟と軽い音と火花が舞い、元々そうであったが如く、一対の刀が合体する。

 

長刀の柄頭に短刀の刃が付随したその異様な出で立ちの刀は、技術の無いものが無理に扱えば自身をも切り裂いてしまいそうなほどに鋭く、そして凶悪で、何より洗練された美しさを有していた。

 

 

「おい、重巡は始末し終えたぜ」

 

 

そう報告する木曾の耳に、銃声が響く。

 

銃声。

 

砲の音ではない。通常の艦娘が使用する、かつての旧海軍が採用していた兵装をリサイズした特殊な兵装、その主砲や副砲を使った際に発生する、独特なその音ではなく。

 

銃の、音。

 

周囲を見渡すと、視界の隅に軽巡ホ級と駆逐イ級を同時に相手取る、駆逐艦、綾波の姿が見えた。

 

その右手には、細身のレイピアのような物が携えられており、左手には銃身の長めな――どこか古臭ささえ思い起こさせるような、『旧式の銃』が握られている。

 

そしてその背中には二本の赤い吊り紐で肩からぶら下げられた、黒の鞘に収められた長刀が備わっている。さらに特筆すべきことに、彼女には一切の『艦娘』としての兵装――魚雷や主砲が装備されていない。

 

綾波の持つ銃は、的確に駆逐イ級の『眼』に当たる部位を撃ち抜く。

 

口径の関係上、駆逐艦の砲よりも更に威力が低いはずの銃――それも近代式ではない古式の銃を、どうして綾波は好んで使うのか。木曾はそれを知らない。

 

しかし、その戦いに一切の容赦がないことだけは知っている。

 

眼球を撃ち抜かれた駆逐イ級――後期型は、水上でのたうち回る。それはまるで陸に上げられた魚のようだ。

 

だがのたうち回りながらも、その闘志は消えていない。暴れるようにして、駆逐イ級は綾波へと飛びかかる。大きなアギトが開く。その奥には砲が今まさに火を吹かんとばかりに待ち構えていて――

 

 

「――甘いですね」

 

 

その喉奥に、綾波の持つレイピアが突き刺さる。砲は射出されることなく、駆逐イ級は空中で串刺しとなり止まる。

 

瞬間、綾波はレイピアを持つ腕を軽く捻った〝かしゃんっ〟と言う軽い音がして、何かが変わる。

 

それとほぼ同時に、駆逐イ級の口腔内から重い銃声が連続で響く。だん、だん、だん、だん――と、四連続で巻き起こる銃声。衝撃で空気が震え、空中で串刺しとなったイ級の身体が暴れる。綾波の腕が突っ込まれた駆逐イ級の口の端からは、硝煙が僅かに立ち上っている。

 

綾波が腕を振り回してイ級の死骸を放ると、その手に持っていたレイピアの形状が僅かに変形していた。

 

――レイピアの柄……刃の根本、とでも呼べば良いのだろうか。その位置に銃身が備え付けられている。先程の発砲音は、それが発生源だったのだろう。駆逐イ級の喉の奥で、計四発の弾丸が発射されたのだ。

 

いくら口径の小さな銃弾とはいえ、装甲の一切存在しない内部から放たれればそれは容易に致命傷となり得る。事実弾丸はイ級の身体を貫き、その生命を完全に終了させた。綾波の右腕はイ級の血で真っ赤に染まっている。

 

イ級に気を取られている間に、と言わんばかりに、軽巡ホ級が綾波に接近し、近距離からの一斉射を行おうと、その口にも似た外殻を開き、照準を定める。

 

今まさに撃たん、としたその瞬間、綾波の持つ銃が火を吹いた。連続して、右手に持つレイピアに備え付けられた銃身からも弾丸が飛び出す。だん、だん、だん、だん、と、何発も。何発も。

 

装甲の薄い部位を的確に狙って放たれた弾丸は、軽巡ホ級の身体を貫き動きを止める。撃たれた衝撃で主砲の照準が定まらない。

 

瞬間、綾波が前方へ素早く『ステップ』するかのように一気に距離を詰めた。そして両手の武器を空高く放り投げると、背中にぶら下げられた刀を一気に抜き放つ。

 

鈍い光を放つ刃は軽巡ホ級の身体を一瞬で切断する。

 

紛うことなき致命傷――血飛沫が飛び散って、綾波のセーラー服と水面を赤く染めていく。

 

一瞬のうちにホ級を斬り殺したその刀身を素早く背中の鞘に収め、綾波は空から落ちてくるレイピアと銃をキャッチする。

 

その動きは正しく神速とさえ評すことが出来るだろう。

 

 

「やーりましたー!!」

 

 

嬉しげに笑みを浮かべながら、綾波はレイピアを持った腕を振るう。瞬間、また〝かしゃんっ〟と音がして、レイピアに備わっていた銃身が隠れ、刃のリーチが伸びた。

 

戦闘開始から、およそ十数秒。あっという間に敵艦隊は壊滅状態。

 

残るは、旗艦――叢雲の前に佇む、戦艦ル級のみである。

 

 

「……やれやれね」

 

 

僚艦の様子を見ながら、叢雲はため息をついた。相変わらず、どいつもこいつも艦娘としては余りにも逸脱した戦い方をする。

 

主砲や魚雷よりも、その手に携えた得物を用いた近接戦闘を好む――そして、その得物は一癖も二癖もある異質の兵装。

 

その得物から造り出される暴力の体現は必ず凄惨を齎し、結果として彼女たちを深海棲艦の血で染め上げる。

 

艦娘としては、何処までも異質。

 

 

――まあ、それは、叢雲とて例外ではないのだが。

 

叢雲の眼前にいる戦艦ル級は、苦々しい表情を浮かべて右足を一歩引いている。

 

たかが、駆逐三隻と雷巡一隻に、僚艦が一瞬にして沈められてしまった。そのことによる恐怖と、怒り――それらが綯い交ぜになった感情。

 

逃げるべきか、仇を討つべきか。

 

ル級の内面は、おおよそそんなところだろうか。だが、きっと、今なおル級は、自身が負けると思っていない。たかが駆逐艦と雷巡――魚雷にさえ注意していれば、ル級の装甲が貫かれるとは思っていない。

 

しかし、それは大きな間違いだ。確かに、通常の小口径主砲であっても、互いの練度に大きな差があれば、あるいは運が悪ければ――装甲が破砕されることはあり得る。だが、それとは別の理由で――ル級は、この時、逃げるべきだった。

 

例え逃げ切れないにしても。

 

逃げるべきだったのだろう。

 

 

「なんだ叢雲、お前まだ仕留めてなかったのか? 俺が手伝ってやってもいいんだぜ」

 

 

「夕立も遊びたりないっぽいー」

 

 

「綾波もお手伝いしますよっ」

 

 

「うるさいわね、手ぇ出したらあんたらも一緒に海の藻屑にするわよ」

 

 

「はっ、怖い怖い。じゃあちゃっちゃと片付けろよ。死なねぇようにな」

 

 

「私が負けるなんて本気で思っているわけ?」

 

 

「さてな、どうだか」

 

 

「あんたね……」

 

 

「提督さんも、慢心しちゃ駄目って言っていたっぽい」

 

 

「これが慢心? 笑えるわね、こういうのは余裕って言うのよ――っと」

 

 

瞬間、ル級の主砲が叢雲を向いた。この距離で主砲を使って狙ってくるとは、よほど旋回性能に自信があるのか――と考えた叢雲だったが、その主砲のエイミングが余りにも遅いのを見て、単にここまでの『超至近距離』での戦闘に慣れていないのだと判断する。

 

駆逐や軽巡ならまだしも、相手は戦艦だ。戦艦の強みは強力かつ長射程の主砲と、頑強な装甲。至近距離での戦闘に陥ることがそもそも少ない。

 

叢雲は姿勢を低くして、狙いを撹乱するかのようにジグザグに動き、一気に距離を詰める。敵戦艦の主砲が一斉射される。直撃すればただでは済まないだろうが、そのどれもが叢雲に掠ることすらない。

 

距離を取ることすら叶わず、その身に――叢雲のその右手に握られた得物――『奇怪なノコギリ刃』が。

 

迫る。

 

 

「ふっ」

 

 

ル級の懐に潜り込んだ叢雲は、右手に携えたノコギリ刃を振り抜く。ぎゃりぎゃりぎゃり、と、ル級の装甲とノコギリ刃が擦れる。

 

戦艦の装甲は、硬い。艦娘用に調整された近接兵装であっても、並大抵の攻撃は通らない。

 

しかし、叢雲の振るうノコギリの刃はその装甲を〝ぞりぞり〟と耳障りな音を立てながら削る。

 

砕くのでも斬るのでも貫くのでもなく、

 

強引に、削る。

 

 

「分厚い、わね」

 

 

つぶやいた瞬間、叢雲は自身の左上に影を感じ、とっさに後方へとバックステップをした。直後、先程まで叢雲の頭部があった場所を、ル級の装甲で固められた腕が振り抜かれる。

 

そのままであったら強力な打撃を頭部に受けていただろう。戦艦の艤装出力を考えれば、殴られただけでもただでは済まない。

 

攻撃を躱したと理解した瞬間、叢雲は右斜め前へとステップを挟む。そしてその勢いそのままに、ノコギリ刃を振るう。がりがり、と、装甲が削れる。何度も振るう。削れる。

 

そのノコギリ刃は、叢雲の小さな身にはそぐわない大きさを持っているが、しかし彼女はそれをいとも容易く振るって見せる。並大抵ではない速度と力で。尋常な艦娘の膂力ではない。そしてその力で振るわれるノコギリ刃は、戦艦の強固な装甲であろうと容易に削り得るのだ。

 

ル級は叢雲と距離を取ろうと、その手足を以て近接攻撃を仕掛ける。砲身の備わった巨大な盾のような艤装を振り回し、叢雲の身体を叩き潰そうと試みる。が、その攻撃は全て叢雲の軽やかなステップによって躱されてしまう。

 

通常の海上戦闘ではまずあり得ない、高速の近接戦闘。

 

ル級は叢雲へと、一撃も、攻撃を与えられていない。対してル級の装甲はあっという間に削られていく。

 

 

「――仕上げね」

 

 

装甲が削れ、もはや生身が露出し切っている戦艦ル級の胴体。

 

叢雲は一際強く力を溜めると、その手に持ったノコギリ刃を一気に振り抜く。

 

瞬間、〝がじゃッ〟と金属が擦れ合う音が鳴り響き、ノコギリ刃が――伸びた。

 

遠心力を伴ったその一撃は戦艦ル級の胴体を削ぎ、深々と刃を埋没させる。ル級の腹の肉が鋸刃によって強引に引き千切られ、尋常成らざる痛みと共に、その裂傷から血が吹き出す。伸びたノコギリ刃は戦艦ル級の内臓器官すらも粗方引き裂き、致命的なダメージを負わせる。

 

だが終わらない。

 

叢雲は更に腕を捻り、ノコギリ刃を押し込むように得物を振るう。またもや〝がじゃッ〟と鈍い音がして、伸びていたノコギリ刃が折り畳まれる。刃は戦艦ル級の胴を三分の二以上切断し――

 

――そして、最後に叢雲が更に腕を振るうことによって、不快な金属音と共に再度伸びたノコギリ刃が、戦艦ル級の胴を――断ち切った。

 

三度の変形。

 

ル級の切り落とされた上半身が、腰から上を滑り落ちて、海へと沈んでいく。切断面から大量の血が溢れ出す。周辺の水面――そして、叢雲の身体や衣服、腕、顔、銀色に輝いていた髪――その手に持つ、まるで大型の『槍』のように伸びたノコギリ刃らが、深海棲艦の血で赤く、赤く染まっている。

 

その様子はまるで――

 

 

「お疲れさん」

 

 

と、木曾が、髪を掻き上げる叢雲の肩をぽんっ、と叩いた。

 

 

「別に疲れてないわよ、この程度のことで」

 

 

「そうかそうか、流石初期艦様は言うことが違うってか? まあ、なんだ。労いくらい素直に受け取っておけよ」

 

 

ぽんぽん、と叢雲の肩をもう二度叩いて、木曾は帰投準備に入る。

 

 

「うー、夕立も戦艦とやりたかったっぽい!!」

 

 

「綾波も、ちょっと不完全燃焼です」

 

 

「綾波は二隻も狩ったっぽい。それで十分じゃなあい?」

 

 

「二隻と言っても軽巡と駆逐ですし……」

 

 

「じゃあ帰ったら演習するっぽい!! 手加減しないっぽいよー!!」

 

 

「望むところです!!」

 

 

そんな会話をする夕立と綾波へと、叢雲が声をかける。

 

 

「あんたたち、つらつら喋ってないでそろそろ行くわよ。帰投前に天龍隊を第六支部に送ってこないといけないんだから。あっちで瑞鶴が待ちくたびれているわ」

 

 

「はーい」

 

 

「了解しましたー」

 

 

見れば叢雲と木曾はとっくに準備を整えている。夕立と綾波もそれに続き、今度は隊列を組んでゆっくりと進みだした。

 

 

 

×      ×

 

 

 

――異質の兵装を操り、艦としての戦い方を捨て、ただ敵の血を浴びることに歓びを覚える、悍ましくも美しき艦娘たち。

 

特殊な『仕掛け武器』を用い、並外れた膂力と天性の勘、靭やかで素早い身のこなしを身に着け――余りにも凄惨に、残虐に、深海棲艦を虐殺する、海上の『狩人』。

 

 

第四横須賀鎮守府支部・第一艦隊に身を置く彼女たちは、その戦い様から――『血に酔った艦娘』と呼ばれていた。

 

 

 




ライブ感満載でプロローグ終了


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母港にて.01

感想、嬉しいです。ありがとうございます。


 

「おかえり。どうだった?」

 

 

横須賀鎮守府第四支部――母港。その出撃ドックへと帰還した五人を待っていたのは、一人の青年と女性だった。

 

中途半端な長さの髪を持ち、中肉中背。顔付きにも特筆すべき点はない。何処か腑抜けたような、これまた半端な笑顔が口元に浮かんでいる。一応現海軍における艦娘を指揮する立場――便宜上『提督』と呼ばれる地位の常装を纏ってはいるが、それすらもどこか着崩れているような印象を受ける。

 

彼こそ、横須賀鎮守府第四支部を統括する、彼女たちの司令塔――提督、あるいは司令官と呼ばれる男である。

 

 

「見ての通り、無傷よ。こんな近場で救難信号が飛ぶなんて、何事かと思ったけれど、大した相手じゃなかったわ」

 

 

「いや、見ての通りって言われても。君たちいつも血塗れで被害状況よく解らないしな」

 

 

叢雲の言葉に、提督は苦笑いを浮かべながらそう答える。

 

実際、彼女たちは瑞鶴を除き、恐ろしいまでに血に塗れている。先程第六支部まで護送してきた天龍たち遠征艦隊の面々も、叢雲たちの有様を見て、血の気が引いた様子で顔を引き攣らせていた。

 

 

「本当よね。いつも思うけれど、あんたらなんでいつもそんな血塗れになるの?」

 

 

提督の言葉に同調したのは、唯一血に染まっていない瑞鶴である。どこか呆れたような顔で自身の僚艦を見回す彼女。

 

 

「なんでって言われましても……」

 

 

「気がついたら血まみれになってるっぽい?」

 

 

「しかたないだろ、斬れば血が吹き出すんだから。文句なら敵さんに言ってくれ」

 

 

「と言うか瑞鶴、あんただって返り血だらけになる時はなるじゃない」

 

 

四人の返答に、瑞鶴はため息をつく。

 

 

「まあ、私だってたまにはそうなるけれど、それでもあんたたち程じゃないわよ?」

 

 

実際、空母と言う艦種の都合上、瑞鶴は他の五人と比べて近接戦闘まで縺れることが自体が少ない。少ない、というだけで、無いわけではないのだが。

 

通常の艦隊であれば、空母は艦載機の発艦等に集中するため、戦場では駆逐艦などの小回りの効く艦がその護衛につくのが基本である。しかしこの艦隊――横須賀第四支部、第一艦隊において、その常識は当てはまらない。

 

誰も彼もが好き勝手に行動するからだ。一応、作戦らしい作戦を立てることも稀にあったりするが、しかし基本は自由自律の遊撃。カバーリングなど自発的にすることはまず無い。むしろ、各人自分の獲物を僚艦に取られることを嫌う節まであるため、それを避ける傾向にあるとさえ言える。

 

故に、瑞鶴自身も空母としては非常に珍しいことに、近接兵装を装備している。それを扱うことにも長けていて、無論それを振るうこともあるため、返り血を浴びることもあるわけだが、その頻度も程度も他の艦よりは少ない。

 

 

「まあ、そうね」

 

 

瑞鶴の言葉に、叢雲はそう返答する。実際、瑞鶴の血への『陶酔』は、他の僚艦に比べれば高くはない。言い換えれば他の艦よりも常識的ではある。あくまで、第四支部を基準にした話ではあるが。

 

叢雲はそっと提督へと向き直って、簡易的な報告を続ける。

 

 

「まあ、聞いていて解る通り、全部返り血よ。たかが戦艦重巡重巡軽巡駆逐駆逐の相手に遅れを取るほど耄碌しちゃいないわ」

 

 

「そうかい、そりゃ良かった」

 

 

「……戦艦クラスも居たのね」

 

 

ふいに、提督の後ろにいた女性が口を開いた。

 

肩口辺りまでの黒髪。その右側に付けられた、恐ろしく大胆なデザイン……そしてサイズの、髪飾り。それは彼女に宿る『軍船の魂』の象徴に酷似したものだ。巫女服をこれまた大胆にアレンジしたような衣服の上から、今は薄手のカーディガンを羽織っている。

 

艦娘においてそれは特別なことではないのかも知れないが、目を引く美人である。しかし、その表情はお世辞にも明るいとは言えなかった。いや、どう贔屓目に見ても暗黒まっしぐらと形容するに吝かではないかもしれない。

 

美しいがゆえに、まるで幽鬼のようだ。

 

 

「久しぶりの出撃だと思ったのに……私だけ留守番だなんて……不幸だわ」

 

 

扶桑型戦艦、二番艦、山城。

 

現在は改装されて、航空戦艦となっている彼女も、横須賀鎮守府第四支部、第一艦隊――俗に『血に酔った艦娘』と称される艦隊の一人である。

 

 

「まあ、今回は救難信号地点に、艦隊を出来るだけ早く到達させる必要があったからね」

 

 

「……一人だけ足の遅い私は邪魔ってことね……不幸だわ」

 

 

「いや、邪魔とかじゃなくて、適材適所と言うか、臨機応変と言うか……なんと言うか」

 

 

「提督と一緒にお留守番だなんて、不幸だわ……」

 

 

「それ俺への悪口じゃない? 大丈夫? 上官への暴言って実は結構不味いんだよ?」

 

 

「権力を盾に脅迫されるなんて……」

 

 

「解った。解ったから。近い内にまた出撃組むから」

 

 

さしもの提督も、耳元で囁かれる地獄から響くような低い声音での『不幸だわ』の連続には耐えかねたのか、そう言葉を返す。山城は「約束、ですからね」と案外あっさりと引いた。戦えるならば、それで良いのだろう。

 

提督は帰還した五人に向きなおり、言う。

 

 

「じゃあ、まあ、とりあえずみんな血を落としてきなよ。艤装への補給はこっちでしておくから。終わったら各人自由行動で……ああ、叢雲さんだけは執務室まで、今回の詳細を報告に来て」

 

 

「了解したわ」

 

 

叢雲の返事が終わると、夕立が身を乗り出す。

 

 

「提督さんっ! 演習場使っていいっぽい?」

 

 

「演習場? いいけれど、今から? 疲れてないの?」

 

 

「大丈夫っぽい!! これから綾波と遊ぼうと思って!」

 

 

言いながら夕立は、綾波へと視線をやる。

 

綾波は小さく笑いながら、「楽しみですねっ」と言葉を零す。

 

 

「そ……まあ、大怪我しないように気をつけてね」

 

 

綾波と夕立。

 

艦隊の中でも一層エネルギッシュな二人だ。夕立は言うまでもなく、綾波は一見のほほんとして穏やかそうに見えるが、その内側に潜むものは夕立に負けずとも劣らない。

 

叢雲や木曾は、どこか一歩引いて自身の異質さと付き合っているのに対して、二人にはそれが無いと言えばよいのだろうか。闘争心や血への欲求は、他と比べても極めて強い。

 

 

(……演習場、壊れなきゃいいんだけれどな)

 

 

以前壊されたことがあるからこその、提督の懸念だった。

 

 

「じゃあ解散ね。あー、疲れた。間宮にでも行こうかなー」

 

 

「今回はそんなに動いてないだろ? またバルジがついたー、とか騒いでも知らないぜ?」

 

 

「なっ」

 

 

木曾の皮肉げな言葉に、ムッとした表情を浮かべる瑞鶴。

 

 

「い、いいじゃない、別に。結構艦載機発艦するのだって大変なんだから!」

 

 

「そりゃあそうだろうけどな、まあいいさ。でも前みたいにダイエットと称して人を振り回すのはやめて欲しいもんだな」

 

 

「……い、いや、それは、その……えっと……」

 

 

過去の記憶を思い出してか、瑞鶴は言葉に詰まる。

 

 

「そ、そういう木曾はこれから何するのよ」

 

 

「俺か? 俺はいつも通り工廠へ、だな」

 

 

「工廠? ああ、『落葉』の手入れ? 毎回思うけれど、『艤装化』しているんだから、そんなに頻繁に手入れしなくても傷まないんじゃないの?」

 

 

「こいつは俺の相棒だからな。丁寧に扱ってやりたいのさ」

 

 

「へぇ……まあ、兵装の手入れは大事よね。私も久々にこいつの手入れしようかなー……その前にシャワー浴びてこよ……」

 

 

言いながら瑞鶴は、艤装を外して出口へと歩んでいく。返り血こそ浴びていない彼女であったが、潮風で髪がベタつくようで気にしたような素振りを見せている。

 

その瑞鶴に続くようにして、他の面々も続々ドックから退出していく。

 

その様子を見送ってから、提督も執務室へと戻っていった。

 

 

 

×      ×

 

 

 

「――ざっくり説明すると、そんな感じだったわ」

 

 

母港、執務室。

 

暗めの木で出来たフローリング、白と黒で彩られた窓、壁は赤レンガを模した壁紙で覆われていて、黒の提督用デスクと椅子が置かれている。その隣には秘書艦――この鎮守府では、大抵の場合、叢雲が務めている――用の執務机があり、壁には古風な鳩時計が掛けられている。

 

部屋の中心付近には二つのソファが無造作に向かい合わせに置かれている。その間にはガラス製のテーブルが存在し、その上には現在、間宮羊羹と緑茶の入った茶飲みが一つ。

 

部屋の隅に置かれた蓄音機へと目をやりながら、叢雲はソファに座って間宮羊羹と緑茶を味わいつつ、提督へと先程の海戦の報告を終えたところだった。

 

 

「……なるほどね。大体解った」

 

 

羽ペンをくるくる弄びながら、提督は言った。その前にはデスクに置かれた一枚の用紙が置かれている。

 

 

「……しかし、戦艦ル級ね……こんな鎮守府近海で救難信号なんて不思議だとは思ったけれど……」

 

 

「しかも随伴に重巡が二隻、軽巡が一隻、駆逐が二隻よ? 丸々一艦隊、こんな近場まで侵入を許すなんて、深海棲艦への警戒網も随分と緩んだものね」

 

 

叢雲は茶碗をテーブルに置いて、呟いた。聞きように依っては皮肉げに聞こえる言葉だが、その声音には微塵のトゲも感じられない。

 

むしろ何処か楽しそうにしている。

 

 

「んー、ここらは海洋観測ブイもあるし、各横須賀支部で警戒や巡回もしている筈なんだけれどな……まあうちはしてないけれど」

 

 

「百歩譲って、巡回の方にはヒューマンエラーならぬクルーザーエラーがあって、敵艦隊を見過ごしていた……なんてことも考えられるかもしれないけれど、ブイにまで反応が無かった、と言うのは不自然よね」

 

 

「純粋に考えれば故障、とか?」

 

 

「うちの海軍はそんな簡単に壊れるものに頼っているのかしら? 世も末ね」

 

 

「さてね、諸行無常の響あり、なんて言うし、この世に壊れないものなんてないだろうさ。とは言え、月イチで近くの支部の明石さんがメンテナンスしているらしいし……よっぽど故障なんてことは、ないだろうね」

 

 

「……ふうん」

 

 

羊羹を黒文字で切り分け、叢雲は『この鎮守府の明石』を思い返す。

 

 

「……叢雲さん、言っておくけれど、うちの明石さんは結構な変わり者だからね? 普通の明石さんはあんな感じじゃないから」

 

 

「解っているわよ」

 

 

叢雲の表情から何を考えているのか察したらしい提督の言葉に、叢雲は憮然として答える。

 

 

「なんせ『工房』の明石の一人だものね」

 

 

『工房』――と呼ばれる、奇妙な組合が、艦娘の中には存在している。主に明石や夕張と言った、兵装の開発に深い造詣を持った艦娘たちで構成されるその組織は、変わった『兵装』を造り出すことで知られている。

 

その兵装はおよそ、通常の艦娘のそれとはかけ離れたものであり、普通の艦娘が戦闘で使用することはまず無いと言っても良い。と言うよりも、大抵の場合『仕掛け武器』と呼ばれるその異質の兵装は、通常の艦娘が使えるような代物でないことが多い。

 

艦娘と呼ばれる存在は、かつての大戦に存在した『軍艦』とはまた違う。いくら『艦』と呼ばれようが、実際の『艦』とはまるで別物である。

 

戦艦によるロングレンジからの砲撃、そしてそれをも凌駕する超ロングレンジ……あるいは場合によっては、アウトレンジにさえなりうる航空戦。

 

それらは確かに艦娘においても不可能ではない。だが、単純に考えて、かつての大戦とは敵味方共に、サイズも機動力もまるで違うのだ。

 

人と同じようなサイズの敵と味方。互いに、そんな超長距離からの攻撃を、そのような小さなサイズの的に当てることは難しい。

 

故に、艦娘と深海棲艦の間に生まれる戦いは、主にショートレンジからミドルレンジによる撃ち合いとなる。場合によっては超接近の近接戦闘や長距離射撃なども行うことがあるが、それはあくまでサブ的なものだ。

 

当然ながらそれらの戦い方には近接戦闘を主軸に置いた――しかも奇妙な仕掛けのついた、並の膂力や技術では扱えない武器など不必要である。

 

『工房』の造り出す兵装の中には、もちろん遠距離を主軸に置いたものも存在するが――それらは稀だ。

 

故に、『工房』製の兵装を操る艦娘は極少ない。扱える者自体が少ないし、扱える物自体も少ないのだから、実戦で使用するような輩となれば両手で数えるほども居ないだろう。

 

まあ。

 

ここ、第四横須賀支部には、そんな輩ばかり揃っているのだが。

 

 

「――『ノコギリ槍』って言ったっけ? 叢雲さんの武器。どう? 使い心地は」

 

 

「ま、悪くないわ。随分と馴染んで来たってところね」

 

 

「そりゃ良かった。まあ、元々『叢雲』の艦娘には初期兵装として、艤装化されたマスト型の槍が付属していたし、『槍』とは相性がいいのかもね」

 

 

「あれが普通の『槍』に見える? 悪いけれど、槍として使ったことなんて数えるほどしか無いわよ」

 

 

「ん? そうなの? ノコギリ槍って名前なのに?」

 

 

「その文句は『工房』に言ってくれる?」

 

 

通常時は人ならざる深海棲艦の装甲を削り、そしてその青白い皮や肉を裂くコンパクトなノコギリとして機能し、スプリングとジョイントによってその刃を伸長させた変形後は、ノコギリ刃をそのままとして長柄の槍として扱うことが出来る――それがノコギリ槍と言う得物だ。

 

変形機構を利用して深海棲艦の膓に深く刃を食い込ませ、例え相手が戦艦だろうが力任せにその胴体を引き裂けるこの得物を、叢雲は存外気に入っていた。

 

 

「まあ、なんにせよ気に入っているなら良かったよ」

 

 

「流石に木曾ほどじゃないけれどね」

 

 

自身の得物である『落葉』に、一兵装に対する以上の愛情を注ぐ木曾を思い出しながら、叢雲は言う。

 

提督は苦笑する。

 

 

「武器を大事にしてくれるのは、まあ、俺としてもありがたいよ。資源も無限にあるわけじゃないから」

 

 

「言われなくとも、みんな大事にしているわよ。奴らを殺すための武器なんだから」

 

 

「そこで、命を預けるものなんだから、とか言わないのがうちの艦隊がうちの艦隊たる所以だよなぁ……」

 

 

提督は沁み沁みと呟いて、苦笑いを濃くする。

 

 

(……優秀なのは間違いないんだけれど)

 

 

この艦隊が、血に酔った艦娘たち、などと呼ばれているのは、ある種蔑称の側面もある。

 

その異様なまでの凶暴性。深く深く根付いた極端な深海棲艦への憎悪と、悍ましき血への渇望。暴虐に身を任せたかのような戦い方。

 

その性質から、彼女たちは、ある種忌み嫌われる存在でもある。敵からも、味方からも。だからこそ、一箇所に集められ、統治されている。

 

ある種の隔離だ。

 

艦隊と言う、協調性が大きな意味を持つ中にぽつりと浮かぶ異分子は、チームワークの乱れ以上の損害を、その艦隊に生むだろう。故に、この措置は一種の隔離であると同時に、合理的な戦術であるとも言える。

 

それが解っているからこそ、叢雲たちも甘んじてその処置を受け入れているのだ。

 

地位や名誉や世間体よりも、深海棲艦の殲滅を。そして血を。それが彼女たちの第一目標であり、揺るぐことのない支柱だった。

 

 

「……っと。そう言えば午後から明石さんと約束があるんだった」

 

 

ふと顔を上げて時計を見た提督は、思い出したかのようにそういった。

 

 

「約束? 食事にでも行くの?」

 

 

「生憎とそんな心躍るようなイベントじゃないよ。ほら、この間叢雲さんたちの定期診断、しただろ? その結果の確認」

 

 

「ああ、そんなこともあったわね」

 

 

定期的に、在籍する全艦娘たちの検診を行うのは、なにもこの鎮守府だけのことではない。日本各国あらゆる地域の鎮守府、そしてその支部において、それは行われている。艦娘と言うのは深海棲艦に対する、現在人類が保有している唯一無二の切り札だ。その戦力のメンテナンスは、例え一月に一度でも過剰とは呼べないだろう。

 

しかし、各鎮守府における艦娘の平均在籍数を考慮すれば、一月に一度全員を検診すると言うのは些か非現実的だ。そのため現在は最低限、上半期、下半期に一度は行うこと、と言う規則が制定されている。

 

この鎮守府においては、純粋に籍をおいている艦娘がたった六隻であると言う都合上、年に二回よりも少しだけ頻度の高い、四半期に一度と言う形態を取っている。

 

 

「変に悪い結果でなければいいけれど」

 

 

間宮羊羹をつまみながら、叢雲は呟いた。

 

 

「何? なんか気になることでもあるの?」

 

 

「別にないわよ、この鎮守府に配属されてから随分とストレスフリーにやらせて貰っているし。けれど――」

 

 

「けれど?」

 

 

「もしも問題があったら、あいつらを十全に狩れないじゃない」

 

 

薄く微笑んで、叢雲は羊羹の切れ端を食む。それはまるで、無邪気な少女のような笑みでもあったし、獲物を食らう蛇のような冷徹な笑みでもあった。

 

 

「……はは、結局そこに行き着くんだね。まあ、らしいけれどさ」

 

 

いいながら、提督は立ち上がる。

 

 

「んじゃま、俺はそろそろ行くよ。叢雲さんは?」

 

 

「羊羹食べてから部屋に戻るわ」

 

 

「了解……それにしてもよく食べるね。ああ、ひょっとして診断で気になるのってバルジ――」

 

 

「あんたのその不健康そうな内臓で、執務室をデコレーションしたいんじゃなかったら、その口を閉じることをオススメするわ」

 

 

黒文字を提督へと突きつけながら、叢雲は底冷えのする声音でそう言った。口調こそ冷静だったが、凡そ冗談とは思えない殺気がその目の奥に宿っているのが見て取れた。

 

 

「……ははっ、口は災いの元って奴だね」

 

 

突きつけられたのはたかが和菓子を切り分けるための黒文字だと言うのに、まるで巨大なノコギリでも眼前に向けられたかのような気分になった提督は、大人しく執務室から出ていく。

 

 

こんなでも、存外彼と彼女たちの関係は良好であった。

 

 

 



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母港にて.02

「……ふぅ。こんなもんか」

 

 

この鎮守府支部にはいくつかの施設がある。海に面した出撃ドック。艦娘や提督の居住区。通信設備や執務室等の揃った本館。その中の医務室に面した入渠ドック。中央より派遣された明石の経営する小売店や、同じく間宮によって運営される甘味店。陸上演習場と海上演習場。

 

そして、艦娘の艤装の調整や開発等を行うための施設である、工廠。

 

重雷装巡洋艦、木曾は、その薄暗い工廠の片隅に座り込み、自身の得物である『仕掛け武器』の手入れに没頭していた。

 

パキンッ、と小さな音を立てて、木曾は手入れのため分離させていた長刀と短刀を組み合わせる。一体どのような金属を使っているのかは定かではないが、その刃には一片の曇りすら無い。

 

それは酷く丁寧に手入れを重ねる木曾の研鑽の賜物でもあり、この仕掛武器の品質の良さを示すものでもあった。

 

木曾は長刀を軽く掲げる。工廠の仄かな光に照らされた刃が鈍い光を見せる。刃毀れ一つ無い美しい刃。触れるだけで触れるものを一切の例外なく切り裂くその鋭利さ。

 

惚れ惚れする。

 

木曾はこの刀に魅せられている。

 

他の艦娘――それが例え、彼女と同じく『血に酔った』と称される異質の艦娘であろうと、木曾のその気持ちを理解出来るものは少ない。

 

木曾が、この刃を『落葉』と呼び、必要以上に愛するその理由を、正しく理解出来るものが一体どれだけ居るのか。

 

 

(……まあ、理解されようがされまいが、どうだっていいけれどな)

 

 

思考を打ち切り、改めて刀身へと目をやる。手入れに不具合はないか。軽く刃を振り、変形機構も試す。

 

 

「……まだやってたの? あんたもホント、変な奴ねー」

 

 

そのように、自身の得物の具合を確かめていた木曾へと、声を掛ける影があった。

 

航空母艦、瑞鶴だ。

 

 

「瑞鶴か。どうした? お前がここに来るなんて珍しいじゃないか」

 

 

言いながら、木曾は周囲を見渡す。

 

ここ、工廠には兵装を造り出すための機械や、それらをメンテナンスするための道具。そしてメンテナンスされる非艤装化状態の兵装である砲や、収容場所に困って放置されている魚雷などが所狭しと並んでいる。

 

工廠の東側へと視線をやると、そのコンクリートの壁一面に、奇怪な『仕掛け武器』がずらりとぶら下がっている。

 

一見杖にしか見えない物、柄と刃の狭間に仕掛けが施された巨大な大鎌、背の側にノコギリ刃のついた鉈、銀の剣とその横にぶら下げられた鞘状の刃、前述のものより些か短い銀の剣とその横にぶら下げられた巨大な石槌の頭、蛇腹のように刃の伸びた無骨な分厚い鉄の鉈、持ち手が湾曲した奇妙な曲刀、一対の奇妙な形の短刀、銀色に輝く杭、巨大な金槌のような鉄塊……

 

見るからに奇妙なものだらけだ。これらはどれも『工房製』の仕掛け武器である。

 

そんな奇怪な代物がある所為か、工廠の雰囲気は不気味と言っても差し支えない。故にだろうか、あまりこの工廠に長居しようと思うものはこの鎮守府においてもそう多くはない。

 

 

「さっきもちょこっと言ったけれど、偶には私も、武器の手入れでもしようかと思ってさ」

 

 

言いながら瑞鶴は、自身の得物である『仕掛け武器』を木曾へと見せる。

 

それの外見を一言で表すならば、『弓』と呼ぶ他にないだろう。現在存在が確認されている空母において、その艦載機の発艦方法には何種類かのパターンが見られる。

 

弓を使う者。式を使う者。そのハイブリット。連弩。絡繰り。灯籠。カタパルト。カード。銃。最初期こそその種類も少なかった艦娘たちだったが、今やその数も大いに増え、空母の発艦方式にも数が見られる。

 

『瑞鶴』の艦娘におけるスタンダードな発艦方式は、最もメジャーとされる『弓』による発艦である。故に彼女がその『弓』を持つことには何ら違和感はない。

 

――それが、普通の弓であるならば。

 

それは普通とは到底呼べない奇妙な代物だった。姫反から小反に当たる部分までが全て『刃』となっており、その繋ぎ目には複雑な構造の『仕掛け』が施されてる。

 

弦に当たる部分は一見して故の解らぬ金属で作られており、尋常の艦娘の力では引くことすらままならないだろう。リムに当たる部分が刃で構成されている関係上、高い技術を持つものでない限り自身を傷つける可能性さえもある。

 

確かに、これが何と問われれば、弓と答えるしかないだろう。

 

だが、これを一切の抵抗なく弓と呼べる人間はそう多くないかもしれない。

 

瑞鶴は手に持ったその『弓』を軽く振る。多くが金属で作られたその弓の重量は見た目よりも余程重いものであるが、彼女はそれを苦もなく片手で振り回す。

 

『弓』が振られた瞬間、ガシャンっ、と言う金属の擦れる音がして、その『弓』の形状が一瞬にして変化する。

 

気がつけば、彼女がその手に持っているのは『弓』などと呼べる代物ではなくなっていた。

 

それは『曲剣』だった。

 

酷く湾曲した刃。十字の柄を持つ曲剣。

 

一体、どんな特殊な機構を組み込めば、こんな代物が出来上がるのだろうか。一連の変形を見ていた木曾はもちろん、使い手である瑞鶴でさえ、その変形機構を完璧に理解することは出来ていない。

 

解っているのは、これが『弓』と『曲剣』の性質を併せ持つ『仕掛け武器』――『弓剣』であると言う事実のみであった。

 

かつて誰かは嘲ったかもしれない。

 

そんな得物を持ってどうするのか。空母であるにも関わらず、そんな近接戦闘用の得物を用いることにどれほどの意味があると言うのか。

 

剣で奴らに挑むなど、と。

 

 

「いつ見てもとんでもねぇな、そいつは。一体全体どんな仕組みだ?」

 

 

「さぁ、そんなのは明石さんにでも聞いてくれる?」

 

 

言いながら瑞鶴は、木曾の隣へと腰を下ろして、弓剣の手入れを始めた。見る限り、目立った刃毀れや傷はないが、汚れを落として、油を塗っていく。

 

時には変形させ、弓状態でのチェックも欠かさない。弦の状態や傷み具合を確認しながら、瑞鶴は手入れを進める。

 

 

「俺が思うに、その『弓剣』みてぇな武器こそ、小まめな手入れが必要だと感じるんだがな……その機構、複雑なだけにぶっ壊れ易いんじゃないのか?」

 

 

木曾の言葉に、瑞鶴は手入れをやめないまま答える。

 

 

「今まで一度も壊れたことはないし、大丈夫じゃない? 多分ね。何より、『艤装化』して運用しているし。よっぽどのことがなければ平気だと思うけれど」

 

 

『艤装化』とは、兵装を各艦娘の持つ『艤装』とリンクさせる行為である。

 

深海棲艦には、通常の兵器がまったく通用しない。そのため『艦娘』と言う存在がこの世界において重要であるわけなのだが、その『艦娘』が深海棲艦へダメージを通すために必要なのが、この『艤装化』だ。

 

例えば、駆逐艦の汎用主砲である12.7cm連装砲があったとする。

 

これは艦娘用に誂えられている在りし日の軍船の艤装をリサイズした代物であるが、しかし例えば人間がこれを使って深海棲艦へと攻撃を仕掛けても、ダメージは通らない。

 

『艤装化』されていないためだ。

 

艦娘界隈において、艤装とは正確には艦娘の持つ兵装のコアとなる部分を指す。主砲や副砲、魚雷や艦載機は艤装ではなく、『艤装化』された兵装に当たる。もっとも、現在においては『艤装化』された兵装を含めて、『艤装』と呼ばれることも多い。

 

勿論、この『艤装化』はどんな兵装、武器でも行えるわけではない。艦娘用にリサイズされたかつての兵装であっても、例えば駆逐艦の艦娘には、41cm連装砲を『艤装化』することは出来ない。

 

同じ艦種――例えば軽巡洋艦であっても、水上爆撃機を『艤装化』出来る艦娘も居れば、出来ない艦娘もいる。

 

艦娘との相性と言うものがあるのだ。

 

そして特筆すべき特性として、『艤装化』された兵装は耐久度の減少が著しく低くなる。おおよそ艦娘を守る『障壁』と似たようなものが艤装へのダメージを防いでいるのではないかと言われているが、詳細は不明だ。

 

 

「はっ、まあそうだろうがな」

 

 

言いながら木曾は、自身の得物である『落葉』をケースへとしまう。赤色の柔らかな布で包み、クッション性の高い敷物で埋められた木製の、長方形の箱へとしまい込む。

 

工廠のそこらに放置されている魚雷や、壁に無造作に引っ掛けられている他の『仕掛け武器』とは全く違う扱いである。

 

 

「あんたはむしろ、神経質になりすぎじゃない?」

 

 

その様子を眺めていた瑞鶴は、木曾へとそう声をかけた。木曾はそんな瑞鶴の言葉を「ふっ」と笑い飛ばす。

 

 

「こいつは特別だからな。万が一にでも折れて貰っちゃ困るのさ」

 

 

「特別?」

 

 

木曾の意味深な含みのある言葉に、瑞鶴は思わず聞き返した。木曾は「ああ」とそれに答える。

 

 

「こいつは、明石たち、『工房』の代物じゃない。故さえ解らない、特殊な『仕掛け武器』だ。だから代わりがない」

 

 

「……ふうん?」

 

 

『工房製』ではない仕掛け武器。その意味を正しく理解して、瑞鶴は少し驚く。

 

 

(こんなもの造る輩が、他にもいるなんてね)

 

 

「確か、綾波の遣っている得物も、そうだったはずだぜ。あれも工房じゃない何処かの代物だ」

 

 

「あー、あれね。確かに言われてみれば、綾波のあれは独特だわ。深海棲艦との戦いに、あまつさえ『銃』を使おうなんて、考えもしなかったし」

 

 

「リサイズされた艦娘の『砲』だって銃みたいなもんじゃねぇか。戦艦とかの代物はまた別だが」

 

 

「それはそうかもしれないけれど、それにしたってあんな旧式の銃使うような理由はないでしょ?」

 

 

「ま、そりゃそうか」

 

 

木曾は綾波の扱う『銃』を思い出してそう言った。あれは戦闘用であるとは思えないほどに凝った装飾の成された美麗な銃であるが、酷く古い型であることに間違いはない。

 

一見して単発式の、些か銃身の長い短銃であるかのように思われるが、どういう理屈なのか、綾波はそれを右手に持つ『刺剣』に誂えられた『仕掛け銃』と共に連射する。

 

そしてその一撃は駆逐艦や軽巡程度の装甲ならば、狙い所によっては貫通する程の効力を持っている。純粋な火薬による威力だけでないことは明らかだが、その威力の源が何であるのかは定かではない。

 

最初、綾波のその戦い振りを見た際は、如何に『血に酔った』と称された木曾であろうと驚いたものだ。

 

 

なにせ、綾波は戦場において、一切艦娘としての兵装を装備していないのだから。

 

 

叢雲や木曾、夕立であれば、自身の得物である仕掛け武器の他に連装砲や魚雷と言った艦娘としての兵装を装備している。近接戦闘に重きを置く故、それらの兵装が使われる事自体は滅多に無いが、それでも有事の際の控えとして持っているには持っている。

 

瑞鶴とて、遣っている得物こそ異様な代物であるが、艦載機の発艦から航空戦まで、艦娘としての領分に当たる部分を保持している。それが他の艦娘と比べて酷く狭いものであるとしても。

 

山城もその戦艦としての火力を十二分に発揮できる長射程、高威力の試製41cm三連装砲を持ち、場合によっては水上爆撃機を利用して、瑞鶴と共に空の戦いへ向くこともある。

 

だが、綾波にはそれらが一切存在していないのだ。

 

代わりと言わんばかりに、彼女は『異質の兵装』を三つ抱え、戦場へ向かう。その姿はこの鎮守府支部の中においても極めて異端だ。

 

 

「銃に刺剣、それに刀……ええと、なんて名前だっけ。忘れちゃったけれど……あれ全部が工房製じゃないの?」

 

 

「確かそうだったはずだが」

 

 

「ふうん……」

 

 

だとしたら、この世には随分と変わり者が多いのかもしれない。こんな奇妙な代物を作り出す輩なんて、それこそ『工房』だけでも十分のように思えるけれど。

 

瑞鶴は手入れの済んだ自身の『仕掛け武器』へと視線を落とす。

 

考えてみれば、『工房』もそうだけれど、一体何を考えてこんなものを造っていたのだろう。常識的な思考回路の持ち主であれば、こんなものを深海棲艦への対抗力になどしないはずだ。

 

それは多彩な発想力――『智慧』と呼ぶべきものなのかもしれないが、素直にそうと受け取ってしまっても良いのだろうか。

 

むしろ、ある種、それは狂気に近い。

 

この鎮守府においては、比較的常識的な感性を有する瑞鶴だからこそ、そう考えることが出来た。他の面々では、まずそれを疑問に思うことすらしないだろう。彼女らは彼女らで、狂気に溢れている。もしも少しでも何か切っ掛けがあれば、その頭蓋の内に収められている幾重にも巡らされた、場合によってはそれこそ智慧とさえ呼べるかもしれない何かが、きっと溢れ出してくる。故に彼女らは血に酔っていると呼ばれるのだ。

 

 

(……ま、それは私も同じだけれど)

 

 

程度が軽いと言うだけで。

 

そんなことを思いながら、瑞鶴は弓剣を鉄製の箱へと仕舞い込んだ。木曾と比べると些か雑な扱い方だったが、本来このくらいの扱いが普通だとも言える。

 

 

「さて、お手入れ終わり。木曾はこの後どうするの?」

 

 

「俺か? 特に考えちゃいねぇが……」

 

 

雑談を交わしながら、二人は工廠を出ていく。時刻はまだ昼前後で、空には雲がかった太陽が顔を覗かせている。薄暗い工廠から出てくるとその光が僅かに網膜を焼く。

 

瑞鶴は眩しげに手を翳しながら、工廠から続く道を歩んでいる。木曾はその隣に居るものの、さして眩しそうにする気配は無かった。

 

 

「……ん? ありゃ山城か?」

 

 

「え?」

 

 

だからだろうか、先にそれを見つけたのは木曾の方だった。彼女たちの歩む道の先。ちょうど陸上演習場の近くに当たる道に、一人の女性が頼りなく歩いている。

 

いや、別段足元がふらついているだとか、弱々しい足取りであるとか、そう言った様子は一切ないのだが、太陽の元だと言うのに、どことなく薄暗い雰囲気。うっすら曲がった猫背。縮こまったように寄せた腕などがそんな雰囲気を醸し出している。

 

この鎮守府に居る艦娘で、そんな雰囲気を宿す者は一人しか居なかった。十中八九、山城である。

 

 

「あ、ホントだ。おーい、山城さーん」

 

 

木曾の言葉を受けて山城の姿を確認した瑞鶴は、そんな風に、手を振りながら声を掛ける。山城は自身の後ろから発せられた声に反応し、立ち止まってくるりと振り向いた。

 

 

「あぁ……瑞鶴、それに木曾も……今日も元気そうね……何よりだわ……」

 

 

そういう山城さんは随分と元気がなさそうですね、とは二人とも言わなかった。いつものことだから、と言うのもあるが、そもそも山城に関しては一見して『元気がある』とか『元気がない』とかが今ひとつ判断し難い。

 

常時纏っている負のオーラの所為だろう。彼女が元気溌剌とした所を、瑞鶴は一度も見たことがない。木曾は一度だけ見たことがある。山城が『姉様』と呼び慕う、戦艦扶桑の艦娘と出会えた時のことだ。あの時は山城の中に眠る別の人格が現れたのかと思った。

 

残念なことに、この鎮守府支部に戦艦扶桑はおらず、なおかつこの鎮守府支部の特質上、他鎮守府支部との交流自体も酷く薄いため、その機会は滅多にない。

 

 

「あなた達は、今日はどうしたの……?」

 

 

駆け寄って来た瑞鶴と木曾を待ってから、山城はそう問う。それに返答したのは木曾だった。

 

 

「いつもどおり、武器の手入れさ。得物が鈍っちゃ奴らを狩れないからな」

 

 

「私もそんなところ。木曾にちょっと触発されてね」

 

 

「……得物の手入れ。そう……そうね、あなた達は今日出撃だったものね……」

 

 

『あ』、と瑞鶴と木曾が同時に表情を固まらせた。

 

何か、面倒な地雷を踏んだような気がした。

 

 

「そうよね……私みたいな不幸な船とは違ってあなた達は戦場に引っ張りだこだものね……ちゃんと兵装の手入れはしないといけないに違いないわ……」

 

 

山城の表情が暗く沈む。元から沈んでいたが更に深々と沈む。醸し出されるさながら曇天の只中のような暗黒色の負のオーラが濃霧の如く増していく。

 

 

「い、いやいやいや、山城さん!! 山城さんだって普通に出撃するじゃない? 別に私達だけ特別多いってわけじゃないし」

 

 

「いや、つーかこの鎮守府に籍おいている艦娘は六隻だけだろ? 当然俺たちと山城とで出撃数が大幅に変わるってこたぁねぇと思うが……」

 

 

「慰めてくれるのね……」

 

 

(いや、別に慰めようと思ったつもりもないんだけれど)

 

 

どうにも本日、一人だけ鎮守府において行かれたことについて随分と思うところがあるらしい。まあ実際、瑞鶴や木曾がその立場に置かれたら、多かれ少なかれ不満に思うことも出てくることだろう。

 

戦いたいのに戦えない。

 

それは何も『血に酔った』と称される彼女たちに限らないフラストレーションだ。そもそも艦娘と言う存在自体が、深海棲艦と戦うためにデザインされている。なのだから、その本分を全うできないと言うのはストレスになり得る。

 

一部の艦娘においては、そういった性質を持たない輩も少なからず居るわけだけれど、しかしながらこの鎮守府において言えば、例外なくそういった性質を有している。

 

山城も当然、そうである。

 

 

「ま、さっきあいつに出撃組んでもらうように取り付けていただろ? すぐにまた戦場に出られるさ」

 

 

「それなら、いいけれど……」

 

 

実際の所、先の救援要請に答えるような出撃でもない限り、出撃は六隻で組まれることが多い。明石や間宮と言った面々は、中央から派遣されて来ている扱いであるため、正式にこの鎮守府に籍をおいているわけではない。

 

故に、当然ながら出撃においては六隻全員で行くことが最も多い。だから心配する必要性はさして無いのだが、そこで懸念を抱くと言うのが、また山城らしさなのかもしれなかった。

 

 

「落ち込んでいるならさ、これから一緒に間宮でもいかない? 木曾もどう?」

 

 

瑞鶴の提案に、木曾は「あー」となんとも微妙な声を零す。

 

 

「俺はあんまり甘いものは好きじゃないからな……けれど、まあ、いいぜ。偶にはそういうのも悪くない」

 

 

「私なんかが一緒に行ってもいいのかしら……」

 

 

「誘っているのは私なんだし、良いに決まっているじゃない! さ、いきましょ」

 

 

そう言って、瑞鶴は二人を先導するが如く率先して歩き出す。行き先はもちろん間宮方面である。

 

と、瑞鶴が歩き出したその瞬間のことだった。

 

――空から飛来した『何か』が山城の頭に直撃した。

 

かーんっ、と、なんとも派手な音が鳴り響く。

 

 

「っったぁい……ッ!!」

 

 

「ちょ、山城さん!? 大丈夫!?」

 

 

「おいおい……なんだ、どうした?」

 

 

「う、うぅ……何よ……何なのよもう……不幸だわ……」

 

 

頭を抑えて蹲る山城へと駆け寄る瑞鶴と木曾。幸いにして飛来した『何か』は山城の着けている大きな髪飾りにぶつかったようで(だからこそあれほど大きな音が鳴ったのだろうが)頭自体に直撃はしていないようだった。

 

それにしたって衝撃は並ではない。痛いものは痛いだろう。戦闘中でもない不意討ちからなるその痛みは如何に艦娘であろうと、血に酔ったとさえ称される艦娘であろうと、涙目になるには十分な代物だった。心構えもなにもないのだから仕方がないと言える。むしろ常人であれば気絶していても、あるいは普通に死んでいてもおかしくはないかもしれないことを考えれば、さすがは戦艦の耐久力とでも言ったところか。

 

 

「……えっと、飛んできたのは、これ?」

 

 

山城に大事がないのを確認してから、瑞鶴は近くに落ちていた『何か』を拾い上げた。

 

それは黒い金属で出来た、輪状になった筒のようなものだった。それが、片方の側で切断されたように斜めになっている。一見すると切り落とされた鉄パイプか配管か、そのような物にも見えた。

 

 

「おいおい、そりゃ『12.7cm連装砲B型改二(夕立の主砲)』の先端じゃねぇか?」

 

 

「え?」

 

 

工廠に入り浸っている所為か、各種兵装に見識のある木曾の言葉に、瑞鶴と山城は改めてその金属片へと目をやる。

 

確かに言われてみればそんな風にも見えるが……何故、そんなものが空から飛んでくる?

 

そもそもなんで先端だけが?

 

 

「ちょっと見せてみろ……あー、こりゃ刃物で切断された跡だな」

 

 

瑞鶴から金属片を受け取った木曾は、その断面を観察してそう断定した。刃物。それも相当に鋭利なものによる切断面。いや、刃物の鋭利さだけではない。かなりの遣い手でなければ、金属を、それも艦娘の兵装を構成するような高等金属を切断するなどと言うことは不可能だろう。

 

 

「……ねぇ、夕立って確か、今頃、綾波と演習していたんじゃなかったっけ」

 

 

金属片を見ながら、瑞鶴はそういった。

 

 

「そう……ね。確か、そうだったはずだわ……」

 

 

頭を抑えながら、山城も同意する。夕立と演習している綾波。鋭利な刃物で切り落とされた夕立の主砲の先端。ここまで情報が揃えば、何故これが空から飛んできたのか。それを推理することは容易なことだった。

 

 

「……あいつら、また派手にやってんな……」

 

 

陸上演習場の方へと視線をやりながら、木曾は呟く。

 

瑞鶴と山城も同じように視線を向けながら、小さくため息をついた。

 

 




次回、(鬼神)vs(狂犬)


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母港にて.03

 

 

艦娘同士の演習と言うのは、通常の場合海上で行われる。艦娘の戦闘は海で行われるのだから、それは当然のことだ。

 

故に通常の鎮守府支部には『陸上演習場』と言うものが存在していない。あるのはあくまで『陸上訓練場』であって、決して『演習場』ではない。

 

演習と言うのは安全に経験を積むことの出来る貴重な手段である。危険がゼロであると言うわけでは決して無いが、それでも実戦よりはよほど安全な、練度上昇の機会。それを一切行わないような艦隊運営をする提督と言うのは酷く稀な存在であろう。

 

それは鎮守府支部内部だけの演習にとどまらない。支部間での演習。あるいは支部を越えて、他の鎮守府との演習。そういった催しは日夜数多く繰り広げられている。

 

翻って、この鎮守府においては、他支部との演習、あるいは他鎮守府との演習と言った行為を一切行っていない。

 

まあ、当然といえば当然である。通常、艦娘と艦娘の演習においては模擬弾を使用する。万が一にも訓練による轟沈など起こらぬよう、万全を期した状態で行われる。

 

しかし、この鎮守府の艦娘たちの戦い方は、あまりにも通常の艦娘のそれとは逸脱している。

 

模擬弾もなにもない。

 

彼女たちの主兵装は、『仕掛け武器』と呼ばれる奇妙な兵装だ。鋸刃の槍。変形する大斧。弾丸射出機能を持つ刺突剣、古めかしい銃、そして鞘に収まる刀。短刀と分離させることの出来る長刀、弓と曲剣の性質を併せ持つ弓剣――各々そういった『仕掛け武器』を持っている。唯一、空母であるが故にメインとして通常の艦載機を扱う瑞鶴だけは、演習に参加することも不可能ではないだろうが、空母一人で行う演習に一体どれほどの意味があると言うのか。

 

深海棲艦、しかもその戦艦クラスの装甲ですら削り、打ち砕き、穿ち、切り裂く特殊な『仕掛け武器』。それらが艦娘に振るわれれば、どうなることか想像するに難くない。

 

そして何より、この鎮守府支部の艦娘――『血に酔った艦娘』と呼ばれる彼女たちは酷く恐れられた存在だ。畏敬と言うよりは恐怖――通常の艦娘とは一線を画するとてつもない膂力や反射神経と、その血を求む嗜好。

 

そんな輩と演習しようとする者が、一体どれほど居ると言うのだろうか。

 

故に、彼女たちは他支部や他鎮守府との演習と言う行為を行わない。だが、一切合切演習を行わないのかと言えば決してそんなことはない。

 

鎮守府支部内部で。

 

血に酔ったと称される艦娘同士で、演習を行うことは当然あるのだ。

 

このように。

 

 

「――っぽいッ」

 

 

がしゃんっ、と言う金属質な音が演習場に鳴り響いた。

 

瞬間、夕立の振るう斧が伸び、長柄斧の先端が綾波の胴体を襲う。艤装をつけ、障壁が展開しているとは言え、深海棲艦の装甲すら一撃で破砕するその一撃を受ければただでは済まない――綾波は後ろへステップすることにより、その一撃を紙一重で躱す。

 

 

「相変わらず、厄介、ですね、その斧」

 

 

綾波は小さく呟く。別に話しかけた訳ではない、独り言のようなものだ。

 

長柄の武器を相手にする時は、その懐に飛び込むのが最善だ。だが、夕立の扱うその大斧は、瞬く間に長柄斧と手斧の狭間を行き来する。飛び込みを読まれて手斧に畳まれ、攻撃を一撃でも貰えばただでは済まない。

 

そして、その手斧のリーチ圏内から離脱しようとする際が何より危険だ。変形し、振り回された大斧が遠心力を持って獲物に叩きつけられた際――その時の破壊力は絶大の一言に尽きる。

 

特に夕立の好んで使う、尋常ならざる膂力から放たれる駆逐艦らしからぬ凝縮された暴力が生み出す、一切の威力を殺さぬ連続した二度の回転斬り。

 

それを喰らえば、凶刃は障壁を食い破り、下手をしたら胴体を丸ごと持っていかれかねない。実際にそうなった深海棲艦の数は数えられないほどにいる。だからこそ、冷静に対応する必要がある。幸いにして、リーチの有利は綾波にあるのだ。

 

かちゃり、と左手にぶら下がっていた、旧式の短銃を構える。銃の反動を、斜めに逃がす変わった射撃の構えだ。銃口が夕立へと定まったその瞬間、すでに引き金は引かれている。

 

乾いた発砲音。

 

銃口から、『水銀』で構成された奇妙な弾丸が高速で射出される。それを見てから躱すことは不可能と言っても過言ではない。だが、それはあくまで弾丸が発射されてからの話だ。相手が銃を構えたその瞬間から警戒していれば、艤装を身につけた艦娘の――ましてや、『血に酔った』と称される彼女たちの反射神経であれば、躱せないほどのものでは、決して無い。

 

地を蹴り、銃弾を躱しながら右斜め前に飛び出した夕立。如何に長柄の斧と言えど、銃の射程には敵わない。故に距離を詰める。移動に邪魔であるからか、その際に長柄斧を手斧へと変化させ、駆ける。

 

だがそれを黙って見過ごす綾波でもない。後ろへステップしながら、その右手に持つ刺突剣を振るう。無論、その刃を夕立へ届かせようとしたわけではない。

 

刺突剣を振るったその瞬間、かしゃっ、と小さな音がして武器の機構が変化する。現れたのは銃口。そこから射出される銀の弾丸は、不安定な体勢で撃ったのにも関わらず、夕立へと真っ直ぐ突き進む。

 

そして間髪入れずに左手の短銃を構え直す――次、夕立が弾丸を躱したその瞬間、容赦なく次発を叩き込むつもりである。

 

しかし、夕立は回避を選択しなかった。その手に持つ大斧の分厚い刃を前面に出し、飛来する水銀の弾丸を弾く。鈍い金属音が演習場に響く。

 

回避ではなく防御を選択された――十中八九躱してくるだろうと予想を立てていた綾波は、その想定外の行動に一瞬、次の行動が遅れる。コンマ一秒にも満たぬその隙は、しかしそれでも、血に酔った艦娘同士の演習においては致命的なものだ。

 

 

「――――」

 

 

肉薄。

 

無言のまま、夕立の楽しげな表情が、綾波に近づく。とっさに右手の刃を振るおうとするも、夕立の左手がその手首を掴む。行動を阻害されたと理解した瞬間、夕立の右手に握られた手斧が綾波の首へと振るわれた。

 

 

「っ」

 

 

超常的な反射神経と運動能力によって、綾波はその凶刃を胴体を後ろに逸らすことで回避する。だが、右腕を掴まれているため距離を取ることは出来ない。故に選択は迎撃。

 

左手に持つ短銃を至近距離で、夕立の頭部に突きつける。直後に発砲音。ゼロ距離からの射撃。直撃すればただでは済まないそれを夕立は右にターンすることによって直前で回避する。

 

その回転の勢いを殺さぬまま、手斧を振るう。綾波はしゃがむことでそれを回避し、流れるように夕立の足を払った。綾波の右手首を掴んでいた夕立は、綾波がしゃがんだ事によって腕が引っ張られ、体勢を崩していたため、それを躱すことが出来ない。

 

綾波が空中を舞う夕立へと銃口を向ける。崩れた体勢。支えの無い空中。避けられる要素は――無い。

 

これで決まる――

 

はずだった。

 

 

「……ぽい!!」

 

 

夕立は空中で無理矢理に身体を捻り、身体をぐるりと反転させながら、その爪先で綾波の持つ短銃の銃身を蹴る。空中で強引に、本来あり得ないような、無軌道な動作によって行われた蹴りであるため、殆ど威力を持たないようなそれであったが、それでも銃口を夕立の身体から逸らすことには成功した。

 

 

(――そんなの、ありですか……!!)

 

 

綾波の心中に驚愕が訪れる。人と言うより、そして艦娘と言うより、まるで動物――()()()()()身体駆動。空中で無理やり体勢を変えた挙げ句、的確に銃身を蹴り抜くなど、尋常の所業ではない。

 

だが、その行動によって夕立の手が綾波の右手首から離れる。夕立はあまりにも常識外れの動きをしたせいで、まともに着地出来ていない。

 

綾波は素早く短銃を向ける。その引き金を引く直前、夕立が跳ねた。脚で地を蹴ったようには見えない。そもそもあの体制から脚力による跳躍することなど不可能だ。夕立のそれは、全身のバネを利用した無茶苦茶な跳躍だ。

 

身体が柔らかいだとか、そういった次元を越えている。綾波の放った弾丸が僅かに遅れて着弾する。躱された、と理解するまでもなく、綾波は追撃に移る。右手の刺剣に仕込まれた銃口を向け、再び撃つ。一切の無駄のない狙い。

 

一方滞空する夕立は空中で手斧をがしゃりと変形させ、長柄斧とする。それを強引に演習場の地面に叩きつけ、その反動で無理やり空中での立ち位置を変えることによって水銀の弾丸を回避しようと試みる。だが、その回避方法はあまりにも強引過ぎた。

 

綾波の放った水銀の弾丸は夕立の、決して厚いとは呼べない『障壁』を貫き、彼女の左頬に掠る。金色の髪が一房持って行かれる。裂けた頬からは鮮血が散った。

 

並々ならぬ力で重打を叩きつけられた演習場の床は派手に破損し、コンクリートが砕けて塵が舞う。その粉塵を境目にして、夕立と綾波は相対する。夕立はその長柄の大斧をぐるりと回し、綾波は両手に持つ銃口を向ける。

 

そこでようやく、夕立は自身の頬から流れる血に気がついた。左手でそっと血を拭い、ちらりと目をやってから、舐め取る。

 

 

「……あはは……匂い立つなぁ……えづくっぽい」

 

 

「ふふ、ふふふ」

 

 

夕立の口元が半月に歪められ、綾波の目が僅かに細められる。

 

まるで演習とは思えない、本気の応酬。互いに振るう力は直撃すればただでは済まない、どころの物ではない。普通に考えれば死ぬ。喰らえば死ぬ。そんな力を容赦も遠慮もなく、少しの躊躇すらなくぶつけ合っている。

 

お互い、そんなものは眼中にないのだ。手加減だとか、手心だとか、躊躇いだとか、そんなものが少しでもあるならば、彼女たちは『血に酔った』などと称されてはいない。この鎮守府支部にやってくることもなかっただろう。

 

綾波が動く。

 

左手の短銃と、右手の刺剣から連続で銃弾を放つ。粉塵が舞う中を水銀の弾丸が駆ける。夕立はそれを左へステップすることによって回避し、そのまま一気に距離を詰める。

 

懐へ飛び込んできた夕立を、綾波は刺剣を振るうことで牽制する。刃が突き刺さる直前、夕立は急激に速度を落とし、直後左へ飛びながら、腰部に接続されたアームから伸びる12.7cm連装砲B型改二を放つ。

 

それを綾波は右へ跳ねることで躱すが、そこに前方へステップした夕立の持つ大斧の凶刃が襲い掛かる。

 

 

(――避けきれない)

 

 

その判断は瞬時に行えた。ステップの勢いを殺さぬまま放たれたその一撃は想定を越えて素早い。遠心力が載っていないが故に威力はそれほどでもないだろうが、しかしその出の速さは折り紙付きだ。

 

綾波は咄嗟に右手に持つその『刺剣』の変形を解除しながら、振るう。その狙いは夕立ではなく、彼女の振るう大斧の先端だ。刃の部分に横から刃を当て、軌道を逸らそうと試みる。

 

その狙いは僅かながら効果を上げ、夕立の振るう斧は僅かにその狙いを外す。だが胴体に掠ったその一撃だけでも十二分に重い。綾波の展開する障壁が砕け、艤装がレッドサインを放つ。

 

 

「ッ」

 

 

吹き飛ばされる。

 

刺剣による逸しと障壁による防御によって、威力は大きく殺されている筈であり、そもそも突き出された大斧の力は振り回されたときのそれと比べて酷く低い筈だ。なのにも関わらず、掠った程度の綾波の身体は大きく後方へ吹き飛ぶ。

 

当然、その隙を見逃してくれる夕立ではない。素早く地を駆け、空中を舞う綾波を追う。首元に巻かれた長いマフラーが靡く。

 

このまま無策に追撃されるのは不味い。しかし夕立のように獣染みた強引な動きは、綾波には出来ない。長柄の得物を持つわけでもないが故に、先程のような強引な回避も不可能だ。

 

故に綾波は銃口を向ける。空中、それも吹き飛ばされている体勢と言う、とてもじゃないがまともに狙いを定めることが不可能であろう状態であっても、関係なく彼女は短銃の引き金を引く。

 

放たれた弾丸はそれでも正確に夕立の身体へ向かっていく。水銀で形作られ、そこに綾波の『血』が混ぜられたその弾丸は、果たしてどういう理屈か、艦娘の障壁や深海棲艦の装甲に酷く有効だ。先程のように、駆逐艦の障壁程度であれば容易に貫通し得る。

 

だからこそ、夕立はそれを躱すだろうと考えたが故の迎撃。それによって追撃を躱そうと言う試みだったが――

 

――夕立はそれを()()()()()()

 

水銀の弾丸が夕立の障壁に干渉する。空中に一瞬幾何学的な文様が光ったかと思ったその瞬間に、それが貫かれ霧散する。貫いた銃弾は夕立の左脚を刳り、血飛沫が舞う。

 

戦場において脚をやられると言うのはどうしようもなく致命的だ。それがより速度を重視するようなものであるならば尚更。機能的な話だけではない。脚を抉るような大怪我からなる痛みは通常それだけで人の動きを止めるものだ。

 

だが夕立は止まらない。痛みを感じていないわけではない。だがそれ以上に昂ぶる、彼女の内に潜んだ、人――そして人の理性とは相反する『それ』が彼女の脚を止めること無く進ませる。

 

確かに脚は縺れる。だがそれがどうしたと言うのだろう。一体それが、自身の得物を振るうのにどれほどの障害になり得ると言うのか。否、どれ程だろうが構わない。そんなものは関係ない。どれほどその身が傷付き血に塗れようとも、その得物を振るう。

 

それが、血に酔った艦娘(狩人)の矜持だ。彼女らは血溜まりを背に、一人佇む。

 

夕立の振るう斧が、再び綾波の障壁を打ち砕いた。ただでさえ大破判定の出ている綾波の艤装は、碌な障壁を展開出来ていない。それを軽々と打ち砕き、そしてその大斧は彼女の身体へと迫る。

 

綾波は咄嗟に両手をクロスするようにして、その凶刃を防ぐ。自身の得物である刺剣と短銃を突き出し、直撃を避けるよう試みる。

 

 

「――ッあ」

 

 

だがその一撃は余りにも重過ぎた。防ぐために突き出した刺剣も、短銃も、大斧の一撃によって吹き飛ぶ。あまりの衝撃に手は痺れ、その防御を圧倒的な暴力によって打ち崩した大斧の先端が胴を撫でる。それは確かに撫でると呼ぶに相応しいような接触の仕方ではあった。しかしその衝撃はとてもじゃないが撫でるなどとは呼べない――それは、余りにも激しい、重打の一撃だ。

 

直撃すれば深海棲艦の胴を砕き、内臓をぶち撒けられるような凶悪な一撃。その、ほんの僅かな一端が、綾波を襲う。たったそれだけの接触で、骨が軋み肉が叫ぶ。

 

 

「……ッ、く、ぁ」

 

 

弾き飛ばされる。

 

ただでさえ体勢を保てずにいた綾波は、夕立の追撃で更に体勢を崩す。思わず歯を食い縛る。喉の奥が熱い。脳髄の奥で何かが暴れるような感覚。灼け付く。だがその痛みがなんだと言うのだろうか。どれだけ痛みを負おうが、彼女たちの中に潜む渇望は決して消えない。消える筈がない。その程度で消えるのならば、彼女たちはここにはいない。

 

綾波は最低限の受け身を取るように着地する。地に這うように体勢を低くし、コンクリートの床に思い切り爪を立てて、吹き飛ばされた勢いを殺す。両手に得物は無い。刺剣も短銃も大斧の一撃によって吹き飛んでしまった。それを拾うような余裕はない。

 

夕立は地に伏せる綾波へと容赦のない追撃を仕掛けるべく、大斧を畳んで地を蹴る。跳ねるように、無軌道なまでの動作で飛びかかり――

 

がくんッ、と。

 

その夕立の身体が沈んだ。

 

綾波が何かをしたわけではない。ただ、先程撃ち抜かれた左脚が、夕立のその無軌道な動作に耐えきれなかっただけのことだ。だが、付いた勢いが消えるわけではない。思うように左脚を動かせなかった夕立は、そのまま慣性に則って地を滑る。

 

この機を逃す理由はなかった。

 

綾波はその背にぶら下げられた刀へと手を伸ばす。例え刺剣と短銃が手の届かぬ場所へ吹き飛ぼうとも、まだもう一つ、彼女には得物がある。

 

両手は確かに先程の一撃を防いだ影響で痺れている。万全のコンディションとは到底呼べない。それでも、左手で鞘を掴み、手元まで引き寄せ、腰の辺りで固定する。右手で柄を握り、そして――

 

――抜刀。

 

神速の居合。

 

一切の無駄を削ぎ落としたかのような、凶悪なまでの速度で抜き放たれた刃は、受け身の取れていない夕立へと向かう。直撃すれば当然、ただでは済まない。

 

その一撃を受けたのは、障壁でもなく、夕立の肉体でもなく、彼女の扱う仕掛け武器でもなく――夕立の腰部の艤装から一瞬にして伸びた、駆逐艦の主砲だった。

 

金属と金属のぶつかり合う激しい音が鳴り響く。

 

 

「…………」

 

 

「…………」

 

 

沈黙。

 

見れば、綾波の居合を防いだ夕立の主砲は、先端が切断された状態となっている。艦娘の兵装と言うのは、その用途から比較的硬度の高い金属で造られているが故に、そう簡単には壊れない。それを一撃で――それも、万全の状態でない身体で切り落とすとなれば、どれほど鋭い一撃が必要になるのか。

 

切り落とされた側である主砲の先端は、周りを見渡しても何処にも見当たらなかった。どうやら接触の衝撃で何処かへと飛んでいってしまったらしい。

 

 

 

「……壊れちゃったっぽい」

 

 

「……ですね」

 

 

呟いて。

 

夕立はゆっくりと立ち上がった。左の爪先をとんとん、と地面に当てて脚の具合を確かめては「痛いっぽい……」としょぼくれる。どうにも弾丸が貫通しているらしい。それでも平然と立っていられるのは艦娘であるが故か、あるいは別の故か。

 

綾波は綾波で、胴を抑えながら立ち上がり、今しがた夕立の主砲を切断した刀へと目を向ける。幸いにして、波打つ銀色の刃に目立った傷は無かった。いくら艤装化しているからとは言え、切断した対象も艤装だ。同じ硬度のものを切断したのだったら、刃が傷んでいても可笑しくはないと思ったが故だったが、見たところ問題なく思えた。確認を終えて、二振りほど空を切った後、くるりと刃を一回転させて、納刀する。

 

 

「ん~っ、楽しかったっぽーい!!」

 

 

身体の点検を終えた夕立が、大きく伸びをした。別段、決着が付いたわけではないだろうが、どうやらなし崩し的に演習は終わったらしい。どちらの勝ち負けと言うわけでもない。そもそもこの演習は、夕立と綾波の二人のうちに溜まっていた、解消仕切れない戦闘へのフラストレーションを捌けるためのものだった。

 

それが解消されれば、それで良いのだ。綾波も、演習場の床に転がっている刺突剣と短銃を拾いながら、「楽しかったですね~」とのんびりとした口調で呟く。

 

二人とも、先程全力を持って戦っていたときのそれは全く違う表情をしている。夕立は天真爛漫に笑っているし、綾波は穏やかに笑みを浮かべている。

 

たった今まで、お互いに殺し合っていたとは思えない。微塵の躊躇いもなく。一切の手加減もなく。傍から見れば、それは気が狂っているとしか思えないような行動だろう。たかが演習で、どうしてここまで危ない橋を渡るのか。恐らく誰もがそう思う。だが、死力を尽くせる相手がいること。それはひょっとしたら、彼女たちにとってはある種幸せなことであるのかもしれない。

 

 

「でも……どうしようかしら。主砲、壊しちゃったっぽい。提督さん、怒るかも……」

 

 

腰部から伸びるアームの先にある、半分に切断された12.7cm連装砲B型を見ながら、夕立は不安げに呟いた。汎用の12.7cm連装砲ならともかく、B型はそれなりに貴重な代物だった。

 

それを演習で破壊してしまうとなれば、確かに問題であるかもしれない。しかし、もしもこの場に提督が存在していたならばこう言っていたことだろう。

 

――いや、それより怪我の心配しなよ!!

 

それは提督の性格や人格がどうこう、と言うよりは常識的な判断からくる至極まっとうな突っ込みと呼ぶべき何かだった。

 

 

「だ、大丈夫ですよ、司令官なら、多分……」

 

 

言いながら、綾波は周囲を見渡す。

 

銃痕だらけの演習場。しかもコンクリートは一部砕けていて、ある場所には出血の跡が残っている。

 

 

「……多分……」

 

 

綾波の声が小さくフェードアウトしていった。その『多分』と言う言葉の使い方には同じ綾波型である別の艦娘を思い起こさせるものがあったが、それとは特に関係ない。以前大規模に演習場を破壊してしまった時のことを思い出したが故だった。

 

 

(……あの時は司令官、流石に顔色が悪くなってました……)

 

 

演習場の修繕費もタダではないのだから、そうなるのは当然と言えば当然である。しかしその時でさえ特別叱られたわけでもないことを鑑みれば、怒りはしないだろうと考えられる。

 

綾波の脳裏に、この鎮守府支部を治める提督の顔が浮かぶ。想像されるのはどうにも覇気の無い笑みの青年。一見して、人の上に立つには全く向いていなさそうな人柄。ドックでの山城とのやり取りを見ていても解る通り、威厳などと言うものはまるで所持していない。

 

ある種奔放な彼は、自身の艦隊――『血に酔った艦娘』と称される彼女たちに対して、放任主義にも似たような立場を取っている。

 

コントロールする気などまるでない。

 

いや、あるいはしようとしても出来ないのかもしれないが。

 

しかし、だからこそ、彼はこの問題だらけの艦隊を指揮する立場にいることが出来ているとも言える。通常の提督がこの鎮守府支部に着任したとして、一体そこに何が生まれると言うのだろう。

 

 

「それにしても、綾波のそれ、凄いっぽい。『艤装化』した主砲を斬れるなんて……」

 

 

「これ、ですか?」

 

 

夕立の言葉に、綾波は背中に背負った刀を見せる。薄暗い金属の細かい意匠でコーティングされた暗色の鞘。それはそれだけで芸術的価値を見出だせるような代物である。鞘の上部には赤色の布が何重にも巻かれており、綾波はその布と同色の布紐で鞘を両肩からぶら下げるように背負っている。

 

持ち手の部分には日本的な鍔があるわけではなく、その部位に限って言えば西洋的な要素が強い。刀身もさることながら、真鍮のような色合いで造られた鍔や柄は一体どのような金属で造られているのかさえ不明瞭だ。

 

 

「これ、『千景』って言うんです」

 

 

綾波は鞘を撫でながらそう言った。

 

 

「ちかげ? っぽい?」

 

 

「はい、明石さんからこれを貰ったときに、そう教えて貰いました。こっちの刺剣と銃の仕掛け武器は『レイテルパラッシュ』、こっちの銃は『エヴェリン』と言うそうです」

 

 

綾波は自慢するように両手の得物を軽く振る。刺剣――レイテルパラッシュと、短銃エヴェリン。その両者ともに、千景の鞘を覆う金属と似たような材質の物で細かい意匠が組み込まれている。それを見るに、どうやら同郷の武器らしいと判断出来そうだ。

 

 

「へぇ、羨ましいっぽい……」

 

 

夕立は自身の大斧を見ながらそういった。彼女の持つ大斧には特に名前が付いていない。強いて言えば明石たち『工房』の面々が、『深海棲艦を狩るための斧』と呼んでいたくらいだ。

 

 

「夕立も何か、名前をつけようかしら」

 

 

言いながら夕立は大斧に目をやる。特にいい名前は浮かんでこない。しばらく「うーん」と悩んでいたが、やがて諦めたらしく話題を『千景』に戻す。

 

 

「それ、凄い刀だけれど、見ていると綾波はあんまり遣わないっぽい? 偶にしか抜いているところを見ないっぽい」

 

 

実際、実戦においても演習においても、綾波は専らレイテルパラッシュとエヴェリンを用いて戦う。決して一切遣わないわけではないけれど、夕立の言う通り、千景を遣って戦うことは稀と言っても良い。

 

夕立の言葉に、綾波は「あー」と小さく唸る。

 

 

「そう……ですね。この二つ程は、遣わないかもしれません」

 

 

「何か理由があるっぽい?」

 

 

「そんな大した理由じゃないんですけれどね」

 

 

少し合間をおいて、綾波は言う。

 

 

「実を言えば、綾波、あんまりこの刀を遣い熟せている気がしないんです」

 

 

「えー、そんなことないっぽい!」

 

 

夕立は先程の見事な抜刀を思い出してそう言った。通常では傷をつけることすら難しいような、艤装化された兵装……それをいとも容易く切断したあの一撃。あんなものを放っておきながら、『遣い熟せていない』は余りにも冗談が過ぎるような気がした。

 

けれど、綾波は首を横に振る。

 

 

「なんとなく、解るんです……きっと、この刀には、もっとちゃんとした遣い方があるんだって……ただ単に振るうだけじゃなくて、もっと、こう……本質的な……正しい、遣い方が」

 

 

「ふうん……」

 

 

きっと、遣っている本人にしか解らない何かがあるのだろう。夕立はそのように解釈する。それはきっと正しくもある。

 

 

「でも、三種類もそういう不思議な武器を遣うってだけでも、綾波は凄いと思うっぽい」

 

 

基本的に、ある種当然のことでもあるのだが、夕立たち『血に酔った艦娘』が好んで遣う得物は、どれもこれも酷く特徴的だ。ありていに言って癖が強い。それこそまともな艦娘では振るうことすら儘ならないような代物だったり、扱えても自傷を免れないような、そんな代物ばかりだ。

 

だからこそ、そんな代物を三種も扱う綾波を、夕立は素直に凄いと思った。しかし綾波はそれに対して苦く笑う。

 

 

「それは、仕方がないんです……だって」

 

 

綾波は、彼女にしては珍しく、少し自嘲気味に笑って、言った。

 

 

 

「綾波は、普通の兵装を艤装化できないんですから」

 

 

 




次で母港編(と言う名のキャラクター+世界設定紹介)が終わります。多分。


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母港にて.04

「明石さんいる?」

 

 

この鎮守府支部には医療施設と呼べる場所が三ヵ所ある。一つは治療室と呼ばれる部屋であり、そこは言うなれば通常の手当てを行う、至って平凡な医務室である。次に、艦娘の外傷を高速で修復するための施設である入渠ドッグ。

 

そして最後に、『医療研究室』と呼ばれる特殊な施設がある。この施設はどの鎮守府にもあるものではなく、日本全土の鎮守府支部を見渡しても設置されていることのほうが少ない。この横須賀第四鎮守府支部に、そのようなレアリティの高い施設があることには、勿論のこと『血に酔った』とさえ称される、特殊な艦娘が関わっている。

 

提督が『医療研究室』のドアを開けると、中には一人の女性がいた。桃色の長髪。その左右の部分を髪ゴムで縛っている。セーラー服をモチーフにしたような衣服。そのスカートは袴の脇あきのように左右が開いている。上から、今は白衣を羽織っており、その手元には黒色のボードと紙、そして三色ボールペンが握られている。

 

彼女は明石という。中央からこの鎮守府に派遣されてきた艦娘である。主に艤装や兵装の手入れ、開発、在籍する艦娘たちの健康管理、酒保の運営などを任されている。

 

 

「あ、提督、お疲れ様ですっ」

 

 

提督の姿を確認すると、明石は手にしていたボードと紙を置き、ペンを白衣の胸ポケットにしまい、小走りで駆け寄ってきた。同時に自身の左手首に巻かれている腕時計へと目をやる。

 

 

「あー、もうこんな時間になっていたんですね。すっかり気が付かなかった」

 

 

「何かあった?」

 

 

「いえ、特別なことは何もないんですけれど、ちょっと新しい兵装のアイディアをまとめていたら思いのほか時間を食っちゃって」

 

 

てへっ、と言わんばかりにぺろりと舌を出す明石。先ほど見ていたデータがそれだろうか、と思いつつ、提督は「なるほど」と相槌を打つ。

 

 

「それで、えーと、あれですよね、提督。この間の健康診断の結果報告」

 

 

「そうそう。それを聞きに来たんだけれど、今大丈夫? 忙しいなら別に後でも構わないけれど」

 

 

「今で平気ですよー、じゃあ資料出してくるので、ちょっとその辺に掛けて待っていてください。すぐ戻ってくるので」

 

 

言われて、提督は医療研究室の左奥に設置されている、応接スペースのような場所へと赴く。そこには黒革のソファが二つ、ガラスのテーブルを挟んでおかれている。提督は手前のソファに座ると、明石を待った。

 

二、三分ほどして、明石は戻ってきた。その手にはホチキスで止められた、二枚組の資料が五つ、三枚組の資料が一つ握られている。

 

 

「お待たせしました。はい、これ。今回の診断結果です。って言っても、みんないつもとあまり変わりなかったですけれどねー」

 

 

「ありがとう」

 

 

礼を言って、提督は資料を手に取る。上から順に、叢雲、夕立、綾波、木曾、瑞鶴、山城のデータである。

 

ぺらぺらと、紙を捲る音が室内にこだまする。

 

 

「……うん。まあ、ざっと見た感じ、前とそんなに変わらないみたい……かな。みんな全体的に『血質』が増加傾向にあるのが気になるけれど……」

 

 

提督は資料をテーブルの上に広げながらそう言った。

 

 

「ですねー。特に綾波ちゃんは、元から高かったのに加えて、上昇割合も少し大きい気がしますね」

 

 

「あんまりいい傾向ではないんだろうね」

 

 

「うーん……それは微妙なラインだと思いますけれど……」

 

 

言いながら、明石は広げられた資料へと目をやる。様々な一般的な健康データ……身長や体重などの基本的なものから、内臓系の異常、非異常を示すあらゆる数値……それらの中に混じって、人間の健康診断では存在しない項目がいくつか見られる。

 

中でも取り分け目に付くのは、『血質』の項目だろう。

 

 

「実際のところ、『血質』が艦娘にどう影響しているのかは未知数ですからね。値の高低が、良い悪いに繋がるのかさえ、私たちにはまだ理解できていません」

 

 

人間と艦娘の違いを説明しろ、と言われたとき、どのように答えるか。

 

ある政治家は、人であるか兵器であるか、と答えた。ある将校は、深海棲艦に対する対抗力を持つか否か、と答えた。ある科学者は、生物学上、ほとんど同じであるが、数点、人と違う部分がある、と答えた。

 

その『人と違う部分』の一つが、『血質』である。

 

艦娘は生物学上、概ね人と同じである。身体構造も同じ、各種臓器も過不足なく人間と同じだけ存在している。心臓を貫かれれば死ぬし、出血多量でも死ぬ。病気になることもあるが、加齢は極端に遅い。もっともそれは、生物学上の理由があるわけではなく、『艤装化』された兵装が消耗し難くなるのと同様、艦娘の用いる障壁の影響によって、肉体の劣化が著しく軽減されるためである、とされている。

 

では、何が違うのか。その答えが、『血』だ。

 

 

「叢雲ちゃんが24.8パーセント、夕立ちゃんが31.9パーセント、木曾さんが17.0パーセント、瑞鶴さんが16.7パーセント、山城さんが15.4パーセント……」

 

 

「そして、綾波さんが66.2パーセント、か。極端だな」

 

 

艦娘の血液には、人間には存在しない『解析不能な未知の物質』が混ざっている。現在においては、その『未知の物質』こそが、艦娘を艦娘たらしめる原因そのものであり、この『未知の物質』があるからこそ、艦娘は人ならざる特異な現象(水上歩行、障壁展開、艤装との同調ならびに兵装の艤装化、妖精と呼ばれる未確認存在との対話あるいは具象化、物理学的に不明な身体能力の発揮、など)を引き起こせるのだとされている。

 

この『未知の物質』の割合のことを称して、『血質』と呼ばれている。

 

ただし、通常その割合は、およそ、2パーセントから5パーセント程度でしかない。だが、極々稀に……10%を超える艦娘が生まれてくることもある。

 

そういった艦娘は、異常な性質(血への渇望、並外れた膂力、極端に高い俊敏性、深海棲艦への強い憎悪、など)を持つことが多い。高い『血質』を持つ艦娘の全てがそうなるわけではないが、そこには何かしらの因果関係、ないし相関関係が見て取れるというのが現在のスタンダードな学説である。

 

言うまでもなく、この鎮守府に集められた六人はみな高い『血質』を持つ異端である。本来収まるべき数値を大きく逸脱している。綾波に関しては特に並外れており、その血液の過半数が『未知の物質』で埋め尽くされている。

 

 

「綾波さんが通常の兵装を艤装化できないのは、やっぱり、この異様に高い『血質』が関係しているのかな」

 

 

「その可能性は高いと思いますね」

 

 

提督の言葉に、明石は頷く。

 

『血質』に関してはいまだ未知の領域が多い。この『血質』の研究は中央にて継続して行われ、中でも『未知の物質』を扱った実験も過去に何度か行われたというが、その実験データは高度なアクセス権限がない限り閲覧することはできないことになっている。

 

一体、何が起こったのか。

 

それを知る術を持つものは、この鎮守府にはいなかった。

 

 

「前回の診断の際の綾波さんの『血質』は、64パーセントくらい……だったかな。約2パーセントの上昇か……」

 

 

「不安そうですね、提督」

 

 

「そりゃあ、まあ、なぁ……」

 

 

「やっぱりあれですか、あのことが気になっているので?」

 

 

「……そうだね。気にならないと言ったら嘘になるよ」

 

 

艦娘の血液に存在する『未知の物質』を、同じく体内に抱える生物が、現時点まで一種類だけ確認されている。

 

何を隠そう、深海棲艦だ。

 

深海棲艦の体液は、人間のものとも艦娘のものとも異なっている。彼女らのそれは、限りなく人に近い生物の血液と、B、またはC重油、そして前述した未知の物質の混合物で構成されている。それらの割合は各種深海棲艦ごとに異なっているが、上位の深海棲艦と考えられる存在になればなるほど、『未知の物質』の割合が増加する傾向にある。

 

このことから、艦娘と深海棲艦に関連性を見出す研究者も少なくない。現在においてもその説は部分的に肯定されており、艦娘と深海棲艦には何かしらの繋がりがあるとされている。

 

だからこそ、提督はわずかな不安を抱かずにはいられない。

 

果たして、極端に『血質』の高くなった艦娘は、どうなってしまうのか。その終着点に、どうしても不吉な想像が働く。

 

とはいえ、艦娘の『血質』を減少する方法は今のところ発見されていない。『未知の物質』を持たない人の血液を、艦娘に輸血することは可能であるが、輸血された血液は血管内で希釈され、瞬く間に『血質』をもとの値に戻してしまう。一時的……およそ一時間程度であれば『血質』を下げることは可能であるが、長期的な減少は現時点において不可能であるとされている。

 

また、艦娘に人間の骨髄を移植することは可能であり、これを行った場合、艦娘の血液はおよそ150日前後で完全に人のものとなる。血液中に『未知の物質』は存在しなくなるが、その艦娘は、水上歩行や艤装との同調、といった艦娘としての特殊技能を失うことになる。

 

 

「……まあ、俺が不安に思ったところでどうしようもないんだけれどさ」

 

 

提督はそういうと、テーブルに広げられた資料のうちの一つを捲る。ほかの資料は二枚構成であるが、この資料だけは三枚構成となっている。その資料の最後のページには、奇妙なレントゲン写真が付属していた。

 

 

「不安と言えば、俺としてはこっちのほうが不安かな」

 

 

提督はレントゲン写真へと視線を落としながらそう言った。

 

その写真は、まさに異様と言うほかになかった。X線で写し取られた女性の身体の中に、いくつもの奇妙な白い影が映っている。まるでさながら腫瘍のように。あるいは……そう、寄生虫のように。

 

蠢くように身をくねらせた白い影。それはまるで軟体生物……ナメクジのようにも見えて――ただのレントゲン写真だというのに、それを見ていると、なぜだろう、異常な何か(・・・・・)が頭の中に増えていくような、そんな感覚に襲われて……思わず提督は視線を逸らした。

 

頭蓋の中で何かが蠢く。

 

そんな気がしてならない。

 

 

「こちらは山城さんの資料ですね……彼女は、まあ、確かに、ただでさえ特殊なここの人員の中でも、さらに異端ですよね……」

 

 

「体内にナメクジにも似た不明な生物を飼っている……なんて聞いたときは、流石の俺も驚いたよ」

 

 

生物学的にあり得ない。というのが、山城を検査した研究員たちの言い分だった。このサイズの生物を体内に複数宿していながら、全く健康上の問題が起きていない。そんなことは常識では考えられないのだと。

 

そしてさらに、その体質のみならず、山城の引き起こす現象はそれを遥かに超えて非常識的である。ただでさえ埒外の艦娘の特殊な性質。それを大きく上回る、さながら『神秘』とでも形容するほかにないような……そんな現象を、山城がたびたび引き起こしていることは既に何度も観測されている。

 

例えば、綾波は艦娘という異常存在の中でも、その異常さが極めて高い、という意味で異端だった。

 

だが、山城の場合はそうではなく、艦娘としての異常さとはまた別に、著しく異常な性質を持つ、という意味で異端なのだ。

 

山城のような艦娘は、今のところほかに確認されていない。同じ『山城』の艦娘や、その姉妹艦である『扶桑』の艦娘においても、一切。

 

 

「……まあ、みんな健康上の問題がないなら、俺から言うことはないかな」

 

 

六人分の資料を確認し終えた提督は、ソファに深く座りなおしながらそう言った。

 

叢雲、夕立、綾波、木曾、瑞鶴、山城。

 

六人が六人とも、尋常の艦娘とは到底呼べない。当然、彼女らをまとめた横須賀第四支部、第一艦隊も尋常の艦隊とは呼べず、故に問題はあらゆる場所に存在している。

 

それでも、彼は彼女たちの提督である。まるで厄介払いのように――そして実際そうなのだろう――この鎮守府へとまとめて送られてきた彼女たち。

 

彼女らを統べる立場にある彼は、果たしてどんな心持ちで、その座に就いているのだろうか。その心中は測れない。

 

 

「それじゃあ明石さん、ありがとうね」

 

 

言いながら、提督は立ち上がる。

 

 

「はい、お疲れさまでした。また何かあればいつでもお呼びくださいっ」

 

 

同じく立ち上がって、小さく手を振る明石に、手を振り返しながら提督はゆっくりと医療研究室を後にした。

 

 

 

 




ほぼ半年かけて設定紹介回終了


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悪夢

 

ひた……ひた……と、何かが滴り落ちる音が聞こえてくる。ぴちゃ……ぴちゃ……と、何かを舐め取るような音が聞こえてくる。

 

靄のかかったような頭。思考は朧気で『それ』が何であるのかさえ明瞭ではない。僅かに瞼を開くと薄暗い部屋の中がぼんやりと浮かび上がる。

 

頭痛がする。脳髄に奇妙なものを埋め込まれたような気色の悪い感触がする。吐き気にも似た感覚。恐ろしく強い麻酔を、何本も何本も同時に打たれたかのようだ。

 

身体はうまく動かない。視界も働かない。ただ少しずつ、聴覚だけがはっきりとしていく。滴り落ちるような音。何かを舐め取るような音。それらに混じって、ぎぃ、ぎぃ、と、木が軋むような音が混ざる。

 

顔中に小さな手が這っている。何も見えやしないのにそんな気がしてならない。それが余りにも気持ち悪くて、気が狂ってしまいそうで、思わず顔を横に振る。感触は消えない。べたべたと張り付くような……。

 

顔を横に向けると、視界の隅に僅かな明かりが見えた。じっと目を凝らす。それは窓から差し込む光のように見えた。光を辿って壁に視線を向ける。偽物のような窓に絵画のような風景が映っている。

 

……あああ、空に。

 

なんだか、不条理に大きな月が浮かんでいる。どろりとした色合いの、妙な、月が……。

 

不意に。

 

その月の中心に、何かが見えたような気がした。

 

赤黒い……何か……何だろうか……よくわからない……視界が霞んでいるからか、それとも頭の震えがとまらない故だろうか。もしくは『それ』を見るために必要な『何かしら(・・・・)』が足りないのか――はっきりとその姿を見ることは出来ない。

 

『それ』を見ようとすると、脳の奥深くがずきりずきりと痛む。『見てはいけない』と、頭蓋の内に潜む何かが警告している。人としての本質的な部分……さながら人間性とでも呼ぶべきそれが……。

 

ひどいことだ。

 

あまりの頭の痛さに目を閉じる。視界が暗褐色に覆われると、音がより鮮明に聞こえてくる。ひたひた……ぴちゃぴちゃ……ぎぃぎぃ……どれも、聞いているだけで気が狂いそうな、酷く冒涜的な音が……ああ。

 

……どれくらい経っただろうか。唐突に音が消える。海の中に沈んだ時のように。何もかもが無くなってしまったかの如く。そして生まれ落ちた静寂が、胎児を包む羊水のように世界を包み込む時間がやってくる。

 

……やがて、どこからか涼やかな女性の声が、聞こえたような気がした。

 

……忌々しいことに、なんと言っているのかは――解らなかった。

 

 

×      ×

 

 

そこで提督は目を覚ました。

 

 

「…………」

 

 

ゆっくりと、ベッドの上で身体を起こす。汗がひどい。心臓が早鐘のように高鳴っている。思わず額に手を添えると、頭の奥底が僅かに痛むような気がした。それが現実の痛みなのか、先ほどまで見ていた『夢』の残滓なのかは解らない。

 

夢。

 

そう、夢だ。今まで見ていたもの……聞いていたものが、夢の産物であるということを、提督はその時ようやく理解する。それほどまでに、どこか、現実味のある夢だった。

 

嫌な……夢だ。

 

まさしく『悪夢』と形容するにやぶさかではない。

 

ベッドの上でしばらく呼吸を整える。僅かに残る吐き気を抑えるように、首に手を当てる。部屋に備えられた小さな窓から差し込む青白い月明かりが提督を照らす。

 

しばらくそうしていると、少しずつ気持ちが落ち着いてきた。同時に、先ほどまで鮮烈なイメージを持って提督の身心を強く蝕んでいた悪夢の記憶が薄らいでいく。

 

……所詮は夢だ。

 

目が覚めれば、すぐに忘れてしまう。

 

冷静さを取り戻してくると、今度は喉の渇きを強く感じた。魘されていた故だろうか。眠る前に水分は補給したはずだったが、それでもひどく喉が渇いている。

 

……水を飲もう。

 

そう決意して、提督はベッドから起き上がる。

 

――その時、月明かりに照らされた、ベッドの横に置かれている小さな台の上に、メモ用紙のようなものが一枚置かれているのが目に入った。

 

ほとんど無意識にそれを手に取る。そこには酷く短い一文が書かれている。

 

 

『青ざめた血を求めよ。■■を全うするために』

 

 

おそらくはボールペンか何かで記されているだろうその走り書きの一部は、ぐちゃぐちゃに塗りつぶされていて判読が出来ない。

 

これは……何だろうか。

 

意味さえも取れない文章。見覚えのないメモ用紙。何故、こんなものが自分の部屋にあるのか。思わず寒気を覚えて、提督は唾を飲み込む。

 

 

「…………」

 

 

今は、気にしても仕方がない。

 

提督はメモ用紙を再び台の上に戻すと、水を飲むために部屋を出ていく。

 

静寂の蔓延る部屋の中、月明かりだけが、走り書きを照らしていた。

 

 

×      ×

 

 

「やられた? 横須賀第一支部の第一第二艦隊が?」

 

 

「って話だよ」

 

 

朝の日差しが柔らかに差し込む、そんな天気の良い日にはあまりにも似つかわしくない剣呑な声音が執務室に響いていた。

 

部屋の中には現在二人の人影がある。一人はこの鎮守府の提督を務める青年、もう一人はその青年を補佐する役割である秘書艦を任された艦娘、叢雲である。

 

提督は数時間前に送られてきた文書をぺらぺらと捲りながら椅子に座っている。叢雲は秘書艦としての仕事を行う机を離れ、提督のもとへと駆け寄った。

 

 

「ちょっと見せなさい」

 

 

提督の肩越しに、叢雲は資料へと目を通す。

 

 

「三月二十四日……北西太平洋、北マリアナ諸島付近に深海棲艦のものと酷似した異常な反応を検知。同時期より不明な原因による地球観測衛星の動作不良により当該海域の情報が不透明になる。原因調査のため横須賀第一支部第四艦隊を派遣したところ多数の深海棲艦が確認された。これらを掃討するため横須賀第一支部第一、第二艦隊を緊急編成。戦艦二隻、正規空母四隻、軽巡洋艦一隻、駆逐艦二隻、重巡洋艦三隻による連合艦隊を派遣……ふん、錚々たる顔触れね」

 

 

資料の下段に記されていた詳細な編成を確認して、叢雲は目つきを尖らせる。いずれも高い実績と経験を誇ることで名高い高練度の艦娘ばかりだ。生半可な数の深海棲艦では太刀打ちさえ出来ないだろう。

 

叢雲は資料を読み進める。

 

 

「結果は……大破七隻、中破二隻、小破一隻の被害。深海棲艦の撃滅は叶わず即時撤退……任務は失敗に終わる。幸いにも轟沈艦は無し。旗艦の判断が早かったのね。流石横須賀第一、エリート集団なだけあるわ」

 

 

「あそこは提督も優秀って話だしね……元帥の称号も貰っているはずだし」

 

 

「なんの称号も貰えていないアンタと違ってね」

 

 

叢雲の言葉に、提督は苦く笑う。

 

現在の海軍……正確には軍ではなく、深海棲艦に対抗するための、過去の日本海軍を模した疑似的な組織体系……においては、明確な階級というものが存在していない。提督、という呼び名も俗称である。公式に存在しているのは、その実績に応じて中央(日本軍の呼び方を模して大本営と呼ばれることが多い)から個人に対して贈られる『称号』のみだ。

 

この『称号』はかつての軍階級に即した形で作られており、『元帥』の称号ともなれば、現時点における全提督適合者においても、およそ上位一パーセント程度の人間しか得ることが出来ないとされている。

 

それだけの実力と、それに見合う実績の証なのだ。元帥の称号というものは。

 

 

「問題は、その元帥ご自慢の連合艦隊が、ボロボロにやられて追い返されてきたってことよね。一体何があったのよ」

 

 

叢雲にせっつかれて、提督は資料の紙を捲る。

 

 

「見ての通り、報告には『まるで底無しであるかのように深海棲艦が湧いてきた』……なんて書かれているよ。沈めても沈めても、次から次に現れてきたらしい」

 

 

「何よ、それ。気持ち悪いわね」

 

 

「出てくるのは最大でも重巡クラス程度で、戦艦や空母はほとんど出てこなかったらしいけれど……それでも、圧倒的な数の差に撤退せざるを得なかったらしい。最後のほうは弾も尽きかけだったってさ」

 

 

「ふうん……」

 

 

そう相槌を打つ叢雲の声音には、いくらかの喜色が混じっている。

 

 

「それで? この資料が横須賀第四支部(うち)に送られてきたってことは……そういうことよね?」

 

 

「察しがいいね」

 

 

提督は言う。

 

 

「見ての通り、これは明らかに異常事態だ。少なくとも、これまで深海棲艦との戦いにおいてこんな事態は発生しなかった。横須賀第一支部が最高戦力に近い戦力を注いで圧倒的敗走を強いられたということからも、事態の緊急性は解ってもらえると思う。何より、この報告にある次から次に現れる深海棲艦。これがもっとも異質なポイントだ」

 

 

「これまでとは違う何かが起こっているってこと?」

 

 

「まあ、そうだろうね。それが何かは解らないけれど。で、そんな異常事態に対処するのにぴったり……だと思われているのが、横須賀第四支部(うち)なわけで」

 

 

「毒を以て毒を制すとでも考えているのかしら」

 

 

叢雲は言いながら不敵に笑う。例え味方から『毒』だと思われていようが関係ない、とでも言うような表情だった。実際、関係ないのだろう。彼女たちにとっては、そんなこと、どうでもよいことだ。

 

提督はいつものように苦笑いを浮かべると、「さてね」と曖昧に言葉を濁す。

 

 

「ともあれ、今回のこの『異常事態』に対処するのに、叢雲さん、君たちが適しているのは間違いないと思うよ。さっきも言ったけれど、今回横須賀第一の連合艦隊が敗走する直接的な原因となったのは、その極端な深海棲艦の物量だ。それだけの量の深海棲艦を屠るのには、莫大な弾薬が必要になる。どれだけ強い艦娘だって、弾がなければ戦えない」

 

 

「普通は、ね」

 

 

「そう言うこと」

 

 

だったら、普通じゃなければ。

 

例えば、尋常の艦娘とは違って、一般的な兵装よりも、近接戦闘を主とした異質の兵装を用い、そしてそれを使いこなすだけの技量と身体能力を持ち、どれだけ長時間戦おうとも疲弊するどころか、まるで『酔った』かのように止まぬ快楽に身を任せて、敵を屠り続けることが出来る――そんな艦娘がいたならば。

 

今回の件を解決するのに、打ってつけだとは思わないだろうか。

 

弾が無くたって戦える。

 

血が吹き出ようが、骨が折れようが、どれほどその身が傷付き血に塗れようが、血に渇いたその身が癒えるまで戦い続けることが出来る。否、それ以外出来ない。

 

そうすることしか出来ない。

 

そんな艦娘は……実際に、いる。ここに、六人も。

 

叢雲は口元を歪める。

 

 

「悪くないわね。次の仕事は、退屈せずに済みそうだわ」

 

 

「……まあ、叢雲さんならそう言うと思ったよ」

 

 

提督はそういうと、手にしていた資料を纏める。

 

 

「それじゃあ、みんなに作戦概要を説明しないとな……急だけれど、今日の午後とかでも大丈夫だと思う?」

 

 

「いいんじゃない? どうせみんな暇よ」

 

 

身も蓋もない言い方ではあったが、実際のところその可能性は高かった。この鎮守府に籍を置く六人は、その嗜好が圧倒的に血腥い方面に偏っている。そのため、他の鎮守府支部の艦娘たちのように、平時からショッピングに行ったり、遊びに行ったりという行動をとることが非常に少ない。

 

木曾のように工廠で武器の手入れにふけっていたり、夕立や綾波のようにフラストレーションを発散していたりと、基本的にみな鎮守府内にいることが多い。

 

 

「なら、後で招集掛けておくよ。それまでは休憩ってことで」

 

 

「そ。なら、私も少し休ませてもらうわ」

 

 

言いながら、叢雲は部屋を後にしようとする。

 

 

「――あ、ちょっと待って」

 

 

その叢雲を呼び止めるように、提督は声を上げた。

 

 

「? 何よ。まだ何かあるの?」

 

 

「いや、大したことじゃない、というか、完全に私用なんだけれど……少し聞きたいことがあって」

 

 

「聞きたいこと?」

 

 

提督の言葉に、叢雲は首をかしげる。改まって何の用なのだろうか。

 

提督は頷くと、懐から何かを取り出し、叢雲へと差し出す。

 

 

「これなんだけれど……見覚えとか、ない?」

 

 

「……なによこれ」

 

 

それは一枚のメモ用紙だった。

 

『青ざめた血を求めよ。■■を全うするために』

 

たったそれだけの文章が書かれた、ボールペンの短い走り書き。そんなものを急に渡されて、叢雲は戸惑う。

 

 

「これが、どうしたって言うのよ」

 

 

「いや……実はさ、昨日……というよりは今朝、って言ったほうが近いかな。に、見つけたんだよ。俺の部屋で。気が付いたらいつの間にかあってさ。誰が書いたのかも解らないから……みんなに心当たりがないか聞いてみようかと思ってね」

 

 

「……ふうん」

 

 

叢雲はじっと走り書きを見つめる。何度読んでも文章の意味は解らない。一部が塗りつぶされているから、と言うのもあるが、そもそも『青ざめた血』とは何を示しているのか。何一つとして理解できない。

 

だが……。

 

 

「出来の悪い詩みたいね」

 

 

呟いて、叢雲はメモ用紙を提督へと返す。

 

 

「その様子だと、心当たりはなかったみたいだね」

 

 

提督は受け取ったメモ用紙へと視線をやりながら、そう言った。その声音にはわずかに落胆にも似た色合いがある。ここでこの不気味なメモの正体が解れば……という思いが僅かにあったのだろう。

 

叢雲は言う。

 

 

「生憎だけれど、私はそんなもの書いた覚えはないし、青ざめた血なんて妙な言葉にも聞き覚えはないわ……でも」

 

 

「でも?」

 

 

どこか含みありげな叢雲の言葉に、提督は聞き返した。

 

数瞬の躊躇いの後、叢雲は言う。

 

 

「……心当たりというか、なんと言うか……なんだけれど……本当に気が付いてないの?」

 

 

「……えっと、ごめん……何に?」

 

 

提督の問いに、対して叢雲はメモ用紙を指差す。

 

 

「その走り書きの文字……」

 

 

そして、言った。

 

 

 

「どう見ても、アンタの筆跡にそっくりよ」

 

 

 



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抜錨

 

 

この鎮守府において、大規模な掃討作戦というものは中々請け負えるものではない。何故ならば、往々にしてそういった大規模な作戦は他の支部や鎮守府との協力が不可欠になるからである。この鎮守府に在籍する艦娘たちにとって、他の艦娘との協力ほど難しいことはない。協調性のなさはチームワークの乱れを生み、結果として敵に付け入られる隙を与えるだけである。

 

当然の帰結として大規模作戦に参加することそのものが、彼女たちにとっては稀であり……そして、戦闘を好む嗜好を有する彼女たちが、それに心躍らせるのは必然であった。

 

作戦決行当日。

 

出撃ドックには、既に出撃準備を終えた艦娘六名と、提督の姿がある。艦娘たちはみな、既に水面へ降り立っており、提督のみが地上にいる。

 

 

「んじゃ、最後に作戦内容を振り返っておこうか」

 

 

叢雲、夕立、綾波、木曾、山城、瑞鶴の六名が揃っていることを改めて確認したうえで、提督は言葉を紡ぐ。

 

 

「今回の出撃海域は、北西太平洋、北マリアナ諸島付近。詳細な座標地点は旗艦の叢雲さんが覚えているから、みんなちゃんとついて行ってね。現地には多数の深海棲艦が待ち受けていて、情報によればどうにも無限湧き状態らしい」

 

 

「楽しみっぽい!」

 

 

提督の最後の言葉に、夕立は楽し気に喜びのジェスチャーをする。提督はそれに苦笑しながら説明を続ける。

 

 

「それで、だからまあ、一応掃討作戦って名付けられているけれど、もしも無限湧きが本当なら、いくら君たちでも掃討出来る道理はない。なので、今回の君たちの役割は、無制限に近い敵をひたすら殲滅して、味方の活路を開く……ってことになっている。計画では、横須賀第二支部の特殊任務艦隊(Special Task Fleet)が、その隙に突入して、詳細な海域情報と無限湧きの原因を突き止めることになっているんだけれど……まあ、無理に連携を取れとは言わないよ」

 

 

言ったところで取れるとも思わないし……と、提督の諦念にも似た表情が物語っている。一応、特殊任務部隊との連絡周波数を教えられている叢雲は、その様子にふん、と小さく息を吐く。

 

 

「ま、聞いての通り中々に難しい任務だとは思う。けれど、少なくとも、この役割は君たちにしか負えないのも事実だ」

 

 

「難しい任務? 楽しい任務の間違いでしょ?」

 

 

手に持ったノコギリ槍を、手持ち無沙汰なのか、無意味にがしゃがしゃ変形させながら叢雲は言う。それに同調するように、綾波や木曾はうんうんと頷く。夕立はぴょんぴょんと飛び跳ねている。瑞鶴や山城は他と違って大きくリアクションをすることはないが、その瞳の奥に憎悪や殺意にも似た闘志が煮え滾っているのが見て取れる。

 

――ああ、いつも通りのコンディションだ。

 

提督は思う。

 

艦娘の精神状態は、出撃時の戦闘能力に直結していると言われている。それは人においても変わりないと言えるが、しかし艦娘のそれは人間のそれと比べて極めて直接的である。疲労が蓄積している状態での砲撃はまともな命中精度を持たず、また敵の攻撃を回避することは非常に難しくなる。逆に高いコンディション(これを戦意高揚状態と呼ぶ)で出撃した際には、能力以上の戦果を挙げてくることもざらである。

 

よって、他の鎮守府では、艦娘のコンディションのケアに気を遣うことが多いと言うが……この鎮守府においては、そんな気遣いなど無用なのだ。

 

出撃できる。

 

戦える。

 

忌々しい深海棲艦を、徹底的に狩ることができる。その臓物をぶちまけて、好きなだけ血を浴びることが出来る。

 

それだけで、彼女たちのコンディションは最高潮に達する。

 

 

「まったく、頼もしい限りだね」

 

 

提督は呟き、締めくくりに入る。

 

 

「今回は大規模な作戦だから、俺も常時作戦をモニタリングさせてもらう。って言っても、せいぜい取得できるのは位置情報くらいだから、できれば叢雲さんから適宜現在の状況を無線で伝えてくれるとありがたい。無線が傍受されていると判断した場合は、双方ともに了承なく無線封鎖することを許可されるものとする。何か質問はある?」

 

 

三秒ほどの沈黙……全員が首を横に振ったことを確認して、提督は宣言した。

 

 

「それでは、これより『第二次NSI大規模掃討作戦』を開始する。最終艤装チェックの後、艦隊、抜錨せよ!」

 

 

 

×      ×

 

 

 

作戦地点に近づくにつれ、海鳥の鳴き声が減っていく。海は静かに凪いでいるが、それが却って不気味さを演出している。静寂の中、六人の艦娘が航行する僅かな音だけが空気を伝う。

 

通常の艦隊ならば、索敵陣形を取りながら進むのが基本であるが、この艦隊には当然のようにそんな定石は存在していない。各々が一定の距離をとって、好きなように移動している。それでも、航行速度が一致しているのは最低限の艦隊運動がなされていると言うべきか。あるいはその最低限しか守られていないと言うべきか。

 

 

「それにしても敵艦の無限湧きですかー。そんなことあるんですね」

 

 

静寂を破ったのは綾波の一言だった。ひとたび海に……人類の制海権の及ばぬ領域にまで出れば、そこはもはや戦場であると言っても過言ではない。本来なら雑談など交わしているような場面ではないが、未だ敵艦の反応はレーダーや偵察機にもなく、会話も許されないほどの緊張状態ではなかった。

 

 

「少なくとも私が艦娘になってからは初めてよね、そんなの」

 

 

偵察機からの入電を気にしつつも、綾波の言葉に答えたのは瑞鶴である。

 

本来、深海棲艦は人類、あるいは艦娘と同じく、艦隊を組んで行動する。その様子から奴らには戦術性と知性が認められており、それが政治の世界では論争の火種となる場面も多々あったりするのだが、どちらにせよ、その数は、これまで確認されている中では通常艦隊で六隻、連合艦隊で十二隻というのが最大である。

 

だが今回は違う。横須賀第一支部の話では、この先に待ち受ける深海棲艦は艦隊といったものを組んですらいないのだ。ただ、ひたすらに無限に湧き出て、単純な物量のもと、個々の暴力で殺しに来るという。

 

それは、ある種『血に酔った艦娘』の戦い方に似たものがあるとも言える。チームプレイや、各艦における庇い合いを極限まで捨て去り、一体一体が無軌道に敵を襲撃する。周りなど関係なく。どこまでも個人主義的に。

 

 

「だから異常事態なんでしょ。私たちに仕事が回ってくるくらいに」

 

 

叢雲はクールに呟くが、その声音に僅かな喜色が混じっていることに気が付かない者はいない。

 

結局のところ、彼女たちにとってはどのような状況だろうと、そこに敵がいるならば、それはただの狩場でしかないのだ。獲物を狩るための、場でしか。

 

 

「そういえば山城さん、珍しいの持ってるっぽい」

 

 

ふと、山城の方を眺めていた夕立が呟いた。その視線の先には、航空戦艦である山城が猫背になりながら航行している姿がある。

 

基本的に、航空戦艦が用いる主兵装は、主に大口径主砲や水上爆撃機などである。山城もそれらの兵装を用いることは決して少なくない。むしろ、彼女に限っては、この鎮守府の他の皆とは違い、そういった通常の兵装を装備していることの方が多い。

 

彼女の異質な戦い方は、兵装に依らないが故だ。

 

しかしながら、今回に限っては、彼女の兵装はみなと同じく奇妙な代物となっている。否、同じく、どころの話ではない。奇妙さで言えば山城のそれが断然トップであると言ってもいい。

 

それはまるで武器には見えない。

 

 

「ああ……これね……だって、今回は敵が無制限なんでしょう……? だったら、普通の弾なんて、いつまで持つか分かったもんじゃないじゃない。だから、久々に持ち出してきたのよ……これ……」

 

 

それは、一言で形容するならば『()()』だった。

 

巨大な車輪が、二つ、合わさっている。色は酷く薄汚れており、辛うじて金属でできているとしか判別できない。一部の汚れは染み着いた血痕のようにも見える。その形状とインパクトだけでも異様だが、何よりも見る者に不快感をもたらす悍ましい雰囲気が、その車輪を覆っている。

 

さながら、幾千の亡霊を啜ってきたかのように。

 

その車輪は、太陽の下でも暗い雰囲気を漂わせている。

 

 

「重くて嫌なのよね……これ」

 

 

そんなものを担いでいるがために、山城は猫背になって航行している。普段から姿勢が良いわけでは決してないので、特に違和感は生じない。車輪を持って航行していること自体には違和感しか覚えないが。

 

 

「いやぁ……いつ見てもそれ武器じゃないでしょ。ほんと」

 

 

瑞鶴があきれたような声を上げる。いくら彼女たちが異質な武器を用いて戦うといえど、あくまでそれは見るからに『武器』と断じられるものである。

 

ノコギリ刃の槍、伸縮する斧、銃身の備えられたレイピアと旧式の銃、それに美しい装飾の日本刀。柄頭に小型の刃が備えられた分離する刀に、弓に変形する曲剣。

 

どれもこれも奇妙な代物だが、それが何かと問われれば、万人が「武器である」と答えることには間違いない。

 

しかし、山城のそれはどう見ても武器ではない。

 

車輪だ。

 

不気味な雰囲気を漂わせ、見るからに頭のおかしな代物であると判断できるとは言え……それでも、車輪は車輪である。

 

 

「別にいいじゃない……なんでか知らないけれどこれが一番性に合うのよ……」

 

 

山城は、この車輪の所以を知らない。彼女がこの車輪を見出したその時から既に、車輪は薄汚れており、既に酷使されていることが見て取れた。だから、間違いなくこの車輪を過去に使っていた『誰か』がいたことには間違いない。だが、それがどこの誰なのかも一切解っておらず、なおかつ、この車輪が()()()()()振るわれていたものであるのかさえ解っていない。

 

ただ、こんなものを振り回すものが……それが人であれ艦娘であれ……まともであるとは到底思えない。しかし、この車輪の宿す怨念じみた雰囲気は、なぜだろう、山城の心に共鳴するものがあった。深い、水底に沈むかのような、その暗い雰囲気は……彼女の記憶の奥底に眠る、あの海峡の、彼岸の先のように……。

 

 

「……ま、どんな武器使おうと構いやしないけれどね……おっと」

 

 

小さく呟いてから、瑞鶴は軽く手を挙げる。その動作に、皆の注目が集まる。

 

 

「偵察機から入電――ここから約五分直進した付近に軽巡2駆逐3重巡2軽空母1の姿を確認……だってさ」

 

 

「もう会敵か? ってことは目的の場所までもう少しってところまで来たのか」

 

 

瑞鶴の報告に、木曾は言葉を零す。

 

 

「いえ、目的地まではもう暫くかかるわ。おおよそ目的の場所から漏れ出してきた『はぐれ』でしょうね」

 

 

「はん、なるほどな」

 

 

叢雲の返答を聞いて、木曾は小さく笑う。なんにせよ、間近に獲物が迫っていることに変わりはない。

 

木曾は左手にぶら下げていた落葉を持ち直すと、ぎゃりんッ、という派手な音を響かせながら長刀と短刀を分離させる。木曾だけではない。会敵の報を聞き、各々自身の『仕掛け武器』を持ち直す。

 

艦娘たちの目に暗い色が宿る。

 

 

「目的地までの前哨戦ね。遠慮することはないわ、派手にいきましょう」

 

 

叢雲の言葉と共に、六人は僅かに航行速度を上げて進んでいった。

 

 

 

×      ×

 

 

 

「……何か、変っぽい」

 

 

最初に呟いたのは、夕立だった。右手にはコンパクトに畳んだ斧を持っており、その無骨な刃と制服は既に道中屠ってきた深海棲艦の血で濡れている。血に塗れているのは何も夕立だけではなく、今回は瑞鶴も含む全員が既に血を浴びている。

 

指定された座標まであと少し。ここまで来るのにも随分な数の敵と遭遇した。通常の艦隊であったら、とっくに弾薬が尽きていてもおかしくない。これでまだ、本命の地点にたどり着いていないというのだから、その異常性は明確である。

 

しかし、夕立が感じ取った違和感は、その敵の多さについてではない。そんなことは作戦説明段階から解っていたことで、大量の敵が海上に存在している以上、その周辺地帯にも流出していると考えてしかるべきである。だから、数が多いことなど違和感の内には入らない。

 

夕立が感じたのはそれではない。それではなくて――

 

 

「……ねぇ、今何時かしら……?」

 

 

山城は独り言のように呟く。彼女が背負う巨大な車輪も既に深海棲艦の血と肉片で汚れており、この道中幾匹もの獲物をすり潰してきたことが見て取れる。そんな彼女は空を見上げて、憂鬱そうに目を細めている。

 

 

「まだヒトヨンマルマル……にもなってないと思います」

 

 

同じように、空を見上げて綾波は答える。まだ夕方……と呼ぶにも早すぎる時間帯。だと言うのに、なぜだろうか。

 

 

「……妙に暗いわね」

 

 

空の色が、おかしかった。

 

薄々感じてはいた。目標地点に近づくにつれて、妙に辺りが暗くなっていることに。そしてそれは、この地点に来て、目に見えて明確なものとなっている。

 

妙な雰囲気……だった。

 

時に、強力な深海棲艦が鎮座する海域周辺では、海水が赤く変色する現象が確認されている。同時に、上空に奇妙な色の分厚い雲が浮かび、結果として太陽光が遮られ、暗くなる……といった実例があることは、叢雲も知っていることだった。

 

しかし、今起こっている現象は似て非なるものである。

 

海の色に変化はない。空を見上げても、分厚い雲のようなものは見えない。そうではない。そうではないのだ。

 

空自体が、なんだか暗く見える。

 

と言うより……あれは。

 

 

「おい、おかしいだろ。今は真昼間だよな? なのにどうして……」

 

 

木曾は言う。

 

 

「……()()()()()()()()()()()()()

 

 

その視線の先には、妙に大きな、青白い月が浮かんでいた。

 

暗く見えるのも当然だ。本来存在するはずの太陽はいつの間にか空から姿を消していて、目標地点に近づくほどに世界は夜を濃くしていく。叢雲たちが把握している時間ではありえない。そんな、景色。

 

空に居座る月は、まるで作り物のようで現実味がない。

 

明らかな異常事態。数瞬の後、叢雲は無線機に手を当てる。

 

 

「……こちら第一部隊旗艦、叢雲。司令官、聞こえるかしら?」

 

 

『ん、こちら司令室。聞こえているよ。何かあった?』

 

 

無線機から聞こえてくるのんきな提督の声。叢雲は言う。

 

 

「変な質問かもしれないけれど、答えてくれる? 今、そっちは何時?」

 

 

『は? えー……ちょっと待って……えっと、ヒトサンヨンサンだけれど』

 

 

ヒトサンヨンサン……十三時四十三分。とてもじゃないが、月が出るような時間ではない。叢雲は続ける。

 

 

「じゃあ次の質問、そっちの空に月は見えている?」

 

 

『……ごめん、それ何かの暗号? シンプルに答えるなら、太陽が浮かんでいるよ。いい天気だ』

 

 

「そう……そういうこと」

 

 

と言うことは、この異常な空はこの地点周辺にのみ広がっていると考えられる。それが確認できた叢雲は、小さく息を吐く。

 

つまりこの現象は、件の深海棲艦の異常発生と無関係ではない可能性が高い。

 

 

『……質問内容からおおよそ検討はつくけれど、一応訊くよ。何があった?』

 

 

提督の言葉に、叢雲は答える。

 

 

「目標地点に近づくにつれて、だんだんと空が暗くなっていたわ。気がついたら太陽は失せていて、空には偽物みたいな大きな月が浮かんでいた。現状はそんな感じよ……ねぇ、一応聞いておきたいんだけれど、こんな現象、第一支部の報告書にはなかったわよね」

 

 

『ない……うん、なかったはずだ。しかし……どういう現象なんだ、それは。状況から見ると、その地点周辺だけ『夜』になっている、ってことなのか?』

 

 

「さぁ、どうなのかしらね」

 

 

解らない、というのが叢雲の出せる答えである。確かに、空の様子を見ると夜になっている、としか言えない。だが、局地的に、その地点のみ夜になる……などということが、本当にあり得るのか。

 

叢雲自身も、艦娘という常識外れの存在であり、そしてこれから向かう先には、同じく常識外れの存在である深海棲艦が多数存在している。だから、現実ではありえないようなことが起こっても、不思議ではないと、そう考えることも勿論出来るだろう。

 

実際、前述した赤い海や奇妙な雲のように、深海棲艦の影響によって異常気象が発生するのは既に観測された事実である。因果関係やそのメカニズムこそ解明されていないが、その原因が深海棲艦にあることは疑いようがないと言ってもいいだろう。

 

しかし、今回のこれは、あまりにも規模が違いすぎる。

 

赤い海、奇妙な雲。これらはまだ現実的に説明が出来なくもない。翻って、これはどうだ? 局地的に『時間を変化させる』など、それはもう、深海棲艦とか、艦娘とか、そういうレベルの話ではなく……一種の、そう。

 

さながら、神の所業のような。

 

人ならざる……人を……人智を超えた(上位)存在の業のようではないか。

 

――次元が違う。

 

その言葉がぴたりと当てはまる。

 

 

「局地的に夜に……か。知り合いの軽巡が聞いたら喜びそうな話ね」

 

 

瑞鶴は空に浮かぶ月を眺めながら呟いた。その脳裏には、この鎮守府支部に異動してくる前の僚艦であるとある軽巡の顔が浮かんでいる。夜に妙な執着を見せていた彼女。今頃どうしているだろうか。

 

 

「でも困るなぁー、夜じゃ艦載機が役に立たないや」

 

 

腰に括りつけられた矢筒を手で確認しつつ、愚痴っぽく言葉を零す瑞鶴。空母という艦種は、一部の例外を除き夜という時間帯が苦手なものである。夜目の利く夜間戦闘用の兵装を積みでもしない限り、本来、『瑞鶴』の艦娘には夜間の戦闘力は皆無であると言ってもいい。

 

この瑞鶴こそ、その手にぶら下げている弓剣による近接戦闘という戦闘手段が存在するため、一定以上の戦闘成果を上げることは可能であるものの……それにしたって、空母本来の領分である航空戦闘が一切行えないことには変わりない。それは、瑞鶴のみならず山城も同じことである。彼女の持つ水上爆撃機も今回の戦闘ではどうやら無用の長物となりそうだ。

 

 

「……なんにせよ、やることは変わらないわ」

 

 

しかし、開幕から夜戦であるというならば、それは叢雲たち駆逐艦、そして木曾のような重雷装巡洋艦にとっては最高の舞台であると言ってもいい。夜は、彼女たちの時間だ。駆逐艦や軽巡洋艦、重巡洋艦といった艦種は、やたらと夜目が効くことが多い。通常でさえ、それなのだ。『血に酔った』とさえ称される、戦闘に特化した彼女たちにとって、夜の暗闇は自身の身を隠す効果的な迷彩でしかない。

 

口元が笑みで歪む。

 

目が爛々と輝く。

 

異常事態に止まっていた足を、叢雲たちは再び進める。

 

 

「……目標地点まであと少し。戦闘が始まったら詳細な情報を逐一報告することは難しくなるだろうけれど、今のうちに何か聞いておきたいこと、言っておきたいことはあるかしら?」

 

 

無線の向こう側に、叢雲は問いかける。

 

 

『いいや、特にはないよ。ただ、強いて言うとしたら……ま、頑張って、とだけ』

 

 

「ふん、相変わらず緊張感のない奴ね……」

 

 

叢雲はため息交じりに言葉を零す。だが、提督のその返答は予想していたものでもあった。

 

――こいつが、戦闘前の私たちに余計なことを言うわけがないのだ。

 

何事も縛ることなく。彼女たちの好きなように、自由に暴れることを許可してくれる。だからこそ、叢雲たち六隻は、あの青年を上司として置くことを、自然と許容しているのだろうから。

 

特に別れの言葉もないまま、通信が終了される。

 

偽物の夜の海を、六隻の艦娘が駆ける。

 

月の光に導かれ、彼女たちは狩りの夜へと進みゆく――

 

 

 



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鐘の音.01

 

月下の海に蠢く無数の影がある。

 

それは一体一体が赤黒く悍ましい雰囲気を放ち、淡い月光に照らされて、てらてらと光っている。まるで巨大な命の集合体のように、静かな海に犇めいている。

 

不気味な光景だった。気色の悪い光景でもあった。深海棲艦特有の、仄かに光る目が――瞳が暗い海の表面を覆っている。夥しい数の、瞳が……だが、それは同時に彼女たちにとっては垂涎の光景でもあった。これほどの敵が眼前にいることがこれまであっただろうか。そして、それを全て狩り尽くしてよいなどということが――

 

――いまや夜は汚物に満ち、塗れ、溢れかえっている。

 

 

「……素晴らしいじゃない。存分に狩り、殺しましょう?」

 

 

呟く叢雲。その眼前に虫のように止め処なく溢れる深海棲艦は、どれもこれもが僅かに赤いオーラのようなものを纏っている。それは、一見すると『Elite個体』と呼ばれる深海棲艦の特徴に類似している。実際、その群棲を見た叢雲は、最初にそう思った。大量のElite個体が溢れかえっているのだと。

 

だが、本当にそうだろうか。じっくりと眺めているうちに僅かな違和感が脳裏を掠める。これまで、Elite個体と会敵した回数は数知れない。この手で屠った数は、思い出すのも面倒になるほどだろう。

 

だからこそ、目の前の敵に違和感を覚えている。

 

 

(――Eliteの赤色って、こんな色だったかしら)

 

 

どこがどう違う、とは明確に言い難い。しかし、その赤色のオーラは普段見ているそれよりも、どこか不気味だった。悍ましい。気色が悪い。ふつふつと、腹の底から怒りにも似た、よく解らない感情が湧いてくる。

 

叢雲はそれを、闘争への渇望だと判断した。

 

 

「さぁ、始めましょう」

 

 

ノコギリ槍をがしゃりと変形する。その音に反応したのか、眼前の深海棲艦たちの意識が叢雲たち六隻へと集中する。叢雲の背後で、斧が、刺剣が、刀が、弓が、車輪が――各々、際立つ音を奏でる。

 

――からんっ、と、何処かで鐘の鳴るような音が響いた。そんな気がした。

 

狩りが始まる。

 

最初に飛び出したのは、夕立だった。それはいつものことだ。この六隻の中でも純粋な身体能力という点で、彼女は頭一つ抜けている。そして何より、その無軌道さも飛び抜けている。

 

踏み出す一歩目から爆発的な推進力で夕立は水面をかける。その目は深海棲艦にも劣らず赤く爛々と光っており、口元は弧を描くように歪んでいる。

 

もともと無いようなものだった隊列をこれ以上ないくらいに崩し、無防備に一人突進してきた夕立は、深海棲艦たちから見れば格好の獲物である――少なくとも、敵の側からはそう見えた。

 

見えただけだが。

 

夕立に飛び掛かった駆逐イ級を、黒鉄の斧が襲う。長柄に変形されたその大斧の一撃をまともに食らったイ級は、薄い装甲諸とも空中で砕け散った。血と肉片と骨片がぶち撒けられ、夕立に降り注ぐ。

 

血避けのように夕立は首のマフラーを口元まで引き上げる。同胞を殺された怒りからか、暗い海の下から三体のイ級後期型が同時に夕立に飛び掛かった。

 

視線をやることもなく、夕立は軽い動作で身を躱すと、同時に身体を深く沈めながら左脚を引っかけるようにして左のイ級を捉える。それと動作を並列して手元の長柄斧をコンパクトに畳み、それを正面のイ級に叩きつけながら、空中で捉えたイ級を踏み潰すように海面に叩きつける

 

水飛沫。。

 

右から飛び掛かったイ級は、身を屈めた夕立の上を飛び越え――瞬間、発砲音が虚空に響いた。

 

夜の空気を弾丸が切り裂く。煌めく水銀の弾は空中のイ級を貫き、衝撃でイ級が反対側へと弾き飛ぶ。血飛沫が夜空を装飾し、イ級の死体が着水すると同時に水面が赤く揺れた。

 

射線の先には、エヴェリンを構えた綾波の姿がある。その距離は少なくとも20mは離れているが、綾波にとっては目と鼻の先にある的を撃ち抜くのとさして変わりはない。

 

 

「むー、夕立の獲物っぽい!」

 

 

足元に死んだ魚のように腹を見せて浮かんでいる、踏みつけられたイ級へと、12.7cm連装砲B型を撃ち込みながら、夕立は綾波へと抗議する。

 

 

「いいじゃないですか、これだけ沢山いるんですから」

 

 

綾波は肩をすくめながら、周囲を見渡すようなジェスチャーをした。実際、その言葉通り、周囲には虫の大群のように深海棲艦が群がっている。夕立を、綾波を、食らおうと狙っている。

 

 

「……確かに」

 

 

夕立は呟く。

 

 

「どこもかしこも獲物ばかりっぽい……」

 

 

そしてゆらりと姿勢を起こすと、視線を前へと向ける。そこには、戦艦タ級の姿があった。

 

 

「――お前も、そうっぽい?」

 

 

 

×      ×

 

 

 

「邪魔よ!」

 

 

声と共に、ノコギリ刃が振るわれる。軽巡ホ級の胴体に食い込んだその刃は、力任せに食い込んでいき、引き千切るようにしてその身体を両断する。噎せ返るような血の匂いに混じって、かすかに油の匂いがする――深海棲艦の血の匂いだ。

 

切断された上半身が滑り落ちるその奥から、重巡リ級が主砲を構えているのが見える。砲弾が発射される寸前に、叢雲は左前へとステップし、直前で敵の狙いをずらす。同時に海面を駆け抜け、一瞬で距離を詰めると、槍状に変形させた自身の得物をその無防備な腹に突き立てた。

 

リ級の顔が歪む。

 

槍を引き抜くと同時に、ノコギリ刃が腹を裂く。深海棲艦の皮と肉を裂くのに特化したこの刃は、引くときでさえその身を削り、切断し得る。刃を並べ血を削るノコギリは、特に叢雲の狩りを象徴する武器である。

 

 

「派手にやってるわね」

 

 

その叢雲の横を、一陣の風が通り抜ける。それは背後から飛来した一本の矢が起こしたものだった

 

 

「……何、結局それ、弓としても使うのね」

 

 

背後で弓を放った姿勢のままでいる瑞鶴へと、叢雲は呟いた。

 

瑞鶴の放った矢は、重巡リ級の後ろから魚雷を放とうとしていた雷巡チ級の頭を貫く。装甲の薄い眼球から後頭部までを見事に貫通した矢は、仰向けに倒れ海の底へと沈んでいくチ級の死体と共に深海へ消えゆく。

 

 

「ま、そりゃね。この矢だって、艦載機に化けさせなきゃ普通の矢として使え――おっと」

 

 

ぺらぺらと喋っている瑞鶴を見て、隙だらけだと判断したのだろうか――海面から突然駆逐ロ級が飛び出した。その口からは、ゼロ距離で放つつもりなのだろう、主砲が突き出している。

 

瑞鶴は一歩後ろに下がると同時に、蠅でも払うかのような動作で右手の弓を振るう。と、同時に、かしゃりと音を立てて弓は曲剣へと変形する。

 

反った刃がロ級を直撃する。不快な金属音と粘着質な肉の裂ける音が混ざる。切り裂かれたロ級の皮から内容物が零れ落ちる。

 

致命傷であることは明白だが、それだけでは終わらない。瑞鶴はさらにもう一歩後退しながら、腰の矢筒から一本の鋼鉄の矢を抜き取り、右手を振りながら曲剣を弓へと戻す。

 

一切の澱みなく行われるその動作は、切り裂かれたロ級が水面に還ることさえ許さない。後退する勢いを殺さぬまま矢が番えられ、並々ならぬ膂力で金属の弦が引き絞られる。

 

瞬間、風切り音。

 

矢は空中に浮かぶ身動きも取れぬロ級を正面から捉え、超至近距離から最高速の矢を食らったロ級の身体は四散する。

 

肉塊がいくつか海に落ちる。一拍遅れて、血煙が海風に乗って瑞鶴に纏わりつく。一瞬にして衣服や肌が血に塗れた。

 

 

「ふふ、これであんたも返り血塗れの仲間入りね」

 

 

突撃してきた重巡ネ級の足を払い、倒れたその首元に鋸の先端をねじ込みながら、叢雲は嘲笑する。言いつつ、ネ級の動脈から噴き出す血に塗れているのは何処か皮肉気でもある。

 

 

「うげー。血腥ッ……あんたらよく平気ね」

 

 

「慣れよ、慣れ」

 

 

遠、中距離からの攻撃を行うことの多い瑞鶴は、近距離戦闘を主軸とする叢雲たちに比べて返り血を浴びることが格段に少ない。故に、頭から返り血を浴びることに慣れていないのだろう、口元を拭いながら顔をしかめている。普段ならば敵に接近を許すようなこと自体が少ないのだが――今回は敵の数が数だ。どうしても見逃してしまう獲物は出てくる。

 

 

「こうなると血避けの何かが欲しいところね……口元まで覆うコートとか……帽子とか?」

 

 

「嫌なら常時障壁でも展開していたらどう?」

 

 

「それこそ嫌、面倒くさいし」

 

 

瑞鶴はそう言うが、普通、艦娘は常時障壁を展開しているものだ。障壁がない状態で敵の攻撃を食らえば一撃大破……どころか、轟沈の可能性だってあり得なくはないのだから、当然である。

 

だが、障壁を展開するということはそれだけで艤装のエネルギーを消費している、ということでもある。艦娘の艤装から得られるリソースは有限だ。総量の話だけではない、一秒あたりの出力にも限度はある。よって、障壁を展開している艦娘と、展開していない艦娘では、その他の行動に使えるリソースの量が変わってくる。

 

動きは鈍る。火力は落ちる。逆に言えば、瑞鶴含む六隻が、これだけの膂力をもって深海棲艦を屠ることが出来るのは、天性の身体能力のみではなく、普段障壁にリソースを消費していないから、という理由もある。

 

どうしても躱せない攻撃がくるときだけ、障壁を張ればいい。

 

そんな自殺志願者のような考えを持っていて、なおかつ実行しているのは、彼女たちくらいなものだろう。

 

 

「ま、今夜ばかりはしかたないと思いなさい。この量よ、どれだけ血に塗れれば終わるのか想像もつかないわ」

 

 

未だにうじゃうじゃと湧き出てくる深海棲艦の群れを眺めながら、叢雲は言った。

 

 

「仕方ないわね。幸運の女神の力、見せてあげるわ」

 

 

――あんたについているのは女神ってより死神でしょ。

 

そう思いながらも、叢雲は口には出さない。そんなのは、自分だって同じようなものである。

 

 

「――本当に神様なんてのがいるならね」

 

 

代わりにそう呟きながら、彼女たちは粛々と狩りを続ける――

 

 

 

×      ×

 

 

 

車輪が振るわれる。

 

敵が挽肉になる。

 

車輪が振るわれる。

 

敵が挽肉になる。

 

車輪が振るわれる。

 

敵が挽肉になる。

 

淡々と繰り返される光景。何度も何度も行われる凄惨な殺戮。彼女の周囲の海は既にすり潰された肉片で溢れている。

 

ただでさえ高い戦艦の膂力。噂では敵の砲弾を裏拳で弾き返した戦艦もいると言う。それを、血に酔ったとさえ称される彼女が振るえば、果たしてどれほどのものとなるのか。

 

小細工など要らない。小手先の技術や、敵を破壊するための工夫など必要ない。ただ、上から下に潰す。車輪を用いてすり潰す。ただそれだけで、たった一撃で、深海棲艦の装甲は砕かれ、肉は潰れ、皮膚は破れ、その内側の粘膜を全てさらけ出すことになる。

 

正しく暴力の体現と言ってもいいだろう。酷使された車輪は、獲物の血肉を啜って、ぬらぬらとどす黒い光を放っている。通常であればそのあまりの悍ましさに深海棲艦でさえ攻勢に出ることを躊躇する。だが、今回の敵は何かがおかしい。そんな山城の、処刑じみた虐殺を目の当たりにしても……命など惜しくないかのように、次々と飛び掛かっていく。

 

車輪が振るわれる。

 

敵が挽肉になる。

 

車輪が振るわれる。

 

敵が挽肉になる。

 

車輪が振るわれる。

 

敵が挽肉に――

 

 

「――不幸だわ……」

 

 

「なんだ、藪から棒に」

 

 

次々と飛び掛かりくる深海棲艦を挽肉に加工する山城の傍ら……山城の暴力的な殺戮とは真逆に、華麗な太刀捌きで軽巡ツ級の首を刎ねる木曾は呟いた。

 

これほど大量に獲物をすり潰しておいて不幸とは。一体何を言っているのだろう。

 

 

「だってそうじゃない……久しぶりの出撃だって言うのに……こんなどうでもいいようなモノをすり潰すだけの作業……いい加減飽き飽きするわ……」

 

 

「そりゃお前がそんなもん振り回しているからだろうが」

 

 

「私はもっと、こう……戦いがしたいのよ……戦いを求めていたの……別に一撃で潰れるな、なんて言わないわ……もっと、こう、駆け引きとか……色々あるじゃない……」

 

 

喋りながら、山城は飛びついてきた駆逐ハ級を左手で鷲掴みにする。二秒ほど、その感情の見えない目と目を合わせ、そのまま自身の左後方へとハ級を放り投げる。

 

瞬間、山城の後方……ハ級が着水した付近の水面が、派手に爆発した。夜の空間に炎の赤色が混じり、彼女の物憂げな横顔を照らす。水柱が作られ、水飛沫なのか、血飛沫なのか、肉飛沫なのか、もはや解らないような、深海棲艦の死体と海水の混ざり物が降り注ぐ。

 

後方から魚雷が迫っていた。それを見もせず、避けもせず防いだ。敵を投げて起爆させるという方法で。

 

――下らない。

 

なんとも退屈だった。この分では、自身が宿す怪奇――彼女はそれを神秘と呼んでいるが――を、使うまでもなくすべてが終わってしまうように思える。

 

前方の重巡リ級の主砲が火を噴く。夜の闇を一瞬照らす。迫る砲弾を、山城は回避する素振りさえ見せず、ただ右手の車輪を振り回して弾く。その隙を縫うように軽巡ヘ級がその主砲を突き出しながら迫るが、その頭を容易く蹴り潰す。頭部がザクロのように弾ける。

 

浮力を失って沈みかけるヘ級の身体を右前方に蹴り飛ばし、迫る魚雷を誘爆させ防ぐ。そしてついでのように、闇に乗じて静かに背後をとっていた軽巡ト級へと車輪を振り抜いた。

 

ト級の上半身が削れ、いくつかの肉の塊となって吹き飛ぶ。

 

 

「もう、服にこんなに血が……不幸だわ……」

 

 

そりゃあまあ、それだけ派手な殺し方していたらそうなるのも当然だろ。と、木曾は心の中で苦笑する。

 

 

「ただでさえ夜戦は好きじゃないのよ……嫌なことを思い出すから」

 

 

「そりゃなんだ、昔の記憶か?」

 

 

「ええ、まあ……昔の……随分昔の記憶よ」

 

 

「はん」

 

 

訊いておきながら、興味がないとでも言わんばかりに木曾は呟き、背後から近づく敵に長刀の柄を突き刺す。そのまま手首を回し、刃を一回転させ、哀れな獲物の身体を縦に両断する。

 

大抵の場合、夜戦は近接戦闘になりやすい。ただでさえ、海の上では人間サイズの敵に主砲や魚雷を当てるのは難しいのだ。夜の闇に覆われた海上であれば、なおさらである。夜間では偵察機による弾着観測も難しい。そんな状況で、敵に有効打を加えようとするならば、必然的に近距離での砲撃、雷撃がデフォルトとなる。

 

その分、駆逐や軽巡の火力であっても、戦艦や空母といった高い装甲を持つ敵へと致命傷を負わせることが出来るという利点はあるが――それはそっくりそのまま、自軍へのデメリットにもなり得るということでもある。

 

夜戦はよい。だが、慢心することなかれ。

 

 

「……しかし、この辺も随分と片付いてきたな」

 

 

周囲に大量に浮かぶ深海棲艦の死体……一見すると死体にさえ見えない肉片も多いが……を、眺めながら、木曾は呟く。先ほどから蠢く瞳の数も減ってきた。

 

 

「そうね……この分ならあと一時間もあれば、この辺は片付きそう……」

 

 

「ほかの奴らのところはどうなってるかね……まあ、心配はいらないだろうが」

 

 

言いながら、木曾は残りの敵を掃討するべく一歩踏み出す――その瞬間だった。

 

 

からん……っ

 

 

 

虚空に耳慣れない音が僅かに響く。

 

 

「……なんだ」

 

 

からん……からん、からん……。

 

どんどんと、音が大きくなっていくように思える……まるで、頭蓋骨の裏側に直接反響するような、不愉快な音が。

 

からん、からん……からん、からん……。

 

響く。

 

これは。

 

 

「……鐘の音?」

 

 

山城が、小さく呟く。

 

そして。

 

ぞぞぞぞぞぞ……と、まるで血溜まりから何かをゆっくり引き抜くような、何処か冒涜的な音と共に――海面から赤いオーラを纏った深海棲艦が。

 

深海棲艦が。深海棲艦が。深海棲艦が。深海棲艦が。深海棲艦が。深海棲艦が。深海棲艦が。深海棲艦が。深海棲艦が。深海棲艦が。深海棲艦が。深海棲艦が。深海棲艦が。深海棲艦が。深海棲艦が。深海棲艦が。深海棲艦が。深海棲艦が。深海棲艦が。深海棲艦が。深海棲艦が。深海棲艦が。深海棲艦が。深海棲艦が。深海棲艦が。深海棲艦が。深海棲艦が。深海棲艦が。

 

溢れだす。

 

何処までも深く、酷く遥かな深海の底から。まるで呪いのように。落とし子のように。無数の深海棲艦が蠢きだす。

 

無機質な瞳の群れが、山城と木曾を捉える。

 

 

「……無限湧き、ね。確かにその言葉通りみたいだな」

 

 

ぎゃりん、と、自身の得物である落葉を、長刀と短刀に分離させながら、木曾は呟いた。その口元にはシニカルな笑みが浮かんでいる。

 

 

「そうね……はぁ、またすり潰す作業が始まるのね……」

 

 

山城は憂鬱そうに愚痴を零すと、そっと車輪を背負い直す。既に血肉に塗れた巨大な車輪は、ぬらぬらと不気味に光っている。

 

 

「――それなら、心配はいらなさそうだぜ」

 

 

山城の愚痴に対して、木曾は無数の生まれ落ちる深海棲艦……その奥で、一際大きく蠢く水面を見つめながら言った。

 

水面が泡を立てている。赤く、不気味な光を放ちながら。その奥底から一つの腕が伸びる。真っ白な、人のものに酷似した腕が。

 

水面を揺らしながら出づるは、背後に巨大な異形を従えた人型。黒のワンピースのように見える装甲に身を包み、濡れた長い黒髪を靡かせ――その合間から二本の小さな角が生えている。

 

華奢な見た目にそぐわぬ装甲。背後に従えた異形の艤装から放たれる砲は、戦艦の装甲だろうと容易く打ち砕く。

 

幾度相見え、幾度沈めただろうか。

 

 

「……戦艦棲姫」

 

 

視界の奥で不敵に笑う獲物の、その名を呼びながら、山城は楽し気に口元を歪めた。

 

 

 



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