私を魔王軍参謀と知ってのことか 〜訳あり魔族は幼女を拾って養育するようです〜 (サンボ)
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魔王
――殺しても構わないから勇者倒すのよろしく。
きっかけはそんなふざけ倒した軽い言葉からだった。よもや戦闘職でない参謀の私がそのようなことを言い渡されるとは思わないだろう。
しかしそれが私を穏やかな日常から遠ざける混沌の渦へと誘う発端になるのは、事実なのだ。
魔王城にて、飽きもせず攻め入る者から策を弄して守りに徹し、時には反撃の計画を練る役割を私は担っていた。
今は魔王様に呼ばれ王の間で跪いている。鮮やかながらも荘厳な赤い絨毯に守られ膝は痛くない。良心設計万歳。教会の硬い床で、信者はよく何時間も祈りを捧げられるものだ。
「いかがなさいました? 魔王様」
「あー、それが勇者がもうじき来るそうでさ」
「なるほど、対勇者の布陣を構えよとのことですね」
「いや……ちょっと行って止めてきてほしいんだよね」
「……は?」
突拍子のないその発言に私は耳を疑う。今、魔王様は私に向けて会話をしていると捉えて本当に間違いないだろうか。
「思うんだけどさ、勇者が我を攻めてくるのをわざわざ待ってるなんて芸がなくない?」
「はあ、しかしそれが様式美かと」
「そういう様式美とか慣習なんて正直つまらないよ。物事は常に革新、変遷が必要だ。ってわけで、殺しても構わないから勇者よろしく」
魔王様は足を組みながら私を送り出そうと顎で外を示した。いや、勇者を殺すとか無理なんですけども。
「あの……私が何者かご存知ですよね?」
「え、中堅とかじゃないの? 前は東の塔守ってたよね」
「はい、しかしながら当時も今も警備や軍備に手を加えていましたので」
「えっ、そうだったの?」
「本気で知らなかったのですね……」
軽く驚いた様子の魔王様に私は呆れた。今まで王座に到達する前に処理した賊だっていたはずなのに。
「だってどれだけ城の守りを堅くしても我が敵わないなら結局無意味じゃん。だからわざわざ気にしなくてもいいかなって」
「それでも体力や戦力を削ったりする役割が――」
「回復の泉」
「え?」
「兵士のために設置したのかしらないけど、回復の泉が賊に使われたおかげで向こうは爽やかそうに我に向かってきたね」
私の設けた救済用のポーションプールが、まさか賊の役に立ってしまっていたとは思いもよらなかった。心には大きな裂傷が生まれるように、衝撃が走った。
「ああ、あの時そんな裏話があったんですね……」
「うん。それよりはやくしないと勇者きちゃうからね。連れてって」
再び魔王様が顎で示すと扉の前に立っていた竜兵士二人が屈強な腕で私を引きずる。いや、この人達は一緒に来てくれるんだろうな、その際私は必要なくなるんだろうけれども。
すると、彼らは私を連れ去りながら申し訳なさそうに眉を下げた。
「いやぁ、ほんとありがとうございます。正直あっしらも勇者に怯えてしかたなかったんでさあ」
「魔王城まで攻めてくる勇者なんて相当強いっすからね。感謝が尽きないっすよ」
いやいやいや、彼らに太刀打ちできない勇者に私がどうにかできるわけがないだろう。
それこそ、私が画策した城内の罠の方がよほど有効と言えるほどだ。
しかし、こうなってしまっては仕方がない。私も今まで隠しておいた取っておきを出すしかあるまいな。
「もう結構ですよ。ここからは自分の足で歩きますので」
「そうですかい。健闘をお祈りしますよ」
「魔王様が認めていたっす。スブュイ様は我が目で追えないほど速いのだと」
はて、魔王様はいつの間に私の走る姿を見ていたのだろうか。
「確かに情報収集を自ら行う場合もあるので脚力だけは鍛えていますが、魔王様のお褒めに預かる程ではありませんよ」
「ご謙遜が過ぎるんじゃないすかねぇ? スブュイ様の実力は兵士の俺らもよく知ってるっすよ」
「あのですね……そもそも私は参謀という身でして、実力は知性で示すものなのですが……何か誤解が広まっていませんか?」
全く、城内のどいつもこいつも私を事務職と見ていない事が嘆かわしい。本来なら部屋から一歩も出なくても済ませられるような仕事が大半なのに。
「誤解も何も事実ですがねえ」
「む……腑に落ちませんが、いいでしょう。そろそろ発つとします」
「へえ。いってらっしゃいやせー」
竜兵士達は淡白な態度で私を送り出すが、冗談じゃない。勇者と相見えたら再びの邂逅は叶わなくなるかもしれないというのに、軽く頭を下げるだけで済ませるのはやめてほしい。
もっと、別れを惜しんで涙を流すとかあるでしょう。
「どうせ私は使い捨ての駒ですよ。結局は拠点が危うくなったら突き出されるのは私ですし。私が生き残ったら祝杯でもあげてもらいましょうかね」
私はやけに段数の多い城内中央を下りながら独白する。なに、切り札なら魔王様にも気づかれていないようだったし、2割方いけるだろう。
「……ふう、久々の外の空気、あまり心地の良いものではないが」
それでも清らかな風に深呼吸を促されてしまうのは我々生物の性と言えた。
すると、どこからか泣き声が聴こえた。女児の、必死に声を噛み殺したような嗚咽である。
声の発生源はすぐ隣にあった。城壁にもたれるようにして少女が、服と一体になった頭巾を深く被って蹲っている。
見たところ歳は20か30、いや、人間だとすると倍以上若いのか。
「……お父さん?」
彼女は私の存在に気づいたようで、顔を上げ私を見つめる。そして発した第一声がそれだった。
「お父さん!」
「いや、違いますよ? 私は参謀ですので日々城や兵士の運営に努めてますから」
私は努めて平静を装い――意味不明な返答の時点で平静ではなかったが――少女と視線の高さを合わせる。
頭巾から覗く髪は一束の乱れも許さないほど真っ直ぐに流れ、透き通るような肌と瞳のコントラストがその金色の糸をさらに強調している。
「魔王城前に不審人物を確認。排除しますか? ユシアスさん」
「うん。魔王を倒すのに、一切の障害もなく臨みたいからね」
くっ、勇者か。なんとタイミングの悪いことだろう。
私は少女の頭を撫で、大人しく座って待っているよう告げてその方へ向かう。
さて、彼ら勇者は既に視察済みであるため素性は全て明かされている。構成は勇者の他に戦士、魔術師、神官と最もオーソドックスな型だ。
「なるほど、お前が魔王城の門を守る中堅ってわけか」
「あ、いえ、私そんな風に見えますかね。普段は城内勤務であるわけなのですが」
「魔王に仕えるだけでなくあんな小さい子を連れ去ろうだなんて最低な魔物よ! すぐに焼き払ってしまいましょう」
焼き払うとはまた物騒な話だ。
戦士と魔術師はかなり好戦的なようで、得物を構えて私を睨んでいる。
「否定したいことは山々ありますが、まずは話し合いといきましょう」
「『電光斬り』!」
私が歩み寄ると勇者は雷鳴をその剣に纏わせ横薙ぎに振るってきた。なるほど拳で語り合おうって寸法か。
「ちょっ、死ぬじゃないですか!」
私は身の危険を感じたために勇者達の後ろへと逃げ込むことに成功し、溜飲が下がる思いだった。一歩間違えれば死も覚悟せねばならなかっただろう。
「速いっ……!」
「回り込むなどそこらの魔物でも皆一様に長けているでしょうに、勇者一行が何を驚いているのです」
「いや、それと比べても段違いでしょ……」
また誇張されているな。恐らく他の魔物とは状況が違うからだろう。私には動作を行うだけの十分な猶予があった。
「ともかく、私には交戦の意思はありません。話し合いをしたいだけです。武器も持ち合わせていませんし私はただの参謀ですから」
「今のを見て信じられると思うか!」
勇者は牙をむく猛獣のように私を見据えながら吠える。
やれやれ、説得には骨が折れそうだ。
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勇者一行
さて、切り札ならばいくらでもあるが出し方とタイミングによっては無効ともなり得る。
「おとーさん?」
気がつけば先程の少女が私の袖を掴み見上げていた。いや、断じてこの子の父親などではない。私はしがない参謀なだけだ。
「くっ、人質まで取る気なのね、なんて卑劣なの!」
魔術師が叫ぶ。どう見たらこれを人質と受け取れるのか伺いたいものだが、どうやら人間にも不自然に映っていたようで、
「いや、何か『お父さん』とか言ってたし人質とはちがうだろ」
「バカっ! こういうのは向こうが完全な悪者と決めつける方がやりやすいのよ! 問答とか面倒になるのがわからないの? そんなんだからあんたは戦士なのよ」
人間ながら魔族にも劣らない畜生ぶりである。おっと、魔族全体が該当するとは言っていない。
「会話が筒抜けなのですが……取り敢えず戦士さん、いえ、セシウさん。貴方には同情いたしますよ」
とはいえ姓名や出自その他秘匿事項など把握している私に、付け入る隙を与えたのは浅はかだったな。
「な、なぜ俺の名を……」
「名前程度ならば街の掲示板にでもいくらでも張り出されていますよ。そうですね……セシウさんは以前に弟さんを亡くされているそうで」
私が弟と一言告げただけで彼は目を見開き、「どうして知っている?」と先程から同じ台詞しか述べない。
それだけで私は情報の信憑性を得られたというものもあるが。
「弟さんが助からなかった理由には貴方が大きく関わっているのではありませんか?」
「や、やめろ。それ以上は話すな」
「そういうわけにはいきません。私にも命がかかっていますので」
私がそう言うと、戦士は覚悟を決めたように自らの斧に手を掛けた。
「なら、実力行使に及ぶしか……」
「いいのですか? こちらには人質がいるのではなかったのですか、そうですよね魔術師さん?」
「くっ……」
別にこの少女が人質だとは言っていない。しかし自身の発言と設定には責任を持ってもらいたいものだ。勝手に決めつけて、勝手に貶められるがいい。
「この卑怯もの! 魔族なら魔族らしく魔法とかで戦いなさいよ!」
「はて、魔族だからこそ狡猾に相手を翻弄するものだと私は思いますが」
この女は自尊心が高く、少し暴露してやるだけで戦闘を続行できなくなるだろう。それだけに再起も早そうなものだがいかがだろうか。
「ああ、そういえばマユさん、よく間に合わずに木陰で済ませてしまうそうですね」
「な、何のことよ」
「言ってよろしいのですか? それは、取り入れた食物の不要分、特にその水分が体内で分解を繰り返しながらやがて下腹部へと送られ、いん――」
「まっ、待って! も、もしかして見てたの!?」
私の言葉を遮り彼女は蹲り、顔を覆う。みなまで言う必要がなくて何よりだ。
「その件に私は直接関与していないとだけ言っておきますが、そうそう、丁度そんな体勢だったのではないでしょうか」
「――っ! 死ね! あんたいっぺん死ね!」
「女性が軽々しくそのような言葉を発してはいけませんよ」
「うっ……うっぐ……」
「私は異議を唱えます。女性へ不適切な発言を先んじて行う、配慮の欠如から貴方の発言こそ「軽々しい」に該当します」
次いで噛み付いてきたのは神官である彼女だった。こう、地中獣の破砕タイムアタックのようで一人ずつ相手していくのは楽しいな。
「シィカさんですか」
「私は不明確、隠匿された事実を保持していません。よって、貴方の手は通用しません」
「そうですね……確かに苦労しましたよ。シィカさんが教会の財務や人事を不正に操作したことを探るのはね」
「以降の発言は形勢不利と判断、口を慎みます」
若くして昇進する者は、余程実力が伴わなければ何か裏があるものだ。ましてや教会のような粛々と、伝統を重んじて運営が執り行われてきた組織の中ならば尚更。
「『空斬り・留』」
私が気づかないほどの声量で呟き、勇者が魔力を剣に滞留させ、斬撃を飛ばそうと剣を構えていた。
「魔力が使われれば嫌でも気づいてしまいます、ユシアスさん」
「……くそっ」
「貴方は幾分有名でしたからね。情報集めは捗りましたよ。どうやらユシアスさんは最近までお母様のことをマ――」
「ちょっ! それだけは言わないで」
村人のほとんどがその事実を知っていたというのに今更何を恥ずかしがっているのだろう。勇者は剣を捨て、膝を地につけ懇願してきた。
恐らくはパーティーにはいい顔だけを見せておきたかったのだろう。振る舞いの節々から、そういった傾向が見られる。
「まあまあ、私の目的は当初と依然、変わりませんよ。中でゆっくりお茶でもしましょう」
「……」
こうして、私は虚ろな目の勇者一行との一時的な和解に成功したのだった。
そしてようやく、私の袖を掴んでいる出自不明の小さな来訪者と、会話の続きができる。
「いえ、あなたもきっとお腹が空いていることでしょうし話はその後にしますか。……何か食べていきますか?」
少女は私の言葉にこくりと頷く。こういった、紛いとはいえ家族のようなやり取りには不慣れであるから自然に振る舞えてはいなかったが、彼女の反応を見るにいらぬ心配だったようだ。
「はっ、お帰りなさいませ。スブュイ様の事ですからご健勝のことと伺……え?」
「お客様です。客間へご案内するので先導お願いします」
「ああ……えっと、承知いたしました」
私の帰還を迎えた骸骨兵士は勇者の姿に驚きながらも、すぐに了承した。その間、幼女の左手には私の手が握られていた。私が何者かという事実はもう覆らないようで、今はこうして馴染んでしまっている。
「そういえばお名前を聞いていませんでしたね」
「……キノミ」
「キノミさん? ひょっとしてメシウルムの娘さんでしたか?」
少女は一度だけ頷く。やはりそうだったか。友人の娘だが久しく会わぬ内にここまで大きくなっていたとは驚きだ。
「しばらくお会いしていませんがメシウルムは元気にして……って、今は私がそうなんでしたね」
キノミにとって私が父親と映っているのでは、その父への質問は些か不自然だろう。
しかし、少女は首を振るとその場で立ち止まってしまった。
それがどういった意味を成すのか分かりかねてキノミの表情をしばらく眺めていると、ぐぅ、と死池蛙の鳴き声のような音が鳴った。
「そうですね、まずは腹ごしらえとしましょう」
私は勇者達に遅れて客間へと少女を引き連れると、すぐに使用人を呼び寄せ諸々を注文した。
テーブルにはすぐに紅茶とミルクが運ばれ、キノミの前には続々とシェフの腕をふるった料理が運ばれている。
「しばらく勇者さん方と話をしてくるので食べていてください」
そう言うとキノミは私と一度視線を合わせるが、すぐに元に戻してそのまま食事を続けた。肯定と捉えていいのだろうか。
一方勇者達は差し出された紅茶に手を出さずにいた。
「なるほど、毒を警戒しているのですか。惜しいですね、王都から仕入れた特別な菓子とともに召し上がって頂くつもりだったのですが」
私は非常に残念に思った。それを疑われては払拭しようにも私では力不足だろう。仕方がない、交渉は緊迫の中で行うしかないようだ。
落胆し、何気なく菓子箱をテーブルの上に置くと、すぐさま反応が返ってきた。
「ちょっとそれ! 一日100個限定の「メルティ・ブルーム」詰め合わせじゃない!」
「情報の不足が如実、さらなる説明を求めます」
「とんでもなく人気店の人気商品よ! 開店してすぐに売り切れるから、手に入れるには生半可な覚悟じゃ無理って話よ」
先程まで顔を伏せて唸っていた魔術師が勢いを取り戻して、半ば興奮状態と言えるほどに回復を見せた。
「まさか前日の夕方から待つことになるとは思いませんでしたがね……」
「えっと、その、いただくわ! ……いえ、いただかせてください! 毒なんて疑わないから!」
そう言ってマユは紅茶を一気に飲み干した。そんなに慌てずともよいのに、むせた勢いで吹き出していた。
それを見て仲間達はひどく心配していた。やれやれ、どうやら私の計画は飲食物関係では散々に打ちのめされるらしい。
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幼女
紅茶と菓子を嗜む勇者一行。あれから毒の混入が無いことをマユが体を張って証明してくれたため、ようやく和解へと進むことができるのだった。
「それで、実はご相談がありまして、一度勇者さんには退いていただきたく……」
「ええ! 退くわ、退きます!」
「えぇ? えっと……」
「良いのかよ、ここまでせっかく来たってのに」
「来るだけならいつでもできるじゃない、ほら行くわよ!」
彼女はセシウを引きずりながら「また来るわね!」と去っていった。ご丁寧に菓子の箱を掴んで攫っていく。
それに続いて他の面々も後を追いかけていなくなった。
「……嵐みたい」
いつの間に食事を終えていたキノミが彼らを見送りながら呟く。全くその通りだ。
しかし「また」って、一体次は何しに来る気なんだ。
「あの、お父さん……」
「はい、どうかしましたか?」
私は応えるが、キノミは先程と同様に首を振って否定した。
「ごめんなさい、本当はお父さんじゃないって知ってたの。でも、同じ匂いがしたから」
少女は僅かに目を伏せる。同じ匂いとはどういうことだろう。まさか本当に匂いがするわけではないだろうし、同じ系統と感じ取ったということか。
「謝らなくて大丈夫ですよ。私も奇妙な体験に少し楽しまされましたから」
「……ほっ」
キノミは安心したように息をついた。
「それにしてもキノミさんは可憐に成長されたようで。顔をよく見せてください」
「あっ、うん」
彼女は頭巾を頭から外し、私を見つめてくる。
頭には傘の広い白いキノコが生え、帽子のような一つのチャームポイントになり得ている。
そして彼女ら「
そんなキノミの顔に友の面影が感じられ、懐かしい思いに胸が熱くなった。
「思えば10年ほど会っていないことになりますね。メシウルムは元気でやっていますか?」
「お父さんは……死んじゃったの」
「っ! なんと……」
あの病弱だが人の良いメシウルムが、既に亡き人となっていたとは……多忙を醜く掲げて顔を見せに行かなかった自分が恨めしい。
紙での連絡だけは何度かしていたため美しい配偶者と可愛い愛娘の自慢話だけはいつも聞かされていたが、つい羨ましさと妬ましさ故に直接の再会を先送りにしていた。
「これが私の醜悪な心ですね……」
「あの、お父さんが最後に「娘を頼む」って」
キノミは悔やむ私を心配そうに見つめる。いけないな、こんな幼い子供に心配されるようでは。
しかしたった一人の大切な娘を私に任せるとは、余程信用できる相手がいなかったと見て取れる。
それでも彼とは魔王城赴任前にはよく話をした仲だ。その親睦が表に現れて、キノミは私を父と勘違いしたのかもしれない。
「しかしこんな遠くまでよく……まさか一人で?」
少女は首を振る。
「途中までお父さんもいたけど、馬車ごと襲われて……」
彼女は怯えるように体を震わせた。
襲われた……? そうか、私はなぜ気づいていなかったのだろう。娘を外部の人間に頼むということは内部と何らかの柵があり、ひょっとすれば一族だけでなく国を敵に回してしまっているのやもしれない。
あの女、美しさの裏に冷酷さを潜めていると思ったがついに行動に出てきたか。
「怖い中よく頑張りましたね」
とはいえ震えているキノミを放ってはおけない。私は彼女を撫でながら出来る限り柔和な笑みを浮かべるよう努めた。
すると少女は寄りかかって私の肩で泣き出した。きっと今まで堪えていたのだろう、私は背中をさすって宥め続けることにしたのだ。
「しかし、これは一度出向かなくてはいけませんかね……」
キノミは寝付いてしまい、半ば独白のつもりだったのだが、それでも聞こえていたのか彼女は、
「ん……どっか行っちゃうの?」
「いえ、本当はすぐにでも見にいきたい所ですがお仕事がありますからね」
視察程度ならば部下に一任することも可能だが私的な用事に付き合わせるのも申し訳ない。
ここはやはり私が直接足を動かすしかない。そのためにも、まずは休暇を貰わねば。
「ん? その可愛い少女は誰だい?」
「友人の娘でして、訳あって引き取った次第です」
「へぇ、キノミちゃんっていうのか……キノちゃんね」
魔王様は私の服を掴み隠れる少女の顔をしばらく眺めると、納得するように頷く。ある程度の思考を読み取れるらしい魔王様の恐ろしい性質だ。
情報収集に非常に有用なため、いつかはお力添えいただきたいと思っているが、中々頼みにくい相手なのでこうして思考するまでに留めている。
「あのさあ、期待を込めた視線を向けないでくれるかな? …………はあ、わかったよ。いつか協力することを約束するから」
「はっ、光栄に存じます」
まさか魔王様が折れるとは思っていなかった。粘ってみるものだ。
「……それで、此度は休暇を5日ほどいただきたく参じたまでで」
「ああ、全然構わないよ。そうだね、せっかく遊ぶんなら遊園地にでも連れてってあげなよ」
「ええと、いえ、そういうわけでは……」
「ああ、それから出掛ける前に少し頼み事を引き受けてほしいんだけどさ」
魔王様は私の否定を聞き受けずに自身の用件を話す。きっと私の考えを理解しているだろうに、悪戯心がすぎる。
「分かりました。条件として受け取りましょう」
「そりゃ助かるよ。実は、獣国の王であるリロンくんは7種のキノコを使ったスープが好みらしくてね。次の会談で調理して出させようと思うんだ」
ほう、あの獅子、むやみやたらに肉ばかり食べるのではなく意外にも美食家だったか。
「ところが、在庫を切らしてしまっているらしくてさ、貴重なものだしすぐに取り寄せるのも難しい。そこでちょっと採集してきてもらいたいんだ」
「えっと……私ですか?」
「そう。自称参謀である君に」
「別に騙ってませんから!」
私が何を言おうとしているか分かっての発言なので、魔王様はつくづく意地の悪い方だ。
ついでに言えば魔王様はその先までお見通しだったようだ。
「……マイタキの事が知りたいなら、まずはその子から聞くといい」
マイタキとはメシウルムの妻であり、キノミの母である存在だ。今回の騒動の裏にはやはり彼女がいると見て間違いないが、私情が混ざるばかりに思案に現れてしまったか。
「有り難く存じます」
「あ、そうそう。帰りに日用品店に寄っていってよ。きっと役に立つものがあるだろうからさ」
「は、はあ……」
私は魔王様の配慮に感謝しながらその場を後にした。
「ああ、魔王様から話は聞いてるよ。あ、名前出したら駄目なんだっけ。ともかく、はいこれ」
私は店員に布袋を受け取る。中々にボリュームがあるようだが一体何が入っているのだろう。
「っ! ……これは」
私が中身に驚愕していると、キノミがくいくいっと私の服を引っ張る。
「ぱんつ、びしょびしょ」
そして外套のようになっている裾を捲りあげこちらへ提示しようとするので、私は今世紀最大の慌てようを見せるはめになった。
「ちょっ! 捲らないでください!」
何とか露わになる前に押さえつけることに成功したが、もはや今の行為ですら危うく捉えられるだろう。
私は首を傾げるキノミにため息をつき、その手を静かに離した。
「魔王様、私にどうしろと……」
袋の中にはあたかも私を挑発するように、パステルカラーの幼女用の下着と衣服がそれは丁寧に納められているのだった。
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悪魔
「なぜ、私が……」
今の状況、それは極めて奇妙だった。それは幼女の下着を手にキノミに履き方をレクチャーするというもの。
本当は給仕の女性にでも頼みたかったが、人見知りなキノミがそれを許容しなかったのだ。
「そもそも下着くらいでしたら見様見真似でできるでしょうに……」
キノミに自ら履かせようとしたのだが、片足を両穴に通したり捻れたりと正解とは程遠い。
キノミの家庭は裕福なんてものじゃなく、世話人が複数名いたとは伺っていたがまさか下着すらも他人の手とは予想外だ。
「仕方ありませんね、一度しか手伝いませんから、しっかり覚えてください」
「分かった」
キノミは頷いて両手を広げる。いや、手を動かす必要はないのだが、真剣な様子に少し微笑ましく思いながら「足を上げてくださいね」と続ける。
「……覚えたよ!」
「それは良かったです」
すぐに覚えられるということは、物覚えが悪いという訳ではなく単純に覚える気がなかっただけのようだ。
全く、族長だから仕方ないかもしれないが、娘をまともに自立させる気はないのか。
そう、キノミの母は木の香族の長であった。いつのことか、彼女と婚姻を結び大出世をしたものだとメシウルムと笑いあったものだが、思えばあの頃からあれの冷淡な視線を感じていた。
「上も着させてほしいな」
願い出るキノミに、袖の通し方を教えてやり、一先ず本件は解決か。
「念の為、私以外の人がいる場合は先程と同じように頭を隠しておいてください」
この部屋は自由に使っていい旨を伝え、私は早速キノコ狩りへと出掛けることにした。いかに魔王様の厚意といえど彼女を危険に晒すのは憚られる。
後は信頼できる部下に事情を話しておけばいいだろう、と私が考えているとキノミが立ち塞がった。
「キノミも一緒に行く」
「……ええと、キノミさん。森や山には危険が多くてですね」
「キノコの見分け方なら、知ってるよ」
「それは頼もしい限りですが……」
「お父さんに、いっぱい教わったの」
キノミは次第に涙を目の縁に浮かべながら私を見つめてくる。
「えっと……」
「おいていかないで?」
懇願するようにキノミは私を見上げる。私もいけないな、頼まれては断りきれないなど、良いように扱われて当然ではないか。
「仕方ありませんね。ですが私にはキノミさんを守り切る力などありませんから、危ないと思ったらすぐに逃げてください。これが条件です」
私の言葉にキノミは大きく頷いた。もちろん、私も彼女の死守に抜かりのないようにするつもりだ。
「あらスブュイ、いつの間に小さい子がお気に入りになったのね」
「妙な事を言わないでください、セキュリア」
私が訪問したのは同郷の馴染みに声を掛けようとすると間髪入れずにからかいが飛んでくる。
「ふふ、口は平静を装っても、動揺を隠しきれないようね。スブュイのそういうとこ、私は好きよ」
「はあ……勘弁してください。なぜ魔王様といい、私の周りは質の悪い人ばかりなのでしょう」
「あら、悪魔族はみんなそういうものよ。むしろあなたが特殊な部類なんじゃない」
セキュリアは悪びれた様子もなく大きな瞳で私を射抜く。確かにそうかもしれないが、心まで見通すようなこの視線が私はあまり好きではない。
「それで、この子を守ればいいって話でしょ?」
「流石に情報がはやいですね」
「まあ、あなたのことは常に把握済みだからね」
「……狂気の念を禁じ得ません」
彼女は口端を上げながら、僅かに色気を放つが、これが彼女の通常なのだ。悪い大人にキノミが巻き込まれないように「あまり彼女に近づいてはいけませんよ」と忠告をしておく。
「でも、スブュイがずっとそばにいるなら危険も何もないと思うけど……ええ、あなたが一番自分自身を信用できないって思ってること、分かってるわ。キノミちゃんなら私に任せて」
「助かります。他に頼めそうな方もいませんでしたので」
「あっ、ひょっとして私頼りにされてる? よし、わかったわ、いつでも見守ってるからね!」
そう言ってセキュリアは姿を消す。普段から視線を感じてはいたが、こいつが犯人だったか。
思わずため息が漏れてしまう。見兼ねたキノミが私の顔を覗き込んだ。
「大丈夫?」
「……ええ、平気です。しかしキノミさんはあまり関わりを持たないようにお願いしますね」
「でも悪い人じゃなさそうだったよ?」
「確かに根は優しいんですけどね……」
どうして表に出るのは変態気質なのか。それが悪魔族の定めというやつならば私は里を捨ててしまいたい。
「国の人達はあんまりだったけど、あの人とは仲良くなりたいって……思えたかも」
キノミがそのようなことを言うものだから、それを聞き逃さなかったセキュリアがどことなく現れて少女を抱きしめた。
「キーちゃん、あなたって子は本当にいい子ね!」
「んむぅ……キー、ちゃん?」
「ええ、あなたのことよ。親しみと愛情を込めてそう呼ばせてもらうわ。私の事も気軽にお姉ちゃんと呼んで構わないわよ」
セキュリアの豊満な胸に包まれてキノミが窒息寸前になっているが、興奮状態の彼女はそれに気づいていないらしい。
「セキュリア、落ち着きなさい。キノミさんが苦しそうです」
「あら、ごめんなさい」
「凶器……そうかも」
キノミは息も絶え絶えにそんなことを言う。確かにある種彼女はそれを武器として使うこともあるのだが。
「キノミもいつかおねーちゃんみたいになる」
そして出掛ける直前に、両拳を握って気合十分に宣言するキノミ。
「キノミさんはどうかそのままでいてくださいね」
「えっと……ス……お兄ちゃんは小さい方が好きなの?」
純真な目で尋ねられ、私はギョッとした。どう返答したものか。
「ぷっ……あははっ! スブュイ、これはキーちゃんに一杯食わされたわね」
セキュリアは非常に楽しそうに、高らかに笑っている。私の魔族生に関わるため、決して笑い事ではない。
「キノミさん、私が言ったのは心の話ですので、成長はもちろん楽しみにしてますよ」
「そっか。キノミ、頑張る」
「ふふふ、キーちゃんには特別にボリュームアップの秘訣、教えてあげるからいつでも遊びにおいでね。あとこれ念の為」
セキュリアは、愛らしさたっぷりにウインクを決めるとキノミに両手を向け、「『防御結界・龍鱗』」と唱えた。
途端に彼女の魔力が薄膜のようにキノミを覆い、あらゆる攻撃をも防ぐ強靭な鱗となった。
「可愛いらしい見た目が台無しになるから、心配かもしれないけど魔力は透明にしとくわね」
魔力における色とは、その属性への傾倒を表している。つまり無色ならば属性なしとなる。
しかし龍の鱗とは本来魔力を通しにくいものであるため、心配は不要とも言えた。
「躊躇いもせず上級魔法を……恩に着ます」
「当然じゃない。可愛いキーちゃんに何かあろうものならスブュイの首を一回刎ねるくらいじゃ足りないもの」
「末恐ろしいですね」
これは一層警戒を強めなければいけないな。
「さてと、私は二人の邪魔をするなんて野暮なことはしないわ。影から見守ってるから、魔王様のご期待に沿えるよう頑張ってね」
セキュリアは城門から大きく手を振り、私達を見送った。いや、どこかから見ているのだから、送るという表現は誤りか。
そして隣ではキノミが何やら呟いて、思案を重ねていた。
「お姉ちゃんは大きい。けど、お兄ちゃんは小さい方が好き。一杯食わせる。心。ボリュームアップ。……そっか。キノミ、お腹が空いててもご飯一杯分け与えられるような、心の広い人になるね!」
何かを履き違えている気がしないでもないが、心の広さとは必要なものだ。ただ、これがセキュリアの影響を受けての結果だと思うと、憂慮も捗るのだった。
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きのこ狩り
私は早速木々の鬱蒼とした山へとやってきた。とはいえ、何の宛もなく探していれば時間を弄するだけなのは自明の理だ。
「さて、キノミさん――」
「むー」
私が呼びかけると、キノミは頬を膨らませて自分は不機嫌だと主張してきた。その懸命な様子に可愛らしさを覚えながら、私は「どうしましたか」と尋ねる。
「キノミって呼んで。『さん』は、何だか遠いみたいで嫌だよ」
「えぇ……呼び捨てをしろと?」
「お願い!」
キノミは正面から私の衣服を小さく掴み、潤む瞳で見上げてきた。そのように下手に出られると私も頷かざるを得なくなってしまう。
こうなっては、彼女は譲らないとその表情が語っている。まるであの男のように。
「分かりました。呼び方は変えることにしましょう」
「なんで笑ってるの?」
そのつもりはなかったがどうやら表情に表れてしまったらしく、キノミが不思議そうに首を傾げる。
「いえ、昔同じようなことをお父さんから言われまして。やはり親子だな、と」
後にも先にも私が友人で敬称を捨てたのはメシウルム一人だった……はずが、血は争えない物らしい。
かつて、相手に対して高圧的になってしまうようで私は敬称を省いて人を呼ぶことを嫌い、メシウルムの要求も拒んだのだが彼はそれを良しとしなかった。
結局私は強引に呼称を矯正されることとなる。
それでも彼は私の敬称に対する考えを改めさせるには至らなかったが、少なくとも親しい者との距離感は呼び名にも含まれているのだと、私にも理解できるようになった。
セキュリア。あれは特別だ。彼女には不遜な態度をとっても良いものと考えている。
「おっと、私としたことが配慮に欠けた発言を……すみません、キノミ」
亡き父の話で彼女の気を暗く落としてしまうなど、あるまじき行為。そう思い私が頭を下げると、キノミは存外にも頭をふるふると横に振る。
「ううん。お父さんとはもうお別れして、お兄ちゃんと一緒になるって、お父さんと約束したから」
「そうでしたか。でしたら、キノミは言いつけを守る偉い子ですね」
「えへへ」
私が頭を撫でると大層嬉しそうに顔を綻ばせた。ああ、何としてもこの笑顔、守らねば。
「しかしキノミは私を兄と呼びますが、実際には親と子ほども年が離れているのですよ」
私の為にはならないが、流石に改めた方がいいのではないかと提案すると、少女は何かを考えるような仕草を見せた。
「んー。お兄ちゃんはお父さんの匂いがするけど、お父さんじゃないし、おじさんでもないからお兄ちゃんなの」
「……よくわかりませんが、キノミがそれでいいというならそう呼んでもらいましょうか」
「うん、スブ……スブイ……スビーお兄ちゃん!」
「スブュイです。呼びにくくてすみませんね」
正しい発音を言ってやるも、どうやら訂正は利かなかったようで、私とキノミは諦めてスビーという名に改名することを検討することにしたのだった。
……多少冗談が入り混じっていることを許容してもらいたい。
「さて」
本題に戻るべく、私は手を叩く。その音にキノミが素早くこちらを向いた。
「キノミはこの、何の手がかりもない状況できのこを探し出すことはできますか?」
単純な疑問だ。キノミの教示された知識や探索の能力がどの程度のものか、一先ず知る必要があった。
「分かるよ!」
そう言うとキノミは目を閉じて両手を僅かに広げる。穏やかな表情で少し微笑んでいるようにも見える。
「……あっちだって!」
彼女はその行為を中断すると、目を開けて突然走り出した。しかしすぐに転びそうになり、バランスを崩して前傾になる。
私は瞬時にキノミの横へ駆け、両手でその体を支える。間一髪で地面との衝突を避けられたようだ。
「走ると危ないですよ。ここらの木は根をよく張っているようですから、躓きやすくなっています」
「うん。ありがとう」
彼女が笑顔でそう言うと、そのまま左手で私の手を握った。
「でもこうすれば安心だね」
繋がれた小さな温もりを右手に、私は頷いた。
「そうですね。では、連れていってくれますか?」
「うん! こっち!」
私はキノミに手を引かれ、時に体勢を崩す彼女を支えて森を進んだ。キノミは何かを聴くような仕草をして歩みを止めることもしばしば。
「何が聴こえるのですか?」
私も同じように目を閉じて耳を済ませる。
「声がね、聞こえるの。目を閉じればよく分かるでしょ」
「……本当ですね」
微かだが、聴こえる。これは話し声だろうか、木々や草花が風にそよぐ音に紛れて楽しげな声達が私にも届いた。
「あ、あった。これだよね」
キノミが手にとったのは、傘が球状に大きく膨らんだカオリタケだった。その名の通り芳しい食欲をそそる香りに、人々はこれを愛して止まないのだという。
「確かにこれです。これほど見つけにくいものをよく探し出せましたね」
「キノミ、がんばった」
誇らしげに胸を張る少女を撫でてやるとたちまち表情が緩んだ。なるほど、私の知る全メシウルムがこぞって自慢してくる気持ちもわからないでもない。
「おかげで早く済ませられそうです」
これらの形状や芳香については事前に調査済みではあったが、実物があると尚探しやすい。私は掌を上に向け、魔力を高めた。
「『眷属召喚・粘水』」
唱えると、手から溢れ出たスライム達が地面に落ちていく。地についた者から順に列を形成し、瞬く間に小さな軍隊が出来上がった。
「作戦は伝えた通りです。各自、小隊長への報告を怠らぬよう、お願いします」
私の指示を受け、まるで敬礼でもするように彼らは体の一部を瞬時に盛り上がらせ、次には散開していった。
「……かわいい」
「スライムの中でも小さい種ですからね」
「小さいってことは、お兄ちゃんも好き?」
「……その話はもういいでしょう」
そもそもその方程式はセキュリアとの会話がなければ成り立たなかったはずだ。
頼む相手を間違えたかと、私は猛省するばかりだ。
「えっと、キノミは小さい?」
隣から少女の熱い視線を感じる。
何なんだその質問は。どう答えても私が貶められるような質の悪いものではないか。
「そうですね……キノミはまだ小さいですが、これから成長していくと思いますよ」
「キノミ小さい? やった、お兄ちゃんはキノミのことが好きなんだって、お姉ちゃん!」
その最後の台詞に、奥の茂みがガサッと揺れる。そして草を分けて静かに去ろうとする影を、私は捕らえた。
「どこへ逃げようと言うのですか、セキュリア?」
すると、姿の見えなかったセキュリアがたちまち色を戻し、私達の視界に現れる。
「ひぃっ! ごめんなさい! 頼むから痛いことしないでぇ!」
「しませんよ。ただ、色々話を伺わせてもらいますがね」
「そ、そんなこといって、私を辱めるつもりでしょう? 無防備な体を容赦なく責め立てて! スブュイの愛読書みたいにッ! スブュイの愛読書みたいにぃッ――むぐっ⁉」
「少し静かにしてください。それ以上は身に危険がありますよ」
手で彼女の口を塞いで、威圧をかける。誤解を生むような発言をするんじゃない。
「私の愛読書とはもしかして、「猫の相棒」のことですか? 確かに友人に裏切られ復讐に走るメギンを師が止めるそのシーンは何とも人間味を覚える名場面ですが、どうしてセキュリアが言うとおかしなことになるのでしょうか」
本当に、口を閉じて過ごしていてもらいたいものだ。
「あ、帰ってきた」
すると派遣していたスライム達が隊形を崩さず徐々に帰還を遂げ始めた。その体には数々のキノコが担がれており、キノミはそれを受け取っては彼らに頬ずりをしていた。
「かわいい」
「スライムじゃなくて、キノコをすりすりしてたら、何かものすっごいぐっと来るものが――」
「二度と喋れなくしましょうか」
もうやだ、この悪魔族。
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手紙
セキュリアを影に押し込めることで黙らせた私は、大収穫のもとキノミの手をとって帰路についた。
「たくさん採れたね」
キノミが私を見上げて笑う。
「そうですね。これも全て、キノミとスライムさん達のおかげです」
「かわいいの、どこいっちゃったの?」
「みなさん故郷へ帰しました。また、いつでも会うことはできますよ」
「そっか」
ふんふんと頷くキノミ。果たして可愛いのはどちらだろうか。
「やあ、お帰り」
「魔王様、採集は滞りなく完遂しました」
「そうみたいだね。いやあ、仕事が早くて助かるよ。まあ今回はもう少し先延ばしても良かったけどね。母親のことも聞き出せていないみたいだし」
魔王様の仕方ないとばかりに肩を竦める姿に、私は冷や汗を額に伝わせた。
「そうだね……君には無期限休暇を言い渡すことにするよ。じっくりキノミとの親睦を深めるといい」
「えっ……」
つまり、それって……
「クビね」
セキュリアの部屋にて、彼女は爪の手入れを行いながら言い放つ。はっきりと言ってくれるな。
「やはり、そうですよね……」
「あ、結構な落ち込みようね。えっと……大丈夫よ、正式に役職の穴埋めがされるまではまだ除名と決まったわけじゃないし」
私の心が傷を負っていることに気づくと、途端にセキュリアは慰めの言葉をかけてくる。しかしそれは、効果のないものである。
「いえ。実はもう後継は決まっているそうで、紹介もされてしまいました」
そう言うとセキュリアはますます気の毒そうに眉を下げる。そもそも既に人員が決まっている時点で、始めから私を外すつもりだったのではないか。
「でも、魔王様は休暇って言ったのよね。……あっ、どこ行くのよ」
私が立ち去ろうと腰を上げると彼女はそれを引き止めた。
「いえ、ここへはキノミを引き取りに来ただけですので」
端からセキュリアに相談事など持ち入る気はない。滅多な事を言う彼女をどうして信用できようか。
「待って、キーちゃんも行かないでぇ」
「ありがとうお姉ちゃん。楽しかったよ」
「きぃちゃあああーーん!」
輝かんばかりの幼女の笑顔に、セキュリアは大号泣。だが、溢れ出た涙やらを私の袖で拭くとはどういった行動理念を持っているのか気になる。
「とはいえ、セキュリアには今回世話になりましたからね」
私は懐から菓子折りを取り出して手渡す。
「お納めください」
「あなたのそれ、いつ見ても便利よね。『積載代行』って言うんだっけ」
セキュリアは羨望の眼差しを私に向ける。この、魔力的な空間を現実に介入させ、ほぼ体積のない保存庫を作り出す魔法は確かにこの上なく便利ではあるが。
「私としてはそちらに興味を示してほしかったのですが……」
「ああ……ごめんなさいね。こんなこと言うの申し訳ないけど、私宝石とかしか分からないのよね。……え、と「贅沢の豊潤」かしら。大それた名前ね」
「宝石でなくてすみませんね」
「ううん違うの。詳しく知らなくてごめんなさい。嬉しいわ、ありがとね」
セキュリアが笑顔を私に向ける。こうした、素直な一面もあるから憎めない相手だ。
「ふあぁ……」
「あら、キーちゃん眠そうね」
彼女との会話の中でキノミが欠伸をこぼす。既に瞼が閉じかけており、立っているのがやっとらしかった。
「今日は色々なことがありましたからね。部屋に帰って休みましょうか」
「何なら私の部屋でもいいわよ」
「いえ。セキュリアは私以上に心配ですので遠慮しておきます」
私が丁重に拒否すると、彼女は「えー」と睨み返してきた。全く覇気の籠もっていないその視線を軽く振り払って私は部屋へと戻った。
「ゆっくりとお休みください」
くー、と可愛らしく寝息を立てて眠るキノミの頭を撫で、私は窓の外を見る。
小さく音を立てて窓の縁に降り立った影が、外から来訪を告げる。その口には一通の手紙が咥えられていた。
「お疲れ様です。夜遅くまで苦労をかけてしまいましたね」
窓を開け、その影を迎え入れると労いの言葉をかけて手紙を受け取る。対してそのカラスを象った影は「気にするな」とばかりの悠然な態度を示し、次の瞬間には闇に紛れた。
彼はスライムと同じく魔法により召喚した者だが、彼もまた私が従魔のように使役するには優秀すぎる魔物だ。
予め木の香族の里へ送り込んでいたが、十分な収穫を得て戻ってきたようだ。
「メシウルムの手紙ですか……」
中身を開けてみれば、それはどうやら私に宛てた物らしかった。『君のことだからこの手紙を見つけ出してくれたことだろう』との書き出しで綴られた文書は、キノミを私の側から離すなという旨が記されていた。
「……その言い方はずるいですよ」
手紙の一文に使用されたある文言への、言い返しようのない意地の悪さに私は独り言ち、文を置くとともに溜息をつく。
「分かりました。キノミは、私のこの命に代えても守り抜きましょう」
例え彼女自身にそれを拒まれたとしても、友と交わした最後の約束だ。力の限り、尽くしてみせよう。
私は「セキュリア、少し力をお借りしますよ」と呟いて、二種の魔法を唱えた。一つは、キノミを守る強固な防御結界を。一つは、周囲の怪しげな気配を探る感知用の結界を。
万全とは言えないが、万が一にも私の目が行き届かない場合には大いに役立ってくれるだろう。
「ん……お兄ちゃん、そんなに小さくなれないよぉ……」
その声に私は体を跳ねさせる思いでキノミを振り返る。窓の外を眺めていたが、少しの物音に目を覚ましてしまったのではないかと肝を冷やす。が、心配も杞憂なようで当の少女はしっかりと夢の中にいた。
しかし寝言まで私の好みについてを語るとは、セキュリアにはいずれ灸を据えねばならないらしい。
だがまあ、それはまだいいだろう。
夜明けは遠い。
今はただ、少女の傍らで平穏がいつまでも続くように祈りと我が身を捧げよう。
「『睡眠代行』」
魔法を唱えれば体の内が浄化されるように冴え渡った。しかしながら代行系の魔法は魔力を大幅に消耗するため、濫用には用心したいところだ。
清められた精神と引き換えに、ごっそりと力が抜ける感覚に陥った。だがこの程度、キノミを守るためならば取るに足りないものである。
魔力を体内で生成するためには十分な休息が必要だが、資金さえあれば生成を促すポーションを購入することができるためなんら問題はない。
キノミのために例え私財を擲つことになろうとも構うことは何もないのだ。
メシウルムの意志は確かに受け取った。私は今一度手紙を手に取り、自身の誓いを再確認するとともに世を明かしたのだった。
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お兄ちゃん(キノミ視点)
カタンって音がして、起きた。
窓の所には黒い鳥がいて、夜みたいな真っ黒な体に、ぎらぎらしてる目がちょっぴり怖かったの。
だからお布団をいっぱいに被って見つからないようにした。食べられちゃったら、どうしよう。
「お疲れ様です」
スビーお兄ちゃんの声がして、少しほっとした。何だか鳥さんとお話しているみたい。
それと、鳥さんが持ってきた手紙からお父さんの匂い、お父さんの声がした。
キノミには色んな声が聞こえるからすぐにきのこだって見分けられるんだもんね。えっへん。
けど、お兄ちゃんにも聞こえてたみたいだから、キノミが凄いわけじゃないかも? わからないなぁ。
『君のことだからきっとこの手紙を見つけ出してくれたことだろう』
手紙からお父さんの声がしてきたの。お兄ちゃんにお話してるのかな。ちょっとだけ、お布団のあいだから顔を出してみた。
まだ怖いのがいないかちょっと心配だったけど、お兄ちゃんが笑ってたから大丈夫。
「ええ。ご丁寧にも私が指南した通りの場所に置いていましたからね」
『そう。スブュイが教えてくれたことを実践させてもらったんだ』
「おや、私が何を考えているのかお見通しと……」
『君は僕に考えが見通せていると、今思っているだろうね。だが僕のは所詮真似事で、こういった駆け引きは君の方が何倍も長けている。悪魔族の中でもその能力は随一だと、誰もが思っているし』
お父さんは楽しそうにお兄ちゃんとお話。少しだけ寂しそうだったけど、そっか、キノミはお父さんとお別れしたけど、お父さんもお兄ちゃんとお別れしたんだ。
キノミはお兄ちゃんと離れたくないなぁ……
『そして君は今も僕の言葉を否定しているに違いない。この際だから言っておこう。僕は君の唯一の欠点を知っているんだ』
お父さんはびしっと指を差してお兄ちゃんにぐぐっと近づいたの。
『君は自己評価が恐ろしく低い』
お兄ちゃんの眉が動いて、いやそうな顔をしたけど、じこひょーか? が低いとだめなのかな。
『スブュイの言わんとしていることは分かるよ。だけど、君は君が思っている以上に力がある。だからこそ僕は君にキノミを託したんだ』
「勝手なことを……」
『……君が譲らない限り、論争にすらならないか。僕にも時間があまりない。ならここはこうしよう、僕を友人として信頼を寄せてくれるのならば、どうか願いを聞き入れてほしい』
お父さんはまっすぐお兄ちゃんを見てた。
『キノミを、君のそばから離れさせないでくれ。スブュイなら娘を守りきれる、いや、君にしか出来ないんだ。僕は自信を持ってそう言い切る』
お父さんが離れないようにお願いしてくれたみたい。キノミ、お兄ちゃんとずっと一緒にいられるのかな?
『友の最後の頼みとして、受け取ってはくれないだろうか』
「……その言い方はずるいですよ」
『それから、娘を守り切れなかった不甲斐ない父親の、我儘を許してほしい』
お兄ちゃんはふぅって息をふいてからお手紙をたたんだ。
「分かりました。キノミは、私のこの命に代えても守り抜きましょう」
あと、お兄ちゃんはたたんだお手紙の裏を見て笑ったの。
『君なら引き受けてくれると思ったよ。ありがとう』
それを読んで、お兄ちゃんの目にきらりって光るのがあった気がした。
「隠すのが下手すぎるんですよ。最初に見つけてしまったじゃないですか……!」
お兄ちゃん、笑いながらなみだを流してる。キノミがふいてあげたいけど、おとこのなみだはじゃましちゃだめってお父さんが言ってたから、静かにしておくの。
「ご冥福をお祈りします、メシウルム」
静かにしてたらねむくなっちゃって……ふあぁ……お兄ちゃんの声って何だか安心するし、キノミもお返しにお兄ちゃんを安心させてあげたいけど。
そうだ、スビーお兄ちゃんは小さいのが好きなんだっけ。ならキノミがもっと小さくなればいいのかな。でもどうしたらいいのかわからないし、あしたお姉ちゃんに聞こうね。
「……はっ!」
「よく眠れましたか? キノミ」
眩しいなって目を覚ましたらお兄ちゃんが笑ってキノミを見ていた。
「あのね、キノミ、小さくなる方法を知りたいかなって」
「……いえ、キノミがこれ以上小さくなることは難しいと思いますよ」
「そっか……」
どうしよう。お兄ちゃんでもわからないんだって。
「それよりお腹は空いていませんか? 朝食を摂りに食堂へ行きましょう」
「うん!」
お腹と相談して、今はご飯を食べることにしたの。
大変、嵐の人たちが先についていた。
「来ちゃった」
「あの、軽く遊びに来るような感覚で訪問されると困るのですが」
お兄ちゃんが困ってる。こうなったらキノミが嵐の人たちを追い出すの!
「あの、お料理作るから、それで帰って?」
「あなたはあの時の女の子? 料理ね……そうね、私達が満足したら望みのとおりにしてあげてもいいわ」
嵐のまじゅつしさんに、約束してもらったからキノミ気合いっぱい入れて頑張るぞ。えいえい。
「どうして招かれてもいない来客が偉そうにしているのでしょうか……。ところでキノミ、本当に作るのですか?」
「うん! 声を聞いてお料理するから!」
キノミはお料理するところに行ってさっそくはじめるよ。来るときにお兄ちゃんが色んな人にお辞儀してたから、キノミも真似しておこう。
おいしくしてねって、みんなが言うからキノミ、うでによりをかけてつくるの。
……
「失敗しちゃった」
「……食材が、泣いていますね」
頑張ったけど、まっくろになった。お兄ちゃんはそれを見て少し残念そう。
「キノミは料理の経験はあったのですか?」
「ううん。はじめて」
「道理で……」
そのあと、お兄ちゃんがとっても美味しく作り直してくれて、満足した嵐の人たちも帰っていったの。
「今日はキノミのおかげで新しい発見がありました。食材の声を聞くとは、重要なものですね」
「失敗だったけど」
お料理はだめだったけど、お兄ちゃんはほめてくれた。お兄ちゃんの手って大きいしあったかいなぁ。
「そうですね。次はもう少し慎重にいきましょうか。私も手伝いますので」
「分かった! えへへ、お兄ちゃんがいっしょなら安心だね」
でもちょっと怖いからしばらくおあずけすることにしたの。お兄ちゃんと一緒にしたいことは、お料理だけじゃないから。
手紙とキノミの語りのミスマッチ感。
だが後悔はしていない。
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勇者
さて、近日中に木の香族の属する
それではキノミの多大なる負担になり兼ねない上に、命を狙われている可能性がある以上、あれへ向かうのは急務でない気がした。
魔王様の助言を蔑ろにしてしまうのには気が引けるが仕方がない。
ひょっとしたらそれを予期して無期限休暇などと言ったのかもしれない。あながち、あの魔王様のことだから有り得そうだ。
「今日も嵐の人たち、来るかなぁ?」
「毎日のように遊びに来られるのは非常に厄介ですけどね……」
キノミは頬杖をついてテーブルの下で足をバタつかせる。いつの間にか『嵐の人たち』で定着してしまっている勇者一行だが、まさか暇のあまり彼らの訪問を待ち望んでいるのではあるまいな。
「でも、おかげでお兄ちゃんの美味しいお料理が食べられたから、キノミちょっぴりありがとうって気持ちなの」
「はあ、どうやらキノミは誰にでもお優しいようで。少しばかり彼らには勿体なくも感じます」
いかにキノミの優しさが無限に湧き出る源泉だとしても、無作為に振りまいていいわけではない。人々を苦痛へと誘う数多の病、世に蔓延る魑魅魍魎を払い除けるほどの効能を持つ温泉は、正しく規律を守るものがいて、より良く回っていくものだろう。
さて、噂の誘うは星が瞬きという諺の通り、勇者達の姿が既に見えたようだ。
「あっ、きたきた! お兄ちゃん、早く料理で追い払ってよ!」
どうやらキノミにとって彼らは料理を得るための引換券でしかないらしい。しかし少女は一度「ううん、だめだよね」と自身の言葉を否定した。
情状酌量の余地があるかと思われたがしかしそうではないらしい。
「お料理じゃないほうが新しいはっけんがあるかも!」
納得したように手を叩いたキノミは私の手を引き、「いこいこー!」と彼らを迎え入れるのだった。
結局またしても調理場を借りることになってしまい、通称「嵐の人たち」は黙々と運ばれた品々を頬張っている。尚、ウエイターは可愛らしいキノコ少女である。
「おまちどーさまです。こちら『シェフのちまみれソテー』になります。おあついうちにおめしあがりください」
ぺこりとお辞儀をする少女にマユも笑みが絶えない。少々引きつっているのは何らかの衝動を抑えているからか。
「血まみれって、文面通りなら血に濡れたシェフの肉片が出てくるわよ……」
「まあいいじゃないですか。些細な違いですよ」
「どこが些細なのよっ。気まぐれで殺人が起きてるじゃない! 間違いを正してあげない大人なんてサイテー!」
妙な部分で激昂するマユを不思議に思いながらも、私は面々を見回し出来栄えを窺う。
不服そうな戦士と、終始無表情の神官は文句の一つでも吐き捨てそうな様子ではあったが、食事の手を休めることなく瞬く間に完食に至った。
しかしそれ以上に気になったのは、俯いたまま考え込むように動かなくなった勇者だ。以前の、仇敵を見るような眼差しは見る影もなく、今はただ佇む石像の如く静かだ。
「口に合いませんでしたか?」
「あ、いや……」
「すみません。食材はこれだけしか頂けませんでしたので、お出しできるのは以上になってしまいます」
「……そうじゃなくて」
ユシアスは視線を料理と私の間で往復させ、やがて何かを決意したように立ち上がる。迷いのない、真っ直ぐな目で私を射抜いていた。
「お願いします! 僕を鍛え直してください!」
腰から上が垂直に曲がるほど、彼は頭を下げた。
「ユシアス? 一体何を言っているんだ……」
「件の人物は魔王の手の者。信用は不可能です」
マユ以外の二人は、突然態度が改まった勇者に驚きを隠せないようだった。かくいう私も、同様に固まってしまったのだが。
「僕には分かるんだ。その人が悪人かどうかなんてすぐにさ」
「勇者の持つ力ってやつか」
「いや……美食家としてのスキルで、料理を作った人の善悪が判別できるんだ」
「何それ……ってか、ユシアスはその美食家ってのだったわけ? 勇者じゃなくて?」
「勇者の力を得るまではね。元は世界中の食を求めて歩き回ったただの村人だったんだよ」
「普遍的な村人の行動範囲と不一致。特別な力を獲得しうる適格者だと示唆しているのであれば、納得はしますが」
要するにただの村人なら世界中を飛び回ったりしない、と言いたいのだろう。その頃から実力はともかく、常軌を逸する行動を繰り返していたと言う訳か。
しかし彼が美食家だったとは驚きだ。
「なるほど、道理で街にてユシアスさんの事を尋ねても大半は今年の飲食店ランキングがどうとか、水の味が分かる男だとか言っていたわけですね」
「えっ……勇者になる前に既に美食家として有名だったの⁉ というか水の味ってどういうこと⁉」
マユは勇者の成り立ちについて非常に興味があるようだ。しかしその好奇を断ち切ったのは、当の勇者であった。
「僕の事は今はどうでもいい。昨日、あの人の料理を口にして僕は衝撃の事実を知った」
「しょ、衝撃の……? 衝撃的に美味しかった……ってわけじゃなさそうね」
「確かに調味の細部まで拘り、舌触りや歯応えまでも追及された繊細な品々には僕も舌を巻いた。でもそれ以上に、あの人の実力がとんでもないものだったことに気づいたんだ……!」
いつの間にやら勇者の表情や立ち居振る舞いがいつものそれではなく、姿勢はやけに正しく、何かへ感謝を全身で訴えるような、まるで食を享受するだけの人形へと変わっていた。
目の奥から沸き上がる食への熱意のようなものは、美食家としての彼を最大限に表しているようだ。
「敏捷は以前に確認した通り。でもそれどころか筋力や魔力、知力だって僕らとは段違いに高いことが、僕のスキルで判明した」
「そ、そんなになの?」
「うん。万が一にも有り得ないけど、舌間違いを起こしたかと思って今日も確認してみたら、今度は練度は低いもののマユの魔法を軒並み習得してた」
「不可解。一晩の習得可能数を圧倒的数量でマユは超過させています」
「そうなんだ。でも現にそれを成しているし、それだけの
そしてユシアスは勇者たる果敢な様相で私を見据える。
「彼に圧倒的な差をつけられている以上、魔王なんてとても僕には勝ち目がないんだ。……だから、人間と魔族とはいえ恥を忍んでお願いします! 僕を鍛え直してください!」
再び頭を下げるユシアス。この男、私に何を期待しているのだろうか。仮にも参謀に、戦闘の師事を乞う勇者がどこにいるものか。
「分かりました。さては私をからかっていますね? 会話で隙を作る策謀や、内部から攻める方針は評価に値しますが、一国の参謀だと思って一方的に武力で弾圧するのは倫理に反すると思いますよ」
「え、策謀? ……え?」
「話が通じねえな」
私の言葉に何故か困惑気味の勇者。その横では戦士が呆れたように肩を竦めている。演技……と言うには流石に無理があるか。
「論点の齟齬が生じています。至急、疎通の便宜を図るべきです」
「もう勝手に攻撃して実質的な修行にしちゃいなさいよ。そもそも敵に何かを頼むこと自体がおかしいんだから」
人に菓子を用意させておきながら、どの口が言っているのか。そして勇者はそれに納得して頷いているなんて冗談がすぎる。
「そうだね。なら、僕の剣に直接教えてください!」
勇者は携えた剣先を私の鼻頭に向け、高らかに宣言した。
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決闘
戦いの火蓋は切って落とされた、と考える間もなくユシアスは踏み込んだ足で地を蹴り、私へと肉薄する。
後ろからは「手加減はいらないからね。最悪殺しちゃっても隣町で復活するし」とマユの緊張感に欠ける声がとんでくる。
もちろんそのような余裕などない私は、冷や汗をかきつつも防御結界でユシアスの剣を防ぐ。
「セキュリア!」
「あら、こんな時に他人の心配だなんて随分余裕なのね」
「これが余裕なものですか!」
「うーん、残念。まだ違うのね。ま、キーちゃんなら任せといて」
瞬間、キノミとともに姿を消すように闇に紛れるセキュリアを見届け、勇者から一度距離を取るため後ろへ跳躍する。
この時ばかりは彼女にも感謝しよう。
「やっぱり、この程度じゃ駄目みたいですね。なら、本気で行かせてもらいます。……『烈火の鼓動』」
彼は苦笑した後に胸に手を当てると、淡く光を放ち始める。勇者にのみ許された特殊な魔法は、その者の身体能力を3倍以上に引き上げるなどという、ふざけた技だ。
さらに速く、床をめくりあげるようにして踏み込んだユシアスが私に迫る。続けざまに放たれる剣撃。
直に受けるのは得策ではないと思い、防御結界上で剣身を滑らせ全て受け流した。
「『身体強化・敏速』」
勇者の魔法に比べれば、こちらは微々たるものだが私も魔力による補助を受け付ける。しかし筋力や魔力の底上げはいらない。
この私にとっての力は知性であり、武器は言葉なのだから。
「烈火の鼓動とは、聞き覚えのない魔法名ですね」
ユシアスの剣を捌きつつ、すれ違いざまに尋ねてやる。すると、途端に歯切れが悪くなるのだった。
「あっ……その、勇者だけが使える魔法で……」
「それにしても違う名だったような……もしや、ご自身で考えたので?」
「えっと……はい」
「なるほど、しかしどのような意図で烈火の鼓動と? まさか字面の良さだけで決めるなんてあり得ませんし」
「ぐっ……うう……」
私の言葉を受け、ユシアスは苦しそうに唸る。しかしそれでも攻撃の手は緩めないのだから、大したものだ。
「くっ、この精神修行だって、乗り越えてみせます……!」
彼は食いしばるようにして、決意の目をこちらに向けてきた。この程度では折れないか。流石は勇者、と言ったところか。
しかし確実に精神にはダメージが入っている。こちらもここが耐えどころだ。
「烈火の鼓動。素敵な名だと思いますけどね。こう、掴みどころのなさというか、妙に面白みがあります。……さて」
ここらで、奥の手を一つ見せておこうか。いや、私も既にそこまで追い込まれているということだ。余裕の態度は見せていられない。
勇者がもう少し速く剣を動かしていれば斬られていた、そういう場面が数度あった。
しかし不思議だ。それならそれで彼も速く動けばよいのに、なぜしないのだろうか。もう3倍速くするくらい訳ないだろうに。
まあいい。運が味方をしていると思って、今回はそれに甘えさせてもらおう。
「『投影』」
私は魔力を手のひらから霧状に噴出させ、その上に人物像を立体に描いた。
『はあい、ユシアスちゃーん。頑張ってる?』
「なっ、マっ……母さん!?」
その人物こそ、ユシアスの母こと勇者ママである。
勇者になる人物には、実は法則がある。
それは、親が一人、または義理であることだ。
幼い頃から親の苦労を見てきた勇者候補の少年少女は、その姿を見て『助けになりたい』と切に願うようになる。
その願いはやがて大きくなり、その対象も村人達、国、世界へと大きくなるのだ。この願いの大きさこそが、勇者の強さの根源である。
しかし、どこまで大きくなろうとその核にあるのはやはり親だ。故に、親という存在は勇者にとって最大の弱点となる。
『――でね、この前スブュイさんにはちっちゃい頃のユシアスちゃんの話を聞いてもらったのよ。昔はこーんな、可愛かったんですからってね? もちろん今も十分、可愛いままだけどっ』
「もう、もうやめてよママぁ……」
『あら、まだ話し足りないわ。毎日手紙をもらってるけど、こっちからは連絡ができないもの。でね……』
とまあ、勇者の戦意を完全に削ぎ、涙目になったところでそろそろ解除してやろう。
そして膝から崩れ落ちるユシアス。効果は絶大だったらしい。
ここで追い打ちをかけるとすれば、今のヴィジョンは私が作った偽の母君だと耳打ちしてやることか。本物にならまだしも、別のモノに自分の弱さを見せ、その上で他人にも知られてしまったと聞いたらどんな絶望を見せるのだろうか。
しかし今のはちゃんと本物のユシアスの母であったし、私も鬼ではないのでそんなことはしないが。悪魔ではあるけども。
「ふ、ふざけんな。まともにユシアスと戦ったら勝てないからってよ……」
「当然です。あなた方だってドラゴンのような強敵は四人がかりで討伐するでしょう。私の場合、それを精神攻撃で補っているだけです」
「……いや、まるで歯が立たなかった。実力の底が見えないって、そういえばこういう感覚だった、って思い出したよ」
「実際に目にすると、魔王討伐なんて絵空事みたいに思えてきたわ。ええ、きっとそうなんでしょうね。それくらいの実力差だったわ」
「彼に対する観念の払拭不能。こんなこと、信じたくないです……」
彼らの、私への視線にいつもとは違う感情が宿った気がした。これは……恐怖か? 冗談じゃない。私の方こそ、いつ殺されるか恐れていたというのに。
いや、これはむしろ利用すべきだな。もう二度と彼らとは会わないようにするために。
「少し、話をしませんか」
神妙な面持ちの勇者一行を招いて、いつもの食堂へ。先立って席についていたセキュリアとキノミが手を振るのを頷きで返し、私もユシアス達を伴って座る。
そもそも我々には人間界へ侵攻しようだとか、彼らを支配しようなどという考えはない。あるいは昔の魔族や一部の過激な思想を持つ者ならあり得るかもしれないが、前魔王の打ち出した規定により今は人にも同族にも危害を加えてはならないことになっている。
「でも僕達の村には魔物が度々現れます」
「道を外れた者は自力で生きる術を持ちません。そういう者達が食糧を求めて人里を襲ったりしているのでしょう。人間だって同じではないですか」
「そちらの管理不足を追及します」
「この件には魔王様は一切関与していませんよ。彼らは私達をも襲うただの賊ですし、人間を襲った者の処罰を拒んだのもそちらの方ですしね」
争い合った因縁故か、人間は未だに我々を信用できないのだろう。その件でも、謝罪を入れたいとは私個人としては思っているのだが、彼らの中枢部までは説得が滞っている。
しかしそれでも復讐だと言わんばかりに勇者を派遣してくるのは、また違うのではないだろうか。
「というか、あなた方はここでは賊としての扱いなんですけどね」
「えっ」
無条件で武力を以てして攻め入ってくるのだ。当然の扱いだろう。
同時に賊という言葉で、人間の国家が関わっていない事を示唆している。事を大きくすれば恨みつらみの類も大きくなるので、魔王様もそれを避けたいのだろう。
ただ、その賊は魔王様くらいしか手がつけられないほど、戦力には差があるのだが。
「……少なくとも魔王様には、こちらから人間に手出しをしようなどという気はありません。この城を攻めることは無意味どころか事態を悪化させるだけなんですよ」
それと不当な扱いを受けたくなければここに長く留まらないことです、と釘を差しつつユシアス達に視線を向ける。しかしそれは交わることはなかった。目を伏していたためだ。
きっと彼らも彼らなりの理想を掲げてここへ来たに違いない。その理想と現実とのギャップに心揺れているのだろう。
「……できれば魔王城攻略から身を引いていただけると――」
「分かったわ! 根の深い話みたいだし、一筋縄ではいかなそうね。ここは一度退かせてもらうわ」
「分かっていただけましたか」
ん? 今「一度」と言ったか?
「また詳しく聞きに来るわね! じゃあねっ」
そう言って「『帰還魔法』」と唱えて姿を消す。これ以上彼らにするような詳しい話などないが、一体どういうつもりなのか。
よし……旅に出よう。
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