邂逅 -ワールドトリガー- (ぱぷりかーしゅ)
しおりを挟む

出逢い

主人公・平 火乃音(たいら かのん)のお披露目回です。
時間軸はユウマとチカがボーダーに入隊した1/8頃。
オリ主の視点から見た玉狛第二の面々を描いています。
風間vs三雲戦の描写あり。


 荒れた街並みが月光に照らされて侘しく佇んでいる。中天にかかる月は針のように細く鋭く、無慈悲な眼差しで世界を見下ろしていた。

 ひび割れたアスファルトの上を、白い巨躯がぞろりと尾を引きずって歩いている。大きさは二階建ての民家ほど、脚は象のように太く、大きく裂けた口には小さな牙が生え、この世のどの生き物とも似つかない風貌は、一昔前の特撮に出てくる怪物を思わせた。

 

 近界民。いずこからか、黒い穴と共に現れるもの。

 人を襲い、喰らって、またいずこかへと消えていく。

 

 この街の住民はかつて、こうした化け物によって崩壊の危機に晒された。特に被害の酷かったところはひと区画まるまる打ち捨てられて、もう誰にも顧みられることはない。

 しんと静まり返った冬空の下で、民家の群れはそっと肩を寄せ合い、歓迎されぬ客が歩いていくのを見るともなしに眺めながら、朽ちていく時を過ごしている。

 牙の奥、口腔の隙間から、ひとつしかない目玉がぎょろりと蠢いた。化け物の狙いは生きたヒトだ。それらが大勢いる方を探ろうと、太い首を巡らせた。

 ──すると、突然すぐそばにヒトの気配が現れた。

「目標確認。バムスター1体」

 声は若い。子供だ。声音の高さからして少女らしい。しかし姿が見えない。目玉──正確には目玉のように見える探査装置が姿を捉えようとぎゅるぎゅると回転した。

「こっちだよ」

 呼びかけは顎の下から。俯けばなるほど、足元に一人の少女が立っていた。

 茶色のカウボーイハットにボレロジャケット、チャップスカットのズボンを穿いて、手には漆黒の手袋を嵌めている。帽子のつばを押し上げて、少女がにっこりと微笑んだ。

 右眼を覆う黒布眼帯が、月光に鈍く光る。

「それじゃあ──おやすみ」

 右手が閃く。バムスターと呼ばれる化け物が視認できたのはそこまでだった。

 パキリ、と小さい音がして、目玉が縦に断ち割られる。バムスターは為す術もなく、二つに斬られた胴体を、それぞれ左右に倒れさせた。

 バムスターに脳はない。意思もない。しかしもしそのどちらかがあれば、きっとこう思ったことだろう。

『いま、なにをされた?』

 無造作に立つ少女の手には小太刀が一本握られていた。その、バムスターから見れば小枝のようにか細い武器で両断されたのだと気づくことは、化け物にはついぞ叶わなかった。

 刀を腰の鞘に収め、少女が耳元に手を当てる。

「終わったよ」

 通信機の向こうで、オペレーターが応えた。

 《おつかれさま。こっちでも討伐確認したわ。そのまま上がってちょうだい》

「了解〜」

 少女がバムスターの死骸に背を向ける。回収は本部の仕事だ。きっと朝には、欠片ひとつ残ってはいないだろう。

「今日も街の平和を守ったぞ〜、と」

 間延びしきった声で呟きながら、少女は大きくあくびした。

 

 

 

 

 一月八日、朝。

 ボーダーを志す若者にとって今日の朝日は記念すべき光である。

 なぜならば、年に三回しかないボーダー入隊日の、新年最初の一回目だからだ。

 筆記試験と体力試験、それから面接を乗り越えて、晴れて合格したひよっこが、緊張に顔を引き攣らせてボーダー本部に集合している。

 そんな彼らを迎えるのは精鋭の隊員たちだ。彼らに訓練用のトリガーを渡し、ボーダー隊員としての使命や今後やるべきことをとうとうと語るのである。この上なく先輩面ができる素晴らしい日に、(たいら)火乃音(かのん)は、ぼさぼさの髪に青ざめた顔でスマホを見つめていた。

「……やばい」

 現在の時刻、九時五分前。

 入隊式典開始時刻── 九時ジャスト。

 寝坊した。完っ璧に、寝坊した。

「やばあぁああああい!!」

 布団を蹴りあげ猛ダッシュで洗面所に駆け込む。泣きそうになりながら顔を洗い歯を磨いた。

 けたたましいアラーム音を鳴らすはずの目覚まし機能はきっちりオフになっていたから、寝たまま器用に解除したらしい。脳内でしこたま自分を罵りつつ、放り出してあったトリガーを掴んだ。

「トリガー・起動!」

 声をあげた刹那、火乃音の全身が光を放つ。

 二秒後、そこには昨晩バムスターを倒した時と寸分違わぬ姿の少女がいた。

 ベランダの窓を開け、七階建てマンション最上階から外を見下ろす。

 頬をなぞる風は冷たい。三門市はめったに雪の積もらない街だが、正月を過ぎると霙まじりの雨が頻繁に降ることがある。今日の雲は薄く、青空も見えている。この分なら、天気が崩れることはなさそうだ。間近に聳える基地が、威風堂々と白い壁を魅せている。

「間に合えーー!!」

 がん、と柵を踏み越えて、火乃音は空中に身を踊らせた。

 

 

 基地にはすでに大勢の訓練生が集まっていた。

 興奮している者、不安に顔を曇らせている者、余裕たっぷりに構えている者、顔つきや雰囲気はまさに十人十色といったところ。時枝充が人数を数えていると、やや息を切らせた火乃音がやってくるのが見えた。

「は、はよーっす……」

 よろよろと歩く火乃音の背中を時枝がぽんぽんと叩いてやる。

「おはようございます。ぎりぎりセーフですよ」

「よ、よかったぁ〜……」

 入隊日にはいつも最初に忍田本部長の挨拶がある。もしも遅刻したところを見られようものなら軽いお小言では済まないだろう。というか、新人の前で説教されようものなら今後しばらく馬鹿にされること請け合いである。ほっと胸を撫で下ろし、C級隊員たちの前に立った。

 今回のオリエンテーリングは嵐山隊、諏訪隊、荒船隊、それから東さんが参加している。主導するのはもちろん嵐山だ。各々に目顔で会釈して、居並ぶひよこたちにざっと目を通していく。

 すると、一人ひときわ目立つ少年を見つけた。

 白い髪に赤い目、無造作に立っているように見えてその実、隙がない。明らかに、他の有象無象とは違う雰囲気を醸し出している。隣のB級隊員と話していても、彼の意識がすみずみまで張り巡らされていることはすぐに見て取れた。

「サトリン、あの子、何者?」

 すぐそばに居た佐鳥賢に訊ねる。佐鳥はタブレットでデータ整理を行っていたが、火乃音の問いかけに目をあげると、ああ、と頬を緩ませた。

「凄いっすね、もう気づいちゃいました?」

「そりゃ、オーラが違うもん」

「かれは空閑くんです。玉狛からの入隊っすよ」

「へえ……」

 火乃音が感嘆の吐息を漏らす。玉狛といえばボーダー最強の部隊が在留する支部ではないか。そこからの紹介ならば只者でないのも頷ける。見たことの無い顔だから、きっと他県からのスカウトなのだろう。

「なんかめっちゃ強そー」

 笑う火乃音に、佐鳥が目の端をきらりと光らせた。そこへ忍田本部長がやってきて、訓練生たちに挨拶を述べ始めた。

 しかつめらしく拝聴しつつ、こっそりと他のひよこたちの顔を伺う。空閑の他には、取り立てて目立った人物はいなさそうだ──そう思った矢先、やけに小柄な少女を見つけた瞬間、火乃音の背筋がざわりと震えた。

「────っ!?」

 己の手首をぎゅっと掴む。

 感覚としては、強烈な敵と相対したときに似ていた。肌が粟立ち、口の中がカラカラに乾いて、とてもその場にじっとしていられない。逃げ出したいのに逃げられない、そんなイメージが火乃音を捕らえて話さない。

「……サトリン」

 いまは忍田本部長から嵐山へと口上が移っている。広報として広く顔の知られた彼がB級昇格の条件を語っている後ろで、火乃音が囁いた。

「あの小ちゃいコ、なんて名前?」

「え? えーと……雨取千佳ちゃん、ですね」

「トリオン、いくつ?」

「いやーまだ測定してなくてわっかんないです」

「……そっか」

「なにかありました?」

 佐鳥の向こうに並んでいた時枝の問いに、火乃音が低く呟く。

「あの子、やべーよ。トリオン半端ねえ。

 ……下手したら、あたしより多いかもしんない」

 その言葉に時枝と佐鳥は目を丸くした。

「そしたら黒トリガーと同レベルってことになっちゃいますよ〜」

 笑う佐鳥に、火乃音もにひっと笑った。

「……かもな」

 ちょうど説明は区切りを終えて、狙撃手希望者は佐鳥の後をついていくようにと嵐山が伝えているところだった。件の少女・雨取はスナイパー志望のようで、列の最後尾をとてとて歩いている。白い髪の少年・空閑は残っているから、アタッカーかガンナー志望らしい。

 どちらを見るかしばし迷ったのち、火乃音は結局、空閑を見守ることにした。

 

 

 

 仮想戦闘訓練室が一望できる観覧席に腰を下ろし、空閑の番が回ってくるまでぼうっとしていると、突然肩をつつかれた。振り向くと、もさもさした男前が手を挙げていた。

「おー! とりまる!」

「お久しぶりです」

 烏丸がぺこりと頭を下げた。めったに笑うことは無いが、やけに整った顔をしているので、彼が目を向けるだけで色めきたつ女子は多い。隣に冴えない眼鏡が立っているので見つめていると、烏丸が紹介してくれた。

「俺の弟子の三雲修です。修、このひとはA級九位の平さんだ」

「A級……!?」

「弟子……!?」

 双方違う部分で驚きの声を上げる。あの何事も基本的に我関せずな烏丸が弟子を取るなんて、と火乃音が驚く一方で、修は彼女がA級であることに驚いていた。

 染めた金髪にそばかす顔、身長は千佳よりほんの少し大きい程度だ。トリオンでの戦闘に実体の大きさや腕力は関係ないとはいえ、こんな女の子が三十人足らずしかいないボーダー精鋭部隊の一人だとは思わなかった。

 右目を覆う黒布の眼帯が異様といえば異様だが、それ以外に特筆すべき点は見当たらない。

 お互い目を丸くしているところに、烏丸がさらなる爆弾を投下した。

「そういえば平さんは修と同い歳ですね。よければ色々見てやってください」

「「同い歳っ!?」」

 声がハモる。今度は双方の驚愕点が一致していた。

 二人の身長が二十センチ以上離れているせいで、火乃音は彼を歳上と、修は彼女を歳下だと思い込んでいたのだ。ぶっちゃけ、小学生かと思ったくらいである。

「よ、よろしく……」

「あ、こ、こちらこそよろしくお願いします……」

 なんだかぎこちない握手を交わしていると、会場がどよめいた。どうやら例の空閑が仮想戦闘で異常なタイムを叩き出したらしい。表示された時間を見て、火乃音があんぐりと口を開けた。

「バムスターをコンマ六秒で倒したんか……?」

 見れば他の訓練生が計測器の故障だと言い立てている。空閑はその言い分をあっさりと受け入れ、二度目の仮想戦闘に入った。

 地面を蹴って身を翻し、瞬きほどの素早さでバムスターのコアを斬る。今度のタイムはコンマ四秒だった。

 数多の戦闘をこなし、トップランカー達とも戦ってきた火乃音の目にすら彼の動きは速かった。並んでいるC級たちには何が起きたかすら分かるまい。

「す……っげー! なんだあいつ! とりまる、あいつどこで拾ったの?!」

 興奮もあらわに訊ねると、烏丸は親指で修を指さした。

「こいつが川から拾ってきました」

「まじで!?」

「いや、嘘です」

「なんだコラー!! 嘘つきやがってオラー!!」

 修の首根っこを掴んで揺さぶる。修はズレた眼鏡を抑えながら必死に弁明した。

「僕じゃない、僕じゃないですよ!!」

「烏丸先輩!」

 黄色い声に三人が振り向く。木虎が頬を染めながら階段を駆け下りてくるところだった。

「お、お久しぶりです烏丸先輩……!」

「よお木虎、久しぶり」

 烏丸の屈託のない話し方にますます木虎の顔が赤くなる。きょとんとする修に火乃音が耳打ちした。

「ボーダーの女子はだいたい一度は烏丸に惚れるんだよ」

「は、はあ」

「んで?」

「はい?」

「オサミンはいつからとりまるの弟子になったんだ?」

「お、オサミン……? え、ええと……」

「烏丸先輩の──弟子?!」

 木虎が素っ頓狂な声をあげる。火乃音はニヤニヤ笑いながら修の腕をぽんぽんと叩いた。

「そうなんだよ木虎ー。こいつ、とりまると毎日一緒の部屋であんなことやこんなことしてるんだってさー」

「あ、あんなことやこんなこと……!?」

「く、訓練です! ふつうの! やましいことは何も……!」

「やましいこと……!?」

 木虎がメラメラと瞳を燃やしながら修を睨めつける。修がたじたじと後ずさった。

 火をつけた火乃音が喉を鳴らしていると、空閑の姿をじっと眺める風間を見つけた。同期に入隊したこともあって、火乃音はなにかと風間に絡みたがる。話しかけに行こうとしたところで、様子が尋常でないのに気がついた。

「訓練室を貸せ、嵐山」

 トリガーを発動させ、隊服に換装しながら風間が言う。

「迅の後輩とやらの実力を確かめたい」

「……ほ?」

 風間が他人にこれほど興味を示すのも珍しい。なんだか今日は珍しいことがよく起こる日だ。バムスターを瞬殺した空閑が風間相手にどんなふうに立ち回るのか、非常に興味がある。事の成り行きを眺めていると、風間がおもむろにこちらを見上げた。

「俺と戦え。三雲 修」

「……っ!」

 修の身体が硬直する。風間の瞳はどこまでも冷徹に修を観察していた。

 

 

「……って、オサミンと戦うの? 空閑とじゃなく?」

 火乃音が小首を傾げる。必要がなければソロ戦すらやらない風間が誘うくらいだから、冴えないのは見た目だけで修も相当の実力者なのだろうか……?

 嵐山や烏丸が止めるのを制止して、修が頷いた。

「わかりました、受けます。やりましょう、模擬戦」

 風間が微笑し、訓練室に入っていく。修は大きく深呼吸してから彼の後に続いた。

 おもわず烏丸を振り返る。

「強いの? あのメガネ」

「弱いですよ」

「弱いんかい!」

「弱いです。はっきりいってB級のなかでも下の方ですね」

「……よく弟子に取ったな?」

「まあ、成り行きで」

「なりゆきか」

「成り行きです」

 釈然としないものはありつつも、ひとまず訓練室に目を向ける。風間たちが距離を取って対峙していた。

 風間はいつもどおりスコーピオンの二刀流。対する修は左手にレイガストを構え、右手で弾を生成している。おそらくはアステロイドだろう。防御寄りの射手らしい。

 風間もそれを看破するや、即座にカメレオンを起動した。見えなくなる風間に修が動揺する。

 そのままあっさりと供給機関を貫かれ、まずは修に黒星がついた。

「姿を消すトリガーか。ボーダーには面白いトリガーがあるなー」

 いつの間にかそばに来ていた空閑に火乃音が説明する。

「カメレオンって名前の隠密トリガーだよ。使ってるあいだ中トリオンを消費すっけど、まわりの景色に溶け込める。奇襲にゃもってこいだな」

「ほほう」

「普通は燃費悪ぃから必要な時だけ使うけど、訓練室はトリオン無限だからなぁ。タイマンで使われたらしんどいわ。カザミンも性格悪ーぃ」

 案の定、姿を消す風間に修は為す術もなくこてんぱんにされていた。既に黒星は二十を超えている。同輩の負け姿に堪らなくなったらしい木虎が、烏丸に進言した。

「やめさせてください。見るに耐えません。彼がA級に勝つ可能性なんてゼロですよ。早すぎます」

「──なんだ、修の心配か?」

 真顔で尋ねる烏丸に木虎が首を振った。

「ち、違います!」

「オサムだって今すぐ勝てると思ってないだろ。この先のために経験積んでんだよ」

 空閑の言葉に木虎が冷たい眼差しを向ける。

「ダメで元々、負けて当然ってこと? 勝つつもりでやらなきゃ勝つための経験は積めないわ。無意味よ」

「「おお〜」」

 火乃音と空閑が感嘆する。さすが木虎、厳しいけれどもド正論である。

「……ま、たしかに今のままじゃ百回やっても無理だろな」

 修は途中でカメレオンの攻略法に気づいたようだが、馬鹿正直にアステロイドを撃つ程度では彼の足は止められない。直線軌道を避けて回りこめばいいだけだからだ。広範囲に撃ちまくれば風間もやりづらかろうが、キューブの大きさを見る限り、修はトリオンに恵まれたタイプではないらしい。相性もレベル差もとことん悪い。いつまでやっても白星を上げるのは不可能だろう。

 腰を上げ、スナイパーの方を見てこようかと踵を返しかけたそのとき、空閑が呟いた。

「あれ、まだやるみたいだぞ?」

 驚き見れば、確かに二人がまた戦闘開始位置に立っている。火乃音は驚き半分、呆れ半分で肩を竦めた。

「根性はあるな」

 再び腰を下ろし、行方を見守る。

 修は左手のレイガストを握りしめると、上に向けた右手にアステロイドを出現させた。そのキューブが、端から少しずつバラけていく。

「……!」

 木虎が目を見張る。火乃音が口笛を吹いた。

「スローにして部屋にバラ撒いたのか……!」

 低速霰弾。訓練室ならではの無茶苦茶な戦法だが、これはカメレオンに対してとびっきりの手だ。

 カメレオン起動中は攻撃も防御も出来ない。ほかのトリガーが使えないからだ。これほどの霰弾、回避は不可能、風間は隠密を解くしかない!

 案の定、風間が姿を現し、両手のスコーピオンで叩き落としにかかった。すかさず修が次弾を装填する。風間の方が一手早い。周囲の弾を落としきった風間が修に向かって突進した!

 見る間に距離を詰められた修が半身を引く。誰もがアステロイドを撃つと思った瞬間、修の左手に力がこもった。

「スラスター・オン!」

 修がレイガストの盾ごと風間に激突する!

「シールド突撃!?」

 火乃音が立ち上がる。風間すら想像もしていなかったらしい。まともに喰らい、訓練室の壁に追い詰められた。

 反撃しようと伸ばした手はレイガストの盾に封じられる。そのまま盾がドーム様に変形し、風間を閉じこめた。風間がスコーピオンで破ろうとした刹那、ほんの小さな穴の向こう、修のアステロイドが光り輝く!

「アステロイド!!」

 間髪入れずのゼロ距離射撃、激しい音が訓練室にこだました!

 

 

 

「……っ!」

 誰もが、息を詰めて見守っていた。

 白煙が晴れていく。誰もが、修の勝利を確信していた──が、しかし。

 次の瞬間見えたのは、修の喉にスコーピオンが深々と突き刺さっている姿だった。

 審判を務めていた堤がマイク越しに宣言する。

 

 《伝達系切断──三雲、ダウン》

 

「ああ……っ」

 火乃音が呻く。惜しい。本当に惜しかった。あと一歩のところだったのに……!

 惜しむ火乃音に空閑が言う。

「まだだよ」

「え?」

 その一言に目を凝らすと、煙の奥から風間が現れた。左腕、修にとどめを刺した方の腕が、ぼろりと崩れ落ちる。

「あ……っ!」木虎が息を呑む。

 風間の左半身はアステロイドの直撃を受けて大きく損壊していた。シールドではなくスコーピオンを使ったために、被害を免れなかったらしい。

 堤の宣言が響き渡る。

 

 《トリオン漏出過多──風間、ダウン!》

 

「相打ち……!!」

 火乃音が呆然と呟く。まさか、二十五回目にして引き分けに持ちこむなんて。

「…………!」

 気がつけば、自然と拍手していた。久々に、本当に久々にいい勝負が見れた。こんなにいい試合は数年前、太刀川と迅のソロ戦を見た時以来かもしれない。

 火乃音は訓練室から出てきた修に惜しみない賛辞を贈った。

「よくやったオサミン! 面白かったぞ!!」

「あ、ありがとうございます」

「タメ口でいいよ、タメだし!」

「あ、ありがとう」

 ぶんぶんと握った手を振り、空閑と一緒に褒めあう。その横で、烏丸が風間に感想を聞いていた。

「どうでした、うちの三雲は」

「……はっきり言って、弱いな」

「うわ辛辣」

 火乃音が顔を顰める。風間はしれっと換装を解いて普段着に戻ると、真顔で頷いた。

「事実だからな。トリオンも身体能力もギリギリのレベルだ。迅が推すほどの素質は感じない。

 ──だが」

 風間の視線がじっと修に注がれる。

 

「知恵と工夫で己の足りない部分を補う戦い方は、嫌いじゃない。自分の弱さを自覚しているのもいい点だ。相手を読む頭もあるしな」

 

 もっと強くなれ。それだけ言うと、風間はさっさと階段を上がっていってしまった。

 姿が見えなくなってから火乃音が微笑む。

「……すげー。カザミンがあんなにべた褒めするの初めて聞いたかも」

「俺とは戦ってくれなかったなー」

 ちえ、と唇を尖らせる空閑に、火乃音は噴き出した。

「あはは! さすがに訓練生とは戦えねえよ! カザミンとやりたきゃ、頑張ってA級にあがるっきゃねえな〜」

「なるほどね。上に行く楽しみが増えたな」

「A級になったらあたしともやれよ! 約束!」

「おう。約束だな!」

 空閑と拳をぶつけあって、火乃音も訓練室を後にした。

 

 

 いい勝負を見て火がついた。いまならきっと、ロビーあたりで暇してるA級隊員がいるだろう。米屋とか出水あたりが。気が済むまでソロに付き合ってもらうとしよう。

「やーいいもん見れたー! ……あっ!」

 慌てて足を止め、射撃訓練場へと向かう。

 あの妙なプレッシャーを感じた雨取千佳なる少女を、もう一度見ておこう。もしかしたらあの感覚は気のせいかもしれないし──そうじゃないかもしれない。

 三雲修に雨取千佳、そして空閑少年。

「あの三人がチーム組んだりしたら面白ぇだろな〜」

 くすくす笑いながら射撃訓練場に入った、その瞬間。

 とんでもない爆風と爆音が火乃音の頬をぶっ叩いた。

「ぶえー!」

 たまらず耳を押さえる。視界が歪み、鼓膜がわんわんと反響して使い物にならない。見ればアイビスを構えた雨取千佳が、血の気の失せた顔で硬直していた。

 その先──広い広い訓練室の、さらにその先。

 だだっ広い壁に、どでかい大穴が開いている。

「まさか……」

 いまの爆音がアイビスの射撃音、ということだろうか。なら爆風は発射時の反動風?

 

「……ンなアホな……」

 

 あまりに規格外すぎて、もう笑うしかない。

 訓練生も佐鳥も、あの東でさえ、すぐには動けない様子だった。

 耳たぶを揉みながら、火乃音は自分の直感が正しかったことを悟った。

 間違いない。彼女のトリオンは、ここの誰よりもずば抜けている。

 計測すれば黒トリガークラスだろう。

 

 ──そう。

 あたしと同じに。

 

「これから苦労するだろな〜……あの子は……」

 きっと、騒ぎを聞きつけて鬼怒田さんあたりがやってくるだろう。その前に退散しといたほうがよさそうだ。

 火乃音はもう一度、穴のあいた壁を見てから訓練場を後にした。

 

 

 to be continued



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

東という男

A級9位 平 火乃音(たいら かのん)の物語。
おまけ的なお話で、東さんと会話してるだけです。
背伸びしたがるお年頃。


 新入隊員の指導演習を終えた火乃音(かのん)は、夜間の防衛任務までの数時間を持て余していた。

 誰かしらA級が捕まるだろうと思ったのに、ロビーには誰もいなかったのだ。まさか訓練生やB級を相手に遊ぶ訳にもいかなくて、あてどなく基地内をさまよっていると、ジュースを買っている東春秋を見つけた。火乃音の顔がぱっと明るくなる。

「東さん!」

 手を振り駆け寄ると、東は「よう」と笑って買ったばかりのコーラをくれた。両手を伸ばして大事に受け取る。

「へへー、あざす」

「新人の案内おつかれさん。疲れたろ?」

「全然っすよ」

 プルタブを引き、冷えた液体を流しこむ。しゅわしゅわの炭酸が喉に染み渡った。

「んま〜い」

「はは。飲ませがいあるなあ」

 笑いながら、東は自分用のコーラを取り出した。

 彼の方も新人指導はひとまず終わったらしい。

「やばかったすね、アイビス砲」

 水を向けると、東が苦笑した。

 ボーダーの基地が出来て四年。東も火乃音も同期入隊の古株だが、アイビスで壁をぶち抜いたという話はちょっと聞いたことが無い。

 よほどのトリオンの持ち主なのだろう。

「トリオンいくつでした? あの子」

 問いに東が首を振る。

「分からない。玉狛で測定してるはずなんだが、報告がなくてね」

「……迅か」

「おそらくな」

 なにかと秘密を持ち、暗躍したがる男の顔が浮かぶ。空閑といい修といい、玉狛の隊員はなかなか謎が多そうだ。

「玉狛からもうひとり新しいのが来たんですけど、知ってます?」

「バムスターの戦闘訓練で一秒切ったって子だろ?」

「さすが。めっちゃいい動きしてましたよ。あれ絶対シロートじゃないす」

 たぶん他県からのスカウトだと思うんだけどな〜何者なんだろーなー……と呟く火乃音の頭を、東の手が優しく撫ぜた。

「新人が増えてこれから忙しくなるぞ。正月明けでしんどいけど、よろしくな」

「……! はいっ! まかしてください!」

 瞳をきらきらさせて火乃音が頷く。

 同期の中で、そしてボーダーの大人達のなかで、火乃音は東に最も大きい信頼と愛情を寄せていた。

 東のあたたかく大きな手が髪を撫でてくれる瞬間が、いちばん好きだった。

 東はコーラを飲み干してくれるまで話してくれ、夜間の防衛任務出発時刻には玄関まで見送ってくれた。

「最近、また防衛任務の回数増やしたのか?」

「貯金が趣味なんで」

「あんまり根を詰めすぎるなよ」

「だいじょーぶ!」

 ぐっと拳を固めると、東がそっと顔を近づけて囁いた。

「俺はしばらく諏訪のとこで麻雀やってるから、戻ったら声掛けてくれ。家まで送るよ」

「〜〜っ! ほんとですか!」

「ああ。だから一人で帰るなよ?」

「了解ですっ」

 火乃音は胸の中心がぽかぽかするのを感じた。

 東と出逢って4年。11歳だったころから、火乃音はずっと東にアプローチし続けてきた。好きです、付き合ってくださいと、もう何回言ったかしれやしない。さすがに昔は子供すぎて相手にしてもらえなかったけれど、最近は少し背も伸びたし、東もちょっとずつ意識してくれているような気がする。

 

 家に着くまでなるべくゆっくり歩こう。

 たくさんたくさん、話をしよう。

 

 今日の自分はたとえモールモッドが千体来ても負ける気がしない。

 さっさと終わらせて、東さんと帰宅デートだ。

 どんな話をしようか、期待で胸をふくらませながら、火乃音は任務地へと走りだした。

 

 

 火乃音を見送った東は、入れ違いで帰ってきた諏訪と出くわした。

「よう」

「うっす。玄関で何してんすか」

「火乃音が防衛任務に行くから見送りしてた」

「あー……」

 ぽりぽりと頭を搔く。道理であの小娘がやたらハイテンションで駆けて行くと思った。

「なんかあいつに言いました?」

 諏訪の言葉に東はきょとんと首を傾げた。

「特別なことはなにも言ってないが……ああ、帰りに送ってくって言ったんだ。夜道は危ないからな」

「それだ」

「え?」

「いや、こっちの話」

 小さく息をつく。火乃音が東にベタ惚れなのは公然の秘密だ。誰もが知っている。もしも火乃音に犬の尻尾があれば、ちぎれんばかりに振りたくっているだろう。それほど分かりやすい恋心を、知らないのは東だけだ。

 元A級一位の隊長で、最初のスナイパーで、高い指揮力と指導力で多くの隊員から慕われる男のくせに、自分に向けられる好意にはからっきし鈍いときたもんだ。

 そのくせ、火乃音が落ち込んでいれば慰めてやり、頑張っていれば褒めてやる。今夜のように夜の防衛任務が入った時は、家まで送ってやるという徹底ぶりだ。

 A級9位の火乃音が夜道で危ない目にあうこともないだろうに、まったくこの男は。

「罪なヤローだ」

 呟きに、東は首を傾げるばかりだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

過去と未来と

A級9位 平 火乃音(たいら かのん)の過去話。
人が死ぬ描写があります。
家族を失った少女の決意とトラウマの片鱗。


 四年半前、何の変哲もない一都市に過ぎなかった三門市は、突然化け物の大群に襲われた。

 後に近界民と呼称される怪物達は我が物顔で街を焼き、蹂躙の限りを尽くした。

 警察や自衛隊の武器は何一つ通用しなかった。勇敢に戦った彼らはあるいは怪物に喰われ、あるいは斬られ、あるいは踏み潰された。

 市民は恐怖し、絶望した。

 そのなかに、(たいら)火乃音(かのん)の姿もあった。

 アメリカ留学を終えて帰国したばかりの火乃音は、家族とショッピングモールに出かけている時に近界民に襲われた。

 途中までは父と居たはずだった。しかし必死に逃げ惑ううちに、火乃音は家族とはぐれてしまった。

「おかあさん、おとうさん……!」

 声を枯らして叫んでも誰にも届かない。気がつくと周囲に生きた人間は誰もいなかった。皆マネキンのように無感動に横たわり、胸から血を流して死んでいた。

 火乃音はそれまで、人の死んだところを見たことがなかった。濁った目玉と目が合うたび、懸命に逸らした。焦げ臭いにおいが鼻をつく。あちこちで火の手があがっていた。瓦礫のなかを走り続けたせいで、身体中に生傷ができている。息が苦しい。胸が痛い。でも逃げなきゃ。だけど、どこへ?

 そこに、化け物がやってきた。一体、二体──どんどん増えていく。ひとつしかない目玉をぎょろつかせて、火乃音をじいっと見下ろしていた。

 膝の震えが止まらない。ぐるりをすっかり囲まれて、果たしてどうすればいいというのか。

「たす……たす……」

 噛み合わない歯の間から絞り出すように助けを呼ぶ。だが、誰の耳にも届かないことは明白だった。

 だって、ここには死んだ人しかいない。

 そのうち火乃音も仲間になる。胸から血を流して、どろっとした眼で横たわる死体に。

 気道がきゅーっと締まった。視界がふわふわと暗くなる。気絶する寸前、目の前の化け物が、突然バラバラに四散するのが見えた。

「……え」

 化け物たちは次々に倒されていく。十体もの怪物に囲まれていたはずなのに、気がつけば火乃音は誰かの背中におぶわれていた。

「すまない。来るのが遅れた。もう大丈夫。君は私たちが助けるよ」

 肩越しに振り向いた目が、力強く輝いている。

 死体の目とは全然違う、気力と闘志に満ちた眼差し。

 その目を見た瞬間、火乃音は悟った。

 

 ──ああ。もう、大丈夫だ。

 

 この人がいるなら、平気だ。無条件にそう思える、力強い瞳だった。

 

 それからのことを、火乃音は断片的にしか覚えていない。

 救護所に連れていかれ、怪我の手当をされた。それから二日間眠り続け、起きた時にはもう街のどこにも化け物はいなかった。

 色々な人から色々なことを聞かれた。警察、役所の人、近所の人、マスコミ、医者、とにかく色んな人から質問責めにあった。

 そのどれにもそのとき適うかぎりの答えを返したと思う。詳しいことは、なにも覚えていないけれど。

 そのなかで火乃音はぼんやりと、自分の家族はもう誰も生き残っていないことを知った。

 アメリカの大学で学位をとり、意気揚々と帰ってきた娘をあたたかく迎えてくれた両親は、もうどこにもいないのだ。

 不思議と涙は出なかった。あまりにも多くのことが一度に起こりすぎて、許容を超えたらしい。

 日がな一日、ぼうっと過ごしているところへ、明るい茶髪の青年がやってきた。

 青空のような目が綺麗だと思った。

 彼は膝をつくと、ゆっくりと微笑んだ。

「やあ。俺は迅っていうんだ。はじめまして」

「……どうも」

「君は平 火乃音ちゃんだね?」

「……はい」

 小さく頷く。

 

 次に何を言われるのか、火乃音には大体予想がついていた。

 かわいそうに。

 お悔やみを申し上げます。

 大丈夫?

 つらかったね。……こんなところだ。

 

 そして質問をする。

 

 なにがあったの?

 どこにいたの?

 どんなことが起きた?

 どうやって生き延びたの?

 エトセトラ、エトセトラ。

 誰も彼もが火乃音に話させたがる。ずっとそんな調子だ。十一歳で××大学を卒業した天才少女、厄災に見舞われる! 新聞にこんな見出しが踊ってから、ずぅううっと。

 こいつもそんな類いの人間だろう。淀みきった目つきで見返し、自嘲気味に笑った。

 けれど、迅と名乗った青年は、そんなくだらないことは一言も言わなかった。

 どこまでも優しい瞳で火乃音を見つめながら、掌を差し出してこう言った。

 

「ボーダーに入らないか?」──と。

 

 

「……ぼー……だー……?」

 オウム返しに呟く。迅は頷き、火乃音の手を取った。

 あたたかい手だった。

「君を襲い、君の街をめちゃくちゃにしたのは近界民という存在だ。奴らはこの世界に穴を開けてやってくる。奴らにふつうの武器は効かない。俺達はそんな近界民を倒し、街の平和を守る組織を創る。もう誰も傷ついたり、死んだりしないようにね。その組織の名前が、ボーダーなんだ」

 おだやかな声が、澄んだ瞳が、火乃音のすり減った心を解きほぐしていく。彼が嘘やでまかせを言っているわけじゃないことは、その態度で知れた。

「俺達は強いけど、まだまだ数は多くない。なるべく沢山の人に助けてほしいんだ」

「……でも……あたし、こどもだよ……?」

「そうだ。君はまだ十一歳のこどもだ。だけどボーダーにとって、とても重要な人なんだよ。俺のサイドエフェクトがそう言ってる」

「さ、さいど……?」

「まだ意味は分からなくていい。だけどこの話、よく覚えておいてほしい。そして、よく考えて欲しいんだ」

 忘れないでくれ。俺は、俺達は、君を待っている。

 最後に堅く握手して、迅は去っていった。

 

 火乃音は混乱しどおしだった。近界民? ボーダー? 大学でも聞いたことの無い単語ばかりだ。

 避難所には多くの人が過ごしているが、他にもこの話を聞いた人がいるだろうか?

 明日、聞き込みしてみよう。そうして、また考えてみよう。

 ベッドに転がり、毛布を被る。

 事件から一週間、火乃音は初めて、悪夢を見ることなく眠りに落ちた。

 

 

 一夜明けて、火乃音は朝食のスープをすすりながらまわりの話に耳を澄ませた。

 どうやらあの話を聞いたのは火乃音だけではないらしい。何人かが難しい顔でボーダーだのなんだのと話している。

 話しかけてみようか。でも子供の火乃音を話の輪に入れてくれるだろうか? 邪険に扱われるのがオチかもしれない。悶々としていると、ふっと影が差した。すぐそばに黒髪の男が立っていた。

「……隣、いいかい?」

 簡易食堂の席はまばらに空いている。わざわざ火乃音の隣に来るということは何か話があるのだろう。どうぞ、と言うと、男はありがとうと律儀に礼を言って腰を下ろした。

「おれは東、東 春秋っていうんだ」

「……平です。平 火乃音」

「きみ、昨日迅ってひとからボーダーに誘われなかったかい?」

「!」

 目を丸くする。東はその顔を見て得心がいったらしく、ひとり頷いていた。

「おれのところにも来たんだ。ボーダーって組織を創るから入ってくれないかってね」

「……なんだ。みんなに言って回ってるんですね」

「いや、それは違うと思う」

「なんで?」

「この話、聞いてない人の方が多いんだ。ボーダーって単語だけが独り歩きしてる。それがなんなのかまで知っている人は、多分おれと君と、あとほんの数人だけだ。迅くんはかなり誘う相手を絞ってるみたいだったよ」

 東はじっと火乃音を見つめた。その目つきに、嫌な感じはしなかった。火乃音をひとりの人間として尊重し、敬意を払っている眼差しだった。

 子どもだからと侮ったり、馬鹿にする様子は微塵もない。それが、火乃音の心を開かせた。

「あなたは──東さんは、どうしますか?」

「うーん……まだまだ分からないことだらけだけど、たぶん、入ることになると思う」

「どうして?」

「そうだな……」

 とん、とテーブルを指先で叩く。長くて綺麗な指だと思った。

 

「次にこんなことが起きた時、自分に何も出来ないのは嫌だから、かな」

 

 微笑んではいたが、瞳の奥は真剣だった。

 彼も、この災厄で家族を喪ったのだろうか?

 分からない。だが聞くのも野暮だ。意味が無い。

 

 身内が死んでいようといまいと、あの日三門にいた人たちの人生は大きく変わった。

 火乃音もそうだ。

 家族を喪い、家を失って、どこに行くあてもない。

 だけど、火乃音は生き延びた。

 なら、まだ何かやれる。

 凛とした眼で、東を見返した。

「あたしは、入ります。ボーダーにはいって、戦います」

 東はその言葉を予期していたかのように、しっかりと頷いた。

「なら、俺と君は同志で、同期だな。よろしく」

「よろしく」

 東の大きな手と、火乃音の小さな手が握手を交わす。

 このとき東は21歳、火乃音は11歳。

 十も歳の離れた男女が無二の仲間になった瞬間だった。

 

 

 

 

「……(なっつ)かしい夢」

 呟き、目を開ける。窓の外はまだ暗い。朝というには早すぎ、夜と言うには遅すぎる時間だった。

 迅と、そして東と。火乃音の行く末に大きな転換をもたらした男達の顔が浮かぶ。

 四年の月日が流れても、あの瓦礫と死体の山を忘れることは出来ない。

 でも、胸の痛みは少しずつ小さくなっている。

 寝返りをうち、目を閉じた。

 仕事までもうひと眠りしよう。今度は、幸せな夢が見られるように。

 

 数分後、寝室に、おだやかな寝息が流れ始めた。

 

 

 

 

 正隊員はわりあい忙しい。

 通常の防衛任務に加えて他県へのスカウト、市民との交流、地域巡回と、仕事が多岐に渡るからだ。

 メディア対策室長・根付のおかげでボーダーに対する批判的な意見は少ないが、まったくのゼロというわけでもない。市民の皆様に目をつけられないよう、慎重な振る舞いを要求されることもしばしばだ。

 市民との交流や近界民が出た時の避難指導などは広報担当の嵐山隊が担ってくれているが、圧倒的に人手が足りていないのが実情である。

 

「かといって、テキトーな人を捕まえてくるわけにもいかないのよね」

 

 そう零すのはA級六位の加古隊隊長、加古 望だ。

 弱冠二十歳ながら妖艶な美貌をもつ彼女は、つやのある毛先をくるくると弄びながら嘆息した。

「いいなって思った人はトリオンが足りないし……トリオンの強い人は性格に難があるし……どっちも満たしているひとはボーダーの仕事を怖がるし……スカウトって難しいわあ」

 珈琲をすすりながら、火乃音も苦笑する。

 ボーダーは基地に備えつけた誘導装置によって世界中の近界民を三門市に喚んでいる。裏を返せば、三門市以外に近界民は出ない。それゆえ、三門市の外に住む人々にはいまひとつ、近界民の恐怖やボーダーが戦うべき理由が伝わっていないのだ。

 ……いってしまえば、彼らにとって近界民など、対岸の火事に過ぎないのである。

 欲を言うならトリオン器官の成長が見込める未成年に戦闘員として来て欲しいところだが、保護者の強硬な反対にあうことがほとんどだ。子を思う気持ちを考えれば無理からぬことなので、強いるわけにもいかない。

 もちろん組織そのものを運営していくスタッフも人手不足だ。オペレーター、人事、営業、エンジニア……潤沢な人材に恵まれている部署など無いといっていいだろう。

 ボーダー創立から四年。人員の確保は喫緊の課題であり、頭痛のタネだった。

 昼時を過ぎた食堂に人気はない。入ったばかりのC級隊員に聞かせる話でもないのでほっとしながら、火乃音が訊ねた。

「加古さんがスカウトできたのって何人くらい居る?」

 その火乃音はスカウト任務からは除外されている。未成年に説得される大人はそう多くないからだ。

 加古は顎に指をあて、しばし悩んでから、

「大していないわねえ……三人か四人、ってとこかしら」

「なるほど。キビシ〜」

「それに、みんながみんな戦闘に慣れるわけじゃないものねえ」

「そ〜れなんすよね〜」

 ふう、と悩ましげな息をつく。いくらトリオン体に換装するからといって、斬られたり撃たれたりすることに平気でいられる人間ばかりではない。

 よしんば仮想戦闘訓練で上手くできても、実際に近界民と戦ってみたら怖くて動けなかったり、手足を斬られる感触が忘れられなかったりと、せっかくスカウトしても辞退してしまう人は一定数いる。

 まれにオペレーターやエンジニアに転向して残り続けてくれる人もいるが、いかんせん少数派である。

 近界民の出現回数は四年前からじわじわ増え続けている。何週間か前の、ゲートを開ける小型近界民ラッドの掃討作戦が行われたことで一時期よりは落ち着いているが、それもわずかな間のことだろう。

「近々大規模侵攻もあるらしいし、気が抜けないわ」

 加古の言葉に、火乃音が肩を震わせた。

 自然、目つきが険しくなる。

「……本当に?」

 加古はひょいと肩を竦めた。

「迅くんが言ってたわ。彼が言うなら、そうなんでしょうね」

「…………」

 ぐ、と拳を握りしめる。未来予知のサイドエフェクトを持つ迅が言うなら、間違いないだろう。

 脳裏に瓦礫と死体がよみがえる。

 あの時とは、違う。四年かけて強くなった。

 今度は誰も死なせない。街の人も、仲間たちも、みんな。

「ちょっと、迅に会ってきます」

 席を立つ。本人の口から確かめたい。加古はひらひらと手を振った。

「またね、かのんちゃん。今度は私の行きつけのカフェに行きましょ」

「あざっす!」

 ぱたぱたと駆けていく小さな後ろ姿を見ながら、加古は細く息を吐いた。

「あんまり思い詰めないといいんだけれど」

 

 

 迅は玉狛支部の人間で、本部に来ることは滅多にない。だから直接支部に向かおうとしたところで、向こうから歩いてくる迅と出くわした。

「迅!」

 驚く火乃音に迅がへらりと笑う。

「よう。元気そうだな」

「……なあ、聞きたいことがあるんだけど」

「おっと急だなあ。急ぎの話か?」

「もうすぐ大規模侵攻があるって──ほんとか?」

 迅の笑みが小さくなった。

「聞いたのか」

「加古さんから。本当なのか?」

 迅はすぐには答えず、じっと火乃音を見下ろした。

 火乃音も急かそうとはしない。長い付き合いで彼の癖は把握している。迅の顔は、何を言って何を言わないでおくか、考えているときの貌だった。

「──本当だよ。もうすぐ来る」

「どれくらい?」

「十日かそこら、って感じかな」

「前と同じくらい? 多い? すくない?」

「多い、と思う」

 火乃音は、一番聞きたかった質問をもういちど頭の中で反芻した。緊張で口の中が乾いていく。

 でも、聞かずにはおれなかった。

 

「……だれか、死ぬのか?」

 

 迅は少しの間、身動ぎもしなかった。

 彼がようやく口を開いたとき、火乃音は心臓が肋骨を突き破って表に飛び出しそうだった。

 

「──お前の大事な人は、誰も死なないよ。

 俺のサイドエフェクトがそう言ってる」

 

 数秒、あるいは数十秒見つめあい。

 火乃音は、詰めていた息をほうっと吐き出した。

「……そっか。ありがと!」

「どういたしまして。おまえ、たまにはウチにこいよ。レイジさんが美味い飯作ってくれるからさ」

「うん。今度おじゃまするわ」

 張り詰めていた気が緩んで、肩がすこし軽くなった。迅が言うなら、大丈夫だ。

 怖いことは、何も起きない。

 安心したら急に眠くなってきた。作戦室で一眠りしてから帰ろう。迅に手を振り、踵を返す。

 

 火乃音が見えなくなってから、迅がぼそりと呟いた。

 

「いまのところは、な──」

 

 未来はほんのちょっとしたことで変わる。

 何が誰にどう作用してどんなふうに変わるのか、その全てを見透すことは迅にも叶わない。

 だから、いま視えるなかで一番いい未来を伝えた。

 そのことは、墓場まで隠し通すだろう。無数に抱えたほかの秘密と同じように。

 嘘も方便。だが、嘘であることに変わりはない。

 

「ごめんな、火乃音」

 

 誰にも届かない謝罪を飲み込んで、迅は静かに歩き出した。

 

 

 to be continued



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

駿と修と空閑遊真

A級9位 平 火乃音(たいら かのん)の物語。
おまけ話2つ目。修が緑川にボコボコにされ、空閑がボコボコにし返す話のオリ主視点です。


 衝撃の入隊式から数日後。

 朝の防衛任務を終えた火乃音(かのん)がC級のブースを覗いてみると、緑川と修がソロ戦を始めるところに出くわした。

「……あぇ? なんで二人が戦ってんだ?」

 おもわず首を傾げる。巨大液晶画面が設置された広間にはやたら観客が多かった。そのほとんどがC級だが、なかにはB級の隊員も混じっている。みな興奮した面持ちで画面を見上げていた。

 ふと、先日の風間戦を思い出した。二十五回目の勝負で修は見事引き分けに持ち込んだが、正直なところ、かなり運の要素の強い試合運びだった。風間がもう少し慎重に戦っていれば、修には二十五個目の黒星がついていた筈である。

「もっと強くなりたくて駿坊に試合申し込んだのか……?」

 そこまで積極的な性格には見えなかったが。

 腑に落ちないものの、特に用事もないので、じっくり見せてもらうことにした。

 

 

「んー……まあ、こうなるわな……」

 腕組みしながら火乃音が呟く。

 結果は緑川の全勝。なんというか、予想通りの展開だった。

 緑川駿は経歴こそ浅いがすでにA級四位に名を連ねる凄腕だ。グラスホッパーを多用した《ピンボール戦法》で数々の敵を屠ってきた俊敏な攻撃手であり、スコーピオンのポイントは確か九千を超えている。

 レイガスト使いの修とは元来相性の悪い相手だ。

 そもそも、あまりに実力差がありすぎる。一勝でもしたらそれこそ奇跡だろう。

 ブースから出てきた修に声をかけようと腰を浮かせたら、お子様ふたりに先を越されてしまった。

「こらおさむ! 負けてしまうとはなにごとか!」

「なんか目立ってんなあ」

 玉狛の名物お子様陽太郎と、一秒切りの空閑だった。かたや叱咤、かたや笑いながら修を囲んでいる。修が答えようとしたところで、緑川が上から声をかけた。

「お疲れメガネくん。実力はだいたい分かったから、帰っていいよ」

 あまりといえばあまりの言い草に、陽太郎が青筋を立てるのがここからでも見えた。

「うわあ……超上から目線……」思わず火乃音も頬を引き攣らせる。

 年齢に関係なく腕次第で昇格するボーダーは、あまり礼儀礼節に厳格ではない。

 歳上にタメ口をきく歳下などは珍しくないし、そもそも誰が何歳か分からない隊員が多いくらいだ。

 それにしたって、あの言いようは流石に酷い。

 ちょっと叱ろうかと思ったら、またまた先を越されてしまった。

「なあ、このギャラリー、お前が集めたんか?」

 空閑が問う。緑川はふっと鼻を鳴らした。

「ちがうよ。そのひとが風間さんと引き分けたって噂に寄ってきたんだろ。オレは何もしてないよ」

「へえ……」

 空閑の目が据わる。

 瞬間、まわりの温度が下がった。

 

「おまえ、つまんないウソつくね」

 

「「……っ!?」」

 緑川と火乃音の背筋がぞくりと粟立つ。

 その"冷気"はすぐに霧散したが、緑川の人を小馬鹿にした笑みを消すには充分だった。

 左手甲のポイントを見せながら空閑が提案する。

「おれとも勝負しようぜミドリカワ。おまえが勝てたらおれの点を全部やるよ」

「……はあ? おまえC級だろ? 訓練用のトリガーでオレに勝つつもり?」

「うん」

 雪のように白い髪の下でにこりと笑う。

 

「お前相手なら充分だろ」

 

 今度は、緑川のこめかみに筋が浮かぶ番だった。

「……いいよ、やろうよ。そっちが勝ったら何点欲しい? 三千? 五千?」

「ポイントは要らん。代わりに──」

 親指で修を指差すと、空閑ははっきりと宣言した。

 

「おれが勝ったら、うちの隊長を先輩と呼べ」

 

 売り言葉に買い言葉、二人はさっさとブースへと入っていく。

 困惑した修が止めようとしたところで、ようやく火乃音は声をかけることができた。

「まーまーオサムン。止めない方がいいって」

「えっ、わっ、平、さん」

「かのんでいいよ。みんなそう呼ぶし」

「おっす かのん!」

「おっす陽太郎〜」

 お子様のもみじみたいな手とハイタッチを交わす。そこに更に米屋 陽介が混じってきた。

「くそー。白チビは俺が先約だったのに」

「あれ、よねやん。空閑ちゃんと戦う予定だったの?」

「そうだよ。なのに緑川にとられちまったぜ」

「あーあ。んー……そしたら、あたしとする?」

 提案に、米屋がぱっと笑顔になった。

「まじか! よっしゃ」

「ソロ戦久々だなー。なにで来て欲しい? 攻撃手? 銃手? 射手? なんでもいいよ」

「アタッカーでよろしく」

「おっけ」

 腰のポーチからホルダーを取り出すと、攻撃手装備に換装した。修が目を瞬かせる。

「ホルダー、たくさん持ってるんですね……」

 ポーチにはざっと見ただけでも五本のホルダーが収まっていた。

 ふつう、隊員はホルダーを一つしか持たない。武器や装備を変えたければその都度ホルダー内のチップを変えるのが常道である。

「ん? ああ、まあねー。あたしいろんな武器極めたくてさ。弧月もレイガストもスコーピオンも使えるよ」

 グっと親指を立てる。そうこう話しているうちに、二人の試合が始まった。

 最初の二戦は緑川が圧倒した。空閑の不意をつき、背後を取り、一撃で両断する。その動きに無駄はなく、あまりに素早い身のこなしに、見ていたC級隊員たちがぽかんと口を開けていた。

「空閑が負けるなんて……」

 修も驚きに絶句する。火乃音と米屋は、にやにやと笑いながら画面を見ていた。

「いやー、中々経験の差がありますなあ」

「容赦ねえなー」

 その言葉に、陽太郎がぷんぷんと小さな拳を振り回した。

「けいけんの差ってなんだ! ゆうまもミドリカワに負けるというのか!!」

「ああ、違う違う。逆だよ。空閑チャンのほうが、ずっと上ってこと」

「え?」

 修が振り向く。火乃音の目には、空閑の目論見が分かりすぎるくらい見えていた。

 米屋が後を引き継ぐ。

「見てな。そろそろ空閑が勝つぞ」

 

 ──果たして、その通りになった。

 緑川が勝てたのは最初の二戦だけ。あとはずるずると負けが立て込み、八対二の大差で負けてしまった。

 バムスターをコンマ四秒で倒したあの身ごなしは伊達じゃない。相手の隙を見つけ、即座に叩ける者の動きだった。きっと最初の二回はわざと負けて、緑川の油断を誘ったのだ。そうして彼の仕草、癖をじっくり観察し、隙を見つけた。

 上手くいっているときほど相手の企みには気づきにくい。緑川が空閑の狙いに気づいたのは、おそらく、ラストの二戦あたりだろう。

 A級がC級に負けたとあれば大層屈辱だろうに、ブースから出てきた緑川は存外スッキリした顔をしていた。圧倒的強者を前に、つまらない見栄は消し飛んだらしい。

 つかつかと修に近づくと、なんのてらいもなく頭を下げた。

「……すみませんでした、三雲先輩。オレ、あなたに恥かかせようと思ってわざと対戦挑んだんです。みんなの前でボコボコにしてやろうって……」

「あ、そうだったの?」修が目を丸くする。

 子供らしい幼稚な作戦である。やられた方はたまったもんじゃないだろうが。

 修はどうでる? 怒るか? それとも嫌味のひとつくらい言うだろうか?

 わくわくしながら見守っていたが、修はそのどれも選ばなかった。

「──まあ、よかったよ」と言って、笑ってさえ見せたのだ。

「……え?」

 緑川が戸惑う。火乃音もおやと眉を上げた。

「なんか、実力以上の評判立ってたしさ。間違った噂がこれ以上広まらずにすんで、ほっとしたよ。だいたい、風間さんとはいきなり引き分けたわけじゃなくて、二十四敗一引き分けだから!」

 最後の言葉は聞き耳を立てていたC級たちへのものだろう。火乃音はちらりと目を走らせ、緑川を見やった。

「……」

 一つ下の少年は、毒気を抜かれた顔をしていた。彼も自分のした事が卑劣な行いだという自覚があるのだろう。それだけに、修がこうもあっさりと流してくれたことが信じられないのだ。

「なかなか素直でよろしい」

 空閑の言葉に緑川が肩を竦めた。

「そういう約束だからね」

「大勢の前でボコボコにして悪かったな」

「いいよ。自分で集めた観客だし。次はボコボコにし返すから」

「ほほう。お待ちしてます」

 たわいないやりとりに、火乃音が頬をほころばせる。するといきなり後ろから、頭をわしゃわしゃと乱された。

「ぎゃっ!?」

「よう、青春だねえ諸君」

「迅さん!」

 緑川がはなやいだ声をあげる。火乃音が両手をぶん回した。

「迅!? ちょっと!! やめろ!! 髪がもつれる!!」

 緑川はそれまで話していた空閑をあっさりと放って迅にまとわりつく。昔助けられて以来熱烈な迅ファンになった緑川のいつもの光景だった。

「迅さんオレも玉狛にいれてよ!」

「草壁隊どうすんだおまえ」

「どっちもやる! 兼業する!」

「無茶言うなあ」

「その! まえに! 髪をわしゃわしゃするの! やめろ! コラーーーー!!」

 ワイワイガヤガヤピーチクパーチク。

 騒がしい三人を米屋と空閑は笑い、修は困った顔で見つめていた。

 

 

 迅は空閑と修、それから陽太郎を連れて会議室に上がっていった。途端に賑やかさが減る。

 緑川の顔を覗きこみ、にひっと笑った。

「慰めてやろーか?」

 お子様がぷいっと顔を逸らす。

「……いいよ。そんな気分じゃない」

「お姉さんに甘えていいんだよ〜?」

「一コしか違わないだろ!」

 ふくれる緑川にけらけらと笑って、まだまだ小さい背中をぽんと叩いた。

「まあまあ。いまからよねやんと対戦するから、どっちが勝つか見てけよ」

「俺が勝ったらたい焼き奢ってやるぜ」

「……絶対勝ってよね。米屋先輩」

「任せろ」

 米屋と火乃音がブースに消える。

 戦闘が始まるまでの間、緑川は空閑との戦闘を思い返していた。

 思い通りに動けたのは最後の二回だけ。後はいいようにやられっぱなしだった。

 動きを操作された節さえある。操作というより、誘導か。

「まだまだ弱いなー……オレ」

 掌で目を覆う。こんな敗北を味わったのは何ヶ月ぶりだろう。

 悔しい。でもそれ以上に、強くなりたいという欲求が胸の内に起こっていた。

「……絶対あのひとより強くなってやる」

 呟き、身を起こす。

 画面には、槍を構えた米屋と弧月を手にした火乃音が映し出されていた。

 

 

 

 

 ──ちなみに、勝負は六対四で火乃音が勝ったが、途中で会った冬島さんに三人ともたい焼きを奢って貰えたことを記しておく。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

狙撃のススメ

A級9位 平 火乃音(たいら かのん)の物語。おまけ話3つ目。
パーフェクトオールラウンダーを目指すオリ主が狙撃の練習を始めるお話。
雨取千佳と夏目出穂がでてきます。


 ボーダーには大まかにわけて三種のポジションが存在する。攻撃手、銃手、狙撃手がそれだ。

 すべてのポジションを極めたパーフェクト・オールラウンダーはボーダー広しといえども玉狛の木崎レイジのみである。

「その歴史を塗り替えてやろうってのがあたしの目論見なわけよ」

 狙撃銃イーグレットを磨きながら、(たいら)火乃音(かのん)はにやりと笑った。

「は、はぁ」「そ、そうなんですね」

 夏目出穂と雨取千佳が相槌をうつ。

 A級からC級まで、狙撃を学ぶ隊員全員が使う射撃訓練場、その一角での会話である。

「千佳坊──あ、千佳坊って呼ばせてもらうわ、千佳坊のお師匠さんがレイジさんって聞いてさ。ひとまず弟子に宣戦布告しとこうと思って!」

「レイジサン本人には言わないんスか?」

 出穂の至極当然なツッコミに火乃音は、

「会おうと思って3回玉狛に行ったら3回とも留守だった」と、遠い目で答えた。

「うわ」

「先に連絡いれときゃーよかったなーって3回目で気づいたんだけどさ。まあ千佳坊に伝えてもらえばいっかとおもって」

「気づくの遅っ!」

「わ、わたしでよければお伝えしときます」

 おずおずと申し出ると、火乃音はぱっと目を輝かせ、千佳の丸くて形のいい頭を愛おしげに撫でた。

「サンキュな〜! なーんていい子なんでしょ! 二人にはあとでジュース奢ったげる♡」

「そういや、平さんていくつなんすか?」

 背丈は千佳と同じくらい、歳も同じかやや下に見える。だとすれば自分たちとは違う学校に通っているのだろうか。

 火乃音はスコープを覗き込みながら屈託なく答えた。

「十五だよ」

「15っ!?」

 おもわず声が出た。まさか歳上とは──! 見れば千佳も目を見開いていた。やはり歳下だと思っていたらしい。

 火乃音はにやーっと笑みを深めて振り向いた。

「いやーもっと年上だと思った? よく言われるんだよねーその歳に見えないって」

 

(いや、ソレ明らかに逆の意味で言われてる……)

 

 口に出す勇気はないので内心での指摘に留めつつ、出穂もアイビスの手入れを始めた。

 トリオンで造られた銃は発現するたびに整備された状態で現れるため、銃身を磨く必要などはないのだが、千佳の師匠レイジ曰く、「自分の使う道具を毎日手入れしてこそプロ」らしい。

 構造を頭の中に叩き込む訓練にもなるそうだ。

 火乃音は二人がアイビスを磨くのを見て、へえ、と感嘆した。

「狙撃手はどの銃も使えるようにする人が殆どだけど、だいたいみんなイーグレットから始めるんだよ。アイビスで練習すんのは珍しいな」

 出穂は「ああ」と破顔した。

「アタシは完璧に千佳の影響っすよ。入隊式のアイビス大砲が忘れらんなくて」

「はぅ」

 千佳が恥ずかしそうに身もだえる。本人にとっては触れてほしくない過去のようだ。

 ちなみに、そのとき空いた穴はすでに塞がれ、跡形もない。

「なるほどね〜。……よし決めた! あたしもアイビスからやる!」

 イーグレットを仕舞い、アイビスを発現させる。ちょうどそのとき、訓練開始のベルが鳴った。

 これから十五分間、等間隔で出てくる的に当て続ける。減点方式で、外した分だけ点数が下がる仕組みだ。三人は横並びで位置についた。

 監督官の荒船が合図する。

「用意……はじめ!」

 訓練場に、大小様々の発射音が響き渡った。

 

 

 ──15分後。

 三人の成績が表示された。

 雨取千佳──41位/128人中

 夏目出穂──119位/128人中

 平火乃音──128位/128人中

 

 火乃音はぶっちぎりでビリだった。

「ひっく!! いやアタシが言えた義理じゃないけど!!!!」

 出穂が叫ぶ。火乃音は床にぺったりと横たわり、ナメクジのようにうじうじと蠢いていた。

「むずかしいよーあたんないよー掠りもしないよー」

「ま、まだ今日は初回ですから……」

 千佳が控えめにフォローする。

「レイジさんが言ってました。狙撃手は練習した分だけ上手くなるって」

「ほんとぉー?」

 ぶーたれた火乃音がうごうごと寝返りを打つ。A級隊員というより人型のUMAみたいだな、と出穂は思った。

「ほんとです! だから一緒に頑張りましょう」

 千佳がぐっと手を握る。その言葉に励まされて、火乃音はナメクジモードから、なんとか再び銃をとるヒトモードにまで立ち直った。

「練習する……千佳坊、なっつん、付き合ってくれる……?」

「はい!」「いっすよー」

 答えながら出穂は考える。後で、かのんさんと呼んでもいいか聞いてみよう、と。

 なんとなく、先輩とは呼びたくない出穂だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

大規模侵攻Ⅰ 出動

A級9位 平火乃音(たいら かのん)。大規模侵攻に突入。


 一月某日。

 ようやく世間から正月明けの弛んだ空気が消えて、寒さがますます厳しくなってきた頃、ボーダー上層部から正式に大規模侵攻に関する通達があった。

 概要はこうだ──

 《本日から月末にかけて大規模な侵攻が発生するおそれあり。各員は防衛任務等のスケジュール確認を密にし、非番であっても三門市内または三門市近辺に居るのが望ましい。遠出の際はボーダー本部に行先を届け出ること。侵攻に先立ちゲート発生が頻発する危険性もあるので、C級隊員はみだりに警戒区域に入らないこと……》

 いつ、どのくらいの勢力で攻めてくるかはあちらと神のみぞ知る話ゆえに、ありきたりな注意文に終始しているが、(たいら)火乃音(かのん)はそのなかに、見慣れない一文があるのに気が付いた。

「『なお、有事の際C級隊員は人命救助や避難誘導に限りトリガーを使ってもよいものとする』

 ……なンだこれ」

「我が愛弟子、三雲くんの功績さ」

「ぅぎゃっ!」

 わしゃわしゃと髪の毛を撫で回され、火乃音は飛び上がった。

 振り返りざま、犯人の手を払いのける。

「ソレ止めろっての、迅!」

 犯人──迅 悠一は悪びれたふうもなく笑うと、「いやー見事な金髪でつい」と言い訳にもなってない言い訳を口にした。

「関係ねーからっ! ……んで? オサミンがどーしたって」

「ああ」

 迅は火乃音の手元を覗き込むと、例の一文をつついた。

「先日、イルガーってトリオン兵が出たの覚えてるか?」

「爆撃型トリオン兵……だっけ? キトランが倒したヤツだよな」

 木虎 藍は数少ない同い年のA級隊員だ。初めて遭遇するトリオン兵を見事打ち倒し、川に沈めたということで、二、三日話題になっていた。

「そうそう。そん時な、三雲くんはまだC級だったんだけど、訓練用トリガーを使って爆撃を受けた街の人たちを助けて回ったんだよ。

 そこからルールが見直されて、C級でも人助けのためなら使っていいってことになったんだ」

「へえ……」

 火乃音は感心した。生真面目な修のことだ、訓練生は基地外でトリガーを使ってはいけないことくらい知っていたはずだろう。

 にも関わらず、人々を助けるために使い、かつその功績が認められたというのは、なぜだか我がことのように嬉しかった。

 風間戦での引き分け方や、緑川とのいざこざの収め方など、どうも修は見ていて飽きない。

「いいことするなあオサミン」

 呟きに、迅が目を光らせた。

「お? かのんにもとうとう春が来たか?」

「くるかっ!」

 火乃音が赤い顔をして迅の尻を蹴飛ばした。

 

 

 迅のおふざけはともかく、今後の動き方について仲間と打ち合わせておいた方がいいだろう。

 火乃音は作戦室に足を向けた。

 A─9と銘打たれた扉を開く。中はがらんとして人気がない。

 作戦室は各チームごとにだいぶ様子が異なる。綺麗好きが多い嵐山隊はいつ行ってもスッキリしているし、反対にだらしないのが多い太刀川隊はいつ行ってもごちゃっとしている。

 諏訪隊には麻雀卓すら置いてあるが、東さんも楽しんでいるそうなので問題なし。影浦隊にはこたつが常備されていて羨ましいことこのうえないが、提案したらすげなく却下された。

 いわく。「お前は絶対こたつで寝て風邪をひくから」だそうだ。言い返せないのが腹立たしい。

 その代わり、ここにはどの隊よりも沢山の本があった。小説、実用書、絵本に辞書、写真集、エッセイ、図鑑……本の形をしていれば合格らしく、それこそ即売会で買った同人誌すらある。

 一部の隊員から「図書館」と揶揄される所以であるが、火乃音はわりあい気に入っていた。

 すう、と深呼吸すれば、紙の匂いが鼻腔を満たしてくれる。どんな香水よりも火乃音の心を落ち着かせる、最高のかおりだ。

 久しぶりにファーブル昆虫記でも読もうかと手を伸ばしたところで、チームメイトが帰還した。

「あらっ、ま〜珍しい」

「お帰り」

 源 康平が驚きの声を上げ、藤島 薫は眉をほんの少し上げた。

「おつ〜」

 火乃音が手を振る。メンバー全員が揃ったのは年末以来だろうか。といっても、しょっちゅうメールのやり取りをしているので、久しぶりという感覚は全くない。

 部屋の奥、畳を置いたスペースに三人が腰を下ろした。自分とほぼ同じサイズのテディベアによりかかりながら、火乃音が口火を切る。

「大規模侵攻、くるってさ」

「聞いたわ」藤島が頷く。康平も後に続いた。

「いまエンジニア総出で市街地防衛のためのトラップを造ってるわ。あの子達徹夜になりそう」

 お肌が荒れちゃうわね、と康平がジェルネイルばっちりの手で頬を撫でた。

 

 康平は、五年前までオカマバーを経営していたれっきとしたオカマだ。近界民に自分の店を潰されて、怒りもあらわにボーダーに入った。残念ながら戦闘員になるにはトリオンが足りなかったものの、目端が利くことを買われてオペレーターに配属された異色の男である。ボーダー唯一の男性オペレーターである上に派手な化粧と服装から、名物オペの一人に数えられている。

 ボーダートップクラスの洒落物だが、筋トレにハマりすぎて筋肉がつきすぎ、シャツのボタンが弾け飛ぶのが目下の悩みである。

 

「あんたのトリガー、改良するなら今のうちね」

 言って、藤島は緑茶を啜った。

 ベリーショートの髪にピアス、身長百七十八センチの高身長で、いわゆる王子タイプの女性である。女にモテること数知れず、女子高に通っていたときは学年ごとにファンクラブが設立され、毎日ファンが後ろをついて歩いたという。

 彼女は県外の生まれだが、スカウトされて三門に越してきた。そのときのファン達の嘆き悲しみは推して知るべし、である。

 最初は弧月使いのアタッカーとして入隊し、新人王をも獲るほどの腕前だったが、一年前にエンジニアに転向した。現在は火乃音の専属エンジニアとして彼女をサポートしている。

 

 オペレーター1にエンジニア1、実戦隊員1の、やや変則ではあるが、これがA級9位 平隊の全員だった。

 

「なんか改良案ある?」火乃音の問いに藤島は無言でホルダーを差し出した。

「銃型トリガーを改良したわ。すこし重たくなったけど威力はお墨付き。玉狛のガトリングにも引けを取らないはず」

「やりっ♡」

 ホルダーを指先でくるくる回し、満面の笑みを浮かべた。

「ちょーど火力が欲しいと思ってたところでさ〜。さすがカオルンだわ」

「奴らが来たらいい試し撃ちになるじゃない」

 クソッタレの近界民なんかぶっ殺しちゃって☆

 マスカラばちばちの睫毛でウインクしながら康平も笑った。

「任せな」

 火乃音の瞳が剣呑な光を帯びる。

 ホルダーを握る手に力が篭もった。

「もう二度と、この街で好き勝手はさせねえよ」

 

 

 

 

 しばらくは、何事もなく過ぎた。

 噂によると、さる協力者のおかげでどの国が攻めてくるか、かなり正確なところまで絞れているらしい。ただ、いつ来るかという点になると、これは相手の計画と思惑次第、予測は憶測でしかなく、考えるだけ無駄というもの。火乃音はモヤモヤしたものを一旦脇に置いて、ひとまず鍛錬に集中することにした。

 射撃訓練場でアイビスを構える。重低の発射音が轟き、弾は的から3メートルほどズレて着弾した。

「……あたんねえなあ」

 遠い目でボヤく。

 四年前に入隊してから、火乃音は数々のトリガーを使ってきた。弧月、スコーピオン、レイガスト。弾丸トリガーの四種も銃手や射手としてならばかなりのレベルで扱える。

 だが、狙撃の腕はからっきしだった。

 ボーダーただ一人のパーフェクトオールラウンダー・木崎 レイジの歴史を変える! と鼻息荒くアイビスを手にしたはいいものの、いまのところ狙撃成績は新入隊員も入れて完全ドベ、情けないほどのビリッケツである。

 なにしろ当たらない。よくて数十センチ差、悪ければ何メートルもどっ外す。当然、実戦での投入など夢のまた夢だ。

 ちなみにチームメイトにこの成績を見せたら、立板に水のごとく喋る康平を絶句せしめ、氷の女王ともあだ名された薫を青ざめさせた。

 酷い。あまりにも酷すぎる。

「レイジさんて凄いんだなァ〜……」

 床にうずくまり、うごうごと蠢く火乃音の背中を、誰かがそっと叩いた。

「聞くぞ、悩みがあるなら」

「ダルそーな顔してますね」

「ホカリン……! ザキちゃん……!」

 火乃音の顔がぱああと輝く。

 そこに居たのは全員スナイパーの超変則チーム、荒船隊の穂刈と半崎だった。

 マスターランクに到達している彼らのことだ、きっと何かしらアドバイスをしてくれるはず……!

 期待に胸を膨らませ、事情を話した火乃音だったが、彼女の狙撃成績を見た瞬間、半崎は「実家のおばあちゃんが危篤になった気がするので帰ります」とダッシュし、穂刈は無言でダッシュで帰った。

 

「うらぎりものぉーーーー!!!!」

 

 血を吐くよな慟哭。床をだふだふと叩きながらしょっぱい涙が頬を伝った。

「アドバイスとか……っ なんか一言くらい……っ」

 ぱたぱたと床に雫が散る。埃が浮いた。わあ、ボーダー(の床)ってちょっときたない。

 そっと肩に手が置かれる。半崎が追い討ちをかけにきたのだろうか。火乃音は涙と鼻水で顔をでろでろにしながら怒鳴り散らした。

「なんだよぉっ! どうせ何も教えでぐれないんでしょおってあずまさああぁああ!」

「──どうした?」

 困ったような笑みを浮かべた、東 春秋がそこにいた。

 いろいろと言いたいことを飲み込んだであろう笑顔が、いまは辛い。

 慌てて鼻水を拭ってから、アイビスを後ろに隠した。

「いえ、その、これは、ちがくて」

「狙撃の練習してたのか? 凄いな、スナイパーも会得しようとしてるのか。火乃音は頑張り屋だなあ」

 ぐうっと熱い涙がこみあげる。それまで流していたゲロ味とは違う種類の涙だった。

「で、でも……ぜんぜん、あたんなくて……」

「ふん?」

 東の長い指がデバイスを操作し、火乃音の成績を表示させる。

 ざっと目を通してから、「……なるほど」と呟いた。

 火乃音がぎゅっと目を閉じる。

 東さんもきっと呆れているだろう。こんなひどいのは見たことない。悪く言わない、やめたほうがいい。お前に狙撃の才能はないんだよ──彼にそう言われてしまうことが、なによりも怖くて、辛い。

 頭のてっぺんに手が置かれる。びくりと揺れる火乃音に、東の声がかけられた。

 

「教えてあげるから、おいで」

 

「……え」

 ぱちり、と瞬く。大粒の涙がぼろりと落ちた。

「……お、教えてくださるんですか……?」

「ああ。だって上手くなりたいんだろう? 俺でよければ、なんだって協力するよ」

 銃はアイビスか。俺と同じだな。

 微笑む東はきらきらと輝いて。

 火乃音は安堵から大声で泣きたくなるのをぐっと堪えて目元を拭い、彼の言うとおりに姿勢を整えた。

「いいか。狙撃するときは────」

 東が的確に、明確に指導していく。

 火乃音は一言一句に耳を済ませながら、狙いを定め、息を落ち着かせた。

「────そう。あとは、引き金を引くだけだ」

「はい」

 く、と引き金に指をかける。銃口から飛び出たトリオンは、狙い過たず、目標のド真ん中を貫いた。

 じん、と掌が痺れる。

「あ、たっ、た……」

 心臓がうるさい。どくどくどくどく、と全力疾走のあとみたいに跳ね回っている。

 振り向くと、東がちいさく頷いた。

「そう。それでいい」

「〜〜〜〜……っ!!」

 首から上がかあっと熱くなる。

「あ、あのっ! もう一発、見ていてくれますかっ!?」

「もちろん。一発と言わず何発でも付き合うよ」

「ありがとうございますっ!」

 火乃音はいそいそと目標に向き合うと、東の指示を脳内で反芻しながら丁寧に引き金を引いた。

 命中。

 命中。

 命中。

 命中。

 撃ち抜かれた的が続々と積み上がる。

 火乃音は、昼の鐘が鳴るまで夢中で撃ち続けた。

 

 

 

 

「──ありがとうございました」

 火乃音が深々と頭を下げる。気がつけば昼の時間に食いこんでいた。東は嫌な顔ひとつせずそばにいてくれ、みるみる上達する火乃音を優しく褒めてくれた。

「いや、俺は何もしてないよ。それより、撃ちまくって腹が減ったろ? どうだ一緒に、うまいラーメン屋が」あるんだ、の言葉は声にならなかった。その瞬間、けたたましいサイレンが基地中に鳴り響いたからである。

 落ち着いた、しかし硬い響きを帯びたアナウンスが流れ出す。

『ゲート発生、ゲート発生。大規模なゲートの発生が確認されました。各戦闘員は至急隊列を組み、警戒区域に向かってください。繰り返します──』

「大規模侵攻……!」

 東が険しい顔で吐き捨てる。火乃音はすでに近接用の換装を終え、玄関へ走り出していた。

「火乃音!」

「先行します!」

 力いっぱい床を蹴る。実働隊員一名の平隊はメンバーが集まるまで待つ必要がない。チームとしての身軽さが他にはない特長のひとつだった。

 耳に嵌めた通信機のスイッチを押す。

「ゲンさん! いる?!」

『居るわよ! トリオン兵は西、北西、南東、南、東に向かってる! 西と北西は迅と天羽が派遣されたわ!』

「ならそれ以外だ! 最も数が多い方に行く! 指示を!」

『それなら南よ! トラップが作動してるけど長くは持たないわ!』

「間に合わせる──っ!」

 外に出てすぐ、グラスホッパーの板を六枚、南に向かって浮かばせた。棄てられた建物の上を跳ね飛び、最初に目に入ったモールモッドへ降下する。

「旋空──弧月っ!」

 モールモッドが振り向く間もなく、腰に佩いた弧月を一閃! 着地と同時に、両断されたモールモッドが断面を晒して転がった。

 周囲に散らばったトリオン兵たちが、無機質な眼を回転させる。街に向かいかけていた脚をとめ、一斉に火乃音を見下ろした。

 赤い舌がぺろりと唇を舐める。

「さあ……」

 小太刀の長さに縮められた改造弧月を光らせて、火乃音が低く囁いた。

 

「斬ってやるから、かかってこいよ」

 

 眼帯の奥、隠された右眼がぎらりと光った。

 

 

 

 to be continued



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

大規模侵攻Ⅱ 消失

大規模侵攻2話目。


 白刃が閃く。拡張された(きっさき)が目にも止まらぬ速さで風を切り、群れていたモールモッド達を両断した。

 焦げたようなにおいを靡かせて黒煙が立ちのぼる。煙の向こう、ビームを放ちかけていたバンダーの首が、ひと呼吸おいてぼろりと落ちた。

 

 火乃音(かのん)は踊っていた。

 地を壁を蹴って空を舞い、両手に握った弧月を振るう。それはまるで重力から解き放たれた円舞を思わせた。

 くるりくるりと舞いながら、白銀の軌跡で兵の骸を重ねていく。

 トリオン兵は彼女の姿を認める暇すらなく、ただ現れては死んでいった。

「──はっ」

 電気を失って久しい信号機の上に着地する。大通りを跋扈する者どもはあらかた片付けた。レーダーは前方300メートルあたりに新たな一群を感知している。

 そちらに向かって跳びかけた矢先、バムスターがアパートを薙ぎ倒しながら突進してきた。

 大口を開けて火乃音を飲み込もうとする。目玉の奥に広がる闇が火乃音を捉えかけた瞬間、バムスターのコアが撃ち抜かれた。

 傾げる死骸を蹴り倒し、振り返る。アイビスを構えた東が、油断ない目つきであたりを見回していた。「東さん!」

「すまない火乃音、遅れた。──奥寺、小荒井!」

 言われて、奥寺と小荒井が走り出す。ゲートから出現したばかりのバンダーを二人は瞬く間に斬り伏せた。

「数が多いな」

「手分けしましょう。あたしは向こうを──」

 言いさして、火乃音がぴたりと口を噤む。東の目が、一点を凝視していたからだ。

 首を巡らすと、先ほど倒したバムスターの腹が、ばきり、ばきりと音を立てて割れていくところだった。こんな現象は見た事がない。小荒井たちも異常に気づき、集まってきた。

「なんだ……?」東がつぶやく。

 バムスターの腹から現れたのは、初めて見る姿のトリオン兵だった。

 だらりと伸びた腕に短い脚、兎を思わせる耳をひくつかせ、ゆらゆらと体を揺らしている。他のトリオン兵と同様、ひとつしかない目玉は口の中に仕舞われていた。アイビスの引き金に指をかけながら、東がゆっくり後退する。

「全員下がれ、距離が近すぎる」

「こいつは俺たちでやりますよ。東さんたちは別の──」

「奥寺!」東の叫びに奥寺が振り向く。

 一瞬だった。

 新型が一気に距離を詰め、拳を振りかぶったのは。奥寺は弧月を構えたまま、人形のように吹き飛ばされた。何軒もの民家をぶち抜き、影すら見えなくなる。

「──!!」火乃音が腰を落とし、弧月を構える。その横から逆上した小荒井が斬りかかった!

「この野郎ぉ!!」

「よせ小荒井! こいつは分断が目的だ! 奥寺を待て!」

「コアラ!」

 二人の呼びかけは小荒井の耳に届かない。

 新型は大振りの剣を躱すと、無造作に両腕を伸ばし、あっさりと小荒井を捕まえた。すかさず東が援護射撃を放つ。一拍置いて、火乃音も旋空弧月で斬りつけた。

 東の狙撃銃は、三種のなかで最も威力のあるアイビスである。最高硬度を誇るモールモッドの刃すら容易く撃ち抜くが、しかし新型の手甲はそんなアイビスの弾をいとも簡単に弾いてみせた。火乃音の斬撃も同様で、ほんの浅い傷がついただけでビクともしなかった。

「…………!」

 東と火乃音が息を呑む。

 旋空もアイビスも効かない敵は初めてだった。

 おまけに恐ろしく早く、強い。

 明らかに、こちらの装備と練度を知っている者の生み出したトリオン兵だった。

「こ、このっ、くそぉっ!」

 新型は、暴れる小荒井の両腕を掴むや、無造作に断ち切った。小荒井の弧月が腕のついたままアスファルトに転がっていく。

「う、うわ、うわぁ……っ」怯えふためき暴れても、新型はすこしも拘束の手を緩めはしない。

 分厚い胸郭が開き、昆虫の脚のような触手が、小荒井に向かって伸びていく。それは攻撃というより、捕獲の仕草に似ていた。

(こいつ……隊員を……捕まえようとしてる……!?)

 火乃音が慄然とする。

 だが、新型が小荒井を獲るよりも、東のほうが早かった。

 銃口をわずかにずらし、照準を小荒井に変えて発射する。弾は見事、小荒井の頭をぶち抜いた!

 

 《戦闘体活動限界、緊急脱出(ベイルアウト)

 

 小荒井の肉体が光に変じ、基地へと飛んでいく。

 獲物を取りこぼした新型が、ゆっくりとこちらに向き直った。

「──ナイス、東さん」

 火乃音が体を開く。左手の弧月を逆手に持ち替えた。左足を引き、身体を深く沈めていく。

 深く、深く、深く──地を這うほど深く。

 東が本部に報告する声が、ぼんやりと聞こえる。

「忍田さん、こちら東! 新型トリオン兵と交戦中! 大きさは3メートル強、二足歩行で、両手の殴打は強力だ。アイビスを弾く硬度を持つ。特徴として隊員を捕らえようとする動きあり。各自注意されたし!」

 東がさらに二歩下がる。火乃音の真後ろに立つように。火乃音の太刀を、邪魔しなくて済むように。

(さすが、東さん)

 火乃音は、静かに両目を閉じた。

 

 沈め、と己に命じる。

 

 沈め、もっと。深く、暗く、なにもないところまで。

 真の闇しかないところへ。

 怒りと憎悪を煮詰めた先へ。

 

 ぎち、と柄を握る手に力が籠る。新型は東と火乃音を交互に見比べ、より近いところにいる火乃音に狙いを定めた。

 拳を固め、振り下ろす。接触する刹那、研ぎ澄まされた神経が、ビン、と震えた。

「──あぁあっ!」

 獣のような雄叫びをあげ、逆手の弧月を振り上げた。拳の内側、手首にあたる部分に斬撃が食い込む。新型が拮抗できたのは瞬きほどの間だけ、あっさりと押し負け、拳が腕から離れて宙を飛んだ。

 すかさず右の刃を振るう。無防備だった右拳も、同じように千切れ飛んだ。

 攻撃手段を奪われた新型が体勢を崩し──

 東の弾が、がら空きになったコアの中心を貫いた。

 

 

 念の為、コアにもう一度撃ちこんだ頃に奥寺が帰還した。殴られた衝撃こそあるもののダメージはないらしい。もの言わぬ新型を見下ろし、気味悪げに囁いた。

「なんなんすかね、これ」

「ラービット、って試作品だってよ。隊員を捕まえるためのトリオン兵だってさ」

 弧月を鞘に収めた火乃音が教えてやる。ついさきほど、忍田が開放チャンネルで全隊長に伝えたところだ。おそるべきことに、こんなトリオン兵があちこちに出没し始めているらしい。

 他の地域では風間隊と嵐山隊がラービットを撃破しているが、諏訪隊隊長の諏訪洸太郎が"喰われた"という。

 風間隊が奪還に成功したが、諏訪はキューブ状の塊になっていて、うんともすんとも言わないそうだ。

 

 これは、二つの事実を示唆している。

 ひとつは、ラービットは強い、ということ。諏訪は決して弱くない。彼らの使う散弾銃は近距離になるほど高い威力を発揮する。なのに喰われたということは、散弾銃を上回る攻撃の速度と密度が要求されるということだ。B級数人がかりではとても太刀打ちできないだろう。

 もうひとつは、一度喰われてしまったら、戦線復帰は絶望的になる、ということだ。

 万が一A級が一人でも喰われたら──最悪、戦線が崩壊しかねない。

 

「敵も随分イヤらしい作戦を立ててくる……」火乃音が嘆息した。

 

 ラービットの脅威に戦力を割けば、他のトリオン兵が市街地を襲う。かといって、トリオン兵の駆除を優先すればラービットが我々の背を脅かす。市街地の防衛に専念するにはチームが散りすぎて追いつかない。

 市民の安全を取るか、強敵の排除をとるか。強制的に二者択一を迫られている。

 敵はとことん、こちらを振り回すつもりのようだ。

「現状はまんまと敵の思惑どおりってことですね。くそっ」奥寺か忌々しげに吐き捨てる。

 忍田と通信していた東が顔を上げた。

「忍田さんからの命令で、俺はB級チームの指揮を執ることになった。全部隊合同で各地域を回り、トリオン兵の駆除にあたる。火乃音は新型を狩ってくれ」

「了解です」

「まだまだ情報が足りない。敵の目的も不明瞭だ。油断するな」

「任せてください」

「よし、全員、生きて帰るぞ!」

 東の号令に、火乃音と奥寺は力強く頷いた。

 

 

 

 

 基地南部で戦っていた三人は二手に分かれた。火乃音はそのまま市街地方面へ直進し、東と奥寺は後退しつつB級部隊と合流していく。すでに茶野隊、柿崎隊、来馬隊が集結したようで、火乃音は安堵の息をついた。

 東が指揮官ならば簡単に陥落とされることもあるまいが、非常時には何が起こるか分からない。それにこれが敵の勢力の全てではないだろう。まだ奥の手を隠し持っているはずだ。

 グラスホッパーで上空に跳ぶと、両腕をぐっと交差させた。

 前方のラービットに狙いを定め、技を放つ!

「十字旋空っ!」

 横薙ぎと縦斬りを同時に放つ技である。

 ラービットは咄嗟に口を閉じたが、口周りは腕と違って二連攻撃を防御できるほど硬くなかったらしい。最初の一撃で歯を、次の攻撃でコアを斬り破いた。くず折れる身体に止めの一撃を食らわせてから、ビルの屋上に降り立つ。

 離れたところにいたラービットが一体、こちらを見上げた。先の個体と異なり、背面が赤く光っている。どうするのかと思っていると、背中の噴出口からトリオンを噴き出し、ジェットのように飛行した。即座にビームが飛んでくる。横っ跳びに避け、弧月を二本とも投げ捨てた。

「へえ、お前は飛べんのか? まあ、どうでもいいけどさ」

 ポーチからホルダーを掴み、換装する。衣服が漆黒に染まり、全長が火乃音の背丈よりも長い重機関銃が発現した。

 膝をつき、隙だらけの飛行型に照準する。

「吹っ飛べ」

 引き金を引いた瞬間、凄まじい衝撃が火乃音を襲った。踏ん張った足が揺れる。銃口から飛び出た弾は飛行型の腹を粉微塵に撃ち砕いた。

 上下に分かれた骸が無様に落ちていく。残骸は地に落ちるや、くしゃりと崩壊してしまった。

「…………」

 手にした銃をまじまじと見やる。

「……いや、威力ヤバすぎんだろ」

 人に撃ったら蜂の巣どころか消えてなくなる。

 エンジニアの藤島いわく、チカ坊のアイビス砲を見てインスパイアされたそうだが……あまり多用すべきではないかもしれない。

「……まあ、ラービット用ってことで」

 己を納得させ、次の標的に足を向けた。

 

 

 その姿を、密かに観察している者達がいた。

 明かりを抑えた室内で天井は低く、卓上に大小様々の画面が並んでいる。

 一角に座す大柄な男が、火乃音の重機関銃を見て楽しげに頬を綻ばせた。

「ほう、火兵か! いい武器を持っている!」

 真向かいに座る黒髪の男が馬鹿にしたように笑った。

「原始的な武器だな。さすが猿の国だぜ」

「──ですが、あの威力は侮れませんな」

 黒髪の隣で老翁がゆったりと首肯する。

「ラービットをああも見事に潰すとは、いやはやなんとも豪胆な少女だ」

「トリオンの値は」

 それまで口を閉じていた、上座の男が問う。纏う雰囲気と立ち位置からして、この男が指揮官らしい。

 答えたのは真面に静座する女だった。

「使用しているトリガーは銃・剣ともに通常トリガーと思われますが、他の隊員と較べるとやや出力が高く、改造品である可能性が濃厚です。彼女自身のトリオンは黒トリガーほどではないにしろ、標準を遥かに超える値を記録しています」

「ふむ。"候補"に入れておくか」

「承知致しました」

 女が何事か記録する。その右側、最も年若らしい青年が指揮官を見やった。

「私が捕獲に参りましょうか」

 伺いに指揮官はしばし黙ったのち、首を振った。

「今はまだいい。もう少し場を混乱させよう」

「わかりました」

 青年の目が、画面の向こうで走る少女に注がれる。

 己ならあの銃器にどう対処するか、頭の中で幾通りもの計算を繰り返しながら。

 

 

 

 戦況は混迷を極めつつあった。

 本部から入ってくる情報は時間を追うごとに切迫していく。避難の進んでいた南西部でラービット数体が出現、現場にいた木虎が善戦するも囚われてしまったという。おそらくは諏訪と同じにキューブ状にされている筈だが、まだ救出できたという報は入っていない。

 東率いるB級合同部隊は南部で人型近界民と接敵した。詳しい状況は不明だが、五人が緊急脱出した光は、ここからでも見て取れた。

 火乃音はすでに市街地に到達している。いまから東たちのところに戻ったとして、果たして何人残っているか──

「くそ……っ!」

 もどかしくてたまらない。東たちがいるのは数十分前に自分が通り過ぎた地点ではないか。彼は火乃音に新型を倒せと命じたが、本当にそれでいいのだろうか。人型の装備は、武力は。合同部隊だけで勝てるのか。加勢に行くべきではないのか。

 だがそれではここら一帯のラービットを野放しにしてしまう。火乃音が倒したのは六体ほど、敵が今後増援を寄越さないとも限らないのだ。

 どうも敵方はワープトリガーを持っているらしく、こちらの状況を監視しているとしたら(いや確実に視ているはずだ)、火乃音が居なくなった虚を突くことは十二分に考えられる。

 街を傷つけてしまわないよう、例の重火器は仕舞って短機関銃(サブマシンガン)二挺で戦っていたが、銃把を握る手がじいんと痺れてきた。頭の中が酷くうるさい。

 

 なにをすればいい。

 どうすればいい。

 最適解はなんだ。

 あたしは、なにを────

 

 その時。

 目の前の空間が黒い雷光を発しながらぐにゃりと歪んだ。歪みは穴となり、瞬きするうちに大きな真円になっていく。穴の奥から、一人の女が歩み出た。

 額の上、左右一対の黒い角が鈍く煌めく。

「人型……っ!」

 咄嗟に短機関銃をぶっ放す。分厚い弾幕はしかし、女の前に現れた穴に虚しく吸いこまれていった。

「……!」

 後ろに飛び退る。こいつがワープの使い手か。ならば単純な攻撃は空かされる。武装を替えようとポーチに手を伸ばした束の間、腰から下の感覚が消え失せた。

「な、」

 倒れる間際、自分の脚を見下ろす。ふくらはぎも太腿も寒天のようにぐにゃぐにゃで、文字通り骨抜きにされたみたいだった。

 うなじに視線を感じて顧みる。赤褐色の髪の男が一人、掌に卵のような光を抱いて立っていた。

 

「アレクトール」

 

 男の言葉に、卵から、純白の鳥が羽ばたいて。

 火乃音の顔を直撃した。

 

「〜〜〜〜っ……!」

 

 反論も反撃も叶わないまま、火乃音の意識は、ふつりと途絶えた。

 

 

 

 to be continued

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

大規模侵攻Ⅲ 楔

最初に感じたのは寒さだった。

ひんやりとした空気が肌にまとわりつく不快感。せめて自分の体に両腕を回して暖を取りたいのにそれができないもどかしさ。皮膚がぷつぷつと粟立ち、歯がかたかたと震えだす。唇をきゅっと結んでいられない。ほ、と息を吐き、吸うたびに、寒いと吐かずには居られなかった。

そのうち、意識がふわりと浮いてくる。なにごとか囁きかわす声が聞こえた。

音は遠く近くを漂い、よく聞こえるかと思えばくぐもって、まるで海の中から聞いているようだった。

 

『トリオン……測定……器……』

『……このまま……耐える……』

『賛成…………しかし…………』

 

なにを話しているのだろう。

もしも近くにいるのなら、どうか毛布をくれないだろうか。寒くてさむくて堪らないのだ。

海。不意に鳥が頭の中で羽ばたいた。純白の鳥だ。新雪のように美しい鳥。けれどもどんな目をしていたか、それだけが分からない。こんなにも輪郭がはっきりしているのに。不思議だ。まるで──

 

──まるで作り物のよう──

 

そこで火乃音(かのん)は覚醒した。直前の記憶が怒涛の勢いで流れこんでくる。

侵攻。大規模な。戦闘。東との合流。解散。新型。基地。爆撃。ラービットたち。キューブ。ワープゲート。女。角。脚をやられて。誰に?

角の生えた男……!

 

身を起こそうとして、ガチリと引き戻された。台の上、人形のように寝かされて、首や腕を拘束されている。

寒いのも当然だった。火乃音は下着姿で寝かせられていたのだ。顔がかあっと熱くなった。

ふ、と視界に女が映った。ワープの女だ。標本の虫を見る目で火乃音を一瞥すると、一歩退いて男に場を譲った。

火乃音を白い鳥で攻撃した、あの男だった。

数秒、二人の視線が交錯した。

彼らの眼差しは対照的だった。火乃音は射殺さんばかりに爛々と輝く眼で睨め上げ、男は冷酷極まりない瞳で観賞している。観賞? そう、それはまさしく観賞だった。普段あまり目にすることのない珍しいものが手に入った時に人がする、あの眼だ。

(人をひん剥いて見世物みたいにしやがって)

もしもこいつが屈んだらその素っ首噛みちぎって殺してやる。

唸る火乃音の壮烈な殺気に気づいた男が含み笑った。

「ヴィザの言うとおり、豪胆だな」

「いかがいたしますか」

女の問いかけに、男は黙考した。

沈黙は数秒のことだったが、火乃音には永遠に感じられた。

この裸体は生身だ。トリガーはすべて取り上げられ、換装を強制的に解かれている。対する奴らは当然トリオン体だろう。生身で敵うはずもない。抵抗も逃亡も考えるだけ無意味だ。

殺されるならまだマシだった。だが、ただ殺すだけならこんな手間はかけるまい。捕虜か拷問か見せしめか……死より辛いことが待っているはずだ。想像に、寒さばかりではない震えが火乃音の心胆を脅かした。

男の指がそっと火乃音の右額に触れる。額から頬に掛けて、四年前の侵攻の折にモールモッドに斬られた傷だ。

トリオン体でいるときも、その部分は見たくなくて眼帯で覆うようになった場所。雨が降るたびに疼く古傷。「やめろ……っ!」おもいきり顔を背けて男の指から逃れた。

男が口を開く。

「楔を埋めよう」

「隊長、あれはまだ試作段階ですが……」

「だからいい」声にはどこか、楽しむ風情があった。

「上手くいけばよし、上手くいかなければまた別の手を試す機会を得る」

「畏まりました」

言って、女が小さなゲートを開けた。中から真紅の珠を取りだす。男に渡すと、今度は釘のような穴を生み出した。

「ごめんなさいね」

「? ────ッ!」

とす、とあえかな音を立てて、鋭鋒が火乃音の右目に突き刺さる。鮮烈な痛みに火乃音の背がしなった。

「が……っ!?」

釘が中で"かえし"になり、眼球をゆっくりと引き抜いていく。

灼熱の痛みが脳髄を焼き、全身を瘧のごとく震わせた。何も考えられない。痛い、いたい、いたい、いたいいたいいたい──っ!!

「挿れるぞ」

「ぎ、ぃあっ」

神経を捩じ切り、虚ろになった眼窩へ男が珠を押しこんだ。人知を超えた痛み。絶叫が迸る。

「あぁあああああぁあああああっ!!」

珠は眼球の奥に到ると、神経に根を張りはじめた。瞼の裏に五色の光がスパークする。激痛が頂点に達したとき、火乃音は再び失神した。

 

 

ぬる、と指を引き抜く。ハイレインに清潔なハンカチを差し出しながら、ミラは小首を傾げた。

「首尾よくいくでしょうか」

「さてな。他の誰もやったことのない実験だ。どう転ぶかは神のみぞ知ることだよ、ミラ」

半開きになった瞼の奥、紅玉が妖しく瞬いた。

 

 

 

 

あらゆる景色が浮かんではめまぐるしく回転し、跡形もなく消えていく。

映っているのはさまざまの人、あるいは建物、あるいは土地、またあるいは出来事だ。昨日のものから、とうに忘れ去っていた子供の頃まで、筋の通った物語などはなく、ただ気まぐれに繋ぎ合わされた断片集たち。

記憶のひとひらが織り成す夢幻の花火。泡沫の万華鏡。奈落に堕ちていくあいだ、それらは火乃音のそばで光り続けた。

火乃音は頭から落ちながら、見るともなしにぼうっと見やっていた。頭の中はからっぽで、どこまでも真白の空間が続いている。

 

ここはどこだろうか──心象風景? そうかもしれない。

ここはなんだろうか──夢とか幻といわれるもの? たぶんそうだ。

 

答えでもあるし、全くの間違いでもある気がする。

 

瞼を閉じている筈なのに、右目は花火のひとつひとつをよく見ていた。

黒い角の生えた男女が並んでいる。その景色が、奈落の終着点だった。

 

 

忘レルナ

 

声がする。

 

忘レルナ

 

誰の声だろう。

聞いたばかりの声のような。

 

忘レルナ

 

仕エル主ヲ

 

命ヲ賭シテ果タスベキ使命ヲ

 

使命。

そんなものが、あっただろうか。

右眼が疼く。掌で抑えたいのに叶わない。

瞳孔から溢れる紅い光が奈落の底に満ちていく。

光は花火を搔き消し、角のある男女を呑み込んだ。

 

覚エヨ

 

主ノ名ハ────

 

 

 

 

頬に伝わる振動に目が覚める。慌てて身を起こすと、アスファルトの欠片がぱらぱらと零れ落ちた。

火乃音は市街地の歩道にうつ伏せて倒れていた。ぐるりを見渡せば、そこかしこから煙が上がっている。

まるであのときの繰り返しのようだ。家族を失い、変わり果てたショッピングモールを彷徨いていた時の。

「……違うっ」

反射的に腰のポーチに手を伸ばす。トリガーホルダーの確かな感触が火乃音を奮い立たせた。

あの時とは違う。

何も知らず、無力だった頃とは。

「トリガー・起動(オン)ッ!!」

全身を換装する。黒のウエスタンハット、ボレロジャケットに、脚部のジェットパックを隠すベルボトムへ切り替わった。

鋼鉄入りのブーツを鳴らして、空に跳ぶ。

眼帯を指先でそっと撫でてから、不敵に笑った。

「待ってろ、近界民ァッ!」

咆哮する火乃音の脳裏には、なぜあそこで倒れていたか、それまで何をしていたかという、当然思うべき疑問の片鱗も見当たらなかった。

どころか、身体の芯から湧いてくる活力に小躍りすらしたくなる。

トリオンが無限に湧いてきて、何が来ようと負けるヴィジョンが浮かばない。いまなら人型近界民だろうと瞬殺だろう。

ジェットパックのなかでメテオラを起爆させ、文字通りの爆発的機動で街の中を駆け抜ける。

獲物はすぐに見つかった。逃げ遅れたC級隊員にラービットが殴りかかろうとしている。

振りかぶった片腕を、メテオラで速度を上げた蹴りが吹き飛ばした。

短機関銃(サブマシンガン)二挺を太腿のホルスターから抜いて、ラービットに弾丸の雨を降らせる。

ヒビの入った顎を蹴り抜き、がら空きのコアを撃ち捲った。あっという間に物言わぬ屍となった敵を踏みつけ、声高らかに張り上げる。

「どんどん来いよ! 近界民ども! 愉しく地獄に送ってやる!!」

鋭い八重歯をのぞかせて、火乃音の短機関銃(サブマシンガン)が唸りを上げた。

 

 

 

 

──結果からいえば、今回の防衛戦は大成功に終わったといえよう。

なにしろ、市民の死亡者はゼロ、重傷者も22人と、

4年半前の大規模侵攻を遥かに超える規模だったことを思えば、驚異的かつ神業的勝利である。

ラービット9体を倒した火乃音は、太刀川、三輪、天羽らに並んで特級戦功を頂戴した。

「でも、訓練生が何人か攫われたんだろ……? 貰っていいのかな……」

ぼやく火乃音の頭を、迅がくしゃりと掻き回した。

「貰えるものは貰っとけって。お前はほんとうに良くやったよ。ラービットの撃破数は太刀川さんに次いで2番目だぜ? 充分凄いって」

「……ありがと。でも髪ぐちゃぐちゃにすんなよな」

「ははは。ところで火乃音」

「んあ?」

振り仰いだ迅の瞳は、いやに真剣だった。

「おまえ、おでこになんかできてるぞ。体調は平気か?」

「なんだそれ」

言われて額を撫でてみる。たしかに迅の言う通り、眉頭と髪の生え際の中間あたりにひとつずつ、小さな膨らみがあった。

極小のたんこぶか何かだろうか?

痛みもないし、言われるまで気づかなかったくらいだが……

「ま、ヘーキだろ。なんもねーよ、って……ああ、そういえば」

二つ結びの毛先をくるくると弄りながら、火乃音がにやりと笑った。

「途中からさ、スゲー身体の調子よくなったんだよ。調べてみたらトリオン量がめっちゃ増えててさ。あんたを超える日も近いかもな!」

「──トリオンが、増えた……?」

「そっ。まあ成長期だし? アンタより強くなって引退させてやっからさ。楽しみにしとけよ! 今度はあたしが守ってやるから!」

笑って、火乃音が駆けていく。

 

迅は真顔で、彼女の背中を見つめていた。

見えなくなるまで、ずっと。

 

 

 

 

作戦室には誰もいなかった。

後頭部に手を伸ばし、眼帯の紐を解く。

あらわになった右顔は、左側と何一つ変わらなかった。

すべらかな額とそばかすの散った頬。前にはここに、火傷と深い傷痕があったはずなのに。

古傷がすっかり、消え失せている。

不思議だ、と思わないこともない。だが、誰かに言う気にもならなかった。

鏡から目を離すと、傷があったこと、その傷が消えたことも忘れてしまうのだ。

眼帯を取って鏡を見た時だけ、深層意識から疑問がぷかりと浮いてくる。

『傷は何処に行った?』

「──まあ、大したことじゃねえよな」

トリオン器官の成長が、肉体になんらかの変化を及ぼしているのかもしれない。トリオンもトリガーもまだまだ研究中の分野だ、有り得ないとは言いきれない。

「考えたところで答えが分かるわけじゃねーなら、考えるだけムダだな」火乃音は肩を竦めて独り言ちた。

ぺた、と鏡に手を置く。

紅い右眼が、鏡の中の火乃音をじっと見返していた。

 

 

 

to be continued



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。