Black Embryo (水魚之交)
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ReflectionとDetonation見て浮かんだネタなのでなるべく早くそこまでいきたいところ。



「うわ、何だアレ。すっげーな」

 

 日課である桜台登山道でのランニングの途中、自分――黒乃櫂(くろのかい)は山の中腹に設けられたこじんまりとした展望スペースから休憩がてらに住んでいる街である海鳴市の夜景をぼんやりと眺めていた。豊かな自然と人間の生活空間が見事に共存しているこの街の夜景は中心部に立ち並ぶ近代的な高層ビルが作り出す人工的な輝きと、街の周辺に広がる山と海によって非常に見ごたえのあるものだった。

 

 そんな海鳴市の夜空を流れていく幾つかの流星を見つけた。青く輝きながら夜空を切り裂いていくように流れるその流星はあまりにも美しく、自分はその輝きに目を奪われていた。

 

 これまでにも流星を見たことは何回かあったが、ここまで眩く輝いているのを見たのは初めてだった。

 

「ひー、ふー、みー、っと」

 

 携帯電話などという高価なものを所持していない自分は、カメラでも持ってきていればよかったな。と今更どうにもならないことを後悔しながらなんとなく数を数えてみることにする。

 

 その結果、流星群と呼べるほどの数が降ってきているわけでもなく、20個前後だということがわかった。

 

 そういえば、流星が見えてる間に願い事を3回唱えることが出来れば、その願い事を叶えることができる。たしかそんなおまじないがあると何かの本で読んだか誰かに聞いたことがあったのかは忘れたが、ふとそんなことを思い出した。そして、大体は3回願い事を唱える前に流れ落ちてしまうとかなんとか。

 

「……あれ?」

 

 しかし、思い出した内容に反して20個あまりもの流星を見えなくなる前に数えることが出来た。

 

 なんだよ全然時間あるじゃん、これなら願い事を3回唱えるとか余裕だろ。などと思い、引き続きのんびりと夜空の流星を眺めていたが流星は一向に彼方に落ちて消える気配はなく、――それどころかその光は徐々に大きくなっていく。

 

「いやいやいや、ヤバいだろこれ! 街に落ちていってるじゃねーか!!」

 

 よくよく見なくても確実に海鳴市の方に落ちてきていることがわかる。どうしたものかと思案するが、当然ながら落ちてくる流星をどうにかする手段など、ただの小学三年生である自分にあるはずがない。

 

 ここまで近づいてこないと気づかなかったことに呆れ返る。

 

 ――尤も少し早く気づいたところでただただ呆然とするという今のこの結果は変わらないだろうが。

 

 え、マジでコレどうするんだよ。と思い、慌てて空をもう一度見てみると、流星の内の1個が自分のいる山へと向かって落ちてきていた。

 

「――うっそだろ」

 

 あー悪いじいちゃん、俺死んだわ。と、咄嗟に唯一の肉親である祖父に対して若い孫が先に死ぬことの謝罪を心の中ですませた後に流星の眩しさに目を閉じ、ワンチャンスを祈ってその場に伏せる。

 

 

 その次の瞬間、流星は頭上を通過し、山の頂上へと落ちていった。

 

 

 コンマ数秒後に訪れる衝撃に備える――――が、10秒待っても自分の身体が吹き飛ばされる事はなく、それどころか流星が落下したことによる爆音も聞こえてこなかった。

 

 地面に伏せた状態から、頭を上げて周囲を見渡して見るが周囲の風景には何一つ変化は見られず困惑する。直撃しなかったとはいえ、山の頂上付近に落ちたのなら死ななかったにしても普通、衝撃波やら吹き飛ばされてくる木や岩などで重症ぐらいは負っている筈だ。小学生である自分にもそう考えるだけのの知識と想像力はある。

 

 はっきり言って奇跡などで済ませれるレベルではない。

 

「た、助かった、のか? 」

 

 完全に起き上がり、今度は山の頂上を見てみると視界に映る景色は流星が落ちてくる前となんら変化はなく、他にも幾つか流星が落ちていっていた筈の海鳴市の市街も見下ろしてみたが、見える範囲ではこちらも何一つ変わった所などなく、静かな夜の街の姿がそこにはあった。

 

「何だったんだ、今の・・・・・・」

 

 幻覚でもみたかな、とも考えたが、先程のあの光景が幻とは到底思えなかった。確かに、この目ではっきりと、自分は落ちてきていた流星を目撃したはずだ。

 

 ひとまず大きく深呼吸をしてから思考を巡らす。

 

 落ちてきたはずの物体は?本当に何かが落ちてきていたのか?これから時間差で何か異常が起こるのではないか?市街のほうは本当に何も起こってはいないのか?家にいるはずの祖父は無事か?学校の友人は?実は自分は流星が落ちてきた瞬間にとっくに死んでいるのではないか?流星そのものに関する疑問から、自分の見知った人々の安否、非現実的なことまで、色々なことが頭の中で疑問となって湧き出てくる。が、

 

 『――早く行け。』

 

 声が、した。

 

 慌てて周囲を見回すが、人の気配はない。だから初めは気のせいかと思った。しかし、

 

『――早く行け。』

 

 しかしその声はハッキリと、幻聴ではなく、確かに、

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 自分の中の『何か』が叫んでいる。早くこの山の頂上に行け。あの流星は確かに頂上に落ちた。早くあの流星を手に入れろ。と、この声が単なる自分の好奇心の衝動が形をもっただけなのか、そうでないのかはわからない。わからないが――

 

「まあランニングも途中だったしな! ついでだ、ついで」

 

 危険だと感じる自分の理性に対してのくだらない言い訳を独り言として零し、普段と同じルートで山道を走っていく。頂上へと向かう途中で何度か走りながら周囲を見渡すが、やはり何処も彼処も見慣れたいつものランニング時の風景のままだった。

 

 唯一、いつも通りではないものを上げるとするのなら、それは自分の走るペースだろう。

 

 『――急げ、もっと早く、早く!早く!早く!』

 

 身体を突き動かす『何か』の声に従い、ただがむしゃらにただひたすらに頂上を目指して全力で駆け上がる。

 

 

 

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ・・・・・・つ、着いた・・・・・・」

 

 桜台登山道を駆け抜け頂上へと到達する。久々にペース配分を無視して本気で走ったせいで乱れた呼吸を大きくゆっくりと呼吸をすることで整える。多分普段頂上にたどり着く時間よりもかなり早い時間で着いたのではないだろうか。呼吸が落ち着いたところで、今までとはうってかわって慎重にゆっくりと歩きだし頂上の広場の中央に向かい、周囲を見渡してみる。夜の静けさに包まれたその広場には、これまでに登ってきた山道と同じく流星が落ちた痕跡などは一切なかった。

 

 しかし自分は頂上に着くと同時に、この場所にやはり先ほどの流星があることを確信した。感じるのだ、奇妙な感覚を。なんとなく、なんとなくだが、あえて言い表すとするならば流星の気配というのだろうか。明確にではなく、ぼんやりと流星がどこにあるかが分かる気がする。体の内から急かすように響く『何か』の声、体の外から自分を導くような奇妙な感覚。正直、気が狂いそうだ。しかしそのおかげで迷うことなく流星がある場所まで向かうことができる。広場の隅の生垣を抜け、木々の間を抜けてすぐの茂みの中に()()は無造作に転がっていた。

 

 形自体はうずらの卵程の大きさで植物の種のような形状をした青い宝石だった。こうして近くで見ると成程、流星の輝きがあのようにに美しかったことにもお納得がいく。この世のものではないと感じるほどに美しく、意識が吸い込まれそうなほど怪しい輝きを放っている。より近くで観察しようと思い、拾い上げ掌の上にのせた瞬間、

 

 

 ――突如として視界が光で覆われた。

 

 

「うわっ!? 」

 

 目が潰れんばかりの眩しさに反射的に瞼を閉じてしまう。数秒後、瞼を開くと、手のひらの上にあった宝石が跡形もなく消えており、気がつけば『何か』の声は聞こえず、自分を導いていた奇妙な感覚も綺麗さっぱり無くなっていた。

 

 呆然とその場に立ち尽くす自分は何故だかわからないが、頭に浮かんだ一つの単語を無意識に口に出していた。

 

 

 

「ロスト・・・・・・ロギア・・・・・・? 」

 

 

 

 

 

 ▼

 

 

 

 

 

 浮かび上がるのは数多の記憶。

 

 

 その記憶の殆どを占めるのは燃え盛る戦場の風景。四方八方から現れる敵を、剣で、刀で、鞘で、槍で、弓で、斧で、鉈で、短剣で、棍で、拳で、脚で、果ては魔法を使いその命を奪っていく。時代と場所が変わっても、やる事は至ってシンプルで、変わらない。

 

 ただひたすらに敵を倒す。そういう風に『ジブン』は出来ている。

 

 俺か、オレか、僕か、ボクか、はたまた私か、それともワタシか。

 

 全てが『ジブン』の記憶で、全てが『ダレカ』の記憶。混濁し判別不能になった膨大な記憶の中においてハッキリと思い出せるのは、たったの三つだけ。

 

 それは全て、色濃く魂まで刻まれた悲痛な叫び。

 

 

『オレハ、』

 

 

『次コソハ、絶対二――』

 

 逃れられない運命から救いたかった人がいた。

 

 

『ボクハ、』

 

 

『何時カ、絶対二――』

 

 終わらない絶望から解き放ちたかった人がいた。

 

 

『ワタシハ、』

 

 

『モウ一度、絶対二――』

 

 仕組まれた終末から取り戻したい人がいた。

 

 

 

 幾星霜の時が経とうとも、この絶望が時の流れによって消えることはないだろう。

 

 もし出来るのなら、この記憶の全ての絶望を消し去りたい。そんな到底叶わない願いが胸に宿る。

 

 

 

 ――嗚呼、今度こそ。大切なものをこの手で取り戻せますように。

 

 

 

 

 

 ▼

 

 

 

 

 

 目が覚めた。カーテンの隙間から漏れ出している光が朝の訪れを告げている。

 

 徐々に意識がはっきりしてくると、頬が何かと引っ付いているような感触を感じる。その感触に顔を顰め、卓袱台に突っ伏した姿勢から身体を起こそうとすると、垂れて乾燥した涎が読みかけの本と頬を見事に接着していたようで、見開きのページの右側が音をたてて破れてしまった。

 

「・・・・・・やっちまった」

 

 ページが破れた本をひっくり返し背表紙を確認するとそこには図書館のラベルが張り付けられており、この本が図書館で借りてきていた本だということがわかる。

 

「流石にこの破れ方は弁償モノだよなぁ」

 

 どうして昨日の夜は寝落ちするまで読書なんてしていたのか、その理由を思い出そうとするがなぜだか落ちてきた流星を探した後のことがうまく思い出せない。ひとまず時計を確認すると、時計の針はいつも自分が起きる時間と同じ5時を指していた。

 

「あー・・・・・・気持ち悪い・・・・・・」

 

 天候は快晴。普段なら心地よい目覚めを味わえる天気だが、今日はとてつもなく不快だった。体調が悪いような気持ち悪さではなく、なんとなくだが胸の奥の方で訳の分からないモヤモヤした感情が渦巻いている。何か嫌な夢を見たような気がするから、それが原因だろうか。

 

 洗面所でひとまずお湯を使い涎と破れた本のページを落とした後、暗い気分を吹き飛ばすように冷水で顔を洗う。

 

「ふぅ・・・・・・」

 

 少しだが不快さが消えたところで、一旦自分の部屋へと戻り寝巻きの甚平を脱ぎ捨ててジャージに着替え、居間へと向かう。

 

「ん……。おはよう、櫂」

 

 居間には自分の祖父である黒乃与一郎(くろのよいちろう)が既に卓袱台の前に腰を下ろし、茶を啜っていた。

 

「じーちゃん、おはよう」

 

 祖父に挨拶を返し、そのまま居間を通り過ぎて台所へと向かう。冷蔵庫を開けてパックの野菜ジュースとバナナを1本取り出してその場で素早く胃に放り込み朝のランニングの準備は完了。

 

「おっと、大事なもの忘れるとこだった」

 

 玄関に向かおうとし、しかし忘れ物に気づいて自室へと引き返して部屋の机の上に置いてあるそれを手にする。

 

 それは十字と円が一体化したような意匠を持つ黒一色のペンダントだった。昔、我が家に伝わるお守りだといって祖父から手渡されたもので、それ以降自分はどこへ行くときもこのペンダントを持ち歩いているのだった。

 

 それをしっかりと首にかけ、今度こそ玄関へと向かう。

 

「んじゃ行ってくるよ、何時も通り三十分ぐらいで帰ってくるから」

 

 祖父にそう言い残して家を出る。

 

 すぐさま走り出す訳ではなく、走る前に玄関先で入念にストレッチを行う。脚、股関節、腰、肩甲骨、最後に手首と足首の順で筋肉をじんわりと伸ばしていく。早朝の肌寒さの中で春の朝日を浴びながら体の筋肉がほぐれて温まっていくのがとても心地良い。少し体を動かすには絶好の天気だ、これならランニング後には奇妙な不快感も無くなっているだろう。そう思いながらいつものランニングコースを走り始めた。

 

 

 

 

 断続的に何かを打ち付けるような音が庭に響く。

 

 その音を生み出しているのは自宅の庭で互いに木刀を構えて相対している自分と祖父だ。

 

 この祖父との立ち合いと、朝と夜の一日二回のランニングが自分の日課である。ある時学校の友達との会話の中でこの日課のことを話すと普通にドン引きされた。スポーツ選手にでもなるのかと聞かれたが、特にこれといった目的などは持ってはいなかった。なぜだか昔から体を動かしていないとどうにも居心地が悪い。なによりも体を動かす――特にこうして木刀を握って祖父に稽古をつけてもらっている時が自分にとって一番しっくりくる気がするという理由で行っているのだった。

 

 上段に構えた木刀を勢いよく振り下ろす、祖父はそれを難なく木刀で逸らす。自分は返す刀で追撃を放つが祖父はそれも体を半身にすることで躱し、木刀を振るった後の隙に合わせて鋭い突きを繰り出してくる。自分はその一撃を強引に体を前に倒れこむようにしてギリギリで回避する。その瞬間、今の突きを躱せるとは思ってはいなかったのか祖父がほう、と少し驚いた様子を見せた。まだまだ余裕がある様子の祖父にどうにかして一太刀を浴びせようと回避した勢いを利用して姿勢を低くしたまま思い切り踏み込んで木刀を振るう。しかしこれも祖父は後ろに大きく跳躍して躱し、退きざまに一閃。自分の腕を強かに打った。

 

「痛っ」

 

「ほい、これで儂の勝ちじゃ」

 

 そんな声が聞こえたかと思うと、腕に走る痛みに顔を顰めて怯んだ自分の顔に祖父が木刀の切っ先を突きつけていた。

 

 祖父が振るう剣はスポーツや競技としてのものではなく、曰くただただ実戦で用いることを主としたもの。らしい。今日は剣術だが日によって様々な武器や、武器だけに限らず素手同士の組手や拳法の様なものまで、正に武芸百般を祖父からこうして教わっている。

 

「あーもう、勝てる気がしねぇよ!」

 

 何度目かもわからない敗北に愚痴をこぼすと祖父はカラカラと笑い、

 

「いやいや、今日の動きはなかなかよかったぞ、昨日までとは別人のようにな。実際、最後はちとヒヤッとしたわい」

 

 と、本当にそう思ったのかも怪しい様子で珍しく褒めてくれた。

 

「むぅ……」

 

 そう言われると悪い気はしないが、確かにいつもより体がよく動く気がする。実際、終盤にカウンターで放たれた祖父の突き。あれはたぶん普段の自分であれば躱せなかったと思う。躱すという意識をする前に反射的に体が動いたという感じだった。

 

「なあ、櫂」

 

「ん?」

 

「昨日、何かあったか?」

 

 突然、真剣な表情で祖父が尋ねてくる。

 

「んー、いや。()()()()()()()

 

「……そうか」

 

「俺が特訓でもしたと思った?」

 

「まぁそんなところだ。櫂、時間はまだあるな?」

 

「一応、あと十五分ぐらいはあるけど……」

 

「それだけあれば問題ない。ほれ、とっとと武器を持て」

 

 手ぶらで庭の中心に戻りながら祖父が急かす。今日は少し早めに終わったと思ったが、どうやらまだ続くようだ。

 

「じーちゃん、木刀は?」

 

「儂はいらん。たしか徒手空拳の状態で武器との立ち会いはまだだったな」

 

「いやまあそうだけど……」

 

「いいから構えろ、時間がなくなるわ」

 

「はーい……」

 

 これまでは基本的に同じ武器を使った稽古しかしていなかった、素手同士の立ち会いもあったとはいえ当然のように祖父に一方的にやられただけだった。正直疲れているので気乗りはしなかったが、よくよく考えてみるとこれはハンデありとはいえ祖父に勝つチャンスだ。そう思いながら木刀を構えて祖父と相対する。

 

「よし、構えたな。ではいくぞ」

 

 そう言った瞬間、祖父が視界から祖父が消えた。

 

「えっ――」

 

 気づいたときには既に木刀の間合いの更に内側にまで肉薄した祖父の拳が自分の顔面に向けて放たれていた。

 

 それを慌てて木刀で防ぐが、老人の一撃によるものとは思えない力で僅かに後退してしまう。両手にはビリビリと衝撃が伝わってきていた。

 

 そこに息をつく間もなく追撃を仕掛けようと更に迫ってくる祖父に向かって牽制のために木刀を振るい、間合いを確保するために仕切り直す。

 

「はぁっ!」

 

 間合いさえ取れればこちらのものだと手に握った木刀を祖父に向かって振り下ろす。しかし木刀が当たるかと思われる瞬間、祖父の体が僅かにブレたように見えと思うと再び自分の振るった木刀の間合いよりも更に内側に入っており、自分の手首を掴まれていた。そのまま手首を捻られると同時に地面に転がされ、手首を捻られた時に手放してしまっていた木刀を先程と同じように眼前に突きつけられる。

 

「と、まあこんなものじゃな。もし素手で刀剣を持った人物と相対したときは使うといい」

 

「いやいやいや!なんで武器ない方が強いんだよじーちゃん……」

 

「別にそういうわけではないわ。時間じゃ、今日はこの辺で切り上げるぞ」

 

 そう言って地面に転がされた状態の自分に手を差し伸べられた祖父の手をとり立ち上がる。

 

「まあそう気を落とすな、お前は儂の孫じゃからな。そのうちあれぐらいは出来るようになる」

 

「なんだよその理由……」

 

「何もクソもない、いいから毎日励むことだ。ほれ、朝飯食うぞ朝飯」

 

 こうして、全く根拠の無いような祖父の慰めのような何かを受けて今日の鍛錬は終わりを迎えた。

 

 午前七時、黒乃櫂のいつも通りの日常の始まりだった。

 

 

 

 

 

 ▼

 

 

 

 

 

「このように、社会は多くの人達の仕事によって支えられています。君たちのお父さんやお母さんだけではなく……」

 

 市立海鳴第三小学校の三年一組の教室で自分は欠伸混じりに頬杖をつきながらつまらない授業を聞き流す。昼休みを間近にした教室では真剣に授業を受ける真面目な生徒は少なく、教室の最も後ろの列の真ん中の座席、ここからだとクラスメイトほぼ全員の様子が見渡せるが、どうにも隣の席の生徒とコソコソと会話をしていたり、教科書に落書きをして遊んでいたり、もしくは自分と同じようにただただ時間が過ぎることを待っている生徒などが多い。

 

「今日の給食何だっけな……」

 

 朝から授業を受けたおかげでそろそろ本格的に胃袋が空腹感を訴えてきたころ、ようやく聞きなれたチャイムの音が聞こえ授業が終わった。

 

「起立、気をつけ、礼」

 

「「ありがとうございましたー」」

 

 授業終わりの挨拶が終わり先生が教室を出ると同時にクラスの生徒が一斉に動き出し、当番に割り当てられている生徒はいそいそとエプロンを着て給食を受け取るために教室から出ていき、それ以外の生徒は机を動かして給食の用意を始める。自分も今日は当番ではないので教室に残り、仲の良いクラスメイト達と互いに机を動かしてくっつける。そして給食が到着してものの数分で配膳が終わり担任の先生を含めたクラス全員が着席すれば、クラス委員長の号令で一斉に手を合わせていただきますだ。

 

「なあ櫂!今日もサッカーやるよな!?」

 

 待ちに待った昼食を食べようとした瞬間、いつも一緒に給食を食べている友人のうちの一人がそう声をかけてくる。

 

「勿論!今日は何人ぐらい集まりそうなんだ?」

 

「とりあえずこの机の4人と向こうの机のやつらだろ、あとは……なあ、あと誰かいたっけ?」

 

 どうやら正確に把握出来ていないようで、同じ机を囲むもう一人に話をパスする。

 

「二組と三組からも入りたいって言ってるやつが何人かいるから15人超えると思うぜ!」

 

 どうやら他のクラスにも一緒にやりたい生徒がいるようだ。昼休みのサッカーを始めた頃は一緒に机を囲んでる四人だけでせいぜいパス回しをする程度のものだったのに、気づけば他のクラスメイトも参加して小さい試合をしたりするようになったがまさかこのクラス以外の生徒も参加するようになっていたとは、これで今までよりももっと楽しくなりそうだ。

 

「櫂のプレーをみて知らない奴まで声掛けてきたからな、チームに入ってる奴もいるみたいだし」

 

「おお、絶対上手いやついるじゃんそれ!ようやく櫂に勝てるかもしれねーな!」

 

「ごちそうさまでした」

 

「早すぎるだろお前!?先行って場所とっといてくれよ!」

 

 急いで給食を掻き込みボールを手にグラウンドへと走っていく。

 

 そうして数分もすれば全員が食べ終わって集合する。まだ他の生徒が少ないグラウンドの一角で11人ずつとはいかないものの1チーム8人の試合と呼ぶには少々規模が小さく審判もいない、そんな小さな真剣勝負が始まるのだった。

 

 

 

 

「はぁ……」

 

 放課後、学校からの帰り道を歩きながら溜息をつく。友達から受けた昼休みのサッカーの続きの提案を当然のように承諾した結果、日が落ちて辺りが暗くなるという小学生が遊ぶにしてはかなり遅い時間まで公園ではしゃいでしまった。

 

 いつもと変わらない一日だった。気がつけば学校は終わっており、あっという間にすぎてしまったと錯覚してしまう程に楽しかった。授業は面白くないが、多くの友達に囲まれて過ごす時間は確かに自分にとっていつも幸せだと思える日常だ。放課後のサッカーも時間にして三時間以上は遊んでいた。

 

 しかし、何故だろうか。

 

 今日一日の間どれだけ楽しいと感じていても、心の何処かで常に寂寥感があった。

 

 初めて意識したのは昼休みのサッカーの途中だ。点を決めて自陣に戻ろうとする自分に、味方が駆け寄って喜びあう中で一人感じたその感覚。隣ではしゃぐ彼らを見ていると画面に映し出された映像を見ているような、自分一人だけが何処か別の場所にいるようで、言葉に出来ない湧き上がる気持ちはその後も常に自分の心に影を落としていた。

 

 満たされない、満たされない、満たされない。

 

 この心の空白を埋める何かを――

 

「あーもう!何考えてるんだ俺は」

 

 妙な思考に入ってしまっていた自分を慌ててかぶりを振って引き戻す。

 

「ひとっ走りしてから帰るか……」

 

 どうにも今日は気分がおかしい。朝もそうだったが、今はそれ以上に胸の中でネガティブな感情が渦巻いている。

 

 疲れているのかとも思ったが、

 

「この歳で精神的に疲れてるなんて言ったらじーちゃんにどやされるなぁ」

 

 修行が足りんと言って無理やり叩き直される光景が容易に想像出来てしまい、ついつい苦笑いが零れた。

 

「おっ、ちょうどいいところに自販機発見」

 

 走る前にとりあえずサッカーで乾いた喉を潤すために何か飲み物でも……と思っていた矢先、日が暮れた住宅街の中に街灯と一緒に辺りを照らすカラフルな光を見つけて駆け寄り、すぐさま財布から五百円玉を投入。それによりすべてのボタンが点灯する。

 

「うーん、流石五百円。選びたい放題だ」

 

 こういうときに少し贅沢な気がするのは自分だけだろうか。自販機に並ぶラインナップを見て逡巡する。

 

「炭酸系……?すっきりしたいけど今から走るしナシだな。甘いものの気分じゃないからフルーツ系とミルク系、あと勿論お汁粉とコンポタもナシっと」

 

 消去法で次々と絞っていく、ちなみに自分は苦いものが嫌いなので最下段の缶コーヒーは初めから選択肢に入れていない。

 

「ここはやっぱり無難にお茶か……?いや待てよ、これがあるじゃないか!」

 

 お茶のボタンを押そうとして、しかしその隣のあるものが目に留まる。青と白のシンプルなラベルのその飲み物。

 

「スポドリ先生!なんで見落としてたんだよまったく……」

 

 ほのかな甘さと酸っぱさを持ち、それでいてすっきりとした後味をもたらしてくれる。運動前にも運動後にも、その名の通り役に立つ存在。スポーツドリンクである。

 

「アク〇リよりポ〇リだって言うやつもいるけど俺は断然アク〇リ派だな」

 

 誰一人として聞く人間がいない中、よくある議論に対する持論を呟いてその飲み物のボタンへと手を伸ばして押し込むと同時、

 

 ――閑静な住宅街を揺るがすような轟音と共に、隣の塀をぶち抜いて謎の影が飛び出してきた。

 

「……へあ?」

 

 あまりにも突然の出来事に頭が追いつかない。

 

 ガタンと音を立てて自販機からスポーツドリンクが出てくるがそれには目もくれず、ただただ自販機のボタンと自分の人差し指を交互に見ていた。

 

「え?何?俺のせいなのこれ?」

 

 当然そんなことはないのだが、それにしてもタイミングが合いすぎたせいでどうにもそのように思えてしまう。

 

『グオオオオオオオオオオオオ!』

 

「うわっと。そうだ、なんなんだアイツ」

 

 先程飛び出してきた影のけたたましい咆哮で意識が正常に戻り、そちらに振り向く。

 

 数メートル離れた所に浮遊するそれが街灯の光に照らされて初めてまともに視界に捉えることが出来た。

 

「まさか自販機の景品とかじゃ……ないよな、うん」

 

 ドス黒い煙の塊を圧縮して固めたような体は時折妖しく光沢を放っており、見た人のほとんどが気持ち悪いと思うだろう。手足のようなものは見当たらず、取って付けたように凶悪そうな目と口だけの顔が体に直接ついているだけのその姿は正しく異形と呼ぶに相応しい。

 

「そこの人!大丈夫ですか!?」

 

 目の前に浮遊する異形の化物に対しどうすればいいかも分からずに立ちすくんでいると、こちらの安否を確かめる少年の声が聞こえた。

 

「だ、大丈夫で――は?」

 

 よく分からないが一先ず助けが来たと思い安心し声のした方へと視線を向けると、そこにいたのは人ではなくフェレットだった。

 

「ああ、わかった。これ全部夢か」

 

「いきなり遠い目をして現実逃避してるー!?夢じゃないですからー!現実ですからー!」

 

 なにやらフェレットが人の言葉で喚いているが夢の中だったらそういうこともあるだろう。しかしいつになったらこの夢は覚めるのだろうか、もう充分に満喫したのでそろそろ覚めてほしいのだが。

 

「や、やっと追いついたの……」

 

 再び人の声が聞こえてくる、どうやらまだこの夢は続くらしい。次は何だろうか、喋るイタチか、それともまたフェレットか、はたまた喋る化物か。

 

 しかし、そんな自分の予想を裏切り出てきたのは自分と同じぐらいの年齢と思われる少女だった。

 

「なんだ人間か……」

 

「初対面の人になんだかとっても理不尽な理由で落胆された気がするの……」

 

 後になって、自分の運命が動き出した時を一つ上げるのならば、自分は迷わずこの瞬間を選ぶだろう。

 

 小学三年のある春の日。彼女達に出会ったこの瞬間を――

 

 




各話タイトルは全く浮かばなかったので現状適当。思いついたらその都度更新していきます。


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