短め。
第3部 留学の日々
ソビエト連邦への留学は、反共という固定観念に凝り固まった私にとって非常に不本意なものであったが。しかしいざ行ってみると非常に楽しく、そして有意義なものであった。
赤軍の至宝と謳われたトハチェフスキーとの議論は私に近代的な軍というものへの無理解を自覚させ、加えて彼の広い知見は私に今後の戦争を戦い抜くのに重要な戦略を与えてくれた。
友となったベリヤは自らの肉欲を満たす為に人間性を疑われるような行為ばかりを行ってはいたものの、若き私にはそれすらも眩しくみえた。
彼は自身が警察機関の弱味を握っていることを頼みに街の少女を誘拐し性的暴行を行っていることを自慢気に私に話すのだ。
羨ましいだろ?と私にいう時の嫌らしい笑みがもう二度と見られないのは少し寂しいが、ロシアに旅行しても彼の情事に出くわす心配がないのは不幸中の幸いだろう。
かくいう私もベリヤと共に女を買ったことは両手では数えきれないほどあったため、ベリヤの悪行を批判することはできないのだが。
しかし私は彼と違い、年端もいかない少女に対して行為に及んだことはないということだけは私の名誉の為に補足しておく。
それはともかく、彼らとの邂逅が私の人生を変えたといっても過言ではなかった。
トハチェフスキーはその天才的な知識と戦略の幾ばくかを私に分け与えてくれたし、
ベリヤは人間のクズだったが、彼との生活は私の反共思想に凝り固まった心を解きほぐし、中華共和国の形成に多大なる貢献をしたのだから。
私はソ連から帰還するさい、ベリヤと1つの約束をした。
私は皇帝として、ベリヤは書記長として。
いずれ二人で酒を飲み交わそう。
そして、
彼は欧州を、私はアジアを。
二人でユーラシア大国を席巻しようと。
私はこの約束を生涯忘れることはなかったし、
彼も忘れることはなかっただろう。
オマケ
第二世界線アジア情勢
~1930←いまここ
1930くらい世界線開始
1932日中同盟結成
1932~1933軍閥排除
1934第二次国共合作
1935国共合一(中華統一)
1936投票権重複問題発生。日中同盟破棄
1936~1037日本懲罰戦争
1937ウラジオストク条約締結。台湾復帰
1939日本崩壊
1040朝鮮併合
1941仏領インドシナ併合。シャムに独立保障。共産党政権移行
1942アメリカシャム併合。米中冷戦開始
1945デタント
1946米ソ同盟。中ソ密約。
1947蒋介石失踪。
1948中華内戦。
1949米国が白頭山に核投下。
1949国共首脳会談。
1949終戦。同時に世界線も終了。
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