ナマケモノの末脚。 (のららな)
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プロローグ
私は走るのが嫌いだ。


「はぁ……ダルい」

 

 私は無駄に重い両足で練習場の芝を踏み、気だるく溜め息を吐いた。空は憎いまでに雲一つない晴天、風は私の焦げ茶色の髪がなびく程度に吹いている。

 私は練習(トレーニング)が大嫌いだ。

 汗水流して運動することが、暑い日差しを浴びながら走ることが、無駄に全力で走ることが大嫌いなウマ娘だ。

 

「たく……こんな暑い日に模擬レースとかダルいにも程があるっての」

 

 今日は六日連続で行われる模擬レースの五日目。

 私達世代の初レース(メイクデビュー)が近いとあってか、スタンドから学園で実力のあるチームのトレーナーやら学園のお偉いさんが私達の走りを見学していた。

 ここで良い走りをすれば有能なトレーナーに指導してもらえるうえに注目度も上がるとあってか、周りの娘達はヤル気に充ち溢れていた。

 

(絶対に勝たないと──)

(全力で走らないと──)

(結果を出さないと──)

 

 なんて呟きが四方八方から聴こえてくる。

 ま、誰が見てようが私には関係無い話だけど。

 

『次の組はスタート用意を』

 

 私の番、係りの人に促されて私を含め六人程のウマ娘が白線の前に立つ。

 チラリと左右を見れば全員が真剣な顔で三ハロン(六百メートル)先のゴール板を凝視していた。

 多分私だけだろうな、走りたくないって思ってるウマ娘は──

 

『位置について』

 

 係員の声と共に皆が姿勢を正し。

 

『よーい……』

 

 スタートの体制を整えて。

 

『ドン!!』

 

 合図と同時に走り出した。

 スタートを勢いよく飛び出したウマ娘達が激しい先頭争いを繰り広げ、三番手以降のウマ娘達は先頭を見るようにジッと脚を溜めている。

 

「たく、本気で走ってんなぁ」

 

 私は集団の最後方を追走しながら、前を行く背中にただ呆れていた。

 所詮は模擬レース、所詮は練習(トレーニング)。

 本気出して走るような場所じゃないだろうに、みんな必死で走っちゃってまぁ。

 

「勝手にやってろってんだ」

 

 四コーナーを周って直線、態勢は変わらず、皆残り200メートルを過ぎて一斉にスパートした。

 

《負けないっっ!!》

 

 先行勢が粘り込みを計り、差しウマ娘が見計らったように鋭い末脚をみせる。それぞれが自分に合った最適な走りで鎬を削った本日三回目の模擬レースは、五人横並びの大接戦で幕を閉じた。

 

「ゴールゴールと」

 

 そして、私はその二馬身後ろで悠々とゴール板を通過した。

 息も絶え絶えな周りのウマ娘を横目に、軽く出た汗をタオルで拭き取っていると。

 

「おい、お前! やる気あんのかっっ!!」

 

 レース後、私の元に《やかましい奴》がやって来た。

 このレースに乗り気じゃない理由のひとつであり、客席のトレーナーに頑張りを見せる必要がない理由のひとつ。

 ぼさっとした髪型に冴えない風体、このみすぼらしい野郎が私の専属トレーナーだ。

 

「なんだ今の走りは!? そんなんでレースに勝てると思ってんのか!!」

「うるさいなぁ、いきなり来て耳元で叫ぶなよトレーナー。それに私なりにちゃんと走ってたって……」

「嘘つけ! 明らかに手を抜いてただろ!!」

「いやいや、抜いたのは手じゃなくて足だろ? 走ってんだから」

「変な揚げ足とるな! てか手加減したのは認めるのかよ!」

「いやだから、手加減じゃなくて足加減……」

「言い訳するなっっっ!!!」

 

 トレーナーからの怒濤の怒声にうんざりする。

 つーかコイツのせいで周りから変な目で見られてるよ、なんの羞恥プレイだよまったく。

 

「はぁ……もうすぐデビュー戦だってのに、俺の相棒はいつになったらやる気を出してくれるのかね」

「ま、レース本番になったら本気だすから安心してなよ、私のトレーナーさん?」

「だと良いがな」

 

 なんて、いつも通りにトレーナーが肩を竦めたタイミングでチャイムが学園内に響き渡った。

 太陽は真上を向いていて、ウマ娘の大群が慌ただしく食堂へと押し寄せている。つまりは……。

 

「模擬レースも終わったことだし、私はお昼にするからこの辺で失礼するよ、またなトレーナー!!」

「あ、ちょっと待て! まだ話の途中っ……!!」

 

 トレーナーの制止を振り切り、私は食堂を目指して駆ける。

 待ってて私のお昼御飯! 今行くからね!!

 

 

 

「…………って、もうあんな遠くまで行きやがった、アイツ」

 

 食堂に消えていった教え子に対して、俺は特大の溜め息を吐いた。あの逃げ足を練習で発揮してくれたら彼女の評価もあがるのに、勿体ない奴だ。

 

「ハハハ、ナカちゃんも大変だねぇ」

 

 すると、俺の同僚であり先輩トレーナー『ヤマモト』が話し掛けてきた。先輩といっても、俺の一つ年上なだけだが。

 

「ナカちゃんの担当してるあの娘、これで模擬レース五連続最下位だよね? あんだけ走るのが嫌いな娘を見たことないよ」

「しかもすぐに練習サボるしやる気ないし……まったく、指導怠慢で理事長に叱られる俺の身にもなってほしいぞ」

「アリマ理事長の説教は長いからなぁ、御愁傷様だよ」

 

 そう、ヤマモトがケラケラと笑った。

 

「そういやナカちゃんって今はあの娘一筋なんだっけ? ナカちゃん程の優秀なトレーナーなら他の娘からもコクられてる(指導依頼されてる)だろうに」

「俺は優秀じゃないし、今の俺にはアイツを指導するだけで精一杯なんだよ」

「ハッハッ! かつては伝説のチームを率いた名トレーナーが翻弄されるなんて、あのウマ娘はとんだ強者だね」

「あんまりからかうなよ、本当に大変なんだからさ」

「すまんすまん、でもなんであの娘のトレーナーをやってるのかは謎だよ、そんなに手を焼いてるなら諦めて他の娘の指導をすればいいのにさ」

 

 ヤマモトの疑問はよく皆から言われる、真面目に走らない彼女に何故そこまで拘るのかと──だけど。

 

「いつもサボっててやる気のない奴だけど、少しだけ他の娘と違う気がするんだ、アイツは」

「と、言うと?」

「何となく雰囲気ってか、アイツはこれから大きなことを成し遂げてくれそうな、そんな気がするんだ」

 

 俺が他の娘を指導しない理由はそれだ。

 見た目も平凡で真面目に走らなくてレースに集中してないダメな奴なのに、アイツの時折見せる力強い末脚に惹かれている自分がいた。

 

「不思議な奴なんだ、アイツ……『シンザン』ってウマ娘はさ」

 

 暑い日差しの中、俺はあの小さくなったあの背中にほんの少しだけ淡い期待を抱いていた。

 



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デビューするには。

 

 

 日本ウマ娘トレーニングセンター学園。通称トレセン学園。

 

 長ったらしい正式名称をもつこの学園は日本で唯一、トゥインクルシリーズに出走するウマ娘専門の学校だ。

 

 トゥインクルシリーズは全ウマ娘達の夢の舞台、レース後のウイニングライブでスポットライトを浴びることはウマ娘に産まれた者なら誰もが憧れ、目標とする場所。そのトゥインクルシリーズに出走するにはトレセン学園に在籍することが絶対条件だ。

 学園は主にウマ娘に小中高程度の学問と、走る為に必要な身体能力を重点的に鍛えることを目的で、今や世界で脚光を浴びるトゥインクルシリーズに出場するため、多くのウマ娘達が勉学に励んでいた。

 

 といってもこの学園が作られたのはほんの数年くらい前で、日本のトゥインクルシリーズも比較的日が浅く、ようやっと注目されはじめたに過ぎない。

 世界から見ても、日本のトゥインクルシリーズはまたまだ発展途上国である。

 

「フフ~ん、今日は何を食べようかな」

 

 ビュッフェに並んだ色とり取りの料理を前に舌鼓を打つ。

 日本国内、津々浦々を探してもこんなに豪華なハイキングはお目にかからないだろう、しかも学園の食堂に限れば絶対に無いはずだ。

 

「今日はニンジンステーキにしようかな、勿論御飯は大盛りで」

 

 一通りお昼御飯をお盆に乗せて、私は丸型の自由席に座る。

 ふと、食堂に集まったウマ娘達から小さからぬ歓声が上がった。

 

(今日はやけに騒がしいな、何かあったっけ……)

 

 妙に落ち着きない周囲のウマ娘達は、一同同じ場所を凝視していた。

 

(あ、そいや今日はあの日か)

 

 皆の視線の先には壁に設置された大画面テレビ、映像には東京レース場の芝生(ターフ)を疾走する数十人のウマ娘が映し出されていた。

 そう、ウマ娘達の夢の舞台・トゥインクルシリーズでも特に格式高い大レース。一生に一度しか出場出来ないクラシック三冠レースで最も権威のあるレースが今日、東京レース場で行われていた。

 

『第三十回、東京優駿日本ダービー! 最後のコーナーに入って参りました!!』

 

 テレビのスピーカーからも、食堂のあちこちからも大声援がこだまする。

 ダービーは云わば最強ウマ娘決定戦。

 まだメイクデビューも済ませてない私の同期や後輩も、既にダービー出走権を失った先輩方も、料理を作ってるおばちゃんや用務員さんでさえ、学園関係者全員が食い入るように画面を見詰めていた。

 

『二番人気のグレートヨルカはインコースの七、八番手を追走しております!! 一番人気のメイズイが先頭!! 最後の直線に入りました!!!』

 

「「「おぉぉぉおおおおおッッッ!!!」」」

 

 ダービーもクライマックス、場内のボルテージは最高潮だ。

 かくゆう私も初めは見る気もなかったレースなのに、気付けば食べるのを忘れてダービーに魅せられていた。

 

『メイズイ先頭! 後続をグーンと突き放しております!! 二番手ようやくグレートヨルカですが、この差は縮まりそうにありません!!』

 

 ゴール前、食堂内は割れんばかりの声援から何とも言えぬどよめきに変わった。

 

『メイズイ一着でゴールイン!! 圧勝です!! 二着はグレートヨルカが入選! 第三十代日本ダービーウマ娘はメイズイです!!』

 

 栄光のゴール。

 第三十回日本ダービーは、メイズイ先輩の見事な逃げ切りで幕を閉じた。そして、その走りに食堂が騒然となる。

 

「なに、あの着差……っ!?」

「ハイペースで走ってたのに、グレート先輩が差を詰めれないなんて……」

「ちょっとメイズイ先輩……強すぎない……?」

 

 レース後、メイズイ先輩が集まった観客に笑顔で大手を振る最中、学園は異様な空気に包まれていた。

 

 メイズイ先輩はハイペースで逃げてダービーレコードを一秒近く更新、二着に入ったライバルのグレートヨルカ先輩を七馬身も置き去りにしてしまったのだ。

 なにより、メイズイ先輩はダービーと同じくクラシックレースの皐月賞を勝っており、この勝利でクラシック二冠目、秋の菊花賞を制すれば史上二頭目となる三冠ウマ娘の誕生だ。

 

「強いな、メイズイ先輩」

 

 新緑のターフの上に立ち艶やかな黄金の髪を靡かせ、ウイニングランを行うメイズイ先輩はまさしくトゥインクルシリーズのトップに君臨する名選手。

 冷めきった性格の私でさえ、画面に映るメイズイ先輩の姿は心に来るものがあった。

 

「ま、来年はあの場所に私がいるんだけどね」

 

 メイズイ先輩の華々しい走りを見終えた私はテレビから眼を反らし、料理に視線を移した。すると──

 

「あら、今の台詞は聞き間違いでしょうか、シンザン??」

「……うっ、その声は」

 

 ステーキにナイフを入れた瞬間、背後からイヤな声が聞こえた。

 声の主に振り向けば案の定というか、梅花のかんざしを髪に差したウマ娘が私を見下していた。

 

「ワタクシを差し置いてダービーを勝つだなんて、随分と自信過剰でありませんこと?」

「なんだよウメ、人の食事中に、しかも人の呟きを盗み聞きなんて性格悪いぞ」

「なっっ!? 誰が性悪女ですか!!」

「いや、そこまで言ってないから……」

 

 無駄に声高くキーキー喚く彼女の名はウメノチカラ。私の同級生でなにかと食って掛かるめんどくさい女だ。

 

「たく、今度は何の用だよ」

「特に用はありませんわ。ただ、通りすがりに貴方の戯れ言が聞こえたもので」

「戯れ言って、事実を言っちゃダメなのか?」

「事実? ふふふ、相変わらず冗談がお上手ですね、シンザン」

 

 ウメノチカラ(長いから次から『ウメ』って呼ぶ)は断りもなく私の隣に座る。

 

「聞きましたわよ、今日も模擬レースでまた最下位だったようですね? そんな体たらくでダービーを、模擬レース三勝のワタクシに勝てるだなんて、本気で思ってますの??」

「私は練習で本気出さない主義なの、大体練習とかダルいだけだし」

「と言いつつ、本当は追い付けないだけでは? 貴方が勝ったシーンを今まで見たことないですから」

 

 ウメが高飛車なお嬢様みたく口許を掌で覆って嘲笑する。

 

「ハイハイ、私の勝つところなんてデビュー戦が始まったら嫌と言うほどに見せつけてやるよーだ」

「それはそれは、楽しみにしてますわよ」

 

 ウメの嘲りを軽くあしらうと、彼女は座ったばかりの席を立って何処かに行ってしまった。私に嫌味を言うためだけにわざわざ座ったのかよ、変な奴だな。

 

「それはそうと邪魔物も居なくなったことだし、頂きまぁ……!」

「ここに居たのか! やっと見つけたぞシンザンッ!!」

「むぐぅ……っ! と、トレーナー!?」

 

 ウメが居なくなった途端、今度はしかめっ面のトレーナーが現れた。

 次から次へと、いい加減昼飯を食べさせてくれってんだよぉ!!

 

「話の途中でいなくなりやがって、今度こそ真面目に聞いてもらうからな」

「な、なんだよもー! 話なら放課後のミーティングで良いじゃんかよ。今は大事な昼飯だってのにさー!」

「…………あのな、シンザン。これはガチで大事な話なんだ、食べながらでも良いから聞いてくれないか?」

 

 真剣な面持ちで向かい側の席に腰掛けるトレーナー、この顔は希に見るガチでマジな顔だ。

 

「お、おう……は、話ってなんだよ」

「実は、最近になって俺にもモテ期が来たみたいでよく生徒達に告白されるんだ、どうしたらいい?」

「知るかっっっ! 消え失せろ不純異性交遊!!」

 

 少しでも話を聞こうとした私がバカだった、トレーナー(コイツ)が真面目な話しなんてするわけ無いじゃんか。ガチでマジな感じで無駄な時間だった。

 

「まー待て待て、今のは軽い冗談なんだ、本題は別にある」

「たくっ、次ふざけたこと言ったら蹄鉄付き顔面後ろ蹴りだからな」

「ぜ、善処しよう……」

 

 トレーナーが最もらしく「ゴホン」と咳払いをして指を組んだ。

 

「お前さっきの模擬レースで最下位だったろ、しかも、六日間の模擬レース中五回連続で最下位のおまけ付きで」

「またその事か、何度も言うけど私は練習は嫌いなの、本番になったら本気出すからさ」

「いや、このままだとお前に本番は無いんだよ」

「………………え? それってどういう──」

 

「はいここでシンザン君に問題だ! 日本トゥインクルシリーズ施行規定・第七章『出走ウマ娘』の項目から出題しまーす!!」

 

「は、はい……?」

 

 唐突に始まった謎クイズ、ポカンとする私に構うことなくトレーナーが続ける。

 

「この項目の第八十一条には何と書かれているでしょうか? 回答者のシンザンさん! お答えください」

「えーと……八十一条は確か『トレーナーは勝つ気のないウマ娘をレースに出走させてはいけない』だったよな…………」

「ピンポーン!! 流石筆記テストは優秀なシンザン君! まぁ正確には『競争に勝利を得る意思のないウマ娘は出走してはいけない』だけどな」

 

 う、トレーナーの言おうとしてること何となく察してしまった……。

 

「わ、私はレースに出たら勝つつもりだからギリギリセーフだって──」

「いーやアウト。例え本人がやる気でも周りが真面目に走ってるように見えてないんじゃ、トレーナーとしてレースに出せません」

「……冗談、だよな?」

「俺は至って真面目だぞ、真面目に走らないウマ娘をデビューさせるほど、俺は甘くないからな」

「そ、そんな……」

 

 まさに青天の霹靂。

 トゥインクルシリーズに出場するにはウマ娘を監督するトレーナーのゴーサインが必要で、ウマ娘だけでは出走登録が受理されない。

 ダービーを勝つどころかデビュー戦すら出れないなんて、それだけは絶対に駄目だ!

 

「と、トレーナー様、そこを何とかお願いします、私、どうしてもレースに出走したいんです」

 

 私は身を乗りだしてすがるように頭を下げる、トレーナーに頭を垂れるなんて屈辱だが、今は形振り構ってられない。

 テーブルに頭を擦り付ける私を見て、トレーナーが不敵に笑った。

 

「フッフッフ、やっと素直になったか。幸い、模擬レースは最終日が残ってるんだ、そのレースで結果を出したら出走を考えても良い」

「ほ、本当に!?」

「あぁ『ちゃんと結果を出したら』だけどな」

「出す出す! 結果出すから! 任せてくれよトレーナー!!」

 

 こうなりゃあ明日の模擬レース、絶対に一着で勝ってやる! 絶対にだよっ!!

 

「お前の本気、今のアイツにどれだけ迫れるのか楽しみにしてるぞ、シンザン」

「ん、何か言った? トレーナー??」

「いんや、なんでもないよ」

 

 トレーナーは不安やら期待やらが入り交じった表情を浮かべて、私に優しく微笑んだ。

 



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模擬レース。

 

 

 翌日、模擬レース最終日。

 

 学園内の野外練習場は本物のレース場に比毛をとらない広さがあり、六つのコースがあるトラック型トレーニングコースが設備されていた。

 主に授業等で使用するのは一周約2000メートル、走路が芝生で構成されたAコースと。

 一周1600メートル、走路がダート(砂)で構成されたBコースだ。

 

 今までの模擬レースはBコースの短い距離を走らされていたが、最終日はAコースの芝2000メートル、出走人数一組二十四名による本番さながらのレースが行われることになっている。

 

「やっぱ、今日はギャラリーも多いな」

 

 茜色が空を覆う放課後、集められた模擬レース参加者達が芝生の状態を確かめたり準備運動に勤しんでいるが、誰一人として落ち着いてはいなかった。

 何故なら、スタンドには過去五回の模擬レースの比では無いくらいに溢れんばかりのトレーナーや報道陣、そして学園のお偉いさんが観戦していたからだ。 

 

 誰かが走る順番を決める(くじ)を引く時や、ウマ娘の一挙手一投足にフラッシュの弾幕が飛び交う。距離やコース、観客の雰囲気すら実戦と同じ状況で走ること、それが私達に課せられた模擬レース最終日の試練だった。

 

「ま、どんな状況だろうと今日は絶対に勝ってやるけど」

 

 だがしかし、私はそんな観客達に動じてない、私にはもう後がないから気にしていられないからだ。

 今まで散々サボりまくってきた自業自得といいますか、このレースで負けたらトゥインクルシリーズに出られない。

 普段からヤル気のない私でも、トゥインクルシリーズに出場してG1を勝つことは物心ついた時からの夢だった。

 その夢をこんな下らない理由で終わらせたくない、今日こそは本気でぶっちぎってやるって、私は心に決めていた。

 

「あら、今日は珍しくヤル気満々ですこと、シンザン?」

「ウメか、茶化すならレース後にしてくれ、集中してんだから」

「あらあら、もう後が無いからって必死ですこと」

 

 ウメめ、私の状況を知っててからかいに来やがったのか。本当に性格悪い奴だな。

 

「ウメには関係ないだろ、邪魔するならどっか行ってろよ」

「邪魔だなんてそんな、ワタクシは次の模擬レースで一緒に走る貴方に、ひとつ忠告をしようと思っただけですわ」

「忠告?」

「えぇ、貴方が私に勝てるかは置いておいて、あそこにいる緑帽子の彼女に注意したほうが良いですわよ」

 

 緑帽子の彼女って、あの内ラチでニコニコしてる彼女のことか。あれ……でもあの娘って。

 

「なぁウメ、あんな娘うちの学年にいたっけ?」

「だから忠告に来たのです。あの方はきっと上級生、私達の実力を見定める為の審査員に違いありませんわ」

「審査員って、まさか──」

 

 二人でその娘の話をしていると、私の視線に気付いたのか目線を合わせてニッコリと微笑んできた。

 うわぁ、なんだろう、思った以上に不気味な人だな。

 

「とにかく、レース中にもあの方に気を配っておくことをオススメしますわ」

「あ、あぁ、そうしておくよ」

「では、お互いに残念な結果にならないよう頑張りましょう、シンザン」

「あぁ……ん? もしかして、その忠告の為だけにわざわざ私のところに来たのか??」

「えぇ、ワタクシは貴方を模擬レースではなくトゥインクルシリーズで堂々と倒したいですもの、つまんないことで脱落されては困りますわ」

 

 そう、ウメは髪を整えながら言った。

 なんだウメの奴、こんな友情に厚いウマ娘だったっけ? それに今日は嫌みもないし、これはあれか。

 

「緊張でおかしくなっちまったのか、可哀想に……」

「なっ!? 失礼ですわね! ワタクシは至って平常ですわ!!」

「あ、すまん声に出てた、忘れてくれ」

「まったく失礼な人ですわね、大体ワタクシはその態度が──」

 

 と、普段通りガミガミと嫌味を垂れ流してきた。なんだ、いつものウメで安心したよ。

 

『ではこれより、第六回模擬レースを始めます、第一走者はスターターの前に並んでください』

 

 ウメの嫌味が続くかと思いきや、メガホン越しに模擬レース開幕を告げられ、場内のざわつきが一層大きくなった。

 私が走るのはウメと同じく一番最初の組、例の緑帽子も私達と同じ組のようだ。

 

「呼ばれましたわね、先に行きますわ」

 

 ウメが早々とスターターの方に歩き出し、不意に私は満員のスタンドを見つめた。

 

(アイツ、来てないのか)

 

 一通り観客の顔を見渡したがトレーナーの姿は見えなかった。

 別にアイツに応援されても嬉しくないけど、てか見られてないほうが本気で走れるか。

 

「よしっ、行くぞ」

 

 一呼吸置いて、私もスターターの所に駆け出した。

 

 

 

「あれがトレーナーの担当するシンザン君、確かに良い眼をしてるわね」

「いつもはヤル気無さそうな面なんだけどな、今日は本気みたいで何よりだ」

 

 スタンドの最上階、トレーニングコースを一望できる場所に(トレーナー)はいた。ここならウマ娘達のレース振りが手に取るようにわかるし、タイム測定も楽に行える。といっても、普段は絶対に入れない特別な場所だから、隣にいるウマ娘に頼まなきゃ入れなかったんだけど。

 

「噂は聞いてるよ、かなり手を焼いてるようね」

「ま、出会って間もない頃のアンタ程じゃ無いがな」

「ハハハ、そんな時期もあったわね。あー懐かしい懐かしい」

 

 眼を細めて老人の如く昔を懐かしむ彼女は何を隠そう、このトレセン学園の生徒会長を勤めるウマ娘・セントライト会長だ。

 俺は模擬レースの視察に訪れる予定だった彼女に頼み込んで『昔のよしみ』ってことで特別に同伴させて貰っていた。

 

「それにしても、トレーナーが突然生徒会室へ顔を出したから驚いたよ。私が生徒会長になってから避けてるように感じていたからね」

「避けてるっていうか、アンタが生徒会長になって忙しそうだったから距離を置いただけだよ」

「ハハハ、それを『避けてる』って言うのよトレーナー。寂しいからもっと生徒会室に遊びに来てくれて良いんだよ?」

「やだ、俺には遊んでる暇なんて無いからな」

「なんなら、日課の早朝散歩に付き合ってくれても良いんだし」

「朝の三時に起きて登校まで散歩するアレに付き合えって? 寝言は寝てから言いなさい」

「ハハハ……つれないなぁもう」

 

 セントライトのサラリと澄んだ黒髪が風で揺れる。

 前と変わらない髪型にお日様のような香り、中身も含めて何も変わってないな、本当に。

 

「さて、ここで結果を出せるかしらね、あの娘は」

「ダメならその程度、その時は来年に向けてみっちりトレーニングするだけだ」

「ハハハ、匙を投げるって選択肢が無いとか、よっぽどシンザンって娘に惚れてるのね」

「当たり前だ、アレはアンタ以上の素質がある。他のトレーナーに奪われてたまるか」

「その言葉は私も聞きたかったけどなー、妬けちゃうなー」

 

 会長がプーと頬を膨らませる。

 

「でも、今回ばかりは相手が悪いんじゃないかしらね」

「だな、久々のレースが吉とでるか凶とでるか。アンタはよく『あの娘』の出走を許可したもんだが」

「彼女が「どうしても」って言うから仕方なく、ね。怪我明けだから無茶しないと良いんだけど……ちゃんと約束は守ってあげてね」

「わかってる、勝ったらちゃと面倒見るさ。昔みたくな」

 

 なんて他愛もない会話をしていると、下では枠順が決まったのかスタートラインにウマ娘が並び始めた。

 シンザンは大外枠、緑帽子は最内の絶好枠だ。

 

「さぁ、『足並み』拝見、ね」

 

 セントライトが笑むと同時に、スターターによって模擬レース開始の合図が鳴らされた。

 

 

 

「うげぇ……一番大外かよ……最悪だ」

 

 差し出された箱から(クジ)を一枚引くと『24』と記されていた。今回のレースは二十四人立て、レースは距離ロスの少ない内ラチが有利とされ、外枠はロスの多い終始外を回されやすい。

 だが、私は一番不利の大きい大外枠からの発走となってしまった。

 

「ワタクシは10番、可もなく不可もなくといったところですわ」

「で、気になる緑帽子は最内枠……これってイカサマなんじゃないのか?」

「運も実力の内ですわ、それに本当に強いウマ娘は枠なんて関係ないのではなくて?」

「うぐっ、まぁその通りなんだけど……」

 

 ぐうの音も出ない正論、ウメに言いくるめられるとは不覚だ。

 まぁ、決まったものは仕方ない、私のレーススタイル的に内枠の方が良かったが、大外からでも十分勝機はある。

 

『枠が決まりましたので、ウマ娘は其々のスタートラインに並んでください』

 

「精々ワタクシの走る邪魔をしないでくださいね、シンザン」

「その言葉、そっくりそのまま返してやるよ」

 

 話はそれだけ、私もウメも無言でスタートラインに立つ。

 大丈夫、この五戦で同期メンバーの走りは頭に入ってる、私の脚なら余裕で差せるはずだ。

 

『位置について』

 

 勝負は1コーナー、レースが始まれば良いポジションを取るべく全員が内ラチに殺到するだろう、これだけ大勢だと前目のポジションを取らなければ掲示板はあれど一着は難しい。

 

『よーい……』

 

 だから、無理矢理にでも先手を取って有利な位置で直線を迎える。

 

『ドンッ!!』

 

 と、皆は思ってるだろうから、私はその逆を突くだけだ。

 

 

 

「あれ、あの娘(シンザン)いきなり出遅れた?」

 

 スタートと直後、最内枠の緑帽子の娘が抜群のスタートでハナに立ち、好スタートを決めた二十二名が一塊で内ラチに凝縮、ただ一人、シンザンだけが僅かに出遅れた。

 差は余りないが、1コーナーに入るまでに内ラチ沿いは完全に塞がれ、シンザンは前回と同じように最後方を追走して勝負の1コーナーを曲がっていった。

 その光景を真上から観戦するセントライトが顔をしかめる。

 

「のっけから厳しい展開ね、これはシンザン君もお手上げかしら?」

「いや、逆だな」

「逆?」

「そう、逆だよ」

 

 端から見ればタイミングが合わず出遅れたようなシンザンのスタート、けれど、俺にはそう見えなかった。

 

「出遅れた後の対処がスムーズだった。これはあえて出遅れて後ろから最内を取りに行ったとみて間違いない」

「良いポジションより距離ロスを減らす方を選んだってことかしら? かなりのギャンブラーね、あの娘」

「無駄に走るのが嫌いな奴だからな、だから練習も真面目にやらないんだ」

「ハハハ、難儀な性格ね」

 

 シンザンと出会って半年弱、今まで彼女を指導してきて性格とかレーススタイルがようやっと理解出来てきた。

 いつもヤル気が無くてすぐにサボって、面倒くさがりで不真面目で、熱し難くて冷め易くて、でもトゥインクルシリーズにかける情熱は人一倍あって、何より天性のレースセンスを持つウマ娘、それがシンザンっていうウマ娘なのだ。

 

「今日はいつになく本気だ、これは面白いものが見れそうだぞ」

「そうね、シンザン君も、彼女(緑帽子)も、ね」

 

 先頭は変わらず緑帽子の娘、その真後ろに差がなく二番手以降が続き、依然最後方はシンザンという態勢。

 一団は2コーナーを通過、レースは中盤に差し掛かっていた。

 

 

 

(スリップストリームだっけ、本当に引っ張られてるみたいだ)

 

 前を走るウマ娘達を風避けにしながら、私は内ラチピッタリに最後方を追走していた。

 2コーナーを曲がって向こう正面、先頭までは六、七馬身といったところか。先頭を走ってるのは例の緑帽子でペースはかなり速い、ウメは先頭集団に取りつき、想像してた以上に固まった隊列になっている、最後方を進む私からすれば理想的過ぎる展開だ。

 

(まだ出ちゃダメ、千メートルまで脚を溜める)

 

 私より前にいるウマ娘は1コーナーの熾烈なポジション取りが終わって一息ついている。

 レース中盤の向こう正面は気が緩みやすい、特に序盤の熾烈なポジション争いを繰り広げた後なら尚のこと、更に入学早々の授業で『レース中の息の入れ方』をこれでもかと言うほどに叩き込まれるのだ。まだデビューすらしていない私達なら無意識にそれを実践してしまう。

 

(ここを、狙う!!)

 

 『10』と表示されたハロン棒が過ぎた瞬間、私は進路を外側に向けた。

 ロングスパート、大外から一気に捲って4コーナーで先頭に躍り出る。

 多分、このグラウンドに集まった人全員が『直線でバテる』と鼻で嗤うだろう。過去五回の模擬レースで全て最下位だった奴が最後の最後で乾坤一擲の賭けに出た、と。

 

(でも大丈夫、私の脚は必ずゴールまで持つ、絶対にな)

 

 前の数人を軽く抜き去り、先頭を目指して大外一気に突き進む。やはりみんなの反応が鈍い、3コーナーに入る頃には先段まで押し上げ、先頭の緑帽子も目と鼻の先になった。

 

「あと、少しっっ!」

「行かせませんわよ、シンザンっ!!」

 

 ガンッ! と、二番手に出たウメが私と身体を合わせた。

 三、四コーナーの中間点、間もなく六百メートルの標識をきる。

 

「貴方にはだけは絶対に負けませんわっ!」

「こっちこそ、今日だけは負けられないんだよっ!!」

 

 ウメと私、身体をぶつけ合いながらコーナーを回る。

 私のロングスパートが引き金になったのか、後続も速めにスパートを開始していた。スタンドの時計に目をやれば千メートルの通過タイムは57秒のハイペース、私の狙い通り、このレースを消耗戦に持ち込んでやったぞ。

 

(最後の直線──まだ、私は走れる)

 

 四コーナーを回って直線コース。

 緑帽子との距離も縮まり、少し加速すれば追い越せる位置についた。本当なら四角で先頭に立つ予定だったのに、意外と緑帽子が粘りやがる。

 

「っ……!?」

 

 負けじと並ぶウメの脚色が衰えた、そりゃあこのハイペースを前目で追走、息を入れられないまま私と同じタイミングでスパートすればバテるに決まってるよな。

 

「お先に失礼、ウメ!」

「ま、待ちなさい、シンザン!!」

 

 私はウメを引き剥がすように加速した。

 後三百メートル、後ろから伸びてくるウマ娘は皆無。このまま緑帽子を捉えて突き放してやる。

 

「あの娘、模擬レース三勝のウメノチカラに競り勝ったぞ!」

「なんだあの娘! 一体誰だ!?」

「ちょっと待ってくれ、今調べるから!」

 

 風と共に過ぎ去るスタンドから戸惑いの声が聞こえる、有力視されていたウマ娘が全く伸びず、無名ウマ娘が最後方から追い上げ先頭に立とうとしているのだ。驚くなって言う方が無理だろう。

 

(よし、捉えた!)

 

 粘りに粘る緑帽子に並びかけたところで私は勝利を確信した。

 ウメはこの緑帽子を上級生の審査員だとか予測してたが、下級生相手にこのペースで飛ばすなんて自爆も良いところ、私の力を甘くみすきだったな。

 

「まさか追い付かれるなんて思いませんでした」

 

 唐突に、真横で並走する緑帽子が呟いた。

 

「久々のレースで勘が鈍ってたみたいです、このレースは絶対に勝たないといけないんですが……」

「私も負けるわけにはいかないんで、一着は貰いますから」

「困りました、お医者様には全力を出すなと言われてましたのに……」

 

 負け惜しみかと思った矢先、緑帽子は私の予想に反して涼しい顔で笑っていた。

 

「少しくらい全力を出しても──良いですよね?」

「────なっ!?」

 

 それは刹那の出来事だった。

 後少しで追い越せた緑帽子の背中が、一貫歩で手がギリギリ届く距離に、二貫歩目には夕日で伸びた彼女の影すら踏めぬ所まで差をつけられてしまったのだ。

 

「行かせるかっ!!」

 

 緑帽子に負けじとラストスパートをかける。所詮は最後の足掻き、私にはまだ余力がある──はずなのに。

 

「くっ…………!」

 

 ゴールまで二百メートル、私は歯を食い縛り、深く瞼を閉じた。

 私の作戦は完璧だった。

 スタートも、レース運びも、スパートのタイミングまで間違いは無かったはず、現に同期の奴等はバテバテ、誰も余力が残ってないはずなのに。

 

(なんで………なんでっ!!)

 

 駆けども駆けども、緑帽子との差は詰まるどころか一方的に離されていく。まるで永遠に追い付けないかの如く、無慈悲なまでに私との力量の差を見せつけられていく。

 

「ちく……しょう……」

 

 残り百メートル、その背は遥か彼方。最早追いかける気力も失っていた。

 

「ちくしょうぉ…………!!」

 

 最後は流した緑帽子が悠々ゴール版を過ぎ、その五馬身後ろで私は悔し涙を浮かべた。

 

 

 

 結果は二着入選。同期の中では最先着、レース内容も申し分なく、デビュー前の模擬レースならば上々なデキだ。

 それでも、先行勢に不利なハイペースで最後方から追い上げた私と、その不利なペースを自ら作り、終始先頭で逃げ切った緑帽子との五馬身差はあまりにも大きすぎた。

 

「アイツは……?」

 

 レース後、朧気な視界で辺りを見渡してみたがグラウンドに緑帽子の姿は無かった。結局アイツが何者なのか分からぬまま一人うちひしがれる。

 この敗北で私のデビューも無くなってしまったのだ、と。

 

「やりますわね……見直しましたわよ、シンザン」

 

 呼吸を荒らげる私の元に三着のウメが寄ってきた。互いの健闘を称えるかのようにウメが私に手を伸ばす。

 

「今日は負けてしまいましたが、次はこうはいきませんわ──」

「悪いウメ、ちょっと一人にしてくれ」

「え……あ……シ、シンザン……?」

「クソッ…………!」

「ちょ、ちょっと、シンザン……!?」

 

 私はウメからの握手を無視して、足早にグラウンドを後にした。

 生まれて初めてだ。同期からの握手を無下にする程に余裕が無くなったのは。

 生まれて初めてだ。レースに負けてこんなに悔しいと思ったことは。

 



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チーム『リギル』

 

「負けちゃったね、シンザン君」

 

 セントライトが手摺に凭れつつ囁き、

 

「あぁ、負けちまったな、アイツ」

 

 俺も彼女と同様に頷いた。

 

 模擬レースの全過程が終了、日もすっかり落ち、照明を頼りにグラウンド整備に追われるウマ娘達を下に見ながら、俺とセントライトはシンザンのレースを振り返っていた。スタート時の仕掛けといい脚を溜めるポジション取りといい、他のウマ娘を出し抜いたスパートのタイミングといい、直線に入るまでは彼女の独壇場、完璧なレース展開だった。

 なのになぜ負けてしまったのか、俺達二人の答えは出揃っている。

 

「ホント新人だろうが容赦ないよな、お前さんは」

「申し訳ありません、彼女が予想以上に良い走りだったのでつい熱くなってしまいました」

「はぁ~、新人の模擬レースだから本気は出さないし出せない、とは何だったのかしらね?」

「あははは……」

 

 俺達の一歩後ろで、シンザンと同じレースに出た緑帽子が照れ笑いを浮かべた。

 

「どうしてもトレーナーさんに指導して貰いたくて、つい本気を出しちゃいました」

「まったく、先週退院してばかりたっていうのに……その調子だとまた入院する羽目になるぞ」

「そうならないように今度はしっかり私を指導してください、トレーナーさん??」

「…………ったく、やりづらいなぁ」

「というか、トレーナーは本当にミノルの指導をする気なの?」

「ま、約束だし仕方ないよな」

「ふふふ、ありがとうございます、トレーナーさん」

 

 緑帽子が深々と頭を下げた後、俺に無垢な笑顔を向けた。この笑顔の前では怒りたくても怒気が失せてしまうから、昔から彼女を指導するのは苦手だ。

 

「てことはつまり、チーム『リギル』復活ってことかしら?」

「そうなるな、スゲー不本意だけど」

「そっかぁ……もっと早く復活してくれたらリギルに戻れたのに……残念」

 

 そういってセントライトが肩を竦めた。

 俺がかつて立ち上げたチームリギル、まさかこんな形で再結成することになろうとは……世の中何が起きるか分からないものだな。

 

「うーん、クリフジさんも誘えばチームに戻ってきてくれるでしょうか?」

「クリは私と同じチームだからダーメ、うちの副将を誘惑しないでね」

「そうですか、なら私とシンザンさんだけですね」

「むしろ二人で十分だよ、俺は不器用だから指導人数が多いと混乱しちまうからな」

 

 ぶっちゃけ、シンザンだけでも手一杯なのに大勢を見れる気がしない、リギル再結成だって比較的素直なコイツ(緑帽子)だからこそ受け入れたようなものだ。それに、今の俺にかつてのメンバーを指導する資格なんて無いからな。

 

「さて、んじゃシンザンにその事を伝えないとだな」

「トレーナーさん、シンザンさんとはちゃんと挨拶もしてませんから私もお供してもよろしいですか?」

「ん? 別に構わないがお供しなくても今日中に会えると思うぞ?」

「あー、そう言われればそうだね」

「………………え? それはどういう意味ですか??」

「フッフッフー、それは着いてからのお楽しみだよ」

 

 キョトンとする緑帽子に対し、俺とセントライトは揃って勿体ぶった微笑みを彼女に向けた。

 

 

 

「ちくしょう……チクショウ……っ!!」

 

 私は学校周辺のウマ娘専用のランニングコースを全速力で駆けていた。お世辞にも上品とは言えない言葉を吐き捨て、街灯に照らされた青い道(ランニングコース)をもう何十周もしている。

 

「ハァ……ハァ……ッ!」

 

 校門の前で立ち止まり、したたる汗を拭いもせず息を整える。

 嫌なことがあると無性に走りたくなるのは頭が空になるからなんだな。おかげでさっきまで脳内を支配していた敗北感や虚無感は失われ、考える気も起きなくなった。

 

「ハァ…………もう……走るのはやめよう」

 

 私はボトルの水を飲みながらまっすぐ帰路についた。帰路といっても私は寮暮らし、学園の敷地に入ってものの数分で到着だ。

 

(相変わらず崩れそうな家だ)

 

 良く言えば『趣のある』、悪く言えば『オンボロ』な年季の入ったアパートが私の住む学園寮だ。

 近々全寮制になるらしく、この近くに最新式のアパートを二棟建てる計画ようなので、新しい寮の相部屋に放り込まれる前に一人部屋がある古い寮を借りてやった。

 内装は色々と古めかしいけど、他人と生活するくらいならマシだ。

 

「はぁ……今日は一段と疲れた……特に模擬レースが……ハッ!」

 

 おっとヤバいヤバい、油断するとまた模擬レースのことを考えちまう、さっさとシャワーを浴びてパジャマに着替えて眠りにつこう、朝までぐっすり寝れば模擬レースのことを忘れられるはずだから。

 

「ただいま我が家~、元気にしてたかマツカゼ~?」

 

 普段通り、部屋で待たせている愛用のマツカゼ(縫いぐるみ)に帰りを告げると、

 

「お、やっと帰ってきたか。こんな夜遅くまで何処ほっつき歩いてたんだ?」

「あの、お邪魔しています……」

 

 部屋を物色する男女の姿が目に飛び込んできた。

 いや、物色しているのは男で、女のほうは呆れ気味に隅で佇んでいるだけだが、どちらの人物も見覚えがありすぎて困る。

 

「…………と、とととととトレーナー!? 私の部屋で何をして!」

「何って、ずっとお前を待ってたんだよ、その間に面白い物が無いか調査をしてただけだ」

「私は何度も止めたのですが……すみません、シンザンさん」

「って、なんでここにアンタがいるんだよ!?」

 

 トレーナーと模擬レースで私をちぎった緑帽子が私の部屋に、呆気に取られて上手く言葉が紡げない。そんな私にトレーナーがマツカゼを持って一言。

 

「ドウシタノ、シンザン? イヤナコトデモアッッ」

「人の縫いぐるみで遊ぶんじゃなぁああああいいいっ!!」

「ぐえぇええ! や、やめろシンザン! 人様の前で暴力はイカンぞ!」

「うるさいっ! 教え子の私物を勝手に漁って、この変態っっっ!」

「ガハッ……良いトモの張り、良い蹴りだっ……た……」

 

 私の回転蹴りがトレーナーの顔面にクリーンヒット、鼻血を出して床に沈んだ。最後まで変態みたいな台詞を吐きやがって、ゴミらしい無様な最後だ。

 

「大丈夫ですか!? トレーナーさん!」

「そのくらいでトレーナーは死なないよ。それより、何でアンタがここに居るんですか、てかアンタは誰ですか??」

「え、あぁ、自己紹介がまだでしたね」

 

 緑帽子を外した彼女は胸に帽子を当て、微笑んだ。

 

「私は『トキノミノル』と申します、今日からこの部屋に住むことになりました」

「なん…………だと…………?」

 

 全身に電撃が走るとはまさにこの事、私はすぐさまトレーナーの胸ぐらを掴んだ。まさかそんな、あり得ないだろ、こんなの!

 

「起きろっ! トレーナー!!」

「…………むぅ、まだクラクラする……なんだよシンザン……?」

「彼女が言ったことは本当なのか!? 答えてくれよ!!」

「え、あぁ、彼女の名を聞いたのか。まさしく、彼女はあのトキノミノルさ、だからお前が模擬レースで負けるのは必然──」

「違うっ! 私が聞きたいのは──」

 

 すっと息を吸い、大声に変えてトレーナーにぶつける。

 

「私はこの人と生活するのか!? 何のために一人部屋を借りたと思ってるんだ!!」

「あぁ……そっちね、もう部屋の申請は受理されたから、悪いが諦めてくれ」

「そん……な……」

 

 ガクッと膝から崩れ落ちた。

 わざわざこのオンボロな部屋を借りた私の苦労は一体、今までの気兼ねのない自由な生活が遠ざかっていく……。

 

「えーと、お邪魔なら別の部屋に移りますが」

「気にするなミノル、コイツが我慢すればいいだけの話だ」

「ぐぬぬ、部屋の住人を差し置いて勝手に決めて、大体こんな時間に何の用だよ!」

「そう騒ぐな、今から説明すっから」

 

 そう、トレーナーがダルそうに咳払いをする。

 こういう前振りをする時のトレーナーって話長いんだよな、あーあれか、今日の模擬レースの反省会と私のデビューの件……ま、ここにあの緑帽子がいるってことはそういうことだろう。

 

「話ってのは三つ、俺はミノルのトレーナーになった」

 

 あぁやっぱり、薄々そんな気はしてた。

 いつもサボってばっかで練習も真面目に走らない私より、速くて凄いウマ娘を指導するに決まってる。あの時の口説き文句は嘘なんだって、堂々と要らない子発言されると悲しみより怒りが湧いてくる。

 

「二つ目、今日から俺はチームを結成する。名前は『リギル』、メンバーはシンザンとミノルの二人だけだ」

「………………は? ちーむ??」

「はい! 一緒に切磋琢磨、頑張っていきましょうね? シンザンさん!」

 

 と、暗い影を落とした矢先、私は耳を疑った。

 何を言ってるんだ? 私、トレーナーに捨てられたんじゃないのか??

 

「その顔は「私、トレーナーに捨てられたんじゃ?」って顔だな? フッフッフ、可愛い奴め」

「バッ! 違うよ!! 勝手に変な想像するな!!!」

 

 べ、別にトレーナーに見捨てられなかったから嬉しいとかじゃなくて、トレーナーの分際で私の心を読んだのが気に食わないだけだ、勘違いして欲しくない!

 

「ふふふ、二人はとても仲が良いんですね」

「何処がっ! この変態でクズな犯罪者と仲良くなんて無いから!!」

「犯罪者って……トレーナーに何て言いぐさだよ」

 

 このやり取りで仲良く見えるって、このトキノミノルって人、もしかして凄い天然なんじゃないか。

 

「そして、最後の三つ目だが」

 

 勿体ぶるかのようにトレーナーがポケットから紙を取り出し、私の眼前に突き出した。その内容は──

 

「シンザンのデビュー戦が決まった、場所は京都レース場で距離は芝1200だ、頑張れよ」

「さっそくデビュー戦ですか、頑張ってくださいね!」

 

 その時、私はトレーナーが何を言ってるのか理解できなかった。

 今日はなんだろう、色んな事がいっぺんに起きすぎて頭がパンクしそうな日だ。

 

「デビュー戦……? なんで、模擬レースで負けたのに……??」

「俺は『結果を出せ』とは言ったが、勝てとは言ってないだろ?」

 

 トレーナーの計ったような笑みに、私は反応できなかった。

 時間が一度止まり、ゆっくり動き出すような感覚。

 なら、本当に私はデビュー出来るの? あの夢にまで見た大舞台の上に、私は立てるのか?? 

 

「たてえ負けようがミノルに次ぐ二着なら充分な結果。それにタイムも──」

 

「やっっっったぁぁぁぁああああーーーッッッ!!!!!」

 

 今が真夜中で、ここが学園寮だろうが関係ない。嬉しさが大声となり自然と爆発した。当たり前さ、誰だって夢が叶った瞬間はガッツポーズしたり、笑いたくなるだろ? 私は大声で喜びを表しただけに過ぎないのだから。

 

「静かにしろシンザン! 他のウマ娘の迷惑になるだろっ!?」

「ありがとうトレーナー! 私、絶対勝つからさ、期待してくれよ!」

「わかった! わかったから静かに喜べ、なっ!?」

「ふふふ、やっぱり、二人は仲が良いですね」

 

 トレーナーの制止に構わず、私はひたすら大喜びではしゃぐ。

 今日一日でこんなに悔しい思いをして、こんなに嬉しい気持ちになったのは、生まれて初めてだ。

 



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