アクセル・ワールド ――もうひとつの世界―― (のみぞー)
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プロローグ もうひとつの世界へ

 

 

 これは夢だ! 悪い夢に違いない!

 

 花沢 マサトはその場にうずくまり、目をつむり、耳をふさぎながら必死にこの状況を否定していた。

 

 

 ――だって、ボクが憧れている『外の世界』はもっと綺麗なはずなんだ。

 

 地面はゴミで溢れかえり、建物の壁面には野蛮で卑猥な落書きが書き殴られている。超高層ビルがまるで竹林のように乱立し、マサトの好きな空を覆い隠していた。

 

 ――違う違う違う! だってボクが夢見る『外の世界』はもっと優しいはずなんだ!

 

 マサトの周りにいる大人たちは彼を見て笑っている。お父さんが言う、お前は役立たずだと。お母さんが言う、どうしてまだ生きているのかと……誰も彼もがマサトを攻め立て、やがて彼らは有象無象の影へと形を変えていった。

 

 ――嫌だ嫌だ嫌だ! だってボクが『外の世界』に行ったなら、ボクはもっと強くなってるはずなんだ!!

 

 マサトがいくら目をつむっていても見えてしまうあばら骨の浮かぶ体は弱々しく、耳をふさぐ両の手は細くて今にも折れてしまいそう。

 マサトは自分の体が嫌いだった。いつか外を思いっきり走り回るのが夢だった。

 

 マサトは必死に否定する。これは夢だと、現実じゃないと。

 しかし、周りの人影たちは彼のもがく姿を見てさらに彼をあざ笑う。その情けない姿は滑稽だと、無様にすぎないと……。

 

 クスクス。ニヤニヤ。グフグフ。ゲヘヘ

 

 ――うるさいうるさい! ぶっ飛ばしてやる! ボクは強くなるんだ、負けないんだ! おまえ達なんかまるで気にしない、あの物語に出てきた強くて、カッコいいあの生き物のように!

 

 マサトが先日読んだ絵本に登場する生き物の姿を想像したその時、絶え間なく聞こえていた笑い声がピタリと止まる。

 急に静かになった世界でマサトが恐る恐る顔を上げていくと、人影たちはみんな何かに怯え、ひとつの方向を(うかが)い見ているようだった。

 

 彼らは何を見ているのか、マサトがビル群に挟まれた道の先に目を向けたとき、雷鳴のような獣の雄叫びがビリビリとマサトの体を打ちつけた。

 

 そして見た。

 

 立ち並ぶ周りのビルよりも大きな体。

 その体は輝く鱗に覆われ、その傷ひとつない滑らかな鱗は鏡のように周りの景色を映しだしていた。

 

 竜だ……銀色に光る強大な竜だった。

 

 竜はビルを丸々飲み込めそうな大きなアギトを開き、再び天に向かって雄々しく吼え始めた。

 その咆哮にマサトの周りにいた影たちは恐れ(おのの)き、マサトを置いて逃げ出していく。

 マサトはその場から一歩も動けずにいた。

 恐怖で足がすくんでいたから? いや、違う。

 マサトはその竜の偉大な姿に感動していたのだ。

 

 ――ボクも……ボクもいつかあんなふうに強く、カッコよくなりたい。

 

 そう、竜に誓ったとき今まで天に向け声を上げていた竜が頭を下げマサトのほうに向けてくるではないか。

 竜とマサトの距離はだいぶ離れていたが、マサトは竜と目があったことを確信していた。

 鈍く光る力強い両の眼でマサトを覗き込んだまま、竜が口を開く。

 

 

『――それが貴様の望みか』

 

 

 

 

 

 マサトはハッと、目を開ける。

 寝起きのぼんやりとした視界に移るのはいつも通りの真っ白な天井。

 

 ――夢……

 

 マサトはひどく安堵した気持ちになった。

 ああいう夢は昔から何度か繰り返し見てきた……でも決して見慣れることのない悪夢のひとつ。

 あの類の夢を見た日はひどく憂鬱な気分になり、その日一日決してよいことが起きない最悪の日の前兆でもあるんだと、今までの経験からマサトは知っていた。

 

 ――でも……最後はすこし変わっていたような……

 

 今までは果てのない笑い声に苛まれながら目が覚めるのを待つことしか出来なかった。それなのに、今回は“誰か”が助けてくれた気がする……うまく思い出せないけれど……。そう、その証拠にいつもより体が軽い。

 もしかしたらなにかの吉兆かも知れないなと、マサトは憂鬱な気分からすこし気持ちを持ち直した。

 

 

 マサトが真っ白なベッドの上でゴロゴロと眠気を覚ましていると部屋の入り口が数回ノック音。続けて「失礼します」と、ひとりの看護婦が病室のドアを開けて入ってくる。

 

 そう、マサトは病人で、物心ついた頃から病院から外に出たことのない……変な言い方だが、生粋の患者であったのだ。

 

「おはようマサトくん。朝の調子はどうかな?」

 

 病室に入ってきた看護婦が優しくマサトに体調を尋ねる。

 しかしマサトにとってそれは毎朝繰り返されるただの定型文であり“おかげさまで”や“お疲れ様でした”などと変わらないただの挨拶のひとつに過ぎなかった。

 

「おはようございます看護婦さん。体調は“いつも通りです”」

 

 なのでマサトも毎朝変わらない挨拶を返すだけだった。

 そう、いつも通り。よくもなく、悪くもない。

 マサトの体はどこが悪いのか自分ではわからない。知っていることといえば、体に筋肉が極端に付きにくいこと、これ以上良くも悪くもならないだろうということ、生きるか死ぬかの瀬戸際とは縁がない病気なのだろうということ……コレくらいだ。他の事はお医者さんと両親が知っていればいいことだと思っている。

 

 逆にわからないことならいっぱいあった。この病室から見える景色以外の『外の世界』の大半のこと、友達と遊ぶことの楽しさ、学校のメンドクサさ、なぜ両親は週に一回しかこの病室に来てくれないのか…………。

 

 ――やめよう……

 

 マサトは気分が沈みそうになる考えをやめ――こんなことを考えるなんてこれもあの夢のせいだ――、代わりに昨日から楽しみにしていたもののことを考えることにした。

 

「ねえねえ看護婦さん。もうネットワークのメンテナンスは終わったの? もうニューロリンカー、接続してもいい?」

 

 

―― ニューロリンカー ――

 今や国民の一人ひとりがその首元に装着しているそれは人々の生活に必要不可欠なものとなっている。

 量子ネットワークにより超高速無線通信を脳とニューロリンカー間で直接行なうことによってバーチャルリアリティ(VR)つまり仮想現実への即時移動を可能とし、現実においてもメール、電話などの基本的なことから視覚や聴覚の補助などの拡張現実(AR)まで行なうことができる万能端末だ。

 

 

 

 暇な入院時間の大半をネットのゲームやコミュニティに費やしてきたマサトにとってそれを使えなかった時間というのは文字通りオモチャを取られてしまったように、なんの面白みのない退屈な時間でしかなかった。

 

 しかし、先週マサトの担当になったばかりのこの看護婦がいうには昨日は病院で使っているサーバーをチェックするため1日中グローバルネットが使えなくなり、さらにニューロリンカーの通信がサーバーのメンテナンスに悪影響を及ぼす可能性もあるのでニューロリンカーの電源は切っておくようにとのお達しがあったのだ。

 

 現在6歳で“そういうこと”に疎いマサトはその言葉を鵜呑みにし、言いつけどおり昨日は1日中ニューロリンカーの電源を切っていたのであった。

 

「ごめんね~。でも私が貸してあげた絵本も面白かったでしょう?」

「うん! あのねあのね! この本が面白かった!」

 

 看護婦が暇なマサトのためにと持ってきてくれた数冊の絵本。その中でマサトが1冊だけ抜き取ったのは可愛いお姫様と大きな竜が表紙に書かれている絵本だった。

 その本の内容は……

 “とある深い森のなかで迷ってしまったお姫様が出会った一匹の竜、心優しき竜はお姫様をお城まで送ってあげたのだが竜のことを大層気に入ったお姫様はみんなのとめる声を無視して何度も何度も森へ入り竜の元へと訪れる。

 最初はお姫様が心配で森へ来るなと言っていた竜だったが、段々とお姫様と会うことが楽しみになっていく。

 そんな折、隣の国の王様がお姫様のいる国へと戦争を仕掛けてきてしまう。のどかで平和な国だったお姫様の国は隣国にどんどんと攻め込まれてしまっていた。

 もう会えないかもしれないと泣き叫ぶお姫様に竜は立ち上がり、その体1つで隣国を攻め立ていく。やがて隣の国は降参し、お姫様と竜は末永く会うことが出来ましたとさ。”

 

 というものだった。ただでさえ紙媒体の絵本は珍しいというのに、こんな過激な内容の本は通常なら一定の年齢からしか読めないようにレーベルがかかっているか、倫理機構の手によってもう発禁になっているはずだ。おそらくこの絵本は病院が取り寄せたものではなく、この看護婦の私物に違いない。

 マサトはいつもみんなで仲良く輪になって踊るような内容の本、それも電子書籍のものしか読んだことがなかったので、この手に汗握る熱い展開の本を大層気に入ってしまったのである。

 

「そう、やっぱり男の子ですものね? こういうお話が好きなんでしょう?」

「うん!」

「よかった。マサトくんいっつも窓の外を見てるからきっと外の世界へ冒険に行きたいんだと思って……みんなに内緒で持って来たのよ」

 

 マサトはその言葉を聞いて自分の中では隠し切っていると思っていた心の中の感情を目の前の彼女にアッサリと見抜かれてしまっていたことに驚いてしまった。

 こんな弱々しい体でも補助台を使えば歩くことくらいは出来る。しかし、まえに病院を探検と名付けた散歩をした時にマサトは体の限界を見誤り、その途中で倒れてしまったことがあった。

 そのことで両親からたっぷり怒られてしまい、それ以降マサトは誰にも心配かけないように、と病室から一歩も外に出ることがなくなってしまったのだ。

 だけど、窓の外から見える外の景色は飽きる間もないほど色んな形に姿を変えて見せてくれたし、外を歩く人たちはそのなかを楽しそうに歩いている。それらを見るたびにマサトの『外の世界』への憧れは消えるどころか膨らむ一方になってしまっていくだった。

 

「じゃあこの絵本、マサトくんにあげるわ」

「えっ?」

 

 マサトの表情から何を読み取ったのか、看護婦さんは優しい笑顔でマサトが手に持っていた絵本を彼の胸に押し付けてくれた。

 

「でもみんなには内緒よ? 見つかったら私も怒られちゃうから」

 

 まるでいたずらっ子のように微笑む看護婦。その笑顔に数瞬見惚れながらマサトは元気に返事を返すのだった。

 

 

 

「それじゃあ、お昼にまた来るけど何かあったら呼んでね?

 あ、そうそうニューロリンカーの電源はもう点けてもいいわよ。それじゃあね、バイバイ」

 

 手を振り病室を出て行く看護婦を見送ったあと、マサトは胸に抱いていた新しい宝物をベット脇にある戸棚の奥深くにしまっておく。ネットゲームが終わったらもう一度読み直そう、と楽しみにしながら常時首につけているニューロリンカーの電源を入れるのだった。

 

 

 

 しかし、この後マサトは絵本のことをすっかり忘れてしまうことになる。

 なぜならばあの絵本の世界よりもより刺激的な『世界』を知ってしまったのだから……

 

 

 

 マサトは首の端末から脳に直接送信された……実際目の前にモニターがあるかのように網膜に映し出されるニューロリンカーの起動画面を見送ってから、ゲームアプリを詰め込んでいるフォルダを探していく。

 年配の人の中には外部入力機器(いわゆるキーボードやマウスのこと)がないというのに空中に指を這わして網膜に映ってるアイコンを操作するのが苦手な人も居るらしい。

 だが、幼少の頃からニューロリンカーを身につけているマサトにとってはまるで体の一部を動かすようにスイスイと仮想デスクトップの画面を操っていくのだった。

 しかしその途中、マサトは見慣れないアプリケーションをデスクトップ上で見つけてしまう。

 

「なんだろう……これ?」

 

 

 

《BRAIN BURST》

 

 

 

 そのアプリケーションの名前はそう表記されていた。

 これは現実世界をぶち壊し、彼ら子供たちを『もうひとつの外の世界』へと誘うチケット。

 マサトの憧れる『ここではない世界』への入り口。

 

 マサトは吸い込まれるようにそのアプリへと手を伸ばしていき、一呼吸おいたあと…………

 

 

 

  《BRAIN BURST》のアイコンをタップするのであった。

 

 

 

 




 作者設定(と、言い訳)
 
 ・マサトのニューロリンカーにいつの間にBB(ブレインバースト)がインストールされていること。
 ご都合主義の一つです。スイマセン。

 誤字、脱字、気になる点があれば報告お願いします。


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第1話 バーストリンク

 

 

 マサトがその見知らぬアイコンをタップしたとき、アイコンから勢いよく噴き出した炎が彼の体を覆いつくした。

 マサトはおもわず驚き身をすくめるが、すぐにひとつの事柄に気がつく。

 

 ――熱く、ない……

 

 そう、アイコンから噴き出る炎は現実のものではなく、ニューロリンカー越しに見える仮想のエフェクトだったのだ。

 そうとわかればこれから何が起きるのか少しは冷静に見れるかもしれない。しかしそこでマサトは母親からの言葉をふいに思い出す。

 ――不用意に見知らぬアイコンをタップしてはいけません。もしかしたらそれはウイルスで、マサトの大事なゲームのデータを消してしまうかもしれませんよ――

 もしかしてコレが!? 若干涙目になりながら慌てふためくマサトをよそに衰え知らずに燃え盛る炎のエフェクトはどんどんと次の段階へと進んでいく。

 マサトの周りを暴れ、うねっていた炎は徐々に彼の目前に集まりだしひとつの文章をかたどるのだった。

 

 《 WELCOME TO

   THE ACCELERATED WORLD 》

 

 ――うえるかむ……とぅー…………読めない……

 

 最初の英語はよくゲームの最初に登場するので教えてもらったことがあるので知っていた。

 ようこそ! と、歓迎している言葉らしい。

 しかし、その後に続く言葉の意味がわからない。このままずっと表示していてくれるのならば翻訳ツールを使って一生懸命訳すのだが……このソフトのインターフェイスはそんなに優しくないらしい。

 空中に浮かぶ文字はすぐに消え、マサトの前に先ほどのものとは異なるが、再び長々と英文が書かれたウインドウが現れる。

 

 いくら四六時中ネットに籠もっているマサトでもやっているゲームは全部日本製だし、全て子供向けのものなのでマサトにとってこんな難しい英語の羅列は宇宙の遥か彼方に存在するかもしれない宇宙人の言葉にも等しかった。

 

 しかし、一応歓迎されている? ことからウイルスの類ではないと考えたマサトは好奇心の赴くままにウインドウをスクロールしていく。

 所々知っている単語を読み解いていくと、《Attack》《HP》《Win!》《Point》などとゲームでおなじみの単語がよく出てくるではないか。

 もしかして一括で他のゲームと一緒にインストールしたあと忘れていたゲームのアイコンだったのかもしれない、そう考え始めたマサトがついにウインドウの一番最後へとたどり着いた。

 

 そして、その最後に書かれているこの文だけは意味がわかった。“言え”といっているんだ。この単語をはっきりと口に出せと。

 

 いったいこの先何が起きるのか、すこしの不安もあったがそれを覆い隠すほどの興奮がそれを見えなくしてしまっていた。

 

 ――もしかしたら外国のゲームが出来るかもしれない。

 

 長い入院生活で病院から配布されている無料のゲームは飽きるほど遊んでしまったし(それでも娯楽がコレしかないから遊び続けているが……)、コミュニティで時折見る他の子供たちがズルして手に入れた銃を撃ち合うようなゲームの話はとても面白そうだった。海外のゲーム会社が出しているゲームは大抵そういった類のゲームらしい。

 そう、この最後に書かれている“魔法の言葉”を唱えるだけでそんな銃をバンバン撃つ刺激的な世界へとたどり着けるかもしれないのだ。

 

 ――い、一回くらいいいよね?

 

 もしこのゲームの周りのプレイヤーがみんな外国人でも、ボクが子供だと気付いて追い出す大人がいても、一回くらいそういうゲームでも遊んでみたい。……いいじゃないか、誰にも迷惑をかけるわけじゃないんだし。

 

 マサトはそう誰かに言い訳しながらその“魔法の言葉”をたどたどしく唱えるのだった。

 

《 BURST LINK》と。

 

 

 

 

 次の瞬間マサトの耳に届いたのはガラスが割れたような、近くで電気が走ったような甲高い音だった。その音にビックリして思わず目をつむってしまったが、次の音が聞こえないため恐る恐る目を開けてみる。

 

 するとマサトの世界は青く染まってしまっていた。

 

 天井も、壁も、花瓶も、窓の外の景色だって、全てが明るい青のペンキで塗られたような色になっている。

 ……でも、たったそれだけなのだろうか? ゲームのオープニングもなければBGMも流れない。

 結局あの英文はゲーム内容ではなくもっとほかの事を示していたのでは? ただ単にボクが勘違いしただけ? マサトは期待していた分だけより大きく気を落としてしまう。

 

 ただの視界を青く染めるだけのAR拡張アプリ、こんな景色もいつもと趣が違って綺麗だからいいのだけれど……あの興奮を返して欲しい。

 

 マサトはこのまま昼間で寝てしまおう、とショックを抱えたまま“ベッドへと入ろうとした”。

 

「えっ!?」

 

 ベッドに入り込もうとしたところで気が付いた、ベッドにはすでにもうひとりのボクがいるではないか! いや、それよりもさっきまでボクは2本の足で立っていなかったか? 補助台を使わなきゃまともに立てないくらい弱った僕の体が!? マサトは驚きそのままに自分の姿を見下ろした。

 

 その手には指がなく、ただの厚みがあるヒレがあるだけ。お腹は真っ白で真ん丸い。そのお腹の先から申し訳程度に三本の黄色いつめが突き出ている。

 手を口に持っていくとソコにあるのは2つの三角形の底辺をくっつけた様な黄色のくちばしが浮かび上がっていた。

 そこまで確認してようやくわかる。これはマサトがVR内で使っているデフォルメされたペンギンのアバターだ。

 

 つまりこの世界は現実世界ではなく、仮想世界だっていうの? こんなにもリアルなのに……。ベッドのシワまで再現されたこの世界のことをマサトは考え始めていく。

 こんな仮想世界いったい何に使うんだろうか、部屋の模様替えシミュレーション? ゲームだったらパーティーを決める前の待機場所にでも……ッ!?

 マサトはさっきのアプリがこの青い世界を見せるだけのものじゃないことに気がついた。

 

 もっと先があるんだ!

 

 ペンギンとなってしまったマサトは短い手足を必死に動かし、ベッドの脇に腰掛ける。そして再びニューロリンカーのアイコン欄を呼び出すと《ブレインバースト》のアイコンをタップした。

 

 すると開いたメニューの中に《マッチング》の文字を発見。マッチングとは同じゲームを楽しんでいるほかのプレイヤーと競ったり協力したりと一緒に遊びたいとき、そのプレイヤーを指名するため使う機能だ。

 

 マサトは迷わずその文字をタップ、すると英語表記の名前がずらりと一覧に現れた。

 おそらく今一緒に遊べるプレイヤーの名前なのだろう。ウインドウに表示される名前の数は5人、スクロールバーをタップしていくと大体20回でバーが一番下まで来たことからおおよそ100人のプレイヤーの名前がここに載っていることになる。

 

 マサトは迷いながらとあるプレイヤーの名前をタップ、その後何らかの確認画面が表示されたので――このプレイヤーと遊ぶということでいいのか? という確認だろう。それもOKをタップする。

 

 するとライトエフェクトと共に世界の形が変わっていくではないか!

 マサトのいた仮想の病室は消えてなくなり、光と共に再構築されたのはどこかの商店街。上り始めていた太陽は消え、代わりに優しい月の光が世界とマサトを包み込んでいく。空気中には何らかの粒子が浮かんでいるのか月の光を反射してキラキラと舞い踊り、とても幻想的な世界を作り出していた。

 

 そして変化していたのは世界だけではなかった。

 

 いつもより目線が高くなったマサトが地面を見下ろすと、地面に敷いてあるピカピカのタイルが反射して映し出すのはさっきまでのペンギンアバターではなく、そのタイルにも負けないくらい光り輝く銀色の人型だった。

 

 目を覆うV字型のバイザーに、額から生えた4本の角、真ん中の2本は細めで天めがけて上に鋭く突き出ており、残りの両端にある太い2本の角は大きく湾曲し彼の頭の後ろへと流れ出ていた。

 体のほうも両腕、両足は太く逞しい。しかし間接部を見るとその部分だけは細くなっており、どこかもろそうだ。胴体も胸、腹、腰と三つのパーツがつなぎ合わさって出来ているようで屈伸させると腹の部分がパーツとパーツの隙間へと沈み込んでいくような形となる。

 このようなギミックを持つおもちゃをマサトは知っていた。「超可動」と名前のつくアニメキャラの人形がこのような仕組みをしているのをネットで見たことがあるのだ。

 

 つまりボクはおもちゃ……なにかのアニメキャラクターになってしまったのか? しかしこんなの見たことがない。外国のキャラクターなんだろうか……。マサトが自分の体をぐいぐいと捻りながらどれくらい動くのか確かめていると、いつの間に接近してきたのかひとりの男の声がマサトの後ろから聞こえてきた。

 

「うおぉー! 何それ、すげーかっこいいじゃん! そんな全身ピカピカした奴見たことねーぞ!」

 

 マサトが振り向くとそこには綺麗な青い鎧を着込んだひとりの剣士がこっちを指差しながら叫んでいるところだった。

 

「キミは?」

 

 初めて出会うこのゲーム?の登場人物に疑問を投げかけるマサトだったが――

 

「お前から挑んできてそれはないだろー。オレは……えーっと、なんていったっけ……確か、ら、ぴす……そう! ラピスラズリ・スラッシャーだ!」

 

 顔を右上に向け、何かを読んでいる仕草をした後、青い剣士はそう名乗った。

 マサトも視線をそちらの方に向けると、今まで気が付いていなかったが自分の視界の上にはカウントダウンされているドラムロール、その両端から伸びる青いバー、そしてそれぞれのバーの下にある2つの名前がそこにあったのだ。

 

 ひとつには《LAPIS LAZULI SLASHER》の文字が、先ほど剣士が名乗ったラピスラズリ・スラッシャーと読めるのでコレが彼の名前なのだろう。

 するともうひとつはボクの……。マサトがもう片方の名前を見上げるとそこには……

 

 

PLATINUM(プラチナム) DRAGONEWT(ドラゴニュート)

 

 

 そう書かれていた。しかし――

 

 ――これも読めない……

 

 このアプリを起動したときと同様にマサトは見たことのない英単語を読めないのだ。

 とりあえず、自分の名前を読めるらしい青い剣士にマサトの名前を読めるかどうか聞くことにした。

 

「ねえねえ、ボクの名前なんて書いてあるかわかる?」

「ええっ!? うーんっと……ぷ、ぷらちぬ……ぷら……

 ええーっい! わかるか! そのくらい昨日のうちに調べとけよ、もう!」

 

 青い剣士もマサト同様自分の名前以外は読めないらしい、それよりも昨日調べろという言葉が気になった。

 

 昨日? なぜ昨日の内に調べられるのか、そもそもこの名前は勝手に付けられたものだし、このゲームを起動したのだって今日が初めてだ。

 そんなマサトの疑問を口に出して青い剣士、スラッシャーに伝えると、彼は「そうだったのかゴメンゴメン」と軽く謝りこの世界のことを説明してくれた。

 

「といってもオレもあんまり詳しく知らないんだけどさ。一昨日差出人不明のメールがオレの元へとやって来て、そこには新しいゲームを遊んでみませんか?って内容の文章と《BB2039》っていうアプリケーションがくっ付いてきたんだ。

 

 普通だったらそんな怪しいアプリインストールしないんだけど……最近は今までやってきたゲームに飽きてきちゃってたし、ものはためしでインストールしちゃったんだよ。付いてきたゲームをやるための説明書にはインストールしたらニューロリンカーを外さずにそのまま一晩寝てくださいって書いてあったからそのまま一晩ほっといて、昨日初めてゲームをプレイしてみたんだけどさ。これがスゲーのッ! スッゲーリアルだし色んなところぶっ壊せるし!

 

 それにオレと同じような子供たちがいっぱいいてさ、何度か色んなやつにマッチングしてみたけど大人はひとりもいなかったかな。まあ、その中の一人があの長いちんぷんかんぷんの英文を訳したみたいで、これは格ゲーだって言うんだ。

 格ゲーって知ってる? 知らないか。プレイヤー同士が殴ったり蹴ったりしながら戦って、あの上にある相手の青いゲージ……HPだな、あれを先に0にしたほうが勝ちってゲームさ!

 

 野蛮、だなんて言うなよ。男ならワクワクするもんだろ? ……そうだろ!?

 とにかく、これは格ゲーなんだ。対戦ステージは挑戦された奴のいる東京のどこかから始まる。凄いきれいでリアルだろう? このステージは比較的建物が残ってるけど他の対戦ステージは家が木になってたり岩になってたりするんだ! どれもスッゲーぞ!

 

 うーん……オレが知ってるのはコレくらいかな。とりあえずお前の技を確認してみろよ。ゲージの下の名前を触れば出てくるから……」

 

 

 通常、マサトたち小学生以下のできるゲームといったらパズルやクイズ、後は可愛い外見(キノコとか切り株みたい)のモンスターを倒していくほのぼのファンタジーしかない。なのでマサトはスラッシャーから語られた衝撃の事実、男の子なら絶対に憧れる燃えるようなゲーム内容にワクワクしながら自分の技を確かめてみた。

 

 まず一つ目、手を腰だめに構え、真っ直ぐ突き出す《PUNCH(パンチ) !》

 ……二つ目、右足を引き、そのあとそのまま前に脚を突き出す《KICK(キック) !》

 そして最後、腰をしっかり落とし、そのままお尻を相手に突き出す《TAIL(テール) ATTACK(アタック) !》 コレが必殺技である。

 

 マサトは今まで気がつかなかったがこの必殺技を見てようやく自分の尾てい骨から生える大きな尻尾の存在に気がついた。

 腰を覆うような太い根元から、先端に向かって段々細くなっていく銀色の尻尾。

 どのような原理で動いているのかわからないが、マサトに意思に従って右へ行ったり左へ行ったり。どうやらこれもマサトの体の一部として操れるらしい。

 

 それにしてももう少しカッコイイ技はなかったのだろうか……。

 スラッシャーに通常技をひとつ見せてもらうと、スラッシャーの手に持つ幅の細い諸刃の剣が、その持ち主と同様の深い蒼のエフェクトを纏いながら二閃、三閃、商店街の建物をバラバラに断ち切っていた。

 

 マサトも一応通常技の確認のため1回、2回試しに放ってみるが…………想像した以上の派手さは一切なかったといっておこう。

 

 

「さーって、時間もないし確認が終わったらぼちぼち対戦するか!」

 

 スラッシャーのその言葉にちらりと画面真ん中上方にあるドラムロールを確認ずると最初は1800秒もあったその数字はもう4桁を切ってしまっていた。

 

「うん、やろう!」

 

 これ以上確認することはなにも無い。

 マサトはスラッシャーから数歩距離を置き、万全の体制の剣士に向かって構えを取る。

 といってもこの構えは適当だ、ケンカもしたことが無ければヒーローゴッコもしたことの無いマサトにとって戦闘前の構えはただ両手の拳を握り、前に突き出すだけしか出来なった。

 

「いっくぞー!」

 

 マサトから仕掛けるつもりが無いことを感じ取るとスラッシャーは片手剣を頭上に振り上げながらマサトへと思いっきり突っ込んできた。

 

 ――速い! そして……怖い!

 

 初めて感じる相手からの攻撃の意思と、刃物が当たった時の痛みをつい想像してしまったマサトが出来たことは両手を顔の前まで上げて首をすくめることだけだった。

 

 

 

 

「取った! うおおぉおー!」

 

 しかし、それはスラッシャーにとっての必勝パターンだった。

 昨日も大抵のプレイヤーはこの大降りの攻撃を見るだけで足がすくみ、その場に縮み上がってしまうのだ。スラッシャーはその防御ごと相手の体を断ち切ることでさらに相手の闘争心を削り、そのまま一方的に攻撃して勝利を収めてきた。

 

 そう、いくら体が大きく、戦いに適している体になったといっても中の少年少女はまだ小学一年生。かわさなきゃとわかっていても体が怖がってしまうのだ。

 

 スラッシャーはこの銀に輝く巨体の男も今まで通り一方的な攻撃だけで終わるだろう。そう考えていた。

 しかし、実際にはそうならなかった! なぜか!?

 

「な、なにいっ!!」

 

 腕ごと断ち切るつもりでいたスラッシャーの一太刀をマサト、いやプラチナム・ドラゴニュートはその輝く腕で完全に受け止めていたからである。

 

 

 

 

 甲高い金属音と共に自身の腕とスラッシャーの剣が打ち合ったことを感じたドラゴニュートだったが、思っていたよりも全然痛みを感じない……。その感覚を不思議に思い、そっと目を開けるとそこには驚愕の表情(見た目兜に覆われわからないが……)を浮かべるスラッシャーと、その剣を受けて傷ひとつついていない自分の腕が写っているのだった。

 

 ドラゴニュートはもちろんスラッシャーも今はまだわかっていないことだがドラゴニュートの体を構成している金属《プラチナ》はこの格闘ゲーム《ブレインバースト》の中で《メタルカラー》という防御力に秀でた属性であり、その中でも貴金属であるプラチナは切断攻撃にめっぽう耐性があるのだ。

 

 そんな属性の違いをまだ理解していない二人にとって、この一幕はよほど驚愕だった。

 特に今までこの戦法で勝ってきたスラッシャーがうけたショックはドラゴニュートが受けた衝撃よりもよりも何倍も大きかった。

 

 その一瞬の隙をチャンスと思ったドラゴニュートは左手で剣を受け止めたまま練習どおり右手を腰に当て、そのままスラッシャーに向かって真っ直ぐ拳を突き出した!

 スラッシャーはその攻撃が目前に迫った時ようやく気がついたが、時すでに遅くドラゴニュートの通常技を無防備に喰らってしまうのであった。

 

 《メタルカラー》はその自身の体の硬さと重さから攻撃力にも秀でており、その攻撃を喰らい派手に建物内へと突っ込んだスラッシャーはHPバーの約4割近くを削られてしまう。

 

 

 ――すごい! この体はすごいぞ!

 

 

 ドラゴニュートはスラッシャーをぶっ飛ばした自分の右手を握ったり開いたりしながらこの体がいかに素晴らしいかを実感していた。

 普段、病室のベッドに縛り付けられている自分の体が同じようなことをしたとしたら逆に自分の腕がダメージを受けてしまうに違いない。

 それがこの体ならどうだ! スラッシャーが突っ込んでいった建物は最早瓦礫の山となっている。

 それなのに自分の腕には痛みどころか傷ひとつないではないか。

 

 いくらゲームの世界だとは言え、普通なら絶対出来ない破壊と暴力を行なえる背徳感と、この体だったらなんでもできるだろうという万能感にドラゴニュートは打ち震えるのであった。

 

 

 

 



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第2話 決めろ! 必殺技!

 

 

 マサトにとって初めてのVR型対戦格闘ゲーム《ブレインバースト》

 今日始めたばかりのマサトと違い、幾度も勝ち星を拾ってきたラピスラズリ・スラッシャー。その強烈な攻撃を前にビビってしまうがアバターの性能差を利用した隙を作り出し、一撃カウンターを決めるマサトことプラチナム・ドラゴニュート。

 このままいけばスラッシャー相手に勝てるかもしれない。

 そう考えるドラゴニュートだったが――

 

 

 

 

 ――だがそんな高揚もすぐに打ち消されることとなる

 

「うおぉぉおお!!」

 

 地の底から聞こえてきそうな雄たけびと共に瓦礫の山からとび出てきたのは先ほどドラゴニュートの攻撃をモロに喰らってしまったラピスラズリ・スラッシャー。

 その体に身に着けている軽装の鎧にはいくつもの傷やヒビが走っているが、その手に持つ自慢の剣と頭を覆う兜には彼自身の闘争心がごとく傷ひとつ負っていなかった。

 

 瓦礫の上に立ちながら剣でドラゴニュートの方をつき指し、彼は落ち着き払った声でドラゴニュートに勝利を宣言し始める。

 

「さっきは油断した。まさかこの剣で切れないものがあるなんて。

 でも、もうお前の弱点を発見した。だからこの勝負はオレの勝ちだ」

 

 自信たっぷりのスラッシャーの宣言はかつて無く興奮していたドラゴニュートの逆鱗に触れ、ドラゴニュートの感情は怒りによって完全に暴走してしまった。

 

「そういうのをね! スラッシャー、負け惜しみって言うんだよ!」

 

 最初の立会いはスラッシャーが先手だったが、今度はドラゴニュートから攻撃を仕掛けるために銀色の体がドスドスと音をたてスラッシャーへと駆けて行く。

 途中道に転がっていた瓦礫はその大きな足で踏み抜き、粉々にしていった。こんなものは《メタルカラー》の彼にとって走行の邪魔にすらならないのだ。

 

 そしてスラッシャーへあと2歩と迫った時、ドラゴニュートは踏み出した左足を軸に後ろから近づいてくる右足を振り子のように弧を描かせながら思いっきりスラッシャーへと突き出した!

 

 通常技その2、《キック》である。足の筋肉は手の数倍はある。さらに走ってきた勢いものっているこの攻撃を喰らえばさっきのパンチ以上に彼は吹っ飛び、さしものスラッシャーでも残りのHPを全て持っていかれるに違いない。

 そう、彼が素直にその攻撃を喰らえば、の話ではあるが……。

 

 スラッシャーは左足を半歩、右後ろにズラす。ただそれだけの動作だけでドラゴニュートの渾身の蹴りをかわしてしまっていた。

 その一瞬が交差した後。残るのは、足を振り上げたまま固まる隙だらけのドラゴニュートと、剣を下段に構え、万全の体勢を取るスラッシャーの姿であった。

 

「ええぇいっ!」

 

 そのまま無拍子で雷光のような突きを放ってくるスラッシャー。

 ドラゴニュートは反射的に左手を持ち上げ、体を庇うことしか出来なかった。

 しかし、その行動もスラッシャーは読んでいた。

 むしろ彼はその曲げた左腕を狙っていたのだ。より詳しく言うのならば腕を曲げることで露出する肘間接部を……だ。

 

「う……グアあぁぁぁ!!!」

 

 一瞬の衝撃の後、体中を走る激痛にドラゴニュートは叫びながら肘より先の無くなった左腕を右手で抑えることしか出来なかった。

 

 そう、ドラゴニュートの弱点のひとつは両手両足の間接にあった。

 彼の体の中でこの間接部分だけが細くもろく出来ていた。

 彼自身が思いっきり振り回したり無茶な動きをしたりしてもそう簡単に壊れるものではない……だが、敵がその部分を攻撃してきた場合はその限りではなかった。

 

 

 

 

 ラピスラズリ・スラッシャーは叫び声を上げるプラチナム・ドラゴニュートをただジッと見つめるだけだった。

 彼は痛みにもがいている相手をさらに打ちのめすような非情の持ち主ではない。

 むしろその逆、毎回この瞬間だけは良心の呵責に黙って耐えるしかない。

 いくらゲームの設定で痛覚はある程度抑えられているとはいえ部位欠損の痛みは恐らく生半可な痛みではない。

 ましてや相手は自分と同年代の子供たち、その痛みに耐えられるわけがない。

 

 スラッシャーの攻撃により部位欠損が起きてしまうとその相手はほぼ全員その後満足に行動できなかった。ものの数十秒で落ち着きはするものの、それ以上戦う気力が湧いてこないのだ。

 

 恐らくこの銀色のアバターも同じに違いない。さっきの攻撃によりHPも逆転することが出来たし、このまま時間経過による判定勝ちにでもすれば……そう、スラッシャーが考えていた時だった。

 痛みに耐えているはずのドラゴニュートの声が段々と変化していくのをスラッシャーは感知した。

 

「あ、あぁぁ……ああ、はは……ハハハハハ!」

 

 笑っていた。

 

 今まで左腕が無くなった痛みに耐え、体を丸めていたドラゴニュートは一転。逆に背を逸らし、額に生えた角を天へと突き出して大声で笑っていたのだ!

 

「あー、こんなに楽しいゲームは初めて。待っていてくれてありがとう、スラッシャー。さあ、もう落ち着いたから続きをやろうよ……」

 

 そう言って傷ついた左腕を庇いながらドラゴニュートは構えだす。それは今までの素人丸出しの構えなんかではなかった。

 左足を半歩引き、右肩を前面に出した半身の構え。右腕はしっかりと脇を締め、拳は顎と同じ高さへ上げられている。

 

 その構えにラピスラズリ・スラッシャーはどこか見覚えがあった。

 それはまるで鏡写しのような……。

 そう、スラッシャーの考えはあっている。ドラゴニュートの構えは初手、スラッシャーがドラゴニュートに突進してくる前にしていた構えを真似したものであったのだから。

 

 ――コイツ……!

 

 スラッシャーが自分の構えを相手が真似しているとわかったとき、得体の知らない震えが全身を駆け巡っていった。

 

 ゲーム初心者が素早く上手くなるコツとは何か……

 それは上級者の動きを真似することである。

 

 その考えをさらに一歩進め、片手でも負担の無いような構えへとアレンジしてこの銀色アバターはそれを体現せしめたのである。

 

「あは……あはははは、はははははは!」

 

 ラピスラズリ・スラッシャーもまた笑い出してしまった。

 この相対する挑戦者が戦いの天才だったから絶望してしまった……訳ではない。

 

 ドラゴニュートが強かったからだ。精神的にも、身体的にも、自分と同じくらい強かったから面白かったのだ。

 スラッシャーはこのままドラゴニュートが戦う気も起きずに降参するようなら、この対戦が終わったあとにこの《ブレインバースト》をアンインストールするつもりでいた。

 なぜなら弱いものいじめをしているみたいで面白くなかったからだ。

 スラッシャーにとってゲームの面白さとは、同じようなレベルのプレイヤーと切磋琢磨しながら上達していくことだと考えていた。

 

 普段なら格闘ゲームの動画を見ることすら出来ないこの時代にこんなにリアルで白熱するような格闘ゲームを出来るということに始めは興奮していた……いたのだが。

 しかし、みんながみんなそうではなかったのだ。

 一発殴れば泣き出し、降参する。部位欠損のダメージを受けた奴は今日のマッチングリストに現れていなかった。

 こんなゲームはつまらない、だからもうやめよう……そう、思っていたのに!

 

 

「さあ! ゲームを始めようか!」

 

 ドラゴニュートの声を皮切りにラピスラズリ・スラッシャーは剣を再び右上段に構え、プラチナム・ドラゴニュートへと突撃していった。

 そう、まるで始めの場面の焼きまわしのように!

 

 

 

 

 ――このままじゃジリ貧だ!

 

 プラチナム・ドラゴニュートはラピスラズリ・スラッシャーの連続攻撃を耐えながらそう思った。

 相手の攻撃は素早いながらも決して見えないような速度ではない。弱点である間接狙いの攻撃はすこしズラして硬い金属面へと当てることが出来るし、スラッシャーの攻撃ではドラゴニュートの金属を切断することは出来ない。

 この勝負完全にドラゴニュートの優勢かと思われるが実はそうではない。

 

 ――攻撃が、当たらない!

 

 そう、スラッシャーの攻撃を防ぎ、そのあとの隙を狙ってもスラッシャーはドラゴニニュートの攻撃を後一歩というところで避けてしまうのであった。

 

 コレがプラチナム・ドラゴニュートの2つ目の弱点。

 体が重くスピードが出ないのである。

 

 プラチナは金属の中で3指に入るほどの比重を誇る金属であり、その重さは同じ大きさの鉄と比べてもプラチナの方が約2.6倍も重くなるといえばその数値の高さがわかっていただけるだろう。

 そして、アバターの速さを第一とするブレインバーストというゲームではその重さはとても致命的なものだった。

 

 さらにこのゲームの基本原則のひとつに同レベル同ポテンシャルの鉄則がある。

 いくら切断攻撃に強い《メタルカラー》のドラゴニュートでも相手は『スラッシャー』の名前の通り、最も得意とする剣の攻撃を喰らってノーダメージといくわけがない。

 少しづつ、少しづつHPバーを削られていき、何も出来ないまま負けて終わってしまう。このままそうなるのは時間の問題だった。

 

 ――せめて、せめて攻撃のリーチ差をなくすことができたなら!

 

 いくらドラゴニュートが遅いといっても相手の攻撃後の隙を着いてすら攻撃をかわされてしまうのは、スラッシャーが持つ剣とドラゴニュートの腕の長さの違いも大きい。

 

 もし後10センチ、いや5センチでもこの腕が長ければ掠りダメージくらいは与えられたのに。

 ああ、このままなす術もなく負けてしまうのか、こんな楽しいゲームをそんな形で終わらせてしまってもいいのか……。

 ドラゴニュートは必死に考える。一分一秒でも長くこのゲームを楽しむために、勝利という最高の結末でこのゲームを終わらせるために。

 

 

 ――いや! まだ手はある!

 

 

 ドラゴニュートはひとつの秘策を思いついた。思いついたが、しかしまだ足りない。もう少し、もう少し待たないと……。

 ドラゴニュートがちらりと見上げたドラムロール。その時間は刻一刻とその数値を減らしていくのだった。

 

 

 

 

 ――こいつ! この状況でまだ諦めていないのか!?

 

 スラッシャーはドラゴニュートが自分と同じくらいこのゲームを真剣に遊んでいると感じてから、一切の手加減なくドラゴニュートのことを追い詰めていた。

 スラッシャーは最初の一撃を喰らってからその攻撃がとても重く攻撃力の高いものだとその身で感じたが、決して避けられないものではないとも感じていた。

 それどころか、昨日戦ってきた相手がむちゃくちゃに振り回す駄々っ子パンチのそれよりも幾分か遅いとわかってしまったのだ。

 

 それがわかったのなら後は確実に相手に嫌悪されるだろう安全圏におけるヒット&アウェイの連続だった。

 この状態が続いてもいずれは相手のHPゲージがゼロとなる。もし痺れを切らして大降りの攻撃を仕掛けてくるなら、その隙に間接へと攻撃する。

 

 もうスラッシャーの勝ちは確定したといっても過言ではなかった。

 しかし、ちらりと顔を上げた相手の顔のバイザーの奥から見える光る目には諦めという感情はこれっぽっちも感じられないのであった。

 

 ――いったいお前がどんな手を考えていようとも、もう遅いぞ!

 

 もうドラゴニュートのHPは一割を切っている。

 さらにスラッシャーは今までの攻撃でたまりに溜まった必殺技ゲージを解き放つつもりでいた。

 

 ラピスラズリ・スラッシャーの必殺技《フォース・スラッシュ》

 その名の通り、目にも留まらぬ四連撃を相手に叩き込む、実際の対戦では一度も使ったことの無い技である。

 昨日、とあるアバターとの対戦後、誰もいなくなったフィールドで放ったあの技は誰も初見では対処できないだろうという自信がある!

 

「コレで終わりだ!

 《フォース・スラッシュ》!!」

 

 この技の初手は上段からの高速の袈裟切り、この一太刀だけでもドラゴニュートの残り少ないHPを全部持っていってしまうに違いない。

 必殺技の音声発動を確認し、スラッシャーの剣がライトエフェクトに包まれ、高速で振り下ろされそうになるその刹那!

 

「いいや! まだ終わっちゃいない!」

 

 ドラゴニュートも自分の持つ唯一の必殺技名を叫ぶ!

 

 次の瞬間――

 

 ――消えた!?

 

 今までスラッシャーの目の前でコレでもかというくらい自己主張していた銀色の体か突如として彼の眼前から消えてしまったのだ。

 アドレナリン過多による高速思考のなか、スラッシャーは自分の剣を振り下ろした後ようやくドラゴニュートの姿をその目に捉えることが出来た。

 彼はまるで大げさにお辞儀するかのように頭を下げ、スラッシャーの振り下ろしを回避していたのだ。

 

 ――ギリギリかわされたか! でもっ!

 

 《フォース・スラッシュ》の二撃目は高速の振り上げ、その崩れた体勢ではとてもかわせるものではない。

 スラッシャーはシステムどおりに動くその体に身を任せてしまう。

 しかし、ドラゴニューとの体はゆっくりと――いやこれは加速した思考が見せるスローモーション映像と同じようなもの、実際彼はスラッシャーが振り上げる剣と同じような速度でその体を回転させていく。

 

 チリッ! という音と共にスラッシャーの二撃目はドラゴニュートの脇腹を掠らせるだけで再びかわされてしまった。

 

 ――まだだ! もう二撃残っている!

 

 しかし、その残りの二撃は放たれなかった。

 なぜならドラゴニュートの太く逞しい光り輝く尻尾が剣を振り上げた姿勢の隙だらけの脇腹に吸い込まれるようにヒットしてしまったのだから。

 

 

 

 

 そう、ドラゴニュート唯一の必殺技は《TAIL(テール) ATTACK(アタック)》 その間抜けな技名とは裏腹に、重量のあるプラチナの塊が遠心力を伴って広い範囲の障害物をものともせずになぎ払うことが出来るその必殺技は恐らく現ブレインバースト内でも屈指の威力を誇る必殺技であろう。難点といえば必殺技ゲージの8割も消費しなければいけないことだろうか。

 そのせいでドラゴニュートは本当にギリギリまでスラッシャーの攻撃に耐えなければならなかったのだから。

 

 しかし、その必殺技をモロに喰らってしまったラピスラズリ・スラッシャーは残っていたゲージを大きく削られ、さらにいくつもの建物を貫通、その衝撃によりついにはHPをゼロにされてしまうのであった。

 

 

 

 

 

 

 その後、マサトとスラッシャーはお互い満足した顔で再戦の約束をし、このゲームの世界から退場していった。

 現実世界へと帰るとマサトはゲームの世界に入る前と同じくベッドの上で上体を起こした姿のままであった。

 

 アレだけ激しい戦闘を行い、長い間VR空間に潜っていたんだ、体が倒れていたりしてもおかしくは無いのだけど……。そう考えたマサトがふとニューロリンカーによって表示された時計の数字を見てみると、あのゲームを開始してから時間が一分もたっていないことに気がつく。

 

 そんな馬鹿なと、テレビ、電波時計の時刻を確かめてもどれも同じ数値を示していた。

 

 どういうことかと考えていくうちにそういえばと、ひとつ思い当たることがあった。

 普通ならこの時間帯は子供は登校時間のはずだ、多分あの商店街もスラッシャーの通学路に違いない。そんな中、VRへ《完全ダイブ》しているために30分もその場でボーとしている小学生を周りの人が放っていくのか? ということだった。

 

 もしかして、これは対戦格闘ゲームなんてそんな枠に嵌められるものじゃなくて……もっと深くて大きな――

 

 

 そこまでマサトが考えた時だった。

 マサトがあの“魔法の呪文”を唱えた時と同じようにガラスが割れたような甲高い音がマサトの耳を打ち、再びあの全面青の不思議な世界へと誘った。

 

 しかし今回はペンギンのアバターへと変わらずに直接シルバーメタリックの巨漢になり、恐らく病院の正面玄関へと飛ばされてしまうのだった。

 恐らく、といったのは今回のステージがつい先ほどスラッシャーと戦った月の浮かぶあのステージではなく、病院自体が世界樹のような巨大な木となり、他にも建物が大人30人でも抱えきれなさそうな巨木へ次々に換わってしまったからだった。

 

 これはたぶん挑戦者が現れたときのシチュエーションなのだろう、恐らくスラッシャーもこのような現象に襲われたのだろう。

 そしてその挑戦者は――正面にいるあの色鮮やかなアバターの他にいない……。

 

 ドラゴニュートは再び30分間闘いの場へとその身をゆだねた。

 相手と自分の力を出し切った充実した30分を過ごした彼は現実世界で数秒前に考えた疑問なんてこれっぽっちも思い出せなくなっていたのだった。

 

 

 

 




 作者設定
 前話のものと一緒にやります。
 ・ゲーム起動最初に出てきた説明文。
  《親》もいなければ説明する人も居ない最初期のBBプレイヤーたち《オリジネーター》、さすがに何らかの説明文があったのではないのかと思い設定を捏造。

 ・100人の名前が出るマッチングリスト
  これも東京にいる100人の小学生が一斉にダイブしても同じ区画にいる人物なんて限られすぎると思い、最初期に限りBBプレイヤー全員とマッチングできるようになるという設定にしました。

 誤字、脱字、気になる点があれば報告お願いします。


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第3話 ブレインバーストの秘密

 

 あの衝撃の体験から数週間、戦うことに少しずつ慣れてきたBBプレイヤーたち(ブレインバーストプレイヤーの略称だ)はこの不親切極まりないゲームの仕様を解き明かそうとみんなで必死になってた。

 

 どれだけこのゲームが不親切なのか。最初に出てきたゲームの概要が書かれている英文が羅列されていたあのウインドウ、あの文を全て要約すると――

 

・このブレインバーストは対戦格闘ゲームです。

・マッチング機能を使い戦う相手を探しましょう。

・武器や必殺技を使って相手のHPをゼロにしましょう。

・勝ったら相手からバーストポイントがもらえます。ポイントを貯めてレベルアップを目指しましょう。

・逆にポイントがゼロになったらゲームオーバーです。

・さあ、実際にゲームをプレイしてみましょう。

 “バースト・リンク”と唱えてください。

 

 コレだけしか書かれていなかった事からそれがよくわかる。運営から出された情報がこれだけということは昨今発売されている丁寧なチュートリアルから始まり、よく使うアイテムの場所、初心者救済のためのイベント豊富etc.という親切設計ゲームに真正面からケンカを売るような姿勢である。

 しかし逆に少なすぎる説明が小学生たちの心の奥底で燻っていたゲーマー魂を燃え上がらせたのか、次々と新事実が彼らの手によって明らかになっていったのも事実だ。

 

 例えばフィールドによって建物が壊せたり壊せなったりすること。

 建物を壊すと必殺技ゲージが溜まること。

 フィールドによっては超強力な《大型生物オブジェクト》が登場し、一発逆転、あるいは両者同時KOの引き分けになってしまう場合もあること。

 などのフィールドに関することだけではなく、他にも自身が操るアバターのことも段々とわかり始めていた。

 

 アバターの色によってその性能が大きく変わることが……、例えば――

 

 

「《フォース・スラッシュ》!」

 

 プラチナム・ドラゴニュートがいるビルの下で2人のアバターがその強さの(しのぎ)を削りあっているところだった。

 その片方である近接攻撃が得意な青型アバター ラピスラズリ・スラッシャーの必殺技が相手方に全て決まり、一瞬にして紫型アバターのHPをゼロにしてしまう。

 

 本来、あの紫型アバターは得意な中距離攻撃とその追加で発生する《阻害効果》、デバフによって相手の動きを止めたり、攻撃力を弱めたりしながら戦えば、青型は近接攻撃しか強力な攻撃を持っていないという弱点を利用して試合を有利に持っていけるのだが……スラッシャーはその攻撃を受ける前に素早い動きで相手に近づきその連続攻撃によって相手のHPを削ってしまったのである。

 

 紫型は防御力が低いのが弱点なので、青系屈指の攻撃力を誇るラピスラズリ・スラッシャーの連続攻撃はさすがに耐え切れなかったようだ。

 

「いいぞー! スラりん! よくやった!」

 

 ドラゴニュートの隣でスラッシャーに応援を送っているが赤寄りの茶色型アバター《コルク・スプラッシュ》だ。赤系は遠距離攻撃が強力で近接技が苦手、コルクも他の赤系アバターと同じく指先から強力な指弾を飛ばす遠距離必殺技を持っている。

 しかし、飛ばすものの形や色がそのアバターの名前の通りまんま“コルク栓”なので使うといつも周りの笑いを誘ってしまう。そのことが彼は大層気に入らないようで、本当にここぞという時にしかその技を使わなくなってしまった。

 

 コルクの声援が聞こえたからか、スラッシャーは剣を持っていない左手をこちらに向かって降ってくる。それに対してコルクは全身を使って大げさに、ドラゴニュートは簡単に、しかし相手に見える大きさで手を振り返答するのであった。

 

 今、スラッシャーは勝ち抜き戦を行っていて今の勝負で5連勝目だ。

 彼はこの戦いを始める前に目標は10連勝といっていたのでまだまだやる気なのだろう。次の対戦者も現れていないのに自慢の片手剣をブンブン振り回している。

 

 ドラゴニュートもコルクもこの場にいるがスラッシャーの対戦相手ではない。これはあらかじめ設定していた《自動観戦モード》の機能によって2人は対戦者としてではなく観戦者《ギャラリー》としてこの場にいるためだ。《自動観戦モード》とは気に入ったアバターを事前に登録しておくことで、そのアバターが《対戦フィールド》へ降り立った際にこちらも自動的に《ギャラリー》として《対戦フィールド》に入り、他人のアバターが対戦している光景を見学できるようになる機能だ。

 これもまた最近発見された機能の一つである。

 

 その機能が発見されたあとドラゴニュートはいの一番にスラッシャーのことを登録したのは言うまでもない。

 最初の対戦のあとも何度も何度もお互いに挑戦しあい、お互いの実力を高めあってきたラピスラズリ・スラッシャーの対戦は全部見てきているし、スラッシャーもドラゴニュートの対戦を毎回見てくれている。

 そしてお互いによかったところ、ダメだったところを伝え合いながらより高みを目指していく。

 もはや2人の間柄は親友といってもいい関係になっていた。

 

 そうやって仲良くなっていく途中でスラッシャーと同じ学校に通っていることがお互いにわかってしまったコルクとも(共通の話題が多すぎたらしい)一緒にこのブレインバーストの世界を楽しんでいる。

 ドラゴニュート ――マサトにとってブレインバーストを遊ぶ時間は他の何よりも優先するべき時間となってた。

 

 

「そういえば知ってるか?」

 

 それはスラッシャーの連戦記録が6に増えた時だった。

 コルクがひとつの噂話をドラゴニュートに伝えてくる。その内容はとんでもない内容で、実際に出来たのならば数多くの人に注目されるだろう、とドラゴニュートでもわかってしまうようなものだった。

 

「ふーん。現実で《フィジカル・バースト》と唱えると加速した世界で通常の10倍早く動ける……」

「そうなんだ! でも、大体3秒くらいしか動けないし、その代わりにバーストポイントを5ポイント使っちまうんだけどな」

「なんか詳しいね……もしかして!」

 

 コルクは恥ずかしい秘密を知られた時の様な照れた笑いを出しながら、体育の授業中にちょっとね。とそのコマンドを実際に使ってみてしまったことを白状した。

 

「でもスッゲーよ。まるでテレビの中のヒーローみたいに動けるし、周りのみんなからスゲースゲーって言われるんだ。病み付きになっちまうよ」

 

 アバターの目をキラキラさせてフィジカル・バーストの凄さを語るコルクだったが、ドラゴニュートはあんまり関心を抱かなかった。

 そもそも“魔法の呪文”を唱えると現実世界で大体2秒、それが青い世界ではおおよそ30分程度の時間、自分のアバターを動かせるようになる、ということは今ブレインバーストを使っている奴らにとって当たり前のこととなっている。

 頭のいい奴はそれができるのが自分の頭で考える速さがとんでもなく速くなっているからだといっていて最近はブレインバーストの世界のことを『加速世界』とも言うようになってきた。

 

 その加速世界に行けるだけでも、なんか凄い技術を使っているんだな程度の感想しか思い浮かばないマサトにとってそれ以上の機能を持ってこられても……より凄いことはわかるのだけれど……といったところだ。

 それにマサトがいつもの10倍速く動けたとしてもそれはベッドの上だけだし、それにもうそろそろバーストポイントが溜まってレベルアップできるようになるため、そんなところで無駄なポイントは使いたくないというのが内心だったのだ。

 

 

 ドラゴニュートが一番最後の部分だけコルクに伝えると、彼はスラッシャーも同じようなこと言ってたな、と苦笑いを浮かべていた。

 そういえばどちらが早くレベル2になるか競争してるんだった。そう考えると同時にいまスラッシャーのポイントはいくつなのかマサトは気になった。もしかして10連勝が目標といったのはコレのせいか?

 

「いいよなお前らは、アバターも強いし。勝率だって90パーセントくらいだろ? もうお前らから挑戦しないと誰も闘おうとしてくれないじゃん?」

 

 確かにそうだった。ドラゴニュートは始め自らの体の重さに足を引っ張られラピスラズリ・スラッシャーに負けそうになったが、いざ他のアバターと対戦してみるとスラッシャーほど早く動ける奴は稀だし、打撃攻撃に弱いことがわかった《メタルカラー》に接近戦を挑むような猛者たち相手でもドラゴニュートの技の中で唯一素早く動ける必殺技《テールアタック》を使えば最低でも場の仕切り直しまで持っていくことが出来るのだから。

 全ての性能が他のアバターに勝っているとは言わないが、扱いやすい技を持っているアバターであることは間違いなかった。

 

 全BBプレイヤーの中でも確実に勝てないと思えるのは、いま下で戦っている素早い攻撃でヒット&アウェイを繰り返す《ラピスラズリ・スラッシャー》。無口ながらもこのゲームを楽しんでいるらしい、テールアタックでも吹き飛ばない重量アバターの《グリーン・グランデ》。スラッシャーと同じ青型でキャラが被ってるとお互いに思っている、スラッシャーよりも動きは遅いが重い攻撃を繰り出す《ブルー・ナイト》。後は超強力な遠距離攻撃を持つ輩くらいだろうか……。

 彼らもまた何かしらの強みを持っていて全員が自分の戦いやすい土俵に相手を持ってくるのが得意な者たちだった。

 

「それに比べて俺のアバターは……勝つか負けるか五分五分がいいところだもんなー」

 

 そう、ぼやいてコルクはビルの上に寝転がってしまった。

 

「でもボクはコルクの必殺技強いと思うけどな……放った直後から色んなところに分散して跳んでいくけど、アレをもっと至近距離で使って全弾命中させることが出来ればボクの体でも結構HPを持ってかれると思う……」

「えー、そのカッタイ尻尾をブンブン振り回すお前の懐に飛び込むなんてコエーよ。それに俺赤系だぞ、近距離戦なんて出来るか。赤系はキックやパンチはヨエーの! 知ってるだろ?」

 

 そう、今までのBBプレイヤーが試行錯誤を行なった結果、アバターの色によって利点もあれば弱点もあるということがわかったのだ。

 先ほど紫型は防御力が低いといったが、逆に中距離戦はお手の物。

 紫型とは逆に緑型はみんな防御力が高い。しかし、緑型は近距離攻撃も遠距離攻撃も苦手で、最終的には体全体を使ってぶちかますような攻撃を行なう、どちらかと言うと近接攻撃が得意な連中が多い。

 同じように近距離攻撃が得意な青型とは逆に赤型は近距離系の技が弱いというわけなのだ。その代わり、青型に遠距離攻撃を持っている奴は少ないし、赤型は強力な遠距離攻撃を有しているというわけだ。

 

 

 ドラゴニュート、いやマサトはコルクに何もいえなかった。

 最初は遠距離で闘って、必殺技を打つときだけ近づけばいい、とかそういうことではないのだ。

 ここ数日付き合ってわかったことは《コルク・スプラッシュ》の中の人はとても頑固だということ。

 一度決めたら進路を変えず真っ直ぐ突き進むだけ、赤系が遠距離専門と聞いたらきっとそれしか考えられないのだ。

 その信念は選択に迷った場合のここぞという決断の時とても役に立つものなのだろう……。

 でも……きっと普段過ごす現実世界でもその生き方を選ぶコルクはとても息苦しい思いをしているに違いない。そう、まるで栓をされたビンの中のように――

 

 

「…………」

「いいよ、別に慰めてもらおうって訳じゃないし。それにフィジカル・バーストを使えばリアルのほうで活躍できる。一回“こっち”で勝てば“向こう”で2回も使えるんだからお得だよな!」

 

 なにかを誤魔化すように笑っていたコルク・スプラッシュとの会話はここで終わってしまった。

 スラッシャーの7戦目の相手にブルー・ナイトが出てきてスラッシャーは惜しくも負けてしまったからだ。そのせいでスラッシャーの対戦が終わり、それに伴い彼らも現実に戻ってしまう。

 そして、これがコルクと交わした最後の会話でもあった。

 

 数日後、ドラゴニュートはスラッシャーからコルクが全損、つまりバーストポイントをゼロにされゲームオーバーになってしまったことを聞いてしまうのだから。

 

 

 

 

 

 

「コルクが全損した!?」

 

 それはドラゴニュートと同じ《メタルカラー》の対戦を見ているときに出会ったスラッシャーから聞かされた言葉だった。

 このブレインバーストの世界で《メタルカラー》はとても珍しく、ドラゴニュートを含めても4、5人しか確認されていない。メタリックに輝く体の見た目のかっこよさと全体数が少ないという珍しさが重なり《メタルカラー》の対戦は多くの人に注目されている。 ――はずなんだけど、今日の観戦者は心なしか少ないな……と、ドラゴニュートの脳裏にそんな考えが浮かんだが、今はそんなことどうでもいい。今はコルク・スプラッシュのことだ。

 

 ドラゴニュートの驚きの声に重々しくスラッシャーが頷く。どうやら冗談ではないらしい。

 ドラゴニュートは存在しない唾を飲み込みスラッシャーの次の言葉を待った。

 

「オレとアイツが同じ学校だって言うことは知ってるよな? 一昨日のことだ、青ざめた顔をしてるアイツを学校で見つけたのは。話を聞いてみると体育の授業やテストの時に調子に乗ってバーストポイントを使いまくってしまったらしい。

 残高は8、あと一回勝負に負けたら全損になってしまうっていうのにアイツはへらへら笑いながら勝てばいいんだよ勝てば、っていってふらりと帰っていっちまったんだ……そこでアイツが勝負に勝てばただの笑い話で済んだ。

 

 だけど話の本題はここからだ。

 

 その次の日、オレはアイツが負けたって言う話を聞いて慌ててアイツのクラスに駆け込んだ。そして肩を掴んで詰め寄ったオレに向かってアイツは……アイツはキョトンとした顔でこう言ったんだ……。

 

 おまえ、誰だよ……ってな。

 

 オレは混乱した。混乱しながらアイツに同じゲームで遊んだだろ!? ってそれまで以上に詰め寄ったんだ。そしたら、そういえばそんなゲームもやってたかもな。って、さらに、でももう飽きちゃったからもうやらないよ。……だってさ。

 

 意味がわからなくてボーっとしてるオレを置いてアイツはクラスのやつと校庭にサッカーをしに行っちまった……。なあ、どういうことだ? このブレインバーストはただのゲームじゃないのか? どこかの悪い大人が作った、子供たちだけで遊べる、ただの格闘ゲームじゃないのか? なあっ!!」

 

 ドラゴニュートはスラッシャーに肩を掴まれ揺さぶられても何も答えられなかった。

 なんだよそれ……、ドラゴニュートは混乱する頭の中で次々に浮かぶ思考の渦に飲み込まれてしまう。

 

 ゲームオーバーって最初からってことじゃないのか?

 

              コルクの奴が冗談を言った?

 

   そういえばマッチングリストに載っていなかった気がする。

 

最初に比べれば人数が減ってきていたな。

         みんな全損していたってこと?

 

           記憶を失う?  どうやって?

 

  加速ってどういう原理でやってるんだ?

             なんでみんな疑問に思わないんだ?

                     

 

         ブレインバーストっていったいなんなんだ!?

 

 

「おい! それ本当の話かよ!」

 

 ドラゴニュートが正気に戻ったのは第三者が自分たちの話に突っ込んできたからだった。

 コイツは……? たしか最近自分のアバターの弱点を発見されて負け越している奴だったような。ドラゴニュートのぼんやりした今の頭ではその程度の情報しか思い浮かばなかった。

 

「どうした?」

「さっきこいつらが話してたんだけどよ……」

「マジかよ!?」

「ウソだろ……おれ、もう少しで全損なんだぞ!」

「いやぁぁーーー!」

 

 もう観戦者たちの混乱は止まらなかった。

 対戦者たちですらこの騒動のせいで両者とも手が止まってしまったくらいだ。

 そしてみんなの絶望の声は対戦がタイムアップとなり強制的にログアウトになるまでずっと続いていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 全損すると記憶を失ってしまうという話はすぐさま全BBプレイヤーの耳に伝わった。

 

 その話を聞いたものの反応は様々だった。

 

 ポイントに余裕がある物はこのまま勝ち続ければいいと楽観的に。

 

 あるものは自分が持っている力の特別性に気付き、弱いものを狩り始めた。

 

 ポイントに余裕のないものはガムシャラに戦い次々に全損していった。

 

 他にも話を信じていないもの、受け入れつつ今までどおり戦うもの。グローバルネットを切断するものもいた。

 

 

 そして、プラチナム・ドラゴニュートこと花沢 マサトの反応は――

 

「《テール・アタック》!」

「ぐわぁっ!」

 

 いつも通り対戦にいそしんでいるのだった。

 

「キミは黄色型なんだから戦いを始める前に必殺技ゲージを貯めないと。

 黄色型の真骨頂は間接系の必殺技を初めとする搦め手の攻撃でしょ?」

 

 いや、いつも以上に戦いを楽しむために敵の技を受けてみたり、相手の未熟なところを言葉で伝えたりして相手が実力の全てを出すのを待っていた。

 そして、相手の全力と相対しつつ、それを上回る自分の実力を発揮させ相手から勝利を勝ち取る。

 最近のマサトはそういう戦い方をしていた。

 

「舐めやがって! オレはどうしても勝たねぇといけないんだ! 今日負けちまうともうリーチがかかっちまう。お前みたいに余裕かましてる暇はねえんだ!」

 

 黄色型アバターはつい先ほどと同じように何の策もなくただ愚直にドラゴニュートに突っ込んでいくだけだった。

 

 マサトは相手を見下したり余裕があるからアドバイスをしているわけじゃない。ただ相手にもゲームを楽しんで欲しいだけだった。

 それにマサトにだってみんなみたいに全損をしたくない気持ちはある。いや、他のみんなよりもその気持ちは大きいと自負している。

 

 

 このゲームをインストールする前の自分、朝起きてご飯を食べ、ゲームをして、時間になったら寝る。その繰り返し、たまに『外の世界』を眺めながら楽しそうな人達の声を聞く。

 あの生活を惰性で過ごすマサトは生きていなかった。変化のないあの生活にはもう戻りたくなかったのだ。

 

 それでも、それだからこそ、色んな人たちと遊んで、笑いあって、いがみあいながらも最後には手を取り合えるこのゲームがとても好きだった。この気持ちをみんなにも感じて欲しかった。

 このゲームを一ヶ月もプレイしていないけどわかる。みんな現実世界のどこかで絶望しているのだ。ボクと同じように、もしかしたらそれ以上に……。

 

 だから、もし全損してしまっても後悔しないように!

 記憶が消されてしまってもとても楽しい時間を過ごしたということが少しでも頭の片隅に残るように!

 その記憶が現実世界の絶望に立ち向かえる希望となるように!

 

 ボクは精一杯このゲームを楽しむんだ――

 

 

 マサトはそんな気持ちを精一杯込めながら、真っ直ぐこちらに向かってくる黄色型アバターにカウンターを叩き込むのだった。

 

 

 

 

 そんなある日のこと、病院は消灯時間を過ぎ建物全体が暗くなっているなか。若さのせいか、まだまだ眠くならないマサトがニューロリンカーに初期インストールされている一人用2Dゲームをやってる時だった。

 

 マサトは――もう慣れてしまったが――突然甲高い音とともに一瞬でブレインバーストの世界へ連れて行かれてしまった。

 

 ――こんな時間に対戦を申し込まれるのは珍しいな。

 

 食事中だろうがお風呂に入っていようが寝ていようが対戦の申し込みがあれば問答無用で対戦フィールドに連れてこられるブレインバースト。

 その機能に不満を抱く大抵のBBプレイヤーは上記の時間帯はネット回線を切ったりニューロリンカーを外すのが常識になっていた。

 なのでこの時間帯にブレインバーストをやっている子供は少ないし、マッチングリストもすかすかになる。

 

 マサトは、もうよい子は寝る時間だろ。などと自分のことは棚に上げつつ対戦者の姿を探し始めた。

 遠く離れた対戦者の方向だけを示すガイドカーソルによると挑戦者は目の前から近づいていることを教えてくれる。

 じっと目を凝らしてみると確かに近づいてくる人影ひとつ。だんだんとその輪郭が大きくなっていき、現れたのはなんとドラゴニュートのライバル兼親友のラピスラズリ・スラッシャーだった。

 

 

 スラッシャーはゆっくりドラゴニュートに近づいてくると周りをぐるりと見回しながら落ち着いた声で話しかけてきた。

 

「懐かしいな、このステージ……」

 

 スラッシャーに言われドラゴニュートもステージを見回してみる。

 広く、大きな夜空にはポツンと大きなお月様が優しい光を放っていて、ドラゴニュートたちの周りに浮かぶ何らかの粒子はその光を反射し、キラリキラリと幻想的な雰囲気を醸し出していた。

 

 そう、ここは両者が始めて対戦したステージ。今は『月光ステージ』と呼ばれるドラゴニュートが一番好きなステージだった。

 

「そうだね。あの日から一月も経ってないなんて信じられないよ」

 

 ドラゴニュートもスラッシャーの落ち着いた雰囲気に当てられ、のんびりとした気分で返事をする。

 スラッシャーは笑ったのだろう。息を吐き出す音と同時により柔らかい気配を纏うようになった。

 

「ドラゴ、この時間に観戦者はこないと思うけど一応《クローズド・モード》にしてくれ」

「うん?? いいけど……」

 

 《クローズド・モード》は《自動観戦モード》と同じ時期に発見されたモードで、対戦する両者の合意があったときに限り行なえる観戦者たちをフィールドから締め出し、誰にも見られない状態で戦いを続けるモードだ。

 スラッシャーの穏やかながらも拒否できない圧力をその言葉から感じ取り、ドラゴニュートは戸惑いながらスラッシャーから出された《クローズド・モード》申請にOKの返事を送りつけた。

 

「それで? 《クローズド・モード》にしたってことは今日は対戦じゃなくて何か話しがあってきたの?」

 

 そう、対戦を誰にも見られないで行なうことに特にメリットは発生しないこのモード。

 大抵は他の人に聞かれたくない類の話をするために使われるのだ。なのでドラゴニュートもスラッシャーが何か聞かれたくない話を自分に持ってきたと思い込んでいた。

 

「ああ、今日はお願いがあってきたんだ」

「どうしたの? そんなにかしこまって、そんなに大事な話なの?」

 

 全然らしくないよスラッシャー、ドラゴニュートはそう言葉を続けようとした――

 

 

       「オレを全損させてくれ」

 

 

 

 ――絶対に聞きたくない言葉を絶対に言わないと考えていた人物が口にするまでは……。

 

 

 

 



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第4話 25勝25敗

 

「なんて……いったんだ?」

 

 プラチナム・ドラゴニュートは剣を地面に刺し無防備に両手を広げてくるラピスラズリ・スラッシャーに震える声で問いかけた。冗談だと言ってくれと。

 しかし、ドラゴニュートの心情をよそにスラッシャーはなお落ち着き払った声で再び彼に現実を突きつけた。

 

 「もう一度言う、オレを全損させてくれ。プラチナム・ドラゴニュート……」

 

 聞きたくなかった。そんな言葉、目の前の親友から絶対に聞きたくなかった。

 

 コルク・スプラッシュの全損から始まったこの騒動で多くのBBプレイヤーが選択を突きつけられた。

 苛烈に戦い勝ち残るのか、大人しく負け、全損の時を待つのか……。

 ある者は見っとも無くあがき、ある者はありのままを受け止めた。

 

 ドラゴニュートはどちらかというと後者だった。

 全損するときは仕方がない。しかし、最後の最後までこのゲームを楽しもう。

 そう考え、みんなにもそう考えて欲しいと、多くの挑戦者たちと戦ってきた。

 その中にも全損者はいた。負けてくれと泣き叫ぶものも……。

 しかしドラゴニュートは手加減しなかった。でも相手にも悔いの残らないような戦いをさせたはずだ。

 

 でもこの戦い方が出来たのはドラゴニュートの心に余裕があったからに違いない。

 ポイントの余裕か? 違う!

 強者の余裕か? 違う!

 …………では?

 

 ドラゴニュートは無意識の内に考えていたのだ。

 ゲームを楽しんだものに対価として記憶を要求してくる最悪のゲーム、そしてそれを後押しするのが自分の選んだ修羅の道。

 その修羅の道を目の前の親友だけは、今までと同じように笑いあいながら共に歩んでくれるに違いないと、そう楽観的に考えていたのだ。

 そしてその精神的な余裕が彼に今の道を歩ませた!

 

 だけどスラッシャー自身の考えは違かったらしい。その気持ちのすれ違いがドラゴニュートの心を蝕んでゆく。

 

「なんでっ! どうしてっ! キミはまだポイントに余裕があるはずだし、大抵の挑戦者に負けないはずだ……それなのに!」

 

 このゲームをやめる理由なんてない筈だ!

 一緒に強くなっていこうって言ったのはウソだったの?

 今までやってきたゲームの中でコレが一番面白いというのも?

 ボクとずっと友達でいてくれるっていうのも嘘だったのかっ!!

 ドラゴニュートはありったけの憎悪を込めて目の前の“敵アバター”を睨みつける。

 

 スラッシャーはドラゴニュートの憎しみを精一杯その身で受け止めながら、ゆっくりと静かに自分の考えを語っていく。

 

「怖く、なったんだ……」

「えっ?」

 

 ドラゴニュートは予想していなかったスラッシャーのその理由に自身の怒りも忘れスラッシャーの言葉に耳を傾けていく。

 

「コルクを……記憶を失った現実世界のアイツを見てそう思った。

 今はまだいい、いまこの瞬間に全損しても消える記憶はたった一月分だけだ……

 でも、このブレインバーストから何を学んで、現実世界では何を学んできた? もうその記憶さえ曖昧になってきてる。

 

 それが5年後、10年後の話だったら? オレは一体何を学んできて、何を考えて、何を感じて生きてきたのか、全部……とは言わないが最低でも半分はゴッソリ抜け落ちるんだ。

 それが……怖い。

 

 お前は、お前はそう思わなかったのか?」

 

 ……思わなかった。ドラゴニュート――マサトにとって明日は昨日と同じだし、一年後も今日と同じだ。ずっと同じ、朝起きて、ご飯を食べ、夜に寝る。『向こうの世界』ではずっとそうやって過ごしてきた。変化があるのは全部『こっちの世界』だけだった。

 

 でも、スラッシャーの考えもわかる。わかってしまった。

 

 スラッシャーは『向こうの世界』に“も”未来はあると信じていて、

 マサトは『こちらの世界』に“しか”未来がないと感じているのだ。

 

 向こうが間違っているとか、こちらがおかしいという話ではない。

 考え方……いや、環境の違いだった。決して交わることのない『2つの世界』その違い。

 多分全てのBBプレイヤーはその境界線に立っているのだ。一歩踏み違えれば2度とあがってこれないその場所に……。

 

 そして彼は一歩踏み出してしまった。ただそれだけだった。

 

 でも――

 

「できないよぉ……」

 

 情けない。いまならそう罵られてもよかった。それでこの状況が流れるのならば、初めての友達を失わなくて済むのならば甘んじてその言葉を受けとめただろう。

 いままでどおり一緒にこのゲームをやっていこうよスラッシャー……。

 しかし、マサトのそんな甘い考えは氷のように冷たい言葉によって破壊されてしまった。

 

「そうか……なら、まずお前を全損させる。そのあと他のやつに頼むだけだ」

 

 スラッシャーは地面に突き刺していた剣を引き抜き、蹲るドラゴニュートに向かってゆっくりと近づいてくる。

 ドラゴニュートはその言葉に驚き顔を上げる。しかし目に映るのは剣を構え、ユラリと闘気を全身からあふれ出させているスラッシャーの姿だった。

 

 ――本気だ……。

 

 本気でスラッシャーはボクを全損させる気なんだ! ドラゴニュートはスラッシャーの考えを疑う余地もなくそう信じることが出来た。

 

「今ならまだ引き返せる。やり直せるんだ。オレも! お前も!」

 

 とうとうスラッシャーはドラゴニュートの目の前へとたどり着き、その自慢の剣を振り上げた。

 対してドラゴニュートはひたすら小さく丸く、頭を腕で庇うポーズしか取ることができなかった。

 

「いやぁぁーーっっ!!」

 

 それはドラゴニュートの悲鳴だったか、スラッシャーの気合の雄たけびだったのか、とにかくその声が消えた後は一方がひたすら攻撃する場面でしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 ――どうして……どうすれば!

 ドラゴニュートの心の中は答えのない疑問で溢れていた。

 

 ――このままではスラッシャーの手でボクは全損してしまう。

 ならどうする、反撃するのか。

 

 ――そんなことしたら結局スラッシャーを倒してしまうことになる。

 では、このままの時間が過ぎるのを待つのか。

 

 ぐるりぐるりと同じ場所を回り続けるドラゴニュート。

 そして時折響き渡る綺麗な音色の金属音。

 ラピスラズリ・スラッシャーの剣がプラチナム・ドラゴニュートの体に傷をつける音だった。

 

 始めはその体を欠けさせる事すら出来なかったというのに何度も戦っていくうちにスラッシャーはドラゴニュートの硬い体を切り裂けるようになったのだ。

 そのときの出来事は昨日のことのように思い出せる。いや、その思い出だけじゃない。ドラゴニュートにとってこの世界での出来事は全部大切で、宝石のように煌く宝物なのだ。

 

 こんな時だというのにその情景がまぶたの裏に浮かんでくる。

 でも、ドラゴニュートはこんな時だからこそ過去の情景を思い浮かべながら果てるのもいいかもしれない。……そう思い、月浮かぶ夜空に吸い込まれていく金属の音色とともに大事な思い出を思い出すのであった――

 

 

 

 

 

 

「《フォース・スラッシュ》!」

 

 ドラゴニュートの攻撃の隙を付きスラッシャーが自慢の必殺技を放ってくる。

 ドラゴニュートは避けきれずその流れるような4連撃をまともに喰らってしまって近くの建物ごと吹き飛んでしまう。

 すぐにドラゴニュートがこなくそ! っと立ち上がり残り時間を確認しようとすると、思っていた以上に残り少なくなったHPバーがそこに浮かんでいるではないか。

 なぜ!? と彼が自分の体を見下ろすとクッキリ残る4本の傷跡、そう切断攻撃にはほぼ無敵だったその体がスラッシャーの必殺技によって傷がついてしまったのである。

 

 驚きもそのままにドラゴニュートが顔を上げるとそこには余裕をもった体勢でドラゴニュートに向かってブイサインを送るスラッシャーの姿があるのだった。

 

 

 ――結局、この勝負には負けちゃったんだっけ……。

 

 

 リィィーーーン……

 

 

「だから、青が近接型で赤が遠距離型なんだよ!」

 

 これはアバターの色がそのアバターの得意攻撃を表していると考察しあってたときの思い出だ。

 この頃にはコルク・スプラッシュも参加していおり、3人で車座になってそれぞれの考えを楽しそうに話している。

 緑型は防御力が高く黄色は搦め手が多いってことはすぐにわかったのだがこの後が大変だった……スラッシャーは自らが持つ剣を根拠に青が近接系だとそう主張していたのだけれども……

 

「でも赤が近距離のイメージない?」「リーダーの色だもんな!」

「そんな考えはもう古いの! これからは青がリーダーの時代なんだよ!」

 

 喧々囂々、どちらも譲らない言い合いの果て、最後はスラッシャーが切れて剣を振り回し2人を追いかけ始めていた。

 

 ――周りのプレイヤーを見るにスラッシャーの考えが当たってたんだけど、あの時は2人で大ブーイングだったな……

 

 

 リィィーーーン……

    リィィーーーン……

 

 

「うおぉぉ!!」

 

 最後の最後、ドラゴニュートは一か八かのタックルを決めスラッシャーとの戦いを辛くも勝利で治めるのだった。

 白熱の戦いに周りの観戦者たちも盛り上がっている。なかでも一番はしゃいでいるのがコルク・スプラッシュだ、はしゃぎすぎて観戦席と化していた建物から落ちそうになり周りのみんなに助けられている。

 

 

「くそ! これで25勝24敗か……」

「誤魔化さないでよ、今回で25勝25敗、同率になったでしょ」

 

 その後の反省会においてスラッシャーが勝率を誤魔化そうとするがドラゴニュートがすかさず突っ込む。

 

「ちくしょー! お前以外のやつには大抵勝てるのによ!」

「まあそのうちボクが勝ち越して差が広まる一方になるんだけどね」

 

 ドラゴニュートのおどけた発言に「なんだとー!」と怒りながらじゃれ付くスラッシャー。

 

「おいおいケンカすんなよ、そんなこといったら俺はどうなんだ、最近負けてばっかなんだぞ!」

 

 コルクの諌める声に2人は少しの間顔を見合わせ……

 

「だってコルク飛ばすだけだもんなー」「だってコルク飛ばすだけだからね」

 

 同時に同じ考えを笑いながら口に出すのであった。

 次の瞬間、じゃれ合いにもうひとり参加者が増え、止める者のいない果てしない戦いが始まってしまうのであった。

 

 ――あの後、最後には誰ともなく笑い出してそのまま解散したんだっけ……

 

 

 リィィーーーン……

   リィィーーーン……

 

 

 

 

 

 

 次々に思い浮かぶ過去の思い出、しかしこの場にあの笑い合った3人はもういない。

 コルクはこの世界から消え去り、残る2人はこの思い出のステージで争っている。

 

 こんな事になるなんてあの頃は考えもしなかった。僅か数日でこのようなことになるなんて誰が想像できたであろうか……

 ドラゴニュートは静かなこの『月光ステージ』でそう考えていた。聴こえるのはスラッシャーの奏でる剣の旋律だけ……

 

 ――いや! 違う!?

 

 ドラゴニュートはその甲高い音の中からもうひとつ、交じり合う音を聞いた。

 それはスラッシャーがすすり泣く声だった。

 

 ドラゴニュートは驚き顔を上げる。そこにはもう剣を力なくぶら下げ悲しみの涙を流すラピスラズリ・スラッシャーがいるではないか!

 彼も3人で過ごした楽しい時間を思い出していたのだ。そして心のそこから湧き上がる感情が兜の奥の素顔から涙として溢れ出ているのだ。

 

 

 ――どうして……。

 

 

 ドラゴニュートはその涙を見てそう思った。

 どうしてこんな事になってしまったんだろうか。ボクたちは笑いながらゲームを遊びたかっただけなのに……。

 どうしてこのゲームの開発者はこの仮想現実でこんなに美しい涙を再現させるほどこのゲームを愛しているのにこんな悲しい仕様にするのだろうか……。

 

 ――どうして、どうしてどうしてどうして!

 

 

 

 

「ああぁぁぁぁぁあああ!!」

 

 普段なら絶対に当たることのないドラゴニュートのガムシャラに放った大降りのアッパー。

 その攻撃を喰らい吹っ飛んでいくスラッシャー、彼が攻撃の当たった場所をさすりながらゆっくり立ち上がる姿を見ながら笑って……頬を伝わる雫も気にせずに笑ってドラゴニュートはこう言った。

 

 

「これで26勝25敗だ……」

 

 

 呆けるスラッシャーに対してドラゴニュートは油断なく構えをとる。

 左足を引き、半身の構え、右腕を全面に押し出し脇は締める。右の拳は顎の高さに、左の拳は腰に軽く当てるにとどめる。

 もう癖になってしまった、あの最初の日と同じ構えだった。

 

 

「そして、これからはその差は広がる一方になるんだ!」

 

 

 スラッシャーが笑った……そんな気がした。

 そうだ、楽しむんだ。どっちが勝っても、どっちが負けても、それが全力を出し切った勝負ならそれでいいじゃないか。

 これはゲームだ。ゲームに悲しみの涙は似合わない。だから笑え! 涙を流す機能は笑いすぎたときのためにあるんだ!

 

 

「そうだ、お前が一番このゲームを楽しんでいた。だからオレはお前に頼んだんだ。

 ドラゴ、強くなれ、誰もが羨むほどに、高く高く天辺を取るんだ。

 オレはそのための踏み台に過ぎない……」

 

 そう言ってスラッシャーも隙のない構えをとる。

 

 その姿を見てドラゴニュートは、なんだよそれ……と思った。

 踏み台だ、なんて。簡単に踏ませる気は更々ないくせに。でもそれでいい、どうせやるならとことんやってやる、とって見せるよ天辺を……。

 そして、そこに行くにはラピスラズリ・スラッシャーなんて奴に負けるようじゃやっていけないんだ!

 

 ジリ ジリと2人の距離が縮まってゆく。それに合わせて場の緊張も際限なく高まっていく。

 『月光ステージ』に珍しく冷たい風が吹き、両者の体に打ち付ける。

 

 その瞬間、ラピスラズリ・スラッシャーは上段に剣を構え、プラチナム・ドラゴニュートへと果敢に攻め込むのであった。

 

 

 

 

 

 

 翌日、一晩中スラッシャーと連戦を続けたマサトは精神的負担によって夕方になるまで病室で呆然とし続けていた。

戦闘による疲れか、親友を失ったことに対する悲しみか、その心の内は本人にしかわからなかった……。しかし、そのどちらの気持ちも全く無いというのは考えられない。これからもマサトはこの日を忘れることは無いだろう。

 

 

 その後、安全マージンを十分にとりつつレベルを2へと上げたプラチナム・ドラゴニュート。

 レベル2の彼と戦い、負けたとしてもバーストポイントの変化が少なく、勝つ事ができればなんと、普段の倍のポイントを手に入れられることがわかったBBプレイヤーたちは、ローリスクで多くのバーストポイントを獲得できる、と数多くのプレイヤーが彼に挑戦していった。

 

 果たしてその結果は、彼が数年後《純色の王》と呼ばれる絶対強者の彼らと並び立つ《白金の竜王》と呼ばれるレベル9erとなることから、推して知るべし、ということになるだろう。

 

 

 

 




 作者設定(と言い訳)
 ・最初に出てきた英文の要約
  “あの”ブレインバーストがここまで教えてくれるなんて!

 ・紫型アバターの特徴
  いまだ戦うシーンが出てこない紫系アバター(出てないよね?)
  近接と遠距離の中間なんだから中距離ていうのは思いつくのだが、それだけじゃいまいちなんでデバフ効果も使えるアバターにしてみました。
  紫王は雷使いだし、副長は鞭使いだから相手の動きを封じたりするキャラのはず。

 ・フィジカルバーストの噂
  恐らくBB作成者がGMとして存在していて噂を流しているに違いない。

 ・全損時の噂の始まり
  おそらくBBのとんでも機能の重大さがいまいちわかっておらず、個人情報保護意識が薄いこの黎明期に全損時のペナルティがわかったに違いない、と思い、主人公グループに噂の根っこになってもらいました。
  
 ・相手に挑戦できるのは1日1回まででは?
  最初はその制限がなかったが、主人公のようにレベルを上げる人たちが増えたのでアップデートされ同じ相手には1日1回しか挑戦できなくなった。という設定。

 誤字、脱字、気になる点があれば報告お願いします。


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第5話 《親》と《子》

 

 

 開発者不明、発信元不明、開発意図不明、わからないことだらけのVR型対戦格闘ゲーム《ブレイン・バースト》通称『B・B』。

 2039年に東京都の小学1年生を対象に配布されたそれは普段彼らが体験できない刺激と興奮を与え、少年少女たちは嬉々としてゲームを楽しんだ。

 

 しかし、彼らが無邪気に楽しんだ期間は極々僅かな時間でしかなかった。

 

 全世界のありとあらゆる場所に仕掛けられた『ソーシャル・セキュリティ・サーベイランス・カメラ』、一般的には短く訳され『ソーシャルカメラ』と呼ばれている治安維持を目的にした監視カメラの映像を『加速世界』ではアバターを使用し、覗き見ることが出来るということ。

 

 《フィジカル・バースト》という『現実世界』でわずか3秒ほどだが、体の感覚を残しつつ自分だけが普段の10倍の速さで動けることが可能となる現実に多大な恩恵をもたらす機能も発見された。

 

 それらの機能を使いすぎたために対戦でバーストポイントがゼロになってしまった場合、ブレインバーストを強制的にアンインストールされ、ゲームのことに関して何もかも忘れてしまう『記憶消去』が起きるという不確かな怖い噂話。

 

 彼らはみんなそれらのことに対し何らかの思いを胸の内に秘めながら、混沌の世界となってしまったブレインバーストをプレイしていった――

 

 

 最初にプレイヤーに与えられる初期ポイントは一律で100ポイント。

 『加速世界』に行くために消費されるポイントは1(他のプレイヤーに挑戦され加速した場合ポイント消費はない)、《フィジカル・バースト》を行なうのに必要なポイントは5。

 そんなポイントを湯水のように消費するなか、勝負の結果移動するポイントは同レベル同士の戦いでたったの10。

 そしてレベル1からレベル2に上がるためにはなんとポイントを300も消費しなければいけない。

 

 当初BBプレイヤーの総人口が100人程度しかいなかった最初期のプレイヤーたちの中では4、5人のうち1人しかレベル2に上がれない計算となる。

 そんな高い競争率を勝ち残った猛者(レベル2)たちに与えられた権利は《ブレイン・バースト》の無制限コピー。つまりBBプレイヤーを際限なく増やすことができる機能だった。

 

 こうしてレベル2の彼らによってゲームをコピーされ、増えていったBBプレイヤーたちを最初期から遊んでいた者たちは《第二世代》と、そして自分たちのことを《第一世代》と呼ぶようになった。 

 もしくは、ブレインバーストのコピーを提供するものが《親》、提供されるものが《子》と呼ばれることもある。多くのプレイヤーが生まれては消えていくこの《ブレイン・バースト》の世界で何を思ってその名前をつけたのか。名付けた者が誰かわからなくなってしまった今となっては知る由はない。

 

 そして、そんな《第二世代》のメンバーの中でも《第一世代》の連中すら圧倒する実力を持つ者達が何人か現れてくる。

 

 カウボーイハットと二挺拳銃が特徴の遠距離特化型アバター《レッド・ライダー》

 《回復アビリティ》を持ち、相手の心を読んだかのように多彩な動きで相手を翻弄する《ホワイト・コスモス》

 

 彼らをはじめ《第一世代》屈指の実力者、《ブルー・ナイト》《グリーン・グランデ》を含む、何らかのアバター属性に特化した彼らをBBプレイヤーたちは尊敬と憧憬をもって《純枠色(ピュア・カラーズ)》とそう呼んでいた。

 

 

 そんななか、最初期のBBプレイヤーの中で最も早くレベル2となり、数多の挑戦者たちを退けて、すぐさまレベル3へと上り詰めた――まさにトッププレイヤーともいえる《プラチナム・ドラゴニュート》はというと……。

 

 

 

 

 

 

「レベルが、上がらない!」

 

 マサトは自分が入院している病室のベッドの上で頭を抱えながら盛大にうなっていた。

 レベル3へと上がった直後くらいだろうか、《ブレイン・バースト》がひとつのアップデートをおこなったせいである。

 

 BBプレイヤーの総人口が増えたことによるマッチングの区画分け。

 これにより、今までは自分と相手がどこにいようとグローバルネットに接続していたのならばいつでも誰でも挑戦することができていたものが、区ごとに分けられてしまったのだ。特に土地面積の大きな区ならばそこから2つ3つの細かいエリアに分割されてしまった。

 

 なんの因果かマサトのいる病院がある《世田谷区第三エリア》(世田谷の下のほう、目黒区と隣接している辺りに当たる)はBBプレイヤーの数が常時少ないエリア――つまり過疎っている地域だった。

 しかもプラチナム・ドラゴニュートが世田谷区第三エリア以外の地域に出没しないということがわかるや否や大抵のBBプレイヤーがそのエリアに入ったとたんグローバル接続を切りマサトからの挑戦をシャットダウンするという徹底っぷり。

 数多くの腕試し(チャレンジャー)をなぎ倒していった結果、有名になりすぎてしまったのが原因だった。

 

 こうしている間にも他のプレイヤーはどんどんレベルアップしまう……そんな不安と、このままずっとブレインバーストを遊ぶことができなくなるかもしれない、という恐怖に頭を悩ませのだが、しかし現状打開の画期的な方法は全く頭に思い浮かばなかった。

 悩みを抱えたままイタズラに時間が過ぎる。マサトは今日もベッドの上を転がるだけだった。

 

 

 

 

 どれほどの時間がたっただろうか……窓から見える日の光が赤く色付き始めているようだった。

 1日中グローバルネットへ接続していたが、こんな時間帯になるまで一回も戦いを挑まれなかった。最近ではもうそんなことも珍しくはない。

 《自動観戦モード》の機能も切っている。自分が出来ないものを他の人がやっているのを見ると嫌な感情がわき上がってくるからだ。

 

 

 マサトが失意に暮れていると病室のドアからコンコンと軽いノック音が聴こえてきた、それと同時に視界の中心に現れる入室許可ダイアログ。

 

 誰だろうか? この病院に勤める看護婦ならば患者の許可をいちいち取るまでもなく入室することができるし、両親が来る予定の日はまだ先のはず……それともその予定が狂ったことでも伝えに両親のどちらかがやってきたのだろうか?

 マサトはとりあえず視界の中で点滅する許可ボタンをタップする。これを押さなければ廊下にいる人物がいつまでたっても部屋に入れない。

 

 

 入室許可されたことが相手にも伝わったのだろう、病室のドアが静かなローラー音と共に開かれた。

 しかし、ドアの先にいたのはマサトが考えていた両親のうちどちらでもなかった。そこには窓の外に映る真っ赤な太陽にも負けないくらい華やかな赤毛の少女が立っていたのだ。

 背中にも髪の色と同じような色合いのランドセルを背負っているので相手は小学生だとわかった。

 

 少女はいまだポカンとした顔でマサトのことを見つめている。このままお見合いしていてもしかたない。

 

 ――キミは、誰?

 

 マサトがそう口に出すよりも早く、少女が先に口を開いた。

 

「あなた……だれ?」

 

 その言葉はまさにマサトが言おうとした言葉と完全に一致していたのだった。

 ――こっちのセリフだよ。

 彼女との奇妙な偶然、思考の一致にマサトの口から思わず笑いが噴き出してしまう。

 

 突然見知らぬ相手に訳もわからないまま笑われてしまった少女はそのことが癪に触ったのだろう、ズンズンと怒り心頭でマサトの病室へ入ってきた。

 

「一体なにが可笑しいっていうの!?」

 

 どうやら彼女は勝気な性格のようでつり上がった瞳がその性格をよく表していた。

 逆に気弱なマサトは彼女の怒気を当てられたせいで愉快だった気分は彼方に吹っ飛び、たじたじになってしまうのだった。

 

「ゴ、ゴメンッ! ボクが言おうとした事をキミが先に言っちゃったから……」

 

 普段あまり人と話さないマサトはこの場を治めるためのいい言葉が頭に出てこない。とっさに思っていたことをそのまま口に出していた。

 しかしそのお蔭でマサトがなぜ笑ってしまったかの理由はなんとなく伝わったのだろう、少女はとりあえず怒りの矛先を治めてくれたようだった。

 

「それで、あなたは一体誰なの? それにここお母さんが居る部屋だって聞いたんだけど……」

 

 いまだ吊り上がった瞳をマサトに向けながら、しかしどこか不安そうな言葉でマサトを問い詰める少女。

 手を腰に当てながら踏ん反り返る堂々としたその態度は年齢に似合わぬ貫禄がにじみ出ていた。少なくとも自分には真似できないものだろうとマサトは思った。

 しかし、彼女のお母さんのことはよくわからないけど、とりあえず自己紹介は大切だろう。マサトは少女の最初の質問に答えることにした。

 

「ボクは、ボクの名前は花沢 マサト。ここはずっと前からボクが入院している部屋だよ。他には誰もいない。えーっと……キミは……、キミの名前はなんていうの?」

「……カンナ、わたしの名前は木戸 カンナよ」

 

 木戸 カンナ、そう名乗った彼女はこの近くの小学校に通っている2年生でマサトよりもひとつ年上だということを次々に話してくれた。

 ならこちらも、と自己紹介を始めると、その途中マサトが年下だと知ったカンナはなぜか勝ち誇った顔でフフンッ、と鼻を鳴らしていた。どうやら完璧に上下関係が出来上がってしまったようだ。マサトはなんとなく背筋が寒くなった気がした。

 

 お互い自己紹介が終わったので、なぜカンナがこの病院を訪れたのかを効いてみた。

 するとカンナは今日、最近この病院に転院したはずのお母さんのお見舞いをしにきたのらしのだが……教えられた病室に来てみれば母親の姿はなく、代わりにそこにはマサトがベットの上に佇んでいただけ。それだけならまだしも初対面の男の子に(しかも年下!)突然笑われて気分は不安と怒りで最悪だったと、その笑った本人に直接愚痴を言い始めた。

 女性の愚痴は止まらない。長い入院生活でそのことを知っていたマサトは速やかに話を逸らそうと、カンナがなぜこの部屋に来てしまったかその理由を聞くことにした。

 

「えーっと、お母さんが入院している部屋の番号はいくつだって言われてきたの?」

「うんっと……506号室だって……」

 

 メモダイアログでも見ているのだろうか、視線を斜め上に向けているカンナの様子を見ながらマサトはその番号を聞いてなぜ彼女がこの病室に間違って入ってきてしまったのか、その謎が解かってしまった。

 そしてその単純明快な答えに再び笑いがこみ上げそうになるが、その気配を察したカンナの目じりが再び上がってきたので慌てて彼女の勘違いを正すことにした。

 

「この部屋の番号は505号室。カンナちゃんのお母さんがいる部屋はここの向かい側だよ」

 

 この505号室はいわゆる角部屋で501号室、502号室と続いてきた病室の番号はここで折り返しとなる。そして正面の部屋が506号室でその隣が507号室と番号が増えていくようになっているのだ。

 恐らく一番端にある病室だと教えられたカンナがここまで来て右の病室と左の病室を間違えてしまったのだろう。ただそれだけの間違えだ。

 

 その勘違いを指摘されたカンナは先ほどまでの勝気はどこにいったのか、顔を真っ赤にしながら勢いよくこの病室から立ち去ろうとしてしまう。とても単純な間違えをおかしてしまった自分が恥ずかしくなってしまったようだ。

 

「あっ……」

 

 カンナはこの病室に用があって来たわけじゃない。それをわかっているのに離れていくカンナの背中を見て思わず縋るような声が漏れてしまった。

 カンナが行ってしまう。しかし、これから続く言葉をマサトは持っていなかった。

 

 ――またね、っていえばまた来てくれるかな……

 

 マサトにとって初めてこの病室に訪れてきてくれた歳の近い女の子、ほんの数分会話しただけなのにここでお別れになるのはとても惜しいと、もっと2人でお喋りしたいと思ってしまうのだった。

 

 カンナはもうすでに病室のドアに手をかけている。

 はやく、はやく何か言わないと。マサトは何度も彼女にかける言葉を考えるが結局何も思い浮かばない。

 カンナがこの部屋のドアを閉じた時、再び退屈な時間が始まってしまうのか。勇気を出せなかったマサトがそう考えた時――

 

「今日はもう遅いから無理だけど……明日もお母さんのお見舞いに来るから、そのときまたあなたに会いに来てあげるわ」

 

 カンナはなんでもないように、しかし決してマサトの顔を見ないように顔を背けながらもそう言ってくれた。

 

 カンナ自身もこんなことを言うのはとても勇気のいることだったのだろう。顔を逸らした彼女の耳の色が自分の髪の色と同じくらい真っ赤になっていたのは隠せていなかった。

 

 マサトはカンナの言葉に感動し、その赤くなった耳の意味することまで気が回らなかったが、精一杯の感謝を込めて「またね!」とカンナと再会を約束するのだった。

 

 

 

 

 

 

 しかしマサトはこの約束をすぐに後悔するようになる。なぜならカンナがマサトの病室に来るといちいちお姉さん風を吹かせるからだ。

 やれご飯を残すなだとか、勉強をしっかりしろだとか、夜遅くまで起きてちゃだめとかいろんな小言を言うものだから内心もううんざりしていた。

 一応、病気のことを考えてか運動をしろと言ってこないのが唯一の救い、と言ったところか。

 

 

「ほら! ここの問題、間違ってるわよ。さっき教えたばかりでしょ」

 

 そして今日もマサトの通っている通信制の学校からでた宿題を手伝うためにカンナは色々横から口を出してきた。

 ニューロリンカーに送られてきたその宿題データはそのままだとカンナには見えないので2人はいま病院内のローカルネットワークに《フルダイブ》(VR空間に体の全感覚を移す行為だ)をしてVR空間内で勉強をしていた。

 

 マサトはVR空間でデフォルメしたペンギンのアバターを使っている。デザインが上手い子はもっとカッコイイアバターを数多く用意された細かいパーツを使って自分で作成できるのだが、芸術のセンスがほとほと無いマサトはこのまん丸ボディで我慢するしかなかった。と、最初は思っていたのだが、使い続けていると不思議と愛着が湧いてくるもので、他のアバターを羨ましく思うことはもうなくなってしまった。

 

 そしてマサトをガミガミと叱るカンナはというと、なんとフリフリのドレスを着込んだお姫様のアバターを使用していたのだ! 3段に分かれたフリルのスカートや胸元に光るブローチ、夕焼けのようなオレンジ色のドレスは彼女の真っ赤な髪をうまく引き立てている。

 他にもいろんな細かい装飾が施されていて、決してニューロリンカーにプリインストールされている初期アバターなんかではない。自分で1からパーツを組み合わせて作った手の込んだもだとマサトでも一目でわかるものだった。

 

 

 この年頃の女の子がお姫様の格好をするのは珍しいことではない。しかし、いつも強気でハキハキしているカンナがそんなアバターを使っているなんて、と驚いたマサトが怒ったお姫様に頭をグニグニと揉みくちゃにされてしまう話は隅の方に置いておく。

 

 

 

 

「ねえねえ、もうそろそろ休憩しない?」

「なによ、さっき始めたばかりじゃない」

 

 頭のすわり(・・・)がどうにも悪いマサトはカンナの優しさを期待して休憩を提案、しかし素気無く却下されてしまう。

 

「これからボク検査があって……」

「今日の検査はもう終わったって看護婦さんが言ってたわ」

 

 頭を捻って搾り出したウソも先回りですでに調べられてしまっていた。なぜならこのウソを使うのは今日で3回目だからである。マサトの嘘つきスキルは限りなく低かった。

 

「ねえねえ、この前話してくれた学校で飼っているウサギの話なんだけど……」

「気になるならここまで宿題を終わらせれば教えてあ・げ・る」

 

 他の何かに気を逸らそうとしてもあえなく轟沈。もうマサトが勉強を回避する案は思い浮かばなかった。

 渋々宿題を再会するが、チラリとカンナを盗み見るとカンナの自分を優しく見守っている視線とかち合ってしまうのだから、なんともいえない気持ちになってしまうマサトだった。

 

 

 カンナの小言はうるさかったが、カンナが持ってきてくれる『外の世界』の話は毎回マサトの胸を躍らせるものばかりなのは確かだった。

 

 学校で飼っているウサギの話。柔らかくてあったかくて、餌をあげた時の気持ちをジェスチャーと共に伝えてくれるカンナを見てマサトの心は暖かくなる。

 

 同じクラスの女の子を泣かせた悪ガキをカンナがケチョンケチョンにしたときの話なんてハラハラしっぱなしで、気が付いたら手汗がビッショリになっていた。

 

 他にも学校の帰りに友達と寄るお菓子屋の話や、クラスのみんなとキャンプをした校外学習の話。

 どれもこれもマサトにとって縁のない話だったが、カンナの臨場感たっぷりに語る話のテクを前にまるでカンナと一緒にその場にいたかのような気持ちになるのマサトだった。

 

 そんな、『外の世界』の話をしている時のキラキラしたカンナの瞳が好きだったし、自分を心配して色々注意しているというカンナの優しさはしっかり伝わってきた。

 結局日が沈む頃に帰っていくカンナの後姿を見るたびに毎回慣れない寂しさを感じてしまうのを止められなかった。

 

 

 そんな風に今の現状を考えながらカンナのお姫様の格好を見ていると、いつだったかこんな物語をどこかで読んだ気がしてきたのをマサトは感じた。

 

“――姫よ、私は明日から森の奥深くへ食べ物を取りにいく。明日からは来なくていい。

 

 ――あら、竜はこの森の空気さえあれば十分だと昨日おっしゃっていましたわ。

 

 ――ヌゥ……”

 

“――そのとき丘の上から見た沈んでいく太陽は今もわたくしの心の中に残っていますわ。

 

 ――我の集めた金銀財宝、どれをとってもそのように綺麗なものは見たことがない。

 

 ――よければ今度2人でその丘へ行きましょう。2人で見ればその輝きもよりいっそう眩しく見えることでしょう。”

 

 ……そうだ、あの《絵本》だ。どうしてあの大事なことを忘れてしまっていたのか、薄情な自分を恥じるマサト。

 あの時、看護婦から貰った絵本、あとで読もうとベッドの脇にある戸棚の奥に隠したままだったことを思い出したのだ。

 

 

 思い出してしまったからにはこんなこと(宿題)をしている場合ではない。マサトは目の前にある宿題を素早く保存、ウインドウを消去するとカンナの静止の声も振り切ってVR空間から退出するのだった。

 

 

 

 

 

 

「もう! なんで急に居なくなるの!?」

 

 マサトを追ってログアウトしてきたカンナの怒った声も無視してマサトはお目当てのものを戸棚から掘り出した。

 それは可愛いお姫様と大きな竜が表紙に描かれている一冊の絵本だった。

 

 満面の笑みを浮かべながら絵本を取り出したマサトにカンナはその本は何なのか聞いてくるが、けれどもマサトはいいから、いいからと絵本を一緒に読もうとカンナを誘うだけにとどめた。

 

 こんなののために勉強を途中でやめたの? あとでピーマン全部食べさせてやるんだから。などと言っていたカンナも絵本が1ページ、また1ページと進むたびに口数が少なくなっていき、最終的には早くページを捲って! とマサトを急かすくらい夢中になって読み込んでいた。

 

「あー、面白かった! マサト面白い本持ってるのね。一体どうしたのこれ?」

「これはここに勤めている看護婦さんから貰ったんだ。ボクの宝物……あっ! この本を持ってることは内緒だよ。誰かに知られたら取り上げられちゃう……」

「大丈夫、絶対に他の誰にも言わないから。お母さんにだって言わないんだから! でも……どうして突然この本を読もうと思ったの?」

 

 カンナのその質問に、マサトはこの物語の登場人物が自分たちとよく似ていたからだと打ち明ける。するとカンナは、ふーん、となにやら意地悪な顔を浮かべて――

 

「わたしがこのお姫様だとすると、マサトはこの大きくてつよーいドラゴンだってこと?

 じゃあ、もしわたしがピンチになったらマサトはわたしを助けてくれるのかしら。好き嫌いが多いマサトにはまだちょっと早いんじゃない?」

 

 そうからかってきた。

 マサトは図星をつかれウムムっと、うなってしまう。確かにこの体じゃあカンナのピンチを救うには力不足だと思う、けどVR空間――あの《ブレイン・バースト》ならば負け知らずなんだぞ……とそこまで考えた時だった。

 

 ――もしもカンナが協力してくれたらボクはもう一度あの『加速世界』へ行けるかもしれない。

 

 そうすればカンナにもいいとこ見せられるし一石二鳥じゃないか! マサトは自分の考えがどれだけ素晴らしいものかなどと想像を広げていく。

 

「コラ、無視しないでよ。それに急にニヤニヤしちゃって、そういう自分だけで楽しむの止めなさいよ」

 

 カンナが体を小突いてくれた事でようやく我に返るマサト。

 我に返ったマサトはカンナにひとつ提案をするのだった。

 

 新しいゲームをインストールしないか、と――

 

 

 

 



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第6話 木戸 カンナ

 

 木戸 カンナの母親はカンナが物心つく前からずっと入院生活を送っていた。

 それはなぜか? カンナが生まれてきたからである。

 

 カンナを産んだ時その傷口から感染症を貰ってしまい、その治療のために病院生活を余儀なくされてしまったのだ。

 カンナの父親も自分の娘をひとりで育てていくために仕事を変えたり、周りから白い目で見られつつも休みを取ったりと様々な努力をしたが決してカンナがひとりとなってしまう時間を無くす事はできなかった。

 

 カンナが家でひとりぼっちになってしまう。その間両親の変わりに使われたのがニューロリンカーだった。

 ニューロリンカーは現実とヴァーチャルを繋ぐ機能だけでなく、視覚や聴覚の補助、つまりメガネを使わずに遠くのものを見れるようになったり、普段なら聞き取れないような小さな声も機械が拾って聞くことができたりと様々な現実拡張(AR)機能も備えている。

 そんなAR機能のなかに『育児補助プログラム』と言うものがあった。

 ニューロリンカーをとおして子供のバイタルを常に監視したり、子供の動きを映像で確認できたり、さらには睡眠誘起映像により子供の睡眠をコントロールすることができるプログラムである。

 

 そのプログラムに子育てをおおいに助けられながら育てられたカンナにとってニューロリンカーは最早自分の一部、考えようによっては『もうひとりの親』と感じてしまってもおかしくなかった。

 そして、そんな彼女だからこそマサトからコピーされた『もうひとつの世界』へと行くことができるゲーム――《ブレイン・バースト》をインストールすることができたのである。

 

 

 しかし、マサトからコピーされたゲームをインストールした日のカンナは今まで想像もしていなかった(したくなかった)くらい酷い夢を見せられることとなるのだが……。

 

 

 

 

 

 

 暗い、暗い洞窟の中。

 カンナはその中を当ても無く彷徨っていた。

 道は細く、狭い。

 体を小さくしなければ先に進めないほどで、カンナは動かしづらくなった体をゆっくりと動かし一歩一歩前へと進んでいく。

 なぜか、この先へ進んでいかなければならない。その脅迫概念にもにた感情に押されながらもカンナは苦しく険しい道を進んでいくのだった。

 すると道の先から差し込まれる一筋の光ををカンナは見つけた。

 

 ……出口だ。

 

 ようやく暗い洞窟から外へ飛び出すカンナ。

 今まで窮屈な姿勢から開放されたことで彼女は体をノビノビと伸ばすことが出来た。

 

 辺りを見渡すとそこは森であった。そう、“だった”のだ。

 木々は燃え、灰となり、もう無事な木は目に映る範囲では一本も無い。遠くの方ではいまだ燃え盛る木々が轟々と黒煙を吐き出していた。炎の魔の手はまだまだこの森を焼き尽くすつもりらしい。

 

 ――しかし熱い、燃える森の中にいるのだから当然なのだろうか?

 

 反射的に顔を拭おうと自分の手を見たカンナは驚愕の事実をその目に写すことになる。

 燃えていたのは周りの森だけではなかったのだ。

 カンナ自身も全身が炎に包まれ、その身を焼かれていたのだった。

 

 いや、カンナの姿をよく見てみると彼女自身が炎の化身となっていることに解ってしまう。

 手も、足も、体も顔も、全て炎で出来ていた。もちろんその中身も……

 

 ――ヒトの形をしていても、これじゃまるで……

 

「……嗚呼、アアァァああ!」

 

 火に囲まれた森の中で響き渡る獣の唸り声のような悲鳴。

 

 しかし、それはカンナの口から出たものではなかった。

 悲鳴の発生源へとカンナが顔を向けるとそこに居たのはグッタリとした女性を抱え上げ、泣き叫ぶカンナの父の姿が見える。

 そして父が抱える女性、それはカンナが大好きな母親その人だった。

 

「……ああぅ、ァア! ガアアッ!」

 

 カンナの母は死んでいた。そしてその死を嘆いて父は泣き叫んでいたのだ。

 そんなバカな……お母さんはまだ生きてるはず! カンナは目の前の光景から目を逸らしたくて、足を一歩後ろへと下げた。そのとき――

 

 ガサリと、足の踏み鳴らした音が思った以上に周りへ響き渡ってしまう。その音量は今まで泣き叫んでいたカンナの父が、自分に……いや愛しい人を殺した化物に気が付かせるのに十分なものであった。

 

「オマエガ……」

 

 カンナの父が幽鬼のように立ち上がり、のそりと一歩カンナへ向けて足を踏み出してくる。

 その手にはいつの間にか一本の槍が握られていて……

 

「オマエガ……コロシタ……」

 

 今まで見たこともない父の姿に恐怖で腰を抜かしその場にへたり込んでしまうカンナ。

 彼女の体に触れた小さな草木が一瞬で燃え尽きるが、そんなこと気にしている場合ではなかった。

 

 壊れたようにお前が母を殺したと繰り返す父。

 カンナは首を必死に振ることで抵抗することしか出来ない。

 

 そしてついに父はへたり込むカンナの目の前へとたどり着いてしまった。

 父の形相は酷く歪み、目は血走り、歯をむき出しにして怒り狂っているではないか。

 

「オマエガ、オマエガ、オマエガァァーー!!」

 

 父が手に持っていた槍を大きく振り上げる!

 慟哭の叫び声とともに振り下ろされた槍は一直線にカンナの胸へと突き刺さってしまうのであった。

 

 

 

 

 

 

「いやぁぁーー!!」

 

 カンナはベッドから跳ね起きた。荒い呼吸を繰り返しながら辺りを見回すとそこは普段と変わらない自分の部屋だった。

 思い出せないけど、なにかがあった。それは理解した。

 その証拠に寝汗を信じられないくらい、パジャマが湿る程度にはかいている。

 そういえば昨日マサトがこのゲームをインストールすると変なことが起きるかもしれない、とインストールしたそのあとに自分に伝えてきたことを思い出した。

 

「サイアク…………」

 

 とりあえずカンナは肌にくっ付いて気持ち悪いパジャマを脱ぎながら、――今日病院へ行ったらとりあえずマサト一回殴ろう――そう考えるのであった。

 

 

 

 

 

 

 カンナが酷い夢を見るその前日。

 マサトがカンナに《ブレイン・バースト》の世界へと引き込んだその日。

 

 新しいゲームをインストールしない? とマサトはカンナに聞いていた。

 

「ゲーム? マサト好きだもんね、でもわたしあんまりお小遣いないから新しいのは買えないわよ……?」

「大丈夫、このゲームはタダなんだから!」

「ふーん、基本使用量無料ってっこと? わかった。いいよ、インストールしてあげる。そうすればわたしが帰っても家でまた遊べるもんね?」

 

 カンナの返事を聞いたマサトは大喜びで《ブレイン・バースト》をコピーする準備を進め始めた。

 

 ――アップデートが始まる前、同じレベル2のBBプレイヤーに聞いた話だと“アレ”が必要だって……

 

 お目当ての品物を見つけたマサトは、普段は滅多に使わないそれを頭上たかくまで引っ張り上げた。

 

「じゃあ、これをつけて!」

「な、それを!?」

 

 マサトが取り出したのは一本のケーブル。

 両端に付いている接続部はニューロリンカーにつけるもので、このケーブルは2つのニューロリンカー間の有線通信を行なうためのものである。

 

 

 

 

 《有線直結通信》

 それは大抵のデータのやり取りが無線通信で行なえるニューロリンカーにおいて“特別”を意味していた。

 いわゆる“直結”と呼ばれるその行為を行なった場合、データ通信のほかに相手のニューロリンカー内のデータを覗き込むことが出来るのだ。

 データの秘匿やロックはおおよそ役に立たず、その中身を相手に丸裸にされてしまう恐れもある。他にもニューロリンカーのファイヤーウォールを無視してウィルスを仕掛けるような真似も可能だ。

 

 この直結を行なうのにはお互いの信頼関係が深く関わり、これを行うということは相手に絶対の信頼を抱いていると言うことにほかならない。

 つまり、直結とは家族、またはそれに近しい――恋人たちの間で行なわれるのが一般的なのである。

 

 以上の訳で、直結をしませんか? というお誘いは、恋人になりませんか? という誘いの暗喩にも等しいと言って過言ではないと考えられている。

 ちなみに、ケーブルの短さによって両者の顔が近づいていくので、その長さはお互いの心理的距離の長さを表しているとも言われていることを明記しておく。

 

 

 しかし、そんなこと全く知らないマサトが取り出したのはニューロリンカーを買った時についていた初期の付属品、長さが僅か30センチしかないケーブルをカンナに差し出したのだった。

 

「ば、バカーーーーー!!!」

「あぶっ!?」

 

 いくら親しくなったと言ってもそれはまだ友達としての範疇。それなのにいきなりそんな短い長さで直結しましょうと持ちかけたマサトが顔を真っ赤に染めたカンナにビンタされ、同じくらい顔に真っ赤なもみじ模様を作ってしまうのは仕方の無いことだと言える。

 

 

 

 

「ぜっったい! 絶対余計なものに触らないでよね!? 変なことしたのわかったらもう一回殴るんだから、今度はグーよ! グー!」

「わ、わかったよ。そんなに怒るとは思わなくて……」

 

 あのあと必死の説得によって、渋々《ブレイン・バースト》をインストールすることに了承したカンナ。

 しかし、なぜか直結を恥ずかしがり、自分と顔をピッタリとくっ付けたまま余計なことをするなと怒鳴り声を上げているカンナにマサトはどこか釈然としない気持ちを抱えていた。

 

 こっちは《ブレイン・バースト》のことは説明したのに、直結行為がなんで恥ずかしいのかは教えてくれないんだもんなぁ。マサトは今だひりひりした頬を優しく擦りながら《ブレイン・バースト》インストーラー《BB2039.exe》をカンナに転送するのだった。

 

「ふーん、これがそのゲーム? どんなゲームなの?」

「対戦格闘ゲームだよ。格闘ゲームってしってる?」

「うーん、前にお父さんの部屋で見たわ。でもそれは野蛮なゲームだからってやらせてもらえなかった」

「まあ、相手を直接殴って蹴ってHPをゼロにするゲームだからね……子供はやっちゃいけないんだって」

「何それ、おもしろそう!」

「カンナなら言うと思ったよ」

「なんですって…………あっ!」

 

 《ブレイン・バースト》のインストールが完了したようだ。カンナは目の前を踊る炎の渦を見て目を丸くしているみたいだった。

 

「ようこそ……加速、世界へ……」

 

 マサトは自分が読めなかった英文をカンナはたどたどしくだが読んでいく姿を見て、カンナとの学力の差が大きく開いていることをまざまざと見せ付けられた気分になる。

 

「えっ、これだけ? ゲームの説明は? チュートリアルは?」

 

 驚くカンナを横目に、自分も一回通った道だと懐かしく感じるマサト。思わず微笑ましくカンナを見てしまう。

 しかし、その態度にカンナはイラッと感じたらしく「教えなさいよ~」とマサトに襲い掛かってくるのだった。

 

 

 

 

「ふーん、だいたいわかったわ。とりあえず明日までニューロリンカーを外さなければゲームをすることが出来るって訳ね。

 それにしても変なゲーム。製作者は一体何のためにこんなゲームを作ったのかしら?」

「さあ、それはまだ誰にもわからない。でもこのままゲームを進めていけば何らかの答えがわかるんじゃないかな?」

「ふん、なによ偉そうに。いい、マサト。このゲームじゃあなたが先に始めたかもしれないけど、私のほうがお姉さんなんですからね! そこんとこ間違えないように!」

 

 カンナの腰に手を当ててふんぞり返るいつものポーズを笑いながら受け流し、マサトは伝え忘れていたことを思い出した。

 

「そうそう、みんなの話だとゲームをインストールした日はなんか変なことが起きるらしいよ。気をつけて?」

「えーっ! なにそれ、そんなことはもっと早く教えなさい、よ!」

「うぐー」

 

 ギブアップ! マサトは心の中でそう唱えるが、もちろんカンナに聞こえるはずも無く、彼女の機嫌が直るまで怒りのネックホールド(ただの首絞め)を決められてしまうのだった。

 その後カンナが病室を出たあと、マサトはこれからのことを考えた。

 カンナと協力して《ブレイン・バースト》の世界を楽しむことが出来るなんてこれから面白いことになりそうだ、と。

 

 

 しかし、マサトはまだ知る由もなかった。次の日カンナは覚えていない悪夢を見た腹いせをマサトで解消しようと一発かますことを決意したことを……今度はグーで殴ろうとしていることを……。

 

 

 

 

 

 

 時間は戻り、朝。

 カンナの機嫌はサイアクだった。

 

 いつも通りひとりで朝食を食べる。

 これは父が朝早く会社に出社し、夜帰宅する時間があまり遅くならないようにしているためだと我慢できた。

 

 学校。

 朝から騒がしい男子が教卓の上に飾ってあった花瓶を割ってしまいその後始末。

 花瓶の破片を片付けている最中に先生がやって来て、花瓶を割ってしまったのが自分だと最初勘違いしたためカチンと来る。

 

 2時間目のあとの長い休み時間。

 外で遊んでいたら男子が投げたボールが頭に直撃。ワザとじゃないとわかったのでやり返すことも出来ずイライラ。

 

 お昼ごはん。

 給食に嫌いなにんじんのグラッセが出てくる……

 

 放課後。

 この鬱憤をマサトに……、と考えながら急いで帰宅しているとバスの定期券を学校に忘れてしまったことを気付く。しかたなく来た道を戻る。

 

 そして……。

 

 まるで耳鳴りが数十倍酷くなったような高周波の音がカンナの耳を突きぬけ、世界が一変していく。

 

 ――《加速世界》

 

 カンナは今までニューロリンカーのグローバル接続を切っていなかったが、対戦を挑まれ無かったので《ブレイン・バースト》のことをスッカリ忘れていた。

 しかし、世界が変化すると同時、自分の姿さえ変わった時。昨日マサトから聞いたことを思い出した。

 

『相手を直接殴って蹴ってHPをゼロにするゲームだからね』

 

 相手を直接殴って蹴ってHPをゼロにするゲーム

 

 相手を直接殴って……。

 

 カンナの堪忍袋はもうすでにパンパン。そこに差し出された合法的に殴れる相手。

 

 そこまで思い立った途端、ニヤリと実に綺麗な笑顔を浮かべるカンナだった…………。

 

 

 

 

 

 

「マサト!」

「あ、カンナちゃん。いらっしゃい」

「このゲーム結構面白いわね、なんでもっと早く教えてくれなかったの!?」

「ええー! もう戦っちゃったの? 昨日言ったよね、ネットにグローバル接続してたら他のBBプレイヤーから襲われるって」

「聞いたわ、でも……そんなことしたらお母さんとお父さんが心配するじゃない……」

「あ……」

 

 マサトはカンナが『育児補助プログラム』によって常に両親に位置情報を送っているということを聞いたのを思い出した。それは普段は会えないけれど確かにつながっているという絆の証明なのだ。

 

「……ゴメン、カンナちゃん」

「別にいいわ、お蔭でスッキリしたし。……それに、マサトの方が寂しい思いしてるの知ってるしね。

 ……それより、ゲームの話よ! わたし、初戦闘で勝利してきたわ! しかも私のアバターって結構珍しいみたい!」

「へぇー」

 

 カンナはいつものように身振り手振りで相手を千切っては投げ、千切っては投げと解説していたが、カンナの興奮とは裏腹にマサトとしてはそこまで驚くことではなかった。

 初戦闘初勝利、レアアバターはマサト自身もそうであったから。

 

 しかし、そのマサトの態度は気分のいいカンナに水をさすものだったとは気がつかなかった。

 そしてカンナは思い出す。朝、目覚めが悪かった時に決めたことを。

 初戦闘の興奮で忘れていたのに、マサトのせいで思い出してしまったのである。

 

「なによ、気の抜けた返事して! いいわ、対戦でわたしの強さをわからせてあげる!」

「ええ!? 対戦するの?」

「なに当たり前のこと言ってんの、わたしは朝マサトに一発かますって決めてたんだから! さあ、いくわよ!

 

 

 《バースト・リンク》!」

 

 

 レベル3のマサトと昨日《ブレイン・バースト》をインストールしたばかりのカンナ、果たして勝負になるのだろうか……。

 マサトの甘い考えはすぐさま打ち砕かれることとなる。カンナのいう“レアアバター”の力によって――

 

 

 

 

 




 作者設定

 ・カンナの夢
  これはとある神話を真似して作りました。カンナが子供のころ絵本『古事記』を呼んで無意識に自分と重ねてしまった。という設定。


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第7話 親子喧嘩

 

 

「ここは、《焦土(しょうど)》ステージかな……」

 

 マサトが寝ていたベッドは金属部分を残した灰と化し、清潔な白で統一されていた病室は見る影も無く燃え尽きていた。壁も取り払われ、あたり一面燃えカスだらけだ。見渡す限りの大地が草木一本生えていない不毛の大地となっている。恐らくこの世界全てが燃え尽きているのだろう。

 

 この《焦土》ステージの特徴は色んなものが脆いことだ。

 床も、柱も、電信柱なども炭化していて、すこし力を込めて殴ると跡形も無くボロボロと崩れていってしまう。

 体の重いプラチナム・ドラゴニュートとしてはあまり建物内で動きたくないステージだった。

 

「へー、それがあなたのアバターなのね」

 

 ドラゴニュートがステージを確認していると後ろからカンナの声が聞こえてきた。

 しかし、思ったより遠い場所にいるようだ。どうやらBBプレイヤーがすぐ近くにいた場合一定の距離を置いてバトルが始まるらしい。

 

 マサトは聴こえてきた声の方向へと体を動かす。

 そこにはこの世界を《焦土》へと変えた炎の魔人がこちらの様子を伺っていた。

 

 体が燃えているのではない、“炎自体が人の形をとっているのだ”。

 顔のパーツは女性型アバター特有のアイレンズしかない、それもほかの人よりも細くつり上がっているのはご愛嬌か。他には風も無いのに揺らめく長い赤い髪、そして手にもつ炎で出来た細い槍、それしかそのアバターの特徴は無かった。

 体はスラリと、ほっそりとしたモノでしかなく、凹凸といえば女性特有の胸部の膨らみしかないではないか。

 

 しかし、マサトは色んなアバターを見てきたが、こんなアバターは初めてだった。

 どのアバターも確かな肉体と色を持っていたのに……

 彼女はただ立っているだけでユラユラと揺れている。彼女の体は不定形なのだ。そして炎の色なんて聞いたことが無い。

 赤、ではなく、オレンジ、でもない。じゃあ彼女の色は何なのか、ドラゴニュートはたまらず視線を上へやった。

 

 彼女の名前は――

 

 《FLAME(フレイム) GEIROLUL(ゲイレルル)

 

 それは槍を持ち、戦場を突き進む戦乙女の名前だった。

 

 

「…………それ、なんて読むの!?」

 

 しかし、やはりというか、ドラゴニュートは読めなかった。

 

「……ルルよ、そう呼んで。あなたのは……ドラゴニュート、ドラゴね」

 

 カンナ、いやルルは目の前の輝く竜を見ながらこの戦いが終わったら英語の勉強をさせることを決心した。

 

「うーん、なんか嫌な気配が……まあいいや。よし、やろう!」

 

 ルルとの対戦はあまり乗り気ではなかったドラゴニュートはしかしブレインバーストのステージに立ってからやる気が上がってきたいるのを感じた。

 

 やっぱりこの世界はいるだけでもワクワクする。相手と対峙すればより多く!

 今まではお預けをくらっていたのだ。久しぶりの対戦(ご飯)に興奮するのも仕方ない。

 

 ドラゴニュートはいつも通り半身の構えをとり、ルルの出方をまった。先輩らしく、初手は譲ろうと言うのだ。

 

 対するルルは特に構えといった構えは取らなかった。槍を振り上げただけ、そう……まるで手に持っているモノを投擲する前のように――

 

「じゃあ、いっくわよーー!」

 

 ルルの気合の声が焦土ステージに響き渡り、そのまま槍をドラゴニュートへ向かって思いっきり投げつけた!

 

「う、わっ!」

 

 ドラゴニュートは驚きつつもそれを回避。自分の武器を開始早々投げつけるなんて……でもこれでルルはもう武器を持っていない。今がチャンス! ドラゴニュートは避けた槍の注意もそこそこにルルへと視線を移し、突撃を仕掛けようとした。

 

「まっだ、まだ!」

 

 しかしルル見た瞬間、驚愕で足が止まってしまう。

 ルルは“二投目”を放とうとしていたのだ。そう、ルルの手には先ほどと寸分違わぬ槍があった。

 

 これはかわせない。ドラゴニュートはそう判断、両手を交差して全力で防御することを決意。

 ドラゴニュートは《メタルカラー》、しかも貫通攻撃にも炎熱攻撃にも耐性を持っているプラチナだ。たいしたダメージにはならないはず。

 ドラゴニュートの考えは当たっていた。ルルの投げつけた細い槍はドラゴニュートの腕に当たった後、貫通するどころか拡散してしまったのである。

 

「よし! 思ったとおりダメージも少ない」

 

 確認すると青いHPバーは1割も減っていない。赤型アバターの射撃攻撃だったならまともに喰らえば1割なんてあっという間に持ってかれてしまうのに、このダメージ判定なら完全にこちらの有利だ。ドラゴニュートは久しぶりの対戦、その勝ちを確信した。

 

 しかし、槍の炎が全て消え去り正面を見るとそこに居たはずのルルの姿が影も形もなくなっていた。

 一体どこへ? ドラゴニュートは警戒しながら辺りを見渡す。

 

 右! ……いない、左? ……いない。

 

 一体どこへ? さすがに後ろには移動してない、そこまで早く移動したのなら必ず足音が響くはずだ。

 じゃあ、逃げたのかな? 建物内なら不利と判断して屋外へ一直線に向かったのだろうか、もう四方八方の壁は取り払われている、きっとそうしたのだ。

 ドラゴニュートが気を緩め、自分も外へ移動しようと考えたそのとき。

 

「もーらいっ!」

 

 ルルの楽しそうな声が“頭上から”聞こえてきた!

 

「ぐわっ!」

 

 頭上から降り注ぐ大量の炎。滝打ちのごとく圧倒的な重圧にドラゴニュートは思わず膝を付いてしまう。

 だが、それがいけなかった。重いドラゴニュートとルル“2人分”の体重が急激にかけられた病院の床は呆気なく崩れてしまったのだ。

 

「うわーーーっ!」

「きゃーーーっ!」

 

 制御の利かない自由落下による恐怖の悲鳴と、どこか楽しげな悲鳴がいっぺんに聞こえてくる。

 ドラゴニュートの落下はとどまることを知らず一気に5階分の床を付きぬけ、体勢を整えることが出来なかったドラゴニュートは思いっきり背中を打ち付けてしまった。

 そのダメージはかなり大きく、HPバーの約6割も削れてしまう。さっきのルルの攻撃もあわせて残り3割強、これはマズイ、ドラゴニュートはルルのHPバーも確認。

 するとそこにはまだ8割も残っているHPが表示されているではないか。ドラゴニュートと一緒に落ちたならこんなにHPが残っているわけが無い。

 

「なんで?」

「その答えは上を見なさい!」

 

 その声に導かれドラゴニュートが顔を上げるとそこにはふわりふわりとゆっくりこっちに落ちてくるルルの姿があった。

 そうルルはまだ落下途中だったのだ。

 

「この炎の体はとっても軽いの、ある程度調整は可能だけど、こうやって落下スピードを遅くするなんてちょちょいのチョイなのよ!」

 

 そういってフレイムは途中の階の床を掴み、ヒョイっと上ってしまった。

 そしてもう一度穴から顔を出し――

 

「そうそう、さっき上の階で槍を投げまくってこの病院の柱を全部壊したわ。もうそろそろこの病院は倒壊しちゃうかも。

 ……ところでぇ、わたしは足が速いんだけどあなたは遅そうね。フフ、それだけ……」

 

 その言葉だけ残してルルは再び穴から顔を引っ込めた。

 そして上の階から聞こえてくる“大きななにか”が動いている重低音。

 

「やばい!」

 

 ドラゴニュートは一生懸命足を動かすがその歩みはどん臭い。この建物から出るにはまだ最短でも50メートルはありそうだ。そこまでおおよそ10秒。しかし、この《加速世界》でそんな時間は瞬く間に過ぎ去ってしまうものだった。

 

 

 

 

「うわーー!!」

 

 最後の最後、外までのあと一歩をドラゴニュートはヘッドダイビングで敢行した。

 倒れたまま頭を腕で庇う体制に、そして後ろでは病院の倒壊音が聞こえてきた。

 

 ギリギリだった。ギリギリ、ドラゴニュートは病院から抜け出すことに成功したのだ。

 もう《焦土》ステージでは建物内でバトルしない。絶対にだ! そう硬く決意を固めるドラゴニュート。

 

 その姿を笑いながら見守る人影が……もちろんルルである。

 

「ハハハ! すごーい! よく間に合ったね!?」

 

 ドラゴニュートはその嘲笑を受け、ゆっくりと立ち上がる。

 しかし顔は下を向き、その表情はうかがい知れない。ゆっくりとした動作で一歩、また一歩と確実にルルに近づくだけ。

 

「ハハハ、ハハ、は……。ドラゴ? 怒ってる?」

 

 さすがに笑いすぎたかな、と心配するルルだったがドラゴニュートは返事を返さない。ただ一歩彼我の距離を詰めるだけである。

 

「ちょ、ちょっと、なんとかいってよ!」

「…………い」

「へ?」

「ゆるさなーーーーーい!」

 

 ドラゴニュートの心からの叫びだった。

 ドラゴニュートの戦いを見に来ている《ギャラリー》たちも納得したようにウンウンと頷いている。今まで2人が建物内で戦っていたため姿は見えなかったが、今の現状を省みるに何が起きたか想像するのは容易かった。そしてドラゴニュートの心内を察することも……。

 

「ドラゴ!」

「もう、ゆるさないよルル! 残りのHPは少ないけどまだまだ諦める場面じゃない!

 今から始まるのは怒りの大・逆・転だぁ!」

 

 

 

 

 普段の姿からは信じられないくらい大きな雄たけびを上げるドラゴニュートにルルはドキリとしてしまった。

 このゲームにおいてドラゴニュートはたくさんの戦いを経験しているのだ。それも10や20じゃきかないくらい位である。

 今日始めてプレイした自分では勝てないかもしれない。……でもここまで来てタダでやられてあげるほど安い女でもない! ルルは気を持ち直し、ドラゴニュートの雄たけびを正面から受け止めた。

 

「ふん、レベルがすこし高いからってこの差はひっくり返らないわよ!」

「やってみなくちゃっ、わからない!」

 

 ドラゴニュートが突っ込んできてその体重を生かしたパンチを繰り出してくる。でもそんなの素直にくらってやる必要は無い。ルルはドラゴニュートを中心に半円を描いて回避。

 

 

 《フレイム・ゲイレルル》のアバターは落下速度を自由に操れるアビリティ《自由落下(フリー・フォール)》を持つだけでなく、移動時に自身の体を地面から少し浮かせて移動することも出来る半浮遊型アバターでもあるのだ。軽く、足音も無く飛ぶことができ、長時間空中に浮かんでいられる。さきほど気付かないうちにドラゴニュートの上を取れたのはこれらの特徴を最大限発揮したためである。

 

 ふわふわと相手の攻撃を避ける様はまるで陽炎(かげろう)、その目に映るは幻、広範囲攻撃でもない限りその身には届かないのだ。

 

 

 しかし、ドラゴニュートは回避特化型のアバターとも戦った経験があった。

 ドラゴニュートは背後に回るルルに対して腰から生える尻尾を振り回し攻撃、普通の人では出来ない攻撃にルルは虚を突かれ、無防備にその攻撃を喰らってしまう。

 

 ドラゴニュートの太く逞しい尾の攻撃に通常アバターなら数メートル吹っ飛んでしまうはず。まともに喰らったのならなおさらだ。しかし、ルルはいまだドラゴニュートの傍にいた。

 攻撃を間一髪回避したわけではない。ドラゴニュートの尻尾がルルの体を貫通してしまったためである。しかしルルのHPが全損したわけじゃあない。ルルのHPバーを見てもさっきより1割少なくなっただけである。

 これが不定形アバターの最大の特徴。《部分欠損ダメージ》が無いのだ。尻尾によって削られたルルの体は残っている炎が補填し、すぐさま復活、次の動作をよしとした。

 

「喰らいなさい!」

 

 この至近距離でルルは槍の攻撃を選択。手のひらから生える様に現れた細い槍をぶん回しドラゴニュートに振りかぶった。

 

「うおっと!」

 

 しかしドラゴニュートは慌てない。最初のやり取りでその槍はたいした脅威では無いと知っていたから。ただ左の手をかざすだけで受け止める。辺りに舞い散る炎の欠片。降りそそぐ炎の雪景色はとても綺麗だった。しかし見とれている場合ではない。

 ドラゴニュートは残った右腕を腰に当て普通より威力のある攻撃を繰り出した。

 

「《パンチ》!!」

 

 ドラゴニュートの渾身の攻撃はルルの振りかぶっていた腕を貫通、土手っ腹に風穴を開けた。

 これは決まった! ドラゴニュートはそう思い、ルルのHPバーの変動を確認。

 

 だが――

 

「え、なんだって!?」

 

 ルルのHPバーはさっき確認した時と殆んど変わらず残り6割となっていた。

 つまりさっきの通常技《パンチ》でたったの1割しか削れなかったのである。

 

「隙ありよ!」

 

 今度は両手に持った2本の槍をドラゴに突き刺してくるルル。たいしたダメージではないが飛び散る炎の量が多く視界がふさがれてしまう。

 これはまずいとドラゴニュートは一旦後ろにジャンプしてルルとの距離を置くことにした。

 そのとき悪あがきとして地面に転がっていた病院の瓦礫を蹴り飛ばし、ルルの足を貫通させた。

 

 こんなものでたいしたダメージは与えられないが、今はこっちが不利、少しでもダメージを与えないと。ドラゴニュートはそう考え、再び自分たちのHPの差を確認した。

 

「あれ? どうして……」

 

 ドラゴニュートは不思議な現象を見た。ルルのHPバーが残り5割まで減っていたのだ。さっきまではまだ6割残ってた、見間違いではない。ではなぜ……

 

「そういうことか! ルル! キミはどんな攻撃をくらってもHPが1割減ってしまうんだね!?」

「うぐぅ……」

 

 ルルの痛いところを突かれたという素直なリアクション。

 そう、《フレイム・ゲイレルル》にはもうひとつアビリティを持っていたのだ。

 その名前は《物理一定(セイム・ダメージ)》、物理ダメージならカスリ判定以外――ルルの炎の装甲を突き抜ける攻撃をくらうとHPが1割減ってしまうというピーキーなアビリティである。

 どんなに強力な攻撃を受けても1割しか減らない、しかし弱い攻撃でも10発もらったら負けてしまう、そして――

 

「その高熱の体を使った突進も可能だけどその反動のダメージもまた一割だったんだね!?」

 

 最初病院でドラゴニュートの上から体ごと突撃、槍とは比べ物にならないくらい圧倒的な炎の質量でドラゴニュートを押しつぶすことが出来たが、高い炎熱体性のあるドラゴニュートでは逆にルル自身がが分散してしまいダメージを食らってしまった。そして床が崩れ、そのとき破片の瓦礫が体のどこかに当たってしまったのだろう。

 それがドラゴニュートと外で対峙した時のこりHPが8割りだった理由だ。

 

「ふん、それがわかったからってどうするっていうの? あなたはあと5回あたしに攻撃を当てなきゃならない。でもあなたのHPはもう1割程度しかないわ。さっき確認したけど、それはこの槍を2発まともに当てられればそれでなくなってしまうHPよ。さあ、どうするの!?」

 

 ルルはあと5回ダメージを耐える余裕がある。いかにドラゴニュートが素早い攻撃を繰り出そうとルルが1回分を犠牲にしながら両手で槍をドラゴニュートに叩きつければそれで終わってしまうのだ。

 もうルルの勝ちは決まってしまったのか。ルル自身を含め《ギャラリー》達でさえそう思っているときだ。

 

「ふふふ、甘いよルル、こんな状況はいつだって乗り越えてきた。一発だけ先制攻撃を行いあとは逃げ続ける《当て逃げマリー》、自分の攻撃範囲ギリギリからちまちま攻撃を繰り返してきた《スナイパー・バーミリオン》、ボクは彼らにだって勝ってきたんだ。だからここにレベル3としてここに立っている!

 そう、ブレインバーストで勝てるのはアバターの性能をフルに発揮することだけじゃない! ここも必要なんだ!」

 

 そういって《プラチナム・ドラゴニュート》は自分の胸を指す。

 ドラゴニュートの言葉に《ギャラリー》の古参やたまたまルルの試合をみて登録していた新人たちはみんな胸を打たれていた。

 

「なら、そのハートで! ここから勝って見なさいよ!」

 

 ルルは手に持っていた炎の槍を2本、ドラゴニュートに向かって投げつけた。どんなにいいこと叫んだってあと2発当たればHPは全損する。それじゃなくてもかすりダメージで削っていけばそれだけで勝てるんだ。ルルは槍を次々に投げ飛ばした。

 

 ドラゴニュートはその槍の雨を目の前に微動だにしなかった。避けるそぶりは無い。

 どうやってこの攻撃をふぜぐのか、《ギャラリー》は皆固唾を呑んで見守った――

 

「必殺《テール・アタック》!!」

 

 ドラゴニュートのその言葉に、彼の白金の尻尾は光り輝き円の軌道を作り出した。

 しかし、その位置がいつもより低い、地面すれすれ、いや地面に当たっているではないか。

 そう、ドラゴニュートの狙いはそこにあった。ドラゴニュートたちが戦っていたのは病院が崩れた跡地、その地面には瓦礫の山が散乱している。

 ドラゴニュートはその瓦礫を自分の尾によってひっくり返したのだ!

 

 高速で回転する尾に当たった瓦礫たちは四方八方に飛び散った。そのいくつかはルルの元へと飛んでいく。

 

「これを狙ったの!? でも無駄よ!」

 

 いくら大量の瓦礫を弾き飛ばしてもルルの元へと届くのはほんの一握り、運動性能が高いルルからすれば回避するのは容易いことだった。

 危うげも無く最後の瓦礫を回避したルル。これで万策尽きただろうと瓦礫の確認もそこそこにドラゴニュートへと顔を――

 

「しまった!」

 

 これは最初の攻防の焼き回しではないか、しかし役が逆転している。ならこのあとのドラゴニュートの行動は!?

 

「あの瓦礫はルルを攻撃するためじゃなく、炎の槍を消すために使ったんだ。そして、本命は……これだよ!」

 

 ドラゴニュートが両手に持つのはさっき巻き上げた瓦礫の一部。

 その大きさはそれほど大きなものじゃないが、力のある彼が投げつければルルの装甲の許容量は簡単に超えてしまうだろう。

 

「もしかして、それを……」

「そう……もしかして、だよっ!」

 

 ドラゴニュートが思いっきり瓦礫を分投げる。その速さはさっき飛んできた瓦礫の比ではなくルルは辛うじで回避することができた。

 

「ほーら、次々いくよー!」

 

 言葉の通り掘り起こした瓦礫の山を次々と掴み、投げていくドラゴニュート。

 格闘ゲームらしからぬその攻撃にルルはカンカンだ。

 

「ちょっと! さっきの勝つのはハートがどうのこうのはどうしたのよ!?」

「アレはどんなブーイングにも負けないくらい強いハートを持てって事だよ。彼らは途中でそれに負けてしまったからボクに負けたんだ……」

 

 悲しそうな声を出すドラゴニュートだったが決して手は緩めていない。ルルの槍の雨を上回る瓦礫の雨あられをドラゴニュートは繰り出していく。

 

「卑怯よ! わたしこのゲーム初めてなんだから手加減してくれてもいいじゃない!」

「ハハハ! ボクは言ったよ、絶対許さないって!」

 

 逃げるルル、瓦礫を持って追いかけるドラゴニュート。彼らの追いかけっこは当たり一面の瓦礫が無くなるまで続きましたとさ。

 

 

 

 

 

 

「最低よ! あんなのってないわ!」

「まあまあ、結局はカンナちゃんが勝ったんだから落ち着きなよ」

「落ち着けですって!? よくもそんなこと言えるわね!」

 

 あのあと、瓦礫が無くなるまで奇跡的な回避を続けた《フレイム・ゲイレルル》ことカンナはその後タイムアップのお蔭で判定勝ちを拾うことが出来たのであった。

 しかし、地獄のような時間に長時間さらされたカンナは試合が終わったあともまだ憤っていた。

 

「それにレベル差のお蔭でカンナちゃんいっぱいポイント貰えたんだからよかったじゃない」

「あの戦いでもたった30ポイントしかもらえないなんてこのゲームやっぱりおかしいわね。

 そ、れ、に! あなたがトッププレイヤーの1人だと言うことにも納得がいかない! たったのレベル3じゃない!?」

 

 このたったレベルを3上げるためにマサトは数多くの戦いを潜り抜け、その裏では多くの全損者が出ていることをカンナはわかっていた。戦いのあとたくさんの《ギャラリー》から話しかけられ、みんなに尊敬されていることも。

 だが、今まで情けない姿しか見ていなかったマサトがゲームの世界ではみんなの憧れの存在だなんてどうにも納得が行かないことだったのだ。

 

「でも、このままじゃずっとボクはレベル3のままなんだ。だからカンナちゃん、ボクに協力してくれないかな?」

「ふーん……」

 

 やっぱりマサトはマサトか、いつもの情けない顔で自分に頼みごとをしてくるマサトにカンナはそう思いなおした。

 そうなると気分も持ち直すことが出来る。カンナはマサトの願いを受け入れることに下。

 

「いいわよ。協力してあげる。それで、わたしは何をすればいいの?」

「ありがとうカンナちゃん! それじゃあボクとタッグを組んでよ!」

 

 

 

 

 これがのちの全BBタッグプレイヤーが恐れることになる《ブレイズ&ドラゴン(火炎龍)》の始まりだとは当人たちでさえ知らなかった。

 

 

 

 



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第8話 《無制限中立フィールド》

 マサトの作戦はこうだ。

 まずカンナとタッグを組む。そしてカンナが《世田谷区第三エリア》以外の場所で他のBBプレイヤーにタッグバトルを挑むのだ。

 するとマサトは病院内にいながら他の地区で戦うことが出来るのではないか、そう考えた。

 

 結果から言えばマサトのたくらみは成功。

 カンナに病院へのお見舞いに来る回数を減らしてもらい、その分他地区(遠征)に出てもらうことで再び《ブレイン・バースト》の世界へ行くことが出来るようになったのである。

 

 当然、この件でカンナとひと悶着はあった。毎日母親のもとへお見舞いに来たいカンナ。彼女にとってこの作戦は気持ちよく了承できるものではない。

 しかし、この話にGOサインを出したのもまたカンナの母親であった。カンナが何か悩みを抱ええていることを敏感に察知した彼女の母は言葉巧みにその悩みをカンナから聞き出していく。

 毎日お見舞いに来たいけど友達の願いも聞いてあげたい、というカンナの話(もちろん《ブレイン・バースト》のことは詳しく話していない)に自分のせいで友人関係が疎かになっていないか心配していたカンナの母はもろ手を挙げて賛成した。

 むしろ病院に来なくなることでマサトと会えなくなるから寂しくないかと(おど)けたくらいだ。カンナは顔を真っ赤にして否定していたが……

 

 

 とにかく、マサトはカンナと共に再び《ブレイン・バースト》の世界に舞い戻ったのである。

 

 

 

 

 

 

「このままじゃ(らち)が明かない……マサト! “あれ”やるわよ!」

「“あれ”? ……わかった! 行くよ……せーっの!」

 

 今、2人が戦っているのは不気味な雰囲気が漂う《魔都》ステージ。

 このステージの特徴は建物等が石で作られた禍々しい形に変わり、全体的に暗い色合いと化すこと。さらにステージ全体に漂う深い霧のせいで数十メートル先さえうまく見通せなくなることである。

 

 そのステージ効果をうまく使って、攻撃しては霧にまぎれ、姿をくらます相手チームのヒット&アウェイ作戦に《フレイム・ゲイレルル》は戦闘開始から徐々に苛立ちを募らせ始めていた。

 相手の1人が放つ動きを阻害してくる粘着質のジェルのせいで相方(ドラゴ)の身動きがとれなくなり、まったく役に立たなくなっているということもその怒りを助長していた。

 

 炎の体を持ったルルにジェルがかかったとしても、自らの体から噴き出る炎で燃やしてしまえばジェルは蒸発させることが出来たので問題なかった。

 しかし、ドラゴニュートはそうは行かない。素早く動けないドラゴニュートは次々降り注いでくるジェルを上手くかわすことが出来ず、現状、地面と足を縫い付けられその場から動けず、ただの大きくて目立つ的になってしまっていた。

 

 幸いなのは相手の遠距離攻撃手段をそれしか使わず、ジェルそのものには攻撃判定が無いことだろうか……。だが、その決定力のなさを補うように相手は素早い動きで相手を翻弄するタイプの青型アバターと組んでいた。その速さは身軽でトリッキーな動きが出来るルルでもその攻撃をかわしきれないほどである。

 それに加え、炎で煌くルルの体、その光を反射するドラゴニュートの白金の装甲……両者の体はステージの濃い霧を持ってしても遠目から目立つほど輝いていた。つまり相手からこちらの位置が丸見えだったのだ。

 

 相手は自分たちの位置がわかり、こちらはわからない。

 徐々にルルのHPを削っていく敵の攻撃、ルルがこの場を離れ、身を隠したとしても攻撃の標的がドラゴニュートに変わるだけだろう。動けないドラゴニュートがその攻撃に対処できるはずも無く一方的に攻撃されて負けてしまう。

 ルルひとりでもどこから来るかもわからない攻撃をかわし続ける事が出来ず負けてしまう。

 このままではジリ貧、それを危惧したルルは現状打破のため、ドラゴニュートに協力要請を出したのだ。

 

 

 ドラゴニュートはジャンプしながら近づいてきたルルをそのまま担ぎ出し、気合の声と共にルルを腕の力だけで空高く投げ飛ばす。

 体が実態を持たないからこそ軽いルルと、動きは遅いが力のあるドラゴニュートだからこそ出来る芸当。彼らの戦いを見ている《ギャラリー》達からも感嘆の声があふれ出る。

 

「敵が見えなきゃ見えるようにすればいいのよ!

 

 《フレイム・ランス》!」

 

 ルルの手から次々と投擲される炎の槍によって地面は燃え上がり、ステージを覆っていた霧がどんどん晴れていく。

 《フレイム・ランス》は彼女がレベル2に上がった時に手に入れた必殺技で、彼女の体から取り出される強化外装の槍をただ投げつけるだけよりも、威力、持続性、スピード、全てを強化してくれる技である。

 

 炎で自分の姿が目立つなら、逆にそれを利用すればいい。ルルの取った起死回生の手は思惑通りに効果を発揮した。

 そしてその途中、《自由落下(フリーフォール)》のアビリティを使い、落下速度を極限まで遅くすることで空中に浮かんでいたルルの目に慌てて大通りから細い路地に逃げ込んでいく対戦相手たちの姿を発見した。

 そのことをドラゴニュートに伝え、自分はこのまま浮かんだまま上からドラゴに指示をだしつつ援護射撃をすれば……。ルルは今までのイライラした戦闘がウソのように自分たちのペースで進んでいってることに気分が晴れ、勝てるかもしれない! そう思っていたが――

 

「ドラゴ、このまま北上して4つ目の路地よ! 追いかけて!」

「そんな事いっても、これじゃあ……!」

 

 ルルは忘れていたのだ……。

 

 ドラゴニュートが情けない声と共に足を上げると、ネチャっと音と共に足にくっ付いているジェルが地面との間に糸を引く。これじゃあ追いかけるどころか動くこともままならない。

 

 ドラゴニュートが今どのような状況に陥っていたのかを……。

 

 ダメでしょ? そう問いかけるドラゴニュートの視線を受けたルルは――

 

「…………《フレイム・ランス》!」

 

 うつむき、なにも言わずにドラゴニュートへ向かって自分の炎の槍を投げつけた……

 

「うわっ! なにすんの、ルル!?」

 

 相方からの無言の攻撃に驚いたドラゴニュートは宙に浮かぶルルを睨みながら抗議する。

 

「いくらFF(フレンドリーファイヤ)がないといっても、その突っ込みはひどく……な、い? あれ?」

 

 一歩二歩とルルに詰め寄りながら文句を口に出すドラゴニュート。その途中でようやく自分が動けるようになっていることに気が付いた。

 ルルの投げた炎の槍が、ドラゴニュートにくっ付いていたジェルを焼き尽くしたのだ。決して怒ったルルがドラゴニュートに八つ当たりしたわけじゃあない。そして偶然の結果でジェルが焼けたわけでもない。

 

「はぁ、もういいわ。敵も見失っちゃったし……。

 今日でレベル4に上がる予定なんでしょ、しっかりしてよねドラゴ!

 わたしがバンバン槍投げて相手の逃げ道ふさぐから、ちゃんとあなたが倒すのよ?」

 

 ドラゴニュートがまだどこかにジェルが残っていないか確認しているうちにルルはドラゴニュートの隣へ降りる。そしてドラゴニュートの背中に残っていたジェルの残りカスをサッと撫でながら焼き落とすと、ルルはそのまま背中を叩いて激励を送った。

 ドラゴニュートはわかってるよ、と言いたげに視線をルルに送るが、ルルのとがめるような目を正面から受け止めてしまいとっさに目を逸らしてしまうのであった。

 

 あと一歩で目標を達成する、その先にある感動に目が眩み、すこし浮かれているようだ。

 今回の戦いも相手の能力を確かめもせずに突っ込んでしまったから陥ってしまったピンチであったし、そのせいで無様な格好を晒してしまっている……。

 ルルはその緩んでいた気持ちを締め直してもらうためにもう一回背中をバシンと叩く。ドラゴニュートにもその気持ちが伝わったのだろうか、緩んでいた気持ちがグッと引き締まった気配がする。

 

「よし! 頑張ろう!」

「……うん、いいヤル気ね。

 今度はわたしが先頭になっていくわよ。そうしたら恐らくジェルを使わずに青いほうが突っ込んでくるはずだから、わたしはそれを避けない。その代わりに相手の攻撃の隙にドラゴが青いのをコテンパンにするのよ……出来る?」

「大丈夫、それでいこう」

 

 2人は同時に一歩踏み出した。勝利へ向かって、そしてその先にある“噂のフィールド”へと向かって…………

 

 

 

 

 

 

「ふー、辛勝ってとこかしらね?」

 

 残り2割まで削られたHPゲージを眺めながらルルはそう呟いた。

 あれからルルの作戦は見事に当たり、飛び込んでくる青型アバターの攻撃を避けずに無抵抗で受け止めた。しかし、ルルの実態を持たないアバターに相手はそのままルルの体を通り抜け、ルルの後ろから来ていたドラゴニュートと鉢合わせ。背面からUターンしてくるルルと挟み撃ちの格好へ持っていった。

 2対1の状態で青型アバターを素早く倒せたのはよかったが、そのあとの戦闘が泥沼だった。

 もうひとりの粘着液を発射する敵がルルの弱点に気が付き、実態弾に攻撃を切り替えてきたせいだ。

 

 《フレイム・ゲイレルル》のアバターは軽量の体を生かした素早い動きと浮遊移動によるトリッキーな動き、そしてかなり燃費のいい必殺技《フレイム・ランス》による連続攻撃が特徴だ。アビリティ《自由落下(フリー・フォール)》とのあわせ技、先ほど行なった“空中爆撃”を使えば遮蔽物の無いフィールドなら一方的に攻撃を続けられる脅威の性能である……。

 しかし、その炎の体の防御力はとても弱い。“紙レベル”である。相手のパンチやキックは愚か、その辺の石ころを投げつけられた程度で簡単に体を貫通させてしまう。

 そしてルルの持つもうひとつのアビリティ《物理一定(セイム・ダメージ)》によって10回攻撃を受けてしまえばHPはゼロになってしまうオマケ付き。

 

 そう、たとえ相手がレベル1のときから威力を上げていないようなへなちょこ弾でも、10回もらってしまえば負けてしまうのである。

 相手の攻撃を“壁”で防ぎつつ炎の槍を投げつけ反撃する。相手も負けじと銃弾で応戦する。

 まるでハリウッド映画のごとく銃撃戦がこの場で繰り広げられたのだ……。

 

「ルル~、そろそろ“コレ”溶かしてくれない?」

 

 そこに居たのは粘着ジェルがコレでもかと体中に張り付き、団子状になってしまったドラゴニュート。

 そう、かの銃撃戦は再びジェルによって動けなくなっていた《プラチナム・ドラゴニュート》の硬い体を“壁”にして行なわれていたのであった……。

 

 

「よう、ドラゴン。なかなか面白いバトルだったな」

 

 団子状に固まったジェルをルルが炎で焼いている途中、ドラゴニュートの背後から気安く声を掛ける人物がいた。

 ドラゴニュートが動ける範囲で必死にそちらへ顔を向けるとそこに居たのは見事なまでの“青い騎士”。

 重そうな鎧を着込みながらもそれを感じさせない軽快な動き、その騎士と同じ色のマントをはためかせながら堂々とした歩みでドラゴニュートたちに近づいてきた彼の名前は《ブルー・ナイト》。

 ドラゴニュートと同じ《第一世代》のBBプレイヤー、そして周りからは《純枠色(ピュア・カラーズ)》と呼ばれ恐れられている者のうちのひとりだった。

 

「やあ、ナイト。珍しいねキミから話しかけてくるなんて」

 

 ドラゴニュートとナイトの関係はかつて彼らと切磋琢磨した友人《ラピスラズリ・スラッシャー》をまたいでのものでしかなかった。

 ほぼ同じ色、同じ武器、しかし異なる戦い方。スラッシャーとナイトがお互いを意識するのにそう時間はかからず、お互いが自分のほうが強いといつも自己主張し、ひどい時にはその判定を第三者から無理やり聞き出そうとするほどだった。

 それに巻き込まれた形でナイトとは一言二言話した程度。2人の関係は精々顔見知り、ドラゴニュートはそう思っていた。

 

「まずは、祝いの言葉を遅らせてもらうぜ。オメデトさん。

 急に話し掛けて驚かせちまったか? まあ、オレの目標だったドラゴンがようやくレベル4になるって言うんだから、祝いの言葉でも一つくらいかけようとするのが礼儀ってもんだろ」

「目標? ボクが?」

「そうさ、俺たち《第一世代》でいち早くレベル2へと上り詰めた強者。

 そのあとも次々襲い掛かる挑戦者たちに一歩も引かず退けて、瞬く間にレベル3へとなっちまったBBプレイヤー。目標の一つもなるだろ」

 

 思っていた以上に思われていたらしい。ドラゴニュートはナイトの思いがけない告白にビックリする。

 もともと人見知りの気が強いドラゴニュートはスラッシャーと最後の対戦をしてから今までどのBBプレイヤーとも深い関係になろうとしていなかった。だから自分のことは周りからよく思われていないんじゃないかと、ずっとそう思っていたのだ。

 

「でも、そのあとが……な。ドラゴンならその勢いのままにレベル4にもなっちまうと思ってたけど……」

「それは……」

 

 マッチングのアップデートのせいで無理だった。ドラゴニュートはアバターの下で唇を噛む……。

 対戦相手は全て退けた。深い関係を作ってこなかった。そのせいであの状況におちいってしまったのだが、そのお蔭でルルと出会え、仲良くなれたとも考えられる。ドラゴニュートはそのことに関して後悔はなかった。

 でもぶっちぎりで先頭を走っていたのに、後から来た人たちに次々と抜かされていってしまったことは少し悔しいと感じていた。もし自分の体が自由に動かせたなら……時折そう考えてしまうドラゴニュートだった。

 

「悪い、リアルの話はタブーだよな。あー、オレが言いたいのは目標にしていた奴と肩を並べられるようになって嬉しいって話だ。……本当はスラッシャーもいたらもっと嬉しかったんだが……。

 …………と、とにかく! 待ってるぜ、“上”でな!」

 

 ナイトは伝えたかったことは全部言ったのか、ドラゴニュートの肩を叩いて去っていった。

 “上”、つまり《噂のフィールド》のことだ。レベル4に上がると行けるといわれている新しいフィールド。ようやく自分もそこへいける。そのことを思い出したドラゴニュートは暗くなった気持ちを振り払い、早速レベルを上げようとするが……

 

「待ちなさい」

「へ……?」

 

 レベルアップボタンを押そうとした腕をルルによって防がれてしまった。

 どうしたの? そう問いかけるドラゴニュートにルルは――

 

「あと一週間……いえ、あと3日待ちなさい。そうすればわたしも一緒にレベル4になれるわ」

「…………えぇ!? どういうこと? だって、ルルのレベルは……あれ? この前レベル3になったんだっけ?」

「そうよ、それに今のポイントは一週間前のあなたのポイントとそう変わらないくらい持ってるわよ?」

 

 《ブレイン・バースト》を始めてから半年、コツコツと貯めてきたポイントがゲームをインストールして数ヶ月しか経っていないルルに追いつかれていたという事実にドラゴニュートは再び驚きの声を上げるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 《ブレイン・バースト》の世界から抜け出し、病院に戻ったマサトにカンナは、マサトとタッグを組んでから2対2でバトルを繰り返すのはもちろん、そのあとも“ソロ”でマッチングを続けていたという。特に土日はミッチリバトルをこなしたわよ。と満面の笑みで語っていた。

 

 なぜそんなことをしたのか、マサトがそう問うと、マサトよりレベルが低いなんて自分が許せなかったのよ。などとカンナの気持ちもわかるようなわからないような答えを返されマサトは混乱した。

 

「それに……」

「それに?」

「あなた、例の“上”に行ったらずっとそこで遊ぶつもりなんでしょ! ならわたしは誰とタッグを組めばいいっていうの!? それとも自分の用事が済んだらわたしはポイ捨て? わたしはそんなに安い女じゃないわよ!」

「え、えぇ~?」

 

 腕を組み、マサトを睨みつけながら語るその理由が一番わからなかったマサトだった。

 

 

 

 

 そして(きた)る3日後、カンナは約束どおりレベルアップに必要なポイント、それに加え何回か負けてもポイント全損しない程度のマージン(余裕)をもったポイントを貯めてマサトの病室へと訪れた。

 これから2人同時にレベル4になるためである。

 

「それじゃあいくわよ?」

「いいよ、じゃあ せーの で」

 

 2人仲良く言葉をそろえ、同時にレベルアップするためのボタンを押す。

 するといつも通りのレベルアップボーナスを選ぶ画面が出現。

 その内容を確認している途中でポーンと、どこにでもあるようなビープ音が聞こえ、視界に新しいウィンドウが現れる。

 しかし、これもいつも通りというか表示された文字は全て英文だった。

 

「んー、んん? うん……なんて書いてあるの?」

「マサト……あなたあとで英語のドリル10ページ追加だから。

 えーっと……《INVITATION》? 招待状、かしら……ふーんなるほど」

 

 カンナがいうに、やはりこれは《噂のフィールド》への招待状。そして、その場所へ行くための“魔法の言葉”が書かれていた。

 久しぶりの高揚感、新しい場所へ飛び込んでいく緊張、『現実の世界』では味わえない興奮に身をゆだねながらマサトはカンナと口をそろえて魔法の呪文を唱えた。

 

 

 

 

   『アンリミデット・バースト』と。

 

 

 

 

 

 

「すごい……」

「すごい、ね……」

 

 《噂のフィールド》へと降り立ったドラゴニュートとルルは無人の病院を駆け上り、屋上へと飛び出した。

 そしてそこで見た風景はまさに絶景、その一言であった。

 機械然(きかいぜん)とした黒鉄の町並み、主要の建物はライトアップされ悠然と輝いている。いつも見ている病院の外の光景、しかしこんな姿は見たことない。

 どこまでも、文字通り世界の果てまでも続くその光景に2人はしばしその光景を目に焼き付けていた。

 

 

「ねぇ、見て。時間表示が出てない」

 

 ルルの声を聞き、ドラゴニュートが目を上へ向けると、確かに通常対戦時1800秒の時間を刻むカウントダウン表示がどこにも無かった。

 あるのは自分のHPバーと必殺技ゲージ、そして近くにいるルルのゲージだけ。

 噂のとおりここにはなんの制限も無いのだ。

 

 

  《無制限中立フィールド》

 

 

 それが今ドラゴニュート達が立っている場所の名前。

 境界線、無し。

 制限時間、無し。

 戦闘制限人数、無し。

 

 ありとあらゆる制約は取り払われ、あるのは無限に広がる世界と、彼らBBプレイヤーのみ。それがマサトに与えられた『新しい世界』だった。

 

 

 

 

「じゃあ、探検しましょ!」

 

 ルルの提案に二つ返事で了承し、ドラゴニュートは病院の外へと駆け出した。

 まずはどこへ行こうか、マサトはここの噂を聞いた時絶対にやろうとしていたことがあった。

 この強靭な体を使い、思いっきり体を動かすのだ! そのために相応しい場所をマサトは決めていた。

 

 

「それで、そこがここなのね?」

「そう! ここで思いっきり運動するのがボクの夢だったんだよ!」

 

 フィールド属性のせいで少しメカメカしく(・・・・・・)なっているが、広い空間に敷かれた楕円を描く8本のライン、その場所をよく見えるように設置された観客席……ここは陸上競技場。

 世田谷区にあるオリンピック公園の中にある施設のひとつだった。マサトは息が切れるまで思いっきり走り回るという夢を叶えるためにここへ来た。

 

「ふーん。それはいいんだけど、“アレ”なんだと思う?」

 

 ルルが指さしたのは運動場の中心にいる、たくさんの小さなモノ達。よく見てみると運動場の芝生、もとい金属で出来た草をかじっているようだった。

 

「なんだろうたまに対戦でも見かける《大型生物オブジェクト》みたいなものだとは思うんだけど……。対戦フィールドに現れているのと違って結構自由に動いてる。

 たぶん、対戦フィールドみたいにちょっかいを出すと暴れだす地形効果みたいな感じじゃなくて、こっちを見た途端襲い掛かってくる……MMORPG的な《エネミー》みたいなものじゃないかな。そうすると、アレを倒すと経験値が貰える……ことになるのかな……?」

「経験地って……じゃあ、アレを倒せば《バースト・ポイント》が増えるかもって言うの?

 どう見たってもらえる経験値は1、精々2くらいしかなさそうな外見だけど……」

「そう、かもね。それにアレだけいるんだし1匹のポイントが少なくても全部倒せば結構もらえるよ」

 

 運動場の真ん中で平和そうに過ごしている小動物はざっと数えても30匹はいた。

 1匹1ポイントとしても2人で15ポイントは獲られる計算になる。普通に対戦するよりも効率がいいかもしれないと、ルルとドラゴニュートは運動場まで降りるのだった。

 

 

「近くで見てみるとハリネズミみたいだね」

「でも体は機械でできてるみたい。変わった生き物?ね」

 

 運動場入り口付近で過ごしてる生き物を観察しながら群れからはぐれている1匹に2人は近づいていく。

 いくら弱そうな外見とはいえ、もし30匹全てが一斉に襲い掛かってきたらドラゴニュートはまだしもルルは一溜まりもない。なので確実に1匹ずつ狩っていく作戦にした。

 

「よく見ると結構カワイイかも、この子を攻撃するのちょっとかわいそうじゃない?」

「えー、そうかしら。あ、気付かれた……」

 

 精密な機械でできたハリネズミ、2人の外敵が近づいてきたことを察知したその固体は背中から生えている金属でできた無数の針を逆立ててルルとドラゴニュートを威嚇しはじめる。

 そして2人がそれでも逃げ出さないことを感知するとその逆立てていた針を一斉にドラゴニュートたちに射出するのだった。

 

「きゃ…………」

「あいた! ってルル!?」

 

 予想外の攻撃をまともに喰らってしまったドラゴニュート、そして無数の針による連続攻撃であっさり許容範囲を超えHPを全損してしまったルル。

 ルルのHPが無くなってしまった事でルルのいた場所から赤い光の柱が立ち上がる。光の柱が消えたあとには60分をカウントダウンする浮遊物が残されていた。

 

 どうやらこの《無制限中立フィールド》でHPをゼロにされ、負けてしまった場合『現実の世界』に帰ることなく負けた場所で復活を待たなくてはならない仕様らしい。

 そう判断したドラゴニュートは続けて攻撃を仕掛けて来そうなハリネズミに注意を向けることにした。

 針がなくなったハリネズミは愚直にドラゴニュートへ体当たりを仕掛ける。

 ドラゴニュートはその攻撃を受け止めた後、反撃を仕掛けようとするが……

 

 ――HPの消失が止まらない!? というかさっきの針攻撃で4割も喰らってたなんて!

 

 針の攻撃の大半はルルへと飛んでいった。なのでドラゴニュートに当たったのはほんの数発、それも腕や足に掠った程度。それなのにHPバーの減りは凄まじく、それに加えハリネズミの体当たりで残りのHPも削れ、あっというまに1割まで減ってしまった。

 

 それを見た瞬間ドラゴニュートは外見が弱そうだからと目の前のモンスターにケンカを売ったことに後悔した。

 

 RPG序盤でレベル上げと資金稼ぎのために延々と狩られ続けるだけのようなモンスターがこの《ブレイン・バースト》ではこんなに強いだなんて……しかも同じ個体が回りにも沢山いる。

 ようやくこの世界の理不尽さに気が付いたが、しかしもう遅い。ハリネズミはもうすでに次の攻撃態勢を取っている…………

 

「う、うわぁぁーーー!! 助けてぇーー!」

 

 さすがにこの場で2人そろって負けてしまうことはまずい、とドラゴニュートはハリネズミから逃げ出すが、自分たちの縄張りに土足で踏み込んできたものたちに怒り心頭のハリネズミは猛然とドラゴニュートを追いかける。

 

 結局は追いつかれ、HPを全損させてしまうドラゴニュート。しかし、息が切れるまで走り回りたいという当初の夢は図らずも叶えられたのだった。

 

 

 

 



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第9話 《レギオン》

 

 マサト達が初めて《無制限中立フィールド》へと降り立ち、そこに生息するモンスターに手荒い歓迎を受けてから早数ヶ月。あと一月もすれば《ブレイン・バースト》が始動してから1年が経つ、そんな時期……。

 

 数多くのBBプレイヤーたちが先人たちのあとを追い、《無制限中立フィールド》へと降り立っていた。

 そして、最初期の頃のようにBBプレイヤーたちによって発見されていくこのフィールドの仕組み。

 

 たとえどんなに弱そうな外見をしていても、レベル4が束にならないと倒せないフィールドモンスター《小獣(レッサー)級エネミー》。

 そんな彼らを餌としているより大型の《野獣(ワイルド)級エネミー》。

 遠目から見てもその姿を発見できる《巨獣(ビースト)級エネミー》などが発見された。

 

 他にも、ここのフィールドの属性は次々に変わることから《混沌》と名付けられたり、町の中に強化外装やその他アイテムが買える《ショップ》があることが見つかった。

 

 

 そして、いま最も話題を集めているのは《レギオン》の話だった。

 

 《レギオン》

 それはMMORPGのギルドと同じで、仲のいい者同士、同じ目的を持つ物同士、様々な理由で集まった者たちが集まった“軍団”だ。

 《無制限中立フィールド》内で発生するとあるクエストをクリアするとレギオンマスターになれる権利が発生する。

 そしてレギオンを率いてもう一つクエストをクリアすることができれば彼らは《領地》を手にすることができるのである。

 《領地》とはマッチングの区画分け分布と同様の数があり、レギオンが領地を持つとその場所での挑戦を拒否することができるのだ。

 

 そして多くのBBプレイヤーが熱中しているのが他のレギオンの《領地》を奪い合う同数対同数の《領土戦》だった。

 もとよりゲームの大好きな彼らは少数精鋭のチーム、数をそろえ状況に合わせるチーム、一点特化でその分野では他を寄せ付けないチームなどと多種多様の《レギオン》を作りあげ、その実力を遺憾なく発揮しながら《領地》を巡って争った。

 

 特に人気がある《レギオン》は《純枠色(ピュア・カラーズ)》率いるチームだった。

 もとより彼ら個人の知名度が高く、他者を寄せ付けず圧倒的な強さを見せる彼らが率いる《レギオン》は次々と《領地戦》勝ち抜き、テリトリーを広げ、そのメンバーを増やしていった。

 

 渋谷区を中心に領土を広げていく《グリーン・グランデ》率いるレギオン《グレート・ウォール》

 

 そのすぐ近く新宿区を支配するのは《ブルー・ナイト》率いる《レオニーズ》

 

 練馬区は《レッド・ライダー》の《プロミネンス》が陣地を張り、《ホワイト・コスモス》は港区の領土を庇護していた。

 

 そしてここ最近頭角を現し始めている《イエロー・レディオ》、その新たなる《純枠色(ピュア・カラーズ)》は足立区を順調に支配していった。

 

 

 はてさて、この東京23区を削り合う群雄割拠の戦国時代、いまだトッププレイヤーと肩を並べ、《無制限中立フィールド》に入り浸っている《プラチナム・ドラゴニュート》はというと……

 

 

 

 

 

「団長、コレが今週新しく入ってきたメンバーの一覧です。一応目を通しておいてくださいね」

「んん? おう、ありがとうなドラゴニュート(・・・・・)。いつも助かるぜ!」

「いや、コレでも副団長ですから」

 

 ドラゴニュートは自分と同じ《メタルカラー》を持つ《マグネシウム・ドレイク》がマスターを勤めるレギオン《スーパー・ヴォイド》に副団長として所属していた。

 

 当初、ドラゴニュートとその相方の《フレイム・ゲイレルル》の両名はレギオンに所属するつもりも、自分たちが作るつもりもなかった。レギオンマスターになるクエストには最低4人はいないと達成不可能なギミックがあったし、そもそも過疎地である《世田谷第三エリア》に領土を張っても誰も挑戦してこないからである。

 そんな彼らに声をかけてきたのが大田区に現れた新星BBプレイヤーの《マグネシウム・ドレイク》だ。

 

 ドレイクは快楽主義のきらいがあった。なぜならドラゴニュートたちをレギオンに誘った理由が「《火炎龍(フレイム&ドラゴン)》で知られるお宅らと俺の必殺技が被って(・・・)るのが気になってたから」である。

 確かにドレイクの顎の突き出たその顔は竜のよう凶悪で、その口から吹き出す必殺技《焔色吐息(フレイム・ブリーズ)》を使えばその姿はまさに焔を吹き出す火龍そのものであった。

 

 しかし、そんな理由だけで自分たちを無理やり仲間に引き入れるなんてと、ドラゴニュートは当初辟易(へきえき)したものだ。

 レギオンが作られてからも、ドレイクはドラゴニュートたちレギオンメンバーをあちらこちらへ引っ張り回していった。

 新しいダンジョンが開拓されれば西へ、新しいクエストが見つかれば東へ。

 行きゆく道の途中で珍しい《巨獣(ビースト)級エネミー》を発見すればひとりで突っ込み、あっさりと負け、ヘイト(憎悪)値だけが残ったエネミーが暴れまわり、彼に連れられていたメンバーは全滅……なんてこともよくあることだった。

 

 だが、ドレイクの奔放な性格と、何が起きても笑って済ませるその明るさに、彼らは憎めず。「ドレイクならばしかたない」と最終的に全員で笑って許したのだった。

 

 

 いまや《スーパー・ヴォイド》は《純枠色(ピュア・カラーズ)》率いるレギオンにも負けないくらいの大レギオンとなり、BBプレイヤーならば知らないものはいないほど有名なチームになっている。

 

「でもなー、ドラゴニュート……。なーんでこいつらは俺らのところ(レギオン)に入ってくるんだろうな?

 俺らって大したことはやってないよな?」

「確かに《グレート・ウォール》のようにポイントがピンチになったら一時貸し出す処置や、《プロミネンス》のようにリーダーが強化武装をくれるわけじゃないですね。……でも、何もしてないって事はないでしょう? この前の大規模戦闘、忘れたとは言わせませんよ」

 

「はは、ハハハ……この前のって、東京湾に出てきた《リヴァイアサン》と羽田空港にいる《ティアマト》、あとゴミ処理所から突然出てきたヘドロ怪人、《神獣(レジェンド)級エネミー》の三つ巴のことか?」

「我々も含めて4つ巴だったんですけどね……まるで相手にされませんでしたが。でも、全部(・・)あなたがあいつらにちょっかいを出したせいでそうなったんですよ! アレのせいで品川一帯は次の変遷が来るまでタダの荒野になってしまいました! あらゆるオブジェクトがとにかく硬くなる《鋼鉄》のステージだったのに!」

 

 下手したらレギオンメンバー全員が海の藻屑になっていたかもしれないこの騒ぎはたちまちBBプレイヤーの耳に入ることとなった。しかも《スーパー・ヴォイド》がこのような騒ぎを起こすのはコレが初めてではない。

 大抵のBBプレイヤーは《スーパーヴォイド》の名前を聞くと「面白そうだけどバカな奴らだよね」と笑うのだ。

 

 そして噂を聞きつけたバカ騒ぎが好きな奴らが《スーパー・ヴォイド》に入団し、また新しい騒ぎを作り出す。そんな彼らを纏め上げるのにドラゴニュートは大変苦労していた。

 

 

 

 

「ドラゴ! ドラゴ! 聞いて! 私も羽田空港にいる野獣(ワイルド)級の翼竜をソロで打ち取ったわ! これで私も一人前のドラゴンスレイヤーよね!」

 

 ドラゴニュートがドレイクの無茶を怒っている場所に飛び込んできたのはドラゴニュートの相方であり、レギオンのもうひとりの副団長《フレイム・ゲイレルル》だった。

 

 ルルはレギオンに入って数ヶ月間、やることなすことすっかり団長色に染まってしまっていた。

 いくらルルもトッププレイヤーの印であるレベル6だといっても野獣(ワイルド)級をソロで挑むなんて無謀でしかない。普通は10人単位の討伐隊を組んで挑むものなのだ。

 ドラゴニュートはその報告を聞いて天を仰ぐが、自分も同じようなことをしていまったせいでルルも負けじと挑戦しだしたのだから怒るに怒れない(本当はドレイクが挑むのに付いていっただけなのだが、例のごとくドレイクが負けてしまったため成り行きでドラゴニュートが戦った)。

 

「おおゲイル! お前も立派なドラゴンスレイヤーだぞ!」

「その呼び方やめてっていったでしょドレイク! あなたのこともマドレームって呼ぶわよ!」

「おお~い! そんなお菓子みたいな甘ったるい名前はやめてくれ、悪かったよルル。しかしよくその体で翼竜の羽ばたきに耐えられたな。お前、《暴風》ステージとかだと風に吹かれてピューっとどっか飛ばされてるじゃん」

「ふふん、その風を利用して逆に翼竜の上を取ってあげたわよ。あとはいつも通り“空中爆撃”ね」

 

 ルルはレベルアップボーナスの殆んどを機動力強化と必殺技強化につぎ込んでいる。特に必殺技の《フレイム・ランス》は長く、太く、強くなっている。さらに貫通属性まで付いているのだからルルに遠距離で勝てるBBプレイヤーは数えるほどしかいなくなってしまった。

 だが、相変わらず防御力は“紙レベル”であるし、《物理一定(セイム・ダメージ)》による攻撃を受けられる回数も変わっていない。相手に接近される前にどうやって倒すかがルルのバトルスタイルなのだった。

 

 

「よーし、ならいっちょ俺ら3人で羽田にいる竜全部を狩りつくすか! 誰が一番強いドラゴンか思い知らせてやる!」

「オッケー! わたしたちが最後まで残った場合は誰が一番ドラゴンを倒したかで序列が決まるからね、覚悟しときなさいよ!」

「ちょ、ちょっと、2人とも……ボクはやるなんて一言も…………。

 ……ああちょっと! もう! 仕方ない。やりますよ、やってやろうじゃないですか! 変わりにボクが一番になったら2人ともボクの言うこと聞いてもらいますからね!」

 

 レギオンのたまり場から駆け出すルルとドレイク、それを追いかけるドラゴニュート。その様子を見てまた面白いことが始まるのだと感づいたそこに居たレギオンメンバーたち全員が彼らの後に続いていく。

 

 こうして《スーパー・ヴォイド》の楽しい歴史がまたひとつ増えるのだった。

 

 

 

 

 

 

「だから無理だって言ったんだよ!」

「いやいや、マサト最後のほうじゃノリノリだったじゃない。最後まで残ったボクが一番だーなんてさ……」

「そのあとすぐ巨獣(ビースト)級のドラゴンに真っ二つにされちゃったんだけどね」

 

 結局、レギオン(軍団)VSドラゴン郡となった戦いは、相手を半分減らす前にレギオンが全滅してしまった。

 

 いまマサトは病院でカンナの剥いてくれた果物を頬張(ほおば)りながら今回の団長の無茶を愚痴っているところだった。

 

「でもヴォイドも大きくなったわよね……」

「そうだね、最初はドレイクとカンナ、ボクとあと2人の5人しかいなかったのに」

「ドレイクの最初の無茶はなんだったっけ? 私達の話を聞いてハリネズミにリベンジしに行ったとき?」

「いや、その前に当時から難攻不落で知られてた《帝城》にたった5人で挑んだことだと思うよ」

「ああ、あの皇居があるところに立っているダンジョンね。《帝城》に挑んだというより、その手前で門前払いをくらっちゃったけど……」

 

 《無制限中立フィールド》はその姿の基準を『現実世界』から持ってきていて、特に有名な建築物ならば《無制限中立フィールド》にも大きな影響を与えている。

 東京ドーム、新宿都庁、東京駅地下などがある場所に大きなダンジョンが確認されており、同じように皇居にも同程度のダンジョン……いやもしかしたらそれらを越えるほど大きく難解で強いエネミーが蔓延るダンジョンがあると言われていた(・・・・・)

 

 しかし誰もその真実を知るものはいない。なぜなら《帝城》と呼ばれる建物の周りは底が見えないほど深い崖に囲まれていてダメージ判定の付く強烈な下向きの風も吹いている。《帝城》に入るためには東西南北に設置された橋を通る道しかなかった。

 だが、その橋には守護神とも呼べる巨獣級、神獣級をも越える最強の《超級》エネミー、《四神》がいるのだ。

 

 恐らくではあるが、《帝城》はこの《ブレイン・バースト》というゲームにおけるラスとダンジョン。そこに《無制限中立フィールド》に入ったばかりの初心者(ペーペー)達が挑んでも手も足も出ないのが当たり前だったのだ。

 しかし、やってみなくちゃ分からない、とドレイクは組んだばかりのレギオンメンバーを連れ《帝城》に突貫、見事に玉砕したのであった。

 

 

「そうそう、《帝城》といえばこの前レギオンメンバーが噂してたんだけど、その《帝城》に進入して凄い強化外装を手に入れてきたっていうプレイヤーがいるんだって」

「へぇ、あの四神をどうやって倒したのかな?」

「うーん、多分いま《ブレイン・バースト》をインストールしてる全BBプレイヤーで挑んでも四神のひとりも倒せないと思う、きっと他の、なにか抜け道を使ったんのよ」

「じゃあ、もうその方法じゃ《帝城》に潜り込むのは無理か……このゲーム、不正とかイカサマとか“システムの穴”を直すの早いもんね」

「まあ、それは残念だけど、今の話は強化外装の話よ。なんでも殆んどの攻撃に耐性、または無効化されて青系の必殺技を直撃してもHPが少ししか減らないくらい防御力が高いらいいわよ」

 

 なんてバランスブレイカー(圧倒的)な装備なんだ。カンナの話を聞いてマサトはそう思った。

 そこまでの防御力を得ようとするならば、ドラゴニュートの今までのレベルアップボーナスを全て防御力アップに費やさなければ……いやそれでも届かないかもしれない。とくにプラチナを初めとする貴金属の《メタルカラー》は火や酸などの特殊攻撃や、切断、貫通などの物理攻撃に耐性を持っているが、電撃や打撃に弱く、ボーナスをもらっても伸び代は殆んど無いのだから。

 それを装備ひとつで簡単に上回ってしまうなんて、さすがラストダンジョンといわれる《帝城》にあった強化外装である。

 

「それで、そのプレイヤーがどうかしたの? …………いや、待った。その話を聞いた時カンナの傍に団長は?」

「もちろん、いたわよ?」

「ということはもしかして……」

「たぶんマサトが考えているとおり。明日みんなでそのプレイヤーを見に行くんですって。マサトはどうする?」

「うーん、そのプレイヤーの対戦は“上”でするの? それとも通常の対戦フィールド?」

「あっ……、ごめんなさい。そのプレイヤーは通常対戦でやってるはずよ。《自動観戦モード》にするには一度マッチングリストにプレイヤーの名前を出さないといけないから……」

 

 つまり、この《世田谷第三エリア(病院)》から出ることのできないマサトはそのプレイヤーの観戦にはいけなかった。

 

「いや、ボクのことは気にしないで行ってきなよ。それに誰かが団長を止める役がいないとまた暴走するからね、それをカンナに頼みたい……」

「そう、ね。任せなさい、ドレイクは私がしっかりと手綱を握っておくわ。そのプレイヤーってどうやら《メタルカラー》と組んでるらしくて、多分私達に行ったように強引な勧誘もしだすでしょうからね」

「でもあの時誘いに乗ってよかった。そうは思わない?」

「…………ふん、全部が全部よかったとは言わないけどね!」

 

 そっぽを向きながら腕組みするカンナを見てマサトは最近このポーズが照れ隠しのために行なうクセなのだと気付いていた。

 それがわかってからはカンナの強がりを見るたびになんだか可笑しくなってしまうマサトであった。

 

「なに笑ってるの!」

「ははは、なんでもない」

 

 2人の笑い声は病院の面会時間が終わるまで絶えることなく、星座(北斗七星)が輝く夜空へと吸い込まれていくのであった――

 

 

 

 



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第10話 災禍の鎧

 

 ――どうして! どうしてこんなことになったんだ!

 

 マサトは何度目かもわからない慟哭を心の中で吐き出した。

 そこは《荒野》、辺りは何もなく、吹き荒れる砂埃と岩山だけ……。

 その“(むな)しさ”がマサトの周りに広がる光景の悲惨さをより鮮明に表している。

 

 周りで倒れている者たちの立ち上がる気配はなく、ただうめき声が聞こえて来るだけ。

 地面に立っているのはマサトを含めてほんの数人。

 本来ならばここに居る者たちだけではなく、もっと多くの人たちがいたはずなのに……。

 マサトはもう一度心の中でどうしてこうなったんだ、と呟いた。

 

 

 

 

 ここは《無制限中立フィールド》の一角、《プラチナム・ドラゴニュート》となったマサトの周りには数多くのBBプレイヤーたちの姿がある。

 そのどれもが知らないものなどいないほどの有名人たち、トッププレイヤーとも呼ばれるBBプレイヤーたちだ。

 

 《ブルー・ナイト》

 《グリーン・グランデ》

 《レッド・ライダー》

 《ホワイト・コスモス》

 《イエロー・レディオ》

 

 《純枠色(ピュア・カラーズ)》と呼ばれる各大レギオンの団長だけでなく、ドラゴニュートの所属する《スーパー・ヴォイド》の団長《マグネシウム・ドレイク》を初めとした他のレギオンの団長達。そしてドラゴニュートを初めとした各レギオンの副団長のような立場のプレイヤー達……《フレイム・ゲイレルル》らの姿もそこにあった。

 

 総勢20人を越えるBBプレイヤーが集まった目的はただ一つ。

 最近になって『加速世界』に現れた“バケモノ”のためであった。

 だれぞに呼ばれた彼らは自然と車座になって、その会議を開催する。

 

「では先日より猛威を振るっているBBプレイヤーをどうやって討伐するかですが……」

「ちょっと待ってくれ!」

 

 純粋無垢を表したかのような透き通った声で女性アバターが話を進めようとしたのだが、それに待ったをかけた人物が現れた。

 

「俺だって“そいつ”の噂話は確かに聞いたが、逆に言うとそれ()しか聞いてねぇ……。

 本当なのか、《クロム・ファルコン》が例の強化外装を使って無差別にBBプレイヤーを襲ってるってい話は! そして俺たち全員でそいつを“粛清”しに行くっていうのは!」

 

 その声を上げたのは《スーパー・ヴォイド》の団長、《マグネシウム・ドレイク》であった。その疑問の声を皮切りに他のプレイヤーたちからも次々に同様の声がのぼる。

 中にはこれはただのリンチなのではないか、といった声もあった。

 

 しかし、その言葉に答えたのは先ほどの女性アバターではなく、円の中に一歩足を踏み入れ皆の視線を集めた《ブルー・ナイト》だった。

 

「本当だ……」

 

 普段の軽快な声はすっかり鳴りを潜め、重く、深いその言葉はその場にいる全員に噂を信じさせ、静かにさせるに十分な一言だった。

 

 

 ことの始まりはつい先日のことだ。

 あらゆる攻撃耐性をもつ強力な強化外装を装備したBBプレイヤー《サフラン・ブロッサム》の噂だった。

 その戦いぶりを見に行った《スーパー・ヴォイド》を初めとした数多くのプレイヤーたち。

 そんな彼らの前で2対1とはいえ《純枠色(ピュア・カラーズ)》のひとりを打ち負かしたブロッサム、そしてそのタッグパートナー《クロム・ファルコン》。

 《第一世代》でもあり、当初からずっと組んでいたその2人組みはその勝利と共に新たなる《レギオン》の発足を発表した。

 

 彼らが掲げた理念は《相互扶助》、バーストポイント全損間近のプレイヤーに一定のポイントを貸し出し、安全圏に戻るまで《無制限中立フィールド》に生息するエネミーをレギオンメンバーで協力して狩る、というものであった。

 もし、この仕組みがうまく機能したのならばこれからの『加速世界』に全損者はいなくなり、全損による《ブレイン・バースト》の強制アンインストールへの恐怖もなくなるだろう。

 

 それを聞いた多くのBBプレイヤーたちは賛成し、詳しい話を聞くために《無制限中立フィールド》へと集まった…………

 

 しかし、発足者である《サフラン・ブロッサム》を始め、話を聞きに行ったBBプレイヤーたちが(くだん)の《クロム・ファルコン》の暴走により全損。生き残ったのはたった一人のプレイヤーだった。

 

 その後も《クロム・ファルコン》は暴虐を繰り返し、数多くのBBプレイヤーを全損に追いやっているという。

 

「オレも一度戦った。だけど負けちまったんだ。

 その後、噂のとおり“全損”させられそうになったが……、その前に俺と一緒にいたレギオンメンバーが、自分を囮にソイツを遠くに引っ張ってくれたから……、でも……アイツは……!」

 

 《純枠色(ピュア・カラーズ)》が負けた。ナイトが語る迫真の話はそれだけでもプレイヤーたちを驚かせた。……が、さらに続くナイトの話は彼らを更なる恐怖のどん底に叩き落した。

 

「《クロム・ファルコン》の戦い方は尋常じゃない! いや、アレは戦闘なんてものじゃなかった……! アイツは、プレイヤーの……アバターの腕を千切ったあと、その腕を“喰っちまった”んだっ!

 俺は目を疑った! アイツは、ファルコンはもうBBプレイヤーなんかじゃねぇ、俺たちとは違うもっと別の“ナニカ”になっちまったんだよ…………」

 

 

 沈黙が、場を支配した。

 

 ふさぎ込むナイトを隣にいた《レッド・ライダー》が肩へ手を置き、下がらせる。

 そしてナイトの代わりに前に出たライダーの快活な声は暗くなったプレイヤーたちの胸にすんなりと染み渡った。

 

「これから話し合うことは大勢でひとりのプレイヤーを囲んで倒そうって話だ! それが嫌だって奴はここから去ってくれても構わない。でも、俺はひとりでもやるぜ!

 ファルコンが何でこんなことをするのかは解らない……。だけど、アイツは“やり過ぎた”! BBプレイヤーとしての最低限守らなくてはならないルールを破ったんだ!

 

 アイツがこれ以上の犠牲者を出す前に止めたい……。頼む! みんな協力してくれ!」

 

 頭を下げるライダーを前に、席を外す者は誰一人いなかった。

 

 

「しょうがねぇ、ここまで言われて引き下がったら男が廃るぜ……、捻じ曲がったアイツの性根を叩きなおしてやろうじゃないか! なあ、みんな!」

 

 ライダーの顔を上げさせ、皆に発破をかけたのはドレイクであった。

 ドレイクの声に今まで黙っていたプレイヤーたちは雄たけびを上げてそのやる気を表す。

 

 戦いの途中でファルコンが反省すればそれでよし、それがダメなら全損もやむを得ないと彼らはクロムファルコン討伐作戦を決めていった。

 

 

「よし! 決行は3日後、現実世界の16時から始める。それまでファルコンを見かけてもバトルはせず、逃げ出すこと! 奴のホームは港区だ、みんななるべく近くでダイブしてくれ。詳しい作戦はファルコンの出現場所によって決めることとする!」

 

 いつの間にか議長のようになってしまったドレイクが今回の会議で決まったことをまとめる。

 その言葉をその場にいた全員が了承し、その場は解散となった。

 

 

 

 

 

 

「なんか、大変なことになっちゃったね……」

 

 病院へ戻ってきたマサトにカンナはポツリと言葉を落とす。

 《サフラン・ブロッサム》の唱えた《相互扶助レギオン》にカンナは人一倍期待していたのだ。

 ずっとみんなで《ブレイン・バースト》をプレイできればそれに越したことは無い。ブロッサムの考えを聞いたカンナはマサトに報告した後そう言っていたし、マサトもその考えには賛成だった。

 

 ブロッサムの考えが実行されたらそうなるはずだったのに、いざ蓋を開けてみれば《クロム・ファルコン》の暴走。多くのBBプレイヤーが全損に追い込まれ間逆の結果となってしまう。しかし、マサトの考えは少し違った……。

 

「もしかしたら、ファルコンは嵌められたのかも知れない……」

「どういうこと?」

「《相互扶助レギオン》、そんなことを考える人が凶悪な性格の人とずっとパートナーを組むのかな?」

「確かに、そうね……それにブロッサムと一緒にいたファルコンを見たけれど、多くのプレイヤーを執拗に追いかけて全損させるような……そんな悪い人物にはとても見えなかったわね」

 

 カンナは勝負の後、多くのプレイヤーに囲まれ、様々な言葉を投げかけられているブロッサムを不機嫌そうに遠目から見守るファルコと、それに気付き、からかいの言葉を投げかけるブロッサム。そしてじゃれ合う仲睦まじい2人の姿を思い出す。

 その話を聞いたマサトは、より自分の考えが真実味を帯びたと感じた。

 

「話を聞きたいと集まったプレイヤーたちが一斉に彼らに襲い掛かり《無限プレイヤーキル》を行なった……」

「そんな……その場にいたのは30人近かったって聞いたわよ! たった2人を相手に普通そこまでする!?」

「普通じゃなかったんだよ、それくらいしない考えるくらい相手が怖かったんだ」

 

 あらゆる攻撃を弾く鎧を持ち《純枠色(ピュア・カラーズ)》に打ち勝った相手だ、そこまでしないと逃げられると思ったんだろう……。

 マサトは目を剥くカンナに続けて話し出す。

 

「彼らも最後まで抵抗したんだろう、でもダメだった……。ブロッサムは最後の最後でファルコンに“例の強化外装”を手渡し、その鎧の力を使ってプレイヤーたちを返り討ちにした」

「まって、強化外装の手渡しって……対戦フィールドなら有線直結するか、アイテムカード状じゃないと出来ないんじゃない? 鎧はもうオブジェクト化されてたのよ?」

 

 いや、もうひとつある。マサトが首を振るとカンナもその方法を思い出したのか驚きと悲しみに顔を歪ませる。

 

「そう、あとひとつ、対戦フィールド上で強化外装を渡せる方法は“所有者が全損したときに手に掛けた者が僅かな確立で手にすることが出来る”

 もしかしたら偶然だったのかもしれない、他の人に殺されるのなら近しい者の手で……、ブロッサムはそう思ってファルコンの手で……そうして鎧はブロッサムからファルコンの手に渡り、彼はそれを使ってここまで追い詰めた奴らに復讐した」

 

 ボクが同じ立場ならそうするだろう。マサトはそう思った。

 カンナと出会ったのは半年ほど前だ、しかし『加速世界』なら500年以上の月日が経っている。加速世界で生活をしているわけではないので実際はその100分の1にも満たない時間だろうが……、だがそれでも自分の両親よりもカンナと一緒にいた時間が長いのは事実だ。

 そのカンナが(『加速世界』でだが)殺される。考えただけでも心臓を鷲掴みされるような感覚が襲ってくる。

 もし、ファルコンにとってブロッサムが自分にとってのカンナなら……その内情は決して簡単に語れるようなものでは無いだろう。

 

 そう、その場にいたBBプレイヤーに飽き足らず他のプレイヤーを襲っても満ち足りないほどのその“憎悪”は……。

 

 

「でも、鎧の件はマサトの考えが当たってたとしても“剣”は?

 ファルコンは幅広の大剣で持ってあの《ブルー・ナイト》を切り伏せたって聞いたわよ?

 ファルコンもブロッサムもそんな武器を持っていなかったはず……」

「それは、もしもファルコンが《帝城》から持ち帰ってきたのが鎧だけじゃなかったら?

 ラストダンジョンに眠る最強の剣と鎧、ファルコンは両方とも手に入れていた。

 でもブロッサムの目指す《相互扶助》の世界に剣は相応しくないって考えて今まで使わなかった……ていうのは?」

「うーん、穴はあるけど一応スジは通るわね……」

「まあ、全部“もしかしたら”そうかもしれないっていうボクの想像なんだけどね。

 でも…………」

「ん? でも?」

「もし、ボクの想像が全部合っていたとしても……ファルコンは退治されなくちゃならない。

 復讐なら関係ない人まで手を出すのはやりすぎだし、噂どおりただ好き勝手暴れているだけならそれこそ止めなきゃいけないんだ……」

 

 

 どんな理由があろうとも結果は変わらない。そんな話にマサトとカンナは静かにうな垂れるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

「くっそーっ! 止められねぇ、《クロム・ディザスター》がそっち行ったぞ気をつけろ!」

 

 3日という月日はあっという間に過ぎ去った。

 その間にも《クロム・ファルコン》の手による全損者は相次ぎ、通常対戦でも挑んだものは彼の持つ大剣の人たちで敗れ去っていった。

 

 もはや話し合いで解決できる段階は通り過ぎ、BBプレイヤーですらなくなったファルコンをその名で呼ぶものはいなくなり、その代わり彼が装着した“最強最悪の鎧”を指してこう呼んだ。

 《クロム・ディザスター》と――

 

 

 

 

 先日の会議で集まったBBプレイヤーたちが集合してから一週間後、『現実世界』で換算するとわずか10分。運よく《クロム・ディザスター》が港区の一角に現れ、集まったBBプレイヤーたちに襲い掛かった。

 

 ディザスターの戦い方は噂どおりの無謀さで本能のままに襲い掛かるその姿はまさに野獣そのものだった。

 BBプレイヤーたちとディザスターの戦いは熾烈を極め、数時間たったいまでも決着は着かずにいる。

 いくら《ブレイン・バースト》内で精強の戦士たちの彼らでもディザスターの強さはそのどれを取っても彼らを上回っていた。

 

 その大剣の一振りで防御力に秀でた緑型アバターのHPを半分持っていき、赤型アバターの連携射撃もまるで予知しているかのごとく回避する。

 鎧の反則的な防御力は健在で、少しずつHPを削っていくも、ディザスターがBBプレイヤーを“捕食”するとたちまちHPが回復してしまう。

 

 それならHPを回復させる暇も無く攻撃を畳みかけようと、BBプレイヤーたちの最大の必殺技を続けざまに与え、やっとのことで倒したとしても――

 

「くそっ! まだ“残ってるのか”、どんだけポイント溜め込んでるんだコイツは!」

 

 《クロム・ディザスター》が倒され、光の柱が立ち上がるも60分をカウントダウンするオブジェクトが後に残った。このカウントダウンが終わったら再びHPが全回復したディザスターがそこから復活する。

 そう、いくら一時的に倒したとしても、今までディザスターが貯めてきた(全損させてきたプレイヤーから奪った)ポイントをゼロにしなければいくらでも復活してしまうのだ。

 いつ終わるか解らない戦いに戦意を喪失していくプレイヤーたち、最初はディザスターを倒すたびに盛り上がっていたのだが、今ではその多くが無言でその場を離れていく始末。

 

 ある者は減ったHPを《ホワイト・コスモス》の回復アビリティで補充してもらい、ある者は必殺技ゲージを貯めるためにオブジェクトを破壊しに、そしてある者は――

 

「ちっ! いまの戦いでポイントが50を切っちまった……。悪いがオレはここで抜けさせてもらうぜ!」

「ああ、お疲れさん…………。

 

 ……くそ、またひとり数が減っちまった」

 

 いくらディザスターが『加速世界』の脅威だとしても自分が全損者になってしまったら意味がない。ポイントが少なくなった者、ディザスターの強さを前に無理だと諦めた者、わずかだが少しずつ集まった者たちの数は減っていった……。

 

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……どうしてこんな事に……」

「ドラゴニュート! 諦めるな! 相手ももう死に体だ、あと少し、あと少しでアイツは全損する!」

 

 ドラゴニュートの無意識に呟いてしまった言葉を耳に拾った《マグネシウム・ドレイク》はその弱音を叱咤した。

 《クロム・ディザスター》の姿を見てみると、クロムシルバーに輝いていた鎧はその面影が無く砂埃によってくすんでいて、エッジの効いた鎧は所々ひび割れ、ひどいところは完全に欠損していた。

 

 赤型アバターの射撃を回避していた精細な動きがウソのようにその足取りは重く、あと一歩前に進めば崩れ落ちてしまうのではないか、そう思ってしまうほどふらついている。

 しかし、それでもディザスターは前へ進んできた。憎いBBプレイヤーたちに近づくために、いまだ離さぬその大剣を敵に叩きつけるために……。

 

 ドラゴニュートは再び周囲に視線を巡らせる。相手も満身創痍だがこちらも負けず劣らずの有様だ。

 自分のほかに立っていられるのは《純枠色(ピュア・カラーズ)》と先ほど怒鳴り声を上げた《マグネシウム・ドレイク》の6人しかいない。《フレイム・ゲイレルル》もとっくにこの戦場を離れていた。

 全員が全員荒い息を吐き、力尽きようとしている。例外は回復アビリティを持つため後衛に勤めていた《ホワイト・コスモス》くらいだろうか……しかしもうどれほど戦い続けているか解らないほどの時間が経っている、疲労が無いわけじゃないだろう。

 とにかくドラゴニュートがわかったのは無事なものは誰一人この場にはいないということだった。

 

 まだまだ続くと思っていた戦いも、もうすぐ終わるだろうとはドラゴニュートも感じていた。

 なぜなら今までダメージを無視してまで相手に襲い掛かることを優先してきたディザスターの動きが変わり、こちらの攻撃の回避を優先し始めたのだ。おそらくドレイクの言うとおり全損が近いのだろう。

 もしかしたらこの戦いで全てが終わるかもしれない。

 張り詰めた空気の中、緊張した面持(おもも)ちでその最後のときが来るのをドラゴニュートは静かに待った。

 

 

 

 

「うおぉぉぉ!!」

 

 最初に動いたのは《レッド・ライダー》だった。

 両手に構える二挺拳銃から絶え間なく銃弾を撃ち始め、回避する隙間も無い弾幕をディザスターにお見舞いし始める。

 ディザスターは両腕を上げて銃弾から顔を庇うが、それでもその攻撃が効いている様子は無かった。

 

 普通のアバターなら十分に決め手になるはずの銃弾の嵐でも今のディザスターにとってはただの目くらませでしかない。だが、その目くらましで十分な隙を見つけ出し、自慢の大剣をファルコンの脇腹に思いっきり叩きつけて襲い掛かったのは《ブルー・ナイト》である。

 さすがに近接戦闘、その一撃の攻撃力において右に出るもののいないナイトの攻撃はディザスターを怯ませるのに十分だったが、それも一瞬でしかなかった。

 

 ナイトの攻撃の隙を狙ってディザスターは振り上げていた腕をぶん回し、横殴りで拳をナイトに叩きつけようとするがそれを間一髪で防いだのは《グリーン・グランデ》の盾だった。いまだ突破されたことが無いと噂されるその堅固な守りはディザスターのガムシャラに放った攻撃ではビクともしなかった。

 

 硬直したその場を引っ掻き回すのは新たなる《純枠色(ピュア・カラーズ)》、《イエロー・レディオ》は黄色い爆煙と共にディザスターの後ろへと回り込み、手に持つバトンでディザスターの首を締め上げ苦しませる。

 

 3人の《純枠色(ピュア・カラーズ)》に囲まれたディザスターは右手に持っていた大剣を振りかぶり全員を一網打尽にしようと企てる。

 しかし、強烈な風切り音とともに振り下ろされた一閃を《プラチナム・ドラゴニュート》が交差した腕の装甲を使って食い止めた。

 切断攻撃に強く、その重い金属の体のお蔭で腕ごと吹き飛ばされることは無かったが、その一撃でかなりのHPを削られてしまう……。もうディザスターの攻撃を掠るだけでもHPは尽きてしまうだろう。

 

 ――けど、同時に大きな隙も出来たはず!

 

「みんな離れろぉ! 《焔色吐息(フレイム・ブリィーーズ)》!」

 

 ドラゴニュートの期待通り《マグネシウム・ドレイク》の必殺技が炸裂し隙だらけだった《クロム・ディザスター》の体に閃光にも似た焔が襲い掛かるのだった。

 ドレイクの必殺技《焔色吐息(フレイム・ブリーズ)》は体に引火したその炎が消え去るまで一定のダメージを与え続ける特徴がある。

 この岩だらけの《荒野ステージ》ではそう簡単に消えるものではない。

 

 

 

 

「ルヲォォ……!!」

 

 最初はもがき苦しんでいたディザスターだったが、その消えない炎が小さくなっていくのと同調するかのように口から出る雄たけびもか弱くなっていった。

 

 しかし、最後の悪あがきだとでも言うのか、ディザスターはその目を憎悪に染めながらドラゴニュートたちを見回し、そして――

 

「……俺は……、この世界を呪う。…………(けが)す! 俺は何度でも甦る!

 この世界が闘争と、拒絶で出来ている限り何度だって!!」

 

 地に這い蹲り、砂を握り締めながら、何度も……何度も、と繰り返した。

 

 一体、彼の何がそうさせるのか。ドラゴニュートは残酷な光景に目を逸らしたかったが、自分たちには彼の最後を見届ける義務がある、と考え直し、ディザスターの最後の姿をその目に焼き付けた。

 周りの者もそう思っているのだろうか、誰一人言葉を漏らさずディザスターが燃え尽きるその光景を見守っていった。

 

 やがて恨み言が哄笑に変わり、倒れたファルコンから炎が消え去ると同時、その体から何本もの美しい銀色のリボンが立ち上り天へ向かっていった。その途中リボンはデータの糸へと(ほど)かれて消えていく。

 

《最終消失現象》

 

 かつてドラゴニュートが《ラピスラズリ・スラッシャー》を全損させたときにも見た、BBプレイヤーの最後の姿である。

 

 『現実世界』では決して再現できない、儚く幻想的な風景であった。

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様でした」

 

 光の糸が消え去ってからどれほどの時間がたっただろうか……、ドラゴニュートたちは《ホワイト・コスモス》から放たれる回復アビリティを浴びてようやく我に返った。

 

「終わったな……」

「そうですね……」

「……」

 

 ここにいる全員に何かしら胸に来るものがあったのだろう、お調子者な性格の《イエロー・レディオ》でさえしんみりとしていた。

 

「じゃあ早速レギオンのみんなに報告しにいくか! あいつら首を長ーくして待ってるはずだからな! それとももう少しハラハラさせとくか?」

 

 《マグネシウム・ドレイク》のワザとらしい明るい声にようやく場の空気が動き出した気がした。

 レディオもさっきの様子はどこへ消えたか、それもいいですねぇ、なんておどけ、ライダー、ナイトはやれやれと首をすくめている。グランデはいつも通り無言だったが纏う雰囲気が柔らかかった。コスモスもクスクス上品に笑い出した。

 

「じゃあ団長はココにいていいですよ、副団長のボクが報告しますから。

 その後レギオンの皆で祝勝会をしますが、それも団長は欠席ですね!」

「おいおい、そりゃ無いぜドラゴニュートォ……。俺が悪かった! だから宴には参加させてくれ!」

 

 ドレイクは両手を合わせドラゴニュートに拝み倒した。その姿をチラッと横目で見たドラゴニュートは嫌らしい笑みを浮かべながら――

 

「じゃあ宴の食べ物代は全部団長の奢りになるなら参加させてあげてもいいですよ?」

「ええっ! 俺だってもうそんなにポイントあるわけじゃないんだぜ!? い、いまからポイント貯めるためにエネミー狩りに行くからお前も手伝ってくれよ! な?」

「嫌ですよ、ボクはもう疲れてるんですから一刻も早く休みたいくらいですよ……」

 

 目の前で繰り広げられるコントに周りの《純枠色(ピュア・カラーズ)》も目を細めて笑い出した。

 ドレイクはドラゴニュートの説得を諦めると今度は彼らに救援を願い出るが全員に素気(すげ)無く断られていった。

 

 もう心身共にヘトヘトで早く病院のベッドに戻って眠りたい。でもなぜだろうか、逆にずっとこの空間に留まりたいと思う気持ちもある。

 ドラゴニュートはその不思議な感覚を戸惑いながらも受け入れる。

 

 そして叶うのならばずっとずっと未来でもこうやって彼らと笑い会えればいい。

 そう、願っていた。

 

 

 

 

 この《ブレイン・バースト》の世界がそんな甘いものでは無いことを忘れて――

 

 

 

 



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第11話 平和

 

 

 《クロム・ディザスター》を討伐してから数ヶ月間『加速世界』では特に目立った騒ぎは起こらなかった。

 強いてあげるのならば《ブレイン・バースト》をインストールした子供たちの数が1000人ほどに増えたことにより、今まで無制限にコピーできた《ブレイン・バースト》が今度はひとり一回までしか出来なくなってしまったことだろうか。

 

 さらに追い討ちをかけたのが《インストール適性チェッカー》の消失だ。このモジュールは相手が《ブレイン・バースト》をインストールできるかどうか(生まれてすぐの頃からニューロリンカーを使用していること、VR適性が高いこと)というものが相手も気付かぬうちにチェックできる優れものだった。

 BBプレイヤーたちはこれを用いて安全かつ秘密裏に新しいBBプレイヤーを増やしていたのだが、それがもう不可能となってしまった。

 

 もし、適性の無いものに《ブレイン・バースト》をコピーし、インストールが失敗したとしてもコピー元のBBプレイヤーはもう二度と他のものに《ブレイン・バースト》を手渡すことが出来なくなってしまう。今までのことを考えると大変厳しい条件になっているだろう。

 

 当然その事実が判明してからというもの彼らはBBプレイヤーを迂闊に増やすことはしなくなった。

 結果として『加速世界』の住人はおおよそ1000人という人口の数で均衡が保たれるようになったのだった。

 

 

 

 

 しかし、ほんの少し未来に起こる出来事を《クロム・ディザスター》を討伐した直後の彼らが知る由もない。

 今はただディザスターから受けた傷を癒し、再び訪れた日常を謳歌するだけ。

 

 

 

 ――これはマサトの周りがまだ平和だった頃の話。

 

 

 

 

 

 

「私、子供を作ろうかと思うの……」

 

 マサトは口に含んでいたジュースを思いっきり噴き出してしまった。

 ほんの少し前に小学2年生にはなったものの世間から見ればまだまだ子供扱いされるだろう自分の歳、しかし『加速世界』という現実とは異なる時間が流れる世界にいるため自分の精神年齢はもう少し成熟しているはずだとマサトは自負している。

 ……何が言いたいのかというと、《スーパー・ヴォイド》に所属するちょっとおませな(・・・・)メンバーが持ってきた所謂(いわゆる)18歳未満の子供は見てはいけないような本をみんなと一緒に見てしまったせいで(もちろんカンナや他の女性プレイヤーは“みんな”に含まれていない)子供はコウノトリが両親の元に連れてきてくれるわけじゃないということをもう習ってしまった。ということだ。

 

「私も、もう十分に成長したと思うし……」

「えっと……まだまだ早いんじゃないかな~、なんてボクは思うんだけど……」

 

 成長って……カンナってまだ小学3年生だったはず、とカンナのスラッとした(悪く言えば凹凸の無い)体を横目で見ながらもう一度自分の持っている知識を確認するマサト。まさかカンナは《ブレイン・バースト》のやりすぎで自分の年齢を勘違いしてしまっているのでは無いか、そう思ってしまう。

 

「それに一体誰とやろうっていうのさ? ……知ってる? 子供は1人じゃ出来ないんだよ?」

「何言ってるの、当たり前じゃない。候補はちゃんといるわ、この前新宿でたまたま出会ったのよ、その子と…………」

「まさかそんな行きずりの人と!?よく知らない人なんか絶対ダメ!」

「そんな! ちゃんと友達にもなったし、性格もいい人だったわ!」

 

 それでも早すぎるんじゃないのだろうか、もしかして悪い人に騙されてるのでは? マサトの頭の中で多くの疑問がグルグルと渦巻きはじめる。

 

「それにまだ早いって、マサトはレベル3の時に私を《子》にしたじゃない!

 そんなあなたにとやかく言われたくないわ!」

「ええ! ボクがカンナを……! ……《子》に…………したねぇ……」

 

 カンナの言う“子供”とは《ブレイン・バースト》の《親》と《子》のことだったのか……。ようやく両方の話の内容に大きなズレがあることに気が付いたマサト。その落差に一気に気力を持っていかれてしまい、脱力した体をずるずるとベッドの上に滑らせていく。

 

 突然萎れた花のように元気の無くなったマサトを不思議にそうに見ながらも、カンナは自分が新宿で出会った人の話を続けてくれた。

 その子は以前マサトのお願いでタッグパートナーとして他区の《戦闘エリア》へ遠征している時に出会ったらしい。

 

「出会ったのは本当に偶然だったんだけどね。混みあってたファストフード店でその子と偶々相席になったの。というか子供同士だからって店員さんがちょっと強引に薦めてくれたんだろうけどね? ……それで、話しているうちに随分意気投合しちゃったというか……どこか私に似てた気がしたから……」

「カンナに? どんなところが?」

 

 曲がったことが嫌いでお節介で豪放磊落(ごうほうらいらく)な彼女に似ているとはどんなところだろうか。できることなら面倒見がよく、時たま、本当に時々見せる優しい性格が似ているならいいのだけれど……。

 もし前者なら……カンナが2人……チラリとよぎった嫌な予感は無視しつつ、マサトはカンナに続きを促すことにした。

 

 ほんの僅かな間言葉を言いよどんだカンナだったが、“それ”を話さないと先に進めないと考えたのだろう。深呼吸をして一旦場の空気を整えてからマサトの目を真っ直ぐ見て話し始めた。

 その子の中に隠され、カンナも抱くその胸の内を――

 

「きっと、あの子も感じてるの……自分を産んでくれた両親に対する罪悪感と……ほんの一握りの――恨みを…………」

 

 今にも泣き出しそうなカンナの瞳を見ながらマサトは何も言えなかった。

 ――その感情はマサトの心の奥底にもある物だったから。

 

 確証は無いがその感情は全てのBBプレイヤーに共有することでもあるのだろう。

 《ブレイン・バースト》をインストールするために必要な条件のひとつ、赤ん坊の時からニューロリンカーをその首に付けられているということ。

 その事実が示すひとつの現実はマサトたち子供でも深く考えてしまえば分かってしまうことだった。

 

 育児の省力化。

 ニューロリンカーのAR、またはVRを使っての幼少時から始める英才教育。

 またはマサトのように何らかの身体に異常があった場合。

 

 BBプレイヤーの大多数はおそらく両親のまともな愛情を受けて育って来なかったのではないか、ときどき言葉の端から伝わるプレイヤーの現実(リアル)の事情を聞いてマサトはそう思っていた。

 

 もちろん、両親に聞けばそんな事は無いと、十分に愛してきたと言ってくれるかもしれない。

 親の心子知らず…………世の大人たちはそう諌めるだろう。

 だが、逆に子供の気持ちを全て理解できる親はいるのだろうか、両親はこの変化の無い病室で1日中過ごすボクの気持ちを知っているの……?

 

「……ト! マサト! 聞いてるの!?」

「えっ!!? ……うん、ゴメン……」

 

 どこか深く、暗いところに沈みそうになったマサトの心を引き上げてくれたのはカンナの声だった。

 

 マサトの心ここにあらずの返事にカンナは怒ったような悲しんでいるような顔をしながらもそれ以上深く追求しないでくれた。

 

「とにかく、また今度の週末にその子と会う約束してるからマサトもちょっとはこの部屋綺麗にしておいてよね!」

「うん……、うん? て、ええっ! 連れて来るの? ここに!? その子を!」

 

 カンナから聞かされた突然の提案にマサトの頭の中に再び混乱の渦が発生し、さっきまで感じていた暗い気持ちはその渦によって跡形も無く消え去ってしまうのだった。

 

 

 BBプレイヤーが最も気を付けなければいけないこと、それはバーストポイントの全損と“リアル割れ”だろう。

 例え《ブレイン・バースト》で全戦全勝無敵のプレイヤーがいたとしても『現実世界』に帰ればそのプレイヤーもなんの力も無いただの小学生でしかない。

 『加速世界』ではトッププレイヤーの1人であるが現実はずっと病院暮らしのマサトなんかがその例の筆頭ともいえる。

 

 もし現実で肉体的暴力によってバーストポイントを寄こせと脅されたら、その襲撃者から逃げ切れることができなかったのなら……ほかのどんな抵抗も無駄に終わってしまったならば……。

 そんな事例はすでにあるらしく、《リアルアタック》と称しBBプレイヤーの1人を大勢で囲んだり、何らかの理由で抵抗しないように脅したりしてバーストポイントを根こそぎ奪っていく、そんな奴らがいるらしい。

 

 被害に遭い、その場はたまたま通りがかった大人に止められたお蔭で一時は無事だったその《リアルアタック》にあったBBプレイヤーもその話を他のプレイヤーに伝えた数日後、《ブレイン・バースト》の世界に現れなくなってしまった。

 

 もしカンナの出合った子がそんな強行にいたった場合どうすればいいのか、マサトはカンナとその子の2人だけで《ブレイン・バースト》のコピーをすれば言いと熱烈に語ったのだが――

 

「そうなった時はそうなった時よ。それにリアルアタックなんて万年ポイントが少ないへぼプレイヤーがやるようなこと、私の《子》がするわけ無いでしょ。そんな柔な育て方はしないもの。

 きっと遅かれ早かれ私の《子》をあなたにも紹介する時が来る。それなら最初から顔見せしてたほうが楽でしょ?」

 

 カンナの豪放磊落な性格が炸裂してしまった。こうなったらマサトのささやかな抵抗は全部丸め込まれるに決まってる、昔っからマサトは口でカンナに勝ったことがないのだ。全面降伏するしかない。

 マサトに出来る精一杯のことといえば週末までにこの部屋をいつも以上に片付けることだけだった。

 

 

 

 

 

 

 それはマサトがベッドの上をいつもより念入りに粘着テープの付いた掃除道具をコロコロと転がしている時だった。

 

 突然耳を貫く甲高い、ガラスが割れたような炸裂音。

 マサトは病院のベッドの上から投げ出され、一瞬訪れた『青い世界(初期加速世界)』と共に体が《プラチナム・ドラゴニュート》へと変化した。

 

 ――これは……!

 

 《ブレイン・バースト》の《乱入》である。

 ここのところ殆んどの対戦を《無制限中立フィールド》で行なっていたドラゴニュートは久しくなかったこの現象に少なからず驚いていた。

 そんなドラゴニュートの驚きをよそに《ブレイン・バースト》は次々と対戦の準備を整えていく。視界中央から伸びる2本の青いHPバー、それぞれのバーの下には対戦者である自分の名前と挑戦者の名前(マサトは例のごとく読めなかったのでスルーした)。最後に1800秒の数字が現れると同時にカウントダウンが始まってしまう。それは挑戦者との対戦が滞りなく始まったことをドラゴニュートに教えるのと同じ意味だ。

 

 どうやらこのステージは建物内の侵入が禁止されているらしい。自動的に病院の外に投げ出されたドラゴニュートは辺りを注意深く見回していく。

 挑戦者はドラゴニュートのいる《世田谷第三エリア》に入った途端戦いを挑んだのか、少なくともドラゴニュートの視界の中にそれらしき者の影は無く、ドラゴニュートの視界に映ったのは悲惨な姿になった世界だけだった。

 空は分厚い雲で覆われていて全体的に薄暗い。真っ白だった病院の外壁を始め、回りのビルは卑猥な落書きで埋め尽くされていて、地面はひび割れ、電気的な光は一切無い。光源はドラム缶で炊かれた焚き火の明かりのみ。

 《世紀末》ステージ、それがこの世界の名前だった。

 

 

「敵の方向を示す矢印は……こっちか、よし!」

 

 一通り現在の状況を確認するとマサトは早速動き出すことにした。

 通常の場合、乱入したものが接近してくるまで待つのがセオリーなのだが、たまにはそれを覆すのもいい刺激になるだろう。ドラゴニュートはガイドカーソルが示す矢印の方向へ真っ直ぐ向かっていく。

 こうすれば相手のカーソルの動きもぶれないため相手からこちらの移動が悟られない。ギリギリまで近づいてから身を隠し、ファーストアタックを奪い取る。それが今回の作戦だ。

 幸いここは薄暗い《世紀末》ステージ、隠れる場所なんてどこにでもあるのだから。

 

 なるべく遮蔽物を前にしながら順調に前へと進んでいくドラゴニュート。もう随分と移動してきている、相手との接近を感知し、ガイドカーソルも消えてしまった。もう何時出会ってもおかしくないはずだ、と物音を立てないように慎重に歩き出したそのとき……。

 何らかの攻撃の意思、“殺気”とでも言えばいいだろうか、その気配が突然とドラゴニュートを襲い始めた。

 

 襲撃。

 それを感知したドラゴニュートは道先に視線をくまなく動かすが、敵の姿は影も形も現れない。

 しかし、攻撃の手はすぐそこまで迫っている。

 

 ―― 一体どこに……。

 

 すぐさま後ろを振り返ってみても敵影は無し。

 前には居らず、後ろにも居ない。残りは――

 

 

 ―― ……上か!?

 

 もしくは真下(地下)だが、この建物内に侵入することができない《世紀末》ステージでそれはありえない。

 ドラゴニュートが急いで空を仰ぎ見るも、しかしそこには変わらず漆黒の空があるだけ……。

 

 ――いや違う!

 

 ステージの闇に隠れて移動していたのはマサトだけではなかった。

 全身凶器の死神が今まさにドラゴニュートの首を取ろうと鎌を振り上げていたのだった。

 間一髪、襲撃者の一撃を受け流しながら回避したドラゴニュートは地面を二転三転して敵と距離をとる。

 

 

「流石、『加速世界』において知らないものはいないハイランカーのひとりなだけはある。

 突然の不意打ち失礼。貴方の噂はかねがね聞き及んでいる。《最古の竜》《ファーストメタル(最初のメタルカラー)》《フレイム&ドラゴン(火炎龍)》。

 わたしはいまだ若輩の身であるが、ご高名の貴方にどうか一手ご指南お願いしたい」

 

 やけに古めかしい言葉遣いで、しかし礼儀正しく挨拶してくる挑戦者にドラゴニュートは、突然じゃない不意打ちはあるのかなどと見当違いのことを考えながら彼女(女性型アバター)の姿を仰ぎ見ていた。

 

 まるで夜空から切り取ったかのように透き通る黒のボディ。

 女性型にしては高く、スラリと伸びた細い体。

 彼女の性格のように凛と伸びたV字型のマスクと少女らしさを表したスカート装甲。

 そして最大の特徴は両手両足、それ自体が鋭利な刃物となっていることか。その鋭さはステージに漂う空気ですら切り裂いてしまいそうな剣呑な輝きを放っていた。

 

 《ブラック・ロータス》

 

 『加速世界』に現れた新しい《純枠色(ピュア・カラーズ)》。

 彼女は自分のことをそう名乗るのだった。

 

 

「一手ご指南……はいいけど、キミ、あんまり見たことない顔だね。

 最近《ブレイン・バースト》を始めたのかい?」

 

 ドラゴニュートの質問に、その通りだと頷き返すロータス。つまりまだレベル1であるのにレベル6のドラゴニュートに挑んできたということだ。

 新しい《純枠色(ピュア・カラーズ)》はなんとも豪胆な性格をしているな、とドラゴニュートは驚嘆しつつ対戦を再開するべく構えをとる。

 そして信じられないものを見つけてしまうのだった。

 

 ――傷が付いてる!?

 

 右腕に走る一筋の傷、おそらくそれは先ほどのロータスからの不意打ちを受け流した時にできた傷だ。それを見たドラゴニュートはすぐにロータスが持つ恐るべき潜在能力を悟ってしまう。

 確かにドラゴニュートは切断攻撃に高い耐性を持っているが、今まで体に斬撃による傷をひとつも付けなかったわけではない。

 

 最初は剣の扱いに慣れていなかったが戦闘を重ねるにつれドラゴニュートの体を切り裂けるようになった《ラピスラズリ・スラッシャー》。ドラゴニュートと同様の最強の一角に座しており、油断していたら腕の1本や2本容易く持っていく剛剣の使い手《ブルー・ナイト》。他にも切れ味に特化した強化武装を持つ侍のようなアバターなどにその太刀筋をつけられたことはある。

 しかし、それらは全て同レベル帯での戦いの話だ。レベルが5も離れた初心者(ニュービー)にやられるほど柔な体はしていない、そう思っていたというのに目の前の彼女はその自信すら容易く切り裂いてしまった。

 

 おそらく彼女の刃は《ブルー・ナイト》の剣、……いやどの強化武装よりも切断することに特化しているのだろう、それが両手両足についているのだからこれほど恐ろしいことは無い。だが、マサトにもトッププレイヤーとしての矜持がある。彼女に対する動揺は心の中だけに押しとどめつつ、戦闘再開ののろし(・・・)代わりに握った拳を迷い無く彼女に真っ直ぐ叩き付けるのであった。

 

 

 

 

 結果としてこの戦いはドラゴニュートの圧勝で終わった。流石にレベルが5つも離れた相手とは基礎能力が全く違ったためだ。ロータスにはない豊富な経験もドラゴニュートに味方した。

 しかし体全体に走るいくつもの切り傷を見て、これから彼女が順調にレベルを上げてきた場合いつまでロータスから勝ち星を奪い続けられるのだろうか、ドラゴニュートはそう考えてしまうのだった。

 

「さすがに無謀な挑戦でしたね」

 

 いまだ対戦フィールドに残るドラゴニュートに話しかけてきたのはロータスとは真逆の色合いをもつBBプレイヤー《ホワイト・コスモス》だった。どうやら先ほどの戦いを《ギャラリー》として観戦していたらしい。

 コスモスとはかつて《クロム・ディザスター》討伐時に少し話しただけの仲なのだが、今このタイミングでドラゴニュートに話しかけてくる意味は――

 

 ロータスも同じ《純枠色(ピュア・カラーズ)》だから? いや違う、《ブルー・ナイト》や《グリーン・グランデ》など他の《純枠色(ピュア・カラーズ)》の試合を見たことがあるけれどコスモスの姿を見たことは一度もない。

 しかもよくよく考えるとコスモスが誰かBBプレイヤーの《ギャラリー》をしているなんて話も聞いたことがない。しかしロータスの試合は見に来ていた。コスモスにとってロータスはなにか《特別な存在》だった?

 

「もしかして、貴方の《子》でしたか? 《ブラック・ロータス》は……」

 

 ドラゴニュートの問いにコスモスは微笑みだけで返す。だがおそらく間違えでは無いのだろう、少なくともロータスの関係者ではあるはずだ。けれどコスモスの態度からあまり突っ込んだ話を聞くのは(はばか)られる。ドラゴニュートはこの話は置いておき、先ほどのコスモスの言葉に返事を返すことにした。

 

「とても手ごわい相手でした。おそらく同レベルだったら負けていたのはボクだったかもしれません」

「そういって貰えるならあの子もきっと喜ぶわ。きっとこれから何度も貴方に挑むつもりでしょうから、よろしければ付き合ってあげてください」

 

 コスモスはそう言葉を残して『加速世界』からリンクアウトしてしまった。周りを見ればもうギャラリーは誰も残っていない。

 コスモスのようなトッププレイヤーが親に付き、戦い方を指南されたのならロータスはたちまち()へと駆け上ってくるだろう。

 

 ――厄介な新人が現れたもんだなぁ……

 

 ドラゴニュートはもう一度ロータスが立っていた場所に目を向けると、そのまま『加速世界』から抜け出すのだった。

 

 

 

 

 

 

 《ブラック・ロータス》と戦ってから数日後、彼女の快進撃は《無制限中立フィールド》にまでその話が轟いていた。おそらくあと2ヶ月もしない内にレベル4まで駆け上がり、この無限の大地に降り立つだろうという話だ。

 どうやらマサトの考えは間違っていなかったらしい。彼女の強さをしる当事者のひとりとしては空恐ろしいものではあるのだが。

 

 ――《ホワイト・コスモス》もよくそんな人物を見つけたなぁ、コスモスは彼女をレギオンの片腕として扱うんだろうか、それとも……

 

 マサトが期待の新人の将来のことを考えているとあっという間にカンナと約束した週末がやってきた。

 あれからカンナは目をつけた人物にメールを送るついでに《インストール適性チェッカー》を走らせ、その人に《ブレイン・バースト》をインストールすることが出来るのかを調べ上げたらしい。

 結果は“白”、なんの問題も見つからなかったそうだ。

 

 つまり先日話したとおり今日マサトの病室に来て《ブレイン・バースト》をインストールする手はずになっていたのだが……

 

「もうインストールしちゃったぁ!?」

「……ま、まあね?」

 

 まあね、じゃないでしょ。マサトはカンナの話に怒りを通り越して呆れてしまう。

 

「でも! 今日インストールしてもどうせそれだけで解散になっちゃうでしょ? そんなの味気ないなぁ、なんて……ね?」

「……そう思ったらいてもたってもいられなくなっちゃった?」

「……うん」

 

 たしかにカンナの言うとおり今日病室で《ブレイン・バースト》をインストールしてもプレイできるのは明日の朝から、正確に言うなら今晩悪夢を見てからだ。それなら前日にインストールしてきてくれれば《ブレイン・バースト》のことを口で説明するだけじゃなく実際にバトルして教えてあげることもできる。

 

 ――できるのは解るんだけどなぁ……

 

 理由はわかるが、なんとなく納得できないモヤモヤを感じるマサトはつい腕を組んで難しい顔をしてしまうのだった。

 

「マサトさん、カンナちゃんを怒らないであげてください。《あのゲーム》をすぐにでもインストールしたいと言ったのはわたしなのです」

「倉崎さん……」

「楓子、でいいですよ?

 先日カンナちゃんと遊んだ時この《ブレイン・バースト》のことを教えてもらいました。現行のどのVRゲームより……いえ、現実でも決して味わえない爽快感を体感させてくれるゲーム。そう説明されてしまったなら我慢できるわけ無いじゃあないですか」

 

 悪戯っ子のような微笑でマサトにそう言ってくれたのは倉崎 楓子(くらさき ふうこ)さん、彼女がカンナが《子》にしたいと言っていた女性だ。

 

 カンナと同い年という話だったけれど《ブレイン・バースト》で長い年月を過ごしてきたマサトたちよりも大人っぽい雰囲気を纏っているのだからこのまま成長したらどうなってしまうのか想像もつかない。

 

 マサトは楓子の笑顔に免じてカンナを許すことにした。といってもマサト自身そこまで怒っているわけじゃなかった。せっかく2人で約束していたのにカンナがマサトに無断で物事を進めてしまったのだから少し拗ねていただけだ。ただひと言謝ってくれればそれでよかった。

 

「今度から予定が変わったらちゃんとボクに連絡してよね……」

「うん! するする! ありがとーマサト!」

 

 マサトの怒りが収まったとわかったカンナはマサトに抱きついて喜びをあらわにする。カンナとしても約束を勝手に破ってしまったことに対して少しの後ろめたさを感じていたらしい。

 しかしこの喜びの表現はちょっと過激だ。突然の抱擁に照れと恥ずかしさから顔を赤くして慌てるマサト、あらあらと手で口元を隠しながらも2人の様子を見て微笑む楓子、両者を気にもせずよかったよかったとはしゃぎ通しのカンナ。

 病室に満ちる騒ぎの声はしばらく落ち着きそうになかった。

 

 

 

 

「それで、楓子さんはゲームをインストールして、《対戦》をしてみたの?」

 

 マサトのその質問に今まで上機嫌だった楓子はなぜか表情をそのままにピキリと固まってしまった。表情を変える暇も無く、といってもいいかもしれない。

 

「もちろん! それしかやること無いんだからしたに決まってるでしょ!

 それにフーコはもうレベル2なんだから!」

 

 マサトの質問に嬉々として答えたのは楓子では無くカンナだった。

 しかしカンナの言葉のなかに聞き流せないものがあったような……。先日カンナから楓子の話を聞いてから1週間も経っていない、この短期間でレベルアップができる訳ないだろう。マサトは自分の聞き間違えだという事を祈りながらもう一度カンナに問い直した。

 

「楓子さんはレベル1でしょ? ……あ! もう2回対戦したってこと?」

「何を言ってるの? もう一度言うけどフーコはここに来る前レベル2にあがったのよ。あ、ちゃんとポイントのマージン(余裕)は取ってるから安心しなさい」

 

 聞き間違えじゃなかった……。カンナが言うには楓子はカンナと一緒にいるときに初戦を体験したらしいのだが、運よく対戦相手から白星を上げることができた。その喜びと興奮のせいでつい口走ってしまったのだ……もっと戦いたい、と。

 

 かつてカンナは精神的にドッと疲れる《ブレイン・バースト》の対戦を、マサトと組んで戦った以外にも独自にBBプレイヤーへ挑戦を繰り返し短期間でレベル4に上がった廃ゲーマーだ、そんなカンナを基準に対戦を組まされた楓子は堪ったものではなかっただろう。

 今現在も身振り手振りで楓子の活躍を語っているカンナの見えないところで一生懸命手を横に振っている。もちろんカンナが語る楓子の怒涛の連戦劇を否定するためだ。

 

「ま、まあ、レベル2に上がったのならもう簡単に他のBBプレイヤーにカモにされることはないでしょ? これからレベル4くらいまではゆっくりとレベルを上げればいいんじゃないかな?」

 

 マサトはカンナの思わぬスパルタ教育っぷりに楓子が可哀想になりフォローを入れることにした。楓子もカンナの後ろでうんうん頷いている。

 

「なに言ってるの! そんな柔な育て方はしないって言ったでしょ! 最低でも来月までにレベル3、4ヶ月以内に《上》に来てもらうんだから!!」

 

 カンナは自分がそうであったから楓子も同じようにできると踏んでいるらしい。しかし、そのスケジューリングは他のBBプレイヤーと比べてかなり早熟だということを知らないようだ。

 

 うーん、でもカンナもそんな感じで《無制限中立フィールド》に来たのだから不可能ではないかな? マサトもついそう考えてしまうのだったが、楓子の身振り手振りが激しくなったので慌てて否定することにした。

 

「そ、そんなの無理だよ!」

「どうして? 私はもう少し短期間でレベル4にまで上がったわ。フーコならこのくらい余裕よ」

「あー……。そ、そうだ。それはカンナが不定形アバターなんて珍しいカラーだったし、半分はボクの協力もあったでしょう?

 楓子さんのアバターが強いとは限らないしレベルはゆっくりと上げた方が……」

 

 マサトの言葉にカンナは思わずムッとしてしまった。マサトは半分協力したというが実際はマサトと組んで戦うよりももっと多くの対戦を単独で繰り返している、そうでなければマサトのレベルに追いつくことなんてできなかったからだ。

 その苦労をわかっていないマサトの発言にカンナが怒るのも無理はない。

 

 そして、楓子もまたムッとしていた。これは自分が弱いから連勝できるはず無いと言われたと思ったからだ。まだ楓子の勝気な性格を知らないマサトは知らないうちにトラの尾を踏んでしまっていた。

 

 慌ててたとはいえ余計なひと言のせいでフォローしたはずの相手からも睨まれてしまうマサト。いつの間にか2人を敵にまわしてしまった事に気が付いたマサトは、どうしてこうなった、と目をグルグル回すしかなかった。

 

「いいわよ、そこまで言うならフーコの実力を見せてあげようじゃないの!

 フーコ、有線ケーブル持ってる?」

「ええ、もちろん。マサトさんにはわたしがそこらのプレイヤーに負けない実力があるということを知ってもらいます」

 

 いつの間に取り出したのか楓子の手には2メートルほどのケーブルが握られていた。

 どうやら《ギャラリー》の現れない有線直結通信による対戦を行なうつもりのようだ。

 

「あ、あー……わ、私は持ってきてないわ……。しょ、しょうがないからマサトの短いケーブルで我慢してあげる! ほら、この前の出しなさいよ!」

 

 いささか言葉の起伏がない台詞(わざとらしいとも言える)を口にした後、カンナが顔を真っ赤にしながらマサトに向かって手を延ばすが……

 

「ああ、それなんだけどね。このまえカンナに怒られたから新しく長いケーブル買っておいたんだよ。はい、今度は3メートルもあるんだ、これなら廊下まで延ばすことも出来るよ!」

 

 マサトがカンナに手渡したのはビローンと長いケーブルの片端。

 このケーブルの素材は少々高値なもので出来ており、ケーブルが長くなれば長くなるほど値も張るのだが、マサトの両親はそこのところ無頓着なのか店売りで一番長いケーブルをマサトに買ってきたのであった。

 

 カンナはプルプルと渡されたそのケーブルを握り締めると、そのまま自慢げな顔をしているマサトの頭にゲンコツを叩き込むのだった。

 突然の暴力に混乱するマサト、私は廊下に出てろって言うの! と憤るカンナ、やれやれと首をすくめる楓子。やはりこの病室が静かになるのはまだまだ先のことのようだった。

 

 

 

 

「準備は出来た?」

「うん、ボクは大丈夫」

「わたしもいつでも行けますよ?」

 

 マサトを中心に3人で直結したことを確認するカンナ。2人の返事にもう一度目を配り3人の呼吸を合わせ、そして誰の合図もなしにそれぞれは同時に呪文を唱える。

 

 

 

  ――《バースト・リンク》――

 

 

 

 




作者設定
 ・楓子がカンナの《子》に。



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第12話 倉崎 楓子の《弱点》

 

 

 3人が降り立ったのは《草原》のステージだった。

 名前の通り見渡す限りが黄金色の草原で、時折頬を撫でる穏やかな涼風が金色の絨毯をそよそよと揺らしている。

 空も《黄昏》ステージとはまた違う柔らかい夕焼け空で、その光が照らす全景を眺めているとマサトたちに流れる(遺伝子)がなんとなくノスタルジックな気分にしてくれるのだった。

 

「うーん! いい空気ね、このまま時間いっぱい3人でお昼寝っていうのもいいんだけど……」

 

 炎の体を持ちながらもなぜか周りの草を燃やすことのない《フレイム・ゲイレルル》の言葉につい頷きそうになるドラゴニュート。しかし結局その言葉に同意することはしなかった。なぜならマサトもBBプレイヤー、まだ見ぬ挑戦者と戦えるほうがよっぽど楽しそうだと思ったからだ。

 

 その挑戦者はドラゴニュートからおおよそ15メートルは離れた場所に佇んでいた。これは彼女とドラゴニュートの対戦開始位置が近すぎたせいだろう、その場合対戦者同士は最低でも10メートル以上離れることとなっている。

 ルルがドラゴニュートの近くにいる理由は今回彼女が対戦者ではなく《ギャラリー》としてこの場にいるためだろう。

 

 

 ドラゴニュートがチラリと対戦残り時間を確認すると、なにを勘違いしたのかルルがぼそりとドラゴニュートに耳打ちしてきた。

 

「《スカイ・レイカー》よ」

「え?」

「彼女の名前、どうせ読めなかったんでしょ」

 

 別に彼女の名前を見たわけじゃないんだけど……。

 しかしドラゴニュートはルルの言葉に肯定も否定も返さなかった。ルルの言葉は間違えであったが、ドラゴニュートはどうせ読めないのだから対戦相手の名前を見なかっただけなので、ルルの助言はあながち的外れじゃなかったからだ。むしろ大いに助かったともいえる。

 

「むっ、ありがとうくらい言いなさいよ。……まあいっか、レイカー! 遠慮なく掛かって来ていいわよ~!」

 

 手をブンブン振りながらレイカーに合図するルルの姿を見てドラゴニュートもその重たい金属の巨体を揺らしながらレイカーの元へ走り出す。

 それを見たレイカーも腰を落として足を開き、マラソンランナーが走り出す一歩手前のようなタメ(・・)のポーズをとる。

 そして空気を叩き揺らすかのような爆発音のあと、ドラゴニュートの目に人形程度の大きさにしか映っていなかったレイカーの姿が――

 

 

 ――すぐ目の前に現れた――

 

「な、ンだってぇー!」

 

 なにが起きたのかわからないまま、ものすごい衝撃。そのあと感じる浮遊感。通常の1000倍に加速しているこの世界ですらゆっくりと感じる一瞬のあと、再び感じる衝撃にドラゴニュートは柔らかい草をなぎ倒しながら数メートル転がってしまうのだった。

 

 信じられないことだった。

 自分ですら重過ぎると感じるこの体を吹き飛ばす攻撃を繰り出せるなんて……。ドラゴニュートはその攻撃の正体を突き止めるため顔を上げ、レイカーの姿を探す。

 

 居た。いや、その姿は探すまでも無く見つけることが出来た。今なおドラゴニュートの耳を打つ轟音、レイカーはその音源でもあり、そして華麗な姿を遮るものなんて何一つ無いのだから。

 

「飛んでる……」

 

 レイカーは背中に背負うジェットパックから炎を吹き出しながら今もなおドラゴニュートの頭上を緩やかに弧を描きながら旋回していた。

 ルルのように空中を浮遊しているのではない、カエル型やバッタ型アバターのように大ジャンプをしている途中でもない。レイカーは強化外装を使って、自分の力で空を飛んでいるのだった。

 

「どう! 凄いでしょう! スカイ・レイカーはその名の通り空の色、今まで誰も出来なかった自分の力での自由飛行を可能とする始めてのアバターなのよ!」

 

 唖然としているドラゴニュートの横でルルがまるで自分のことのように自慢している。しかし、その気持ちもよく解る。レイカーはこのリアルな世界で誰もが憧れた飛行能力を持っているのだ、それを体現したのが自分の《子》なのだから自慢のひとつやふたつしたくなるものだろう。

 

「さあ! レイカー、その調子でやっちゃいなさい! 大丈夫、私もレベル1のときにこのドラゴに勝った事あるから、レベル2のレイカーなら楽勝よ!」

 

 ちょっと、それはボクがレベル3の時の話しだし、ダメージの殆んどが建物からの落下ダメージ、そして勝敗はタイムアップによるダメージ判定でしょ!

 ドラゴニュートはルルに言いたいことが沢山あったがそんなこと言っている暇は無かった。ルルの言葉に触発されたかどうかは知らないが旋回を終えたレイカーが再びドラゴニュートに向かって真っ直ぐ突っ込んできたためだ。

 

 かわす事はできないけど、落ち着いて見れば対応できないほどの速さじゃない、こっちがどっしり構えていれば吹き飛ばされず受け止めることが出来るはずだ!

 飛んでくるレイカーを受け止めるためマサトはいつもより深く腰を落とし足元を踏み鳴らした。

 

 レイカーもドラゴニュートの作戦に気が付いたのだろう、そうは行くかと背中のブースターの出力を先程よりも上げていく、バーナーから飛び出る爆音もより高いものとなった。レイカーはぶつかった時の衝撃に備え腕を顔の前に持っていき交差させる。

 

 ――接触まで、あと3秒、2、1……

 

「いっけぇー! レイカーッ!」

 

 ――いま!

 

 万全の姿勢で構えていたドラゴニュートだったが想像以上の衝撃に体が後ろに流されてしまう。しかしレイカーの体を上から抱きしめるかのように覆いかぶさりギリギリのところで耐えていく。

 足はしっかり地面についている。このまま踏ん張ればレイカーの勢いも止まるはず。ドラゴニュートはどんどん伸びていく地面の2本線を見ながらそう確信した。

 

 しかしそうはさせまいとレイカーは自分の上体を起こし始める。このままドラゴニュートを持ち上げて空から落としてしまおうとする作戦だろう。

 

「さ、せるかぁぁーー!!」

「きゃあっ!」

 

 ドラゴニュートは最後の力を振り絞りレイカーの背中から腰に手を回し、そのままレイカーの体を持ち上げることに成功する。

 レイカーは急激な進路変更に対応できず、ブースターが付きっぱなしだった体はそのままの勢いで頭から地面に叩きつけられてしまった。変則型パイルドライバーを仕掛けられてしまった恰好だ。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 ギリギリだった。ドラゴニュートは息が上がり追撃をかける余裕も無かった。

 ドラゴニュートが息を整えている間にレイカーも打ちつけられた頭を庇いながら立ち上がる。

 

 この時点で両者のHPはドラゴニュートのHPが残り8割、レイカーが残り6割といったところ。ドラゴニュートは2回の突進の衝撃で、レイカーはドラゴニュートとぶつかリ合った衝撃とパイルドライバーのダメージでここまでHPが減ってしまったのだ。

 両者とも同じ回数相手に攻撃を加えているわけだがHPの差は大きい。これはレベル差による基本HPと防御力の違いのせいでもある、レイカーのレベルがドラゴニュートと同じだったらHPの差は殆んどなかっただろう。

 

 

 立ち上がったレイカーは再びブースターで飛び上がるかと思いきやドラゴニュートと対峙したまま拳法のような構えをとった。どうやら近接戦闘を仕掛けるつもりらしい。

 しかし、レイカーのその構えが見よう見真似なんかの素人臭い構えではなく、何十回も繰り返してきたような自然な姿だったのでドラゴニュートは驚いた。

 

「楓子さんは見た目お嬢様かと思ったけど格闘技なんて習ってるんだね」

「あら、お嬢様だから護身術が必要なのかもしれませんよ?」

「それは、御尤もっ!」

 

 軽口を叩きながらもドラゴニュートはレイカーにその豪腕を振るう。

 それに対しレイカーは受け止めることなくドラゴニュートの腕の側面を掌打で軌道を変え、受け流し、そのまま流れるようにもう片方の手のひらを隙だらけなドラゴニュートの脇へ叩き込んだ。

 

「ぐぅう……いい一撃だね、どこで習ったの?」

「VR通信講座です。初段なんですよわたし……」

 

 いまはそんなのあるんだ……。

 ドラゴニュートは再び拳を突き出した。今度は弾き飛ばされないよう速さよりも力強さを優先させた拳である。さすがのレイカーもこれは受け流せないと感じたようだった、しかしあろう事かレイカーはそのパンチをかわす為に右でも左でもなく上へと飛び上がるのだった!

 

 空中では身動きは取れるはずもない。ドラゴニュートはすかさず突き出した拳を引っ込め、今度は逆の腕でアッパーを捻り出す。

 しかし、レイカーは背中のブースターを一瞬だけ起動、ドラゴニュートのアッパーを華麗にかわしながら空中で宙返り。変則的な動きでドラゴニュートの頭に渾身の踵落としを見事に叩き込む。

 

「いっつ~……それも通信講座で習ったの?」

「いえ、これはカンナさんが組んだ数多くの対戦の中で思いつきました」

 

 ジェット噴射を使っての空中格闘。どうやらカンナのスパルタ特訓にも意味があったらしい。チラリとカンナに顔を向けると少し離れた場所でどや顔していた。いや、顔の表情はわからないのだが絶対にしていた。

 

 今のドラゴニュートのHPはもう半分まで減っている。レイカーが近接戦闘に強い青色アバターだということもあるし、プラチナの体が打撃攻撃に弱い、ということも加算されているだろう。

 ドラゴニュートは格闘戦ではレイカーに勝てないということがわかると別の手段をとることにした。

 

 ――今回はその体の特徴を利用させてもらおうか!

 

 ドラゴニュートの意気込みを感じ取ったレイカーはいつでもその攻撃に対応できるように体を緩やかに弛緩させる。こうすればガチガチに固まっているよりも(すみ)やかに体を動かすことが出来るのだ。

 

「《エクステンド》……」

 

 まるで野球のピッチャーのように右腕を上から振りかぶってくる攻撃にレイカーは先ほどのように上へ飛び上がるのではなく、距離を開けようと後ろに飛びずさることを選択。しかし今回その行動は間違えでしかなかった。

 

 

「《ファングッッ》!!」

 

 

 ドラゴニュートがその手を振り下ろすと同時、銀色の光を放っていたその手のひらの輝きがまるで閃光のように5本拡散し、その光がレイカーの体を切り裂いていく。

 

「いやぁぁぁーー!」

 

 かわしたと思っていた攻撃が急に自分の体を切り裂いた。レイカーの受けた衝撃はなす術も無く地面に膝をつけるに十分なものだった。

 半分以上残っていたレイカーのHPは見るも無残に削り取られ、今はもう一割も残っていない。

 一体なにが起きたのか、振り絞る最後の力でレイカーが見たのは巨大な刃物が伸縮し、ドラゴニュートの手のひらの形に戻っていくところだった。

 

「なん、だったんですか……あれは?」

「あれは、レベル4になった時に覚えた必殺技《エクステンド・ファング》だよ……」

 

 プラチナという金属はとても粘り強く、そして強度もある。たった1グラムのプラチナでも極々細い線に延ばしていけば2メートルまで延ばすことができ、30グラムもあれば42キロメートルなんて途方もない長さまで引き伸ばすことが出来るのだ。

 

 その特性を利用したのが《エクステンド・ファング》である。右の手のひらを薄く、そして鋭く延ばすことで変幻自在の刃物()を作り出せることが可能となる必殺技だった。

 

「でも手が止まってる時に延ばしても爪は薄くて柔らかいだけの弱い金属膜だし、延ばした後降りぬくのは難しい。

 それに広げた手を元に戻すのは結構時間がかかるんだ。絶対にかわされない状況で、思いっきり振り切らなきゃその攻撃力を発揮できない、使いどころの難しい必殺技だよ」

「では、あの状況でわたしが絶対後ろにかわすという自信があったのですか? なぜ?」

「いいや、そんなもの無かったよ」

「え?」

 

 レイカーの質問にあっさりと首を横に振るドラゴニュート、あまりの呆気なさにレイカーは二の次を出せなかった。

 

「別にアレをかわされても他の手段で勝つこともできた。

 でも一応横振りだとさっきみたいに上へ逃げられちゃうかもしれない、だから横薙ぎの次に攻撃範囲が広い、指を広げた振りかぶりの攻撃を使ったんだ」

 

 自信たっぷりに背中の尻尾を振るドラゴニュート、これでも歴戦練磨のトッププレイヤーなのだ格闘能力が劣るくらいで負けていては青色アバターに勝てるわけも無い。

 

「それにレイカーの強化外装、それずっと使えるわけじゃなくって必殺技ゲージみたいにどこかでチャージしなくちゃ再使用できないんでしょ?

 だから途中から空を飛ばずに格闘戦に切り替えた、違う?」

「ご明察です。しかしそこまでわかっていながら止めを刺さなかったのは致命的ですよ。ここまでHPが減ってしまたのですからわたしの《ゲイルスラスター》の燃料は満タンです。ここで貴方を抱え上げたまま空たかく舞い上がり空中で落っことせばそれだけで逆転することができます」

「……やってみる?」

 

「……」

「……」

 

 しばしの睨み合い、先に根をあげたのはレイカーのほうだった。

 

「止めておきます。このHPだと上ってる途中で攻撃されたらそれだけで負けてしまいますから。では降参させていただきますね? それとも最後も自分の手で止めを刺したいですか?」

「そ、そんなことしないよ!」

 

 無防備に手を広げ攻撃してくるか聞いてくるレイカーにドラゴニュートは思わずしどろもどろになってしまった。そこにはもう張り詰めた戦闘の空気は完全に霧散し、病室でやり取りしていたような気安い雰囲気に戻っているのだった。

 

 

 

 

 

 

「あー! もう、どうしてフーコに勝たせてあげなかったの!? マサトのオニ、アクマ!」

「いや、だってしょうがないでしょ。ボクと楓子さんはレベルが4も離れてるんだし、これで負けちゃったらボクが笑いものだよ……」

「何のために《ギャラリー》がいない直結対戦にしたと思ってるの。マサトなんてケチョンケチョンにやられればよかったんだ! そうすれば笑われるのは私からだけですんだでしょ」

「そんなぁ……」

 

 『加速世界』から病院に戻ってきたマサトはカンナに先ほどの戦いについて思いっきりダメ出しされている。

 このカンナとのやり取りに思わず笑ってしまったのは楓子だった。

 

「フーコ! 貴方も笑ってる場合じゃないでしょ、マサトなんかに負けるなんて特訓よ、特訓! この間とは比べ物にならないんだから!」

「カンナ、そんなに楓子さんに強く当たらないでよ。楓子さんの実力だったらレベル3のプレイヤーにだってやすやすと負けないでしょ?」

 

 カンナのあまりな傍若無人な態度にマサトは諌めようとするが、それにストップをかけたのはなんと楓子本人だった。

 

「大丈夫ですよマサトさん。マサトさんはカンナちゃんがわたしに休む暇もなく対戦を強いたように思われてるかもしれませんが実はそうじゃないんです。

 ちゃんと一戦一戦休憩時間を挟んでくれましたし、わたしが負けたときは反省会だ特訓だと称して対戦で手取り足取り教えてくれるんですけど、最後は絶対カンナちゃんが降参して終わるんです。レベルの差が大きければ大きいほど低いものが勝った時貰えるバーストポイントは大きくなる。お蔭でわたしはあっという間に……」

「わー! わー! そんなことは言わなくていいの!」

「それにレベル2に上がった時なんてわたしが喜ぶ暇なんてないくらい飛び上がっちゃって「私のおごりよ!」なんてお昼……ムー! ムー!」

 

 楓子の後ろへと回り込み口を塞いだカンナは顔を真っ赤に染めがらもいやらしい笑みを浮かべ……

 

「そこまで言うならこっちにも考えがあるわよ楓子……貴方の弱点はわかってるんだから!」

 

 楓子の口を塞いでいる手とは逆の手でワキワキと楓子の太ももの中央辺りをさすり始めたではないか。

 どうやら楓子はその辺りが特に敏感らしく口を塞いでいる手をどうにかするよりも太ももを触っている手のほうを優先的にどかそうとする。

 しかしカンナはうまいこと楓子の手をかわし太ももを撫で続け、楓子のほうも口を塞がれたまま暴れたためか、はたまた別の理由か段々と抵抗が弱まっていってしまう。

 

「ここがいいんでしょ! こことか! ここも! どうだ、もう変なこと言わないか! これでもか!」

「んんーー! んー! ……ンッ! うぅ、んっ! ……フーフー! んんん!?

 うぅ、んんんん! んん!んん! ンーーーーーッッ!!! うぅん……」

 

 この攻防をマサトは見守ることしか出来なかった。ただ女の子同士がくすぐりあっているだけなのになぜか動悸が激しくなり、なぜか最後まで見なくちゃいけないという突然の使命感に目覚めてしまったのだ。

 そのせいでマサトが彼女たちに静止の声をかけたのはカンナのくすぐりによって楓子が完全にグッタリしてしまってからであった。

 

 

 

 

「マサトさん、ひどいです。おにです。あくまです」

「ごめんなさい」

 

 乱れた洋服と呼吸を整えたあとの楓子に涙目で迫られてしまったらマサトは謝ることしかできない。

 カンナはというと病室の窓際で全てを悟ったかのような顔でゆっくりとお茶を啜っているだけだった。その姿はまるで仙人のようだ。

 

 楓子もひと通りマサトを責めたことで溜飲が下がったのか気分を変える為に少し気になっていた点をマサトに質問することにした。

 

「それにしても、マサトさんって病院にいるときと『加速世界』では少し性格が違いますね? それはワザとやっているのですか?」

 

 楓子の質問の意味がわからずマサトがキョトンとしてると今まで静かにお茶を啜っていたカンナが身を乗り出して楓子の意見に同意してきた。

 

「そう! そうなのよね! マサトってば『向こう』だと偉そうって言うか挑発的って言うか、なんか上からの発言してくるのよね?」

「ええー、そんなことないよ?」

「カンナちゃんの言うとおりです。それにわたし異性と初めての直結でドキドキしてなのにマサトさん全然動じないで……わたしには女性としての魅力がないのかと傷ついてしまいました」

 

 しくしくと明らかに口で言いながら楓子は両目を手で擦り始める。嘘泣きだ。

 カンナもあー、泣かした~なんて楓子のからかいに乗ってくるしまつ。

 女性2人にタッグを組まれてはマサトに太刀打ちする術はない。

 これからこんな機会も増えていくのだろうか。マサトは2人に飲み物を奢ることを犠牲にご機嫌を取りながらそう考えてしまうのだった。

 

 

 ――でも。でもこんな日常も嫌じゃない。いや、ボクはこんな日常が大好きなんだ……

 

 病院の窓から見える太陽はあの《草原》ステージのように優しくゆっくりと落ちていく。今日もマサトたちにとって平和な1日が終わるのだった。

 

 

 

 

 ……だが、この人間同士の闘争を是とした《ブレイン・バースト》の世界で恒久(こうきゅう)的な平和はありえないもの。悪夢の再来は確かにマサト達に向かって忍び寄ってきている……。

 

 

 

 



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第13話 予兆

今日見てみたら評価バーが赤く染まっててテンション上がったので投稿。
皆さん評価ありがとうです!


 

 

「さあ! レイカー、私を持ち上げて空を飛ぶのよ! そうすればあの連中は私達に手も足も出ないんだから」

「嫌ですよ! いくらダメージを喰らわないといってもルルの体はとっても熱いんです。その体を持ち上げるわたしの気持ちも考えてください」

「そんな!? ドラゴはそんなこと言わなかったわよ?」

「あの金属の体で出来てるドラコさんのカッチカチの体と一緒にしないで下さい。わたしはか弱い乙女なんですから!」

 

 ドラゴニュートのいるビルの下。今、そこでは《フレイム・ゲイレルル》と《スカイ・レイカー》の親子タッグが《グリーン・グランデ》率いるレギオン《グレート・ウォール》、通称《緑のレギオン》からの挑戦者チームと戦っている。

 しかし、もう目の前まで接近している相手を無視してまで言い争うルルたちはちゃんと戦う気があるのだろうか。このままではなす術もなく負けてしまうかもしれない。

 

 

 それにしてもここ《世田谷区第三エリア》も賑やかになった。ドラゴニュートは笑いながら4人の戦いに野次を飛ばす《ギャラリー》の多さにシミジミそう思う。

 もともと大田区を拠点として支配していた《スーパー・ヴォイド》だったが最南のエリアも支配下に置き、大田区全土を占領したため今度はそのエリアを北に延ばし始めたのだ。

 当然、団長の《マグネシウム・ドレイク》は品川区や目黒区も視野に入れていたのだが副団長であるドラゴニュートやルルの本拠地が世田谷だったのでまずそちらから、ということになった。

 もともと世田谷区はBBプレイヤーの少ない過疎地域だ。とくに障害もなく世田谷の半分を《スーパー・ヴォイド》の支配下に置いてしまう。

 

 それに伴い1日中マッチングリストに名前を入れてても対戦を挑まれることが(まれ)だった《世田谷区第三エリア》に《スーパー・ヴォイド》のレギオンメンバーが集まるようになり、レギオンメンバーが集まれば他所からの挑戦者も増える。特に《スーパー・ヴォイド》と支配区が隣接している緑のレギオンの挑戦者が多く訪れるようになったのだ。

 

 

「うわぁ! あいつら連射式の銃持ってきてる! レイカー、私ダメだ。貴方がひとりで突っ込んで!」

「バカなこと言ってないで早く応戦してください! あぁ、イタッ、イタタッ!」

 

 ふと2人の騒ぎを見てみると相手は両者ともルルの対処法をしっかり練って来ていたらしい、激しい弾幕を前にルルたちは建物の陰に隠れながらどっちが囮になるか言い争っていた。

 あれじゃあダメかもしれない。ドラゴニュートがそう呆れていると……

 

「ぶははは! やっぱ面白いなあいつらは!」

 

 ドラゴニュートの後ろから声をかけてきたのはドラゴニュートたちの団長《マグネシウム・ドレイク》その人だった。

 ドレイクはドラゴニュートの隣に並び、ビルのふちから身を乗り出して戦いを覗きだす。

 

「団長、落っこちても知りませんよ」

「確かにここから落っこちたらひとたまりもないな……ってそんなわけあるか! 《ギャラリー》がビルの上から故意に出れるわけないだろ」

 

 ドラゴニュートのボケにドレイクはツッコミを返す。両者の会話には傍から見てもわかる程度の気安さがあった。

 2人が知り合ってからもう半年は経つ、それに『加速世界』で乗り越えてきた試練は数え切れない程多い、もうお互い遠慮すること自体が馬鹿馬鹿しくなってしまう、そんな関係になっているのだ。

 

「なぁ……ドラゴニュート」

「なんですか、団長?」

 

 ジッと、下で繰り広げられている笑劇のようなバトルを見ながらドレイクは何となしにドラゴニュートの名前を呼んだ。

 

「“賭け”をしないか? あいつ等のどっちが勝つか、バーストポイントをかけて、さ」

「賭け? 珍しいですね、エネミーに突っ込んだりダンジョンで2択になった時なんかは「これは賭けだ!」「勘でこっちだ!」なんて言うわりにバーストポイントを賭けることなんて今までしなかったじゃないですか?」

「たまにはいいだろ。ちょっとした気分転換だよ。ほら、どっちが勝つかだ。早く選ばないと決着が付いちまうぞ」

 

 ドラゴニュートは突然の申し出に若干の違和感を感じたが、本人が気分だというのならそれ以上尋ねることは出来ない。

 その小さな違和感はやけに急かすドレイクの声によってかき消されてしまった。

 

「そんな急かさないで下さいよ。でも、賭ける対象はもう決まってます。もちろん我がレギオンの副団長《フレイム・ゲイレルル》がいる2人に賭けますよ」

「ヒュー! そっちは押されているって言うのにお暑いねぇ。よし! 成立だ。あとは黙って見守るだけだな」

「からかわないで下さい、そんなんじゃありませんよ。ちゃんと勝率があっての言葉なんですから。ほらそろそろルルたちが動きだします」

 

 ドラゴニュートが指差す先、ビルの陰でジャンケンをしていた2人の勝敗が決まったようだ。炎のアバターが喜んでいる。

 次に、空色のアバターが渋々といった感じに炎のアバターを抱え上げ一瞬の溜めのあと、あっという間に空へ飛び上がってしまった。

 ドラゴニュートたちに見えるのはブースターから真っ直ぐ引かれた2本の飛行機雲だけ。殆んどの《ギャラリー》も感嘆の息を漏らしながらその雲の行く先を辿っている。

 

「ひゃー、やっぱり凄いなぁ。ルルはあの子をうちのレギオンに入れるつもりなのか?」

「うーん、そんな話は聞いてませんね。どうやら変な団長がいるレギオンには入れたくないみたいです」

 

 よくいうぜ、とドラゴニュートの軽口に笑って返すドレイク。

 そうしている間にも現場(戦場)は動き出していた。

 

 天空から風を切り、滑空してくる《スカイ・レイカー》。その背中には《フレイム・ゲイレルル》が跨っている。

 両者の距離が近くなるとルルはその手に炎の槍を作り出しレイカーの飛行速度を超える勢いでその槍を相手に向かって無差別に投げつけていく。

 いくつもの降り注ぐ炎の雨。ルルの必殺技《フレイム・ランス》だ。

 レイカーによる高速移動(ブーストジャンプ)で相手の攻撃をかわしつつ、すれ違いざまにルルの必殺技を連続で叩き込む。その一方的な攻撃はかつてドラゴニュートとタッグを組んでいたときよりも酷い事になっており、《ラプター》《ハルトマン》なんて呼ばれ恐れられているらしい。

 

 しかしレイカーいわく、通常対戦フィールドでルルの体は自動販売機から出てきたばかりのホット缶コーヒー並に熱いのでレイカーはあまりこの攻撃を進んでやりたくないと聞く。

 

 炎の矢は地面に着弾すると同時に爆散。地上は火の海になり、地面に残されていた2人のアバター辺りは特に酷い事になっていた。

 

「えげつねぇ~。でもあれルルの必殺技だろ? よくあんなにゲージもつ(・・)な?」

「アレを見てください」

 

 ドラゴニュートが指差す方向をドレイクが見ると、対戦相手の頭上を飛び越えたルルたちは対戦とは全然関係なさそうな正面のビルに炎の槍を打ち込み始めていた。被害にあったビルはたちまち穴だらけになり今にも倒壊してしまいそうだ。

 そのビルの上から戦いを見ていた《ギャラリー》からのブーイングが酷い事になっている。

 

「ああやって必殺技を使わずにただの槍として投げ、建物を壊し、必殺技ゲージを稼いでいるんですよ。まさに永久機関です」

「おいおい、ズルくねぇ? それにレイカーの方は? アレ(ブースター)はそんなに長距離飛ばせないって聞いたことあるぞ」

 

 ドレイクの問いにドラゴニュートは黙って再びレイカーを指差す。

 レイカーはもうすぐビルにぶつかりそうだというのに減速どころか旋回すらする様子がなかった。

 ビルの上に立っていた《ギャラリー》たちはその意図にひとり、またひとりと気付き始め、いまやその場は阿鼻叫喚の地獄絵図になっている。

 

 

 その様子を無視してレイカーの上に乗っているルルは行け行け!と言わんばかりに手を振り上げ、レイカーはせめて体にかかる衝撃を和らげようと顔の前に腕を交差させ防御体制に入ってしまう。

 どんッ! と鈍い音と共にレイカーはビルに体ごと突っ込み、数秒もしない内に反対側の壁から飛び出ていく。ルルの攻撃によってすでにボロボロになっていたビルはその衝撃に耐え切れるはずもなく、まるでジェンガの用に呆気なく崩れ落ちてしまうのだった。

 ビルの上にいた《ギャラリー》と共に……

 

 

「…………」

「ああやって大規模の建物破壊によってレイカーのブースターをリチャージしているんです。

 でもこの戦い方、フィールドによっては壊せないもの、壊しづらいものがありますし、ルルは《大嵐》のステージや《海原》ステージじゃ無力ですから。はまれば強い、といったところですね」

「うーむ……」

 

 もうこの光景に慣れてしまっているのだろう、まるで動じずに解説を続けるドラゴニュートの姿にドレイクは思わずうなってしまうのだった。

 

 崩壊したビルの上にいた《ギャラリー》たちが次々と無事な建物の上にリポップ(再登場)してくる。

 対戦場所が大きく移動したり、戦闘の衝撃で建物が壊れてしまったりするといった理由で自動的に《ギャラリー》の位置は変わるのは日常茶飯事だ(わざと建物が壊されることは極稀(ごくまれ)かもしれないが……)。みんな慣れた様子でひどい目にあったと言い合っている。

 

 そんな様子をドラゴニュートが眺めている頃にはもう下の戦いは決着が付いているようだった。

 幾度となく行なわれていた襲撃によって焼け焦げてしまった地面。その中心に緑のレギオンのプレイヤーは横たわり、悲惨な姿へ変わり果ててしまっている。

 

「ア~……負けだ負けだ。でもなかなか面白い戦いだったな。ドラゴニュート、勝ち分は正午に《上》に来てくれ、そのときに渡すからよ」

「いいんですか? まだ相手のHPは少し残ってますけど?」

 

 『加速世界』からバーストアウト(ログアウト)しようとしているドレイクにドラゴニュートはそう問いかけるが……

 

「じゃあな!」

 

 制止も虚しくドレイクはその場所から消え去ってしまうのだった。

 

 

「…………」

 

 ドレイクのいつもと違う様子に首をかしげるドラゴニュートだったが、《ギャラリー》の大きくなった歓声に気がそらされてしまう。どうやら緑のレギオンによる最後の抵抗が始まったらしい。

 ドラゴニュートはその作戦を一目見ようと《ギャラリー》の間に自分の体を挟みこむのだった。

 

 

 

 

 

 

「おい知ってるか? あの《ブラック・ロータス》が《グラファイト・エッジ》に師事して貰ってるって話」

「ああ、聞いた聞いた。まあアイツ剣を使った技なら《ブルー・ナイト》より上手いって話しだしな」

「そのおかげかロータスは最近いっそう強くなったよな。もうそろそろ《こっち》にも来れるらしいし、うかうかしてたら俺たちあっという間に追い抜かれちまうんじゃねぇの?」

「かもな?」

「はははは……!」

「はははは、ハァ……」

 

 

 ドラゴニュートがドレイクとの約束の時間に《無制限中立フィールド》に降り立ち、レギオンのたまり場へと向かうと、そこには十数人かの《スーパー・ヴォイド》のレギオンメンバーが車座になっておしゃべりをしていた。

 『現実世界』で1分進むだけで約17時間もずれてしまうこの『加速世界』において待ち合わせもせずに他のBBプレイヤーと鉢合わせるのは珍しい。

 おそらく彼らは大型エネミーを狩るために長い間この世界に留まっているのかもしれない。ドラゴニュートはそう思いながらみんなに声をかけることにした。

 

「やあ、奇遇だね。エネミー狩りかい? 団長見なかった?」

「ん? おお! 副団長、こっち来て下さいよ。ついさっき狩ったばかりのエネミーが落としたアイテム《デザートウルフの肉》っていうのがありましてね? 安直な名前ですけどこれがまたなかなかウマいんすよ」

「ドラゴさん、こんちわッス。団長は来てませんね、なにか約束でもしてたんですか?」

 

 団員の質問にドラゴニュートはそんなところだと答えながら勧められた、まさに“肉”としか言いようのない食べ物を口にしてみる。

 誰かの必殺技、またはアビリティで焼いたのだろうか、程よい加減に火の通った肉はドラゴニュートの味覚を十分に満足させるものであった。

 まだまだあると次々に差し出された肉にドラゴニュートが舌包みをうっていると、団員の1人が団長の話を持ち出してくる。

 

「そういえば団長といえば最近羽振りよくない? 俺、この前レベルアップしたお祝いだって結構多めのバーストポイント貰ったぜ?」

「それ、俺も思った!」

「だよな!? この前エネミーがドロップしたって言う強化外装、俺にピッタリだからって格安で譲ってくれた」

 

「ああ~、確かに……俺はこの前、銀座にあるショップでケーキ奢ってもらっちった。もちろんブレイン・バーストの中でだぞ?」

「プッ……ケーキって……お前、そのナリ(・・)でケーキって……」

 

 その話を聞いて最近の団長の話をしていた周りの連中も皆それぞれ笑い出してしまう。

 ケーキを奢ってもらったという団員の姿は、ひと昔前のいわゆる“番長”と呼ばれるような白い長ランを羽織ったアバターだったのだ。

 身長もあり、格闘能力に秀でているその大きな手を使って三角形にカットされたケーキを少しずつ食べている場面を想像すると、ドラゴニュートでも腹の中からこみ上げてくるものがあった。

 

「い、いいだろ別に! ケーキなんて滅多に食べられないんだから、このブレイン・バースト中で贅沢してもさっ!」

「ククク……いいっていいって、俺も今度ケーキ奢ってやるから。いっぱい食いに行こうな?」

 

 笑いながら隣の奴が番長の肩を叩く。番町はどうやら本当にケーキが大好物らしい、奢ってもらえるなら……とからかわれても本気で怒れないようだった。ギリギリのところで我慢して肩を震わせている。

 

 

「おう! どうしたどうした。なんか楽しそうだなぁ?」

 

 そこに現れたのがドラゴニュートと約束をしていた《マグネシウム・ドレイク》だった。

 《砂漠》ステージの砂を踏み鳴らしながらドラゴニュートたちの下にやってくる。

 

「団長! コイツにケーキ奢ったって本当ですか? なんでそんな面白そうな話、俺たちを誘ってくれなかったんですか!」

「なんだ、その話かぁ? たまたまケーキ食いたくなったとき近くにいたのがコイツしかいなかったんだからしかたねぇだろ……。文句言うなら自分の運の無さに文句言え。

 ほら、ドラゴニュート。待たせたな。ここじゃなんだしちょっと場所変えないか?」

 

 ちょいちょいと指を動かしこの場を離れようと持ちかけるドレイク。

 確かにここでバーストポイントを使っての賭け事をしたなんて話が広がればたちまち他のメンバーが俺も俺もと賭け事をし始めてしまうかもしれない。レギオン内で賭け事が(それもバーストポイントを使ったものが)広まるのを危惧したドラゴニュートは座っていた腰を上げ、ドレイクについていくことにした。

 

「なんすか、団長? 副団長を連れて……また面白いことをするなら俺たちも連れてってくださいよ!」

「そうだそうだ! この前みたく環七通り一周レースやりましょうよ! 妨害ありエネミーキルありのなんでもありルールで!」

「やだよ! あれやった後他の大レギオンの連中にスゲー怒られたのお前ら知ってるだろ!? くっそ~! どうして俺はあんなこと思いついちまったんだ……あの温厚そうなグランデすら30分間無言で睨み続けてきたんだぞ!

 とにかく、今回はそんなんじゃないから。ドラゴニュートとは2人っきりでデートだ、デート。言わせんな恥ずかしい」

 

 団長の素気無い返事にレギオンのみんなは、えー! ブーブー! あとでルルさんに言いつけてやる! などの罵声を浴びせかけるがドレイクはそんなこと全く気にしてない様子。背中越しに手を振るだけでその場を立ち去ってしまう。そしてドラゴニュートもその後を慌てて追いかけるのだった。

 

 

 

 

 

 

 《砂漠》のフィールドは砂に埋もれた岩と、極少数存在するオアシスを除いて後は砂しかない。

 噂では蜃気楼のように現れる幻のピラミッドダンジョンが存在するらしいのだが、ドラゴニュートはいまだそのダンジョンをお目にかかったことは無かった。

 

 そんな《砂漠》フィールドの砂山を1つ越え、2つ越え、自分のいる位置も進んでいる方角もわからなくなりそうになった頃。ようやく《マグネシウム・ドレイク》はその足を止め、後ろから付いてきていたドラゴニュートへと振り返った。

 

 砂漠に降り注ぐ太陽の光を遮るものは何一つ無い。じりじりと照りつける太陽光のせいで《メタル・カラー》である2人の体は尋常じゃない熱を放っている。卵を落とせばたちどころに目玉焼きが出来てしまうことだろう。

 そろそろドレイクに文句を言おうとしていたドラゴニュートはようやく話が始まるのかと安堵のため息を漏らすのだった。

 

 

「まずは、これな……」

「これは……バーストポイントを入れることが出来るカードですか。初めて見ますね」

「ああ、それをショップで買ってたらから少し遅くなった」

 

 ドラゴニュートはドレイクから投げ渡されたトランプ大の大きさのカードを意味も無くひっくり返したりして(もてあそ)ぶ。

 初めて手に持ったアイテムを一通り眺め終え、ドラゴニュートは中に入っているポイントがいくつなのか確認しようとするが……

 

「実はな、ドラゴニュート。お前をこんなところまで連れ出したのはそれだけが理由じゃないんだ……」

 

 ドレイクの突然の言葉にカードから目を離し、ドレイクを見るドラゴニュート。

 このプレイヤー同士が鉢合わせることが珍しいフィールドで、さらに人気の無い場所へ移動してきた。ドレイクのその意図が賭け事を行なったことを見つからないようにということ以外にあるのか、ドラゴニュートは(いぶか)しげな目でドレイクに尋ねかける。

 しかし、ドレイクはドラゴニュートと目を合わせる事はせず、淡々と言葉を続けるだけだった。

 

「始めは気のせいかとも思っていたんだ。だが、繰り返し試行錯誤していくうちにこの力の恐ろしさに気付いてしまって……」

 

 ドレイクらしくもない硬い話し方。全容のつかめないドラゴニュートは一体なんの話なのかわからずドレイクに詰め寄ろうと一歩前に進むが……突如激しく地面が揺れ、それ以上前にも後ろにも進めなくなってしまう。

 原因が何なのか探るドラゴニュートの目にドレイクの背後にある砂山が爆発直前の風船のように膨れ上がるが見えた。

 

 ――エネミー!? それも大きい(・・・)

 

「ドレイク! 危ない……!」

「…………」 

 

 おそらく出現しようとしているエネミーの大きさは《巨獣(ビースト)級》はある。それは先ほど出会ったレギオンメンバーのように数十人単位で戦わなければ勝てない相手だ。いくらレベル6の高レベルプレイヤーとはいえたった2人で戦うなんて話にもならない。

 

 ドラゴニュートは一刻も早くこの場から逃げるべくドレイクに注意を促す。だが、ドレイクは逃げるどころかエネミーと相対すべくドラゴニュートに背を向けてしまったではないか!

 

「……ッ! 一体なにを!」

「見てろ、ドラゴニュート……。これが、ブレインバーストという世界を根本から覆してしまうかもしれない脅威の力だ……」

 

 そう言うやいなや突如光りだすドレイクの体。その光はドレイクの体と同様の銀白色の激しい光。その光にドラゴニュートは見覚えがあった。いや、むしろ見飽きたほどであったと言っていい。それはドレイクが必殺技を使うたびに放つライト・エフェクトと同じものに見えるのだ。

 

 しかし、通常ならその光が体に現れるには必殺技のための準備動作、そして必殺技名の暗誦(あんしょう)が必要である。だというのにドレイクは構えるどころかなんの台詞もなく光りを放っているではないか。

 

 ――それに、ドレイクのライト・エフェクトの白い光の中心はあんなに黒いものだったか?

 

 ドラゴニュートの疑問も余所に突然襲撃してきたエネミーは被っていた砂の山を薙ぎ払い、その全容を現し始めていた。

 

 ぱらぱらと、砂の滑り落ちるその体は硬く殻に覆われ、胴体から伸びる長い尻尾は多くの()により曲線を描いて正面へと向けられている。

 4対の歩脚と、それとは比べ物にならないほど大きな触肢は鋼も切り裂きそうな鋏の形状をしており、ドラゴニュートたちに向けてまるで舌なめずりをするかのようにカチカチと音を鳴し始める。

 さんさんと輝いていた日光はその巨体の背後に隠され、ドラゴニュートたちの体は突然出来た影に覆いつくされてしまう。

 

 キング・スコーピオン

 

 BBプレイヤーのつけたその安直な名前はしかし、《砂漠》ステージに現れる恐怖の代名詞として多くのプレイヤーに恐れられているエネミーだった。

 

「無理だ! コイツは《巨獣(ビースト)級エネミー》のなかでもかなり上位の力を持ってます! いま全力で逃げなければ下手すれば《変遷》が来るまで繰り返しエネミーキルされますよ!」

 

 このエネミーが現れるのは《砂漠》のステージだけ。もしこのエネミーにハメ(・・)られてもその時間は限られている。

 しかし、《無制限中立フィールド》のフィールド属性が変わる《変遷》が起きるのは今から一時間後か、それとも最長の10時間後か……。

 そんなことになったら少なくないバーストポイントが削られることとなる。そうなる前に逃げ切るという僅かな希望にすがるためドラゴニュートは逃げ出そうとするのだが。

 

「落ち着け、ドラゴニュート……。今の俺にとってこんな奴、敵じゃあない(・・・・・)

「なにを…………っ!?」

 

 キング・スコーピオンから目を離し、ドラゴニュートは再びドレイクに目を向ける。

 《巨獣(ビースト)級エネミー》と一対一で相対しているというのに悠然と構え、威風堂々としたそのドレイクの姿が――突如ドラゴニュートの視界から消えさった。

 

 数瞬前までドレイクのいた場所の砂が突然放射線上に広がる。それはドレイクが跳んだことを意味している。

 くるくると前転を繰り返しながら空中の最高点に到達したドレイクはその場で静止。次の瞬間“空中を蹴って”一気にスコーピオンに向かって突進し、その背中に鋭い蹴りを叩き込んだ!

 『加速世界』のリアルすぎるロジック(論理)に反したその攻撃はスコーピオンの硬い外殻を突き破り、その口から悲鳴のような金切り声を上げさせる。

 

 以降、ドレイクの猛攻は止まらなかった。攻撃の反動で宙に飛んだと思ったら再び空を蹴り加速。再びスコーピオンに出来た隙へと攻撃を繰りだしていく。

 一方的、その要因はドレイクの変幻自在の動きに限らず、傍から見ているドラゴニュートにすら反応できない速さにあった。

 空中を蹴るたびに際限なく加速していくドレイクの姿はもう捉えきれず、目に焼きつくような一筋の過剰光がスコーピオンに纏わり付く光景しか目に映らない。

 

 銀白色のレーザーがスコーピオンの体を貫くたびに節から血飛沫が舞い、ついにスコーピオンはその体を地に伏せてしまうのだった。

 

「すごい……」

 

 ドラゴニュートの口からは感嘆の声がこぼれるだけだった。

 ドレイクはとどめと言わんばかりにキング・スコーピオンに《焔色吐息(フレイム・ブリーズ)》を浴びせかけ、やがてその巨体を消し炭に変えてしまった。あの必殺技はゲージを大幅に消費するはず……だというのにそれを使えるということは今までの攻撃は必殺技ゲージを消費しない攻撃だったということ。

 

 

 キング・スコーピオンの消失エフェクトも確認せずにドラゴニュートの元へ帰ってきたドレイクが静かに口を開く。

 

「これが、この世界を自分の心の意のままに操る力。

 

 

 《心意(インカーネイト)システム》だ」

 

 

 《心意》

 それはイメージの力とも言える。

 《ブレイン・バースト》において自分のアバターを動かす時、手や足、現実の自分の体と差異のない場所を動かすのならそれは《運動命令形》というシステムで動かしている。

 しかし、ドラゴニュートの尻尾や触椀、多重間接など本来人間では持ち得ない部位を動かす場合それは《運動命令形》とは別の、《イメージ制御系》とも言える《運動命令形》をサポートするシステムで動かすこととなる。

 

 さらに《イメージ制御系》は体を動かすものだけに使われるのではない。

 ドラゴニュートの必殺技《エクステンドファング》はなぜ細く長くなっても切れないのか。《草原》ステージの草に炎の体を持つルルが触っても燃えないのはなぜか。

 そういうものだから、とひと言で済ませるのは容易いが、それはこう言い変えることが出来ないか。

 

 “自分のイメージ力が世界の法則を上回ったと”

 

 ドラゴニュートはプラチナが強固だからと、ルルは自分の体は所詮アバターだから草は燃えないと無意識に思った結果そうなった。

 

 《心意(インカーネイト)システム》はそのイメージ力を故意に行い、世界の法則を、《事象の上書き(オーバーライド)》をする力なのだ。

 

 ドレイクはその力を使い宙を蹴り、エネミーの周りを際限なく加速して動いた。

 

 

「そんな力が……」

 

 心意の説明を受けたドラゴニュートは恐る恐る自分の腰から生える尻尾を動かす。

 1年以上《ブレイン・バースト》で操っていたそれはなんの違和感もなく動かすことが出来た。

 

 この何気ない動きがそんなにも恐ろしい力を秘めていたなんて……。

 心意の力を目の当たりにし、力の説明を受けたドラゴニュートは心意の力の恐ろしさを実感していた。

 《巨獣(ビースト)級エネミー》を単独で殺せる力をみんなが身につけ、それを戦闘に使ったのなら……。

 

 

「でも、団長はどうしてこの力に気が付いたんですか!? 《マグネシウム・ドレイク》はイメージ制御系とは無縁じゃ……」

「今思えば……いま思い出せば《クロム・ディザスター》も心意の力を使っていたのかも知れないな…………」

「……? なにを……?」

「お前は見たことなかったかもしれないが、ディザスターの強化外装()は元々あんなエッジの効いた禍々しいデザインじゃなかった。

 ……おそらくアイツの憎悪、執念が心意となって鎧の形を上書きした。より攻撃的に、ひとりでも多くのプレイヤーを倒しやすくするために……そしてその憎悪は今も……」

 

 一体何の話を!? 自分の問いをはぐらかされたと思ったドラゴニュートは声を荒げるがドレイクとそれ以上の会話を続けることが出来なかった。

 先ほどと同じような地鳴りが他方からいくつも伝わってきており、その震源がドラゴニュートたちの下に近づいてきていることがわかったからだ。

 

「マズイ、心意の光はエネミーを引き寄せる。この話はこれで終わりだドラゴニュート! 一番近いポータルは向こうだ、一気に駆け抜けるぞ!」

 

 ドレイクが大田区役所の方向を示し駆け出していく。《無制限中立フィールド》は所定のポータルからでしか『加速世界』を抜け出せない。ドラゴニュートも多数のエネミーを相手に奮闘する無謀は持ち合わせていないのでドレイクを追いかける。

 

 

「ドラゴニュート。お前、心意を今から一週間で会得しろ……」

 

 エネミーが現れそうな場所を避けながらポータルへ向かう途中、ドレイクはポツリとそう言った。

 

「一週間? なぜそんな期限を設けるんですか?」

「すぐわかる……」

 

 ドレイクはそれ以降ポータルに付くまで終始無言だった。

 その日ドラゴニュートはわけもわからず『加速世界』から離脱する。

 

 しかし、ドレイクの言うとおりその理由はすぐに……その翌日にはわかってしまった。

 

 

 

 

 その日、《無制限中立フィールド》にて《マグネシウム・ドレイク》は突如として苦しみだし、近くにいたレギオンメンバーに自分から離れろと叫びだしたという。

 そして……混乱しているメンバーを余所に《マグネシウム・ドレイク》の体は膨れ上がり、見る見るうちに異形へと変化してしまった。

 それまでの高潔で快活な姿(シルバー)とは程遠いメタリックグレーの厄災へと……

 

 

 その姿に見覚えの無いものはいなかった。

 細部の意匠は異なるがその狂気、禍々しさは見間違いようが無い。

 今なおBBプレイヤーたちの記憶に新しい、全プレイヤーを恐怖のどん底にたたきつけたバーサーカー

 

 《クロム・ディザスター》が再び現れたのだ。

 

 

 

 



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第14話 ポイント・オブ・ノーリターン

 

 

 《マグネシウム・ドレイク》の言った“一週間”、ドラゴニュートがその意味に気が付いたのはいつだっただろうか。

 

 

 2代目《クロム・ディザスター》と化してしまったドレイクは恐怖により身動きできない《スーパー・ヴォイド》の連中を無視し、移動を開始。

 東京23区ではなく多摩川を渡り、隣の神奈川県で破壊の限りを尽くしているという。

 その対象は建築物を始め、エネミー、好奇心によって近寄ってしまったBBプレイヤー……そこにある全てを無に返しているのだった。

 

 その凶暴さ、徹底的な破壊衝動は初代の《クロム・ディザスター》と通じるものがあったが、時折逃げるBBプレイヤーの追撃を止めたりと初代とどこか違う点もあったらしい。

 

 その話を聞いたドラゴニュートは今までの知識から全ての話を線に繋げていく。

 《クロム・ファルコン》の強大な狂気を心意によって宿した災禍の鎧(ディザスター)

 ディザスターを退治したとき止めを刺したのはドレイクだった。強化外装の所有権移行には、所有者のポイントが無くなったとき僅かな確立で止めを刺した相手に強化外装の所有権が移動する、というものがある。

 そのせいでドレイクのアイテムストレージの中に災禍の鎧が移り渡ってしまった。

 そのことにドレイクは気付いていたが鎧を装備することはせず、ショップに売り払ったりもしなかった。そうすれば他者がそれを買ってしまう恐れがあるからだ。

 

 だが、災禍の鎧の執念がそれを良しとするはずがない。

 強すぎる心意は世界だけじゃなく、他者の心も上書きしてしまう。鎧を持っているだけで徐々に心が蝕まれてしまったドレイクはついに先日災禍の鎧を装備してしまい、《クロム・ディザスター》となってしまった。

 しかし、災禍の鎧の執念が心意の力だと悟ったドレイクも同じく心意を習得し、今までその執念を抑え、いまなお災禍の鎧に抗っている。東京で暴れているのではなく隣の県に行ったのはドレイクの最後の抵抗だろう。

 だが強力すぎる災禍の鎧の心意はドレイクの心意で塞ぎきれるものではなく、今の状況を維持できる限度があと1週間だとドレイクはそう判断したのだ。

 

 

 それに気付いたドラゴニュートは心意を習得しようと、『加速世界』に籠もりはじめる。

 現実よりも1000倍時間の流れが速い『加速世界』。

 そこに長い時間滞在するのという事は『現実世界』と異なる時間を生きることになるとも知らずに――

 

 

 

 

 

 

「……トッ! マサト!?」

 

 深い、深い海の底から浮かび上がってきたかのようにゆっくりとマサトの目が開かれる。

 マサトの目の前には心配そうに顔を覗き込んでくるカンナの姿があった。手にはマサトのニューロリンカーに繋がれていた有線ケーブルが握られている。

 

「マサト! 貴方、ここ2日間ご飯を食べる以外ずっと完全(フル)ダイブしてるんですってね。それってずっと《ブレイン・バースト》をやってるってこと? 貴方一体なにをやってるの!?」

 

 マサトは普通の小学生よりも遥かに空いている時間が多かった。しかし、《ブレイン・バースト》のプレイ時間としては他のプレイヤーよりも逸脱しているようなことは決してなかった。

 それなのにカンナが病院へ来ると懇意にしている看護師に呼び止められ、ここ最近のマサトのネットへのダイブ時間が異様に長いことを教えられる。

 マサトが長時間ダイブする行き先は1つしかない。だが、そこは普通のVR空間とは違う世界だった。

 

「一昨日から変な噂は聞くわ、それを確かめに色んなプレイヤーから対戦を挑まれるわで大変だったのよ? それにマサトは《世田谷第三エリア(ここ)》にきてもマッチングリストに載らないって聞くし……。私、だ、団長がああ(・・)なっちゃって、もしかしたらマサトが……って心配したんだから!」

 

 ここ最近の噂のせいでカンナの休まる時はなかった。

 始めに噂の真偽を確かめ、それが真実だとわかると今度は浮き足立つレギオンメンバーを落ち着かせることに奔走した。

 本来レギオンメンバーの統率をしていたのは団長とマサトで、カンナは領土争奪戦においての特攻隊長である役割が強かったのだが今回両名は不在、慣れない仕事によってカンナの心身は大いに疲労してしまう。

 ようやくレギオンメンバーに軽率な行動は控えるよう言い聞かせ、一息つけるようになると今度は姿を見せないマサトが気にかかってくる。

 

 もしもマサトが《ブレイン・バースト》の世界から永久退場してしまっていたら。

 そう考えることすら泣きそうになるくらいの恐怖だった。

 居ても立っても居られずに訪れた病院で看護師から聞かされるマサトの状況にカンナはひとまず安堵するが、同時に言いようの無い不安に駆られてしまう。

 

 マサトのニューロリンカーに繋がれていた有線ケーブルはおそらくグローバルネットとの強制切断のためのものだろう。

 接続先のルーターに“一定の時間がくればネット接続を切る”というタイマーのようなものを設定しておけば、病院の食事時間に丁度よく『現実世界』に戻ってくることが出来る。

 

 逆に言えばマサトは現実世界の時間が判らなくなるほど『加速世界』に居続けているということ。

 しかし、カンナは『加速世界』でマサトの姿を一切見なかった。他のプレイヤーからも居場所を聞かれたし、見ていないとも言われ続けていた。

 ならマサトは一体どこで何をしていたのか、カンナはそれが気になって仕方なかった。

 

 

 マサトは何度も問いかけるカンナの声に何一つ反応しなかった。

 それどころか未だ寝起きのように呆けている。その視線はカンナどころかどの場所にも合っていないようだ。

 

 ずっと心配していたカンナは何度もマサトを呼びかける。団長のことを知っているのか、加速世界で何をしているのか、もしかして動けない状況に陥っているのか、と。

 

 すると、ようやく呆けていた視線をカンナに合わせ、そして――

 

「…………。……ああ、カンナか……久しぶり(・・・・)

 

 そう、言ったのだ。

 

 その言葉に込められた思いはここ2、3日会っていなかった友人に対する気安いものではなく、長いこと……それも年単位で会っていない人に対する感慨深い気持ちが乗せられていた。

 

「久しぶり……って」

 

 その言葉の意味に気が付いたカンナは何も言えなくなってしまう。

 両者の間に決して埋められない溝が出来てしまった。そう感じてしまうほど衝撃的だった。

 

 その隙にマサトはカンナの手から有線ケーブルを取り上げ、自分のニューロリンカーに接続してしまう。

 再び向こう(加速世界)に行くつもりなのだ。

 

「ま、待って……!」

 

 カンナはどうにか制止の言葉を唱える。が……

 

「カンナ…………邪魔、しないで…………」

 

 強く、マサトはカンナを拒絶した。

 マサトの目はどこも見ていなかった。病院のベッドも、白い壁も、カンナですら。

 今のマサトにとってもう『向こうの世界』が『現実の世界』になってしまったのだ。

 

 《アンリミテッド・バースト》

 

 そう唱えたマサトの意思はもうここから消えてしまった。

 この狭い病室の中で生きているのはカンナ1人だけ。

 

 

「マサト……帰ってきて……かえってきてよぅ……」

 

 カンナは自分の顔をベッドの上に押し付け、肩を震わせる。

 

 

 病院の外はいつの間にか雨が降リだしていた……。

 

 

 

 

 

 

 突然、再び現れた“敵”の姿に翼竜たちは有らん限りの声を張り上げ仲間に警戒を促す。

 たちどころに外敵を囲んでいく無数の竜。

 ここは『現実世界』で言うところの羽田空港、『加速世界』では翼竜集まる通称“竜の巣”と呼ばれる場所。

 

 ドラゴニュートが心意の修行の第二段階として訪れているのがこの場所だった。

 ひしめく竜の攻撃を避けつつ、その数を減らそうとドラゴニュートは集中しだす。

 

 

 心意はイメージ力。今から行なう攻撃を想像し、想像を相手に押し付け、効果を発揮する。

 

 ドラゴニュートの必殺技《エクステンドファング》は自分の指を大きく薄く延ばし、相手を切断する技だ。しかし、その距離は最大でも5メートル、厚さも薄い硬貨程度にしかならなかった。それは《ブレイン・バースト》のシステムがこれ以上ドラゴニュートの指を伸ばすのが危険だと判断したからである。

 だが本来のプラチナは0.2マイクロメートルまで延ばすことが出来る。ドラゴニュートのイメージ力でそこまで薄くすることは不可能だったが、それに近いことを会得した。

 

 細く、長く、決して切れない強靭な糸。ドラゴニュートの心意によって無数に分けられたその指先は光の反射でしか認識することができなくなってしまう。

 キラキラと心意の力によって自ら輝く糸はお互いに光を反射し合い……やがて見るもの全てを貫く光となる。

 

 

  《一条の光(Thread of light)

 

 

 そう名付けられたドラゴニュートの心意攻撃は竜たちの堅い鱗をいとも容易く切断し、貫通し、それでもなおその輝きを曇らせずに揺らめいていた。

 

 ドラゴニュートに襲い掛かっていた3匹の翼竜は断末魔の叫びを上げる前にバラバラに切断され加速世界から消え去ってしまう。

 なにをされたかわからないが同胞が敵によって殺されたことだけは知ることができる。

 慟哭か、憤怒か、巨大な口から雄たけびを上げ、彼らは次々にドラゴニュートへと襲い掛かった。

 すでにドラゴンの攻撃動作を見切っているドラゴニュートは慣れきった動作でその攻撃をいなしていくが、それでもかわしきれない攻撃はある。鋭いつめに体は(えぐ)られ、頭の角は欠け、自慢の尻尾は千切れてしまう。

 

 しかし、それでも死なないドラゴニュートは口元を歪ませた。

 この傷が、痛みが、いまこの世界で生きていると感じさせてくれるのだから。

 

 

 

 

 

 

「よう、酷い有様だなこりゃぁ……」

 

 瓦礫と化してしまった羽田第一ターミナルを蹴り上げながら《レッド・ライダー》はドラゴニュートに話しかける。

 その言葉が跡形も無く壊れてしまったターミナルに対して言ったのか、それともボロボロになっているドラゴニュートを指して言ったのか、それは本人しかわからなかった。

 

「ライダー……どうしてここに?」

「そりゃあこっちの台詞だ。お前さん、いまこの世界の状況を知らないってことはあるまい」

 

 しかしライダーの問いにドラゴニュートは答えない。

 すでにライダーへの興味を失ったかのように遠くを見つめ始めている。その方向には心意の光におびき寄せられたエネミーの大群がゆっくりと近づいてくる様子があった。

 

「チッ……! 悠長に話してる暇はなさそうだな。

 今この世界で起きている状況について俺たち大レギオンを含め、全てのプレイヤーがお前たち《スーパー・ヴォイド》の釈明を求めている。

 なんでもいいから言っておかないとお前たちのレギオンは全てのプレイヤーを敵に回してしまうことになるぞ!」

 

 《スーパー・ヴォイド》が災禍の鎧を使って加速世界を支配しようとしている、みんなにそう疑われているとライダーは言った。

 それが本当のことにしろ嘘にしろ、団長の独断にしろレギオンの総意にしろ、何らかの意志を伝えなければ関係ない奴まで巻き込んでしまう恐れがあるから早く弁明した方がいいとも。

 

「まだドレイクの奴は大人しくしているみたいだから、こっちも様子見してるが……。すでに色んな奴らから監視されているみたいだ。アイツが少しでも県境を跨ごうとしたなら、そのときはみんな黙っちゃいないぞ! 下手したら全面戦争になっちまう!

 ……とにかくみんなの前で話をしなくちゃなにも始まらないな。みんなもう集まってる。ほら、行くぞ!」

 

 ライダーの必死の訴え……しかし――

 

「今は……無理だ。そんなことをしている時間は無い」

「なっ!?」

「それと《クロム・ディザスター》の問題はこっちで解決する。そっちは何もしないでいい」

「おいおい、何言って……」

 

 弁明はしない、問題の解決はするから手を出すな。ドラゴニュートの勝手な言い分にライダーは肩を震わせる。これは悲しみの感情からではない。

 

「それに、レギオンにはルルがいる。そっちの連中は彼女に任せればいい……」

「てめぇ!」

 

 ライダーが怒りを我慢できたのはそこまでだった。

 レッドの名前の通りライダーは格闘戦が不得手、しかしそれでも構わずドラゴニュートの顔面を殴りぬく。

 

「あのお嬢ちゃんはいまなぁ!! …………クソッ! もうお前に何を話しても無駄か。

 とにかく! それはお嬢ちゃんの分……いや、お嬢ちゃんの一発分を借りただけだ、残りの分はお嬢ちゃんにしこたま殴ってもらえ」

 

 憤ったままのライダーは倒れこんでいるドラゴニュートを無視してそのまま背中を見せる。

 一歩二歩、この場から立ち去ろうとするが最後の最後にドラゴニュートへ顔だけ向け……。

 

「お前さんの考えはよくわかった。そっちが勝手にやるって言うならコッチも勝手にやらせてもらうからな!

 …………俺が抑えられるのは精々3日程度だ、それ以上はどうなるかわかんねぇぞ。なにかするなら早くしろ……」

 

 今度こそドラゴニュートの元を立ち去るのだった。

 

 ありがとう、ドラゴニュートは心中でそう呟き立ち上がる。

 時間が無い、ドラゴニュートは再び自分の意志を世界に溶かし始めていく――

 

 もうエネミーとの距離は目と鼻の先となっていた。

 

 

 

 

「それにしても……」

 

 ライダーは羽田空港から立ち去る前にもう一度ドラゴニュートの方を振り返った。

 歩いてきた道なりに延々転がる瓦礫の山、ドラゴニュートとエネミーの大群はすでに米粒ほど小さくなっている。

 

「いまここのフィールド属性は《鋼鉄》だったよな……。あの野郎、一体何をしてるんだ……?」

 

 自慢のリボルバーから放たれる弾丸でも傷ひとつ付かないその材質。それで出来た建築物ををまるでパズルのようにバラバラにしてしまったドラゴニュートの力にライダーは背筋を震わせてしまうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこはとても澄んだ場所だった。どこまでもどこまでも見渡せるほど透明な空間。

 しかし、遮るものが何もないその無限に続く空間は結局、何も見えない暗闇と同義だった。

 

 そんな何も無い空間にただひとり。膝を抱え、小さく丸まっているドラゴニュートの姿が。

 

 

 

 

 どれだけの時間が過ぎただろうか、この変化の無い空間では時間の流れがわからない。

 ふと気配を感じたドラゴニュートが顔を上げるとそこにカンナの姿があった。

 ひとり長い時間そこに居て寂しかったドラゴニュートは喜び、声をかけようとするがどうしても口が開かない。

 

 

『マサト、私ブレインバーストやめるから。もう飽きちゃった』

 

 何も言えず焦るドラゴニュートを余所にカンナは立ち去ってしまう。

 

 ――待って。

 

 

 次に現れたのは楓子だった。

 ドラゴニュートは今度こそと頑張るがやはり口が開くことは無かった。

 

『マサトさん。わたしももう加速世界に行くことはありません。あしからず……』

 

 ――待ってよ。

 

『ドラゴニュート、まだこんなゲームやってるのか? もういい加減卒業しろよ』

 

 ――ドレイク!

 

『ゲームばっかりじゃなくてちゃんと勉強もしてればね……。バイバイ』

『さよなら、副団長』

『じゃあな……』

 

 ――待ってったら! みんなっ! どこに行くの!?

 

 

 ドレイクを始め懇意にしていた仲間たちも次々と現れては消えてゆく。

 言葉の出せないドラゴニュート、最後の足掻きと懸命にみんなの後を追うが……。

 重たい金属の体では追いつくどころか引き離され、ついには姿を見失ってしまうのだった。

 

 ――はぁ……はぁ……くそっ! なんでこの体はこんなに重たいんだ!

   ボクは、本当は……!

 

『それが、オマエが望んだ体だからろう?』

 

 ――《ラピスラズリ・スラッシャー》!? どうしてキミがここに!

 

 突然現れたかつての親友はドラゴニュートに無情な言葉を告げていく。

 

『オマエは本当は『外』になんか出たくなかった』

 ――違う! ボクは『外の世界』に憧れてた!

『しかし、オマエはずっと病室に籠もっていたじゃないか。

 ずっと……ずっとだ。傷つきたくないから、触られたくないから。そんな“堅い殻”を用意してまで自分を守っていた』

 ――仕方ないじゃないか! ボクは、ずっと病気で……

 

 

『本当か?』

 ――えっ? 

 

『確かにオマエの体は弱い。しかし、歩けないほどじゃないだろう? 病院を一歩出ればそこはもうお前の望む『外の世界』だ。なのにオマエは歩き出さない』

 ――だって、だってそれは……

『オマエは怖いんだ。傷つけられるのが。だから安全な病室に籠もり、外に出ず……。

 

 だからみんなに置いていかれる……。

 

 結局オマエは一人ぼっちだ、昔から……これからも』

 

 

 ―― ……! うるさい! うるさい うるさい うるさい!!

 

 

 

 

 

 

 

「うわぁぁあああっ!!」

 

 ドラゴニュートが飛び上がるほどの勢いで体を起こすがそこはまだ『加速世界』だった。

 モノクロの世界に半透明な体、視界中央のもうそろそろゼロになるカウントダウン。

 それはドラゴニュートのHPが無くなり死亡していたことを表している。

 

 復活するまでの僅かな時間、その間にどうやら寝てしまっていたらしい。

 

 『加速世界』において通常のグローバルネットのような“寝落ち”によるネットの自動切断というものはない。寝てしまえば現実のようにただ無防備に横たわってしまうだけで、エネミーや敵意のあるBBプレイヤーが近づいてきても防衛や警報してくれるようなシステムアシスト的なものは無い。

 しかし、『加速世界』で8時間ぐっすりと寝たとしても現実ではたったの30秒しか経たず、目覚めもスッキリするので現実で時間の無いBBプレイヤーによく重宝されている。

 

 だがドラゴニュートの目覚めは最悪といってよかった。

 この感覚に覚えはある。

 ブレイン・バーストを初めてプレイするまでよく見ていた悪夢から覚めた時に感じていたものと同じだった。

 

 この悪夢は心意システムの修行を行い始めてからずっと続いている。

 それがなんらかの関係があるということもわかっている。

 しかし、止めない、止める気もない。

 

 ドラゴニュートはカウントダウンがゼロになると同時に飛び出した。

 向かう先は自分を倒したエネミーたち。彼らもドラゴニュートを万全の体制で待ち構えている。

 

 響き渡る咆哮。

 (ほとばし)る過剰光。

 

 その過剰光がどす黒く変化していることに気付くものは誰一人としていなかった。

 

 

 

 

 

 

 ドラゴニュートは再び何も無い空間に訪れていた。

 光は無く、ただ無限に広いだけの空間。そこは宇宙と言い換えてもよかった。

 

 どれだけ真っ直ぐ走っても壁にはぶつからない。壁すら見えない。

 突然友人がドラゴニュートの前に現れ、消えてゆく。

 どれだけ頑張っても繋ぎとめるのは不可能だった。

 

 塞ぎこむドラゴニュートの前に再びスラシャーが現れる。

 

『暇そうだな?』

 ――ほっといてよ……

『そう邪険にするな。今日は面白い話をしてやろうと思ってな』

 

 黙りこむドラゴニュートの隣に座り込み、スラッシャーは勝手に語っていく。

 

『心意の話さ。

 知ってるか? 心意って言うのはそれを使う人物によって大きく異なる形態をとる。

 そうだよな、だって“心”って言うのは人それぞれ違うもんな……。

 足が速くなりたい。空を自由に飛んでみたい。誰かを守りたい。そんな気持ちが心意の力を引き出していく。

 

 ……それで? オマエの心意はどういうものだ?』

 

 返事は無い。しかし、ドラゴニュートはスラッシャーの言葉に自分の心意を思い描いた。

 《スレッド オブ ライト》は自分の手を細い糸にして相手をバラバラに……。

 

『どうだ? オマエの心は見えたか?』

 

 まるでタイミングを計ったかのようなスラッシャーの言葉にドラゴニュートは意識を取り戻す。

 

 ――うるさい! もうどこか行ってくれ!

 

 ドラゴニュートの態度にスラッシャーは首をすくめ消え去っていく。

 ドラゴニュートは再び宇宙にひとり取り残される。

 

 

 

 

 

 

「マサトくん。お昼ごはん持ってきたわよ」

 

 看護師がマサトのベッドに設置された台の上に食器を載せた盆を置く。

 しかし、マサトの反応は無く、ただ俯いているだけだった。

 

「マサトくんまたずっとネットにダイブしてたんでしょ。そんなことしてると体に悪いわよ。

 ほら、今日なんかいい天気なんだから屋上で日向ぼっこでもして見れば?」

 

 それでもマサトの反応は無い。その態度に看護師も諦め、無言で病室を立ち去っていく。

 

 

 看護師が立ち去り、少し経った。

 マサトは台の上に置かれているお昼も無視してベッドから足を出す。

 1歩1歩、しっかりと確かめるように病室のドアまで足を進めて行くマサト。

 ドアの前に立ち、ドアノブに手をかける。

 

 ――大丈夫、病院内なら大丈夫。

   ジュースを買いに行ったり、トイレに行ったりもしたじゃないか。大丈夫。

 

 マサトは大きく息を吸い、ゆっくりと吐いた。

 そして――

 

 

 

 

 

 

 ――また、この夢……

 

 何度も繰り返し見る悪夢にドラゴニュートはもう驚きもしない。

 再び現れる友人たち。何の反応も返さないドラゴニュートに彼女たちはもう何も言わない。

 冷たい目でドラゴニュートを見つめ、去っていくだけ。

 

 そして最後に現れるのは決まってあの男だった。

 

 ――スラッシャー

『どうだ、認める気になったか? オマエは外になんか出たくなかった……』

 ―― …………。

『だんまりか。でもよかったじゃないか。 お前にはここ(・・)がある。どれだけみんなが居なくなってもオマエはずっとここに……』

 

 ――認めるよ……

『ん? なんだって?』

 

 ――認めるって言ったんだ。ボクは確かに外の世界が怖かった。いや……今でも怖い。

『ほう……』

 ――昔、ひとりで病院を探検したことがある。

   ちょうどエントランスに出て、そのときに外に出てみようと思ったんだ。

   でも、無理だった。自動ドアの、ガラス1枚先に『外の世界』があったのにボクはどうしてもその先に行けなかった。

   結局ボクは倒れ、それ以降外に出ようとはしなかった。病室の窓から見る外に憧れるだけで……

 

 昔の記憶。“故意に忘れ去った”過去の出来事。

 通り過ぎてゆく大きな人の足。忙しそうに歩く看護師たち。具合の悪そうな老人。

 慣れ親しんだ消毒液の臭いは薄く、埃っぽい。

 ガラス1枚向こう側は眩しく、楽しそうで……

 

 でも、みんなひとりじゃなかった。

 ボールを追いかける子供たち、ニューロリンカーで会話している青年、家族に寄り添われているお爺ちゃん。

 

 ――ボクは、ボクは怖かった。

   入れて、って言えなかった。

   断られるのが怖かった。言えば何かが変わったかもしれないのに。

   1歩踏み出す勇気が無かったんだ!

 

 

   ……でも、でもね? そんな弱虫なボクと一緒に遊んでくれる友達が出来たんだ。

   また遊びに来てくれるって言ってくれた女の子が。

   真っ赤に燃える赤い髪と、勝気(かちき)な瞳が綺麗な女の子。

 

 

   ボクは……その女の子と離れたくない!

   彼女がこっちに来るのを待つんじゃなくて……

   カンナのいる『外の世界』にボクは行きたいんだ!

 

『だけど、オマエはその子に酷いことを言ったじゃないか』

 ――そうだね。……そうだ。

   ドレイクのことで余裕が無かった、ていうのは言い訳だね。

   ちゃんと謝るよ、許してくれなくてもずっと謝る。

『それでもダメだったら?』

 ――そしたら……そのとき考えるよ!

 

 マサトは立ち上がる。

 ずっと、ずっと先にいる彼女に追いつくために。

 

『行くのか?』

 ――うん、もう会えなくなるのかな?

『オレと? そんなことは無い。オレはずっとここにいるからな』

 

 スラッシャーはマサトに笑いかけた。

 マサトもスラッシャーに笑いかける。

 

「またね」

『ああ、また……』

 

 

 

 

 マサトは走った。心臓の鼓動が高まってゆく。

 鋼の体とは違う、この貧弱な体はすぐに悲鳴を上げたがそれでも止まることはしなかった。

 ふと、昔、この加速世界と心臓の鼓動の関係を聞いたことを思い出す。

 

 心臓が1つ鼓動を打つと脳に発生する量子パルス信号。思考に必要なその信号をブレインバーストはニューロリンカーを経由して増幅。一千倍にして思考を加速させる。

 

 子供の平均脈拍は70回、1秒に約1回心臓は鼓動していることとなる。

 これを意図的に増やすことが出来れば?

 

 マサトはどんどん加速する、視線の先にカンナの背中が見えた。

 

 ――もっとだ! もっと早く!

 

 心臓が鼓動する。足を踏み出す。

 カンナが1歩足を進ませる。

 その間マサトは2歩進んだ。

 それでも足りない。

 

 イメージ。

 鼓動が増え、思考が加速する。

 この世界ではそれが速さに直結し、彼我の距離は縮まっていく。

 

 ――まだだ! もっと加速しろ!

 

 心臓が爆発しそうになる。しかし、余裕を持った思考速度はさらに心臓を加速させてゆく。

 

 《無限加速(アンプリファイヤー)》 

 

 心意の力によってマサトの体が輝きだす。

 その光は純粋な銀白光、“プラチナ”の輝きだった。

 

 

「カンナァ!」

 

 必死に延ばす手の先は細いプラチナの糸となり。

 

 

 振り返るカンナの指先に――

 

 

 

 

 

 

「……っ! ここは……?」

 

 我に返ったマサトが周りを見回すとそこは加速世界。

 再びドラゴニュートとなったマサトは羽田空港に戻ってきたのだった。

 死亡によるリスポーン(復活必要)時間はとっくに過ぎ去り、ドラゴニュートはしっかり地面に立っている。

 

 しかし、様子がおかしい。

 今までドラゴニュートが復活すると同時に襲い掛かってきたエネミーたちが一定の距離を保ち、こちらの様子を伺っている。

 

 ドラゴニュートを中心に広がる台風の目、翼竜たちは空に向かって一斉に声を上げ始めた。

 一体何が……? 混乱するドラゴニュート。

 すると突然ドラゴニュートの周りに影が落ち、視線を空へと投げると――

 

『我が名は“ティアマト”彼らが母。

 わが子たちに害を為すに飽き足らず、世界の理に干渉し暴れまわる姿はまこと騒々しい。

 万死に値します。小さき者よ、死になさい』

 

 巨獣(ビースト)級エネミーですら比べ物にならないくらい巨大なドラゴン。

 七つの角と美しい尾を持つ神獣(レジェンド)級エネミーだった。

 

 チラリと今の時間を確認する。今日はレッド・ライダーの言ったタイムリミットの日にちだった。

 

「最後の最後にとんでもないものが出てきたもんだ……」

 

 あまりにも理不尽な状況に思わず苦笑いがもれる。

 しかし生まれ変わったかのように清々しい気分のドラゴニュートは目の前のエネミーに対しても決して負ける気はしなかった。

 

 

 

 

 




 すこし詰め込みすぎ駆け足気味だったかもしれない。
 けどウジウジする話は短い方がいいよね。


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第15話 《スーパー・ヴォイド》

 

 

「もう様子見なんて言っている場合じゃないだろう! これだけの人数がいるんだ、前回のようにみんなで打ち倒せばいいじゃないか!」

 

 東京都と神奈川県の県境、多摩川の土手の上で異形の戦士たちが侃々諤々(かんかんがくがく )と話し合っている。

 巨大な両手剣を背負った剣士。

 ライフルのような銃を持つガンナー。

 他にも魔法使いのような杖を持つものや半獣のような姿のものもいる。

 

 現実味の無い光景。……真実ここは現実の多摩川ではなかった。

 

 『加速世界』

 

 未だ大人たちに気付かれていない子供たちだけの世界で彼らは平和のために話し合っているのだった。

 

「まあまあ、落ち着けって。今回もアイツはこっちに来る様子も無いんだ、時間はあるんだしもう少し慎重に結論を出そうじゃないか」

 

 先ほどから声を上げたている純粋な青ではない……だがそれに近い色を持つ剣士を(なだ)めるレッド・ライダー。

 大レギオンのトップに立つ彼はこの場で高い発言権を持っている。しかし、そんな彼の言葉も剣士の前では神経を逆なでするばかりであった。

 

「ライダー、お前3日前も同じような事言ってたよな。アイツが大人しくしているのが力を蓄えるためだったらどうする! ここにいる奴ら全員蹴散らして、それでも止まらなかった時、お前責任取れんのか!」

 

 及び腰な発言をするライダーに先ほどから食って掛かっているのは《スマルト・クリーン》

 暗い青系統の鎧に足元まで延びる長い銀髪が映える《ブルー・ナイト》と並び立つ剣士であり、豊島区の一部に領土を構えるレギオンのリーダーでもある。

 

 彼らは“かの鎧”がこの世界に現れるたびに現実世界で連絡を取り合い加速していた。

 前回現れたのは2日前であったが、基本的にライダーが唱える、あちらが襲い掛かってこなければこちらからも手を出さない、という発言に従ってはいたが、その時も彼らは数週間この場所に拘束されてしまうハメとなっていた。

 今回も大人しく待っていることに嫌気が差したのだろう、クリーンはいつにもまして過激な発言を繰り返している。

 

 クリーンの剣幕に押されるライダー。

 しかし彼の言葉に異論を唱えたのは横から出てきた《イエロー・レディオ》だった。

 

「ククク。異な事をいいますねぇクリーンさん。もしこの場にいる全員があの鎧に蹴散らされてしまった場合、それはつまりわたしたち全員が鎧にポイントを全損させられてるってことでしょう?

 それでしたら一体誰がライダーさんのことを覚えているというのです。それとも貴方、勝てないと分ればこの場から皆を置いて逃げ出し、無様にもひとり寂しくこの世界の終わりを待つというのですか?」

「あぁ! ……チッ! ポイント全損の時は記憶を失う? そんなのただの噂だろうが! ピエロ風情がやかましい。なます切りにすっぞ!」

「おぉ怖い怖い、やめておきましょう。この距離で“汚いアオ”と戦うのは無謀ですからねぇ……」

「コラてめぇ! ケンカ売ってんのか!」

 

 直情的なクリーンはレディオの毒舌に乗せられてどんどんヒートアップしていく。

 周りのプレイヤーたちも今は気持ちに余裕が無く、その場は2人の空気に当てられピリピリと張り詰められていった。

 

 

「やめないか……」

 

 爆発寸前、といったところで2人の諍いは《グリーン・グランデ》の静かなひと言で押さえつけられてしまう。

 

「グランデ」

「喋れたんですか、あなた……」

 

 初めて聞く知り合いの声に2人の怒気はどこかに飛んでいってしまった。

 その場にいる殆んどのプレイヤーも同じ理由で小さな騒ぎとなる。

 

「ここに我々が集ったのは彼奴と戦うか、それとも不干渉とするか、それを決めるためである。

 決して我々が争うためではない」

 

 グランデの深みある(いまし)めの声にレディオは降参とばかりに手を掲げその場を離れていく。

 しかし、クリーンの気はそれで治まらなかったようで、再びここに居るメンバーに向かって声高らかに叫びだした。

 

「だったらさっさと採決を取ろうじゃないか! もしかしたらこれも向こうの作戦なのかもしれないんだぜ。俺たちがあの《クロム・ディザスター》に気を取られているうちに《スーパー・ヴォイド》の連中が俺たちのレギオンを襲ってるかもしれないんだからなぁ!

 そうだろ!? どうにか言ったらどうなんだ、ディザスターが団長のレギオンに所属してる《フレイム・ゲイレルル》さんよぉ!?」

「ち、ちがっ……私たちはそんなこと考えてない!」

 

 急に話を振られたルルは動揺しながらもしっかりと否定する。

 だがそんな言葉だけじゃ周りのみんなの疑いが晴れることはない。必死に否定するルルだったが疑惑の視線は収まらずにいた。

 

「あぁん! 信じられるわけねぇだろ、災禍の鎧を隠し持ってたレギオンの奴の言葉なんてよぉ! それにもうひとりの副団長はどうした! 《プラチナム・ドラゴニュート》はレギオン襲撃の方に行ってるんじゃねぇのかぁオイ!?」

 

 《スーパー・ヴォイド》の連中に対する非難は誰も止めることがない。

 未だ疑いは晴れてないのだ。先ほど諍いを止めたグランデすらまだ静観を決め込んでいる。

 

 ライダーだけはヴォイドの連中が疑わしいとかそんなこと関係なく、女ひとりを威圧的に責め続けるその態度に不快感を感じ、クリーンを一喝しようとするが。仲間のひとりの大声によってそれは止められてしまった。

 

「おい! アレを見ろ。こっちに近づいてくるぞ!」

 

 その声を上げた者の指差す方向は神奈川の方ではなく自分たちの領土、東京の方向に向けられていた。

 その方向を見ればそれ以上“アレ”を探す必要は無くなった。こちらに近づくものは確認するまでも無く大きすぎたのだ。

 

 ジェット戦闘機でもすれ違ったかのように体を殴りつける爆風にある者は吹き飛び、ある者は転がり、たちどころにその場は騒然となってしまった。

 

「あ、ありがとう……」

「…………」

 

 そんな中、体の軽いルルは重厚なグランデの体の後ろに庇ってもらっていた。ルルの感謝の言葉を気まずそうに受け取るグランデ。どうやら先ほどの場でのことを気に病んでいるらしい。それが分るとルルはグランデに気にしてないと微笑みかけるのだった。

 

 BBプレイヤーたちの頭上を通り過ぎていった飛行体は彼らの遥か上空で優雅に反転し、ゆっくりと川の上へと降りてきて空中で停止した。

 グランデのお蔭で余裕が出来ていたルルは、空を高速でやって来たエネミーを注意深く観察していく。

 

 その体の大きさはあまりにも巨大で、広げている羽はさらに大きい。羽ばたく度に川の水が暴れ、砂塵が舞う。

 こちらを見下ろすその頭部には6、いや7本の角を持ち、艶やかな鱗はしなやかに動く尻尾の先まで生え揃っていた。

 

 

「おいおい! こりゃ何だ! なんで神獣(レジェンド)級エネミーがこの場に出てくるんだ」

 

 まだ数えられる程度しか確認されていない神獣(レジェンド)級エネミーの出現にプレイヤーたちは慌てふためいていく。

 その存在は確認されているものの未だ勝利を上げた者はいなかったからだ。

 戦うとすれば少なくともいまこの川辺にいるプレイヤーの数が倍いなければ話にもならないだろう。

 

 しかし、通常攻撃可能エリアに入ってしまったらエネミーは問答無用で襲い掛かってくるはずなのだが、今のところその様子が無い。一体何をしに現れたのか、なぜ攻撃してこないのか、疑問の数は増えていくばかりであった。

 

 一か八かで一斉に攻撃するか? 一触即発の空気がプレイヤーたちに伝染していったその時、ひとりの人物がエネミーの背中から地面に飛び降り、エネミーに感謝の声をかけ始めたではないか。

 

「ここまで運んできてくれてありがとうございましたティアマトさん。お蔭で助かりました」

『礼は無用。我が自慢の角を折りしその武功に対しての褒美である。

 我らが領地を無用に荒らした所業は許しがたい。だが我を楽しませたお主の罪は放免としよう。

 このように愉快な気持ちになったのは幾年ぶりか、これからも精進せよ“小さき竜の者”よ……』

 

 エネミー“ティアマト”は2度3度強く羽ばたくと行きと同じように暴風を撒き散らしながら羽田へと帰っていく。

 あとに残ったのは銀白に輝く装甲を持つアバター《プラチナム・ドラゴニュート》だけだった。

 

 

「ドラゴニュート!」

 

 いち早く我に返りその場を駆け出したのはライダーだった。

 土手から駆け下り、川辺にいるドラゴニュートの元へと駆けつける。

 

「ライダー。ゴメン、苦労をかけた」

 

 この多摩川に集まるプレイヤーたちの数からまだディザスターの討伐を行なっていないだろうと判断し、それに伴ってきっと色んな苦労をしたであろうライダーに頭を下げるドラゴニュート。

 

「俺は大したことはしてねぇ。それよりホラ、俺より先に声をかける奴がいるだろう?」

 

 ライダーはそう言うと自分のほかにドラゴニュートに近づいてきた人へと背中を押しだした。

 他のプレイヤーよりは近く、しかしわずかに距離のある場所に《フレイム・ゲイレルル(カンナ)》の姿があった。

 

 ドラゴニュートはライダーに押された勢いそのままにゆっくりとルルに近づき、ついには手と手が触れ合える距離へと足を進めていく。

 

「マ……ドラゴ……」

 

 あの病院の一件のせいだろう。恐る恐る、そういった態度でルルが話しかけてくる。

 あの病院で突き放してしまった日からすでに3日が経っている。加速世界でその時をすごしていたドラゴニュートにとっては約7年前のことだ。

 しかし、それでもわかる。わかってしまった。ルルが今憔悴(しょうすい)しきっている事に。

 

 慣れないレギオンの統率、晴れない疑い、マサトとのすれ違い。それらは確実にルルの精神を削っていったのだ。

 

 ドラゴニュートは精一杯の感謝の気持ちと謝罪の意味を込めてルルの体をそっと抱きしめた。

 

「……! マ、マサト!?」

 

 ルルがドラゴニュートの胸の内で小さな驚きの声を上げる。

 この加速世界でルルの体は超高温だ、それに加え痛覚が通常対戦フィールドの2倍、VRゲームではありえない痛みを感じるこの無制限中立フィールドでルルを抱きしめるのは自傷行為に等しい。

 

「や、やだっ。マサト、離して……」

 

 ドラゴニュートの体が熱によって赤く染まっていくのに気が付いたルルはその拘束を外そうと身を(よじ)るが、ドラゴニュートはそれでもルルの体を離さなかった。

 

「ごめん……」

「えっ?」

「辛く当たってゴメン、手助けできなくてゴメン、守って上げられなくてゴメンね」

 

 始めは何を言っているのかわからなかった。しかし、それが今までの自分に対する謝罪だとわかるとルルは顔をドラゴニュートの胸に伏せ、しゃくり声を上げてしまう。

 

「……バカぁ、バカバカ。本当に心配してたんだからね」

「うん、ホントごめん」

 

 何度も胸を叩くルル。ドラゴニュートは黙ってそれを受け止めた。

 

 

 延々と続く2人の世界、しかし無粋な咳払いがその空間に割り込んでくる。

 

「うぉっほん、おほん。2人とも、感動の仲直りはあとでゆっくりやってくれ……みんな見ているぞ」

 

 ライダーの言葉で多くのプレイヤーが居たことを思い出したルルは普段の倍の速さでドラゴニュートから離れるのだった。

 

「さて、ドラゴニュート。何か作戦があるんだろう? それをみんなに話してくれ」

 

 ドラゴニュートはライダーに(うなが)され、この場にいる全員と向かい合う。

 想像以上に視線が冷たいのは今までなんの釈明もしなかったせいだ。そうに違いない。

 若干、怖気づきそうになりながらもドラゴニュートは今までの話をみんなに聞かせていく。

 

 心意の力、ディザスターの呪い、《マグネシウム・ドレイク》の決意。それら全てを。

 といっても心意の力以外ドラゴニュートの想像でしかない。当然その場にいる殆んどのプレイヤーが信じられないでいた。

 

「《心意(インカーネイト)システム》? 《クロム・ディザスター》の呪い? そんな与太話、誰が信じるって言うんだ!」

 

 騙されないぞというクリーンの声にそうだそうだと同調の声が広まっていく。

 ドラゴニュートはその言葉を黙って受け止め、手を振り上げて、そして閃光と共に地面に振り下ろした。

 

 途端、沈黙が場を支配する。

 ドラゴニュートが手を振り下ろした先、地面がパックリとひび割れていたせいである。

 

 この加速世界で地面は基本、破壊不可能オブジェクトだ。今まで力自慢のアバターが拳を打ち付けても、大規模破壊効果を持つ必殺技が地面に直撃しても、ドリルを持つアバターだってハッキリと地面を傷付けることは出来なかった。

 それが十数センチは抉れているのだからもうドラゴニュートの話を疑うものはいなかった。

 

「これが《心意(インカーネイト)システム》の力です。《事象の上書き(オーバーライド)》、それによってこの地面を傷つける事が可能となり、鎧は意思を持ってしまった」

「マジかよ……心意……そんな力があれば……」

「この力を今のディザスターは使って来るでしょう。おそらく心意の攻撃は心意でしか防げない。この地面よりも防御力が高いアバターなんていないんですから。

 ボクはディザスターを、団長の暴走を止めるためにここに来ました。お願いです。ボクと団長を1対1で戦わせてください」

 

 頭を下げるドラゴニュートに反対意見を出すものはいなかった。心意攻撃を目の当たりにして腰が引けてしまった者も多い。

 そんな中、ひとり歩み出てドラゴニュートに意見するものがいた。

 

「ドラゴニュートさん、これからドレイクさんをひとりで倒せたとして、それで災禍の鎧の所有権が今度はあなたに移ったとき、それをどうするおつもりですか?」

 

 その人物に目を向けたドラゴニュートだったが、そのアバターは不思議なことに背中から光が照らされていて、逆光のせいでいまいちディティールがわからなくなっていた。しかしその特徴的な声には覚えがある。

 

「《ホワイト・コスモス》さん?」

「そうです。ディザスターの心意とやらがそれほど強力なものならば、ポイント全損による強化外装の所有権移動はほぼ100%起きてしまうでしょう。そうやって多くのプレイヤーをこのブレインバーストの世界から消し去るのが鎧の目的なのでしょうから」

「ほぼ100%……」

「もう一度問います。その心を蝕む恐るべき強化外装が貴方の手に移ったとき、貴方はどうしますか?」

 

 嘘を許さない力のある言葉にドラゴニュートはハッキリと答えを返した。

 

「そうなった場合、ボクはその鎧を破棄します。誰も手が出せないような、そんな場所に……」

「そんな場所がどこに……?」

「例えば《帝城》を囲む堀の中、とかですかね。あとは《四神》がいる橋の向こう側に投げ捨てるとか。そうすれば今のところ手が出せる人はいません。アイテムは地面に放って置けば時間経過と共に破砕しますからね」

 

 コスモスはその答えに満足したのだろうか、なるほどと呟いて再びみんなの輪の中に戻っていった。

 

「よし、もう意見がある奴はいないみたいだな。

 ドラゴニュート、俺たちはお前の戦いが終わるまで此処に居る。もしお前さんが失敗しても俺たちが全力で尻拭いしてやるから安心してどーんとぶつかって来い!」

「ライダー……ありがとう」

 

 ライダーの後押しを受け、川を飛び越えようとするドラゴニュートの後ろから声が掛かる。

 

「ドラゴ……!」

「ルル…………。いってきます」

「いってらっしゃい!」

 

 一瞬、ルルと瞳を合わせ、今度こそドラゴニュートは多摩川を飛び越え神奈川県へと渡るのだった。

 

 

 

 

 

 

 《マグネシウム・ドレイク》、いや《クロム・ディザスター》の姿は程なくして見つかった。

 隠れているつもりも無かっただろう。ただ瓦礫の山の中で悠然とその姿を現している。

 

「団長……」

「……ォォオオ」

 

 ドラゴニュートが一縷の望みをかけて呼びかけるが最早人間味のある返答は無い。

 ディザスターはやって来た獲物に対して敵意を振りまきながら大降りの両手剣を担ぎ上げる。

 

「是非も無しか……!」

「ルォォ……ォォオオオオ!!」

 

 構えをとるドラゴニュート。その闘気に当てられたディザスターも狂気の雄たけびを上げ始めた。

 ドラゴニュートは不動。ディザスターは餌を目の前にした獣のようにドラゴニュートへと飛び掛かり大剣を振るう。

 第二次《クロム・ディザスター》討伐が今、静かに始まった。

 

 

 

 

「こんっ、のぉお!」

 

 間一髪ディザスターの上段振りをかわしたドラゴニュートは身を捻り、後ろ回し蹴りを相手に叩き込む。

 しかし堪えた様子もないディザスターは再び大剣を振り回していく。プラチナの体でもディザスターの大降りの攻撃を受け止めるのはマズイ。ドラゴニュートは大きく後ろに跳んでその攻撃をかわす。

 

 ドラゴニュートの攻撃を省みず突進してくるディザスター。

 ディザスターの攻撃を警戒し、回避に徹するドラゴニュート。

 

 戦いが始まってから同じ展開が何度も繰り返されていた。

 

 

 埒が明かない。そう考えたドラゴニュートは自分のステータスを確認、ディザスターに向かって真っ直ぐ突っ込んでいく。

 

「ガァッッ!!」

 

 待ってましたと言わんばかりの横払い、轟音がドラゴニュートの体を完全に捕らえていた。このままでは上半身と下半身が泣き別れになってしまうだろう。

 嘲笑うディザスター。しかし、次の瞬間 標的の姿はディザスターの目から忽然と掻き消えてしまうのだった。

 標的を見失った剣は空だけを切り、虚しく風切り音だけが響く。

 

 ドラゴニュートはディザスターの攻撃を飛び越える高さまで跳躍、体全体のバネを使い空中で半回転捻り、尻尾の先をディザスターの顔側面に振り下ろしで叩き込む。

 これはかつて《スカイ・レイカー》にやられた技をアレンジした攻撃だった。

 頭を揺さぶられ体勢を崩されたディザスターにドラゴニュートはさらに追撃を選択。

 

「《エクステンドファング》!」

 

 止まらぬ回転をそのまま利用し、5つの銀閃を煌かせた。

 

「ルルル……ガァ!」

 

 確実に当たった。そう思ったドラゴニュートだったが、今度は自分がディザスターの姿を見失ってしまう。

 そんなはずは無い、ドラゴニュートの攻撃が当たる直前まで奴はその場にいた。しかしまるで蜃気楼のように体が薄れ、幻のように消えてしまったのだ。

 

 地面に着地したドラゴニュートは背後へと振り返る。

 そこには何事も無かったかのように立ち上がるディザスターの姿が……。

 

  《フラッシュ・ブリング》

 

 かつて《クロム・ファルコン》が使い、ディザスターとなってからもBBプレイヤーを苦しめた粒子テレポートの必殺技を《マグネシウム・ドレイク》から変化した今代のディザスターが使用し、ドラゴニュートの必殺技を回避したのだ。

 

 

「ルォォオオ……。ォォオオオオッ!!」

 

 突然のディザスターの雄たけびと共に彼の持つ剣がドス黒い過剰光に包まれていく。

 《心意》の輝き。その光は感情が負であればあるほど黒く濁ってしまう。なら目の前の使い手はどれほどの負の感情を溜め込んでいるのだろうか。

 剣を覆い尽くした黒い光は全てを押しつぶさんとするブラックホールのようにも見える。

 

「それでも……思いの強さなら!」

 

 ドラゴニュートの手も過剰光に包まれ、澄んだ銀白の輝きが辺りに広がっていく。

 待っている人がいる。彼女のことを考えるとその輝きが強くなっていく気がした。

 

 彼女はマサトの孤独な世界に差し込んだ《一条(希望)の光》。

 そして彼女の元に一秒でも早く駆けつける。これはそのための力。

 

「行くよ! 《無限加速(アンプリファイヤー)》!」

 

 

 加速世界で始めて心意攻撃がぶつかり合う戦闘が始まるのだった――

 

 

 

 

 

 

「アレが心意攻撃を使った戦い……」

 

 ドラゴニュートとディザスターの戦いを遠めに伺っていた《レッド・ライダー》は信じられないと驚嘆の声がこぼれる。

 その場からでもわかる過剰光の(きらめ)き。衝突するたびに空気は揺れ、大地が砕け、フィールドは壊れていった。

 

「これはこれは、ドラゴニュートさんも隠したかったのがわかりますねぇ……。

 もはやこれは人の身で行なえる争いの域を超えてますよ」

 

 《イエロー・レディオ》もライダーに同調しため息を吐く。これは何らかの制約が必要ですね、と。

 

「制約?」

「そうです。あの《心意(インカーネイト)システム》はこの場に居るみなさんの心のうちに納め、我々BBプレイヤー相手には使用しない。などの厳しい制約を決めておくべきかと……。

 アレを見せられて反対しない人は居ないと思われますが……? アレじゃあまるでミサイル同士のぶつかり合いですよ」

 

 今一度、銀白の光と濁った黒の光がぶつかり合う。

 その衝撃は広範囲に駆け巡り、すぐこの場にもビリビリと伝わってくる。

 

 その様子を見てレディオの言葉に反するものは誰一人と現れなかった。

 

 

 

 

 

 

 加速に加速を重ねた両者の戦いは未だ終わることは無く、ドラゴニュートはどれほどの時間戦い続けてきたのか、それすらわからなくなってきていた。

 一撃を放っては弾かれ、遠ざかっては近づき、相対してはすれ違う。

 相手と交差するたびにチカチカと視界を遮るものはマグネシウムが燃焼している光だろうか……。

 

 そういえば団長とガチンコで殴り合いをすると目に悪すぎる、と見学者に不評だったことをドラゴニュートは思い出し、戦いの最中だというのについ笑ってしまう。

 

 繰り返す閃光はまるで大昔の映写機の用で……ドラゴニュートはその光の中に過去の風景を思い描いていくのだった。

 

 

 

 

「なあ、ドラゴニュート。なんで俺がレギオンの名前を《スーパー・ヴォイド》にしたか知ってるか?」

「さあ……? でも他の大レギオンも宇宙に関連する単語ですし、それにあやかったんですか?」

「ああ、それもあるな。あいつらカッコつけてインテリぶりやがって! だから俺もカッチョイイ名前を付けてやったのさ!」

 

 どうだ! といわんばかりに腰に手を当てて胸を張るドレイクをドラゴニュートは無視しながら話の続きを促した。

 

「たったそれだけなんですか?」

「それだけ、ってお前酷いなぁ。……じゃあお前、スーパーヴォイドがど言ういう意味だか知ってるか?」

「え? ええ、確か……宇宙の中でも何億光年にもわたって何も無い場所のことでしたっけ? 日本語だと超空洞って言うんですよね」

「そうだ。でもそれだけじゃあない。

 よく聞け? 俺たちの住む地球は太陽を中心に回ってるから太陽系、その太陽系みたいに星のいっぱいの集まりを銀河系って言う。

 さらに銀河系を集めればそれは銀河団だ。銀河団を集めれば超銀河団となる!

 しかーし! その超銀河団もたくさん存在していて、それらは超空洞の周りに作られてるって言われてるんだ」

 

 地球どころか日本の1都市からも出たことのないドラゴニュートにとってドレイクの広大すぎる宇宙の話は全く想像もつかない事柄だった。

 

「……それで? それがどうかしたんですか?」

「おいおい、まだわからないのか? 他の連中がつけてる《レオニーズ》とか、《グレート・ウォール》とかは全部銀河の中で起きてるんだ!」

「んん? そうですね?」

 

 ドラゴニュートは今の話と超空洞の話の繋がりがわからなかった。

 

「獅子座流星群も、銀河の連なる壁だって関係ない! それらは俺たち《スーパー・ヴォイド》を真ん中に起きてるって事! 全ての中心は俺たちってことさ!」

 

 両手を掲げ自慢げに叫ぶドレイクにドラゴニュートは思わず呆れてしまう。

 

「どうしてそうなるんですか……」

「それだけ大きなレギオンにしようって話だよ。補佐をしっかり頼むぜ副団長!」

 

 ドレイクはドラゴニュートの肩を叩きながら高笑いを上げるのだった。

 

 

 

 

 ――頼むぜ副団長、か……。補佐するべき団長が居なくなったらどうすればいいんですか。

 ――そりゃあオマエが引き続き団を引っ張っていくしかないな。

 ――えっ? 団長?

 

 いつの間にか過去の景色も消え去って、何も無い真っ白な光の空間になっていた。

 ここはドラゴニュートの心象風景、つまり心の中だというのに、いつの間にかドレイクの姿も隣にあった。

 

 ――どうしてここに? というよりどうやって?

 ――心意と心意のぶつかり合いは心と心のぶつかり合い。こんなことも偶にはあるだろ。

   詳しいことは知らん!

 

 なんら変わりないドレイクの言い様にドラゴニュートは苦笑いを浮かべてしまった。

 まるでいつもの様にフィールドでバカをやっていた時の雰囲気……。

 しかしそれもすぐに霧散してしまう。

 

 ――どうして何も相談してくれなかったんですか……

 ――スマンな、こんなことおいそれと巻き込むわけにはいかないと思ったんだ。

 

 始めは災禍の鎧を表に出さなければそれでいいと考えていた。しかし、鎧に意思があることに気付き、対処法(心意)を覚えた時にはもう手遅れになってしまっていたのだ。

 あとは信頼できる人物に自分を倒すことが出来る技を教え、その時を待つのみ。

 

 ドレイクは自分の出来る最良の選択は取ったつもりだったと言う。

 

 ――でも、《帝城》の堀に投げ込むのは考え付かなかったな~。さすが副団長! やっぱり始めっから相談しとけばよかったぜ!

 ――…………。

 ――悪いな……。

 

 今までのこと、これからのこと。その謝罪には様々な意味がこもっていたように思える。

 その全てを感じ取れたとは言わないが、それらも含めてドラゴニュートはその謝罪を受け止めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 ドラゴニュートが我に返った時、両者の体はボロボロであった。

 砂埃で装甲は曇り、ヒビ割れている。

 

 《心意》の過剰な利用のせいだろうか、無いはずの心臓がズキズキと痛むのをドラゴニュートは感じていた。

 少しでも痛みを和らげようと胸に手を当てるが、左腕の間接より先が無くなっている事に気付く。

 見ればディザスターの自慢の大剣も半ばから折れている。

 一体どうぶつかり合えばそうなるのか、ドラゴニュートは自分の無茶にあきれ返ってしまう。

 

 さて、まだまだポイントの続く限り終わらないであろうこの戦いを一旦終わらそうかと、ドラゴニュートはディザスターを睨みつけた。

 その時、ディザスターがドラゴニュートに向かってある物を投擲してくる。

 

「これは……」

 

 受け取った右腕で弄ぶカードにドラゴニュートは見覚えがあった。

 そのカードの表面には少なくない数字の羅列が記されている。

 

「もう、これで最後、ってことですか……団長」

 

 剣を担ぎ上げもせずじっとしているディザスターを見てドラゴニュートも覚悟を決めた。

 

 最後の一撃を――

 

 ドラゴニュートは1歩足を踏み出す。そして……。

 

「ガゥッ! ゥゥゥウウ……?」

 

 

 

 

 ――ディザスターの腹部から刃物が生えていた。

 

 

 

 

 ……おかしい。ボクはまだ何もしていない。団長? アレは何だ?

 混乱するドラゴニュートを置いていきながら事態は進行していく。

 ディザスターの腹部から飛び出ていた刃物は引き抜かれ、ディザスターが崩れ落ちるその前に胴体を両断した。

 

 ――どうしてボク以外が団長を攻撃しているんだ!

 

 ディザスターの体が電子のリボンとなり解けていく。

 《最終消失現象》、《クロム・ディザスター》となっていたその身だが解けていくリボンの色は見間違うことなく“マグネシウム”の輝きだった。

 

 ドラゴニュートは走った。団長の下へ、自分が手に掛けるはずだった友人の下へ。

 “走ったつもりだった”。しかし実際ドラゴニュートの体は少しもその場を動いてやしなかった。

 

 《零化現象(ゼロフィル)

 あまりにも突然の出来事に“マサト”の闘志は消え去り(ゼロとなり)、戦うために生み出されたアバターはその体を停止させた。

 

 待て、待ってよ、これで終わりなの? ボクの覚悟も、団長の最後の抵抗も、こんな終わりを迎えるためだったの?

 視界を(ゼロ)で覆いつくされながらもマサトは抗った。

 

 加速だ、加速しろ! 何のために力を手に入れたんだ! 大事な人がいる場所に一秒でも早くたどり着くためだろう!

 マサトは最後の力で《無限加速》を使用した。心臓が爆発するほど鼓動している。酷使された臓器は悲鳴を上げていたがマサトはそれを相手にしない。

 

 少しずつ、僅かに前に出てくれた足。ぎこちなく、サビ付いたロボットのように動く手。

 マサトは長い時間を掛けて銀のリボンを握り締めることが出来た。

 だがそれは手に留める事が出来ず、粒子となってマサトの手からあふれ出てしまうのだった。

 

「うわぁぁっっっああ!!!」

「ヒヒヒ! やた、やってやった! これで鎧の力は俺のものだ! ヒャーッハハハハ!!」

 

 誰がこんな事を! マサトは輝く銀の光の向こう、犯人の姿を一目見ようと試みた。

 しかし、暗闇に落ちるマサトの意識はトチ狂った笑いを聞かせ、視界の端に揺れる銀の糸を捕らえるだけに終わってしまうのだった。

 

 

 

 

 

 

 ドタバタと、人が駆け回る音と怒鳴り声。

 

「……ルチェック! CTも撮るから部屋準備して!」

 

 大人の腕が乱暴にマサトの体を触っていく。

 

「親御さんに連絡は!? ……わかった。とにかく今はこの子を!」

 

 いつもより息がしづらく、マサトが口に手を当てるとそこには呼吸を補助してくれる機械が付いていた。

 

「……っ! マサト君、気が付いた!? この5分でキミの心拍数が急激に上昇してね、悪いけど危険だと判断してグローバルネットの接続は切らせてもらったよ。一体キミはネットで何をしていたんだい!?」

 

 心配そうに声をかける医師にマサトは応える事はできず、再び意識を失ってしまう。

 

 

 

 

 

 

 心電図の音だけが聞こえる静かな病室。

 マサトが再び目を覚ました時、外はすでに暗くなっていた。

 

 辺りを見渡すと薄暗い病室の中マサトの母親がベッドの近くに腰掛けている。

 目を忙しなく左右に動かしながら時折指が空中を叩いていた。おそらく今出来る仕事を片付けているのだろう。もしかしたら無理やり仕事を切り上げてきてくれたのかもしれない。

 

「母さん……」

 

 マサトは呟くように母親を呼んだ。その声は小さく聞き取りづらかったが、この静かな病室の中なら相手の耳に届けることは十分に出来るようだった。

 

「ン……。今日はもう大人しく寝ていなさい」

 

 マサトの母親はチラリと子供の様子を伺っただけで再び視線を宙に戻してしまう。

 いつも通りの反応。今までのマサトだったらほんの少しの寂しさを抱えながらも、母親の言う通りにしただろう。

 しかし、今日のマサトは話を続けていくことを選択した。

 

「今日ね、病院の外に出たんだ……。いい天気だったから、日の光を浴びようって……そう、思ったんだ……」

 

 その言葉を聞いて母親は、一瞬、ほんの僅かな間、驚いた様子でマサトを見た。

 マサトはそれに気付かず、まぶたを閉じて今日のことをより鮮明に思い出す。

 温かい太陽の光を……そして、劣らぬ輝きを持った銀の光のことを。

 

 

「眩し、かったなぁ……」

「そう……」

 

 マサトの母親はひと言呟いてマサトの布団を掛けなおした。もう眠りについて欲しいということだろう。

 母親から掛けられた布団の中でマサトは“感じることをしなかった”優しさに包まれながら眠りにつくのだった。

 

 

 最後に、一筋流れ落ちた雫を拭われる感触を感じながら……。

 

 

 

 




 お待たせしました。これで第二次ディザスター編が終わりです。
 もう書く過去編のネタも無いのであと数話書いたらレベル9会議に行き、原作まで進めていこうと思います。

 ついでに、あんまり関係ないですけどあらすじ、あとがき、空行にスペースが入ってるとその行が省略されてしまっていた問題等細かいとこを修正しました。


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第16話 変わったこと、変わらなかったこと

一応今月頑張ると言ったんでギリギリに更新。
来月も頑張っていきたいなぁ……。


 

 2代目《クロム・ディザスター》討伐から約1年。

 あの壮絶なる戦いの折《心意》の過剰な使用のせいで現実の体にまで影響を及ぼしてしまった花沢 マサト。

 その後遺症によりマサトは《ブレイン・バースト》を長時間続けることは出来ない体になってしまった…………。

 

 

 

 

「ドラゴ団長、左の戦線でメタルカラーのボクサーが暴れており、押され気味です! 援軍を頼みます!」

「それって《アイアン・パウンド》の奴か! アイツ……うち(ヴォイド)の勧誘を断るばかりか《緑の王》に付くなんて……!

 ソーサー、バナナ。2人で向こうの加勢を頼む!」

 

 

 ……なんてことは一切無く、《プラチナム・ドラゴニュート》は《マグネシウム・ドレイク》から引き継いだ8大レギオンの1つ、《スーパー・ヴォイド》の団長として元気にレギオン団員を統率していた。

 

 今は毎週土曜に行なわれる《領土戦争》の真っ只中。

 《領土戦争》は自分のレギオンが持つ領土を守る防衛戦。

 相手の領土に攻め込み、領土を奪いに行く侵攻戦の2種類がある。

 

 基本的に戦闘可能人数は防衛を行なう側の人数に左右され、侵攻側は防衛側を超える数のプレイヤーを参戦させることは出来ない。

 制限時間は1試合30分で、勝敗は侵攻側が防衛拠点を占拠するか、相手チームを全滅させること。また、タイムアップ時で生き残っているプレイヤーが多い方が勝ちとなる。

 

 

 ドラゴニュートは《緑のレギオン》の領土である目黒区と品川区より襲い掛かってきたプレイヤーたちからレギオンの本拠地となった《世田谷第三エリア》を必死に防衛している途中だった。

 劣勢に立たされている味方の知らせにドラゴニュートは信頼できる2人に援軍を任せることにする。

 

 

「了解、ドラゴ団長。あたしの烈風が唸りをあげるわぁ!」

 

 先端が拳大のコブ(・・)になっている、仙人が持っていそうな杖(ただ、金属製だが……)を振り回しながらドラゴニュートに答えたのは《ウイスタリア・ソーサー》

 藤色のアバターで近接の青に近い紫色の彼女は風を操ることができる。先に挙げた杖の先端から風の塊を放つという攻撃方法を持ち、杖に近ければ近いほど攻撃の威力は高くなっていく。

 風貌は線の細い三角帽を被った魔女のようなアバターなのだが、戦術はバリバリの近接格闘系だというのだから初見の相手は大抵騙される。

 

「バナナじゃなくてオイラには《カナリヤ・ムーン》て言うカッチョイイ名前があるんスけど!」

 

 名前に関して抗議の声を上げるのは《カナリヤ・ムーン》。カナリヤ色という薄い黄色のアバター。名前の示すように顔が三日月の形をしていて、近しい者からは見た目どおりの名前で呼ばれてしまっている。その呼び名に対し事あるごとに不満を漏らすのはレギオンのお約束の一種となってしまっていた。

 しかし、アバターの特殊能力として、星の瞬きのようなキラキラと輝く霧を生み出し、相手の視界を塞ぐ幻術系の技は強力でよく重宝されている。

 

 敵の《アイアン・パウンド》はメタルカラーだがプラチナのような貴金属とは違い、特殊攻撃に対しての防御能力は低い。

 ムーンの幻術とソーサーの(一応)特殊攻撃のコンボはパウンドに大打撃を与えることだろう。

 ドラゴニュートは駆けて行く2人の背中を見送りながら、次々と入ってくる情報に対して上手く采配を取ることに専念するのだった。

 

 

 

 

 

 

「団長、《マグネシウム・ドレイク》はこの加速世界から永久退場してしまった……」

 

 1年前。

 ドレイクに自らの手で止めを刺すことができなかったドラゴニュートは悔しさと喪失感を抱えながらその翌日、全レギオンメンバーを集めて団長の最後を語った。

 もう殆んどの者が団長の噂を知っていたのだろう、大きな騒ぎは起こらず、ただこれからの不安を感じさせるどよめきだけが場を支配している。

 

「もうキミたちも知っての通り団長は《クロム・ディザスター》となり、暴挙を尽くしたため粛清された。

 これからもその噂はこのレギオン《スーパー・ヴォイド》にも付いて回り、所属している者たちにも心無い誹謗中傷を吐きかけてくるものが出てくるだろう……」

 

 ドラゴニュートの暗然(あんぜん)たる言葉に場の声が大きくなる。

 出来ることならこんな話はしたくない。しかし、この事実を蔑ろにしておくわけにもいかなかった。ドラゴニュートは憂鬱な心の内を隠しながら今後のことを話していく。

 

「それに耐えられないという者はレギオンを離れてくれて構わない。いや、みんなのためを考えるならこのレギオンは解散したほうがいいとも思ってる」

 

 その言葉を聞いた途端、レギオン全員の目が一斉にドラゴニュートへと向けられる。

 もう話をしている者は居なくなっていた。それどころか全員が息すら潜めているような静寂さが重圧となってドラゴニュートを攻め立てる。

 何を当然のことを……、みんなそう思っているに違いない。

 

 だが、ドラゴニュートには続けなければいけない言葉があった。

 どれだけ反対されても押し通す覚悟で言うべき言葉が……。

 

「でも……でもボクはこのレギオンを……団長の作った《スーパー・ヴォイド》を引き継いで行きたいと思ってる!

 これがどれほどのワガママなのかは十分に理解しているし、みんなに迷惑をかけるってこともわかってる!

 けど、これだけは譲れないんだ! お願いだ。1人か2人でいい! このレギオンを存続させるために誰か残ってくれないか!」

 

 深く頭を下げ、みんなの反応を待つドラゴニュート。みんな呆れて居なくなってしまうかもしれない、でもほんの僅かでも残ってくれる人がいるのなら……。

 

 ……誰も動かない。静かな時間が過ぎ去っていく。

 ドラゴニュートの隣に居る《フレイム・ゲイレルル》ですらなんの反応も見せない。

 

 

 その時、ひとりのプレイヤーがメンバーの代表として姿を現した。

 

「面を上げな。ドラゴニュート……」

 

 その言葉に従い、体を起こすと……そこに居たのは《モスグレイ・アンポリッシュ》。時代錯誤なリーゼントに白い長ラン。先日ドレイクにケーキを奢ってもらったことで笑いの種となったプレイヤーだ。その出で立ちから番長と呼ばれている。

 

 番長は本来明度の低い緑色のアバターだ。格闘能力も強く防御力も高い。レベルアップにより痛覚軽減の効果が有る長ラン型の強化外装を手に入れてから近接戦闘や乱戦ではもう誰も手を付けられなくなったほどだ。

 曲がったことが大嫌いだということでも団内でよく知られている。

 

 もしかすると、ふざけた事を言うなとブン殴られるかもしれない。それでも……とドラゴニュートは痛みを受け入れる覚悟を決めた。

 

「ちぃぃっとばかし聞きてぇ事があるんだけどよ? 俺たちが一体いつ、ヨソの連中の目を気にしたって言うんだ!?」

 

 ぶつかりそうになるほど顔を寄せ、番長は今まで起きたレギオンの出来事をまくし立てていく。

 

神獣(レジェンド)級エネミー三つ巴のときもよぉ、羽田のドラゴンに全滅した時も、環七爆走レースの時も……」

「あとケーキを食べた時もな」

「うるせぇよ! ……ゴホンっ! とにかく、いつだって俺たちは周りの連中の白い目を飽きるほどに浴びてきた。でも、ずっとこのレギオンに所属している……それはなぜか!

 おもしれぇからだろう? 現実じゃ味わえないような興奮をこのレギオンは、ドカンッ! っと持ってきてくれるからだ。

 

 俺たちは今まで通り、オマエに、それを期待していいのか“団長”?」

 

 その言葉の意味を理解した時、ドラゴニュートの視界が急に開いたような気がした。

 よく見れば周りの連中も番長と同じような顔つきをしている。誰一人この団から離れて行く人はいない。ルルも笑って頷いてくれた。

 レギオンを解散しなければならない、なんてドラゴニュートの杞憂でしかなかったのだ。

 

「みんな……ありがとう」

 

 ある筈の無い涙を拭ってドラゴニュートは声を高らかに張り上げる。

 

「お前たち! これから新生《スーパー・ヴォイド》の最初の催しを行なう!

 それは前団長の追悼式だ! だが物静かな会じゃ彼が満足するはずが無い。

 

 騒げ! 団長が秘密にしていた笑い話を暴露してやれ! 笑って彼を送ろうじゃないか!

 

 食べ物は団長の奢りだ。ショップの在庫を買い尽せ! さあ、お前ら行くぞぉ!」

「YaaaーーーーHaaaーーー!!」

 

 ドラゴニュートは1枚のカードをストレージから取り出し、ショップへと向かいだす。その場にいた団員全ても団長に続けと走り出していく。

 この騒ぎは加速世界の夜が更けるまで収まることはなかった。

 

 

 

 

「でも、結局ドレイクに最後の一撃を入れたのは誰だったの?」

 

 深夜。場も落ち着き、残っている団員たちが所々で纏まっている。

 そんな中、輪から少し離れた場所にドラゴニュートとルルの姿があった。

 

「わからない。でもドレイクを刺した剣に銀の糸……。あとであの時河川敷に居たみんなにも話してみようと思うけど……」

 

 その特徴を聞いて1人の人物像を浮かび上げるルルだったが、まだ断定できない事柄だったのでこの場では言わないことにした。

 いずれにせよ災禍の鎧の呪いがドラゴニュートに降りかかることはなかった。ドラゴニュートにとってはわだかまりがある様だが、ルルとしてはそれでよかったとも思っている。

 

「それにしてもあの時はみんな焦ったんだからね? 心意の光が見えなくなっちゃったと思ったら《最終消滅現象》が起こるし、その場に行っても誰も居ないから結果がわからなかったし……。結局その場は解散になったけど、とにかく配したんだから!」

「ご、ごめん……。でも、ルルには話したよね? こっちもこっちで大変だったんだ。検査に異常がなかったからよかったけど、下手したらニューロリンカーを取り上げられちゃうところだったんだよ?」

「それは聞いたけど……。

 あー! この話はお終い。ドラゴが無事でよかったわ、ってこと!」

 

 このまま続けても意味のない話を強引に打ち切ったルルは手に持っていたコップを口に付け、中身を飲み込んでいく。

 もちろんコップの中身はルルの口に当たった途端蒸発していくのだが、ちゃんと口の中に現実と変わらぬ味が広がっていくのだから不思議だ。

 

 空になったコップが粒子となって消えていくのを見ながらルルはポツリと呟いた。

 

「この炎の体がこうやってコップを持ててたのも《心意》の力が関係してたのかなぁ……」

「うーん、そのコップは用を終えるまで破壊不能オブジェクトとして設定されてるのかも知れないけど、今ルルが座っている岩が熱くなっていないのは《心意》の力だと思うよ」

「えっ!? 本当だ……。へぇー、そう言われるまで気付かなかったわね。こんなこと何回もあったのに。

 でも本当に《心意》ってズルイ! ねーねー、ドラゴ。私にも教えてよ」

 

 突然、肩を揺すりながら教えを請うて来るルルの口をドラゴニュートは慌ててふさぐ。

 

「ルル! 声が大きすぎるよ。……この力は秘密にしようって決まったんじゃなかったの?」

「んーんー! ……そうだけど、覚えちゃいけないっていう話じゃなかったわ。どうせ《黄色》も影で練習する気満々よ! 他のみんなもきっとそう思っていたわ。それなら万が一の時のために私が覚えておいてもいいじゃない?」

「あ~……、わかったよ。でもここじゃなくて、病室で2人っきりの時にね?」

 

 2人っきり。その言葉を聞いてルルはあの河川敷での出来事を思い出してしまった。精神的に不安定だったとはいえあんな大勢の目がある中でドラゴニュートに抱きついてしまったことを……。

 そして今の体勢もあの時のように体が密着しているということも。あの時とは違い、ドラゴニュートの体が赤くなっていないのは無意識の《心意》がドラゴニュートを受け入れたからか……。

 

 ルルは緊張と恥ずかしさのあまりドラゴニュートを突き飛ばし、俯いてしまう。

 突然の反応に困惑したドラゴニュートはルルの顔を覗き込んで声をかける。

 

「どうしたの?」

 

 しかし、顔を近づけ過ぎてしまった事により再びルルはドラゴニュートを意識してしまうことに。

 

 ――ふ、ふふ、2人っきり! わ、私とマサトが病室で! そ、それで手取り足取り……

 

「あーーー!! もう! なんであの時あんなことしたのよ! こんのっ、バカぁーーー!」

 

 恥ずかしさのあまりついに思考が暴走してしまったルルは強化外装である炎の槍を取り出してドラゴニュートをブン殴った。

 《無制限中立フィールド》でアバターの痛覚は通常対戦の2倍。当然ルルの攻撃はなんの覚悟も無しに受け止められるものではなかった。

 

「あっつい! 突然何するのさ!」

「う、ウルさーい!」

 

 槍を振り回しながらドラゴニュートを追いかけるルル。混乱しながらも逃げ惑うドラゴニュート。

 その騒ぎはすぐに団員たちに気付かれる。

 

「おお? 早速、副団長の革命……もとい下克上が始まったのか?」

「勝ったほうが次の団長になるってか!?」

「やったれやったれ! 俺はドラゴ団長を応援するぞ!」

「ならあたしはルル副団長に付くわ!」

 

 やんや、やんやと騒ぎ立て、止める者のいないこの騒ぎ。

 収まりが付くのは随分と先のことになるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

「マサトくん、そろそろお時間ですよ」

 

 病室の外から看護師に声をかけられ、ようやくマサトは我に返った。

 どうやら防衛に成功し、カンナから侵攻失敗という悔しさ溢れるメールを受け取ったあと。勝負の余韻に浸っていたらどうやら随分な時間が経っていたらしい。

 

「はーい。今行きます!」

 

 まだ外に居るであろう看護師に声をかけ、マサトはよいしょ、っとベッドから降り立った。

 昔ならこの動作だけでも相当の体力を消耗していたのだが、1年にわたるリハビリの成果がその動作に現れている。

 

 マサトの病気に快復は無い、しかし努力いかんによっては普通の人と同様の生活を送れるようになるということを最近になって知ることとなるマサト。マサトはこの1年、努力していた。

 

「お待たせしました」

「いいのよ、さあゆっくりと行きましょう」

 

 病室のドアを開け看護師の付き添いを受けながらマサトは病院内にあるリハビリ室へと向かっていく。

 

「マサトくんも最近はしっかり歩けるようになったわね。これならもしかすると一時退院の許可が出るかもしれないわよ?」

「えっ? ボク、退院できるんですか!?」

「そうね、まず1回外でお泊りして、問題なかったら出来ると思うわ」

「やったぁ!」

「こらこら、はしゃがないの。……でもそうよね、マサトくんももう小学3年生だもんね。カンナちゃんともお外でデートしたいお年頃よね?」

 

 看護師さんの言葉に顔を真っ赤に染めて否定するも、看護師さんは終始笑ってマサトの意見を受け入れてはくれなかった。

 

 

 

 

「へぇ! よかったじゃない。一時退院だなんて」

 

 昨日の一時退院が出来るかも知れないという話をカンナに話してみると思った以上に喜んでくれたようだった。

 

「私もお母さんが帰ってくるときは嬉しかったなぁ……。それでどれくらい家に帰れるの?」

「うーん……何事も無ければ2泊3日は出来るみたい」

 

 ちなみに、この1年の間にカンナの母親は無事退院している。今では家で元気に主婦をやっているそうだ。

 それでもカンナは週3回マサトのお見舞いに来てくれるのだからもう頭が上がらない。

 

 

「そうなの。じゃあ1日くらいは私と遊ぶ時間を作ってよ!」

「う、うん……もちろんボクもそうしたいんだけど……」

 

 一瞬、看護師との会話を思い出しそうになるのを必死に堪えてカンナの誘いに賛成する。

 マサトのどもり(・・・)に気が付くことのなかったカンナはその日の予定を思いめぐらせ、思いつくままに口にしていく。

 

「マサトはどこに行きたい? スカイツリー ……は、ちょっと遠いか。あんまり移動しない方がいいわよね。渋谷? でもやっぱり人の多いところより静かなところの方が……」

 

 色んな案を出してくれるカンナだったが外出そのものが始めてのマサトにとってどのプランも魅力的だし、行ってみたかった。

 しかし、自分の体力の問題もある。マサトとカンナが今一歩予定を決めあぐねいているとき。

 

「そうだ! フーコも呼びましょう!? 私はしょっちゅう連絡取ってるけどマサトは最近会ってないんじゃない?」

「楓子さん? そういえばそうかも……。向こうは向こうで大変なんだろうなぁ」

 

 カンナから出てきた名前にマサトは楓子が新鋭のレギオンのサブリーダーになっていた事を思い出す。

 《スーパー・ヴォイド》の新しい団長となるためにクエストをこなしたり、中小レギオンに取られていた領土を取り返したりと、色々なことでゴタゴタしているときに楓子さんはレベル4に上がっていた。

 《無制限中立フィールド》に来れるようになったらレギオンに誘おうとしていたマサトだったが、その前にとあるBBプレイヤーから新設レギオンのメンバーになって欲しいと熱烈な勧誘を受け、そちらに入ってしまったと言うのだ。

 

 一応カンナに相談はしていたらしいのだが、カンナ自身がゴーサインを出してしまったのだから楓子さんも決意してしまったらしい。

 なんて勿体無い事を……なんて思う気持ちが無かったわけじゃないが、確かにもう完成しているヴォイドに入るよりも新しいレギオンで色んなことを体験しながらレギオンを大きくしていった方がこのゲームをより楽しめるに決まってる。マサトも楓子の新しい門出に祝福を送るのだった。

 

「それにしても、楓子さんが所属したのがあのロータスのレギオンなのは驚いたなぁ……」

「そうね。それに彼女、激戦区の《渋谷第一エリア》に拠点のを構えちゃうし……。もしかしたら私たち以上にお祭り好きなのかもね」

 

 《ホワイト・コスモス》と親しい者だと思われる《ブラック・ロータス》はコスモスのレギオンに所属することは無く、自らを団長とする新しいレギオン《ネガ・ネビュラス》を《青》《緑》《白》のレギオンに囲まれた渋谷エリアに設立し、さらには《赤》のレギオンがある西の方に領土を広げていった。

 その快進撃は凄まじいもので今ではもう《純枠色(ピュア・カラーズ)》の名に恥じない実力を身につけているようだった。

 

「ま、そのお蔭でフーコもいい経験に恵まれたでしょ」

「カンナの特訓とどっちが辛かっただろうね?」

「なんですってぇ~……」

 

 あ、これは殴られるな。と長年の付き合いにより判断したマサトはとっさに両腕で顔を庇うが、いつまでたってもその衝撃は来なかった。

 恐る恐る手をどけてみると、カンナは椅子に座ったままで、変なポーズのまま固まっているマサトを「何やってんの」と穏やかに笑っているだけだった。

 

 最近、カンナが怒鳴り声や手を挙げることが少なくなった。身長も伸び始めているようだし、髪をかき上げる仕草やコップの持ち方なんかも女性らしさが増したように思える。

 これが母親と過ごす影響なのか、と考えた時、マサトは1つの懸念があることを思い出してしまった。

 

「そう言えば……やっぱり外で遊ぶ時間は無いかもしれない……」

「どういうこと?」

 

 突然の予定の変更にビックリするカンナにマサトはその理由をポツリポツリと話し出す。

 

「外出中……病院の外にいる間は誰かがボクのことを見てなきゃいけないんだって。でも……ほら、ウチって両親とも忙しいじゃない? だから多分、外泊は出来ても金曜の夕方に家に帰って土曜の朝には病院に戻ってくるような……外で遊ぶ時間は取れないスケジュールになちゃうと思う……」

 

 マサトの外出にはどこに行くのも保護者の同伴が必要となる。しかし、マサトの両親は3日間に渡って休みを取れるだろうか。それは今までの経験から無理だとマサトは思っていた。

 

 たった半日だけの一時退院。口に出してみると何とも寂しいスケジュールか……。だが、それでもマサトは一晩家族と過ごせること自体は楽しみにしていた。

 1年前なら考えられなかったこと。マサトの心もまた成長しているのだった。

 

 とにかく、今回はカンナと遊ぶことを諦め。また今度、マサトが1人で外出しても大丈夫だと判断されてからでも遅くは無い。そうマサトは思っていたのだが……。

 

「じゃあ、2日目は私の家に泊まればいいじゃない!」

 

 外見は大人っぽくなっても相変わらずカンナは途方も無いことを考え付くのだった。

 

 

 

 



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第17話 初めての……

 

 

「それでは今日はマサトをよろしくお願いします」

「こちらこそ、マサトくんを責任持ってお預かりします」

 

 子供の突拍子も無い思いつき。しかし、カンナの“それ”はいとも容易く実行に移されてしまった。

 2泊3日の一時退院。その2日目から3日目にかけてマサトはカンナの家にお世話になることになったのである……。

 

 

 マサトと仲良くしているカンナの……木戸一家のことをマサトの母は知っていた。

 それどころかいつの間にか母親同士の接触もあったらしい。大人には大人の付き合いというものがあるのだった。

 

 今はマサトを挟んで大人2人だけで会話している。

 いつもスーツを着て感情の起伏があまりなさそうな母親がカンナの母親にペコペコ頭を下げている姿はマサトの目に物珍しく映った。

 対して、カンナの母親は髪の色こそカンナと同じ燃えるような赤毛だが、ウェーブが掛かり、ふんわりしている髪型はその優しそうな人柄とよくマッチしていた。

 

 どうにも性格が正反対そうな2人はしかし、顔見知り特有のぎこちなさはなく、それどころか1歩距離を詰めた親密さを感じさせる。

 

 マサトの視線に気が付いたのだろう、カンナの母がマサトに顔を向け、昨晩のことを尋ねてきた。

 

「マサトくん、昨日はお家に帰れてよかったわね?」

「は、はい! カンナのお母さん、今日はよろしくお願いします」

「あらあら、マサトくんは礼儀正しいのね。……ねぇ? 昨日の晩御飯は美味しかった?」

「ツバキさん!」

 

 なぜかマサトの母親が焦ったような声を出したが、マサトはその質問に正直に答えることにした。

 

「はい。病院じゃ食べられないような料理もあって美味しかったです」

「そう、よかったわね。……ですって理香さん?

 マサトくん、アレはねぇマサトくんのお母さんが頑張って…………」

「ツバキさん! もう時間が無いので私はこれで失礼します!」

 

 時間が無くて焦っていたのだろうか、マサトの母――理香は唐突にカンナの母に別れを告げる。

 

「あら、ふふふ。ごめんなさい。ほら、マサトくん、行ってらっしゃいは?」

「お母さん……行ってらっしゃい」

「行ってきます。……いい子にしてるのよ」

 

 理香は上目(うわめ)に母を見るマサトの頭をさらりと撫でると踵を返し、駅の方に歩き出す。それを見送っていたマサトだったがその姿はすぐに道角の先へと消えてしまった。

 理香が曲がっていった道の先を見ていたマサトにカンナの母が声をかける。

 

「さ、私たちも家に入りましょう? カンナが今か今かと待ってるわ」

「はい!」

 

 背中を優しく押されたマサトはこれからの予定を思い出し、気分を入れ替えて返事を返すのだった。

 

 

 

 

 

 

 午前中はカンナの家で手荷物を整理したり、カンナの部屋に案内されたりしているとあっという間に時間が過ぎていった。

 そして、もうそろそろお昼時、というところで突然カンナが立ち上がる。

 

「着いたみたい!」

「え? なにが……?」

 

 理解の追いつかないマサトを置いてカンナは部屋を駆け出していく。

 何がなんだか解らないままマサトもカンナを追いかけると、その行き先は今朝マサトもくぐった玄関だった。

 

「今日はお招きいただきありがとうございます。これ、母からです。つまらないものですが……」

「あらあら、お気遣い頂かなくても良いのに。ありがとうねフーコちゃん」

 

 そこに居たのはカンナの母と、白いワンピースで着飾った楓子の姿があった。

 どうやらカンナは楓子の来訪の合図をニューロリンカーによって受信したのだろう。それで迎えに行ったのだ。

 

「フーコ!」

「カンナちゃん!」

 

 勢いそのままに楓子に抱きつくカンナと、それを受け止める楓子。

 数秒の後、お互いが満足した頃合でゆっくりと体を離していく。

 もう一度両者は笑い合い、楓子はマサトに視線を向ける。

 

「それにマサトさんもお久しぶりです」

「久しぶりだね楓子さん」

「もう、何度も呼び捨てで良いと言ってるのに相変わらず“さん”付けなんですね。

 歓迎のハグもしてくれませんし。わたし……もしかして嫌われてるんでしょうか……」

 

 出会って早々の楓子の泣き真似。楓子のマサトに対するからかいの仕方は変わってないようだった。

 しかしマサトもやられっ放しではない。少し前に見た恋愛物の映画を思い出し、楓子に反撃を決行する。

 

「楓子……ごめんよ。そんなに悲しい思いをさせていたなんて」

「マ、マサトさん!?」

 

 油断していた楓子を優しく抱きしめる。玄関特有の段差のお蔭か、楓子の頭がちょうどマサトの胸に納まった。

 楓子の戸惑いの声が聞こえてくるが、マサトの復讐はまだまだ終わらない。今度は楓子の綺麗な黒髪をゆっくり撫でていく。

 

「落ち着いた?」

「マ、マサトさん……」

 

 楓子が顔を上げ、マサトとしっとり目線を交わす。

 1秒、2秒……加速世界ならゆうに3回は対戦できる時間が過ぎ、ようやくカンナがマサトの頭に拳骨を振り下ろした。

 

「いっったぁ! 何するんだよ!」

「う、うるさい! マサトが悪いんだから。フーコの事抱きしめるし、自分のこと“俺”とか言っちゃうし!」

「冗談だろ!」

「反則よ!」

 

 反則って何だ? と疑問に思うマサトの胸にポスンと軽い衝撃が……。

 胸に当たった腕の先を辿っていくと顔を見られないように俯いている楓子の姿。

 

「……反則です」

 

 過ぎた冗談だっただろうか? 反省点を考え込むマサトと、顔を真っ赤にしながら対照的な2人。絶妙な三角形が不思議な空間を作り上げる。

 

 

「あらあら……」

 

 1人、輪の外から見守っていたツバキは子供たちの様子を笑って見守るのだった。

 

 

 

 

 

 

 マサトとカンナ、そして合流した楓子が遊びにやって来たのは品川区にある水族館だ。

 品川駅と隣接している方ではなく競馬場が近くにある方である。数年前大幅に改築し、より広く、よりファミリー向けに作り直されていた。

 そのお蔭だろうか、お昼をカンナの家で食べてから電車に乗って来たのだが、時間が決まっているイベント――イルカのショーや、水槽の中でダイバーと魚が繰り広げるパフォーマンスなどの数が増えていてゆっくりと来ていたマサトたちでも見る事ができたのであった。

 初めて生で見る泳ぐ魚やクラゲ、サメなど見所はたくさんあり、あっという間に時間が過ぎていく。

 

 

「あ、このペンギンのぬいぐるみ、マサトに似てない?」

「あら、可愛らしいですね。マサトくんソックリです!」

 

 今はお土産を見ながらあれこれ話しているところだ。

 お土産ひとつひとつで大いに話を広げることが出来る女の子ってすごい。しかし、自分の使っている仮想世界のアバターにそのペンギンがソックリなわけで、現実の自分とは似ていないよな、と間抜けた顔のペンギンを弄りながら思うマサトであった。

 

 ちなみにペンギンのぬいぐるみはカンナと楓子がお金を出し合ってマサトのお土産に買ってくれた。飾り気の無い病室に置けば少しは雰囲気が華やかなものになるだろう。

 マサトも母から渡されていたお小遣いからイルカのキーホルダーをプレゼントする。カンナには背中が赤い色のイルカを、楓子には青空のようなスカイブルーのイルカを手渡した。

 

 

「あら電話……。3人ともちょっとここに居てくれないかしら。お母さんアッチの人が少ないところで電話に出るから」

「はーい。大丈夫よお母さん。ここで待ってるから」

 

 夕方。お土産も買い、満足気に水族館から帰ろうと外に出たとき、カンナの母――ツバキの電話が鳴り、ツバキはマサト達から少し離れた場所に移動する。

 

「チャンスね」

「……? なんの?」

 

 人の流れの邪魔にならないようにと道の端に寄ったカンナは周りに人がいないことを確認してからそう呟いた。

 

「なんのって……BBよ“BB”」

「ここでやるの!?」

「そうよ。だって私、BBやり始めてらここに来たの初めてだし、貴方だってそうでしょ?」

 

 だからって……、とマサトが楓子の方も確認すると、楓子もすでに《ブレイン・バースト》のインスト画面(メニュー画面のようなものだ)を操作しているようだった。

 

「マサトくん、よかったら今日はわたしとタッグを組みませんか?」

「そういえば2人は組んだこと無かったっけ? ちょうど良いじゃない爺孫タッグなんて聞いたこと無いもの。面白そう」

 

 ダメだこの2人。やる気満々で話を進めている。

 こうなっては仕方ないとマサトも《ブレイン・バースト》のインスト画面を操作して《スカイ・レイカー》からのタッグ申請にYesの返答をする。

 

「私は“アレ”が居ないか確かめてからシングルでバトルしてるわ」

 

 “アレ”。それは3代目《クロム・ディザスター》のことだろう。

 初代、2代目と違い3代目の鎧の持ち主は狡猾で慎重な性格を有していた。

 決して《無制限中立フィールド》には現れず、《通常対戦フィールド》にふらりと現れてはBBプレイヤーを襲い、ひと通り暴れてはニューロリンカーの接続を切り、マッチングリストから姿を消してしまう。

 それも高レベルプレイヤーが乱入しようとする絶妙なところで、だ。

 

 一体何が目的なのか、それはわからないがディザスターは決して捕捉されることなくこの1年間加速世界を生き延びていた。

 いまやディザスターを探し、ディザスターが暴れだす前に対戦を挑むことは高レベルプレイヤーの義務と化している。

 ここ最近はディザスター相手の全損者の話も聞いていない。そろそろ何か動きがあるかもしれなかった。

 

「それじゃあ行きましょうか」

「マサトくん、対戦相手はあなたに任せますわ」

「解った。行くよ」

 

 3人で視線を合わせ、呼吸をそろえる。

 

「《バーストリンク》!」

 

 そして一呼吸後、寸分のずれも無く3人の口からその言葉が唱えられるのだった。

 

 

 

 

 

 

「おいおい! なんで《竜王》がここに居るんだよ!?」

「マッチングリストに載ってたのは見間違えじゃ無かったのか?」

 

 この品川区で《竜王》――《プラチナム・ドラゴニュート》が姿を現したのがよっぽど衝撃的だったのか対戦相手含め《ギャラリー》からもざわめきの声が聞こえてくる。

 確かにドラゴニュートが《無制限中立フィールド》に行くようになってから他の地区で通常対戦を行ったことは無い。

 

 しかし少し《ブレイン・バースト》を長くやっていれば、カンナと色んな地区を荒らしまわったことを知っていそうなものだが……。たった2年しか経っていないが、その時間が急に途轍もなく昔に感じてしまうドラゴニュートであった。

 

「しかもタッグ相手は《鉄腕》じゃねーか!」

「なんでヴォイドとネガビュが手を組んでるんだ!?」

 

 聞き覚えの無い二つ名を聞き、マサトは首を傾げる。

 話からして《スカイ・レイカー》のことを言っているのはわかるのだが……。

 

「《鉄腕》って?」

「それは……ほら、わたし、ルルさんのような遠距離攻撃持ちと組まないと噴射跳躍(ブーストジャンプ)しかできないじゃないですか。

 ですから青色の特性を生かして格闘戦の腕を磨いていたらいつの間にか……。

 しかし緑のレギオンでそう呼ばれているのは知っていましたが、こんな南の方までその名前が広まっていたなんて」

 

 なるほど、格闘センスはレベル1の時から折り紙つきだったレイカーの事だ、ベテランともいえるレベル6になった今ならその強さが話題に上がること必然だろう。

 

 しかしレイカーの戦いは足技主体の攻撃方法だと聞いていたのだが。そういえば……「鉄腕」といえば遥か昔、足からのジェット噴射で空を自由に飛ぶアニメのキャラが…………。いや、今は関係の無いことだ。それになぜだか隣から妙に冷たい風が吹き込んでくる、これ以上考えるのはやめておこう。

 とにかく、急造のタッグだが頼りになるパートナーを得られたことに喜ぶドラゴニュートだった。

 

 

「《竜王》が何ぼのもんじゃい! 《鉄腕》の何を恐れる!

 ウチらも緑のレギオンにこの2人ありと恐れられた《鉄壁》の2人じゃぞい!」

「オレ、初めて聞いたよそんなの……」

「もちろん! 今始めて言ったのだからな!」

 

 ガハハと笑う青銀色の巨体アバターと乾いた笑いの黄緑色の長身アバター。

 《ギャラリー》のみんなもはやし立てている。この地区では人気のあるタッグチームなのだろう。《ギャラリー》の多さと声援がそれを表していた。

 

「それじゃあ本当にそう言われるように頑張りますか」

「オウとも! さあバトル開始じゃあ!」

 

 まず青銀色のアバターが快活な雄たけびと共にドラゴニュートに向かって突進してくる。

 相手もドラゴニュートも共に重量級のアバター、まずは力比べか……。

 ここで逃げてはBBプレイヤーの名が(すた)る。両腕を前に出し、来るべく衝撃に身を構えた。

 

「ふんっ!」

「ぐぅっ!」

 

 突進の勢いで数メートル押し負けはしたが、ガッシリ組み合って腰を落とし、力を拮抗させる。

 どちらも譲らぬその攻防に横からレイカーが助けに入ろうとした……が。

 

「ドラゴさん!」

「させないよ!」

 

 しかし相手も黙って見ている訳じゃない、黄緑色のアバターが間に入り邪魔をする。

 構わず攻撃を放つレイカーだったが、近接攻撃に強いレイカーの攻撃を黄緑色のアバターは難なく受け止めてしまった。

 

「俺の名前は《フォレスト・トランク》! この特殊な多重構造のシールドで青系の近接攻撃でも受けきって見せるぜ!」

 

 黄緑色のアバター ――トランクは盾を使った防衛術を心得ているのだろう、レイカーの攻撃を正面から受け止めるだけでなく、受け流し、回避、そして時には反撃に移るなど洗練された守りを繰り広げてきた。

 

 

「ふははーーぁ! トランクの防御を打ち破るのは、まさに巨木の幹をへし折るのと同様に不可能な事柄よぉ! そしてトランクが守りを固めている間にこの《ゼニス・タロン》のパワーで敵を粉砕するのだ!」

 

 ドラゴニュートと組み合うアバター《ゼニス・タロン》は体を捻りドラゴニュートの体勢を崩すと、間に出来た距離を使って再び突進してくる。

 もちろんドラゴニュートも立て直し、再びタロンとかち合うが、今度はタロンの前進を止められることが出来なかった。

 

 先ほどとは違い、今度はタロン――つまりカギ爪が足の先端より飛び出し、地面にしっかりと喰い付いている。

 これによりタロンは前進するのが容易くなり、逆に後ろに押されるのを防いでいるのだ。

 グリップ力の違いが僅かな差を生み出し、ドラゴニュートの体が地面を滑りだしてしまう。

 

 タロンが前進するたびに近づいてくるドラゴニュートの背後の壁、それは先ほどまでマサトたちが楽しんでいた水族館の壁だった。

 刻一刻と迫る壁に対してドラゴニュートはいっそう踏ん張るが、グリップの効いた相手の踏み込みに()(すべ)がない。

 

「だぁらっしゃぁーー!」

 

 タロンの進撃は止まることなくついに水族館の壁を破壊した。瓦礫の塊が両者の体を打ち付ける。しかし、タロンの攻撃ターンはまだ終わっていない。足を止めることなんかせず、今度は水槽のガラスを次々と破りながらドラゴニュートを奥へ奥へと押し進めて行く。

 ガラスが割れるたびに流れ出す多量の水と、現実では見ることの出来ない水生生物たち。壁に押し潰されるたびにガラスの破片と水の圧力によってドラゴニュートのHPは削れていき、残り半分を切ってしまうのだった。

 

 

 『加速世界』の水族館内は特殊なフィールドなのか、外のフィールドの属性と建物内ではガラッと変化しており、粉雪舞い散る《氷河》ステージの属性をとっていた。

 

 腕を解かれ、しゃがみ込むドラゴニュートの下に見えるのは薄い氷の向こうに映る巨大エネミーの影。

 どうやらここは水族館の一番奥、イルカやアシカがショーを行なう巨大な水槽が合った場所らしい。この水槽は幅が広いだけではなく、深さも地下1階まで吹き抜けとなっている。 現実なら地下に設置されているガラス窓からイルカの泳ぎを観察ができるようにするためにだ。

 

 

「どんなモンじゃい! ここでヴォイドのリーダーに泥を塗り、加速世界で一躍有名になってやるわ!」

 

 ここで決着を付けるつもりらしいタロンが腕をガシャンガシャンと打ち鳴らす。

 パワーそのもので劣っているつもりは無いが、この氷の上でドラゴニュートは踏ん張ることが出来ない。カギ爪のあるタロンとの安定性において差がもう一段階広まってしまった。

 

「休んでる暇はねぇぞい!」

 

 今度は肩を突き出し、攻撃力のある突進を仕掛けてくるタロン。

 一瞬かち合うが、やはりカギ爪が氷に食い込み、押し返すことは出来なかった。ドラゴニュートは受けきる事はせず、すぐさま右方向へ体を転がし、攻撃を避ける。

 

「ガハハ! まだまだぁ!」

 

 再びのショルダータックル。やはりドラゴニュートはその勢いに耐えられないのかタロンを横にいなすだけで地面を転がっていく。

 

「オラオラ、どんどん行くぞ!」

 

 無様に転がっていくドラゴニュートを追い詰めるために次々に攻撃を繰り出していく《ゼニス・タロン》。ここでドラゴニュートを負かし、《スカイ・レイカー》を2人がかりで討ち取ればレギオンリーダーである《グリーン・グランデ》の目に止まり、幹部待遇に伸し上がれるかもしれない……そう思ったとき。突如(とつじょ)、されるがままだったドラゴニュートが反撃の手を打ってくる。

 

「ぐぉおお! 何をいまさら!?」

 

 そのキックは高レベルプレイヤーの名に恥じない重くて威力のある蹴りだった。だが、この氷の上のような足場が不安定なところで打てても単発で終り、続く攻撃は放てない。

 現にカギ爪で踏ん張ったタロンと違い、ドラゴニュートはその倍以上の距離を離されてしまっていた。

 

「それで終わりかぁ!」

「終わりだよ……」

 

 最後の最後に減らず口を……。タロンが足を1歩踏み出した時だった。

 ピキッ、と聴こえる不吉な音……タロンは驚いて足元を見る。

 

「キミのその鋭い爪は通常の地面なら多少食い込む程度で終わってしまうのだろう。しかし、ここのような薄い氷の上で何度も何度もその爪を突き立てたらどうなってしまうか……」

 

 改めて地面の様子を伺うと、そこらかしこに穴が開いているのが見える。

 それもなぜか円形(・・)に……。

 

「まさか!」

「そう、キミは缶切りのように氷に穴を開けてしまったのさ。そしてご丁寧に最後は切込みまで入れてね!」

 

 右へ右へ、一定方向のみ逃げ続けていたドラゴニュートの軌道。一瞬かち合う度に地面に食い込むカギ爪。最後に放たれた重い蹴り。一直線にタロンへと伸びる氷の削り跡――そしてそこは円の中心でもある。

 ドラゴニュートに視線を戻すとそこはプールの縁の近く。一連の動きは全て計算しつくされたものだった。

 

「後は少しの振動で……っ!」

 

 氷面に強く尻尾を叩きつけ、その反動でプールの外側へと跳んでいくドラゴニュート。

 その衝撃に耐え切れなかった氷の膜は徐々にヒビの数を増やしていき。一番重いタロンを中心に粉々に割れてしまうのだった。

 

 

「あとは、底に居る巨大な魚に相手してもらってよ……」

 

 ドラゴニュートの目には巨大な魚に丸呑みにされてしまった《ゼニス・タロン》と一気にゼロまで削り取られるHPバーが映し出される。魚影は一瞬ドラゴニュートの方に顔を向けるが……ぐるんっ、と急旋回して再び仄暗い水槽の底へと戻って行ってしまう。

 

 それを最後まで確認してからドラゴニュートはレイカーの元へ赴いていくのだった。

 

 

 

 

 

 

「確かに年月を重ねた木の幹をこの手で貫くことは不可能かもしれません……」

「そうだろう! 防御力の高さならこのレギオンでリーダーのグランデに次ぐ強さだと自負している!」

 

 ドラゴニュートがレイカーの元に駆けつけると未だトランクの防御術に梃子摺(てこず)っているようだった。時にまとまり、時に広がる変幻自在の特殊多重構造の盾に一対一で突破するのは至難の業だ。

 思わず加勢に飛び出そうとするドラゴニュートだったが。

 

「しかし……」

「……ん? うおっ!?」

 

 レイカーは一瞬の隙を付き、トランクの腰元へとタックルを敢行する。

 

「貫けないと分ったら今度は押し倒そうって言うのか? しかしタロンじゃないがオレだって早々倒れたりはしないぞ!」

 

 この手の攻撃にも慣れているのだろう、トランクは自分の盾を縦長に変化させ、支えとして地面に突き刺した。

 レイカーに押し倒されぬよう手に力を込める。その力強さはしっかり地面に根付く大木の如し。レイカーの突進に対してビクともしなかった。

 

 

「違います! わたしの力じゃ貫くことも押し倒すことも出来ないでしょう。……でもっ!」

 

 レイカーが叫ぶ呼称と共に背中のブースターが轟音を立てて火柱を立ち上げる。

 その出力は止まる事を知らず、レイカーはトランクごと空へと飛んでいってしまった。

 

「それなら木を根元から引っこ抜くまでです!」

「そんなバカなぁ!?」

 

 

 2人の高度がぐんぐん上げって行く。小さくなっていく姿を見上げながらドラゴニュートはブースターの飛距離が以前より段違いに伸びていることに気がついた。

 

 

「さあ、この高さから落ちれば大抵のプレイヤーはその命を散らしてしまいますよ。防御力が自慢のあなたは耐えられますか?」

「オ、オレのアバターはこの盾が硬いだけで自分自身の硬さは他のプレイヤーと変わらないんだ! だ、だから待ってくれ……」

「待ちません!」

 

 えいっ、とまるで花吹雪を散らすかのような手軽さでレイカーはトランクの体を突き放す。

 ドップラー効果の影響で地面が近づくにつれ音程が高くなっていくトランクの悲鳴は、見る者全てが最後を確信させてしまうほど儚いものだったという。

 

 

 

 

 

 

 善戦しつつもあえなく敗北してしまったタロン、トランク コンビに賞賛を送りつつ《ギャラリー》が次々とバーストアウトしていくなか、ドラゴニュートも合流したレイカーに(ねぎら)いの言葉をかける。

 

「ナイスファイト、レイカー」

「ありがとうございますドラゴさん。でもあんな戦い方をしているのを見られていたのは恥ずかしいですね」

 

 硬い防御を打ち破るでもない、削り取るでもない……引っこ抜くという奇抜な戦法を見られた恥ずかしさからレイカーはあまり嬉しそうではなかった。

 

「でもあの戦法はレイカーしかできないよ。やっぱり空を飛べるってことは大きなアドバンテージだよね……」

 

 青空を見上げるドラゴニュートにつられてレイカーも視線を上げる。

 しかし、その目には空を飛べることに対する優越感や喜びの感情は無く、一層の羨望と寂寥感(せきりょうかん)があった。

 

 その視線の意味を理解できなかったドラゴニュートはレイカーに疑問の声を投げかける。

 するとレイカーは視線を空に上げたままその胸の内を打ち明けていく。

 

「わたしは……、わたしは皆さんが仰っているようにこの背中の強化外装《ゲイルスラスター》を使って空へ跳び(・・)上がる事ができます。

 しかし、わたしが目指している飛翔とはその意味が大きく異なるのです……」

 

 届かない場所にある物を掴もうとするように手を空へ掲げるレイカー。

 母を求める幼女のような、神に祈りを捧げる聖女のようなその尊き姿にドラゴニュートは目を奪われる。それと同時に自分の軽率な発言がレイカーの心の傷を抉ったことに申し訳ない気持ちになった。

 

 《ブレイン・バースト》のアバターはそのプレイヤーの深層心理にある劣等感、羨望、妬み、逃避など人それぞれが抱えている傷によって大きく変化する。

 誰一人として同じものは無く、全員がその傷をアバター最大の特徴として具現化せしめているのだ。

 もちろんレイカーの最大の特徴は背中のブースター。そこに込められた思いは他人が軽はずみに触れていいものではない。

 

「わたしは信じていました。このゲイルスラスターはいずれわたしを空へと連れて行ってくれると……。ですからわたしは今までのレベルアップボーナスを全てブースト距離の延長に使ってきました。でも、わかってしまうんです。このままでは《跳躍》は《飛翔》に変わらないと、わたしが望んでいる空に手が届かないということを……」

 

 何かを掴もうとレイカーは空に伸ばしていた手を握り締めるが再び開いた手のひらの上には何も残っていなかった。

 無言で自分の手を見ていたレイカーだったが、何かを決意したようにドラゴニュートへと顔を向ける。

 

「今のままではダメなんです。あと1歩、ただレベルを上げるだけではない、なにか他の方法を使っての進化をしなければ……」

 

 レイカーの瞳の奥に宿る決意の火にドラゴニュートは見覚えがあった。

 かつてたった一人で災禍に挑もうとしていた少年の……他のものに目を向けない暗い瞳の色だ。

 

「ドラゴさん。わたしにその方法を伝授して頂けませんか?」

「…………」

 

 その方法――《心意システム》のことを聞いていると、ドラゴニュートは直感的に解った。レイカーはどこでその情報を調べ上げたのか、どこまで知っているのか、聞きたいことはあったが、迂闊に聞き返すことは藪蛇となる可能性がある。

 殆んど何も知らないままでカマをかけているのかもしれない。

 

 だが、このままレイカーを放って置くこともまたドラゴニュートは危険だと判断する。不安定な精神状態で心意の修行を開始すれば心が負の感情に支配され、人格そのものを壊してしまう可能性もある。それこそディザスターのように。

 ドラゴニュートが正の心意を会得できたのはただの幸運でしかなかったのだ。

 

 レイカーをそんな有様にしてしまうのなら心意の基礎を自らが教えたほうが安全かもしれない。ドラゴニュートはレイカーに《心意システム》を教えることを決意した。

 

「わかった……」

「では!」

「ボクの技術がレイカーの助けになるかはわからないけどね。でも今はもう時間も無いし、いったん現実に戻ってからまた後で……」

「はい! では今晩じっくり教えてもらいますね!?」

 

 ……今晩?

 ドラゴニュートがその言葉の意味を理解するのはもう少し先のことである。

 

 

 

 



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第18話 燃えよドラゴニュート!

 

「やだぁフーコったら!」

「先に手を出してきたのはカンナちゃんですからね!」

 

 夜も更け、カンナの家で晩御飯を食べ、お風呂に入ったマサトは就寝を取るだけだったのだが、マサトの布団が用意された客間にはすでにカンナと楓子の姿があった。ついでに言うと布団も3組用意されている。

 つまり今日カンナの家にはマサトのほかに楓子まで泊まる事になっていたのだ。

 

 

 何も知らなかったマサトは晩御飯はともかく、お風呂にまで入ってパジャマ姿で出てくる楓子に一体いつ帰るのか問いかけてしまった。

 返ってきたのは顰蹙(ひんしゅく)の嵐。そこでようやくマサトは楓子も一晩一緒だということに気がついたのだった。

 

 マサトがお風呂から上がって案内されていた客間に行くと、すでに敷かれている3組の布団と、はしゃいでいる女の子たち。それ見たマサトが同じ部屋で寝ることに対してを文句を言う気力も無くしてしまったことは言うまでもない。

 

「あら、ようやく出てきたの? 待ちくたびれちゃったわ」

 

 入室してきたマサトを一目見るとカンナは楓子と遊ぶのを止め、両者とも大人しく布団に入り込んだ。初めての外泊と遊びで疲れてしまったマサトを気遣ってくれたのだろう。マサトを真ん中の布団に配置したのはご愛嬌だ。

 

 ここで3人で寝ることに対して文句をつけてもただ体力が削られるだけなのでマサトも大人しく布団に入り込む。お客様用に出された真新しい布団は病院のベットとはまた違う優しい香りがした。なんとなく優しい気持ちになりながらマサトはゆっくりと夢の世界に……。

 

「はい、コレ。マサトの分」

 

 ……行く前にカンナから1本のケーブルを突き出された。

 つい反射的に受け取ると今度は反対側の楓子からも声が掛かる。

 

「マサトさん、こちらもお願いします」

 

 振り向くと楓子も同じくケーブルをマサトに手渡してきた。

 ここまで来たら両名が何をやりたいのか推理することは容易い。マサトは黙って2本のケーブルをニューロリンカーに差し込んだ。

 水族館の帰りにお願いされた楓子の修行の件だろう。加速世界では肉体的疲れは発生しないので疲れている体でもなんら支障はない。

 

「じゃあ設定は30分で切断するようにしたから。向こうで20日もあれば十分でしょ」

 

 カンナの言葉に無言で肯定の意を示す。

 それじゃあ行くよ、とカンナが音頭を取るとニューロリンカー越しに遠隔操作でもしたのか部屋の明かりが暗くなる。傍目から見れば3人は大人しく眠ってしまったようにしか見えないだろう。

 

「3、2、1……」

 

 3人は夢の世界ではなく加速世界に飛び立つのだった。

 

 

 

 

 

 

 《無制限中立フィールド》に降り立つとドラゴニュートは2人を先導して歩き出す。早速《スカイ・レイカー》の修行をつけるべく、それに適した場所へ移動しようというのだ。

 

「あ、少しお待ちいただけますか?」

 

 しかし、それを止めるレイカー。なぜ? というドラゴニュートの顔にひと言謝罪を入れ、アイテムストレージから1丁の拳銃を取り出し、空に向かって打ち出した。

 強化外装……ではない。それは単発式の照明弾である。大抵のショップで販売されているが使い捨ての割りに値段(ショップの売買はバーストポイントをもって行なわれる)が高く実用性も低い。

 《領土戦》でも1エリア内なら伝令を出したほうが早く、正確に情報を伝えられるわけで、結局そちらの方がタイムロスが少なくなるので人気はない。

 あとは(はぐ)れてしまった仲間と合流するための合図程度にしか……。

 

 とその時、2体のアバターがドラゴニュートたちに近づいてくるのを視線の端に捕らえた。

 こちらのバーストポイントを狙った対戦者か、と身構えるドラゴニュートだったが、それを抑えるかのようにレイカーが前に出て、近づいてくるBBプレイヤーに手を振り出した。どうやら敵ではないらしい。

 

 

「随分遅かったな、待ちくたびれたぞ」

「……その通りなの」

 

 3人の目の前に姿を現したのはレイカーが所属するレギオン《ネガ・ネビュラス》の団長《ブラック・ロータス》とその幹部《アクア・カレント》の2名だった。

 久しぶりに見たロータス。その姿には特に変化は無いが、レギオンの団長となり様々な修羅場を潜って来たためか身に纏う空気に自信と誇りが溢れているのを感じる。おそらく1対1で戦えば初戦のように圧倒することは出来なくなってしまったであろう。

 新しい好敵手の誕生に喜べば良いのか嘆けば良いのか、複雑な心境になるドラゴニュートだった。

 

 もう一方の《アクア・カレント》は近くで見るのは初めてだ。

 “(アクア)”という特殊な装甲色を持ち、その風貌はレイカーの青とも水色とも違う、決められた色の無い川の流れのような不思議な色の持ち主だ。

 特徴としても水の装甲で攻撃を受け止めたり、かわしたり、水を使っての攻撃など応用性は高い。だが、その水の装甲の下にはきちんと人型のアバターが存在しており、完全に炎で出来ている《フレイム・ゲイレルル》とは似ているようで異なる存在である。

 

「あー、なんか蒸し暑くなってきたわね。近くに加湿器でも置いてあるのかしら!」

「確かに誰かさんのせいでとても熱いの。多分その人が消えればこの暑さも、地球温暖化も解決するに違いないの……」

「…………」

「…………」

 

「だーれが米国の牛のゲップよりも酷い存在ですって!」

「わたしはストーブの上のヤカンじゃないの!」

 

 《アクア・カレント》と《フレイム・ゲイレルル》は似て異なる存在。その違いは両者に埋めることの出来ない大きな溝を作り出していた。

 何があったかは知らないがルルとカレントの仲はすこぶる悪い。話を聞いていたドラゴニュートはルルが一方的に意識しているだけだと思っていたのだが、この様子だとカレントもルルを敵対視しているらしい。

 目を覆いたくなるほどの舌戦がドラゴニュートたちの目の前で繰り広げられてしまう。

 

 2人の間に入ってもただ話が(こじ)れるだけな気がする。いったん2人は置いておいて、ドラゴニュートはもう片方の存在と話を進めることにした。

 

「ロータス。なぜキミがここに?」

「なぜ、とは? あなたこそレイカーに話を聞いていないのか?」

 

 なんの話を? ドラゴニュートは事情の知っているらしいレイカーに顔を向ける。

 

「すいませんドラゴさん。つい先ほどロータスからエネミー狩りに参加しないかとのお誘いがあったのですが、わたしはドラゴさんに修行をつけて頂く用があると返事をしたところロータスが一緒に行くと言い出してしまいして……」

「私のレギオンのメンバーが、リーダーの私ではなく他のレギオンに教えを請う。しかも、それが かの有名な《プラチナム・ドラゴニュート》だというのだから興味がわかない方が失礼だろう」

 

 なるほど。ドラゴニュートは話の大筋を理解した。

 エネミー狩りに行くはずだったロータスがその予定を白紙にしてまでこの場に現れた理由は……。

 

「つまり、ロータスも修行を受けたいと……」

「その通りだ!」

「でもロータスは《グラファイト・エッジ》に師事しているんじゃなかったの? というかそのエッジさんは居ないみたいだけど?」

 

 ドラゴニュートは《ネガ・ネビュラス》に存在するもう1人の主要人物の姿を探し始める。

 《グラファイト・エッジ》は数多くのBBプレイヤーの中でも屈指の剣術使いだ。2本の剣を用いた息もつかせぬ連撃は一瞬で十数発放てることが出来るとか。

 全身が剣のように薄く尖っているロータスにとってそれ以上の師は居まい。

 

「あー、いや。アイツは今日誘ってない」

「え?」

「いいんだ! そもそもアイツが言ったんだ。

 もう教えられるものは全部教えた。あとは繰り返し技を洗練させるしかない。それより俺より強くなりたいなら、俺から教わった技だけじゃなく他の……自分だけの技を手に入れないと無理だぞ。

 ……なんてな! それを嫌味じゃなくて真剣に言い放つのだからタチが悪い。そんな訳で何か光明でも見えないかとあなたに教えを請いに来たのだ」

 

 どうやらネガビュラスはネガビュラスで色々あるようだ。レイカーに確認の視線を向けると、お2人はいつもこんな感じです。と返ってきた。

 

 ロータスも修行に連れて行く……。レイカーにつけるはずだった心意の修行は本来他言無用、秘密裏に行なわねばならない。しかしドラゴニュートはこれから向かう修行先を思い浮かべると、どうにかなるかなと楽観視する。

 

「解った。じゃあレイカーとは違うけど、ロータスも強くなれるように修行しに行こうか」

「おお! 感謝する。最古参であるドラゴニュート自らが教えてくれる修行法。なんてワクワクするんだ!」

 

 シャープな体からは似合わない無邪気さを醸しだすロータスを微笑ましく見ながら、ドラゴニュートは未だ睨み合いを続けている2名に声をかける。

 

「ルル! そっちはどうする? ボクたちについてくるの?」

「ごめんなさい。私ちょっと実験をしなくっちゃ……。水は何度で蒸発してしまうか理科の実験をねぇ!」

「ロータス。わたしも用事を思い出したの。火事が心配だから火種は消しておかないと……なの!」

 

 ルルとカレントはそう言い残してどこかへと駆け出してしまった。どこか邪魔の付かないところで決着を付けるつもりなのだろう。……20日で決着が付けばいいのだけれど。ドラゴニュートは切にそう願った。

 

「じゃあ、この3人で行こうか」

「はい、それはいいのですけど……ドラゴさん、一体どちらへ?」

 

 行く先のわからない旅は不安なのだろうか、レイカーは心配そうにドラゴニュートに尋ねてくる。逆にロータスは早く行こうと言わんばかりの態度で急かしてきた。両者の普段の関係が透けて見えるようだ。

 だが、別に隠すつもりも無かったドラゴニュートは移動するための駅に向かいながらレイカーに行き先を告げる。

 

「修行といったら拳法。拳法といったら……中華街さ!」

 

 

 

 

 

 

 思考、精神で体を操る《ブレイン・バースト》のアバターだが加速世界で疲労が無いかというと実はそうでもない。HPの続く限り全力で動き続けることは出来るが、腰を落ち着ければホッとするし、お腹は空かないが食事を取れば満足することができる。

 何が言いたいのかといえばつまり、東京から横浜まで徒歩で移動するのは思いのほかしんどい(・・・・)ということである。

 

 そのためなのかどうなのかは知らないが、どこまでも続くバトルフィールドの中に電車という乗り物がある。現実世界とも変わらない四角く動く鉄の箱だ。もちろん運賃は発生するし、支払いはバーストポイントだ。しかし東京内を移動するならともかく他県まで出張る時にこれほど役に立つものはない。ドラゴニュートたち一向も横浜にある中華街近くまで電車で移動した。

 

 1時間弱電車に揺られたどり着く中華街の入り口。しかし現実世界では5秒も経っていないのだからモノレールも真っ青の速さである。

 

 

「ほう、ここが中華街か……。始めてきたが、なんと言うか想像と少し違うな」

 

 中華街とは玄武門、朝陽門、朱雀門、延平門に囲まれた一大繁華街だ。

 本来、所狭しと並び立つ飲食店――つまり中華街における観光のメインはもう少し内側にあるのだが、ここは加速世界。その様子は一片の欠片も無くロータスが狼狽するのは無理もなかった。

 

 朱と金がふんだんに使われた左右対称の建物が並び立ち、所々に平地が存在している。その平地にはエネミーだろう人型のナニカが何十人と並び立ち、一斉に同じ動作を繰り返していた。

 突き、払い、蹴り。一糸乱れぬ拳法の型はまるで芸術のように美しく、自然のような力強さを感じさせたる。

 加速世界の中華街とは食事処が集まる娯楽街なんかではなく、拳法映画に出てくるような拳法道場郡ひしめく、武道家の街として作り上げられていたのだった。

 

 

 

 

「それじゃあ行こうか」

 

 何度か訪れているのだろうドラゴニュートは慣れた様子で目の前の玄武門を潜っていく。それを見て慌てるように付いていくレイカーとロータス。

 

 門を潜り、数メートルも歩くと目の前に巨大な壁が立ちふさがった。

 行く道を遮り、見たところ奥にも分厚いであろうその壁にドラゴニュートはどんどんと近づいていく。もし中華街の中心に行きたいのならば他の道を探さねばならないのに、とレイカーは疑問に思うが、ドラゴニュートの目的はまさにこの壁にあるのだった。

 

「レイカー、この壁を壊してみろ……」

 

 壁を背中にドラゴニュートがレイカーに指示を出す。もう修行は始まっている? とレイカーは言われるがまま得意の蹴りを目の前の壁に叩き込んだ。

 しかし、見た目同様、強固な壁はヒビも入らず、逆にレイカー自身にダメージが返って来てしまった。まるで地面のような硬さである。もしかして『破壊不能オブジェクト』なのではないか……。

 

「それで全力か?」

「え、ええ……」

 

 しかしドラゴニュートの言い様はレイカーの実力を疑うかのようなものだった。根が真面目なレイカーは意図を説明しないドラゴニュートの指示にも全力で取り組んだ。しかし破壊できなかったことに失望されてしまっただろうか。

 もしかして初手から躓いてしまったためこれ以上の修行は行なわれないのか、なんてレイカーは落ち込みそうになる。

 

「よし、オーケー!」

 

 だが1つ頷いたドラゴニュートが合図を出すと、目の前の壁からもまるで電子掲示板のようにOK! のサインが返ってきたではないか。中華街なのに英文字。一体何が始まるのか解らなかったレイカーだったが、ドラゴニュートの次の言葉が答えを示す。

 

「じゃあもう一回同じ強さで蹴ってみて」

 

 と再び言われたので恐る恐る、しかし全力で再び壁に蹴りを放つ。

 するとどうだろうか、先ほどは傷ひとつ付かなかった壁に亀裂が広がり、パラパラと壁の欠片が辺りを舞う。

 破壊不能だと思っていた壁に傷が付く。レイカーは蹴り足も戻さず唖然としてしまうのだった。

 

「どうして……」

「おお、一回で成功するとは凄いな。……これは最初に放った攻撃と同じ威力で攻撃しないとダメージが通らない仕様の壁なんだ。絶対同じ攻撃力じゃなきゃダメ。攻撃方法はなんでもいいけど高すぎても低すぎても壁は壊せない」

 

 玄武の門の試練、通称《千枚通し》をドラゴニュートはそう説明した。

 ドラゴニュートが試しに殴ってみるがまるでコンニャクでも殴ったかのように同心円が広がり、反射し合ううちに元の頑丈な壁へと戻ってしまうのだった。

 

「それじゃあコレと同じ壁があと15枚あるから。レイカーはこの道を通って町の中心まで来てよ。じゃあロータスはこっち……」

 

 たったそれだけの説明でドラゴニュートはロータスをつれて玄武門を立ち去ってしまう。1人残されてしまったレイカーだったが、しかし文句も言わず再び壁と向き合うことにした。

 師の教えに疑問を持ってはいけない。そして考えるよりも感じるべきだ。この修行の意味を……。

 

 中華街に訪れてからなぜかそのような考え方が頭によぎってしまう《スカイ・レイカー》であった。

 

 

 

 

 

 

「おいおいドラゴニュート。私もアレをやりたいぞ」

 

 ちらちらと後ろを名残惜しそうに振り向きながらロータスが抗議の声を上げる。

 しかし、ドラゴニュートは意に返すことは無く、中華街の外周をぐるりと回って玄武門と同じような朝陽門へとその足を進めた。

 

「アレはいまレイカーが必要な修行法なんだ。ロータスが必要なのはこっちの修行」

 

 ドラゴニュートはそういって朝陽門をくぐって行く。ロータスも後に続き、そこで見たのは巨大なステージだった。

 

 石畳が何百枚と隙間無く正方形に敷かれ、1つのステージを作っている。

 そこでは銀色に輝く人型エネミーが2人、拳を繰り出しあっていた。他にも同じような姿のエネミーたちがステージの脇で対面を向いて座っている。だが奥に行くにつれてその体が大きく、逞しくなっているのはなぜだろうか……。

 

「闘技場……か?」

「正解。ここの試練の名前は《百人抜き》。実際、戦うのはここにいるだけだからその半分程度なんだけどね。強さは最高でも野獣(ワイルド)級。だけどココの1番の特徴は……」

 

 ドラゴニュートの言葉の途中で戦っていたエネミーの片方が場外へと弾き飛ばされてしまう。ステージに残っていたエネミーが1つお辞儀をすると、今度はロータスたちの方にその体を向けてきた。

 太陽の光を浴びて光るその銀色の装甲の輝きはまさに隣に居る《メタルカラー》と同じ輝きを放っていて……。

 

「特徴は“最後に試練をクリアしたアバターの色をその身に纏う”ってところかな。もちろんその特色も受け継がれていて青色なら近接に強くなるし、黄色ならフェイクを多用してくる。つまりメタルカラーなら……」

「切断攻撃に強くなる。それも貴金属である《プラチナ》であるなら特に……!」

「その通り、最後にこの試練を受けたのはボクさ。まだ色が変わってなくてよかったよ。

 ……さあ、キミの天敵であるメタルカラー。一体何人まで抜けるかな?」

 

 ドラゴニュートの挑発的な物言いにロータスは思わず喉を鳴らす。

 おそらく目の前のエネミーは最弱の小獣(レッサー)級。しかしそれでも1対1で勝利するのは至難の技である。それも刃の通らないメタルカラー。確かに今までの戦い方では全く通用しないだろう。

 

 それでも――

 

「もちろん、全勝だ」

 

 ロータスは自信満々に言い切った。

 この戦いの最中で今までとは違う全く新しい戦闘方を編み出し、勝利を収める。なんとも燃えるシチュエーションだろうか。ロータスは武者震いを抑えることもしなかった。

 

「ちなみに、ここのエネミーはクリアしたBBプレイヤーの技をある程度学習し、次の戦いで使ってくる。《スーパー・ヴォイド(うち)》だけでもクリアした人数は13人。一戦で負けていい数は2回だ」

 

 痺れを切らしたのだろうかステージ上のエネミーがロータスに手の甲を向け、クイクイと手首を曲げてくる。早くかかって来いということだろう。やけに人間臭い挑発にロータスは素直に乗りかかることにした。

 

 ジャンプ1つでステージへと降り立ち、構えてくるエネミーから目を逸らさずにロータスはドラゴニュートに話しかける。

 

「感謝するドラゴニュート。こんなにも熱くなれる修行場所を紹介してくれるとはな!」

 

 言うや否やロータスは一足で相手の懐へと入り込み、紫電の速さで腕を振るう。

 今まで数々のアバターを難なく屠ってきた一撃を難なく受け止められてしまい、ロータスは口元を歪ませるのだった。

 

 

 

 

 

 

 ――いつからあの青い空に憧れを持つようになったのだろうか。

 

 

 物心付いた頃に見た夏の澄み渡る空を見たとき?

 梅雨明けに見た虹かかる青空を傘の隙間から見上げたとき?

 空を近く感じる秋の空? しんしんと空気も凍る冬空だったかしら。

 

 それとも、あの図書室で見た――

 

 しかし今は関係ない。《スカイ・レイカー》はただ目の前の壁を壊すことに躍起になっていた。

 レイカーは1枚、また1枚と壁を壊すたびに気がついたことがある。この一本道が少しづつ斜傾を取っているということ。そして地面に垂直に生えている壁もまた傾いていっていることに。

 

 何度も、何度も繰り返した痛みのせいで、足が震え、手がしびれる頃になると壁はより厚く、より威圧感を増し、大好きな空を隠してしまっていることにだって……。

 

 邪魔なものを取り払うために手を突き出す。壁に円が広がる。失敗。

 今度は足を振りかぶった。失敗。円の大きさが小さくなった気がする。

 

 ――無心で空を求めた。

 

 ――無心で手を突き出した。

 

 ――足りない分はブーストで補った。

 

 ブースターのゲージが切れる頃にようやく目の前の壁を壊すことが出来た。期待して顔を上げるが、そこには灰色の壁が目に映るだけ。失望も感じることなく再び手を突き出した。

 

 壁を壊してもゲージは回復しなかった。どうやらこの壁は特殊な設定がされているらしい。レイカーは“再び”そう思った。

 

 ――太陽を目に焼き付けたかった。

 

 ――無心で足を振り上げた。

 

 

 ――足りない分はブーストで補った。

 

 

 ブースターのガス欠を感じると共にようやく目の前の物を壊すことが出来た。

 レイカーは再び壁を見ようと顔を上げると……。

 

 

 そこには何度も憧れた青い空が無限に広がっているのだった。

 

 

 ――今ならこの空を自由に飛びまわれる気がする。

 

 レイカーは背中の強化外装に火を入れようとその名前を呼ぶ……。

 

 

「遅いぞ、レイカー。いつまで待たせるつもりだ」

 

 しかしその名前は途中で遮られてしまった。顔を向けるとそこにはロータスの姿があった。しかし片足が途中でへし折られ、黒曜石のような澄んだ黒の鎧も無残にヒビ割れている。バランスの取れていない足でヒョコヒョコとこちらに近づいてくる姿は笑いを誘っているのだろうか。そんなボロボロの有様の中なぜだか両手両足の刃先には一片の刃こぼれも無かったのは不思議だったが……。

 

「満身創痍ですねロータス」

「人のことが言えるのかレイカー?」

 

 ロータスの言葉に自分の姿を確かめるレイカーだったが否定はせず笑って誤魔化すだけだった。

 笑って気が抜けると張り詰めていたものが緩んだのだろう、レイカーの頭がふらふらと左右に揺れ始める。その様子を見てロータスが手を伸ばそうとするが不揃いな足では素早く前に進めない。

 四苦八苦しているうちに今まで口を挟むことのしなかったドラゴニュートがレイカーの体を受け止めてしまう。

 

「何か切っ掛けはつかめた?」

 

 レイカーの体をゆっくりと横に倒しながらドラゴニュートは静かに問う。

 暗転しそうな意識を何とか保ちながらレイカーは笑ってそれに答えるのだった。

 雰囲気で伝わったのだろう、よかった、とドラゴニュートはレイカーの頭を自分のモモの上に乗せ、優しく手を握る。ロータスだけがいやに狼狽していたがそれは端に置いておく。

 

 レイカーは再び空へと手を伸ばし、今度は確かに何かを掴み取るのだった。

 

 

 

 



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第19話 転換期

UA1万達成! 皆さんありがとうございます!

あと、感想にてご指摘をいただいたのでプラチナ・ドラゴニュートの名前を《プラチナム・ドラゴニュート》に変更いたしました。ご了承ください。


 

 

 西暦2042年、東太平洋に宇宙エレベーター《ヘルメス・コード》が建設される。

 

 理論上あと20年は開発されないだろうと言われていた宇宙エレベーターはしかし、より新しい理論によってその隔壁を飛び越えた。

 その技術の進歩は人類科学にとって大きな1歩であり、世界はこの宇宙進出により、また新しい転換期を迎えたといってもいいだろう。

 

 人間とは常に変化を求める生き物で、自分たちの暮らしを豊かにしようと様々な技術の成長を続けてきた。

 過去を見るに、10年前ならニューロリンカーはまだまだ普及していなく、情報通信端末は手に持つ形が主に使われていたし、50年も遡れば携帯することですら珍しいものだった。

 車はガソリンで走るものだったし、テレビはブラウン管だ。今では考えられないものだが技術が発展するたびにそれらは物を変え、形を変えて(転換して)成長していった。

 

 それに技術だけではない。人もまた成長する。

 

 すこし前まで小学1年生だった少年、少女らも時が経てば背丈も伸びるし、それによって目に映る世界を広げていくこともあるだろう。見えなかったものが見え始め、見たくなかったものも目に映してしまう。ある人はそれを成長と呼び、ある人はそれを大人になることだと言うのだ。

 

 彼らはまだ大人にはなっていない。しかし、大人が考える以上に感じることや考えることは大人び始めている。

 

 大人ではないが、子供でもない。

 

 そんな彼らには彼ら独自の世界というものが存在する。

 大人には入り込めない彼らだけの『小さな世界』。

 その世界は世界の住人(子供たち)によって大きく姿を変えていくだろう。

 

 日本の東京にある、一部の子供たちしか知らない『もうひとつの世界』もまた子供たちの成長によって大きな転換期が訪れようとしているのだった…………。

 

 

 

 

 

 

 街は穢れ無き白いタイルで覆われ、建物も神殿や西洋のお城のような様式で全て建てられている。まるで聖域の様な(たたず)まい……しかしそれも表面上だけの話であった。

 

 格子模様のタイルとタイルの間からはこの世の不浄を煮詰めたかのような赤い液体が吐き出され続け、空は今にも大粒の血雨が降り出しそうな赤黒い曇天で蓋をされていた。

 自らの罪を覆い隠す卑しいこのステージの名は《大罪》、神聖系フィールドの《霊域》と対を成す暗黒系ステージの1つだ。

 

 

 現実とは異なる電子(仮想)の世界、そこでは1匹の怪物と10人の戦士が雌雄を決しようとしているところだった。

 怪物はオオカミのような四足の獣の風貌を有し、その体格は大きい。隣に立つ高層ビルと足の長さが同じと言われればこの怪物がいかに巨体なのかがよく解る。

 敵対者の近接を拒む灰色の毛は尾まで反り立ち、その気勢を表していた。

 

 怪物を囲む10人がそれぞれの獲物を用いて攻撃を加えていく。硬く分厚い皮膚を切り刻み、柔硬な筋肉に衝撃を与えるたび、怪物は苦悶の声を上げていった。

 10人は怪物と比べると小人のように小さい。しかし、その力は怪物を相手取るに十分な強さを持つ者達であった。

 

 

 小人――BBプレイヤーたちは遮二無二に暴れる《巨獣(ビースト)級エネミー》と距離を取り、その場にいるリーダーの下に集まった。

 

「ドラゴ団長、この調子ならあと20分ほどで倒せそうですね」

「ああ、けど情報によるとアイツはHPが残り1ゲージになると攻撃パターンが変化するらしいぞ。油断するな……」

 

 ドラゴニュートがチラリと視線の端にあるエネミーの残りHPを見上げると、3本あった長いゲージはすでに2本無くなっていた。

 

 ドラゴニュートの言葉を聞いて、その場にいたメンバーの視線は一斉にエネミーの頭部にへと集中する。いま戦っているエネミーの最大の特徴はその巨体でも、鉄線のような毛皮でもなく、オオカミの額にいる女性の半身だろう。

 胸の前で腕を交差させている裸身の女。その美しさはまるで封印された聖女のようで、深い眠りについているかのようにその瞳は閉じられていた。

 

 近くの建物を壊しつくしたオオカミは、辺りに羽虫の如き小人が居ないと知ると視線を巡らし、ドラゴニュートたちの姿を再びその目に映しだす。

 そして、獲物を見つけたオオカミは曇天に向かって雄たけびを上げると、頭をゆっくりと下げ始める。ちょうど女の体が彼らの正面に来るようにと……。

 

 今までの行動パターンにはない動作にドラゴニュートは声を張り上げた。

 

「来た! “マスカー”頼むぞ!」

「ハイ! 皆さん後ろに下がって!」

 

 ドラゴニュートの号令と共に1人躍り出るメタルカラー。銀と白の2色をあわせ持つ、今回のエネミー討伐において一番重要な役割を担っている人物だ。

 

 頭を下げ、体を固定したエネミー。

 すると、今まで眠りについていた聖女の瞳がゆっくりと開かれた――。

 

 カッッ! と聖女の口から太陽のような閃光が吐き出され、両者にある建築物を一切合財なぎ倒しながらドラゴニュートたちに迫ってくる。

 高出力の極太レーザー、今までこの攻撃をまともに浴びて生き残れたのは数えるほどしかいなかったという。しかし今、たった1人の人物がその偉業に挑戦しようとしていたのだった。

 

 その場にいる全プレイヤーを守るため、先頭にいるメタルカラーは、グッと足場を固めながら両手を前で交差させ、不動の体勢を取る。

 光の速さ、とまではいかないが一筋の閃光がすでに目前まで迫っており、最早回避することは叶わない。

 だが、彼は絶対の自信と共に対レーザー特化のアビリティを使用するのだった。

 

 

「《理論鏡面(セオレティカル・ミラー)》!」

 

 

 強力なレーザービームは鏡面のように磨かれた装甲に当たると一瞬の拮抗の後、拡散、消滅してしまう。

 10秒以上もの長い間放たれた熱線が消え去るなか、そこにはダメージ1つ負っていない10人のプレイヤーが悠然と立っているのだった。

 

 

 

 

 

 

「いやー終わった終わった。やっぱり《ミラー・マスカー》が居ると光線使う相手は楽になるな!」

 

 バシバシと仲間に肩を叩かれているのは今日の立役者《ミラー・マスカー》。

 マスカーは相手の切り札ともいえるレーザーを完璧に凌ぎきり、エネミー討伐に大きく貢献したことでその功績を称えられ、みんなに手荒い感謝を受けているのだった。

 

「それじゃあ拠点に帰ろうか、用事がある奴はこのままポータルに向かっていいぞ。今回はドロップアイテムもないし、分け前はポイントだけだ。ただ、マスカー ……お前がよければ拠点で美味い飯を奢ろう。MVP賞だ」

「団長……いいんですか?」

 

 どこか遠慮するマスカーにドラゴニュートはいいの、いいのとマスカーを引っ張っていく。他の団員も文句は言わない、それどころか各人の秘蔵の食料をそれぞれ持ち寄ろうなんて話になっていた。

 

「それに、マスカー君には他にも重要なミッションを任せてるからね」

 

 そうだろう? とドラゴニュートのわざとらしい話し方に周りがざわめき立つ。ドラゴニュートは皆を手をかざし落ち着かせ、未だ動きのぎこちないマスカーの肩を抱いて顔を近づけた。

 

「それで、“メイデンちゃん引きこみ計画”は上手くいってるのかな?」

 

 その作戦名を口にしたとき、我慢のできない団員の浮かれた声が次々に飛び出してきた。

 

「早く! 早くウチの団に癒しの風を!」

「妹にしたいプレイヤーナンバー1《アーダー・メイデン》ちゃん!」

「ヴォイドに居る女子は逞しいのが多いからな……」

「もうゴリラ系女子はいやじゃ~」

 

 《スーパー・ヴォイド》に所属する女性が聞けば《無限プレイヤーKILL》が始まりそうな台詞だが、幸い該当する者はこの場に居なかった……だから遠慮なく話せるともいえるのだが。

 

 《ブレイン・バースト》をインストールしている男女の割合はそれほど偏ってはいない。現実ならば体格や筋力のせいで女性は格闘技に向いてはいないが、仮想世界である《ブレイン・バースト》では関係ない。誰もが等しく戦える(アバター)を持ち、必要なのはアバターを動かす闘志のみ。

 だが、そのせいか長時間《ブレイン・バースト》をプレイしていると、性格が段々と逞しくなってしまうという傾向がある……、男女関係無く、だ。

 

 最初は攻撃されるたびにか弱い声をあげていた初心者(ニュービー)たちが、レベル4にもなると勇ましく裂帛の気合を上げるのだから凄まじい。

 よって、高レベルの女性プレイヤーたちの殆んどは勝気で、ガンガン攻めて来る豪胆な性格の持ち主ばかりとなってしまうのだった。

 

 だが、強力な遠距離攻撃法を持ち、心身ともに礼儀を重んじる“和弓”という武器を使う《アーダー・メイデン》。彼女は《無制限中立フィールド》に来れるようになっても、未だ幼さ残るあどけなさを備えており、荒んでしまった男性プレイヤーの心を癒す希望の星となっているのだ。

 

 そのメイデンを引き抜けるかもしれないと周りの期待が高まっていく。しかし、マスカーはますます体を硬くし、恐縮しているようだった。メイデンを求める声が上がるたびにビクリビクリと肩を振るわせる。

 その様子を怪しく思ったドラゴニュートはまさかと、マスカーを問い詰めてみる事にした……。

 

「確認するけど……メイデンちゃんはマスカー ……お前の《子》なんだよな?」

「そうです……」

「しかもリアルでも結構親しい間柄だから自分の所属するレギオン(ヴォイド)に勧誘することは容易い。そう言ったよな?」

「……ええ」

 

 《大罪》ステージのように怪しい雲行きになる両者の会話に周りのみんなも固唾を呑んで見守り始める。

 まるでこの場は弁護士の居ない裁判所のようだった。被告人はもちろんマスカーで、裁判官はその他全員である。

 

「アレからひと月は経ち、メイデンちゃんを狙っているレギオンは増える一方だ。

 ……それでマスカー。状況の進展は如何ほどになっている?」

 

 空気が重い。

 マスカーはこんな事になるなら、先程のエネミーを1人で相手取った方がよっぽど気楽だった、と思っているだろう。なぜならここに居る9人はそのエネミーを倒せる実力を持つ者たちなのだから……。

 

 しかし、このまま黙っていることもまた許されない事である。真実はいずれ暴かれてしまう。罪に対する裁きが後で来るか、それとも今来るかの違いでしかない。マスカーは観念して事情を話すことにした。

 

「実は……メイデンの奴、もう他のレギオンに入っちゃてました……」

「…………」

「…………」

「《ネガ・ネビュラス》らしいです……よ?」

 

 ――死んだ……。マスカーはこの場に居る全員の殺気を浴びてそう思った。

 張り詰めた空気が破裂し、あとはいかに罪人を処刑しようと皆がそれぞれの方法を思い浮かべた時、それを止めた人物がいた。

 

「ドラゴ団長! どうして!?」

「やっちまいましょうこんな裏切り者!」

「とりあえず《四神お百度参り》を行ないましょう!」

 

 (あら)ぶる(オトコ)たちを片手で制し、静かな面持ちで周りを見渡すドラゴニュート。その凍るような威圧感により段々と批判の声も小さくなっていった。

 マスカーは、何だかんだ言ってもこの騒ぎを抑えてくれる団長に一生付いて行こうと思いはじめた。

 

 しかし――

 

「ここじゃマズイだろ。プレイヤーキル集団と間違われるから。やるならアジトに行こうじゃないか……」

 

 そう言いながら、ゆっくりとマスカーを睨みつけるドラゴニュート。その気配は仁王のそれだった。

 またしても期待の新人をネガビュに取られてしまったドラゴニュートの怒りは怒髪、天を突いてしまったのだ。《アーダー・メイデン》1人を取られたことで切れてしまったわけではない。レイカー含めて2人取られたからであって、メイデンを引き入れることが出来たら団長自らレベリングを手取り足取り手伝ってあげよう……などという考えは決して持ってはいなかった。

 

 若干行き過ぎな団長の怒りに引きながら団員たちはマスカーを抱え上げ、ドラゴニュートの後を追い、自分らの拠点へと向かうのであった。

 

 

 

 

 

 

『どうした、獲物を逃がしてしまったか? 殺気がその身から溢れているぞ』

 

 《スーパー・ヴォイド》一行が訪れたのは、かつて“竜の巣”と呼ばれていた羽田空港である。

 空港中央に建つP1駐車場からP4駐車場……を模した建物の中心に威風堂々と寝そべっているのは神獣(レジェンド)級エネミー《ティアマト》。この羽田空港の守護獣でもある。

 

 ティアマトはその威厳を遺憾なく発揮しながらも、近づいてきたドラゴニュートへ仲睦まじげに話しかけてきた。

 もちろんドラゴニュートも同じように言葉を返す。

 

「いや、これから獲物を調理するところさ。すまないが“その先に通してくれないか”?」

『この先はすでに貴様の御殿(ごてん)、我に断わらずとも好きにすればよかろうに……』

 

 ティアマトが巨体をずらすと、その背後には大きな石造りの神殿が見える。

 それが今の《スーパー・ヴォイド》のアジトでもあり、ここ数年でヴォイドの団員を総動員して勝ち取ったものである。また、ドラゴニュートが所有している住処でもあった。

 

 

 レベル8にもなり心意技にも磨きをかけたドラゴニュートは単騎でティアマトに挑戦。壮絶な戦いを繰り広げ、3日という長い時間の後、ようやくティアマトを討ち取ることが出来たのだった。

 今まで神獣(レジェンド)級エネミーを単独で撃破したという報告は《ブレイン・バースト》において最強の強化外装《七星外装》の1つ《ジ・インパルス》を装備した《ブルー・ナイト》のみだったが、ドラゴニュートはティアマトを倒したことによって2人目の《神獣殺し(レジェンドスレイヤー)》となった。

 

 七星外装である《ジ・インパルス》は一振りでビル丸ごとなぎ倒せるような強化外装であり、その攻撃力は神獣(レジェンド)級エネミーの防御力を容易く貫く。しかし、そのような強化外装を持ってはいないドラゴニュートは、その変わりに《ブレイン・バースト》の反則技ともいえる《心意システム》を使っての攻撃でティアマトを攻略したのだ。

 

 しかし、今ではもう心意の秘匿は絶対遵守とされているため、大々的にこの偉業を喧伝するわけにもいかない。なので2人目の《神獣殺し(レジェンドスレイヤー)》は知る人ぞ知る、といったものになってしまったのだが……。

 

 

 心意の一撃によってHPを削りきることに成功したドラゴニュートであったが、HPが無くなってもその身を消さないティアマトはドラゴニュートに次の試練を言い渡した。

 

 それは羽田空港に眠る巨大ダンジョンの攻略。

 翼竜が支配する地上とは違い、地下へと続くそのダンジョンの内部は羽の無い巨大なトカゲ、地竜と呼ぶべきドラゴンが支配する空間だった。

 

 他の《王》が七星外装を手に入れることができた加速世界4大ダンジョンのように広大で奥深い羽田地下ダンジョンにドラゴニュート1人では太刀打ちすることが出来ず、《スーパー・ヴォイド》のメンバーをフル参戦させることで攻略にかかる事になってしまう(ちなみにこのダンジョンを独り占めしていたことに対しレギオンメンバーから袋叩きに合ってしまうのだが)。

 

 そしてついに羽田地下ダンジョンを支配する“竜の祖”《グラウルング》を見事に討ち取り、ドラゴニュートはダンジョンの新しい主となったのである。

 竜の祖と成り代わる形でダンジョン上層部の神殿を手に入れたドラゴニュートだったがその時、ティアマトからその武勇を認められ友好関係を結ぶことが出来た。

 

 特定のアイテムを使用し、主の命令に絶対服従させる調教(テイム)とは違い、命令権も強制もできない同盟関係に近いものではあるがティアマトにはヴォイドの拠点となった神殿の守護をお願いしている。

 

 天下の神獣(レジェンド)級に番犬のような役回りを頼むのは大変心苦しく思ったドラゴニュートだったが、ティアマトは思った以上に広い心の持ち主でありドラゴニュートのお願いを快く受け持ってくれた。

 その代わり羽田空港にいる翼竜エネミーを無闇に狩る輩が現れた場合、そのプレイヤーの排除をしなければいけなくなったが……ヴォイドのアジトとなった羽田空港に攻め立ててくるプレイヤーなんていないので今までその対価を支払ったことは一度も無い。

 

 しかし、神獣級エネミーを従える(周りからはそう見える)ことは加速世界が始まってからの有事であり、珍事だ。

 

 これによってドラゴニュートは、《純枠色(ピュア・カラーズ)》たち大レギオンのリーダーが《純色の王》と呼ばれることにもじって、竜の頂点に立つ者《白金の竜王》と呼ばれるようになったのである。

 

 

 

 

『して、後ろの“小さき者ども”は我らが聖域に浅ましくも入り込もうとする盗人か? その浅慮に深く猛省し踵を返すなら命だけは許してやろう……。しかし、愚かにも歩みを進めるならば覚悟せよ……! その身、悉く我が爪で切り裂き、塵も残さず焼き尽くしてやろうぞ!』

 

 ドラゴニュートと話していたときとは打って変わり、ティアマトはその身に殺気を宿らせた。神獣(レジェンド)級エネミーの発する重圧は、その場にいるプレイヤーたちの体を芯まで凍りつかせ羽田空港にいる全翼竜を興奮させてしまう。

 羽を休ませていた翼竜たちが一斉に飛び立ってしまうものだから、仄暗い《大罪》ステージの雲よりも深い影がドラゴニュートたちを覆いつくす。

 もしこれ以上ティアマトを刺激するようだったら空に渦巻く彼らは一斉にドラゴニュートたちを襲い始めてしまうだろう。

 

「ちょ、ちょっと待ってって、ボクと一緒にいる人と、“証”を持つ人はボクの仲間だって言ったじゃないか!?」

 

 慌ててティアマトの眼前に躍り出たドラゴニュートは矛を収めるようにお願いする。ティアマトはしばし宙に視線を流した後、ようやく物理干渉能力でもあるんじゃないかと疑ってしまいそうな気配を収めてくれた。

 

『そうであった。なに、瑣末なことよ、気にするではない』

「十分重要なことだよ……」

 

 何度も言い聞かせていた事だったのだが、ティアマトが覚えているのは精々契約主のドラゴニュートと、よく出入りする《フレイム・ゲイレルル》の姿程度だった。ほかのヴォイドのメンバーは油断していると暴れるティアマトのせいで2、3回死んでしまうらしい。

 神殿はレギオンメンバー全員を収納してもなお余りある大きさだが、たどり着くには並み居る翼竜を掻い潜り、ティアマトの暴走を受け流せるような高レベルプレイヤーであることが必要で、レギオンの幹部連中しか近づくことすらしない有様である。

 

 攻め込まれることは無いが、人影寂しいレギオンアジト。他のレギオンはどうなっているのか、いつの日か参考のために見学に行こうかと真面目に考えてしまうドラゴニュートであった。

 

 

 

 

 そんな騒ぎがありながらも一同は神殿の入り口をくぐっていく。神殿はローマのコロッセオのように円形に建てられていて、入り口と思われる扉が無数にある。

 カギを所有しているか、許可されている人物のみしか中に入ることが出来ず、それ以外の者がどの扉をくぐってもランダムに別の扉から出されてしまうようになっていた。ティアマトも含め2重の防犯ということだ。……まず1つ目の守りを突破した者すら現れていないのだが。

 

 神殿の中に入るとまずエントランスに出る。赤い絨毯が敷かれ、曲線を描いた2本の階段が鎮座しており、絵に描いたような豪邸を模していた。

 階段に挟まれた中央の扉をくぐり、広く長い廊下を抜けるとそこには円形のホールがある。

 

 通常、レギオンメンバーの集まる場所はここだ。そこには巨大な木製の円卓があることから《円卓の間》と呼ばれ、集まったメンバー同士で日夜くだらない話を延々と喋り続けている……そんな所であった。今日もこの場で時間の許す限り騒ぎ明かそうというのだ。主にマスカーの所業について……。

 

 

 しかし、円卓の間には先客がいた。

 椅子に座り、俯いている《フレイム・ゲイレルル》と、その前の床に屈みこんでルルを慰めている《ウイスタリア・ソーサー》の女性2名だった。

 両名の漂わせる空気は重く、たった今入いってきたドラゴニュートたちでも何か“事”があったのだと悟ってしまう。

 

 ドラゴニュートが部屋に入ってきたことに気が付いたソーサーはルルに心配そうな視線を送りながらもドラゴニュートに近づいてきた。

 そして他の連中と距離を取り、小さな声でルルに何があったかを耳打ちする。

 

「ドラゴ団長、ルルさんの《子》の事知ってます?」

 

 ルルの《子》といえば《スカイ・レイカー》ただ1人。ソーサーのそのひと言でドラゴニュートはおおよその事情を察してしまった。再びルルに視線を向けるが、ルルは先ほどと変わらず俯いたまま身動きしていない。

 

 ドラゴニュートはルルと2人で話がしたいと、ソーサーを始め、残りの9人に退室を願う。普段は騒がしい連中だが、場の空気を読める気のいいメンバーだった。反対するのもは誰もおらず、彼らは静かにエントランスへと戻っていく。

 

 その途中、ドラゴニュートは1人の人物を呼び止めた。

 

「マスカー」

「団長……? …………とッ!? これは?」

 

 マスカーに投げつけられた1本のビン、その中身には純度の高い琥珀色の液体が入れられており、ビンの形状を見るに中身はお酒だとわかる。銘柄は特にないが、なんだか値段の高そうな雰囲気を醸しだし出していた。

 

「大体1000年物のウイスキーだ。お酒の良し悪しはわからないが結構高かったからいいものだと思う……。それ今日の褒章だから、遠慮せず飲んでくれよ」

「でも団長……、俺はメイデンを……」

「あんなのは来てくれたらいいなー、程度にしか期待して無いよ。気に病むことはない」

 

 他の連中が待ってるぞ、と手を振るドラゴニュートにマスカーは頭を下げて踵を返す。その先でそれぞれの手に高級そうな食材を手に持ちながらマスカーを待つ者たち。……普段は騒がしい連中だが、本来は気のいいメンバーなのだ。彼らは笑いながらドアをくぐり、消えていくのだった。

 

 

 

 

 ホールに人の気配がなくなるとドラゴニュートはホールのドアを完全に閉め、ルルの目の前まで歩いていく。近くにある椅子を一脚取り出すとルルと膝を付き合わせるように席に着いた。

 

「レイカーの事で落ち込んでるの?」

 

 その問いにルルは何も答えなかったが、その重たいまでの沈黙が何よりも雄弁に答えを語っている。

 

 《スカイ・レイカー》が盟友でもあり、所属レギオンの団長でもあった《ブラック・ロータス》にその両足を切断された、という話をドラゴニュートが聞いたのはごく最近の話だ。おそらくそれがルルの耳にも入ったのだろう。だからこうも意気消沈している。

 

 ドラゴニュートがレイカーに心意の初歩を手解きした後、彼女はより強い空への執着を持ってしまった。心意では足りないからレベルを上げ、レベルでは足りないから心意を高めた。……そして、それでも満ち足りない飛行距離にレイカーは、最終手段として自分の体を“軽くした”。

 心意攻撃による部位破損。通常、バトルフィールドを出た後、もう一度加速世界に入ったならば再生されているはずのそれは、事象の上書きによって妨げられ、永遠に再生されないものとなってしまった。

 

 そして何よりもルルの心を穿ったのは、“その一連の出来事に対して楓子はカンナにひと言も相談しなかった”ということだろう。

 本来、お節介焼きであるカンナは年下であるマサトの問題によく首を突っ込んでくる。レギオンの問題しかり、現実の問題しかり、だ。

 それと同じく学校では困っている級友や下級生の面倒ごとにも手を出しているらしい。

 去年までいた小学校では先生たちの信頼も厚く、中学1年生となった今でもそれは変わらない。

 

 だが、《子》である楓子に対してカンナはなんの干渉もしなかった。手を貸していたのは楓子が低レベルだった時だけで、レイカーが《ネガ・ネビュラス》に入った後は何もしていない。

 それはカンナが楓子を“対等”だと認めていたからか、はたまた“親友”として最後の最後には自分に相談してくれると思っていたからか……。カンナ自身どう思っていたか解らないがしかし、今回それは完全に裏目に出てしまうのだった。

 

 ひたすら空を目指し始めたレイカーの姿はレギオン内外で多くの奇異の目に晒されており、レイカー自身も自分の行いに対する理解者は数少ないと解っていた。……いや、そう思い込んでいたのだ。

 実際は1つの目標に対してひたむきに努力するレイカーを応援していた者は多くいたし、憧れていたものも少なくなかった。

 

 しかし、焦りのためか視野が狭くなっていたレイカーはその視線の意味をマイナス方向に捉えてしまい、さらにはなんの連絡もしてこない《(ルル)》に対して自分は見捨てられたと考えてしまった。

 ほんの僅かなすれ違いにより決して戻れない道を進んでしまった2人。

 

 もっと親身になっていれば何か違う方向へ行けたのではないか……。

 ルルはもう答えの出ない問題に苛まれているのだった。

 

 

 ドラゴニュートも中華街の修行から何度かレイカーへ心意の手解きを行なっていたが、基本的な心意を会得させると後はレイカー自身が心の傷と向き合うだけだと判断し、手放してしまった。

 レイカーならば大丈夫だと、根拠の無い信頼によってそうしてしまったのである。本当なら心意の師匠として最後まで付き合わなければいけなかったというのに……。

 

 そのことで負い目があるドラゴニュートはルルにかける言葉を見つけられない。

 

 ともかく話をしなければと、ドラゴニュートは無理やり近日にあるだろう“とある小さなイベント”の話を始めた。

 

「あ、あ~……。そういえば、ボクたちレベル9になったから《王》の連中で一度集まろうって話があったんだ。ようやく全員がレベル9になったからって。

 ……ロータスの奴も来るだろう? その時レイカーの話を聞いてくるよ。きっと向こうにだって色んな考えがあるんだからさ」

「…………」

 

 レベル9になったとき、運営から通達された特殊ルールの事を少し話しておきたかったマサトだが、この様子じゃ無理だろう。手慰みに自分の角を撫でながらルルの反応を見てみるが……反応は、無し。

 それどころか、心なしかルルの炎が黒く濁ってきている気がする。まるで燃料がなくなってきたストーブのようだ。つまり燃え尽きようとしている。……ドラゴニュートは浮かんできた考えを慌てて否定して慌てて次の話題をひねり出した。

 

「そ、それともさ! 直接レイカーに話を付けに行ったら!? 現実(リアル)で連絡とってさ!」

「………………メールも通話も着信拒否されてる……」

 

 …………どうやら地雷を盛大に踏んでしまったようだ。ついにルルの体から黒い煙かプスプスと漏れ始めた。これはマズイ!

 どうしたものかとドラゴニュートが頭を抱え悩んでいると俯いた視線の先、ルルが立ち上がったのが見えた。

 すでにルルの体の色は黒い赤から真っ青に変化している。もしかして悲しみによって体の色が変わってしまったのか……。21世紀のロボットを思い浮かべながらドラゴニュートが視線を上げると――

 

「んもぉぉおおーーーー!! 許さないッ!!」

 

 ルルは渾身の力を込めて円卓に両手の拳を叩き付けた。青くなった炎は輝きを増し、眩しくて見えなくなってしまう。目を閉じても視線を焼き尽くすような光に目を逸らしながらドラゴニュートは今何が起きているのかを考えた。

 

 部屋の中の温度が急上昇していくのがわかる。ルルを中心に温められた空気は周りの空気との差によって歪んで見えるし、破壊不能オブジェクトだったはずの木製の円卓もメラメラと燃え始めてしまった。

 

「あの子! 次に会ったら覚悟しておきなさい! こう、やって! けちょん、けちょんにしてやるんだから!」

 

 何度も拳を突き立てられ破壊されていく円卓。そこでようやくドラゴニュートは気がついた。これは《フレイム・ゲイレルル》の心意技である。

 

 《光冠(コロナ)》と名付けられたその技は攻防一体の心意。

 炎の色は温度によって見え方が変わっていくことを知っているだろうか。炎のイメージとして思い浮かべる赤や、オレンジなどの色は本来炎の中では温度が低く、逆に氷や水といった温度の低いもののイメージを持つ青という色が炎の中では一番温度が高い時に見える色なのだ。

 白く輝く太陽の光がおおよそ6000度で青く輝く炎はその倍必要だといえば今この部屋の温度がどうなるか想像に容易い。

 

 実際、1万2千度なんて馬鹿げた温度は再現出来るわけ無いが、ここまで来るとルルの近くにいて無事な物体は存在しない。融点の高いプラチナで出来たドラゴニュートですら抗えることはできなかった。心意は心意でしか防げないのだ。

 

 なんの心構えも無くルルの間近にいたドラゴニュートはそれから1時間ほどルルの怒りが収まるまで草葉の陰から見守ることになるのであった。

 

 

 

 

「はぁ、はぁ……すこしスッキリした」

「この惨状を見てよくそんなことが言えるね」

「決めた! レイカーが謝りに来るまで私、許さないんだから!」

 

 ルルは自分に宣言するかのようにそう声を張り上げたが、ドラゴニュートの目からそれが自棄になった結果のように映った。

 この意地を何時まで続けることが出来るだろうか、それともずっと続いてしまうのだろうか。ドラゴニュートは早急にロータスと、できればレイカー本人と話し合いの場を持たないといけないな、と感じるのだった。

 

 

 それにしてもと、復活したドラゴニュートが周りを見れば、円卓は消し炭、カーペットは姿形も無く石造りの柱さえ溶けかかっている。それでも被害がこの部屋だけだったのは《心意(インカーネイト)システム》で広範囲の事象の上書きを行なうのは難しいことからなのか、ルルがこれでも手加減してくれたお蔭だからだろうか。

 

 どちらにせよこのままではこの部屋は使い物にならない。次の変遷で柱などは戻るだろうが円卓も建物の一部として復活してくれるだろうか? でなければどこぞのショップで買いなおさなければならない。レベルアップしたばかりでポイントにそれほど余裕の無いドラゴニュートは未だ熱気漂う部屋の中でため息を1つ溢すのだった……。

 

 

 

 




作者設定
・ミラー・マスカーがヴォイドの団員になった。

・羽田空港にダンジョンを設置。
 さらにそこをヴォイドのアジトにしてしまう。


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第20話 王の集い

前回最初に書き忘れましたが、
感想にて設定についてのご指摘をいただいたため、ドラゴニュートの名前を《プラチナム・ドラゴニュート》に変更いたしました。


「それじゃあ行ってきまーす!」

 

 マサトは自分の足ピッタリの運動靴を玄関で履きながら家の中にいる住人に声をかけた。

 そう、今マサトは病院ではなく普通の一軒家で生活しているのだ。

 

「はいは~い。マサトくん、ちゃんとハンカチ持った? お財布の中身は確認した?」

 

 心配そうに声をかけながら床の間から顔を出してきたのは木戸 ツバキ。カンナの母親である。

 ツバキがたまたまマサト家に居たわけではない、マサトが木戸家に厄介になっているのだ。

 

 マサトが木戸家に居候を始めたのはいつの頃だっただろうか……マサトの体力が外で生活できると医師に判断され、退院の許可が下りそうになった頃だ。折り悪くマサトの両親が海外に転勤することになってしまったのである。

 それならば子供であるマサトは選択権も無く両親のどちらかに付いていくしかない筈なのだが、転勤先の環境が悪かった。寒さが厳しい北国か、太陽照りつける南の地のどちらかなのである。

 

 海外に移るだけでも精神的に大きな負担だというのに、体力も一般人に劣るマサトがそのような土地で暮らせるわけが無い。かと言ってマサトの両親は親類もおらず、このままでは日本の施設に入れてしまうか、それとも海外で病院生活に逆戻りか……となったところで木戸家が介入してきたのだ。

 

 カンナのお節介、押しの強さは元来母親譲りのものであり、本家本元(ツバキ)はさらに搦め手、丸め手まで使う有様。

 そこまで迷惑をかけることは出来ない、というマサトの両親に対して、ジリジリと笑顔で迫るツバキにマサト家は終始押されてしまうこととなる。

 結局、両家で何度かの話し合いを隔て、マサトは木戸家の一員となることになり、そのまま日本で暮らすことになったのだ。

 

 マサトもなれない海外に赴くよりは日本に留まれることに安心したが、このままずっとツバキに甘えているわけにもいかないと考えており、中学を卒業し、働ける年齢となったら独り立ちしようと常々考えていた。

 ……が、小学6年生になったばかりのマサトには具体的な道筋は見えてこないし、焦っても仕方が無い。3年先の事ばかり考えるよりも、今目の前の生活をしっかりこなすことも大事だ、ともマサトは思っていた。

 

「はい、大丈夫です」

「そう? 今日も暑いしバイタルチェックには気をつけるのよ?

 ……それにしても夏休みに入ったからといってカンナはまだ寝ているのかしら……もう中学生なんだからしっかりして欲しいわね」

 

 心配そうにカンナの部屋がある2階を覗き込みながらツバキはポツリと小言を漏らす。だが、カンナが精神的に弱っていることを知っているマサトは同意することが出来なかった。

 未だにカンナは楓子との仲を持ち直していないらしい。先日、少しスッキリしたようだったが、どうやら空元気だったようだ。

 あのまま楓子の事は一旦外に置いておいて、気にしないようにする様な、もう少しカラッとしている性格だと思っていたのだが……、友情に関してはまた違うらしい。今日、楓子と繋がりがある人物と話して、何か進展させることが出来ればカンナも気持ちを持ち直すことが出来るだろうか。

 

「カンナなら大丈夫ですよ。ボクもいますから」

 

 もし、ずっと落ち込んでいるようだったら自分が元気付けてみせます。そういう意味で言った言葉だったがツバキは別の意味に捉えたようで、マサトの方に振り返る。いつもの2割り増しくらいの笑顔で――

 

「あらあら、それじゃあ今度からマサトくんにカンナを起こしてもらおうかしら。あの子、反抗期なのか私が部屋に入るとすっごく怒るから……。マサトくん、これからも(・・・・・)カンナをよろしくね?」

 

 と言ってきた。マサトは普段からツバキさんにお世話になっているし、カンナを起こすくらいなら自分でもできる。そう考え、マサトは元気よく返事をする。……が、今日のところはこれから用事があるからと、ツバキの見送る言葉を聞きながら木戸家を飛び出すのだった。

 

 

 

 

 

 マサトの目的は大レギオンのリーダー8人による小さな集まりだ。

 先日カンナに話したように彼ら8人はこの1ヶ月の間に全員レベル9に到達し、今日はそれに伴い発生した問題について話し合おう、ということだった。

 本来ならこれまでのレベルアップに伴った苦労話を共に肩を叩き、笑いながら語り合うような、そんな明るいパーティーになるはずだったのに……。

 

 レベル9……。

 レベル6に上がる頃から加速度的に増えていったレベルアップに必要なバーストポイントはレベル8となった時、ついに1万ポイントもの対価を求めてきた。

 どこにでもあるようなRPGならば、序盤で過ぎ去っていくはずのレベルでもBBプレイヤーにとっては険しくも厳しい道のりだったのだ。

 

 同レベル同士での対戦でようやく10貰えるそれを1千回、最低でもそれほどの回数を繰り返さなければいけなくなる。しかもレベル8(同レベル)ともなると大レギオンに2、3人、全体で見ると20人にも満たない数しかいないのだ。

 

 レベルの低いものに勝ってもレベル差ぶんポイントを引かれてしまうし、エネミー狩りは団体で無いと安定しない。10ポイント以上のリターン(経験値)があるエネミーは巨獣級以上のエネミーを倒すしかなく、それを安定して狩るには10数人の予定を合わせなければいけなくなるのだ。

 

 1人の時は小獣級や野獣級をチマチマと狩りつつ、たまに巨獣級を数日キャンプしながら大人数で倒していく。

 巨獣級以上のポイントをくれる神獣級エネミーなんかはしかし、数回死ぬことを前提に戦うのだから採算は決して合うものではない。それに下手をすれば神獣級の行動と場所によって《無限エネミーキル》の可能性もあるのだからなおさらだ。

 

 

 そんな中でマサトはよくレベル9までの道を歩めたものだと自分に感心する。いや、この道は1人で歩んできたものではない。色んな人の助け合ってこそのレベル9なのだ。

 

 マサトは今まで自分を助けてくれたみんなを思い浮かべていく。

 レギオンのメンバーや、迷っている時に相談に乗ってくれたカンナ、始めにレギオンを引っ張ってくれたドレイク。

 そしてここまで来るための決意を促してくれた――。

 

『次は、永田町、永田町です――』

 

 そこまで考えたところでマサトは顔を上げた。電車がそろそろ目的地に近づいて来たからだ。

 

 その場所とはなんと国会議事堂前。

 今日はみんなでそこに集まろうというのだから、彼らBBプレイヤーは恐れ知らずな連中ばかりである。

 おそらく派手好きの《イエロー・レディオ》あたりが提案したのだろう。しかし、好奇心に負けてその意見に反対しなかったマサトたちも実際、五十歩百歩といえる……。

 

 

 今回の集まりは《無制限中立フィールド》ではなく《通常対戦フィールド》の……それもバトルロイヤルモードで行なわれる。

 

 バトルロイヤルモードとは、挑戦者のいるエリア全域に存在しているプレイヤーの中でバトルロイヤルモード受付設定をONにしている全ての者と一斉に戦うことが可能となるモードで、いちいち《ギャラリー》に登録しあうよりも煩わしい手続きをしないで一堂に(かい)することが出来るので、今回はこの方法が採用された。

 

 なぜ《無制限中立フィールド》にしないのかといわれれば、《上》は常にエネミーの妨害を警戒する必要があるし、王の会話を盗み聞く者も現れる恐れがあるからだ。

 レベル上位者でないと話せないこと(心意など)もあるし、今回に限ってはレベル9以外の者には聞いてほしく無いルールを話し合うためである。なので、《通常対戦フィールド》にて集まり、ギャラリーが現れない《クローズドモード》で対戦を行なった方が安全なのだ。

 

 しかし、《ブレイン・バースト》の最高レベルの者たちが集まるその場所に、関係の無い第三者がバトルロイヤルモードをONにしてちょっかいをかけるような剛の者はいないだろうが、それでもリアルアタックの危険や、王たち相手にリアル割れの可能性がある。

 そのためマサトは国会議事堂前駅ではなく、その手前の永田町で電車を降りるのだった。この場所でもバトルロイヤルモードの範囲内なのであとは約束の時間まで時間を潰すだけだ。

 

 とはいっても……永田町駅を降りたマサトはすこし後悔し始めた。永田町駅付近には、時間を潰せるような場所が全く無かったのである。周りはビル ビル ビルばかり。これなら赤坂見附駅の方から地上に出たほうが色々あったかもしれない。

 

 これから移動しようか……。一瞬そう考えるマサトだったが、いや、人がいないからこそリアル割れの可能性が減るんだ! と自分を奮い立たせて自分の欲求を跳ね除けた。

 しかし、話し合いが長くなるようなら移動しよう。などと気弱な考えも浮かべながらマサトは目に付いたファストフード店に入っていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 午後12時ジャスト。

 ハンバーガーを食べ終わり、カップに残った飲み物をストローで吸い上げているところでマサトは加速世界に突入した。

 予定通りの加速だったので特に驚きはしなかったが今から30分後、飲み物を飲んでいることを覚えているだろうか……と一抹の不安を覚えるマサトだった。下手したら盛大にむせ返ってしまうかもしれない。

 

 

「ま、そんなことより移動しなくちゃ。みんなを待たせると悪いしね……」

 

 フィールドはおそらく《古城》ステージ。

 周りの壁は全て時を隔てた城壁のようなものとなり、地面はコンクリートではなく砂へと変わっていた。

 気温は高くも無く、低くも無い。雲がゆっくりと流れるいい天気のようだし会合にはピッタリのステージ選択だった。

 

 ドラゴニュートとなったマサトは城壁を一足に飛び越えながら目的地の国会議事堂前に進んでいく。

 

 

 

 

 ドラゴニュートが加速世界の国会議事堂に急いで駆けつけたつもりだったが、彼らはマサトより近い場所で加速したのだろう。

 すでにドラゴニュート以外の他の王たちは国会議事堂前に集結しているのだった。

 

 他の王――

 《白の王 ホワイト・コスモス》

 《青の王 ブルー・ナイト》

 《黄の王 イエロー・レディオ》

 《黒の王 ブラック・ロータス》

 《赤の王 レッド・ライダー》

 《緑の王 グリーン・グランデ》

 

 そして《紫の王 パープル・ソーン》

 

 彼女が一番新しい、王であり《純枠色(ピュア・カラーズ)》でもあるプレイヤーだろうか。

 今は家で塞ぎこんでいる《フレイム・ゲイレルル》の情報だが、ソーンはなんと《レッド・ライダー》の恋人らしい。

 

 その影響なのか、それともこの中で1番早くレベルを上げてきたからか、ソーンの性格は……なんと言うか、“スレ”ていない。

 一応は高レベルプレイヤー特有の……気配の“厚み”のようなものは感じるが、彼女の性格は天真爛漫で喜怒哀楽の表現が激しい……ドラゴニュートの苦手なタイプのものだった。

 しかし、小中学生しかいないBBプレイヤーに言うのも変ではあるが、ソーンの子供っぽい性格というのは本当に珍しい。

 

「あ、やっときた! 遅いよ!」

 

 そのソーンが近づいてきたドラゴニュートに気が付いて手を振り上げた。

 ソーンの仕草に顔を上げた他の王たちもそれぞれ声をかけてくる。ドラゴニュートもそれに返事をしながら7人の輪のなかに入った。

 

 ぐるりと様子を見渡すが、皆一様に浮かばない表情を浮かべている。これからの話し合いによってはもうこれから一同が集まることは無くなる可能性もあるのだから仕方ないのかもしれない。

 

 

「さて、早速で悪いが時間も無限じゃない。“例のルール”について話し合おうじゃないか」

 

 音頭を取ったのは《ブルー・ナイト》であった。

 王が集まる場合、大抵はナイトか、ライダーが議長のような立場になるので誰も文句は言わない。

 

「それじゃあまずルールの内容を確認しようか」

 

 ドラゴニュートはナイトに合いの手を入れる。全員が現状を把握しているのか、その確認なのだが、ドラゴニュートの言葉を横から笑うものが現れた。《イエロー・レディオ》である。

 

「そんなものこそ時間の無駄でしょう。この場に居る者で“かのルール”を覚えていない者がいればそれはただの愚者ですよ」

「そーかもねぇ、めんどくさい話はいらないからちゃっちゃと先に話を進めようよ」

 

 その言葉にソーンも賛成する。

 場の空気も不安と焦りでギスギスし始めてきていたのでドラゴニュートは肩を竦めながらソーンの言うとおり、ナイトに先を促した。

 

「みんなが必要ないって言うなら先に進めるか。じゃあとりあえずみんなの意見を聞こう。この先、俺たちはどうしていくのか、このままお互いに干渉しない和平か…………。

 

   それとも凄惨な殺し合いを行なうか」

 

 

 その言葉で場の空気が固まっていく。

 ナイト含めて誰も微動だにすることは無い。

 まるでこの場だけが《氷雪》ステージにでもなったように寒い。

 

 

 ドラゴニュートはナイトのあまりにも直接的な言葉を聞きながら、自分がレベル9に上がった時の事を思い出していくのだった。

 

 

 

 

 あれは先々週の領土戦の時間が終わった時だっただろうか、ドラゴニュートはついにレベル8から安全にレベルアップできるようなポイントを溜めることが出来たのだ。

 このときの喜びはひとしおで、現れるレベルアップボーナスを何にしようか思いを巡らせながら1万ポイントという膨大なポイントを消費してレベルを上げたのである。

 

 しかし、その浮かれた気持ちは、突然送られてきたシステムメッセージによって驚愕に上書きされてしまうのだった。

 そこにはこう書かれていたのである。

 

 

 『あなたが次のレベルに上がることができたのなら。あなたはこのゲームの製作者と出会うことが出来る。そしてブレインバーストの目的と、世界の真実を知ることでしょう』

 

 

 と、そして次のレベルに上がるための方法も……。

 

 それは今まで通り、途方も無いバーストポイントを消費すれば次の段階に上がれるような……そんな生温い方法なんかではなく、レベル9同士での潰しあい。レベル9同士が戦えば、それは自動的にどちらかの全損を賭けたサドンデスルールとなり、負けたほうは強制的に《ブレイン・バースト》をアンインストールされる……、という特殊サドンデスルールによる殺し合いそのものだった。

 

 それは《無制限中立フィールド》でも同様で、(とど)めさえレベル9のプレイヤーが行なえば、倒されてしまったレベル9は加速世界へ永久に立ち入ることが出来なくなってしまう。

 つまり、多対一で囲みをかけ、最後の一撃だけで安全に条件を満たすということが可能と言うことである。

 

 そして、それを5回……つまり5人のBBプレイヤーを加速世界から消し去らないと次のレベルには上がれないというのだ。

 

 

 

 

 ナイトは物騒な話に持っていきたいのか。それともわざと直接的な物言いをすることでみんなの忌避感を煽ろうとしているのか。

 誰もが度肝を抜かれている中、いち早く動き出したのは《レッド・ライダー》だった。こういうときにすぐ動き出せるライダーは皆にとってありがたられている。

 

「ま、待てよ!? そんな意見を聞く必要があるのか? この中で誰か1人でも殺し合いを望んでいる奴がいるって言うのかよ!!」

 

 ライダーの言葉はその場の全員の胸を打った。それほど真っ直ぐな信頼を表した言葉だった。

 ライダーは誰一人として戦いを望むはずが無いと信じているのだ。

 

「でも、ライダー。このレベルアップの方法はハッキリ言って異常だ。

 ここまで厳しい条件を考えるに、レベル10に上がる事こそ、この《ブレイン()バースト()》っていうゲームをクリアする方法なのかも知れないぞ?」

 

 レベル10になるとゲームのプログラマーと邂逅し、話すことが出来る。

 それはまさにゲームエンディングの後にあるオマケ要素そのもので、ナイトがそう考えるのはごく自然なものだった。

 

「しかし、もしこのBBをクリアしたとして、一体どうなるというのです。まさか、ちょろっとスタッフロールが流れて「はい、終わり」とBBが消えてしまうなんてことはありませんよね?」

 

 もし、このゲームがとある天才プログラマーによる盛大な“暇つぶし”だったとしたのなら、そういう可能性もあるだろう。

 このゲームは開発意図から、目的まで全て不明なのだ。これほどの技術を利用しながらもゲームの目的そのものが無いとも言い切れない。だとしたらひょんなことで《ブレイン・バースト》が終わってしまうというのも十分ありえる

 レディオはその危険性を提示した。そして、そんなことになるのは勘弁だと。

 

「えー、だったらわたしクリアしなくってもいいよ。ずっとこのゲームで遊んでたいし、加速世界にも来れなくなっちゃうんでしょ?」

 

 ソーンがレディオの意見に賛成する。バーストポイントを1ポイント消費するだけで、自分の意識が1000倍となった加速世界に降り立つことができ、現在の日本で死角が殆んど無いソーシャルカメラの映像を盗み見ることが出来るのだ。

 

 さらに体の動きそのものを加速することが出来る《フィジカル・バースト》と、その究極系、レベル9にのみ解禁された《フィジカル・フル・バースト》。

 

 それは加速した意識をそのままに、現実の体でさえも100倍の速さで動かすことが出来るというまさに夢のようなコマンドであった。

 その代償に保有ポイントの99パーセントを消費するのがネックであるが、小獣級なら単体で狩れるレベル9のプレイヤーならそれほど問題にはならない。

 

 ソーンはそのような他に類の見ない、自分だけの優位性を絶対に失いたくないと言う。おそらく、ここにいる以外のBBプレイヤーたちも声を同じくするだろう。加速世界を無くさないでくれと。

 

「そ、そんな理由かよ……。俺と一緒に居たいから、とか言えないのか?」

「もっちろん! そういうのもあるよ? 決まってるじゃん!」

 

 ソーンの都合のいい言葉にライダーは引きつった笑みを浮かべるが、我が意を得たりと、勢いよく他者の意見を聞いてきた。

 

「ナイト! お前はこんなルールに従うなんてことは無いよな!?」

「んん? そうだな。オレは反対だな」

「そうだろ! グランデ、お前はどうだ?」

「…………」

「ああ! お前ならそういってくれると思ってたぜ! いや、言葉は出して無いけど……。

 なあ、ドラゴニュートも反対だろう?」

 

 これで反対意見は4人。ライダーを含めれば半分以上の人間がレベル10到達を諦めたこととなる。

 あと一押しがあれば、なし崩し的にこれからの加速世界で初めての和平同盟が結ばれるだろう。ライダーはその最後の1人を比較的仲のいい《プラチナム・ドラゴニュート》を選んだのだった。

 

 

 ――ついにこの時が来たか……

 

 ライダーの問いかけに、ドラゴニュートはいつかの事を思い出す。

 

 

 ずっと、ずっと昔、親友だった《ラピスラズリ・スラッシャー》。しかし時が経った今でも思い出す、彼が言った“後戻り出来ない”その時が来たのだと。

 

 ドラゴニュートはいったいどの位この《ブレイン・バースト》で遊んだだろうか。

 100時間? 1000時間? そんな生温い数字じゃない。それこそ“数え切れない”ほどだ。

 

 なら現実ではどの位たった?

 

 たった(・・・)5年である。

 それは時間換算で4万3800時間。加速世界で過ごした時間と比べるとあまりにも少ない。

 

 では、その5年で学んだことはなんだろうか。

 算数の計算? 日本の歴史? もう学校には通うことができたし、みんなが言う学校の面倒臭さだって理解する事ができた。病院暮らしだったドラゴニュートにとってそれらは全て密なる事だったと言える。

 

 なら、加速世界で学んだことは?

 勉学のみで考えるなら多少の英語力が身に付いた程度だろうか。

 しかし、それ以外の、自分の考え方や、他人への思いやり、団体をまとめる経験や、他にも数え切れない物事をこの《ブレイン・バースト》を通して学んできたのだった。

 

 

 もう、マサトの半分以上はドラゴニュートで出来ている。

 もしも、レベル9サドンデスで負けてしまい《ブレイン・バースト》を失ってしまった時……つまり記憶を消されてしまった場合。

 現実世界に残ったマサトという人物は“マサト本人“だと言えるだろうか?

 周りのみんなは変わったマサトを受け入れてくれるだろうか。

 

 

 それを考えるとドラゴニュートは震えるほど怖くなる。

 絶対に《ブレイン・バースト》を、加速世界を失いたくない。

 脅迫概念にも近い感情がドラゴニュートに襲い掛かっていく。

 

 

 だから……。

 

「ボクは賛成だよライダー」

「おう! やっぱりな!」

「…………違う。レベル10に上がることに賛成だって言ったんだ」

 

 ……でも。すでにドラゴニュートは進んでいるのだ“修羅の道”を。5年前、あの月明かりが照らす思い出の場所で、その道を歩むと決意したのだ。

 ここで止まったら彼に申し訳ない。それに、約束もある。

 最強を目指すと、“天辺”を取るという約束が。

 

「……なに、言ってるんだ。お前……」

 

 ライダーが愕然としながらドラゴニュートを見ていた。

 よくわかる。ライダーの考えは十分に理解できている。きっとライダーは目の前の人物がどんな考えでサドンデスルールを受け入れたのかわからないのだろう。だってそれは友人を殺すことを“是”とする考えなのだから。

 しかしドラゴニュートはもう戻ることが出来ないのだ。

 

「加速世界から退場者を出す。そんなことはもうとっくにやってきたことなんだよライダー。キミだってレギオンの団長をやってるんだ、《断罪の一撃》を打ったことが無いなんて言わないよね?」

「それは、お前……あるけど、それは」

「それはこのゲームを楽しむため以外の、何らかの範疇を越えた者たちにやったから、それほど悩むことはなかった?」

 

 レギオンの団長にのみ許される特権。

 所属レギオンメンバーを強制的にアンインストールさせることが出来るその必殺技は、リアルアタックを行なったり、外部ツールなどによってブレインバースト内で“ズル”を行なったりと、行き過ぎた(おこな)いに対しての最終手段だ。

 それ以外で使用することは皆無といっていい。

 

 しかしライダーはそれ以外の方法で《退場者》を出したことは無かっただろう。ライダーが《ブレイン・バースト》を始めたころは次々に新しいBBプレイヤーが現れ、対戦者を選ぶに事欠かなかったのだから。

 ポイント全損間際のプレイヤーに当たれば引き分け申請を出しただろうし、もしかしたらわざと負けてあげた事もあったかもしれない。

 

 

「でも、ボクは……《第一世代(オリジネーター)》は違うんだよ。

 そんなの関係なしに、誰かを犠牲にしなくちゃここまで来ることができなかった。知ってる? ボクはこの手で親友を手にかけたことがあるんだ。

 ディザスターとなったドレイクじゃない。もっと初めの頃に、さ」

 

 突然の告白にライダー同様全員が驚愕していた。特にナイトは拳を強く握り締めている。

 ライダーは、もちろんドラゴニュートが《オリジネーター》ということは知っていたし、ここまで来るためにそれなりの代償を払ってきているだろうということも考えていた。

 

 だが、ライダーが思っている以上にそれは深く、重たいものだったのだ。それこそ目の前のドラゴニュートの悲しみがわかってしまうほどには……。

 

 ドラゴニュートが言葉を発するたびに辺りは暗く、停滞していくようだった。

 

「でも、ライダー。何もこの場所で、このメンツでやり合おうっていう訳じゃないんだ。これから先にもボクらに続いてレベル9は何人か現れるはずだろう? その中から5人選ぶことも出来るじゃないか。

 もし、この8人で何らかの同盟を結ぼうって言うのなら賛成するよ。急いでレベル10に上がるつもりも無いしね。

 でも、ボクは先に進むことを諦めない。絶対に……」

 

 無理やり、その言葉がピッタリなくらい明るい調子で話したと思ったら、最後は断固たる意思で決意を語るドラゴニュートの宣言に、ライダーは自分の気が遠くなるのを感じながら後ずさりしてしまった。

 頭の中は否定の言葉でいっぱいだ。

 

「こんな……こんな下らない目的のために俺たちは今まで戦ってきたのか!?

 それともこれが正しい《ブレイン・バースト》の世界なのか? どんなに友情を深めようと、最後には殺し合いをしなければならない……こんな世界が?

 だとしても、俺は絶対認めない。この世界はもっと……もっと違う……“なにか”があるはずなんだ!! そうだろ、ロータス!?」

 

 ライダーの歯止めの利かない激情はハッキリとした言葉にすることが出来ず、その言葉を確かめようと今までだんまりだった《ブラック・ロータス》助けを求めた。

 

 しかし、ロータスもドラゴニュートの覚悟に気圧されてしまったのか、気の無い返事をライダーに返すだけ。その様子を見て、ライダーは再びドラゴニュートと対面する。

 

「俺たちはそれぞれレギオンを率いて戦ってきた。……けど、それは敵だからじゃな無いだろう? ライバルだから……切磋琢磨していく友人としてだからだろう?」

 

 溢れる感情のせいで今にも涙をこぼしそうなライダーにドラゴニュートはもちろんだと、肩を叩く。

 数分前と変わらないその気安さにライダーは縋り付きそうになるが、その儚い希望は打ち消されてしまう。どこまで行ってもこの話は平行線なのだ。

 

「もちろん、ライダーとの友情は感じてるし、ディザスターの時、ウチのレギオンのために一生懸命動いてくれたことは恩に感じてる。

 でも、ライダーわかってくれ。この話に妥協点なんて存在しない。お互い理解できても納得は出来ない事柄なんだよ」

 

 ライダーはドラゴニュートの考えは最後まで納得できるものじゃなかった。しかし、100数人のレギオンメンバーを統括しているうちに確かに意見が合わずに対立してしまった者も居たということを思い出していた。

 どれだけ言葉を交わしても分かり合えない者もいる。ライダーはそのことを1つ学ぶ。

 

 そして、ドラゴニュートと対峙するならば、自らも確固たる決意を持たなければいけないと、自分を奮い立たせるのだった。

 

 これから先、もしもドラゴニュートがレベル9を相手にサドンデスルールで戦うのならば、それより先に自分の所に来い。そして自分が責任を持ってドラゴニュートを止めてみせる。決してこの先、自分の友人に全損者は出さない。

 それがライダーの決意であり、最大限の譲歩。

 

 

 ドラゴニュートに負けを認めさせ、その上で対戦は引き分けとさせる。そんな事は今までにもよくあったことで、絶対条件に決して負けられないというルールが出来ただけ。そう考えれば少し自分の気持ちを落ち着かせる事ができたライダーだった。

 

「わかった。そのときは正々堂々ライダーに挑みに行くよ」

 

 ライダーの宣言を聞いてドラゴニュートも笑ってそのことを了承する。

 そして、形の変わってしまった友情を再び確かめるために、両者は熱いハグを交し合うのだった。

 

 

 

 

「ヒュゥー!」

「なんでここで感嘆したような口笛拭くのよ!」

 

 話が一段落したとわかったのだろう。レディオが(はや)すように口笛を吹き、ソーンがツッコミを入れた。他の者も一触即発だった空気が霧散したことでようやく肩の力を抜いていく。

 

 つい先ほど生涯の敵となった男と笑い合う自分の恋人であるライダーを見てソーンは思った。男の友情というのはよくわからない、と。

 しかし、男同士だというのになぜか恋人の自分でさえも入り込めない空間があるのだということを知ってソーンは少しヤキモキしてしまう。

 

 そして考える。もしもドラゴニュートがライダーを倒し、この加速世界からライダーを追い出してしまったのなら……その時はドラゴニュートの事を許せるだろうか?

 

 ……きっと許せないに違いない。

 

 だとしたらきっと自分はドラゴニュートをどんな手を使ってでも殺しに行くだろう。そしたら今度は自分を恨むだろう人物が1人、心当たりがある。

 彼女もわたしを殺しに来て、彼女も殺されて、どんどん進んでいった先はどうなるのだろうか。

 

 やはり、このゲームの行き着く先は闘争でしか無いのか。

 それとも最初の1人目(わたし)で我慢すればライダーの願う平和な世界が訪れるのだろうか……。

 ソーンは何度も繰り返し考えるが、結局その場で答えが出る事はなかったのだった。

 

 

「ドラゴニュートとのことは残念だったが、俺はここにいる奴らが争う姿だけは見たくない! だから俺たちだけは絶対に争わないように同盟を結ぼうじゃないか。これ位ならいいんだろ? ドラゴニュート……」

「そうだね。ボクがライダーを倒すまで他のみんなには手が出せない。つまりライダーがいる限り争いは起きないよ」

 

 さっそくドラゴニュートのブラックジョークにライダーは若干引きつった笑いを浮かべるが、気を取り直して言葉を続ける。

 

「じゃあ俺たちが戦わないのは前提として、他に何か必要なルールはあるか? なるべく自分のレギオン地域から出ないとか、あとはたまに主催されるイベントに俺たちは参戦しないとか……」

「ライダー …………」

 

 しかし、再びライダーの言葉を遮る声が出た。

 ライダーの視線の先には、先ほど無茶な話を振ってしまったロータスの姿が。突然の呼びかけに首を(かし)げるライダー。

 

「ライダーは私にも友誼を感じていてくれるか?」

 

 両手を広げ、確認してくるロータスに一瞬の戸惑いを感じたが、ライダーはすぐに笑顔で答える。

 

「もちろん。決まってるじゃないか! ここに居る全員に感じているし、信じてる。もし現実(リアル)で出会っても仲良くなれるってな」

 

 ドラゴニュート同様ライダーはロータスにも抱擁で応えようとするがドラゴニュートとの時とは違いソーンの制止の声が掛かる。

 同姓同士ならまだしも異性と抱きつくのは恋人として許せないらしい。

 

「ちょっと! ライダー!?」

「おいおい、そうがなる(・・・)なよ。友情の確認だよ。ドラゴニュートにやったのと同じ意味だ」

 

 ロータスはこんな体だしな、と言いながら手足が刃状になっているロータスの体を抱き上げた。ソーンの非難の声を聞きながらロータスもゆっくりとその手をライダーの首に回していく。

 

 

 そして――

 

 

 ――すまない……

 

 その小さな声が聞こえたのはライダー本人と近くに居たドラゴニュートだけだっただろう。

 

 次の瞬間、ロータスの口から高らかに必殺技の名前が唱えられる。

 

「《デス・バイ・エンブレイジング》」

 

 

 

 静寂。

 

 

 次の瞬間、ドラゴニュートは目の前の《ブラック・ロータス》を蹴り飛ばす。

 ロータスの体が近くの城壁にぶつかるのとライダーの首が地面に落ちたのはほぼ同時であった。

 

 崩れ落ちるライダーの体。

 ロータスの極めて高い攻撃力を誇る必殺技を無防備に喰らってしまったライダーはその一撃でHPを全て失ってしまったのだった。

 

 徐々にみんなの意識が現実に戻ってくる。

 まずソーンの絶叫が聞こえ、ナイトの雄たけびが崩れた城壁に向かっていく。

 ドラゴニュートは消えていくライダーの体をただ黙って見ていることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 今日、この日を(さかい)に王達は《領土不可侵条約》を結んでしまう。

 それはライダーの提唱した王たちの同士討ちを防ぐ同盟どころか、《領土戦》そのものを禁止にしてしまう条約だった。

 大規模戦闘が起こらなくなり、まとまったポイントを手に入れる機会を失ってしまった多くのプレイヤーは1つレベルを上げるのに多大な時間を要するようになり、現実の世界より1000倍もの速さで時を流れていた世界の歩みはついに完全に止まってしまう。

 

 こうして加速世界は長き間、停滞の時を迎えてしまうのだった。

 

 

 

 




これにて原作前の話は終わりです。
次回から3年後に時間が進み、原作開始と同じ時間軸となっていきます。

と、第一章?が終わったところで感想受付を非ログインユーザーさんにも書けるように設定しました。
ここまで読んでくれた方で、もしよければ、この話が面白かった、この話はつまらなかったなどの忌憚無い意見を聞かせてもらえばと思ってます。できれば、なぜそう思ったのか一言あればより糧になりますのでよろしくお願いします。


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第21話 時は流れ……

前回までのあらすじ

 『加速世界』でたった8人しかいないレベル9。その内の1人となり、順風満帆で上を目指していたドラゴニュート。

 しかし、次のレベルに上がるためには同レベルのプレイヤーを5人、特殊サドンデスルールに則って加速世界から追い出さなければいけないことを知る。

 8人の内の1人、レッド・ライダーはそのルールを否定し、和平を提案するのだが、ブラック・ロータスの凶刃によって強制的に加速世界から退場させられてしまうのだった。



『そ、それでどうなったんですか!?』

 

 有田 ハルユキは梅郷中学の近くにあるコーヒーショップで《ブラック・ロータス》――黒雪姫の話を聞いて、テーブルから身を乗り上げる勢いで黒雪姫に詰め寄ってしまう。

 しかし、他の客はチラリとハルユキを見るだけですぐに興味を失ったように視線を逸らしていく。

 

 ニューロリンカーを直結させることで可能になる『思考発声』。言葉ではなく、思考そのものを相手に伝えるその伝達方法により、ハルユキたちは周りに居る他の客に聞かれたく無い……秘密の会話を行なっているからだ。

 他人からすれば仲睦まじいカップルが2人だけの世界を作っているようにしか見えないだろう。

 

 だが、ハルユキたちはまだそのような関係にはなっていない。

 ならばなぜ、周りに誤解を与えるような、リスクを伴った方法(直 結)で2人は話し合っているのか。それは迂闊に聞かれたくない類いの……『加速世界』の話をしているからだった。

 

 

 『加速世界』において黒雪姫はハルユキの《親》である。

 

 丸く太った体系と、嫌と言えない内気な性格から同級生に苛められていたハルユキだったが、ある日《ブレイン・バースト》という超ハイテク技術を利用しての格闘ゲームを黒雪姫から紹介され、間接的に手に入れた加速能力によってその問題を解決することができた。

 

 しかし、梅郷中学の副会長でもある、学生みんなの憧れの的“黒雪姫”がただ一介の生徒であるハルユキの問題解決のためだけに秘匿性の高い《ブレイン・バースト》を渡すわけが無い。

 

 さる事情から共に戦う仲間を探していた黒雪姫は、狭い箱庭でもがいていた少年に希望を見出していたのだ。

 

 現実世界では運動神経がゼロどころかマイナスの値をとるハルユキだったが、仮想世界における反応スピードは他の誰よりも優れていた。

 スカッシュと言う、あまりにもマイナーな……だが、反射神経と反応速度がものを言うゲームで、おそらく同年代の誰にも敗れないだろう記録を作る程度には。

 

 それを偶然見てしまった黒雪姫は『加速』というズルを使い、ハルユキの超絶的な記録を塗り替えることで彼の興味を引き、条件の厳しい、そしてたった1回のチャンスしかない《ブレイン・バースト》のコピーをハルユキに行なったのだった。

 

 結果は成功。

 そして今、ハルユキは黒雪姫とテーブルを挟んで向き合いながら、なぜ自分を加速世界に誘ったのか、その理由と、加速世界の現状を聞いている途中であった。

 

 

『どうもこうも無いさ。その後制限時間いっぱいまで戦い抜いたが他の王を討ち取る事は出来ず、私は加速世界のお尋ね者。この2年間ずっと敵の影に怯えながら生きてきたよ』

 

 自分を仲間に引き込まなければいけないと言うのに、全ての出来事を正直に話してくれる黒雪姫にハルユキは内心、瞠目していた。

 もしもハルユキが裏切りを行ない、彼女を狙うプレイヤーに告げ口を図ったならば、今まで潜伏してきた2年間が水泡に帰すと言うのに。

 

 それほどまでに自分を信じてくれているのか、それとも元からこういう性格なのか……。

 どちらにせよ、ハルユキにとって自分を苛めの手から解放してくれた目の前の先輩を裏切るだなんて行為は考える余地も無く、逆に、この人のためならばどんな命令だって受け付けようと覚悟を決めているのだった。

 

 

『そういえば……あの後、1回《竜王》と戦う機会もあったか……』

 

 と、考えているところでポツリと重要なことを呟く黒雪姫にハルユキは今までの思考を放棄してその話に食いついた。

 

『えぇ!? じゃ、じゃあ先輩の目的である次のレベルへの到達に必要な人数はあと3人、って事なんですか?』

 

 1人数が違うだけでこの後の展開は大きく異なることになる。

 今度こそテーブルに手をついて立ち上がるハルユキに、黒雪姫は体を反らしながら否定した。

 興奮しながらもしかし、思考発生を忘れないハルユキを落ち着かせ、席に戻した黒雪姫は残っていたコーヒーをゆっくりと(すす)り、カップを置くと昔を懐かしむように窓の外を眺めるのだった。

 

「いや。奴との戦いは途中で邪魔が入ってしまってな。

 アイツは今でも加速世界に存在しているよ。今頃も多分、碌でもないことを考えているんじゃないか?」

 

 

 

 

 

 

「ハッッックション!」

 

 加速世界、羽田空港のヴォイドのアジトにて《プラチナム・ドラゴニュート》は盛大なくしゃみを放ってしまう。

 定期的に行なわれている巨獣級エネミーを狩るための作戦会議を行っているというのに、その話に水を差したドラゴニュートに《スーパー・ヴォイド》の幹部連中は非難の目を向けた。

 

「風邪? 体調には気をつけてよね」

「仮想世界に風邪なんておかしくない? きっと埃でも鼻に入ったんじゃないかな?」

「ええっ!? そんな事言ったらアバターに鼻の穴なんて無いじゃない!」

 

 非難もそこそこに、くしゃみ1つで話題をコロコロと変える団員2人。その火種はあちこちに飛び火し、周りの連中も「ウィルスがあるんだから風邪もひくかもしれないな」「臭いを嗅ぐ事が出来るんだから鼻はあるんじゃないか?」などと騒ぎ出してしまう。

 際限の無い言い争いにドラゴニュートはため息1つ、早々に話を終わらせることにした。

 

「いや、多分他のBBプレイヤーが噂してるんだろう。俺だって大レギオンの団長なんだ、噂には事欠かないはずだからね」

 

 この2年で穏やかな話し方こそ変わってないが、使う言葉に変化が現れた……よく言えば貫禄が出てきたドラゴニュートの言葉に、今まで取り留めの無い話をしていた団員たちは一斉に否定し始める。

 

「なにそのオカルト。私、そういうの信じてないのよね」

「今時プレイヤーの事は《バーストリンカー》って言うのよ。BBプレイヤーなんて呼んでるのは古臭い団長くらいしか居ないわ」

 

 特に女性陣の辛辣な言葉に大層心傷ついたドラゴニュートだったが、素知(そし)らぬ顔で会議の報告を続けていく。しかし、無意識か、露骨に肩を落とした団長に団員たちは何も語らず、団長と同じく何事もなかったかのように会議を聞き始めるのだった。

 《スーパー・ヴォイド》にとってこのような騒ぎは日常茶飯事なのである。

 

 

 

 

「それにしても、効率のいい狩り方は殆んどゲームのアップデートによって出来なくなったな」

「そうね、今となってはもう地道に一体ずつ確実に倒していくしかないもの」

「しかし、週一くらいの頻度で狩りを開催しないとレベルアップどころか《ブレイン・バースト》を続けていくのも難しいぞ」

 

 会議の場でボソボソと語られる話の内容を聞いてドラゴニュートはひっそりと目を閉じる。

 

 

 《レッド・ライダー》亡き後、加速世界は様々なことが変わってしまった。

 

 まず上がるのは、毎週土曜日の《領土戦》が行なわれなくなったことだろうか。

 《領土戦》というシステムそのものは残っているのだが、あの後決定された《領土不可侵条約》によって各レギオンのメンバーは他のレギオンの領土に攻め込むことを罪としたのだ。

 

 その条約に反対したものは多かったが各王たちは決して顔を縦に振らなかった。そのため離反者は数多く出たが、逆に不満を残しつつレギオンに残った者もまた、それ以上の数がいた。

 なぜなら領土支配下における戦闘拒否権があまりにも惜しかったからだ。

 

 もし、大レギオンの支配地に住んでいるバーストリンカーがどこにも所属していない“野良”だったとしよう。

 その場合、そのリンカーはどんな時間にもかかわらず対戦を挑まれるが、拒否権は無い。だというのにこちらからの挑戦は弾かれるという最悪な環境に陥ってしまうのだ。

 いつ来るかわからない挑戦者に怯え、自分と相性のいいプレイヤーとは対戦できない。そのストレスは確実にその者の精神状態を蝕んでいくことだろう。

 

 離反したものはそのプレッシャーを跳ね除けることが出来るような豪胆な者や、大レギオンの支配地に住んでいないもの。そしてニューロリンカーの電源を常時切っておく事が出来るような特殊な環境にいる者しかいなかった。

 

 

 では《領土戦》が無くなり、効率よくポイントを手に入れられなくなったリンカーたちは一体どのようにポイントを集めているのか。

 

 それもまた加速世界の変化の1つとして上げられる。

 

 闘技場だ。

 代表的なのはその昔から秋葉原にある《アキハバラ・バトル・グランド》。《黄の王》の領土内にあるはずの秋葉原で唯一絶対中立地域として定められた秋葉原にあるその場所は、バーストリンカーから《聖域》とも呼び声が高く、所属レギオン関係なく数多くの挑戦者が引っ切り無しに現れる特殊な場所である。

 

 そこを初めとする新しく作り出された大小様々な闘技場で彼らは多くの対戦を繰り返すのだった。

 

 

 他にはヴォイドのように大規模なエネミー狩りを定期的に行なったり、或いは小獣級エネミーの狙い(タゲ)高レベル(ベテラン)に絞らせつつ、多くの初心者(ニュービー)で袋叩きにしつつ、最終的にはベテランにエネミーを倒させる《養殖》なる方法を取るレギオンもあった。

 ある程度のダメージをエネミーに与えることが出来たのならバーストポイントを受け取る事ができるこの方法は、新興レギオンや小規模レギオンには大変助かる方法だった。

 

 ひと昔前では主流ではなかった方法だが、もうそこまでしなければこの加速世界は成り立たなくなってしまったのだ。

 どこの連中も脱落者は出したくない。しかし、ポイントは欲しい、対戦だって楽しみたい。でも、その機会が無くなってしまった。

 その結果が今の停滞した加速世界だった。

 

 

 なら、加速世界のクリアを……最強を目指すと決めたドラゴニュートは今まで何をやってきたのか。

 もはや王は自分の領土の外には出てこない。《無制限中立フィールド》で会おうにも現実で30分時間がずれるだけで20日も過ぎてしまう場所でそれは難しい。

 

 だとしたら残りは《戦争》をするしかない。それも東京中を巻き込む全面戦争だ。毎週土曜の《領土戦》において条約無視の侵略を行い、ヴォイドの領地を広げていく。ともすれば各レギオンの王達は前線に出てくるほかなく、そこをドラゴニュートが討ち取るしかない。

 

 そのためには《兵隊》が必要だった。数が常に一定に保たれているこの《ブレイン・バースト》で重要なのは各個人の“質”にある。

 ヴォイドは常に全体のレベルアップを行なってきたが、それでも2年でレベルを8まで上げられた者は5人しか現れなかった。それほど今の《ブレイン・バースト》でポイントを稼ぐのは大変なのだ。

 

 しかし、ドラゴニュートは慌てていない。急いては事を仕損じるとも言うし、決して失敗の出来ないこの作戦は入念な準備を必要とするからだ。それに、その“時”さえくれば炎もかくやといった勢いで侵略を始めるつもりなのだから……。

 

 

 

 

 

「知ってる? 団長。杉並区に新しい《メタル・カラー》が現れたんだけど。何とその子、加速世界初の完全飛行アビリティを持ってるんだって!」

 

 先日の作戦会議から幾日か経った頃、“自称”情報通のメンバーがドラゴニュートに話しかけてきた。

 

「今までのパチモノみたいに、高いところから風に乗って滑空するのとか、数回空中ジャンプが出来るような連中とは違うのよ。

 背中の羽がバサァーッって広がって空を飛ぶの! 私、ナマ(・・)でみちゃった。……いやー凄かったなぁ。あれが本物なのよ。昔《ICBM》とかいう奴もいたらしいけど、きっと比べ物にならない……」

「おいっ!」

 

 直接その目で見れたその興奮からか、比較的新人であるそのバーストリンカーの声を、古くからヴォイドに所属していた者が(さえぎ)った。

 話を遮られたことで気分を悪くした情報通気取りの者は()だるそうに振り向き、古参の者に目を向けた。

 

「なにぃ? いま私団長に話してんだけど……。まあ、このレギオンに居る位なんだからあんたもお祭り好き……つまり新しい話題が気になるんでしょ、こっちに来れば教えてあげるよ。それともあんたが教えてくれるの? 空色の……」

 

 そこまで言ったところで今度こそ彼女は他のプレイヤーに口を塞がれて余所に連れてかれてしまう。

 突然の暴行に暴れだすが、事情を知っている者はすべて古参。力で勝てるはずも無く、結局どこか隅っこの方にその姿を消してしまうのだった。

 

 今まで黙っていたドラゴニュートはさり気なく《フレイム・ゲイレルル》がその場にいないことを確認し、ゆっくりと息を吐き出した。

 もう2年は経つのにルルの前で未だ“彼女”の話題はタブー(危険)だ。

 

 ロータスの起こしたゴタゴタのせいで両者の橋渡しをすっかり蔑ろにしてしまったドラゴニュートを待っていたのは、もう梃子(てこ)でも動かない思考を持ってしまったルルと……そして、レイカーだった。

 

 ルルは向こうが謝るまで許さないと言うし、レイカーはルルに合わせる顔が無いと再会を断わってしまう。

 

 ドラゴニュートは時々、さり気なさを装って両者にお互いの現状を話しているのだが、これがまた爆発物を解体するような慎重さを要するのだから毎回ドラゴニュートの胃がキリキリと軋んでしまう。

 1回盛大に爆発させてしまったほうが、上手くいくんじゃないか。なんて投げやりな考えも浮かぶが、結局は及び腰となってしまうドラゴニュート。いっそ関係の無い第三者が引っ掻き回してくれないか、とも願ってしまうのだった。

 

 

 ――それにしても、飛行アビリティをもつメタルカラーか……

 

 実はその話、すでにドラゴニュートの耳にも入ってきていた。

 そしてその彼が所属するレギオンの事も……。

 

 ――復活した《ネガ・ネビュラス》……そして再び姿を現した《ブラック・ロータス》。

   いまさら何をしに来たのか……。もう影のような暗闇の中で姿を隠しておくのが億劫になったのか? それとも空を飛ぶ(カラス)に無理やり(さら)われてしまったのか。

 

 どちらにしても……。

 

「興味あるな……《シルバー・クロウ》」

 

 ポツリと溢したドラゴニュートの言葉に、近くにいた連中はまた団長が何かをやらかすつもりかと、大きく期待を膨らませるのだった。

 

 

 

 

 

 

 ハルユキが《ブレイン・バースト》をインストールしてから2週間。

 ハルユキにとってその期間は止まることの無い、激動の時間だった。

 

 加速世界で7大レギオンである《グレート・ウォール》に所属する奇抜なバイク乗り《アッシュ・ローラー》との熱戦を繰り広げ、勝ち星を上げる事ができ、喜ぶのもつかの間。

 その翌日にはハルユキを苛めていた証拠を掴まれ、学校を退学することになった荒谷という男が逆上して車でハルユキに突っ込んでくるし。一緒に居た黒雪姫が庇ってくれたおかげでハルユキはすり傷程度で済んだが、その代わり黒雪姫は意識不明の重体に陥ってしまう事件もあった。

 

 そして、黒雪姫がハルユキのような仲間を探していた最大の理由……《ブラック・ロータス》を幾度も襲撃した犯人、《シアン・パイル》の正体が昔ハルユキと仲違(なかたが)いしていた幼馴染黛 拓武(マユズミ タクム)で、意識不明となった黒雪姫の隙を狙って襲撃しに来たのを、たったレベル1のハルユキが撃退するなんて事もした。

 

 最終的にタクムも反省し、ハルユキ同様復活した《ブラック・ロータス》の元、新生《ネガ・ネビュラス》に加入してくれたし、未だ集中治療室を出れない黒雪姫に変わってまだまだ新人であるハルユキのアバター《シルバー・クロウ》のレベリングや、《ブレイン・バースト》のノウハウを教えてもらうなど、昔と同じような……いや、それ以上の深い仲になる事が出来たのは不幸中の幸いといった所だろうか。

 

 そんな訳で今は動けない黒雪姫のためにハルユキは、タクムとたった2人だけでレギオンの領土を増やしている途中なのだった。

 

 

 

 

 しかし、この嬉しいことや驚いたことなどの喜怒哀楽が駆け抜けていった2週間だったが、今ほど絶望した瞬間は無かっただろう。

 

 なぜなら今《シルバー・クロウ》の残りバーストポイントが“8”になってしまったのだから。

 

 

 初心者が陥り易いこのゲームの注意点の1つとしてレベルアップ時のポイント残量に注意しなければいけない、というものがある。

 経験値が溜まれば自動的にレベルアップするゲームや、手動でレベルアップする方式のゲームでも普通、消費した後の経験値残量なんて気にはしない。無くなっても困らないからだ。

 

 だが、ゲームをプレイするにも、レベルアップするのにも、物資をやり取りするのも……そしてゲームオーバーの判断も全てバーストポイントを使う《ブレイン・バースト》でポイント残量は何よりも気を使わなければいけないものである。

 特に、消費する前よりも消費した後をよく考えなければ、首を絞めたのは自分自身、となってしまう場合もあるのだ。

 

 今ハルユキの元に訪れた《ブレイン・バースト》を失ってしまう可能性も、今までのゲームの感覚でレベルアップしてしまったハルユキの責任でもあった。

 

 

「ど、どうしよう……タク……」

 

 先ほどまで一緒に戦っていた戦友――タクムに戸惑いの視線を向けるが、タクム自身もこの状況に陥ってしまった原因が自分にもあると責任を感じているところだった。

 

「クソッ! ……ボクは、バカだ! レベルアップするときは安全値(マージン)を取らないといけないなんて最初の最初に教えるべきことだったのに!」

 

 ハルユキの自宅にて椅子に座っていたタクムは自傷するように拳を自分の太ももに叩き付けた。

 バシンッ! と肉と骨のぶつかる音が部屋に響き、ハルユキは思わず首をすくめてしまう。つい最近までその音を自分の体で聞いていたハルユキにとってそれは未だ慣れることの無い不快な音だったのである。

 

 その様子に我に返ったタクムは思わず謝ってしまう。決して幼馴染兼親友のハルユキを怖がらせるつもりではなかったのだ。

 

「ご、ごめんハル。そんなつもりはなかった……」

「いいんだよタク。それよりもこれからのことを考えよう。さっき図書館でリカバリーする方法があるってタクは言ったけど……。

 あっ! タクのポイントをわざと負けることで譲り渡そうって言うことならオレは承諾しないぞ!」

 

 ハルユキとタクムはつい先刻までバーストリンカー賑わう新宿区でタッグ戦を繰り返していた。

 そこで次のレベルにあげられる程度のポイント、308ポイントを手に入れたハルユキはその場で300ポイントを消費してレベルを上げてしまったのだ。

 

 その危険性を素早く理解したタクムは万が一にもグローバルネットに接続しないようにハルユキの首からニューロリンカーを奪い取り。続いてその行動の理由を察知し、青い顔になったハルユキを連れ、自宅のある杉並まで戻ってきたのである。

 その途中、ハルユキに希望をもたらす言葉を告げて……。

 

 しかし、その内容はハルユキ自身が言った八百長によるポイント譲渡、話をする前に断わられてしまったタクムは動揺を隠せなかった。

 

「で、でもこれ以上安全な方法は無いんだよ!?

……それとも、ハルはぼくを信じきれない? そうだよね、いくらポイントが枯渇寸前だったせいで錯乱していたからといって、キミの《親》である黒雪姫先輩を追まわし、さらにはハルにも、チーちゃんにも酷いことをしたぼくの事なんて……」

 

 タクムはハルユキたちの仲間になる前に過ちを1つ犯していた。

 他人のニューロリンカーを遠隔操作できる様になるウィルスを、もう1人の幼馴染である倉嶋 千百合(クラシマ チユリ)に仕掛け、プライベートを破壊し、チユリのニューロリンカーから加速世界に入ることで姿無き襲撃者として黒雪姫――《ブラック・ロータス》を襲い続けていたのだ。

 ハルユキの説得によってその行いを深く反省したタクムだったが、その心の傷は自己犠牲を苦と思わなくなるほど深くなっているのだった。

 

「ち、違う! そんな理由じゃないんだ! オレは友達であるタクを一方的に殴り続けることに納得することが出来ないんだよ」

「そんなこと言ってる場合じゃない! ポイントが枯渇寸前となったプレイヤーがまともな精神でいられるわけが無いんだ! 焦り、恐怖、視野狭窄に陥りバトルでも十全に実力を発揮できない。そのことはハルもよく知ってるだろう!」

 

 目の前の人物がそうだったんだから。タクムの言葉に出さない言葉はハルユキに十分伝わった。

 そして、その状態から引き上げてくれたハルユキ自身がその状況に陥ってしまうことに耐えられないのだろう。タクムはハルユキに無理やりにでも対戦を行なってもらうつもりだった。

 

「でも! それでもオレはいやだ!」

 

 上手く言葉に言い表せていないが、ハルユキの信念のこもった台詞にタクムは目の前の人物が一度言ったら聞かない性格の持ち主だということを思い出す。

 その真っ直ぐさのお蔭で自分が地獄から抜け出すことが出来たという事も……。

 

 タクムは未だ自分を涙目で睨みつける幼馴染を見て、呆れたようにため息をつくと、もう1つの案を提案するのだった。

 

「なら、残る方法はひとつしかない。

 

 『用心棒(バウンサー)』を雇うんだ」

 

 

 

 




作者言い訳

 大変遅れてしまいました。すいません仕様……いえ、私用です。

 多分これから今回の話のようにマサト側の話とハルユキ側の話を交互に出しながら物語を進展させていくと思います。
 何事も始めての経験ですから拙い点が多々あると思いますが。そのときはご指摘まってます。


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第22話 《用心棒》

 

用心棒(バウンサー)

 

 それは2年ほど前から現れた新人救済を主な活動としているバーストリンカーの通り名である。

 レベル1、またはレベル2限定でポイント残高の(あや)うくなったプレイヤーとタッグを組み、安全圏まで護衛してくれる歴戦練磨の強者であり、その成功率は100パーセントとまで言われている。

 

 なら、その者は超高レベルのハイランカーであるかと問われればそれは違う。

 用心棒のもう1つの通り名《唯一の一(ザ・ワン)》の名が指すとおり彼女のレベルはなんと“1”。最弱とも言えるその状態で数々のアビリティを使いこなし、錯乱状態の初心者(ニュービー)たちを守り通す唯一の守護神であった。

 

 しかし、彼女を頼るのはそう簡単なことではない。

 依頼人の数が膨大で依頼をしても断られやすい、ということではなく、彼女を雇うための対価が甚大なのだ。

 その対価はバーストリンカー最大のタブー《リアル割れ》。つまり、自分自身を担保にすることでようやく用心棒を雇うことが出来るのである。

 

 《ブレイン・バースト》を失うか、それとも(のち)の禍根を残してしまうか、その二者択一の答えられる者はそう多くない。

 

 

 その選び難い選択を突きつける、冷徹かつ、味方につけたら心強いその用心棒。その名前は――

 

 

 

 

 

 

「あ、貴女が《アクア・カレント》さん……なんですか? 《用心棒(バウンサー)》の……?」

 

 ハルユキはテーブルの対面に居るメガネをかけた女性にオドオドと話しかけた。

 目の前の彼女はハルユキの様子など意にも返さず、注文していたダージリンで喉を潤している。

 

 今、ハルユキたちがいる場所は『本屋の町』神保町。そこにある一店のカフェテリアの中だった。先日、ハルユキはリアル割れをしてまでも、この先黒雪姫と共に《ブレイン・バースト》を続けていくという覚悟を宿し、《アクア・カレント》に用心棒をお願いする旨のメールを送った。すると相手は集合場所としてここを指定してきたのである。

 

 ハルユキが店に着き、通された席には最初、7インチほどの黒いタブレットが置かれているだけだった。

 ニューロリンカーが普及してからはお役御免となったこの類いの携帯端末はもう通常の店頭では販売されておらず、秋葉原にあるようなマニアックな電子端末専門店みたいな場所でしか御目にかかれないくらい“レア”な商品である。

 しかし、値段も手ごろで、ニューロリンカーから遠隔操作が出来てかつ、使い捨てにも出来るこの端末はこれから使う要素にはピッタリの物ではあった。

 

 そのタブレットに表示された指示に従い、自分の名前を入力し写真を撮ると、設定されていた自動シークエンスが働いたのか、その写真がどこぞへと送信されてしまう。変わりに対戦開始予定時間が送られてきた。

 

 これでもう後戻りが出来ない。ハルユキはその事をじんわりと心の中で自覚する。

 ……そう、自覚したまではよかったが、その緊張によりトイレに行きたくなってしまった。ハルユキはまだ対戦開始の時間まで猶予があることを確認すると席を立ち店内にある化粧室へと急ぎ早に駆け出すのだった。

 

 しかし、そのせいで実は同店内にいた現実(リアル)のカレント本人と偶然に接触してしまい、気まずい雰囲気で席を同じくするようになってしまうなんて……本人はもちろんカレントも予想だにしていないのであった。

 

 

 

 

 まるでハルユキの言葉が聞こえて無いかのように無視をするカレントから謎のプレッシャーをビシビシ感じながらハルユキ自身も注文していたオレンジジュースを一息に飲み込んだ。

 本来なら一方的にリアルを割ることが報酬なりえるというのに、双方にばれてしまったらただの痛み分けでしかない。もしかしたら用心棒の話は無効となり、自分はこのまま店を追い出されてしまうかもしれないとハルユキは考えた。

 

 そうなったらどうしよう……。不安や焦り、混乱のせいで空となったコップとカレントを交互に見比べながらしかし、ハルユキはカレントの言葉を待つしかないのだった。

 

「……これ」

「は、はいッ!?」

 

 長い間待たされた挙句、カレントの言葉はたったひと言。

 そして同時に出された長いケーブルにハルユキは完全にテンパってしまう。

 とりあえず差し出されたケーブルを慌てて掴むハルユキを見ると、カレントはケーブルの先端を自分のニューロリンカーにくっ付けた。もちろんケーブルが伸びる先、もう1つの先端はハルユキの丸まった手が握りこんでいる。

 

 もしかしなくても『直結』!?

 それが意味することを中学生のハルユキは知っているし、店内に居た他の中高生の客もハルユキたの様子を興味深そうに眺め始めていた。

 出会ったばかりの異性と何の(はばか)りも無く直結する事をハルユキができるわけも無く、ただただカレントの首につながったケーブルを右に左に揺らすだけしかできない。

 

「早くして……」

「…………はい」

 

 しかし、その動揺もカレントの情け容赦ない催促の言葉によって呆気なく吹き飛ばされてしまうのだった。

 カレントの言葉にこもった、有無を言わせない強制力はハルユキの《親》にして白黒ハッキリつけるタイプである黒雪姫が怒った時の……『極冷気クロユキスマイル』を浮かべたときの気配によく似ている。

 

 そこまで考えたところで目の前から発せられる怒りの気配がピーク値上昇を続けているのを肌で感じ、ハルユキは、えいっ! っと気合を入れて一気呵成にニューロリンカーにケーブルを接続するのだった。

 

『ようやく落ち着いて話すことが出来るの』

 

 直結するとほぼ同時、ハルユキの頭の中に声が響いてきた。

 その繊細で可愛らしい声はハルユキ自身が脳内で考えていることではない。目の前の人物から直接脳内に送られてきたものだ。

 『思考発声』、直結してまでカレントがしたい事とはそれだった。

 

『あの……どうして直結する必要があったんですか?』

 

 ハルユキは自分の思った疑問を素直に相手に送るが、返ってきたのは怒気とキラリと光が反射するメガネの輝きのみ。

 襲い掛かってきた恐怖に首を竦ませ謝るハルユキに、カレントは実際にため息をついてからハルユキにその理由を説明してきた。

 

『《ブレイン・バースト》のことを少しでも外部に知られたくはないの。それほどこのゲームは秘匿性が高いということなの』

 

 たしかに何も知らない一般人がこのゲームに興味を持たれても困るし、万が一この場に他のバーストリンカーがいるとも限らない。そしたらもっと困る。

 それならば直結した方が精神的にも安心できる……のか? などとハルユキが考えていると、カレントはふと体の力を抜いてハルユキに話しかけてきた。

 

『今までの様子を見る限り、わたしの正体を見破ったのはわざとではなく、本当に偶然……クロウは噂どおりただのおっちょこちょいだったの』

 

 その噂とやらを詳しく聞きたい衝動に駆られるが、今までの流れから碌な事を言われる訳が無いない。グッと我慢する。

 しかし、その噂のお蔭でカレントの警戒が薄れたのだから“良し”としようそうしよう。ハルユキはそう無理やり納得するのだった。

 

『では、予定より時間が過ぎてしまったけれど、仕事を開始するの。

 これからタッグ戦を繰り返しあなたのポイントが安全圏……50ポイント程度になるまであなたのことを護衛する。わかった?』

『はい! 大丈夫ですカレントさん!』

『これからは《カレン》でいいの。こちらも《クロウ》と呼ぶから』

 

 

 その後、ハルユキはカレントが冷静そうに見えて、高レベル者に迷いなく挑むような豪胆の持ち主だということに驚いたり(実際はレベル差によるポイント移動を冷静に考えた綿密なものだったが)、本当にカレントがレベル1で、それでもクロウを守りながらレベル3やレベル4を手玉に取れるほどの実力があるということに感動を覚えながらタッグ戦を続けていくのだった。

 

 

 

 

 挑戦すること1回、乱入されること1回の2戦を経てハルユキのポイントは約40ポイントまで回復する事に成功する。

 戦闘によって緊張した体を解しながらハルユキは目の前の彼女と少し会話しようと試みた。

 

『やっぱり凄いですねカレンさん。僕も何度かレベルが上のリンカーに勝ったことはありますが、それでもいっぱいいっぱいで偶然勝ち取れた、なんて戦いしかなかったのに……カレンさんはレベル1でも余裕で戦えるんですね』

 

 それは純粋な尊敬からの発言だった。いかに流水装甲という特殊な力の持ち主だといってもレベルキャップ(上限)が10と低いこの《ブレイン・バースト》で1つのレベルは大きな溝を生む事となる。

 それすら飛び越えてしまう実力を持つカレントは本当に何者なのか、ハルユキの興味は尽きなかった。

 

『わたしには経験という大きな武器があるの。こうやって用心棒をやっていると色んな能力を持つアバターと戦える機会に恵まれていくの。それで培われた臨機応変な心持ちが戦闘に余裕を持たせてくれる……なの』

『へぇー! やっぱりカレンさんは結構な古参のバーストリンカーなんですね。一体どの位続けてるんですか?』

『それは……』

 

 どこか言いにくそうに言葉を伝えるカレントの様子をハルユキはそれ以上見ていられなかった。

 なぜならば視界一面に

 

 【HERE COMES 

    A NEW CHALLENGER!!】

 

 という文字が現れてしまったのだから。

 つまりひと時の休憩は終わり、次の対戦の時間が始まったのだ。

 

 

 

 

 

 

 次の対戦ステージはシトシトと粒の細かい雨が降り注ぐ《霧雨》ステージだった。

 このステージは視界があまり良くなく、レーザーを初めとする光学系攻撃はその威力を弱めるので赤系統のアバターからは特に嫌われているステージだ。

 それに限らず加速世界では傘もさせず、水がしっとり肌に張り付く不快感は、多くのプレイヤーがいい顔をしない。

 

「あっちゃー、やなステージに当たっちゃったわね」

 

 現に対戦者からも否定的な声が上がっていた。

 思っていたよりも近くから聞こえる声に《シルバー・クロウ》となったハルユキは警戒しつつ敵の方へと目を向ける。だが、その姿を目に入れた瞬間、クロウはバイザーの奥にある自分の目を擦りたくなる衝動に駆られてしまうのだった。

 

 なぜなら対戦者の体がすでに燃え始めていたからだ。

 開始早々、状態異常(デバフ)にかかってしまったのかとクロウは考えるが、ステージ特性からはもとより、クロウも、カレントも相手を火達磨にするような必殺技またはアビリティを持っていない。

 

 ならば、どういうことか? クロウが心を落ち着かせ、よく対戦者を観察してみると、体全体が炎で燃えているのはアバターそのものの特性だということがわかった。

 轟々と未だ消えることなく体が炎に包まれているのに、相手のHPゲージはこれっぽっちも減り始めていないのを確認したからである。

 

 クロウがそのゲージの下、アバターの名前を見てみるとそこには《フレイム・ゲイレルル》の文字が……つまり、彼女もまたカレントと同じく、定型色を持たない装甲を持つものなのだろう。ハルユキはそのことが解ると、相手は挑戦者だというのにホッと、安心してしまうのだった。

 

「あなた……どうして……」

 

 手のひらで天板を作りながら空を眺めているゲイレルルの姿を睨みつけながらクロウの隣にいたカレントは声を上げる。

 どうやらカレントは目の前の人物を知っているらしい。

 

「ああ、カレント。ちょっとあなたにお願いしたいことがあってね……」

「イヤ。それに見てわからない? いま“仕事中”なの」

「いいじゃない、ちょっと話を聞くだけでも……」

「イ・ヤ!」

 

 ……訂正。両者はお互いの事を知っているが、仲はすこぶる悪いらしい。

 その様子が今のやり取りで簡単にわかった。

 

 仕事中、と言われカレントから指差されたクロウは相手からも注目されたようだ。ゲイレルルから視線を向けられる。

 

「……って、あれ?」

 

 ……視線を(むけ)けられたはいいが、あちらにとっては自分と言う存在がここに居るということ自体が驚きだったようだ。目を2、3度瞬かせ、それからもう一度、まじまじとクロウの体を眺められてしまった。

 

 どうしたことか、ゲイレルルはうーんと、頭を捻ってから足元に居るもう1人の人物へと話しかける。その声は小さく、クロウたちの方までは聞こえないが、どうやら自分が居ることで何か計画が狂ってしまったのだろうか。

 

 それにしてもゲイレルルの隣にもう1人アバターが居たということをクロウは始めて気がついた。

 なぜだろうか……。《霧雨》ステージの視界が悪いという事もその原因ではあるが、何よりそのアバターの身長がとても低いせいかも知れない。

 女性型アバターの中でもゲイレルルは身長の高い方だが、それでもクロウと同程度でしかない。そのゲイレルルの腰まで届かない身長なのだから全長100センチも無いだろう。

 

 しかし、あんなアバターは初めて見る。ずんぐりむっくりの濃紺ボディ、パタパタと動く羽、黄色いくちばしは丸くて触ると気持ちよさそうだ。

 どう贔屓目に見ても戦闘には適していないだろうペンギン型のアバターにクロウは大いに戸惑った。

 

「あのー、カレンさん。あのゲイレルルさんの隣に居るアバターのことを知ってますか?」

 

 クロウは歴戦練磨のカレントならば何か知ってるかもしれない、そう思って聞いてみるがカレントの返答は“呆れ”だった。

 

「あんなデュエルアバターが居るわけないの。

 あれは観戦用“ダミーアバター”。挑戦者はルル1人だけ」

 

 その言葉を聞いてクロウはようやく引っかかっていた疑問に思い当たった。

 なにか違和感があると思ったが、あのペンギンアバターの分のHPバーが頭上に表示されていないのだ。タッグを組んでいるカレントの名前はクロウのHPバーの下に表示されていると言うのに。

 

 もっと注意深く観察していればゲイレルルの名前を見たときにそのことを見抜けたに違いない。カレントの呆れも尤もだ。

 そもそも“ダミーアバター”の存在も自分は知っていたではないか。普段VRで使っているアバターも、ブレインバーストのダミーアバターも同じ姿にしてしまっていたからこそ黒雪姫はタクムにその正体を見抜かれ、リアル割れをしてしまったのだから。

 

 しかし、それならそれでまた疑問に思い浮かぶことがある。クロウは後学のためにカレントに尋ねてみることにした。

 

「で、でも観戦用って事は《ギャラリー》なんですよね? じゃあどうして僕たちと同じ地面の上に立ってるんですか? 《ギャラリー》っていったら……ほら――」

 

 クロウの視線の先は上。建物の上に並んでいる対戦を見学している《ギャラリー》達だ。

 

「ああいう風にこちらには来れないんじゃ……

 それにあのペンギンが《ギャラリー》ならゲイレルルさんは1人で僕たちに挑んできたって事ですか?」

 

 このままじゃ2対1で戦うことになってしまうが、それって可能なのだろうか?

 初心者と組むことが多いからこの手の質問に答えることもお手の物なのだろう。クロウの疑問にカレントは嫌な顔をせず答えてくれた。

 

「確かに《ギャラリー》は故意に対戦者の居るフィールドに下りてくることは出来ない。でも例外はあるの。それは対戦者の《親》、または《子》であった場合。そのときは加速する時に近くに居れば対戦者の近くに現れることが出来るの。

 次の質問だけど、その通り。向こうの対戦者は1人。正確に言うならこの対戦は《タッグ戦》じゃなくて《チーム戦》、人数の少ない方の全員の許可さえ得れれば2対1でも5対4でも可能になるの。昔は色んなところで行なわれていたけど今は《領土不可侵条約》もあるから……」

 

 最後、カレントは言葉を濁したが、確かに他のレギオンの連中がチームを組んで5人も10人も一斉にやってきたらそれは侵略を疑ってしまう。

 お互いを不干渉にすることで微妙なバランスを取っているこの加速世界で疑惑をかけられた場合、残った他のレギオンから集中攻撃を受けてしまう可能性もあるんだ。

 数の暴力。その怖さを実際に知っているクロウは急に体が冷たくなりブルリと体を震わせてしまうのだった。

 

「それに、相手が1人でも油断しない方がいい。相手は7大レギオンの1つ《スーパー・ヴォイド》の幹部」

 

 《スーパー・ヴォイド》。クロウは幼馴染から聞いていた加速世界の知識を思い出す。アバターの色による特色の違い、フィールド特性の違い。そして各レギオンの特徴も習っていた。

 

「たしか、騒ぐことが好きで、団長主導で厄介事を持ってくるって言う……」

 

 荒谷達のような馬鹿騒ぎする不良集団を思い浮かべ、絶対に自分とは感性が合わないだろう想像上のヴォイド団長にクロウはうへぇ、と舌をだした。

 団長からしてそれなのだから目の前のゲイレルルも女番長――いわゆるスケ番のような人なのだろう。もしかして勝っちゃたりしたら後で1人の時にお礼参りとかされちゃうのだろうか。

 

「……まあ、おおむねその通りなの。でも相手が1人だと言って油断しない方がいい。だって、相手のレベルは8だから」

「“8”!? 事実上レベル9が最高レベルであるこの世界で8なんですか!?」

 

 嘘だ! とビックリするクロウにカレントは無情にも無言で肯定する。

 レベル8の相手に初心者である自分とレベル1であるカレンさんが挑むぅ!?

無謀ともいえるその挑戦にしかし、カレントは一筋の希望をクロウに与えてくれる。

 

「大丈夫。他のレベル8と違ってルルには弱点があるの……」

「こっちの話はまとまったわ! せっかくだからこのまま一戦やりましょう!」

 

 その弱点って何ですか! クロウがそう問いかける前にゲイレルルの言葉が遮ってしまう。

 向こうはもう用意万全のようでいつの間にか取り出したのか強化外装だろう炎の槍を轟々と振り回していた。回転が速すぎて大きな円盤を持っているようにも見える。

 

 クロウは今からでもその弱点とやらを聞き出そうとカレントに顔を向けるが――

 

「余所見は禁物……なの!」

 

 カレントに押され踏鞴(たたら)を踏むが、さっきまでクロウがいた場所に炎の槍が突き刺さる。

 あの一瞬でゲイレルルの攻撃がこちらを襲ったのだ。

 

「攻撃は全部わたしが捌く! クロウは攻撃に専念して!」

 

 カレントの指示が出ると同時にクロウはゲイレルルに向かって飛び出した。遠距離攻撃を持つ相手に距離を取るなんて事は考えてはいけない。

 カレントもクロウに追随してくれる。だが、敵であるゲイレルルが黙って見ているわけがなく……。

 

「来たわね! それじゃあこれはどうかしら? それっ! えいっ!」

 

 ゲイレルルは先ほど投擲した槍と同じものを両手から生やし、クロウとカレントに一本ずつ放ってきた。しかし、まだ距離がある今、投擲する瞬間さえ見ていれば回避することも可能。

 クロウは殆んど真横に飛ぶようにして攻撃を避けるが、それでも槍の持つ熱風が肌を舐める。

 

 しかし、そんなことに構っている場合ではない。再びのダッシュでクロウはゲイレルルとの距離をさらに詰める。これで槍を飛ばす時間は無いはず。

 

「ふんふん、スピードはなかなかのものね……」

 

 ゲイレルルの言葉と共に接近戦になることが解ったのだろうペンギンのアバターが、邪魔にならないように とてちてと建物の影に隠れていった。

 それを端目に確認しながらもクロウは決してゲイレルルから視線を外さない。

 ゲイレルルはまた1本の槍を生み出すと、体全体を使って槍を回転させ、遠心力を伴った一撃を振りかぶった。

 

「クロウ! 飛んで!」

 

 カレントの号令のままクロウはゲイレルルの頭上へと飛び上がる。ゲイレルルの槍が自分の足元を通過する様子を見ながらカレントへと注意を向けると、カレントは倒れこむかのように体と地面を接近させていた。

 しかし、カレントの前進は止まらない。体を覆う流水装甲を循環させて、まるで“コロ”の上を進む荷物のように自分の体を前へ進めているのだ。

 

 これでゲイレルルに上下から同時に攻撃できる! 両方の攻撃を裁くのはいかにレベル8といっても至難の業だろう。クロウはゲイレルルの隙だらけの頭上に蹴りを放つ。

 

「なかなか、やるわね!」

 

 ゲイレルルは切れ切れにそう言うと、なんと槍を振りかぶった姿勢のまま後ろにスウェーしていくではないか。まるで氷上をすべるスケート選手のような流れる動きにクロウは目を開いた。

 

「すいませんカレンさん。あんな絶好の機会を作ってもらったのに、足を掠らせるだけで精一杯でした」

「ううん、それでいいの。見て」

 

 カレントの指すゲイレルルのHPバーを見るとなんと先ほどの攻撃で相手のHPは1割も削られていた。クロウの攻撃は本当に足の先を当てた程度だ。同レベルだったとしてもこの半分も減ればいい方だ。

 なぜ……? そのクロウの疑問に答えたのはやはりカレントであった。

 

「これがルルの弱点。とあるアビリティによって彼女に10回攻撃を与えることが出来ればそれで勝てるの」

 

 そんな! ハルユキはゲイレルルのアビリティを理解するのと同時、驚愕と共に戦慄する。そんなハンデを背負って尚、彼女はレベル8という高みに上ったと言うのか! その数々の修羅場を想像しながらクロウは口に溜まった唾を飲み下した。

 

「でも、彼女の基本戦術は知っての通り遠距離からの集中砲火。さっきのは多分あなたのポテンシャルを計るために近づけさせた。これからはそう簡単に近づけないの。

 でも、今のわたしの遠距離攻撃(水 弾)じゃルルの装甲は貫けない。攻撃の要はクロウ……あなたなの」

 

 ゲイレルルを睨みつけながら小さな声で確認してくるカレントの言葉にクロウは覚悟を決める。先の2戦で自分はカレントに頼りっぱなしだった。ピンチに陥れば助けてくれたし、用心棒なのだからそれも当然だと無意識に思ってしまっていた自分を殴りつけたくなる。

 

 ――そんなんじゃダメだ! タッグって言うのはもっと頼ったり、頼られたり、相手の短所をカバーしあうような関係じゃないと!

 

 前を向いているカレントには見えていないだろうが、クロウはしっかりと頷き、自分がゲイレルルを倒すということを伝えた。

 気配だけは伝わったのだろう、カレントの口元が緩む。

 

「じゃあ、さっきのようにわたしは下から。クロウは上から攻める。いい?」

「大丈夫です!」

 

 レベル8のHPを1割も削ったのだ、クロウの必殺技ゲージは4分の1ほど溜まっていた。

 これなら“飛ぶ”のに十分!

 

「じゃあ、任せるの!」

 

 ゲイレルルが再び攻撃を開始するのと同時、カレントは地面を縫うように前進し、クロウは背中の装甲を展開、飛翔するために必要な輝く銀翼を大きく広げた。

 その翼はクロウの意思と同調し、2度3度羽ばたくと、クロウの体を空へと誘っていく。クロウは言葉に表せない開放感と共に宙へ飛び上がった。

 この瞬間だけは何度体験しても色あせない。この時のためだけに《ブレイン・バースト》をプレイしているといってもいい。

 

 未だ見慣れていない《ギャラリー》の感嘆の声をBGMにクロウは優雅に空を舞うのだった。

 

 

 

 




交互にやるといっておいて早速ハルユキオンリー視点に……これがダブル主人公の難しさか……。


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第23話 手加減

 ふわりと華麗に空を舞う《シルバー・クロウ》の姿に、ペンギンアバターの姿見学していたマサトは静かに感動していた。

 

 ――あれがレイカーの……楓子の目指した世界……

 

 確かにアレを見てしまえばレイカーの方法は飛翔ではなく、跳躍だと考えさせられてしまう。

 決して解りたくなかった。これでは空を目指し、しかし、届かなかった楓子にこれからなんと声をかければいいのか。

 貴女が足を切り落としてまでした行動は全て無駄でした? そんな言葉が浮かぶ自分の頭を思いっきり殴りつけたくなる。この世界に意味の無いアバターなんて存在しない。レイカーがあの形をとったのだって何らかの意味があるはずなんだ。それさえ解れば……。

 

 マサトがあれこれ考えているうちに目の前の戦闘はさらに激しさを増していた。

 《アクア・カレント》を牽制しつつ、空に向かって対空射撃を続けていく《フレイム・ゲイレルル》。相手のポテンシャルを見つつ、適当に終わらせる。始める前はそう言っていたはずなのに今の様子を見る限り、そんなことすっかり抜け落ちているようだ。

 

 そもそも、どうしてこんな事になったのか。それはマサトがクロウの噂を聞きつけたところから始まった。

 今話題の《シルバー・クロウ》は制空権を上手く使いつつ、相棒の《シアン・パイル》と連勝を続けているらしい。このまま一気にレベルを上げていくだろうクロウに偵察(ちょっかい)を出すその前に、真の情報通である《アクア・カレント》から彼の情報が無いか聞いてみようと、いくつかあるカレントのホームを回ったところ神保町にて発見したのだった。

 自分が表にに出てきたら酷く話題になってしまうだろう(レベル9が他地区に行くと色々うるさいのだ)と考えたマサトはダミーアバターを使い、交渉はカンナに任せることにした。

 意外にもカンナとカレントは仲が悪い割には何回か連絡を取り合っているという話だったからだ。会うたびにいがみ合う2人の会話内容は想像もつかないが、これがケンカするほど仲がいい、ということなのだろうか。

 

 

 しかし、カンナがカレントのタッグパートナーの名前も碌に注意を払わず対戦を挑めばなんと噂のご本人の登場。カンナと相談した結果、面倒だからここで相手を調べ上げればいい。という話に落ち着いた。

 

 しかし、マサトの目から見てクロウはなかなかのポテンシャルを秘めていると感じていた。両の翼を使った旋回能力は高く、クロウ本人の反応速度もいい。そして、風に乗ったときの最高速度には目を見張るものがある。

 あれでまだレベル2なのだから、これから先、その特性を伸ばしていけば上位リンカーに食い込んでくるのは目に見えていた。

 これから先、強いリンカーの数は多ければ多いほど良い。彼をこちらのレギオンに引きこめないだろうか。

 そう判断したマサトはルルに指笛でこちらに注目するように合図を出した(傍目から見ればハネを加えるペンギンという滑稽な姿だったが)。

 

 指笛の音を聞き、こちらに視線を向けるルルにマサトはボディランゲージで自分の意思を伝えていく。堂々と《ギャラリー》のいる前で勧誘しろと叫ぶのは些か気が引けたためだ。

 

 空を飛ぶクロウを指差し、

 

 ――あいつを、

 

 自分の体をギュッと抱きしめる。

 

 ――勧誘しろ(抱き込め)!

 

 マサトのジェスチャーにルルは大変気持ちのいいグッドサインを出し、カレントに牽制を出しつつ、クロウに向かって両手を広げた。

 それはもう、無防備に、完全に受け入れる体制だ。

 

 ――ちっがぁーーう! クロウを抱きしめてダメージを与えるんじゃない!

 

 マサトは必死にハネを動かすが、すでに背中を向けているルルはマサトの動きに気がつかない。

 否定の声は普通に出せばいいと、当たり前のことに気がついたときはすでに遅し、もうクロウはルルに向かって超スピードで突進を開始してしまった。こうなっては迂闊に声をかけた方が危険だ。

 

 しかし、体をピンと伸ばし、一直線に伸びる銀の軌跡は美しい。

 ここが《霧雨》ステージであることが悔やまれる。もっと晴天の空の下、《月光》や《黄昏》のステージで見ればより心に刻み付けられただろう。

 

 天から降り注いだ銀の流星がルルの体を貫き、地面に着地する。

 並みのアバターならばルルの体に触れるだけでHPが減少するというのに、《シルバー・クロウ》にその様子は無い。さすが《メタルカラー》ということはある。そして、ルルのHPは残り8割。その様子を見て、クロウ本人もこのまま接近戦を続けた方がいいと判断したのか、立ち上がると同時、ルルの首を刈り取るような後ろ回し蹴りを放った。

 

 しかし、ルルも並みのリンカーではない。半浮遊型の特性を使いつつ、すべるように後ろに下がり、攻撃をかわす。

 距離を取ろうとするルル、距離を詰めたいクロウ、その一進一退の攻防は目が離せない。

 

 そこで1歩引いた立場から見ていたマサトは気がついた。

 クロウに注目しつつ後ろに下がるルルの背後にカレントが忍び寄ってきていたのだ。ルルはまだその存在に気がついていていない。完璧な挟み撃ち。

 まさか、クロウはこれを狙ったのか、それとも偶然そうなったのか、それは解らないが、これでクロウ組は優位に立つ。

 

 カレントが背後に立ち、ようやくその存在に気がついたルルだったがもう遅い。2人の同時攻撃により攻勢を崩したルルは劣勢に陥った。

 

「ああ! もう、この手はあんまり使いたくなかったけど!」

 

 前後からの攻撃を同時に対処しきれないルルは奥の手とも言える手を繰り出した。

 

「プロ……じゃなかった。紅炎!」

 

 《ブレイン・バースト》に珍しく漢字名義の技名を叫ぶとルルの体――胴体から2本の槍が飛び出てくる。突然の奇襲に驚いたクロウとカレントは思わず飛びのき、ルルとの距離が離れてしまう。

 

 ルルの愛用する強化外装(フロッティ)はルルの体ならどこからでも生み出す事ができる特殊武装だ。

 しかし、ルルは普段から武器を手のひらから取り出している。それは取り出してから投げるまでのタイムロスを減らすためでもあるし、今のような囲まれた時の奇襲用として隠し通しているためだ。

 そもそも、遠距離攻撃特化型のルルがそこまで接近されることがまず稀であるし、この技を考え付いた時の技名が《赤のレギオン》にすこぶる不評だったことから意識的に封印されている面もあるのだが……。

 

 

 隙あり、とすぐさまクロウに接近し、近距離戦闘を仕掛け一点突破を図るルルであったがクロウも負けずと食いついていく。

 熱風吹き付けるルルの近くで格闘戦を行なうと、その熱さから集中力とHPが徐々に削られてしまうためルルも決して接近戦が不得手というわけではないのだが、メタルカラーであるクロウにはどちらの効果もいまいち発揮できないようだ。

 

 結局、純粋な格闘戦でも1歩及ばず、ルルはクロウに残りのHPを全て持っていかれてしまうのであった。

 

 

 

 

 

 

『やった! 勝ちました! 僕たちレベル8のゲイレルルさんに勝ちましたよ!』

 

 戦闘も終了し、現実世界に戻ったハルユキは飛び上がらんばかりの感動を目の前の少女に伝えるが、その当人はあまり喜んで無いようだった。

 その様子に、ハルユキのテンションも徐々に落ち着き、腰を落ち着ける。するとカレントからハルユキに少し嗜めるかのような小言をもらってしまうのだった。

 

『あまり浮かれるのは危険なの。あの戦闘、向こうは本気じゃなかったの』

『えっ!? 何でですか?』

『まず、ルルの戦法は槍投げによる遠距離攻撃。これはさっきの戦闘でも使ってたけど本来なら《フレイム・ランス》という必殺技による投擲を行なうはずなの。それはシステムアシストによって威力も、速度も段違いの攻撃。でも彼女は1回も使わなかった……なの』

 

 確かに、ハルユキは言われて先ほどの戦闘を思い出すが、相手が必殺技を使った様子はなかった。しかし、それはこちらも同じこと。しかし《シルバー・クロウ》の必殺技は《ヘッドバット》であり、カッコよさも使い勝手も悪いことからハルユキはこの技を封印しているという情け無い理由なわけなのだが。

 

『それに不自然にこちらの攻撃を受けるような場面も多くあったの……』

『そう言われれば両手を広げて隙だらけなポーズをとってましたね』

『それに最後は不利な接近戦を無駄に続けていた……。つまり、向こうは最初っから負けるつもりだった、ということなの』

『そ、そんな! 何でそんなことを!』

 

 舐められた……。ハルユキが唯一得意にしているゲームというジャンルで。

 いくらレベル差が大きく、相手も本気でやれば一方的にやられてしまうのかもしれない、だからといってこちらが全力で挑んだのに相手はお遊びだったなんて……。それだけでハルユキはお遊び好きのヴォイドの幹部だという《フレイム・ゲイレルル》を強く恨んでしまう。なけなしのプライドを馬鹿にされたと感じたからだ。

 

 膝の上でギリリ、と手を強く握るハルユキに申し訳なさそうな顔をしながら謝ったのは何故かカレントだった。

 

『多分、わたしに原因があるの。向こうの用事を今忙しいからと断わった。あなたを守るという使命があったから』

『それとこれと何の関係があるんですか!』

『チーム戦はタッグ戦と同じ、双方のレベル差によってポイント移動の値が変わる……つまり――』

 

 クロウとカレントのレベルは合わせて3。レベル8のゲイレルルとは5の差があるから……。

 

『あっ!』

 

 そこまで考えて、ハルユキは自分のバーストポイントの残高を確かめる。

 すると先ほどまで40だったポイントがいつの間にか90まで回復していたのだ。

 つまり、先ほどの戦闘で50ものポイントが手に入ったことになる。たった1回の戦闘でこれほどのポイントが移動するとは……。

 

『そう、仕事が終わればわたしも暇になる。だから彼女はわざと負けた……。

 あと、彼女はああ見えてお節介なところもあるから、ポイントの危ういあなたを心配したのかも』

『そう、ですか……』

 

 あの時、ハルユキのポイントはカレントのお蔭で少し余裕があった。でも、万が一、ゲイレルルとの戦闘が最初に来ていたら? そして相手が全力で挑んできて負けてしまったら? そのときハルユキのポイントは僅か“3”となり、成功率100パーセントと言われていたはずなのに失敗したカレンさんを信用できなくなり、次の戦闘で自暴自棄になっていたかもしれない。すると最悪は……。

 そう考えると顔が青く染まってしまうハルユキだった。

 

 先ほどとは違う感情で震える手を思いっきり握り締める。

 でも……、それを踏まえたうえでハルユキはもう一度言った。

 

『それでも、手加減されたことには怒りがわいてきます。どんな理由があろうとも僕は全力で相手をしてもらいたいって思ってますから!

 …………ですから! 今度はもっと強くなって、1対1で清々堂々、本気で戦って、そして勝ちます!』

 

 ハルユキの真っ直ぐな目にカレントは微笑んだ。馬鹿にするような嘲笑ではなく、慈しむような、大きく成長した子供を見るような、祝福の微笑だった。

 

『それがいいの。その時が来たらわたしも誘って欲しいの。ルルの悔しがる顔をじっくりと見るチャンスだから……。

 それに今日は彼女の奥の手……裏の手ともいえる技を見させてもらえたのは感謝してるの』

 

 一転して悪い笑顔を受けべるカレントにそういえば2人は仲が悪いんだったとハルユキは思い出すのだった。

 

 

 

 

『じゃあ、あなたのポイントも回復したし、今日はここまでなの』

『あっ! はい、今日はありがとうございましたカレンさん! とても助かりました』

 

 カレントの宣言にハルユキは深く頭を下げる。最初は不安だったが、こうしてタッグを組んでみるとどうしてカレントへの依頼がなくならないのかよく解る。

 始めて組む相手だというのに、カレントには絶対的な安心感があるのだ。この人なら安心して背中を任せられるというような……。これが本来のタッグのあり方なのだろうか、タクムと組んだときに実践してみよう。

 と、ようやくそこでこの神保町に一緒に来てくれた本来の相棒、黛 拓武のことをハルユキは思い出した。

 

『す、すいませんカレントさん。僕、近くに友人を任せているのでもう帰りますね……』

『少し待つの……』

 

 もう一度カレントに頭を下げつつ、ニューロリンカーに刺さったケーブルを抜こうとすると制止の声が掛かる。その声に疑問を持ちつつ顔を上げるとカレントの瞳と視線が合った。

 ゆらゆら揺れる水のように底に見えない不思議な瞳。

 ハルユキがその目に見惚れているとカレントの小さな唇がゆっくりと動いていく。

 

   《バーストリンク》

 

 意識が仮想世界に移って行くなか、ハルユキはハッキリとその声を聞く。

 

『後払いの報酬をまだ貰ってないの……』

 

 

 

 

「お客様? 大丈夫ですか?」

「は、はい!?」

 

 ハッ、とハルユキが目を覚ますとそこはカフェテリア。傍らにはこっちを心配そうに見ている店員の姿があった。

 

「お加減悪いようでしたら救急車を呼びますが……」

「だ、大丈夫です! お、お会計お願いします!」

 

 

 なぜこんな所に来てしまったのだろう? カフェテリアのあったビルを見上げながらハルユキは今日の出来事を1つずつ思い出す。

 確か昨日、バーストポイントの残高が危なくなって……タクの薦めにしたがって用心棒を雇い……。

 

「そうだ! ポイント!」

 

 ハルユキが急いでコンソールを動かし、《ブレイン・バースト》のインストを操作するとそこには90ポイントまで増えるポイントがあった。

 

「そうだ……確か用心棒の人に助けてもらって」

 

 それで戦いが終わった後、その人とは別れたんだ。その後どうやら居眠りしてしまったらしい。ブレインバーストを失うかどうかの瀬戸際だったせいで昨日は碌に眠れなかったし、緊張が解けたせいで疲れがドッときたのかもかも……。

 

 どの位眠っていたのだろうか、ニューロリンカーに表示される時間を確かめる。

 ハルユキはそこで近くにタクムを待たせていたことを“再び”思い出した。

 

「ヤバイ! 結構待たせちゃってるかも。タク怒ってないかなぁ……」

 

 急いでタクムが待つといっていた近くの店に走り出そうとした瞬間、注意力が散漫になっていたせいだろうか、ちょうど前から来ていた人と肩をぶつけてしまう。

 

「あ! すすす、すいません!」

「ふふ、やっぱりおっちょこちょいなの」

 

 ぶつかった、メガネをかけた中性的な印象のある女性は怒っていないようで、謝るハルユキに微笑みを向けるとすぐに町の人ごみの中へと消えて行ってしまう。

 彼女の言葉に少しの疑問を覚えるが、その疑問もすぐに抜け落ちてしまった。まるで手のひらで掬った水が流れ落ちるかのように。

 

「なんだったっけ……あ、タクム!」

 

 そして、ハルユキは再び待たせている友人に向かって駆け出すのであった。

 先ほどの女性とは背を向ける形で……。

 

 

 

 

 

 

 ハルユキの記憶を《ブレイン・バースト》内で《心意》を使い、自分のことに関する記憶を忘れさせたあと、ハルユキと別れた《アクア・カレント》――氷見(ひみ) あきらはまだ神保町にいた。

 時刻は3時過ぎ、ハルユキとタッグを組んでいた昼ごろと比べマッチングリストに表示されるバーストリンカーの数は如実に少なくなっている。これが本来の神保町……ひいては千代田区におけるバーストリンカーの賑わいなのだが、土曜のあの時間が特別なのだ。

 

 千代田区の半分以上を占める進入不可能の皇居、そこはソーシャルカメラの範囲外でもあり、加速世界でも立ち入れないことを表していた。《無制限中立フィールド》においても《四神》によって中に入れないという現状は現実と同じといえる。

 そのため、他の地域よりも戦闘フィールドは狭く戦い難い。大半のバーストリンカーに不人気なのも仕方が無い。しかし、それでも自分の“ホーム”で戦いたいという人も居るわけで、休日の昼間だけは近くの学校に通っている……近所のバーストリンカーが集まってくるわけだ。

 

 

 そんなことを考えながらあきらは少なくなったリストの中、いまだ存在するバーストリンカーの名前をタップした。

 初期加速世界(ブルーワールド)が壊され、新しい対戦フィールドが作られる。

 感情の無い歯車が休むことなく回転し、温もりの無い鋼材が町を覆う。自然……特に水が存在しないそのフィールドに目を通した後、目の前に現れた対戦者を睨みつけた。

 

「それで、用事ってなに? 《フレイム・ゲイレルル》。

 わたしの仕事の邪魔をしたからにはそれほどの用件があった。そうでしょう?」

 

 ルルの隣にいるペンギンの中身に予想がついているあきらは事の重大さを覚悟しながら積年の付き合いがある人物に話しかける。

 しかし、返ってきた答えはなんとも呆気ないものであった。

 

「いや、もう何も無いわよ」

「……いま、なんて言ったの?」

 

 聞き間違い、それを願って再び聞き返す。

 しかし、現実は非情で……いや、ルルが無神経だった。

 

「だから、もう用なんてなくなったって言ったの! 私達の目的はあなたに《シルバー・クロウ》の情報が無いか聞きにきただけ。でもクロウ本人に出会えたんだから、すでにあなたには用済みってこと。わかった?」

 

 なんてこと無いように言うルルの言葉に、残っていた数少ない《ギャラリー》達はコソコソとバーストアウトしていく。カレントの放つ気配に怯えたせいでもあるし、この後起きるであろう惨劇に自身が巻き込まれないようにするためである。

 そしてフィールドは1分も経たない内にまるで《クローズドモード》に入ってしまったかのようにがらんどうになってしまう。

 残っているのは対戦者である《アクア・カレント》と《フレイム・ゲイレルル》。そして、ルルの近くで慌てているペンギンアバターだけであった。

 

「ルル、そんな言い方無いよ。ほら、カレントさんに謝って……」

「なに? 本当の事なんだからいいじゃない。それにこの娘、用心棒なんてやるくらい暇人なんだからこの程度なんでもないわよ」

 

 普段からでは想像できないほど棘のある言葉でカレントを傷つけるルル。どこまでいっても相性が悪いのか、相対すると思わず挑発めいたことをしてしまうのだった。

 

「……ウニ坊主」

「…………何ですって?」

 

 ポツリと、カレントが口にしたその単語にルルは眉を顰めて聞き返す。

 しかし、カレントはルルを相手にせず、その場で三角座りをするように蹲ってしまう。そして……。

 

「紅葉(こうよう)」

 

 流水装甲のあちこちを尖らせ、丸まる姿はまるで栗。秋に色付く紅葉(もみじ)と秋が旬である栗をかけたのだろう。

 その様子と自身の技の名をもじった言葉にルルはカレントが何を言いたいのか解ってしまうのだった。

 

「あなたねぇ! ケンカ売ってんの!」

「別にそんなことないの……」

 

 棘を引っ込め、何事もなかった様に立ち上がり、そっぽを向くカレントに嫌な笑みが浮かんでいることに気がついたルルは「上等!」と腕を振り上げ、ズンズンとカレントに近づいていく。

 

「待った、待った!」

 

 しかし、再びカレントを止めたのは青いペンギン。その小さな体を精一杯飛び跳ねながら自分を制止する姿にさしのもルルもたじろいでしまう。

 ルルが立ち止まったことを確認すると今度はペンギンがカレントの方を向く。そして柔らかそうな体をペコリと折って謝った。

 

「ごめんなさい、カレントさん。不快な思いをさせてしまいましたね」

「……ドラゴニュート」

 

 カレントの言葉にペンギン――《プラチナム・ドラゴニュート》は驚いた顔でカレントを仰ぎ見た。

 

「解ってたの? オレがドラゴニュートだって……」

 

 《ギャラリー》の名前は対戦者でも解らない。そうしなければダミー用アバターなんて意味が無いからだ。

 加速するのだってカンナがする直前までグローバルネットを遮断していたのだからマッチングリストにだって載ってないはず。それなのになぜ? ドラゴニュートはカレントに尋ねていた。

 

「そんなの簡単なの。1つ、ルルの《親》または《子》であること。そしてわたしはそのどちらも誰なのか知っている。2つ、ダミーアバターを使わなければいけないような人物であること。ここまでくれば9割方解ったようなものだけど」

 

 「最後に1つ」。カレントはルルを指差しその理由を告げる。

 

「そのお転婆姫を止められるのは後にも先にもたったひとりしかいないの……」

 

 その言葉にルルは「うぐっ」と体を仰け反らせ、ドラゴニュートは照れ隠しに頬を掻いた。

 

 自分の正体がどうして見破られたのかは解ったが、そもそも今はルルとカレントの仲の悪さをどうにかしようとしている途中だ。ドラゴニュートはカレントに対して申し訳なさそうに話を続ける。

 

「カレント、ゴメン。ルルと仲が悪いのは本当はオレが原因なんだろう?」

「はぁ?」

「何言ってるの?」

 

 突然のドラゴニュートの台詞に残りの2人は怪訝な表情を浮けべてしまう。それもそうだろう、なぜ2人の相性の悪さがドラゴニュートのせいになるのか、その理由は思い浮かばない。

 訝しむ2人を無視してドラゴニュートはその理由を語っていく。

 

「だって、そもそもカレントが憎んでいる相手はオレじゃないか! 《マグネシウム・ドレイク》をこの世界から消してしまったオレのことが!」

「それはっ!」

「その話をどこで聞いたの、ドラゴ!」

 

「始めてカレントと出会ったとき疑問に思ったんだ。誰とでも仲良くなれるルルがあんなに牙をむき出しにする相手がいるなんて、って。そしてその相手がこっちに一度も視線を向けないんだから、逆にこっちを意識してるんだって思った。

 それから、カレントが拠点としていた地区に行ったのは1年後、だったかな。カレントの事を覚えているリンカーは少なかったけど、話を聞くことは出来たよ。

 

 カレント、キミはドレイクと仲がよかったそうだね。それも、《親》と《子》のように……」

 

 ドラゴニュートの言葉にカレントは唇を噛んで顔を(うつむ)けた。

 思い出したくない、忘れられない思い出を無理やり掘り起こされたからだろう。しかも、その思い出を奪った張本人から。

 

「……“ボクは”数多くのプレイヤーをこの世界から追い出してきた。そのことを後悔はして無いし、謝るつもりも無い。でも、ボクのせいでルルを責めるのは止めてくれないか」

「……違う」

「そうよ、ドラゴ。それは違うの!」

「違わないさ! 加速世界で《親子》の関係は何よりも重いものだ! 頼るべき存在を奪われた人が抱く感情も当然ね! でもそれは奪った張本人に向けるべきで、決して復讐の対象を違う人に向けちゃいけない!」

 

 復讐の方法というのは大きく分類すればそう多くない。

 本人に直接危害を与えるか、本人が大事にしているものに危害をあたえ、本人を後悔させるか、だ。

 今、この瞬間までドラゴニュートはカレントが後者の理由でルルを狙っていると思っていた。ドラゴニュート本人に対しては憎いという感情を通り越し、“存在すら許さない”と考えているのだと。

 

 しかし、それらはドラゴニュートの押し付けの感情でしかなかった。

 

 次の瞬間、ドラゴニュートは圧力の伴った水弾で吹き飛ばされ、ゴロゴロと短くない距離を転がることになってしまう。鋼で出来た床にしこたま体を打ちつけつつ、驚いて顔を上げると、そこには人差し指をこちらに向け、拳銃の形で狙っているカレントの姿があった。

 

 そして気がついたと同時、もう一発カレントの指先から先ほどと同様の水弾が放たれる。レベル1以下の性能しか持っていないダミー用アバターの姿をしていたドラゴニュートはその攻撃をかわす暇もなく、もう一度鋼の床を転げることになってしまうのだった。

 

「ちょっと! やりすぎじゃない!?」

 

 《ギャラリー》にはHPもなければ痛覚も無いのでいくら攻撃を仕掛けようとも意味はないのだが、自分の相方が無様に転がる様子は見ていて気持ちのいいものではない。ルルは強い口調でカレントを止める。

 

「悲劇を背負う自分に酔ってる馬鹿にはこのくらいがちょうどいいの」

 

 しかし、カレントはにべも無くそう言うと、天地が10回は移り変わったためいまだふらふらしているペンギンに言葉をかけるのであった。

 

「確かに、ドレイクを全損させたというあなたを恨んだときもあったの。

 そのあなたを庇ってわたしに会いに来たお転婆姫の事も……」

 

 チラリとルルに視線を投げるカレント。

 

「でも、《クロム・ディザスター》となってしまったドレイクは決して以前のドレイクではなかった。それは直接会いに行って、なんの躊躇もなく襲われたわたしがよく解ってる」

 

 自分の肩に手をかける。もしかして、そこをディザスターの剣が抉ったのだろうか。カレントは自分を慰めるかのようにその手を反対の腰まで撫で付けた。

 

「それに最後はあなたが止めを刺したわけじゃないのでしょう? それはルルから聞いたの」

「でも!」

 

 あの乱入がなくとも自分はドレイクに止めを打とうとしていた。そう伝えたかったドラゴニュートだったが、カレントはまだ話が終わってないと、ドラゴニュートの言葉を遮る。

 

「その行動に対しての怒りはさっきの攻撃でチャラにしてあげるの。これでもうわたしはあなたを恨む理由がなくなった。それでいいの」

 

 でも……、カレントは再びルルに視線を向け。

 

「やっぱりこの火達磨女を見てると胸がムカムカしてくるの。やっぱり彼女とは相性が悪いみたい」

 

 やれやれと、首を竦めるカレントの姿にルルもハンッ! と鼻を鳴らし。

 

「それはこっちの台詞よ。その水没姿を見てると息苦しくなっちゃうんだから」

 

 挑発的な両者の笑顔はやがて、どちらともなく穏やかな笑い声へと変わるのだった。

 

 その様子を見ていたドラゴニュートも自分はなんとも恥ずかしい勘違いをしていたのだろうかと顔を赤く染める。

 これは笑うしかない、とドラゴニュートも加わった笑いの三重奏はいつまでもフィールドを反射し、四方を満たすのだった。

 

 

 

 

 

 

「それで? ヴォイドの2人は“彼”をどう思ったの?」

 

 残っている対戦時間はあと500秒。そんなときにカレントが尋ねてくる。

 彼、と言うのはクロウの事だ。クロウと直接戦ったルルはもちろん、戦いを間近で見たドラゴニュートの意見を聞きたいのだろう。

 

「そうね、スピードも、反応速度もレベル1にしては一級品だったわ。ただ、空中にいるときに弾幕を張るとこっちに近寄ってこなかった、っていうのが少し気になるけれど……。それさえなくなれば、これから強くなるでしょうね、彼……」

「そうだね。オレも同意見。だからこそルルにはクロウ君を勧誘して欲しかったのだけれど」

「あー! それは貴方が意味の伝わらないジェスチャーなんかするからでしょう!」

「だからって、なんであんな無防備に両手を広げるんだよ!」

「あのシルバーの装甲がどれほど炎熱耐性を持っているのか確かめろ、って事かと思ったのよ!」

 

 その言葉を聞いたカレントは思わずストップをかける。

 

「ちょっと待って欲しいの。つまり、あの隙だらけな行動は命令伝達のミスだったの?」

「そうよ! あの一撃がなければクロウのやつは仕留められたのかもしれないのに、ドラゴが無茶な命令を出すから!」

「じゃああなたは始めから彼に勝つつもりで対戦をしていた、ということなの?」

「え? 当然でしょ? まあ、確かにレベル1に合わせようと私もレベル2以上で覚えていた技を封印しながら戦ったけど、後は全力で戦ったわよ?」

「……彼はレベル2なの」

「ええ!? そうだったの? じゃあ《フレイム・ランス》は解禁できたじゃない! 惜しいことしたわね」

「…………彼は全損しそうだったからわたしに依頼を出したとは考えなかったの?」

「それが? ウチ(ヴォイド)は全損上等で戦ってるわ。この団長見れば解るでしょう」

「確かに、そうなの……」

 

 もしかして全て自分の考えすぎで、彼女たちはそんなこと全く考えてなかった。

 クロウに間違ったことを教えてしまったかもしれない。そして彼らとの仲直りも早まったことだったのか間知れないの……。

 そう頭を抱えるカレントに、ドラゴニュートの「対戦が終わった後、上手い事負けてあげられたかな? なんて言ってたくせに……」なんて言葉は聞こえていなかったのであった。

 

 

 

 

 

 

 



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第24話 相談

 空気の色も澄みわたり、星の瞬く時間が長くなってきたと感じる12月。

 学校も終業式を向かえ、短い期間の休みを暖かい家の中で過ごすマサトは色あせたペンギンの人形を膝に抱え、ゆっくりと絵本のページを捲くっていた。

 

 カンナの家に居候を始めてから早5年、マサトが1番気に入っている時間の潰し方である。

 ページの端は擦り切れ、表紙の角はボロボロだ。それでも持ち主が大事に扱ってきたことが一目でわかる絵本。表紙には森の奥に住む竜と、その竜を見上げるお姫様が描かれていた。

 

 マサトは最後のページまで捲り終わった絵本の背表紙を静かに撫でる。

 時刻は午後6時、そろそろカンナのお父さんも帰宅し、パーティーが始まる頃だろう。……パーティー。今日は12月24日。世間が賑わうクリスマスイブである。

 

 マサトは毎年この日をカンナの家で過ごす。この日だけではない。大晦日も正月も、春にはお花見も、夏には海水浴、秋のお月見だってそうだ。カンナの両親はことある事にイベントを催し、マサトも共に楽しんだ。

 この家に来たばかりの頃は自分の存在が邪魔じゃないかと気後ればかりして木戸家を困らせていたが、年月を経ていくうちにその隔たりもなくなり、自分も家族の一員として四季を満喫していた。

 

 ただ、ふとしたときに感じるものがある。

 隣に自分の両親がいればどんな言葉を交わしただろうか、と。

 

 マサトが両親と過ごした時間はあまりにも少ない。

 新年にはエアメールが2通届くし、VR空間を使った通信で顔を見ながらの電話だってする事もある。それでも……時折、無性に会いたくなるのは確かであった。

 

 ……やめよう。内から湧き出る感情に蓋をして、マサトは頭を振った。

 もう自分も中学生、それも数ヵ月後には最高学年へと上がる。いつまでも両親の背中を追いかける事は恥ずかしいことだ。

 それにこの家だって後1年でお別れするつもり。そのための準備だってしているし、その時の心構えを今のうちから鍛えておくのも悪くない。マサトは膝の上のペンギンを脇に避け、絵本を持って立ち上がる。

 

 そして、私物が多くなった自室の本棚に本を差し込んだところで階下(かいか)からカンナの声が聞こえてきた。

 

「マサトーっ! 夕ご飯にしましょう!」

「わかった! 今行くよ!」 

 

 マサトはカンナの呼び声に答え、自室からリビングへと移動していく。途中にある玄関に一足、この家では見たこと無い女性物のヒールがあることに気がつかないまま……。

 

 そしてリビングに訪れたマサトはクラッカーの歓声と共に最高のクリスマスプレゼントを目にするのだった。

 

 

 

 

 

 

「はぁぁーー……」

 

 長い、長いため息が目の前の景色を白く染める。

 先が見通せなくなった視界に、まるで自分が抱えている悩みのようだとハルユキはそう思った。

 

 先月、《用心棒》を雇い《ブレイン・バースト》喪失の危機を乗り越えた後、もう単純なミスを起こさないと心に決め、繊細の注意を払いつつ順調に加速世界になじんできたハルユキだったが今再び壁にぶち当たってしまっていたのだ。

 

 それは先週の終業式の後、未だギスギスしている関係の幼馴染とクリスマスを過ごせなかったことや、憧れの黒雪姫先輩をデートに誘えなかったことではない。

 いや、それも大いに残念だったことにはかわり無いのだが、自分に自信の無いハルユキにとって黒雪姫の隣に立つことは今でも緊張するし、体もガチガチとなり言葉も噛むことが多い。

 

 そんな状態でさらにデートだなんて意識してみろ、思考はホワイトに塗りつぶされ、ラグの酷いゲームのように動きもカクカクで先輩につまらない時間を過ごさせてしまうかもしれないんだぞ。

 それだけならまだしも失望された目で、「ハルユキ君、キミはデートでエスコートの1つも出来ないのか?」なんて言われた暁にはもう一生部屋から出てこれなくなる自信がある!

 長々と考えた後ろ向きな考えだけは自信満々に、ハルユキは失敗の続く脳内シミュレーションをすべてを肯定。

 ……そして、再び目の前を白く染めるのだった。

 

 

 

 

 失望。

 

 それはハルユキがいま最も恐れていることだ。

 《ブレイン・バースト》をインストールしてから黒雪姫の手となり、足となり働いて、並み居る強敵を追い払い、聳え立つ7人の王達への道をこじ開ける。それこそハルユキの命題であったし、目標だった。だと思っていた。

 しかし、今月の半ばにレベル4へと上がってからハルユキの対戦成績は下降の一途をたどってしまっている。

 

 デビューしてからこれまで初の飛行アビリティ持ちとして、上空からの強襲や、不利な状況になったときの退避、空中戦の一方的な支配権で同レベル帯の戦いでは勝ちをもぎ取ってきたハルユキだったが、情報の探索、戦闘方法の試行錯誤、勝ち残るための闘争心、それらを長い時間かけて研磨し続けてきたバーストリンカーの前では《シルバー・クロウ》の対処方法を見つけられてしまうのは時間の問題だったのだ。

 

 初速の速い、視界に捕らえることすら難しいほどの弾速による遠距離射撃。

 ハルユキの脳が体に命令を与える前に被弾する攻撃の前では《シルバー・クロウ》など、飛んで火に入る夏の虫も同然だった。

 1対1で行なわれる通常対戦ではまだ勝ち越してはいるものの、多対多で行なわれる領土戦では必ずといっていいほどクロウ対策の遠距離攻撃もちが姿を現し始めている。

 

 

 《ブラック・ロータス》率いるレギオン《ネガ・ネビュラス》は他の大レギオンと《領土不可侵条約》を結んでいない。そのため毎週土曜日は必ず隣接している他のレギオンから《領土戦》を挑まれてしまう。

 領土戦は防衛側の人数によって相手側の数も変わるが、ネガビュに今は団長の《ブラック・ロータス》、ハルユキの親友タク、もとい《シアン・パイル》、そしてハルユキのたった3人しかメンバーがいないのだ。だというのに、自分が足を引っ張っている状態では他の2人へ負担を大きく強いることになってしまっている。

 そのため、せっかく黒雪姫先輩が退院したというのに、新生《ネガ・ネビュラス》は領土拡大どころか領土防衛すら怪しくなってしまっているのが現状だった。

 

 そのことを気にしていないと言ってくれる2人の優しさには心が痛むし、それなのに何も出来ない自分がふがいなくて泣きたくなるくらい情け無かった。

 それに怖い。彼ら……特に彼女の心の内に溜まっているだろう自分への失望がいつ表にあふれ出てくるのか考えると体の芯まで凍ってしまったかのように震えが止まらなくなる。

 

 

 このままではダメだ。ハルユキは何度も繰り返した言葉をもう一度心に刻み込む。

 自分は変わった。……変わろうとしている。ダメな自分から目を背けるのでなく、正面から見つめなおし、今できることをやる。そんな自分になろうとしているんだ。……自分のはるか頭上で優雅に舞う黒アゲハ、彼女の横に立つために!

 

 ハルユキは胸いっぱいに新鮮な空気を取り込むと、力強く目標へ1歩 足を踏み出すのであった。

 

 

 ――強くなりたい。

 

 

 

 

 

 

「ようカラスの兄ちゃん、うちらの“シマ”に何の用よ?」

 

「なにぃ!? ヴォイドの副団長に会いたい、だぁ?」

 

「どこにいるか心当たりは無いのかってぇ?」

 

 

「だったら」「それは」「タダじゃあ教えられねぇ……」

 

 

『勝負に勝ったら教えてやるよ!』

 

 

 

 

「はぁ、はぁ……酷い目にあった」

 

 どんな手を使ってでも強くなりたい。そう思い、ハルユキは1人で《スーパー・ヴォイド》が支配する世田谷区へと足を運んだのだが、来るわ来るわの乱入者の嵐。それも同レベルだというのにやけに錬度の高い人たちばかりで午後になる頃には精神的疲労でフラフラになってしまうハルユキだった。

 

 ただ、人の居場所を尋ねたいだけだったのに……。ハルユキはどうしてこうなってしまったのか、これ以上乱入されないようにグローバルネットを切断し、公園の片隅にあるベンチで休憩しながら考える。

 

 対遠距離攻撃のコツを掴むのなら実際に戦いの中で掴むしかない。それも生半可な実力の持ち主ではなく、もっと圧倒的な射撃能力者のもとで……。そこまで考えて思い浮かんだのはとある大レギオンの副団長《フレイム・ゲイレルル》だった。

 

 先日、《用心棒》と協力して彼女と戦った事があるが、彼女ほど正確で、こちらの動きを先読みしてきた遠距離攻撃持ちは後にも先にも会った事がなかった。

 弾速そのものが遅かったためギリギリ回避することが出来ていた(その部分も本気じゃないと後でわかった)が、それでも戦闘中、自分の動きは彼女の手のひらの上で転がされているのではないか、と何度も考えたものだ。

 そんな彼女に恥を忍んで対遠距離攻撃の極意を得るために協力を打診しに来たのだが……。

 

 彼女の行方をヴォイドの団員に聞いても返ってくるのは「勝負!」のひと言。勝てば教えてくれると言ったのに答えは「知らない」「わからない」「見つからない」のオンパレード。

 それが自分と戦いたいがための方便でしか無い、ということにハルユキが気がついたときにはすでに対戦回数が片手の指を埋め、もう片方の指が半分以上折れてしまったところだった。

 

 しかし、多くのリンカーと戦ったかいはあり、ゲイレルルの拠点が《世田谷第三エリア》だという情報を掴むことは出来た。その境界線は今いる公園から目と鼻の先にある。

 

 ハルユキは本当ならゲイレルルに挑戦するのはもっと先のことだと考えていた。

 レベルが上がり、自分に自信が出来てから、と。

 そしてそれまで培った経験と力を持って両者の鎬を削りあい、ギリギリの戦いの中で勝利を収める……。そう約束したはずなのに(約束の相手はどうしてか思い出せないが)。

 

 今、ゲイレルルと戦ってもいい結果にはならないだろう。

 それでもハルユキを動かしたのは蛮勇と焦りだった。

 始めてゲイレルルと戦ったときに教えてもらった彼女の弱点。そしてレベルが上がり、飛行アビリティの強化を行なった今だったなら……もしかして前回とはまた違う展開になるのではないか。そんな甘い考えがハルユキの脳内に浮かんでくる。

 

 ――それに……。

   何か、何か行動をしていないと不安に押し潰れそうになってしまうんだ!

 

 制限時間(リミット)のわからない爆弾を抱えているような不安がハルユキを無謀に走らせる。

 

 ハルユキが眉間にしわを寄せ、拳を白くしているときだった。

 砂利の擦れる音と共に小さな靴のつま先が視界に入ってきた。

 

 顔を上げると背の小さな子供たちがハルユキを見ていた。誰も彼も胸におそろいのバッチをつけている。この近くにある児童福祉施設の園児だろうか? そのなかの1人が心配そうにハルユキへ話しかけてきた。

 

「オジサン、どうしたの? ぽんぽん痛いの?」

「オジ……ッ!?」

 

 どうやら子供たちから見たらお腹が痛いのを我慢しているように見えたようだ。

 しかし、いくら年齢が倍は離れているとはいえ、その呼び方はどうなのか。ショックを受けるナウでヤングなハルユキを余所に子供たちはどんどんと事態を進めてしまう。

 

「きゅーきゅー車呼ぶ?」「きゅーきゅー車って何番?」

「ぼく知ってる! ひゃくとうばんだよ!」

「そうなの?」「わかんない……」「先生呼ぶ?」

「そうしよう!」「せんせーい!」

「カンナせんせーい!」

 

 ちょっと! 僕は大丈夫だから。そうハルユキが言う前に一部の活発な園児が件の先生をすでに連れてきてしまっていた。

 子供たちに連れられ、駆け足でハルユキの元にやって来たのは園児がつけているバッチと同じ、オレンジ色のエプロンを着たハルユキよりも年上の女性だった。

 

「はいはい、どうしたの?」

「このオジサンがおなか痛いって! 治してっ!」

 

 子供たちに(うな)がされ、こちらへ振り向いた女性にハルユキは目を奪われる。

 目に付くは赤。腰まで届く長い髪はうなじ近くで1つにまとめられ、振り向くと同時に毛先の跳ねるクセっ毛は本人の活発さを表していた。

 女性特有の柔らかさを保ちつつ長く伸びる手足はまるでテレビに出てくる女優のように細い。背も高く、160cm台前半のハルユキでは隣に並べば彼女を見上げることになるだろう。

 そしてオレンジのエプロンを押し上げる胸部装甲はハルユキが思わず生唾を飲み込んでしまうほどだった。

 

 これほどの美人に出会ったのは黒雪姫先輩以来である。そのため呆然としていたハルユキは目の前の女性が話しかけていることに一瞬気がつかなかった。

 

「もしもし? 大丈夫かしら?」

「は、ハイィ! ダイジョウブれす!」

 

 大丈夫だからそんなに見つめないで欲しい。目の前にしゃがみ込み、目鼻立ちの整った顔を近づけてくる彼女に緊張して声が裏返ってしまった。

 彼女もハルユキが差し迫った状態では無いと判断すると、集まってきていた子供たちを散らしていく。

 

「はい、このお兄ちゃんは大丈夫だからあなたたちは向こうで遊んできなさい。

 あっちにマサ(にい)が来てたわよ」

「えー! マサ兄ちゃん来てるの!」「ボク今度会ったら空中ブランコしてくれるって約束してんだ!」「おままごとでペットの役してくれるって言ってくれた!」

 

 まるで砂糖を見つけた蟻んこのようにわらわらと遠ざかる子供たちに先生は「無茶させないでよー」と声をかけて見送った。

 そして子供たちがいなくなると再びハルユキに向き直る。

 

「となり、座っていい?」

「え? えっと……ハイ……」

 

 「ありがとっ」彼女はそう言ってハルユキのとなりに腰掛けてきた。

 突然の2人きりに緊張して落ち着かなくなるハルユキを余所に女性は優しい瞳で遠くを見ていた。どうやら遊びまわっている子供たちを見ているようだ。

 話しかけてくる様子も無い彼女にハルユキも無理に話すことは無いのだと感じ取り、彼女を見習ってハルユキも遠くで走り回る子供たちを眺めることにした。

 

 こうしてジッとしていると体が色んな事を感じ取ってくれる。

 さわさわと風に揺れる木の音と、温かい日の光。子供たちの笑い声を遠く聞いているとなんだか時間の流れがとてもゆっくりになっているのではないかと錯覚してきた。

 

 ほんの少し前までは加速した世界で忙しなく足掻いていたというのに……。

 

 そう思うとなんだか気持ちが落ち着いてきた。曲がっていた背筋を伸ばす。息を深く吸い込み、ゆっくりと吐き出していく。そして手のひらの汗をズボンで乱暴に拭い、ハルユキは勇気を持ってとなりの女性に話しかけることにした。

 

「どうして……」

「ん?」

「どうして僕のとなりに座ったんですか?」

 

 ハルユキの質問に彼女は優しい瞳を向けてくる。

 

「だって……。ひとりにしないで、って貴方が言ってたから」

「そんなこと言いました!?」

「んんー……。そうだと思ったけど、違った?」

 

 自分の焦りを包み込んでくれるような微笑に恥ずかしくなったハルユキは再び地面に視線を落としてしまう。

 彼女はそんなハルユキの態度も気にしていないのか、再びハルユキが喋りだすのを待ってくれるようだった。

 

「……どうして、そう思ったんですか?」

「私、お節介なのよ」

 

 まるで答えになっていない返事にハルユキは疑問の視線を彼女に向ける。

 彼女は「これじゃ解んないか」と軽く笑ってからもう一度ハルユキの質問に答えを返す。

 

「私、お節介だから貴方の様な人をいっぱい見てきたの。そして、話を聞いて一緒に悩んできたから」

 

 なるほど、それは確かにお節介だ。

 人によって悩みというのは千差万別、中にはひとりで考えたい悩みや、誰にも話したくないものだってあっただろう。

 それでも彼女は今のように悩んでいる人のとなりに座ってきたに違いない。

 

 彼女は火だ。

 時には暑苦しく、時には温かく、人によって感じ方の違う、しかしすぐ傍に居て欲しい。そんな存在。

 ハルユキにとって彼女はまるで囲炉裏の火のように感じられた。

 近くに居るだけで安心できる人。

 

 始めて会ったばかりだというのに……。いや、全然知らない人だからだろうか、ハルユキは彼女に自分の悩みを打ち明けてみようと思っていた。もちろん《ブレイン・バースト》のことは話さないが。しかし、今はただ無性に自分の悩みを聞いてもらいたい気分だった。

 

「じゃ、じゃあ、僕の悩みも聞いてもらってもいいですか?」

「ええ、いいわよ。ただ、貴方の望む答えは返すことが出来ないかもしれないけど……」

「それでもいいです。ただ、聞いてくれれば、それだけで……」

 

 ハルユキは話した。

 少し前、自分を助けてくれた人に恩義を感じていること。

 その恩義を返したいと思っていること。

 しかし、最近恩を返すどころかその人の足を引っ張っていることに悩んでいること。

 力が欲しいということ。

 

 そして――

 

「何より、あの人に見捨てられるのが怖いんです!」

 

 浅ましい自分の本心を。

 

 僕は欲張りだ。一度救われただけでも返しきれないせほどの恩義だというのに、自分はより多くのものを求めてしまっている。ハルユキはその感情をダメなものだと閉じ込めていた。それなのにこのドス黒い感情が自分の心から溢れそうになるのを止められない。

 

 広がっていく黒い染みを押さえつけるためにハルユキは自分の胸を押さえつけた。握り締められた洋服がシワを作り出す。今すぐ手を離さなければ洋服のヨレは治らなくなってしまうだろう。

 

「大切な人に見捨てられたくない、か。……解るなぁその気持ち」

 

 それを止めたのは隣の彼女の呟きだった。

 ハルユキは手に力を込めることを忘れ、唖然と彼女を仰ぎ見る。

 

 こんなに美人で性格がいい人でも自分と同じ感情を持つのか。

 それがハルユキの驚きだった。

 完全に色眼鏡だったが、彼女が人間関係で心配事を抱くなんてことは無いだろうと勝手に考えていた。なぜなら彼女が人から見捨てられるという出来事なんて起こりえないと思えたから……。しかし、彼女は憂いを帯びた微笑で自分の気持ちを吐露していく。

 

「私もそういう人がいるから。少し前まで私の方が先に進んでその人を見守っていたはずなのに、いつの間にか追い越されちゃってた人が……」

 

 どこか遠くを見る彼女。それは追い越していった人の背中を見ているのか、それともその道の先を見ているのか、ハルユキにはわからない。

 

「しかも、そいつったら何を焦ってるのか……あっちこっちキョロキョロしながら進むもんだから変な道に入り込みそうなんだよね」

 

 だから早く私が追いついてもっと楽な道に誘導してあげないと。

 彼女はそう言ってまた笑う。今度は夏の太陽のようにカラッとした笑顔だった。目に焼きつく、眩しい笑顔。

 

「あ、ゴメンね。私の話なんかして。興味ないよね」

「いえ! そんなことありません! ためになるお話でした」

「なら良かったんだけど。じゃあ、今度こそ貴方の話をしましょうか。

 強くなりたいって言ってたけど、何か格闘技とかやりたいの? 今日はランニング?」

「い、いえ……。そういうのはやってなくて、VRでちょっと……」

「VR? VR通信空手講座?」

「……なんですかそれ?」

 

 VRを使った空手講座なんて聞いたことが無い。

 雑多に仕舞われた知識の山を掘り起こしてみると、そういえばひと昔まえに新しいダイエット方法として雑誌の報告欄とかにそんなのが載っていた気がする、と思い出す。「健全な肉体は健全な精神によって培われる! キミも武道を学んで精神と肉体をシェイプアップしよう!」……みたいな。

 ハルユキの疑問に女性は誤魔化すように「友達がちょっとね」と言葉を濁した。

 ハルユキだって空気は読める、それどころか人一倍敏感だ。女性は色々大変なんだろうな、と考えただけで彼女の話に深く突っ込むことはしなかった。

 

 

「根本的なことに戻るけど、貴方を助けてくれた人は貴方が恩を返せないからって簡単に貴方を見捨てるような人なの?」

「それは違います! 先輩はそんな人じゃない!」

 

 彼女の質問にハルユキは一瞬の間も置かずに反論した。

 それだけは絶対に認めることが出来ない。

 

「じゃあ、この事をその人に相談した?」

「そんな事できるわけ無いじゃないですか……」

 

 興奮した感情が一気に急降下していく。

 言える訳が無い。僕を見捨てないでください。なんて情け無いこと。

 

 しかし、彼女はハルユキの悩みを正直に打ち明けた方が良いと言ってくれた。

 

「きっと貴方がその先輩さんに見捨てられたくないって思うのと同じで、先輩さんも貴方に何も相談されないのは寂しいと思っていると、私は思うなぁ」

「どうしてですか?」

「じゃあ、聞くけど。もし先輩さんが悩んでて、それを貴方に相談せずひとりで解決しようとしてたらどう思う?」

「それは……頼って欲しいと思います。こんな僕でも何かしら役に立ちたいですから」

 

 彼女の言いたいことはわかった。それでも先輩にこれ以上負担を増やすなんてそんなことは出来ない、とハルユキは躊躇(ためら)ってしまう。

 そんなハルユキの心情を見破ったのか、隣の彼女は折衷案を出してくれた。

 

「じゃあ、頑張って、頑張って、それでも無理だと思ったら最後の最後でちゃんと先輩さんに相談しなさい。決して後戻り出来ない場所までひとりで行っちゃだめよ?」

「後戻り出来ない場所?」

「そう、もし貴方がそこまで進んでしまったらきっと、恩を返すどころか仇で返すことになっちゃうでしょうね」

「ど、どうしてですか?」

「後悔するから」

 

 どっちが? ハルユキは聞くまでもなく解ってしまう。

 きっと“どちらも”だろう。

 その後悔を彼女は語ってくれた。

 

「どうして相談してくれなかったんだろう、って。どうして手を引っ張ってあげなかったんだろうって」

「貴女も……」

 

 痛々しく笑い、手のひらを見つめる彼女にハルユキは思わず尋ねてしまう。

 

「貴女も後悔してるんですか?」

 

 仮定の話なのにまるで自分のことのように語るから、彼女にも同じようなことが起きたのだと考えてしまったのだ。

 ハルユキの問いに彼女は一瞬目を見開くも、また後悔と諦めを含んだ笑みを浮かべて肯定した。

 

「そうね、当時は信頼を裏切られてた。なんて怒ってたけど、本当は私に勇気がなかっただけだからね。今でも引きずってるのはその証拠」

 

 だからね、そう言って立ち上がり、彼女の顔が見えなくなる。

 泣いているのか笑っているのか、ハルユキはその顔を覗き込もうとはしなかった。

 

「だから貴方にはそんな思いはして欲しくないかな」

 

 振り向く彼女の顔は逆光で見えなかったが、それでも笑っているのは感じ取れた。

 

 その時、遠くから彼女を呼ぶ男性の声が聞こえてくる。どうやら子供の数が多すぎて相手をしきれないらしい。

 今行きまーす! と返事をした彼女は今一度ハルユキに振り返ってエプロンから取り出した飴玉を手渡してきた。

 

「はい、甘いよ」

 

 同時にアドホック通信による転送物がハルユキの目の前に飛び込んでくる。

 そこにはシンプルな色の台紙に彼女の名前とプライベート用だと思われるアドレス。そしてデフォルメされた戦乙女(ヴァルキリー)のイラストが書かれていた。

 

「今日は時間切れみたいだけど、また話したいことがあればここに連絡してきて。私が相手でいいならいつでも聞くから」

 

 じゃあね、と遠ざかる彼女の背中を見送ってハルユキは彼女の名前を呟いた。

 

「木戸 カンナさん、か……」

 

 男性に手を合わせて謝るカンナさんを見ながらハルユキは手渡された飴玉を口に入れる。

 どうやら男性はカンナさんと同じ先生という訳ではなさそうだ。エプロンをしていないし、自分と同年代のように見える。おそらくはカンナさんの個人的なお手伝いだったのだろう、それなのに仕事をサボっていた彼女に怒り、カンナさんはそれに謝っている。そんなところだと思う。

 

 相手も本気で怒っていた訳では無いだろう責めた男性を(たしな)める園児にしどろもどろで言い訳を始めていた。

 もしかして、カンナさんが言っていた大切な人というのは彼の事じゃないだろうか。園児たちと一緒に攻め立てるカンナさんの笑顔をみてハルユキはそう思う。

 

 コロリと飴玉を転がす。

 

「あまい」

 

 ハルユキは口の中の幸せを感じながら、この日はそのまま帰ることにしたのだった。

 

 

 

 

 

 

「よかったの? 彼、帰しちゃって」

 

 スッキリとした表情で公園を離れる少年を見送りながらマサトは聞くまでも無いことをカンナに問いかけた。

 

「うーん、今のところはね? それに男の子って自分が出した答えしか納得しないんじゃないの?」

 

 そんなことは無い、と反論しようと思ったが、心当たりが多すぎるマサトはその言葉を飲み込んだ。説得力がなさ過ぎる。

 中途半端な、情けない顔を浮かべたマサトの肩をカンナはバシバシ叩く。

 

「いいじゃない。そうやってカッコよくなっていくんでしょ? 頑張れ男の子!」

「がんばれー!」「マサ兄ちゃん、カッコイイ?」「しーーー!」

 

 カンナの真似をして太ももを叩いてくる女の子たちに思わず苦笑いを浮かべてしまう。女の子はこうやってマセていくのか……。未だボールを追い掛け回す男の子たちと見比べながらこの世のあり方を垣間見るマサトであった。

 

「そろそろ時間ね。はーい! みんな帰るからお片付けしてこっちに来てー!」

 

 帰る時間となっても騒ぎ立てる子供たちをひとりひとり大人しくさせ、ひとつの場所に集めさせるカンナの様子を見てアルバイトなのによくやるなと思う。

 カンナが保育士になりたいと言ったのはいつだったか。そのときは世話好きのカンナにピッタリだと応援した。

 

 昨今、少子化による影響で各種資格の取得可能年齢引き下げや、満16歳以上からフルタイムで働く正社員になれるというようになってはいるものの、さすがに子供を預ける児童福祉施設ではその限りではない。

 

 保育士になるには高校卒業程度の学力か、専門の学校で2年学ばねば資格取得の試験を受けれないということになっている。

 カンナもこの春から普通科の高等学校ではなく、専門学校に通うことが決定していた。

 このアルバイトは先を見据えた予行練習、といったところだろうか。

 

 しかし、実際子供たちの相手をしていると度々思う。あの小さな体のどこにパワーを蓄えているのか、と。手が空いている時に手伝う程度のマサトでも数時間相手にしただけでヘトヘトだ。これを毎日繰り返すのだから施設の先生方には頭が下がる思いである。

 

 

「カンナちゃん、そっちの組は大丈夫?」

「はい! みんな居ます」

 

 もうひと組の園児を集めたカンナの先輩(こちらは正規の資格を持った妙齢の女性だ)と合流し、帰る準備は整った。

 ただの手伝いであるマサトはここでお別れとなる。

 

「じゃあ、カンナ。オレは帰るけど、あとも頑張れよ」

「ご苦労様、マサト」

「マサトくんいっつも手伝わせちゃって悪いわね。みんな、マサトくんにバイバイは?」

「マサ兄ちゃんバイバイ!」「今度はサッカーしよー!」「ダメー! 次はあたしたちと遊ぶんだから!」

 

 あれだけ遊んでもまだまだ騒ぎ立てる子供たちを見送りながらマサトはレギオン団員のカンパによって構築されたプライベートネットによる団員専用の掲示板を覗いてみた。

 

 そこにはなんと《シルバー・クロウ》がヴォイド副団長である《フレイム・ゲイレルル》を狙っているとの情報が書き込まれているではないか。

 驚いて遠くなったカンナの姿を再び目に映すがカンナに変わった様子は無い。

 この間のリターンマッチか? それにしても書き込みが行なわれてから時間が経っているというのに戦いを挑まれた様子がないのはどういうことだろう。

 

 カンナにメールしてもクロウの姿は見ていないと返ってきた。

 マッチングリストを見てみても名前は出てこないし、掲示板にて情報を集めてみたものの昼を過ぎてから目撃情報は一切無し。

 一体全体どういうことなのか。ネガビュによるかく乱作戦? 今回はただルルの所在を確かめるために来ただけ?

 

 クロウの考えが読めない行動にマサトはこの日1日ずっと首をかしげるハメになるのだった。

 

 

 

 



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第25話 裏切り

 

 

「なぜだ! チェリー!」

 

 無言。

 

「どうしてそんなものに手を出した!」

 

 無言。

 

「そんな姿に変わっちまってよぉ……」

 

 無言。振り向く。

 

「なにがしたかったんだチェリー! 答えろ!」

 

 無言。ジッと見つめられる。

 

「答えろよぉ……!」

 

 手をのばす。一握りの希望に賭けて。

 

 

 

 

「GYAAAA!!!!」

 

 

 

 

 真紅の腕が宙に舞う。

 少女の記憶はそこで途切れた。

 

 

 

 

 

 

「災禍の鎧が甦っただと! バカな、ありえん!」

 

 年も明け2047年。ハルユキが世田谷区の公園でお節介さんに出会ってから一月は経とうとしていた頃、ハルユキの敬愛する黒雪姫先輩の声が彼の自宅に響き渡っていた。

 

 

 つい先日、バーストポイントの貯蓄量を気にしないレベル9ならではの力技によって《シルバー・クロウ》、つまり有田ハルユキのリアルを割った2代目赤の王《スカーレット・レイン》は自身の身分を偽ってハルユキ宅に侵入、レインはハルユキのリアルを盾にして彼に黒の王《ブラック・ロータス》の呼び出しを要求してくる。

 翌日、ハルユキが学校にてその旨を黒雪姫先輩に報告すると、黒雪姫は赤の王の突然の来訪に首を傾げるが、その要求を承諾し、会合の場所をハルユキ宅に設定するのであった。

 

 

 そして現在。赤の王がお互いにリアルを晒すという、後には引けない状況を作り出してまで《ネガ・ネビュラス》の前に姿を現した訳を黒雪姫に話し終えたところである。

 

 災禍の鎧

 

 加速世界の黎明期から語り継がれる恐怖の象徴が今再び現れたというのだ。

 もちろん黒雪姫はその事実を否定した。なぜなら2年半前に現れた、《クロム・ディザスター》を葬り去ったのは自分を含めた8人の王。そして全員のアイテムストレージに災禍の鎧が移りこんでいないと確認しあったのだから。

 

「だからありえない、災禍の鎧はあの時に加速世界から消滅したのだ!」

「……あのー、先程から会話に上がる災禍の鎧って一体なんなんですか?」

 

 怒り心頭に赤の王――上月 由仁子(こうづき ゆにこ)を睨みつける黒雪姫にハルユキはあえて質問した。このまま話についていけないのも困るし、なによりこの場の空気が重い。この質問は少しでも黒雪姫の気を紛らわそうとしたものでもあった。

 

 ハルユキの言葉に自身が冷静を欠いていたことに気付いたのだろう、黒雪姫は仕切り直しに軽い咳を行い、ハルユキに説明を始める。

 

「ハルユキ君は《強化外装》というものを知っているか?」

「は、はい。タクのパイルバンカーとかを始めとした剣や銃に部類される武器類、それとユニコちゃん――」

「ニコでいい」

「――ニコちゃんが持っているようなアバターが着込む鎧なんかの事を《強化外装》って言うんですよね?」

 

 その説明に黒雪姫は満足気に頷く。まるで宿題で100点を取った子供を見るかのような顔だった。

 

「へぇ、初心者のクセによく勉強してるじゃねぇか。それと“ちゃん”はいらない、気持ち悪い。ニコ、だけでいいからな」

 

 《ブレイン・バースト》のトッププレイヤー2人に褒められ、ハルユキは鼻の下を伸ばしつつ隣に座っている幼馴染 兼 教師に感謝の念を送る。タクはその視線を受け、メガネを光らせながら笑うのであった。

 

「それで、強化外装の話がどう関係するんですか? もしかして災禍の鎧って言うのは……」

「そのまさかだ。災禍の鎧は強化外装……そしてその鎧を装備したものは《クロム・ディザスター》という怪物となる。この加速世界で最悪の災厄だ」

 

 そこまで話して黒雪姫はハルユキに直結用のケーブルを持ってくるようにお願いする。その目的はとあるリプレイ動画をこの場の全員に見せるためであった。

 

 

 

 

 

 

 岩肌だらけの荒野にひとり佇む黒の睡蓮。

 ハルユキは一目でそれが自分の《親》である《ブラック・ロータス》だと理解する。

 

「先輩……」

「ん、聞こえているぞハルユキ君。他の者はどうだ?」

 

 ハルユキの呟きに答えたのは目の前に映るロータス……ではなく、同じ動画を見ている現在の黒雪姫だった。全感覚ダイブによる映像再生なのでお互いの姿は見えないが、確かに黒雪姫はハルユキの近くに存在している。黒雪姫の問いに答える他の2人も同様であった。

 

「で、これが2年半前のディザスター討伐の映像だって言うのか? その割にはあんたしか姿が見えないが……」

「その通り。そして私1人なのはこの場で“奴”を待ち伏せしていたからだが……」

「あ、動いた!」

 

 映像のロータスが動き出すのを見てハルユキは声を上げる。黒雪姫の説明では他の場所で待ち伏せしていた仲間のところで戦闘音が聞こえてきたので移動を始めたということらしい。

 

 ロータスがそり立つ岩の上から下を覗き見るとそこに居たのは、エメラルドグリーンに輝く《緑の王》と――

 

「あれが……」

「そうだ、あれが加速世界の虐殺者《クロム・ディザスター》だ!」

 

 巨大な蜥蜴人間のようなアバターを見てハルユキは体の震えを抑える事ができなかった。

 だらんと伸びた長い手に持つ精肉屋が使うような肉厚の刃。蛇腹上の金属装甲にブラブラと揺れる長い首。その頭部に光る濁った赤の点滅が瞬きだとは気がつか無いほうがよかったか、目と目が合った瞬間に自分へと突き刺さる殺気に一瞬これが録画映像だということを忘れて身の気がよだつ恐怖に襲われてしまう。

 

 あれが、あれが自分と同じバーストリンカーだって!?

 狂気という目に見えないものが形を取ったといわれたほうがまだ信憑性がある。

 ここまで来るのにも相当な戦闘を重ねたのだろう、深い傷を負いながらも盾をかざす緑の王へ執拗に攻撃を繰り返すその姿にハルユキはそう思った。

 

 一向に攻撃の通らない相手に苛立ったのか、ディザスターが緑の王の隙を付いて口からドレイン能力を持つ触手を放つ。だが、そこで今まで戦闘を見守っていたロータスが助けに入り、ディザスターの顔を真っ二つにする。よろめくディザスターにようやく奴の息の根が止まったのだと、この動画を見ている黒雪姫以外の者は考えたのだが……。

 

「なっ! マスター危ない!」

 

 ロータスの一撃で終わったと安堵していたハルユキの気持ちを引き締めたのは幼馴染の叫び声だった。

 その声に驚いて再びディザスターを見ると、なんと顔を真っ二つに裂かれているというのにディザスターは未だ動いており、緑の王に放った触手の数を倍に増やして今度は背を向けているロータスへと襲い掛からせたのである。

 

 後ろです先輩!

 ハルユキも思わず声無き叫びをあげてしまうがこれは動画。心の底から叫んだとしてもロータスに声が届くはずも無い。

 もしも僕があの場にいたのなら……! 背中に生えるウィングを限界まで動かし、駆けつけるのに! 仮想の手を突き出しても彼我の距離は変わらない。だがそれでも動かずにはいられなかった。

 

 数十本の触手がついにロータスへと襲い掛かろうとしたその時。

 ハルユキは一瞬、本当に自分が過去にタイムスリップし、その身を挺してロータスを庇ったと錯覚してしまう。

 

 突如として画面に現れ、ロータスへの攻撃をその身で遮った輝くシルバーのボディ。しかし、それはハルユキの持つそれよりも幾分か白く輝いていた。よくよく見てみると似ているのは体の色だけで、他の部分で似ている場所は1つもないと気付く。

 全身に輝く白金の装甲、触手を1つも通さない逞しい手足、力強く天に向かう4本の(つの)

 巨体のディザスターと比べても尚大きいそのデュエルアバターはハルユキの見えない速さで回転し、滑らかに動く尾によって相手を遠く離れた岸壁へと吹き飛ばした。

 

「あ、あれが……」

「そうだ、ハルユキ君。よく見ておきたまえ、あれが《メタルカラー》の頂点にして8王の1人、《白銀の竜王――プラチナム・ドラゴニュート》だ」

 

 レベル9となった先輩と戦っていまなお、加速世界に存在し、あのゲイレルルさんのリーダーで、僕と同じメタルカラーの……。

 

「2代目のディザスターは奴が単独で撃破したって話だ。聞いた当時は聞き流していたが、あれから1度ディザスターと対面したいまとなってはマジで尊敬に値するぜ」

「あ、あれを単独で!? どれだけ強いんですか彼は!」

 

 その竜王は吹き飛ばしたディザスターを一顧だにせず、まるで助けに来たのが当たり前といわんばかりの態度を取るロータスと笑いながら拳と刃を合わせていた。

 入リこむ場所の無い信頼を見せ付けられ、ハルユキはドラゴニュートに嫉妬と、……そして羨望を抱いてしまう。

 

 ――僕もあんな風に強くなりたい! 黒雪姫先輩の信頼を得て、その隣に立ちたい!

 

 ハルユキが目標となる人物を睨みつけると同時、動画の再生時間は終わりを告げ、ハルユキたちを現実世界に戻してしまうのだった。

 

 

 

 

 

 

「あの後、まだ闘争心を保つディザスターは2分にも渡り戦い続け、ようやく果てた。

 そして、8王は再び合流し、全員が自分のストレージに災禍の鎧が無いことを宣言したのだ!」

「……だったらどうして今になってまた災禍の鎧が現れた! 本当に全員が持っていないなんてあんたは証明できるのかよ!」

「それは……! だが、そんなはずは無いんだ…………」

 

 災禍の鎧が倒した相手に移る可能性は100%

 そんなのは事実無根の噂話だと黒雪姫は思っていた。たまたま、偶然に偶然が重なり災禍の鎧が受け継がれていると……。しかし、その話が本当だったとしたならば、あの場で誰かが嘘をついていた事になる。レベル9になるまで信頼と友情で結ばれていたはずの7人の内の誰かが……。

 黒雪姫はその考えにいたった時、目の前が暗くなっていくのを感じた。

 

「……ぱい! 黒雪姫先輩!」

 

 その呼びかけに気がついたとき目の前にハルユキの顔がアップで現れ、黒雪姫は混乱し、さらに顔を赤くしてしまった。

 

「な、なんだい? ハルユキ君」

「どうしたんですか、ボーっとして……もしかして体調が優れないんですか? それなら一旦休憩に……いえ、今日はもう解散しましょう!」

 

 あわあわと大げさに自分の体調を心配してくれるハルユキを見て黒雪姫は笑みを浮かべる。そして平常を装って「大丈夫だ」とハルユキの提案を断わった。

 ハルユキの前ではなるべく見っとも無い姿を見せたくないという黒雪姫の乙女心から出た意地である。

 

「話を戻すが、今再び災禍の鎧が出てきたということは確かにあの場に居た誰かが災禍の鎧を隠し持ち、何らかの機会を窺っていたのだろう。加速世界に混乱をもたらすための機会をな……。可能性があるとすれば、からめ手を好む黄色か……」

「騒動の中心には必ずいるといわれている《竜王》のどちらかだな」

 

 黒雪姫が濁した言葉をニコが引き継いだ。

 しかし、黄色はまだしも、あの動画で笑いあっていたはずのドラゴニュートがそんな汚いことをするはずが無いと信じたい。ニコの知らないであろうドラゴニュートの人柄を黒雪姫が語ろうとした時。

 

「いや……もしかしてあの時の言葉は……、だがそんなはずは……」

「どうかしたんですか?」

「ん? ……なんでもない、些細なことを思い出しただけだ」

 

 ハルユキの心配を笑って誤魔化し、黒雪姫は話を進めていく。

 

「この話はひとまず頭の片隅に置いておこう。今は災禍の鎧をどうするのかを話し合うことが先決だ」

 

 黒雪姫が確認していくとディザスターは主に“上”――《無制限中立フィールド》で暴れまわっており、その捕捉はニコが可能だということ。すでに他レギオンからも永久退場者を出しており時間的猶予は無く、もし協力してくれるのなら毎週土曜日の《領土戦》で《プロミネンス》は杉並区を襲わないという約束を、口頭でだがもらうことも出来た。

 

 そこまで確認し、時計を見るともう夜も更けている。思った以上に話し合いが長引いたようだ。ハルユキと同じマンション内に住んでいるタクムはハルユキに別れを告げて立ち去った。

 

 黒雪姫もそれに続こうとしたが、ニコが昨日に引き続き今日もこのままハルユキ宅に止まるという恐るべき事実を目の当たりにし、ハルユキの制止も振り切って自分もこのままお泊りをすると決める。

 ニコと一緒に風呂へ入り、ハルユキ秘蔵のZ指定がかかっているホラーゲームを3人で楽しみ、そろそろ寝ようかというときに黒雪姫は1人席を立つ。

 

「どうしたんですか先輩?」

 

 廊下で仮想ウィンドウを操作していると心配になって見に来たハルユキに話しかけられた。トロンとしたまぶたを手の甲で“くしくし”と擦る姿はなんとも愛らしく感じてしまう。

 

「いや、なに。急に止まることになっただろう? だから遠隔操作で自宅のセキュリティをオンにしたのだ。明日家に帰ったら泥棒に荒らされていた、なんてことになったら目も当てられないからな」

 

 先程行なった行動の1つをハルユキに話し、黒雪姫は「もう寝よう」とハルユキを居間まで引っ張った。居間の地べたにはすでにニコが気持ち良さそうに寝息を立てている。寝ているときだけは年相応なんだな、とニコのむずがる姿を見て黒雪姫はそう思った。そのまま黒雪姫は隣にクッションを並べ、ハルユキが持ってきてくれたブランケットをニコと自分の体に被せる。

 

 明日は忙しい日になりそうだ。そのための英気を養うために黒雪姫はゆっくりとまぶたを閉じるのであった。

 

 

 

 

 

 

 翌日、まだまだ寝たりなさそうなニコに見送られ、マンションのエレベーターでハルユキの幼馴染、倉崎 チユリとひと悶着し、学校の中休みでハルユキと《親子》の絆と呪いの話をしたこと以外はこれといった出来事はまだ起きていない。

 

「そうだ、ハルユキ君。今日の昼休み、私は生徒会の仕事がある。だからすまないが昼食は別々に取ろう」

 

 中休み、ハルユキと分かれる前に黒雪姫はそう言った。ハルユキも一瞬残念そうな顔を出したが「生徒会頑張ってくださいね」と言い残し黒雪姫の前から立ち去っていく。だからハルユキには見られなかっただろう。彼を見送る黒雪姫の顔に、決意の表情が浮かべられていたということを……。

 

 

 

 

 昼休み、購買でサンドイッチを購入し、黒雪姫は生徒会室の扉を開けた。

 部屋の中には誰もいない。それはそうだ。生徒会の仕事なんてただの出任せだったのだから。

 黒雪姫は部屋の鍵を閉めたことを確認すると、副会長権限で生徒会室のルーターからグローバルネットを使用できるように申請を出す。生徒会活動のためと理由を書いたが特に質問も無く先生側からの許可が降りる。これを怠慢というのか信頼の表れというのか迷いながらも黒雪姫は直結用ケーブルでルーターと自分のニューロリンカーを接続した。

 

「時間は……移動も考えて3時間も取れば十分だろう」

 

 ルーターの自動切断機能を確かめながら黒雪姫は壁に掛けられた時計を眺める。

 秒針がじわりじわりと天頂を目指していく。そして長針と秒針がちょうど天を指した時、黒雪姫は呪文を唱えた。

 

「《アンリミデット・バースト》!」

 

 

 

 

 この世界に来たのは久方振りだろうか……。

 《ブラック・ロータス》となった黒雪姫は元生徒会室から無限に広がる世界を見渡した。さっきまで太陽が空を支配していたというのに、いま上空に浮かぶのは真円を描く満月である。雲ひとつ無い、いい天気でよかった。へたな天候だったならば移動するのに幾分か足を取られてしまう。

 

 しばしの間この美しい世界を眺めていたロータスだったが、このままだと待ち合わせに遅れてしまうことに気付く。目の前の壁を一刃の元に切り伏せてロータスは月明かり照らす輝く世界に身を投げ出すのであった。

 

 

 エネミーにもバーストリンカーにも出会わずにロータスは杉並区を南下していく。

 もうすぐ目的地である羽田に到着するだろう。このまま何事も無くたどり着けばいいのだが……。

 しかし、ロータスの願いはその羽田空港で粉々に打ち砕かれることとなる。

 

『小さき者よ、この地にいかな用があって足を踏み入れた……』

「神獣級エネミー……《ティアマト》!」

 

 羽ばたく度に荒れ狂う風を浴び、顔を(しか)めながらロータスは目の前の巨大な竜に構えをとった。

 

『ほう……我の名を知りながらもその気概、心地よし! 今すぐ引き返すというのならその命だけは獲らずにおいてやろう。我とて無駄な殺生は行わぬ、さあその無粋な刃を収めこの地より去れ!』

「いや、その必要は無い……」

 

 並みのバーストリンカーでは聞くだけで怖気づきそうな深みのある声を聞いて尚、ロータスは一歩も引かなかった。

 それどころかますます闘気を張り巡らせるロータスにティアマトも口端を歪ませる。

 

『面白い! ならば見せてみよ、その身に宿す信念と練磨された技の数々を! その自信、矜持、悉く捻り潰して見せようぞ!』

「……いや、その必要も無い」

 

 ヤル気となったティアマトの気を受け流しロータスが取り出したのは銀色に輝く円形のエンブレムだった。

 

「私が見せるのはコレだからな」

『ほう……。ふむ、ふむふむ……』

 

 羽ばたくのを止め、地響きを起こしながら地面に降り立つティアマトは首を伸ばしてそのエンブレムを覗き込む。

 エンブレムには縁を辿(たど)るように伸びる竜の首と、その竜に守られるように眠る女性の姿が描かれていた。

 

「コレを見せればこの先に通してくれると聞いていたが?」

『確かにこれは我が盟友の印。だがそんな約束事あっただろうか?』

「おいおい、ちょっと待て。話が違うぞ!」

『…………遠い遠い昔、その様な約束を交わしたかも知れん。それに今日は客人を招くと言っていたな。それが貴様か?』

「あ、ああ……」

 

 まさかこんなところで躓くとは思っていなかったロータスは目の前のどこか抜けているエネミーにくたびれてしまう。一応先へと通してはくれたが、なんとなく納得がいかないロータスであった。

 

 

 

 

 

 

 場所は知っていたが中まで入った事の無かったロータスは神殿内の洗練され気品漂うその装いにしばし目を奪われる。

 こんな場所で会議をするのもいいかもしれないな、とハルユキが顔を輝かせる様を想像しながらロータスは自動的に開かれた目の前の扉へと足を進めて行く。

 

 扉を潜った先も質素ながら威厳のある、赤絨毯が敷かれた廊下だったが、その様子をじっくりと観察している暇はなかった。

 

「よくおめおめとこの場に姿を現せたわね。《ブラック・ロータス》」

 

 三角帽を持ち上げながら殺気を孕んだ視線を向けてきたのは《スーパー・ヴォイド》幹部の1人、《ウイスタリア・ソーサー》。その脇には同じく幹部の《カナリヤ・ムーン》、《モスグレイ・アンポリッシュ》も居る。もちろんどちらの視線も好意的なものは一切含まれていない。

 

「ほう……随分なお出迎えだな。歓迎会でも開いてくれるのか?」

「何をバカなこといってんスか! オイラたち(ヴォイド)のプライベートネットに侵入し、あまつさえ団長を呼び出す書き込みを残すとは盗人猛々しいッスよ!」

「これからはもう少しまともなファイヤーウォールを構築するべきだな」

 

 しかし黒雪姫は一歩も引かない。それどころか挑発さえして見せた。

 ヴォイドの幹部は全員がレベル8、それが3人いても負ける気はしない。その程度の気概が無ければこの先に待つ人物と会うなんて夢のまた夢だ。むしろロータスの放つ気迫に彼らが気圧されることとなる。

 

「それで……、用がないのなら通してくれないか。そろそろ待ち合わせの時間になるのでな……!」

「くっ!」

「……通りな。だが、お前が立ち去るまで俺たちはここに居るぜ。もし暴れる音が聞こえてきたらすぐに乱入させてもらうがな。そんときは覚悟しろよテメェ……!」

 

 アンポリッシュが道をあけると他の2人もしぶしぶといった体で後に続く。

 張り詰めた空気に晒される中、それでもロータスは威風堂々とさらに先へと進むのであった。

 

 

 おそらくこの先に待ち人が居る。目の前の重厚な扉を隔てても感じるプレッシャーにロータスは覚悟を決める。閉じられた扉は自動で開くことは無く、自慢の刃で切り開いた。

 

 まるで御伽噺に登場するお城のようなホールの真ん中によく使い込まれた円卓が置かれている。しかし、目当ての人物はそこに座っていなかった。

 もしかしてまだ来ていないのだろうか……、いや、先の3人の口ぶりではすでに到着しているようだったが。

 

「こっちだ……」

 

 その声は円卓の向こうから聞こえてきた。

 ロータスは円卓を迂回し部屋の奥へと向かう。

 奥の壁は全てガラス張りでその先には美しく煌く夜の海が映っている。

 その手前、ロータスがいる場所より数段高い場所に置かれている輝く玉座に、より気高く光る《王》が座っていた。

 

 《竜王――プラチナム・ドラゴニュート》が肩肘付いてロータスを見つめているのであった。

 

 両者の位置によりロータスは必然的に見下ろされることとなる。2年前とは異なる立ち位置に自分の立場をまざまざと見せ付けられた気分になった。だが、そのうら寂しさに囚われることなく今回の目的を果たすこととする。

 

「久しぶり、といって言おうか」

「そうだな、2年と……何ヶ月だ? まあいい。そのくらいになる」

 

 まるで興味もなさそうに語るドラゴニュート。

 やはり前のように仲良く会話することも出来ないか……。

 

「それで、どうやってウチのレギオンが使ってるプライベートネットのIPアドレスを割り出したんだ? あれは幹部の連中とその《親子》にしか話していないはず。まあそこから考えればおのずと分ってしまうんだが……」

「これからはアドレスをこまめに変えることをお勧めするよ」

 

 場を暖めるのもここまで。ロータスは早速本題に入ることにした。

 

「最近、5代目の《クロム・ディザスター》が現れたことを知っているか?」

「もちろんだ。俺はこっち()を主な活動場所にしているからな」

 

 その答えを聞いてロータスは1つ深呼吸をする。そして睨みつけるようにドラゴニュートと視線を合わせた。もし、自分の考えが当たっていたのならばこの加速世界に大波乱をもたらしてしまうだろう、その覚悟を持って目の前の《王》を問い詰める。

 

「以前、2人で話したことがあったな。他の王たちが次々に七星外装を手に入れていく中、それに匹敵する装備を持たない私達が遅れを取らないためにどうするか」

「そんなこともあったな。七星外装は最強であっても無敵ではない。それを越える技術と意気込みを持てば勝てる。なんてお前は言ってたな確か……」

「そうだ。そして貴様はこう言った。災禍の鎧を自由に操れたのなら七星外装に匹敵する装備を手に入れたことになるんじゃないか、とな。

 その言葉が気になって私は尋ねた。まさか災禍の鎧を持っているのかと」

「かもしれないな……」

 

 「俺はそう答えた」、ドラゴニュートの言葉に自分の記憶が間違っていないことを確信した。だったら、と……。

 

「あの時は冗談だと笑って流したが、本当に持っていたのか? 災禍の鎧を……、あの時、あの場所にいた王全員に嘘をついて隠し持っていたというのか!?」

 

 

「そうだ」

 

 

 ドラゴニュートはロータスの疑問にあっさりと肯定した。

 その清々しさにロータスは一瞬自分が聞き間違えてしまったと思ったほどだ。だが間違えるはずが無い。ドラゴニュートはハッキリと自分が災禍の鎧を隠し持っていたことを宣言したのだ。

 ロータスはふさがらない口を動かし、震える声で続きを問う。

 

「あ、赤のレギオンに災禍の鎧を流したのも貴様なのか……」

「結果的にはそうなるな、そのことに対しては申し訳ないと思っている」

 

 まるで悪びれない言い方にロータスは頭に血が上るのを抑えきれなかった。

 血が沸騰しそうに熱い。2代目のディザスターはヴォイドの初代団長から出たという噂を思い出す。同時にディザスターの力を使って加速世界を支配しようとしていたのではないか、という噂があったことも。

 

「その過ちを繰り返そうというのか……!」

 

 今度は他のレギオンを巻き込んで! 廊下で待機している3人の存在も忘れ、目の前の怨敵に襲い掛かろうとした時だった。ドラゴニュートが唐突に……ロータスが息を吸い込む絶妙なタイミングで話しかけてくる。

 

「お前と同じカラーを持つリンカーを知っているか?」

「な、なに……!?」

 

 出足を(くじ)かれ、つんのめるロータスにドラゴニュートは感情の無い視線を向け続ける。その視線に吸い込まれそうになりながらもロータスは冷静さを取り戻すのだった。

 

「バカなことを言うな、加速世界が生まれてから1度たりとも色かぶりは存在していない。それはお前の方がよく知っていることじゃないのか《最古の竜》よ」

 

 睨み返すロータスをジッと観察してからようやくドラゴニュートが視線を外した。

 その質問の意味を聞いてみたが、「なんでもない」と素気無くあしらわれてしまう。

 気になる所だったが、今はそれよりも重要なことがある。

 

「話をそらすなドラゴニュート! なぜ災禍の鎧を表に出した。再び王を一堂に集め、その隙を突いてレベル10になるための条件を満たそうというのか! 他のレギオンを利用してまで強さを求めるなんて間違っているぞ!」

 

「ライダーを不意打ちで殺したお前がそれを言うか……!」

 

 深い怒りの篭ったその言葉にロータスは胸が抉られたように錯覚した。自分の体を見下ろしても損傷は1つも見当たらない。しかし胸の痛みはジクジクと消えることが無い。

 

「それは……」

「まあ、それはいい。お前を取り巻く今の状況を見ればなんとなく想像がつく……」

「なに?」

 

 ポツリと呟かれた言葉に顔を上げるがドラゴニュートは顔を背けたままだった。

 

「ライダーを倒した後、何故か崩壊した《ネガ・ネビュラス》。復活したお前が拠点としているのは以前の新宿ではなく杉並区。そしてライダーに向けた最後の言葉……つまりあれはお前の本意ではなかったということだろう?」

「なぜそれを!?」

「偶然だ。……そして、当時お前に意見できたのはレギオンの連中か。《親》である……」

「やめろ!!」

 

 堪らず叫ぶ。それ以上話させたくない、彼女の名前を聞きたくない! ロータスは自分の体を抱きしめる。

 

「……その態度は答えを言っているようなもんだぞ」

「違う! あれは私の意思でやったことなんだ!」

「そして、後悔している……」

「…………」

「……その気持ちはよくわかる」

 

 消えるような言葉で紡がれた言葉に再びドラゴニュートの顔を仰ぎ見る。しかし、先程と変わらない様子が見えるだけだった。

 気のせいか? だがしかし……。ロータスの疑問が解ける前にドラゴニュートの言葉が割り込んできた。

 

「すまなかったな、嫌な事を思い出させて。しかし、こっちとしてもいくつか疑問が解けた」

「なに、何のことだ?」

「災禍の鎧を利用して加速世界に混乱をもたらそうって連中の事だよ」

「それは貴様じゃないのか!?」

「俺が災禍の鎧を持っているということを臭わせたのはお前だけじゃない。ってことさ」

「なぜそんなことをする必要がある?」

 

 突然の告白にロータスは混乱する。しかし、どうにかその意図を読もうとするが、デュエルアバターの表情は読めない。

 

「お前は知らないかもしれないが2代目ディザスターを倒したのは正確に言うなら俺じゃない。最後の最後で横槍を入れられたんだ」

「なんだと?」

「最後に止めを刺したものに強化外装の移譲が行なわれる。案の定横槍を入れた奴が3代目となった。そして……、その3代目を《青の王》が切り伏せている」

 

 それはつまり……。ロータスの疑問に答えるようにドラゴニュートは話を続けていく。

 

「つまり、その時災禍の鎧を受け継いだのは青の王だ」

「だ、だが《ブルー・ナイト》はいまだ加速世界に存在している!」

「そうだな。3代目が倒された後、当然俺はナイトに尋ねた。災禍の鎧をどう処分したのかをな。おそらくアイテムストレージから鎧は消去できない。そんなことが出来たら初代の時点でとっくにディザスターはいなくなっていたはずだからな」

 

 2代目を倒す前にドラゴニュートは災禍の鎧をどう始末するのかを聞かれたことがある。その時は帝城の堀にアイテムカードを投げ捨てると答えた。

 

「そしてナイトの奴もそう言ったよ。堀の底に投げ捨てたってな、だがそんなことは不可能だったんだ。リポップするんだよ。捨てた瞬間自分の足元に……。これは適当なアイテムで確かめた、確実なことだ。だから……」

「青の王は嘘を付き、今回のように災禍の鎧を誰かに流したというのか!」

「全ては憶測でしか無いけどな。憶測だけなら好きに言える。部下に任せたがちょろまかされたとか、災禍の鎧は足元じゃなく他の遠い場所に転移したとか。なんにせよ疑わしいことには変わりなかったからな」

 

 そして、もう1人話した人物は……。

 ドラゴニュートの言葉にロータスは今度こそ黄の王が絡んでると考えた。しかし彼の口から出てきたのは考えてもなかった、いや考えたくも無い人物であった。

 

「もう1人カマをかけた人物は《白の王》さ……」

「…………」

 

 頭が真っ白になる。

 まさか、という感情と、ありえる、という感情がせめぎ合う。

 しかし、ロータスはそれ以上の事を考えられなかった。

 

「2代目を倒すその前に白の王が不自然に話しかけてきたことがあった。そのときはさほど気にならなかったが、よく考えるとあれは3代目の奴を煽っていたように思えたんだ。当時、双璧をなす剣士といわれてはいたが、3代目はナイトに1歩及ばなかった。その焦りを点かれたんだろう、あの時心意の力と災禍の鎧が譲渡される確率に1番反応していたのは3代目だったからな」

 

 だから……。

 いまだ立ち直れていないロータスを無視するかのようにドラゴニュートは語る。

 

「だから青と白。そしてつながりのあるお前()に囁いたんだ。俺は災禍の鎧を持ってるぞと。まあ、お前は気付いていなかったみたいだが。

 とにかく、その一週間後だ。この神殿に侵入者が現れたのは」

「侵入者?」

「ああ、ティアマトにも、神殿のセキュリティにも引っ掛からず、影のように侵入し、災禍の鎧を封印した金庫を掠め取っていった者がな」

「影だと……?」

「ああ、出会ったのは一瞬だったから会話もしなかったがそいつはつや消しブラックの板を何枚も重ねたような姿をしていてな。影から影へ移動するアビリティを持っていた。だから仮名として《シャドウ()》と命名している」

「それで……? 貴様の油断のせいで災禍の鎧がこの世にばら撒かれたと?」

 

 腕を組み、無言で頷くドラゴニュート。そのふてぶてしい態度に今度は怒りで視界が真っ白となった。

 

「貴様ぁ! なんて無責任な!」

「叱りは受ける。まさかあんなアビリティがあったなんて……なんていうのはこの世界じゃ無意味な言い訳だからな。……それで、事実を知ったお前はどうする? ここで俺を叩くか? 悪いがまだやすやすと死ぬわけにも行かない、来るならば抵抗させてもらうが……」

 

 ロータスの怒気に呼応するようにドラゴニュートも闘気を練り上げていく。空間の圧力が増していき、柱がひび割れ、絨毯の毛が逆立つ。

 

 一触即発。

 

 その空気を先に緩めたのはロータスの方だった。

 

「……こんなアウェイでそんな短慮なことをするほど私は馬鹿じゃない。

 

 

 それにお前とはしかるべき時と場所で再戦すると約束したはずだ」

 

 

「……そうだったね、悪かったよ」

 

 先程までの傲岸不遜はどうしたのか、柔らかくなったその言葉にロータスはまるで2年前にタイムスリップしてしまったように感じてしまった。だからだろうか、昔のような信頼を持ってドラゴニュートにその提案してしまう。

 

「ではお前の罪滅ぼしのために1つ私が協力してやろう。

 

 

 今回のディザスター退治、お前のレギオンからは《竜騎士《ドラグーン》》を出せ」

 

 

 

 



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第26話 戦う乙女達

 

 

 放課後、ハルユキ達はいったん解散してから再びハルユキ宅に集まることにした。

 そのためニコと2人っきりになるチャンスを得たハルユキは1つ、黒雪姫先輩の事をどう思っているのか聞いてみた。

 ニコは2代目赤の王で、初代は黒の王が倒してしまったのだから、なにか恨み言の1つでもあると思っていたからだ。もしかして自分のリアルを晒してまで黒の王を討ち取りたいと思っているのなら、これから移動するフィールドでハルユキ達諸共バーストポイントを全損させる事だって可能なのだから……。

 しかし、ハルユキの心配を余所にニコはまるで興味なさそうな態度で黒の王を憎んでいないと言う。

 

「あたしは別に先代と面識があるわけじゃねーし、赤のレギオンに所属してたのも偶々だからな。当時も他人事だったよ」

 

 だからあたしは特に黒の王を討とうとは思ってねーし。そう言ったニコはハルユキに背を向けて、再びハルユキ秘蔵の漫画本の世界へと戻ってしまう。

 ホッとしたハルユキは冷蔵庫の中から麦茶を取り出す。透明なコップが琥珀色に染まるのを見ていると小さな呟きを耳を打つ。

 

「恨むどころか…………スゲー奴だなって……思ってるよ」

「え……!?」

 

 驚き、振り向いたハルユキに、赤くなった耳を見られていることは気付かないままニコは漫画を読みながらポツポツと語り始める。

 

「他の腹に一物抱えている連中と違って1人だけレベル10を目指すって公言してるしさ。……昔は《竜王》も言ってたらしいけど今はただ暴れまわってるだけだし、あんなの口だけの不良と変わんねぇよ」

「…………」

「……あたしはそこまで気合入れたことできねぇ。誰かがレベル10になったらその時点で加速世界そのものが無くなっちまうかもしれない。そんな噂がある以上、あたしはつい二の足を踏んじまう。だって現実よりも長い時間過ごしてきた世界が急に無くなっちまったら、なんて考えたくもねぇもん……」

「ニコ……」

 

 ハルユキは目の前の小さな体が震えていることに気がついた。

 麦茶を注いだコップをテーブルに置き、そっと少女の隣に座る。ただそれだけ。それだけで安心できることを知っていたから。それだけしかできなかった。

 

「でも、あたしのそんな態度が《チェリー・ルーク》を《クロム・ディザスター》なんかにしちまった! 今の停滞した世界じゃレベルを1つ上げるにも相当な苦労が必用だ。7、や8なんかになるためにはどれほど時間がかかるかわからねぇ……。チェリーはそれでも必死にポイントを稼いでた! その焦りを突かれちまったんだよ! それはつまり、この停滞を許している王の1人であるあたしのせいなんだ!」

「違う! ニコのせいなんかじゃない!」

 

 嗚咽をあげるニコの手をハルユキは掴む。潤んだ赤い瞳が大きく開かれハルユキの視線を受け止める。

 精一杯自分の気持ちが伝わるように手を優しく包み込みながらハルユキはニコの心情を肯定した。

 

「《ブレイン・バースト》の世界を好きだっていうニコの気持ちは……なんとなくだけどわかる。だって僕も始めてからそれほど経ってないけど、このゲームが大好きだから。だからあの世界が無くなって欲しくないって気持ちも……。

 でも、それでも僕達はゲームクリアを目指さなきゃいけない! 僕はそう思う。

 停滞の先にあるのは衰退だよニコ、誰も居なくなったゲームほど悲しいものは無い。そんな世界になるのをただ黙って見ているのなら、みんなでエンディングを迎える方がよっぽど正しいことなんだ……」

 

 鼻先がぶつかりそうな距離でハルユキはニコの顔を見る。

 ニコは呆然とハルユキの顔を見ていたが、やがて俯き……ハルユキの手を振り払った。

 伝わらなかったか。振り払われた手を残念がる前にハルユキはニコに壁際まで蹴飛ばされる。突然の衝撃に混乱しながらもニコを見返すと、目じりを上げた顔が目に入った。

 

「ふざけんな! それじゃあやっぱりあたしが悪いって言ってるようなもんじゃねえか!」

 

 叱咤され、俯くハルユキ。けれど、その頭上から降りかかる霞みのような言葉は聞き逃さなかった。

 

「でも、慰めようとしてくれたんだろ…………ありがと……」

「ニコ……!」

 

 ハッと顔を上げてもすでにニコの視線は彼方へ向けられている。

 しかし、その後黒雪姫にからかわれるまで、真っ赤な顔が元に戻ることは無かったのであった。

 

 

 

 

「さて、今一度確認しておこうか。“赤い”の、ちゃんとディザスターの追跡はできているのか?」

 

 黒雪姫がニコの特徴をひと言で現した言葉で呼ぶと、その本人は納得していないような顔で肯定した。

 

「ああ、もちろんだ。時間帯的にもそろそろ動き出すはずだぜ」

 

 すでに放課後となってから時間も経っている。今の時間帯ならばどこの学校でも同じく放課後を迎えているはずだ。

 ニコは先程から小まめにニューロリンカーからの情報を確かめている。一体どうやって追跡を行なっているのか、ハルユキが聞こうとしたときだった。

 

「……動いた! 今日、チェリーはおそらくブクロに行く」

「池袋か。そうなると厄介だな……」

 

 池袋はどのレギオンにも支配されていないが、平日であってもリンカーの多く居る地域だ。杉並から移動した場合、ディザスターと出会う前に絡まれてしまう可能性がある。

 それに移動時間の事もあった。今からチェリーを追ったとしても向こうが先に目的地へたどり着くのは目に見えている。1分1秒が非常に貴重な加速世界においてその遅れは許容できない。

 だとしたら道は1つ……。

 

「《中》を突っ切るしかないな……」

 

 黒雪姫の提案にタクとニコが頷くなか、ハルユキだけが首をかしげる。

 昨日からの疑問だった。移動距離に制限がある対戦フィールドの中を突っ切るとか、はなから自分たち複数人との対戦をディザスター1人が承諾する、ということ前提で話されている作戦内容とか……。

 その疑問を打ち明けるハルユキに返ってきた視線は三者三様だった。

 

 そんなこと昨日のうちに聞いとけよ、とニコ。

 説明してなかったっけ? とタク。

 そして、仮想ウィンドウを操作していた黒雪姫は慈愛の視線でハルユキの質問に答えてくれた。

 

「これから行くのは通常対戦フィールドではなく、私たちが“上”と呼んでいる場所だ。そこでは移動距離も、対戦人数も、時間ですら制限という鎖から解き放たれる。まさしく我々バーストリンカーの真の戦場といえる場所となるだろう」

「し、真の戦場……そんな場所が……」

「そうだ。私の言うコマンドに続けて唱えろ。……準備は出来たか? さあ、行こう。

 

 《無制限中立フィールド》に!」

 

 凛とした黒雪姫のボイスコマンドがハルユキの耳にこだまする。

 ハルユキもその言葉に続いて《加速世界》へと飛び立つのであった。

 

 

 

 

 

 

「さて、池袋と一口に言っても範囲が広すぎる。どうやって“奴”を見つけるつもりだ?」

「おそらくサンシャインシティの周辺に出るはず。そこらへんを見渡せるビルの屋上にでも……」

 

 その位置取りにひと悶着を起こしつつ、両手に花、足に1人ぶら下げながら《シルバー・クロウ》は機械然とした世界を優雅に滑空していた。

 初めて訪れる制限の無い世界。その凄まじい姿に感動し、裏に隠れた恐ろしさを教わると色んな意味で身震いを起こしてしまったが。それでもクロウはどこまでも続く《加速世界》の美しさを再確認するのだった。

 

 

「ハル! 危ない!」

 

 その時、突然聞こえてきた《シアン・パイル》からの警告にクロウは間一髪、奇襲を回避することが出来た。ハネを掠ったオレンジ色の輝線(きせん)。その後に続くミサイル郡にさっきの攻撃が偶然ではなかったことをクロウは確信する。

 

 今、クロウ達が使える遠距離攻撃はニコ……《スカーレット・レイン》の腰にぶら下がっている単発式の小銃しかない。これでは雨あられのように襲い掛かる攻撃から身を守ることは到底不可能だ。地面に降り立ち、それぞれが身軽になるしかない。

 なるべく火線の薄い場所……。クロウが導かれるように目をつけたのは南池袋公園……加速世界では大きなクレーターのようになっている窪地であった。

 

「あそこの手前に降ります!」

 

 グングンと高度を下げるクロウに襲い掛かるミサイル。それをレインが驚くべき射撃制度で次々と撃墜していくが数が数だ、いくつかのミサイルが潜り抜けクロウの体に肉薄する。

 

「……ヤッ!」

 

 直撃するのはマズイとロータスがミサイルを一閃。一拍の間をおいて爆風がクロウ達に襲い掛かり、その爆風でクロウは目標としていた場所から大きく外れることとなってしまった。

 ハネを広げ、思いっきり制動をかけるが、それでも予想以上の速さで近づいてくる大地。まずパイルがクロウの足を離し、地面を削りながら着地。続いて2人の王も無理な体勢を感じさせないほど軽やかに地面へと降り立った。最後にクロウもたどたどしく地面へ足をつける。

 

 辺りを見渡すとそこは目標としていた盆地の中央付近であった。数々のフルダイブ型FPSなどを経験しているクロウにとってこの場所に降り立つということは非常にマズイ状況に陥ったとわかってしまう。急いでこの盆地から抜け出そうと注意を投げかけようとするが、その行動は少し遅きに過ぎたようだ。

 

 

 クロウたち一行はすでに罠に掛かっている。

 

 

「おやぁ……珍しいエネミーを見つけたと思ったら、これはこれは……まさか《赤の王》でしたとは、意外でしたねぇ」

「てめぇ……《イエロー・レディオ》!」

 

 窪地を囲む色とりどりのバーストリンカーたち。その中で1番大きな群衆の中から現れたのは泣いているような、笑っているようなピエロの仮面をつけた《黄の王》だった。

 

 しかし、なぜ、このタイミングで? クロウは先程ロータスから教わった無制限フィールドにおける他のバーストリンカーとのエンカウント率の低さを思い出す。このフィールドにダイブしている全リンカーを集めても100人に満たないだろうと言う話だ。しかし、この現状はなんだ、30人を超える集団が、それも上野から秋葉原にかけた領地を支配する《黄のレギオン》の連中がクロウたちを囲んでいるではないか。決して偶然ではありえない。

 

「……そうか、てめぇが全部仕組んだのか!? 災禍の鎧を隠匿したのも、それをチェリーに渡したのも、全部お前のせいか!」

「人聞きの悪い。私は神聖なる条約に従って私の可愛い配下の(かたき)を討とうと、自ら中野まで出向こうとしていただけですよ」

 

 条約……《領土不可侵条約》のことだ。決まりごとの1つにこの様なものがある。レギオンメンバーが襲撃によって全損に追い込まれ、強制アンインストールが行なわれてしまった場合、そのレギオンは襲撃者の所属するレギオンから1人、同じ運命を辿らせていい、と。

 

 しかし、それでもタイミングが良すぎる。ロータスの脳裏に1人、とある人物の姿がよぎったがすぐに頭を振った。

 

「なんとその相手が《王》の1人である貴方とは、さすがの私も驚きを隠せませんよっ……!」

「“いいやがる”!」

 

 睨み合う赤と黄色。しかし王とはいえこの人数相手ではさすがに厳しい。それに立地の問題もある。このままでは一方的にHPを削られ、最後の一撃を黄の王にもっていかれてしまうだろう。それだけでレインは特殊サドンデスルールに則って強制アンインストールを執行されてしまうのだ。

 今、このフィールドではポータルを使わなければ現実に戻ることは出来ない。条約には襲撃者をレギオンの王が責任を持って断罪すれば罪は許される、とあるが、ディザスターが現れる予定は今から2日後。王の首を狙っているレディオがその猶予を与えるはずも無い。

 絶体絶命、赤の王は追い込まれていた。

 

 だが……。

 

 だが、1つだけレディオには誤算があった。

 遠距離火力特化のレイン1人だったのならば隙はいくらでもある。しかし、この場にはレインを守ることが出来る超近距離特化の《ブラック・ロータス》が居るのだ。

 いくら30人を越える集団に囲まれたとしても押し返すことが出来る。

 

 たった1人加わるだけで戦況が覆る。

 それが《王》という存在なのだ。

 

「……《黒の王》あなたがこの場に現れるとは、さすがに予想できませんでしたが。まあ、突然の乱入も私は歓迎しますよ。かの《竜王》も言っていました。

 ハプニングは怖がるものじゃなく楽しむものだと……。

 しかし、許容できるのはそこまで。あなたはもちろん邪魔をせず、大人しく見物してくれますよねぇ? いや、むしろあなたはこちら側だ。

 ……そうだ、いいでしょう! スキあればあなたも赤の王を討てばいい! 簡単でしょう? “一度経験したことあるんですから”」

 

 大げさに、手振り足振りと責め立てるレディオの言葉にロータスは俯いて何も喋らなかった。むしろ彼らに囲まれてから今の今まで彼女はひと言も喋っていない。そのことに気がついたクロウはなぜ、という思いでその姿を見続ける。

 

 ロータスはようやく、といった時間をかけて顔を上げ。

 

「……勝手なことを言うな、レディオ。誰がこんな卑怯な手で…………」

 

 ポツリと、まるで覇気の篭っていない言葉は最後まで続かなかった。まるで何かを思い出したかのように再び俯いてしまう。

 しかし、その言葉尻は伝わったようだ。レディオはいっそう責め立てるべく、懐からとあるカードを取り出した。

 

「いいます。いいますねぇ!? ロータス! 卑怯だ!? あなたの口から聞けるとは思いませんでしたよ。まさかあなたは忘れてしまった? あの日の惨劇を? 私は今でも思い出しますよ。先代の《赤の王》の無念そうな顔が地面に落ちるその瞬間を!」

 

 レディオの投げるカードはクロウたちの目の前の地面に突き刺さる。

 カードの表面に浮かび上がっているのは再生とスキップのボタン。そこから考えられる予想の通り、カード上空に巨大な立体ホログラフィが浮かび上がった。これはリプレイファイルだ。それも先代《赤の王》がロータスの手によってこの世界から消え去ってしまう場面が映った……。

 

 その動画を見せられてからのロータスは酷いものだった。

 

 視線という視線が自らを責め立てていると錯覚し、錯乱。1番見られたくなかった相手……《シルバー・クロウ》と目が合った瞬間、ロータスのあらゆる意識がホワイトアウトし、その場に崩れ落ちてしまう。

 

 初めて見る現象(ゼロフィル)に困惑するクロウ。同じくそこまで罪の意識を感じているとは思っていなかったレイン。

 上手く行き過ぎたことに笑いが堪えられないレディオの哄笑がその場に響き渡り、それは再び傾いた形勢を如実に表していた。

 

 

 ――悔しい!

 

 あの煩わしい笑いを止められない自分が。

 ニコを守りきる事ができない自分が。

 先輩を支えてあげられない自分が!

 

 ハルユキは唇を噛んで目の前の敵を睨みつけることしかできなかった。それだけしかできない自分を心の中で思いっきり非難した。それでもこの状況は変わらない。この一ヶ月、何度も口にした言葉を再び叫ぶ。

 

 ――強く、なりたい!

 

 

「さあ! 邪魔者はいなくなりました。それでは我らがカーニバル、その最終演目を楽しみましょうか! 攻撃目標《スカーレット・レイン》! 攻撃――」

 

 それでも時間は容赦なく進んでいく。

 いくら祈っても強くはなれない。神秘のパワーは急には目覚めない。クロウに奇跡は起こらなかった。

 

 

 だからこれは必然である。

 ちゃんと計算された運命が訪れただけ。

 

 

 爆音。衝撃。

 そして悲鳴。

 それはクロウたちの付近で起きたものではなく、今まさに銃口を盆地の底に向けていた黄のレギオン連中の間で発生していた。

 

 暴発? クロウの考えはすぐに否定された。誰一人として例外なく見上げる視線の先、原因を作り上げた人物が予想だにもしない方法で現れたからだ。

 レディオの叫びがビルに反射する。

 

「なぜ……!? なぜ貴様がここに!」

 

 真っ赤に輝く鋼の鱗。雄々しいハネで空に浮かぶ巨大な竜。

 レディオはその巨獣型エネミーに文句を言った訳じゃなかった。

 竜に着けられている口輪から伸びる手綱。それを持つ人物をクロウは見たことがあった。

 

 かつて戦い、辛酸を舐めさせられた相手――

 

「《竜騎士(ドラグーン) フレイム・ゲイレルル》!」

 

 槍を持つ戦乙女。

 彼女が竜に跨ってこの場に現れたのだ。

 

 

 

 

 

 

「《竜騎士《ドラグーン》》を出せ、だと?」

 

 竜騎士はヴォイドが手に入れたテイムアイテムによって手懐けられた竜と、その乗り手の俗称である。ロータスの言葉にドラゴニュートはいい顔をしなかった。

 それはそうだ。アイテムによって手懐け(テイム)られたエネミーはメタルカラーよりも貴重な存在。一度殺されたら同じ個体は二度と手に入らない、所有しているレギオンにとっては虎の子中の虎の子である。それをロータスは出せと言ったのだから。

 

「そうだ。今代のディザスターはまるで飛ぶかのような跳躍を見せるらしい。だから制空権の取れる存在が必要なのだ」

「それこそお前の団に……」

 

 そこまで言ってドラゴニュートは考え込む。そして結論が出ると呆れたような声で言った。

 

「なるほど、過保護だな……」

 

 ドラゴニュートが聞いている限り《シルバー・クロウ》は少し前にレベル4になったばかりの……まだ初心者に毛が生えた程度の実力だ。

 経験は積ませたい。しかし、万が一はあっては困る。と、いうことで“保険”が欲しいのだろう。

 気まずげに顔をそらすロータスを見ればそれは明らかである。

 

 ドラゴニュートはため息1つ……。

 

「それで、時間と場所は? ちゃんとわかっているんだろうな。まさかこれからずっとダイブしっ放しだなんていうなよ?」

「……!! ああ! それは赤の王が手を打っているみたいだ」

「そうか、じゃあ俺の連絡先はお前が侵入したプライベートネットの1番最初に書いてある。ハックして転送先を探そうとするなよ? アマゾン奥地にある秘境の村の名前がわかるだけだ」

「それは……なんだ? 冗談のつもりか?」

 

 ロータスの辛辣な言葉にドラゴニュートは黙って出口を指差した。

 

「2階にポータルがある。帰りはそこを使え」

 

 言い残したことはもう無いと無言を保つドラゴニュートにロータスは首をかしげながらその場を後にするのだった。

 

 

 

 

 廊下に待機していた3人からの冷めた見送りを受けた後、ロータスは曲線を描く階段を一段一段と上っていった。

 視線の先、青々と優しく光り輝くポータルを見つけると同時、もう1つの存在が目に入る。

 ポータルの色とは間逆の苛烈なる赤。ドラゴニュートの片腕、《フレイム・ゲイレルル》の姿がそこにあった。

 

「下で見なかったからおかしいと思っていた。ここにいたのだな……」

 

 微かに緊張の含むロータスの言葉にルルは鼻を鳴らして返す。

 

「お前にも久しぶり、と言っておこうか。あの時は世話になった」

 

 “あの時”。無限に続くと思っていた時間に無粋にも割り込んできた目の前の人物にロータスは手を差し出す。もちろん刃の手を握ることができるはずも無い。ただの嫌がらせだ。

 

「貴女がこうして私達の前に現れることができるのも私があの戦いを止めたお蔭なんだから感謝しなさい」

 

 ロータスの手に視線すら向けることなくルルは言葉を返した。

 場の空気が2度、3度上がっていく。

 

「それはこちらの台詞だ。貴様の邪魔が無ければこのレギオンは再び代替わりを果たしていただろうな? そんなに3代目になるのが嫌だったのか?」

「そんなのはどうだっていい。貴女は2年間一体何をしてたの?」

「なに?」

「今更現れて、いつまでこんな所でのんびりしているのかって事。さっさとこのゲームをクリアしなさいよ」

「…………お前は何を言っている? それはお前の団長が目指しているものじゃないのか?」

 

 それなのになぜ敵に発破をかけるようなことを……。ロータスの困惑する態度にルルは何度か逡巡してからその胸の内を語る。

 

「私は、ドラゴにゲームをクリア……いえ、これ以上の全損者を出させたくないだけ。彼はもう2人分の気持ちを背負っている。もうそれで限界なの……」

「なんだとそれはどういう……?」

「その重みは貴女もよく知っていると思うけど?」

「ムっ……」

「彼がばぜレベル10を目指しているか知ってる? 約束なんですって。それも8年近くも前、ほんの数週間一緒に遊んだだけの友達との……。彼は優しい。けど優しいからこれ以上は無理なのよ……」

「するとなんだ? お前から見て私は優しく無いと……?」

「あら、優しいの?」

 

 ハッキリ言い返され、たじろぐロータスを見て微笑むルル。彼女の言葉に込められた感情の名前をロータスは知っていた。その気持ちゆえに制御できない身勝手さも……なんとなくわかってはいるつもりだ。

 圧し掛かる空気をロータスは深いため息と一緒に吹き飛ばし、目の前の乙女へ高らかに宣言する。

 

「言われなくても私はやるさ。この人の体という殻の……その外側にある何かを見つけるために」

 

 ロータスの決意を前にルルは安心したように笑う。

 

「そう……じゃあお願い。それができたら私の《子》を傷物にした事は水に流してあげるわ」

「……それは!?」

「さあ、行きなさい!」

 

 心に残る傷跡の1つに触れられたロータスは驚きに目を開く。

 しかし、それも一瞬。ロータスはしっかりと前を向いてルルの指差す方向へと歩き出す。

 ポータルではなく、その光の先にある“何か”に向かって……。

 

 

 

 

 

 

「もう……! 災禍の鎧を捕まえるだけの簡単な仕事だって聞いてたのになんなのよこの有様は!」

「なぜ、この場にヴォイドのドラグーンが現れる! なぜ彼らを助けるのです!」

 

 戦場に現れた乱入者にうろたえるレディオにルルは呆れたような声を出す。

 

「少しは落ち着きなさいよ。それでも王の1人なの? ウチの団長ならこう言うでしょうね。

 ハプニングは怖がるもんじゃない、楽しむもんだ! って」

 

 まさか自分が言った台詞がそのまま返ってくるとは思ってなかったレディオは歯を軋ませた。

 その様子を気にもせずルルは自前の槍でレインを指す。

 

「なぜ彼女たちを助けるか、だっけ? 今回私が頼まれたことは2つ。

 超長距離跳躍を行なう災禍の鎧の捕縛。

 そして多大な迷惑をかけた赤の王への借りを返す。ということ。

 彼女がいなくなったら私が困るって事よ」

「せ、先代からの恩を今更になって返すということですか……」

「……なに勘違いしてるのかわからないけど、貴方はそう思ってればいいわ。ともかく! 貴方達が大人しくこの場を去ればよし!」

 

 竜に跨っているという窮屈さを感じさせない槍捌きでルルは天を指す。

 灼光放つその槍は等しく見る者すべての目を焼いた。

 

「退かないのなら私の二つ名を思い出すハメになるわよ!」

 

 ルルが腕を振りかぶると同時、赤竜が前傾姿勢で滑降を始める。

 まるで墜落を恐れていないかのような突進にバーストリンカーたちは恐怖を叫ぶ。

 

「ラプタァァーーーー!!!!」

「《フレイム・ランス》!!」

 

 レディオの怨嗟の叫びは爆音によってかき消されてしまう。

 そこからは一方的な蹂躪だった。まるで自分の体のように大型翼竜の手綱を操るルルと、こうしちゃいられないとレベルアップボーナスの全てを注ぎ込んだ《強化外装》を着込み、暴れだす《スカーレット・レイン》。地上と空中からの挟撃に黄のレギオンは慌てふためくしかない。

 

 しかし彼らは退かない。ここまで仕組んでおいて逃げ出すなんて彼らの矜持が許さなかった。

 

「火線はゲイレルルに集中させなさい! 赤の王は私が隙を作ります。その間にジャミングと近接部隊の突撃を……!」

 

 レディオの指示は所々遮られながら、それでもレギオンメンバー全員に伝わった。

 大量の十字砲火にさらされて一時上空に退避するルル。

 一斉の突撃に照準を迷ってしまったレイン。

 ルルとレインの攻撃が同時に止む一瞬の間。そこに……。

 

「いきますよぉ! 《愚者の回転木馬(シリー・ゴー・ラウンド)》!」

 

 レディオの必殺技が響き渡りレインの周りに巨大な回転木馬が現れる。

 この場にそぐわない陽気な音と共に木馬が回転を始めると、突然レインの射撃がてんで見当違いの方向に逸れていった。

 レインの近くにいたクロウとパイルも必殺技の効果によって平衡感覚を失い、その場に膝を付いてしまう。

 その隙に何人もの近接型がレインに取り付いて、身に纏っている強化外装を少しづつ、ジワジワと剥がしていった。

 

「くっ、このままじゃジリ貧ね」

 

 次々に襲い掛かってくる弾幕に対して回避行動に集中するしかないルル。

 一度場を離れ、大きく旋回したルルはいまだ眠っているお姫様に顔を向けた。

 

「貴女はいつまで眠っているつもりなの! 私に言ったことはもう忘れた!? 1人の男にウジウジうじうじ! 情け無い、消えた男なんかよりも、今貴女のそばで心配そうな顔をしている男に笑顔の1つでも向けてあげたほうがよっぽど建設的だわ!」

 

 クロウに目を移すと戦闘中だということも忘れポカンとした表情で自分を指差していた。

 ルルはそれを見るとウインク1つ、クロウに眠り姫を起こす方法を教えてあげる。

 

「さあ、貴方も一発ブチかましちゃいなさい!」

「ええ~~っ!?」

 

 不自然にクロウとロータスの周りにだけは攻撃が放たれなくなった。バーストリンカーだって空気を読む。特に面白そうなことに関しては……。

 

「やれやれ、勝手に盛り上がらないでくれないか……」

 

 しかし、浮ついた空気も1人の女性が放つ凛とした言葉で引き締まる。

 今まで意識が無かったはずの《ブラック・ロータス》が起き上がり、その瞳には以前と変わらぬ熱意を宿していたのだった。

 

「倒れたものにまで働きを強要するとはやはり、恋する乙女の優しさはたった1人にしか向けられないらしい。私もこうはならないように気をつけよう。

 …… 一応言っておくが私と先代赤の王は男女の仲では決してなかった。そのような思いを抱く者は今も昔もたった1人しかいない。……お前と同じようにな」

 

 地上から見上げるロータスと空中から見下ろすルル。その視線には両者にしかわからない言葉が込められていた。

 同時に笑みを交わして目をそらす。

 

「お前1人か……?」

「悪いけどこの()、1人乗りなのよね」

「フフ、そうか……。ゲイレルル! お前はそのまま空中から我々を援護しろ! パイルはレインの上に乗っている連中を引き剥がしてくれ、レインは武装のリチャージを! ……ハルユキ君」

「は、ハイッ!」

 

 的確に行なわれるロータスの指令。

 しかし最後は近くにいるクロウにしか聞こえない程度の小声だった。

 

「……そ、“そういうこと”は誰にも見られていない場所で、な?」

「……は、ハイぃぃ!?」

 

 デュエルアバター越しに見える黒雪姫先輩の笑み。

 その意味することがわかったとき、クロウはVRだというのに顔が火照っているのを感じとる。

 

「ゴホンっ! では私はあの赤いのの援護に向かう。キミは妨害電波を発しているアバターをどうにかしてくれ」

「ちょ……!」

 

 背中を向け、レインのもとに向かってしまうロータスを見て、クロウは思わず手を伸ばすが黒のシルエットは止まらず行ってしまう。虚しく伸ばされたままの手を2度3度握りこむと、クロウは意識を切り替えて、今自分がやるべきことをこなすのであった。

 

 

 

 





すまん嘘付いた。
長くなったので分割したから後一話ある。


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第27話 未来の自分

前回までのあらすじ。
 ハルユキのリアルを割った赤の王が求めてきたのは復活した災禍の鎧の討伐。その手助けだった。
 その依頼を承諾した黒雪姫一行は無制限中立フィールドへと降り立つが、そこにはすでに黄色の王が罠を張り巡らせて待ってるところであった。
 ピンチに陥るも、かつての戦友ドラゴニュートに依頼していた助っ人が現れ、クロウたちはなんとか起死回生の一手を打とうとする。


 

 

 

 

 《ブラック・ロータス》が目覚めてからというもの、彼女の活躍には目を見張るものがあった。

 レインを囲む多数の近接型を一閃の下に切り伏せ、危険を払拭すると、今度は黄色の道化と1対1で相対していた。

 

「なぜ……。なぜ今となって現れる!? どうして私の準備したカーニバルを邪魔するのです! なにがしたいんですかあなたは! 2年間も姿を消しておきながら、今更なんですよ!」

「…………」

 

 自分の目標が後1歩で達成できるという所で計画を滅茶苦茶にされたレディオは原因となったロータスに詰め寄った。

 しかし、ロータスは言葉を返さない。

 

「そうですか、……やはりそうですか! あなたは酷い御方だぁ。いつもあなたは我々の希望を壊していく。《レッド・ライダー》の時もそうでしたねぇ……」

 

 ロータスの沈黙に我が意を得たとばかりにレディオは言葉を重ねていく。

 

「《竜王》を説き伏せて、和平がなったと安心させたところであなたは唐突にライダーを裏切った! あの時ライダーは何を思ったでしょうか? 彼は一体今何をしているのでしょうか!? ああ、さぞかし無念でしょう。憎いでしょう。彼の負った心の傷は一生消えない。それをあなたが作ったんだ!」

「…………」

 

 ここまで言っても反論1つしないロータス。先程と同じ展開にレディオは自分が相手の心の傷を抉っているとことを確信。身に感じる快楽で身震いを起こしていた。

 

「そしてあなたはまた同じ事を繰り返そうとしている! ……どうですかぁ? 今からでも遅くありません。もう一度その身を隠し、ひっそりと1人で生きていきなさい!」

 

 「さあっ!」彼方を指差し、責めるレディオにロータスは仕方が無いと、まるで言い聞かせるようにゆっくりと言葉を吐き出す。

 

「……いいかレディオ。私は退かん。私には目的もあるし、託された思いもある。それに……」

「それに……?」

 

 ロータスから感じる覇気に後ずさるレディオ。その合い間を断ち切ってロータスは自らの切っ先を突きつける。レディオは自分の首が切り取られてしまったのではないかと錯覚し、思わず首に手を当ててしまう。

 

「私はお前に始めて会ったときから大嫌いだった! そんなお前から恨まれてもなんとも思わん!」

 

 体からあふれ出す闘志。切っ先に込められた決意。

 ロータスは何も言えなかったわけでは無い。すでに言うべき言葉が無かっただけ。

 彼女の意思はすでに全身からありありと語られているのだった。

 

 まさかの言い分にレディオの手は震え、その怒りが爆発した。

 

「ロォータスゥゥーー!!」

 

 半身引いた状態からレディオは長大なバトンをストレージより召喚、雷光めいた突きをロータスに放つ。ここに来て下手な小細工や揺さぶりは自らの隙を作り出すだけ。レディオは王の威厳を持ってロータスを地に叩き伏せることにしたのだった。

 

 ロータスはレディオの攻撃を切っ先で受け流しつつそのまま反撃に入る。攻防一体で動けるロータスの技巧、鋭い一閃にさすがのレディオも防戦に移るしかなかった。回転させればさせるほど強固さを増していくバトンでロータスの腕を絡めとリ、火花を散らす。この一瞬でバトンはすでにロータスですら簡単に切り裂けない強度へと持ち上げられていた。

 

 瞬時に入れ替わる攻と防のやり取りに、その場にいる全員が固唾を呑んで見惚れるしかなかった。

 弾ける衝撃、光る閃光。

 目で追いかけるだけで精一杯の戦いを一瞬たりとも見逃したくはないと思うのは敵味方共通の思いだった。

 

「これが、レベル9同士の戦い……」

 

 ジャミングしていたデュエルアバターを見つけ出し、その護衛についていた射撃型アバターの攻撃を火事場の馬鹿力でかわしつつジャミングを断ち切ったクロウはレインとパイルの近くに降り立ちながら呟いた。

 

 すでに黒と黄の王以外の戦いは止まっており、誰もが手に汗握って勝敗の行方を見守っている。両名の攻撃は直撃さえしないものの、僅かずつだが確実にHPを削りあっているのがわかる。

 このままいけばモノの数分もすればどちらかの王がこの世界から消え去るのだ。肌をチリチリと焼くような重圧感がこの場に満ち始めた。

 

 

 この場にいる全ての者、当事者であるレディオでさえ、今の現状は初めての体験なのだろう。レベル9同士の戦いを見ることも、レベル9同士で戦うことも……。

 だが、黒雪姫だけは違う。かつてクロウは黒雪姫が《竜王》と戦ったことを本人から聞いていた。しかし、それは観客のいないたった2人の演武だったということも。だからこの場で彼女だけが知っている。この狩るか狩られるかの緊迫した体験をもう経験済みなのだ。

 

 だからだろうか、傍目から見て、レディオよりも毛先一つ分、ロータスに余裕が感じられるのは。そしてその余裕がロータスに初めてのクリーンヒットをもたらした。

 当人同士にしかわからない小さな隙、そこを狙ってロータスはレディオの頭に生えている角を1つ切断することに成功する。

 

「ちぃぃ!」

 

 小さく無い痛みがレディオの焦りを大きくさせた。

 焦りは隙を生み、その隙を逃すほどロータスは甘くない。

 形勢が徐々に決まっていく中、その場に居る者全てが次の選択肢を突きつけられた。

 すなわち、このまま決着がつくまで見守るか、王を守るために間に入るか……。

 

 

 僅かな迷いが場の空気を揺らがせた。

 その揺らぎを突いて“悪魔”が来る。

 

 

 クロウの上空を影が横切った。だからクロウだけがいち早く悪魔の侵入に気付く。

 

 ――鳥……?

 

 深く考えればあり得ない想像を抱きながらクロウは空を仰ぐ。

 上空ではゲイレルルも手綱を強く握り締めながら王の戦いを見守っていた。

 その後ろ。クロウの想像よりもはるかに大きい影が一直線にゲイレルルへと向かっていく。

 

「ゲイレルルさん! 後ろです!」

 

 その影を見たときに感じた嫌な予感にしたがってクロウは大声で叫ぶ。

 クロウの警告、それで我に返ったゲイレルルは超絶といっていいほどの反応速度で手綱を引き絞った。人竜一体となった赤竜も殆んどタイムロス無しで身を捻る。 

 それでも影の攻撃速度は凄まじく、赤竜の羽ごとゲイレルルの体を切断してしまった。

 

「きゃああ!!」

 

 文字通り身を裂かれる痛みでゲイレルルは悲鳴を上げ、竜はその巨体を地面に叩きつけられる。

 地響きによって異常がその場の全員に伝わり、王も戦いの手を止めてしまう。

 

「今度はなんですか!?」

 

 レディオは目の前に現れたロータス以上の殺気に身を竦ませる。

 視線を彷徨わせると、居た。殺意の元凶が盆地の底でゲイレルルと対峙しているではないか。

 

 ゲイレルルが落ちた先、近くに居た《シアン・パイル》も《スカーレット・レイン》も、クロウだって誰も動けなかった。

 

「ははっ、ポカしちゃったわね。“こいつ”を抑えるために来たって言うのに逆に抑えつけられるなんて……」

 

 ゲイレルルは目の前のバケモノを睨みつけながら悪態をつく、だがそれが彼女の精一杯の強がりだとわかるのは震える声を聞けば一目瞭然であった。

 直接目を合わせて無いクロウですら感じる狂気に、彼は身を竦めてしまって動けない。

 おそらくパイルも、一度対峙しているはずのレインだってそうだ。

 そんな中でも悪態つけるゲイレルルの度胸にクロウは称賛すらしたい心境だった。

 

 

 黒銀の騎士鎧に身を包み、身の丈以上の巨大な剣を片手で持ち上げている悪魔。

 その出で立ちは物語が物語ならダークヒーローと持て囃されるほど洗練された体だった。しかし、纏う気配が全てを否定する。

 

 怒気。殺気。狂気。

 

 全てに怒り、全てを壊し、嬉々とする。

 人知を超えた行動原理は人に恐怖を感じさせ、その恐怖ごと喰らおうというのか、兜の奥には空虚といえる闇が広がっていた。

 

 まさにバケモノ。

 

 このバケモノを一瞬でも押さえつけられると考えていた数分前の自分を思いっきり罵りたくなったクロウだった。

 

 バケモノ――《クロム・ディザスター》は最初の獲物としてまず手負いの巨竜へと目を向ける。

 重量感を感じさせる大剣を軽々しく持ち上げると、一振り。

 それで鉄塔ほどもある竜の尻尾を両断してしまう。

 

「GYAAAA!!」

 

 竜の口から絶叫が迸り、恐怖で体を固めていた全員を動かした。

 

「ちいっ! ここまできたらもうカーニバルは台無しです! 皆さん、撤退しますよ!」

 

 まずレディオの号令によって黄のレギオンは最寄のポータルである池袋駅へと逃げ出していく。さすがにこの大混戦のなか他の王と事を構えるようなことはしないようだ。

 そしてレディオとほぼ同時に動き出したのが自身の相棒である赤竜を傷付けられたことに怒ったゲイレルルであった。

 

「ウチの子に何するのよ! 《フレイム・ランス》!」

 

 凝縮された炎の塊がディザスターを襲うが、鎧の材料として使われているクロムは炎に耐性があり、ゲイレルルの攻撃に対して動じることは無かった。

 

「離れなさいって、言ってんのよ! このぉっ!」

 

 しかし、何度も攻撃を浴びせかけられ、煩わしく思ったのかディザスターは体の向きを竜からゲイレルルへと変え、剣を振り上げる。

 してやったりとゲイレルルは後退を始めるがディザスターの突進は凄まじく、あっという間にゲイレルルへと肉薄してしまう。

 だが……。

 

「援護、よろしく!」

「無論だ……!」

 

 まるで後ろが見えていたかのようにゲイレルルが身を(ひるがえ)すと、現れたのはブラック・ロータス。彼女はディザスターの剛剣を流水のように受け流すと、返す手で敵の胸鎧を切りつけた。

 だが、それで怯むディザスターではない。鎧の持つ自己修復機能で切り傷を癒しつつ、もう一度振り上げた大剣をロータスに向かって振り下ろす。

 しかし、その瞬間ディザスターの視界が灼熱によって赤く染まり、獲物を逃がしてしまう。視界が戻り、元凶を確かめるとロータスの後ろに再び槍を取り出すゲイレルルの姿があった。

 

「次! ロータス、右側から!」

「言われずとも……!」

 

 言うやいなや、ロータスとゲイレルルは二手に分かれる。ロータスが攻撃する時はディザスターの体勢を崩させ、ディザスターからの攻撃あれば再び目を潰す。

 初めてタッグを組んだというのにまるで違和感の無い連携に、2人は目を交わし、笑いあうのだった。

 

 

 ――どうして……どうしてあんなに楽しそうなんだ!?

 

 ディザスターと戦う2人の女性を見て、ハルユキは大声で問いかけたい気分だった。

 両名の与えるダメージリソースはディザスターの自動回復値を上回ってはいない。それは次々に傷を修復していくディザスターの姿から見ても明らかだった。

 だとすればこのまま戦闘を続ければやがて2人が負けてしまうのは確実だ。それなのに……そんなこと気がついていないはずが無いのに2人はいまだ戦っている。それも何故か笑いながら。

 

 息の合った戦いができるから?

 2人はまだ勝てる手を隠している?

 それとも、もう自棄になって?

 

 クロウは次々に浮かんできた予想を全て否定した。今もなお苦戦しながらも楽しんでいる様子に当てはまらないと思ったからだ。

 クロウには解らない“何か”があそこにある。

 彼女たちにあって自分に無いもの。それは“強さ”だ。無残にも負けることが解っているのに、なお戦える秘訣があそこにはある。

 クロウは自分の持っていないものを求め、2人の戦闘を最後まで目に焼き付けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 ブラック・ロータスがディザスターを吹き飛ばす。これまで何回も行なってきた行為だが、ディザスターも今まで通り何事もなかったかのように立ち上がるだろう。それも傷ひとつなく。

 今の隙にロータスは隣に立つゲイレルルへと話しかけた。

 

「あとどの位耐えられる?」

「そうね、あと2発が限度ってところ……」

 

 チラリと自分のHPを確認したゲイレルルの返答にロータスは敗北の2文字がすぐ近くまで迫ってきていることがわかった。

 しかし……。

 

「でも……」

「でも?」

「勝てるわ。楽勝ね」

 

 半ば本気の発言にロータスは思わず笑ってしまった。

 なるほど、このくらいの気概が無ければあの団の副団長は務まらないらしい。

 それに比べて、とロータスは自分の行いを振り返る。

 

 ――少しはハルユキ君に私の意地を見せられただろうか……。

 

 ロータスの視界の端、真剣にこちらを見ているクロウを見てそう思った。

 始めは領土戦での負け越しを気にしているハルユキに、ブレインバーストの戦いに於いて勝ち負けが全てではないと伝えるためにロータスは赤の王の依頼を受け、この無制限中立フィールドまで赴いたのだ。そのことを伝える前に色々とケチがついてしまったが。

 

 しかし、この勝負で見っともなく負けるロータスに、クロウは何を思うだろうか。

 失望するだろうか、見損なうだろうか、尊敬の目を向けてくれなくなるだろうか。

 

 ――いや、ハルユキ君はそんなことを思わないだろう。

 

 ロータスは2人を繋ぐ絆がそんな安っぽいものでは無いとこの半年間で学んでいた。

 

 ――ならばこちらも言おう。いくら負け越したとしても私たちの絆は揺らがない。だから負けを恐れるな。と

 

 あとはその心意気を自分の身を持ってして体現せしめるだけ。

 そのためにロータスは土煙のなかで立ち上がるディザスターの影を睨みつけた。

 

 土煙に穴が開き、目を見張るスピードでディザスターが姿を現す。

 その速さが合わさった巨体が繰り出す素早い攻撃をなんとか受け流しながらカウンターで体を切りつける。

 かわされた剣が地面に刺さるディザスターと、全集中力を賭した一瞬の攻防を行なったため体が硬直するロータス。

 

 そのため、その攻撃に反応できたのは常に戦場全体を俯瞰するように見ているゲイレルルだけだった。

 

 突如ロータスの足元に現れたゲイレルルの槍が爆発。完全に不意を突かれた形となったロータスは爆風によって彼方へと吹き飛ばされてしまう。

 そしてその直後、ゲイレルルの槍とは比べ物にならない熱量を持つ巨大なビームが3人を襲うのであった。

 

 

 

 

 

 

「な、な、何をするんだ。ニコ!」

「うるせぇっ! 計画通りじゃねえか、お前らが足止めして、あたしが止めを刺す。ちょっと巻き込んじまったが必要な犠牲だった、そうだろう?」

 

 クロウは砲身の熱で歪む空間の先、黒雪姫たちの戦いの邪魔をした人物を睨みつけた。

 ロータス、ゲイレルル、ディザスターを襲ったビームを放った人物、《スカーレット・レイン》を責めると本人から信じられないような答えが返ってくる。

 

 ――必要な犠牲だって!?

 

 それが答えなのだろうか。

 目的を達成するために最も効率のいい方法をとる。それが“強さ”なのか。

 そこには無駄というものが無いのだろう。

 迷いも、回り道も、ためらいも。

 信頼や仲間、温かみさえも。

 それがレインの強さか? そして自分が目指すべき強さで合っているのか……。

 クロウは悩む。

 

 始めて会ったときクッキーを焼いてくれたニコ。

 黒雪姫先輩と抱き合って眠るニコ。

 変わってしまった友人に涙を流し、自分にお礼を言うために顔を赤く染めるニコ。

 

 レインの強さは“本物”だろうか?

 

 

「あんたはこのゲームをクリアした方がいいって言ってたな。だったら教えてやる。この世界で信じられるのは自分だけだ。仲間も、友達も、レギオン、《親子》の絆ですら確かなものじゃねぇんだ……。

 それがわかったらさっさとポータルから逃げ出しな。“アレ”を倒した後、まだここら辺でうろついてたなら今度こそテメェらを全損に追い込むぞ」

 

 いまだ残る爆煙のなか、ほうほうの体で逃げ出し始めているディザスターを見ながらレインは言い捨てる。なんとディザスターはあれだけの砲撃を受けながらもまだ生き延びていたのだ。

 

 要塞のような強化外装を脱ぎ、あれほど激しい戦いだったというのに傷ひとつ無い体をあらわにしたレインは腰にぶら下げた小銃を手に取り、ゆっくりとディザスターを追いかけ始めた。

 

 今にも消えそうなディザスターと5体満足のレイン。

 レインがディザスターに止めを刺し、こちらに戻ってくるまでの時間はそうかからないだろう。

 だとしたら、一刻も早くここから離れなければいけない。しかし、クロウの体は決してそれを是としなかった。

 何故か。

 それはクロウ自身にもわからず、ただ、その場に佇み、ディザスターに銃口を突きつけるレインの姿を遠くに見つめるだけであった。

 

 

「まったく……これだから子供は……。

 というかもっとまともな回避方法は無かったのか?」

「せ、先輩……!」

 

 クロウを動かしたのはロータスの言葉だった。思っていた以上に近くに吹き飛ばされていたようだ。レインの行動に気を取られすぎて気付かなかった。

 ロータスは欠けた足のせいで思うように立てないことに文句を言っている。しかし、レインの強力な攻撃を受けたというのに思っていた以上に元気そうだ。とりあえずロータスが生きていてくれたことにクロウは安堵のため息を吐く。

 

 しかし、ロータスの足はレインの攻撃で失ったのか? それにしては熱によって溶けた、というよりも砕けた、といった方が適切な感じがするが……。

 

「乙女の足をそんなにまじまじと見るものじゃ無いわよクロウ君? 手入れが済んで準備バッチリというわけではない場合は特にね」

「は、はひっ! す、すみません! そんなつもりじゃなくてですね!?」

 

 からかいの含みを持たせた台詞はゲイレルルのものだった。

 どうやら彼女も生き延びていたらしい。ロータスとは違い5体満足なところを見て、彼女のアビリティ《物理一定(セイム・ダメージ)》の強さの一端を垣間見た。

 

「冗談よ。でもさすがにあの砲撃の直撃をもらったらやばそうだったから形振り構ってられなかったのよ」

 

 ゲイレルルの最後の言葉はロータスへと向けてのものだった。

 ロータスも状況がわかっていたのだろう、仕方ないと頷くだけでそれ以上の追及を行いはしなかった。

 

「マスター、それより今はこの場を離れましょう。赤の王がディザスターを討伐したら今度はこちらを標的にするといっていました」

「そ、そうだ! ニコが来る前に逃げないと!」

 

 今まで冷静に戦闘を見ていたパイルが進言するとクロウも慌ててロータスに先程のレインの言葉を告げる。

 さっきまではディザスターに銃を突きつけ撃とうとする寸前だった。ならばすでにディザスターは断罪され、レインはこちらに向かって来ている可能性が高い。

 

「……どうかしらね」

 

 しかし、クロウの言葉に否をつげたのはレインがディザスターを追いかけた方向に顔を向けたゲイレルルだった。

 疑問に思い、クロウもその方向に視線を向けると目に映ったのは仰向けに倒れるレインの姿と、重力を無視するかのようなジャンプ力で遠ざかっていくディザスターの姿だった。

 

「どうして!」

 

 クロウが見た最後の姿では後は引き金を引くだけだったのに。

 その疑問に答えたのもまたゲイレルルだった。

 

「ディザスターが……いえ、《チェリー・ルーク》が赤の王の《親》だからよ」

「えっ……!?」

 

 新たに現れた《クロム・ディザスター》

 その調査を行なった《スーパー・ヴォイド》が得られた情報のなかにはそのことが含まれていたのだ。

 

 話を聞いたクロウは今まで納得行かなかったレインの行動を思い出す。

 ディザスターがいつどこで加速するのか、わかったのはリアルを知っていたから。

 ニコがディザスターの誕生に責任と後悔を感じていたのは身近にいたのにチェリーの変化に気がつかなかったから。

 仲間も、友達も、レギオン、《親子》の絆ですら確かなものじゃないと言ったのはその全てに裏切られたから。

 そして、最後の最後まで引き金を引かなかったのは……。

 

「なんて天邪鬼な奴なんだ!」

 

 クロウはニコの思いに、そして気付かなかった自分の不甲斐なさに拳を握り締める。

 やはりニコも“強い”

 何度も傷つけられながら、それでも信じる気持ちを捨ててなかった。

 一瞬でもニコの事を疑ってしまったクロウは心の中で謝罪する。

 

「クロウ。こうなっては両者にとってすでにブレインバーストは呪いだ。キミが断ち切ってやれ」

「ハイ!」

 

 ロータスの言葉にクロウは胸の内が熱くなったように感じた。

 ニコの手助けをするために背中のウイングに力を込める。

 

「おそらくディザスターはサンシャインシティに向かっている!」

「わかりました!」

「とべっ!」

「うおおぉぉぉっ!!」

 

 クロウは力強い羽ばたきで空を駆け抜ける。

 レインとルークを悲しみから解放させる。その一心で。

 

 

 

 

 

 

「見えた!」

 

 クロウの眼下にまるで飛行しているかのように宙を移動しているディザスターの姿が目に入った。

 まるで空中に壁があるかのように自在に進行方向を変えるディザスター。なぜそんなことが可能なのか、クロウはジッとディザスターの動きを観察する。

 あの行動原理がわからなければ再び同じ手で逃げられてしまうからだ。

 

「あれは……!」

 

 するとディザスターが方向転換をするとき、必ず腕を伸ばした方向に進んでいることが分かる。同時に、何か光るものが手の先から出ていることも。

 

「ワイヤー……! そうかあれで!」

 

 ディザスターの右手の先から射出される極細のワイヤーを建物に引っ掛け、自在に方向転換を行なっている。それがわかったクロウは一計を思いつく。

 

「うおおおおぉぉ!!」

 

 背中のハネを限界まで動かして加速する。視界が狭まり、通り過ぎるビル郡の残像さえ確認できなくなった頃、ようやくディザスターの前に躍り出た。

 突然現れた敵影にディザスターは進行方向を変えようと右腕を持ち上げる。

 

「いまだ!」

 

 すかさずクロウはハネを僅かに動かして自身の体をディザスターの突き出した右腕の前へと動かした。

 ほんの僅かな誤動作が体をバラバラにしそうな重圧のなか、カチンと背中になにかが食いついたのをクロウは知覚する。

 

「かかった!」

 

 自分の作戦が上手くいったことを確認するとクロウはさらに加速。背中に感じる重みが増したかと思うとクロウの後ろからディザスターがついてくるのを確認した。

 

 加速、加速。

 

 息をするのも困難なほど加速した両者の体。

 おそらくディザスターは右腕からしかワイヤーを射出することが出来ない。そして今からワイヤーを切り離しても再びワイヤーを出す前に地面に激突してしまうだろう。すでに満身創痍であるディザスターにとってその選択肢はとりたくない。ならば……。

 

 クロウはギシギシと背中のワイヤーが軋む音と共に後ろにあるディザスターの影が大きくなったことに気がついた。奴はワイヤーを巻き戻してクロウに肉薄しようとしているのだ。

 

「くっ! 予想以上にディザスターの動きが早い。このままじゃ!」

 

 当初の予定ではクロウはビルにぶつかる前に上昇して回避。余裕を持ってディザスターのみをビルの壁面にぶつける作戦だったのだが。このスピードでは急上昇を行なうことができない。かと言ってスピードを緩めればたちまちディザスターがクロウに取り付いてしまう。そうなれば力で勝てないクロウはディザスターの盾とされ、壁に叩きつけられた衝撃を全てクロウが背負うこととなる。

 

「どうすればっ!」

「信じろ!」

 

 まるで天からの言葉のようにクロウの頭上から声が掛かる。

 見上げてみれば、一際輝く赤い星。

 その手前のサンシャインビル屋上に、より煌いている銀の輝きをクロウは見た。

 

「この加速世界、信じることが力となる。

 だから信じろ! 自分と、己のポテンシャルの全てをつぎ込んだそのツバサを!」

 

 逆光でその人物の顔まではわからなかったが、クロウは彼の力強い言葉を信じることにした。

 信じることが力になる。クロウは心の中でもう一度その言葉を繰り返した。

 

 ――そうだ。ゲイレルルさんも、先輩も、ニコだって。彼女たちはいつでも何かを信じていた。

 

 勝利を、誇りを、絆を。

 だから彼女いたちは強いのだ。信じているものを裏切らないように強くあろうとしているんだ。

 

 ――ならば僕も信じよう。自分の力を……可能性を!

 

「負けるかぁぁーー!」

 

 クロウは加速に加速を重ねたまま目前に迫ったビルの壁に沿うように急上昇した。空気摩擦のせいだろうか、クロウのツバサが青白く輝く。

 天まで延びるようなその輝跡は、遠くでクロウの無事を祈っていたロータスたちの目にも映る程であった。

 

 次の瞬間、クロウの急上昇についていけないディザスターの巨体がビルの壁面に突き刺さり、爆音と共に瓦礫のなかへと消えていく。

 

「やったぁ!」

 

 これではディザスターといえどもひとたまりも無いだろう。

 クロウは安堵のため息を吐くと先程の声の主を見ようとビルの屋上を目指そうとした。

 

 だが……。

 

「ルヲォォ……!!」

 

 地の底から響く怨嗟の声と共にクロウの体は地面へ向かって引きずり込まれそうになった。

 驚くクロウの視線の先、そこには左手が欠け、自慢の鎧もすでにボロボロとなってしまったディザスターの姿があった。下半身がまだ瓦礫に埋もれているというのにディザスターは最後の力を振り絞り、クロウを《餌》としてその身を貪ろうとしているのだ。

 

 クロウも力を振り絞ってディザスターに対抗しているが、先程の急上昇で体はボロボロ、必殺技ゲージも残り少ない。

 ならばと、ワイヤーを切ろうとするがこのワイヤーは巨体のディザスターを十分に支えることが出来るほど強固なもの、クロウの力ではどうすることも出来なかった。

 

 ズルリ ズルリと徐々にクロウの体は引きずり落とされていく。最早ディザスターの砕けた兜から深淵の闇が覗きこめるほどの距離となってしまった。

 底知れぬ濁った暗闇。そこに取り込まれてしまえば二度と浮き上がることは出来ないだろう。クロウは恐怖に身を固めてしまう。

 

 すると暗闇から人を象った顔のようなものがズルリと現れた。

 顔のようなものは段々と形を整え、明るいピンク色の、少年のアバターとなった。

 それを見たクロウの頭に《チェリー・ルーク》の名が浮かぶ。

 

『僕は、強く、強くなりたかっただけなんだ。そして手に入れた。キミもそうだろう。強くなりたいなら1つになろう。そうすれば誰にも負けない強さを…………』

「違う!」

 

 無垢な少年の声をしているというのに背筋を震わすような恐ろしい声を、クロウは最後まで聞かずに遮った。

 

「キミは強くなんて無い! だってキミは信じられなかった。《子》であるニコのことを! そして裏切ったんだ! その行為がどれだけニコを悲しませるか考えなかったのかよ! そんな奴が強いなんて、あるわけ無いじゃないかぁ!」

 

 慟哭にも似たクロウの叫び。その叫びを聞いてワイヤーが一瞬緩んだのは気のせいだっただろうか。クロウはその一瞬でディザスターを瓦礫から引っこ抜き、再び天へと舞い上がった。

 

 ――ちくしょう! ちくしょうっ!!

 

 クロウの慟哭は止まらなかった。なぜならほんの少し前まで自分もチェリー・ルークと同じような考えを持っていたからだ。

 貪欲に“強さ”を求め、その代償は考えてすらいなかった。もしかしたら代償にブラック・ロータスを差し出すことになっていたかもしれないのに。

 もし、ルークの前に自分の目の前に災禍の鎧が現れていたとしたら……。クロウは誰にも相談することなく災禍の鎧を身に着けていたかもしれない。

 

 ――だとすればルークは僕だ! 最後の最後、誰にも相談せずに戻れない道に入ってしまった未来の僕なんだ!

 

 そんな彼をこれから倒す。

 クロウの心は深い悲しみに満たされていた。

 

 それでも、それでも誰かが裁かなければいけなかった。間違えた道を進んでしまったルークを正さねばならなかった。

 

 ――ならば僕がやろう。この役目は他の誰にも譲れない!

 

 クロウは目をつむり、呼吸を落ち着ける。

 そして目を見開くとビルの途中から突き出ている突起物に目をつけた。

 上昇する勢いをそのままに急速反転。

 突起物に足をかけ、慣性に反発するように先程とは逆ベクトルに加速した。

 

 

 再び《クロム・ディザスター》と相対する。

 兜の奥にはもう少年の顔は見えない。そこには底知れぬ闇が広がっているだけ。

 闇が歪み、一瞬、必死に力を求めてさまようリアルの自分の姿がクロウの目に映る。

 

 

「うああぁぁぁぁ!!」

 

 そんな自分と決別するようにクロウはディザスターの頭に踵をたたきつけるのであった。

 

 

 

 

 

 

 電子のリボンが解け、空へと消えていく。

 最終消失現象の儚い輝きをクロウはしっかりと目に焼き付けた。

 

 

 クロウがディザスターに最後の一撃を加えた後、静かに動かなくなったディザスターの体を見ていると、後ろからすっかりボロボロになってしまったスカーレット・レインがやってきて無言でディザスターに《断罪の一撃》をかけたのだ。

 

 電子のリボンをクロウが目で追って空を見上げていると、近くまでやってきていたレインがポツポツと自分とルークの出会いを話してくれた。

 

 自分もルークも孤児だったこと。

 周りとなじめなかった自分をブレインバーストの世界に誘ってくれたこと。

 いつの間にか《子》のほうがレベルを上回ったことで焦ったルークの変化に気付けなかった後悔を。

 

 レインが語っている間、クロウは黙って聞いているだけだった。

 レインもそれで何も言わなかったし、それでいいのだろう。

 

 レインが十分に思い出を語った後、ちょうどロータスたちもクロウに合流することが出来た。

 そこでわざとロータスたちを巻き込んで砲撃を行なったレインに対して罰としてロータスから剣の腹で拳骨を一発。ゲイレルルからは「私は一割しかダメージ食らっていないから別にいいわ」とそれでチャラになった。

 

 ちょうどよく訪れた《変遷》に心落ち着けた一行はサンシャインシティのポータルでフィールドから出ようとする。

 

「ルル、キミはどうするんだ?」

「私は羽田の方で切断を待つわ。ポータルで脱出しちゃうといちいちあそこに戻るの大変だから」

 

 ロータスたちの会話の後ろでヴォイドの拠点についてパイルから説明を受け、「スゲースゲー」言っているクロウは置いておいて、ゲイレルルはレインへと話しかけた。

 

 

「赤の王。このたびの騒動の一端はウチの団が絡んでいます。そのことに団長は大変心痛めており、何か償いを、と言っていました。あなたの気が済むのなら自分の首を差し出してもいいとも……」

 

 

 ゲイレルルの真剣さに騒いでいたクロウたちも気を引き締めた。

 ロータスはドラゴニュートの首を差し出していいという発言に悔しそうに顔を背ける。

 後はレインの采配を待つだけなのだが、レイン本人は苛立たしげに舌を打つと。

 

「やっぱりお前らも一枚噛んでやがったのか。チッ、だが終わっちまったことをうだうだ言ってもしかたねえ。だから……」

 

 ゴクリ、と誰かの唾を飲み込む音が聞こえる。

 

「だから、お前のところの団長に言っておけ。お前らの領土とウチの領土の間で領土戦は禁止するってな」

「それって……」

「これ以上領土を広げるなってことだ。どうだ? 厳しい罰だろ?」

 

 「じゃーな」これ以上話すつもりも無いのか、そういってポータルに向かっていくレイン。

 赤の王が支配する練馬区と、竜の王が支配する世田谷区の間には杉並区がある。そこを支配している黒の王も「これだから天邪鬼は」と首を竦めながらレインの後を追い、クロウもパイルも笑いながら続くのであった。

 ゲイレルルは彼らの姿が消えるまで礼の姿勢を崩すことはなかった。

 

 

 

 

 

 

「だ、そうよ。よかったわね首が繋がって」

 

 クロウたちがポータルの光に包まれて姿を消した後、ゲイレルルは誰もいない空間に向かって声をかけた。

 

「ああ、今代の赤の王も平和主義で助かったよ」

 

 しかし、ゲイレルルが声をかけた先、物陰から1人の男性が姿を現す。

 クロウたちの戦いを影から見ていた《スーパー・ヴォイド》の団長プラチナム・ドラゴニュートである。

 

「まあ、団長の首が取られたとなったらウチの団は赤のレギオンと全面戦争に陥るからデメリットを考えると当たり前なんだけどね」

「いやいや、そこはあらかじめ団員に言い聞かせておくからそうは……」

「ならない?」

「……なるかも」

「でしょ、だからあれが普通なの」

 

 血気盛んな団員の事を思い出しているドラゴニュートの脇を呆れた様子で通り過ぎ、出口に向かうゲイレルル。

 外に出て、器用に指笛を吹くと空から1匹の赤いドラゴンが羽ばたきながら降りてきた。

 

「あれ? その子、災禍の鎧にハネを切られてなかった?」

「テイムモンスターは変遷さえ来れば欠損を含め全回復するのよ。それが待てないときはショップで売られてるアイテムを使うしかないけど」

 

 ヒョイっと軽く赤竜に跨ったゲイレルルは労わるように竜の首筋を撫でる。

 赤竜もその手に甘えるように喉を鳴らす。

 

「じゃ、そろそろ行こっか?」

「きゅるるー!」

「ちょ、ちょっと待って。俺はまだ乗ってないぞ」

 

 ゲイレルルの言葉に嬉しそうにハネを広げる赤竜にドラゴニュートは待ったをかけた。

 しかし、1人と1匹は目を合わせ。

 

「ごめんね。このドラゴン1人乗りなの」

「きゅっきゅきゅー!」

 

 ドラゴニュートをおいて大空へと飛び立ってしまう。

 

「ちょっと、来た時は2人だったでしょ! おーーい!」

 

 ドラゴニュートの訴えも虚しく、なんとかドラゴニュートが拠点に戻ることが出来た時間と設定された強制切断が行なわれる時間はほぼ同時になってしまうのだった。

 

 

 

 




更新がものすごく遅れてしまい申し訳ありませんでした。




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第28話 いざ……!

 恥を忍んで再び戻ってきました。
 愛想を尽かしてしまった人は申し訳ない。
 待っててくれた人は多大な感謝を。


 

 世田谷区の一角にある一軒家。その一室で少年が1人、ご機嫌な鼻歌を奏でていた。

 少年――花沢 マサトは仮想ウインドウに映る旅行のしおりを確認しながら自身の服を普段使わない大き目のバッグへと詰めていた。

 

 軟らかい衣類を上に、硬いものを下に。ネットで調べた荷造りの仕方に従って全ての荷物を入れ終える。

 マサトは再びしおりを見直し、もって行くべきもの欄に並んだチェックマークへ印を入れ始めた。

 

 ――抜かりなし!

 

 上から下まで全てのチェックマークに印が入っていることを確認したマサトは満足気な顔でバッグのチャックをしめる。

 スッキリとした心持ちでニューロリンカーから今日の課題データを呼び出すと、悠々と問題を解いていくのだった。

 

 

 しかし、そんな時間もつかの間にマサトの体がソワソワと揺れ始める。

 目の前の課題に集中できないマサトがちらちらと視線をそらすその先は先程まで念入りに準備を重ねたはずの大きなバッグ。

 

 マサトは考える。

 もしかしたら入れ忘れた荷物があったかもしれない。

 チェック項目を1つ飛ばしてしまったかもしれない。

 もしくはバッグに入れて無い荷物にチェックを入れて準備した気になってしまったかも、と。

 

 1つ気になり始めたのなら、もうマサトは気が気ではなかった。

 目の前に浮かぶ仮想ウインドウを乱暴に手で払い消去させると、再び旅行のしおりを出現させ、せっかくバッグに詰めた中の荷物を全部取り出してしまうのだった。

 

 

「マサト、ご飯……。ってまだやってたの? それ」

 

 これはある。これもある。と丁寧に自分の周りに広げられた荷物をチェックしていたマサトの部屋に入ってきたのはこの家の家主の娘、木戸 カンナであった。

 カンナは学校から帰ってくるなり旅行の準備を始めていたはずのマサトが夕飯の時間になっても現れないので心配で見に来たのだが、まだ用意が終わってないマサトの姿を見て呆れたように腰に手を当てた。

 

「旅行の準備なんて日数分のシャツとパジャマ。万が一のための洗面用具さえ持っていけばそれでいいんだから30分もかからないはずでしょ」

 

 これが一昔前ならば旅行のしおりは紙媒体であったし、旅行先の地図やガイドブック、財布や携帯電話、時計やコンパス、ゲーム類等々、入れようと思えばバッグがパンパンになるまで詰め込んでもまだ足りなかった。

 だが今ではそのほとんどが首に装着している小さな端末“ニューロリンカー”で補うことで事足りる。

 

 なので今時の旅行というのはカンナの言ったとおり、衣類と洗面用具を持っていけば十分なのだ。しかも、昨今のホテル内アメニティは充実しており、学校が選んだ宿泊先であってもシャンプーやリンスはもちろん、タオルや歯ブラシなどもほとんど当たり前のように用意されているのでむしろ洋服だけで良いという旅行者もいる。

 

 何らかのこだわり(女子ならばシャンプー等銘柄にうるさい)、または特殊な用品(泡の立ちやすいスポンジや風呂に浮かべるアヒル等)を望まなければ衣類だけで十分事足りるのだった。

 

 しかしマサトは衣類のほかに必要以上の荷物を床一面に並べていた。

 マサトはなにかこだわりの銘柄がある訳ではない。

 しおりの方に『万が一の場合、ホテルでアメニティを切らしている場合があります』と書かれていたのでその万が一に備えての準備をしているのである。はたから見ると余計な心配のように映るのだが本人は真剣だ。

 

「いやでも、1人で旅行に出かけるなんて初めてだし、もし万が一があったらって考えると不安で」

「1人で旅行って、ウチの中で1人って意味で、本当にあなた1人で旅行に行くわけじゃないでしょ。学校の行事なんだから。万が一があったなら同じ部屋の友達に貸してもらいなさい」

 

 これはいらない、それも必要ない、と広がるマサトの荷物を勝手に分別していくカンナにマサトは慌ててストップをかける。このままでは中身が空のバックを持っていくことになりかねない。

 

「ままま、まってよ! その歯ブラシはいるよ!? いくらクラスメイトでも歯ブラシは借りたくないし!」

 

 マサトの言葉にそれはそうねとカンナは「じゃあこれは良し」と手に持っていた1本の歯ブラシと小さなチューブ歯磨き粉をズイッと突き出し、マサトに受け取らせる。

 

 一生懸命用意した荷物の大部分を無駄のひと言で切り捨てられたマサトはため息をつきながら荷物を再度詰めていく。どうやら元の量の半分は切り捨てられてしまったようだ。

 詰めながら、去年同じ学校行事で同じ旅行先に行ったはずのカンナに向こうの様子はどうなのか尋ねてみた。

 

「そうね、昼間は暑いけれどまだ春だし、朝晩は冷え込むこともあるわ。長袖のTシャツを何枚か持って行くと便利ね。ちゃんと入れておいたから安心しなさい。あと、突然雨に襲われることもあるから折り畳み傘を……そっちのバッグじゃなくて手荷物の方に入れておきなさい。こればっかりはニューロリンカーでも防げないからね。

 それと、はいこれ、酔い止めのクスリ。バスや飛行機で長時間移動するのマサトは初めてでしょう? だから乗り物に乗る前にこれを飲んできなさい」

 

 他にも何点か注意を受けながら荷物を入れ終わると、タイミングよく階下から母ツバキの声がかけられる。

 

「いっけない! 夕飯だからマサトを呼びに来たことすっかり忘れてた。マサトはそのクスリを入れたらすぐに降りてきなさいよ」

 

 慌てるように部屋を出て行くカンナを見送り、マサトは手に持たされた酔い止めのクスリの箱をまじまじと見つめた。

 カンナが言ったとおりカンナがマサトの部屋に入ってきたのは夕飯が出来たから呼びに来ただけだ。だというのにさり気なく渡されたこの新品のクスリは一体いつ用意したのか。

 マサトが旅行の準備を始めたのを見てわざわざ買ってきてくれたのだろうか。

 

 用心のし過ぎで余分な荷物を持っていこうとしたら無駄のひと言で切り捨てたくせに、本当に必要になりそうなものはさり気なく手渡してくる。その優しさにマサトは微笑み、すぐに取り出せる場所へそのクスリをしまうのだった。

 

 

 

 

 

 

 家族そろっての夕飯を食べた後、自室に戻ろうとするカンナの後を追い、2階へと上がる階段の途中でマサトは少し小声で話しかけた。

 

「今からちょっと《上》に上がる。切断じゃなくてポータルで脱出するから」

 

 他の誰かに聞かれないように、もし聞かれても意味のわかる人にしか伝わらないようにマサトは手短にカンナへと報告を行なった。

 カンナも返事はせず、ただ頷くだけ。

 

「私も行こうか?」

 

 そして同じように自分の意思を伝えてきた。

 マサトが《上》に行き、そのまま拠点のポータルから大人しく脱出するわけが無い。少なくとも《上》に行くために消費する分のポイントを取り戻すためにひと暴れするはずである。そのための助けは要るか、カンナはそう言ったのだ。

 

「あーー……いい……1人で大丈夫」

 

 しかし、《上》に他の用事があったマサトは視線を泳がせながら遠慮する。

 あからさまに怪しい態度を取るマサトを(いぶか)しめに見ながらなぜそんな態度を取るのだろうかとカンナは考え。思い至る。

 

「そう、ならいいわ。“よろしく言っておいて”」

 

 結局カンナは追及することなくマサトに背を向けてさっさと自室に戻ってしまうのだった。

 残されたマサトは頭の後ろをかきながら複雑な表情をするしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 ――あれは絶対にバレていたよなぁ……

 

 自室から《無制限中立フィールド》にダイブしたマサトは自身の体がプラチナム・ドラゴニュートに変化していることを確認しながら、拠点のレギオンメンバーが会議する場所である円卓に座って、先程のカンナとのやり取りを反芻(はんすう)していた。

 

 あのとき、カンナの誘いを断わってからカンナの表情が一変するのにそう時間はかからなかった。

 そっけない態度とあの半眼(ジト目)。あれは少し機嫌が悪くなった時の態度である。

 つまりはこれからマサトが行なう行為をわかっているということだ。

 

 しかし、マサトを止めなかったということは少し進展しているのだろうか。“彼女”への心情は。

 3年半もかけて未だ動かぬ現状にドラゴニュートは背中を丸めてもう一度重いため息を付くのであった。

 

 

 

 

 突然だがこの加速世界で長い年月遊んでいると約束した時間に関して厳しくなるかルーズになるかの2極になる。

 あるものは一秒の遅れですら烈火のように怒りだし、あるものは平気で1、2時間遅れて来ることもある。

 “彼女”が前者であることを思い出したドラゴニュートはどうやってカンナの機嫌を取ろうか(この世界で長いこと過ごしても現実では精々数分程度である。カンナの機嫌が直っていることはまずありえない)という悩みを頭の片隅に置きつつ、慌てて拠点の外に飛び出した。

 

 するとまず出迎えてくれたのは羽田空港名物《小さな山》。ではなく拠点の守護神である神獣(レジェンド)級エネミー《ティアマト》であった。

 ティアマトはドラゴニュートの姿を目に捉えると超巨大ビルのように長く太い首を持ち上げてドラゴニュートの出現を歓迎した。

 

『久しいな我が盟友よ。ああ、しかし! 如何なる時が我が身を襲おうと、貴様と我の絆は永遠である。さあ座れ、遠慮は要らぬ。今宵は貴様と我の武勇を競い、共に飲み明かそうではないか』

 

 毎日のように加速世界へとログインしているドラゴニュートだが、現実と加速世界の時間の流れには大きな隔たりがある。

 マサトが夜眠る時間、平均が8時間だとしても加速世界ではおよそ1年。夕方まで学校に拘束されることを考えるとさらに倍。1日訪れないだけで加速世界ではどれほどの月日が流れているのかわからなくなるほどである。

 だからこそティアマトの歓待もわかるのだが、今回はドラゴニュートに先約があった。

 

「ティアマト。すまないが今日は他に用事があってだな……先を急ぐんだ」

 

 今にも自分の子供たち――翼竜を集めるために一吼えしそうなティアマトに向かってドラゴニュートは申し訳なさそうに断わりを入れる。

 

『そうか……、それならば仕方ない。先も言ったが貴様と我の絆は永遠。悠久のときが流れるこの世界だ、いつかは貴様と我が飲み明かす、そんな星のめぐり合いも訪れるだろう……』

 

 目を細め空を眺め始めるティアマト。心なしか声が沈んでいるように聞こえてしまうのは気のせいか。その態度に大変心痛んだドラゴニュートはどうにかしてティアマトと交流を図れないかと画策する。

 

「ティアマト。これから俺が行くところは少し高いところにあるんだ。もしよければお前の背中に乗り、そこまで連れて行ってもらえないか」

 

 始めはゲイレルルがテイムしているレッドドラゴンの背中に乗っけてもらおうとしていたのだが、ドラゴニュートは上手くいったら儲けもの程度の考えでティアマトに提案した。

 

『ほう、我の背中に貴様を……』

 

 空に向けていた瞳を再びドラゴニュートへと向けると、ティアマトは平坦な声でドラゴニュートの願いを繰り返す。

 

 ――これはダメか。

 

 ティアマトが自分の体を誇りに思っていることをドラゴニュートは知っていた。心無いものは彼らの体はただのデータの集合体でしかないというだろうが、鱗ひとつひとつに傷が付いて無いか長い時間かけて見回したり、日が照らすステージの時には大きな羽を広げて虫干ししていることもあった。

 そんな自分の美観を第一に考えるティアマトだが、それ以上に戦うものとして気高く誇り高い者でもある。

 

 どれほど気を抜いているように見えても近づいてくる気配を敏感に察知し、いつでも戦える姿勢をとっているし、正面から堂々と戦うことを是として背後からの奇襲を特に嫌う。

 まるで理想の武人のような竜であるティアマトの背に乗ったことがあるのは後にも先にもティアマトの7本ある自慢の角の一本を折ったことがあるドラゴニュートだけで、彼もそれ以降ティアマトの背に乗っかることはなかった。

 

『思い出すのも懐かしい。初めて小さきものを我の背に乗せたのは貴様が我が角を折ったことに始まった。あの時はようやく我の体に一太刀入れることが出来る小さきものが現れたのかと酷く気分が高揚したものよ。

 ドラゴニュート。我が盟友よ。今も貴様に久しく会えて気分がいい。さあ、行こうではないか。貴様とならば地の果て、空の果てまでの道のりも苦ではないのだから』

 

 持ち上げていた首をゆっくりと下ろし、ドラゴニュートに差し出すとティアマトは乗るんだと促してきた。

 ドラゴニュートは感謝の言葉を伝えつつ、一足飛びでティアマトの首元へと跨った。

 

『では行こう!』

 

 暴風ステージでも比べ物にならないくらいの旋風を巻き起こしながらティアマトは優雅に体を地面から持ち上げて羽田空港を後にするのだった。

 

 

 

 

 

 

 空を飛ぶということはなんと気持のいいことであろうか。

 以前とは違い、余裕のある心持ちでティアマトの背に跨るドラゴニュートはそんなことを思った。

 この身に受ける風の力強さ、見渡す限り果ての無い地平線。全ての事象が大地と共に収縮していき、何事にも縛られない“自由”という言葉の一端を垣間見る。

 地上とはどこか違う世界のような。大地とはまた違う、全てを包み込んでくれる寛大さにドラゴニュートは静かに心打たれていた。

 

 ――もっともっと飛んでいたい。

 

 あの地平線の先に広がる世界を見てみたい。雲より先に更なる高みに上ってみたい。

 次々に湧き上がる欲望を自身の身に感じながらドラゴニュートは他者の力を使って飛んでいるということに対し、突然の窮屈さを感じてしまった。

 もどかしい、といってもいい。

 

 ――どうして自分の背中に羽が生えていないのだろうか。

  自身の力で飛べたならもっと気持ちがいいだろうに。

 

 人はなんとも欲深い。

 先程までドラゴニュートは地に足をつけ、ただ空を眺めるだけに留まっていた。

 次にティアマトの背に乗り、空を飛ぶことに感動したばかりである。だというのにもう次を望んでいる。

 

 人によっては浅ましいと罵るだろうか。

 人には決められた領分があると。

 怖いのだ。人の領分を越えた人を見た時、自分は彼を同胞(同じ人間)と受け入れられることが出来るのか。それがわからないから未知なる恐怖が本能的にストップをかける。

 

 だが、大丈夫。人類は受け入れることが出来る。

 ドラゴニュートは希望を見た。始めは神保町で。次にサンシャインビルの屋上で。

 あれほど綺麗に飛ぶ彼を誰が咎めることが出来ようか。

 今の停滞したこの世界であの自由な姿は羨望すら抱いてしまう。

 

 人はなんとも欲深い。

 加速世界の頂点に立ち、世界を変えることの出来る力を持っているドラゴニュートでさえ期待してしまう。

 彼ならばこの世界が抱える全ての問題を根本からひっくり返してハッピーエンドの大円団に持っていってしまうのではないかと考えてしまうのだから。

 

 

――どうせならウチの問題もついでに解決して欲しいけど……

 

 ふとドラゴニュートが考えた時、すでにそこは目的地周辺に近づいていたことに気が付いた。

 充実した時間は瞬く間に流れてしまうもの。こうして人生2度目の遊覧飛行はあっという間に終わってしまうのだった。

 

 

 ここまでいいとティアマトの背を叩きながら礼をいうとドラゴニュートはそのまま空中へと身を投げ出した。

 グングンと近づいてくる大地を肌で感じながらドラゴニュートは来る衝撃を自身の頑丈さに任せて着地する。想像以上の衝撃と着地音。綺麗に揃えられていた芝生の一面が深く抉れてしまった。これはあとで怒られる。

 痺れる両足を庇いつつ立ち上がって振りかえり、上空を優雅に旋回しているティアマトに手を振るとティアマトは翼を1つはためかせて羽田の方へと去っていった。

 

 

「随分と派手な移動方法ですね。大レギオンの方々に見られていたらまた文句を言われますよ」

「……明日から彼らからの連絡は全て無視することにするよ」

 

 後ろから声をかけられたドラゴニュートは振り向きもせずに答えた。

 今降り立った小さなフィールド――旧東京タワー頂上の主は1人しかいない。やれやれと、呆れた声を聞きながら振り返ればそこにはドラゴニュートが想像した通りの彼女の姿があった。

 

 白いワンピースと大きなつば(・・)の付いた純白の帽子。

 やわらかい風に飛ばされそうな帽子を、ゆったりとした動作で彼女が押さえると、夕闇の色を色濃く映したような茜色の瞳がドラゴニュートの姿を映す。

 彼女の体で色が違うのはその瞳くらいで他は全てブルー。それも夏の晴れた空のように鮮やかなスカイブルーである。

 

 《スカイ・レイカー》

 

 彼女こそがこのネコの額のような敷地に家を建て、加速時間の殆んどをそこで過ごしている住人。

 今日はデュエルアバターをポータルで脱出させるほかに、彼女と話すためにドラゴニュートは《無制限中立フィールド》へと降り立ったのだった。

 

 

 

 

「それでルルは突然現れたディザスターにケンカ売ってさ、ロータスと共に大立ち回りさ」

「ふふふ、相変わらず皆さん無茶をしますね」

「まったく。見ているこっちもハラハラするからやめてほしいよ」

「ドラゴさん、あなたもですよ。もしイエロー・レディオが撤退したと見せかけて、近くのポータルに罠を張り、漁夫の利を狙っていたらどうするのですか。そんな場所にあなたは単機、もし見つかってしまったらこれ幸いと多勢に無勢でやられてしまったかもしれないんですよ。

 もしそうなったらわたしは悲しいです」

 

 レイカーの言葉が胸に突き刺さり、謝るドラゴニュートだったが、気を取り直して今年始めに起こった出来事をレイカーに伝えていた。

 

 7王が条約を締結させる少し前。ルルとレイカーの仲に亀裂が出来てしまった時からドラゴニュートはこうして週に1回。少ない時でも月1でドラゴニュートとルルに起こった出来事をレイカーに報告していた。

 報告、というと堅苦しいが、ただ単に友達の家に週一で遊びに行っているというほうが近い。

 加速世界の、どのフィールドでも円柱状に再現されている旧東京タワーの頂上、その東西南北の四隅に配置された、背もたれの無い簡素なベンチに腰掛けながらドラゴニュートとレイカーは会話を弾ませる。

 

 その途中、ドラゴニュートは最大限のさり気なさを装ってもう何度目になるかもわからない話題をレイカーに持ち出した。

 

「あー……そういえば来週はちょっと用事があってこっち(・・・)にこれないんだ」

「そうですか」

「そうなんです。修学旅行でちょっと遠くにね。だからリアルの方でも東京にいないんだよ」

「まあ、それは楽しんできてくださいね」

「ありがとう。……あー、レイカーは一週間俺と会えなくて寂しくない?」

 

「…………それはもちろん寂しいに決まっています」

 

「そ、そう! だよね、やっぱ1人は寂しいよね! きっとカンナも……」

 

 

「ドラゴさん」

 

 

 きっとカンナも暇していると思うから家に遊びに来ては? と続けようとしたドラゴニュートの言葉をレイカーは笑顔で遮った。

 西日が庭を照らし、天気も悪くないと言うのに、何故かドラゴニュートに向かって身の竦む思いのする冷風が吹き込んできている気がする。

 

 おかしい。先程までこのような風は吹いてなかったはずだ。山の天気は変わりやすいというが東京タワーの天辺も同じことをいえるのだろうか。もしくは秋の空か。

 ドラゴニュートは引きつった笑みでレイカーに返事するしかなかった。

 

「久しぶりに体を動かしたくなりました。下に降りませんか?」

「あ、ああ。エネミーでも狩りに行くの? そうだね、このあと1人で行くつもりだったけどレイカーもポイント稼がなくちゃいけないもんね」

 

 よーしやるぞぉ、と場の空気を必死にかえようとドラゴニュートはベンチから立ち上がり、腕を振り回して準備体操の真似事を始めた。

 そして、ふと疑問に思い、首を傾げる。

 一体ここからどうやって降りるのであろうか、と。いつもならレイカーの住んでいる洒落た小さな家《楓風庵》の隣にある青い光の放つ《離脱ポイント(ポータル)》から抜け出るのだが、直接ここから降りたことはない。

 円形に切り取られた縁ギリギリまで近づいて下をのぞき見る。

 

 股がヒュン とした。

 

「レイカー、ここってどうやって下に降りるの? あ、そうか。1回ポータルから出て……もう一回――」

「いえ、その必要はありません」

 

 レイカーに伺いたてようと後ろを振り向いたドラゴニュートはしかし、レイカーの声が想像以上に近くから聞こえたために思わず視線を下にずらすことになった。

 

「下で待っていてください(・・・・・・・・)

「え?」

 

 まるで肩を叩くような気軽さでレイカーの手がドラゴニュートの腰を押しだす。

 思わずたたらを踏むドラゴニュートだったが、1歩後ろに足場は無い。

 グングンと視界に収まる地上と空の比率か逆転していく。

 そして最後に見えたのは穏やかに手を振ってドラゴニュートを見送るレイカーの姿であった。

 

 ――そして俺は死んだ。

 

「って! 死んでたまるかぁ!」

 

 レベル9になってからやけに死を意識するようになったドラゴニュートは呆然としていた意識を取り戻すと、縦に回転していた体を無理やり押さえ込み、体を上に、足を下に戻す。

 続いて鋭い爪を持つ両の手を目の前の柱――旧東京タワーへと突き立てた。

 

「あっつつつついい!!」

 

 ガリガリと柱の壁が削れていくが、重い体が邪魔をして落ちる速度に変わりはない。そして柱との摩擦のせいで指にどんどん熱が溜まっていく。そして目の前の壁同様にドラゴニュートのHPもすごい勢いで削れていくのだった。

 

「ああ、これは無理」

 

 近づいてくる地面の遠さと、まるでミキサーにかけられたかのように削れていくHPの速さを見てドラゴニュートは悟りを開いた。簡単に言えば諦めた。いかに死にたくないといっても無理なものは無理なのである。

 だったらこんな苦しい思いはしなくていいやと指から力を抜くと後は自由落下に身を任せるのであった。

 

 そしてドラゴニュートは死んだ。

 

 

 

 

 

 

「お待たせしましたドラゴさん」

 

 キコキコと優雅に車輪を漕ぎながらレイカーが現れると同時にドラゴニュートの死亡状態は解除された。死亡状態を表すカーソルが消え、代わりにドラゴニュートの実態が現れる。

 しかし、ドラゴニュートは胡坐をかいてレイカーに背を向けたまま動かずいた。

 

「どうかしましたか?」

 

 どうしてドラゴニュートがそんな態度を取るのか、レイカーは困ったように手のひらを自分の頬にあてた。

 

「「どうかしましたか?」 じゃないでしょ!」

 

 レイカーの態度に怒ったドラゴニュートは体を反転させながら立ち上がり、レイカーに詰め寄った。

 

「どうして僕を上から突き落としたりしたの! しかも自分はポータルから脱出してここまで来るし、ほんとありえないよ!」

 

 ドラゴニュートを上から突き落としたのはまだわかる。ことあるごとにカンナとの仲を取り持とうとするドラゴニュートにレイカーはほんの少しいじわる(・・・・)をしたくなったのだろう。

 親から早く宿題をしろとせっつかれるとイラッとしてしまう子供の心境である。

 

 レイカー自身もカンナとまた以前のように笑いあいたいとは思っている。

 それが出来たらどんなにいいことだろうかと考えてはいるが、負い目のある自分に仲直りする資格は無いとも考えていた。

 やりたくても出来ない。だというのにそれに構わずしつこく迫ってくるドラゴニュートにレイカーが辟易としてしまうのは仕方の無い話である。

 

 しかしもう1つの行動、一度ポータルから脱出し、再びこの場に戻ってくるレイカーの行動にはドラゴニュートもツッコミをいれずにはおけなかった。

 

 レイカーこと倉崎 楓子のリアルホームは杉並の南の端にある。

 ポータルから脱出し、現実に戻ってきたと認識してから再び《無制限中立フィールド》に戻るため、コマンドを唱えるとどうしても1、2秒はかかってしまうだろう。

 現実の1秒は加速世界の30分である。

 

 デュエルアバターが死亡してから再び復活するには1時間かかるので、レイカーは実質30分以下で杉並から港区の旧東京タワーへとやってきたのだ。

 現実なら車を使っても間に合うかどうかというところである。

 いくらデュエルアバターといっても人の身には違いなく、さらにレイカーは車椅子での移動である。十中八九無茶な行動を行なったに違いない。

 

「くすくす、ドラゴさん。わたしは自由奔放でお節介な《親》と普段は常識人ぶっているのにいざという時には人の心配も無視して1人で突っ走っていく、マイペースの塊のような《祖父》に囲まれて育ったのですよ。このくらい普通(・・)です」

 

 自信満々に人指差しを立て、ウインクを決めてくるレイカーにドラゴニュートは何も言い返すことが出来なくなった。

 とりあえず、この3年ひと言も持ち出さなかった《親》という言葉を喋ってくれただけでこの場はよしとしよう。そう無理やりにでも思わないとやってられない。

 進展しているのかしてないのか、ゆっくりと変わりつつある2人の幼馴染の関係にドラゴニュートは再び重たいため息をつくのであった。

 

 

「さ、予定通りエネミーを探しにいきましょうか」

「俺を倒してバーストポイントをたんまりもらったレイカーさんにエネミー狩りは必要ないんじゃないですかねぇ」

 

 何事もなかったように車椅子の車輪を回し、ドラゴニュートに背を向けるレイカーの後を追いながら、ドラゴニュートは少し拗ねたように嫌味を言った。

 

「でもそれは今日2回《上》に来たことで帳消しになってしまいましたから。今から次の分を稼ぎに行くんですよ」

「そうですか」

「はい」

 

 しかしサラリと流される。

 一体いつになったら女性に口で勝てるようになるのか、ドラゴニュートは身近にいる女性陣の顔を思い描き……、そしてもっと楽しいことを考えようと思いなおした。

 

「そういえばお聞きになっていませんでした。ドラゴさん、修学旅行はどちらに行かれるのですか?」

 

 そうだ、自分には楽しみにしていることがあったではないか。レイカーの言葉にドラゴニュートは思い出す。

 日本の南西にある小さな島。青い海。照付ける太陽。アロハシャツと花の首飾り。サーターアンダギーとヤマピカリャー。

 なにか色々と混ざっているがドラゴニュートは振り向き尋ねてくるレイカーに親指を立てて言い放つ。

 

 

「目的地は沖縄です!」

 

 

 

 



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第29話 沖縄!

 

「にしても、聞いていた以上に暑いな沖縄は……」

 

 

 2047年4月16日。

 梅郷中3年生の黒雪姫は午後を過ぎた時間のサンサンと輝く沖縄の太陽を仰ぎながら忌々しげに呟いた。

 今、黒雪姫は6泊7日で行なわれる梅郷中の修学旅行の真っ最中である。

 昨日、一昨日は那覇にいたのだが、3日目の今日は沖縄本島中部南側にある辺野古へとやって来ていた。

 

 まだ3日目、されど3日目である。

 黒雪姫は沖縄に来た早々に1600km先にある東京の、同じ中学に所属している後輩(ハルユキ)に会いたいとホームシックにも似た感情を胸に抱いていた。

 さきほど少しの気晴らしにでもなればいいと、その後輩に全感覚ダイブコールを要求したのだが、それも今では裏目に出てしまっている。直接会いたいという気持ちがより大きくなってしまったのだ。

 とりあえずホテル内にこもっていても仕方が無いと、同じ部屋の友人――生徒会の書記をしている若宮恵とともにホテル近くのショッピングゾーンへと足を運んでいるのだが……。

 

「もう、姫。また“彼”の事考えてるでしょ!」

 

 その恵に注意され黒雪姫は我に返った。

 先程もハルユキと通話した辺野古ビーチで同じようなことを注意されたばかりだ、これではいけないなと小さく頭を振って黒雪姫は恵に答えた。

 

「ダメだな。このまま沖縄を楽しめなかったらそれこそハルユキ君に怒られてしまう。

 それに、隣にいる恵に対しても失礼だからな」

「そうですとも。沖縄にいるときくらい私だけを見ていてくれてもいいじゃありませんか」

 

 冗談めかして拗ねた声をだす恵にようやく肩の力が抜けた黒雪姫は何か面白いものは無いか、と周りにある色とりどりのショップへと目を向ける。

 できることなら直径30cmのサーターアンダギーが売られているといい。そう考えながら。

 

 それは東京で待つハルユキから頼まれたお土産候補の1つなのだが、実在するのかも怪しい代物である。

 恵と共にキョロキョロと観察していると、黒雪姫は自分達の(かよ)う梅郷中とは違う制服をちらほらと見かけるのに気が付いた。始めは地元の学校の生徒かとも思ったが、珍しそうに土産物を手に取る姿に自分たちと同じ旅行者だと理解する。

 

「どうやら沖縄へ旅行に来ているのは私たちだけじゃないみたいだな」

「そのようね。4月に修学旅行なんてうちの学校だけだと思っていましたけど、昨日も他の学校の方を見かけましたわ」

 

 ――全部が全部東京の学校では無いだろうが、今一度、近くにバーストリンカーがいないか確かめたほうがいいかもしれん……

 

 恵の言葉を聞いて黒雪姫はそう考えた。

 バーストリンカーの人口は99%が東京23区に集中している。

 他の県にいたとしても神奈川や千葉、埼玉といった東京と隣接している関東圏にしかその存在は確認されていない。

 

 そもそもバーストポイントの供給元のほとんどが対戦で培われているブレインバーストでは対戦相手の数が多くいないと継続してプレイすること事態難しいのだ。

 なので東京から遠く離れた地、この沖縄で“かつて東京に在住し、なおかつブレインバーストをインストールしていて、高レベル帯でポイントに余裕があり、沖縄でブレインバーストをインストールすることができる《子》を見つけ出し、対戦することなく《無制限中立フィールド》のエネミーを2人で狩り、ポイントを貯めながら次の《子》を見つけていく”という奇跡のような確立を持つバーストリンカーなど黒雪姫はいないと考えていた。

 そんな理由から那覇空港に降り立った時一度だけ加速し、マッチングリストに誰もいないことを確認しただけで、それ以降今まで確認はしていなかったのだ。

 

 だが、先程見かけたとおり、今の時期でも黒雪姫同様に他県からこの沖縄に来ている学生が多くいる。

 万が一、その学校が東京の学校で、しかもその中にレベル9が居た場合……せっかくの旅行が台無しになるかもしれない。

 

 今一度 確認のため、加速世界に行こうとした黒雪姫は息を吸ったところで隣の恵に気が付いた。

 

 ――危ない。今のは無用心すぎるぞ!

 

 ブレインバーストの存在は完全極秘。

 隣にいる恵がバーストリンカーではないことは百も承知だが、情報とはどこから漏れ、どこに繋がるかわからない。

 黒雪姫が呟いた言葉に疑問を持った恵が他の人にその意味を尋ねたり、ましてやその人物がバーストリンカーだった、などという可能性もありえるのだ。

 

 ――それに、恵は《こっちの世界》とは無縁でいて欲しい

 

 黒雪姫にとって恵はブレインバーストと関係無しに中学で初めて友達になった存在だ。

 ブレインバーストを長くプレイしていると、ふとした時にどちらが現実でどちらが仮想世界なのか酷く戸惑う時がある。そんな時、黒雪姫自身を現実世界にしっかりと繋ぎとめてくれる存在がいて欲しかった。それは同じブレインバーストをプレイしているハルユキたちでは難しい。

 加速世界とはまったく関係の無い、現実世界の象徴。

 黒雪姫にとって今の恵はそんな得難い存在なのだ。

 

 身勝手な理由だが、そんな稀有な存在を手放したくないと考えた黒雪姫は加速するために吸った息をまったく違う意図の言葉にして吐き出した。

 

「恵はお土産とか買わなくていいのか?」

 

 とっさに考え出した言葉にしては十分。それに、これほど並び立つお土産やにまったく関心を示さない恵に疑問を感じたこともあるって自然と言葉に出すことができた。

 恵も何の違和感も感じずに、黒雪姫の問いに答えた。

 

「いいえ。姫みたいに私の帰りを待ってくれる殿方は居りませんもの」

「そうか……」

 

 そして黒雪姫はピンと来た。

 適当にトイレに行くとでも言って一旦恵から離れようと考えていた黒雪姫だったが、よりいい案を……いや、そんな口実なんてどこかへ吹っ飛んでしまうような素敵な案を思いついたのだ。

 

「だったら、お互いに贈るためのお土産を買っていかないか。そしてそれを学校に帰ってから披露しあうんだ」

 

 黒雪姫自身、お土産を送る相手がハルユキと、精々同じレギオンに所属する黛タクムだけでは寂しいと思っていたところだ。

 恵もお土産は精々家族に送るだけといっていたが、黒雪姫と同じような気持ちだったらしい、黒雪姫の提案に笑顔だった顔をより一層輝かせ、頷いた。

 

「それはとってもいい案だわ!」

 

 この場で踊りだしそうなほど上機嫌になった恵は黒雪姫の前に回り込んで手を握る。

 

「それじゃあ姫、ここで一旦別れてお土産を探しにいきましょう。こういうのはお互い内緒にしていた方がきっと面白いわ!」

 

 最初から別行動を取ろうとしていた黒雪姫は一にも二にもなく頷いた。

 「では4時にホテル前で!」と言葉を残した恵の姿が見えなくなったことを確認すると、黒雪姫はさっさとバーストリンカーの有無を確認して、恵へのお土産をじっくり選ぶための時間を確保しようと再び息を吸う。

 

 しかし、次の瞬間、黒雪姫の息が吐き出される前に世界は青く染まり、そして再構成されるのだった。

 

 

 

 

 

 

 ――なっ、対戦!? しかも挑まれた!

 

 黒雪姫の驚きを余所に黒雪姫の生身の体は姿を変え、加速世界でたった8人しかいないレベル9、その攻撃性能から《絶対切断(ワールド・エンド)》と恐れられた《ブラック・ロータス》の形をとっていた。

 

 まさか先程の予想(レベル9が沖縄にいる)が当たったわけではあるまいなと、普段なら一笑に付す考えを黒雪姫は真剣に考えてしまう。

 

 ――もしも相手が本当にレベル9であった場合、私は戦えるか!?

 

 すでに世界は変わり、対戦は開始されようとしている。しかし、今の黒雪姫はバーストリンカーとして対戦に挑む心構えを整えているが、レベル9と全損をかけて戦えるような覚悟を持ち合わせていなかった。

 

 旅行の地で完全に油断していたこともある。

 もしも対戦相手が先陣速攻戦が可能である《ブルー・ナイト》であったり、ブラック・ロータスにどれほど恨みを抱えているかわからない《パープル・ソーン》からの奇襲であった場合、戦闘の主導権を持っていかれ、後々不利になってしまうのはロータスである。

 

 《HERE A NEW CHALLENGER》の文字が消え、相手の名前とレベルを確認した時、ロータスは緊張からの落差でその場にへたり込みそうになってしまった。さすがにバーストリンカーの矜持でそれは耐えたが……。

 

Lagoon・Dolphin(ラグーン・ドルフィン)

 レベル5

 

 それは純粋にロータスへと対戦を挑んできた中堅レベルのバーストリンカーであった。

 

 そこまで確認し、ロータスは対戦相手の姿を探そうと、フィールドの様子を眺めながらガイドカーソルの指し示す方向へと目を向ける。

 

「どうやら《古城》ステージのようだな」

 

 建てられた当時は白塗りだっただろうレンガの壁が時を()て崩れ去り、ほとんどの建物には屋根すらなくなっている。当然窓ガラスなどがはまっているはずもなく、長いこと風にさらされた建物内部も外壁と同様所々剥げていた。

 道も先程までいたショッピングゾーンとはかけ離れていて、綺麗にそろえられたタイルは見るも無残に土さらしで、ところどころから雑草が伸びている始末だ。

 

 《風化》ステージと(おもむき)は似ているが、《風化》ステージは近代的な建物が荒廃しているのに対し、《古城》ステージはその名のとおり昔の城がそのまま時間を経てしまった感じがする。

 

 しかし、東京での《古城》ステージは城といっても和風ではなく欧風の石造りの城が風化している光景なのだが、この沖縄の風貌はまたどこか違う趣があるようにも見えた。

 そのことにロータスが疑問を持っていると。

 

「《古城》じゃない(でやねーらん)! ここは《城址(グスク)》ステージやっさー!」

 

 快活な、甲高い女の子の声がロータスの耳に入ってきた。

 どうやら先程の独り言を聞かれてしまったらしい。

 

 声が聞こえた方向――かろうじで残っていた建物の屋根の上にロータスが顔を向けると、そこには2人のアバターの姿が見えた。

 1人は沖縄の綺麗な海のような、緑がかった青の装甲を身にまとい、屋根から身を乗り出しているアバター。

 もう1人がその彼女の後ろに立ち、鮮やかな珊瑚の色をもつピンク色のアバターだった。

 

 両者とも女性型アバターであったが、先の発言はどうやら屋根から身を乗り出している海色のアバターからのようだった。

 先程確認した体力ゲージ下に出ている名前の色からして、対戦相手は彼女に違いない。

 

 身にまとうその雰囲気からして恐れを知らず、楽観的で、物事を何でもプラスの方向に解釈しそうな外向的な性格のようだった。

 

「ルカちゃーん、あの人もなんだか強そうだよー。今回は話だけにしよ?」

「そんなこと言ったって、本当に強いかや戦ってみねーとわからんサー!」

 

 そのことが珊瑚色のアバターとの受け答えでもわかる。

 しばらく珊瑚色のアバターと言い合っていたのだが、ドルフィンは問答無用とでも思ったのか、一息で屋根から飛び降りるとロータスの前に何事もなく着地した。

 

 ――ほう、体力ゲージに変化はなしか……

 

 屋根と地面までの距離はおおよそ5メートル。その高さから無防備に飛び降りた場合、いくらレベルが高く、基本性能が高くとも少なからずダメージを受けてしまうだろう。

 それでもなお飛び降りるということはよほど頑丈さに自信があるのか……。

 

 ――あるいは“飛び降り方”を知っているかだ。

 

 それは普段から体を動かし、訓練を行なわなければ出来ない動作。

 目の前のドルフィンは装甲が分厚いようには見えないのでおそらくは運動能力の高い近接格闘型のデュエルアバターなのだろう。鮮やかな青の装甲を身にまとい、武器を持っていないことからロータスは相手の能力を予測した。

 

「お前もあのホテルに泊まっている修学旅行生だな!」

 

 ドルフィンの言葉にどこか引っ掛かったロータスであったが、ドルフィンの指差す方向、それがロータスの止まっているホテルの風化した姿だったので素直に頷いた。

 

「それならワン()と勝負しろ!」

「それはいいのだが……」

 

 言いながら、見たことの無い独特の構えを始めるドルフィンにロータスは先程から気になっていたことを質問してみた。

 

「所々に出てくる訛り、お前たちは東京からの旅行者ではなくこの地のバーストリンカーなのか?」

「そうです、さっきの方もそう聞いてきましたが私たちがそんなに珍しいので……」

うるさい(カシマシ)! いいからお前(ヤー)はワンと戦えばいいんだ!」

「ムッ……」

「ルカちゃーん……!」

 

 珊瑚色のアバターの声を遮って1歩踏み出してきたドルフィンの姿にロータスはバーストリンカーとしての心をくすぐられた。

 確かにドルフィンはすでに戦う姿勢が整っており、ヤル気も十分高まっている。そんなときに対戦者がのんきに話などしていれば、まるで相手にされて無いのかとカチンと来てしまうだろう。

 

 話ならば戦った後でも出来る。そう考えたロータスはドルフィンの前に立ち、闘気をその身に張り巡らせるのであった。

 ちなみに話した後でも戦いは出来ると(逆の事)は微塵も考えなかった。

 

「よかろう。私もこちら(沖縄)のバーストリンカーがどのようなものか興味がある。さあ、かかって来い!」

「言ったなぁー! 沖縄(ウチナー)武士(ブサー)本土(ヤマト)(サムレー)とは一味違うことを思い知らしてやる!」

 

 言うと同時に5メートルはあった距離を一息でかけてくるドルフィン。

 まるで地面が縮小してしまったのではないかと疑ってしまうほど一足飛びでロータスに接近し、淀みない動作で拳を突きたててくる。

 

 接近した速度が嘘のようにピタリと静止。その慣性、自らの体重を、足、腰、肩へと伝わらせ、全ての力を十全に乗せた拳は同レベル帯でトップレベルのスピードと破壊力を誇ることだろう。

 しかし、空気の層ごと突き破ってきそうなその拳も、幾つもの修練、戦闘を何万回繰り返してきたロータスにとってはすでに見慣れたものの範疇でしかなかった。

 

「……ふっ!」

 

 拳の進む軌道に刃を立ててドルフィンの拳を切り裂いてしまうことは容易い。

 しかし、これはレベル9とレベル5の戦いであり、いってみればロータスの指導試合である。なのでロータスはドルフィンの拳を剣の腹でやわらかく受け止め 同時に相手の捻りこみすら取り込む込む勢いでドルフィンの右腕を巻き上げた。

 かつて自分の剣筋が相手に届かなかったとき用に中華街で開発した《柔法》と呼んでいるカウンター技である。

 

 次の瞬間ドルフィンは車に衝突されたかのように宙を舞い、そして地面に叩きつけられてしまった。叩きつけられる際、無意識にだろうが受身を取っていたことからドルフィンの格闘技に対する習熟度がよくわかる。

 

「……つ、つえぇ」

 

 しかしそのせいか、ドルフィンはたった一合で彼我の差をはっきりと思い知らされてしまった。

 地面に叩きつけられたままこちらを仰ぎ見て動かない相手に、ロータスは発破をかけるように挑発してみせた。

 

「どうした、もう終わりか?」

「……っ、まだまだぁ!」

 

 自分が知っている高レベルのバーストリンカー、それを軽く上回る強さを誇るレベル9。

 しかし、それがわかったからといって引き下がれる性分ではない。

 むしろ相手が強ければ強いほど燃え上がるドルフィンであった。

 

 地面に倒れた姿勢から軽快に立ち上がると、再びドルフィンは猛烈な突進(チャージ)を敢行、もう一度速度の乗った豪腕をロータスに向かって繰り出していくのだった。

 

 

 

 

 

 

「ま、参ったぁ……」

 

 その後、ドルフィンはフェイントを織り交ぜた攻撃でロータスを驚かせ、必殺技まで放ち、敢闘するのだが、返し技として放ったロータスのレベル4必殺技《デス・バイ・バラージング(宣告・連撃による死)》によってHPもろ共完膚なきまでに吹き飛ばされてしまうのであった。

 

「うむ、なかなかいい戦いだった。東京のバーストリンカーと比べてもなんら遜色なかったぞ」

「うす。ありがとうございます!」

 

 負けを認めてからロータスの事をやけに敬うような態度をとるドルフィンに()みを返したロータスは、戦闘前の話し合いの続きを持ち出すことにした。

 

「さて、お前たちはどうやってこの沖縄でバーストリンカーになったのだ?

 それと、東京からバーストリンカーが来るたびにこのように対戦を?」

「あー……」

「それなんですけど……」

 

 どこから話せばいいのだろうか。そう迷っていたドルフィンの代わりに珊瑚色のアバターの子がロータスに色々説明してくれた。

 

 ブレインバーストは昔東京から引っ越してきた親戚の男からコピーさせてもらっていたこと。

 昔は東京からのバーストリンカーが来てもたまにしか挑まず、ポイントは主に《上のフィールド》でエネミーを狩って稼いでいたこと。

 しかし、ここ数ヶ月で困った問題が起こり始め、下手をすればポイント枯渇の恐れがあったので問題を解決してくれるような強いバーストリンカーを探して“辻デュエル”を何回かしていたこと。

 

 以上を珊瑚の子から聞いたときロータスは疑問を口にした。

 

「困った問題?」

「そうなんです……」

「《マジムン》が出たーって、師匠が……」

「ま、まじむん?」

 

 沖縄の方言なのだろうがその意味が理解できないロータス。

 混乱している頭に追い討ちをかけるように2人のバーストリンカーはさらにまくしたててきた。

 

「そうなんです! 《マジムン》を追い払わないといけないのに師匠は「敵わない」ってすっかり諦めてしまって!」

「だからワンたち、師匠より強いバーストリンカーをつれてきて師匠に喝を入れてもらおうって思って……」

「だからお願いです、私たちの師匠に会ってください!」

「この先にある喫茶店《サバニ》にいますから!」

「お、おい……ちょっと待て……」

 

 ロータスが止める間もなく言いたいことを言った2人は深々と頭を下げて加速世界からログアウトしてしまった。

 残ったのは瓦礫の山と白い砂、そして2人を止めようと手を伸ばしたまま固まるブラック・ロータス。

 

 数秒間固まっていたロータスであったが、宙をつかむように延ばしていた腕を静かに組むと……。 

 

「これは……その“師匠”とやらにガツンと言ってやらないといけないようだな」

 

 ポツリとひと言そう漏らすのであった。

 

 

 

 

 

 

 ――そもそもバーストリンカーが現実世界で会おうなんて誘うことは御法度(ごはっと)中の御法度!

  そんなことも教えずになにが師匠か。さらに《子》にまで心配をかけさせるなんてけしからん!

 

 怒り心頭、若干冷静さを欠いたまま黒雪姫は件の喫茶店《サバニ》を発見した。

 観光客で賑わっている通りから若干離れた場所にあるその喫茶店は遠くの喧騒を残しつつ、穏やかな空気をまとって営業していた。

 サバニ――沖縄の言葉で《小さな船》という言葉の通りボート型の看板を上げたオープンカフェに客は一組しかおらず、黒雪姫はその一団が先程のバーストリンカー達だと推測する。

 

 女の子2人と男1人の組み合わせだ。

 女の子は黒雪姫に背を向けて顔が見えないが、ショートカットの少女とセミロングの髪を大きなリボンで結んでショートポニーにしている少女。

 そして彼女たちとテーブルを挟んで、なにやら気だるげな雰囲気を醸しだしている男。

 おそらくはその男が彼女たちの師匠なのだろう。

 確かに何かを諦めているようにも見える。どうやら少女たちの言う《問題》とやらに関係ありそうだ。

 

 しかし、今の黒雪姫にとってそれは関係ない。

 少女たちへの指導不足を含め、やる気の無い根性を叩きなおしてやるのが今回の目的なのである。

 

 ワザとらしくヒールのかかとを鳴らしながら黒雪姫が近づいていくと、その接近に彼らが気が付いた。

 少女たちは顔を明るめ、男は椅子から立ち上がって黒雪姫を睨みつける。

 そしてそのまま黒雪姫まで一直線に近づいてくるではないか。

 

 確かに、いきなり部外者が立ち入ってきて、さらに己に喝を入れようとしてくるなんて、当事者としては(たま)ったものではないだろう。

 だが、黒雪姫もここまで来て引けるような性質(たち)ではなく、お互いにらみ合いながらその距離を近づけていった。

 

 カカッ! と両者がかかとを鳴らして対峙する。

 こういう場合、第一声が肝心であり、決して負けてはならない。黒雪姫はそう思ってなるべく威圧的になるように声を張り上げた。

 

「お前が!」

「キミが!」

 

「「あの子達の《師匠》か!」」

 

 両者が少女たちを指差したまま固まった。

 

「ん?」

「え?」

 

 

 おかしい。

 どこかが決定的に間違っている。

 その間違いに気が付いた時、黒雪姫は思わず相手の顔を見た。

 どうか私の考えが間違っていますように、と。

 

 しかし現実は無情。

 

 血の気が引いているとはこのことか、男の顔面は青を通り越して真っ白となっている。

 おそらく自分の顔も同じ様に真っ白になっているだろう。黒雪姫はいとも簡単に想像することができた。

 

 そして両者は再び同時に声を張り上げるのだ。

 

「「バ、バーストリンク!」」

 

 《初期加速世界(ブルーワールド)》へと降り立ち、黒雪姫はブレインバーストのマッチングリストを最速で立ち上げた。

 レベル順に並んだリストの中には3人の名前が表示されている。

 

 レベル4《コーラル・メロウ》

 サンゴ礁(コーラル)人魚(メロウ)ということは先程の戦いを観戦していたピンクのバーストリンカーだろう。それはいい。

 

 レベル5《ラグーン・ドルフィン》

 これも確認するまでもなく、先程戦った相手である。これもいい。

 

 そして問題が……。

 

 レベル9《プラチナム・ドラゴニュート》

 

 この瞬間、黒雪姫は《8王》の1人、かつて肩を並べあった友、そして今は加速世界最大のライバルであるドラゴニュートと現実(リアル)で出会ってしまったことを絶望の中、悟るのであった。

 

 

 

 



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第30話 竜虎相対す

 時間は少し遡り、4月16日の昼。

 黒雪姫が辺野古ビーチで東京にいるハルユキとの会話を終わらせ、ホテルへ帰った頃。

 梅郷中学の生徒が宿泊しているホテルに彼らとは違う学生の一団が泊まりにやって来ていた。

 

 

 

 

「花沢、俺らシンジたちと一緒に外に行くけど、お前も行くか?」

 

 先程ホテルにたどり着いたばかりというのに、荷物整理も程々にマサトと同室のクラスメイトが話しかけてきた。

 

「ううん、まだバス移動の疲れも残ってるし、少し休んでから行くよ」

「そうか?」

 

 クラスメイトの問いにマサトが頷くと彼はそれ以上無理に誘うことはせずあっさりと部屋から出ていってしまう。

 ドアが閉まったことを確認したマサトは軟らかいマットレスに身を投げ出すと、溜まっていた疲れを押し出すようにため息を天井に向かって吐き出した。

 疲労の理由は朝から続くバス移動からくるものだけではない。

 

 先程のクラスメイトとマサトは別段仲が良いという訳ではなかった。

 普段は先のシンジともう1人、仲が良い男友達の3人で過ごしている彼なのだが、今日宿泊するこのホテルの部屋割りが2人一組だったため、元からあぶれていたマサトと組んで同室となったのである。

 

 ハッキリ言ってクラスに仲の良い友達がいないマサトにも親しげに話しかけてくれる彼にマサトは感謝していたが、同時に重圧も感じていた。

 それは彼が悪いわけではなく、マサトが一方的に壁を作り出しているせいだった。

 

 マサトは初めからクラスメイトと仲良くしようとしていなかった。

 そもそも彼らの会話についていけないのである。

 好きなテレビ番組も、好きなアーティストも、好きなアイドル、好きなクラスメイトの話にも、おおよそ男子中学生が好む話題すべてにマサトは興味を抱いていなかった。

 唯一興味のあるジャンルといえばゲームになるのだが、そのゲームの話題についていける人物はクラスメイトはおろか学校中を探しても見つからない。マサトが孤立するのは時間の問題だったのだ。

 

 根が真面目だったため成績もよく、先生受けもよかったためにクラス委員などを務めたこともあるのでイジメの対象にはならなかったが、マサト自身がクラスメイトと一線を引くために親しい友人もいなかった。

 クラスメイトからすればマサトは“用事があれば話しかけるが、普段はとっつきにくい奴”となるだろう。

 

 しかしマサトはそれで何の問題もないと感じていた。

 なぜならば学校にはいないが親しい友人は何人もいるし、学校なんて“1日たった8時間しか”いないコミュニティに友人を作ってもしょうがないと思っているせいである。

 マサトにとって学校とは今後1人で生活する時の、そのとき取れる選択肢を増やすための中継点でしかないと考えられていたのだ。

 

 

「そろそろいいかな」

 

 なんと無しに呟いたマサトは心地いいマットレスから身をはがし、脇に置いていたバッグを手に取った。楽しみにしていた沖縄観光にいくためである。

 

 昨日の歴史博物館や戦地跡の見学なども楽しかったが、やはり旅行の楽しみといえばおみやげ物の物色に勝るものは無い。

 初めて見る特産品に食べたこと無い食品類、名所を映したVRオブジェクト、見るべきものはたくさんある。マサトは逸る心を抑えながら外に出る準備を整えていった。

 

 UVカットクリームを肌に塗り、スポーツタオル、スポーツドリンクを手提げカバンの中に入れ、ニューロリンカーで今日のバイタルをチェックする。

 

 今では健康な人々と遜色ない生活を送れているマサトだが、人生の半分以上が病院生活だった男だ。体調管理には人一倍気を使わなくてはならず、今日は頼れる人も近くにいない。入念にチェックする必要があった。

 

 特に心拍も血圧も体温にも異常は見当たらない。診断結果はオールグリーン(全て正常)。どうやらバスの移動で体調は崩れなかったようで一安心。マサトは意気揚々にホテルの一室から飛び出して……。

 

 楽しみにしていた数々の予定は“視界が青く染まった(対戦を挑まれた)”せいで台無しになってしまうのであった。

 

 

 

 

 

 

「そうして彼女たちに対戦を挑まれ、ここにいるというわけか……」

「ああ、そういうことになる」

 

 両腕を前に組み、ふてぶしい態度で黒雪姫の問いに答えるマサト。

 今起きている出来事のせいでやけっぱちになっているようにも見える。

 

 マッチングリストに載る相手の名前を確認をしたマサト達は最初こそ狼狽していたものの、なにが起きているかわからない沖縄のバーストリンカーの少女たちの手によって半ば無理やり《サバニ》の一席に座らされてしまった。

 そして状況整理のため、お互いが“どうしてこうなった”のかを説明しているうちに諦めという名の精神状態まで落ち着きを取り戻すのであった。

 

 しかし宿敵相手と仲良く隣同士座るのは精神衛生上ありえない。

 身体の物理的距離になんら関係ないことはわかっていても相手の一挙一動を見逃すわけにはいかない2人はマサトの隣にショートカットの少女、黒雪姫の隣には大きなリボンをつけている少女を座らせて対峙していた。

 

「では、お互い現状を把握できたところで自己紹介といこうか」

「は、はい! ワンは久辺(くべ)中学校2年2組、安里 流花(あさと るか)です!」

「お、同じく久辺中学校、糸洲 真魚(いとす まな)です!」

 

 睨み合う2人の放つプレッシャーに耐え切れない、といった様子で立ち上がり、大声で自己紹介する少女2人。

 ショートカットの方がルカで、リボンをつけていた方がマナだ。

 

「うん、元気がよくていいことだ。しかし、いきなりリアルネームを名乗るのはいただけないな、特にバーストリンカー同士では命にもかかわる。だろう?」

「……さあね」

 

 黒雪姫の微笑みをうけ、言葉も出せずガクガクと壊れた機械のように首を動かすルカとマナ。

 非の打ち所が無い、綺麗な表情だというのに何故か逆らってはいけない気がしたのだ。

 

「しかし、2人がリアルネームを名乗っているのにこちらが名乗らない、というのも狭義に反するな。では私もアバターネームではない名前を名乗ろう。

 

 私の名前は、黒雪姫だ。以後よろしく頼む」

 

「…………へぇ」

 

 舌の根も乾かぬうちにあからさまな偽名を名乗る黒雪姫の自己紹介に口端を引きつらせるマサト。彼の額には若干血管が浮き出ている。

 

「それで? ここまで来てキサマだけアバターネームを名乗るのではなかろうな。

 教えてくれないか、キサマの名前を……」

 

 ニヤニヤと挑発的な笑みを受けべた黒雪姫は肘をテーブルにつけ、組んだ手の上に自分の細い顎を乗せる。

 傍から見れば絵画のように美しい光景も当事者としては薄ら寒くなる何かがあった。

 その態度にマサトは変わらず憮然とした態度で大きく足を組み――

 

「どーも、金野(きんの) 竜太郎デス。以後ヨロシク」

 

 黒雪姫にそう名乗った。

 

「…………ほう。珍しい名前だな。仲良くしよう“金太郎”」

「“竜太郎”です。黒雪姫“さま”」

 

 外の喧騒も逃げ出してしまうほどのプレッシャーを放ちながら睨み合う2人にルカとマナはテーブルから離れて「はわわ……」「あわわ……」とお互いの体を抱きしめあうことしか出来ないのだった。

 

内地(ナイチャー)の人ってすげー怖い(デージナウトゥルサン)!」

「うん……うん!」

 

 

 

 

 

 

「それで、結局君たちは私たちになにをして欲しいのだ」

 

 2人の睨み合いは商売根性逞しい従業員が空気を読まずに頼んだドリンクを持ってきたことで一旦終了した。

 黒雪姫は生パイナップルジュースを、マサトはシークワーサージュースを席に着いたときに頼んでいたのだ。

 マサトとしてはシークワーサージュースを一口飲んで、思わず「すっぱ!」と言ってしまったとき黒雪姫が浮かべた意図のわからない得意げな顔が酷く気になったが、スルーした。

 

「はい! さっきも言いましたがお2人には師匠に会ってほしいんです!」

 

 無駄に背筋を伸ばして答えるマナに黒雪姫は「それだ」と指摘した。

 今回の事件、そもそもその師匠とやらに問題がある。

 

「君たちの師匠とやらはブレインバーストをインストールするにあたってなにか言ってなかったのか? その、注意事項のようなものを……」

「おい、それは聞かないほうが……」

 

 黒雪姫と合流する直前にその話を聞いていたマサトは止めようとするが、それよりも早くマナとルカが軍人のように機敏に立ち上がって、その“教え”とやらを唱和した。

 

「「ひとーつ! 《加速》を使って悪いことをしない!」」

「「ふたーつ! 《加速》のことをみだりに喋らない!」」

 

 「以上です!」と再び席に着く2人をマジマジと見た後に黒雪姫は確認のためにマサトの方へ顔を向ける。マサトは諦めたかのような顔で頷くだけ。

 その表情に黒雪姫は、初めて見かけたとき諦めの表情をしていたのはコレを聞いていたからか、と妙なことに納得してしまうのだった。

 

 突然リアルで会おうと言い出したり、初対面の男女にリアルネームを名乗ったりとバーストリンカーとしての常識が足りて無い少女2人を見た東京組の心情は完全に一致していた。

 

 ――“師匠”とやらにひと言いってやらないと気がすまん!

 

 と。

 

 

 

 

「と、とりあえず、今日のところは解散しないか? なんというか酷く疲れてしまった。こんな状態じゃ冷静に話せないし、何より時間が……」

 

 そこまでいったところで黒雪姫は突然席を立つ。

 なにか(おそらく時間)を確認したのだろう、酷く焦った様子で――

 

「また明日同じ時間に自由行動になるからそのときに!」

 

 と一方的に言い放ちホテルの方へ走っていってしまうのだった。

 

 

 

 

「あいつ、言いたいことを言うだけいって帰っちまった。

 俺は明日の昼にはもうここにいないぞ」

 

 マサト達の旅行のスケジュールだと明日の今頃は沖縄南部へ向けてバスで移動しているか、次のホテルへついている頃だ。

 そもそもマサトの修学旅行予定4泊5日のなかで、生徒が自由に歩きまわれるのも今日くらいしかないのである。

 どうしようか迷っているとマサトの呟きを聞いていた少女2人が不安げに話しかける。

 

兄貴(ニイニイ)、明日ダメなの?」

「師匠に会ってくれないんですかぁ?」

 

 身長差のせいで見上げてくるように懇願してくる少女たち。

 

「い、いや。大丈夫、ダイブするとき連絡してくれたら《上》経由でそっちにいくから。おそらくアイツも師匠とやらにリアルで会おうとは思って無いだろうし」

 

 そんな少女にNOとは言えないマサトであった。

 

「よかったぁ。ネェネェだけだったら師匠、話聞いてくれないかもしれないし」

「うんうん!」

 

 もしも師匠とやらが元東京のバーストリンカーならばそんなことはありえないだろう、と内心マサトは思いながら、自分にもそれほど時間が残っていないことに気が付いた。

 

「もう4時か、参ったな5時までに部屋に戻らないといけないのにお土産まだ1つも買ってないぞ」

 

 部屋を出て、そのまま《サバニ》へとやってきたマサトはルカ、マナ達から色々事情を聞いていたためにまだ一軒も店を覗いていなかった。

 これでは店になにがあるか見て回るだけでタイムリミットが来てしまうかもしれない。

 

「ニイニイお土産(ナーギ)欲しいの?」

「なら私たちが案内してあげますぅ」

「え、いいの?」

 

 いかに手早く店を回るかを考えているマサトに少女2人はありがたい提案をしてきてくれた。

 それはありがたいとお願いするマサト。そしてルカとマナはマサトの手を引っ張って賑わう商店街へと連れて行ってくれるのだった。

 

 彼女たちはいかにも他の地でもお土産として売られているようなスポンジケーキやゼリーなどが美味しいかどうかは知らなかったが、メインの場所から少し離れたところにある美味しい珍味を安く売っている店や、綺麗な工芸品を売っている場所を案内してくれて、マサトも満足いく買い物をすることが出来た。

 

 

 

 

「ありがとう、お蔭で助かったよ」

「いいってことサー」

「私たちもお願いを聞いてもらってますし」

 

 商店街からホテルの前へと戻り、少女たちにお礼を言うマサト。

 照れて笑う彼女たちにマサトは自分のアドレスを渡していた。

 

「明日、《上》に行く時ここに連絡して欲しい。そしたら俺もダイブしてこのホテルの前へ向かうから」

「ありがとうございますぅ!」

「それと……」

「はい」

「もし東京に来ることになったら連絡して。俺は……東京に詳しく無いから案内できないけど、詳しい人を紹介するから。今日のお礼」

 

 東京にいる幼馴染のようなパートナーのような彼女のことを思い描きながらマサトはいう。

 その表情を敏感に察知した乙女2人は一瞬目を合わせ、そして好奇心に満ちた瞳でマサトに尋ねる。

 

「それって……」

「彼女ですか!?」

 

「いや、彼女は――――」

 

 マサトの答えに満足した2人はマサトに手を振りながら自宅へと帰っていく。

 その言葉は彼女たちが東京へ訪れた時に明かされる。のかもしれない。

 

 

 

 

 

 

「コマンド、ビデオコール、キド カンナ」

【キド カンナさんに映像通話を発信します。よろしいですか?】

 

 ホテルの部屋に戻ったマサトはルームメイトがまだ戻っていないことを確認すると東京にいるカンナに連絡を取った。

 時刻は午後5時、この時間なら特別な用事が無い限り家に戻っているはずだ。

 発信中と表示されていた仮想ウインドウにカンナの顔が映るのにそう時間はかからなかった。

 

『もしもし、マサト? どうしたの』

「ちょっと不味いことが起きて……今大丈夫?」

 

 マサトの真剣な声にカンナの目つきが鋭くなる。

 ここまでマサトが真剣になるのはブレインバーストのことしかない。カンナは秘匿性から映像通信(ビデオコール)ではなく全感覚通信(ダイブコール)にしようかと提案した。

 

「いや、まだルームメイトも帰ってきてないし、大丈夫だと思う」

『そう、それで一体なにがあったの?』

「それなんだけど……実は今日、リアル割れしちゃったんだ」

『……え?』

 

 言い辛そうに告白したマサトの言葉にカンナの理解が追いつかない。

 

『……え、え!? それって沖縄にいるバーストリンカーにってこと? というか沖縄にもバーストリンカーがいたの!?』

「いや、沖縄にもバーストリンカーがいたことは確かなんだけど、もっとマズイのは俺と同じように修学旅行にきていた東京のバーストリンカーもバレちゃった事なんだ」

『はぁ!? なにやってんのよ……』

 

 ウインドウ越しにカンナが額を押さえているのが見える。

 呆れてものも言えないようだ。

 

『それで、その相手の名前は? 学校名は?』

「それが聞きたかったんだ。カンナ、今の時期 沖縄に修学旅行でやってくる中学校、絞り込めないかな。杉並区の学校だけでいい」

『ええ? ……杉並だけで考えると思い当たるのは、梅郷中の3年生が今沖縄に行ってるってこの前聞いたけど。どうして杉並だけ……って、まさか』

 

 今現在、杉並区に領土を持っているレギオンに所属しているバーストリンカーはたったの3人しかいない。

 半年前青のレギオンから移籍した《シアン・パイル》

 絶賛加速世界で話題の中心となっている《シルバー・クロウ》

 そしてその2人をまとめる加速世界のお尋ね者。

 

「《ブラック・ロータス》なかなか起伏が激しい人だったよ」

『…………サイアク……』

 

 カンナにして見ればよりにもよって、といったところだろう。

 しかし、今マサトがブレインバーストの話をしていることを思い出し、ひとつの可能性に思い至った。

 

『まさか……戦った(全損させた)の?』

 

 レベル9同士でぶつかり合ったのならばどちらかが全損したはずだ。

 全損したバーストリンカーがどうなるのかをカンナは知っている。

 

「いいや、リアルで会ったのは偶然でね。まだその時期じゃないから見送りになったさ」

『そう……』

 

 マサトの返事に喜べばいいのか残念に思えばいいのかわからないカンナ。

 そもそも、相手を全損させたのならばわざわざ相手の学校名を尋ねる必要は無い。少し慌てすぎたと反省した。

 今はブラック・ロータスのリアル情報を1つでも収集するのが先だ。そのヒントが無いかとカンナはマサトに質問する。

 

『それで、相手の外見は? クラスはわかる? まさかとは思うけど相手はリアルネームを名乗った?』

「それなんだけど……あいつは黒雪姫だって」

『……え?』

 

 本日2度目の気の抜けた返答である。

 

『中学生にもなって姫ってあんた……。そんなに美人だったわけ?』

「ち、違うって! アイツがそう名乗ったんだ! 俺が名付けたわけじゃない!」

 

 まるで灰になった生ゴミでも見るような目つきのカンナに必死に弁護するマサト。

 カンナはまるで信じていないかのように生返事を返すと今度はどうしてそういう状況になったのか経緯を聞いてきた。

 そしてマサトが説明していくたびにカンナの目は鋭くなっていく。

 

『へー、日焼け跡がまぶしい天真爛漫な女の子と、ショートポニーのお淑やかで可愛い女の子のお願いをマサトは聞くことになったのね』

「そ、そう……デス」

『そこにあと1人助っ人がいると聞いて、やって来たのは黒髪の美しいお姫様だったわけね』

「ま、まあそれがロータスだったわけで……」

 

 おかしい。

 マサトは正しく事実のみを話しているはずなのに、デジタル信号に変換された音声データが1600kmほど移動しているうちにまったく違うデータになっているのではないのかと錯覚した。

 黒雪姫と名乗る少女のリアルを調べるために詳しいデータが必要だと彼女の容姿をこと細かく要求され、その矛先が沖縄の少女たちにまで及んだ時に疑問を持つべきだったのだ。

 

「そ、それでそのあとお土産を買ったんだけど、なかなか良さげなオブジェクトセットを見つけてね。いやー、これでうちのVRスペースも華やかになるよきっと!」

『マサト……』

「は、ハイ!」

『私、お土産はイリオモテヤマネコでいいわ』

「……え?」

『あー、ネコ飼いたーい。急に飼いたくなってきたぁ』

「い、いや……イリオモテヤマネコは今もレッドリストに載る絶滅危惧種でね?」

『持ってこなかったらもう家の敷居は跨がせないから。それじゃ』

 

 カンナが背を向けると同時にウインドウが真っ暗となり、切断中の文字が虚しく浮かび上がる。

 マサトは今日何度目かになるどうしてこうなったと頭を抱えることになるのだった。

 

 

 

 






マサトがお土産を購入している頃

「お、おい! アレ見てみろよ……!」
「なんだよ、引っ張るなよシンジ…………ってアレ……」
「アイツ、花沢じゃね?」
「だよな。つーか隣にいるカワイイ女の子はだれだ!? 俺らの学校の奴じゃないよな?」
「ナンパ?」
「成功してる……しかも2人も」
「活発な日焼け少女とお淑やかなお嬢様系の正反対の2人だと……!」

「「「花沢、パネェ!!」」」

その後マサトの評価はとっつきにくい性格は仮の姿で、実は裏の世界でハーレムを築こうとしているすげぇ奴となった。



  嘘話



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第31話 竜兎相対す

 

 

 乾いた風が大地を撫でつけ、砂埃が岩に当たる。

 容赦ない日光がジリジリと地面を熱し、遠くに見えるは蜃気楼。

 

――いくらなんでも遠すぎる……もう少し早く加速しておけばよかった……

 

 なにも見るものがない《風化》ステージを1人寂しくさまようは、遮光効果のあるボロを羽織ったドラゴニュート。

 沖縄南部から中央部まで徒歩で移動しなければならないドラゴニュートは移動開始早々に毒づいた。今日泊まるホテルに着いた後ではなく、バスで移動中に加速しておけばこの退屈な時間を少しでも短縮できただろうに、と。

 こんな荒野を進むのはどこぞアニメのOP(オープニング)のように数秒だけでいい。

 しかしどんなに歩んでも終わりが見えない。助けの手を差し伸べる人物もここにはいない。やれることといえば精々 ボロをしっかり身に纏って太陽の反射光をエネミーに悟られないようにすることくらいだった。

 

 こんな場所で小獣(レッサー)級ならまだしも野獣(ワイルド)級の群れなんかに出くわしたなら、逃げるにしても立ち向かうにしても時間がかかることは確実。隠れる場所も無いこの場所で体力の続く限りの持久走か、ただ正面から殴りあうだけの泥仕合はどちらも御免蒙(ごめんこうむ)りたかった。

 

 せめてもっと見応えのあるステージだったなら。

 《月光》ステージに浮かぶ月を見ながらの行進は真夜中の散歩みたいできっと楽しかっただろう。

 《樹海》ステージなら移動には手間取るが、大自然に囲まれ心を癒せたはずだ。

 草木一本も生えていない赤茶けた大地を目に映しながらドラゴニュートは重い足を引きずるように前へ出すのであった。

 

 

 

 

 どれほど歩き続けただろうか。時間にして見れば3時間は経っていない筈である。気分的には一年以上歩き続けていた気がするが。

 いくつかの荒廃した町並みを通り過ぎてもいまだ延々と続く荒廃した大地。そこでドラゴニュートは幻を見た。

 

 あまりにも退屈すぎたため暇つぶしで始めた“対レベル9戦――ver.《樹海》ステージ”のイメージトレーニングのせいで見間違えたのだと考えた。あまりにもリアルに妄想しすぎて無意識に心意を発動してしまったのかと思ったくらいだ。

 しかし、“それ”に向かって歩いても、進行方向を変えてみても、周りをグルグル回ってみても“それ”は変わらず大地に建っていた。

 

 何の変哲もないコテージである。

 

 丸太を組み合わせたシッカリとした造りの高床式の家。入り口まで続く階段も、家の屋根も全部木造で建てられたオーソドックスなコテージがそこにあった。

 ここが他のステージだったのならドラゴニュートもここまで不思議に思わない。現実世界の建物が加速世界に反映され、形を変えて存在しているのだと考えることが出来る。

 しかし、ここは《風化》ステージであって、建物という建物は全てボロボロになっているのが通例どおり。現に先程、鉄骨ばかりになってしまった町並みをドラゴニュートは通り過ぎたばかりである。だが、こんなにシッカリと形が残っている建物は1つも見なかった。

 

――誰かのプレイヤーホームなのか?

 

 ドラゴニュートはひとつの可能性に思い至る。

 そのきっかけは旧東京タワーにあるレイカーの《楓風庵》だ。

 あの家はステージ属性がなんであろうと変わらない様子で旧東京タワーの上に鎮座していた。

 

 ならばこの目の前にあるコテージの姿もそこまでおかしくはないのかもしれない。プレイヤーホーム自体あまり目にすることがなかったが、周りに建物がないだけでこんなにも浮いて(・・・)しまうのかとドラゴニュートはしみじみ思った。

 

 おそらくは昨日出会った少女たちか、その師匠のホームなのだろう。沖縄のバーストリンカーは自分たちしかいないと聞いている。少女たちのレベルでは高額なホームは買えないだろいうから十中八九師匠のものと考えていい。

 疑問を解決させてスッキリしたドラゴニュートはそのまま踵を返し、ブラック・ロータスが待つであろう辺野古のホテルへと足を進めることにした。再びなにもないステージの姿を目に映し、苦笑いと共に息をつく。

 

 しかし、2歩、3歩と足を進めた後、ピタリと硬直してその場で静止、まるで地面に縫い付けられたかのように動けなくなってしまった。1つ気になることが出来たせいだ。

 プレイヤーホームに関する情報を思い返す。後ろに鎮座しているコテージが本当にプレイヤーホームだったら、どうしても腑に落ちないことがある。

 それは――

 

――どうして俺の目にもプレイヤーホームが見えているんだ?

 

 本来プレイヤーホームは《無制限中立フィールド》にあるショップで高額なポイントを支払ってホームの鍵を入手し、ホームの所有権を得る。

 その時、購入されたホームには《破壊不可能属性》ともう1つ、鍵を持って居る者か、ホーム所持者に許可を得ている者にしかプレイヤーホーム自体が目に見えない、という属性も付与されるのだ。

 

 例外として鍵の所有者がホームの近くにいるときだけは周りの人たちにも見えるようになるというものもあるので、今現在このコテージの中には人がいるという可能性も考えることができるが……これも違和感がある。

 

 ドラゴニュートは沖縄南部から随分長い時間歩いたが、まだまだ辺野古まで距離がある。

 昨日の彼女たちはリアルで学校の制服を着ていたことから生活範囲もあの辺りだと予想することができ、その師匠も同じ範囲で生活していると考えるのが妥当だ。

 

 しかしまさか、観光客が多いから辺野古で網を張っていただけで、本当はこの辺りが拠点なのだろうか。辺野古で集合してまたここまで戻ってくる予定なのか。

 そもそも彼女たちはバーストポイント枯渇の憂いがあるからこそ自分たちに助けを求めたのではなかったか。プレイヤーホームを買う余裕がいつあったのか。

 

 ドラゴニュートがあれこれ考えていると背後から金属同士が擦れる鈍い音が聞こえてくる。

 後ろを向くと、コテージの入り口が軽く開いているではないか。自然に開いたものではない。中の住人が入って来いと誘っているようだ。

 ドラゴニュートは今の状況に自分の表情がニヤけていくことを自覚した。

 

――確かにあれこれ考えるよりも、直接中に入っていったほうが早いか……

 

 ドラゴニュートはブラック・ロータスがダイブする予定の時間より5分ほど早く、《無制限中立フィールド(こちらの世界)》では3日、4日ほどの猶予が作れる時間にこちらへダイブした。少しくらい道草を取ったところで辺野古までは十分間に合うだろう。

 無駄足になっても構わない。と、ドラゴニュートは意を決してコテージの中へと足を踏み入れるのであった。

 

 

 

 

 

 

 あるいは沖縄大迷宮の入り口であるだとか、足を踏み入れた瞬間に閉じ込められ、家が倒壊するトラップであるだとか、そんなことも考えていたドラゴニュートだったが実際に中に入ってみるとまったく別の意味で足を止めてしまった。

 

 面の端から端まで端麗な刺繍が施されている大きな壁掛け、棚に綺麗に並べられた編みぐるみ、(とう)で出来たバスケット、などなど温かみのある品々が部屋の中を綺麗に着飾っているのだ。もしくは一層のファンタジー世界へとさ迷い込んでしまったのではないかとドラゴニュートは心配してしまった。

 

――ショップ、だったのか……

 

 自身のホームを華やかにするための小物を販売しているショップ。

 それなら《風化》ステージだろうとこのコテージの形姿が残っていることに納得が出来る。……ただ外観が綺麗過ぎたことの謎が残ってはいるが。

 近くにあったぬいぐるみを手にとって見る。手に取った感触はとても柔らかく、毛糸で編まれている様も実にリアルだ。

 

 

『いつまでもそこで案山子(かかし)の様にボーっと突っ立てないで、こちらへいらっしゃったらどう?』

 

 ドラゴニュートが手近に飾られていた商品を手に取り眺めていると突然第三者から声をかけられた。

 人の気配は無かったはずである。ビックリしたドラゴニュートが声のした方、部屋の中ほどに顔を向けると、そこにはこのコテージの雰囲気に合った小さな丸い木のテーブルと、その上に飾られたウサギの編みぐるみ。そしてその(かたわ)らに立つ、これまた変哲もない木製のマネキンがあった。

 

 デッサン人形のような丸みを帯び、ツルっとしている表面。表情のないのっぺらぼうのような顔。むき出しの球体間接。指導の行き渡ったウェイターのように手を前に組み、微動だにしないその姿は無機質で、胸部の凹凸が辛うじて女性型だと教えてくれる。

 まさか先程の声はこのマネキンが出したものだろうか。視線を部屋の奥へとずらしてみるが奥へいけるような扉やドアの類いは見当たらない。喫茶店のようなカウンターと椅子、棚に飾られているビン詰めされた茶葉があるだけだ。

 

 マネキンはここに入った瞬間にも目にはしたが、勝手にショップのNPC店員だと勘違いしていた。

 通常、ショップの店員は人の形を取っているものの、言葉は喋れず、喋りかけても返ってくる返事は言語にも満たない機械音声というのが常だった。

 しかし、例外的に意思を持っているかのように流暢な言葉で答えてくれるものもいる。ドラゴニュートは経験から気を引き締めた。

 

『わたくしが話しかけてあげたというのにずっと棒立ち……。どうやらわたくしとしたことが本当に案山子へ喋りかけてしまったようね。そこの、気分直しに新しい紅茶を入れてくれないかしら』

『t#dEt&j#lEj#dEq#』

 

 ペコリ、お辞儀ひとつしてマネキンはカウンターの向こう側へトコトコと歩いていった。

 マネキンから発せられた声は明らかに解読不能な電子音の塊だった。

 ならもう1つの声は一体どこから。ドラゴニュートはすでにその人物(・・)へと目を移していた。

 

『あら、あなたの仕事はカラスを追い返すことであって、わたくしを見つめることではありませんわよ。さあ自分の畑へお戻りなさいな』

 

 声の正体はテーブルの上にちょこんと座っているウサギの編みぐるみだ。

 毒が多いが品のある喋り方に相応しく、清楚な白のドレスで着飾っている。耳は顔の横から垂れ下がっており、ロップイヤー種を模して作られているようだ。

 

 そんな彼女を見てドラゴニュートは沖縄大迷宮も、スリル溢れるトラップもないこの場所で大変胸高まる思いだった。

 これ以上だんまりで彼女との会話を終わらせてはいけない。ドラゴニュートは彼女に合わせて言葉を返すことにした。

 

「こんな場所で畑を守っていてもカラス一匹来やしなかったさ。それよりウサギさん、立ってて疲れたからここで少し休ませてくれないか」

 

 窓の外、枯れた大地と岩しかない《風化》ステージへ目を移すドラゴニュート。

 

『まあまあ、やっぱり案山子はおバカさんみたい。座りたければ勝手に座ればいいし、わたくしの名前はウサギなんかではなくってよ』

「じゃあキミの名前はなんていうんだい?」

『くすくす、案山子なんかにわたくしの名前を教えてあげるわけがないじゃない。でも、そうね……サンダル、ガブリ…………アリ、アリエール。そうね、わたくしのことはアリエールと、そういいなさい。ウサギなんかよりよっぽどいい名前だわ』

 

 アリエールと名乗ったウサギは紅茶を入れていたマネキンに追加でもう一杯を頼み、『ついでに、“アレ”持ってきて』といった。

 マネキンの短い返事を聞きながら、気になったドラゴニュートは“アレ”とは何かとアリエールに尋ねてみる。

 

『案山子って案外せっかちなのね初めて知ったわ。でも教えてあげない。紅茶が出来るまでの間なんだから少しは待ちなさい』

 

 アリエールの返事はそっけない。

 それっきりアリエールは黙ってしまったのでドラゴニュートも大人しく付き合うことに。

 マネキンが紅茶の用意する音を聞きながらドラゴニュートは“物語”が上手く進んでいることを確信する。

 

 おそらくこれは《クエスト》だ。

 池袋地下迷宮の最初の広間にいるダンジョンを司るAI(人工知能)《アテネ》を始め、一定の単語を含んで質問した場合のみ返事をくれるショップの店員など、彼らだけは他のNPCと異なり流暢な日本語を使い、話しかけたら意思があるかのごとく返事をしてくれる。

 目の前のアリエールも同様の存在だとドラゴニュートは思っていた。この店に入ったことをキー()として何らかのクエストがドラゴニュートに課せられるのだ。

 

 今考えれば《ティアマト》も自分を倒したバーストリンカーを《羽田地下ダンジョン》へと導くためのキーパーソンの1人だったのではないかとドラゴニュートは考えている。羽田空港に住まう竜たちの母としての役割を負いながら、竜の祖を倒す戦士を探している。今はもうその役割を果たし、ドラゴニュートのために《スーパー・ヴォイド》のアジトを守ってくれている仲間のひとりになってはいるが……。

 

 

 ドラゴニュートは目の前に置かれたティーカップを見るまでマネキン店員がすぐ傍まで寄ってきていることに気がつかなかった。

 カチャリと、陶器の擦れる音が静かに鳴り、柔らかい芳香がドラゴニュートの鼻の辺りを包み込む。

 紅茶には詳しくないドラゴニュートだったが、リアルでこのお茶を飲むのにはグラムで1k(1000円)単位のお金を支払わなければ無理のではないかと思い、一口味わって、そのくらい払っても後悔はしないだろうと確信した。

 

「それで? さっき言った“アレ”はいつ見せてくれるんだ?」

『はぁぁー。どうやら案山子は耳だけじゃなく目も悪いみたい。それとも頭の脳みそが足らないだけ? さっきから目の前にあるじゃない』

 

 口があるなら盛大なため息を吐いただろう(実際言葉にはした)アリエールの呆れた声にドラゴニュートは眉間にシワを寄せる。

 もちろん、目の前のものは見えていた。見えてはいたのだが。

 

――まさかコレだとは思わないだろう。

 

 ドラゴニュートはクエストを進める道具といえば、それはもうシャレオツな飾りのついた宝剣だとか、いかにもなオーラの放つオーブだとか、お使い系のクエストなら手紙や、古そうな羊皮紙などを想像していたのだ。それらは昔経験したクエストで貰った物でもあった。

 それが白くて小さなお皿に乗せられた“飴2つ”だとは考えもしなかった。お茶請けだと思ったくらいだ。

 

「……これは?」

 

 ジロジロと、色んな方向から見てみても赤い飴と青い飴にしか見えない。ドラゴニュートはいったいコレがなんなのかわからず、素直に口の悪いぬいぐるみに聞いてみることにした。

 ぬいぐるみはドラゴニュートを鼻で笑い(「ハッ!」っと口に出した)、「見てわかりませんの」とドラゴニュートを嘲った。

 

 

「飴ですわ」

 

 

 ドラゴニュートの限界は近かった。

 ただ話が進まなそうだったのでギリギリのところで我慢して、この飴がなんなのかを尋ねる。

 今度は頭を働かせ、この飴をどうするのかではなく(どうせ「舐めるんですわ」とかいうに決まっている)、この飴を使ったらどうなるのかを聞いてみた。

 するとドラゴニュートは思いもよらなかった言葉を聞くことになる。

 

 

「これは過去を変えることが出来る飴と、未来を変えることが出来る飴ですわ」

 

 

 

 



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第32話 《マジムン》

「おい、遅いぞ。連絡は30分も前にしたんだ、こっちに来るまでの時間はたっぷりあった筈だろう」

 

 黒雪姫が宿泊しているホテルから《無制限中立フィールド》へ入って30分。《風化》したホテルの入り口で待っているとようやく《プラチナム・ドラゴニュート》がその姿を現した。

 

「ああ、悪い。野暮用が少し長引いてな……」

 

 

 遅刻を責める《ブラック・ロータス》へ軽く謝るドラゴニュートを見て、《ラグーン・ドルフィン》、《コーラル・メロウ》となったルカとマナは感嘆の息を吐き出した。

 フィールドへ降り立つ前にロータスこと黒雪姫がドラゴニュートの遅刻を予見していたからだ。

 

『どうせあいつのことだ。フィールドに降り立ったとしても真っ直ぐにこちらへ向かうはずがない。沖縄にしかいないようなエネミーを見つけてはちょっかいを出し、負けたり、リスポンしたりしながらやってくるだろう。ともすればアイツは約束の時間に遅刻する。絶対にだ』

 

 そのあと『他のやつ(レイカー)の約束は守るくせになぜ私だけ……』『沖縄のエネミーはアイツを《無限EK(エネミーキル)》してくれないだろうか』などと言いつつも、ダイブした後、約束の時間になっても来ないドラゴニュートを探しながら『ほれ見ろ言った事か……』『ほんとに《無限EK》されてないだろうな』とホテルの入り口前を行ったり来たりしていたことは内緒にしておこうとルカとマナは思った。

 

 ホテル前に開いた無数の穴。

 あまりにもイライラしすぎたロータスが歩いただけで無意識に開けた穴だが、ルカとマナが先のことでロータスをからかった場合、次の瞬間横たわった自分たちが同じような状態になっては堪らないと思ったからだ。

 ハッキリいってドラゴニュートがやってくる30分間、とくに10分ほど経った頃からは特に生きた心地がしなかったとマナとルカは後に語る。

 

「なにが野暮用だ、バカなことを。もういい、さっさと彼女たちの師匠とやらがいる場所に行くぞ。さ、案内してくれ」

「は、はい! こっちです」

 

 改めてレベル9()の恐ろしさを認識したルカは真っ青な体をぎこちなく動かしながら町の方へと歩き出す。その様子にロータスは首を傾げたが、軽く流して、案内役であるルカの背中を追いかける。

 沖縄のバーストリンカー2名と地面の穴ぼこを見て大体何があったのかを予想したドラゴニュートは悪い子としたなと、自分はどうしようかオロオロと迷っているマナの背中を押してそのあとに続くのであった。

 

 

 

 

 《城址(グスク)》ステージとは異なり、朽ちたコンクリートと錆びた鉄骨が目立つ《風化》ステージを数分移動すると、昨日ドラゴニュートたちが訪れていた商店街だった場所が見えてきた。

 活気溢れていたその商店街に見る影はなく、いまや人っ子一人いない荒廃した建物ばかり。しかし一点だけ、過ぎ去る時に精一杯抵抗しようと貧相なネオン管を点滅させる場所があった。

 

 かつては色鮮やかに縁取られていた看板もいまや見る影もなく、光るのは中央のネオン管のみ。そのネオン管も砂と埃にまみれ、目を凝らさないと点灯しているのがわからなくなっているほどだ。点灯している文字を読めばかろうじで【BAR】と見えないこともない。

 

「《ショップ》か……」

 

 《無制限中立フィールド》に点在する《ショップ》は通常のRPG同様にアイテムを売っている場所で、ブレインバースト内で使用することが出来る特殊効果カードアイテム、強化外装などの戦いに変化を与えるものから始まり、服や飲食物、家なんて戦いにはなんら関係のないもの、果てまでは《情報》という役に立つのか立たないのかよくわからないものまで売られている。

 

 《ショップ》の多くは繁華街に設置されており、現実では観光客賑わうこの場所に立てられているのもおかしくはない様に思えた。

 

「ここに師匠とやらがいるわけだな?」

 

 ロータスの問いに笑顔で頷いたドルフィンとメロウは錆び付いた扉を遠慮なくこじ開け、中に入っていった。

 続いてロータス、ドラゴニュートが入ろうとするが、店の入り口は思っていた以上に狭く、入り口から少し入った所で師匠と会話を始めてしまったドルフィンたちのせいで、細身のロータスはまだしも巨体であるドラゴニュートは入り口から顔を出すだけに(とど)まることになってしまう。

 

 

 店の中は外から見たとおり、酷く寂れていた。

 錆び付いた壁、埃のかぶったソファー、壊れたジュークボックス。

 唯一綺麗なのはバーのカウンターとその前に並べられた円柱状の椅子。そして店のマスターが磨き上げたグラスだけだった。

 

 件の師匠とやらはカウンターに突っ伏して、マスターが出した酒を飲みながらくだ(・・)を巻いている人物のようだった。

 

「師匠、師匠! 連れてきたよ、ワン()たちを助けてくれる人!」

「にゃにぃー!? あんなん無駄だって先月俺様が追っ払ったんだからわかっただろ。この最強だった俺様の事を知らないようなレベル5や6がいくら集まっても足りねぇんだって。レベル7の俺様ちゃんでも《アイツ》には手も足も出ねぇっていうのに」

 

 うるさく肩を揺らすドルフィンと顔を合わせないようにそっぽを向く師匠は、新しく注がれた300年ものの古酒(クースー)を一気に呷り、酒臭くなった息を吐き出した。

 

「ならレベル8なら大丈夫かっていうとそうでもねぇ。あの《マジムン》を退治しようっていうならレベル9の《王》を連れてこねぇと……」

「ほう、《王》ならば事足りるというのか」

 

 いまだこちらに顔すら見せない師匠の言葉にロータスが反応した。

 普段なら聞こえることのない第三者の声に酔っ払いは気付くことなくロータスの問いに答える。

 

「いやいや、《王》といっても物理攻撃特化の《聖剣(ブルーナイト)》か《絶対切断(ブラックロータス)》じゃないと無理だな!」

「《プラチナム・ドラゴニュート》じゃダメなのか?」

 

 自身の名前が出なかったことにカチンときたドラゴニュートがひと言突っ込む。

 するとその名を聞いた師匠は慌てた様子でドラゴニュートたちの方へ振り返った。

 そしてルカとマナの姿の先、入り口に佇むロータスの姿を見て、驚き、固まってしまう。

 

「バカ! その名前を出すんじゃねえ! 噂をすれば出てきちまうだろう……が……って、え? あれ? ああ……その黒光りするボディ、惚れ惚れするようなおみ足、まさか本物のブラックロータス?」

「ああ、そういうお前は《クリキン》だな。一目見てお前だとわかったぞ」

 

 クリキンと呼ばれた深い赤色の金属光沢を全身から放つバーストリンカーは呆然とした様子でルカとマナを掻き分けロータスの前に立った。

 

「あぁ、沖縄にやってきて3年。もう一度その姿を拝めるとは思ってなかったぜ」

 

 膝を付き、感動でむせび泣くクリキン。

 頭に乗っかる平たい六角柱、頭から足まで太さの変わらない円柱の体。そして体に刻まれている蛇腹状の傷跡を見て、ようやくドラゴニュートも彼の存在を思い出した。

 

「《クリムゾン・キングボルト》? あの《史上最強》の?」

「おお! 俺様ちゃんの名前を知っている奴がもう一人いるとは! おたくはなにもん……だ……」

「《オーロラ・オーバル(オラバ)》にはあんまり領土戦仕掛けたことなかったから初めましてになるな。プラチナム・ドラゴニュートだよろしく」

 

 ロータスに続いて旧交を温めようと視線を向けた先、そこには入り口から顔だけ出して挨拶するドラゴニュートの姿があった。

 下から見上げる形となったクリキンにとって、背後から日の光を浴びて暗い店内から見るドラゴニュートの姿は影のように真っ黒で、モノアイだけ煌々と光る威圧的な巨体は立派な角と尻尾の生えた悪魔のようだった。

 クリキンは膝を付いた体を精一杯仰け反らせ、震える手でドラゴニュートを指差しながら叫ぶ。

 

「で、でたぁー! 《諸悪の根源(ハッピーメーカー) プラチナム・ドラゴニュート》!?」

「おい、その名前で呼ぶな。黒歴史なんだ」

「ハハハ、そんなのもあったなぁ」

 

 聞きたくない2つ名に顔を顰めるドラゴニュート。

 先代団長と世代交代をした直後、団のみんなを退屈させてはいけないと考えたドラゴニュートが無理して先代団長のようにあちこち引っ掻き回した時に付けられた通り名である。

 今となっては反省してなるべく大人しくしているドラゴニュートだったが、今でもその名は古参バーストリンカーに根付いているのだった。

 

 

 

 

 どうにか落ち着いたクリキンは立ち話もなんだからと店の奥へと案内する。

 入り口は狭かったが、入ってみるとそうでもなく、巨体のドラゴニュートを含めても十分余裕をとって席に着くことが出来た。

 

「いやードラゴニュートさんが沖縄にやってきているとは知らずにご無礼を。おっと、グラスが空ですね、ただ今お注ぎしますから」

「ん? いや……ありがと」

 

 酒の飲めないドラゴニュートだったが注がれたからには口を付けなければならない。意を決して、舐めるようにグラスに口を付けるとそれだけで喉が焼けるように熱くなった。

 

 ――アルコールは自分にはまだ早いようだ。どこが美味しいのかもわからない。まるで溶けた金属を呑んでるみたいに体の中が熱くなってきた。

 

 心の中で愚痴るドラゴニュートには気付かず、まるでギャングに対する下っ端のように振舞うクリキンにどう接していいか迷ったドラゴニュートは結局、対面に座るロータスへと助けを求めた。

 視線を受けたロータスは、カッコよく持ってはいるが一ミリたりとも量が減っていないウィスキーグラスを転がしながらクリキンへと話しかけた。

 

「それで、クリキン。お前は東京からこの沖縄へ引っ越してきて、彼女たち《子》を作り、ブレインバーストを続けてきたことはわかった。

 しかし、ここまで頑張ってきたお前が諦めるほどの《問題》とはなんだ?」

 

 ようやく意識を移したクリキンにドラゴニュートは誰にも気付かれないようにため息を吐く。ドラゴニュートは仲間内ではしゃぐのは好きだが、人見知りの激しい内弁慶なのである。短い間に接するなら相手が勝手に「威厳がある」「王のカリスマ半端ねぇ」などと勘違いしてくれるのだが、少し長く付き合うとメッキが剥がれボロが出てしまう。

 

 チラリと視線を上げると“ボロ”を知っているロータスがドラゴニュートを見ながら薄ら笑いを浮かべていた。ドラゴニュートがロータスの内面の表情など解るわけないが絶対に笑っていた。

 

 

「ああ、それなんだけどな――」

 

 視線間でバチバチと火花を散らす両者の低次元な諍いに気付かないクリキンは今までの明るい声を一転させ、悲壮な声色を出す。さすがの(バカ)2人も真面目に聞かなければと姿勢を改めた。

 

 しかしその言葉は最後まで聞くまでもなく遮られてしまう。言葉を遮ったのは爆発とも取れる衝撃と轟音だった。ぐらぐらと揺れる店内にたちまち響くガラスの破砕音。バーストリンカーたちは椅子から立ち上がることすらも困難だった。

 

「くっ……! なんだ!?」

「外からだ!」

 

 何度も続く地響きの中、転げるように《ショップ》から抜け出したロータスたちは商店街の入り口にある巨大な建築物を破壊して暴れまわるシルエットを発見した。

 4足歩行で暴れまわるその怪物は周りの建築物よりも頭1つ飛びえており、高さだけで5メートルはある。全長はここからではわからないが、中型のエネミーである《野獣(ワイルド)級》でさえも全長は精々4メートルだ。体前面だけで覆い隠せてしまうだろうその大きさは規格外ともいえた。

 

「あいつだ……」

「え……?」

大きい化け物(マギーマジムン)。奴がここ最近俺たちの狩場を荒しまわってやがる奴なんだ」

 

 悔しそうに拳を握り締めるクリキンの言葉にロータスはなにかの間違えではないかと思いたかった。しかし、地揺るぎはいまだ続き、町を破壊している。

 

 エネミーは現実の野生動物と同じようにそれぞれが縄張り(テリトリー)を持ち、その縄張りさえ侵さなければエネミーはお互いに争うことはない。

 唯一エネミーが目の敵にするのがバーストリンカーであり、バーストリンカーがエネミーの攻勢化範囲内(アグロレンジ)に入った場合問答無用で襲い掛かってくる。

 しかし逆に言えばその範囲内に入らなければエネミーはバーストリンカーに牙を剥かないのだ。それこそバーストリンカーの先回りをして狩場を荒らすなんてことは絶対にしない。

 

 はずだというのに。

 

「まじぃ! アイツがこっちに気がつく前にホテルの《離脱ポイント》から脱出しねぇと!」

 

 クリキンが慌てるように巨大な影は徐々にドラゴニュートたちのいる町の中心へと近づいてきている。このまま手をこまねいていたならば、あっという間に倒壊する瓦礫や、あのエネミーの突進に巻き込まれ手痛いダメージを喰らってしまうだろう。

 だが、ロータスはそれでも慌てるクリキンに疑問を持った。

 

「まて、こっちにはお前(レベル7)私たち(レベル9が2名)居るんだぞ。なんの準備もないから倒すのは無理だろうが、追い払うくらいは……」

 

 ロータスが交戦の意思を伝えるが、それでも敵の正体を知るクリキンは首を横に振った。

 

「ダメだダメだ! アイツには他のエネミーにねぇ《知能》がある。下手したら俺たち全員が全損するまで《無限EK》されっぞ!」

 

 クリキンの言葉にロータスと、横で聞いていたドラゴニュートは驚きをあらわにした。

 街や建造物を無作為に襲うエネミーというのは少ないが確かにいる。その中で有名なのは《太陽神インティ》だろうか、形容するならただゴロゴロと転がるだけの超巨大な火の玉であるインティは唐突に現れ、街を破壊し、またどこかへと消え去るエネミーだ。近くのバーストリンカーには優先的に襲い掛かるが、一度バーストリンカーを高熱で蒸発させればその場に留まることなく去っていく。まるで性質の悪いひき逃げ犯のような行動だが、インティのような災害タイプのエネミーは皆同じような行動を取る。なので王2名は目の前のエネミーも同じタイプと考えていたのだが……。

 

「《知識》があるとはどういうことだ!? まさかアイツがお利口な犬の如く我々の復活場所に留まるわけではあるまい!」

 

 そんな行動をするのは災害タイプではなく、先に挙げた縄張りを持ち、そこから一定範囲外に出てこないタイプのエネミーだ。縄張りを持つタイプはバーストリンカーがリポップするたびに襲い掛かり、バーストリンカーが縄張りの外に出るまで攻め立てる手を緩めない。縄張りタイプのもっとも脅威とされているのが《帝城》の東西南北に存在する《四神》の4柱であり、彼らの攻撃力の前では復活直後だとしても一歩たりとも動くことが出来ず再殺され、戦場奥深くに囚われてしまった者は一生《無制限中立フィールド》へダイブすることは叶わないと諦めるしかない。

 

「いや、まさにそのとおり。アイツは《利口な犬》そのものなんだ」

「なんだって!? それはいったい……」

「まさか……」

 

 その答えにたどり着いたのはドラゴニュートが先だった。可能性としては万が一にもない。考慮するだけ無駄な事項。しかし、可能性はゼロではない(・・・・・・・)。万が一はある。それは他でもない自分たちが証明してしまっていた。

 《スーパー・ヴォイド》のアジトを守る《神獣(レジェンド)級エネミー ティアマト》。許可なく近づくものには容赦なく襲い掛かる最強の番人。しかしそれは数多の奇跡が折り重なって存在しているのだ。

 加速世界史で起きた最上級の奇跡が2度もあるはずがない。ドラゴニュートは否定の言葉が欲しくてクリキンの次の言葉を待った。

 

 

「よーく冷静になって聞いてくれよロータス。あの神獣級エネミーはバーストリンカーにテイム(・・・)されちまってるんだ」

 

 

 その言葉は期待したものではなく、予想できうる限りで最悪のものだった。

 

 

「…………」

 

 いまだ事態が完全に飲み込めていないロータス。それでもいち早く何らかの決断を下すべきである。事態は刻一刻と進行し、最早後戻り出来ない場所まで訪れようとしている。

 交戦か、撤退か。決定するにはもう少し情報が必要だった。ドラゴニュートはクリキンの細長い腕を掴み、迫るように顔を近づける。

 

「アイツはこちらに対して敵対的な態度を取るんだな? 話し合いで解決できるような相手か?」

「い、いや、それは無理ですよ。アイツは3ヶ月前に突然現れて、周辺の狩場を荒らし始めまして。俺っちたちも始めは話し合おうとしてたんですが、あいつはこっちを見つけえると問答無用で襲い掛かってきやがって……。それに多分アイツの目的はポイントだ。それも100や200じゃ利かないほど膨大な」

 

 それはマズイとドラゴニュートは考えた。ハッキリいってレベル9などという存在はポイントの宝庫である。ロータスの貯蓄ポイントは知らないが、ドラゴニュートだけでも所有ポイントは一万を上回り、それが2人。始めにこちらを各個撃破してしまえば後は復活する時間までにHPを回復させ、必殺技ゲージを溜めるだけで一方的にひとりひとり時間差でEK(エネミーキル)することができてしまう。

 さすがのレベル9でも準備なくては神獣級エネミーを相手にするのはキツイものがある。

 

「ロータス。こっち(加速世界)に来る前にしっかりとセーフティはかけてきたんだよな? こっちの時間で後どれくらいになる」

「あ、ああ。もちろんだ。およそ83時間。おそらく全損はないだろう」

 

 相手のレベルがもしも4か5で、ファイナルアタック(最後の一撃)を全て持っていかれた場合は解らないがな。という言葉をロータスは飲み込んだ。

 《無制限中立フィールド》でのポイント移動はバーストリンカーが最後に誰に攻撃されたかによって決定され、エネミーなら一律10ポイントだが、レベルの低い相手だった場合30や40などの決して低くないポイントが相手に流れることとなる。

 ドラゴニュートはマナとルカにも同じことを確認し、全損はないことを聞いた。

 

「よし、わかった。クリキン、2人を連れて《離脱ポイント》まで行ってくれ」

 

 ドラゴニュートに質問されてからロータスはもう腹を括っていた。

 狼狽していたのが嘘のように凛とした佇まいでクリキンに指示を出す。

 

「2人を連れてって……あんた達は」

 

 すぐそこまで近づいてきているエネミーを、ただ黙って睨みつける両者。

 お互いの意思は確認を取らずとも解っていた。

 ロータスがチラリとドラゴニュートの顔を見上げると、ドラゴニュートも同じタイミングで見返してくるので思わず笑みがこぼれる。

 

――ああ、昔に戻ってきたかのようだ。

 

 それはどちらの思いだったか。

 ドラゴニュートが演劇の一幕のように声を出す。

 まるで無二の親友へと告げる信頼の証のようでもあった。

 

「やれるか?」

「ああ、出来るとも……」

「俺とお前なら……か?」

「わかってるじゃないか」

 

 昔、そうしたように拳と剣をぶつけ合う。リン、と鈴のような澄んだ音色がその場にいる全員の耳を打った。

 

 見えなくとも感じられる確固なる絆に、ただ近づいてくるエネミーが恐ろしくて抱き合っていただけのルカとマナも震えるのをやめて2人をじっと見ていた。

 

「か……カッコイイ!」

「お姉さまもお兄様も素敵ですぅ!」

「あーもー! この2人がそろったからにはこうなることは目に見えてたよな! しゃーねーから俺も付き合うぜ。ルカとマナにはサポートを任せる。負ける気がしねぇぜ!」

 

 みんなの肩の力が抜け、士気がこれ以上ないほど盛り上がると、そこで王の2人は表情を険しくし、構えをとった。

 

「来るぞ! 固まるな散開しろ!」

 

 ロータスの号令と共に彼女たちの目の前の建物が根元から吹き飛び、もうもうと舞い上がる砂埃の中から巨大なエネミーが飛び出てくる。

 ここにたった5人で成し遂げようとする《神獣(レジェンド)級エネミー》討伐戦が始まったのだった。

 

 

 

 




《太陽神 インティ》は原作にも出てくるエネミーです(話の中だけですが)
ブレインバーストが配布してから約10年も経つのにいまだ攻略できてないエネミーの話が出てくるのがこのゲームの奥深さというか、やりこみ要素の多さが出てますよね。
しかも東京23区内だけの話で、ですよ。日本全土にこのようなイベント、ダンジョンが設置されてるとしたら全て攻略されるのに何千年かかることやら。(すでに1万年近く経っているので何万年単位になるかもしれません)


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