Eden (亜梨亜)
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Eden

 ──楽園へようこそ!

 

 貴方は選ばれたのです、この楽園に!

 

 ……え?此処は何処かって?やだなぁ、言ったじゃないですか!楽園ですよ、楽園!

 此処には争いなんてものはありません。苦しんでいる人もいません。お腹を空かせた子どもも、病に侵された老人も居ないんです!だって、此処は楽園なんですもの!貴方は、そんな素敵な楽園に選ばれたのです!

 

 ──馬鹿馬鹿しい、と感じた。

 

 何故、こんなことになっているのだろうか。全く解らない。朧気な記憶を辿り、思い返そうとしても、呼び起こされるのは最愛の妹との別れの瞬間のみ。

 

 ……えっと、お兄さん?聞いてます?楽園ですよー!

 

 目の前にいる、異様に楽しげな少女以外、此処には何も無い。空も無ければ、大地も無い。此処には、争いも、差別も、愛憎も、詩も、絵画も、そして家族も無い。

 ……何も無いのに、楽園?

 

 勿論です!何も無いのは、お兄さんが楽園を受け入れていないからです!求めさえすれば、全てが思いのまま。この何も無い「無」という空間は、言い換えてしまえば全てが存在することと同義なのです!

 

 ……ああ、そうかい。

 僕には、求めたいものなんて無いんだ。

 生きるのが億劫で、死ぬのは怖い。賢く生きるには頭が足りず、馬鹿になるには心が足りない。天国へ行く程出来た人間でも無いけれど、地獄に堕ちる程堕ちてはいない。

 僕には、何も無いんだ。

 

 大丈夫です!そんな貴方もきっと幸せになれますよ!だって此処は、楽園なんですから!ほら!見てください!

 

 ──気が付けば、僕は小さな小屋の中に居た。ああ、懐かしいな。昔、家族と暮らしていた家はこんな小屋だった。

 

 此処が貴方の住まいになります!食事は求めればすぐに生み出されます!さあ、楽園で幸せになりましょう!外には貴方と同じように、楽園に選ばれた幸福な皆さんが暮らしていますので!それでは!

 

 少女は消えた。

 

 楽園。

 嗚呼、確かに此処は楽園と呼べるのかもしれない。人同士が争い、命を奪い合うことは無いらしい。求めさえすれば食料が手に入るのだから、争う理由が無いのかもしれない。全ての人が、幸せに、暮らす世界。確かに、其れを人は楽園と呼ぶだろう。

 

 だが、僕にとっての楽園では無い。

 

 人同士の争い、命の奪い合いで奪われてしまった、妹がいない世界。僕にとっては、妹がいなければ、それは全て地獄と同じだ。

 例えば、僕が最愛の妹を求めさえすれば。其れで、妹が帰ってくるのなら。確かに此処は、楽園かもしれない。

 僕が求めるのは、それだけでいい。もう、思い出すことすら出来ない声、笑顔、涙……然れど、決して忘れることの無い存在。

 

 ……どれ程求めたって、現れるはずが無いのだ。外に出よう。楽園とやらがどんなものなのかはどうだっていいが、この家は何かを思い出してしまいそうで、怖い。

 

 扉は当然ながら簡単に開く。視界に映り込む温かな太陽の陽射し、そして聞こえる鳥の囀り。嗚呼、確かに此処は楽園かもしれない。然れど僕には──

 

 

 

「……お兄ちゃん?」

 

 

 

 

 聴いたことの無い声。否、ずっと愛していた声。

 橙色の髪が風に揺られ、翠色の瞳が驚きに満ちた僕の顔を映し出している。ずっと忘れていた、その美しい顔。忘れるはずが無い、その存在。

 間違いない。

 

 

 

「……オリビア?オリビアかい?」

 

 

 

「お兄ちゃん……フォリオお兄ちゃん!」

 

 

 

 嗚呼、そうだ。僕の名前はフォリオ。

 此処は、間違いようもなく楽園だ。求めさえすれば、失った筈の妹すら眼前に現れる。

 オリビアが僕に抱きつき、涙を流しながら僕の名前を呼び続けた。この温度、この重み。生きている。オリビアは、確かに此処で生きているのだ。そうだ、きっと死んでなどいなかった。そうだ、考えてみたまえ。僕は、妹が死んだその瞬間を見ていなかったじゃないか。あの小屋が破壊され、散り散りに逃げたあの時。避難した場所に妹の姿は無く、後に死体が発見されたと告げられた。

 

「私、お兄ちゃんが死んだと思ってた……!気が付いたらこの楽園に連れられて、何でも求めさえすれば手に入る、って言うから……!本当にお願いしたら、お兄ちゃんが、お兄ちゃんが……!」

 

 そうだ、オリビアは死んでなどいなかった。僕より先に楽園に選ばれ、そして僕ともう一度出会う為に生きていたんだ。

 妹はフォリオを求め、僕もオリビアを求めた。その願いが、渇望が。僕達を楽園へ誘い、そして再度邂逅した。

 

 嗚呼、確かに此処は楽園だ。間違いない。

 

「……僕も、君を求めたんだよ、オリビア。此処は確かに楽園だ」

 

「うん……!うん!楽園だよ、私フォリオお兄ちゃんさえいれば他に何もいらない」

 

「僕もだ。……僕の与えられた家、二人で住んでいた小屋にそっくりなんだ。其処で二人でずっと暮らそう」

 

「嗚呼、そうだねお兄ちゃん。私達は二人で小屋に住んでいた。そうだね、お兄ちゃん。私も其処で暮らしたい」

 

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 この楽園には、僕と妹の二人しかいない。

 それ以上、必要ないのだ。求めなければ、隣人も友人も現れることはない。何故なら、此処は楽園なのだから。例えば、現れた友人がどれ程気の合う人間であったとしても、親友と呼べる存在になり得るものだとしても。オリビアと二人きりのこの空間こそが、僕にとって最たる楽園なのだ。

 

「今日は、何を食べようか」

 

「お兄ちゃんの作る料理なら、なんでもいいわ。……たまには、お母さんの味も恋しいけど」

 

「なら、僕が母さんの味を真似てみようか」

 

「本当?嬉しいわ!流石お兄ちゃん、そんなことも出来るのね!」

 

「勿論だとも。僕はオリビアの為ならなんだって出来るさ。そして此処は楽園だからね」

 

 僕にとっての楽園であり、同時にオリビアにとっても楽園なのだ。彼女が求めるものは、全て与えられる。僕が与えられるものだって、全て与える。そうすれば、僕は彼女から全てを与えられるのだから。

 母さんの味というものは中々上手く再現出来るものではない。だが、此処では求めさえすれば手に入るのだ。僕が母さんの味を再現しなくては意味が無い為、「母さんの味を真似た料理」を求めることはしないが、昔よく食べていた食材を明確に求めることは出来る。

 なんと楽しいことだろう。生きるということはこんなにも楽しかっただろうか。楽園とはよく言ったものだ。

 

「さあ、出来たよオリビア。沢山食べておくれ」

 

「まあ、美味しそう!」

 

 大した料理ではない。僕達は、裕福ではなかったから。人同士が争うせいで、食材も豊富には無かったから。然れど、僕達にとってはこの大した料理ではない此れこそが、ご馳走であり至福であり、楽園だったのだ。

 オリビアは木製のスプーンでスープを掬い、口に含む。果たして、母さんの味は上手くいったのだろうか?

 

「……嗚呼、これがお母さんの味……!凄いわ、お兄ちゃん!お母さんの味よ、此れはお母さんの味と同じだわ!」

 

「本当かい!?良かった。求め、作った甲斐があったよ」

 

 おお、神よ。この僕に天使の微笑みを与えてくださり、本当にありがとうございます。この僕に女神を与えてくださり、本当にありがとうございます。

 

「ねえ、私達こんなに幸せでいいのかしら?……幸せすぎて、頭が痛くなっちゃうわ」

 

「何を言っているんだオリビア。此処は楽園だよ?頭が痛くなるはずない」

 

「そうね、そうだわ!此処は楽園だもの、痛くなるはずが無いわ!」

 

 生きる希望は必要ない。死ぬ理由が無いのだから。何故なら此処は楽園だ。楽園に居る限り、生きる希望は求めなくとも手に入る。否、手に入っているじゃないか。

 

「お父さんとお母さんも、楽園に来たらいいのに……」

 

「僕が父さんと母さんの分まで愛するよ」

 

「嬉しいわ、兄さん。……求めさえすれば、お父さんもお母さんも現れるかしら?」

 

「此処は楽園だからね、きっとそうだろう。……けれど、僕はオリビア、君がいればもう何もいらない」

 

「嗚呼、そうよねお兄ちゃん。私も、フォリオお兄ちゃんさえいれば、もう何もいらないわ。恋人のジュードも、親友のイスラも、いらないの」

 

「恋人が、いたのかい?」

 

「お兄ちゃんと離れ離れになってから、恋人が出来たの」

 

 オリビアが兄以外の男と想いを酌み交わす……それは、とても悲しいようで、寂しいようで、どうすれば良いのだろうか?

 ──嗚呼、そんなことはどうだって良かったじゃないか。何故なら此処は楽園だから。

 そうだ、此処には僕とオリビア以外にいらない。それ以外は有り得ない。

 

「お兄ちゃんは、恋人はいなかったの?離れ離れになる前は、エリーゼさんと仲が良かったけど」

 

「エリーゼ……?それは一体誰のことかな?」

 

 記憶に無い。僕と仲の良かった女性、エリーゼ?……思い出せない。そういえば、僕は此処に来てからオリビアと離れ離れになったその時の記憶しか無いんだった。エリーゼ、エリーゼ……。

 

「嗚呼、エリーゼ!確かに、彼女とは仲が良かった。でも僕は、オリビアの無事を想うことしか出来なかったからね。恋人はいらなかった」

 

「ずっと私の事を想ってくれていたのね、嬉しいわ!」

 

 確かにエリーゼは優しい女性だった。記憶は朧気だが、とても優しい女性だった気がする。オリビアが覚えている女性なのだ、優しい女性だったに決まっている。だが、僕はオリビアさえいればいい。どれ程優しい女性であり、魅力的だったとしても、人間が天使に、女神に適う筈無いだろう?

 

「お兄ちゃん、私眠たくなっちゃったわ」

 

「眠る必要なんて無いさ。此処は楽園だからね」

 

「ええ、そうね!ずっと起きていてもお母さんに怒られない!けれど、いつ眠っても怒られない!これも楽園じゃないかしら?」

 

「ああ、そうだね。永遠にお昼寝をしていても怒られない、生きていけるんだ。此れもまた楽園だ。ゆっくりおやすみ、オリビア。気が済むまで、目が覚めるまで。ずっと、眠っていればいい。此処は剣を持った男達の叫び声も、巨大な鉄の塊が吼える怒声も、森を焼き払う嬌声も、夜を砕く笑い声も聞こえることは無い。争いのない、楽園だからね。安心して眠っていいんだよ」

 

「それって、とても素敵なことだわ!……でも、私お兄ちゃんが隣にいてくれたらもっと安心して眠れる気がするの!」

 

「それは素敵なことだね。勿論、君が眠るまで、眠ってから目が覚めるまで。目が覚めてもずっと隣にいるよ」

 

「本当!?嬉しいわ!おやすみ、お兄ちゃん!」

 

「ああ、おやすみ。良い夢を」

 

 オリビアはすぐに眠りについた。その安心しきった表情、安らかな寝息、全てがどれ程愛おしい?誰にも渡すことは出来ない、誰にも見せることすら出来ない。あの頃から成長したのだ、離れ離れになる前のオリビアよりもあどけなさは消え、扇情的ですらある。嗚呼、然れど触れることは赦されない。血の繋がり?それはあくまでも些細な問題に過ぎない。ただの人間である僕が、天使を、女神を汚していい筈がない。天使を自らの欲を満たすが儘に汚し、罪を犯した者の最期は無惨なものだと知っている。勿論、此処は楽園なのだから、僕が求めさえすればオリビアは喜んで罪を受け入れ、その身に不浄を浴びるだろう。然し其れは赦される事ではないのだ。愛は、罪を盲目にする。罰が消える筈も無いというのに。

 

「……フォリオお兄ちゃん」

 

 夢の中でも僕の姿を見ているらしい。ああ、オリビア。夢の中でも君を守るよ。僕達はずっとこの楽園で、守り、守られながら幸せに生きるんだ。二人なら何も怖くない。楽園に怖いものなんてない。二人だから、ずっと生きていける。

 

 

 

 

 ────

 

 

 

 

 オリビアが熱を出した。

 楽園で暮らし始めて初めて雨が降った。

 まさか、楽園でも熱が出るなんて思いもしなかった。オリビアの顔は紅潮し、ひどく辛そうな表情は心臓を貫かれるような気分だった。あの間抜けた声で僕を楽園に招いた少女に恨みをぶつけたくなる。此処は楽園では無かったのか、と。

 そう、此処は楽園なのだ。求めさえすれば解熱剤は簡単に手に入る。外が雨だろうと、関係は無い。求めさえすれば、其処に最初からあったかのように其処にあるのだ。

 

「大丈夫かい、オリビア?」

 

「……ええ、お兄ちゃん。此処は楽園だもの。辛いはず無いわ」

 

「何処が苦しい?言ってごらん」

 

「頭が、痛いの」

 

「解った。頭の痛みが引くような薬を飲もう」

 

 楽園で苦しむなんてことはあってはならない。何故なら此処は楽園なのだから。苦しみが与えられる場所は楽園ではない、失楽園だ。僕達はそんな苦しみばかりの失楽園から楽園へと誘われたのだ、苦しんでは行けない。苦しむことは赦されない。

 

「ほら、薬だ。すぐに温かいスープを作ってあげるよ」

 

「ありがとう、お兄ちゃん……でも、今は傍にいてほしいな」

 

「ああ、そうだね。スープなんかよりも、僕が直接君を暖めてあげれば良かったんだ」

 

 毛布を被り、ベッドで横になるオリビアの傍にいる。頭の痛みに苛まれているオリビアには申し訳ないが、この一時すら僕にとっては楽園なのだ。勿論、オリビアが元気でいる方が楽園なのだが。

 薬を飲んだのだ、すぐに良くなる。何故なら此処は楽園だから。僕の天使が、僕の女神が、苦しんでいる姿は見たくはない。磔にされた神に求心力は無い。其処に堂々と鎮座してこそ神であり、僕にとっての女神は笑っていてこそ本当の女神なのだ。

 

 だから。

 

「早く、よくなるといいね」

 

 オリビアは、静かに微笑んだ。そして頭を抑える。やはり、頭の痛みは引かないらしい。楽園でそんなこと、あってはならないのに。

 

 

 

「……ねえ、「フォリオお兄ちゃん」。私、本当にオリビアなのかな?」

 

 

 

 楽園で苦しむなんてことは、あってはならない。何故なら此処は楽園なのだから。

 苦しむのであれば、其処は失楽園?

 否、此処は間違いも無く楽園だ。離れ離れだった、オリビアと再会することが出来たのだから。

 

「何を言うんだい、オリビア。君は確かにオリビアだよ。嗚呼、忘れてしまったのかい?」

 

 

 

「……お兄ちゃんの、名前は?」

 

 

 

 僕の、名前は?

 嗚呼、君がそう呼んでくれたじゃないか、「フォリオお兄ちゃん」と。

 君がそう呼んだのだから、僕はフォリオだよ。オリビア、君の兄、フォリオだ。

 

 

「お兄ちゃんは、本当に私のお兄ちゃん……?」

 

 

「勿論。忘れたのかい?僕は君の兄、フォリオだよ?」

 

 ──頭が痛い。

 嗚呼、そうだ。僕はフォリオ。僕達は離れ離れになってしまった。愛おしい妹。愛おしいオリビア、ああ、オリビア!楽園で君を求めた。求めさえすれば、手に入ると言われたのだから。そう、そしたら君が、君が僕を兄と呼んでくれた。オリビア、君が僕を兄と認めたんじゃないか!

 どうしたんだい、オリビア?僕は君と二人なら永遠に生きていられる、そう思っているのに!ずっと離れ離れだった、嗚呼!それなのに!二人とも楽園に選ばれ!またこうして邂逅出来たというのに!

 

 ──頭が痛い。

 

「私、此処に来るまでの記憶が朧気なの。唯覚えているのはお兄ちゃんとの別離の瞬間だけ」

 

 同じだ。僕もそうだ。

 

「それしか思い出せないから、今の記憶はとても大切」

 

 同じだ。僕も同じ気持ちだ。

 

 

 

 

「お父さんに連れられて、遠い遠い街へ行く。お兄ちゃんの声が、段々遠くなっていく。その感覚が、その記憶だけは、鮮明なのに。あの時のお兄ちゃんの声は、思い出せない」

 

 

 

 

 ──え?

 

 同じじゃない。

 僕とオリビアは、戦争の最中、住んでいた村が兵士によって焼き払われ破壊され、逃げているうちに離れ離れになってしまって……そして、オリビアは死んだと告げられた。父さんは兵士として戦って勇敢に散っていったし、母さんは家の下敷きになって死んだ。

 

 同じじゃ、ない。

 

 

 なら、オリビア。君は一体誰だ?オリビアでは無かったのかい?

 

 思い出せない。オリビアの顔も、声も、笑顔も。嗚呼、でも目の前にいるのはオリビアだろう?そうでないなら、「僕は一体誰なんだろうか」?

 

 頭が痛い。割れるように痛い。

 

 

 

 此処は楽園。

 楽園?→何故頭がこんなに痛い?

 

 嗚呼、そうだ。此処は楽園。

 

 君は誰だ?妹は何処に?

 ↓

 オリビア。君はオリビアだよ。嗚呼、君がオリビアだ。

 そうじゃない?君は誰だ?→何故なら此処は楽園だから。僕は誰だ?←此処に来る前の、そう。失楽園にいた頃の僕は誰だった?

 僕はフォリオ。君がそう呼んでくれた。嗚呼、君の兄さん、フォリオだ。

 ↑

 僕は誰だ?記憶の水底に沈んだ名前。

 

 

 

 頭が痛い。とても痛い。

 

 僕は誰だ?僕は誰だ?

 思い出してはいけない気がする。何故?何故なら此処は楽園だから。今、僕はフォリオなのだ。其れでいいだろう?何故なら此処は楽園なのだから。

 

 君の兄だ。此処は楽園。それで充分だろう?

 

「僕は君の兄だよ」

 

「嗚呼、そうかもしれない。……此処は、何処?」

 

「楽園さ」

 

「此処は、楽園?……いいえ、此処は楽園では無い?私達は何処にいるの?ねえ、お兄ちゃん?お兄ちゃん、何処にいるの、怖いよ、頭が痛いの。ねえ、お兄ちゃん、お兄ちゃん……お兄ちゃん?お兄ちゃん!お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん……」

 

「オリビア、大丈夫!僕は此処にいる!フォリオは、此処にいるじゃないか!」

 

「貴方は、貴方は、誰?お兄ちゃんを知っているの?お兄ちゃん?」

 

 頭が痛い。

 

 思い出してはいけない。此処は楽園なのだから。オリビア、嗚呼、オリビア!君の髪の色は橙色?……思い出せない。

 

 

 

 

 

 

 

「嗚呼、嗚呼!こんなのおかしいわ!貴方なんか知らない!私はオリビアじゃないっ!!痛い、痛いの!頭が痛い!此処は何処!?返して!返してよっ!!私のお兄ちゃんは何処っ!?フォリオお兄ちゃん、助けて!助けてよォ!貴方なんか知らない、知らない知らない知らないの!!嫌だ、此処は怖い、此処は何処?」

 

 

 

 

 

 

 怖い?当然のことじゃないか。此処は楽園だよ?

 さあ、君の名前を言ってごらん?

 

「知らない!解らない、解らないの!嫌嫌いや、いやだ。解らないのはこわい」

 

「どうしたんだいオリビア!?しっかりしておくれ!」

 

 

「わたしはオリビアじゃないってイッテルデショォォオォォオ!?!?」

 

 

 

 頭が痛い。頭が痛い。

 

 

 オリビアは何処へ?ああ、僕の天使は、女神は何処へ行ってしまった?此処は何処って、楽園に決まってるじゃないか!?僕は、僕はフォリオ……

 

 

 

 僕は誰だ?頭が痛い。僕は誰だ?怖い、解らないのは怖いんだ。

 

 

 

「いやだ、いやだ……ああ、ああ!」

 

 

 

 

 

「嗚呼、お兄ちゃん……貴方は誰?」

 

 

 

 

 頭が痛い。

 目の前が赤い。真っ赤だ。痛い、痛い痛い痛い。

 

 

 

「……オリビア……?」

 

 赤い、赤い。オリビアの胸が、頭が、腕が、足が。全て、赤い、赤くてとても赤い。まるで潰れた林檎のようだ。林檎は潰れたら汁が出る。その汁は赤かっただろうか?思い出せない。赤い。

 

 彼女は、確かに絶命していた。

 

 

 

 当然だ。楽園に、くるしむものはいらない。何故なら此処は楽園なのだから。

 

 

 雨はいつしか病んでいた。止んでいた。

 

 

 

「あはは」

 

 

 

 頭痛は消えた。

 僕は誰だ?思い出せない。此処は求めさえすれば全てが手に入る。

 彼女は、楽園を「拒絶」した。

 

「あはははは、綺麗だ。死したその顔もとても綺麗だよ、オリビア。嗚呼、なんて綺麗なんだろう。消えてしまいそうな程に儚く、永遠に其処にあるかのように重い。オリビア、君は僕の天使であり女神だよ。君は僕の妹だったじゃないか、そうだろう?ねえ、声を聞かせてくれ。ねえ、ねえ……オリビア?オリビア……」

 

 彼女は動かない。

 僕はなんて幸せなのだろうか?女神の死に様を見届けることが出来た。嗚呼、なんと素晴らしい?←辛い?→幸せ?←そんなはずはない。

 

 彼女は誰だ?僕は誰だ?思い出せない。

 

 頭痛は消えた。

 求めさえすれば、全てが手に入る。嗚呼、そうだ。僕には何も無い。何も無いんだ。全てが手に入るのであれば、其れは確かに楽園かもしれない。然れど、妹が。最愛の妹がいない世界は全て地獄だ。

 

 此処は楽園?嗚呼、ここは楽園だ。そして地獄だ。

 

 雨が止んだのであれば、扉を開けて外へ出よう。僕達が再び邂逅した、あの瞬間を。今度こそ、忘れない為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

「──お兄ちゃん……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 時が、止まった。

 

 嗚呼、その長い黒髪。細くしなやかな指。確かに彼女は……

 

 

 

 

「オリビア……!?オリビアなのかい!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「嗚呼、そうよ!オリビアよ!お兄ちゃん……!レックスお兄ちゃん!!会いたかった、本当に、本当に!求めさえすればお兄ちゃんにも会えたのね!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 嗚呼、そうだ。僕の名前はレックス。

 

 嗚呼、此処は楽園だ。何故なら此処は楽園なのだから。



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