隣のワンダーアリス (押花)
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プロローグ

『う〜ん……うちではこういうのはちょっと………』

『絵は上手いんだけどね………もうちょっと明るい、幸せそうな方がいいかな』

『悪くないね!悪くないけどここはこうした方がいいよ、例えばあの作家さんみたいにーーー』

 

 ーーー断られる理由はそれぞれ、しかし納得できる理由は少なく俺の心は落ち込むばかりだった。

 

「……はぁ」

 

  俺、暮井 亮(くれい りょう)は一人帰路につきながらため息を漏らす。道を覆うように咲いた桜の花は満開で、道行く人は皆、桜を見てうっとりしていた。

  しかし俺にそんな心の余裕はない。何故ってもうそりゃ落ち込んでるからだ。俯く視線の隅には手に持ったスケッチブック。その中身はお手製の絵本だ。

  俺の夢は絵本作家。そのために絵を学べる大学に合格して、上京してきた。

  そして今日も、今まで描いてきた選りすぐりの3作品を都内の出版社に持ち込んだのだが……

 

「これで9社、3作品全部没………出版社にさえ持ち込めば契約も夢じゃないって思ったんだけどな………」

 

  わざわざ大学が始まる一週間前に上京して、出版社を巡っていたのだが結局何一つ成果をあげられなかった。

  学生デビュー!とまではいかなくとも、正直編集者さんに気に入られて担当になってもらう!くらいはあり得ると思っていたのだが考えが甘かったようだ。

 

「こんなんで本当に絵本作家になんてなれんのかよ………」

 

  帰ったら洗濯もしなきゃいけないし、明日は入学式だからスーツも用意しなきゃだし………。こんなテンションで家事なんてやりたくねえな………。

  そんなことを考えているうちに新しい自宅であるアパートが見えてきた。

  アパートと言っても普通学生が一人暮らしで使うような安い部屋ではない。

  父さんが少し前まで仕事で使っていた部屋を譲ってもらったのだが、築三年の1LDKで、お風呂は浴槽暖房乾燥機付き。おまけに一階が丸々駐車場になっている豪華仕様。

  リビングが9畳、寝室に使っている洋室が6畳なので、カップルの同棲とかだったら余裕で耐えられるような部屋だ。

 

  アパートに到着し、二階の自室までの階段を登ろうとすると、太った黒猫が座っているのが見えた。

  黒猫は俺を見ると、にゃあと一つ鳴いた。

 

「おお、ボス来てたか。よしよし」

 

  近づいて頭を撫でると三回撫でたあたりで身をよじって俺から距離を取り、何かを急かすようににゃあともう一度鳴いた。

 

「はいはいご飯ですね、ちょっと待ってろよ」

 

  俺は一度部屋に帰りスケッチブックを置き、キッチンの戸棚を開いた。

  そこから猫用のビーフジャーキーを何枚か取り、再びボスの元へ戻る。ボスはさっきと変わらず階段で座って俺を待っていた。

  全く、餌をもらう側だってのに偉そうな猫だよな……。まあそんな猫のためにわざわざ食料を買う俺も俺だけど。

 

「ほら、今日のご飯だ」

 

  言いながらビーフジャーキーを差し出すとボスは黙ってそれを食べ始めた。

  紹介が遅れたがこの黒猫の名前はボス。野良猫なのだが名前は勝手につけた。

  初めてボスと出会ったのは俺がここに引っ越して来た時。一階の駐車場で食べ物を取り合って他の猫と喧嘩をしていたのだが、ボスはボコボコにやられてしまっていた。それを助けて餌を与えたのが出会い。

  それからボスはこうやって俺が家に帰るのを階段で待ち、餌をねだるようになった。

  ちなみにボスという名前は餌をもらいにくるくせにやたらと偉そうな態度から付けた。

 

「お前も早く自分で飯食えるように強くなれよ」

 

  まあ俺も持ち込み全滅だし人のことは言えないけど………。

 

「あ……」

 

  そこで背後から声がした。

  振り返ると階段の下に女の子が立っていた。中学生か小学生くらいに見える女の子。

  その少女を見た第一印象は、人形みたい だった。顔立ちが恐ろしく整っているからだろうか、それともゴスロリちっくな洋服のせいだろうか。少女はまるで御伽の国から飛び出して来たような不思議な雰囲気をまとってた。

  あまりにもまじまじと見つめてしまったからだろうか、少女は俺の視線から逃げるように顔を背けてしまう。

  そこでやっと気がついた。自分とボスが彼女の道である階段を塞いでしまっていた事に。

 

「あっ、ご、ごめん!通ってどうぞ!!」

 

  俺はそう言いながらボスを抱きかかえると階段を登って邪魔にならない位置に移動した。ボスはにゃあと不服そうに鳴いたが気にしない。

  すると少女はすぐに階段を登ってすれ違いざまに軽く会釈をすると、一番手前の部屋に入っていった。

  俺の部屋は階段から二つ奥の部屋なので隣同士という事になる。今朝までは誰も住んでなかったのに、俺が出版社に行ってる間に越して来たのかな?

  でもお隣さんならまた機会を見て挨拶に行かないとな、なんて考えながら少女が入った部屋の表札を見る。

 

  そこには島田と書かれていた。

 



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第1話「お隣さん」

「ふ、あぁ……」

 

 朝8時。

 俺こと暮井亮はうんと身体を伸ばし眠気で重い身体を引きずって布団から這い出る。

 とりあえず顔洗うか……。

 

 大学が始まって半月ほどがたった。学校生活や一人暮らしにも慣れ始め、友達も何人か出来た。まだ絵本の方で進展はないが、とりあえず今の所いい調子で大学生活を送れていると思う。

 トースターに食パンを突っ込み、焼きあがるまでに身支度を済ませると、俺は焼きあがったトーストを咥えながら家を出た。

 

「ふふっ……」

 

 部屋の施錠をしていると、アパートの階段の方から小さな笑い声が聞こえた。

 そーっと階段へ近づくと見えたのは太った黒猫と戯れる中学生くらいの少女の姿。

 黒猫の名前はボス。少女の名前は島田さんだ。

 島田さんは微笑みながら優しい手つきでボスを撫で、対してボスも気持ちよさそうに彼女の手を受け入れていた。

 おいボスよ、俺が撫でたら嫌がるくせにその対応の違いはなんだ!ーーーと思いつつも微笑ましいのでそのまま黙って見守る事にする。

 島田さんは俺の隣の部屋に住む女の子で、なんとこの小さな見た目で大学生だ。彼女は俺と同じ大学の学生で、学内で少し話題になっている生徒だった。

 なぜ話題になったかというと、理由は三つ。彼女が飛び級して大学に入った事、そして戦車道という武芸で選抜チームの隊長を務めているという事、最後に整った容姿と大人しい性格から成る人形のような雰囲気。

 そんな感じで島田さんはちょっとした有名人となっていた。

 まあそう言う俺も彼女について詳しいわけではなく、今までの話は全て学内の友人から聞いた話だ。隣に住んではいるが、ほとんど会話をした事がない。アパートでばったり会った時には何度か挨拶はしたが、そこから会話が弾む事はなかった。大学でもたまに見かけるが、声をかけたりかけられたりする事は無い。

 そういや自己紹介もちゃんとしてないんだよなぁ……。島田さんは俺の名前知ってるのかな?

 

 ーーーってやべ、こんなところでぼーっと突っ立ってたら授業に遅れちまう!

 

 咥えていたトーストを無理やり飲み込んで階段の方へ一歩踏み出すと、島田さんは俺に気づいて、あっ…と声をあげた。

 すれ違いざまにおはようと声をかけると島田さんはそれに会釈で返した。せっかくボスと戯れて笑っていたのに俺の挨拶のせいで島田さんからは笑顔が消えてしまっていた。

 ちょっと邪魔しちゃったかな……。

 

 

 

 ◇

 

 

 一時限目。

 専攻科目で取った芸術系の授業を終え、二限の授業を受けるべくキャンパス内を移動していた俺は熱烈なサークル勧誘に揉まれてしまった。

 

「君ラグビー好きそうな見た目してるね!ラグビー部に入らないか!!」

「いやいやテニサーでしょ!うちはテニスやって夜に飲み会!テニスやらなくても夜に飲み会!!楽しいぞ〜!」

「ロボ研はどうだい?僕たちと一緒んに等身大マルチちゃんを………」

 

 各団体様々な勧誘をされたが授業があるんでー!!の一点張りでなんとか逃げ切ることは出来たが、手には大量の勧誘チラシがあった。

 チラシを持って教室に入ると「よう」と声をかけられた。声の主は同じ芸術系の学部の友人である鈴木だ。

 田舎から出てきて友達の居なかった俺に初めて話しかけてくれた気のいいやつ。

 ついでに爽やかイケメンで高身長。俺の身長は中の下といったところなのでせめて身長だけでもいいから分けてもらいたいもんだ。

 俺は挨拶を返すと鈴木の隣の席に腰を下ろした。

 

「暮井……お前それすごいチラシの量だな……」

「だろ……?分けようか?」

「いや、間に合ってる」

 

 そう言って鈴木はカバンの中から俺に負けず劣らずな量のチラシを取り出した。思わずひええ〜っと声が出る。

 

「もう少し控えめに勧誘してくれた方が入部希望者も増えると思うんだけどな〜」

 

 鈴木のその言葉に同意し、俺も手に持った大量のチラシを鞄にしまった。

 

「まあ大学生特有のノリってやつかも………て、あっ」

 

 ガラッと教室の前の扉が開き、入ってきたのはゴスロリちっくな洋服で固めた大学生には見えない少女。島田さんだった。

 島田さんはそのまま前の方の席に座るとノートと筆記用具を取り出した。俺と鈴木は後ろの方の席に座っているからそれ以上細かいところは見えない。

 島田さん、この授業取ってたんだ………。

 学部が違うから授業は被らないかと思ってたけど………共通科目なら同じ授業を取る可能性もあるんだよな。

 

「なんだ暮井、島田さんが気になるのか?」

「いや気になるっていうかなんというか………」

 

 いい言葉が見つからなくてそれ以上は何も言えなかった。

 

「ははーんなるほど、暮井はそういうロリな趣味だったんだな〜」

「えっ?いや違うから!」

「まあ確かにすごく可愛いとは思うけどなぁ〜。もう学内の有名人だし。それに飛び級してきたお嬢様、なんて設定的にはすごく美味しいじゃん?」

 

 言いながら鈴木はにやにやと口角を釣り上げていた。

 違うって言ってるのに、俺の話聞いてないな……。

 

「でも実のところ、あの娘あんまり周りから好かれてないみたいなんだよな。はっきり言って避けられてる感じだな」

 

 好かれてない?島田さんが?

 

「何で?」

 

 俺がそう聞くと、鈴木はただの噂なんだけどと前置きをして続けた。

 

「なんか人と関わるのが嫌いみたいなんだよな。話しかけてもほとんど無視で愛想が悪い、それに自分から誰かに話しかけに言ったことはないらしい。あとすごい高いブランドの服で固めてて感じ悪い、とか飛び級してて俺たち同級生を見下してる………とか」

「何だよそれ、後半のはただの僻みじゃないのか?」

 

 自分のことじゃ無いがそんな理不尽な理由で嫌われては腹が立つ。

 

「………そうだな。俺もそう思うよ」

 

 まあでも、と鈴木は視線を島田さんに向ける。

 

「確かにとっつきにくくはあるよな。容姿のせいか洋服のせいか不思議なオーラ纏ってるし。それに彼女いつも一人なんだよ」

 

  いつも一人……。

 そう言えば確かにそうだ。大学で何度か見かけた時も、島田さんが誰かと一緒に居る姿を見た事は無い。

 でもだからと言って鈴木が言う通り島田さんは俺たちを見下している人と話すのが嫌いな嫌なやつなんだろうか?

 ふと、今朝ボスと戯れて居た島田さんを思い出す。あの時彼女は優しそうに微笑んでいた。

 どうも俺には島田さんが嫌な冷たい奴には思えなかった。

 

 

 

 ◇

 

 

 四限目終了のベルが鳴る。

 今日は一限から四限までびっしり授業だったから疲れたな。早く帰って休もう………と帰路につこうとした俺だったが、一つ忘れて居たことが会った。

 

「ラグビー部!ラグビー部はいかがっすか〜!ーーーあっ!君は今朝の子だね!やっと入る気にーーー」

「ラグビー部なんて男ばっかのクラブなんて辞め辞め!俺らテニサーは女子もいっぱい飲み会もいっぱい!!飲んで飲んで大学生活を楽しもうぜ!!」

「いやいやロボ研でしょう……ふふふ。さぁ、君のマルチを、あ、オリジナルメイドアンドロイドとかも歓迎だから!ちなみに僕が作った設定がーーー」

 

 

 そう、いまが部活動、サークル勧誘期間だということを。

 そして今、迂闊にも正門から帰ろうとしてしまった俺はサークル勧誘に揉まれてしまっていた。

 

「すいません!!俺ちょっと用事あるんで!!」

 

 なんとか適当に言い訳を作るも全然聞き入れられずに勧誘を続けられる。ていうかラグビーもテニスもロボも今朝と同じ人じゃないか。暇なのか……?

 しかしまずい、今回はまずいぞ。

 勧誘から抜け出せずにオロオロしているとさらに別の団体から勧誘をされるという地獄のループに入ってしまっている。勧誘の人に取り囲まれて走って逃げる事もできないし……!

 

「いや、ほんと勘弁してーーーってうわっ!」

 

 そこで俺は躓いて尻餅をついてしまう。い、痛ってぇ……!痛ってぇしこのままじゃまた勧誘の波に飲まれて………

 

「………ってあれ?」

 

 倒れたところをぐいぐい攻められる……!と思っていたがピタリと勧誘が止んでしまった。

 

「あ、あの子は……」

 

 勧誘しに来て居た人たちの誰かが呟いた。背後に気配を感じて振り返ると、そこには無表情で島田さんが立って居た。ピタリと俺と島田さんの目が合う。

 

 ……これだ!!

 

「あっ島田さんこんなところに居たんだ!探したよ!!」

 

 俺は急いで立ち上がり「え、」と困惑する島田さんの手を取る。

 

「すいません!連れがいるんで、それじゃあ!!」

 

 それだけ言うと俺は島田さんの手を握ったまま早足でその場を離れた。

 勧誘が激しい区間を抜け、キャンパス内の人通りの少ない広場まで逃げる。

 ここならほとんど人もいないし落ち着けるだろう。

 

「……ふぅ。助かった………」

 

 思わず声が漏れる。

 

「あ、あの……手……」

 

 島田さんのその声で我に帰った。

 俺の左手には島田さんの小さくて柔らかい右手が握られて居た。

 

「あっ、ご、ごめん!」

 

 慌てて手を離すが島田さんは気まずいのか俺から目をそらす。

 

「その………ごめんね?突然驚いたよな」

 

 とりあえず謝ってみるが反応は無い。

 あぁ……やっぱ怒ってるよな?突然仲良くも無い男に手を引かれて走らされて………。

 ていうかそもそも島田さんは俺の事を知っているのか?お隣さんだし顔くらいは覚えてもらえていると信じたいが、もし覚えられてなかった場合突然変な男に手を引かれて居たということになる。

 ーーーそりゃ怒る……ていうか怖いよな。

 

「あの……ほんとごめんね島田さん。勧誘から逃げるのに必死で思わず………覚えてるかな?俺は隣に住んでるーーー」

「ーー暮井さん」

 

 言いかけたところで俺の言葉は島田さんに遮られた。

 

「そ、そう!暮井 亮!覚えててくれたんだ!」

 

 安堵と喜びで思わず声が大きくなる。

 

「うん……表札に書いてあったから……何回か会ってるし……」

 

 と島田さん。

 よかった……普通に話をしてくれてるしこの様子だと怒ってないみたいだ。そうだ、この際だから今まで出来なかった自己紹介をしようと俺は仕切り直す。

 

「えと、じゃあ……改めて、俺の名前は暮井亮。今年からここの学生になったんだ。お隣としてこれからよろしく」

「私は島田愛里寿。……よろしく」

 

 やっとお互いにちゃんと自己紹介が出来たなとホッとするが、そこで会話が止まってしまい沈黙が流れる。

 オロオロする俺に対して島田さんはほとんど無表情で気まずそうに視線を俺から外している。

 

「あ、え〜と……」

 

 話題、何か話題は!とあたりを見回すとサークル勧誘のチラシを持った学生が歩いているのが見えた。俺たちと同じ新一年生だろうか、げんなりした顔でいろんな種類のチラシを持っていた。これを使わせてもらおう!

 

「サークル勧誘凄いよね。毎日毎日困っちゃうよな、島田さんはサークル何入るかとか決めた?」

 

 よし、我ながらいい質問だ!あのサークル勧誘の嵐に触れてないはずがないし、答えに困ることはないだろう。

 ーーと思ったが島田さんはその質問にすぐ答えてくれず、再び沈黙が流れる。

 そこで鈴木の言葉を思い出した。話しかけてもほとんど無視で愛想が悪い。あれは島田さんが周りからそう言われていると話してくれた。もしかして本当に島田さんは人の話を無視するような人なのか?でもなんで今無視を?さっき自己紹介もしてくれたのに……

 

「ーー暮井さんは、どれくらいのサークルに勧誘されたの?」

 

 俺の思考を遮ったのは島田さんのこの言葉。

 島田さんから言葉が返ってきたことに安心しつつ、俺は彼女の質問に答えた。

 

「数えきれないくらいかな。あの人達全然遠慮ないから同じ団体の人にも何度も絡まれるし………」

「そう………」

 

 俺の返答に、何故か悲しそうな表情をする島田さん。

 

「……どうしたの?なんか俺変な事言っちゃったかな?」

「いやっ………その……」

 

 島田さんは最初言いづらそうに言葉を詰まらせていたが、少し間を置いて決心したのか島田さんは再び口を開いた。

 

「……私、サークルに勧誘された事なくて」

「……え」

 

 思わず声が漏れた。

 サークルに勧誘された事が無い?あの嵐のような勧誘活動が行われているのに?

 

「それどころか……私、知らない人と居ると緊張して固まっちゃって……人と話すの苦手だから学校で話す相手も……居なくて……」

 

 そう続けた島田さんの顔はやはり悲しそうで、今にも泣いてしまいそうに見えた。

 そんな島田さんにはいつも纏ってる不思議な人形のようなオーラは無く、年相応の普通の女の子にしか見えない。

 話すのが苦手………そうだよな。飛び級した天才少女とはいえ、彼女は本来中学校に通っているような年齢だ。そんな女の子が年上だらけの大学に入ってしまったんだ。友達だって作りにくいに決まってる。

 

「何で……何で誰もサークルに勧誘したり話し掛けてくれないのかな……」

 

 その問いの答えを俺は鈴木に聞いて知っていた。

 答えは、"避けられているから"。

 しかし、そんな事を言えるはずも無く俺は黙り込んでしまう。彼女になんて言えば、どうすれば元気を出してくれるのかわからなかった。それに俺はやってしまった。そこまで考えて動いたわけではないが、サークル勧誘から逃げるために避けられている島田さんを利用してしまった。彼女が今日初めて話した俺に相談するくらい悩んでいるのに、その悩みを利用してしまった。島田さんはそんな俺の行動をどう思っただろう?もしかしたら気にしていないかもしれない。もしかしたら深く傷ついたかもしれない。

 ーー俺、最低だ。

 

「あの……ごめんなさい。突然こんな話………学校で人と話したの久々だったから………」

 

 俺が黙り込んでいたからか、島田さんが明らかに無理に言葉を続けた。その声はやっぱり不安の色に染まっている。彼女をこのままにしていいのか?

 小さい頃、俺が凹んだ時は絵本が俺を元気にしてくれた。だから俺はそんな元気が出る絵本を描きたくて絵本作家を目指している。そんな俺が島田さんの悲しそうな顔をそのままにしていいのか?

 いいや、駄目だ。ていうか嫌だ!こんなのは見過ごせない。

 

「困るよね、こんな話……。じゃあ私はそろそろ帰るからまたーーー」

「待って!」

 

 言いながら俺に背を向けて歩き出そうとする島田さんを声で止めた。

 

「……?」

 

 振り返って俺をみる島田さん。

 

「一緒に帰ろうよ、せっかくお隣同士なんだしさ!……まあ島田さんがよかったらだけど」

「いいの……?」

 

 控えめにそう返される。

 

「もちろん、もう少し話もしたいしさ。じゃあ一緒に行こうか」

「……うん!」

 

 少しだけ声を弾ませてそう言った島田さん。表情はほとんど変わってなかったが、何と無く喜んでくれたような気がする。

 とりあえずもう少し話をしようと思って誘ったが正解だったみたいだ。そこで、もう一ついい事を思いついた。今日は確か"あれ"がある日だったな。

 

「ーー一つ質問何だけど、島田さんって一人暮らし?」

 

 俺の問いに島田さんがうんと控えめに頷く。

 アパートで島田さんが誰かと一緒に居るのを見たことがないから一人だろうと思ったけどやっぱりか。なら……

 

「ーーよかったら俺の家に来ない?いいものがあるんだ」




ここまで読んでくださり有難うございます。
区切りがいいところまでのネタはほぼほぼ完成していて、少なくともそこまではしっかり書きたいと思っているのでよろしくお願いいたします。


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第2話「友達」

「お邪魔します……」

 

 控えめにそう言って我が家に入る島田さん。

「ささ、入って」と手招きしながらこの部屋に人を呼ぶのは初めてだな、なんて思う。

 一人暮らしをしている男がほぼ初対面の女の子を部屋に連れ込むなんてどうなの?とも思ったが、お隣りさんだしギリギリセーフだろう。

 とは言うものの女の子を家へ招くっていうのは少し緊張するな。島田さんも緊張しているようで部屋を立ちながら見渡している。昨日たまたま掃除しておいて良かったなと思いつつずっと立たせるのも何なので、とりあえず作業机の椅子に島田さんを座らせた。椅子は一つしかないから床に座ると島田さんは言ったが、お客さんにそんな事をさせるわけにはいかないと返して椅子に座ってもらうことにする。

 

「ーーじゃあ早速本題に入るかな」

 

 言いながら俺は大きめのダンボールを取り出して床に置き、その近くにに胡座をかいて座った。

 

「それは?」

 

 島田さんが椅子から少し体を乗り出してダンボールを見る。

 

「親が送ってくれた救援物資」

 

 ダンボールを開くと、そこには大量の食料が詰まっていた。これを島田さんに分けようと思って部屋に招いたのだ。

 中にはカップ麺、カップ焼きそばといったインスタント食品。カレーやハンバーグなどのレトルト食品。それと地元のお土産として有名な信玄餅がいくつか。

 

「信玄餅は日持ちしないから今食べちゃうか」

 

 俺は食卓用の小さい折りたたみテーブルを取り出して設置する。俺と島田さんの分の信玄餅をそのテーブルに置くき、今朝沸かしたお湯で二人ぶんのお茶を入れた。

 

「……私もいいの?」

 

 遠慮がちな島田さん。

 

「もちろん、その為に部屋に呼んだからね。それに、友達と分けろって親に言われたし」

「友達……?」

「ああ」

 

 隣に住んでるし俺はあの勧誘の嵐から救ってもらえた。それに一緒に二人で家に帰ってきたんだ。ここまできたらもう友達だろう。

 少なくとも俺は島田さんと友達になりたいと思った。話し相手が居ないと悲しそうな表情をする彼女を見逃せなかったというのもあるが、一緒に帰ってわかった。彼女は歩きながら歩幅を合わせようとしてくれるし、俺が話しかければ出来る限り対応してくれるし、かなり俺に気を使ってくれていた。多分彼女はちょっと大人しい子ってだけでいい子なんだ。

 

「駄目かな……?」

 

 そう言って島田さんの顔色を伺う。

 喜んでくれたら嬉しいし、嫌がってるようだったら今後は控えめに絡むことにしようと決める。でも嫌がられてたらショックだ……。

 しかしそんな心配は杞憂に終わる。

 

「いや……うん、嬉しい」

 

 小さくそう言った島田さんの表情は今までで一番可憐だと思えた。

 ……ボスと絡んでる時以外で笑ってるとこ初めて見た。今までアパートで会ったり、学内で見かけたりはしたけどそれらを全て含めて人と話して笑っている姿を見るのは今が初めてだった。

 そう考えると嬉しい。勇気を出して友達って言って良かったと心から思う。

 

「じゃあ早速食べよう」

 

 仕切り直して、二人でいただきますと言うと信玄餅を食べ始めた。うむ、やはり地元の甘味は上手い。小さい頃からちょくちょく食べてきたからか安心するものがある。

 

「そういえばさ、島田さんも一人暮らしなんだよね?どう一人は?」

「うん……お母様と暮らしてた時と比べると大変な事もある。でも他の同学年の人たちはみんな学園艦に乗って一人暮らしをしてるから、私も頑張らないと」

「偉いなぁ……。俺も中学生の頃学園艦乗って初めての一人暮らしだったけど最初の頃は酷かったなぁ」

 

 部屋の掃除はしないし、うっかりガラスのコップに熱湯そそいで割っちゃうし。

 一回フローリングにカビ生やした時から真面目に掃除するようになったけど。ていうか勝手に島田さんの年齢を勝手に中学生くらいだと思ってたけど実際何歳なんだろう?

 

「あのさ、ちょっと失礼なんだけど……島田さんて何歳なの?飛び級してるのは知ってるんだけど……」

「……十三歳」

 

 控えめに聞くと、同じく控えめな声で返答が返ってきた。しかし内容が控えめじゃ無い。

 

「ま、まじか!」

 

 十三歳!?十三って言ったら高校生より小学生の方が近いじゃ無いか!!それを飛び級で大学って……!

 

「す、すごいな……」

 

 俺の言葉に少し照れたようで島田さんは俺から目を逸らして話を続けた。

 

「大学に来たのは戦車道の為。戦車道には流派とかたくさんあって、私の場合大学に来るのが一番都合が良かったから」

 

 島田さんは飛び級してるだけじゃなくて戦車道の隊長も務めてるんだっけな。戦車道の事は詳しくないからよくわからないけどほんと天才少女って感じだな……。

 

「やっぱり凄いよ島田さんは」

「そんな事無い。まだまだお母様には程遠いし、戦車道は楽しくて好きだけど……私はまだまだ未熟。島田流の後継者としてもっと努力しなきゃ……」

「島田流?」

 

 聞きなれない言葉だ。

 疑問に思っていると島田さんが説明をしてくれた。

 

「島田流って言うのは戦車道の流派の一つ。私はそこの一人娘で、将来島田流の後継者になる……予定。戦車道は好きだし、プロになるのが目標の一つではあるけど後継者としてのプレッシャーもあるから大変な時もある。実際お母様には全然敵わないし、周りの期待に応えられてるかもわからなくて不安になったりもする……」

 

 なるほど親の影響、というか家の事情か。本人が戦車道を好きと言ってるから戦車道をやってる事自体はいいんだろうが、親の、世間の大きな期待を一人で受けるというのは大変な事だろう。

 そんな不安な気持ちには俺も覚えがあった。

 

「ちょっとわかるよその気持ち」

 

 俺は信玄餅をお茶で飲み込むと言葉を続けた。

 

「島田さんほどじゃないけどさ、俺の父さんもちょっとした有名人で……俺の父親は絵本作家なんだけど俺もそんな父さんに影響されて絵本作家を目指してるんだ」

 

 チラッと視線を作業机の上に動かす。島田さんも俺につられてそこを見た。視線の先にあったのは出版社に持ち込んでボツになった原稿の数々。

 

「でも全然結果が出なくて。勝手にプレッシャー感じてるだけだけど、俺は父さんみたいな才能なんて無いんじゃないかって不安になる時が結構あるんだよな」

 

 実際問題、俺は父さんのような作品は描けない。本気で絵本を描いていると、父さんがどれだけ凄いか嫌でもわかる時がある。

 

「でもだからと言って絵本はやめられない。なんだかんだ絵本描くの大好きだからな。でも大好きで、本気だからこそ不安になるんだ」

 

 絵本で食っていけるのか不安になる。絵本作家を諦めたとしてもその先に何をすればいいのかわからなくて不安になる。今まで絵本しかやってこなかったからだ。俺が俺である限り逃げられないんだよな、この不安からは。

 

「………て、ごめんな一人で語っちゃって」

 

 少し臭かったなと恥ずかしく思いながら言うと、島田さんはううんとそれを否定した。

 

「私も家の事とかたくさん話しちゃったから………」

 

 島田さんの暖かい返事に感謝していると、彼女が未だに作業机の上に積まれたボツ原稿をチラチラ見ていることに気づいた。

 

「あの、これは……?」

 

 島田さんは好奇心を抑えられなかったようでとうとうそれが何かを聞いてきた。

 

「俺が描いた絵本」

 

 俺がそう返すと「すごい」と島田さんは呟きそわそわと原稿の束を見始めた。これは、見たいってことか?あの原稿は出版社に持ってってボツを食らったやつだから正直そんなに見せたくないけど……。

 

「……!」

 

 しかし島田さんはそんな俺の気も知らずに目をキラキラさせながらボツ原稿を見る。そんな目されちゃ仕方ないか……。

 

「……見る?」

「いいの……!!」

 

 島田さんに「ああ」と返事を返すと目をキラキラさせながら彼女は黙々と絵本を読み始めた。

 次々と俺の原稿を読む島田さん。そう言えば親と編集者以外で人に絵本を読んでもらうのは初めてだったなと、少しむず痒い気持ちになる。

 

「その……どうかな?」

「……すっごく面白い。暮井さんが本気なのが絵から伝わってくるし……うん、すごい楽しい………」

 

 微笑みながらそう言った島田さんの言葉を聞いて思わず目頭が熱くなった。今日二回目の笑顔だ、なんて考えながら溢れそうになる涙を必死に堪えて目元を手で押さえる。そういえば編集者さんに最近ダメ出しされてばかりで褒められてなかった。それに、人に絵本を読んでもらって喜んでもらって笑ってもらえるのがこんなにも嬉しいなんて知らなかった。

 

「……暮井さん?」

「い、いや、なんでもないんだ!」

 

 島田さんに不審に思われないようになんとか涙を引っ込める。

 

「………あれ?」

 

 ふと絵本を読む島田さんの手が止まった。どうしたのかと島田さんの手元を見ると、日焼けして折られた跡もあるボロボロのスケッチブックがあった。

 

「……あ、それは俺が初めて描いた絵本だ」

 

 懐かしいな。でもこんなところに混ざってるなんて。

 俺の言葉を聞くと島田さんは表紙をゆっくりとめくった。

 

「ボコられぐまのボコ……!」

 

 そして彼女はそう呟いた。ボコられぐまのボコ。それが俺の初めて描いた絵本のタイトルだった。包帯をぐるぐる巻いた熊のぬいぐるみが動物と喧嘩をしてボコボコにされるっていう今読み返すとわけのわからないストーリーなんだよな。まあ小学生の頃に描いた話だし未熟で当然だけど。

 

「これを見た父さん、亮が初めて描いた絵本だぞ!!ってすごい喜んでくれてさ。喜びすぎて俺の絵本を元にボコの絵本を出版したんだよな。あの時はすごい嬉しかったのを覚えてるよ。あんまり売れなかったらしいけど」

「じゃあ……暮井さんがボコの作者……?」

「いや、どうだろう。描いたのは父さんだし……強いていうなら原案かな?」

「すごい……!本当に本当にすごい!!夢みたい……!!」

 

 言いながら口元を抑える島田さん。本当に感激しているようだ。でも気づいたらボコは絵本になっていたし、正直自分の作品っていう実感はほとんどないんだよなぁ。

 ん、というかその口ぶりはもしかして……

 

「島田さんはボコを知ってるの?」

「うん、大好き!」

 

 食い気味に返された。

 

「アニメも絵本も全部買ったし本当に大好き、ボコが無ければ今の私はないと思う」

 

 そこまで言うレベルか。島田さんの言う通りボコは絵本だけじゃなくてアニメにもなっている。正直なんでこんなわけのわからないものを作ったんだ?と俺自身思っていたし、これがアニメ化ってマジか、とも思っていたがこれだけ好きになってくれる人が居るならそれほど悪いものではなかったのかもしれない。

 

「すごい……これがボコの原点……!!」

 

 言いながらパラパラとページをめくる島田さんの目はキラキラしてて、その表情は今までで一番輝いていた。本当に好きなんだな。父さんが描いたものとはいえ少し嬉しくて恥ずかしくなる。

 

「あの、サインとかってもらっても……?」

「え、サイン!?」

 

 島田さんに突然そう言われて思わず声が出る。

 

「やっぱりダメだよね……そんな簡単にサインなんか……」

 

 思わず出た声を否定と受け取ったようでしょぼしょぼと落ち込む島田さん。ああもうそんは悲しそうな顔をされても困る!!

 

「……その、サインなんてした事ないからすごいしょぼいかもしれないけど、それでも良ければ描くよ」

「ほんと……っ!!」

 

 今度は目をキラキラさせて期待の眼差しで俺を見る。うう、そこまで期待されるとそれはそれで困る!まあとりあえず描いて見るか。前に絵を描く用に買った色紙を取り出して作業机に向かう。太めのペンを取り出して描き始めたのはボコ。本棚にあった父さんの絵本と昔の自分が描いたボコを参考にして描く。最後にありすへ、と名前を添えて……

 

「出来た!」

 

 うむ、なかなかよく描けたぞ!本当は島田さんの名前も漢字で描きたかったが、字がわからなかったのでひらがなにした。

 

「これでいいかな?」

 

 差し出した色紙を島田さんは大事そうに両手で受け取り胸に抱く。

 

「ありがとう。一生大切にする……」

 

 そんな彼女はとても幸せそうな顔をしていた。

 しかしまあこうして見るとやっぱり島田さんは可愛い子だ。年相応の少女的な可愛さがあるし、ルックスだけでなくこの純粋さはどうあっても嫌いになれそうがない。

 鈴木や島田さん本人が言うように、学校で孤立してるようには思えない。きっと知らないんだ、島田さんが純粋な子だってことを。みんな表面上の大人しい島田さんだけを見て愛想が悪いだとか勘違いして居るに違いない。

 

「暮井さん……どうしたの?」

 

 考え事をしてぼーっとしていたからか島田さんにそう言われる。

 なんでもないと答えると、今度はボコの話を振られた。アニメ何話のあの流れがいいとか、cmのアレが可愛かったとか、アニメは俺も見ていたが正直うろ覚えな話ばかりだった。

 

「でね、あの同じクマにボコボコにされる話とか本当に好きでーーー」

 

 しかしこんな島田さんの笑顔を見せられては話を遮るわけにもいかない。今度ボコを見返してみようかな、なんて思いながら時間は過ぎていった。

 それから小一時間くらい話した後。日が暮れてきたので島田さんにボコのサインと幾つかのレトルト食品を持たせ、今日は解散となった。俺は一人部屋に戻り、島田さんが読んだ絵本を片付ける。とても喜んでくれたボコの絵本と、出版社に持っていってボツを食らった絵本。どちらももう陽の目を見る事は無いと思っていた。でも島田さんが読んでくれて、笑ってくれた。俺の絵本で笑ってくれるなんて……嬉しかったな………。

 ボコのサインもこんなんでいいのかって罪悪感が湧くぐらい喜んでくれたし。

 

 島田さんを元気付けるつもりで部屋に呼んだのに俺が元気付けられてるな。

 

「一生大事にする……か」

 

 そんな事言われて絵描きとして嬉しく無いはずないよな。今度もっとちゃんとボコを描いてプレゼントしよう、なんて企みながら俺の一日は終わった。

 

 

 ◇◆

 

 

 亮と別れた愛里寿は一人自室に戻る。

 愛里寿の部屋の一角にはボコのぬいぐるみなどのグッズが大量に置いてある棚があった。そこに今日一つの宝物が加わる。

 亮からもらったサインだった。今度額縁を買ってきて入れようと思いながら丁寧にサイン色紙を棚に置く。

 夕食用にこれも亮に貰ったレトルトのハンバーグを温めながら愛里寿は呟いた。

 

「………友達」

 

 口に出すと少しむず痒くて、でも暖かい言葉。友達なんて言われたのはいつぶりだろうか。少なくとも大学に入ってからは初めて、小学校高学年の時も愛里寿は学校にはあまり行かず、戦車道と勉強に明け暮れていたため友達と呼べる存在はいなかった気がする。

 しかし今日、サークル勧誘の人混みの中で亮に手を引かれて、一緒に帰って、一緒にお菓子を食べて、話をして、友達と呼ばれた。それに、普段は話さない戦車道の愚痴を亮に漏らしてしまった。何故だろう。そもそも初対面であんなに話した相手は初めてかもしれない。ボコの原作者だと聞いた時はテンションが上がって言葉が止まらなかったし、あれは楽しかった………。

 でもきっとこれが、

 

「………友達」

 

 愛里寿は言葉を噛みしめるようにもう一度呟いた。

 



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第3話「付き合うよ」

「あ、島田さんあっち空いてるよ」

 

 昼時で混み合う大学の食堂。数少ない空いた席を確保して俺と島田さんは一息ついた。

 

「今日はすぐ席が見つかってよかった」

 

 言いながら島田さんは俺の隣に座り、B定食が乗ったトレーを机に置いた。ちなみに俺はA定食。今日のA定食はカツ丼と味噌汁で、B定食はオムライスだ。

 

「俺水取ってくるよ。島田さんもいる?」

 

 俺もトレーを机に置きながらそう言うと島田さんはコクンと小さく頷いた。「了解」と答えて俺はセルフサービスの水を注ぎに行く。

 島田さんを家に招いてから約一週間が経つ。この一週間で俺と島田さんの関係は大きく変わった。朝アパートで会えば積極的に挨拶をするようになったし、時間が合えば一緒に登下校をしたりもするし、連絡先も交換した。顔見知りから堂々と友達と呼べる関係になったのだ。

 今日も昼前に同じ授業を受けていた為、そのまま二人でお昼を食べようという事になったのだ。少し前までは不思議な雰囲気を感じて接しにくかった島田さんだが、一度話すと簡単に距離は縮まるものだ。まあ今でも繊細な人形のような変わった雰囲気は感じるけど。

 

「はい、お待たせ」

 

 注いで来た水を島田さんに渡し、席に着く。

「ありがとう」と島田さんに言われてからいただきますと手を合わせてから食事を始めた。

 

「うん、普通にうまい」

 

 学食のメニューは正直めちゃくちゃ美味しいわけではない。けど不味いわけでもない。そんな普通の味だが、カツ丼と味噌汁の定食が四百円という安さがその味を一段階引き上げていた。四百円で不味くなくてそこそこのボリュームがある飯を食えるのはありがたいよな……。島田さんの食べるB定食のオムライスも四百円だ。安いよなぁ。

 

「よう!暮井!」

 

 そんなくだらない事を考えていると、ふと名前を呼ばれた。カツ丼から顔を上げると、テーブルを挟んだ正面に友人の鈴木が立っていた。鈴木はラーメンが乗ったトレーを机に置くと、俺の正面の席に腰を下ろす。

 

「島田さんもうっす!」

 

 俺の隣に座っている島田さんにも挨拶をする。島田さんは一旦食事の手を止め鈴木に「こんにちわ」と小さく返す。

 鈴木は気のいいやつだからな。まだ島田さんは鈴木相手だとちょっと緊張するみたいだが、仲良くなってほしいと思う。

 思い出すのはつい3日前の事。島田さんと一緒に登校している時に同じく登校していた鈴木に話しかけられ、いい機会だと思った俺は島田さんを鈴木に紹介したのだ。島田さんの話が増えるのは良い事だと思うし、友人の鈴木には島田さんが感じの悪い子だという認識がただの噂だという事を知って欲しかったのだ。

 結果二人は知り合ったのだが、後で鈴木に「島田さん、いい子じゃねえか。変な噂を話しちゃって悪かったな」と言われたのは嬉しかったな。やっぱり鈴木はさっぱりしてていい奴だ。

 でも、それは置いといてーーー

 

「鈴木、二限居なかったでしょ。何かあったの?」

「いや〜実は昨日サークルの新歓コンパがあってさ。深夜まではしゃぎまくったもんだから疲れちゃっててさ……へへ」

 

 自分の失敗を誤魔化すように笑う鈴木。

 つまりサボりって事だな。まあ俺もいずれサボらないという保証はどこにも無いし、正直サボる気が無いといえば嘘になるから咎めたりはしないけど。

 

「コンパ……?」

 

 そう言ったのは島田さん。聞き慣れない言葉だったのだろう。俺も音葉の意味を知ったのは最近だしなぁ。

 

「お、島田さんコンパに興味あんの?」

「コンパって何……?」

 

 島田さんにそう聞かれて鈴木はうーんと唸るが説明を思いついたようで人差し指を立てて語り出した。

 

「コンパってのはさ、仲良い奴らとか仲良くなりたい奴らとで集まって飲んだり食べたりしながら話し合ったりはしゃいだり………まあ簡単に言えば飲み会だな」

「飲み会……」

 

 そう言葉を漏らす島田さん。これもまた彼女にとっては聞き慣れない言葉だろう。俺もまだお酒飲んだ事ないし飲み会も参加した事ないからなぁ。まだ未成年だからってのもあるけど。

 

「楽しいぜ飲み会は!テンション上がるしいろんな人と話せるしな!!」

 

 確かに鈴木は好きそうだなぁなんて思いながら口の中のカツを水で流し込んだ。ていうか鈴木のやつこの口ぶりだともう飲んでるな?俺と同い年のはずなのに。まあ大学生だしそんなもんか。

 

「飲み会……楽しそう」

 

 島田さんのその言葉に「だろだろ!」と返す鈴木。

 

「でも私、お酒飲めないから……」

 

 しかし島田さんは悲しそうにそう続けた。

 そうだよな。鈴木はまだしも同じ大学生とはいえ13歳の島田さんが飲酒をするわけにはいかない。「あ、そりゃそうだよな……」とこちらも落ち込んだように言う鈴木。会話が止まったところで俺は口を挟んだ。

 

「いいんだよお酒飲まなくても。お酒なんか飲まなくたって人と集まって一緒にご飯食べてわいわい話すだけで飲み会の本質は楽しめるんじゃない?」

 

 まあ、飲み会行った事、ないんだけどね……と心の中で続けたのは内緒だ。

 

「お〜暮井いい事言うじゃん!その通りだ!」

 

 パチンと指を鳴らしながら鈴木。しかしその直後、何かに気づいたようにあ、と目を見開く。

 

「や、やべえ次の授業俺今日テストだった!」

 

 やばいやばいと言いながらラーメンを掻き込む鈴木。この焦りようから小テストの存在を今まで忘れてたのだろう。

 

「すまん二人とも、俺ちょっと勉強しなきゃいけないから先行くわ!」

 

 バタバタしてすまんと言い残すと鈴木は足早にその場を去っていった。鈴木も大変だな……。俺と島田さんも鈴木が去ったあとすぐに食べ終わり、席を立った。次の授業まで時間があったので二人でキャンパス内をブラブラすることにする。

 少し前まで昼時はサークルの勧誘でごった返してた中庭も、今はそれほどでも無い。

 

「でもまだ居るなぁ勧誘……」

 

 何人かの生徒がチラシを配っているのが見える。隣を一瞥すると、島田さんが興味ありげに勧誘している生徒を見つめていた。

 そう言えば島田さんはサークル勧誘をされた事がないと言っていた。サークルに入るかどうかは別としてやっぱり勧誘は一度されてみたいのだろう。

 そんな事を考えていると、勧誘の人と目があった。ロン毛で髭を生やした胡散臭いお兄さんだった。思わず「げっ」と声が出る。

 

「やあやあ、君たちは新一年生かな?」

 

 勧誘の人が近づいて来て話しかけられた。

 

「はい、まあ……」

 

 正直めんどくさかったので煮え切らない返事をする。

 

「俺たち映画研究会なんだけどさ、今日新歓の飲み会やるんだ!よかったら来てよ!場所はこのチラシに書いてあっからさ!」

 

 そう言ってチラシを渡される。

 島田さんに見えるようにチラシを持つと、それに気付いた勧誘の人が島田さんにもチラシを渡す。

 

「はい、もう一枚あげる。新一年生からお金は取らないから気軽に来てくれよな!」

 

 そう言い残すと勧誘の人は去っていった。

 新歓かぁ……鈴木も新歓に行ってたみたいだしそういう時期なのかもしれないな。

 

「………めて」

 

 そこで島田さんが何か小さく呟いた。

 

「……島田さん?」

 

「私……はじめてサークルに勧誘された」

 

 言いながら嬉しそうにもらったチラシを見つめる島田さん。ボコの色紙をあげた時と並ぶ幸せそうな笑顔だった。島田さんは今まで部活動に勧誘されたことがないと言っていた。初めてとなればたしかにこれだけ嬉しそうにしても仕方がない。

 俺がいたから向こうも話しかけやすかったのかもしれないな。

 

「暮井さん、新歓って何?」

 

 チラシから目線を上げて俺に目を合わせる島田さん。

 

「新歓っていうのは新入生歓迎会の事。今日鈴木が話してた飲み会ってあったでしょ?簡単に言うと新入生、つまり俺たちを歓迎する飲み会って事」

 

 大学に入ってからまだ飲み会に行ったことは無いが、だいたい合っているだろう。そんな俺の返事を聞いた島田さんはほとんど無表情ながらも目をキラキラさせていた。……これはまさかーーー

 

「私、行ってみたい……!」

 

 や、やっぱり……!!

 どうしよう……これは良くないぞ。島田さんが普通の大学生なら問題ない。でも彼女は飛び級して大学に入っている十三歳の少女だ。そんな女の子が大学生の新歓の飲み会に混ざれるのだろうか?お酒も飲めず、盛り上がる周りの雰囲気に呑まれてしまうのではないだろうか?

 

「暮井さん……?」

 

 俺が黙って考え事をしていたからか、島田さんは不安そうな目を俺に向ける。どうしよう……。島田さんにも行かない方がいいって言った方がいいのか?でもそんな事を言ったら彼女は傷付くだろうし……でも飲み会に行ったとしても彼女は………。

 なんて返していいかわからずに沈黙が続く。

 

「私、もっと色んな人と知り合いたい」

 

 それを破ったのは島田さんだった。

 

「暮井さんと友達になって、鈴木さんも紹介してもらって学校でも話せる人が出来た。でも暮井さん達ばっかりくっつくのは良くない。私はもっと色んな人と話せるようになりたい……!」

 

 まっすぐに目を合わせてそう言われた。人と話すのが苦手と言っていた島田さん。そして学内で浮いているのを、話す相手がいないという事を気にしていた。そんな自分を変えたい、そんな思いがまっすぐな目に宿っている気がした。

 

「お酒は飲めないし、飲み会に行っても上手く話せるかはわからないけど……」

 

 そこで俺から目を逸らして顔をうつ向かせる。島田さんは俺が言わなくてもわかってたんだ。新歓に出ても馴染めないかもしれない、失敗して終わるかもしれないという事を。でもそれを承知の上で行きたいと言った。人付き合いが苦手な自分を変えるために。

 そんな健気な姿を見せられたら仕方がない……。

 

「わかった……。島田さん、俺も一緒に行くよ」

 

 そう言わざるを得なかった。

 体育会系のサークルじゃないし、新歓の飲み会って言ってもあんまりはしゃぎすぎることもないだろう。俺がついて行って島田さんのフォローをすれば多分大丈夫だ。

 

「……ほんとう?」

「ああ。俺も新歓行った事ないから興味あるし、付き合うよ」

 

 そう答えると島田さんに笑顔で「ありがとう」と言われた。控えめな笑顔だったが、心が波うった。島田さんはまだ十三歳だが容姿が良いからか、その純粋さからか年上の俺でもたまにはっとする事がある。

 ……ロリコンの変態がいるかも知れないしそういう奴には気をつけておこう。かわいい娘がいる父親というのはこんな気持ちなんだろうか?

 

 それから俺は三限の授業が、島田さんは戦車道の訓練があるので一旦解散となった。新歓の集合場所はチラシ配りをしていた中庭。集合時間が四限の終わった後なので、俺と島田さんは直接中庭で集合しようと決めた。

 

 時間が経過して夕方の午後五時。

 三限、四限を終えて俺は早めに中庭に行く。

 すでに中庭には映研のサークルメンバーらしき人達と新入生らしき人が数名集まっていた。男女比は男が八、女が七といったところ。映像研究会という場所の特性なのだろう。映画好きの女の子ってあんまり見ないからな。元々不安だったが、島田さんが馴染めるかさらに不安が増す。……まあなんとかフォローするしかないよな。

 

「あの……ここって映研さんの集まりですよね?」

 

 その集団に声をかけると、サークルのメンバーらしき人が「そうだよ、新入生?」「新歓に参加してくれるんだね?」と声をかけてくれた。

 

「お、君は昼間の!よく来てくれたね!」

 

 その中には俺と島田さんに勧誘チラシを渡したロン毛の先輩もいた。

 

「もう一人のあの子は来てないの?」

 

 ロン毛の先輩にそう聞かれてスマートフォンで時間を確認する。集合時間まで後二分。もう来てもいいころだけど……

 

「暮井さん……!」

 

 聞きなれた声が耳に入る。見ると声の主は島田さんだった。

 

「あっ……」

 

 いつも人形のようなの雰囲気をまとったロリータ系のファッションに身を包んでいる島田さんだが、一度家に帰って着替えて来たようで普段よりフリフリ度が増した服装をしている。

 ーーーかわいい。と思わず心の中で呟いた。白いシャツの上に黒いブレザー風のワンピースを羽織り、そこから白いソックスに包まれた細い足が伸びていた。靴は赤いリボンのあしらわれた丸っこい黒のハイヒールを履いている。

 俺と同じく隣に立っていたロン毛の先輩も島田さんに見惚れてしまったのか声を出せずにいた。

 

「暮井さん……?あ、もしかしてこの服変かな……」

 

 服をジロジロ見ていたからか、不安そうにそういう島田さん。俺は首を横に激しく降ってその発言を否定する。

 

「い、いや、すごく似合ってるよ!すごいかわいい!」

 

 素直にそう感想を告げると、「あ、ありがとう」と島田さんは照れながら小さくそう言った。やましい気持ちは無いが、照れて口に手を当てる仕草も特別に可愛く見える。

 

「へぇ……なるほど。服のセンスもいい」

 

 そう呟いたのは俺の隣に立って居たロン毛の先輩。彼はニヤリと口角を釣り上げて居た。

 

「君、名前は?」

 

 ニヤニヤした顔のままロン毛の先輩は島田さんにそう尋ねる。

 

「……島田愛里寿」

「そうか、愛里寿ちゃんか……よろしくね」

 

 そのまま自己紹介をする先輩。知り合いが増えて嬉しそうに微笑む島田さんに対して俺は素直に喜べなかった。同じ男の俺にはなんとなくわかった。先輩の島田さんを見る目が下心に満ちているということに。もし島田さんに変なことをするようなら放って置くわけにはいかない。もちろん気のせいかもしれないが、少し警戒した方が良さそうだ。

 まあ勘違いだったら島田さんの知り合いが増えるのはいいことだし、変なことをせずに真面目にアプローチをかけるのであれば俺に先輩を止める理由はないけど。でもこの先輩ロン毛で無精髭を生やして、なんか怪しいんだよな……。

 

「んじゃ、みんな集まったね!じゃあ新歓の会場に行くよー!」

 

 映研の部長らしき人がそう言うと、みんなで移動が始まった。

 学校から歩いて十五分。たどり着いたのは一つの飲み屋。話を聞くとその飲み屋には一部屋大きなモニターがある部屋があるらしく、今日はそのモニタールームで映画を見ながら歓迎会をするらしい。

 飲み屋に入ると早速モニタールームに通された。部屋は和室で、長机を囲むように座布団が置かれて居て、モニターは壁に埋め込まれて居た。フォローがしやすいように俺は島田さんの隣を陣取り席に着く。

 席に着いてすぐに飲み物を注文し、程なくしてお通しと飲み物。大体の人はビール、島田さんと俺だけはアルコールではなくソフトドリンクが運ばれて来た。アルコールじゃない飲み物を頼むと言った時はあまりいい顔をしてもらえなかったが、島田さんを一人が素面の状態、というのは避けたかったのだ。

 

 乾杯が終わると一人ずつ自己紹介が始まった。俺も島田さんも自然にやれたと思う。驚いたのはあのロン毛の先輩が副部長だったという事。しかしなんか新入生の割合の方がすこし多い気がする。そう思ったのが予兆だ。それから映研の人が持ち込んだ映画の上映会が始まり、ここからの飲み会は"地獄"だった。

 

「そうそうこのシーン!!このアングルから全体を写すのが凄くて!!このとき俳優さんが実はーーー」

 

 映画のワンシーンを見て語る先輩。映画が始まってからずっと喋り続けている。最初のうちは俺も話を聞いて居たのだが、二十分を超えたあたりから愛想よく反応するのを諦めた。カメラの話とか、CGの話とか、映画に対するディープな知識の話ばかりされて正直わけがわからない。それに知らない映画だったし、せめて普通に集中できる環境で見たかった………。

 周りを見渡すと、他も似たようなもので先輩に囲まれた新入生が疲れた顔をして居た。中には声を弾ませて会話に参加している新入生もいるが、こういう人達が映研に入るのだろう。在校生の映研メンバーより新入生の方が

 多いのはつまりそういう事だろう。毎年この新歓で入る人数が減るんだ。まあこんだけよくわからないマシンガントークに付き合わされたら入る気も無くすよな………。

 

「あ、で今のシーンは実はCG使ってないんだよ。この監督はこだわりがーーー」

 

 そんな事を頭で考えてる時も、隣に座った先輩は永遠と話し続けて居た。

 ………しんどい。

 もう一方、俺の右側に座った島田さんを見ると目があった。その表情はいつもより疲れているように見える。島田さんも隣に座ったロン毛の先輩から永遠と話を聞かされていたようだ。

 

「映研入ってさ、一緒に映画作ったりお話ししようよ。ねえ愛里寿ちゃん?」

 

 言いながらロン毛の先輩は腕を島田さんの肩に回す。俺の太ももに触れている島田さんの足がビクッと動いたのがわかった。手は十三歳の女の子だぞ!?お酒が入って酔っているというのもあるのだろうが、同年代ならまだしも島田さんにこういうアタックをかけるのは良くないだろう!ていうか愛里寿ちゃんって何を馴れ馴れしく下の名前で……!

 

「あ、あの……私……」

 

 戸惑いながら島田さんはロン毛の先輩から距離を取ろうとするが、ぐいっと肩に回された手で引っ張られて先輩と密着する形になる。おいおい、このロン毛何やってるんだ!?

 その時もう一度島田さんと目があった。焦ったような、怯えたような顔で俺と目があった。

 それを見て、何かがプツンと切れた。頭に熱が入り、思考が鈍くなるのを感じたが抑えきれない。

 島田さんの背中に手を伸ばし、ロン毛の腕を避けながら彼女の肩を掴む。

「え?」とロン毛が戸惑い肩に回した腕が外れる。その隙に俺は島田さんと体を密着させた。ロン毛の手がもう島田さんの肩に触れないようにブロックしながらがっしりと島田さんの頭を胸に当てるようにしてくっ付けた。

 

「く、暮井さん……!?」

 

 ごめんね島田さん。驚きの声をあげた彼女を一旦無視する。今対処するべき相手は目の前に居るロン毛だ。

 

「……ちょっと君、何?」

 

 ロン毛に睨まれる。そりゃそうだろう。女の子にアタックしてたら突然邪魔をされたんだから。俺もそんな事をされたら腹がたつ。でもまだ子供の島田さんに、それも嫌がられるようなアプローチをしたんだ。俺は島田さんをフォローすると決めてここに来た。だからそれを見過ごす事は出来なかった。

 

「すいません、俺達明日予定があってそろそろ帰らないといけないんですよ」

 

 怒りを表に出さないように、出来るだけ愛想よく笑顔を浮かべてそう言った。もちろん予定があるなんてデタラメだ。

 

「……え?何だよそれ。ていうか君ーーー」

「いやほんとにすいません!」

 

 ロン毛が俺に文句を言おうとしたが無理矢理言葉を遮った。次にロン毛が俺に何かをいう前にここを去らねば。俺は自分のリュクと島田さんのポーチを肩にかけ、島田さん手を引いて席から立った。

「どうしたの?」と俺の隣に座って居た先輩に聞かれるが、「すいません用事があって」とだけ伝えて島田さんの手を引きながら足早に部屋を出る。後ろで先輩達からえー!?という声が聞こえたが無視した。

 

 店から急いで出て近くにあった公園に入る。これで一息つけるな。

 

「……ふぅ、抜け出せた」

 

 狭い部屋から出たせいか、飲み会が地獄だったからか開放感がすごかった。

 

「あ、あの……暮井さん………」

 

 何かを訴えるように言う島田さん。振り返ると島田さんはチラチラと視線を下に向けていた。何だろう?と見るとそこには繋がれた俺と島田さんの手。

 

「あっ、ご、ごめん!」

 

 すぐにパッと手を離して半歩下がる。

 あの時は頭に血が上ってたから気づかなかったけど、ロン毛から離れるためとはいえ肩を抱いて体を密着させるのはよくなかったかな?というか島田さんは何となく嫌がってそうだと思ったから飲み会を一緒に抜けて来ちゃったけど本当のところはどうなんだろう?

 冷静になると色々とネガティブな考えが出てくる。やっちゃったかもな……。

 

「ごめんね島田さん。無理矢理一緒に抜け出しちゃって」

「いや、あの………」

 

 何かを言おうとして島田さんは口ごもる。

 どうしたんだろう。もしかして無理矢理連れ出したから怒ってる?

 

「島田さん?」

 

 体をかがめて顔を覗き込む。しかし目が合うと、ばっと勢いよく顔をそらされてしまった。その顔色は髪で隠れて見えない。

 

「ちょ 、ちょっと待って………」

 

 島田さんはそう言って二、三度控えめに深呼吸をする。心なしか耳が赤くなって居る気がする。飲み会の席は騒がしくて暑かったから体が火照ったまんまなのかもしれない。

 

「うん、大丈夫……」

 

 と、俺に向き直る島田さん。何だったんだろう?

 

「えと………何の話だったっけ?」

 

「ああ、俺が無理矢理島田さんを飲み会から連れ出しちゃったから嫌じゃなかったかなって……」

「それは、全然平気。むしろちょっと困ってたから抜け出せてよかった」

「そっか……」

 

 島田さんが嫌がってないようでよかった。安心して思わずふぅ、と息を吐く。

 

「あの…… 髪の長い男の人、ちょっと強引で怖かったから、助けてくれてありがとう」

 

 ロン毛の先輩の事だろう。やっぱり怖かったんだな……。

 

「いや……でもごめんね。強引に肩とか引っ張っちゃったから。痛くなかった?」

「あっ……うん、平気………」

 

 平気とは言うものの、言った後に島田さんは目を伏せてしまう。また髪で隠れて表情がわからないが、やっぱり痛かったのだろうか?

 体の具合を聞こうと思った時、俺の思考を遮って島田さんが口を開いた。

 

「でも、飲み会上手くいかなかった……。あんまり人と話せなかったし、せっかく暮井さんも来てくれたのに………」

 

 島田さんの声は少し悲しそうだった。

 あの新歓はなかなか成功できるものじゃない。実際俺と島田さんを含め新入生のほとんどが楽しそうには見えなかった。特に島田さんはあのロン毛の先輩にがっしり捕まってたから他の人と話す機会も少なかっただろう。

 でも、島田さんにとって今回は初めて自分から人とコミュニケーションを取ろうとした結果だ。俺の何倍も失敗したショックは大きいのだろう。

 

「……大丈夫」

「え?」

「大丈夫だよ。失敗したらまた挑戦すればいいんだ。俺にできることならいくらでも協力するし、こういう飲み会だっていくらでも付き合うよ」

 

 俺の言葉に対して島田さんは「ありがとう」というと笑ってくれた。こんな言葉で少しでも彼女のショックが和らげられるのであれば言ってよかったのだろう。もちろん励ましのためではあるが今言ったことは全て本当だ。

 

「でもなんか煮え切らないなぁ。中途半端に映画見ちゃったし、先輩の話は正直よくわからなかったし………帰ったらなんか一本見ようかな」

 

 こんなモヤモヤした気持ちのまま一日を終えたら映画が苦手になってしまいそうだった。

 

「私も何か見ようかな……」

 

 島田さんがそう言った直後、ぐぅ〜と俺の腹の虫がなる。

 

「……そういえば映研の人の話にずっと付き合ってたからご飯あんまり食べられなかったんだよな」

 

 どうしよう。こんな時間にやってる飯屋なんてほとんど飲み屋だし……。面倒だけどこれは帰って何か用意するしかないか………。そんなことを考えていると、もう一度腹の虫が鳴った。しかし今度は俺の腹じゃない。

 

「わ、私もあんまり食べられなかったから………」

 

 顔を真っ赤にして目を伏せる島田さん。今度は島田さんの腹が鳴ったのだ。そうだ、どうせ何か作るなら、

 

「島田さん、俺の家で一緒になんか食べない?と言っても多分レトルトのハンバーグとかになるけど……」

 

 この間親に送ってもらった食料たちがまだ残ってるから使いたいんだよな。

 

「いいの?」

 

 控えめにそう聞く島田さんにもちろんと頷く。

 

「ついでに映画も一緒に見る?」

「うん、見たい……」

 

 小さく頷く島田さん。そして何かを閃いたようにパッと顔を上げ笑顔で口を開いた。

 

「ボコ……ボコの映画が見たい!ちょっと前にブルーレイを買ったんだけどまだ見てなくて」

 

 ボコって映画もあるのか……。正直それが面白いのか?とは思ったが島田さんの期待を宿した眼差しを見ると断れるはずもなく、いいよと頷いてしまう。「やった!」と小さくガッツポーズをする島田さんは可愛かったのでまあ良しとしよう。他に何か見たい映画があるわけじゃないし。

 

「んじゃとりあえずパパッと帰ろうか」

 

 そう言って俺たち二人は帰路に着いた。

 




本当はもう少し書いてから第3話って事にしたかったのですが、あまりにも長くなりそうだったのでここで一旦切ります。


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第4話「来てる……!来てるぞ……!!」

 映研の新歓を抜け出して家へ帰る俺と島田さん。これからの予定は俺の部屋で晩御飯を済ませて、二人でボコの映画鑑賞だ。

 とりあえず服を着替えてシャワーを浴びようという話になり、俺たちは一旦部屋の前で別れた。

 すぐにシャワーを浴びて部屋着がわりのスウェットに着替えた俺だが、仕事はこれからだ。晩飯にはレトルトのハンバーグを用意する予定だが、それに合わせて米を炊いたり味噌汁を作ったり。お米に関してはシャワーを浴びる前に炊飯器を動かし始めたからほぼする事は無いが。あとは……そう考えながら部屋の中をウロウロすると、コツンと足に何かが当たった。床に乱雑に置かれた俺の落書きが詰まったスケッチブックだった。部屋も少し片付けた方がいいな。

 とりあえずいつでもハンバーグを湯煎できるように鍋に水を入れて沸騰させる。味噌汁は……インスタントのものがあるからそれでいいか。沸騰した水に袋に入ったハンバーグを入れる。その隙に俺は部屋の掃除を始めた。

 ピピピとタイマーが鳴りハンバーグを温め終わった頃、ちょうど掃除もひと段落ついた。レトルトのハンバーグを袋から出し皿に盛る。うん、うまそうだ。うまそうだけどなんか寂しいよな……。そう思って何か無いかと冷蔵庫を漁る。目に入ったのは卵。これだ!

 

 それから少し経ってボコのブルーレイを持った島田さんが部屋にやってきた。

 インターホンを鳴らす島田さんに「空いてるよー」と声を掛ける。すると「お邪魔します」と言いながら島田さんは扉を開いた。

 シャワーを浴びたあとだからか島田さんはパジャマ姿に着替えていた。空色の布地に白いフリルのついた柔らかそうで丈の短いワンピース。その下からは膝下まであるこれまた柔らかそうな空色のズボンを履いていた。

 修学旅行や林間学校で同級生のパジャマ姿を見たのを思い出す。男はだいたいTシャツとかスウェットだけど女の子のパジャマってみんなめちゃくちゃ可愛いんだよな。島田さんのパジャマもそれにもれず可愛いと素直に思った。男とはそこらへんの感覚が違うんだろうな。

 そんな事を考えながらも俺は着々と準備を進めた。

 既に折りたたみのテーブルの上に晩御飯は並べてある。座布団は無いので床にじかに座ることになるがそこは許してほしい。

 とりあえず先に晩飯を済まそうという話になったので二人でいただきますと手を合わせて遅めの夕食を食べ始める。

 今日のメニューは炊きたてのお米にインスタントの味噌汁、そしてレトルトのハンバーグに半熟の目玉焼きを乗っけたものだ。

 

「あの……これは?」

 

 島田さんの視線が目玉焼きを乗っけたハンバーグにに向かっていた。

 

「ああ、レトルトのハンバーグだけだと寂しいと思ってさ。乗っけてみたんだ」

 

 島田さんの言葉にそう返して俺は味噌汁を一口すすった。うん、インスタントのものだけど普通にうまい。続けて俺はお米を食べ、目玉焼きハンバーグもつつく。腹も減ってるからどんどん箸が進んだ。空腹は最高の調味料とはよく言ったもんだ。

 しかしそこで島田さんの箸が止まっていることに気づく。

 

「島田さん……?」

 

 どうしたんだろうか。もしかして何か苦手なものでもあったのだろうか。目玉焼きが駄目とか?卵アレルギーを持ってたりってのもあるかもしれない。ああ、もしそうだとしたら失敗した。島田さんはあの性格だ。きっと俺に気を使って食べられないとは言えないだろう。

 

「……なんか苦手なものあったら残してくれてもいいからね?」

「あっ……ち、違うのそういうんじゃなくて……なんか勿体なくて……」

「勿体無い?」

「その……友達にご飯作ってもらうのって初めてで……嬉しくて……」

 

 ああ、なるほど。

 島田さんは大学生といってもまだ十三歳だ。こういうご飯会みたいな集まりに慣れてないのかもしれない。俺も学園艦で初めて友達の家に招かれて晩飯を用意してもらった時は友人への感謝と申し訳なさを感じたのを覚えている。きっと島田さんの中じゃ申し訳なさの方が大きいんだろう。なら言うことは一つだ。

 

「とりあえず一口食べてみてよ。島田さんの為に作ったんだからさ。……といってもほとんどレトルトだけどね」

 

 そう言って俺は笑った。何も気にせず食べて欲しい。気負わないで欲しい。そんな思いを込めて言った言葉だった。俺の言葉に島田さんは頷くと、箸で器用にハンバーグと目玉焼きを一口サイズに切り取り口に入れる。

 

「………おいしい!」

「よかった……」

 

 思わずほっと息が出た。

 

「目玉焼きを乗っけるだけでこんなに美味しくなるなんて……知らなかった!」

 

 喜んでくれたようで何よりだ。最後の一手間は無駄じゃなかったって事だな。それから島田さんは空腹に後押しされてか次へ次へと箸を動かして食を進める。自分の用意したご飯をこう美味しそうに食べてくれるとなんか嬉しいな。まあただのレトルト食品ではあるけど。

 

「……なんか楽しい」

「ん?」

 

 俺は返事をしてごくんと口の中のものを飲み込んだ。

 

「さっきも言ったけど友達にご飯作ってもらうの初めてで本当に嬉しくて……それになんか友達の家でご飯食べるって、ワクワクする」

 

 ワクワクする……か。少しわかるかもしれない。人の家でご飯を食べるって気を使うけどなんか楽しいんだよな。きっと祭りの焼きそばを食べるのが楽しかったりとか、そういうのと似ているのだと思う。

 

「暮井さん、本当にありがとう」

「あ、うん……」

 

 島田さんに改めてそう言われて照れ隠しで思わず視線を逸らした。

 しかし、正直こんなに喜んでくれるとは思わなかった。ほぼレトルトだし本当に大したことはしてないので少し申し訳なさまで出てくる。

 

「今度はレトルトじゃなくてちゃんと俺が料理してご馳走するよ。まあそんなに料理が得意なわけじゃないけど」

 

 でもたまに晩飯を作ったりすることもあるから今日より豪華のものはきっと用意できるだろう。

 

「ほんと……!」

 

 そう言った島田さんの目はキラキラしていた。思ったより島田さんが食いついてきた。そんなに期待されると満足するものを作れるか不安になる。

 それからも雑談を交えながら俺と島田さんは食事を進めた。

 

「あの……」

 

 島田さんからの視線。ふと手元を見ると再び箸を動かす手が止まっていた。

 

「どうしたの?」

「えと……その……」

 

 島田さんはモジモジと恥ずかしそうに口籠る。しかしやがて意を決したようにこう言った。

 

「お代わりって……お願いしてもいい………かな?」

 

 見るといつの間にか島田さんの茶碗から米が消えていた。しかしなんだ、そんな事か。

 

「もちろん!」と答えて炊飯器に残っていたお米を島田さんの茶碗によそった。ついでに俺も白米をお代わりする。

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ〜ごちそうさま」

「ごちそうさま。あ、私も食器運ぶの手伝う」

 

 晩飯を平らげてお腹が落ち着いた俺たちはすぐに片付けをした。折りたたみテーブルを食卓にしていたからそれを退けないとテレビが見にくいのだ。俺が食器を洗う間に島田さんに持ってきたボコ映画のブルーレイのセットをお願いする。ちなみに我が家には父さんが残して言ったテレビはあるが、ブルーレイレコーダーはない。だから代わりにゲーム機で再生をすることにする。

 俺が食器を洗い終わった後。ちょうど映画の方の準備も完了したようだ。俺はボスンと自分のベッドに腰掛ける。テレビがある壁の向かいにちょうどベッドがあるので、テレビを見るときはベッドに腰掛けて見るのが一番楽なのだ。島田さんが床に座って見ようとしていたので隣をポンポンと叩いてベッドに座る事を勧める。

 すると素直に俺の隣に腰掛けてくれた。少しだけベッドのスプリングが沈む。やっぱり軽いんだなぁと思う。

 

 

 そして俺と島田さんで深夜の映画鑑賞会が始まった。

 

『映画を見にきてくれたちびっこ達、ありがとな!!オイラの名前はボコ!!ところでオマエ等ミラクルボコライトは持ったか!?』

 

 映画が始まってすぐにボコがそんな事を言った。ボコの手にはミラクルボコライトらしいものが握られている。

 

『ミラクルボコライトはオイラを応援するときに使ってくれよ!!オマエ等のミラクルボコライトの光はオイラの力になるんだ!!ただし振り回したり、光を近くで見たり、危ない行為は絶対に禁止だからな!!』

 

 続けてボコはミラクルボコライトとやらの説明をする。応援するためのライトってなんか聞いた事ある設定だな。それもかなり大手のアニメで聞いた気がする。

 チラッと横を見るといつの間にか島田さんの手にミラクルボコライトが握られていた。 用意がいいな……。俺の視線に気づいた島田さんは、はっと何かに気づいたような顔をしてポケットに手を入れた。そして取り出したのはもう一つのミラクルボコライト。

 

「これ、暮井さんに貸してあげる」

「あ、ありがとう」

 

 そう言ってライトを受け取る。やっぱり見たことあるデザインしてるな。それもきっとパクリ元はあの超大手アニメ。権利的に大丈夫なんだろうか……。そうこう考えているうちに映画の本編が始まった。

 

 上映時間は1時間。

 結論から先に言おう。ボコの映画は、面白いと言えるものではなかった。

 既に映画が始まって40分ほどだったが、やってることは最初からほとんど変わらない。ボコが誰かに喧嘩をふっかけて負け、そのリベンジにもう一度誰かと喧嘩をして負ける。何故か誰かに勝ったわけでもないのに相手はどんどん強くなり、今の喧嘩相手は巨大なドラゴンだ。最初はボコと同じくらいのウサギとかだったのにインフレがすごい。

 映画は正直面白く無い。仮にもボコ原作絵本の原案を出した俺だが面白さは分からなかった。これじゃあ映研の新歓と対して変わらないな……。

 対して隣の島田さんは食い入るように映画を見ていた。本当に楽しんでいるようで画面に集中しきっているのか俺の視線に気づかない。

 そうこうしているうちにとうとうクライマックス。ドラゴンにボコボコにされていたボコが立ち上がった。

 

『うおおおお!!やってやるぜ〜!!』

 

 やってやるやってやるや〜ってやるぜ。と後ろでテーマソングが流れる中ボコは雄叫びをあげた。そこからは少し凄かった。突然作画が豪華になりすごい迫力でボコがドラゴンに突っ込んで行く。ドラゴンのブレスや爪を避けて避けてとうとう敵の懐に潜り込んだ。

 おおっ……!これはもしかして……!!と思わず手に汗握った。しかし、ボコが渾身のアッパーカットを放とうとした瞬間。ズルッと足が滑りボコはその場にズッ転けた。

 

「……はい?」

 

 思わず声が出る。その後も豪華な超作画でドラゴンにボコボコにされるボコ。ボコが空中で錐揉みして地面にぐしゃっと落ちる。

 それを見たドラゴンは翼を広げてその場を去り、その背中に『覚えてろよ……!』というボコの言葉で映画は終わった。

 

「まさかあの超作画で勝てないとは……」

 

 流れるスタッフロール見ながら呟く。

 

「でも、それがボコだから!!」

 

 俺の言葉に島田さんがそう返した。

 映画はつまらなかった。つまらなかったけど今日の飲み会と同じじゃない。あの時は島田さんが困った表情をしていたけど、今の島田さんは大好きなボコ成分を摂取したからか幸せそうな顔をしていた。

 まあ、島田さんがこんなに喜んでいるんだ。この映画を見て良かったのだろう。最後のバトルは正直見応えあったしな。だからこそボコが滑って転けたときはおい!ってなったけど。

 

「て、あっもうこんな時間か」

 

 スタッフロールが終わった後時計を見るともう深夜の2時だった。自覚すると思わずあくびが出る。

 

「全然気付かなかった。でも確かに少し眠い……」

 

 島田さんも口元を押さえながら小さくあくびをする。

 明日が休みでよかったなと思いつつ今日は解散しようという話になった。すぐ隣だが、島田さんを部屋まで送って行くことにする。寒さを覚悟してガチャっと扉を開く。

 うっ、やっぱり寒い。

 

 ーーーにゃあ。

 

 突然鳴き声が聞こえた。ふと下を見ると共用廊下に太った黒猫。ボスの姿が見えた。

 いつも俺に餌をねだりに来るボスだが、こんな時間に来るのははじめてだ。

 

「しょうがないな……ちょっと待ってろ」

 

 そう言って一度扉を閉める。

 

「どうしたの?」

「いや、ボスが来ててさ。せっかくだからなんか餌をあげようとおもって」

 

 言いながらキッチンの戸棚からビーフジャーキーを取り出す。そしてもう一度扉を開き、ボスにビーフジャーキーをあげた。ボスはよくやった、と言わんばかりににゃあと鳴くとビーフジャーキーを食べ始めた。

 

「よしよし、しっかり食えよ」

 

 しかしボスを撫でようとするとスッと手を躱された。

 

「ボス、おいで」

 

 今度は島田さんが俺の隣に座ってボスを呼ぶ。するとボスは素直に島田さんの膝の上に乗る。全く、なんで餌をあげてる俺には懐いてくれないのかね………。

 でもボスを膝に乗っけてる島田さん絵になるな。島田さんがなんとなく白いイメージでボスが黒猫だからかお互いによく映えさせあってると思う。

 ほんと絵になるな……。

 絵に………。

 

 

 ーーーそうだ、絵になる。

 

 

 何かがズガンと頭に降りて来た。

 島田さんはお姫様。ボスはそんなお姫様に使える騎士だった成れの果ての姿

 もしくは島田さんは本当はいい子なのに嫌われものの魔女で、ボスは島田さんをみんなと仲良くさせるために動いている臣下。

 どんどんとアイデアが溢れて来る。アイデアっていうのは一度閃くまではなかなか出てこない。しかし一度閃いて仕舞えばあとはどんどんネタが湧いて来るものなんだ。

 島田さんと別れた俺は部屋に戻り、作業用テーブルの席に着く。

 鉛筆を取りガシガシとネタを忘れないうちに紙に書き込む。そうやってネタを書いている間にもどんどん新しいネタは増えて行く。

 

「来てる……!来てるぞ……!!」

 

 この調子だとまだまだ寝れないな。

 そんなことを考えながらニィっと口角を釣り上げた。

 




愛里寿嬢の好物は目玉焼きハンバーグです。
つまりそういうことです。

そろそろガンガン話を進めていきたいですね。


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第5話「賞」

久々の更新になります。


 映研の新入生歓迎会から一ヶ月。

 あの日島田さんと二人で映画鑑賞会をした夜、思いついた絵本のネタ。その本がついに完成した。

 そして今日はその絵本を出版社に持ち込んだのだが………。

 

「うむ……いいね。キャラも可愛いし話も面白いし、今回はいけるよ暮井くん!」

 

 俺の絵本を読んだ編集者の第一声がそれだった。

 

「ほ、ほんとですか!」

 

 思わず声が大きくなってしまう。

 今までこの出版社ではずっとこの編集さんに見てもらっていたがこんなに褒められたのは初めてだった。一ヶ月間頑張った甲斐があった。

 

「主人公の魔女の女の子もかわいいし、魔女故にみんなに馴染めてない設定もいいね。それを解決してみんなと仲良くするきっかけになった猫。この猫がふてぶてしい見た目なのもおもしろいよ」

 

 すらすらと編集者の口から褒める言葉が出る。

 今回俺が作った話は動物の街に住んでいる魔女の少女のお話。街で嫌われている魔女の女の子は本当は心の優しい子で、それを知った黒猫が少女の優しい心を街のみんなに教えて仲良くなる、といった話。

 ちなみに魔女のモデルは島田さん、猫のモデルはいつも家に飯をたかりにくる黒猫のボスだ。

 もちろん絵本を描くにあたって島田さんには許可を取った。絵本の話をした時は「私を絵本に……?」と少し照れていたが了承してくれた。

 

「………うん、これなら今月の賞入選確実だよ!」

「賞………!」

「どう暮井くん?これなら最優秀賞の可能性もかなりあるよ。もし最優秀賞が取れなくても絶対何かに引っかかりはすると思うけど、応募してみる?」

 

 今月の賞………といえば最優秀賞に選ばれれば書籍化が決定するというビックチャンスな賞!!最優秀賞以外にも奨励賞や特別審査賞がある。どちらにせよ何かに入選してしまえば賞金十万円は下らないぞ!!

 島田さんをモデルに描いた絵本で初めての本が出せるかもなんて!!モデルになって貰った島田さんへのお礼にもなるだろう。

 賞の応募に対して俺は「お願いします!」と答えた。

 

「ちなみに暮井くん、今新しいネタとか持ってたりする?」

 

 と編集者。

 

「あ、はい。いくつかネタ帳に……」

「なるほど、じゃあまた今度一回ネタをまとめてきてよ。とりあえず話一本でいいからさ。それで賞に向けて打ち合わせしよう」

 

 う、打ち合わせ……!

 今までは何を持ってきても次の作品が完成したら持ってきてねとしか言われなかったのに……!

 

「来週の……そうだな、土曜日は空いてる?」

「は、はい!空いてます!」

「じゃあそこで。時間はーーー」

 

 それから話し合って打ち合わせの時間を決めて俺は出版社を去った。今日持ち込んだ絵本の原稿は編集さんに預けてきたため手ぶらだ。

 やっと俺の力が認められた。そんな気がして気持ちが高ぶる。今まで俺は絵本作家の親父の陰に隠れたただの素人だった。でもやっとこれで親父の陰から抜け出せる。そのための第一歩を踏み出したんだ。

 叫びたい気持ちを我慢して俺は早足で駅まで歩き電車に乗る。電車に乗ったら家までは一時間半くらいだが、その時間がとても長く感じた。この喜びを早くあの子に伝えたい。ケータイで伝えるという手もあったが直接伝えたかった。

 電車に揺られて一時間半。自宅の最寄駅に着くと、俺は耐えきれなくなって走り出しす。赤信号ギリギリで横断歩道を駆け抜け、行きつけのスーパーを通り過ぎ、入り組んだ住宅街を進んで自宅のアパートへとたどり着く。汗だくで息を切らしながら階段を上がると、見慣れた背中が見えた。

 俺が今一番会いたかった目的の人物だ。

 

「島田さん!」

 

 名を呼ぶと、彼女も振り返って俺の名を呼んだ。

 

「暮井さん……!」

 

 彼女、島田さんは数歩俺との距離を詰めてちょうど話しやすい位置に立った。

 

「どうしたの?こんなに汗だくで……」

 

 不思議そうに俺を見る島田さん。汗だく、と言われて少しハッとした。早く島田さんに吉報を伝えたい一心で走ってきたが、夏も近くなって来たこの時期にこんな汗まみれで嫌がられないだろうか?臭くないだろうか?でも今はさほど気にしてられなかった。せっかく走ってきたんだ。早く絵本の事を島田さんに言いたかった。

 とりあえず荒くなった息だけは整えようと島田さんに身振りで少し待ってと伝えて息を整えた。

 そして数秒。

 息を整えながらもう一つ気付くことがあった。絵本で今までより少し成功を収めることができた。それを島田さんに伝えるのはいい。でもどうやって伝えればいいか。それを全く考えてなかった。

 全てを説明すると微妙に長くなるし話としても大して面白くはない。簡潔に伝える一言はないだろうかと探して絞り出した言葉は………。

 

「………やったぜ!」

 

 よくわからない一言だった。

 

 

 

 

 ◇

 

 結局あれからシャワーを浴びた後、島田さんを部屋に招いて話をした。島田さんもちょうど俺に用事があって部屋を訪ねようとしていたらしく都合が良かったのだ。

 俺は島田さんをモデルにした絵本が完成して出版社に持って行った事。それが評判が良かった事。最優秀賞が取れるかもしれない、そうじゃなくても入賞は確実と言われた事。来週の打ち合わせの事まですべてを話した。

 

「暮井さんすごい……。この一ヶ月感頑張ってたから。私も頑張らなきゃ……!」

 

 と島田さんは俺の話を聞いてくれてそんな事を言ってくれた。すごい、と一言島田さんに言われただけで俺は編集者に褒められたのと同じくらい喜びを感じる。

 親父が絵本作家な俺と同じく親が自分の分野で高みにいる島田さん。しかも島田さんの場合は戦車道の由緒ある家系で自分で絵本の道を選んだ俺と違って生まれた時から戦車道の道を歩む事を定められていた。本人が戦車が好きと言っているから良いのだろうが、そのプレッシャーは俺のものとは比べものにならないくらい重いだろう。

 そんな島田さんを俺は勝手に夢追い仲間として、ある種のライバルのような存在として感じていた。そんな島田さんに褒められるともっと頑張らなければという気になれた。

 

「……話聞いてくれてありがとう。で、島田さんの用事っていうのは?」

「あ、うん。実は来週に戦車道の試合があって………」

「試合……っていうと島田さんが隊長をやってる大学選抜チームの?」

「うん、実は社会人チームとのエキシビションマッチなんだけど………」

 

 言いながら島田さんが取り出したのは試合のペアチケットだった。

 

「暮井さんにはいつも絵を見せてもらったり、友達を紹介してもらったり、いろいろ助けてもらってるからそれのお礼に………良かったら見にきて欲しくて………」

 

 島田さんが持ったチケットの日付がちらりと見えた。試合は来週の日曜日か……編集さんとの打ち合わせは土曜日だから日曜日なら大丈夫だ!

 戦車道については前々から興味があったし、島田さんが戦車に乗ってるのも見てみたい。

 なら俺が返す答えは決まっている。

 

「………ありがとう!絶対見に行くよ!しっかり応援するから!」

 

 言って俺はチケットを受け取る。

 すると島田さんはホッとしたように微笑んだ。

 

「でもペアチケットか………鈴木とか誘ってみようかな」

 

 鈴木。高身長爽やかイケメンな俺の学部の友人だ。彼なら島田さんとの共通の友人でもあるし、二人で一緒に応援できるだろう。

 こんな時に彼女の一人でもいればいいのだが、あいにくそんなものは俺にはいない。悲しい事だ。

 

「本当は一緒に会場まで行きたいんだけど私はチームのみんなと行かなきゃならなくて……」

 

 と申し訳なさそうに言う島田さん。

 

「大丈夫だよ、島田さんは試合に集中して!楽しみにしてるからさ!」

「うん」

 

 来週末は忙しくなりそうだなと思わず笑みがこぼれた。

 島田さんの応援もしなきゃいけないけど先ずは打ち合わせ用のネタを考えなきゃな。その日の夜はプロット詰めで結局寝れなくて次の日の授業は遅刻した。

 

 

 ◇

 

 あれから一週間。とうとう編集さんと約束した打ち合わせの日だ。俺はネタのプロットを書き込んだクロッキー帳を持って出版社に向かった。

 出発社にある打ち合わせ用のテーブルで編集者を待つこと数分、目当ての人物は現れた。

 

「ごめん暮井くん、待たせたね」

「いえいえ!」

 

 挨拶もそこそこに編集さんは席に着いた。

 

「えと……暮井くん。最初に大事な話をしようか」

 

 突然そう切り出した編集さん。

 大事な話?なんだろう。先週出した絵本の話だろうか。もしかしてもう賞が決まったとか……!?

 期待に胸を膨らませながらニヤつきを表に出さないように編集さんの次の言葉を待つ。、

 

「この前持って来てくれた絵本あったよね?」

 

 来た来た!やっぱり賞の話だ!!

 

「あ、魔女の話ですよね……!」

「そうそう。で、あの時入賞確実って言っちゃったんだけどさ、あれ無しになっちゃったんだ」

 

 そうあっさりと告げられた。

 

「…………え?」

 

 思わず声が漏れた。

 無し。

 その言葉が重く身体にのしかかる。空調の効いているはずの室内にいるのに背中からブワッと汗が噴き出した。思考が止まる。視界がぐらぐらと揺れて編集さんとの距離が遠くなったように感じた。

 

「ほんとごめんね暮井くん!実は同じようなネタですごいいいの描いてきた人がいてさ。編集長がそれを推しちゃって………」

 

 悲しみと怒りと惨めさ、そんな感情が俺の中を渦巻く。

 

「ほら最優秀賞って書籍化されて他の入賞作品も雑誌に載ったりネットで公開されるじゃん?だから同じ賞でネタが被ってるのって良くなくて……」

 

 その後も編集さんは謝りながら何かを言っていたが、俺はぐちゃぐちゃな感情を抑えるのに必死で話の内容は頭に入ってこなかった。ただただ頭の中がぐちゃぐちゃで、視界がぐらついていて、まるで第三者から自分を見ているようなそんな距離感の狂い、足元が揺れているような平衡感覚の狂い、何もかもがぐちゃぐちゃだった。

 

 そこからは何を話したかはよく覚えてない。新しく持ってきたネタの打ち合わせをしたが、何となくそれが好評じゃなかったのはわかった。褒められて浮かれていた先週と変わって俺は沈んでいて、褒めるような言葉は一度も出てこなかった。

 気付いたら出版社のロビーを出て空を見上げていた。

 

 なんだよ………なんなんだよこれ………。絶望感に煽られる。浮かれまくって、島田さんに賞が取れそうだって自慢して、恥ずかしい。恥ずかしすぎて惨めになる。なんだよやったぜって………馬鹿みたいだ。浮かれて汗だくになって走って………先週の事を思い出すたびに恥ずかしくて、惨めになって、後悔だけが俺の中に残る。

 堂々と往来に突っ立っているのも空を見上げているのも、それすら恥ずかしくなって体を縮こめてポケットの中に手を突っ込んだ。

 そこでハッと気づく。クロッキー帳とケータイを出版社に忘れた事に。きっと打ち合わせ用のテーブルの上だろう。なんだよ、こんな時に忘れ物って……なんでこんなに駄目なんだよ俺は………。

 

「ああっ!!」

 

 そんな自分に腹が立って中途半端に大きな声を出した。でもそれがまた惨めで他人の視線から逃げるように再び出版社に足を向けた。

 忘れ物を取ったらすぐに帰ろうと急いでエレベーターに乗り打ち合わせをした階に上がる。

 素早くクロッキー帳とケータイを見つけて手に取り、その場を立ち去ろうとした時、自分の名前が耳に入った。

 

「で、どうだった暮井先生の息子は?」

 

 否。これは俺の名じゃない。暮井先生、と言うのは俺の親父の事だ。

 なぜか俺は見つかるのが怖くて柱の陰に身を隠した。

 

「はぁ……」

「ほら、さっき君打ち合わせしてたでしょ?暮井先生の息子と。どうだったの?」

 

 どうやらさっきまで俺と話していた編集さんともう一人の編集者が話をしているようだった。

 

「いや……あれは駄目かもしれませんね。先週持ってきてくれたネタは良かったけどあれだけで………」

「………っ!!」

 

 思わず息を飲んだ。駄目。その言葉が心に重く突き刺さる。

 

「今日持ってきてくれたネタも正直イマイチで、暮井先生は天才ですけど息子はそんなにかもしれませんね」

「手厳しいね?」

「でも最初に他に似てるネタがあるからってボツにしたのは編集長じゃないですか………。絵だけはそこそこですけどそれだけです。暮井先生ほど才能があるとも思えなしい、正直向いてないのかもしれませんね」

 

 ポキリと。ポキリと何かが折れた。

 歪む視界で俺は歩き出して出版社を後にする。親父に比べて才能が無い。そんな事は分かっていた。同じ絵本の道を進んでいる俺が一番よくわかっている。でも、それでも絵本が描きたいから俺は今までやってきた。でも…………彼らの本音がはっきりと聞こえてしまった。

 駄目。イマイチ。才能が無い。向いてない。

 

「ははっ……」

 

 わかってたよ。薄々感じてた。そりゃそうだ親父は日本でも有数の絵本作家。そんなやつと比べたら才能なんて足りなくて当然だ。でも、でも俺だって頑張れば親父には届かなくてもやっていける。そこそこいい評価をもらって、そこそこファンもいて、親父とも絵本について語り合って、作家仲間としてやっていける。そう思ってた。

 でも違った。現実はもっと厳しくて、親父並みの才能が無いどころか俺は"向いていなかった"のだ。

 

 歩くのすら嫌になって俺は橋の上で立ち止まった。見おろすとそこそこ大きな川が流れている。橋の手すりに肘をかけるとクロッキー帳が視界に入った。

 ……腹がたつ。パラパラとめくる。さっきイマイチと言われたネタ達だ。こんな、こんな中途半端に描きたい気持ちがあるからこうして痛い目を見るんだ。こんなものがあるから……!!

 

「くそっ!!」

 

 カッとなってクロッキー帳を川に投げ捨てる。何かが失われて心にぽっかりと穴が空いたような感じがした。

 

「ははっ………」

 

 俺にはもう何も無い。恥と惨めさとそんなものしかもう手元にはなかった。

 でも軽くなった。大きくて大切なものだった気がするが、大きなそれが無くなった事で少しは動けるようになれた気がする。

 

「かっこ悪りぃ……」

 

 そう呟いて再び俺は歩き出した。

 視界はまだ歪んでいる。




まるで編集者さんを悪者みたいに扱ってしまいましたが、実際の編集者さんは普通に優しいと思います。
今作の編集さん達も別に特別悪い人たちじゃ無いです。


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第6話「似た者同士」

 結局、俺は打ち合わせのあと家に帰ってシャワーを浴びるとただ眠った。何もやる気が起きなかったからだ。目を覚ましたのは朝の日が出るか出ないかといった頃。

 何時だろうとケータイを見るとたくさんのメッセージが届いていることに気付いた。

 メッセージの送り主は鈴木。

 メッセージを開くと昨日から待ち合わせについて、俺が返事を出さないからか大丈夫か?など心配するようなメッセージもあった。

 

 そう言えば今日は鈴木と島田さんの試合の応援に行く約束をしていた。机の上にはチケットが二枚。正直今試合の応援にいく気分では無かったが、チケットを無駄にするのは島田さんに失礼だし、一日予定を空けてくれた鈴木にも申し訳ない。

 

 ケータイのメッセージを見ると集合は朝7時に駅前となっていた。昨日まで集合場所と時間を決めてなかったら鈴木が決めてくれていたようで助かる。試合会場が遠いから集合時間も早めにしたみたいだ。

 現在時刻は朝の五時。

 鈴木に連絡が遅れてすまない、七時にはちゃんと集合場所に行くとメッセージを送って外出の準備をした。顔を洗って服を着替えて朝飯を食って、いつも使っている外出用カバンを手に持つ。

 無意識にそのカバンの中にクロッキー帳を入れようとして、ふとそれが無いことに気づいた。

 

「そう言えば昨日河に投げ捨てたんだっけ………」

 

 今まで外出する時はクロッキー帳を必ず持っていって気になるものをスケッチしていたのだが………。

『向いていない』と昨日聞いてしまった編集者の言葉を思い出す。

 

「………っ」

 

 苛々してカバンの中の筆記用具をすべて取り出した。今は絵に関することに触れたくなかった。

 最後に気持ちを落ち着けるために水を一杯飲むと俺は部屋を出る。

 駅前まで歩いて行くと、すでに鈴木は改札の前で待っていた。

 

「おはよう暮井、昨日は来るか心配だったけど来てくれてよかったぜ」

 

 爽やかに笑う鈴木。

 

「……ああ、おはよう。連絡返せなくてごめんな」

 

 鈴木に俺も笑って返してみるが、今は少し笑顔を作るのが辛かった。

 

「………どうした、暮井。今日なんか元気なくないか?」

「い、いや……!そんな事ないよ。朝だからちょっと眠くてさ!」

「そっか………。ならいいけど」

 

 なんとか誤魔化せたようで内心ホッとする。

 元はと言えば俺が誘ったんだ。鈴木に変に気遣いなんてして欲しくない。

 ……ていうか少しは元気出さないとな。

 いくら気力がわかないとはいえせっかく島田さんがチケットをくれたんだ。楽しまなきゃ彼女にも一緒に来てくれる鈴木にも失礼だ。

 絵本のことを思い出すとやっぱり辛いけど、もう少し元気を出さなきゃ。

 

「じゃあそろそろ行こうぜ」

 

 鈴木のその言葉で俺達は試合会場に向かって移動を始めた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 大学選抜チームと社会人チームのエキシビションマッチが行われる会場。社会人との試合ということで、大学選抜チームの更衣室は緊張した空気に包まれていた。

 

「♪〜」

 

 しかし、そんな周りの空気を気にすることなく愛里寿は着替えながら鼻歌を歌っていた。知っている人が聞けばわかるボコの主題歌だ。

 

「や〜ん見て〜!隊長が鼻歌歌ってる、かわいい〜」

「あっ!見てアズミ!!ちょっと隊長笑ってる!!笑ってるわ!!」

「ほんとだ!あ〜もうかわいい〜」

 

 同じく緊張した空気を読まずに小声ではしゃいでいるのは副官のルミ、メグミ、アズミだ。

 

「あっ、そう言えば隊長今日の試合に友達呼んだって言ってたような……」

「だから機嫌がいいのね!くぅ〜」

 

 ルミの言葉に悶えるアズミ。

 

「そう言えば隊長、大学に入ってから雰囲気変わったわよね?」

 

 とメグミ。

 

「ああ〜確かに。門下生として隊長と接してる時はもっとクールだったっていうかなんて言うか………」

「あんまり私達や他の門下生とは話してなかったわよね。まあそんな隊長も可愛かったけど」

 

 ルミの言葉に付け加えるような形でアズミがそう言った。

 

「最近は隊長、前に比べて雰囲気が柔らかくなったわよね。私達ともだんだん喋ってくれるようになったし」

「もしかしたらその大学で出来た友達の影響で変わったのかも?」

「なんか私達以外にそんな仲のいい人がいると思うと悔しいわね………」

 

 確かにと同調する三人。三者ともこの場に居ない会ったことも無い人物に嫉妬するのもどうかと思ったが、それはそれとして悔しかったのだ。

 

「どうしたの?何だか楽しそう」

 

 突然副官三人以外の声が耳に入る。

 見るといつの間にか着替え終わっていた愛里寿がすぐ近くに立っていた。

 不意をつかれた三人はみんなして一瞬言葉を失う。三人とも正直に、隊長を見て盛り上がっていました。というのは流石に恥ずかしかった。

 

「……私には言えない?」

 

 しかし数秒沈黙が続くと愛里寿はハの字に眉を歪めてそんなことを言う。

 

「あっ……いや、その……隊長がなんだか機嫌良さそうだな〜って」

 

 その悲しげな表情を見て耐えきれるはずもなく、アズミが真っ先にフォローをした。(フォローと言っても正直に話しただけだが)

 

「隊長、この試合にお友達を呼んだって言ってましたよね!?どんな人なんですか?」

「あっ!それ私も!!私も聞きたいです!!」

 

 続いてルミとメグミも畳み掛けるように愛里寿に話しかける。

 お友達。その言葉を聞いて愛里寿が思い浮かべるのは一人の男の子。隣に住む優しい青年、暮井亮。そう言えば今まで彼のことをこの三人に話して居なかったな。そう考えると愛里寿は無性に彼のことを話したくなった。

 

「あ、あのね………私の隣に住んでる人なんだけど。絵が上手で、とっても優しくて、初めて私の友達になってくれて………」

 

 その衝動を抑えはせずに、愛里寿はゆっくりと言葉を選びながらポツポツ語り始めた。アズミ、メグミ、ルミも黙って次の言葉を待つ。

 

「たまに料理を作ってくれて一緒にご飯食べたり………私が友達作るのにも協力してくれたり……本当にいい人なの」

 

 嬉しそうにそう語る愛里寿。そんな愛里寿が微笑ましくて思わず副官三人も優しく笑みを浮かべて居た。

 

「えと……名前は暮井亮さんって言うんだけど……」

 

 しかし愛里寿がそう言った途端場の空気が変わり、数秒の沈黙が流れる。

 暮井亮。暮井、亮。亮。

 三人組の頭の中に亮の名前が反響する。

 沈黙に耐えかねて愛里寿が声をかけようとすると、三人は同時に口を開いた。

 

「「「男ーー!!??」」」

 

 そして全員同じ顔で驚愕の声を上げる。

 

「なっ……ななっ!男なんて聞いて無いですよ!!」

「しかも隣に住んでるんですよね!?」

「変な事とかされてないですか!?」

 

「変な事って……?」

 

 畳み掛けるように質問をしていた三人だが、愛里寿のその疑問に言葉が詰まった。

 顔を見合わせて三人で愛里寿に背を向けるとコソコソと小声で話し出す。

 

『ちょっとルミ何聞いてんのよ!!』

『ご、ごめん…!でも心配だったんだよ!隊長かわいいしその男がロリコンの変態だったらと思うと……』

『まあでもあの反応だと手は出されてないんじゃない?その男がロリコンの変態かどうかはわからないけど。これから手を出されるって事はあるかもしれないし…...』

『そうね……。でも隊長はその男の事どう思ってるのかしら?』

『友達って言ってたけど……』

『男となってくるとちょっとわからないわよね……』

『ちょっとメグミ、聞いてみてよ』

『ええ私!?ルミが聞いてよ!!』

『そうよ。ルミが言ったんだから責任持って聞きなさい』

『ゔぇ、アズミもメグミの味方?……はぁ。わかったよ。じゃあ………』

 

 会議は終わり、と言いながらルミは愛里寿に向き直る。そんなルミに続いてアズミとメグミも愛里寿へ振り返った。

 

「みんな……?」

 

 不思議そうにする愛里寿を前にしてルミはゴホンと咳払いをする。

 

「え〜と、隊長。隊長はその暮井亮……?さんとそういう関係だったりしませんよね?」

「そういう関係?」

 

 首をかしげる愛里寿。

 

「ええと、その………恋人同士だったり……とか?」

「………」

 

 愛里寿からの言葉は返ってこない。しかも俯いた状態で立っていたため、愛里寿よりも身長が高い三人の目には彼女の表情も見れなかった。

 

「隊長………?」

 

 ルミが屈んで愛里寿の顔を覗き込む。

 

「……っ!」

 

 そこで見たものは、頬を赤く染めた愛里寿だった。愛里寿はルミと目を合わせると驚いたのかバッと後ろに一歩下がる。

 

「あっ、いや……あの…………暮井さんと恋人同士とかって想像したら混乱しちゃって………」

 

 そして手をブンブンと振りながらそんな事を言った。いつもなら可愛い〜!と悶えるところだったが、今回は副官三人とも固まっている。そして全員冷や汗までかいていた。そんな彼女達の様子に気付かずに愛里寿は続ける。

 

「その………暮井さんとは何ともなくて、恋人とかじゃないから…………て、あっそろそろミーティングが始まっちゃう。私、準備していかなきゃ」

 

 みんなも早く着替えてきてね。と付け加えて愛里寿は更衣室を後にした。

 残されたアズミ、ルミ、メグミは愛里寿が出て行ったのを確認するとゆっくりと目を合わせる。

 愛里寿のあの赤面はどういう意味なのか。ただ単に恋人という彼女にとっては大人の関係に恥ずかしくなっていたのかどうなのか。本当に暮井亮という男とはただの友達なのか。そもそも彼はどういう男なのか。

 いろんな疑問が三人の頭に流れたが、同時に口を開いて出た言葉はこれだった。

 

 

「「「……怪しい!」」」

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 駅で集合した俺と鈴木は、電車に乗って島田さん達が試合をする会場まで向かった。

 会場は電車に乗って二時間と歩いて20分くらいの所だ。本当は車が出せれば楽なのだが、俺も鈴木も車を持っていなかったので電車で移動することになった。

 試合開始時間の一時間前に着くように集合したので軽く食事でもしていればちょうどいいだろうと途中の駅で降りて駅弁を買ったのだが、降りた駅になかなか電車が止まらず結局会場に着いたのは試合開始10分前のギリギリだった。

 

「危ねえ危ねえ……早めに集合してなかったら完全に遅れてたぜ」

 

 何とか俺たちは席を確保して腰を落ち着ける。

 会場は丘陵地帯。木々が生い茂っているところとダートが半々くらいの試合をするのにちょうど良さそうな場所だ。観客席は会場から少し離れた高台にあり、大きなモニターの前にズラーっと席が並んでいた。

 プロの公式戦でも無いのに以外と人は多く、席の8割くらいは埋まっていた。

 

「なぁ、あれ島田さん達の戦車じゃ無いか?」

 

 鈴木の指差す方向を見ると、確かに戦車がずらっと並んでいるのが見えた。鈴木は受け付けで借りた双眼鏡を除く。

 

「やっぱりそうだ。あのマーク島田さん達のチームだよ」

 

 見てみろよ、と鈴木に双眼鏡を渡されて戦車を見る。こうしてみると戦車って大きいんだな、というふわふわした感想が湧いてきた。

 

「なあ暮井。やっぱり今日元気ないな、本当に無理してないか?」

「え、ああ。大丈夫だよ…………。今朝も言ったけどちょっと風邪気味なだけだからさ」

「う〜ん………。ならいいけどさ」

 

 結局あれから俺は元気を出すことができず、こうして鈴木はちょくちょく気を使ってくれていた。せっかく俺が誘い、島田さんがチケットをくれたのに落ち込んでちゃ二人に失礼、と思いつつもやっぱり重たい心はそう簡単に軽くはならなかった。

 出来るだけ鈴木に気を使わせないようにと風邪をひいている事にしたのだが、彼はいまいち納得できてない様子だった。

 ちらっと時計を見ると時刻は午前九時五十九分を指していた。そろそろ試合が始まる。元気が無くてもなんでも島田さんの応援だけはちゃんとしないとなと頬を軽く叩くと、ちょうど号令が入った。

 

『只今から、東葉ガス対大学選抜チームの試合を始めます。双方、礼!!』

 

 観客席から見える場所で島田さん達と、社会人チームの人たちが礼をしているのが見えた。その後、十分ほどを掛けて互いの戦車の位置まで戻ると、再び『試合開始!!』と号令が入り、試合が始まった。

 

 エンジンを唸らせて戦車が動く。

 大学選抜チームの戦車が撃ち、社会人チームの戦車から白旗が上がった。

 今度は社会人チームが撃ち、大学選抜チームから白旗が上がる。平地での打ち合いでは島田さん達が少し押されていた。

 戦車が白旗をあげるたびに観客が一喜一憂し、鈴木はがんばれー!と声を上げて応援していた。

 俺も鈴木と一緒に彼女達を応援する。必死に戦車を動かしている選手達が俺には輝いて見えて、夢を諦めたばかりの俺には少し眩しかった。そんな彼女達を見て心が締め付けられながらも、戦車の砲撃、履帯が回る音、舞う土煙に俺は夢中になっていた。

 俺は食い入るように試合を観る。

 

 

 ーーーここまでは。そう、ここまでは良かったんだ。ここまでならスポーツ観戦で友達の応援をして気分転換になりましたで終わっていただろう。

 けど彼女は、島田愛里寿はそれで終わる少女ではなかった。

 

 

 気付いたら試合の様子は大きく変わっていた。

 明らかに社会人チームよりも大学選抜チームの車両が少なくなっている。

 残った車両がなんとか森の中に逃げ込み体制を立て直そうとするが、それでも車両の数は減っていく。

 

 ーーー同じだ。

 

 優秀な絵本作家である父親を持った俺が、父のように絵本で成功できなかったように、戦車道の家系に生まれた島田さんもこの試合に負けてしまうのだろうと。

 偉大な親の存在によって生み出された大き過ぎる期待とプレッシャーに凡人はやはり勝てないのだと。そう島田さんに自分を重ねた。

 

 けど、違った。

 

 今まで後ろに下がっていた島田さんが突然前線に突っ込んでいった。それも仲間を連れてではなく単身で突っ込んだのだ。

 

 最初はどうしたのだろうと。悪足掻きの最期の特攻なのかと思ったが、それは違った。

 島田さんが単騎で動き始めると、みるみるうちに社会人チームの車両数が減っていった。

 一両ずつ確実に砲弾を浴びせて白旗を上げさせる。時には三両に囲まれるような状況もあったが、苦しそうな様子もなく返り討ちにする。

 周りの観客達も、鈴木もそれを見て大盛り上がりしていた。

 俺も気づけばその姿に見惚れていた。

 いつもの穏やかな雰囲気じゃなく、研ぎ澄まされたナイフのような鋭い迫力を持った島田さん。

 そんな彼女を見ているとドキドキした。

 でも同時に胸の深いところがズキズキと痛んだ。

 彼女は本物なのだ。島田愛里寿は本当の才能の持ち主だ。日本の戦車道の二代流派の一つ、島田流の名に恥じない本物の天才なのだ。

 俺みたいな偽物とは違う。

 

『暮井先生は天才ですけど、息子はそうでもないかもしれないですね』

 

 編集者の言葉を思い出す。

 そう、俺はただの凡人。プロ作家の父親や島田流の後継者として才能を受け継いでいる島田さんとは違う。

 前に彼女と話した時に、俺と島田さんは同じ偉大な親を持ったプレッシャーに悩まされる似たもの同士だと考えたことがあった。でもそれは大きな間違いだ。

 

 ーーー何が似た者同士だよ。

 

 島田さんはキラキラとした何かを持っていて、俺はどうしようもなく持っていない。

 似た者同士どころか真反対の存在だ。

 

 結局、試合は島田さん達大学選抜チームが勝った。島田さんが単騎で何両も落とした後に勢いがついたのか、一気に勝負は決まった。

 

「やっぱ島田流はすごいな!!」

「島田愛里寿って言ったっけ?彼女は本物の天才だよ」

「日本の戦車道は彼女があれば安泰だな!」

 

 周りにいた観客のそんな声がいくつも聞こえた。島田さんを賞賛する声が耳に入るたびに、彼女と俺の差を突きつけられてるようでどんどん自分が情けなくなった。

 モニターには仲間達から笑顔を向けられて勝利の達成感に浸りながら嬉しそうに笑う島田さんが見えた。

 

 それを見た瞬間胸が潰れたように痛み、耐えきれなくなった。

 

「鈴木、ごめん。俺帰る………」

 

 それだけ言い残すと俺は席を立ち、走って会場を後にした。

 

「なっ!おい!待てよ暮井!!」

 

 呼び止める鈴木の声が聞こえたが、気にせずに走る。走って、走って。気付いたら駅に着いていて、少し気が落ち着いたのか何かが胃から込み上げてきた。急いでトイレに駆け込み大便器の便座を上げてぐちゃぐちゃになったそれを吐き出した。それと一緒に涙や、情けなさが溢れてくる。

 

「うっ……くそっ………何やってんだよ俺………!」

 

 空っぽだ。

 どうしようもなくもう、空っぽだった。




今回も久々の更新になってしまいました……


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第7話「雨」

令和でもよろしくお願いします。


「ええと……」

 

 俺は食堂で一人、昼食のパンを食べながらスマホの画面で次の授業の教室を確認する。

 

 大学選抜チームと社会人チームの試合から一週間が経つ。あの時俺は一緒に試合を観戦していた鈴木を置いて一人で逃げるように試合会場を去った。

 帰宅してから具合が悪かったから帰ったという嘘と謝罪の言葉を連ねたメールを鈴木と島田さんに送ったが、次の日は罪悪感や情け無さで一日中家に引きこもっていた。

 

 しかしそうやってずっと家に籠っているわけにもいかない。俺が勝手に絵本で失敗して、戦車道に成功している島田さんにコンプレックスを感じているだけだ。鈴木にも心配かけるだろうし、これ以上何かから逃げるのは嫌だったので学校だけはちゃんと行く事にした。

 

「よう暮井、ここいいか?」

 

 突然声を掛けられて顔を上げると鈴木が居た。俺が返事をする前にラーメンが乗ったトレイを机に置いて俺の正面に座る鈴木。

 島田さんの試合以降正直少し気まずかったが、断るほどでもないのでそのまま食事を続けた。

 

「なあ、暮井」

 

 それから数分互いに無言で食事をしていたのだが、ふと話しかけられた。

 

「お前、体調はもう良くなったんだよな?」

「………ああ」

 

 鈴木の問いかけに目線を下げたまま答える。

 

「……でも元気はねえよな」

「…………」

 

 今度は答えられなかった。

 元気がない。

 そうかもしれないな。絵本を捨て、島田さんの試合からは逃げ、とりあえず何かにしがみついていたくて学校にだけは行っている。そんな状態だ。遊びに行ったり友達と話したり、とかそんな事は試合後の一週間していなかった。

 

「何か悩んでるんだよな、きっと。俺でよかったら相談に乗るぜ?」

 

 その言葉に顔を上げて鈴木を見ると、俺を真っ直ぐ見て優しく微笑んでいた。相変わらず鈴木はイケメンだな、なんて思った。そしていい奴で、真っ直ぐだ。

 鈴木も何か向いている事があって、成功している側の人間なのかもしれない。そう考えると鈴木の真っ直ぐな視線が辛くなって思わず目を逸らしてしまった。

 

「………心配かけてごめん。でもすぐ元気になるからさ」

 

 俺は鈴木に視線を戻し、愛想笑いを浮かべながらそう言った。

 

「………そうか。まあ、それならいいけどな」

 

 言いたくなければ言わなくてもいい。鈴木はそんな様子だった。ああ、こいつやっぱりいい奴だ。でもだからこそ優しさが辛かった。

 

「でもよ、暮井。あれから島田さんとちゃんと話したか?」

 

 島田さん。

 その言葉が鈴木から出るだけでズキリと胸が痛んだ。

 

「あ、ああ。何回かは話したよ」

 

 咄嗟に嘘をついた。

 試合後に挨拶もせずに逃げ帰ってしまったから気まずいというのもあって、あれから俺は島田さんと話していない。

 別に島田さんの事が嫌いになったわけじゃない。ただ俺なんかが彼女の隣にいて良いのか、才能のある彼女と俺じゃあ友達として釣り合わない。そんな気がして島田さんを避けてしまっていたのだ。

 

「………まあいいか」

 

 俺が嘘を付いたのを察したのかそれともただ返す言葉に詰まったのか、鈴木は一呼吸置くとそう言った。

 

「とにかく島田さんも心配してたからよ。早く元気になれよ!」

 

 言いながら鈴木はトレーを持って席を立った。

「じゃ、俺次小テストだからさ!」とこの場を去る鈴木をなんとなく目で追っていると、ふと立ち止まるのが見えた。彼の目の前に居たのは島田さんだった。片手を上げて挨拶をする鈴木と軽く会釈をする島田さん。

 ここからだと何を話しているかは聞こえなかったが鈴木が俺の方を指差して居るのが見えた。

 島田さんがそれにつられて俺の方を見る。

 

「っ!」

 

 目が合ってしまった。

 彼女もそれに気づいたのかほとんど無表情だった顔が少し緩んだように見えた。

 だが、俺はすぐに島田さんから目を逸らす。

 俺は島田さんに気付いていないようなそぶりで食べかけのパンを袋に戻し急いで席を立つ。そして島田さんが居る方とは反対側に歩き出した。少し申し訳ないと思いつつも、距離が離れてホッとして居る自分に嫌気がさした。

 

 でも仕方ないんだ。俺と彼女は釣り合わない。今一緒にいても、自分の無能さを突きつけられて居るようで正直辛いだけだ。

 これはどうしようもない。仕方ないことなんだ。

 そう自分に言い聞かせて俺はまた逃げた。

 

 

 

 ◇

 

 

「あっ……」

 

 思わず愛里寿は声を漏らした。

 

「ん、どうした?」

 

 彼女の目の前に立つ鈴木が心配そうに愛里寿を見る。

 

「その………暮井さんが………」

 

 悲しそうな目をする愛里寿。その視線の先を見ると背中を向けて歩き出した暮井亮の姿があった。

 

「あっちゃ〜。タイミングが悪かったな〜。まあそんな悲しい顔すんなよ。暮井とはお隣さん同士なんだろ?またいつでも話せるさ」

 

 そう言って励ます鈴木の言葉も、愛里寿の頭には入ってこなかった。

 目があった気がしたのに、亮は愛里寿に背を向けてどこかへ行ってしまった。いや、“目があったから”かもしれない。

 

 …………やっぱり私、避けられてるのかな。

 

 そんな考えが頭をよぎり、「はぁ……」と愛里寿はため息を漏らした。

 

 

 

 

『………はぁ』

 

 ───そんなため息を聞いたのは何度目だろう。

 戦車道の大学選抜チームで副官を務めるアズミ、メグミ、ルミは同時にそう思った。

 練習後のロッカールーム。そこでため息の主、島田愛里寿は落ち込んだ表情を浮かべていた。

 本来なら練習後は賑やかな雰囲気のロッカールーム。今日は社会人チームに勝ってからまだ一週間しか経っていない。むしろいつもより賑やかでもいいはずの場所は、暗い雰囲気に満ちていた。

 原因は隊長である島田愛里寿だ。

 練習中は落ち込んでいる様子を外に出さないものの、戦車から少し離れるとすぐにため息をついて暗い表情をするのが最近の愛里寿の常となっていた。

 そんな彼女を心配してか、他の隊員も引きずられてチーム全体が暗い雰囲気を纏ってしまったのだ。

 

 そんな隊員達の事も気づかず愛里寿は黙々と着替えると一人、愛里寿はロッカールームを後にした。

 ……ふぅ。と誰かの気が抜けたような声が部屋に響き、少しだけ暗い雰囲気が明るくなる。

 

「やっぱり隊長、元気ないわね」

 

 とアズミ。

 

「一週間前の試合からよね」

「あれよ、隊長の友達が途中で帰っちゃったから」

 

 続けてメグミとルミ。

 

「全く、途中で帰るなんてあり得ないでしょ!!もう一人の鈴木くんって子はいい子だったしイケメンだったけど」

「あ、ルミもしかして狙ってる?」

「アズミ、今はそんな話をしてる場合じゃないでしょ。確かに鈴木くんはイケメンだったけど………今は隊長をなんとかしなきゃ」

「でもなんとかするって言ったってなぁ………私達も隊長の事をすごく知ってるわけじゃ無いし………」

 

 ルミのその言葉を境に三人はう〜んと唸りながら会話が止まる。

 少し間を空けて、メグミがポツリと呟いた。

 

「隊長の好きなものって言ってもボコくらいしか知らないし………」

 

 さらに沈黙が流れる。……が、アズミとルミは何かに気付いたように同時に「あっ!!」と口を開いた。

 

「そうよそれよ!ボコのなにかをプレゼントしてあげればいいんじゃない!?」

「好きなものを貰えば嬉しくなるもんでしょ!!」

 

 そんな二人の主張にメグミも「確かに……」も頷く。

 

「あ、でもグッズとかだと被っちゃったりするかも………。ほら、隊長だいぶ前からボコ好きだったじゃない?きっとグッズもたくさん持ってるハズよ」

「あ、それはあるかも…………」

「じゃあ被っても困らないものにするとか?キャラクターものの図書カードとかよくあるしそういうチケット系ならいいんじゃない?」

「おっメグミ頭いい〜!」

 

 パチンと指を鳴らしながらルミが言った。

 

「でも、ボコって結構マニアックなキャラだしそんなのあるのかしら……」

 

 しかし、そのアズミの言葉で議論は止まってしまう。

「う〜む」と唸りながらスマホでボコのグッズを調べ出すメグミ。何回か画面をスワイプし、“それ”は見つかった。

 

「あったわ……これ………」

 

 メグミはスマホの画面を二人に見せる。

 

「「ボコミュージアム………入場チケット……?」」

 

 画面を見たアズミとルミは同時そう言った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 戦車道の訓練を終え、電車に乗って一人暮らしをしているアパートへと帰る愛里寿。

 ガラガラの電車の隅っこの席に座って、「はぁ……」と今日何度目かわからないため息をついた。

 彼女の手にはスマートフォン。画面には亮に送ったメッセージが写っていた。

 送った内容はたった一文。

『暮井さん、もう体調は平気ですか?』

 ただそれだけだった。

 送った日時は四日前の朝十時。

 しかしそのメッセージに返事はない。どころか既読すら付いていなかった。

 

「……やっぱり避けられてる」

 

 そう呟くとさらに愛里寿の表情は沈んだ。

 気分が落ち込んでいるからか、頭も痛いしぼーっとする感じもした。

 一週間前の試合から彼女と亮は一度も話せていない。以前はお隣さんなこともあって一緒に学校へ行ったりもしていたが、亮が早めに家を出ているらしく一緒に歩く事は無かった。

 一緒に受けている授業ではいつも近い席に座っていて授業が終われば二人でご飯を食べていたのだが、最近は離れた席に座り授業が終わると亮はすぐに居なくなってしまう。

 さらに送ったメッセージの無視。

 そして今日。食堂で目があったはずなのに気付かないふりをされてしまった。もしかしたら本当に気付かなかっただけかもしれない、とも思ったがそれ以前に明らかに避けられているような行動を取られている。

 それを考えるとやっぱり今日も“避けられた”のだろう。

 

「………っ!」

 

 改めて認識すると胸が痛んだ。

 愛里寿は気を紛らわせるために開いていたメッセージを閉じ、画像フォルダのボコを見る。

 画面をスワイプし、たくさんのボコの画像を見る。しかし愛里寿の気持ちは晴れることはなかった。いろんな画像を表示していると、ふとボコ以外の写真が目に留まった。

 

「あっ……」

 

 その写真には、テレビに映るボコをバックに笑っている愛里寿と亮の姿があった。ボコの映画を亮の部屋で見たときに記念にと撮ったものだ。どちらが言い出して撮ったものだったか……。それは思い出せなかったが、あの時間が楽しかったものだったのは覚えていたし、写真の愛里寿と亮は楽しそうに笑っていた。

 今ではこんな写真。きっと撮ることはできない。

 

「暮井さん……」

 

 思わず愛里寿は名前をつぶやいた。

 それと共に胸が痛み、喉が閉まって息が苦しくなる。次に溢れてきたのは涙だった。

 

「暮井さん……暮井さん……!」

 

 今まで当たり前のように仲良くしてくれていた亮。

 飛び級したせいで同世代の友人がおらず、寂しい思いをしていた愛里寿を救ってくれたのは亮だった。亮のおかげで鈴木と知り合い、苦手だった人との会話が少し出来るようになった。おかげで戦車道のチームのみんなと少し距離を縮めることが出来た。

 わがままを言って二人で参加した映画研究会の新歓。怖い先輩に絡まれた時も亮が助けてくれた。そして一緒にボコの映画を見てくれて、ボコの絵もくれて、一緒にご飯を食べて………。

 

「私、何か悪いことしたのかな……」

 

 やっぱり頼りすぎたのだろうか。迷惑をかけすぎたのだろうか。

 

 ───もう仲良くはなれないのかな。

 

 愛里寿は一人嗚咽を漏らす。

 電車の音はそれを掻き消してはくれなかった。

 

 

 

 愛里寿も少し落ち着いた頃。電車は彼女のアパートの最寄駅へ着いていた。改札を抜けて駅の外へ出る。しかし外は弱めの雨が降っていた。

 予報では雨じゃなかったのに……。と愛里寿は内心腹が立った。いつもはこんな事では何とも思わない彼女だったが、亮のこともあって精神がすり減っていたのだ。

 イライラしたからか何となく感じていた頭痛がひどくなり頭を抑える。

 

「とりあえず帰らなきゃ……」

 

 これくらいの雨なら傘がなくても平気だろうとぼーっとした頭で考えて愛里寿は歩き出した。

 

 

 

 

 ◆

 

 

「うわ、雨か……」

 

 四限の授業が終わり、外に出ると雨が降っていた。予報では晴れだったから傘なんて持ってきていないぞ。まだ雨弱いみたいだから今のうちに走って帰るか?

 

「暮井!今から帰りか?」

 

 そんな事を考えていると突然声をかけられた。振り向くと人懐っこい笑みを浮かべた鈴木が立っていた。

 鈴木は腕にバレーボールを抱えている

 よく見ると昼間の格好とは違い運動しやすい半袖短パンに着替えていた。

 

「これからサークル?」

「そっ!暮井は帰りか?」

「ああ、もう授業も終わったしね」

 

 そう答えると鈴木はうむ、と頷き「じゃ、サークルがあるから!」と背を向けて去っていった。

 サークルか……。

 そう言えば映研の新歓に島田さんと一緒に行ったな。あの頃は島田さんの凄さをいまいち気付いてなくて俺がフォローしなきゃなんて恥ずかしい事を考えていた。

 きっと俺なんかが居なくても島田さんならなんとか出来ていたに違いない。

 

「……っ!」

 

 俺は恥ずかしくなって左手で顔を抑えた。

 ああもう、何考えてるんだ。

 そんな思考を振り切るように俺は雨の中を走った。家までは徒歩十五分。走れば十分以内に着く。

 しかし、いくら弱めの雨とはいえ家に着く頃には上半身はびしょ濡れになっていた。

 走ってきたため水が跳ねて靴の中もぐしゃぐしゃだった。

 

「早くシャワー浴びないと……」

 

 アパートに着き、二階の自室に向かうために階段を登る。そこでにゃあ、という鳴き声が聞こえた。

 ちょうど俺の部屋の前に太った黒猫、ボスが居た。いつも飯をたかりに来る黒猫だ。最近は来てなかったから何かあったのかと思ったが、どうやら無事みたいだ。

 

「雨で体冷えただろ。待ってろ今お湯とご飯を………」

 

 そう言いかけて気づいた。

 ボスが何かを持っていることに。屈んで見てみると、それは何かの缶詰だった。

 缶詰は半分開かれており、ボスはその隙間に舌を入れて中身のものを食べていた。

 

「何だよ……それ……」

 

 初めて出会った時は他の野良猫に喧嘩で負けて食料を手に入れられなかったボス。それを餌をあげて助けた時からの付き合いだったが、とうとうボスは自分の力だけで餌を手にすることが出来るようになったみたいだ。

 

 ──俺だけだ。

 島田さんは戦車の天才で、ボスまで自分の力で生きていけるようになって、俺だけ何も成長していない。

 

 そんな事を考えた時だった。

 カツン。と階段の方から音がする。

 音のした方を見ると、そこには全身を濡らした島田さんが立っていた。

 



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第8話「彼女の気持ち 前」

前回の更新話の直後のお話になっています。
劣等感から愛里寿を避けていた暮井が雨の日にアパートでばったりと愛里寿に出会ってしまうところからスタートです。


「あっ……」

 

 目があって思わず声が漏れる。

 数秒間、お互いに動きが停止した。

 雨がアパートの屋根に当たる音だけがカツカツと響く。

 どうしようどうしよう! 

 別に島田さんの事を嫌いになったわけじゃない。ただ俺と比べて持っている人で、色んなことから逃げ出してしまった俺がそばにいるのが恥ずかしくて、気まずかった。劣等感を感じていたんだ。

 だから避けてきたのだが今回ばかりは会わなかったことにする、というのは無理そうだった。

 

 にゃあ、と足元でボスが鳴く。

 それを合図に俺は口を開いた。

 

「え……し、島田さん久しぶり!」

 

 そんな俺の言葉に島田さんは何かを言おうと口を開くが、結局何も言わずにコクリと頷いた。

 ていうか何だよ久しぶりって! もっと言うことあったんじゃないのか? 

 

「あ……あの……」

「あー、じゃあ俺シャワー浴びたいから!」

 

 言いながら逃げるように自室のドアを開く。

 島田さんが何か言いかけていたが、気付かないふりをする。

 

「島田さんも早くシャワー浴びなよ」

 

 そう言って部屋の中に入ろうとした時、ドサッと鈍い音がした。

 

「……え?」

 

 見ると島田さんがその場でうつ伏せに倒れていた。

 

「ちょ、ちょっと大丈夫!?」

 

 急いで駆け寄って島田さんの身を起こす。

 しかし彼女は苦しそうな呼吸繰り返すだけで俺の声には答えなかった。

 そこで島田さんの顔が少し赤くなっていることに気づく。まさかと思いそっと手を彼女の額に乗せる。

 

「あつっ……」

 

 思わず呟いた。

 でもやっぱりだ。雨で体が冷えたためか、熱が出てしまっている。それもかなり高熱だ。

 一体どうすればいいのかと考えていると、彼女は体を震わせながら立ち上がった。

 

「し、島田さん……?」

「だ、大丈夫……だから……」

 

 そう言って自室へと歩き出すが、いつ倒れるかもわからないくらい体はふらついていてとても大丈夫には見えない。

 

「暮井さんに迷惑をかけるわけには……」

 

 彼女はそう言いながら自室の鍵を開け、扉を開く。だがそこで気が緩んだのか、再び体勢を崩して倒れそうになる。

 

「島田さん!」

 

 俺は咄嗟に肩を抱き、彼女の体を支えた。

 

「無理しちゃ駄目だよ!」

「でも……」

 

 そう返す言葉はとても弱々しく、今にも消えてしまいそうだった。島田さんはそれでもふらつきながら一人で立ち上がる。

 しかし自室に入ると、すぐに玄関付近の壁に背を預けて座り込んでしまう。

 自重で閉まりそうになる扉を足で抑えて俺は再び島田さんに話しかけた。

 

「本当に無理しちゃだめだよ! こんなに濡れて……熱もあるのに、ちょっとここで待ってて! タオルと何か温かい飲み物を──ー」

「駄目っ!」

 

 だが俺の言葉は島田さんに遮られてしまう。

 

「私もう、暮井さんに嫌われたくない……」

「……え?」

 

 嫌われたくない……? 

 どういう事だ。何故今彼女の口からそんな発言が出てくるんだ……? 

 

「私、今まで暮井さんに甘えてばかり居た……たくさん迷惑かけて……だから暮井さんは私を避けはじめた」

「なっ……!」

 

 それを聞いて俺は胸が締め付けられるのを感じた。

 俺、島田さんに何言わせてんだ……! 

 そうだよな。落ち込んで俺の存在なんかとても小さなものだと思ってた。そして島田さんは手の届かないほど大きなものだと思った。

 だから俺が島田さんを避けたって気付かれない、気付いたとしても特に何も思われないとどこかで考えていたのかもしれない。

 いや、きっとそうだ。そうやって自分の事情で彼女の気持ちなんか深く考えずに動いてたんだ。

 

 そうだよな。

 俺と島田さんは友達なんだ。

 友達に突然避けられ始めたらショックだなんて事は簡単にわかるじゃないか! 

 しかも島田さんはまだ十三歳の少女だ。そんな歳の頃、仲のいい友人から突然避けられ始めたら俺だったらどう思う? 

 きっと死にたくなるくらい苦しい。毎日毎日泣きたくなるくらい悲しい。

 それを俺は彼女に押し付けたんだ。

 

「…………っ!!」

 

 気付かないうちに思いっきり奥歯を噛み締めて居た。ごりごりと嫌な音が鳴る。

 

「暮井さん……?」

 

 島田さんの不安そうな視線と目があった。

 今も彼女はまた嫌われたんじゃないかと怯えているのだろうか? 

 そんなの駄目だ。駄目だろ俺! 

 はやく誤解を解くんだ! 本当の事を話して……。

 そこでふと気付く。

 島田さんの体が小刻みに震えている事に。

 寒いのか不安なのかどちらか、もしくは両方か。

 

「島田さん」

 

 立ち上がりながら名を呼ぶ。

 震えながら俺を見上げる彼女としっかり目を合わせる。まずは彼女の震えを止めたい。俺が今一番はやく力になってやれる事はそれだと思った。

 

「ちょっとここで待ってて。タオルと着替え持ってくるから」

 

 そう言って俺は一旦島田さんの部屋から出ると急いで自室に戻る。

 そしてタンスの中にある柔らかめのタオルをいくつかと暖かそうなフリースを取り出した。それらを持って島田さんの部屋へ戻ろうとした時に、床を踏む自分の靴下がびちゃびたゃに濡れている事に気付いた。

 そう言えば俺もまだ帰ったばかりだったな。

 急いで島田さんの元へ戻りたかったが、俺がこんな状態じゃ彼女の事を濡らしてしまうかもしれないしこんなびしょ濡れのやつに部屋の中に入られるのは嫌だろう。

 俺は急いで服を脱いで濡れた体をタオルで拭いた。髪はすぐに乾きそうになかったが、ポタポタと水滴が垂れてくるほどは濡れていなかったので軽く拭くだけでよしとする。

 適当に乾いた服に着替えると、俺は島田さんの部屋に戻った。

 扉を開けると相変わらず辛そうに玄関で座り込む島田さん。

 

「暮井さん?」

 

 一体何をするつもりなのかと言いたげな彼女を無視して俺は持ってきたタオルとフリースをフローリングの上に置き、バスタオルを一枚手に取る。そしてそれを島田さんの頭に優しく被せた。

 俺は島田さんの正面にしゃがむとタオルで髪の毛を出来るだけ力を入れないように拭き始めた。それと一緒にタオル越しに頬に手を当てて顔も拭く。痛くないようにゆっくりと手を動かした。

 

「……どうして?」

 

 少し声を震わせながら言う島田さん。

 タオルの隙間から覗く彼女の視線と目があった。

 彼女は不安なんだ。俺が島田さんを嫌ってるんじゃないかと。それになんで自分のことが嫌いなのにこんな事をするのかと。

 なんて答えればいいのか少し悩む。

 

 

「…………俺、島田さんの事好きだよ」

 

 そして絞り出した言葉がそれだった。

 とにかく俺は島田さんの事を嫌ってなんかいないし迷惑だなんて思ってない。

 それをわかってもらうには自分の素直な好意をぶつけるのが一番だと思ったからだ。

 でも面と向かってこんな事を言うのは少し恥ずかしかった。

 

「えっ……?」

 

 俺の言葉を聞いた島田さんは大きく目を見開いた。島田さんのこんな顔を見たのは初めてかもしれない。

 しかし数秒後、島田さんは俺から顔を逸らしてしまう。いまだ彼女の体は震えていた。まだ不安がられているのだろうか? 顔を逸らされた事で見えるようになった島田さんの真っ赤な耳。

 熱のせいだろうか? 

 もしかしたら俺が思っているよりかなり熱も高いのかもしれない。はやく拭いて───いやこれはまさか…………。

 そこでようやく気付く。自分が失言をしていた事に。

 島田さんの事好きだよ……だなんていくら焦っていたとはいえ言葉が足りないにも程があるだろう!! 

 

「あっ、あー……違うんだ! その、好きっていうのは変な意味じゃなくて!! 尊敬できる友人としてであって異性としてってわけじゃなくて!! だから……その……」

 

 言葉が詰まる。

 はぁ、と一度大きく息を吐いて仕切り直す。

 

「とにかく! 俺は別に島田さんの事を迷惑だなんて思ってないし、嫌ってなんかいない。それだけはわかって欲しい」

 

 その言葉で島田さんは俺の方へ向き直ってくれた。再び目が合う。

 少し恥ずかしそうにモジモジと体を揺らす島田さん。ああ……勘違いさせてごめんほんとに……。

 

「あ、あの……」

「何?」

「ほんとに…………本当に迷惑じゃない?」

「……うん」

「本当に嫌いじゃない?」

「もちろん」

「そっか…………」

 

 何か安心したように微笑む島田さん。

 いつの間にか体の震えは止まっていた。

 そして気付くと島田さんは目を瞑りながらすぅすぅと規則正しく息を吐いていた。

 

「…………あれ?」

 

 これ寝ちゃってないか? 

 何度か名前を呼んだり肩を揺らしてみるが起きる気配はない。

 

 ど、どうしよう! まだ体ちゃんと拭けてないし服も着替えさせて無いから濡れたままだ……! このままじゃ体調が悪化しちゃうけど…………。

 

 ゴクリと息を飲む。

 

 もしかして、俺が着替えさせなきゃ駄目なのか? 

 

「……いやいやいやいや!!」

 

 いくら看病とはいえそれはまずいだろ! 島田さんだって勝手に肌を見られるのは絶対嫌がるだろうし。

 もう一度島田さんの体を揺する。

 

「起きて! 起きて島田さん!」

 

 しかしやはり起きる気配は無い。

 今度は頬をペチペチと叩いてみたがこれでも全く起きない。

 

 どうする……濡れたままベッドに寝かせるか? 

 いや、でもそんな事したらベッドも汚れるし体調だって悪化しそうだ……。

 やっぱり俺がやるしか…………。

 

「…………っ」

 

 緊張で喉を鳴らしながらスカートのサスペンダーに手をかける。

 そうだ、冷静に考えれば島田さんはまだ十三歳。ほんの一年ちょっと前まで小学生だったんだ。小学生の体になんか流石に興奮はしない。俺はロリコンじゃないからな。だから島田さんの体を見ても大丈夫。いや、出来るだけ見ないようにするけど大丈夫なんだ。変な気も起きないしそもそもなんとも思わない。

 だから大丈夫。

 自分に言い聞かせるように心の中でブツブツ呟いて覚悟を決めると出来るだけ急いで島田さんのスカートを脱がせた。

 

「…………っ!!」

 

 すると、中にシャツを着込んでいたせいで所謂裸ワイシャツのような、というか裸ワイシャツそのものの状態になってしまった。

 こ、これは……!!! 

 細くてかつ柔らかそうな足がシャツの下から伸びていた。それになんだか島田さんから甘い女の子らしい匂いがする。

 

「大丈夫だ。俺はロリコンじゃない、ロリコンじゃない!」

 

 自分にそう言い聞かせながら急いで濡れた島田さんの脚を拭く。

 なんとゆうか、やっぱり柔らかい。こんなに細いのに、折れてしまいそうなくらいなのにやわからい。男にはない心地のいい手触りにどうにかなりそうだったが何とか水気を拭き取りスウェットを履かせることに成功した。

 ふつうに履かせただけではぶかぶかだったので出来るだけ裾をまくってやったり腰の紐をきつめに結んでおく。

 

「はぁはぁ……次は、上か……」

 

 今度は島田さんのシャツのボタンを外していった。胸に触るのは流石にまずいと細心の注意を払って居たが、ボタンを外す際に呼吸で上下する胸が手の甲に当たってしまう。

 

「っっっ!?」

 

 ぷにっと。柔らかい感触が伝わってきた。

 これが…………これがおっぱ───いやそれ以上は駄目だ!! 

 いけない思考を振り切って俺は島田さんの着替えを続行させる。

 それからは出来るだけ無心で作業を進め、なんとか体を拭きつつスウェットに着替えさせる事に成功した。髪も洗面所にあったドライヤーで乾かしたのでほとんどもう体は濡れていない。下着は流石に触れなかったのでそのままだが…………。

 

 とにかくなんとか島田さんを着替えさせ、今はベッドの中でおとなしく寝息を立てている。

 俺はそのベッドに腰を預ける形で床に座った。

 

「つ、疲れた……」

 

 俺はロリコンではない。ロリコンではないが島田さんの体は大人のものではないが、子供のものとも言いづらいものがあった。年齢的に思春期を迎える頃だしちょうど成長期なのだろう。

 それに俺は彼女なんていた事がないので女性の肌は見慣れていない。そんな俺が島田さんの肌を見て落ち着いて居られるはずがなかったんだ。

 さらに言うなればここは島田さんの、つまり女の子の部屋だ。壁がピンクだとか可愛いインテリアが部屋中にあるだとかそんな事は無く、綺麗に片付いた島田さんらしい部屋だった。しかしところどころにボコの人形だったり花柄の食器だったりと女の子らしさを感じる。そんな部屋の中に居るだけで緊張してしまい、さらに俺の疲労は溜まっていた。

 

 しかしまあ、と寝息を立てる島田さんに目線を向ける。

 サイズの合わないスウェットを袖まくりして着てる島田さんを見ると本当に人形みたいだなんて思う。元々の容姿がいいからフリフリの服が似合う子だ。俺のスウェットを着てると逆に違和感を感じさえする。

 

「俺のスウェット……」

 

 勝手に人のタンスを漁るのは良くないかと思って自分の服を持ってきたのだが、そうだよな。今島田さんは俺のスウェットを着てるんだよな。

 そう考えると何故かいかがわしい気持ちになってくる。

 なんかこうよくない欲がむんむんと満たされる感じがした。

 

「ああもう! やめやめ!!」

 

 これ以上考えるとまた変な気分になりそうだったので無理にでも思考を断とうと立ち上がった。

 そうだ、せっかく島田さんの部屋にいるんだから少しくらい看病をしよう。大したことは出来ないが、額に冷やしたタオルを置いてやるくらいは出来るだろう。

 自室から取ってきたタオルでまだ使ってないものがあるからそれを使えばいい。

 

「よし、じゃあ水道で濡らして……ん?」

 

 その時ふと島田さんの机の上に目がいった。

 そこには積み重なったノートがあった。その中に一つ開いたままのノートがある。

 近づいてみると、それは戦車道の戦術のノートだった。ノートの上の方に書いてある日付は昨日。ということはこのページは昨日書いたものか。

 勝手に見るのは悪いと思いつつなんとなく興味をそそられてページをめくる。日付は一昨日のもの。これも同じく戦車道の戦術に関しての記述がされていた。

 さらに一ページ、そしてもう一ページとめくるたびに衝撃を受ける事になった。

 

「なんだよ、これ…………」

 

 結果から言うと、ノートの内容は全て戦車道に関しての事だった。しかし驚いたのはそれじゃない。島田さんは戦車道の訓練や試合があるたびにその日の反省や改善策をこのノートに記述していたのだ。この間の社会人チームとの試合なんてノート半分のページ数を埋めるくらい書いてある。

 それに訓練がない日もちょくちょく思いついた戦術なんかを書き込んでいて、次の訓練にはそれを試した結果や改善策なんかも書かれていた。

 積み上げられていた他のノートも全て戦車道に関しての記述で埋められているようだ。

 

「…………すごい」

 

 思わずそう漏らしていた。

 島田さんは才能が俺よりあるから戦車道の隊長として成功していて、すごい存在なんだと思っていた。

 でも違ったんだ。才能もたしかにあるだろう。けどそれと同じくらいかそれ以上に彼女は努力していたんだ。日々の訓練についても数ページ分のレポートをまとめるくらいいろんなことを考えていた。これほどの努力を俺はしていただろうか? 

 このノートからは島田さんの戦車道に対する熱意があふれていた。

 きっと日々の訓練について書くだけでも数時間かかるだろう。それを訓練とは別にやっていたんだ。すごい努力だと思う。

 俺は絵本に対してこれほどの熱量を注げていただろうか? 絵と戦車道じゃ比べにくいものはあるが、何となくわかった。俺はきっとこれほど頑張れていない。

 せいぜい毎日何かを描いていた程度だ。絵本のネタについてもこれほど深く研究できてはいなかったと思う。

 

 俺が島田さんに劣等感を感じていたのは当たり前の事だったのかもしれない。

 才能でも、努力でも、俺は負けていたんだから。

 

「……っ」

 

 少し胸が痛んだ。

 自分の力不足をまた一つ知ってしまったからだろう。

 

「くそっ……!」

 

 何なんだよ俺は……。

 島田さんを不安にさせるのが嫌でちゃんと一緒にいてやろうと決めたのに、また劣等感に苛まれて逃げ出したくなっている。

 どうすればいいんだ。

 釣り合いなんてどうでもいい。ただ友人として島田さんのそばに居てやればいい。劣等感なんてただ俺が勝手に感じているだけだ。

 そんな事は分かっていたが、どうにも納得できない自分がいた。

 

 ふと机の上に転がったシャーペンが視界に入った。それを手にとって空中に絵を描くようにペンを走らせる。

 

「あっ……」

 

 だ、駄目だ駄目だ! 何やってんだ俺は!! 

 絵本はやめるって決めたんだ。

 でもその他に俺に何がある? 勉強もイマイチで運動も並。ついでに顔だって特別綺麗なわけでもない。

 

「…………はぁ」

 

 とりあえず何もしないで考えていたって仕方がない。今は島田さんの為に俺に出来ることをしよう。

 なんとかそう思考を切り替えて俺は看病に戻った。

 




次の話も明日か明後日には投稿出来るかと思います。


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第9話「彼女の気持ち 後」

 

 

「ん……あ……」

 

 間抜けな声が口から漏れた。

 どうやらいつのまにか寝てしまっていたようだ。ベッドに背を預けながら寝ていたからか腰が少し痛かった。

 

 島田さんの様子はどうだろうと彼女の方へ顔を向けると目があった。

 

「……起きてたんだね。体調はどう?」

「……うん、もうだいぶ良くなった」

 

 そっかと返して俺は立ち上がり伸びをした。

 パキパキと骨が鳴るのが心地いい。

 

「あ、あの…………もしかしてずっと看病してくれてたの?」

「ん、ああ……まあ途中で寝ちゃったけどね……」

 

 少し恥ずかしくなって頭をかいて誤魔化す。

 そんな俺を見て島田さんは小さく微笑んだ。

 

「…………ありがとう」

 

 そして微笑みながらそう言った。

 俺が島田さんの事が嫌いという誤解は解けたのか、その顔に不安そうな様子はなかった。

 

「それでその…………」

 

 しかし突然モジモジと顔を俯かせる島田さん。どうしたのだろうか。まだ不安ごとがあるとか? 

 

「その…………このスウェットってもしかして暮井さんの……?」

 

 いや、不安ごと全然ありました。

 思い出した。島田さんは今俺のスウェットを着ている。彼女からしてみれば気づいたら知らない服を着てベッドで寝かせられているんだ。何があったのか不安にもなるだろう。

 

「あーうん、俺のなんだけど……。その、島田さんの服濡れてたから着替えさせなきゃなって思って! 勝手にタンスの中漁るのもアレかなと…………」

 

 何故が言い訳したみたいになってしまう。別に悪い事をしたつもりはなかったが、ブカブカのスウェットを着ている島田さんを見ていると、何かいけない事をしたような気になってしまったのだ。

 

「その…………着替えとかも暮井さんが?」

「っ!!」

 

 その言葉で一瞬思考が止まった。

 そうだ。いけない事、に限りなく近い事をしていたじゃないか。濡れた服を着た状態で島田さんが寝てしまったから仕方なかったとはいえ年頃の女の子だ。素肌を勝手に見られるなんて嫌に決まっているだろう。

 

「ああ、その……島田さん突然寝ちゃって起きなくてさ……仕方なく…………。でも出来るだけ身体は見てないから! 本当にぱぱっと着替えさせただけだし!!」

 

 今度のは本当の言い訳だった。

 沈黙が流れ、雨が屋根にあたる音だけが部屋に響く。その間島田さんはずっと俯いたままだった。髪の間から見える耳は真っ赤に染まっていた。

 

「嫌だったよな。勝手に着替えさせちゃって…………ごめん」

 

 言いながら頭を下げた。

 

「いや、嫌じゃない! 恥ずかしいけど仕方なかった事だし! 暮井さんならその……大丈夫。それに寝ちゃった私が悪かった事だから暮井さんが謝る必要は無い……!」

 

 そんな俺に慌てたようにそう言った島田さん。

 正直許してもらえなかったらどうしようもなかった問題なので、彼女が優しくて助かった。

 

「でも、その……なんだか暮井さんの匂いがする」

「ぶっ!!」

 

 しかし続いた言葉に思わず吹き出した。

 そんな俺をよそに島田さんはブカブカの袖を顔に当てて匂いを嗅ぐ。

 

「ちょっ! それは駄目!!」

「どうして? ……いい匂いなのに」

「い、いい匂いって…………とにかく駄目だからね!」

 

 きつめにそう言うと渋々といった感じで匂いを嗅ぐのをやめた。もしかしたら俺が寝てる間に好きなだけ嗅ぎまくってたかもしれない。とも思ったが知らなくても幸せなこともあるだろうと思い聞くことはしなかった。

 

 しかしいい匂いだなんて…………。匂いを嗅がれる。これはラブコメにおいて鉄板の展開とも言える。健全な男子である俺もそんな鉄板の展開は好きだった。

 だからこそ島田さんにはそんな事をして欲しくなかった。いや、少し違う。

 正直に言うとして欲しかったが目の前でやられると破壊力が高すぎてどうにかなってしまいそうなのでやめて欲しかった。

 全く…………。こんな事を男の前で軽々しくやってはいけないと後で言っておいた方がいいかもしれないな。もしかして俺の事好きなんじゃ……? なんて勘違い男子がたくさん生まれてしまうのは悲惨だ。俺も中学生だったら絶対勘違いしてただろう。

 

「ふふっ」

 

 と、突然島田さんが笑う。

 

「どうしたの?」

「んっ……その、なんだから暮井さんとこうして話すのが久々で、楽しいなって……」

 

 きゅうっと胸が締め付けられた。

 俺と久々に話した。そんな程度のことで楽しそうに笑う島田さん。

 

「でも、何でメールとか返してくれなかったの? いつも一緒に受けてる授業も離れた席に座ってたし……」

「そ、それは……」

 

 島田さんへ劣等感を感じてしまっているから。

 ──とはっきり答えることはできなかった。

 今まで不安がらせたんだ。ちゃんと本当の事を伝えるべきだと理性では感じているがちっぽけなプライドがそれを拒否する。

 今更プライドがどうこうと感じている事自体も恥ずかしかったが、そんな情けない事は言いたくなかった。

 それに何故か島田さんにはっきり言ってしまうと負けを認めてしまうような、何かが折れてしまうような。そんな事も感じた。

 ただ真実を語りたくないわがままを正当化させるための考えかもしれないが。

 もう絵本を描く事もやめてしまったのに未だ何かに負けてしまうのが怖いだなんて不思議だった。

 

「暮井さん……?」

「ああ、ごめん。話すよ…………」

 

 それから俺が話した内容は絵本についてのみ。

 

 賞が取れると言われていた俺の絵本は同じ投稿作の中に似たような雰囲気の作品があって、その作品の方が俺のものより出来が良かったから俺の受賞は無くなった。

 だから張り切っていたのに失敗してモデルになった島田さんにも合わせる顔が無かった。

 

 ───と、そんな内容を罪悪感を押し殺しながら語る。

 嘘は言っていない。ただ真実も言っていなかった。

 

「そう……だったんだ……」

 

 俺の話を聞いた島田さんは驚きと戸惑いが混じったような表情をしていた。

 

「気にしなくてもいいよ。ただ俺が実力不足だっただけって話だ。それにもう絵は…………」

 

 言いかけてやめた。

 絵をやめた。なんて言ったら島田さんはきっと俺を心配する。それに今は絵についてあまり話したくはなかった。

 

「それよりさ、そろそろお腹空かない?」

 

 と、無理矢理話を変えることにする。

 

「島田さんもさ、うどんとかなら食べれるでしょ。冷凍食品だけど家にいくつかあるからさ、それ食べようよ」

 

 何か言いたげな島田さんを無視して俺は話を進める。それを察したからか島田さんもそれ以上何も言うことはなかった。

 

 それからは接してなかった一週間を埋めるように俺たちは語り合う。うどんを食べ終わって、一度部屋に戻りシャワーを浴びた後も看病をしながら俺たちは一緒にいた。

 最初のうちは島田さんも具合が悪いだろうと遠慮していたのだが、彼女自身が一緒にいて欲しいと言うので側にいる事にした。

 そして日付が変わる頃、島田さんはすうすうと規則正しい呼吸を繰り返しながら眠りについていた。

 

「全く…………俺まだ部屋にいるんだけどな」

 

 思わず苦笑が洩れた。

 俺が何か悪事を働くとは考えなかっただろうか? 

 まあそれだけ信頼されてるって事か。

 そう考えるとなんだか愛おしくって、無意識に島田さんのまつげに当たりそうな前髪を手でどかしていた。

 

 しかし、こんなに可愛くて小さな島田さんでも戦車に乗れば隊長さんなんだよな。

 

「…………俺も、何か見つけないと」

 

 彼女のように胸を張っていられるものを何か……。

 

 その晩はそのまま島田さんの部屋で眠る事にした。

 次の日。うつってしまったのか今度は俺が風邪をひき、島田さんに看病してもらう事になるのだがそれはまた別のお話である。




ゆっくり更新を続けて気付いたらもう9話……。
書き始めの頃は10話くらいで一旦話を一区切りつける予定だったのですがまだ少しかかりそうです。

それとこんな亀更新の作品を読んでくださっている皆様、本当にありがとうございます。しおりの位置が変わっていたりお気に入りの数が増えていたり、そんなちょっとした事が文章を書き続けるモチベーションになっています。
これからもゆっくりめの更新になってしまうとは思いますが、お付き合いいただけたら幸いです。


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