アルドノア・プラスワン (あけろん)
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運命の銃弾

 寒い夜だったのを覚えている。

 俺は部屋に一人きりで両親の帰りを待っていた。

 自分以外に誰もいない部屋。まるで世界から誰もいなくなったかのような静かな部屋。

 その隅で膝を抱えて丸くなりながら俺は両親が『仕事』から帰るのを待ち続けた。

 不意に一定のリズムを刻んだノックが玄関のドアから響く。

 両親とその『同志』だけが知るその符丁に俺は玄関へと走りドアを開いた。

 

「君がハジメ・サイガかね?」

 

 そこに立っていたのは両親ではなく、一人の男だった。

 

「私はウォルフ・アリアーシュ。君のご両親の同志だ」

 

 その顔に見覚えがあった。何度か両親と一緒だったのを見たことがあったのだ。

 

「残念だが、君のご両親は亡くなった。我々の志に殉じたのだ」

 

 俺は一瞬、言われたことの意味が分からなかった。

 死んだ? 誰が? どうして?

 

「ここも時期に追手が来るだろう。ご両親は死に際に君のことを私に託された。彼らの死に報いる為、私は君を保護する義務がある。その為に迎えに来たのだ」

 

 そう言われて俺はようやく理解した。

 両親はヴァース帝国のスパイとして活動していた工作員だった。

 そして『仕事』で失敗して殺されたのだ。

 

「もうあまり時間はない。準備は手短に済ませたまえ。ほら、手伝ってあげなさい」

「はい、お父様」

 

 男の後ろから一人の少女が顔を出した。

 赤みがかった髪を揺らしながら少女が俺の手を取る。

 

「行きましょう。荷造りを手伝うわ」

 

 だが、俺は動けなかった。

 自分には親戚もいなければ友人もいない。

 両親だけが、家族だけが、世界の全てだった。

 それが突然に消えてしまったのだ。

 もう自分には何もない。

 俺はこの世界で独りぼっちになってしまったのだ。

 

「大丈夫よ」

 

 ふわりと柔らかな感触に包まれる。

 気が付くと少女が俺を抱きしめていた。

 

「これからは私があなたの傍にいるわ。あなたは独りじゃないのよ」

 

 凍り付いた心に暖かい何かが流れ込むのを感じる。

 俺は堪えきれずに涙を流した。

 

 全てを失った日。

 俺はその少女、ライエ・アリアーシュに出会ったのだった。

 

 

 

 1972年アポロ17号により月面で発見された古代火星文明の遺産『ハイパーゲート』は、人類に火星への移住と開拓の道を開いた。しかしその結果、移民団は火星の遺跡と発見された古代テクノロジー『アルドノア』の占有を主張し、1985年に自らを1つの国家『ヴァース帝国』と称して完全に地球圏と決別する。

 さらに1999年、ヴァース帝国は地球圏に宣戦を布告。しかし戦いの最中で突如ハイパーゲートが暴走し、月が砕けるという大参事『ヘブンズフォール』が発生。双方に甚大な被害が出た結果2000年に地球と火星間で休戦協定が結ばれた。

 そして2014年、進められる和平交渉の一環として、火星の皇女であるアセイラム・ヴァース・アリューシアが帝国からの親善大使として地球を訪れることになったのである。

 

「スレイン」

 

 そう呼ばれた少年、スレイン・トロイヤードは振り返り頭を垂れる。

 声の主はアセイラム・ヴァース・アリューシア。

 彼が最も敬愛する火星の皇女である。

 

「面を上げてくださいスレイン」

「はっ」

 

 そう答えて顔を上げた彼の目に映ったのは式典用の純白のドレスに身を包んだアセイラムの姿だった。

 その美しさに彼は自らの頬が熱くなるのを感じる。

 

「お別れの日が来てしまいました。私はこれより地球に降りて親善の務めを果たします」

 

 そう言うとアセイラムはスレインの手を取る。

 

「あなたに教わった様々な知識がきっと役に立つことでしょう」

 

 そんな彼女に対してスレインは心配そうに眉を寄せる。

 

「その……危険ではないのですか」

「恐れては立ちゆきません。今は火星と地球が歩み寄る為の第一歩を誰かが踏み出さねばならないのです」

 

 これが地球行きを諫める最後のチャンスだったが、どうやらそれは叶わないようだった。

 それならばとスレインは身に着けていた首飾りを外すとアセイラムに差し出す。

 

「これを、地球に伝わる魔よけのお守りと聞いています」

「でも、これはお父様の形見だと……」

「いいんです。父も喜ぶと思います」

 

 5年前、瀕死の父と自分を彼女は救ってくれた。そのお礼でもある。

 

「ありがとうスレイン。あなたとお父上の平和の祈りを必ずや青い惑星に届けてまいります」

 

 首飾りを受け取ったアセイラムはそう言って微笑んだ。

 

「アセイラム姫、シャトルが到着しております」

 

 シャトルの到着を告げに来たのはクルーテオ伯爵だった。

 ここ、地球の衛星軌道上に浮かぶ揚陸城の主である。

 

「分かりました。それでは」

「はい」

 

 そう言って離れていくアセイラムを頭を垂れて見送るスレイン。

 その姿が扉の向こうに消えた時、クルーテオは手に持った杖でスレインの顔を殴りつけた。

 

「ぐはっ!」

「身の程をわきまえよ下郎」

 

 クルーテオは床に転がったスレインを冷たい瞳で見下ろした。

 

「このクルーテオが姫の気まぐれをお諫めするなど恐れ多いが、犬の粗相は飼い主が責を負う。次はないぞ地球人」

「はい……」

 

 スレインは床に膝をついてうなだれる。

 選民思想が根強いヴァース帝国において、地球人はアルドノアの力を持たない『旧人類』として蔑まれ、周囲から明確な差別を受けていた。

 

(でも、アセイラム姫だけは……)

 

 そう、アセイラムだけは彼を蔑んだりはしなかった。

 

『私達とて元はあの青い惑星を旅立った移民の末裔です。あなたを忌み嫌う理由はありません』

 

 そう言ってくれた彼女にどれだけ救われたことか。

 地球の事を話して聞かせる度に目を輝かせ、笑いかけてくれたアセイラムにスレインは心からの忠誠を捧げていた。

 

「アセイラム姫、どうかご無事で」

 

 傍でお守りすることができない我が身を悔いながら、スレインはそう祈るしかなかった。

 

 

 

 

「いよいよ決行ですね。ウォルフさん」

「ああ、そうだハジメ。長きに渡る雌伏が今、報われるのだ」

 

 走行するトラックの車内は緊迫した空気に包まれていた。

 トラックを運転するのはウォルフ・アリアーシュ。そして助手席にはかつて彼に救われた少年、ハジメ・サイガが座っていた。

 

「このミッションが成功すれば、私は本国から騎士の称号を与えられるだろう。お前にはこれまで苦労をかけたが、それもこれで最後だ。ようやくサイガ夫妻の墓前にも胸を張って報告ができる」

「ええ、父と母も喜んでいると思います。必ず成功させましょうこのミッションを」

 

 そう言ってうなずき合う2人の間に割って入る影があった。

 

「後ろの隙間で窮屈な思いをしている私には労いの言葉はないのかしら。お父様はいつもハジメには甘いわよね」

 

 後ろから身を乗り出した少女、ライエ・アリアーシュは赤みがかった髪をかき上げる。

 

「危ないよライエ。大体そこに押し込められたのは、本当なら俺とウォルフさんだけで行くはずだったところにライエが無理矢理着いてきたからだろ?」

「私がいないとハジメはすぐに泣いちゃうから、わざわざ着いてきてあげたんじゃない」

「いつの話をしてるんだよまったく……」

 

 ライエの言葉にうなだれるハジメ。

 それを横目にウォルフは遠い目をする。

 

「あれからもう5年か。まさかハジメが同志の中でも随一の工作員になるとは思わなかったよ」

「本当にね。昔はよく一人で泣いてたあのハジメがね」

「ウォルフさんをはじめ同志の皆さんに鍛えていただきましたから。今なら片手でライエを泣かすことくらいならできると思いますよ」

「言ったわね。帰ったら『シムカットテン』で対戦よ。泣かしてあげるわ」

「ハハハ、ついでに可愛げのない性格になってしまったな。とてもライエと同じ歳とは思えんよ」

 

 肩をすくめるハジメとふくれるライエをウォルフはひとしきり笑った後、表情を引き締める。

 

「明日、お前には作戦の後詰めをやってもらう。頼んだぞ同志ハジメ」

「了解、同志ウォルフ。あの日の恩を今こそお返しします」

 

 そう言った後ハジメはライエを見る。

 ハジメが恩を返したいのはウォルフだけではない。

 むしろ彼が最も恩を感じている相手。それは……。

 

「ん、どうかしたのハジメ?」

 

 視線に気づいたライエが首をかしげるが、ハジメは「なんでもない」と誤魔化した。

 彼女相手にそれを言うのは妙に気恥ずかしかったのだ。

 代わりに明日のミッションの成功を心に誓う。

 

 彼らの最後のミッション。

 それは地球を訪れる火星の皇女アセイラム・ヴァース・アリューシアの暗殺だった。

 

 

 

 翌日、火星の皇女の来訪に新芦原市は湧きかえっていた。

 火星のプリンセスを乗せた車は長いパレードを伴って悠々と大通りを進む。

 道端の歩道には大勢の人々が皇女を一目見ようと詰めかけており、ボランティアの学生がその交通整理に駆け回っている。

 

(そろそろか……)

 

 そんな光景を双眼鏡で確認しながらハジメは雑居ビルの屋上で息を潜めていた。

 

(護衛には装甲車。おまけにターゲットの車は要人護送用の特殊車両……か)

 

 だが、それくらいのことは措定済みだった。

 計画に使われるのは昨日のトラックの積み荷。高威力の誘導ミサイルだ。

 ひとたび発射されれば護衛の装甲車もろとも皇女の車を吹き飛ばすことが可能だろう。

 

(……!! 始まった)

 

 パレードの装甲車が突如として爆炎に包まれる。

 ウォルフが遠隔操作で誘導ミサイルを発射したのだ。

 続けて2発、3発と発射されるミサイルによって護衛の装甲車が吹き飛ばされていく。

 しかし、皇女の車はまだ健在だった。

 破壊された装甲車の煙を突き抜け、左右に蛇行しながらミサイルから逃れようとしている。

 だが、さらに着弾した2発のミサイルの爆風を受け、ついに車は派手に横転した。

 トラックに積まれたミサイルは全部で6発。その最後の1発が横転した車に直撃し爆発する。

 

(……仕留めたか? いや……)

 

 ハジメは車から少し離れたところに倒れている人影に気づく。

 純白のドレスに金色の髪、ターゲットに間違いない。

 ミサイルが直撃する前に車から飛び降りていたのだ。

 人影がよろよろと身を起こす。皇女はまだ生きていた。

 ミサイルの残弾はなく、これから近づいて殺そうとしてもさすがに駆けつけたSPに取り押さえられるだろう。

 ミッションは失敗したかに思われた、が。

 

(問題ない。その為に俺がここにいるんだからな)

 

 ハジメは床に置いてあるケースから長銃身のスナイパーライフルを取り出す。

 このミッションにおいてハジメはミサイル攻撃が失敗した時の『保険』だったのだ。

 慣れた動作でライフルを構え、スコープを覗き込む。

 ターゲットは少なからず怪我をしているらしく、その動きは緩慢だった。

 これなら確実に命中させられる。

 この引き金を引けば、地球と火星は再び戦争に突入するだろう。

 その戦火の中で多くの命が失われることだろう。

 

(だが、それがどうした)

 

 ウォルフとライエ。

 自分を救ってくれた2人が笑ってくれるのなら。

 銃声が響く。

 放たれた弾丸はターゲットの頭部を貫き、確実な死を彼女にもたらした。

 

「ターゲット・ダウン。ミッションコンプリート」

 

 この日、一発の銃弾が地球と火星の運命を変えた。

  

 



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裏切りと別離

<オリ主(ハジメ・サイガ)プロフィール>
日本からの火星移民団の子孫。生粋の日本人で和名は『雑賀一』
火星で生まれスパイである両親と共に地球にやってきたが、両親は任務中に殉職。
自らも追われる身になるところをアリアーシュ親子に助けられる。
以降5年間諜報活動に参加し、結果トップクラスのエージェントとなった。
アリアーシュ親子に強い恩義を感じており、彼らの為なら非道なこともためらわずに実行できる。
両親を亡くしてしばらくは毎日泣いていたが、その度にライエに励まされて立ち直った過去があり、今でも彼女には頭が上がらない。



『我らがアセイラム姫の切なる平和への祈りは、悪辣なる地球人の暴虐によって無残にも踏みにじられた!!』

 

 ヴァース帝国37家門の騎士の一人、ザーツバルムの怒りの声は通信モニターを通じて衛星軌道上の全揚陸城に響き渡っていた。

 

『我らヴァース帝国の臣は、この旧人類の非道に対して断固正義の鉄槌を下さねばならない!!』

 

 アセイラム・ヴァース・アリューシアの暗殺。

 それは15年前の休戦協定からくすぶっていた地球と火星の争いの火種を再び燃え上がらせるには十分なきっかけであった。

 

『誇り高き火星の騎士達よ、いざ時は来た! 歴代の悲願たる地球降下の大任、義を持って今こそ果たすべし!!』

 

 これまで月の裏側で牙を研いでいたヴァース帝国37家門が動き出す。

 この日、衛星軌道上に滞留している37基の揚陸城のうち19基が地球に向けて降下を始めた。彼らが降下した主な地域はニューオーリンズ、北京、モザンビーク、そして東京。

 タイミングも位置もバラバラなこの降下作戦は一見連携も何もない拙い行動に見えるが、そうではない。

 ヴァース帝国37家門はそれぞれ1人の騎士が率いる別個の強力な軍隊なのだ。加えて彼らが持つ人型起動兵器『カタフラクト』の力は凄まじく、15年前の惑星間戦争でも地球軍を圧倒していた。

 彼らはお互いを競争相手と認識しており、協力や連携など考えてはいない。

 地球侵略は彼らにとって一丸となって押し進めるものではなく、いかに他の騎士を出し抜いて自分が侵略する地域を広げるかの陣取り合戦なのである。

 

「ふん、造作もない。地球人など所詮この程度か」

 

 東京に降下した揚陸城の主、クルーテオは旗下の軍隊でほぼ一帯を制圧しつつあった。

 

「クルーテオ郷、今すぐ新芦原に進軍するべきです」

 

 そう進言するのはトリルラン。

 彼はこの揚陸城に食客として滞在する火星騎士だ。

 

「我らが姫の悲運の地に御旗を掲げば、ヴァースの大義はより確固たるものとなりましょう」

「うむ、元よりそのつもりだ。だが、ますは落着地制圧が急務であろう」

「ならばクルーテオ郷。是非このトリルランにお任せを。長らく食客に甘んじた御恩を果たすに絶好の機会と考えます」

 

 そう言って一礼するトリルランを見て、クルーテオは一考する。

 彼にはアセイラム姫の地球行きを止められなかった負い目があった。

 ここで手をこまねいている間に他の37家門に新芦原市を制圧されようものなら、彼の騎士としての矜持に大きな傷がついてしまう。

 

「貴公に委ねようトリルラン。当地の責任者を拘束し、姫の死にまつわる子細を明らかにするのだ」

「はっ! お任せを。すぐに吉報をお届けできるでしょう」

 

 クルーテオはトリルランの言葉を少しも疑わなかった。

 彼の駆るカタフラクト『ニロケラス』の力を以ってすれば、新芦原市の制圧など容易いことだからだ。

 

(ついでに地球に潜ませたネズミどもの後始末も含めて、な)

 

 故にそう心の中でつぶやくトリルランの真意に彼は気づくことが出来なかった。。

 

 

 

 アセイラム・ヴァース・アリューシアの暗殺を遂行した工作員たちは、あらかじめ取りめてあった集合場所、高速道路上の一角に集結していた。

 東京がほぼ制圧されたことで新芦原市一帯には避難勧告が出されており、ほとんどの住民は港から出航する避難船に乗る為に移動している。

 彼らを見とがめる者は誰もいなかった。

 

「よくやったハジメ。今回のミッションが成功したのはお前のおかげだ」

 

 遅れて合流したハジメをウォルフは笑顔で出迎えた。

 

「ウォルフさん達があのポイントでターゲットを孤立させてくれたからそこですよ。俺一人の力じゃありません」

「謙遜しなくてもいい。あの距離でヘッドショットができるのは同志の中でもお前だけだ。お前は最高のエージェントだよ」

 

 他の工作員達も口々にハジメを称賛する。

 だが、彼はそんな称賛よりウォルフが見せる晴れやかな笑顔が一番嬉しかった。

 

「これで我々は契約通り騎士の称号と共に母なる故郷ヴァースへ凱旋するのだ」

 

 そう言うとウォルフはハジメを見つめる。

 

「実はなハジメ、ヴァースへ帰還したらお前を養子にしようと思っている」

「えっ!?」

「私はお前のことを息子のように思っている。騎士としての地位があればお前に何不自由ない暮らしをさせてやることができるだろう。私達と本当の家族になってはくれないか?」

「ウォルフさん……」

 

 突然の申し出にハジメは何と返事をしていいか分からなかった。

 

「ハハハ、返事は火星に帰るまでゆっくり考えればいい。もうすぐ出迎えも来るだろう。それまでライエの話し相手をしてやってくれ」

 

 そう笑ってウォルフは他の工作員達の輪に戻っていく。

 ハジメはその輪から少し離れたところに立っているライエに歩み寄った。

 

「お疲れ様ハジメ、無事でよかった。遅かったから心配したわ」

「すまない、現場に近かったから抜け出すのに少し時間がかかったんだ」

 

 ライエの表情もウォルフと同じく安らいだものだった。

 もう、明日をも知れぬ身でおびえて暮らすこともないのだ。

 

「どうしてこんな離れたところにいるんだ?」

「私は何もしていないもの。結局お父様は最後まで私に『仕事』をさせてはくれなかった」

 

 そう言ってライエは不満げな表情をする。

 

「それだけウォルフさんはライエのことが大切なんだよ。俺もライエに仕事はしてほしくなかったし」

「それはハジメも私のことを大切に思っているってこと?」

「そ、それは……その……」

 

 口ごもるハジメを上目使いで面白そうに見つめながら「まぁ、いいわ」と彼女は機嫌をなおす。

 旗色の悪いハジメは慌てて話題を変えた。

 

「そ、そういえば俺が養子になるって話は聞いてるか?」

「少し前にお父様から聞いていたわ。でもハジメには最後のミッションが成功するまでは言うなって口止めされてたのよ」

「ライエはいいのか? 俺が、その、家族になっても」

「今更それを聞くの? 嫌なら5年も一緒に暮らしたりしないでしょ?」

 

 呆れたようにライエは言う。

 

「家族になってもこれまでと何が変わるわけじゃない。あなたの名前がハジメ・アリアーシュになるくらいよ」

 

 当たり前のように自分を受け入れてくれる彼女にハジメの心は暖かくなった。

 そう、何も迷うことはなかった。

 ウォルフとライエ、大切な彼らと家族になれるのだ。

 それは間違いなく幸せなことだろう。

 

「ハジメ・アリアーシュ、か……それもいいかもしれないな」

「言っておくけど、正式に家族になったら私はあなたの姉よ。きちんと敬いなさいよね」

「ちょっと待て、俺たちは同い年だろう。むしろ誕生日が早い俺の方が兄ということにならないか?」

「精神年齢は私が上よ。泣き虫ハジメ」

「ここでそれを言うのは卑怯だろ……」

 

 勝ち誇るライエを横目に苦笑するハジメ。

 

「……まぁ正直、私としては少し複雑なんだけどね」

「え? それはどういう……」

「迎えがきたぞ!」

 

 だが、ハジメの問いはウォルフの言葉と続く強風にかき消された。

 上空から降下した1機のカタフラクトが地響きを立てて着地する。

 

「トリルラン卿、お待ち申し上げておりました」

『うむ、大役ご苦労であった』

 

 ウォルフの言葉に着地したカタフラクト『ニロケラス』の中からトリルランが答える。

 同時にニロケラスが不可視のフィールドに包まれ、強力な光を発する。

 

「これが、アルドノアの輝き……」

 

 畏怖するようにウォルフがつぶやく。

 火星で発見された古代文明の遺産『アルドノア』

 ヴァース帝国のカタフラクトはその技術を利用した『アルドノア・ドライブ』を動力としているのだ。

 だがハジメはこの時、嫌な予感がした。

 

(なぜ、このタイミングでアルドノア・ドライブの出力を上げるんだ……まさか!!)

 

「みんな逃げろ!!」

 

 しかし、ハジメの叫びは間にあわなかった。

 

『いざ、さらばだ。ドブネズミの諸君』

 

 嘲笑を含んだ言葉と共にニロケラスの右腕が目の前のウォルフ達に向かって叩きつけられる。

 それで終わりだった。

 これから家族となるはずだったウォルフが、これまで苦楽を共にしてきた同志達が、その一瞬で立っていた地面ごと消滅した。

 

「なっ……!? ウォルフさん! みんな!」

『後々チュウチュウと余計な鳴き声を立てられても困るのでね』

「そういうことか、トリルラン!」

 

 ニロケラスに向かって叫びながらハジメは悟った。

 トリルランは皇女暗殺の真相を知っている人間を口封じのために殺そうとしているのだ。

 ならば次に狙われるのは……。

 

「ライエ!」

 

 ハジメは放心して座り込んでいるライエの手を掴んだ。

 

「おとう……さま」

「今は何も考えずに走るんだ!」

 

 そのまま彼女の手を引いて走り出す。

 

『フハハ、子ネズミ共め逃がさんぞ』

 

 2人をも亡き者にせんとニロケラスが動き出す。

 彼らが走る後方の道路はニロケラスに触れた傍から消滅していく。

 追いつかれれば自分達も同じ末路をたどるだろう。

 

(じわじわと追いつかれている。このままじゃ……)

 

 ハジメが焦りを覚えたその時。

 

『撃て!!』

 

 ニロケラスに向かって無数の弾丸が撃ち込まれる。

 振り返ると緑褐色のカタフラクトが数機、ニロケラスに向かってマシンガンを構えていた。

 

(あれは、地球のカタフラクト『アレイオン』か!)

 

 ハジメは諜報活動の中で得た知識を頭の中から引っ張り出す。

 『KG-7 アレイオン』地球連合軍の主力量産型カタフラクトである。

 ニロケラスは五月蠅そうにハジメ達からアレイオンの小隊へと向き直る。

 

『なんのつもりだ。このトリルランの邪魔をしようと言うのか?』

 

 あれだけの攻撃を受けたにもかかわらず、ニロケラスは何のダメージも負っていなかった。

 撃ち込まれた弾丸は全て機体の表面で消滅しているのだ。

 

(ダメだ、あのカタフラクトじゃニロケラスには勝てやしない)

 

 ハジメは走る速度を緩めなかった。

 地球のカタフラクトは15年前の星間戦争以降に開発された急造品でおまけにアルドノア・ドライブも積まれていない。

 戦力の差は明らかだったが、アレイオン小隊は果敢にニロケラスに攻撃をしかけていた。

 

『貝塚准尉、生き残りを保護しろ、カバーする!』

『了解!』

 

 一機がグレネード弾で牽制している隙をついて

 もう一機がニロケラスの脇をすり抜け、ハジメ達の前へと回り込む。

 

『乗って!』

 

 伸ばされたアレイオンの手のひらにハジメとライエは飛び乗った。

 

『民間人を確保しました!』

『よし、撃て撃て撃て!!』

 

 続けざまにニロケラスへとグレネード弾が撃ち込まれるが結果は同じだった。

 弾丸の雨の中を悠々と歩きながら無敵のカタフラクトはアレイオン小隊へと肉薄する。

 

『消えろ、劣等人種共』

 

 ニロケラスの腕が振り抜かれるたびにアレイオンの機体が千切れ飛ぶ。

 触れたものを消滅させるその圧倒的な力の前に小隊は次々と数を減らしていく。

 

『邪魔者は片づけた。ネズミ退治の続きをしようか』

 

 ニロケラスがハジメ達を乗せたアレイオンへと近づいてくる。

 

『逃げろ貝塚!』

『鞠戸大尉!』

 

 生き残った1機がかばうように前に出てマシンガンを連射する。

 やがて全弾を撃ち尽くすと背から格闘用ナイフを抜いて突撃した。

 

『臆病に死ぬか、蛮勇に死すか、誇り高い選択をしているつもりかね?』

 

 突っ込んでくるアレイオンをトリルランは嘲笑する。

 

『うおおおおおおおおおおおお!!』

 

 だが、雄たけびを上げながら突き出された格闘用ナイフはニロケラスの表面で消滅し、それを掴んでいた腕までもが半ばまで削り取られる。

 

『チイッ!』

 

 さらに脚部のバーニアを吹かして反転し、もう片方の腕に掴んだハンドガンを至近距離で連射する。

 しかし……。

 

『ふ、残念』

 

 ハンドガンの至近弾をも無効化したニロケラスの腕がアレイオンの機体を真っ二つにした。

 

『鞠戸大尉!!』

 

 崩れ落ちる僚機を背に最後の一機になったアレイオンはハジメ達を手のひらで包みながら全速力で後退する。

 

「ハジメ……お父様が……お父様が……」

 

 手のひらの中ではハジメの服を両手で掴みながらライエが肩を震わせていた。

 

(くそっ! 助けられなかった! ウォルフさんも同志のみんなも……!)

 

 ハジメはその肩を抱きよせながら、己の無力さを噛みしめるしかなかった。



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