ストレンジ・ソルジャー(ゼロの使い魔×FF7) (mu-ru)
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プロローグ
Chapter 01


01-1

 

 森の中をアニエスは歩いていた。

 

 時刻は早朝。そのため気温は低く、前方を覆うように霧がたち込めている。

 寒くは無い。だが湿気がある為か、移動しているうちにじめじめと汗が体に纏わりついてむし暑い。

 

 不快だ。

 この不快さはどこから来るのだろうか。

 湿気だけが原因ではない。こんな朝早くから隊を率いて移動している疲れからでもない。

 ひょっとすると、最近になってようやく達成した、復讐の後味の悪さが、いまだ尾を引いているのかもしれないが、本当の所はこんな仕事をよこした上の貴族共に対する憤りからだろう。

 アルビオンから帰ってきたばかりだというのに、またこんな遠方への調査ときた。

 何もしない癖に、こういった面倒事はすべて自分達に押し付けて来るのだから、たまったものではない。

 平民から取り立てられた私のことが、彼らは気に入らないのだ。

 今回の任務だって彼女の部隊が適任とは思えない。

 メイジを何人か手配するべきだったと思う。

 尤も、部下の手前、そんな感情は顔にも出すつもりはない。

 彼女はそれでもこの国の女王に忠誠を誓っているのだから。

 

「静かですね」

 

 同行していた女性隊員の一人がアニエスに話かけてきた。

 彼女が引き連れている隊員は十数名。

 トリステイン女王、アンリエッタによって結成されたこの銃士隊は、全員が女性、しかも平民出身という珍しい形式をとっている。

 隊長のアニエスにいたっては貴族の身分まで獲得している。

 これは長い歴史とメイジによる貴族制度を誇るトリステイン王国の中でも異例のことだった。

 

「報告されていた内容は本当なのでしょうか?私にはとても信じられなかったのですが」

 

「それの確認、調査が我々の任務だ。今は私語を控えろ」

 

「すっすみません」

 

 隊員は慌てて口を噤んだ。

 部下を軽く注意した後、アニエスは歩きながら地図を広げて、現在地を確認した。

 

 トリステインを出発して一日半、移動を再開してから三時間。

 そろそろ到着できるだろう。

 そのうち、森の切れ目が見えてきた。あの先が目的地だ。

 日も少し高くなり、霧が晴れてきた。

 そして――

 

 現れた景色にアニエスは言葉を失う。

 後ろにいる隊員達からどよめきが漏れた。

 

「百聞は一見に如かずというが……」

 

 実際にその光景をみても、それは現実のものとは受け入れがたい。

 だが、その場所で起きていた異変は、アニエスの受けた報告書の通りであった。

 

 ここは、トリステイン王国とその隣国、ガリアの国境に位置する湖、ラグドリアン。

 古より存在する水の精霊の住まう美しく、広大な湖。

 その湖の水は常時の水位の半分以下にまで激減していた。

 

 ・ ・ ・

 

 隊の人間を半分に分け、片方の班を周囲の聞き込みに行かせ、アニエスは残り半分の人間と湖の跡を調べることにした。

 

 報告では、水位が低下したのは四か月程まえで、一晩のうちに景色が一変していたということだった。

 目撃証言はなく、報告書にはなぜこんなことになったのかは全くわからない、というこの湖の近くに住む領主の証言が記載されていた。

 

 昼まで掛かった調査の結果はどれも不可解なことばかりだった。

 まずは水の消失の理由が特定できなかったこと。

 水がどこかに流れ出た可能性を考えて湖跡をくまなく探索したが、どこにもそんな痕跡はなかった。

 さらにそれだけでなく、ラグドリアン湖水中に生息する生物まで、いなくなっていたのだ。岸辺近くには幾らかの水中植物が残るのみだ。

 単に水だけ流れ出たとしたら、そこに取り残される生き物の跡があってもいいはずなのに、水中には魚の一匹たりとも見つからない。

 まるで融けて消えてしまったかのように。

 

 とても人間にできることではない。

 それがアニエスの所感だった。

 ここに来るまでは、メイジの仕業である可能性も考えていた。

 だからこそ、今回の任務は魔法反応を追跡できる同じメイジの人間にやらせるべきだと思っていたのだ。

 

 しかし、ここまで広域に影響を及ぼす魔法など、人間に使えるはずがない。

 伝説にある虚無の系統であれば可能かもしれないが、それ自体がお伽噺で疑わしい。

 

 いや……、実は虚無が実在していることを彼女は知っている。

 だが、アニエスの知っているその“使い手”はこんなことをしない人間である。

 それに、たとえ他に虚無の使い手がいるとしても、こんなことをするメリットはないのではないか。

 

 ならば何が原因なのだろう?

 考えつくのは先住の魔法。

 そして、この湖に遥か昔から住んでいたあの大いなる存在だ。

 

 そう……、今回の件で最も異常なことは水の精霊がいなくなったことだった。

 銃士隊の調査では調べることができなかったが、水の精霊と深い関わりを持っていたモンモランシ家から報告を受けていた。

 あの貴族の一族は精霊と古い契約をしていたから独自に調べたのだろう。

 以前の湖の増水の一件が解決して以来、ようやく精霊との関係が回復の兆しを見せていたというのに、つくづく不運なものだとも思う。

 精霊はラグドリアン湖の水位を操れたと聞いているので、今回の異変にかの精霊が関わっていることは間違いないだろう。

 しかし、始祖ブリミルの降臨より前からこの地に留まり続けたあの大精霊に一体何があったのか。アニエスにそれ以上の推測はできなかった。

 

 

「隊長」

 

 聞き込みに行かせていた隊員の一人が戻ってきた。

 

「何かわかったか?」

「はい、どうやら以前から異変の予兆はあったようです。水位が下がるよりも前から、時々、湖面が光る現象が目撃されていたそうです」

「湖が、光る?」

「ええ、聞いた話によると夜な夜な湖から不思議な、その、緑色の光が放たれるとか。信憑性に欠ける話だった為か報告書には記載されていませんが、かなりの目撃者がいたようです」

「それはいつごろからだ?」

「どれも半年ほど前からです。住民は水の精霊が怒っているのだ、と皆恐れていたようですね」

 

 半年というとアルビオンとトリステインの戦争の最中の頃だ。

 宮庭の動向などに気を取られ過ぎて、領主のメイジ達は自分達の領地の異変などに気付いていなかったのだろう。

 

「どちらにせよここ最近ということか」

「それともう一つ。……こちらは直接関係があるのかわからないのですが」

 

 少し悩む様子みせた後、隊員は続ける。

 

「ガリア領側の農村で、凶暴化したオーク鬼の退治をしたメイジと剣士の二人組がいたらしいんです」

「それがどうかしたのか?特に不思議なことでもない気がするが」

「それ自体は村が国に依頼をしていたことのようなので問題ないのですが……、それとは別に、その二人は湖について調べていたようなのです。」

 

「……我々よりも先に?」

「ええ、湖の水がなくなった直後だったそうです。といっても疑えるようなところはそこだけしかありませんが……」

 

 アニエスは顔に手を当てて考え込む。

 この件を調べていたものがいる。しかも自分達よりも早くに。

 湖を境界にはさんだガリア王国の人間かもしれないが、あちらが国として調査を始めるとしたら自分達と同じように隊を編成して大勢で調べにくるはずだ。

 

 アニエス達の行動は国の書類上の手間を考えるとこれでも早かったほうなのだ。

 これ以上の早さでこの件関われるとしたら、国が関係しない個人か、それとも今回の件を起こしたものではないか?

 

 ガリアとなると国外だ。行方を追うのは難しいかもしれない。

 しかし、確かに、引っ掛かる。少なくとも、何か知っている可能性はある。

 

「一応気にかけておこう。そいつらの人相はわかっているのか?」

 

「ええ……メイジの方は大きな杖を持った青髪の少女。もう一人は、身の丈ほどの大きさの大剣を携えた若い男だったそうです――」

 

 

01-2

 

 

「ちょっとあなた大丈夫?」

 

ジェシカがその不思議な二人組の片割れに話しかけたのは、昼下がりの馬車の中だった。

 

「いや……大丈夫だ」

「そんな顔で言っても説得力ないよ?」

 

 その青年は壁に力なく寄り掛かっている。ツンツンした金髪に整った顔立ち。しかしその顔は青ざめ、器量良しな面構えが無残な有様となっていた。隣では青年の連れであろう短い青髪の、赤い縁のある眼鏡をかけた少女が本を閉じてこちらのやり取りを観察している。少女は無表情だったがその顔はどこか困っているような、青年を心配しているような色が(少なくともジェシカには)見える気がした。

 

 ジェシカは馬車がゴトゴトと動く度に吐きそうになるのを耐えている青年の様子に、ある見当をつける。

 

「ひょっとして……乗り物酔い?」

「……」

 

 黙り込んでしまった。どうやら図星だったらしい。

 

 ・ ・ ・

 

「すまない助かった」

 

 ジェシカに酔い止めを貰って幾らか楽になったらしい青年が感謝の意を述べた。青髪の少女の方も今はまた読書に戻っていた。

 

「いいよ。旅は道連れ……とかっていうしね。ふふっ、でも確かに乗り物酔いなんて格好つかないね」

「昔から乗り物には弱くてな……。特にこういった揺れが直に伝わるのはだめなんだ」

 

 かすかに、青年が苦笑した。表情があまり表に出てこないタイプの人だなとジェシカは思った。

 ジェシカ達は馬車の荷台に乗っている。荷物の運搬の他に珍しく人の乗車も扱っているらしく、荷台は小屋のように広い。他にも2.3人の商人らしき人達が積み荷と並んで座っていた。

 ジェシカもお使いの帰りで、頼んで一緒に乗せてもらったのだが、しばらくして気分悪そうにしていた珍しい格好の青年に気付き、思わず声をかけてしまった、というのが最初の流れだった。

 

「そんなに駄目なら、なんでわざわざ乗ろうとしたの」

「歩いていくには距離があったから……」

 

ちらりと少女の方を見る。少女が会話に参加する意志はなさそうだ。

 

「説得されて、覚悟して乗り込んだんだが、無理だった。こういう乗り物も自分で動かすならまた違うんだけどな……、さっき御者に運転を変わってもらえないか頼んだけど断られたよ」

「ははっ、なにそれ。当り前じゃないの」

 

 ジェシカが思わず笑っていると青年は懐から地図を取り出していた。

 地図を広げる様子は手馴れて見える。乗り物には弱いのに旅にはなれているのだろうか。

 

「ところで、この馬車は北西に向かっているんだよな?」

「そうだよ。終着はトリスタニア」

「たしか……、そう、トリステイン。その国の首都だったか」

「うん?ひょっとして、トリステインに来るのは初めて?」

「……ああ、俺はそうだ。だからここら辺の事には詳しくない」

 

 青年は少し話しにくそうに答えた。何か事情があるようだ。

 

「ふ~ん」

 

 ジェシカは少し興味を抱いた。

 この二人は、どうしてこんな馬車なんかに乗ろうと思ったのだろう。

 そもそもジェシカがこの二人組に話しかけようと思った理由がそれだ。

 このような馬車に同乗させてもらう人間はたいてい旅の商人か、自分のような買い出しに遠出した町に店を構える人間のどちらかであり、青年はどちらにも見えなかった。商人用の馬車を移動に利用する傭兵や貴族などめったにいないからだ。

 

 そう。ジェシカはもう一人、青髪の少女の方にも強く注目していた。

 彼女の服装……高価な衣の白いシャツにスカート、そして背中から羽織るマントは、まさしくトリステイン魔法学院の制服だった。つまり彼女はメイジ、貴族である。

 そしてなにより、ジェシカは彼女の顔に見覚えがあった。

 

 確か、ミス・ヴァリエールがうちの店で給仕として働いてた時、彼女をひやかしに来た魔法学院の学生達の中にこの少女がいたはずだ。名前は……何だっけ。お人形さんにつけるような珍しい名前だったはず。

 とても静かな雰囲気の少女だった。一緒に来てた赤い髪のグラマラスな女性にかいがいしく世話を焼かれていて。あの日、店の中でその赤い髪の女性に絡んできた貴族の一派にすごい魔法をぶつけていたから、強く印象に残っている。

 

 そんな彼女がなぜこんな荷馬車を利用しているのか、この二人はどんな関係なのか、単純な貴族と従者……という感じでもなさそうだ。そう考えるとむくむくとジェシカの中で好奇心が湧いてくる。こういった内緒話が彼女は大好きなのだ。さっそく、会話途中のこの青年の素情から尋ねてみることに決めた。

 

「あなた、商人じゃないよね。傭兵さんなの?」

 

 青年の横に立てかけられている大剣を指しながら言った。

 身の丈程もありそうな分厚い大剣だ。無骨でおそろしく幅が広い。用途はわからないが表面には細かい切れ込みが走っていて、素人目にも作りこまれたものだとわかった。

 

「昔は、今は違う」

「じゃあ、今は、従者?」

「まあ、そうなるのか。その前は配達屋をやっていた。もっとも今は休業中だが」

「配達屋ねえ……全然そんな風には見えないけど」

「別に信じてくれなくていいさ」

「ふうん、じゃあ王軍に志願しようってわけじゃないんだね」

「王軍?」

「知らないか。ほら、今戦争が終わったばかりで国が疲弊してるじゃない。だから新たに軍を編成し直そうとしているわけ。なんでも平民からも積極的に登用しようって動きもあるらしいよ」

 

 先の戦争でトリステイン王国は勝利こそしたものの、軍部は大きな損傷を受けている。ハルケギニア各地で情勢が不安定な今、再編は早急とも言えた。また女王アンリエッタの貴族不信から、平民を取り立てようと動きも国内で活発だった。

 

「悪いが、興味無いな」青年は本気でそんな雰囲気で言った。

 

 そろそろ核心に触れてみようか、とジェシカは考える。

 

「じゃあ、何しにトリステインに?その子と一緒に魔法学院に行くの?」

 

 少女に聞こえないように耳元に近づいてぼそっと聞いた。

 

「どうしてそれを?」

 

 青年は驚いたように瞬きする。それはジェシカが近づいて来たことに対しての動揺ではないようで、お店で看板娘をやっている彼女としてはちょっと面白くない。

 

「そりゃね。あの服、魔法学院の制服だもん。ねえ、あの子どうしてこんな馬車に乗っているの?貴方と一体どういう関係?」

「いや……」

 

 言い淀む青年にさらに追い込みをかけようとして、その先を言うことが出来なかった。馬車が大きく揺れて止まったからだ。

 

「あれ、何?」

 

 突然止まった馬車に他の乗客も困惑しているようだった。

 ここはまだ平野の真ん中だ。トリステインに着くにはまだ早い。

 荷台は四方を簡易的な布で覆っている為、周りの様子がわからない状態にある。

 ――前方から馬の悲鳴が響いた。

 

「動かないで」

 

 ジェシカが立ちあがって外を確認しようとした時、青髪の少女が初めて言葉を発した。

 

「囲まれている」

 

 青年の方も酔いに悩ませられていた時と打って変わって真剣な表情になっている。

 まさか、とジェシカも何が起こっているのか予測した。

 その時、悲鳴を上げながら御者が荷馬車の中に転がり込んできた。

 

「おまえら、動くな!」

 

 銀髪の女が御者に続いて現れ、馬車の人間に向かって叫んだ。

 手に何か持っている。

 刃物ではない、杖だ。

 この人、メイジ――。

 

「よおし、そのままだ。積み荷は全ていただくよ」

 

 女は、にやりと笑った。

 

 ・ ・ ・

 

「ちんたらやってないでさっさと終わらせな!」

 

 メイジの女が叫ぶ。青髪の少女は杖を奪われており、ジェシカも青年もおとなしく従い縄で縛られていた。両手と両足を硬く結ばれて動けそうにない。

 青髪の少女も杖を奪われてはさすがに抵抗できないのだろう。

 

 女の部下と思われる男たちが杖を構えてなにやら呟くと、荷台に乗せてあった荷物が独りでに浮かんで外に運び出されていった。荷物はそのまま、いつのまにか横に並んでいた別の馬車の荷台に運ばれていく。

 

「ちくしょう……」

 

 悔しそうに縛られている商人らしき男の一人が呻く。せっかく仕入れた商品を目の前で奪われていくのだ。酒場のオーナーの娘であるジェシカにはその気持ちがよくわかる。ジェシカ自身も、自分の荷物が目の前で宙に浮き、運ばれていくのを眺めていることしかできなかった。

 しかしどうしようもない。ここはまだトリスタニアまで距離がある場所なので、助けは望めないし、姿を現している賊4人は、全員が杖を持っているのだ。

 

 この世界、ハルケギニアには主に二種類の人間がいる。魔法を使える人間と、魔法を使えない人間だ。その二つは身分の差であり、力の差でもある。

 魔法を使えない人間にあらがう術などありはしない。そう天地がひっくり返ったとしても。

 メイジの盗賊団。いや、ここには4人しかいないため、断言することはできないが、おそらくはトリステインとアルビオンの戦争後に雇用がなくなった貴族崩れの連中が徒党を組んだのだろう。

 ジェシカはこの時期、国周辺の治安の悪化を失念していたことに今更ながら悔やんだ。

 

「これで全部かい?」

「へぇ、引き上げですかい?」

「ああ、だがちょっと待ちな」

 

 そう言うと、頭らしき女メイジは青髪の少女の方へと近づいてきた。

 

「やあ、嬢ちゃん、こんなところでまた会うなんてね」

 

 知り合いなのだろうか。だが、少女の表情は変わらない。

 

「まったく、相変わらず何考えているのかわからない顔しやがって。忘れたとは言わせないよ。こっちは人攫いの商売の邪魔された挙句、あんたのせいで、あたしは牢屋にぶち込まれたんだ。まあその後、戦争のごたごたにまぎれて抜け出してやったんだけどね」

 

 ぐい、少女の顎をつかんでそばに寄せる。

 

「あの風竜はどうした。まさかまたこの中に化けて紛れてるんじゃないだろうね。いや……それはないか。あれはあんたの使い魔だろうし、もしいたらこんな簡単に捕まっちゃいないだろうしね」

「……」

 

 少女の青い瞳が鋭く女メイジを睨んだ。女メイジの口がにやりと歪む。

 

「……おやぁ、悪いことを聞いちまったかい?まあいい、あんたはあたしが直接始末してあげる。おい、他は任せたよ」

「ええ、姉御……。あ、ちょっと待って下せえ」

 

 部下の一人が縛られているジェシカ達の方へ近づいてきた。

 

「おいお前、随分いい剣を持ってるじゃねぇか。こりゃあ高く売れそうだ」

 男は青年に話しかけ、その横に立てかけてある大剣に触れようとする。だが。

 

「さわるな」

 

 その言葉で場の空気が凍る

 この青年は、一体何を言い出すのだ。

 

「てめぇ……自分の立場わかってんのか?」

 首に杖が突きつけられる。

 それでも青年は表情を変えない。

 

「よし、まずお前から殺してやろう。運が悪かったな。ははっ、恨むんならメイジに楯突いたてめぇの口を呪いな」

「6人……」

「は?」

「お前たちの人数だ」

 何を、と男が言いかけた瞬間だった。

 

 ぶちり!と何かが無理やり切れる音と共に、青年の腕を縛っていた縄が解けた。

 いや、解けたのではない。驚くべきことに、青年は硬く縛られた縄を自らの力だけで()()()()()()()()()()()()のだ。

 

 目の前で驚愕している男をよそに、瞬時に腕だけで体を持ち上げると縛られている両足を男めがけて思いきり下に叩きつける。

 

 岩が砕けるような音が響き、

 馬車全体が大きく揺れ、

 男の頭が荷台の床と共に陥没した。

 一撃で、泡を吹いて気絶している。

 木くずが舞い、誰もが息を飲む中、青年だけが動き続けていた。

 今度は腕で足を回転させると、横にある大剣の刃が足をかすめ、縄が切れる。

 完全に解放された青年は左手で剣を掴み、とうとう立ち上がる。そしてそのまま一番近くにいる銀髪の女メイジにかかっていった。

 

「このっ……!」

 しかしこの時には女メイジにも準備ができていた。杖を素早く構え、口早にルーンを唱える。それは熟練した優秀なメイジでなければできない動きだ。彼女の行動は間違っていない。間違っていたのは大剣を振るのと、魔法を放つのでは後者の方が早いと考えていたことだろう。

 

 予想を覆し、青年は剣を使わなかった。女メイジの鼻めがけて、遠慮ない拳を喰らわしたのだ。

 

「ぐぅあああ!」

 悲鳴を上げて、女メイジは荷台の外に吹き飛ぶ。

 

「姉御ぉ!」

「てめぇ、よくも!」

 

 荷台の外で反応できずにいた残りの二人が怒りから青年に杖を向け、今度こそ間髪入れず、杖先から勢い良く火の玉を吐き出した。

 もうだめだ、とジェシカが思った瞬間、

 ごう!と、荷台の内側から外に向けて突風が吹き荒れた。

 

「きゃああああああ!」

 

 強風は布で覆っただけの簡易的な屋根を吹き飛ばし、メイジ達の放った火の魔法をすべてかき消した。

 今度は何なの!?と顔を上げるとあの青髪の少女だった。

 青年が縄を解いたのだろう。解放された少女は即座に杖を取り返し、ジェシカ達を守る為に魔法を使ったのだ。平民であるジェシカでさえわかる強力な風の魔法を瞬時に展開した彼女はやはり優れた使い手なのだと思った。

 

 そしてその間にも青年は魔法を放ったメイジ二人に向かって飛んでいた。

 

「んなっ」

 メイジ達が絶句した時には青年は彼らの目の前に到達していた。

 

「遅い」

 ぐわん、と手に持った大剣が、大きくしなる。

 

「ぐああぁぁ!」

 斬る、というよりは砕くといった方が正しい音と悲鳴を響かせ、その二人は吹き飛んだ。

 

「すごい……」

 一連の動作を見ていたジェシカは息をのむ。

 天地がひっくり返っても適うはずがないと思っていたことが今目の前で覆されているのだ。

 青髪の少女の方はともかくとしても、魔法もなしにあっという間にメイジ達を蹴散らしてしまったあの青年は、一体何者なのだろう。

 

 

「そこまでだよ!」

 

 姿を見せていなかった残りのメイジ二人と、先ほど殴り飛ばされた女メイジが青年と少女に杖を向ける。どうやら本当にメイジだけの集団らしい。

 

「ぐっ、動くんじゃないよ。動いた瞬間殺す」

 

 青年と少女の周りを囲う形になりながらよろよろと女メイジが睨みつけた。綺麗だった銀髪が無残に乱れ、鼻から垂れる血を片手で押さえている。

 

「なめた真似しやがって……。お前、メイジ殺しか?容赦なく女のあたしを殴りやがって」

 

「いい恰好だな」

 

「ふざけるな、畜生!せっかく出てこれたのに、こんなところで捕まってたまるか……!撃てぇ!」

 

 女が叫ぶと同時に三つの杖が光り、女からは風の刃、残る二人のメイジから火の玉が、一斉に放たれた。

 今度こそ終わりだとジェシカは思ったが、二人に取り乱した様子はない。

 魔法が向かってくる中、青年は大剣を持ち上げ、額の前で柄を構えると、まるで祈るような動作で叫んだ。

 

『ウォール!』

 

 青年の周囲に淡いグリーンの膜の様なものが突如現れ、青年と少女を包んだ。

 メイジ達の放った魔法がその膜にぶつかると、まるで時間が遅くなったようにスローモーションになり、さらには突き進もうとすればするほど魔法の玉はみるみる小さくなっていく。

 そしてとどめに大剣の横払いが残る全てをかき消してしまった。

 

「なっ!魔法!?」

 メイジ殺しであったとしても所詮は平民なのだから魔法など使えるはずがないと思っていたメイジ達は完全に虚を突かれていた。目の前の相手が常識からかけ離れた存在であることにようやく気付いたのだ。

 体の固まったその瞬間を、青年と少女は逃さない。

 青年は火メイジ二人に、少女は女メイジへと駆ける。

 なすすべなく、火メイジ二人は文字通り蹴散らされ、

 女メイジはその手から杖を吹き飛ばされていた。

 

「これで終わり」

 少女が杖先を女メイジの喉元に差した。

 

「あ、あ……」

 信じられないといった表情で眼を剥き、残された女メイジは膝をついた。それは、この場でその光景を見ていた者達の総意でもあった。おそらく青髪の少女だけが相手なら女メイジは遅れをとることはなかったはずだ。それを全て、あの青年が覆してしまった。呆然とするしかないだろう。それほど目の前で起きたことはこの世界の常識とはかけ離れていた。

 

「そんな……こんな……!」

 青年が大剣を肩に背負いながら近づいてくる。

 

「さっきあんたの仲間が言った言葉、覚えているか?」

 感情の色を見せず、たんたんと大剣を持ち上げて言い放った。

 

()()()()()()()

 

 ・・・・・・・・・

 

「……で、どうしてこうなったの?」

「こうして、自分で運転するほうが楽だからな」

 

 いや、そうじゃなくて……とジェシカは力なく項垂れた。

 盗賊達を締め上げ乗せて、再び移動を開始した荷馬車の上。目の前では何故か青年は馬車の運転をし、その隣で青髪の少女が山ほど積まれたハシバミ草をついばんでいるという奇異な光景が展開されていた。どうでもいいけど、そんなに食べてお腹壊さないのだろうか。

 あの後、メイジの盗賊団を一網打尽にした二人に感謝する商人達が、何かお礼をと言い出して、彼らが要求したものがその二つだったのだ。

 

 青年はあれ程乗り物酔いに悩まされていたというのに、手綱を持った途端ぴたりとそれが治まっていた。自分が乗り物を運転するなら酔わない、というのは冗談でもなんでもなく本当のことだったらしい。変な乗り物酔いもあったものである。

 しかも、実際に運転させてみるとこれが上手なのだ。御者の経験があるのかと聞いてみれば黄色い鳥になら乗ったことがあると返答が返ってきた。意味不明だった。

 

 本当に、この人一体何者なんだろうか。

 生身でメイジ達を圧倒したと思ったら、なにやらよくわからない魔法を使っていたし。

 でもあんな魔法、今まで見たことも聞いたこともない。

 平民なのかメイジなのかという以前に、ハルケギニアの人間なのだろうか。

 メイジであるこの少女と一緒にいることも含めてますますわからなくなる始末だ。

 だからこそ、いろいろと尋ねてみたいこともあったのだが――。

 

「タバサ、口元に残っているぞ」

「んっ……」

 

 青年は少女の名前を呼び、口元を布で拭ってあげていた。少女――タバサちゃん、でいいのか――は、されるがままにジッとしている。

 タバサは無表情を装っていたが、よく観察すると頬がほんのりと赤みをさしていた。恥ずかしかったのだろうか。それを見て思わず吹き出してしまいそうになった。まるで、年の離れた兄妹みたい。

 

 ――まあ、いいか。

 この二人の事について気になることはたくさんあるけど、助けられたこともあるし、今はもう詮索はやめるとしよう。

 しかし、となれば、だ。

 

「ねぇお二人さん、今夜の宿は決めてあるのかい?よかったらウチに泊まっていかない?」

「まだ何も考えていないが、宿屋なのか?」

「いんや、あたしん家は酒場だよ。魅惑の妖精亭っていうパパの店でね、サービス良いってトリスタニアでも評判なんだよ。で、その一環として宿屋もやってるの。どう、私としても貴方達に何かお礼したいし、安くしとくよ?」

 

 決してタダとは言わないのはさすが商人の娘である。

 

「だそうだ。タバサどうする?」

「別に構わない。貴方が良ければ」

 

 青年はしばらく考えた様子を見せた後、頷いた。なんでもない仕草も、なぜか様になって見える。顔も良いし、服装さえ合えば貴族だといっても通じるのではないかとジェシカは思った。

 

「そうだな、長く滞在するつもりはないが、トリスタニアにいる間拠点は欲しいし、その言葉に甘えさせてもらうことにしよう」

 

「決まりだね。お兄さん……っとまだ名前を聞いてなかったね。あたしはジェシカ。そっちの子はタバサちゃんでいいんだよね。お兄さんの名前は?」

 

 ジェシカが青年の顔を覗いて尋ねる。整った顔の奥で空のように青い瞳が瞬いた。

 

 

「クラウド、クラウド・ストライフだ」

 

 

 彼は短く、そう答えた。

 




11/29 時系列に矛盾する記述を修正しました。
湖の水位が低下したのは(×数日前)→(〇四か月程前)
執筆した当初は見切り発車だったこともあり、気付いていませんでした……申し訳ございません。


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ラグドリアン湖編
Chapter 02


とても雄大で、魅力的な流れだった。

 

深緑のまばゆい光。それは突然、暗く深い底から湧きだした。

 

私の住まう所よりさらに底から現れたそれは、まるで誘うようにゆらゆらと、深く、それでいて力強い輝きを放っている。

最初は蜘蛛の糸のごとく細く、弱々しいものであったが、いつの間にか太く束になり、次第に辺り一帯に広がって溢れだしていた。

 

私は私の周りに住まう生き物たちが我先にとその光に群がるのを眺めていた。

その光景は単なる者達が見れば炎に群がる蛾を想像するかもしれない。

彼らは一心不乱に光に向かう。ある者は狂い、またある者はそれにふれた途端、苦しむこともなくあっけなく動かなくなった。

 

例え身を焼かれてでも近づきたくなる魅力。

 

その光の流れに感じるものは『知識』だ。

 

例え少しでもそれに触れてみようものなら、まるで荒波が襲いかかるかのように膨大な量の情報が精神へと押し寄せてくる。

 

とても個の存在では耐えきれないであろう重圧。

にも関わらず、触れてみたいと思うのはその光にどこか懐かしさを覚えるからではないだろうか。

 

私の在り様がそれと近い為であろう。

形というものを必要としない私は多少それから距離をおけば“自分”というものを保つことができた。

 

この流れは一体どこからやって来たのだろうか、私は興味を持った。

 

だから私はもう少し、

覗き見てみようと思った。

 

その、深緑の流れの、さらに奥を……。

 

 

02-1

 

 

 その日、自称元ソルジャー、クラウド・ストライフは帰路の途中だった。

 最北の町、アイシクルロッジを出て半日。

 ようやく雪道を抜け、今は何もない荒野を愛車のバイク、フェンリルでひたすら南へと飛ばしていた。

 空気は冷え切り、前方から凍てつくような風が絶え間なく吹き付けている。

 雪道を抜けたとはいえここは世界地図で最も北に位置する大陸だ。

 防寒はしてきたつもりだったが長い間風にさらされた結果、クラウドの体は凍えそうなくらい冷たくなっている。

 無事なのはゴーグルのおかげで良好な視界くらいだ。

 

(暗くなってしまった)

 

 日は既に沈み、闇の中で灯はフェンリルのヘッドライトだけになっている。

 久しぶりの遠方への配達だった。

 メテオ災害以来、人々のライフラインであった魔晄エネルギーは停止し、今までの豊かな暮らしは失われている。

 荒野には以前よりも魔物が蔓延るようになり、街と街との交流は取りにくく、場所によっては物資の輸出入さえ困難な状態が続いていた。

 

 そんな状況の中で、クラウドはストライフ・デリバリーサービスという配達屋を営んでいた。

 時には魔物の出現する危険なルートを突っ切り、荷物を最速で届けるのが今の彼の仕事だ。

 この仕事を始めてからも、もう随分と経つ。

 フェンリルをそのまましばらく走らせ続けていると、地平線しか見えなかった荒野の先に白く、透明に輝く森が見えた。

 

 忘らるる都の、珊瑚の森。

 

 今日中には港に辿りつきたかったが……

 あまり長い間夜道を移動するのも危険、か。

 仕方ない。森を抜けた先のボーン・ビレッジで宿をとることにしよう。

 

 これからの予定をそう決めた後、クラウドはスロットルを強く握った。

 それに呼応するようにフェンリルがエンジンを唸らせると、クラウドを乗せて森の中へと入っていった。

 

 

 透明に輝く珊瑚の樹々の間をフェンリルが駆け抜ける中、ふと、クラウドは座席から後部にある積み荷入れを見る。 

 中にあるのは今日配達した物、正確にはその残りだ。余分に持ってきたが結局余ってしまった。

 だけど、足りなくなってしまうよりはずっといいはずだ。

 

 この半年の仕事はこれの配達が一番多かった。

 本来なら金で扱えるたぐいの物ではないのだが、WRO(世界再生機構)からの依頼ということで、リーダーであるリーブから一応の費用を貰っている。

 

 WROとは“星を脅かすあらゆる存在に対抗する”という意志の元、世界規模で活動している組織だ。

 いまや軍隊とよべるほど巨大な組織になっているが、基本的な活動は各地への物資の支給などに留まっている。

 だが、今回のような険しい土地には支援が届かない場合も多い。そのためクラウドに時々こういった依頼がまわってくるのだ。

 

 もうしばらくすればWROの支援体制も完全に整ってくるだろう。

 クラウドの仕事は、物資の輸送が困難という時代のニーズがあって成り立っていたので、そうなるとこれから配達の依頼は少なくなってしまうかもしれない。

 

 しかし、それでも別に構わない、とクラウドは思っている。

 それならそれで家に居られる時間が多くなるのだから。

 

 ティファ、マリン、デンゼル。

 自分の帰りを待っていてくれる人達がいることが、今の彼を支えている。

 本当の“家族”ではないが、もうそれを気にする必要はないのかも知れない。

 クラウドの周りは平穏そのものだ。

 こんな生活をいつまで続けられるのだろうか……。

 時々そんなことを思う。

 

 そう……。

 あれから、あと半年で三年になる。

 

 ジェノバ戦役。

 星の命運を賭け、戦ったあの時から二年半。

 その間を“もう”というべきか、それとも“まだというべきなのか、それはわからない。

 しかしクラウドを取り巻く環境が著しく変わっていたのは間違いなかった。

 

 星は傷つき、大地は荒れ果て、さらに魔晄が無くなったせいで人々の生活は一変した。

 世界は確かに復興に向けて歩み出しているものの、未だ先の見えない困難な状況は続いている。

 戦いの後に残された深い傷跡を前に、だれもが立ち直ろうとあがいていた。

 そんな風に世界を変えてしまった責任は少なからず自分と、共に戦った仲間達にもあるのだろう。

 

 間違ったことをしたとは思わない。

 だが、払った犠牲はあまりにも大きかった。

 クラウドは今でも自分がしでかしたことの重さに押しつぶされそうになる。

 

 だが、もう逃げない。それだけは決めていた。

 それが自分の“罪”だから。引きずってでも前に進もうと思っている。

 

 しかし、それでも何度か、争わなければいけない時があったことを思うと、考えてしまう。

 あの戦いは、本当に終わったのだろうか、ということを。

 半年前を思い出す。

 

 星痕症候群。

 世界中に蔓延した奇病。星に溶けたジェノバの因子が引き起こした病。

 突然現れたカダ―ジュ一味。

 彼らの正体は、幼体、ジェノバの思念体だった。

 母親を求め、彷徨った彼らが本当の求めていたものは一体何だったのだろう……。

 そして

 

 ――わたしは、思い出にはならないさ――

 

 ぞくり、と、背筋に寒さとは違う悪寒が襲いかかった。

 半年前、再び姿を現したあの男の言葉だ。

 

 まだ何も終わっていない。

 心の何処かが呟いた。

 

 そう……わかっている。

 本当は、わかっている。

 今の平穏はきっと、ほんの束の間のことなのだ。

 

「まだ何も、終わってなんかいない」

 

 月明かりを浴びて、水晶のような美しい輝きを放つ森の中、その呟きはフェンリルの吠えるようなエンジン音にかき消されていった。

 

 ・ ・ ・

 

 森の最深部に差し掛かった頃だった。

 

「……?」

 違和感を覚える。なんだろうか。行きの時とは何か様子が違う。

 答えは脚元に現れた。

 

「水が……?」

 

 気付けば水の中を走っている。既にタイヤの三分の一は水に浸かっていた。

 確かこの道は行きも使ったが、その時はこんな状態ではなかったはずだ。

 ともかく、このまま進めば深い所にはまって動けなくなる可能性がある。

 クラウドはフェンリルを止め、座席から降りることにした。

 水が軽く跳ねる。水位は膝下くらいまであり、とても冷たかった。

 

「ついてないな」

 回り道をするしかないだろう。帰り着くのがさらに遅くなりそうだ。

 エンジンにトラブルがないことを確認したあと、まわりの景色を見回す。

 少し遠くに巨大な巻き貝できた建造物が見える。

 水かさが増えたせいで地形がわかりにくくなっていたが、よくよく見れば、見覚えのある場所だとわかった。

 

「ここは……」

 カダ―ジュ一味がアジトにしていた場所。 

 そして、クラウドにとって大切だった人が、沈んでいった、聖なる泉。

 

 おかしい、この道に来るはずではなかったのに。

 それに、溢れ出ている水は此処から湧いているようだった。

 一体何故……。

 その時だった。

 

 ―ジジッ―

 

 どこかで聞いたようなノイズ。

 背中に電流が流れるかのように何かが通り過ぎる。

 

 すぐに思考を中断。

 フェンリルのハンドル下にあるレバーを引く。

 ホルダーから六つの刃が飛び出してくる。

 それを引き抜き、一つに重ね合わした。

 六刃で一つの、親友の形見を模した大剣だ。

 クラウドは大剣を正面に構えて、辺りを警戒する。

 魔光による身体の強化で身に付けた鋭い五感と、長年の戦いで得た経験がこの場所に何かの気配を感じとっていた。

 

 魔物(モンスター)か。

 

 油断なく、周囲に気を配る。

 不気味なほど静かだった。

 脚元の水が音もなく波を立てている。

 ここら一体に溢れた水はひょっとすると魔物に原因があるのかもしれない。

 

……ごぽ……ごぽッ。

 

 泉の中心部から不信な音がして、水の色が暗く変色した。

 来る。

 水が大きく盛り上がる。

 そして、それは、姿を現した。

 

 球体、

 いや、形の定まらない、液体の固まりだった。

 水の上に浮かび上がったその体は半透明で黒ずんでいる。

 宙に浮かんだそれは水面に向かって体から出した足のような物を伸ばしていた。

 せわしなく形を変え、どこに臓器があるのかもわからない。

 生き物であるかも疑わしい。

 だが、こちらに敵意があることは、はっきりと肌で感じ取れた。

 

ど、ど、ど、ど……。

 

 地響きがなる。

 水面が大きく揺れる。

 地の底から湧ような揺れが起こり、

 そして次の瞬間。

 巨大な水の壁が目の前を覆った。

 

「ッ!」

 

 珊瑚の樹上まで一足で飛ぶ。

 さっきまで立っていたところには津波が襲いかかり、フェンリルは濁流に飲み込まれてしまった。

 クラウドは木の幹に垂直に着地し、体勢を立て直す。

 そして重力が体にかかる前に、即座に幹を強く蹴って、反撃の為に、魔物に向かって宙を飛んだ。

 ソルジャーと同等の肉体強化を施された体は

 その脚力で一瞬にして魔物の目の前まで辿りつく。

 

「はぁっ!」

 両腕で力強く、魔物の体に大剣を振り下ろした。

 勢いのまま貫き、大剣は魔物を真っ二つにする。

 だが、液体の中をすり抜けた感触しかなく、まるで手応えがない。

 空中で回転し、体の勢いを殺しつつ、水位の浅い、反対側の岸辺に着地、いや着水した。

 

 一つだった大剣をパズルのように分解させる。

 六つの刃の軸となる剣と柄すらない欠片の剣の二刀。

 この剣にはこういった特殊なギミックが幾つか仕組まれている。

 

 分裂した魔物の体は一つに戻っていた。物理的な攻撃は通さないようだ。

 水中からこちらに鋭い、槍のようなものが伸びてきた。

 やつの触手だ。

 飛び出てきたそれを、剣の片方でなぎ払う。

 

「ちっ」

 水の中、つまり地上はあいつのテリトリーか。

 ここを足場にするのは危険だ。

 樹上まで再び飛び退く。

 すぐにクラウドを追いかけるように触手が伸びてきた。

 それを跳躍して避ける。

 さっきまで足場だった枝が貫かれて砕けた。

 さらに追跡してくる槍の束を両手の剣で対応する。

 千切れた触手はすぐに元の形に戻っていく。

 相変わらず手応えはない。

 

 なら、魔法ならどうだ。

 クラウドは剣を一つに戻し、狙いを定める。

 精神を集中。

 大剣に内蔵された魔法を使用するための機構――マテリアに、自分の力を集めるイメージ。

 

 回復系マテリアは仲間のユフィの元に、召喚マテリアを含む危険なものは自宅に保管してあるので手元にないが、今ある魔法でも十分強力だ。

 

 きぃぃぃ、と波打つような高い振動音。

 “いかづち”のマテリア。

 剣の表面が電磁波を帯びる。

 そして大きく、剣を振り下ろした――。

 

「サンダガ!」

 

落雷が起きたと思わせるくらいの音を響かせ、雷属性の最上級魔法が斬撃となって放たれた。

 放たれた雷光は一直線に、魔物の本体に直撃する。

 目が眩むほどの閃光。

 一瞬、昼間と錯覚させるほどの明るさが泉を照らし、再び沈黙。

 並みの魔物ならひとたまりもない、十分な威力のはずだった。

 だが。

 

「効いていない?」

 

 雷撃は魔物の体の表面上を通過しただけだった。変化は見られない。ダメージは皆無の様子だ。剣も魔法も駄目とは……。

 はっと思考から戻る。

 四方から魔物の触手が迫っていた。

 

「くそっ!!」

 

 慌てて襲撃に対応する。 

 襲いかかってくる勢いがさらに増している。触手の数はさらに倍増していた。

 珊瑚の樹々が倒れていく中、森の中を水の手がクラウドを覆い隠していく……。

 

 捌く、ひたすらに捌く。

 手応えがない。

 まだ数が増える。

 

 ……捌き、きれない!

 左肩を触手がえぐる。

 

「ぐっ……!」

 一瞬気が削ぎれ、それが命取りだった。

 触手に右手を絡め捕られる。

「しまった!」

 続いて左手、胴体、右足。

「うあぁっ!」

 クラウドは樹上から魔物のいる泉の中心へ引きずり込まれていった。

 

 ・・・

 

 四肢をすべて掴まれ、抵抗しようにも身動きが取れない。

「くっ」

 クラウドを捉えた魔物は拘束を更に強め、彼をさらに近づけた。

 目が何処にあるか知らないがこの化け物はまるで自分を観察しているかのようだった。

 

 なんなんだこいつは。

 こんな魔物、この地域でいままで見たことがない。

 ――ジジッ――

 目の前を再びノイズ、

 今度は頭に激痛となって襲いかかった。

 

「がっ!?」

 何かがクラウドの中に侵入してきている。

 そいつは頭の中を動きまわっている。

 

「ぐあああああああああ!」

 目が眩み、

 吐き気を催し、

 体の中をおぞましい何かが駆け巡る。

 息が、できない。

 

 こいつッ……何を…?

 それは探るようにクラウドの頭の中を掻き混ぜていく。

 並行感覚を失い、天と地が逆さになった。

 自分がどこに居るのかも、わからない。

 そして、その何かはクラウドの記憶を勝手に引きずり出そうとしていた。

 彼の心の奥に閉まってあった記憶までも。

 やめろ、

 クラウドの懇願もむなしく、目の前に記憶の断片が映し出されていく――。

 

 それを、見るな!

 

 

 

 

―― 子供の頃、クラウドはいつも遠くから同じ年頃の子供達を眺めていた

―― 俺はあいつらとは違う。そう考えるようにしていた

 

 

―― ソルジャーに憧れて村を出たのに、現実は一介の兵士。

―― 幼馴染との約束を守れそうにない、弱い自分に嫌悪した。

 

 

―― 炎に包まれた故郷。長身の銀髪の冷たい眼をした男 

 

―― 自分の頭をなでる、親友の最後の姿

 

―― そして“彼女”は祭壇で

 

 

 くそっ!

 歯を食いしばる。もう、心を掻き混ぜられるのはうんざりだ!

 抑えこまれた右手の剣をクラウドは強く握り締めた。

 

「ううあああああああああああああああああああああ!!」

 クラウドは叫び、残す力を振り絞り、剣を持つ右腕に力を込め、魔物の束縛から強引に引き剥がした。

 腕に纏わりついていた粘着質な液体が辺りに飛び散った。

 その腕を、そのまま魔物の体へあらんかぎりに突き刺す。

 

 魔物はまるで気にも止めない。

 効かないとわかっているからなのか。

 液体でできたその体には、やはり物理的な攻撃は効果が無いようだ。

 だが、クラウドの狙いはそこではない。

 

 ―― 外側が駄目なら

 

「中からだったらどうだ……!」

 

 “ほのお”のマテリア。

 水中で大剣が発熱する――

 

「ファイガ!!」

 赤い閃光が鈍く透ける魔物の体の中で走り、瞬間、それの体が弾け飛んだ。

 強烈な熱に水が一瞬で蒸発し、ジュウという音とともに、視界がどす黒い蒸気に覆われた。

 威力の反動で体を束縛していたものが解け、解放される。

 

 手応えがあった。

 今のはおそらく効いたはずだ。

 物理攻撃も魔法も効かない上での苦肉の策。

 倒せただろうか?

 効果の有無を確認しようにもクラウドにそれ以上の力は残っていなかった。

 身体が……動かない。

 重力に逆らえず、クラウドの体はそのまま泉の中に落下していった。

 

 ・ ・ ・ 

 

 深く、深く、クラウドは沈んでいく。

 力が抜けていく。

 苦しくはない、さっきまでの痛みもない。だが体はとても重く、冷たく、瞼が勝手に閉じていくのがわかった。

 頭に浮かぶのは自分に関わった人たち、共に戦った仲間、そしてエッジにいる“家族”の姿だ。

 

 こんなところで終わるわけには……

 マリン……、デンゼル……。

 ティ…ファ…。

 

 クラウドが意識を失う最後に見たものは、

 泉の底で輝く、どこか緑色の混じるまばゆい銀色の光だった。

 

 

 

02-2

 

 

 その夜、とある湖の湖上から一筋の光が昇った。

 

 深緑の美しく、妖しく、なおかつ力強いその光は、一瞬にして消え去った為、それを目撃したものはいなかった。

 

 だから光が消えた後に倒れていた青年のことも

 

 その後湖に起こった異変にも、

 

 そしてこれから起こる異変にも、

 

 その時はまだ誰も気付いていなかった。

 

 

 

 

 二つの月が輝くハルケギニアの空。

 その中を青い鱗の竜、シルフィードは、主人を乗せて飛んでいた。

 夜のひんやりとした風はシルフィードの体に心地よくなじんでいく。

 彼女は今とても気分がいい。

 この高度まで昇っての飛行は約一週間ぶりだからだ。

 

「気持ちがいいのね~」

 

 思わず声が出てしまう。でも構う事は無い。ここは空の上だ。主人の他に自分の声を聞かれることはない。

 シルフィードは人語を操ることができるほどの高度な知性を持つ存在、伝説の韻龍である。既に200年は生きているが、これでも幼生体であり、それに応じて精神年齢もまだ幼い。

 シルフィードが喋れることは他の人間には秘密にすることになっている。秘密を知っているのは彼女の主人だけだ。

 

 シルフィードは顔を少し傾けて、自分の首のつけ根部分にまたがる少女、つまり自分の主人を覗き見る。

 彼女の名はタバサ。短い青い髪。眼鏡の奥の瞳もまた、夜にとけるような青。いつも無表情の、シルフィの尊敬すべきお姉さま。

 しかし、今日はいつもと違う点を見つける。普段であればタバサはシルフィードに乗っている間はずっと本を読んでいるのだが、今は本を閉じ、月明かりを頼りに、1枚の羊皮紙に目を通していた。

 

「お姉さま、何を読んでいるの?」

 

 シルフィードが質問すると、タバサは目だけこちらに向けて、短く言った。

 

「書簡」

 

 その一言でシルフィードは思い出す。

 ああ確か、あばずれの屋敷で受け取ったやつなのね。

 あばずれとは、タバサの親友、キュルケのことだ。

 つい先程まで、タバサとシルフィードはゲルマニアの彼女の実家のツェルプスト―邸にいた。トリステイン魔法学院でのある事件の後でキュルケに頼まれ、学院の教授であるコルベールという男を気絶したままの状態で彼女の実家まで運んでいたのだ。

 その後はしばらくは留まっていたのだが、タバサが書簡を受け取り、任務の為にキュルケに別れを告げて飛びだしたのだ。それは今シルフィードが空を飛んでいる理由でもある。

 

 つまりタバサは、これからの任務の内容を確認していたということになる。

 そこでシルフィードは、自分が疑問に思っていることを聞いてみることにした。

 

「ねぇ、お姉さま。シルフィは言われた通りお屋敷の方に向かっているけど、どうして?」

 

 そう、このままいけばラグドリアン――タバサの実家の方に着いてしまう。

 任務に向かうにしては妙だし、屋敷に一旦戻るとしても、その場合はいつも馬車を使うはずだからだ。

 

「任務地はラグドリアン」

「ラグドリアン? また?」

「そう。屋敷には、戻らない」

 

 きゅいーとシルフィードは低く元気なく鳴いた。シルフィードが自分で言ったように、タバサは以前にも、実家オルレアン領近くのラグドリアン湖で任務に就いたことがある。その時はキュルケも一緒だった。

 

「今度の任務はオーク鬼の退治」

「きゅい。なんだ、お姉さまなら楽勝じゃない」

 

 オーク鬼とはハルケギニアに住む亜人の一種だ。亜人とはいってもほとんど怪物と等しい存在で、力が強く、人を喰らう悪鬼である。平民の剣士が5人がかりでやっと太刀打ちできるという化け物だが、優れた魔法の使い手なら、倒せないことはない。

 トライアングルという高位のクラスであるタバサは、その優れたメイジであり、以前にもオーク鬼の退治をしたことがあるので大丈夫だろうとシルフィードは考えていた。

 しかしタバサはその考えに首を振る。

 

「今度はひとり。油断はできない」

「あ、そっか……」

 

 オーク鬼は群れをなすことを好み、数が多くなるほど戦うのは難しくなる。

 あの時はトリステイン魔法学院の学友達としっかり作戦を組んで挑んだからこそ、退治できたのだ。

 

 確か、宝探しの時だったけ……キュルケが炎で巣穴からおびき出して、女好きのギ―シュが功を急いで失敗して、それであの使い魔の少年――サイトがとどめをさして…………あの時くっついてきたメイドのお鍋はおいしかったのねー

 多少脱線しながらもシルフィードは思い出していく。

 

 こう考えると、タバサにも、いつの間にか友人と呼べる人達がたくさんできていたということに改めて気付いた。

 タバサ自身も、少しずつではあるが、変わってきている。

 ずっと一人で戦ってきた彼女の事を知っているシルフィードからすれば、それはとっても喜ばしいことだ、と思う。

 でも、

 それでも彼女は、任務に就く時には友達を頼ることはない。

 だれかに助けを求めたっていいはずなのに、彼女はそれをしない。

 自分の復讐に、危険なことに、大切な友人を巻き込んでしまいたくないから。

 それが理由なのだろう。

 

 いつも口数は少ないけれど、本当は誰よりも優しい。それでいて自分には厳しい自分の主人。

 一人で戦う。彼女のその決意をシルフィードは知っている。知っているから何も言えない。

 だけど……、

 

「お姉さま」

「なに?」

「お姉さまは一人じゃないのね。シルフィもいるもん。オーク鬼なんてお姉さまとシルフィにかかればケチョンケチョンのパーなのね!」

 

 だからこそ、せめて、お姉さまがだれかの力を頼れない時は自分が頼りにされたいとシルフィードは思う。

 

「……ありがとう」

 タバサがシルフィードにお礼を言う。そのことは嬉しいけれど、彼女の顔は、やっぱり無表情だった。

 

 ああ……この顔に太陽のような笑みが浮かぶようになる日は一体いつになるのかしら。

 彼女が笑顔を向ける相手は、誰になるのだろう。

 そんな想像をしながら、シルフィードは主人を乗せて目的地に飛ぶのだった。

 

 ・ ・ ・

 

 ラグドリアン湖はハルケギニアでも随一とされる名勝である。

 ガリア王国とトリステイン王国との内陸の国境に位置するその湖の面積はおよそ六百平方メイルにも及ぶ。

 緑の鮮やかな森と清んだ水のコントラストはまさに自然の生み出した絵画のような美しさで、古より人びとに愛されている。

 だが。

 

「あれ……お姉さま? なんか前来た時よりも湖が小さく見えるのね?」

「……」

 

 タバサは返事を返さないが既に気付いているようだ。

 タバサの顔に困惑と警戒の二つが混じる。

 雄大な水の情景は狭まり、岸辺が後退している。水の底であったろう部分の多くが露出し、月明かりに黒く鈍く照り返している。

 

 ラグドリアン湖の水位が目に見えて激減していたのだ。

 

 ・ ・ ・

 

 シルフィードは湖の縁に沿って滑空する。

 

「何があったのかしら?」

 在りし姿の半分以下となってしまった湖はかろうじて美しさを保っているものの、絵画のような景観のバランスは大きく崩れてしまっていた。

 

 ふと、シルフィードは気付く。

 なんだか静かなのね。

 古くから生き続ける韻龍の一族である彼女には、大いなる存在、人の言うところの精霊の気配を敏感に感じることができる。

 本来ならどこにでもあるもので、タバサのようなメイジが魔法を使役する際に用い、シルフィードのような先住のころから生きる者が力を借りる、この世界を構成している大いなる力だ。

 しかし、今この場に感じる気配はとても弱々しかった。

 これは一体どういうことなんだろう――。

 

「あれ、お姉さま?」

 

 考え事をしている間にタバサが背中からいなくなっていた。

 見ればシルフィードの遥か下で、自らに浮遊の魔法“レビテーション”をかけて地面に着地しようとする最中だった。

 

「降りるなら一言声をかけてくれればいいのに、もうっ」

 つい文句を言ってしまったが、いつものことだと思い直して、シルフィードも地上に降りていくことにした。

 

 ・ ・ ・

 

 タバサがゆっくりと降り立つと、両足が土の中にぐしゃりとめりこんだ。

 今彼女が立っている場所は水の干上がった部分にあたる。取り残された水草やらが泥だけになって辺りに散らばっている。水が引いてからまだあまり時間が経っていないようだ。

 

 背後に強い風を感じる。

 シルフィードが追いついてきたのだろう。

 ずしん、という音が響き、泥が大きく跳ねる。

 

「いたいのね~」

 すんすんと泣きそうな声が聞こえた。どうやらバランスを崩して着地に失敗したらしい。

 翼を大きくばたつかせ、その度に泥が飛んだ。

 タバサは溜息をついた後、短くルーンを唱える。

 

「お姉さま、ありがとう!」

 タバサの浮遊の呪文に助けられて、どうにか立ち上がることに成功したシルフィード。その体は泥だらけだった。

 その様子に関心を見せず、タバサにさっさと歩いていってしまう。さっきシルフィードが飛んでいた反対の方向だ。

 

「どこにいくの?」

 シルフィードの質問に、タバサは答えない。

 

 

 今回の任務とこの異変は何か関係があるのだろうか?

 歩いているうち、タバサの頭に最初に浮かんだ疑問がそれだった。

 オーク鬼の退治などという、“表”の花壇騎士でも処理ができそうな仕事が自分に回ってきたことを考えると偶然とは思えない。

 騎士としての経験から来る勘が「ある」と告げていた。

 油断はできない。

 任務に就くのは、一旦休んで準備を整えてからにしようと考える。

 

 とりあえず今は、さっき上空から見えたものを確認することだ。

 シルフィードに乗っていた時、奇妙なものが目に映ったのが気になっていた。

 

 このあたりだったはず

 目線の先に、岸辺に横たわる、大きな黒い物体。

――あった。

 タバサはしゃがんで、それを調べる。

 

「なに、これ?」

「……わからない」

 

 タバサにとっても見たことのない物体だった。

 濡れた土にめりこんで横たわるそれは、彼女の身長の倍はありそうに思われた。手で触れてみると、冷たくて、硬い。

 これは……鉄?

 よく見れば車輪のようなものが二つ取り付けられている。これは乗り物だろうか? そう思えば、見えなくもない。

 タバサの脳裏に、自分が在学している学院の同級生である少女の、使い魔が乗っていた“竜の羽衣”とよばれる乗り物のことがよぎる。

 形は違うが、この物体はあれと近いものに感じる。

 もう少し調べようという時、後にいたシルフィードが声を上げた。

 

「お姉さま、人が倒れているのね!」

 タバサが反応して、シルフィードの見ている方を向くと、暗がりに横たわる、人のシルエットが見えた。彼女は謎の物体については一旦切り上げ、そちらを優先することにして、倒れている男に近づいた。

 

 若い男だ。タバサよりだいぶ歳上ではありそうだが、せいぜい20代前半といったところだろう。シルフィードが見つけなければ気付かなかったかもしれない。金髪に上下とも黒い服装。左の肩にえぐれたような跡がある。そして、右手には身の丈ほどもありそうな巨大な剣を握っていた。

 

「うっ……」

 男からうめき声が漏れる。

 まだ生きている。

 タバサは短くルーンを唱え、杖を振る。

 探査の魔法“ディテクト・マジック”だ。

 すると、男と、手にする大剣から魔力を探知する。

 この男、メイジだろうか? 服装だけ見れば、傭兵にしか見えないのだけれど――。

 

「この人、不思議な感じがするのね」

 

 シルフィードが横から口を出す。

 

「不思議?」

「うん」

「どういうこと?」

「うーん……なんていうか、いろいろ混ざりあった気配がするのね。だから、なんか不思議」

「具体的には?」

「わかんない」

「……」

 

 不思議な気配。

 シルフィードの言葉を聞いて、少し悩んだが、タバサは決心する。

 男に杖を構え、またルーンを唱えた。浮遊の魔法“レビテーション”だ。

 そして浮かんだ男の体をシルフィードの背中まで運んだ。

 

「この人、どうするの?」

「屋敷につれていく」

「えっ、お屋敷に?」

 

 驚いてシルフィードが疑問を投げかける。今回は屋敷に立ち寄らないはずだったこともあるが、もともと、タバサが実家に他人を入れることはめったにないからだ。

 

「放っておくわけにもいかない。それに」

 

 タバサは湖を見る。

 その青い瞳は鋭く細い。

 

「何か関係があるかもしれない」  

 

 




触手プレイから始まる異世界転移。
クラウドさん精神攻撃には耐性弱いです。


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Chapter 03

“クラウド”

 

誰かの呼ぶ声。

それが聞こえて、クラウドは自分に体があることを思い出した。

 

地に足がつく感覚。

草を踏む感触。

目の前に広がる真っ白な景色。

足元には白や黄色の花々が咲きかえっていて、クラウドのいる位置を中心に広がっていた。

だがそれ以外は何もない。どこまでも霧がかかっているみたいで、ぼやけている。

花畑だけがその中でくっきりとした輪郭を保っていた。

世界から切り離されてしまったかのような空間。

 

現実と虚構の狭間。

この場所には見覚えがある。

 

辺りを見回してみようか、と考えていると、背中に重さを感じた。

柔らかく、温かい。

誰かが自分に寄り掛かっていた。

おそらく、自分と、背中合わせに立っている。

ふいに、鋭く、細い刃のイメージがよぎる。

思わず目をつぶって首を振る。なぜ今そんな事を思いだしたのだろうか。

 

“大丈夫?”

 

彼女は心配そうに語りかける。彼女が誰なのか、クラウドにはわかっていたが、振り返ってそれを確認しないようにした。

振り向いたらいなくなってしまうような気がしたからだ。

 

“クラウド 自分のこと、誰なのか、わかる?”

 

―ああ 

“良かった”

 

彼女は安心した声を出す。

 

“クラウドあぶなかったんだよ。また心がバラバラになっちゃうところ、だったんだから”

 

彼女が心配している理由は、ぼんやりだが、理解することができた。

自分はおそらく、ライフストリームに落ちたのではないだろうか。

星に蓄えられた膨大な量の知識の流れ、ライフストリーム。

個体の生き物がライフストリームに落ちれば、たちまち、頭に流れ込んでくる情報の波に耐えきれず壊れてしまう。

心がバラバラになる、というのはそのことだろう。

クラウドは以前にも、その中に落ちて精神を砕かれてしまったことがある。

 

―助けて、くれたのか?

 

彼女が自分を、という意味。

 

“ううん、違う。そうじゃないの。……クラウド、ごめん”

 

しかし彼女はその問いを肯定しなかった。

 

―え?

なぜ彼女が謝るのだろうか。彼女に対して謝らなければならないのは、いつだって、自分の方であるはずなのに。

 

“そうじゃないの”

 

彼女はくり返す。クラウドが心の中で思っていたことへの返答にも聞こえた。この場所では口に出すことと、心の中での呟きにたいした違いはないのかもしれない。

 

“助けたんじゃなくて助けられなかったの。私は、あなたに形を取り戻させようとすることしか、できなかった”

 

―どういうことなんだ?

 

“あなたはただライフストリームに落ちたわけじゃない。……ごめんなさい。あまり長くは説明、できない。ここにいる私は、私の中の一部でしかないから、もうすぐ、消えてしまう。”

 

―よくわからない

 

“クラウド。聞いて”

 

声がさきほどよりも遠く感じた。

 

“あなたは目を覚ました後、周りの状況に愕然、してしまうかもしれない。……でも…………あきらめないで”

 

その言葉で、クラウドは彼女がもうすぐいなくなってしまうとわかった。

 

―まってくれ

 

クラウドは思わず声をあげる。背中に感じた温もりはもう無くなっていた。

そして、振り返ってしまう。

 

そこには彼女の顔。

懐かしい姿がそこに。

もうほとんど消えかけている。

しかし彼女は真っすぐ、クラウドに、笑顔を向けていた。

 

大丈夫。

そう言うかのように微笑んでいた。

 

“あきらめないで……。……帰る方法は……きっと、あるはずだから……”

 

クラウドはその言葉と共に夢から目覚めた。

 

 

 ・ ・ ・ 

 

 

薄暗い部屋の中だった。

 

「うっ……」

 

上半身を起こそうとして眩暈を感じ、起き上がるのを断念する。

懐かしい人の夢だった。

まだ内容を覚えている。あれは一体何のことなのか……。

背中に感じる感触は柔らかい。どうやら自分はベッドの上に寝かされていたようだ。

首だけ動かして、ぼやけている視界で、自分のいる空間を見回した。

壁は石造りで、床は木目でできている。

置かれているテーブル等の家具には細かい装飾が施されていて、どこか古い匂いがする。

ベッドの真横にはアーチ状の窓があった。

この場所から外は見られないが月明かりが漏れていて、部屋の中を照らしていた。

 

どこだここは。

どうして俺は……?

気を失ってから、記憶の前後がはっきりしない。何があったかを思い出そうとする。

 

たしか……、配達の帰りに襲われて……そう、あの、斬撃も魔法の通じない魔物にやられたんだった。

だれかに……助けられたのか?

記憶を呼び起こすとともに意識がはっきりとしてきた。

今度こそ、クラウドは体を起こす。

頭がくらくらする。

あの魔物から受けた精神への干渉がまだ尾を引いているようだ。

持っていた武器は……、部屋の中にはない。服は気を失う前のままだ。――ソルジャーの戦闘服をアレンジしたもの。水の中に落ちたはずがすっかり乾いている。それに、肩にあったはずの傷も塞がっていた。なぜだろうか。外はまだ夜でそれほど時間は経っていないと思うのだけれど。

クラウドはここがどこなのか確認するため、ベッドから立ち上がり、窓に近づいた。

 

そして、違和感に気付く。

 

「……?」

おかしい。

見覚えのない風景だ。

いや、これはまだいい。気のせいかもしれない。

問題は空の上にあるものだ。

あるべきものが、増えている。

なんだ、これは?

俺は……一体……。

クラウドはまだ、自分が、思っているよりもとんでもない状況に置かれているという事に気付いていなかった。

 

 ・ ・ ・

 

屋敷の二階で眠っていたタバサはパチリと目を開けた。

寝巻の上からマントを羽織り、杖を持つと、音も立てず部屋を出る。

 

優れた風の魔法の使い手であるタバサは一階で何かが動く気配を風で感じ取っていた。

おそらくは客間に寝かせていたあの男が目覚めたのだろう。

なにか動きがあった時の為に一応シルフィードに監視しとくように命じていたが連絡はない。なぜか今回、やる気を出して自分から見張りをかってでると言い張ったので任せてみたのだが……。

 

(シルフィード?)

(ふにゃ~、……シルフィもう食べられないのね……)

 

使い魔との交信から聞こえてきたのは幸せそうな寝言だった。

溜息。

考えてみれば、あのぽややんとした竜に監視など頼むのはもともと無理があったのだ。

これは自分のミスだ、と彼女は諦める。

 

廊下を抜けて抜き足で階段を下りる。今は真夜中だ。他に起きているものはいないらしい。この屋敷に見知らぬ者を入れることは屋敷の執事であるペルスランにも反対されたが、ラグドリアン湖の異変のこともある。母のいるこの土地に危険があるのなら早めに知っておきたかった。

一階の客間、男を寝かせていた部屋の扉の前まで来た。武器は取り上げているので、攻撃される心配はないとは思うが用心してあらかじめ呪文を唱えておく。

ぎぃ、と軽い音をたてて扉が開く。タバサは杖を構えて中へ入った。

 

男は立ち上がっていた。

窓の外を見ているのでこちらからは後姿しか見えない。

タバサが入ってきたのに気付いて男はこちらを向いた。

 

「あんたが助けてくれたのか」

 

男は静かに口を開く。低く、それでいて透きとおった声だった。

 

「そう」

タバサは短く言い返す。

金髪に整った顔立ち。その奥で、タバサと同じ青い瞳がこちらを真っすぐ見つめている。それがまるで青空のようで、思わず吸い込まれそうな錯覚を感じてしまう。

 

「その……、聞いてもいいか?」

「……」

「ここはどこなんだ?」

「ラグドリアン湖近くの、屋敷の中。あなたを湖で見つけて、ここに連れてきた」

「そうか……」

男の声に戸惑いが混じる。

 

「もう一つ、聞いていいか?」

窓を指差しながら男は質問する。

 

「なんで月が……二つあるんだ?」

外には、タバサの常識からすればいつも通り、赤と青の二つの月が輝いていた。

 

 ・ ・ ・

 

「トリステイン、ガリア、ゲルマニア、アルビオン、ロマリア……、どれも聞いたことがない?」

「ああ……」

タバサの話を聞きながら、クラウドは困惑していた。

 

「なぁ、あんた……、さっき俺の言った場所に聞き覚えはないのか?」

 

青い髪の少女、タバサはふるふると首を振った。

二人は今、客間で向かいあって話をしていた。お互いに情報を欲していて、目の前の相手に聞きたいことがある為である。しかし出てくる内容はお互いの常識が食い違った話ばかりだった。

 

「あなたの言ったこと、地名、巨大隕石による大災害。どれも私には聞いたことのないことばかり。逆にあなたは私の言った地名、国名などをまったく知らない。あなたと私の常識は大きく違っている」

 

タバサが今までの情報のやり取りの結論を述べる。

 

「そう……みたいだな」

彼女に反論はない。しかしそれをどう受け止めたらいいのかわからなかった。

 

知らない地名。

当り前に存在する二つの月。

魔法を扱える者達が支配する貴族社会。

目の前の少女が語ったことは、ここが自分の知らない場所であるという事実をクラウドにはっきり突き付けていた。

 

「あなたの言った事を肯定的に信じるのであれば、あなたにとって此処は『異世界』という事になる」

異世界。

この場の状況を明確に表した言葉。そしてそれを否定できる反論も今は何もない。

 

自分の知らない、遠い場所。

なんだ、それは。

本当なら思わず頭を抱えたくなる所だった。

だが、自分でも意外なことにクラウドは落ち着いていた。

夢で見た“彼女”の言葉を思い出していたからだ。

 

―あきらめないで

 

肉体を失った今でさえ、自分のことを支えてくれている“彼女”が伝えてくれたこと言葉。必ずなにか意味がある。

絶望するには、きっとまだ早い。

 

「もう一度、俺が倒れていた時の事を教えてくれないか?」

「私も、その事の方に興味がある。」

 

そう言ってタバサは再び、最初にクラウドを見つけた時の状況を語った。

 

 ・ ・ ・

 

「――それで私がシルフィードに乗せて運んだ。……あなたは何故あそこにいたの?」

「……わからない。俺が覚えているのは、配達の帰りに魔物に襲われたところまでだ」

「魔物?」

「ああ、見たことのない奴だった。水場で襲われて、水の中に落ちて、気を失った」

「水……」

 

タバサは顔を下に傾かせて思慮に耽る。

水場。それが、彼女と目の前にいる青年の唯一に近いと言える共通点だ。

異世界から来たという青年の言葉も、それ自体は彼女にとっても確かに興味深かったが、彼の話のみの事であるし、差し迫って聞きたいことでもない。

だが、そちらにも何か共通点があるのではないか?

そしてはっと思いつく。

召喚。

タバサの脳裏に、同級生の少女が召喚した使い魔の青年のことが思い浮かんだ。

 

「なにか、見た?」

「何を?」

「気絶する前。例えば、扉」

「扉……」

クラウドは記憶を辿る。

あの魔物に捕まり、決死の覚悟で一撃を加えて、泉に落ちて、そのあと……。

水の底に沈んでいく自分。

扉……。

確か、目を閉じる寸前になにかが……。

光?

「そうだ、俺は気絶する前に銀色の光を見た覚えがある」

 

その言葉にタバサは納得したように頷いた。

 

「類似する魔法がある」

サモン・サ―ヴァント。

ハルケギニアのメイジはコントラクト・サーヴァントで使い魔を召喚すること。

その時に銀色のゲートが出現すること。

そしてゲートはまれに人間を召喚することがあるということをタバサは語った。

 

「私の知っているなかでロバ・アル・カリイエから召喚されたという人がいる」

「ロバ……?」

「極東にあるという、未知の土地。ハルケギニアに住む私達からすればほとんど異世界と同義」

「……そいつは、俺と同じ場所から来たのか?」

「わからない。本人に聞いたことがないから」

しかし内心、タバサはその可能性の方が高いと考えていた。短くない間行動を共にしていたあの少年の雰囲気は、目の前の青年と同じようにどこか異質なものがあったからだ。尤も、二人が同じ場所から来たという確証すらないのだが。

 

「ラグドリアン湖とあなたのいた場所がゲートで繋がったと考えれば、辻褄は合う」

そうであれば湖の水が無くなったのも、ゲートを通してクラウドのいた側に流れていったのではないかという推測が成り立つことになる。

そのとおりかもしれない、とクラウドは思った。忘らるる都の泉の水が増水していたことを思い出したからだ。自分が召喚されたという推測にもなんとか納得できる。クラウドのいた場所でも形は違えど召喚というものは存在していた。

 

「……だが、ゲートはこちらの人間――メイジが儀式を行わなければ開かないんだろ?そうなると俺を召喚した奴がどこかにいることになるのか?」

「いなかった、かもしれない」

「どういうことだ」

「あなたが呼ばれたのがイレギュラーなことだった可能性もある。召喚の儀式についてはわかっていないことも多い」

「召喚者がいない召喚なんてありえるのか?」

「事例はない。けど、ありえないとも言い切れない」

 

元はといえば始祖の時代から習わしとして伝えられてきた儀式である。メイジが何を呼び出すのかも、個人の実力に見合ったものが召喚されるという曖昧な基準しかない。どのような原理でゲートが開かれるのかすら、明確にはわかっていないのだ。それを考えれば突然、何もない場所にゲートが出現すること可能性だって否定はできない、ということだった。

 

「なるほどな……。それで、その」

クラウドはここにきて言葉に詰まる。

彼にとっての本題。

一番聞きたい事で、今まで話をしていて口にすることができなかった事だ。

 

「……俺は、もと居た場所に帰ることができるのだろうか?」

 

クラウドが真正面に目の前にいる青い髪の少女を見つめる。

この少女に聞いても答えはでてこないかもしれない。異世界から来たなんて気が狂った人間の戯言であるなんて返されるかもしれない。しかしクラウドは尋ねるしかなかった。

情けないことではあるが、今クラウドが頼れるのは、その答えをもらえるのは――彼女しかいなかったのだ。

タバサは少し間をおいた後、口を開いた。

 

「本来の召喚の儀式では、使い魔を元の場所に返す方法はない。だけどあなたが例外的にここに召喚されたとするならば、“現時点”ではわからないと言える」

「現時点?」

「調べてみなければわからない、ということ。あなたが倒れていた湖は何か異変が起きていた。それはあなたと関係があるかもしれない。ラグドリアンは私の領家の近く。だから明日、任務と兼ねて調べようと思っている」

「任務?一体……」

「私は、ガリア王国の騎士。今はオーク鬼という魔物の退治を命じられている。」

「騎士って……」

 

クラウドはタバサの口から出てきた言葉に驚いた。こんな小さな少女が?

 

「もと居た場所に帰る為の手掛かりを探すというのなら、任務のついで、という形であなたに協力できるかもしれない。少なくとも湖を探るという点であなたと私は同じ目的を持っているから。」

「あんたは……」

「何?」

「俺の言ったことを信じてくれるのか?」

「……あなたから聞いたことは興味深い。しかしそれはあなた本人からの話だけであるし、確証もない。私にとってあなたが異世界から来た人間かどうかは正直にいえば、どうでもいい」

「じゃあ、どうして、協力してくれる気になったんだ?」

 

「あなたが、真剣だったから」

 

クラウドの疑問に対して、タバサは無表情で、なんの迷いもなく答えた。

タバサにとってこの青年に協力する必要は本来なら無かった。

彼が今回のことに深く関わっている可能性が高いのはわかるが、ここから後、湖を調べることは彼女一人でもできてしまうからだ。

彼の言うこと、異世界の話は、筋が通っていても常識から考えれば荒唐無稽としかいいようがない。

しかし、彼女は周りの人間には無愛想で通している為、冷たい性格であると見られがちだが、元来は心根の優しい少女である。

それを表に出せないのは、今の彼女を取り巻く環境のせいでもあるが、それはともかくとして、目の前に困っている人間がいて、彼女がほうっておけるわけもなかったのだ。

 

それに……。

青年は真剣だった。

異世界から来たというのが本当ならその場で茫然と立ちすくんでしまっても当然なのに、彼にそんな様子は見られない。しかし必死に、自らを取り巻く状況をなんとか解決しようとしているのが彼の態度からよくわかる。

それを見て、タバサは協力しようと決意したのだ。

彼女はどんな状況でも前に進もうという意志を持つ人間が嫌いではなかった。

自身と重ねてしまった、というのもあるかもしれない。

彼女も過酷な状況の中前に進もうという人間なのだから。

この人が希望を捨てていないなら、協力してあげてもいい。そう思ったのだ。

 

「どうする?」

タバサが、問いかける。

 

タバサの短い一言が、クラウドにはありがたかった。

自分の話を完全に信じてくれたというわけではないだろう。それでも見ず知らずの男に協力してくれるというのだから、この提案を断る理由などありはしない。

討伐か……。

オーク鬼とやらがどんな魔物なのか知らないが、それが戦いであるならばクラウドの得意分野だ。問題ない。

今は一刻も早く元の場所に帰る手掛かりが欲しい。

 

目を瞑る。

浮かぶのはマリン、デンゼル、ティファの、家族。そして共に戦った仲間たちの顔。

自分の帰るべき場所。

必ず、帰る。

 

「わかった。こちらの事はよくわからないが、俺にできることがあったら協力させてくれ」

クラウドは立ち上がって手を差し出す。タバサもそれに答えた。

 

「そういえばまだ名乗ってなかったな……。クラウド・ストライフだ。よろしく頼む」

「タバサ。……よろしく」

 

 二人は夜明け前の客間で、互いの手を取り合った。

 

 

 

 



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Chapter 04

 朝日が昇ったばかりのラグドリアン湖一帯からは水蒸気が昇っていた。

 空から差し込む陽の光と土中との温度差で発生するそれは、霧のようにも見えるが、視界が遮られるのは地表に近い部分だけで、遠くの景色は見渡せる。

 澄んだ晴空の下、水位の下がった湖と、周辺に繁茂している葦などの背が高い植物が取り残された様子がよく見え、昨晩よりも湖の状況がよくわかるようになっている。

 そんな減退した岸沿いを、クラウドとタバサの二人は歩いていた。

 湿ったままの土を踏みしめながら、やがて辿りついたのは、昨夜、クラウドが倒れていたという場所である。

 

「これはあなたの?」

「ああ……」

 

 そこにはタバサが昨日見つけてそのまま放置されていた物体があった。

 フェンリル。

 大きな車体に漆黒のボディのバイク。幼馴染の店、セブンスヘブンでの飲み食いを、一生タダにできる権利と交換に譲ってもらったクラウドの愛車だった。

 

「これは何をするもの?」

 興味ありげに聞いてくるタバサ。こちらにこういった乗り物はないのだろう。

 

「簡単に言えば、移動の手段に使うもの、だな。……それにしてもまさかここに流れ着いていたとは」

 

 あの魔物の起こした激流に呑まれた後どうなったか気になっていたが、まさか自分と同じ場所に来ていたとは思いもしなかった。

 

 クラウドはフェンリルの傍で屈んで、労わるように触れる。

 外観を損なうまでのダメージはないようだが、ボディはひどく傷付いていた。

 調べるとやはり、エンジン部分を水にやられている。

 それでも、もう走れない、というわけではなさそうで安心する。

 フェンリルはかなり丈夫に作られたバイクで、そのことは実際に乗っていたクラウドの折り紙つきである。本格的に修理を施せば再び動かせるだろう。

 しかし、ここは異世界だ。

 昨晩タバサに聞いた話から推測すると、ここでは機械による文明は発達していないようだった。

 そんな場所では当然、修理が出来るほどの設備など望めないだろう。

 結果として帰還するまでは直すことができないという結論に辿りついた。

 

「はあ……」

 

 肩を落とす。

 クラウドは配達で得た収入のほとんどをこのバイクの改造に注ぎ込むほど、フェンリルに愛着を持っていたのだ。そんなクラウドの様子をタバサは不思議そうに見ていた。

 

「後であの屋敷に置かせてもらっていいか?」

 

 タバサは無言で頷いた。

 屋敷に駐車の許可がもらえたフェンリルだが、これから調べなければいけないこともあるので、回収は任務の後、一段落ついた時にすることになるだろう。

 それまで、これ以上愛車にトラブルがないように、森の茂みの中に隠しておくことにした。

 

 ・ ・ ・

 

 フェンリルから必要な物だけ取り出して戻ってくると、タバサが湖になにやら杖を向けているのが見えた。

 

「何をしているんだ?」

「……魔法反応を調べている」

 

 彼女の身長と同じくらいの、その大きな杖からは光が放たれている。

 探査の魔法“ディテクト・マジック”というらしい。

 そこに魔法の痕跡があるかどうかを調べ、魔法による罠、盗聴を調べるなどの使い道があるそうだ。

 タバサによると、もしまだ召喚のゲートが湖の中に存在しているのであれば何か反応があるかもしれないとのことだった。

 この世界、ハルケギニアにはこのように様々な用途に魔法が利用され、人びとの生活に溶け込んでいるそうだ。

 

「便利だな」

 素直に思ったことを口に出す。

 

「あなたの持っているそれの方が、よっぽど便利」

 タバサがこちらを向いて言った。青い瞳がクラウドの背負う大剣に向けられている。

 

「これか」

 昨晩の話の後に返してもらった大剣を背中のホルダーから引き出すと、クラウドはその内部に埋め込まれていた小さな球体を取り出した。

 指でかざすと、朝靄の中それはぼんやりと不思議な光を放つ。

 タバサの杖先のものと違い、はっきりとしない淡い緑色の光だ。

 

 マテリア。

 知識の流れとされるライフストリーム、魔晄とも呼ばれるその膨大なエネルギーの一部が結晶化したものだ。

 

「それがあればどんな人間でも魔法が使えるようになると、あなたが昨日言っていた」

 

 ハルケギニアで魔法を使えるのは貴族と呼ばれるほんの一握りの人間だけとされている。

 しかしクラウドの持つマテリアを使えば、誰でも魔法を使えるようになってしまう。

 例えば魔法が使えないという理由で地位の低い平民達でさえ、魔法を使うことができるのだ。

 ハルケギニアに住むタバサからしてみれば、魔法の価値を覆してしまうほどのマジックアイテムである。

 しかしクラウドは首を振る。

 

「……そんなに応用の効くものじゃないんだ」

 

 彼が否定するのは自分の居た場所の魔法と比較したからだった。

 魔光と共にマテリアは社会に大きな利益をもたらしていたが、マテリアの大部分が兵器としての利用されていたのだ。

 

「誰でも使えるからこそ、危険でもある。俺のいた所では戦いに使うものばかりだったから、こっちの魔法の方が、俺には魅力的に見える」

 

 大きすぎる力は身を滅ぼす。

 クラウドの世界を崩壊させた原因が魔光やマテリアにあったからこそ、彼はそれを実感していた。

 

「治療に使えるものはない?」

「ないことはないが、種類は多くないな」

「……解毒に使えるものは?」

 

 一瞬だけ、タバサの眼が鋭くなったように見えた。

 

「……“エスナ”と呼ばれる魔法があるが、戦闘中に負った毒なんかを治療するものだから、あまりに重いものは無理だろうな」

「……そう」

 

 タバサはそれを聞くと、また湖の方に目を向けてしまった。

 手持無沙汰になったクラウドは今の会話に首を捻った。

 

 タバサにはこの世界、ハルケギニアの常識、知識などはある程度教えてもらったが、自身のことについてはあまり語らなかった。

 クラウドが知っているのは、せいぜいがデンゼルと同じくらいの年頃の、無口な少女、ということ。あとはガリアという国に属する騎士であるということくらいだ。

 だからクラウドは彼女が何故その歳で騎士などという職に就いているのかもわからない。

 

 もし……、それがこの世界で一般的なことでないとしたら、彼女には何か事情があるのだろう。

 先程見た彼女の蒼い瞳の奥には、何か強い覚悟が宿っていた。

 なぜその幼さで、そのような覚悟を背負わなければならなかったのか。

 クラウドは気持が重くなるのを感じていた。

 

(俺はこのくらいの頃、なにをしていただろう……)

 

 確か、ソルジャーになる為に故郷のニブルヘイムを出たあたりの頃だったはずだ。

 何も知らず、ただただ愚かだった。

 ……本当のところは、同じ頃だった自分の姿と比べて、彼女を眩しく感じているだけなのかもしれない。

 

 ・ ・ ・

 

 それからしばらくして、タバサの杖の光が収まった。

 

「どうだった?」

「……召喚のゲートと思しき反応は検知できない」

「そうか……」

 もしまだ水底のゲートが残っているなら、そのまま湖に飛び込んでしまえばいいと思っていたがそう上手くはいかないようだ。

 

「まだわからない。湖の隅々まで調べることはできなかった。それに、ディテクト・マジックで検知できるのはメイジの魔法だけ。先住魔法が使われている場合はわからない」

「先住、というのは確か人間以外が使う特殊な魔法のことだったよな?」

「大雑把に解釈するなら、そう」

 

 ハルケギニアでは魔法の種類がメイジの魔法と先住魔法とで大きく二つに区別されている。

 人間が魔法を使えるのはメイジの始祖、ブリミルの血筋とやらのおかげらしいが……。

 さすがに異文化の宗教のことにまで深く首を突っ込もうとクラウドは思わなかったので詳しいことは知らない。

 ともかくは探知の魔法は先住魔法を調べるのには役に立たない、ということらしい。

 しかしだ。

 

「俺の場合それに当てはまらないんじゃないか?」

「……なぜ?」

 

 疑問を投げかけるタバサにクラウドはマテリアを再びかざした

 

「倒れていた俺を調べた時、俺と、このマテリアから反応があったんだろう?」

 

 マテリアはライフストリームの中の知識が結晶になったものだ。

 ハルケギニアから見れば先住の者達の言うところの精霊の力に近いエネルギーと言える。

 しかし、その魔力の反応をディテクト・マジックは探知できたのだ

 

「……俺はたぶんライフストリームに流されてここにやって来た。ゲートが俺のいた場所と繋がっているならその流れは検知できるんじゃないかと思う」

「……」

 

 タバサは言葉には出さなかったがその推測に納得した様子だった。

 だがそれは同時に、今現在水底に召喚のゲートが存在しないといことになる。

 ゲートが開いたままでいて欲しかったという、クラウドの当初の望みは打ち砕かれてしまった。

 が、実はそこまで都合のいい事を期待していたわけでもない。

 だからクラウドは切り出した。

 

「こちらはもういいから、タバサの任務の方に行こう」

「いいの?」

 

 もう少し付き合っても良いとタバサは考えていたのだろう。

 それを見てクラウドは力を抜くと、つい、ごまかすように彼女の頭を軽く撫でてしまった。

 タバサは頭を触れられた時、一瞬身じろぎしたが、その後拒否するような反応は示さなかった為、クラウドはそのままタバサの青い髪をしばらく撫でていた。

 子供らしい、柔らかい髪。一緒に暮らしていたマリンやデンゼルの顔が浮かぶ。

 あの二人は時々、こうやって撫でられると嬉しそうな顔をしていたのを思い出した。

 今頃どうしているだろうか。

 まだ自分がいなくなったことに気付いてないかもしれない。

 

「そっちで他に重要な話が聞けるかもしれないしな。まだまだこれからさ」

 

 言いながらタバサの頭から手を離す。

 そう、まだ始まったばかりだ。ここで立ち止まっているつもりなどクラウドにはない。

 

「……わかった」

 

 タバサはなぜか顔を隠すように頷くと、口に指を当てて、クラウドに背を向ける。そして周囲に響き渡る口笛を鳴らした。

 鳴らし終えると、景色の遠くに見えていた森の端が大きく揺れ、何かが飛び出してきた。

 すごい速さで空を飛び、こちらに近づいてくる。

 

 それはクラウドとタバサの真上で停止すると両翼を大きくはばたかせ、強い風を辺りに撒き上がらせながら降りてくる。

 美しい青い鱗で覆われた、大きな竜だった。

 

「私の使い魔、シルフィード」

 タバサに紹介され、その竜、シルフィードが図体に似合わないつぶらな瞳できゅいと、可愛らしく鳴いた。

 

 使い魔。本来の召喚の儀式で呼び出されるメイジに従う生き物達。

 昨日の話で、召喚の儀式で呼び出される使い魔はメイジの技量によって決まると聞かされている。実力のあるメイジの前にほど、ふさわしい生き物が現れる。

 タバサはそれだけ優秀な魔法の使い手なのだろう。

 

「すごいな」

 思わず漏らした言葉に反応したのか、シルフィードは誇らしげに鳴いていた。なんだか胸を張っているようにも見える。人の言葉を理解できるほど知性も発達しているようだ。

 しかし、タバサはというと、自分の使い魔について褒められたというのに何の反応も示さない。そして、ふりふりと翼をゆらして喜んでいるシルフィードに近づいていく。

 何をするつもりだろうか。クラウドがそう思っていると、タバサが手に持った杖を掲げ、思いきり振り下ろした。

 

 ごつんっ

 

「きゅいん!」

 頭部を杖で叩かれ、シルフィードが悲鳴を上げる。

 すごく、痛そうだ。

 シルフィードは恨めしそうに自分の主を睨むが、対するタバサは冷ややかな眼を崩さない。

 それに気圧されたのか、やがてシルフィードは落ち込むように頭を垂れ下げてしまった。

 

 言葉を用いていないようだが、彼女とこの竜はお互いの意思疎通ができているらしい。

 

(見張ってなかった。ごはん抜き。あと、しゃべっちゃダメ)

(……きゅい)

 

 竜とその主の睨みあいが、主人の勝ちに終わると、タバサはシルフィードの首に跨った。

 そして、あっけにとられていたクラウドに、何気ない風にこう言った。

 

「乗って」

 

「……なんだって?」

「ここから村までは距離がある。飛んでいったほうが早い」

 

 飛ぶというのはまさか、この竜のことだろうか。

 いや今の状況からすれば、それしか考えられない。

 考えられないのだが。

 

「まさか……それに乗るつもりか?」

「そう」

 

 返ってきたのは簡潔なイエス。

 冷や汗が流れる。

 

「歩いて、いかないのか?」

 

 他に代案が無いのか聞いてみる。

 

「ここから目的の村までは距離がある。飛んでいったほうが早い」

 

 なるほど納得のいく理由だった。この湖は広い。なにせ反対側の岸辺が見えないほどなのだから、湖に近い村と言ってもかなり離れた場所にあるのだろう。

 しかし、しかしだ。

 

「……竜に乗るのは初めて?」

 

 あきらかに動揺しているクラウドにタバサが声をかける。

 

「ああ……」

「怖い?」

「いや!……そういうわけじゃ、ない」

 

 そう、怖いなどという理由でクラウドは戸惑っているわけではない。

 問題はその竜に乗ること自体にある。

 

 ……酔うのだ。それもひどく。

 フェンリルに乗っている時など、自分が運転する時は平気になったが、クラウドは元々乗り物に酔いやすい体質だった。

 そんな彼にとって初めて乗る竜という乗り物に不安は隠せなかった。

 特にこういった動きの激しそうな生き物に乗るのは。

 しかしタバサは、クラウドが乗るのを怖がっていると判断したようだった。

 

「大丈夫、怖くない」

「だから、そうじゃなくてな……」

「安全」

「……」

「乗って」

「……」

「……」

「……ダメ、か?」

「早くして」

「……」

 

 覚悟を決めるしか、なさそうだ。

 我慢比べに負けたクラウドは諦めの溜息を吐いた。

 おそるおそるシルフィードの背中に手をかける。

 シルフィードがくすぐったそうに目をつぶった。

 

(揺れたり……まぁ、するよな)

 

 クラウドは思い切って、シルフィードの背中に飛び乗った。

 そして、二人を乗せたシルフィードは、目的地へ向かうため、地面を離れるのだった。

 

 ……結果として、

 短い空の旅は、それでも、思ったよりは快適であったことだけは確かだった。が、

 

 できればもう乗りたくない。

 それが、へろへろになりながら地面に降りたクラウドの、正直な感想だった。

 

 ・ ・ ・

 

 キルマと呼ばれるその村は、ラグドリアン湖から森に入って少し奥にある集落だ。

 村人たちは山地で栽培できる作物の他、自然の樹木を伐採して日々の生計を立てている。

 数十年前から、ハルケギニアのあちこちで作られていた開拓村の一つで、ラグドリアンの豊富な水源によって守られた静かな村のはず、だった。

 

「ひどいな……」

 

 辿りついた村は悲惨さに満ちていた。

 自然の木材を利用したと思われる木造の家々は、へこみ、ひしゃげ、砕け、ねじきれ。

 傷付いていない家屋は存在していない。中には倒壊してしまったものまである。

 台風でも来たかのような有様だった。

 湿った空気に混じって血の匂いがする。

 破壊は最近のことだったのだろうか。

 いまだに鼻について漂っている。

 

「これが例の、オーク鬼ってやつの仕業なのか?」

「……おそらく」

「随分と好戦的な魔物なんだな」

「……」

 

 道を歩く人間がいないので一見すれば打ち捨てられた廃村にすら見える静けさだ。

 しかし、いまだ形を残す家々の中からは息遣いとこちらを覗く視線を感じ取れる。

 そんな家々の一軒から、女性が呼びとめる声と共に少年が飛び出してきた。

 栗毛の少年はこちらに駆けだしてきてクラウド達の前で立ち止まる。

 

「オーク鬼の討伐にきたメイジ様ですか?」

 

 たどたどしい敬語で少年はタバサではなく――クラウドに話しかけてきた。

 一瞬戸惑うものの、この奇妙な二人連れでは自分のほうがメイジらしく見えたのだろうと思いなおす。

 

「俺はメイジってやつじゃない。こっちだ」

 と、タバサを指して訂正する。

 

「ガリア花壇騎士、タバサ」

 タバサが名乗り出る。その途端少年が驚いたような顔をした。

 それを見て、やはり彼女の歳で騎士をやっているのは珍しいことなのだとクラウドは確信する。少年はしばらくまじまじとタバサを見ていたが、彼女が杖を手にしているのを見てどうやら納得したようだ。

 

「こっち、村長の家まで案内、します」

 

 ・ ・ ・

 

「騎士さま。ありがとうございます。もうお国に見限られたのかと思っていたところだったのです」

 

 村長だと名乗った老人が深々と頭を下げた。今回のことによほど頭を悩ませているのか、疲れた気配を漂わせている。部屋の暖炉に灯る火も、どこか弱々しい気がした。

 二人が案内された村長の家は、破壊を免れた、村の中でも一番大きな木造の建物だ。

 少年が去った後、中に入った二人は用意されたソファに腰掛ける。村長の妻と思われる老婆が運んできた香りの薄い紅茶が、古びた銀でできたカップに容れられてテーブルへと並べられる。

 

「オーク鬼のせいで村は生活がままならなくなってしまって……、最近では食糧も蓄えがつきかけています。……大したおもてなしも出来なくて心苦しいのですが」

 

 そう言った後、村長はクラウドと立てかけてある大剣を交互に見る。

 

「お連れの方は……?横にあるものを見るにメイジ様ではないようですが」

「私が雇った傭兵。今回の任務に同行する」

 

 タバサの説明に、村長ははぁ、と息をもらしただけだった。間違ったことも正しいことも言っていないので、クラウドも特に訂正はしない。

 

「それより、何があったのか教えてほしい」

 単刀直入にタバサが切り出す。

 

「ええ、もちろんです。お話します」

 

 ・ ・ ・

 

「一か月程前からでしょうか、森に木を切り出しに行く男集がたびたびオーク鬼に襲われるようになりました。オーク鬼自体は昔からこのあたりにゃあいましたが、最近になって頻繁に襲われるようになったのです」

「それで依頼を?」

「ええ、……幸いこの村は湖から離れた場所にあったおかげで、二年前からの増水の害を受けずに作物の生産も衰えず、お国からある程度の信頼を保たれていました」

 

 ですが……と言葉を区切る。

 

「実はそのすぐ後に、村の若い連中が、メイジ様なしでもオーク鬼なんか倒してやるって、いきりたって武器を持ちだしてしまったのです」

「魔法を使えない人間があれに立ち向かうのは危険」

「おっしゃるとおりです。ですが……森に行く度に襲われて仲間が何人も殺されて我慢ならなくなっていたのでしょう。もちろん魔法も使えないしがない村民が亜人なんて倒せるはずがありません。若い連中は森の中で出会ったオーク鬼一匹を10人がかりでも仕留め切れず逃してしまったそうです」

 

 今考えると止めるべきだったと後悔しています、と、村長は言葉を区切り、そして、ぶるっと体を震わせた。

 

「……その一週間後の朝でした……オーク鬼が集団になって、村に襲ってきたのです。……20……いや30匹はいました。皆なすすべもなく、食われて……殺されて……」

 

 後ろにいた老婆が呻き声を上げて床に崩れ落ちた。村長が老婆にかけよって慰める。

 

「すみません……その時ウチの後取りも殺されてしまって、私らもまだ気持の整理がついていないのです」

 

 それが今の村の惨状に繋がるわけか、と窓の外を見ながらクラウドは呟いた。

 しかし……、倒壊した家を見ながら思う。

 これではまるで報復のようではないか。

 亜人とはいえ、野生の生き物がやることにしては凄まじすぎる。

 老婆のすすり泣きが収まるまで待った後、タバサが言った。

 

「聞いておきたいことがある」

「ええ……何でしょうか」

「オーク鬼のことの他で何か変わったことが起きていなかった?」

「変わったこと、ですか……。そういえば……、湖に水を汲みに行く仕事をしているもの達が最近湖がおかしいとか言ってましたな」

「本当か?」

 

 クラウドが身を乗り出した。

 

「え、ええ……、なんでも暗くなると湖が光り出すとかって話です」

 

 老人はクラウドの反応に少々驚いた様子を見せながらも続ける。

 

「淡い緑色に湖面が輝くんだそうです。それがなんだか薄気味悪いって……精霊様がお怒りになってるんだっていう話でした。夢でも見たんじゃねえかって思ったんですが、村の中に何人もそれを見たって奴がいるんで一応、夜は湖に近づくなと言い聞かせていました」

「それはいつから?」

「二か月ほど前からでしたかね。そんな話が出る様になったのは」

 

 タバサとクラウドは目を合わせる。クラウドが無言で頷く。

 

「ラグドリアンの水位が下がっていることは知っている?」

「ええ、その事ならもう知っています。突然のことで……。私たちも騎士様たちが来るまで村中で話のタネになっていました。あの、それが今回のことに何か関係があるので?」

「まだわからない。今そのことも調査している」

 

 すっとタバサが立ちあがった。クラウドもそれに倣う。

 

「話はわかった。オーク鬼の住処がどこかわかる?」

「ええ、山を入った所にある洞窟をねぐらにしているんじゃないかという話です。森に出ていた連中に聞けばもう少し詳しいことを知っていると思います」

「了解した」

「あの、どうかよろしくお願いします」

 

 村長と老婆が、頭下げて二人を見送った。

 

 ・ ・ ・

 

 その後二人は村を回って話を聞き込みをした。

 するとオーク鬼はやはり山の奥にあるという深い洞窟をねぐらにしており、その場所はここから半日ほどかけた場所にあるという話が聞けた。

 他にもクラウドはラグドリアン湖の異変についても尋ねてみたが、そちらに関しては村長が話してくれた事とさほど差のない内容だった。

 

「どう思う?」

「異常」

 

 二人は歩きながら会話していた。

 

「オーク鬼は群れで行動し、人を襲う。でもそれは森の中であって人里を襲うということはありえない」

 

 オーク鬼も森に住まう獣の一種に含まれる以上、人の気配が多い場所を避けるのは当然だ。

 そしてなにより、人が多いということは、人の身でありながら彼らに対抗できる力を持つ、彼らの天敵と言ってもいい存在――メイジがいる可能性がある。

 そんな場所を好き好んで襲うはずがない。普通ならば。

 

「だが現実にこの村は襲われている。どういうことなんだ?」

「わからない。考えられることはこの村にメイジがいないという確信があったのか、もしくは……メイジを恐れる理由がないほどものが彼らにあるということ。」

「……オーク鬼達に何かがあったということだけは間違いないんだろうな」

 

 クラウドは会話を反芻しながら、今まで聞いた情報を整理していた。

 

「そういえば、村長の言っていた精霊っていうのは何なんだ?」

「あの湖に古くから住んでいる存在。強い魔力を持っていて、水を操ることができる」

「水を?じゃあそいつが今回の事に関わっているのか?」

「可能性は高い。水の精霊は以前、湖の水位を上昇させたことがある」

 

 それを聞いてクラウドはハルケギニアに来る前の事を思い出していた。

 ラグドリアンと忘らるる都の底が繋がっていたとしたら、逆にハルケギニアのものがクラウド達の世界に来ることも出来てしまう。

 ここに来る前に遭遇したあの魔物。

 ひょっとすると……あれがその精霊だったのだろうか?

 あの正体不明な魔物の濁った体とおぞましい気配を思い出す。

 

 いや……、考えすぎか。

 少なくとも、クラウドにはあれが精霊なんて高尚な存在にはとても見えなかった。

 横を見るとタバサも何やら思考に耽っている。

 クラウドと同じ疑問に辿りついているのかもしれない。

 

 ラグドリアンの水位の減少。

 凶暴化したオーク鬼達。

 クラウドが此処にいるということ。

 そして、淡い緑色の光。

 もし、それがライフストリームだとしたら……。

 いや……

 ここから先は、自分の眼で確かめるしかないのだろう。

 

「ここから先は私一人でやる」

 

 タバサの突然の提案にクラウドの思考が止まった。

 

「今回のことはわからない事が多い。危険」

「……今更だな。一人でやる方が危険だと思うが」

「問題ない。それに、もともとこれは私の任務」

 

 頑な態度のタバサ。

 彼女が今になって態度を変えたのは、おそらくクラウドの身の心配をしてくれたからなのだろう。もしくは足手まといだと思っているか。だとしたらこの上ない心外であるが。

 

「協力すると言っただろう。これは俺自身の問題でもあるんだ。ここまで来たら最後までついて行くぞ」

 

 こちらから引く気は全くないという意志を持って、クラウドは自分と同じどこまでも青い瞳を真っすぐに見つめた。

 

「……わかった」

 

 しばらくして、諦めたようにタバサが返事をする。

 どうやら今度の我慢比べには勝利できたようである。



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Chapter 05-1

 空はあれほど晴れていたというのに、森の中は薄暗い。

 森の匂い、と言うべきなのか。

 湿気と共に鼻にすっと心地良い香りが辺りから漂ってくる。

 ライカ欅と呼ばれる、材木に利用される樹木のものだ。

 鉄屑と渇いた大地で囲まれた街で暮らしていた自分には久しぶりに嗅いだ新鮮な香りだ――クラウドはそう話した。

 崩壊した世界の情景。そんな言葉を聞いても、タバサにはそれがどんなものなのかは想像できなかった。

 

 ・ ・ ・

 

「あれか……」

 

クラウドの呟きが隣から洩れた。二人は茂みの中から遠方を覗き見ていた。

 森と山脈との境。切り立った岩場のちょうど根元にぼっかりと穴があいている。かなり大きな洞窟だ。なるほどこれなら体の大きな亜人でも集団で暮らすことができるだろう。

 タバサが洞窟内の様子を風の動きを感知して探る。どうやら奥も深くまで続いている。中から多くの生き物の蠢く気配が感じ取れた。かなりの数だと推測できる。

 間違いない。ここが目的の、オーク鬼の巣穴。

 

「どう攻める?」

「まずは作戦を立ててから」

 

 タバサは冷静に現状を見定めようとする。あの洞窟の中にいるオーク鬼は相当数だ。以前タルブで戦った時よりも遥かに多い。

 戦える人間は自分とクラウドの二人とシルフィードの一匹だ。だが、クラウドに関しては何処まで戦えるのかは未知数。

 どうするか。罠を仕掛けるべきか。しかし今から大掛かりな罠を仕掛けのも難しい。それにこの数で奇襲を仕掛けたところで、有利なのは最初だけで、その後がジリ貧になってしまいかねない。

 

「前にも戦ったことがあるんだろう?その時はどうしたんだ」

 

 決めかねていると、クラウドが尋ねてきた。

 

「火の煙でおびき出して、引きつけ役を使ってまとめて叩いた」

 

 タルブの時はタバサがおとり役をかって出て、残りのメンバーで仕留めるという作戦をとっていた。

 あの時の作戦は、大人数だったのが功をなしていた。もっともギ―シュが勝手に飛び出したせいで上手くいったとは言い難いものあったのだが。だがクラウドは。

「じゃあそれでいこう」と言った。

 

「え?」

「わかりやすくていい、シルフィードは今どこにいる?」

「……上空、少し離れた場所で待機している」

「よし……タバサは火をつけたら隠れて待機していてくれ、引きつけるのは俺がやる」

「本気?」

 

 タバサは唖然とする。ここに潜んでいるオーク鬼の数は尋常ではない。クラウドがマテリアを用いることで、魔法を使用できるとはいえ、それはいくらなんでも無謀すぎると思った。戦っているうちに消耗しきってしまうに違いない。しかし、彼はまるで、そんなことは何の問題にならないかのように平然とした様子で、懐から取り出した袋をタバサに差し出してきた。

 

「これは?」

「マテリアのストックだ。……さっきはああ言ったが戦闘においてはこちらの方がアドバンテージがあることもある。一応持っておいてくれ」

 

 言われるままにタバサは袋の中から小さなマテリアをひとつ摘まんだ。――ほんのりと輝いている。クラウドの説明ではこれは氷の魔法が使えるらしい。念じればそれでいいというが……。できれば自分の魔法のみで対処しようと思うが、念のために、タバサは借りておくことにした。

 

「でも、貴方の分は?」

「俺のはもうここにある」

 

 持っている武器を軽く叩きながら言った。分厚く巨大で無機質な大剣。クラウドのそれには7つまでマテリアを内蔵できる仕組みになっているという。

 

「タバサはシルフィードと連携を取りながら援護してほしい」

「……本当に大丈夫?」

「まぁ、()()()()()()()()何とかなるだろう。それに元々、最前線で戦うのがソルジャーの役目、だしな」

「ソルジャー?」

「何でもない、こっちの話だ」

 

 クラウドは目を合わせずに、そう言った。

 

 

 

・ ・ ・

 

 クラウドは静かに集中する。

 自分の戦う理由。

 迷わない為に、それはいつも自問しておかなければならないものだった。

 一つは自分の為。元の世界に戻る為の手掛かりを探らなければならないから。

 一つはあのキルマの村の為に。目の前で苦しんでいる人間がいるのを放置することを良しとはできない。

 そしてもう一つは――

 

 クラウドは思考から現実に帰還し、洞窟の方を見る。

 洞窟の傍で、タバサが集めた枯れ木に“発火”の魔法を唱えていた。

 燃え上がる炎の上に昇った煙がそのままオーク鬼の住む洞窟へと流れていく。

 クラウドは洞窟の正面に立ってそれを見守っていた。

 静かにその時を待つ。

 しばらくすると奥から豚のような声が聞こえてきた。

 

――お出ましか。

 

 クラウドが手を上げる。タバサはそれを見て、茂みの奥へ消えた。

 煙を上げてオーク鬼達を巣の外へ引きずりだす。

 ここまでは予定通り。

 

ぶきぃ!ぶきぃ!

 

 鳴き声とともにオーク鬼が姿を現した。

 豚の顔に巨躯の体。緑の肌の、醜悪と言っていい姿。

 首から何やらぶら下げている。

 オーク鬼は人を喰らう悪鬼。

 それが人の頭がい骨だとわかって、クラウドは僅かに顔をしかめた。

 

ぶきぃぃぃ!!

 

 オーク鬼の雄たけびが重なり会い、声に怒気が混ざる。

 巣穴の前に炎を放ったであろう人間を見て元々醜悪だった顔がさらに歪んでいくのが目にとれた。

 それが5体。棍棒や村人から奪い取ったのであろう斧や鍬をそれぞれが手にしている。

 彼らは覆いかぶさるような視線でクラウドを睨みつけた。

 彼らにとってクラウドは、自分達の怒りを買い、これから叩き殺される愚かな人間にしか見えていないのだろう。

 

 クラウドはおもむろに背中のホルダーから大剣を引き抜き。

 剣の柄が額に当たる所まで掲げ。

 目を瞑る。

 それはおまじないだった。

 親友が、気持ちを落ち着かせる時に、よく行っていた所作。

 それにどんな意味があるのかクラウドは知らないが、こうしていると何故か自然に気持ちが落ち着いてくる。

 

 先頭のオーク鬼の掛け声と共に、

 醜い豚面の集団がクラウドに向かって一斉襲いかかってきた。

 

 殺気を平然と受け流しつつ、大剣を構えたクラウドは考える。

 

――あいつならこの状況で何と言うんだろうか。

 

 唇の端が無意識に上がっているのに気がついた。

 そんなことを考えている自分がなんだか可笑しい。

 

 決まっている。

 きっとこう言うだろうに違いない。

 

()()()()()()()()、だ」

 

 一番近いオーク鬼に向かってクラウドは駆けだす。

 そいつが迎え撃つとばかりに、巨大な棍棒を振り上げるのが見えた。

 

 まずは様子見。

 先手は譲ってやる。

 

 オーク鬼が殺気をぎらつかせ、棍棒を振り下ろした。

 なかなか速い。

 しかしそれをしっかりと目でとらえ、

 大剣の重さを利用して、

 体を捻り、

 すれすれを避ける。

 狙いを外した棍棒は地面を砕いた。

 ズウンと、芯から揺れるような音が響く。

 怪力を利用した力まかせの一撃。

 なかなかの威力だ。

 喰らったら骨が砕けるだけでは済まなそうなくらい。

 まあ当たったらの話ではあるが。

 この程度ではクラウドの脅威にはならない。

 

 様子見終わり。

 力を抜いていた手を強く握り、両手で改めて持ち直す。

 水平に、

 オーク鬼の腹に向けて剣を振る。

 相手がやったのと同じに、ただ力まかせに、

 叩きこんでやる。

 瞬間、オーク鬼の体は弾けるように真っ二つ裂け、吹き飛んだ。

 

まずは一匹。

 

 上下のパーツが跳ねて地面を踊り、クラウドの背後へ勢いよく転がっていった。

 他のオーク鬼達は茫然と固まっていた。

 非力だと思っていたちっぽけな人間一匹に、仲間が一瞬にしてやられてしまったのが信じられなかったのだろうか。

 だが持ち直すのをまってやるつもりはない。

 

二匹目。

 

 地面を蹴り、ぼけっとしていた手近の一匹の首を、斜め上から下に斬り裂とばす。

 宙に刎ねた頭を見て、彼らはやっと動き出した。

 ようやく目の前の存在を脅威と認めたらしい。

 いきり立った彼らはクラウドをぶちのめそうと、一斉に襲いかかって来た。

 

単純な奴らだ。

 

 クラウドはあえてオーク鬼の集団の中に飛び込んでいく。

 彼らの武器が束になって降り注ぐのとすれ違いに、

 地面を強く蹴って宙に飛ぶ。

 腕を振り下ろしたまま、こちらを望むオーク鬼達の眼、眼、眼。

 

十分引きつけてやった。次は動きを止める。

 

 マテリアに集中。

 “ふういん”のマテリア。

 その初歩。

 逆さの状態で剣を横に構え、叫んだ。

 

『フリーズ!』

 

 言葉と共に、クラウドの真下を中心に地面がびきりと、真っ白に氷結する。

 

ぶぎぃ!?

 体の自由が急に効かなくなったことでオーク鬼たちが動揺の声を上げる。

 瞬時に地表を凍りつかせ、対象を拘束する魔法。

 それが狙い通りオーク鬼達の足元に氷が覆いかぶさり、動きを封じたのだ。

 

「タバサ、頼む!」

 

 呼ばれてタバサが飛び出すと、続けてオーク鬼達の頭上に巨大な氷柱が振りかかった。

 

“ウィンディ・アイシクル”

 

 タバサの得意とする風と水の系統を掛け合わせた魔法がオーク鬼達の急所へ正確に突き刺さる。悲鳴を上げる間もなく三つの巨体は、クラウドの着地とともに大きな音を立てて地面へ沈んでいった。

 

「いいタイミングだ。助かった」

「まだ、いる」

「わかってる」

 

 再び、豚の様な鳴き声。

 洞窟の中からはぞろぞろと後続のオーク鬼達が大量に溢れ出てきていた。

 

「結局は正面から戦うしかないな、どうする?」

 

 タバサからは軽い溜息。

 この数ではもはや不意をうつことはもうできないだろう。

 

「ここで退いたら、また村を襲う。やるしかない」

 

 オーク鬼達は、クラウドの周りに倒れている仲間に目もくれず、続々とこちらに猪突してきた。

 

(妙だな)

 ふと、クラウドはそう思った。

 このオーク鬼達から感じるものは、仲間を殺された怒りではない。むしろ、こうせざるを得ない、といった恐怖感だ。

 まだ、何か、あるのだろうか。先行きに少し不安を感じたが、振り払う。やることはどうせ同じなのだ。今ここに集中することが大事だ。

 

「了解。――団体さんだ、援護を頼む」

 

 タバサが頷くのを見るやいなや、クラウドは再び群れの中に飛び込んでいった。

 

 ・ ・ ・ 

 

――強い。

 

 援護に集中を固め、戦いの中心から少し距離をとりながら、タバサはクラウドの動きを感心して眺めていた。

 速さはあの使い魔の少年――サイト以上だ。気を抜くと長年経験を積んだタバサでさえ見失いかねないスピードだった。それだけでなく、動きに無駄がない。オーク鬼達の間を疾風のように動き周り、次々とあっさり仕留めていく。

 タバサが心配していた体力の消耗すらなく、身の丈程のある大剣をまるで体の一部の様に扱い、亜人達の体を吹き飛ばしていく。

 魔法が使えるといっていたが、最初の氷の魔法以来、ほとんど使用していない。クラウドにとって魔法は補助でしかないようだ。

 そして最も驚くべきはその腕力だった。

 クラウドはオーク鬼が振りかざした棍棒を何の苦もなくはじき返し、逆に斬り倒していく。

 戦士五人がかりでなければ勝つこともできない怪力を持った化け物相手に、この青年は()()()から力で打ち勝っているのだ。

 

信じがたい。

 おそらくは、ルイズの使い魔として力を与えられたであろうあのサイトでさえ、ここまでの動きはできないだろう。

 一体どれほどの経験を積めばこの様な動きが出来るようになるのか。

 いや、本当に鍛錬だけでここまで超人的な力を得ることができるのだろうか。

 

(おねえさま、あのおにいさんの体、何か魔法の力が働いているのね)

 

 タバサの眼を通して、戦況を見ていたシルフィードが言った言葉に反応する。

 

(魔法の力で、体を増強しているの?)

 

 そういった人間がいることをタバサは本から得た知識で知っていた。メイジの中には、リスクを覚悟で体の中に肉体を強化する先住魔法を移植して、驚異的な身体能力を得る者達が稀にいるのだ。彼もその一人なのだろうか。

 

(あれは、そんな生易しいものじゃないのね。……あの人、体が魔力の塊みたいなものになってる。きっとその力を還元して体を強化してるんだわ。 でも、無茶苦茶すぎるのね。どうやったらあんな状態になってしまうのかしら。普通、人間の体はそんな大量の魔法の受け皿になったら心が先に壊れて死んでしまうはずだもの。)

 

 だけど彼はそんな状態で、実際に生きている。

 タバサは考える。異世界から来たという青年。その力は強さを得る為に彼が自ら欲したものなのだろうか。

 

(ソルジャー)

 彼の言葉、それを口にした時のあの寂寥の籠った表情。あれは何かを背負い、それを乗り越えた人間の顔だった。

 

(大きな手だった)

 彼に頭を撫でられた時の感触。いつも自分を気にかけてくれるキュルケとは違う、不器用な手つき。タバサは何故か、父を思い出した。ああやって、子供の時のように接してもらったのはいつ以来だっただろうか……。懐かしい過去を思いして、少し胸がちくりと痛んだ。

 

(――さまっ!おねーさま!聞いてるの?)

 シルフィードの呼びかけでタバサは現実に戻る。

 眼の前でオーク鬼がタバサめがけて斧を振り下ろさんとしていた。

 

 バックステップ。

 斧が地面に突き刺さる。

 すかさずルーン。

 体が硬直した一瞬をついて、タバサの氷柱がオーク鬼の頭蓋を貫いた。

 

(もう、戦いの最中にぼーっとしないでなのね!ひやひやするのね!)

(危なかった――ありがとう)

(ほんと、このおちびは、シルフィがいないと駄目なのね)

 

 ふふーんと尊大な態度をとる使い魔に少しむっとする。

 

(調子にのらない、寝てたくせに)

(あ、あれは、……でも頑張ってはいたのね!)

(肝心な時に役に立たない)

(むっきー!言わせておけば!おねえさまはシルフィのありがたみを知らないのね!この、何かあっても守ってあげないんだから)

 

 シルフィードが憤慨しているのを無視して、タバサはクラウドを見た。

 死屍累々のオーク鬼の山、ほぼ全滅――その上にクラウドは立っていた。あれだけ動き回っていたのに、息一つ乱していない。――静かに揺れる金髪と、揺れる事のない静かな表情で先を見据えている。目線の先にいるのは一体だけ生き残った最後のオーク鬼だ。それはクラウドに睨みつけられると慌てて洞窟の方へどすどすと逃げていった。

 

「あれで終わり?」

「いや、まだだ」

 

 緊迫したクラウドの声に少し驚く。その顔を窺えば、タバサと同じ青い瞳孔が洞窟の奥に注がれていた。そして遅れてタバサも肌で感知した。

 奥に、まだ何かいる。

 

 

 

ぎゃああああああああああああああああ!

 

 

 

 苦痛の悲鳴が森に響いた。逃げていったはずのオーク鬼の声だった。

 そして、――そいつは、ぬぅっと洞窟の中から現れた。

 

 普通のオーク鬼より一回り小さい、しかし異常に盛り上がった全身の筋肉。

 下顎の犬歯が肉食獣の牙のように大きく発達している。

 真っ赤でゴテゴテした肌色――全身に人の骨や頭がい骨、更には仲間であるはずのオーク鬼の頭部まで、グロテスクなネックレスを幾重にもクロスさせて全身に纏っていた。

 

 赤いオーク鬼。

 片手に棍棒。もう片方に先程逃げたオーク鬼を掴んでいる。

 先程の悲鳴は万力のような力で頭を握りこまれたせいだろう。ぎりぎりとめり込む痛みに必死で暴れているオーク鬼を見て、赤い亜人はにやにや笑うとそれの首に大きく齧り付いた。

 ぎゃう!という短く低い悲鳴、ぼとぼとと垂れる赤黒い血とぐちゃぐちゃと汚い音。

 掴まれていたオーク鬼はびくびくと痙攣した後動かなくなり、地面に投げ捨てられた。

 

「……っ」

(な、なんなのね、あいつ)

 

 共食い――というよりは、玩具を弄るといった動作。仲間を仲間と認識していない。他のオーク鬼と明らかに異質な存在だった。

 

間違いない。

 タバサは確信する。

 こいつが、オーク鬼達の異常の元凶。

 

「まずいな……」

 クラウドがタバサの方へ振り向く。

 

「タバサ、シルフィードに乗って空に――」

 その時だった。

 ぱぁんという弾けるような音。

 それがあの赤い亜人が地面を蹴った音だと気付いた時には、クラウドの背後に襲いかかっていた。

 

「前!」

 タバサが叫ぶ。

 

 赤いオークの棍棒、縄のごとく分厚い筋肉で振るわれる痛恨の一撃。

「くッ!」

 とっさにクラウドは大剣で身を守った。

 

 しかし――

 

 巨大な鐘を叩いたような鈍い音。

 次の瞬間にはクラウドが大剣ごと地面に叩きつけられ、バウンドする。

 そのまま森の奥へ勢いよく吹き飛び。

 木が砕かれる音。

 そして、沈黙。

 

「……!」

 

 絶句するしかなかった。

 一撃。あれだけ強いはずの青年が、

 たったの、一撃で。

 

「お姉さま!」

 

 交信ではないシルフィードの肉声が、遠くで聞こえる。

 赤いオークはゆったりとこちらを向いた。

 考えている暇はなかった。

 タバサは素早く杖を構え、ルーンを唱える。

 距離は30メイルほど。

 

あの腕力。

あいつを絶対にこちらに近づけてはならない。

 

『――ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ウインデ』

 巨大な氷の槍が現出した。

 

「『ジャベリン!』」

 

 水と風と風。三乗のトライアングルスペル。タバサの切り札の一つだ。

 ごう!という音。

 矢よりも早い速度で風を切り、赤いオークめがけて勢いよく投擲された。

 だが、

 赤いオークはその氷の槍を、別に取るに足らないことのようにあっさりと、手で掴み取った。

 

「!?」

 

 めきめきと、タバサの放った氷の槍が赤いオークの握り締める手で簡単に砕け散る様子にタバサは愕然とする。

 

そんな馬鹿な。

 一撃必中の魔法が――ジャベリンを素手で受け止められたことなど、タバサの経験の中ではこれまで一度もなかった。

 あり得るはずが、ないのだ。こんなことが。

 じわじわと恐怖がタバサの中に芽生えていく。

 

違う。

こいつはオーク鬼ではない、もっと別の恐ろしい何かだ。

 

「おねえさま乗って!」

 

 シルフィードが上空から降りてくる。

 タバサは迷わず飛びこんだ。

 ぱぁん、と赤いオークが大地を蹴る、蹴られた土が弾け飛び、一足にしてタバサとシルフィードの目の前に距離を詰めてきた。

 

「ひ、ひいぃぃ!ま、間に合わないのね!」

「……!」

 

 咄嗟にタバサは懐から、マテリアを引っ張りだした。

 頭の中で、いつも使っている氷の魔法をイメージする。

 

“れいき”のマテリア

 その中級魔法。

 マテリアは強く輝き、タバサは叫んだ。

 

『ブリザラ!』

 大気中の水分が瞬時に凝結し、飛びかかってきた赤いオークの真下から巨大な氷柱が伸びる。

 

ギャウ!

 

 赤いオークの足に地面に伸びた槍が突き刺さった。

 わずかにひるんだ声。

 大したダメージは無い。だが、一瞬の隙。

 

「飛ぶのね、掴まって!」

 

 その間にシルフィードは翼を広げ、一気に急上昇する。間一髪で、その場を脱出した。

 

「ふい~、ぎりぎりだったのね、さすがおねえさま」

 シルフィードの安堵の声が耳元で聞こえる。

 

「……」

 タバサは手に持ったマテリアを見た。

 ルーンの詠唱なしの瞬時に唱えられる魔法。これに助けられた。

 今の状況はメイジの魔法では対応できなかっただろう。

 応用できる幅は低いと言っていたが、確かに戦闘においてのみはメイジの魔法よりも確実に有用性があるとタバサは感じた。

 

そうだあの青年は――。

 

 上空から森を見下ろした。

 陽がもう沈みかけている。

 ここからではその姿を確認できない。

 

「おねえさま、どうする?」

「あの人を見つけたら、一旦退く」

「でも、あのおにいさん生きてるかしら?」

 

 無事であることを祈るしかない。しかし、地上に降りればまたあのオーク鬼と相対することになる。あれをいかに欺くか――そう考えながらオーク鬼のいた方を見て、視線が合った。

 はるか下の地面でぐぐっと屈み顔だけ上に向けている。赤黒い体に、似合わない小さな淡いグリーンの眼。その瞳孔はまるで蛇のように裂けていた。

 タバサは息を呑む。

 

 それは、地上からタバサ達を見上げて、笑っていたのだ。

 

 ぱぁんと、赤いオークが真下の地面をぶち壊すように蹴りあげる。地面がべこりと陥没し、上空にその巨体が勢いよく跳び上がった。そして次の瞬間には――

 

「うそ……」

 

 目の前に、空中に、脚力のみでシルフィードの制空権まで到達した、赤いオーク鬼の姿があった。

 撓る腕。

 振り下ろされる棍棒。

 魔法が、間に合わない。

 

「だめぇええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!」

 

 シルフィードが、その翼で、とっさに、タバサを庇った。

 そして、

 赤いオーク鬼の棍棒が、

 シルフィードの翼に、タバサの自慢の使い魔の翼を、めしゃりと、へし折り、

 シルフィードの、美しい青の鱗で覆われた、皮膚に棍棒がめり込み、

 ごきりと、嫌な音を立てた。

 

「シル……!」

 

 強い衝撃。

 体に圧力。

 

 落下。

 

 森の、中に――。



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Chapter 05-2

 まだ湖の水が下がる少し前の事――。

 一匹のオーク鬼が月明かりの下で、ラグドリアン湖のほとりに佇んでいた。

 おぼつかない足取りで、のそのそと湖に近づいて湖面の前で身を屈める。

 顔を水面に近づけ水を啜ると、どこか痛むのかぶもぉ、と低い唸りを上げた

 湖面に映るオーク鬼の顔は腫れあがっており、全身傷だらけだ。

 その己の現状を見て彼は、どうして自分はこんなことになったのかと、足りない頭で振り返った。

 

 

――最近になって、彼の属していた群れの仲間達はやけに攻撃的になっていた。

 何が原因だったのかはよく分からない。そんなことを考える知能を彼は持っていなかった為、深く考えようともしなかった。

 ただ彼にとってそれが己への不幸として襲いかかって来たのは、攻撃の対象が動物や人間のみならず、仲間内である自分にまで向けられたことにあった。

 抵抗しようにも、もともと群れの中でも体が小さく力が弱かった彼に如何し様も出来る筈は無く、命からがら巣穴から逃げ出すだけで精一杯であった。

 そして、さらに追い打ちをかける様に、森に逃げ込んだ彼を待ち受けていたのは人間達の襲撃だった。

 各々が彼に向かって呪いの言葉をぶちまけながら、体中を弓で刺され、鍬で突かれ、斧で打ちつけられた。彼は仲間の行ってきた行為による恨みのはけ口にされたのだ。

 突然襲われ、わけもわからず、すでにボロボロだった彼は抵抗も出来ず、ただ逃げ出すしかなかった――。

 

理不尽だ。

 

 足りない頭で、そう思った。

 なんで自分はこんな目に遭わねばならなかったのだろうか。

 答えは単純だった。

 足りない頭の彼でもわかる。

 

力が、無いからだ。

 

 単純な体格の差、腕力の差、数の差。

 自然界では弱い物から淘汰される。だから弱者である自分は、今こんなにも惨めなのだ。

 抗えない摂理なのだと、そんなものは理解できる。

 でもだからこそ、ますます憎悪が募った。

 

憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い。

 

 己の弱さが憎い、不条理な世界が憎い、自分を追いだした仲間たちが、理不尽な暴力を加えてきた人間共が、憎くて 憎くて、殺してやりたい。

 

 力。

 力が欲しい。

 何もかも、ねじ伏せてしまえるような、そんな力が――。

 

 その時だった。

 彼の目線の先、湖から――光が立ち上ったのは。

 何事かと驚いて、彼は思わず仰け反る。

 だが、すぐにそれに魅了された。

 

 それは力の奔流だった。

 それは知識の奔流だった。

 ゆらゆらと湖面から立ち上り、妖しく輝いていた。

 

――望むのなら触れてごらん。

 

 だれかがそう囁いた気がした。

 そして彼は、

 まるでそれが自分を誘うのかのように感じて、

 そこに焦がれる力がある様な気がして、

 淡い緑に輝く光の中に、手を伸ばしたのだった。

 

 ・ ・ ・

 

――落下。

 

 耳元で木の枝の間をずり落ちていくけたたましい音。

 

――落下、落下、止まらない。

 

 衝撃。

 しかし、

 地面に激突する瞬間何かがクッションとなり、それを遮った。

 おかげで意識が飛びかけるだけで済んだ。

 

「うっ……」

 

 タバサは地面にうつ伏せに倒れている自分を自覚する。

 パラパラと砕けた枝が落ちているのを背中で感じていた。

 いったい何が……。

 森の中に落ちたのだろうか……。

 

「シルフィード?」

 

 気付けばタバサはシルフィードの翼に覆われて守られていた。

 その翼は――あり得ない角度に、折れ曲がっていた。

 

「……え」

 

 タバサのすぐ横で、シルフィードがぐったりと横たわっていた。

 腹部がべっこりと凹み、ごほごほと口から血を吐いている。

 

「シルフィード!?シルフィード!!」

 

 いくら呼びかけても返事はない。

 呼吸が荒い。

 いつもつぶらな可愛らしいその目は焦点が定まっておらず、虚ろだった。

 何が起こったのかを理解したタバサは血の気が引いていく。

 

私を庇って……。

 

 急いでタバサは杖を構えた。

 傷を癒す水の系統魔法を唱える。得意分野の系統ではないが、水と風を組み合わせた魔法を扱える彼女はドット、初期クラスの治癒魔法くらいは熟知している。

 シルフィードの全身を巡る血の流れを感知して、怪我の具合を把握する。

 

――内蔵に損傷。でも、今なら、まだ、処置が遅れなければ助かるかもしれない。

 だが。いくら回復の魔法をかけても傷が良くなる気配はなかった。

 

――きっと、魔法をかけている対象が人ではなく竜だから、効果が薄いんだ。

 

 焦りを必死に抑え、タバサは魔法を唱え続ける。

 せめて水の秘薬があれば……、自分のつたない水の魔法でも効くかもしれないのに。

 癒しの魔法は秘薬と共に併用して行うことによって格段にその効果が増す。しかし秘薬は高価なこともあって、今彼女の手元にはそれが無い。

 そうこうしている内にもシルフィードの具合はどんどん悪くなる一方だ。

 

 このままでは……。

 だめ!

 考えてはいけない。

 最悪の想像が頭の中に思い浮かび、振り払おうとする。

 

――おねえさまはシルフィのありがたみを知らないのね――

――何かあっても守ってあげないんだから――

 

「駄目……死なないで……」 

 

 私の傍から、また大切な人がいなくなってしまう。

 眼にじわりと涙を浮かべ、必死で呪文を唱え続けた。

 

 

 ずしん、と背後で何かが着地した音が聞こえた。

 振り返る。

 あの赤いオーク鬼がこちらを見下ろしていた。

 

「うううう……ああああああ!!」

 

 感情の高ぶりのままに、タバサは大量の氷柱を空中に現出させた。

 いくつもの氷柱が赤いオーク鬼に降り注ぐが、棍棒のひとなぎでその全てがあっけなく叩きおとされてしまった。

 

「そんな……」

 

――どうして。

 タバサはその場にしゃがみ込んでしまう。

 こんなところで、私は終わってしまうのか。

 まだ何も成し遂げていないというのに、私はこんなところで死んでしまうのだろうか。

 

 己の才能を信じて、タバサは一人現実と戦ってきた。

 すべては叔父への復讐、そして魔法の毒薬で狂ってしまった母を治し、無くしたものを取り戻すために。

 従姉妹に命じられるまま任務に明け暮れる日々。

 ガリアから遠く離れたトリステイン魔法学院への入学。

 心からの親友もできた。

 キュルケ、そしてほかにも……。

 仮の住まいだったはずの学院が、いつの間にか居心地の良い場所に変わっていた。

 上手くやってきたつもりだった。

 ずいぶんと遠くまで歩んできたつもりだった。

 だが、何も変わっていなかったのだろうか。

 

 私は今、ここで果てようとしている。

 唯一の武器だった魔法はこの化け物には届かない。

 大切な使い魔を救う力さえ持ちえない。

 

 私は――無力なままだ。

 タバサは、自分がまだシャルロットだった時に、キメラ退治を命じられ、ファンガスの森で成すすべなく殺されようとしていたあの時に、戻ってしまったような気がした。

 赤いオーク鬼が邪悪な笑みを張り付けて、こちらにゆっくり歩いてくる。

 まるでタバサの絶望の表情を見て、愉悦に浸っているかのようだった。

 とどめの一撃を振る為に棍棒を振り上げる。

 もはや逃げようとする気力すら失っていたタバサは、ただうつむいてその時を待つしかなかった――。

 

――ガキン、と

 

 鋼の弾ける音が響いた。

 驚いて、顔を上げる。タバサの眼の前で、クラウドがオーク鬼の一撃を受け止めていた。

 

「あ……」

「ぐ……、タバサ、無事か!?」

 

 両腕でオーク鬼の棍棒を抑えながら、クラウドが叫んだ。

 衝撃でクラウドの足が地面にめり込み、鍔先がカチカチと音を立てている。

 

「おおおおおおおおおおおお!!」

 

 気合いと共に押し返し、赤いオークが仰け反った。

 

「『ファイガ』!」

 

 続いて、爆裂。

 目の前を炎柱が勢いよく覆った。

 “ほのお”のマテリアの上級魔法が零距離で直撃し、さすがにたまらなかったのか、赤いオークは距離をおいた。

 

「あなた……その怪我」

 

 クラウドは額からとめどなく血を流していた。

 赤いオークはさっきの魔法を警戒してじりじりとこちらを窺っている。

 それから目を離さず、クラウドはタバサに向かって話しかけた。

 

「すまない、……少し気を失っていた。そんなことより、シルフィードは大丈夫か?」

 

 そうだ、とタバサははっとする。

 振り向くとシルフィードはタバサの後ろで今もまだ血を吐いたまま倒れていた。

 

「私の魔法じゃ治癒しきれない……このままだとシルフィードが!」

「落ち着くんだ」

 

 いつもの平静さを欠いて取り乱すタバサをクラウドはたしなめた。

 

「俺にできることがあったら、言ってくれ。だが、ここでお前が冷静にならなければ、誰もシルフィードを助けられない」

「……!」

 

「大切なんだろう?だったら、諦めるな」

 

 クラウドの言葉が、タバサの心に力強く、活力となって沁みわたる。

 そしてなにより、共に戦ってくれる人の存在に温かいものが満ちた。

 そうだ、何を私は諦めているんだ。

 絶望なんてあの時に置いてきたはずではないか。

 戦うと決めたのだ。

 取り戻すと決めたのだ。

 あの時とは違う、もうこれ以上失ったりなんて、決してしない。

 涙をぐいっと拭き、タバサは力強い眼差しでクラウドを見た。

 

「水の秘薬が必要なの」

「秘薬?」

「それを用いることで、治癒の魔法は格段に効果を増す、それさえあれば……」

「なら、これを」

 

 クラウドが差し出したのは、細長いカプセル状の円筒型の物体。

 

「これは?」

「エクスポーション。怪我の治療に使っている薬剤だ。それだけでも十分な治癒力があるはずだ。使ってくれ」

 

 タバサは頷きポーションを受け取ると、すぐさまそれをシルフィードの半開きの口に流し込んだ。効果はすぐに現れる、荒かったシルフィードの呼吸が少し収まったのだ。

 続けて再び治癒の魔法をかけると先程とは見違えるほどの速度で傷が癒えていくのがわかった。

 これなら……いけるかもしれない!

 

――グゥオオオオオオオオオオオオ!!!

 

 おぞましい雄たけびが森の中に響いた。

 怪物――赤いオーク鬼が怒りの声を上げている。

 ぶちのめしたはずの人間が生きていたことに腹を立てたのか、魔法に焼かれたことが気に食わなかったのか、淡いグリーンの裂けた眼光に殺気をみなぎらせている。

 

「その眼……そういうことか」

 

 クラウドが呟くのをタバサは聞いた。

 圧倒的な怪力と、魔法すら退ける強大な肉体を持ったそれを前にして、彼は揺らいでいなかった。

 

「あいつは俺が相手をする。タバサはシルフィードの治療に集中してくれ」

「……大丈夫なの」

 

 クラウドはぶん、と、友の形見を模した大剣を振り上げると、右上段に肩で支えるように持ち上げ、切先をオーク鬼に向けて構えた。

 

「言っただろ、攻撃が通じるなら、何とかなる」

 

 タバサが存じることはなかったが、それは、クラウドの宿敵ともいうべき男の構えに、良く似ていた。

 

・・・・・・・・・

 

――殺す。

 赤いオーク鬼の頭にはそれしかなかった。

 この力を手に入れて以来、彼はそうやって全て己の思いのままに行動してきた。

 自分を痛めつけた同胞を恐怖で支配し、

 人間どもの集落をめちゃくちゃにしてやった。

 驚異的な筋力。

 同胞や人間共の攻撃など全く苦にしない強靭な肉体。

 そう、俺は“力”に選ばれたのだ。

 誰も俺に逆らえなどしない。

 この力がある限り俺は無敵だ。

 

 なのに、何故だ。

 だから彼には眼の前の金髪の人間の存在が気に喰わなかった。

 こいつは何故倒れない。

 なぜそんな反抗的な目つきを俺に向けてくる。

 気に入らない。

 だから殺す。今度こそ確実に。

 ぱぁんと、思いきり大地を蹴り、

 一足で距離を詰め、襲いかかる。

 先程、この人間に仕掛けた一撃と同じように。

 こんどこそ無事ではすまないはずだ。

 雄たけびと共に、あらん限りの力で棍棒を振り下ろした。

 

 だが、

 カァン、と甲高い音と共に、人間を叩き殺すはずだった己の棍棒は弾かれた。

 彼は目を見開いた。

 人間は無事のまま、変わらずこちらに切先を向けて剣を構えていた。

 今こいつは何をしたのだ。まさか俺の棍棒をその武器で退けたのか?

 そんなはずはない。今の一撃は本気だった。俺の力がこの人間を遥かに上回っているのは歴然。であれば、武器ごと叩きつぶされるか、よしんば耐えきれても先程の様にその場に踏みとどまるのが、せいぜいのはずなのに。こいつは何故平然と立っていられる。

 

 何かの間違いだ。

 そう、今度こそ。

 彼は低く唸りを上げながら、2撃目の棍棒を振るった。

 だが、これもあっさりと弾かれる。

 何故だ!

 いくら振り回そうと、彼の棍棒は一向に届かず、大剣に弾かれていく。

 そんな馬鹿な、なぜこんなことが――

 

「どうやら頭の中身までは良くなっていないようだな。」

 

 クラウドはオーク鬼に向かって言葉を発した。

 

「ライフストリームに近づいたんだろう?その眼の色は魔晄の影響を受けた特徴そのものだ。並みの生物を凌駕する筋力も耐久力もその恩恵……。その力は最近手に入れたのだろう?だからこそ、お前の弱点はそこにある」

 

 振り下ろした一撃は、とうとう空振り、地面へと外れた。防御のみに専念していたクラウドが突如、攻撃に転ずる。気付けば押されているのはオーク鬼の方だった。

 

「上段からの振り下ろし、横からの薙ぎ払い……。お前の攻撃の軌道はすべて同じ、単調だ。それがわかれば動きを読むことができる」

 

 クラウドが構えを変えたのは、攻撃を受け流せる間合いを見極める為だった。長い大剣の切先を相手に向けて距離をはかることで、最適な間合いを見ていたのだ。それは、少なからず戦いの経験がある者なら誰もが知っているセオリーだ。しかしこの赤いオーク鬼相手にそんな芸当ができるのは、クラウドにソルジャーとしての驚異的な身体能力があるがゆえにほかならない。

 

「お前の速さと怪力があれば、今まで避けられることなど一度もなかっただろうな。だからお前は気付けなかった」

 

 向かってくる棍棒の軌道を剣先で僅かに逸らして、クラウドはそのままオーク鬼の懐に潜り込み、その腹に手を当てた。

 マテリアに集中。

 内蔵された“ほのお”のマテリアが、大剣の中で発熱する――。

 

「『ヘルファイガ』!」

 

 炎の固まりが膨らみ、3発、爆発した。

 またしても零距離で発動したそれは、不気味な緑色の煙を上げて赤いオークを巨体ごと吹き飛ばした。

 

「!!!!………!?!!」

 

 焼けつく痛みと、強烈な痺れが赤いオークの全身に襲いかかる。

 爛れてしまうかのような、あまりの苦しさに口を開けるが、赤いオークは悲鳴を上げることもできなかった。息を荒げ、穴という穴から液体を垂れ流しながら地面をのたうちまわった。

 “ほのお”の最上級魔法を応用した毒の炎。それは爆炎と同時に対象に死の苦しみを付加する凶悪な魔法だった。

 

「お前は“貰いもの”の力を、己の力だと思い込んだ」

 

 クラウドはゆっくりとした足取りでオーク鬼に近づいていく。

 

「力を使いこなすためには相応の精神と経験が必要だ。それを無視して簡単に手にした力など、見せかけだけの薄っぺらいものでしかない。……かつての俺がそうだったようにな」

 赤いオークは喘ぎながらも後ずさり、己に止めを刺そうとする人間から離れようとする。

 

 なぜこうなるのだ。

 俺はただやり返しただけじゃないか。

 なのにどうしてこんな目に遭わなければいけないんだ。

 

「おまえはやり過ぎた。それだけのことだ。力を振りかざしたところで、それはさらに大きな力に押しつぶされる。それを自覚するべきだったな。俺がお前に与えるものは一つだけだ」

 クラウドの青い目が冷たい光を帯びる。

 

「絶望を受け取れ」

 

 一閃。

 クラウドの大剣が大きく、袈裟切りに振るわれ、

 赤いオークの意識をその肉体ごと根こそぎ刈り取った。

 崩れ落ちる赤いオークの体を何の感慨も湧かない表情で見届けると、クラウドはすぐに、シルフィードを治療するタバサの元に向かったのだった――。

 

 

 ・ ・ ・

 

 

「あのオーク鬼はおそらく大量の魔晄を照射された個体だろう」

 

 クラウドは治療を続けるタバサの背中に話しかけた。

 

「魔晄……ライフストリームと呼ばれる精神エネルギー。星の、俺の住んでいた世界を流れる命の流れ。魔晄を浴び続けることは、通常ならばあり得ない変化を生物の心身に起こさせる。人間なら超人に、それ以外の生き物を怪物に作りかえることもな。あのオーク鬼がどういった経緯で魔晄に触れたのかはしれないが、今回のオーク鬼の凶暴化の原因の一つなのは間違いないと思う」

 

 タバサの必死の治療のおかげか、シルフィードは何とか一命を取り留めていた。折れた翼を木の枝で簡単に固定している。クラウドの手持ちのポーションを全て使い切った結果でもあるだろう、今は落ち着いた寝息を立てていた。しかし、タバサは未だシルフィードの元から離れようとはせず、治療の魔法を唱え続けている。

止めても聞こうとはしなかったので、クラウドは気の済むまでさせてやることにしたのだった。

 

「すまない……今回のことは完全に俺の油断が原因だ。そうでなければシルフィードがこんなことには――」

「そんなことはない」

 タバサがぐずっと鼻を啜る。

 

「タバサ?」

 タバサの頭がぐらりと揺れ、シルフィードの体に倒れる。

 

「私も、この子も。もう駄目だと思った。ここで終わってしまうのだと思った。けど、貴方がいてくれたおかげで私は諦めずに……すんだ……だから」

 

 ありがとう。

 そう呟いて、タバサは眠ってしまった。きっと魔力を全て使いきってしまったのだろう。

 

「……感謝したいのは、こっちのほうだ」

 

 寄り添って静かに眠る少女と竜を見守りながら、クラウドは穏やかな表情でそう言うのであった。

 

 

 



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Chapter 06

 夢を見るのは、嫌いだった。

 なぜならそれはいつだって、ちっとも彼女にやさしくなんてないからだ。

 

 悪夢の始まり。

 全てはガリア王だった祖父の死がきっかけだった。

 王宮の政権争い。

 少女の誕生日だったあの日、父は二度と帰ってこなかった。

 自分に代わり、心を狂わす魔法薬を自ら飲み干す母。

 

 やめて、母様。

 それを飲んではだめ。

 夢の中で叫ぶ声はいつだって届きはしない。

 王位を奪った叔父の、渇いた笑い声が頭の中でがんがんと響いている――。

 

――私のシャルロットを奪いにきたのね!そうはさせないわ!――

――おお、シャルロット、あなたはこの母が必ず守って見せますからね――

 

 母は変わり果て、少女は独りになった。

 違うよ、母様。

 私はここにいるの。

 そうでなければ、ここにいる私は、一体だれだというの?

 

――ガーゴイル、この人形娘めが。

 

 ああ、そうか。

 わかってしまった。

 私はもう、シャルロットではないのだ。

 

 わたしはだれ?

 わたしは人形。

 私は、タバサ。

 シャルロットに変わり、使命を果たす為に動く、心を持たない人形――。

 

――目的を果たせ。

――心を閉ざし、怒りを凍りつかせろ。

――そうすれば何も感じない。

 

 それが“雪風”のタバサの誕生だった。

 

 だが、時が経ち、トリステイン魔法学院での生活を通して彼女はまた変わっていく。

 貴族の子息達の通う異国の学院。

 男遊びが好きで、情熱のまま、自由に生きるゲルマニアの親友。

 食い意地のはる頼もしい使い魔との出会い。

 何の手違いか、人間を召喚してしまったトリステイン名家の少女。

 ハルケギニアにはない不思議な雰囲気を持つ、明るく勇敢な少年。

 馬鹿馬鹿しくも愉快な同級生たち。

 その中で過ごすことで、彼女の凍りついた心は少しずつ溶け出していった。

 

――あなたの力になりたいの

 

 キュルケが柄にもなくそんなことを言ったのは確か彼女の実家であるツェルプストー邸でのことだった。少女の事情を知っていた彼女はいつも一番近くで自分のことを心配してくれていたのだ。

 きっと魔法学院で知り合った級友達も、少女の事を知れば同じ言葉をかけてくれたかもしれない。そう思うだけで彼女の心は温かい感情に満たされる。

 

 だけど私は首を振るのだ。

 私は大丈夫、と。

 

 己の愚かな復讐に学友達を巻き込むつもりは無い。

 今の私にそんな救済は贅沢だ。

 

 私は、大丈夫。

 

――嘘。

 

 本当は、一人で前に進むことは不安でいっぱいだった。

 

 助けは欲しくない。

 でも、孤独でもいたくない。

 矛盾した感情――なら今の私は一体何を望んでいるのだろう?

 

 その時。

 夢の中、暗闇の中彷徨うタバサの頭に、ぽんと誰かが手を置いた。

 私の青い髪を不器用な大きな手がやさしく撫でる。

 顔を上げて見れば、異世界からきたというあの青年だった。

 彼はこちらには視線を向けず、闇の先を見据えていた。

 そして黙って彼女の横に並び立つと、分厚い大剣を構えるのだ。

 

 そうか、

 私は。

 私が望んでいたのは

 横に並び、共に歩いてくれる

 そんな人が欲しかっただけなのかもしれない。

 

 私だけの勇者(イーヴァルディ)

 

 なんて、幼稚なのだろう。

 でも

 その幼稚さが、今は少しだけ嬉しくもあった。

 

 

 ・ ・ ・

 

 

 気が付くとタバサはベッドの上に寝かされていた。

 

「おや、目覚めましたかな」

 声をかけてきたのはキルマ村の村長だった。

 

「ここは、何処?」

「私の家の寝室です。お加減はいかがですかな」

「……」

 

 体には手当がなされていた。タバサはきょろきょろと辺りを見回す。

 

「お連れの方なら先ほど出て行かれましたよ。風竜の様子を見に行くと」

 

 そう言われてタバサははっとなる。

 

「私は、どうしてここに?」

「ああ、それはあの方が――、クラウドさんと言いましたかな?昨晩遅くに気を失ったあなたを連れて戻ってきたんですよ」

 

 聞けばクラウドは、タバサと一緒に、なんと気を失ったシルフィードを背負って山道を一人で降りてきたらしい。人間の何倍も大きな竜を背負ったクラウドの姿に村人たちはさすがに驚きを隠せなかったという。

 

「ご本人も怪我をしていたというのに、全く意にしないようで……。正直言葉を失ってしまいました。いやぁ騎士様のお付になるような方はたとえ平民であってもあれほど鍛えているものなんですかねぇ」

 

 しみじみと感心するように頷く村長。それを聞いてタバサは内心で驚くと共に納得していた。オーク鬼と正面から太刀打ちできる力をもっている青年だ。確かにそのくらいのことはやってのけそうではある。

 

「討伐の結果については、クラウドさんにお聞きしています。あれだけ大勢いたオーク鬼を全て退治してのけるとは……さすがメイジ様です。これで死んでいった者たちも報われます」

 

 村長はタバサの手を取り、深々と頭を下げた。

 違う、あのオーク鬼の統領を打ち取ったのはあの青年だ。私は何もできなかった。

 しかし体を震わせて感謝の意を述べる村長の姿に何も言えず、タバサは複雑な気持ちで黙っていた。

 

 ・ ・ ・ 

 

 村長の家を出て、朝早くの村道を歩いているとクラウドはすぐに見つかった。村の端の少し広い空地で誰かと話していた。よく見ると初めてこの村を訪れたときに村長の家まで案内してくれたあの栗毛の少年だった。

 

「ねぇ、強くなるってどういうことだと思う?」

「どうしてそんなことを俺に聞く?」

「だって兄ちゃんメイジ様の従者になれるくらい強いんだろ?魔法もなしに、あんなおっきな竜を背負ってたし、気絶したメイジ様を守ってた。だから聞いてみたくて」

 

 実際は従者ではなく、成り行きで一緒に行動をしていただけなのだが、そんなことを知らない少年は続ける。

 

「俺んち、父ちゃんがオークに殺されて、働き手がいなくなっちゃたから、母さんの親戚を頼ってみんなでガリアの首都の方に……リュティスに行くことになったんだ。そこで俺、軍に志願しようと思ってて」

「どうしてだ?」

「家族を守れるくらい、強くなりたいから」

 

 まっすぐで力強い眼差しがクラウドに向けられる。

 

「今回のことで父ちゃんが死んで、母ちゃんはとっても悲しんだ。俺の妹はオーク鬼が怖くて夜も眠れなかった。でも俺は、何もできなくて……。悔しかったんだ。あんな想いはもうしたくない。でも、誰かを守れるようになるにはただ強くなるだけじゃ、ダメな気がしたから。俺、どうしたらいいのか本当はよくわかってないんだよ」

 

 クラウドは軽く嘆息すると、少年と同じ位置まで屈み、そして、ゆっくりと語りかけた。

 

「言葉にすることは簡単だが、本当の意味で強くなることは難しい」

 

 それは、まるで自分にも言い聞かせるような言い方だった。

 

「なぜならそれは忘れてしまうものだから。時間が経ってしまうと強くなりたいと思っていたその時の気持ちを思い出せなくなる。本当は何がしたかったのか。何を思って戦っていたのか、わからなくなってしまう。そうした目的を失った強さは実質のない形だけのもなり、意味を失ってしまうんだ。どれだけ鍛錬を重ねたところでな」

 

 理解が及ばなかったのか、少年が首を傾げると、クラウドはオーク鬼との戦いの時に見せた顔つきとはまるで違う穏やかな表情でその頭をゆっくりと撫でた。タバサの時と同じように不器用で、優しい手つきだった。それがタバサには、彼が持つ幼い子供とのつたないコミュニケーションの手段のように思えた。

 

「家族が大切か?」

「うん、母ちゃんも妹も死んだ父ちゃんも、みんな大好きだ」

「なら、その気持ちをいつまでも大事にすることだ」

「そうすれば強くなれる?」

 

 クラウドが力強く頷いた。

 

「ああ、俺よりもずっとな」

 

 少年はへへっと子供らしい笑顔を向けるとそのまま嬉しそうに去って行く。

 少年がいなくなったのを見計らってタバサはクラウドの前に姿を現した。

 

「怪我は大丈夫?」

「もう治った。これでも丈夫なほうでな……見てたのか」

「少し、意外だったから。貴方は子供に優しいの?」

 

 クラウドが苦笑した。その質問の内容をタバサに聞かれたのが可笑しかったのかもしれない。

 

「ここに来る前も引き取った子供達と暮らしていたから、多少な。……でも、本当は子供は苦手なんだ。ああいう風にまっすぐな目を向けられると一体何を話せばいいのか、困ってしまう」

「……そう」

「シルフィードの様子を、見に行くか?」

 

 タバサは黙って頷いた。

 

 

 ・ ・ ・ 

 

 むしゃむしゃもぐもぐ。

 

「血が足りないのね!」

「……」

 

 村人が用意してくれた、シルフィード用にあてがわれた家畜小屋の中にタバサが入ると、いっぱいに積まれた肉に格闘するタバサの使い魔がいた。

 

「肉~!お肉~!!足りないからもっと持ってきて!」

「へ、へい!」

 

 言われるがままに慌てて出ていく村人。途中で「あれ、竜って喋るんだっけ?」と疑問を浮かべるように首を傾げていた。

 その疑問は正しい。竜は普通喋らない。

 横ではクラウドが唖然としていた。

 

「あ、お姉さま!」

 

 タバサに気付いたらしいシルフィードはケロリとした表情で話しかけてくる。

 

「見て見て!こんなにお肉がたくさん!村の人がくれたのね!シルフィお腹が空いてたから今とっても幸せなのね!」

 

 ぴしりと、タバサの頭に亀裂が走った。

 ぷるぷると震える拳を必死に抑え込む。

 

 なにこれ。なんでこんな元気なんだ。

 心配していたと言うのに、一体これはなんだ。

 

「お前、喋るんだな」

「あ!……こ、これは……その……」

 

 クラウドの突っ込みに、今頃になって己の過ちに気付いたらしいシルフィードが慌てて弁明し始めた。

 

「ち、違うのね! これはご飯が食べられることがつい嬉しくて、じゃなくてシルフィは韻龍でもないからガーゴイルでその……ってあれ?」

 

 きょとんとした表情でクラウドを見た。

 

「お兄さんあんま驚いてないのね?」

「俺の仲間に似たような奴がいたんだ。そいつは狼だったが」

 

 クラウドはかつて共に戦った仲間のレッドⅩⅢのことを話した。聞けばシルフィードは遥か昔から生きる大いなる存在と共に生きてきた龍の一族の末裔らしい。レッドⅩⅢも自分のことを「星を守護する一族」だと言っていたので、世界は違えど同じような存在なのかもしれない。

 

「きゅる!すごいのね!会ってみたいのね!」

 クラウドの話を聞いてシルフィードは興味深く目を輝かせていた。

 ……すっかりタバサのことを忘れて。

 

 ぶちっとタバサの中で何かが切れる音がした。

 つまり、タバサはキレた

 

「この、この……ばか使い魔ぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああっ!!!」

 

ばちこーん!

 

 力強く握った杖がシルフィードの脳天に直撃する。

 

「痛っ……たぁぁああああああ!?怪我人に何するのね、このおちび!」

「うるさいうるさいうるさい!!」

「ふふぇっ!?お、お姉さまその言い方なんだかあのピンク娘みたいなのね!?」

 

 タバサは自分でも言っている言葉が幼いと自覚しながらも、構わず勢いのままに怒鳴った。

 

「大怪我負って!心配かけさせて!なのに元気で!しかも約束破って人前で喋ってる!」

「あ……それは忘れてて……ごめんなさいなのね」

「あなたはいつもそう!そうやって能天気で何も考えていない!だから、だから……」

 

 タバサはずいとシルフィードの元に近づくと、手当された腹の辺りに触れた。

 

「お、お姉さま?」

「痛くないの?」

「う、うん。まだ少し痛むけどもう大丈夫なのね」

 

 今度は包帯を巻かれ固定されている翼を擦る。

 

「翼は、治る?」

「うん、シルフィ達の種族は寿命が長い分、それだけ丈夫にできているのね。治るまでに時間はかかると思うけど、また空を飛べるようになるのね」

「……そう」

 

 タバサは、ぎゅっと、シルフィードに密着して顔を隠した。

 ぐじゅ、と

 鼻を啜る音が聞こえた。

 

「よかった……生きていてくれて」

「お姉さま……」

 

 先ほどまでの怒りはどこへ行ったのか萎んでしまい、今度は打って変わってタバサは体を震わせている。シルフィードは困惑していた。これほど感情を顕にするタバサを見るのは初めてだったからだ。

 

「私のせいで死んでしまうと思った。私の前からまた、誰かがいなくなったら……あなたが、いなくなってしまったら……そう思うと、とても怖かった……」

 

 それはタバサの本心から出た言葉だったのだろう。それを聞いてシルフィードはこの小さなご主人は自分のことをこんなにも心配に想ってくれていたのだと、温かい気持ちに包まれとても嬉しくなった。

 

「心配かけて、ごめんなさい。でもシルフィードはお姉さまの使い魔だから……勝手に死んだりなんかしないのね」

「うん……」

 

 小屋の中で、身を寄せ合う主従の邪魔をしないように、クラウドはそっと、その場を抜け出した。

 

 ・ ・ ・ 

 

 日差しが柔らかく降り注いでいる。

 クラウドは見晴らしの良い丘の上に立つとそこからラグドリアン湖を眺めた。湖の水位は変わらず低く、依然としてそこにある。湖面から吹く風が丘の上の背の短い草を撫でて静かな音を奏でていた。

 

(結局、帰る方法は何も判らず終いだったか)

 クラウドはここに来てから今までの事を思い返す。

 元の世界に帰る手がかりを探す為に、タバサに付き添って行動してみたものの成果は出なかったといっていい。

 しかし、気になることはいくつかあった。

 

(タバサの言っていた召喚のゲート。それは間違いなく存在していた)

 

 すべての線を繋ぐ根源は一つ――

 

(ライフストリーム)

 

 湖の水位の低下も、クラウドがこの世界ハルケギニアにたどり着いたことにも、そしてオーク鬼の狂暴化にも、それは確実に関わっていたはずだ。

 クラウドの世界を流れる知識と命の源。星の命のうねりがもたらす精神エネルギーの本流。この世界で目覚める直前に、クラウドはライフストリーム特有の感覚を覚えている。

 原因はわからない。だが少なくとも、ライフストリームが世界の垣根を越えてこちらの世界にまでたどり着いていたのは確かだ。

 

(それがわかったところで、その肝心の原因が判明しなければどうしようもないな)

 

 ため息を吐いた。それだけでは結局帰る手段は見当がつかないのだ。

 今のクラウドにせいぜい思いつくことと言えば、ラグドリアン湖に召喚のゲートが再び開くことを期待してこの場所でひたすら待つことぐらい。

 しかし、そんな不確定な希望にすがっても再びゲートが開く保障はどこにもないし、なによりクラウドにとってただ待っているだけというのは、正直言って性に合わない

 ならば、俺は、これからこの見知らぬ異世界で、一体どうすればいいのだろうか。

 

 実は、考えがないこともない。

 というよりも、今この状況でクラウドに実行できる選択肢は他にはなかった。

 ならば試してみるべきだろう。そう考える。

 わからないことだらけでも行動すべきことが明らかならば、それで十分。今は迷わず進めばいい。

 その楽観的ともいうべきクラウドの考えは、間違いだらけの人生を歩んできた彼の数少ない得たものの一つだった。

 風の音に混じって背後から誰かの草を踏む音がかすかに聞こえた。

 

「タバサか」

「……」

 

 タバサは黙ってクラウドの横まで来ると草の上に腰を下ろし足を丸めて座った。

 

「貴方がいなければ私とシルフィードは死んでいた」

 タバサがポツリと語り始めた。

 

「貴方には感謝してもしきれないほどの借りができてしまった」

「貸し借り云々ならお互い様だ。ここに来てから、お前には助けられてばかりだ。それに、オーク鬼のことは俺は自分のやりたいようにしただけだ。別に気にしなくていい」

「……どういう意味?」

「俺は、もう誰かが死ぬのを見たくない。守れるものは守りたい。そんな個人的な感情から来る動機で、俺は自分のために行動した。それだけさ」

 

 その言葉の中にタバサの琴線に触れるものがあったのか、続けて質問する。

 

「誰かが死んでしまったことが前にあったの?」

「ああ……目の前でな」

 

 クラウドは遠い目で湖を見つめ、その時の記憶の一端を思い出す。

 独り、戦場で散った親友を。

 祭壇で胸を貫かれ命を落とした、大切な女性のことを。

 

「どちらも見殺しだった。助けられたかもしれない命だった。それは、その後悔は俺の中で、決して消えることのない罪となってずっと残っている。俺はその罪を一生背負って生きていかなくてはいけない」

 

 償いは生き残った者の務め。それはクラウドに与えられた消えることなく圧し掛かる責務だ

 

「……だけど、それでも、そんな俺でも、目の前で危機に瀕している命であれば守ることができるかもしれない。なら、それは決して取りこぼしたくないと思った。だから俺は今回お前達のことを助けられたことに、妙な言い方だが、逆に感謝しているくらいなんだ」

「……」

 

 クラウドの語った話にタバサは自分と似た境遇を感じとっていた。

 私と違うのは、彼がその人生の根底を失ってなお、その絶望から立ち上がったことだ。

 例えばもし今回のことでシルフィードを死なせてしまったら。私はどうなっていただろうか。それは恐ろしくて考えたくもなかった。

 この人は本当に強い。肉体だけでなく、その心も。

 だから、少し、話を聞いてもらいたくなったのかもしれない。

 

「私は、復讐の為に今この仕事についている」

 

 タバサは自分の事を語った。

 父が叔父に殺されたこと。

 母が毒を盛られ心を病んだこと。

 そして死ぬのが当然の任務を与えられ続けてきたことを。

 

「最初は死のうと思っていた。でもそれは……逃げているだけなのだとわかった。そのことを教えてくれた人が私の目の前で死んだ時、私は生まれて始めて“戦おう”と思った」

 

――あんたなら、きっとできる。あんたはもう立派な狩人だ。

 

 キメラが蠢くファンガスの森で出会った狩人の少女ジルは、息を引き取る際にそう言った。自らも家族をキメラに殺されて、その仇を取るために生きていた彼女は最後にタバサに生きる力を与え、タバサの中に眠る魔法の力を気付かせてくれたのだ。

 

「けど、今回、唯一の武器だった魔法があのオーク鬼に敵わなかったとき、私は自分の無力さを知った……結局私は弱いままだったのかもしれない」

 

 いくら魔法の才能に秀でていても、所詮それだけでは何もできないのではないか……そんな思いがタバサを落ち込ませていた。

 タバサの抱える現実。彼女がなぜ騎士を務めているのかを知ったクラウドは、タバサの言葉に答える。

 

「そうだとしても、お前の道は変わらない」

「え?」

「諦めてはいないんだろう?母親を救うことも、仇を討とうという思いも」

「それは……そうだけど」

「他に選択肢がなかった様に言ってはいたが、お前には、他にも選択肢があったはずだ。自殺することだってできたろう、復讐も母親も何もかもを投げ出して、自分だけ逃げ延びる道だって、きっとあったと思う。だけどお前はそれをしなかった。タバサ、お前はちゃんと選びとったんだ。逃げずに戦う道をな。だから、例えきっかけは魔法の才能だったとしても、それがお前の全てを否定することには絶対にならない。」

 

 復讐に関して思うこともあるが、それを止める権利はクラウドにはない。

 あるはずも、ない。

 全ての記憶を忘れて幻想の中に逃げ出した自分には。

 結局逃げきれないと悟ったからこそ立ち向かうことを選択したクラウドには。

 だから、同じ轍を踏まず既に選択肢を選びとっているタバサだからこそ、知り合って間もないあの時とても眩しく感じられたのだと、今はっきりわかった。

 

「己の弱さを自覚することは恥じゃない。だからタバサ、お前は強いんだ。そして、落ち着いて考えて見るといい。魔法の他に、お前が得たものは、本当に何もなかったのか?」

 

 私の、得たもの?

 そんなの――。

 

「あ……」

 言われて、タバサは思い当たることができた。

 

 

 初めて親友ができた日のことを。

 召喚の儀式の日にシルフィードに出会った嬉しさを。

 盗賊討伐の時から親しくなった貴族の少女ルイズと、使い魔の少年サイトの凸凹な主従との関わり。

 ギーシュや、モンモランシといった学友達。

 

 一緒にアルビオンに行った。

 皆で宝探しにも出かけた。

 トリスタニアの酒場で働くルイズを冷やかしに行ったことだってあった。

 

 温かい魔法学園での日々――。

 それは、間違いなく、今のタバサが手に入れた居場所で、

 かけがえのない、大切なものだった。

 

――私、独りじゃなかったんだ……。

 とっくの昔からそうだったのだ。なのに私は勝手に距離を置いて、見ようとはしなかった。

 そんな場所は自分には贅沢だなどと決めつけて。

 でも、彼らはタバサが助けを求めればいつだって助けてくれたはずだった。

 そう思うとまた、喉の奥から熱い感情がこぼれてきそうになる。

 

「仲間が、ちゃんといるんだな」

 タバサはこくんと、頷いた。

 

「だったら、もっと周りに頼ってみてもいいじゃないか。きっとお前は何もかも自分独りで背負いこんでしまいすぎなんだろう」

「うん……」

 

 

 その時、バサバサと音が聞こえて、一羽のフクロウがタバサの前に手紙を落としていった。

 広げて中を見るタバサの表情は険しくなる。

 

「任務の手紙か?」

「……そう、行かなくてはいけない」

「シルフィードがいなくても、大丈夫なのか?」

「……」

 

 そう、命に別状はなかったがあの大怪我では、シルフィードを一緒に連れていくことはできない。

 タバサはこれから一人で任務に向かわなければいけないのだ。

 

「それでも、逆らうわけにはいかない」

「そうか……」

「平気。貴方が大切なことを気付かせてくれたから、大丈夫」

 

 いつものような冷静な無表情。しかしタバサのそれは、少し無理をしているようにも感じた。

 

「それより、あなたは、どうするの?これからあてはあるの?」

 

 そんな彼女を見て、クラウドは既に決心していた。

 

「……そのことだが、タバサ、無理を承知で頼みたいことある」

「何?」

「――お前に、連れていってほしい場所があるんだ」

 

 ・ ・ ・ 

 

 翌日、タバサ達はオルレアン邸に戻ってきていた。

 

「それじゃあ行ってくる」

 屋敷の庭先でタバサはシルフィードと屋敷の老執事ペルスランに別れの言葉をかけた。

 

「シルフィードと母様のこと、お願い」

「承知しました、お嬢様もどうか、お気をつけて」

 

「ごめんなさい、お姉さま。お姉さまの傍にいられなくて」

 

 ペルスランの横で、シルフィードはどこか気落ちした様子でそんなことを言う。

 それを見てタバサは彼女の顔を寄せて優しく手で包んだ。

 

「使い魔と主は一心同体。体は離れても心は離れない。今は自分の体を癒して。私は大丈夫だから」

 

 シルフィードは怪我が治るまでこのオルレアン邸で療養をとることになった。

 まだ動けないシルフィードを運んでくれたのはキルマの村人たちだ。

 恩人の為だと、樹木の切出し用の大きなソリで屋敷近くまでシルフィードを運ぶことを彼らは喜んで引き受けてくれた。

 しかし彼らに屋敷を見せるわけにはいかなかったので、その後はクラウドに背負って貰うことになった。クラウドに背負われたシルフィードの姿は不恰好で少し面白かった。

 

 しばらくして、クラウドが戻ってきた。森に置いてあったフェンリルをこの屋敷へ運ぶ作業が終わったのだろう。こちらも既に準備は済ませているようだ。

 

「待たせたな、そろそろ行こう。陸路だと時間も掛かるんだろう?」

「……あなたは本当にあの条件で良かったの?」

 

 タバサは改めてクラウドに再度意志の確認を取る。

 

「ああ、シルフィードの傷が癒えるまでの間、俺がタバサの従者をやろう。報酬はいらないが、その代わりに魔法学院にいるヒラガサイトという少年に会わせてくれ」

 

 そう、それがクラウドの掲げた次の指標だった。

 タバサとの会話の中で何回も話題に上がった異国から来たという使い魔の少年。

 彼が果たしてクラウドと同じ世界から来た人間かどうかはわからないが、似た境遇にあるその少年から話を聞けばなにかがわかるかもしれない。

 トリステイン魔法学院。そこに少年はいる。ただし魔法学院は有力貴族の子息達が通う場所なので素性の知れない人間は近づけない場所だ。

 だが、学院の生徒であるタバサの従者としてならば堂々と中に入ることができる。タバサも次の任務が片付き次第魔法学院に戻ろうとしていたので都合が良いと言えば良い。良いのだが。

 

(本当にそれだけでいいんだろうか)

 

 タバサからすれば命を救われた借りもあるわけで、もうちょっとクラウドの為に何かしてあげてもいいと考えていたため、少し釈然としない。

 でも――。

 

「これからしばらく、よろしく頼む。タバサ」

 

 クラウドの大きな手がタバサの青い髪を撫でながら言う。

 やっぱり不器用で、優しい手。

 もうしばらくこの人と行動できることは、ほんの少しだけだけど、嬉しい、かもしれない――。

 

 ふと我に返って振り返るとシルフィードがにやにやと笑っていた。

 それに気づいて、タバサの顔が真っ赤になる。

 

「ふふーん、お姉さまにも春がやってきたのね?」

 

 問答無用で、ぶんなぐった。

 

 

 こうして少女は、この異邦人の青年と行動を共にするようになった。

 そして

 それとはまた別に

 事態は水面下で少しずつ進行し、

 誰にも気づかれないまま、

 この世界の道筋を変化させようしていた。

 

 

 




時系列は02~06→01となります。


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幕間

 虚ろな城

 己の住まう宮殿を男はそう評する。

 

 広大なヴェルサルテイル宮殿。

 王家の色を湛えた靑レンガのグラン・トロワ。国中の庭師を集めて贅を尽くした三方の庭園。豪華な彫刻で彩られた大理石の道。

 誰もが荘厳であると答えるであろうこの場所に、男は何の価値も抱けなかった。

 

 無価値な城、無意味な装飾、何処までも空虚な自分の住まい。

 己を王座に縛り付けるのは”虚無”以外の何物でもない。

 

 ガリア王ジョゼフ。

 王家の象徴である蒼みがかった髪と髭、そして四十を過ぎたとは思わせぬ美貌。

 それがガリア千五百万の頂点に立つ男。

 自らの弟を殺し、無能王と蔑まれる――男の名前だった。

 

 

 ・ ・ ・ 

 

 

 ジョゼフは今、自らの自室にある十メイルの巨大な箱庭の前の椅子に座り思慮に耽っている。

 職人に命じ、一か月かけて作らせた、ハルケギニアの地図を緻密に再現した模型である。

 その盤上で彼はつい最近まで”一人遊び”に興じていた。国政をそっちのけにしてまでそれに熱心に取り組んでいた理由は、つまるところ暇つぶしでしかなかった。

 それなりに時間と人と金をかけて劇作家になった気分を味わってはみたが、もうそれも終わってしまった。

 

「つまらぬ」

 

 呟いて人形を放り投げる。盤上で赤軍の大将であった聖職者の人形は、ちょうど地図でアルビオンに当たる場所にぶつかり、無様に砕け散った。

 

「それで、ミューズ。我が姪と行動を共にしているという、その男の素性は掴めたのか?」

 

 ジョゼフが語りかけたのは人間ではなく、地図の上で跪いた黒い髪の女性の人形だった。

 

「申し訳ありません。依然、掴めておりません」

 

 人形はまるで生きているかのように振る舞う。

 それもそのはず、それはアルヴィーと呼ばれる魔法人形で、ジョゼフは人形を通して遠方にいる己の”使い魔”の報告を聞いていたのだ。

 

「金髪の、恐ろしい程巨大な剣を背負う剣士。そのような目立つ風貌をしていながら、ラグドリアンで”七号”と接触する以前の目撃証言すらありません。まるで――」

「――ラグドリアンの地に突然現れたかのようだと?」

「……はい」

 

 人形の先で肯定する己の使い魔にジョゼフはふむ、と髭を撫でた。

 

「もう一度聞くが、『お前と同じ』ではないのだな?」

「はい、”七号”は既に――今はオルレアンで怪我の治療中ですが――使い魔を召喚しています。メイジに仕える使い魔はひとつだけですので、その可能性はありません」

「ほう、これはまた、興味深いことになってきたではないか」

 

 先程とは様子を変えて笑みを見せる主人に、卓上の人形は少し首を傾げる。

 

「ジョゼフ様……それでその、”七号”と今現在行動を共にしているその男が、ラグドリアン湖周辺で起きている事象と何か関係があるとお考えなのですか?」

「偶然と片づけるには、逆に不自然さが残るであろう。そもそもミューズ、お前自身が一番それを理解しているのではないか?」

 

 そう確かに……と、ミューズ――人形の先にいるシェフィールドと呼ばれる彼女は内心で肯定した。

 ラグドリアン湖周辺で起きている異変。彼女がそれに気が付いたのは、以前ラグドリアン湖に関わりがあったことがきっかけだった。

 アンドバリの指輪というマジックアイテムを水の精霊から奪いとり、身の程を知らない愚かな聖職者に貸した――まあ、その時のことは関係がない。

 

 問題はその後である。

 再びあの地を調べてみると、ラグドリアン湖の近辺でばかり亜人や幻獣が狂暴化するという事件が多発していたのだ。

 現地に派遣された花壇騎士の中には幻獣に殺された例もあったほどだ。

 気になった彼女が試しに事件のあった場所を地図に当てはめてみると、見事にラグドリアン湖を囲むように事件が起きていたのだ。

 その事をジョゼフに報告したところ、彼はラグドリアン湖に最も近い村、キルマ村から要請がきていたオーク鬼の討伐にタバサ――北花壇騎士七号を派遣したのだ。

 湖の水位が減少したのはまさにその最中だった。

 

 しかし、何故ジョゼフ様はこの事件に興味を抱いたのだろうか。シェフィールドは己の主の心境をまるでは掴めないでいた。

 そんな彼女の内心を知ってか知らぬか、ジョゼフは独り語り出す。

 

「いや何、余は最初からこのような事態になるとは思ってはいなかったよ。だが、お前は違うようだな?ビダーシャルよ」

 

 ジョゼフが話かけたのは、彼の後ろに立っていた人物だった。薄い茶色のローブを羽織った長身、つばの広い異国の帽子を被る長い金髪の男。

 ジョゼフは男に目を向けると、帽子の端から尖った耳が見えた。

 そう、男は人間ではない。

 大いなる意志”と共に生き、人間より遥かに強力な魔法を操る種族、エルフである。

 

「予兆はあった。だが、わかっていたわけではない」

 

 ビダーシャルと呼ばれた男は鐘の様な高く澄んだ声で答えた。

 

「”余の部下になる”という要求と引き換えにラグドリアンの地を調べよ、などと言ってくるとは思わなかったぞ。まさかお前はそんなことの為にわざわざサハラから派遣されてきたとでも言うのか?」

「無論違うとも。そのことについては既に伝えたはずだぞ、蛮族の王よ」

「”シャイターンの門”……余達、人間の側で言う”虚無”の力を持つ人間がその門に近づかぬようにして欲しい、だったか?尚更わからぬな。”門”を守ることはお前達の宿命なのだろう、それよりも大事なことだとでもいうのか?」

「全ては”大いなる意志”の警鐘だ」

 

 薄い青の眼を鋭くさせて言う。

 

「警鐘だと?」

「我らエルフが恐れる”シャイターンの悪魔”……それと同等の大災厄がこの世界に起きる可能性がある」

「それは”大いなる意志”とやらが言ったのか?お前達の神は口が利けるのだな。我らの偉大な始祖は何者も導かず教会の祭壇に突っ立っているだけだというのに」

「”大いなる意志”は我らに必要な道を示す。その啓示を私が受け取ったのだ」

「一体、何が起こる?」

「それはわからぬ。だから調べたのだ。……私が初めてこの地を訪れた時から、精霊の力が妙に歪んでいるのをずっと感じていた。そしてその中心があの湖、ラグドリアンだった」

 

 ビダーシャルがジョゼフの眼を捕える。確固たる意志を秘めた眼だった。

 

「蛮族の王よ。私はそのラグドリアンの地で現れたというその人間を捕えたい。新たな”災厄”を未然に防ぐ為には男から情報を聞き出す必要がある。その為なら、お前の要求をいくらでも飲んでやる」

 

 ジョゼフは面白そうに顔を綻ばせる。

 

「いいだろう。お前の頼みを聞いてやる。ちょうど新しい遊びを探していたところだったしな」

「遊び、だと?」

 

 怪訝に眉を寄せるビダーシャルを無視して、ジョゼフは再びシェフィールドに話かけた。

 

「ミューズよ。例の計画の方はどうなっている?」

 

 計画とは、以前から進めていたトリステイン魔法学園にいるとある少女――ヒラガ・サイトという人間の使い魔を従えるメイジを捕える算段のことだった。

 

「準備は整っております。既に我がガーゴイルがトリステイン国内への潜入し、いつでも動かせる状態です。……計画では使い魔を抑えるのに”七号”を使うとのことでしたが……。男を七号に捕えさせるのですか?」

「いや、感づかれて逃げられたら面倒だ。姪には何も伝えずによい。計画自体はそのまま進めてくれ」

「ではどうすると?」

 

「”元素の兄弟”を派遣する」

 

 シェフィールドは驚き、一瞬息をするのを忘れたようだった。

 

「あの”兄弟”を使うのですか?”七号”と同等、いやそれ以上の実力を持つあの四兄弟を?そこまでする相手でしょうか?」

「あやつらは失敗というものを知らぬほどの手練れだ。確実性を求めるなら他に適材はおるまい。姪には計画通り”使い魔”と相手取らせることだけ命じておけ」

「……もし、七号が命令に従わない場合は」

「その時は母親ごとまとめて捕えて余の前に連れてこい」

 

 残酷で容赦のない響きで言った。

 

「仰せのままに……」

 

 シェフィルードの返答と共に跪いていた女人形がコトリと倒れた。人形による通信が切れたためだ。

 するとビダーシャルは部屋から出ていこうする。

 

「どこに行くつもりだ?」

「私もトリステインに向かう。その計画とやらが失敗した時には私がなんとかしよう」

 

 ジョゼフが驚きの声を上げる。

 

「ほう、エルフのお前が!トリステインに?お前たちは人間と余計な干渉を持ちたくないのではなかったか?」

「お前の言ったことと同じだ。私も”確実性を求めたい”のだ。私自身の目で、その男を直接見ておきたい」

「それも”大いなる意志”とやらの思し召しか?」

「そうだ、”大いなる意志”は全てに通じた存在なのでな」

「なんでもお見通しというわけか、万能だな。我らが始祖よりずっと万能だろう」

 

 くつくつと笑うジョゼフにビダーシャルは再び眉を寄せ、疑問を口にした。

 

「お前は何を考えている」

「ん?何のことだ」

「お前は私の頼みを聞いた時、遊びを探していたと言った。最初に会った時もそうだ。我ら”ネフテス”はお前が数ある蛮人の中で一番交渉しやすいと考えたからこそ、こうして私がここに来ることになった。だがお前は予想と違い、蛮人特有の権力というものに欲のある人間ではなかった。その自らの神を貶める言動といい……一体、お前の目的はどこにあるのだ?」

「さあ、なんだろうな。余にもわからんよ、そんなものは」

「………」

 

 首を傾げるジョゼフを不審な目で見つめたまま、ビダーシャルは部屋を後にした。

 

 

 ・ ・ ・ 

 

 誰もいなくなった個室で、ジョゼフはハルケギニアの箱庭をぼんやり眺めた。

 当たりに散らばっていたシェフィールドの女性人形以外の人形をかき集め、そこに放り投げる。

 懐からオルゴールを取り出す。

 

 ”始祖”のオルゴール。

 

 遥か6000年前から伝わる国宝級のマジックアイテム。

 アルビオンの内乱に乗じて奪い取ったものだ。

 きりきりと薇を回すと、オルゴールが美しい音色を奏で始める。

 それに合わせて、ジョゼフは謳うようにある呪文を唱え始めた。

 

「”エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ……”」

 

 それは、火、風、水、土……、ハルケギニアのメイジが扱うどの魔法とも違う呪文だった。

 ひとつ言葉を紡ぐごとにジョゼフの心は深淵よりも深くなっていく。

 

「”オス・スーヌ・ウリュ・ル・ラド・ベオーズス……”」

 

 その呪文を唱える度に、ジョゼフは自分の中身が空っぽであることを自覚する。

 

――何を考えているか、だと、俺は何も考えてなどいない。

 

「”ユル・スヴュエル・カノ・オシェラ……”」

 

――しいて言えば、そう、退屈なのだ。俺は退屈で仕方がない。

 

「”ジェラ・イサ・ウンジュー・ハガル・ベオークン・イル!”」

 

 ジョゼフは膨れ上がった空虚な心を外に吐き出すように、その呪文の名を言った。

 

「”エクスプロージョン”」

 

 ゴウッという音と共に、光が膨れ上がり、目の前にあった箱庭に向かった。

 箱庭を乗せた机が光に飲まれると、火柱が立ち上り、強く輝いた。

 次の瞬間、そこには大きな穴が開いていた。

 十メイルの精巧な地図も、模型も、人形も、跡形もなく消え去っていた。

 

 ”虚無”

 どの系統にも属さない、伝説の魔法。

 エルフが悪魔と恐れる秘儀。それがジョゼフの扱う魔法だった。

 

「エルフも”大いなる意志”とやらも大したことはないな。目の前に6000年の宿敵がいるというのに気づきもしない」

 

 愉快そうに笑うとジョゼフは天井を仰ぐ。

 

「ああ、退屈だ。俺と対等に遊べる相手など何処にもいない。だから俺はずっと一人遊びに興じるしかない。そうだ、対等だったのはシャルル、お前だけだった」

 

 まるで嘆くように、彼は言った。

 

「シャルル、何故死んだ?どうして俺の傍にお前がいない」

 

 答えは既に出ている。

 俺が、殺したから

 

「そうだ、俺が殺したんだ。お前が優しすぎるから!お前を差し置いて王になった俺に!何の嫉妬もない顔で!”おめでとう兄さん”だと!?お前はどこまで俺に優しいのだ。お蔭でお前を殺してしまったではないか!」

 

 ジョゼフは天井に喚きながら泣いていた。泣きながら、心は空虚なままだった。

 

「ああ、俺の心は空っぽだ。お前を殺して以来、俺は何の感情も抱けなくなってしまった。喜びも、悲しみも、憎しみさえも。だから俺は取り戻そうと決めた。世界を玩具にしてやろうと決めたのだ。お前の妻を魔法の薬で狂わせた。欲深い貴族達を操ってアルビオンを潰した。戦争を起こしたりもした。だが、俺はまだ心を取り戻せない」

 

 泣き、怒り、笑う。目紛るしく表面情の顔は変わっていくが、心はどこまでも動かなかった。

 

「新しい遊びを始めようと思う。箱庭は燃やしてしまったしな――。この世界には”虚無”が俺を含めて4人いるそうだ。4人だ。そいつらを争わせてみたらどうなるだろうか? まずは前座からだ。トリステインにいる”虚無”に刺客を送った。我が自慢の使い魔に、ガリアの北花壇騎士の手練れ、それにエルフだ!面白そうだろう。そうそう、お前の娘も参加させるぞ。お前に似て魔法の才に秀でている。あいつに学友を殺させたらどんな顔をするだろうか」

 

 ジョゼフは、気づかない。

 

「感謝するぞ、異邦人。お前のお蔭で舞台が早く整いそうだ。お前がどこから来たのかなど興味はないが、不確定要素には違いない。ゲームは先が読めないからこそ楽しめるものだ。お前が俺の盤上でどのように踊るのか、せいぜい楽しませてもらうぞ」

 

 ジョゼフは、気づかない。

 不確定要素の読み間違いに。

 自らが唱えた魔法により立ち上る火の音のせいで、オルゴールの曲が変わっていることに。

 

 オルゴールの音色は美しいものから、いつのまにか、まるで無理やり鉄を捻じ曲げて作りだすような不快な音に変わっていた。

 それは言葉だった。

 そして、警告だった。

 

 

担い手よ。備えよ

 

担い手よ。心せよ

 

その災厄は、地の底、深い奈落からやってくる

 

 

 



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タバサと軍港編【番外編】
EXTRA-01


 船内に鳴り響く警笛の音。

 水兵たちの走る乱れた軍靴。

 叫ぶ声。湧き上がる悲鳴。

 

 その真っ只中に、花壇騎士はいた。慎重な足取りで木造の狭い通路を進む。

 目の前の空間が歪んで見える。ちりちりと、床の木板が悲鳴を上げている。

 汗は止まることなく流れ、瞬く間に蒸発する。呼吸をする度に凄まじい熱気が喉に押し寄せてくる。

 異常な温度だった。彼は自身の口の周りを水の魔法で保護し、せめて冷静な思考を保とうと努力した。

 

 一体、何がどうなっている。

 自分は確かに、サン・マロン港に係留された艦の中にいたはずだった。

 いや、その事実は今も変わらない。この廊下の景色自体は何も変わっていないのだから。

 しかし、環境が、著しく変化していた。

 あのサン・マロンの凍てつくような寒さが消え、火竜山脈の火口にいるような凶悪な熱気が空間を支配している。

 彼は苛立たしげに、廊下を振り返った。

 横を何人かの水兵が阿鼻叫喚といった様子で駆け抜けていく。

 そのうちの一人を捕まえると、彼は話を聞こうとする。

 

「おい貴様、一体何が起こっているのだ!?」

「き、騎士さま!!」

 

 水兵は肩に縋り付いてくる。尋常ではない怯え方だった。

 

「お願いです、助けてください!突然、外の様子が変わったと思ったら『あれ』が現れたんです。……みんな、やられちまった。目の前で消し炭になって……あれは、悪魔だ……!!」

「悪魔、だと?」

 

 大きな破壊音とともに、廊下が揺れた。甲板の方から、こちらにかけて。船の甲板が抜けて、『何か』が落ちてきたかのような音だった。

 

「ひぃ、来たぁぁぁぁ!!」

 

 水兵は転がるように慌てて逃げ出した。

 めきめき、と断続的な破壊音がこちらに近づいてくる。

 水兵の言うとおり、そこには『何か』がいるのだ。

 

 彼は舌打ちしながら、杖を素早く引き抜いた。冷静にルーンを唱え、戦闘の準備を整える。

 上等だ。私は誉高きガリア花壇騎士の一人。悪魔だか何だか知らないが、そんなもの返り討ちにしてやる。

 

「来い!」

 彼は叫んだ。

 眼の前で廊下が大きく破裂し、巨大な腕が飛び出してくる。

 

「こいつは……こいつが!」

 

 彼はその『悪魔』の顔を見た。次に炎が視界を覆った。

 それが、彼の最後の意識だった。

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 冬の軍港に雪が降る。

 厚い雲は湾港へと鋭く流れ、冷たい潮風を陸地に運ぶ。

 薄いブラウンの屋根に、さらりと白い壁が立ち並ぶ海岸線沿いの街。

 それがサン・マロンだった。

 ここはガリア有数の軍事拠点として知られている。一方を海、三方を丘陵に囲まれたこの街は、外敵に攻められた際には的確な防衛のとれる自然の要塞都市だった。

 湾に伸びる桟橋に鉄塔。そして、夥しいほど戦艦の群れ。潮風と雪に白く錆びた鉄塔に括り付けられた戦艦それぞれには、空に浮かぶ浮力となる大量の風石が積まれている。

 命令があれば、空へ海へと自由に駆け巡り、ガリアという大国の誇る戦争の道具となるだろう。

 名を、”両用艦隊(バイラテラル・フロッテ)”。ハルケギニア最強と謳われる艦隊である。

 

 しかし、始祖の降臨祭を間近に控えた年末。

 その湾港で、事件は既に始まっていた。

 

 ・ ・ ・ 

 

 大きな破壊音に、作戦室が揺れた。

 

「黒真珠号です!」

 それは両用艦隊旗艦「シャルル・オルレアン」号での会議の最中。

 士官のその報告は、作戦室にいた者全員に焦燥を与えるには十分だった。

 

「これで十五艦目です」

 参謀のリュジニャン子爵が告げる。

「くそう、またか!これではわしの艦隊は戦う前に消滅してしまうではないか!」

 両用艦隊の総司令官クラヴィル卿は、机に拳を叩きつけて怒鳴った。

 

「なぜ、犯人が捕まらないのだ!リュジニャン!先日見つかったあの花壇騎士から何か情報は聞き出せたのか?」

「いえ、依然、意識が回復しません。水メイジによると、延命で手一杯のようです。魔法を使おうにも、あれほどの重体では……」

「役立たずめ、王政府から仰せ使った自分の仕事も果たせぬとは一体どういうことだ」

「落ち着いてください、クラヴィル卿。批判は我らの仕事ではありません」

 リュジニャンになだめられ、クラヴィル卿は疲れたような溜息を吐き、ようやく落ち着いたようだった。

 

「そのとおりだな。今は対策を練るべきなのだ。失礼、話を戻そうぞ、諸君」

 そう言ってクラヴィル卿は、会議中だった艦隊首脳陣たちに向き直った。

「トリステイン・ゲルマニアの連合とレコン・キスタ率いるアルビオンの戦争は末期を迎えている。我らガリアがどちらに味方することになるのかは未だわからぬが、来たるべき参戦に備えなければならない今、これ以上の醜態をさらすわけにはいかん」

 彼の発言に全員が頷いて同意した。

 

「よってわしはこの忌まわしき事態に終止符を打つつもりだ。王政府に、新たな応援を要請した。まもなく到着するだろう」

「その応援とは、一体?」

 首脳陣の一人の質問に、クラヴィル卿は重い口どりで言った。

 

「北花壇騎士だ」

 

 その言葉を聞いた途端、首脳陣たちはどよめいていた。

 中には嫌悪の表情さえ浮かべる者もいる。

 “北花壇騎士”それはガリアでは本来、存在しないとされる騎士団だった。

 反乱の監視。貴族の行動の密告、暗殺、処刑に至るまでありとあらゆる汚れ仕事を実行する裏の組織なのだ。時に手段を選ばない彼らのやり方を毛嫌いする将校も多い。

 首脳陣たちの反応もそれを考えれば無理からぬものだった。

 

「諸君らの心中は察する。しかし、我々は空の上では無敵であっても陸の上では釣られたニシンに等しいのだ。この艦隊に巣食う狡猾で邪悪なネズミどもを排除するのにこれ以上の逸材はおるまい。皆、異存はないな」

 首脳陣たちを見回すクラヴィル卿に、反論する者はいなかった。

 

「王政府から使者が参っております」

「来たか」

 扉をノックする士官の言葉に、会議室に緊張が走った。

 

 中に通すように告げると、姿を見せたのは金髪の青年だった。

 柔軟かつ丈夫そうな黒い服装に身を包み、そして将校たちが何処の戦場でも見たことの無いほど巨大で重厚な大剣を背中に携えていた。

 青年がその青い眼光をで部屋を見回すと、作戦室にいた者たちは皆、異様な威圧感に襲われた。何か、人ではない者がそこにいるような感覚だった。

 

 他の人間と同様、青年に圧倒されていたクラヴィル卿だったが、あることに気付いた。

 青年は杖を持たず、貴族の証であるマントさえ羽織っていない。

 つまり、この男はメイジではないのだ。

 

「王政府には“騎士”を要請したはずだ。平民の傭兵など呼んだ覚えはないぞ!」

 クラヴィル卿が怒鳴った。しかし、仮にも艦隊を総べる司令官を前にしても、青年に怯んだ様子はない。むしろ、うんざりした様子で言った。

 

「違う、騎士はこっちだ」

 何回間違えられるのか、という調子で青年がそう答えると、その影から年端もいかない少女が姿を現した。

 青い短い髪、その小さな顔に赤い縁の眼鏡をかけている。

 どこかの魔法学院のものと思われる制服を着た少女の手には節くれだった杖が握られていた。

 

「北花壇騎士タバサ。王命により参上」

 

 その言葉に凍りつく作戦室の空気に悪びれた様子もなく、彼女は平然としていた。

 

 

 ・ ・ ・ 

 

 

「いきなり説教を喰らうとは思わなかったな」

「申し訳ありません。わざわざ出向いていただいたのに」

 

 作戦室を出て、タバサとクラウドは「シャルル・オルレアン」号の廊下を歩いていた。

 クラウドに上司の無礼を詫びるのは、二人の案内を任されたという甲板士官のヴィレール少尉だった。

 タバサの姿を見た途端、クラヴィルとかいう総司令官が激怒したのだ。どうやら自分の面子を丸潰れにされたと感じたらしい。あの後、散々よくわからない文句をぶちまけると「さっさと仕事をして来い!」と二人を作戦室から追い出してしまったのだ。

 まあ、無理もないとクラウドは思った。期待して呼んだ“騎士”が年端もいかない少女では、失望が大きかったに違いない。逆にタバサの方は特に気にした様子もない。彼女にとってこの反応は慣れたものなのだろう。

 そういう意味では、今一緒にいるこのヴィレールという若い士官は、年下のタバサに対しても侮った態度を見せないので、むしろこちらの方が珍しいのではないかとクラウドは思った。

 

「しかし、どうかご理解いただきたい。我々の状況はそれだけ切迫しているとも言えるのです」

 深刻な雰囲気を漂わせてヴィレール士官が語る。彼もこの艦隊で起こる事件に憂いを覚えているようだ。

 

「トリステイン・ゲルマニアの連合国軍とアルビオンとの間で戦端が開かれている昨今、我が艦隊は、船が突如、何の前触れもなく爆発するという事件が多発しています。これまでに、十五もの艦が消失しています。これ以上破壊されれば実際の戦闘にも支障をきたしかねません」

 船内の狭い廊下を出口へ進みながら、ヴィレールは報告をする。

 

「原因のめぼしは?」

 タバサが質問する。

「人為的なものであることは間違いありません。爆発はどれも火薬庫を中心に起こっていますから。しかし、それが直接火を点けたのか、それとも魔法による犯行なのかはまるで掴めていません」

「ここまで被害が出ているのに、犯行方法さえわからないのか?」

 クラウドが疑問をぶつけると、ヴィレールは苦い表情になった。

 

「ええ……、ですが最近になって魔法による犯行であることが有力視されてきています。実は、あなた方がいらっしゃる前に、東花壇騎士の方が一名、今回の事件のために派遣されていたのです」

 その情報については任務の前に書簡により知らされていた。

 この事件では既に他の騎士が任務に就いていたのだ。

「行方不明になったと聞いている」

 タバサが口を開く。

「はい、一時消息が分からなくなっていたのですが、先日、重体で発見されました」

「犯人に襲われた?」

「おそらくは」

 そこまで聞けば、クラウドにも予想はついた。

「つまり、魔法を使えない人間に花壇騎士を倒すことは不可能ということか」

「その通りです」

 ヴィレールが頷いた。

 

「当初、我々は艦隊増強の際に大量に雇いいれた平民たちの中に犯人がいると考えていました。しかし、花壇騎士が倒されたとなると話は変わってきます。平民がメイジ、その中でもエリートである花壇騎士を倒すことなど、まず不可能ですからね。同じメイジによる犯行を疑わざるを得ません」

「ただ、そうなると、数は限られる。普通、メイジは貴族しかいない」

 タバサが繋げて発言すると、ヴィレールが落ち込んだ顔で項垂れた。

「はい……、我々貴族士官にも疑いがかけられています。でも、貴族士官は七百人ほどいますが、昔から勤務している方が多くて、身元はしっかりしていたはずなんです。

裏切り者がいるかもしれないなどとは、考えたくもありません。内部ではこのことが原因で疑心暗鬼が広がっているくらいです」

 

 甲板まで上がると、艦隊旗艦であるこの「シャルル・オルレアン」は周りの戦艦より一回り大きいため、サン・マロンの港をよく見渡すことができた。雪の降りしきる中、全長五十メイルにもなる戦艦が桟橋沿いに並べられていた。

 これらの戦艦には船を浮遊させる風石と呼ばれる魔石が積まれており、その力で空を自由自在に航海することができるらしい。

 空海両方で展開可能なハルケギニア最強の艦隊……、この現状では皮肉でしかありませんが。

 ヴィレールがそう自嘲めいて答えた。

 風石……その媒介を通して効果が発揮される点から、性質としてはマテリアに近い物質なのだろうか、と考える。

 

(飛空艇を思い出す光景だ)

 

 眼下に広がる軍港に、クラウドは新羅軍の海の拠点だったジュノンの街を思い出していた。

 新羅の兵士だった頃も、その後も、あの街には様々な機会に訪れることが多かった。

 記憶に残る映像は、ジュノンの巨大なエアポートに係留された飛空艇ハイ・ウインドの圧倒的な光景。そしていつか それに乗りたいと語っていた“彼女”の後ろ姿。

 

 今はただ、懐かしい過去。

 

 戦艦の周囲、かつてはクラウドもそこで働く一人だった場所で、士官や水兵達が作業に忙しく動いている。次はどの戦艦が狙われるのか、彼らはそれを恐れながら働いているのだろうか。

「外部の介入なしには、我々にはもはやどうしようもありません。お願いします。どうか事件を解決してください」

 ヴィレールの言葉に、タバサが白い息を吐き出しながら言った。

 

「現場に案内して」

 

 

 ・ ・ ・ 

 

 

 二人はヴィレールに案内されて、まずは破壊された戦艦を一つずつ回っていくことになった。

 立ち入りを制限するためのロープを潜ると、現場の一つに辿り着いた。

 見ればぐにゃりと変形した鉄塔があり、辺りには、油の強い臭いが潮風まじりに漂っている。

 

「こちらはグロワール号が爆破された現場です。この時は立て続けにもう一隻別の戦艦がやられました。……あの時はひどい騒ぎでした」

 地面には一面、煤焦げた跡がこびりついている。爆破された戦艦の周囲は後片付けも済んでいないようで、吹き飛ばされた船の残骸が散らばっており、当時の被害の大きさが想像できる。

 

 そのグロワール号跡で熱心に祈りを捧げている女性がいた。

 近づくと彼女は立ち上がってこちらに頭を下げる。

 二十歳ほどの若い女性だった。頭の上で縫い上げた金髪。藍と白の衣を羽織っている。

 恰好を見るに神官のようだ。

 

「彼女は?」

 タバサが尋ねた。

「この爆破された戦艦の艦付き神官だった女性です。シスター、こちらは今回の事件の為に新たに派遣された騎士さまです」

「リュシーといいます。騎士さま。前任の花壇騎士さまの件はお聞きしています。とても残念な出来事でした」

「あなたはここで何を?」

「この艦に乗船していた方たちへの祈りを捧げていました。戦も始まらないうちに亡くなってしまい、彼らも無念だったでしょうから」

 リュシーは鎮痛な面持ちで語った。その様子はまさに死者を悼む誠実な神官そのものだ。

 

(……?)

 

 しかし、なぜだろうか。クラウドはそのとき妙な違和感を覚えていた。

 そんなリュシーをじっと見つめていたタバサが、唐突に質問した。

「あなたは告解を受け持つの?」

 告解とは、罪を犯した人間がそれを告白することで神から赦しと和解を得るための行為である。神官はそれを聞く立場にあり、役職の中でも特に重要なものであると位置づけられている業務だ。

 リュシーが頷いて肯定すると、タバサは続けて訊いた。

 

「手がかりになる事を聞いていたら、私に教えてほしい」

「それは……お答えできません」

「どうして?」

 リュシーは目を瞑って首を振る。

「秘密の厳守です。神官であるわたくしが信者の秘密をもらしてしまえば、その方は己の罪と向き合う場所をなくしてしまいます」

「無駄ですよ、特位少佐。彼女たち神官が、告解に来た人間の秘密を漏らすことはありません。我々が捜査協力を要請したときも同じことを言われましたよ」

 棘のあるヴィレールの言葉にリュシーが厳しく反応した。

 

「当然ではありませんか!人を正しく導くのが神官の役目です。たとえ犯罪者でも、神の御子であることに変わりはありません。貴方もご存じのはずでしょう。神の教えをなんだと思っているのですか、ミスタ・ヴィレール」

「も、もちろん、わかっていますよ、シスター。ただ、私は、そもそも犯人が神官に罪を告白などするはずがないと言いたかったんです」

「そう言わず、頼まれてくれないか?」

 ヴィレールが慌てて言いつくろうところで、クラウドが口を挟んだ。

「あなたは?」

「この子に雇われている。しがない護衛さ」

 リュシーに今の肩書きを名乗ると、クラウドはタバサの頭に手を置いた。

「こんな成りをしているが、この子は優秀だ。手がかりを掴みさえすれば、すぐにでも事件を解決できるだろう。どうか協力してやってくれ」

 ぽんぽんと、タバサの頭を軽く叩きながら言った。

「なっ……」

「まぁ……」

 ヴィレールとリュシーが目を丸くする。タバサに対する態度が、まるで子供に接しているような気軽さだったためだ。少なくとも、雇い主である貴族にするようなものではない。

「………」

 タバサは無言、しかし、どうやら不服そうであった。

 それを見て、リュシーはクスクスと笑いだした。

 

「とても仲がよろしいのですね。従者さん、あなたのお名前を伺ってよろしいですか?」

「クラウド・ストライフだ」

 クラウドは手を差し出して言った。

「わかりました。ミスタ・ストライフ。さすがに告解の内容は語れませんが、気がかりなことがありましたら、お二人にお伝えします」

 リュシーがその手を握って握手を交わした。

 

 そのとき、ズキン、と。

 わずかな頭痛がクラウドに起こった。

 

 一瞬、何かの光景が映る。 

 炎。

 紅い光。

 佇む大きな影。

「どうか、されましたか?」

 立ち眩むクラウドに、リュシーが不思議そうな表情で訊ねてくる。

「いや……なんでもない」

「大丈夫ですか?……捜査のあまり無理をなさらないようにしてくださいね。どうか、あなた方に、神のご加護がありますように」

 彼女は優しい笑顔を浮かべてお辞儀をすると、その場を去っていった。

 

「……まったく、相変わらず仕事熱心だ。それも彼女の出自のせいかもしれませんが……」

「出自?」

 リュシーの後ろ姿を眺めて呟くヴィレールに、クラウドが問いかけた。

「ええ、彼女は神官になる前は貴族の子女でしてね。ある事件をきっかけに洗礼を受けて出家した経歴があるんですよ」

「ある事件、というと?」

「それを私の口から述べるのはちょっと……」

 ヴィレールはばつの悪い表情を浮かべる。

「実は彼女、その経歴が理由で、今回の事件の当初に取調べを行っているんですよ」

「容疑者の一人だったのか?」

「いえ、今は疑いが晴れています。魔法による尋問を行ったのでそれは確かです。ただ、我々にとって神官を疑うというのは少々後ろめたいものがありまして……、詳しく知りたければ捜査資料を伺ってください。……しかし、貴方はクラヴィル卿に謁見していた時もそうですが、何というか、肝が太いですね。いえ、皮肉ではなく」

「図々しいくらいが丁度いいんだ」

 クラウドは適当にはぐらかすように答えた。

「はぁ、そんなものですか……。私にはわかりかねますね」 

 クラウドはリュシーの祈っていた場所を見る。

 

 彼女に触れたときに見た光景。

 あれは、一体何だったのだろう。

 

 

 ・ ・ ・ 

 

 

「もう少し立場を考えてほしい」

 拗ねたように、ぶすっと頬を膨らましてタバサが言った。

「何がだ?」

「あなたは従者。人前であの扱いは、私の示しがつかない」

 

 夜になって二人はシャルル・オルレアン号に宛がわれた客室へと戻り、食事をとっていた。

 食事のメニューは塩漬けの肉にナツメヤシ、そして硬いパンという、貴族士官の食事にしては貧相なものだった。おそらく、あの艦隊総司令官の遠回しな嫌がらせなのだろう。

 もしこの場にタバサの使い魔がいれば、彼女なら全力で抗議したかもしれないが、クラウドもタバサもそんなことにいちいち不服に感じる人間ではなかったので、特に気にせず食事にありついていた。

 

 それよりもタバサは昼間の子供扱いについて文句を言おうとしていた。だが肝心のクラウドはなにやら羊皮紙を眺めていてタバサを見てもいない。

 無視されている。そう感じてタバサは腹が立った。

 仕返しとばかりに、クラウドの皿にある塩漬け肉をひょいと奪いとってやる。

 彼はまだ気付いていない。いい気味、とタバサは密かに思った。

 

 ところで、クラウドが今手にしているのは、爆破された船のリストが記されたものである。

 この世界に来た当初、クラウドはタバサたちハルケギニアの人間と普通に会話することはできたが、文字を読むことは何故かできなかった。

 これについては、ルイズの使い魔であるサイトも普通に会話ができていたことから、召喚のゲートをくぐる時にこちらの世界の人間と意思疎通ができるように何らかの仕掛けが施されているのではないか、とタバサは推測している。

 

 そのため、クラウドは旅の途中で空いた時間を見つけてはよく文字の読み書きを練習するようになった。最初はタバサが教えていたのだが、彼は驚くほど覚えが早く、今では一人である程度までハルケギニアの文字が読めるようになっていた。

 

「それで」

 クラウドが羊皮紙から顔を上げたので、タバサは素早く表情を隠し、食事に戻った。

 ここは船の中だが、クラウドが船酔いしている様子はない。乗り物酔いも船が停泊している分には平気なようだ。

 

「どうやら、事件が始まってだいぶ経っているみたいだが、これからどうするんだ?」

 タバサはテーブルの上にフォークを置くと、まず結論から述べた。

 

「犯人が誰なのかは、すぐにわかりそうな気がする」

「本当か?」

「私、優秀だから」

 多少の皮肉を込めて、タバサは自慢げにその小さな胸を張る。

 それを見て、クラウドは思わずといった様子で笑いを零した。

 

「……何か、おかしい?」

「いや、な、今の表情が似ていたんでな」

「誰に?」

「シルフィード。初めて会ったとき、俺に褒められてそんな顔をしていたんだ。

使い魔と主というのは似ているものなんだな」

 タバサの脳裏に、己の使い魔が、バカっぽく、ぴょんぴょん楽しそうに跳ねている姿が思い浮かんだ。

 

 あれと、同じ?

 

「………」

「なんだ、嫌そうな顔して――「そんな顔はしていない」

 上から言葉を重ねて、タバサは即座に否定する。

「そうか」

「そう、似てはいない」

「………」

 一時の沈黙。

 こほん、と空咳。

「……話を戻す」

「そうしよう」

 クラウドが同意した。

 

「王政府に恨みを持つ人間は星の数ほどいる。ただ、ある程度には大別できる。一つは新教徒」

「新教徒?」

「ブリミル教から派生した新宗教派の人たちのこと。主に貧困層で布教が広まっている。現在の寺院と貴族が強く結びついた体制に不満を持っていて、寺院の改革を目指している。でも、それが原因で禁教として迫害されている立場にある。彼らはこれまでにも数々の事件を起こしていて、今回の件でも関係が疑われているはず」

 宗教が権力者の為に存在するのは、よくある話ではある。

「動機としては十分か。ただ、貧困層に広まっているなら平民が主体だろう。メイジが犯人だと疑われている今回の事件には関係ないんじゃないか?」

 タバサは首を振る。

「そうでもない。貴族の妾の子など、メイジの血が混じることで魔法が使える平民も珍しいことではない。おそらく、この艦隊の士官たちは未だにその可能性を信じているはず」

「成程、身内を疑わなくていいからな。それで、次は?」

「二つ目は現在起こっている戦争の関係国。トリステインとゲルマニアの連合軍、もしくはアルビオン軍のどちらかの勢力。ただ、これは考えづらい。交渉次第で味方になるかもしれない国に対してこれほど過剰な破壊工作をしてくるとは思えない。そして三つ目の勢力は――」

 ここでタバサは俯いて言葉を区切った。

 

「どうした?」

「……私は、この三つ目の勢力が今回の事件に関わっていると考えている。ここは、まだ上手く話せない。これ以上は私の中でも上手く考えがまとまっていない」

 それでも、はっきりしていることだけを告げる。

「でも、もしそうなら、おそらく私の髪の色が答えを教えてくれるはず」

「……そうか」

 それを聞くと、クラウドは大人しく引き下がる。

「どちらにしろ、犯人はじきに知れると思う。ただ、まだよくわかっていないことがある」

「例の花壇騎士か」

 タバサが頷いた。

「私たちよりも先に、この事件に関わっていた彼が何をしていたのか。それを調べる必要がある。もしかすると犯人に関する情報を掴んでいたかもしれない」

「了解した。じゃあ、俺もしっかり自分の役割を果たすとしよう。だから、どうか今日はその塩漬け肉で勘弁してくれ」

 

 気づかれていたか。

 タバサはぷいとそっぽを向いて、何のことかわからない振りをした。

 

 



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EXTRA-02

 翌日、二人はサン・マロンの街中にある教会を訪れていた。

 艦隊の病室では狙われる危険があるため、街の教会の一つが丸ごと臨時の病院となっており、今回の事件の怪我人はそこに収容されていた。

 蝋燭の明かりに揺らめく薄暗い礼拝堂の横を抜け、教会の一室に案内される。

「こちらです」

 部屋に入ると、不快な臭いが立ち込めていた。

 人間の肉が焼けた、強烈な死の臭いだった。

 それが、目の前のベッドに横たわる男から発せられている。

 男は体も顔も、全身を包帯で覆われていた。わずかに見える皮膚はぐずぐずに焼け爛れていて、以前は一体どんな容姿だったのかさえ、まるでわからない状態だった。

 

「海上に漂っているのを水兵が偶然発見しました。見ての通り全身重度の火傷を負っており、身元の判断は困難でしたが、シュバリエの勲章を所持していたことから、彼が行方知れずだった花壇騎士様だとわかったのです」

「姿を消したときの足取りは?」タバサが聞いた。

「その日、部屋を出た後はまったくわかっていません。彼は、我々にあまり干渉されないようにするためか、行き先を告げずに外出することも多かったので」

「この火傷は、魔法によるものなのか?」今度はクラウドが尋ねた。

「はい、調べたところ、魔力の強い痕跡が残っていました。かなり強力な魔法でしょう。風メイジの「ライトニング・クラウド」もしくは火メイジのスクウェアクラスでなければこれほどの傷を負わせることはできません。犯人がメイジならかなりの使い手です」

 メイジの扱える魔法には主に火、水、風、土の4つの系統がある。

 それを更にドット、ライン、トライアングル、スクウェアと個人の魔法技能の習熟度に合わせて一般にメイジのランクが決まってくる。

 このうち特に戦闘において強力とされるのが火と風の二つの系統だ。しかし、それでもこれほど重体に追い込むだけ力を持った魔法の使い手は、魔法大国と呼ばれるガリアにおいても多くはないとされていた。

 

「貴族士官に風メイジと火メイジはどれだけいるの?」

「……医療班の水メイジを除けば、ほとんどがその二つの属性です。我々は軍人ですから攻撃に優れた系統の人間が多いのです。クラスはドットからスクウェアまで様々ですが、もし、貴族士官の中に犯人がいたとしても、自分のクラスを偽っている可能性がありますから、特定は困難だと思います」

 その質問は予想していたのだろう。身内へ向けられた疑いの言葉に、ヴィレールは苦い感情を隠せない様子で答えた。

 事前に聞いていたとおり、この状態の花壇騎士から、なんらかの情報を聞き出すのは無理があるようだった。

 

 その時、うめき声が微かに聞こえた。

 か細い、渇いた声。

 花壇騎士からだった。

 クラウドが近づいて、耳を澄ませた。

 

――あ……く……、ま。たのむ、たすけて、ここからだしてくれ

 

「悪魔?」

 ヴィレールを見ると、彼はかぶりを振る。

「時々、こんな調子でうなされるんです。なんのことなのか、我々にもさっぱりです。どうにか話を聞こうにも、この通り水魔法による生命維持がやっとの状態でして……」

「回復の見込みはないのか?」

「ええ……残念ながら。上の命令で延命させているようなものです。彼には気の毒ですがね……」

「彼の捜査資料は残っている?」タバサが鋭い表情で訊いた。

「部屋に水兵たちの聞き取りをしたと思われる手帳が残されていました。しかし、我々も中を拝見しましたが、あまり当てになるものではありませんよ?」

「構わない、渡してほしい」

 クラウドは男を見る。

 

 悪魔、助けて。

 一体、何を見たというのだろう?

 

 ・ ・ ・

 

「本当だ、信じてくれよ!」

「だから、落ち着けって、ヨハン、ここは病室だぞ」

 教会の廊下を歩いていると、どこからか騒ぐ声が聞こえた。

「なんだ?」

「今回の件で怪我を負った水兵が集められた部屋です。神聖な教会で、これだから平民は……」 

 苛立ちながら声の方に向かうヴィレールについていく。そこは広い石畳の部屋の中だった。藁を敷いて、たくさんの怪我人が雑魚寝している。一般の怪我人はここに集められているようだ。

 

「お前たち、うるさいぞ!ここを何処だと思っている!」

 騒ぎの原因と思われる一団に、ヴィレールが怒鳴りつけた。

「す、すみません、士官さま、ヨハンの奴がちょっとおかしくなっちまったみたいで」

「俺は正気だ!本当に見たんだ。だから、信じてくれよ」

 困り果てた友人の横で、ヨハンという若い水兵はなおも主張しようとする。

 辛抱が切れたヴィレールが杖で強制的に黙らせようとするのを、タバサが止めた。

 

「何を見たの?」

「へ、へぇ、貴族さま。俺はグロワール号に配属されていました」

 話を聞いてもらえてほっとしたような表情で、ヨハンが言った。グロワール号は、確か今回の事件で爆破された戦艦のひとつだ。

 ちょうど昨日、リュシーが祈りを捧げていた場所である。

「俺は艦が爆発したとき、海に飛び込んだおかげでなんとか助かりました。岸まで泳ぎ着いて。でもその時、そこからサヴォア号が爆発したのが丁度見えたんです」

「サヴォア号?」

「グロワール号のすぐ後に爆破された艦です」

 苛々しながら、横からヴィレールが説明した。

「その時は、同時に二つの艦が狙われましてね。今回の事件において最も被害が出たのがその2隻だったんです。当時現場は酷く混乱しましたよ。グロワール号はこの平民の他にも、何人か生存者がいましたが、サヴォア号は誰一人生還できていません。」

「サヴォア号は甲板のあたりから火が噴きだしていました。ああ、あっちもやられたんだなと思って。それで……それで俺、見ちまったんです」

「何を?」

 ヨハンは震えながら言った。

「……船の中から、炎の中から、何か、大きな影が起き上がったんです。あれは人じゃなかった。もっともっと恐ろしい、何か……そう、まるで悪魔みたいでした。それで、次の瞬間にはサヴォア号が木端微塵に吹っ飛んじまったんです。それが恐ろしくて俺は、気絶しちまったんだ」

「冗談はよせ、ヨハン。お前以外にもサヴォア号が爆発したのを目撃した奴はいたが、誰もそんなもの見やしなかった。きっとお前は恐ろしい幻を見たんだ」

「嘘じゃねぇ、本当なんだ。信じてくださいよ、貴族さま」

「わかった、ありがとう」

 タバサがそう言って杖を揺らすと、ヨハンは横になって静かな寝息を立て始めた。

 “眠り”の魔法を使ったのだ。ようやく騒ぎが落ち着き、ヨハンの友人の感謝の言葉と共に三人はその場を後にした。

 

「まさか、水兵の戯言を信じるのですか?」

 そう質問するヴィレールに、タバサは返事をしなかった。

「だって……まさかそんな、“悪魔”だなんて。確かにあの花壇騎士さまも似たようなことをうわごとで呟いていましたが、そんなもの、常識で考えているはずないじゃないですか」

 

 悪魔……。

 クラウドは昨日見たある映像を思い出していた。

 炎。佇む大きな影。

「タバサ、少し別行動をとらせてほしい」

 クラウドがそう声をかけると、タバサはこちらに顔を向けた。

 わずかな変化ではあるが、どうやら不機嫌な様子だった。

 こんな細かい表情に気が付けるくらいには、彼女と親しくなれたのだろうか、と場違いな事を思った。

「昨日自分で言ったこと、忘れたの?」

「すまない。けど、少し気になることがあるんだ。それを調べたい」

「それは必要なこと?」

 タバサが半眼で睨む。

「ああ、おそらくな。なんなら今日は塩漬け肉にパンを賭けてもいい」

「私が食べ物につられると思わないで」

「そうか、シルフィードと同じで結構食べるほうだと思ったんだが」

「……一緒にしないで欲しい」

 タバサは小さく溜息をついた。

「わかった。わたしはこのまま、花壇騎士の捜査資料を調べにいく。あなたは用が済んだら艦に戻っていて。くれぐれも無理はしないで」

 そう言ってタバサは先にヴィレールと一緒に教会を出て行った。

 

「……無茶をするのはタバサの方じゃないのか」

 どうにも、彼女は他人を頼らず、一人でなんとかしようという気概がある。

 まあ、それは自分も同じか、とクラウドは自嘲する。

 結局のところ似た者同士なのだろう。

 

「さて、艦隊付き神官の寺院は、何処にあるんだったか……」

 

 ・ ・ ・ 

 

 艦隊付き神官の寺院は戦艦の並んだ桟橋の下の突き当りにあった。

 街中からは少し離れた場所で、先程の教会と比べると、ひどく粗末な造りだった。

 素焼きの赤煉瓦の隙間から、冬の風が音を立てて入り込み、屋内なのに寒々とした空気が流れていた。

 リュシーは礼拝堂に飾られたたくさんの燭台に火を灯している最中だった。薄暗い寺院の中で蝋燭の火が隙間風に揺れている。

 

「始祖の降臨祭が近いですから、この寺院でもこうして、質素ではありますが飾り付けをしているのです。艦隊の方々は休みを返上して働いていらっしゃいますからね。せめて気持ちだけでも和らげればいいのですが」 

 始祖の降臨祭とは、およそ六千年前にメイジの祖であると言われる始祖ブリミルが初めてこの世界――ハルケギニアに降り立ったとされる日を祝う催しである。

 この祝日は十日間ほど続き、その間人々は仕事を休み、始祖を祝う行事が続くとのことだった。

 そういえば、先程の教会でも飾り付けがされていたな、とクラウドは街の教会に入った時の様子を思い出していた。

 

「あなたは祈りを捧げないのですか?」

 リュシーは作業を中断すると、彼女の横に黙って立っていたクラウドに質問した。

「遠い異国の出身でな。そういったものと縁がなかったんだ」

「まあ、そうだったんですか。では、今からでも神を信じてみてはどうですか。神の前で全ての人間は平等です。きっとあなたの抱える苦しみも、受け入れてくださるでしょう」

「……興味ないね。悲しみも苦しみも、自分で背負える。俺は例えどんなものであれ、自分の意思を何かに委ねるつもりはないんだ」

 それは過去に全ての意志を放棄してしまった自身への戒めだった。

 自分で考えて、自分で生きたい。それが、2年半クラウドが抱えてきた願いだったからだ。

「自らがその罪をすべて背負う……。それは神への冒涜、というよりはあなたの強さなのでしょうか。そういった考え方もあるのですね。ですが、それをみだりに公言しない方が良いですよ。この国ではブリミル教を信仰しない人は異端とみなされてしまいますから」

「覚えておこう」

 肩を竦めて返事をするクラウドにリュシーは優しくほほ笑んだ。

 

「それで、ミスタ・ストライフ。貴方一人でこんな所にいらっしゃって、わたくしに何の御用でしょうか」

「あんたがこの爆破事件の当初に犯行を疑われていたと聞いてな。その理由を直接聞いてみたいと思ったんだ」

 クラウドがタバサと別れてリュシーに会いに来たのは、あくまで個人的な判断だった。

 初めて会ったときに感じた違和感。その正体を探るためだった。

 

「わたくしを疑っておいでなのですか」

「それを判断するために来たんだ」

「本人を前に、ずいぶん率直にものを述べますね」

「裏で調べられるより、直接聞かれたほうがマシだろうと思ったんだがな」

 冗談めかして、クラウドが首を傾げた。リュシーはふ、と軽い笑みを溢す。

「そうですね、実際に気が楽です。いいでしょう、こちらへ、どうぞ」

 彼女はクラウドを礼拝堂の奥へ誘った。

 

・ ・ ・

 

「まず、既にご存じかと思いますが、わたくしは元から神官だったわけではありません。とある一件で貴族の名を無くし、出家したものにございます」

 場所を礼拝堂の奥にある小部屋へ移し、リュシーはそう話を切り出した。

「その一件、とは?」

「わたくしの父は、現ガリア王ジョゼフ侯の弟君、オルレアン殿下に仕えておりました」

 クラウドは記憶を探る。オルレアン。その名前はラグドリアン湖で聞いた。たしかタバサの過去の話の中で出てきた、彼女の失った名前ではなかっただろうか。

「ミスタ・ストライフはこの国の方ではないので、ご存じないかもしれませんね。前王が亡くなられたとき、この国では王族の間で激しい対立が起こったのです。結果王位を継いだのが今のジョゼフ王なのです。そしてその弟君であるオルレアン殿下はその最中に狩猟中の事故で亡くなっています。……はたして、それが本当に“事故”だったのかはわかりませんが、その後宮廷ではオルレアン派の貴族に粛清の嵐が吹き荒れました。そして……わたくしの父もその粛清に巻き込まれた一人だったのです」

 リュシーは目を伏せ、悲しげに語る。

「父が処刑された後、わたくしの一家は全ての財産を奪われ、家族は散り散りになりました。なにもかも嫌になったわたくしは、世に関わることが嫌になって出家しました。

ですから……その出自が原因で今回の事件において真っ先に疑われることになったのです。

何度も魔法をかけられ、嘘をついていないか調べられました。でも、わたくしはただ、静かに暮らしたい、ただの神官なのです」

 そこまで一息に話すと、彼女は疲れたように小さな溜息をついた。

 地位を奪われ、世を嘆いて出家した女性。リュシーの語る話に、少なくとも嘘は無いように思えた。彼女の話から、そのオルレアンという人物がおそらくはタバサの父親であり、かなり地位の高い人物であることがわかった。しかしリュシーはタバサがオルレアンの娘であることに気づいていないようだ。直接オルレアンを見ることの少ない、低い地位にある貴族だったのかもしれない。

「今回の事件は、新教徒が関わっているのではないかという話を耳にします。……信仰が違う、仕えている主君が違う。どうしてそれだけの違いで争いが起こるのでしょうね」

 

「それは違うな、根本はもっと別にある」

「……どういう意味でしょうか?」

 唐突なクラウドの言葉に、リュシーが反応する。

「俺の仲間にバレットという男がいる。そいつは知り合った頃、反体制派な活動をしていて、時に考え無しの行動をしても、自分を正当化して誤魔化していた。だが、そいつの本当の動機は綺麗なものではなかった。故郷を滅ぼされ、家族や仲間たちを殺された復讐こそが、そいつの本当の原動力だったんだ」

「表向きの理由と本音はまったく違う、ということですか?」

「人間の争いの根源はお互いの膨れ上がった“感情”なんだ。ただ、それはそのまま表に吐き出すにはあまりに醜すぎるから、自分を正当化することで隠し、誤魔化している……。だから、信仰や忠誠といった綺麗な言葉は、格好の言い訳になる。でも、結局は全て同じだ。やったら、やりかえす。その繰り返ししかない」

「信仰や忠誠ではなく、互いに憎しみあうからこそ争いになる。争っている人たちはそれに気づけないと?」

「憎しみだけじゃない。恐怖、欲望、怒り……様々な“感情”がきっかけになる。“感情”の発端は時に国の主だったり、民衆だったりもする。“感情”は人から人に拡大し、言葉に変換され、より複雑にされていく。それが大きくなると、“戦争”になる。そして、やがて人は争いの原因はなんだったのか、その当事者たちさえも、すっかりそれを忘れてしまうんだ」

「では、例えば、互いの“感情”と向き合うことができれば、争いは起こらないのでしょうか?」

 納得いかない様子のリュシーに、クラウドは首を振った。

「無理だろう。人は人でいる限り感情とは離れられない。例えば、あんたはこの国に対する“憎しみ”を、本当に捨て切れていると言えるか?」

 長い沈黙があった。リュシーは悲しげな表情でクラウドを見る。

 

「やはり、わたくしを疑っているのですね」

「そうは言っていない。ただ、人間は、自分の中に沢山のものをしまっている。沢山のものを忘れてしまえる。自分の本当の感情に気付かないで無意識のうちに行動してしまうことだってある」

「さっきから聞いていればまるで自分は関係ない、というような態度ですね。あなた自身はそんな感情に左右されないと言い切れるのですか?」

「それは……」

 リュシーのその言葉は図星だった。実際クラウドもバレットの行ったテロ活動に一部加担し、多くの人命を奪っているのだ。関係ないどころの話ではない。

 そして、その後は、さらに重い罪も。

 クラウドの表情にリュシーがはっとして言葉を返した。

「すみません……少し深入りしすぎたでしょうか」

「いや、いいんだ。その通りだ」

 クラウドは目を瞑る。

「……そうだな、多分俺は、そういった感情の連鎖に疲れてしまったんだと思う」

 クラウドだけでなく、クラウドのいた世界の人々も、あのライフストリームに浄化された大地を見た後はそう感じたのではないだろうか。地上に吹き出した生命の本流は、争い、野望、悲しみ、全てを押し流した。その後には、何もなかった。ただ、罪の意識だけがあった。

 バレットは現在「償いの旅」と称して世界のあちこちで人々の手助けをしている。

 短絡的な思考に走りがちなのがあの男の短所ではあるが、悪い奴ではないことをクラウドは良く知っているつもりだ。今頃はどこかで油田でも掘っているのではないだろうか。

「いろいろ済まなかったな。妙な話をしてしまった」

「いいんですよ。人の悩みを神に代わって聞くのが、わたくし達神官の仕事ですから。でも、なんだかわたくしの方が説法を聞いた気分でした。可笑しいですね」

 リュシーが力なくほほ笑む。

 窓の外はいつの間にかすっかり夜になっていた。

 それを見て、潮時だろう、とクラウドは立ち上がった。

 

「そろそろ戻る。いい加減にしないとタバサに文句を言われそうだからな」

「あの騎士様ですか。本当に仲がよろしいのですね。わたくしにはあなた方が、貴族と従者、と言うよりは本物の兄妹の様に見えました。お二人はどういった関係でお知り合いになられたのですか?」

「いろいろだ。連れて行ってくれと頼んだのは俺の方だけどな」

 寺院を後にしようと部屋の扉まで歩いたところで、ふと、クラウドは立ち止まって振り返る。

 

「そう、もう一つ、聞きたいことがあった」

「なんでしょうか?」

「あんたは“悪魔”がいると思うか?」

「それは、一体どういう意味でしょうか?」

「別に意味はない。ただ、それが本当にいるかどうか、どう思っているかを教えてほしい」

「……見たことはございません。ですが、何処にいるかは知っています」

 短い間の後、リュシーは目を伏せて、自分の胸に手を置いた。

「ここに、心の中に、悪魔はいるのです。先程の話もありますが、人は時に心の中に知らず知らず邪悪なものを生み出してしまうことがあります。わたくしはそれを乗り越える為、こうして神官となり、神を信じることにしたのです」

 彼女は顎を上げると、真正面からクラウドを見た。

「ミスタ。ストライフ。あなたはわたくしの中に“悪魔”がいるとお考えですか?」

 どこまでも清廉潔白な眼差しが見つめてくる。

 

――ジッ

 また、ノイズ。

 

 彼女の瞳を見た途端、どこか頭の奥で鋭い痛みを感じた。

 その痛みが、クラウドに何かが違う、と指摘している。

 それを表に出さず、クラウドは首を振った。

「それは俺が判断することじゃない。ただ、個人的な意見を言うのであれば、少なくとも、俺は“あんたが”犯人だとは思っていないよ」

 そう言ってクラウドは寺院を後にした。

 

 ・ ・ ・

 

「彼女は、黒だ」

 オルレアン号の船室に帰って早々、クラウドはタバサにそう告げた。

「根拠は?」

「無い、勘だ」

 その瞬間、タバサは干し肉にパンどころか、クラウドの皿に載っていた食べ物を全て掻っ攫った。

「ごはん抜き」

「悪かったよ……」

 なめてんのか、という眼つきでもぐもぐ口を動かしながら睨むタバサに、クラウドは力なく言った。

「確かに、根拠はない。だけど、なんとなくだがわかったんだ。彼女は何かを隠している。いや、偽っているというべきか。最初に会ったときから何か違和感があったんだ」

「……」

 溜息をひとつ吐くと、タバサは杖を振った。すると、周囲の雑音が消える。

 周囲の音を遮断する『サイレント』の呪文である。

 ついで『ディテクト・マジック』で周囲を調べ、盗み聞きされていないことを確認すると、タバサは口を開いた。

 

「彼女が怪しいということはわかっている」

 その言葉に、逆にクラウドが驚いた。

「タバサも疑っていたのか」

「私も同じ。最初に会ったとき、彼女は『綺麗すぎる』と感じた。この混乱した艦隊の中に身を置いていながら、彼女の信仰に対する一途さは、迷いがなさ過ぎて、不自然に見えた。だから私はこれまで、彼女にいたる道筋を探していた」

 堂にいったタバサの観察眼に感心するクラウドだったが、そこでん?と首を傾げた。

「それなら、どうして俺の食事を奪った」

「あれは、ノリ」

「………」

 悪びれる様子の無いタバサに、クラウドはがっくりと来た。

 まあ、彼女の意図を無視して勝手に動いてしまったのだから、結果的に悪いのは自分なのだろう。クラウドは食事の件はしかたなく諦めて、話の続きを促すことにした。

 

「それで、タバサの方は何かわかったのか?」

そう聞くと、タバサは擦り切れた皮の表紙の手帳を食卓の上に置いた。

「これは?」

「花壇騎士の手帳。頼んでもらってきた」

 手に取ってぱらぱらと捲ってみると、中は黒いインクでびっしりと文字が書き込まれていた。ところどころ、まだクラウドが読めない部分もあったが、どうやら軍艦の関係者への聞き取りの内容が書かれているようだ。

「彼は水兵、貴族に関わらず、様々な人間に話を聞いて回っていたらしい。そして、その証言から艦に火を点けたと思われる人間をある程度特定していた」

 

 内容をよく読めば、爆破を犯したと思われる水兵のリスト、さらにはその友人達の証言などがかなり詳細に書かれている。どうやら前任の花壇騎士は内偵向きの人間だったようだ。

 しかし、それだけではやはり以前から言われていた新教徒による犯行が疑いを強めるだけで、花壇騎士を倒すほどの実力を持った犯人の姿も、ましてやリュシーの姿などどこにも見えてこない。

 

「タバサはこれの、どこが気になったんだ」

「これを書いた人はとても優秀、しかも用心深い」

「?」

 首を傾げるクラウドから再び花壇騎士の手帳を預かると、タバサはそれをテーブルの上に置く。そしてびっしりと文字の書かれたページを広げると、自分の杖の先でトン、と軽く叩いた。

 すると、紙面上で変化が起こる、紙面にこびり付いた黒いインクが独りでに動き出したのだ。

 クラウドが驚きに目を広げる間に、紙面ではぐるぐるとインクが踊り、やがて今まで書かれていた文章とはまったく別の文を形作っていた。

「こんなこともできるのか……」

 タバサが言うにはこの魔法は水系統に属するものらしい。

「水の系統魔法の簡単な応用。貴族士官達もこの手帳を調べていたけど、この仕掛けには気づけなかった。あなたが以前言ったように、この世界の魔法は私たちの生活に様々な形で関わっている。でも、この世界に暮らしていてもそれに気づけない人は多い。だから時に盲点になってしまう。この花壇騎士はそれをよく理解していたと思う」

 貴族士官達が気付けなかったのは魔法とは威力や破壊に優れた物ほど優秀と考えるものが多いかったからかもしれない。だが、魔法とは見た目の派手さだけが全てなのではない。こうした秘匿の技術の中にこそ真の意味があるのかもしれない。クラウドはこの世界の魔法文明の深さの一端を思い知った気分になった。

「それより、見て」

 タバサに促される。

 花壇騎士の隠していた手記には次のようなことが書かれていた。

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 船上にて爆破犯が見つかったとの報を聞いた。

 駆け付けた時には、桟橋に倒れた水兵の周りを士官達が取り囲んでいた。

 どうやら自殺したらしい。残念ながら一足遅かった。

 

 男はサヴォア号所属の水兵だった。

 後に彼の友人らに話を聞いたところ、周囲からは真面目な印象の青年だったという。

 

 当日は火薬庫の当直歩哨だったそうで、明け方警備が緩む時間を狙って爆破を企てたようである。

 貴族士官達がなんとか捕えようとして失敗し、新教徒であることを大声で名乗り、頭を撃ち抜いたそうだ。おそらく、新教徒の仕業として処理されるのだろう。

 

 だが私はそのとき気付いたのだ。死んだ男の瞳に何か妙な光が残っていたことを。

 明らかに、魔力の光。

 水の系統を操る私は、その正体に思い当たった。

 

制約(ギアス)」の魔法である。

 水系統の魔法に長けていなければ扱えない、高度な魔法だ。

 これまで疑われてきた新教徒の平民や、単なる貴族の妾の子程度のメイジでは習得することすら難しい。これは、今一度捜査を洗いなおす必要がある。

 

 だが、この事実を公表することはできない。

 それは「制約」が禁術とされる魔法に該当することも一つだが、問題はその魔法の凶悪すぎる効果にある。

 公表すれば間違いなく、大きな混乱が起こるだろう。

 誰しも自分が自分の意思で行動していない、などという苦しみに悩まされたくはあるまい。

 今はこうして密かに手記に書き残しておくだけとする。

 

 「制約」が関わっているとなると、軍部の人間はもはや誰も信用できない。

 それが「制約」という魔法の性質だからである。

 ここからは私一人で行動することになるだろう。

 だが、もう手品のタネは知れた。

 犯人にはそう時間もかからずたどり着くことができるだろう。

 私は、王政府からの任務を忠実に遂行するだけだ。

 

 しかし、今回の事件、どうやら思ったよりも根が深そうだ――。

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

制約(ギアス)?」

「大昔に禁じられた水系統の魔法。端的に言えば対象を思うままに動かす傀儡にできる」

 タバサはその魔法の詳細を話す。

「術をかけた対象に任意の条件、実行する時間や場所を設定し、条件を満たした時に詠唱者が望む行動をとらせることができる。しかも制約(ギアス)が発動するまでその呪文にかかっているかどうかは術をかけられた本人にも気づくことはできない」

「知らない間に操られる……」

 クラウドは苦い顔になる。自分の意志とは無関係に、誰かに利用される恐怖。それを知っていたからだ。

 

――おまえは人形だ、クラウド

 

 記憶の底から湧き上がる男の言葉をクラウドはなんとか振り払った。

「今回の事件で、犯行を特定できなかったのは、この魔法が使われていたため。水兵や士官に密かに接触し、“制約”をかけ、彼らに火薬庫を爆破させていた」

「つまり、この魔法が犯人――リュシーが使った犯行の手口だと?」

「思い出して、彼女の仕事は艦隊付きの神官。そして、艦隊で働く人たちの声に耳を傾けること」

「告解か」

 タバサは頷いた。

「神へ、自らの罪を告白しにきた人たちに“制約”の魔法をかける。告解の内容が外に漏れることはないから秘密は完璧に守られる。そうして、ターゲットの艦隊で働く人間に艦隊爆破の犯行を実行させていたと考えれば……辻褄は合う。ここは推測でしか語れないけど、大きく間違ってはいないはず」

 クラウドはしばし考えた後、疑問を口にした。

 

「花壇騎士はこの事実を掴んでいた。それなのに、どうして返り討ちにあったんだ」

「そう、私もそこが気にかかる」

 タバサは頷いた後、続ける。

「この手帳に書かれているとおり、事件の犯人が“制約”の魔法を使っているとすれば、犯人は水メイジということになる。なのに、教会で見た花壇騎士は重度の火傷を負わされていた。そこが矛盾している」

「どうして?」

「この世界のメイジはどんなに鍛錬を重ねても、極められるのは一つの系統だけ。“制約”を扱えるほど水魔法に長けた犯人が、火か風のスクウェアクラスの魔法を扱うことはできない」

「複数犯の可能性は?」

「“制約”は誰にも知られないからこそ最も効果を発揮できる魔法、複数犯では、秘密が漏れてしまう可能性が高い。仮に、“制約”の魔法でスクウェアメイジを操っていたとしても、それだけ優秀な駒を花壇騎士と対決させてしまうのはリスクがありすぎる」

「それなら、一体どうやって?」

「そこで、引っ掛かってくるのが、『悪魔』という言葉」

 そう、それは意識の無い花壇騎士がうなされながら発した言葉だ。リュシーに聞いた時はあまり良い反応を得ることはできなかったが。

 

「確か、教会にいた水兵も同じことを言っていたな。“悪魔”か、心当たりがあるのか?」

 タバサは首を横に振った。

「水兵の話からゴーレムの可能性を考えたけど、それは土メイジの領域。ますます矛盾してしまう。今の所、私の知識の中に該当する手段はない」

 残念そうに語るタバサを見て、クラウドは考えた。

 彼女は幼いながら、この世界の魔法について、非常に多くの知識を持っている。その正確さは、短い付き合いながらも一緒に行動してきた中でクラウドはよく理解していたつもりだった。だから、彼女にもわからないことは、この世界においても未知の魔法である可能性はかなり高いということだ。そういう意味でもこれ以上のことを調べるのは難しいだろう。

 だが、そこで考えを逆転させる。

 自分なら、どうするだろう。元々このハルケギニアに属さないクラウドだからこそとれる手段というものがあるのではないだろうか。

 そこまで考えて、一つだけ、その方法を思いついた。

 

「あるかもしれないぞ。“悪魔”について知る方法が」

 顔を上げて、クラウドが言った。

 



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EXTRA-03

「何を見ているんだ?」

 夜。来賓室の壁をじっと見つめているタバサにクラウドは話しかけた。

 歴代の艦隊司令官の肖像画が並ぶ中、彼女の視線の先には一枚の肖像画がある。

 「シャルル・オルレアン」そう銘が打ってある。この艦の名前と同じだった。

 そこには凛々しい顔つきの男が描かれていた。鮮やかな短髪の青い髪に、同じく深い青の瞳の若い男。その顔の輪郭に、クラウドは目の前の少女との共通点を見出す。

 

「タバサの父親か?」

 そう尋ねると、タバサはこちらを見た。

「どうして、知っているの?」

「リュシーと話した時に、この国の事情を少し聞いた。それに、顔がよく似ている」

「そう……、父様はこの絵ほど難しい顔はしていなかったけど」

 そっと、彼女は絵画に描かれた父親の顔を撫でる。

「とても優しい人だった。私が魔法で何かできるようになると、いつも褒めてくれた。私は嬉しくなって覚えたての魔法をよく、父様と母様の前で披露していた」

 懐かしい過去をタバサは穏やかな口調で語る。きっと、その頃の日々は彼女にとって優しい日々だったに違いない。

「父の死後に、今の国王である叔父がこの艦隊旗艦の名を決めた。あの男がどうして、自分が殺した父の名前を使ったのかはわからない。……わかりたくもない」

 叔父の名を出した途端、彼女の表情は歪む。その顔は悲しみと憎しみが複雑に混合していた。

 クラウドは黙って、彼女の話に耳を傾けていた。

 

「あなたのお父さんは、どんな人だった?」

 タバサが話しかけてくる。

 クラウドは記憶を探ってみて、しかし首を振った。

「よく覚えていない。父さんは物心つく前には死んでしまったから。どんな人だったのか。家族のことで覚えているのは母さんのことだけだ。あの人は……いつも元気だった」

「今は、どうしているの」

「もう、いない。どちらも死んでしまった」

 母は、クラウドが最期に故郷に戻った数日後に死んでしまった。

 瞼を閉じて思い出すだけで、故郷のニブルヘイムを焼いた炎が浮かんでくる。

 あの元気な母は最期に何を思っていたのだろうか。

 それを知る術はもう失われている。

 

「私は……」

 タバサが自分の杖をぎゅっと握り締める。

「私は、自分が一体何のためにこの杖を振るうのだろうと考えるようになった。今までは、復讐のためだった。父を殺し、母の心を奪った叔父への復讐心だけが私を動かしている、そう思っていた。でもそれが最近、果たして正しいことなのか、わからない。あなたは以前、私が自分で道を選択したといった。だけど今はその選択肢に疑念を抱いている」

 タバサはじっとクラウドを見つめた。クラウドと同じ青の瞳が不安げに揺れている。

 

「私はあなたが羨ましい。知らない世界に放りだされて尚、あなたは冷静でいられる。大事な人を、大切な物を失ってなお、あなたは自分を見失っていない。

だから教えてほしい、答えてほしい。あなたは、何の為に戦っている?どうして、私と行動を共にしてくれるの?」

 溜め込んだ思いをすべて吐き出すように彼女は言った。それはもしかすると、クラウドと出会う以前から抱えていた 彼女の心の中の疑念も含まれているのかもしれない。

 クラウドは言葉を選びながら、しかし迷いはなく彼女の問いに答える。

 なぜならそれは、何千回と自身に問い続けてきたものだったからだ。

 

「自分のためだ。自分と、自分が大事にする誰か……何か……。そのために、俺は戦っている」

 

 

・ ・ ・

 

 

「すべての艦から火薬を降ろしてほしい」

 翌日の早朝。シャルル・オルレアン号の作戦会議室に集まった首脳陣に向かい、タバサはそう発言した。

「何を馬鹿なことを!今は準戦時だ。わしは陛下から、いつにおいても戦端に駆けつけられるよう命じられておるのだ。そんな真似はできん」

 総司令官のクラヴィル卿が真っ先に反対する。

「犠牲者が増える。これ以上、被害を拡大させるわけにはいかない。」

「戦になれば損害は否が応にも発生する。それに比べれば、水兵が何人犠牲になろうと問題はない!それよりも、もし船から火薬を降ろしたと同時に陛下から詔勅が発せられたら、このわしが責任を負わねばならんのだぞ!わしはな、戦に勝利するためにここにいるのだ!断じて、こんな姑息な犯罪でわしの地位が落とされるためではない!いいから、調査を進めろ!犯人を捕まえてみせろ!なんの為に北花壇騎士の貴様を呼んだと思っているんだ!」

 クラヴィル卿は口を荒げて激昂する。爆破事件が長引いているせいで艦隊の準備が大幅に遅れている。この男がそのことで焦っているのが見て取れた。水兵の命よりも己の保身が大事なのだろう。

 新羅の上層部にもそんな奴がいた、とクラウドは思い出す。治安維持部門統括の髭面。見た目ばかり立派で中身が小心の、笑い方が下品な奴だった。まあ、この男はあれよりはマシだと思いたいと、比較しながら考える。

 

「その前提が間違っているぞ。総司令官」

「なんだと?」

 いい加減うんざりしていたクラウドが冷や水を浴びせるように口を出した。

「責任?あるに決まっているだろう。既に15隻も戦艦が潰されているんだ。それ未然に防げず被害を拡大させた責任は間違いなく、ここにいるあんたたちにあるはずだ」

「傭兵風情が口を出すな!貴様に、我が艦隊の何がわかる」

「興味もないね。今大事なのは、この事態をいかに収束させるかだろう」

 立ち上がって抗議するクラヴィル卿の罵声を気にも留めず、クラウドは続ける。

「総司令官、考えを改めたほうがいい。被害の数から言えば、戦時に匹敵する損害が出ている筈だ。これ以上くだらない議論をしていても何も解決しない。戦に勝利するために、あんたはここにいるんだろう?だから“北花壇騎士(この子)”を呼んだんじゃないのか」

「ぬぅう……」

 顔をしかめて唸るクラヴィル卿に、艦隊参謀のリュジニャンが進言する。

「クラヴィル卿、既に我々には打開策がありません。艦隊全体の士気低下もこれ以上無視できませんし、ここは話を聞いてみても……」

「ええい、わかった!申してみよ。一体何をするつもりなのだ!?」

 ついに折れたクラヴィル卿を前に、タバサが再び発言する。

 

「全ての艦から火薬を降ろす。――ただし、この艦、『シャルル・オルレアン号』からは降ろさない」

 首脳陣一同の顔が蒼白になった。

「まさか、この艦を……」

「そう、おとりにする。この艦だからこそ、チャンスを作れば必ず狙ってくる」

 涼しい顔で告げるタバサに、クラヴィル卿は青ざめて反論した。

「馬鹿な!何を考えている!陛下の御召艦だぞ。もしも、この艦が破壊されるようなことがあったら――」

「――そんなことは絶対させない」

 凛とした迷いのない発言に、首脳陣たちは言葉を失った。

「すべての責任は私が負う。だから、艦隊から火薬を降ろして」

 

 ・ ・ ・ 

 

「ここまでは上手くいったな」

 桟橋から離れた煉瓦造りの保管庫の入り口で、艦隊に積み込まれていた火薬を運び込む作業を観察しながら、クラウドが言った。

「はたして犯人は――リュシーはのってくると思うか?」

「ここに来て最初の夜に話したこと、覚えている?話さなかった三つ目の勢力の話」

 海からの冬風が厳しく吹きつける中、タバサの表情はどこか儚げに見えた。

「あれは彼女のこと、そして、私と同じような動機を持つ人間のことを指していた。怒りで体を前に動かす、復讐者。彼女は王政府に家族を殺されている。捜査記録に書いてあった。あなたも知っているでしょう?」

「直接聞きに言ったからな。もっとも、彼女に復讐しようなんて気配はまったくなかったが」

 ただ、クラウドがそこに違和感を覚えているのも事実だ。もし、彼女が復讐者だとしたら彼女はどうやってその感情を抑え付けているのだろうか。

「彼女のやり方には見当がついている。復讐者は、目的を果たす機会が訪れたなら、どんな手段もいとわないもの。だから、かならず狙ってくる。あの『シャルル・オルレアン号』を」

 遠くに艦隊旗艦を眺め、タバサが言った。彼女は続けてクラウドの方を向く。

 

「だから問題は“悪魔”の方。あなたはそれを知る方法があると言った。そろそろ教えて」

「それか、実は考えはあるんだが、上手くいくかはわからないんだ」

「不確実な方法ということ?」

「出たとこ勝負、といった感じか」

 タバサが半眼でクラウドを睨んだ。

「あなたは結構、いい加減」

「友人の悪い所がうつったのかもしれないな」

 悪びれる様子もなく、クラウドは肩を竦める。

「まあ、それなら、また夕食をやるよ。今夜は何がいい?」

「……昨日あなたの料理をぜんぶ食べてしまった。悪いから、もういい」

「やっぱり、似ているな」

 ばつが悪そうに頬を赤くして、タバサは俯いた。

 

「ここにいましたか、探しましたよ」

 声が聞こえて振り返ると、ヴィレールがやって来るところだった。

「ああ、特位少佐。先程はありがとうございました」

 片足のブーツを上げてヴィレールがタバサに礼を述べる。

 何のことかと、ブーツを見ると千切れた靴紐を青い糸で刺繍されていた。

 タバサが直したらしい。

「どうかしたの?」

「ええ、そちらお付きの――クラウドさんに頼まれごとをしていまして」

「気になることがあったんだ」

 クラウドはそう言ってタバサに羊皮紙の束を渡す。それは最初の夜にクラウドが目を通していた、爆破された戦艦と被害者について記載されたリストだった。

「これがどうしたの?」

「教会で水兵が話していた“悪魔”を見たとかいう船。サヴォア号についてだ。このリストに目を通してみたんだが、他の爆破された艦とは違う点があったんだ」

「あの艦には火薬が積んでいなかったんです」

 ヴィレールが繋いだ言葉に、タバサは表情を鋭くした。

 

「調べなおしてみたところ、そちらのリストには記載されていますが、どうやらあの艦は上層部に報告せず密かに火薬を運ぶことを中止するように、水兵たちに指示させていたみたいなんです。そして、それを指示したのが――あの花壇騎士さまだったんですよ。まさか火薬が積まれていないのに爆破された船があったなんて想像だにしていませんでした。あの時、ほぼ同時にグロワール号も爆破されて、現場は酷く混乱していたので改めて調べなおすことも無かったんです」

「積んでいなかった?それなら、どうやってサヴォア号が破壊されたというの?」

「それを調べてもらったんだ。それでどうだった?」

 クラウドが続きを促す。

「あなたの言われたとおりでしたよ。爆破されたサヴォア号跡をディテクト・マジックで探査したところ、尋常ではない量の魔力が検知されました。……とても人間には扱えない規模です」

「……どういうこと?」

 タバサの疑問にクラウドが答える。

「花壇騎士は海上を漂っているところを発見されたと聞いた。たぶん、彼はサヴォア号の中にいたんだ。何をしようとしていたのかはわからないが、おそらく犯人をおびき出すためとか、その辺りだろう。しかし彼は瀕死の重傷を負わされた。そこで何かあったんだ」

「一体何がどうなっているのでしょう。……あの水兵の話の通り、この艦隊には本当に“悪魔”が潜んでいるのでしょうか。それとも、我々貴族仕官の中に犯人が……」

「大丈夫だ。あんた達の中に犯人はいない」

 不安げな表情をするヴィレールにクラウドが言った。

 彼はその言葉を信用して良いのか確かめるように、タバサの顔を見る。

「事件は必ず解決させる」

 タバサのはっきりとした口調を聞いて、ヴィレールは口を結んで姿勢を正し敬礼した。

「信じます。あなた方に出会えて良かった」

 

 ・ ・ ・ 

 

「もし、リュシーが何らかの方法でその“悪魔”とやらを操っているとしたら、その正体を見極めない限り、俺たちも彼の二の舞になる」

 ヴィレールがいなくなった後、クラウドが歩きながら言った。

 タバサは頷く。確かに深刻な問題だ。自分たちが彼女の尻尾を掴もうとしていることが知れたら、何かを仕掛けてくる可能性は非常に高い。なんらかの打開策が必要だった。少なくとも、“悪魔”の正体は絶対に掴まなければならない。

「でも、それを知る方法がない」

「だから、聞きにいくんだ。目撃した人間に直接な」

 

 ・ ・ ・ 

 

 二人が向かったのは、あの花壇騎士のいる教会だった。

 周りにいた貴族士官や治療の為にいた水メイジたちをタバサの北花壇騎士としての特権で退室させると、二人は病室に入った。

 微かに聞こえる、苦しそうな声。

 全身に包帯を巻かれた、死にかけの男がそこにいた。

 ただ生かされているだけのその男は、ベッドの上に横たわっている。

 

「悪いな……」

 クラウドは男に近づき、顔の包帯を解いた。

 焼け爛れた顔が現れ、その痛ましさに、横でタバサが僅かに顔を顰めるのが見える。

 

 果たして上手くいくか。

 クラウドは呼吸を整え、覚悟を決める。

 そして、男の暗い瞳の中を覗き込んだ。

 

――ジジッ――

 ノイズ。

 

 クラウドの瞳孔が大きく開いて縦に裂け、淡い、緑色を帯びた。

 発作が起きたように、体が激しく揺れる。

 何かが、頭の中へ一気に流れ込んでくる。

 

「クラウド!?」

 

 誰かが名前を呼ぶ。

 クラウド?クラウドとは、誰だ。

 そうだ、自分の名前。

 俺のことだ。

 自分を、見失ってはならない。

 流れ込んでくる、これは、俺のものではない。

 これは、記憶。花壇騎士の記憶だった。

 

 生まれてから。

 成長し。

 ガリア王家に仕え。

 騎士になった。

 彼の人生の記憶。

 

 此処ではない。

 知りたいのは一番最後、彼が最後に見た光景……。

 流れ込んでくる情報の波に耐えながら、懸命に探す

 そして、辿り着いた。

 

 

 船の中だった。

 遠くで悲鳴が聞こえる。

 狭い廊下。

 そこを歩いている。

 灼熱のような熱さだ。

 炎の中を睨み、杖を構える。

『来い!』

 彼が叫んだ。

 目の前の廊下が砕け。

 腕が飛び出してくる。

 そして、見た。

 その顔を見た。

 悪魔の顔を。

『こいつは……こいつが!』

 爪が襲いかかる。

 炎が目の前を覆う。

 強烈な、痛み

 

 

「ぐぅああああああああああああああ!!」

 誰かが、地面に倒れる。

「クラウド!!」

 誰かが、名前を呼ぶ。

 眼の前が明滅して、全力疾走した後のような疲労感を感じていた。

 ぼんやりとした視界に少女の顔が映った。

 彼女の名前は……、そう、タバサだ。

 幼いながら、優れた魔法を扱う少女。

 この世界、ハルケギニアに来て戸惑っていた自分を助けてくれた少女。

 クラウドの知っている、少女だ。

 己の手を見る。自分の手だ。他人ではない。

 この身体はすべて自分のもの。

 だから、あの痛みも、自分が感じた痛みではない。

「何を、したの?」

 タバサが心配そうな顔で話しかけてくる。

「この、花壇騎士の記憶を……覗いたんだ。この男の、最後の記憶をな」

「そんなことが……?本当に?」

「できるかどうか、自信はなかったが。どうやら、上手くいったみたいだな……」

 他人の記憶を読み取ったのはこれが初めてではない。

 過去に、クラウドはその力を無意識に使ったことがある。

 それは、理想の自分を演じる為だった。

 弱い己を隠し、幻想の中に逃げ込む為だった。

 だから、こうして、自らの意思でこの力を使うことは初めての経験だった。

 

「……」

 汗をぬぐい、激しく動悸する胸をクラウドはわしづかみにする。

 この躰に埋め込まれた、あの男の細胞。

 あの男を使役していた、怪物の肉体の一部。

 それが、もたらす力。

 記憶の転写能力。

 

――コピー、ナンバリング無し。役立たずの失敗作。

 

 いかれた科学者の狂った笑い声が、どこかで響いている。

 

 クラウドは目を瞑り、己の左腕に触れた。

 普段は黒いベールで隠しているそこには、ピンク色のリボンが巻かれている。

 共に戦った仲間たちとの絆。そして”彼女”を忘れないための戒め。

 それに触れて、ゆっくり、息を整える。

 

 大丈夫。

 そう……。

 俺はもう、大丈夫だ。

 そう言い聞かせて、クラウドは立ち上がる。

 

 眼の前には死にかけの男がいた。彼は今だ苦しみうなされ、悪夢の中から逃げられずにいる。

 もはや助けることは叶わない。だが少なくとも、彼の苦しみが全て無駄になることはなかった。

 そして彼の記憶から見た悪魔も、この世界の人間ではけっして正体を掴むことはできないものだった。

 そういう意味でも、クラウドがここに来た意味は確かにあったのだろう。

 

「”悪魔”の正体がわかったぞ」

 クラウドはそう口を開いた。

 

 ・ ・ ・ 

 

「沈みそうな船からは真っ先にネズミが逃げ出すって言うが、この場合それはうちの上層部の連中だったみたいだな。やつら、誰よりも早く陸に出て行きやがった」

 日が暮れた甲板で、警備当番の士官が手を白い息で温めながらぼやいた。

 彼が、上を見るとまた雪が降り始めている。この分では明日には積もるだろう。

 艦隊首脳陣は船から立ち去った後、『シャルル・オルレアン』号には厳戒体制が敷かれていた。貴族士官のメイジが二十人に、水兵百五十人という鉄壁の布陣である。

「しかし、厳重だよな。この艦をおとりにするのはいいが、ここまでやっちまったら連中姿を現さないんじゃないか。……正直、俺は未だにこの件の犯人は新教徒だと思ってるんだ。だって俺たち貴族士官はずっと一緒にこの艦隊で仕事してきたんだ。俺たちの中に犯人がいるわけない。そうだろ、ヴィレール?」

 同僚のヴィレールに同意を求めたが、答えは返ってこなかった。

 ヴィレールは顔を伏せて蹲っている。

 

「おい、どうした?気分悪いのか?」

 士官が駆け寄ろうとして、ふと気づく。

 なにやら、静かすぎる。次に周りを見て驚愕した。

 水兵たちが皆、倒れていた。全員眠らされている。

 さらに、シャルル・オルレアン号全体を白い霧が覆っていた。

 士官は勘付く。これはただの霧ではない。魔法により作られたものだ。

 

「おい、大変だ!ヴィレール!」

 異常を知らせるが、ヴィレールは突然立ち上がり士官に杖を向ける。

 ヴィレールの顔には何の表情も浮かんでいない。目には同僚に向けるとは思えない、冷たい光が帯びていた。士官は 信じられないという表情を浮かべる。

 士官は杖を出そうとして、しかし出来なかった。

 背後から首筋に強い衝撃を感じ、どう、と地面に倒れる。

 

「まさか……嘘だろ、ヴィレール」

「イル・ウォータル・スレイプ・クラウディ」

 気絶する寸前、最後に漏らした士官の呻きにもヴィレールは答えない。

 彼は伸ばした杖の先から霧を噴出させ、周囲がさらに白く染まらせた。

 その足が艦内へと向かう。目的地は当然、戦艦の中甲板――火薬庫だった。

 

 ・ ・ ・ 

 

 扉の下から白い霧が漏れ出てきた。

「来たぞ」

 火薬庫の中で、二人は待ち構えていた。

「霧を吸わないで」

 タバサが注意を促す。「スリーピング・クラウド」こういった狭い屋内で最も効果を発揮する眠りの呪文らしい。こんな戦艦の奥深くまで侵入してくるということはおそらくもう、シャルル・オルレアン全体に魔法が浸透しているに違いない。

 タバサが一歩前に出て、杖を振る。微かな風の流れがタバサとクラウドを囲い、白い霧は火薬庫内から雲散する。

 次にドン、という音。

 断続的に破壊音が響いたかと思えば、扉が魔法により蹴破られた。

 

 そこに立っていたのは見覚えのある顔、ヴィレール士官だった。しかし様子がおかしい。

 身体が弛緩したようにだらりと腕を肩ごと下げており、眼には光が点っていない。

 クラウドにはわかった。あれは人形の眼だ。

 己の意思がすべて消失した、操られるだけの道具の眼。クラウドが最も嫌悪する哀れな眼だった。

 ヴィレールは「制約」の魔法により操られているのだ。クラウドはタバサに話しかけた。

 

「ヴィレールに“制約”が掛けられていることを知っていたのか?」

「別に、彼だけじゃない」

 タバサはヴィレールの立っている扉の外を指した。すると彼の背後から別の影が現れる。

 一つ、二つ。それは四人にまで増えた。全員がヴィレールと同じ、貴族士官だった。

 皆一様の眼から光が失われ、魔力を滾らせた杖を手にぶら下げていた。

「爆破事件の長期化に加え、身内にかけられた疑いの眼に彼ら貴族士官たちは酷く疲れ切っていた。そして、自分の中だけでは解決できない悩みを――例えば、神官に告白したくなっても、おかしくはない」

「つまり、誰が操られていても不思議じゃなかったわけか」

 ヴィレールは事件の長期化で内部に疑心暗鬼が起きていると話していた。彼らは皆、その悩みを寺院に告白しに行った者たちなのだろう。

 暗示とはまさにそういった心の弱った人間に対して非常に通じやすい。

 長く緊張を強いられる状況にいた彼らに、「制約」の魔法はたやすく染み込んでいったに違いない。

 

「ウル・カーノ・イス・イーサ・ウインデ」

 ヴィレールがルーンを唱えると、真っ赤に燃える巨大な火球が出現し、こちらに向かってきた。「フレイム・ボール」の魔法だ。追跡してくるこの火球を前にして、狭い艦内では逃げる場所などどこにもない。

 しかし、タバサはあえてその火球を杖で受けた。火球は杖先で急停止し、さらに大きく、タバサを飲み込むほどに膨れ上がり、次の瞬間に渦を巻いて消失した。竜巻のように空気を回転させることで火球を分解させてしまったのだ。

 それを見て、まるで合図したかのように、後ろにいた他の士官たちが一斉に呪文を唱え始める。この人数で一度に魔法を使えばひとたまりもないと考えたのだろう。そんな思考が彼らに残っているのかは定かではないが。

 ――そこで、全員が部屋に入ったのを確認した瞬間、クラウドがマテリアを使った。

 

「『グラビデ』」

 ブゥンと、空間がねじ曲がるような低周波。

 見えない圧力が、彼らにとっては予想外であろう、上から襲い掛かった。

 真下の床が突然の負荷に耐えきれずに木板が叩き割れ、一瞬にして士官たちの姿が消失する。

 「じゅうりょく」のマテリアの初級魔法。広範囲にわたって重力を増加し敵を押しつぶす魔法である。

 

「やりすぎ」

 タバサがぼそっと呟いた。

「こんな狭い船の中で使う魔法ではなかったかな」

 床には『グラビデ』の力により、通路を遮断するほどの大きな穴ができていた。

 穴を覗くと、船の最下層に貴族士官たちが落ちていた。木片の瓦礫に紛れて倒れ伏しているその姿は、言い方が悪いが、まるで潰れた蛙のようだ。もちろん、加減はしたので生きてはいるだろう。

「もし、他にも“制約”を掛けられた奴がいたらどうする?」

「黒色火薬は私の“錬金”で変化させている。火薬樽の中身はただの木炭。当分は心配ない」

 タバサは『レビテーション』使って下層に下りていき、倒れているヴィレール士官の靴を確かめた。編み上げのブーツには青い糸で補修がされている。タバサが直したと言っていた靴だ。

 その編み糸は、よく見ると髪の毛の一部だった。私の髪の毛、とタバサは言う。

 彼女はポケットから粘土細工の小さな人形を取りだし、その背中に髪の毛を押し込んだ。

 次に簡単な魔法をいくつか唱えると、人形はぴょこんと起き上がり、独りでに歩き出す。

 

「このアルヴィーは、髪の毛の行った場所に向かってくれる。ついていけば、犯人の居場所がわかる」

 タバサがクラウドを見て頷いた。少し、緊張しているようにも見える。その理由がクラウドにはわかっていた。

 なぜなら、本番はここからだからだ。

 

 ・ ・ ・ 

 

 やはりと言うべきか、人形を追ってたどり着いた場所は艦隊付き神官の寺院だった。

 冬の夜。寺院は雪混じりの風が強く吹く中で周りの闇を吸い込むような不気味さと、しかしはっきりとした存在感を放っていた。

 二人は扉を開ける。冷たい鉄の音。

 中には誰もいない。

 礼拝堂は広く、寒々とした空気が流れている。燭台の蝋燭だけが怪しく灯っていた。

 薄暗くはなかった。むしろ、不自然なほどの明るさが室内に籠っている。

 その理由が、礼拝堂の中心に浮かんでいた。

 

 小さな、水晶ほどの大きさの球体。

 タバサが目を凝らしてそれを見る。

 紅く、発光している。

 血のような色。

 肌で感じる。

 凄まじい魔力を灯していることがわかる。

 その波長には、覚えがあった。

 

「あれは、マテリア?」

「そうだ」

 クラウドが頷いた。

 冬であるはずなのに、生暖かい風が吹いた。

 外側から、内側にかけて。燭台の蝋燭の火が、一斉に球体へと吸い込まれていく。

 まるで球体が、周囲の熱を掻き集めているかのようだ。

「マテリアにはいくつかの種類がある。回復や技術の向上などに用いられるものもあるが、そのほとんどが兵器――破壊を目的とした用途に使用されている。その中でも、特に強力無比とされているのがあのマテリアだ」

 

 突然、風が止んだ。

 球体が強く発光。

 血のように紅い液体が一滴、球体から垂れた。

 濾過され、凝縮されたものが染み出たように。

 その滴が地面に墜落すると、水面が波打つように魔法陣が出現し大きく展開した。

 

 次の瞬間、世界が一変した。

 

「……これは!?」

 そこには寺院も、サン・マロンの冬の寒さも、一片たりとも存在していなかった。

 石畳が消えて荒れた肌の大地が広がり、周りは地獄のような火炎に囲まれている。

 焦土の熱気がタバサに押し寄せてくる。汗が一気に噴出し、熱を帯びた空気に息が詰まる。その肌で感じる感覚が彼女に、これは幻想ではなく現実の光景であることを教えていた。

 

「“それ”はその強さ故に、現実世界ではほとんどその実力を発揮することはできない。だから代わりに、自らが作り出した異空間に引きずり込み、対象に確実な滅びをもたらす」

 タバサはクラウドを見た。その彼は、目前の炎の中を睨んでいた。

 

「俺が花壇騎士の記憶で見た“それ”は、本来ならこの世界――ハルケギニアにはあってはならない、俺の世界から来たものだった。花壇騎士が倒されても仕方ない。“こいつ”に対抗できる奴は俺のいた世界でも少ない。……せめてソルジャーと同等の実力がないと、単独では戦うのは不可能だ」

 

 炎獄の先に、大きな影があった。人のシルエットではない。もっと恐ろしい何か。

 悪魔が、そこにいた。

 

「俺たちはそれを“召喚獣”と呼んでいる」

 

 炎の中から、召喚獣イフリートが姿を現した。

 



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EXTRA-04

 召喚獣。

 それは術者によって呼び寄せられる、現実と幻想の狭間に存在する怪物たちの総称である。

 マテリアにより召喚される種類は様々であり、その用途も幾つか違いがあるが、彼らを呼び寄せた者が望む目的は基本的に一つだけだ。

 破壊、抹殺、殲滅、ただそれだけである。

 彼らを再び幻想の存在に還す方法は、二つしかない。

 一つは、破壊の対象が大人しく滅ぼされること。

 そしてもう一つは、召喚獣を打ち倒すことである。

 

 ・ ・ ・

 

 その姿は、まさに悪魔と呼ぶに相応しかった。

 人間の何倍も大きいその肉体が、全身から熱気を発し、力を漲らせた筋肉を纏っている。

 瞳孔があると思われる場所は空洞だった。その奥には何処までも深い闇が広がっている。

 額からは二本の巨大な角が生え、横に裂けた口からは鋭い牙を覗かせていた。

 

 地の底から沸くような恐ろしい唸り声で、それが叫んだ。

 

 

 ――――豪ッ――――!!!

 

 

 凄まじい熱が突風となって押し寄せる。

 タバサは、思わず腕で顔を庇う。息が詰まりそうな空間の熱に耐えながら、彼女はクラウドの言っていたこと理解していた。

 対象を異空間に引きずり込み、滅ぼす。

 ――異空間。この地獄の様な焦土の世界を作りだしているのが、あの怪物なのだ。

 おそらく花壇騎士はサヴォア号の戦艦丸ごと、この場所に引きずり込まれたのだ。

 そうであればサヴォア号に他の一人も生存者がいなかったことにも説明がつく。

 何もわからないままこの場所に放り込まれれば、魔法を使うことのできない水兵たち、そして魔法に長けた花壇騎士でさえ、まさに、成す術がなかっただろう。

 この怪物と相対するだけでこの有様なのだ。虫の息とはいえ花壇騎士が生還できたのは奇跡に等しい出来事だったに違いない。

 カチリ、と金属の枷が外れる音が聞こえた。

 横にいたクラウドが背中のホルダーから引き出した大剣を二刀に分裂させていた。

 初めて知った時はタバサも驚いたが、彼は六つの刃を組み合わせた特殊な大剣を扱うのだ。

 六つの大剣、そしてマテリアを組み合わせることで、あらゆる敵に対応できるようになっている。おそらくどんな戦況でも戦い抜けるように。

 

「あれを倒す以外、ここから抜け出す方法はない」

 彼は二刀を身体の両側面で構える。クラウドの語る事実に、タバサの動揺はない。

 花壇騎士や水兵たちと違い、事前にあの怪物の情報を聞いていた彼女には、戦う準備が整っていた。

「弱点は氷の魔法だ。覚えているな?」

「わかってる」

「手筈通りいくぞ、俺が隙を作る。タバサは氷の魔法で止めを刺すんだ」

 タバサは頷いた。

 

 クラウドが荒れた大地を蹴り上げ、走る。

 両の大剣を下段に構え加速した彼を、召喚獣が迎え撃った。

 巨大な腕を持ち上げ、炎の篭もった拳を振り抜く。

 クラウドは加速を落とさず、寸前で身体を捻り、避ける。そのまま召喚獣の足元に潜り込んだ。

 身体を低く沈め――、避けた反動を利用する。

 勢い良く、右の刃で怪物の足目掛けて斬りかかる。

 横薙ぎの一閃。だが、浅い。薄皮一枚、といったところ。

 召喚獣が後ろに大地を蹴り、攻撃を避けたのだ。

 怪物はそのまま距離を取り、大きく飛び上がる。そして追撃の及ばない空から、巨大な火球を連発して吐き出して見せた。

 一つ一つが戦艦の砲弾以上の大きさだ。確実に火メイジのスクウェアクラスを超える威力だろう。

 しかし、着弾点にクラウドはいない。溶岩が炸裂したような火球の爆発を置き去りに、彼は既に前方へと駆けている。

 クラウドが助走を付けて体を大きく捻った。

 

「リミット」

 彼が呟くと、全身から青白い炎のようなオーラが湧き上がる。

 リミット技。マテリアと、クラウドの身体に染み渡った魔力の源――魔晄と呼ぶらしい――その力を借りて解き放つ技だという。

 これを使うとしたら奥の手だ、と以前クラウドは言っていた。

 だから話に聞いてはいただけで、タバサも見るのは初めてだ。

 それだけこの怪物が手強いということか、と考える。

 

「“破晄撃”!」

 振り下ろした右の刃で一撃、次いで左の刃でもう一撃。視覚化できるほど強烈な斬撃の波が両の大剣から放たれた。

 空間を切り裂く波は、宙に浮かび身動きの取れない召喚獣に直撃する。

 一撃目がガードした左腕を大きく抉り、反動で翻った顔面に二撃目が当たる。空洞の瞳孔を掠め、片角を切断していた。

 

 怪物が墜落、地面に強く叩きつけられる。

 そのタイミングを狙って、タバサは魔法を解き放った。

「『ウインディ・アイシクル』!」

 風と水を掛け合わせた氷の矢の群れで襲い掛かる。

 だが、その矢は目前に来たところで召喚獣のかざした右手によってあっさり蒸発してしまった。

「ッ!?」

 怪物が即座の防御から、一転、大口を開けタバサに火球を放つ。

 攻撃が通じないことに驚き硬直した彼女は逃げ遅れるが、寸前でクラウドに抱かかえられて難を逃れた。

 

「読みが甘かったな」

 両の大剣を一旦背中のホルダーに収めたクラウドがタバサを抱え、面白そうに言う。

「話が違う。攻撃が通じない」

 むっとして言い返してしまう。本当はまず感謝するべきだったのに。それが出来なかったのは今の、この状態のせいだ。冷静さを取り繕ってはいたが、彼に両腕で抱えられたこの格好はなんだか恥ずかしい。

「そう簡単な相手じゃない。もう少しダメージを与えなきゃダメだ」

 

 ぶちぶち、と嫌な音。召喚獣が己の左腕を切断していた。

 クラウドに傷を負わされた腕を使い物にならないと判断し、自ら切り離したのだろう。

 召喚獣の咆哮が周囲を貫く。直後に、呼応するように火柱が複数立ち上がり、異空間の炎が一箇所に――怪物の下に集まり始める。

 

「“地獄の火炎”あの召喚獣の切り札だ」

 増幅していく魔力と、何より肌で感じる急激な熱量の上昇に、タバサの中で不安が広がる。

 本当にあんな怪物相手に私の魔法が通じるのだろうか。

 未知の敵相手では私の力など、まるで歯が立たないのではないか、そんな考えが離れない。

 

「『ウォール』」

 タバサを降ろしたクラウドが魔法を使った。淡い緑色の膜が二人を覆う。

 『バリア』のマテリアの上級魔法。魔法、打撃に関わらずあらゆる衝撃を和らげる防御の魔法だ。

 

「最悪これで防げるだろう。まともに喰らえばひとたまりもないが、これを凌げば攻撃のチャンスはある」

 クラウドがタバサを見詰める。この灼熱地獄の中で何処までも清涼な空気を保ったままの瞳。彼女を信頼している眼だった。それを見て、タバサは自分の気持ちが落ち着いていくのがわかった。

 

「頼んだぞ」

 クラウドの跳躍と同時に、怪物が地面を踏み込んだ。その衝撃で大地が割れ、裂け目から勢いよく炎が噴出す。その火炎を全て纏い、怪物――召喚獣イフリートは文字通り炎の化身となった。

 召喚獣が右腕を振り下ろすと、爪跡のように奔る炎がクラウド目掛けて襲いかかる。それをかろうじて避けると、炎を纏い突進して来た召喚獣と衝突した。

 空間ごと押し寄せる爆炎にクラウドが飲み込まれる。

「クラウド!」

 タバサが叫ぶ刹那、青白いオーラを纏ったクラウドが火炎を切り裂いて飛び出した。

 

「おおおおおおおお!」

 召喚獣の拳を躱す。

 重力と遠心力で自らが刃と化したかのように身体を回転させ、両手の大剣を加速させる。

 召喚獣の手首、肘関節、腕の付け根、首筋、胴、膝、足首。

 刃の通りやすい肉体の稼動部を一瞬の間に切り刻んだ。

 軸を痛め付けられたその巨体が、力なく膝をつく。

 

「今だ!」

 合図とともに、タバサは渾身の魔力を放った。

 

『“ジャベリン”!』

 

 巨大な氷柱が召喚獣の顔面を貫いた。

 怪物が顔を右手で覆い、苦痛の悲鳴を上げる。

 貫かれた箇所から淡い緑の閃光が迸る。召喚獣の中に蓄えられた魔力が外部に放出しているのだ。

 

――畳み掛ける!

タバサは続けてルーンを唱える。

 

「ウインディ・アイシクル!!」

 彼女が作り出した氷の矢の群れが全身を串刺しにする。

 断末魔を上げた召喚獣は、そのまま炎を巻き上げて爆散し、消滅した。

 

「よくやったな」

 いつの間にか傍に来ていたクラウドがタバサに言った。

 その言葉が、今の彼女には何よりも嬉しかった。

 

 ・ ・ ・ 

 

 召喚獣が消滅すると異空間は影のように揺らめいて消え去った。

 熱に湿った肌が急激に冷えていく感覚が、タバサの身体に伝わってくる。冬の寒さだ。

 辺りには、寺院の礼拝堂が戻って来ていた。元の場所へと帰ってきたのだ。

 からん、と軽い音を立て、魔力を失った赤いマテリアが地面に転がった。クラウドがそれを屈んで拾う。

 

「さすがですね。あなた方ならあれを倒すと思っていました」

 礼拝堂の奥から女の声が聞こえた。現れたのはリュシーだった。

 しかし、昼間と雰囲気が全く違う。

 束ねた髪を下ろした彼女に、あの穏やかだった表情はなく、刺すような鋭く冷たい視線をこちらに向けている。

 全身から憎悪を放っている、そんな印象を受ける。まるで別人だった。

 

「やはり、あんただったんだな」

 クラウドの言葉に動じた様子もなく、リュシーは落ち着いて返事を返した。

「いつから、お二人は疑われていたのですか?」

「初めて会った時からだ」

「あなたは、綺麗すぎた」

「成程……」

 二人の発言にリュシーは目を閉じて首を振り、溜息を吐いた。

 

「あんたと会話した時、俺はいつも妙な違和感を覚えていた。何かが一致していないという感覚。最初は勘違いかと思った。でもそうじゃない、俺は無意識にわかっていたんだ。あんたが別人に成りすましていることを。そして、今ここで会ってはっきりした。あんたは自分を偽っていたんだな。その『制約』の魔法を使って」

 クラウドは他人の記憶を覗くことができるという。その力があったからこそ、花壇騎士の記憶から悪魔の正体を突き止め、こうしてリュシーの前に立つことができた。だが、彼が実際にその能力を使ったのは花壇騎士の記憶を見たときだけのはずだ。それなのに、クラウドはその前からリュシーが怪しいと気づいていた節がある。北花壇騎士として長年培ってきた観察眼で気づいたタバサとは違い、この世界にきて間もないクラウドがなぜ、彼女を疑うことができたのか。

 おそらく、彼の能力が無意識にリュシーが犯人であると訴えていたのではないだろうか。

 クラウドの問いに、リュシーは静かに頷いた。

 

「そうです。鏡に映った自分に向けて、わたくしは『制約』の魔法を使いました。自分自身に何重も……。そうすることで己さえ偽り、捜査の目から逃れてきたのです。ですが、皮肉ですね。その偽りの仮面が結果的にわたくしを追い詰めることになってしまうなんて」

「花壇騎士をやったのも貴方の仕業だった」

「あの方にはわたくしの正体がばれかけていました」

 感情の揺らぎを見せないまま、リュシーは語る。

 

「いつ気がついたのかわかりませんが、騎士様はわたくしをずっと監視していました。彼がわたくしを疑っているのは間違いなくて……。だから目的を果たすために、どうしてもあの方を排除する必要があったのです」

「それで召喚獣を使ったのか」

「あれは召喚獣というのですね。そうです。騎士様はわたくしが尻尾を出す機会を探っていたので、自らサヴォア号に乗り込み、騎士様をおびき寄せました。そしてそこで“召喚獣”を呼び寄せたのです。呼び寄せた後で、わたくしは海に飛び込みました。あの時は同時にグロワール号も操った貴族士官を使って爆破しましたからね。混乱に乗じてその魔石を回収し、そして寺院に戻ったわたくしのことを気に留める人間は、誰一人としていませんでした」

 

「どうやって、こいつを手に入れた」

 召喚獣を呼んだ赤いマテリアをかざし、クラウドは問い詰める。

「ここへ来る道中、ラグドリアン湖に立ち寄ったときに拾いました」

 またラグドリアンか、とクラウドが舌打ちするのが聞こえた。

「これを使ったのは三回目です。ひとつが今、もう一つがサヴォア号、そして一番最初は拾った時です。とても強力な魔力を感じ取り、まるで導かれるように拾いました。そのとき亜人に襲われてとっさに使ったのがきっかけで、それの扱い方を知りました。ひょっとするとわたくしの復讐に使えるかも知れない、そう思ったのです」

「復讐……」

「ええ、そうです。復讐です」

 リュシーは嗤う。寒気がするような静かな笑みだった。

 

「今回の事件を起こした動機など、もはや言うまでもないでしょう。オルレアン侯爵側の貴族だった、ただそれだけの理由で父を殺し、家族を、地位を、わたくしの全てを奪った王政府の復讐……。わたくしは聖職者となった後もひたすらにその機会を伺っていました。そして今回、艦隊付きの神官を任されたことで、今こそ復讐の時であると考えたのです」

「その為に、15隻もの戦艦を、これだけ多くの人間を巻き込んだの?」

「他に何の理由があるというのです。シャルロット様」

 タバサの表情が凍りついた。リュシーはタバサが何者なのか気づいているのだ。

 

「わたくしにはそれだけのことを行う必要があった。その為なら、多少の犠牲など関係があるでしょうか。シャルロット様……、タバサなどと名を偽り、そうして王政府に従っているのも、お父上であるオルレアン侯爵の仇を討つためなのでしょう?わたくし以上の復讐心を胸に秘めたあなたなら、わたくしの気持ちがわかってくださると思ったのですが」

「一緒にしないで。私はあなたとは違う。私は自分の目的に他人を巻き込むつもりはない」

「それは考えが甘いのですよ、シャルロット様。何も犠牲にせず成し遂げられることなどありません。

人は誰でも知らず知らず、他人を犠牲にして生きています。生きているだけで他の誰かを侵害するのです。なら、わたくしが目的の為に多少の人命を奪うことに、何の不自然があるのでしょうか」

「あなたにとっては多少であっても、その人にはそれが人生の全て。勝手に他人が奪っていい理屈なんてない。あなたが行ったことは、例えどんな言い訳をしてもけっして許されることではない」

「……お優しいのですね、シャルロット様は。本当に、復讐者になるには甘すぎるくらいです」

「それは、あんたにも言えることなんじゃないか」

 クラウドが挟んだ言葉にリュシーはわずかに眉を寄せた。

 

「どういう意味でしょう、ミスタ・ストライフ」

「さっきからずっと気になっていた。こいつの使い方についてだ」

 そう言って、召喚マテリアを再び見せる。

「あんたは、何故このマテリアを積極的に使わなかった」

「それは……」初めて、彼女の表情が微かに曇った。

「このマテリアは、どんなものでも破壊しつくす強大な兵器だ。その気になりさえすればあんたの破壊する目的だったシャルル・オルレアン号も……いや、この“両用艦隊”そのものさえを焼き尽すことができたはずなんだ。あんたはこのマテリアの本質を知って使っていたはずなのに、どうしてそれをしなかったんだ」

 そうだ、とタバサも思い当たる。わざわざ用意周到に“制約”の魔法で平民や貴族士官を操って破壊工作などせずとも、最初から召喚マテリアを使えば、彼女はたやすく自分の復讐を達成できたはずなのだ。彼女が手段を選ばず破壊活動を行っていたとすれば、それは大きな矛盾だった。

 

「……それは、わかりません。それを実行しようとは考えました。でも……できなかったんです」

「できなかった?」

「別にこの艦隊に働く方々に温情が芽生えたということではありません。ただ、いざシャルル・オルレアン号を破壊しようと思った時になって、わたくしの脳裏には、生前の父の顔が浮かんだのです」

 リュシーは溜息をつくと、しばらく間を置いて応えた。

 

「わたくしの父は忠義に厚い人間でした。オルレアン公に仕えていることを、何よりも誇りに感じていると、よく話していました。そのせいで、あっさり捕まって処刑されてしまったわけですがね。顔もほとんど見たことがない人間にどうしてそこまで忠を尽くせたのか、今となってはまったくわかりませんが、……そんな父をわたくしは尊敬していたのだと思います。だから例え、オルレアン公の名を冠しただけの戦艦であっても、それを破壊することに若干の迷いがあったのかもしれません」

「それが、あんたを踏み留めた理由だった?」

「いいえ、それだけならきっとわたくしの中の憎しみが勝って実行していたでしょう。本当の理由はその魔石を手に入れてしまったことにあります」

「どういうこと?」

「怖くなったのですよ。自分のことが」

 彼女は自嘲するように言った。

 

「わたくしはその魔石を手に入れたとき、それが扱い次第で一国を滅ぼすことができるだけの力を秘めていることを知りました。亜人の大群を焼き払った時、花壇騎士様丸ごとサヴォア号を消滅させた時、わたくしがどう感じたと思いますか?嬉しかったんですよ。歓喜していたんです。 わたくしは“制約”の魔法を操り、自分の感情を完璧に支配していたつもりでいました。自分のことを何もかも知り尽くしたつもりでいました。だから、わたくしの知らない自分が己の中にいるのだと気づいたとき……それが、怖くて仕方なかった」

 リュシーはゆっくりと祭壇に登っていく。

 

「わたくしは一体何を恨んでいたのでしょうね。王家への憎しみか、それとも何もできなかった自分への後悔だったのか……もはやそれがわからなくなってしまいました。クラウドさん、結局はあなたの言ったとおりです。わたくしは自身の押さえ切れない”感情”にただ支配されていただけなのです。悪魔はわたくしの中にいたのです。そしてそれはわたくしの意思とは切り離され、自分では止めることができなくなっていました。だから……きっと誰かに自分のことを止めて欲しかったのだと思います」

 いつの間にか、彼女の手には銃が握られていた。彼女はゆっくりと腕を持ち上げる。

「一つだけ、忠告をしておきます。シャルロット様、あなたにわたくし程の憎しみがないというのなら、悪いことは言いません、ここで辞めることが賢明です。復讐とは一生を投げ出してなお、その魂が報われることはないのですから」

 

 彼女は手に持っていた銃を頭の横で構えた。かちり、と引き金を引く音がする。

「よせ」

 クラウドが、制止の声を上げ、タバサの前を手で遮ろうとする。だがタバサは構わず、じっとリュシーを見つめた。

 

「そう、そのほうが良いでしょう。目をそむけてはいけないこともあります。あなた方に出会えたことは、始祖がわたくしに与えた最期の慈悲だったのでしょう」

 リュシーは微笑んだ。

 

「わたくしを止めてくださって、ありがとうございます」

 

 寺院の中に銃声が響く、

 そして後には、沈黙だけが残った。

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 

 

 

 出航を告げる鐘が、サン・マロンの晴れた空に響いている。

 一つ、また一つと、風石の力によって戦艦が浮かび上がり、ガリアの空に昇っていく。

 事件が解決して程なくして、ガリア王政府より出撃の詔勅が出されたのだ。

 両用艦隊は大急ぎで再び火薬を積み直し、準備の終わった艦から順次飛び立つことになった。

 

 タバサとクラウドはその光景を軍港から離れた小高い丘の上から見送った。

 そこは異端を働いたものたちが眠る共同墓地だ。リュシーの遺体はこの場所に葬られている。雪に埋もれた土の上に石が置かれただけの、名も無き墓。知らなければ誰がここに埋まっているのかもわからない、寂しい場所だった。

 空に飛び上がる艦の中に「シャルル・オルレアン号」があった。

 そのマストの上から、こちらに手を振る人の姿が見える。ヴィレール士官だ。“制約”の魔法の支配下から解放された彼は晴れやかな笑顔を見せている。

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

「今朝方、花壇騎士様が息を引き取られました。水メイジの話によると、安らかな最後だったそうです」

 出航の準備に慌しい中を、わざわざ二人に会いにきてくれたヴィレールはそう話した。

「事件が解決したことは花壇騎士さまだけでなく、今回の件で犠牲になった仲間たちへの手向けとなりました。我々貴族士官も疑いが晴れて安心しています。ありがとうございます。全部、あなた方のお陰です」

 しかし、次に彼は眉間に皺をよせて、なにやら複雑そうな表情になる。

「今回の事件では何だか、色々なことがうやむやになってしまった気がします。シスター・リュシーが犯人だったことは判明しましたが、結局“悪魔”については何もわからないままです。ひょっとすると、まだ“悪魔”はこの艦隊に潜んでいるんじゃないかって思ってしまうんです」

 

「安心していい、悪魔なんて存在しない」

「そう信じたいですね。悪い夢を覚えたままでは、目覚めも悪いですから」

 

 タバサの言葉を聞いて、彼は笑顔でそう言っていた。

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

「こんなものまで、こちらに来ていたとはな」

 クラウドは指を空にかざした。その手に持っているのは、あの赤いマテリア。

 マテリアと、それが呼び出す召喚獣のことは艦隊の人間たちには秘密にすることになった。

 異世界から持ち込まれたものが今回の事件に関わったことを公にするのは、好ましくないだろう。

 召喚獣を内に秘めたその魔石は、今は力を失い、太陽の光に透けて見えている。

 

「それをどうするの」

「………」

 

 クラウドは黙ったまま、地面にマテリアを落とすと、大剣で力強く突き刺す。

 その一撃に召喚マテリアは真っ二つに叩き割れ、僅かに灯していた魔力の反応も失われる。

 

「いいの?」

 驚いてタバサが聞いた。

「持っていても使い余すだけだ。だったら壊してしまったほうがいい。必要ないしな。俺にも、そしてこの世界にも」

 その言葉に、タバサはクラウドの行動を理解する。

 あれは、最初から沢山の生命を殺す目的で作られたものだった。使用者が扱いを誤れば、国はおろか、世界さえも滅ぼしうるだけの力を備えている。

 そんなもの、存在しないほうが良いに決まっている。

 

――大きすぎる力は身を滅ぼす――

 いつか、クラウドが言っていたことだ。召喚マテリアがこの世界――ハルケギニアには無いほうが良いという彼の考えは、間違っていない。

 しかし、タバサが本当に驚いていたのはクラウドの意思の強さだった。

 どうして彼は自身も高い実力を持ちながら、その力に惑わされずにいられるのだろうか?

 彼の強さは、己を律する理性や、また、誇りとはまた別の観点から導き出されたもののように思える。

 

 クラウドは、彼は、どんな経験を経て、今の“彼”になったのだろう?

 タバサはそれが知りたかった。

 

 ぼんやりと、戦艦が飛び立っていく空を眺める。

 これから戦場に向かうあの戦艦の群れは、どれだけの憎しみを生むのだろうか。

 どれだけの復讐を作るのだろう。

 自分のような人間を……。

 

 私は今でも、復讐のために生きている。

 それは今もタバサの中で息づく感情そのものであるし、生きる指針でもある。

 けれど、リュシーの最後を見てしまった後では、考えてしまう。

 彼女はあまりにも多くのものを憎んでしまったため、自分のことがわからなくなったと言った。

 私も、彼女のようになってしまうのだろうか?このままでは、彼女と同じように目的さえ見失い、哀れな最後をむかえるのかもしれない。そう考えると怖くなる。

 

 クラウドはどう考えているのだろう。リュシーの復讐を、タバサの復讐について。

彼は自分のために戦っていると言った。彼はタバサの目的が復讐であることを知りながら、それを咎めるようなことを一度もしなかった。だからこそ、クラウドの考えを聞いてみたかった。

 しかし、そんなタバサの考えを見透かしたように、クラウドは言った。

 

「止めてほしいのか?」

 彼の言葉が冷たく響く。水面に写る青い空のような瞳で、クラウドは逆に尋ねてくる。

「私は……」

 私は、どうしたいのだろう。その答えが見つからない。だから口を開くことができない。いや、違う。始めから彼女の中に答えなど存在していないのだ。タバサはクラウドの眼を見ることができずに俯いてしまう。

 そこで、上方からふ、と息を抜く音が聞こえた。

「少し、意地の悪い言い方をした。悪かった」

 ポンと、クラウドがタバサの頭に手を置いた。不器用な手でぎこちなく、彼女の青い髪を撫でる。タバサは顔が熱くなるのを感じていた。子供扱いされることは、あまり良い気分ではない。それでも、悪い気持ちでもなかった。彼に触れられるたびに感じるこのくすぐったいような感覚は何なのだろう?

 

 自分のことなのに、わからない。

 でも……本当の自分を知っている人間がどれだけいるというのだろう。

 本当の自分と向き合える人間が、一体どれだけいるというのだろうか。

 

「俺は誰かに人生を説けるほどできた人間じゃない。何をすべきかなんて偉そうに述べることもできない。だから、これから語るのは、俺が自分の経験から得たことだ」

 クラウドは背中のホルダーから大剣を取り出し、額の前で掲げた。

 

「かつて、俺は一人の男を殺すために旅をした。文字通り、地の果てまで追いかけて旅をした。

なぜなら、そいつは俺の大事なものをたくさん奪っていった奴だったからだ。

その男は俺から故郷を、母さんを、友人を、そして大切な人を奪った。……だから、決して、許せなかった。

けれど、その旅は、俺に別のものも与えた。旅路の途中で様々な人間に出会うことで、俺に本当の自分のことを知る機会を与えたくれた。

 そして……これは旅が終わった後で感じたことだったが、俺がその男を倒す本当の理由は、怒りや憎しみではなく、結局のところ自分のためでしかなかったことがわかったんだ」

「あなた自身のため?」

「そう……それが復讐だったといえば、その通りだろう。だけど俺は、あの男と決着を着けなければ、前に進むことが出来なかった。自分の運命を切り開くことが出来なかったんだ。

俺は自分が間違っていたとは思わない。だからといって、正当化することも出来ない。

だから……、お前の復讐が正しいかどうかもわからない。それは、タバサ、お前自身が決めるしかない」

「私自身が決める……」

「結論を急ぐ必要はないさ。けれど、いつか答えを問われる日は、必ず来る。だから、その時までに後悔しない答えを見つけておいた方がいい」

 

 クラウドが顔を上げ、空を見つめる。

 戦艦が港を離れ、遠くなっていく。

 クラウドの横顔を見ながらぼんやりと考える。

 いつか答えを問われる日。その時も彼はそばに居てくれるのだろうか。

 もしかすると彼は、タバサがその答えを手にするのを見たくて、それを見届けるために自分と行動を共にしているのかもしれない。

 そう、タバサは思うのだった。

 

 





11/29補足。
作中の時系列について

半年前:湖に異変が起こり始める
      ↓
四か月程前:作中のラグドリアン湖編
      ↓
タバサと軍港編
      ↓
アルビオン戦役終結
      ↓
      ↓(この間、タバサと一緒に他にも任務を受ける)
      ↓
プロローグ アニエスの湖調査。クラウドとタバサがトリスタニアに向かう。

執筆を始めた当初は見切り発車だったこともあり、今更ながら時系列に矛盾した記述に気づいたためpixivと双方訂正させていただきました。申し訳ございません。


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トリスタニア編
Chapter 07


寄せては返し、その繰り返し。

 

深緑の膨大な情報の波、それは私の精神の中へ、絶え間なく流れ込んでいく。

 

私は流れに身を任せ、その中から興味深いと感じる『知識』だけを拾い集め、観察する。

そうして情報を取捨選択していく中で、私はこの異なる世界の仕組みについて理解を深めていた。

 

こちらに住むヒト-単なる者達は自分たちの住む世界のことを「星」という概念に置き換えているようだ。

 

「星」とはすなわち、夜空の深淵に浮かぶあの光の粒子一つ一つと同義である。

「星」はひとつではなく、無限と呼べるほどの数が存在する。

 

つまり私の住むこちらの世界――単なる者達が「ハルケギニア」と呼ぶ場所も、夜空に浮かぶ「星」の一つなのだ。あの輝きのひとつひとつに生き物の住まう世界がある……それは今まで私が考えもしない概念だった。

 

そして今私が触れているこの深緑のエネルギーは「ライフストリーム」と呼ばれている。

これは死した生命達、そのエネルギーの集合体だったのだ。

 

「星」は生命を創りだす。その産み落とした命……それは成長し、なにかしらの知識を得て、死んでいく。

そしてその生命は死ぬとまた、自分を産み落とした『星』へと還るのだ。

「星」もまた、生きた生命の一つなのだろう。

 

なるほど効率良くできた仕組みであると、私は感心する。

肉体は大地に、魂は「星」に還る。命の循環、その繰り返し。そうして『星』は活力を持ち、より豊かに繁栄していく。

 

すべては循環している。

 

では、と私は考える。この仕組みはこの世界にだけ適用される体系なのだろうか。

夜空に浮かぶ星のひとつひとつに存在する世界はそれぞれ違う仕組みで成り立っているのか。

 

例えば、私のいた世界――ハルケギニアは一体どうだ。

そうあの偉大なる、大いなる意志。

ハルケギニアに古くから住まうもの達がそう呼ぶ、世界を構成する見えない力。

 

あれは、ライフストリームと同じものを指すのではないか。

そう考えれば、原理は違えど、世界は同じようにできているのかもしれない。

 

 

 

その時の私は気付いていなかった。

私が深緑の渦の中を観察している時、私自身もまた、何者かに見られていたこということに。

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 意識の底で何かが揺れているのを平賀才人は感じた。

 ぐらぐらとかすかに、体が振動をとらえている。

 なんだっけ、と才人はまだ覚醒しきっていない頭でぼんやりと考える。

 どこかで覚えている。この感覚、どこだったか……そう、地球にいたころに似た体験をした覚えがある。とても、恐ろしいものだったはずだ。

 そこまで考えて、背筋に寒気が走り、目をかっと見開く。

 思い出した。

 そう……これは、

 

「地震だ!」

 

 意識の覚醒と共にそれは一気に襲ってきた。

 がたん!と部屋の隅にあった本棚が倒れ、仕舞われていた本がばらばらに飛び出してきた。

 部屋全体が縦に激しく揺れている。

 

「うわっ!」

 才人は慌てる、ヤバイ、これはそうとうデカいんじゃないか!?

「なっなに!?なんなの?」

 隣で寝ていたルイズが慌てて起きた。

「ルイズ!じっとしてろ!」

「ちょっ、サイト、むぎゅ!」

 才人はルイズを抱き寄せ、ベッドの上で揺れが収まるのを待った。

 どこか別の部屋でガラスの割れる音が聞こえる。ガチャン!という重い鉄の音は廊下に飾られていた騎士の甲冑が倒れる音だろう。

 そして誰かの悲鳴、他の部屋の人間も揺れに気が付いたようで、慌てふためいた声があちこちから聞こえている。

 やがて揺れはゆっくりと静かになり、しばらくしてようやく収まった。

 

「止まった……」

 ルイズを抱きかかえたまま、才人は辺りを見回す。

 頭上ではまだ照明ランプの紐が大きく揺れているままだ。ルイズが普段使っている本や飾られていた調度品など、部屋の中のものがめちゃくちゃに飛び出してひどい有様である。

 廊下のほうも騒がしい。揺れが落ち着いてから様子を見に出た人がいるのだろう。

 バタバタとこちらにかけてくる慌てた足音が聞こえた。

 

「サ、サイトさん、今の!大丈夫ですか!?」

 部屋のドアを開けてシエスタが戻ってきた。いつも一緒に寝ているはずが見当たらないと思ったら、どうやら朝の支度のために先に起きていたようだ。

「ああ、俺もルイズも大丈夫。シエスタ、他の人たちは?」

「もう、みんな大騒ぎですよ。心配になって……」

 そこで突然シエスタが口を閉じた。目を大きく広げて驚いている。

 どうしたというのだろう、才人を見ているようだが、何か変わった点でもあるのだろうか?

 そういえば、さっきからルイズが大人しい。

 こういうとき、もっと大騒ぎしそうなのにと思って下を見ると……。

 

 桃色のブロンドの髪、透けたネグリジェ。柔らかい小さな塊が震えている。

 ルイズだった。彼女は才人にぴったりと密着している。ちょうど、才人の両足の間の付け根に。

 

「あ……」

 そう、必死になっていて気付かなかったが才人は抱き寄せたとき、ベッドにうつ伏せになるように自分に近づけたのだ。それはつまり才人の大事な所にルイズが密着することになったわけで……。

「サイトさん……いつの間にミス・ヴァリエールとそんな淫らな関係に……」

「ち、違う!誤解だ!俺はそんなつもりじゃ」

 慌てて才人が手を放すと、ルイズが無言で起き上がった。

「……」

「ル、ルイズ、お前からも何か言ってく――」

「サイト」

「は、はい!」

 ルイズは顔を真っ赤にしてベッドの上で立ち上がった。

 小ぶりの可愛らしい顔は真っ赤に染まり、目には涙を浮かべて震えている。

 手には杖、今にも爆発しそうな魔力が迸っていた。

 

 才人は悟る。ああ、ダメだこりゃ。

 

「こここここここのぉ、馬鹿犬ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅううううううううううううううううううううううううううううううう!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 室内にまばゆい閃光があふれ、才人はその中に吸い込まれた。

 

 

 ・ ・ ・ 

 

 

 トリステイン魔法学院、ここは魔法を始めメイジに必要とされる様々な教育を行う、貴族の子息たちの為に設立された学院である。

 外国からの留学生も受け入れ、数多くの優秀な人材を国内外に輩出している、トリステイン王国の建国以来続く由緒ある教育機関であった。

 

 その日、魔法学院中央塔にあるアルヴィーの食堂では、いつもより生徒同士のざわめきがいっそう盛んだった。

 内容はもちろん、今朝の地震に関連することだ。皆興奮して、今朝起きた地震に関する感想を述べ合っている。

 だからというべきなのか、朝食に出ているトーストよりもこんがりと焦げている才人とルイズが、並んで座っていても特に気にする者はいない。

 

「まったく……今朝はさんざんだったわよ、サイトのせいで」

「あのな、だから悪気があったわけじゃねーっていっただろ」

「だって!私をあ、あんな、ふ、ふにふにした、男の子のだ、大事な場所にぃい!!」

「わぁ、落ち着け、ここで爆発すんなよ!」

 

 杖を取り出して騒ぐルイズを慌ててなだめる。こんな光景はこの二人の間ではすっかり日常茶飯事だ。

 そんな才人のところに、同年代のキザそうな金髪の少年と、ぽっちゃりとした体系の少年の二人がやってきた。この 学院の生徒で才人とは身分を越えた友人である、ギーシュとマリコルヌである。

 

「やぁ、おはようサイト。君たちはこんな朝でも相変わらずだね」

「あんな騒ぎがあったのにイチャイチャできるなんて、どうかしてるよね」

 反対側の席に二人は座る。

「イ、イチャイチャなんてしてないわ!こいつが、私の、その、ふ、ふにゃ!」

「はいはい、もう勘弁してね。これ以上は僕にとっちゃあ、毒にしかならないよ」

 ルイズの反論をやれやれとマリコルヌが手を振って遮った。その顔はまるで悟りを開いた賢者のようである。

 

「しかし、驚いたな、こっちにも地震があるんだな」才人が話題を変える。

「まったくだ。僕も子供の頃に何回か経験したことはあるけれど、あんな大きいのは初めてだ。サイトのいたところでも地震があるのかい」

 ギーシュが聞く。

「しょっちゅうだったよ。日本は活断層の真下だから年中地震ばっかりだ。大きいのが来ると人がたくさん死ぬし」

「ふぅん、カツダンソウが何かしらないけど、ここではそんなに頻繁ではないよ、だからみんなこんな大騒ぎしてるわけだし、そういえばサイトってずっと東の国から召喚されたんだっけ?」

「そうだよ」

 マリコルヌの質問に才人は曖昧に頷いて、ルイズをちらりと覗いた。

 まだ顔が赤かったが、どうやら落ち着いたようで今は粛々と食事に手を付けている。

 

 そう……、才人はこの世界、ハルケギニアの人間ではない。この少女、ルイズ・フランソワーズ・ド・ラ・ヴァリエールに地球から召喚された使い魔なのだ。

 右も左もわからぬまま召喚されて、キスをされて、使い魔になって、それがガンダ―ルヴとかいう伝説の使い魔で、ルイズは伝説の虚無の魔法使いらしくて……。

 いろんな冒険をして、何度も衝突して、彼女のために七万人もの軍隊に一人で戦いを挑んで、離れ離れになって……、 そういった経験を積み重ねるうちに才人にとってルイズはとても大切な存在になっていた。

 今では二人ともこうして並んで食事をするくらいにまで仲良くなったわけで。

 ギーシュやマリコルヌといった気軽に話せる友人も増えてきて、才人はこの世界に自分の居場所を見つけ始めていたのだった。

 

「サイトさーん」

 シエスタがルイズたちのいる席にやってきた。ルイズがむすっとする。

「なによ、シエスタ。給仕の仕事はどうしたのよ」

「私はサイトさん専属のメイドですもの。あんなことがあった後じゃミス・ヴァリエールをサイトさんと一緒にはしていられません」

 ツンと澄ましてシエスタは言う。

 シエスタはもともとこの学院の給仕だったが、今はトリステイン女王アンリエッタの命を受けて才人専属のメイドとして雇われているのだ。

 

「そうだシエスタ、厨房のほうはどうだった?」

「もう、大変でしたよ。いろんなものが飛び散って。あやうく朝食用の鍋がひっくり返っちゃうところで、マルトーさんたち大慌てでした。……あれが地震なんですね。ひいおじいちゃんの話を昔、聞いたことがあります。建物が崩れて、その下敷きになって死んじゃう人がいっぱいいたって」

 シエスタのひいじいちゃんの話は大正の時代に起きたことだろうな、と才人は思う。実はシエスタの曾祖父は日本人で、つまりは才人と同郷の出身なのだ。地球に帰れなくなってハルケギニアに居つくことになったらしい。その子孫がつまりシエスタということになるのだ。

「そういえばこの学院も、けっこう古い建物だよなぁ。ああいう揺れで崩れたりしないんだろうか」

「その心配はないわ」

 ルイズが言う。

「なんでだよ」

「このトリステイン魔法学院は歴代の校長たちによって何重もの“錬金”の魔法が地盤ごとかけられているから。あれくらいの揺れじゃびくともしないわよ」

 校長という単語で才人はこのトリステイン魔法学院の校長であるオスマンの顔を思い浮かべる。あんなスケベじいさんでも校長をやっているだけあって、本当はとんでもなくすごいのだろう。

 言われてみれば確かに、と才人は納得する。この学校で才人は喧嘩を吹っかけてくる貴族の学生相手にしょっちゅう決闘騒ぎを起こしているが、建物事体が魔法などで破壊されるようなことは一切なかった。

「へー、そうなのか。あれ?でも確かお前の魔法で宝物庫の壁が……」

「わ、わー!む、昔の話じゃない!今はどうでもいいでしょそんなの!」

 慌てて才人の口を塞ごうとするルイズに、ギーシュ、マリコルヌ、シエスタは何の話かと首を傾げていた。

 

「はぁ、元気でいいわね、あなたたち」

「あ、モンモン」

「モンモランシ―よ」

 今度やって来たのは、巻き毛の金髪とそばかすが特徴の少女、モンモランシ―である。

 浮気性のギーシュとくっついたり離れたりを繰り返すガールフレンドだ。

「ああ!モンモランシー!今朝は怖かっただろう!安心して、僕がどんな時もきみのことを守ってあげるから――「うっさい」――ああ!そんな冷たいきみも素敵だ!」

 モンモランシーは全身から不機嫌なオーラを立ち上らせて、悶えたままのギーシュの隣に座った。

「どうしたんだ、ずいぶん不機嫌そうじゃないか。今朝の地震で香水でも割ったのか」

「そうじゃないわ。家庭の事情でね」

「家庭?確かラグドリアンの?」ルイズが聞いた。

「そう……それであなたたちに聞きたいことがあるの」

 聞きたいこと?と、才人とルイズが顔を見合わせて首を傾げる。

 

「ねぇ、あなたたち、覚えている?ラグドリアンに行ったときのこと……」

 言われて、才人は思い出す。ルイズが誤ってモンモランシーの惚れ薬を飲んでしまった事件の出来事だ。

「解毒剤の材料を取りに行ったときのことだよな、タバサとキュルケを敵と間違えて戦ったりしたんだっけ」

「あんまり思い出したくはないけど……確か、あの時水の精霊が湖の水を増水させていたのよね」

 ルイズが少々恥かしそうに言う。惚れ薬を飲んでしまった間のことを思い出してしまったのだろう。

「そう……、それでね」

 モンモランシ―はぼつりと言った。

「今度は減っているの」

「何が?」

「湖の水が」

「え?」

 才人、ルイズ、そしてギーシュが声を上げた。

「減っているって、どうしてよ?まさかまた水の精霊が怒っているとか?」

「そうじゃないわよ」

「じゃあ、なんだっていうんだよ」

「いなくなったの、水の精霊が」

「いなくなった?」

 驚く才人とルイズにモンモランシ―が疲れたように言った。

「突然、湖の水位が減ったものだから、驚いて調査したんだけど、どこにもいないの。せっかくまた、水の精霊との関係が回復したと思ったのに……、ねぇ、あなたたち、何か知らないの?水の精霊と何か約束していたじゃないの」

「うっ、それは……」

 そう、水の精霊から惚れ薬の解毒剤の材料をもらうとき、約束を交わしたのだ。“かわりにクロムウェルという男に盗られたアントバリの指輪を取り返してほしい”と。

 しかし、そのクロムウェルというのがトリステインと敵対していたレコン・キスタの長であり、先の戦争の混乱の中でとうに死亡しており、指輪の行方もさっぱりわからずじまいで指輪探しはそれっきりになっていた。

――そういえば、そうだった。すっかり忘れていた。

 才人は内心で慌てた。

 

「でも、おかしいわ。水の精霊は指輪が戻るまで何年でも待つ、と言っていたもの。彼女の方からその約束を破るかしら?」

 反論したのはルイズだ。才人も彼女に同意する。

「そんなことも言ってた気がするなぁ」

「はぁ、じゃあ結局どこに行ったのかはわからないのね……」

 顔を俯かせるモンモランシ―。

「まったく、なんなのよ。せっかく水の精霊との交易で家業を再建できると思ったのに。このままじゃ我が家は破産よ」

「まぁまぁ、モンモランシー。今は楽しいことを考えよう!もうすぐ何があるか知っているかい。スレイプニィルの舞踏会さ!これは面白い催しでね、魔法を使って理想の姿に変装するんだ。どうやるかっていうと――」

 ギーシュがモンモランシー相手に励ましている間に才人とルイズは身を寄せて話合う。

 

「どう思う。これって俺たちのせいなのかな」

「そんなはずないでしょ。さっきも言ったとおり、水の精霊が自分から約束を破るはずがないわ」

「そうかそうだよなぁ」

 才人はうーんと頭を悩ませる。

 地震に、ラグドリアンの減水、水の精霊の消失。知らないところで何か悪いことが起きているような気がする。隣の席から話声が聞こえる。トリステイン国境付近で目撃された謎の飛行物体の話題らしい。ぼんやりと溜息と共にぼやく。

 

「なんだか、いやな感じだな」

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

おまけ

 

 嫌な展開というものは突然やってくるもので。

 

「断る!俺は絶対にそんなもの着ないぞ!」

「ん、もう~クラウドちゃん、そんな恥かしがらないの!」

 

 トリステイン城下町、トリスタニア。その繁華街であるチクドンネ街の一角、「魅惑の妖精亭」でクラウドは世にも恐ろしい風貌の男に迫られていた。

 筋骨隆々の身体に、ドレスで着飾った大男。メイクを決めているのに無精ひげはそのままなのが気色悪さを増している。クラウドが宿泊したこの「魅惑の妖精亭」の主人・スカロンである。

 彼はまさにオカマという言葉を全身で体現した姿で、腰を上下左右に高速回転させてクラウドに迫る。

 

「いいじゃない、きっと似合うわよ」

 

 困惑するクラウドを見て楽しそうに煽るのはスカロンの娘、ジェシカだ。カウンターに頬杖を突いてにやにやと笑う彼女の横ではタバサが興味深げな瞳でじっとこちらを見詰めていた。

 クラウドが今、何を要求されているのかというと――

 

「断る!俺は絶対に女装なんかしない!」

「ん~!そんなこと言わないでちょうだい。クラウドちゃんスタイルいいから、絶対似合うと思うの、わたしのカンがビビッと来るの、間違いないわ!」

 

 そう、クラウドはスカロンに女装をするように迫られているのだ。

 そもそも、ジェシカに案内されてこの店を訪れたときから嫌な予感はあった。

 際どい衣装で着飾った少女たちの接客を売りにする店、そして極めつけにこのオカマ店主。

 それを見た途端、クラウドはすぐにでも宿を変えたい衝動に陥ったのだが、どうやらタバサはこの店と過去に縁があったようで結局この店に落ち着くことになってしまった。

 今となっては過去の己の浅はかさを後悔するばかり。

 ともかく今はこの場を脱出しなければと後ずさる。しかし、誰かに背後から掴まれる。

 

「タバサ?」

 いつの間にか背後に回りこんでいたタバサはクラウドが逃げられないように行く手を阻んでいた。彼女の瞳に、いたずらっぽい光が見えた気がした。

 

「興味ある」

 死刑宣告であった。

 

「タバサ、お前……!」

「ん~!そうこなくっちゃ、タバサちゃん!」

「ま、観念しなさい」

 

 スカロンに加えジェシカまでもが手をわきわきさせて迫ってくる。

 その光景に、クラウドは過去のトラウマの記憶を思い出した。

 ミッドガルスラムのウォールマーケット、蜂蜜の館の中にある通称“団体様の巣箱”でムッキーなる人物と“みなさん”に囲まれた悪夢の記憶である。

 

――どうだ、ぼうず!気持ちいいだろ?――

 

(またこんな目に会うなんて、思っていなかったな……)

 

 何かを諦めながら、クラウドはそう思った。

 忘れたい“思い出”だって、中にはあるのだ。

 

 ・ ・ ・

 

「きゃああああああああああああああああああああああ!」

「すっごい似合うわ!素敵よ!クラウドちゃん!!」

「は~、これは想像以上だったわ」

 

 スカロンの嬌声とジェシカの息を呑む声、そして妖精亭で働く若い女性給仕たちの黄色い声が店内に響き渡った。

 クラウドは銃士隊と呼ばれるトリステイン近衛兵の女性隊の服装を着せられていた。(ドレスは絶対に嫌だと入ったらそうなった)インナーニットの上に草色のチュニックを着込み、腰のベルトを締めている。下はミニスカートに黒のレギンス。頭にはピンクブロンドの長いかつらを被り、肩に垂らしている。化粧を軽く施され、胸に詰め物をされていた。

 背中に羽織った赤いマントと、携えた巨大な大剣も合わさって、まさに気品漂う女騎士といった風貌だった。

 給仕の女の子の一人が唐突に「お姐さんと呼んでいいですか!?」と叫んだ。

 だれが姐さんだ、と思わず言い返すと、悶えながらその場に崩れた。なんなんだ、一体。

 

「トレビアン!前にルイズちゃんがいた時、あのピンクの髪の色が素敵だと思ってこの鬘を注文しておいて良かったわ!」

「タバサちゃん、何か一言感想を」

 ジェシカに言われてタバサはクラウドの前に出る。何処か満足げな表情をした彼女は一言、クラウドに告げる。

 

 

「“ライトニング・クラウド”」

「えっ」

 

 

 言葉の意味が掴めず、その場がしんとなった。

 

「何、それ?二つ名?」

「そう、ある神話に登場する伝説の女騎士の名前。別名“光速の異名を持ち重力を自在に操る高貴なる女性騎士”」

「タバサ……それ、長いぞ」

 

 きっと、誰も覚えられない。

 しかし、それ以上突っ込む気力は沸かないクラウドだった。

 

 

 

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コスチューム「ライトニング」を手に入れた!

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†††再 臨 : 骨 太 の お な ご†††

【補足】
 才人の地球にはFF7というゲームが存在しないものとして扱っています。
 ストーリーの主軸にメタな視点を挟みたくなかったのと、上手いこと物語に設定を反映させる実力が私になかった故、このような改変となりました。ご了承いただければ幸いです。


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Chapter 08

「……昨日はひどい目にあった」

 

 女装の難にあった翌日の昼、クラウドは一人トリスタニアの街を歩いていた。

 タバサは別件で用事があるということで出かけており、今はいない。

 ヒラガサイトのいるトリステイン魔法学院に向かうのは明日になってからで、それまでの間は自由行動ということになった。

 なんでも明日の夜は魔法学院で舞踏会が開かれるらしく、それに時間を合わせて帰還するのだそうだ。そういう訳で出発するまでの暇を、クラウドは一人散策に出かけることにした。

 

 商店の集まるブルドンネ街を歩く。白い石造りの壁を背にした狭い通りは、昼間から多くの人で賑わっていた。

 これでもこの街一番の大通りであるらしい。外敵から攻められた際の防衛のため、街全体の道があえて狭く作られているのかもしれない。

 顔を斜め上に見上げれば、古めかしい看板が立ち並んでいる。仕立物の服屋や武器屋、メイジの杖を売る店、魔法薬を扱う店などがある。クラウドがいた世界で見られることのないものも多くあった。

 

 通りを歩いていると、所々でメイジが作業をしている姿が目立った。石造りの家屋の基礎部分になにやら魔法をかけている。店を出る際にジェシカに聞いたのだが、どうやらクラウドがこの国に来る少し前、この地域近辺で大きな地震があったらしい。

 トリスタニアには歴史の古い建造物が数多く存在している。貴族の屋敷や国の重要な機関の建物には予め“硬化”や“固定化”と呼ばれる呪文が補強のためにかけられているが、街中にある家屋などはそういった処置を行っていなかったため、一部で倒壊して騒ぎになったらしい。

 そのため、商店街ではこうして、老朽化の進んだ建物の補強をメイジに頼んでいるのだそうだ。

 

 ハルケギニア。

 ここは魔法こそがものを言う世界。クラウドがいた世界にも魔法は存在したが、それ一辺倒というわけではなく、同時に科学技術も存在していた。技術自体も遥かに洗練されており、社会も複雑に出来ていた。文明全体のレベルを見ればここは、クラウドのいた世界より遥かに遅れている。

 

 クラウドはこの世界がゴールドソーサーのアトラクションだったら良かったのに、と思うことある。

 コレルエリアにある世界一有名な遊園地――今は閉鎖してしまっているが――ゴールドソーサーであれば、このような別世界を疑似体験できるアトラクションがあっておかしくはない。

 実際、かつて新羅カンパニー本社のソルジャー本部には、バーチャルリアリティで現実世界を再現する施設が存在したと聞いている。

 新羅の技術力があれば、このような都市を仮想現実として再現することなど容易いはずだ。

 

 しかし、実際、ここにあるものは仮想の世界ではない。現実に人が生きる世界。人々の活気が息づいている世界だ。それを思い、改めてクラウドは自分が異世界にいるのだということを実感していた。

 クラウドがこの世界に来たのは、ウィンと呼ばれる年の瀬の月だった。今はそれから4つ暦を経たティールという月になる。クラウドがハルケギニアに来てから、もう4ヶ月も経っていた。未だに、元の世界に戻る方法はわかっていない。

 

(ヒラガサイトに会えば、はたして元の世界に帰る手がかりを見つけられるだろうか?)

 

 クラウドは先程、『魅惑の妖精亭』で繰り広げた会話を思い出した。

 

 

 ・ ・ ・

 

 

「魔法学院でうちのいとこが働いていてね。シエスタって言うんだけど、なんとサイト専属のメイドをやっているの。だからその子宛に手紙を送って、あなたがサイトに会いたがっている話を伝えておいたわ。わたしからの紹介だし、上手くいけば引き合わせてくれると思うわよ」

 

 クラウドがヒラガサイトに会おうとしていることを聞いたジェシカは、そう話した。

 ジェシカと知り合ったのは、トリステインに向かう馬車の中だった。盗賊に襲われた馬車を救ったことがきっかけで親しくなり、この街で彼女の店の宿を紹介してもらったのだ。

 『魅惑の妖精亭』は多少“趣味的”な店だったことでクラウドには”個人的な”不幸もあったが、宿の世話をして貰った上、そのような提案を持ちかけてくれた彼女に、クラウドは素直に感謝していた。

 

「それはありがたい。しかし、専属のメイドまでいるなんて、一体どんなヤツなんだ。そのヒラガサイトは。メイジの使い――いや、従者のようなものだと聞いていたが」

「うーん、まあ只者ではないことは確かかもね」

 

 ちょっと考える素振りを見せたあと、冗談を言うようにジェシカは笑った。

 

「サイトはこの店で働いていたことがあってさ。私からしたら普通の男の子にしか見えなかったな。まあ、その時は一緒に来ていたルイズっていうサイトの主人の子の方が騒がしかったわね。一緒にいて楽しい連中だったけど」

「ルイズちゃんはチップレースでも毎日お客さんを怒らせていたものね。でもうちの店に営業妨害をかけてきた貴族を追っ払ってくれた時は助かったわー」

 

 くねくねと腰を揺らしながら店主スカロンも話に参加してくる。

 

「でもね、サイトちゃんはとっても勇敢で、ものすご~く強いのよ。平民なのに魔法を使える貴族をバッタバタ倒しちゃうの!彼の武勇伝はトリステイン中に響き渡っているわ。タルブに強襲してきたアルビオン軍の竜騎士団を『鉄の竜』に乗って撃退!迫り来る7万人の軍隊にたった一人で立ち向かって、撤退するトリステイン軍を防衛!ん~どれも凄すぎるわ、トレビアン!」

 

「そう言った功績が認められて、サイトは“シュヴァリエ“って言う騎士の称号を与えられて、つまりは貴族になったの。平民が貴族になる、なんて、私たちからしたら生まれ変わることよりも凄いことなのよ」

 

「……本当なら確かに凄いが、どうも現実味のない話だな」

 

「そう思うでしょ?でも本当の話よ。だからこそ、サイトはトリステインの平民から絶大な人気があるの。私たちみたいな庶民はさ、剣一本で魔法を制してしまう、そんな空想のような出来事を実現してしまう人間が大好きなのよ」

 

 

 

――誰だって英雄には憧れるものでしょう?

 

 

 ・ ・ ・

 

 

「英雄か」

 

 クラウドもかつてその言葉に憧れ、生まれた村を飛び出したものだ。

 強くなりたい……いや、“認められたい”という想いこそが、ソルジャーになろうと考えた動機だったように思う。

 だが、今となってはその時の気持ちはもはや遠い昔に埋もれた化石のようなものだった。夢を抱えて飛び出した世界に待ち受けていたのは、あまりにも過酷な現実ばかりだったのだ。

 そして、現在、望みどおりにソルジャーと同等の能力を手に入れた代償に、クラウドはあまりにも多くのものを失ってしまっていた。

 

 “英雄”という言葉に憧れる未練はもはやない。

 だが、今でもその言葉はクラウドの心を引くものがあるのも確かだ。

 

 ヒラガサイト。トリステインの英雄と呼ばれるその男は一体どんな人物なのか。

 元の世界に帰る手段を尋ねる目的を抜きにしても、強く興味があった。

 

 そんなことを考えながら歩いていると、通りの先が何やら騒がしいことに気付いた。

 

「どこを見て歩いているのか、この愚かものが!」

 

 周りを囲み、遠目に眺めている見物人の一人にクラウドは尋ねた。

 

「何があったんだ?」

「あの姉ちゃん、貴族にぶつかっちまったのさ」

 

 男が気の毒そうに答える。

 見れば、フードを深く被った女性がおろおろとしている。その周りを身なりの良い男たちが囲んでいるのがわかった。皆、腰元に見せびらかすように杖を挿している。彼らは貴族のようだ。

 リーダーと思われる男が尊大さを主張する口ぶりで言い放った。

 

「うおっほん!君はわたしを誰だと思っているのかね!徴税官のチュレンヌさまであるぞ!」

「ご、ごめんなさい、不注意でした……」

「フン、誤って済むと思っているのなら思慮にかけると言わざるをえんな」

 

 女性は顔を下に向けながら謝罪した。だが、それは恐れ多くて相手の顔も見られないというよりは、むしろ自分の顔をまじまじと見られたくないといった様子である。

 そんな様子を訝しんだのか、チュレンヌという男は女性の顔を覗き込んだ。

 

「ほほう……」

 その顔に下卑た笑みが浮かぶ。

 

「よく見れば中々に美しい娘ではないか。この後、我々の相手をするならば、まあそれで手打ちにしてやらんこともないぞ」

 チュレンヌにつられて、取り巻き達がにやにやと笑みを漏らした。

 

「そんな、困ります。私は、これから向かわなければならない場所があるのです」

「ならば、その予定は取り消しになった。私は女王陛下の徴税官だぞ?私に逆らうことはつまり女王陛下の命に背くことになるのだからな」

「なんですって……!」

 女王という言葉を聞いた途端、女性は強い口調で言い返した。

 

「取り消しなさい!そんな勝手で横暴な理論を女王が認めるはずがありません!」

 彼女の言葉は、まるで上に立つ人間が命令するときのような有無を言わさぬ力強さがあった。

 

 チュレンヌは目を丸くして驚いたが、やがて平民に横柄な口を利かれたと認識したのか、激昂して叫んだ。

 

「平民風情が知ったような口を利くな!貴様ごときに陛下の御心がわかるとでもいうのか!」

「それは、でも、私は……」

「いいから来い!言うことを聞かぬか!」

「あっ!」

 

 チュレンヌが女性の手を強く掴んだ。

 

「貴様に身分の差というものを教育し直してやる。たっぷりとな!」

 

 クラウドは頭が痛くなった。貴族だなどと偉そうに口にしているが、やっていることはチンピラとたいして変わりない。これはいくらなんでもあんまりだろう。

 それをこんな人通りの多い道端で始めるのだから、どうしようもないと呆れるばかりだ。

 止めるものはいないのかと、周りを見るが、見物人たちも女性が連れて行かれるのをただ見ているだけだった。

 クラウドはため息を吐く。皆、関われば自分の身が危うくなると考えているのか。

 

 社会の中で生きる人の弱さをクラウドは知っている。生きていくことは、その社会のルールに従うということだ。“内部”にいればその仕組みによる恩恵を受けられるが、それゆえにルールに縛られ、時に自由を失うこともある。この世界、ハルケギニアで貴族に逆らうことは社会の仕組み自体に逆らうということだ。“内部”で生きる術を無くすとわかっていれば、自分の身を守るためにも、黙って見ている他はない。

 クラウドはそんな人たちのことを情けないとは思わない。

 クラウドもまた、そんな弱い人間の一人だからだ。

 だからこそ、こういう時は自分のようにはじめから“外部”にいる人間が出ていくべきだ、とクラウドは思った。冷静な人物と見られることが多いクラウドだが、このような行動をするのが自分の本質なのだと、彼は考えている。

 

「そのくらいにしておけ」

 衆人環視の輪から前に出て、チュレンヌに言い放った。

 

「……なんだ貴様は、黙ってみておればよいものを。平民の剣士風情が我等に逆らうのか」

「大勢で一人をいたぶるのがあんたたちの高潔さだというのなら、それを黙って見ていられるほど人間が出来ていないんでな」

「生意気な口を!」

 部下の一人がクラウドに対して杖を抜こうとした。だが、その腰元にはあるはずの杖は存在しなかった。

 

「探し物はこれか?」

 男の杖を目の前でかざし、指でゆらしてクラウドが言う。

「なっ何時の間に――」

 

 言い終える前に、鼻頭に拳を思いきり突き刺した。

 男は吹っ飛び、ブルドンネ街の屋台の店先へと突っ込む。

 

「貴様!やりおったな。そいつを捕えろ!痛めつけて構わん!」

 チュレンヌの取り巻きたちが一斉に杖を引き抜いた。

 彼らがルーンを唱えると、杖先に風が纏わりつき、青白い刃となった。

 

――魔法で剣を創り出すこともできるのか。

 

「本当に器用だな。この世界の魔法は。だが……」

 

 向かってきたメイジたちに、クラウドは先程奪った杖を矢のように放つ。

 先頭にいたメイジの腕に、杖は鋭く突き刺さった。

 

「ぐあ!」

 

 怯む男に接近し、顔面をわしづかみにするとそのまま地面に頭から叩きつけた。

 

「剣を抜くまでもない」

 

 二人目を倒したクラウドに、三人目が魔法の刃を振りかぶる。クラウドはその軌道を視線から予測すると、振り下ろされた刃を難なくすり抜けその手首を掴みとった。

 無理やり力づくでその腕を振り回し、握られた杖の刃で四人目を切り裂いた。

 四人目が倒れるときには、三人目の鳩尾に肘を思い切り叩きつけ、気絶させている。

 

 あっという間に、残っている相手はチュレンヌだけになった。

 

「な、なんだと!」

「メイジとの戦い方はもう覚えた。まず、狙うのは杖だ。攻撃の要である杖がなければ、あんたたちの武力は消失する。大衆の前で見せびらかすのは気をつけるべきだったな」

 

「き、貴様、メイジ殺しか!我ら貴族に逆らうとどうなるのかわかっておるのか!」

「興味ないね」

 さして関心もなく、そう答える。

 

 チュレンヌが杖を抜ききる前に、クラウドはその襟首を掴んだ。

 身体が宙に浮き、手から杖が滑り落ちる。かは、と苦しそうな息が漏れた。

 

「わ、わたしは女王陛下の徴税官だぞ。つまりこれはトリステイン王国に逆らうことなのだぞ……」

「それ以上喚くならこの首、へし折るぞ」

「ひっ!」

 クラウドに冷たい青い眼で脅された途端、チュレンヌは静かになった。

 

「この国の事情など興味はないし、逆らったことで俺がどうなろうとも別に知ったことじゃない。それより今は自分の心配をしたらどうだ。

 弱いものをいたぶるのが好きなようだが、それが自分に降りかかってくることも想像しておくべきだったな」

 クラウドがぱっと手を放すと、チュレンヌが地面に尻餅をついた。

 

「次は容赦しない。部下をつれてさっさと行け」

「は、はぃいいいいいいいい!」

 チュレンヌは部下と共にほうほうのていで逃げていった。

 周りで見ていた通行人たちがわっと歓声を上げた。

 

「すげぇ!貴族をのしちまいやがった!」

「ニイちゃんやるなぁ!」

 歓声を聞いて、クラウドは内心で舌打ちをした。

 

 この街で目立つ行動を取るつもりはなかった。ならば最初からトラブルに関わり持たなければ良いのだが、その考えは既に度外視している。いざというとき、彼は後先を考えない。

 ただ、マテリアの使用は控えるように気をつけていた。タバサからもたびたび注意を受けていたが、ハルケギニアには存在しない魔法を衆目でさらして注目されることはさけたい。だからこそマテリアはおろか大剣さえ使わずに戦ったのだが、この観衆の沸きようを見るに、この世界においてただの剣士がメイジを倒してしまうというのは、クラウドが想像している以上に驚くべきことなのだろう。

 

 クラウドは地面にへたり込んでいた女性に近づいた。女性は目の前で起きた光景に呆気に取られているようだった。

「大丈夫か?」

 クラウドは女性に手を伸ばした。

「え、ええ、ありがとうございます」

 その時、フードに隠れていた顔が初めて見えた。

 

 かなり若い。歳はまだ17,8くらいだろうか。白く透き通った肌にほっそりとして整った顔立ちの女性だった。栗色の髪を後ろで束ねてポニーテールにしている。

 クラウドの手を握り、起き上がった時、彼女と目があった。

 何かに驚いたかのような表情。薄い水色の瞳を見開いている。彼女はそのまま、しばらく呆然としたようにクラウドを見つめていた。

 

「ウェールズさま……?」

 彼女の口から無意識のうちに言葉が漏れる。

 

「おい、どうした?」

「え、あの、ごめんなさい」

 呼びかけられて、ハッと我にかえったように声を出す。

 その様子に、クラウドはやれやれと呆れた顔になった。

 

「まったく、そんな調子で歩いているから、さっきみたいのに絡まれるんじゃないのか。早く家に帰るんだな」

 そこまで言って自分の役目を終えたと考えたクラウドは、その場を後にしようとした。

 

「あ、あの!待ってください!」

 立ち去ろうとするクラウドの背中に、女性が慌てたように声をかける。

 

「私はこれから、どうしても行きたいところがあるのです。だから、私は、まだ帰るわけにはいきません」

「……それで?」

「私と一緒にその場所まで着いて来てくださいませんか?」

「道案内なら他に頼め」

「道ならわかります。そうではなく、一緒について来てくれるだけでいいのです。そう……、言うなればボディガードでしょうか。あなたと一緒であれば先程のようなことに巻き込まれずに済むでしょうし。それに……なにより、助けていただいたお礼をしないと」

 クラウドは眼を瞑って首を振った。

 

「別に、感謝して欲しくて助けたわけじゃない。そもそも見返りとはなんだ?言っておくが金は受け取らないぞ」

 そう返すと女性は言葉を詰まらせた。どうやらそこまで考えていなかったらしい。彼女はどうにかしてクラウドを引き止めたいらしいが、何が彼女をそこまで駆り立てるのか、クラウドには全く理解できなかった。

 

 しばらくして、――ようやく思いついたのか、それともとっさに考えたのかわからないが――彼女は顔を赤くしながら、緊張した声で言った。

 

「デート一回、というのはどうでしょうか?」

「なっ……」

 

 予想しない返答にクラウドは言葉を失う。そんな彼をよそに周りから歓声が飛んだ。

 すっかり失念していたが、ここは街一番の大通りだ。多くの人間にこのやり取りを見られていたのだ。

 

「ヒューヒュー!いいぞ!ネエちゃん!」

「せっかくのお誘いだ!ニイちゃんも付き合ってやんな!」

 

 身勝手な野次を聞いて、面倒なことになったと内心で頭を抱えた。適当にトリスタニアを散策したら魅惑の妖精亭に戻ろうと考えていたのに。

 このまま誘いを断ってしまっても良いが、この様子では、このまま立ち去るとこちらが悪者のようになってしまうではないか。

 クラウドは眉に皺を寄せ、やれやれと頭を掻いた。

 

――じゃあねぇ、デート、一回!――

 

 あの時は、ボディガード代は安くないと言ってそう返されたんだったか。

 今回は状況がまるで違うが。

 周囲の雰囲気に逆らわないようにするためとは言え、どうも、自分はその言葉に弱いらしい。

 

「……わかった。ただ、こっちも時間に限りがあるからな。それまでの間だ」

「本当ですか!ああ、ありがとうございます」

 女性がぱっと顔を輝かせた。

 

「私は……、アンと言います。街娘のアンです。そう呼んでください」

 

 

 




女性に乱暴をはたらく連中がいます。

Q:あなたならどうする?
A:やめなよ(物理)

そんな話でした。


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Chapter 09-1

 アンと名乗った女性は行き先を告げなかった。

 ボディガードを引き受けたのだから、目的地くらいは教えてほしい、と言うと「行けばわかる場所です」といってはぐらかされてしまうのだ。

 それでいて、彼女の方は様々な質問をクラウドに投げかけてくる。

 

「異国から来た、とおっしゃいましたが、あなたは確かに見慣れない格好をしていますね。東方から参られたのですか?」

 

「大きな剣ですね。これほど大きな剣を、私はいままで見たことがありません。これならドラゴンでさえ一斬りにしてしまえそう。あなたは本当にこの剣を振るのですか?」

 

 こんな調子で矢継ぎ早に質問をしてくる。最初は律儀に対応していたのだが、もともと他人と長時間会話をするのが苦手な質である。こいうことは勘弁してほしかった。

 

「すまないが、質問はひとつずつにしてくれ」

「あ、申し訳ありません、私としたことがはしたない……」

 アンは恥かしそうに口を押さえ、ではひとつだけ、と尋ねる。

 

「どうしてこの国にいらっしゃったのですか?傭兵としてのお仕事を探しているのでしょうか?」

 その質問に、クラウドはトリスタニアに向かう馬車の中でジェシカに同じことを尋ねられたことを思い出した。

 背中に帯びている大剣を見れば、傭兵として仕事を探していると思われるようだ。クラウドは首を振ってその質問を否定した。

 

「いや、雇い主は既にいる」

「まあ、ではあなたは従者なのですか?よろしいのですか、一人で出歩いていて」

「今は自由時間で、別行動中だ。ただ、この国に来たのは別に理由がある」

「それは何ですか?」

「帰り方を探しているんだ」

「帰り方?」

 アンはきょとんとした顔をした。

「自分の国への帰り道がわからなくてな。トリステインにそれを知っている人間がいると聞いたんだ」

「なんですか、それ。私をからかっているんですね」

「どうかな」

 クラウドが肩をすくめるとアンはくすくすと笑い出した。

 異世界から来たことだけ伏せて、この国に来た目的を話したのだが、どうやら冗談だと受け止められたらしい。

 

「ああ、久しぶりに笑った気がします。こうやって、人と自由に会話をすることが、こんなにも新鮮だなんて思いませんでした」

「普段は自由に出来ないのか?」

「ええ、私の周りでは、なにかひとつ言葉を間違えれば、後々大きな問題になってしまうので気が抜けないんです。心安らぐことができるのは、数少ない友人とのやりとりくらいなものです」

「そうだな、会話する相手は選んだほうがいい。さもないと、またさっきみたいな連中に絡まれるぞ」

 クラウドが皮肉混じりに言うと、アンは落ち込んだように俯いた。

 

「……誤解なさらないでほしいのですが。確かに、貴族にはあの様な横暴な振る舞いを平気で行う人間もいますが、皆がそうというわけではありません。領民や臣下に恥じない立派な行いを貫いている方もたくさんいるんです」

「良い貴族もいるが、悪い貴族もいる、何が良いか悪いかも立場によって変わるが――、そんなところか。人の良し悪しはそんな単純なものじゃない」

「そうですね……。本当にそう思います」

「………」

 

 クラウドは、彼女との会話に違和感を抱き始めていた。

 彼女の仕草をよく観察してみると、どうもこのトリステインの城下街に馴染んでいないように思えてくるのだ。

 例えば、目的地までの道程を知っていると話していたが、時々考えるように立ち止まって、再び歩き出すということを先程から繰り返していたりする。

 その様子はどうも危なっかしく、道に慣れているとはとても思えない。

 また、服装こそ平民と似たようなもので、不自然ではないのだが、口調や仕草には市井の人間にはない上品なものを感じられる。

 そして、彼女と会話していると、自分が何者なのか悟られないように気をつけながら話している節が見えてくるのだ。

 自分を街娘だと名乗ったが、何処までが本当なのか。

 クラウドは、彼女がどこかの貴族の令嬢ではないかと思い始めていた。

 先程、貴族に絡まれたときの堂々とした物言いを思い返しても、どうもその推測が正しい気がしてくる。

 もし、その推測が当たっているとしたら、彼女は身分を偽ってまで何処へ行こうとしているのだろうか。

 

「こちらからも、質問していいか?」

「え、ええ、構いませんよ」

 アンの顔が少し緊張する。

 自分のことを、あまり追求されたくないのだろうか。

「あんたはどうして俺にボディガードを頼んだんだ?」

 クラウドは彼女の身の上には対して関心はない。別に貴族だろうと本当に平民の街娘だろうと、どちらでもいい。ただ、さきほど彼女と対面した時の反応の理由を知っておきたかった。

「さっきも言ったが、俺は余所者で、この国に来たばかりの人間だ。そんな人間にどうして護衛を頼んだ?だれか知り合いの人間に頼めばよかったんじゃないのか」

 彼女は少し言葉を探した後、答える。

 

「そうですね。どうしてでしょう。あなたが、異国の方だったからかもしれません」

「異国の人間がそんなに珍しいのか?」

「ええ、異国から来た方は私にいつも、別の風を運んでくれますから――あなたはヒラガ・サイトという方をご存知ですか?」

「……人並みにはな。平民から貴族になったんだろう?会ったことがあるのか?」

「はい、彼もこの国の人間ではありません。ですがあの方は先の戦争でトリステインのために戦ってくださいました。彼がいなかったらこの国は滅びていたかもしれないのです。」

 アンは顔を赤らめて、ヒラガサイトのことを話す。

 しかし、それは一瞬で、クラウドの顔を見ると、なぜか物憂な表情になった。

「あなたもやはり異国の方だからでしょうか。彼と似た雰囲気がある気がします」

「この国の英雄と似ているとは、光栄な話だ。だが、そんな理由で俺を引き止めたのか?」

「では、あなたとお話がしたかったというのはどうでしょう」

「どちらにせよ、無用心なことだ」

「そうですね。そうかもしれません」

 アンは、少し寂しそうに微笑んだ。

 

 

 ・ ・ ・

 

 

 やがて二人はブルドンネ街から裏道に入った。

 入り組んだ狭い路地を抜け、大きな寺院の前の道へと出る。

 そこは寺院の前庭のようだった。あまり手入れはされていないのか、芝が枯れて荒れ果てている。

 寺院の壁面も所々剥がれ落ちてみずぼらしい有様だ。

 

「ここは無人になってしまった寺院です。“固定化”で補強をかけているので倒壊の心配はまずないでしょうが、人があまり近づかない場所です。目的地はまだ先ですし、さっさと通り過ぎてしまった方が良いでしょうね」

 

 アンが説明する。

 寺院自体、特に管理されている様子はなく寂れている。

 これも先の地震による被害なのか。いずれにしろ、人の姿の見えない静かな通りだった。

 

 そこに男がひとり――、道を遮るように立っていた。

 黒い羽根付き帽子を被り、顔が見えない。

 こちらを見ている。

 アンが不安げに、クラウドの陰に隠れた。

 

「知り合いか?」

「いいえ……でも」

 男の視線はアンではなく、クラウドに向いていた。

 帽子の下にある唇の両端に、凶悪な笑みが浮かんだ。

 

 

「きみが“異邦人”だね」

 

 

 魔力の迸り。

 服の裾から杖が飛び出した。

 

「伏せろ!」クラウドが叫ぶ。

 

 男が腕を振った。

 鞭のようにしなる杖先から青白い光の刃が飛び出してくる。

 とっさに剣を抜き、刃を弾く。

 予想以上の威力にクラウドの身体は反動で一歩後ろに退いた。

 目の前で一瞬火花が跳び、すぐ頭上を抜ける。

 横なぎに寺院の壁に直撃し、巨大な亀裂とともに壁が崩壊した。

 

「“固定化”がかかった壁を、なんて威力……!」

 

 音を立てて崩れ落ちる壁面を見て、アンは言葉を失う。

 ヒュウ、と楽しげな口笛。

 

「やるね」

 

 手を緩めず、男は杖をしならせる。

 杖に引き寄せられるように光の刃が収縮し、再び振り下ろされた。

 地面をけたたましい音で粉砕しながら、まるでのたうつ蛇のごとく鋭く襲いかかってくる。

 クラウドはアンの肩を掴み、破壊された壁から寺院の中へ逃れた。

 

 礼拝堂の裏側に出る。内部に人の気配がない。

 話に聞いたとおり、この寺院は打ち捨てられて久しい廃屋のようだ。

 そのまま礼拝堂の広間まで一気に駆け抜けると、クラウドは参拝者用の長椅子の脇でアンを降ろした。

 

「隠れていろ」

 

 大剣を両手で持ち直し、構える。

 室内ではあるが、これだけ広さがあれば剣を振るっても支障はない。

 カツンカツンと、ブーツが石畳を叩く音がこちらに近づいてくる。

 ゆっくりとした足取りで、敵は姿を現した。

 

「すごいね、僕の攻撃を避けられたのはこれが初めてだよ」

 

 口笛と同じく軽い口調。

 帽子のつばを持ち上げる。

 現れた顔は、金髪の、まだ幼さを残す十代後半くらいの少年だった。

 鼻が軽く上を向いていて、どこか愛嬌すらある顔をしている。

 だが、クラウドを捉えるぎらついた視線が、こういった荒事になれた人間特有の気配を漂わせていた。上背が低いとは気づいていたが、意外なほど若い。

 

「何者だ?」

「僕は、……えーと、話しちゃっていいんだっけ」

 一瞬だけ考えるように首を傾げ、元に戻す。「まあ、いいよね」

 

「僕はドゥードゥー。君を捕えるように命じられている」

「俺を?」

 

 アンを横目でちらりと見る。

 てっきり、どこかの令嬢かもしれない彼女を狙って来たのかと思ったが、どうやら目的はクラウドにあるらしい。

 

「誰に頼まれた?」

「それは君が知らなくてもいいことだ。まあ、実を言うと僕も知らないんだ。依頼主との契約は僕の仕事じゃない。僕の専門はもっぱら戦闘だからね」

 

 それはおいといて、と獲物をしたためる視線を再びクラウドに向ける。

 

「さっきの大通りでの戦い、見ていたよ。見事だった。まさか剣も抜かずメイジを圧倒する平民がいるなんて思いもしなかったよ。僕は世界最強のメイジを目指していてね、君みたいな"メイジ殺し"とは是非一度、戦ってみたかったんだ」

 

 無邪気でいて残酷な笑みを、ドゥードゥーは浮かべた。

 クラウドは目の前の少年の性格を分析する。

 こんな表情を向けてくる相手とは以前、戦ったことがある。

 ――カダージュ一味。

 あの男の意志が分裂して誕生した思念体、怪物の子供たち。

 目の前の少年の笑みは、彼らが戦いの中で浮かべたものとよく似ている

 あれと同種の、戦い好きの戦闘狂か――。

 

 ドゥードゥーがルーンを詠唱すると、杖に魔力が纏わりついた。

 みるみるうちに膨れ上がり、先程と同じ、巨大な光の刃が創り出された。

 

「それはまさか、“ブレイド”!?信じられないわ、こんな巨大な刃を創り出すなんて!」

「どういう魔法なんだ」

 驚くアンにクラウドは冷静に尋ねる。

 

「杖に己の魔力を絡みつかせて、岩をも断つ刃を作り出す魔法です。先程、あなたが戦った貴族たちが使ったものと同一の魔法ですが……、あの大きさは規格外です!」

「その通り、僕をそこいらのチンケなメイジと一緒にされちゃ困る」

 ちっち、とドゥードゥーが指を振る。

「気をつけてください。この人は普通のメイジではありません。おそらくは裏の世界を生きるメイジです!」

 

 裏の世界のメイジ。

 これが先程の貴族たちが創り出した魔法と同じものだとしたら、実力はこの少年の方が遥かに格上ということである。

 油断はできない。

 

「さあ、始めよう!」

 

 ドゥードゥーが床を蹴る。直線上でその身体が低く沈んだ。

 下段から繰り出される青白い刃のしなりに対応し、クラウドは大剣を叩きつけた。

 青白い光と火花が眼前で飛び散り、激しく輝く。

 両者の刃が弾かれる。

 ドゥードゥーが上から、クラウドが下から刃を振り、再び閃光が走る。

 

 連撃。

 閃光。

 鉄の響音。

 

 鞭のようなドゥードゥーの剣戟を、クラウドはすべて捌いていく。

 

「はっはー、やるねぇ!でもいつまで防ぎきれるかな!」

 

 ドゥードゥーの言うとおりだった。

 彼の“ブレイド”はそのしなりを利用した反動で徐々に威力を増している。

 いずれ防ぎきれなくなることは、目に見えている。

 だからこそ、クラウドは前へ攻めた。

 常人であれば見極めることなど不可能な、激しい剣戟の間を縫うようにかいくぐり、間合いを一気に詰める。

 

「ちぃ!」

 ドゥードゥーの顔に焦りが浮かぶ。

 距離は二歩分。

 狙いは、杖。

 ドゥードゥーの“ブレイド”は巨大過ぎるため、至近距離での操作は難しいと踏んだのだ。

 クラウドは杖を操る腕めがけて大剣を振り下ろす。

 

「……甘いよっ!」

 

 ドゥードゥーの対応が間に合い、クラウドの攻撃を力強く弾いた。

 甲高い金属音と共に、大剣は上空へ打ち上げられる。

 

 武器の喪失。

 勝利の確信に笑みを浮かべたドゥードゥーだったが、次の瞬間、その顔が驚きに染まっていた。

 クラウドの手にはまだ剣が握られている。

 大剣がいつの間にか“二刀”に増えていたのだ。

 

「何!?」

 

 ドゥードゥーの左脇に大剣が直撃し、壁まで吹き飛んだ。

 壁面に叩きつけられる音がして、もうもうと土煙が立ち込める。

 回転して落下してきたもう一刀の大剣を、クラウドは左手で掴み取った。

 

 クラウドは攻撃が防がれることまで、あらかじめ予想していた。

 だから六刀の刃を繋ぐ枷をあえて緩くしておき、弾かれる瞬間、二刀に分裂させて攻撃のカモフラージュにしたのだ。

 狙いは見事に成功した。

 だが、クラウドはドゥードゥーに攻撃を当てた感触に違和感を覚えた。

 攻撃を当てた瞬間の感触が、まるで金属を叩いたような硬さだったのだ。

 

「いてて、やるなぁ。まさかそうくるとは思わなかった。平民の武器もなかなか面白いじゃないか」

 

 煙の中からゆっくりとドゥードゥーが起き上がる。

 まるで何事もなかったかのように。

 どういうことだ?

 クラウドの大剣は確かに左脇に直撃していた。

 普通の人間であれば、まず立ち上がれるはずのない一撃を与えたはずだった。

 

「僕がどうして平気で立ち上がってくるのかわからないって顔だね。その秘密はこれさ」

 

 ドゥードゥーは攻撃を加えられた脇腹を見せる。

 クラウドの一撃によって服が一部破れている。そして、その下の肌は肌色ではなく銀色に変色していた。

 

「そんな……“硬化”の魔法で!?」

 アンが信じられないという表情で驚く。

 

「まさか自分の肉体を変質させるなんて!なんて非常識な!」

「このくらいで驚かれても困るな。世間一般では非常識でも、それが有用であるなら何でも使うべきだ。それに、僕からしたら普通のメイジたちの方が常識に囚われ過ぎていると思うよ。いつまでも凝り固まった固定観念なんか大事にするから、平民に足元すくわれたりするのさ。――ま、この言葉は受け売りなんだけどね」

 

「その肌の色……魔法で肉体を金属に変質させたのか」

「その通り。“硬化”の魔法を自分にかけて、身体を硬質化して防いだのさ。驚いたろう?君みたいなメイジ殺しとやるときはこれが一番効果的なんだ。つまり、君の攻撃は僕にはすべて無効なのさ」

 それにしても、とドゥードゥーは言葉に苛立ちを含ませた。

 

「今、僕に手加減をしたね?君は剣の刃ではなく、腹で僕を攻撃した。君の一撃は僕が“硬化”の魔法をかけていなければ、身体を真っ二つにしていたに違いなかった。なのに、手心を加える余裕があるなんて、随分と舐められたものじゃあないか」

 

 ドゥードゥーは“ブレイド”の刃を激しく振り回し始めた。刃は上下左右にまるで生き物のように不規則に、そして激しく動きまわり、その軌道を捉えさせようとはしない。

 

「ちょっと痛めつけるだけにしようと思ったけれど、気が変わったよ。君の四肢をズタズタに切り裂いた後で、ゆっくり連れ帰ることに決めた!」

 

 激しく動き回る刃は、曲線を描きながら猛スピードでクラウドに向かってきた。

 

「これで終わりだ!“メイジ殺し”!」

「もう駄目です!逃げてください。平民のあなたではとても敵いません!」

 

 悲鳴ともつかないアンの叫びが響く。しかし、向かってくる青い閃光を前に、クラウドは冷静だった。

 

「ひとつ、訂正しておこう」

 

 右手の刃に秘められたマテリアに、魔力が灯る。

 “だいち”のマテリア。

 その初級魔法。

 刃を、クラウドは地面に突き立てた。

 

『“クエイク”!』

 巨大な岩盤が、大きな揺れと共にせり上がり、ドゥードゥーの“ブレイド”の刀身を丸ごと包み込んだ。

 

「なっ!魔法!?」

 驚くドゥードゥー。

 クラウドは地面を蹴り上げ、懐に迫った。

 

「くそ、抜けない!」

 ドゥードゥーが一旦魔法を解除し、再びルーンを唱えようとした。

 しかし、クラウドはその顔面目掛けて蹴りを飛ばして呪文を阻止し、ドゥードゥーを再び壁際へと押し込んだ。

 

「ぐっ、このぉ!」

 クラウドが残る片手の大剣を左下段に構えたまま斬りかかる。

 

「そんなもの!また“硬化”で防いでやる!」

 

 ルーンが今度は間に合い、再び身体を硬質化させる。

 だが、クラウドは剣を振るわなかった。

 その場で思いきり踏み込み、大剣の柄頭を真っ直ぐに、ドゥードゥーの喉元へ押し込んだのだ。

 

 壁に激突。

 踏み込んだ衝撃で足下の床が砕け。

 割れた石が飛び散る。

 そして、クラウドの腕力と突進したエネルギー、そのすべてがドゥードゥーの喉元に集中した。

 鈍く、金属が叩き割れるような音が響いた。

 

「俺は平民でも、メイジ殺しでもない。ソルジャーだ。――自称だがな」

 

 口から血を吐き出して、ずるずると、ドゥードゥーは前のめりに崩れ落ちた。

 もう、動く気配はない。

 それを確認すると、クラウドは地面に突き刺した片割れの大剣を回収した。

 

「そんな、まさか倒してしまうなんて……、それに、今のは魔法?でもこんな魔法は見たことが……」

 

 突如出現した岩の柱を目の当たりにして、呆然とした表情でアンが言う

 

「ぼさっとしているな。説明は後だ。今はここを離れるぞ」

 クラウドが大剣を背中のホルダーに戻しながら急かした。

 

「でも……、あっ」

 クラウドに腕をつかまれ、アンは引っ張られるようにして走り出す。

 倒れたドゥードゥーを置いて、二人はその場を立ち去った。

 

 

 ・ ・ ・

 

 

「道はどっちだ?」

「あの……だから、待ってください!」

 

 先程の寺院から大分距離を置いた街路で、アンがとうとう我慢できずにクラウドの手を振り払った。

 

「そろそろ、説明してください。さっきのは一体何だったのですか?」

「そうだな、大分離れたし、もういいだろう」

 

 周囲を見回してクラウドが言った。

 とっさのこととはいえ、マテリアを使ってしまったのだ。

 心中では何処まで話したらいいものか、と考えを巡らす。

 

「先程あなたがあの男に使った魔法は、いったい何なのですか?あんな魔法はハルケギニアに存在しません。あなたは平民ではないのですか?」

 

 我慢しきれない様子でアンが質問を浴びせてくる。

 彼女はクラウドが魔法を使うところをはっきり見てしまった。

 それに今の言葉と先ほどの戦闘の際の言動を鑑みるに、魔法に関する知識を持ち合わせているようだ。誤魔化しは利きそうにない。

 正直に話してしまっても良いかと、考えを改める。

 マテリアの使用を避けていたのは、あくまで目立たないようにするためであって、人前で絶対に使わないと考えていたわけではないのだから。

 クラウドは彼女を制しながら、落ち着いて答えた。

 

「ひとつずつ答えていこう。まず、俺が使ったのは間違いなく魔法だ。ただ、あんた達が使っているものとは大分違う」

 クラウドは大剣を背中から引き出した。

「俺の武器であるこいつにはマテリアというものが仕込まれている。そいつが魔法の源だ。こいつを媒介に俺は魔法を使うことができる。この国のメイジたちは自身の中の魔力を源に魔法を使うのだろうが、これがあれば、どんな人間でも、平民と呼ばれる連中でも魔法を扱えるようになる」

「平民でも魔法を――?そんなこと、聞いたことがありません!」

「だろうな。二つ目の質問だが、それは俺がこんなものを持っていることからもわかるだろう。俺は平民でも、メイジ殺しとかいう奴でもない」

 

 自称元ソルジャー、と言いたいところではあるが、この世界の側からクラウドを指す言葉があるとすれば、さっき襲ってきた少年が最初に言った名称が当てはまるのだろう。

 

「俺はハルケギニアの人間ではない。しいて言うのなら……“異邦人”だ」

「“異邦人”、ではあなたは……いえ」

 

 “異邦人”とアンはその言葉を反芻する。しばらく考え込んだあと、彼女は問いかけた。

 

「……先程の相手はあなたを捕えるつもりだと話していました。それは一体どういうことだったのですか?」

「それについては、さっぱりだ。身に覚えがない」

 

 クラウドの中でそれが一番の疑問だった。タバサと共に北花壇騎士の任務をいくつかこなしたが、その中であのような連中に目をつけられるようなことは今まで一度もなかったのだ。

 ただ、あの暗殺者の少年がクラウドに言い放った“異邦人”という言葉自体が気にかかっていた。

 あの少年は、クラウドがハルケギニアではない遠い場所からやって来たことを、知っていたのだろうか。

 もし、それを知る者がクラウドを狙って来たというのなら、それは一体何者なのか。

 クラウドの衣装は確かにこの世界のものとは大きく異なっているし、巨大な大剣を携えた風貌も目立つに違いない。

 だからといって、一見はメイジであるタバサに付き従う剣士にしか見えないはずのクラウドをわざわざ誰が狙うというのだろうか。

 推測を重ねたところで今は答えが出ない。

 クラウドは目下この状況をどうにかすることを考えた。

 

「さて、俺はあんたのボディガードをすることになっていたが……、ここまでにしておいた方が良さそうだ。もしかすると新手がくるかもしれない」

「新手?どうしてそれがわかるのですか」

「奴が言っていた、自分は戦う専門だと。依頼主と契約をするのは自分ではないともな。つまりは複数人で仕事をしているのだろう。あいつの様子を見るに単独行動だったのだろうが、後から誰かが駆けつけてきてもおかしくはない」

「あなたは、あの人を殺したのですか」

「そのくらいのつもりでやったけどな。最初から殺すつもりなどなかったさ」

 肩をすくめて言う。

 

「攻撃する瞬間、また皮膚を堅くしてガードされた。さすがに完全に防ぐことは出来ずに気絶したようだ。だが、当分復活は無理だろう」

 

 あの硬化という魔法はなかなかやっかいだ。もしまたあの少年に襲われることがあったら、今度は“手加減する”ことは難しいかもしれない。

 

「さあ、そういうわけだ。俺と一緒にいるほうが危ないのなら、護衛の意味がないだろう?」

 

 アンはしばらく考えこんだが、首を振った。

 

「いいえ、ここまで来たら目的地まであと少しですし、最後までお付き合いしてください」

「しかしだな……」

「構いません。あなたは自身の素性について、包み隠さず話してくれました。ならば私も正直に、本当の私の正体を告白しなければならないでしょう」

「正体だって?」

 

 アンは決心した用に深呼吸をすると、一息に告げた。

 

「わたしの名はアンリエッタ・ド・トリステイン。このトリステイン王国の女王なのです」

 

 



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Chapter 09-2

 クラウド達二人は街の外側へ街道を歩くと、途中で脇道に入った。

 さらに進むと森があり、その森を奥まで歩くと開けた場所に出る。

 青々とした芝生地に、一定の間隔で平たい石が並んで立てられていた。

 

 墓石だ。

 

「ここは……」

「トリステイン軍人の共同墓地です。ここに眠っているのは平民の方がほとんどですが」

 

 二人は墓石の間を通り抜けて進み、やがて円形に象られた広場の前にやってきた。中心に一際巨大な石碑が置かれている。石碑の表面には端から端までびっしりと文字が並んでいた。クラウドは察する。ここに記されているのは、戦死した者達の名前なのだろう。

 

「アルビオン戦争後に作られた慰霊碑です。私が命じて作らせたものです」

 

 彼女は慰霊碑の前に屈むと、両手で指を組み、祈りを捧げる姿勢になった。

 クラウドは目の前で祈りを捧げる女性を観察した。

 アン……、いや、アンリエッタ・ド・トリステイン。

 トリステイン王国の女王。

 彼女の告げた正体について、クラウドはその事実をいまだ飲み込めずにいる。

 貴族の人間だと推測こそしてはいたが、まさか彼女がこの国の統治者だったとは夢にも思わなかった。

 女王といえば、国において一番の重要人物ではないか。そんな人物が"死者を悼むため"とはいえ、護衛も付けずにこんな場所を訪れるのは、不用心どころの話ではないはずだ。

 

「あんたがしたかったことは、それなのか?」

「はい、大勢を引き連れてここに来ては、死者も驚くでしょうから、どうしても内密に訪れたかったのです。……私を浅はかだと思いますか?」

「正直な。あんたは一国の主なんだろう?わざわざ危険を犯してまで、どうしてここに来る必要があったんだ?」

「おっしゃるとおりです。私がこの場所に参ったのは、いち個人として戦死した彼らを悼むため、それを行動にしたいと思ったからです。それが立場を弁えない愚かな行為だとしても……他に出来ることが見つからなかったから」

 

 アンリエッタは祈りを済ませると、クラウドに背を向けたまま、静かに立ち上がった。

 

「ミスタ・ストライフ。あなたのような異国の方からは、この国はどの様に見えますか?」

 

 唐突な質問が、クラウドに投げかけられる。

 

「……よくは知らない。だが、街を歩いている限りは賑やかで活気があるように見える」

「そうですね。一見すれば、今のトリステインは本当に平和そのものです。ですが、最近までこの国は戦争をしていたのですよ」

 

 アンリエッタの言葉にクラウドは道中の馬車でジェシカから聞いた話を思い出した。

 戦争が終わったばかりでこの国は疲弊していると。

 

「たくさんの人が亡くなりました。平民も貴族も……。彼らを死に追いやった張本人がこの私です。その戦争の発端が、私の個人的な復讐だと言ったら、あなたはどう思いますか?」

「復讐だったのか?」

「……はい」

 彼女は短く肯定した。

 

「私には愛した男性がいました。ウェールズ・テューダー。空に浮かぶ大国、アルビオンの皇太子……、彼は、自国の貴族たちが起こした内乱によって命を落としました。

国家の枠組みを越えたその貴族たちの組織は"レコン・キスタ”と呼ばれていました。レコン・キスタは聖地の奪還と貴族の共和制を掲げ、自分たちの祖国を裏切り、滅ぼしたのです。

でも、所詮は聞こえのいい大義名分を楯にした、権力欲にまみれた貴族たちの集まり……、このトリステインにも、不可侵条約を無視して宣戦布告を仕掛けてくるような卑劣な集団でした。

……そんな者たちのせいでウェールズ様が死んでしまったことが、私にはどうしても許せなかった」

 

 拳をきつく握り締め、絞りきるかのような声で、彼女は話を続ける。

 

「戦争にはかろうじて勝利しました。ですが、その後に残されたのはおびただしい数の戦死者、そして、復讐を遂げてなお閉じることのない自身の心の空洞でした。すべてが終わった後で、私ははじめて、己の愚かさに気付いたのです」

「……」

 

「速い、速い、川の流れに流されているような気分でした。すべてが私の横を通り過ぎていく。愛も、優しい言葉も、なに一つ残らなかった。ただ、多くの人命を巻き込んだ罪悪感だけが積み重なっていきました。窒息しそうなほど、重く、苦しい重圧だけが残ったのです。

 私は、私が巻き込んでしまった人たちに対して償いをしなければなりません。でも、彼らの為に一体何ができるのでしょうか?女王として、いいえ、一人の人間として?その答えを、私はまだ見つけられていないのです……」

 

 クラウドは黙って、アンリエッタが語り終えるのを待った。

 そして、その背中に静かに語りかけた。

 

「……国を背負うあんたに掛かる責任や罪、それがどれだけ重いのか。きっと俺には計り知れないだろうな。ただ、今のあんたを見て、わかることはある」

 

 アンリエッタの話を聞いているうちに、クラウドは彼女にある種の共感を抱いていることに気付いていた。

 それは、罪を背負う者の想いだ。

 

「あんたは、許されたいんだな」

 

 クラウドもまた、彼女と同じように罪を背負っていた。

 親友を見殺しにし、大切な女性を守ることができなかった。

 バレットのテロ活動に荷担し、結果的に多くの人間を殺してしまったことは事実だし、世界を滅ぼす寸前だった、あのメテオ災害の引き金を引いたのもクラウドだった。

 目の前の女性を罪人と蔑むのであれば、自分はそれに匹敵する、いやそれ以上の罪人だろう。

 

 償いは生き残った者に課せられた使命。

 罪は償わなくてはならない。

 永遠に許されることのない、贖罪の日々。

 ただ、それは想像を絶するほどの過酷なものだ。

 クラウドはそれに耐え切れるほど、強くはなかった。

 誰かに、許して欲しかったのだ。

 

 ――誰に?――

 

 苦笑する女性の問いかけが、脳裏をかすめる。

 

「許す……、そうですね。私は許されたい」

 アンリエッタは頷く。

 

「どうすれば、私は許されるのでしょうか?罪が消える日は、いつか訪れるのでしょうか?それとも、たとえ地獄の業火に何度焼き払われようと、罪とは許されないものでしょうか?」

 

「死んだ人間の心は動かない。何があっても、ずっと。だから、彼らがあんたを許すことはできない。それに……」

 クラウドのいた世界では、全ての死者は星の源であるライフストリームに還っていく。

 彼ら、彼女らが時々クラウドに語りかけてくることはあった。また、星の声を聞くことができる”古代種”であれば死者の思いを知ることができたのかもしれない。でも、それはあくまで特別な例でしかない。

 本来、すべての生命にとって死とは、絶対的なものだ。

 死んでいった者たちが一体何を想っていたのか、知ることなど叶わない。

 それに、例え死者たちが、アンリエッタを責め、罰を与えたとしても、彼女の気持ちが晴れることは決してないはずだと思った。

 

「あんたを一番許せないのは、きっとあんた自身だ」

「私自身が、許せない……」

「そう、自分を許せない限り、罪からは逃げられない。それが無理なら、一生背負っていくしかない。少なくとも、俺はそうだった」

「あなたも、罪を背負っているのですか?」

「……自分が守れなかったもの、奪ったものの重さに耐えられなくて、俺は逃げだした。けれど、俺を許してくれる者は何処にもいなかった。だから俺は、目を背けた現実と、再び向き合う覚悟を決めるしかなかったんだ」

「……」

「結局、前に進み続けることしか出来ないと、俺は思う。生きている限りはな」

「例えそれが、どんなに重く、苦しくても、ですか?」

 

「引きずり過ぎて、すり減れば、少しくらい軽くなるかもしれないぞ」

「……そうですね」

 アンリエッタは苦笑しつつ、クラウドの顔を見て言った。

 

「アルビオンの地でウェールズさまの最後を見取った友人の話です。最後に、私に伝える言葉として、こう言い残したそうです。『自分は勇敢に戦い、勇敢に死んでいったと伝えてくれ』と。それを聞いて私は、彼と同じように勇敢に生きようと決意しました。それなのに……いつの間にかその志を忘れてしまっていたみたいです」

 

 悲しげな、それでも決意を固めた表情でアンリエッタは言った。

 

「辛くても、前に進もうと思います。――なぜなら私は、まだ生きているのだから」

 

 

 ・ ・ ・ 

 

 

 場所は先ほどの寺院に戻る。

 クラウド達が立ち去った後、静けさが戻ったその場所に、ひとりの少女が現れた。

 白いフリルがちりばめられた黒いドレス身に纏っている。黒の頭巾の下からは人形のような白い肌と、翠の瞳が見え隠れしていた。

 佇むその姿は、まるで日中に突然、一点だけ現れた闇のようでもあった。

 彼女は壁にあいた穴から、寺院の中に入り、礼拝堂へと進む。

 

 崩れた壁、持ち上がった地面。

 そのひとつひとつを観察して、ここで戦闘が行われた形跡を確認していった。

 そして彼女は、瓦礫と一緒くたになって倒れている少年――自分の兄を発見した。

 

「呆れたわ。まったく、何をやっているのかしら」

 

 心配するよりも先に、彼女は溜息を吐く。

 ひょいと杖を振り、“レビテーション”の魔法でドゥードゥーの身体を持ち上げる。

 

「喉元を“硬化”の上から一撃……、相当の手練れの仕業ね。それで、傷の具合は……まあ、これならなんとかなりそうだわ」

 

 傷の具合を観察した彼女はドゥードゥーを床の上に仰向けに寝かせ、“治癒”の魔法を唱えた。

 傷はみるみるうちに癒え、あっという間にふさがってしまう。

 

「これで良し。さて……、いい加減起きなさい。この、お馬鹿兄様ッ!」

「ぶへっ!?」

 彼女は寝ているドゥードゥーに強烈な蹴りを喰らわした。

 

「痛いじゃないか、ジャネット!いきなり何をするんだい!」

 

 蹴りに目を覚ましたドゥードゥーが、起きあがって抗議する。

 傷はふさがっても、内部までは完全に癒えていないのか、彼の声はまだしわがれている。

 

「それはこっちのセリフだわ。急にいなくなって、やっと見つけたと思ったら、こんなところでのびているんですもの、一体何をやっていたのかしら?」

 ジャネットと呼ばれた彼女は、逆に問いただした。

 

「そうだ、僕はあいつに。そうか……負けたんだな。ありがとう、ジャネット、傷を治してくれたんだね」

「どういたしまして。それで、ドゥードゥー兄さまはいったい誰と戦っていたの?」

「誰って、決まっているじゃないか。次の仕事のターゲットだよ。ほら、街中で騒いでいた」

「ああ、平民と貴族が戦って平民が勝ったとかいう?私は興味なかったから見に行きませんでしたけど、あれがそうだったの?……ってターゲットに勝手に手を出したの!?」

「だって、僕ら“元素の兄弟”の次の仕事が“生け捕り”だなんて退屈じゃないか。たまたま資料にあったターゲットの容姿を覚えていたからね。街中で偶然見つけたし、じゃあ僕ひとりで片づけてしまおうと思ったのさ」

 

 ジャネットは呆れを通り越してものを言うことが出来なかった。

 まったく、この三男坊の兄は、いつも禄なことをしない。

 

「ダミアン兄さま達はまだ交渉中なのよ。交渉が終わるまで勝手な行動は慎むように言われていたでしょう。こっぴどく負けて、その上、手加減までされていたら話にならないわ」

「どうして手加減されていたってわかるんだい?」

 

 ドゥードゥーが驚いている。

 どうやら手加減をされていた自覚はあるようだ。

 しかたなく、彼女は答えてやる。

 

「お兄さまの喉元への一撃は、致命傷とまではいかなくても、ほっといたら死んでしまう、でも、手当すれば一命を取り留められる程度に抑えられていたの。しばらくすれば私のような仲間が現れると踏んでいたのでしょうね。

 魔法を使わない処置だったら手当しても重傷でしばらく病院行きって感じかしら?そのくらいのダメージを与えればもう追いかけてこられないと考えたのかもしれないわ。

 でも、私みたいな卓越したメイジの治癒魔法だったら、このくらいの傷なんかあっという間に治せてしまえるってことまでには考えが及ばなかったみたい。

 メイジとの戦い方を熟知しているはずのメイジ殺しにしては、魔法に対して無知で対応がちぐはぐな感じがするわ。――そうすると、資料の通りハルケギニアの外から来た"異邦人"というのは本当なのかもしれないわね」

 

 ジャネットはそう推察で締めくくった。

 

「そう、あいつ、見たこともない魔法を使ってきたんだ。本当に驚いたな」

「そこの大きな土柱ね。土系統の魔法かしら、確かにこんなもの、見たことがありませんわ。でもねお兄様、ターゲットが未知の魔法を使ってくるということは、依頼主から貰った資料の中には書いてあったわよ」

「えぇ、本当かい!ぜんぜん気付かなかったよ」

「まったくもう、肝心なところで抜けているのだから」

 

 ハッハッハと愉快そうに笑う兄にジャネットは再び溜息を吐く。

 しかし、そこではて、と兄の態度に疑問を抱いて問いかけた。

 

「なんだか、楽しそうじゃない。もっと悔しがるかと思っていたのに」

 

 この兄は、勝負事に対して異常なほどの負けず嫌いなのだ。

 本来なら戦いに負けて、それこそ悔しがりそうなはずなのに、やけに上機嫌ではないか。

 

「まあ、いつもの僕ならそうなんだけど、あれだけはっきりと勝敗がついてはね。まったく完敗だったよ。世界は広いものだ、あんなに強い奴がいるなんて。どうやら僕の“世界最強のメイジ”という夢を達成するには、まだ先が長そうだ。でも、次は負けない」

 

 ドゥードゥーの瞳には強い闘志が宿っていた。

 

「負けはしたけど、僕だって全ての手札を出したわけじゃない。ダミアン兄さん特性のあの“魔法薬”だって使っていないし――、まあこれは使う暇もなくやられただけなんだけど――、とにかく、あの“異邦人”、次は必ず仕留めてやる」

「あのね、やる気があるのはいいのだけれど、仕留めないでね。仕事の内容は捕獲よ」

 

 馬鹿で単純な分、立ち直るのも早い。

 長所と短所は表裏一体ね、とジャネットは呆れ半分に兄の性格を嘆いた。

 

「とにかく、これ以上の単独行動は厳禁よ。相手はドゥードゥー兄さまを倒すほどの手練れですもの。それを生け捕りにするとなれば骨が折れるわ。どうやら、久々に”元素の兄弟”総出でかかる必要があるみたい。

一度、ダミアン兄さまたちの所に戻りましょう。ターゲットの行き先はわかっているらしいし、焦ることはないわ」

「そうだ、こうしちゃいられない。兄さんたちに、次も僕が戦わせてもらうように、お願いをしに行かなくちゃ!」

 

 思いついたように立ち上がり、ドゥードゥーは駆けだした。

 

「ちょっと、ちょっと!また勝手に行かないでよ!場所がどこだかわかっているの?もう、なんで私が兄さまのお守りみたいなことをしなきゃいけないのよ!」

 

 ぶつぶつ不満を漏らしつつ、ジャネットはまた兄を追いかける羽目になった。

 

 ・ ・ ・

 

 クラウドが魅惑の妖精亭に戻ってくると、店の入り口でジェシカが待っていた。

 こちらを見るなり、口元を歪ませてにやにやとする。

 

「話は聞いたよ。貴族に絡まれていた女の子を助けて、そのまま付いて行ったんだって?いやあ、奥手だと思っていたけどなかなか隅におけないねぇ」

 

 彼女は腰に手を当てて首を傾げ、楽しそうに尋ねてくる。

 どうやら、街中で起こした騒動の話を拾ってきたらしい。あれだけ目立つことをしたのだから、話が広まるのは当然ではあるが、それにしても耳が早い。さすがは本物の街娘と言ったところだろうか。

 

「で、どうだったの?」

「別に、たいしたことはしていない。墓参りに付き合っただけだ」

「へぇ……、墓参りねぇ」

 

 ジェシカは顎に手をあてて、考える素振りをする。

 

「その子、話を聞いた限りじゃ、トリスタニアの子じゃないと思ったんだけどね。この街の女の子のことなら、ほら、うちの店にスカウトしたりするから、私詳しいし。ひょっとしたら、お忍びで城下街にやって来た貴族のお嬢様だったのかもしれないわね。知り合いのお墓でもあったのかしら?そんな話はしなかったの?」

 

 クラウドは首を振った。

 ジェシカの推測は、かなり良い線をついていた。

 だが、クラウドが付き添ったあの女性が、実はこの国の女王だったと知ったら、ジェシカはどんな顔をするのだろうか。女王がお忍びで城下に来ていたなどと知れたら、きっと大騒ぎになるに違いない。

 もちろん、黙っているつもりだった。わざわざ自分から話すようなことではない。

 

 死者を悼むため、彼女はあの墓地を訪れた理由をそう言っていた。

 しかし、本当はそうではないはずだとクラウドは考える。

 あの軍人墓地は、死者がかつて存在したということを示すために、生者が作りだした場所に過ぎない。死者を悼むだけなら、どこでだってできる。自分が今いる場所で、手を組み、祈りを捧げていればいいはずなのだ。彼女の行動に、意味があったのだろうか。

 

 いや……、そもそも、意味なんてものは最初からありはしないのだ。

 人間はどこかに意味を見つけようとする。全ての物事に、自分の成す行動に必ず意味があると考え、その答えがどこかに隠されていると信じている。

 

 だが、そんなものは全て幻想だ。

 人間の行動なんて、必ずしも合理的なものではない。後から考えてどうしてあんなことをしたのかと、そう思うことばかりではないか。

 彼女はただ自分がそうしたかったから、行動したというだけのことなのだろう。

 道端で出会ったクラウドを連れ回したのは、誰かに自身の心情を聞いて貰いたかったからかもしれない。

 たぶん、彼女は自分自身に正直なのだ。

 羨ましい思考だな、とクラウドは思った。

 

――そういえば、彼女が提示した報酬はデート一回だったか。

 

 クラウドがこのトリステイン王国に来たのは、トリステイン魔法学院にいるヒラガ・サイトに話を聞くためだ。

 その目的が遂げられれば、自分がこの国に留まる必然性はなくなる。

 彼女との約束を果たせる可能性は、限りなく低いだろうなと、思う

 それにしても。なぜ彼女はそんなことを言ったのだろうか。

 そして自分はなぜそれに応じたのか、それも、不思議なことだった。

 元から報酬の条件につられたわけではなかった。彼女について行ったのは、自由行動中に時間があったゆえの、気まぐれでしかなかったはずだ。

 

 ただ……、思い出してしまっただけなのだ。

 そう……、自分もやはり、合理的ではない。

 

「ふーん」

 

 考えにふけっていたクラウドを、ジェシカが覗いていた。

 どうした、と聞くと、べつに、と答えが返ってくる。

 

「まあ、タバサちゃんには黙っていてあげるよ」

「なんのことだ?」

「さあ?」

 

 ジェシカは、にやにやと、含み笑いを浮かべている。

 彼女が何か思い違いをしていることはわかったが、それを口に出して訂正する気力は湧かなかった。

 こういう手合いは何を言っても曲解するだけで話をまとも聞いてもらえないので、相手にするのは無駄に疲れるだけだ。

 クラウドは話題を変えることにした。

 

「タバサは、まだ戻ってきていないのか?」

「うん?さっき一度、本を買い込んで戻ってきたんだけど、その後またどこかに出かけちゃったわよ。行き先は聞いていないわ。クラウドこそ、何か聞いていないの?」

「いや」

「ふうん、まあ、もう夕方だし、そのうち帰ってくるんじゃない?」

 

 ジェシカは楽観的な様子で答えた。

 日が沈み、トリスタニアの一日が終わろうとしていた。

 今日遭遇した、クラウドを狙ってきたあの少年について、タバサの見解を聞きたかったのだが……。そう思うクラウドだった。

 

 

 

 

「ところで、クラウド。次はこの服を着てみない?“魅惑の妖精のビスチェ”っていう、我が家の家宝なんだけど――」

「断る」

 

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 

「もうこれっきりにしてくださいませ」

「ごめんなさいね、無理なことを頼んでしまって」

「まったくですわ、陛下が城を抜け出す間、影武者になってくれなんて……。いくら”フェイスチェンジ”の魔法で顔を変えたとはいっても、魔法で調べられれば一発でばれてしまうんですから、気が気じゃありませんでしたわ」

 

 トリステイン城の自室に戻ったアンリエッタは、自分が抜け出す間の身代わりをしていた秘書官の諌言を聞いていた。

 アンリエッタは城を抜け出すのに、"フェイスチェンジ"という変装の魔法を使って、身代わりを立てていたのだ。

 

「本当に感謝しているわ。わたしの執務状況を完全に把握しているのは、秘書官であるあなたくらいなものだから」

「陛下は自身の置かれている立場というものを理解してください。あなたは女王なのですよ」

 

 秘書官は一礼すると、もうこんなことはごめんだとでも言うかのように、そそくさとその場を退いた。

 

「自覚はしているつもりよ、でも……」

 

 街で起こしたトラブルを思い返せば、確かにそのとおりだと思う。一国を預かる身でありながら一人城を抜け出したのはあまりにも浅はかだった。それでもあの場所には、あの軍人墓地にはどうしても一人で行きたかったのだ。自らの懺悔の念を示す為に。

 それはただの自己満足なのかもしれない。それでも、先の戦争で死んだ大勢の人たちのために祈りを捧げることが、自分には必要だったのだと思う。

 

“あんたは許されたいんだな”

 クラウドの言葉がアンリエッタの中で甦る。

 その通りだ、私は許されたかったのだ。

 勇敢に戦い、死んでいった者達に。

 国の為に戦った、顔も知らない領民たちに。

 だが、彼らが私を許すことないだろう。

 許して貰う機会さえ、私自身が奪ってしまったのだから。

 私にできることは、罪を背負い、今を生きる人々のために尽くすことなのだ。

 それしか、できない。

 そんなことは、本当はずっと前からわかりきっていた事だった。

 ただ、罪を認め、前に進む覚悟を、まだ私は持てていなかったのだ

 それを、あの青年は後押ししてくれた。

 

 クラウド・ストライフ

 見たこともない魔法を使う。遠い異国から来た剣士。

 自らを“異邦人”と語った彼の顔をアンリエッタは思い浮かべた。

 なぜ、私は、見ず知らずだった彼に、自分の護衛を頼んだのだろうか。

 アンリエッタは両手を胸の前できゅっと締め付ける。

 その答えは、既に彼女の中にあった。

 

「ウェールズ様……」

 

 ブルドンネ街で平民と間違われ、下級貴族に絡まれたあの時、はじめてクラウドの顔を見た一瞬、アンリエッタは彼に死んだ恋人の顔を思い出していたのだ。

 アルビオン王国皇太子ウェールズ・テューダー。

 レコン・キスタに国を奪われ、トリステインの裏切り者であるワルド子爵に殺された、アルビオンの皇太子。死後も遺体を操られて、その尊厳さえ利用つくされてしまった、アンリエッタの恋人。

 同じ金髪。整った顔。だがけっして似ていたわけではない。そのはずなのに……、クラウドの顔を、ウェールズと重ねていたのだ。

 それに気付いたあの時、思わず彼を呼び止めてしまっていた。

 彼のおかげでアンリエッタは自分の気持ちに整理をつけることができた。

 

「また、どこかで出会うことがあるでしょうか――」

 

 デートに約束を取り付けたことを思いだし、彼女は紅潮する。

 彼を引き留める理由に、なぜあんなことを口走ってしまったのだろうか。

 でも……、彼はまだしばらくこの国に滞在するようだった。

 再会してその約束を果たす機会は、まだあるのかもしれない。

 

 でも、はたしてそれが自分に許されることだろうか――。

 

 部屋のドアがノックされる。伝令の人間だった。

 はっとして顔をあげる。

 

「陛下、アニエス銃士隊長が戻りました」

「……わかりました、通してください」

 

 アンリエッタは深呼吸をすると、気を引き締め、女王の顔へ戻った。

 

 ・ ・ ・ 

 

「陛下、アニエス・ミラン・ド・シュバリエ、只今戻りました」

「報告を」

「は、ラグドリアン湖の水位減少についてですが……、残念ながら原因を特定することは叶いませんでした。それについては、魔法を用いた本格的な調査が必要であると具申します。ですが、今回の事象について、関わりがあるとみられる二人組の情報を得ることができました」

 

 アニエスがつらつらと報告を述べていく。

 トリステインとアルビオンが戦争を繰り広げている最中に、ラグドリアン湖では水位が突如として減少するという異変が起きていたのだ。

 周辺では亜人や幻獣たちが凶暴化するという事象や、さらには湖を統べる”水の精霊”が消失したとの報告がなされており、アニエス率いる銃士隊がその調査を進めていたのだった。

 

「その者たちによって、今回の異変は引き起こされたの?」

「水位減少が起こったその翌日に、その者らが湖周辺で活動をしていた情報を得ております。まず間違いなく、なんらかの事情を知っているはずです。しかも、その二人組みのうちの一人は、トリステイン魔法学院の制服を着ていたとのことでした」

「魔法学院の?」

 

 アンリエッタは驚く。

 

「ええ、トリステイン魔法学院に関わりのある人間だとすれば、あの学院に行けば何か手がかりが掴めるはずです、必ずや見つけだしてみせます。……それと、別件ですが、もうひとつ陛下の耳に入れていただきたいことがございます。おそらくはこの件と無関係ではないと思いますので」

 

 アニエスは一段と厳しく声を発した。

 

「この国に裏の世界の人間が入ったという情報です。“元素の兄弟”と呼ばれるものたちです」

「元素の兄弟……」

「ええ、その筋ではかなり有名な連中で、実はわたしも噂を聞いたことがあります。進出鬼没、狙った獲物は逃さない……腕利きの連中だと」

 

 アニエスの言葉でアンリエッタは察しがついた。昼間、自分とクラウドを襲ってきたドゥードゥーという少年の言葉。「雇い主との契約は僕の仕事じゃない」

 あれほどの魔法の腕を持った人間はトリステイン中を探してもそうはいない。

 彼はきっとその一味だったのだろう。……だからこそ、その凄腕をいとも簡単に返り討ちにしてしまったクラウドの異常性が、なおさら際立ってしまうが。

 

「何の目的で、この国に?」

「陛下のお命を狙いに来たのかもしれませんが……、私には別に思い当たる節がございます」

「それはラグドリアン湖の一件と無関係ではないと?」

 アニエスは頷いた。

「陛下は”北花壇騎士”というガリアの騎士団をご存じでしょうか?」

「……その存在くらいは耳にしたことがありますわ。諜報、暗殺……そういった闇の仕事を生業にするガリアの非公式の騎士団があると……まさか」

「はい、その”元素の兄弟”はガリアの北花壇騎士に所属しているのです」

 

「ガリアが、この件に関わっていると?」

「ええ、先ほど申し上げた二人組は、ガリア国境側で亜人退治の任務を行っていたらしく、その際にトリステイン魔法学院の制服を来た少女の方が、自分はガリアに属する"花壇騎士”であると名乗っていたそうです……おそらくは、ガリアも、その二人組を追っているのではないかと思われます」

 

 何かが繋がりそうな気配に、アンリエッタの背筋は寒くなった。

 街中で襲われた時、あの少年はアンリエッタのことなど眼中にもない様子だった。

 それどころか、何と言っていただろうか?

 最初からクラウドを捕えるために来たと、公言していたではないか。

 彼は、裏の世界の、それもとびきり一流の集団に狙われている……、その理由がわからないと彼は述べていたが、まさか……。

 アンリエッタは唾を飲み込んで、次の言葉を繋げた。

 

「……その二人組の、もう一人は?」

「は、その者は――」

 

 アニエスの語る言葉に、アンリエッタはもはや驚きを隠せなかった。

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 夕闇が迫る間近の時間、タバサが訪れたのはチクドンネ街の中でも上品な造りの酒場だった。

 手にはガリアからの指令書が握られている。

 一度、宿に戻った彼女の元に伝書ふくろうが持ってきたものだった。

 指令書には、ただこの場所に来るようにとだけ、書かれていた。

 人ごみの中をかき分けて、タバサは目立たないカウンター席のひとつに座った。

 そんなタバサを見咎めて、グラスを拭いていた店の主人は胡散臭げな口調で彼女に告げた。

 

「貴族のお嬢さん、ここはあなたみてぇな子供が来る場所じゃないですぜ。面倒ごとに巻き込まれないうちに帰ってくだせぇな」

 

 しかし、タバサは黙ったまま動かない。しかたなく、脅しを入れて追い返そうかと主人は考える。

 

「そうつれないことを言わないでくれよ。ご主人」

 

 唐突に幼い声が聞こえて、驚いた主人が目を向けると、いつの間にか金髪の少年がテーブルに腰掛けていた。

 後ろには聳えるように、大男が直立している。白い髪を短く刈り上げた大男はまるで修行僧のようにも見えた。しかし、顔に刻まれた赤い刺青が、それを明らかに否定している。

 どうみても普通の客ではない。裏の世界を生きている人間――そんな大男を従えるかのような態度で、その少年は足を組んで座っていた。

 

「あんたら、いつからそこにいた?」

「さぁ、さっきからいましたよ。あなたが気付かなかっただけでは?」

 

 尊大な口振りで首を傾げて、少年は笑って見せる。

 見た目はやんちゃざかりの貴族の子息と言った様子だったが、主人は不気味なものを感じていた。子供のなりの癖にしぐさの一つ一つがまるで子供らしくない。まるで大物の貴族のような威圧感を、目の前の子供は纏っていた。

 少年はひょいと、店の主人が拭いていたグラスのひとつを持ち上げてみせた。

 

「僕らは人を待っていましてね。できれば干渉しないでいただきたい。さもないと……」

 

 手の中でグラスがまるで高熱に当てられたかのように溶け出した。

 そして、もう片方の手の指でつっとなぞると、それは一瞬にして鉄で出来た鋭利な刃物に変貌する。

 少年は切っ先を揺らしながら笑いかけた。

 

「あまり、よくないことが起こるかもね?」

「ひっ」

 

 主人は怯えて、店の奥へ引っ込んでいった。

 

「これ、あげるよ」

 

 少年が自分で作り出したそれをタバサの前に差し出した。

 タバサはそのナイフを観察する。ガラスで出来ていたはずのワイングラスは、見事な鉄製のナイフに変貌している。 こんな芸当ができるのは高度な“錬金”の魔法を扱えるメイジくらいだ。ただ、少年は杖どころか、呪文を唱えるそぶりすら見せる様子はなかった。一体どうやったというのだろうか。

 

「おそろいのようね」

 

 タバサたちのいる席にもう一人、深いフードを被った女性が現れ、タバサの隣に腰掛けた。

 

「私はシェフィールド。あなた方の雇い主の使いよ。初めまして、北花壇騎士タバサ。そして同じく北花壇騎士“元素の兄弟”ダミアンとジャック」

「北花壇騎士?」

 

 タバサはダミアンと呼ばれた金髪の少年を見た。

 

「そう、初めまして、君が北花壇騎士7号だね。噂は聞いているよ、優秀な魔法の使い手だとね。僕らもきみと同じ北花壇騎士さ。“元素の兄弟”と呼ばれている。聞いたことはないかい?きみと同じくらい仕事をこなしているはずなんだけど」

「殺しの数なら、あなたたちの方が上よ」

「だ、そうだよ。雇い主側が言うんだから間違いはないだろう」

「どういうこと?」

 

 本来、単独で仕事をこなすはずの北花壇騎士が合同で任務を行う話など、タバサは聞いたことが無かった。それに、なぜガリアではなくこのトリステインで任務を受けるのかもわからない。

 シェフィールドはその二つの疑問に答えた。

 

「それはね、この国が今度の任務の舞台だからよ。あなたと彼らにはそれぞれ別の仕事をしてもらうわ。

直接関係がないわけでもないから、ここに集めたのは顔合わせのためよ。あなたの任務は……」

 

 一枚の紙をテーブルに差出し、そこに書かれている似顔絵を見せた。

 

「我が主は世界に四匹しかいない竜のうちの一匹を捕まえようとしているの。だけど、その竜には強力な護衛がついている。だから、それを退治してほしいのよ」

 

 そこにはヒラガ・サイト――ルイズ・フランソワーズ・ド・ヴァリエールの使い魔についての情報が書かれていた。

 どくん、と心臓が締め付けられる。

 タバサは紙面からゆっくりと顔を上げ、シェフィールドを見る。

 

「彼を殺せと?わたしと、この人たちで?」

 

 ダミアンが首を振った。

 

「僕らは僕らで別の任務があるよ。実は事前に説明を受けていてね。詳細は秘密だけど――」

「兄さん、兄さん!見つけたよ!ターゲットの男!でっかい剣を背負った、金髪のツンツン頭!さっき戦ってきたけど、すっごい強くてやられちまったよ!」

 

 ダミアンが話している最中、16,7くらいの金髪の少年が興奮した様子で店に駆け込んできた。後ろからそれを追いかけて、紫の髪の少女が入ってくる。

 

「ちょっとドゥードゥー兄さま!ダミアン兄さまたちは仕事のお話をしている最中なのよ。邪魔しちゃだめじゃない!」

「ドゥードゥー、ジャネット、どうしてここに?」

 

 ぎゃーぎゃーと騒ぎだした二人に対して、ダミアンの後ろに立っていた大男、ジャックが頭を掻きながら聞いた。

 

「あー、……ドゥードゥー。お前、話が済むまで動くなって言ったよな。それに、任務の話をそんなベラベラと人前で話すなとも言わなかったか?」

「だって、街中で見つけてしまったんだ。生きて捕獲しろだなんて、退屈すぎるから、僕ひとりで片付けようとしたんだけど、思った以上に強くてさ、コテンパンにやられちゃった。悔しいな。次は絶対勝つよ」

「待機してろっていったんだ!人の話くらい聞け!」

「痛い!」

 

 すぱーん、とジャックはドゥードゥーの頭を叩いた。

 

「無駄よ、ジャック兄さま。ドゥードゥー兄さまは、三歩歩けば任務の内容さえ忘れてしまうような、可哀想なニワトリ頭なんだから」

「おいおい、そんな失礼な言い方ないだろう!」

「本当のことですもの」

 

 ドゥードゥーは痛みで涙目になりながら反論するが、ジャネットはにべもない。

 そんなやり取りを眺めていたダミアンがやれやれと首をふった。

 

「――秘密だったんだけど、ばれちゃったみたいだね」

 

 彼らは互いを兄弟と呼び合うが、見た目では最も幼いはずのダミアンを年長として捉えている奇妙さに、なんの疑問も持っていないようだった。

 

 シェフィールドは舌打ちし、怒りを込めた声でダミアンに言った。

 

「任務の内容はあなたたちの中だけで留めておくように、言ったはずよね」

「申し訳ない。僕のふたつ下の弟は戦いのことしか頭になくてね。それ以外のことを置き忘れてしまうようだ」

 悪びれた様子もなく、ダミアンは肩をすくめる。

 

「任務の報酬を考え直してもいいのよ?」

「それなら、僕らは降りさせて貰うよ。でも、弟の話を聞く限り、ターゲットは思ったより手強そうじゃないか。今から僕らの代わりが見つかるだろうか?キミのご主人は僕らの有能さをご存知の筈だ。万が一失敗したとき、キミが命令どおり僕ら“元素の兄弟“を使わなかったためだと聞いたら、どんな顔をするだろうね?」

「……この守銭奴め」

 シェフィールドは言葉を吐き捨てる。

 

「……どういうこと?」

 

 その一言に、場が静かになった。

 タバサは怒りから声を震わせていた。

 金髪のツンツン頭、大きな大剣を背負った男。

 彼らの言う“ターゲット”というのは話を聞くかぎり、クラウドのことに間違いなかった。なぜ、彼が北花壇騎士に狙われているのか。

 

「どういうことかと、聞いている」

 

 タバサは怒りを込めた強い口調で問いただす。

 

「あの青髪の子、なんか怒っているね。どうしたんだろう」

「「お前のせいだ!」」ジャックとジャネットが同時に怒鳴った。

 

 シェフィールドは諦めたように溜息を吐いた後、口を開いた。

 

「ご想像の通りよ。あなたが“ガンダールヴ”と戦っている間、この“元素の兄弟”にあなたの連れの男を捕まえてもらうの。私の主人の“友人”がどうしても、そいつを捕えたいというのでね。本来あなたには話さなくていいことだったのに」

 

 あの“友人”……もとい、あのエルフはどこをほっつき歩いているのか、とシェフィールドは頭に手をやり、首を振る。

 今回の捕獲の任務は主の命令ではなく、あのエルフが要求して来たことだ。

 これ以上面倒なことは避けたいものね、と考えるシェフィールドを、タバサは睨みつけた。

 

「彼に、一体何をするつもり?」

「さあ?それがあなたに何か関係があるの?」

「今回の私の任務にも、あの人を捕まえることにも、同意できない」

 

 トリステイン魔法学院はタバサにとって大切な居場所だ。

 そしてクラウドはタバサにそのことを気付かせてくれた人であり、ラグドリアンで命を救われた恩人である。

 命令とはいえ、そのどちらも裏切ることは、今の彼女にできるわけがなかった。

 

「あら、本当にいいのかしら」

 シェフィールドは嘲るように笑った。

 

「この任務に成功したら、あなたの母親の心を治す薬をあげるわ」

 

 シェフィールドの言葉に、タバサは硬直する。今、なんと言った?母を、治す?

 

「あなたの母親……、可哀相に、心を狂わせているんでしょう?それを癒す治療薬を、私の主は持っているわ。あなたは今まで沢山任務をこなしているし、その働きがそろそろ報われてもいいのではないかと、主はお考えなのよ」

 

 この女の主とは、十中八九、ガリア王であるジョゼフのことだろう。父を殺し、母の心を狂わせた張本人だ。確かに、薬を盛った本人なら、その解毒薬を所持しているのかもしれない。

 母が戻ってくる。あの、優しい母さまが。

 でも、そのために自分の居場所を、大切な人を裏切れと、この女は言っているのだ。

 

「いずれにせよ、あなたに拒否権はないわ」

 シェフィールドは冷たく言い放つ。

 

「この任務を拒むのであれば、あなたの母親の命はないわ。もちろん、失敗したときは、どうなるかわかるわよね。さあ、北花壇騎士7号。任務を果たしなさい。自分の母親の心を、取り戻すチャンスなのよ。簡単なことよ、あなたは自分の任務を成すことだけ考えて、口を噤んでいればいいのだから」

「……」

 

 タバサはただ唇を噛んで震えるしかなかった。

 

 

――私は、一体どうすればいいの?

 いつか来る選択肢、それが今タバサに突きつけられていた。

 

 




次回の魔法学院編はちょっと長いので、二回に分けて投稿予定です。


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魔法学院編
Chapter 10


始祖歴6343年

スレイプニィルの舞踏会当日

 

 

AM9:12

 

 この日のルイズの朝は、いつもより一際遅かった。

 もともと朝に弱い彼女だが、今日はサイトが起こそうと身体を揺らしても、不機嫌そうな声を出していつまで経っても毛布の中から抜け出そうとしない。

 仕方なく、サイトは起こすのを諦めて、騎士隊の訓練の為に部屋から出て行ってしまった。それからもう、しばらく経っている。

その気配に気付いていたが、ルイズは声をかけなかった。

 実を言うと彼女はふてくされていたのだ。

 水精霊(オンディーヌ)騎士隊――アルビオン戦争後、アンリエッタ女王によって再編された由緒ある近衛隊の副隊長に任命されたサイトは、このところ自分の騎士隊の訓練に夢中になっている。その忙しさからか、最近ルイズに構ってくれなくなっていた。それが気に入らないのだった。

(あんたは私の使い魔なんだから、もう少しご主人様に気を使ってもいいじゃない)

 だが、それを言葉にして伝えることもなんだかプライドが許さない。

 だからルイズはふてくされるしかないのだった。

(どうせ夕方から始まる舞踏会以外は何もないし、もう少し眠っていようかしら)

 そんなことで、もう一眠りしようとしたルイズだったが、そこで邪魔が入った。

 なにやら耳をつんざく低い音が、外から響いてくる。

 なによ、うるさくて眠れやしないわ。

 布団を深くかぶり音を防御しようと思ったルイズだが、音はだんだんと大きくなり、しまいには強い振動まで感じるようになっては、そうも考えていられなくなった。

「何よ、また地震?」

 先日の地震の騒ぎを思い出したルイズだが、どうやらこの振動は先ほどから響く轟音と関係があるようだ。

 原因を確かめるため、ベッドから立ち上がって窓を開け、外の様子を確かめた。

 その時、学生寮の上空に巨大な陰が通り過ぎる。

 船のような大きな物体が、トリステイン魔法学院の真上を飛んでいた。

「な、なによ!あれ?」

 その時のルイズはまだ知らなかったが、それは魔法学院の教師、コルベールが開発した最新鋭の飛行艇『オストラント号』だった。

 

 

PM5:08

 

 

 もうすぐ夕方が訪れるという頃合い。ルイズは魔法学院中央棟二階にあるダンスホールの広いバルコニーに寄りかかっていた。

 ルイズの背後では魔法学院の使用人たちが、今夜の舞踏会の準備のため、忙しく動き回っている。

 ルイズが眺めているのは、ヴェストリの広場にできた人だかりだ。

 魔法学院の生徒たちに、学院の教師であるコルベールが囲まれている。

 コルベール教授は魔法学院がメイジの賊に襲撃された際、生徒たちのために身を挺して戦い、亡くなったとされていた。だが、実は生き延びてゲルマニアにいたらしく、今日になって帰ってきたのだ。

 そのため、襲撃の際にコルベールに助けられた生徒たちが群がり、口々に感謝を述べているのだった。

 その人だかりの中には、先程までサイトの姿もあった。

 涙ぐんで嬉しそうにコルベールと話していたサイトの顔を、ルイズは思い出す。

 無理もない、コルベールが死んだと聞いて一番落ち込んでいたのは他でもないサイトだったのだから。

 コルベールは異世界から来たサイトを認めてくれた理解者だった。

 サイトにとって世界とか立場とかを越えて心を許せる人物だったのだ。

 そんな彼を心配していたルイズにとっては、胸をなで下ろす思いであった。

 ただ、コルベールの帰還に関して、腑に落ちない点もいくつかある。

 例えば――

 

 むにゅん。

 やわらかい、全てを包み込むような感触がルイズの頭にのしかかってくる。

「やっほー、ルイズ。久しぶりね、元気にしてた?」

「……その重くて邪魔なものを、今すぐ退けなさいツェルプストー」

「あら、あなたにお裾分けをしてあげようと思ったのに」

「余計なお世話よ!」

 ルイズがまったいらな胸から声を張り上げて怒鳴ると、抱きついていた彼女は離れた。

 キュルケ・アウグスタ・フォン・ツェルプストー。

 魅惑的な艶やかな肌と燃えるような赤い髪、そしてグラマラスな体型を持つ女性だ。彼女は隣国ゲルマニアからの留学生である。

 ルイズにとっては、彼女の実家であるヴァリエール家と国境を挟んで戦争を重ねてきた一族の一員ということで、因縁のある相手でもある。

 ハルケギニアの長い歴史の中、ヴァリエール家とツェルプストー家は血みどろの殺し合いを何度も行ってきたのだから、無理もない。

 そうでなくとも、ルイズはキュルケのことが気に入らなかった。

 例えば……この胸、胸、胸!

 この女の胸をひっつかんで自分の胸にくっつけられたら、どんなに良いことか……、というか、少しくらいよこしなさいよ。

 ルイズの怒りが頭の中で勝手にエスカレートしていく。

 そんなルイズの湧き上がる感情をよそに、キュルケは長い赤髪を優雅に撫でつけていた。

「どうだった、わたしのジャンの船は?」

 船とはまさしく、今朝ルイズが目撃し、コルベールとキュルケが一緒に乗ってきたあの船を指していた。『オストラント号』は現在、魔法学院から少し離れた平原に停泊している。

 コルベールが見たこともない船に乗って帰ってきたものだから、皆驚いたものだった。どうやらあれはゲルマニアの最新式の船らしい。

 先程、ルイズは見物に行ってきたのだが、確かにすごい船だった。通常の船の三倍はある長大な翼を長い鉄のパイプで支えているのだ。翼の中央には大きな煙突が二本突き出た機関室と大きなプロペラがあり、石炭を燃やして熱せられた水から発生する蒸気の力で、巨大なプロペラを回転させる仕組みになっていた。

 コルベールが発想した水蒸気機関というものらしいが、あれを実現させたのはゲルマニアの優れた冶金技術があってこそだった。百メイルにも及ぶまっすぐな鉄のパイプを作る技術は、悔しいがトリステインにはない。

 

「あれほど長くて丈夫な、船の支柱に使えるような鉄材を加工するなんて、トリステインには無理よ!わたしのジャンの設計を現実のものにするにはゲルマニアの火の技術が必要だったのよ。火のツェルプストーと炎蛇の運命の出会い!つまり愛の結晶てわけ!」

「教師を捕まえて”わたしのジャン”ね。あんたってば本当に節操がないわね」

「あら、失礼しちゃう。素敵な殿方に惹かれるのは当然のことよ。それにあたしも今回ばかりは、けっこう本気なのよ?」

 キュルケにしては珍しく誠実な、それも幸せそうな笑みで答えるものだから、ルイズの方がうっと、たじろいでしまう。

 キュルケとは、こんな笑顔見せる女だったろうか。サイトと共にしばらく魔法学院を留守にしていた間に、何があったというのだろうか。

 実は、先程から考えていた腑に落ちない点とは、大怪我を負って倒れたコルベールを今までキュルケがゲルマニアに連れ帰って介抱していたらしい、ということだった。

 

「どうして死んだなんて嘘をついてまで、先生を連れて帰ったのよ?」

「怖い銃士隊のお姉さんを騙さなくちゃいけなかったからよ。都合がよかったの」

「銃士隊って、アニエスのこと?」

「大人の事情ってやつよ。あなたは知らなくてもいいの」

 キュルケはやんわりとした口調で会話を区切った。

 

「それより、タバサを見ていない?さっき部屋を覗いてきたんだけど、まだ帰ってきていないみたいなのよね」

「それなら、今帰ってきたみたいよ」

「え、ほんと?」

 先程から広場を眺めていたルイズは、キュルケにわかるように指を示した。

 中庭を横切り、学生寮の方に向かう小さな少女がいた。遠目でも青い髪が識別できるので、間違いなくタバサだろう。

 あの子も不思議な子だ。頭がよくて、魔法の達人。でも無口で、キュルケの大の親友。

 そのくらいしか、ルイズはタバサのことを知らないが、これまで幾多の苦難をタバサの魔法に助けられている。

 

「本当だわ、今帰ってきたのね。まったくあの子ったらいっつも何言わないのだから困ったものね。……ところで、隣にいるのは誰かしら?」

 キュルケの言うとおり、タバサの隣には長身の金髪の男性がいた。

 背中にとてつもなく大きな剣を携えている。サイトのデルフリンガーより大きいのではないだろうか。服装から見て貴族ではないようだ。傭兵のようにも見える。

 

「タバサが雇った傭兵じゃない?」

「あの子がそんなもの雇うとは思わないけれど」

 二人は学院の女子寮の中に姿を消していくところだった。

「それにしてもなんだか……」

 タバサが学院の中で誰かと一緒にいる光景を、ルイズはほとんど見た覚えがない。

 もちろん親友であるキュルケとはよくつるんではいたが、その場合もキュルケの方から一方的に声をかけてくることが多い。タバサ自身はあまり誰かと一緒にいることを好まないようだった。

 だからなんというか、あの男性と歩いている姿が自然なものに見えて、タバサがあの青年を信頼しているように思えたのだ。

 キュルケも同じような感想を抱いたらしい。その光景を見てなんだか複雑そうな、寂しそうな表情をしていた。

 

「あ、いたいた、探しましたよミス・ヴァリエール」

 ルイズに後ろから声をかけてきたのは、舞踏会の準備で忙しいはずのシエスタだった。

「シエスタ。久しぶりね」

「はい、ミス・ツェルプストー、ご無沙汰しております」

「どうしたの?シエスタ、会場の準備で忙しいんじゃなかったの?」

「ええ、それがですね」

 ルイズに言われて、シエスタはごそごそと手紙を取り出した。

「ええっと、トリスタニアで働いている従姉妹のジェシカから手紙が来たんですけど……なんでも、サイトさんに会いたいっていう方がいるらしくて、この舞踏会の前後に魔法学院に来訪されるらしいんですよ」

「客人、サイトに?」

「あら、あなたの使い魔もすっかり有名人になったものね」

 ルイズは不信を抱いた。

 もともと異世界人であるサイトの知り合いは、魔法学院の外ではそう多くはない。

 外部の知り合いで思いつくのはアンリエッタ女王や、銃士隊のアニエス、マンティコア隊のド・ゼッサールといった王宮の面々、またトリスタニアの”魅惑の妖精邸”のジェシカとスカロン。その他には……アルビオンのウエストウッド村でひっそりと暮らしているティファニアくらいしか思いつかない。そんなサイトに一体、誰が会いにくるのだろうか。

 たしかに、サイトは最近このトリステインにおいて、めっきり有名人になっていた。なにせ、サイトは七万人の軍勢をたった一人でくい止めるという戦果を得ている、いわばトリスタニアの”英雄”だからだ。

 ――もしかすると、サイトの命を狙いに来た刺客かもしれない。

 ルイズはつい最近、ミョズニトニルンというサイトと同じ「虚無の使い魔」に襲われたことを思い出した。

 

「ねぇ、シエスタ。その客人って誰なの?素性ははっきりしている?」

「うーん、それが、遠方から来た方、としか書かれていないんですよね。ジェシカはトリスタニアに向かう馬車が盗賊に襲われた時に助けられて、その人と知り合ったらしいです。ジェシカの人を見る目は確かだから、おそらく悪い人ではないと思うんですけど……。そうそう、その人、ミス・タバサと一緒に来るらしいです」

「タバサとですって?」

「じゃあ、さっきタバサと一緒に歩いていた人がそうだったのかしらね」

 キュルケが口を出す。

 客人とは、先程、タバサと一緒にいた金髪の傭兵めいた青年のことなのだろうか。

 ルイズはタバサの素性について、トリステイン国外からの留学生ということぐらいしか知らない。

 でもタバサがルイズやサイトに対して害意があるようには思えない。……そこまで警戒する必要はないのだろうか。

 

「ミス・タバサはもうお戻りになっているのですね。どちらに行かれましたか?ちょっとその客人の案内をしないといけないので。なにせ私はサイトさん専属のメイドですし」

「あたしも行くわ。タバサとも話がしたいし」

 キュルケがそう切り出すとシエスタは、では一緒に行きましょうと頷いた。

「それなら、私から、そのことをサイトに伝えておくわ」

「いえ、そんな、ミス・ヴァリエールにお手間をお掛けするわけにはいきませんよ。サイトさんにはわたしが話をしておきますから」

 ルイズの提案にシエスタが慌てる。

「でも、あんた舞踏会の準備の仕事もあるでしょう。そんなに全部請け負っちゃって大丈夫なの?」

「それはそうですが……」

「シエスタ、ルイズがああ言っているんだし、素直にお願いしちゃいなさいな」

「うう、わかりました。すみません、お願いします。ミス・ヴァリエール」

 シエスタが申し訳なさそうに頭を下げた。

「ルイズ、あんたも少しは融通が聞くようになったじゃない。ちょっと見直したわ」

「ふん、あんたに見直されても嬉しくないわ」

 ルイズは頬を染めて、ぷいっとそっぽを向いた。

 以前のルイズなら、貴族である自分が、どうしてメイドの仕事を手伝うことがあるのかと考えていただろう。

 でも、今のルイズは昔ほど身分の違いを気にしなくなっていた。

 メイドでも、シエスタはルイズの大事な友人だ。友達が困っているなら助けるのは当然ではないか。

 

「では、ミス・ヴァリエール、行ってきますね。ところで……」

 シエスタはそう言って近づくと、ぼそっと声をかけてきた。

「例の約束の件はお忘れではありませんよね?」

「約束?ああ……」

 思い出して、とたんにルイズの口は不機嫌に曲がる。

 それは一週間ほど前に、寝ているサイトの上で交わした約束のことだ。

「そう、スレイプニィルの舞踏会で変装しているミス・ヴァリエールをサイトさんが見つけられるかどうか、です。もし見つけられなかったら……サイトさんを一日貸していただくという約束をしましたよね」

「……あんたこそ忘れていないでしょうね。あの馬鹿が私を見つけることができたら、あいつのことをすっぱり諦めるっていう話でしょ」

「メイドに二言はありませんよ」

 ふふ、とシエスタは自信たっぷりに笑う。

「言うじゃない。せいぜい吠え面かかないようにしておきなさい」

「あら、それはこちらの台詞ですわ、ミス・ヴァリエール」

 うふ、うふふ……、と二人は笑いながら静かににらみ合っていた。

 

「……あんたたちも、たいがい仲が良いわねー」

 キュルケが、面倒くさそうな表情で、そう横から口を出した。

 

 

PM5:20

 

 女子寮に入ったクラウド達二人は、タバサの自室に向かっていた。

 学院の生徒は出払ってしまっているのか、女子寮の廊下は静かで、日の沈む頃合いも重なって、ひんやりとした空気が漂っている。

 トリステイン魔法学院にとうとう辿りついた。タバサの任務を手伝っていたためもあるが、随分と時間がかかってしまったものだ。

 さすがは貴族の子息が生活する場所と言うべきか、衛兵も多く警備は厳重だった。だが、タバサと一緒だったおかげで、苦労することなくすんなりと中に入ることができた。クラウド一人では、こうは簡単にいかなかっただろう。

 

 後は、当初の目的であるヒラガ・サイトとの接触を果たすだけである。

 それについても、トリスタニアのジェシカの手紙で約束を取り付けることが出来ている。

 ジェシカの従姉妹であるというヒラガ・サイト専属のメイドは、確かシエスタという名前だったはずだ。

 まずは彼女を探して、会合の機会を作ってもらうことが先決だろう。

 はたして、ヒラガ・サイトは元の世界への帰還の方法を知っているのだろうか。

 こればかりは、実際に会ってみなければわからないことだった。

 

「タバサの部屋は、どこにあるんだ?」

「……」

 今後の行程について思考していたクラウドの少し先を、タバサが無言で歩いていた。

 彼女を眺めながら、クラウドは現状で気がかりな、いくつかの懸案に思考を移していた。

 ひとつは昨日、クラウドを襲ってきた手練れのメイジの件。

 結局、あのドゥードゥーと名乗った少年が誰に依頼されてクラウドを捕らえようとしたのかは依然わからないままだ。

 そして、もうひとつの気がかりは、タバサのことだった。

 実は、クラウドとタバサは昨日からほとんど会話をしていない。

 何か話しかけても今のように、いっさいの回答を拒否しているのだ。理由は不明である。

 クラウドが何かタバサの機嫌を損ねるようなことをしたから、無視されているのだろうか?だが、そんな行動を起こした覚えは当然ない。

 彼女との唯一の会話は、昨日クラウドが襲われた件に関して、なにか心当たりはないかと尋ねたことだった。だがそれも一言「わからない」と告げたきり、黙り込んでしまっている。

 魔法学院に来るまでの道中も終始無言で二人の間には重い空気が流れていた。

 ……もっとも、それはクラウドが乗り物酔いのために、会話をするどころではなかったこともあるのだが。

 

 ともかく、クラウドはそんなタバサの様子に疑念を抱いていた。

 もともと会話が弾むような間柄ではないが、タバサの変化はあまりにも急すぎる。

 何かを思い詰めている様子であることはわかるのだが、それ以上はいっさい踏み込めないでいた。

 彼女は一体どうしたと言うのだろうか。

 

「あ、いたいた。タバサー!」

 背後からタバサを呼ぶ声がして、クラウドは後ろを振り向いた

 こちらに急ぎ足で向かってくる二人の女性の姿が見える。

 声をかけてきた方は、トリステイン魔法学院の制服を身につけていた。長身で褐色の肌と燃えるような赤髪をもつ、どこか扇情的な雰囲気を漂わせる女性である。一方、その後ろを追いかけるように駆けてくる女性は学院のメイドのようだ。クラウドがハルケギニアに来てからあまり見かけることのなかった、珍しい黒髪だ。ジェシカと同じ黒髪なので、クラウドは彼女がジェシカの親族――つまり手紙を送ったヒラガ・サイト専属のメイドに違いないと察した。

 

「もう、帰ってきているのなら声を掛けてくれればいいのに、あなたってば相変わらずね」

 赤髪の女性がタバサに抱きついた。

 クラウドが彼女を見ていることに気づくと、彼女はウインクを投げかけてくる。

「はぁい、タバサのお連れさん。私はキュルケ。タバサの友達よ。あなたのお名前を教えてちょうだい」

「クラウド・ストライフだ。訳あって今はタバサの従者をしている」

「“今は”?じゃあ、昔は何をしていたのかしら?」

「配達屋、その前は傭兵いや……“何でも屋”だ」

「おもしろい回答をするのね、あなた」

 キュルケはクラウドを興味深げに観察している。

「では、やはりあなたがお手紙にあったミスタ・ストライフなのですね?」

 メイドの方がクラウドに尋ねてきた。

「初めまして、私、サイト・シュバリエ・ド・ヒラガの専属メイドを務めているシエスタといいます。あなたのことはジェシカから手紙で伺っています」

 シエスタはスカートの裾をつまみ、丁寧にお辞儀をした。

「こちらこそ、突然の頼みを聞いてもらって感謝している。それで、早速で悪いが、ヒラガ・サイトに会わせてもらいたいのだが……」

「え、今ですか?今夜は舞踏会ですし、その宴会の席でと思っていたのですが……」

「無理を言って悪いが、出来れば早いうちに会って話が聞きたいんだ」

 貴族のための舞踏会にクラウドが参加できるとは思えない、それにヒラガ・サイトに尋ねようと考えている元の世界への帰還方法については、内容が内容だけに、周りの耳に入ることを避けたほうが得策だろう。

 そういった理由からクラウドが少々強引に頼み込んでいると、横からキュルケが口を挟む。

「シエスタ。今夜の催しは”仮装舞踏会”だから、お客さんとの会合には適さないと思うわ。彼のお願いしているとおり、今案内してあげたらどう?サイトは騎士隊で訓練中でしょう?」

「でも、それはお邪魔になるのでは……」

「大丈夫よ、あの連中、訓練なんてしてもしなくてもポンコツぶりはたいして変わらないわ。なにせあのギーシュが隊長になることが出来るくらいなんだから」

「そ、それはミスタ・グラモンに失礼のような……。でも確かにそうですね。今夜の催しは少し特殊ですから、ミス・ツェルプストーの言うとおりかもしれません。サイトさんの方はミス・ヴァリエールからお話をしていただけると伺っていますし……確かに、今ご案内したほうが良さそうですね」

 シエスタはうん、と考え直すように頷いた。

 

「わかりました、今からサイトさんのところへ、案内させていただきますね。ところで……、ミス・タバサはご一緒になりますか?」

 シエスタは、今までの会話に参加していなかったタバサに質問を投げかけるが、彼女は無言で首を振った。

「……じゃあ、俺ひとりで行ってくるぞ?」

 クラウドが声を掛けるが、タバサはやはり返事もせず、それどころか、体を反転して、再び自分の部屋へと向かい出した。

「ちょっと、タバサ?」

 キュルケが少し驚いたように声をかけ、慌てて後を追いかける。

「あの、ええっと、これは?」

「いいんだ、俺だけでいい。ヒラガ・サイトの所まで案内してくれ」

 戸惑うシエスタにそう言葉をかけ、タバサとは反対方向に歩き始めた時だった。

 

「気をつけて」

 

 タバサの声がして、振り返る。

 彼女はキュルケを連れだって、曲がり角に姿が消えていくところだった。

「どうかしましたか?」

 シエスタが不思議そうに尋ねる。

「いや、何でもない」

 クラウドは首を振り、再び学生寮の入り口に向かって歩き出した。

 

(……そうか、そういうことか)

 タバサの一言で、気づいたことがある。

 トリスタニアの街で襲ってきた、あのドゥードゥーという少年――彼はクラウドのことを”異邦人”と呼んでいた。

 つまりあの少年はクラウドが(クラウドが異世界人であることを知っていたかどうかはともかくとして)このハルケギニアの外部から来た異端者であることを知っていたのだ。

 クラウドの情報を、ドゥードゥーはどうやって知り得たのだろうか。これはドゥードゥーの雇い主が伝えたと考えるのが打倒だろう。

 では、その雇い主は、どこでクラウドの情報を知り得たのだろうか。ここが、今までわからなかった点だったのだ。

 クラウドが異世界から来た人間であるという事実は、クラウド自身が口に出さなければ、まず外部に伝わることはない情報である。

 

 クラウドが自身の素性を包み隠さず話した相手は、タバサ以外にはいない。だとすれば、――今まであまり考えないようにしていたことではあったが――情報が他人に漏れたのは、タバサが話したからとしか考えられないことになる。

 ならばなぜ、タバサはクラウドの情報を外部に漏らしたのだろうか。彼女はクラウドのことを誰かに金で売ろうとしているのだろうか?だが、彼女が金で動く人間だとは、これまで一緒に行動してきた中で考えると、到底思えない。

 ならば、彼女は誰かに従わされていて、そのことを話さざるを得なかったのではないかと、クラウドは考える。

 では、タバサから情報を聞き出すことのできる相手とは一体何者なのだろうか。

 ここまで考えれば、思い当たるのはひとつだけだった。

――ガリア王国。

 タバサの父親を殺し、母親の心を狂わせ、今なお彼女を北花壇騎士として過酷な任務に使役している国家組織。

 クラウドを狙っているのは、ガリアと見てまず間違いないだろう。

 そうであれば、タバサの昨日からの態度の理由にも説明がついた。

 タバサがクラウドとの会話を拒否していたのは、クラウドに何か情報を話すこと自体禁じられていたからではないだろうか。

 なぜガリアがクラウドを捕らえようとしているのか、その理由はいまだ不明のままだ。クラウドには懸賞金も掛かってはいないはずだから、単純に金が目的というわけでもないはずだ。あるいはクラウドが“異邦人”であること自体に何か価値を見出しているのかもしれないが、いずれにしても憶測の域を出ない。

 

――気をつけて。

 あれは口を封じられた彼女の、精一杯の忠告だったのではないか。

 昨日クラウドを襲ったドゥードゥーは、他に仲間がいることをほのめかしていた。

 つまり、クラウドを狙う人間達が、何か事を起こそうとしているのかもしれない。

 この、トリステイン魔法学院で。

 

PM5:25

 

「あの人放っておいていいの?あなたが連れてきたんでしょう?」

 キュルケが追いついて声を掛けるが、タバサの反応はない。

 キュルケは溜息を吐いた。

 この子の無反応は今に始まったことではないけれど、最近はだいぶ角がとれて以前より反応が柔らかくなっていたのに……、こんな調子では逆戻りではないか。

 

「わたしね、あなたが帰ってきたら、一言お礼が言いたいと思っていたのよ。ありがとうね、先生を、ジャンをわたしの実家まで運んでくれて」

 反応のないタバサに向かって、キュルケは話を切り出した。

「……ねぇ、あの時、あなたと話したことを覚えている?私ね、あなたのことが心配なのよ。あなたがわたしのことを助けてくれたのと同じように、あなたの力になりたいと思っているのよ。わたしだけじゃない、きっとルイズやサイトだって、あなたの事情を聞いたらきっと助けになってくれるはず。みんなあなたには助けられているのだから当然よ。わたしが言いたいのはね、あなたは一人じゃないってことを、理解してもらいたいってことなのよ」

 キュルケの言葉に反応して、タバサは不意に立ち止まり、彼女を見た。キュルケはタバサの無表情な顔の奥で、その蒼い目が戸惑いに大きく揺れていることに驚いた。

 タバサはキュルケに何かを言おうとして――しかし、思い止まり、強く目を瞑ると、一言つぶやくだけに終わった。

「……ごめんなさい、今は一人にしてほしい」

「ちょっと、タバサ――?」

 キュルケが言い終える前に、タバサは自室に入り、ドアを閉めてしまったのだった。

「タバサ……」

 キュルケの小さなつぶやきは、廊下の石畳に染みこんで消えていった。

 

PM5:27

 

 タバサは自室に入るとドアの前で立ち尽くしていた。

 命令では、時間になるまで自室で待機。合図をまって行動を開始するように言われていた。

 時間になれば、ルイズは捕らえられ、それを追いかけてくるサイトをタバサが殺す。そしてその間にクラウドは“元素の兄弟”に捕らえられる。そういう計画だった。

 

 クラウドはあの一言で、タバサの意図に気付くだろうか。

 いや、きっと彼ならば気付く。

 タバサはクラウドを高く信頼している。その戦闘能力についても。不意打ちでもされないかぎり、彼がハルケギニアのメイジに後れをとることはないだろう。

 あの“元素の兄弟”が相手でもクラウドならきっと勝てる。もし勝てなくても、逃げてくれればいい。せめて事が始まる前にクラウドはサイトと会って当初の目的を果たしてくれればと、そう願っていた。

 あとは、タバサ自身の問題だった。

 タバサは迷っていた。このまま、言われるがままガリアの命令を聞いていても良いのだろうか?

 母の心を取り戻すことと、それとも自分の居場所であるこのトリステイン魔法学院。

 どちらが大切なのだろうか。

 どちらも、かけがえのないものだった。

 

――あなたの力になりたいの。

 キュルケの言葉を聞いて、タバサの心は動揺していた。

 わたしは、どうすればいい?

 気持ちばかりがぐるぐると巡って、考えに結びつかない。

 いつの間にか、杖を両手で強く握りしめていることに気付き、タバサは我に返る。

 タバサは杖を自分の額の前に掲げると、目を瞑り、祈りを捧げるような動作をとった。

 

 それは、クラウドの真似だった。彼が時々行う、心を落ち着かせるおまじない。

 それにどんな意味があるのかは、クラウドも知らないということだった。ただ、死んだ親友がよく気持ちを静めようとするときに行っていた動作を、真似しているのだという。

 なんだか、おかしくなった。クラウドはその親友を、タバサはクラウドの真似をして、このおまじないをしている。

 ひょっとすると、そのクラウドの親友だったという人も、誰かを真似てこのおまじないを始めたのかもしれない。

 あるいは、そうやって受け継がれていく精神のようなものが、この動作には込められているのだろうか。

 

「……クラウドなら」ぽつりと、呟きが漏れる。

 タバサにとって、クラウドは自分が未来にそうありたいと思う姿だった。

 大事な人を失い、それでも立ち止まることなく戦う彼の姿に、タバサは憧れを抱いている。

(彼なら、私と同じ境遇に立たされた時、どんな道を選ぶのだろうか)

 

――答えを問われる日は、必ず来る。だから、その時までに後悔しない答えを見つけておいたほうがいい

 

 答えを問われる時、それが今だった。

 彼は、今までタバサが自分で自分の道を選んできたのだと言ってくれた。

 ……でも私は今まで、本当に自分で道を選んでいたのだろうか。

――わたしが言いたいのはね、あなたは一人じゃないってことを理解してもらいたいってことなのよ

(わたしは……、私の選ぶ道は)

 閉じていた目をタバサは静かに開いた。その青い瞳に静かな決意を秘めて。

 覚悟はもう、出来ていた。

 

 

PM6:17

 

 

「困りましたね……」

 シエスタが呟く。クラウドとシエスタは魔法学院本塔入り口の前で立ち止まっていた。

 二人はサイトに会うために水精霊騎士団が日々訓練を行っている広場を訪れたのだが、今日は舞踏会があるため訓練自体が早く終了しており、サイトはすでに会場に行ってしまったということだった。

 サイトに会うためには本塔二階のダンスホールに入らなければならないのだが、その場所には貴族しか入れない。入り口は警備の衛兵が立っており、会場に出入りする人間を監視していた。

「なんとか、中に入れないか?」

「私だけならともかく、クラウドさんは難しいですね……。やっぱり、舞踏会が終わった後では駄目でしょうか?どうしても、今じゃないといけないですか?」

「少し事情が変わったんだ」

 タバサの一言から、クラウドは自分がガリアに狙われていることを自覚していた。彼らが場所も手段も選ばず狙ってくるとしたら、クラウドはいつ襲われてもおかしくはない。

 もし、このトリステイン学院にいる間に襲撃を受け、何か騒動を起こしてしまった場合、どうなるだろうか。きっと明日の朝までこの学院に留まれるという保証もないだろう。

 ならば今のうちにどうしても、ヒラガサイトと会っておく必要がある。そうしなければ自分は元の世界に帰る方法を永遠に見失ってしまう、そんな予感があったのだ。

 

「あなたたち、こんなところで何しているのよ?サイトに会いに行ったのではなくて?」

 声をかけられて振り向くと、そこには先ほど女子寮で出会った女性――キュルケが立っていた。彼女は先程の制服からパーティ用の派手なドレスに着替えていた。

「あんたは、さっきの……」

「どうしたのシエスタ?サイトにはもう会えたの?」

「それが実は……」

 シエスタが経緯を説明する。

「ふぅん、それで会場に入ろうとしていたってわけね。わかったわ」

 そう言うと、彼女は入り口の衛兵たちに近づいていった。

「この人、私の友人のお客様なの。中に通してあげて」

「いや、しかし、部外者を通すわけには・・・・・・」

「堅いことを言わないで頂戴。せっかくの舞踏会なんだから。大丈夫よ、何か問題があったときは責任は私がとってあげるから」

 そこまで言うのならば……、と衛兵たちは渋々了承し、入り口への道をあけた。

「さ、これで入れるわ」

「ありがとうございます。ミス・ツェルプストー」

「すまない、感謝する」

「あー、いいのよ、別に、実は私あなたに用があったの。そのついでよ」「用、俺に?」

「そうよ。……あなたにタバサのことを聞きたくてね」

 

・ ・ ・

 

 クラウドとシエスタ、そしてキュルケの三人は本塔の入り口から階段を登り、二階のダンスホールへ向かう。

「ところで、サイトを探すんでしょう。さっきも話したけど、今日の舞踏会の会場で彼を捜すのは、少し難しいかもしれないわよ?」

「いえ、サイトさんはたぶん“仮装”していないと思いますよ。変装したミス・ヴァリエールを会場で見つけだすって約束をしていたはずですから」

「ああ、さっきのあなた達の話のことね」

「何のことを言っているんだ?”仮面舞踏会”と言っていたが」

「あれのことよ」

 クラウドが尋ねると、キュルケがダンスホールの入り口の方を指で示した。ダンスホール入り口の中心に黒いカーテンがかかった場所がある。中にある何かを隠すために、周りを覆っているようだ。

「何だ、あれは」

「あれこそが、今日の舞踏会の目玉よ」

 キュルケは辺りを伺い、誰もいないことを確認すると、いたずらっぽい笑みを見せた。

「もうみんな、会場に行っちゃったみたいね。せっかくだし、あなたも”変装”してみたら?」

「何を言っているんだ?」

「いいから、中に入ってみればわかるわ」

 キュルケに押されるようにして、クラウドは黒いカーテンをくぐった。

 薄暗い空間の中にあったのは、派手なレリーフなどが一切ない、シンプル作りの鏡だった。鏡には、上から一枚の布がかけられている。

 

「その鏡を覗いてみなさいな」

 カーテン越しに誘導するキュルケの声に従い、クラウドは布を持ち上げて鏡をのぞき込んだ。

 鏡に映ったクラウドの姿が、虹色の光に覆い尽くされる。

 その強い虹色の閃光に、クラウドの眼は眩んだ。

 やがて光は消え、元の薄暗い空間に戻った。

「一体、何が……」

 閉じていた眼を開いたクラウドは、鏡に映る自分の姿に言葉を失った。

 

 そこに立っていたのは、クラウドではなかった。

 逆立った黒い髪、

 クラウドと同じ、蒼いソルジャーの瞳、

 頬にうっすらと残る十字に刻まれた傷の跡。

 その全てが、記憶に残るあの姿とまったく同じだった。

 クラウドのよく知る、今はもういないソルジャーの姿が、そこにはあった。

 

「驚いた?これは真実の鏡といってね。鏡に映るその人間が本当に心の底から憧れる人間の姿に変えてしまう鏡なの。今日のスレイプニィルの舞踏会では、これを使って自分が一番憧れている人間に仮装するってわけ」

 カーテンの中にキュルケとシエスタが入ってきて、戸惑うクラウドに説明する。

「わあ、本当に姿が変わってしまうんですね。私、初めて見ました。その人がクラウドさんの憧れている人なんですね。……あの、どうか、したんですか?」

 クラウドは答えなかった。しばらく呆然と目の前の鏡に映るその姿を見つめていた。まるで、失ってしまった記憶の断片を不意に見つけてしまったような感覚があった。

 

 憧れ……。

 そうか、

 そうなんだな。

 懐かしいような、安堵のような感情が巡り、やがてクラウドは納得した心持ちになる。

 

「俺は今でも、あんたを追いかけているんだな」

 届くことのなかった、あの背中を。

 鏡の中の親友に、クラウドは手を伸ばす。

 

――ザックス。

 彼は小さく、親友の名前を呟いた。

 

PM6:30

 

「もう・・・・・・、舞踏会始まっちゃったじゃないの」

 ルイズは自室でため息とともに言葉を漏らした。

 ドレスにもう着替えているが、サイトを待っていたのだった。

 シエスタから頼まれた客人のことをサイトに伝えようと思い、学院の中を回ったのだが、騎士隊の訓練場にサイトはおらず、いくら探しても見つけることが出来なかったのだ。

 この部屋になら一度は戻ってくるかと思い、着替えをしながら待っていたのが……結局待ちぼうけを食っただけであった。

「ご主人さまが直々に使い魔を探してあげていたっていうのに。どこで何をしているんだか――。最近は夜部屋に戻ってきてもすぐ先に寝ちゃうし、というか、もっと私に構ってくれてもいいじゃない……」

 思わず漏れてしまった本音にはっとして、ルイズは当たりを見回した。

 デルフリンガーは……、いない。サイトが持ち出しているらしい。

 知恵を持ち、口を聞く武器“インテリジェンスソード”のデルフリンガーはサイト愛用の剣であり、彼の頼れる相棒でもあった。

 ときどきルイズの言動を(本人としては壁に立てかけられているだけなのだが)盗み聞きして、彼女をからかってくるので、もし今のつぶやきを聞かれていたらどうしようと思ったのだが、その心配はなさそうだった。

 安心した彼女は机に仕舞われている、とある古い書物を取り出し、ベッドの上に座ると、それを何となく眺めた。

 

 それは“始祖の祈祷書”と呼ばれる、古から伝わる書物だった。

 ぺらぺらと何ページかめくって見るが、何も書かれていない。この本は虚無の使い手以外の人間が読んでもただの空白しかない本に過ぎない。虚無の魔法使いが自分の内に秘められた力に目覚め、その力を必要とする時に文字が浮かび上がってくる仕組みなのだ。

 

「私が魔法を使えるようになって、ずいぶん経つのね。あれだけ魔法を使いたいと願っていたのが、もうずっと昔のことみたい。私が伝説の“虚無”の使い手だなんて」

 ルイズは自分のことを振り返る。

 サイトを使い魔として召喚したことが全ての始まりだとしたら、この始祖の祈祷書を読めるようになった時が、ルイズの運命の分岐点だったのかもしれない。

 ルイズは子供の頃から、周りの貴族たちと違い、魔法を使うことができなかった。

 両親は多くの高名なメイジを家庭教師に手配するなど、あらゆる手を尽くしたが、ルイズには魔法を使える兆候すら見えなかったのだ。

 いつしか周りも、しまいには両親さえもルイズを見放し、彼女に向けられるのは深い失望だけとなっていた。(もっとも、それはルイズの勘違いであったのだが)

 あの頃の劣等感は今でも忘れられない。

 それが、この始祖の祈祷書と巡り会うことではじめて、自分が伝説の”虚無”の魔法使いだと知ったのだった。

 以来ルイズは己の”虚無”の力を幾度となく使うことになった。

 タルブでは巨大な戦艦を撃墜し、ダータルネスでは敵軍隊をまるごと幻影で欺いて見せた。世界を巻き込む己の力の強大さを思いだし、ルイズは思わず身震いする。

 私と、――サイトには、これからいったいどんな試練が待ち構えているんだろうか。

 ルイズには、自分の未来が見えなかった。

 

 その時、ルイズの手の中で、ぼんやりと祈祷書に魔法の光が点った。

 

担い手よ、心せよ

 

「え?」

 

 空白だったはずのページに、突然文字が浮き上がる。

 そこに書かれている内容に、ルイズは目を見開いた

 

担い手よ、心せよ。

 

恐ろしき、ものが、この地に、近づいている。

 

大いなる災厄、を凌ぐ、恐ろしき災い、が

 

あらゆる、不吉を、はらんだ、禍々しき、ものが

 

この始祖の、地に、降りかかろうと、している。

 

「なによ、これ」

 それは今まで、始祖の祈祷書に浮かび上がってきたどの文面とも違っていた。

 デルフリンガーは以前言っていた。虚無が必要とする時、祈祷書には呪文が浮かび上がってくるのだと。

 初めて祈祷書を読むことが出来たとき、ここに浮かび上がってきたのは、虚無の力を扱う際の心構えを説いた序文であった。

 だが、今ここに浮かび上がっている文章は何かおかしい。

これは、心構えを説いた序文でも、虚無の呪文を記す内容でもない。

 

その災いは、全てに、滅びを、もたらそうと、している。

 

大地の力は、枯れ果て、奈落の底へと沈み、精霊の意志は、根絶される。

 

やがて、すべての生命は、死に絶える、だろう。

 

防ぐ手だては、“虚無”、のみである。

 

 

 ルイズは違和感の正体に気付いた。ここで浮かんでいる文章には文字と文字の繋がりというものがないのだ。

 祈祷書に浮かび上がってくる古代ルーン文字は、今この時はじめて書かれた内容ではない。六千年もの大昔に始祖が書き記し、残したものを、この祈祷書を読む虚無の使い手の力量に反応して浮かび上がらせているだけに過ぎないのだ。

 だが、今ルイズが読んでいるものは、まるで祈祷書の中にある文字を切りとって張り付けて無理矢理文章として繋げたような感じがして、文章としてとても不自然に見えた。

 書かれている内容についても、何やら差し迫った危機を伝えようとしているものだ。

 つまりこれは、もともとこの祈祷書の中に含まれていない事柄を、この書自身がどうにかして伝えようとしているのではないだろうか。

 

担い手よ、備えよ

 

担い手よ、心せよ

 

その災厄は、地の底、深い奈落からやってくる。

 

「なんなのよ、これ」

 ルイズは震えた声で立ち上がった。

 こんなことは今まで一度もなかった。どう考えても普通じゃない。

 始祖の祈祷書がここまでして虚無の使い手に伝えなければならない何か異常なことが、このハルケギニアに起ころうとしているのだ。

 誰かに、このことを伝えなければならない。

 誰に?こんなことを話せる相手は一人しか思いつかない。

 

「サイト、サイトはどこ?――サイト!」

 ルイズはサイトを探し求めて、部屋を飛び出していた。

 

 

 

PM?:??

 

 

 トリステイン魔法学院の正門を、フードを深く被った4人組がくぐろうとしていた。

 一瞬後には、彼らの姿は闇の中に消えていた。

 後に残されていたのは、彼らを制止しようとして命を絶たれた衛兵たちの死体だけだった。地面には、一滴の血痕さえ残ってはいなかった。

 

 

 水面下で進行していた事態は表面に浮かび上がり、

 今、物語の道筋を大きく書き換えようとしている。

 そして、事件は起こる。

 

 

 




ゼロ魔、FF7共々、独自設定全開の章となります。
元素の兄弟は独自設定により大幅な能力強化をしています。表面的なキャラ付けは原作に近づけたつもりですが、中身は別人に近いものとなっています。それにより元素の兄弟が使う魔法には、私が勝手に考えたものが多分に含まれています。ご了承ください。


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Chapter 11

PM6:30

 

 

「もう元の姿に戻っちゃうの?せっかくだから、あの姿でいればいいのに」

「あれでは、ヒラガサイトと会っても俺が誰だかわからないだろう」

 クラウドは元の姿へと戻り、キュルケ、シエスタ達と共に会場を回っていた。

「まあ、それもそうね。用があって会いに来たって言うのに、変装していたら意味がないものね」

「そういえば、ミス・ツェルプストーは変装されないんですか?」

「私はパス。正直、性に合わないのよ。“自分の理想とする姿”なんて。私はありのままの自分でいたいわ。……さて、サイトは何処にいるのかしら、知らない顔ばかりだからわからなくなっちゃうわね」

 キュルケが周囲を見回す。ダンスホールは“真実の鏡”によって変装した人達で溢れかえっていた。宮中の有名人と思しき貴族の格好をした者や、御伽噺にでも出てきそうな立派な風体の戦士、年配の紳士淑女達など……、多種多様な人々が談笑し、音楽に合わせて踊っている。その様子は、どこか混沌めいてさえいる。

 この状況ならば、明らかにメイジではないクラウドの姿もかえって目立つことはなく、好都合だった。

 

 クラウド達の横をアンリエッタ女王の姿をした誰かが通り過ぎた。それを見て、シエスタがぼそりと告げる。

「給仕たちの間で噂になっていたことなんですけど、実は今日の舞踏会にアンリエッタ女王ご本人も参加される予定だったらしいんです。ですが、どうしてか急遽キャンセルされてしまったとか。一目お姿を拝見したかったのですが、残念ですね」

「トリステインの女王様も忙しいのね。まあ、今は戦争が終わった後だし、仕方ないんじゃないかしら?……それにしても、サイトったら、なかなか見つからないわね。闇雲に探してもきりがないわ。シエスタ、悪いけれど会場の奥の方を見てきてくれないかしら?」

 キュルケが意味ありげに目配せすると、何かを察したのか、シエスタは頷いた。

「わかりました。もし見つけたらまた戻ってきますね」

 シエスタが行ってしまうと、その場にはクラウドとキュルケだけが残された。

 

「シエスタを遠ざけたのは、タバサについて聞くためか?」

「あら、ばれてたか」キュルケがくすりと笑う。

「さっきも言ったけれど、あなたと話がしてみたかったの。タバサがあなたを信頼しているように見えたから。あの子が他人を周囲に近づけることなんて、滅多にないのよ。ねえあなた、どうしてあの子と一緒にいるようになったの?」

「ラグドリアン湖で倒れていたところをタバサに助けられてな。それ以来の縁だ。一応、雇われた傭兵ということになってはいるが、実はヒラガサイトに会うために、彼女に同行させて貰っていたんだ。代わりに彼女の仕事を手伝っていた。……ガリアの騎士としての仕事をな」

「……その様子だと、あの子の事情を知っているのね。あなたが一体何者なのかについては、今は深く詮索しないでおくわ。ただ、これだけは聞いておきたいの。ねえ、今のタバサのこと、あなたはどう見ている?」

 

 クラウドは少し間をおいて、その問いに答えた。

「魔法の才能はずば抜けている。だがそれに相反して、心には危うい面を抱えている。一人にしておくのは、少し心配だ」

「……そうね、私もそう思うわ」

 キュルケは同意して頷く。

「あの子は何でも一人で抱えてしまおうとする。あの小さな身体に、背負いきれないほどの大きな宿命を抱えているというのに。でも、それでも、あの子は決して誰かに助けを求めようとはしないの。……私にも」

 彼女は切なげに呟いた。

「私はね、あの子が一人静かに本を読んでいる。そんな何気ない仕草が好きだった。私とはまるで正反対で、だからこそ友達になれたのかもしれないわ。でもね、タバサの抱えている事情を知った時、それがあの子の本当の姿ではないとわかったの。だから私は、あの子の笑顔が見てみたい。その為に、あの子の力になりたいと思っているわ」

 キュルケは真っ直ぐにクラウドを見つめた。

「……ねえ、もしタバサがあなたに助けを求めるようなことがあったら、その時は力を貸してあげて頂戴。あの子の親友としてお願いするわ」

「……わかった。俺もタバサには恩がある。約束しよう」

 クラウドが頷くと、キュルケは微笑んだ。

「やっぱりあなた、いい男ね。ジャンがいなければ、あなたに惚れていたかもしれないわ。ねえ、あなた、情熱はご存知?」

「興味ないね」

「つれないわねぇ」

 キュルケがくすくすと笑う。

 その時、シエスタがちょうど二人の元に戻ってくる。

 

「クラウドさん、サイトさんを見つけましたよ」

 

 

PM6:40

 

 

「どうだい、僕のこの姿!可愛いだろう!?まるで天使のようだ!なあ、そうは思わないかい、サイト?」

「ああ、そうだな。お前がマリコルヌじゃなければな」

 己の全身をきつく抱きしめながら話しかけてくる可愛らしい美少女――の、姿をしたマリコルヌに対して、才人はうんざりした口調で言い放った。

 今日の舞踏会で美少女に変身してやるとか朝から抜かしていたが、まさか本当に実行するとは思わなかった。可愛いのに、中はマリコルヌ。なんという詐欺だろうか。地球にいた頃、ネットゲームに嵌っていたことがあったけれど、ネカマの正体を知ってしまった時と同じような気持ちかもしれない。

 

「はっはっは。まあいいじゃないか、サイト。何に化けるかは自由なんだ。マリコルヌの好きにさせてあげようじゃないか」

「そういうギーシュこそ、誰だよ、その格好は?」

 ギーシュは派手に装飾した服を纏った、メイジの騎士と思しき姿に変装していた。

「これは若かりし頃の僕の父上さ。父上は若いころ魔法衛士隊に入隊していたことがあってね。どうだい、この凛々しき姿!僕はまさに、父上の容姿を受け継いでいるんだ」

「あら、本当、服装のセンスの無さまで受け継いでしまっているのね」

「ああ、モンモランシー、女王陛下のお姿でそんな辛辣な言葉を僕にかけないでおくれ、なんだかゾクゾクしてきてしまうよ」

「どいつもこいつも……」

 父親の姿になったギーシュと、それに蔑みの視線を注ぐアンリエッタ女王に化けたモンモランシーの会話から離れ、才人は会場を見回した。舞踏会の会場であるダンスホールには生徒の姿はあまりなく、なんだか偉そうな人達で溢れかえっている。

 ここにいる人達は皆ギーシュ達と同じように“真実の鏡”で変装しているのだ。今日の舞踏会が、魔法の鏡で自分の理想とする人物の姿に変身するものだと事前に話には聞いていたが、実際にこの目で見て才人は関心していた。魔法って、やっぱりすごい。

 

 ところで、水精霊騎士団での訓練終了後、部屋に戻らず直接会場にやって来た才人だったが、先程からずっと、ルイズを探しているのだった。

 実は才人は、真実の鏡で変装したルイズをこの舞踏会で見つけ出すように言われていたのだ。その報酬は、ルイズと交わしたとある約束である。

 

――もし、私を見つけることが出来たら、こないだのアルビオンの夜の続き、してあげる。

 アルビオンの夜、とは、もしかしたら才人がルイズと結ばれていたかもしれない出来事があった夜のことである。その続きとは……、なんともになんともな発言ではないか。

 よって、これはなんとしてもルイズを見つけ出さなければと、サイトは張り切っていたのだった。

 しかし、ルイズは一体誰に変装しているのだろうか。妥当な線で言えば、姉のカトレアあたりかもしれない。ヴァリエール家の実家に行った時の、ルイズのカトレアへの甘えっぷりを、才人はよく覚えている。――もうひとりのお姉さんの、エレオノールさんはないだろうな。あの人超怖いし。

 そんな風にルイズの変装した姿を想像していたサイトに、声がかけられる。

 

「サイトさーん。よかった、ようやくお会いできました」

 そこにいたのはシエスタだった。後ろにはキュルケと、初めて見る顔の金髪の男性がいる。

 誰だろう?

「シエスタ、どうしたんだ?」

「サイトさんにお客様ですよ」

「客?」

「何よ、ルイズから聞いてないの?」キュルケが口を出す。

 そもそもルイズには会っていないので、そんな話は初耳だった。今、目の前にいる金髪の男性がその客人なのだろうか。

「なんだなんだ。サイトに客だって?」

 ギーシュ、モンモランシー、マリコルヌ達も会話を止めて、その男性を興味深そうに見つめていた。

 男性と視線が合う。深い蒼の瞳。まるで青空のようで、それがなんだか印象的だった。

 

「お前が、ヒラガサイトなのか」

 驚いたような口調で、男性はそう問いかけてきた。

 

 

PM6:40

 

 

 ルイズは女子寮の自室から階段を駆け下りた。入り口を出たところで一度立ち止まって、乱れた息を整える。

 勢いで飛び出してきてしまったが、サイトは一体何処にいるのだろう。さっき学院内を探し回った時は見つけることが出来なかった。探していない心当たりのある場所は、舞踏会の会場である本塔のダンスホールだけだ。すでに舞踏会は始まっているし、サイトがいるとしたら、もうそこしかないはずだ。

 ルイズが向かうべき場所を定めた、その時だった。

 

「そんなに急いで、何処に行くつもりなのかな?」

「誰!?」

 闇の中から声をかけられ、驚いたルイズは反応する。

 フードを深く被った4人の人影が、ルイズに向かって歩いてきていた。

 女子寮の明かりにその顔が照らし出される。男が3人、女が1人。どれも知らない顔だった。この魔法学院の生徒でも、教師でも、もちろん使用人でもあるはずもなかった。ただ、ルイズは声をかけてきた先頭の男以外は杖を握っていることに気付いていた。

 

――こいつらは、メイジだ。

「あなたたち、誰?何処から入ったの?この学院の人間じゃないわね」

「失礼、紹介が遅れたようだね」

 一番先頭にいた男がフードを下ろす。現れた顔は金髪の、まだ幼い少年のものだった。

「僕はダミアン。後ろにいるのは、僕の兄弟たちさ。世間で僕らは“元素の兄弟”と呼ばれている」

「“元素の兄弟”ですって」

 ガリアの裏世界で名を挙げている“元素の兄弟”の名を、名家ヴァリエール家の人間とはいえど、トリステインの学生でしかないルイズが知るはずもなかった。

 ただ、ルイズは自分より年齢がさらに低いと思われる幼い少年の余裕ある言動に、異様な不気味さを感じていた。

 

「まあ、僕らのことなど、どうでも良いでしょう。僕らはあるお方からの依頼であなたをお迎えに上がったのですよ。ルイズ・フランソワーズ・ルブラン・ド・ラ・ヴァリエール」

「どうして私の名前を知っているのよ?迎えに来たって、一体誰が!?」

『私が、彼らに依頼したのよ』

「その声は……!」

 聞き覚えのある女の声に、ルイズは戦慄する。

『久しぶりね、トリステインの“担い手”』

 女の声は、ダミアンの肩に乗っている人形から発せられていた。この声の主をルイズは知っている。――ミョズニトニルン。ありとあらゆるマジックアイテムの力を自由自在に引き出す力を持っている女。サイトと同じ、虚無の担い手に召喚された“虚無(ゼロ)の使い魔”だ。

『偉大なる我が主が、お前に会いたいと仰っている。一緒に来てもらうわよ』

「……お断り、よ!」

 ミョズニトニルンの言葉に、ルイズは杖を引き抜いて叫んだ。

 

『“エクスプロージョン”!』

 杖先に光が走り、大きな爆発が元素の兄弟を包んだ。同時に、ルイズは魔法学院の本塔に向かって走り出していた。この程度の攻撃で連中が簡単に諦めるだろうとは思っていない。だが、ルイズ一人で実力も未知数な4人を相手にするのはあまりにも無謀である。一刻も早く助けを求める必要があった。

「――サイト」

 使い魔の名を、彼女は呟く。

 

 

PM6:44

 

 

「やれやれ、おてんばなお嬢さんだ」

 爆発で巻き上げられた煙の中から、何事もなかったようにダミアンが姿を現した。

 彼はルイズと一番近い距離にいながら、ルイズの魔法をなんなく回避していたのだ。常人とは思えない反応速度だった。

「大丈夫かい、みんな」

 ダミアンの声に大男のジャックが答える。

「俺とジャネットは大丈夫だ。ただ、ドゥードゥーが爆風に吹っ飛ばされた」

「お~い、誰か、起こしてくれよ!」

 爆発でめくれ上がった地面に上半身が埋もれたまま、ドゥードゥーが助けを求めていた。

「ジャック、助けてやれ」

「本当にもう、ドゥードゥーお兄様ったら世話が焼ける……」

 ジャネットが呆れて愚痴を漏らす。

 

 

『本当にあなた達に任せて大丈夫なんでしょうね』

 ダミアンの肩に乗っている人形が問いかけた。――ミョズニトニルン、元素の兄弟達の前ではシェフィールドと名乗っている彼女の本体は、魔法学院から離れた場所で待機している。

「もちろんだとも。“ヴェリエール家の御令嬢”と“異邦人”の捕獲。どちらも全て僕らが引き受けよう。それで弟の失敗の件は許してくれたまえ。我々は引き受けた仕事は必ず完遂する。安心して見ているといい、ミス・シェフィールド」

『ならいいのだけれどね』

「それにしても君のご主人は、なぜあんな他国の一学生を、ここまでして誘拐しようとするんだろうね」

『そんなことを、お前が知る必要はない』

 シェフィールドが鋭く言い放つ。

「まあ、それもそうだね」

 ダミアンは肩をすくめる。しかし、彼はその理由に見当をつけていた。

 

(なるほど、あれが“虚無”か)

 ダミアンはルイズの魔法を一目見ただけで、その正体に気付いていた。先のアルビオンとトリステインの戦争の中、トリステインは“虚無”の力を持つ人間を切り札にしているとの噂をダミアンは聞いていた。なるほど、それは事実であったわけだ。

 四大系統のどの魔法にも当てはまらない、伝説の力を持つ“虚無”の魔法の使い手。

 そして、未知の魔法を操るという“異邦人”。

 どちらも興味深い素材であった。少なくともダミアンが抱く“夢”を叶えるためには。

 しかし、ガリアの王は一体何をするつもりなのだろうか?この様な形で“虚無”を誘拐すれば、トリステインとの間で重大な国際問題に発展することは目に見えているはずだ。

 最悪の場合、トリステインとガリアの間で戦争を始めることになりかねない。あるいは、それこそが狙いなのか。

 ……いや、あの王の考えていることがダミアンに図れるはずもない。なぜなら、あの王の行き着くところにあるものは、つまるところ“破滅”でしかないのだ。世界の、あるいは己自身の破滅さえも、あの王は望んでいる節がある。

 世間一般で“無能王”と蔑まれる男のあまりにも危険なその思想を、ダミアンは十分に承知していた。

――だからこそ、僕らが利用のしがいもあるのだけれど。

 

「さて、彼女は本塔に向かった。“異邦人”もそこにいるはずだ。一網打尽といこうじゃないか」

『油断しないことね。ここはメイジの巣窟よ。かつて“白炎”のメンヌヴィルと呼ばれる熟達したメイジの傭兵が、手下を連れて襲撃したことがあった。けれど、彼でさえこのトリステイン魔法学院を攻略することはできなかった……』

「その話は知っているよ。下調べくらいはしているからね。でも、僕ら“元素の兄弟”には関係の無い話だ」

 ダミアン達は魔法学院本搭に向かって歩き出した。

 

 

PM6:46

 

 

 ルイズが本塔の入り口に辿り着くと、先程の爆発音を聞きつけた衛兵二名が集まっていた。同時に、漆黒のマントを纏った男性が階段を下りてくる。この魔法学院の教師で“疾風”の二つ名を持つギトー教授だった。

「何事かね、騒々しい」

 相変わらずの冷たい雰囲気を放つギトーは、息を切らしたルイズを見つけると呆れた表情になる。

「ミス・ヴァリエール。一体何をしているのかね?舞踏会はとっくに始まっているぞ。まったく、最近は使い魔共々、王宮より厚遇を受けているようだが、この学院でも同じ待遇を期待できると思うのは大きな間違いだ」

「ちがいます……、ギトー先生。侵入者です!メイジの賊が、この学院に!」

「なんだと、何を言って……」

 ギトーの視線が、ルイズの背後を捉える。

 ルイズも振り向いた。あの四人組が、もうすぐ傍まで迫ってきていた。

信じられない、さっき放った『エクスプロージョン』は詠唱を最後まで唱えきらなかった不完全な虚無の呪文ではあったけれど、大怪我を負わせるほどの威力があったはずだ。

 それが、あの四人にはまるで通用しなかったというのだろうか。

 

「……成程、事情はわかった。ミス・ヴァリエール、君はこのことをオスマン校長や他の教師達に伝えなさい。ここは私が受け持とう」

「ギトー先生、でも」

「二度は言わぬぞ」

 その言葉にルイズは黙って頷き、そのまま二階への階段を駆け上がっていった。

 ギトーは衛兵達に目配せをし、本塔入り口前に堂々と姿を現した四人組の前に立ち塞がった。

 

「やあ、教授。今日はいい夜ですね。舞踏会にはうってつけだ」

「用件を聞こう」

 ダミアンの挨拶を無視して、ギトーは詰問する。

「何、我々は先程のお嬢さんに用があるのです。本当にそれだけです。邪魔をしないのであれば、あなた方を傷つけることはありません。ですから、ここを通していただきたい」

「答えは“ほざくな”だ。この学院に侵入した不届きな輩を私が見逃すと思っているのか。あれは気に喰わない小娘ではあるが、我ら教師がこの魔法学院で預かる生徒の一人だ。この学院の生徒に手を出すつもりなら、この“疾風”のギトーが容赦せん!」

 ギトーの合図で、衛兵たちが飛び掛る。

 

「忠告はしましたよ。教授」

 

――赤い閃光、そして刹那

 二名の衛兵の首が宙を飛び、その身体が崩れ落ちた。

 

「なっ……」

「あ~あ~、これで余計な殺しが増えちまう。まったく、これだから貴族ってやつは頭が固い」

 ジャックが衛兵の遺骸を踏み越えて、愚痴を零す。

 ギトーは衛兵の遺骸を見る。切り落とされた首からは血の一滴さえこぼれた様子はない。切断面は焼け焦げており、わずかに、肉を焼いた臭いが感じ取れた。

 何らかの魔法を行使したと推測できる。だが、杖を使った様子はなく、その正体が全く掴めない。

(この小僧……、一体何をした!?)

 得体の知れない敵と対峙しているという恐怖を飲み込み、ギトーは気を引き締めた。

 

『ユキビタス・デル・ウインデ……』

 ギトーは自身が持てる最強の呪文を詠唱する。詠唱が終わるとギトーの身体が分裂し、もう一人のギトーが目の前に現れた。

「へえ!あなた“風”のスクウェアクラスなの!『遍在』を使えるなんて、大したものだわ」

 ジャネットが関心したように声を上げる。

「その通り、我が“風”はすべてを薙ぎ払う。“火”も“水”も“土”もそして“虚無”でさえも、“風”に打ち勝つことはできぬ。“風”こそ、すべての魔法の頂点に立つ最強の魔法なのだ!」

「す、すごい……、僕の“風”の系統ってそんなに凄かったんだ……!」

「おい、真に受けてんじゃねえよ」ジャックがドゥードゥーの頭を引っぱたいた。

「たいした自信ね……、まあ、それだけ魔法の才を持っているのなら、得意になるのも無理はないわ。ふふっ、でも残念。あなた程度では、お兄さまたちに勝つことはできないわ」

「戯言もここまでだ!我が“風”の矛を喰らうがいい!」

 ギトーの『遍在』がルーンを唱えると、杖の周りに回転する空気の渦が纏わりついた。

『エア・ニードル!』

 風の渦で作られた鋭利な切っ先がダミアンを貫こうとするその時、信じられないことが起きた。

 ダミアンが『エア・ニードル』にそっと手を触れた瞬間、手の周りに高速で渦巻く炎が現れ、『エア・ニードル』の風を拡散させ、打ち消してしまった。

 ダミアンの手はそのまま、『遍在』の身体を刺し貫き、心臓を串刺しにした。遍在は悲鳴を上げる暇すらなく雲散し、消滅した。

「何が“風”に勝てないって?」

「そ、そんな……馬鹿な!」

 ダミアンは穏やかな微笑を浮かべていた。ギトーはぞっとする。もはや、目の前にいる小さな少年が死神としか思えなかった。ダミアンが一歩前進しようとすると、ジャックがそれを妨げた。

「もういい、ダミアン兄さん。後は俺がやる」

「ジャック」

「じゃねえと、殺しちまうだろ?貴族を殺しちまうと、後が面倒だ。禍根が強く残るからな。そうでなくとも、俺は必要外の殺しってのはあんまり好きじゃねぇんだよ」

 ジャックの巨体がずいと進み出ると、ギトーは短く悲鳴を漏らし一歩退いた。

 “遍在”すらいともたやすく破る得体の知れない使い手達を前に、ギトーはすっかり冷静さを失っていた。

 

「く、来るな!我が“風”は最強なのだ!喰らえ『ウインド・ブレ……』」

「やかましい!」

 ジャックの一喝と共に飛来した物体に吹き飛ばされ、ギトーは壁面に叩きつけられた。

「多人数との戦いで正面から『遍在』を繰り出したって、大した役には立たねえよ。やるならこっそり出して、背後から奇襲をかけるとかじゃなきゃ駄目だ。そもそも『遍在』は戦闘向きの魔法じゃねえ。諜報だとか暗殺だとか、そういった裏仕事に使うほうがずっと向いてるんだ」

 飛んできたのは、ただの石片だった。――土系統の魔法、『土弾(ブレッド)』だ。

 だが、その威力は凄まじく、ギトーはもはや立つ事すら出来なかった。

「戦いっていうのは、系統魔法の重ねがけだけで決まるもんじゃねぇんだよ。そんなこともわからねえとは、これだから貴族ってやつは。魔法の力に溺れてふんぞり返るだけしか能が無いメイジ共が増えるのが良くわかるぜ。仕事柄、そんなやつら相手にすることが多くてな。火が最強だー、風が最強だーってな。まったくうんざりしてくるぜ。え?俺がそんなやつらにくれてやる言葉を、あんたに教えてやるよ」

「あ、あ……」

 恐怖に顔が歪むギトーに、ジャックの杖が向けられる。

 

「“知らねぇよ”と“くたばれ”だ」

 ジャックの『土弾』にギトーの身体は天井まで吹き飛ばされ、彼の意識はそのまま断たれた。

 

「あーもう、あんなにボコボコにしちゃって……。ていうか“くたばれ”って……ジャック兄さん、結局殺しちゃったんじゃないの」

「あほう、生きてるよ。ドゥードゥー、お前じゃないんだ。ちゃんと加減しているっての」

「勿体無いわね……。せっかく丁度良い“お人形”になったかもしれないのに」

「それなら、この人にとっては、今の状態の方が幸いだったかもね。ジャネット」

「あら、ダミアン兄さまったら。私ならここまで酷い真似はしないわよ」

 シェフィードの人形が、ダミアンの肩の上で言葉を失っていた。

『なんてことなの、スクウェアクラスのメイジが赤子扱いだなんて……』

「だから言っただろう。ここが何処であろうと、僕ら“元素の兄弟”の前には意味を成さない。さて……僕は“真実の鏡”の魔法を解くとしようか。ミス・シェフィールドには“七号”に合図をお願いしたい。――ジャネット、そろそろ頼むよ」

「わかったわ」

 ジャネットの杖の先から、白い煙が噴出した。

 

 

PM6:41

 

 

「確かに俺が平賀才人ですけど……、あなたは?」

 才人にとって、自分に客人が来るなどという話はまさに寝耳に水だった。

 客人?俺に?一体なぜ?思い当たる節は全くない。だが、考えて見れば才人は最近トリステインで自分が英雄などと祭り上げられていることを思い出した。

 もしかして、そんな俺に憧れたりして、わざわざ遠方から訪ねてきた人なんだろうか。

 ……そう考えると、なんだか悪い気はしねぇな、と才人は内心で自惚れてみる。

 だが、そんな思い上がりは客人であるその男性の眼を見て、すぐに消失してしまった。

 

 彼が才人に向ける眼は、そんな憧れだとか尊敬だとかを含んだものではなかった。わずかな戸惑いと……、才人という人間を見定めるような鋭い気配が、その澄んだ蒼い瞳から感じ取れた。どうやら並々ならぬ事情を抱えているようであった。それに……。

 

(この人……、もの凄く強いぞ)

 ルイズの使い魔となってから様々な戦いを経験し、アルビオンの戦争においては七万人の軍勢との対決でも生き残った才人である。伊達に修羅場をくぐってはいない自信があった。だからこそ、眼の前の男性が信じられない程の実力の持ち主であることを察知し、才人はにわかに緊張する。こんな人が、一体俺に何の用なのだろう?

 才人の見る眼が変わったことを、彼も気付いたようだった。

 

「……なるほど、想像していたよりずっと若くて驚いたが、どうやら英雄と呼ばれるだけはあるらしい」

「あなた、何者なんですか?」

「サイトさん、この人はサイトさんに会うために、今日この魔法学院にいらっしゃったんです。ジェシカからの紹介で、私がご案内することになっていたんですけど……」

「ルイズからそのことをサイトに伝えるように、お願いしていたんだけど、まだ会ってなかったのね」

 

「クラウド・ストライフだ」

「あ、えっと……、どうも初めまして」

 クラウドと名乗った男が求めてきた握手に、才人は応じる。

「……その左腕、どうした?」

「あれ、ガンダールヴのルーンが、なんで……」

 クラウドの手を握ると、才人の左手の甲が輝き出した。召喚した使い魔との契約を結ぶコントラクト・サーヴァントの際、ルイズによって左手に刻まれたガンダールヴのルーン。  

 それは、ありとあらゆる武器を自在に使いこなすという伝説の虚無の使い魔である証。だけど、武器を手にしているわけでもないのに、一体どうして、今反応するのだろうか。

 

「おう、にいちゃん、あんたどうにも妙な身体しているようだね」

 テーブルに立て掛けられていた剣がカタカタと揺れて言葉を発した。サイトの相棒にして意思を持つ武器、インテリジェンス・ソードのデルフリンガーだ。

「デルフ!」

「……剣が喋るのか、驚いたな」

「それはこっちのセリフさね。さっきから妙な気配がするもんで目が覚めちまったぜ。外にいる連中もあんたの仲間かい?」

「仲間?」

「デルフ、さっきから何を言ってるんだよ」

 デルフの言葉を聞いて何かを察したのか、クラウドの表情が変わる。

 

 その時だった。外から大きな爆発音が響いた。

 

「な、なんだなんだ?」

「ねえ今の、ルイズの魔法の爆発じゃない?」

「そういえばそうだね、一体どうしたんだろう」

 モンモランシーの言葉に、ギーシュが同調する。

 会場の人々は状況が掴めず、どよめきが広がっていた。ほどなくして、会場の入り口が開き、ルイズが転がり込んできた。

 

「サイト!」

「ルイズ!?」

 ルイズは才人を見つけると、人ごみを掻き分けて駆け寄ってくる。

「なんだよ、そんなに慌てて。一体どうしたんだ?」

「大変なの!この学院に侵入者が、それに始祖の祈祷書が――」

「ちょっと待て、なんだか様子がおかしい」

 才人はルイズを制し、周りの騒音に耳を傾ける。

「おい、僕らの変装が――」

「魔法が、解けている!?」

 マリコルヌやギーシュたちが慌てふためく。会場の人々が、“真実の鏡”で変装した姿から元の姿へと戻っていく。

 何者かが、“真実の鏡”を操作して魔法を解いたのだ。だが、舞踏会の終わりにはまだ早すぎる。周囲の人々が騒然とする中、次に、足元を白い煙が漂い始めた。

「おい、煙が漏れているぞ!」

「まさか、火事か!?」

「あれ、なんだか眠く……」

 会場に煙が充満しはじめ、人々が次々と倒れていく。

 

「これって……煙じゃないわ!眠りの霧、『スリープ・クラウド』よ!!吸っちゃ駄目!」

 モンモランシーがその正体をいち早く察知し、鋭く注意した。

「マリコルヌ!」ギーシュが呼びかける。

「う、うん!」

 美少女の姿から元の姿に戻っているマリコルヌが杖を構え、風の魔法で霧を吹き飛ばそうとする。しかし、スリープ・クラウドの霧はいくら遠ざけようとしても再び勢い良く戻ってきてしまう。

 

「駄目だ、霧の勢いが強すぎる。僕の“風”じゃあ防げない!」

「相当実力がある“水”系統のメイジの魔法ね……」

 キュルケが舌打ちをした。

 周囲の人々は、すでに霧を吸い込み、深い眠りに落ちていた。

 もはやこれまで、と皆が覚悟した時だった。

 クラウドが一歩前に出て、大剣を構えた。

 内蔵されたマテリアに魔力が灯る。

 “エアロ”のマテリア。その中級魔法。

『エアロラ!』

 クラウドを中心に円を描くように、凄まじい突風が吹き荒れた。

 傍にあったテーブルが激しい音を立てて吹き飛ばされる。

「き、きゃああ!」

「な、なんだ!?」

 シエスタが悲鳴を挙げ、ギーシュが肝を潰す。エアロラの風によって周囲を覆わんとしていた霧はあっという間に雲散してしまった。

「あなた、魔法が使えるの?」

 キュルケが声を上げる。彼女以外の皆も同様に驚愕の表情でクラウドを見つめていた。ただの傭兵にしか見えなかったクラウドが魔法を操ることに、驚いたのだった。

 クラウドは応えず、会場の入り口を見据えていた。

 扉が開かれ、フードを被った四人組が姿を現した。

 

「うそ……、私のスリープ・クラウドが吹き飛ばされちゃった」

「未知の魔法ね。なるほど、情報は本当だったってわけだな」

「いた!あいつだ!ダミアン兄さん、あいつだよ、あの金髪のツンツン頭!あいつが“異邦人”だ!」

「あいつは……」

 見覚えのある顔を見つけて、クラウドは言葉を漏らす。

 

「そんな、もうここまで追いついてくるなんて、それじゃあギトー先生は……」

「なんなんだ、あいつら」

「気をつけて、サイト!あいつら、この前出会った“ミョズニトニルン”の手の者よ!」

「どういうことだ」

 尋ねたのは、クラウドだった。

「あ、あんた。さっきタバサといた……」

「いいから、教えてくれ。あいつらを知っているのか?」

 ルイズが首を振る。

「知らないわよ、あんな連中。“元素の兄弟”とか名乗ってたけど。でも、あいつらを雇っている奴のことは知っている。ミョズニトニルンっていう私とサイトを狙っている女よ」

「元素の兄弟、ミョズニトニルン……」

 ミョズニトニルン。その人物が、クラウドを狙うガリアの黒幕なのだろうか。だが、クラウドは疑問を抱く。ガリアが狙っているのは、クラウドだけではなかったのか?

「クラウドさんこそ、教えてくれ。なんかあいつらに会ったことがあるようだけど、知っているのか?」

 今度は才人が尋ねてくる。

「……四人のうちの一人に見覚えがある。トリスタニアで俺を襲ってきたやつだ。理由はわからないが、俺を捕らえるつもりだと言っていた。たぶん、ガリア王国と繋がりがある連中だ」

 あのドゥードゥーという少年には、もう追って来られないほどの重傷を負わせたはずだったのだが、その傷はすっかり癒えているようだった。ハルケギニアの治癒魔法だろうか、たった一日で完治してしまうとは、この世界の魔法にも想像以上に強力なものがあるらしい。どうやら、クラウドは自分の認識が甘かったようだと自覚する。

「ガリアですって?ねえ、それってもしかして、タバサが何か関係しているの?」

「おそらくはな。そのことについて、タバサは俺に何も話さなかった。あるいは、話せなかったのかもしれないが」

 表情を蒼白に変えたキュルケに、クラウドは首を振って応える。

 

「あんた、さっきから何を言ってるのよ。あいつらはさっき私を攫おうとしていたのよ」

「ルイズ、だったか?あいつらがあんたを狙う理由は?」

「気安く名前を呼ばないで頂戴。それに、あんたに教える義理なんてないわよ」

 ルイズに突っぱねられて、クラウドは才人を見る。

「……詳しく説明すると長いんスけど、ルイズには他のメイジには無い特別な力があって、たぶん、そのせいで狙われているんだと思います。それで俺はルイズの使い魔だから、ルイズを守っているというか……」

「ちょっと、何勝手に話しているのよ!こいつが何者なのかすらわからないっていうのに!」

「落ち着けよ、こっちだって状況がわからないんだ。このくらいの情報交換は必要だろうが。現に、ミョズニトニルンがガリアの手の人間だなんて、俺たち知らなかったじゃないか」

「うう~!だからって、ご主人様の意見も聞かずに話を進めるんじゃないわよ!」

「……なるほど、“英雄”も苦労が多そうだな」

「はは……、そんな大層なもんじゃないですけどね」

 才人が苦笑するが、すぐに真面目な顔になる。

「でも、そうすると一体どうなっているんだ?あいつらが狙っているのは、ルイズなのか?それともクラウドさんなのか?」

「――あるいは、その両方か」

 まるで、捕らえるべきターゲットが集うこの瞬間を狙って行動を起こしたかのようだった。よほど腕に自信があるようだ。先に戦ったドゥードゥーのことを鑑みるに、相当の実力を持つ集団であることは間違いない。

 クラウドは四人組を観察する。その中で、一番幼い金髪の少年に注目した。四人の中で、この少年は他とは違う何か異様な気配を漂わせている。それはソルジャーとしての能力と、クラウドの長年の経験から察知した勘のようなものであったが、彼は確信を持っていた。

――こいつが、リーダーか。

 

「ヒラガ・サイト。お前は、そのルイズを連れてここを離れろ」

「え?」

 クラウドの突然の提案に才人は戸惑う。

「奴らの狙いが俺と彼女の両方なら、それで二手に分かれるはずだ。四人まとめて相手にするよりは、多少は楽だろう」

「でも、それだったら、一緒にここで戦ったほうが!」

「大勢の人間が気絶しているこのホールでか?余計な巻き添えが増えるぞ」

「それは……」

「……俺の用事は後回しだ。あいつらを片付けた後で話そう」

 才人は思い出す。そういえば、この人は才人に会うために、この学院にやってきたはずなのだ。

「クラウドさんは、一体どうするんですか?」

「ソルジャーが戦場において為すことは、ひとつだけだ」

「ソルジャー?」

 クラウドは、大剣を握り直した。

 

 ・ ・ ・

 

「ねえ、ジャック。今回の“異邦人”捕獲の仕事にかけられた報酬は、いくらだったかな」

 クラウドを注視しながら、ダミアンが尋ねた。

「十四万エキュー。ガリアの王様は金に頓着がねえからな。俺らのお得意様だ」

「それで、あの“異邦人”を実際に見て、その値段は相場に見合っていると思うかい?」

「んー」

 ジャックは難しい顔をして頭を掻いた。

「……正直、割に合わねえな。実際にやりあってみねえことにはわからねえが、ありゃ相当な手練れだ。ドゥードゥーが敵わなかったってのも頷ける」

「ふむ、僕も同意見だ」

 ダミアンは頷いた。

「ジャック、ドゥードゥー、ジャネット、“異邦人”は君たち三人に任せる。殺す気で構わない。ヴァリエールの御令嬢の方は僕一人で十分だ」

「うい、了解と」

「わかったわ」

 ジャックとジャネットが答える。

『待ちなさい、殺すなんて、何を勝手なことを言っているの。仕事の内容は捕獲よ』

「言葉の綾というやつだよ。ミス・シェフィールド。そのくらいの気でいかないと、こっちがやられてしまう。あの異邦人は、それだけの実力を持っている」

「ちょっと待ってダミアン兄さん。あの“異邦人”とは僕一人でやらせてよ。昨日の負けた借りを返さなきゃ気がすまない」

「駄目だ。ドゥードゥー、言うことを聞くんだ」

「でも!兄さんの“魔法薬”を使えば、今度こそ!」

「あの薬はあくまで内包する魔力量を底上げするものであって、きみの実力が増すわけではないよ。きみ一人で戦ったところで、あの男には勝てないだろう。一度戦ったのなら、力量の差くらい判断がつくはずだ。それとも、そんなことすら理解できないほど、きみの脳みそはお粗末なのかな?」

「うっ……」

 ドゥードゥーはたじろいだ。個々人が裏世界で一流の実力を持つ“元素の兄弟”といえども、長兄のダミアンは他の三人が束になっても敵わない恐ろしい存在なのだ。

「三人で協力して戦うんだ、いいね」

(……おい、ダミアン兄さんを怒らせんな、お前のせいで今回の仕事の交渉だって苦労したんだからな)

(今のうちに謝っときなさいよ)

ジャックとジャネットが小声で助言する。

「……わ、わかりました。ゴメンナサイ」

 ドゥードゥーの謝罪に、ダミアンが頷く。

「よろしい。では、始めようか」

 

 

「――いいや、ここで終わりだ」

 ダミアンの眼前に、大剣を振り下ろそうとするクラウドの姿が迫っていた。

 

 



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Chapter 12

PM7:00

 

 

「ダミアン兄さん、危ねぇ!」

 

 大男が叫ぶ刹那、クラウドは金髪の少年に目掛けて大剣を振り下ろしていた。

 鈍重な金属の激突音が、振動となって空間に響き渡る。

 衝撃の反動で、ダンスホールの床に大きな亀裂が走った。

 だが、その中心で、少年の眼差しがクラウドを真っ直ぐに捕らえていた。

 

「なるほど、ドゥードゥーが敵わないわけだ」

 

 クラウドの瞳孔が驚きに見開かれる。

 少年はクラウドの振り下ろした大剣を前腕で受け止めている。その腕は、輝く銀色に変化していた。ドゥードゥーと同じ、『硬化』の魔法を用いた防御だった。

 

「はじめまして、“異邦人”」

 

 その唇が言葉を発する形になる瞬間、ぞくり、と背筋に寒気が走る。

 クラウドが反射的に身体を仰け反らせるのと同時だった。強烈な赤い閃光が下方から床ごと抉り、クラウドの肩を切り裂いた。

「ぐっ!?」

 熱気と風が肌を掠め、激痛が走る。傷口を斬られながら“焼かれて”いた。

 後退するクラウドに対し、少年は薄い笑みを浮かべて口を開く。

 

「今の一撃を避けるとは思わなかった。やはり、一筋縄ではいかないようだね」

 クラウドは肩の焼けた裂傷に触れる。ほんの少し掠った程度であったため、戦闘に支障はない。だが、何をされたのか、それがわからない。

 眼下では、金髪の少年によって切り裂かれた床の跡が炎を燻らせている。

 これは、ハルケギニアの魔法なのだろうか?だが、目の前の少年が杖を手にしている様子は全くない。こいつは、これまで戦ってきたメイジ達とは様子が違う。

 

「改めて、紹介させてもらおう。僕は“元素の兄弟”の長男、ダミアンだ。ドゥードゥーから聞いているかもしれないけれど、ある方の依頼で君を捕まえるために派遣されたんだ」

「ガリアの差し金か。一体、何が目的だ」

「察しが良いね。話が早くて助かるよ。でも、残念ながら、雇い主の目的は僕らにも知らされていないんだ。理由は直接、本人に尋ねてみるといい。答えてくれるかどうかはわからないけど。まあ、どの道、力ずくでも君を連れて行くつもりだけどね」

「はたして、そう上手くいくかな」

 クラウドは大剣を中段に構え直し、ダミアンに狙いを定める。

 

「だろうね。君は強すぎる。その強さはこのハルケギニアにおいてまさに異質なものだ。普通のメイジではまるで歯が立たないだろう。だけどね異邦人、君が今まで見てきた者達は、僕らメイジのほんの一面に過ぎない。君はまだ、メイジの裏側を知らない」

「裏側、だと」

 クラウドが訝しむ。

 

「そう、君がこれまで見てきた者達は、いわばメイジの光の部分。……君はまだ、僕らの“闇”を知らないのさ。僕らメイジは六千年もの永き時に渡って、このハルケギニアの地を支配し、君臨してきた。それを成し得たのは、魔法という力があったからだ。だが、時が経つにつれ、メイジ達のその多くが力の扱い方を忘れてしまった。僕らの操る魔法とは、単にスクウェアとか、トライアングルといった名前ばかりの称号が全てではないことを、これから君に教えてあげよう。メイジの、本当の力を――」

 クラウドの背後に大きな影が差す。いつの間にか、ダミアンの仲間の大男がクラウドの背後に回りこみ、拳を振り上げていた。

 

「――僕ら“元素の兄弟”がね」

 振り下ろされた拳を、クラウドは咄嗟に大剣で防いだ。

 再び激しい金属音。そして、衝撃に弾かれる。

 

「お前の相手は、ダミアン兄さんじゃねえんだよ!!」

 クラウドは男の殴りつけてきた拳を見た。その拳は硬い鋼鉄と化していた。

 この男も『硬化』を――、己の肉体を武器に変化させて攻撃してきたのだ。

 クラウドは吹き飛ばされ、ダンスホール入り口の扉に叩きつけられる。

 壊れた扉の上で立ち上がり、体勢を立て直すも、今度はドゥードゥーが飛び掛ってきた。

 

「また会ったね異邦人。一対一でないのは残念だけれど、昨日の雪辱、ここで果たさせてもらうよ!」

 ドゥードゥーの繰り出す『ブレイド』による強烈な突きを、上体を反らすことで避ける。だが、その青白い刃は生き物のように大きく撓ると、切っ先の軌道を変化させて再びクラウド目掛けて襲い掛かってきた。

 クラウドは大剣を盾にして『ブレイド』の一撃を受け止める。火花が瞬き、反動に足元がぐら付く。

 クラウドが負傷させたはずのドゥードゥーだが、彼の驚異的な 『ブレイド』の威力はまったく衰えていないようだ。

 

「ちっ!」

 次々と襲い来る攻撃に、クラウドは一度退かざるを得なかった。踵を返し、扉の外へ出て階段を下へ駆け下りる。

「ドゥードゥー、ジャネット!追え!俺もすぐに行く!」

「わかった!」

「まかせて、お兄様!」

 二人は頷いてクラウドを追いかける。

 

「そっちは頼んだよジャック。油断しないように」

「おう、兄さんも気をつけてな」

 ダミアンの肩を軽く叩くと、ジャックは他の二人の兄妹の後に続いてダンスホールの扉から外へ出て行った。

「さて、待たせたね。次は君の番だよ、ミス・ヴァリエール」

 ダミアンは振り返って、そう言い放つ。

 

 

PM7:03

 

 

「な、なんなんだよ、あいつら……」

 マリコルヌが呆然とした様子で言葉を漏らす。マリコルヌだけではない。才人達は皆、目の前で繰り広げられた光景に圧倒されていた。

「ねぇちょっと、どうするのよ。あいつ、こっちに来るわよ」

 ダミアンがこちらに向かって近づいてくるのを見て、モンモランシーは怯えたようにギーシュに縋り付いた。

「サ、サイトさん……」

 シエスタが才人の後ろに隠れてぶるぶると身体を震わせている。

 才人はルイズとシエスタを庇うように前に立ち、デルフリンガーを構えた。

「な、なあサイト、相手は一人だけなんだ。僕達みんなでまとめてかかれば、なんとかなるんじゃないか?」

 ギーシュの提案を真っ先に否定したのは、デルフだった。

「やめときな、お前さんたちが束になったところで敵う相手じゃねぇよ。さっきあの兄ちゃんが何で真っ先にあの小僧に斬りかかったのか、その理由がわからねぇのかい?」

「ギーシュ、デルフの言うとおりだ。あいつはヤバい」

 才人は、目の前の少年が秘めた実力の恐ろしさを正しく認識していた。

 

 あの四人組は皆それぞれが、これまで才人が戦ってきたメイジ達とは一線を画す実力を持っていた。それでも、一対一であれば、なんとか才人でも対抗できる自信があった。

 

 だけど、こいつは違う。

 こいつは他の三人より遥かに、桁違いに強い。

 クラウドは、それを理解していたからこそ、迅速にダミアンを排除しようとしたのだ。だが、それも失敗に終わった。ダミアンはそんな簡単に倒されてしまうような生半可な実力者ではなかったのだ。

 

――こいつは、俺が今まで戦ってきた奴らの中で一番強い相手かもしれない。

 才人は自身の震えを隠すようにデルフを強く握り直した。

 

「サイト」

 ルイズに呼ばれて振り向く。彼女は才人の顔を見ると、黙って頷いた。ルイズの考えていることは、おそらく才人と同じだろう。やはりここは、クラウドの言葉に従うほうが良さそうだ。

 

「あいつの狙いはルイズだ。俺とルイズであいつを引き付ける。みんなは倒れている人達を介抱してやってくれ」

「そんな、それじゃサイトさん達が危険です!私も一緒に!」

「だめよ、シエスタ。あいつら、目的の障害になるものに対して決して容赦しないわ。あなたを巻き込むわけにはいかないのよ」

「ミス・ヴァリエール、そんな……」

「私は一緒に行くわよ。ガリアがタバサに何かさせようとしているなら、黙っていられない」

「駄目だ、キュルケ。あいつは――」

 

「――相談は終わったかい?」

 ダミアンの声がして振り向く。こちらに向かってきていたはずのその姿が、忽然と消失していた。

「相棒、上だ!」

 デルフの声に反応して見上げると、ダミアンが上空から勢い良く落下してくるところだった。

 ――いつの間に!?そう考える猶予すら無く、ダミアンが振り上げていた踵を思いきり床に叩き付ける。

 ダンスホールの床が複数に裂けて叩き割れ、才人達は分断される。

 

「きゃああああああ!!」

「ルイズ!」

 崩壊するホールの床に足を取られるルイズを抱きかかえると、才人はそのままバルコニーから飛び降りた。

「サイトさん!ミス・ヴァリエール!」

「おい、サイト!大丈夫かい!?」

「俺達は大丈夫だ!ギーシュ、シエスタ、みんなを頼む!」

 上方から聞こえるギーシュとシエスタの声に、才人は落下しながら答えた。

 だが、大丈夫とは言ったは良いものの、このままでは地面に激突してしまう。“ガンダールヴ”の力があるとは言え、無傷では済まないだろう。

 ある程度の負傷は仕方ないと覚悟した才人だったが、ぶつかる直前に浮力を感じ、ゆっくりと地面に着地した。

一緒に飛び降りたキュルケが『レビテーション』の魔法をかけてくれたのだ。

 

「キュルケ、助かった!」

「感謝は後にしなさい。それより、ここを離れるわよ」

 才人は頷く。才人、ルイズ、キュルケの三人は本塔のバルコニーから飛び降りて、学院の正門とは正反対に位置するヴェストリの広場と呼ばれる場所に降り立ったところだった。

 才人達は使用人用の通用口から学院の外へと駆け出た。通用口を抜けると前方にはうっそうと茂る森が広がっている。森の闇に紛れれば、追跡を免れることができるかもしれない。

 しかし、その時上空を何者かの影が通り過ぎる。影はダミアンだった。ダミアンは才人達の行く手を遮るように眼の前に勢い良く落下した。

 かなりの速度で落下したというのに、ダミアンは平然とした顔で立ち上がる。

 

「さあ、追いかけっこはこれでお終いかい?」

 才人達が身構えると、ダミアンは両腕を広げてとぼけて見せた。

「……なんなの、あいつ。普通のメイジではないことはわかっていたけど、何かおかしいわ。そもそも、魔法学院の床を砕いたのだって異常なのよ。この学院の構造物には強力な『固定化』がかけられているはずなのに」

 ルイズの言葉に、才人は以前彼女が話していたことを思い出した。この魔法学院は歴代の校長達によって幾重にも『固定化』がかけられているため、相当な頑強さを備えているはずなのだ。それこそ、巨大なゴーレムが殴りつけても無傷で済むほどに。それなのに、あのダミアンとかいう少年はそれを易々と破壊してみせた。才人達を回り込んでみせたその尋常ではない身のこなしといい……、普通のメイジとは明らかにかけ離れた存在だった。

 

「どうなってんだ。あいつの身体、普通の人間じゃねえ」

「……なるほどな、あの小僧、身体中に先住魔法を仕込んでいやがるんだな」

「なんだって?」

 デルフの言葉に反応し、サイトは聞き返す。

「簡単に言えばだな、あいつの身体は生身じゃねえんだ、腕、脚、関節……いたる所に先住魔法をかけているんだ。それも相当に強力なやつだ。おそらく、他の三人も同じように身体の中に先住魔法を仕込んでいるんだろう。そいつのお陰であいつらは人間離れした力を発揮できるってわけだな」

「なんだよそれ。じゃあ、あいつがさっきから杖を持っていないのも、先住魔法を使っているからなのか」

「いや……、あの小僧はさっき『硬化』の魔法を使っていた。あの兄ちゃんの攻撃を防いだときは腕に、ホールの床を砕いた時は脚にって感じにな。『硬化』を自分自身の身体にかけるなんざ、使い方が常識からかけ離れちゃあいるが、あれはれっきとしたメイジの魔法だ。先住魔法じゃねえ」

「それって……、じゃあどういうことだよ」

 先住魔法とは、人間以外の種族が用いることができる魔法の一種のことである。自然の力を借りることにより、杖なしでも魔法を行使することが可能になるという。異世界人である才人がその全貌を詳しく知っているわけではないが、このハルケギニアで杖なしで魔法を使う方法があるとすれば、考え付くものは、まず先住魔法しかない。

 だからこそ、才人は戸惑った。メイジという存在は杖と呪文の詠唱が無ければ魔法という力を扱えないというのが、このハルケギニアでは常識であったからだ。

 実際、才人がこの世界で見てきた、戦ってきたメイジとは、そういうものだった。現にダミアン以外の他の3人にしたってそうだ。彼らは確かに杖を手にしていた。なのに、この少年だけが杖もなしに魔法を操っている。

「わからねえ……、だが、どうにも、こいつには先住魔法以外の何かカラクリがありそうだ。……メイジの“闇”ってのもあながち嘘じゃねえのかもな。そもそも自分の身体に先住魔法を仕込むなんて考えからしてどうかしてやがる。ドラゴンの吐く火炎でパンを焼こうとするようなもんだ。普通なら器となる肉体の方が耐え切れなくなって壊れちまう。発想からしてイカレてやがるね。こいつらも、それに……あのクラウドとかいう兄ちゃんの身体もな」

「……?クラウドさんが何だって?」

「さてね、後で本人に聞いてみるといい。お互い無事であればだけどな。とにかく相棒、今回ばかりはこっちの分が悪いぜ」

「何言ってるんだよデルフ。そんなの、いつものことじゃねえか」

 才人はダミアンに向けてデルフを構え直した。

 

「サイト……」

「ルイズ、退がっていろ。こいつは俺がやる」

 才人は自分の心を強く、奮い立たせる。

 自分の大事な人を――ルイズを守りたい。その強い心の奮えが、“ガンダールヴ”の力となるのだ。

 才人の感情に呼応するように、左手の甲のルーンが強い輝きを放つ。

 その輝きを見て、ダミアンが反応する。

 

「その左腕のルーン文字……、なるほどね。君が彼女の“守り手”というわけか」

「ルイズには手出しさせねえ!俺が相手だ!」

「困ったな。君と戦うことは、僕らの仕事の対象外なんだ。むやみにやり合うわけにもいかないんだよ」

「こんだけ好き勝手にやっておいて、今更何を言ってやがる!」

「ふむ、ごもっとも。だが、筋を通すところは通さないといけないのが、この手の仕事の道理というものでね。まあ、いいだろう。少しの間、相手をしてあげるとしよう。かかって来るといい」

 ダミアンが挑発する。

「この野郎!舐めやがって!」

「よせ、相棒!不用意に飛び掛るんじゃねえ!」

 デルフの忠告は間に合わなかった。 

 “ガンダールヴ”の力で強化された身体は、一瞬にしてダミアンとの間合いを詰める。

 才人は上段から勢い良く斬りかかった。

 しかしダミアンはガンダールヴ最速の一撃を難なく回避する。空振った剣筋が地面に刺さる瞬間には既に、背後に回りこまれていた。

 

「なっ……」

「――さすがに速い。だが、まだまだ単調」

 ダミアンの振り上げた蹴りが、才人の腹部に直撃する。

 才人はゆうに10メートルは飛ばされて、そのまま地面に叩きつけられた。

 

「サイト!!」

 悲痛なルイズの叫びが夜の闇に響きわたる。

 

「……うっ、がああああああああああああああああああああああ!!」

 腹部に走る激痛に才人はのたうち回った。

 呼吸が乱れ、口から吐き出された咳には血が混じっていた。

……駄目だ、強すぎる。力だけじゃない。こいつはスピードさえも“ガンダールヴ”を遥かに上回っている。

だが、これは……。

 

「どうしたんだい?『硬化』は使っていないから、まだ立てるはずだよ。それともまさか、これで終わりではないだろうね。君を殺すことは僕らの仕事には入っていないからね。間違って死なせてしまうわけにはいかないんだけど」

 そう、ダミアンは『硬化』を使っていなかった。ただの蹴りでこの威力なのだ。もし、『硬化』を使った一撃を喰らっていたとしたら……、既に才人の命は無かったに違いない。

 そのことが、才人に否が応にもひとつの事実を気付かせていた。

 

――こいつ、手を抜いてやがる。

 

 ダミアンはどういう訳か、才人の事を殺さないように手加減を加えて戦っていたのだった。

 圧倒的な実力の差だった。

 今の俺じゃあ、こいつには勝てない。

 わずかな戦いの間で、才人はそれを悟る。

 

 それでも、そうだとしても。

 才人は身体を起こして立ち上がり、震える手を握り直してデルフを構えた。

「それでも、俺が諦めるわけには、いかねえんだ!」

 才人の叫びに、“ガンダールヴ”のルーンが共鳴して輝く。地面を蹴り上げ、再びダミアンへと迫る。

 

「その不屈の精神。なるほど、なかなか見応えのある少年だ。でも残念だけど、ここまでだ。君の相手はもともと僕じゃないんだよ――」

 危機を察知したデルフが叫んだ。

 

「相棒!横だ!」

 ダミアンに斬りかかる寸前で、才人は真横からの突風に叩きつけられた。この感覚は知っている。“風”の魔法『エア・ハンマー』だ。

 側面からの衝撃に打ちのめされながらも、才人はなんとか体勢を立て直して地面に着地した。

 

「くそ、今度はなんだ!?」

「上から来るぞ!」

 デルフの言う通り、氷の矢の群れが才人目掛けて降り注ぐ。才人は剣で払ってそれらを叩き落した。

 この魔法も知っている。『ウインディ・アイシクル』だ。

 この氷の魔法は――。

 その時、地面すれすれを素早く滑走しながら、接近してくる影があった。

 影が手に持つ大きな杖で才人の喉元を突こうとするのを、咄嗟に防ぐ。

 視線が交わる。闇に沈むような蒼い瞳。その姿は――

 

「タバサ!?どうしてお前が!?」

 才人に攻撃を仕掛けてきたのは、タバサだった。

 久しぶりに会ったタバサからの突然の襲撃に才人は戸惑い、問いかける。

 だが、彼女の返答は、魔法だった。

 

『ウインド・ブレイク!』

「うわあっ!」

 吹き荒れる突風に、才人は成すすべなく飛ばされる。そのまま、学院はずれの森の茂みの中に突っこんで、姿が見えなくなった。

 

『その少年の相手は、あなたに頼んだわよ、“北花壇騎士七号”タバサ』

「……」

 ダミアンの肩に乗ったシェフィールドの人形に掛けられた言葉に反応を示さず、タバサは森の中へ消えた才人を追いかけていった。

 

「そんな、何でタバサが?……」

 タバサの行動に困惑したのはルイズも同じだった。一体何故彼女がサイトに攻撃を仕掛けたのだろうか?だが、ダミアンはそんな戸惑いの暇さえ与えてはくれないようだった。

 

「さて、ミス・ヴァリエール。これで君を守る“盾”は取り除いた。そろそろ観念してもらおうか」

 ダミアンがルイズに再び向き合う。そこに、今度はキュルケが立ち塞がった。

 

「あなた達、タバサに何をしたの?」

 キュルケはダミアンの肩に乗るシェフィールドの人形を睨みつける。

『あら、何をするも何も、あの子は元々こちら側の人間よ?私たちの命令に従うことに何か不都合があって?』

「嘘をおっしゃい、あなた達が無理やり従わせているんでしょう!」

「だとしたら、どうするのかな?」

 ダミアンが涼しい顔で問う。

「決まっているわ。私の友達に手を出すことは、許さない」

 キュルケが呪文を唱えた。

「キュルケ!駄目よ!」

 ルイズが制止の声を上げる。

「燃えなさい!『フレイム・ボール』!」

 キュルケの杖先から巨大な火球が出現し、ダミアンへと一直線に飛んだ。

 だが、その火球がダミアンに触れようとする直前、突如として急激に膨れ上がると、一気に燃え上がり、そのまま燃え尽きてしまう。

「なんですって!?」

 炎の霞を切り裂くように、ダミアンが飛び出してきた。

 予想外の自体に驚くキュルケは次の呪文を唱えるのが遅れてしまう。

 それが、命取りだった。

 

「遅いよ」

 

 赤い閃光が、キュルケの杖を真っ二つに切断した。

 

 

PM7:03

 

 

 魔法学院本塔の階段を、幾条もの雷電が所構わず炸裂して破壊する。

 クラウドは壁面や天井を蹴って空間を四方に使い、雷を縫うように回避しながら、階段を下降していた。

 

「逃がすか!」

 クラウドを追跡するドゥードゥーの杖先から稲妻が迸る。風系統の魔法、『ライトニング』だ。再び雷撃が辺りに四散し、そのうちの一つが後方にいたジャネットに危うく命中しそうになる。

「ちょっと、危ないじゃない!こんな狭い屋内で狙いの定まらない『ライトニング』なんて使わないで頂戴!」

「そんなこと言ったって、“異邦人”に逃げられちまうよ!」

 クラウドは階段の最下層に辿り着こうとしていた。このままでは本塔の入り口から屋外に脱出されてしまう。

「もう、ドゥードゥー兄様ったら、不器用なんだから」

ジャネットが呪文を詠唱すると、杖先から大量の水が溢れ出した。

『アイス・ウォール!』

 杖から噴出した水が、あっという間に凍結していく。氷は壁面をつたってクラウドを先回りし、入り口の扉を氷漬けにして閉鎖する。

「ナイスだ!ジャネット!」

「さあ、これで外には出られないわ!」

 ここでクラウドを逃さず、一気に仕留めてしまうとする二人だった。

 だが、クラウドは動きを止めず、凍結した扉に向かって大剣を構えた。

――『ほのお』のマテリア、その最上級魔法。

『ファイガ!!』

 大剣から放たれた巨大な火炎が氷の壁に直撃すると、一瞬にして氷が蒸発して入り口の扉ごと消し飛ばした。

「うそぉ!?」

 ジャネットが驚きの声を上げる。

 クラウドは先程ジャックによって倒されたギトー教授の脇を駆け抜け、破壊した入り口から夜の外に出る。

 そこは、魔法学院の正門に程近いアウストリの広場と呼ばれる場所だった。その芝生の広場に出ると、クラウドは敵対者と向き直る。ハルケギニアの双月の明かりの下、その蒼い双眸がドゥードゥーとジャネットに強い敵意の眼差しを向けている。

 

「……トリスタニアの時は“土”系統の魔法。更に、さっきの“風”魔法に加えて“火”の魔法まで使えるなんてね。今の威力、スクウェアクラス相当だったじゃない。こんなに自由自在に様々な魔法を使えるなんて、インチキもいいところだわ。私たちだったら一つの系統魔法を極めるのが精一杯だっていうのに。ドゥードゥー兄様ったら、よくこんなのと一人で戦おうと思ったわね」

「相手が強大な程、燃えるものなのさ。男っていうものはね」

「馬鹿みたい、理解できないわ」

「格好つけても、負けてちゃあ世話ねえけどな」

「げっ、ジャック兄さん」

 後方から追跡していたジャックが、二人に合流する。

 ジャックは異邦人を観察した。彼は油断なく大剣を構えている。隙あらば、躊躇無く仕掛けてくるつもりだろう。こんな強敵と戦うのは、これが初めてかもしれない。

――こりゃあ、狩りがいのある獲物だな。

 ジャックは気分が高揚するのを抑えられなかった。

 いかんいかん、とジャックは自制する。これでは、ドゥードゥーの阿呆と同じではないか。……尤も、結局は同じ穴の狢であることに変わりはないが。

 

「ドゥードゥー、ダミアン兄さんの魔法薬は持ってきているか?」

「ここにあるよ」

 ドゥードゥーが懐から液体の入った小瓶を出してジャックに示した。それは、ダミアン特性の魔法薬で、飲むと使用者の魔力を爆発的に増幅させることができる薬だった。決して、むやみやたらと多用できるものでは無いが、戦闘時の魔法の威力を何倍に膨れ上がらせる効力には絶大なものがある。

「よおし、お前はそれを飲んで、しばらく魔力を溜めておけ。とどめの一撃はお前にやらせてやる。それまでの間、俺があの“異邦人”を相手にして時間を稼ぐ。ジャネット、お前は“雲”を出して俺たちのサポートだ」

「わかったわ」ジャネットが頷く。

「了解だ、兄さん!じゃあ早速……」

 ドゥードゥーは小瓶の中の液体を一気に飲み干した。途端に、ドゥードゥーの様子が変わる、彼は内側から湧き上がる力を抑え付けるように笑みを浮かべると、呪文の詠唱を開始した。

 手に握る杖からは、先程までとは比較にならないほど強烈な雷光が激しく迸っていた。

――あれを、放っておくのはまずい。クラウドの中で警鐘が鳴る。

 すぐにでも詠唱を阻止しようとクラウドは動きだす。

 

「あら、駄目よ。そっちに行ったら」

 ジャネットは妖艶に微笑むと、静かに杖を振るった。杖先から霧がもの凄い勢いで噴出し、あっという間にクラウドの周囲を覆う。

 また『スリープ・クラウド』かと、クラウドは咄嗟に手で口元を隠した。

 

「安心しなさい、これは『スリープ・クラウド』ではないわ。私の魔法で作り出した、ただの霧よ。これはあくまであなたを逃がさないためのもの、そして――」

 クラウドは『エアロラ』の魔法を使い、先程と同じように霧を吹き飛ばそうとした。しかし、霧は勢い良く舞い戻ってきてしまう。今度はクラウドの魔法ですら、霧を晴らすことはできなかった。

「無駄よ。あなたの魔法の威力は理解したわ。ならば、その威力を上回る勢いで霧を作り出すまで……。あまりハルケギニアのメイジの実力を甘く見ないで頂戴。――私はジャネット。元素の兄弟の一人にして、四大元素の一角“水”を掌る者。どう、周りが何も見えないでしょう?これで、私たちの居場所もわからない――」

 霧は周囲を覆い、視界を遮る。近くにいたはずのジャネットも、詠唱を続けるドゥードゥーの姿も、霧の中に見えなくなった。

 この霧はクラウドの視界を奪うためのものだったのだ。ドゥードゥーの魔法の詠唱が完了するまでの時間稼ぎのつもりなのか。ならば、なおさらここで先に仕留める必要がある。

 すぐさまドゥードゥーが消えた方角へと駆け出したクラウドだったが、目前の霧の中から巨大な影――ジャックが姿を見せた。

 

「おっと、お前さんの相手は俺だよ、“異邦人”」

 ジャックが杖を振ると、地面から土で作られた人形が次々と姿を現した。

 土系統の魔法『クリエイト・ゴーレム』だ。

 騎士の格好をしたゴーレム達は束になって襲いかかってくるが、クラウドは剣の一振りで一蹴する。ゴーレム達の身体が吹き飛び、破裂した四肢が辺りに飛び散る中、クラウドは速度を緩めずにジャックに向かう。

「この程度の木偶じゃあ、足止めにもならねえってか……!」

 クラウドの大剣がジャックの首筋目掛けて振るわれる。しかし、それはまたしても『硬化』の防御によって弾かれてしまう。

 反動に仰け反った姿勢のまま、ジャックが地面に杖を向けていた。

 

『アース・ニードル!』

 ジャックの周囲の地面から先端が鋭く尖った岩石群が飛び出し、クラウドを貫こうとする。追跡してくる岩の剣山を、クラウドは後転しながら回避し、再びジャックから距離を置いた。

「いやあ、今のは危なかった。しかし本当に強いな。あんた、遠い異国から来たんだっけか?ハルケギニアの腑抜けた貴族どもとはえらい違いだ。ドゥードゥーがお前さんに固執する気持ちがよくわかったぜ」

「……」

 クラウドは沈黙したまま、大剣の切っ先をジャックに向けて構える。

「おいおい、そう急くなよ。まずは、そう、お前さんの値段を教えてやろう。異邦人、俺はな、仕事の前にそいつに掛けられた値段を教えてやるのよ。自分にどれだけの価値があったのかわかれば、少しは気が晴れるんじゃないかと思ってな。ま、俺なりの優しさってやつだ。それで、お前さんをとっ捕まえるのにガリアが掛けた金額はいくらだと思う?なんと十四万エキューだ!小ぶりな城が三つも四つも買える値段だぜ?こいつはすげえだろ!?」

「……それは良かったな。俺にはその価値がいまいち理解できないが、きっと病院の治療費の足しくらいにはなるのだろう。せいぜい居心地の良いベッドでも買うことだ」

「おいおい、言ってくれるじゃねえか!今までお前さん程の値段がついた奴はいなかったんだぜ。だが、確かにそうだな。その値段でも、お前さんと戦うのは割りに合わねえよ。実際に戦ってみてそれがよくわかった。……だけどな “異邦人”結局のところ、俺は金なんてどうでもいいのさ」

「何が言いたい」

「俺みたいな傭兵崩れは、所詮戦いの中にしか生きられない。だからこそ常に好敵手を求める。生と死の駆け引きの戦場こそが俺の居場所なのさ。ダミアン兄さんの“夢”に付き合っているのも、結局はそれが理由だ。荒事に事欠かず、退屈しねえ。それに、お前さんみたいな相手とやり合えると来たもんだ。平穏な日常での暮らしなんか、真っ平ごめんだ。お前さんも俺と同類のはずだ。この気持ちわかるだろう?」

「……かもな。だが、あんたと一緒にされるのは心外だ」

「お前さんは俺が今まで出会った奴の中で最も強い。だからこそ、全身全霊を持って挑ませて貰おう」

 ジャックが両腕を左右に広げて構えた。

――双方の手には、杖が握られている。

 

「二本の杖、だと?」

 クラウドは驚く。メイジが契約を交わせる杖の本数は一人につき一本だけであると、タバサから聞いていたからだ。

「俺たちに普通のメイジの常識は通じない。ダミアン兄さんが言っていただろう?俺たちはメイジの”闇”なのさ」

 ジャックがにやりと笑う。

「俺の名はジャック。元素の兄弟の一人にして、四大元素の一角、“土”を掌る者。さあ、お前にこの世界のメイジの本当の実力を見せてやろう。そう簡単にやられてくれるなよ!」

 ジャックが右腕に握る杖を下方から掬い上げるように、力強く振りかぶった。

『アース・ニードル!』

 先程と同じ岩の剣山が地面から盛り上がり、直線上に襲い掛かってきた。

 クラウドは横に移動して回避するも、ジャックは既に先を読んで行動していた。

 

「そこだ!『土弾』!!」

 もう片方の左腕に持つ杖をジャックが振るうと、拳大の大きさの無数の土礫がクラウド目掛けて弾丸のように飛んできた。

――杖を二つ用いることで、魔法の連撃の速さが格段に増しているのか。

 素早く動いて、土の弾丸を躱す。ジャックは霧にまぎれて次々と土弾を放ってくるが、クラウドは音と気配のみで察知して全て叩き落して見せた。

「ほう!器用なもんだな!だが、忘れちゃあいねえだろうな!お前さんの相手は俺だけじゃねえんだぜ!なあ、ジャネット!」

 ジャックが霧の中に向かって吼える。

 

「ええ、その通り。もう準備は整ったわ」

 ジャネットの宣言と同時に、下方から上方に向けて突如として強風が湧き上がる。周囲を覆っていた霧が勢い良く上昇し、魔法学院の上空で巨大な雲を形成した。見る見るうちにどす黒く染まった暗雲は、月明かりを遮ってしまう。

辺り一帯が一層深い闇に覆われた。

「これは、一体……」

 暗雲によって作り出された闇の中で、青白い閃光が瞬く。

 先程までは霧の中で見えなかったドゥードゥーが姿を現していた。

 既に呪文は完成しており、増幅した魔力を注ぎ込んだその雷光は、放たれる瞬間を今か今かと待ち臨んでいるようだった。

「やあ、“異邦人” 以前にも一度名乗っているけれど、皆に合わせて言わせてもらうよ。僕はドゥードゥー、元素の兄弟の一人にして、四大元素の一角“風”を掌る者。

――さて、待たせたね。僕の杖に宿るこの雷は、“風”の高位魔法、『ライトニング』と言うんだ。こいつは扱いが難しくてね。このまま使うと何処に飛んでいくかわからない。だから普通は小さな雲を作り出して遠隔的に発射するんだ。雲を媒介とすることで威力を増幅し、確実に相手に命中させることが出来る……、一石二鳥さ。準備に時間がかかるのが難点だけどね」

 ドゥードゥーは自分が唱えた魔法についてつらつらと説明すると、首を傾けて凶悪な笑みを向けた。

「さて、ここで問題だ。僕の『ライトニング』とジャネットが作り出した特大の雲。これから何が起こると思う?」

 クラウドは周囲の空気が急激に低下していることを感じ取っていた。

 まさか、こいつらは始めからこれを狙っていたのか。

 この位置はまずい。この場を脱出するために、クラウドは駆け出した。

 

「もう遅い、これでチェックメイトだ!」

 上空を覆う巨大な雲に向けて、ドゥードゥーが『ライトニング』を放った。

 先程までの攻防で繰り出したものよりも数倍は強大な雷光が、雲に吸い込まれる。

 

『ライトニング・クラウド!!』

 

 それは、一瞬の出来事だった。

 

 暗雲が爆発するような輝きを放ち、幾条も発生した雷電が一つの巨大な束となった。

 あたりは光に包まれ、爆発と破壊の渦が地上にいるクラウド目掛けて炸裂する――。

 

 この世を引き裂くような轟音が辺りに響き渡った。

 

 

PM7:13

 

 

「魔法学院の方角です!」

 銃士隊の隊員の一人が馬上から叫んだ。

 アニエスは銃士隊を率いて、馬で魔法学院に向かう途中だった。

 彼女達は、突如として出現した巨大な暗雲が上空を覆い、凄まじい轟音と光を放出した稲妻が魔法学院へと落下する光景を目の当たりにしたのだ。

「遅かったか!」

 アニエスは歯噛みし、昨晩アンリエッタとの謁見での出来事を思い返していた。

 

 昨日の女王アンリエッタとの謁見の際、アニエスの報告に動揺した様子の彼女に理由を尋ねたところ、アンリエッタはアニエスが追っている二人組みのうちの一人と接触していたことを告白したのだ。

 聞けばアンリエッタはお忍びでアルビオン戦争戦没者の慰霊碑に向かう途中、下級貴族に絡まれてしまったところを、その青年に助けられたのだという。そして青年に慰霊碑のあるトリスタニアの軍人墓地までの同行を依頼したというのだ。

 彼女の行動は一国を預かる身である女王として、決して褒められたものではない。だが、家臣であるアニエスにそれを咎める資格はない。また、アンリエッタが先の戦争に心を痛めていたことをアニエスは十分に理解していた。

 今聞いている話は全て己の胸に秘め、決して口外をしないことを誓うと、アニエスは話を促すことにした。すると、さらに驚くべき話を聞くことになったのだった。

 

 目的地に向かう途中になんと、“元素の兄弟”の一人と思しき少年の襲撃にあったというのだ。

 その少年はアンリエッタのことなど眼中になく――おそらくは、平民に変装していた彼女がまさかトリステインの女王だとは思いもしなかったのだろう――はじめから青年のみに狙いをつけて襲い掛かってきたのだという。

 だが、その青年は未知の魔法と常人離れした体術を用いて、襲い掛かってきた“元素の兄弟”をあっさり返り討ちにしてしまったということだった。裏家業を生業とする“元素の兄弟”を撃退できる人間がいるなどとは、にわかには信じがたい話ではあったが、それが女王アンリエッタの口から語られたとあれば信じざるを得なかった。

 

 クラウド・ストライフと名乗るその青年は、人を探してこのトリステイン王国にやって来た、と話していたそうだ。

 二人組のもう一人がトリステイン魔法学院の生徒である事実を鑑みれば、彼の目的地は、トリステイン魔法学院である可能性は高い。

 アンリエッタの証言から“元素の兄弟”がラグドリアン湖の水位減少に関わる二人組を追っているという己の推測に確信をもったアニエスはアンリエッタに了承を取り、銃士隊を率いて魔法学院に向かうことにしたのだ。

 だが、“元素の兄弟”が魔法学院で事を起こす万が一の場合に備え、隊の編成と準備に時間を掛けたことが逆に仇となってしまった。

 

(まさか、ここまで早く、しかも直接的に仕掛けてくるとは……!)

 先の稲妻は自然に発生したものではなく、明らかに魔法の力で起こされたものだった。あれほどの大規模な魔法はいくらスクウェアクラスのメイジといえど、とても使用できるものではない。もし今の稲妻を引き起こしたのが“元素の兄弟”だとするならば、その実力は想像以上に計り知れないものがある。

 アニエスは魔法学院にいる者達の安否を心配した。あそこには“虚無”の魔法の使い手であるミス・ヴァリエールとその使い魔であるサイトがいる。彼女達は”虚無“について周囲に隠しているようだが、アニエスは幾多の交流の中で既にその事実に気付いていたのだ。

 数々の困難を潜り抜けてきた彼女達ではあるが、はたしてあの元素の兄弟相手に”虚無”がどこまで通用するかはわからない。

 

 「急ぐぞ!」

 アニエスは隊に号令をかけ、魔法学院へと馬を急がせた。

 

 

PM7:13

 

 

「くそ、なんなんだ、今の稲妻は!?」

 才人は魔法学院のはずれにある森の中から、その光景を目撃した。

 巨大な暗雲が上空を覆ったと思ったら、見たことも無い程の大きさの稲妻が凄まじい音と光を発して魔法学院へと落下したのだ。自然発生したものではないのは明らかだ。あれはどう考えたって魔法の力で引き起こされたものだった。 一体、向こうでは何が起こっているのだろうか。

 

――鋭く風を切る音が耳に届く。

 

「相棒、また来るぞ!」

 才人が素早くバックステップすると、先程まで立っていた場所に氷の矢が次々と突き刺さる。

 才人の背後に回りこんでいたタバサが、今度は杖による突きを繰り出してくる。才人がかろうじて防御すると、タバサはすぐにその場を離脱し、森の中にその身を隠してしまう。

 真正面から才人と戦うのは、力の無いタバサにとって不利という判断からだろう。彼女は常に才人の死角から攻撃を仕掛けてくる。

「くそ、どうしちまったっていうんだ、タバサの奴!」

 何故、タバサが襲ってきたのか、才人にはわからない。元々無口なやつで何を考えているのかわからないところはあったが、それでもタバサには今まで様々な場面で助けられてきたのだ。盗賊フーケとの戦いから、アルビオン、タルブやラグドリアン等々、彼女の力がなければ窮地を切り抜けられなかったことも多々あった。感謝こそあれども、戦う理由なんてこれっぽっちもなかった。

 

「おい、タバサ!もう止めてくれ!俺はこんなことをしている場合じゃないんだ。それに……俺はお前とは戦いたくなんかないんだ!」

才人の必死の呼びかけに反応したのか、タバサが森の奥から姿を現した。

「……」

 タバサが再び呪文を唱え始める。才人はくそっ、と舌打ちし次に来る攻撃に身構えた。

 しかし、彼女が杖を振っても氷の矢は飛んでこない。代わりに、森の木々の擦れや虫の音といった周囲の一切の音が消失した。

「これは……」

「相棒、こりゃあ『サイレント』だ。周囲の一切の音を聞こえなくしちまう魔法だ。あの娘っこ、一体どういうつもりだ?」

「……これで、私たちの会話は外部に漏れない」

 外部から音が遮断された空間の中、タバサが真っ直ぐに才人を見据えていた。

 

「あなたに、お願いがある」

 タバサは決意を秘めた表情で語りかけてきた。

 

 

PM7:13

 

 

「なによ……、今の落雷」

「今のはドゥードゥーの仕業だね。どうやら、向こうも派手にやっているようだ」

 ルイズが巨大な暗雲から放出された落雷を見て放心する。対するダミアンは、感情を込めずに呟いた。

 

「くっ、この……離しなさい!」

「キュルケ!」

 ダミアンの下にはうつ伏せに拘束されたキュルケの姿があった。

 キュルケの杖を破壊したダミアンはその後、彼女をあっという間に捕らえて見せたのだ。

 拘束されたキュルケは悔しげに拳を握り締める。キュルケの杖を破壊して見せた赤い閃光の魔法。なんらかの魔法を使ったと思われるが、一体どうやって行使しているのか、その正体が未だに掴めないのだ。

 

 だが、一つわかったことがある。

――こいつは、”火”の系統を操るメイジだ。

 初見時にクラウドに反撃した際に繰り出した赤い閃光、あれはおそらく今さっきキュルケの杖を切断したものと同様の攻撃だ。床を切り裂いた時にくすぶっていた炎の跡を、キュルケは見逃していなかった。あれは明らかに”火”の力を用いたものである。

 それに、さっき『フレイム・ボール』を分解した現象……あれはキュルケの放った『フレイムボール』がより強力な炎に飲み込まれたことにより、その形を維持できなくなってしまった故に起きた現象だった。

 そんな現象を意図的に引き起こせるのは、火の扱いを熟知する火の系統の使い手のみ。それもトライアングルクラスの火のメイジであるキュルケの『フレイム・ボール』を打ち消せるとしたら、キュルケ以上の使い手である。

 少なくとも、ダミアンはスクウェア・クラス以上のメイジであることは間違いない。……あるいは、それよりももっと格上かもしれない。

 こんなやつが、このハルケギニアにいるなんて――。

 キュルケはあまりにも違う実力の差に愕然とする。

 

『ふふ……すごいわ、圧倒的じゃない。トリステイン魔法学院のメイジ達や、以前はあれ程煮え湯を飲まされたガンダールヴでさえ、あなたには手も足もでないなんて。まったく、いい気分だわ』

 ダミアンの肩の上でシェフィールドの人形がほくそ笑む。

「この……!」

 ルイズが杖を構える。

「おっと、止めておいたほうがいい、ヴァリエールのお嬢さん。君が魔法を放っても、僕はそれより速く動いて回避することができる。むしろ君の魔法は、君の友達に直撃することになるだろう」

「くっ……」

 ダミアンの言葉にルイズが躊躇する。

「そうだ、それが賢明だね。……実のところ、人質なんてなくても、君を捕らえることは容易い。だけど、任務の対象である君を傷つけたくはないし、出来ることなら自分の意志で僕らについて来てほしいと思っているんだ」

 

「……冗談じゃないわ」

 キュルケが拘束されながら呟く。

「キュルケ、お願いだからじっとしてて」

「駄目よ、ルイズ。こんなやつらの言うことなんて聞く必要ないわ。それに……憎っくきヴァリエール家の人間に人質として命を助けられたなんてことになったら、私はツェルプストー家の末代までの恥よ」

「なるほど、トリステイン学院の教育機関はどうやら優秀なようだ。こんな女性まで肝が座っているとはね」

「あら、どういたしまして。ところで坊やは、淑女の扱いがなっていないわね。そんなんじゃ将来――」

 

 ――ダミアンがキュルケの肩を掴み、捻る。

 ゴキッ、と人体が損傷する嫌な音が響き、キュルケの肩から先があらぬ方向を向いた。

「――――ッ!!」

「ふむ、はしたない悲鳴を上げないあたり、君は確かに淑女のようだね。言っておくけれど、僕はこう見えても君よりは年上だよ」

 悶絶するキュルケに、ダミアンが冷めた声で告げる。

「キュルケ!!あんた、なんてことを!」

「肩の関節を外しただけだ。そんなに騒ぐことはない。もっとも、君が言うことを聞いてくれないようであれば、この学友がさらに傷付くことになるだろうね。さあ、次はどうしようか。腕を折るか、肌を裂くか、それとも――命か」

 キュルケの髪の毛を掴んで持ち上げる。苦悶に満ちたキュルケの顎の下を、ダミアンの指がゆっくりとなぞる。一切の感情を込めない冷徹な眼差しがルイズを捕らえていた。

 

「君が決めるといい、ミス・ヴァリエール」

 ルイズは痛感する。この少年は本気だ。ルイズが言うことを聞かなければ一切の躊躇い無くキュルケを殺すだろう。もはや、ルイズに選択肢はなかった。

 

「わ、わかったわ、おとなしく従うわ!だから――」

 その時だった。ダミアンの周囲を、突如現れた細長い炎が幾重にも囲む。

 ダミアンがおや、と驚いた顔をする。彼が出した魔法ではないのだ。

 細長い炎は生き物のように体をうねらせると、その先端がとある生物を模り始める。

――蛇だ。

 炎の蛇は蜷局を巻き、一気にダミアンを締め上げようとする。ダミアンはキュルケを手放すと、素早くその場を脱出した。

 炎の蛇はそのままキュルケを包み込み、大きく膨れ上がると、役目を追えて弾け飛ぶ。

 飛び散る火の粉の中から、キュルケを抱きかかえた壮年の男性の姿が現れた。この学院の教師、”炎蛇”の二つを持つメイジ――ジャン・コルベールだった。

「コルベール先生!」

「ジャン……」

 キュルケがうわ言のように彼の名を呟く。

 

「私の生徒たちを、傷つけてくれたな」

静かな怒りを込めて、コルベールはダミアンに向けて杖を構えていた。

 

 

PM7:15

 

 

「なあ、ドゥードゥー。お前、今回の任務の内容、言ってみろ」

 アウストリの広場に出来た大穴を眺めながら、ジャックが尋ねた。

 ドゥードゥーによって放たれた稲妻により深く抉られて出来た大穴の中は、凄まじい放電の熱により赤黒く焼け焦げ、視界を遮るほどの蒸気が立ち昇っている。

 

「……“異邦人”を生け捕りにして、ガリアに連れて行くこと」

「そうだ、よく覚えていたな。それで、その“異邦人”はお前の魔法で一体どうなっちまったのかね」

 ドゥードゥーは目の前の焦土を見てぼそりと呟いた。

「……黒焦げ?」

「黒焦げじゃねえよ、消し炭だよ!この大馬鹿野郎!これで俺達はどうやって任務を果たしゃあいいんだよ!」

「いたい、ごめん、蹴らないで。あの、ほんとすみません」

 ジャックが怒鳴り散らしながらドゥードゥーをげしげしと蹴ってなじる。

「だって、ダミアン兄さんが殺す気でやれっていってたじゃないか!なあ、ジャネット」

「言葉の綾とも言っていたわよ。まったく、どうしてドゥードゥー兄様は加減っていうものが出来ないのかしら」

 はあー、とジャネットは深い溜息を吐いた。

「仕方ないわ。とにかく、異邦人を探しましょう。なんとか生きていれば私の魔法で治療すればいいし」

「生きているわけないじゃないか。僕の全力の一撃を喰らったんだぜ。きっと跡形も残っちゃいないさ」

「何偉そうにほざいてんだ。お前もさっさと探すんだよ!」

「痛い!」

 ジャックはドゥードゥーの頭をすぱーんっと叩くと、憤りながら大穴の方へと近づいていった。

「もう、ジャック兄さんもいちいち殴らなくたっていいじゃないか――」

――そこである事に気が付いて、ドゥードゥーは頭を摩っていた手をぴたりと止めた。

 風系統のメイジである彼は空気の流れを敏感に読みとることができる。

 彼は深い蒸気の中からこちらに急接近してくる足音を察知した。

 

 ドゥードゥーには信じられなかった。

 そんな馬鹿な。僕の最高威力の一撃を喰らって生きていられるはずがない。それどころか、まだ動けるなんてありえない。

 まさか、あの一撃を回避したとでも言うのだろうか。だが、ピンポイントに狙いを定めた雷撃を躱すなんて、一体、あいつは何者なんだ。

 

「駄目だ、兄さん!そっちに行くな!あいつが、いる!」

「なんだと!」

 ドゥードゥーの制止の声にジャックが振り返ろうとした、その時だった。

 

 大穴から湧き上がっていた蒸気の気流が、内側の一点に吸い込まれる。

 最初に見えたのは、巨大な剣の刀身だった。

 大剣を真正面に突き立てたクラウドが、蒸気を蹴破って現れる。

 クラウドの大剣が、ジャックの胴体に突き刺さった。

 

「うおおおおおおおおおお!?」

 金属の衝突音が甲高く鳴り響く。

 ジャックは間一髪『硬化』を用いて己の身を守った。

 だが、いくら『硬化』の魔法が肉体を硬質化させることが出来るとは言っても、それはあくまで皮膚の表面までの話。生体機能に関わる内面の臓器までは硬化することが出来ない。

 激しい衝突の衝撃に耐え切れず、ジャックはその巨体をくの字に曲げて膝をつき、口から胃液を吐き出した。

「かぁ……!効いたぜ、畜生!」

 よろめくジャックの様子を隙と見て、クラウドが追撃に移る。

 カチリ、と枷を外した大剣が分裂し、二刀に分かれた。

「二刀だと!?」

「兄さん、気をつけて!そいつの武器は複数に分裂するんだ!」

「そういうことはもっと早く言え、この馬鹿!!」

「ジャック兄様、私も加勢するわ!」

「来るな、ジャネット!ここは俺がやる」

 ジャックが両手の杖をクラウドに向けて構えた。

「ようは近かづかせなきゃいいだけのことだろう!『土弾』!!」

 無数の土礫がまるで散弾銃のように襲いかかる。だが、クラウドはその全てを易々と回避して見せた。

――こいつ、さっきよりも動きが速くなってやがる!?

 砲煙弾雨をくぐり抜けて接近したクラウドが、剣の間合いへと到達する。

 

「リミット」

 両の手に持つ刃が青白いオーラを纏った。

 放たれた強烈な殺気にぞわりと、戦慄が走る。

――まずい!

 ジャックは全身を『硬化』でガードした。

 

「“画龍点睛”」

 

 猛烈な勢いで体を回転させながら、クラウドが二刀の刃で凄まじい連撃を繰り出した。

 その威力は、先程の刺突さえも比較にならない。

 上方から下方へ、左から右へ。太刀筋の文脈すら無く、まるで竜巻のような剣戟の乱舞が転回する。

 一撃喰らうたびに、鋼鉄と化したはずのジャックの肉体が上下左右に振り子のように激しく振れ、金属音が狂乱して響き乱れる。

 

――硬化がっ……、持たねえ!

 

「この、野郎ォ!」

 ジャックが『硬化』した拳で反撃を繰り出すも、クラウドは右の刃で拳を捌いて受け流す。

 そして、腕が完全に伸びきった所を見計い、肘関節に左の刃を叩き込んだ。

 ボキ!と鈍い音を立てて、ジャックの腕が関節可動域とは正反対に折れ曲がる。

 全身を『硬化』で覆っているとはいえ、関節まで固定しては肉体を動かすことはできない。クラウドにそれを看破されたのだ。

 脆い関節部を破壊され、ジャックが悲鳴を上げた。

 

「うがあああああああ!!てめえェ!調子に乗ってんじゃねえぞ!!」

 失いそうになる意識を取り戻すため、ジャックは怒りの雄叫びを上げる。

 折れていない方の腕を振り、クラウドの顔面目掛けて呪文を放った。

 

『土弾!!』

 パァンと、風船が破裂する様な音を弾ませて、土の弾丸が顔面に命中し、クラウドは頭部から仰け反った形で吹き飛ばされた。

 だが、クラウドの肉体は途中で『土弾』の勢いを相殺するように自ら回転すると、体勢を崩さず、地面に膝を着く形で着地した。

 

「なっ……!?」

 ジャックは息を切らしながら、唖然とした表情でそれを見た。

「ジャック兄様、腕を見せて!すぐに治療するわ!」

「あ、ああ……。すまねえ、ジャネット」

 駆け寄ってきたジャネットが、折られた腕に『治癒(”ヒーリング”)』の呪文を掛ける。強力な治癒の呪文により骨折部分がみるみるうちに元通りに癒えていく。

 だがその間も、ジャックは着地したクラウドに向けた杖を離せないでいた。

 先程までドゥードゥーを叱り付けていたジャックが、咄嗟のこととはいえ、同じように殺意を込めて『土弾』を放ってしまったのだ。

――だが、人体を容易く破壊する威力の『土弾』を受けていながら、なぜこいつは生きていられるんだ。

 クラウドが臥せていた面を上げると、ジャックはうっと息を飲んだ。

 拳大の大きさの土礫を、クラウドは己の歯で受け止めていた。

 摩擦で生じた煙が、彼の口の中でまだ燻っている。

 クラウドは土礫をパキパキと噛み砕くと、血反吐と共に地面に吐いて捨てて見せた。

 

「おいおい、いくらなんでも冗談だろう……」

「な、なによこいつ……本当に人間なの?」

 ドゥードゥーもジャネットも、恐れ慄いた様子を見せる。

 二人共、ジャックと同じ感想を抱いたようだ。

 そう、こいつは先住魔法で肉体を強化している俺達以上に人間離れしている。

 いや、もはや人間ですらない。これではまるで――。

 

「……なるほど、昨日の怪我もそうやって治したのか。半端な攻撃を加えるのは、どうやら無駄なようだな。あんた達の言うとおりだ。どうやら俺は、メイジというものを甘く見過ぎていたらしい」

 魔法で治療されるジャックの様子を見て、クラウドは独り言のように呟く。

 

 立ち上がりながら人差し指を立て、ジャックを指差した。

 

「だが一つ壊したぞ。これでまた一本になったな」

 宣告と同時に、クラウドに向けていたジャックの杖が分断されて地面に墜ちた。

 

 ジャックの全身がぶわっと粟立ち、汗が吹き出した。

 

「てめえ、いつの間に俺の杖を……!」

 クラウドは二刀の刃を両手で構え、少しずつにじり寄る。

 その眼光は、空のような蒼色から鮮やかな緑色に変化していた。

 眼の奥にある縦に裂けた鋭い瞳孔が、ジャック達に冷たい無慈悲な眼差しをむけている。

 

 ジャックは思った。

 獲物だったのは、一体どちらなのだろうか、と。

 

――ダミアン兄さん。俺達の前にいるこいつは、もしかしたら本物の怪物(モンスター)かもしれないぜ。

 

「メイジの”闇”とやらを教えてくれた礼だ。あんた達に、ソルジャーの戦いを見せてやる」

 クラウドは、そう宣言した。

 



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Chapter 13

PM7:18

 

「コルベール先生、どうしてここが……?」

「離れの研究室にいたところで騒ぎに気が付いてね。ギーシュ君達に居場所の見当を聞いたのだ。ダンスホールでは、オスマン校長や他の教師達が生徒の救助にあたっているよ」

 ルイズの問いに答えるコルベールは、キュルケを抱えながらも、杖先をダミアンへ向けたまま離さない。その温度を感じさせない、冷たく厳しい眼差しは、ルイズの知るコルベールにはなかったものだった。

 コルベールは発明好きの変人ではあるが、彼女の知っている彼は、温厚で争いを好まない人物だった。だが、眼の前にいる彼から放たれる暗い気質は、まさしく戦いを知る者のそれであり、普段の印象とはまるで真逆だった。

 

「ジャン……、来てくれたのね。あなたってやっぱり、とっても素敵」

「……ミス・ツェルプストー、もう大丈夫だ。遅くなって済まなかった」

「もう、キュルケって呼んで頂戴って、言っているのに……」

 キュルケは弱々しく微笑む。

「気をつけて。あいつ、あたしやジャンと同じ“火”のメイジよ」

「そうか……わかった。ミス・ヴァリエール、彼女を頼むよ」

 キュルケの忠告に頷いたコルベールは、彼女をルイズに託した。

「そんな、コルベール先生、無茶よ!あいつはあの才人が手も足も出なかったほど強いのよ!」

「わかっているよ、ミス・ヴァリエール。相対する敵の強さが分からぬほど耄碌はしていないつもりだ。だが、私がこの学院の教師である以上、ここで逃げるわけにはいかないのだよ」

 穏やかな声でルイズを諭すと、コルベールは前へと進み出た。杖を構え、臨戦態勢をとる。

 

「私も君と同じ“火”の使い手だ。これ以上、君の“破壊”を許すわけにはいかん」

「コルベール……そうか、ではあなたがコルベール教授だったのか」

 厳しい視線で睨むコルベールに対して、ダミアンは余裕のある態度を崩さなかった。それどころか、目の前の人物がコルベールであることを知ると、合点がいったように笑みをこぼして見せる。

 

『あら何かしら、この男は有名なの?』

「そうとも、ミス・シェフィールド。先程あなたが話したことを覚えているかい?“白炎”のメンヌヴィルが、このトリステイン魔法学院を襲撃した事件についてだ。自分の仕事に関わることだからね、僕もこの学院のことについては、事前に下調べくらいは済ませている。それでわかったことなのだけれど、実はその事件でかのメンヌヴィルを倒したのが、このコルベール教授なのさ」

『へぇ、なんだい、このハゲのオッサンはそんなに強い男だったのかい』

 肩に乗るシェフィールドの人形は茶化したようにケタケタと笑う。

「だけど、その話について、僕には疑問が残った。メンヌヴィルは伝説の傭兵と恐れられるほどの実力を持ったメイジとして、戦場でその名を馳せていた。そんな実力者が同じメイジとはいえ、ろくに戦いも知らないであろう魔法学院の教師に敗れることがありえるのだろうか、とね。そこで詳しく調べてみると、面白い事が分かった」

「まさか……」

 会話を聞いていたコルベールの顔色が変わった。

 

「かつてこのトリステイン王国には、『魔法研究所(アカデミー)実験小隊』と呼ばれた部隊があった。トリステイン王国の魔法研究所(アカデミー)からの命令に沿って、実戦において魔法が人体へいかなる損傷を与えることができるかを検証していた闇の部隊だ。国家が命じるままに様々な汚れ仕事に従事していたらしい。まあ、まさにトリステインの暗部というやつさ。

メンヌヴィルは魔法研究所実験小隊の副隊長だった。そして……このコルベール教授こそが、その小隊の隊長だったのさ。二人は旧知の仲だったというわけだ」

「貴様……、どうしてそれを!?」

 コルベールの動揺を無視して、ダミアンは続ける。

「二人はアングル地方で行われた、とある任務を境に小隊を去っている。二十年も昔の話だ。世間一般では“ダングルテールの虐殺”として知られている。表向きは疫病が他の地域へ蔓延するのを防ぐため、ダングルテール一帯を住民ごと焼き払った事件とされている。だが実態は、ロマリア連合皇国からの要請によるトリステイン王国主導の異教徒狩りが行われていたんだ。そこではまさに、国家による“虐殺”が起こっていたのさ。

この虐殺を実行した部隊が、魔法研究所実験小隊だった。メンヌヴィルはこの事件の最中に造反を起こして隊を脱走、さらにコルベール氏も事件後に除隊している。

……面白いのは、ダングルテールの虐殺を生き残った住民が、この二人の再会の場にいたということだ。確か、アニエスという名前だったかな。彼女はトリステイン女王の肝いりで近年結成された、銃士隊と呼ばれる部隊の隊長で、魔法学院への襲撃事件があった当日は、学院の女生徒に軍事教練を行うためここに派遣されていた。どんな因縁があったにせよ、その夜はなかなか面白い同窓会だったのだろうね」

 

「トリステインの裏部隊の、隊長?まさかコルベール先生が……?」

「そうとも、ミス・ヴァリエール。君達の先生は、まさにとんだ喰わせ者だったというわけだ」

「キュルケ、あなたは先生のこと知っていたの?だから……」

「……」

 キュルケは唇を歪めて黙り込んでいる。

 ルイズは夕刻にキュルケと交わした会話を思い出す。

――怖い銃士隊のお姉さんを騙さなくちゃいけなかったからよ。都合がよかったの。

 この時ルイズは初めて、コルベールとアニエスの間に秘められた因縁を知った。

 キュルケがコルベールを無理にでもゲルマニアに連れ帰ったのは、きっと、このことが関係していたに違いない。

 

 コルベールが素早く呪文を唱える。杖先から蛇を模した炎が飛び出す。“炎蛇”は空中で幾重にも輪を描いてコルベールの周りを漂い、ダミアンに向けて鋭い牙を剥き出した。

「あの小隊のことを、何故知っている!あれはこの国の一部の人間しか知り得ない秘密だったはずだ!」

 魔法研究所実験小隊の情報は、トリスタニアの宮殿内にある王軍資料庫にしか保存されていなかった。トリステイン軍人の中でも高位の人間しか立ち入れない場所にある機密情報である。さらに、コルベールはそこに書かれていた隊員名簿から、自分の名が記されたページを破り捨てていたのだ。コルベールは、物理的にも知るうることの出来ないはずの情報を語るこの少年に、激しい警戒感を抱いた。

 

「僕はハルケギニア各国の魔法研究機関に独自の情報網を持っていてね。この手の情報は耳に入れ易いというだけさ。

だけど、秘密とは、それを知ろうとする者の前では隠すことができないものだ。生き残りだった銃士隊の女隊長も、そうだったのではないかな?阻むことは、誰にもできない。」

「お前は、何者だ」

「僕の名前はダミアン。裏家業を生業とする“元素の兄弟”の長男……、ですが」

 ダミアンはくすり、と笑う。

 

「本職は、あなたと同じです。今はこんな裏仕事に従事していますがね。僕はあなたと同じ“研究者”のはしくれなのですよ」

 

PM7:22

 

 魔法学院正面側にあるアウストリの広場に、夜の静けさが戻っていた。

 その場所に、クラウドがただ一人、大剣を両手に提げて佇んでいる。

「ううっ……」

 うめき声が聞こえる。

 そこには元素の兄弟の三人、ジャック、ドゥードゥー、ジャネットが、地に這い蹲る姿があった

 クラウドは彼らの様子を、表情を変えずにただ観察している。

 彼の眼は鮮やかな緑色に染まり、眼孔は蛇のように縦に鋭く裂けていた。

「ぐっ、うぐ……」

 ジャックは倒れた肉体を起きあがらせようと、腕に力を込めた。

 一体、何が起こった。

 そうだ、あの異邦人の眼の色が変わった後のことだ。

 先程までの接戦がまるで嘘のように、ジャック達三人は手も足も出ず蹴散らされてしまったのだ。

 俺達元素の兄弟をこうも容易く蹴散らすなど……、

 この男は、一体何なのだ?

 

「これで、もう終わりか?」

 クラウドの言葉に反応するように、ジャックが身体を持ち上げる。

 

「へへ……なんの、まだ、これからよ!」

 ジャックは杖を振り上げて、『土弾』を放った。

 無数の土弾は、しかしクラウドの大剣の一振りによって呆気なく砕け散る。

 ジャックの視界の先から、クラウドの姿が消え去った。

 そして次の瞬間には、一足の間合いにクラウドが迫っていた。

 

「ぬぅ!!」

 攻撃を防ぐため、ジャックは自身の肉体に『硬化』の魔法を使う。

 だが、そこでクラウドが放ったのは剣戟ではなく、魔法であった。

 

――『じゅうりょく』のマテリア、その初級魔法。

『グラビデ』

 ブゥン、と空間がねじ曲がるかような低周波と共に、見えない負荷がジャックの身体に襲いかかる。

 鉄壁の守りと化していたはずのジャックの肉体は、軋みを上げて、脆い稼働部から折れ曲がり、地面にめり込んだ。

 

「ぐあああああああああああああ!!?」

 思いもよらない激痛にジャックが悲鳴を上げる。

 

――な、なんだ、俺は一体何をされた!?

 ジャックは訳もわからず、混乱するほか無かった。

 

「あんた達の『硬化』とかいう魔法……、厄介だったが、短期間にこれだけ見せられれば対策の一つや二つは思いつく。その一つがこれだ」

 クラウドはジャックを見下ろして語る。

「あんた達の『硬化』は、ただ単純に肉体を硬質化させているわけじゃない。肉体を“金属”そのものに変化させていた。全身をまさしく鋼に変えることで、防御力を格段に上げる魔法なんだろう。だが、その反面、肉体に掛かる重量は相当なものになっているはずだ。普通の人間なら身動き一つ取れないだろう。にも関わらず、あんた達“兄弟”が素早い動きができるのは、何らかの方法で肉体を強化しているからか……」

 まさにその通りだった。ジャック達、“元素の兄弟”が『硬化』によって重くなった体を自由に動かせたのは、全身を強化する先住魔法を掛けているからだった。

「この『グラビデ』は、空間に強力な重力場を発生させる魔法だ。あんたが『硬化』を使うタイミングで通常の何倍もの重力負荷を掛けてやれば、いくら肉体を強化していようが、重さに耐えきれず勝手に自壊する。そう踏んだわけだ」

 

 身動きの取れなくなったジャックにクラウドは近寄る。

 その背後から、ドゥードゥーとジャネットが襲いかかった。

 クラウドは、ドゥードゥーの『ブレイド』の刃を見もせずにひらりと避わすと、そのまま回し蹴りを繰り出しドゥードゥーを吹き飛ばした。

 

「ぐあっ!!」

「このっ、喰らいなさい!」

 続けて飛び出したジャネットが、ルーンを唱える。杖先から水が絡まり、細長い鞭となった。

 

『ウォーター・ウィップ!』

 鞭は先端が複数に裂けて、四方からクラウドに迫る。

 複雑に動く鞭の群。その全てを、クラウドは人間業とは思えない動きで、二刀の大剣によって捌ききった。

 

「……っなんで、当たらないのよ!」

 息のあった連携で襲いかかったはずの二人の攻撃は、クラウドに全て防がれてしまい、全く当たらない。

もはや動くことのできないジャックは、その様子を見ていることしかできない。

 

――何かがおかしい。

 ここにきてジャックは強烈な違和感を覚える。

 ジャック達がこれまで苛烈なまでに繰り出してきた攻撃は、一度としてクラウドに致命的な一撃を与えることができなかった。唯一、クラウドに傷を付けられたのは初回の接触でダミアンが与えた、あの一撃のみである。

 ジャック達の攻撃は、今まで全て紙一重で避けられていたように思っていた。だが、本当はそうでは無いのではないか。まるで、全ての動きを読まれているかのようだった。

 

――もし、俺たちの動きを完璧に見切っているとしたら、それはもはや個人の技量の高さだけで説明できる話ではない。これでは、まるで――。

 

「俺が、心を読んでいるとでも思ったか」

「なっ……」

 心情の続きを読むかのようなクラウドの発言に、ジャックは二の句が継げなくなった。

 ジャックは確信する。この男は、人間ではない。得体の知れない本物の怪物(モンスター)なのだと。

 

「これが、ソルジャーの力の一端だ。心を読むのとは少し違う。むしろ“記憶”というべきか」

「記憶、だと。何を言っているんだてめえは!?そもそも、ソルジャーっていうのは一体なんなんだ!?」

 ジャックの問いかけに、クラウドは語り出す。

 

「……とある“世界”に、国家をも凌駕する権力と軍事力によって、全てを支配した大企業があった。ソルジャーは、その大企業が有した私設軍隊の中でも、特殊な改造を施した強化兵士達のことだ。

魔晄と呼ばれる、『星』の生命エネルギーを肉体に照射することで、超人的な身体能力を体得するに至った兵士達。……あんた達の身体と同じようなものだ。

ソルジャーはその力で戦場において多大な戦果を挙げた。単独の部隊で瞬く間に戦場を制圧できてしまう、正に人間兵器だった。

だが、いくら強化されているとはいえ、単にそれだけの理由で生身の人間が兵器の飛び交う戦場で生き残れるわけがない。

ソルジャーの肉体にはある秘密があった。魔晄の他に、とある『生物』の細胞が植え込まれていたんだ」

「『生物』だと?」

「太古の昔、隕石と共に『星』に飛来した生命体がいた。空から来た災厄と呼ばれ、地の奥底に封印されたそいつは、『星』に寄生し、『星』の生命エネルギーそのものを啜る怪物(モンスター)だった。名前は――」

 

――ジェノバ

 

 クラウドの緑色に染まった眼孔が、ジャックを捉える。ジャックは、その眼の奥に得体の知れない何者かの気配を感じとった気がした。

「その怪物には、他の生物の記憶を読みとる能力があった。自身の生存を脅かす存在が現れたときは、記憶を読みとり、怪しまれない姿を化けて、油断を誘い、殺す……、狡猾な能力だ。それは、その怪物の能力のほんの一部に過ぎないものだったが、その細胞を植え込まれたソルジャーはその力を使うことができた。……もっとも、ソルジャー達はその能力を自覚的に使っていたわけじゃないがな」

 

 もし戦場において、敵方の“情報”を、読みとることができたのなら、どれほど戦況が有利に働くことだろうか。危機をいち早く察知し、的確に敵の裏をかき、瞬く間に戦場を制圧することさえ可能になる。正に、『英雄』のような存在である。

 ソルジャー達に後天的に与えられた、第六感としか表現しようの無かった感性(センス)。その正体は、肉体に植え付けられたジェノバの細胞から受け継いだ能力だったのだ。

 クラウド自身、この事実に気づいたのは、ハルケギニアに来てからだった。サン・マロン港の事件で初めて自発的に記憶の転写能力を使って、初めて自覚したことだった。

 この秘密があったが為にソルジャーになれる素質を持った人間は、ジェノバの精神汚染に耐えられる、ほんの一握りの者しかいなかった。

 元々が人の手に余る存在なのだ。それでもなおソルジャーの研究が進められたのは、強大な武力を欲する新羅カンパニーと、狂気にとりつかれたある科学者の、底無き探求心が為だった。

 制御できない存在は暴走し、やがてそれは、全てを滅ぼす巨大な隕石を現出させる遠因ともなった。まさにクラウドの世界を崩壊させた元凶である。

 

「どうやらあんた達も普通の人間ではないようだが……俺とあんた達では、肉体に植え込まれた“狂気”の桁が違う。多少“人間離れ”した程度では、ソルジャーには勝てない。」

「……言ってくれるね。じゃあ、その狂気とやらを見せてもらおうじゃないか」

 ドゥードゥーがクラウドの話を遮り、杖を向ける。もう一方の手には、魔力を増幅する秘薬の小瓶を握りしめていた。

 

「おい、ドゥードゥー、何をするつもりだ!」

「これ以上薬を使ってはだめ!危険よ!」

 ジャックとジャネットの制止の声を、ドゥードゥーは無視する。

「お前が一体何者かなんてことは、僕にはどうでもいいことだ!僕は最強のメイジになる夢があるんだ。ダミアン兄さんよりも、ずっとずっと強いメイジに!お前を倒せば僕はきっと兄さんを越えることができるはずだ!!」

 

 ドゥードゥーは小瓶を一気に飲み干し、呪文を唱え始めた。強化された魔力がドゥードゥーの杖先に集中する。練り上げられた魔力が掲げた杖先に幾重にも纏わり、魔法学院の建造物にすら匹敵する高さの巨大な大剣を作り上げた。

 

「見ろ、これが僕の全魔力で作り上げた『ブレイド』だ!!キミにこれを正面から受ける覚悟はあるか!?ソルジャーの力とやらを、僕に見せてみろ!!」

 ドゥードゥーの挑発に、クラウドは応じた。

 

「お前の夢がなんだろうと、興味は無い。だが、正面から挑むというのなら、いいだろう。受けて立ってやる」

 クラウドは、頭上で大剣を回転させた後、身体より後方で剣を構える。

 

「来い」

 

 ドゥードゥーは、今この瞬間に勝機を賭けた。

 彼は自分の魔法の威力に、揺るがない絶対の自信を持っている。

 この男には今まで全ての攻撃を防がれてしまっている。だが、真正面から自分の全力の一撃を喰らったらどうなるか。ソルジャーとやらがいくら強かろうと、無事ではすまないはずだ。

 

 クラウドが構える、その刀身に静かに、青白いオーラが浮かび上がった。

「――リミット」

 クラウドの身体に照射された魔晄の力。

 その全てが、大剣へと集中する。

 極限までに集中した力の漲りに、大剣は激しく震え出す。

 そして、空気を断ち切るような凄まじい金切音を響かせ始めた。

「くらえ!!」

 ダミアンの巨大な『ブレイド』が振り下ろされる。

 その瞬間、クラウドは己の大剣に注ぎ込んだ力を解放した。

 

『ブレイバー!!』

 

 大剣を逆袈裟に振り上げ、強烈な突きが放たれた。

 クラウドの全身を飲み込まんとするほどの巨大さを誇っていた『ブレイド』は、その一撃の前に弾かれ、反り返った。

 

「ぼ、僕の『ブレイド』が……、弾き返された!?」

 勢いを失った光刃に向けて、間髪入れず追撃が加えられる。

 クラウドは力強く大地に足を踏み込んだ。

 爆発音にも似た音で地面が叩き割れ、突きの一撃で頭上まで上げていた大剣を力の限り振り降ろした。

 

 豪腕、一閃。

『ブレイド』の光刃はクラウドの繰り出す魔晄の輝きの前に消し飛んだ。

 

「はは……」

 クラウドの放つ閃光に飲み込まれる刹那、ドゥードゥーは笑っていた。

 見事なまでの完敗だ。まさかダミアン兄さん以外に、ここまで強いやつがいるとは夢にも思わなかった。

 これが、ソルジャー。

 だが、これで終わるものか、いつかは絶対に追いついてやる。

 こいつにも、ダミアン兄さんにも。

 なぜなら僕の夢はその先にあるのだから――。

 その思考を最後に、ドゥードゥーの意識は途切れた。

 

――戦艦の艦砲による爆撃のような、常軌を逸した一撃が繰り出された後……。

 アウストリの広場には、直線上に深い地割れが出来上がっていた。

 その傷跡が、クラウドの一撃の凄まじさを物語っている。

 地割れの終点には魔法学院の外壁があり――そこには、壁に深くめり込んだドゥードゥーの姿があった。

 

「ドゥードゥー……兄様」

 ジャネットが力なくその場にへたり込んだ。

 クラウドは、呆然とした様子のジャックに問いかける

 

「……それで、どうする。まだやるか?」

「いや……、もういい。俺たちの負けだ」

「そうか」

クラウドは静かに頷き、ジャネットに告げた。

 

「まだ息があるはずだ。助けるなら今のうちだ」

「……っ!ドゥードゥー兄様!!」

 クラウドの言葉で正気に戻ったジャネットが、ドゥードゥーのもとへ駆け出した。

「……俺たちに、止めを刺さないのか」

「興味ないね。今はそれより、向こうが気がかりだ」

「俺たち“元素の兄弟”は、何度でも、――少なくともドゥードゥーの馬鹿はまたお前に挑むだろうぜ?」

「その時は、その時だ」

「へっ、舐められたもんだ、それもソルジャーとやらの矜持なのかい?」

「……そうだ。ソルジャーは無碍に力を誇示しない。俺達には“誇り”があるからだ」

 クラウドは背を向けて、その場を立ち去ろうとする。

 

「“誇り”だって?笑わせんじゃねえよ。――お前は、ただの怪物(モンスター)だろうが」

 ジャックの言葉に、クラウドは足を止めた。

「……最初はまだ、俺と同類だと思っていたよ。戦場にしか居場所を見いだせない類の”人間”だとな。

だが、違った。お前は強すぎた。お前は人間じゃない。怪物(モンスター)だった。そりゃそうだよな、怪物には、人間様の戦場なんかちっぽけ過ぎて、狭すぎるだろうよ。怪物の居場所は何処にもない。平穏な日常にも、戦場にも。

……お前も、ダミアン兄さんと同じだ。ダミアン兄さんは誰よりも強く、賢く、そして底が知れない。恐ろしい、本物の化け物だ。

それでいて化け物の癖に、無邪気に自分の“夢”について楽しそうに話すんだ。俺は笑って返してはいるが、実際のところ俺は兄さんが考えている理想なんぞ、まるで理解しちゃいない」

 自嘲気味にジャックは笑う。

 

「なあ教えてくれよ。あんたら怪物(モンスター)は一体どんな夢を見るんだ?」

 

「……俺はもう、夢を見ない」

 沈黙の後、クラウドは答える。

「あんたの言うとおりだろう。ソルジャーのこの力を際限なく振るえば、それは怪物(モンスター)と何一つ変わらない」

 

 全てに絶望し、“誇り”を捨てた時、ソルジャーは怪物となる。

 怨嗟の火炎の中に身を投じ、『星』を支配しようとしたあの男のように。

――だから、最後まで“誇り”を捨てずに戦ったあいつだけが、本物の『英雄』だったのだ。

 

「だからこそ、俺達には“誇り”が必要なんだ」

 

――そうだろう、ザックス。

 夜の虚空に向け、今は亡き親友の名をクラウドは呟いた。

 

 




【補足:記憶の転写能力】
外伝小説にてカダージュが他人の記憶を明確に読み取る描写があり、それならばソルジャーも使用できたのではないかと設定を膨らませたもの。
クラウドは攻撃を予知できる何だかトンデモない力みたいに語っていますが、戦闘においては「恐ろしく勘が鋭くなる」程度だと思ってください。

登場人物に設定を語らせることが、不自然であるとのご指摘を頂いていますが、今回の話は今後の展開の前フリ的な意味があり、またご指摘を頂いた時には既に執筆済の内容でした。そのため展開を変更することが出来なったことについて了承いただければと思います。


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Chapter 14

PM7:24

 

「研究者……、だと?」

 思いもよらなかった言葉にコルベールは戸惑う。

 

「僕ら元素の兄弟には普通のメイジには無い様々な能力が備わっている。先住魔法を肉体に付与したことによる身体機能の強化、魔力を急激に増幅させる秘薬、単体のメイジが複数の杖を使用する技術等々――、全て僕の研究の一部を戦闘に流用したものだ」

「自分の兄弟を、実験台にしているというのか……」

「僕は極端な実践主義でね。思いついたことは直ぐに試さずにはいられないのです」

 冗談めいて話すダミアンはコルベールの非難の言葉など気にも留めない。

 

「あなたの噂はたびたび耳に入っていた。特定の研究機関にも属さず、変わった研究を続けている人物がトリステインにいるとね。アルビオン戦争で活躍したという『竜の羽衣』――あれは、ロマリアで“場違いな工芸品”と呼ばれている外界からの漂着物の一種だが、あれを飛べるようにしたのは、あなたの仕業だと聞いている。それに、この学院のすぐ近くに停泊しているあのフネは、あなたが造ったものではないですかね?

 先程ちらりと見ただけだが、あれは、石炭を燃やして発生する蒸気を動力に使っているのかな?フネの動力をすべて風石に頼っている今のハルケギニアの既存技術にはない、革新的なフネだ。あなたの能力の高さが伺い知れるというものだ」

 

 コルベールは驚いた。今までコルベールが行ってきた研究を調べ上げるだけでなく、その意図を正確に理解していたからだ。

 彼の研究に興味を示した人間など、それこそ異世界からきた才人くらいしかいなかったのだ。コルベールに対する高い評価そのものが、ダミアンが研究者であるという根拠を示しているようだった。

「しかし」

 コルベールの研究に対する評価を口にしていたダミアンは言葉を区切る。

 

「だからこそ、わからないことがある。それほどまでの能力を有していながら、どうしてあなたは、このような閑職に留まっているのか。あなたにはもっとふさわしい研究の場があるはずではないのですか?」

 

 ダミアンの言葉に、コルベールの心は急激に冷めていく。……やはり、この男は私のことなど何も理解していない。

「そこまで調べていて、私にそんなことを聞くとはな。……私は、“火”の力を破壊以外に使う道を模索しているのだ。魔法は万能の力ではない。扱い方次第で、毒にも薬にもなりうるものだ。

私は自分の研究を、今を生きる人々の為に還元する。それがダングルテールで犯した罪の償いに対する答えであり、この意志を次世代に伝えることこそが、私の使命だからだ。

 それを行える場所として、このトリステイン魔法学院以上の場所はない。私は、己が犯した罪に対する後悔を、決して忘れないためにここにいるのだ」

「それが、あなたの“夢”なのですね。しかし“後悔”とは、あなたもおかしなことを言う」

 不可解な言葉を聞いた、という風にダミアンが首を傾げた。

 

「ミスタ・コルベール。後悔とは、僕ら研究者から最も遠く離れた言葉だ。僕らは自らの行いを後悔などしない。否、後悔する“時間”など、僕らにはない。なぜなら、研究者というものは常に『次』を考える生き物だからだ。現実に起こった事象に対して、僕らは、それがなぜ起きたのかを追求する。過ちが起こった時に僕らが思考するのは、『次はどうすれば上手くいくのか』ということだけだ。そこに感情を挿入する余地はない。

 僕らの思考は過去ではなく、未来に向けられる。僕らの叶えたい“夢”が実現する未来は、己の手で作り出すものだからだ」

「その為に、多くの犠牲を払ってもか」

「研究に、失敗と犠牲はつきものです」

「それは勝手な詭弁に過ぎない!犠牲の上に成り立つ成果を正当化できると、本気で思っているのか!!」

「僕は別に道徳的な話をしている訳ではありません。研究者というものはそういう“人種”であるということを述べているだけです。そしてあなたも本質的には、それを理解しているはずだ」

「……っ!もういい、沢山だ!」

 

 コルベールの杖から“炎蛇”が放たれ、ダミアンへと襲いかかった。

 ダミアンの全身が燃え上がる。絡みついた炎は、ダミアンの命を確実に奪いとるはずだった。

 

「――そう、この行動こそ、あなたの答えだ。あなたは僕に杖を向けた。犠牲の先に成り立つ成果に価値があることを、あなたは知っているんだ」

 コルベールが放った炎蛇はダミアンを攻撃せず、まるで飼い慣らされたかの様に腕に纏わりついていた。ダミアンはそんな炎蛇の様子をゆったりと観察している。

 

「馬鹿な……!」

「面白い魔法ですね……、対象に絡みつくことで周囲の酸素を効率よく奪い、余計な魔力を消費せず、確実に息の根を止める炎の蛇。よく出来ている。だが、この程度の“火”で僕を殺すことはできない。僕は弟にこう教えたことがある。“小手先の技巧に魔力を費やすな、魔法がなければ素早く動けないようでは三流以下だ。そんなことをするくらいなら……”」

 

 絡みついていた炎蛇をいともたやすく消し去ると、ダミアンは手を広げて構えて見せた。

 ダミアンがルーンを唱えると、その全身に恐ろしいほどの魔力が漲る。

 本能的に危機を悟ったコルベールは、とっさにその場を飛び退いた。

 

「“全ての魔力を攻撃に振り切れ”とね」

 

 特大の火球が眼前に出現した。

 閃光と轟音が炸裂し、かろうじて回避したコルベールの肌を焼く。

 

「きゃああああああ!!」

 少し離れた場所にいたルイズ達も、強烈な熱風の前に為すすべなく吹き飛ばされた。

 衝撃が余熱を残して去った後……、よろよろと立ち上がったコルベールは、眼の前の光景を見て息を飲んだ。

 巨大なクレーターが出現し、その先にある森まで直線上に抉った跡が出来ていた。

 とんでもない威力だった。もしあの時飛び退かなければ、コルベールは跡形も残らず蒸発していたことだろう。

 だが、コルベールがなによりも恐怖したのは、ダミアンが唱えた呪文がただの『ファイア・ボール』だとわかってしまったことだった。

 熟練のメイジはお互いの魔法を見ただけで、相手の力量を推し量ることができる。火の系統の初歩、ドットクラスの魔法だが、その威力はまさに桁違いだった。

 

(なんという魔力量だ……!)。

 かつてコルベールが戦った“白炎”のメンヌヴィルは、確かに強力な“火”の使い手であった。だが、彼は“火”の破壊の力に魅せられて、己が衝動のままに力をまき散らすような男だったからこそ、つけいる隙があったのだ。

 しかし、この少年は違う。ダミアンは火の破壊の力を、己の完全なる支配下においている。

 しかも、ダミアンはこれほどまでの魔法を行使しているのに、それを用いる為の杖を必要としていない。何故だ、どうやって杖もなしにここまでの魔法が使えるのだ。なんらかの仕掛けがあるはずだが、それがわからない。

 

「考え事をする余裕など、ありませんよ」

「なっ!?」

 眼を離した隙に、ダミアンはコルベールの目前まで接近していた。

 コルベールが杖を振ろうとするも、ダミアンはその腕を素早く掴んでねじり上げた。ダミアンの驚異的な腕力の前にコルベールの腕はボキボキと音を立て、紙細工のように折れ曲がった。

 

「ぐぅあああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 コルベールが思わず悲鳴を上げて倒れる。

「仕事の邪魔をするものは、排除しないといけない。とはいえ、あなたの様に才のある研究者はとても貴重だ。このまま殺してしまうのは、あまりに惜しい。どうです、このまま大人しくしていてくれるなら、見逃してあげることもできますが」

「……ッ!!」

 ダミアンがコルベールを見下ろし問いかけた、その時だった

 

「そこまでだ!!」

 凛然とした女性の発声が響きわたった。

 

PM7:29

 

 ダミアンが声の方向を見やると、傭兵の出で立ちをした女性隊士達が、続々と馬から降りてきている所だった。その先頭で指示を出している金髪の女性がいた。

 

「銃士隊。噂をすれば、というやつかな」

『もう嗅ぎつけてきやがったのかい、まったく厄介だね』

「この国の新しい女王は、なかなか優秀なようだね」

 シェフィールドの舌打ちに対して、ダミアンはこの状況を楽しんでいるかのようだった。

 

「動くな、“元素の兄弟”!!我らはトリステイン国軍である!直に増援も来る。お前達に逃げ場はないぞ!!」

「アニエス!」

 ルイズが思わず名前を呼ぶ。アニエスはルイズを一瞥して頷くが、返事は返さなかった。

 彼女はダミアンとコルベールを憎々しく睨みつける。

 

「……その男から離れろ。その男は、私が殺すはずだった男だ!」

「アニエス君……よせ」

「貴様は黙っていろ。コルベール、何故貴様が生きている。よくも私の前に姿を現せたものだ。……待っていろ、“元素の兄弟”の後で、貴様を殺してやる」

「やめて、ジャンには手を出さないで!」

 キュルケの言葉を無視して、アニエスが銃士隊に指示を送る。

 

「第一陣、構え!!相手は裏世界の一流のメイジだ。捕らえようなどと考えるな、ここで確実に仕留めるぞ!!」

 フリントロック式の拳銃に火薬が込められ、合図と共に銃士隊の女性隊士達が一斉に銃をダミアンに向ける。

 射程距離は充分。引き金を引けば無数の弾丸がダミアンを蜂の巣にするだろう。

 ダミアンはおもむろにコルベールから離れ、アニエス達の方へ歩き始めた。

「止まれ!!」

 制止の声に耳を傾ける様子はなかった。ダミアンは杖を構えるどころか、銃口を避ける素振りすら見せず無防備に歩みを進める。

 

 舐められているのか、とアニエスは思わず憤る。

 だが、相手はあの“元素の兄弟”である。

 見た目は幼いが……、この現場の惨状を、深々と森まで抉り取られた地面の跡を作り上げたのは、状況からしてこいつの仕業だろう。

 予想はしていたが、“元素の兄弟”の実力はまさに規格外だ。

 杖を持ってはいない……だが、何か隠し玉があるのかもしれない。

 

 フリントロック式拳銃の欠点は弾を込めるのに時間を要することである。

 だが、その欠点を補うために、アニエスは既に銃撃隊の第二陣を用意させていた。

 万が一、銃弾を防がれたとしても二回目の銃撃がダミアンをしとめるだろう。

 

――驕り高ぶったメイジめ、我ら平民が磨き上げた“牙”を、存分に味わうがいい。

 

「撃て!!」

 何十という拳銃の音が一つに重なり、雷鳴のように轟く。

 瞬間、ダミアンが素早くルーンを唱えた。

 轟!!と、力強い火炎の壁が、突如として燃え上がる。

 ダミアンが火の系統呪文である『ファイア・ウォール』を放ったのである。

 銃士隊の放った銃弾は一発もダミアンに届くことはなかった。何十発と発射された銃弾は、全てダミアンの目前で跡形もなく“燃え尽きた”。

 

「き、貴様ッ、何をした!?」

 目の前で起きた現象を理解出来ず、アニエスと銃士隊は騒然とする。

「また杖もなしに魔法を……!一体どうやって?」

 ルイズに抱えられたキュルケが、その謎を解き明かそうと、必死に考える。

 

――ダミアンは魔法を唱えるその瞬間、いつも手を前に突きだしていた。

 キュルケはまさか、と気がついた。

 同時に、コルベールも真相にたどり着いたようであった。

 

「貴様……、まさか自分の杖を身体の中に!」

「ご名答、さすがに気づきますか」

 ダミアンが両腕を広げると、“掌”から炎が出現する。

 両手の炎はブン、と勢いよく音を立てて、鋭く伸びると、紅く発光し、二刀の鋭利な刃となった。

 ダミアンが己の魔力で作り出した『ブレイド』、それがクラウドを切り裂き、キュルケの杖を切断した魔法の正体だったのだ。

 

「手品のタネとは、分かってしまえば大したことのないものです。僕ら“元素の兄弟”は己の肉体に先住魔法を掛けて身体を強化している。その時に、僕は“両腕”に自分の杖を植え込んだ、というわけです」

「自分の肉体まで……実験台にしたというのか」

「極端な実践主義だと、言ったでしょう。それに、順序が逆です。兄弟達に改造を施した技術は、僕自身が先に試したものだけだ。本来であれば、本当に杖を使用せずに魔法を行使できるようにするのが将来の展望なのだけどね。これはまだ発展途上なのです。まあ、僕の仕事上、手ぶらを装えることはメリットになるし、杖を破壊されるような心配もないので、これはこれで有用に活用していますが」

 

「っ!!、くだらん小細工を、だからどうしたというのだ!!第二陣、……撃て!」

 アニエスの掛け声と共に二度目の発砲がなされる。

 だが、今度は、ダミアンが振り回した二刀の『ブレイド』によって、弾頭は一瞬のうちに蒸発してかき消えた。

 

「すべて、はたき落としただと……」

「小細工とは、心外だな。これは君達が持つその拳銃と同じだ。研鑽を重ねて考え出した、僕らメイジの新たな“牙”だ」

 

「く……!各員、剣を抜け!!」

「よせ!戦うんじゃない!逃げるんだ!!」

 アニエスの号令を聞いてコルベールが制止するが、すべてが遅かった。

 

 ダミアンの跳躍と同時に、先頭を駆けていた銃士隊の女性隊員達の首が切断された

「や、奴は何処だ!・・・・・・っがひゅ!!!!」

 瞬時に隊員達の懐に飛び込んだダミアンは、叫んだ隊員の口に『ブレイド』を突っ込んだ。

 高熱の魔力の塊で出来た刀身を押し込まれた隊員は、全身の血液が一瞬のうちに沸騰し、紅い血煙を吹き出しながら地に倒れた。

 

「このぉ!」

 別の隊員が振りかぶった剣をダミアンはあっさりと躱す。

 紅い閃光が煌めくと同時に、斬りかかった隊員の四肢が千切れて飛び散った。

 剣を振ることはおろか悲鳴を上げることすらも出来ず、為す術もなく隊員達は倒れていった。

 切り刻まれた死体の切断面は、『ブレイド』の熱に焼き切れたせいで、一滴の血もこぼれなかった。

 肉塊になった隊員達の死体が、煙を上げながら地に墜ちていく。

 

「やめて……、ねえ、やめてよ!」

 地獄絵図の様な光景を前に、ルイズは叫んでいた。むせるような焼けた肉の臭いが、紅い蒸気の中で充満していく。その中心に、ダミアンがいる。生き残っている隊員は、アニエスだけだった。

 

「くそおおおおおおおおおおおお!!!」

 隊員達の死体を踏み越えて、アニエスの剣がダミアンを捉えた。

 だが、ダミアンはその剣を素手でいとも容易く掴む。

 アニエスの剣は高熱に当てられて、ドロドロに溶けだした。

 ダミアンがその表面を指でなぞると、指先に沿うように新たにナイフが出来上がり、――その刃先をアニエスへ向けていた。

 

「なっ!?」

 喉元に刺し込まれようとする瞬間、アニエスはとっさに取り出した拳銃でナイフを防いでいた。ナイフは拳銃を間に挟んだまま、アニエスの肩に押し込まれる。

 

「この……、化け物め!!!!」

「そう、この拳銃……。これこそ君たち平民が、長い時を掛けて作り出した武器だ。僕達メイジが忘れてしまった飽くなき探求心を、君達は持っている。だからこそ、僕は君たち平民に敬意を持っている。

 このまま君達の使う武器が発展を遂げれば、将来、僕らの魔法が通用しなくなる日も来るだろう。まあ、それは少なくとも今ではないがね」

 力強く握りしめたナイフが拳銃を貫通して、アニエスの肩に深々と刺さる。

 ダミアンにより剣を溶かして作られたナイフは、高温に熱されており、アニエスは凄まじい激痛に襲われた。

 

「ぐああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

「やめろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

 コルベールが複数の“炎蛇”をダミアンに向かって放った。

 “炎蛇”はダミアンにたやすくかき消され、もはや外傷を与えることすら出来なかったが、その隙にコルベールはアニエスを素早く掴んでダミアンから引き離すことができた。

 アニエスは既に気絶しているようだった。彼女を抱き起こすと、折れた片腕が酷く痛んで、コルベールはうめき声を漏らす。

 

「腕を潰したのに、まだ動けますか」

「……何故だ、これほどまでの力を持っていながら、なぜこんな裏仕事に手を貸す」

「あなたと同じように、僕にも“夢”があるのですよ。しかし金が入り用でね。この仕事をしているのは、その資金を稼ぐためです」

「“夢”だと?」

 ダミアンは頷く。

 

「僕の夢はね、一言で言えば、このハルケギニアの魔法文明に変革をもたらすことなんですよ」

「”変革”だと、……いったい、何を考えている!?」

「詳しく話すと長くなってしまいますからね。これ以上は話しません。今の僕は金で雇われた傭兵であって、それ以上でも以下でもない。まあ、もしあなたが私に協力してくれるというのなら、教えてあげても良いですが」

 再びの問い。しかしコルベールは首を振った。

 

「……それは、無理な相談だな。君のような命を軽々しく扱う人間と組む事はありえない」

「残念です」

 ダミアンがコルベールに止めを刺そうと、手をかける。

 

「やめなさい!!私があなた達について行けばいいんでしょう!!」

 ダミアンを制止したのは、ルイズだった。

「ミス・ヴァリエール……」

「これ以上、私の前で人を傷つけることは許さないわ」

 ルイズは自ら、ダミアンに近づいていった。

 ダミアンがルイズをじろりと見る。

 恐怖で震えるルイズだったが、キッ、と力強くダミアンを睨み返した。

 

「目的は私を連れて行くことでしょう。私があなた達と一緒に行く。それで満足しなさい」

 それを聞いて、ダミアンは満足そうに頷いた。

「ふむ、賢明な判断だね。どうする?ミス・シェフィールド」

『……いいでしょう。お前を、我が主の元へ連れて行く』

 シェフィールドの言葉と共に大きな風が起こり、夜の空から巨大な影が飛び出してきた。

 それは、巨大なガーゴイルの人形だった。

 ガーゴイルの手のひらの上には、黒いローブの女の姿があった。

 それは以前、アルビオンでルイズとサイトを襲ってきた時と同じ姿――、人形ではない本物のシェフィールドだ。

 ガーゴイルは大きな地鳴りを響かせてダミアン達の前に降り立った。

 ダミアンはルイズの腕を縄で縛り、彼女をガーゴイルの手に乗せた。

 

「駄目よ……!ルイズ」

「くそっ……、ミス・ヴァリエール」

 戦う力を奪われているキュルケとコルベールは、見ていることしかできない。

『まさかここまで上手く事が運ぶとは思わなかったわ。あなた達“元素の兄弟”に仕事を任せて正解だったようね』

「満足頂けたようで。何よりだ」

『さっきの落雷からして“異邦人”の方も時間の問題でしょう。あとはあの憎き“ガンダールヴ”の方だけど……、あの小娘はまだ手こずっているのかしら。時間がかかるようなら、ダミアン、あなたが加勢しなさい』

「ふむ、どうやらその必要はなさそうだよ。あちらを御覧」

 ダミアンが指し示す先、森の中から、小さな影が一つ現れる。

 

 それはタバサだった。タバサの横には『レビテーション』の魔法で宙に浮かび吊されたサイトがいた。

「そんな・・・・・・、サイト!!」

 ルイズが絶句する横で、タバサは無造作に才人の体を地面に降ろした。

 

「仕事は終わった」

 タバサは抑揚のこもらない声色でそう告げた。

 

 




ダミアンの実力は烈風カリンの全盛期と同等くらい。
元素の兄弟の中でも特にダミアンは独自設定の割合が強いですが、本来ならこれくらいの実力はあって然るべきだろうと。
スクエニ風に言えばリミットカット強化版といった感じです。


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Chapter 15

 

PM7:33

 

「サイト……?嘘でしょ、ねえ返事をしてよ、サイト!」

 ガーゴイルの上で捕らわれているルイズが必死に呼びかける。

 だが、才人はぐったりとしたまま動かなかった。

「無駄、彼は死んでいる」

 冷酷なまでに、タバサが告げる。

 

「私が殺した」

「嘘よ……、そんなの……」

 彼女の言葉にルイズの眼からは涙が溢れ、その場に崩れ落ちた。

「どうして……?タバサ……」

 ルイズの声を掻き消すように、甲高い笑い声が響いた。

 それはシェフィールドによるものだった。

 

「は、はははははははははははは!!!なんだい、あっけないじゃないか!ガンダールヴ!主を守るべきお前の使命はどうしたんだい?あろうことか主人の盾にすらなれず死んでしまうとは!まったく、情けないにも程があるねぇ!」

 シェフィールドの狂ったような嘲笑に、ルイズはカッとなって反抗する。

 だが……、喰って掛かろうとしたルイズはガーゴイル人形の巨大な掌に握りしめられ、押さえつけられてしまう。

 

「無力だね、“虚無”の力があったとしても所詮は小娘。お前には何もできない」

「うう……!」

 ルイズは悔しさのあまり、拳を握りしめた。

 シェフィールドの発した言葉に、ダミアンが反応する。

 

「“ガンダールヴ”に、“虚無”ねぇ。なるほど、僕らの雇い主が彼女に執着する理由がよく分かったよ」

「白々しいよ、ダミアン。お前はとっくに気付いていたのだろう。それとも、また仕事の値段を吊り上げるつもりかい、この守銭奴め」

「まさか、今更ケチをつけるつもりはない。仕事はきっちりとやるさ。現にもうすぐ完遂できる、あなたとの約束通りだ」

「ふん……。七号。お前にしてはよくやったじゃないか。さぁガンダールヴの死体を寄こしなさい。コイツの首を持ち帰り、我が主への手土産とする」

 タバサは才人の死体から手を離すと、後ろに下った。

 

「趣味が良いとは言えないね、ミス・シェフィールド」

 呆れるダミアンをシェフィールドは無視する。彼女は興奮した様子でガーゴイル人形の掌から降りると、地面に倒れ伏した才人に近づく。シェフィールドはサイトの髪の毛を掴んで持ち上げ、その顔を観察した。

 ……息をしていない。確かに、死んでいるようだ。眼を閉じたままの才人はまるで眠っているようにも見える。まだ幼さの残る少年の顔だ。

 

「こんな小僧に、今まで言い様にやられてきたっていうのかい。だが……それもこれで終わりだよ」

 

 その時だった。

 辺り一面に轟き渡る大きな地響きが、その場にいる全員を襲った。

 

「な、何だい、一体!?」

 シェフィールドが驚いて叫んだ。

 先程の落雷とは違う。何か、硬質のものが、凄まじい力によって破壊される、重く激しい音であった。

 それは魔法学院からだろうか。学院の方角を見れば、大きな土煙が立ち昇っていた。

 

(あれは……、ジャック達か?)

 土煙を見たダミアンは、胸のざわつきを感じ取る。

 先程の大きな落雷はジャック、ドゥードゥー、ジャネットの連携による『ライトニング・クラウド』であった。あの規模の攻撃を喰らったのであれば、まずどんな“人間”だろうと、ひとたまりもないはずだ。

 “異邦人”相手にダミアン以外の三人で挑ませたのは、三人の連携であれば打ち勝てるという算段からだった。負けることなど、初めから想定すらしていない。

 だが、もしそれがダミアンの思い違いだったとしたら?あの落雷の後も戦いが続いており、ジャック達が追い詰められていたとしたら?

 

「まさか」

 ダミアンは、自分の兄弟達が今まさに敗北したことを悟ったのだ。

 シェフィールドとダミアンが轟音に気を取られている。

 

 その一瞬の隙を、タバサは見逃さなかった。

 

「今が、好機」

 シェフィードが掴んでいたサイトの頭が独りでに動いた。

 驚くシェフィールドがそれを見ると、死体となったはずの少年が鋭く睨んでいた。

 

「なっ……!?」

 眼と眼が合う、いつの間にか、彼はデルフリンガーを握っている。次の刹那に才人はシェフィールドの腕に目掛けデルフリンガーを振り上げ、斬りつけた。

 

「ぐあああああああああああああああ!!?」

「ミス・シェフィールド!くっ!?」

 才人への対処を行おうとしたダミアンに、死角から突風の一撃が叩き付けられる。

 タバサの『エア・ハンマー』だ。

 シェフィールドを斬りつけた才人は、そのまま一陣の風のごとくガーゴイル人形を駆け上り、ルイズを拘束する腕を破壊する。解放されたルイズは才人に片腕で抱きかかえられた。

 

「悪い!遅くなった!」

「サ、サイト!?あんた、ど、どうして?だって、さっきまで確かに……」

「タバサの作戦で一芝居打ったんだ。心配させちまって、ごめんな」

「こここここここここここの、この馬鹿、馬鹿サイト!!ほ、本当に死んじゃったと思ったじゃないの、もう~!!!」

 ルイズは顔を真っ赤にして泣きじゃくり、才人の腕の中に顔を埋めた。

 

「……やられたよ。まさか仮死の魔法を使っていたとはね」

 ダミアンが苦々しい顔で、才人に掛けられていた魔法を看破する。

「仮死の魔法……そうか!ミス・タバサが才人君に処置を行ったのか!」

「……ジャンをゲルマニアに連れて行く時に使った魔法ね」

 遅れてコルベールとキュルケも理解する。仮死の魔法とは、水系統の禁呪に属する高等魔法であった。これを使えば一見して死体と見分けがつかない為、対象者の死を偽装することができる。

 以前、コルベールが“白炎”のメンヌヴィルと対峙した際、大怪我を負った彼を安全にゲルマニアに移送するためタバサが使用した魔法だが、今回はシェフィールドとダミアンを欺いて至近距離に近づくために用いたのだった。

 

「注意深く観察していれば、見破ることもできただろうが……、まさか君がこのタイミングで僕たちに対して行動に出るとは思わなかったよ」

 冷静に分析するダミアンとは対照的に、シェフィールドは斬られた腕を押さえつけながら、怒りそのものの形相で叫んだ。

 

「7号!貴様、これは一体何のつもりだ!!」

「今日限りで私は北花壇騎士を辞める。だから、もうあなたの命令は聞かない」

「なんだと……!?気でも狂ったのか、我が主の駒風情が!!お前に『命令に従わない』なんて選択は存在しないんだよ!」

「そう……私には、はじめから選択肢なんて存在していなかった」

 タバサは首を振る。

 いつだったかクラウドは、タバサは自分自身で今の道を選択したと言ってくれた。

 

――でも、違う。本当は違うのだ

 

「全てを失ったあの日、あなた達は私へ二つの選択肢を突き付けた。何もかもを諦めた死か、従順な生か。私は、その二択に抗う為、復讐の道を選んだ。……選んだつもりでいた。私は、それを自分の意志で決めたものだと思い込んでいた。でも、そうではなかった。叔父(あの男)はきっと、私が復讐を選ぶことを知っていた。

 結局、私はずっと、叔父に誘導されるまま、駒として、示された道を進んでいただけだった。だから今も、こうして何かを失うことを強いられる。……私はもう、それをやめる」

「やめる?ならどうするって言うんだ、結局全てを諦めるのかい?」

「諦めない。この学院の皆を裏切ることはできない」

「ならばお前は自分の母親を見捨てるのか!母親の心を癒す薬は欲しくないのか!」

「見捨てない。心を癒す方法は自分で必ず見つけ出す。叔父(あの男)の手は借りない」

「なっ……!」

 シェフィールドが絶句する。

 

「母様も、この魔法学院の皆も、私にとっては大切な存在。どちらか一方しか選べない、そんな未来を私は選択しない。私は、全てを選ぶ」

「ふ、ふざけるな!そんな餓鬼の我儘みたいな理屈が通ると思っているのか!」

「通らないなら、通すようにするまで。我儘だろうと構わない。決して自分の意志を曲げない。そんな強さがあることを、私はこの学院で出来た大切な親友から学んだ」

「タバサ……」

 キュルケが思わず言葉を漏らす。

 だが、そんなタバサを、シェフィールドは嘲笑する。

 

「不可能だよ、お前が相手をするのはガリアという大国だ。お前一人に何ができるって言うんだい」

「タバサは一人じゃねぇ」

 二人の会話に才人が割って入る。彼はルイズを地面に降ろすと再びデルフリンガーを構えた。

「サイト……?」

「ルイズ、俺はタバサから全部聞いたんだ。あいつは今までずっとガリアに無理やり言うことを聞かされていたんだ」

 

 ・ ・ ・

 

――あなたに、お願いがある。

 あの時、森の中で才人と対峙したタバサは、そう話を切り出した。

 

「お願いって、何だよ」

「元素の兄弟の裏をかきたい。協力して欲しい」

「お、おいおいちょっと待て。いきなり過ぎてよくわかんねぇよ。事情を教えてくれ」

「……」

 若干の躊躇を見せたタバサだったが、彼女は頷き、語り始めた。

 自分の素性と、その過去を。

 

――タバサが実はガリアの王族であること。

――彼女の父親が現ガリア王である叔父に殺されたこと。

――母親がタバサを庇い、毒薬を飲まされて心を病んだこと

――以来、数え切れないほど多くの危険な任務に就かされてきたことを。

 それは、タバサの過酷な半生の数々だった。

 

「なんだよ、それ。酷過ぎるじゃねえか」

 才人はタバサの壮絶な過去を聞いて、怒りに震えていた。

「前にラドクリアン湖で相棒と戦ったのには、そういった経緯があったってわけだな」

「……タバサ、お前は一人で戦っていたんだな。そうやって、今までずっと」

 タバサは頷く。才人は何か考えているようだった。

 

「私が戦おうとしているのは、ガリアという大国。個の力では立ち向かうことすら到底敵わない相手。……私は今、あなたにとても無理なことを頼もうとしている。でも――」

「待った」

 タバサの話を才人が遮る。

「相棒?」

「タバサの話はよく分かったよ。今までお前には助けられっぱなしだったから、お前が自分のこと打ち明けてくれたのが、すごい嬉しいんだ。……だから、一言でいいんだ。教えてくれ。タバサは“俺たち”にどうして欲しいんだ。」

その言葉にタバサの思考は止まる。

 

――どうして欲しい?

――私はいったい、何をしたいのか

 心に浮かんだのは、クラウドの事。

 たとえ過酷な現実にあっても、幻想にはもう逃げない。

 何があっても前に進むという、強い覚悟を秘めたその生き方。

 

――私は前に進みたい。彼のように。

 

 細く息をして

 吐き出す。

 そして、決心する。

 今まで誰にも言えなかった、その言葉を口にすることを。

 

「私を、助けてほしい」

 

「わかった。まかせろ」

 その言葉を待っていたと言うように、才人は笑って見せた。

 

 ・ ・ ・

 

「俺、タバサのこと何にも知らなかった。けどよ、今までそんな立場とか関係なしに俺たちの事何度も助けてくれたじゃねえか。……そんな奴を、俺は放っておけねえ」

「サイト……」

「ってなわけでさ。俺はタバサを助けるために戦うことにした。だからルイズ、一緒に協力してくれ」

 

 はぁ、とルイズは大きな溜息を吐いた。

 ま~た、この馬鹿使い魔は勝手に突っ走るのだからどうしようもない。

 タバサの為にガリアに喧嘩を売る?

 相手は世界一の魔法大国だ。国力もメイジの数もトリステインとはまるで比較にならない。

 助けるといったはいいがその先の事はまるで何も考えていないのではないだろうか。

 昔のルイズなら、こんな無茶な事、最初から反対するだろう。

 

――でも、あのタバサが私たちに助けを求めたのだ。

 トリステイン魔法学院一番の優等生。でも、何を考えているのかよくわからなくて、ルイズは彼女が苦手だった。

 だけど、彼女は誰にも言えない深い事情を押し込めて、サイトの言う通り、いつも理屈抜きに自分達のことを助けてくれた。

 なら私たちだって理屈抜きにタバサを助けるべきではないか。

 

 タバサは変わった。でもルイズだって昔とは違うのだ。

 

「一人でカッコつけて、ご主人様に偉そうにすんじゃないわよ、バカ犬。私だってやる時はやるんだからね」

「へへ、そうこなくちゃ」

「サイト、ルイズ……ありがとう」

 感謝の気持ちを言葉にしたタバサは再びシェフィールドに向き合う。

 

「確かに、私一人では無理かもしれない。でも、今の私にはこの学院で過ごしてきた中で皆と築いてきた大切な繋がりがある。それは、昔の私にはなかったもの。……私はそれに賭けることにした」

「貴様……!人形の分際で!!」

「わたしはもう、あなた達の人形ではない」

 タバサの言葉にシェフィールドの怒りが頂点に達したように見えた。

 顔面が蒼白になり、ガクガクと震えて、その場に倒れこむ。

 だが……そこにシェフィールドの姿はなく、別の物に変わっていた。

 

「人形……スキルニル」

 タバサがその正体を呟く。今までシェフィールドだと思っていたものは、スキルニルと呼ばれる人間の外見、正確、能力を模倣する人形だった。

 初めからシェフィールド本人はこの場所にいなかったのだ。

 

――あなたの裏切りは、よくわかったわ。

 どこからともなく、シェフィールドの怒りに満ちた声が辺りに轟く。

――ダミアン、7号とヴァリエールの娘を除く、そこにいる全ての人間を殺しなさい。愚かな小娘に、誰に歯向かったのか教えてやれ!

 

「やれやれ……、人使いの荒いことだ。だが雇い主の命令では仕方ない。実は、僕も急用が出来たのでね。悪いけれど、手早く済ませるとするよ」

 ダミアンの言葉に、その場にいた者達全員に緊張が走る。

 そう、この男をどうにかしなければ、タバサにも、才人達にも未来はない。

 

 才人がダミアンの背後を取り、デルフリンガーで斬りかかった。

 だが……、それは通用しない。

 ダミアンはデルフリンガーの切っ先を『硬化』した左手であっさりと掴みとった。

「うっ!?」

「君も懲りないね」

 太刀筋を完全に見切られている。何とか振りほどこうとするが、デルフを掴んだ腕はまるでびくともしない。

――何て腕力だ!

 ダミアンはそのまま才人をデルフリンガーごと“持ち上げて”思い切り地面に叩きつけた。衝撃が、才人の全身に襲い掛かる。

 

「かっ……!!!!」

「さっきと事情が違うからね、今度はちゃんと殺してあげるよ。ガンダールヴ」

 ダミアンが足を振り上げる。『硬化』した足で蹴り殺すつもりなのだ。

「……ッ!!」

 ダミアンの行動を阻止するため、タバサが呪文を唱える

 

『ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ウインデ!!』

 タバサが氷で作り上げた巨大な『ジャベリン』がダミアンに向け投擲される。

 だが、それすらも通用しない。ダミアンはデルフリンガーから手を放すと、タバサを見もせず『ブレイド』を出現させて氷の槍を粉々に切り刻んだ。

 タバサの攻撃を無視して、そのまま『硬化』した足を振り下ろす。

 

「喰らったら死ぬぞ!動け!相棒!!」

 デルフの言葉に奮起して、才人は無理矢理体を動かす。

 タバサの『ジャベリン』を防ぐための動作が一瞬の遅延となり、才人に時間を与えた。

 間一髪、才人はダミアンの蹴りを躱す。

 

「サイト!!」

 才人がダミアンから離れると、ルイズとタバサが駆け寄ってくる。

 ルイズは才人を庇うように杖を向け、タバサは才人に治癒魔法をかけた。

「タバサ……、すまねぇ」

「じっとしていて」

「これで終わりかい?こんなものかい?……つまらないね、ガンダールヴ」

 退屈そうにダミアンが言う。

 

――くそ、やっぱりコイツ、桁違いだ

 人間とは思えない膂力に、他のメイジを遥かに凌駕する魔力。

 まさに、化け物(モンスター)だ。

 タバサのことを絶対に守ってやりたいのに……、どうやったらこいつを倒せるのだろうか?

 

「花壇騎士7号、……いやミス・タバサ。全てを諦めないという、その決意は大いに結構だ。だが、この現状を見るといい。君の言う繋がりを頼りに力を合わせても、僕一人に歯が立たないじゃないか。……人は困難に立たされた時、不確かなものに縋ろうとする。それを“希望”などといえば聞こえはいいが、僕からすればただの現実逃避だ。はっきり言ってあげよう。君のやってきたことは、全て無駄だ」

 

 タバサが杖を構える。その瞳には、まだ強い意志が残っている。

 

「……それでも私は、皆との繋がりを信じる。私は、諦めない」

 

「ならば君の繋がりはここで無に帰す。僕がそうするからだ!」

 ダミアンの『ブレイド』が、タバサ達に迫った。

 

 ……だが、タバサ達は無事だった。

 彼女達の前に、一人の青年が立ち、ダミアンの攻撃を防いだからだ。

 

「君は……!!」ダミアンが驚く。

 ダミアンは、その人物目掛けて両腕で『ブレイド』を振るった。

 

 

「その繋がりに、俺も混ざろう」

 

 

 紅と蒼。二つの閃光が空間で激しく弾けあった。

 激しい剣戟の衝突に、地面が抉れ、轟音が狂乱する。

 だが、彼は一歩も退くことはなく、嵐の中心に立ち向かう。

 『ブレイド』の乱撃を、彼は全て捌ききった。

 

「あなたは……」才人が呟く。

 夜の風に金色の髪がなびく。

 彼は悠然として、そこに立っていた。

 

 クラウド・ストライフ。

 ハルケギニアとも地球とも異なる場所から来た、異邦人。

 

「答えは、見つかったのか」

 

 クラウドの言葉に、タバサは深く頷いた。

 



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Chapter 16

 

PM7:40

 

 夜の闇に、刃が交わる。

 ダミアンの魔力で創り上げた『ブレイド』。そして、クラウドの身の丈を越える巨大な剣。

 その二つが、烈々たる攻勢を繰り広げていた。

 息も突かせぬ乱戦を突破し、クラウドがダミアンに大剣を叩きつける。

 空気の振動と共に、分厚い金属音が鳴り響く。

 ダミアンは『硬化』した腕で受け止めたが、鉄と化したはずの腕は軋み、衝撃に耐えきれずに膝をついた。

 

(——ッ重い!)

 

 初遭遇時の一撃とは、まるで次元が違う。なんという、打ち込みの強さだ。

 ダミアンは歯を喰い縛り、なんとか堪えてみせる。

 重さに身を任せ、両足を広げて身体の重心を低く、大剣を下に捌いた。そして、がら空きとなったクラウドの足下を両手の『ブレイド』で狙う。

 

 だが、その反攻をクラウドは読み切っていた。

 捌かれた大剣をそのまま地面に突き差して、反動で自身の身体を持ち上げた。

 『ブレイド』は大剣に防がれ、ダミアンの眼前で火花が瞬く。

 そして、頭上を見てはっと息を呑む。クラウドが次の攻撃体勢へ移っていた。

 大剣から一時的に手を離し、空中で身体を回転させて得た遠心力を利用して、刺さったままの大剣を無理矢理掘り起こすと、渾身をもって真上から垂直に叩きつけた。

 

 轟音に大地が崩壊し、陥没する。

 それは、まるで隕石の衝突であった。

 クラウドのインパクトを中心に、破壊の衝撃が円状に広がり、大地に巨大なクレーターを創り上げた。

 

「…………………!!」

 

 辛うじて回避したダミアンに、思わず戦慄が走る。

 距離をとった相手を、クラウドが追撃する。

 大剣に内蔵されたマテリアが輝き、魔法が解き放たれた。

 

『三連ファイガ!!』

 三つの巨大な炎の塊がダミアン目掛けて発射される。

 だが、ダミアンを捉えたかに見えた火炎は、命中する目前に急激に膨れ上がり燃え尽きてしまった。

 火炎が消えると、中から両腕を構えた体勢のダミアンが姿を現す。

 手応えなく消失した魔法を、クラウドは訝しむ。

 

「ミスタ・ストライフ、そいつは”火”の強力なメイジよ。杖は自分の腕に仕込んでいるの!炎の魔法は相殺されてしまうわ!」

 キュルケが助言を叫ぶ。

「……ファイガを、打ち消したのか」

「炎の扱いにおいては、僕の方が上だ」

 ダミアンが荒い呼吸で言い放つ。その顔に、今まで崩さなかった余裕の表情は既に無い。

 ダミアンが勢い良く腕を広げると、両の手からドゥードゥーの物と同等の巨大さを誇る、二刀の紅い『ブレイド』が出現する。

 

「僕は過去を後悔などしない。だが、失敗は認めるべきだろう。見誤っていたよ。君の相手は、初めから僕がするべきだった!」

 ダミアンが突撃を敢行する。クラウドは大剣を斜めに構えて持つと、それを受けて立った——。

 

「すげぇ……」

 目の前の光景に、才人が驚嘆をこぼす。

「おでれーた。あの兄ちゃん、ここまで強いとは」

「な、なんなの、あいつ……」

 デルフリンガーとルイズも、眼前の戦いに息を飲む。

 それはキュルケやコルベールも同じだった。彼女たちの魔法がまったく通用しなかったダミアンを、あのガンダールヴの力を持ってしてまるで歯が立たなかった“怪物”(モンスター)を、たった一人の男が追い詰めているのだ。

「まさか、ここまでとは思わなかった……」

「ミス・ツェルプストーは知っているのか、彼の事を」

「いいえ……ジャン、私も今日会ったばかりなのよ。ねぇ、タバサ、彼は本当に何者なの?」

 キュルケは彼の正体を知るであろう彼女に問いかける。

 そのタバサは、クラウドの戦いを、熱い眼差しで見守っている。

 キュルケが見たことのない、タバサの顔だった。

 

「彼は、私に大切な事を教えてくれた人」

 

——そして

 今までに無い、強い感情が湧き上がるのを感じて、タバサはぎゅっと胸を掴んだ。

——そして彼は、私の勇者(イーヴァルディ)

 

 紅い波紋が弾けて、空間へ幾重にも広がる。

 ダミアンの二刀の『ブレイド』が、クラウドの一撃の前に消し飛んだ。

 

 

PM7:40

 

 

 魔法学院から少し離れた森の中で、シェフィールドは戦いの情勢を俯瞰していた。

 

——魔法学院正面庭先には“元素の兄弟”のジャックとドゥードゥーがいる。彼らは既に戦う力も無く、学院の教師達に取り囲まれている。

——そして学院外壁を出た森の側。“元素の兄弟”のリーダーであるダミアンが戦闘を続けているが、それも一方的に押されている。

 

 偵察用ガーゴイルの眼球に仕組まれたマジックアイテム『遠見の鏡』を通して伝わる光景は、彼女にとって深刻な現状であった。

 

「何故だ……!」

 

 シェフィールドには、わからなかった。

 “元素の兄弟”の力は本物だったはずだ。

 彼らの圧倒的な実力を前に魔法学院の熟練したメイジ達は、まるで歯が立たなかった。あの憎きガンダールヴさえ、ダミアンの前にいとも簡単にねじ伏せられたのだ。

 すべてが、上手くいっていたはずではないか。ならば何故今、ここまで追い詰められることになったのだろうか。

 すべての誤算は、相手方にさらに規格外の怪物(モンスター)がいたことにあった。

 

——そうだ、あいつだ。あの異邦人。

 “元素の兄弟”をたった一人でことごとく打ち破り、この戦況を全てひっくり返してしまった。

 なんという強さだろうか。まるで悪夢を見ているようだった。

 どうすればいい、撤退するしかないのか。

 もはや対抗する手段は残されていない。

 だが……このまま何もできずおめおめと逃げ帰れというのか?

 

「……冗談ではない」

 シェフィールドに憤りが募る。

 

「私は我が主ジョゼフ様の最優秀の手駒だ!そうでなければならない!あの方の役に立てない私に、存在価値などない!!」

 彼女の任務は“虚無”であるルイズと“異邦人”の捕獲だった。

 これまでの戦いを見ていれば、あの“異邦人”を生かしたまま捕らえるなど絶対に不可能であることはわかっていた。それはもう諦めるしかない。

 だが、せめて“虚無”だけでも連れ帰らなければ、ジョゼフ様に申し開きもできない。何とかあの小娘だけでも、捕らえることができないだろうか。

 

「苦戦しているようだな」

「誰だい!?」

 必死に思考を張り巡らせていたシェフィールドは、背後に近づくその存在に気づくことができなかった。

 振り返った先にいた男を見て、彼女は驚いて口を開けた。

「あんた、今まで一体どこにいたんだい?」

 

「必要なら、手を貸そう。ガリア王の僕よ」

 

 

PM7:44

 

 

 『ブレイド』が弾け飛んだ反動で、ダミアンは後方へと吹き飛ばされた。

 空中で体勢を立て直し、膝をついて着地した彼は、激しく息を切らしながらも努めて冷静に、自身の置かれている現状を把握しようとした。

 ここまでの戦いで、魔力の大分を使ってしまっている

 応援は望めそうにない。弟達は無事だろうか。向こうの状況も気がかりだ。

 状況は圧倒的に劣勢。

 

——まさか僕が、ここまで追い詰められることになるとは夢にも思わなかった。

 “元素の兄弟”はこれまで一度たりとも任務を失敗したことがなかった。

 こんな窮地に陥ったのは、ダミアンにも初めての経験であった。

 

 さて、どうするかと、ダミアンは思案する。

 戦いを継続すること自体はまだできる。

 だがこの男を倒すには、自身の残存する魔力を全て注いで挑む必要がある。

 はたして、それでも勝てるかどうか。ダミアンの全力を持ってしても、この男を倒せる確証はない。

 そして、もし仮に“異邦人”を倒したところで、その時ダミアンの魔力は完全に枯渇しているだろう。そうなっては、この場から逃走する手段を失い、もはや打つ手が無くなってしまう。

 

 僕には、なによりも優先しなければならない“夢”がある。

 それを叶えるためにも、ここで終わるわけにはいかない。

 この場は撤退をするしかない―—。

 

「どこに行くつもりだ」

 結論を決めたダミアンの眼前に、クラウドがいた。

 思考よりも先に身体が動き、『硬化』でガードする。

 激しい亀裂が入る音が響き、後方へ弾かれる

 ダミアンの腕の防御した箇所に、大きなひび割れが刻まれた。

 『硬化』が解けると、それは痛々しい裂傷に変わり、血が吹き出した。

 

「あんたを逃がすつもりはない。ガリアのことを、聞かせてもらうぞ」

 クラウドが大剣の切っ先を向けて告げる。

 

「……やれやれ、つくづく思う通りにさせてくれないね」

 ダミアンは構え、戦いを続ける覚悟を決めざる得なかった。

 

 ・ ・ ・

 

 勝負はあったと、才人は思った。

 クラウドの実力はダミアンを遥かに凌駕している。

 才人は今、自分の力を遙かに越えた戦いを目撃し、強い衝撃を受けていた。

 自分の強さを過信していたつもりはなかった。

 才人の力は“ガンダールヴ”のルーンによるものであり、それはルイズを守るために与えられたものであることは重々承知していたつもりだった。

 だが、これまでいくつもの死線をくぐってきた中でガンダールヴの自分よりも速く動ける相手はいなかった。才人の振るう剣を捌ける相手もいなかった。

 だから自分は、剣の腕なら誰よりも強いのだと、そう思っていた。

 

 でも、違う。

 この世界にはもっと、こんなに凄い人がいるのか——。

 

 才人はクラウドの戦いを見て、己の無力さを思い知ると共に、何故か高揚感を感じていた。

 なんでだろう。俺、すごくわくわくしてる。

 これは、憧れという奴なんだろうか。

 

「ルイズ。俺もっと強くならないとな。お前の為にも」

 ルイズに話しかけるが、返事がなかった。

「ルイズ?」

 振り返るとルイズがうつ伏せに倒れていた。

 彼女は眠っていた。その小さな身体から、スースーと微かな寝息が聞こえる。

 

 ガサリ、と足音が立つ。才人はとっさにデルフを構えた。

 心がざわつく。なぜだか嫌な予感がした。

 森から姿を現したのは、長身の痩せた男だった。つばの長い、羽のついた帽子に隠れて顔は見えなかった。

 腰まで伸びた長い金色の髪を靡かせて、男はルイズに近づいた。

 

「なんだ、お前」

 才人を無視して、男は眠っているルイズを観察する。

 

「このような娘が“悪魔の末裔”とはな」

 そう憎々しげに漏らすと、男はルイズの腕を掴んで持ち上げる。

 

「相棒待て、こいつもしかして……」

「おい、何やってんだ!ルイズを離せ!」

 

 ルイズを連れ去ろうとする男に目がけて、才人はデルフを振り下ろした。

 だが、その剣は男に届かなかった。男の目の前で空気が歪む。まるでゴムの塊に切り込んだかのようだった。

 

 パアンという音と共に、才人は後方へ弾き飛ばされる。

 森の樹木に後頭部をぶつけて、気を失ってしまう。——ここまでの戦いで力を使い果たしていた才人は、すでに限界を迎えていたのだ。

 才人の手から離れたデルフが真上に跳ね上がり、地面に突き刺さった。

 

「なんだ」

 戦いに集中していたクラウド達は、その音で異常に気付いた。

 森の奥から現れた男が、手を挙げて合図を送ると、一匹のガーゴイルが飛んできた。男は眠るルイズをガーゴイルに乗せようとしていた。

 

「待ちなさい!ルイズをどうするつもりよ!」

 キュルケが叫ぶ。ほど近い場所にいたキュルケ、コルベール、タバサがルイズを連れ去ろうとする男を阻止しようとする。

 タバサは杖を構えながら疑念を抱く。空気の流れを読んで気配を察知できる“風”のメイジである自分が、なぜこの男の接近に気付くことが出来なかったのだろうか。

 男が、言葉を発した。

 

「風よ、眠りを導く風よ——」

 

 急激な眠気がキュルケ達を襲う。

 

「なによ……これ……」

「これは、まさか……」

 キュルケとコルベールが次々と為す術なく眠りに落ちる。

 

「おや、三人とも眠らせたつもりだったのだが」

 未だ立っているタバサに気付いて男が意外そうな声を上げる。

 ガーゴイルは、ルイズを乗せて飛び立ってしまった。

 

「ルイズ……!」

 タバサは迂闊に動くことができず、それを見ていることしかできなかった。

 タバサが男の攻撃を防ぐことができたのは、それが”風”を用いたものであったこと。そして、その“魔法”の正体に気付くことができたからだった。

 杖もなしに扱うことのできる魔法。ダミアンの腕に仕込んだ杖の絡繰とは違う。自然の「生の力」を扱う。本物の——

 

「先住魔法……」

「どうしてお前たち蛮人は、そのような無粋な呼び方をする」

 男が帽子を脱ぐ。金色の髪の中から、長く尖った耳が突き出ている。

 

「私は“ネフテス”のビダーシャル。初にお目にかかる」

「娘っこ!そいつはエルフだ!!」

 地に刺さったデルフがタバサに向かって叫んだ。

「……!」

 

 エルフ。

 それはハルケギニアの東方に広がる砂漠に暮らす長命の種族。

 人間の何倍もの歴史と文明を誇り、その全てが強力な先住魔法の使い手にして、恐るべき戦士だという。

 

 そのエルフがなぜ今、ここにいるのだ?

 

 戦いに疲弊していたダミアンも、突然の乱入者に困惑していた。

 

——エルフだって?

 シェフィールドの差し金による救援だろうか。だがあの女からそんな話は聞いていない。

 そして気付くと、相対していたはずのクラウドが、目の前から姿を消していた。

 

「娘よ、お前に要求したい」

 ビダーシャルが言う。

「要求?」

「抵抗しないで欲しい、ということだ。あの女(シェフィールド)の計画が失敗した際には、お前を連れてくるようにガリア王と約束をしてしまってな。大人しく眠ってくれれば良かったのだが。出来れば穏やかに同行願いたいのだ」

「……ふざけないで!」

 タバサは激高し、ルーンを唱える。

『ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ハガラース……』

「残念だ」

 ビダーシャルが首を振る

 

『ジャベリン!』

 巨大な氷の槍がビダーシャルめがけて投擲される。直撃すれば人体などただでは済まない。

 だが、それはエルフの身体に命中する直前に、ぐるりと正反対に向きを変え、なんとタバサに跳ね返ってきたのだ。

 タバサは『浮遊』の呪文で避けようとするが、動けない。いつのまにか足下が粘土のような泥に変わり、がっちりと足下を固定されていたのだ。

 これも先住魔法……!

 もはや手だては無く、直撃は免れないかと思われた。

 だが、タバサの眼前で大剣が振るわれ、氷の槍を打ち砕く。

 

「無事か」

「クラウド!」

 タバサが思わず叫ぶ。また、彼に助けられてしまった。

 

「次から次へと、こいつもガリアの刺客か」

「その気配……。そうか、貴様が……!」

 クラウドを見て何かに気が付いたのか、ビダーシャルの表情が険しいものに変化する。

 

「大いなる意志よ。わたしをこの地に導いてくれたことに感謝する」

 男は祈りを捧げると、敵意を剥き出しにしてクラウドを睨んだ。

 

「私はお前を滅ぼしにきたのだ。この“世界の敵よ”」

 

 




ビダーシャルもリミットカット強化版となっています。


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Chapter 17

ストレンジ・ソルジャー

 

 

PM7:49

 

「ガリア王に“異邦人”を捕らえるよう依頼したのはこの私だ。私には、お前を見つけだす必要があった」

 ビダーシャルと名乗るエルフは羽つき帽子の奥から鋭い眼光でクラウドを睨みつけている。

 

 “世界の敵”

 エルフから告げられたその言葉に、クラウドは困惑する。

 ハルケギニアに来てから異邦人だと珍しがられることはあれど、その様な敵視の言葉を向けられたことはなかった。

 

——こいつは、異世界から来た俺のことを、何か知っているのか。

 

「我らエルフは、古よりこの世界の秩序を保ってきた。それは精霊の力の源であり、あらゆる運命と事象を司る“大いなる意志”の導きに従い行われてきた。

 その“大いなる意志”が新たなる大災厄が迫っていると啓示を示した。我らが長年監視を続けてきた”シャイターンの悪魔”とはまるで別のモノ。ハルケギニアとは異なる世界からやってくる脅威であると。“異世界”などと……、いくら“大いなる意志”の啓示とはいえど我らエルフの同胞も信じる者は少なかったがな」

 クラウドから眼を離さずに、ビダーシャルは続ける。

 

「災厄の兆候を見つけるために、私が派遣された。そしてガリア王国の協力を得てラグドリアン湖で起きた異変のことを突き止めたのだ。あの地の精霊の力はひどく弱っていた。まるで力を吸い取られたかのようだった。そして、あの場所には何かおぞましいものがいたという、気配の痕跡が残されていたのだ」

 

「おぞましいもの……?」

 タバサが反応する。

 クラウドと初めて出会ったラグドリアン湖での一件。

 あの時、タバサの使い魔であるシルフィードは、湖の異変を見て、精霊の力が弱まっていることを感じ取っていた。

 彼女は“大いなる意志”を信奉する古き韻龍の一族である。シルフィードの所感と、このエルフが話していることは一致している。

 

「あの時、ラグドリアン湖で何が起きたのか、あなたは知っているの?」

 ビダーシャルは首を横に振る。

 

「残されていたのは気配のみだ。だから、異変があったあの場所にいた者達から情報を聞き出す必要があった。だが……その必要はもう無くなった」

「なんだと?」

「“世界の敵”だと、そう言っただろう」

 ビダーシャルは怒りを表す。

 

「お前の気配を直に感じることで、私は全てを理解した。あの時ラグドリアン湖から現れたお前こそが、これから起こる大災厄の原因そのものであると。ここでお前を滅すれば、災厄は未然に防げるだろう」

 

 タバサはビダーシャルの言葉に呆気にとられる

 このエルフは一体何を言っているのだ。

 そんな訳の分からない因縁でクラウドを滅ぼすなどと言い出したのか。

 

「……生憎だが、俺は、この世界をどうするつもりもない。あんたの勘違いもいいところだ」

 クラウドの言葉にタバサも同意して頷く。

 彼が大災厄をもたらすなど、タバサにはたちの悪い妄想にしか思えない。

 だが、ビダーシャルは指差し断罪するように言い立てる。

 

「ならば、貴様がその躰の内に()()()()()化け物は、一体何だというのだ?」

「……!」

「クラウド?」

 クラウドの僅かな動揺を、タバサは感じ取った。

 

「貴様の内にある“それ”こそ災いの根源。この世界の秩序を破壊する悪魔に他ならない。お前の存在を この世界(ハルケギニア)は許容しない。」

 クラウドは驚いていた。こいつは、自分の躰に埋め込まれた”怪物(モンスター)”に気付いている。

 

——ジェノバの存在に。

 

「話は終わりだ。ここで滅べ、異邦人」

 ビダーシャルが口語を唱え始める。

 

「森の木々よ。我は古き盟約により命令する。矢となりて、我が敵を貫け」

 風もないはずの森が、ザァッと一斉にざわついた。

 

「なんだ……?」

「気をつけて。先住魔法が来る!」

 タバサが警戒を飛ばす。

 パキパキパキ……と森の樹木の枝がひとりでに次々と折れ、ぶわッ!と大きな唸りをあげて、暗闇の中一斉に向かってきた。

 

「私が……ッ!!」

 タバサが杖を振り、風を起こして枝の矢を振り払った。

 だが、次々と矢が降り注いでくる。その数は百や二百どころではない。

 タバサの風の防壁はあっという間に突破され、無数の矢が彼女に襲いかかった。

 クラウドがタバサに被さり、身を挺して庇う。彼女を抱きかかえたクラウドの背中に木枝が深々と突き刺さった。

 

「クラウド!!」

 クラウドは痛みにも怯まず、身体を捻りながら魔法を唱えた。

 

『ブリザガ!!』

 地面から巨大な氷の結晶がせり上がった。

 氷柱は降り注ぐ無数の枝矢を防ぐ盾となり、クラウド達を覆った。

 

「異世界の魔法か。だがその程度で防ぐことはできん」

 枝矢はまるで雨のごとく押し寄せ、ブリザガで創られた分厚い氷の壁をみるみるうちに削っていく。

 崩壊は時間の問題だ。

 

「ここにいろ、タバサ!」

 

——狙いが俺だというのなら、矢はタバサよりこちらを狙うはず。

 クラウドが氷の壁から飛び出すと、案の定、矢の群は狙いを彼に定めて襲いかかった。

 彼は“バリア”のマテリア、その最上級魔法を発動させる。

 

『ウォール!』

 クラウドの周囲を淡いグリーンの膜が覆う。

 物理、魔法の両方を妨げる防御魔法だ。

 枝矢の群がその膜に接触すると、矢の勢いが著しく衰える。

 クラウドはそれを大剣のひと薙ぎで振り払う。

 後続の矢が飛んでくる前に、クラウドは全力で地面を駆ける。

 その速さは矢の追跡を置き去り、走った道を辿るように地面に枝矢が突き刺さった。

 

 己の間合いに到達したクラウドが大剣を振るった。

 だが、ビダーシャルには届かなかった。

 エルフの周りの空気が、まるでゴムの塊にくい込んだように歪み、大剣を跳ね返したのだ。

 

「無駄だ」

「なに——!?」

 

 クラウドの身体は大きく弾かれて、後方へ吹き飛んだ。

 酷く打ち付けたような痛みが全身を走る。

 ビダーシャルに加えようとした攻撃が、そのまま全て跳ね返ってきたかのようだった。

 

——攻撃を反射する魔法。

 すぐに連想したのは、クラウドの世界にある『リフレク』という魔法だった。

 あらゆる魔法をことごとく跳ね返す魔法障壁。しかしリフレクでは物理攻撃を防ぐことは出来ない。

 このままでは攻撃が通らない。だが、似通った防御魔法であれば、それを打ち消す魔法もある。

 

 クラウドは大剣を構える。

 “しょうめつ”のマテリア。ありとあらゆる魔法の効果を解除する魔法。

 これならば、ビダーシャルの周りを囲う防御壁を解除できるはず。

 

『デスペル!』

 しかし、驚愕に顔を染めることになるのはビダーシャルではなく、クラウドの方だった。

 パリィイイン、とガラスが激しく割れるような高い音と共に、クラウドの周囲にあった『ウォール』に亀裂が走り、バラバラに崩壊して消し飛んだのだ。

 

「!?」

 何が、起こった?

 ビダーシャルに変化はない。

 

——信じられない。まさか、()()()()()()()()

 そう、それはつまり、ビダーシャルの障壁を打ち消す為に放ったはずの『デスペル』が自身に跳ね返り、クラウドが掛けていた『ウォール』が解除されてしまったということだった。

 

「“反射(カウンター)”は全ての攻撃を跳ね返す。私に何を仕掛けようと、すべてお前自身に返ってくる」

 

 ビダーシャルが再び口語を唱え始める。

 地面がまるで粘土のように盛り上がり、巨大な二本の腕がビダーシャルの両側に出現し、クラウドに向けて殴りかかった。

 クラウドは巨大な腕を潜り抜け、大剣に内蔵されたマテリアの力をビダーシャルに解放しようとする。

 

『三連——』

「駄目だ。奴には何もかも全部、跳ね返されちまうぞ!兄ちゃん、俺を拾え!」

 地面に突き刺さったデルフが刀身を揺らして叫ぶ

 クラウドは一瞬、デルフに目を向け——そのまま魔法を解き放った。

 

『三連・サンダガ!!』

 巨大な雷撃が続けて三つ放たれる。

 しかし、それはビダーシャル相手にではない。

 その手前の地面に向けて直撃する。

 

 三つのサンダガの雷光が地面に炸裂して、大きな爆発を起こした。

 その電熱も風も、ビダーシャルが創りだした見えない障壁により彼に届くことはなかったが——。

 光と煙が、しばらくの間、彼の眼を遮った。

 

 視界が晴れたとき、クラウドの姿はなかった。

 辺りを見回すと、地面に刺さっていたデルフリンガー、氷の壁の下にいたタバサ、ビダーシャルが昏倒させた才人やキュルケ、コルベール達、そしてアニエスまで。全て消え失せている。

 

「退いたか」

 己の攻撃が通じぬとわかり、即時撤退。判断の早いことだ。

 対策を講じて反撃に出るつもりかもしれないが、それも無駄なこと。

 この魔法に対抗する手段はエルフの恐れる“悪魔(シャイターン)”の力以外にはない。

 

 ビダーシャルはクラウドの内にある気配を感じ取り、そちらを見やる。

 トリステイン魔法学院の方角である。

 あれだけの人数を連れて動けるとは人並みはずれた膂力だが、そう遠くには行けまい。

 このまま逃がすつもりはなかった

 

「やれやれ助かったよ。シェフィールド女史も人が悪い。あなたの様な隠し玉を持っているとはね」

 ダミアンがビダーシャルに声をかけるが、彼は一瞥もしない。

 

「勘違いをするな。ガリア王に仕える形になってはいるが、今の私は、自身の考えによって行動している」

「そのようだね。僕らはあの“異邦人”を生け捕りにするように言われていたからね。一応僕はまだ動けるけれど、何か手伝いは必要かい?」

「無い。お前達の仕事はもう終わった」

「ああ、そうかい。じゃあ大人しく退散させてもらうよ。エルフの先住魔法の力、じっくり拝見させて貰うとしよう」

 ビダーシャルがダミアンをじろりと睨む。

 

「……何か?おっとそうか”精霊の力”だったね。すまない、悪く言ったつもりはないんだ。僕ら人は君たちエルフへの畏敬と畏怖を込めて、君たちの魔法を"先住”と呼ぶのさ」

「……」

「まだ何か?」

「お前は、何故”蛮人のふり”をしているのだ」

 ダミアンは口を噤んだ。それは彼の本当の正体を見透かしたものだったからだ。

 

「大いなる意志への信仰を捨て、人の俗世に染まることを良しとしたのか。夜を生きる種族の末裔よ」

「……末裔ね。残念ながら、僕は半端者なんだ。君たちエルフの価値観なんて知ったことではないよ」

 ビダーシャルの咎める言葉に、ダミアンはふてぶてしく居直る。

「僕には手に入れたいものがある。その夢を実現させるためなら、手段なんて選んでいられないのさ」

「……そうか」

 それ以上は何も言わず、ビダーシャルは学院の方へ向かった。

 

 ダミアンはただ、その背中を見つめて考える。

 

 エルフ達の行使する先住魔法。

 それはメイジ、——人の系統魔法が生まれるはるか昔から存在する”生の力”である。

 メイジの唱える系統魔法は個人の意志の力によって世界の”理”を変えることで力を発揮する。先住魔法はそれとは反対に”理”に沿い、自然の力を利用することで発現する。

 生命力、風、火……自然の力はあまりにも強大であり、それは人の意志を軽々と凌駕する。

 この六千年、人間は砂漠(サハラ)にある”聖地”を巡って幾度と無く争い、ことごとく敗れてきた。

 エルフの先住魔法の力はそれほどまでに強力なのだ。

 

 ダミアンはため息を吐く。ビダーシャルの言った言葉を考えていたのだ。

 確かに彼は“大いなる意志”に対する信仰心を持っていない。だがそれは別に、先住魔法を捨てたという意味ではない。

 

 ダミアンは先住、系統魔法の垣根を越え、あらゆる魔法の研究を行ってきた。

 肉体に先住魔法を植え付けた身体強化の術、杖なしで系統魔法を操る方法……。彼の研究は口語で魔法を発現する先住魔法が基礎となっている。

 それらは二種類の魔法の間にある常識も境界も全て無視したからこそ得た成果だった。

 

 日々の研究の中で、ダミアンには気づいたことがあった。

 それは、系統魔法の源である“人間の意志の力”の可能性だ。

 自然の力は確かに強大だ。だが、“人間の意志”には無限の力がある。それはやがて自然の力さえも凌駕し、この世界の何もかもを支配するまでに成長するだろう、そう確信していた。

 

 エルフならそんな論説を傲慢と捉えるに違いない。だがその傲慢さこそが、まさに人の力なのだ。

 人はこの世界で最も欲深く、その欲には底がない。だからこそ限界もなく、どこまでも強くなれる。

 

——だが、まあ。ビダーシャルを見る限りでは、系統魔法が先住魔法を越えるにはまだ時間を要するだろうとも思った。

 先住魔法を行使する為には、その場にある精霊との契約が必須となる。拠点の防衛など、相手を迎え撃つ時には最大限の力を発揮するが、契約に時間を要するため、侵攻には本来不向きである。

 しかし、ビダーシャルは異邦人達と対峙した短時間の間に、この森中の精霊と広範囲に渡って契約を交わしていた。

 一口にエルフといっても、操る先住魔法の力量には個々の技量が不可欠となる。

 ダミアンから見ても、ビダーシャルは恐るべき先住魔法の使い手だった。おそらくエルフの中でも最高位の「行使手」だろう。

 

「六千年経た今となっても、人間とエルフの力の差はまだまだ縮まらない、か」

 

 だが、あの異邦人を相手にしたら、どうなるだろうか。

 彼は、その存在そのものがこの世界にとっての“未知”である。

 彼の魔法は、どうやらあの大剣に埋め込まれた何かを媒体に使用できるようだ。あらゆる系統の魔法を簡単に行使できることを鑑みるに、彼のそれは、系統魔法や先住魔法のように個々の素質に頼るものではない。

 この世界でいう、精霊石——精霊の力を凝縮した魔石のようなものを使っているのではないかと推測できるが、詳細はまだわからない。

 

 そして、彼の身体には何か、あのエルフすら警戒する、それ以上の秘密があるようだ。

 

「やれやれ、興味深いね」

 系統魔法と先住魔法、国家と——そして種族。あらゆる「境」を越えた先に、ダミアンの夢はある。

 

 エルフと異邦人の戦いの中で、なにかのヒントが得られるかもしれない。

 

 

PM8:11

 

 

 魔法学院の正面。アウストリの広場には教師陣や使用人、手伝いを志願した生徒達が集まっていた。

 中央塔の一階入り口では、負傷したギトー教授の手当をモンモランシーとシエスタが行っている。

 

「ギーシュ、ギトー先生の手当が終わったわ!」

「ようし、水精霊(オンディーヌ)騎士隊、先生を二階に運べ!いいか慎重にだぞ」

 

 水魔法による応急処置を終えたモンモランシーに応じて、ギーシュが命令を出した。

 隊員の魔法で宙に浮いた担架に乗せられて、ギトー教授が階段を運ばれていく。”元素の兄弟”によって散布された『スリープクラウド』によって気絶した人間の数がとにかく多く、医務室では狭すぎるため、倒れた人間はひとまず二階の食堂に集められることになったのだ。

 

「これで、負傷者の搬送は一通り済んだようだね」

「助からなかった人もいるけどね……」

 モンモランシーが悲しそうに嘆く。ギトー教授の側で倒れていた衛兵の亡骸には布が被せられ、マリコルヌが祈りを捧げていた。

 

「君は精一杯やってくれたよ、モンモランシー。しっかし、派手に暴れたもんだ。何をどうやったんだか」

 ギーシュは扉が木っ端みじんに無くなった入り口から外に出た。

 地面には熱を帯びた黒焦げの大穴が開き、学院の周囲を囲む外壁に巨大な亀裂が刻まれている。

 まるで戦争でもあったかのような酷い有様だ。どんな魔法を使ったらこんなことになるのだろうか。

 

 魔法学院を襲撃した元素の兄弟なる一味の内、学院の教師達に捕らえられたのは大男とギーシュと同年代と思われる少年の二人だけだ。残りの二人の行方はわかっていない。

 

「サイトさん達大丈夫でしょうか……」

 心配そうにシエスタが呟いた。

 

「ううむ。奴ら、サイトの剣が言っていたとおり、相当強そうだったからな。心配だが、ここは待つしか……ん?」

 気配に気付いて顔を上げると、何やらギーシュの真上に大きな物体が落ちてくる。

「うわあ!!」

 慌ててギーシュは後ろに退いて、尻餅をついた。

 大きな音を立てて着地をしたのはクラウドだった。右腕に才人とコルベール、左腕にキュルケとアニエスを抱えているため、よけいに大きく見えたのだ。続いて、タバサが『レビテーション』の魔法を使いゆっくりと地上に降りてきた。

 

「き、きみは……」

「こいつらを頼む」

 クラウドは抱えていた四人を降ろし、ギーシュ達に託す。

 

「サイトさん!!」

 シエスタとモンモランシーが才人達の元に駆け寄る。

 

「キュルケ!コルベール先生!それにこの人、銃士隊の人だわ……みんな酷い怪我!」

「タバサ!こ、これは一体何があったんだ!て、敵はもうやっつけたのかい?」

 ギーシュの質問にタバサが首を振る。

 

「まだ終わっていない。敵にエルフがいた。じきにこちらを追ってくる」

「エ、エルフだって!?」

 ギーシュが驚いて大声を上げる。

 

「エルフ?」

「エルフがいるのか?」

 周囲にいた他の人間も、声を聞いて不安にざわめき始めた。

 

「ミス・タバサ。ミス・ヴァリエールがいません。ミス・ヴァリエールは一体どこに……?」

 才人を抱えながら、シエスタが震える声でタバサに尋ねた。

 

「奴らに、連れて行かれた……」

「そんな……!」

 ショックを受けるシエスタ達一同を横目に、クラウドは背中に突き刺さった枝矢を引き抜いた。

 血が吹きだし、クラウドは顔をしかめる。

 

「ちょっとあなた、そんな無造作に抜いちゃ駄目よ!今”治癒”をかけるわ」

 モンモランシーの申し出をクラウドは手で遮って断った。

 今は悠長にしている時間がない。奴はクラウドに執着している。直ぐにでも追いかけてくるだろう。

 先住魔法……、話には聞いていたが、「デスペル」を無効化するとは、まさかそこまで強力なものだとは思いもしなかった。

 クラウドは背中のホルダーのひとつにしまい込んでいたデルフリンガーを引っ張り出す

 

「ああ、まったく……とんでもねえことになっちまったもんだぜ」

 握りしめたデルフリンガーが切なげにカタカタと刀身を揺らした。

 

「嘆くのは後だ。あいつの魔法について、教えてくれ」

「……ありゃあ、”反射(カウンター)”って魔法だよ。あらゆる攻撃、魔法を跳ね返す。エルフの厄介でえげつねえ先住魔法さ。あれを展開されてる限り、お前さんの攻撃は何一つ通らねえ」

「対策はないのか」

「ついさっきまではあったんだけどな。ルイズの”虚無”の魔法。その中の一つに『解除(ディスペル)』ってやつがあってな。それなら先住魔法の障壁を打ち消しちまうことができた。エルフの先住魔法に対抗する手段は虚無しか存在しねえ。だが……」

 

「ルイズはもう、ここにはいない……」

 タバサが力なく言葉を繋げた。

 タバサは才人を見る。彼は意識がないまま、うなされている。

 

——私のせいだ。あの時、私が何とかしていれば……!

 後悔を強く滲ませるタバサの肩に、クラウドの手が添えられる。

 

「クラウド……」

 クラウドは考える。先程使った魔法『デスペル』は、この剣が言っている虚無とやらの魔法と同じく、相手の魔法効果を打ち消す効果を持っている。だが、それは奴の”反射”によって跳ね返されてしまった。これは一体どういうことなのか。

 

 クラウドは魔法の方式の違いによるものではないか、と仮説を立てた。

 クラウドの使う魔法は、マテリアの中に眠る古代種の知識を介在することによって行使できる。それがクラウドの世界の方式による魔法の基本だ。

 対するこの世界の魔法にはこの世界の方式がある。系統魔法と先住魔法、ハルケギニアの魔法は大まかに分けてこの二種類だ。

 判断する材料は少ないが、クラウドが目の当たりにした事実から鑑みるに、ハルケギニアの魔法を打ち消すには、ハルケギニアの方式に則った魔法ではないと出来ないのではないだろうか。

 鍵のかかった部屋をあけるためには、それに対応する(カードキー)が必要となる。鍵穴(パス)の形状が違えば、開鍵はできない。「デスペル」で打ち消せるのはクラウドの世界の魔法効果だけであり、ハルケギニアの魔法には効果がないと考えるべきだろう。

 

「ヒラガ・サイトの剣」

「デルフリンガーだ、兄ちゃん」

「奴の“反射”を突破する方法はそれだけか?あんたは、『俺を拾え』と言った。俺でも出来る策が何かあるんじゃないのか」

「……ひとつだけある。だがそりゃあ可能性の話だ。お前さんなら出来るかもしれねえ、っていう程度のもんだぞ」

「教えてくれ」

 デルフはカタカタと逡巡する。

 

「なあ、兄ちゃん。こんなことお前さんに言うのもアレなんだけどな、頼みがあるんだ。

……サイトは、俺の相棒は、目が覚めたらきっと死に者狂いでルイズを取り戻そうとすると思う。けどな……奴ら、俺っちの考えていた以上に強すぎる。相棒は考えなしだから、きっと一人でも突っ走っちまう。俺は相棒を死なせたくねえ。ルイズも、死なせたくねえ。俺は二人とも大好きなんだ。……だから、頼む。相棒の力になってやってくれないか」

 

「わ、私からもお願いします!ミスタ・ストライフ。どうか……、どうか!ミス・ヴァリエールを助けてください!!」

 デルフに続いて、シエスタも嘆願する。

 

「言われなくても、そのつもりだ」

 さも当然というように、クラウドが答える。

「そうだろう、タバサ」

 クラウドに問われ、タバサが迷わず頷いた。

 

「ルイズは、必ず助け出す」

「ありがとうよ……。へへ、お前さん。取っ付きにくい面してるけど、実は結構お人好しだろう?俺っちみたいな剣の頼みを聞いてくれるんだからな」

「御託はもういい、対策を聞かせてくれ」

 クラウドが遮るように言うと、デルフはおっと、そうだったなと言って、話を進めた。

 

「“反射”は相手の力が強ければ強いほど効果を発揮する先住魔法だ。だが、それには想定している威力ってもんがある。あのエルフが“反射”に設定している限界値を越えた一撃をぶち込めば、おそらく、破壊できるはずだ。残された方法はもうそれしかねぇ」

「要は力づくで、ということか」

「こんなの別に策でもなんでもねぇ、言っちまえばただのゴリ押しだ。そもそも、この世界(ハルケギニア)にエルフの“反射”を打ち破れるような威力のある魔法や武器なんか存在しねぇんだからな。普通ならまず不可能な方法だ。だが、お前さんの力ならもしかしたら……」

 

 デルフはクラウドがダミアンと戦っていた姿を目撃している。

 一撃で地面を崩壊させる程の膂力……。エルフにとって存在自体が想定外であるクラウドであればその不可能を突破できるかもしれない、と考えたのだ。

 

「危険すぎる。あのエルフの先住魔法は”反射”だけではない。接近するだけでも困難」

 タバサが難色を示す。

「だが、他に方法が無いならやるしかない。……それに、どうやらもう来たみたいだしな」

 

 クラウドが上空を見る。

 二つの月が昇る空に、ビダーシャルが浮かんでいた。

 宙に浮かぶその姿を見て、学院の人間達が騒然となっていた。

 

「おい、なんだあいつ。杖も持っていないのに何で飛べるんだ!?」

「まさか、ほ、本当にエルフなのか?」

「見ろよ、あいつの耳!!あの長く尖った耳は!」

「エルフ!!」

「本物のエルフだ!」

「エ、エルフが攻めてきたぞ!!」

 

 ビダーシャルがゆっくりとヴェストリの広場に降り立っただけで、人々は散り散りとなり、パニックとなった。

 ハルケギニアに住まう人々にとって、エルフとは恐怖の象徴にほかならなかった。

 

「教師たちよ、生徒と使用人たちを早く中へ避難させるのじゃ!」

 老人が大声で指示を叫んでいる。学院長のオールド・オスマンのものだ。

 

「蛮人はいつの時代も騒がしい」

 ビダーシャルが苛立つように言った。

 

「お前達に興味はない。ここに金髪の”異邦人”がいるはずだ。出て来い!!どこに隠れても貴様の気配はわかるぞ!!」

 

「ご指名だぞ、兄ちゃん」

「そうみたいだな」

「お、おい君、ほんとにやるつもりなのか!?相手はエルフだぞ!」

「あいつの狙いは俺だ。あんた達は、他の人間の避難を頼む」

 呼び止めるギーシュにクラウドはそう答える。

 

「私も行く」

 タバサがクラウドに詰め寄った。

「こんな事態になったのは、全て私の責任。私がみんなを巻き込んだせい。それに……あなたに、もしもの事があったら、私——」

 

「大丈夫だよ、タバサ」

 

 不安な心の内を訴えるタバサに対し、クラウドは彼女の青い髪を不器用に、そっと撫でて告げる。

 

「何もかも一人で背負い込む必要はない。ここは俺がやる。頼む、任せてくれ」

 その声は、他のどんな言葉よりもタバサに優しく響いた。

 タバサは自分の内からこみ上げてくる感情を押さえつけることができず、その顔をくしゃくしゃに歪めた。

 

「あなたは、怖くないの?何でそんな強くいられるの?どうして私のために、ここまで戦ってくれるの?」

 絞りだすように問いかける彼女に、クラウドは静かに告げる。

 

「俺は、強くなんてない。以前にも言っただろう。俺が戦うのは、自分の為でしかない。だが、理由をつけるのなら……そうだな。この世界に列車はあるか?」

「それは、あなたの世界の乗り物?」

「敷かれた線路の上を辿る、鉄の乗り物だ。大地を力強く走るそれは、目的地に辿り着くまで決して止まることはない。俺の仲間の口癖でな。この世界に来た俺は……タバサ、お前と同じ列車に乗った」

 

 実際には馬車だったか、とクラウドは苦笑し、タバサに背を向ける。

 ビダーシャルと戦うために。

 

 背中に大剣を携えて、彼は言う。

 それは、共に戦う仲間達の合い言葉となっていた台詞。

 

「途中下車は出来ないのさ」

 

 

PM8:26

 

 

 クラウドは、先程ジャック達と戦いを繰り広げたばかりのアウストリの広場に再び足を踏み入れる。

 本塔、土塔、水塔、寮塔の四つの建造物と外壁に囲まれ、正門とも直接繋がるそこはトリステイン魔法学院の中で最も開けた場所であった。

 そのアウストリの広場の中心で、ビダーシャルは学院の正門を背にして待ち構えていた。

 学院の人々が建物の中へと逃れ、息を潜めてその様子を見守る中、二人は対峙する。

 

「姿を現したな、異邦人。この地を己の死に場所と定めたか」

 

「そのつもりはない。あんたこそ、どうするつもりだ。ここには何もない。その”反射”とやらはともかくとして、さっきのように魔法は使えないぞ」

 

「使えない?どうやら何か勘違いをしているようだな」

 ビダーシャルが口語を唱える。

 

「森の精霊よ。我らの敵を討つため、ここに集いたまえ」

 

 その瞬間、学院の周囲から地響きが鳴り、暴風が巻き起こった。

 暴風は学院の上空に集結して夜空を隠し、巨大な渦となった。

 渦の中にある途方もない数の黒い影は、学院の周囲を囲む森の木々から根こそぎかき集められた枝矢の群れであった。

 

「私は既に、この環境にある精霊との契約を終えている。森も、土も石も、渦巻く風も、この“世界”の全てが私の味方だ。どこに逃げようとお前に勝ち目はない」

 

 ビダーシャルは先住魔法の圧倒的な力を見せつける。

 だが、それを前にしても、クラウドは動じない。

 両目の青の瞳は揺らぐことなく、前を見据えている

 

 ・ ・ ・

 

「な、何だよ……あれ。たった一人の人間相手に使う規模の魔法じゃないぞ」

「あんなものが降り注いだら、例え軍隊だって全滅しちまう。エルフに勝つにはその十倍以上の戦力が必要だって聞いたが……これじゃあ、あまりにも」

 本塔の中から覗き見ていたマリコルヌとギーシュが、その絶望的な光景を見て青ざめる。

 

「あ、あんなものにミスタ・ストライフは勝てるのですか……?」

「無理よ、絶対勝てっこないわよ。ねえタバサ。本当に彼、大丈夫なの!?」

「…………」

 タバサは、シエスタにもモンモランシーにも答えられなかった。

 デルフリンガーを胸元で強く握り、只々、クラウドの無事を祈ることしか出来ない。

 

 ・ ・ ・

 

「最後に、聞いておきたいことがある」

 クラウドは再び、ビダーシャルに語りかける。

 

「あんたは俺を“災厄”と呼んだ。だが、さっきも言った通り、俺にはこの世界に危害を加える意志はない。俺はただ元の世界に帰りたいだけだ。それでも、あんたとここで戦う必要があるのか?」

 

「だから見逃せというのか?論外だ。お前は己の存在がどれだけ歪であるのか、気付いていない訳があるまい」

 

 ビダーシャルはクラウドを否定し、責め立てる。

 

「お前の躰の内にある“それ”は極めて危険な存在だ。共存できる生命など、何処の世界にもありはしない。私にはわかる。残虐かつ狡猾……。破壊の先の創造もなく、自身以外のものを滅ぼそうとする邪悪な本能のみがある。お前がたとえ元の世界に戻ろうとも、“それ”はお前の世界に必ずや災いを撒くだろう。なればこそ、お前はここで死ぬべきなのだ」

 

「死ぬべき、か……、何度も思ったさ。俺は何故生きているんだろう、とな」

 自嘲するようにクラウドは言う。

 

 そう……、何度も考えたのだ。

 

 ——燃えていく故郷で

 ——友の亡骸が打ち捨てられたあの戦場の荒野で

 ——彼女を永遠に失った、あの祭壇で。

 

 死ぬべきだったのは自分ではなかったのか、と。

 

 荒れ果てた世界、壊された日常、失われた命。

 過去は消えず、時間だけが過ぎていく。

 後悔と罪が滓のように躰に蓄積し、心を蝕む。

 

 今でも、不思議に思う。

 どうして俺は、生きているのだろうか。

 大切なものを次々と失って、それでもなお、何故。

 

「俺が弱かったから……。だから良い様に使われて、操られて、みんな見殺しにしてしまった。俺には誰も助けられない。そう思っていた。……忘れていたんだ。俺が、俺達が戦っていた理由を。あの時の強い気持ちを」

 

 右腕を覆う黒いベールを手で掴む。

 その下には、戒めと誓いの、赤いリボンが捲かれている。

 

「幻想はもういらない。俺は俺の現実を生きる。生きて、前に進む。引きずってでも、泥にまみれても。俺の中にある“怪物”が災いを招くというのであれば、俺が何度でも倒す。俺はこれからも、ずっと戦い続ける」

 

——約束の地、そこで再び巡り合うその日まで。

 その為に、俺はここにいる。

 命を賭して「試し」続けることが、存在の証明。

 

「だから死ぬわけにはいかない。あんたが俺を阻むというのなら」

 クラウドが剣を構えた。

 

「そこを退いてもらうぞ!」

 

 

 全身から青白いオーラが勢いよく沸き上がる。

 それは次第に、燃え上がる炎のような橙色へと変化していく。

 彼は大剣を額の前に掲げる。

 親友から受け継いだ、祈りの構え。

 凄まじい魔晄の迸りが、その全てが、大剣へと集まる。

 全ての力が大剣の先端に凝縮されて、白く光り輝いた。

 光は、先住魔法で創り出された暴風を貫くような、金属の異常発振を鳴り響かせる。

 

「何だ、その力は……」

 

 その純粋な力の結晶たる光を見て、ビダーシャルは恐怖した。

 

「限界を越える」

 

 クラウドが跳ぶ。

 その脚力に、大地が弾け飛んだ。

 大剣を下段に構えて、ビダーシャルに急接近する。

 輝く大剣は地面を深く抉り進み、真横に、直線に、一本の光の線を描く。

 

——あの剣に、絶対に触れてはならない!

 ビダーシャルの本能が、そう告げていた。

 

「我は古き盟約により命令する。我が敵を貫き、滅ぼせ!!」

 

 ビダーシャルの口語により、上空の黒い渦が、触手を伸ばすように地上へと降りてくる。

 途方もない数の矢が、クラウドを討たんと大雨の如く襲い掛かる。

 

「愚かな!遮るものもない此処は貴様の死地だ。このまま肉塊となれ!!」

 

 だがクラウドが止まることはない。

 攻勢を崩さないまま、大剣に内蔵されていた二つのマテリアを発動させる。

 

 

 

『三連ファイガ』そして、『まほうみだれうち』

 

 

 

 十数発もの『ファイガ』が一度に発動し、巨大な炎の塊が上空で次々と炸裂した。

 それはさながら戦争の空爆であった。

 爆発に次ぐ爆発が、夜の魔法学院を照らし出す。

 建物を揺らす激しい爆音に、学院の人々がわけもわからぬまま悲鳴を上げる。

 連発する業火は地上への攻撃を妨げる弾幕となり、矢がクラウドに届くことを完全に防いだ。

 

 

「…………ッ!!石の精霊よ、固き我らの守り手よ!!!」

 

 学院教師達のかけた『固定化』の魔法を上書きした精霊との契約により、学院の外壁がめくれて、次々と宙に浮かび上がった。

 石の塊は激しくぶつかりあい、結集し、石の巨人が創り上げられた。

 巨人はクラウドの前に立ちはだかり、防御の体制を固めた。

 

「いいだろう。受けてやる!異邦人、異世界より来た災厄よ。我が精霊の守りは、お前のいかなる刃も通しはしない!!」

 

 剣の間合いに、クラウドが到達した。

 彼は解き放つ。

 かつて宿敵を討ち倒した、その力の全てを。

 

 

 

 

 

 

「超究武神覇斬」

 

 

 

 

 

 

 

——振り下ろされた刃が石の巨人を両断して粉砕し、“反射”へと接触した。

 

 その瞬間、閃光が瞬き、風の大爆発が巻き起こった。

 大地を陥没させる衝撃波が、円周状に外側へと広がっていく。

 それは一度で収まらず、クラウドとビダーシャルの位置を中心に、光と風の爆発は何度も連続して発生し続けた。

 立っていられない程の風圧が、魔法学院の建物まで押し寄せる。

 

 

「うわああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

「どうなっているのよ!これええええええええええええええええええええええ!!!!?」

 

 本塔にいたギーシュ達は、気絶した才人達が吹き飛ばされないように必死になって押さえていた。

 

「これは、一体ッ!?」

「“反射”の衝撃波だ!奴さん、兄ちゃんの攻撃が強すぎてそのまま跳ね返すことが出来ねえんだ。だから、全方位に向けて衝撃を反射させることで、なんとか受け流して耐えてやがる!!」

 

 タバサが握るデルフリンガーが叫ぶ。

 

「じゃあ、これは……、彼の!?」

「ああ、そうだ。分散させても尚この威力とは、まったく信じられねえ。どっちも化物だ!だが、分散していても攻撃のダメージは兄ちゃん自身にも跳ね返ってきているはずだ。奴の“反射”が限界を迎えるまで持つか。我慢比べだぞ、こりゃあ!」

 

 爆発はまだ続いている。あの中心に、クラウドがいるのだ。

 

「……クラウド!!」

 

 タバサは彼の名前を呼び叫んだ。

 

 

 ・ ・ ・

 

 

——左横から右斜め上への斬り上げ

 

——左斜め上への斬り返し

 

——身体を捻る袈裟斬り

 

 

 連続する斬撃の全てが、一撃必殺であった。

 大剣が反射に接触する度に、凄まじい衝撃の環が周囲に発散される。

 一つでもまともに浴びれば、それは致命的なものとなる。

 ビダーシャルは衝撃の“反射”を全方位に発散させることで、猛攻に耐えていた。

 もはや“反射”以外の魔法に意識を集中することは、出来るはずもなかった。

 

 

——左下から上へ斬り払い

 

——垂直に渾身の斬り下ろし

 

——勢いのまま回転斬り

 

 

 防戦一方。否、そうではない。

 分散されているとはいえ、“反射”によりその攻撃は異邦人自身に跳ね返っている。

 これだけの恐るべき破壊力だ。先に限界が来るのは異邦人であることは明白だ。

 私は耐えるだけでいい。

 だが……、終わらない。終わらないのだ。

 

 

——左下への逆袈裟

 

——右横へ水平に薙ぎ斬り

 

——その逆へ左薙ぎ斬り

 

 

 猛攻は止まない。刃により空間を隔てる“反射”の境界が少しずつ削られていく。

 手が震える、抑えきれなくなっている。彼に焦りが生まれる。

 

「ぬぅ……ぐ、ぐっううううううう!!」

 

 ビダーシャルの口から呻き声が漏れる。

 彼の限界が近いのだ。

 何故だ、何故止まらない。

 精霊の守りは絶対不可侵だ。

 私は大いなる意志の加護を、この“世界”を味方に付けている。

 災厄であり、世界の敵対者である異邦人が私に勝てる道理などある筈がない。

 なのに——何故だ。

 この男は、どうして折れない。

 一体何が、この男を動かしている——?

 

 

 速度が加速する。止める術は、どこにもない。

 

 

——全身を捻り斬り下ろし

 

——斬り上げて後転。

 

——突進して刺突。

 

——そのまま引き裂くように斬り上げ、上空へ跳ぶ。

 

 大剣を天高々に振り上げる。

 光が大剣の先端に集積し、力強く輝く。

 金属の鳴音が、激しく高鳴った。

 異邦人の顔が見える。

 その蒼い眼が見える。

 

 その眼に宿るものを、ビダーシャルは見た。

 

 

 それは——世界の理をも超える、人の意志。

 

 

 最後の一撃が放たれる。

 

 “反射”を完全に破壊した刃が、ビダーシャルと、その何もかも全てを吹き飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 




投稿済分はここまでとなります。
とにかく筆が遅いので、次回更新がいつになるかわかりませんが、頑張って続けていこうと思ってます。(もしかしたらタバサの冒険の短編になるかも)

今後ともよろしくお願いいたします。


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幕間その2

 

 “風が呼んでいる”

 そんな気がして、ジョゼットは始祖への祈りを止めて顔を上げた。

 彼女の羅紗を編み込んだような銀髪がはらりと垂れて、首にかけた銀の聖具が揺れた。

 狭い礼拝堂の中、七色のステンドグラスに夕陽が差し込んでいる。

 空気はどこまでも静謐で、光にさらされた埃が漂っていた。

 静かだった。礼拝堂の中には、ジョゼット一人だけであった。

 いつもなら彼女に纏わりついてくる修道院の少女たちが、今はいないせいだろう。

 娯楽ないこの場所でいつもと違う行動をしているというだけで大騒ぎする彼女達も、日に日に元気をなくしていく様子のジョゼットに遠慮していたのだ。

 

 彼女は扉を開けて外に出る。

 吹きすさぶ強い潮風が、彼女の鼻をくすぐった。

 周囲を広漠とした外界が広がっている。

 猫の額ほどの小さな土地に、礼拝堂と石造りの宿舎が建てられている。

 その小さな世界が、彼女の全てであった。

 

 セント・マルガリタ修道院。ここはそう呼ばれている。

 ガリアという国の北西部に突き出た細く長い半島の先端に位置する場所にあるのだそうだ。

 そう、と言うのは、そもそもジョゼットは物心ついてからこの場所から出たことがないからだ。

 修道院の院長から教えられたこと以外、彼女は何も知らない。

 

 ——今日こそは、来てくれる気がする。

 

 予感を抱いてジョゼットは空を見る。

 彼女の眼にはうっすらと隈が出来ていた。

 ここ最近頻繁に見るようになった“夢”に、彼女は悩まされていたのだ。

 それはとても、とても恐ろしい夢で、眠れない日々が続いていた。

 修道院長に相談をしてみても、祈りを捧げて心を静めなさいと言われるだけだった。

 だが……その悪夢はいくら祈りを捧げても消えることはなかったのだ。

 

 “彼”なら何かわかるかもしれない。

 最近になって、この修道院にやってくるようになった神官様。

 外の世界からやってきたあの人なら……。

 

 外界の彼方に小さな物体が飛び、こちらに近づいてくるのが見えた。

 それは風竜であった。背中には人の姿が見える。ジョゼットの心は湧きあがった。

 彼女のすぐ上空を横切り、風竜は中庭に降り立つ。

 彼女は慌ててそれを追いかける。

 

「竜のお兄さま!」

 

 神官服に身を包んだその彼は、到着して早々彼女に抱き着かれたことで、少々面食らったような顔をしていた。

 整えられた金髪に左右色の違う瞳をもつ青年。

 名前をジュリオといった。

 ロマリア連合皇国の助祭枢機卿……それが彼の持つ肩書である。

 

「どうしたんだい、ジョゼット。いつもと調子が違うじゃないか。何を慌てているんだ」

「お兄さま、私どうしても聞いてほしいことがあるの。とても恐ろしい夢をみたの。いくらお祈りをしても、心から不安が消えないの。ねえ、私のお話を聞いてくださらない?」

「夢だって?」

 彼女の剣幕に、ジュリオは驚いた。

「ジョゼット、神官さまを困らせてはいけませんよ」

 傍にいた修道院長が窘めるが、ジュリオはにっこりと笑顔で対応する。

「時間をつくるよ。詳しく聞こう」

 

 ・ ・ ・

 

「世界が燃える夢を見たの」

 礼拝堂の中でジュリオと二人きりになったジョゼットは夢の内容を語り始めた。

 

「私、この修道院ではないどこか別の場所にいたわ。乾いた砂の土地……絵本でしか見たことがなかったけれど、あれが砂漠というのかしら。その中にある、大きな都に私は立っていたの。

 とても精工に造られた高い建物が立ち並んでいて……でも、その全てが、燃えていたわ。

 遠くを見ると、何かの大きな影が、都を見下ろしているの。ドラゴン?ううん、きっともっと恐ろしいモノ……。それが人も建物も全てを燃やしてしまうの。

 とても熱くて……、息苦しくて……。あちこちから悲鳴が聞こえても、私何もできなくて……」

 震えるジョゼットの方にジュリオが手を添える。彼女は短く息を整える。

 

「最後には景色が真っ暗になって、どこからか、誰ともわからない声が囁くの。“目覚めよ”“備えよ”って。そうして気付くと朝になっているの」

 彼女はジュリオに縋りついた。

 

「何度も、同じ夢を見たわ。竜のお兄さま、私おかしくなってしまったのかしら。怖いの。あの夢がいつかほんとうになってしまう気がして仕方ないの」

「大丈夫だジョゼット。心配することは何もないよ」

 ジュリオは彼女を落ち着かせるように優しく話しかける。その顔は普段の飄々としたものとは違って真剣そのものだった。

 

「君の見たそれは、きっと始祖のお告げに違いない。夢の通りにならないようにお導きくださったんだ。話してくれてありがとう。僕はこのことを急ぎ教皇に伝えなければ」

「もう行ってしまうの?そばにいてはくださらないの?」

 ジュリオはジョゼットを抱き寄せた。彼女の白い頬が赤く染まる。

 

「準備ができたら、君を迎えに来る。君はおそらく、今後ロマリア宗教庁にとって必要な存在となるだろう。もう少しの間、我慢してほしい」

「ロマリア宗教庁にとって……?あなたにとってはどうなの?」

「……僕にも、君が必要だよ」

 そう言うと、ジュリオは彼女の頬にキスをした。

 

 ・ ・ ・

 

 竜に乗って去っていくジュリオの姿を黙って見守る。

 不安が消えたわけでない。でも少しだけ、気持ちが軽くなったような気がしていた。

 

 あの人は私を迎えに来てくれると言った。

 今は、その言葉を信じることにしよう。

 

「でも、期待していたものとは、少し違ったわ」

 赤くなった頬を触りながら、彼女はそう思った。

 

 ・ ・ ・

 

 ロマリア連合皇国。それは、ハルケギニア最古の国の一つ。

 短くは“皇国”と呼ばれ、ハルケギニア全土で広く信仰されるブリミル教の中心地とされる都市国家連合体である。

 広い外海を渡り、ジュリオはこの皇国ロマリアへと戻ってきた。相棒の翼竜アズーロを竜厩舎に預けると、ジュリオ自身は休む間もなくロマリア大聖堂へ足を運ぶ。

 大聖堂に向かう目的は、この国の最高権威である教皇に報告をするためである。

 彼は必要とあればいつでも教皇に謁見できる権利を持っていた。なぜならば、ジュリオには助祭枢機卿という肩書の他にもうひとつ、別の役割をもった人物であるからだ。

 

 

 

 

「聖下。このジュリオ・チェザーレ……。あなたの使い魔“ヴィンダールヴ”が只今戻りました」

 教皇の謁見室に入ったジュリオが膝をつき恭しく頭を垂れた。彼の右手には“虚無”の使い魔の証であるルーンが刻まれている。

「よく戻りましたジュリオ。長旅ご苦労様です。どうでした、彼女の様子は」

 ロマリア教皇聖エイジス三十一世……ヴィットーリオ・セレヴァレは己の使い魔を労う。

 まだ若く……金髪の長い髪を持つ彼は、その端正な顔と声に少しだけ疲れが見えていた。

「やはり、間違いないようです。彼女には“虚無”の力を受け継ぐ資格があると見てよいでしょう」

「そうですか。我々の見立ては正しかったようですね。あのような場所に追いやったとしても、その身に流れる“血統”を誤魔化すことは出来ない、ということですね」

 ジュリオは頷いた。そう……、ジョゼットはただの孤児ではない。

 彼女はある王族の血筋であり……訳あってあのような場所に追いやられているのだ。

 それは、今はまだ本人すら知らない秘密である。

 本来ならば彼女は、あんなちっぽけな所に閉じ込められているべき存在ではないのだ。

 ジョゼットに外の世界を見せてやりたい。

 ジュリオはそう考えている。教皇も、彼の考えに賛同してくれた。

 打算はあれど、それはジュリオの本心であった。

 

「“夢”を見たと、言っていました……彼女曰く“世界が燃える夢”、だと」

「世界が燃える夢……、彼女が虚無を受け継ぐものならば、彼女の見たそれは、我々が直面する異変と関係することなのかもしれません」

「何か、わかったのですか?」

 教皇ヴィットーリオは頷き、こちらへ、とジュリオを促した。

 謁見室の壁面はすべてが本棚である。並べられているはずの蔵書の数々は、ところどころ穴が開いている。その抜き取られた本は、机の上にどっさりと積み重ねられていた。

 “異変”に気づいて以来、ヴィットーリオは寝る間も惜しんで過去の書物を調べ続けていたのだ。

 

「まずは、これを見てください」

 ヴィットーリオが机に取り出したのは、紐模様の枠のついた小さな古ぼけた鏡だった。何の変哲もない物のようにも見えるが、それはただの鏡ではない。古より伝わる虚無の秘宝の一つ……“始祖の円鏡”であった。

 ヴィットーリオが触れると鏡が光輝き、その一面におびただしい量のルーン文字が現れた。

「何なのですか。これは、まさか……」

「そう、“虚無”の呪文です。この円鏡が、あの“災厄”に対する啓示を示して以来、このような状態となりました。ここには、全ての“虚無”の呪文が現れています」

「全て、ですって?そんな馬鹿な!?」

 

担い手よ、備えよ

担い手よ、心せよ

その災厄は、地の底、深い奈落からやってくる

 

 滅茶苦茶な文法で形作りられ、まるで無理矢理吐きだされたような警告文を思いだす。

 あの時、鏡に表れたそれを見た時と同じ衝撃が、今再びジュリオに蘇っていた。

 現れたルーン文字は上から下に流れて次々を虚無の呪文を現していく。

 “爆発”、“幻影”、“解除”、“世界扉”、“加速”、“忘却”、“分解”……そうして最後に記された呪文の名は……。

 

 究極にして最後の虚無の呪文。

 

 “生命(ライフ)

 

 そしてその魔法を行使するために必要な最期の使い魔。

 “記すことさえはばかれる”とされた存在。

 

 “リーヴスラシル”

 

 そこには、その事実が記されていた。

 

「“生命”、そして最後の使い魔“リーヴスラシル”まで………」

 この六千年秘匿され続けてきた虚無の魔法のすべてが、こうもあっさりと明かされてしまうとは——。愕然とするジュリオにヴィットーリオは告げる。

 

「このロマリアに伝わる過去の様々な文献を調べましたが、同じ事象は存在しませんでした。これはこの六千年の時の中で初めて起きた異変です」

「一体……何が起きているのですか?」

「このようなことは前例にありません。ならば、今起きている事象と、我々が知りうる事実を基に推測するしかないでしょう」

 

 ヴィットーリオがジュリオに向き直る。

 彼は、自身が知りうる虚無についての事実を整理して説明していくことにした。

 

「“虚無”の力はかつて、四つの国に分かたれました。それは現在のガリア王国、アルビオン王国、トリステイン王国、そしてこのロマリア連合皇国の四国にあたります。“虚無”の力は始祖ブリミルの三人の子と一人の弟子の血族にのみ扱う資格が与えられたものです。しかし、実際に“虚無”の魔法を行使するためには、さらに始祖から受け継いだルビーと秘宝が必要となります」

「誰が担い手に選ばれるのかまではわからない。虚無の魔法は、担い手が必要とする時に、必要な呪文が現れる。それが、虚無の継承でした」

「そうですジュリオ。始祖はなぜ“虚無”の力を四つに分けたのか。そして、なぜ“虚無”の行使にルビーと秘宝を必要とするという“枷”を嵌めたのか。今、その意味を考える必要があるのです」

 ヴィットーリオは言葉を続ける。

「理由は二つあると考えます。一つは後世に確実に“虚無”を継承させる為です。長き時の中で四つの国のいくつかが滅亡したとしても、使命を全うする後継者が未来に残るようにしたのです。

 そしてもう一つ……“枷”を嵌めたのは力の悪用を防げるためでしょう。始祖の秘宝を所持できる“権威”と“血”を受け継いだ者にのみ力を扱う資格を与え、さらに使用できる虚無の魔法を限定させることで、たとえ“虚無”に目覚めた者に悪しき意志があったとしても、その強大な力が無暗に扱われるリスクを少しでも減らすことが目的だったのではないか、と。ですが……ジュリオ、ごらんなさい」

 そう言うと、ヴィットーリオは呪文を唱え始めた。

 

——ユル・イル・ナウシズ・ゲーボ・シル・マリ……

 

 その呪文を聞いているうちに、ジュリオは心に安らぎのようなものを感じていた。

 ジュリオはすぐに直感した。これは、“虚無”の呪文の一節ではないかと。

 

——ハガス・エオルー・ペオーズ……

 

 ヴィットーリオは詠唱を途中で打ち切った。虚無の魔法には膨大な魔力を必要とする。不必要な消耗を控えたのだろう。それでも、杖を振った先にその効果は表れていた。

 

「銀の光の鏡……」

 ジュリオが呟くその先には、キラキラと輝く光が浮かんでいる。

「“世界扉(ワールドドア)”——これは“始祖の円鏡”が現したルーンにより、新しく覚えた呪文です。私は虚無の担い手ですが、この二十一年の間で扱えた虚無の呪文は“遠見”の魔法一つだけでした。なぜならば“火”のルビーが我が母の裏切りによって外国に持ち去られてしまったからです。本来ならば始祖の秘宝とルビーのどちらでも欠けてしまえば、新しい呪文を授かることは出来ないはずなのです」

「ですが、聖下は“始祖の円鏡”のみで新たな呪文を授かることができた。“枷”が外れている……いや、緩められている、ということでしょうか?」

「ええ、そう見るべきでしょう。以前とは違い、始祖の秘宝のひとつさえ手元にあれば呪文を授かることができるようです」

 ヴィットーリオが杖を軽く降ると、銀の輝きは瞬時に消失した。

 

「今回現れた啓示は、始祖が後の世界に残した安全装置のようなものが発現したためではないかと、私は考えています。我ら虚無の担い手の使命……、"聖地"の奪還という目的を阻む、強大な災禍が出現した場合に備えて、対抗手段を残しておいたのではないかと思うのです」

「強大な災禍とは、一体?」

「始祖ブリミルの生まれ故郷から来たもの想定していたのか、それとも別の場所か……。いずれにせよ始祖の出自を考えれば外世界からの侵略があった万が一のことを想定していたとしても不思議ではありません」

「災禍……、地の底からやって来る災厄……」

 思考するジュリオの言葉を引き継ぐようにヴィトーリオが答える。

 

「それは言うなれば、世界の敵です」

 

 世界の敵。

 もし、そんな存在が本当に実在し、このハルケギニアに潜んでいるのだとすれば、それはどれほどの脅威なのだろうか。すべての虚無の魔法を解放しなければ対抗できないほど、恐ろしい存在なのだろうか。

 

「我々が行うべきことは二つ。ひとつは四の四に分かたれた虚無の担い手をその使い魔を集めること。そして、もうひとつは“災厄”の正体を掴むことです」

「しかし聖下、災厄の正体など、見当もつきません」

「いいえ、ジュリオ。私には思いあたる節がある。連日ハルケギニア各地で頻繁している地震……、それが何か関わりのあることなのです。急ぎ観測隊を派遣し調査を行っていますが、その結果が出るまでにはもう少し時間がかかるでしょう」

「地震ですか……。確かに、想定より遥かに早く進行しています。しかし聖下、原因はすでに判明していたではないですか。その理由があるために、我らは“聖地”を目指すのではなかったのですか」

 反論するジュリオにヴィットーリオは首を振る。

「いずれ、わかるでしょう。しかし今はそれよりも優先して対応しなければならない事があります」

「これ以上に一体何があるというのですか」

「始祖の円鏡に起きたこれらの現象は、我々の元のみに起きていたわけではないだろう、ということです。それがどういう意味かわかりますか」

 ジュリオははっと気づき、青ざめた。

「まさか……、始祖の秘宝を持つ他の“虚無”の担い手の元にもこれと同じ啓示が現れているということですか」

 

 現代に蘇った虚無の担い手は四人。

 ロマリアはその諜報力によって、使い手達の居場所を既に把握している。

 

 一人は、このロマリア皇国の教皇ヴィットーリオ。

 一人は、トリステイン王国のルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。

 一人は、アルビオンの辺境に住む少女、ティファニア・ウェストウッド。

 そして最後の一人こそが、今日のハルケギニア各国に戦火をもたらし、虚無の力を悪しき目的に利用している男……、ガリア王国の“無能王”ことジョゼフ一世である。

 

「大変ではないですか!野望多きガリアの王が“虚無”の秘密の全てを知ってしまったとしたら。もしあの男が“生命”の魔法を使いでもしたら、それこそ、このハルケギニアを滅ぼしかねない!」

「いえ、あの男に“生命”は使えないでしょう。なぜなら“生命”には最後の使い魔“リーヴスラシル”が必要不可欠であり、そのルーンが最大限の効力を発揮するためには、使い魔との深い絆が必要になるからです」

 ヴィットーリオは落ち着きはらったまま答える。

 

 そう……、ヴィットーリオにはジョゼフという男の智謀の恐ろしさがわかる。

 だが同時に、あの男の心の底が見えてもいた。

 なぜ、ジョゼフが各国の戦争に暗躍し、このハルケギニアに混沌をもたらしているのか……。

 すべてはあの男が“愛”という感情を失ってしまったことに要因があるのだ。

 だが......、“愛”を知らなければ、“生命”を使うことはできない。

 

「ですが、あなたの言う通り、楽観できる状況ではありません。我ら本来の目的である“聖地”の奪還を果たす上でも、ガリア王は大きな障害でした。なによりもあの男は危険すぎる。我々ロマリアが想像だにしない“虚無”の使い方を見つけてしまうかもしれません。事を急がなければ勝ち目が薄くなるでしょう」

 ジュリオはヴィットーリオの言葉に頷いた。

 他の虚無の使い手ならば、説得のしようなどいくらでもある。だがジョゼフ王は、あの男だけは絶対に味方になることはないだろう。

 なればこそ、一刻も早く排除しなければならない。それこそが最優先事項である。

 そして、ジョゼフの代わりとなる新たな“虚無の担い手”を目覚めさせ、味方として迎え入れるのだ。その時迎え入れられることになるのは、おそらく……ジョゼットとなるだろう。

「“聖戦”の開始を早めなければなりません。ジュリオ、あなたには早速動いてもらうことになります」

「聖下の仰せのままに——」

 だがその時、謁見室の扉が開かれた。

 慌てた様子で入ってきたのはジュリオと同じ助祭枢機卿の肩書を持つバリベリニ卿であった。

 彼のもたらした報告は、二人にとって、先手を取られたも同然の内容であった。

 

「トリステイン王国のルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール嬢が、ガリア王国の手の者によって誘拐されました」

 

 ・ ・ ・

 

 

 ガリア王国。

 その中心の都市リュティスのヴェルサルテイル宮殿。

 ジョゼフ王の私室に、オルゴールの音色が響いていた。

 普通の人間には聞こえることのないその音色に、彼は聴き浸っている。

 

 初歩の初歩の初歩、“エクスプロージョン”

 中級の中の上、“世界扉”……。

 “加速”……。

 “幻影“……。

 ”分解“……。

 

 メロディの中で伝えられる虚無の呪文の数々を聴ききながら彼は思考にふける。

 オルゴールの音色が終わりに差し掛かる。

 

 最後の呪文…… “生命(ライフ)

 聞けば聞くほどに、凄まじい威力を持った呪文であった。

 

 「“生命”などと……何の皮肉なのか。笑わせるな、始祖よ。何を考えてこんな呪文を残したのだ。お前は、後の子孫に一体何をさせるつもりだったのだ」

 彼は独り言のように呟く。

 

「始祖よ。お前には“愛”とは何か、わかっていたのか」

 

 彼は自室の床を見た。そこには一人の女性が倒れ伏していた。

 胸をかきむしり、苦しそうに呻いていた。

 彼女の視線がジョゼフに突き刺さる。

 

「なぜ……ですか。陛下」

 その言葉を最後に女性は力尽きる。

 彼女の名前はモリエール。

 ジョゼフの愛人であり、彼のことを“愛している”と告げた女であった。

 ジョゼフは彼女の死に対して何の感情を持つこともなかった。

 

 だが……彼女の胸元で輝いていた光の灯火が消えるの見た彼は、

 微かに……確信の笑みを零したのであった。




次章、ガリア王編に続きます。
その前にタバサの冒険の番外編を投稿予定。
タバサと軍港編後~トリスタニア到達前くらいの時系列のものになると思います。


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タバサと老戦士編【番外編】
EXTRA-05


「だいぶ登って来たな……」

 

 ガリアの山深い森の中を、目的地に向かって歩いていた。

 誰が通ったとも知れない獣道をかき分けて、急な斜面を登っていく。

 常に湿った空気の流れる山中において足元の土は脆く歩きにくい。

 それでも、ソルジャーと同等の身体能力を備えたクラウドならば、この程度の山登りは苦にもならない。

 しかし、彼は同行者への配慮を欠いていたことに気づく。

 振り返ると、タバサがかなり遅れて後方を歩いている。

 

「すまない、速く歩きすぎた」

「……平気」

 

 いつもなら疲れなど微塵も表さないタバサでも、息が荒いのが見て取れた。

 今回の目的地は交通の便がないため、一番近い街から歩いて向かわなければならなかった。

 シルフィードがいない現在、魔力を温存するという理由でタバサは魔法の使用を控えている。

 彼女がいくら優秀なメイジとはいえ、魔法を使わなければ普通の少女とそう変わりはない。

 大人でも歩いて三日はする道のりだ。

 こんな山道でさえ常人以上の速さで移動することが出来るクラウドに合わせるのは、さすがに堪えるのだろう。

 

「少し休むか」

「問題ない。このまま進む」

「だけどな――」

「大丈夫だと言っている。私は疲れていない」

 

 クラウドの言葉を遮る形でタバサは主張する。だが、それでは疲れていると言っているようなものである。

 静かな印象を持つ彼女だが、意外に頑固なところがある。

 そういった点は自分と似ているかもしれない。彼は内心で苦笑する。

 彼女の言葉を聞かなかったことにして、クラウドは周囲を見回した。

 獣道の先、少し高台となる場所に大きな岩がある。地面も比較的平らなようだ。山道の途中で自然にできた休憩地の様なものかもしれない。

 

「あの岩陰で休もう」

「だから――」

 

 反論を言いきる前にクラウドはタバサの頭に手を置いた。

 子供慣れしていない反動からか、頭に手を置くのが彼女とのコミュニケ―ションの手段になってしまっていた。

 なるべく優しい口調で、諭すようにクラウドは言う。

 

「俺が疲れたんだ」

 

 ・・・

 

 岩に背中を預けてクラウドは地面に腰を降ろす。水筒を取り出すと一口含み、喉を潤した。

 タバサはどこか釈然としない様子であったが結局彼の横にペタリと座った。

 

「しかしまた討伐任務とは、こき使われているな」

「軍は暇じゃない」

 

 タバサは答えると、クラウドが渡した水筒を受け取った。

 彼女は両手で水筒を掴み、その飲み口をじっと見つめていたが、しばらくすると決心したように、一気に口に含んだ。

 

「そういえば戦争中だと言っていたな。うかつに軍隊を動かせないわけか」

 

 ハルケギニアは今トリステインとアルビオンという国が戦争の真っただ中の状況にあるらしい。戦時中となればもちろん、隣国であるガリアでも無関係ではいられない。

 現在ガリア軍隊は厳戒態勢にあり、そのために北花壇騎士であるタバサに末端の仕事が回ってきているのだ。

 どこの世界でも戦争か、と溜息をつく。

 クラウドの世界でもほんの数年前まで新羅カンパニーがあちこちに戦争を仕掛けていたのだ。

 

「タバサ?」

「……」

 

 タバサを見ると、クラウドに寄り添い黙々と水筒を飲んでいた。

 どこかぼんやりとした表情だ。

 やはり、連日続く任務とこの山道で疲れているのかもしれない。

 彼女の頬にほんのりと赤みが差しているのは、きっとそのせいだろう。

 

「おい、大丈夫か?」

「……!」

 

 肩に手を触れるとびくん!と激しく反応する。

 

「な……何」

「やっぱり疲れているみたいだな。もう少し休んでいくか?」

「へいき……」

「本当か?」

「だ、大丈夫だから……」

 

 彼女は顔を真っ赤にして、顔を伏せた。

 心配するクラウドは荷物の中からポーションを取り出した。

 

「飲むか?体力を回復できるはずだ」

 

 タバサは慌てた様子で首を振った。

 

「そこまでする必要はない。貴重な品だと聞いている。もう残り少ないのでは?」

 

 タバサの言う通り、元いた世界から持ってきたポーションはこれで最後であった。

 ラグドリアンでの一件で、所持していた大部分をシルフィードの治療に当ててしまったためだ。

 だがクラウドは戦いの中でポーションに頼ること自体ほとんどなくなっている。

 そのこともあり、特別大切に保存するつもりもなかった。必要であれば誰かのために使ってしまおうと考えていたのだ。

 だが、タバサは改めて断り、その理由を答えた。

 

「ここから目的地はもう近い。一気に進んだほうがいい」

 

 タバサが指で示す。この岩場のある場所は見晴らしが良く、遠くまでよく見える。

 山々の間の窪地に小さな村があった。

 アンブラン村。それが今回の任務地の村の名である。

 

「ならいいが。それで、今回は何を討伐するんだ?」

「……コボルトという亜人」

 

 コボルトとは犬のような頭を持つオーク鬼とはまた違った亜人のことである。

 タバサによると力も知能もたいしたことがないので平民の戦士でも戦える相手らしい。

 ここはラグドリアン湖から離れているので、以前のように魔晄の影響を受けた個体がいる可能性は低いだろう。

 

「また苦戦しないといいがな」

「心配はしていない」

「どうしてだ?」

 

 タバサは、ぽつりと呟く。

 

「貴方が、いるから」

 

 ・・・・・・・・・

 

 アンブラン村。ガリアの南部に存在し、三方を高い山に囲まれた奥に、その村は存在していた。

 周りから切り離された土地に位置し、一番近い街からも三日はかかる為、他との交流も少ない。

 陸の孤島のような場所であるとタバサ達は想像していたのだが、到着してみると村は以外なほどに賑わっていた。

 

「おやおや!この村にお客とは珍しい!」

 

 訪れた二人に朗らかな笑顔を向けて、村人たちが集まってきた。

 

「ようこそ、アンブラン村へ」

「まあ、ここまで歩いてきたのかい?それは疲れただろうに!」

「すっごい大きな剣だね!お兄さん剣士様なのかい?かっこいいねえ!」

 

 老若男女が取り交わった、大勢の人間が二人を出迎えた。

 コボルトに襲われているというのに村人たちに悲壮な感じはまるで見受けられない。

 以前に訪れたキルマ村とは何もかもが違う印象であった。

 

「……気付いたか?タバサ」

 

 クラウドの言葉にタバサは無言で頷く。

 別に村人たちにおかしいところがある訳ではない。

 ないのだが……、何かが妙なのだ。

 連日の任務で疲れているのかもしれないとも思った。

 だが、クラウドも同じ違和感を感じ取っているということであれば、これはきっと気のせいではない。

 

「こりゃあああああああ、何をやってるかああああああああ!!!」

 

 ガチャガチャと鉄の音を響かせて、甲冑を着込んだ老人が小走りでこちらにやって来た。

 真っ白な髭と髪が兜の中から飛び出ている。相当な高齢のようだ。背負った長槍が重いのか、息を切らしている。やってきた老人は、古びた長槍をクラウド達に突き付けてきた。

 

「怪しいやつめ!わしの許可なくしてこのアンブランに立ち入ることは許されぬぞ!」

「なんだ、あんた」

「わしはユルバンと申すもの。恐れ多くも領主のロドバルド男爵夫人よりこの槍を与えられ、このアンブラン村の門番件警士として治安を預かっている。さあ神妙に名乗れ、この村に何の用で来たのだ!」

「ユルバンさん、失礼ですよ。おそらく、この方たちはお城からいらした騎士さまでしょう」

 

 村人の一人が呆れたように言った。

 

「うぬ?確かにこのお嬢さんはマントをつけておられる。とすると……」

「花壇騎士タバサ」

「それと……その従者だ」

 

 老人に向けてタバサとクラウドが告げる。

 

「わたしたちは、コボルトの退治にやってきた」

「なんと!」

 

 ユルバンは驚くと共に、悔しそうに顔を歪ませる。

 

「ぬぬぬ……あれほどわし一人で十分だと申し上げたのに、夫人様はこのわしが信用ならぬとおっしゃるのか!」

 

 がしゃんがしゃんと音を立て、その場で地団駄を踏む。

 老人はこうしちゃおれん、と踵を返して去っていった。

 

「なんだったんだ……」クラウドが呟いた。

「あのユルバン爺さんは村を守ってくれている兵隊さんなんだ。だが、見てのとおりもう年でね」

「昔は相当腕の立つ使い手だったらしいけれど、さすがにもう無理があるわよねぇ」

「いやはや、あんた達が来てくれて助かったよ。あの爺さん一人でコボルト退治に行くっていってきかないんだから。危なっかしくて見てられなかったよ」

 

 村人たちは口々に笑いながらそう言った。その口調は穏やかなもので老人を侮蔑するようなものではない。どうやら、彼は村人たちから大切にされているらしい。

 老人の去っていた方角に依頼主の男爵夫人の屋敷があると聞いて、タバサ達はそこに向かうことになった。

 

「どうしたの?」

 途中で、ふいに立ち止まったクラウドにタバサは声を掛ける。

「いや……」

 

 クラウドは辺りを見回す。

 木造の建物。通り過ぎる人々……、何の変哲もない田舎の村のはずだ。

 だが、どこか妙で、そして既視感のようなものがあった。

 

「この風景を、俺は知っているような気がする」

 

 そう、どこかで……。

 

 ・ ・ ・

 

 村の領主とされるロドバルド男爵夫人の屋敷は、小さいながらも手入れの行き届いた貴族屋敷であった。

 

「奥様!いったいどういうことですか!私の代わりに、王都からあのような年端もいかぬ少女を呼びつけるとは!」

 

 ユルバンの怒鳴り声が、屋敷の外まで響いている。

 おろおろとした様子の小太りの執事に案内されて、二人は書斎に向かう。

 書斎にはユルバンと、彼の剣幕に困った様子の銀髪の老婦人がいた。彼女がロドバルド夫人だろう。

 

「ですがユルバン、あなた一人ではさすがに無理だわ」

「わたくしの腕がご不満だというのですか!私は、五十年以上もロドバルド家、ひいてはこのアンブランを守ってきた男ですぞ!コボルトごときに遅れをとるはずがありませぬ!」

「とにかく、今言った通りです。あなたには村を守るという役目があります。この村を出ることは許しません」

「私を討伐隊から外すと?納得できませぬ!先程お会いしましたが、貴族とはいえ子供でしたぞ!従者もどこの馬の骨ともしれん奴でした。おそらく碌に戦いの経験もないでしょう。わたくしを差し置いて、そのような者たちに任せるとは!」

 

「ずいぶんな言い草だな」

 タバサと一緒に書斎に入ったクラウドが言う。

 

「ユルバン、遠くからいらしてくれたというのに失礼ですよ。騎士さま、ようこそいらっしゃってくださいました」

「ガリア花壇騎士、タバサ」

 

 一連のやりとりを全て無視して、タバサが短く名乗る。

 ユルバンはふん、と鼻をならすと、悔しそうに部屋から出て行ってしまった。

 

「失礼を許してくださいね。悪い人ではないの。ただ少し責任感が強いだけなの」

 

 タバサはどうでもいい、という様子で頷く。

 クラウドも興味なかった。まず聞きたいのは仕事の話だったからだ。

 

 ・・・・・・

 

 食事の席で任務の話をすることになった。

 ロドバルド男爵夫人が現状を説明する。コボルトの群れが住み着いたのは今より一か月前のこと。ここから一時間ほど離れた廃坑をねぐらとしているらしい。

 今のところ目立った被害は出ていないが、既に偵察隊が幾度か様子を探りにやってきているようだ。

 

「群れの規模は?」タバサが尋ねる。

「おそらく三十匹ほどかと。コボルトは用心深いですから、こちらの防備がたいしたことがないとわかれば、一気に襲ってくるでしょう」

「なら、その前に叩くべきだな」

「あの……大丈夫でしょうか?」

 

 クラウドとタバサが頷くと、夫人はほっとしたようで、顔が晴れやかになった。

 

「ああ、よかった。では仕事の話は一旦おしまいにしましょう。丁度食事の用意も出来たようです。どうぞ召し上がってください」

 

 執事が運んできた温かい料理がテーブルの上に並べられた。クラウドはフォークを手に取り、肉料理を一口含む。そしてわずかに眉をひそめた。

 味が……薄いのである。とにかく塩気が足りない。

 タバサを見ると、目が合った。彼女も手が止まっている。

 どうやら、クラウドの気のせいではないようだ。

 ロドバルド男爵夫人は独り身のようである。年寄り相手の料理だから味が薄いのかもしれない。

 出された料理に文句をつけるわけにもいかず、黙々と口に運んでいると、夫人はユルバンのことで、と言って話し始めた。

 

「お願いがあります。ユルバンはおそらく『自分も連れていけ』とあなたに言うかと思いますが、その際はきっぱりと断ってください」

「なぜ?」タバサが聞いた。

「ユルバンはあの通り、かなりの年でございます。正直に言って亜人相手の実戦には耐えられないでしょう。実は……今回の仕事を依頼する理由はこの為なのです。彼を危険な目に合わせないために、代わりに討伐できる方をお呼びしたのです」

「あのじいさんが、そんなに大切なのか?」

 

 夫人は頷いた。

 

「彼は何十年も、わたしの幼いころからずっと、我が家のために尽くしてくれました。夫に先立たれ……子供もいない私にとって家族同然の存在なのです」

「家族同然、ね」

 

 一介の戦士がここまで大事にされることに、多少の違和感があった。

 ユルバンは五十年以上もロドバルド家に仕えてきたと言っていた。

 家族同然、というのも間違いではないのだろうが……。

 何か……、そう何かが変な気がする。

 

 ――ジジッ

 頭の中でノイズと共に、鋭い痛みが走った。

 気分が悪くなり、目の前がぐらついた。

 

 また、これか。

 “こう”なるのは、決まってクラウドの躰に埋め込まれた存在の能力が顕現している時だった。

 2年半前の旅路でも、度々このような痛みに襲われることがあった。今のこの感覚は、特にそれに近いように思われる。

 

 これは、そう……。

 忘れていた何かを、思い出そうとしている感覚だ。

 

 だが、ここはクラウドが元いた世界ではない。

 初めて来たこの場所に何かを思い出す要素など、何もないはずではないのか。

 

「クラウド?」

「あの、大丈夫ですか、どこか具合が悪いのですか?」

 

 声をかけてくるタバサと夫人に対してクラウドは大丈夫だ、と短く答える。

 

「もうお休みになった方がよろしいかもしれませんね。どうか明日はよろしくお願いします」

 

 夫人の言葉で、食事の席は終わりとなった。

 

 ・・・・・・

 

 

 タバサは執事に案内され、用意されていた客間に入った。

 明日の戦いに備えて作戦を考えなければならない。コボルト自体は大した敵ではないが万が一ということもあるからだ。それに……懸念もあった。

 

 この村は何かがおかしい。

 その違和感は村に来た時から徐々に膨れ上がっていた。

 何がおかしいのかと言えば、普通過ぎる。とにかく普通過ぎるのだ。

 村がコボルトに襲われているというのに、村人達は恐怖に怯える様子もなく、普段通りに生活している。

 以前にオーク鬼に襲われたキルマ村の人たちの怯えようを見ているから、わかる。

 ここに住む人間達には”温度”というものが足りないのだ。

 何か、大きな秘密があるような気がしてならない。それは任務にも関わることである予感があった。

 

 一人ではこんなにも早く気付くことは出来なかっただろう。クラウドも同じ疑念を抱いていたからこそ、タバサは自身の違和感に確信を持つことが出来たのだ。

 しかし、クラウドは今この部屋にはいない。

 先程、村を見に行くといって出て行ってしまった。

 彼も、調べることがあったのだろうか。

 食堂での会話以来調子が悪そうであったが大丈夫だろうか……。

 

 クラウドがタバサの任務を手伝うようになってだいぶ経っていた。

 シルフィードも彼女にとって大切な使い魔であったが、それとは違う意味で、任務の相棒として、彼ほど頼りになる人間は他にいなかった。

 共に戦い、背中を守ってくれる存在がいることが、これほどの安心感をもたらしてくれるとは思いもしなかったのだ。

 現状は変わらず、過酷な任務の連続ではあるが……、クラウドと一緒であれば乗り越えていけるように思える。

 

 できれば、これからも、ずっと一緒に――

 そんな考えがよぎるが、思い直す。

 彼がタバサの従者でいるのはトリステイン魔法学院で才人と会うまでの間だけである。

 そもそも、彼は別の世界の人間なのだ。彼には彼の、タバサにはタバサの目的がある。

 帰る方法が見つかればクラウドがタバサと行動を共にする理由はないのだ。

 

 彼と一緒にいることに、慣れてはいけない。

 ……寂しい、とも思ってはいけない。

 そうでなければ、いつか来る別れが、きっと辛いものになってしまうから。

 

 

 その時ドアがノックされる。

 クラウドが戻ってきたのかと思い、ドアを開けると平服に着替えたユルバンが立っていた。

 

「お頼み申す。どうか、わしも明日の討伐に連れていってくださらぬか!」

「……」

 

 ユルバンは片膝をついて時代かかった仕草で頼みこんでくる。

 タバサは疑念を覚えた。どうして危険な任務に赴くことをこれほどまでに固持するのだろうか。

 だが、先程のロドバルド男爵夫人との約束もある。

 心苦しいが、この老人の頼みは、断らなければならない。

 

 ・・・

 

 同じ頃、クラウドは村の中を歩いていた。

 目的は村人の観察だったが、既に日が落ち始めているからか、村中を歩く人の姿は見えなくなっていた。

 居酒屋を見つけた彼は、試しに入ってみることにした。

 

 中に入ると客たちが一斉にクラウドを見る。

 だが……すぐに何事もなかったように自分たちの話題に戻る。

 

「……」

 

 椅子に座ると酒と一緒につまみの料理を注文する。

 年配のおかみが運んできたそれを口に入れる。

 

「味が薄い……」

 

 ロドバルド男爵夫人の屋敷で出されたものと同じだった。

 おかみに文句をつけると、黙って塩と胡椒の小瓶を置いていった。

 辺りを見回す。村人たちは薄味の料理に文句をつけるわけでもなく普通に食事をしていた。

 

「薄味の村、か……」

 

 クラウドは黙って、そのまま店を出た。

 

 男爵夫人の屋敷の料理だけ味が薄いのなら理解できる。それが年老いた夫人の為の料理だとわかるからだ。だが、その味付けが村全体にまで及ぶのは、不自然ではないだろうか。

 それに……それだけではない。

 客たちが一斉にクラウドを見た時の全員の表情が、まったく同じだったのだ。

 まったく同じ……何の感情のない顔であった。

 まるで人形のような、人ではないような……。

 

 鋭い痛みがまた走る。

 もう少しだ。

 何かが、もう少しでわかりそうな気がする……。

 

 ふと、前を見ると、クラウドが歩く道の先に、トボトボと肩を落とす老人の姿があった。

 鎧姿ではなく平服だが、その老人はユルバンであった。彼はクラウドに気付くとややっと声を上げる。

 

「おぬしは騎士さまの従者ではないか。こんなところでひとりで何をやっておる」

「別に。ただの散策だ」

 

 ユルバンはふむ、と何やら考えてクラウドを見る。

 

「おぬし、名はなんという」

「……クラウドだ」

「クラウド殿、実は頼みがあるのだが……」

「討伐になら、連れていけないぞ」

「何と、なぜわかった!?」

「その様子だと、タバサにも断られたな」

「ぐぬ……」

 

 ユルバンが二の句を告げずに唸る。クラウドは肩を竦める。

 

「あんた、何でそんなに討伐にいきたいんだ」

「教えたら、連れていってくれるのかね」

「どうかな。決めるのはタバサだ」

 

 ユルバンは辺りを見回した後、溜息を吐いた。

 

「もう夜も遅い。わしの小屋に来い。そこで話そう」

 

 ・・・

 

 ユルバンが住まいにしている場所は村のはずれにあった。

 とても簡素な造りの小屋だ。門番件警士である彼は、どうやら見張り小屋をそのまま住居にしているようだ。

 中に入ると、手入れをきちんとされた武器や防具が壁に貼り付けて並べられていた。

 几帳面な性格なのだろう。

 

「おっと、こりゃいかん」

 

 テーブルの上に食べかけの食事がそのまま置かれていた。

 食事の途中でタバサに懇願すること思いついて出て行ったまま、というところだろうか。

 彼は食器やパン、そして傍に置かれていた小瓶を片付ける。

 

「……」

 

 クラウドはその間黙ってユルバンを観察していた。

 ユルバンの身体は、年の割に腕も背中も引き締まっていた。がっしりとした体付きだ。

 老いてなお鍛錬を重ねている……。そんな苦労が偲ばれるようであった。

 ようやく食事の後始末を終えると、ユルバンはクラウドに椅子に座るように促す。

 彼は自分とクラウドの前に麦酒をどかっと置いて、座った。

 

「老人の一人住まいだ。碌なもてなしもないが」

「別に構わないさ」

 

 ユルバンは酒をぐいっと口に含む

 

「さて、何の話じゃったか……、そう何故討伐に行きたいかだな。ふん、そんなもの決まっておろう。わしは五十年もロドバルド家に仕えているのだ。家臣として、奥様の役に立ちたいのは当然だろうが」

「だがあんた、もうかなりの歳だろう。あの夫人もあんたに無理をさせたくないから、代わりに俺達を呼んだんじゃないのか」

「奥様のお気持ちは嬉しいが……、そうはいかん」

「どうしてだ」

「この村への……恩を返すためじゃ」

 

 ユルバンはこの村で門番件警士をはじめた事情を少しずつ話し始めた。

 

「若い頃のわしは、この村が嫌いで仕方がなかった。こんな人里離れた田舎の村で、死ぬまで毎日同じ暮らしをするのかと思うと嫌で嫌で我慢ならなかったのだ。昔のわしは良く言えば血気盛ん、悪く言えば向こう見ずでな。俺は皆とは違う、特別なのだと思いあがっておった。そうして武勲を上げ王宮に仕える騎士になってやるという“夢”を掲げ、息巻いて村を飛び出したのだ」

 

 クラウドは黙って、老人の語りに耳を傾ける。

 ……どこかで、聞いたことがあるような話だった。

 

「だが現実はそうは上手くいかなかった。都に出て王軍に入ったは良いものの、碌な武勲をあげることもままならず……結局、夢を諦めて村に帰ることにしたのだ。そんな失意のわしに声をかけて下さったのが男爵夫人様じゃった。夫人はわしにこの村の守護の仕事に務めるように命じてくださったのだ。その恩義に報いるため、わしはこの村を護ることを誓った。以来50年……この仕事に務めてきた」

 

 しかし……、とユルバンは顔を曇らせる。

 

「わしは失態を犯した。実は、二十年前にも、この村はコボルトの大群に襲われているのだ」

「コボルトが?」

 

 クラウドの言葉に、ユルバンは重く頷いた。

 

「あの時わしは一人立ち向かったが、群れを止めることが出来ず、棍棒の一撃を受けて昏倒してしまった。目を覚ました時、わしはお屋敷におった。幸いにもコボルトの群れは男爵夫人様が魔法ですべてお片付になられたおかげで村に被害は出なかった。

 だがわしは……村を守る戦士の任を与えられながらも、守るべき主君に助けられてしまったのだ。なんという醜態か」

 

 酒を仰いだユルバンはその勢いで立ち上がり、上を見て叫ぶ。

 

「だが、やつらは再びこの村にやって来た!神はわしに名誉を挽回する機会をお与えくださった。今度こそはわしは使命を果たさなければならない。魔法が使えなくなってしまった奥様の代わりに戦い、恩に報いなければならないのだ!」

「魔法が使えなくなった?それは一体どういうことだ」

 

 クラウドの言葉でユルバンははっと我に返った。勢いのまましゃべり過ぎたといった表情だ。

 椅子に座りなおすと誤魔化すように説明する。

 

「ロドバルド男爵夫人のおっしゃるところによるとコボルトの群れとの戦いは、それは苛烈なものだったそうでな。……夫人も手傷を追われその結果、神の御業である魔法を失ってしまったのだ」

 

 怪我が原因で魔法が使えなくなるなど、ありえるのだろうか。そんな話をタバサから聞いたことはない。ハルケギニアの魔法に詳しくないクラウドではこれ以上追及することもできないが……後でタバサにも確認してみる必要があるだろう。

 考え込むクラウドに対して、ユルバンはともかく、と言って話を最初に戻す。

 

「頼む、わしも連れて行ってくれ。お前さんからも騎士さまに言ってくれはせんか。こう見えても鍛錬は今も欠かしてはおらん。足手まといにはならんぞ!」

 

 ユルバンはクラウドに懇願してくる。

 この老人がコボルトの討伐にこだわる理由を理解することはできた。だがクラウドは、ならば尚更連れて行くことは出来ないと考えていた。

 

「……事情はわかった。だが、話を聞いた上で言う。あんたはこの村に留まるべきだ。」

「何故だ!?」

「俺にも、あんたと同じような経験がある。俺は昔、幼馴染に大怪我を負わせてしまったことがあった。目の前で崖に落ちて、でも助けることができなかったんだ。幸いにして無事ではあったけれど……俺は悔しかった。自分の弱さに腹が立ったんだ。その悔しさが、今ここにいる俺を形作る、大切なものの一つになっている。だから、あんたのその悔しさは俺にもよくわかる」

「ならば何故だ。何故わしの頼みを断る」

「わかるからだ。あんたには、周りがあんたのことをどう思っているのかが見えていない」

 

 ユルバンは怯んだように黙った。

 

「村の為……、男爵夫人の為……、口ではそう言うが、今のあんたには、周りが見えていない。自分のことだけしか見えていない。

 そういう時は無謀なことも平気でやらかして……結果また、間違えてしまうんだ。ここの村人も、あの夫人も、あんたのことあんたのことを大切に思っていた。あんたは、その気持ちを汲んでやるべきだ」

「言わせておけば……わしに何が見えていないだと!?」

 

 ユルバンは怒りだす。

 

「わしの半分も生きておらんような小僧が生意気な口を聞きおって!!わしを連れて行かないと言うのならもう用はない。帰れ!不愉快だ!」

 手元にあった鎧兜をクラウドに投げつけてくる。彼はそれを黙って受け止めた。

「帰れ!!」

「……わかった」

 

 クラウドは溜息を吐くと、言われた通り立ち去ることにした。

 

「大切にだと……、そんなことはわかっておる。だが、それでもわしは」

 

 小屋の外へと出る去り際に、老人のそんな呟きが聞こえた。

 

 ・ ・ ・

 

 屋敷への帰り道を、クラウドはふらふらと歩いていた。

 頭痛が酷い。

 ユルバンと話をしている間も、ずっとその状態であった

 目の前の景色が霞んで見える。

 気分が悪い。足元に力が入らないのだ。

 

 だが、あと少しだ。あと少しで何かがわかる気がする。

 この既視感を。そう、俺は知っている。

 この村と似た場所を……。

 

 耳鳴りのようなノイズが、頭に響く。

 何も、見えない。

 聞こえない――

 

 ・ ・ ・

 

「ねぇ、この村に何をしに来たの」

「きたの?」

 

 幼い声が聞こえた。

 目を開けるとクラウドの前に二人の子供が立っていた。

 姉と弟の、小さな姉弟。

 どこかで見たことのある顔であった。

 辺りには深い霧が漂っている。

 気付けばクラウドは、アンブラン村とは別の場所に来ていた。

 

「ねぇねぇ」

「ねぇねぇ~?」

 

 姉の後に、弟が舌足らずに真似をして繰り返す。

 クラウドは答える。

 

「俺は……、コボルトの討伐に来たんだ」

「モンスターをやっつけるの?」

「つけるの?」

「ああ、俺はソルジャーだから……」

 

 答えた後で思い直す。

 俺が本物のソルジャーだったことは一度もない。

 それはあくまで自称、偽りの記憶なのだ。

 あの時は、本当はただの一介の新羅兵だったではないか。

 あの時――だがそれは、いつのことだ?

 

 霧が晴れて、景色が見える。

そこは家屋に囲まれた円形の広場だった。

 広場の中心には古ぼけた給水塔がある。

 塔の上で小さな風車が、からからと回っている。

 

 己の胸が締め付けられるようだった。

 知っている。

 ここが何処なのか、クラウドにはわかる。

 

「ニブルヘイム……」

 

 それは、ニブル山の麓にある小さな片田舎の村。

 新羅カンパニーの魔晄炉の初号機が建設された場所。

 古い神羅の研究施設があるくらいがせいぜいで、これといった見所はない寂れた村。

 ミッドガル以外に魔晄炉が建造されている土地は大概がこんな風な感じで、似通っている。

 そう――他にはなにもないのだ。

 クラウドの生まれ故郷も、そんな村の一つだった。

 

 村はひっそりとしていた。皆、モンスターを恐れて閉じこもっていたのか。

 それとも……。

 そうだ……とクラウドは思い出す。

 ここは、今から七年前のニブルヘイムだ。

 

「しんら?」

「ちんら~」

「ソルジャ?」

「そるざ!」

 

 姉と弟の二人は同じ言葉を繰り返し、きゃっきゃっとはしゃいでいる。

 この二人のことは知っていた。近所の家の子供だ。

 仲が良い姉弟で、いつも一緒にいたのを覚えている。

 二人は駆け出して、クラウドから離れていった

 

「待ってくれ!」

 

 だがクラウドは追いかけることが出来なかった。

 目の前の景色が溶けるように消えて、行く手を激しい炎が遮ったのだ。

 

「ううっ!!」

 

 二人の子供の姿は消えて、闇夜となった村は一面の炎に覆われていた。

 クラウドの生まれ故郷が、ニブルヘイムが燃えている。

 走りだそうとしても、身体が思うように動かない。

 そうだ……。

 あの日も俺は、この光景を見ていることしかできなかった。

 

 燃え落ちる家々の間で。

 逃げ惑う足音。

 叫び声。

 泣き声。

 怒声と悲鳴。

 そして、命乞い。

 やがて……全ては聞こえなくなる。

 

 炎の奥に長身の男が立っていた。

 全身黒のロングコート。肩下まで伸びる銀色の髪。

 火に照らされた男の肌は、氷のように白い。

 身の丈を遥かに超える長刀を持ち、その刃に血が滴り落ちる。

 血まみれの村人達が、男の周囲で倒れていた。

 

 縦に鋭く伸びた、鮮やかな緑色の瞳孔。

 男はただ、虚空を睨みつけている。

 まるでこの世の全てを、憎むかのように。

 その口元は狂気に満ちて、薄く嗤っていた。

 

「――――――――――――――ッ!!!!!」

 

 クラウドは叫んだ。

 口から発せられたのは、男の名前かそれとも単なる怒声か。

 だが、どちらにせよそれが届くことはないと分かっていた。

 これは記憶で造られた世界であり、既に起きてしまった過去の再現に過ぎない。

 過去を変えることは、クラウドにはできないのだ。

 

 男は背を向けて炎の中に消えて行く。

 そう、あの日……。

 あの夜に、村はこうして終わりを迎えたのだ。

 炎に巻かれたまま……。

 狂気に取り憑かれた、英雄によって。

 

 

 景色が歪み、また場面が変わる。

 クラウドは村の広場に立っていた。

 見た目は以前と同じまま、同じ風景が広がっている。

 だがクラウドは知っていた。

 もうここは……自分の故郷ではない。

 

 二年ほど前のことだ。

 五年ぶりに戻ってきた村には、クラウドが一度も見たこともない人間たちが住み着いていた。

 彼らは村を訪れた人間の監視を行い、また何かを研究して――観察していた。

 

 ――何を?

 

 村の中を、全身ローブで覆った黒い何かが徘徊している。

 

「ああ……リユニオン。いきたい……」

「聞こ……える。……の、声……」

「あれを……届けに……」

「どこですか……ロス様」

 

 ぶつぶつと呟いている。

 どれも、聞き覚えのある声だった。

 

 ――知りたくない。

 ――だが、知らなければならない。

 

 端の方でうずくまる、二つの小さな黒い塊があった。

 二つの塊はモゾモゾと蠢いている。

 

「……リュニ……ヨン」

「……………ヨン……」

 

 片方の塊の言葉を発すると、もう一つの塊が真似をするように言葉を漏らした。

 

「……チンラ……」

「……」

「……ソルザ……」

「……」

 

 小さな塊の語り掛けに、もはや一切の反応はなかった。

 

「……オネ……チャン」

 

 掠れて漏れ出た幼い子供の声。

 クラウドは唇を噛み締め、首を振った。

 彼は二つの塊に近づいて、その黒いフードを取り払おうとする。

 そこにあったのは――。

 

 

「目を覚まして!」

 

 

 ・・・・・・

 

「クラウド」

 

 呼びかける声に、クラウドは意識を取り戻した。

 そこは夜のアンブラン村の道中であった。

 気付けばクラウドは仰向けに寝かされており、タバサが心配そうに覗き込んでいる。

 

「俺は……どうなっていた?」

「帰りが遅いので探しにきたら、貴方がここで倒れていた。……何があったの?」

「……」

 

 クラウドは仰向けのまま、夜空を見る。

 いつか、給水塔の上から眺めた、あの満天の星空を思う。

 だが……曇に隠れて、星は見えなかった。

 

「俺はずっと、この村と似ている場所を知っている気がしていた。それがわかったんだ」

「似ている場所?」

「俺の故郷だ」

「故郷……?」

 

 七年前のあの事件によってニブルヘイムの村はすべてが焼き払われた。

 生き残りはクラウドを含めてほんの僅か。

 クラウドやティファは無事であったが、他に生き残った村人達は……ほとんどが、神羅カンパニーによって口封じをかねた実験体としての末路を辿ることとなった。

 

 そして、事実はすべて隠蔽された。

 事件の後、神羅は村を同じ形に再建して見せた。建物もその配置まで以前とまったく同じように……。そうして事件のあった証拠を何もかも消し去ったのだ。

 わざわざ入植者を集い、金で雇って村人の振りをさせてまで……。

 まるで何事もなかったかのように見せかけていた。

 

 この村は、ニブルヘイムと同じだ。

 すべてが「嘘」で出来上がった見せかけの村だ。

 

 だが……誰が何の為に、こんなことをしているのだろうか。

 ニブルヘイムがああなるに至ったのは、神羅という組織が抱えた「狂気」そのものが原因だった。

 神羅は元々、兵器の開発や製造を行う小さな一企業に過ぎなかった。

 それが魔晄エネルギーの力を利用することで、急速に発展し、強大な財力、軍事力、権力を有したことで国家以上の支配力を持つ、世界的大企業となったのだ。

 彼らは専権的な企業支配を世界中の人々に強いて、圧制の末にその命を奪った。

 彼らは企業の繁栄という目的の為なら、禁忌を犯し、倫理を捨てることも厭わなかった。

 そういった世界の歪み、淀みが積み重なり溢れだした結果があの夜の惨劇であった。

 神羅は己が業の果てに、とうとう怪物(モンスター)を生み出してしまったのだ。

 後に世界すら焼き尽くすこととなる、あの怨嗟の炎を。

 

 だが、この村には、そういった狂気の類のようなものが感じられない。

 何故だろうか。

 何か……別に理由があるのだろうか。

 その理由をクラウドは知りたいと思った。

 彼は起き上がると、タバサに言う。

 

「手を貸してほしい。少し調べたいことがある」




番外編です。タバサと老戦士より
時系列はトリスタニア編前。
令和前に投稿出来てよかった……。


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EXTRA-06

 翌朝になって、クラウドとタバサは屋敷に戻り、身体を休めていた。

 そんな二人の元に、なにやら慌てた様子のロドバルト男爵夫人が駆け込んでくる。

 

「騎士どの! ユルバンを見かけることはありませんでしたか? 今朝から姿が見えないのです」

 

 二人が首を振ると、夫人は頭を抱えてしまう。

 

「ああ、なんてことでしょう。きっと一人でコボルド退治に向かってしまったんだわ!」

 

 夫人は、タバサ達に縋りついた。

 

「お願いです。彼を止めてください。このままだと取り返しのつかないことになります」

 

 だが……、その話を聞いても二人はすぐに行動しようとはしなかった。

 クラウドがタバサの方を見ると、彼女は同意するように頷いた。

 

「どうしたのですか。お願いですから、早くユルバンを……」

「その前に、確かめたいことがある」

「確かめる? こんな時に何を言い出すのです……?」

「この村はおかしい」

「お、おかしいとは一体?」

 

 困惑する夫人に構わずタバサは続ける

 

「気づいた理由は二つあった。一つは村人達の様子。彼らはコボルドの脅威に晒されているというのに、何の怯えも感じられない。何の“感情”の揺らぎも感じられなかった。それが、私達には普通を装っているように見えて、違和感があった。二つ目は食事の味付けについて。この屋敷で出た料理は妙に味付けが薄かった。あなたに合わせた味付けなのかと思ったけれど、クラウドによると村の居酒屋でも同じ料理が出ていた。不自然」

「……不自然だから、何だというのですか」

「二十年前にも、この村はコボルドに襲われているらしいな。悪いが、この村の墓地を調べさせてもらった。……調べたのは、事件の後。この二十年の間で亡くなった人間についてだ」

 

 タバサはクラウドの言葉に頷き、説明を続けた。

 

「棺桶の中に、遺体はなかった。骨すら残っていない。だけど……、中には人間一人分と同等の質量と思われる土塊が残されていた。そして……“ディテクト・マジック”で調べてみると僅かに魔力反応が検知できた」

「二十年の間に寿命などで死ぬ者が一人もいなかったということはあるまい。だから死者を埋葬する墓があることは不自然ではない。だが、遺体はどこに消えた? 隠したのか、それとも……初めから存在しなかったのか」

 

 クラウドが問いただす。

 男爵夫人はもはや何も言わず、ただ黙っていた。

 

「俺達の出した結論はこうだ。この村の人間は入れ替わっている。おそらくは、二十年前のコボルド襲撃事件の後に」

 

 クラウドはロドバルト男爵夫人を睨みつけた。いや、夫人のフリをした誰かに。

 

「答えろ、あんた達は一体何者だ。何の目的でこんなことをやっているんだ」

 

 その問いに、ロドバルト男爵夫人の恰好をした“それ”は取り繕っていた表情を消して答えた。

 

「どうやら隠し立てはできないようですね。……いいでしょう。貴方達に全てをお話いたします」

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 アンブランの村を出た二人は、森の中を駆け抜けていた。

 コボルド達がねぐらにしている廃坑まで普通の人間の足で一時間。

 もし本当にユルバンが先に向かっているとすれば、既に到達しているはずだ。

 シルフィードがいれば先回りすることもできただろうが、それを今考えても仕方ない。

 とにかく先を急ぐしかない。

 クラウドは横を走るタバサの顔を見た。彼女は暗い思慮の表情を浮かべている。

 

 ──この村は二十年前に全滅したのです。

 

 屋敷での会話を、クラウドは思い出す。

 あんな話を聞かされた後では、タバサの困惑も無理はないだろう。

 

 

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 

 

「二十年前のことです。ご承知の通り、この村はコボルドの群れの襲撃に遭いました。彼らの目的はこの村の秘宝であった“アンブランの星”と呼ばれた土石でした。三十年ほど前に、今は廃坑となったあの場所で採掘された巨大な土の精霊石……。彼らはそれを狙ってやってきたのです。

 村人たちはもちろん対抗しましたが、結末は全滅。そう……全滅でした。あの日、コボルドの襲撃により村は壊滅し、村人達は皆殺しにされたのです」

 

 ロドバルド男爵夫人の恰好をした“それ”が語る真相は、あまりに残酷なものだった。

 

「激しい戦いの果て、コボルドの群れはロドバルト男爵夫人の魔法によって追い払われました。しかし……彼女も戦いの中で致命傷を負い、もはや助かりませんでした。ですが、男爵夫人は死の淵に、己の魔法であるものを残したのです」

「あるもの?」

「ロドバルト男爵夫人は“土”の系統魔法の優れた使い手でした。彼女は魔法による人形造り……すなわち、ガーゴイルの作成に長けていました。ロドバルト男爵夫人は“アンブランの星”を使い、最後の力を振り絞って特殊なガーゴイル達を作ったのです。ある程度の自由意志を持ち、半永久的に動き続ける自動人形……。それが私たちです」

「じゃあ、この村は……」

 

 愕然とするタバサに“人形”は頷く。

 

「そうです。この村の者は、夫人によって作られたガーゴイルなのです。人間に似せられた精巧な模造品。年の移ろいと共に見た目は老い、体温すらある。でも、所詮は只の作り物、役目を終えれば土に戻るだけの紛い物……。あなた達が墓地で見た土塊は、役目を終えた者達の姿です」

「何の為にそんなことを。まさか……あのじいさんも、あんた達と同じ人形なのか?」

 

 クラウドの問いに、夫人の姿をした人形は首を振る。

 

「いいえ……ユルバンは違います。彼は正真正銘の人間。二十年前の襲撃の、唯一の生存者です。コボルドの襲撃の最中、棍棒の一撃を受けて早々に意識を失った彼だけが、それを幸いにしてからくも生き延びることができたのです。ですから、私たちガーゴイルは彼の為だけに存在しています」

「どういうことだ」

「それがロドバルド男爵夫人の最後の願いだったからです。守るべき村人を皆殺しにされてしまい、彼が忠誠を誓う主人は死の淵にあった。もはや覆すことのできない非情な現実をユルバンが知ってしまったら、どうなるだろうと男爵夫人は考えたのです。ユルバンは責任感の強い男です。絶望して自ら命を絶つであろうことは想像できます」

 

 夫人の人形は沈痛な面持ちで目を瞑る。

 まるで、心があるかのように。

 

「ロドバルト男爵夫人にとって、ユルバンはただの雇われ戦士ではありませんでした。幼少のころより何十年も仕えてきた顔馴染みの彼は……夫を亡くし、子供もいない夫人にとって、家族同然の大事な存在でした。そんな彼に残酷な真実を突き付けるわけにはいかない……そう考えたのです」

「……あのじいさんは、このことを知らないのか?」

「ええ。何も知りません」

 

 あまりに衝撃的な事実に二人は言葉も出なかった。

 この屋敷の窓の外に広がるのは、どこにでもあるような田舎の村の風景。

 だが、それは見てくれだけだった。ここは死者の村ですらない。

 人間の振りをして暮らす、命のない人形たちの村だったのだ。

 ユルバンが言っていた、ロドバルド男爵夫人が魔法を使えなくなった理由も当然そこにある。

 そっくり似せて作られた人形では、魔法使うことまでは真似できなかったのだ。

 

「理解していただけたでしょうか。私たちが、今回の依頼をした理由を」

「すべては、あの老人を危険から遠ざけるため……」

 

 タバサの言葉に人形は頷く。

 

「コボルド達が再びこの村にやって来たのは、“アンブランの星”を狙ってのことでしょう。しかし、秘宝はもう存在しません。ロドバルド男爵夫人が私たちガーゴイルを作り出す際に全て使ってしまいました。だから、私たちに守るべき宝があるとすれば、それはユルバンなのです」

 

 夫人の人形は二人に頭を下げて再び嘆願する。

 

「お願いします。どうかユルバンを助けてください。それが、亡きロドバルト男爵夫人と、そして……私たちの願いです」

 

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 

「あなたの言う通り、全てが偽りだった」

 

 沈黙を破り、タバサがそう言った。

 

「あの村はいわば巨大な蝋人形の館。歩き、しゃべり、笑う……。そんな動きを繰り返す人形屋敷。村の料理の味付けが薄いのもそれが理由。きっと、ユルバンに合わせたものだから。人形に本来食事は必要ない。必要なのはあの老人だけ。だから全部、同じ味……」

 

 言葉を一気に吐き出して、タバサは気分が悪くなった。

 生者のいない村。コボルドの退治も、人形達の依頼によるものだった。

 ならば、人形である彼らから依頼を受けている自分たちは一体何なのだろうか。

 タバサの内に、上手く言葉にできない嫌悪感のようなものが巡っていた。

 どうして、あんな話を聞いてしまったのだろうかと、彼女は後悔する。

 せめて任務が終わった後であったらよかったのに……。そう、考えてしまうほどに。

 

「タバサはそう思うか。あの話で全てだと」

「え……?」

 

 クラウドの言葉に、タバサは思わず聞き返した。

 

「どういうこと?」

「あの夫人の人形が言っていたことに嘘はない。本当のことだと思う。だが、全てではない。そんな気がする。まだ……、あの村には何かある」

「何かって、何が……?」

「わからない。今はまだ……。だが、あのじいさんに会えば、きっとそれがわかる」

「……」

「いずれにせよ、俺達がやることに変わりはない。そうだろう?」

「……わかってる」

 

 タバサは頷き、気持ちを持ち直す。

 そう、私たちがやることはコボルドの討伐。それは変わらないのだ。

 

 その直後、タバサは風の動きを察知する。

 ──周囲に気配、囲まれている。

 

「クラウド!」

「ああ!」

 

 タバサの呼びかけにクラウドは応えた。

 彼も、当然気付いている。

 茂みから、複数の影。

 飛び掛ってくる動作よりも早く、クラウドは動く。

 大剣の横薙ぎが、影の群れを斬り払った。

 

 ──ウギャウ!! 

 

 犬のような悲鳴と共にそれらは倒れる。

 倒れたその生き物の姿を捉えるため、クラウドは近づいた。

 人の子供より少し上背がある程度の大きさだ。

 腕と足の筋肉が異様に発達しているのが見て取れた。

 頭は人のそれではなく、犬のような顔があった。

 

「こいつらがコボルドか」

 

 タバサが頷いた。

 

「コボルトは嗅覚も犬並みに利く。おそらく、それで先に察知された」

「俺達が近づいていることがばれていたのか」

「たぶん、違う。コボルドは夜行性で、昼間は基本的に眠っている。それが起きて警戒に廻っていたということは、自分たちの住処に何か異常があったということ」

「……あのじいさんか」

 

 タバサによると、コボルドは人間を捕えると生きたまま儀式の生贄にすることが多いらしい。ユルバンがまだ生きていることを祈るならば、そうなっている可能性にかけるしかない。

 

「急ごう」

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

「ぐ、むぅ……」

 

 暗闇の中で、ユルバンは目を覚ました。

 起き上がろうとして、己の手足が縛られていることに気づいた。

 何があったのか……ぼんやりとしていた思考が働きだす。

 そうだ、己は囚われの身となったのだ。

 廃坑の住処に一人飛び込んでみたものの……、後ろから棍棒で殴られ、意識を失ってしまったのだ。結局、コボルトの一匹すら倒すことが出来なかった。

 あの騎士の少女と青年に大口を叩いた癖に、なんという醜態であろうか。

 

 ユルバンの顔に水の雫がかかる。

 辺りは暗いが、あちこちに篝火がたかれているため周囲の様子がわかった。

 どうやら、ここは鍾乳窟のようだ。

 

 ──坑道は迷路のように入り組んだ奥で鍾乳洞に繋がっている。

 ユルバンは昔、廃坑となったこの場所で働いていた鉱夫から、そんな話を聞いたことがある。

 ここがコボルト達のねぐらとしている本拠地なのだろう。

 

 空間は広く、ちょっとした劇場ほどの大きさがあった。

 ユルバンが転がされているのは、中心にある祭壇と思しき場所だ。

 木や動物の皮、骨を組み合わせて形作られた祭壇には岩を削って作られた犬頭の像が祭られている。暗がりの中、篝火によっておぼろげに照らされる石造は、この上なく不気味に見えた。

 

「人間よ」

 

 暗闇の中から突如語り掛けてきた声にユルバンはぎょっとした。

 姿を現したのはコボルドであった。

 そのコボルドはとても奇妙ななりをしていた。鳥の羽や獣の骨でできた大きな仮面をかぶり、獣の血で黒く染まったおぞましいローブを纏っている。腐った血の臭いが、むせかえるような悪臭を放っていた。

 

「おまえは、あの村に住む人間だな。森の中で生きる術をもたぬ、愚かな毛なしの猿め」

 

 せせら笑うようにくつくつと息が漏れる。目の前のコボルドから発せられている悪態は、間違いなく人間の言葉であった。

 非常に驚いた彼であったが、これまた、かつてロドバルド男爵夫人から聞いた話を思い出す。

 コボルト達の中にはごく稀に知能が発達し、人語を解すものがいるということを。

 そういった個体は“神官”、コボルド・シャーマンと呼ばれ、メイジの魔法とは異なる異端の魔法、先住魔法を操ることができるという……

 であれば、こやつこそ、コボルドの群れを率いる親玉に違いない。

 

「貴様、儂を一体どうするつもりだ!」

「知れたこと。お前はこれから儀式の贄となる。我らの神は人間の生肝を捧げものとして好むのだ。なあ、皆の者よ」

 

 祭壇の上からコボルド・シャーマンが声を上げる。

 

 ──ウグルル! ルル! ワフバフワウ! ワフバフワウ! 

 

 興奮した獣の息遣いが、あちこちから聞こえる。

 暗がりの広い空間の中に夥しい数のコボルド達が集結していたのだ。

 

「二十年前、我らは人の群れより“土精塊”を奪うことに失敗した。いまいましい、人のけちな魔法によって我らの群れは半壊させられてしまった。だが、我らは戻ってきた。二十年の時を経て、我らの数はかつて三倍以上に大きくなった。今宵、我らは人の村に攻め入る。この人間の肝を我らの神へと捧げ、今度こそ人どもの手から“土精塊”を奪おうではないか!!」

 

 ──ウグルルルルアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!! 

 

 けたたましい獣の唸り声が重なり合って響いた。

 その数はロドバルド男爵夫人が当初予測していた30数匹などではない。

 なんという群れの数か。おそらくゆうに百を超えるに違いない。

 

 もし、これだけのコボルド達が村に押し寄せたとしたら……、

 アンブラン村は、たちまちのうちに壊滅してしまう。

 

「やめろ! 化け物どもめ! この縛りを解け!」

 

 生贄となる人間の叫びに、コボルド・シャーマンはハフハフと嗤った。

 

「ムダだ。動けぬお前に何ができるのだ。それに、化け物だと? 馬鹿をいうな。むしろ化け物は、貴様らのほうだろう」

「なんだと?」

「とぼけるな、人間よ。二十年前に我らが全滅させてやったはずの村が、当時のままで残っているのだ。これほど異常なことはあるまい」

 

 コボルド・シャーマンの怒りを込めた嘲りに、ユルバンは一瞬、言葉を失った。

 

「全……滅……? 一体何をいっておる?」

「二十年ぶりに戻ってきた時、己の眼が信じられなかったぞ。皆殺しにしてやった人間どもが、何喰わぬ顔で生活を送っているのだ。不気味極まりない。思わず恐怖すら覚えたほどだった。

 だが……わかるぞ。それを成した術が何かは。……“土精塊”だ。それ以外には考えられん。あの人間の“雌”の仕業だ……。我に深い傷をつけた、魔法を操る人間の雌め。

 たしかに、あれは強力な魔法の使い手であった。悔しいが、それは認めざるをえまいな」

 

 人間の雌……、それはロドバルド男爵夫人のことを言っているのだろうか? 

 ユルバンの脳裏に、遥かな過去のおぼろげな記憶が蘇ってくる。

 

 二十年前のあの時……、

 屋敷の中で床に横たわっていた己を、ロドバルド男爵夫人が見下ろしていた。

 彼女は全身血まみれで、顔からは既に精気が失われていた。

 手に握られていたのは、そう……“アンブランの星”だ。

 昔、この炭坑で発掘された巨大な“土”の精霊石……。

 おぼろげな意識の中、夫人が語り掛けてくる。

 その言葉は、確か──。

 

 ──勝手を許してください。ユルバン。それでも私は

 

 コボルド・シャーマンはふん、と軽蔑するように鼻を鳴らした。

 

「あれほどの強大な“土精塊”の力を、あのような使い道に充てるとは、つくづくヒトという生き物は理解できない。だが……あの村の有様こそ、今も“土精塊”があの村に存在するなによりの証明だ。あれは、我らの手にあってこそ真の意味を成すもの。くだらぬ人形遊びに使って良いものではない」

「人形遊び、だと……?」

 

 その言葉はユルバンの逆鱗に触れた。力の限り、彼は怒りを叫んだ。

 

「黙れ!!! 貴様のような畜生が、我が主を侮辱するな!! 儂の眼が黒いうちは絶対に、あの村には!! 指一本触れさせはせんぞ!!」

 

 だがそんな叫びも、コボルド達の嘲笑と怒声に掻き消されてしまう。

 

「貴様ら毛なしの猿どもに畜生呼ばわりされる筋合いなどない。それに……お前にはなにもできない。老いた人間の雄よ。お前は我らにその臓物を捧げる贄に過ぎないのだからな」

 

 コボルド・シャーマンがユルバンの元を離れる。

 かわりに刃物を手に持った部下のコボルド達が近づいてきた。

 

「やめろ、来るな!」

 ユルバンは必死に抵抗する。

 

 だが、結われた縄はビクともしなかった。

 

 己はここで死ぬわけにはいかんのだ。

 己こそが、村を守るのだ。

 それが()()()の──

 

 

『ウインディ・アイシクル』

 

 

 突如として降り注いだ氷柱が、ユルバンを囲っていたコボルド達の脳天を貫いた。

 バタバタと倒れていく同胞に、コボルド達は騒めいた。

 

「何事だ!」

 

 コボルド・シャーマンの怒声に部下の一匹が唸り声をあげて上を指さした。

 鍾乳洞の天井に人間の少女が浮かんでいたのだ。

 それはタバサであった。

 

「あの人間を叩き落せ!!」

 

 コボルド達が上空目掛けて一斉に石を投げつける。

 だが……その程度の礫では“風”のメイジであるタバサに届きはしない。

 洞窟内の風の流れを巧みに操ることによって、石の礫はあらぬ方向へと飛んでいってしまう。

 そしてなにより、タバサはコボルド達の眼を上に向けるための囮に過ぎなかった。

 

 洞窟内に、一陣の風が吹いた。

 風の通り道のコボルド達が、次々と斬り裂かれていく。

 集会に集う亜人達をかき分けて、それは真っ直ぐユルバンのいる祭壇へ到達した。

 暗がりの中で、ユルバンの前に疾風のごとく現れたその金色の髪の男は──

 

「お主は……」

「無事だったか」

 

 クラウドが声を掛ける。

 上空にいたタバサが、彼のすぐ隣に降りてくる。

 

「目標は確保した。脱出する」

「ああ」

 

 クラウド達の周りをコボルドの大群が取り囲んでいた。

 この洞窟内で派手に戦えば、洞窟ごと崩壊しかねない。

 ユルバンがいる以上、彼を危険に晒すわけにはいかない。

 救出に成功した後に脱出を優先することは、既に取り決めていた算段であった。

 クラウドはユルバンを片手で軽々と持ち上げ、もう片方に大剣を構えた。

 

「しっかり掴まっていろ、このまま道を切り開く!」

 

 タバサがクラウドの背中にぎゅっとしがみついたのを確認すると、彼は一足で跳躍した。

 コボルド達の頭上を跳び超え、着地点にいる犬頭どもを斬り飛ばすと、あっという間に暗がりへと消えて行った。

 

「おのれ! 何をしている! あの猿どもを逃がすな!」

 

 コボルド・シャーマンの怒声を飛ばすが、既に遅い。

 クラウド達は迷路のような坑道をやすやすと通り抜けて、外へ脱出した後であった。

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 クラウド達はコボルドの塒である廃坑を脱出して、山中の高台にある大岩の傍まで辿り着いた。アンブラン村に訪れる前にタバサと立ち寄った、あの岩場である。

 クラウドはユルバンを降すと、偵察をしてくると言って茂みの奥へ姿を消した。

 しばらくして戻ってきた彼の手には、ユルバンの槍が握られていた。

 

「廃坑の側に落ちていた。あんたのだろう」

 

 だが、槍を受け取ったユルバンは心ここにあらずと言った様子であった。

 焦点の合わない目で、虚空を眺めている。

 無理もないだろうと、タバサは思った。

 彼はコボルド・シャーマンの口から、村の真実の一端を聞かされてしまったのだ。

 守るべき人たちが既に存在していなかったことを知ったのは、この老人にとってどれほどの衝撃であったのだろうか。

 タバサは、ユルバンにどう言葉を掛けて良いかわからなかった。

 

「かなり慌ただしく動いていた。多分、戦いの準備をしている」

 

 クラウドの報告にタバサは頷いた。

 

「おそらく、今夜にも村を襲撃するはず」

「奴等が欲しがっている秘宝はもう存在しない。それを教えてやったとしても、止まりはしないか」

「コボルドは人とは全く別の生き物。言葉が通じても、まともな意思疎通はできないと考えて良い。それに、あのコボルド・シャーマンの様子では尚更のこと無理。彼らの目的はもはや秘宝だけではない。村に対する遺恨はそれだけ強かった」

 

 あの廃坑には想定を遥かに超える数のコボルドがいた。

 長い年月の間で力を蓄え、用意周到に準備を整えてきたのだろう。

 彼らには彼らの二十年があったということだ。

 

 そして、タバサ達がやって来て、襲撃の準備をしていることを知られてしまった。

 ならば向こうもこれ以上時間をかけるわけにはいかなくなった、というところだろう。

 人間の援軍を呼ばれる前に、数に任せて村を叩き潰すつもりなのか。

 

 だが、このまま指を咥えて見ているつもりはない。

 タバサ達の任務はコボルドを倒し、村を守ることだからだ。

 たとえそれが……、偽りの村であったとしても。

 

 現在の時刻は、もう午後をかなり過ぎていた。

 日が暮れるのに、そう時間はかからないだろう。

 

「コボルドは夜行性。動き出すとすれば夕刻。それまでに、作戦を整える」

「待ってくれい」

 

 タバサを呼び止めたのは、ユルバンであった。

 彼女は、老人の顔に生気が戻っていることに気づいた。

 

「儂も行く。連れて行ってくれ」

「……できない。あなたは足手纏い」

 

 タバサは首を振った。これ以上、言葉を繕うことはできない。

 だが、ユルバンはタバサの肩を強く掴んで詰め寄った。

 

「……後生だ……!!」

 

 その剣幕に、タバサはたじろいだ。

 

「なぜ……」

 

 彼女には理解できなかった。

 彼の守るべき主人も、そこに住む人々も……もうどこにも存在しないというのに。

 一体何が、この老人を突き動かしているのだろうか。

 

「やっぱり、そういうことだったか」

 

 そう言ってクラウドは、ユルバンの前に立った。

 

「あんたは、最初から知っていたんだな。あの村には、自分以外の人間が誰もいないことを」

 

 

 

 




発売までにもう一話投稿します。


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EXTRA-07

時期的に新作のネタバレが含まれます。
原作未プレイの方はご注意ください。


 

「彼が、知っていた……?」

 

 クラウドの言葉に、タバサは衝撃を受けた。

 だけど……確かに、この老人の様子を見るに他の理由は考えられない。

 ならばクラウドは一体いつからその事実に気づいていたのだろうか。

 

「……若いの。何故、そう思った」

 

 ユルバンが問う。

 

「屋敷で話を聞いた時から、ずっと考えていた。あの村の人形達は確かに精巧に作られている。俺たちも、言われるまでは本物の人間とまったく見分けがつかなかった。

 ……だが、あんたにとってはどうだろう。いくら精巧に作られていたとしても、二十年だ。その歳月は……あまりにも長い。

 それだけの間あの村で暮らしていて、何の違和感も持たず暮らしていけるとは、とても思えなかった」

 

 2年半前に、クラウドは仲間たちと共にニブルヘイムを訪れた。

 そこには、燃え堕ちたはずの故郷があの日のままの姿で存在していた。

 何一つ変わらない、まるで同じ光景であったが……何処か作り物めいていて、得体の知れない気持ち悪さを感じたのだ。

 そして、実際にその感覚に間違いはなかった。

 あの村は真実を覆い隠すために作られた、紛い物だったからだ。

 

 いつも見ていた景色、馴染みのある光景。

 そこにある違和感に気づかないほど、人は鈍感でいられるのだろうか。

 それが生まれ故郷であれば、尚更である。

 

「だが、理由はそれだけじゃない。昨日、あんたと話をしたあの小屋の中の様子を思い出したんだ」

「小屋の中?」

 

 タバサが尋ねる。

 

「あの夜、テーブルには食べかけの夕食が置かれたままだった。俺があの場所に行った時、あんたはそれを隠すように慌てて片付けていたが、俺には見えていた。あの食卓には、料理に味付けをするための香辛料を入れた小瓶があった」

「香辛料……?」

 

 タバサはハッと察する。

 

「つまりそれは、村の何処にいっても出される味の薄い料理は、彼に合わせた味付けではなかった、ということ?」

「そうだ。そして俺から小瓶を隠そうとしたということは、少なくともあんたはその事実を知っていたはずなんだ」

「ふん……お前さんも目敏いの」

 

 ユルバンが嘆息を漏らす。

 

「村の料理が薄味なのは、ロドバルド男爵夫人に由るところじゃろう。奥様は若くして、愛する旦那様を亡くされている。以来、その時のショックから味覚を失われてしまったのだ」

 

 その言葉で、未だ半信半疑であったタバサにも、全ての線が繋がったように感じた。

 

 村の料理の味付けが薄かったのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ガーゴイル達を創造した()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なのだ。

 

「でも……ならば何故?あなたはその事実を知っていたのに、どうしてあの村を守ろうとするの?」

「……」

 

 ユルバンは大岩に腰を下ろす。

 彼は切なげに、山々の間を眺めている。

 麓には小さな集落が──アンブラン村がある。

 

「ここからだと村が良く見えるだろう。儂の人生の節目はいつも、この村の眺めがあった」

 

 老人は、自分のことを語り出した。

 

 ──────────────────────────────────────────────

 

 若いの、お前さんには言ったな。

 夢を諦めて村に帰った話を。

 村に帰った儂に、居場所などなかった。

 当時の村人たちは、都から戻ってきた儂に冷たくあたったのだ。

 

 まあ、当然だろうて。

 大口叩いて出て行った男がどの面を下げておめおめ帰ってきたのか……、そうなるに決まってる。

 だが、そんな儂を庇ってくれたのが、彼女だった。

 

 お嬢様は……。

 いや、あの時にはもう旦那様とご婚姻されていたか。

 彼女は幼くして身寄りを無くし、ロドバルド家に引き取られることになった貴族の娘でな。

 若く、聡明で……なにより美しかった。

 領主の跡取りたる男爵様の妻となるべく育てられたが故に、この村に来てから村の外に出たことは殆どなかったはずだ。

 そのためなのか……彼女は儂に都の話をするように、事あるごとにせがんできたのだ。

 華やかな都の様子。軍の訓練。つまらない雑用の仕事についても。

 何から何まで……。それはもう熱心に聞いてきた。

 しばらくすると彼女は、夫の男爵様とその周りの人間を説き伏せた。

 そうして、儂にこの槍を与えてくださり……こう言ったのだ。

 儂に……この村の門番兼警士になるようにと。

 

 ──どうか、都に仕えて鍛えたその力をお貸しください。この槍で、村を護ってください。

 

 温かいお言葉だった。

 儂のことを必要としてくださっている。それがなによりも嬉しかったのだ。

 儂は生真面目に仕事に取り組んだ。

 するとその働きを見て村人たちも次第に、儂への態度を改めるようになった。

 そうしていつしか、儂は村の守衛として認められるようになっていた。

 それは、この仕事が己の“誇り”になった瞬間だった。

 すべては彼女のお陰だ。

 彼女が、この村に儂の居場所を作ってくださった。

 “夢”に敗れた儂に、彼女は“誇り”を授けてくれたのだ。

 

 儂は、誓った。

 この恩に、一生を賭けて報いよう。

 彼女の為に、何があってもこの村を守り抜くのだと。

 男爵様がお亡くなりになり、ロドバルド家が断絶してしまった後も、儂の意志は変わらない。

 ずっと彼女を支える戦士として、生きるつもりだった。

 

 だが……、お前達も知っての通りだ。

 運命はどこまでも残酷だった。

 儂が間抜けにも気を失ってる間に……村は襲われてしまった。

 

 儂は……すぐに気付いたよ。

 村の見廻りで、誰よりも村の隅々まで知り尽くしていたからな。

 馴染み深い村人達に感じた僅かな違和感は、あっという間に大きくなった。

 気づかなければよかったのだろうか。

 それとも、見えないふりをすればよかったのだろうか。

 だが……儂には己を誤魔化すことは出来なかった。

 

 村を飛び出し、森に逃げた。

 無様に泣き叫び、野を駆けて、自殺できる場所を求めて彷徨った。

 そうしてたどり着いたのが、今いるこの高台だった。

 

 儂はこの眺めが好きだった。

 村を出た時も、夢をあきらめて村に帰ってきた時も、此処から村を眺めた。

 己の人生の節目にはいつも、故郷のこの景色があった。

 だから絶望から死を選ぼうとしたあの時も、儂はここを……死に場所にしようと考えたのだ。

 

 だが、この遠望を眺めているうちに、ふと疑問が湧いた。

 彼女は、なぜ儂にこんな仕打ちをしたのだろうか。

 自らが命を失った後も動き続ける、あの人形たちを創り出した理由は何か。

 一体、何の為に?

 そこでようやく思い出したのだ。

 儂が倒れ、意識が朦朧としていた最中のことを。

 彼女が語り掛けてきた言葉を。

 

 

 ──大丈夫。何も変わらないのよユルバン。

 ──あなたはこれからも何も変わらず、この村で皆と一緒に暮らしていくの。

 ──これからもあなたが、この村を護っていくのよ。

 ──ああ……もしかしたら私は、残酷なことをしているのかもしれない。

 ──真実を知った時、あなたはどう思うのでしょうか。

 ──でもね、勝手を許してください。

 ──それでもユルバン……。私はあなたに生きていてほしいのです。

 

 

 儂は気づいたのだ。すべては儂の為にあったのだと。

 彼女は儂を騙してでも儂の“誇り”を守ろうとしてくれたのだ。

 儂の守るべきものを、あの村を、残そうとしたのだ。

 お嬢様は、ロドバルド男爵夫人は、儂にとってかけがえのない存在であった。

 恩人であり、家族とさえ思っていた。

 それは彼女にとっても同じだったことに、その時気付いたのだ。

 

 あの村はすべてが偽りで出来ている。

 だが、それがどうしたというのか。

 彼女が儂に残してくれたその想いだけは、偽りなく本物だ。

 

 ならば、彼女の残してくれたものを、無碍にするわけにはいかない。

 このまま死ぬことが、許されるはずがない。

 儂がこれからも、あの村を守るのだ。

 アンブラン村の景色を眺め、再びそう誓った。

 それが、お嬢様の願いならば、と──

 

  ──────────────────────────────────────────────

 

「若いの。これは言ってしまえば、ただの意地なのだ」

 

 ユルバンは自嘲するように笑う。

 

「“夢”に敗れ、“誇り”もとうの昔に失った。そんな老いぼれにたった一つだけ残されたものがあの村だ。それはかつての村の残滓だ。ただの、幻想に過ぎない。それはわかっている。

 それでも、儂は構わない。あの村は儂が守る。なぜなら儂は戦士だからだ。理由はそれだけで十分なのだ。そのためだけに……ここにいる」

 

 ユルバンはクラウドを見る。

 その眼には揺るぎない、強い意志が宿っている。

 

「頼む。連れて行ってくれ」

 

 頭を下げて懇願する老人に対して、クラウドは決断を下した。

 

「わかった。あんたを連れて行こう」

「……クラウド」

「心配するなタバサ。責任は俺が持つ。だが、連れていくのに条件をつける」

「条件?」

「俺は、あんたが死ぬことを許さない。コボルドとの戦いが終わったその後も、この先一体何があろうと、生きて最後まであの村を守り続けるんだ」

 

 ユルバンは顔を上げ、驚いた表情でクラウドを見た。

 己の考えを見透かされていることがわかったからだ。

 

「刺し違えてでも……大方そんなことを考えていたんだろう。いまさら自分の死に方を選べると思うな。あんたに名誉の戦死など有り得ない。そんなものを、俺は許しはしない」

 

 クラウドはユルバンに詰め寄る。

 

「あの村は、あんたの“罪”のかたちだ。あんたは真実から逃げなかった。目を背けずに、戦うことを選んだ。それなら……最後までやり遂げて見せろ。いいか、これはあんたの戦場で、あんたの戦いだ。

 償いは生き残った者の使命。生きている限りずっと続く。許されることはない。終わりなんてない。都合のいい逃げ場所なんてどこにもない。……それでも戦うしかない。戦って、戦って、足掻いて。その命が尽きる最後の時まで、戦い続けろ」

 

 側で聞いていたタバサは思った。

 その言葉は、一体誰に向けて言っていることなのだろうか、と。

 ユルバンなのか、それとも他の──。

 

「今、ここで誓え。生き続けて、最後まであの村を守ると」

「……まったく、年寄りに酷なことを言うやつじゃ」

 

 老人は言葉とは裏腹に、穏やかな顔で頷いた。

 

「わかった……誓うさ。最後の最後まで、あの村は儂の手で守る」

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 夜の闇が深くなった森の中に、蠢く影があった。

 塒としていた廃坑から、犬の頭を持つ亜人たちが次々と這い出てくる。

 コボルド達はその優れた嗅覚ゆえに明かりを必要としない。

 暗闇でも迷わず、正確に、木々の間を素早く駆け抜けていく。

 

 ──ウグルル!ルル!ワフバフワウ!!

 

 闇の中で唸り声が低く重なり合う。

 山々を越え、その先に彼らの目指すアンブラン村が見えた時……、コボルド・シャーマンは仮面に隠れた口より群れの同胞達に告げる。

 

『戦士たちよ。時は来た』

 

 人とは異なる言語でコボルド・シャーマンは呼びかける。

 

『見るがいい。あれが人間共の村だ。……いいや違う。あれは人の村ではない。人の形をした木偶人形たちの見世物小屋。愚かな人間の執着が形になった醜い産物だ。

 この時をどれほど待ちわびたことか。我は、この二十年人間どもへの怒りを忘れたことはなかった。

 さあ、終わらせにいくとしよう。人形どもをすべて叩き潰せ。今度こそ全てを滅ぼせ。我らの雪辱を、この二十年を!今度こそ“土精塊”を我らの物とするのだ!!』

 

 ──ウグルル!!ウグルルルルルルル!ウグアアアアアアアアア!!!!!

 

 雄たけびを上げたコボルド達が、一斉に駆け出した。だが、それを妨げる者がいた。

 

 ──ウグルル?

 

 集団の先頭にいたコボルドが、前方に人間の姿を捉える。

 巨大な大剣を背負ったその金髪の人間は、両手を前で組んで構え、瞑想するかのごとく眼を閉じている。

 まるで、コボルド達の前に立ち塞がるかのようであった。

 

 コボルド達は鼻で笑った。たかだが人間一人。何ができるというのか。

 構う事はない、このまま押しつぶしてやる。そう判断する。

 

 男の青い眼が見開かれ、その口から言葉が紡がれた。

 

 ──“いかづち”と“魔法みだれうち“の連結。

 

バチチ!と、電光が弾ける。

 次の瞬間、コボルド達の眼前で青い閃光が空間一杯に広がった。

 

「『サンダガ』」

 

 それはまさに、青天の霹靂。

 雲一つない夜の空から、突如として無数の雷が降り注いだ。

 

 強烈な閃光と轟音がコボルド達の目と耳を眩ませる。

 青い稲妻がことごとくを焼き焦がし。

 仲間が焼ける鮮烈な臭いに、嗅覚は麻痺した。

 一瞬のうちにコボルド達は自分たちが誇る鋭い感覚のほとんどを奪われた。

 群れは、瞬く間にパニックへと陥った。

 

『落ち着け!!態勢を整えろ!!』

 

 コボルド・シャーマンが冷静になるよう、群れに呼びかける。

 だがその彼でさえ、一体何を起きたのかわからない。

 

 いったい、これは何だ。

 まさか、これが人間どもの魔法だというのか。

 

 それは長い時を生きたコボルド・シャーマンでも知る術のない、未知なる異世界の魔法だった。

 

『どこかに人間が潜んでいる!!見つけ出せ!!』

 

 指示を受けてコボルド達は慌てて動き始める。

 そんな彼らを今度は氷の槍が串刺しにした。

 タバサの『ウインディ・アイシクル』だ。

 嗅覚を始めとした感覚を奪われているため、コボルド達は襲撃を察知できずにバタバタと倒れて行った。

 

 コボルドの一匹が、茂みの中に隠れているタバサを見つけ、群れに呼びかける。

 姿を捉えた彼らは、怒りのままに彼女に襲いかかる。

 我先にとその爪で、その牙で、タバサを切り裂こうとする。

 だがそれは叶わない。彼らの前に、大剣の黒い影が覆いかぶさった。

 

 鉄の塊の殴打による鈍く激しい音。

 クラウドの大剣がコボルド達を薙ぎ払う。

 亜人たちの体は千切れて四方に弾け飛んだ。

 飛び散る血飛沫の間で、青い眼光が群れの主たるコボルド・シャーマンを捉えた。

 

 そのとき、コボルド・シャーマンはようやく気づいたのだった。

 周囲に満ちる精霊達が、あの存在に対して恐れを抱いていることを。

 

 ──()()には勝てない。

 

「化け物め……!」

 

 激しい怒りに顔を歪ませ、ギリギリと歯軋りしたコボルド・シャーマンは、大声で叫んだ。

 呼びかけに応えて生き残りのコボルド達の全軍がクラウド達を取り囲む。

 

 そうして、コボルド・シャーマンは彼らを囮りにして自身はその場から逃げ去ったのだった。

 すべては、作戦通りに進んでいた。

 

「……さて、ここからはどうする」

 

 大剣についた血肉を振り払いながら、クラウドが聞いた。

 

「私たちの役目は群れの注意を引き付けること」

「つまり具体的に、どう動けば良い?」

「しいて言うなら……“好きに暴れろ”」

「まかせろ。そういうのは得意だ」

「……敵は大群。それでもやれる?」

「さあな。あと一匹増えたら苦しいかもしれない」

 

 杞憂だったか。

 タバサは溜め息を吐く。

 

「その時は、私が一匹多く倒す」

「そうだな。頼りにしている」

 

 どこか楽しそうに、クラウドが言った。

 クラウドが大剣を構える。背中合わせに、タバサは杖を構えた。

 

「取りこぼしは頼むぞ」

 

 タバサが頷くのを確認すると、彼はコボルド達の群れへと飛び込んでいった。

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

「おのれ……人間どもめ」

 

 森の中、コボルド・シャーマンは二匹のコボルドを護衛につけて敗走していた。

 

「このままでは終わらんぞ……。二十年も待ったのだ。何度でもやり直せばよい。また時を待ち……力を蓄え、その時こそあの村を滅ぼしてやる」

 

 息の切れた身体を祈祷用の杖で支えながら、爪が食い込むほど強く握り締めて呪詛を吐く。

 

「いいや、ここで終わりなのだ。貴様は」

 

 前方の森の暗がりが、突如として明るくなった。

 コボルド・シャーマンが目を凝らすと、そこには人間が立っている。

 

「先刻は背後から攻撃を喰らい気を失った。二十年前もそうだった。いつもそうだ……儂はお前達を相手に不覚を取ってばかりだった。だから……今度は儂がお前達の背後をとるのだ」

 

 そこにいたのは、コボルド・シャーマンが生贄に捧げようとしていたあの老いた人間。

 ユルバンであった。

 古ぼけた銀の鎧を全身に着込み、背中に長槍を、片手に松明を掲げていた。

 その明かりが、コボルド・シャーマン達の姿を闇の中から照らし出す。

 コボルド・シャーマンは老人を見て嘲笑う。

 

「お前か、老いぼれの猿め。邪魔だ、そこを退け。今はお前に構っている暇などないのだ」

 

 老人は答えない。長槍をもう一方の手に持ち替え、構える。

 あくまで戦うつもりのようだ。

 その態度がコボルド・シャーマンは気に食わなかった。

 

「殺せ」

 

 護衛のコボルドに指示する。

 2匹のコボルドが爪を牙を立ててユルバンに襲い掛かった。

 

 ユルバンが自ら松明を地面に落とす。

 無駄のない、自然な動作で長槍を両手に握り直すと、そのまま前に突き出した。

 まるで空気の隙間を縫うような槍の突きは、愚直に突進してきたコボルドの喉を正確に貫いてみせた。

 

 もう一匹のコボルドが側面から飛びかかってくるが、彼は落ち着いて対応する。

 長槍を手前に引き、その反動で身体を半歩下がらせる。

 コボルドの爪を空振りさせたところで、死体が貫ぬかれたままの長槍を回し、槍の柄で相手を地面に叩きつけた。

 頭を強く打ち付けて怯んだコボルドの首を、彼は甲冑を着込んだ足で思い切り踏み抜いた。

 ゴキン!と首の骨が折れる音が響き、そのコボルドは動かなくなった。

 

「なんだと?」

 

 予想外の反撃にコボルド・シャーマンは動揺する。

 

「老いぼれと見縊っておったか?狭い洞窟の中でなら兎も角、槍を振るう広ささえあればコボルドなどに遅れを取りはせん。儂はこの二十年鍛錬を欠かすことはなかった。全てはこの日の為に」

 

 その槍捌きは長年の研鑽と経験を積まなければ出来ない、まさに老練の技巧であった。

 ユルバンは突き刺さったコボルドの死体を引き抜き、血を払う。

 

 地面に落ちた松明の火は、消えずに枯葉へと燃え移っていた。

 じわじわと広がる炎の明かりの元、ユルバンは二十年前の悲劇を引き起こした因縁の相手に槍の切先を向けた。

 

「残りはお前だけだ。諦めろ」

「まだだ。“土精塊”を手に入れるまで、絶対に終わりはしない」

「“秘宝”などもうありはせん。あんなもの、とうの昔にロドバルド男爵夫人が使い切ってしまった」

「嘘をつくな!!あの村の木偶人形共は“土精塊”で作り出したのだろう!まだその力は残っているはずだ!まだあるはずだ……貴様のごとき猿の戯言など信じるに値しない!」

「言葉は通じても意思の疎通はできぬ。騎士さまの言った通りじゃ。ならば、これ以上話すことは無い。覚悟せい!」

 

 ユルバンはコボルド・シャーマンへと掛かっていく。

 

「猿風情が調子に乗るな!!」

 

 コボルド・シャーマンは被っていた仮面を投げ捨て、口語を叫んだ。

 

『我が契約せし土よ!礫でもって敵を打て!!』

 

 無数の石のつぶてが浮き上がり、ユルバンに襲い掛かった。

 それは散弾のごとく飛び散る。

 ユルバンは防ぎようもなく、その土礫をまともに浴びることになった。

 全身を覆う鎧がボコボコに陥没し、頭部のヘルムが弾け飛んだ。

 

 コボルド達の神に仕えるコボルド・シャーマンが操る“先住魔法”。

 その強大な威力を前にユルバンはなす術もなく地面に倒れた。

 

「ぐっ……」

 

 手放した槍を掴もうとするユルバンの顔面を、コボルド・シャーマンは大杖で殴り飛ばした。

 

「ククク、クハハハハハハハハ!!!クヒャヒャヒャヒャヒャ!!!!!!!」

 

 コボルド・シャーマンは狂ったように笑いながら何度も何度も何度も何度も何度も、ユルバンを殴りつづけた。

 

 やがて……息を切らしたコボルド・シャーマンはようやくその手を止める。

 老いた獣の相貌の奥にある眼は赤く血走り、叫ぶ口から汚い泡が漏れていた。

 亜人の長は興奮した息遣いで、足下に転がるユルバンに対して語りかける。

 

「まだ息があるな。言ったはずだぞ……老いた人間の雄よ。お前には何もできない。村を守ることも、二十年前の仇討ちも果たせずに死ぬ。これがお前の結末だ」

 

 コボルド・シャーマンはぐったりとしたユルバンの髪を掴み罵る。

 

「あんな人形だけの村を護る衛兵とは、お前も哀れな奴よの。お前の鍛錬とやらは全て無駄だったわけだ。枯れて、痩せ衰え、皮と骨だけになり、朽ちるだけだ……。このまま消えるのは寂しかろう。そうだな、最後に我らがどうやって村の人間共も殺したか教えてやろうか。皆醜く泣きながら逃げ惑っていたぞ……。悔しいか?悔しかろう!さあ、せめて口惜しむ顔を我に見せて死ぬがいい!!」

 

 顔面血塗れでボロボロになったユルバンが何かを言おうとしていることに気付いて、コボルド・シャーマンは顔を近づけた。

 

「何だ、聞こえんぞ」

「……馬鹿め、迂闊に近づきすぎじゃ」

 

 ユルバンは腿のプレートの裏に仕込んでいたナイフをコボルド・シャーマンの脇腹に突き刺した。

 

「ギィヤアアアアアア──────────────ーッ!!!!!!」

 

 コボルド・シャーマンが叫び、その場から後ろに退いた。口を開けるとゴボッと赤い血が噴き出す。苦しげな様子で、しかしそれ以上に怒りから、コボルド・シャーマンは声を荒げた。

 

「おのれ……!猿が、猿が、猿が、猿が、猿が!!許さんぞ、これで終いだ!我らが神に授かりし奇跡の前にくたばるが良い!!」

 

 先住魔法を唱える直前。

 口語を唱えるため大きく開いたコボルド・シャーマンの口の中に、ユルバンは先程浴びせられた大きな石礫のひとつを押し込んだ。

 

「モガッ!!!?」

 

 詠唱を中断させられたコボルドの顎に目掛けて、ユルバンはあらん限りの力で殴りつける。

 

 パァン!と破裂する音。

 

 ユルバン の甲冑に覆われた鉄の拳が、顎の骨を砕く。

 口内にあった大石が、コボルド・シャーマンの歯を粉々に破壊する。

 粉砕して弾けとんだ石が、口の中をズタズタに切り裂いた。

 

「!!!!──ー!?!!ホギィャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア──────────────ッ!!!!!!」

 

 想像を絶する地獄のような激痛に、コボルド・シャーマンは声にならない悲鳴を挙げた。

 前後不覚になるほどの耐え難い痛みに転げまわる。

 血だらけの口から折れた歯を吐き出し、苦しんだ。

 

 ──ガシャン、ガシャン。

 

 重い、甲冑の音が近づいてくる。

 コボルド・シャーマンは怯えた様子で顔を上げた。

 

 松明から溢れた火は、辺りに燃え広がる炎となっていた。

 その炎に、炙り出された黒い影がある。

 ユルバンが槍を杖代わりにして立ち上がっている。

 老人は冷たい眼で、コボルド・シャーマンを見下ろしていた。

 

「ハヒ……ヒィ……ヒィィィィイイイイ!!!!」

 

 口が聞けずもはや先住魔法も使えない。身を守る術をすべて失ったコボルド・シャーマンは唯々その男に恐れ慄いた。

 コボルド・シャーマンには、その男が、その人間が、今まで見たどんな生き物よりも恐ろしく思えた。

 なぜなら、その人間が己の理解の範疇を逸した存在だったからだ。

 

 何だ、一体何なのだこの人間は。

 なぜ、ここまでしてあのちっぽけな村を守る?

 もしこの人間の言う通り、あの場所に宝が無いと言うのであれば、同胞が死に絶えたあの村にあるのはあの人形どもだけ。

 あんなもの、ただのガラクタではないか。

 そこまでして守る価値が何処にある?

 この得体の知れない。異常なまでの執念は、一体何処から来るのだ?

 

「お前にはわかるまい、コボルドの長よ……」

 

 ユルバンが呟く。

 

「愛した人々が死した後に、何もかもが失われるわけではない。身体が朽ち果て失われようとも──託された想いは、願いは、受け継がれる。儂はそれを受け取った。だから儂はそれを護るため戦うのだ……!!」

 

 ボロボロの身体を突き動かし、ユルバンは槍を構える。

 

「我が名はユルバン!!ロドバルド男爵夫人からこの槍を与えられたアンブラン村の門番兼衛士である!主君の槍をもって、アンブランを脅かす悪き敵を、今ここに成敗いたす!!」

 

 口上を叫び、最後の力で長槍を振るう。

 槍がコボルド・シャーマンの心臓に深々と突き刺さる。

 最期の断末魔が響きわたり……静寂が訪れた。

 それは、およそ二十年に及ぶ因縁に決着がついた瞬間であった。

 

「やりましたぞ……奥様。今度こそ……やり遂げました。儂が……村を守ったのだ……」

 

 決着と同時にユルバンのその身体が崩れ落ちる。

 ──ここで死ぬわけにはいかん。

 ──最後まであの村を守る。そう誓ったではないか。

 

 地面に倒れようとするユルバンの身体を受け止める誰かがいた。

 

「……よくやった。あとは任せろ」

 

 金髪の若者の声を聞いて、ユルバンの意識はそこで途絶えた。

 

 ・・・

 

 コボルドの大群を壊滅させた後……。

 ユルバンのもとに駆けつけたタバサとクラウドは、燃え広がっていた炎を消火し、ユルバンをその場に寝かせて手当をしていた。

 

「……どうだ?」

「傷が深い」

 

 『治癒(ヒーリング)』の魔法で治療にあたるタバサが、難しい顔をする。

 コボルド・シャーマンとの戦いは、老体にとって堪えただろう。

 ユルバンの身体は、かなりの重症であった。

 

「私の魔法だけでは助けられない。村に戻れば何とかなるかもしれないけれど、それまで彼の身体が持つかどうか」

「それなら、これを使ったらどうだ?」

「それは、あなたの……」

 

 クラウドが手に持っていたのは、アンブラン村に来る前に彼がタバサに使おうとした、あのポーションであった。

 

「あの時、使わずに取っておいてよかった」

 

 元いた世界から持ってきた、最後のポーション。

 これを使うに相応しい時は、きっと今より他にはないだろう。

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 ユルバンが目を覚ましたのは、屋敷のベッドの上であった。

 

「う……ここは……?」

「ああ、ユルバン!目を覚ましたのですね。よかったわ!」

 

 意識が戻ったユルバンに声がかけられる。

 

「奥様……」

「話は騎士様より伺いました。コボルドの長と一騎打ちなど……、何という無茶をしたのです。どれほど心配をしたことか」

 

 ユルバンの頭には包帯が巻かれていた。

 身体にも丁寧な治療が行われたであろう跡がある。

 この屋敷にはこんな辺境の村にしては充実した治療設備が整っていることを彼は知っていた。……それが、己の為だけに用意されたものであることも。

 ユルバンは身体を起こし、周囲を見回した。

 

「……奥様。あの二人はどこに?」

「もう既にこの村を発ちました。あなたがこうして一命を取り留めたのは、あの方々のおかげだと聞いています。あなたが目覚めるまでは、と引き留めたのですが……」

「……左様ですか」

 

 身体を再びベッドに預けて、物思いに耽る。

 あやつらめ、礼も言わさずに去りよって。

 心の中でそう悪態を吐いた。

 

 ──その命が尽きる最後の時まで、戦い続けろ。

 ユルバンはクラウドがその言葉を告げた時の、己に向けられた顔を思い出していた。

 あの青年はまるで自分のことのように、辛そうな顔をしていた。

 

 詳しくは聞けなかったが、おそらくは……あの青年も何かを背負っているのだろう。

 きっと、果ての見えない、贖罪の道を歩いているのだ。

 ユルバンと同じように。

 彼の進む道先に少しでも救いがあることを、ユルバンは願った。

 

「ユルバン」

 

 彼女がユルバンに声をかけ、その手を取る。

 温かい、手の感触が伝わってくる。

 

「許してください。あなたをこのように危険な目に合わせてしまって。私は、ただあなたに傷ついてほしくなかっただけなのに……。本当にごめんなさい」

 

「奥様……」

 

 この手の温もりも、優しい言葉も、そのすべてが本物ではない。

 だが今、自身に向けられているこの想いに嘘がないことも、彼は知っていた。

 ユルバンは彼女の手をそっと、優しく握りなおした。

 

「何を言うのですか。この村が無事であること、そして奥様。いいえ……()()()()、あなた達を守ることができた。儂にとってこれ以上の成功はないのですよ」

 

 彼女の顔が、驚いた表情を形作る。

 しばし悩んだ後、彼女はユルバンに尋ねる。

 

「ねえ、ユルバン。一つだけ教えてください」

「なんですかな」

 

 

「あなたは今、幸せですか?」

 

 

 ユルバンは優しく微笑む。

 

「ええ、もちろんですとも」

 

 老人の言葉を聞いて、彼女は両手を胸に当てる。

 心を持たぬはずの瞳から静かに、涙が零れ落ちた。

 

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 

 アンブラン村を一望できるあの岩場から、タバサとクラウドは村を見下ろしていた。

 二人はロドバルド男爵夫人の人形に、村の秘密を決して口外しないことを約束した。

 人形たちはユルバンの死と共にその活動を止め、土に還る。

 彼の歳を考えれば、その時はきっと遠い未来ではない。

 ユルバンは男爵夫人が遺した愛情に包まれていた。

 その愛情はとても純粋で、彼を残酷な真実の痛みから遠ざけようとしていた。

 だが、彼はそれを良しとはしなかった。

 己の業を覚悟へと変えて、ユルバンは命ある限り、村を守り続けるのだろう。

 

「これで本当に良かったと思うか?」

 

 クラウドの言葉に、タバサは彼の顔を見た。

 

「どうして、そう思うの?」

「俺はあの爺さんに自分で決着をつけるように仕向けた。だが、そんなことをあの村の人形達は望んでいなかったはずだ。結局俺は必要のない危険な目に巻き込んだだけなのかもしれない。そう考えていた」

 

 もし、クラウド達がこの村の真実に気づかず、ロドバルド男爵夫人の人形に問いたださなかったとしなかったら、一体どうなっていただろうか。

 きっと、何も変わらなかったはずだ。

 ユルバンを救出して、コボルド達を二人で退治して……それで終わりだ。

 あの老人は何も変わらず、心の内に秘密を秘めたまま村を守り続けただろう。

 結局自分たちがしたことは余計なお節介だったのではないだろうか。

 しかしタバサは首を振る。

 

「私はそうは思わない。彼は言っていた。『夢に破れ、誇りも失った』……でも、あの老人はきっと”誇り”を取り戻すことができたんだと思う。あなたは彼の”誇り”を守った。それは決して無駄ではない」

「どうかな……」

 

 タバサの言葉を受けても、クラウドの心はまだ晴れない。

 

「タバサ。お前が同じ立場だったら……どう思う?真実を知りたいと思うか?」

 

 タバサは頷いた。

 

「私は……真実を教えてほしいと思う。それが何であっても。どれだけ……傷つくことであっても。それは、誰にでもできることではないけれど……少なくともあの老人は立ち上がった」

「そうだ。あの爺さんは残酷な真実から逃げずに立ち向かった。……俺には、できなかったことだ」

 

 クラウドは自分の故郷のことを振り返る。

 実験体となったニブルヘイムの村人達はその後、何かに駆り立てられるように北を目指した。

 最期は皆、大空洞の冷たいクレバスの中で息絶えたという。

 彼らを看取ったのはニブルヘイムの事件の後に村の入植者となった女性だった。

 自身の命をかけて、最後まで村人達の面倒を見てくれたのだ。

 彼女が残した被験者リストの中には、あの幼い姉弟の名前もあった。

 後に知り合いとなった彼女の息子から、クラウドはその事実を知った。

 

 ニブルヘイムにはその後も神羅に雇われた研究者と入植者達が暮らしていたが、その彼らも今はいない。

 メテオが落ちてきたあの運命の日、村がライフストリームの通り道となってしまったことが原因で、そのほとんどが命を落としていた。

 今や住む人間がいなくなり空き家ばかりとなったあの村には、居場所をなくして流れてきた人々が集まり、勝手に住みついてしまっている。

 もはや、残っているのは形だけで、あの村の成り立ちを知る人間は誰一人として存在しない。

 

 クラウドのことを待つ者は、あの場所にはもう誰もいない。

 立ち寄ってみても、懐かしさを感じることもない。

 ただ、過去に引き戻されそうになるだけで……。

 クラウドには、あの場所を故郷だと思うことは出来なかった。

 

 自分は、真実の重みに耐えられなかった。

 耐えられないから……、逃げて、逃げて……その果てに偽りの自分を作り出したのだ。

 だが、あの老人のように真実から目を背けなければ……何かが変わっていただろうか。

 

 友達という言葉。

 遠ざかる背中

 忘却された、生きるという約束

 

 祈り重ねる指

 祭壇に解け落ちるリボン

 最期まで絶やすことのなかった、彼女の微笑み。

 

 それらの何か一つでも、失うことはなかったのではないだろうか。

 

 ぼすん。

 思い悩むクラウドの背中に軽い衝撃がのしかかった。

 それはタバサだった。

 彼女はクラウドの背中をよじよじと登り、クラウドの肩に到達した彼女は、その上に顔をちょこんとのせた。

 

「……なんのつもりだ?」

「疲れた。のせていって」

「……」

 

 ぺちぺちと、クラウドの頬を叩く。

 

「行きは歩いただろう」

「あなたに合わせるのは大変。これ以上体力を消耗すれば、いざという時に魔法を使えない。あなたは従者なのだから、私の言うことに従うべき」

「お前な……」

 

 尤もらしいことを言うが、結局は歩くのが面倒くさいということらしい。

 村に来る前の道のりではあれほど意固地になっていた癖に。

 どういう心境の変化なのか。

 クラウドはやれやれとため息を吐く。

 それ以上は特に逆らうようなことはせず、大人しくタバサを背負って歩き始めた。

 

「お腹がすいた」

「そうか」

「山を降りたら、どこかで美味しいものを、お腹一杯食べる」

「そうか……」

「今日は、あなたが決めて」

「俺が?」

「そう。今日は、あなたが食べたいものにする」

 

 優しい口調で、タバサは語りかける。

 

「……ねぇ、クラウドは何が食べたい?」

「そうだな……」

 

 思い出すのは、故郷に戻った時に食べた母の料理だった。

 親友を招いた、あの夜の最後の団欒。

 

「そうだな、俺は……シチューがいい」

「わかった……」

「タバサ」

「何?」

「ありがとう」

 

 お礼を言われて、なんだか恥ずかしくなったタバサは、彼の背中に顔を埋めた。

 それ以降、山を降りるまで、二人の会話はなかった。

 

 人は過去には戻れない。

 何かを失いながら、傷つきながら、それでも前に進むしかない。

 クラウドも……そしてタバサも。

 クラウドは、タバサには知る由もない大きな悲しみを背負っている。

 彼はこれからも、その悲しみを背負って生きていくのだろう。

 たとえ、その道がどれだけ過酷であろうとも。

 彼は一人で進み続ける覚悟があるのだ。

 

 けれど、時には立ち止まる時がある。

 一人ではどうにも出来ない時だって、あるはずだ。

 そんな時は誰かの助けを借りればいいのだ。

 

 タバサにそのことを教えてくれたのは、クラウドなのだから。

 

 きっといつか別れの時が来るのだろう。

 これは、彼の歩む道の最中、その片時。

 それでも、今一緒にいられることを。

 少しでも、彼の力になれることを。

 タバサは、嬉しく思った。

 

 

 アンブラン村が遠ざかる。

 老戦士が守る、大切な箱庭が。

 




ようやく番外編完結です。
これで思い残すことなくミッドガルに旅立てる。

……鈍亀でごめんなさい。


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ガリア王編
Chapter 18


 私は思考する。

 "星"の、”世界”にとって害を為すものとは何であろうか。

 

 生命あるものには、己の内部に侵入してきたものに対抗する為のシステムが備わっている。

 免疫、抗体とも言われるもの……。

 それらは生命体の内部に存在して外敵を撃退する生体機能である。

 

「星」においても例外ではない。

 かの世界で、それは”ウェポン”と呼ばれていた。

 星にとっての自己防衛機能……星を守護する免疫体である生きた兵器達。

 星に仇なす悪しきものを排除する為の抗体である彼らは、他の生物とは一線を画す超大な力を備えている。

 

 ここにおいても、このハルケギニアとの共通点が見られる。

 この世界にも過去に、同じような存在がいたのだ。

 幾千の竜達を操り、世界を焼き尽くそうとした伝説の古竜……。

 かつて単なる者達に”始祖”と呼ばれた個体と戦いを繰り広げた、あの黒竜だ。

 

 今になったからこそ、わかることがある。

 あれは”虚無”の反存在。いわば、この世界の”ウェポン”だったのだろう。

 思えば単なる者達……”ヒト”は、そもそも魔法を使うことなどできない存在だった。

 だが、ある時を境にして突然、”ヒト”の中に魔法を操る者が現れはじめた。

 私はその事象を”ヒト”という種族が進化した結果だと思っていたが、実際はそうではなかったのだろう。

 おそらく……魔法を扱える“ヒト”は、この世界の外側からやってきた者達なのだ。

 その為に”始祖”を筆頭とする彼らを、世界は異物と見なしたのだ。

 

 戦いの果てに、かの古竜は”始祖”の操る”虚無”の魔法によって打ち倒された。

 だが、あれはまだ滅んだわけではない。

 傷ついた身体を癒すために、今もこの世界のどこかで眠りについている。

 

 あれ以来、古竜が目を覚ましたことは一度もない。

 ”ヒト”は幾万の月が交差する永き時をこの地で過ごし、今や世界に広く根付いている。

 これは”世界”が彼らをこの世界の一員として認めた、ということなのかもしれない。

 それでも、いつの日か”虚無”が再び世界に台頭するようになれば、あの古竜が目覚める時が来るだろうか……。

 

 星は、世界は、循環系の集合体のような存在である。

 あらゆる生命の膨大な知識が集積して生み出されるうねりこそが、星の命の正体だ。

 ”始祖”のような外来の存在であっても、やがては定着し共生していくことができるだけの資質を備えているのであれば、世界はそれを受け入れるだけの懐の広さを持っている。

 だが……その生命の流れを……星のエネルギー自体を糧とする存在がいるとしたら……。

 それは、星にとって“天敵“となりうるのではないだろうか。

 もちろん”星”には、先に言及したような防衛機能が備わっている。

 それでも……もし、それを突破できるとすれば。

 

 例えば個の生命体は”ウェポン”ほどではないが、侵入する外敵に対抗するシステムを持つ。

 それによって敵を撃退しようとするが、侵略者は時にそのシステムを欺くのだ。

 自分を味方だと誤認させる。巧妙に内部へと潜り込み、システムの一部になりすます。

 敵に騙され、気づいた時にはシステム系統を掌握されて乗っ取られてしまう。

 誤信号に抗体は混乱し、あるいは、暴走して味方を攻撃し、自らの破壊をはじめる。

 そうなってはすべてが手遅れで、その生命体に待つのは滅びだけだろう。

 

 星に対して同様の害をなすことができるものがいるとすれば、それは超常の存在。

 自身を分散させて、その一つ一つに意思を持たすことができる生命体だ。

 己の形を変えるのも自由自在。星の制御系に容易く侵入し、必要があれば再び一つになることもできる。

 

 個にして全。全にして個。

 まるで、私と同じように。

 

 ……私はもっと早く、このことに考えを巡らすべきだったのだろう。

 私が観察していたかの“星”は……自己の修復が困難なほど深く傷ついていた。

 傷は癒えることはなく、その星に生きる者たちにまで災禍となって影響を及ぼす程であった。

 その情報がもたらす結論はただひとつ。

 

 星には、敵が存在していたのだ。

 

 私には、もう何も止めることはできない。

 すべてが手遅れとなった今……私には、こうして思考する以外、行動の選択肢は残されてはいない。

 やがて……それも失われることだろう。

 

 あの時のことを思い出す。

 私は星の循環系を、生命の流れを観察していた。

 その最中に私は、星の流れの中から誰かが私のことを見ている気配を感じ取ったのだ。

 

 それは、まるでわざと気づかせるような、弱々しい信号であった。

 私は気配を辿り、星の中に潜むその正体を探った。

 

 そして、出会ったのだ。

 すべてのはじまり。

 

 星を蝕む“災厄”に。

 

 

 ストレンジ・ソルジャー18

 

 

 事件から一週間余りが過ぎたその日。

 魔法学院の正門を馬車の一団が通過した。

 物々しい雰囲気を醸し出すその集団は、トリステイン王軍の一隊であった。

 先日の事件で捕らえられた下手人を運ぶため、首都トリスタニアからやってきたのだ。

 

「全体、整列!」

 

 出迎えに並んだのは水精霊騎士(オンディーヌ)隊の学生たちであった。

 一揃いに敬礼する彼らの前に、トリステイン王国の紋章の入った馬車が停車する。

 扉が開かれて中から出てきたのは、トリステイン王国の女王アンリエッタ・ド・トリステインであった。

 

 学生隊員達は驚いた。てっきり軍のお偉方が出てくると身構えていたからだ。

 

「ア、アンリエッタ女王陛下ではないですか! なぜこちらに?」

 

 隊長のギーシュの口から、不敬ながらも思わずそんな言葉が零れた。

 アンリエッタ女王がやってくる話など、誰も聞いていない。

 先の出来事は確かに国を揺るがす大事件であったけれど、犯人の引き渡しの場に女王自らやってくるなど、一体どういうことなのだろうか? 

 

 学生騎士隊の一同がどよめく中、二人の人物がアンリエッタの前へ進み出た。

 銃士隊長のアニエスと学院長のオールド・オスマンである。

 女王の来訪を予め知っていたのであろう二人は、その場で跪いた。

 

「陛下、お待ちしておりました」

「ありがとうございますオールド・オスマン。そしてアニエス、出迎えご苦労様です。怪我の具合は?」

 

 アンリエッタの視線がアニエスの腕に巻かれた痛々しい包帯に向けられる。

 

「この程度、何でもありません」

 

 アニエスは硬い表情のまま答える。

 その時ギーシュはアンリエッタの後に馬車から出てきた男の姿に気づいた。

 左右の瞳の色の違う月目……まだ若い、神官服を着たその青年の顔にギーシュは見覚えがあった。

 確かジュリオとかいう、ロマリアの神官だ。

 アルビオン戦争時にロマリアからの外人部隊として竜騎士隊に参加していたのを見かけていたため、ギーシュは彼のことを記憶していたのだ。

 だが、その男がなぜ陛下と一緒にいるのだろうか。

 

「トリステイン魔法学院……ここに来るのはアルビオン戦役以来だ。アンリエッタ陛下。例の彼は今この場所にいるのですね?」

「ええ、チェザーレ殿。あまり時間がありません。オールド・オスマン、早速ですが案内をお願いしますわ」

「わかりました。陛下どうぞこちらへ」

 

 オスマンが魔法学院本棟の入り口へと誘う。

 状況を呑み込めないまま呆然としていたギーシュも、ようやく察しがついた。

 事前情報のないこの来訪は、トリステイン王国に関わる何らかの重要な機密によるものである、ということだ。

 ロマリアの神官が一緒にいるのも、きっとその為だろう。

 なればこそ、敬愛する女王陛下の身に何か大事があってはいけない。

 

「レイナール。君はここに残り隊の指揮を取れ。僕は陛下に同行する。マリコルヌは僕と一緒に来い」

「りょ、了解であります」

 

 マリコルヌが慌てて頷いた。二人は女王の護衛として一行の後につく。

 本棟の入り口から階段を上り、一行は目的の場所に目指す。

 棟内は人気がまるでなく、しんとした静けさが広がっている。

 

「静かですわね……。学生達は今どうされているのですか?」

「学院は現在休校状態ですじゃ。生徒達はほとんどが帰省しましたわい。何せあれだけのことがありましたからな」

 

 オスマンが答えた。その口調は重い。

 

「昨年のアルビオン戦争に引き続き二度も賊の侵入を許したばかりか、生徒一人が誘拐されたとあっては。父兄たちも自分の子息を安心して預けることはできないと。

 まあ当然でしょうな。我々としては、なんの申し開きもできません」

「そうですか……」

 

 アンリエッタは階段の窓から外を見る。

 かつては青々とした芝生が広がっていたヴェストリの広場だが、今は巨大なクレーターに抉られた跡が残り、見るも無残な状態であった。

 

「ルイズ……」

 

 誘拐されたルイズのこと考えて、アンリエッタは顔を歪ませる。

 数少ない、大切な幼馴染が攫われたというのに、自分はなぜその時その場いなかったのだろうか。

 今すぐにでも彼女を助けにいきたいのに、私にはどうしてそれができないのか。

 女王という地位が、立場が、彼女自身の行動を妨げている。

 憤りを隠せない彼女に、オールド・オスマンは告げる。

 

「陛下、無力さを感じているのは、貴方だけではありませぬ。事件の後、我々教師達も己の力のなさに苛まれております。あの時こうしていれば……と。それでも後悔で時は戻りませぬぞ。なれば今出来ることをするしかありますまい」

「そうですね……。貴方の言う通りです。オールド・オスマン」

 

 アンリエッタは前を向く。

 そう、今ここに来たのは己にできることを為すためだ。

 絶望的なこの状況で、わずかな希望を掴む為に……。

 アンリエッタは、後ろを歩くギーシュに声をかけた。

 

「あなたは帰省されなかったのですね。ミスタ・グラモン。それに……水精霊騎士隊の皆様も」

「もちろんであります! 我々はいかなる時も陛下の騎士隊です。それに、『命を惜しむな、名を惜しめ』というのが、グラモン家の家訓ですから」

「頼もしい限りですね。ですが……本当にそれだけがここに残る理由でしょうか?」

 

 ギーシュはうっ……と、声を詰まらせた。

 彼は少し悩んだ。理由はあるのだが、果たしてこんなことを陛下に言ってよいのだろうか。

 だが、隣を歩くマリコルヌがギーシュに対して頷くのを見て、彼は決心する。

 騎士隊の生徒達がこの学院に残っているのは、皆同じ気持ちだからなのだと。

 

「我らの友人達がちょっとピンチな状況でしてね。助けてやりたい、と思ったのですよ」

「あいつを放っといて僕らだけが家に帰るのもなんか、ね」

 

 ギーシュとマリコルヌの言葉に、ジュリオがふっと声を漏らした。

 

「何だ。今きみ、僕たちを笑ったのか?」

「まさか、とんでもない。君たちを勇敢だと思っただけさ。本当に」

 

 ジュリオは大げさなリアクションをとって訂正する。

 

「……良い仲間を持っているね。ガンダールヴ」

 

 誰にも聞こえない声で、ジュリオは少しだけ羨ましそうにそう呟いた。

 

 ・・・・・・

 

 階段を登りたどり着いたのは、魔法学院の宝物庫であった。

 分厚い鉄の扉の前には、見張りの教師が立っていた。

 

「過去に”土くれ”のフーケの侵入を許しはしましたが……それでもここは学院で最も堅牢な場所です。”あれ”を捕らえておくのにここ以外の場所はありませんでしてな」

 

 オールド・オスマンは扉の前で見張りをしていた教師たちに声をかける。

 

「ミスタ・コルベール。そしてミスタ・ギトー。見張りご苦労じゃのう」

 

 二人の教授がアンリエッタを見て一礼する。

 アニエスはコルベールを睨んだが、彼の表情は変わらなかった。

 

「ミスタ・コルベール。これから中に入るが同席しなさい。君の知見が必要じゃ。ミスタ・ギトー。君はそろそろ交代して休みなさい。代わりの教師が来るまでの間、この水精霊騎士隊の二人を見張りに立てよう」

「いいえ、オールド・オスマン。私はこのまま見張りを続けます」

「そうは言うても、君は昨日も一晩中見張りに立っておったではないか。あまり無理をするでない。身体を休めることも必要じゃ」

「……わかりました」

 

 オスマンに諭されると、ギトーは渋々従う。

 

「あの偏屈な男が、妙に生真面目な所があるものじゃのう」

「生徒が連れ去られたことに、ミスタ・ギトーも彼なりに責任を感じているようです。……それはもちろんこの私もですが……」

 オスマンにそう答えたのはコルベールだった。

 

 大扉にかかった巨大な錠前が解かれる。

 ギーシュとマリコルヌを扉の前に残し、アンリエッタ達一行は中へと入った。

 かつては様々な品が無造作に置かれていた宝物庫の中は、教師たちの”錬金”で拵えた鉄格子によって仕切られていた。

 入口からまっすぐ続く通路の左右には、以前からここに保管されていた物品が整理されて収納されている。

 そして、一番奥の部屋には一際分厚い鉄格子で囲まれた牢獄があった。

 牢獄には一週間ほど前にこの魔法学院で大事件を起こした犯人が入れられていた。

 男はエルフであった。

 ベッドに横たわり、全身に包帯が巻かれている。

 

「あれが、砂漠(サハラ)のエルフですか。彼らの先住魔法は我々メイジの操る魔法を遥かに上回ると聞きます。よく捕らえることが出来ましたね」

 

「いいえ、我々ではありません陛下」

 

 アニエスが口惜しさを滲ませて答える。

 

「あの夜に現れた”元素の兄弟”も”エルフ”も……我々や魔法学院のメイジ達では到底太刀打ちできませんでした。奴らをすべて倒したのは、この男によるものです」

 

 牢屋の柵に、金髪の男性が寄りかかっていた。

 傍らには、身の丈ほどもある巨大な剣が立て掛けられている。

 どちらにも、アンリエッタには見覚えがあった。

 男は顔を上げて彼女を見ると、少し驚いたように僅かにその青い目を開いた。

 

「あんたは……」

「またお会いしましたね。ミスタ・ストライフ」

 

 そこにいるのは、トリスタニアの城下町で出会ったあの”異邦人”の青年であった。

 彼の存在こそが、アンリエッタがこの場所に来た目的であった。

 

 ・・・・・・

 

「本当に女王だったんだな」

「あら、疑っておいでだったのですか?」

「そういうわけではないが……」

 

 言い淀むクラウドにアンリエッタはくすりと笑うが、その顔はうかない表情に変わる。

 

「私としても、あなたとこのような形で再会することになるとは思いませんでした」

 

 クラウドは次に、アンリエッタの横にいる神官姿の青年に顔を向けた。

 

「あんたは、誰だ?」

「初めまして、僕はジュリオ・チェザーレ。ロマリア連合皇国より教皇の命で派遣された特使さ。君が例の”異邦人”だね」

 

 ジュリオが握手を求めてくるが、クラウドは無視した。

 ”異邦人”という言葉に警戒を強めたからだ。

 ロマリアとは……確か、この世界で広く信仰されるブリミル教の総本山の国であったはず。

 クラウドには自身との接点がまるでない。

 

「俺に何の用だ?」

 

 クラウドの素っ気ない反応にも、ジュリオは意に返さない。

 

「君と敵対するつもりはない。君のことはアンリエッタ女王陛下から聞かせてもらった。それで、いろいろと聞きたいことが出来てね。陛下に同行させてもらったのさ」

「あなたのことについて勝手に教えてしまったことを謝罪します。ですが、これには理由があるのです。それは後で説明させていただきます。今はそれよりも……」

 

 アンリエッタは誰かを探すように牢屋の周囲を見回した。

 

「サイト殿はどちらにいらっしゃるのですか? 私はてっきり貴方と一緒にいるものとばかり思っていたのですが……」

「サイト君であれば、ミス・タバサと一緒にラグドリアン湖に向かいました。陛下」

 

 彼女の疑問に答えたのはコルベールだった。

 

「ラグドリアン湖? なぜ、そのような場所に?」

「タバサの母親をここに連れてくるためだ。俺は今ここを()()()()。だから俺の代わりにタバサについていくよう頼んだんだ」

 

 アンリエッタはクラウドの顔をじっと見た。

 

「以前トリスタニアでお会いした時、貴方は帰り方を探しているとおっしゃいました。この学院にその方法を知っている者がいるとも。それはサイト殿のことだったのですね。そして貴方は……サイト殿と同じく異世界からやってきた」

「……だとしたら?」

「目的は、果たせましたか?」

「さあな……」

 

 誤魔化すクラウドに、アンリエッタは懇願した。

 

「お願いします。私がここに来たのは、貴方の話を聞くためなのです。我が国は現在、深刻な問題に直面しています。それを解決する鍵が、貴方に……いいえ、()()()にあると私は考えています」

「俺に何を話せと?」

「貴方がこの世界に来てしまってから今までの経緯を、どうか教えてください」

「……あんたはともかく、この場では話したくはないね。信用できない」

 

 クラウドがジュリオを指すと、彼は弁明するように言った。

 

「事態は急を要するんだ。もはやこれはトリステイン一国だけの問題じゃない。放っておけばこのハルケギニア全体の危機へと波及し得る。どうか僕にも教えてはくれないか。協力してくれるのなら、ロマリアが君を支援するよう僕から教皇聖下に献言する。約束しよう」

「我々としても聞かせてもらいたいのう。ミスタ・ストライフ。君には感謝しておるが……儂はこの魔法学院の責任者。あの事件が起こった経緯に関係があるというのなら、話を聞かないわけにはいかないじゃろう」

「私の力が及ばなかった“元素の兄弟“を貴方は倒してくれた。貴方にはとても感謝しています。才人君たちの為にも、私個人の力ではありますが、協力は惜しみませんぞ」

「……」

 

 オスマン、コルベールからも嘆願されて、クラウドは沈黙した。

 彼はエルフのいる牢屋の方を見る。

 しばらく何か考える素振りを見せた後、彼はようやく頷いた。

 

「いいだろう。だが、少し長くなるぞ」

 

 

 ・・・・・・・・・

 

 

「きゅい〜、お姉さま達と空を飛ぶの、久しぶりなのね! 嬉しいのね!」

「落ち着いて。また傷が開く」

「きゅい! 大丈夫よお姉さま。シルフィは平気なのね! る~る~」

 

 その頃、ハルケギニアの空には、大きな翼をはためかせて飛ぶシルフィードの姿があった。

 シルフィードの背中には、タバサ、キュルケ、才人が乗っている。

 三人はタバサの母親を安全な所に匿うため、ラグドリアン湖にある旧オレルアン邸へ向かう途中なのであった。

 

「知らなかったわ、あなたがこんなにお喋りだったなんて」

「韻竜ってやつなんだっけ? 喋れる竜がいるなんてなあ。驚いたよ」

「きゅい、今まで秘密にするように言われていたのね! でも、お姉さまのお許しが出たのね!」

「私はあなた達を信頼している。もう隠し事はしない」

 

 キュルケと才人にそう告げると、タバサはシルフィードの背中に優しく手で触れる。

 

「迎えに来てくれて、ありがとう」

「きゅい、きゅい! こんな怪我もうへっちゃらなのね! お姉さまの為ならどこへだって駆けつけるのね!」

 

 シルフィードは嬉しそうに声を上げる。

 

「怪我といえば、キュルケは大丈夫なのか? あいつらに腕をやられてたじゃねえか」

「ええ、まだ少し痛むけど。もうすっかり平気。あの“元素の兄弟“のおちびさん、ご丁寧なことに本当に関節だけ綺麗に外してくれたみたいだわ」

 

 才人の気遣いに、キュルケは肩を軽く回しながら答えた。

 

「手痛いのは杖を折られちゃったことね。代わりの杖を用意するのに時間がかかるから、しばらく魔法が使えないわ。向こうにいても出来ることはないからついてきたけれど……。私の心配するより、自分の心配をしなさいな。サイト、あなたこそ本当に大丈夫?」

 

 才人は俯いた。

 

「……全然、大丈夫じゃねえ。ルイズが今どこにいるかわからないし。……でも、何かしていないと落ち着かないんだよ」

 

 才人はガンダールヴのルーンが刻まれた手で左目を押さえてみた。

 “虚無“の使い魔たるガンダールヴは、主人に危機が迫っている時に、主人が見ている光景を“見て“察知することができる。

 だが……今は何の景色も見えてこない。

 あまりにも距離が離れすぎて見えないのか。それともルイズに意識がないのか。

 もしかしたら、その両方かもしれない

 

「くそっ」

「落ち着きな相棒。お前さんの左手のルーンが消えていないってことは、少なくとも娘っ子はまだ死んじゃいねぇよ」

 

 背中の鞘に収まるデルフがカタカタと音を鳴らしてサイトを宥める。

 

「シルフィがいない間にそんな大事件があったなんて。ガリアはお姉さまにも酷いことばかりするから許せないのね! でもルイズを拐うのは何故? あの娘、何かすっごい秘密でもあるのかしら?」

「そりゃあるわよ。ルイズはあの伝説の”虚無”の系統だったんですもの。それでもって才人は伝説の使い魔”ガンダールヴ”だし。まあ、伝説なんて言われてもいまいちピンとこないわよね」

 

 シルフィードの質問に、キュルケが答える。

 才人もタバサと同じように皆を信頼して、今まで隠してきたルイズの”虚無”の系統と”ガンダールヴについて一通りの説明をしていたのだ。

 

「……私のせいで、ごめんなさい」

「タバサは何も悪くねえよ。ずっと大変だったんだろ? それに……俺が今ここにいるのは、頼まれたことなんだ。クラウドさんに」

「クラウドが?」

「ああ……」

 

 才人はその時のことを思い出しながら、頷いた。

 

 ──俺が宝物庫(ここ)にいる間、タバサの事を頼む。

 

 クラウドはそう言って、才人に頭を下げたのだ。

 才人としては、断れる筈もない。

 彼がいなければ、あの日の事件でもっと多くの人が死んでいたかもしれないのだ。

 クラウドが元素の兄弟のダミアンを圧倒する姿を振り返り、サイトは改めてそう思った。

 

「あんな強い人が、俺に頼みごとをするなんてびっくりしたよ……。でも、これはきっと俺の為に言ってくれた事なんじゃないのかって思ったんだ。

 ルイズが拐われて、何もせずじっとなんてしていられない俺の為に、今できることを授けてくれたんじゃないかって」

「そう……」

「うーん、そうかしら。シルフィは違うと思うわ。シルフィの見立てでは、クラウドは乗り物に弱いからシルフィに乗りたくなかっただけだと思うのね!」

「まさか、クラウドさんが乗り物酔い? 嘘だろ、それ」

「嘘なんかつかないのね。前に乗った時はヘロヘロだったんだから。ね、お姉さま」

「本当。彼は乗り物にとても弱い」

 

 あれは確かクラウドと出会ったばかりの頃の出来事だ。

 ラグドリアン湖から任務先のキルマ村に向かう際、シルフィードに乗ることを彼は頑なに拒んだのだ。

 その理由がまさか乗り物酔いとは、タバサも驚いたものだった、

 あの時のことがなんだか随分と昔のことのよう感じて、タバサは懐かしくなった。

 

「なんか……タバサ。少し雰囲気変わったな」

「変わった? 私が?」

「うん。なんていうか、表情が柔らかくなったていうか。明るくなったような……」

「何か、変?」

「いいや、今のほうがずっといいと思うぞ」

 

 才人はそう言って嬉しそうに笑った。

 タバサは両手で自分の頬に触れる。

 私は、何かが変わったのだろうか。

 自分のことは、よくわからない

 

「しかし、そうなのか……。あんな強い人にも弱点があるんだな」

「二人とも、そろそろ目的地よ」

「きゅい! ラグドリアン湖が見えたのね!」

 

 上空からラグドリアン湖の景色が見えて……一行は言葉を失った。

 

「何だよ……これ」

 

 ラグドリアン湖には、かつて才人も訪れたことがあった。

 とても綺麗な湖で、緑に溢れた素晴らしい場所であった。

 

 だが……今は、あの頃の面影はまるでない。

 周囲にあった森の木々は軒並み枯木となり、葉はすべて散ってしまっていた。

 湖の水は涸れて、ただの剥き出しの大地だけが広がっている。

 

「一体、何があったんだよ……」

「シルフィにもわからないのね。水の精霊がいなくなってから次第にこうなってしまったの。あの森には凶暴になった幻獣や亜人がうろついていて、とても危険。だから、この辺りに住んでいた人達はみんな別の場所に移ってしまったみたい」

「唯一安全なのは空路だけってことね。私達にとってはある意味都合がいいわ。もしガリアがタバサのお母様を連れ去ろうとしていたとしても、うかつに近づけない筈。チャンスだわ」

「きゅい! シルフィは屋敷にいたけれど外から来る人は全くいなかったの。でも、あの場所もこれ以上留まるにはいろんな意味で危険なのね」

「ガリアの軍が来ないうちに、お母様とペルスランを連れて帰る」

 

 一行はタバサの言葉に同意し、オルレアン邸を目指した。

 

「……」

 才人は変わり果てた湖を眺めた。

 水の精霊がいなくなったなんて。この場所に何があったのだろうか? 

 

 かつて、ルイズと一緒にラグドリアン湖を訪れた時に才人は水の精霊と対面している。

 あの時、水の精霊と約束をしたのだ。

 水の精霊の秘宝を……盗まれたアンドバリの指輪を取り返すと。

 水の精霊はいつまででも待つと、確かにそう言っていた。

 自分には、今も未来も過去もないからと……。

 それなのに、一体どこに消えてしまったのだろうか。

 

 才人は胸騒ぎがした。

 この世界の見えないところで何か、とんでもないことが起きようとしているのではないか……。

 そんな嫌な予感がするのだ。

 左手に刻まれた、ガンダールヴのルーンを見る。

 才人は、魔法学院で交わしたクラウドとの対話を思い返した。

 

 

 ・・・・・・・・・

 

 

「わからない?」

 

 それは、魔法学院の事件があった後間もなくの事……。

 医務室のベッドの上で目覚めた才人は、元の世界に帰る方法についてタバサを交えてクラウドと対話していたのだった。

 

「ごめん。俺も、元の世界にどうやったら戻れるのかなんて知らないんだ。そりゃ俺だって何度も帰りたいと思ったけど……、どうやったら帰れるかなんて、全くわからなくて……」

「そうか……」

「力になれなくて、すみません」

「いや、別にあんたが謝ることじゃない」

 

 クラウドはそう言うものの、落胆を隠すことができない様子であった。

 それを見ると、才人もますます申し訳なくなってしまう。

 

「情報を整理する」

 

 そう言ったのはタバサだ。

 

「才人、あなたが元いた場所はクラウドとは別の世界。そう考えて良いの?」

「ああ、それは間違いない。俺のいた地球には魔晄なんてものはなかったし、マテリアなんて便利なものも存在しない。巨大な隕石が落ちてきたなんて話も……。少なくとも、俺のいた日本は平和な国だったんだ」

「“地球“か……。俺がいた世界ではそんな呼称はしない。俺達は自分たちの住む世界をただ単に“星“と呼んでいた」

「ですよね。やっぱり違う世界みたいだ……」

 

 ここに来るまでの間は、クラウドは才人がウータイの人間なのではないか考えていた。

 話に聞いていた才人の身体的な特徴や『ヒラガ・サイト』という名前など、ウータイの出身者のものと似通った部分があったためだ。

 だが……才人は地球という世界からやってきた人間で、クラウドと同世界の出身ではなかった。

 まさか、ハルケギニアの他にもさらに別の異世界があるとは、クラウドも想像だにしていない事実であった。

 

「結局、またふりだしか」

「う〜ん。なあ、デルフ。お前なら何かわかるか?」

 

 才人はベッドの脇に立て掛けられていたデルフリンガーに尋ねた。

 デルフはカタカタと気の無い音を立てて答える。

 

「俺に聞かれてもなあ。まあ異世界の一つや二つあってもおかしくねぇんじゃないの?」

「そうじゃなくて、元の世界への帰り方についてだよ。お前、始祖ブリミルの時代に造られたんだろ。何か聞いたりした覚えはないのか?」

「無茶言うなよ相棒。前にも言っただろ。昔のことなんか殆ど覚えちゃいねえよ。何せ六千年前も経ってるしなあ」

「どんなことでも構わない。何かわかることはないの?」

 

 タバサがそう言って食い下がると、デルフは鞘を揺らしてうーん、と唸った。

 

「まあ……兄ちゃんがどうしてこの世界に来ちまったのかぐらいなら、わかると思うぜ」

「本当か?」

「なんだよ、やっぱり知ってるじゃん。勿体ぶるなよ」

「違えって。言っとくけどな、俺は本当に相棒と出会った後のことしかはっきり覚えてることはないんだぜ。でもよ、それだけの情報でも、ある程度の推測ができるんだよ」

「それって……どう言うことだよ?」

「相棒。お前さんは今までにも、異世界から来ちまった人間の話を聞いたことがあるはずだ。それを試しにこの場で言ってみな」

「え? えっと……」

 

 才人は、思い出せる限りのことを話す。

 才人が知っている事例は二つだ。

 一人は、トリステイン魔法学院の宝物庫に保管されていた『破壊の杖』の持ち主で、三十年前にオールド・オスマンを助けて死んでしまったという人物。

 もう一人はシエスタの故郷、タルブ村に眠っていた『竜の羽衣』……本当の名前は『ゼロ戦』という大戦時代の戦闘機と共にやってきた日本海軍の佐々木武雄少尉。シエスタの曽祖父にあたる人だ。

 

「そう。それにお前さん自身とクラウドの兄ちゃんを加えると、異世界から来た人間は合わせて四人いることになる。さて相棒に問題だ。この四人の中で一人だけ仲間はずれがいるんだが、誰だかわかるか?」

 

 デルフが何を言いたいのか、全くわからなかった。

 そんな質問に迷うことなど何もないではないか。

 

「そんなのクラウドさんに決まってるじゃないか。一人だけ地球以外の世界から来たんだぞ」

「ぶーっ。残念、はずれだ」

「えっ、なんでだよ!?」

「いや、まあ相棒が言ってることも本当は間違いじゃねえんだ。だが、俺が言いたいところと相棒は見ている点が違うのさ」

「見ている点? 言いたいところ? デルフお前何を言ってんだ?」

「見るべき視点は、召喚者の有無」

 

 答えたのはタバサであった。

 

「サイトはルイズのコントラクト・サーヴァントによってこのハルケギニアに呼ばれた。四人の中で誰が召喚したのか判明しているのはサイトだけ。だからこの場合、仲間はずれはサイトになる」

「正解だ。タバサの嬢ちゃん」

 

 デルフが頷くようにカタカタと揺れた。

 

「嬢ちゃんが言うように、相棒を召喚したのはルイズだ。勝手に呼ばれてお前さんからすりゃ迷惑この上ないだろうし、娘っ子も別に呼ぼうと思って召喚したわけじゃないだろうが。それでも、相棒をこの世界に連れてきたのは間違いなくルイズ自身なんだよ。そこがお前さんと他の三人の決定的に違う点なのさ」

「勝手にとか……違うだろ。俺はもうそんな事思ってない」

「まあ、とにかく。四人の中で誰が召喚したのかはっきりしているのは相棒だけだ。他の三人に召喚者は存在しない。そう仮定すると見えてくるものがある」

「詳しく教えてくれ」

 

 クラウドが続きを促した。

 

「俺が知っている限りで召喚のゲートが開かれる条件は二つある。一つはメイジがコントラクト・サーヴァントによって使い魔を召喚する時。そんでもう一つはブリミルが過去に残した古い魔法によるものだ。“槍“を呼び込むための召喚ゲートさ」

「始祖ブリミルの、召喚ゲート……?」

「相棒、ティファニアの嬢ちゃんのところにいた時に聞いた歌を覚えてるか? ブリミルが故郷を想って奏でた、あの望郷の歌だよ」

 

 デルフが口早に歌の一節を読み上げる。

 

 ── 『神の左手ガンダールヴ。勇猛果敢な神の盾。左に握った大剣と右に掴んだ長槍で、導きし我を守りきる』 ──

 

 それは、アルビオンの辺境にあるウエストウッド村に住んでいた、ティファニアという名前の、ルイズと同じく“虚無“の力を持つ少女が奏でてくれた曲だった。

 

「ああ……確かに、そんな事言ってたよな。でも、それが何の関係があるんだ?」

「ガンダールヴは左手の剣で主人を守る。そんでもって右手で敵を攻撃をするんだ。その時代に考えられる最強の“武器“でな。“槍“はブリミルが生きていた当時は最強の武器だったんだが……時代が経てば武器の形も概念もどんどん変化しちまう。だから、ブリミルは後世にガンダールヴとなるお前さんみたいな使い魔のために、“武器“を召喚するゲートを残したのさ」

「それが、“槍“なのか?」

「そうさ。実際、お前さんの役に立っただろう? 『破壊の杖』や『竜の羽衣』は」

 

 それは確かにデルフの言う通りだった。

『破壊の杖』は“土くれ“のフーケの巨大なゴーレムを倒す決め手になったし、空を自在に飛行する『竜の羽衣』は、タルブ村やアルビオンでの戦争で戦艦を打ち破る大きな助けとなったのだ。

 

「相棒以外に地球から来たっていうその二人に関しちゃあ、おそらく武器の召喚に巻き込まれたんだろうな。本人達には気の毒だけどよ。探せば他にもそんな“武器“はまだまだ沢山あるはずだぜ。ま、もしかしたらロマリアあたりがいっぱい隠しもっているのかも知れねえが」

「クラウドも同じだということ? 確かに彼は黒い鉄の乗り物と一緒にこの世界にやってきた。でもそれは……」

「まあ、その可能性もなくはねえだろうけどよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()タバサの嬢ちゃんも、今まで一緒にいたならもうわかってんだろ」

「……」

 

 その言葉でタバサは口をつぐんだ。

 それはつまりクラウドの場合に限っては、()()()()()()()()()()()()()()と言っているのだ。

 だが……確かに、デルフの言う通りだった。

 彼の尋常ではない強さは、明らかに常人のそれとは一線を画すものだ。

 その事実が示す答えは一つしか考えられない。

 タバサは言いづらそうに、しかし誤魔化すことはなく、その真実を口にした。

 

「……クラウド自身が“武器“。それが、彼がこの世界に来た理由」

「おい、ちょっと待て何言ってんだよ。クラウドさんは道具じゃない。人間だぞ。いくら何でもそんなことって……」

 

 だが反論しようとした才人も、その言葉を否定し切れない自分に気づいていた。

 なぜなら、クラウドと初めて会ったスレイプニィルの舞踏会のことを思い出したからだ。

 あの時……クラウドと握手した時に、左手のガンダールヴのルーンは確かに光輝いて反応したのだ。

 あれは、つまりそう言うことだったのだろうか? 

 ルーンは、クラウドのことを“武器“として認識していたと……。

 

「今思えば、こうして兄ちゃんが相棒に会いに来たことも必然だったのかもな。虚無の使い手は運命によって己の使い魔を選ぶなんて言われてる。ガンダールヴと“武器“が出会うのだって、ある意味運命づけられてることなのかもしれねえ」

「……気に喰わないな」

 

 クラウドがそう言った。

 

「なんだ兄ちゃん、武器扱いは不満かい」

「いや、そっちじゃない」

「……?」

 

 それ以上、彼は答えようとはしなかった。

 

 ──運命。

 

 それはクラウドには、受け入れがたい言葉だった。

 だが……それは何故だろうか? 

 右腕の黒いベールの下にある腕に巻かれた誓いのリボンを、彼は意識する。

 

 

「あの……クラウドさんは怒らないんですか、自分が“武器“だなんて」

「……俺はソルジャーと同等の施術を受けた人間だ。魔晄を浴び、モンスター(ジェノバ)の細胞を植え付けれられた改造人間なら、“人間兵器“と言っても差し支えはないだろうからな」

 

 クラウドは皮肉混じりにそう答えた。

 

「ほーん、なるほどね。お前さんの身体の妙な感覚はそう言うことかい。どおりで化け物染みてると思ったぜ」

「デルフ、そんな言い方はないだろ!」

「そうは言ってもな相棒。いまさら誤魔化すような事でもないぜ」

「その通りだ。お前が気にすることじゃない、それよりも俺が“武器“ならお前がその使い手になるわけだが……。サイト、試しに俺を使って見るか? そこのお喋りな剣を振り回すよりは役に立つかもしれないぞ」

「や、冗談でもやめてくださいよ。そんなこと出来るわけないじゃないですか」

「なんでぇ、俺はお払い箱かよ」

 

 デルフはクラウドに同調して、カタカタと刀身を揺らして笑った。

 二人にからかわれていることに気付いて、才人は顔を赤くした。

 

「でも、クラウド……あなたが“武器“として呼ばれたなら、帰る手段なんて存在しないことになる。あなたは本当にそれで良いの?」

「別に、元の世界に帰ることを諦めたつもりはない。こちらの世界に来る為の召喚のゲートがあるというのなら、その逆もきっとあるはずだ。帰る方法は必ずどこかにある。それよりも今は、タバサのおかげで元の世界に帰る手がかりが掴めた。一歩前進だ」

 

 心配するタバサにクラウドは相対する。

 彼は屈んで彼女に視線に合わせると、その手で青い髪を撫でて優しく語りかけた。

 

「ありがとう。俺を、ここに連れてきてくれて」

「……うん」

 

 タバサは何も言えずに頭をくしゃくしゃとされていた。

 その光景は、才人にとって初めて見るタバサの姿であった。

 一番年下なのにいつも冷静で誰よりも大人びていたあのタバサが、今はまるで年相応の小さな女の子のようではないか。

 

 ──まるで年の離れた兄妹みたいだ。

 二人の間には自分とルイズとは違った形の深い絆があるのだと、才人は気づいたのだった。

 

「デルフリンガー」

「あん?」

「俺が“武器“だということはわかった。だが、それでもまだ疑問が残る」

「……言ってみな」

「最初の、異世界から来た人間のうち誰が仲間はずれかという質問についてだ。召喚者がいるのは確かにサイトだけだ。だがサイトの言う通り、俺だけが地球と言う世界以外から呼ばれたと言う事実も変わらない。……このことは何を意味すると思う?」

 

 始祖ブリミルの残したゲートが“武器“を呼び込むと言うのなら、“武器“には戦うべき明確な“敵“がいるはずなのだ。

 地球から召喚された武器たち、それとは別の世界から呼ばれたクラウド。

 別々の世界から呼ばれた“武器“に想定された目的は、果たして共通しているのだろうか。

 

「“武器“が戦う為に存在するならば、俺は、一体何と戦うためにここに呼ばれたんだ」

「……悪いが、それはわからねえな」

 

 歯切れの悪い様子でデルフは答えた。

 

「ガンダールヴの“槍“は主人を守る為のものだ。主である“虚無“の敵が“ガンダールヴ“の敵でもあると言って良い。エルフ……あるいは、砂漠(サハラ)の聖地の先にいるかも知れねぇ何か。……だが確かに、それらは兄ちゃんの“敵“ではないのかもな。お前さんが戦うべき相手は、他にいるのかもしれねえ」

 

 自分が、この世界にきた理由。

 戦うべき“敵“。

 それがわかれば、元の世界へと帰還する手がかりとなるだろうか。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

 

「あなたが“武器“ですか。まさか、そのような事があるなんて……」

 

 アンリエッタは、そう言葉を漏らした。

 場所はトリステイン魔法学院、その宝物庫を改装した牢獄の前。

 クラウドは、自分がハルケギニアに来てからの一連の経緯を話していた。

 

 自分が才人とはまた別の異世界から来たということ。

 謎のモンスターに襲われて気を失い、気付いた時にはラグドリアン湖にいたこと。

 そこでタバサに助けられ、凶暴化したオーク鬼の討伐を手伝ったこと。

 それ以来、魔法学院を目指しつつ、タバサの任務の手助けをして一緒に行動していたこと。

 才人との対話で、どうやら自分が“武器“としてこの世界に呼ばれたらしいこと……。

 

 説明を聞いた者たちの反応は様々であった。

 

「ううむ、俄かには信じがたいのう……」

「ですがオールド・オスマン。彼の説明は一通りの筋が通ります。ふうむ“竜の羽衣“がガンダールヴの“武器“だったとは、言われてみれば納得できる話だ。……いや、しかし興味深い! 魔晄にマテリア! まさか、魔法を誰にでも使用できるように物質として加工するとは、素晴らしい技術だ。それに君が乗っていたというその乗り物についても、是非とも教えてもらいたいのだが……!」

「そこまでにしろ痴れ者が。陛下の対話を妨げるな」

 

 好奇心で前のめりになったコルベールをアニエスが叱責した。

 

「デルフリンガーはこの世界には他にも“武器“が来ているはずだと言っていた。……ジュリオだったか。あんたは“武器“について何か知っているか?」

「確かに我らロマリアはそう言った物品を保管してる。僕らは“場違いな工芸品“と呼んでいるけどね。だが君のように生きた人間が“武器“として呼ばれた例は今までにないだろう。おそらく、君が初めてだろうね」

「それだけか?」

「始祖ブリミルに関わる歴史にはわかっていないことがまだまだ多いんだ。力になれなくてすまない。でも、君がガンダールヴの“武器“であるならば彼と一緒にいればそのうち何かわかるかもしれないね」

 

 要領を得ない答えだった。

 ──この男はまだ何か隠していることがありそうだ。

 クラウドの直感は、そう捉えていた。

 問いただしても構わないが、今はアンリエッタへの質問を優先することにした。

 

「俺は知っていることを話した。アンリエッタ、そろそろあんたにも説明してもらいたい。俺が異世界からきた事とこの国の危機とやらに一体何の関係性があるんだ」

「そうですね......」

 アンリエッタは静かに頷いた。

 

「……本当はサイト殿にも一緒に話をしたかったのですが、仕方ありません。これはまだ国内では公表されていない事実なのですが。……単刀直入に言いましょう」

 

 アンリエッタは告げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ガリア王国が、我がトリステインに対して宣戦布告を行いました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




お待たせしました。ようやく新編です。
先の展開の都合によってが整合性をとるため文章を修正するかもしれません。
ご都合主義で申し訳ありませんが、よろしくお願いします。


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Chapter 19-1

「一週間前に、我がトリステイン王国に文が届きました」

 

 “宣戦布告“。

 アンリエッタによる突然の発言に、その場にいた者達は呆然とするしかなかった。

 彼女は淡々と事実だけを述べていく。

 

「内容はたった一文だけ。『ガリア王国ハ、トリステイン王国へ宣戦ヲ布告ス』と……。たったそれだけの通告文でした」

 

 そこには戦争を仕掛けるに至った理由は何も書かれていなかった。

 戦いを起こす動機、自国の正当性を主張する言葉……トリステイン王国に対する非難すら、何も。

 ただ、一方的な宣戦布告のみが書かれた短い通告であった。

 

「最初はもちろん何かの間違いだと思いました。ガリアは我が国との同盟国。攻められる理由など何一つ思い当たる事がありません。すぐに国内にあるガリア領事館と連絡を取り、領事館は事実ではないとの回答を即座に返しました。それを聞いて我々はこれはタチの悪い悪戯の類であろうと考えていたのです。しかし……」

 

「その数時間後に、ガリア国内のサン・マロン軍港で両用艦隊(バイラテラル・フロッテ)が出撃準備に移ったとの報告が、我がロマリアの諜報機関から入った」

 

 ジュリオの言葉にアンリエッタは頷いた。

 

「ロマリアより緊急で伝達されたその情報に、トリステイン王政府は騒然となりました。再度ガリア領事館に厳しく問いただしましたが、彼らの反応は、我々以上に動揺するだけでした。『何かの間違いだ』と。それしか答えられなかったのです。

 ……彼らにも、何も知らされていないことは明白でした。その後も幾度となくガリア本国へと問い合わせていますが未だに返答はありません。そしてこうしている今も、ガリアでは着々と戦争の準備だけが進められています」

「まさか……信じられませんぞ。ガリアは一体何を考えているのだ」

 

 コルベールの戸惑いに、アンリエッタは力なく首を振った。

 

「わかりません。お互い国内の政情はあるとしても、我が国とガリアは上手くやってきた筈でした。実際、外交上の問題や国家間の紛争も現在は何も起きていません。それにも関わらずガリアはトリステインに宣戦布告してきたのです。二国間に定められた不可侵条約も、先のアルビオン戦争後に制定された王権同盟さえもすべて無視して、です」

「女王陛下。現在の情勢はどうなっておるでしょうかの?」

 

 オールド・オスマンが尋ねる。

 

「そうですね。ミスタ・ストライフの為にも、我々のおかれている状況を説明しておいた方が良いでしょうね」

 

 アンリエッタは頷くと杖を振った。

 杖先から水が溢れ出し、空中にゆらゆらと漂いだした。

 次にアンリエッタは虹色の液体が入った小瓶を取り出す。

 そして小瓶の液体を一滴、手元に漂う水に落とした。

 すると変化が起こる。水の中で様々な色が混ざりあい、その液体は空中で大きく広がったのだ。

 そこに展開されたのは色付いた水の地図であった。

 地図を作り表す……。そういう類の魔法なのだろう。

 アンリエッタはその地図を杖で示しながら説明する。

 

「ガリアの主力艦隊、“両用艦隊(バイラテラル・フロッテ)“は現在サン・マロン軍港に駐留しています。この港は外海に面しており、アルビオン戦争の折にもガリアはこの港から艦隊を出撃させています。ここから最も近いトリステインの港は世界樹(イグドラシル)の上に作られた空港ラ・ロシェールです。交戦が起こるとすれば国境となるこの位置でしょう」

 

 ガリアのサン・マロン軍港。

 その名前はクラウドにも聞き覚えがあった。

 以前にタバサの北花壇騎士の任務で訪れた軍港である。

 サン・マロン軍港とトリステインのラ・ロシェール港の二つが空中の地図に表され、そこから伸びた半透明な水の線が交わる箇所にアンリエッタはマーキングを示した。

 

「トリステインの軍部には艦隊を集結させる理由を名目上ただの訓練ということにさせています。ガリアが本当に戦争を仕掛けてくるのか、軍部では未だに確証が持てていないからです。ですが、私はその万が一が起こることを考えなければなりません。対抗する為の備えが必要です」

「しかし女王陛下。その場合我が軍の戦力では……」

「そうです。圧倒的に足りません」

 

 アニエスの進言に、アンリエッタは深刻な様子で頷いた。

 

「現在、我がトリステイン王国もラ・ロシェールにヴュセンタール号、レドウタブール号をはじめとした主力艦船を集結させるよう命じています。ですが、我が国の航空戦力は先のアルビオン戦争で負った痛手からまだ回復していません。トリステイン統治下にあるアルビオンの一部領土から船をかき集めたとしても……せいぜい十数隻が限度でしょう。

 対するガリアの両用艦隊は艦数約百隻を超える大艦隊。かつて無敗を誇ったアルビオン艦隊が消滅した現在となっては、このハルケギニアにおいて世界最強の艦隊です。勝敗は火を見る前から明らかです」

「……戦となればまず勝ち目はありませぬな。陛下、このことを国民には?」

 

 オスマンが尋ねる。

 

「事実を把握しているのは王政府と各地の有力貴族のみです。国民にはまだ公表していません。未だ対応を決めかねている現状では無駄にパニックを引き起こすだけでしょうからね」

 

「……あんた達の事情はわかった。だが、なおさら俺に会いにきた理由がわからないな。ガリアが戦争を仕掛けてくる事が俺にどう関係がある」

 

 クラウドの問いを聞いて、アンリエッタは彼の方を向いて答える。

 

「私はアニエスから話を聞いて、ラグドリアン湖での異変を知りました。貴方がその現場にいたこと……その一件にガリアが関わっている事もです。貴方はガリアの裏組織である“北花壇騎士“に追われていた。一週間前にこのトリステイン魔法学院で起こった事件と、そのすぐ後にガリアが宣戦布告を行なった事はどれも偶然とは思えません。私が知りたいのはガリアの真意です。かの国がどうして我が国に戦争を仕掛けようとしているのか。それを探るには、結論の出ない会議の場に座るより貴方に話を伺った方が真実に近い……そう考えたのです」

 

 クラウドはアンリエッタの顔を、そしてその眼の奥をじっと見つめた。

 

「あんたは嘘をついていない。だが、それだけじゃないな。他にもここに来た理由があるんだろう。そっちが本題か」

 

 アンリエッタは思わず息を呑む。それが核心を突いた問いであったからだ。

 かつて、クラウドと初めて出会った時、アンリエッタは彼にに失った大切な恋人の面影を重ねていた。……だが、今のクラウドの青い眼には、心の底まで見透かされているような得体の知れない恐怖を感じたのだった。

 

「……ええ、そうです。だから私は先程、問題を解決する鍵が“貴方達“にあると言ったのです」

()()?」

「ミス・タバサの事だね。いいや、ここは『シャルロット・エレーヌ・オルレアン』様と言った方が正確かな」

 

 アンリエッタの代わりにジュリオが答える。

 

「彼女がガリアの王族である事は承知している。現国王ジョゼフに殺された弟君、オルレアン公シャルル様の忘れ形見……。彼の残した大切な一人娘であることもね」

「……あんた達は、タバサに何をさせるつもりだ」

「彼女には国家間を結束で繋ぎ導く存在になってもらいたいのさ。我らの“王権同盟“のためにね」

「王権同盟?」

「アルビオン戦争後に締結された同盟の事です」

 

 クラウドの問いにアンリエッタが答えた。

 

「先の大戦、アルビオン戦争における貴族派(レコン・キスタ)が王政府を滅ぼすまでに勢力を拡大させたのは、国内で共和制を掲げる貴族達の台頭を防げなかった事が大きな要因でした。各国政府はその反省から王権を守るべく王国間で特殊な同盟を結びました。それが“王権同盟“です。

 トリステイン、ロマリア、ゲルマニアそしてガリアの四カ国によるこの同盟は、締結された各国で新教徒や共和主義者の反乱者達が王権に反旗を翻した場合、同盟国に軍事介入を仰ぐことができるのです」

 

「この場合、相手は新教徒や共和主義者ではない。だがガリアのトリステインに対する宣戦布告は各国の王権を脅かす重大な脅威と言えるだろう。……ただ、それでもガリアは始祖の血筋を紡ぐ正統な王政府だ。それだけじゃあ”王権同盟”を発動するには足りない。

 だから、シャルロット様の協力が必要なのさ。彼女はガリアの王位を継ぐ資格を持つ者だ。ロマリア皇国はブリミル教の総本山。始祖の名の元に彼女をガリア王国の真の王位継承者と認めれば、その正当性を示すことができる。──そうなれば現ガリア政府を”反乱軍”として扱うことができるのさ」

 

 ジュリオが繋いだ言葉にアンリエッタは頷いた。

 

「私の言葉だけでは、この件を単なる二国間の国家紛争と捉えられかねません。アルビオン戦争後の現状、どの国の戦力も消耗が大きいですから……。今回の争いに無関係なゲルマニアなどは無視を決め込む可能性もあります。

 ですからシャルロット様には、私が同盟発動を宣言する場に同席し、”王権同盟”の正当性を保証していただきたいのです。

 ”王権同盟”さえ発動できれば、我がトリステイン王国は他の二国に援軍を仰ぐことができます。現状の絶望的な数の差に対抗することができるのです」

「ガリア国内には現政府への不満分子が多い。ジョゼフが王になった時、オルレアン派の貴族を悉く粛清したからね。事が生じればおそらく国の半分が我々の側に寝返ると僕らロマリアは見ている。戦況はひっくり返るだろう。そうなれば勝機は僕らに──」

「もういい。黙れ」

 

 得意げに語るジュリオをクラウドの言葉が遮った。

 冷たく凍るような、静かな怒りを込めた声であった。

 

「あの子を戦争の火種にするつもりなのか」

「……ああ、言い方を変えれば、そうなるだろうね。それで、それを聞いて君に何かできるとでも?」

「さあな。だが、あんたたちの思惑を壊すことくらいは、この場でも出来る」

 

 クラウドの放った言葉にジュリオは緊張し、思わず冷や汗を流す。

 この男は、たった一人で”元素の兄弟”と高位のエルフを打ち倒す力を持っているのだ。

 もしシャルロットを連れて逃げようとでもすれば、それは誰にも止めることはできないだろう。

 

「貴方の怒りは当然です。ルイズの学友を国家の事情に巻き込むなど……。ですが、今は他に方法がないのです」

 

 クラウドの怒りを受け止めてアンリエッタが弁明する。

 

「以前、あなたにはお話をしました。私は先のアルビオン戦争で国民を巻き込み、多くの人々を犠牲にしてしまいました。その罪は私が背負わなければならない。……そして、また同じ過ちを繰り返すわけにはいかないのです。私はこのトリステイン王国の女王です。この国の”今”を生きる人たちを守る義務があるのです」

「……」

 

 ──”犠牲”。そして、”罪”。

 その言葉の重さが、クラウドを沈黙させる。

 アンリエッタはクラウドに近づき、正面から対面する。

 

「この事をサイト殿にお話しても……おそらく貴方と同じ反応をするでしょうね。ですが、この先他国の協力を仰げれば、ガリアからルイズを奪還する機会も必ず得られるはずです。私達の現状を包み隠さずお話ししたのは、これが貴方にお示しできる最大限の誠意だったからです。異世界から来た貴方には、無理なお願いであることはわかっています。それでも……ミスタ・ストライフ。どうかこの国を守る為に貴方と、そしてシャルロット様の力をお貸し頂けないでしょうか」

 

 アンリエッタは頭を深く下げて頼み込んだ。

 国家元首である彼女のその行動がどのような意味を持つのかは、異邦人であるクラウドにも分からない筈がない。

 

「……やめてくれ。あんたはそんな易々と頭を下げて良い立場じゃないだろう」

「協力してくださる、ということでしょうか」

「国家間の諍いに俺が出来ることなんてない。今の話はタバサに直接頼むんだな。……あいつがあんた達に協力するつもりがなければ、俺はタバサの側に付く」

「今はそれでも構いません。ミスタ・ストライフ……ありがとうございます」

 

 アンリエッタの感謝の言葉に渋い顔をするクラウドだったが……。

 次の瞬間、気配を感じてアンリエッタに告げる。

 

「……アンリエッタ。あんた、ガリアの真意を探りたいと言っていたな。それならこの男に聞いたほうが、何かわかるかもしれないぞ」

「え?」

「あんた。さっきから聞いていたんだろう」

 

 クラウドが牢屋の中に声をかける。

 中で眠っていた男の体が起き上がる。

 腰まで伸びる長い髪、長身の痩せた姿。

 線の細い顔立ちの両端にはエルフであることを示す長い尖った耳が突き出している。

 

 エルフのビダーシャルが眼を覚まし、牢屋の中に立っていた。



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Chapter 19-2

 鉄格子の向こう側で起き上がるビダーシャルを前にして、一同に緊張が走った。

 すぐさま杖を向けるコルベールに、ビダーシャルは冷静に告げる。

 

「やめておけ蛮人よ。私にそんなものを向けたとして、たいした意味は持たない」

「っ……!」

 

「貴様、いつから目覚めていた。すぐに起き上がれるような怪我ではなかったはずだ」

 

 アニエスがアンリエッタを庇うように立ち、銃に手を伸ばしたままビダーシャルを睨んだ。

 

「お前達の眼を欺きながら私自身に精霊の力を使うのは、そう難しいことではない」

 

 ビダーシャルは平然と言ってのける。

 

「いかに堅牢な牢獄であったとしても、それだけでは私を縛ることはできない。精霊の力を封じられない限り、いかようにも対処できる。少なくとも我ら(ネフテス)であれば、虜囚に対してそのような処置をとる。監獄島(シャトーディフ)と呼ばれる、大いなる意思に見放された果ての地へと閉じ込め、精霊の力そのものを遮断するのだ。この程度の場所に私を閉じ込められると思っていたのなら、傲慢な蛮人らしい愚かな間違いだったな」

「貴様、言わせておけば……!」

「アニエス!」

 

 アンリエッタが叫ぶ。

 挑発するようなビダーシャルの発言に、アニエスは銃を向けた。

 一発触発になりかける空気の中、それを止めたのはオールド・オスマンであった。

 

「銃をおろしなさいミス・アニエス。そしてコルベール君もじゃ。怪我人にむやみに武器をむけるものではないぞ」

「オールド・オスマン、しかし危険です」

「そこの痴れ者の言う通りだ、オスマン学院長。この男はエルフだ。仮にこの場で先住魔法を使われでもしたら、私たちの手に負えなくなるぞ」

「ふむ、その心配はなかろうて。先住魔法を使って脱出するつもりがあるのなら、とっくにそうしておるだろうからの。いいや、正確にはできなかったのだろう。そうではないか? エルフの……ビダーシャル殿で良かったかのう」

 

 オスマンの指摘が的中していたのか、ビダーシャルは不愉快そうに答えた。

 

「認めよう。それがいまだ私が此処に留まっている理由だ。ご老人、あなたの差し金だったのだな」

「ほっほっほ。なあに、そこにいる”異邦人”殿が儂のお願いを聞き入れてくれただけのことじゃ。のう、ミスタ・ストライフ?」

「あんたをこの場から逃さない。その点については利害が一致していた」

 

 クラウドが答える。

 この騒動の中、彼だけが微動だにもしていなかった。

 クラウドは変わらず格子に背中を預けた姿勢のまま、その場に留まっていた。

 

 そう……ビダーシャルがこの牢獄から脱出することができなかったのは、全てはクラウドがこの場所に留まり続けていたからだった。

 いくら彼が大いなる意思の加護を受けていようとも、その精霊の力を打ち破り、自身を倒したクラウドが見張り続けていた以上、逃げ出すことは不可能だったのだ。

 

「あんたには教えてもらいたいことがある。まずは、そうだな。寝たふりをしながら話を聞いていた感想からだ」

「貴様……最初から気づいていたのか」

「あんたは俺の話をまともに聞いてくれなかったからな。無理矢理にでも聞いてもらったまでだ」

「なるほどね、この場で僕らと話をしたのには、こういう意図があったわけか」

 

 ジュリオが腑に落ちたという様子で頷いた。

 あれほど不信感と警戒感を抱いていた自分に対して、彼が大人しく己の事情を語り始めたのは、ビダーシャルに話を聞かせる思惑があったからなのだろう。

 

「前にも言ったが、俺にはあんたと敵対する理由がない。俺は”災厄”ではないし、そもそもこの世界を害するつもりもない。俺の目的は元の世界に帰ること。それだけだ。……だが、そのためにはどうやらこの世界についてもっと知る必要がありそうでな。その点あんたは色々と詳しそうだ」

 

 クラウドは格子に寄りかかっていた身体を起こし、ビダーシャルに向き直った。

 

「あんたの知っていることを俺に教えろ」

 

 対するビダーシャルは、胡乱な眼差しをクラウドに向けたままだった。

 それは、彼の疑念の表れだった。

 

「お前はまだ肝心なことを説明していない。今もその身体の内で飼っている化け物についてだ」

「化け物とは、一体……? ミスタ・ストライフ、この方は何のことをおっしゃっているのですか?」

「それは……」

 

 アンリエッタが問いかけるも、クラウドは言葉を濁し沈黙する。

 

「質問に答えろ異邦人。それともこの場では喋れぬとでも言うつもりか」

「……いいだろう、あんたたちにも教えておく必要があるだろうからな」

 

 ビダーシャルの問いにクラウドはついに沈黙を破り、その存在の名を言葉にする。

 

「空から来た災厄、”ジェノバ”。そう呼ばれている。かつて俺たちが戦い、倒した存在だ」

「ジェノバ?」

「俺もあれについて知っていることはあまりない。わかっていることは、他者の”記憶”を読み取る能力があること、例え肉体を細切れにされても再生できる強靭な生命力を持つ化け物だということぐらいだ」

 

——太古の昔の遥か数千年前の地層に封印されていたという知的生命体。

——隕石と共に飛来した、星の命を糧に生きる外宇宙からの侵略者。

——高い攻撃性を持ち、記憶を読み取ることで他の生物を騙し、心を侵す狡猾な戦術を本能として備えた生き物。

——驚異的な再生能力を持つ怪物で、分裂した細胞の一つ一つが意思を持ち、たとえ肉体がバラバラになろうとも、やがて再集結(リユニオン)し復活することができる。

 

 クラウドはジェノバという存在について、そう説明した。

 

「俺の世界では、その化け物を使った様々な実験が行われた。この身体もその実験の産物の一つだ。”ソルジャー”という、魔晄を照射された人体にジェノバの細胞を移植する、いわば強化兵士を造りだすものだ。……もっとも俺が本物のソルジャーだったことはない。だが、ある別の実験の過程で、この身体にもまったく同じ行程の施術を施されている」

「強化兵士……君は身体を改造されたというのか」

 

 ”元素の兄弟”たちのことを思い出したコルベールが、そう言葉を零した。

 

「そうは言っても、俺は失敗作だった。ジェノバの細胞は意思を持っている。強い精神力を持たない弱い人間は、ジェノバの支配に負けて自我を保てず廃人となる。ビダーシャル、あんたの懸念はある意味では正しい。俺はかつて自分を失い、ジェノバに操られていた只の人形だった。でも、今はもう違う」

「どう違う? それを証明できるというのか?」

「出来ないだろうな。ジェノバの細胞は今も俺の中にある。だけど、俺はもう自分を見失ったりは絶対にしない。それが、俺のせいでいなくなってしまった人達に示せる、ただひとつの覚悟だからだ」

 

 偽りの記憶の中で造り出した理想の人格は、その矛盾が露呈し真実にさらされた時、あっけなく崩壊した。

 クラウドはそこから本当の自分を認めて、立ち上がらなければならなかった。

——幻想はもういらない。俺は俺の現実を生きる。

 それは、かつてライフストリームの底で記憶の中を彷徨い、大切な仲間達に救い上げられて見出した覚悟だった。

 

「貴様の言葉を信用しろというのか」

「あんたが信用するしないはどうでもいい。俺はあんたの質問に答えただけだ。それに、あんたにとって重要なのは、俺の中にある細胞の一片のことなんかじゃない。問題なのは、おそらくはジェノバの本体の一部、あるいはそれに関係する何かが、この世界に入り込んでいる可能性があるということだ」

「何だと?」

 

 ビダーシャルが息を呑む。

 クラウドの言葉にざわつく一同の中で、ジュリオは注意深く、クラウドの言葉に耳を傾けた。それがロマリアの——ヴィットーリオ教皇の懸念する問題の核心に触れる内容であったからだ。

 

「この世界に来る前に襲われたモンスター。そいつから俺は、微かにジェノバの気配を感じ取った。俺はそのモンスターとの戦いで気を失った後、この世界に来る召喚のゲートを通ったらしい。……俺が辿り着いた先のラグドリアン湖の惨状を見るに、あの場所には以前から召喚のゲートが存在していて、奴はそれを通って俺のいた世界に来た可能性がある」

 

 クラウド自身が”武器”として呼ばれたというのであれば、あの存在がクラウドの世界に渡ってきたのは別の召喚ゲートによるものと考えるしかない。

 それが何のきっかけで開いたものなのかは、推察する材料が足りない今は答えを見つけることは出来ないだろうが。

 

「だ、だがクラウド君。きみの話ではジェノバは既に倒されたのではなかったのかね?」

 

 動揺したコルベールの質問に、クラウドは首を振って否定した。

 

「完全に倒せたわけじゃない。再集結(リユニオン)の能力を持つジェノバは限りなく不死に近い。条件が整えばすぐにでも簡単に復活するだろう。実際、既にそれは起きている。俺がこの世界に来る半年前のことだ」

 

 クラウドは思い出す。

 あの運命の日から後の、2年間の出来事を。

 

 メテオ災害の後、世界の各地で噴き出した黒い水。

 黒い水に触れた人々は、不治の病に倒れ、次々と命を落としていった。

 ジェノバの一部が思念となって星に溶け込み、浸食したことで生じたもの。

 それが、”星痕症候群”と呼ばれる世界に蔓延した奇病の正体だった。

 

 星痕に侵された子供達を集め、再集結(リユニオン)を画策していた三人の思念体たち。

 神羅カンパニーの残党達が隠していたジェノバの肉体。

 そして、復活を遂げたあの男……。

 

 昨日の事の様に鮮明に思い出せる事件だ。

 戦いはまだ、終わってなどいない。

 自分にはまだやる事が残っている。

 それに、なによりクラウドには、自分の帰りを待つ大切な”家族”がいるのだ。

 

「俺は帰らなければならない」

 

 クラウドはビダーシャルに向けてそう宣言する。

 

「元の世界にはやり残したことがまだ沢山あるからな。あんたがその邪魔をするというのであれば、俺はまたあんたと戦うことになるだろう。……だが、もしこの世界に異変が起きていて、その原因がジェノバだとするならば、このまま見てみぬ振りをするつもりもない」

「……」

「別に俺のことを認めろとは言わない。だが、協力はしてもらうぞ」

「……いいだろう」

 

 ビダーシャルはようやく頷いた。

 

「私は本国(ネフテス)から災厄の根源を探るために派遣された身だ。お前からの情報でその一定の解は得られただろう。”異邦人”……いいや、名前はもう知っている。クラウド・ストライフだったな。お前の聞きたいことにも答えてやる」

「それなら——」

「ただし、こちらの要求も呑んでもらう」

「要求だと?」

「私を解放しろ。お前との情報共有の後、私は本国へ帰る。お前から聞いた情報を本国に伝えなければならないからな。それが条件だ」

「あんたを信用しろと?」

 

 自身の言葉を皮肉で言い返されて、ビダーシャルは微かに笑った。

 

「タダでとは言わん。さらに別の見返りを用意する」

「待て、貴様ら何を言っている」

 

 アニエスが横から口を出した。

 

「ビダーシャル、貴様はトリステイン魔法学院に侵入した罪人だ。我が国の法を無視してそんな勝手が許されると思っているのか」

「蛮人の女戦士よ、私はこの男と取引している。私をここに閉じ込めていたのは誰か? それはお前達ではない。私にとってこの程度の牢を抜け出すことは造作もないことは既に説明しただろう。私を閉じ込めていたのはこの”異邦人”だ。ゆえに交渉の権利を持つのはこの男だけというわけだ。そもそも蛮人の法に私が従う道理はない。——それはこの男にとっても同じではないのか?」

「ぐっ……貴様!」

「もうよしなさい。アニエス」

 

 憤るアニエスをアンリエッタが制止する。

 

「しかし陛下、こんなことを許して良いのですか!」

「私は構いません。そもそも私たちがここに来たのはこの方を断罪する目的ではありません。私たちには彼を止める術がないことも、悔しいですが事実ではあります。ここはビダーシャル殿の処遇をミスタ・ストライフに委ねます。チェザーレ殿もそれでよろしいでしょうか」

外国人(ロマリア)の僕が口を挟める内容ではありませんね。女王陛下がそうおっしゃるのなら、僕も従いますよ」

 

 ジュリオは肩をすくめて、そう答えた。

 話の中心は再びクラウドとビダーシャルに戻る。

 

「……見返りとはなんだ?」

 

 クラウドの問いにビダーシャルは表情を変えずに答える。

 

「お前の連れ……ガリアの王族に連なるシャルロットという娘であったな。あれの母親の心を元に戻す薬を調合してやろう」

「……!」

 

 それはクラウドにとって予想外の内容であった。

 

「ガリアの王があの娘の母親に飲ませた薬は”心身喪失薬”という。もともとは我らが調合していた薬で、対象者の心を奪う作用を持ち、罪人への刑罰として用いているものだ」

「タバサの母親を狂わせた薬は、あんたたちエルフが造ったのか」

「あれほどの持続性を持った薬は蛮人では調合できぬ。ゆえに、その解毒薬を調合できるのも我らだけだ。私ならばその薬を調合することができる。特殊な薬ゆえ調合に数日の時間がかかるが、完成するまでの間にお前の質問に答えてやる。これでどうだ」

「……」

 

 クラウドはタバサのことを考えた。

 この世界——ハルケギニアに迷い込んだ自分を助けてくれた小さな女の子。

 自分はどうしてタバサにここまで肩入れするのだろうか。

 この世界に来てから彼女にはずっと助けられてきたが、きっとそれだけが理由ではないはずだ。

 

 出会ったばかりの頃、タバサは復讐のために生きていると言っていた。

 父親を殺されて、母親の心を奪われて、彼女はすべてを失った。

 だからタバサは失ったものを取り戻すために戦っていた。

 その小さな身体には、余りにも過酷な道のり……。

 それでもクラウドとは違い、彼女は逃げずに選び取ったのだ。

 生き延びて、戦う道を。

 そんな彼女をクラウドは眩しく思っていた。

 

 だが、一緒に行動するようになってから、タバサの事が少しずつわかったきた。

 本来の彼女は争うことを好まない、優しい性格なのだ。

 それゆえに、すべてを抱え込もうとしてしまう。

 誰にも言わず、孤独に一人で戦おうとする。

 その姿はクラウドにはとても危うく見えて、手を貸さずにはいられなかった。

 彼女を見ていて、自分がそう感じるのは、なぜだろうか? 

 

 それは、きっと彼女が自分と似ていると感じていたからなのだろう。

 だからクラウドには、その不器用なあり方が、彼女が内に抱える孤独と不安が、理解できてしまう。

 そのために、手を貸してやりたいと思ったのかもしれない。

 

——タバサの抱えている事情を知った時、それがあの子の本当の姿ではないとわかったの。

 だから私は、あの子の笑顔を見てみたい。その為にあの子の力になりたいと思っているわ。

 

 スレイプニィルの舞踏会の日の、キュルケとの会話を振り返る。

 思えば自分は、タバサが笑ったところを見たことがあっただろうか。

 彼女は、どんな顔で笑うのだろうか。

 その笑顔を見てみたいと、自分が望むことはできるのだろうか。

 

——今の俺がタバサの為にできることは、何か。

 

「返答を聞こうか。クラウド・ストライフ」

 

 その答えは、もう決まっていた。

 

「条件を飲もう」

 

 クラウドはビダーシャルの要求に、そう言って了承した。

 



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