五席目の少女 (今更とじみこにハマったマン)
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来訪編
野生の刀使


この作品は

・親衛隊を幸せにしたい(特に作中で死ぬ2名)
・都合のいいオリジナル設定
・にじみ出るご都合主義

の3点でお送りします。


 日本の何処かにある山の中。その山にある道とは別の、道無き道を行く1人の女性が居た。

 

「…………」

 

 登山をしに来たという風貌ではない。白を基調とした制服に紫をベースにしたシャツ。そして手には、土産物が入っていそうな紙袋。顔立ちは整っていて、その鋭利な眼差しは、あらゆる虚偽を見通す力を持っているように思えた。

 明らかに居る場所を間違えているとしか思えない。このような女性を見るのは街中、それもオフィス街ならばおかしな事ではないが、山の中では場違いにも程がある。

 

 しかし何よりおかしいのは、大人の男ですら息を切らすようなペースで、次第にきつくなっていく傾斜を登っていくことだ。息が乱れる様子も無く、ただ淡々と。

 そして足を動かす度に、腰に帯刀している2本の刀が触れ合うカチャカチャという音が鳴った。

 

「……もうそろそろか」

 

 誰に言うでもなく、1人呟く。自分の頭の中で計算した通りにここまで来れているのならば、そろそろ目的地に到着するはずだ。

 

 そして、それから歩くこと5分。

 

 急に女性の前が開けたかと思うと、ぽつりぽつりと家が点在する集落が現れた。計算通りの到着だった。

 この集落の一番奥の家。そこが彼女の目的地である。

 

 この集落に来る客人など年に1人か2人居ればいい方で、その殆どは集落の親戚の人だった。だから見慣れぬ女性が歩いているのを見た集落の人間は、珍しいものをみたという表情を隠さない。

 畑仕事をしている人や、家から偶然その姿を見つけた人から注目されている事など気にもとめず、女性は進んでいく。注目される事は慣れていたから、その動物園のパンダを見るような眼差しに何を思うことも無かった。

 

 やがて目的地の家の前で立ち止まった。表札には「新田」と書いてある。

 女性は周辺を見渡してインターフォンが無いことを確認すると、その扉を2、3回ノックした。

 

「……開いとるよ」

 

「失礼します」

 

 しゃがれた老人の声に導かれて女性が戸を引いて家の中へと体を滑り込ませる。

 古き良き日本家屋と呼べる玄関で靴を脱ぎ、すぐ近くにある居間へと歩を進めると、女性が手紙を送った人物は、正座で女性を待っていた。

 

「こんな片田舎に、ようこそいらっしゃった。救国の英雄、折神(おりがみ) (ゆかり)様」

 

 白髪のお爺さんがそこに居た。名を新田(にった) 吾朗(ごろう)という彼は今年で90になるが、その目から今も活力は衰えていない。

 

「いえ、こちらこそ突然の訪問にも関わらず、お時間をありがとうございます。……こちらをどうぞ」

 

 テーブル越しに、お互いが頭を下げてそう言った。そして頭を上げると、紫と呼ばれた女性は持ってきた紙袋から羊羹を取り出すと、それをテーブルの上に置いた。

 

「……わざわざすみませんな。こちらは何のもてなしの用意も出来ていないというのに」

 

「お気になさらず。元はと言えば、無理を言ったこちら側の責任ですので」

 

「だとしても、お茶の1杯もお出しせんようではいかんじゃろうて。……少しお待ちくだされ、今入れてきます」

 

 老人とは思えぬ軽い身のこなしでお茶を用意してきた吾朗は、紫と自分の前にそれぞれ置いた。

 そのまま示し合わせたように互いが同時に湯呑みに口をつけ、秒針が半周した辺りで同時に置いた。

 

「さて、早速ですが本題に入りましょう。……家の孫のことですね?」

 

 この新田家では2人が暮らしている。1人は吾朗で、もう1人は彼の孫娘。

 普段は仕事で忙しい紫がわざわざ合間を縫ってまで片田舎の集落に足を運んだ理由は、その孫娘にあった。

 

「ええ。事前に手紙でお伝えしていた通り、私は貴方のお孫さんを親衛隊に迎えたいと考えています」

 

 今の発言を誰か関係者が聞いていたら、そのとんでもない発言に腰を抜かしていただろう。

 親衛隊に選ばれるという事は、その道の者からすれば途轍もない名誉な事だが、通常の場合、何か輝かしい成績を残し続けて初めて声がかかるかもしれない……そんなレベルなのである。

 それが今回のように、大会で大きな成績を残してもいない無名の人間に、わざわざ頭を下げてまでスカウトに来るなど前代未聞も未聞。

 

 そんな様子は他の誰にも見せられないなと思ったから無理を言って親衛隊を含むお付きの人間を全員置いてきたが、間違いなくそれは正解だった。

 

 しかし、そんな前代未聞の事態を前にしても、吾朗の顔は渋いままだ。

 

「……家の孫は、まだ11歳。いや、世間的にはもう11歳というべきなんじゃろう。しかし、刀使という危険な仕事に就かせるのはどうなのかと、今だに迷ってしまうのです」

 

 この世界には、異形の化け物である荒魂と、それを祓う刀使(とじ)と呼ばれる少女達がいた。

 いつから、どこからそれが始まったのかは定かではないが、遠い昔──古くは朝廷が存在していた頃の歴史書には、既にその存在は明記されている。

 

 また、歴史書だけでなく、御刀(おかたな)と呼ばれる特殊な力を持った日本刀を操り、荒魂を祓い国や地域を救った救世の巫女の伝承は、国内の至る所に残されていた。

 

 ここまで聞けば歴史のあり、皆を守る輝かしい仕事であるように思えるが、それは常に危険と隣合わせの危ない仕事でもある。一歩間違えればアッサリと命を落とすような、そんな世界。

 

「……娘の件もありましたし」

 

「……その節は」

 

「ああいや、責めているわけではありません。しかし孫も、もしかしたら娘のように……と思ってしまうと、親としてはどうしても素直に頷けないのですよ」

 

 2人の目線は、居間にある仏壇へと向いていた。そこにある笑った女性の写真は彼の娘──つまりは孫娘の母親であり、紫の戦友のものだった。

 

「…………」

 

「孫に秘められた力の大きさは、なんとなくではありますが分かっております。あの力が、この家にしか存在しない特殊な能力であるという事も。しかし……」

 

 そこで言葉を切ると、言いかけた言葉を無理やり押し込むように湯呑みを傾け、お茶と共にそれを飲み込んだ。

 こつっとテーブルと湯呑みの底が触れ合う音がして、それから吾朗は黙りこくる。

 

 

 この新田家という家は、一つ特殊な能力を代々扱う家系である。

 その能力が紫がわざわざ訪れた理由であり、頭を下げてスカウトするという前代未聞の行為を行った理由だった。

 

 それは20年前に発生した相模湾の大災厄において紫達が何度も命を助けられた力で、だからこそ、その強力さは身を以て理解している。

 

「……こんな事を今更どの口が言うのかと思うでしょうが、言わせて下さい。あの力……医療剣術があったからこそ、私は今ここに居る」

 

 新田家に代々伝わり、紫が求める能力の名は医療剣術といった。

 ……初めてその名を聞いた人の殆どははて、と首を傾げる。なぜ剣術で医療行為が出来るのか。そもそも、斬る為の刀や剣術と治す為の医療がどうして合体をするのか。と。

 

 その答えについては諸説あり、またその全てが嘘か誠かは定かではないが、一説によれば歴史書に明記されるよりも古い時代の刀使達が標準的に使っていた力だとも、またあるいは、新田家の先祖が御刀を持った神と立ち合い、その褒美として御刀と共に得た力だとも言われている。

 その真実は未だ解明されていないままだし、今後解明されるかも怪しいが、ただ一つだけ言えるのは現代において医療剣術という力は、新田家の刀使しか持っていないという事だ。

 そして刀使であった吾朗の娘は既に亡くなっている以上、今は孫娘固有の力なのである。

 

 そんな力を、言葉は悪いが片田舎の山の中に埋めておいていいのかと言われれば、それは否だった。

 

「刀使という職業は確かに危険と隣合わせの仕事です。ですが、刀使がいなければ世の中は成り立たない。誰かがリスクを負わねば、多くの力無き人が犠牲となる。そういう風に、既に出来てしまっています」

 

「……だから、わしに孫が死ぬ可能性を見過ごせと?」

 

「無礼を承知で言わせて貰えば、そういう事になります。しかし命の危険というものは、この世に生きる限りは何処にでも転がっているものです」

 

 紫は、すうっと息を吸った。ここが正念場だと、己の直感も囁いている。

 

「あの力はとても強力です。間近で見て、なおかつ受けた私だから分かる。あの力は人を救えるのです。彼女が居れば、今まで救えなかった命も助けられるようになります。より多くの人命を……」

 

 吾朗は黙った。

 行かせれば、孫が死ぬ可能性がある。しかし行かせねば、助かる命を見捨てる事になる。──かつて自分が感じたような哀しみを背負う人が増えていくのだ。孫の身可愛さに、そんな人々を見捨てていいのか。

 

 吾朗が身勝手な性格ではなく、良識を持っているからこそ板挟みに苦悩しているのが分かった紫は、ただ黙って待った。後は時間が結果を持ってきてくれるだろうと分かっていたからである。

 

 そんな紫の考え通り、時間は結果を持ってきた。尤もそれは、紫が予想した結果とは少し違ったものだったが。

 

「ただいまー。ねえお爺ちゃん。家の前にみんな集まってるけど、誰か来てるの?」

 

 玄関が開く音と、少女の声。話題の中心となっていた孫娘が帰ってきたのだ。

 そのままパタパタと音をたてながら居間にやってきた少女は、紫を見て動きを止めた。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

 3人とも黙っている。カチ、カチと無機質な時計の音が、やけにうるさい。

 

 なんか見慣れない美人が私を見てる。どこかで会ったっけ?

 

 などと少女は考え、必死に自分の記憶を探しているが、紫とは初対面なので記憶から紫の姿など出る筈がない。

 

 そして一方の紫はといえば、少女ではなく、少女が手にしている御刀に注目していた。

 少女が手にしている御刀の姿は忘れるはずもない。それはかつて、紫の戦友である彼女が使っていた御刀だったからだ。

 

「……京奈(きょうな)、大事な話がある。ちょっとそこに座りなさい」

 

「え?あ、うん」

 

 吾朗の言葉にハッと意識を取り戻した京奈は、言われるがまま持っていたエコバッグを置いて居間に正座で座った。

 

「…………この御方は刀使の中でも凄く偉い方だ。お前に刀使にならないかと声をかけに、わざわざ来てくださった」

 

「へ?ああ……それは、お疲れ様です。この山って傾斜も結構キツイから、歩いて登るの大変だったんじゃありませんか?」

 

 まるで車という交通手段を忘れたかのような発言だが、生まれてこの方、車に乗ったことが無い京奈からすれば、車で来るという発想そのものが存在しなかった。

 

「……良い運動になった。最近は書類仕事で椅子に座っている事が多かったから、身体をなまらせない為にも、あのくらいキツイ方が丁度いい」

 

「そうなんですか。やっぱり刀使って凄いなぁ……」

 

 はー……。と呆然としたように声を出していた京奈は、しかし次の瞬間に吾朗に詰め寄った。

 

「って、お爺ちゃん!いま私が刀使になるとかって聞こえたんだけど!?」

 

「そう言った」

 

「えっ?えっ?嘘、冗談?!」

 

 ……どうやら、あまりの事態に混乱してしまっているらしい。言語中枢がバグってるとしか思えない、奇声一歩手前くらいの声をあげてバタバタしている。

 その様子を見かねた吾朗は無言で立ち上がると、バタバタしている京奈の頭に一発の拳骨を打ち込んだ。

 

「痛っ!?」

 

「落ち着かんか。嘘でもなければ冗談でもない。これは本当の話じゃ」

 

「あいたた……でも私ろくな事できないよ?やれる事って言ったら、せいぜい熊とか猪を撃退するくらいしか……」

 

「……熊や猪を?その御刀でか?」

 

「あっはい、そうです。この近辺って野生動物が出やすいみたいなんですけど、この集落ってお爺さんお婆さんばっかりだから。だから若くて動ける私が率先して追い返してるんです。

 この刀は……握ってると力が湧いてくるっていうか、なんか持ってない時より早く動けるので持ってってます」

 

 その返答に、紫は少し驚いた。御刀に既に認められているというのもそうだが、熊や猪を撃退するのに刀使としての力を使う者がいるなど、聞いたことも無かったからだ。

 

「こんな私でも刀使になれるんですか?」

 

 黙っていたのが、なにやら悪い方に捉えられたのだろうか。不安そうに紫に聞く京奈に、紫は静かに聞き返す。

 

「医療剣術は扱えるか?」

 

「それは一応扱えます。怪我をしたお爺さんとか、病気のお婆さんとか何人も治してきましたし、自分の手当もしてきましたから」

 

「荒魂との戦闘経験は?」

 

「荒魂って、あの赤黒い化け物ですよね?あれは無いです。運のいい事に、この集落の近くに出た事は無かったので」

 

「……それは幸運な事だな」

 

「ええ、本当にそう思います」

 

 荒魂が出現する場所や規模によってはロクな被害もなくすぐに退治されるが、この集落のような山間部に出現した場合は、例え小規模であっても刀使の到着に時間がかかる事もあって相応に被害が出る。

 山を一つ隔てた場所に発生したという事例も過去にあったが、この集落が襲われる位置に出現しなかったのは本当に幸運と言う他なかった。

 

「ふむ……。では対人戦、あるいは戦闘の経験は?」

 

「対人はありません。この近辺には刀使なんて居ないし。だからずっと素振りと、あとは時々やって来る野生動物を相手にしてました」

 

「野生動物を……」

 

 紫の脳内に過ぎったのは、ここに来る途中に通った熊の縄張りで襲われた、やけに連携が上手い熊たち。

 

「ええ。あいつら、結構凄いんですよ。私が一度追い返したら、数を揃えてくるとか背中から奇襲とかしてくるようになったんです!

 最初にやられた時は危うく死にそうになったんですけど、お陰で気配を探る事が上手くなったりして──」

 

 今まで他人に話す事など無かったのだろう。堰を切ったように、わちゃわちゃと身振り手振りを交えて話す京奈に吾朗は渋い顔をしていたが、紫は表情を変えずにそれを聞いていた。

 

 そのまま永遠に続くかに思われた京奈のトークを遮ったのは、他ならぬ京奈自身のお腹の音だった。

 

「あっ」

 

 きゅう〜。とお腹から可愛らしい音が鳴った京奈は顔を赤くして自分のお腹を押さえた。そして真っ赤な顔を誤魔化すようにエコバッグを漁ると、その中から日本蕎麦を取り出して言った。

 

「…………お昼にしませんか?」

 

 時計を見れば、長針と短針が重なり合っている。

 外でザワザワしていた野次馬も、いつの間にか家に帰っていた。

 

「……そうじゃな。もしよろしければ紫様も食べていって下され」

 

「では、お言葉に甘えて」

 

 そうして出された日本蕎麦をずるずると啜りながら、紫は京奈を観察する。

 

 短い黒髪から、ぴょこんと飛び出たアホ毛と呼ばれている一房の髪。そして、たれ目に明るい雰囲気。

 こうして見れば、やはり京奈は彼女の娘である。記憶の中の姿及び仏壇の写真と見比べてみても、それはよく分かった。

 

「……この近くに、暴れても平気な場所はありますか?」

 

「暴れても平気な場所?」

 

「ええ。彼女も御刀に認められているのなら、言葉よりも、こちらの方が手っ取り早いと思いまして」

 

 自衛のために持っていた2本の御刀を軽く揺らす。それを見た吾朗は肩を竦めると「……家の裏手の森の奥に、京奈が昔から使っているちょうど良さげな場所があります」と答えた。

 

「京奈、だったか」

 

「はい、新田 京奈です!」

 

「食べ終わったら案内してくれるか」

 

「分かりました!」

 

 姿は彼女のスケールダウン版といった感じだが、ではその実力はどうだろうか。

 

 紫は刀使であり、そして同時に武人である。

 

 この一家しか扱わない我流剣術があり、その剣術を扱う刀使候補が目の前にいるというのなら、手合わせの一つもしてみたいと思うのは仕方のない事だった。

 

(それに親衛隊として配属するにも、相応の実力があると示す方が周囲の反対も押し切りやすい)

 

 この特別な人事に不満を持つ者は多いだろう。彼女に対する嫌がらせの類いも、このままでは間違いなく起こる。

 

 だがそれは『なんの実績も持たない無名の人間』を特別扱いするからであって、『折神紫が認める実力者』であるなら、少なくとも表面上は波風が立たない筈だった。

 親衛隊の第四席は、紫に匹敵する己の実力を明け透けに誇示する事によって周囲を黙らせている。歳は同じなのだから彼女もそれで平気な筈だ。

 

 

 その実力が無い、というのは考えなかった。もし、あの熊たちのような野生動物達を相手にして生き延びているという話が本当なら、生存能力を含めた全ての能力は、それなりに高く纏まっているに違いない。

 もちろん対人戦と野生動物との戦いとでは勝手が違うが、それでも紫と一度や二度切り結んだだけで終わることは無いだろう。

 

 その考えと共に、ちゅるりと最後の一本の蕎麦を紫は飲み込んだ。

 

 これが京奈が鎌倉に到着する、一週間前の出来事であった。

 



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来訪する者

 この日、折神家の内部は通常とは異なり浮ついた空気が流れていた。

 

 しきりに動きまわる職員たちは折神家では日常の光景だが、その動きが精細さを欠いているのは日常ではない。

 さらに言えば、道行く職員たち皆が正門の方を見られる窓の近くを通る度にチラッと目を向けるのは、明らかにおかしな事だった。

 

「浮かれているな」

 

 廊下を進む2人の内の片割れは、その様子を見てそう呟いた。

 

「仕方ありませんわ。なにせ、事が事ですもの」

 

「……そうだな」

 

 この折神家に控えている職員たちは、その全員が国内でも有数の特に優れた者達であり、また、かつて刀使として第一線で活躍していたので不慮の事態にも対応が早い。

 言わばエリートの中のエリートであるが、そのエリートですら浮かれてしまう事態が今は起こっているのだ。

 

「今日だったな」

 

「ええ、今日ですわ」

 

 道行く職員たちと同じように、2人も正門が見える窓で立ち止まって目を向けた。今はキッチリと閉ざされているそこから、今日、彼女達と同じ制服に袖を通す仲間がやって来るという。

 

寿々花(すずか)。君はどんな子が来ると予想する?」

 

「さあ?結芽(ゆめ)と同じ年齢としか聞いていませんから、予想のしようもありませんわ」

 

「……それもそうか」

 

 いつもの癖で取り敢えず聞いてみたが、年齢以外の何の情報も無いのに予想を聞くなんて馬鹿げている。

 普段の彼女であるなら絶対にしないだろうミスに己の動揺というか、心の浮つきを悟った。

 

「僕も、浮かれてるって事なのか?」

 

真希(まき)さんらしくありませんわね……と、普段なら言うのですけれど。わたくしも同じ心持ちなだけに、それは言えませんわね」

 

 何故こんな事になっているのかといえば、それは今から一週間前、紫が戻ってきた時に話は遡る。

 

「今戻った」

 

「お帰りなさいませ紫様」

 

 紫が戻ってきたのは、すでに漆黒の帳が降りきった夜の事だった。帰ってきた紫を、その親衛隊4人は玄関で出迎え、紫の一歩半後を紫が不在の間に起こった出来事を報告しながら着いていく。

 

「何か変わったことはあったか?」

 

「荒魂が一体出現しましたが、対処は滞りなく完了しています。被害状況などの報告は、執務室の書類に纏めてあります」

 

「ご苦労」

 

 紫と4人の親衛隊。その一団の威圧感は、遠くにいる職員たちにすら存在を感じさせるほどだった。

 廊下の先まで敬礼をする職員たちの間を歩きながら、一番身長が小さい少女が紫に聞いた。

 

「ねえねえゆかりさまー。今までどこ行ってたんですかー?」

 

 まだ歳相応の子供っぽさでもって、誰もが気になっていたが聞けなかった事を容赦なく聞いていくのは、親衛隊最年少の(つばくろ) 結芽。

 その子供っぽさで周囲が振り回される事も多いが、今回はその子どもっぽさが紫への質問を可能にしていた。

 

「こら結芽。紫様はお疲れなんだ」

 

「いや、いい…………お前の遊び相手兼、親衛隊の五席目の親と本人に挨拶をしてきていた」

 

「遊び相手ぇ?でも私、並の相手じゃ満足できないよ」

 

 親衛隊の五席目、という言葉に僅かに眉が反応する。が、それよりも今は遊び相手という方が気になった。

 結芽は親衛隊第四席。親衛隊の中では最年少の11歳であるが、その実力は既に第一席の真希を凌駕する天才である。

 未だかつて負けはなく、今なお最強と名高い紫とマトモに戦える刀使。といえば、その凄まじさが分かるだろう。

 

 そんな結芽だが、親衛隊でありながら、その仕事を行う事は極端に少なかった。

 

 親衛隊の業務は様々で、紫の護衛に始まり、荒魂討伐の作戦指揮や陣頭指揮。政務活動への同行と多岐にわたる。

 しかしその殆どは忍耐力や政治力、それに指揮能力が求められるもので、戦闘力だけが尖っていて飽き性な結芽にはどれも向かない。

 

 唯一、荒魂を直接討伐するという仕事だけは結芽でもこなせるが、テンションが上がると人の話を聞かなくなるという悪癖持ちの結芽を放置していると、敵味方を問わない上に周辺への被害が酷い。

 ならば物理的に止めればという話になるが、そうなると今度は彼女自身が天才であるというのがマイナスに働く。

 

 結芽を除いた親衛隊3人の中では一番強い真希で勝てないのに、一体誰が止めるというのか。

 

 荒魂が暴れるよりも被害が大きくなるというリスクを負ってまで出撃させざるをえないような、大規模な荒魂がまだ出ないこともあって、最近の結芽の任務は専ら留守番だった。

 また、いちいち彼女を出していたら修繕費用で予算が足りなくなるという、お財布事情も関係している。

 

 そんな結芽の暇潰しといえば、紫が席を空けている隙に執務室に居座って、それを知らずに尋ねてきた人を紫の声真似をして揶揄うだとか、お菓子を食っちゃ寝するとか、刀使の誰かを襲撃して遊んでもらうだとか。

 どれも碌でもないが特に最後のが碌でもなく、被害を受けた刀使は何人もいた。苦情が来たのも一度や二度ではない。

 

 本人からすれば「弱すぎるのが悪い」のだが、やられる側はたまったものではない。

 

 そもそも結芽と戦える遊び相手といえば紫くらいのもので、しかしその紫も仕事が忙しいと構ってもらえない。真希と寿々花は二人がかりなら楽しいが、任務が忙しい都合上ほとんどやってくれない。そして、それ以下は遊んでいても相手にならない。

 彼女の言う"並"とは、親衛隊……欲を言うなら紫以下の全てという途方もなく広い範囲を対象にしていた。

 

「その心配はいらん。私はあの子と立ち合ったが、そこそこやる」

 

『なっ!?』

 

 その言葉に職員たちが、そして親衛隊の全員が、目を見開いた。普段は感情を表に出さない第三席の夜見(よみ)ですらそうしたといえば、親衛隊以下全員の受けた衝撃度が分かるというものだ。

 

「なんと……!」

 

「そ、それは本当ですの!?」

 

「へぇ……ならいいや、面白そう」

 

 場がざわめいた。

 

 紫が冗談を言うような人ではない事は、この場の誰もが知っている。ゆえにそれは真実として受け止められ、結芽は子供らしからぬ妖艶な笑みを見せた。

 そこそこという枕詞こそあれど、紫がやると認めた。なるほど、確かに遊び相手としては十分だ。

 

「流派とか、御刀の名前とかは?」

 

「それは立ち合えば分かる」

 

「えー!もったいぶらずに教えてよ〜」

 

 ぶーたれる結芽をスルーしながら歩く紫の脳裏によぎったのは、昼間に行われた立ち合い。

 母が遺したという刀使が最初に使う教科書を何度も読み込んだらしい。写シも貼れていたし、迅移も一応は扱えていた。他の部分はまだ荒削りだし、とある一点はどうしようもないほど才能というものが欠けていたが、しかしそれを差し引いても伸び代は大きい。と感じていた。

 

「ただ一つだけ言えるのは、私は一刀のみだったが、物は試しと設けた3分という時間を耐えきってみせたということだ。色々と荒削りで、まだ発展途上ではあるが退屈はしないだろう」

 

 無論、手加減はした。迅移を解禁したのも最後の10秒のみだ。

 それでも終わった時には京奈の写シは傷だらけ、かつ息も絶え絶えで地面に倒れ込んでいて、対する紫は息一つ乱れていなかったが、紫は攻めきれなかった。

 守勢の際の硬さと粘り強さには彼女の母親も定評があったが、京奈も見事にそれを受け継いでいるようだという感想を抱いた事を、思い返していた。

 

「ほうほう。それなら頑丈そうかな……っと。そういえば何歳なの?」

 

「11歳だそうだ」

 

「おお。じゃあ、もしかしたらお友達になれるかもしれないんだ!」

 

 それを聞いた真希と寿々花は、僅かに目線を厳しくした。

 結芽に続いて、また年下に抜かされた。その思いが強かった。確かに御刀との相性は若い方が良いとはいえ、それだけで説明できるものでもないだろう。

 

 たとえば自分が同じ条件で3分も持たせられるかと問われれば、首を横に振らざるをえない。

 紫の流派は二天一流という二刀流の流派であるが、別に一刀のみでも弱くない。というか、並の相手なら一刀のみで十分ですらある。

 そしてその並には、もしかすると真希や寿々花も含まれているかもしれなかった。

 

 真希や寿々花では、紫よりは対処のしやすい結芽が相手でも3分は厳しいだろう。ましてや紫など、不可能といえた。

 

「……真希さん。そんなにきつく握りしめていると、お手が傷つきますわよ」

 

 寿々花の指摘で、初めて真希は自分の両手が強く握られているのに気がついた。

 純然たる才能の差というものを、まだ出会っていないにも関わらず見せつけられたような気がして、己の不甲斐なさと情けなさで握っていたのだと、真希は分かっていた。

 

「紫様自らが直々に出向き、親を説得してまで連れて来た人材……」

 

 紫が親衛隊第五席目の刀使を直々にスカウトしに行った、という話は即座に折神家内部に広がり、瞬く間に全員が周知するところとなった。

 

 それに対する反応は様々だ。優秀な刀使が増える事に対して喜びを見せる者。紫が直接スカウトしたという事実に嫉妬を覚える者。あるいは、この事を別の誰かに知らせる者。

 いずれにしても、関係各所の注目を集める事となった刀使の人物像については様々な憶測がたてられ、そして来ると言われた今日、歴戦の猛者達すらを浮つかせる空気は頂点を迎えているのである。

 

「行こう寿々花。歓迎会の準備を進めなきゃ」

 

 窓に背を向けて真希は歩き出した。どのような人物かはともかく仲間に加わる事は決定しているのだ。ならば1日でも早く、折神家に溶け込めるようにしてあげなければならない。

 ……胸の内の黒い感情を無理やりに覆い隠しながら、真希は廊下を進んでいった。

 

 さて、来る前から既に注目の的となっている事など知る由もない京奈はというと、ちょうど鎌倉駅に到着したところだった。

 

「着いたー!」

 

 京奈にとって買い物の為に降りていた山の麓の町以外に行くのは初めての事だった。また、それだけではなく、公共交通機関を使うのも初めて。更に言うなら、こんな風にバッグを持って何処かに行くのも初めて。

 初めてづくしな今回、興奮と緊張のせいか胸が高鳴りっぱなしである。

 

 吸い込んだ空気も、普段嗅いでいた物とはどこか違うような錯覚さえ覚えた。

 

「でも空は変わらないね……」

 

 図らずも京奈が鍛えてしまった野生動物達は、一週間という準備期間で全てを天に還した。

 あれに対応できる自分が居なくなれば、嬉々として集落を襲うのは容易に想像が出来たからだ。

 

 そんな理由から天に還した動物達はキッチリ肉を食べたり皮をなめして何かに使えるようにしたりして、その命を余すところなく活用し、丁重に弔ったのだった。

 

 手をかざして太陽の日差しを遮りながら見た空は、見渡す限り青く澄んでいた。昨日までと何も変わらず、ただそこにある。

 

 駅から出てすぐに立ち止まってそうしていた京奈は、程なくして旅行用のキャスター付きバッグをガラガラと引きずりながら、興奮冷めやらぬ様子で町中を進んでいく。

 

「それにしても、やっぱりこの時間は大人ばっかりだなぁ。同年代っぽい人がいないのは、やっぱり今が学校の時間だからなのかな」

 

 平日昼間という時間、当然ながら学生は学校へと行っている。稀に荒魂が出現した際は刀使が例外として外に出ていくが、基本的には少女の姿など見ない。

 

 だからだろう、いま京奈は道行く人から注目されていた。

 

「うわぁ……やっぱり凄く注目されてる。早く行こうっと」

 

 事前に渡された手元の地図によれば、ここから少し歩けば折神家の正門が見えてくる筈だ。

 居心地の悪い空間から逃げ出すように、京奈は歩く速度を早くした。

 

 

 過去の歴史書を紐解けば、刀使の事を語る上で無くてはならない一族が存在する。

 

 それが折神家という一族であり、昔の朝廷から御刀と荒魂の構成物質であるノロの管理を任されてきたという経歴がある由緒正しい英雄の一族だ。

 その経緯から今でも折神家の敷地内に、全国の御刀の管理を行っている特別刀剣類管理局の本部が置かれており、全ての刀使の頂点にある。

 

 そんな折神家に仕えられるというのは刀使にとって大変な名誉であると同時に刀使の中でもトップレベルに優秀であるという証明でもあり、そしてその優秀な刀使達によって結成された折神家の親衛隊は、全ての刀使達からの羨望の対象にされていた。

 

 そんな親衛隊の席を、誰もが狙っているのは言うまでもないだろう。折神紫が実力主義で不正を許さない事もあって賄賂などは横行していないが、許されるのならばどんな手を使ってでも入りたいという人間はごまんといる。

 その理由としては、親衛隊に選ばれるという、それ自体が大変な名誉であるというのもそうだが、親衛隊に選ばれた生徒が在籍する学校は世間からの覚えも良くなる。というのも無関係ではなかった。

 

 現に、親衛隊第一席の獅童真希を輩出した平城学館は近年注目度が上がっていて入学志望者も増えてきている。これは非常に重要だ。

 なぜなら、刀使の訓練学校は全国に五箇所あるが、その中でもヒエラルキーというものが当然存在するからだ。

 

 有名になり、学校の名前が高まれば、巡り巡って自らの株を上げる事になるし、もしかすると学校側から就職に関して便宜を図ってくれるかもしれない。

 学校側としても、ヒエラルキーを向上させられれば自らの意向を通しやすくなるし、生徒が親衛隊に選ばれるというのは大変な宣伝になる。

 

 増員が不定期である事もあって、そのチャンスは非常に少ないが、だからこそ限りある席を巡って水面下では骨肉の争いが繰り広げられていた。

 

 しかしそんな事、田舎で刀を振っていた京奈はもちろん知らない。折神家がどういう組織かは、教科書にも載っていたから分かっているが。だがそこから発生する名門故の権威だとか、それを狙う権力闘争だとかは意識すらしていなかった。

 

 だから気付かない。己の一挙手一投足が、既に多くの組織に見られているという事を。

 この年齢の子供が出歩いているから珍しいと見られているのではなく、その殆どは唐突に紫が連れてきた親衛隊第五席の姿を一目見ようと集まっていたという事も。

 

「……マジか」

 

 学長室のイスに座る彼女もまた、その姿を見ようと部下を派遣していた1人である。

 彼女はとある事情から折神紫に対して反抗をしている人間だ。今は表向き折神紫に従い、その裏で牙を研いでいる最中だが、そんな時に舞い込んだ親衛隊増員の話は見過ごせるものでは無かった。

 

 彼女にとって目下最大の障害は紫の側を離れない親衛隊。それが減るならまだしも増えるというのは喜ばしい事ではない。

 だから、どうせ他の学校や企業も送っているからと、折神家にバレるのを承知で堂々と部下を鎌倉に送り写真を隠し撮らせてきたが、それは彼女に驚愕をもたらした。

 

「よりによって、あいつの娘を自ら囲い込みに行くなんて……余程こっちに取られたくないって事か?」

 

 20年前、見続けていた背中を思い出す。あの時は頼もしかったが、それがよもや向こうに取られようとは。

 

「なんにせよ、厄介な事になったな」

 

 驚愕が苦々しいものに変わるのに、そう時間は必要なかった。

 



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医療剣術

このままでは年齢に矛盾が発生してしまう事が発覚したため、作品開始時の年齢を全員1歳だけ下げさせていただきます。
以後、このような事がないように話の流れを気をつけます。


「よいしょっと」

 

 ここまで引きずっていたバッグから、色々なものを取り出して詰める。

 

「これで最後かな。さて……」

 

 タンスに着替えを詰めた後、京奈は黙って周囲を見渡した。一人で使うには広すぎるベッド。何故か無駄にあるソファ。最新式のテレビや、絶対に高いと確信を持てる家具類……

 こんなところを自分が使っていいのかと、戦々恐々としている。京奈は絶対に部屋を間違えていると思っているが、親衛隊の待遇としてはこれが普通だ。

 

 折神家の内部にも、組織である以上は当たり前だが上下関係というものは存在する。それは一般的な年齢というのもそうだが、この場合は役職の事を指した方がいいだろう。

 平社員の上に係長、係長の上に課長というような、一般の企業でも見られる序列のイメージが正解だ。

 

 さて、そこで気になるのは親衛隊の序列は如何ほどか。という話。紫から色々と任務を任されているし、部屋だけを見ても分かる待遇の良さ。さぞや高い場所にいるのだろうと考えるのは、なんらおかしい事ではない。

 

 しかし、先にその答えだけを言えば、無い。

 これだけだと意味が分からないだろうから少々補足をしておくと、折神家の序列には親衛隊という枠組みそのものが存在しないのだ。

 

 紫の……当主の身辺を警護する親衛隊が権力を持つなど有り得ない。影に徹するべきというのが理由であり、それは尤もだという事から枠外という立場に置かれている。

 だから部隊の指揮を任されている真希や寿々花は、厳密に言えば紫の命令権を借り受けているにすぎない。

 

 まあ、そんな建前は誰もが"無かったこと"として暗黙の了解をしているし、部隊の指揮者としても2人が有能だから紫も何も言わない。

 結果さえ出すのなら、その過程や形式にはそれほど拘らないのが折神紫という人物だった。

 

 そんな背景もあって、親衛隊は実質的にNo.2の発言力と権限を保持している。だから親衛隊の待遇は非常に良く、例えば京奈に割り当てられたホテルのスイートルームの如き部屋は、その代表格といえた。

 1人で使うには些か以上に広い部屋は、今まで使っていた部屋とは比べるべくもない。ここでお爺ちゃんと住んでも全然問題ないくらいだ。

 

「なんか、かえって落ち着かないなぁ」

 

 そんな独り言が漏れる。

 貧乏人ではないが、裕福というには遠い。そんな家庭環境で育った京奈には、この部屋は豪華すぎて落ち着かなかった。

 

 何か壊したらどうしようとロクに寛げない中、扉をノックする音がした。

 

「あっ、来たかな……どうぞー」

 

「失礼するよ」

 

 入って来た真希は、やあ、とでも言うかのように片手を上げた。

 

「すまなかったね。案内を始めて早々に待ってもらうだなんて」

 

「いえ、気にしてません」

 

 到着した京奈を出迎えたのは真希だった。親衛隊のリーダーとして自他ともに認められている真希は、こういう時は案内をする役割というものを割り当てられていた。

 しかしまあ、仕事というものは節操なく舞い込んでくるもので、京奈が今日から使う部屋に案内した直後に真希が目を通さねばならないような仕事が舞い込んだのだ。

 

「それより、その、用意してもらっていきなりこんな事を言うのは失礼だって分かってるんですけど……」

 

 言うべきか躊躇った。が、京奈が言い出すより先に真希が口を開いた。

 

「部屋の大きさ、かな?出来ればもっと小さい部屋が良いとか」

 

「……はい」

 

 真希に驚きはない。まあそう来るだろうなと、ある程度は質問を予期していたからだ。

 

「あるにはある。だけど…………残念ながら、君は使えない」

 

 親衛隊は実質的なNo.2である。だからこそ、それに見合っただけの戦果を出す事を常に求められるし、それに見合うだけの待遇を受けることもまた、求められている。

 

 要は面子の問題だった。

 

「やっぱりダメかぁ……」

 

「その気持ちはよく分かるよ。僕も最初はそうだった」

 

 慣れの問題だよ。ガックリと肩を落とした京奈に真希はそう告げながら、持ってきた服をテーブルの上に置いた。

 

「これは親衛隊の制服だ。折神家の中で動く時は、基本的にこれを着てもらう事になっている」

 

「ってことは、今着替えるんですよね」

 

「そうだね。……僕は外にいるから、着替え終えたら出てきてくれ。もし着方が分からないとかがあったら、遠慮なく呼んでくれていいからね」

 

「分かりました。じゃあ早速……」

 

 真希が待つこと数分。出てきた京奈に着いてくるように促して案内の続きを再開した。

 京奈は、すれ違う人全員から好奇の目線を浴びながら、真希に連れられて折神家の中を案内されていく。

 

「まずは基本的な場所から行こう。折神家は広いから1日で全部、というのは少し厳しいんだ。だから、後はおいおい紹介するよ」

 

 折神家は特別刀剣類管理局の本部や鎌府女学院と併設されていて、その敷地は広大だ。全てを回っていたら日が暮れてしまう。

 そこで今日は初日というのもあり、食堂や大浴場などの毎日使うような場所を優先して案内する事になった。

 

 しかし、その基本的な場所を案内するのですら、およそ1時間に渡るほどの時間を有する。そう言えば、敷地の広大さが伝わるだろう。

 

「最初は広くて迷うかもしれないけど、そういう時は躊躇わないで近くの人に聞くといいよ。みんな優しく教えてくれるさ」

 

「わっ、わかみみゃ……」

 

 慣れない場所で初めて会う人と一緒にいる緊張からか、噛んだ。死にたくなった。

 顔を真っ赤に俯いた京奈に在りし日の自分を重ねた真希は、その光景に懐かしさを感じながら案内を続ける。

 

(いくら紫様が見込んだといっても、やっぱりまだ11歳の女の子なんだな)

 

 11歳といえば、まだ小学五年生──つまりは、刀使ですらない女子と同じ歳だ。その歳で今まで育った親元を一人離れて、身内のいない未知の場所に暮らす。

 そう考えればこの緊張と不安の混じった反応は自然なものだといえた。

 

 紫が連れてきたという事実が、知らぬうちに真希に身構えさせていたのだろう。しかし、言い方は悪いがとてもそうは見えない今の姿を見ると、その身構えも自然と解けていった。

 

「──そして最後に、ここが親衛隊のみんなが使う共用スペースだ。正確に言えば親衛隊だけのスペースではないんだけど、結芽が……君と同い歳の子が入り浸っていたら、いつの間にかそうなっていてね……」

 

「私と同い歳の子が居るんですか?」

 

「ああ。さ、入って」

 

 扉を開けながら苦笑する真希と一緒に入ると、室内は紅茶の香りで一杯だった。

 

「連れてきたよ」

 

「いいタイミングですわね。いまちょうど、お茶が入ったところですわ。……それで、そちらの方が?」

 

「ああ。新しいメンバーさ」

 

 これから一緒に仕事をする4人の刀使達が、そこにいた。

 

「改めて、ようこそと言わせてくれ。そして君と会えた事を嬉しく思う」

 

「こ、こちらこそ。ええっと、新田 京奈です。よろしくお願いします!」

 

「ふふっ初々しいですわね。こちらこそ、よろしくお願いしますわ。さ、そちらに座って」

 

「じゃあ、お言葉に甘えて……失礼します」

 

 もしかしたら、かつての自分もこんなだったのかもしれない。

 先ほど真希が思っていたのと同じ事を寿々花は考えていた。

 

 京奈が椅子に座ると、今度は結芽が右手にチョコレートを、左手にクッキーを持って京奈に向けた。

 

「ねえ、クッキーとチョコレートだったら、どっち食べる?」

 

「え?ああ、うん…………クッキーかなぁ」

 

「そっか。じゃあはい、チョコチップクッキーあげる」

 

「あ、ありがとう……」

 

 身長とか口調的に考えて、多分この子が同年代なのだろう。だが今のやり取りから受け取るに、中々破天荒な子であるようだ。

 

 そんな様子を見かねた真希は、自己紹介もしない結芽へと声をかけた。

 

「結芽。せめて自己紹介くらいはしないと、困っているだろう」

 

「あ、そっか。私は燕 結芽。歳は同じ、よろしくね!」

 

「うっ、うん。よろしく」

 

 ガンガン来るなぁと思いながらも、初めて出来た同年代の友達というものに嬉しさを隠せない。ガンガン来るというのも、人付き合いに関しては意外と消極的な京奈には有難かった。

 

「それで、京奈ちゃんだったよね。流派は?」

 

「流派?」

 

「そう、流派!紫様、その辺のこと一切教えてくれなくてさー。立ち合えば分かるの一点張りで」

 

 結芽はそう言ってクッキーを指の間に二枚挟み、それを咀嚼しながら思いついたように言った。

 

「そうだ!今から時間ある?あるよね!」

 

「た、多分……」

 

「じゃあさ、今からやろうよ!」

 

「えっ」

 

「ここだと流石に怒られちゃうから、中庭とかで!」

 

 京奈が困惑している間に、あれよあれよという勢いで話が進んでいく。

 困ったように真希や寿々花に目線で助けを求めるが、2人は都合良く気づかないフリをしていた。紫が認めた実力を見てみたかったからだ。

 

「それじゃ、早速中庭に──」

 

 しかし、そこから先は言えなかった。扉が凄まじい音でノックされたからだ。

 

「失礼します!」

 

 黒いスーツの男性がノックも早々に飛び込んできた。これは何かあったなと確信を持った真希や寿々花は椅子から素早く立ち上がる。

 

「何事ですの!?」

 

「荒魂が発生しました!場所は逗子です!」

 

「近くの機動隊を出して、近隣住民の避難指示と足止めを!鎌府女学院に刀使の派遣要請を出せ!」

 

 一気に空気が切り替わった。さっきまで和やかだったのが、一変して抜き身の刃のような鋭さに変わる。

 

「すまないが、歓迎会は中止だ。僕達は部隊の指揮を執らなければならない」

 

「大丈夫です。気にしてませんから」

 

「そう言ってくれると助かる。……埋め合わせは、また今度するよ」

 

 そう言って真希と寿々花が部屋を飛び出そうと走り出した時、京奈が一週間ぶりに見た人物が現れた。

 

「全員いるか」

 

「紫様!」

 

「いい。楽にしろ」

 

 咄嗟に敬礼しかけた真希たちを手で制す。そして歩きながら言った。

 

「親衛隊全員、私と本部室に来い」

 

「はっ!」

 

 すぐに一歩半後について歩き出した3人をボーッと見ていた京奈は、後ろからグイグイ押されて無理やり歩かされた。

 

「はいはい、そこでボーッとしてないで私達も行くよー。紫様のご指名なんだから」

 

「私も?」

 

「当たり前じゃん。呼ばれたの親衛隊みんなだよ?京奈ちゃんだって親衛隊じゃん」

 

「あ…………そっか。そうだったね」

 

 全員という事は、もちろん先ほど親衛隊入りした京奈も含まれている。まだ親衛隊であるという実感が薄い京奈はそれに気づかなかったが、結芽に背中を押されて本部室まで連行された。

 

 

 さて、その本部室であるが、不定期かつ出現場所も不明という荒魂の特性の都合上、常に八人のオペレーター達が常駐している。

 そのオペレーター達が部屋の四隅のコンピューターを操作し、正面にある三枚の大きなモニターに情報が随時追加されていた。

 

「荒魂の規模は?」

 

 紫が直接本部室に出向く事は滅多にない。だから紫が入って来た一瞬こそ驚いたオペレーターは、しかしすぐに己の責務に意識を戻した。

 

「出現した荒魂は中型種。数は一体です」

 

「現在の様子はどうなっている?」

 

「荒魂は現在鎌府女学院の刀使3名が足止め中。近隣住民の避難は完了しており、2分後の増援到着を期に反撃に移るようです」

 

「死傷者数は?」

 

「現在、死亡者は2名。重軽傷者の正確な数は特定できていませんが、民間人合わせて40名に昇ると推測されます」

 

「40……」

 

 京奈は思わず呟いた。告げられたその数字は、京奈に荒魂の被害というものを思い知らせるのに十分な威力を持っていた。

 京奈を一瞥した紫は、すぐにその目をモニターに戻しながら言った。

 

「荒魂の足止めに向かわせた機動隊の隊員達は、荒魂の攻撃を受けて少なからず傷を負っている。重傷を負った者はすぐに病院に運んで手当てをすれば助かるのだろうが、そんな環境が都合良く揃っている事は少ないし、搬送途中で力尽きることも多い。

 故に重傷の隊員達は基本的に助からない。民間人も同様だ」

 

 だからその任務で最前線に立たされる事は、現代版の赤紙であると機動隊員達の間では言われていた。

 同じ戦場の最前線に立つのなら、人間を相手にするだけ避難誘導の方がマシだとも。

 

「新田。早速で悪いが、親衛隊としての仕事をしてもらう」

 

「はっ、はい!」

 

 京奈はつばを飲んだ。

 先ほど忘れた筈の緊張が、再び胸の内で暴れだす。

 

 そんな京奈は気がついていなかったが、その場は異様な静けさを保っていた。

 

 配属初日に紫から直接の指示が下されるというのは、極めて異例のことだったからだ。

 裏を返せば、その異例のことが起こりまくるくらいに紫が京奈を気にかけているという事でもある。

 

 その事に気付いた者は少数だが、気付いた者は等しく目線が厳しくなった。

 

「なに、そう気張るな。お前の医療剣術を披露しろというだけの話だ」

 

「医療剣術……?」

 

 聞き慣れない剣術の名前に、その場にいた全員にクエスチョンマークが浮かぶ。

 しかし、紫はその疑問に答えることはなく、京奈は己が鎌倉に呼ばれた理由を悟った。

 

「……私のこの力で、死ぬ人を減らす為に呼んだんですね」

 

「ああ。言うまでもないが死者は少ないに越した事はない。そしてその力は、死人を減らせる力だ。だから私はお前を親衛隊に呼んだ」

 

 かなり過酷な任務だ。新兵に任せるような仕事ではない。

 

 刀使としての仕事などした事も無い彼女は、正真正銘これが初任務。しかもそれは、人の命が直接彼女の手に関わる重大案件である。

 一般的な刀使の初任務が集団での偵察任務である事を考えると、過酷すぎると言えた。

 

 だが、親衛隊とはその過酷が常に襲い来るところである。いわばこれは、紫が課した入隊試験なのだ。

 

 普通なら、ここで臆する。しかしそれもそうだろう。いくら力を持っているといっても、それを非常時に扱えるかは別問題。自分のミスで人が死ぬというプレッシャーの元では尚更だ。

 

 だが紫は、あえてそのプレッシャーをぶつけた。

 正直に言えば、もっと楽な戦線で経験を積ませても良かった。戦場の悲惨さなどに時間を掛けて慣らしていくという方法もあった。

 なら何故やったかといえば、それは覚悟の強さを見るためだ。

 

 いけるな?その眼が問う。

 

 やります。その眼が答える。

 

「いい眼だ」

 

 紫の口元が微かにつり上がった。

 たいそう緊張しているだろうに、それをどうにか押し止めて強い眼を向けたのを見て、問題ないと感じたからだ。

 初出撃でこれだけの覚悟が決められるのなら、これから先もやっていけるだろう。

 

「新田を乗せてヘリを飛ばせ。事態は一刻を争う」

 

「了解しました!」

 

「新田は彼女について行け。ヘリまで案内してくれる」

 

「分かりました!」

 

 近くにいた職員と共に京奈が本部室から出た後、紫は斜め後ろの定位置に立っている真希と寿々花に目を向けた。

 

「気になるか」

 

「……はい。紫様の行いに疑いを持つわけではありませんが、なぜ我々ではなく彼女を?彼女はまだ……」

 

「私は別に、伊達や酔狂で自ら足を運んで彼女を連れてきた訳ではない。その理由は、これから彼女が自ら証明してくれるだろう」

 

 映像をモニターに出して、紫は言った。

 

「まあ見ていろ。すぐに分かる」

 

 

 その戦場は、凄惨の一言だった。

 

 多くの者が苦しんでいる。刻一刻と命が失われていく。

 

 京奈が初めて降り立ったのは、荒魂との交戦地点から後ろの重傷者を置いている場所。これから彼女が頻繁に立つことになる、彼女にとっての戦場だ。

 そこに降りた彼女は、近くにいた隊員に向かって叫んだ。

 

「一番怪我が重い人は何処ですか!」

 

「その服装は親衛隊の……!しかし何故ここに」

 

「早く!!」

 

「こ、こっちです!」

 

 勢いに気圧された隊員は、京奈を一番怪我が重い隊員の元へと案内する。案内された彼は既に虫の息で、もう5分と持たない命だった。

 いったいどうするつもりなのだろう。その場の全員の疑念の眼差しが集まった。

 

「頑張って下さい、あと少しだけ!」

 

 京奈は彼の近くで膝立ちになると、母親の形見である御刀を抜刀。

 

「いったい何を……!?」

 

 隊員の声を無視して、京奈は目を閉じて意識を集中させる。

 

(大丈夫。お爺ちゃんの怪我を治す時と同じように集中すれば、失敗はしない)

 

 深呼吸を二回してから目を開けば、いつものように御刀の刀身が白く輝く霧のようなモノに包まれていた。

 上手くいった事に口元を僅かに緩めながら京奈はその切っ先を彼に向けて、一言告げた。

 

「少し、チクッとしますよ」

 

 そして、その傷めがけて御刀が突き刺さる。

 

 何をやっているんだと驚愕に目を見開いた隊員は、次の瞬間に起こった現象に目玉が飛び出さんばかりに驚いた。

 

 御刀の刀身を包んでいた霧が彼の体内に潜り込んだように見えたかと思うと、彼女は突き刺していた御刀を抜いた。

 ものの数秒の出来事だったが、御刀を抜かれた彼は呻き声をあげなくなっていた。

 もしかして介錯したのかと彼に駆け寄った隊員は、その胸が上下しているのを見て安心し、直後におかしい点に気がついた。

 

「傷が……無くなってる?」

 

 彼は腹部を切り裂かれて酷く出血をしていた筈だ。だが今は血まみれではあるものの、その傷が完全に消えている。

 手で触れてみても何もない。まるで最初から傷などありはしなかったとでも言うかのように、傷だけが消えていた。

 

「次の人は何処ですか」

 

 ハッと顔を上げれば、刀身を陽光に煌めかせた彼女の目が、隊員を見ていた。

 

「次はこっちをお願いします!」

 

 何をしたのかは分からない。だが、彼女は傷を治す術を持っている。

 それを理解した隊員達は、同僚や市民が助かるかもしれないという希望を胸に動き出した。

 

「あれは一体……」

 

 ──驚いていたのは、本部室で映像を見ていた者達も一緒だった。画面の向こうで重傷者に御刀をぶっ刺しまくっている京奈をただ一人、紫だけは普段と変わらぬ様子で見ていた。

 

「医療剣術、という名前に聞き覚えがある者はいるか?」

 

 なんだそれは。そんな事を思っているのが空気から読み取れた。

 

「私がまだ現役だった頃……20年前の話だ。自らの力を振るって荒魂を討伐するのが常識の刀使の中に、一人だけ他人を助ける力を持つ者がいた」

 

 刀使の能力は、その全てが自己強化である。写シや迅移、八幡力や金剛身といった力は刀使本人には凄まじい恩恵を齎すものの、それ以外の人間には何もない。

 それは御刀の素材である珠鋼が与える超常の力が、依り代となる刀使にしか扱えない力であるからだ。

 

 なぜ自己強化しか使えないのか。同じ刀使に力の受け渡しが出来ないのは何故か。という疑問について、詳しいことはまだ何も分かっていない。

 刀使に関しては未だに謎も多く、分からないものを分からないままに使っている状況が続いていた。

 

 分からないモノを使い続けていては、いつかは手痛いしっぺ返しが来るのではないかと危惧する者も多い。

 しかし、荒魂という脅威が常日頃に発生し、それに刀使しかマトモに対抗できないとあれば、その分からないモノに頼るしかないというのが現代社会の現状であった。

 

「医療剣術は、普通なら助からないような瀕死の重傷を負った人間をも救うことが出来る。

 それだけではない。本人の生きたいという意志があれば、荒魂と化した人間も、元に戻す事ができる」

 

『っ!?』

 

 その実例を紫は知っている。目の前で見ていたからだ。

 荒魂と化したものの、自我は残っているがために泣きながら攻撃をしていた少年のこと。彼が殺せと叫んだこと。そしてそれに対して、諦めるなと叫びながら突っ込んでいった背中を。

 

 人が荒魂と化す事例が頻繁に発生していた過去。斬って祓う……といえば聞こえはいいものの、実際には始末しなければならなかった時に現れた彼女は、まさしく救世主の如き存在だったのだ。

 

 実際、彼女に助けられた者は非常に多く、刀使という職業のイメージ向上に一役買っていたのは誰もが認めるところである。

 

「昔は、あの力が刀使達によって一般的に使われていたと言われている。だが時代が移り変わるにつれ、あの家の刀使しか使える者はいなくなってしまった。何故かは知らないがな」

 

 その力を恐れた権力者に軒並み粛清されたとも、かつて刀使が戦争の道具として使われた時代に使い手の殆どが死に絶えたからだとも、言われている。

 その真相は歴史の闇の中だ。

 

「だから……紫様が自ら?」

 

「そうだ。今の映像を見れば分かるだろうが、あの力は強力だ。しかしだからこそ、他の者達に取られる訳にはいかない。

 それに、あの力を詳しく分析すれば、医療関係において目覚ましい進歩が得られる事は間違いない。特に技術が発達した今なら、現代において不治の病とされるものも治る可能性がある」

 

「────!」

 

 20年前、彼女の母親が現役だった頃にも研究は行われていた。しかし当時は技術レベルの限界からか、大した進展は望めなかった。

 だが今なら、技術レベルが大きく引き上げられた現在ならば、あの時とは違う研究結果が出せるかもしれない。

 

「……」

 

 結芽は自らの胸を片手で押さえた。それが何を意味するか、残りの3人は良く知っている。

 唐突に示された未来への希望。それを目の当たりにして、どうすればいいか分からない。そんな思いが、今の所作に滲み出ていた。

 



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確立

 

「ふーん。ふんふんーふん♪」

 

 たったかたったか。たんたんたーん。

 

 そんな調子の軽さで、結芽は鼻歌と共に長い廊下をスキップで進んでいた。

 薄い紫っぽい髪を上下に揺らしながら時々くるりと横に一回転して、まだ陽光が眩しい時間帯の廊下をぴょんぴょんと跳ねていく。

 

「ぴょんぴょんぴょーん」

 

 1回飛び跳ねる度に長いスカートがフワッと浮かび、その細い足を包む白いストッキングが煌めいた。

 

「どこかなどこかなー?」

 

 たまに目についた窓を開け放って外をキョロキョロを探してみたりするが、お目当ての人物には一向に巡り会えていない。

 

「部屋は見たでしょー?外には出てないって紫様が言ってたしー、後は……うーん。どこだろ」

 

 もう10分ほど探しているが、未だに影も形も掴めていなかった。これは単に自分の運が悪いのか、それとも自分から意図的に逃れ続けているのか。

 ……後者は無いか、と結芽は思い直した。今までそんな事が出来る素振りは見せてこなかったし、もし出来るのなら、とっくの昔にやっているだろうから。

 

「……みーつけた」

 

 だからさっき見た筈の外にその姿を見つけた時、やっぱり自分の運が悪かっただけか。と納得した。

 そして結芽は開け放った窓の枠に足をかけて飛び出し、空中へその身を踊らせた。

 

 普通であれば数秒と経たずに地面に落ちる行為だが、結芽はあらゆる意味で普通とは程遠い存在だった。

 およそ少女とは思えぬ──そして刀使であれば一般的な脚力をもってして、普通では考えられない距離を飛んだ結芽は、肌身離さず身につけている愛刀の柄に手をかけながら大声でその名を呼んだ。

 

「きょーーなちゃーん!」

 

 京奈が反応するのと同時に、結芽は愛刀であるニッカリ青江を抜き放った。

 

「あーそーぼーっ!」

 

 刀を向けて降下しながら言う言葉ではない。が、結芽にとっての遊びといえば、御刀を使った立ち合いこそがそれである。

 

「うわっ!?っとと、危ないなぁもう!」

 

 飛び退いた場所に、もはや着弾という表現が適切な勢いでもって結芽が突き刺さる。驚きながらも身に染み付いた動きで京奈も刀を抜くと、それを見計らったかのように土埃の中から結芽が飛び出してきた。

 

「あはっ!」

 

 突き、横薙ぎ、逆袈裟から袈裟斬り。右から、と見せかけて左からの攻撃。その全てが常人には見えない速度で繰り出され、それを受け流す。真昼間から少女に似合わぬ刀を振り回す2人は、いつしか写シを纏っていた。

 切り結び、立ち替わり、互いの刃が何度も何度も交差していくにつれて、結芽の口元は気付けば自然とつり上がっていく。

 

 多くの年上の刀使は遊んでいてもすぐに倒れていくのに、守勢に徹してさえいれば、こうまで自分についてこられる同年代がいる。その事実が、結芽の心の中に歓喜をもたらしているのだ。

 

 ニッカリ青江を、いつもの癖で手の中で素早く一回転させてから、持ち前の身軽さでもって相手の疲労を誘う。

 疲れから防御に綻びが見えたら即座に仕留めようと、虎視眈々と必殺の瞬間を待つ様子は、獲物に跳躍するために雌伏している野獣のそれと類似していた。

 

 彼女の見た目は野獣ではなく美女の方だが、その見た目にそぐわない攻撃の苛烈さは、まさしく野獣の如き荒々しさをもっていたのである。

 

 そんな荒々しさと、しかし攻撃一辺倒ではなくフェイントを織り交ぜた巧みな攻勢は、結芽が11歳である事を忘れるような鮮やかさであった。

 そして、それを防ぐ京奈もまた、11歳とは思えぬ守勢の名手である事に疑いの余地は無い。

 

「温まってきたから、ちょっと早くするよ!」

 

「えっ、ちょっ、とっ!」

 

 そう結芽が告げると、迅移でその姿がかき消えた。何処へ、と考える間もなく、己の直感に従って片足を軸に180度近く回転しながら刀を横に薙ぐ。

 すると、刀同士がぶつかり合う音と一緒に京奈の斜め後ろに回り込んでいた結芽と目が合った。

 

「おお、やるねぇ」

 

「まあ、何百回と打ち合ってれば嫌でもねっ!」

 

 刀を振り抜き、今度は京奈が結芽に反撃する。唐竹、切り上げ、右薙ぎ、左薙ぎ。

 それも普通の人間には目で追えない速度だったが、結芽は刀で受けもせずに、ただ避けて避けて避けまくる。

 結芽は暫くそうしていたが、やがてぴょんと飛び退くと、思った事をそのまま口にした。

 

「でも京奈ちゃんってさあ……やっぱり攻めるの下手だよね」

 

「やめて、言わないで」

 

 歯に衣着せぬ物言いに京奈はガックリと肩を落とした。もしこの場を他の刀使が見ていたら、なんと下手な攻めかと逆に感心されるだろう。

 防御という1点のみを見れば、それは紫にすら食い下がれる稀有な才能であると誰もが言う。だが、それとは裏腹に攻めという観点のみで見れば、きっと誰もが"これより下を探すのは難しい"と言うに違いない。

 

 というか、紫にそのような事を既に言われていた。

 

「紫さんにも、お前は攻撃をしない方がいいって言われちゃってるし……やっぱり家系が関係してるのかなぁ?」

 

 京奈の、新田家の家系を遡っていけば、いずれは代々朝廷の門番をしていた家系に行き着くという。

 またそれだけでなく、かつての折神家も守護していたという記録が残っている。そして歴史書には、新田家の者は守備に定評があると主からの信頼も厚かったと書かれていた。

 

 しかし、室町時代くらいの歴史書から先、新田という単語は出てこなくなる。

 一体、新田一族に何があったのかという推測は歴史家達の意見が分かれるところだが、なんの記述も残っていない為に全て憶測の域を出ない。

 

 が、彼女と彼女の母親が現れた事で、どんな事情があったかは知らないが、人目を隠れるように山奥の集落に移動したという説が非常に有力となった。

 歴史書の新田一族と京奈の家が同一であるという物的な証拠は存在しないものの、彼女の家にのみ伝わる剣術は、歴史書に語られるものと非常に似通っているのだ。

 

 歴史書に曰く、門番を務める者に求めるのは、侵入者を撃退するまではいかなくとも門は通さない、あるいは捕縛できるだけの人員が到着するまで時間を稼ぐこと。

 そして、病に倒れぬ丈夫な肉体を持っていること。

 これら二つを望んだ通りに成し遂げる新田家は、最高の門番を輩出する家である。と。

 

 そして京奈が自然に扱っていた剣術は、時間を稼ぐという事に特化している。

 自らは攻めず、しかし相手の目的は妨害する。耐えて耐えて耐え忍び、増援が来るまでひたすら待つ。

 

 そもそもの目的として集団戦が前提となっているため、剣術大会などではまるで役に立たないが、その防御力は紫や結芽が攻めきれないくらい高い。

 ……その代償なのか、攻撃面は新米刀使にすら劣る才能の無さという体たらくだが。

 

 防御に尖りすぎている。それは彼女と手合わせをした者なら誰もが感じる事実であった。

 それを自覚しているから、より一層結芽の言葉が突き刺さる。

 

「そういえば、京奈ちゃんのお母さんも刀使だったんだよね?お母さんはどうだったの?」

 

「紫さんに聞いたら、攻めは苦手だったって。私と同じくらいですか?って聞いたら、無言で目を逸らされたけど」

 

「……じゃあそれ、やっぱり京奈ちゃんの才能が無いだけなんじゃ……」

 

「言わないでっ!」

 

 会話は終わりだと御刀を構える。結芽もそれ以上は追求する気が無いのか、再び迅移を使った高速機動で京奈を翻弄しにかかった。

 

「……うん。慣れてきたかな」

 

 が、もう京奈の目は結芽の機動に追いついてきているらしい。親衛隊入りした当初は何となくで受けていた剣が、今はキッチリと受けられている。

 

「あっそう?じゃあ、ちょっと味を変えてみよっか!」

 

 八幡力を発動して筋力を底上げした結芽は、渾身の足払いを仕掛けた。

 

 結芽の流派である天然理心流は確実に敵を仕留めるということを重視しており、そのために手段は選ばない。

 なので、足払いといった卑怯卑劣と罵られるような事も平然と出来るし、その辺の物を投げつける事もあった。

 

「そう来ると思ってた!」

 

 しかし、京奈は足払いをかけられそうになった足に金剛身を発動して防御力を得る。

 

「その言葉、返すよ!」

 

 結芽からすれば、そんな事は織り込み済みだ。過去何度もある負けパターンのうちの一つが、金剛身で防御力を上げられて、更に不動の姿勢と呼ぶべき姿勢固定を崩せなかった事なのだから。

 

 だから結芽は足払いのために鞭のようにしならせていた足を折り曲げて戻し、短時間しか持たないのが欠点の金剛身を不発に終わらせてから*1思いっきり脇腹を蹴っ飛ばした。

 

「──!?」

 

 結芽は気付いていないが、京奈との立ち合いは自然と彼女の気の短さを矯正する一助となっていた。

 

 京奈との立ち合いは、殆どの攻撃を受けきられてしまう都合上、必然的に長時間に渡る。

 が、そこで焦ったり苛立ちを抑えないで攻め立てれば必ず受けきられて、スタミナが無くなって戦闘不能になり京奈に勝ちをくれてやる事になる。なった。

 

 子供ながらの負けず嫌いを持つ結芽にとって、どんな理由であれ負けるというのは嫌な事だった。

 だから最初に負けて以降、京奈に付き合うように長時間の立ち合いを繰り返していると、自然と気は長くなるしミスを誘う立ち回りなども考えるようになる。

 

「そこッ!」

 

 そして、戦いの最中に見つけた一瞬のチャンスに、自らの全てを叩き込む事も出来るようになるのだ。

 

 京奈を吹っ飛ばした後、一段階目の迅移から一気にトップギアの三段階目に加速した結芽は、もはや縮地と呼べるような速度で突きを繰り出した。

 

「くっ……!」

 

 京奈は辛うじて受ける。が、先程までのように受け流すという事はとても出来ない。

 しかもまだ目が慣れていない三段階目の迅移を使われた事で、形勢は一気に結芽有利に傾いた。

 

 結芽は本当なら一発目の突きで倒す筈だったのだが、倒れていないのは京奈が経験から生じる身内読みをしているのと結芽の気配を感じているからだ。

 だが、脇腹への八幡力全開蹴りに加えて速度の暴力が乗った突きを受けた京奈の体勢は、もう崩れていた。

 

「これで……」

 

 そして、それを逃すほど結芽は甘くない。

 

「終わりぃ!!」

 

 二回、三回とニッカリ青江が閃いた。

 三段突きと呼ばれる創作物でも見られるそれを、結芽は一瞬のうちに放っていたのだ。

 

 必殺の一撃を受けた京奈の写シに二箇所も風穴が開き、バタッと倒れたところで結芽も地面にへたり込む。

 お互いに、もう限界が訪れていた。

 

「〜〜〜〜〜っ!疲れたーーーー!!でも勝てたぁ!」

 

「三段階目の迅移は卑怯だよ……」

 

「へっへーん。勝てばいいんだよ勝てば」

 

 そう言いながら、結芽の心中はスカッと晴れ渡っていた。

 今まで呆気なく手にしていた勝利の美酒というものが、まさかこれほどまでに甘美なものだったとは、京奈と出会うまでは思いもしなかった。

 

 結芽と京奈は6:4で結芽が若干有利なくらいだ。攻めと受けのレベルは同じくらいだが、攻め手の豊富さが結芽に有利をつける理由になっている。

 そんな2人は、暇な時は昼間から剣を交えており、その時間は平均で20分くらい。長い時は30分に迫るくらい動き続けているから、終わった後は決まって凄まじく空腹になる。

 

「あー……お腹減った」

 

「もう食堂行く?お昼には少し早いけど」

 

「そだねー。混んでくる前に行こっか」

 

 お昼のピーク時になれば食堂は凄まじく混むから、その前に行って食事を済ませておくのも、2人のお決まりの行動パターンだった。

 

 そよそよと優しく吹く風が、歩き出した身体から戦いの余熱を奪っていく。

 空きっ腹を抱えた2人は、その風に背中を押されるようにして食堂へと向かっていった。

 

 

 数ヶ月も経てば、折神家の中での京奈の定位置も大体決まってくる。

 

 それは例えば昼間に居る場所だったり、食事の時はどこら辺の椅子に座るかだったり、誰と行動を共にするかだったりというものだ。

 

「あ"あ"ーじみ"る"ぅ"ぅ"ぅ"ぅ"」

 

「ダミ声やめなよ、みんな見てるじゃん」

 

 窓際は眩しいからという理由で窓からは遠い出入り口の近く。そこが2人のいつもの場所。

 たまーに真希とか寿々花と食べる時は違うところに座る事もあるが、基本的にはそこにしか座っていなかった。

 

「仕方ないじゃん。スポドリ飲むと疲れた身体に染みるんだから。はい」

 

「ありがとう。でもやらないからね……そんな目してもダメ」

 

 そして結芽とは歳が同じという事もあって共に行動する事が多く、結果として2人はワンセットとして扱われるようになっていた。

 京奈の守備ガン振りの尖ったステータスが、結芽の暴走を抑制する働きを持っていた事が一因にあるだろう。

 しかし何より、それを差し引いても2人の仲が良かった事が一番大きな理由だった。

 

 身近な同年代がお互いしかいない上に、まともに立ち合えるのもお互いだけ。

 そんな2人の仲が深まるのは、もう必然と言っても過言ではなかった。

 

「……ピーマン」

 

「食べなきゃ大きくなれないよ」

 

「苦いからやだ」

 

「だめ。食べて」

 

 とはいえ、いくら仲が深まったといっても譲れない一線というものは存在する。結芽にとってはピーマンやにんじんといった野菜類がそれだった。

 

 じっと見つめ合う2人。見えない刃の攻防の末、負けたのは結芽の方だった。

 

「うう……分かったよぉ。あむっ!」

 

 御刀を用いた立ち合いはほぼ互角だが、食べ物が絡んだ場合、結芽は絶対に京奈には勝てない。

 集落育ちの京奈からすれば、食べ物を粗末にするという行為は殺人に並ぶ悪行である。いくら結芽の頼みといえど、それだけは絶対に見過ごせなかった。

 アレルギーなどのやむを得ない事情があるならまだしも、ただの好き嫌いは許さない。それが京奈の譲れない一線なのである。

 

「よく出来ました。さ、あと少し」

 

「苦い……。なんでピーマンってこんなに苦いんだろ」

 

「それはー……なんでだろうね?」

 

 うぎゃーと悶えながらピーマンを碌に噛まないでどうにかこうにか飲み込んでいく結芽を、京奈は味噌汁を飲みながら見守っていた。

 

「ああ、やっぱりここに居たんだ」

 

 そんな時、真希が食堂にやって来た。この時間では珍しい来客に、京奈は味噌汁のお椀を置きながら聞いた。

 

「あれ、真希さん。どうしたんですか?お昼ご飯にはまだ早いですけど、食べに来たとか?」

 

「残念だけど、それはまだだね。今来たのは、京奈を紫様がお呼びしているからさ」

 

「紫さ……まが?」

 

 さん、と呼びかけたのを無理やり様に直したから、一瞬言葉の間に隙間が空いた。

 

 折神家の内部では、紫の事は様付けしないと不敬扱いされるらしい。

 そう気づいたのは、さん付けした時に周囲から微妙な顔をされてからだった。

 

「詳しくは聞いていないけど、会わせたい人がいるらしい」

 

「じゃあ急がなきゃダメかな……分かりました。結芽ちゃん、ピーマン残しちゃダメだからね」

 

「大丈夫。いってらっしゃーい」

 

「不安だなぁ……」

 

 残り少ない味噌汁を飲み干して手早く食器を片付けてから、京奈は紫が待つ執務室へと向かっていった。

 

 ……その後、残された結芽がピーマンを残したのは言うまでもないだろう。

 

*1
この時の京奈は気力が尽きかけていたため、唯でさえ短い持続時間が更に短くなっていた



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刀使のおしごと

 刀使というのは分類としては国家公務員であり、広義的には警察組織である。

 そして世間一般から見れば、彼女達は荒魂をやっつけるヒーローのような存在だ。

 

 荒魂が如何にも怪物然としたデザインであり、刀使が超常的な力を操る事も、そういう認識になる一つの原因だろう。

 そんな刀使を題材にした漫画・アニメやドラマは多く、また、ニュースやワイドショーなんかでも刀使に関する話題が1度は絶対に出る事から、刀使は常日頃からカタチを変えて人々の目に触れている。

 

 要は、かなり話題性が高い職業であると言えた。

 

 そんな刀使だが、本来の業務である荒魂討伐の他にも、アイドルのようにメディア露出の役回りをする事も多い。

 これはしばしば荒魂との争いで欠員が発生する刀使の負の方向を誤魔化す為のプロパガンダ的な意味合いを多分に含んでいて、数の多さが大切な刀使を欠かさないようにするという意図がある。

 

 そして、刀使の頂点に立っている折神家の親衛隊は、そういった話が回ってくる事が特に多かった。

 

「なんで僕まで……。こういうのは寿々花の役割だろう?僕より寿々花の方がウケはいいんだから」

 

「あなた、それ本気で言っていますの?」

 

 写真撮影を終えて休憩時間、真希のボヤきに寿々花はそうツッコミを入れた。

 異性同性を問わない人気の真希は、こういった場に呼ばれる事が多い。が、その人気の高さを本人は全く理解していなかった。

 

 だからこそのボヤきであり、それを分かっているからこその寿々花のツッコミである。

 

「ねー京奈ちゃーん。私もう飽きたんだけど。外に出て御刀振り回してて良いかな?」

 

「あと少しだから、ね?」

 

 こういった事に慣れていない結芽は早くも飽きが来ていて、それを京奈に宥められていた。

 

「…………」

 

 そして夜見は普段通り無言でじっとしていた。

 

 今日は、京奈を迎えて新たに5人となった親衛隊へのインタビューを受けるのと5人の集合写真を撮ってから、個別に何枚か撮るのが仕事である。

 しかし、親衛隊が居ないなら紫の護衛は誰がするのかという話だが、どこから嗅ぎつけたのか鎌府の高津学長が自慢の刀使を一名護衛として用意していた。

 

 こういうのも初めてで落ち着かないらしく、しきりに指で髪をクルクルさせながら京奈は寿々花に言った。

 

「それにしても、親衛隊ってこんな事までしてるんですね。初めて知りました」

 

「わたくし達だけでは無いですわよ。伍箇伝の優秀な刀使達は、皆がやっている事ですわ」

 

 世界的に少子化が進む近年、人員の確保は何処も頭を悩ませる難題だった。

 

 そんな御時世でも刀使を集めようと、伍箇伝と呼ばれる刀使訓練学校の5校は、様々な取り組みを行っている。

 その一つが、このメディア露出だった。

 

 例えば折神家と併設されている鎌府女学院の場合、鎌府の学長が気にかけている糸見(いとみ) 沙耶香(さやか)が、その役目を行っている。

 彼女も天才と持て囃されていて、結芽が密かに戦ってみたいと思っている刀使の1人だ。

 

「それにしても、なんか私にばっかりカメラが向いてたような……」

 

「当たり前でしょう。今回の主役は京奈なのですから」

 

「え?……なんでですか?」

 

「何故って、親衛隊の新たな入隊者ですし。それに最近は、戦場での活躍も目覚しいではありませんの」

 

 京奈は最近、荒魂討伐の度に戦場に駆り出されていた。

 

 理由は単純で、彼女の医療剣術が隊員達の死亡率をほぼ0%にまで下げたからだ。

 彼女と患者の気力さえあれば、どんな傷だろうと即座に全回復する医療剣術は、今までなら助からなかった重症の隊員の命を助ける事に成功している。

 

 そんな事を何度も繰り返しているから、京奈の人気は親衛隊の中でも特に現場に出る男性から高い。

 

 命を救うという観点だけで見れば他の刀使と同じ事をしているが、機動隊員達にとって刀使というのは会話も交わせない隔絶した存在である。

 身近にやって来て献身的に声がけまでしてくれる京奈とでは、有り難みの度合いが違ったのだった。

 

 特に後者は、瀕死から蘇生させてくれるという事実が大きい。助からないが助かったに変わった時、命が救われたという歓喜と感謝の念は、留まるところを知らないウナギ登りである。

 

「ああ、京奈の評判は聞いてるよ。同じ親衛隊として、僕も鼻が高い」

 

「そんな大した事はしてないんですけどね。この力が無かったら、私なんて……」

 

「だけど、その力が京奈にしか扱えない以上、その力は間違いなく京奈のものだし、人を救っている事実は変わらない。誇っていいと思うよ」

 

「ですけど……」

 

 真希の言葉に京奈は黙った。そんな京奈に背中から体重をかけながら、結芽は京奈の頬に指を突っ込んだ。

 

「うりうり」

 

「結芽ちゃんやめて」

 

「やめれませーん」

 

 最初は片方の人差し指だけだったのが、直後に両方から頬に指を突っ込まれている。

 離そうにも背中に乗られているし、しかも腕をまわされて密着しているから逃げる事も出来ない。

 

「やめてってば。もう……」

 

「京奈ちゃんって頬ぷにぷにだねー。なんか、ずっとつついていたくなっちゃうよ」

 

 ほれほれと突っついている結芽と抵抗する京奈。京奈の顔からは、いつの間にか困ったような笑顔が零れていた。

 

「……ふふ」

 

「どうしたんだい。なにか変なところでも?」

 

「いいえ。ただ結芽があんな風に、誰かを気遣うところなんて初めて見ましたから」

 

 どちらかというと、人を煽る方が得意なはず……というか、煽る姿しか見た事が無い寿々花にとって、不器用ながら気遣う結芽の姿は初めて見るものだった。

 

「つまり、それくらい京奈を大事に思っているって事だろうね。結芽にとっては初めての友達だし……ああいう事を出来る人も、今まで居なかっただろうから」

 

 寿々花と真希はそれを見て嬉しく思う。

 刀使としての力だけを見ていると忘れがちだが、彼女はまだ11歳の少女。しかも幼い頃から病に伏せっていて、更に両親からも見放されている。

 とある事情から体は動けるくらいに回復したが、心の隙間は埋まっていなかっただろう。むしろ年月を重ねる度に開いていっていたのかもしれない。

 

 そんな時に初めて出来た友達は、色んな意味で特別な存在になっていったに違いなかった。

 

「……なんで笑ってんの?」

 

「結芽は素直じゃありませんのね」

 

「ちょ、寿々花おねーさん何いきなり言ってるの!?」

 

「素直?」

 

「京奈ちゃんはいいの!えいっ!」

 

 明らかに図星な反応。この手のやり取りに慣れていない事を身体で表現しながら、バレたという事実から目を逸らすように結芽は京奈の頬を指で連打しはじめた。

 位置の都合で京奈は見えていないが、結芽の顔は真っ赤である。滅多に見られない照れ隠しに寿々花は更に笑みを深くして、その様子を見続けた。

 

「ちょっと、流石に少し痛いって!」

 

「知らなーい!えいえいえいえいえい!」

 

 

「本当に、仲睦まじくて何よりですわ」

 

「ああ。全くだ」

 

 

「見てないで止めてくださいよー!」

 

 休憩時間めいっぱい、京奈は頬をつつかれ続けたのだった。

 

「まったく、結芽ちゃんのせいでほっぺたが赤くなっちゃったじゃん」

 

「文句は寿々花おねーさんに言ってよ」

 

 そして撮影終わりの帰り道。5人は敷地の中を歩いて帰っていた。

 

「それにしても、昨日は社長で今日は撮影かぁ……。なんか、芸能人の苦労が少し分かる気がする」

 

「あ、昨日のって社長さんだったんだ」

 

「うん。お母さんに命を救われたって言ってたけど」

 

 京奈の母親は刀使として引退する原因となった20年前の大災厄までの間、刀使の間はもちろん世間一般にもその名を轟かせていた。

 もともと刀使は注目されやすい職業であるが、それを差し引いても凄まじい──紫に勝るとも劣らない──人気を持つ刀使であったのだ。

 

 そんな彼女に救われた1人であるのが、京奈が昨日面会した有名製薬会社の社長であった。

 過去に荒魂化した経験のある、彼は若干30歳と社長としては若いものの、その手腕は若いながらも優秀だと言われている。

 

「私に期待してるって言われちゃったし。なんかプレッシャー感じるなぁ……」

 

「そう気負う事はありませんわよ。いつも通りにやっていればいいんですわ」

 

「それに、いざとなったら僕達もいる。何かあれば支えるよ。全てを京奈1人だけが抱える必要は無いんだからね」

 

 この数ヶ月の付き合いで、京奈は抱え込みやすい性格である事を真希は知った。適度にガス抜きをしてやらないと、気付いたら潰れる寸前だった。なんて事もありそうな性格だ。

 

 だが、ガス抜きに関しては真希はそれほど危惧していない。結芽がほぼ毎日一緒にいるからだ。

 彼女は勘がいいから、京奈に違和感があれば気づけるだろう。さっきみたいに、それとなく慰めてあげるに違いない。

 

「ありがとうございます。……それで、プレッシャーといえばなんですけど」

 

 京奈はチラッと僅かに目を動かして周囲を見ながら言った。

 

「……さっきから、なんなんでしょう」

 

「それは仕方ない。僕達は何かと注目を集める立場だからね」

 

 親衛隊は普段から折神家の内部で仕事をしている。そしてその都合上、外に出る事は滅多にない。

 それだけでなく、親衛隊の──特に真希が女子からの人気が高い事も合わさって、5人は周囲の人間からの注目の的だった。

 

 今歩いているのは鎌府女学院の生徒が使うような施設の無い場所だが、既に多くの女生徒が左右を塞いでしまっている。

 左右から断片的に聞こえてくる話を聞いていると、わざわざ練習を中断してまで真希を見ようとやって来ている人もいるくらいだ。

 それほど人気である事の証明だが、当の本人は頭が痛い。

 

「……まったく。なんで僕なんだか」

 

「に、人気なんですね……」

 

「特に何もしていない筈なんだけどね。いつの間にか、こうなっていたんだ」

 

 何もしていないわけはない。その紳士的な振る舞いとナチュラルに「君を守るよ」とか言ってしまう天然ジゴロなところがウケているのだから。

 狙ってやってると言われても仕方ないが、それを無自覚にやってのけるのが獅童真希という者だった。

 

「まあ、そんな事はいいよ。それより、この後の予定は?」

 

「わたくしは荒魂の調査に、夜見は再び紫様の警護……でしたわよね?」

 

「ええ」

 

「私はこの後、研究棟の方に行くことになってます」

 

 医療剣術が発生させる現象の研究は急速に進んでいて、それは凄まじい恩恵を齎していた。この数ヶ月だけでも、既に既存の枠を超えた技術が幾つも誕生している。

 今日は、その恩恵で製作されるという試作装備の実験データを取るのが仕事だと聞いていた。

 

「えー!この後は京奈ちゃんと遊ぼうと思ってたのに」

 

「ごめんごめん。帰ったら遊んであげるから」

 

「ぶーぶー」

 

「そう拗ねない。僕でよければ相手になるよ」

 

 これは珍しい。と京奈は思った。この数ヶ月だけでも、真希の並外れた忙しさは知っている。

 その真希が、手合わせを出来るくらいの時間が空いているのは非常に珍しかった。

 

「真希おねーさんが?珍しいね」

 

「最近は忙しかったからね。でもこの後は少し余裕があるんだ」

 

「じゃあ真希おねーさんでいいや!あ、もし京奈ちゃんが早く帰ってきたら混ざってもらうからね!」

 

「はいはい。早く終わったらね」

 

 京奈も真希と1度は立ち合ってみたいと思っている。それは、まともに戦って来たのがまだ結芽しかいないから、他の人はどんな風に戦うんだろうと気になるからだ。

 

「じゃあ、私ここだから。お菓子の食べ過ぎはダメだよ」

 

「はいはーい」

 

「真希さんも、お願いしますね」

 

「分かった。結芽にはキツく言っておこう」

 

「ちょっと京奈ちゃん!真希おねーさんに言うのは卑怯だよ!」

 

 生真面目な真希は加減を知らない。だから、必要以上にお菓子の摂取を口うるさく言ってくるのは容易に想像できた。

 今日はお菓子を満足に食べられなさそうだ。そう悟った結芽は微妙に肩を落とした。

 

 

 研究棟の中を歩く京奈は、一番奥にある最重要区画の方へ向かっていた。

 彼女の能力は他国でも類を見ないオンリーワン。まだ調べなければならない事は沢山あるが、その研究から生まれる技術は革命的だと研究者は語る。

 彼女はイマイチ凄さが分かっていないが、血走った目でヒャッハーしている研究者達は余程興奮しているのが分かった。

 

 それ故に、他の国から研究成果を抜かれないようにするためにも警備は特に厳重で、刀使が数人常駐は当たり前。場合によっては機動隊すら警護に回すほどだ。

 国もこの研究に期待の目を向けていた。それがどれほどの期待度なのかは、追加の研究予算が大きく出た事で分かるだろう。

 

「……それで、今回の装備はこれです」

 

「見たところ、普通のS装備に見えるんですけど」

 

「似てるのは見た目だけですがね」

 

 ただ違うところを挙げるとするなら、所々オレンジ色に輝く筈の部位が今は点灯していないという事と、謎のバックパックが付いているということ。

 少なくとも今のところは、そこしか違いが見えなかった。

 

「S装備は確かに強力ですが、その稼働時間は通常10分ととても短い。その原因はノロと電力の合わせ技で刀使の並外れた動きをサポートするからです。特に問題なのはノロですね」

 

「ノロを暴走させないよう抑える為に電力を大きく使うって事ですか?」

 

「まあそんな感じです」

 

 ノロに一定の電流を流し続ければ、その動きを制御できる。それがS装備の性能を支える理論だ。そして、その電流を流すためのバッテリーは小型化した超高性能なものを搭載しているが、刀使が現場に立つ時間的にはそれでもまだ不足している。

 だがそれでも、10分というのは凄まじい稼働時間であった。他国の類似品は最大5分で強化幅も低く、更に暴走のリスクが高いのだから、その凄さが分かる。

 

「実のところ、稼働時間の問題を解消する手段はもうあるんですよ」

 

「そうなんですか?」

 

「ええ。ただその場合、S装備の背中に大型電源ケーブルが必要になりますが」

 

 知ってますか?エ○ァ。あれと同じです。と主任は言った。

 荒魂が暴れる場所の近くに、都合良く刀使の無茶な機動を賄えるほどの電源があれば良いが、そんなものは無いのが殆どだ。

 しかも刀使の並外れた動きにケーブルが切断される危険性もあるし、ケーブルを気にしていては刀使もマトモに動けない。ノロが暴走する危険もある。

 

 だから、手段はあるが使えない。という状態だった。

 

「それは……不便ですね」

 

「ええ、なのでケーブルは役に立ちません。だから小型バッテリーに甘んじている訳でした。今まではね」

 

 キランとメガネが輝いた。

 

「ですが!新田さんが齎した能力の研究成果によって、あるていど解決の目安が立ってきたのです!」

 

「私の……力で?」

 

 京奈の力は人を治すところにある。と本人は思っているし、周囲の人間もそう思っていた。

 だからそれがどうして、S装備の稼働時間問題の解決に作用するのか。京奈には分からなかった。

 

「ええ。新田さんの能力を解析していくと面白い事が分かりましてね。なんと、新田さんは既存の物ではない謎の力を流し込む事で怪我を治していたのですよ」

 

「謎のって、分からないんですか?」

 

「謎です。我々はこれを、刀使が御刀を通して使用している珠鋼の神性と仮定していますが、本当のところはどうなのか分かりません。前例がありませんからね」

 

 刀使の事を調査しようと思ったら先ずは写シの解析から入るのが世界中での研究の定石だった。

 だが分かったのは、刀使が肉体を一時的にエネルギー体へ変質させるという事くらい。それがどんな成分を持った、どんな力なのかは分からないのだ。

 

 刀使から切り離された写シの力はすぐに霧散してしまうから、何かで採取して研究。という事は出来ず、かといって刀使そのものに機材をぶっ刺すのは倫理的に宜しくない。

 写シを貼っている刀使でも人体実験という枠に入ってしまう以上は、大した手段は取れなかった。

 

「しかし一つだけ言えるのは、これはとても大きなエネルギーを秘めているということです。しかも人体に直接影響を及ぼせるくらいに濃い」

 

 が、京奈のそれは他に移る事が前提となっているからか、採取しても少しだけ消滅しない。

 それを採っては解析、採っては解析と繰り返していると、今まで謎だった部分も分かるようになってきたのだ。

 

「……それが、どうして」

 

「このエネルギーをどうにかこうにかして電力に変換できれば、稼働時間を大幅に伸ばしたS装備が作れる。という事なんですよ。その変換装置を小型バッテリーの位置に埋め込めれば……!

 まあ、その都合上、最初は新田さんにしか使えない装備になりそうですがね」

 

 とにかく、色々とデータを取る必要があります。と主任は京奈に装備を着るように促した。

 

「一先ずは、その新・ストームアーマー零号機を装備してみてください。データ採取用なので本来の機能は殆どありませんしノロも入ってませんが、着け心地は変わらない筈です」

 

「背中の大きい奴が、その変換用の?」

 

「ええ、試作品です。新田さんの能力使用に反応して、理論上はエネルギーを電気に変換してくれます。今日はそれの稼働データが欲しくて呼びました」

 

 京奈は言われるがままデータ採取用アーマーを装備しようと近付いて、初めて気がついた。

 背中のバックパックに気を取られていたから気づけなかったが、これ、電源ケーブルが付いている。

 

「あれ、このケーブルって」

 

「さっきはああ言いましたが、こういう施設であればケーブルの方が良いんですよ。……かっこいいですしね」

 

「……これ本当に要るんですか?」

 

「それを外すなんてとんでもない。ちゃんと実益も兼ねてますよ。それでデータ取りますから」

 

 実益"も"って、つまり趣味が多く入ってるんじゃないの?そう思いながらも、京奈は暫く零号機を着けて指示通りに動き続けたのだった。

 



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露出


1/10 珠鋼とか刀匠関係の内容を変更しました。とじとものストーリーを細かく見ないからこういう事になるんだ……


可奈美(かなみ)ちゃーん。可奈美ちゃーん?」

 

 場所は変わって岐阜県。ここにある刀使を養成する訓練学校"美濃関学院"の敷地内で、友人の名前を呼びながら歩く少女がいた。

 

「あっすいません。可奈美ちゃん見ませんでした?……そうですか。ありがとうございます」

 

 途中、道行く人に聞いてみても姿は見ていないという。さあ、どうしたものかと少女は困り果てた。

 

「あと10分で中継始まっちゃうのに……」

 

 電話やメール、SNSにも応答は無し。一体どこで油を売っているのだろう。あれだけ楽しそうに今日という日を待っていたというのに。

 録画はしてあるが、可奈美は生でも見たがっていた。まさか忘れてはいないだろうが……。

 

舞衣(まい)ちゃーん!」

 

「可奈美ちゃん!」

 

 後ろから少女の名前を呼ぶ聞きなれた声がする。振り返ると、雑誌か何かを抱えた少女─舞衣の友達である可奈美が走ってくるところだった。

 

「ごめんごめん。今日発売の月刊刀使を買うのに、すっごい人がいてさー」

 

「そっか。でも良かった、あと10分で長船と平城の交流試合の中継始まっちゃうから、見つからなかったらどうしようかと」

 

 ……今ちょうど、あと9分になったところだ。

 

「えっ!嘘、そんなに時間かかってたの!?」

 

「何度も連絡したのに、1度も出ないし」

 

 可奈美がスマホを見て、「あ」と思わず声をあげた。そうしてから、気まずそうに舞衣を見て言った。

 

「ご、ごめん…」

 

「ふふっ、私は怒ってないからいいよ。でも急がないと、本当に見過ごしちゃう」

 

「あっ!い、急がなきゃ!」

 

 謝ったり走り出したりと忙しい友人の様子を見て微笑みながら後を追いかけていった。

 

 刀使を刀使たらしめる力の源である御刀は、特殊な力こそあれど日本刀である。なので、その製造は基本的に一振り一振り丁寧に職人が仕上げる昔ながらの製法で行われていた。……とされている。

 

 何故こんな曖昧な表現なのかというと、その辺りの事が記されたかつての資料が失われてしまっているからだ。消失したのか、水没したのかは定かではないし、それらが失われたタイミングは過去の大戦の時とも、それより前とも言われている。

 とにかく、現在の技術では御刀の材料である珠鋼を生産する事は不可能な事は確かだ。しかし、御刀の技術を伝承したり復元をする必要がある以上、どのみち刀匠と呼ばれる者たちは居なければならない。

 

 ここ美濃関学院は、その刀匠になるための課程が伍箇伝の中で最も充実しているといっても過言ではない。

 そのためなのか、鎌府と長船以外は共学である伍箇伝の残り3校の中でも、美濃関は男女のバランスが最も取れていた。

 

 他の学校は何処か貴族気質というか、お嬢さまお坊ちゃまが通うような雰囲気と校風だが、美濃関だけは比較的庶民的な事もウケている要因だろう。

 

「んふふー。楽しみだなー♪」

 

「可奈美ちゃん。毎月それ言ってるよね」

 

「当然!だって、これが私の楽しみの一つだもん」

 

 月刊刀使という、主に刀使関係者向けの色々が載った月刊誌は可奈美の毎月の楽しみだ。

 伍箇伝の刀使はもちろん、有名な刀使についての特集は、友人から剣術オタクと褒められるくらいの可奈美にとって最高級の娯楽なのだ。

 

「だけど、今日はすっごく混んでて。危うく売り切れちゃいそうだったんだよね。なんでだろ?」

 

 月刊刀使は人気の雑誌だが、発売日当日に大勢が詰めかけて買い漁る。という人気のレベルではない。少なくとも、当日に本屋にダッシュした可奈美が買えないなんて事になりそうだったのは、今回が初めてだった。

 

「今月は親衛隊の記事があるからじゃないかな?ほら、折神家の御当主様の」

 

 私は小耳に挟んだだけだけど。と舞衣が言うのを聞いて、可奈美はレジ袋から月刊刀使を取り出した。

 買う時は月刊刀使という文字しか見てなかったが、よくよく見れば表紙から既に親衛隊一色になっている。

 

「親衛隊って、確かすっごく強い人達で作られてるんだっけ」

 

「うん。全員が御当主様が認めた凄腕の刀使で、中でも第一席の獅童 真希さんは剣術大会で二連覇した実力者だよ」

 

 伍箇伝の5校から、1校につき2名の代表者を選出して行う剣術大会は、折神家の主催で年に一回行われる。

 そこで優勝するという事は刀使にとって大変な名誉であり、その刀使の将来は明るいものになりやすい。

 

 だが、全国から集まる猛者達を相手に勝ち抜くのは相当に難しい。一回の優勝ですら、並大抵の実力では不可能だ。

 

 それを二連覇。

 そんな快挙を成し遂げた真希の実力は凡百のものではなく、並みの刀使が複数で襲いかかったところで鎧袖を一触すらさせずに打ち倒す事が出来た。

 

「それなら私も中継で見た!あの人、本当に凄かったよねー。私だったら受けきれずに潰されちゃうかも」

 

 そして、ガードの上から叩き潰すような剛剣は真希の代名詞として知られている。

 自らは小細工などせず、相手の小細工は真正面から叩き斬るスタイルは多くの刀使の憧れのようなバトルスタイルだった。

 

「それだけじゃなくて、立ち振る舞いも凄くカッコよくて紳士的なんだって。だから全国にファンがいっぱい居るんだ。刀使にも、一般の人にもね。

 売り切れそうになったのは、その獅童さんが表紙だからじゃないかな?」

 

「言われてみれば、なんか明らかに刀使関係じゃない人も買ってたかも」

 

 その時の可奈美は月刊刀使に夢中だったので気がする止まりだが、そういえば近くの刀使関係ではない高校の制服も見たような気がする。

 親衛隊の人気とは、獅童真希の人気とは、つまりはそれほどのものだった。

 

「剣術大会といえば、今年は校内予選ギリギリ負けちゃったんだよね。あー!なんか思い出したら悔しくなってきた」

 

「可奈美ちゃんは凄いよね……。私達の代で先輩を追い詰めてたのって、確か可奈美ちゃんだけでしょ?」

 

「そんな、私なんて大した事ないって。結局負けちゃってるしさ」

 

 もう我慢できないのか、歩きながらパラパラと月刊刀使を捲る可奈美は、真希に続いて大きく取られた京奈の特集に目を引かれた。

 

「……あれ?こんな子、親衛隊にいたっけ」

 

 あまりにも表情を作るのが下手過ぎたために寿々花に指導されて、どうにか上手く表情を作ったという裏話のある写真が特集を大きく飾る。

 記憶に無いその姿に可奈美は首を傾げていると、それをチラッと見ながら舞衣が言った。

 

「その子、御当主様が自ら親衛隊に招き入れた刀使らしいよ」

 

「御当主様が?」

 

「風の噂だけどね」

 

 折神家の職員から各学園にリークされ、そして学園の職員達に広まった話は、学生達の間で既に話されていた。

 

「へー!じゃあ、この子も凄く強いのかな?」

 

「多分……。だって親衛隊だよ?選考基準も厳しくなってるって聞くのに選ばれたって事は、相当強いと思う」

 

 親衛隊に選ばれるのには厳しい選考基準がある。

 学生達の間では、そうまことしやかに囁かれていた。

 

 折神家から正式に発表された訳ではない眉唾物の話だし、事実として選考基準など紫の判断一つという無いに等しい物なのだが、そんな真実を知らなければそう考えるのは当然の事だった。

 

「歳は……一つ下かぁ。世の中こんな凄い子も居るんだねー」

 

「……戦ってみたいんでしょ」

 

「あ、やっぱ分かる?」

 

「目を見ればね」

 

 何でもないように可奈美は言っていたが、可奈美達は現在中等科の一年生。その一つ下という事は、つまり一般的には御刀に触らない歳だという事だ。

 

 そんな歳の子が全国に並み居る刀使を差し置いて親衛隊に抜擢される。

 世間一般で予想されていた、次の親衛隊入りが有力視されていた刀使ではない入隊者に、世間は大いに騒いだ。

 

 そんな彼女のバトルスタイルや彼女が使う御刀の名前。そして出身地や母親の偉業などは瞬く間に調べ上げられ、すでに大衆が知るところとなっている。

 

 つまり、

 

「なんか、凄い見られてるんですけど」

 

「まあ、そうだろうね」

 

 道を歩く度に、スーパースターの如き注目を集める事になるのだった。

 

 お昼のワイドショーで名前が出た時、京奈は飲んでいた味噌汁を盛大にむせた。

 いやなんでさとツッコミをテレビに入れた、そのお昼以降ずっとこの調子だ。何処に行っても人の目が凄まじい。

 

 いや、前から目線は凄まじかったが。しかしワイドショーに出てから、更に見られるようになった気がする。

 

「真希さんは良くこんなの耐えられますね」

 

「それも慣れだね。でも、なんで僕がこんな人気なんだろうな……」

 

「あはは……」

 

 無自覚って怖いなあ。と思いながら真希と並んで歩く荒魂討伐の帰り。今日は珍しく真希が現場に出てきていた。

 

「それにしても珍しいですね。真希さんって、普段は現場に出てこないのに」

 

「たまに身体を動かさないと鈍ってしまうからね。だから時々、こうして現場に出るのさ」

 

 指揮にばかり徹していては、いざ万一の事があった時に身体が鈍って十全な実力を発揮できないと、真希は常日頃から考えている。

 その考えの奥底には、己は紫の刃であり盾(親衛隊)。その刃が必要な時に力を発揮出来ないのでは意味がない。という想いがあった。

 

 だから指揮者でありながら、現場に自ら出てくるのだ。

 

「ところで、僕とこうして話しているって事は、今日は重傷者が少なかったって事で良いのかな?」

 

「はい。今日は普段の半分くらいで……このまま少しずつ、そういう人が少なくなるのならいいんですけどね」

 

「なるのなら、じゃない。少なくするのさ。僕たち刀使は、そのために日々戦っているんだから」

 

 荒魂の出現は未だ止むことは無い。その数を減らす有効な手立ても、まだ見つかってはいなかった。

 だが、いつかは見つかる筈だ。それが何年後、何十年後、何百年後かは分からないが、いつか──

 

「──人間は必ず勝つ。そして荒魂を必ず滅する」

 

「……そうですね、弱気になってちゃ駄目だ」

 

 僕達は負けない。そんな決意を口にした真希に、京奈も頷いた。

 

「そのためにも、まずは強くならなきゃね。帰ったら特訓だ」

 

「はいっ!」

 

 真希は京奈を引き連れて、迎えのヘリに戻っていった。

 

 さて、折神家に戻って来た2人がすたすた歩いていると、施設の警護に当たっている刀使達とすれ違う。

 折神家の敷地内には様々な機関の本部が併設されているために警備も厳重で、単一で凄まじい強さを誇る刀使も優先的に配属されていた。

 

「やった、獅童さんと会えた!」

 

「それに隣の子……御当主様が直々にスカウトしてきたっていう、あの子?」

 

「多分そうだよ!だって私、月刊刀使で見たもん」

 

「確か、お母様が20年前の英雄なのよね。母娘揃って優秀な刀使なんて凄いわよね」

 

 そんな彼女達は立場上こそ立派な公務員だが、中身はやはり普通の年頃の女子。

 2人が通り過ぎた後、声量こそ抑え目だが興奮気味に話してしまうのも仕方ないのかもしれない。

 

「まったく、弛んでるな」

 

「そ、それだけ平和って事ですよ。それに、ずっと同じ所に立ってると退屈でしょうし……」

 

「それが彼女達の仕事だ。しっかりしてくれなければ困る」

 

 仮にも折神家に所属しているのならば、その辺りの自覚が無いと困るのだ。軽はずみな行動一つが、折神家の品格というものを貶めるのだから。

 そんな事を分かっているのかいないのか。いや、きっと分かっていないだろう。

 

「後で注意しておかなければ。確かあのエリアの管轄は……」

 

「あー……」

 

 きっと怒られるだろう刀使たちに、京奈は心の中で頑張ってください。とエールを送った。

 

 

 2人が戻ってから暫くして、ノロを回収した車も折神家の中にある貯蔵施設に入った。

 汲み出し用のポンプから貯蔵庫に流れ込んでいくノロは、一瞬こそ結合しようとする素振りを見せたものの、あっという間に波立たぬ湖面のように静まり返る。

 

 このような光景は、貯蔵庫の大きさこそ違えど世界各地の貯蔵施設で見られるものだ。

 そしてこのノロが、世界各国の頭を悩ませる問題の一つでもある。

 

 何故かといえば、それは殆ど消滅しないというノロの特性が関係していた。燃やしてもダメ、超高温で溶かしてもダメ。そのくせ集まると、スライムの如く合体して荒魂と化す。

 文字に起こせば放射能なんかよりもっと重く深刻な環境汚染問題であるし、事実そうだ。

 

 国連で話し合われる内容も、大体これに行き着いたりする。先進諸国から排出されるノロの量は未だ増加の傾向にあり、その貯蔵施設は、そろそろ限界を迎えようとしていた。

 それを何処に保管するのか。保管したとして、その管理を誰がやるのか。

 

 国連が開かれる度に会議は各々の主張で混乱し、結局自国で管理するという結論に行き着くのだった。

 

「ふむ」

 

 そんなノロを見ることが出来る施設内のガラス張りスペースで白衣のポケットからタバコを取り出し、禁煙な事を思い出して戻す。

 厳しい世の中だとボヤきながら、代わりにココアシガレットを咥えて寂しい口元を誤魔化した後に、スマホを取り出した。

 

 消滅はしない。廃棄もできない。となれば、それはどうにかして有効活用するしかないだろう。

 そんな結論が世界各国で広まり、その手始めとしてノロの軍事転用が行なわれているのだった。

 

「暴動はいつも通り。でも最近多いな」

 

 今や、荒魂の脅威というのは全世界で共通する問題だ。過去──日本が鎖国を解いて開国するまでは日本固有の災害であったのに、それ以降は荒魂の発見報告が世界で見られるようになったと言われている。

 そして通常兵器で太刀打ちできない荒魂は、刀使が数えるほどしかいない地域では死神の如き存在なのだ。具体的に言えば、中東地域だとかアフリカ大陸の真ん中くらいとか。

 そんなものが跋扈するところに居られるか、ここより安全な国に避難させろという難民は後を絶たず、また、それによる暴動も発生していた。

 

 日本も他人事ではないが、周りが海で囲まれた国土と隣国との距離が若干遠いことから、陸続きの国と比べて相当マシではある。

 

「……比較対象が悪すぎるか」

 

 ノロを眺めていると、カツカツカツと靴音を鳴らしながら誰か来る。足音の早さ的に考えて、どうやら焦っているように思えた。

 

「主任!やっぱりここにいた!」

 

「おつかれー。休憩?」

 

「んなわけないでしょう!」

 

 やって来たのは主任の助手。放浪癖のある主任に胃と頭を痛ませながら日々戦う研究員である。

 

「そう大声を出すな。紫様が来たんだろう?」

 

「分かっているなら……」

 

「だが休憩というのは非常に大事だぞ。たとえ相手が紫様とはいえ、そこだけは譲れない」

 

「あなたって人は……!とにかく戻りますよ!もうっ!」

 

「はいはーい」

 

 ぷりぷり怒る助手の後ろ姿に笑みを浮かべて、主任は助手に聞こえないように呟いた。

 

「やはり、こいつは弄りがいがあるな」

 

 これは全くの余談だが、主任が彼を助手に選んだ理由は"反応がいいから"という一点だけだったりする。

 



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剛剣

 

「はあッ!」

 

 振り下ろされた御刀が、受けの姿勢でいる京奈に襲いかかる。

 振り下ろしという最もパワーの乗る行動が上乗せされ、更に受けることが困難になった真希の一撃は、しかし斜めに構えられた御刀の表面をなぞるようにして流された。

 

(やはり、やる!)

 

 真正面から流されるというのは初めてではないが、その受け流しを崩すビジョンが見えないというのは初めての経験だった。

 

 真希は流された御刀を即座に切り返し、胴体という広い箇所を狙って薙ぐ。

 今までの相手であれば、ここで何かしらの反応を見せる。一撃目は流せたが二撃目は流せないと後退する者もいた。逆にカウンターを喰らわせてやろうとする者もいた。肉を切らせて骨を断つと言わんばかりに捨て身の攻撃を仕掛けてくる者もいた。

 

 だが少し踏み込んでくる程度で、他には何もない。ただ受け流された。確かに御刀同士がぶつかり合っているのに、まるで湖面に映る月を斬っているかのような手応えのなさは、真希にとって初めてだ。

 ひらりひらりと掴みどころのない結芽の柔らかな剣とはまた違う、幻のような剣。

 

(これが紫様や結芽の認めた実力か!)

 

 強い。

 真希は純粋にそう感じた。一切攻めてこないで、ただ受けられているだけなのに、それを超えられる気がしない。

 無傷なのにも関わらず、真希の息は上がっていた。それは真希をして息が上がるほどの苛烈な攻めを展開していたという事であるし、その猛攻を京奈が受けきっているという事でもある。

 

 その京奈も無傷ではない。本当に致命的な一撃こそ通していないものの、写シは細かい傷だらけで、やはり息が上がっていた。

 

(熊みたいだ……)

 

 真希の剛剣を京奈は内心でそう評価していた。

 マトモに受けたら上から潰されかねないという威圧感の篭った一撃は、以前に戦っていた熊のそれと酷似しているように思えたのだ。

 

(今は何とか持ちこたえてはいるけど、あとどれくらい持つか……)

 

 真希の剛剣は一撃一撃が致命傷を与える鋭い剣だ。そして重く、受け流すのにも相応に体力を持っていかれる。

 そこら辺が決めにくる一撃以外は軽く流せる結芽とは違い、結果として10分という比較的短い時間で体力が底をつきそうな原因であった。

 

「……もはや、意地の張り合いですわね」

 

 その光景を眺めている寿々花は、呆れ半分と感心半分でそう言った。

 2人の目からは闘志はまだ消えていない。むしろ"相手より先に倒れてなるものか"という気持ちすら感じられる。

 

「私もだけど、京奈ちゃんも凄く負けず嫌いだからね。例え初見の真希おねーさんでも、負けたくないんだと思うよ」

 

「それ自体は大変よろしい事だと思いますけれど……」

 

 敢闘精神が豊富なのは良い事だ。良い事なのだが……

 

「これだけ注目を集めてしまうのは、まあ仕方ないとはいえ、そろそろ解散させないと迷惑になりますわよね」

 

 結芽と普段から立ち合っている中庭での戦いは、職員達の目に入る場所だ。それ故に休憩時間に入った元刀使の職員達が、あらゆる場所から2人に注目している。

 今日に限らず、結芽と立ち合っている時から見られてはいたが、今日は相手が真希というのもあって前日の比ではないくらいに人が多い。

 

「でも、どうやって止めるのさ。あの2人に私と寿々花おねーさんで割り込む?」

 

「結芽は暴れたいだけでしょう?却下ですわ。そんな事したら収拾がつかなくなりますもの」

 

 明らかに暴れたそうな結芽の意見を却下して、ではどうすればいいかと頭を悩ませる。

 目の前で御刀をぶつけ合う2人を止めるのに、言葉では届く気がしないのは確かだ。しかし、では自らも御刀を、とするのは愚の骨頂だろう。

 なにせこの2人、スタミナ切れを起こしている今でも寿々花と互角に戦えそうなポテンシャルを持っているのだから。最悪返り討ちにあうかもしれない。

 

「ならば!」

 

 そんな事を考えられているなど露知らず、真希は京奈の受けを分析しながら苛烈な攻めを続けていた。

 

(威力が出る瞬間を外されているんだ。だから手応えが無い)

 

 攻撃の威力が出る前のタイミングで受け流されているから、手応えを感じない。

 微妙にスカされて満足に威力が発揮できないから、剛剣と称される己の一撃を受け続けられるのだと真希はおおよそアタリを付けていて、それは当たっていた。

 

(まあ分かったところで……)

 

 ならばと、こちらからタイミングをズラしてみても、まるで分かっているかのようにズラしたタイミングに合わされた。

 どうやら前へ飛び込んでみたり、逆に後退したり。そんな風に移動する事で受け流しに最適な位置へ動いているらしかった。

 

 試しにやってみたフェイントにも引っ掛からない。真希はフェイントがあまり得意ではないとはいえ、それでも並よりは上手いのにだ。

 思考を読まれているのではないか。そんな錯覚さえ感じさせられる。

 

(崩せなきゃ意味ないけどね!)

 

 ここが京奈が結芽と並び立っている理由の一つだろう。

 意識の裏をかいてくる結芽の変幻自在の太刀筋を、分かっているかのように殆ど全て防ぎきれる直感。そして血筋の影響なのか、凄まじいその防御センス。

 この2つが合わさった結果、既に守勢では並ぶ者なしとさえ言われているのだ。

 

(やばい、体力がもう持たない……!)

 

 だが、如何に守勢が得意とはいっても、受けるたび体力をガリガリと削ってくる剣を何時までも受けきれるほどの体力は京奈には無い。

 それは直感もセンスも関係の無い、京奈という個人の根本的な問題だった。

 

「「く、うっ……!」」

 

 どちらからともなく、そんな声が漏れる。そして、その思わず漏れ出た声で、体力が尽きかけている事を互いが悟った。

 

 動くなら、この辺りか。

 

 真希は勝負に出る事を決意した。これで失敗すれば負けだが、リスクを負わないで倒せるほど京奈の守備は脆くない。

 勝つためには、どこかでリスクを背負う必要があり、それはきっと今だ。

 

「その姿勢を崩す……!」

 

 以前、結芽が話していた勝利パターン。その殆どは体勢を崩してから必殺の一撃を叩き込むというもの。真希はそれを狙っている。

 他の方法も無くは無かったが、ちょこまかと動くのが好きではない真希でも取れそうな方法といえばそのくらいだった。

 

 残り少ない体力を振り絞り、全力で御刀を叩きつける。なんの技もない野性味のある力だけの一発は、この場面では非常に有効な一手だった。

 

 疲れから反応が鈍っていた京奈は、受け流す事が出来ずにそれをマトモに受けた。

 

「なん、とぉ……!?」

 

 ぐぐっと足を踏ん張って辛うじて耐える。その踏ん張りは芝生を踏み抜き下にある土にまで到達していたが、その足がザリザリと後ろに下がっていった。

 

 単純な力と力のぶつけ合いにおいて、京奈は圧倒的に不利だ。何故かといえば、それは体格や成長期の肉体が出せる力の上限に大きな差があるからである。

 受けてしまった後で京奈は自らの失態に気付いたが、今更不利は覆らない。

 

 真希も最後のチャンスだと分かっているのだろう。逃がさないように御刀に込める力が凄まじく強い。どこからこんな力が、と驚くほどだ。

 

「ぐっ、ぅぅぅ……!」

 

 向こうも全力。こちらも全力。

 ここが正念場。ここさえ耐えきれれば(攻めきれれば)、勝ちが自分のところに転がり込んでくる──!

 

「これでぇぇ……終わりだぁ!」

 

「まだ……まだぁ!」

 

 ここまで来れば、もう意地と意地の張り合いになってきていた。

 

 ガクッと京奈が圧されて片膝を着いた。ああっ、と野次馬たちが息を呑む。

 だが、まだ押し切れない。京奈を倒すのには、これでも足りないか!

 

「京奈!もう耐えなくても、良いんじゃないか……なっ!」

 

「そういう真希さん、こそっ!諦めた方が……いいですよ!」

 

 ここで再び均衡する。が、それはいつ傾くか分からない危ういもの。

 

 ハラハラしながら野次馬たちが生唾を飲み込んで見入っている2人の終わりは、唐突に訪れた。

 

「あっ……」

 

 力の均衡が崩れた。そして、そこで限界が訪れたのだろう。京奈の身体から力が抜けていく。ふらっと左側に倒れていった。

 

「まずいっ……」

 

 そして力が抜けた事で、均衡する事が前提で力を込めていた真希が思いっきりつんのめった。

 なんとか顔から落ちる事は避けられたものの、勢い余って地面に倒れてしまい、そのまま動かなくなる。

 

「………………この場合、どっちが勝ちなんですかね」

 

「…………引き分けで良いんじゃないかな。倒れたタイミングも殆ど同じだったし」

 

「……そうですね」

 

 お互い動けない。まだ仕事が残っているというのに、もう心身共に疲れ果てていた。

 

「……2人とも、もしかしなくても軽い手合わせだという事を忘れていたのではありませんの?」

 

「燃えちゃってたんだろうね。うんうん、分かる分かる」

 

「昭和の熱血マンガじゃないのですから……まったく」

 

 そんな2人にどこかジトーっとした目を向けなから軽く嘆息する。なんとなく危惧してはいたが、まさか本当にやらかすとは……。

 こんなに全力を出されては、本日も恐らく襲ってくるであろう荒魂の対処に問題が生じる可能性が高い。寿々花としては、それは看過できない問題だ。

 まさか真希の指揮能力に疲れが原因で陰りが出るとは思わないが、京奈の方は精神力が能力の強弱に直結する。それは由々しき問題だ。

 

「止めるならもう少し早く、でしたわね」

 

「だーから言ったのに。私と寿々花おねーさんで割り込めば良かったって」

 

「それをやったら収拾がつかなくなるのが目に見えてますもの」

 

 止める人間が誰もいなくなって、そのまま4人で倒れているか……いや、結芽だけは立っていそうだ。

 とにかく、この後の業務に支障をきたすのは間違いなかっただろう。

 

「真希さん」

 

「寿々花……もしかして怒ってる?」

 

 近づいてきた寿々花の笑顔に、なにか恐ろしいものを感じたのだろうか。真希に運動の後にかく汗とは違う種類の汗が流れはじめた。

 

「まさか。後先を考えずに全力を振り絞って、立つこともままならない真希さんに怒ってなんていませんわよ?」

 

「怒ってるじゃないか……」

 

「何か仰って?」

 

「……なんでもない」

 

 明らかに怒っている。が、そこを指摘してしまうと間違いなくキレられる。

 真希は黙って寿々花の威圧感に当てられながら、それから逃げるように目を逸らす事しか出来なかった。

 

「お疲れー」

 

「結芽ちゃん……今疲れてるから止めて」

 

 京奈の顔の近くにしゃがみこんで頬をぐにぐに弄る結芽と京奈は微笑ましいのに、なんでこっちは殺伐としているんだ。

 ちょっと理不尽なんじゃないかと嘆いた昼間の一時であった。

 

 

 そもそもこんな事になった始まりは、真希が京奈を鍛錬に誘ったからである。「結芽とばかりでは経験が偏るだろう?どうだい、僕ともやらないか?」と誘う姿は、何故かちょっと危ない感じだったと後に結芽は語る。

 京奈としても、それは願ったりだった。結芽は確かに天才で全国でも一、二を争う猛者ではあるが、動きが少しトリッキーすぎる。

 正面から正攻法で攻めてくる人との経験は、意外な事にまだ無かったのだ。

 

「しかし、よく真希さんの攻撃を耐えられましたわね。わたくしは真正面から受け流し続けるのは厳しいんですけれど」

 

「それは僕も気になっていた。京奈は僕みたいなタイプの戦闘経験は無いと言っていたけど……」

 

 それにしては、やけに受け流しが綺麗だった気がする。ぎこちない部分もあったが、それは経験不足からくるのではなく、何かの違いに戸惑っているような……噛み合っていないとでも言えばいいのか。

 とにかく、初めての動きではないのは確かだった。

 

「真希さんみたいなタイプの刀使とはやった事ないんですけど……その、熊とはあるので」

 

「「熊?」」

 

「熊って、あのガオーって奴?」

 

「そう、それ」

 

 ……なぜ熊が?と3人は不思議に思った。真希と熊、そこに共通点が見いだせなかったのだ。

 

「受けてて思ったんですけど、真希さんって熊みたいに力強いんですよ。それで、私は常日頃から熊とやり合ってたのでその力強さへの対処は心得てまして……刀使のスピードに合わせるのは苦労しましたけど」

 

「京奈ちゃんって熊と戦ってたの!?ずるい、私もやってみたい!」

 

「いやズルいって言われても……そんないいものじゃないよ?生きるためにやってたんだし」

 

 しかもいっぺん死にかけてるんだけどなぁ。と思いながらズルいズルいと言う結芽の相手をする京奈の発言を、真希は脳内で咀嚼していた。

 

「……野生の熊は人間より遥かに力があるし、過酷な環境で生き残っているから頭も良く回ると聞く。常日頃からそんなのと立ち合っていれば、その剛力を受け流すコツを掴んでいても不思議ではないか」

 

「その経験が元となって、真希さんの剛剣を受け流せたと?」

 

「僕はそう考える。寿々花は違うかい?」

 

「……野生動物との立ち合いなど正直、眉唾物かと思っていましたけれど。嘘をついているという訳でもなさそうですものね」

 

 そしてその説明なら、初めてではなさそうだが噛み合わない動きに一応は納得できる。

 ……熊とやり合うという事態そのものが信じられないという一点を除けばだが。

 

「それにしても初めてだよ。熊みたいだって言われたのは」

 

「そうでしょうね。真希さんといえば、貴公子だとか守られたい刀使NO.1の紳士なんて呼ばれていますもの」

 

「ちょっと待て。初耳だぞ、それは」

 

 今月の月刊刀使の内容である。特集トップの髪を軽くかき上げた真希の写真は全国の女子をキャーキャー言わせるのに十二分な破壊力を持っていた。

 

「……まあそれはいい。それより寿々花、僕も明日から野生の熊との手合わせを日課にするべきだと思うんだけど」

 

「この近所に熊は居ませんわよ」

 

 京奈の影響か、どこか悪い方向に進み始めようとしている真希を止めながら寿々花はため息をついた。

 



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こめ……うま……

なんだこれ



 折神紫の執務室は、いつも静謐な空気に包まれている。

 紫は無言で執務をこなし、言葉を発するのは報告を聞く時くらいのもので、傍に控える夜見もまた、滅多に口を開かない。

 

 音があるとするなら、それはカリカリというペンが走る音と、紙をめくるペラッペラッという音くらいのものだった。

 

「夜見」

 

「はい」

 

 やがて、トントンと書類の束を机で纏めて紫は夜見を呼んだ。その書類の束を渡しながら、更に紫は夜見に言った。

 

「これを事務に回した後は身体を休めろ。午後からまた警護に就いてもらう」

 

「了解しました」

 

 書類を受け取った夜見は、一礼をして執務室から出た。そしてその書類を事務屋に回し、コツコツと足音をたてながら、夜見は廊下を1人で歩いていく。

 

 普段は常に紫の傍に控えている夜見だが、1日のうち何回かはこのように休息のために離れる事がある。

 その表情の変化の無さや感情の乗らない言葉、そして少ない口数からロボットなんじゃないかと囁かれたりしているが、夜見は立派な人間である。刃物で斬られれば血が出るし、しっかり人間の食べ物を食べている。

 

「…………」

 

 そして、最高のパフォーマンスを発揮するには休息を適度に挟む事が必要だという事を夜見は分かっていた。

 

 夜見が向かった先は自分に割り当てられた部屋ではなく、結芽が入り浸って以降ずっと親衛隊専用の場所と化している共用スペース。

 部屋よりここの方が執務室に近く、戻るのも容易い。だから普段からここを使っていて、そして普段のこの時間は誰も居ないのだが……今日は珍しく先客が居たらしい。

 

「……あ、夜見さん。こんにちは」

 

「こんにちは」

 

 京奈がテーブルを使って何かやっていた。鉛筆を握っている事から、恐らく勉強しているのだろう。

 

「…………あれ、なんでだろう。分数が……」

 

 彼女の背後を通り過ぎて、彼女の趣味でもある紅茶の葉が入っている戸棚を開ける。その中から気分で選んで目視で茶葉の量を計りポットに入れてからお湯を注ぎ、出来た紅茶を用意したカップに注げば、ふわっと落ち着く香りが広がった。

 何気なくやっているように見えるが、ここまでくるのにどれほどの修練を要したか分からない。お湯の温度から、お湯を注ぎ込んでからカップに分けるタイミングまで、全てに納得がいくまでには相当の月日を必要としたのだ。

 

 よし──と表情を変えずに満足して、夜見はカップをお盆に乗せてテーブルに向かう。

 

「どうぞ」

 

 そして、2つあるカップのうち片方を京奈の前に置いた。

 

「あっ、ありがとうございます。すいません、わざわざ」

 

「いえ。何か煮詰まっているようでしたから」

 

「あはは。まあちょっと、算数に手こずっちゃってて」

 

 そういえば、まだ小学生だったか。

 あまりに大人びている様子から、算数なんて単語は似合わないと一瞬だが感じてしまった。これが結芽なら何の違和感も無いのだろうが……。

 

「珍しいですね」

 

「え?」

 

「普段、この時間は燕さんと立ち合っていると聞いていますから」

 

「いつもなら、そうなんですけどね。ちょっと宿題が溜まっちゃってて……」

 

 結芽ちゃんを説得するのは苦労しました。と京奈は苦笑し、確かにそうだろうと夜見は思った。子供っぽい結芽を説得するのは並大抵では無かっただろう。

 

「そういえば、結芽ちゃんって宿題とかやってるところ見ないなぁ……」

 

「そうですね、私も見た事はありません」

 

「今度、それとなく聞いてみようかな」

 

「それが良いんじゃないでしょうか」

 

 と、そこまで考えた夜見の脳裏に唐突に疑問が浮かび上がった。あれ、小学生?と。

 

「……新田さんは、ここに来る前は小学生でしたよね?伍箇伝の何処かに通っていたとかではなくて」

 

「ええ、そうですけど」

 

 …………これは相当マズい事を知ってしまったのではないか。

 何を当たり前の事を、と言いそうな京奈を見ながら夜見は表情を変えずに考える。

 

 結芽の例を見れば分かるが、優秀な刀使であるなら大体の場合、それが発覚した時点で伍箇伝の何処かに半ば強制的に入学させられるのが普通である。……自由意志に任せるという体をとってはいるし、もちろん例外もあるが、基本的にはそういう事になっていた。

 そして、結芽に並び立てるほどの力を持ち、その特殊能力も非常に有用な京奈は優秀な刀使の括りに当然含まれる。

 

 しかもその能力は医療剣術という、民間人でも目で分かるレベルの恩恵を齎す能力だ。その能力が人目に付けば、それが噂として広まる可能性は非常に高かっただろう。

 そして噂が広まれば、間違いなく伍箇伝や折神家が感知する。火のないところに煙は立たないというから、その火元を確かめに向かっただろう。しかし、紫が直接赴くまでそれも無かったらしい。

 

 ちなみに伍箇伝は中高一貫であり小学校は存在しないので、伍箇伝に所属する小学生というのは有り得ない。だから結芽は飛び級という形で、11歳でありながら中学一年生を名乗っている。

 

 以上をふまえて考えると、彼女は間違いなく優秀な刀使でありながらも、何かしらの理由でその存在が秘匿されていたという核地雷級の裏事情が垣間見えてくるのだ。

 

 いや、もしかしたら偶然バレなかっただけかもしれないが。だが流石にそれは少し無理があるだろう。

 

「なにかあるんですか?」

 

「……いえ、新田さんが大人びているものですから、ちょっと疑問に思っただけです」

 

 どこの世界でもそうだが、知りたがりの寿命は短い。明らかにヤバいものだと分かっていて、そこに足を踏み入れるほど夜見は愚かではなかった。

 

「あはは、よく言われます。お前は小学生に見えないって」

 

 頭は小学生相応なんですけどね。と自虐ネタに走りながら、京奈は鉛筆を持ち直した。

 夜見がチラッと覗いてみると、どうやら文章題で手こずっているようだ。

 

「あー……ダメだ、分かんない。休憩しよっと」

 

 京奈はそう言って、ぐいーっとカップを傾け、そして一息で空になったカップを置いた。

 

「そういえば、こうやって夜見さんと2人で話すことって滅多にありませんよね」

 

「そうですね。普段、活動している場所や時間が合いませんから」

 

 夜見や京奈が、そこまで積極的に他人と関わろうとしないというのもあるだろうが、活動場所と時間が合わないというのが最大の理由だった。

 しかし、今こうして向かい合ったからには何か話すべきだろう。何でもいい、なにか世間話を……。

 

「…………」

 

「…………」

 

 しかし、どちらも何も言い出せない。お互いに何を話せばいいのか。というのが分からないのだ。

 

「きょ、今日も良い天気ですね」

 

「そうですね」

 

「あー、えっと……」

 

「……」

 

 結果として、こんなアホみたいな話題を出してしまうのだった。しかも続かない。

 もしこの場面を他のメンバーに見られていたら、なんと言われるだろう。少なくとも結芽は爆笑してきそうな気がする。

 

「……新田さんは」

 

「はいっ!?」

 

「新田さんは、どこに進学するか考えていますか?」

 

「進学、ですか。えっと……」

 

 夜見のこの問いに意味は無い。京奈が親衛隊である間の所属は折神家であり、この敷地から外には滅多に出られない。そして伍箇伝のどこに進学するのかというのに京奈の自由意志は殆ど関係ないからだ。所属の決まっていない宣伝効果抜群の刀使なんて誰もが欲しがるに決まっている。

 ただ、現学長が怨敵の如く京奈と京奈の母親を嫌っている事から鎌府だけは欲しがらないだろうなとは思うが。

 

 ではなぜ問いを投げたのかと言われれば、それは雑談の話題提供という意味以上のものは無い。

 もし選べるのなら、どこに行きたいのだろう。という興味本位での質問と言い換えても良かった。

 

「……まだ、よく分かんないです。先の事だし、漠然としてて」

 

「そうですか。そうでしょうね」

 

 しかし、帰ってきた答えは曖昧なもの。だが、それもそうだろう。今まで普通に生きてきたのに、ある日突然に親衛隊に連れてこられて、そして急に注目を集める立場になった。

 目まぐるしい毎日を過ごすばかりで、先のことにまで目がまだ向かないのだろう。数ヶ月経ったとはいえ、未だに慣れない筈だ。

 

「夜見さんはどうなんですか?」

 

「私ですか?」

 

「ええ。夜見さんは確か鎌府でしたよね。なんであそこを選んだんですか?」

 

 何となく投げかけられた質問に、夜見はカップを傾けた。なぜ選んだか?そんなもの──

 

「さあ、何故でしたかね」

 

 

 なんだこれは。と、そこを訪れた殆どの人は思った。そして、どうすればいいんだ。とも思った。

 

「はむはむはむはむ」

 

「もぐもぐもぐもぐ」

 

 誰もが遠巻きに見つめている、そんな視線に気付いていないのだろうか。一切気にせずにひたすら食べる。

 

 2人の前には山ほどのおむすびが積まれていた。それを2人は無言で、しかしどこか満足そうに両手に持って、もしゃもしゃと食べている。

 

「はむはむはむ」

 

「もぐもぐもぐ」

 

 見ているだけでお腹が膨れそうな食べっぷりだ。しかも2人の話を聞いた限りだと、あれらは全て塩むすびらしい。具も何も無い、ただの米の塊なんだという。

 それを知った者達は等しく"そんなものを食べ続けて喜ぶのか……"という思いを抱いた。

 

「うわぁ……京奈ちゃんって、そっち側の人間だったんだ。うわぁ……」

 

「あれは……真似できないな」

 

「見た目的にも、栄養バランス的にも、あれは宜しくないですわよね」

 

 そんな様子を遠巻きに見つめる者の中には、結芽や真希といった親衛隊メンバーも含まれていた。

 あれが年頃の青年とかならまだ……いや、それでも相当無理があるのに、2人は年頃の女子である。流石に絵面がシュールすぎた。もはやギャグのレベルにまで昇華されてしまっている。

 

「ねえ真希おねーさん。ちょっと行ってきてよ」

 

「嫌だ。言い出しっぺの結芽が行けばいいだろう」

 

「やだよ。だって私、前に夜見おねーさんと話したもん」

 

 乙女の尊厳とか親衛隊の威厳とか、色々な物を投げ捨てている2人には、ちょっとお話が必要だろう。だが、じゃあ誰が行くのかと問われれば、誰もが顔を隣人に向けた。

 塩むすびを延々と消費している気が狂ってるとしか思えない今の2人には、誰も関わりたくないのだ。

 

「…………仕方ありませんわね。わたくしが行きますわ」

 

 そんな群衆の中から、1人自ら進んでいった者がいた。

 

 その名は此花 寿々花。職業はヒーローに違いない。

 

「おおー……勇者だ、勇者がいる」

 

「頑張ってくれ、寿々花」

 

「ええ。必ずや、あの2人に栄養バランスを考えた食事を取らせてみせますわ」

 

 寿々花は決意を胸に2人が座るテーブル席へと歩いていった。その堂々とした様子に誰もが期待を寄せ、そして……

 

「おこめおいしいですわー」

 

「寿々花ーーーっ!!?」

 

 塩むすびを口に突っ込まれてアッサリ堕ちた。起承転結から承と転をダルマ落としの如く抜き取った展開に、誰もが度肝を抜かれる。

 

「すまない寿々花……僕が不甲斐ないばかりに……っ!」

 

 後悔する真希の脳裏に通り過ぎていったのは、今までの寿々花との思い出。

 剣術での勝負、夏祭りの屋台での勝負、黒ひげ危機一発での勝負、2人きりでのトランプ勝負もあった。芋を掘る速さと量を競ったこともあったし、田植えの速さを競ったことも…………いや待て、農作業はしたこと無いだろう。どうやらショックのあまり少し汚染されたみたいだ。

 

「ちょっと、どうすんのさこの状況!寿々花おねーさんまで引きずり込まれちゃってるじゃん!?」

 

「くっ、まさかここまで手強いとは……!」

 

 夜見も親衛隊の一員という事なのだろう。まさか塩むすび一つで寿々花を制圧してみせるとは、流石の真希も想定外だった。

 言葉と言葉をぶつけ合う論戦ならば寿々花が有利なだけに、問答無用で口に塩むすびを突っ込んだ手並みは鮮やかだと評価せざるを得ない。

 

「……仕方ない。ならば次は僕が行こう」

 

「いやなんで!?なんで今の見て行こうって判断できるの!?」

 

「親衛隊には、引いてはならない時があるんだ」

 

「それ絶対に今じゃないよ!」

 

「行くぞ結芽。うおおおお!!」

 

 錯乱した真希が混沌としたテーブル席へと突撃を仕掛けた。明らかに無謀な突撃、誰もがその後に起こる光景を幻視したし、それは現実のものとなった。

 

「お米は完全なエネルギー食……お米は完全なエネルギー食……お米は完全な……」

 

「真希おねーさん……脳みそまで筋肉だったばっかりに……」

 

 速攻で塩むすびの山に埋もれてしまった真希に、全員が心の中で敬礼した。その行動は蛮勇だったのかもしれないが、真希の勇姿は胸に確かに刻まれたのだ。

 どんどん増えていく犠牲者、それらは全てが親衛隊。そして元凶も親衛隊。となれば、残った1人に目線が向くのは必然とさえ言えるだろう。

 

「……行かないよ?」

 

 この異常な空間の中で唯一正気を保っている結芽は、もう今日は昼食抜きでも良いんじゃないかとさえ思いはじめていた。

 こんな意味不明な空間の中で普通に食事を取れるのならば、それは間違いなく勇者とか狂人とか呼ばれる人種であろう。

 

「なんだこの騒ぎは」

 

 そんな食堂に新たに足を踏み入れた者が一人。偶然近くを通りがかった鎌府の高津学長だ。

 こんなところに来ない人物の登場に場がざわめく。

 

「あ、おばちゃんだ」

 

「ふん……一体何があった。紫様にお使えする者達でありながら、こんなに狼狽えるなど」

 

「いえ、それが……」

 

 人の波が左右に割れていき、その元凶たる塩むすびの山と、それを延々と消費する夜見と京奈の姿が高津学長の目に入った。

 

「…………」

 

 一旦目を閉じて、眉間の辺りを指でほぐす。そして見間違いだろうと思いながら再び目を見開くと、そこにはテーブルに力尽きた真希と寿々花の姿が追加されていた。

 

「……なんだこれは」

 

 普段親衛隊を毛嫌いしている高津学長ですら、声に侮蔑を込め忘れて素でそんな事を言ってしまった。

 

「…………なんなんだこれは!?」

 

 誰も答えない。その答えを誰も持ち合わせておらず、むしろ誰もが聞きたかった問いだからだ。

 力尽きた真希と寿々花が、近くにあった担架に乗せられ運搬されていく。そして高津学長の横を通り過ぎた時、うわ言のように「お米は完全な……」とか「玄米は栄養バランス抜群の……」とか呟いているのが耳に入ってしまった。

 

「──っ!」

 

 おぞましい悪魔の呪文を聞いてしまったかのように全身が粟立つ。ここに留まるのはマズい、何か良からぬ事が襲ってくると本能が訴えかけてくる。

 

「わ、私は仕事に戻らせてもらう。後は貴様たちでなんとかしろ」

 

「あー!おばちゃん逃げる気だ!」

 

「私はお前と違って忙しいの!本来ならここでのんびりしている時間など──」

 

 

「高津学長」

 

 

 聞きたくなかった声がした。

 この予想が外れていろと祈りながら振り向くと、祈りも虚しく両手に塩むすび装備の夜見が立っていた。

 

「な、なんだ。何の用だ」

 

「これをどうぞ」

 

 片手の塩むすびを高津学長に差し出した夜見はどこまでも普段通りで、それが不気味な感じを煽る。

 

「い、今はお腹が空いていないの。遠慮しておくわ」

 

「そうですか。では少々お待ちを、持ち運べるようにラップに包んできますから」

 

 どこまで私に塩むすびを食べさせたいんだ貴様と言いたかった。だが、その有無を言わさぬ圧力は、歴戦の刀使である高津学長ですら抗い難いものだった。

 

「どうぞ」

 

「あ、ああ……」

 

「お気をつけて」

 

 綺麗に包まれた塩むすびを高津学長に渡した後、一礼をしてから何事も無かったかのようにテーブルに戻って塩むすびを食べ始めた。

 そんな様子に完全に毒気を抜かれた高津学長は、普段なら吐いていたであろう悪態を一つもつかないでその場を後にしたのだった。

 

「はむはむはむはむ……それにしても皆さん、どうしたんでしょう?」

 

「もぐもぐもぐもぐ……さあ?」

 

「はむっ……それより新田さん、貴女はイケる口だったのですね」

 

「もぐっ……ええまあ。お爺ちゃんが好きだったから、自然と私も」

 

「そうなんですか。お爺様とは気が合いそうです……はむっ」

 

 その性格からか、取っ付きづらいと思っていた夜見との意外な共通点。それを知った事で、なんだか仲良くなれそうかもと思った京奈であった。

 



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とある夜の一幕


特に何もしてないのに急にお気に入りが増えて「なんだこれは……」ってなったんですが、どうやらランキングに載っていたようですね。ありがとうございます。今後も精進します。



 

 刀使が貼る写シというものは非常に頑丈で、かつ剥がされても貼り直しが効く。

 貼り直しの回数は個人の精神力に左右され、なおかつ精神的に大きく消耗するということに目をつぶればだが、その防御性能はどんな盾よりも優秀である。

 刀使が若い女子達で結成されているのに、現代装備を配備された機動隊よりも強い理由の割合を、この写シが大きく占めていた。

 

 そんな写シを利用すれば、刀使を手早く現場に運ぶのに多少手荒で無茶な方法を取ることも可能になる。

 

「降下地点に到着しました!」

 

「分かりました!新田京奈、行きます!」

 

 一例を挙げるとするなら、ヘリから結構な高さを飛び降りるという無茶な行為がそれだ。普通なら唯の自殺行為であるそれは、刀使の写シがあってこそ成り立つ輸送方法なのである。

 

 そんな方法で京奈が戦場に降り立つのは、今日で10回目。最初は突き落とされる形で飛び降り(絵面的には殺されているように見えた)ていたが、今では自分から飛び降りて着地まで決められるくらいに慣れていた。

 ……慣れざるを得なかった、とも言える。

 

 やっと上手く着地できるようになった京奈を見て、機動隊員達は一斉に色めき立った。

 

「おお……京奈様だ。京奈様が御降臨なさった」

 

 着地してから聞こえた第一声に、早速京奈の頬が引き攣る。京奈が治療のために御刀を抜き放つと同時に、1人の隊員が恭しく一礼をして近づいてきた。

 

「お疲れ様です京奈様」

 

「そういうの良いんで、さっさと案内してください。そして様を付けるのを止めてください」

 

「とんでもない。京奈様は我々機動隊の守護天使です。そんな京奈様に様を付けないのなら、紫様にも様付けが出来なくなってしまいます」

 

「いいんですかそんな事言って。一応ですけど私、親衛隊ですからね?紫様に告げ口できるんですからね?」

 

 彼ら機動隊員の所属は特別祭祀機動隊であり、その実質的なトップは折神紫である。

 言ってしまえば社長にタメ口を聞くレベルの暴言に、京奈は冷や汗が止まらない。

 

(というか、なんで私と紫さんが同列に扱われてるのさ!?)

 

 こんな事を言われるのは今回が初めてではないが、なんか現場に出る度に発言の危険度合いが上がっていっているような気がしている。

 いや、それよりサラッと流しそうになったけど守護天使って何だよ。とか思いつつも、それを聞くのは止めた。やぶ蛇なのが目に見えているからだ。

 

 負傷者の中には、京奈の姿を見て両手を合わせる者もいた。まるで敬虔な信者が己の信ずる神を見たかのような反応に、京奈は微妙な表情を浮かべるしか出来ない。

 

「おいしっかりしろ!京奈様が来て下さったぞ!」

 

「もうちょっとだ!お前言ってただろ、死ぬ時は京奈様に頭を抱かれて死にたいって!」

 

「はぁ!?なんだそれ許さん!お前、傷が治ったらシバいてやるからな!」

 

「俺たちだって死ぬ時は京奈様に看取られて死にてぇのに!」

 

 もう帰っていいかな。

 

 狂信者達が作り出す頭のおかしい空間から今すぐに逃げ出したい。しかし、目の前で助けを求める人を見捨てるわけにもいかない。

 二つの思いに板挟みにされた京奈が取れる選択は、無心で御刀をぶっ刺して治療を手早く済ませるという事だけだった。

 

「ありがとうございます京奈様!!そして起きろお前ぇ!」

 

「はい次の方ー」

 

 まあ、戦場でこんなに余裕があるのは良いことだよ。きっと。

 そう自分を納得させながら次々に治療していく京奈の目は、あらゆる光を飲み込めるくらいにドス黒く濁っていた。

 

「君は新興宗教でも始める気なのかい?」

 

「勝手に担ぎ上げられたんですよ」

 

 そんな有様を見た真希の当然の感想に、京奈は声のトーンを低くして答えた。

 グッサグッサとコーンフレークをスプーンで突き刺している様子には、まだ黒いものが見え隠れしている。

 

 あのようなキチガイじみた光景は、いつの間にか出来ていたものだった。といっても、京奈が何か特別な事をした訳ではない。

 現代科学では説明できない凄まじい治癒能力によって死の淵から生還した者達が、京奈の姿を勝手に神か天使のように見たてて、それが広まっていったのである。

 

 消耗率および死亡率が相当高かった機動隊にとって京奈の存在は大きい。それは物的・人的両方の損失という観点でもそうだが、精神的にもかなり楽になっている筈だった。

 "出れば殆ど確実に死ぬ。あるいは瀕死の重傷を負う"よりは、"運が良ければ殆ど確実に助かる"方が良いに決まっている。

 …………だが精神を安定させるために自分を守護天使として崇める、というのは無いはずだ。と京奈は信じている。一過性のブームみたいなものだと、そう思わなければやっていけない。

 

「まあ、いいじゃないか。人徳は無いより有った方が良いに決まっている。それはリーダーに必要不可欠な物だからね」

 

「こんな人徳なら無い方がマシでした」

 

「そもそも、あれは人徳と言えるのでしょうか……」

 

 真希の真っ当なフォローの言葉も届かない。まあ、集まってきたのが神の如く信奉する信者であるのだから、それも当然なのだろう。少なくとも真希なら御免こうむる。

 そして夜見が言ったように、あれを人徳というのは少し違うような気がする。教祖と信者と言うのならば、まだ分かるのだが。

 

「それにしても、守護天使ですか。確かに京奈さんの力は、人間のものとは思えぬ超常の力ではありますけれど」

 

「新田家にのみ……というのも不思議な話ですよね。他に類似の能力が世界で確認されても良いはずですが」

 

 超常の力を扱う刀使の目線から見ても……いや、刀使の目線だからこそ、その異常度合いが良く分かった。

 この世の物とは思えない、人間に扱う事が許されていいのかという気さえしてくる力。正しく使えば人を救える力は、往々にして悪い方向にも扱えるものだ。

 

 この時の彼女達は知らないが、現に研究棟では秘密裏に対刀使専用の写シを貫く装備の開発が進んでいた。

 本来の流れでもいずれ実用化されていたそれは、京奈の存在によって少し早く実用化に至ろうとしている。

 

 ……そして世界に類を見ないという事は、その研究は万の金塊よりも貴重な資産になるという事でもある。それが刀使という、絶大な力を持つ生体兵器に関するものであるのなら尚更のことだ。

 母親がとんでもない知名度の刀使だった事もあり、京奈の姿は既に誰もが1度は見た事のある、というところまで来ている。

 その存在は今更隠せない。当然、能力の事も。だから他国の人間も能力は知っている。その研究が行われているであろう事も、また。

 

 研究棟では連日連夜、合法非合法を問わず研究成果を抜き取ろうとする活動が盛んに行われており、それを抜かせまいとする研究者及び警備員達との熾烈な攻防が物理的にも電子的にも繰り広げられていた。

 既にあらゆる国のスパイらしき人間や不審者が拘束されており、その数を合わせれば数ヶ月で100人にも到達する。そして不正アクセスやハッキングの数は万を超えていた。

 

「僕もそう思う。だけど、各国からその力に類似したものの発見報告は出ていない。秘密裏に匿われている線もあるが……」

 

「今のわたくし達が気にしても仕方のないことですわね。そもそも、それを知ったところで何が出来る訳でもありませんし」

 

「ああ。……ところで」

 

 真希はそこで言葉を切って、さっきからチョロチョロと動き回っていた結芽に目を向けた。

 

「結芽、さっきから何だ?というか、いつまで起きてる気だ」

 

「いーじゃん別に。暇だし、眠くないもん」

 

「もう9時ですわよ。早く寝なさい」

 

「まだ9時だよ!もうっ、子供扱いしないでー!」

 

 と結芽は言うものの、結芽の年齢は11歳。世間ではランドセルを背負う年頃である。これを子供扱いするなとは、少し無理がある。

 

「もう9時ですよ燕さん。早く寝ないと、明日の業務に滞りが出ます」

 

「どーせ明日も出撃ないもん!だから夜更かししててもいいんですー!」

 

 いくら京奈という遊び相手が増えて昔よりは落ち着いたとはいえ、そう簡単に扱いが変わる訳がなく。未だに結芽は慎重に扱われていた。

 結芽はやけくそ気味にそう言うと、続いて夕飯代わりのコーンフレークをムシャムシャしていた京奈を指さす。

 

「だいたい、京奈ちゃんも悪いんだよ!」

 

「えっ私!?」

 

「そうだよ!1回くらい私を連れて行ってくれてもいいじゃん!」

 

「そんなこと言われてもな……出撃メンバーを決めてるのは私じゃないし」

 

 防御極振りである京奈は、常に攻撃を行う誰かしらと組まなければ荒魂を倒せない。流石に小型くらいなら1人でもなんとかなるし、動けなくなった荒魂にトドメを刺すことも出来るが。

 しかし中型が2体とかの複数戦になると京奈単体では退治不可能になってしまう。ド下手な攻撃を仕掛けている間に横からどつかれるからだ。

 写シ貼ってても痛いものは痛いんだ、とか思いながら穴の空いた腹を見たのは比較的記憶に新しい。

 

 だから荒魂退治における京奈の運用は、基本的に誰かとセットでなければならないという暗黙のルールが既に出来上がっていた。

 

 ……とは言うものの、一般的な刀使は多対一の状態で10分も持たせる事が難しいので、それが出来る京奈は攻撃要員が居なくても避難誘導のための時間稼ぎに単独投入される事も多い。

 機動隊を展開するより京奈1人を投下した方が掛かる時間が短く、あらゆる費用が安く済むのだから仕方ないのだ。荒魂は刀使を優先して狙う傾向があるから周辺に被害が拡散する事も少ないし、理には適っている。

 

「じゃあその人に言って!このままだと私、干物になっちゃうよ!」

 

 京奈は誰がメンバーを決めるかを知らない。だが、ただ1人の同年齢の友人の頼みは無下にできない。

 紫さんに言えば何とかなるかな。とか思いながら、コーンフレークを浸した牛乳まで飲み干した。

 

「わかった、わかったよ。頼んでみる」

 

「ほんと!?やったー!」

 

「でもダメだったら諦めてね」

 

「じゃあ私、先に部屋に帰ってるね!おやすみ!」

 

「って、聞いてないし……」

 

 喜びのあまり本当に聞いていなかったのか、それとも意図的に無視したのかは判断がつかないが、とにかく結芽はダッシュで部屋に戻っていった。

 

「全く、騒がしいな」

 

「夜なのに元気ですよね……私ももう寝ます。おやすみなさい」

 

「ええ、おやすみなさい。ゆっくり身体を休めて、また明日も頑張りましょう」

 

「おやすみなさい。食器の片付けは、こちらでやっておきます」

 

「すいません夜見さん。お願いしますね」

 

 まだ書類仕事が残っているらしい寿々花や真希より先に京奈は部屋を出た。そして1歩踏み出し、2歩目3歩目と行こうとして、そこで足を止めた。

 そうしてから閉じられた扉を振り返って、独り言ちる。

 

「ほんと、いい人達だよね」

 

 ここに来てから暫くの間は、ホームシックに罹ると思っていた。見慣れぬ土地、初めて会う人達と、初めての慣れぬ仕事をする。ホームシックに罹るには充分すぎる。

 

 だけど、そうはならなかった。昔の自由気ままな生活が懐かしいと振り返る事はあったが、不思議と帰りたいとは思わなかった。

 それは(ひとえ)に、真希達が一時でも早く京奈が溶け込めるようにと尽力してくれたからだ。真希が、寿々花が、分かりづらいが夜見や結芽も。

 

 特に夜見は、塩むすびの一件からやけに気にかけてくれるようになった気がする。やはり自分の嗜好に合う人と一緒にいるのは、夜見にとっても居心地がいいのだろう。

 

 自分には勿体ないくらいの良い人達だと京奈は思っていた。

 そして、そんな人達に自分は何が出来るだろう。

 

 夜だからか少し涼しい廊下を足早に進みながら、京奈はそんな事を考えた。

 

 話は変わるが、この世界にはイチゴ大福ネコというマスコットが存在する。

 大福のように白くて丸い顔に、イチゴの耳。そして間の抜けた可愛らしい表情が人気のマスコットだ。

 

 その昔、ケーキなどの洋菓子に客を取られた和菓子屋が起死回生を狙って作ったマスコットであり、それが見事にヒットした。という経緯がある。現在でも多数のメディアでも紹介されており、勢いのあるマスコットだ。

 

「ただいまー」

 

 そんなイチゴ大福ネコが、京奈の部屋いっぱいに転がっている。といっても、それは京奈の趣味ではなく同居人の趣味である。

 

 その同居人である結芽は、ベッドで何かマンガを読んでいた。そして京奈が戻ってきたのを確認すると、片手をマンガから離してソファの上で逆さまに転がっているイチゴ大福ネコを指さした。

 

「京奈ちゃーん。そこのぬいぐるみ投げてー」

 

「これ?はい」

 

 むんずと掴まれ、宙を舞った大きいイチゴ大福ネコは、その先にいた結芽にキャッチされた。

 京奈がこの部屋に住むようになってから1週間後くらいに多くのイチゴ大福ネコと共に転がり込んできた結芽によって、今では何処を見てもイチゴ大福ネコだらけという有様だ。

 

 ベッド周りは特に凄く、枕元は大小様々な大きさのイチゴ大福ネコでいっぱいである。

 

「ありがとー。さ、今日も一緒に寝よ?」

 

「はいはい。じゃあ少し向こういって」

 

「あいー」

 

 ごろっと半回転くらいすると、京奈が寝返りを打てるくらいのスペースが出来る。……それにしても、一人で使うには広すぎて、こうして2人で使っても余裕のあるベッドなんか明らかに金の掛ける場所を間違えているとしか思えない。

 しかし、その金の無駄遣いとも言える設備のお陰で、こうして結芽と寝食を共に出来ているのだから京奈はそれを批判できなかった。

 

「……ねえ結芽ちゃん」

 

「なに?」

 

「前々から言おうとは思ってたんだけどさ。ベッド広いのに、なんで私との距離こんなに近いの?」

 

 平均的な枕1個分くらいの距離であった。

 大きなベッドだし、もう少し感覚が広くてもいいんじゃないかと京奈は思うのだが。もう0.5個分くらい広くても寝返りを打って落ちたりしないだろうに。

 

「んー、何でだろ?」

 

「いや何でだろって……」

 

「だって考えたことなかったし」

 

 なんとなくで決めた距離がこのくらいだったのだ。それに何でと言われても答えようがない。

 

「まあいいじゃん。近くて困る事でもあるの?」

 

「無いけどさ、気になったから」

 

 結芽が初めての友達であるから、京奈に友達同士での距離感というものは分からない。そして結芽もまた、京奈が初めての友達であるから距離感なんて分かっていない。

 

 まあ、こんなもんなのかな。

 

 京奈はそう納得すると同時に、眠気がまぶたを重くする。自然と欠伸まで出てきた。仕事終わりで気の抜けた今、蓄積した疲れがドっと出てきたのだろう。

 

「ふああ……眠いからもう寝るね。おやすみ」

 

「うん。おやすみー、電気ポチッと」

 

 その会話を最後にリモコン操作で部屋から明かりが消え、程なくして2人分の寝息のみが室内で微かに聞こえる音になる。

 そんな部屋のカーテンの隙間から僅かに漏れる月明かりが、枕元のイチゴ大福ネコに紛れた2人の御刀を細く照らした。

 結芽のそれとは違って鞘や鍔には何の装飾も成されていない京奈の御刀であるが、何時からかミニサイズのイチゴ大福ネコが結芽のと同じようにぶら下がっていた。

 

 

 …………それから5分後、音を立てないようにゆっくりと扉が開き、中を覗く者がいる。

 その者はベッドで寝ている2人の姿を確認して頷いた後、同じようにゆっくりと扉を閉めて忍び足で離れていった。

 

 部屋から離れて行くにつれて段々と忍び足をやめていき、最後は普段通りに歩いて明かりの点いた部屋へと戻る。

 

「ただいま戻りました」

 

「おかえりなさい夜見。2人はどうでした?」

 

「もう眠っていましたよ」

 

 覗いていたのは夜見だった。まさか本当に夜更かししていないだろうなと少し心配になった真希と寿々花が書類仕事で動けないので、2人の代わりに派遣されたのだ。

 そんな夜見の報告を受けた真希は、さっきの結芽の言葉を思い出して小さく笑った。

 

「……子供扱いするな。なんて言っていたけど、やっぱり子供じゃないか」

 

「まあ、あのくらいの年頃なら背伸びしたくなるものですわ。わたくしにも覚えがありますもの」

 

「そうなのか?なんか想像がつかないけど」

 

「ええ。ちょっと大人ぶって、まだ飲めないブラックコーヒーに挑戦してみたりだとか。ワルぶって、お漬け物とか子持ち昆布のようなものまで電子レンジで温めてみたりとか」

 

「…………分かるような、分からないような……」

 

 ……子供云々なんて、まだお二人が言えた事ではないのでは?

 まるで子供か孫を見守る大人のような発言だが、そういう2人だって子供なのに。と夜見は思ったが、いつもの事ではあったので指摘はしなかった。

 



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オフの日

なんだか凄い評価やらお気に入りやらの急増で嬉しい反面プレッシャーが凄い作者です。いや本当にやばいって。
そんな当作品の今年最後の投稿、楽しんでもらえたら嬉しい限りです。



「原宿にとうちゃーく!」

 

 ある日、親衛隊5人は原宿に足を踏み入れていた。

 

「こら結芽。あんまり離れると迷子になるぞ」

 

「はしゃぐのも程々に、ですわよ」

 

「なんで私まで……?」

 

「ここが……原宿……」

 

 5人とも、いつもの制服ではなく私服姿で街を歩いている。なぜなら今日は珍しくオフの日だからだ。

 まあオフとはいっても刀使である以上、御刀は持ち歩いているが。そんな、私服姿での御刀装備は少しアンバランスに見えるらしい。道行く人の物珍しいような目線が集まる。

 

「ふふふん。京奈ちゃんは原宿に驚いて声も出ないようですなー」

 

「うん。なんか……凄く……」

 

 京奈はそこで周囲をキョロキョロと見回した。数多くのビルや飲食店、そして鎌倉とはまた違った活気と人々の往来。そこに立っているとなんだか……

 

「酔いそう」

 

「その反応は予想外だったなー……」

 

 田舎者の京奈には、この人の多さが少々堪える。来たばかりなのに、もう気疲れし始めたのがその証明だ。

 

「慣れれば大丈夫だとは思うよ。それより、結芽ちゃんの行きたい場所って何処なの?」

 

「それならこっちだよ!」

 

 来る前にリサーチは済んでいたようで、結芽は京奈の手をとると迷わず道を歩き始めた。そして、その後ろを3人がゆっくりと着いていく。

 

「やれやれ、やっぱり子供だな」

 

「それはそうでしょう。結芽だって刀使である以前に女の子なんですもの」

 

「そうだね。本当に普通の女の子だ」

 

 今の2人は御刀さえ見なかった事にすれば、ちょっとおませな子供と、無理やり連れてこられた内気な友人という風にしか見えない。まるで最初から友人同士であったかのような──

 

「獅童さん、どこか嬉しそうですね」

 

「ああ。僕は今、すごく嬉しいんだ。結芽があんな風に、普通に笑ってくれている事がね」

 

 昔から神童などと持て囃されて武芸以外の事をマトモに教えてこられなかったからかもしれないが、普通の女の子らしい事をして笑う姿なんて、結芽は滅多に見せることがない。

 今のように普通の女の子みたいにお洒落をして友達と買い物をする様子なんて、真希は初めて見た光景だ。そしてそれは、寿々花と夜見も同じだった。

 

「……確かに、燕さんのあんな姿は貴重ですね」

 

「ええ。……こんな事を言うのは本当は宜しくないんでしょうけれど、わたくしは京奈が親衛隊に来てくれて良かったと思っていますわ」

 

 本来なら、京奈や結芽のような幼い子供が刀使として戦場に出るのは喜ばしくない事だ。真希や寿々花のように自由意志で刀使になったのならまだしも、己の才能で道が強制的に決められるなんて、なんて残酷なのだろう。

 だが、その才能が無ければ2人が出会う事が無かったのも事実。山奥の京奈と病院の結芽では接点が無さすぎる。

 だからこの光景が見られて良かったと思う反面、刀使という職業の残酷さを垣間見た気がして、寿々花は嬉しさ半分、複雑半分な気持ちでそう言った。

 

「みんな何してるのー?!早く来ないと、置いてっちゃうよー!」

 

 結芽が赤信号の前でそう言っている。それほど距離は離れていないが、気が急いているだろうか。あるいは、他に周りたい場所があるとか言っていたから、その時間が欲しいのかもしれない。

 

「まあ、とにかく行こうか。せっかくの休日だ、楽しまなければね」

 

「……そうですわね」

 

「行きましょうか」

 

 今日という1日は貴重な時間だ。親衛隊全員でオフの日が重なるなんて、今度は何時あるか分からない。

 この1日を無駄にしないように、早足で3人も進んでいった。

 

「とうちゃーくっ!」

 

 そしてやって来たのは、いかにも若い子向けの物が揃っていそうな店。外見、そして店先で売ってる小物類。そのどちらを見ても何だかキラキラしている。

 当然ながら、結芽以外の誰もこんな場所に縁は無かった。

 

「ずいぶんとファンシーなお店ですのね。ここで何を買うんですの?」

 

「本当なら京都限定のイチゴ八つ橋ネコのグッズだよ!」

 

「…………親戚が居たのか、あれ」

 

 イチゴ八つ橋ネコは、イメージ的にはバブ○スライムのような姿で、それがキモカワイイと評判だ。今、若い子の間でトレンドのアイテムでもある。

 

「いや待って。もしかして、まだぬいぐるみとか増やす気なの?」

 

「そんな心配しなくても大丈夫だよ~。今回はぬいぐるみとかじゃなくて、キーホルダーとかの小物だから。置き場所には困らないから」

 

「それならいいけ……ん?今回は?」

 

「何にしようかなー」

 

 何やら不穏な事を言われたような気がしたが、近くの人混みが煩くて詳しく聞き取れなかった。もう1度聞き直せばいいんだろうが、選ぶのに夢中になっている結芽を邪魔するのは気が引ける。

 時間にして10秒ほど悩んだ末、京奈は結芽を信じる事にした。お小遣いという制約もあるし、ぬいぐるみなんていう持ち帰るのも大変なアイテムを此処で買いはしないだろう、と。

 

 だから選んでる間、店頭に並んでいる物を見て待つ事にする。

 京奈が適当に見て回っていると、その様子を見た真希が声をかけてきた。

 

「京奈は何か買いたいものとか無いのか?」

 

「特には無いですね。なんかこういうのって、あまり興味なくて」

 

「なら、他に興味があるものは?」

 

「お茶ですかね。あとは、お菓子とかかな……」

 

 殆ど何もない山中では、食事こそが娯楽というような部分があった。

 まあ殆ど何もないとは言っても流石にテレビはあったが、しかしそれもニュースを1日1回見るか見ないかくらいの使用頻度。アニメなどは見向きもしなかった。

 だから結果として、物より食に考えが寄ってしまうのだろう。

 

「ちなみにお茶とは紅茶の事ですか?」

 

「いえ、緑茶の方です」

 

「そうですか……」

 

「ああでも、紅茶も美味しいですよね!夜見さんの淹れてくれる紅茶を飲んでると本当にそう思います」

 

「そうですか。なら良かったです」

 

 話にスッと入ってきた夜見に急いでフォローを入れたが、それは本心からの言葉でもあった。

 今まで京奈の中で紅茶といえば、コンビニで買える午後の奴とかリ○トンとかの物。しかしそれらは京奈の口には合わず、結果として紅茶への苦手意識を持ってしまっていた。

 だけれども夜見が淹れる紅茶は、夜見が物凄い拘っているというのもあるのだろうが、市販品とは味が違う。淹れたてというのも関係しているのだろうか?

 

「お茶とお菓子か……」

 

「あの、どうしたんですか?」

 

「いや。そういえば京奈が入隊してから、ろくに何もしてあげれてなかったような気がしてね。今日はせっかくの機会だし、何かしようと思ったんだ」

 

「初日の歓迎会も、結局は途中で中止でしたものね」

 

 仕方ない事だが、刀使というのはスケジュールが不定期になりやすい。荒魂の出現に規則性が無く、出現場所もバラバラであるからだ。

 

「そんな事ですか。気にしなくていいのに……」

 

「いいや、僕達は気にするんだ。特に最近は、京奈にばかり無茶をさせているしね」

 

「それは真希さん達もでしょう」

 

「僕達はいいんだよ。自ら望んで選んだ道だからね」

 

「でも……」

 

「いや……」

 

 ああ、これは終わらないな。と寿々花は瞬時に理解した。こういった時に京奈が遠慮するのは分かっていたし、真希も譲らないのは分かっていたからだ。

 

「ですから……」

 

「だからだな……」

 

 お互いが本気でお互いの事を思って言っているだけに、どちらの肩だけを持つ訳にもいかず。しかしかといって放置していたら、軽い口喧嘩に発展しかねない。

 何か双方が納得する方法は無いかと咄嗟に周囲を見回せば、近くにアイスクリームショップがあるのを見つけた。

 

「寿々花!この分からず屋を説得してくれ!」

 

「夜見さん!この意地っ張りな人に言って下さい!」

 

「…………えっ」

 

「そうですわね……」

 

 こうなった時、真希が寿々花を頼るのは分かっていたから涼しい顔で案を考える素振りをしてみせたが、まさか自分に飛んでくるとは夢にも思わなかった夜見は珍しく虚をつかれたような声を出した。

 そんな様子が面白くて、寿々花は少々答えるのを先延ばしにして困惑している夜見を観察する。

 

「…………!」

 

 寿々花の観察するような目線に気付いた夜見が目で助けを求めているような気がするが、寿々花は知らないフリをした。

 目は口ほどに物を言うとは言われているが、やはり口にしなければ本当の思いは伝わらないのである。それに助けを求めているというのだって、寿々花の思い込みの可能性を捨てきれない。

 

「寿々花、何か思いついたか?」

 

「……ええ。思いつきましたわ」

 

「……!本当か!」

 

 しかし、いつまでも放置はしていられない。夜見が可哀想だし、真希の我慢の限界だって訪れる。そろそろ答えるべきだろう。

 

「ええ。アイスですわ」

 

「アイスか?でもなんで……」

 

「真希さんは京奈に何かを買ってあげたい。しかし京奈は奢られるのを気に病む。ならば、お互いがお互いに買ってあげれば解決できますわよ」

 

「お互いに……ですか」

 

 真希は京奈にアイスを買えるし、ただ奢られるのが嫌な京奈も納得はする。

 最良とは言い難いが、咄嗟に考えたにしてはマシな方法であった。

 

「どうです?それなら納得のいくでしょう」

 

「……まあ、それなら」

 

「そういう事なら、僕はトリプルを買ってあげよう」

 

「むっ。なら私もトリプルです!」

 

 ……しかし、これはこれで別の問題が発生したような気がする。また張りあいだした2人に、買い物を終えた結芽が割り込んだ。

 

「ちょっと!私を置いて楽しそうな話しないでよー!」

 

「結芽。買いたい物は決まったのか?」

 

「うん!今回はケータイのストラップにしたんだけど……それよりアイス食べるんでしょ!?じゃあ私はイチゴとチョコとバニラがいい!!」

 

 小さなレジ袋を腕にぶら下げ、そんな事を言った。そしてアイスクリームショップへと歩き始めた結芽の後を、寿々花が追従する。

 

「では結芽のアイスは、わたくしが買ってさしあげますわ。このように5人で出かけられた偶然に感謝、という事で」

 

「ホント!?やった、寿々花おねーさん大好き!」

 

「……夜見さんは何味にします?」

 

「いえ、私は……」

 

「向こうにお米アイスとかありますけど」

 

「……ではそれで」

 

 足をアイスクリームショップへと向けた、その直後の事だ。

 

「■■■■■■!!」

 

 向こうで、何かが吼える音がした。

 そして直後に、その方向から人々の悲鳴が聞こえ始める。

 

 それが何を意味するのかは、京奈にも理解できた。今まで嫌というほど聞いてきたからだ。つまり

 

「──荒魂ですね」

 

「こんな時に……行くぞ!」

 

「京奈と結芽で荒魂の対処を!わたくしと真希さん、そして夜見の3人で避難誘導を行いますわ!」

 

「分かりました!結芽ちゃん、暴れすぎないでよ!?」

 

「わかってるーって!私を信じてよ」

 

 逃げ出す人々の流れに逆らうように進んだ5人が見たのは、小型の荒魂の群れだった。かなりの数である。

 

「かなり多いな……」

 

「……これは作戦を変更する必要がありそうですわね。まずは皆で数を減らしましょう」

 

「なら、どれだけ倒せるか競争だね!行くぞーっ!!」

 

「あ、こら結芽!」

 

 一番最初に切り込んだのは結芽だった。いきなり攻撃された荒魂達は単騎で突っ込んできた結芽を包囲しようとするが、続いて来た真希の攻撃で更に切り崩される。

 

「京奈と夜見は道の封鎖を!そうすれば荒魂は流れない筈ですわ」

 

「はい!」

 

「わかりました」

 

 京奈がここでやるべき事は、背後で逃げ惑う人々へ荒魂を通さないように道に蓋をする事だ。

 荒魂は人を狙うが、それにも優先順位があるのは既に知られた話である。

 動植物よりは人間、そして人間の中でも一般人より刀使を優先して狙う傾向があるのだ。

 

 荒魂が人を襲うのは、己の神性たる珠鋼が人間に奪われた恨みからだとされている。そして刀使が優先して狙われるのは、その珠鋼で造られた御刀を持っているからだと言われていた。

 

 だから荒魂の前に京奈が立てば、少なくとも後ろに流れる事はない。まあそれは受けきれればの話だが、そうやって荒魂を通した事は今まで無かった。

 

「流石にこれくらいは……!」

 

 襲いかかってきた荒魂の突進を闘牛士の如く受け流して、その進路上に御刀の刃を置いておく。単純な思考しか持たない小型であれば、突進の勢いで勝手に刃に両断されて倒れていくから、京奈の壊滅的な攻撃センスでも問題はない。

 撃ち漏らしの小型荒魂と何度か戦った際に、どうにか出来ないかと考えた方法がこれであった。しかし、自滅を誘うしか効率的に処分できない辺り、己の才能の無さに悲しくなってくる。

 

「おっ、とと……」

 

 そうして荒魂が両断された直後に、別の荒魂が京奈に襲い来る。今度は2体同時だ。

 京奈は2体に挟み込まれるように前へ出て、左右から突進してきた荒魂が激突するように上手くタイミングを合わせる。そして体勢が崩れた隙に横薙ぎで始末した。

 

「今度は上!」

 

 間髪入れずに空から襲ってくる鳥みたいな荒魂が3体も地面にめり込む勢いで京奈を噛み砕こうとしてきた。

 バックステップを3回踏んで飛び込んでくる荒魂を躱し──更に頭上に荒魂の影。

 

 ぞくりと肌が粟立ち、上を見る間もなく自らの直感に導かれるままそこを飛び退く。すると、今立っていた場所に急降下してきた荒魂が地面を砕いた。

 

「あっぶな……!」

 

 冷や汗が一筋、つうっと伝う。いくら写シがあるとはいっても、直撃すればタダでは済まないのだ。

 

「■■■■■■!」

 

 無茶な飛び退き方をしたせいでつんのめってしまい、荒魂にも立て直す時間を与えてしまった。

 京奈を襲うため、合計4体の飛行型荒魂が再び宙に羽ばたこうとした、その瞬間。

 

「とーう!」

 

 結芽が一閃、荒魂をたたっ斬った。慌てて飛び立とうとした荒魂の上をアクロバティックに乗り継ぎながら次々と頭部を切り落とす。

 結芽が街灯の上に着地すると同時、足蹴にされて地面に落ちた荒魂の丸い頭部が、ごろりと京奈の前に転がった。

 

「ごめん、助かった結芽ちゃん!」

 

「後でジュース奢ってー」

 

「きな粉もちチョコで我慢して!」

 

「ケチ」

 

 どうやら、京奈が荒魂の対処に手間取っていた間に3人が殆どを倒していたようだ。結芽が援護に回れるくらいに前線は収拾がついているらしい。

 

「ところで、こっちに来て良いの?荒魂の数は前の方が多いはずなのに」

 

「ん?ああ、それなら大丈夫だよ。ほら」

 

 標的を結芽に切り替えた小型荒魂を一瞬で2体片付けながら、結芽が来た方……つまり前線の方を指さした。一時的に安全が確保できた事を確認した京奈は前を見て、そして表情が固まった。

 

「なんか京奈ちゃん目掛けてるみたいだし」

 

 群れの3分の2くらいの量の荒魂が、こっちに向かって突っ込んできている。陸と空の両方から、恐らくは結芽の言う通り京奈を目掛けて。

 ここで京奈は思い違いに気がついた。前線の収拾がついて暇だから来たのではなく、前線が京奈の方に移動してきたのだ。

 

「なにこれ」

 

「京奈ちゃん何かやったの?例えば荒魂を晒し首にして煽ったとか」

 

「結芽ちゃんの例えが怖すぎるし、何やったのかなんて私が聞きたいよ」

 

 いくら小型とはいえ、数が集まればそれなりの威圧感を伴うようになる。そんな威圧感と数の暴威で作られた壁を目の前にした京奈は、臆するでもなく結芽と並び立って御刀を構えた。

 

「……結芽ちゃん」

 

「なに?」

 

「フォローお願い」

 

 こんな大軍を相手にするのは初めてだが、不思議と負ける気はしない。それは隣に結芽という、京奈が恐らく最も信頼を置いている最高クラスの刀使が居るからかもしれなかった。

 

「それは良いけど、その代わりに……」

 

「……代わりに?」

 

「私の背中は守ってね」

 

 そう言ってから、結芽は自分の発言に驚く。自分でも予想外の言葉だった。

 結芽は刀使となってから、戦場で誰かに頼るという事はしたことが無い。誰も彼も自分より弱かったから、そもそもそんな考え自体湧いてこなかったのだ。

 

 だけど隣にいるのは自分が認める守勢の名手であり、互角に戦える同年代にして友人。それなら文句はない。

 己の実力には絶対の自信がある結芽が背中を預けるのを良しとするのは、今のところは京奈のみだった。

 

 無意識に零れた言葉は、そんな気持ちの現れだと言えるだろう。

 

「任せて。いざとなったら身体を盾にしてでも守るから」

 

「普通なら冗談だと思うんだけど、京奈ちゃんが言うと洒落になんないなぁ……」

 

 そのやり取りを最後に、2人は荒魂の群れの中へと自ら入っていった。

 

 京奈を台風の目として、京奈に近づく荒魂を結芽が全て切り刻む。京奈が受けた荒魂を横から結芽が倒し、割り込みで隙が出来る結芽の背中を京奈が守る。

 

 荒魂の恨み辛みや殺意といった念で肌がひりつく感覚と共に悟った。少しでも動きを止めてしまえば喰われてしまうと。

 2人が踊るのは、止まることは許されない上に一歩間違えればそこで終わりの死のダンス。しかも終わりが見えない。

 数は確かに減らしている筈なのに、減っているような気がしないのだ。

 

 実時間は1分、しかし京奈にとっては10分相当の時間が経過した時、ようやっと聞き慣れた声がした。

 

「結芽、京奈!すまない、遅くなった!!」

 

「おねーさん達おそーい!」

 

「2人なら持ちこたえられるだろうと信じての事ですわ!」

 

「援護します」

 

 前線に残った荒魂を片付けた3人が戻ってきたのだ。

 そして、ここで形成が逆転した。

 

 内側からは結芽が、そして外からは真希達が。内と外の両方から随一の実力を持つ刀使達に攻められた荒魂の群れは一体たりとも逃げられず、それほど時間が掛からずに殲滅されたのだった。

 

「うわぁ。凄い数のノロ……」

 

 もう動く荒魂はいない。戦闘の余波で傷ついた道や店舗などの建物を見ながら京奈は言った。

 京奈を中心に広がっている荒魂の遺体から出たノロが、大きな水たまりのように広がっている。

 

「この量だと、回収にも時間がかかりそうだな」

 

「夕方までに終わればいいですけれど」

 

「えっ!?今日もしかして、これで終わり?」

 

 周りを警戒しながら、掛かるであろう時間を脳内でおおよそ算出しながらの寿々花の言葉に結芽が反応する。

 荒魂を討ちはしたが、まだノロの回収は済んでいないし機動隊への引き継ぎも終わっていない。そこまで終わって初めて刀使の仕事を完遂したと言えるのだ。

 

「そうなるんじゃないでしょうか」

 

「ええ~~……せっかく、みんなで原宿に来たのに」

 

「まあまあ。また来れるよ、きっと。ほら、チョコ食べて落ち着いて」

 

 まだ何処か行きたかった結芽は不満げだ。そんな結芽にポケットのきな粉もちチョコを一つ渡しながら、京奈は先ほどまで賑わっていた道の先を見つめた。

 見るも無残に荒れ果てた道だけ見れば、ここが原宿だなんて信じる者はいないだろう。

 

「怪我人は居ないんでしょうか?」

 

「荒魂出現時の混乱で多少は居るだろうね。だけど、その殆どは軽傷で済んでいる筈だ。これだけの数の荒魂を、被害が広がる前に止められたんだからね」

 

「……なら良いんですけど」

 

 憂いを見せる京奈に、かける言葉が見つからない。怪我人などの詳細な情報は無いから、今は怪我人が少ないことを祈るしかできなかった。

 

 

「それにしても、なんで荒魂は急に京奈の方へと猛突進していったんだ?」

 

 ノロの回収班を待つ間、真希は先ほどの現象について考えはじめた。

 どう考えても不可解な出来事だ。目の前に獲物の刀使が居るのに、それを無視してわざわざ後方の刀使を狙うだなんて。

 近い者から狙うという単純な思考ルーチンであるとされている荒魂だが、もしかしてそのルーチンに変化が生じたのだろうか?

 

 もしそうだとしたら、それは由々しき事態である。最悪の場合、戦術を一から見直さなければならなくなるだろう。

 

「新田さん。心当たりはありますか?」

 

「いや、なんにもありません。むしろ私が聞きたいくらいで……」

 

「っていうか、なんで街中なのにこんな大きな群れが出来たんだろ?楽しかったからいいけど」

 

「それはきっと、これが原因ですわね」

 

 寿々花が軍手を着けた手に持った物を軽く掲げてみせる。それは、世にも珍しい錆びついてしまった御刀だった。

 

「赤羽刀か」

 

「これが……すごい、本当に錆びてる」

 

 御刀は錆びつかないし、刃こぼれもしないというのが常識である。その原理は解明されていないが、珠鋼の神性によるものだという解釈が一般的だ。

 

 しかし、10年ほど前から、その常識を覆す御刀が現れるようになった。それが、今寿々花の持っている赤羽刀と呼ばれる錆びた御刀である。

 話には聞いていたが、京奈は実物を見るのは初めてだ。珍しい物を見た、という気持ちを隠さずにまじまじと見つめている。

 

「ねえ寿々花おねーさん。ちょっと触ってみていい?」

 

「指でなぞるくらいなら良いですわ。だけれど、怪我しないように気をつけること。いいですわね?」

 

「流石にこれで怪我なんてしないよ~」

 

 同じく初見の結芽が表面を人差し指でなぞってみる。錆びた物特有のザラザラっとした感じが指を通して伝わってきた。

 

「うーん……なんか、普通に錆びついてるって感じだね」

 

「そうなの?じゃあ私も……」

 

 結芽がなぞったのと同じところを京奈もなぞろうとして、赤羽刀に指が触れた。その瞬間──

 

「あれ?」

 

 ──赤羽刀が、微かに発光しはじめた。

 

「ッ!?なんだ一体!」

 

 未知の現象の発生に、真希は反射的に飛び退いてしまう。その輝きを京奈が呆然と見ている間に、光は少しずつ強くなっていく。

 

「京奈も離れて!」

 

「は、はいっ!」

 

 半ば強引に指が引き剥がされると、その輝きは収まった。が、直後に新たな問題が発生する。

 

「獅童さん。此花さん。燕さんに新田さんも」

 

「夜見さん?」

 

「来ます」

 

 いつの間にか、水たまりのようなノロは足下から消えていた。それが何を意味するか、理解できた時には自然と御刀を再度構えていた。

 

 今度は大きな荒魂が一体、形作られていく。

 そのカタチは歪で、"腐ってやがる。早すぎたんだ"という感想が浮かんできそうなくらいドロドロだが、それは確かに荒魂だった。

 

「そんな……!?こんな短時間でノロが結合するなんて有り得ない筈だ!」

 

「これは赤羽刀の影響?それとも……」

 

「動きはじめた……!」

 

 思考の海に埋没しそうになった寿々花は、迫り来る脅威を前に一旦思考を切り替えた。今はこのムカデみたいな奴を倒さなければ。

 



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揺れぬ天秤


明けましておめでとうございました。今年もよろしくお願いします。



 

「ふぅーむ……」

 

 カタカタとパソコンのキーボードを叩きながら、主任は悩みを声に乗せて外に出していた。

 何度調べても、何度アプローチを変えてみても、結果は同じ。これといって特異な点は見つからない、今まで幾度となく見てきた赤羽刀と同じだった。

 

「未知の発光に加えて、非常に短いスパンでのノロの再結合。そして特定個人を狙った荒魂のルーチンの変化……どれも今まで無かった現象だ」

 

 親衛隊から齎された奇妙な報告。それが主任を悩ませている原因である。

 

 曰く、赤羽刀が原因不明の発光を行い、その直後にノロが再結合。しかし結合速度が早すぎたのか、ドロドロに溶けた荒魂となって襲ってきた。との事だ。

 更に、前で戦っていた真希達を無視して後方に居た京奈目掛けて突っ込んできたともいう。

 

 言葉にすれば簡単なものだが、この文を見る者が見れば非常識さに目を見開くだろう。

 報告を上げたのが研究対象である京奈を擁する親衛隊でなければ、あるいは信じなかったかもしれない。

 

「面白い」

 

 しかし、京奈であれば何を起こしても不思議ではないという思いが主任にはある。

 研究を重ねた結果、詳しい事が殆ど分からない事が分かった京奈の力が、どこで何に作用するのか。

 

 そこのところが最近の楽しみでもあり、研究のテーマでもあるのだ。

 

 楽しい悩みとでも言うべきそれに連日連夜、寝食すら忘れて没頭していた。

 

「おーい助手。ノロの結合時間の測定データは、もう上がってるんだろうな?」

 

「ええ。このUSBに入っている筈です」

 

 デスクに置かれたUSBを主任のノートパソコンに刺して、そこからデータを移し替える。

 作業が終わったそれを助手に投げ返しながら、主任は不満そうに呟いた。

 

「しかし、なぜ現代という情報化社会になっても我々は紙やUSBを人の手でやり取りしなければならないんだ」

 

「仕方ないでしょう。情報漏洩を防ぐためなんですから」

 

 機密を盗み出すのは物理的に無理だと判断されたのか、最近は捕縛される人も殆ど出なくなっていた。

 が、その代わりに増加したのが不正アクセスやハッキングである。物理的に無理なら電子的に、と考えたのだろう。

 

 そんな感じで四六時中やってくるハッカーやウイルスを相手にするのが面倒になってきた研究者達は、情報サーバーにダミーをぶち込みまくって、昔ながらの紙やスタンドアロンのパソコンを使うことにしたのだった。

 

「まったく、やられるこっちの身にもなって欲しいもんだ。そんなに研究成果が欲しいなら、自国の刀使をバラせば良いだろうに」

 

「主任!」

 

 まだ良識を失っていない助手が咎めるように声を荒らげるが、主任は何処吹く風だ。

 

「事実だ。彼女は現状、世界で唯一かつ随一の研究素材ではあるものの、その大抵は刀使をバラせば出てくるであろう成果だからな」

 

 それをやらないのは、仮に研究をバラされた時に受けるダメージが大きいからだろう。人体実験が明るみに出てしまえば、国内外を問わず多くの批判に晒される事は想像に難くない。

 普通に考えても、その時の首相や大統領は解任されるだろう。もしかすると経済活動にすら影響を与えるかもしれない。

 

「日和ってるのさ。あるいは、研究のために悪魔に魂を売れるだけの度量の持ち主が居ないのか……。

 どっちにしても、目の前に素材はあるんだ。それなのに手を出さないのは、ただの怠慢だよ」

 

「この人、なんでこんな考えしてて捕まってないんだろう……」

 

「助手にはこの言葉を贈ろう。思想・良心の自由って知ってるか?」

 

 気さくなやり取りを行っている間にも手は止まらない。

 研究機材のモニターとパソコンの画面を交互に見ながら、広く面積が取られた実験場に立つ刀使にマイクで声をかけた。

 

 《やあ、調子はどうかな?》

 

「そういうのいいから。さっさと始めてよ」

 

 その刀使とは結芽のことだった。京奈が戦場に出ている間は暇していると聞いていた主任が、暇してるならと連れてきたのだ。

 そんな結芽はつまらなさそうで、その態度は歳上にするものではないが、主任は特に気を悪くはしない。むしろ若干上機嫌になっていた。

 

 《いいねぇ。単刀直入で面倒なやり取りをしなくていい。実にいい、気に入った》

 

「だから、さっさとしてって」

 

 《ああ、じゃあ始めよう。といっても、君にやってもらうのは簡単な事だ》

 

 結芽を選んだのは、彼女が暇だったから。という理由だけではない。むしろ、そっちはオマケだ。

 この研究は、彼女でなければならない理由がある。

 

「ふーん。それって、あの赤羽刀が関係してるの?」

 

 《そうだ。あれは君達が回収した赤羽刀。報告にあった再結合の早さがどれくらいか、実物で確認したくてね》

 

 再結合が早すぎるとは聞いているが、それがどれくらいの早さなのか主任には分からない。実際の現象を見ていないからだ。

 だから、それを見た彼女にどれほど早かったのかを確認してほしかったのである。

 

「再結合ねぇ……それなら私より、夜見おねーさんとかの方が適任なんじゃないかなぁ?」

 

 《今動けるのが君しかいないのだから仕方ない》

 

「そっかー。まあ暇潰しになれば、そういうのはどーでもいいけど」

 

 《では始めようか。まずは普通にノロを結合させる》

 

 状況を再現するため、ノロの貯蔵庫から持ってきたノロを実験場に解き放つ。

 すると、まだドロドロのノロは赤羽刀に纒わり付いて、それがどんどん大きく膨れ上がっていった。

 

 やがて形が整えられていき、最後には刀使が見慣れた荒魂の姿になる。

 まるで飴細工かガラス細工のような変化の仕方。研究者からすれば見飽きた光景だが、普段は既に出来上がった荒魂しか見ていないだけに、結芽の目には変化が新鮮に映っていた。

 

「■■■■■■■!」

 

 《これが、普通に結合した場合。比べた感想は?》

 

「遅い」

 

 《そうだろうね。ではどのくらい?その辺りを具体的に、出来る限り話して欲しい》

 

 《ちょっと主任。いくらなんでも、荒魂が目の前にいるのに集中を乱すようなことは……》

 

 マイクの向こうで助手が主任にストップをかけている。が、主任は特に悪びれる事なく言った。

 

 《なに、問題は無いさ。彼女であれば、この程度は集中する必要もないだろう》

 

「分かってるじゃん、メガネの人」

 

 並みの刀使なら集中しなければいけないだろう。しかし、結芽にとっては準備運動にもならない軽いものだ。

 むしろこの程度だったらキャンディ片手にだって出来ると思っている。

 

「それそれー。えーい」

 

 荒魂を軽く捻って、倒れたまま放置する。

 倒された荒魂から出てくるノロを放置していれば再結合して新たな荒魂となる事は周知の事実であるから、このまま置いておけば再び荒魂が出てくる筈だった。

 

 《さて、ここからどんな風に結合したんだい?》

 

「あの時は、ノロがずざざーってすごい勢いで集まって、それからドロドロな感じの荒魂が出てきたけど」

 

 《かかった時間は?おおよそでいい》

 

「5秒くらいじゃない?」

 

 《5秒……5秒か……》

 

 有り得ない。

 

 主任の脳裏で導き出された結論はそれだった。

 通常、放置されたノロが再び荒魂となるには最低でも1時間を有する。それが5秒など、当然ながら類を見ない。

 もちろん、これは結芽の主観であるから、実際はもう少し遅いのだろうが。しかし、それでも早すぎる事に変わりはないだろう。

 

 《確か赤羽刀は抜き取っていたそうだね。となると、それを核にしたとも考えづらいか》

 

「ねぇ、もう終わり?終わりなら帰っていい?」

 

 《ああ待ちたまえ。あと数回は付き合ってもらって、その後に君には身体のことで少しだけ用がある》

 

 身体のこと、と言われて結芽は怪訝な顔をした。

 結芽の身体のことは、主任や助手は当然知っている。親衛隊の定期検診を担当しているのが2人だからというのもあるが、延命のためのアンプルの試作品は、主任が作っていたからだ。

 

「身体の……なんなの?」

 

 《すまないが、ここでは話せない。防諜に自信が無くてね》

 

「……まあいいけど」

 

 《では次のノロを放出……といく前に、今使ったノロを回収しなければならない。面倒だろうが、少しそこで待っていてくれ》

 

 実験場にノロを回収する人達が現れてノロを吸い取っているのを見ながら、結芽は楽しみにしていたお昼ご飯が遠ざかったのを感じたのだった。

 

 

「あら真希さん。もしかして、それがお昼ご飯ですの?」

 

「そうだけど」

 

 場所は変わって本部室。いつ荒魂が出るか分からないので常に警戒態勢である此処には、真希と寿々花のどちらかがほぼ常駐している。

 迅速に荒魂討伐の指揮を取るためであるが、その仕事の性質上、食事は手軽に取れる物が好ましい。

 そんな理由もあり、2人のお昼ご飯は大体が鎌府内にある7の字のコンビニで買う物だった。

 

 そんな真希の本日の昼食は、塩むすびが2個とブロッコリーや卵焼きなどのおかずが少々。おかずは手を汚さないように使い捨ての爪楊枝が用意されていた。

 珍しくコンビニ系ではなく、誰かが手作りしたような暖かさが感じられるお弁当。まさか真希が作ったわけではないだろうが、では誰が?と寿々花は疑問に思った。

 

「朝に偶然会った夜見と京奈に持たされたんだ。おにぎりは夜見から、おかずは京奈から。刀使は体力勝負だからとね」

 

「あら羨ましい。京奈は料理も出来るんですのね」

 

「ああ。お爺さんと2人で暮らしていたから、自然と練習するようになったらしい。

 …………そんなに見なくても、後で分けるさ」

 

「……穴があくほど見つめてなんていないですわよ」

 

 真希のそれを見ていると、手持ちの温めたコンビニ弁当が少々味気なく見えてくる。

 いや、美味しいんだけれども。しかし手作りの暖かさには敵わない。しかもそれが見知った仲間のならば尚更だ。

 

「でも、なぜ2人は料理を作っていたのでしょう?」

 

「あまり詳しくは聞いていないけど、京奈の方は結芽が作ってくれと言ったらしい。夜見は……自分用じゃないか?」

 

「ああなるほど……夜見は大のお米好きですものね」

 

「あそこまで行くとお米狂いのレベルな気もするけどね。さて、さっさと食べてしまおうか」

 

 おかずはどれも2つずつ入っていた。これ幸いと真希は全てを1つずつ寿々花に分けてやり、寿々花も弁当のおかずを少し真希に分ける。

 そうしてちょっと彩りが変わったお弁当を前にして2人が手に取ったのは、京奈の卵焼きだった。

 

「どれほどの腕前か……いただきます」

 

「いただきます」

 

 見た目は綺麗に出来ているが、味はどうか。ぱくりと大きく一口いって、2人の表情が少し綻んだ。

 

「少し甘めの味付けなんだね」

 

「もしかしたら頭を使うから糖分補給、と気を利かせたのかもしれませんわね。あるいは結芽のためか。

 まあ、甘い卵焼きが好きなだけなのかもしれませんけれど」

 

「なんでも良いじゃないか。美味しいんだし」

 

 そのまま無言で食べ進めること暫し。ひと段落ついたところで真希が雑談として、こんな話題を出した。

 

「僕がコンビニでエナジーゼリーを良く買うのは知っているだろう?」

 

「ええ。あの慣れれば10秒チャージですわね。それがどうかいたしましたの?」

 

 手軽で手を汚さない。しかも手早く済ませられるエナジーゼリーは、真希にとって最高の昼食の一つであった。

 栄養バランス的な意味で宜しくないというのは分かっているが、自らの任の重さを考えると、のんびりと食堂で食事を取るという事は難しいのである。

 

「…………最近、あのエナジーゼリーを手に取ると頭痛が走るようになってね。

 そして頭の中に響くんだ。お米は完全なエネルギー食……って」

 

「それは軽いホラーですわね。……でもそういえば、わたくしも似たような事が」

 

「寿々花もか?」

 

「ええ。コンビニでお弁当を買う時、玄米は栄養バランス抜群の完全食……と響いてくるのです。そしてありもしないのに、玄米の姿を探してコンビニを彷徨ってしまうことが……」

 

「「…………」」

 

 笑い話として処理するには少々ヘビーな話題だった。

 幸か不幸か、あの時の記憶は2人からスッポリと抜け落ちているが、その経験はしっかりと脳内に刻まれていたようだ。

 

「いったい僕達は何をされたんだろう……」

 

「力の副作用……ではないですわよね。もしかしたら何かに取り憑かれているのかもしれませんわ」

 

「おいやめろ。怖い事を言うな」

 

「あら真希さん。もしかして、幽霊が怖いんですの?」

 

 弄りに最適な話題を見つけたと言わんばかりに寿々花がニヤッと嫌らしく笑った。

 

「そうは言うけどな。寿々花だって笑い事じゃないんだぞ。例えば……夜中にトイレに行こうと鏡の前を通ったら、鏡に居るはずのない人が寿々花の後ろにピタリと張り付いていたのが映るとか、あるかもな」

 

「ちょっと!なんてこと言うんですの!?」

 

「君が僕をからかおうとするからだろう」

 

「まだ何も言っていませんでしたのに!しかもそれなら、真希さんも夜中は気をつけた方がよろしいですわよ!」

 

「ほーう。何に気をつけるっていうんだ?」

 

 ビシッと効果音がつきそうな勢いで真希に人差し指を突きつけた寿々花に、真希は余裕綽々で聞き返す。

 が、その余裕は即座に崩れ去った。

 

「真希さんが夜に人気の無い廊下を歩いていると、背後から同じペースで歩く足音が……」

 

「おい待て!それ最早ただの怪談じゃないか!?」

 

「真希さんのだって怪談でしたわ!わたくしにもさせなさい!」

 

「誰がさせるか!」

 

 まだ少し残った弁当を横のテーブルに置いて、食後の運動というには少し過激なキャットファイトが始まる。

 

「はああああああ……!」

 

「ぐぬぬぬぬぬぬ……!」

 

 子供同士のじゃれあいにも、ただの痴話喧嘩のようにも見えるそれを、近くを行く人は誰も止めようとはしなかった。

 この程度ならいつもの事であるし、この2人は喧嘩するほど仲がいい。

 

 それになにより、巻き込まれたら面倒くさい。

 

 そのまま暫く続いた2人の争いは、"京奈が怪我人の手当てを終えて帰ってきた"という報告で終息したのだった。

 冷水をぶっかけられたようにテンションが落ちていくのを自覚しながら、寿々花は冷静になった頭で一つの考えを出していた。

 

「…………1度、お祓いに行くべきなのかもしれませんわ」

 

「ああ……そうだね……」

 

 手が空いたら必ず行こう。と決意を固めた2人だった。

 

 なお完全な余談だが、この日から夜になると周囲をやけに気にしながら歩く2人組が時々見られるようになったらしい。

 

 

「…………それ、本当なの?」

 

 結芽は、今聞いた言葉を信じられずにいた。その真意を確かめるように目の前に座る主任を見つめて言葉を待つ。

 

「事実だ。君の病気が治る可能性は、かなり高くなった」

 

 何でもないように言い放ち、タバコを吸おうとして……横に待機している助手に取り上げられる。

 助手に抗議の目線を送る主任に、結芽は信じられないという思いを滲ませながら言った。

 

「……だけど。私の病気は」

 

「そうだね。医者が匙を投げる程度には難病だ」

 

 結芽の身体を蝕む病気は医者が匙を投げるくらいの難病である。治療のしようもなく、本来ならば、もう命の灯火が消えていてもおかしくない。

 そんな状態の結芽が今日まで命を繋いでいるのは、ひとえに延命のためにアンプルを使っているからだ。

 

 しかし、それだって尽きかけの命を先延ばしにしているだけにすぎず、根本的な解決には至っていなかった。

 

「だけど彼女……新田さんには、既存の考えは当てはまらない。ぶっちゃけてしまうと、彼女の能力を使うだけで治療が出来るだろう」

 

「そうなの?」

 

「本人の自己申告もあり、臨床実験もした。

 恐らくは病気も身体の異常であると考えるのだろうさ。そして、その異常を正常に戻すあの力は、あらゆる病気にとって最高の特効薬だね」

 

 身体の傷は治せた。では、病気は治せるのか?ということは当然考えるだろう。

 本人の自己申告もあり、そしてデータ取りの実験も済んでいる。そこから出した結論を言うのなら、それは"可能"だった。

 

「治るんだ……本当に」

 

「ただ……」

 

「ただ?」

 

 嬉しさと戸惑いを混ぜた感情に水を差すかのように主任が言い淀む。

 

「今の君は、身体に入れたアンプルで命を保っている。それは分かっているね?」

 

「分かってるけど……それがなに?」

 

「さっきも言ったが、新田さんの力は異常を正常に戻す。御刀を突き刺した部位から中心に、やろうと思えば全身にまで効果範囲を広げられるだろう」

 

「だから?」

 

 段々と結芽のイライラが高まっていく。主任が命の恩人である事は理解しているが、その事実をもって抑えても我慢の限界というものは訪れるのだ。

 が、次の主任の言葉で、そんな苛立ちは吹き飛んだ。

 

「あらゆる異常を治すといえば素晴らしいのだがね。それは裏を返せば、病気と共に君の命を保つアンプルを消し飛ばすという事でもある。

 つまり、治療の途中で君が死ぬ可能性があるということだ」

 

「…………!」

 

 言われてみればそうだ。

 彼女に投与されているアンプルは、明らかに身体にとって不要な異常である。

 アンプルがどういう物なのかを理解している結芽は、その可能性に気付いて僅かに顔を強ばらせた。

 

「それだけじゃない。君自身も分かっているだろうが、アンプルに使った材料は()()()()()

 それがもし、彼女の能力によって自らの存在消滅の危機に瀕したら……何をするのかは分からない。君の身体を乗っ取ろうとするかもしれないよ」

 

「それは……」

 

「そして、もし少しでも変な兆候を見せようものなら、彼女は必ず疑問に思う。材料の反応によっては、核心に辿り着いてしまうかもしれない」

 

「主任、もういいでしょう」

 

 有り得る話をつらつらと述べていくにつれて、結芽の顔色が悪くなっていく。

 そんな様子を見かねた助手がストップをかけるが、主任の口は止まらなかった。

 

「君は彼女に打ち明けられるかい?自分の身体に受け入れた人類種の敵の事を。

 いや、そもそも紫様が許すかな?彼女に紫様が知らせなかったという事は、つまりそういう事なのかもね」

 

「あ…………」

 

 荒魂は討たれるべき。というのが当然の考えで、京奈もその価値観を持っているに違いない。

 

 そして、折神家には京奈には知らせていない事実がある。

 もし世間に明るみになれば批判は免れず、下手をすれば折神家そのものが消えかねない核爆弾のような闇が。

 

「……さっきから助手が殺してきそうな目で見てくるから、ここまでにしておこう。

 だけど、よく考えてから決めて欲しい。彼女に真実を話して治療を行うのか、それとも何も話さず短い時を生きるのか」

 

「…………」

 

「ああ、もし治療をするのなら言ってくれ。紫様に話を通す必要もあるが、なによりデータを取らねばならないからね」

 

 …………話はこれで終わりらしい。とぼとぼと歩き出した結芽の心には、暗雲が立ち込めていた。

 折神家の闇であるそれを話した時、京奈は受け入れてくれるのだろうか?

 

 きっと受け入れてくれる。たぶん大丈夫。京奈ちゃんはそんな事しない。

 そんな都合の良い言葉で、必死に思い込もうとした。大丈夫だから、と。

 

 ──だけど、完全ではない。もしかしたら、ひょっとすると、拒絶されてしまうかもしれない。

 

「ぁ──」

 

 ひゅっと息が細くなった。呼吸が安定しなくなり、思わず壁にもたれかかってしまう。

 

 過去に両親に裏切られたという、その事実が結芽を怯えさせていた。

 あれほど信頼していた両親でさえ結芽を見限った。であるならば、京奈もアッサリと結芽を拒絶するのではないか。

 

 すぐ近くに見えた未来への希望と、また失うかもしれないという恐怖。

 

 その2つを乗せられた天秤は、恐ろしいほど微動だにしなかった。

 



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約束されつつある未来


設定に矛盾が生じてしまいそうだったので"露出"において刀匠に関する描写を修正しています。大変申し訳ありません。ストーリーをロクに読み込まなかった私のミスです。今後はこのような事が内容にアプリもアニメもしっかり丁寧に読み込みます。

それと誤字報告ありがとうございます。報告をしてくださる度に私の国語力の無さを痛感して恥じるばかりです。
今後も五席目の少女を宜しくお願いします。



 

 折神家の敷地は広大で、その範囲は建物の裏手にある山も含まれている。

 そこは手入れがそれなりにされていて、特に使用制限もされていないから使おうと思えば誰でも使えるが、普段は誰も近寄ろうとはしない場所だ。

 

 特筆するようなものが何も無く、わざわざ行くだけの理由が無いからであるが、それゆえに何時来ても殆ど貸切状態で利用することが出来る。

 

「……」

 

 ベンチ一つすら置かれていない山の中は、今が紅葉のシーズンであるという事も相まって、イチョウや紅葉(もみじ)がカーペットのように地面を彩っていた。

 踏んで歩く事を躊躇してしまいそうなくらい綺麗な落ち葉の絨毯には、良く見れば人一人分の足跡が残っているのが確認できる。しかも真新しい。

 

 その足跡を辿って山の奥へと向かっていけば、周囲の木より1回りほど大きな木が目の前に現れる。

 葉っぱの全てが完全に色付いた大きい木は、言葉では言い表せない包容感を持って来客を出迎えるだろう。

 

 そんな木の枝には小鳥たちが羽を休めるために集まっていて、耳を澄ませば僅かに羽をばたつかせる音だとか、新たに小鳥がやって来たり、逆に飛び立ったりしていく音を聞くことができた。

 また、運が良ければ鳴き声で会話しているような様子を見る事も可能だ。

 

 そんな、小鳥たちの集会所のような木の枝を風が揺らし、そこから、ひらりはらりと舞い落ちる木の葉を木漏れ日が優しく照らす。

 そしてそれは、まるで狙ったかのように根元に座る京奈の頭のてっぺんに乗っかった。

 

「……」

 

 まるで最初からそこにオブジェとして置いてあったかのように、木の根元に座ったまま目を閉じて微動だにしない。

 いったい何時から、こうしていたのか。その答えは肩の上や頭に付いている落ち葉が無言で語っている。

 

「……」

 

 ──いや、微動だにしないというのは語弊があったか。

 若干身体が船をこいでいた。こっくりこっくりと、よく見なければ気付けないくらい僅かに。

 

 昼寝をするにはいい陽気だ。日差しが強すぎず、かといって弱すぎないくらいの丁度いい感じ。だからこうなってしまったのは、或る意味必然だろう。

 

「……、……」

 

 ゆらゆらと揺れていた頭が、ガクッと勢い良く前に大きく揺れる。

 その衝撃で眠りから目覚めたのか、寝起きには辛い日光に目を細めながら京奈は顔を上げた。

 

「…………あれ、寝ちゃってたのか」

 

 あまりにも退屈だったから考え事をしていたら、いつの間にか寝てしまっていたらしい。

 

「……見つからなかったのかな」

 

 耳を澄まして、呼吸を最小限に抑えながら意識を広げていく。こうしていて、更に何かが近くに居れば京奈の第六感とも呼ぶべきものが引っ掛かりを覚える筈だが、それが無い。

 つまり近くに地面を歩く動物の気配は無く、どうやら鳥しか居ないようだ。

 

「ありゃ」

 

 ちょっとやり過ぎたかな。と反省しながら、深く息を吐いて伸びをした。

 そうしてから立ち上がり、来た道をゆっくり歩いて建物のある方へと進んで行く。

 

 そうしていると小鳥が一羽、京奈を追いかけるように飛んで来た。

 その小鳥は真っ直ぐ降りてくると、そのまま京奈の肩の上に降り立つ。

 そんな小鳥に見向きもしないで京奈がポケットから支給されたスマートフォンを取り出すと、短時間の間に幾つもの不在着信があるのが分かった。

 

 ああ、これはスネられるな。

 

 そう京奈は確信し、どうやってご機嫌取りをするかを考えながら山を降りていくのだった。

 そんな京奈の肩の上で、まるで慰めるかのように小鳥がちゅんと囀った。

 

 ところで、人間には人間固有の気配と呼ぶべきものが、木々には木々固有の気配と呼ぶべきものが、それぞれ存在する。

 それを上手く感じ取れれば、仮に物陰に誰か隠れていたとしても違和感として気配を感じ取って「貴様っ、見ているな!」とか出来るのだ。

 

 京奈に身近な人間でそれが出来るのは紫だろう。彼女は凄まじい気配感知能力の持ち主で、過去に結芽が紫を襲うために天井に隠れた際には、完璧に偽装した筈なのに部屋に入る前からバレていたというエピソードがある程だ。

 真希や寿々花はそこまでではないが、己に向けられた殺気という気配なら、いち早く察知する事は可能である。

 

 もちろん逆にそれを隠すのが上手い者もいる。どちらかといえば京奈はこちらに分類されるだろう。

 

 京奈は森に限定すれば、自らの気配を極限まで森の木々に近付ける事が可能になっていた。

 それが出来なければ日に日に狡賢くなっていく野生動物との争いで生き延びる事が困難だったのだ。あるいは、もう死んでいたかもしれない。

 

 まあ、それも今となっては過去のこと。食事の後の談笑で持ち出せるくらいには軽くなった話だ。

 ……京奈にとっては、だが。

 

 とにかく、京奈のそれは小鳥が木と誤認して降り立ってくるくらいの完成度であり、そして、人の気配に敏感な鳥が誤認するくらいであるから、普通の人では気配の察知が非常に困難だ。

 それをもし広大な山の中で行う、かくれんぼで使うとどうなるか。その答えがスマートフォンの不在着信である。

 

 つまり、誰も見つけられないのだった。

 

「だから、ごめんって。私が悪かったから」

 

「ふーんだ。京奈ちゃんなんて嫌い」

 

 夜になって風呂に入る時間になっても結芽はスネていた。京奈は結芽の背中をごしごし洗いながら謝っているものの効果は見られないし、さっきから何度話しかけてもこの反応しか返ってこない。そろそろ京奈は泣きたくなってきた。

 

「うう……夜見さん、なんとか結芽ちゃんの機嫌を取れませんかね?」

 

「と言われましても。それは全面的に新田さんが悪いわけですから、やはり新田さんが何とかするしかないのではないでしょうか」

 

 一足先に湯船に浸かっている夜見にアイデアを求めてみても、返ってくるのはにべも無い返答のみ。

 事の顛末を聞いた夜見もフォローできないくらい、それは京奈に非があった。

 

「やっぱりそうですよね……ねえ、何したら許してくれる?」

 

 洗面器に溜めたお湯を背中を掛けて、泡を洗い流しながら聞く。すると、まだスネたままの結芽は小声でこう答えた。

 

…………イチゴ八つ橋ネコ

 

「えっ?」

 

「だから、イチゴ八つ橋ネコのぬいぐるみで許してあげるって言ったの!」

 

 先日、原宿でキーホルダーを買っていたイチゴ八つ橋ネコ。そのぬいぐるみを結芽はまだ持っていないのを京奈は知っている。

 まだぬいぐるみが増えるの?と思う反面、それで許してくれるなら。と京奈は即座に頷いた。

 

「分かった。明日にでも注文するよ」

 

「やった!京奈ちゃん大好き!」

 

 凄まじい手のひら返しであった。

 

 京奈が頷くと即座に機嫌が最高潮にまで上がった結芽は、振り返って京奈に抱き着く。

 その急な機嫌の変化に京奈は一瞬目を白黒させたものの、許してくれたのが分かると笑みをこぼしたのだった。

 

「そういえば、京奈ちゃんまだ背中洗ってなかったよね?私が洗ってあげる!」

 

 そう言うと結芽はうきうき顔で京奈と場所を入れ替えるように座らせ、京奈の背中をごしごしと洗い始めた。

 そんな様子を見ながら夜見は京奈に言った。

 

「良かったですね」

 

「はい!ぬいぐるみの置き場所は考えないといけないですけど、結芽ちゃんの機嫌が直ってくれて良かったです」

 

 さっきと同じように結芽が洗面器に溜めたお湯で京奈の背中の泡を洗い流すと、そこには十代の若々しい肌に似合わぬ鋭い傷跡が現れる。

 それを指でなぞりながら、結芽は興味深そうに京奈に聞いた。

 

「ねえ、なんでこれ治さないの?京奈ちゃんの力だったら、多分これ治せるでしょ?」

 

「試してはいないけど、多分治せるだろうね。でもやらない。この傷は、私の慢心のせいだから」

 

「慢心ですか。新田さんからは縁遠い言葉ですね」

 

「……今はともかく、ちょっと前までは結構してましたから。慢心」

 

 夜見の横で湯船に浸かりながら京奈は過去の苦々しい思い出を振り返る、その顔は渋い。

 背中の傷は、過去に一度だけ野生動物に瀕死の重傷を負わされた際に付けられたものだった。

 

「刀使の力って凄いじゃないですか。写シ、迅移、八幡力、金剛身……。そのどれもが普通じゃ考えられないくらい強いもので、だから勘違いしちゃったんですよね。私は何でもできるって」

 

 それは刀使となったばかりの者に有りがちな考えだ。刀使としての超常的な力の大きさを理解した時、多くは自分は何でもできるという錯覚に陥りやすい。

 それを乗り越えて初めて新米脱却と言われるくらい、誰もが一度は通る道だと言えるだろう。

 

「その頃は野生の動物を毎回圧勝して追い返してましたから、余計に油断……いや、慢心してたんですよ。私の敵じゃないって。

 でも、そうやって油断してたら背後から襲われて、バッサリと背中を切り裂かれて……そこで理解しました。刀使は無敵じゃない」

 

 その性能は最強と呼んでも差し支えないだろう。個々の才能に依存するという欠点こそあるものの、少なくとも、発展した現代科学と拮抗できるだけのポテンシャルを理論上は秘めている。

 だが無敵ではない。例えば写シを貼る前に狙撃などで頭を撃ち抜かれればそのまま死ぬし、爆弾などの範囲攻撃で迅移で逃げられる範囲ごと吹き飛ばせば刀使とてタダでは済まない。

 自らが死にかけて初めて、京奈はそれを痛感した。

 

「写シが無かったら刀使は簡単に死ぬんですよ。本当に呆気なく」

 

 あの時、自身の能力が無ければ既に墓石の下だろうし、痛みで辛うじて意識を繋ぎ即座に治療をしても傷は残った。

 今より能力の制御が拙かったからだろうが、制御が上手くなった今でも消そうとは思わない。

 こうして、過去の慢心の証として自らを戒めるのに使えるのだから。

 

「ふーん。京奈ちゃんにも、そういう時期があったんだね」

 

「結芽ちゃんも経験あるの?」

 

「あるよ」

 

「えっ意外」

 

「……聞いといてそれは無いんじゃない?」

 

 京奈はいつも自信満々な結芽しか見ていないから、そんな経験があるなんてと驚いた。

 

「いや、ごめんごめん。でも結芽ちゃんって、なんか挫折とかした事なさそうだから」

 

「それフォローになってないからね。……まあ、色々あってさー」

 

 京奈は親衛隊の過去を誰一人として知らない。これほど親しくしている結芽だって、実は何があって親衛隊入りしたのかを聞いていないのだ。

 だからこその京奈の答えだった。結芽に何があったのかを知っている夜見は、何を言うでもなく湯船に浸かっている。

 

「刀使って意外と出来ること少ないよね」

 

「ねー」

 

 片方は声に何処となく陰鬱な色を滲ませ、片方は何気ない普段通りの声。

 結芽は手を左胸に当てた。その場所には如何に自分が強かったとしても意味のない、人間である以上は無くしようのない弱点がある。

 

「ほんっと、ちっちゃい存在だよね。刀使って」

 

 己の無力さを嘆くような、そんな声だった。

 

 

 親衛隊の中で最も注目されている者は誰か。と問われれば、それは間違いなく京奈だと誰もが口を揃えて言うだろう。

 

 母親が20年前の英雄として様々な武勇伝が知られている事と、彼女の一族のみの特殊な能力。更には折神家の親衛隊という何かと人の目を集めやすい立場。

 これで話題にならない方が難しい。

 

「明日はモデルの真似事。明後日は良く分からない写真集の撮影。明明後日は寿々花さんと一緒に、紫様と会社の社長との面会にお付きとして同行…………あの、これ本当に刀使のスケジュールなんですか?」

 

「京奈が刀使であるのならば、それは刀使のスケジュールですわよ。……京奈レベルまで行くと、わたくしもどうかとは思いますけれど」

 

 その結果、刀使本来の仕事とはまるで関係の無さそうな物で予定が埋まるという現象を産んでいた。

 名家の令嬢である関係から何かと刀使とは無関係の行事に出席させられている寿々花ですら、ちょっとどうなんだろうと思うくらいだ。

 

 翌日の朝、スケジュールが出たから取りに来いと言われて取りに来た京奈は、埋まってしまっている自分の予定に閉口する。

 これでは何の為に親衛隊に入ったのか分からないではないか。

 

(こういうの苦手なんだけどなぁ)

 

「あら?そういえば、結芽の姿が見えませんわね」

 

「どうせスッカスカだから代わりに京奈ちゃん取ってきて。だそうです」

 

「…………否定できないのが悲しいですわ」

 

 部屋でまたスネている結芽のスッカスカな予定との差は歴然。足して二で割れば丁度いいのではないかと感じる程だった。

 

「というか、なんですか写真集って。私なんかの写真集出して売れるんですか?」

 

「機動隊員の皆さんには売れるんではありませんの?」

 

「ああ……そっか」

 

 そういう層に向けた物なのか。なら納得だ。

 京奈はそう考え、直後にそんな風に納得してしまった事に嫌になる。

 

 あの光景をナチュラルに受け入れてしまうのは、なんだか自分が汚染されたような気がして非常に怖かったのだ。

 

「やあ。どうしたんだい?」

 

「あっ真希さん。実は……」

 

 そこに真希がやって来た。京奈が自らの予定を見せながら話すと、真希は気の毒そうにしながらも、こう答えた。

 

「有名税だと諦めるしかないんじゃないかな。もう京奈は、未来の英雄としての道が用意されているようなものだしね」

 

「真希さんまで、私のこと未来の英雄だなんて言うんですか」

 

 ──未来の英雄

 

 メディアはそのように京奈を取り上げていた。

 今はまだ年齢が年齢だから未来の、という枕詞が付いているものの、それもいつかは取れるだろう。

 

 なんて巫山戯た称号だ、と京奈は思う。まだ何も英雄的な事はしていないのに、幾ら何でも気が早すぎやしないか。

 そもそもの話、今まで何の実績も持たない11歳の少女を突如として未来の英雄として担ぎ上げるなんて、この国は狂っているとしか京奈には思えない。

 

 しかし、それを大真面目に信じる者がそれなりに居る辺り、本当にこの国はダメなのかもしれなかった。

 

「お母さんが英雄だったからって、私に期待しすぎですよ。まったくもう」

 

「とは言うけどね。今の京奈は十二分に期待に応えていると思うよ」

 

 現場に着いた時には死んでいた。なんていう事例を除けば、京奈の救命成功率は殆ど100%である。

 しかも性格的にも癖が無く扱いやすい。新米刀使にありがちな慢心を見せない様子も、若いながら優秀だと言われる理由の一つだった。

 最近では、今まで高校生が主だった刀使たちの低年齢化が進んでおり、"若いながら優秀"という言葉は陳腐になるくらい使われてきているが、その中でも一際優秀だという評価を京奈はされていた。

 

「それより、準備は出来ているかな?そろそろ行かないと」

 

「あ、はい。でも結芽ちゃんの予定は……」

 

「そのスケジュールは、わたくしから渡しておきますわ。いい機会ですし、こういうのは自分で取りに来なさいと言い聞かせなければなりませんから」

 

「じゃあお願いします。あ、ついでに私のも置いておいてもらっていいですか?」

 

「構いませんわよ」

 

 寿々花から渡された結芽のスケジュールを寿々花に返し、ついでに自分のも渡す。京奈はこれから外に出なければならないので、持っていては紛失する危険があった。

 

「じゃあ行ってくるよ」

 

「行ってきます」

 

「ええ。行ってらっしゃい」

 

 今日は真希が行う荒魂の調査に同行するのが京奈の仕事である。

 まだ一部隊を率いるには経験が足りないと判断されている京奈は、このような真希や寿々花の補佐として任務に同行し、経験を積むように紫から言われていた。

 

「いつかは私も、真希さんや寿々花さんみたいに部隊を率いるんですよね……」

 

「やはり不安かい?」

 

「……はい。あの、やっぱり私に指揮なんて出来ないですよ。私のミスで他の人を危険に晒すとか、考えただけでも怖すぎます」

 

「だけど、やらなきゃいけない時は必ず来るよ。僕たち親衛隊には、そういう能力も求められるんだ」

 

 不安になるのは良く分かる。真希だって、そういう思いを常に持っているから。

 だが、いざ必要となる時に"出来ません"では話にならない。酷だろうが京奈にはやってもらわなければならないのだ。

 

「まあ今すぐに。とは言わないさ。少なくとも、あと1年は経験積みの期間だろうからね。

 大丈夫、結芽でさえ何とかやれてるんだ。京奈もすぐに出来るようになるよ」

 

「結芽ちゃんも……」

 

 ……まあ、結芽は苦情だらけの問題しかない部隊長であるが、嘘は言っていない。結芽だって最低限の指揮くらいは出来る。…………本当に最低限だが。

 

「何はともあれ、とにかく現場に慣れることだ。今日も忙しくなるよ」

 

「……そうですね。まずは目の前の仕事を片付けないと」

 

 先の事を今考えていても仕方ない。とりあえず今は目の前の仕事をこなさないと。

 そんな現実逃避気味の考えをもって、京奈は改めて前を見たのだった。

 



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 新田京奈という名前は、一般人と刀使との間で受け取られ方が微妙に異なる。

 

 一般人からは、その名は将来的に国を代表するであろう英雄の卵という存在として。

 そして刀使からは、その実力が疑わしい存在として。まるで正反対の受け取られ方をされていた。

 

 というのも、実は京奈が人と戦っているところは今まで公にされていないのだ。

 結芽や真希と立ち合っている姿が見られるのは折神家の中庭であり、一般人はもちろん普通の刀使も見る事は出来ない場所である。そして、それ以外の場所で京奈が人と戦った事は無い。

 荒魂となら何度もあるが、それは強さを測るには不十分とされていた。ある程度の腕があれば、誰でも対処できるとされているからだ。

 

 リークで京奈が真希とそれなりに立ち合える事は知っている者は居るが、その情報は職員の中でもそれなりに高い地位の者にのみ齎されていて一般刀使にまでは回らない。

 

 そんな状況であるから、一切の情報が入らないにも関わらず、やたらと持ち上げられる京奈に対して不信感や嫉妬を抱く刀使は多いのだった。

 この不信感と嫉妬を抱く者は鎌府に最も多く、長船が最も少ないと言われている。

 

「紫様!」

 

「鎌府学長か。何事だ」

 

 鎌府に最も多いとされている理由の一つに、鎌府が所謂エリート校であるという事が挙げられる。

 どうしてエリートである自分達ではなく、ぽっと出の田舎娘が栄えある親衛隊に選ばれたのか。という思いが一際強いのだ。

 

「親衛隊の事についてお話に参りました!」

 

「増員の予定は無い。少なくとも当分はな」

 

「そうではなく、親衛隊の新田京奈についてのお話です!」

 

「……ほう?」

 

 そしてそれは、学長も強く思っている事である。

 

(なぜ紫様は完璧な刀使である沙耶香ではなく、あんな欠陥だらけの刀使を選んだのかしら?!)

 

 ……むしろ誰よりも強く思っているかもしれない。

 

「紫様のお考えは、わたくしには分かりかねますが、実力が不明瞭な刀使を親衛隊に置くのは宜しくないと思いますわ!」

 

「私の親衛隊に誰を選ぶかは私が決める事だ。他の誰にも口出しは許さん」

 

「それはそうですが、世の刀使達も思っている事です!新田京奈の実力が親衛隊に本当に相応しいのかということは!」

 

「何が言いたい」

 

 さっさとしろ。そう紫の目は告げている。

 そんな、常人なら言葉を発するのも難しくなりそうな眼光に見据えられても、高津学長は語調を緩めなかった。

 

「証明して欲しいのです!新田京奈が、紫様をお守りする親衛隊に相応しい実力を持っているという事を、不満を持つ全ての刀使に!」

 

 何を馬鹿な事を……と言おうとして、しかし一理ある。と紫は考え直した。高津学長の言葉の裏にあるものをハッキリと感じ取っているが、正当性が何一つ無い訳ではない。

 

 それに、親衛隊の部隊員として配属されるのは近場という地理的な都合もあって全てが鎌府の学生なのだから、その鎌府からの信頼が得られないと京奈に部隊を率いさせる事は難しいだろう。

 将来的には京奈にも部隊を率いさせたい紫にとって、そのデメリットは看過できないものだった。

 

 考え方を変えれば、これは好機だ。上手く使えば京奈の力を鎌府の全ての生徒に知らしめるだけでなく、高津学長の言うように伍箇伝に存在する不満を持つ刀使も黙らせられる。

 

「……つまり、高津学長は新田を選んだ私の目に狂いがあると。そう言いたいのか」

 

「いっ、いえ!そのような事は……」

 

 そこでようやく、高津学長は己が紫に疑いをかけているという事に気付いたらしい。顔を真っ青にしながら否定した。

 紫としては冗談というか、一種のジョークのようなつもりだったのだが、高津学長は本気にしてしまったようだ。

 

「まあいい。高津学長の言う事にも理解はできる」

 

「紫様!それでは……」

 

「そこまで言うのなら、そちらで相手を用意して貰おうか。勝負は1週間後、どちらかの写シが一度剥がれるまで続ける決闘形式。それで構わないな?」

 

 疑問形ではあるものの、否とは言わせぬ雰囲気であった。が、高津学長にも特に否定する理由は無い。むしろパアっと破顔して頷き、

 

「はい!」

 

 と即答するくらいだった。

 

 そうして高津学長が出ていった後、紫は背後に控える夜見に一枚の書類を手渡す。

 

「この書類を回した後、新田に伝えておけ。覚悟を決める時間というものも必要だろう」

 

「了解しました」

 

 そんなわけで、唐突に御披露目という名目で京奈と鎌府の刀使による決闘が決定したのだった。

 

 

「…………なんで?」

 

 その知らせを受けた京奈の第一声がこれである。ポロっと箸から焼き鮭の切り身が落ち、味噌汁に沈んでいった事も気にしていられないくらい京奈は混乱していた。

 

「何故と言われましても、決定した事ですから」

 

「京奈ちゃんいいなー。私もそういうのやりたいのに」

 

「なら代わってよ」

 

「替え玉できたらやってますー」

 

「だよねー……はぁ。今から憂鬱」

 

 溜息をつきながら食事に意識を戻して、そこでようやく味噌汁に浮いた焼き鮭の切り身に気付いたようだ。微妙な表情で口に入れ、米と共に飲み込んでから、また溜息。

 

「しかもそれ、テレビ中継もされるんでしたよね」

 

「そうですね。実情は兎も角、名目上は新田さんの御披露目という事になっていますから」

 

 ──そう。京奈が憂鬱になっている理由は、何の脈絡も無く戦えと言われたからだけではない。未来の英雄の実力を大衆に知らしめるという名目で、テレビ中継までされるというのが大いに関係していた。

 

 なんでこんな事に、と京奈は内心で嘆く。自分は裏方で細々と人を助けていられれば良かったのに、どう歯車が狂ったら未来の英雄などと担がれてテレビ中継までされる羽目になるのだろうか、と。

 

「もしやと様子を見に来てみれば、やはり憂鬱になっていますのね」

 

「寿々花さん……」

 

 そこに寿々花がやって来た。食事を持って京奈の隣に座る寿々花は、どうやら話を聞いているらしかった。

 

「もしやという事は、此花さんもご存知でしたか」

 

「わたくしだけではありませんわよ。もう折神家中で噂になっていますし……もしかすると既に全国にまで広まっているかもしれませんわね」

 

「うわぁ……」

 

 こういう噂は広まるのが非常に早い。

 それを寿々花は知っているから、かもしれないと言いながらも既に広まっているだろう事は確信していた。断言しなかったのは、京奈の負担を少しでも軽減したかったからだ。

 

 この様子を見る限り、その気遣いは無意味な気がしなくもないが。

 

「っていうか、また高津学長が原因なのね。……何であの人私に突っかかってくるんだろう」

 

「高津のおばちゃん、なんか京奈ちゃんのこと大っ嫌いだよね」

 

 あんまりこういう事は言いたくないが、京奈は高津学長の事が苦手だった。

 持ち前のキツい雰囲気に加えて、挨拶しても返事が返ってこないという対応の悪さや、事ある毎にこんな感じで突っかかられているからだが、京奈に心当たりはまるで無い。

 自分が悪いのなら関係改善の余地もあるが、向こうが一方的に嫌っている現状ではそれも望めないだろう。

 

 そういう感じであるから、京奈の中で高津学長は"出来れば会いたくない人"というカテゴリに分けられているのだ。

 

「そんな事される心当たりはまるで無いんだけど……」

 

「まあ気にするだけ無駄だと思うよ。高津のおばちゃんって、なんか理不尽なとこ多いみたいだし。京奈ちゃんが嫌いなのもその理不尽なんじゃないかな」

 

 聞いた話だが、鎌府学内でも凄まじい圧政を敷いているらしい。彼女の気分と指先一つで、幾つもの研究が始まったり廃棄されたりしていて、鎌府内部の研究者達は戦々恐々としているのだという。

 そんな高津学長を一言で表せば、理不尽という言葉が最も適切だ。京奈もその被害を受けたのだろう。と結芽は思っていた。

 

「それで、相手は誰なんだろう?鎌府の人なのは確実だろうけど……」

 

「恐らくは、糸見沙耶香でしょうね。彼女は高津学長の一番お気に入りの刀使ですし、天才とも言われていた筈ですわ」

 

「ああ、あの沙耶香ちゃんね」

 

「結芽ちゃん知ってるの?」

 

「紫様の前まで高津のおばちゃんが連れて来た時に、一回だけ見た。立ち合った事は無いけどさ」

 

 よほど可愛いのだろう。高津学長が沙耶香について、聞いてもいないのに凄まじく熱弁していた事を思い出した。

 

「でもいいなー。いいなー!私もやりたーい」

 

「私はやりたくないよ……ほんとに替え玉できたらなぁ」

 

「ねー」

 

 と、京奈が落ち込みながら食事をとっている時、鎌府の学長室では高津学長が窓の外を眺めていた。

 

(新田……何故また現れた)

 

 ──20年前の事を思い出す。いつもそうだ。いつもいつも、お前達は肝心な時に限って紫様のお傍に現れる。私がお仕えしようとしたタイミングで、まるで狙ったかのように。

 

(片田舎でひっそりと暮らしていれば良かったものを)

 

 ここ一番の重要な局面で、紫様が真っ先に信頼を置いたのは常に新田だった。記憶に残る大事な戦いでは、いつもあいつの背中が紫様の横にある。

 私が追いつけない遥か先、手を伸ばしても届かぬ場所に。

 

「なぜ私の邪魔をいつもする……!不愉快な奴らめ」

 

 ……だが、それも昔の話だ。今回は事情が違う。

 

 今の私には沙耶香が……私が見出した最高の刀使がいる。鎌府……いや、伍箇伝全体を見ても、これ以上に優秀な刀使など見つからないと豪語できる程の刀使が。

 沙耶香の伸び代はありすぎて、私でも測れない。この歳でこれだけの才能を持っておきながら、まだまだ成長が確約されている沙耶香は、親衛隊のような先の見えた欠陥品とは違った本物の天才。紫様をお守りするのは、彼女こそが相応しい。

 

 唯一足りないところを挙げるのなら、ありすぎる伸び代のせいでまだ成長途中という事だけれど、それは向こうとて同じこと。

 現在の力量でも、あの忌々しい新田京奈を打ち倒すのに不足は無いだろう。いや、むしろ過分かしら?

 

「そうよ、紫様に相応しい刀使は沙耶香だけ。他の有象無象など必要ない」

 

 ……そこで学長室の電話が鳴った。受話器を耳に当てれば、聞きたかった私の愛しい沙耶香の声がする。

 

「終わったのね。よくやったわ、流石は我が鎌府の代表。……先に戻ってきなさい、後片付けなんて雑務は他にやらせればいいわ。今は、あなたの体調管理が第一よ」

 

『……はい』

 

 そこで通話を終える。そうしてから私は親衛隊共が集まっているであろう折神家に目を向ける。今は夜の帳が降りきっているから昼間ほど良くは見えないけれど、そこに向けて私は言った。

 

「新田京奈も、親衛隊も。私の邪魔をするものは、皆消えればいい」

 

 

 …………それから一週間後の当日。

 新田京奈の御披露目という名目で行われる鎌府の代表との親善試合は、発表されたその日から連日報道される事となった。

 これは異例だ。名が売れているとはいえ、たかが一刀使の戦いに、こうも世間の関心が集まるなど他に類を見ない。

 

 もちろん、全国の刀使達もこの戦いに注目していた。伍箇伝の中でも特にエリートとされる鎌府の高津学長から寵愛を受けている代表と、全ての刀使の憧れである親衛隊でも特に紫が気に掛ける未来の英雄の決闘。

 これを気にならない関係者はいないだろう。普段は『刀使の戦いが目で追えないから』という理由で観戦しない刀匠のような男子たちまで、この戦いを一目見ようとテレビを見つめていた。

 

「可奈美ちゃん……?まだ始まるまで1時間もあるけど、流石にテレビの前で待つのは早すぎないかな」

 

「…………え?」

 

「だめだこりゃ……」

 

 また、あまりにも楽しみすぎて、つい開始時間を一時間も間違えてしまう者もいた。

 

「あいつが何を考えているかは知らんがちょうどいい。彼女の娘の実力がどれほどのものか、じっくり見せてもらおう」

 

 学長室のテレビを点けている綾小路の学長は、何かに期待するような目を向けていた。

 

「さてさて。私たちの脅威であるのか否か、見物デスネー」

 

「……なあ、やっぱり録画で確認しちゃ駄目か?今すっげぇ眠いし面倒なんだが」

 

「学長からの拳骨が欲しいなら構いませんケド?」

 

「……これは、面倒な事になった」

 

「ねねー」

 

 別の意図を込めた目を画面に向けた組織の者達もいた。

 

 こんな風に、全国各地で決闘の開始を今か今かと待たれている側である京奈はというと、

 

「あわわわ……」

 

 ガチガチに緊張していた。その震え具合といったら凄まじく、膝の上でトントン相撲が出来てしまいそうだ。

 

「そんなに緊張する事かなぁ……」

 

「仕方ないだろう。京奈はこういう場所に出るのが初めてなんだ」

 

 その様子を見た結芽は呆れ顔で、真希も珍しいものを見たと思いつつも結芽に言った。

 

「逆になんで結芽ちゃんは緊張しないの?!」

 

「だってどうでもよくない?」

 

「よくないよ!」

 

 ちくしょう、聞く相手を間違えた。結芽は割りとマイペースなところがあるから、こういう見られる緊張とは無縁なんだという事を忘れていた。

 

 京奈は、きっと数分後には自分が立っているであろう会場をチラ見した。そこには集められた鎌府の刀使達と、それに混じったテレビのカメラがある。

 陽光を反射して煌めくカメラのレンズの数は両手の指では足りない程だ。それが暗に京奈への期待を示していて、それを理解した京奈は目眩を感じた。

 

「……テレビでは、もう生中継が始まっている頃か。そしてこのカメラの数。そこまで注目されているという事の証明だな、これは」

 

「それだけでなく、どうやら海外のテレビカメラまで来ているようですね」

 

「えっ本当に?どこどこ?」

 

 確かに良く見れば、明らかに日本人ではない見た目のカメラマンもいた。京奈の御披露目というイベントは、日本国内だけでなく海外からも注目を集める事柄らしい。

 

「もう勘弁してぇ……」

 

「京奈ちゃんが丸くなっちゃった」

 

「大丈夫ですか新田さん」

 

「……大丈夫じゃないです。大問題ですよ……」

 

 逃げだせるのなら、今すぐに逃げだしたい。そもそも注目されるのに慣れていないのもあって、京奈の胃はキリキリ痛み始めていた。

 

「京奈?準備はよろし……なにをしていますの」

 

「寿々花さん……」

 

「見ての通りさ。もう気が滅入ってる」

 

 寿々花が控え室に入って見た光景は、部屋の隅まで移動して縮こまった京奈というものだった。

 そんな京奈に寿々花は近づくと、脇の下に手を突っ込んで無理やり立たせながら言った。

 

「しゃっきりなさい。もう紫様も到着なさいますわよ」

 

「紫様がここにいらっしゃるのか?」

 

「ええ。京奈へ激励のお言葉を掛けに」

 

 そう寿々花が言い終わらないうちに、威厳のある足音が控え室の外から聞こえてきた。そして京奈が渋々立つのと同時に扉が開かれる。

 案の定、そこには紫が立っていた。

 

「どうだ、調子は」

 

「……紫さん」

 

「京奈。緊張しているのは分かるが、呼び方は……」

 

「いや、いい。好きに呼ばせてやれ。その程度で目くじらなど立てん」

 

 ガチガチに緊張してしまっている京奈が思わず紫への様付けを忘れてしまった事を真希は咎めようとするものの、それを紫本人は許して京奈の前に立つ。

 

「……その調子だと、どうやら相当参っているようだな」

 

「…………はい。あの、やっぱり間違いだったんじゃないですか?私なんかが、紫さんみたいな凄い人の親衛隊なんて」

 

 鎌倉に来て、やっと京奈は自分が不相応な場所に立っている事に気がついた。刀使になるって知らされた時は、そんなこと全然感じなかったのに。

 だがなってから気付いたのだ。ここはもしかすると、自分如きが立っていい場所ではないのではないか、と。

 

 実際、京奈の刀使としての力は尖りすぎている。そして、その尖り具合が自身の扱いづらさを産んでいる事など、とうに知っている。

 

 もし京奈に特殊な能力が無ければ、こんな風に取り沙汰される事は無いと断言できていた。

 一刻も早い荒魂の討伐が求められるこの御時世、守勢専門の刀使の居場所など殆どないのが現状であるからだ。

 

 そして京奈のように攻撃が出来ない刀使は欠陥品という評価が下されるのが常だ。

 そうだろうな、と京奈も思っている。それは現場に出る度に感じている事であったから。

 

 攻撃が出来ないという事は荒魂を倒せないという事であり、それは荒魂が暴れる時間が増えるという事。そして暴れる時間が増えるという事は、街への被害が拡大するという事だ。

 修繕の費用は無限にある訳ではなく、また、修復中はそこは使えない。大通りから少し外れた場所なら良いが、もし電車の線路が壊されてしまうと近隣住民は急に通勤通学の手段を失ってしまう。

 

 京奈が増援の刀使到着まで単独で戦線を支えるという仕事を完遂した時、ふと周りを見て思うのだ。この壊された建造物の数々は、自分以外の誰かが此処に居れば壊されなかったのではないかと。

 

 京奈の能力があれば命は救える。だが命は救えても、さっきまであった、いつも通りの生活までは救えない。

 命あっての物種とは言うものの、その命を繋ぐためにも安定した生活基盤……つまり交通インフラやライフラインは必要不可欠なものだ。そこまで守って初めて、刀使の仕事を果たしたと言えるのではないか。

 

 破壊された街を見るたび、その思いは強くなっていった。

 

 そんな京奈の悩みを紫は完璧に見抜いたわけではないが、しかしどうやら己の才能について悩んでいるらしいという事は分かっていた。

 ここは言葉を慎重に選ばなければならない。

 

「私と初めて会った日の事は覚えているな?」

 

「えっと、はい。紫さんにボコボコにされた日の事ですね」

 

 今にして思えば、対人経験の無い自分の初戦が最強の刀使だなんて無理ゲーにも程がある。手加減されて、それでもボッコボコにされたとはいえ、よく3分も耐えられたなと京奈はしみじみ思った。

 

「そうだ。あの時の私は一刀のみだったが、しかし私を相手に耐えきったのは紛れもない事実だ。その実力は並では無い事、私は良く知っている」

 

 ぽん、と何気ない感じで紫が京奈の肩に手を置いた。それは誰も見た事の無い、紫の気安さを感じる動きだった。

 

「自分を卑下する事はない。私を相手取れる時点で、半端な才しか持たぬ者より優れている事に疑いの余地は無いのだからな。

 ……さて、そろそろ時間か。行くぞ」

 

 もちろん攻撃の才も備えているのが理想ではある。が、人間には持って生まれた才能の限界値というものがある。

 それが中途半端に割り振られた器用貧乏なステータスであるよりは、尖りまくった一点特化の方が使い道は多い。

 

 それをどう使うかは、指揮官の腕の見せどころだ。

 

「……それに、新田のような守勢専門の刀使にも役割はある」

 

「え?」

 

「なにも全員が攻撃に参加する必要は無い。個人に出来る事は限界があり、それを補うためにチームが居るのだからな。

 ……守る事しか出来ないから役に立たないなど大間違いだ。例えそれしか出来なくとも、チームに大いに貢献した刀使を私は知っている」

 

 ……これは、もしかして遠まわしに励ましてくれているのだろうか。会場に向かいながら、京奈は紫の後ろ姿を見た。

 

「だが最近は、どうもその事を忘れている者が多いようだ。攻撃こそが華、などという思想が蔓延しているからだろうが、あまりにも防御を軽視する刀使が多すぎる」

 

 攻撃は目立つ。つまり、攻撃をすればするほど自分をアピールするチャンスが多くなる。自分を上手くアピールできれば名前が売れ、就職や進学にも有利になる。もしかすると親衛隊に声が掛かるかもしれない。

 そういう思考が刀使たちの間で蔓延しているからだろう、チームを組んだ時の攻撃手の倍率は一番高い。その反面、守備手は地味だの引き立て役だの散々な言われようで、いわゆる窓際族のような扱いをされていた。

 

「京奈。私が最も信頼した刀使の一人娘にして、決して破れぬ最強の盾」

 

 であるからこそ、これから繰り広げられる戦いは刀使に大きな衝撃を与えるだろう。これは、閑職扱いされている守備手の下克上のようなものなのだから。

 

「破れぬという事がどれほど頼もしく、そして恐ろしいのかを攻撃一辺倒の馬鹿共に証明してみせろ。お前になら、それが出来るはずだ」

 





決して破れぬ(ただし結芽には負け越し)。まあ激励だから多少はね?


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stain②

大変お待たせいたしました。
沙耶香ちゃんとの戦いをどう書くかを悩み、そこに私用が重なり、更にドルフロに浮気していたら、こんなに時間がかかってしまいました。ちなみに遅れた主原因は最初の奴です。戦闘描写難しい……。
それにしても、ドルフロって面白いですね。ソシャゲなのに設定凝ってるし、私の大好物なACみを感じる世界観がビンビン来ました。正直書きたい。

あ、今回の話は普段より文字数多めなので、私の拙い文章を細部まで読む物好きな御方は途中で休憩を挟むといいと思われます。



 会場には緊迫感が満ちていた。先程まで隣の友人と喋っていた刀使たちは、今は皆一様に緊張を顔に出して、とある一点を見つめている。

 その張り詰めるような感覚は、全国のテレビの前の者にも伝わっていた。見られている筈はないのに、なぜか自分の事を見られているような錯覚を覚えた。

 

 そのとある一点とは、親衛隊を従えて建物の奥からカメラの前に現れた紫であった。

 その場に居るだけで人々を圧倒する威圧感を、さも当然のように雰囲気として身に纏っている紫は、5人の親衛隊に頭を下げられながら用意された椅子に座った。

 

 ……普段は不真面目な結芽も、この時ばかりは真面目にするらしい。横で礼儀正しく頭を下げている結芽の珍しい姿に、京奈は場違いにもそんな感想を抱く。

 

 京奈が戦う会場は、毎年春に御前試合の決勝戦で会場としても使われる広い場所だ。建物の方には親衛隊達が居て、反対側の門の方には高津学長と一人の刀使がいる。

 どうやらこの戦いは、御前試合という伝統と名誉ある大会の決勝戦と同等か、もしかするとそれより上の価値があると判断されているようだ。

 

(あの子が沙耶香ちゃん……)

 

 高津学長と何かを話している……というよりは、一方的に高津学長が話しかけているように見えた。

 しかし、そんな様子を詳しく観察する間もなく、審判の声が静寂を切り裂くように響く。

 

「双方、前へ」

 

 その言葉に、とうとう始まるのかと他人事のように京奈は思った。

 

「ベストを尽くしてくるといい」

 

「応援していますわよ」

 

「お気をつけて」

 

「頑張れー」

 

 他人に聞こえない程度に小さく、しかし京奈には聞こえるように応援の言葉も貰った。

 京奈はそれに頷き、地面に敷かれた(むらさき)の布の上に立って沙耶香と相対する。

 

「お互いに礼」

 

 頭を下げた京奈の脳裏には、テレビを通して自分を見てくれているであろう祖父の顔が浮かんでいた。

 

(おじいちゃん……見ててくれてるかな)

 

 京奈の実家では、吾朗がテレビの向こうに映る京奈を心配そうに見ている。孫の晴れ姿であると同時に、彼女が傷つく戦いの様子を見る彼の内心は複雑だった。

 

「抜刀」

 

 言われた通りに御刀を抜く。使い慣れた母親の形見であるそれを握っていると、さっきまでガチガチに緊張していた気持ちが解れていくような気がした。

 

「写シ」

 

 ほぼ同時に白いベールのような写シを纏う。これで死ぬ事は殆ど無くなり、存分に暴れられる。……痛くはあるが。

 

 ぴん、と糸が張り詰めたような静寂に満ちた緊張が最高潮に達する。誰かが息を吐く音すら聞こえてきそうな静けさは、審判が腕を振り下ろす一瞬しか持たなかった。

 

「始めっ!」

 

 開始と同時に動いて先手を取ったのは沙耶香だった。

 まずは小手調べと言わんばかりの迅移を使った直線的な攻撃は危なげなく京奈に受け止められる。

 

 そのまま弾かれた勢いで僅かに後退した沙耶香は、しかし再び正面から攻撃を行った。

 受け流すために前に詰めたり後ろに下がったりという、京奈にとってはいつもの行動をしながら上半身の色んな場所を狙ってくる斬撃を受け止め流していると…………なんだか、ものすごい目線が集まっているのが分かった。もし目線で穴が開くのなら、今頃は原型を残さぬくらい穴だらけだったに違いない。

 

 攻撃を受けた後の僅かな余裕で視界に映る観客の方を観察してみると、そこには身を乗り出さんばかりの勢いで食い入るように京奈を見つめる観客の姿があった。

 皆が京奈の戦いを品定めするような目で見ながらも、盗めるところは盗もうという向上心も込められたものだ。ただ見に来ただけではない辺り、やはり生粋のエリートが集まっているのだろう。

 

 まるで動物園のパンダのような気分になりながら沙耶香の方へと意識を戻す。

 京奈は沙耶香の何かを探るような目に気付いていた。

 

(どこまで対応するかを探られてる……?)

 

 手応えを確かめているというか、守りが甘い場所を探すために雑に打ち込んでいるというような感じだった。その証拠に、狙われている場所がバラバラで落ち着きが無い。

 

(まだロクに迅移も使ってこないし、弱いところを見つけたら一気に来るのかな)

 

 上段からの振り下ろしをサクッと躱して、直後の切り上げは軽く弾く。

 

 このように考え事をしながら京奈は御刀を振り回しているが、こんな事が出来るのは今が序盤だからだ。

 戦いが過熱すれば悠長に物を考える余裕なんて無くなるが、序盤ともいえる現在、お互いに様子見の体が濃く宿っている。お互いを使ったウォーミングアップの最中といえば良いだろうか。

 つまり、こうして考え事をしても問題のないくらい内容が薄い状態だった。結芽と同じくスピードタイプだという沙耶香がまだ数回しか迅移を使っていないのがその証拠だ。

 

 ただ、向こうが段々とその気配を鋭く尖らせてきているから、もうそろそろ本格的な戦いが始まるのは間違いなかった。

 沙耶香が気配を尖らせるのに呼応するように、京奈の目つきが厳しくなっていく。溢れ出た緊張が、序盤の終わりを告げる。

 

 そのまま十合……つまりは御刀が十回ぶつかり合った直後のタイミングで、沙耶香が仕掛けた。

 

(迅移、来るっ!)

 

 軽やかだった沙耶香の足が、気をつけなければ見過ごしてしまう程度の重さで踏み込んだ。

 そして直後に──先程までの雑なものとは違う、洗練された必殺の一撃が京奈を襲った。

 

(やっぱり早い!)

 

 想定よりも遥かに早い突きが喉を貫こうする。それを辛うじて受け流した京奈に沙耶香は更に追撃をかける。

 

(右薙ぎ、左薙ぎ、突きから袈裟斬り……いや、これはフェイント)

 

 沙耶香の猛攻に押されるようにして若干後退しながら速さに目を慣らしていると、京奈はある事に気がついた。

 

「迅移を常に使ってる……?」

 

 思わず漏れた声に沙耶香は何の反応も返さず、しかし、その動きが答えを物語っていた。京奈の動きとは倍くらい機敏さが違う、まるでビデオの早送り映像のような機敏さだった。

 

 普通、迅移を常に使用するなんて事は出来ないし、その用途は移動が殆ど。それを攻撃にも用いて、しかも攻撃の最中すら迅移を切らさないなど想定していない。そんな事が出来る刀使が存在するなど、思いもしなかったからだ。

 だが相手は高津学長が自ら完璧などと謳うほどの強力な刀使だ。並の刀使と一緒なわけがなかった。

 

 この時の京奈は知らない事だが、迅移を継続使用する沙耶香の能力は無念無想と呼ばれている。

 

(これが鎌府の天才……結芽ちゃんとはまた違った速さを持つ刀使!)

 

 序盤からいきなり沙耶香に主導権を取られる形となったが、京奈もそれは織り込み済みだ。防御しか出来ない自分が序盤の主導権を握る事は不可能だということは最初から分かっていた。

 

「さすがエリート校の代表……迅移を継続使用する刀使なんて聞いたことないよ」

 

 午前中かつ早めの時間に始まった戦いを、録画機器を稼働させながらテレビを見る舞衣は、沙耶香の非常識な能力に驚きを隠せない。

 迅移の制御にはかなり繊細なコントロールと集中力を要するというのに、それを常に扱うなど考えただけで気が遠くなりそうになる。

 

「親衛隊の子、ちょっと押されてるよね。大丈夫なのかな」

 

 舞衣と可奈美の友人である安桜(あさくら) 美炎(みほの)もまた、その力に驚きを顔に出しながらも、その一方で画面の向こうで戦う京奈を心配していた。

 どっちも無関係の刀使ではあるが、親衛隊としての実力を自分が満足のいくまで見れずに終わってしまうかもしれないと思うと、京奈を心配せずにはいられなかったのだ。

 

「分からないけど……もしかしたら、このまま押し切られちゃうかも」

 

「いや、それは無いんじゃないかな」

 

 舞衣の予想を否定したのは、楽しそうにしながらも真剣な目でテレビを見つめている可奈美だった。

 

「そうなの?でも結構押されてるよ」

 

「うん。まあ、そうなんだけどさ」

 

 一見すれば、確かに押されているように見える。現に京奈は段々と会場の端に追い詰められていた。

 だが可奈美は、京奈の内側にあるセーフティーラインがまだ超えられていない事を何となく見抜いていた。

 

「あの子、今は確かに押されてるけど……肝心な一線は超えさせてない、気がする」

 

「えっと……つまり?」

 

「まだ余裕があるって事かな。少なくとも、すぐに決着はつかないと思う。受けに重きを置いた流派みたいだしね」

 

 戦いは、基本的には先に仕掛けた方が有利である事に疑いの余地はない。

 仕掛ける側は攻撃の択を状況に応じて取る事が出来るが、仕掛けられる側はその攻撃に対応しなければならず常に受け身になってしまうからだ。

 

 もちろん戦いの主導権は状況に応じて移り変わるものだが、それでも最初から捨てていいものでは無いのは確かだった。

 

 しかしそれは、あくまで攻める流派同士がぶつかった時の話。相手の行動を起点にする待ちの流派であるなら、先手を譲るのはメリットであり、逆に自分から攻めるのはデメリットと言えるだろう。

 

 京奈の場合、前半から中盤の頭までは主導権を渡してしまう事が殆どだ。バトルスタイルの都合上その方が楽だからであり、今回もその例に漏れない。

 常に迅移を使う無念無想は想定外だったが、今のところは初動から動きを推測して受け止める事が出来ている。後はこのまま目を慣らすだけだ。

 

「安定しそうか」

 

 そんな様子を見た真希は、長期戦にもつれ込みそうな眼前の戦いに少しだけ安堵しながら小声でそう言った。

 

「ええ。まだ少しだけ危なっかしい気もしますけれど、余程でなければ平気でしょう」

 

「長期戦は京奈ちゃんの十八番だもんねー」

 

 長期戦になればなるほど京奈の安定感は増していく。逆に沙耶香の方は、長期戦になるとどんどん不利になっていくだろう。扱うのに集中力が必要な迅移を使い続ける能力が、長期戦に向く筈がない。

 

「向こうもそれを分かっている筈だ。さて、どう攻めてくるか」

 

 そう真希が呟くと、まるでそれが合図だったかのように沙耶香の動きが変わった。

 真正面から向き合って戦うスタイルから、己の自慢の速度を生かす方にシフトしたようだった。

 

 

 戦いは中盤に差しかかったところである。沙耶香は真正面から斬り合うだけでは京奈を倒せないと判断したらしく、今は迅移で左右に揺れながら京奈を翻弄する作戦に出ていた。

 

 左から来る攻撃を流したら、間髪入れずに今度は右から同じように襲ってくる。

 その動きに合わせて京奈もくるくる回っているから背後は未だに取られていないが、京奈の神経は少しずつ磨り減っていっていた。

 

(あともうちょっとで目が慣れるのに、そのちょっとが遠い……)

 

 視界から沙耶香が迅移で消える度に、その方向へ身体を振らなければならないが、京奈が身体を向けた直後にまた迅移で動かれ左右どちらかに身体を振らされる。

 結芽のように剣戟を交えるのではなく、ただ速く動いて京奈の神経を削ってくる相手と戦うのはこれが初めてというのもあってか、少しずつ精神的な疲労を感じつつあった。

 

 そんな様子を見ながら、高津学長は悪どい笑みと共に呟いた。

 

「いいわよ沙耶香。そうやって少しずつ新田京奈の神経を削ってやるのよ」

 

 この作戦は高津学長の指示だ。京奈の守備能力をリサーチしていた高津学長は、たとえ沙耶香でも真正面からでは防御を崩すのが難しいという事を(非常に悔しいが)認めていたのだ。

 しかし、あのにっくき新田京奈を打ち倒す為には圧倒的な防御を崩さなければならない。だが、そう易々とはさせてくれないだろう。

 

 どうすればいいかと頭をフル回転させた結果、出た結論が無念無想の速さで無駄に目の前をウロチョロして精神を削るという作戦だったのだ。

 

 ハエが何度も何度もそれなりの速さで目の前に飛んでくるのと、一瞬だけしか見えないくらいの速さで飛んでくるのとでは、同じ事をしていてもウザさが全く違う。

 前者の方がしっかりと確認できるだけ、そのウザさと不快感の度合いは後者よりも遥かに強い。

 

 無念無想の速さで無駄に動くという行為を分かりやすく例えるなら、こんなところか。

 

 言うまでもない事だが、速攻で京奈を倒せるのが最善である。つまりこれは次善の作戦だったわけだが、どうやら効いているらしい。

 

 刀使同士の戦いは精神力の差が物を言う世界だと言われている。なぜなら、迅移や八幡力などの能力が全て個々人の精神力に依存しているからだ。

 その精神力を削いでしまえば戦いの場において、あらゆる意味で優位に立てるのは間違いない。精神力が弱まれば能力も弱くなるのだから。

 だから、他の人間からすれば唯の嫌がらせにしか見えなくもないそれには、ちゃんと意味があるのである。……まあ、高津学長の私情が入っているのは否定できないが。

 

 だがこの作戦、当然といえば当然だが、沙耶香の移動を目で追える刀使が相手でなければ意味の無い作戦だ。

 しかし目で追えないのなら、この作戦を実行するまでもなく沙耶香に斬られて終わっていたから、この作戦を行う時点で前提条件は満たしている事にはなるので、そこはあまり問題ではないだろう。

 

 そんな、高津学長の嫌がらせ(趣味)も兼ねた行動を繰り返されている内に、京奈はどうも沙耶香に積極的に攻める気が無いらしい事を察した。

 

(なにするつもり……?)

 

 こんな嫌がらせに何の意味が、と京奈は訝しんだが、考えてみても答えは見えそうもない。個人的な嫌がらせなのだから、見えるはずもないが。

 散発的な攻撃を受けながら少しだけ考えた京奈は、しかしすぐに考えるのをやめた。

 

(……まあいいや、別に)

 

 相手の意図がどうであれ、自分には防ぐ事しか出来ないのだ。ならば考えるだけ無駄でしかない。目の前に来る脅威を弾くという仕事に変わりはないのだから。

 だが、このままちょこまかと動かれ続けるのも宜しくない。いい加減に鬱陶しくなってきたし、そろそろ主導権を渡してもらおうか。

 

「でぇぇぇいっ!」

 

 そう決めた京奈は次の瞬間、沙耶香の攻撃を受けた御刀を切り返して、沙耶香の胴体目掛けて薙いだ。

 

 この戦いで初めて京奈が攻撃に移ったが、それは京奈らしくはない事だった。故に、まさか自分から仕掛けるとはと京奈を知る者達は一様に驚いた。

 

 しかし、これに誰より驚いたのは対戦相手の沙耶香と高津学長だった。京奈が攻撃下手だと知っていたので、まさか自分から隙を作るようなド下手な攻撃を仕掛けてくるだなんて思いもしなかったのだ。

 その攻撃は事前に聞いていたような酷いものだったが、その予想外な行為によって思考に空白を作ってしまった沙耶香は、そのせいで無念無想が解けてしまった。

 

 が、思考が一時的に止まった間も身体は勝手に動く。無意識に沙耶香の身体は攻撃を躱して、無防備に見える脇腹目掛けて刺突を繰り出した。

 京奈の攻撃は刀使であれば誰がどう見ても隙だらけの初心者以下のものであり、それを嘲笑う者は多かった。所詮その程度なのか、過大評価だったなと。

 

 そして沙耶香の行動は真っ当なものだった。隙だらけの攻撃を見て、反射的に叩きに向かわぬ刀使は居ないだろう。

 そこに間違いは無かった。少なくとも客観的に見ればそれが正答であるし、京奈が並の刀使であればその刺突は身体を貫いて致命傷を与えていただろう。

 

 しかし、沙耶香は己がやってはならない行為をしてしまった事を理解していた。

 動いたのではなく、()()()()()のだという事実に気づいていたからだ。

 

 今までは自分が主導権を握っていた。こちらから仕掛けて相手の動きをコントロール出来ていた。それは京奈が攻撃を完璧には受け流しきれず、動きに翻弄されていた事からも分かるだろう。

 しかし今、その主導権は向こうに渡ってしまっている。つまり、この行動は京奈によってコントロールされた、予想通りの行動に過ぎなかったのだ。

 

 京奈は、自分自身のド下手な攻撃が相手の反撃を誘発させる効果があると気付いていた。

 

 刀使の戦いは一瞬の判断が物を言う世界である。仮に隙を作っても、もたもたしていると迅移で逃げられて体勢を立て直されやすいからだが、そうされないためにも優秀な刀使であればあるほど相手の隙は見逃さない。殆ど条件反射気味に、僅かな隙を致命傷にしようと飛びかかる。

 

 そんな刀使達が、どこからどう見ても隙だらけな攻撃を前にして我慢が効くかと言うと、それはノーだった。

 この事実はさっきの沙耶香が証明している。そして京奈はそこを利用したのだ。

 

 これは親衛隊という、随一の実力を有する刀使達との戦闘で見つけた刀使の習性だった。

 下手すぎて逆に釣られてしまいますわ。と寿々花に言われ、戦場でも荒魂に横から散々どつかれまくった京奈が思いついた、防御のための攻撃。それは相手が優秀であるほど効果を発揮する。

 

 主導権を握った事を示すかのように京奈は御刀を逆手持ちして刺突を呆気なく防ぎ、結芽の手癖が伝染ったのか手の中で御刀を回転させて元の持ち方に戻してから、更に斬り掛かった。

 沙耶香はそれを受け止めざるをえない。攻撃と攻撃の間が何故か妙に空いているから逃げる事は容易だが、それが出来ない理由があった。

 

 この戦いは全国の人間が見ている。伍箇伝の刀使たちは言うに及ばず、下は小学生から上は国のお偉いさんまで、幅広い層にだ。

 であるから、これは鎌府にとって大事なアピールチャンスだ。ここで学校代表の優秀さを見せつければ、政府機関のみならず大手企業からの資金提供も望める可能性がある。

 が、それは裏を返せば、仮に情けないところを見せてしまった場合、その痴態も全国に広がってしまうという事だった。

 

 そして今の一連の攻防で、京奈の攻撃力はゴミ同然という事が露呈した。ここでもし一合すら打ち合わせずに逃げてしまえば、そのゴミ同然の攻撃にビビったと言われてしまうかもしれない。

 この機会に発言力を更に高めたい鎌府にとって、そんな自身の評判が下がりかねない行為は容認できなかったのだ。

 

 だから沙耶香には前もって指示が下されていた。有り得ないとは思うが、万一にも京奈が攻撃を仕掛けてきたら、何合かは必ず打ち合え。そして退く時は整然と、如何にも何かありげな雰囲気を出して退けと。

 打ち合うという行為が例え敵の思惑にうかうかと乗る行為だとしても、命令には従わなければならない。

 

 そんな大人の事情が大いに関係して、沙耶香は本来なら簡単に逃げられる筈のところを五合も打ち合わなければならなかった。

 

 そして言われた通りに整然と下がった後、沙耶香は再び攻めるために無念無想を発動した。

 きっとこれが最後の発動になるだろう。しかも自らの残りの精神力を考えれば長くは持たない。

 

 ここで沙耶香は、猛攻を仕掛ける以外の……先程のような京奈の目の前をウロチョロする作戦を取ることは出来ない。精神力が尽きかけているというのもあるが、一番はやはり大人の事情である。

 ここで攻めなければ、鎌府は腰抜けだというレッテルが貼られかねないのだ。あんな初心者以下の攻撃に日和るなど、それでもエリート校なのかと。

 

 つまり、未だに行動を強いられ続けている。主導権は握られたまま返ってきていない。

 ならば、ここでその主導権を取り返さなければならない。そして京奈の守りを崩せなければ、鎌府に待っているのは敗北の二文字のみだ。

 

「……見えた」

 

 だが、さっきまでは感じられた御刀同士が触れ合う手応えが、今の打ち合いでは感じられなかった。

 そこに確かにある筈なのに、まるで霞を切り裂いたような驚くほど軽い感覚が、御刀を通して沙耶香に伝わる。

 そして今の呟き。それは沙耶香が一番聞きたくない死刑宣告のようなものだった。

 

 ここで沙耶香は自分が殆ど負けた事を察した。京奈の目が慣れてしまったのなら、もう勝ち目は無いに等しい。

 後はどれほど上手く負けられるか。そういう事を考える段階まで来ている。

 

 しかし、それはそれとして戦いはやめない。もしかしたらブラフかもしれないし、京奈の攻撃力は皆無なのだから、反撃で倒される事を気にする必要は無い。

 攻め続ければ活路は見える。そんな希望的観測と共に沙耶香は攻撃を続行した。

 

 受け止め、弾き、また受け止めて、弾く。もう何度も慣れた行為を繰り返していると、京奈は何やら自分が遠いところに来てしまったような感じを、ふと抱いた。

 そして決心する。これが終わったら帰省しよう。久しぶりに、あの山に帰りたくなった。

 

「…………」

 

 紫は表情も体勢も変えず、戦いの行く末をただ見つめている。この後に起こる事を、その眼で視ながら。

 彼女の予想が正しいのであれば、沙耶香は京奈に絶対に勝てない。もしここから負けるのであれば、それは八百長を疑わなければならないだろう。それくらい、元の実力が違っていた。

 しかし、それも無理のない話だ。親衛隊という猛者達とほぼ毎日戦っていて、更には重傷を負うような死線を潜ってきた京奈と、言葉は悪いが格上との対人経験が不足しているだけでなく、絹に包まれ桐の箱に入れられたような愛でられ方をしていた沙耶香とでは、立っている場所が違う。

 

 もし京奈が親衛隊に入りたての頃であれば分からなかっただろう。あの頃は京奈も対人経験が不足していたから、もしかしたら負けていたかもしれない。その確率は半分くらいあった。

 しかし、あれからかなりの月日が経過している。その間に開いた差は、根性のような精神論で埋められるほど狭くはないのだ。

 

(磨けば輝く。だが、その磨き方が甘い。だから輝きも中途半端なものになる)

 

 紫は沙耶香をそのように評価した。芽はある。だが足りない。少なくとも、今の京奈を倒すには攻撃力も自慢の早さも不足している。無念無想を使って結芽と同程度に動けるのなら、まだ分からなかっただろうが……

 

(……いや、これは新田が輝きすぎているだけか)

 

 普通の刀使であるなら、あれだけの力でも十分すぎる。ただ、今回は相手が悪かったというだけ。

 

 どうやら、京奈という例外を見て少しばかり勘違いをしていたようだ。誰も彼も、あんな風に強い輝きを放てはしないのに。そんな単純なことを忘れるだなんて、どうやら紫もあの輝きに相当目を奪われてしまっていたようである。

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 戦闘が始まってから、そろそろ30分が経過しようとしていた。通常5分くらいで決着する刀使の世界では異常な長さの戦いだ。

 だからなのか、飽きている者は「まだ終わんないのか」みたいな感じを隠せない。

 

 そして誰もが、沙耶香の息切れは長引いた戦闘時間のせいだと思っていた。

 見て分かるくらい切っ先がブレて、攻撃にも精細さが欠けている。これは沙耶香のスタミナが切れかけているせいなのだと。見る側だって疲れるのだから、実際に戦うのはもっと疲れているだろうと。

 

 それは確かにそうだった。だが、それだけが理由ではなかった。

 

(どう、して)

 

 沙耶香の胸中に、何か大きなものがのしかかっている。それが何かは分からない。しかし、それが叫ぶのだ。

 

 早くそいつを倒せ。自分の視界から消してしまえ。と。

 

 その言葉に導かれるまま、沙耶香は自分でも分かるくらい滅茶苦茶な攻撃を繰り返した。

 だが、そんな焦りが篭った剣では京奈の守りは崩せない。その事実が更に胸中を騒がせ、そして焦りが大きくなる。

 悪循環を繰り返していた沙耶香は、京奈の次の一言で呼吸が止まりかけた。

 

「逃がしませんよ」

 

 そう言われてから自分が一歩ずつ退いていたのだと、沙耶香は初めて気がついた。

 京奈はそれを、距離を取って仕切り直すための予備動作だと捉えていた。しかし沙耶香にとっては、これはそんな戦術的な意図のあるものではなかった。

 

(なんで)

 

 京奈が距離を詰めてくる。沙耶香はそれを振り払うように御刀を振るう。しかし、さも当然のように弾かれてしまい、それがまた沙耶香の足を退かせてしまう。

 前半までとは真逆に、今度は沙耶香が端に追い詰められていく展開となった。

 

(分からない)

 

 一歩ずつ下がっていく度に、心臓の動悸が激しくなっていく。追い詰められていくと自覚するたびに、呼吸がどんどん浅くなっていく。

 

 相手は全くといっていいほど攻めてこない、いつもの防御一辺倒のスタイルに戻っていた。

 その構えを一見しただけではこうなる要素は何も無い筈なのに、どうしてこうなっている?何が自分をこうさせる?

 

(わからない。なにもわからない)

 

 今まで、自分が相手をして倒せない刀使など居なかった。最強だなんだと持て囃された事は一度や二度ではない。

 だが目の前にいるのは、そんな自分が倒せない鉄壁の守りを持つ刀使。超えることの出来ない高い壁。

 

 攻撃が一切通らない。

 

 打ち崩せない。

 

 無念無想も、もう通用しない。

 

 そんな、自分の持ち札を全て使い切ってもなお勝てない相手を前にして平静を保てるほど、沙耶香は戦闘経験を積んでいなかった。

 ここで何より不幸だったのは、沙耶香が天才である事であった。一般人であればぶつかった筈の壁にぶつからないで此処まで来てしまったから、挫折感や出来ないという絶望を味わった事が無かったのだ。

 

 ……もし、その絶望や挫折感。無力感というようなあらゆる負の感情を味わった事の無い人間が、絶対に負ける事の許されない戦いでそれを味わってしまったら、その人間はどうなってしまうのだろう。

 

「あ……」

 

 トン、と背中が何かに触れた。それが何かを理解したから、思わず絶望が声となって漏れ出た。

 

「行き止まり、ですね」

 

 無情に告げられた言葉が、命を刈り取る死神の鎌のように沙耶香の希望を奪い去った。

 自慢の速度を生かせないばかりか、逃げることすら許されない場所。つまり4箇所ある角の一つという沙耶香にとっての処刑場だ。

 

 視界が狭まっていく。御刀同士がぶつかる金属音がやけに遠い。荒くなっていく呼吸すら、聞こえなくなってきた。

 

「あ……」

 

 ──迫ってくる。決して押し返せず、かといって壊す事も不可能な壁が、沙耶香を押し潰そうとしてくる。

 使命感、遂行しなければならない命令、恐怖、絶望、無力感、果たせない任務、己の存在価値、期待を裏切る、罪。

 そういったものが、現実には存在しない壁を沙耶香の視界に出現させていた。

 

「ああ……」

 

 どこにも逃げ場なんて無い。このままでは、沙耶香は壁に潰されて死んでしまう。それは物理的にではない。精神的にだ。

 

「もう諦めてください。私、出来れば人を斬りたくないんです」

 

 足掻くな。運命を受け入れろ。

 諦めろという言葉の意味を、そういう意味合いだと沙耶香は誤認した。後半の言葉は聞こえていなかった。

 …………既にこの時、沙耶香は錯乱していたのだ。発狂一歩手前と言い換えても構わない。

 しかし、それをこの時の沙耶香はまだ分からない。沙耶香が恐怖というものを自覚するのは、もう少し後の話だ。

 

「ああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 そして、タガが外れた。無意識下で抑えられていた、あらゆる負の感情が決壊してしまった。

 その感情によって誘発された行動は、自然と京奈へ御刀を向けて突進という行為を取らせていた。

 

 消えろ、消えろ消えろ消えろ!

 

 声にならない叫びに殺意を乗せて、沙耶香はその首を切り落とすために迅移を使った。

 京奈を討てば、この分からないものから逃れられる。そう信じていたから動きに迷いは無かった。

 

 まずは一段階迅移で、

 

 続いて二段階迅移で、

 

 最後に、今まで使った事も無い三段階迅移で、

 

 押し寄せる正体不明の恐怖やプレッシャーを、京奈への敵意や任務を果たさなければならないという使命感などを総動員して押し返す。

 そうしなければ、なにかが壊れる。そんな気がした。

 

 だが悲しい事に、無念無想とは違うが普通と呼ぶには荒々しい迅移を用いた強引な攻めには京奈も驚いたが、だからといって何が変わることも無かった。

 三段階迅移なら結芽で見慣れているから今更目新しさは無いし、どうやら結芽と違って殴ってきたり蹴っ飛ばしてきたりもしてこない。寿々花のようにテクニカルな技術も無ければ、真希のように一撃が強いわけでもなく、夜見のように序盤から躊躇いなく捨て身の特攻もしてこない。

 

(……そっか)

 

 そこまで考えて、京奈は薄々と気づいていた事を改めて実感した。

 

(やっぱり親衛隊って、みんな凄く強かったんだ)

 

 疑っていたわけではないが、外部で天才と呼ばれる刀使のレベルを体感して、それをなおさら実感できた。折神紫が見出した親衛隊は、なんの誇張も無く最強の刀使たちで結成された組織なのだという事を。

 

「決して破れぬ最強の盾、か……」

 

 真希は先ほど紫が京奈に告げた言葉を思い出していた。

 そして思う。自分は相性が良かっただけかと。

 

「守りを崩せないという事が、どれほど心の余裕を削るのか…………わたくしには良く分かりますわ。あの圧迫感は、耐性が無ければあっという間に押し潰されてしまいますもの」

 

 京奈と対峙した時のジリジリと崖っぷちに追い込まれる焦燥感を寿々花は良く知っている。真希と違って火力不足な寿々花では、京奈の防御を破れなかったからだ。

 しかも攻撃力が無い事が仇となって、京奈にその気が無くとも、じわじわと真綿で首を絞めるような戦いに自然となってしまう。その気は無いのに、いたぶるような戦いになってしまう。

 

 だから、寿々花は沙耶香に心の中で同情しながら目を伏せた。大人の変なプライドに付き合わされて御披露目という儀式の供物にされた彼女を、これ以上見ていられなかった。

 

 ──そして会場は、テレビの向こうは、異様なほどに静まり返っていた。

 

 誰も彼も、その非常識ぶりに言葉を失っていたのだ。

 

 沙耶香は十分に強かった。天才と囃し立てられるのも納得のいく強さだ。無念無想という力も相まって、エリート校の代表に相応しい実力があるだろう。

 しかし、それはあくまでも人間の範疇にある強さであった。まだ理解できる範囲にあった。

 

 だが、彼女のは何だ?あれだけの猛攻を受けても写シについた傷が数えられるくらいしか無い彼女の強さは、人間が持っていい物とは到底思えない。

 ここで、紫が京奈を直々に出向いて連れて来たという事実を知る者は、どうしてそんな事をしたのかを納得した。こんな非常識極まる強さを持つ京奈は、どこも欲しがる逸材だ。

 

 まるで火のような勢いで攻め立てる沙耶香と、静水のように受け流す京奈。

 2人の角際での攻防は、それほど長く続かなかった。

 

「あ……!」

 

 果たして、それは誰の声だったか。

 

 御刀同士がぶつかりあった衝撃で沙耶香の手から御刀がすっぽ抜けたかと思うと、沙耶香はそのまま糸が切れたかのように倒れてしまった。

 

「えっ、ちょ!?だ、大丈夫ですか?!」

 

 想定外の事態に惚けたのも一瞬、京奈が急いで駆け寄ると、状況を周囲も騒然とし始めた。

 

「……つまんないなぁ」

 

 ただ立って見ているだけだった結芽の呟きは、横を通り過ぎる担架にかき消されて宙に消えた。

 結芽と担架がすれ違う刹那、ちらりと見えた沙耶香の顔は、悪夢に魘された人のそれだった。




聞かれそうなので先に答えておきますが、沙耶香ちゃんは好きです。……本当ですよ?感情薄めのキャラは好きなのです。


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胎動編
踊る切っ先



お待たせしました。
日常回をまだ続けるかさんざん悩んだんですが、今回から胎動編に入ることにします。まあほら、日常回なら本編終わってからやればいいから……
ちなみにストーリーですが、アプリ版とアニメ版を混ぜて進行します。なので調査隊メンバーも出します。そして、あの変態は推しキャラなので絶対に出ます。



 

「……んぅ……ん?」

 

 いつも通り、暖かい布団ですやすやと寝息をたてていた結芽は、何か物足りない感覚で意識が浮上した。

 微睡みの中で手を動かしてみると、シーツのスベッとした感覚を感じる。

 

「あれぇ……京奈ちゃん?」

 

 横を見れば、そこに居る筈の京奈の姿が見当たらない。

 上半身を起こして寝惚け眼を擦りながら周囲を見渡しても、あるのは積まれたイチゴ大福ネコと八つ橋ネコシリーズのぬいぐるみ達のみ。

 

 少しの間混乱していた頭は、時間が経ってハッキリしてくるにつれて落ち着いていく。そして思い出した。

 

「……そういえば、先週から部屋を別々にしたんだっけ」

 

 そう。同じ部屋を使っていた結芽と京奈は、一週間前に部屋を分ける事にしたのである。

 ちなみに、あまりにも結芽の荷物が多すぎたために、最初から部屋を使っていた筈の京奈がこの部屋から出ていっている。そして今は隣の部屋に移っていた。

 

「…………」

 

 静かすぎる部屋には未だ慣れない。すぐ近くにあった人肌が無くなった事に寂しさはあるが、結芽はどうしても、一人部屋にならなければならない理由があったのだ。

 

「……くっ」

 

 それが、これ。

 心臓がまた痛み始めた。最近では、ほとんど毎日起こっている発作だった。

 

「はぁー……はぁー……」

 

 両手で心臓のある部分に手をやって震える呼吸を必死に整えようと注力する。こうしていても楽にはならないが、こうしなければもっと苦しくなるような気がした。

 そうやってしばらく動けないでいると、結芽の胸の内から何かがこみ上げてきた。

 

「うっ!けほっ、けほっけほっ」

 

 それを堰き止めよう、なんて考える暇もなく、結芽の口から真紅の血が吐き出されていく。

 寸前に口を覆うように片手を当てられたから多少はマシだが全ては止められず、その血は真っ白いシーツに紅いシミを作ってしまったのだった。

 

 そこで一通り吐き出した後、苦しい胸を抱えながら部屋にある洗面所へと小走りに向かう。

 そこで更に洗面台に血を吐き出してから顔を上げれば、鏡に映るのは今にも死にそうなくらい顔色が悪く弱々しい女の子。

 

「ひっどい顔」

 

 吐き捨てる声もまた、信じられないくらい弱々しい。声に出した自分も、これが己の声なのか?と一瞬分からなくなるくらいだ。

 

 そのまま蛇口を捻って、出てきた水で顔に付着した血を洗い流し、続いて血の味がする口を何度も何度も濯ぐ。

 大体は洗い流せたかな。と感じる頃には、鏡の中に居た弱々しい女の子は姿を消し、代わりにいつもの自信に溢れた結芽の姿があった。

 

「……うん、大丈夫。私は強いんだから」

 

 言い聞かせるようにそう呟く。こんなものに負けるほど、まだ弱くない。

 

 まだ、弱くは、ない。

 

 奥歯を噛みしめながら、言葉にはせずに心の中でそう呟いた。

 そうしてから振り返ってみれば、さっきまでは必死すぎて気付かなかったが、ぽたぽたと指の隙間から垂れていたであろう血が、結芽の足跡を示していた。

 

「これ……京奈ちゃんが来る前に隠さないとな」

 

 ……京奈には、この事を未だに話していない。

 誰に強制もされていない。結芽は己の状況を自分の意思で黙っていた。

 

 何故かと問われれば、それは単なる意地と、僅かばかりの怯えが関係している。

 

「京奈ちゃんには、私の凄いところだけを知ってて貰わないと。じゃないと……」

 

 人の記憶は時と共に劣化する。それは何年、何十年という長いスパンを掛けてという訳ではなく、昨日の夕飯を思い出す事すら一苦労するくらいに劣化が早い。

 そんな風に移ろっていく記憶だから、普通の人との記憶なんて、すぐに忘れてしまうに違いなかった。

 

 まさか京奈が結芽の事を忘れるとは思いたくないけれど、もしかしたら京奈の将来に結芽が霞むような出会いが無いとも限らない。

 そして、その出会いの後に京奈が結芽を覚えてくれているかもまた、分からないのだ。

 

 だから京奈に結芽という存在を刻みつけて消えないようにする為にも、結芽は弱みを見せるわけにはいかない。京奈の前だけでも、最高に凄くてカッコいい燕結芽でなければならないのだ。

 

「……っ」

 

 もちろん結芽だって死にたくはない。長く生きられれば、それだけ京奈の記憶を結芽の凄いところで染め上げる事が出来るのだから、生きられるのであれば、それに越した事はない。

 だけど、これ以上は難しい。どうにか騙してきた身体の限界が刻一刻と近付いている事は、何となく察していた。

 

「あと何年……ううん、あと何ヶ月かな……」

 

 一年は難しいかもしれない。半年くらいかもしれない。いや、そこまですら持たない可能性だって捨てきれない。

 

 京奈に言えば、こんな寿命問題なんて簡単に解決出来るだろう。それが出来ると、あの主任も言っていた。

 

 しかし、どうしても一歩が踏み出せない。

 両親に見捨てられた経験が牙を向いていたのだ。生きている内に、もうあんな思いは味わいたくなかったから、だから一歩が踏み出せない。

 その痛みは、自分が存在したという事実が誰にも知られずに消えてしまう事への恐れと比べても、圧倒的に勝っていた。

 

(やっと……やっと出会えたんだから。私と同じ場所に立ってる、初めての友達に)

 

 生まれてこの方、結芽は友達という存在を作った事が無かった。それは、わざわざ弱い奴と友達になる必要性を感じなかったからだ。

 ………きっと一生できないだろうと思っていた。でもそれで良かった。弱い奴に足を引っ張られるくらいなら、最初から居ない方が良いから。

 

 だが現れた。方向性こそ違えど、自分と同じ場所に立っている同年代の子が。そんな子に対して、結芽が非常に執着を見せるのは必然だったのだろう。

 しかもそれは、今まで殆どの人に嫌われても構わないとさえ思っていた結芽が、嫌われる事を恐れて動けなくなるくらいの執着具合だった。

 

 弱い奴は嫌いだ。

 

 過去の無力な自分を見ているような気がして、酷く不愉快になるから。

 

 群れる奴も嫌いだ。

 

 弱いから群れる。しかし、塵も積もれば山となるとは言うが、どこまで行っても塵は塵。大きな力の前には無力だ。群れたところで現実は覆らない。

 

 だが京奈は、そのどちらにも当てはまらない。結芽と同等に強いし、基本的に群れることも無い。

 思い描いたような理想の相手を離したくないし、相手から離されたくもない。それは結芽でなくても思うに違いなかった。

 

「…………行かなきゃ」

 

 結芽は弱々しい足取りで扉まで歩いた。顔は普段の自信に溢れた結芽だったが、身体は正直に今の結芽の状態を表している。

 そのアンバランスさは見る者が居れば、その者に言いようもない危機感を抱かせたであろう。

 

「……ふーっ」

 

 もう春だ。桜が満開に咲き誇り、ひと時パッと輝いたかと思えば、あっという間に散っていく季節。始まりと終わりが交差する時期。

 

「ふぁぁ……ねむ……あ、おはよう結芽ちゃん。今日は頑張ろうね」

 

 自分の部屋の扉に寄りかかっていると、隣の部屋から京奈が出てくる。京奈の声に反応して、結芽はいつも通りに笑った。

 

「うん、おはよう京奈ちゃん!」

 

 口から出た声は、ほんの僅かに震えていた。

 

 

 儀式と聞けば、昔に行われた根拠の無い(まじな)いというようなイメージが一般的だ。

 昔に行われていたとされる雨乞いや、あるいは、現代では初詣や神社への参詣などがそれに当たるかもしれない。

 

 とにかく儀式というものは、大抵の場合は何やら胡散臭いものとして捉えられるものだ。

 最近では新興宗教だとか、カルト教団の怪しげな儀式という名の暴力行為によってマイナスのイメージも付属してきている。

 

 だが刀使にとっては、儀式というものは非常に大切で欠かす事の出来ないものだ。

 

 そもそも刀使には神薙ぎの巫女という別名があり、その語源は最初に誕生した刀使が巫女だったからと言われている。

 そしてノロを祀り鎮める儀式が各地で伝承されているように、そういった行事とは古来から密接な関係にあるのが刀使なのだ。

 

 つまり、刀使の世界では今も儀式が大真面目に行われていて、それを正しく行えばキチンと効力を発揮するのである。

 

「珠鎮め、お疲れ様です」

 

 そんな儀式の一つである珠鎮めを終えて祭殿から出た紫を、真希が一礼して出迎えた。そのまま歩いていく紫の斜め後ろに仕えながら、京奈を含めた5人も早朝の回廊を歩いて折神家に戻っていく。

 

 まだ陽も昇らぬ早朝。靄がまるで雲のようになっていて、まるで雲海のような光景を作り出していた。

 

眠い…………

 

 早く起きるのが苦手ではない京奈も、こんな早くから動くのは少しばかり厳しい。しかしこの後、親衛隊として重大な仕事が待っているから少し昼寝をする事も出来ない。

 

「…………御前試合かぁ」

 

 長い回廊を歩きながら、眠気でぼんやりした頭の中に残っていたワードを思わず口に出した。

 

 真希が二連覇し、寿々花が二度の準優勝を成して親衛隊入りした剣術大会こと御前試合は、毎年5月に行われる。

 剣術とか良く知らないし、強さとかも京奈はあまり興味が無いから詳しくは分からないが、要は剣術の全国大会だね。と言葉にはしないで理解していた。

 

「そして、夜見と京奈は紫様のお側で……京奈?どこ行くんだ、そっちじゃないぞ」

 

「え?あっ、はい」

 

 まだ完全覚醒していない頭で考え事をしながら歩いていたからか、真っ直ぐ行くはずの道をさも当然のように右に曲がってしまっていた。

 

「……眠いのは分かるが、今日は特に気合を入れてくれ。今日は年に一度の御前試合だ、万が一を起こすわけにはいかないからね」

 

「……気をつけます」

 

 曲がった先には京奈の部屋に通じる廊下があるので、どうやら寝たいと思われたらしい。眠いのは事実だっただけに、京奈は何も言わずに謝った。

 

「さて……それじゃあ、それぞれの持ち場に着こうか。紫様、僕達は一先ず失礼します」

 

「ああ。皐月、新田、来い」

 

「了解しました」

 

「はい」

 

 真希、寿々花、結芽の3人は会場の警護と監督に向かう事になっていた。

 これは御前試合に限った話ではないが、紫が見に行くまでもないものの誰かしらの監督が必要な時は、親衛隊の誰かしらが紫の代わりとして監督する事になっている。

 

 予選は朝の9時から始まり、紫が見ている前で行われる決勝戦は、前後するものの大体10時くらいから。

 決勝戦までの間、紫はお偉いさん達と顔を合わせて話をしたり、あるいは直前まで御前試合に関するリストなどを見ていたりと忙しく働いていた。

 

 その紫に付いて回る夜見と京奈もまた、まあまあ忙しなく折神家の中を歩き回る事に必然的になる。

 とはいっても紫とは違って特に書類仕事などは無いので、京奈は己のあくびや眠気を抑える行為に注力することが出来た。

 もし今の京奈の内面を知られたら、こんなんで護衛として務まるのかと心配されるだろうが、これでも京奈なりに気を張っている。紫の盾として前に出る準備も覚悟も既に出来ていた。

 

 

 あの日から、京奈の扱いは大きく変わった。

 エリート校と知られ、それに恥じない実力を持つ鎌府の代表を殆ど一方的に打ち倒したという事実は、京奈という刀使の価値を"能力だけが珍しい一般刀使"というものから、"圧倒的な守備力を兼ね備えた回復役"というものに押し上げたのだ。

 

 以前は京奈にはそんなに向けられていなかった畏怖やら敬意というものも、今では向けられない方が珍しいくらいになった。

 主に敬意は、チームで守備手として動いている全国の刀使たちから。逆に畏怖は、その異常性を理解できた者達と沙耶香を知る鎌府の刀使から。それぞれ向けられている。

 

 今まで日陰に追いやられてきた防御主体の刀使達にとって、京奈という存在は守備手というポジション、ひいては自分達にスポットライトを浴びる機会をくれた刀使である。

 しかも防御のみで親衛隊にまで入隊しているという事実が、彼女達を大いに奮起させた。防御のみでも上へ登れるという事が証明された事で、より訓練に熱が入るようになったのである。

 

 そして今、伍箇伝では第二の新田京奈を探して部隊の再評価が進んでいる。

 京奈の能力こそ固有のものだが、探せば京奈に匹敵するだけの守備の名手が出てくるかもしれない。頭の固い上の人間も、その可能性を認めざるを得なかったのだ。

 

 当然だが攻撃が出来ないという事に関して、一定数は反感を持つ者も居た。しかし誰も、それを表立って見せることはなかった。

 基本的に実力主義な刀使の世界で、その実力を見せつけたという事もあるが、しかし何より沙耶香との戦いが原因であった。

 

 端に追い詰められた沙耶香が突如発狂したように見えたあの戦いは、京奈に得体の知れない不気味なイメージを持たせるのに十二分の働きをしたのだ。

 まるで不思議な術を使ったかのような沙耶香の豹変具合を見て、もしかしたら自分もああなるのではないか。と考えてしまったら、誰も京奈に突っかかろうとはしなくなった。

 

 だから京奈には一部の熱狂的なファンが新たに出来た反面、それとは対照的に不気味なイメージを持たれてもいる。が、どちらにしても優秀な刀使であるという評価は下されていた。

 

「紫様……!」

 

「御当主様よ……!」

 

 決勝戦の舞台は京奈と沙耶香が戦った場所だ。紫が観覧する場所も、その時と変わっていない。会場の警護に当たっている鎌府の優秀な刀使達に一礼されながら、紫がその姿を現した。

 例年なら滅多に見られない紫に生徒達は興奮し、凄まじく注目するのだが、今年の紫に向く目線は例年より非常に少なかった。

 

「そして、あの子が京奈様……」

 

「紫様が認めた天才刀使で、未来の英雄……あの歳で凄いよね」

 

 京奈が聞けば凄まじく嫌そうな顔をすること間違いなしな会話は、幸運にもこの場で京奈の耳に入る事は無かった。

 ……そう、紫に向く目線が少なかったのは、京奈の方に殆どが向いていたからである。

 

 何処からか漏れたらしい、紫が認めたという枕詞が、京奈の注目度を凄まじく上げていた。

 

(……あれが折神紫と、新田京奈か)

 

 そんな2人を険しい目で見つめる1人の刀使がいた。

 

 平城学館の制服を纏った彼女は、決勝戦にまで駒を進めた実力者である。

 名前は十条(じゅうじょう) 姫和(ひより)。スピードタイプの刀使であり、迅移の扱いが他の刀使より遥かに上手い。

 

「双方、構え」

 

 その姫和と対戦相手の可奈美は、いつかの京奈と沙耶香のように紫の布の上で向かい合った。

 

(私の時も、こんなだったのかな……?)

 

 その様子を今度は見る側になった京奈は、そんな事を考えるだけの余裕があった。

 当事者でないというのもあるだろうが、やはり昔よりはこういう場に慣れたのだろう。

 

 そうやって穏やかな気持ちでいたからか、京奈は姫和の目線の向きが対戦相手の可奈美ではなく、紫に向いていた事に気づくことが出来なかった。

 

 そして──

 

 姫和の姿が消えた、かと思った直後、御刀同士がぶつかり合う音がした。

 その音が発生する事自体は変ではない。刀使の戦いは御刀がぶつかり合う事も多い。

 

 しかし、それが姫和と可奈美の間からではなく、姫和と紫の間から出るのは明らかにおかしな事だった。

 

「え……」

 

 きっと自分は、これまでにないくらい間抜けな顔をしているだろう。まさか真希や寿々花を抜けて紫に切りかかる刀使がいるとは、予想できなかったからだ。

 

「それがお前の一の太刀か」

 

 紫が姫和に向けて静かに言った。その言葉を聞いて、京奈はようやく硬直していた身体を動かせるようになった。

 そして、それは真希達も同じだったのだろう。姫和が飛び退き、再度切りかかろうとした瞬間に動きだした真希が背後から胸を貫いた。

 

「くうっ……!」

 

 京奈が見ている前で真希が上段に御刀を構える。容赦なく切り捨てる気だという事は、遊びの無い目から分かった。

 それは姫和も分かっていたから、真希の御刀である薄緑が振り下ろされると、もはやこれまでかと観念して思わず目を閉じた。

 

 しかしここで更に乱入する者がいた。

 真希が振り下ろした御刀を、迅移で割り込んできた可奈美が弾いたのだ。

 

「迅移!」

 

 その可奈美の行為を真希はもちろん、助けられた筈の姫和も異様なものを見るような目で見ていたが、可奈美の言葉に反応して迅移を発動。2人して門の方から逃げ出そうと走り出した。

 

「逃がすかっ!京奈!」

 

「はいっ!」

 

 当然、見逃されるわけはない。元より止めようとしていただけに、真希の号令に対する京奈の反応は素早かった。

 姫和は立っているだけでも辛いらしく、京奈の迅移で追い抜かせるくらい遅かった。

 

「逃がしません……!」

 

「姫和ちゃんは下がって!」

 

 立ち塞がる京奈に、姫和を庇うように可奈美が前に出て切り結んだ。

 

 京奈が御刀で可奈美の千鳥を弾きあげる。固い手応えと共に火花が散り、その直後に弾かれた千鳥が弧を描いて振り下ろされた。

 その攻撃を横に薙ぎ、また弾き、はね上げて、切り返す。

 

 幾度となくやってきた行為を繰り返しているうちに、京奈は何だか不思議な感覚に囚われ始めた。

 

(……なに、これ?)

 

 ふと気付いた時には、京奈の全身が、かあっと燃え盛っていたのだ。内側から溢れる熱が空気まで侵食し、それが可奈美の周りまでを呑み込んでいる。

 そして可奈美もまた、自分から飛び出した熱い何かが、京奈と自分を繋いでいるような錯覚を感じていた。

 

(こんな感覚、初めて)

 

 その熱に浮かされるまま、可奈美と京奈は無我夢中に御刀を振るった。そうやって振るった御刀がぶつかり合う度に、2人の意識は何処か遠いところへ沈んでいく。

 相手の動きに誘われて動き、その動きに誘われてまた動く。御刀は空気を切り裂き、唸りを上げるほどの凄まじい速さで振るわれているというのに、2人にはそれがスローモーションのように遅く見えていた。

 

(楽しい──!)

 

 それは果たして、どちらが抱いた感想だったのか。

 そんな事が分からなくなるくらい、2人の心は近付いていた。初対面で、しかも敵同士だというのに、まるで旧来の友人のように繋がったのである。

 

「あれは……何だ?」

 

「まるで舞のような……」

 

 そんな2人の動きは、傍から見れば舞のようだった。

 互いの技が絡み合い、一切の無駄なく繋がり、それらが全て一つの流れとして完成された舞のように、場違いにも観客を魅了した。

 それは真希や寿々花も思わず足を止めてしまうほど美しい舞だった。邪魔する事が躊躇われてしまうような、芸術品とも言えるものだった。

 

 永遠に続くかに思われた2人の斬り合いは、風が穏やかになっていくような自然さで徐々に速度が遅くなっていき、やがてスッと動きを止めた。

 京奈と可奈美は大きく息を吐き……2人にとっては長く感じられた今の戦いが、息を止めていられる程度の短い時間しか経過していなかった事に気付かされる。

 

「…………」

 

「…………」

 

 今の感覚を、相手は感じていたのだろうか。

 戸惑いと困惑が混じった沈黙を破ったのは、姫和の声だった。

 

「そいつとあまり打ち合うな!奴らの思う壷だ!」

 

 姫和のその言葉に、可奈美と京奈の両方は同時にハッと思考の海から抜け出した。こんな事をしている場合ではない、という事を思い出したのだ。

 

「ごめん姫和ちゃん、行くよ!」

 

「あっ、ちょ!?」

 

 京奈が慌てて止めようとしたが、可奈美が動く方が僅かに早かった。

 姫和の腕を掴んだ可奈美は、そのまま大跳躍をして市街地へと逃げ出したのだった。

 

「紫様を狙ったあの者達を捕らえよ!絶対に逃がすな!」

 

 寿々花の声が会場中に響き渡る。バタバタと慌ただしく走り始めた刀使達は、後を追うようにして市街地の方へと向かって行った。

 その傍らで、京奈は1歩も動かないで呟いた。

 

「今のは……何だったんだろう」

 

 まるで御刀を用いて相手と会話をしていたような、そんな気分だった。

 初めて感じた未知の感覚に戸惑いながら、京奈は暫く可奈美と姫和が逃げていった方向を見つめていた。





今回駆け足すぎない?と感じた貴方は多分正しいです。しかしアニメで描写されてるところはアニメを見ればいいので、他の描写に力を入れるためにも、ある程度は省略させていただきます。
ではまた次回


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御前試合のその後で


|ω・`)コソッ

|--------------------------------------三c⌒っ.ω.)っ シューッ



 

 十条姫和が折神紫に斬りかかり、衛藤可奈美と共に逃亡するという事件が発生してから、およそ2時間が経過した。

 両名は未だ確保には至らず、折神家の内部は、これまで経験した事の無い動揺と忙しさに包まれている。

 

「……柳瀬(やなせ) 舞衣(まい)は、恐らく何も知らない」

 

 色々あった末に可奈美と姫和に逃げられてしまった後、可奈美や姫和と一緒に御前試合の代表に選ばれていた2名もまた、聞き取りという名の尋問をされていた。

 可奈美と一緒に来ていた美濃関の生徒、柳瀬舞衣に尋問を行っていた真希は、彼女が白である事を半ば確信していた。

 

岩倉(いわくら) 早苗(さなえ)も同じく、ですわ」

 

 窓際に寄りかかっていた寿々花も、あの様子は白だと半ば確信を得ていた。

 

 それを聞いた真希は、壁にそっと置いた手を握りしめる。

 

「紫様に御刀を抜かせたなんて……親衛隊として、恥ずべき失態だった……!」

 

 万が一が起こらないように気を引き締めていたのにも関わらず、その万が一を起こしてしまった。

 相手が凄まじい迅移を隠していたという言い訳など通用しない。それを織り込んだ警備を敷けなかった事に問題があるのだから。

 

「しかも逃がした理由が舞に見とれていたからなんて、許される事じゃない」

 

 更に言うなら、その後の京奈と可奈美の舞に目を奪われてしまった事も真希が気を苛立たせている理由の一つだった。

 あそこで京奈との連携が上手くいっていれば、反徒達を逃がす事もなかったのだ。

 

 自分への怒りに震えていた真希だが、そこでふと疑問を覚える。

 

「しかし……あの時どうして京奈は、あんな舞を舞えたんだろうか?」

 

 真希や寿々花の目が狂っているのでなければ、あれは相当息が合っていなければ出来ないようなものだった。

 

 後で聞いたところ京奈も面識が無いと言っていた。まさか京奈が嘘をつくとは考えられないから、それは真実なのだろう。

 だとするなら即興で舞った事になる。だが、そんな事が可能なのか?

 

「本人も分からない事が、わたくしたちに分かるわけありませんわ。それより今は、別の事を考えましょう」

 

「……そうだな。そうしよう」

 

 思考の渦に囚われかけた真希を解放したのは、寿々花の一言だった。

 その尤もな言葉に頷いた真希は、寿々花と共に廊下を歩いてへリポートへと向かって行った。

 これから、2人の反逆者達の母校である美濃関と平城の両学長がヘリコプターで折神家に到着する。真希と寿々花はその出迎えと案内をしなければならなかったのだ。

 

「そういえば、その京奈は何処にいる?」

 

「荒魂退治に。こんな時でも、荒魂は大人しくしてはくれませんもの」

 

「…………無理をさせてるな」

 

 京奈は今、休みという休みが無く毎日を過ごしていた。あの歳で、もう社畜と呼べるくらい働いている。

 望んで入ってきたのならまだしも、能力と実力を買われて連れてこられた場所で休みも無く動き回るなんて……と、京奈に同情にも似た思いを持った。

 

 そして、同時に今朝の出来事を思い出す。眠そうな京奈が部屋に向かおうとしていたのは、もしかすると、しっかりした休みを欲していたからなのかもしれない。

 

「本当は僕達も出るべきなんだろうが……」

 

「紫様から直々に警護命令が出てしまっている以上、動けませんわね。京奈が出られているのも一時的な措置ですし、終われば執務室に戻されますわ」

 

 折神紫を強襲したという話は緘口令が布かれていて、外部には漏れないように徹底されていた。

 それはテロ紛いの事をした刀使が逃げているという事実で住民を不安にさせないためというのもあるが、一番の理由は、そんな反逆者を逃がした折神家のメンツを潰さないためだ。

 

「結芽は?」

 

「ぶーたれながら待機。京奈が居ない以上、結芽の相手は誰も出来ませんから」

 

 京奈が来る前の扱いに戻された結芽は、それはもう凄まじくぶーたれた。

 だが幾ら何を言われたところで、結芽を折神家から解き放つわけにはいかない。もし結芽を解き放ってしまえば、無用な血が流れてしまうだろうから。それは折神家としても望ましくなかった。

 

「刀使には刀剣類管理局からスマートフォンを支給していた筈だ。あれを使って行方を追えないか?」

 

「荷物と一緒に置きっぱなしでしたわ。どうやら、逃げた後まで考えていたようですわね」

 

「…………くっ」

 

 刀使といっても、まだ中学生の女子2人だ。所持金にだって限りがあるだろうし、現金を引き出せば履歴から周辺の防犯カメラの映像を確認して居場所を割り出せる。

 そうでなくても、女子2人の足では、そう遠くには逃げられないだろう。制服姿のままでは目立つし、公共交通機関を使えば確実に移動先がバレる事など、向こうも承知しているに違いない。

 

 しかし女子の足では、既に広がっている捜索の手からは逃げられない。動ける範囲も限られる。

 八方塞がりだ。刀剣類管理局の捜索力をもってすれば、2日もあれば捕縛出来るだろう。

 

 だが、だろう。という推測では駄目なのだ。絶対に捕縛しなければ、それは巡り巡って折神家による刀使の管理能力を疑われる事になる。

 

 真希としては、このまま折神家の内部に留まっていたくはなかった。出来るなら外に飛び出し、自分の足で反逆者たちを捕まえたい。

 それが、あの時に取り逃してしまった失態を償う方法だと思っていた。それもこれも自分が取り逃がさなければ起こっていない出来事なのだから。

 

「……真希さん。ご自分ばかりを責めるのは、あまり賢いとは言えませんわよ」

 

「…………」

 

「まったく……」

 

 分かっていた事ではあるが、あの事件を一番気にしているのは真希だ。

 責任感の強い彼女だから、どうせ他の要因を棚に上げて自分の失態ばかりを責めているだろう事くらい、寿々花には分かっていた。

 

 寿々花が同じくらい責任を感じている事など、気付いていないに違いなかった。

 

「それにしても今回の一件、あの組織と関係があるのかもしれませんわね」

 

「……かもね。証拠は、まだ何も無いが」

 

「出るわけもないですわね。この程度でボロを出すのなら、もう潰れているでしょうし」

 

 所在、規模、人員、その全てが殆ど分かっていない謎の組織。唯一分かっているのは、その名前のみ。

 最近の折神家の頭を悩ませるその組織が、もしかしたら今回の襲撃の裏で糸をひいているのではないか。

 

 ……ありえる事だ。

 

「それは可能性の一つとして捉えよう。一つの考えに集中しすぎると、視野が狭くなる」

 

「真希さんのように、ですかしら?」

 

「…………まあ、そうだね」

 

 集中すると周りが見えなくなる悪癖がある事は自分で承知している。だからだろう、真希は僅かに目を逸らしながら頷いた。

 

 そんな話をしている間に、二台のヘリコプターが降り立つであろうヘリポートが、目の前に現れたのだった。

 

 

 さて、その襲撃を受けた本人である紫だが、今は近場に誰も従えずに一人で執務室の椅子に座っていた。

 もちろん難色を示されたが、考えたい事があると言って無理に下がらせたのだ。

 

 危機意識が薄いのではないかと言われかねない行為だが、何も起こらない事を紫だけが知っている。

 

「……衛藤可奈美は千鳥、十条姫和は小烏丸」

 

 あの時、逃げ出した2人が持っていた御刀を思い出す。あれは間違いなく、かつて見た千鳥と小烏丸そのものだった。

 

「……なるほど」

 

 薄笑いが自然と浮かんだ。

 なんという因果であろうか。20年の時を経て、よもやあの二振りが再び敵対しに現れるなど。

 

 "運命"などという陳腐な言葉が頭をよぎる。あるいは、宿命か。

 

「二羽の鳥……どこまで成長しているか」

 

 まあ、それはどちらでもいい。どちらにしても意味合いに大差は無い。

 紫は確信していた。あの2人は、いずれ紫の前に戻ってくる。刀剣類管理局の捜索を掻い潜り、親衛隊を退けて、再び。

 

 もちろん、彼女達が途中で力尽きる可能性もあるだろう。討たれ、捕縛される可能性だってゼロではない。だが、千鳥と小烏丸に選ばれているのならば、そんなつまらない事で倒れたりはしない。必ず帰ってくる。

 そう勘が囁いた。

 

 そういう意味では、申し訳ないが親衛隊や刀剣類管理局の事は一欠片だって信用していなかった。

 どれほど頑張ろうとも、どうせ逃げられる事は分かっている。親衛隊が退けられる事すら予定調和だ。

 

 だから2人を逃がしたと聞いた時、まあそうだろうなという感想しか出てこなかった。

 他人にとっては大事なのだろうが、紫にとっては、出来ないと分かっている事が出来なかった。ただそれだけの事だったのである。

 

 それに紫の優勢は揺らいでいない。

 十条姫和の目的は自分を討つ事だと分かっている。もしそれが、折神紫の真実に気付いての行為ならば、いかなる手段を用いても絶対に来る。

 ならば、それを迎え撃つだけでいい。

 

 一の太刀による奇襲から始まったこの戦いは、まだ終わっていない。今は小休止にすぎない。そして、その主導権は未だ紫の手の内にある。

 

「私は逃げも隠れもせん。戻って来るがいい二羽の鳥。そして戻って来た時、その時が──」

 

 …………その時、扉を軽くノックする音が聞こえた。

 

「入れ」

 

「……失礼します。ただいま戻りました」

 

 京奈が執務室に入ってきた。結芽と同じデザインの親衛隊の制服を着た彼女は、刀使に関係する者達であれば知らぬ者は居ないほどの有名人に今ではなっていた。

 気の早い者は折神紫の後継者と囃し立てるほどだ。その双肩に掛けられている期待は、並のものではない。

 

「ご苦労だった。そこに座って休め」

 

 普通、護衛というものは即座に動けるように立って警護するのが普通である。

 しかし、隠そうと努めているものの隠しきれていない疲れを滲ませた仕事終わりの小学生を立たせ続けるほど、紫は外道ではなかった。

 

「失礼します……」

 

 京奈も何も言わずに座る。そうしてから京奈は僅かに目を動かして夜見の姿を探した。普段なら紫の傍にほぼ必ずといっていいほど仕えている筈なのだが……

 

「皐月なら席を外している。私が無理を言ってな」

 

「そ、そうなんですか」

 

「ああ」

 

 しかし、僅かな動きですら感じ取るのが折神紫という人物である。

 京奈は余計な事をするのは止めよう。と心の中で呟き、今の自分が紫の護衛という立場である事も忘れてボーッとし始めた。

 

 その様子を見ながら、紫はふと思いつく。丁度いい。他の誰にも聞かれる心配はないし、折角だから幾つか質問を投げてみよう。と。

 

「新田。赤羽刀について、どう考える」

 

「赤羽刀……ですか?」

 

「そうだ。個人的な考えでいい、聞かせて欲しい」

 

 そうして投げかけた問いは、先ほど直通回線で長船の学長が話題に出した、赤羽刀に関するものだった。

 大した意味を持たない、本当に思いついただけの問いだったのだが、京奈から返ってきた答えは紫の予想に無いものだった。

 

「…………聞き辛いんですけど、そもそも赤羽刀って何なんでしょう?錆びた御刀としか聞いてないんですけど……」

 

「ふむ、そこからか」

 

「……すいません」

 

「いや、気にするな。良く考えれば、まだ伍箇伝に通っていない新田が分からないのは当然だ。恥じることではない。

 ……そうだな。時間もあるし、赤羽刀について少し予習をするとしよう」

 

 そう言うと、紫は一呼吸入れて話し始めた。京奈も疲れた頭に鞭を入れて一言一句を聞き逃すまいと気合を入れる。

 

「といっても、情けない話だが赤羽刀について詳しい事は殆ど分かっていない。分かっている数少ないものは、赤羽刀に宿る神性が荒魂と同質のもの。という程度のものだ」

 

「荒魂と……同質……?」

 

「そうだ。御刀に宿る神性が正の方向を向いているとするならば、荒魂は負の方向に向いた神性で身体を構築している。そして、どういうわけか赤羽刀も荒魂と同質の負の神性を帯びている」

 

 故にノロを引き寄せる。しかも元が強大な神性を持つ御刀であるからか、赤羽刀を体内に取り込んだ荒魂は強力な個体になりやすいというデータがあった。

 荒魂が大きな群れをなして行動している時、その群れのリーダーは大体が赤羽刀を持っていると言われているが、それは赤羽刀の特性で小型の荒魂を集めていると考えられているからだ。

 

「御刀の形をした荒魂って事ですか?」

 

「おおよそ、そんな認識で構わないだろう。ただ荒魂と異なる点は、所定の手順を踏めば御刀として再生が可能であるという事だ。

 現在は御刀の原料である珠鋼は精製不可能であるから、御刀を新しく用意するなら、この赤羽刀を回収・再生するしかない」

 

「……新しく作れないんですか?御刀」

 

 日本刀を作っている職人はごまんと居るから、てっきり御刀もそうして作られているものだと京奈は思っていた。しかし、話を聞く限りだと全然違ったらしい。

 

「作れない。その一番の理由としては、御刀の材料である珠鋼を精製……つまり、作る方法が失われてしまっているというのが挙げられるだろう。

 だが、個人的に最も大きいと感じる理由は原料不足だ」

 

「原料って事は……御刀の材料の、珠鋼の材料が無いって事ですよね?」

 

「そうだ。しかし、何故無くなってしまったのかが気になるだろう?

 それを語るには、鎖国していた我が国が開国した当時にまで遡る必要が出てくる」

 

 その昔、鎖国が解かれて開国した当初。日本でしか採れない神性を帯びた砂鉄──つまりは珠鋼の原料──は、海外に多く輸出されていった。

 正確に言えば買い叩かれたの方が正しいのかもしれないが、一時期は国内で御刀を作るのが難しいほど出ていったという事実は変わらない。

 伍箇伝で採用されている教科書に載っている、当時の輸出品目の金額と割合を円グラフに直したものを見ると、この砂鉄が八割を占める。開国後から始まった急速な経済発展は、この砂鉄が支えていたといっても過言ではないのだ。

 

「刀使の圧倒的な力を見た当時の外国人達が、それをどうにか量産できないかと考えたのだろう。白兵戦の戦力として、刀使は凄まじく優秀だからな」

 

 写シや迅移が扱える超常の存在は、当時の技術では歯が立たない脅威だった。鎖国を解く際、外国人達は刀使に相当苦労させられたそうだ。

 しかしだ。もし相手国より先に、そんな力を持つ人間だけを集めた軍隊が結成できれば、これから始まるであろう様々な抗争において有利に立てる事は想像に難くない。

 できれば刀という使いづらいものではなく、銃や大砲に出来ればなお良かった。

 

「だが、この砂鉄を加工するとノロが出る。そして買った砂鉄を自国に持ち帰った各国は、様々な廃棄物と共にノロを垂れ流した。

 後は言わないでも分かるだろう」

 

「だから世界中に荒魂がいるんですね……」

 

 砂鉄を加工する際に荒魂が出現するというリスクを当時の日本人が伝えたのかは定かではないが、結果だけを見れば刀や剣以外への加工という目論見は失敗し、結局海外でも刀使という役職が誕生する切っ掛けとなったのだった。

 

 そんな経緯で、今や刀使(Toji)は世界で通じる日本語の一つである。

 

「……話が逸れたな。赤羽刀に話を戻すが、どうして錆びるのかは分かっていない。だが、赤羽刀となった御刀に共通しているのは、一度海の底に水没しているという事だ」

 

「沈んだから錆びた……んじゃないんですよね、きっと」

 

「ああ。これは伍箇伝の見解になるが、海に沈んだ御刀が何らかの原因で赤羽刀と化し、それに接触したノロが集まって荒魂となり、地上に上がってくる……とされている」

 

 しかし、これらのメカニズムに納得のいく説明は用意できていないのが現状だった。今のところは論理的に説明が出来ないのだ。

 

「これには諸説があり、今日も学者達が己の説が正しいのだと弁舌で戦っているが……まあ気にしなくていい。そういう小難しい事は学者の領域だ。

 覚えておけばいいのは、赤羽刀がノロを引き寄せ、その結果として膨大なノロが集まるという事象だけだ」

 

 集まり、群れとなった荒魂達を構築するノロは膨大な量になる。赤羽刀による大規模な群れが発生した時は、ノロの回収車が二台以上なければ回収しきれないほどの量が出てきていた。

 

「お前にも覚えがあるだろう。以前、街中に現れた赤羽刀を保持する群れと戦闘を行っていたな?」

 

「確かに……あの時の荒魂は、凄い数でした」

 

「それが赤羽刀の特徴だ。これは少々厄介でな、通常ならば中規模以上の討伐隊を組織して対処に当たる災害に指定されている。命を落とす刀使も少なくない」

 

 数の暴力というのは単純だが強力だ。物理的な量の前には大抵の小細工が通用しない。殆ど知能を持たない小型の荒魂は単体では雑魚だが、それが20も30も集まると一定以上の脅威を持つようになる。

 

「命を……落とす……」

 

「ああ。……同年代の誰より人の死を見ているであろうお前なら、赤羽刀の危険度が分かる筈だ」

 

 京奈の脳裏に、辿り着いた時には既に息絶えていた人達の顔がフラッシュバックする。

 その人達は大人の男性が九割を占めているが、残りの一割には逃げ遅れた女性や子供の顔があった。

 

 そんな光景を見ていた京奈は、荒魂の群れとの戦いで消耗し、倒れていく刀使達が容易に想像できた。

 

「だが一方で恩恵もある。それがさっき話した赤羽刀を再生して手に入れる御刀だ。刀使の総数は御刀の数を上回らないから、これが一本増えれば総戦力が増えていく」

 

「つまり、赤羽刀を多く集めれば、それだけ刀使が増えていくって事ですよね」

 

「そうだ。刀使が増えれば荒魂の討伐速度も早くなり、被害をより抑える事が可能になる。だから赤羽刀は、二つの意味で手早く回収されなければならないのだ」

 

 一つは、人々に大きな被害を齎す災害を早く収めるという点で。二つは、刀使が増えるという点で。

 

 また、赤羽刀は研究素材としても使われているので、そういう意味でも早急な確保が求められている。

 美濃関と綾小路の両校が赤羽刀の再生技術を発達させられたのは、この赤羽刀を集中して研究していたからだ。

 

「少し長くなったが、これらは伍箇伝に通うと最初に学ぶ事になる基礎知識だ。今から覚えておいて損は無い」

 

「はっ、はい!」

 

 紫から座学を教わるという、他の刀使が聞けば血涙を流すほど羨むであろう経験は、京奈の中にしっかりと根付いた。

 軽く、だが確かに響くノックが無ければ、そのまま次の質問を投げかけていただろう。

 

「失礼します。紫様、美濃関及び平城両校の学長が到着しました」

 

「分かった。すぐに向かう」

 

 顔を覗かせた夜見の言葉に紫が立ち上がり、遅れて京奈が慌てて立ち上がる。

 斜め後ろに京奈と夜見を従えるという、折神家の内部では見慣れた様子で、紫は廊下を歩きながら思った。

 

 逃亡者の2人は、将来優秀で強力な刀使になるだろう。だが、いくらクイーンを揃えたところで、ジョーカーには勝てない。

 

 実のところ、十条姫和が真実を知る前に折神家に抱え込む事は可能であった。それをやらなかったのは、単純に紫の中で姫和の優先順位が低かったからだ。

 

 力だけでは、どうにもならない事もある。そして、たとえどれほど強大な力を持ったとしても、どうしようも出来ない存在だってある。

 人知を超えた存在は、荒波が小舟を飲み込むような圧倒的な力で、敵対者を消し飛ばすのだから。



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夜の中のやり取り

 

 漆黒のトバリが降りきり、多くの人々が夢の中に落ちていく夜。

 可奈美もまた、その多くの人々と同じく夢を見ていた。

 

「……ねえ、お母さん」

 

「だーかーらー、まだそんな歳じゃないって。……どしたの?元気ないけど」

 

 その夢の中で可奈美は、とある人物と話していた。母さんと呼ばれ、それを冗談と真面目を半々で混ぜて返した、鎌府の旧制服姿の高校生。

 藤原(ふじわら) 美奈都(みなと)という彼女は、若かりし頃の可奈美の母親である。

 かつて折神紫らと共に荒魂を討伐していた20年前の刀使であり、紫を凌ぐ強さを持つ刀使でもあった。

 

 可奈美は夢を見ると、どういう訳か彼女に会うことが出来た。

 

 しかし、この事を普段の可奈美は知らない。これが夢であるからか、ここで見聞きした事は目覚めると忘れてしまうからだ。

 

 夢を見たという事すらも殆ど覚えていない可奈美だが、その夢の中で覚えた技の数々は無意識に身体で使えるように刻み込まれている。

 

 可奈美の同年代はおろか歳上すら大きく上回る異様な強さは、この夢と母親である美奈都がつけてくれる稽古の存在が大きく支えていた。

 もちろん才能もあるが、その才能を発掘して伸ばすのに美奈都が凄まじい貢献をしているのだ。

 

 この非科学的な現象が一体いつから始まったのか可奈美にも分からないが、現実の母親が死んでから見るようになった……ような気がしている。

 

 濃霧が立ち篭め、鳥居が一つだけある神社の階段のような場所。

 可奈美が夢を見る時は決まってそこに彼女が現れ、そして起きるまで延々と立ち合ったり、こうして話をしたりするのだった。

 

「私が御前試合で友達を助けた時、立ち塞がった親衛隊の子と切り結んだの」

 

「……親衛隊ねぇ。紫もとうとう、そんなのを傍につけるようになっちゃったのかぁ」

 

 可奈美が今回の夢の中で話している内容は、御前試合で折神紫に斬り掛かった姫和を助け、逃げ出した一部始終。

 

 若かりし頃の紫と何度も共闘してきた美奈都が、紫に刃を向けたという事実をどう受け止めているのかは、可奈美には分からない。

 美奈都はおどけたように、しかし感慨深さも滲ませながら呟いていた。

 

「昔はどうだったの?」

 

「私の知ってる紫は一人だけ連れてた。その子、最初は凄い無愛想だったんだけど、でも凄い強かった」

 

 可奈美にはそれが誰の事か分からない。ただ、美奈都が認めるほどだから凄い強いんだろうなと思っていた。

 

「ごめんごめん、話の腰折っちゃって。続けて」

 

「あ、うん。それで、その立ち塞がった子は新田京奈ちゃんっていうんだけどね、その子と何回か打ち合った時に……」

 

「……ごめん、またちょっと待って。新田?ねえ、今、新田って言った?」

 

 美奈都の反応が変わった。困惑しながら、何度も可奈美に名字を確認する。急にぐいっと顔を寄せられた可奈美は、少し引きながら頷いた。

 

「う、うん。新田京奈ちゃんっていう、まだ小学六年生の子なんだけど。守備の天才って言われててね、凄い強いの」

 

「守備の天才……もしかして」

 

 美奈都は顔を引き、可奈美の横に座り直して言った。

 

「もう一つ確認なんだけどさ。その子、人の傷を治したりできる?」

 

「うん。直接見たことはないけど、出来るんだって」

 

「……そっか。新田ちゃんも結婚したんだ」

 

 その言葉は、何処か安心したような色を含んでいた。まるで、長いこと消息不明だった友人の生存が確認できたような感じだった。

 

「でも、あの新田ちゃんがねぇ……まあ無くはないのかな。私だって、今はまっっっっったく想像できないけど、可奈美を見てると認めざるを得ないし。認めたくないけど」

 

「まだ言ってる……」

 

 精神は高校生当時のままであるからか、今の美奈都は未来で結婚しているという事実を想像もできないようだった。

 だから美奈都は可奈美に、自分の事を「お母さん」と呼ぶなと言っている。なんでも、自分と歳が近い後輩のような存在に「お母さん」と呼ばれるというのが薄気味悪く感じるのだとか。

 

「でも新田ちゃん……って、もしかして京奈ちゃんのお母さんと知り合いだったの?」

 

「その京奈ちゃんを実際に見てないから何とも言えないけど、多分その子の母親が、私の知る新田ちゃんだと思う」

 

 どこか懐かしむように美奈都は濃霧で見えない空を見上げ、そして少しずつ語り始めた。

 

「新田ちゃんは強かったし、凄かった。二時間くらい休み無く戦っても決着がつかないくらいって言えば、何となく伝わるかな。最後は皆に止められたよ、いつまでやってるんだってさ」

 

「そんなに立ち合ってたの!?」

 

「そうそう。といっても、私達からすれば一瞬だったんだけどね。相手の攻撃に反応してたら、いつの間にか時間が過ぎ去ってた」

 

 止められた際、その場のノリと勢いで止めに来た若かりし頃の紫とその従者を相手取った事も、今となっては遠い出来事だ。

 

「最初に出会った時は本当に驚いたな〜。自分の腕には結構自信あったから、中学生の守りを破れなかったっていうのがショックでショックで……」

 

「そんなに凄かったの?」

 

「うん。もしかしたら、ああいうのを天才って言うのかもしれない」

 

 負けはしなかった。だが、勝てもしなかった。

 ここに居る美奈都の記憶は途中で途切れているが、そこまでの記憶では、あの守りは破れていない。

 

「今もイメトレしてるけど、まだダメ。どうやっても一人で破るビジョンが見えない」

 

「お母さ……師匠でも無理なんて」

 

「ちょっと、私を神様か何かと勘違いしてない?私だって倒せない相手くらいいるよ。

 でも、一人じゃ無理って感覚は可奈美なら分かるんじゃないの。立ち合ったんでしょ?新田ちゃんの子供とさ」

 

「…………うん」

 

 少なくとも、可奈美だけではどうにもならない気はしていた。そして、姫和と可奈美しか居ない現状で可奈美が封じられるという事は、姫和が一人で親衛隊四人を相手取らなければならないという事だ。

 いくら姫和が強いといっても、流石に親衛隊四人を同時に相手取れるほど人外ではない。数と実力の暴力で潰されるのがオチだろう。

 

 控えめに言って詰んでいるというのが、今の可奈美と姫和の状況だった。

 

「……もし、京奈ちゃんのお母さんが一つしかない扉の前に立ってたらどうするの?」

 

「その先が目的地で、そこに入るだけでいいなら、横の壁を壊して入った方が楽。幸い新田ちゃんは攻撃能力が低いから、受け流しながら蹴破るのが現実的かな。

 ただ、その奥に紫が居たりすると一気に難易度上がるよ。…………そうなると、横に篝が居てようやく勝負になるか……?」

 

 京奈とその母親はどうやら相当似ているらしい。可奈美が世間で聞いていた京奈の評価と、今の美奈都が下した評価は酷似していた。

 

「そんなに守備力高いんだ」

 

「うん。だから何かあったら、常に新田ちゃんが先頭に立ってた。破れない盾が身内にある事ほど頼もしいことって、そうはないからね」

 

 ストームアーマーのような強化装甲も無く、刀使の実力のみで大型の荒魂を討伐しなければならなかった20年前でも、俗にメインタンクと呼ばれる刀使は非常に少なかった。

 今も多いとは言えないが、過去の時代では更に少なかった上に需要が尽きず、更に京奈の母親はその防御力を見込まれて、中学生ながら第一線で戦う刀使に既になっていた。

 

 一部の刀使を見ていると忘れがちだが、中学生というのは偵察任務のような軽い仕事を小隊でこなすのが普通の新兵達である。

 当時主力だった高校生の中に中学生が混じるという異常が齎した衝撃は今の比ではない。

 

「だから気をつけなよ可奈美。立ち合ったなら分かるだろうけど、新田ちゃんの家系は護ることに特化してる。戦わないのが最上だけど、もし事を構えるんだったら絶対にタイマンはしちゃいけない」

 

 守備力の高い盾は味方にすれば頼もしいが、その反面、敵になった時の恐ろしさもまた凄まじい。

 

「最低でも二人……出来れば三人かな。数の暴力か、上から潰せるような圧倒的な力か、どっちかで行かないと弾き返されるよ」

 

 私の知る新田ちゃんの話だけど。と美奈都は付け足して、更に言った。

 

「プライドなんか捨てて、泥臭くても良いから勝ちに行く。試合なら反則になるような行為でも躊躇わずやる。それくらいしないと、多分無理」

 

 この忠告が意味を成すかは分からない。これはしょせん夢、目が覚めれば忘れてしまう出来事。

 夢を見ている事すら朧気にしか覚えていない可奈美が、この忠告を覚えたまま現実で目覚めるのは多分ありえない。

 

「……うん。分かった」

 

 だけど間違いなく、それは可奈美の心の奥底に刻まれたのだ。

 

 

「失礼しました……」

 

「こんな遅くまですまないね。早く帰って休んでくれ」

 

 ──可奈美が夢を見ているのと、ほぼ同時刻。

 折神家の研究棟にある主任の部屋から、京奈がふらふらと歩いて寝室に帰っていくのを主任は見送っていた。

 

 こんな遅くまで残らせたのは、京奈専用のストームアーマー開発に必要なデータの採取と、京奈の身体に合わせるためにスリーサイズの採寸などを行っていたからだ。

 これらは普段なら昼間にやるような事であるが、連日折神家を騒がせている反逆者騒動の影響で、京奈にすら仕事が多く回ってきてしまい、ここまでズレ込んだのである。

 

 あの歳で社畜かぁ……と思いながら扉を見つめていた主任は、座ったまま机の上の書類を一枚手に取った。

 

「……ふむ。経過は良好か」

 

 その書類は、綾小路から送られてきた、とある少女に関する経過観察の報告書である。

 対象者は『山城(やましろ) 未久(みく)』という少女。以前、京奈の能力が病気に作用するのかというデータ取りの臨床実験を行った際に選ばれた実験体だ。

 

 未久が選ばれた理由は単純。機密情報を扱う都合上、実験体にするのは刀使に関係する者が望ましいから。それだけだ。

 外部の人間でも悪くはないが、どうしても情報漏洩のリスクが上がってしまうし、話を通すのも面倒だった。

 

 その点、伍箇伝の何処かであるなら主任のツテもあって手早く話が進む。

 しかも彼女は、刀使を有する家庭の中で最も症状が重かった。そして、京奈の能力がどこまで通用するのかを調べる時に、ちょうど重い症状のデータが必要だった。

 

 以上の要因が重なって未久が選ばれたのだ。

 

 彼女も結芽に負けず劣らずの難病を患っていて、病院で常に治療を行わなければならなかった。

 家族構成は彼女を含めて4人。両親と、姉が1人。姉は刀使をやっていて、今は綾小路の中等科2年生であるという。

 

 両親は共働きで、姉も刀使をやっているから収入自体は多いものの、その殆どが治療費に飛んでしまっていたようだ。

 しかも治る見込みも不透明で、さぞ苦労していたのだろう。彼女の両親と姉が半信半疑である事を隠さず、しかし藁にもすがる思いで頼りに来ていた事が記憶に新しい。

 

 他言無用という誓約書を交わし、家族はもちろん、綾小路武芸学舎の相楽学長まで見に来た実験は成功した。

 病気の症状と、身体に及んでいた異常。それらが元から存在しなかったかのように消えてしまったのだ。

 

 弱っていた身体機能を取り戻すためのリハビリも終えて今は退院し、通院で様子を見ているが、その際に取られたデータは綾小路を通して逐一主任の元へ送られるようになっていた。

 それによると病気の再発も無く、至って良好。健康体そのものであるという。

 

「なるほど。よし、次は……」

 

 それに目を通し終わった主任は、どこかワクワクしたような感じで立ち上がった。

 

 ──先日、主任に一つの情報が齎された。

 旧知の仲にある研究者仲間から送られてきたもので、それによると、どうやら京奈の力について面白い事が分かったらしい。

 

 過去、京奈の母親の時に観測されたらしい事例だが、同じ能力を持つ京奈にも当てはまるのではないかと、その情報を送ってきた彼は言っていた。

 真実はどうかは分からないが、もし真実であるならば、その情報は能力について研究に勤しんでいる主任にとって千金に値する。

 

 それを分かっているからか、情報が正しかったら頼み事を聞いてくれと言ってきていた。

 

「さてさて、どうかな」

 

 人を滅多に頼らない彼が頼み事なんて、どうやら相当切羽詰まっているらしい。

 それを珍しいとは思うが、主任にとっては珍しい止まりでしかなかった。その興味は情報が正確かどうかにのみ注がれていたからだ。

 

 そして研究室に入ると、研究用に保管していたノロの貯蔵庫を見た。この貯蔵庫に仕込みを行っていたのだ。

 

「これは……!?」

 

 それを見た主任の目が驚愕に見開かれる。しかし次の瞬間には、その驚愕の表情は笑みに変わっていた。

 

「……ふふふふ」

 

「はははははっ」

 

 僅かに漏れるような笑いが、次第に大きくなっていく。その笑い声はやがて研究室に響き渡り、廊下にすら聞こえるほどになった。

 

「あはははははははははははははは!!」

 

 主任は笑っていた。聞いた人間の正気を削りそうなくらい狂気的に、笑っていた。

 

「最ッ高だ!まさか、まさかこんな事になるとは!!」

 

 目の前の現象に狂喜乱舞しながら、主任は漸く納得がいったとでも言うように頷いた。

 

「なるほど!これなら確かに、アレが彼女を抱え込む理由も理解できる……!くくくっ、そうかそうか。そういう事だったのか」

 

 ハイテンションのまま主任はスマートフォンを取り出した。それをタップし、とある番号へ電話をかける。

 相手は2コールで出た。

 

「私だ。もしかして、もう寝ていたかな?」

 

「……なんだ、まだ起きていたのか。ご老人はそろそろ寝る時間だろう」

 

「ははは、確かに。この時間に電話をした私が言えた事ではないな」

 

 興奮冷めやらぬ様子で主任は電話口に話している。研究仲間の彼は、その様子で情報が正しかった事を悟った。

 その彼が言う。頼み事の件は忘れていないだろうね?と。

 

「もちろん忘れてはいないさ。さて、私に何をさせたいのかな?」

 

 出来る範囲で何でもしてあげよう。と宣う主任に対して、電話口の向こうから注文が出される。それを聞いた主任は、それで良いのか?という思いを声に乗せながら言った。

 

「なんだ、そんなものでいいのか。……いや、もう少し無茶ぶりをしてくるのかと思ったから。

 ん?ああ、それは別に無茶ぶりじゃない。私にとってはだけどね」

 

 というか、それを分かってるから言ったんだろう?と主任は呟く。

 その頼み事は、並みの人間にとっては無茶ぶりだろう。だが主任にとって、それは無茶ぶりではなかった。

 

「お望み通りにストームアーマーを2人分、調整しておこう。必要になったら着弾地点の座標を送ってくれたまえ」

 

 その注文とは──折神家によって厳重に管理されているストームアーマーを2人分、用意して欲しいというものだった。





余談ですが、"揺れぬ天秤"にて主任が結芽に向かって言っていた臨床実験云々は今話に出てきたものだったりします。
ところで刀使ノ巫女で山城といえば……?


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賽は全力で投げられた

 

「あーあ……」

 

 いつの間にか親衛隊が独占するようになっていた談話スペースで、結芽は退屈そうに欠伸を繰り返ししていた。

 京奈は居らず、他の親衛隊のメンバーも各々の仕事で駆けずり回っていて、誰も結芽に構ってくれない。

 

「たーいーくーつー」

 

 足をバタバタさせながらの呻きは、誰も居ない室内に虚しく響いただけだった。

 

「私を出せば、あのおねーさん達なんてあっという間に捕まえられるのに」

 

 もし自分が出ていれば、さっき聞いた「見つけたはいいが逃げられた」なんて無様な結果にはならない自信がある。

 なのに、どうして自分を出さないのか。結芽にはそれが分からなかった。

 

 きっとオトナの事情という奴なのだろうが……。

 

「むうー……」

 

 退屈しすぎて死んでしまいそうな結芽が出来ることといえば、折神家の中を歩き回って見つけた刀使に()()()()()()くらいのものだった。

 しかし、最近の折神家は刀使の姿を見ることもなくなってきている。きっと例の反逆者達の捜索に駆り出されているのだろう。

 

 それでも、と僅かに残っているかもしれない刀使を探しに、結芽は談話スペースから外へと飛び出した。

 

「だーれか居ないかなー」

 

 しかし、歩けど歩けど結芽以外の人影など見当たらない。

 やっぱり今日もダメなのかなと思いながら歩いていると、右の角を曲がった先から何やら声が聞こえる。

 

 興味を持って様子を伺ってみると、そこには逃げた2人のうちの片方が着ていた制服と同じ物を着ている刀使が1人と、大人が一人いた。

 

「事の重大さは理解しています!だけど、私は……!」

 

 刀使の1人が、大人にそんな事を言っている。それを聞いて結芽は直感した。きっと彼女が、反逆者を見つけたのに逃げられた刀使なのだ。

 

 結芽は、その後ろ姿に声をかけた。

 

「ねーねー。せっかく見つけたのに逃げられちゃった刀使って、おねーさんの事?」

 

「っ!?」

 

 声をかけられた刀使──舞衣は、その声に身体をビクリと震わせて振り向いた。

 その動きからしても、結芽が遊び相手に勝手に求めているレベルに達していない事が分かる。

 

「その服は、親衛隊の……!」

 

 さて、このおねーさんはどれくらい持つかな。せめて一太刀は耐えて欲しいんだけど。

 

 そんな事を考えながら、結芽は居合い切りのような動作で御刀を抜き放つと、迅移を用いて舞衣に斬りかかった。

 

 問答無用の暴挙に見開かれた舞衣の目は、一呼吸の合間に自分の喉元に突きつけられた御刀に向けられていた。

 

(まったく、見えなかった……!?)

 

 まさか折神家の中で御刀を抜き放ち、刀使に斬りかかるなんて暴挙を行うなど想像もしていない。

 しかし、それを抜きにしても、動く前に必ずといっていいほど生じる予備動作は、舞衣の目では捉えられなかった。

 

 声を挙げる間すらも無い、早さと精密さの二つを兼ね備えた動き。

 

 これが親衛隊の実力なのかと、舞衣の心に恐怖が走る。

 

「弱すぎー」

 

 そんな舞衣の様子に、くすくすと結芽は癪に障るような笑い声をあげ、まるで嘲笑うかのように告げた。

 

「おねーさんじゃあ、あの2人には勝てないよ」

 

「……っ!」

 

 それは、残酷な現実。分かってはいたが目を逸らしたかったもの。

 

 あの時、2人を見つけて姫和と刃を交えた時に何となく気づいていた。もし姫和が万全だったのなら、きっと自分は負けていたであろう事を。

 

 刀使の世界では、残酷なほど才能によって強さに差が出てくる。

 舞衣は並の刀使よりは才能があるだろう。それが無ければ、中学生ながら高校生すら混じる校内予選を勝ち抜けはしない。

 

 しかしそれだけでは、本物の天才には遠く及ばない。可奈美にも、姫和にも、目の前の結芽にだって。

 本物との間に存在する、凄まじい高さの壁。それを改めて思い知らされた気がしていた。

 

「燕さん、剣を収めて」

 

 舞衣が現実にぶち当たっている間、舞衣と一緒に歩いていた美濃関の学長である羽島(はしま) 江麻(えま)は、結芽に静かな口調でそう言った。

 

「……はーい。分かりましたー」

 

 それに結芽は素直に従い、自身の御刀"ニッカリ青江"を納刀する。その時、結芽の興味は既に江麻に移っていた。

 

 このおばさん、やれる人だ。

 結芽はそう理解した。一見すると無防備に見えるが、その目や動きの全てにおいて隙が殆どない。

 

 更に言うなら、結芽の動きを目で追っていた。もうそれだけで結芽のお眼鏡にかなうには充分すぎる。

 

「おばさんは、やれる人だよね」

 

「……残念ね、御刀は返納しちゃったの」

 

 結芽の言わんことを理解した江麻は、そう言って結芽とは立ち合えないと答えた。残念だが御刀が無ければ、いかに高い実力を持っていようと意味がない。

 

「なーんだ、残念」

 

 それにガッカリしたような声を出しながら、結芽は2人の間を通り抜けて進んでいった。

 

 横を通り過ぎる一瞬、舞衣は結芽の事を見た。明らかに暇そうな顔で、見られているのを気付いている筈なのに、もう舞衣には目もくれなかった。

 それが何故か酷く気に障って、離れていく結芽の背中を見送っていた舞衣の手は、いつの間にか固く握られていた。

 

 

「…………はい、これで最後ですか?」

 

「ええ。お疲れ様でした京奈様」

 

「だから、様はやめて下さいって」

 

 同時刻、負傷者の手当を終えた京奈は、いつものように様付けしてくる隊員にそう返しながら立ち上がった。

 

「っとと……」

 

 しかし立ち上がった直後、バランスを崩して少しよろめく。その様子を見た隊員が心配そうな目を向けた。

 

「大丈夫ですか?」

 

「ええ。ちょっとよろめいただけですから」

 

 最近、連日休み無く医療剣術による治療と荒魂との争いを繰り返しているからか、疲れが溜まっているのだろう。

 見て分かるほど衰弱している京奈を頼ってしまう自分達の不甲斐なさに怒りを抱きつつ、隊員はそう分析していた。

 

「なら良いのですが……その、治療してもらっている我々が言うのは失礼かもしれませんが、ゆっくりお休みになって下さいね」

 

「ありがとうございます。ちゃんと休んで、明日も頑張りますね」

 

 京奈は笑みを浮かべた。それは鎌倉に来てからやけに上手くなった愛想笑いだったが、今にも壊れてしまいそうな儚さがあった。

 

「では、私はこれで失礼します。後はお願いしますね」

 

「はっ!お任せ下さい!」

 

 隊員に背を向けた京奈の顔からは、あっという間に愛想笑いが剥がれ落ちる。

 実のところ、笑みを貼り付けるのだけでもギリギリなくらい疲労していたのだ。

 

 そのまま迎えの車に乗り込んで現場を離れる京奈の後ろ姿を、その隊員は不安そうに見つめていた。

 

「ふぅ……」

 

 荒魂が暴れていた現場から離れていくにつれて、段々と気が抜けていく。

 そして、その気の抜け具合と比例して、抗いがたい眠気が京奈を襲ってきた。

 

「お疲れですか?」

 

「えぇ、まあ……」

 

 運転手の言葉に反応してした返事はフニャフニャとしていて、普段の京奈のようなハキハキとした感じはない。

 

(……重いなぁ、身体)

 

 最近、何故だか妙に疲れるのが早い。全身が重く、前は感じなかった圧迫感すらも感じている。

 それらが成長に伴う身体の異常という事であるなら話は早いのだが、恐らく違うだろうなという事が京奈には分かっていた。

 

(これは、根こそぎ気力を持っていかれてる感じっていうのかな……)

 

 写シを何度も剥がされた時に感じる倦怠感のような……つまり、精神力を使い果たした感覚が一番近いと言えた。

 でも写シや迅移などは使えたから、本当に精神力を使い果たしている訳ではないのだろう。

 

 しかし、では何故だ?

 

(……戻ったら主任さんに聞いてみようかな)

 

 京奈の事に関して、もしかすると京奈以上に知っているかもしれない女性の姿を思い浮かべる。

 そしてポケットから、京奈だけに支給された専用端末を取り出してメールの機能を出した。

 

 この端末は主任が京奈に用意した専用品である。といっても、違いは大したものではない。

 今のところは、スペクトラムファインダーに代表される荒魂感知のための機能が搭載されていない以外、普通の物と変わらなかった。

 

 だが将来的には、この端末一つで京奈専用のストームアーマーを射出する機能が搭載されるようになるらしい。

 ストームアーマーの射出には面倒な事前手続きが必要になるのだが、それを全てすっ飛ばす事が出来るのだという。

 

 京奈がメールで『これからお時間ありますか?』と送ると、即座に『コーヒーが良いですか?緑茶でも用意しておきましょうか?』と返事が来る。

 

「空いてるって事なんだよね……?」

 

 とりあえず『コーヒーでお願いします』と打ち込んで返信しておいた。

 それから返ってきた『分かりました、用意してお待ちしていますね』という文面を見て、端末を持つ右腕を座席の上に力なく置いた。

 

「温泉とか行きたいかも……」

 

 思わず口をついて出た言葉は、京奈が療養を欲している事を分かりやすく示していた。

 

 

 

「ありゃあ、ちょっとばかし遅かったみたいデスねー」

 

「だから言ったんだ、行くだけ無駄だって……まったくババアめ」

 

「ねー」

 

 京奈が去ってから10分後。

 全てが終わった後の現場に、長船女学院の制服を着た2人の刀使と1匹が現れた。

 

 高身長でドデカイ胸が目を引く古波蔵(こはぐら)エレンと、対照的に身長も胸も小さい益子(ましこ) (かおる)。そしてそのペットの"ねね"である。

 

 2人と1匹は、とある目的があって先程まで荒魂との戦闘があった此処を訪れたのだが、どうやら入れ違いになってしまったらしい。

 

「でも、取り敢えず聞き込みはしてみましょう。もしかすると、何か情報が得られるかもしれまセンし」

 

「あー……バカンスが遠のく〜〜」

 

 2人と1匹が現場に近付くと、先ほど京奈を見送った隊員が気付いて敬礼をした。

 

「ご苦労様です!」

 

「お疲れ様デス。ちょっとお聞きしたい事があるんですが、良いでしょうカ?」

 

「はいっ、自分で答えられる事であれば!」

 

「Oh!ありがとうございマース!では早速なんですが──」

 

 エレンが隊員と話をしている傍らで、薫は如何にも「オレはやる気ありません」という顔で近くの瓦礫に座り、ノロを回収した車が現場から遠ざかっていくのを眺めていた。

 

「ねー。ねねー、ね?」

 

「良いんだよ。ああいうのはエレンに任せとけば。オレには向かないし、ああいう面倒事は嫌いだしな」

 

 生来から面倒くさがり屋である薫は、相棒のエレンのように話の間から情報を抜き取るような技術は持っていなかった。会話を常に気にかけるのが面倒くさいからだ。

 そして、エレンのように愛想を振りまくような事も今までしてこなかったし、これからするつもりもない。面倒くさいからだ。

 更に言うなら、エレンのように勤勉に働く気もなかった。面倒くさいからだ。

 

「はぁーあ。どっかにオレの代わりに戦って、オレに楽させてくれるような刀使とかいねぇかなあ」

 

「ねー」

 

 いるわけないじゃん、とでも言うかのように、ねねは首を横に振った。

 

 さて、薫がねねとそんなやり取りをしている間に、エレンは会話を終えたらしい。「気をつけて下さいネー!」と言って片手を振りながら、薫のところに戻ってくる。

 

「ただいまデース!」

 

「くっつくなアホエレン。それよりどうだったんだよ」

 

「いやー、特には有益そうな情報は有りませんでしたね。ただちょっと、疲れてたらしいですケド……」

 

 薫とは違って、なんて言うエレンに薫は無反応を貫いた。「オレだって疲れることくらいある」と心の中で呟いたが、口に出しはしなかった。

 どうせ言ったって、「サボってるから少し動いただけで疲れるんじゃないですかー?」とか言われるだけだと分かっていたから。

 

「まっ、良いんじゃねーの。過労でぶっ倒れてくれたら万々歳だ」

 

「こちらの事情だけで考えればそうですけどネ……」

 

「で?どうすんだよ。もう戻るか?オレとしてはバカンスの続きしたいんだが」

 

「ウーン、まだもう少し情報が欲しいんですよネー……」

 

 とにかく、大した情報は得られなかった。でも手ぶらで帰るのは嫌だ。いつか敵対するのが分かっているのだ。まだ内側に潜れているうちに、そこでしか知りえない情報を集めておきたい。

 だが、あまりにも突っ込みすぎた質問をすれば怪しまれてしまう。僅かな不信感から看破される可能性もあるので、深く踏み込むのも考えものだった。

 

 そんなジレンマに頭を悩ませているエレンの横で、機動隊員たちが片付けに奔走している。

 その内の一人が横を通りがかった時、ねねが唐突に叫んだ。

 

「ね"っ!ね"ね"ーっ!!」

 

「のわっ!?なんだよ、ねね。暴れるなって」

 

 おもむろに暴れだしたねねを飼い主の薫やエレンはもちろん、その通りがかっただけの隊員もびっくりした目で見た。

 

「じっ、自分がなにかしましたか!?」

 

「あははー!ちょーっと待って下さいネ。……薫」

 

「分かってる。おい、ねね。何があった?」

 

「ねっ!ねねねっ!ねーねー!」

 

 ねねは「ねー」しか発声できないが、知性は持っているのでジェスチャーで伝えようとしてくれる。

 そのため初対面でもある程度は意思疎通が成立するし、飼い主の薫は言葉だけでも伝えたい事を完全に理解する事が出来た。

 

「……そいつから、なんか怖いものが溢れてるって」

 

「What?」

 

 薫とエレンは、ねねが指さす隊員を見た。どこからどう見ても普通の人間だ。危険な雰囲気も何もない。

 

「でも、どう見ても普通の人デスよ?」

 

「ねね。もうちょっと詳しく言えよ、それだけじゃ分からねぇ」

 

「ねねー!ねっねっね、ねーねね!」

 

 わちゃわちゃと身振り手振りでその恐怖を伝えてくるねね。薫は小声で、それをエレンに伝えた。

 

「本能的に受け入れたくなる、自分の存在を脅かすような気配……だってよ」

 

「ねね、どういうことです?」

 

「ねー……」

 

 そうとしか説明できないらしい。ねねは困ったように項垂れた。

 ねねの言いたい事はまだ良く分からないが、一先ずは"そういうもの"として受け入れて、エレンは困り顔の隊員に向き直った。

 

「いやぁ、すいませーん!ちょっとお時間取らせちゃって」

 

「それは構いませんが……自分に何か、良くないものが見えたのでしょうか?」

 

「ねねが伝えたい事だけだと、なんとも言えないンですよね。だから、何か変わった事がなかったか教えてくれませんカ?」

 

 ねねが彼に感じたことが何なのか。それに近づくには、彼の協力が必要だった。彼にも拒む理由はない。頷いて話し始める。

 

「変わったこと、ですか…………いえ、特には。いつものように住民の皆さんが逃げ終えて刀使の方が到着するまで、荒魂を押し止める役目を果たしているだけですね」

 

「それはご苦労様デシタ。見るからにボロボロですし、今日も大変だったんではないデスか?」

 

「あはは……普段はここまでボロボロにはならないんですけどね。お恥ずかしい事に、少しヘマをしてしまいまして。腹部をグサッと」

 

 なるほどだからか、とエレンは得心したように頷いた。貫かれたように破けた服の腹部は、それでしか説明のつかないほど大きかったからだ。

 

「Wow……失礼ですが、よく生きてましたね。写シがある私たち刀使でもショック死しちゃいそうなくらい大きな穴ですけど」

 

「自分も死を覚悟しました。ですがそこに、京奈様がいらっしゃったんです」

 

 スッとエレンの目が細くなった。

 

「親衛隊第五席の、あの子ですか」

 

「ええ。自分は京奈様の能力で一命を取り留めました。あの方には感謝してもしきれませんよ」

 

 

 

「…………どうだ、分かりそうか?」

 

 現場から離れながら、薫はエレンに問いを投げかけた。

 

「まだ分かりませんね。でももし、彼女に何らかの関係があるのだとするなら……」

 

 有益な情報に繋がっているかもしれない。だが、そこに辿り着くには色々と足りなさ過ぎる。

 

「やはり情報が足りません。もう少し調べたいところですネ」

 

「そんな余裕があれば良いけどな」

 

 薫がそう言うと、狙ったかのようにスマホが振動した。エレンが見た画面に映っていたのは、学長の名前である。

 

「もしもーし、どうしたんですか?」

 

 エレンが学長から何らかの指示を受け取っているのを聞き流しながら、薫はねねを見た。

 

(こいつは一体、なにを怖がってたんだ……?)

 

 長年ねねを見てきた薫ですら、あの怯えようは見たこともない。隊員が強面だったとか、そういう下らない理由だったら笑えたのだが、そうではない事は分かっている。

 

(……ダメだな。エレンも言ってたけど、手元の情報じゃ何も分からねぇ)

 

「薫ー。学長から次の指示が出ましたヨー」

 

「人使い荒いなババア……んで、何しろって?」

 

 思考を一旦中断させて、ボヤきを入れながらエレンに問う。エレンはニヤっと笑いながら薫にそれを告げた。

 

「衛藤可奈美と十条姫和の両名に接触するように、デスって」

 

 その言葉が、この後の騒乱の引き金になる。この年の内に巻き起こる二つの大きな争いは、ここから始まったのだ。





この裏では原作通りに可奈美ちゃんが恩田さんのところに転がり込んでいたり、美炎ちゃん達が調査隊を結成して原宿に行ったりしています。
その調査隊は山狩りの時や折神家強襲の際にチラッと出てくる筈です。……多分ね。


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伊豆の攻防①

冒頭なのでサクサクいきましょ。サクサクとね

6/2 主任のキャラ違いすぎぃ!?って事で小声部分を修正しました。なんでコイツ自分で作ったキャラクターの性格忘れてるんですかね……?



「確認されている症状は、倦怠感と疲労感でしたね?」

 

「はい……」

 

 折神家に戻った京奈は、紫の許可を貰って護衛を外れ、研究棟にある主任の研究室を訪れていた。

 まるで、病院で問診を受けているかのように椅子に座って主任と向き合い、自分の身に起こっている異常についての話をしている最中である。

 

「ふぅーむ……」

 

「何か分かりそうですか?」

 

 湯気の立つコーヒーを片手に主任は症状を記していく。やがてペンを止めた主任は、トントンと机をペンで軽く叩きながら言った。

 

「まだ何とも言えませんが、恐らく過労じゃないですかね。その歳で働きすぎて、身体が悲鳴をあげているのではないですか?」

 

「…………」

 

「身体を休めることをお勧めしますよ。今の新田さんは明らかに働きすぎです」

 

 両手で包むように持っているカップを、覗き込むように顔を俯かせる。コーヒーの表面に映った京奈の顔の輪郭が、ゆらゆらと揺れていた。

 

「……それは出来ません」

 

「なぜです?」

 

「満足に休めていないのは真希さんや寿々花さん、夜見さんだって同じなんです。私だけが休むなんて、出来るはずないじゃないですか」

 

 過労という可能性が無いとは言えない……というより、その可能性が一番高いかなと自分も思う。他の人より少し多く働いていることくらい自覚はしていた。

 しかし、だからといって休むわけにはいかない。他のみんなだって頑張っているのだ。そんな中で自分だけが休むだなんて、そんなことを京奈は出来なかった。

 

「高校生と小学生では、身体の作りも成長度合いも違うでしょう。あの3人が無茶しているからといって、新田さんが無茶していい理由にはなりませんよ」

 

「だとしてもです」

 

 退く気はないと、その目が語っていた。大人すらを怯ませられるような強い意志を感じる目を向けられた主任は、しかし表情一つ変えずにこう返す。

 

「ですがその調子で戦っても、却って足手まといになるだけではないですか?」

 

「…………それは」

 

「私も昔は刀使でしたから、荒魂との争いが神経を削るような作業である事を知っています。一瞬の油断が命取りになるのですから、気を張るのは当然ですよね」

 

「……刀使?じゃあ、あの御刀は……」

 

 そこで京奈は、研究室の壁に掛けてある一本の御刀を見た。最初ここに訪れた時から気になっていたものだが、まさか主任の御刀だったとは、と驚きを隠せない。

 

「ええ、私の御刀です。実地でデータを取る時もあるので、まだ返納していないんですよ」

 

「へえ……」

 

 もう30を越えた女性が刀使を現役でやっているという事にも軽い驚きを覚え、その直後に紫も似たようなものだったと思い出した。

 

「言っておきますけど、私は弱いですよ。それと燕さんには内密に。バレたら絶対に襲われますから」

 

「あはは……確かに」

 

 結芽なら絶対にやる、という嫌な信頼から生じた苦笑いと共に京奈は頷いた。そんな京奈に頷いた主任は咳払いを一つして話題をリセットすると、自分の結論を口に出す。

 

「話が逸れましたが、つまり私が言いたいのは、そんな衰弱した状態の新田さんを戦場に立たせる訳にはいかないという事です」

 

「…………」

 

「今の貴女には立場がある。折神家の親衛隊という肩書き……そして未来の英雄として向けられている期待は、貴女自身が思っているよりずっと重い」

 

 それは一度も倒される事が許されないくらいには重かった。

 

 終わりの見えない荒魂との争いに疲弊している力無き国民には、何か希望となる道標が必要なのだ。明日が今日より良くなるという、根拠の無い自信を持てるだけの強さと輝きが、この現代に無くてはならない物なのである。

 例えその道標が伍箇伝に通ってすらいなかった新米未満の年齢の子供だったとしても、それに縋ることで精神の安定を保つ者が少なくない以上は、その役目を成し遂げなければならない。

 

 その道標とは紫の事であり、現在は同時に京奈の事でもあった。

 

「貴女の肩には、全国一億人の期待と希望が掛かっているという事を自覚して下さい。貴女が倒れると、冗談抜きで日本に終わりが訪れかねない」

 

「私がそれほどの存在ですかね……」

 

「それほどの存在なのですよ。今も、そしてこれからもね」

 

 京奈はコーヒーを飲み干し、カップを置いて主任に目を向けた。

 

「言いたい事は分かりました。私が倒れる事で、多くの人が困ると言いたいんですね?」

 

「ええ」

 

「……分かりました。不本意ですけど、倒れて迷惑をかけるくらいなら素直に休みます」

 

 ここまで京奈が正直に退いたのには理由がある。

 一つは、さっき主任に言われたように、今の調子では友軍の足を引っ張る足手まといにしかならないと自覚していた事。二つは、この調子のままでは親衛隊の評判を落としかねない事。

 そして何より、自分の無茶で多くの人々に迷惑をかけてしまう事を考えると、自分の我が儘を通せないと思ったのだ。

 

「もし納得がいかないのなら考えを変えればいいんですよ。ご当主さまの警護の代わりに燕さんの子守りをする事になった、とか」

 

「…………結芽ちゃんが聞いたら怒りますよ、子守りなんて」

 

「まだまだ子守りが必要な年齢ですよ。燕さんも、新田さんもね」

 

 主任も自分のコーヒーを飲み干してカップを置くと、そのまま背伸びをしながら立ち上がりつつ京奈に言った。

 

「取り敢えず精密検査でもやっておきましょうか」

 

「え?」

 

「さっきは過労なんじゃないかと言いましたが、何か別の原因がある可能性も考えられます。一応念のために、精密検査も行うべきでしょう」

 

「でも私、まだ紫様に何も言ってない……」

 

「こちらから話を通しておきますから大丈夫ですよ」

 

 恐らく、紫もそれをダメだと言いはしないだろう。護衛だけなら夜見だけでも何とかなる。並みの襲撃者なら夜見だけで充分だし、どうせ名実ともに最強な紫を倒せはしない。それに、普段の京奈は紫の傍にいるだけなので業務に影響もない。

 そもそもの話として、厳戒態勢の折神家に乗り込んでくる自殺志願者がいるのかという疑問もあり、京奈が抜けても何の問題もないのであった。

 

「信じますよ、その言葉」

 

「ええ。信じてください」

 

 そうと決まれば、と主任は京奈の背中に手をやって歩くように促す。

 京奈の後ろをついて行きながら、主任は京奈には聞こえないように呟いた。

 

貴重なデータだから死なれても困るし

 

 

 

 正午ごろ、多くの職員が昼食のために入れ代わり立ち代わり詰めている本部室に緊張が走った。

 

「え……?」

 

 真希と寿々花が待機している厳戒態勢の中で、鎌府のオペレーターが僅かにどよめく。

 

「どうした?」

 

「横須賀基地から問い合わせがありました。えっと、南伊豆の山中にストームアーマーを射出したか、と」

 

 今の時間帯、正規のオペレーターは昼食のために8人いる内の4人にまで数を減らしている。

 もちろん4人では業務が回らないので、その穴埋めは鎌府の高校生がやっているのだが、この非常事態で使われるだけあって彼女達も経験豊富だ。

 

 そんな彼女達が、まるで初めてのオペレーター業務の時のように動揺している。

 その様子に並々ならぬものを感じ取った真希が問うが、返ってきた答えは予想だにしなかったものだった。

 

「なんだと?」

 

 寿々花に目を向けるが、無言で首を横に振っている。

 

「こちらには何の報告も上がっていない。どういう事だ……?」

 

「……あっ、横須賀基地から画像が送られてきました。モニターに出します」

 

 モニターに出されたのは、監視カメラか何かの画像だろうか。画質は少し荒いが、空を飛んでいる二つの物体の詳細が分からないほど荒いという訳ではなかった。

 

「これは確かにストームアーマーのコンテナだ。だが……」

 

 知らない。

 

 ストームアーマーは重要な装備品であることから、使用には事前の申請と事後報告の両方が必要だ。

 緊急時であれば、その旨をオペレーターに伝えて事前申請無しに射出する事もあるが、今回はそういう理由でもないらしい。

 

「寿々花。南伊豆の山中に部隊の展開はしていたか?」

 

「いいえ。そちらには荒魂も出ていませんでしたし、偵察任務に就いている刀使が居るか居ないかくらいでしょう」

 

「偵察任務にストームアーマーなんて普通なら必要ない……」

 

 それになにより、ストームアーマーなんて重要な装備品を使う時には、事実上の責任者である真希と寿々花の耳に入らない筈がないのだ。

 しかし現実として、今回の件は寝耳に水である。そして部隊が展開していない場所に射出されたストームアーマー。これらの事実から考えられるのは──

 

「まさか、ストームアーマーが盗まれたとでもいうのか……?!」

 

「射出されたアーマーは横須賀基地で管理されているものでしたわね。射出前後に、不審者などは見当たりませんでしたの?」

 

「今、問い合わせてみます」

 

 オペレーターが問い合せている間、真希は厳しい眼差しをモニターに向けていた。写っている2機のコンテナとストームアーマーは、一体誰の手で射出されたのだろうか。

 そんな事を考えていると、急に勢い良く扉が開かれた。

 

「親衛隊!貴様ら、何をやっている!」

 

 鎌府学長の高津雪那が、声を荒らげながら本部室に入ってくる。その一声で注目を集めた高津学長は、そのまま真希と寿々花に詰め寄った。

 

「ストームアーマーの件は聞いた!射出された地点が分かっているのなら部隊を動かすべきだろう!」

 

「……鎌府学長、南伊豆の周辺には刀使が多数います。部隊を動かさずとも、彼女達で対処できるならさせるべきです」

 

「現場を確認するために偵察隊を向かわせていますわ。報告をお待ちください」

 

「それでは遅すぎる!ストームアーマーを動かしたのが何処の愚か者かは知らないが、それを持ち逃げされてからでは遅いのだぞ!」

 

 高津学長の言うことにも一理ある。誰がストームアーマーを射出したのかは知らないが、明らかに持ち逃げするための射出としか考えられない。

 これが仮に、日本の優れたストームアーマーの技術を盗もうとする他国の工作員の仕業だとするなら、これは国益をも損ねかねない大事である。そういう意味では高津学長の言い分は正しかった。

 

「大体、偵察隊など出さずとも貴様たちが直接向かえばいいではないか!もし相手に並より上の刀使がいたらどうする!?」

 

「わたくし達も、出来るなら出撃したいですわ」

 

「我々親衛隊は、紫様から警護命令が出ているために動けません」

 

「……チッ!」

 

 盛大な舌打ちと共にモニターの前まで進んだ高津学長は、忌々しそうに荒い画像を睨みつけた。

 そのまま暫くそうしていると、今度はゆっくりと本部室の扉が開かれる。入口には夜見が立っていた。

 

「獅童さん。此花さん。紫様より出動命令が出ました」

 

「分かった。行くぞ寿々花」

 

「ええ……では高津学長。申し訳ありませんが、後のことは宜しくお願い致しますわ」

 

「………………」

 

 そう夜見が言うやいなや、真希と寿々花はすぐに入口に向かって歩き出した。

 高津学長は寿々花の言葉に返事を返さず、ただ黙って扉が閉まる音を聞いていた。

 

「今になって出撃とは、紫様も随分もったいつけましたわね」

 

 敷地内に敷かれた道路を歩いて車を待たせている場所まで向かう。夜見の前で真希の横というポジションで歩いている寿々花は、やっと下りた出撃命令に喜びを隠しきれなかった。

 

「紫様にも色々あるんだろう……それより、夜見が紫様のお側を離れるとは珍しいな」

 

「山中での索敵なら私の能力がお役に立ちますから、そちら目的での起用かと」

 

 親衛隊3人を同じ場所に向かわせるなど、はっきり言って前代未聞である。2人までなら部隊指揮の出来る真希と寿々花が出撃した前例が幾つもあるが、そこに夜見が加わる事は今まで無かった。

 

「結芽と京奈は?」

 

「あの2人は留守番です。燕さんは不必要な血を流しかねませんし、新田さんはどうやら過労で倒れる寸前らしいと、主任の方からストップが掛かっています」

 

「…………結芽は兎も角、京奈はそれほどか」

 

「無理もありませんわ。京奈はあの歳で、わたくし達に匹敵するほど働いていますもの。むしろなぜ気づけなかったのかしら」

 

 真希と寿々花は、反逆者騒動の影響で京奈にまで多くの仕事が舞い込んでいるのは知っていたが、それのせいで過労で倒れる寸前までだったとは知らなかった。

 2人は京奈が倒れなくて良かったと安堵する一方で、京奈にまで負担を掛けている反逆者騒動を一刻も早く終わらせなければならないと誓う。

 

「新田さんに関しては、それだけではありません」

 

「なに?」

 

「私の力を、新田さんに見られる訳にはいきませんから」

 

「……そうか。そうだったな」

 

 忘れていたが、京奈に夜見の能力の事は知らせていない。というか、京奈が知っている事の方が少ないだろう。

 京奈には教えていないし、そもそも教えてはいけないような事が折神家には山ほどあるのだ。夜見の能力もその一つである。

 

「ということは、どちらにせよ3人でのお仕事になっていたのでしょうね」

 

「そうだね。反逆者が居ると分かっているのに紫様のお側を親衛隊全員が離れる訳にもいかないし、やはり留守番をさせる事になっていたのかな」

 

 結芽と京奈という親衛隊内でも最高の組み合わせが残るのなら、防衛戦力としても不足はない。例え出撃中に折神家が襲われたとしても戻ってくる時間くらいは稼げるだろう。

 見せられない物を使うことを考えると、仮に京奈が健康であったとしても留守番になっていたに違いない。

 

「……雨が」

 

 ぽつりぽつりと地面を雨粒が濡らしはじめる。車を待たせている場所まではもうすぐだが、この調子で降ってくるとなると到着するまでにだいぶ濡れてしまうだろう。

 

「急ごう。作戦前に濡れねずみになるのは嫌だからね」

 

 そうして降り出した雨は次第に強く、激しさを増していった。

 

 この雨が完全に止んだのは日が完全に落ちきってからで、その頃には既に簡易拠点の準備は完了していた。

 

 真っ暗い夜だ。頼りになるのはぽつりぽつりと道なりに点在している電灯のみ。

 鬱蒼と生い茂る森は吸い込まれそうな暗黒を内に含みながら、そこに佇んでいる。

 

「雨、やっと止みましたわね」

 

「ああ」

 

 ここに到着してから数時間、この南伊豆の周辺を捜索している偵察隊からは衛藤可奈美及び十条姫和の姿を見ていないとの報告が届いていた。

 であるならば、あの2人はこの山の何処かに居る。

 

「さあ──」

 

 夜見は既に動き出している。そして夜見の飼う猟犬もまた、この山中を駆け巡っている。

 後は獲物が燻り出されるのを待ち、そして出てきたところを狩るだけだ。

 

「山狩りだ」

 



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伊豆の攻防②


調査隊の初登場という事で紹介を挟んでいます。テンポが悪くなっているかもしれませんが、ご了承下さい。



 

 山の中に1人で立っている夜見は、ゆったりとした足取りで森の木々をかき分けるように進んでいた。

 特に行き先は決めていないらしく、ただ獣道に従って歩いていく。

 

「……この辺りで」

 

 やがて止まったのは、夜見の何倍もの大きさのある岩が佇む開けた場所。空を見上げれば、段々と晴れつつある雲間から満月が夜見を見下ろしている。

 

「…………」

 

 夜見は御刀を抜き放った。そしてそのまま袖をまくって露出させた自分の左腕に刃を当てると、軽く傷をつける。既に夜見の左腕には幾つもの線が走っており、その自傷行為が初めてではない事を示していた。

 その傷跡からは、およそ人間のものとは思えぬ黒く澱んだ血が滲みだし、大地を汚す。

 

 直後、それを合図にしたかのように傷口から大量の()が飛び出してきた。

 

 それらは我先にと大空へ飛び出し、せっかく晴れつつあった夜空を再び黒く覆い尽くさんとするほどの数である。

 そうして飛び出した不定形の赤い目は、やがて小さな蛾に似た見た目に変質して方々へ散っていった。

 

「空には放った。次は陸……」

 

 それを見届けた夜見は左腕の傷口を地面の方に向けると、そこから多くの黒く澱んだ血が垂れ落ちていく。

 

 その黒い血は、垂れ落ちていく血の量が増えていくにつれてボコボコと泡立ちはじめた。最初は小さく、次第に大きくなっていった泡立ちが頂点に達した時、そこから這い出てくるもの達がある。

 

「■■■■……」

 

 それは、荒魂だった。夜見から垂れ落ちて大地を汚した血から荒魂が生まれたのだ。

 

「行きなさい、私の荒魂たち」

 

 最初はスライムのような、粘性を帯びた液体のようだった荒魂は、次第に獣のような外見となった。

 その荒魂たちは夜見の指示に従うように走り出し、木々の間から夜見を覗いている暗闇の中へと飛び込んでいった。

 

 

 ──元々、皐月夜見という存在は弱かった。

 

 刀使としての道を志したはいいものの、御刀には選ばれず、他に何か長所があるでもない。いくらでも替えの効く一山いくらの刀使未満の存在……。

 

 周囲の同級生が次々と御刀に選ばれていくのを、夜見はいつも見ているだけだった。

 不満が無かったといえば嘘になる。しかしそれ以上に、諦めの感情が先に来ていた。自分のような無力な存在が選ばれるはずもない、と。

 

 そうして生きながら死んでいるような日々を鎌府で暮らしていた時、高津学長に半ば強引に連れていかれた折神家の研究棟で夜見は力を得た。

 

 伍箇伝が様々な分野で研究活動をしているように、折神家でも研究は行われている。それがどれほどの力の入れようかは研究棟の大きさと設備を見れば納得がいくだろうが、幾つもの成果を出しているほどに凄まじい。

 そしてその研究には、折神紫が主導して進めた物も多くある。彼女が主に進める研究はノロに関するものばかりで、夜見はその中の一つに試験体として選ばれたのだ。

 

 ストームアーマーに代表されるように、荒魂を構築するノロは上手く使えば大きな力を発揮する。

 しかし、その扱いは難しい。ノロを多くしすぎると荒魂となってしまうが、逆に少なすぎると十分な力を発揮しないのだ。

 

 そこのラインを見極めるため。そしてノロが人体に与える影響を調査するためという名目で、夜見を含めた4人の試験体にノロが注入された。

 

 言うまでもなく、これは国際法に違反する違法行為である。

 そもそも人体実験が許される筈もない上に、世界中で危険物と認識されているノロを人間に注入するという非道な行為がバレてしまえば処分は免れない。

 

 それを承知で何故こんな実験を行ったのか、夜見には紫の意図など分からない。どうして無力な存在である自分が選ばれたのかも……けど、分からないままで良いと思っていた。

 紫の考えなど元から誰も理解できないし、どれほど汚れていようと力は力。無力な存在だった自分がこれほどまでに強くなれたという事実だけが、夜見にとって重要なものだった。

 

 力を与えられる機会をくれたあの方への恩と、物凄い笑顔でノロをぶち込んできた主任の姿は、きっと一生忘れることはないだろう。

 

「あの御方の御為に」

 

 

 

「何故、これほどまでに荒魂が多い……?」

 

 同時刻、南伊豆を進んでいる一行がいた。

 

 その一行は全員が御刀を帯刀している事から、彼女達が刀使である事。そして着ている制服がバラバラで統一性が無いという二つの情報が外見から分かるだろう。

 

 彼女達は赤羽刀を調査・回収するために、各校から集められた刀使で結成された調査隊という部隊である。

 長船が主導して御前試合の後に結成されたこの特務部隊は、赤羽刀のためなら広範囲を自由に移動できる特権を持っていた。

 

 そんな調査隊が何故こんな場所にいるのかというと、それは勿論赤羽刀が関係している。

 この南伊豆の山を抜けた先にある海岸で、赤羽刀の束が揚がったという話が齎されたのだ。

 

「なんだか、山に近づくにつれて荒魂の数と遭遇の頻度が増えてきてないかしら」

 

 調査隊の一員である長船女学院の瀬戸内(せとうち) 智恵(ちえ)は、昼間から続く荒魂との遭遇に疲れ果てながらそう言う。

 見た感じはまだ余裕そうだが、その表情には隠しきれないほどの疲れが滲んでいた。

 

「はあ……はあ……」

 

「六角さん大丈夫?」

 

「だ、大丈夫です。まだいけます……」

 

「だといいけど……無理そうなら言ってね」

 

 疲労が限界に到達しそうなのか、肩で息をしながらよたよたと歩く平城学館の六角(むすみ) 清香(きよか)を労りながら、美濃関の安桜(あさくら) 美炎は自分の足がふらつかないように必死に抑えていた。

 

 その様子を見た調査隊のリーダーである綾小路武芸学舎の木寅(きとら) ミルヤは、自分の内側にも溜まっている疲労というものと向き合いながら思考を回転させる。

 

(六角清香と安桜美炎は限界か……いや、2人だけでなく瀬戸内智恵や私もそろそろ危険域に入る。この辺りで休息が取れれば良いのですが……)

 

 昼間から断続的に荒魂との戦闘を繰り広げてきた調査隊は、この南伊豆に至るまで大した休息を取っていない。最後に纏まった休息が取れたのは二時間近く前だっただろうか。

 休もうとする度に、どういう訳か荒魂と遭遇してしまうのだ。それに加えてミルヤの中にある焦りのようなものが、自然と足を早めているのである。

 

(他に取られる訳にはいかない)

 

 この調査隊という特務部隊に各校から最低1人ずつ刀使が参加している事からも分かるだろうが、この調査隊は伍箇伝全ての思惑や利害が一致して結成されたものである。

 無論、方針の違う各校がいきなり仲良く手を取り合うなんて事もなく、裏には大人のドロドロとした事情が大いに絡んでいた。

 

 分かっている美濃関と長船だけでも、いま刀使達の間で噂になっている反逆者を逃がしただけでなく親衛隊に刃を向けたという罪を帳消しにするためという、特大級の厄ネタを抱えているし、平城と鎌府の思惑は分かりかねるものの、少なくとも何かしらの考えがあっての事だろう。特に鎌府の高津学長は、何も考えずに行動を起こしたりはしないはずだ。

 

 では綾小路はどうか。これももちろん、参加したのには学長に考えがあるからだ。

 そしてそれが、現場指揮官として優秀なミルヤをわざわざ派遣させた理由でもある。

 

(南无薬師景光……学長が追い求める御刀が、そこにあれば良いのですがね)

 

 調査隊に派遣するだけなら、何もミルヤである必要はない。それこそミルヤでなくとも任せられるような人材は多くいた。

 ではなぜミルヤが送り込まれたのかというと、彼女が一番任務を遂行する可能性が高かったからである。

 

 その任務とは、とある赤羽刀を綾小路に持ち帰ること。その赤羽刀の銘は南无薬師瑠璃光如来 備前国長船住景光という。

 銘以外の情報は無い。そもそも南无薬師景光は江戸時代の早期から行方不明になっていて、失われた一振りとさえ言われているのだ。そもそも存在しているのかどうかすらも疑わしかった。

 

 仮に存在していたとしても、山ほどある赤羽刀から特定の一振りを見つける作業は、砂漠で砂金を見つけるような行為に等しいと言える。何処にあるのかも分からない一振りを見つけ出すのは、難しいなんて言葉では片付けられないだろう。

 

 だがやらなければならない。それが己に課せられた責務だからだ。

 

(最悪、南无薬師景光の写しだけでも持ち帰らなければ……)

 

「なあオイ、あんまり遅いと置いてっちまうぞ?」

 

 疲労困憊な調査隊メンバーの中で1人だけ、やけにうきうきなのがいる。彼女は鎌府女学院から派遣された七之里(しちのさと) 呼吹(こふき)。鎌府が……というか、高津学長が(沙耶香ほどではないにしろ)自信を持って送り出した刀使である。

 高津学長の教育の賜物なのか、荒魂と"遊ぶ"ことができれば後はどうでもいい。と常日頃から公言している呼吹にとって、今の状況はまさに望んだシチュエーションだった。

 

「ちょっと待って七之里さん。他のみんなは限界が近いわ」

 

「だったらのんびりしてろよ。そうすりゃ、アタシは荒魂ちゃんを独り占めできるしな」

 

「七之里さん!」

 

「七之里呼吹、スタンドプレーは許しません。特に今は、1人が勝手な行動をするだけで全滅しかねない」

 

 昼間から荒魂との遭遇戦を繰り返していた調査隊は、呼吹を除いたメンバーに相当な疲労が溜まっている。荒魂と戦う毎に肌にツヤが出てくる呼吹はさておくとしても、残りのメンバーにはそろそろ休息が必要だった。

 

「美炎ちゃん達も限界みたいだし、そろそろ休みたいけど……」

 

「休める場所が、この山の近くにあるかどうか分かりませんね。最悪の場合は街まで引き返す事を検討しなければ」

 

「アタシはどうでも良いぜ。荒魂ちゃんと遊べればな」

 

「呼吹さんはブレないなぁ」

 

 美炎は感心したような顔でそう言いながらも、聞こえないようにボソッと「私、今日はもう荒魂見たくないけど……」と付け足す。隣で聞いていた清香もまた、それに同意するように頷いた。

 

「決めるのなら早くしないといけないわね。いい加減に進んでから引き返すってなったら、負担が凄まじいもの」

 

「そうですね……っ!?」

 

 ミルヤの耳が、山の方から葉っぱがガサガサと動く音を捉える。条件反射気味に御刀を抜き放つと同時、獣のような見た目をした荒魂が飛び出してきた。

 

「おおっ!やっと来やがったな荒魂ちゃん!」

 

「まずはこの荒魂たちを一掃します!総員戦闘準備!」

 

 ミルヤが号令をかける前から突撃している呼吹の後を追いかけるようにしながら、調査隊は荒魂との戦闘を開始した。

 

 

 

 先程から何度か放ち、山中を埋め尽くすように布陣した多数の荒魂は、休むことなく獲物を探して蠢いている。

 それらが得た情報は夜見に伝わり、そこから真希や寿々花に伝達するような形式を採っていた。

 

 荒魂には人間を探して襲う性質がある。その特性を利用してやれば、この広い山の中に隠れている人間のみを狙い撃ちにする事が可能なのだ。

 もちろん所詮は荒魂なので、人間であれば味方だろうと問答無用で襲いかかる。しかし機動隊も動かしていないし、近隣に刀使が居ない事は確認済み。だから荒魂が反応を返せば、そこに探していた者がいるのであった。

 

「……かかった」

 

 その荒魂が獲物の存在を感知した。夜見はその座標を知らせようと刀剣類管理局支給のスマートフォンをポケットから取り出し、連絡をしようとして……様子がおかしい事に気づく。

 

「……どういうこと?座標が……」

 

 一つなら、そこに居ると特定できる。二つなら、二手に分かれたか救援に来た誰かが居るのだろうと推測できた。

 しかし、三つや四つとなると話は変わってくる。座標が分散しているという事は、それだけ正解率が低くなるという事だからだ。

 

 そしてそれは、夜見の使う能力に対する最も有効な対抗策であった。荒魂が検知するのは人間であるか、刀使であるかという反応のみで、それ以外の──例えば容姿などの詳細情報に関しては伝わらない欠点があったからだ。

 なのでどれが当たりか分からない。反応のあった場所の何処かに反逆者の2人がいるかもしれないし、もしかすると、反応の全てが2人の救援に来た誰かが囮となった可能性も捨てきれない。

 まだ可能性の話であるが、反逆者2人のバックに着いているであろう組織の規模を考えると、そう笑い飛ばせる話でもないのである。

 

(撹乱されている……まさか、私の能力がバレた?)

 

 いや、そんなはずはない。折神家の情報隠蔽に不手際があったとは思えないし、自分も滅多な事では能力を使うことは無いから以前に見られたという可能性も低いはず。

 単なる偶然という可能性が1番高いが……

 

(……念のため、お2人に伝えておきましょうか)

 

 向こうに能力が露呈している可能性がある。その可能性を考慮して動かねばならない。

 それを伝えられた真希の声には険しさが滲んでいた。

 

《……分かった、その可能性は頭に入れておこう。そっちも気をつけてくれ》

 

「ええ。了解しました」

 

 通話を切ろうとした夜見は、真希の《ああ、そうだ》という声に手を止める。

 夜見が待っていると、真希は平時のような優しさを込めた口調で言った。

 

《なるべく怪我なく帰ろう。京奈を不安にさせたくはないからね》

 

「……そうですね」

 

 新田京奈。やけに自分に懐いてきた親衛隊第五席にして、未来の英雄という肩書きを持つ紫の後継者筆頭。

 彼女には最初から才能の鉱脈があった。それを発掘していった彼女は、なるべくして親衛隊になった天才に分類されるであろう刀使だろう。そういう意味では、夜見とは違うと言えるのだが──

 

(算数は苦手でしたね)

 

 だが、その正体は何処にでも居そうな普通の少女である。勉強に苦手意識を持ち、分からない問題には頭を悩ませる。そして好きな物を食べたり友人と出掛ければ笑顔になる。

 そんな、ごく一般的な少女でしかないのだ。そういう普通の一面を知っているから、夜見は負の感情を抱かずにいられるのだろう。

 

 隠すこともなく欠点をさらけ出し、人を殆ど疑わないという純真さも持つ。その不安になるまでの無防備さが、人を惹きつけているのかもしれなかった。

 

《そうだ。反逆者達を捕らえたら、5人で遊びに行かないか?》

 

「5人で……遊びに?」

 

《ああ。……京奈も結芽も、まだ外の世界の事を良く知らないだろう?だからさ、色んな場所に連れて行って楽しませてやりたいと前から思っていたんだ》

 

《まあ真希さんったら、そんな面白そうな事を黙って考えていましたの?》

 

 寿々花の声も聞こえ始めた。声は遠いが、その声に乗っている感情は分かる。

 

「意外でした。任務中の獅童さんの口から遊びに行くなんて言葉が出るなんて」

 

《……そうだね、僕も自分に驚いているよ。まさか任務中に、こんな浮ついた話をするなんて》

 

《それだけ気にかけているという事でしょう。まあ、肩の力を抜くという意味でも、丁度いいではありませんの》

 

 なるほど、悪くない。夜見は誰も見ていないのに頷き、しかし会話を終わらせるために現実という針を放った。

 

「全て、この騒動を終わらせてからになりますけど」

 

《それはそうだ。だからその為にも、早く終わらせよう》

 

「ええ。……追加を出します、これから伝える場所に向かってください」

 

《了解だ》

 

 夜見は御刀を左腕に当てて、また荒魂を生み出した。

 




調査隊についてもっと詳しい事を知りたい方はぜひアプリ版をプレイしましょう。なんとメインストーリーはフルボイスですってよ。


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伊豆の攻防③


仕事がやっと落ち着いてきたのでリハビリついでの初投稿です。なぜこんなに掛かったんだ……。



 

「……調査隊、君たちはここで何をしているんだ?」

 

 指定された座標に向かった真希は、そこにいた刀使達を見て呆れ気味に言葉を放った。

 

 見たところ5人のうち4人が疲労困憊という有様で、頭や服に木の葉が付着していたりしている。どう見たって山の中を強行突破してきたとしか思えない状態だったし、夜見の報告からして事実そうしてきたのだろう。

 まさか、調査隊というのは隠れ蓑で、実は彼女たちは衛藤可奈美や十条姫和を助けるべく派遣された刀使なのか?と真希は訝しんだ。

 

「我々はこの先に赤羽刀の束が揚がったという話を聞いたので、その調査に向かっているところです」

 

「そうか……それにしても、随分とボロボロみたいだね。どうしてそんなにまでなったんだい?」

 

 そんな疑いを掛けられている事など知る由もないミルヤは、メガネの奥に知性的な光を湛えながら答えた。真希はその答えに一旦納得したように頷きながらも、次にその様子について言及する。

 そこを突かれたミルヤは「お恥ずかしながら」と前置いてから、また話し始めた。

 

「少しスケジュールの調整に失敗してしまいまして、勢い余って夜にまで移動がもつれ込んでしまったのです。この辺りの地理には明るくないですし、もう街まで引き返すべきだと話していたのですが……」

 

「なるほど、事情は分かった。でもここは中途半端な場所だ。街へ戻るにも、次の街へ行くにも、同じくらい時間がかかる」

 

「そうですか……」

 

 知らないうちに、そこまで進んでしまっていたかとミルヤは地形を把握していなかった不手際に唇を噛む。

 今の部隊員達の状況では行くにも退くにもリスクが伴う。目的ばかりに気を取られ、部隊の損耗に気を配れなかった自分に苛立ちを向けた。

 

 真希はミルヤと、その後ろで今にも倒れそうな刀使達に目を向ける。情報通り5人の刀使から成り、伍箇伝から1人ずつ出されて作られた即席の特務隊。

 その中には、御前試合で逃げ出した衛藤可奈美と十条姫和を追った時に、まるで逃亡を手助けするかのように立ちふさがってきた2人も入っていた。

 

(安桜美炎と瀬戸内智恵……君たちを有する調査隊が、このタイミングで此処を訪れたというのは、本当に偶然なのか?)

 

 実のところ、赤羽刀が揚がったという報告は少し前に真希の耳にも入っていた。そしてここを調査隊が通るらしいということも、綾小路の学長からの事前連絡によって知っていた。

 それでも知らぬフリをして聞いたのは、彼女達の口から出た言葉が真実かどうかを見極めたかったからだ。嘘をついている素振りがあるならばこの場で切り捨てればいいし、本当ならばそれでいい。

 今大事なのは彼女達が敵を庇っているかどうかであり、それ以外は真希にとってどうでもよかったのだ。

 

 そして真希にとって、衛藤可奈美と十条姫和を逃がす手伝いをした安桜美炎と瀬戸内智恵の居る調査隊という存在は、限りなく黒に近いグレーという位置にある。

 もし事前連絡が無ければ、そして少しでも不審な動きを見せようものなら、何の迷いもなく御刀を抜き放って全員を切り捨てようとするくらいには疑いの目を向けていた。

 

「動かせる車に余裕があったなら、君達を送り届けてあげても良かったんだけど……申し訳ないが、動かせる車は無いんだ。今はね」

 

「……なにかの作戦中なのですね?」

 

「そんなところかな」

 

 真希のピリピリした空気はそういう事だったのかとミルヤは納得する。しかも真希が自ら前線に出るなんて、よほど大事な作戦なのだろう。

 真希がピリピリしているのは調査隊の影響が大いにあり、しかも自分達が疑われている事など全く想像もしていないミルヤは、期せずして邪魔をしてしまったと申し訳なさを抱いた。

 

「……申し訳ありません。どうやら作戦の邪魔をしてしまったようで」

 

「気にしなくていい。事前連絡はあったからね。無かったら切りかかっていたかもしれないが」

 

 真希は怒るでもなく、しかし調査隊にとって恐ろしい事をしれっと言い放ちながら背を向ける。そして歩き出しながらミルヤ達に言った。

 

「着いてこい。休む場所くらいなら提供できる」

 

「……え?」

 

「君たちの面倒を見る義理は無いんだけど、ここで倒れられても寝覚めが悪い。即席の拠点だから居心地は保証しないが、無いよりはマシだと諦めてもらいたいな」

 

「……あ、感謝します」

 

 どうやら真希は自分達を助けてくれるようだ。疲れた頭でそれを理解したミルヤは、言葉を理解するのに一瞬時間をかけた後、真希に頭を下げた。

 後ろでハラハラしながら事の成り行きを見守っていた美炎と智恵や清香も、遅れて頭を下げる。呼吹だけはそっぽを向いていたが、それに気付いた智恵が手で無理やり頭を下げさせていた。

 

 その直後、ミルヤのお腹から盛大に音がする。それを皮切りにして、背後のメンバーからも次々と。

 年頃の乙女から出すような音ではない。そんな間の抜けた腹の虫に、真希は僅かに毒気を抜かれながら言った。

 

「……食事の手配もしておこう。コンビニ弁当になるが、いいね?」

 

「…………本当にありがとうございます。この恩は何時か必ず返します」

 

「期待しないで待っておくよ」

 

 安心した途端に訪れた空腹に顔を赤くしながら、ミルヤは再び頭を下げた。

 

 

「……それで、あそこに調査隊を押し込んだわけですのね」

 

 寿々花はテントの方を見ながら言った。その表情はどこか不満げだ。

 

「ダメだったかな?」

 

「ダメとは言いませんわ。ただ、あそこには安桜美炎と瀬戸内智恵も居たはずでしょう?

 御前試合の時わたくし達の前に立ち塞がり、体を張って今追っている獲物を逃がした刀使を有する部隊を、よりによって今近場に置いておくのはどうかと思っただけですわ」

 

「……遠まわしにダメだと言われてるんだろうね、これ」

 

 しかし、受け入れてしまったものは仕方ない。今更前言を翻して追い出すわけにもいかないし、よほど疲れていたのか、食事を取った後すぐに寝息をたてた彼女達を起こすのも気が引けた。

 

 それに今後のことを考えると、赤羽刀に限ってだが自由に動ける部隊と繋がりを作っておくのは悪い事ではない。

 

 以前、親衛隊総出で街に繰り出した時に京奈が引き起こした現象にも赤羽刀が関わっている。その現象は未だ解明されておらず、手がかりも殆どないというのが現状だ。

 折神家は技術面で伍箇伝より進んでいて、その点では力を借りる必要はない。しかし、別の視点から見ると何か分かるかもしれない。その別の視点を得るためにも、ここで"貸し"を作っておくのは悪くはないだろう。

 

 そう考えて、寿々花は自分を納得させる事にした。不本意であるが……本当に不本意であるが。

 

「まあ、過ぎた事は良いですわ。もう気にしても仕方ありませんし……邪魔をされなければ何でも構いませんしね」

 

「そう言ってくれると助かる……それで、獲物は見つかったか?」

 

「見つかりましたわよ。どうやら調査隊以外にもネズミが入り込んでいたらしく、今は夜見が分断と誘導をしているところですわ」

 

 その報告を聞いた真希の眼光が鋭くなる。御前試合のあの日から、どんな手段を使って今まで逃げ延びていたのかは知らない。知る気もない。

 必要なのは今まで逃げられていたという屈辱的な事実と、とうとう追い詰めたという現実だけ。

 

 その背後にいるであろう組織の事は、捕まえてからゆっくりと聞き出せばいい。今はとにかく捕まえる事だけを考える。

 

「あまり抵抗するのなら、腕の一本は覚悟してもらわないといけないな」

 

「切り落とすと仰いますの?」

 

「荒魂との争いで腕を食いちぎられた刀使もいる。不幸にもそんな目に遭ってしまう可能性を、一応示唆しているだけさ」

 

 そう言う真希の目は、全くといっていいほど笑っていなかった。

 

 

 

 ────壁があった。

 

 何の変哲もない壁だ。材質は岩石。丁寧に積まれた岩石で造られたそれは、まるで何処かの城の石垣のようである。手で触れてみても、変わったところは感じられない。

 それが遥か向こうの地平線まで広がっていた。これは一体何処まで伸びているのか……。

 

 古来から鎌倉に居を構える折神家に出入りしているからか、石垣というものに物珍しさは感じない。長さという一点を除けば、それは折神家で良く見られる物だからだ。

 

「…………」

 

 と、そこで"あれ?"と疑問が浮かんだ。

 

 そもそも、ここは何処だ?

 自分は確か、衛藤可奈美と十条姫和の両名が隠れていたマンションに奇襲し、呆気なく返り討ちにあって謹慎処分を喰らった筈だが……と。

 

 そう考えていると、目の前の壁に変化が訪れる。

 

 ズズズと引きずるような音を立てながら壁が動き始めたのだ。

 しかもそれはゆっくりと、しかし確実に此方に近付いて来ているようだった。

 

「ーーっ!」

 

 逃げなければ、と咄嗟に判断する。その手に御刀は無かったから自分の純粋な身体能力だけで逃げ伸びなければならないが、幸いにして壁の動きは遅い。

 これなら簡単に──なんて、そう思ったのがいけないのだろうか。次の瞬間には壁の速度が一気に上がった。

 

ひっ……

 

 恐怖が息から漏れる。異様な圧力を伴った壁が自らを押しつぶそうと迫ってくる様子は、まだ幼い彼女の心を軋ませていた。

 

 その光景は、彼女の心に暗い影を落とす事となった出来事の時と変わらず圧倒的な圧力を持っている。

 

 逃げなければ。逃げなければ!逃げなければ!!

 

 ただただ走る。背後から迫る壁から逃れるために、息を切らしても走る。

 その鬼気迫る様子は、たとえ足が千切れようとも壁から逃げるという一種の狂気じみた覚悟が感じられた。

 

「ぁ……」

 

 だが、そんな逃走も長くは続かない。やがて訪れた行き止まりは、彼女に絶望を突きつける。

 

 足掻くな。運命を受け入れろ。

 

 そんな声なき声が聞こえてくる。

 天に向かって突き上げるような、なんで今まで気づけなかったのかが不思議なくらい高い壁が行く手を阻む。

 

 あの時と一緒だ、逃げた先が行き止まり。あの時と一緒だ、自分の力では、どうしようも出来ない。あの時と一緒だ、自分の心から湧き上がってくる恐怖の大きさも。

 だから、この後に何が起こるのかも、きっとあの時と同じ……

 

「いやっ!!」

 

 彼女──もとい沙耶香が意識を取り戻して最初に聞いたのは、凄まじい恐怖が込められた自分の声だった。

 

 怯えながら辺りを見渡せば、そこは見慣れない部屋。混乱している沙耶香には、そこが何やら牢獄のように感じられた。

 

「はぁーーっ……はあーーっ……!」

 

 自分は何をやっていた?

 強制覚醒したせいか頭痛の走る頭で周囲を把握しようとする。それから、自分が居眠りをしてしまっていたのだと気付くのに、それほどの時間は必要としなかった。

 

 呼吸を整えながら居眠りをするまでの自分の行動を振り返り、そこでようやく見慣れない部屋が謹慎部屋である事を思い出す。

 本来の沙耶香なら謹慎中である事を忘れないし、そもそも居眠りすらしないのだが、それをしてしまうという事実だけでも現在の沙耶香がどれほど不調なのかが分かるだろう。

 

 気持ちが僅かながら落ち着いてくると、沙耶香は自分の身体が震えているのが分かった。その理由が、冷房が効いている、というような何てことない理由ではない事など自分自身が一番良く分かっている。

 ほんの少し前に刻まれたトラウマは、時々こうして沙耶香に牙をむいていたからだ。

 

 刀使としても、人としても、色々なものを叩き壊されたあの日から、沙耶香の絶不調は続いていた。

 挫折を知らなかった、高すぎる壁を知らなかった沙耶香にとって、たった一度の敗戦は心に深い傷をつけたのだ。

 

 たかが一回の敗北で、と思うだろう。実際、鎌府内で沙耶香を知っている者は、一回負けた程度でこうなるなんてとバカにしている事が多い。

 だが相対した沙耶香から言わせれば、そいつらは何も分かっていない。尤も、そいつらは外から京奈の力を知っていても、実際に相対した事は無いのだから無理もないが。

 

 敵として向き合い、立ち合って初めて理解()かる絶望や、今までの自信を全て打ち壊す無慈悲な防御力。それを並の精神力の刀使が体験してしまったならば、ほぼ間違いなく御刀の返納という選択を取らせてしまうだろう。

 人が最低限持っている、人を人たらしめるプライドというものまで、あの幼い天才はへし折ってしまうのだ。

 

 期せずして、そんな京奈の犠牲者となってしまった沙耶香は、今、非常に弱かった。可奈美と姫和が逃げ込んだマンションに無念無想を用いて奇襲を仕掛けたにも関わらず、手負いの姫和にすら劣勢になってしまう程度、と言えば伝わるだろうか。

 

 これまで感情が希薄だった沙耶香にとって、初めて強く意識する……せざるを得なかった"恐怖"というもの。それは劇毒のように素早く沙耶香の心に回り、手遅れなほど"恐れ"を染み込ませた。

 

 任務遂行率50%

 

 その数字が、現在の沙耶香の状態を端的に表している。

 

 京奈との一戦以前は100%を誇っていた任務達成率と、鎌府を背負う天才刀使の面影は、今となっては見る影もない。

 ここに居るのは何処までも弱く、何かに怯える年相応の女の子だった。

 

「…………」

 

 不意に沙耶香の腹が鳴った。ここに入れられてから何時間が経過したのかは分からないが、少なくとも夕食時は過ぎているに違いない。

 

 空きっ腹を抱えながらも、これが罰なのだから仕方ないと諦めて動かずにいると、部屋に近づいている足音が聞こえた。

 

「……?」

 

 はて、誰だろうと考える。一番可能性が高いのは高津学長だが、それにしては足音が静かすぎる気がする。彼女はもっと荒々しく音を鳴らすはずだ。

 

 偶然部屋の前を通り過ぎる人とは考えなかった。この建物の中でも端っこに位置する部屋なのだから、ここに用がなければ廊下を通る事は基本的にない。

 そしてその予想通り、扉の前で何か話しているような声がした後、扉が開いた。

 

「あの……ちょっとお話、いいですか?」

 

 そこに居たのは、沙耶香にとっては全く面識の無い筈の他校の生徒。それはやってきた客人も同じはずなのに、あまり気負っていない感じでクッキーを携えてやってきていた。



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伊豆の攻防④/舞草①

 

「そっか、可奈美ちゃんは無事なんだ……良かった」

 

 テーブルを挟んで沙耶香と向かい合う位置で、心底安心したように来客──舞衣は言った。

 

 聞けば、沙耶香を訪ねてきた彼女は、沙耶香が逃がした2人の内の片割れである可奈美の安否を確かめるためだけに来たのだという。

 そのためだけに他校の生徒と、しかも謹慎中の身と接触するなんて些か度が過ぎていると沙耶香は思ったが、それを口には出さなかった。

 

「……あっ!ごめんね、目の前で失敗した仕事の話されたら嫌だよね」

 

「気にしない。負けたのは事実」

 

 不調だったと言い訳をする事は出来る。万全であったならと負け惜しみも言える。

 だが、たとえ万全であったとしても手負いの姫和はともかく可奈美には勝てなかっただろうなと沙耶香は思っていた。

 京奈の時とはまた違う、純粋な技量で追い詰められて負けるべくして負けたという思いが強いからなのだろうか。

 

「……強かった?可奈美ちゃん」

 

 舞衣は躊躇いがちに、しかしすぐ次の話題を振った。短い間だが、こちらから質問をしないと会話にならない事を舞衣は学習していたからだ。

 

「うん。かなり」

 

「そっか。じゃあ、えっと」

 

「…………?」

 

 そこで舞衣は一旦口を閉ざした。そして何かを気にするように沙耶香を何度も見て、時間がそれほど余っていない事を思い出したのか、やがて決心したように沙耶香に質問を投げかけた。

 

「新田さんとだったら、どっちが強かった、かな……?」

 

「…………それは」

 

 分からない。京奈と可奈美とでは状況が違うし、自分のコンディションも天と地ほどの差がある。

 だからどっちが強いのかなんて、沙耶香に分かるわけもなかった。ただ一つだけ言えるのは

 

「どっちも強い。私なんかより、ずっと」

 

 自分がまだ立てない領域に、あの2人が既に立っているという事だけだった。

 

 

「へくしゅんっ」

 

 そんな会話がされている夜空の下、雨宿りのために逃げ込んだ廃屋から、雨の上がった外へと出た可奈美がくしゃみを一つした。

 

「うぅ……風邪ひいたかな?」

 

「私に伝染(うつ)すなよ。折神紫を討つ前に風邪で倒れるのは御免だからな」

 

 季節は夏に近づいているものの、雨上がりで夜ともなれば肌寒さを感じてしまうほどだ。風邪をひいてしまう可能性も無いとは言えなかった。

 雨上がり特有の匂いを鼻で感じながら、姫和は油断なく周囲に鋭い目線を走らせていく。追手の姿は見えないが、撒いたとは思っていない。折神家は、そして親衛隊は、絶対に姫和と可奈美を逃がさないという確信があった。

 

「……居ないな」

 

「このまま石廊崎まで、何事も無く辿り着ければ良いんだけど……」

 

「それは有り得ない。機動隊や鎌府の刀使を使ってまで追いかけてくる奴らが、このまま私たちを逃がしてくれるとは考えられん」

 

 折神家から逃げ出した当初は宛もなく逃げ回っていた2人だが、今は途中で匿ってくれた恩田(おんだ) (るい)という女性から紹介された"ファインマン"と名乗る謎の人物に指定された目的地の石廊崎へと向かっていた。

『たった2人の謀反者達』という呼称で姫和と可奈美を呼んだファインマンは明らかに2人の目的を知っているようであり、立ち向かう覚悟は良いか?と聞いてきたのだ。

 何にとは言っていないが、立ち向かうという単語を使う時点で、どのような存在に刃を向けているのかは知っているのだろう。

 

「さて、鬼が出るか。それとも蛇が出るか」

 

「もうっ。姫和ちゃんったら、まだファインマンさんのこと信じてないんだ」

 

「当たり前だろう。あのアバターを使っている人間が、私たちの味方であるという保証はどこにもない。むしろ、敵の罠という可能性の方が高いと私は思っている」

 

 可奈美の言う通り、姫和はファインマンという謎の存在を殆ど信用していなかった。

 だが、それも当然の反応というものだ。突然現れたくせに、こちらの事情を一方的に知っている相手を警戒しなくて、一体誰を警戒するというのだろう。

 

「ならなんで石廊崎に向かってるの?」

 

「もし敵なら斬り伏せる必要があるからだ」

 

 姫和は己の懐に大切に仕舞ってある手紙に意識を向けた。姫和が単独で折神紫に無謀な奇襲を仕掛けた理由の全てが、そこには記されている。

 この手紙は誰にも見せたことは無い。にも関わらずその存在を知られているという事実は、姫和に若干の恐怖を与えていた。

 

(これも折神紫の策略の内か?しかし、そうなら手紙を残しておく理由は無い。不都合な事実しか書かれていない手紙を、どうして処分しないんだ?)

 

 相手の考えが読めない。考えれば考えるほど沼に落ちていくような錯覚を姫和は抱いていた。

 

「──ッ!?」

 

 そして、そんな風に思考に埋没していたからだろう。肌でヒリつくものを感じた時の反応が一瞬遅れてしまったのだ。

 

 空に浮かぶ黒雲が月の光を隠し、周囲一帯を薄闇で包み込むと同時、一本の木が不自然に動いた。

 

「くっ?!」

 

 ただならぬものを感じた姫和が姿勢を崩すのも構わず咄嗟に横っ跳びをすると、姫和が立っていた場所に何者かが飛び降りて来た。

 細かく砕けた石が姫和の柔らかい肌にかすり傷を付けて消えていく。

 

「姫和ちゃん!」

 

「やはり来たか……何者だ!!」

 

 2人が御刀を抜いて写シを纏うと、まるで狙ったかのように黒雲が流れていき、月明かりが再び道路と襲撃者の正体を照らす。

 

「ありゃあ、思ったより反応が良いですネー」

 

 クモの巣状に広がった亀裂の真ん中に立っていたのはエレンだった。

 周辺に生い茂っている木のうち、特に枝が太い一本から空中に跳び上がり、勢いをつけた飛び蹴りをぶちかましてきたのだろう。

 その証拠に、片足がコンクリートをブチ抜いて道路に突き刺さっていた。

 

「それとも、今のは私の油断を誘うための演技だったとかデスかね?」

 

「お前は……!」

 

「御前試合で姫和ちゃんと戦ってた人!」

 

 写シを既に貼っているエレンは、余裕綽々という様子で飛び蹴りに使った片足を引き抜いた。パラパラと細かい破片と共に月明かりに晒された片足は、当然のように傷一つついていない。

 

「まっ、良いデショウ。今のが偶然か、それとも必然だったかは……」

 

 エレンから漏れ出る闘志が一気に増大する。2人が改めて気を引き締めるのとほぼ同じタイミングで、エレンが迅移を用いて距離を詰めた。

 

「すぐに分かる事デスからねッ!!」

 

「くっ!」

 

 まず狙われたのは姫和。地面と水平に刃を倒した横薙ぎを、迅移で一歩後ろに下がる事で回避する。

 

「やらせないよ!」

 

 下がった姫和と代わるように可奈美が飛び出し、薙ぎ終わって無防備な姿勢を晒しているエレンに斬りかかった。

 

「よっ、と!」

 

 が、エレンとて自分がどのような姿勢なのかは分かっている。だから横薙ぎの勢いに身を任せ、右足を軸にくるりと回った。

 背中を僅かに掠める程度に攻撃を外された可奈美が次に見たのは、顔めがけて飛んでくるハイキックだ。

 

「…………!」

 

「そこだ!」

 

 それをしゃがんで避けると、今度は姫和が接近して突きを放つ。足を振り抜いたエレンは、伸ばしきった足を曲げながら御刀の柄で突きを受けた。

 凄まじい難易度の技を軽々と成功させたエレンに姫和は心の内で舌打ちを一つすると、手首を動かして角度を変え、絶妙なバランスで拮抗している柄と刃のつり合いを崩しにかかる。

 

 それに気付いたエレンは、自分から後方に迅移を使う事で読み合いを拒否。いきなり同じ力で拮抗する物の片方が消えた事で、姫和が僅かにつんのめった。

 

(この2人……)

 

「見えたっ!そこ!」

 

 そのまま仕切り直しといきたいところだが、下がったところで今度は可奈美が接近。僅かながらも両足が宙に浮いている瞬間を狙い撃ちされたエレンは避ける事が叶わず、圧倒的に不利な鍔迫り合いに持ち込まれた。

 

(思っていたよりずっと連携が上手い。これが本当に即席デスか?)

 

 刀使において鍔迫り合いとは、基本的に八幡力の出力の強さが物を言う。だから互いの出力が完全に互角なら、体格差があっても不自然なくらい動きのない鍔迫り合いを行う事も出来たりする。

 そうして押しも押されもしない互角の鍔迫り合いを演じながら、エレンは目の前の小さな謀反者を見つめた。

 

 衛藤可奈美。

 エレンが所属している組織が過去を洗ってみても十条姫和との接点はまるで無い。にも関わらず、どういう理由か共に行動している謎の存在。

 何が目的で、どうして姫和を助けたのか。それは折神家を敵に回すだけの理由なのか。

 

 まさか『姫和とのタイマンの決着をつけたいから』なんて理由であるとは想像もつかないエレンは、可奈美の真意を計り兼ねていた。

 

(……今はそれどころじゃないって分かってるけど、もっとこの人と立ち合いたい)

 

 一方の可奈美は、僅かな間とはいえエレンと立ち合った事で、"相手の剣術をもっと楽しみたいがために手を抜いてまで戦闘を長引かせる"という悪癖が出かかっていた。

 今は何とか抑え込めているが、このまま続けてしまうと使命そっちのけで楽しんでしまいそうだ。

 

(う〜〜っ、こんな時じゃなかったら思いっきり楽しめたのに)

 

「行くぞ可奈美!」

 

 それを自分で危惧していたからこそ、普段ならば水をさすような姫和の言葉がとても嬉しく思えた。

 鍔迫り合いの横から襲うカタチで姫和が追撃の一手を繰り出す。可奈美から見て右──すなわちエレンから見て左だ。

 

「おおっと、これは少々マズいですか……ネっ!」

 

「うわぁ!?」

 

 エレンが急に金剛身の出力を上げた事でバランスを崩された可奈美が突き飛ばされる。エレンはそれ見届けないで姫和の攻撃を受け流した。

 そうしたことで互いの顔が接近した瞬間、ほんの少しだが言葉を交わす余裕が出来た。

 

「邪魔をするなら再び斬り捨てる」

 

「御前試合のようにはいきませんヨ?」

 

 その言葉が呼び水となったのか、姫和とエレンが全く同じタイミングで迅移を使った。

 

 エレンの迅移は、直線の速度だけで言えばさほど速くない。それでも平均より上ではあるものの、万全とは言い難い姫和でも十分に対処可能なものではあった。

 

「そこっ!」

 

「はあっ!」

 

 姫和がエレンの動きを止めたところで、可奈美が左側面から斬りかかる。その動きに合わせて姫和も更に踏み込み、攻撃を当てる隙を作り出そうと動いた。

 出会って間も無い即席コンビとは到底思えぬ息の合ったコンビネーション。それにエレンは内心で舌を巻いていた。

 

「おおっと、そう来ますカ。なら──」

 

「っくう?!」

 

 振り下ろされた可奈美の御刀に合わせるようにして突き出されたのは、エレンの御刀ではなく単なる肘。すなわちエルボー。

 正気か?と思ったのも一瞬。次の瞬間にビリビリと、まるで硬い物を殴った時に受けるような手の痺れを感じた可奈美は、御刀の刃とぶつかった肘が金色に輝いていたのを見た。

 

 刀使の身体が金色に輝く現象など、可奈美は一つしか知らない。

 

「金剛身……!」

 

「Exactly!なーんて、言わなくても刀使なら分かりマスネ」

 

「ええい、やりづらい……!」

 

 可奈美も姫和もエレンに決定打を与えられていない。というのは、エレンの戦闘スタイルが原因である。

 エレンの流派はタイ捨流。これはひとつひとつの言葉にとらわれない自在の剣法を意味するもので、つまるところ既存の剣とは異なる剣術という事。

 

 その教えに従って成立しているエレンのバトルスタイルは、長い手足を用いた蹴る殴るという行為を含めた至近距離戦闘重視型。

 長い手足がそのまま武器となり、更にはエレン自身が金剛身の優秀な使い手という事もあって、近距離では長船でも屈指の堅さを誇っている。そういう意味では若干毛色は違うものの、方向性自体は京奈と同じ守備手(タンク)型の刀使だ。

 

 だが2人にはタンク役との経験がほとんど無く、更には可奈美と姫和が今まで相手にしてきたのは剣術重視の相手であり、体術も出来る相手との経験が不足していた事。

 以上の理由が合わさって、やりづらさを感じている理由の一つを作っていた。

 

 もう一つはエレンのスタンスである。

 

「やはり釣れないか……」

 

 姫和に思いっきり斬りかかっていたエレンは、距離を置かれた事で追撃の手を緩める。

 自分から積極的に攻める気はそれほど無いらしい。あくまで迎撃、あるいは守備力を生かせる状況でのみ戦う。

 清々しいまでにそれを徹底している様子に姫和は苦々しい表情を作った。

 

「あの人、自分の強みを理解してる。金剛身の特長も……厄介だけど」

 

「やるしかない。時間を掛ければ掛けるほど増援が来る可能性が高まるんだ」

 

 相手の有利な状況で戦うほどアホらしい事も無いが、時間に追われているのも事実。

 この場において、そもそもの前提条件からして姫和と可奈美は不利なのだ。

 

「行くぞ!」

 

「うん!」

 

 苛烈に攻めてエレンのスタミナを早いこと切らして攻めきる以外に有効な手段を、2人は取れなかった。

 

「とうっ!」

 

 迎撃戦という有利なシチュエーションもあってか、エレンの粘りは凄まじい。

 斬撃の合間、一人ではどうしても生じてしまう切り返しの隙を体術でカバーしつつ、防ぎようのない攻撃は金剛身で防いでいる。

 

 細かい傷こそ増えているものの、決定打というには程遠い。

 

「ここまでの相手とはな……」

 

 御前試合の時にめぼしい刀使の実力は観察していたが、エレンがここまでの巧者だった記憶は無い。

 エレンが御前試合で手を抜いていたらしい事を理解した姫和は、警戒レベルを更に一段階上に引き上げながらも呟いた。

 

「だが、討てない訳ではない」

 

 エレンは巧い。強いではなく、巧いという表現が相応しいだろう。

 僅かな間しか使えず、多大な集中力と精神力を必要とする金剛身のデメリットとメリットを正確に把握し、手足の長さという些細なアドバンテージすら全力で使い回すその姿勢は、今まで出会った事の無いタイプだ。

 

 初めてのスタイルの相手に姫和と可奈美はやりづらさを感じてはいるものの、しかし確実に圧していた。

 

「ありゃあ?私、もしかしなくても圧されてますヨネ」

 

 一方のエレンも、自分が相当マズイ状況に置かれている事は分かっていた。

 姫和を構えば可奈美が、可奈美を構えば姫和が、間髪入れずに襲ってくる。それは思った以上に辛かった。

 

 休む間もなく攻撃に晒され続け、流石のエレンも疲労が蓄積していくからだ。

 エレンはテクニック面において2人を圧倒しているものの、二対一という数の優位は容易には覆せない。

 

 まだ直撃こそ避け続けているものの、それも時間の問題だろう。

 自ら望んで飛び込んだとはいえ、なんて馬鹿な事をしているのだろう。と思わずにはいられなかった。

 

「まっ、これなら合格でしょう」

 

 しかし、これだけの実力があるなら申し分ない。実力の程は概ね把握できたし、()()()()()はそろそろか。

 そう結論を出したエレンは金剛身の発動を一瞬遅らせ、可奈美の攻撃をワザと受けた。

 

 傍から見れば疲労のせいで金剛身のタイミングを誤ったとしか思えず、そう思ったからこそ2人は最後の猛攻を仕掛ける。

 

「姫和ちゃん!」

 

「やれ可奈美!」

 

 エレンが後退したのを苦し紛れの行為と受け取った2人は、逃がすまいと前進して距離を詰めた。

 

「フフッ」

 

(笑った……?)

 

 何故か嬉しそうに笑うエレンに不気味なものを感じはしたものの、とどめを刺す絶好の機会である今を逃す訳にはいかない。

 嫌な予感を振り払うように加速した姫和が刃を突き出して突きの体勢に移った瞬間、エレンは伏せていたもう1人に声を掛けた。

 

「──今デスっ!薫!!」

 

 エレンがその名を呼んだ直後、風を切り裂く音がした。そして感じる、何か重たい物が接近する感覚。

 姫和の行く先に振り下ろされたのは、可奈美や姫和より遥かに大きな御刀だった。

 

「なん……!?」

 

「まずいっ、姫和ちゃん!!」

 

 既に突きの体勢に移ってしまっている姫和には、振り下ろされるそれがギロチンの刃のように見えた。

 このまま進めば間違いなく頭っから二つに割られてしまう。だが車と同様で刀使も急には止まれない。前方向に加速してしまった以上、そちらに進むしかないのだ。

 

(何か手はあるか……考えろ十条姫和。私は、こんなところで終われないだろう!)

 

 時の流れがやけに遅く感じる。それに反して超高速で回転し始めた思考は、必死に生存の道を模索していた。

 後ろ──下がれない。今からでは速度を落として下がるより先に大きな御刀に斬られる方が先だ。

 左右──そこは御刀の攻撃範囲だ。どの道斬られる。

 前方──一番生き残る可能性は高いが、エレンに身を張って止められるとどうしようもない。

 

 迅移というものが直線的な動きしか出来ない以上、移動先は主にこの四方向しか存在しないが、その全てが塞がれている。

 

(まだだ、まだ何か……)

 

 どこを選んでも詰んでいると言えるが、姫和はそれでも諦めたくなかった。

 

(………………閃いた。だが、こんな事が本当に出来るか?)

 

 そして、その願いが天に通じたのだろうか。ふっと一つの考えが降りてくる。

 しかしそれは、考えを思いついた姫和自身ですら可能かどうか分からないようなもの。分が悪い、なんてものではない。

 

(しかしやるしかない)

 

 他に選択肢は無いのだから、それに賭けるしかなかった。

 

 姫和は迷わず両足をアスファルトを砕く勢いで地面に突き刺すと、そのまま迅移を()()()()()発動した。

 

「なにを……!?」

 

 予想外の動きにエレンも驚いて成り行きを見守る。てっきりこのまま突っ込んでくるものだと思っていただけに、姫和の動きが全く読めない。

 

(自ら速度を落としたという事は、後方に下がるつもり?でもそんな事をしても、今からじゃ薫の攻撃から逃れられない。それは分かっているハズなのに)

 

 前方向に掛かっていたベクトルを後ろ方向に発動した迅移で相殺した事で、ガリガリとアスファルトを削りながらも速度が落ちる。だが完全停止には程遠く、その間にも上から攻撃が迫り来る。

 

「姫和ちゃん?!」

 

「黙って見ていろ!」

 

 姫和が左足を上げると、保たれていた左右のバランスが崩れて右足が軸になり、姫和の身体が右を向くように回転する。

 ここから求められるのは、超速で針の穴に糸を通すような繊細すぎるコントロール技能だ。

 

「──ここだっ!!」

 

 実際の時間は一瞬。しかし姫和にとっては1時間にも等しい時で見定めたタイミングで、姫和は迅移を発動した。

 

 迅移を発動する時、あまり不安定な体勢で発動してしまうと、急な加速に耐えきれず転んでしまったり等の悪影響を及ぼす。そして最悪の場合は胴体が千切れるなどの大変な被害を受けるのだ。

 であるから、迅移を使う時は地に両足が着いていて、しかも足場が安定しているところでのみ使い、少しでも不安定だと判断したなら使用を断念するのが一般的である。

 もちろん、刀使として優れていればデコボコの山道のような場所でも安定して迅移を用いる事が可能になってくるのだが……。

 

 姫和が迅移を使った時、体勢は姫和がバランスを崩すか崩さないかのギリギリなラインだった。これが一つ目の賭け。

 

(何をするのかは分かりませんが、まだ逃れられませんよ)

 

 姫和の迅移は一般的なそれより遥かに速いが、それでも攻撃が届く方が早い。そんなことは姫和とて承知している。

 

 だから迅移の最中に加速した。

 

「なんっ!?」

 

 今度こそエレンの顎が落ちそうなくらい衝撃を受けた。

 姫和が再加速したのはエレンが手を伸ばしてもギリギリ届きそうにない──そして言うまでもなく、姫和からは手が届かない向き。つまり右斜め方向。

 

「なんて無茶な……」

 

 再加速なんて荒業を行った姫和に思わず言葉が漏れる。そしてそのリスクを知っているだけに、賞賛の念も沸き上がってきていた。

 

 刀使がされる"よくある質問"の一つに「なぜ刀使は迅移を一瞬途切れさせるのか?」というものがある。常に高速移動をしていれば、戦いにおいて優位に立てるのにと。

 その質問をされる度に、ほとんどの刀使は苦笑いと共にこう答えるのだという。

 

『死ぬわ』

 

 迅移という加速術は、素人目にも分かるほど強力なものである。しかしそれは、同時に相当な危険も孕んだ諸刃の剣だ。

 

 そもそも迅移を使うためには、移動したい距離と、移動のために必要なエネルギーを計算する必要がある。

 しかし計算といっても、それほど難しいものではない。多くの刀使は雑に「これくらいかな?」程度の認識で使っているし、そんな雑さでも充分だ。親衛隊レベルですら、一回一回の迅移を正確に計算はしていない。

 

 しかし再加速をする場合、そんな雑な認識は許されない。どれくらいの速さで動き、どれくらいの距離を動き、どれだけのエネルギーを注ぎ込むのか。

 それらを正確に把握した上で、更に追加で迅移一回分のエネルギーと再加速による距離と速度の修正を入れる必要があるのだ。

 

 これが成功すれば一段階目の迅移の途中から二段階目に急加速して相手の意表を突く。なんて事が出来るものの、失敗すれば勢いそのままにバランスを崩してコケ、顔を地面で磨り潰す事になる。

 写シを貼っているから実際の体にダメージはいかないとはいえ、それでもトラウマ級の痛みは感じるので誰も練習したがらない。そもそも練習したところで、戦闘中に悠長に再加速の計算が出来るのかと言われると……。

 

 つまるところ、リスクが高すぎる割にリターンが少ない魅せ技であり、実用に耐えうる技ではない。というのが刀使の間での共通見解なのである。

 

 姫和はそれを行った。つまり、姫和が行った再加速という行為そのものが二つ目の賭けだったのだ。

 

「crazy……!」

 

 姫和が攻撃範囲から離脱すると同時に振り下ろされた攻撃がアスファルトを砕く。

 振り下ろされた御刀、祢々切丸の先にいたのは、エレンと同じく長船の制服を着ている薫だ。

 

「……なんつー避け方しやがる。今の、一歩間違えてたら大惨事だぞ」

 

 薫は溜息と共にそう言った後、気怠げに祢々切丸を担ぎなおす。その口元が若干ひくついている事からも、今のが相当な無茶だったという事が見て取れた。

 

「まあけど、意志に実力が伴ってねーって事は無いみたいだな」

 

「どうする姫和ちゃん」

 

「どうもこうもない。私たちはまだ終われないんだ」

 

 薫が現れた事で人数差は互角になった、後は刀使の実力で勝敗は決まるはずだ。

 しかし、数の優位で何とか圧していたものの、テクニックではエレンに及ばない事など分かっていた。そういう意味では、姫和は明確にエレンに劣ってしまっている。

 

 正直、分が悪いなんてものではないが、それでもやらなければならない。

 いつの間にか横に立っていた可奈美と並び立つように御刀を構え、言った。

 

「こいつらに時間を取られる訳にはいかない。手早く終わらせるぞ」

 

「そして石廊崎へ……デスか?」

 

「「…………!!?」」

 

 出鼻をくじくように目的地をピシャリと言い当てたエレンに、可奈美と姫和は言葉を失う。

 その驚き顔に大いに満足したらしいエレンが二マッと笑みを浮かべる様子は、イタズラが成功した子供のそれだった。

 

「どうしてそれを……!」

 

「どうして、なんて言わなくても分かるのでは?あなた達がファインマンと接触した事は、本人から聞いていますヨ」

 

「…………あいつの仲間という事か」

 

 それならば、ファインマンから指定された目的地を知っていても何ら不思議な事ではない。

 だがそうなると、新たに謎が一つ生まれる。

 

「なぜ私たちを襲った?やはり敵だからか?」

 

「テストですよ。立ち向かう敵の強大さを考えると、私たちに負ける程度の実力なら必要ないデスから」

 

 立ち向かう敵……恐らくは、いや、ほぼ間違いなく折神紫のことだろう。そうでなければ、危険を犯してまで姫和たちと接触する理由が無い。

 折神紫の力が強大すぎるために、少しでも戦力──それも出来れば即戦力になりそうなものが──欲しい。といったところか。

 

「……理由は分かった。が、納得も信用も難しい話だ」

 

「急に襲って信じろという方が難しいのは承知していますケド、そこは信じてもらうしかないですネ」

 

 エレンは御刀を納めて両手を広げる。何もしない、という意思表示なのだろう。

 

「取り敢えず、目的地に向かいながらお話でもしませんカ?」

 



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伊豆の攻防⑤/舞草②


実は私、コンセプトワークスもデザインワークスも持ってなかったんですよ。でも今日やっとデザインワークスだけ手に入ってテンションが上がっております。いやあ、モチベって大事ですね。



 

「主任ー。しゅにーん。長船から、何か凄い荷物届いてますけどー?」

 

 助手が主任宛ての荷物を持って主任の研究室に踏み込んだ時、主任は注射器を頑丈そうな箱に入れていたところだった。

 

「ん?ああ、そこに置いといてくれ」

 

「了解でーす」

 

 主任にしては慎重に、そして丁寧に注射器を箱詰めしている横で助手は台車から荷物を下ろそうとする。

 主任宛ての荷物は中くらいの大きさのダンボールだが、ずっしりとした重みがある。力自慢ではないが非力ともいえない助手が台車から持ち上げて運ぶのに苦労するほどだ。

 

「重っ!主任、長船に何か依頼してたんですか?」

 

 一体何が入っているのか助手は気になったものの、それは薮をつついて鬼を呼び出すような行為だ。自分の理解を超えるような話が平然と飛んでくるからであるが、かといって好奇心は止めようもない。

 ゆえに、この程度の問いかけで留めたのである。

 

「ああ。新型ストームアーマーの試作パーツをちょっとな」

 

「新型っていうと、新田さんのデータを元に現在開発中のアレの?」

 

「それだな。長船はストームアーマーに関しては此処(鎌倉)より優秀な人員が揃っているから」

 

「なるほど」

 

 主任が手際よくダンボールを開封していくのを見ながら助手は頷いた。

 どうやら主任は長船の研究機関に個人的なツテがあるらしく、そちらに依頼したり、逆に依頼されたりしているのを助手は知っていた。

 

「それで、そっちの箱は?」

 

「そっちはアンプル。親衛隊専用に調節した奴だ」

 

 親衛隊専用に調節した、という言葉に助手は何とも言えない表情を作ると、それを箱の無機質な表面に向ける。しっかりした作りの箱は、ちょっとやそっとの衝撃では壊れそうにない。

 

「これを使う事になると?」

 

「そうならないのが望ましくはあるがね。万一に備えて用意せよ、というご当主様からの指示である以上は拒否できないのさ」

 

 箱に納められているアンプルは、簡単に言ってしまえば親衛隊専用の使い切りブーストアイテムだ。使えば身体能力の向上は勿論、各々に埋め込まれた荒魂の特殊な能力すらも扱えるようになる代物である。

 少々変わった材料を用いている都合上コストは高いものの効果は絶大で、使()()()()()()()()()()()副作用も無い優秀なアイテムだ。

 

「これから届けに行くんですね」

 

「そりゃあそうだろう。これを使う事態が既に起こっている可能性も無くはないのだからね。

 あ、配達には君に行ってもらうから」

 

「はい?」

 

 ついでのように──いや、実際ついでなのだろうが──さらっと放たれた宣告に助手は驚愕を隠せない。というのも、

 

「あの主任?いま何時だと思ってるんです?」

 

「そろそろ12時を越えようかというところだな。それがどうした?」

 

 この配達が終わったらベッドに倒れこもうと思っていた矢先の発言だったからだ。

 

「……伊豆まで、今から?」

 

「安心しろ。寝るだけなら車内で出来るし、朝日は向こうで拝めるだろうさ」

 

 それだけ言うと、有無を言わさぬ勢いで助手にアンプルの入った箱を持たせる。

 いや、車で安眠なんて出来ませんよ。なんてツッコミも主任には意味をなさない事くらい承知していた。傍若無人というか、そういう常識的な配慮がまるっと抜け落ちているのが彼女だからだ。

 

 抗議の目線を送ろうにも、既にダンボールから何かが記された書類に目を通している。しかも助手に背を向けながら。

 ほぼ間違いなく助手から抗議の目線を受けると分かっているが故に背を向けたのだろう。

 

 これで子持ちの既婚者なんだから世の中分からないよなぁ……と助手(3X歳、男性・独身)は世の不条理を呪いそうになりながら研究室を出ていった。

 この主任の助手となった時から、こういう目に遭う覚悟はしていたし何度も経験しているものの、それでも溜め息の一つくらいはつきたくなりながら。

 

「………………さて」

 

 助手が出ていってから暫くの後、主任は読んでいた資料を机の上に適当に置くと、大量のパーツが詰め込まれたダンボールを漁り始めた。

 そこから小さな長方形のパーツを取り出すと、その接合部をこじ開けるように力を込める。するとパキッという音と共にパーツが真っ二つに割れ、中から1枚のチップが現れた。

 

「さてさて、何が出るかね」

 

 迷うことなくそれをスタンドアロンのパソコンで読み込むと、表示されたのはパスワードを求める画面。

 主任が迷うことなく一つの単語を打ち込むと、ぴろりんと軽い音が鳴ってデータが閲覧できるようになった。

 

「ほほう。これはこれは」

 

 そこにあったのは、古い文献をデータに起こしたものであるらしい。原本と一字一句同じである筈のそれらを読み解いていくと、主任の思考は夜だというのに冴え渡っていった。

 

(なるほど道理で。それなら急な疲労感や倦怠感、圧迫感にも納得がいく)

 

 京奈に現れた症状は、一見すると限界を超えた勤務による過労にしか見えない。だから主任が過労ではないかと口にした時に京奈は納得したし、実際に主任もそうなのではないかと思っていた。

 しかし過労にしては僅かな違和感があった。それは本当に少しだけ引っ掛かりを覚える程度のものだったが、主任はその引っ掛かりのために長船のツテを頼って表には出回らない文献を入手するという手段にまで出たのだ。

 

 満足のいく結果が得られない可能性も大いにあったが、結果は大当たり。貸しを一つ作ったのは無駄ではなかったのだと主任は思い、新たな知識を得られた事に喜びを感じている。

 

(だけどこれは……新田さん以外に起こるようなものではないな)

 

 そして一方で驚きも感じていた。何故こんな事を引き起こせるのか、どうしてこう軽々と自分の理解を超えていくのか。

 ……そう。大体の事なら驚かない主任をして、これは度肝を抜かれるという表現を用いるに値するような出来事だったのだ。

 

「まさか使い切るとはねぇ……」

 

 まさか、本来なら尽きるはずのない御刀の神力そのものが尽きかけている可能性が高いなど、そしてその尽きかかっている神力を京奈の体力や気力で補填しているであろう事など、想像すらしていなかったのだから。

 

 

 ──刀使の能力は、御刀が持っている神力によって隠世から引き出されている。とされている。

 そして御刀が持つ神力の総量は、その御刀に使われた珠鋼がどれだけ神力を帯びていたかに比例すると言い伝えられていた。

 

 御刀は宿した神力が尽きると永遠にその力を喪うとされているが、俗に言う数打物という量産品のランクでも、人間が何百年使ったところで力を喪わないほどだ。今までの歴史がそれを証明している。

 その総量が凄まじいのか、それとも御刀の神力を溜め込む力が凄まじいのかは意見が分かれるものの、どちらにせよ、人間が御刀の神力を使い切るのは不可能だという結論に到達していた。

 

 それを使い切る、あるいは使い切る寸前まで酷使する事がどれほど異常な事なのか。正確に理解してしまった主任は身が震えた。無論、歓喜で。

 あまりに規格外すぎる事例に主任の口元は自然と緩む。まさかこんな、歴史を見渡しても相当レアであろう瞬間に出会えるなんて。と自分の幸運に感謝すらした。

 

「これだから研究職は止められない……!この瞬間を待っていたんだ」

 

 未知の領域に誰より早く足を踏み入れる。珍しい事象にこの手で関わる。その歓びを得るために、彼女は夫に許可を得てまで研究棟に泊まり込んでいるのだ。そう、全てはこの瞬間のために。

 この歓びを得るためなら、たとえ折神紫が何であろうと気にするものか。

 

「だから私は、そちらに行かないのさファインマン。なんていったって、最高の研究対象が此方には居るんだから」

 

 データの最後にチョロっと書かれていた、私情の篭った誘いの一文にそう答えた。

 

(だがこれは由々しき事態だ。このままだと、少し動くだけで新田さんがまた疲労を蓄積してしまう)

 

 もし予想が正しければという前提にはなるものの、このまま放置していていい問題でないのは確かだった。

 もし御刀が喪いかけている神力の代わりに京奈から気力や精神力を吸い上げて代用しているのだとするなら、このまま同じ御刀を使い続けるのは危険だ。最悪、戦闘中に写シが切れたりする事態が起こりかねない。

 

「次を用意すべき、か」

 

 この問題を解決する最も有効な手段は、京奈に適合する御刀をもう一振り見つけて、それに装備を変更する事だ。そうすれば京奈の身体の不調も元通りになり、刀使としても復帰できる筈である。

 ただ、全国に数多ある御刀の中から本人に適合する一振りを見つけ出すのは容易な事ではなく、更に京奈が母親の形見でもある今の御刀を手放すとは思えないが……。

 

「……ん?」

 

 主任が設置している監視カメラの映像を幾つも映したモニターに、珍しい来客の姿があった。

 その姿を見た主任が急いでデータを片付けると、ノックも早々に扉が開かれる。その来客は入ってくるなり、軽く鼻を鳴らした。

 

「ふん。あいも変わらず辛気臭い場所だな、ここは」

 

「入ってくるなりそれとは御挨拶じゃないか高津学長。コーヒーでも飲むかい?」

 

 珍しい、という単語で分かるように、普段は高津学長が此処を訪れる事は無い。そんな彼女に主任がコーヒーでも淹れようかと提案するが、その提案に高津学長は顔を顰めた。

 

「いらん。それよりアンプルを一本、プロトタイプを」

 

「プロトタイプを?……なるほど、入れ込んでいる彼女を近衛にする気か。

 しかし今の彼女が使い物になるかね?あれは恐怖心を完全には消せないぞ」

 

「うるさい!どうせ出来ているんだろう?さっさと出せ」

 

「はいはい」

 

 言われるがまま主任は中身入りの注射器を一本出すと、それを高津学長に向けて軽く放った。

 片手で受け取った高津学長はまじまじとそれを見つめると、それをポケットに仕舞ってから身を翻す。

 

「では失礼する」

 

 用事は終わったと言わんばかりに足早く出て行く高津学長の後ろ姿を主任はコーヒーを淹れながら見送った。

 

「そういえば近衛兵なんてのもあったなあ……」

 

 至極どうでも良さそうに、そんな事を呟きながら。

 

 

 

「まず聞きたいんだが、貴様たちは何者だ?ファインマンの仲間……という大雑把な情報ではなく、もっと詳しい説明を寄越せ」

 

 街灯が疎らにしか存在しない夜の山道を4人が歩く。アスファルトで舗装されているものの、時間が遅いからか、そこを通るものは他に存在しなかった。

 

「一言で言えば、折神紫率いる変革派に喧嘩を売っている保守的な組織、というところデス」

 

「つまり、姫和ちゃんとやってる事は同じってこと?」

 

「折神紫を打倒する、という目的は同じですネ。私達は、御刀と刀使の関係を昔ながらの在るべき姿に戻す……それを目標に掲げていマス」

 

「要は、折神家の中央集権制を潰したい奴らの集まりって事だ」

 

 薫の身もふたもない乱暴な物言いに姫和は微妙に嫌そうな顔をしたが、言っていることそのものは間違っていない。エレンの言い方がオブラートに包まれているだけである。

 

「その折神家の中央集権制を打倒するための戦力として、私達を欲している……といったところか」

 

「yes!流石ひよよんは察しがいいデスね」

 

「……ひよよん?」

 

「十条姫和だから、ひよよん。わかりやすいデショ?」

 

 姫和とエレンは先程まで斬った斬られたの戦闘を行っていた敵同士だった。にもかかわらず、まるでそんな事は無かったと言わんばかりのフレンドリーさに加えて、あだ名まで付けてくる。そこの辺りにエレンという人間の破天荒さを感じずにはいられない。

 

「…………まあ、それはいい。それより私達を匿ってくれた恩田さんは、やはり貴様たちの仲間なのか」

 

「モチロン!グラディは舞草の一員ですよ」

 

「舞草……それが組織の名前か?」

 

「保守派が名乗るネーミングとしては、これ以上ないほどフィットしているでしょう?」

 

 ここでようやく、姫和の中で勢力図のようなものが大雑把に完成した。

 日本刀源流の地と呼ばれている場所の名を持つ組織が、折神紫率いる改革派に抗っている。どうやら舞草とやらは折神家に存在を上手く検知されずに今日まで潜んでいたらしいが、そろそろ反旗を翻そうとしていたようだ。

 

「まあ、オレ達の出鼻を挫くように動いた馬鹿共のお陰で、大幅に作戦の修正をせざるをえなかったんだが」

 

「ね〜〜」

 

「仕掛けるにはあのタイミングが最善だと思っただけだ!今まで接触すらしてこなかった奴らの作戦や事情など分かるはずがないだろう!!」

 

 薫の発言に少々イラッときた姫和がそう言い返し、続いて薫の横を浮遊しているねねを指さした。

 

「というか、貴様は刀使ではないのか!?何で荒魂と行動を共にしている!」

 

「ねねっ?!」

 

「むっ、こいつをそこらの荒魂と一緒にしてくれるな。ほら」

 

 そう言って薫が姫和に突きつけたのは、刀剣類管理局から支給されているスマートフォン。そこにインストールされている荒魂の存在を感知する刀使の必需品、スペクトラムファインダーは『NO DETECTION』と画面に表示していた。

 

「反応無し?……私のもか」

 

 まさかと思った姫和が懐からコンパスのような見た目をした旧式のスペクトラム計を取り出してみるものの、そちらも反応が無い。

 

「こいつはねね。刀剣類管理局からも正式に認められてる益子家(ウチ)の守護獣だ」

 

「貴重なサンプルとして、その道の人達からは大人気なんデスよ?」

 

「うっわー!姫和ちゃん姫和ちゃん!見て見て、この子の頰っぺた凄い柔らかいよー!」

 

 浮いていたねねに恐れることなく近寄り、迷うことなく頬を指でつついて喜んでいる可奈美は、ここだけ見れば普通の女学生にしか見えなかった。

 

「ちなみに一部の女子にも結構人気デス。ちょうど、あんな感じで」

 

「おい可奈美。今はそんな事をやっている場合では……」

 

 只今絶賛逃走中だというのに、それを全く感じさせない気の抜けた光景に姫和が苦言を呈そうとしたところで、ねねが見つめてきている事に気がついた。

 

「ねー」

 

「な、なんだ?」

 

 その目に悪意は感じられない。ただ純粋に何かを見極めようとしているかのような目線に姫和が僅かにたじろぐ。

 少しして、ねねは姫和から目線を外して目を閉じた。

 

「ねっ」

 

 ……どういう訳か、「あ、これダメだわ」みたいな鳴き声と一緒に。

 

「は?」

 

「ああそうだ。ねねはデカい胸が好きでな。今デカい奴はモチロンだが、将来デカくなる可能性のある奴らにも懐くんだ」

 

 なんだそのエロ獣。そんなツッコミを心の中でしてしまった姫和は間違っていないだろう。

 

 いや待て。じゃあ今ねねが可奈美に抱き抱えられて幸せそうにしているということは、そういう事なのか?

 いやいやそれよりも、姫和に対する今の反応。可奈美との態度の差が露骨すぎるが、つまりこれは……

 

「私に希望が無いとでも言いたいのか?!イヤミか貴様……ッッ!!」

 

「ちなみに、ねねの見分ける力は的中率100%だ」

 

 無慈悲な薫からの追撃で更にダメージは加速した。

 同時に納得する。だから"一部の"女子にしか人気が無いのだろう。一部分のみとはいえ、知りたくもない現実を突きつけてくるのだから。何が悲しくて自分の胸の貧しさを将来性含めて突きつけられなければならないのだ。

 

 やはりコイツ、討伐した方が世の平坦な女子達のためなのでは?と半ば本気で姫和が思っていると、ねねが可奈美の腕から飛び降りた。

 

「ね"っ!ね"ね"ーっ!!」

 

「おい、どうしたねね?」

 

 小さな身体で精一杯威嚇している様子は、どう見たって普通ではない。エレンが咄嗟にスペクトラムファインダーを覗いてみても無反応。

 何なんだと首を傾げていると、姫和が焦ったような声をあげた。

 

「んなっ!?」

 

「姫和ちゃん?」

 

「スペクトラム計があらゆる方向に反応している……囲まれているぞ!!」

 

 姫和の掌にある旧式のスペクトラム計は確かに反応を示している。どういう事だ?とエレンの目つきが厳しくなった直後、

 

「来る!」

 

 ──夜が溢れた。

 



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伊豆の攻防⑥


コソッ



 

(……ああ、やっとか)

 

 御前試合の時から殆ど変わらぬ2人を視界に収めた時、真希が最初に思ったのは"待ちくたびれた"だった。

 

 よりによって紫を襲った犯人を取り逃がすという失態を演じてしまったあの日から、やけに一日が遅く過ぎたような気がする。1時間が1週間に匹敵するほどといえば、その体感時間の遅さが分かることだろう。

 その体感時間の遅さは、真希が溜め込んだ自分への怒りと失望に比例しているのだが、それを本人は気づかない。

 

 気づけないほど溜め込んでしまっているからだが、やっと、やっと自らの手で彼女達を切り伏せられる。そう思うと、今まで溜め込んでいたフラストレーションが何処かに消えていくようだった。

 

「ようやくですわね」

 

 寿々花もまた同じ心持ちであるようで、その顔には隠しきれない闘志が伺える。その様子からは普段の淑女らしさが欠片も見当たらない。

 

「ああ」

 

「ふふっ。真希さんは待ちきれないご様子ですわね?」

 

 いつにも増して硬い返事。それが緊張からでなく、もっと別の感情から生じている事など寿々花には分かっていた。

 

「当然だ。紫様に御刀を向けた愚か者を誅するこの日を、どれほど待ちわびた事か。それは寿々花が一番良く分かっているだろう?」

 

「ええ。わたくしもまた、それを待ちわびていた1人ですもの」

 

 親衛隊という役職に誇りを持っている2人は、今回の反逆者騒動では特に尽力していた。

 親衛隊に、そして紫の評判に泥を塗った2人を決して逃がしはしないと深く意気込んでいたからだが、その様子は結芽から少し引かれるほど。と言えば凄まじさが伝わるだろうか。

 

 とにかく、真希と寿々花は今非常にやる気があった。行き過ぎて"殺る気"に変わってしまうほどに。

 

「随分と好き勝手やってくれたね」

 

 そんな真希が発し、夜見の操る荒魂によって分断させられた可奈美と姫和に届いた声には、感じ取れるだけでも相当な怒気が込められている。

 

「お前達は!」

 

「親衛隊の……!」

 

 その眼光に射抜かれた時、咄嗟に御刀に手をかけた可奈美の背筋に凄まじい寒気が走った。

 

(なに、これ)

 

 一目見ただけで飲み込まれそうになるほどの怒り。それが可奈美と姫和にのみ向けられている。しかしその立ち振る舞いからは一欠片の隙も見つけだせない。普通、これだけ怒れば少しくらい隙が出来るはずなのに、それが無いのだ。

 己の心を律し、感情を発露させながらも所作は冷静そのもの。その様子からは、怒りで手が狂うというようなミスは期待できそうにない。

 

「お陰で此方は休日返上ですわ。まったく」

 

「君たちには二つの選択肢がある。抵抗した上で僕たちに斬られるか、それとも大人しく斬られるかだ」

 

「それは選択肢とは言わん……!」

 

 どうやら真希と寿々花の中では、可奈美たちが逃げ切れるという可能性なんて存在しないらしい。

 なんて傲慢だと姫和は憤ったが、そんな傲慢が許されるほど親衛隊の力量が凄まじいことは身を以て経験している。

 

 向こうのコンディションは完璧。対するこちらは先の戦闘の消耗もあり、6から7割といったところ。

 勝ち目がないとは言わないが、それは一筋の光よりも細いものだろう。

 

「まっ、待って!姫和ちゃんの話を聞いてください!!」

 

 張り詰めた空気の中、それでも言葉による対話を試みた可奈美が声をあげた。

 いきなり何を言い出すのか、と姫和が眉を顰める。この様子を見れば、何をどう間違えても言葉で退いてくれるとは思えないだろうに。

 

「折神家の御当主様は──」

 

 だがそれでも、と可奈美は姫和が知っている紫に関する真実を話そうとするが……

 

「親衛隊第一席、獅童真希」

 

「同じく第二席。此花寿々花」

 

 これ以上、無駄な時間を過ごす気は無い。とでも言うかのように可奈美の言葉を遮って名乗りを上げた。

 それを聞いて戦闘が避けられない事を悟った可奈美と姫和が写シを纏うと、それに呼応するように真希と寿々花も写シを纏い、御刀を構える。

 

「どうして……!」

 

「では──行きますわよ!」

 

 可奈美の嘆きは静寂に響いた寿々花の言葉にかき消された。思いきり振り下ろされた御刀が狙ったのは、言葉が通じぬ悔しさを見せている可奈美だ。

 

「くうっ!?」

 

 それをバカ正直に受け止める事などしない。可奈美は咄嗟に受け流したが、それでも思わず顔を顰めるほどの衝撃が手に響く。

 

「お前はそいつを相手にしろ!私は第一席の方をやる!」

 

「ッ!分かった!」

 

 大きな岩の上で切り結び始めた可奈美と寿々花を置いて姫和は下に降りた。真希は動かず、ただ姫和を見据えた。

 

「殊勝なことだ。わざわざ各個撃破されに来るとは」

 

「ぬかせ。もし私が第二席の方に向かえば、迷わず背後から斬りかかってくるつもりだっただろうに」

 

 その言葉を真希は肯定しなかった。そして否定もしなかった。ただ御刀を構え、次の瞬間には迅移で突撃してくるのみだった。

 

「重っ……!?」

 

 真希の攻撃は、思ったより速くはない。もちろん姫和目線での話であって、並みの刀使からすれば十分すぎるほど速いのだが、とにかく姫和にとっては対処可能な範囲内だ。

 

 だが重すぎる。たった一太刀、しかも初撃を受けただけなのに、御刀を取り落としそうになる程の重さが真希の攻撃にはあった。

 

(どれだけの力を持っている!?ゴリラかコイツは!)

 

「一撃は防いだか。だがその調子では、いつまで耐えられるかな」

 

「ふざけるな!」

 

 受けるだけでダメージを与えてくるような剛力の持ち主ならば、その攻撃を避け続ければいい。当たらなければどうということはないのだ。

 

(速度で翻弄するしかない。私が持っている勝ち筋はそれだけだ)

 

 対人経験、攻撃力、守備力。それらにおいて姫和が真希に勝てない事など理解している。

 だが速度は、自分の自慢でもある速度だけは、真希に負けているとは思っていない。そして勝ち筋を見出すとしたら、そこにしか無いだろう。

 あまりに細く、何かが間違うとすぐに消えてしまいそうなほど頼りないものだとしても、そこ以外に道が無いのだから行くしかない。

 

「ふっ!」

 

 真希の攻撃に合わせて迅移を発動し、後退して一旦攻撃範囲から離脱する。そして振り切った真希目掛けて突撃するように再び迅移を発動した。

 

「はあっ!」

 

 選んだのは姫和が最も得意とする突き。狙うのは真希の胴体。

 

「っ!」

 

 真希が御刀を切り返し、姫和の突きを横薙ぎで弾いた。ただそれだけで姫和の体勢が崩れそうになる辺りに、八幡力の出力の差を痛感させられる。

 

(ならばっ!)

 

 姫和は弾かれた衝撃に逆らわず、むしろそれを加速装置として真希の左側へと迅移で回り込んだ。

 

 例えるなら、真希は濁流だ。小細工など容易く蹴散らし、逆らう者は全て飲み込んで突き進んでいく激流そのもの。

 だから姫和がやるべきなのは真希という流れに逆らう事ではなく、それに乗った上で流れを制すること。

 

 姫和は御刀を斬りあげた。範囲は程々、すぐに止めて逃げられるようにしながらの軽い一撃だ。

 臆病だと言われるかもしれないが、大振りな攻撃なんてしようものなら即座に真希からカウンターが飛んでくるであろうと確信しての事である。

 

「臆したか。ならば……」

 

「不味っ……!」

 

 だがその一撃は、まるで分かっていたかのように合わせられた真希の攻撃と激突し、当然のように競り負けた。

 一手先を行かれた姫和は、真希の攻撃が写シに到達するまでの一瞬で僅かに体を捻る事しか出来なかった。

 

「切り落とさせてもらう!」

 

「ぐうううううっ!!」

 

 姫和の写シに届いた攻撃は、いとも簡単に左腕を肩口から切り落とした。写シの上からとはいえ、実際に切り落とされたのと殆ど同じ痛みが姫和を襲う。

 歯を食いしばって辛うじて意識を失う事は避けられたものの、気を抜けば膝をついてしまいそうだ。

 

「姫和ちゃん!!」

 

「余所見をしている余裕があって!?」

 

 その様子を横目で見ていた可奈美は援護に向かおうとしたものの、可奈美と相対している寿々花がそれを許す筈がない。

 歯痒い思いをしながらも、可奈美は自分の身を守るので精一杯だった。

 

(この人やっぱり強い!多分、今まで戦ってきた誰よりも!)

 

 自分の考えが読まれている。

 寿々花と打ち合い始めてすぐに可奈美が感じたのが、それであった。

 まるで分かっているかのように自分の狙いを尽く妨害されてしまうのだ。自分の剣は勿論の事、

 

(迅移を──)

 

「あら、どちらへ?」

 

「っ!」

 

 迅移の発動タイミングや、その移動距離すらも完全に読まれていた。

 迅移を使った筈なのにまるで変わらぬ寿々花との距離。一瞬前を焼き増したかのような変化の無さは、ひとえに寿々花の観察眼があってこそだ。

 

 産まれた家が名家であったが故に出席させられた社交界などで、相手の一挙手一投足から考えを読み取らなければならなかった寿々花からすれば、考えを悟らせずに動くコツを持たない子供の考えなど容易に見破れた。

 目線の動き、表情、足回り。それら全てから見る事の出来る行動予測を外したことは無い。

 

「くうっ!」

 

「さあ、覚悟なさい!」

 

 今はまだ辛うじて食らいつけているものの、それも何時まで続くかは分からない。姫和の方をチラリと見ると、どうやら向こうも不利な状況に陥っているようだった。

 強者ではあるものの折神紫には劣る親衛隊を退けられないようでは、折神紫を打倒する事など夢のまた夢。こんな体たらくで、折神紫を倒す事など本当に可能なのか。

 

 崖っぷちに追い詰められている事を自覚している可奈美の脳裏に、ふとそんな弱気が訪れた。

 

「なんで、話を聞いてくれないんですっ、か!」

 

「口より手を動かしたらどうですの?ほうら、防御が疎かになっていますわよ!」

 

「ッ!!」

 

 咄嗟に身体を捻ることが出来たのは、まさに奇跡としか言いようがない。

 一瞬の隙に放たれた神速の突きは、可奈美の脇腹を抉り取ったのだ。

 

「けほっ……!?」

 

 写シに守られてこそいるものの、もし直撃してしまえば上半身と下半身が泣き別れること必至の一撃は、可奈美の写シを剥がし、更に意識に多大なダメージを与える。

 

(なん、で──)

 

 それでも辛うじて、朦朧とした意識に活を入れて立ち上がると、今の一撃が如何に異常なのかに気付いて戦慄した。

 

(──っ!なんで突きだけで身体を抉るほどの威力を出せるの?!)

 

 あまりに不可解だった。力を溜めていた訳でもない突きで人体を抉るなど、真希のような力を持っていても不可能な筈だ。

 しかし現実として可奈美の写シは抉れた。しかもそれをやったのは、とてもじゃないが剛力には見えない寿々花。

 

 ここで、なにかタネがあると可奈美は気付く。もっとも、気付けたところで意味は殆ど無いのが悲しいところだが。

 

「……おっと。わたくしとした事が、自分で思っているよりも熱くなってしまっているという事かしら」

 

 膝をつくという特大の隙を可奈美が晒しているにも関わらず、寿々花は追撃を入れずに目を閉じて何か呟いていた。

 舐められているとしか思えないその態度は、弱気だった可奈美の心に火を灯す。

 

「……良いんですか。そんな油断した姿を見せて」

 

「油断?違うわ、これは余裕よ」

 

 近くで御刀を交えている真希と姫和の剣戟音さえ遠ざかるほど集中した2人は、再び同時に迅移を発動した。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

「──ら美炎。起きなさい、安桜美炎」

 

「んぁ?はーい……」

 

 美炎が重たい瞼を開けて真っ先に見たのは、どこか険しい表情をしたミルヤの顔だった。

 

「…………あれ?ミルヤさん、どうして美濃関に……」

 

「ここは美濃関ではなく伊豆ですよ。それより寝ぼけている場合ではありません、荒魂です」

 

「あらだま……ああ……荒魂!?」

 

 ワンテンポ遅れる美炎の反応に、これは大丈夫なのかとミルヤの脳裏に不安がよぎる。寝起きということを加味しても、警戒心が足りなさすぎた。

 

「すぐに準備をしてください。既に瀬戸内智恵と七之里呼吹が戦っています」

 

「はっ、はい!」

 

 ミルヤがテントから飛び出し、ワンテンポ遅れて美炎も飛び出す。飛び出した2人が見たのは、ちょっと前まで寝ていたにも関わらず元気いっぱいに駆け回っている呼吹の姿だった。

 

「ハハッ!イイぜイイぜ荒魂ちゃんたち!!もっと満足させてくれよ!」

 

「ちょっと、あんまり前に出ると危ないわよ!」

 

「え、えいっ!」

 

 暴れ回る呼吹をフォローするように智恵が追従し、隙だらけな背中を守っている。

 その近くで清香はおっかなびっくりといった様子で御刀を振るい、地味だが着実に数を減らしていた。

 

「お待たせしました!」

 

「ごめん、遅れた!」

 

 その中に2人が飛び込む。残っている荒魂の数は多くなく、更には弱い事もあって、全てを討伐しきるのにそれほどの時間は必要なかった。

 

「これで最後か……」

 

「助かりました。ありがとうございます」

 

「いえ、当然のことをしたまでです。それより被害状況はどうなっていますか?」

 

 機動隊員の被害はゼロ。拠点の前の道路はヒビ割れてしまったために補修が必要になるが、人的な被害は出なかったのは幸いだった。

 

「それにしても運が悪い。親衛隊が全員出払っている時に来るとは……」

 

「でも、なんで此処に……いや、荒魂が来る時は来るっていうのは分かるけど」

 

「恐らく私たちが居るからでしょう」

 

「御刀に引き寄せられたのかもね。荒魂が刀使を、厳密に言えば御刀を優先して狙うのは有名な話だから」

 

 ここにいる機動隊員は刀使ではないので、荒魂に対する有効な攻撃手段を持ち合わせていない。現代兵器も足止めにしかならない荒魂は、刀使以外の人間には小型でも絶対的な脅威だ。

 もしかすると人的・物的共に多大な打撃を受けていたであろうことを思うと背筋が寒くなるようだった。

 

「じゃあ……このままここに居るのはマズいってこと?」

 

「そうとも限りません。人間の気配を感じ取れば、どの道荒魂は向かってきます」

 

「よしっ!じゃあ荒魂ちゃんをぶっ殺しに行こうぜ!」

 

「ちょっ!?七之里さん話を聞いてたの?!」

 

 今の話をどう解釈したのか、呼吹が森の方へと歩き出す。美炎が思わずツッコミを入れると、呼吹は歩みを止めずに言った。

 

「ああ?だから荒魂ちゃんを根こそぎ潰せば良いって話だろ?先行ってるぜ!」

 

「そうじゃなくて………ああ待って!」

 

 美炎が止めようと手を伸ばしたが、それをひらりと避けて森の奥へと飛び込んでいく。

 いきなりの独断行動に絶句していたミルヤは、しかしすぐに指示を出した。

 

「七之里呼吹の単独行動は今に始まった事ではないとはいえ……とにかく追います!瀬戸内智恵は此処で待機、安桜美炎と六角清香は私と来い!」

 

「ああもう、なんでこうなるかなぁ……!」

 

「七之里さんは戻ってきたらお説教ね」

 

「うぅ。まだ戦うんですね……」

 

 それぞれ固有の反応を返しながら、智恵を抜いた3人は呼吹の後を追って再び山の中へと潜っていくのだった。



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伊豆の攻防⑦

(しばらく寝かせてたら良い展開を思いついた、という顔をしている)



「そろそろ抵抗は止めて諦めて欲しい。無駄な時間は過ごしたくないんだ」

 

「どこまでも上から目線で!」

 

 写シを一度剥がされた辺りから防御は無駄だと悟った姫和は、捨て身ともいえるほど攻撃に意識を割いていた。

 そんな攻撃をすべて受け止めながら、しかし真希は余裕の表情を崩さない。

 

「まさか対等だとでも思っているのか?僕と君には──」

 

 姫和の一足飛びに加速する迅移による袈裟斬りを危なげなく受け止めた真希は、京奈のように御刀の表面を滑らせるようにして受け流す。

 そしてバランスを崩した姫和が体勢を整えるより先に、迅移で加速しながら姫和の胴体を切り抜けた。

 

「──圧倒的な差があるのに?」

 

 強制的に写シが解かれ、地面に倒れる姫和に向けて投げかけた言葉と自信。それに言い返せない姫和は歯噛みしながら、しかしそれでも立ち上がって写シを張る。

 だが足取りはフラフラとしていて、彼女の精神力が殆ど残っていない事を分かりやすく示していた。

 

「これで2度剥がした。写シはあと何回張れる?それとも、それで打ち止めかな」

 

「黙れっ!うおおお!!」

 

 もはや意地のみで立ち上がっている姫和の目から闘志は尽きていない。その眼光の強さは今の真希と同レベルだ。

 

「その闘志だけは賞賛に値するよ。だけど、想いだけで現実は変えられない」

 

「黙れと言っている!」

 

 何を成し遂げるにも力は必要だ。力が無ければ、どんなに良いことを叫んだとて「理想論だ」の一言で片付けられてしまう。

 そして今の姫和は、まさにその理想論を振りかざす子供でしかなかった。

 

 激昂した姫和が真希の背後に回り込むように迅移を発動させる。そして一瞬のうちに回り込み、無防備な背後を取った。

 

「それはもう見た」

 

 が、真希にとってその行動は予想通りの動きでしかなく、故に対処は容易いものだった。

 咄嗟に跳び退いた姫和の首元を真希の攻撃がかする。完全にタイミングを合わせられた姫和は射殺すような厳しい目線を投げかけるも、真希は涼しい顔で殺気を受け流していた。

 

「今のは決めたと思ったが……良く避ける、流石は子烏といったところか」

 

「褒めているつもりか」

 

「これでも褒めてるよ。だけどその逃げ腰、何時まで持つ?」

 

 真希が一歩、踏み込んでくる。それを見た姫和は、己の直感に従ってその場でしゃがみこんだ。

 瞬間、髪の先端を切り裂く風の音がする。両足のバネで真横に跳んだ姫和は、苦々しい表情のままで追いすがってくる真希を躱さなければならなかった。

 

「姫和ちゃん!」

 

「自分の心配をしていろ!」

 

 寿々花との剣戟の合間を縫って声をかける可奈美に姫和が怒鳴り返す。先程から可奈美は隙を見つけては姫和を心配するような素振りを見せ、その度に寿々花か姫和に「余所見してんな」という意味合いの言葉を返されていた。

 

「余所見をしている余裕があって!?」

 

「くっ!」

 

 寿々花の場合は言葉と一緒に御刀の攻撃も付随している。それのせいで可奈美はすぐに姫和よりも自分の心配をしなければならなくなった。

 

(迅移のタイミングも読まれてるし、腕も相手の方が上……)

 

(このまま逃げ続けても何にもならん。だが……!)

 

 大岩の上と下で、可奈美と姫和は現状を改めて分析する。実力は相手が上で、更にこちらは逃亡生活で疲労が蓄積している。対する向こうは元気いっぱいだ。

 考えれば考えるほど絶望的な状況。このまま時間を稼いだところで状況はほとんど好転しないだろう。

 

「ふんっ!」

 

「くそっ!」

 

 真希の重く鋭い一撃を、額に薄い切り傷を代償に切り抜ける。斬り落とされた写シの前髪が、はらりと宙を舞い、消えた。

 

「姫和ちゃん!」

 

(さっきから何だ、あいつは!こっちにばかり気を配る余裕があるなら、自分の心配を……っ?!)

 

 姫和が可奈美の方へと視線を向けたのは一瞬のみ。だが、その一瞬で姫和は可奈美と目が合った。

 一件すると心配しているようだが、その目にあったのは心配の色ではなく、何かに挑戦しようとする強気の色だった。とてもじゃないが、負けかけている人間のする目とは思えない。

 

「あいつ……」

 

 つまり可奈美は諦めていないのだ。この詰みかけている状況でも、まだ打開策があると本気で信じているのだろう。

 

「貴女っ!先程から、わたくしを舐めていますの!?」

 

「舐めてなんか!」

 

 すぐに外れる目線。だがその目に映っていた意志を、確かに姫和は受け取った。

 

 もし──いや、可奈美が何かを企んでいるのは、ほぼ確定だ。

 仮にそれが親衛隊の2人から逃げ延びるための一手だとして、姫和に何を求めていたのだろうか?

 

(考えろ。この2人を退けるために必要な、思いもよらない奇策を!)

 

 前提として、この場での勝利条件は親衛隊から逃げ延びること。そこに真希と寿々花の撃破は含まれていない。

 つまりは、逃走のための隙さえ作れればいい。こちらを追跡できないような傷を負わせられれば尚良いだろう。

 

 そこから逆算して、必要な行動とはなにか?

 

(何もかも不確定な賭けだが……あいつを信じてみるか)

 

「余裕だね。僕を前に考えごとか」

 

 岩の上で戦い続けている可奈美と寿々花だが、可奈美は段々と岩の淵に追い詰められていっている。このまま行けば逃げ場を無くし、寿々花に狩られるのも時間の問題だろう。

 そして真希の方も仕上げに入った。姫和は息も絶え絶えで立っているのがやっとという具合だが、真希は息一つ乱していない。後はこのままジワジワと締めつけていけば倒せる。

 

 だが何故だ?真希の脳内には漠然とした不安があった。

 その不安を抱く理由は、姫和の目がまだ絶望していないことにあった。

 

(この目には覚えがある。何か逆転の手がある人間の目だ)

 

 真希が見てきた刀使の中でも、この状況を打開する手段を持っている時にこの目をする者が多かった。

 ハッタリではないだろう。真希を欺けるほど完璧なハッタリを余裕のない姫和が出来るとは思えない。だから何かある。それは確実だ。

 

(……だけど、手負いの刀使2人で何が出来る)

 

 それは油断や慢心ではなく、当然の考えだった。もし増援が来るならば、この周囲を囲っている夜見の荒魂が騒ぎ出すのですぐに分かるようになっている。だが闇に紛れた荒魂は静けさを保っているのだから増援は有り得ない。

 そして常識的に考えて、満身創痍の刀使が2人だけで全国でも有数の実力を持つ親衛隊に痛手を負わせられるとは思えなかったのだ。

 

 だが

 

(笑った?この状況で?)

 

 姫和が口の端を僅かに歪めた。分かりづらいが、それは笑みと呼べるものだろう。

 どう考えても追い詰められている筈のこの状況で笑えるほど姫和が強がれるタイプではない事は、この短時間でも分かる。それが笑ったということは、逆転の一手を仕掛けてくるということだ。

 

 それを理解した真希は、姫和の大振りな横薙ぎを少し大袈裟に迅移を使って回避する。そうして着地した真希に姫和は小烏丸を構えて一直線に突撃した。

 

「うおおおおおお!!」

 

「馬鹿正直に真正面から……?」

 

 血迷ったか。

 そう言いかけた真希は、しかし次の瞬間に表情を一変させた。

 

(荒魂が騒いでいる……!?まさか、敵の増援か!)

 

 真希の鋭利な聴覚が捉えた僅かな音。それはちょうど真希の後ろが発生源だった。

 それはつまり、これから来るであろう敵増援に無防備な背中を見せているということである。

 

(これを待っていたのか。逃げ回っていたのも、増援が到着するまでの時間稼ぎだったのなら納得だ)

 

 しかし、分かれば対処はできる。まず姫和を斬り捨て、そのまま敵増援に対応すればいいのだ。

 それが出来るだけの余力が真希にはあった。

 

(悪くはなかったが残念だったね。分かってしまえば、その手は通用しなっ──!?)

 

 余裕のあった真希の思考は、姫和が取った行動によって強引に打ち切られた。

 

「なん……っ!?」

 

 刀の間合い──刀使にとっては目と鼻の先ともいえるほどの近距離──にあった姫和の顔が真希の視界から消える。その代わりに視界に映ったのは、真希に向かって飛んできていた、御刀。

 

 業を煮やした寿々花が吹き飛ばした可奈美が、その勢いのままブン投げてきたものだ。

 

「チッ?!」

 

 咄嗟に反応出来たのは、真希が数多の修羅場をくぐり抜けた経験があればこそ。

 写シが無ければ即死していたであろう速さと精度で投擲された御刀を弾いて、一先ずの窮地を脱する。

 

(不味いっ!これじゃあ)

 

 だが真希は、条件反射で出してしまった行動が大きなミスだということを理解していた。

 

 今の真希の姿勢は御刀を振り上げた状態である。その腕はほぼ伸びきり、戻すのに僅かな時間を要する。

 その僅かな時間さえあれば、しゃがみこんだ姫和が突きを繰り出すのに十分すぎる──!

 

「貰ったああああっ!!」

 

 出来れば外れて欲しかった予想通りに姫和は鬼気迫る表情で突きを繰り出した。

 

 姫和の決死の一撃は、まるで吸い込まれるかのように真希の胸を貫き…………

 

 

 

 

 

 

「親衛隊を舐めるなぁ!!」

 

 その寸前で、真希の左腕が小烏丸と胸の間に割り込んだ。

 左腕という肉壁が挟まったことで突きが胸を貫く時間が、ほんの僅かに遅くなる。

 

「きさ──ッ!?」

 

 その状態で真希は動いた。御刀を逆手持ちで握り直し、完全に突きの姿勢になった姫和に突き刺したのだ。

 真希がまさか反撃をしてくるとは思わず、更に小烏丸を真希に突き刺していて引き抜くのが遅れたこともあって姫和はそれを避けれない。

 

「があっ?!」

 

 姫和の突きと真希の反撃が互いに命中したのは、ほぼ同時だった。2人の写シが剥がれ、真希は倒れる。虚脱感に襲われながらも姫和は立ち上がった。

 

「……なんて奴だ」

 

「姫和ちゃん!大丈夫!?」

 

 崩れ落ちた真希に姫和は恐怖の目を向けた。が、それも一瞬。後ろからやってきた可奈美の声に反応して、恐怖を無理やり抑え込んだ。

 

「なんとかな……逃げるぞ可奈美!」

 

「うん!」

 

 自らが貫かれる痛みに耐えながらも姫和を仕留めようとする、狂気すら感じる行為に並々ならぬ執念を感じた姫和は、今更ながら肝が冷えていた。

 一つでも何かが噛み合わなければ、負けていたのは自分だと思い知らされたからだ。

 

 だが、紙一重とはいえ親衛隊の第一席を退けた。後ろから追いかけてくる寿々花が追いついてくる前に逃げようと姫和は走り出した。

 

「逃がさん、絶対に……!」

 

 だが、背後から聞こえてきた呻き混じりの声に、思わず足を止めて振り返ってしまう。

 するとそこには、ふらつきながらもしっかりとした足取りで立ち上がる真希の姿があった。

 

「そんな!?」

 

「馬鹿な……立ち上がるのが早すぎる!!」

 

 写シを貫かれ、かなりの虚脱感が真希を襲っているはずだ。その虚脱感は言葉で言い表せないほどで、この虚脱感のせいで殆どの刀使は写シを一回しか貼ることが出来ない。それに逆らうのは並大抵の神経では不可能なのだ。

 

 その虚脱感で多少なりとも時間を稼げるだろうと思っていた可奈美と姫和は、真希が当然のように立ち上がってきた事に動揺を隠せなかった。

 

「そう驚くことではないだろう?君たちだって、写シを剥がされる度に貼りなおしていたじゃないか」

 

「ひやりとは、させられましたけれどね」

 

 合流した寿々花が、真希の横に立ちながら言う。

 

「くっ……」

 

「これじゃあ……」

 

 振り出しに戻ったどころか不利になってしまった。先程のような奇策は初見殺しであり、1度見せた2人には通じないであろう。

 せっかく味方を見つけたのに、ここで終わるのか……と諦めかけた可奈美と姫和の耳が、背後から誰かが近寄ってくる音を捉える。

 

「えっ、可奈美!?なんで此処にいるの!?」

 

「美炎ちゃん?!」

 

 森の中から飛び出してきたのは、御刀を携え臨戦態勢でやってきた智恵を除いた調査隊の4人だった。

 ミルヤは可奈美と姫和の姿と、相対する真希と寿々花の姿を見て何処か納得したように頷く。

 

「衛藤可奈美に十条姫和……。なるほど、親衛隊が出るほどの作戦とは、この2人の捕縛だった訳ですか」

 

「その通りだ。丁度いい、君たちにも手伝ってもらおう」

 

「「!?」」

 

「やはり、そうなるか」

 

 その発言に可奈美と美炎は動揺を隠せず、姫和は苦々しい顔でそう呟いた。常識的に考えて、ここで可奈美と姫和の味方をするメリットが見当たらないからだ。

 

「可奈美、構えろ。生き残りたいなら、もう戦うしか道は無い」

 

「待って。あと1回だけ……」

 

 そう言って可奈美は、この場にいる全員に聞こえるように声を張り上げた。

 

「折神家の御当主様……紫様には、えっと、良くないモノが取り憑いてるんです!」

 

 咄嗟に良くないモノと言葉を濁したのは、可奈美も尊敬している折神紫を化け物(荒魂)呼ばわりすることに躊躇いを覚えたからか、それともまだ確証が無いからか。

 何にせよ、その言葉はミルヤの足を止めるのに充分な威力があった。

 

「見たんです!首の後ろに一瞬だけ、大きな目が……!」

 

「何を馬鹿なことを!言うに事欠いて紫様の侮辱か!!」

 

 真希が可奈美に斬り掛かる。そして数合打ち合い、真希は言った。

 

「調査隊。何をしている、早く動け!」

 

「…………」

 

「……ミルヤさん?」

 

 ミルヤは無言で周囲を見渡していた。この場でやるものではない不可解な行動に美炎が疑問符を浮かべていると、その様子に気付いた真希が攻撃の手を止めた。

 

「おい。まさかそうやって、この2人を庇うつもりじゃないだろうな?」

 

「いいえ。確認しておきたい事があったもので」

 

「……確認、だと?」

 

「ええ」

 

 全員の目がミルヤに集まる中、堂々とした様子でミルヤは可奈美を指さす。

 

「正直に言って、衛藤可奈美の発言を素直に信じることは非常に難しいです。証拠も無く、あまりに突拍子が無さすぎる」

 

「それは……」

 

 そうだろう。言っている可奈美だって、自分の気のせいかもしれない。なんて思っているのだ。普通なら狂言だと切って捨てられて当然な発言である。

 改めて自分の発言に信用というものがまるで無い事に気付かされた可奈美の顔が曇る。

 

「ですが、だからといって無条件で貴女達を──親衛隊を信頼することも出来ない」

 

「どういうことかな」

 

「では聞きますが、先程から貴女達を荒魂が襲わないのは、一体どういう事なのでしょう?

 そしてもう1つ。スペクトラムファインダーに周囲の荒魂が反応しないのは何故ですか?」

 

 投げかけられた2つの質問に、真希と寿々花は気付かれない程度に眉をひそめた。

 

「人であれば、そして刀使であれば、荒魂は必ずと言っていいほど襲いかかる。我々だって、拠点を飛び出してからの僅かな間で幾度となく襲われました」

 

「…………」

 

「そしてこの周囲には多くの荒魂がいる。本来なら貴女達4人は無差別に襲われて然るべきですが、何故か貴女達を狙わず、遠くから来たはずの我々を優先して狙ってきた。まるで何かに操られているかのように」

 

 思い返せば、あれはまるで先に行かせないようにするためだったのではないか。と思う。呼吹が嬉々として突っ込んだために後を追ったが、ミルヤであれば進むことを断念するくらいの密度であった。

 それはつまり、その先に見せたくないものがあるという事に他ならない。そして先にあったのがコレだ。

 

「偶然と言うには、あまりに出来すぎていると私は思う。そしてスペクトラムファインダーですが、私のだけならまだしも、全員のファインダーに反応が無いのは何故ですか?」

 

「スペクトラムファインダーに反応が無いって……姫和ちゃんの古い方は?」

 

「……見ればわかる。まだ囲まれてるぞ」

 

 ミルヤが見せつけたスペクトラムファインダーには荒魂の反応が無い。対する姫和の旧式のスペクトラム計は、あらゆる方向に反応していた。

 姫和が旧式のスペクトラム計を持っている事に驚愕したミルヤだが、その反応を見て厳しい目を親衛隊に向ける。

 

「それは旧式の…………この反応の違いはどういう事なのか、親衛隊には納得のいく説明を求めます」

 

 真希は何処吹く風といった面持ちで、少しばかりの溜息を共に口を開いた。

 

「その質問には答えられないし、説明も出来ない……と言って、納得してくれるかな?」

 

「ええ。その返答が答えそのものですから。そして、その返答であれば、私たちが衛藤可奈美と十条姫和の味方をする理由には十分すぎる!」

 

 ミルヤは可奈美と姫和の言い分を認めた訳ではない。彼女の中では、可奈美と姫和は黒に限りなく近いグレーに位置している。

 だが真希と寿々花は真っ黒だ。そしてその真っ黒な異常を見過ごして親衛隊の味方をするほど、ミルヤは折神家を盲信していなかった。

 

 そんなミルヤの言葉を受けて戦闘態勢に移行する調査隊の面々を見た真希は、射殺すような眼光に不釣り合いなほど冷静な声色をしていた。

 

「そうか。……流石、綾小路でもトップクラスに優秀な刀使なだけはある。剣術の腕だけでなく、頭脳まで回るなんてね」

 

「だから送り返せと言ったのですわ」

 

「悪いと思ってるよ。やっぱり、僕が単独で動くとロクな事にならないな」

 

 今後の教訓にしておく。そう真希は言って、そして御刀を構えた。

 

「君達は知りすぎた」

 

 膨れ上がる殺気に、真希の本気さを感じ取ったミルヤ達が表情を変える。

 

「生かしてはおけない」

 

 先程までとは違う、殺意の篭った一撃が開戦の合図だった。

 



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