舞鶴第一鎮守府の日常 (瀬田)
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第一話 舞鶴第一鎮守府

初投稿です。
艦これほのぼのものはSSでもよくありますが、自分でも書きたくなりました。
どうかお楽しみください。


――春。

 

それは新たな生活がはじまる季節。

 

「つ、着いた…」

 

それは艦娘たちにとっても同様らしい。舞鶴第一鎮守府の正門前で、新任の駆逐艦娘の初霜は、目の前に聳える鎮守府の壮大さ、荘厳さに圧倒されていた。

 

「ここで大丈夫…なはず」

 

待ち合わせの時間にはまだ余裕があった。

この場所、つまり正門前で一四〇〇に、ここの鎮守府所属の艦娘が案内役として来る。

 

(私、本当に艦娘になるんだ…)

 

士官学校を相応の成績で卒業し、夢だった護国の英雄に、名を連ねることができる。

その思いに、初霜は心を躍らせていた。

目に映る近代的な建物や、その港湾施設が何とも魅力的なものばかりだ。

そう。彼女もまた、この鎮守府で新しい生活を送るべくこの舞鶴第一鎮守府へやって来ているのであった。

 

「おっ、感心感心」

「あっ!こ、こんにちはっ」

 

不安げな面持ちで正門に寄りかかっていると、誰かの声が聞こえた。

例の案内役だろうかと思い、初霜は手を挙げ敬礼をする。

 

「うん!こんにちは」

 

同じように返礼をする艦娘。

初霜とそう変わらない背丈と年齢ではあるが、初霜は、彼女が纏う熟練者としての、オーラのような重圧感を覚えるのであった。

 

「わ、私、初春型駆逐艦四番艦、初霜と申します。よろしくお願い致しますっ」

 

よし、噛まずに言えたという安堵感が、初霜の胸中に生じる。

実のところ、士官学校での面接練習では噛み噛みであったから、彼女からすると大戦果なのであった。

 

 

「そ、そんな畏まらなくても…。まあ、私も最初はそうだったかな。

私は舞鶴第一鎮守府第三水雷戦隊所属、陽炎型駆逐艦一番艦の陽炎よ。これからよろしくね、初霜」

 

ぱっと輝く笑顔に、初霜もつられて笑顔になってしまう。

差し出された手をしっかり掴むと同時に、この鎮守府での新生活への期待を胸に膨らませる初霜であった。

 

────────────────────────

 

 

「司令ぇ、初霜連れてきたわよぉー」

 

そう言って、乱暴にも執務室のドアを開ける陽炎。

扉の向こう側に振り返った人物を見つけると、初霜の心拍は上昇した。

 

「ちょ、ちょっと待って下さいぃ、まだ心の準備が!」

 

慌てて陽炎の後についてきた初霜は、提督と思しき人物を目の前にして固まった。

優しげな表情は、想像していた厳格な将官とは、似ても似つかない。

しかしながら、果てしない緊張感に翻弄されっぱなしの初霜にとっては、あまり関係のないことであった。

 

「お、来たか」

「あ、あわわわわ」

 

混乱する初霜に、提督は歩み寄る。

 

「君が初霜か。俺はここ、舞鶴第一鎮守府の提督だ。よろしくな」

 

その若い提督(見た目二十歳前後であろうか)は微笑して初霜の眼前に立った。

差し出された掌は、間違いなく初霜に向けられたものだろうが、当の彼女と言えば、緊張のあまり握手どころではないようだ。

 

「初霜、カチカチすぎよ」

「怖がらせてしまったか」

 

見当違いに首を傾げて思案する提督をよそに、陽炎は初霜を落ち着かせる。

両肩を掴んで、視線を彷徨わせる初霜と目を合わせた。

 

「ほら、深呼吸深呼吸」

「すぅ…はーっ…す、すみません」

「あがり症なのねぇ…ほら、あの緊張感のない顔見なさい?」

 

陽炎は提督の顔をしてにやついた。

 

「なんだそりゃ。とにかく初霜、大丈夫そうか」

「は、はい。そ、その、本日付でここへ着任します、初霜です」

「ああ。士官学校から話は聞いているよ。歓迎する」

 

握手を交わす両者。

初霜には、陽炎と違う手の大きさと、その力強さが、印象強く感じられたのだった。

 

 

────────────────────────────────────────

 

 

「へぇ、初霜って士官学校から来てるんだ」

「ええ。陽炎さんは?」

「私はこの鎮守府で建造されたの。だから勉強は司令が教えてくれたわ」

 

駆逐艦寮の一室。

新人の駆逐艦は、その教導艦とともに数日間、鎮守府のでの生活を教わる。

姉妹艦の初春や若葉たちも既に着任しているとのことだったが、今は出撃中のようだ。

 

「へえ···あの提督さんですか?」

「ええ。あの人色々と凄いのよ。ま、追々分かるだろうけど···」

「?」

「ううん、いいのよ。とりあえず、荷物を置いたら鎮守府の案内をするわ。ついてきてね」

「は、はい」

 

それからは、陽炎と共に鎮守府の隅から隅を歩き回った。

食堂では楽しげな会話が聞こえ、艦娘たちの盛況ぶりが伝わってきた。

工廠では、なにやら艦娘たちが集まって不思議な実験をやっていたが、陽炎には関わらないように、とだけ言われた。

初霜には、総じて工廠やドッグを始めとする最新鋭の軍事施設に目を見張り、よく陽炎に質問をした。

しかし、非番や休憩中の艦娘たちの集う娯楽的な施設には、口数が少ないのであった。

 

「…新人らしいわねぇ」

 

そんな初霜を見て、演習光景など残り全ての見学が終わると、陽炎は教え子を埠頭に誘った。

 

 

 

 

 

「もう夕暮れだし、丁度いいかも。初霜、ついてらっしゃい!」

「はい。って、鎮守府外ですか?」

「一応管轄範囲内だから大丈夫よ。すっごいんだから!」

 

走り出した陽炎を追いかけて、海岸沿いを駆ける。

雑木林を抜け、姿を現した海の向こう側の夕日が二人を照らす。

 

「ここよっ!」

「わぁ···!」

 

視線の先、つまり水平線に沈む太陽が、燦然と輝く。

 

「文字通り、燃えるようですね···」

「うん。綺麗でしょ」

 

初霜は、艦娘としてこの世に生を受けてから、こういった風景を見て、感動した経験がなかった。

つまりそれは、艦娘のうちの「人間」の部分が、彼女の中で芽生えずにいたことに等しい。

 

「はい…とっても」

 

静かに、涙が初霜の頬を流れ落ちる。

心を、夕日の優しい光が温めているようであった。

 

「いつも新しく艦娘になった子をここに連れてくるんだけどね」

 

陽炎はぽつりと呟きだす。

目線は遠く、水平線の向こう側に向けられていて、決意を感じさせる瞳だった。

 

「今の初霜みたいに、なんでか泣いちゃうのよ」

「!? や、やだ私…!」

「いいのよ。みんなそう、私だってそうだったんだから」

 

急いで涙を拭おうとする初霜に、陽炎は苦笑した。

それは、昔の艦娘たちを懐かしんでいるように見えた。

 

「陽炎さんも?」

「ええ。私、陽炎型の長女だから…変に責任感じちゃって、よく自己嫌悪になっちゃうのよね。

出撃でも振るわなくて、大破して艦隊のお荷物になった時もあって…そうするとなかなか抜け出せなかったのよ」

 

初霜は、先輩の話を黙って聞く。

そこには、有無を言わせぬ重圧が鎮座していたことも確かだが、きっとこの先、初霜自身も思い悩むであろうことを、陽炎が教えてくれている気がしたからだ。

 

「仲間や妹たちはそんなことないって元気づけてくれたけれど、私はついに立ち直れないまま、長い間悩んでいたわ」

 

苦悩の重さ、当時の心境の辛さがありありと伝わってくる。

 

「『私たち艦娘は、海空の守護者でなければならない』って言葉、知ってるでしょ?」

「あっ、それって」

 

初霜の耳にも聞き覚えがあった。

かつて、史上初めて深海棲艦の存在が確認され、陸上攻撃を仕掛けた数年前の本土迎撃戦。

日本各地の港湾施設と軍事力、そして無辜の市民たちが失われた。

まさに窮境となったこの国を救った、護国の英雄こそ、艦娘なのであった。

どこから姿を現したのかは定かではない。

あの戦争で沈んだ海域や、所属していた艦隊を有する鎮守府史跡からだと主張する者もいる。

この言葉は、近海の深海勢力を掃討し、全ての戦闘を終結させた後、艦娘のうちの一人がこの国の政府に対し、発した言葉であった。

 

「うん。私たち艦娘が、この世界に存在する理由であり、私たちを艦娘たらしめる言葉」

「ええ…士官学校でよく言われました」

 

その力はどの国の、どんな戦力よりも屈強であって、これまで深海棲艦に対して一切の有効な攻撃手段をも有しなかった現代兵器を超越していた。

そんな戦力が、極東の一島国に集結している。

次々と制海・制空権を奪われた世界各国は、強い警戒を示した。

 

「私たちがこの力を振るうのは、この世界でたった一つ、深海棲艦という存在に対してだけであらねばならない、ということですよね」

「うん。そのためだけに私たちは存在しているんだってね」

 

陽炎が懐かしげな目線を送っていたのは、過去の仲間たちだけではなかった。

そのことに、初霜は薄々気が付いていく。

 

「でも、それは違うんだって、司令が教えてくれたんだ。昔、悩み続けてた私に。それも、この場所でね」

 

陽炎ははにかむ。その笑顔が夕日に照らされて、それ以上に眩しく輝いて見えた。

 

「それは…一体どういうことでしょうか」

「士官学校のことを、決して悪く言ってるわけじゃないんだけどね」

 

陽炎は先んじてそう断ってから、初霜に語りだした。

 

「私たちは深海棲艦を制し、この世界に平和をもたらすためだけに存在するべきだっていう、お偉いさんの言うことは、必ずしも正しくない…ってことよ」

「…?」

 

純粋な護国の精神の持ち主である初霜には、その言葉の意味を理解しかねた。

人類を守り、世界平和の礎となるべくこの身を捧げることの、何が間違っているというのだろうか。

 

「ふふ。みんな同じ顔するのね。じゃあ、一つ考えてみて。

どうして私たちが軍艦でもなく、主砲でもなく、艦載機でもなく、女の子として、人の形をしてこの世界に現れたのか」

 

初霜は少したじろぎつつも、士官学校で学んだことを言葉にしていく。

 

「そ、それは深海棲艦が人の形をしていて、機動性の部分でどうしても劣ってしまうからで」

「うん。学校の先生たちは皆そう教えるって、司令も言ってたわ。でもね、きっとそれは後付けで、本当はまた違う理由があるの」

 

陽炎はおもむろに、両手を胸に当てて、目を瞑った。

 

「え…?」

 

初霜は困惑する。それが、どのような意味を有しているのかfが、分からなかったから。

どのように考えても合理的だと思えなかったからだ。

 

「私と同じようにしてみて」

「は、はい」

 

何のことだろう、と不思議に思い、胸に手をやる。

そして、目を瞑った瞬間、大きな心臓の拍動が、初霜の身体全体に響き渡る。

 

「…!」

「感じるかしら?この鼓動」

「は、はい。確かに聞こえます」

 

それは今まで彼女が経験した緊張だとか、焦りだとか、そういう気持ちから生じた鼓動とは、少し違って感じられたのだった。

 

「私たちがこの夕日を見て感じる気持ちと、この鼓動を、感動っていうの」

「あ…」

 

それを言葉では知っていた初霜も、今だけはこれを未知の概念と断じることができた。

何故だろうか。

 

「私たち艦娘だけじゃなく、現代の人間は、少なからず合理的なものを優先し、他を排してきた。けれど、今初霜が抱えてるこの気持ちって、きっとどんな言語で表すこともできないと思うわ」

「!」

 

陽炎の発言は、今まさに初霜が考えていたことそのものであった。

 

「そういう考えでは、私たち艦娘や、深海棲艦が存在する理由に、永遠に近づけない。

それがもしこの戦いを終わらせるカギだったとしたら、どうかしら?」

「た、確かにそうです!」

 

初霜は頷く。

 

「深海棲艦がいるから、私たちが存在し得る…お偉いさんの言うことが正しいなら、なぜ深海棲艦が現れたのか。なぜ人間を攻撃したのか」

「…何故、私たち艦娘は、人間と、司令と戦うのか」

「…!」

 

士官学校ならば厳しく叱責されていたかも知れない。

それでも、そんな当たり前の事実にすら、初霜は、初霜たちは気付かないでいた。

清廉な護国精神は尊いとしか言いようがない。しかしながら、きっとどの士官も、その根底にある心を理解していたと断じることができなかった。

 

初霜は、陽炎の、そしておそらくその言葉を授けたとされる提督の論調に、納得しきっていた。

そして同時にそれは、士官学校での厳しい訓練と努力を、強く否定することに繋がっていた。

 

「…多分、初霜が考えていることが分かるわ。今の話は、もしかするとあなたにとって自信を無くさせるような話だったかもしれない。けれど覚えておいて。あなたが今までこの世界の為に生きてきたことは、誰にも否定できないし、させるつもりはないわ」

「そ、そうでしょうか…?」

「ええ。次は、今までにあなたが得た知識と力を、新しい方向に向けるの」

「新しい…方向」

 

陽炎は、ゆっくりと歩みだす。

そうして数歩進んで、急に振り向くと、初霜に、その自信に満ちた表情で言った。

 

「ええ。そしてそれは、これから私が教えていく中で、あなた自身が掴むのよ!」

 

見た目相応の子供らしい天真爛漫な笑顔であったが、初霜にとっては、それが何よりも頼もしく、そして魅力的に見えたものだった。

初霜は、今度は自分から、掌を差し出す。

 

「はいっ、これからよろしくお願いしますね」

「うん。頑張りましょ!」

 

陽炎と手をしっかりと繋ぎ、帰り道を歩く。

行きには見られなかった景色の鮮やかさが、初霜の視界を埋め尽くしていた。

そして、初霜は思いを馳せる。

それは、この先の未来、この国とこの世界の姿に。

そして、戦いを終えた後の自分たちの行く末に。

 

 

────────────────────────────────────────

 

 

ここは舞鶴第一鎮守府。

艦娘たちが新しい自分を見つけられる場所。

艦娘たちが生活の中で、自分自身の理想を考え抜き、紡ぎ出すことのできる場所。

 

この戦いを終わらせるため、この世界に平和をもたらすため。

今日もその思いを新たに、提督と艦娘たちは水平線に勝利を刻んでいる。

 

 




いかがでしたでしょうか。
文章構造等、全くの独学ですのでコメントにてアドバイスして頂けると作者が喜びでのたうち回ります。

それでは、よろしくお願い致します…。


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第二話 料理と初期艦

第二話は初期艦のお話です。
皆さん、初期艦は誰にしましたか?

こんな話を書いておいて、私は漣なんですが…


「す、すみません···」

 

医務室のベッドの上で、間宮は申し訳なさそうに俯いた。

 

「大丈夫だ。寧ろ働き詰めにさせてしまったようだ。申し訳ない」

 

「い、いえ!そんなことは···!」

 

そして、慌てて両手を振り、否定する。

熱を出してしまったのには、実は疲労からではなく理由があって。

 

(提督に美味しいって言われるのが嬉しくて、夜中まで料理の研究してたなんて言えません···)

 

心の奥で後ろめたい気持ちを抱えながら、笑顔を繕うと、提督は悩ましげな表情を見せる。

 

「しかし···困ったな。今日は鳳翔も遠征だし···伊良湖も非番だしなあ」

「も、申し訳ありません···」

「ん?ああ。ごめんごめん!嫌味じゃないんだ!」

 

傍の吹雪が間宮の瀕死の表情に、苦笑する。

 

「ま、まあまあ。日頃の疲れを癒す意味でも、間宮さんにはゆっくり休んでもらいましょうよ!」

「そ、そうだな。とにかく、時雨と神通を看病に充てるから、何かあったら二人に頼んでくれ。」

 

吹雪に彼女らへの連絡を頼み、部屋を出る。

 

「それじゃあな。しっかり栄養とって、たくさん寝るんだぞ」

「は、はい」

 

振り向きざまに見た彼女の顔が紅潮していたのは、熱のせいなのだろうか。

不思議そうな表情をした提督を、秘書艦はやれやれという顔で見つめていた。

 

 

 

 

────鎮守府廊下

 

「でも、本当にどうするんですか?」

 

間宮の看病に関する連絡を済ませ、戻ってきた吹雪が言う。

鎮守府の料理番の不在は、艦娘たちのコンディションに大きく影響することもあってか、吹雪は思わず提督に尋ねていた。

 

「そうだな···」

 

ふと彼女を見て、提督は少し昔のことを思い出す。

 

「なあ、吹雪」

「なんですか?」

「最初は鳳翔と交代制だっただろ?それを思い出したんだよ」

 

この鎮守府へ着任して間もない頃、彼は初期艦に吹雪を選んだ。

 

「あぁ···そうでしたね···」

 

人手の足りない当初の鎮守府では、三食を作るための人員も当然のように存在しなかった。

つまり、提督やその秘書艦も駆り出されたという訳である。

 

(あの頃はまだ、司令官と一緒だったのになぁ···)

 

どうしてもっと、自らの恋心に早く気づかなかったのだろう。

過去の自分に後悔を残す。

 

「···吹雪?」

 

遠い目をした吹雪を不審がるが、今は深く考えている場合ではない。

 

「とりあえず、今日は一緒に作らないか?」

「···へ?」

 

声のトーンが跳ね上がる吹雪。

 

「あ、もしかして何か用事でもあるか?」

 

それだったらそれを優先してくれ、と付け加える彼の言動に、秘書艦はあっけにとられていた。

 

「い、いえいえ!作りましょう!ご飯」

「無理するなよ?これは命令じゃなくて···」

「大丈夫ですよ!ほらほら!」

 

目の前の背中を押すようにして進む足取りは軽い。

 

(あの司令官からお誘いを受けるなんて···!)

 

初期艦の態度の変わりように戸惑いながらも、歩みを進める提督なのであった。

 

 

────────────────────────────────────────

 

 

彼にとって、初期艦とは駆逐艦 吹雪の事を指す。

着任直前に鳳翔という艦との邂逅を果たしているとはいえ、基本的に執務の中心となっていたのは吹雪なのであった。

 

「ここに来るのも久しぶりだな」

 

もう今となっては懐かしい調理場。

前任の提督が全く手をつけていなかったことから、唯の倉庫と化していたそこは、着任して間もない提督の最初の仕事場となった。

 

『食事ができないと生活が楽しくないしな』

 

徐にそこを片付け始めた提督に、鳳翔は開いた口が塞がらなかったものだった。

 

「あの時の鳳翔さん、とても驚いてましたね」

 

くすっと笑って、吹雪は調理本の棚に目を向ける。その中の一冊を取って、ぱらぱらと捲った。

 

(···あ···)

 

少し色褪せていたその特集紙の、真ん中のページ。

 

「お、これは最初の日に作ったカレーのレシピじゃないか」

「···ええ」

 

アクセントや隠し味が記載されたページの内容が懐かしくて、吹雪は微笑む。

それなのに、心は僅かに悲しくて。

思い出すのは、着任初日の思い出。

 

 

 

 

 

四年前のその日、私は、駆逐艦 吹雪は、当時の舞鶴第一鎮守府へ着任しました。

確か春の終わり頃だったと思います。

 

(本当に、大丈夫かなあ)

 

練度も低く、駆逐艦の身では提督を支えられないのではないか。

心の底にはそんな思いが溜まっていて、私は不安でいっぱいでした。

今思えば、艦艇時代の記憶が私をそんな風にさせていたのかも知れません──。

 

「歓迎するよ。お互い新米ということだし、鳳翔の力も借りながら一緒にここを盛り上げていこう」

 

だけれど、その笑顔を見て、その大きな両手を握って、私は頑張ろうと思えました。

確かな気持ちが、伝わってきたから。

 

「よし、とりあえず今やることは一つだ」

 

提督が発したその言葉に、鼓動は高鳴ります。

出撃。

艦娘の本領、深海棲艦との戦闘です。常に死と隣り合わせの状況に、私は初めて赴くのです。

 

──────が···。

 

「厨房を掃除しよう、食事が出来ない」

「···へ?」

 

思わず間の抜けた声が出てしまいました。

てっきり私は、深海棲艦との恐ろしい戦いを想像していたものだから、少し、いえかなり拍子抜けしてしまいました。

 

「て、提督···?」

 

正気なのですか、と問うような鳳翔さんの目。はっきり言って私も同じ目をしていたと思います。

 

「どうした?」

「そ、その···出撃は」

「ああ。今日はない。今日中に何人かの子を建造して、それからの攻略にしよう」

 

ぽかん、と。その表現がぴったりな表情を、私はしていたのでしょう。

海域の迅速な奪取こそが存在意義と言われ続けてきたわたしたちにとって、その言葉は驚きと疑問を与えます。

 

「し、しかし、そんな時間は私たちには」

「焦ってコトを仕損じるのは一番愚かなことだ。まずは資源と戦力の確保に尽きる。」

 

そう言って軍服を脱ぎ捨て、シャツの袖を捲って頭巾をつけるその動作が、あまりにも流麗というか、当時の私からすれば、ただ困惑するしかない光景だったことを、よく覚えています。

 

「それじゃあ、掃除の人員確保だ。建造しに行こう。鳳翔は、台所のガラクタを外に出しといて貰えるか。終わり次第休憩でいい」

「わ、分かりました···」

「よし。行くか、吹雪」

「は、はい!」

 

この人は、今までに士官学校で出会ってきた数少ない人間のうちの、どの人間とも違うのだということを理解するのに、そう時間は掛かりませんでした。

 

 

────────────────────────────────────────

 

 

「睦月です!はりきってまいりましょー!」

「響だよ。よろしく」

 

工廠で妖精さんを交えて雑談すること二十分ほど、ドッグでは二人の艦娘が着任しました。

 

「よし。睦月に響だな。鎮守府へようこそ」

「はい!」

「Да」

「早速で悪いんだが、この鎮守府は今日始動でな。まずは拠点整理をしようと思う。手伝ってくれるか?」

「もっちろん!睦月の実力、お見せするよぉ!」

「了解。じゃあ、その子は初期艦なのかい」

 

響ちゃんの視線を感じて、思わずビクッとします。

 

「ああ。吹雪だ。駆逐艦同士、仲良くしてやってくれ」

 

ポンと肩を叩かれ、それが挨拶の合図だということを悟って、自己

紹介をしました。

 

「あ、はいっ。初期艦の吹雪です。よろしくお願いしまひゅ」

「···」

 

実は私、結構な人見知りだったりします。

大人の人、それも教官や提督には、授業の要領で接することは出来るのですが···。

ともかく、緊張で噛んでしまい、流れる沈黙に顔を真っ赤にしていた私に、2人とも笑って手を差し出してくれました。

 

「ふふ、よろしく」

「うん!よろしくにゃし!」

 

この二人とは、今でもとっても仲良しです。

 

「よし、じゃあ二人は厨房にいる鳳翔に挨拶して、片付けの手伝い。その後は鎮守府の内部なら自由に回ってみて、各自の部屋を決めておいてくれ」

「はーい!」

 

駆けていく睦月ちゃんと響ちゃんを見送って(少し寂しく思ったのはここだけの話です)、提督は振り向いてこう言いました。

 

「それじゃ、夕食の材料を買いに行こう」

「はい!」

 

 

──────鎮守府から数キロ、大型スーパー

 

 

一階の食品売り場をくまなく回っていく提督。

カゴを私が持とうとしたら、なんのことはないといった風に断られました。そんなにか弱そうに見えますかね。

 

「艦娘は資源補給とは別に食事も必要なんだよな?」

「ええ。まあ最低限補給があれば済みますけど」

「それじゃあ味気ないよな。まあ、俺からしたら艦娘も人間も違いがなさそうに感じるし、そこは一緒だよな」

 

細かいことは気にしない提督。やっぱり、他の軍人さんとはどこか違って見えました。

 

「吹雪は晩飯、何がいい?」

「え、えっとお…」

 

実のところ、艦娘として、初期艦としての基礎知識や体術を学ぶ中で、料理や芸術に触れる機会がなく、そこが、私に『人間』と『艦娘』が違う生きものなのだと、ひどく痛感させる原因の一つだったのです。

とにかく、当時そんな状況にあった私に、料理に知識も何もあったものではありませんでした。

 

「わ、私あまり料理が分からなくて…」

 

おどおどしている私に、提督は少し哀しそうに微笑んでいたのを、今でも覚えています。

 

「…そうか。じゃあ、今日は俺が作る。やり方を覚えて、また今度作ってくれるか」

 

ポン、と手を私の頭の上において、彼は言いました。

 

「は、はい」

「よし。じゃあ材料を買って帰ろう。他の子も待ってることだし」

私の手を引いて、提督はまたスーパーを進んで行きます。

その背中が、私にはとても眩しく映りました。

あの時は少なくとも、今私が思う以上に、彼に対する憧憬に近い思いだけが、強く残っていたのです。

 

「提督、これは…?」

 

掃除を終えた鳳翔さんが、何か手伝うことがないかと、掃除された元食堂を尋ねました。

鳳翔さんは並べられたこのお味噌汁、サラダ、それにメインのカレー(具材は私が切って、見事ゴロゴロカレーになってしまいましたが)に愕然としていました。

 

「ああ。今日の夕食だ。料理を口にしたことのない艦娘たちでも食べやすいように、薄味にしてある」

 

おそるおそるそれを口にした鳳翔さんの目から、涙が一筋、流れ落ちました。

 

「え…!」

 

何も言えずに立ち尽くす私を置いて、提督が彼女に歩み寄っていました。

 

「大丈夫だ。もうここには、以前のようなことを起こさせない」

「…っ!」

 

泣き崩れた鳳翔さんの背をさすり、提督は私に言いました。

 

「少し時間を置いて、響と睦月を呼んできてくれ。三人の部屋は二階に上がってすぐのところに用意してある」

「は、はい!」

 

ほとんど顔を合わせなくても、鳳翔さんが優しく、そして強い方であることは知っていました。

それだけに、食堂を出て、駆け上がる階段で感じた彼女の涙へ衝撃を受け、艦娘として生きていくことが、どれだけ重みのあることなのかが、新米の私にも薄く理解出来ました。

その後の出来事は、もうあまり覚えていませんが、夕食でのみんなの笑顔を見て、私の心の中に芽生えたのは、どうやら艦娘としてのちっぽけな責任感というか、使命感だったようです。

いずれにしても、司令官の艦娘に対する目線は、どんな人間とも違っていたようです。

 

 

────────────────────────────────────────

 

 

「思えば、吹雪も料理が上手くなったよなあ」

 

しみじみとした表情で、提督は言った。

 

「ふふ、何ですか、それ」

 

苦笑する吹雪。料理歴は相当長く、長女として、また駆逐艦や海防艦の中のリーダーとして、提督から受け継いだ戦闘スタイル、作戦立案とともに、料理を教えるほどにもなっている。

 

「…本当に、吹雪はよくやってくれてるよ」

「何ですか?急に」

 

照れからか、笑いつつも不思議そうな表情をする吹雪に、重ねて提督は言う。

 

「一番過ごしてきた時間が長いこともあるかもしれないが、吹雪はどの艦娘よりも努力家だ」

「と、突然ですね。でも、ありがとうございます」

 

思わず、高鳴る心臓。

 

「いやな。本当のことを言ったまでなんだが」

 

吹雪が切った具材を鍋に放り込む。

 

「これからも頼むよ。大変なこともあるだろうけど、吹雪となら乗り越えていける気がする」

「へっ!?」

 

至近弾に仰天し、思わずボウルを落とす。

 

「おお、大丈夫か」

 

幸い中身は入っておらず、大事故には至らなかった。

 

「ななななにを…!?」

 

後ずさりに後ずさりを重ねて、吹雪はしどろもどろに反応した。

 

「?」

「…はぁ」

 

しかし、至って平常通りの提督を見て、そこに(期待した)他意はないのだと気付かされる。

 

(全く、この人は…!)

 

ぷるぷると俯いて震える吹雪を、提督は不思議がっていたが、気のせいと思い元の作業に戻ったようだ。

 

「て、提督」

「ん?」

 

吹雪は、俯いたまま彼の服の裾を掴んだ。

 

「どうした」

「…」

 

やがて、彼女は意を決したように、こう言うのであった。

 

「私、もっと頑張りますから…これからも、見ていてくれますか?」

 

その言葉に目を見開いた提督は小さく応える。

 

「おう」

 

顔を上げた吹雪と提督は、何も言わないまま、ただ微笑み合ったのだった。

 

 

 




吹雪ちゃん、可愛いですよね。真面目なところが非常に(犯罪者の眼

世界観、提督や鎮守府の追加知識についてはお話の中で補填していくつもりです。
しばらくは更新頻度高めで行けると思うので、何卒よろしくお願い致します…


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第三話 トクベツな日

早朝から投稿をお許しください。

瑞鳳回です。なんか外国の本みたいなサブタイトル…

出来るだけ甘く仕上げようとすればするほど、自分の文才のなさを痛感する今日この頃です。


──航空母艦寮、祥鳳型の一室。

 

 

「ふふふーん」

 

思わず鼻歌も出てしまうくらいに、自室でスキップする瑞鳳。

その小さな体躯で目一杯の期待と、少しの緊張を表現していた。

 

「ご機嫌ね、瑞鳳」

 

そんな妹を微笑ましそうに見つめるのは、夕飯を作り終え、エプロンを脱いだ祥鳳だった。

 

「わ、分かるかな」

「勿論。姉じゃなくても分かるわ」

 

冗談ぽく口にしたが、あながち間違いでもない。

彼女がここまで機嫌が良い理由は、明日の誕生日(進水日)が秘書艦としての仕事の日と被ってしまったことを苦慮した提督が、秘書艦を交替させてやれない代わりに、せめて祝うくらいはさせてほしいと言ったからである。

むしろそれを誕生日のご褒美と思っていた瑞鳳にとっては、願ってもいないサプライズだったのだ。

 

そんなこんなで、これ以上ないくらいにハイテンションな状態に彼女が昇り詰めているのは仕方ない訳である。

 

「えっ、そ、そうなのぉ!?」

 

慌てて顔を両手で覆う瑞鳳。

 

「照れなくてもいいじゃない」

「は、恥ずかしいよぉ…」

 

指の隙間から、ちらりと上目遣いでその片目を覗かせる瑞鳳。

男性心理を手玉に取る(?)あの足柄を以てあざといと言わせた所以がハッキリとわかるようで、祥鳳はそれが少し羨ましく思うと同時に、瑞鳳に言った。

 

「嬉しいならちゃんと、嬉しいって言ってあげた方が、きっと喜ぶわ」

「そ、そうなのかな!?」

 

先程とは打って変わって食い気味に迫る瑞鳳に苦笑するのだった。

 

「ええ。さあ、話しながらでもお夕飯にしましょう。ゲン担ぎに卵焼きとカツを作ったわ」

「わーいっ、ってそれあたしの料理ぃ!」

 

 

────────────────────────────────────────

 

 

「うーん…」

「瑞鳳、大丈夫?」

 

翌日、朝。

テンションが上がりすぎた為か、瑞鳳は大熱を出して寝込んでしまっていた。

 

「ぐすっ、うえぇ…」

「あらあら、どこか痛むの?」

「ちがうぅ、てーとくが、せっかく用意してくれてたのにぃ」

 

その熱の高さもさることながら、それだけ瑞鳳のショックが大きいということは自明であった。

 

「大丈夫よ。また治ったらお祝いしようって、提督もおっしゃってたから」

 

妖精さん謹製の冷えピタシートを瑞鳳の額に貼り、祥鳳は続ける。

 

「今日はお姉ちゃんで我慢して頂戴。秘書艦は、吹雪さんが入ってくれるそうよ」

「うう…ありがと、祥鳳、吹雪ちゃん…」

 

頭を撫でられながら、瑞鳳は悔し涙を流して眠るのだった。

 

 

 

 

 

「瑞鳳さん、大丈夫ですかねぇ」

 

書類がひと段落して、吹雪は緑茶を啜りながらつぶやいた。

窓の外には大きな雨粒と紫陽花が見えており、風情を感じるが、緑茶の熱さに驚く。

 

「っああ、祥鳳からは、今は落ち着いて、眠っていると連絡があったが」

「相変わらず猫舌なんですね。氷を持ってきます」

「い、いや、大丈夫だ」

「瑞鳳さんたちの部屋にも届けるので、ついでですよ」

 

全く、初期艦殿には敵わない。

今日だって、休暇のはずなのに、彼女は二つ返事で受けてくれた。

彼女にも後で何かのお礼をしなければと考えつつ、残りの仕事に目を通し始めたのだった。

 

 

「提督、失礼致します」

 

執務室の扉を開いた祥鳳に、提督は口元に親指を立てて応じた。

 

「あら…」

「疲れていたみたいだ。もう仕事も終わっているし、少しここで寝かせている」

 

ソファで横になる吹雪にタオルケットを掛けてやり、祥鳳に向き直る。

 

「ここでは何だ。置き手紙をしておくから、どこか移動して話そう」

 

そうして向かったのは、上階のラウンジ。

運動などができる運動場や体育館、武道場に加えて映画、インターネット、ゲームなどを楽しむ視聴覚室と併設のトイフロア。

ここは、単純な艦娘たちのコミュニケーションの場として活用されている。

 

「瑞鳳の調子はどうだ?」

「熱もだいぶ引いたみたいです。明日は復帰できるかと」

「そうか」

 

祥鳳が欲しがったカフェオレの缶を手渡して、自分のブラックを一口。

 

「今やっている仕事が夕方には片付くから、夕食を持っていくついでに部屋に寄らせてもらうよ」

 

冴え渡る苦味を感じながら、そう口にした。

 

「ありがとうございます。瑞鳳も喜びます、きっと」

 

祥鳳は微笑んで言った。

 

「祥鳳も風邪には気をつけてな。看病で疲れも溜まると思うし、今日は早く寝なさい」

 

いつも妹の瑞鳳に目が行きがちだが、彼女も充分幼げな身であることを、提督は知っている。

特に、秋刀魚漁支援任務の時にはそれを強く感じた。

 

「は、はい。お気遣いありがとうございます」

「何だか父親みたいな台詞だな」

 

心配性なもんで、気にしないでくれと伝えてみるものの、祥鳳の不思議そうな表情は変わらない。ひょっとしたら、気を悪くさせてしまったのではないかと思った。

 

(提督が父親かぁ···それはそれで···っ)

 

「···祥鳳?」

「は、はい!なんでもありません!」

 

一瞬違う世界に入り込んでいた祥鳳だが、夢から覚めたように向き直った。

 

「あと、瑞鳳のことなんだが」

 

提督は少し考えるようにして言った。

 

「やはり秘書艦の日に合わせて、お祝いに別の日を用意した方がいいか」

「い、いえ。たまたまだった訳ですから···」

 

その所作が何となく大げさな気がして、祥鳳は苦笑した。

 

「他の皆さんのローテーションを乱す訳にもいきません」

「そうか?あんな仕事、面倒なだけだと思われてるんだとてっきり」

「まさか。大人気ですよ、取り合いになるくらいです」

「本当か」

 

何が良いのかわからない提督は、ひたすら疑問を抱くばかりなのであるが、それが祥鳳にはおかしく見えて、静かに笑っていたのだった。

 

「曙や霞には面倒がられるのだが、他の子はそうなのか」

「あー···」

 

何となく、どころかはっきりとその光景が、祥鳳の脳裏に浮かんでは再生された。

多方、照れ隠しにそんなことを言ってしまったのだろうが、きっと内心はスキップを踏んでいたに違いない。

 

「とにかく、一九〇〇には向かうようにするから、祥鳳も休む用意をしててくれ。それで良いか?」

「りょ、了解しました」

 

小さく敬礼をして、飲み干したブラックをゴミ箱に投げ入れ、提督は去っていった。

見送る背中が小さくなること、彼を見つけた吹雪が頬を膨らませて彼に迫ったところも、きっちり祥鳳は見ていたのだった。

 

 

「···んん···」

 

薄く目を開く。

部屋は薄暗く、夕方であることが感じられた。

 

(結構寝ちゃってた···)

 

布団の中で大きく伸びをして、ゆっくりと起き上がろうとする。

 

「うわ、ベタベタ···」

 

相当の汗をかいていたらしく、とても気持ち悪い。

立ち上がろうとして、ふと手のひらに何かの感触を感じた。

 

「え···」

 

繋いでいた、その手は──

 

「て、ていとく···!?」

 

その男のものであった。

 

「···zzz」

「~っ!」

 

左手を繋いだまま、布団を被る。

 

(にゃ、なにこれぇ!?て、提督がなんでここに!?)

 

「…はっ!ね、寝てしまってたか」

「うひゃああ!?」

 

跳ね起きた提督に心臓が弾けそうになる瑞鳳。

異性の手を握ったことは勿論、そのまま一緒に眠るなどという経験は、彼女にとってこれ以上ない緊張(興奮していたとは口が裂けても言えない)の原因となっていた。

 

「お、おお瑞鳳。熱は大丈夫か。少し様子を見ていたんだが、その、なかなか手を放してくれないようだったから」

 

遠慮がちに提督が目線を向けるのは、瑞鳳が握った彼の左手。

 

「わひゃああ!ご、ごめんなさい!」

「だ、大丈夫だ。というか、俺ですまないっていうくらいなんだが」

「い、いやいやいや!だ、大丈夫でしゅ!」

 

胸の前で大慌てで手を振って否定する瑞鳳。この分だと、熱は下がっていそうだ。

 

「お、おう。熱はもう大丈夫そうか?」

「う、うん。おかげさまで」

「ならよかった。一応、スポーツドリンクとか買っておいたから、しばらくは安静にして身体を休めてくれ」

「あ、ありがとう…」

 

気遣いが身に染みる。事実、自分の何倍も忙しい彼が他でもなく自分のためにこの場に来てくれていることに、瑞鳳は、失礼と感じながらも、確かな嬉しさを噛みしめていた。

 

「ああ、それと、今日の件なんだが」

 

ふと、瑞鳳は我に返り、顔が青白くなった。

 

(そ、そうだったあああっ!)

「ご、ごめんなさい!」

 

平身低頭、勢いよく頭を地に打ち付ける瑞鳳。

 

「そ、そういう訳じゃないんだ。それに体調不良なら仕方ないさ」

「そ、そうなの…?」

 

拭えぬ罪悪感と、溢れ出る後悔の念。

 

「ああ。この間から言ってた通り、今日は瑞鳳の誕生日だろう?風邪が治ったら、皆でお祝いしようと思ってさ」

「え…」

 

彼の発言を一文字一文字、ゆっくり咀嚼し、瑞鳳は先程の自分の思考を恥じた。

貴重な時間を削って、一部下である自分の誕生日を祝ってくれる上司がいるだろうか。

ただ、その純粋な好意にただ浄化されるというか、瑞鳳には、その言葉が何よりも愛おしく感じられた。

 

「だめか?小沢艦隊の皆も呼ぼうと思っているんだが」

 

おそらくきっと、彼は、彼一人とでは嫌だろうから、他の面々を呼んだり、豪華なプレゼントだって用意してくれるのだろう。

それは、彼が大切にしている他の艦娘にだって、同じようにしているんだろう。

けれど、本当は。

瑞鳳が本当に欲しかったものは、そういうことではないのだ。

 

「…」

「瑞鳳?」

「…っ、て、ていとくっ」

 

今だけは、私が提督を独り占めしているんだ。

彼の好意も、目線も、全部。

そう考えると居てもたってもいられなくなって、瑞鳳は抱きついていた。

 

「うお、ず、瑞鳳?」

「…」

 

恥ずかしいことをしている自覚はあったのだが、それを上回るように、溢れ出る気持ちが止まらない。

更に強く、腕に力を込めると、次第に彼の体躯の大きさと感触がはっきりと自分に伝わる。

元々赤かった顔が、ますます熱っぽくなって赤くなる。

 

「…瑞鳳?」

 

流石に気になった提督に、瑞鳳は掠れた声で答えた。

 

「…誕生日プレゼントの、前借り」

「えっ?」

「プレゼントなんて、いらないから…そ、その」

 

提督の胸元、決心を固める瑞鳳。

 

「わ、私のトクベツに、なってくだしゃい!」

「…瑞鳳」

 

目を見張る提督。

瑞鳳はわずかに涙を滲ませ、小さく震えているようだった。

──そんな彼女に微笑んで、提督は耳元に顔を寄せるようにして呟いた。

 

「ちょっとだけだからな?」

「~~~~っ!」

 

瞬間、瑞鳳の身体を駆け抜けていく痺れ。

鼓動はピークに達し、もはやその小さな体では受け止めることができなかった。

 

「はうっ」

「…瑞鳳?」

 

腕の中、彼女は沸騰して我を失った。

 

 

────────────────────────────────────────

 

 

「それじゃあ!」

「瑞鳳っ」

「「お誕生日おめでとう!」」

 

同時にクラッカーが弾け、会場である間宮のテラスは盛り上がった。

 

「みんなぁ、ありがと~」

「さぁ、ロウソクの炎を消して、瑞鳳」

 

祥鳳が差し出したケーキには、『82』の数字が。

 

「ふーっ、ってこの数字って…」

「おめでとう瑞鳳!めでたく82歳ねっ」

 

瑞鶴がウインクして親指を立てる。

 

「そ、そんなぁ、私おばあちゃんじゃない!」

 

握った手を振って、抗議の目線を送る瑞鳳であったが、微笑ましく見守る瑞鶴・翔鶴、千歳に千代田に伊勢や日向にとっては全てが可愛く映るばかりであった。

 

「まあまあ。進水日からってことで許してくれよ」

「う…提督が言うなら…」

 

はにかむ提督の笑顔には勝てなかったのか、瑞鳳は顔を赤らめてそっぽを向いた。

 

「あれあれぇ?瑞鳳ちゃん提督には怒らないのぉ?」

 

その光景を、にやにや顔で目ざとく伊勢が指摘する。

 

「無理もない。提督は瑞鳳にとって『とくべつ』だからな」

「にゃっ!?なんで知ってるのぉ!?」

 

硬直する瑞鳳を尻目に、祥鳳は手を挙げる。

 

「ごめんね瑞鳳。お姉ちゃん見ちゃった」

「しょ、祥鳳!?」

「まさか瑞鳳ちゃんがあんなに積極的だなんて」

「そうね。普段真面目な子ほどって言うし?」

 

悪びれもせずにさらりと暴露した姉が憎らしくて仕方ないが、今はそれどころではない。

 

「あ、あうう…提督」

「その辺にしといてやれ。瑞鳳だって風邪で心が弱ってたんだ。しょうがないさ」

 

瑞鳳の頭を撫でて、提督は苦笑しながら言った。

またこの男は、変な方向へ誤解していたらしい。

 

「ま、このくらいにしておきますか。さ、ケーキ食べよケーキ!日向、切り分けてよ」

「ああ。瑞鳳にはイチゴが多く乗ったのをやろう」

「もーっ!たっぷりにしてくれなきゃ許さないよぉ!」

 

誕生日会の場に、どっと笑いが起こる。

その場にいた皆が、混じりっけなしの笑顔で笑っている。

もちろん、提督も。

 

「ほれ」

「ん、俺か?」

「そうではない。瑞鳳に食べさせてやってくれ」

 

日向がサムズアップして言う。

 

「ち、ちょお!?」

 

焦る瑞鳳の肩を、祥鳳がしっかりと押さえる。

 

「そら、男なら潔く行け」

「ほ、本当に良いのか?」

「提督さん、ズバッとやっちゃって!」

「ほら、瑞鳳口開けて、あーんって」

「ふええええぇ!」

 

なんだかんだ波乱はあったが、このように瑞鳳の誕生日会はしっかり行われた。

笑顔が溢れ(本人は心臓が飛び出そうだったと語る)、皆が彼女の誕生を祝っていた。

 

 

誕生日。

それは自分が今、この場所に存在することを感じられる日。

そして、大切な人々とのつながりを、また強く、大切にしようと思える日。

今年の誕生日が、瑞鳳の記憶に強く残ったのは言うまでもなく。

彼女は気持ちを新たに、再び舞鶴での日々を送るのであった。

 

 




最近、めでたく瑞鳳改二乙がレベル99になりました。

うちは単婚主義なのでケッコンはしない予定ですが、射程長のせいか、MVPをどんどん取っているところを見るとなかなかもったいなく感じますね。。。


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第四話 癒しを求めて

文中の視点についてですが、作品を一度書いて推敲しているうちに変わってしまい、誰のものなのか分かりづらくなっているかも知れません。
しばらく連続で投稿させていただいた後、投稿ペースを落として修正致します。

蒼龍ちゃん好き(大胆な告白


「う~ん…」

 

真夜中、蒼龍は自室の布団の上で呻き声を上げた。

どうやら目が冴えてしまって、眠れないらしい。

隣で眠る妹(カッコカリ)の寝顔を、恨めしそうな表情で見つめていた。

 

(どうしてだろ…って、もう、原因は分かってるんだけど)

 

昨日の晩は、非番なのをいいことに、飛龍に乗せられるままホラー映画を見てしまった。

翌日、つまり今日の秘書艦業務を忘れてしまっていたのだ。

 

(まあでも、自業自得、かな···)

 

眠れずに飛龍の腕にしがみついたことを思い出すと、少し顔が紅くなるのを感じる。

 

(最近、出撃もたくさんあったし···疲れが取れてないのかも)

 

眠るに眠れない午前二時の闇の中。

 

「…水でも飲もうかな」

 

フラフラとした足取りで食堂へ向かう。

月明かりが照らす鎮守府廊下。優しい光に、少し目を細める。

 

(明日は···今日か。秘書艦、飛龍に交代してもらおうかな···クマとかでひどい顔かもだし)

 

若干の悔しさを感じながら歩いていると、ふと、執務室から漏れる光に気付いた。

そこに引き寄せられるように、蒼龍の足は動いていた。

 

 

────────────────────────────────────────

 

 

「···提督?」

 

静かに、蒼龍は光の先、執務室の扉を開ける。

 

「ん、蒼龍。こんな時間にどうした?」

 

思った通り、彼の机には膨大な量の書類か積まれていた。

 

「ちょっとね。提督こそ、こんな遅くまで仕事してたら倒れちゃうよ」

「期限があるから、仕事が遅いとどうしてもこうなっちゃうんだ」

 

心配かけてすまん、と頭を掻いた提督。その表情に、蒼龍はいつも胸の痛みを感じるのだ。

 

「···他の子には、手伝って貰ってないの?」

「有難いことに、大淀が付き合ってくれてるよ。他の子も手伝ってくれるのは嬉しいんだけど、この書類、専門知識がないと難しいからな」

 

独自の緻密な計算式や、複雑な書式は、その手の専門家でなければこなすことが出来ないのだと、彼は言った。

 

「···まあそれでも、もう直に終わるよ。後は見直しだけだからな」

 

そう言って書類から顔を上げた提督は、蒼龍の強ばった表情に気付いた。

 

「蒼龍も、何だかちょっと疲れてないか?」

「へっ!?な、なんで分かるの!?」

「目の下のクマがひどいぞ」

 

(そ、そうだったぁ!)

 

つい先程の思考も忘却の彼方へ。

ひとたび提督の事を考え出すと、彼女はついつい自分や周りが見えなくなる節がある。

 

「み、見ないで…」

 

慌てて顔を隠したが、きっと赤みの差した頬は見えているのだろう。

 

「一体どうしたんだ?なんでもいいから、話してくれないか?」

「じ、実は···」

 

打ち明けるのは、少し躊躇う。

けれど、少しでも目の前の彼と話していたい。心の奥のその声が、蒼龍を動かした。

 

 

 

 

 

「──ほ、ホントにごめんなさい」

「なるほど。そりゃあ本当に怖かったんだな」

「…というより、勝手に観て勝手に怖がってる私のせいなんだけどね…」

 

軽い自己嫌悪に苛まれつつ、提督を見やる。

 

(提督も眠いのに…押しかけちゃって迷惑だよね)

 

「あ、あの、これ以上は提督に迷惑掛けちゃうから」

「…ん?ここで寝てかないのか?」

 

いつの間にか上着を脱いだ提督がいた。

 

「へ…ど、どうして」

「ん?眠れないからここに来たんじゃないのか?」

 

そう言われて初めて気付く。

実は提督ならどうにかしてくれるのでは、と心のどこかで期待していたのかも知れないということに。

 

(わ、私、無意識で)

 

日頃から妄想していたシチュエーションが目の前にあって、意識してしまうと緊張する蒼龍。

自分の欲望のままに甘えてしまえ、と囁く悪魔と、疲れているはずの提督に気を遣って退室するべきだと促す天使が争う。

 

「うう…で、でも」

「まあ、そう硬くならなくていい。海域の戦闘は精神もすり減るだろうし、実は艦娘同士では頼り合えない部分もあるんじゃないかとは思うんだ」

 

そう言って提督は蒼龍の頭を撫でて小さく笑った。

 

「ふぇ…」

「よしよし、怖かったな…っと」

 

蒼龍を抱きかかえ、ソファにゆっくりと下ろすと、彼は膝の上に蒼龍の頭を乗せた。

 

「ひゃ…て、提督」

「最近は出撃も多かったからな。疲れさせてしまってすまん」

「そ、そんなこと、ないよ…」

 

優しい匂い。提督の膝の上で、ただ蒼龍はそれを感じる。

徐々に体の余計な力や緊張が抜けていくのが分かった。

 

「何も怖くないんだ。飛龍も赤城も、加賀も、みんなここにいる」

「…うん」

 

提督が軽く背中を叩く。

蒼龍の心拍音に合わせて、心地よい揺れが身体を包んで、眠りを促した。

 

「んん…ふぁぁ」

 

視界が薄れ、我慢しても欠伸が出てしまう。伝わる体温の温かさに、蕩ける意識。

抜群のセラピーを感じつつ、もはや声すらも出なくなっていた。

 

「さあ、お休み。蒼龍」

 

ゆっくりと落ちる瞼。

蒼龍の意識はそこでぷつりと途切れた。

 

 

────────────────────────────────────────

 

 

──翌朝、執務室。

 

総員起こしの後、同室に蒼龍がいなかったことに気付いた飛龍は、きっと朝から秘書艦任務に向かったのだと思い当たり、ついでに朝食にでもしようと執務室を訪れた。

 

「おはよ提督!蒼龍見なかった···って蒼龍!?」

 

仰天して飛龍が声を上げたその先に、蒼龍はただ、快感に身を委ねていた。

 

「あ゛ぁぁ~、ひ、飛龍…おはよおぅぅ」

「…蒼龍、何してんの?」

「おお。おはよう飛龍。蒼龍が出撃で疲れてるって言うから、起き抜けに軽いマッサージをな。結構凝ってるみたいだ。飛龍もどうだ?」

「ひりゅ~···提督のこ、これ、すごい効く、よぉ···」

 

自分でも奇怪な声を上げていることには気付いているのだが、どうにも声が抑えられない。

鍛錬後のケアを怠っていたわけではない。しかし、凝り固まった筋肉がゆっくりとほぐされ、じんわりと心地良い熱が広がっていく。

 

「なんじゃこりゃ…」

「ぜったい、やったほうが、い、いってぇ~」

 

史実の艦艇時代に限らず、飛龍は蒼龍とそれなりに付き合いが長いのだが、親友ながら、こんな表情は見たことが無いと感じていた。

随分と蕩けた顔をして整体マッサージを受ける蒼龍。

そこに若干、複雑な感情を覚えるのだが、まあ本人が満足しているのならいいのだろうと思い直す。

 

「ふ~ん、ま、私は蒼龍と違って不健康な生活なんてしてないし?」

 

何となく小馬鹿にした表情で蒼龍と提督に言い放つ飛龍。

 

「う、そぉだぁ···ひ、ひっ!りゅうだってよふかししてたじゃ、ない゛ぃぃ!痛、痛い痛い!」

「うっ…でも確かに、この絶賛具合なら気になるかも。提督、私にも軽くやってみてよ」

「おう、いいぞ」

 

仕上げに、肩の特に凝った部分を押すと短い悲鳴を上げる蒼龍。

提督としては、それがなかなかに嬉しく思われていた。

 

「よし、んじゃあ飛龍と交代だな」

「う、うん···ありがと、ていとく」

「っとその前にラストスパート」

「ぅ゛っ!?」

「うわあ···」

 

無慈悲に、それでいて力強く、固まった筋肉を剥がしていく。

 

「い゛っ!こ、これでっ!お゛わりじゃないのぉ゛ぉ!?」

「はいはい、もうちょっとな」

 

(···提督って、もしかして···)

 

この時の提督の顔こそ、イベント海域の攻略達成と同等以上の笑顔だったと、後に飛龍は言った。

 

 

 

 

 

しばらくして、飛龍も同じようにマッサージに悶絶した後。

 

「ん、んん~!提督、ありがとね!」

 

何やら風雲と急用のできたらしい飛龍を見送って、晴れ晴れした顔で蒼龍は言った。

 

「疲れが取れたならよかった。まあ、夜更しはほどほどにして、身体に負担を掛けないようにな」

「う、ごめんなさい…」

「気にするな。蒼龍だってそんな時くらいあるだろう。その時は俺やみんなに相談してくれよ。また今日みたいに、出来ることがあるかもだからな」

 

提督の微笑が、蒼龍の心を虜にする。

何よりも、こうして他ならぬ自分だけを気遣ってくれているという構図が蒼龍の僅かな独占欲のツボを突いていた。

 

「はぅ…わ、分かりました…」

「さて、朝飯だけど間宮のところに行かないか。奢るよ」

「ほ、ほんと!?あ、で、でも」

「こんな時くらい遠慮するな。ほら、先に着替えてきなさい」

「わ···はい!待っててね!」

 

手を振って駆け出した蒼龍に苦笑して、つい、欠伸が出る。

 

「ふあ···今日は昼寝でもするかなぁ」

 

たまにはこんな朝があってもいいかも知れない。

そんなことを考える提督なのであった。

 

 

────────────────────────────────────────

 

 

後日。

 

「提督」

「ん···どうしたんだ、みんな揃って」

 

廊下で呼ばれ、その声に振り向くと蒼龍の他、赤城や加賀などの正規空母の面々が揃い踏みであった。

「蒼龍に聞いたんです。提督のマッサージ、とても効くそうなんですか?」

 

赤城が笑顔で聞く。

その後ろに半泣きで佇む(引き摺られているように見えたが)二航戦たちがとても対称的で気になったが、ここは素直に答えておくことにした。

 

「ああ。効くかはわからんが、あの日から二人ともよく来てくれているな」

「へぇ…」

 

赤城の目がより一層細く鋭くなったが、提督にその理由が分かるはずもない。

 

「やっぱり効くんですね、蒼龍?」

「ひっ!?そ、そうみたいです…」

 

(あれは狩るものの目ね…)

 

隣に控えた加賀が、冷静に判断していることなどつゆ知らず、ただただ二航戦は震え上がるばかり。

 

「そんな訳で貴女たち、抜けがけは禁止よ」

「は、はい!ぜ、絶対に守ります」

「え、ええ···絶対ですね」

 

加賀が何を言っているかは分からなかったが、五航戦もその奥にいるようだ。仲のいいことで何よりと思う。

 

──最も彼女らは、赤城の見たこともない表情に怯えていたが。

 

「提督、お時間があれば私たちにもお願いしたくて···」

「ああ、もちろんいいぞ。まとまった時間は確保できるか分からないから、また個別で聞いてくれ」

「はい!でしたら、明日のお昼などどうですか?一緒に頂くついでに」

「あ、それ私も···」

 

言いかけた蒼龍に、怜悧な視線が突き刺さる。

 

「蒼龍?」

「ひいい!?」

「ん、蒼龍もか?」

「いえ。蒼龍は鍛錬がありますので。ねえ加賀さん?」

「…ええ。そうね、みっちりと」

「えええええ!?」

「あまり無理はするなよ?」

 

言ってはみたが、なにやら不平不満をぶちまけて泣きわめく蒼龍と、それを面白がって爆笑していたものの、ついでに鍛錬に巻き込まれて絶望する飛龍に苦笑する。

 

正規空母部隊は、普段は師弟関係を感じさせないような仲の良さがウリだ。

それでも、戦闘時はしっかりと先輩の指示を守り、意見を出して作戦を遂行する雰囲気の良さも持ち合わせており、提督が感心するところとなっている。

 

「ふええええ、勘弁してくださいいい」

「終わった…何もかもが…終わった」

 

何故二航戦がこんなことになっているのか、提督には直接の原因が分からない。

まさか、自分のマッサージが原因となっていることは考えもしないであろう。

そんな鈍感さを発揮しつつ、提督はまた一つ欠伸をしたのだった。

 

 




シリアスとは…となっている方もいらっしゃるかもしれませんが(そもそも読者さんがいない)割とタグは保険みたいなところがあるのでなかなか出ないかもです。

ついこの間橘花改を作りました。ジェット機演出かっこいい。


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第五話 紅い目こすったあの子

今回はちょっと文章量が多めになっていますが、内容はスッカスカです(白目)
タイトル名は自然に浮かんだのですが、どこかで聞いた気もします。


──────南方海域最深部

 

「···っ」

 

身体が、興奮の熱に震えている。今すぐにでも、叫び出したかった。

すっかりと日の落ちた、暗い紫色の空を一睨み、夕立は、翡翠色の瞳を輝かせながら、来る夜戦へ心を備えていた。

 

「···もう行っても、いいっぽい?」

「私たちも行くよ~」

「ええ。それではご武運を。もしもの場合は救援無線を行い、回避行動に徹して下さいね。くれぐれも、無理しないように」

「分かってるわよ」

 

心配性の大淀の忠告に、大井がうんざりした表情で答える。

 

分かっているのだ。

自分が沈んで、今も寝ずに待ってくれているあの人を、悲しませるわけにはいかない。

 

「それでは、時雨さん、比叡さん。行きましょう」

「うん。それじゃ大井さん北上さん、夕立をよろしく」

「私たちの心配してよ···この子はアレだからさ」

「アレ、だから困るんだよ。まあ、大丈夫だろうけどね」

 

時雨が苦笑している。

全く、姉妹だというのにひどいものだと、夕立は一人頬を膨らませた。

 

「ご、ごめんなさい···私も戦えれば」

 

そこへ、中破した比叡が口を挟んだ。

昼戦にて敵戦艦の砲撃を受けてのことであったが、それも北上や夕立を守り抜き、機動力によって深部の敵艦隊を撃滅させるという目的を達成するためであった。

 

その強い意志を汲んでか、提督も条件付きでそれを認めたのだった。

 

「謝らないで、比叡さん。夜戦火力を残すために三人を庇ってくれたんだから」

 

時雨が優しく微笑むと、比叡の表情が少し明るくなった気がした。

 

「そ、そうよ···だからあんたは休んでて」

 

大井が照れもあってか、目を逸らしながら言う。

 

(ツンデレっぽい)

 

「わー、大井っちのツンデレだー」

「言っちゃうんですね」

「き、北上さぁん!?」

 

そんな四人を横目に、夕立は、比叡にそっと近づいて、両手を握り締めた。

 

「比叡さん、ありがとう。夕立、絶対に勝ってくるわ」

「···夕立ちゃん···」

 

瞳は血のように紅く、艤装は力を纏うように熱を帯びる。

改二状態の放つとてつもない熱量は、艦娘たち全員に見られることではあるが、夕立は特にそれが著しい。

心の中に潜む力が、深海棲艦にとって恐怖や畏怖の対象となっているようだ。

 

「···あら~、これは」

「深海棲艦が可哀想だね」

 

目の色を変えた夕立に、北上と時雨が冷や汗をかいていた。

夜のこの子の恐ろしさは、他でもない、仲間である自分たちこそよく知っているからである。

 

「···それじゃあ、行くわ」

 

気を取り直し、遠く、敵南方泊地中枢から出立してくるはずの深海棲艦へ目を向ける。

何のことはない。

“たった”七、八隻のことだ──────

 

「夕立、突入するっぽい!」

 

 

────────────────────────

 

 

日は沈み、そこに光はない。

ただ、あるとすれば──────

 

「はあああッ!」

「ガッ···ア」

 

朱に染まった眼光が、一閃。

敵雷巡の身体の真ん中を凶弾が貫く。

断末魔を上げる暇もなく、海中へ沈んでいった。

 

「···ふう」

「夕立!左弦、九時!」

「──────ッ!」

 

僅かに捉えられた、薄い雷跡。

間一髪でそれを避け、雷撃の飛んできた方向へ、暗い海を駆ける。

 

「ったく、危ないわねぇ!」

 

大井は声を荒げながらも、あくまで冷徹に、持ち前の五連装酸素魚雷で敵戦艦の半身を穿つ。

砕け散った艤装に、吹き上げた血の赤が染まっていく。

しかし、純黒の夜闇の中にはそれを見分ける術など無かった。

 

「まあ、でもどうせ避けちゃうんだけどねー」

 

大井とちょうど背中合わせに、北上は重巡二隻を、主砲で吹き飛ばした。

飛び散る鮮血が、ついに敵の照明弾の光の元に晒される。真っ暗だった視界は、狂気のように紅く彩られた。

 

「電探に感有りっぽい!艦種不明、四隻!」

「さっきの雷撃はそいつらね」

「今相手してる敵の遊撃は一個艦隊だし…夕立、うちらが行くまで維持できる?」

「? そりゃーもちろん…」

「損害なしで、よ。当たり前でしょ!?」

 

もはや本人は気にもしなくなっていたが、夕立は血塗れである。

言うまでもなくそれが敵艦のものであったとしても、それほどまでの近接砲撃に出ていることは確かだ。。

敵大型艦の夜戦放火を、そんな距離でまともに受ければひとたまりもないことは自明である。

 

「…少しでも自信がないなら、あたしは絶対に行かせないけどね」

「…」

 

北上の、普段からは想像もつかない鋭さを秘めた眼差しが夕立を捉えた。

それを全身で受け止めて、夕立は目を瞑ったのだった。

 

「大丈夫」

 

言い放った決意は、固く、力に満ちていた。

艦隊を庇った比叡のため、今も自分の身を案じている大淀や時雨のため。

仲間たちの想いが心の中を巡り回って、血を沸き立たせる。

 

「そか」

 

北上は瞳を紅く染めた夕立を一瞥して、新手の近づく北方に振り返った。

大井もそれに倣い、そちら側に主砲を構える。

戦艦級の射程はすっぽりと彼女らを覆っている。それくらいの距離での近接戦闘は、諸刃の剣である。

 

「大井っち、援護お願い」

「ええ、もちろん」

 

体勢を低く保ち、北上は突撃に備える。

 

「ほんじゃ、やっちゃいますかぁ!」

「ぽい!」

 

大井の砲撃を合図に、北上と夕立が飛沫を上げて飛び出した。

 

 

────────────────────────

 

 

「…見つけた」

 

暗闇の向こうに待ち受けていたのは、重巡ネ級以下小型艦が三隻。

一隻で単独行動を取る夕立の急襲に対し、反応が遅れた深海棲艦らが対抗する手段は、もはや闇雲に砲撃を繰り返すのみであった。

 

「チェックメイト、ね」

 

でたらめに繰り出される砲撃は実際に夕立が保っている距離よりも、ずっと近くに着水している。

高速航行で勢いづいた夕立は、不意をついて一気にネ級の懐へ辿り着く。

 

「さよなら」

 

連装砲での至近連撃。ネ級が艤装を破壊され、たちまち大きくのけぞって怯む。

すれ違いざまの反航戦、夕立は遠ざかりながら魚雷をぶん投げる。

ネ級らとその艤装は粉々になった。

 

「…っやったぁ!」

 

跳びはねながらガッツポーズをして、爆風に背中を押されながら大井と北上の戦う海域へ戻る。

 

「遅いっぽいー!」

「呑気なこと言ってる場合じゃないわよ!」

 

背中を向けながらも怒鳴り声を返す大井の前方には、更なる敵艦隊が現れていた。

つまるところ、南方の主力に気を取られているうちに、挟撃に遭ってしまったらしい。

 

「ちょーっとまずいねー。夕立、半分頼める?」

 

北上は、無表情のままそう呟いた。

暗い視界に映るのは、少なくとも六隻以上。

背後の南から迫る艦隊を合わせれば、数的不利は相当なものとなる。

 

「···やっていいの?」

「もちろん」

 

次の瞬間に、夕立の表情は至って無邪気な、そして狂った笑顔に変わっていた。

ぞわり、北上と大井の背に悪寒が走った。

 

(この子…やっぱり、本物の夜戦狂だわ)

 

雷巡として、確かな夜戦戦力を買われている自信はあった。だが、彼女だけは敵に回したくないと、大井は悟っていた。

 

「ぽおおおいっ!」

 

いつもの癖の、不思議な掛け声を一つ。夕立は、飛沫を上げて敵艦隊へ肉薄する。

豆粒に見えた深海棲艦の姿が、みるみるうちに大きくなっていくのが分かった。。

 

「···!」

 

どうやら、気付かれたらしい。

 

『夕立っ!』

 

無線からは引き留めるような大井の声が流れてくるが、まるで聞こえていない。

 

(夕立は···負けないっぽい)

 

忽ち、怒涛の砲火と爆発が、耳を劈く。

気の狂うような閃光と炸裂音の中、踊るように至近砲撃を躱し、敵戦隊へ迫る。

 

「···はあっ!」

 

酸素魚雷を力任せに振り投げる。

突然の奇襲と薄い雷跡に、敵水雷戦隊は目に見えて戸惑っているようだ。

 

「どこ、見てるっぽいっ!?」

 

敵の注意が逸れたその一瞬、夕立が放つ砲撃は敵旗艦の軽巡の艤装を破潰させ、海中に潜めていた魚雷の誘爆が、水雷戦隊の六隻を巻き込んで霧散した。

 

「···ふう」

 

水雷戦隊の遺骸と艤装が沈んで行くのを眺めつつ、視線を更に奥、北側に移すと、夥しい量の敵が、こちらを睨んでいた。

 

「どうやら、こいつら倒してからじゃないと無理っぽいねえ」

「北上さん、それ私のセリフっぽい」

 

追いついてきた北上に苦笑いで返すと、夕立は、腰から短刀のようなものを取り出した。

 

「···それ、使うの?」

「ええ。元々は、これの実験目的でもあるっぽい」

「まあ半分名目みたいなもんだけどねー」

「北上さん、それは言わない約束っぽい」

「あはは」

 

随分と呑気なものである。

大淀や妙高が見たら卒倒しかねないその余裕は、何よりも、彼女らの戦闘力と意志の強さに因るものだ。

 

「···これで最後ですよ」

「何だかんだ言って付き合ってくれる大井っち、大好きだよ」

「···もう!」

「惚気ないで欲しいっぽい···」

 

夕立は、新たな武器を構えた。

 

──深海鉄。

深海銅とも称されるその金属は、文字通り深海棲艦の持つ金属で、艤装や残骸から抽出され、舞鶴第一鎮守府では、武具へ活用された。

夜戦や霧の立ち込める、偵察行動の効かない白兵戦時に有利だろうという考えからである。

 

「じゃあ、旗艦様、よろしくね」

「了解っぽい!」

 

重雷装巡洋艦の二人を駆逐艦一人の護衛にするという、艦隊決戦にはありえない陣形。

 

『常識』はいつでも捨てられる。

そういう風に彼女たちを変えたのは、もはや言うまでもなく、あの男だった。

 

「魚雷斉射っ!」

「おうっ!」

 

三隻から放たれる大量の魚雷は、暗い海中を、とてつもない速度で真っ直ぐに移動する。

 

「戦艦タ級!砲撃くるよぉ!」

 

北上がそう叫ぶのと同時に、砲撃音が轟く。

瞬間、海面は隆起し、鋭く水飛沫が上がった。

 

「夕立に任せて!」

 

揺れ動く波に上手く体重を乗せ、速度を得る。

砲撃の反動で動かない戦艦を仕留めるなら、今しかない。

 

「雑魚はお願いするっぽい!」

「おー、元気だねぇー」

「き、気をつけなさいよ!」

 

そんないつもの会話に苦笑して、敵前面へ突っ込む。

 

「···ガアァァ」

 

薄気味悪い、そんな叫び声。

人の形をしない深海棲艦は、本能のままに動く。従って、行動を予測しやすいのだ。

砲撃は夕立を大きく逸れて着水する。

 

「···下手くそね」

 

素早く増速して接近する夕立を恐れてか、雨霰のような砲撃が降り注ぐ。主砲の再装填が行われるための時間稼ぎの、機銃斉射であった。

 

「ふっ!」

 

目にも止まらぬ速度で腕を振る。小気味良い音を立てて、鉄の弾は弾けていった。

弾丸は夕立の服を裂いてはいるが、体を傷つける気配は一向に無い。

身を包んだ爆風は、敵の照明弾や探照灯に照らされた夕立を隠すのに丁度良かった。

 

「···もう終わりかしら?」

『どこにいんのか分かんないけど…援護はじめるよっ!』

 

最大出力、近接砲戦へ移行する。

北上たちの援護射撃によって敵艦を撹乱し、瞬時に敵艦の間を潜り抜ける。

後に残るのは、猛炎に焼け落ちながら断末魔を上げる深海棲艦のみであった。

 

「後は頼んだよ、夕立」

「任せるっぽい!」

 

煙の中から飛び出して距離を詰める夕立は、すぐさま主砲を撃つ。

 

「ガッ···」

 

艤装が砕けたタ級は、苦悶に顔を歪め均衡を崩す。

 

「はああっ!」

 

振り向きざまに、素早く腕と目を切りつける。

 

「グアァァァア!」

 

タ級が激痛に悲鳴を上げた。

両目を抑え、隙だらけとなったタ級が、従えている僚艦を壁としたようだ。

夕立の存在を感知した深海棲艦が、これでもかという数で殺到する、その瞬間。

 

「待ってたっぽい!二人とも!」

 

好機が到来した、と夕立は海面に主砲を撃ち込んだ。

水壁が敵艦隊と彼女を隔て、夕立は全速で離れていく。

 

『…夕立、戦域離脱!甲標的部隊、やっちゃってぇ!』

『行くわよ!』

 

集まる十数隻の深海棲艦が夕立が居た位置に砲を向けた時には、もうその姿はなかった。

僅かな音も立てず、海中には、夥しい本数の酸素魚雷が敵艦を捕捉していた――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「流石に疲れたっぽい···」

「当たり前だよお···何しろ20隻以上だったしね」

「血でベトベト···北上さん、大丈夫ですか!?」

 

おぞましい会話が耳に入ってきたが、考えないようにする春雨。

僚艦の時雨や、綾波、吹雪、ヴェールヌイまでも「夜戦時には」このようだと聞かされ、更に顔が青褪めるのは置いておいて。

 

「皆さん、対潜哨戒はしっかりね」

「五十鈴には丸見えよ!」

 

〇三三○に夜間戦闘を終えた夕立たちの元へ、二つの艦隊が到着した。

第二艦隊は周囲索敵の上、非常時には敵艦隊の西方誘引とその撃破を行い、第三艦隊は残された第一艦隊の護衛に就く。

既に比叡は大淀の先導で戦闘中に安全圏の海岸沿いから退避を行っているとのことで、一安心である。

 

因みに、基本的に艦娘が陸から退避することはできない。

その存在の秘匿性もあり、大本営の正式な手続きを経た、大規模な作戦中でもない限り、それは不可能であろうとされる。

 

「はぁ…疲れたぁ」

 

生死を賭した戦いで、既に精神もボロボロである。

艤装は小破止まりだが、生傷は多い。

 

「ちょ、ちょっと!夕立姉さん、大丈夫?」

「だ、だひじょーぶっぽい···」

 

ふらふらしていると、海面に頭から突っ込みそうになる。

バランスを崩してよろけると、すっと横から伸びた腕が夕立を支えた。

 

「おっと」

「あ、利根さん」

「ご、ごめんなさい、夕立姉さんが」

「よいよい。あんな戦のあとじゃ。疲れたのも無理はない」

「うふふ···きっと、北上さんや大井さんを気遣っていたのよね?」

 

筑摩が、優しく夕立の頭を撫でる。

 

「···夕立ちゃん、大丈夫?」

「も、もう少しだけこうさせてっぽい···」

 

疲れからか、目眩が強く、頭を襲う。

 

「まだ少しかかる。おぶってやろうか?」

「···ううん、大丈夫」

 

きっと、今も心配しているあの人に、逢いたい。

夜の戦いも好きだけれど、それをくぐり抜けて、無事に還ってきた時の、あの人の、安堵に満ちた表情。

難しく言うと、慈愛のような。

誰かが昔教えてくれたその言葉。

提督は、自分たちのことを、そういう風に、見てくれているんだと──。

 

他の人間の、艦娘の、誰でもない。

私たちだけを、ただ大切にしてくれているんだと。

そんな想いにこの身をもって応えたいと思うのは、おかしいだろうか。

 

「夕立、ちゃんと提督さんに、ただいまを言いたい」

 

これは、ぽいじゃない。

真紅の瞳は、朝日に照らされて輝いた。

 

 

────────────────────────

 

 

「···あっ、提督を見つけました」

「本当ね。この寒いのによくやるわ」

「とか言って、五十鈴も嬉しいんでしょう?」

「ばっ、馬鹿ね!そんな訳ないでしょ!?」

 

五十鈴のツンデレは今に始まったことではない。

冷静な分析をもたらした霧島に噛み付く五十鈴を横目で眺めつつ、今も埠頭で待つその人に目を向けた。

 

「もうすぐじゃぞ。夕立」

「うん···ありがとうっぽい」

 

駆け出したいのは山々だが、燃料も切れ始めており、何しろ疲労が大きい。

徐々に近づいていく陸。

桟橋に移動した鈴谷と提督が、受け渡しの用意をしていた。

 

「お疲れ様。報告は後でいいから、ゆっくり休んでくれ」

艤装を外し終え、綺麗に並んで敬礼をした18人に彼も敬礼を返すと、穏やかな口調で言った。

「ぽーい!」

「おっとっと」

 

敬礼を解くと、すぐに夕立が飛び込んでくる。

 

「提督さん、夕立頑張ったっぽい!」

「ちょっと夕立ちゃん!服!破れてるし血と煤まみれだよぉ!」

 

春雨の制止も虚しく、お互いが気付いた時には、既に夕立は彼の腕の中。

 

「···はっ、ご、ごめんなさい!」

 

すぐさま離れたが、ワイシャツは汚れてしまっていて、それを気にしたのか、飛び退いた夕立は髪まで落ち込んでいるように見えた。

 

「ん?あぁ。気にするな。それより、もういいのか?」

 

両眼に涙を浮かべた夕立に視線を合わせて言う。

 

「〜〜っ!」

「お疲れ様、夕立」

「提督さあああん!」

「おっと! 」

 

猪突猛進の勢いで再び飛び込んできた夕立。

汗と潮水と、さらに血が混ざったような匂いがして、その壮絶さが身に沁みて分かった。

 

「頑張ったな。ありがとう」

「大丈夫っぽい!夕立、提督さんのためなら、どこまでも行けるっぽい!」

 

見た目は年端もいかぬ少女。

その身体と精神に、南方の夜戦はどれほどの苦痛をもたらしたかなど、計り知れたものではない。

 

「···そうか。嬉しいよ」

 

それに、どうしても罪悪感を覚えてしまうのだ。

精一杯、それを償ってきたつもりではあるけれど、いつも心のどこかで、それは偽善だと、声が聞こえる。

 

(そんな時に、この子ときたら)

 

一時期、それに悩み苦しんでいた自分を動かしてくれたのは、夕立だった。

 

(いつも言ってくれるなぁ···)

 

この子は、全幅の信頼を見せてくれる。

どんな嵐が吹く日も、どんなに激しい戦いがあった日でも。

真紅の瞳を、綺麗に輝やかせて――。

 

「···提督さん?どうしたの?」

 

キョトンとした顔で見つめてくる夕立。

 

「いや···本当に、ありがとな」

 

こみあげるものを感じるあまり、思わず抱き締めていた。

 

「へ···?」

「きゃあーっ!て、提督!?」

「Nooooooooooo!」

 

金剛型の阿鼻叫喚は、彼の耳には届かなかった。

 

「ゆ、夕立姉さん···」

 

春雨の指の間から覗いた視線も。

 

「あら〜、これはちょっと羨ましいねぇ大井っち」

「へっ!?···むむむ」

 

北上と大井の羨望の眼差しも。

 

「···て、ていとくひゃん···」

「おっと、ごめん」

 

腕の力が強すぎたことを自覚し、腕を緩める。

抱きしめることに下心はもちろんなく、また家族のように触れ合いの機会の多い夕立のことだから、気にはしないのではないか、と思っていた。

 

「痛くなかったか?」

「ううん、で、でも、夕立···そろそろ限界っぽい···」

 

目を回して倒れこんだ夕立を慌てて押さえる。

 

「だ、大丈夫か?」

「···提督、僕が運んでおくよ」

 

見かねた時雨が、苦笑してそう言うのだった。

 

 

────────────────────────

 

 

「加減はどうだ?」

「うん!ちょうどいいっぽい!」

 

入渠ドッグ兼風呂場の近くの娯楽室で夕立の髪を梳かす。

心配して様子を見に行ったが、特に問題は無さそうで一安心した。

 

「さっきは済まなかった。あんな風にされるのは嫌だったよな」

 

うっかり不用心に触れてしまったことを謝る。

艦娘と言えども見た目と精神は年頃の子なのだから、やはりあのような行動は慎まなければならなかった。

 

「ぜ、全然大丈夫っぽい!そ、その、急に、ぎゅってされたから、ちょっとびっくりしたっぽい···」

 

彼女は彼女で、むしろ今はもっとして欲しい、という本心が伝えられないのがもどかしいが、それでもにやけ顔が隠せないのだった。

部屋に戻ったらきっと、白露や村雨が羨ましそうにしていることだろう。

そんな優越感と、風呂上がりの温もりと、何よりも好きな人と触れ合える、その心地良さが、身を包んでいた。

 

「そうだったか···これからは迂闊に触らないように気をつけるよ」

「えっ···う、うん」

「?」

 

寂しそうと感じたのは気のせいなのだろうか。

提督は、頭をよぎったそんな思いを片隅に追いやり、夕立の髪を梳くことに集中する。

ブラシが髪に引っかかると、相当痛いのだと、以前天津風に言われた覚えがある。

 

「すまん、もう少し寄ってもらってもいいか?」

「ふえっ、う、うん」

 

大の男に詰め寄られるのも嫌だとは思うが、こちらはしくじる訳にはいかないものなのだ。

 

(ちちち近いっ!近いっぽい!)

 

そんな彼なりの二律背反的な苦悩などいざ知らず、当の夕立の心拍数は跳ね上がっていた。

背中を通して伝わってしまいそうな心音に、おさまれおさまれと心は叫ぶ。

 

「あっ、そ、そうだ。作戦報告書···」

 

夕立は、もどかしいその心を隠すように、話をすり替えた。

 

「急がなくていいよ。疲れただろう?」

 

それでも、心の奥の本心は告げていた。

もっとこの人と一緒にいたい。

それは、日頃から忙しい彼にとっては、迷惑なのかもしれないけれど。

そんな自制心の枷が見て見ぬふりをしたのは、熱にでも浮かされてしまったのだろうか。

 

「···じゃあ」

 

上目遣いで、どこか緊張したように言う。

 

「一緒に、作って下さい、っぽい」

 

言ってから、後悔が自分を襲う。

勝手な我儘で、彼を困らせてしまったのではないかと。

 

「…おう」

 

対して、彼は笑っていた。

そんな姿が彼女らしくなくて、つい笑ってしまった。

夕立の気遣いが、聞こえてくるようで。

 

「それじゃこれ終わったらな。どこでやろうか」

「い、いいの!?」

 

整えた髪を撫でて、その向こうから、夕立の笑顔が、ぱっと輝いていた。

 

「ああ。新しく渡した武器の話もよかったら聞かせてくれ」

「···っ」

「?」

 

返事がなくて、何事かと夕立を見る。

 

「うん!提督にいっぱいお話するっぽい!」

 

元気よく飛び上がって抱きついてくる夕立の笑顔が、とても眩しいのであった。

 

 




この次のお話から投稿ペースを半日ごとに落としています。
最終的には週末の更新に落ち着かせる予定ですが、できる限り頻繁に更新したいと思っておりますので、読んでいただけると嬉しいです。


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第六話 一航戦の誇り

12月下旬にイベントですよね…備蓄しなきゃ



(あの赤城が不調···か)

 

どの演習、出撃報告書も、それを証明するような文章が並んでいる。

 

「うーん、何かあったのか?」

 

(だとしたら、無闇に本人に聞くのは不味い)

 

艦隊において重要な役割を担う彼女の不調は、かなりの痛手であることは間違いない。

 

(最も、誰であったとしても同じことか)

 

そう考え直して、空母寮へ向かった。

 

──────空母寮 翔鶴型部屋

 

「うーん、覚えがないなあ」

 

部屋の前でいいと言ったのだが、翔鶴の熱烈な歓迎を受けて今に至る。

 

「俺も未だに信じられないんだが···翔鶴は何か知っているか?」

「いえ、あまり···あ、不調と言えば、暁ちゃんがどうとか話を聞きましたけど···」

「暁···?」

 

暁型駆逐艦一番艦 暁。例の通りの見た目相応の性格をしている。

 

(何かあったのだろうか)

 

そう考えていると、瑞鶴の声。

 

「何なら加賀さんに聞くのが一番早いんじゃない?部屋も一緒だし」

「そうしたいのは山々なんだが···確か今あいつは出撃だったな」

「それじゃあ聞けないわね···私たちからもそれとなく話をしておくから、提督さんは暁の方に行ってみてよ」

「ああ。そのつもりだ。ありがとな。二人とも」

「いえ···それでは演習なので、これで私達も失礼しますね」

 

演習場へ歩いて行く二人の背を見送って考える。

 

(暁と赤城···何か関係があるのか?···とりあえず偶然だとしても、暁の所には行かないと)

 

赤城に暁に、普段なら考えられないメンバーの不調。

 

(一体、何があったんだろ)

 

あんまり艦娘とのコミニュケーションが届いていないのだろうかと猛省する。

 

(···っと、ここか)

 

着いたのは二階、暁型の部屋。

 

「···暁、いるか?」

 

ノックをしてしばらくすると、出てきたのは電であった。

 

「あ、司令官さんなのですか?暁ちゃんなら···」

 

電はおずおずと、部屋の隅を指差した。

 

「···暁?」

「ひっ···し、司令官?」

 

まるで怯えるように、暁は振り向いたのだった。

 

 

「お化け?」

 

暁、ついでにその場にいた電を間宮に連れてきた。

 

「···にわかには信じ難いのです」

 

(···電、当たり強すぎじゃない?)

 

「ほ、ほんとよ!···昨日、夜にトイレに行こうと思って起きたら···」

 

────────駆逐寮、二階廊下

 

「うう、ちょっと怖いわ···」

 

震えて廊下を歩く。その床下から、何やら物音がするのだ。

 

グォォ···

「あれ···?」

 

グォォォォ···

「な、なに···?」

 

グォォォォォォォォォ!

「ひ、ひいぃ!」

 

────────────────

 

「夜のトイレ、行けたんだな」

「失礼ね!行けるわよそれくらい!」

「···それで、その後はどうしたのです?」

「そ、その後はダッシュでトイレに行ったのよ···」

 

当時の光景を思い出したのか、身震いしている暁に些か苦笑しつつ、質問を続ける。

 

「どこから音がしたとか、覚えてるか?」

「···うーんと、確か下の階から···」

 

(下の階···)

 

「電、寮の部屋割りを知ってるか?」

「えっと、確か一階は空母の皆さん···でしたと」

「!?」

 

思わず立ち上がると、二人の怪訝な視線が刺さる。

 

「ど、どうしたのよ」

「わ、悪い。ちょっと用事が出来たから、これで払っといてくれ。電」

「は、はいなのです···」

 

そう言って、急ぎ空母寮へ向かった。

 

「···あ」

 

(提督、なぜ空母寮に)

 

出撃を終えて戻ってきた加賀は、空母寮に向かう提督の後姿に気付いた。

 

「···提督」

「ん、おお、加賀か!いいところに!」

 

加賀の手を引いて走り出す。

 

「ちょ、ちょっと···」

「話は後だ、とりあえず行くぞ!」

 

(行くってどこに···)

 

多少の疑問はあれど問いただす暇もなく、加賀は仕方なく付いて行くのであった。

 

────────────────────

 

「そんな···赤城さんが不調だなんて···」

「信じられないかも知れないが本当のことだ。加賀は出撃があったからあいつと会う時間が無かったとは思うが、気が付いたことがあれば教えて欲しい」

「···ごめんなさい、ご期待には添えなさそうね···」

 

しかし、彼女の顔は依然深刻であった。それは大切な同期の身に何があったのか、本当に心配しているように見えた。

 

「そうか··でも加賀には色々と話すことがあるから···そうだな、ちょうど夕飯だし、鳳翔のところで話すか。この後は予定はあるか?」

「いいえ、無かったはずだわ。行きましょう」

「よし」

 

加賀の予定もないようなので、詳しく話を聞くため、居酒屋 鳳翔の前までくる。

 

「好きなもの頼んでくれ」

「赤城さんには悪いけど、流石に気分が高揚します」

「おーい鳳翔やってるかー···」

「···あ」

「赤城さん?」

 

暖簾をくぐり、扉を開けた先。カウンターの奥で鳳翔と話す彼女は、紛れもなく赤城だった。

「燃費が悪い?」

「実はこの間、他の鎮守府でそんな噂を聞いて···」

 

赤城によると、先日の演習で燃費の悪さを指摘する他の鎮守府の提督の話を偶然耳にし、それを気にするあまり食事が喉を通らなくなって、今回の不調に繋がったという。

 

(そんな事言ったら私の立場が···)←加賀

 

「ただの噂だろ?仮に資材を大量に必要だとして、それ相応の戦果を挙げてるじゃないか」

「で、でも私は···」

 

赤城に限らず正規空母という艦娘は、その高い性能と引換えにかなりの資源を要する。

だが、それは当たり前のことで、それを理解出来ずに赤城を責めるのは筋違いであり、戦果を挙げられないのはその司令官の指揮に欠陥がある。

 

「大丈夫だ」

 

頭に軽く手をやる。

 

「ん···て、提督」

「簡単に言えば、資材より赤城がもたらす戦果の方が圧倒的に多いんだ。そうだろ、加賀?」

 

言いつつ隣の加賀に振り向く。

 

「ええ。赤城さんは私よりもずっと有能な方です」

「···そんなことは」

 

赤城が反論しようとすると、間髪入れずに鳳翔が煮物を据えた。

 

「そうですよ。赤城さんはちゃんと、この鎮守府に貢献出来ています」

 

最も、さっきからそう言っているのに、と頬を若干膨らませた鳳翔に苦笑しつつも続ける。

 

「赤城も加賀も、どちらが優れているとか、劣っているとか、そんなことを考えなくていい」

 

それが重圧になるなら尚更だ。

 

「調子が悪いなら休めばいい。独りが不安ならお互いに支え合えばいい」

 

それが怠慢だとは、誰も思わないし、実際にそうではないのだから。

 

「二人はもう、そんなことを言われるような練度じゃないんだし」

 

それだけは、自信を持って欲しいと付け加える。

 

「ふふ、そうですね···それに」

 

鳳翔は、それに続くように、微笑んでいった。

 

「二人が無事に戻って来てくれることが、何より嬉しいんですよ···提督も」

「鳳翔さん···」

「提督···」

 

二人の瞳に、涙が浮かぶ。

 

「そうだな。ありがとう、鳳翔」

 

言いたいことを全て言ってくれた。実のところ、中々恥ずかしかったので、鳳翔には感謝し切れない。

 

「いえ···それよりも、この子達を、これからもよろしくお願いしますね」

「ああ。俺の方こそ、よろしく頼む」

 

ふと、胸中に疑問が湧く。

 

「···ところで、暁が赤城たちの部屋から不審な音を聞いたらしいんだが···何か知ってるか?」

どきり。

 

そんな音が聞こえるかのように、目に見えて赤城は慌てだす。

 

「あ、あのぉ···そ、その···」

「ん、何かあったか···」

「うふふ···赤城さん、あまり提督を心配させる訳にはいかないし、話して上げたら?」

 

苦笑というか、困ったような笑顔の鳳翔。

以前から思ってはいるが、彼女たち空母部隊の母親のような存在ではないだろうか。

 

「え、ええ···じ、実は」

 

赤城は、おずおずと語り出した。

 

──────朝 食堂

 

「おはよう」

「おはようございます、提督」

 

事件の翌日、赤城は既に普段の調子を取り戻していた。

 

「いい食いっぷりだな···鳳翔、俺にもくれ」

「はーい!」

 

厨房で忙しそうな鳳翔だが、いつもよりも笑顔である。やはり、後輩が元気だと嬉しいものなのだろう。

 

「はい!やっばり朝はご飯ですよね!」

「そうだな。···しかし、噂を気にするあまり毎日1食だった奴が言う台詞とは思えないな···」

 

結局、暁が聞いたという怪音の正体は、赤城の腹の音だったと言う。

 

「···廊下に響き渡るって···」

「も、もう!その話はしないで下さい!」

 

赤城が顔を真っ赤にしている。

 

「悪かったって」

 

普段は見られない表情に苦笑する。

 

(···だけど、やっぱり)

 

食事を美味そうに平らげる赤城を見て、つくづく思う。

 

「いっぱい食べる子の方が、いいな」

 

何もなかったかのように隣に座った提督を驚いて見つめる。

 

「え···そ、その···」

「ん?」

 

顔が急に熱くなるのを感じ、彼から顔を背ける。

 

「な、何でもないです!」

 

慌てて両手を振ると、不思議そうな顔をして、彼はゆっくり朝食を食べ始めた。

ちらりと彼の横顔を窺う。

穏やかな表情で、ぼーっとしているようで、ちゃんと自分たちのことを考えてくれている人。

着任当時、自分を指導してくれた鳳翔から、そんなことを聞いた。

 

(でも、たった一つだけ、提督が考えていない事がある)

 

──────それは、自分。提督自身のこと。

 

(だから、私達がそれを支えないといけなくて)

 

もちろん、強制ではない。

心からこの人に寄り添いたいと、そう思うからだ。

 

(提督と、一緒に)

 

この人の隣を歩きたい。

この鎮守府を作り上げていきたい。

この世界を、生き抜きたい。

一航戦の、誇りにかけて。

 




赤城・加賀の改二が待ち遠しいですけど、とてつもない量の改造設計図なんでしょうね(絶望


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第七話 雪の日

今更ですが、小説は短編集という形なので、季節感がめちゃくちゃです。お許しを。
今回はちょっとシリアスな話っぽい?


「んん···」

 

部屋の中まで染み込んで来る寒さに目を覚ます。

新年を迎えた鎮守府は極寒であり、炬燵や暖炉がなければもうどうにもならない寒さが続いていた。

 

(今朝はやたらと寒いな···)

 

この冬最高潮を迎える、凍てついた空気に身を震わせつつも、帰投してくる遠征部隊の出迎えに行こうと思ったのだが、体を起こして二つ、気付くことがあった。

 

「雪…か」

 

窓を覗くと、辺り一面を覆う銀色に驚く。昨日は比較的早くに床に就くことができたので、この雪はどうやら深夜から降り始めたようだ。

 

「すぅ…すぅ…」

 

そして、もう一つ。

 

「こんなところで何をしてるんだ、響…?」

 

掛け布団を捲ると、両腕で身体を抱きしめて震えている彼女――駆逐艦、響の頭に手をやる。

 

「んぅ…おはよう、司令官。それにしても寒いね」

 

もぞもぞと布団から這い出てきた彼女は、眠たげな様子を見せた。

旧ソ連艦らしくなく、かなりの寒がりなのだろうか、一度引き剥がした布団にぎゅっと包まりながら、顔だけを覗かせている。

 

「なんでわざわざ布団に入るんだ?」

「今日は秘書艦だからね。司令官のおはようからおやすみまでを見守るのが秘書艦の役目さ」

「···そんなことになっているのか?」

「少なくとも私はそうだ。今朝は多分、遠征の出迎えに行くんだろうと思ったからね」

「なるほど。それなら付き合って貰おう」

「ああ」

 

ベッドから降りると、傍に置いてあった暁型の制服に気が付いた。準備がいい。

それを手に取って響に手渡す前に、はねた髪を緩く撫でて直す。

彼女は瞼をこすりながらも、満足そうな表情を浮かべたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ええ遠征組、ききき帰投ししました!」

 

寒さに震える旗艦の阿武隈と、遠征組の面々。がちがちと歯の音を立てて凍えているその様は、もはや遠征に出したことを後悔させるほどであったが、これも運営に大切な任務であるので、なんとか頑張って頂きたい。

 

「お疲れ様、ドッグは空いているから、早く入渠して来てくれ」

「「はいっ!!」」

 

まさか積雪がこんなに早いとは、予測できなかった。

彼女らにはアフターケアを充実させねばならないと思案しつつ、一目散に入渠ドッグへ駆けて行った彼女らを見送る。

 

「さてと。響」

「…」

「響?」

「…な、なんだい司令官」

「何かあったか」

「いや、何でもないよ。さあ、執務を始めよう」

「…ああ」

 

提督が見た響は、普段の冷静さを感じさせる表情ではなく、どこか違うところを見ているようであった。

どことなく違和感を感じたまま、執務に手をつけていく。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「はい、提督と響ちゃんの分」

「ありがとう」

 

順調に書類仕事を片付け、時刻は正午、昼食の時間である。

 

「今日はオムライスなんだな。どれ、頂くか」

「ああ…頂きます」

「頂きます。うん、美味い」

 

卵のふわっとした食感に驚く。

間宮や伊良湖はまだしも、鳳翔までこの技術を習得しだしたというのだから、本当に彼女達の努力には頭が上がらない。

 

「…響?」

「――っ、なんだい」

 

ふと傍の彼女に視線を向けると、まるで惚けたような、なんでもないような、ぼーっとした先程の表情が目に付く。

急に意識を取り戻したように慌てたが、取り繕うことも出来ていなかった。

 

「ちょっと失礼…熱はないか」

「だ、大丈夫だよ。特に、問題はない」

 

本人の言う通り、風邪を引いていたり、体調が悪いという訳ではないらしい。

それなら、この状態は一体何なのか。

 

(遠征が多かったからか?)

 

それが、疲れからくるものだとしたら、そんな理由なのかも知れない。

 

「ふむ…とりあえず、部屋まで送るよ。少し寝たほうがいい」

「っ…も、申し訳ない」

 

考えを巡らせるが、思い当たる節はない。

 

(とりあえず寝かせるか。暁たちは今出撃中だったかな)

 

一日に二回も抱えるとは思わなかったと、俯いたままの響を私室に運んだ。

 

────────────────────────

 

「よし、と」

 

毛布を掛け、ゆっくりと寝かせる。

 

「···すまない、司令官」

「いいんだ。それより、何かあったのか。」

 

気になっていたことを問うと、響は少し俯く。

もしかすると、ナイーブなことだったのかも知れない。

 

「···すまない、無理に答えてくれなくてもいいんだ」

「いや···話すよ。司令官にも知っておいて欲しいからね」

 

そうして、何か決意を固めたような表情を見せる。彼女は口を開くのだった。

 

「昔の···前世の記憶を、少し思い出すんだ」

 

静かに、けれど力強く口にした。

 

「···先の大戦か?」

「ああ。大戦後、私はロシアに引き渡されたけれど、その事はもう、気にしてはいない」

「···」

「···けれど、ただ一つだけ──────」

「一つだけあるとすれば、私が今こんな気持ちになっているのは、きっとそれが理由なんだと、思うんだ」

「···それは、俺も知っていていいことなのか?」

「さっきも言ったじゃないか。提督には、伝えておきたいんだ」

「···そうか。それじゃあ、教えてくれ」

 

もう少し、彼女に近づく。縮まる距離に、響の胸が高鳴る。

 

「そう、だね───」

 

口を開こうとするが、なかなかその言葉が出てこない。

ひょっとしたらそれを口にすることによって、本当にそれが起こってしまうかのような恐怖が、響の心を支配する。

震えが、全身を覆うようだった。

 

「う···く···」

 

胸の内に秘める、その言葉を、上手く口にすることが出来ない。

 

(···どうして)

 

その理由を、響は、自らに問う。

 

────この人には、伝えられない。

それを悟った瞬間、大きな恐怖が巻き起こる。

それは、響にとって、最も嫌なことだったからだ。

 

(私は、この人のことを)

 

まだ夜も明けない、暗がりで覗いたこの人の寝顔を、思い出す。

(私は司令官のことが、好きなはずなのに)

 

信頼という言葉に、彼女は人一倍、敏感であった。

だからこそ、このことを打ち明けられないという事実が、確実に彼女の心を責めていた。

 

(悔しい···)

 

伝う涙の雫が、握り締めた掌に零れ落ちた。

 

「響」

 

自分を呼ぶ声が、こんなにも悲しく聞こえることが、あるだろうか。

信頼に対する失望。

それを経験するのは、もう慣れている。

けれど、心が傷を負わない訳ではない。

 

「ひっ…ぐっ···」

 

顔を上げることが出来ない。それは泣き顔を見られたくないとか、弁解の言葉を口にするためとか、決して、そんな理由ではなかった。

ただ、今の自分では、彼と────提督と、目を、視線を交わす事は出来ない。

そう、感じたのだった。

 

「響!」

 

黒い渦に巻かれるような気分だった。

自分を呼び覚まそうとする声も、肩を揺する手の感触も、何も感じなかった。

そのまま、眠りに落ちる────

そんな時だった。

 

「っ」

 

ようやく聞こえた────その心音が、全身を巡り、目を覚ました。

 

「駆逐艦響。激しい海戦の数々にその身を投じて活躍し、苛烈なその時代を駆け抜けた、武勲艦だ」

「だがしかし────それは、それほど多くの仲間を看取ってきたということでもある」

 

噛みしめるように、提督は言った。

 

「済まん···お前の前世のことは、もう知っている···仮にも、提督だからな」

「…っ」

「響、実際にあの時代の記憶を持つ、お前でしか分からないこともある。だけど、これだけは、言わせて欲しい」

 

響を、更に抱き寄せる。

 

「俺は、何があっても響を裏切らない。お前への…ヴェールヌイへの信頼に誓って…信じてくれ」

「···あ、あ」

 

固まっていた全身がほぐれ、提督にもたれかかる。

必死に彼の身体を掴んで、叫んだ。

 

「ああ···!私も、司令官の、ことを···信じるっ···!」

 

その言葉を言い放つ、その瞬間に、何かが、彼女の中で溶けた。

それは、あの日の記憶でもあるし、また、氷柱のように心に刺さった罪の意識でもあった。

全ての恐れが無くなるということじゃない。

それでも、この人は自分を信じると言ってくれたから。

 

瞳が、髪が、輝きを取り戻す。また一粒の涙を零して、その意識は途切れた。

 

「···き」

「···ひび、き」

「···ん」

 

薄く目を開くと、最愛の人たちは、自分の周りを囲んでいた。

 

「起きたのです!司令官!」

「響!やっと起きたのね!心配したんだから!」

「ひ、ひびぎぃ···よかっだぁ···!」

 

泣き顔の暁に少し驚く。

泣きそうになっても、普段は我慢するというのに。

 

「起きたか」

 

部屋の扉が開き、その人は、自分に近づく。

もう、あの時のような、恐怖はない。

その人は、自分の長髪を撫で優しく笑った。

 

「し、司令官···私は」

 

一抹の不安が纏わりつく。

大切な人たちに、迷惑をかけてしまったかも知れない。

 

「大丈夫だ」

 

しかしそれは、一瞬のうちに、その言葉で掻き消される。

そう言って提督は、響のそばに寄った。

 

「俺を信じてくれて、ありがとう」

 

彼の心音と、温もりが全身を包み込む。

 

「···ああ。こちらこそありがとう、司令官」

 

もう、凍てつくようなあの感情が、心を飲み込むことはなかった。

 

「···どうする?もう少し寝るか」

「そうだね。もう夜だ。···それに」

「それに?」

「···司令官と一緒に、眠りたい」

 

真っ白な肌を、仄かに朱く染めて言う。

 

「···そうか、分かった」

 

それが可愛らしいものだから、ついつい、そう返してしまうのだ。

 

「あーっ!ずるいずるい!私も!」

「そうなのです!電も、司令官と一緒にお休みしたいのです!」

「れ、レディーは別に一人でも寝られるし···」

「分かった分かった。」

 

彼はそんなせわしない彼女らに苦笑し、とりあえず風呂に入ってきなさい、と促すのだった。

 

────────────────

 

「司令官のとなりがいいのです!」

「わたしも!」

「まあまあ。今日は響に甘えさせてやってくれ」

 

そう言うと、響を胸元に引き寄せた。

 

「し、司令官···」

「今まで一人で悩んできたんだからな」

 

静かに笑って、ご褒美になればいいけど、と付け加える。

 

「あう···しょうがないのです」

「でも、響は一人じゃないわ!」

 

そう言う雷に、響は軽く目を見開く。

 

「そ、そうよ!暁だっているんだから!」

「もちろんわたしも、なのです」

「みんな···」

 

次は自分がみんなを守らないといけない。

もう誰一人沈ませないために。

ずっと、そう思ってきた。

けれど、それは違った。

 

「そうだ。響は一人じゃないぞ」

 

その髪を撫でつつ言う。

 

「今度はみんなで、この戦いを乗り越えよう」

 

微笑みとはまた違った、愛する人のその優しい眼差しに、思わず瞳から涙が零れ落ちた。

 

「···ああ」

 

それを隠すように、提督の胸元へ顔を埋める。

────頬の緩みは隠しきれない。

 

「さあ、お休み」

 

その表情に響は微笑んで、瞼を閉じる。

月明かりが、優しく彼らを照らしていた。

 




この前なんとなくソートで新規着任順に艦娘を見ていたんですが、初建造が響でした。
最初から一緒にプレイしてきた子ほど、愛着がわきますよね。

皆さんも任務報酬で手に入れた白雪ちゃんを大切にしてあげてください…。


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第八話 お悩み相談室

この欄って、何か書いた方がいいんですかね?
小説のネタより、ここのネタの方が先に枯渇しそうです。

今回は少な目です。どうぞ!


「ね、ていとく」

 

昼下がり、そんな声がして後ろを振り向いた。

 

「おお、どうした?」

 

そう答えて振り返った廊下の先、長めの金髪を靡かせているのは、島風型一番艦、駆逐艦島風だった。

普段の彼女の、天真爛漫なイメージとはかけ離れて、彼女のもたらす静寂。

 

「...ちょっとだけ、でいいんだけど」

「おう、どうかしたのか?」

「相談に...乗ってほしいの」

 

少し暗めのその表情が、どこかで引っ掛かる。

 

「...えと、その...」

 

語口は遠慮気味というか、口籠もっているようだった。

 

「無理して言わなくてもいいんだぞ。どうしても言いたいことなら、しっかり待つから、落ち着いて話せ」

 

頭を優しく撫でると、恥ずかしそうにしながらも、彼女は口を開く。

 

「と...ち」

「...?」

「ともだちが、ほしいの」

 

────────────────

 

「なるほど...」

 

島風には、同型艦がいない。

それは、その並外れた航行速度などからくる他の艦娘との性能さによるものだ。

艦隊のメンバーからは一歩離れた立場をとることも多い。

 

「そ、その、提督は普段から忙しいのに、迷惑かけちゃうけど···ごめんなさい」

「気にするな。俺の方こそ、気付いてやれなくてすまん」

 

(しかし、彼女は本当に純粋で思いやりのある子だ)

 

申し訳なさそうに俯く島風をまた撫でて、微笑みかける。

 

「寂しい思いをさせてしまったな」

 

すまない、と謝れば、島風へ慌てた顔を見せた。

 

「そ、そんな···提督は何も悪くないよ!」

 

その慌てように苦笑しつつ、彼女の手を握った。

 

「何も姉妹ではないからって、遠慮しなくていいんだ。皆は島風のこと、大切にしてくれてるから」

「そ、そうかな··」

「ああ。とりあえず昼飯だ。それからまた考えよう」

 

執務室の扉を開けて、島風の手を引くと、嬉しそうに笑うのだった。

 

「あら、提督。今日は島風ちゃんと一緒ですか?」

 

注文口でせっせと働く間宮に話しかけると、彼女は珍しそうに言った。

 

「ああ。とりあえずいつものを頼む。島風はどうする?」

「う、うん···提督と同じの、食べる」

「分かった。それじゃあ二つだな」

「はい。よかったわね。島風ちゃん」

「うん···!」

 

間宮の笑顔につられて、島風も微笑んだ。

 

(やっぱり、間宮はすごいな)

 

女性の持つ包容力や安心感にはやはり驚かされる。

 

「ありがとう、間宮」

「へ!?」

 

少し羨ましいな、なんて思っていると、突然の流れ弾に被弾して動揺する。

 

「···?どうしたんだ」

「い、いえ!それより、冷めちゃいますよ!」

「···そ、そうか」

「むぅ···」

 

島風の不満げな表情には、気づくことのない提督であった。

 

 

「食った食った」

 

 

昼飯を終え、島風を連れて廊下を歩いていると、前からドタバタと走る艦娘の姿が。

「テイトクー! Tea Timeネー!」

「おう、金剛」

「提督。今からお姉様たちとお茶会をするのですが、どうでしょうか?」

 

金剛の後を歩いていた榛名はそう言った。

 

「そうだな···あっ、そうだ、島風も一緒にどうだ?」

「え···わ、わたしもいいの?」

「もちろんネー!それじゃあLet's go!」

 

金剛のハイテンションさに苦笑しつつ、後を追う。

 

「あら、提督、島風ちゃんもですか。こんにちは」

「こ、こんにちは」

 

提督の背後に隠れる島風を見て、霧島は苦笑する。

 

「島風ちゃんは提督が大好きなんですね!」

「私もデース!負けませんヨー!」

「比叡や金剛が怖いんじゃないか?」

「そ、そんなことないですよ!···たぶん」

「そうデース!ねーシマカゼ!」

「う、うん!」

 

まだ緊張しているようだが、島風の頑張りは伝わってくる。

 

(その調子で頑張って欲しいものだが)

 

「それでは紅茶を淹れますね」

 

榛名が立ち上がる。

 

「···あ、あの、わ、わたしも···手伝う!」

「···ふふっ、ありがとう。それじゃあお願いしますね」

「島風、いい子ネー!」

「本当ですね。」

「私たちの妹に欲しいです!」

「四人もいるのにか」

「姉妹は何人いてもいいものです!」

「なるほどな」

「あーっ!今適当に返せばいいとか思ったでしょ!」

「そんなことはないぞ」

「棒読みじゃないですかー!」

「テイトクは薄情ネ!」

「ふふ、そうですね」

「全く、本当に仲がいいんだなお前達は」

 

頬を膨らませて抗議に迫る比叡と金剛。

彼女らから目を逸らして、榛名と島風の方を見やる。

 

「こ、これでいいのかな···」

「ええ。上手ですよ。皆さん、島風ちゃんが紅茶を淹れてくれましたよ!」

「待ってたネー!」

「···うん、美味しいです島風ちゃん!」

「あ、ありがとう···」

「良かったな、本当に美味しいぞ」

「て、提督も···」

「そういえば、今日はどうして島風ちゃんが?今日は特に秘書艦の娘は···」

 

不思議そうに、霧島が尋ねる。

 

「ああ、その事なんだが···島風、どうする?」

「うん···私が言うよ」

 

島風は意を決するように、口を開いて、自分の言葉で、たどたどしくも説明した。。

 

「なるほど···そういうことだったんですね!」

「うん···わたしがみんなの邪魔をする訳にはいかないから···」

 

そう言った島風は、やはり寂しそうだった。

 

「シマカゼ···!」

「な、なに···?」

「シマカゼーー!」

 

肩を震わせた金剛は、そのまま勢いよく島風に抱きついた。

 

「わっ···」

「もう寂しくありまセン!ワタシたちが付いてマース!」

「そうです!私もいます!」

「榛名も、霧島も居ますよ」

「み、みんな···」

「俺もだ。島風」

「て、ていとく···」

 

瞳を潤ませた金剛と島風、それに比叡は、そのまま感動の嵐の中で号泣した。

 

「よかったですね。提督」

「ああ。ありがとう、榛名、霧島」

「いえ、本当に頑張ったのは、島風ちゃん本人ですから」

 

榛名と顔を見合わせて笑う霧島に、提督も微笑んだ。

 

「そう···だな」

 

金剛たちと笑い合う島風の姿が、どこか、懐かしく羨ましいと、そう思った。

 

「よかったな、島風」

「うん!ほんとに、ほんとにありがとう。提督」

 

島風は嬉しそうに、顔を上げて笑いかけた。

 

「これも島風が勇気を出したからさ···ところで、今日はまだ時間があるか?」

「え?···うん、わたしは出撃がないから···」

「そうか。それなら、少しついてきてくれ。」

「う、うん。」

 

そう言って歩みを進めたその先には、建造施設があった。

 

「···新しい子?」

「ああ。海域で新しく仲間になってくれたんだ。」

 

そう言って施設内部の扉を開ける。

 

「あ···」

 

そこに待ち受けていた艦娘こそ、陽炎型9番艦────

 

「天津風···?」

「島風!」

 

天津風は艤装を急いで外すと、島風に飛びつく。

 

「島風!島風なの!?」

「う、うん···!提督···!」

 

驚きながらも提督の方へ振り向くと、彼は嬉しそうに笑っていた。

 

「型は違っても同型艦のようなものだろう。確かに姉妹と呼べる艦娘はいないかも知れないが···島風」

「ど、どうしたの提督···ひゃ」

 

頭をくしゃくしゃに撫でて言う。

 

「みんな、島風のことが大好きだ。大切な仲間だ。その事を、忘れないで欲しい」

「うん、うん···!」

「それと、天津風」

「どうしたの?」

「今、陽炎型の部屋がいっぱいなんだ。だから島風と一緒にどうだ?」

「え···」

 

驚いたのは島風だった。

(もしかして、私の為に…?)

 

「ええ、もちろん。よろしくお願いね島風!」

「う、うん!」

 

「すまないが、天津風にこの鎮守府の案内を頼む。大丈夫だよな?」

 

片目を瞑った提督に島風は少し目を見開いたが────

 

「うん!行こ!天津風」

「ええ。よろしくね」

 

(ありがとね、提督···)

 

「教えてあげる。この鎮守府のこと···みんなのこと···それと」

「優しくてかっこいい、提督のこと!」

 

鎮守府へと駆ける2人の姿が、夕暮れの港に長い影を映していた。

 




史実についてはまだ勉強中です。
記述が間違っている場合はご指摘いただけるとありがたいです。

さて、次回の更新は12時です。
UA1000超え記念と称し、長編を前後編に分けて投稿させて頂きます。



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第九話 東奔西走!クリスマス島上陸作戦(前篇)

UA1000超え記念に、更新を速めてみました。
ありがとうございます。

少しだけ長くなったので、前後編パートに分割します。

※上陸はしません


12月17日。

 

艦隊は遠征部隊や哨戒部隊の艦娘を除き、一時待機の休息となっている。

 

「皆、集まったか」

 

普段ならのんびりとした空気の流れる執務室には、ただならぬ緊張感が漂っていた。

 

「はい!榛名は大丈夫です!」

「鎧袖一触よ、心配いらないわ」

「うちに任しとき!」

 

精悍な艦娘たちの顔ぶれを一瞥し、微笑を浮かべる提督。

しかし、彼の眼は、ただならぬ鋭さを内包していたのだった。

 

「それでは、代表者の点呼をとろう」

 

威儀を正し、少し強い口調。

 

「まずは戦艦担当。長門」

「ああ。このビッグセブンに任せろ」

 

日頃の生活や艦隊決戦時と同様、頼もしい表情を見せる長門。

改二改装を終え、さらに磨きのかかった戦闘力を発揮する。

 

「重巡担当、摩耶」

「おう!摩耶様についてきな!」

 

同様に、こちらも改二の装備の眩しい摩耶。

対空戦闘の技術をマスターし、一段と心身ともに強くなった。

 

「軽巡担当、神通」

「···お任せ下さい」

 

物静かに、それでいて、確かな意志の秘められた瞳で答える神通。

演習でも、実践でも、純粋な身体能力で彼女に追随する者は、姉の川内の他にいないと言われている。

 

「雷巡より、北上」

「はいよー、張り切っていきましょー」

 

北上はいつもと同じ、のほほんとした表情で言った。

これが夜戦時には破滅的と言えるほどの活躍を見せるのだから、人は見かけによらないとはよく言ったものだ。

 

「空母担当、赤城」

「一航戦の誇り、お見せします」

 

語気に確かな自信を含ませる赤城。

鳳翔から歴戦の将とその技術を受け継いだその魂は、凛として薄れることを知らない。

 

「そして、駆逐担当、吹雪」

「はい!司令官、頑張ります!」

 

初期艦として名を轟かせる吹雪。

提督の戦術、そして彼の艦娘たちにかける思いを、誰よりも理解していると言っても過言ではない。

練度は極限値を迎えようとしており、またその実力も鎮守府の中で有数を誇る。

 

「よし···これより、君たち六隻による、X作戦を実施する」

 

そして、精鋭の中の精鋭部隊を率いる男──提督は、ゆっくりと立ち上がって言った。

 

「作戦の成功はもはや心配していない。君たちに課せられた使命は、大切な人の笑顔のために闘い──────」

「──────そして、絶対にここへ帰ってくることだ」

「「了解っ!」」

 

稲妻のような刺激が、血を煮えたぎらせる。

 

「各艦抜錨!勝利を刻めっ!」

 

提督はその腕を、振り下ろした。

 

 

 

12月20日。

 

「···ねぇ、やっぱり気にならない?」

 

夕立は、僚艦の時雨に問いかけるように言った。

 

「な、なんだい?」

「吹雪ちゃん、最近見かけないっぽい。それに、トレーニングルームにも長門さんがいないなんて」

「そ、そうかな···年の瀬だし、二人とも忙しいんだよ、きっと」

「···そうっぽい?」

 

首を傾げ、訝しげな目をする夕立。

 

(うっ···)

 

その視線に、時雨は少したじろぐ。

 

「お風呂も白露がいっちばーん!」

 

と、二人の間をすり抜けるように、白露が走り抜けて行った。

 

「あーっ、待つっぽい!夕立もいっちばーん!」

 

その後を追いかけて走り去った夕立に、時雨はほっと胸を撫で下ろした。

 

「やあ、時雨」

「ん···あぁ、最上。お疲れ様」

「お疲れ。相変わらず大変そうだね」

 

後ろからやってきた最上が、苦笑しながら言う。

 

「確かにそうだね···でも、今一番頑張ってるのは提督と、第一艦隊の皆だし···このくらいはね」

「まあねー、僕のところも熊野と三隈が楽しみにしてるからさ、鈴谷と大変なんだよ」

「み、三隈さんまで···それは大変だね」

「まあ、見てて面白いんだけどね。っていうか、熊野は意外そうにしないんだね」

 

笑いをこらえるようにして言う最上に、時雨もつられて笑ってしまう。

 

「なんというか、熊野さんは純粋だから」

「そうだね。艦隊指揮は出来るのに、ね」

 

そのギャップが、彼女の何とも言えない愛嬌というか、愛らしさを醸し出しているのだろう。

二人は顔を見合わせて、また笑い合うのだった。

 

────────────

 

翌日、早朝〇四〇三。

執務室の隣、会議室に、一部の艦娘の面々が集まる。

 

「···すみません、遅れました」

「珍しいな、加賀が遅れるなんて···って、なるほど」

「ええ、この子を起こしていたので···」

「ふにゃあ···まだ眠いよ翔鶴姉···」

 

加賀の背中にもたれ掛かるのはもちろん瑞鶴。

 

「おーい瑞鶴、起きろ」

「ふぇ···」

 

ぼんやりとした瑞鶴の視界に、彼の苦笑が段々と確かに映っていく。

 

「て、提督さん!?」

「あら、起きたのね。重いのでそろそろ降りてくれると助かるのだけれど」

「加賀さん!?」

 

敬愛する両者に囲まれ、驚きのあまり目を回す瑞鶴。

 

「「しーっ」」

「あっ···そ、そうだった」

 

状況を把握した瑞鶴は、口元を押さえた。

 

「···よし。それじゃあ全員揃ったことだ。今年もよろしく頼むよ」

「ハーイ!この金剛にお任せネ!」

 

とん、と胸を叩いた金剛。

 

「私も、微力ながらお手伝いさせて頂きます」

 

その横の妙高も、微笑んでそう言ってくれた。

 

「皆さん、頑張りましょうね 。寒いので柚子茶を淹れましたから、良かったら飲んで下さい」

 

鳳翔が給湯室から現れ、茶を注いで回る。

柚子茶は暖かく、冷えた身体にちょうど良かった。

甘味が眠気に晒された脳を覚ましていくのが分かる。

こうした気遣いが、鳳翔が慕われる理由の一つなのだろうなと、少し納得した。

 

「ありがとう。よし、それじゃあ各艦種別でプレゼントを聞いていこうか」

 

本日の議題────それも、ここのところ連日に渡って鎮守府水面下で繰り広げられる激しい作戦行動は、全てその日のためである。

12月25日。

子供たちが朝起きると、枕元にプレゼントがある。

驚き、同時に喜びに満ち溢れる表情は、何とも微笑ましいものだ。

数々の戦場で荒んだ心を潤すのは、こういう時でなければいつするのか。今だろう。

妙な自問自答に既視感を抱いていると、ホワイトボードの前へ進み出た霧島がペンを握った。

 

「それでは、戦艦から順にいきましょう」

「はい。まず、比叡さんは···」

 

その名にくすくすと、笑い声が零れる。

 

「比叡は超pureっ子ですからネー!まだSanta Clausを信じているのデース!可愛いデショ?」

 

その笑い声は、もちろん嘲笑という訳ではない。

普段では仲間を庇い、そして敵を打ち倒す勇敢な比叡の意外な一面が、艦娘たちにとっては微笑ましく映るのであった。

 

「そうだな。それで、比叡はなんだ?」

「料理グッズ、デスネ!」

「なるほど」

 

先日、提督とのとある一件(決して食中毒騒ぎではない)があってから、比叡は『提督に美味しく食べてもらいたいです!』と、精力的に料理の練習に取り組んでいた。

 

「器具は鎮守府にあるし、エプロンやレシピ本がいいんじゃない?」

 

同じく戦艦の陸奥が、柚子茶を啜って言う。

実は彼女は極度の寒がりで、羽織ったベンチコートのようなものが暖かそうだ。

 

「よし、それじゃあ次に行こう」

 

メモをとった提督が霧島に次を促す。

 

「次は、日向さんですね」

「日向からは、私が聞いてるよー」

 

手を振るのは伊勢。

言うまでもなく、日向の相方として、古くから鎮守府を支えてきてくれた。

 

「おお」

「えっと···瑞雲グッズだって」

 

しん。

その言葉で全てが表現できてしまうほど、沈黙と静寂にその場が静まり返る。

 

「こ、これは···」

 

頬を引き攣らせた山城。隣では、扶桑が困ったような笑みを浮かべていた。

 

「···明石」

「は、はい!?」

 

静かに彼女を呼ぶと、おもむろに彼は財布からカードを取り出した。

 

「これ、使っていいから、何としても作ってくれ」

「わ、分かりましたァ!」

 

肩にかかった重圧と、凄味のある微笑から、明石は全てを察して敬礼をした。

 

──────

 

「よし次」

 

慌てて工廠に駆けて行った明石を見送って、次のプレゼントの検討にかかる。

 

「次は空母ね。蒼龍です」

「蒼龍か。何となくわかるな」

 

彼女の周りの空気はいつも明るい。天真爛漫といった言葉が似合いそうだ。

 

「···で、希望の品はなんだ?」

「それが···」

 

答えに詰まる飛龍。

 

「?」

「あー、これは···」

「なるほどねぇ」

 

納得している艦娘たちに、不思議な視線を投げかける。

 

「気持ちは分かりますね」

 

大鳳が飛龍の隣でうんうんと頷いている。

 

「?俺には言いにくいのか?」

「そうですね···本人の同意がなければ」

 

ならば仕方ない。

 

「そうか、なら頼めるか?」

「夕張さん、出来ますか?」

「もちろんです!任せて下さい!」

 

夕張は親指を立てて、そう言った。

 

(また何かのグッズなんだろうか?)

 

あまり詮索するのもマナー違反かと、提督は深く考えないようにしたのだった。

 

(まあ、こんなの伝えちゃあね···)

 

苦笑する飛龍の持つ紙切れには、「提督君グッズヲオ願イシマス!」の文字が。

 

そんなこともつゆ知らず、提督は会議を進める。

 

「えー、次は···」

 

────────────────────────

 

「文月はぬいぐるみか。これは今日か明日の昼に俺が買いに行けるな」

 

提督が残された最後のメモをとって、会議はようやく終わりを迎えた。

 

「ふあぁ、結構かかっちゃったねー」

 

加古が欠伸をしながら言う。

 

「よし。皆、ありがとう。リストごとに班を三つに分けるから、それを見ながらそれぞれプレゼントを用意しよう」

「「了解っ」」

 

クリスマスまで、あと四日。

 




クリスマスまで一か月を切りましたね。

クリスマス(目を逸らす


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第十話 東奔西走!クリスマス島上陸作戦(後篇)

UA1000超え記念、後篇です。
どうぞお楽しみください。

※上陸はしません


来たるその日、12月24日。

〇五〇八。

日の出を迎えたすぐ後。

旗艦の長門から、間もなく帰還予定との入電があった。

 

「う···っ、寒いな」

 

手がかじかんで、なかなか辛い季節。

 

「お···あれは」

 

しかし、水平線の彼方からやがて見えてくる彼女達の姿に、そんなことは忘れてしまったのだった。

吹雪だろうか、少し背の低い艦娘が、旗艦である長門の後ろで、手を振っている。

 

「提督、作戦部隊六隻、帰還した」

「おお。お疲れ様。寒いだろ、早く入渠してくれ」

「朝風呂ですか。何だか楽しみですね」

 

作戦直後だというのに、他愛のない会話。

弛みきっていると、お偉いさんはお怒りかも知れないがこちらは寒さでどうしようもないのだ。

ましてや、補給があったとはいえ一週間の連続任務。

これで部下を労らないのは、人間でない。

 

「司令官、吹雪帰投しました!」

「ああ。おかえり吹雪」

 

頭を撫でてやると、吹雪は恥ずかしそうに両手を振って離れようとする。

 

「あ、だ、ダメです!艤装展開中とはいえ1週間も出ずっぱりでしたし」

 

※艤装展開中は艦娘の身体に発汗を始めとする生理現象は起こることがない(但し大規模な損傷時は除く)。

 

「何言ってるんだ。たった一人、駆逐艦の身で頑張ってくれたんだ。たまには労わせてくれ」

「あ、あうぅ···」

 

頬を真っ赤に染めて吹雪は俯いた。

 

「そうだな。夜戦では赤城を守る大活躍だった」

「ええ。何度も助けられました。ありがとう吹雪さん」

「え、えと···!」

 

嬉しさのあまり、恥ずかしいのか、吹雪は目を回していたのだった。

 

「とにかく、これで安心してこの日を迎えることが出来た。明日に備えて各自入渠後、しっかりと休むように」

「了解!」

 

──────────────────

 

執務室。

「さて、X作戦後方部隊の諸君」

この言い方をすると、くすっと笑い声があがる。

言うまでもなく前線部隊とは長門以下6人のことだ。

種明かしをすると、後方部隊の参加者というのは、艦娘のうち、「信じているか否か」で決まる。

要はプレゼントを渡す側になったかどうかということだ。

更に、「信じている」艦娘たちへのプレゼントを準備する間、哨戒部隊に加え、敵遊跋艦艇の殲滅部隊が必要とされる。これはつまり、翌日のクリスマス、そのパーティーを催す間、鎮守府が手薄になってしまうからだ。

もちろん、索敵機数の増員、近隣鎮守府への増員要請など、できる限りの手は尽くすのだが。

 

「協力ありがとう。今年もあの子たちへプレゼントを用意することができた」

 

そう言って、軽く頭を下げる。

 

「僕たちの力なんて些細なものだよ」

「そうですね。提督が頑張ってくれたお陰です」

 

時雨と鳥海が謙遜して言う。

 

「いや。君たちがいなければどんなプレゼントを用意すればいいのかなんて分からなかっただろう。まあ、とにかくだ。見てくれば分かる通り、君たちにもそのお礼を兼ねて、クリスマスプレゼントを渡そうと思う。

迷惑でなければ、受け取ってほしい」

「「ん···!?」」

 

艦娘たちは提督の指で示した方向────隣の会議室だ─────を向き、そして目を疑った。

 

「んんん!?」

 

提督が開いた扉の向こう側には、部屋から溢れ出しそうなプレゼント箱。

 

「これから一人ずつ呼んでいく。順番は…そうだな、着任順にしよう。鳳翔」

「は、はい!?」

 

普段は淑やかで、大和撫子の鑑のような鳳翔の表情がこれ以上ないくらい赤く、驚きに染まる。

 

「そんな訳で、前の番の子が呼びに来るまで暇を潰しててくれ」

「りょ、了解です!」

 

艦娘たちはにやにや顔で、執務室から退散、心の中は浮ついていた。

 

────────────

 

「最後は···親潮だな。まだこの鎮守府に来たばかりで慣れないとは思うが、困った時は陽炎や不知火、俺を頼ってくれ。···じゃあこれ、プレゼントだ」

「は、はいっ!恐縮です···わ、わっ。マフラーですか」

「ああ。陽炎や黒潮たちとお揃いの柄にしてある」

 

個人個人で好みが把握できればいいのだが、なかなかそういう訳にもいかない。

そういう時は、このようにプレゼントを選んでいたりするのだ。

どちらにせよ、彼がそういう風に真剣にプレゼントを選んでいたことに、艦娘たちは満たされる思いだった。

 

「あ、ありがとうございますっ!」

「ああ。これからもよろしくな」

 

そんなやりとりを他所に、プレゼントを受け取った艦娘たちは──────

 

「はうう···」

「や、大和?···あ、あかん、意識が逝っとる」

「うふふ···その気持ち、榛名も分かります。 提督のプレゼント、とっても嬉しいですから」

「全く···すまんな、姉が」

「いえ。武蔵さんは、何を頂いたのですか?」

「私か?私はコレだ」

「それ···プロテインやんけ!?」

「ああ。上物だ。中々手が届かなかったが、これはありがたい」

「そ、そうなのでしょうか···」

 

放心状態の者もいれば呆気に取られる者や、心底嬉しそうに飛び跳ねるものもちらほら。

親潮に渡し終わった後、提督が言う。

 

「それでは、みんな。二三〇〇に再び集合だ。頼むぞ 」

「「了解っ!」」

 

艦娘たちの声が響く。

 

 

 

そんなこんなで、翌日午前1時。

全員の枕元にプレゼント箱が配られたのを確認した後、

もう一度深々と提督が頭を下げてお礼をし、お開きとなったのだった。

 

「ふぅ···」

 

どうやら、彼の元にはサンタクロースはやってこなかったらしい。

 

(夜更かしをする悪い子だからかな)

 

特に意味はないが、苦笑して筆を置く。

X作戦の遂行に執務の時間を割いていたとはいえ、残っていたのは僅かな財務関係の仕事と、X作戦での長門たちによる出撃の処理だけだった。

何はともあれ、これで一件落着。

明日の朝が少し楽しみだったりする。

 

「···少し寒いな」

 

それもその筈、窓の外を見ると、雪がしんしんと降り積もっている。

冷気は部屋の中まで浸透してくるようで、二重窓に床暖房がないとこの季節は辛い。

 

「明日は雪かきが必要だな」

 

眠りにつくまで、この景色を眺めていようと思い、ホットワインを用意する。

生姜シロップを一匙加え、シナモンの粉を軽く振る。

 

「···ほぅ」

 

一口飲むと、少し熱めの葡萄酒が、体の芯を温める。

凍りついていたものが溶けていくようだ。

 

(今年ももう終わりか···)

 

雪の純白は、光に照らされることなく、闇に呑み込まれていく。

何だかそれが酷く物悲しく、同時に恐ろしく思った。

 

(···駄目だ。酒が入ったからか)

 

弱々しくなった思考は、アルコールだけのせいではないだろう。

 

「···独りでは、ないはずなのになぁ」

 

ポツリと零れた、そんな言葉。

きっと、疲れているのだ。

 

この世界に希望をもたらす艦娘たち──────

彼女らが光ならば、それを指揮する自分は、一体何なのだろうか。

同じ世界を救うという意味では、光なのかも知れない。

 

(···違う)

 

けれど、鈍った思考でも、それは許さない。

 

(俺は)

 

「影···か」

 

光がなければ、影は生まれない。

全てが闇に飲み込まれた時、自分は生きられない。

 

「そう···か」

 

何かに納得したような気になって、結局はそれを理解していないのだと分かると、不思議と笑いがこみ上げてくる。

 

「よし···もう寝よう」

 

厚い羽毛布団は、冷気を遮断し、確かな温もりを与えてくれる。

 

「···おやすみ」

 

微睡み、落ちていく意識の中、その温もりは、真っ暗な意識の中でも、確かに存在していたのだった。

 

────────────

 

「やったあ!これ欲しかったんだよね」

 

皐月が電子ゲームを手にして嬉しそうにしている。

 

「ひえー、これエプロンですかね···えへへ、これでまた料理に気合い、入れて頑張れます!」

 

向こうには、エプロンに目を輝かせて張り切る比叡。

 

「なんと···瑞雲抱き枕カバー···これは昂るな」

 

表情はいつもと変わらないが、明らかに喜びの感情がそのキラキラから読み取れる日向。

 

「ふおおお···て、提督写真集だ···す、すご、こんな所まで···ふおおおお!?」

 

朝っぱらから鼻血を出す蒼龍。ちなみに彼女の鼻を拭こうとした飛龍も同様である。

 

「ふいー、いい仕事しましたねえ」

「お疲れ様ですー、喜んでもらえて何より」

 

夕張と明石は何やら達成感に満ち溢れている。

 

「···皆さん、喜んで頂けたようですね」

「ああ。良かった良かった。翔鶴もお疲れ。今日は秘書艦だけど、夜はパーティもあるから、気にしなくていいんだぞ」

「いえ、提督もお疲れでしょうから。お手伝いさせて頂きますよ」

「···そうか。ありがとう」

 

今日の執務は残り僅か。

それを一人が背負うより、二人で分け合った方が、仕事は早く終わる。

 

「ええ」

 

そんな風に考えたのだろうか、翔鶴は澄んだ笑顔を見せるのであった。

 

「提督さーん、あ、翔鶴姉!」

「ん···?おお、瑞鶴」

 

少し離れた場所から、瑞鶴の快活な声が聞こえた。

 

「どうしたんだ?」

「えっと、はいこれ、プレゼント」

「···?」

 

何のことか分からず、翔鶴の方を窺う。

 

「瑞鶴、何のプレゼントか言わないと、提督が困っちゃうわ」

 

くす、と笑みを零した翔鶴。

 

「あ、そうだった。これ、提督さんのクリスマスプレゼント!」

「!」

 

大きい包みの正体にようやく気がついて、目を見開く。

 

「あれだけ頑張ってた提督に、プレゼントが無いのはおかしいからねっ!」

「ふふ···私たちのことはいつもよく見てくださるのに、ご自分のことは気付かれないのですね」

 

最も、それが彼を彼たらしめているのだが。

「そ、そうか···ありがとな」

 

まだ少し驚きの表情が隠せない提督に、鶴姉妹は、顔を見合わせて笑った。

 

「もー、提督さんは頑張りすぎ!ほら、間宮さんのとこ行きましょ!」

「そうね。提督ともお話したいことがあるものね」

 

瑞鶴に引っ張られ、翔鶴に背を押される。

「お、おう···」

「今日はみんなのクリスマスなんだから!」

 

瑞鶴が無邪気にもそう放った一言が、心に強く響く。

 

「···そうだな」

「あっ、でも七面鳥はだめだからね!」

 

笑顔が伝播する。

因みに、彼女たちからのクリスマスプレゼントは、何と妖精さん謹製の和弓。

この弓でもまた色々と騒動が起こるのだが、それはまた別の話。

その雪の日、舞鶴第一鎮守府には笑顔が絶えなかったという。

 




登場する艦娘に偏りがあるかも知れませんが、それは作者の性癖です(迫真)


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第十一話 記憶(前篇)

シリアス回。長めです。

ちょっと百合成分あるかもしれないので、苦手な方はご注意ください。

※2021/01/17
加筆修正の為に前後編へと分割しています。





「···ん」

 

ふと、気付きの声が彼女から漏れた。

最近、航空巡洋艦への改装を終えた鈴谷は、西方海域からの帰投後、提督を廊下の奥で見かけた。

 

「ん···あれ、提督じゃん!」

「おお、鈴谷···しーっ」

 

近づいて、鈴谷の目に映るのは、彼の肩に背負われた一人の少女。何か話そうとする鈴谷を制し、その少女――

重巡洋艦、熊野の顔を彼女に向けた。

 

「おっと、ごめんごめん…もしかして、ついに着任するの?」

「ああ、そうだよ」

「まじ!?嬉しいなぁ!」

 

さらにテンションを上げる彼女に提督がもう一度口元に指を立てて静まるよう促すと、「あ」と言って照れくさそうに、若干の申し訳なさを含めた笑みをたたえた。

というのも、最上型四番艦となる熊野は鈴谷にとって唯一の妹艦となり、それ故に彼女が熊野の着任を待ち望んでいたことは、誰にも明らかなことであった。

 

「···でも、なんで熊野はおぶわれてるの?」

 

一方、鈴谷はといえば、その妹が新規着任に際して提督に背負われている理由など分からず、きょとんと首を傾げていたのだった。

これに対し、提督は目を伏せ、静かに応える。そして、真剣な眼差しで彼女を一瞥するのだった。

 

「どうやら、この子には何かありそうだ···」

 

 

 

× × ×

 

 

 

その夢は、悪夢といって差支えなかった。

 

『また大破撤退か···これで何度目だ』

『も、申し訳あ――』

 

精いっぱい、責任を痛感しての謝罪のつもりだった。しかしながら、私の言葉は最後まで発せられることなく、言い終わらないうちに、自分の耳にも聞こえるくらいの、甲高い音が鳴り響いた。

――頬を強く打たれたという事実に、私は、そのヒリヒリとした痛みが伝わり始めてようやく気付いたのだった。

 

『それも聞き飽きた』

 

ゆっくりと、しかし平穏さなど露ほども感じさせない怒気を放ちながら私の目の前に歩み寄ったその男は、まるで私の存在自体を憎むように、否定するように、鋭く睨みつけながら私の後ろ髪を引っ張って、無理やり顔を上げさせた。

逃げることも、彼の手を払いのけることもできず、ただそれを享受するだけだった。

 

『もうお前は必要ない』

『ぁ···』

 

言い放った彼の目が、明確な悪意を孕んで、私を蔑んでいた。

彼がそうするのは当たり前だ。理由は分かっているのだ。成さなければならないこと、そのために努力することを、私が怠ったから。

それを伝えたい。そもそも、聞き飽きたと言われたからとはいえ、彼に謝るべきなのだ。戦えない艦娘に存在意義はない。しかし、声が出ない。辛うじて漏れるのは、彼に対する恐怖の呻き声だけだった。

 

『消えろ。価値なき者は、鎮守府(ここ)には要らない』

 

ごめんなさい。

貴女の代わりに、私が沈むべきだったのです。()()()()私など、要らないのですから――

 

 

 

× × ×

 

 

 

「···まの···」

「う、ん···」

「熊野」

「ん···」

 

深いところから、その呼びかけに応じるように意識がすっと戻る。

起き上がって、あの場所から逃れられたという安堵の念が、心の中に浮かんできた。そして、同時に生じたのは、聞き覚えのあるこの声の主は、誰かということだった。

 

「大丈夫?すっごいうなされてたけど」

「は、はい···っ!」

 

答えて、ベッドの傍に腰掛けた人物の方に顔を向けながら、ぼやけた視界に映りこんだ彼女の姿が、鮮明になるのを待った。

そして、瞬間、身体が硬直する。

 

「どうしたん?」

 

「おーい」と眼前に手を翳してくるのは鈴谷――否、分かっている。私が望む彼女ではない。

私は今日から横須賀を離れ、舞鶴に着任したのだ。そこでも、別の鈴谷がいる筈だった。

――しかしながら、一度でもその姿を見れば、奥底に閉じ込めていた記憶ですらでも、思い出してしまう。声が、聞こえてしまう。

 

 

『生きて…また、逢おうね···熊野』

 

 

乱反射する海面の彩光、潮風の香り、そして彼女の鮮やかな翡翠の髪色――

 

「あ、ぅあ···」

「く、熊野!?」

 

呼吸をリズムを取り戻そうとすればするほど、荒くなっていく。吸おうとしているのに、吸えない。有り得ないことに、水の中で溺れているようだった。

また視界がぼやけてきて、頭の中が霞が掛ったように白くなる。

 

「はっ、はっ…!」

「て、提督、熊野が!」

 

鈴谷が、あの人を呼んだのだろうか、私の様子に異変を感じ取って、聞こえなくなった耳にもその叫び声が届いた。

それと殆ど同時に扉を開けて飛び込んできたその人に、私は縋る他ない。

あの人の腕の中で、静かな呼吸を取り戻すまで、苦しさに思わず流れた涙を、碌に拭うこともできなかった。

 

 

 

× × ×

 

 

 

「…落ち着いたか」

「え、ええ。お見苦しい所を…」

「いや、俺の方こそ、試すようなことをしてすまない…鈴谷も、申し訳なかった」

「…いや、それはいいんだけどさ」

 

鈴谷は、抗議の視線を送った。それは妹が発作ともとれるような苦しみをなぜ味わわなければならなかったのか、という疑問でもあったが、最も解せなかったのは、その視線の先にあった、提督の胸にうずくまるように抱かれている妹の姿なのであった。

 

「ひっ、ご、ごめんなさい…」

「あ、ああいや、別に怒ってなんてないよ」

 

予想以上に落ち込み、そして怯えている熊野に困惑していると、代わりにというように、提督が口を開いた。

 

「…熊野は、所属鎮守府に問題があってウチに来たんだ」

「え」

 

重い口調だった。鈴谷は、それに驚きを隠すことなく、しかし直感的に熊野の背後にある問題の大きさを予感していた。

 

「そ、そんなことは…」

「大丈夫だ、もう隠す必要はない」

 

提督が少し腕の力を強くすると、その中にいた熊野の身体が少し震えるのが伝わった。

 

彼が語ったことは、鎮守府間の異動を経験したことのない鈴谷にとっては、到底信じられるものではなかった。

 

会社やアルバイト内のブラックな職務環境、などと形容されるように、鎮守府にもそのような酷烈な配属状況が存在する。一か月前まで熊野の所属していたのもそのような場所であったことは間違いなく、その中で長きにわたり経験させられてきた精神的な苦痛は、とても耐えられるようなものではなかったということだ。

 

彼が語ったことは限定的であって、鈴谷には、熊野に何があったのか、どうしてこのようになってしまったのかは分からなかった。

ただ、静かな怒りが沸々と沸き起こっていたことだけは確かだ。

 

「それじゃあ、さっきの過呼吸?みたいなのは···」

「十中八九、フラッシュバックという現象だな。熊野、()()が起こったのは、鈴谷が視界に映ったからか」

「…大変失礼ながら、そう、なります」

「そうか。重ね重ね、嫌なことを思い出させて済まなかった」

「い、いえっ!貴方は私を救って下さったのですから、感謝こそすれ、謝られることなど」

「そう言ってくれると有難い。…が、これから鈴谷とする話の中で、君の身に何が起こるか分からない。…少し、時間を空けよう」

 

そう言うと、壁掛けの無電を取って、「来てくれ」と誰かを呼びかける。間もなくして、執務室の扉が開いた。

 

「失礼します…熊野、久しぶりだね」

「久しぶりですわ、熊野さん」

「最上姉さん、三隈姉さん…お久しぶりです」

「二人とも、任務帰りで疲れているところ、申し訳ない。熊野を部屋に案内してくれるか。荷物はもう届いているはずだから」

「了解だよ」

「お任せください」

 

三隈に手を取られ、「それでは、失礼いたします」と部屋を出ていく熊野。

鈴谷は目が合って、彼女が少し怯えたのが分かった。それでも、目を離すことのなかった彼女の思いを、ただ何も言わず考えていたのだった。

 

 

 

× × ×

 

 

 

「それで、熊野と話せないってことは、つまり」

 

二人きりの執務室、全ての通信を切って、箝口令が敷かれたその状況に、わずかに緊張して鈴谷が尋ねる。

目下の話題は熊野その人であるが、年頃としてはどうしても気になってしまうのも仕方がなかった。

 

「ああ、鈴谷を見て記憶が――それも良くないものが――蘇るというのは、かつての鎮守府の過酷な環境の中で、熊野の知る鈴谷の身に何かが起きたから、と考えていいだろう」

「そ、それって――」

「あまり考えたくはない。しかし、あれほどの焦燥を引き起こす経験だ」

 

相当のことがあったとみて間違いない、と提督は結論付ける。

鈴谷は、あの時の熊野の表情を思い出していた。とても恐怖や悲しみと言った簡単な言葉では言い表せない、負の感情に染まり切った瞳は、今、彼女の心は、どうなっているのかさえ想像も及ばない。

 

――自分が、その支えになれないのか。

 

その思いが、ただ残った。

 

「姉妹艦であればあの子も落ち着けるかと思ったが、まさかそこに原因があったとは…つくづく、本当に」

「おっと、もう謝らないでよ。確かに少し思うところはあったけど、その()()っていうのは、元を正せば熊野がいた鎮守府の司令官でしょ」

「…確かにそうも言えるが」

「気にしてないよ。それよりも、何で熊野があんなに提督に懐いてるのかのほうが気になるかなって」

「…向こうの鎮守府の解体の際、あの子に会って長いこと話をしてな」

「解体…?それじゃあ、もうそこの司令官は」

「ああ。熊野の件とは別件だが、()()で制海権を喪失してな、降ろされたんだ」

()()ねぇ、もしかして、提督…」

「…偶然だ」

「本当かなぁ」

 

鈴谷は、胡乱なものを見る目で彼を見詰めた。恐らくながら、その失策とやらには彼が一枚嚙んでいるのだろう。

 

「まあ、そういうことにしておこうかな。もし本当なら、提督が熊野を助けてくれたってことだし」

「俺は何もしていないよ」

「あの高飛車な熊野が『救って下さった』なんて、並の司令官には言わないよ」

 

ウインクをしながらそう言った鈴谷の頬にはわずかな赤みが差していた。

「というか、大事なのはこれから熊野にどう接していくかってことじゃない?」と話題を転換した鈴谷に、提督は首肯した。

 

「…せめて、鈴谷からも何かしてあげられればいいんだけど、今のままだと厳しそうだね」

「どちらにせよ、姉妹同士で今のような関係を続けることは望ましくない。事態を好転させるための手段を取った方がいいな。熊野が精神的にも身体的にもリラックスできるような」

 

それを聞くと、鈴谷は少し俯く。視界に姿を捉えただけで、過去のフラッシュバックに繋がってしまう熊野の現状を考えると、それも当然だった。

鈴谷が建造され、舞鶴への着任を果たしてから約半年。熊野との再会は、きっと待ち望んでいたものに違いない。

 

「よし、そこから解決しよう」

「え?」

「まずは、会話ができる状態になってもらう。部屋を出る前、熊野の視界には鈴谷が映っていたんだ。心因性の一時的な症状――つまり、パニック状態に陥らないよう、落ち着くことが出来れば問題はないはずだ」

「…君たちは、どこまでいっても姉妹だ。きっと、思いは通じる」

 

きっぱりと断言した提督からは、ただならぬ自信と意志を感じた。

危険性は確かにある。しかしながら、それでもいつかは解決しなければならないと、彼は悟っている。

それは思い上がりでなければ、自分のためなのだろうなと、鈴谷は薄々感づいていた。

彼が、艦娘のことを第一に考える癖は良くも悪くも艦娘に伝わっている。覚悟を決めた表情も、その心構えも、傍にいるだけで伝わってくるようだった。

 

「…分かった、提督を信じるよ」

 

だから、鈴谷は笑みとともにそう言ったのだ。

 

 

 

× × ×

 

 

 

「今から、鈴谷と会ってもらう」

 

私は、目が真ん丸となっていることを自覚するほどに、彼の発した言葉に仰天していた自信がある。

 

この鎮守府に着任してから(といっても、それは今日の話なのだが)、基本的に彼の前でしか心が落ち着かない。

彼だけが、私の過去を知っている。口を開かなくても、このぐちゃぐちゃで、混沌とした気持ちを理解してくれる。

きっと艦として、人の武器としては落第点もいいところなのだろうが、彼は私を見放さない、それが、なんとなく伝わってきたのだ。

だから、私を試すような、そんな言葉に驚いたのだ。

 

「え、えぇ!?」

 

ああ、何と間の抜けた声なのだろう。反応としては十分驚愕のそれを伝えられたのだろうが、淑女としては失格である。

 

「不安か」

「不安、というより…また、あのようなことになってしまうのではないかと、それが恐ろしいと、考えてしまいます」

「そうだろうな。しかし、姿は同じでもあの子が君の記憶の中の鈴谷と違うことは、分かっているのではないか?」

「姿は、瓜二つです」

「しかし、中身は別人かもしれない…いや、別人だ。何もかもが違う」

 

私の反論は、理論より感情に依拠したものであることは、誰よりも私が理解するところだった。

彼女は私のことを知らないし、私は彼女のことを知らない。あの過去も、もうここではそれを知っているのは私ただ一人だ。だから、恐れる理由はない。似ているから恐れるなんて、無礼も極まりない。

私の反応を見た鈴谷の気持ちを考えると、胸が痛んだ。

 

「言っておくが、舞鶴(うち)の鈴谷は俺など比べ物にならないくらい優しくて、思いやりのある子だ」

「それは…貴方との比較は別にしても、分かっているつもりです」

「熊野のいう『分かった』とは、思い出の中で、前の鎮守府にいた鈴谷の記憶を思い出して、それを理解していると言っているんじゃないか?」

「…っ、そう、ですわね…」

 

提督が、一歩、私の方へと確かに近づく。無条件に私を受け止め、受け入れてくれるのが彼だった。

けれど、それが分かったのは、彼が心を閉ざそうとしていた私との関わりを止めなかったからだ。彼は伝えてくれたのだ。もう恐れる必要はないと。

 

あの鈴谷は、私の中の鈴谷とは違う。私の過去を知らない、それでも私を理解しようと、私を救おうとしてくれる、大切な姉。

私には、それを考えもせずに、勝手に罪悪感に溺れ、怯えているだけなのだ。

伝えなければいけない。今は足がすくんでしまうかもしれないから、この人の力を借りてでも。

 

「たとえ所属が違っても…失ってしまっても、君たちは姉妹であることに変わりはない。鈴谷を大切に思うならば、いつまでもこんな関係を続ける訳にはいかない」

「ええ」

 

提督の言葉が、胸に沁み込んでいく。私や鈴谷、艦娘たちのことだけを考えているのだと、それがすぐに分かった。

 

「確かに、君の体験した苦しみがどれほどのものなのかは、俺が直接経験して理解することは難しい。けれど、似たような思いをしたことはある」

「えっ…」

「舞鶴への深海棲艦の侵攻の後、俺は家族を失った。その時から、ずっと考えている…もう二度と、大切な人たちを失わないようにするにはどうすればいいか」

 

彼が意を決して伝えてくれたことは、驚きと悲しみに満ちていた。でも、だからこそこの人の心の強さを理解できる。この人なら、思いを一つにできると、信じられた。

だから、今度は私が、鈴谷に――

 

「…他人の抱えている悲しみを理解するなんてことは難しい。だから、思いは伝えなければならない。それを受け止めるだけの覚悟と優しさが、鈴谷にはきちんと備わっているはずだ」

「ええ。なんと言っても、この熊野の姉なのですから」

「…いけるか、熊野」

「はい。私の思いを、過去を、たとえ迷惑になったとしても…伝えます。鈴谷を、信じていたいから」

 

鈴谷は、聞いてくれるかしら――

いいえ、きっと聞いてくれる。受け止めてくれる。

私の中の鈴谷を信じて、私は、この思いを伝えるのだ。

 

 

 



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第十二話 記憶(後篇)

加筆修正の為後篇を追加した話です。

※話順整理の影響で元の第十二話「運とは?」が第六十九話となっています。ご迷惑おかけします。


「…来てくれたんだね」

「ええ」

 

提督の背に隠れていた熊野が、静かに鈴谷へ歩み寄りながら、そう言った。本人でなくても、握った手が震え、瞳が揺れるのが分かる。

どうしても、思い出してしまう。自分が撃ち漏らした――撃てなかった深海棲艦によって沈んでしまった姉の顔を。

 

「ううっ···」

 

出来るなら、ここから逃げ出して、提督に縋りたい。もう、あの海へ――大切な人を呑み込んだ、あの死線へ戻るのは、恐い。それでも、成さなければならない。

熊野を縛るのは、兵器としての義務感ではなかった。

妹として、戦友として、交わした約束を守り、果たす――それこそが、熊野が望む使命だった。

 

 

『あなたは生きて…また、逢おうね…熊野』

 

 

この戦いを終わらせ、その先に待つ未来まで、生き抜いてみせる。きっと、思いを届けてみせる。

彼女はそこに、きっといる。待ってくれているはずだから。

 

「きっと、私は貴女に許してほしかったんです。けれど、それは叶わない…貴女があの『鈴谷』でないこと以前に、あの時、心の弱さに負けて、手を伸ばして貴女を助けられなかったことが、どうしようもなく情けなくて…!」

「…」

「もう、私の過ちは取り返しがつかないし、あの鈴谷は、二度と戻って来ません…だから」

 

震える声を絞り出すように、熊野は独白する。自分の弱さを曝け出して、自分を知らない存在に、自分の罪を悔いることは、どうしようもない恐怖を伴った。

それを静かに聞き届けていた鈴谷は、怯えと必死に闘う熊野を、愛おしいと感じていた。

 

「この戦いの先でまた、あの子と会う…その約束を守るために、今度こそ貴女を…今、目の前にいる鈴谷を、守り抜くことこそが私の使命です」

 

鈴谷を視界に捉え、その瞬間に全身に纏わりつく悪寒をなんとか堪える。

あと少し、その境界を越えられれば、何かが変わる気がした。

 

「もし…貴女の傍にいることを、貴女が、鈴谷が許してくれるなら…!」

「…うん」

「私に、貴女の命を、今度こそ守らせて下さい」

 

心拍と精神の限界まで過去と闘い、紡ぎ出した言葉に鈴谷は微笑んで、熊野を優しく抱きしめた。

 

「熊野は頑張り屋さんだね…。私にも、熊野を守らせてよ」

「でも、それでは許されません。私は…!」

「そうかな。確かに鈴谷はその鈴谷じゃないけど、きっと、考えることは同じだと思う。心の弱さも、大変なことも一緒に乗り越えて、強くなるのが姉妹じゃん?それに、私も熊野に守られるばかりじゃ悔しいしね…ふふっ」

 

はにかんだ鈴谷の顔が、明るく微笑む。ゆっくりと身体を離すと、今度は熊野の瞳を真っすぐに見つめた。

 

「私のこと、嫌いかな」

「そんなこと…だ、大好きです」

「うん。私も大好き。ずっと待ってたんだから」

「…っ!鈴谷…!」

 

熊野の身体を、鈴谷は受け止める。

 

「あなたは鈴谷の、大切な妹。だから私も、()()()がそうしたように、あなたを…熊野を守るよ」

「…っ」

「ひとりで抱え込まないで。鈴谷と一緒に、この海を守ろうよ」

 

ぎゅっ、と自分を抱きしめる腕が強くなった。熊野の眦から一筋、涙が流れ落ちて、鈴谷の肩を濡らした。

もう、悪寒や震えは治まっていた。

 

(あったかい…ですわ)

 

決して、目の前の鈴谷が、あの鈴谷の代わりになるわけではない。けれど、もう一度だけ、チャンスが貰えるなら。

ともに過ごし、笑い合い、お互いを守ることができるなら、新たな鎮守府で、鈴谷を守り抜くことが、精いっぱいの、あの子に対する償いだった。

 

「ふふ、熊野、すごい顔」

 

鈴谷に、涙でぐちゃぐちゃになった顔を指摘され、顔が赤くなる。

 

「…鈴谷だって」

「え···あ、ほんとだ、へへっ」

 

それは鈴谷も同様だったが、特別気にすることもなく、今はただ、妹をその腕で抱きしめるだけだった。

 

「よくやってくれたな。熊野、鈴谷も」

「提督」

「ありがとね…熊野をここまで連れてきてくれて」

「いや、来たのは熊野自身の意志だ。俺は関係ないよ」

「い、いえ、私がここまで来られたのは、提督のお陰ですわ」

「まったく、提督らしいねえ」

 

相変わらずの謙虚な反応に若干呆れつつも、彼女は、腕の中の熊野へ向き直る。まだ、知らなければならないことがあるのだ。

 

「さあ、熊野。あの鎮守府で何があったのか、提督と私に教えてくれる?」

「…ええ」

「大丈夫···鈴谷の目、見て?」

 

熊野は躊躇いがちに目を伏せるが、ここで立ち止まってはいられない。視線のぶつかった遠慮がちな目が、次第に自信を取り戻していったのが鈴谷には分かった。

 

「…もう、大丈夫です。お話ししますわ」

 

 

 

× × ×

 

 

 

「…なるほど、ね」

 

大泣きになった熊野を優しく撫でる。

 

「ごめんなさいっ、本当に、本当にっ…ひぐっ…」

「謝らなくてもいいんだよ…って言っても、聞こえてないか」

 

胸に顔を押し付けたままの熊野に、鈴谷は微笑みかける。

同時に、彼女が抱える問題の深さを知り、その解決策を提督に問う。

 

「提督は、どう思う?」

「そうだな…·熊野が()()()()というのは人間でいう後天的な性格部分だから、時間経過で直していくしかないと思う。艦娘は、成長した環境に性格が依存するからな」

 

建造・邂逅前の艦娘に備わる個体項というべき部分が、どの艦娘にも存在する。それが人間の遺伝的な形質だとすれば、熊野は前鎮守府での過酷な経験で、成長過程で得るべき後天的な性格構成分野に大きなダメージを負ってしまった。

傷を癒すのにはそれなりの時間が掛かるのは当然ともいえた。

 

「そうだね。でも、熊野はそれを直したいと思ってるの?」

「ぐすっ、そうしたいけれど、どうしても身体が、動かなくて···っ」

 

治療の間の期間についても、他の艦娘たちに説明しなければならない。

何より、熊野自身も着任したのにも関わらず、他の艦娘と行動を共にできないというのは、疎外感を感じさせるばかりか、精神的にも厳しいだろう。

有効な手立てが見つからず、一同は黙する。

 

「無理しなくていいんだよ?初めは海域に出るだけで、とか」

「でも、それでは鈴谷を守れない…!それでは、私がいる意味がないのです!」

「んー、鈴谷としてはかっこいいところを妹に見せたいっていうか…まあ、立場が逆ならそう思うよね」

 

これ以上妹の泣き顔を見たくないと、鈴谷は藁にもすがる思いだった。今、この場において、頼ることのできる相手は、一人しかいなかった。

 

「ねえ、提督。頼ってもいい?」

「もちろん。…ただ、道は険しい」

「やらせてください。選ぶことのできる道があるなら」

 

その言葉で、十分な覚悟が伝わって、提督は瞑目したのち、机の上に置いてあった端末の、とある資料を呼び出した。

 

「戦闘指揮艦という艦職がある。後方海域や鎮守府で、旗艦が処理するより更に難しい情報戦を処理する。要はもう一人の提督とも言えるな」

 

戦闘に代わり、過酷な座学をこなさなければならず、投入への承認を得るのは資格が必要で、難関なのだ。

利点としては、それだけの知識を得ているということもあり、提督指揮の海域も併せ複数海域の同時攻略や、艦隊数無制限海域では別働隊の稼働が可能となることだ。

 

「これなら、敵艦と遭遇することも少ない。訓練を併行しながらだと、非常に忙しくなるだろう。…どうだ、やってみるか?」

 

正直に言えば、少しでも戸惑うと思っていたが、熊野は涙を拭くと、強く決心したように言った。

 

「やります。私は、今までのお詫びをしなければなりませんから···」

 

瞳は未だ潤んではいるが、もう、あの時のように、怯えと迷いは既にないように思えた。

 

「よし、それなら本部から講義資料を取り寄せるよ。分からないところは教えるから、一緒に勉強しよう」

「もう一人の提督だって!すごいじゃん!鈴谷応援するよ!」

 

流石にいつも一緒という訳にははいかないけど、と付け加える。それに対し、熊野は嬉しそうに笑っていた。

提督は、姉妹の間に結ばれる強い絆を感じ取るとともに、彼女たちが進む道の障害を、取り払うことへの使命感を新たにしていたのだった。

 

 

 

× × ×

 

 

 

「···で」

 

その後、座学を始めた熊野は、猛勉強の末、三ヶ月後には戦闘指揮艦の称号を獲得していた。

ただ、そのおどおどとした性格は相変わらずであり、作戦前夜、熊野と打ち合わせを行っていたところ、突然響き出した雷鳴に半狂乱で震え上がった彼女に縋られた提督は、やむなく彼女の姉の助けを求めた。

 

「もう、提督に頼らないんじゃなかったの?」

「雷撃というか、雷はどうしてもダメで…」

「まあ、苦手なものは誰にでもあるから仕方ないが…その、離れてもらえるか」

 

しかしながら、彼の言葉とは裏腹に、今も震える熊野の腕が容赦なく締め付けてくる。

 

(さ、流石は艦娘、力強くて痛い···)

 

「てて、てっ、提督、ごめんなさいっ、わ、わたきゅし、ひえええぇっ!」

「提督、誰この子」

「鈴谷の妹だろう」

 

ため息をつく鈴谷。しかし、若干頬が緩んでいるのを、彼は見逃さなかった。

 

「まったく…仕方ないねえ」

「ご、ごめんなさい…あ、明日が不安で…」

「熊野は充分成長したよ。 明日の作戦に関しては、俺が必要ないくらいに仕上がっている」

「そそそ、そんなことはないですわ!」

 

顔を真っ赤にし、両手を振って否定する熊野。

申し訳ないが、彼女が海上で凛と佇む姿を想像出来ない。

震えて縋ってくる熊野にわずかな小動物の気を感じて、思わず頭を撫でた。

 

「…緊張し過ぎるなよ」

「ひゃう!」

「す、すまん。嫌だったか」

「い、いえ···嫌などではなくて、むしろ···あの」

「もー!鈴谷のけものにしないでー!」

「うわっ!」

「きゃっ」

 

そんなやりとりに一人、頬を膨らませる鈴谷が、熊野に体当たりするように突っ込んで来た。

三人が背を掛けるには狭いソファで、揉みくちゃになるように姉妹が提督の膝上で戯れている。

 

「もう!そんなに不安なら寝るよっ!」

「ええ!?こ、ここ執務室ですわよ!」

「いいの!ほらっ、そこに布団あるしっ!」

 

鈴谷の指差す方向には、真っ白な布団と、その上で見事な敬礼を見せる家具職人の姿が。

 

「ほ、本当だ」

「え!?これ寝る流れなんですか!?」

「もっちろん!ほらほら、布団敷くよ〜!」

 

鈴谷と提督に挟まれて、初めは顔を真っ赤にして眠りについたものの、五分程度で眠気に抗えずに爆睡してしまった熊野を見て、提督と鈴谷は互いに顔を見合わせて笑うのだった。

 

 

 

× × ×

 

 

 

「…」

 

結局早朝になって起こされるまで、解けた緊張のせいかずっと眠ってしまっていた。夢を見たわけでもなく、爆睡だった。…かなり恥ずかしい。

 

「や、やっぱり寝顔、見られたのでしょうか…」

 

お陰で身体は軽く、頭も冴えているが、不安は残る――立てた作戦の不備ではなく、主に自分の名誉という意味でだが。

 

「···眩しいですわね」

 

昇り始めた朝日の光が、艤装に反射する。波はなく、至って平穏な海がある。これから深海棲艦との戦いが始まるとは、到底思えなかった。

ふと、肩口に控える妖精さんから、本部との無電が繋がっていることを告げられる。

 

『――熊野。こちら作戦本部』

 

その声は唐突に耳に届いた。

 

「あっ、はい、こちら熊野ですわ。出撃準備、そろそろでして?」

『ああ。第一艦隊は準備完了した。第二艦隊の準備が出来次第作戦に移行しよう』

「了解ですわ···それでは」

 

私が率いる艦隊が、動こうとしている。今まで学び得てきたもの全てを発揮するときだ。

ぐっと全身に力が籠るのを感じる。決意を固めて、無電を切ろうとして、しかしまだ提督の言葉が続いていたことに気付いた。

 

『…熊野』

「は、はいっ。なんですの?」

『鈴谷も、俺もお前を応援している。忘れるなよ』

『おーい!くまのぉ!あいしてるぞー!』

『おいおい…そんなに叫ぶと熊野の耳に悪いだろ』

『あっ、ごめん』

「…ふふっ」

 

ふっ、と肩の力が抜けるような気がした。

もう二度と立ち直れないと思っていた。だけど、提督は救ってくれた。鈴谷は、受け止めてくれた。

二人が、背中を押してくれる。今度は守れるように、あの子のいなくなった海を再び駆け抜ける力をくれる。

それに、どこまでも応えていこうと思える。

 

「ありがとうございます、提督」

『俺は何もしてないさ』

「それでも、です」

『えー!?鈴谷はー!?』

「はいはい、鈴谷もありがとうございます。…大好きですわ」

『うおー!』

 

思わず微笑みが零れるのを自覚して、後続へと振り返る。水平線上の太陽に、腕を振り上げながら、溜めこんだ力を放つように、届くように叫んだ。

 

「···艦隊、抜錨!私がみなさんを勝利に導きますわ!」

 

 

 



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第十三話 晩夏の夜

「ふう···」

 

判子を一押しし、手元の書類を横に置いて一息つく。

外に目をやると、空は黒ずんで、雨が降り出していた。

 

──八月が終わろうとしている。

怒涛の忙しさを見せた夏季特別海域での作戦も終わりを迎え、その大勝利を祝う宴会も昨日行われた所だ。

高練度の艦が増えてきたとはいえ、やはり特別海域への侵攻は困難を極めたのだった。

横須賀や呉の司令部が敵中枢を捉え、無事撃破したとの報は昨日届いていた。

今作戦での轟沈艦はおらず、こちらとしても胸を撫で下ろす思いである。

 

(···まだまだ練度も足りないかな)

 

姫級鬼級の跋扈していた最終海域では苦戦を強いられたものの、熊野と二艦隊の反復出撃を行い、敵の補給行動の妨害に成功し、敵泊地を壊滅させることに成功した。

因みに、空母棲姫へのとどめを刺したのは、大和・長門の全力砲撃であった。

宴会にて胴上げされていた彼女らの笑顔を思い出して、こちらも笑顔が込み上げてくる。

 

「···ふあ、ぁ」

 

皆が酔いつぶれ、眠りに落ちた後、吹雪と共に宴会の処理を明け方まで行っていたこともあり、気を抜くと眠気に囚われてしまいそうだった。

 

(そういえば、手伝ってくれた吹雪にお礼をしないとな)

 

自分と同じく今朝欠伸をし、ふらふらのまま出て来た吹雪が少し心配になっており、今度何かのお礼をしようと思う。

 

「···取り敢えず、今日は風呂に入って寝──」

 

小さく独り言を呟いた、その時だった。

ふっ、と、外の暗闇が光る。

 

「っ─―」

 

どおおおおん、と分かりやすく巨大な炸裂音が轟く。

 

「···近いな。びっくりした」

 

眩い光に遅れ、1秒もしないうちに轟音は響いていた。

幼い頃、父に教わった音と光の仕組みを頭で思い出しながら、風呂を目指して執務室の扉を開けた。

 

「ひいいいい···!」

「···吹雪?」

 

遠く聞こえる悲鳴。

食堂から執務室、そして浴場へ繋がる廊下を全力疾走していたのは、紛れもなく、今朝方まで一緒にいた吹雪だった。

 

「し、司令官!んぶっ」

「うおっ、走ると危ないぞ」

「すすすすみません···そそそその、か、か、か、雷が」

「雷?」

 

と、そのやり取りの間に、眩い閃光が一筋。

 

「ひいいいいい!?」

 

どごおおおおおおん!と、例の轟音が続いて、吹雪の身体は震える。

思わず提督の身体にしがみついて抱きしめる。

 

「あだだだだだ!?」

 

長い間駆逐艦のリーダーとして、執務補佐としての彼女を見てきたが、こんな姿は見たこともなかった。

 

「ふ、吹雪、ちょっと締めすぎだ···痛い···」

「あ、す、すみません! 」

 

彼女が腕を放すと、力が抜け落ちるように倒れる。

 

「うご···」

 

艦娘に全力で締め付けられるのは、なかなか辛い。

それ以前に痛い。

 

「だ、大丈夫ですか!?」

 

慌てて、申し訳なさそうに寄り添った吹雪。

やはり、その表情からは先程の慌てようは想像が出来ないのだった。

 

「と、取り敢えず···移動しよう」

 

彼女に抱いた新鮮な印象と、続く痛みの中、彼女の手を引いた。

 

────────────────────────

 

「ここ···視聴覚室、ですか?」

「ああ」

 

ビデオ通話、映像講義だけでなく、映画などの娯楽を楽しむ用途にも、この部屋は設計されていた。

リラクゼーションシートの用意も、某睦月型駆逐艦、球磨型軽巡によって(彼の懐から)完備済みである。

横に接する小部屋には仮眠室もあり、休日の艦娘たちの憩いの場となっているのだ。

 

「一応完全とはいえないが防音にもなっているし···寝付けないようだったら、何か映画でも見るか」

「で、でも···提督、お疲れじゃ」

「まあ、その辺は途中で寝てしまっても許してくれ。もしかして、吹雪は映画とか、あんまり好きじゃないか?」

「い、いえ!」

 

顔を横に振る吹雪。あまり余裕がなさそうだった表情が少しずつ良くなってきているようで安心した。

 

「そうか。なら、手頃な映画を──────」

 

そうして、映画の収納された棚へ手を掛けようとしたその時。

 

「···あら?」

「おう、すまん···って、鳳翔」

「あら、提督···吹雪ちゃんも」

 

視聴覚室に、珍しい組み合わせが揃う。

 

「なるほど···それで、雷の音の聞こえないここへ」

「お恥ずかしい限りです···」

 

吹雪が顔を真っ赤にして俯く。

 

「まあ、苦手なものは誰にでもあるしな···でも吹雪、今まで普段も、出撃や遠征の時もどうしていたんだ?」

 

長くこの子と一緒にいたが、そんな様子は一度も見たことがない。

 

「そ、それは···その」

「ああ、もし嫌なら話さなくてもいいんだぞ」

「いえ!···えっと···」

「ふふっ、吹雪ちゃんはお姉ちゃんですものね」

「···なるほどな」

 

鳳翔の的確な指摘。

あまりそういう視点は持っていなかったため、反省する。

 

「そ、その···叢雲ちゃんも深雪ちゃんも白雪ちゃんも苦手なのに、私が苦手だって知ったら、きっと不安にさせてしまいますから···」

 

意外な艦娘の名が出たのは別として、健気な吹雪の姿勢に感嘆していた。

 

「ずっと我慢してたんだな···それで、三人とも眠ったのはいいが、って感じなのか」

「はい···情けない限りです···」

 

艦娘なのに、と付け加えた吹雪の頭を撫でる。

 

「艦娘だから、なんて気にするな。人の心を持っている以上、君達も人間だ。苦手なものくらいあるさ」

「あぅ···」

 

恥ずかしがる吹雪を気にも留めず、鳳翔の手に持つ映画を尋ねる。

 

「鳳翔はこれから何を見るんだ?」

「あっ、これです。提督もご一緒にどうですか?」

 

気を遣わなくていいぞ、とも思ったが、その映画の題材と、吹雪とを見て決めた。

 

「おう。それじゃあお言葉に甘えるよ。吹雪にも見て欲しいし」

「ふぇ···?」

 

顔を更に赤くしていた吹雪は、きょとんとした表情のまま、その映画のパッケージを覗いていた。

 

──────上映中

 

(···見たことはなかったけど、やっぱり見て正解だったな)

 

それは、一人の女性と狼の子供たちの物語。

二人の子を産んですぐ夫を亡くしたその女性は、狼と人間の血が混ざった子供たちを育てることを決意する。

子供たちの、獣と人との間の葛藤を案じ、そして見守り、やがて獣として生きようとした息子、人として生きることを決めた娘を、彼女は笑顔で送り出した。

 

「ぐすっ···」

「···うう」

 

今までの物語を思い出していると、両隣からは啜り泣く声が聞こえてくる。

 

(あら···感受性が豊か、なんだな···二人とも、純粋な子だからなぁ···)

 

吹雪はもちろん、鳳翔も母親のようだとは言われているが、それは精神的に大人であるということで、見た目(と実年齢)は提督よりずっと若かった。

女性の鑑、とは妙高の弁である。

 

(でも···そうか)

 

少し、気付くことがあった。

彼女らは──────艦娘には、家族と呼べる血縁関係がない。

同型艦との関係は姉妹とも言えるが、親が存在する訳では無い。

そんな経緯もあり、果たしてこの映画の趣旨が、彼女らにはっきりと伝わるのか、不安ではあった。

 

(それでも···親がいないというのは)

 

だからこそ艦娘に、この子達を戦場に置くことにはどうも気が引けるのだろう。

 

「あ、あの···」

「···ん?どうした、吹雪」

「手、を握ってもらえませんか」

「···ああ」

 

不安げな上目遣いでこちらを見つめていた。

 

(···別れは、いつでも辛いからな)

 

気持ちは、痛いほど分かる。

もう、二度と、親しい人たちを、艦娘たちを、失いたくない。

別れすらも、その先に死が待ち受けているようで。

 

(分かってるんだ···これが俺の、エゴだって)

 

握った手は、何も片方だけではなかった。

 

「ぐす···あ···提督、ありがとう、ございます···」

 

そう言って鳳翔は双眸の涙を拭く。

 

「···あぁ」

 

両掌に伝わる確かな温もりが安心を与えてくれる。

絶対に、離さない。

 

(···けれど、やっぱり、譲れないんだ)

 

この海の平穏と、この子達の笑顔が、本当に好きだと思えるから。

それが、映画を通して、今の自分の原動力となっている事が、ただ理解出来た。

 

 

「ぐすっ」

「どうだ、落ち着いたか?吹雪」

「えへ···感動のあまり、涙が···ですね」

 

落ち着かせようと頭を撫でると、嬉しそうな表情が覗ける。

迷惑に思われていなくてよかった、と一安心すると、鳳翔がうとうととしていた。

 

「···っと、そうだ。そろそろ寝ないとな」

 

日付が半刻ほどで変わろうとしていた。

 

「もう寝られるか?吹雪」

「ええと···その」

 

豪雨は次第に弱まり、ポツポツと小雨が降るばかりになっているのだが、やはり怖いものは怖いのだろうか。

 

「うふふ···提督、今夜はしばらく一緒にいてあげて下さい」

「鳳翔···そうなのか、吹雪」

 

図りかねた真意を汲み取ったのか、流石は鳳翔というばかりだ。

 

「えっと···実は、鳳翔さんにも···」

「あ、あら?」

 

 

 

────────────仮眠室

 

「本当に良かったのか?鳳翔」

「ええ···私は気にしていませんよ。何より、吹雪ちゃんの頼みですもの」

「あ、ありがとうございます···」

 

吹雪を真ん中にして、川の字になって横になる。

真夜中の寝室には、小さな雨音だけが響いていた。

 

「吹雪···不安じゃないか」

 

心配になって、思わず彼女の表情を伺う。

 

「いえ···その」

 

もじもじと顔を赤らめている吹雪。

 

「もし、伝えたいことがあるなら、言ってみたら?」

 

背中に優しく触れ、鳳翔は言った。

先ほどは想定外だったようだが、考えてみれば、まあ一人で大人の男とは眠れないだろう。

やはり、(口には出さないが)母親のような口調であることは否めない。

そんな彼女に内心苦笑し、視線を吹雪の方へ戻す。

恥ずかしがってはいたが、口を開いたようだった。

 

「その···聞いて欲しい話が、あるんです···私の、話」

「おう。聞かせてもらいたいな」

 

ぱっと、吹雪の顔が明るくなる。

 

「じゃあ···!」

「ああ。話してくれ」

 

そんな彼女が、なんだか妹のような、娘のような気がしてしまった。

 

「私···軍艦として生まれて、ソロモンの海で(しず)んで···それから、長い夢を見ていました。

青い海を渡る自分は、艦娘ではなかったけれど、今の私と···『吹雪』と同じような、女の子でした。

その時、もし私が──────軍艦としての私が、もう一度海の上へ生まれ変われるのなら、どうするんだろう、って思ったんです」

 

吹雪が薄く眼を開いたまま呟く。

 

「···そうしたら、沈んだ時に抱えた、後悔なんてなくなっちゃって···夢から覚めた自分は、本当に人間の女の子の体をしていたんですから···びっくりです」

 

人と艦。

映画とは少し違うけれど、どちらで生きるか、そこに葛藤することはなかったようだった。

 

「海の平和を守りたい。多くの人々を救いたいって思う一方で、人間としてまた生きられることが、私は本当に嬉しいんです」

 

紛れもない、彼女の本音であった。

既に鳳翔は眠りに落ちようとしていた。

そんな彼女の頭を撫で、吹雪に肩まで布団を掛けながら口にした。

 

「そうだな···あの戦争での、軍艦としての君たちが、過去にどれほど辛い思いをしてきたのか、俺が分かるのは、僅かな文書からだけだ」

 

悔しい、悲しい、寂しい。

沢山の負の感情が織り交ぜになっていた中に、彼女たちは光明を見つけた。希望を抱いた。

視線を合わせるようにして、彼は微笑みながら言った。

 

「それが分かるのは、君たちがここへ──────もう一度海の上に立つと決意してくれたお陰なんだ」

「···はい」

 

眠気を感じながらも、笑顔に変わりはない。

そんな吹雪を抱きしめるようにして続けた。

 

「ここへ来てくれて···生まれてきてくれてありがとう。俺は、絶対に君たちを護り抜くから···」

「···はい」

 

互いのゆっくりとした心音が、合わさっていく。

自分の言葉と、その心音に、何故か既視感を感じて───

 

「──────ああ。そうか」

 

遠い、昔の記憶。

 

(父さんも···母さんも、こうしてくれてたんだな)

 

はっきりとした記憶ではなく、その時抱いた感情が、自分の心に染み込んでいく。

 

(「生まれてきてくれてありがとう」か)

 

全ての親は──────子に、そう思うのだろう。

それが、親子という関係でなくても──────

閉じゆく両目。

すややかに眠る二人に笑みを浮かべ、眠りにつくのだった。

 

翌朝。

 

「ごうがーい!」

 

朝食を早めに済ませた青葉が、お手製の新聞をばら撒く。

執務室は今朝からごった返していた。

 

「ちょ···!こ、これ、どういう事なんですかー!」

 

これ以上ない赤面で詰めかけた吹雪の後ろには、榛名や蒼龍を始めとした艦娘の面々。

 

「えっと···だな」

「それはこっちの台詞ネー!ブッキー!」

「はっ!?」

 

鬼気迫る表情とただならぬオーラを感じ取り、恐る恐る振り向く先には、般若のような(何とは言わないが)金剛がいた。

 

「ひいぃ!」

 

「抜け駆けはなしと決まってるはずデース!」

「ちょ、ちょっと待ってくださいい!」

 

元凶は青葉の新聞の一面。

仮眠室でスヤスヤと眠る吹雪、提督、鳳翔さん(左から)の写真を、たまたま鳳翔に用のあった青葉が訪れ、激写されてしまった。

また問題なのは、両側の二人が提督の腕を抱き締めて眠っているということだった。

 

「寝る前は私が真ん中だったじゃないですか!」

「何のカミングアウトなの!?」

 

瑞鶴が反応する。

 

「ええと···そのだな。朝方、気が付いたら吹雪が俺の上に乗ってて···反対側に行ってしまったんだ」

「へ?」

 

固まる執務室。

 

「吹雪さん···?」

 

赤城に手を肩に置かれ、優しく微笑まれる。

 

「え?い、いやー!!赤城さん、ちょっと待ってくださいいい···」

 

引き摺られ、留置所(一航戦部屋)に連行される吹雪。

 

「わ、私ったら熟睡だったもので···!」

 

顔を赤くして、隣の秘書艦席にいた鳳翔が言う。

考えてみれば、今回の鳳翔は事故とはいえとばっちりもいい所である。

 

「悪いな鳳翔。今度お詫びでもさせてくれ」

 

素直に謝ると、鳳翔は両手を振った。

 

「い、いえ!む、むしろその嬉しかったと言いますか」

「え?」

「ひゃっ!?な、何でもないです!」

 

両手で顔を抑えて後ろを向いてしまった。

 

(ま、まさかそんなに臭かったりでもしたのか)

 

それは不味いと焦る。

その日、三者三様になかなか珍妙な光景が見られるのだが、それは別のお話。

 




吹雪は第二話で既出ですが、今回は少し世界観の方に比重をおいています。
艦娘はどうしてこの世界に現れたのか、どうしてこの国に現れたのだろうか。
ゲームでもアニメでも、徐々に明らかになりつつあるようですが、個人個人で考えを持ってみるのも面白いかと思います。


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第十四話 鳳翔、発熱ス

短めですみません。隔週投稿分です。


「提督、艦隊が帰投したわよ!」

 

暁が元気よく、執務室の扉を開けた。

 

「おう、お帰り。暁」

 

そう言って彼女の頭を撫でる。どうやら無事そうなのでホッとする。

 

「んへへ···って!そうじゃなくて報告よ!」

 

何故怒っているのかはよく分からないが、とりあえず報告の記録を鳳翔に頼もうと振り向くと、感じる違和感。

 

「···鳳翔?」

「···っ、はい!」

 

虚ろな目が、ふと開いて、また薄くなる。

 

「だ、大丈夫か?」

「···え?わ、私ですか?」

「···暁」

「ええ···おかしいわ。いつものおか···鳳翔さんじゃない」

 

明らかに余裕のない表情。鳳翔にしては非常に珍しい。

 

「暁、被害は?」

「えっと···熊野さん、陸奥さんが中破、摩耶さん、赤城さんが小破。私と如月は無傷よ」

「そうか。よくやってくれた。順次入渠させて身体を休めてくれ。あと、大和を呼んで貰えるか?」

「ええ、もちろん。鳳翔さん、今日はしっかり休んでね!」

「い、いえ!私は元気ですから···この通り···っ」

 

足をふらつかせる鳳翔を、咄嗟に慌てて抱きかかえる。

 

「ほ、鳳翔さん!」

「大丈夫か?取り敢えず、大和を頼むぞ」

「え、ええ!」

 

駆けていく暁を見送ってから鳳翔に視線を戻す。

 

「て、提督···まだ仕事は残っていますし、それだけでも···!」

「落ち着け。もうほとんど残ってないから、明日やっても終わるよ」

「い、いえ、提督に仕事を押し付けては···」

 

(これは本来俺の仕事だけどな)

 

心なしか、彼女はこういうこととなると元気になっている気がする。

 

「大丈夫だって。とりあえず、俺の部屋でいいか?散らかってるが···」

「へ···ひゃっ」

 

そう言って両腕で彼女を持ち上げる。相変わらずその容姿に違わず軽い身体。

しかし日頃の彼女の仕事量を考えると、如何せん細すぎるのでは、と思ってしまう。

 

「ちょっと我慢してな。すぐ着くから」

 

彼らしい、謎の謙遜を入れて自室へ向かう。

 

 

 

「···鳳翔さん!」

 

猛烈な勢いで飛び込んできた大和。

やはり、鳳翔に対する信頼は、相当なものなのだろうと感じる。

 

「···大和さん」

「すまんな、大和。急に呼び出して」

「いえ···それより、鳳翔さんは?」

「ああ、ここに寝かせてる。微熱があるみたいだけど、たぶん疲労だ···ここの所、居酒屋も忙しくて、遠征もあったからな···ただでさえ普段から他の艦娘の世話もしていたんだから、当たり前か···」

 

そう言いかけて、激しい後悔の念に襲われる。

 

「こんなんじゃあ。俺もまだまだ駄目だ···」

 

ぽつりと零れた言葉に反応したのか、二人は、提督の手を握った。

 

「すまん、弱音を吐いてしまった」

「いいえ、提督にはいつも助けて頂いているのですから···」

 

疲労を顔に出すまいと、微笑んで言葉を紡ぐ鳳翔。

 

「むしろ、私たちがお二方に頼りすぎなのです···」

 

責任を感じさせないように、努めて明るく語る大和。

 

「みんなで一緒に、この鎮守府を支えていきましょう」

 

二人の手を握り返す。

 

「二人とも···ありがとうな···本当に」

 

心から、良い艦娘たちに恵まれたと感じた。

 

────────────────────────────────

 

「それじゃ鳳翔。ゆっくり休んでな」

 

鳳翔不在の穴を埋めるため、大和や長門に協力を頼んで、職務に戻ろうとする提督。

 

「···ええ、提督に大和さん、ありがとうございました」

「···」

 

そんな提督を見つめる鳳翔の瞳の寂しさを、大和は見逃さなかった。

 

 

『でも、それじゃみんなが大変じゃないか?』

『長門と陸奥にも応援を頼みます。この機会ですし、提督もゆっくりして下さい。···鳳翔さんを任せましたよ?』

 

 

そう言って鳳翔にウインクをして去っていった大和。

当の鳳翔と言えば、ゴニョゴニョと布団に隠れて赤面するのみだった。

 

(て、提督と二人きりだなんて···)

 

顔を赤くする鳳翔。日常生活には決してないであろう体験に、思考が回らない。

 

「···鳳翔?」

「へっ!?あ、は、はい!?」

 

提督としては、体調の心配から少し顔を覗き込んだだけであったのだが、予想外の反応に、戸惑うばかりだ。

 

「···うん、顔が赤い。熱かな···ちょっと失礼」

「ふぇっ!?て、提督···!」

 

提督としては、体調の心配から互いの額を合わせただけであったのだが、予想外の(ry。

 

「だ、大丈夫か···?とにかく、しばらく横になっていた方がいい···咳も痛みも無さそうだから、風邪じゃないのかな?」

「は、はい···」

 

彼の一挙一動が、鳳翔の心拍数を上げていく。眠れそうもない。

 

「···眠れないか?」

「い、いえ!だ、大丈夫ですから」

 

遠慮がちに言う鳳翔の表情に、提督は思い悩む。

 

(やっぱり気を使わせてしまったか)

 

いつも通りの方向へ思考が向かいそうになって、頭を振る。

 

『鳳翔さんを任せましたよ?』

 

大和に任された以上、ここで退出するのは良くない。

 

(何か···何か鳳翔をリラックスさせられることは···?)

 

「いいえ···大丈夫ですよ···って提督!?」

 

瞬間、鳳翔は発熱する。

 

「···少し、我慢していてくれ」

「こ、これは···!」

 

慌てに慌てる鳳翔。目が回っている。

 

「嫌かも知れないけど···これで眠れると、思うんだ」

 

添い寝をして、軽く鳳翔を寄せながら、優しくその背を叩く。

 

「···あ···」

 

(温かい···ですね)

 

更にゆっくり頭を撫でていると、自然と彼女の身体がこちらへ預けられる。

力が抜け始めているのだ。

 

「···眠る前に、聞いてほしい」

「···はい··」

 

鳳翔は瞼を少し開いて、彼の次の言葉を待つ。

 

「鳳翔と出会って、もう何年も経った」

「ええ···」

「この鎮守府で、俺は途中からだけど···それなりの時間を君と過ごしてきたつもりだ」

「幾つもの思い出と、君の姿が、焼き付いてる」

「···」

 

瞼はもう、閉じられようとしている。

 

「けど、どんな鳳翔も、絶対に他人に弱い所を見せようとはしなかった」

 

ぐっと、背中に回した腕に力がこもった。

 

「よく、頑張った···だから、もう大丈夫なんだ」

「···ぁ」

「少しでもいいんだ···鳳翔の感じている責任を、俺にも負わせてくれ」

「···て、いとく」

 

過去の自分を縛っていた、その鎖。

遠い海に繰り出し、傷つき、あるいは帰ってこない仲間をただ見ていることしか出来ない、その悔しさ。

 

(私は、皆さんのために────)

 

それが、暗闇の中で鳳翔が見出した結論であった。

かつての鎮守府の提督が去ったとしても、自分は、見守らねばならない。

例え、どんな苦境が自らを待ち受けようと、乗り越えなければならない。

この鎮守府は、在りし日の彼女らの、墓標なのだから────

その思いは、決して揺らぐことはない。

ただ、目の前のその人が、傍で自分を、支えてくれる。

自分の愛する、その人が────。

 

「ありがとう、鳳翔」

 

提督が精一杯の笑顔を浮かべる。

 

『ありがとう、鳳翔さん!』

 

鳳翔が、眼前で見たものは、あの日の記憶と重なっていた。

 

「ていとく···私、も────」

 

全身を包む温もりに、意識はゆっくりと溶けていった。

 

────────────────────────────────

 

「···っ」

 

朝日が眩しい。一体、どれくらい眠っていたのか。

身体は既に、軽くなっていた。

 

「···鳳翔、起きてるか?」

 

ふと降ってきたノックの音に、慌てて答える。

 

「は、はい」

「お、もう身体は大丈夫か」

「ええ、お陰様で···その、提督、私はどのくらい寝て···?」

「ん···と」

 

彼は腕時計を見やって答える。

「そうだな···昨日の一五〇〇頃からだから···大体半日ってとこか」

「へ···?」

 

みるみるうちに、鳳翔の顔が青冷めていく。

 

「こ、こうしてはいられません···!」

 

がばっと起き出した鳳翔を、提督は慌てて止めた。

 

「ま、まあ落ち着け。念のため、今日は休暇にしたから」

「しかし────それでは」

 

···くぅぅぅ

 

そう言いかけて、腹の音が鳴ったのに気付いて、鳳翔は赤面する。

 

「その···とりあえず風呂に入って汗とか流してきたら?」

 

苦笑している提督を睨みつつ、羞恥に悶える鳳翔なのであった。

 

「···おいしいです」

 

提督の手作りだという粥は、湯船から上がって、冷えた鳳翔の体によく効いた。

 

「そりゃあ良かった。本職に褒められるのは嬉しいよ」

「···」

 

ふと、鳳翔は意識を逸らす。

これからのことを考えて、心に不安の影が差したのだ。

 

「···提督」

 

自分は、果たしてこの鎮守府で、役に立つことができるのだろうか。

目の前の人は、自分の傍に、立っていてくれるのだろうか。

 

「···心配するな」

「え────」

 

ふと、顔を上げる。気付けば、声に出ていたのか。

 

「鳳翔が必要とするなら、いつでも助けになるよ。貰ってばかりじゃあ、男が廃るよ」

 

そう言って微笑む提督。

 

「···提督」

「ほら、お代わりもあるから、どんどん食べてくれ。元気な顔の方が、俺は好きだ」

「げほっ!げふっ!」

「···大丈夫?」

 

最後の爆弾に、思わずむせてしまった。

 

「え、ええ···大丈夫です」

 

顔が赤い。

 

「────ふふっ、いくら鳳翔さんでも、提督には敵いませんね」

 

部屋に入ってきた赤城が、ニコニコ笑顔でそう告げる。

 

「おう、赤城」

 

その顔が、今は恨めしい。

 

(鳳翔さん、昨日はよかったですね···!)

(な、なんでそれを···!)

(大和さんから聞きましたよ···とってもほぐれたお顔だったとか···)

 

「っ~!」

 

顔を寄せた赤城との会話。提督はそれを不思議に思いつつ、窓に見える空を見上げる。

 

「もう、秋か···」

 

夏は終わりを告げ、風は新たな季節を運ぶ。

 




空母の話を書くことを…強いられているんだッ!


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第十五話 航空戦隊サンドイッチ

具は加賀。

百合成分ありますので、苦手な方はブラウザバック推奨です。



「はぁ···」

「お疲れですか?」

 

艦娘寮一階、空母寮の一室。

一航戦 赤城は、同僚の加賀の疲労の浮き出た表情を見て、そう言った。

 

「ええ···まあそんなところです」

「まあ当然よね···北方海域の総仕上げには時間がかかりましたし」

 

北方海域艦隊決戦。

それなりの艦隊練度、資材備蓄を必要とする最難関クラスの海域に、舞鶴第一鎮守府は挑んでいた。

 

「誰一人沈ませないためにも、撤退を繰り返していましたから···かなりの出撃回数になってしまいました」

 

決戦手前で敵戦艦の砲撃を浴び、自分のみ中破となって撤退となったことを思い出して、申し訳ない気持ちがこみあげる。

 

「仕方ないことです。それに、私達も、提督も、そんなこと気にしていませんよ」

「···そうね」

 

ただ、それと同時に、彼女は──────加賀は、撤退後の提督の心から安心した表情が忘れられないのだった。

 

────────────────────────

 

『申し訳···ございません』

『何を気にしてるんだ?何も加賀が謝ることじゃない』

『しかし···私一人のために撤退を···』

『···俺はお前が無事なだけで大戦果だ』

 

肩に触れる掌の温もりが、忘れられない。

 

『「帰ろう、帰ればまた来られる」』

『···っ、それは』

『かつての木村昌福少将はそう言ったよ。あれほど逼迫した戦況の中で、じっと勝利だけを見つめていた』

 

窓の外に目を向けると、雨が上がろうとしていた。

 

『あの戦争とは違い、俺達にはまだ余裕があるんだ。焦って大切なものを失う勝利に価値はない』

 

雲から顔を出した太陽が、彼の笑顔を照らす。

 

『気楽にいけ、俺がついてる』

『···はい』

 

頬を朱に染めた加賀は、小さく微笑んだ。

 

────────────────────────

 

「···あの時の加賀さん、すっごく可愛かったですよ!」

「···もう、やめてくださぃ···」

 

普段とは打って変わって、真っ赤にした顔を見せないように伏せる加賀。

散々先述されているが、この鎮守府の加賀は割と喜怒哀楽がはっきりしている。

 

「んふふ···可愛い」

 

髪を撫でると、それに呼応して紅潮を増す加賀が可愛らしくて仕方ない。

さらに、これは赤城と提督に限った話だが、二人のどちらかがが加賀の頭を撫でると、彼女はどうしても、頬の緩みが隠せなくなるらしい。

 

「···ぅぅ、恥ずかしい、です」

 

広がっている口端に気付くと、こちらも和んでしまう。

 

「いやあ、うちの加賀さんは本当に可愛いですねぇ」

 

そう言って、優しく加賀の背に触れ、軽く抱き締めた。

 

「あ···赤城、さん」

「本当に、お疲れ様でした」

 

赤城の胸部に正面からもたれかかる加賀。

女性特有のその柔らかさと、包み込む安心感に身を委ねると、すぐにでも眠りこけてしまいそうだった。

 

「あ···そ···その」

「ふふ···」

 

ゆっくり彼女の背をたたく。そのリズムは、2人の心拍と共鳴し、心地よい気持ちを与える。

 

「いいんですよ···今日は少しだけ早く寝ましょうか」

「そ、それでは···あかぎ、さんも···いっ、しょに」

「まあ···うふふ」

 

ぽさり、と布団に倒れ込む加賀と赤城。

もはや夢うつつの加賀の髪を優しく撫でて、赤城は微笑むのだった。

 

「ありがとう、おやすみなさい、加賀さん」

 

 

 

「──それではっ!北方海域艦隊決戦攻略おめでとーっ!」

 

飛龍が音頭を取り、クラッカーが一斉に鳴らされる。

 

「ありがとう···赤城さんも、2人もお疲れ様」

「いえいえ。前線で加賀さんがいなかったら攻略はありませんでしたよ」

「そうそう!特に最後!加賀さんが敵艦の艦載機を落としてくれなかったら私達今頃海のもずくだよ!もずく酢だよ!」

「そ、蒼龍落ち着いて···」

 

既に酒の入っている蒼龍は顔を真っ赤にしている。普段の様子とは結びつきそうもない程には。

 

「加賀さんは真面目で謙虚だから、それに私達が甘えちゃってるけど···」

 

若干涙目の蒼龍。泣き上戸らしい。

 

「いつもありがとおおお!加賀さぁぁん!」

 

そのまま加賀に突撃して、顔から突っ込む。

 

「あははは!そ、蒼龍酔いすぎ!面白過ぎる…!」

 

傍目で見ていた飛龍は、同僚のあられもない姿に笑いを堪えられないのだった。

 

「まあまあ。とにかく、折角の祝勝会なのですから、今日は飲みましょう!」

「「おー!」」

「ま、まって下さい皆さ···んむっ···」

 

そうして、波乱の夜は更けていく。

 

────────────────────────

 

「あ···れ···」

 

うっすらと目を開ける。

瞼をこすりながら時計を見ると、日付は変わり、1時間ほど経っていることがわかった。

 

「···もう、こんな時間ですか···」

 

ただ、その現在の時刻に確証が持てなくなるほどには、加賀は酔っていた。

 

「いけない···前が···」

 

畳に両手をつけようとすると、人肌の温もりと、特有の柔らかい感触があった。

 

「やあん···もう、提督···あれ、加賀さんだあ···」

 

気がつくと、真下には蒼龍がおり、顔は酔いのせいか紅く、着物ははだけている。

右手でそれを掴んだせいか、更に肌の露出は増していた。

 

「ご、ごめんなさい···すぐにどくわ」

 

そう言って手を離し身体を動かそうとすると、両腕が腰に回っていた。

 

「加賀さん、行っちゃやだあ!」

「ええ···」

 

蒼龍はまるで幼子が駄々をこねるように、潤んだ瞳で加賀を見つめていた。

 

「そ、そう言えば赤城さんは···?」

 

救いを求めるように周りを見渡すものの、彼女らしい面影はどこにも見当たらない。

 

(さては赤城さん···謀りましたね···!)

 

心の中で散々怨恨の思いの丈をぶちまけた所で、彼女に聞こえる訳もない。むしろいつものにやにや顔を返しそうなので、仕方なく押し黙った。

 

「ふっふっふ···」

「···!誰?」

 

瞬間、背後からの声が降り、誰かが覆い被さる。

 

「も、もしかしてひりゅ──」

「どりゃー!」

「ひゃあ!?」

 

無論、ぐでんぐでんに酔っ払った飛龍であった。

後ろから押し倒され、下の蒼龍との距離がどんどん近づく。

 

「ひ、飛龍···?そこをどいて──────」

「やだあー!加賀さんと一緒がいいー!」

 

(もう···この2人は···!)

 

言動が完全に先刻の蒼龍と一致している。

どうしようかと迷っていると、蒼龍が自分の頬を両手で挟んで、見つめてくる。

 

「そ、蒼龍···?」

 

重なる視線に少しドキッとするが、蒼龍は口を開くことはない。

 

「···むー」

 

ただ、不満そうな目線と、言葉にならない言葉だけが伝わって、加賀を混乱させるのみだ。

 

「···蒼龍はね、加賀さんが心配なだけなんだよ」

 

ぽつりと、飛龍は呟くように言った。

 

「え···?」

 

依然として蒼龍を見つめたままだったが、その言葉に混乱は深まるだけだった。

 

「加賀さん、こっち向いて!」

 

蒼龍はそんな加賀の頬を両手で挟んで言った。

 

「な、何···?」

「加賀さんは···優しくて強くて···私たちの尊敬する先輩だけど···いつも自分のせいばっかりにしてる」

「そ、そんなことは···」

「そうなの!」

 

少し怒った表情でそう言うと、ゆっくり額を合わせて蒼龍は微笑み、言葉を重ねた。

 

「私たちも、加賀さんの足を引っ張らないくらいには強くなったよ···?」

 

言い過ぎじゃない?と茶化す飛龍にもー!と蒼龍が抗議する。

 

「とにかく···加賀さん、こんな時でしか言えないけど···いつも、私たちを守ってくれてありがとう!」

「ありがとう!」

 

笑顔の蒼龍の瞳は潤んでいて、同性の加賀でもドキッとするような。何かしらの魅力を発していた。

また、背に顔をうずめる飛龍も、似たような表情をしているのかもしれない。

彼女らの気持ちに感動しつつも、加賀はもう一つだけ、抱えているもどかしい思いがあった。

 

「わ、分かった…そ、それで···二人とも、あの、その···」

「んー?どうしたの?」

 

目の前の蒼龍と、背後の飛龍。

二人に密着している者でしか感じることのできない感触。

 

「む···」

「む?」

「胸、が···。」

 

そう。

二航戦の胸部装甲は、見事に加賀の上半身を包み囲っていたのだ。

 

「んふふ」

「えへへ」

 

若干の照れた笑みを浮かべる二人に、たじたじな加賀。

 

「んもー、加賀さん、可愛い!」

「ひ、飛龍···」

 

飛龍が強く抱きつくと、前へ押し出されるように、必然的に、加賀は蒼龍の胸部に額から押し付ける形となった。

 

「加賀さぁん···」

「く、くるし···」

「いいにおいぃ··」

 

頭部を蒼龍に固定され、腰と背に飛龍がもたれかかっている状態で、酔いは最高潮に達していた。

 

「あ、あら···」

 

力が入らず、目の前の蒼龍を枕にするように仰向けに倒れ込むと、次第に眠りの渦に引き込まれていった。

 

「加賀さんん···眠いよぉ···」

「もうみんなで寝ちゃおう?」

 

二航戦の二人は加賀を挟む形で、より近づいた。

加賀は、背に触れる飛龍の重さも、もはや心地よいものに感じるようになっていた。

 

「おやすみ···」

 

誰が言うでもなく、彼女達は次第に、目を瞑って、それぞれの夢を見るのであった。

 

 

────────────出撃後、鎮守府別棟縁側にて。

 

「あぁ···極楽極楽」

 

膝の上の瑞鶴は、非常に満足そうな笑顔である。

 

「もう···瑞鶴ったら、加賀さんお疲れなのに」

 

縁側の奥から、翔鶴が姿を見せる。

 

「いいのよ」

 

そう言って瑞鶴の解いた髪を撫でる。

 

「···お疲れ様、瑞鶴」

「うん。加賀さんもね。」

 

二人は目を合わせるでもなく、どこか満足そうに、風になびく庭木を見つめていた。

涼しい風が身を包む。

それは、出撃の後の疲弊した全身を癒し、強ばっていた心を緩める。

 

「そう言えば、赤城さんと加賀さんはうちの初任空母なんだよね?」

 

膝元の瑞鶴が突然に話を切り出し、加賀は不思議な表情を浮かべる。

 

「どうしてその話を?」

 

変わらず彼女の髪を撫で続ける。

 

「提督さんに聞いたんだけどさ、初任なのに2人っておかしくない?」

「確かにそうね。どうしてなんですか?」

 

隣に腰を下ろした翔鶴もそれに同調するように言った。

 

「···まあ、理由なら簡単な話よ。私が横須賀からの配属ついでに、南西諸島防衛戦の応援に駆けつけて敵空母を倒して、大本営から報酬艦として、赤城さんがこの鎮守府に来たの」

 

今思えば数奇な運命もあるものである。

 

「わ、すごい偶然なんだ」

 

少し目を見開いた瑞鶴は、加賀の手に嬉嬉としていた表情を驚きに変えた。

 

「ええ···そうね」

 

コロコロ変わる彼女の顔に可愛らしいものだ、と若干頬を緩むのを感じる。

···と。

 

「···どうしたの、翔鶴」

「へっ!?い、いえ何でも···!」

 

感じた視線に隣を伺うと、顔を真っ赤にして両手を振る少女。

見た目は自分より少し若い。艦娘は“造られた”存在と言えど、全くそれを感じさせない肌の艶と、陽の光に煌めくその銀髪。

彼女を見ていると、この世界の根幹に関わるような何かを感じ取ってしまう。

 

「うう···」

 

はっと我に返る。

目線で怯えさせてしまったかと内心であたふたしてしまった。

 

「ははーん、さては翔鶴姉も加賀さんに膝枕して欲しいんでしょ」

「···そうなの?」

 

···どうやらそんな仰々しいことでもなかったようだ。

 

「ふぇ!?そ、そんな悪いですよ!?ひ、膝枕···なんて···」

 

(して欲しいことは否定しないのね)

 

彼女の表情から色々と察してしまうが、あくまで知らないふりをして誘ってみる。

 

「翔鶴···?」

「ひゃ、ひゃい!?」

 

案の定、不意を突かれて慌てている翔鶴は緊張に近いなにかによって身を強ばらせていた。

 

「瑞鶴もこうしている訳だし···貴女もいいのよ?一人も二人も変わらないわ」

 

軽く膝を叩く。みるみるうちに喜びの表情に変わっていく翔鶴に、彼女はやはり、瑞鶴の姉なのだと、つくづく思うのであった。

 

────────────────────────

 

夕暮れ時。

黄昏時とも称されるその時間帯──────実に先程の会話から半刻弱、加賀はその姉妹を膝の上に、ただ、その微笑みと共に彼女らの髪を優しく撫でていた。

 

(まだまだ、教えなければならないことが沢山あります)

 

気持ち良さそうに寝息を立てる2人を見て、そう思う。

横須賀第一鎮守府では、あの雲龍型の着任が確認されていると言う。

彼女らが今の自分と同じ立場になるという実感が、未だに持てない。

だから少し焦ってしまう。彼女らに自分の不手際から辛く当たっているのではないかと、つい不安になってしまう。

少し冷たい風は、秋の気配を感じさせる。長く伸びる影は、小さく震えた。

 

「···そろそろ、時間かしら」

 

その殆どを水平線の彼方に沈めた夕日に視線を移し、暫くしてから、加賀の両手は、膝の上の2人の頬を優しく包んだ。

 

「んっ···う···」

「そろそろ夕食よ。起きてくれるかしら」

「ぁ···かがさん···」

 

ゆっくりと目を開けた瑞鶴は、いつもの勝気な笑顔とはまた違った、心地よさげな笑顔を見せる。

その様子に少し母性の片鱗を見せる加賀だったが、それを自覚して苦笑する。

 

「まだ親になるような年でもない気がするけれど」

「え?なんのこと?」

 

欠伸をしながら起き上がった瑞鶴になんでもないのよ、と返事をし、今度は翔鶴に目をやった。

 

「翔鶴、起きなさい」

「ん···ぅん···?」

 

左膝に頭を乗せた彼女の頬を手で触れると、小さく身体を動かして目を開いた。

 

「おはよ!翔鶴姉」

 

覗き込むようにして瑞鶴が言うと、翔鶴は一連の回想から解き放たれ、再び顔を赤く、赤くした。

 

「ひゃ!?す、すいません加賀さん···熟睡してしまって···!」

 

勢いよく、それも飛び跳ねるように勢いよく────

正座してひれ伏す翔鶴についつい笑みを零してしまう。

 

「いいのよ」

 

頭を撫で、彼女を落ち着かせようと努める。

けれど、その必要はなかった。

なぜなら、その姉妹は、ぽかんとした表情でこちらを見つめていたからだ。

 

「···?」

「か、加賀さんが笑った」

「かわいい···」

 

少し不満を覚える。

こんなにも自分は感情表現が苦手なのだろうか。

表情筋が硬いと言われ、隣の鎮守府の加賀と共に特訓に明け暮れたあの日々は何だったのか。

他人が見ればぎょっとするような過去回顧を終え、もう一度彼女らを一瞥してみれば、今度は彼女らの表情が固まったままだった。

 

「···二人とも、大丈夫?」

 

姉妹の視界に手をかざすが、反応はない。

夕暮れの影に、その不審な光景が展開される。

それは、三人を呼びに来た提督が発見するまで続いたのだった。

 

 

 

「か、加賀さん···これは」

「赤城さんも気付いているのでしょう?」

 

鎮守府本館の南側、空母寮の一室。

一航戦 加賀は、同僚の赤城の困惑した表情を見てそう言った。

 

「あ···あはは」

 

乾いた笑いをするものの、内心たじたじとしているのは明確である。

 

「この間の仕返しだよ?」

「赤城さんもいいわ···柔らかい···」

 

背中に飛龍、膝元に蒼龍を抱えた赤城。

そんな彼女に忍び寄る影が二つ。

 

「あー!赤城さん!」

「ひっ!?」

 

おそるおそる背後を振り返った赤城は、さらに戦慄した。

 

「ず、瑞鶴、翔鶴···」

「聞いたわよー!私達にも膝枕してー!」

「え!?そ、そんな!待って!加賀さん置いて行かないで!」

 

じりじりとにじり寄る翔鶴型。

 

「しょ、翔鶴···」

「あ、赤城さん···その···」

 

翔鶴の反応に、パッと赤城の表情が明るくなる。

 

「そ、そうよね!さすがに四人は無r···」

「わ、私も···!膝枕して下さいっ!」

「へ」

 

その声が彼女の口から漏れ出た時には、既に二人は赤城目がけて宙を舞っていた。

 

「あかぎさーん!」

「ひゃあああ!?」

 

断末魔を聞きながら、加賀はとてもにこやかな表情を浮かべた。

 

「やりました」

「やりましたじゃないですよ···!た、たすけんぶっ」

 

ちらりと赤城を一瞥するも、そこには戯れる正規空母の面々しか映らない。

 

「流石に気分が高揚します」

 

そう言い残した加賀は、彼女なりの笑顔で去っていくのだった。

 

「ごめんなさーい!」

 

空母寮に、赤城の悲鳴はこだまするのだった。

 

────────────────────────

 

「お、加賀か···ごきげんさんだな」

「お疲れ様です。そう見えますか」

「ああ」

 

秘書艦に間宮でもと、一人買いに向かっていた提督は、普段より気分の明るそうな加賀と遭遇した。

 

「何かあったのか?」

 

少し気になって尋ねてみると、

 

「ええ、そうね···ふふっ」

 

思い出し笑いをする加賀。

 

「加賀がそこまで笑うってことは、相当なものだったんだな」

 

滅多に見られない加賀の反応に、内心では驚きつつも、苦笑して正直な感想を述べた。

 

「···そんなに私、笑ってないですか」

 

むっとして言った加賀に慌てる。

 

「ああ、いつもはもっと澄ましてるな」

 

本当は慌てているのだが、ここは加賀のように、落ち着き顔で返す事にした。

 

「···そうですか···」

「え!?いや、悪かったって!別におかしい事じゃないだろ?加賀はいつもクールで格好いいイメージだから」

 

そうしたのも束の間、思いの外沈んでしまった加賀に、慌ててフォローを入れる。

「···そうですか」

 

少し嬉しそうにする加賀に、提督はきょとんとする。

 

「···今日、テンション高いだろ」

「いえ。私はいつも全力です」

 

(答えになってないけど···)

 

いつもより感情豊かな加賀に新鮮さを感じつつ、ポケットにある間宮券を彼女に渡す。

 

「···これは」

「もうすぐ作戦報酬は配られるけど···加賀にはオマケ付きだ」

 

一人で山のように食べる加賀も想像できてしまうが、きっと彼女は赤城や、仲間達と分け合うのだろう。

彼はそんな時の彼女の表情が好きだったりする。

 

「そうですか···ありがとうございます」

「最多MVPおめでとう」

 

加賀は、そう言われてはっとした。

 

「わ、私がですか?」

「じゃないと渡す理由がないよ」

 

いつもこんな感じだ、と説明されると、ふと気になる事があった。

 

「そ、その···」

「なんだ?」

 

おずおずと、彼女は切り出した。

 

「今、私の練度は···」

「ああ、確か···これで90ちょうどだ」

 

加賀の笑みが、心なしか増したような気もした。

 

────────────────────────

 

「あ〜あ、嬉しそうにしちゃって」

 

飛龍はニヤニヤ顔でそう言う。

 

「わ、私だって負けないんだから!」

 

(うーん、まだまだねえ···)

 

悔しそうにする瑞鶴を見て、翔鶴は少し苦笑してしまう。

 

「まあ、加賀さんが嬉しそうなので良しとしましょうか」

 

ちょっと悔しいけど、と蒼龍が付け足すと···

 

「加賀さん···私、負けませんよ···!」

「うわっ!?ガチだ!」

 

そこには瞳を真っ赤に燃やす赤城の姿が。

 

「···結局、提督がいないとやる気も出たもんじゃないねぇ」

 

その姿に呆れて、飛龍はそう言いつつも、ちらりと彼らの方を向いて、

 

「まあ、私も負ける気なんてないけど」

 

そうやって、不敵な笑みを浮かべるのだった。

提督を巡る、正規空母の熾烈な争いは今日も続く。

 




瑞鶴や翔鶴を見ていると、結構艦娘って幼いんじゃ?って感じたりします。
お姉さんキャラですらロリ化傾向にありますよね…。


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第十六話 提督の休日《元旦奔走編》

多忙を極める提督職ですが、たまには休日もあるようです。
シリーズものですので、たまに普通の話の中に紛れ込んでいます。

日常系が好きな人向けかも知れません。


元旦。

新たな一年の始まりを告げるその日。

 

「明けまして、おめでとうございます!」

 

艦娘たちのそんな快活な声が飛び交い、間宮や伊良湖は慌しく厨房の中を駆け回っている。

全員がこの日を無事に迎えられて何よりなのだが──────

 

「おう、明けましておめでとう」

 

この男──────舞鶴第一鎮守府提督は、目の下にクマをつくりながら、頬を引き攣らせて笑った。

 

「って、全然おめでたくないわ!」

 

第六駆逐隊の実質的オカン、雷が言う。

 

「見事なクマなのです」

「···大丈夫かい?」

「健康に気を使えないなんて、大人のすることじゃないわ!」

「す、すまん···ちょっとな」

 

暁にはっきりと言われてしまったが、その『大人の事情』によって、ここ数日の眠りを妨げられてしまう結果になった。

特に年末となると、人間が処理することの出来る限界量に挑戦させられているようで、生きた心地がしなかった。

 

「雷たちは、これから凧揚げか?」

 

錨のマークの入った見事な凧を、誇らしげに掲げる暁を見て、思わず笑みがこぼれる。

 

「ええ!でも、司令官はちゃんと休んでね!」

「ああ。お言葉に甘えるよ。電柱とか、周りに気をつけてな」

「はーい!(なのです)」

 

そう言うと、ぱたぱたと走っていく四人。

 

「···あ、響」

「うん?何だい?」

 

その中の一人を呼び戻す。

 

「忘れてたよ。これ、三人にも渡しておいてくれないか」

「これは···」

 

小さめの封筒のようなものを四つ、彼女に手渡す。

 

「いいのかい?」

「ああ。去年のお礼と、今年の挨拶だ」

 

涼しげな表情からは察せないが、どことなく嬉しそうにする響の頭を撫でる。

 

「これからもよろしくな」

「···ああ。Спасибо」

 

手を振って暁たちの元へ駆けて行った響を見送って、寝床へ向かう。

 

(眠い···)

 

「あっ、提督!」

 

そんな声がして振り返ると、少々(かなり)寒そうなセーラー服の少女たちが。

 

「おお。しおいか、明けましておめでとう」

「明けましておめでとうございます! 」

「おめでとうでち」

 

少し濡れている髪が、出撃帰りであることを教えていた。

 

「オリョールの初日の出はどうだった?」

 

そう、彼女らの働きぶりには頭が上がらないほどで、こんな日にも初日の出ついでに敵艦隊を叩きのめしてきたのだから、もう足を向けて寝られない。

 

「最高でした!」

「後でイムヤが写真送ってくれるでち」

「そっか、ありがとう」

 

敵艦隊──────深海棲艦にも元旦の概念はあるのだろうか。

夏には水着のような格好をした戦艦棲姫がいたらしいが。

ちなみに、敵艦隊は夜襲に油断し壊滅。

敵戦艦は気まぐれで投擲したゴーヤの魚雷カットインに激突したらしい。

 

(おっと···そうだった)

 

獲得してきてくれた資源の明細表を提出してくれた代わりに、例の封筒を渡す。

 

「これって···お年玉ですか!?」

 

目をキラキラさせながら、しおいが言った。

最近はメキメキと実力を磨いているようで、自主練(オリョールクルージング)に励む姿が見られる。

 

「おう。いつものお礼も兼ねてな。潜水艦みんなの働きには少なすぎるかも知れないけど」

 

しおいの頭を撫でながら言う。

 

「そんなことないですっ!ね?ゴーヤ」

 

同意を求めたのか、気を使わせてしまったら申し訳ないが、しおいがゴーヤの方を向く。

 

「うん···ゴーヤ、この鎮守府でよかったでち」

 

静かに、ポチ袋に目を落とした彼女が、そんな声を零した。

 

「俺もだ。いつも、本当にありがとう」

 

本当に、良い仲間に恵まれたものだ。

ゴーヤを抱き締めながら、そう思うのだった。

 

──────食堂

 

「わっ、いいのこんなに!?」

「ああ。いつも助かってるからな」

 

食堂に集まっていた長良型に声を掛け、お年玉を渡す。

 

「提督、本当にいいんですか?他の子の分は···」

 

阿武隈が心配してくれる。そんな彼女の面倒見のよさが、行動から伝わってくることもあり、駆逐艦を中心に絶大な信頼を寄せられている。

 

「大丈夫だ。一応これでも提督だからな」

 

好きに使ってくれ、と言って前髪を崩さないように撫でる。

 

「んう···そ、そうですか···。ありがとう」

 

五十鈴の不思議な視線を感じていたが、よく分からなかった。

 

「そういえば、鬼怒は···改ニ改装がすぐだったな」

 

渡しておいてくれ、と阿武隈に袋を預ける。

 

「あの子、めちゃくちゃ楽しみにしてたよね?」

「そうね。後で見に行ってあげて」

 

正月に改装もいかがなものかと思ったが、全体で集まる前には終わらせる、と本人の熱い希望があった。

そんな経緯もあり、一旦封筒を預かるのだった。

 

「ああ。皆も今日はゆっくりしてくれ」

「はいっ」

 

(そういえば、昨日の宴会は申し訳ないことをしたな)

 

記憶を昨日の夕方に遡れば、クリスマスの直後くらいから立て込んだ仕事をようやく片付け終わろうとしていたときに、白露型に(半ば誘拐のように)宴会場に引っ張られた気がする。

結局、仕事を中途半端にしたせいで期限に間に合わず、鳴り止まない大本営からの電話に酒の入った状態で対応することになってしまった。

 

(まあ、俺がいなくても盛り上がってたみたいだったけど···)

 

その後、思考回路が擦り切れるような仕事をこなした後、僅かな仮眠を経て、今に至る。

半泣きの大淀の応援に駆けつけようと宴会場を出ようとした時の、艦娘たちの表情が思い出される。

 

「···とりあえず、宴会場に行くか···」

 

とても眠りたい気分なのだが、感じなかったことにする。

目の前の角を右へ曲がり、見えてくる宴会場。

 

「···あちゃあ」

 

そこへ立ち入らずとも漂う酒臭。

加えて、部屋の奥に積み重なった死屍累々の艦娘たちと、至る所に散らかされた酒瓶。

既に次に彼のとる行動は確定していた。

 

────────────

──────

 

「すまん、開けてくれないか」

「はい。今出ます」

 

重巡寮にて、とある一室の扉を開いたのは、妙高だった。

 

「休日にすまん、その···足柄と那智なんだが」

 

苦労して担いできた足柄を一瞥して、妙高に告げる。

 

「まあ···すみません、ご迷惑を」

 

慌てる妙高も珍しいが、長女として色々責任を感じているのだろう。

 

「いや、いいんだ。とりあえず寝かせてやってくれ」

 

その辺りは本当に人間と変わらなくて、やはり兵器として彼女らを見倣すのは気が引けたりする。

 

「そうだ。昨日はすまなかったな。仕事が終わってなくて」

「いえ。提督もお忙しい中、わざわざありがとうございました」

 

あまり普段から艦娘たちと多くは関われていないこともあり、仕事が終わっていなくとも、宴会には参加するつもりではあった。

 

「いやいや。ああいう風に歓迎してくれるのは、嬉しかったよ」

 

どの艦娘たちに話を聞きに行っても、楽しそうに話してくれたことは、彼の心に大きく響いていた。

本心がどうにせよ、その笑顔は彼を安心させていたのだ。

 

「皆さん、提督がいらっしゃるのを楽しみにしていましたから。···勿論、私もです」

 

表情は淑やかというべきか、柔らかな笑みを浮かべていた。

 

「···そうか。ありがとう」

 

呉の提督が『良い女』と評した所以が、分かった気がした。

 

「よし、那智も運んでくるから、少し待っててくれ」

「い、いえ。何でも提督にして頂く訳には···」

「大丈夫だよ。ゆっくりしていてくれ。あ、あとこれ」

 

部屋を出る前に、ポケットのポチ袋を取り出す。

 

「これ···いいんでしょうか」

「ああ。いつも足柄たちをまとめてくれて、ありがとう」

 

これもそのお礼だよと、手を振って扉を開く。

 

──────提督の仕事は続く。

 

 

 

「···ふぅ」

 

冬の季節には似つかわしくない、袖を捲ったワイシャツの出で立ち。

それもその筈、酒に溺れた艦娘の溺死体を部屋へ送り届け、あるいはトイレ(もちろん何の為かは割愛)へ肩を貸し、割と重労働をこなしていたからだ。

元旦からこうではいけない、と言う姉妹もいるかもしれない。

だから、せめて一緒に過ごしてもらおうという配慮である。

 

(鳳翔や間宮なんかは毎日これをやって、料理に家事か···)

 

改めて認識したが、やはり彼女(たち)は強い。

皿を積み、とりあえず残ったゴミを処理した袋を一通り結び終わったところで、一息つく。

 

「とりあえず、ゴミを捨てて···」

 

部屋はまだ少し汚れており、新年早々だが掃除の必要を感じるほどだった。

 

「···雑巾だな」

 

まだまだ、寝かせて貰えそうにはない。

 

──────倉庫

 

兵装を収める工廠の方ではなく、生活用品をストックしておくための倉庫は、鎮守府正門側に位置していた。

流石に冬にこんな格好では外に出られないので、ウインドブレーカーのような衣類を重ね着る。

ついでにゴミ袋を捨てようと運んでいる時、ふと艦娘の声が聞こえた。

 

「あっ!しれぇ!」

「ん···雪風」

 

振り向くと、そこには上着を着込んだ、冬服姿の雪風が。

両手には大きな雪玉を持っていた。

 

「何してるんですか?」

 

割と豪雪なこの地域は、多くの艦娘にとって、珍しいという。

初めてここへ着任する艦娘は、その降雪量に驚くことが多い。

雪風もご多分にもれず、十六駆で雪遊びに興じていた。

 

「部屋の掃除だ。雪風は···雪合戦か?」

 

頭や服の至るところについた雪を手で払ってやると、彼女は嬉しそうに笑った。

 

「そうです!雪風雪合戦です!」

 

雪という字面がゲシュタルト崩壊を引き起こしそうになっていたが、彼女たちには関係の無いことだろう。

年相応の姿で楽しく遊んでいる彼女たちを見るのは、少し安心に近い感情を抱く。

 

「そっか。じゃあ頑張ってな」

 

そう言ってフードを被せ、懐のカイロを渡す。

 

「いいんですか!?」

 

文字通り目を輝かせていた雪風に苦笑し、うんと頷く。

 

「ありがとうございます!雪風優勝してきます!」

 

そう言って走り出した彼女の後姿は、何とも勇壮であった。

 

「さて···と」

 

大きなゴミ袋を捨て終わるが、一息つく暇はない。

 

────────────────────────

 

「···ふう」

 

昼過ぎの提督私室。

彼は妖精さんのご厚意に甘えて作ってもらった掘り炬燵へ、下半身を収めていた。

 

「疲れた···」

 

あの後、手際よく宴会部屋の掃除を終わらせ、食器などを片付け終えた彼は、程よい疲労感に襲われていた。

炬燵の机上に置いてある、昔の仕事仲間から届いた紀州の蜜柑を一つ取って、皮を剥く。

 

「···甘い」

 

ある意味期待を裏切ったその味は、あくまで上品ながら、疲労した体に効く甘味をもたらした。

 

「···」

 

彼は身体が上下に揺れていることに、気が付かない。

「···zzz」

 

正月ののんびりした空気に、すっかりのまれてしまっていたのかも知れないと、後に彼は語る。

 

 

 

「あら···」

 

元宴会場の入口の襖にて、鳳翔は目を見開いた。

「すっかり片付いていますね」

 

支度をしていると、応援に駆けつけてくれた舞風と野分も、似たような表情を見せていた。

 

「そうね···一体どうしたのかしら···」

 

これはこれでありがたいけれど、と困ったように笑う鳳翔。

 

「きっと日頃の感謝もこめて、他の子がやってくれたんだよ」

「ええ。それなら野分たちもやればよかったですね」

「あら。ありがとう二人とも」

「えへへ」

 

嬉しいことを言ってくれた二人の頭を撫でる。

はにかんで笑う舞風と、無表情のまま照れる野分の反応を比べると思わず微笑んでしまうのだが、それはそうと、本題に意識を戻す。

 

「どちらにしても、手伝ってくれた人を探しましょうか」

 

ご馳走しますよ、と両隣の二人の手を握る。

 

「ほんと!?やったぁ!」

「···ありがとうございます」

 

踵を返して廊下に出ると、何やら騒がしい音が聞こえる。

 

「はぁー、雪合戦のあとのお風呂は最高でした!」

「ほんとだよぉ。あたし、あんなに雪で遊んだの初めてかも」

 

それぞれ暖かそうな衣服に身を包んだ陽炎型、第16駆逐隊の四人。

 

「あれ?雪風たち何してたの?」

「あっ、舞風!雪風は雪合戦です!」

「白露型の子たちと遊んでたのよ。ねえ時津風?」

「そうそう。楽しかったなぁ」

 

笑い合う彼女たちの表情が、何とも可愛らしい。

 

「そうですか。じゃあ湯冷めしないように、暖かくして下さいね?」

「はいっ!天津風ちゃんが湯たんぽです!」

「ちょっ、や、んもう!」

「うふふ」

 

じゃれ合う四人を微笑ましく思っていると、雪風がおもむろに、ポケットから何かを取り出した。

 

「ん?雪風、それなに?」

「忘れてました!雪風、提督にカイロもらったんです!」

「へえー、どこで?」

「えっと、正門の前です」

「正門前···」

 

鳳翔の脳裏に、鎮守府の地図が逡巡した。

 

「提督は、何か用事があったのですか?」

 

そう聞くと、雪風は答えた。

 

「お部屋の掃除って言ってました!」

 

鳳翔、それに舞風と野分は、あちゃあと、両手で顔を覆った。

 

 

 

「提督、いらっしゃいますか?」

 

ノックを2回したものの、返事はない。

 

「いないのかな?」

「···いや、妖精さんがいます」

 

割と休日の提督の周囲には妖精がいることが多い。

清廉な心の持ち主に近付くとされる妖精は、羅針盤や装備に大きな影響を及ぼす。

普段の言動や戦果からすると、この鎮守府の提督も、妖精に好かれる人間のようだ。

 

「いかようでしょうか」

 

まるで警備員のように、厳しい表情で妖精の一人が寄ってきた。

 

「提督にお礼がしたいの!提督は中にいるかな?」

 

舞風がそう言うと、妖精はそれに答える。

 

「いますです。ほうしょうさんやのわきさんがいっしょなら、だいじょうぶでしょう」

「なんで私だけ!?」

 

ツッコミを入れようとした舞風に、妖精は口に指を立てた。

 

「ねていらっしゃいます」

 

ゆっくりと扉が開けられ、彼が炬燵に突っ伏して寝ている姿が見えた。

 

「なるほど」

「なるほどってなにさ!」

 

小声で言い合う二人。

 

「ま、まあとりあえず、このままでは風邪を引いてしまうかも知れませんので、一旦起きて頂きましょうか」

 

鳳翔は近付き、彼の背をゆっくりと揺らした。

 

「提督···起きられますか···?」

「ん···」

 

耳元で小さく囁いたその声に、彼は薄目を開く。

 

「ああ、寝てしまっていたか。起こしてくれてありがとう、鳳翔」

「いえ···こちらこそ無断で入ってしまい申し訳ございません。それに、宴会場のお片付けまで···」

 

申し訳なさそうに頭を下げる鳳翔に少し慌てる。

 

「いいんだ。いつも鳳翔がしてくれていることに比べたら、些細なものだ」

「て、提督…」

「提督、ありがとうございます」

 

鳳翔の横から出てきた二人に気が付く。

 

「おお、舞風に野分」

「提督ーっ!」

 

飛び込んできた舞風を胸元で受け止めると、舞風は心地よさそうに笑っていた。

 

「二人も炬燵に入ったらどうだ。外は冷えるし」

 

膝元の舞風が籠の中のみかんに手を伸ばしているのが見える。

 

「良いのでしょうか」

 

遠慮気味の野分にいろいろ思うところはあるが、頭を撫でて続ける。

 

「普段から君たちとあんまり話せていないと思っていたんだ。話、聞かせてくれないか」

 

ふと一瞥した鳳翔は、やはり微笑んでいたのだった。

 

 

 

それからは、色んな話をした。

まずは持っていたお年玉を渡したり。

雪風たちのしていた雪合戦の約束をしたり。

自分と鳳翔の膝の上で、駆逐艦二人が寝てしまってからは、それに笑い合い、互いを労った。

料亭の経営、家事、空母の指導など、本当に頭が上がらないと伝えると、鳳翔は桜色に染まった頬で、謙遜したのだった。

 

──────────────────

 

「今年もよろしく頼む」

「はい。こちらこそ···そ、その」

「ん?」

 

両手の指を、重ね合わせるようにして、鳳翔は言った。

 

「今年も···提督のお側に、居させて下さい···」

「···ほ、鳳翔」

 

思わず、ドキリとしてしまう。

彼女の瞳が、これほどまでに眩しく見えたのは初めてだろうか。

 

「···」

 

心なしか、そういう雰囲気が、二人の間に流れる。

まさに、お互いの掌が触れ合おうとしていた、その瞬間。

 

「ふああ···あ、すみません、寝てしまっていました」

「お、おう、野分。起きたか」

「申し訳ありません。そろそろ夕方ですし、お暇します」

「そ、そうね。行きましょうか」

「はい。起きなさい、舞風」

「むぅ···」

「あらら···提督、申し訳ありませんが」

「ああ。大丈夫だ」

 

起こさないよう慎重に舞風を背負い、部屋を出る。

 

「わぁ···」

 

陽炎型の部屋へと続く廊下。

照らす夕日が、何とも鮮やかであった。

 

「初日の出もいいが、日の入りも綺麗だな」

 

積もった雪に陽の光が映えている。

 

「来年もみんなで見ましょうね」

「はい」

「むにゃ···」

 

忙しい正月だったが、それもまた、アリだろう。

 

(少しだけど、艦娘たちと話も出来た)

 

夕日を見上げ、眩しさに目を細める。

 

「平和な海で、必ず···な」

 

新年の、確かな決意を胸に。

握った拳は、僅かに震えていた。

 




連続掲載は今日までです。読んでくださった皆さん、ありがとうございました。
基本的には毎週日曜、隔週水曜の更新になると思います。
休みの時期には更新を早められると思います…。

UA5000が近いので、記念掲載もさせて頂きます。


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第十七話 過去(前篇)

シリアス回。前半は短めの導入部なのでコメディです。


眠りから目覚め、ゆっくりと瞼を開く。

その日は、気持ちの良い、澄んだ群青が広がっていた。

 

「···は?」

 

ただ、そんな空の色も、今の彼にとっては皮肉か何かの程度のものに過ぎない。

動かすのは、ダボダボの寝間着の袖に包まれた細い腕。

彼はぎょっとしたような、全く信じられないといった風に自分の身体を眺めていた。

 

「これは···」

 

眼前に広がる、いつもとは少し違う私室の光景。

質素な色合いの壁や、妖精さん謹製の家具たちがなんだか大きく見える。

否、実際に手が届かないのだ。

 

「なんてこった···」

 

────そう。彼の身体は一回りも二回りも、その大きさを縮めていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────という訳だ」

「···」

 

朝餉の終わった食堂。幼い提督は艦娘全員を集めて事の顛末を語った。

唐突のメルヘンに首を傾げ、あるいは目を点にする艦娘たち。

 

「ど、どういうこと···?」

「全く分からない。ただ、朝目が覚めたらもうこうなってたんだ」

「け、今朝榛名が起こしに行った時にはもう···」

 

榛名は、気が動転しているのか、落ち着きがない。

 

「···というより、なんで榛名は提督を起こしに行ったデース?」

「そっ、それは···えと···その···」

「案外侮れないわね、あの子も」

「そうね。でも加賀さん、その眼はやめて?駆逐艦の子が号泣してるから」

「やりました」

 

(···全く···なんてことだ)

 

榛名の疑惑、そして加賀の脅迫めいた一連の会話は、まるで提督の耳には入ってこない。というより、それほど意識を思考に集中させていただけ、ともいえるが。

 

「··で、でも、なんか新鮮ですね!」

 

艦娘たちが思い思いにその原因を口にするなか、あまりの非常事態に秘書艦に任命した吹雪がフォローに回る。

彼女の方を向けば目線が合わさって、丁度同じような身長になっていることが、改めて実感できる。

 

「···そうだなぁ。まあなけなしの威厳が限りなく消滅したけども」

「あはは。今は可愛いからいいんじゃないですか?」

 

お肌もきれいになってますよ、と自分の頬に指先でつんと触れた吹雪に、思わず自らの腕や足を見る。

思い返してみれば、身体が縮んでしまったとはいえ、身長以外で困ったことはなかった。

 

「···ちょっといいか?」

「へ?···わっ」

 

吹雪を両手で抱き抱える。感じる軽さを鑑みるに、どうやら筋力は変わっていないようだ。

 

(···おかしくないか?これじゃあ、筋肉が凝縮してるじゃないか)

 

その軽さを不審に感じる。色々と不可解な点が多く、解決にはまるで至りそうにもない。

 

(しょうがない)

 

「···とりあえず、数日様子を見る。大本営には病気だと伝えておくが、みんなの演習や出撃のスケジュールに特に大きな変更はない。よろしく頼む」

「は···はい」

 

頬を赤くしながら、呆けたように吹雪は言った。

 

「みんなも、特に変わらずに過ごして欲しい。朝会は以上だ。総員解散」

「はい!」

 

それだけ言うと、彼はいつものように、執務室へ向かうのだった。

 

(···とは言ってもねえ···)

 

────そんな考えをしている艦娘がいるとも知らずに。

 

 

 

(直で仕事···と行きたいけど、最近徹夜続きだったからな···風呂に行くか)

 

因みに、彼は鳳翔に過剰執務を禁じられている。

···最も、それが出来ればいいのだが。

 

(まあ、バレてないならいいか)

 

若干の申し訳なさを感じつつ、私用の浴場(つまり男湯だ)に向かう。

必然的に女世帯になる鎮守府のことだから、土地面でも金銭面でもシャワールームだけでいいと言ったのだが、何故か大型浴場が付いてきてしまった。

 

「···ふぅ」

 

更衣室の鏡に映る肌は白く、どちらかといえば貧弱そうな体つきをしている。

 

「一体どうしたんだろ···」

 

考えていても仕方がない、と風呂場への扉を開く────

 

「「「いらっしゃ────い!」」」

 

─────寸前に閉める。

 

「ちょっとお!司令官さん!待つっぽい!」

「何やってるんだよ···」

「そ、その···夕立がどうしてもっていうから···」

 

(嘘くせぇ···)

 

普段の表情とは似ても似つかない、時雨のにやけ顔に呆れる。

 

「しれえ!一緒にお風呂入りましょう!」

「不知火もご一緒致します」

「お前らもか」

 

いつの間にか回り込んでいた陽炎型に驚いて後ずさる。

 

「ていとくっ!」

「おわあ!」

 

そろりと背中に触れた手は、島風の手。

 

「こんなにちっちゃくなっちゃって···私の方がお姉ちゃんなんじゃない?」

「し、島風か」

 

重なる視線。それどころか、少し背の高いくらいの島風が、どこか新鮮で、焦りを隠せない。

 

(不味い···!こうなったら)

 

「吹雪、電」

「はい!」

「はいなのです」

「こいつら大人しくさせて、後で間宮に行こう」

「了解しました!」

「なのです!」

「うわあ!裏切りやがった!こいつらああああああ痛い痛い!」

「司令官とのお時間は誰にも邪魔させないのです!」

 

そんな深雪らの断末魔を尻目に、こっそりと湯を浴びたのだった。

 

 

 

「ふぅ···」

 

目の前の書類が片付くと同時に、思わず溜息を漏らす。

 

(特に、どこもおかしくない)

 

体力はそのままだが、先刻更衣室でこっそり量った体重は、ごっそりと減っている。

 

(見た目と身長と体重が戻って、後は元通り···?)

 

もう色々と訳が分からない。

こなすべき書類はもう残り僅か。日頃コツコツとやっていたことが功を奏したのか、暫くの間はゆっくり出来るかもしれない。

 

「···もう昼か」

 

思考の纏まらない頭を抱え席を立つ。

身長の届かない扉を押して外へ出ると、近くにいた艦娘から歓声が上がる。

 

「司令官、可愛い〜!」

「提督って昔はこんな感じだったのかなぁ···」

「アオバ、キニナリマス!」

「···はぁ、見世物じゃないんだけど···」

 

乾いた笑いを含ませ、とりあえずこの場から去ることにした。

 

────────────────────────

 

「疲れた···」

 

彼が感じているのは、もちろん精神的なそれだろう。

折角のカレーも喉を通らない(とは言いつつ残さないのだが)。

 

「て、提督。お疲れですか?」

 

そんな時、横から声を掛けたのは翔鶴だった。

 

「おう、お疲れ。翔鶴」

「提督こそ···」

 

おずおずとした様子とは裏腹に、内心で理性が崩れている翔鶴。

 

(か、可愛い···!いつもの凛々しい提督もいいですが、これはこれで···!)

 

「···翔鶴?」

「はっ、はい!?」

 

欲望に塗れた表情(本人には伝わっていないが)を不思議がる提督。

 

(あああ首傾げていらっしゃるううう可愛いいい!)

(···一体どうしたんだろう)

 

両手で顔を抑え、悶える翔鶴が、不思議でしょうがない提督であった。

 

「───そ、それは大変でしたね···」

「全くだよ」

 

うんざりした表情でスプーンを口に運んでいく幼い提督。

 

(とは言ったものの···羨ましいですね···)

 

しかし、まさか目の前の空母までもが例の一味だとは知る由もない。

 

(···そうだ)

 

「提督、お疲れでしたら···」

 

名案を閃いたと言わんばかりに、翔鶴は提案するのだった。

 

 

 

「──────で」

「わー!提督ちっちゃーい!」

 

小さい背を、思い切り抱きしめる蒼龍。

 

「痛い、腕が痛いよ蒼龍」

 

(ついでに心も痛い···もう少し自分の凶器に気付いてくれれば···)

 

若干の申し訳なさを覚えるが、呑気にしている余裕はない。

 

「ほんと、可愛いねぇ。これがあのいつもの提督?」

 

そう言って頭を撫でる飛龍。

 

「ちょ···あんまり慣れてないから···そういうのは勘弁してくれ」

「か、可愛い···」

 

頬を染める幼子。普段とのギャップに、飛龍の心はときめく。

 

「いいじゃないの?提督さんも、普段はあんまりこういうことないだろうし」

 

傍の瑞鶴も、同調するように翔鶴から提督を両腕で受け取る。

 

「普段からこういうことがあったら困るんだけど」

 

頭を撫でられ、不満そうなむくれ顔をすると、二航戦が微笑む。

 

「な、なあ···」

 

困り顔で顔を引き攣らせて笑うと、五航戦はニヤニヤ顔で自分を抱き締める。

 

「諦めて観念しなさいな。いーっぱい、ぎゅってしてあげる」

 

頭上、瑞鶴の声に、嘆息して呟く。

 

「···お手柔らかに頼むよ···」

「「やったー!」」

 

途端に覆い被さる四人に、ただ声を上げることしか出来ない提督だった。

 

「お、おい!ちょ、ちょっと──────!」

 

────────────────────────

 

「う、うーん···」

 

ゆっくりと目を開くと、そこには姉と二航戦、加えて幼い少年の姿が。

翔鶴に抱きかかえられるようにして、すやすやと寝息を立てていた。

 

(私も寝ちゃってたのか)

 

頬についた畳の跡が、熟睡の証拠だ。

押入れからタオルケットなどを探そうと立ち上がると、ふと、何か光るものに気付いた。

 

「···提督?」

 

それは紛れもなく、彼が流す涙だった。

 

「なんで泣いてるんだろ···」

 

欠伸で流れるそれとは違い、下がった眉からはその悲しみの深さが伺えた。

 

(提督が泣いてるの見たの、初めてかも)

 

優しくそれを指で拭うが、溢れ出すように涙は流れ続け、次第に苦しみに呻くような、そんな声が漏れ聞こえてくる。

 

(悪い夢でも見たのかな···?)

 

頭を撫でると、少しは和らいだように見えたのだが、依然として、悲しげな表情は、変わらなかった。

 

「しょうがない、取り敢えずお布団を···」

 

そう思って立ち上がる時に、その声は聞こえたのだ。

 

「──────か、あさん···」

 




ショタだから何でも許される風潮大好きです。


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第十八話 過去(後篇)

不定期更新になっていますが、ノルマ分は投稿できると思います。


「──────か、あさん···」

「···?」

 

確かに、そう聞こえた。

何かに恐怖したように、少年は確かに、そう言ったのだ。

 

「い、今何て···」

「う、ぁ」

 

その瞬間、彼の身体が微かに震え始める。

 

「て、提督!?」

 

慌てて瑞鶴が抱き起こすと、彼はうっすらと瞼を開いた。

 

「瑞、鶴···」

「だ、大丈夫なの!?」

 

今まで彼のそのような姿を見たことのなかっただけに、焦りは大きい。

 

「あ···」

 

そんな瑞鶴を見ていると、今の自分の醜態に気づいたように、はっと目を開いて起き上がる。

 

「ご、ごめん」

「え?う、うん···その、提督さん大丈夫···?」

「い、いや···何でもないんだ」

 

すまなさそうに笑う提督。

 

(やっぱり、何か変よね···)

 

その顔を見てそれを確信すると、瑞鶴は目線を合わせて、こう言った。

 

「ねえ、提督」

「···どうした、ずいか···」

 

瞬間、両腕で包まれる。

 

「···何かあったなら、言ってよ」

「え···っと」

「提督さんが独りで抱え込んでるとこ、見たくないし」

「···でも」

「今までも、私たちが悩んでたら、提督さんは笑って解決してくれたよね」

「してもらうだけなんて···不公平よ。

確かに私達は人間の代わりに深海棲艦と戦うけれど、提督さんは、そんな私達の出撃が上手くいくように、作戦立案を頑張るし私達の悩み事だって聞いてくれる」

「それは、提督として···」

「そんなの、当たり前の事じゃないんだよ?私達って、世界で一番幸せな艦娘なの」

 

見上げた瑞鶴の瞳には、涙が浮かぶ。

 

「だから、提督さん」

 

両腕で彼を力強く抱きしめると、その雫は頬を伝って流れ落ちる。

 

「···ありがとう、瑞鶴···」

 

彼女の姿をを見て、本当に、恵まれたと思う。

それだけに、彼女と一緒に涙を流せない自分が恐ろしくもあり、許せないのだ。

 

(この子は···俺を許してくれるのかな)

 

ただその不安が胸中に渦を巻いて離れなかった。

 

──────空母演習場

 

「···ここで、いいかな」

「ああ。」

 

寝ている正規空母三人を起こさぬように、二人はここへ来た。

 

「···話してくれるの?」

「うん···」

 

彼は覚悟を決めたようだ。

その真剣な表情たるや、普段のにこやかな笑みとは結びつくはずもない。

 

「··もう·十年前くらいまえになるか、丁度君たちが生まれて少しして、鎮守府制が発足始めた、その時代のことは、知ってる?」

「うん。深海棲艦が突然現れて、日本沿岸を次々に襲撃したって···」

「その時から、俺はここに住んでいたんだ」

「···え、ってことは···」

 

気がつけば、外は大雨で、雷鳴が轟いている。

嵐の舞鶴鎮守府は、次第にその陰を濃くしていく。

 

「···そう。怨念に囚われた深海棲艦の群れはここ···舞鶴鎮守府の沿岸を襲ったんだ」

 

──────十年前──────

 

少年は走る。走り続ける。

そうするしか、なかった。

 

『母さんを···!父さんを···!兄さん、姉さんたちを···!』

 

カラカラの喉から、掠れた声が漏れる。

少年の喚き声は、誰にも届くことがない。

焼け落ちる思い出の家。

絶望と恐怖に黒く染まる涙の雫。

少年は叫ぶ。絶叫の渦に呑まれる。

 

『タスケテ···』

『ツメタイ···』

 

彼はまだ、それが誰の叫び声なのかすら、考える余裕がなかった。

ただ、業火の舞鶴市街を走り、叫んでいた。

 

────────────────────────

 

「···」

 

その彼を待ち受けていたのは、決して楽な道などではなかった。

 

「···まさか、あの出来損ないだけが生き残るとはねぇ···」

「本当に、あの家も不幸なことよ」

 

一家の葬式には、自分の身内はいない。

自分がこうして存在していることを不思議に思う輩の方が、多い。

 

──────自分は、その存在自体を、望まれていない。

それでも。

それでも少年は、あの夢を、諦められなかった。

 

 

 

「···そこからは、連日連夜働いた。 というか、一人で暮らしていく以上、そうするしか無かったのかもしれない」

 

よくある話だけど、と付け加える。

 

「···本当に、誰も助けてくれなかったの?」

 

瑞鶴は、精一杯声を出したつもりではあったが、現実の悲惨さに、掠れ声しか出ない。

 

「···家族は、全員死んだ。当時海軍の重鎮だった父親が死ねば、殆どの上級士官は昇級する」

 

もちろん、体裁上は悲しみの言葉が掛けられる場合がほとんどだったが、既に子供一人のその一家に、恵んでやる金などないというのが本音であろう。

 

「そ、そうだ、親戚の人たち、とか···」

「一連の騒動で、俺を養う金も余裕もなかったそうだ」

 

もちろん、それが嘘であることも、きっと彼は知っているのだろう。

 

「生活を続けるためにも、五年ほど必死で働いていると、正直な話、今が何日かなんて、些細なことから忘れていくのかも知れない」

 

そうして、少しずつだが、彼は忘れていく。

今日という日の些細な出来事も。

移り変わるこの国の現状も。

そしてきっと、あの日の光景も。

 

「え…」

「さっき話した若狭湾の襲撃事件も、あれが覚えている記憶の全部だけど、本当はもっと、大事なことを経験していたはずなんだ」

「だけど···士官学校を出て、海軍の提督合格通知が来る時にはもう、思い出すどころか…文字でしか記憶がない。仕事の疲れには耐えられたけど、情けないことに、俺の精神はもうぼろぼろになってたんだ。ただ海軍になって、提督になろうって、目標だけが残って、何故ここに自分がいるのか、昔の記憶は消えているから分からない。それが復讐なのか、正義心なのか、それとも単に生活を安定させるためだけなのか」

「ど、どうして」

「…結構嫌なことやってるんだよ。体裁は綺麗事言ったって、それを実現するためには、無理を押し通す下っ端の仕事も必要なんだ。理不尽なことだってある」

 

そこで何があったのかなんて、瑞鶴には知る由もない。

ましてやそれを聞いて得られるものなんて、何も無い。

 

「···だからこそ、艦娘たちに、君たちにそんな思いをしてほしくないから、俺はここにいるのかもしれない。

いや、そんな理由だったらどんなにいいか。俺はきっと、今までしてきた汚い仕事から逃げ出したかったんだ。目を背けたかったんだ。覚えていないのも、そんな自己嫌悪に蓋をして、周りから認められたかったのかもしれないな」

 

自分の言葉に自嘲して、提督は哀しげに笑って、目を閉じた。

提督の言葉に嘘はないようだった。それでも、瑞鶴はそれを信じることが出来なかった。

 

「嘘···でしょ」

 

人間に、あって当たり前のこと──────

艦娘だってあるだろう。過去に犯した罪や失敗を悔やむことくらい。

そして、それを他者に受け止めてもらうか、自分の中で区切りをつけること。

そうでなければ、未来を向くことができない。

そうでなければ、成長することができない。

しかし、彼にはそれが許されない。

一生、…自分の犯したかも分からない罪の意識に向き合わされて生かされる。理由も分からないまま。

 

少なくとも、そういう仕事が、瑞鶴の対面する幼少の姿の彼にとって、それがどれほどの負荷になったかなど、もはや想像し難い。

 

「そんな…」

「瑞鶴、君は…君たちは許してくれるか。こんな俺のことを。

深海棲艦と一緒だ───意志もなく、ただひたすらに怨念に引っ張られ続ける、そんな人間だ。存在する理由もない、ただの人間だ。守る価値もないだろう」

 

提督の表情は、瑞鶴が着任してから見た、どんな苦境に陥ったときの表情よりも、ひどく弱弱しい微笑だった。

彼がそのうちに居なくなってしまいそうでいてもたってもいられなくなって、瑞鶴は提督に縋って、両腕を掴んだ。

 

「な、なんで提督さんが許されなきゃならないの?そんなの可笑しいよ」

 

おかしいのは、彼の周囲の人間たちのはずだ。

なぜ、身寄りのない彼を一人に置いておけるのか。

なぜ、雨の中を濡れて、一人で歩く彼を見て見ぬ振りができるのか。

 

「俺は取り返しのつかない罪を犯した。けれど、今それを知る人間はいない…

せめてもの償いだ。俺はこの意識と一生向き合って生きる。そうでなければ…」

 

彼は言葉を続けようとする。

瑞鶴はとてつもなく恐ろしかった。

それは、彼をここまで追いつめていた当時の環境の冷たさ。

そして、彼がこれから、ひょっとすると霧のように、消えてしまうことだった。

 

「違う!提督さんは悪くない!誰も責められないよ!」

「いいや。誰かがしなければならなかったことでも、それでも報いを受けなければならない。それがどのような形であっても、俺はそれを拒む権利なんてないんだ」

 

あくまでも冷徹に言い放ったつもりだった。

しかしながら、提督の幼い体は、震え続けていた。

 

「…提督、さん?」

「畜生…だめだなぁ」

 

それは、心までもが、幼いころに戻っていたということなのだろうか。

立ち尽くしていた提督の頬に、涙の筋が流れる。

 

「怖いんだ、自分のしたことを知るのが。何よりも、それを知った君たちに、軽蔑され、侮辱され、必要とされなくなってしまうことが…っ」

 

嗚咽が部屋の奥まで響く。

それは、提督のものでもあったし、同じように瑞鶴も静かに涙を流して、小さい体で縋った提督の身体を抱きしめていた。

 

「…気づいてあげられなくて、ごめんなさい」

「謝ることはないさ…これは俺の中でけじめをつけるべき問題なのに、君たちを巻き込んでしまった」

 

普段よりもずっと近くで見るその顔は、やはり幼い頃に戻っているようだったが、それでもあの優しさと、穏やかな微笑みは変わっていなかった。

 

「ううん。私たちだって、提督さんが当たり前に無理をして、当たり前に一人で傷を抱えてることは、なんとなく分かっていたの。寂しそうに笑ってる提督さんの顔を知ってたから」

 

どこかで、この人の苦しみを肩代わりできないかと思っていたのかもしれない。

けれど、自分たちはその苛烈さを本能のうちに悟って、無意識に目を逸らしていたのだ。

 

「提督として君たちと一緒に仕事をするようになって、毎日が本当に楽しいよ。責任の重みを感じることはあるけど、もとからそのことは承知の上だったから」

「私もだよ。でも、提督さん、仕事だけじゃなくて、私たちの悩みまで一緒に悩んでくれるでしょ?さっきも言ったけど…あれって、結構、嬉しいの」

「本当か」

「うん!提督さん、いつも私たちが女の子だから遠慮してることあるでしょ。それでも思い切って私たちに声をかけてくれるの、なんだか嬉しくなっちゃう」

「…そうか」

 

瑞鶴は、自分の為に流してくれた涙で、目を腫らしている。

着任してから少しずつ、自分を理解してくれて、受け入れてくれている。

この子の信頼を、翔鶴よりも、加賀よりも信じなければいけないのは自分なのだと、強く思った。

心の中に、一筋の光が差し込んで、凍り付いていた思いが砕けていくようだった。

過去は変えられない。ならば、今は、今自分ができる功績を残すべきだ。

今あるこの世界を、ひたすらに、愚直に守り抜くべきだ。

 

「…ありがとう、もう大丈夫だ」

「あ、苦しかった?ごめんなさい!」

 

ゆっくり、腕の力を緩めた瑞鶴の元から離れる。

幼子の瞳には、確かな決意が見て取れた。

 

「いや、いいんだ」

 

もう、いつまでもくよくよしているわけにはいかない。

 

「…俺はあの日を後悔できないし、悲しむこともできない。深海棲艦への憎しみも抱くことは出来ない」

「!」

 

思わず目尻を下げた瑞鶴の手を強く握って、目を合わせる。

 

「だから、俺は艦娘の、君達のために生きる」

「え···」

「俺を救ってくれた、君たちのために」

 

その言葉に嘘はない。

それは、彼の笑顔が、覚悟が、証明していた。

だから、瑞鶴は信じる。

 

「···分かった···でも」

 

その幼い少年の双肩には重すぎる覚悟が、どうしても心配になってしまう。

この世界で誰よりも、大切な人間だからこそ。

 

「私たちも、提督さんを守るんだから」

「…ああ。ありがとう」

「うん!提督さんも、もっと私たちのこと頼ってよね!」

 

力一杯、思いの丈を込めて、もう一度抱きしめた。

 

「わっ、い、痛いって!」

「ふふっ」

 

雨は止み、雲間から顔を出した夕日は二人を照らし、輝く。

それは、少年の新たな決意を祝福するようであった。

 




くっさ(自己嫌悪
ただ、書いてて一番自分の中のものを書けたと思います。

心理描写が曖昧なので、投稿していく過程でスキルアップできたらなと思っています。

ショタ化事件が解決していませんが、今後日常回はショタ時間軸と大人時間軸の混在です。
ストーリー進行の方では、何かしらマークを付けたり、前書きに書いておきますので、よろしくお願いします。


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第十九話 提督の休日《冬季編》

極寒。

久し振りに獲得した半休は、その言葉でしか形容できないような、そんな朝から始まった。

 

「ひい···寒い」

 

寒すぎて何も言えない。それどころか、一面真っ白の雪景色(雪だけ)が、視界の奥で威圧を放っていた。

 

「···しかも」

 

布団には小高い山が一つ。

 

「···この光景、前にも見たことあるな」

 

この前の冬には、暁型の艦娘がいた気がした。

 

「···なによ、文句でもあるの?」

 

そこから顔を覗かせた、駆逐艦の少女。

 

「文句というか···まだ気にしてるのか曙?」

 

今年の冬は、第六駆逐隊ではなく、第七駆逐隊の艦娘と共に朝を迎えたのだった。

 

 

──────一日前

 

二人は荷物倉庫の片付けを行っていた。

 

「全く···普段の整理がなってないわね」

「面目ない。流石に海で戦ってる皆にやってもらうのも申し訳ないかなと思って」

「1人でやってたの?馬鹿じゃない?」

「あ、あはは」

 

駆逐艦、曙。

不遇な艦生からか、捻くれている言動に苦労する提督も多いという。

それも個性と捉え、受け入れるのが普通だと思うのだが。

 

(···所謂ツンデレってやつか)

 

デレるということがよく分かっていないままそのワードを使用しているのがこの男のタチの悪い所だ。

ともかく、根は素直だということが何度も確認されているのだから、邂逅当初より困惑は少ない。

因みに、最初のあの発言で鎮守府が凍り付いたのは別の話。

 

「でも、曙なら手伝ってくれるかなって、思って」

「は、はぁ?」

「漣から素直じゃないとか、よく言われてるけどさ」

 

言葉を一度切って、彼女の瞳を一瞬だけ覗き見た。

透き通った、綺麗な瞳。

 

「綾波型で一番頑張り屋で、素直な子だと思ってるよ」

 

提督は知っていた。

彼女が練習時間外にも鍛錬に励んでいることを。

座学を究めようとために、参考書を買うためのお金を貯めていることを。

あれだけの、悲痛ともとれる不条理な境遇に置かれた過去をも、彼女の覚悟が、超えようとしていたのだ。

人間として、十分に信頼に値する、立派な子なのだ。

 

「···変な気遣わないでよ···どうせその辺歩いてたから捕まえただけでしょ」

「そんなことない。誰にでも頼めるって訳じゃないんだ」

 

それは、ほかの艦娘を信頼していない、ということではないが。

その言葉に、曙の手は一瞬動きを止めた。

 

「お前は気づいてないかも知れないけど、駆逐艦や軽巡洋艦の子から、すっごい人気なんだぞ?」

「…は?」

 

ぎこちなく、彼女の顔がこちらを向く。

それに苦笑しながら、彼は艦娘の面々の言葉を紡いでいく。

 

「例えば、磯風は料理を丁寧に教えてもらった、って嬉しそうにしてたよ」

「あ、あれはその···あまりにも下手くそで···見てられなかったからで···」

「名取は、自信がなくて悩んでいた所にアドバイスもらったって」

「それは···そ、そのっ!いつもお世話になってる名取さんが···その、そんなことないって、言い、たくて···」

「···ふふ」

「な、なんで笑ってるのよ!」

「いやあ、やっぱり曙は優しいなと思って」

 

軽く頭を撫でるが、昔のように振り払われることはなくなっていた。

 

「も、もう···」

「これからも、よろしくな」

 

そう言うと、彼は作業にゆっくりと手を戻す。

 

「しょ、しょうがないわね!私がいないと何も出来ないんだから!」

 

すっかり舞い上がってしまった彼女は、うずだかく積まれた資料の棚に突っ込んで行った。

 

「おーい、あんまり騒ぐと危な···」

「さ、さあ!やるわよー!」

 

既に均衡を崩していた本の雪崩は、曙目掛けて殺到する。

 

「曙っ!」

「···へ」

 

胸に押し当てるように、左腕に抱えた彼女を全身で覆う。

 

「···ぐっ」

 

頭と彼女を防いでいた右手が悲鳴をあげた。

 

 

────────────────────────

 

「···そうよ、悪い?」

「俺としては気にするなと言いたい所だが」

 

恐らく、彼女は納得しないのだろう。

 

「気にしない訳ないじゃない···これでも、悪いと思ってるの」

「そうか、じゃあお言葉に甘えるよ」

 

本の山に変な押さえつけられ方をされてしまったせいで、右手を軽く捻ったようだった。

完治までの数日間、結果として右手を使えないようになってしまった。

 

(···まあ、年がら年中腱鞘炎みたいなもんだし···ついでに治すつもりで)

 

幸い、大きな任務もなく、通常日課の任務は早々に終わっている。

 

「···ん、じゃあ脱いで」

「は?」

 

思わず変な声が出てしまった。

 

「き、着替えさせるから服を脱げって言ってんのよ!」

「いやでもお前···」

 

流石の彼でも困惑していた。

恐らく自分を気遣ってのことだろうが、唐突すぎて事態の展開に付いていけない。

 

「片手じゃ上手く着れないでしょ!?ほ、ほら!」

「わ、分かった分かった、じゃあ上だけ···」

「し、下もよ!」

「ええ···」

 

流石に不味い。

このご時世、提督職を追われる者の多くは、こうした場面での判断ミスだ。

どうして艦娘は──────いや、旧日本海軍の艦魂は、このような形を取ってこの世に生まれてしまったのだろうか。

運命の悪戯というか、決して彼女らの存在を否定する訳では無いが、現代でも問題になっている冤罪に陥り職を

失ってしまう提督諸侯のことを思うと、やはり可哀想に思えてくる。

 

(それは俺が男だからかも知れないが···だからこそ、こういう場面で選択を誤る訳には行かない)

 

そんな覚悟を決めた長考を終え、再び曙に向き直る。

 

「だ、大丈夫だ。そこまでしてもらわなくても」

「え、遠慮しなさんな!私がやるわ!」

 

(···なんでこんなに積極的なんだろう)

 

この男にとっては、正しい答えに辿り着くには数億年ほどかかると思われる難問に触れる。

 

(···あぁ、そうか)

 

そしてまた、迷走を始めるのだ──────

 

「曙」

「にゃっ!?な、何っ?」

 

不意に頭に手を置かれたもので、変な声が出てしまう曙。

心拍の急上昇を感じ、胸に手をやった。

 

「曙、君はとても優しいんだ。それに責任感だってある。第七駆逐隊のリーダーとして、毎日、いつだって頑張ってくれる。だから、今だって君のできる全力を尽くしてくれているんだろう。とても嬉しいよ」

「そ、そう···ほ、褒められて悪い気はしない、わね···」

「だから、今は、俺の前では、そんなに無理するな。俺は、お前が傍に居てくれるだけでありがたいし、嬉しいよ」

「ふぇっ!?」

「···大丈夫か?」

「う、うっさい!」

 

どうも、彼の無自覚攻撃が激しい。

信頼の証を手放しでは喜べないが、やはり嬉しいものは嬉しいのだ。口角が上がってしまうのを必死に抑える。

 

「まあとにかく、だ」

 

寝間着姿の提督は、曙に視線を合わせた。

 

「今日は一緒に過ごしてくれるか?」

「···っ!も、もちろんよ!わ、私がいないと不自由するだろうからねっ!」

「ありがとう」

 

苦笑してもう2回ほど頭を撫でると、曙はいてもたってもいられないというような表情を浮かべていた。

 

「ほら、曙も着替えてきなさい。朝食をとろう」

「え、ええ!」

 

その後、スキップをする曙が青葉に激写され、一悶着あったのは別の話──────

 

 

 

「はい、あ、あーん」

「ん?」

 

昼食中。

左手の箸使いに悪戦苦闘していると、曙が箸を突き出した。

 

「わざわざ悪いね、ありがとう」

 

照れからか、曙の顔が尋常じゃなく赤い。

見苦しいところを見せてしまった、と若干後悔しつつも、ご好意に甘えて目先の箸の魚を咥える。

 

「「っ···!」」

 

ざわつく室内。

 

「うっひょおおお!ぼのたんやるー!」

「うっさい!」

 

面倒事になってしまった、とも思ったが、彼女がやりたいことはやらせてあげると言ったのは自分だ。

 

(···しかし、曙はこんなことがやりたかったのか?)

 

この察しの悪さ、質が悪いにも程がある。

 

「···ほら、まだ食べ足りないでしょ···残りもた、食べさせてあげるから···。」

「あ、ああ···無理してないんだよな?」

「あ、当たり前でしょ!?」

 

強勢な言動の割には、頬は緩んでいる。

恐らくそれを指摘することは野暮だということだけが分かっていたので、その後も彼女の成すがままだったのであった。

 

────────────

 

「あ、あんたまたお給料鎮守府に入れたの!?」

「ば、バレたか··· 燃料が足りなくてな」

 

執務室、財務関係の仕事を行っていると、曙に裏工作が看破されてしまった。

 

「そんなの、週に何回か遠征を増やせば済む話じゃない!?」

「それは君たちに負担がかかる」

「だからって何も自分のお金渡さなくていいでしょ!?」

 

彼の給料がいくらかは分からないが、見たところ莫大な金額が入っているようだ。

 

「とはいっても···このままだと曙の給料がなくなるんだぞ?···まあ、元からないようなものだけど」

「···いやいや、毎月〇万で充分でしょ」

「そうか?この年頃の女の子は、欲しい物がいっぱいだって、愛宕から聞いたけど」

「全く···」

 

何を考えているのか分からないおっぱい怪獣を頭の中に浮かべながら、溜息をつく。

それに乗せられる提督も提督だが。

 

「実家に仕送りはしないの?」

「···その、実家は」

「···ごめん」

 

(やっちまったあああ!)

 

この手の話はタブーだった。

瑞鶴から広まったその話は、少しずつ艦娘たちの中で広まっていた。

自分をぶん殴りたい気分だったが、今更その失敗がなくなるわけでもない。

 

「···あっ、でも孤児院とか、戦災被害者に募金はしてるよ」

「そ、そうなのね、なら···って!そんなんであんたのお金はあるの?」

「そりゃあ腐っても提督職な訳だし、多少は···」

「そう···」

 

思わずほっとしてしまう。

 

(って、なんで私こいつの心配してるのよおおおおお!)

 

「!?」

 

突然自分の頬を抓り出した曙に困惑するばかりだった。

 

────────────

 

「しれいかーん!」

 

どこからか、呼ばれた気がした。

 

「ん···?」

「多分、外からよ」

 

買ったはいいものの、溜まってしまっていた小説を一冊ずつ読んでいる時、曙はそう言った。

彼女も意外と読むそうで、気が合ったのは幸運だった。

ちなみに、彼女の読む作品は恋愛小説である。

 

「なるほど···おお」

「···どうしたの?」

 

横から曙が顔を出して、同じように目を開かせた。

一面の銀世界に、巨大な雪だるまが鎮座している。

流石艦娘だけあって、そのスケールがすごい。

 

「凄いな!4人で作ったのか?」

 

出来るだけ大きく叫ぶと、当の第六駆逐隊は元気よく叫んだ。

 

「ええ!(なのです)」

 

雷と電は嬉しそうに、暁と響は誇らしそうに、それぞれがこの冬を満喫しているようだ。

 

「···」

「···曙?」

「にゃっ!?」

 

何故かしらそわそわしている彼女の様子に、一つ思い当たる。

 

「···俺達も行くか?手を使うのはアレだが、軽く遊ぶことはできるぞ」

「!···い、行ってあげてもいいけど」

「ふふ」

 

そんな曙らしい返答に、思わず苦笑する。

 

「な、なんで笑ってるのよ!」

「何でもないよ···ふふっ」

「こらー!」

 

────────────

 

「···くしゅん!」

「大丈夫か、少し遊び疲れたな」

「···だ、大丈夫よ」

 

結局、あの後第七駆逐隊や長門を呼んで雪遊びをしたのだった。

長門は普段の恰好そのままで、風邪をひかないか心配であったが、それを除けば、なかなかに楽しい時間だったと思う。

 

「そ、それより」

「ん?」

 

ふいに、袖を引かれる感触がして、彼女の方へ振り向く。

 

「折角の休日だったのに···遊んじゃって、大丈夫だった、の」

 

その様子はなんとも不安げで、何かを期待しているようにも見えた。

 

「···大丈夫さ、俺は楽しかったよ」

「···ん」

 

そんな表情をする彼女の頭を撫でる。

 

(···珍しいな)

 

いつもは勝気な曙の、意外な表情。

そこに微かな不安を感じたが、手を動かしているうちに満足そうな笑みを浮かべているのに気付き、安心した。

 

(えへへ···」

 

「···声に出てるぞ」

「ふぁっ!?ちちち、違うのよ!」

 

手を払い除けると、曙は顔を真っ赤に、抗議の視線をその目に宿していた。

 

「お、おう」

「あ···」

 

きょとんとした彼の表情を誤解する曙。

 

「い、いや、そうじゃなくて···」

 

海上の冷静な彼女の姿とはかけ離れたそれを、どう表現したものか、彼は悩んでいた。

 

「···?」

「だ、だから···!」

 

『今日は甘えてもいい』

 

その声が甘く、胸中に響き渡る。

 

(そうよ···今日、今日だけは)

 

「も、もう少し、あたま、なでて···ほしい」

 

顔を伏せ、真っ赤になった両耳で、さすがの提督もある程度察しがついた。

 

「ああ」

 

背中に片腕を回し、ゆっくり叩いてやる。

 

「これでいいか?」

「···うん」

 

耳まで真っ赤になっているのは、果たして雪遊びをしたせいなのだろうか。

 

 

 

───────第七駆逐隊寮室前

 

あの後、夕食をとった。

洋食によだれを垂らしかけながら『わ、和食に決まってるでしょ!?』と和食を食べる長門たちを見て言う曙に苦笑して、自分の分を洋食にし、エビフライをあげた時の嬉しそうな顔が忘れられない。

その後、周囲の視線にはっとなって顔を真っ赤にしたことも。

秋雲が後ろで何かとスケッチしていたのは、気のせいだろうか。

また、風呂でも一悶着あったのだが、割愛する。

 

「それじゃ、しっかり寝ろよ」

 

今日はなかなか動いただろうから、彼女も疲れているのだろうと思う。

休暇を終え、その反動で風邪を引いてしまわないか不安にはなるが、その辺りは曙のことだから、しっかりと考えているのだろう。

 

「言われなくても···分かってるわよ」

 

さっきとは程遠い、刺々しい物言いに戻っているものの、元気を取り戻したようで少し嬉しい。

 

「おう。それじゃ」

「···ええ」

「···」

 

そんな様子を察したのか、それは分からないが。

曙の頭を撫で、視線を合わせて彼は言った。

 

「あ、あーやっぱり右手痛いな」

「···っ」

「···明日も来てもらって、いいか?」

「…っ! し、仕方ないわね!明日も行ってあげるわ!」

 

真っ赤に頬を染め、彼女は微笑むのであった。

 




舞鶴は特に住んでいてという訳ではないのですが、やっぱり冬の景色に思い入れが強い場所です。

雪まみれになった少年時代の写真が残っております…。


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第二十話 昏き決意

不定期更新シリーズ。

シリアス回。流血等の表現にご注意ください。


絶望、なんて言葉がある。

例えば、私の鎮守府では、西村艦隊の皆さんが艦艇時代に『それ』を経験した。

あまり人と話すのが得意ではない私でも、それくらいは、まず知識として知っていたし、耳にした。

本人たちがどう思っているのかは置いておくとして、私には、とてもかつての状況が『絶望』だとは、思えないのだった。

 

「···ふう」

 

艤装を磨き終え、額を拭う。

工廠の裏手には冷たい風が吹く。まだ日があることだけが救いだが、日の出前の帰投だったなら、私も寝ていたかも知れない。

 

「次は···叢雲ちゃんのか」

 

潮で汚れたその艤装は、一体どんな加工金属で出来ているのか、私には分からない。

少なくとも、純度が高くないことは、確かだ。

色褪せ、濁りきった黒色を見ていると、先程までの思考が蘇る。

あの戦いで、七人が十倍以上の敵に戦いを挑み、結果として時雨さんだけを残して沈んでしまったことは、周知の事実だけれど。

きっと、私には──────少なくとも、当時の私にはとても出来なかったことだけど。

 

(戦場で、大切な人を守るために、戦いたかった)

 

こう思ってしまうのは、きっと私の思い上がりだ。

弾も撃てない、守れるものもない、誰からも必要とされない、そんな状況こそが、『絶望』なのだと。

 

 

 

鎮守府では、戦力の増強を目的とした『建造』が行われることがある。

資材を投入し、妖精の力で過去の艦船の魂を喚ぶ。

その資材のバランスにより、一定の艦種のコントロールが可能になるのだが。

彼女のような一般的駆逐艦は、どのバランス値によっても呼び出される可能性がある。

海域での艦娘との邂逅を『ドロップ』とも言うようだが、そこでの艦娘の発見も合わせ、現在保有している艦娘が重複して邂逅することはない。

それは、現在までの総鎮守府の報告をもとに囁かれている通説だ。

そもそも出会っていない、という確率は低く、海域の勝利にその邂逅は必然に近いという。

出会ってはいるのだが、方程式の重解と同じように、喚び出された艦魂は、艦娘たちの記憶に接触し、それと重なる艦娘を認知した途端に消失する、と考えられている。

それでは、なぜその一定の確率が示されてきたのか。

それは、皮肉にも轟沈艦が証明の一助となっていたからである。

 

(···私は、弱い)

 

解いた黒髪が、冷たい風に揺れる。

磯波は、その心が重くなるのを感じた。

『コモン』と称されるその所以は、『轟沈艦を出した海戦で、再び邂逅出来るほど入手が容易な』事実だった。

 

(弱くて、それでも数は多くて、だから)

 

かつての磯波は、それを強みだと考えた。

犠牲行動に走り、ただ沈没を待つ、それだけの人生を送ろうとしていた──────

 

「···っ」

 

磨いていた叢雲の艤装が輝く。何かを発するように。

 

「だめだ···」

 

頬に流れた涙を拭うと、自然と微笑みが溢れていた。

 

────────────────────────

 

「私は、要らないから」

「私は、どこにでもいるから」

 

砲撃の炸裂する恐ろしさを、私は知らない。

破片が、爆発が身を襲う痛みを、私は知らない。。

そう思い直しては、まるでそれが自分にとっての責務のように感じて、身代わりを買って出た。

どんなに危険な海域でも、どんな損傷を受けていても。

実際には沈んでしまうほど危険な状態に陥ってしまう海域の進出など自分には任されず、出撃できた南西諸島海域に留まっているのだが。

みんなは心配してくれる風に装ってくれるのだけど、はっきり言って駆逐艦としての性能は並以下だった私に気を配るほど暇でもなかったように思う。

南西諸島海域の制覇以降、私が出撃に呼ばれることは、少なくなっていった。

 

(私の出来ること、って···)

 

秘書はできない。戦闘こそが私の使命だと、『磯波』としての心が告げていたから。

艦娘のみんなはよくしてくれるけど、それは表面上そうしてくれているだけで、中身は分からない。

少なくとも、当時の私には、自我をあれほど不安定な場所に置いていた私からすれば、考えられる余裕なんてなかった。

そう思ってから、ずっと食堂や工廠の手伝いに勤しむ毎日だった。

提督は賢い人だったから、遠征や出撃のバランスもよく、運営は上手だったそうだ。

 

(とにかく、邪魔しちゃ、だめだよね)

 

提督だって、人間で。きっと、こんな戦争を早く終えて、愛する人と暮らし、愛する子供たちを育て────

人並みの人生を送りたいと考えるのが普通だろう。

その手助けをしたい、なんて考えられるほどお人好しでもないし、心の余裕もない。

けれど、艦娘としての使命が、結果として提督を幸せに出来る。

『人間』を、幸せにできる。

何の役にも立たなかった、この私が。

そこに、生きる意味を見つけたような気がした私は、消え入りそうになっていた心をもう一度、取り戻せた。

 

そう、思っていた。

 

──────『んじゃ、掃除よろしくね?』

 

『うん』

『この書類、明日までに頼める?』

『任せて』

『飲み物、買ってきてくんない?』

『いいよ。何がいい?』

 

今から思えば、雑用係のようにでも扱われていたのだろう。

私がそこを去った後、艦娘の皆がお互いに仕事を押し付け合った結果、雰囲気が悪くなり、連携がとれなくなったと聞いた。

その時の私は少なくとも、嬉嬉としてそんな意味の無い『仕事』をこなしていたような気がする。

 

『無理』

『出来ない』

 

じゃなくて。

責任を持って、こなさなければいけない。

そこに私の生きる意味があるから。

それを失ってしまえば、もう私がここにいる意味は無いから。

それが出来なければ、私は『死んでいる』から。

そんな時、『生きていた』私は、工廠で叢雲ちゃんと出会った。

改二の、輝いた姿が、どうしようもなく、心を黒く染める。

その心が憎い。

羨望と言えば聞こえはいいが、嫉妬を感じてしまうその心が。

どこかで叫ぶその心臓が。

 

『叢雲ちゃん···』

『い、磯波!?···その、どう、かしら』

『···うん、とってもかっこいいよ』

 

新しい兵装に身を包んだ叢雲ちゃんは、照れくさそうに、けれど、瞳の奥に自信を秘めつつ、笑っていた。

そうだ。

私の生きる意味は、ここにあるんだ。

 

叢雲ちゃんの瞳に映った私の瞳は、どれだけ濁っていたんだろうか。

 

 

 

 

『うっ···ぁ』

 

夜明け前、ペンを置き、頼まれていた最後の文書を書き終え、工廠に向かった。

 

『···よし』

 

昨日見た叢雲ちゃんの兵装とは何段も見劣りした、私の兵装。

けれど、それを自分の力不足の原因にするようではいけない。

提督が、よく徹夜をして鳳翔さんなんかに叱られているけど、それもどうかと思う自分がいる。

私を、鳳翔さんを、この鎮守府の艦娘みんなを守るためには、提督がいなければならなくて。

どんなに暑くても、寒くても、苦しくても、痛くても、必死にもがいて努力をしている提督を、邪魔することなんてできない。

同じ目線に立てているなんて、到底思えないけれど。

きっと、男の人には、守らないといけないものがあって。

人間とか、艦娘とか、そんな枠を飛び越えた何かが、提督を突き動かしているんだろう。

その時の私も、責任感の重さは違っても、提督と同じようなものだったんだろうと思う。

 

『んぐ···ぷはっ』

 

栄養剤をいつもより多量に飲み込む。

視界は歪んでいるし、頭痛は頭の芯を殴られ続けているようだったが、これでしばらくは持ちそうだ。

けれど、そんな私を見ている人なんて、誰もいなかった。

次第に昇る朝日の光が、頭の奥を揺さぶる。

けれど、目を逸らしてはいけない。

 

半年ぶりの出撃。

私に与えられていた仕事は、単艦挺身防衛。

北方海域の最深部が、私の果てる場所だった。

一種の清々しさと、強い決意を抱く。

 

『第十九駆逐隊、吹雪型九番艦、磯波、出撃します』

 

開かれた視界に映る視界。

もう私は、ここには戻れない。

あの海の向こうが、私を待っている。

 

『右舷より敵艦隊襲撃、挺身隊会敵用意!』

『了解』

 

燃料を気にしなくていいのは、皮肉にも楽だった。

この海域を奪還することを補助することだけが、私の役目だから。

全ての力を発揮し、敵の水雷隊へ突っ込む。

 

『はああっ!』

 

全ての痛みが、苦痛が、快感へと変わっていく。

怨念のような、その決意を敵艦に、砲撃として、雷撃としてぶつけていく。

何も、ただ事務作業を行っていた訳ではない。

演習をしている艦隊を観察し。

独りで教本を学び。

誰もいなくなった、深夜の海域で特訓をして。

艤装だって、工廠で何度も整備した。

それでも、足りないというのだ。

努力が、能力が、決意が、才能が。

劣っているなら、至らないなら、痛いなら、辛いなら、悔しいなら。

全てを掻き集め、それでも足りない自分は、どうすれば良かったんだろうか。

それでも、変わらない思いはあった。

次第に動かなくなる四肢と、赤黒く染まった視界が、今の自分の限界を示していた。

 

(それでも···!)

 

前を必死で睨みつけ、再突入を図る。

海域では激戦を極めている。挺身隊のおかげか、本隊へのダメージはかなり抑えられているようだった。

 

結果が伴わない正しさは、果たして正しいのだろうか。

分かっていたんだ。

心の奥で悲鳴をあげる、その声が。

痛い、辛い、苦しい、悲しい、冷たい、────諦めたくない。

 

(そうだ···私はやっぱり)

 

『きゃあっ!?』

 

後方で聞こえる、叢雲ちゃんの声。

振り向くと、戦艦の主砲が、大きな波に均衡を崩した叢雲ちゃんを狙っていた。

 

『ぐっ···ああああああぁ!』

 

身体中から流れ出る血が、口に入ってしまう。

鉄の味は、生の実感を私に与え、更なる使命を私に遂げさせようとしていた。

僅か数メートルの砲撃軌道に、持てる力の全てを込めて、飛び込む。

 

(私が、守るから···!)

 

叢雲ちゃんの瞳が、絶望に染まっていく。

ああ、そんな顔をしないで。

その時、私は知った。

叢雲ちゃんの流す涙を見て知った。

 

(なんだ···)

 

私のことを心配してくれる。

私を、見てくれている人がいるんだ、と。

 

(そっか···)

 

それに気づいた途端、後悔が湧き出てきた。

もっと、出来ることがあったんじゃないか。

叢雲ちゃんを、私のことを見ていてくれた人を、悲しませない何かを──────

 

『ぁぐっ···!』

 

脇腹を切り裂いた鉄片。

咄嗟に撃った砲撃が、丁度敵の砲撃にぶつかったらしい。

ともあれ、大破した身体では何をすることも出来ず、海面に叩きつけられた。

 

『い、磯波···!』

『む、らくも、ちゃん···はやく···に、げて 』

 

私を抱え上げようとする叢雲ちゃんの両腕を払って、立ち上がる。

膝と足腰に激痛が走り、何より上半身は傷だらけ。

大破した私に出来ることは、ただ一つだけだった。

戦艦は、他の挺身隊に仕留められ、残るは深部と増援のみ。

ここで本拠地を叩いてしまえば、統率の取れなくなった増援部隊は瓦解するだろう。

背を向け、動かない体に言い聞かせる。

 

『撤退しないと!急いで!』

『違うよ···私は、ここで叢雲ちゃんたちを守るから』

 

振り返らないで言った。

私の心の中の、決別の意志は固く、脆かった。

頬に流れるのは、血だけではないことを知っていた。

 

『長門さん···それでは』

『ああ···済まない…っ、達者でな···艦隊!磯波たちの挺身を無駄にするな!このまま敵本拠地に突入する!』

『了解』

『そ、んな···まって、待ってよ磯波···』

『…じゃあ、ね』

 

これ以上聞くと、揺らいでしまいそうだった。

 

『待ってよおぉ!』

 

僚艦の一人に引っ張られるように、退避して離れゆく叢雲ちゃんの、そんな声が聞こえていた。

 

『···さあ、努力の成果を、ここで見せよう』

 

口に出したつもりだが、聞こえない。

耳をやってしまったのだろうか。

そんなことはどうでもよく、ただ、死は、私を大きな口で迎えていたのだった。

 

『ぅ···あ、あ···』

 

痛みをこらえ、血に塗れた目を見開く。

 

『ああああああッ!』

 

目の前の深海の群れに、ただ一人、突っ込んでいく。

ただ、ひたすらに命を燃やして。

 

────────────────────────

 

絶望とは、何か。

それは、黒より昏い、夢と希望の、成れの果て。

ここは水底なのだろうか。

 

──────私の全てが海色に溶けても

──────貴方を忘れない

 

穏やかな心に、ただ、その言葉が響いた。

誰の言葉だったのか、それは結局分からなかった。

 

(私は──────忘れないよ)

 

心の中で固まっていたものが、解きほぐれていくような心地だった。

ゆったりと目を瞑った時、瞼の裏に見えた、あの光を、私は忘れられないのだった。

 

 

 

それから、悠久の時を過ごしていたような気がしていた。

何も見えず、何も見えない。

それが永遠に続くような、気がしていた。

 

「···あ、れ」

 

目が開く。降り注ぐ光が見える。

耳が聞こえる。小鳥のさえずりが届く。

動かせる両手に呆然としていると、扉が開いた。

 

「起きたか」

「え···」

 

声に驚いて、聞こえてきた方を伺うと、長門さんがいた。

微かに残っていた記憶が蘇る。

 

「な、がとさん···?」

「む」

 

思わず出た声に反応するように、長門さんは徐に、目線を合わせてくる。

 

「身体は、大丈夫か」

「えっと、は、はい」

「熱は···ないな」

 

額に冷たい手が当たる。

長門さんは安心した表情をしていた。

 

「あ、あの···長門さんたちは、無事でしたか?」

 

こんなことをしてくれる長門さんは初めてなので、つい戸惑ってしまう。

また、生き残ってしまった。

提督に、艦隊の皆さんに、合わせる顔がない。

 

(ううん、違う···)

 

違う。

そんな建前よりも、私は、恐怖していたのだった。

死に晒されることの恐怖に。

封じていたはずのその感情が、自然に沸き上がってきた。

だから、溢れ出した想いは、止められなかったんだろう。

 

「···磯波···泣いているのか?」

「えっ···あ···」

 

片頬に触れると、流れ出した雫が掌を伝った。

 

「···すみません、大丈夫です」

 

感情に突き動かされたのは久しぶりで、驚いていた。

 

「そうか」

「それよりも、その、艦隊がどうなったのか教えて下さい」

 

長門さんが健在ということは、ある程度の余裕を持って勝利できたのか。

少しほっとしていた心が、彼女の言葉で凍り付く。

 

「ああ···正直に話すと、私は君の鎮守府の長門ではない」

「え···」

 

最悪の想定が、脳裏をよぎる。

 

「君の···挺身護衛艦数隻を含んだ、舞鶴第五鎮守府第一艦隊は、北方海域深部制圧に失敗した。撤退を私達舞鶴第一鎮守府第一艦隊が援護したが···海域へ向かう途中、損傷の非常に激しい君を見つけて、一隻が曳航して君をここへ連れ帰って来た」

「そ、それで、む、叢雲ちゃんたち、は···」

「心配には及ばない。中破艦はいても大破までには至らなかったらしい」

 

ほっと胸を撫で下ろすが、長門さんの表情は硬いままだ。

 

「···それと、だな」

「···?」

 

重い口を開くように、長門さんは言い放った。

 

「君の鎮守府で、君が建造された」

 

あくまでも冷淡に、そう、彼女は言ったけれど、瞳の中に秘められた、悔恨の思いは伝わってきていた。

海域進出中に建造などしている暇はないのだが、戦況次第では戦力の確保も貴重だ。

恐らく“私”は、もうあの鎮守府からは切り離されてしまったのだろう。

 

「本当に申し訳ない···私達の提督を通して、再三抗議はしたのだが···」

「いえ···」

 

不思議と、心は軽かった。

ひたすら義務感で思いを縛り付けていたからか、哀しさや悔しさを感じることは無かった。

 

「···そう、ですか」

 

これから先、何が待っているのか、今は考えることが出来なかったけど、何となく頑張れる気がすると思えた。

 

「分かりました。···あの、保護して頂き、ありがとうございます。いつまでに退去すればいいんでしょうか」

 

少し不安を感じつつ聞いてみると、まだ長門さんの表情は変わらず、どこか緊張した顔のままだった。

 

「ああ。それで、君に話がある」

 

長門さんがそう言葉を発したところで。部屋にノックの音が聞こえた。

 

「長門、俺だ。そろそろいいか」

「ああ、丁度話が終わった所だ」

 

漏れ聞こえた男性の声は、この鎮守府の提督さんだろう。

色んな人に迷惑をかけてしまったな、と後悔したような思いはまだ私の胸中を大きく占領していた。

 

「···おお、もう起きていても大丈夫そうか?」

「あっ、はい。ご迷惑おかけしました」

「迷惑なんてとんでもない」

 

瞬間、彼の目つきが険しくなるような気がした。

 

「長門から話があったとは思うが···」

 

それから提督は語った。

あの鎮守府の処分について。

結局あちらの提督の悪事は暴かれた。

挺身隊と称した艦娘の非倫理的出撃に、資材や資金の着服が認められたそうだ。

収賄の疑惑で上官も同時に逮捕されるとのこと。

 

そして。

 

「···君の元いた鎮守府は、このまま後任が当たる」

「そう、ですか···」

 

沈黙が、辺りを包み込む。

長門さんは悔しそうに唇を噛んだ。

なぜ、この人たちは私のことをここまで気にかけてくれるのか、それが彼らの当たり前だと知らない当時の私は、きっと困惑するばかりだったのだろう。

 

「···それで、なんだが」

「···?」

 

きょとんとする私に、彼は告げた。

 

「もし、良ければ…俺たちの鎮守府に、所属する気はないか?」

 

────────────────────────

 

「磯波」

「あ···はい」

 

自分を呼ぶ声に気付いて、振り返る。

 

「提督」

 

そう、ちょうど思い返していた記憶の中の、その人だった。

 

「風邪ひくぞ。まだ続けるにしても、上着は着てくれ。」

 

背中にかけられた上着は、艦娘の訓練用のものではなかった。

 

「あの、これ」

「あ···すまん、俺のだけど許してくれ、臭くないから」

「はい···ふふ」

「···なんで笑うんだ?」

 

この人のこういう所は、昔からだ。

私を引き入れようとした時も、こんな風に。

 

 

『転属···ですか?』

『もちろん、あんなに辛い思いをしたんだから、一人の人間として生きていくことを選ぶのも当たり前のことだ。でも、俺は君がうちに来てくれれば、君の悩みを···後悔を、必ず、晴らしてみせる』

 

 

 

「どうして、提督は私をここへ引き入れてくれたのですか?」

「理由、か」

 

彼は少し考えるようにして言った。

 

「もちろん、君は練度的にも一線級の艦娘だ。間違いなくこの鎮守府に必要とされるだろう…ただ、あの時の俺は、君に親近感を感じたんだ」

「親近感…ですか?」

「気を悪くしたら済まない。それでもあの日、ぼろぼろになってこの鎮守府へ運ばれた君の姿を見て、そう思ったんだ」

 

視線が、重なる。

心を射貫くように、真っすぐで、鋭いものだった。

 

「どんなに辛くたって、大切な人を守ろうとするとき、人は一番強くなれる。その思いが消えない限り」

「他の誰でもない、いまここにいる君の努力と、覚悟が、叢雲を守ったんだ」

 

提督は傍にあった、叢雲ちゃんと、私の艤装を撫でて、再び顔を上げた。

 

「誇っていいんだ。君が命を賭けて、彼女たちを守ったことを、誰にも否定させないよ」

 

(ああ…)

 

だめだ。

 

「…ふふ」

 

頬が緩んで、止まらない。

 

「って、柄にもないことを言ってしまった…忘れてくれ──」

 

どうにも、止まらないのだ。

 

「おっと…どうしたんだ?」

 

夢中で、目の前のひとの腰に抱きつく。

 

「…えへへ」

 

『磯波』としてではなく、この『私』を、認めてくれるひとがいること。

『好きな人』が、私を必要としてくれること。

嬉しくて、溢れ出す気持ちが、涙が、止まらない。

 

「私、これからも頑張ります。だから、見ていてください」

「…ああ」

 

名残惜しいけれど、どうやら離れないといけないらしい。

 

「磯波ー、あ、いた!」

 

工廠の入り口で深雪が手を振る。

 

「磯波ちゃんごめんなさい。私たちの艤装まで」

「ううん、いいの。艦娘経験では、私の方がお姉さんだから」

「ったく···」

 

ふたりと一緒にいた叢雲ちゃんが、ゆっくり近づいてきた。

 

「ふぇ」

 

頭に手を置いて、彼女はこう言うのだ。

 

「程々にしなさいよね······ありがと」

 

実に彼女らしい、『叢雲』ちゃんらしい物言い。

それでも、最後の四文字から優しさが(どうしても)滲み出てしまうのは、『この鎮守府の』叢雲ちゃんらしい。

 

「···うん」

 

小さく微笑み返し、そして彼の、提督の方を振り向く。

また同じように、彼も笑っていた。

そうだ。

彼は見てくれている。

『私らしさ』を、

『私だけの気持ち』を。

そして、理解してくれている。

だから、それに応えるために──────

 

「さあ、行ってきな」

 

手渡されたのは、間宮券の束。

 

「おぉーっ!司令官やるじゃん!」

 

深雪ちゃんに肩を強く叩かれて苦笑している提督。

そんな彼を見て、磯波は決意したのだ。

 

──────私は、『私』を生きよう。本当の、私だけの『私』を。

 

「···はいっ」

 

受け取った磯波の表情。

それは、彼が今まで見てきた彼女の中で、最も輝いていた笑顔だったことは、言うまでもない。

 




性格上、絶対バッドエンドは書けないです…。
必要に迫られれば別ですが。

UA5000記念は追って掲載させて頂きます。読んで下さった方々、本当にありがとうございます。


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第二十一話 お悩み相談室 <第二講>

島風のお話の続編になります。

この後のお話に続く数話が、UA5000記念の作品となります。
このお話は通常の日常回としてご覧下さい!


「···という訳で、少しだけ任されてほしいんだ」

「はあ」

 

加賀は不思議そうに、短く返事をする。

 

(提督は今までこの仕事を···?)

 

要は艦娘たちのメンタルケア。

 

島風を筆頭として個人的な悩みを聞いていた提督は、出張となるこの2日間のその仕事を、一航戦加賀に一任しようと言うのだ。

ちなみに、お悩み相談室は大人気も大人気、今では予約表に記入しなければいけないほどだ。

 

「まあ、面倒かも知れないが、他ならない君にやってほしい。もちろん、報酬というかお礼はするよ」

「···報酬というのは」

「え?ああ、常識の範囲内ならなんでm」

「やりました」

 

────────────────────────

 

ガラッ、と戸を開ける音がする。

 

「···あれ、加賀さん?」

 

戸の入口には、初期艦である吹雪が立っていた。

 

「へえ、提督の代わりにですか?」

「ええ、何故私なのかは分からないのだけれど」

「きっと提督の信頼が厚いんですよ!」

「···流石に気分が高揚します」

 

頬を紅く染める加賀を微笑ましい目で見ている吹雪。

 

「···ところで、今日は何の用で?」

 

見られていた気恥ずかしさを振り払うように、加賀は話題を変えた。

 

「あ、そうなんですよ」

 

吹雪は思い出したように言う。

 

「···実は、陽炎ちゃんを見て思うことがあって···」

「陽炎を?」

 

数の多い陽炎型の、その長女である一番艦陽炎。

 

「ええ。あの子は妹たちの世話だけじゃなくて、駆逐艦の子を上手くまとめてくれたりして···とっても尊敬してるんです」

「···確かにそうね」

 

見た目相応の年齢だとすれば、なかなかに聡明な子なのであろう。

 

「···でも、だからこそ同じ長女で、しかも初期艦の私が何も出来ていないのが、本当に申し訳なくて···」

なるほど、と加賀は思った。

「それで、貴方はどうしたいの?」

「···どう、なりたいかですか」

 

吹雪は答えに詰まり、俯いた。

 

「···ごめんなさい、流石に答えを急ぎすぎたわね」

 

考えてみれば、吹雪ほどの年齢──────見た目中学生にも違わぬ少女が扱うには重い問題かも知れない。

 

「い、いえ···」

「少しずつ、自分の望む姿を作って行きましょう」

「はい!」

 

元気よく、吹雪は返事をして笑った。

 

 

 

「···」

 

というのがつい三時間ほど前の話。

吹雪と一緒に戦術や人体科学の座学、防空の演習、体術の訓練に励んだ加賀は、補給を済ませ、シャワーを浴び、昼食を摂り、吹雪と別れ、元の部屋で鎮座していた。

 

(これはなかなか楽しいものね)

 

吹雪と共にこなした練習の中に、加賀自身も勉強になる内容がかなり含まれていたということは、強く感じていた。

練習中も顔色一つ変えず、懸命に努力を続けた吹雪を優しく撫でた時の、嬉しそうな彼女の表情を思い出して微笑みが零れる。

 

「···さて、次はどの子かしら」

 

記入されている時間帯は、間もなく訪れる。

やたらと夜間に多いその予約に顔を顰めていると、丁度ドアがノックされる音が聞こえた。

 

「はい」

「···失礼します」

 

戸をあけたのは瑞鶴だった。

完全匿名制の予約表だけに、誰が来るのかすら分からないものだから、それが瑞鶴だと知った加賀は内心不安で一杯だった。

 

(···何か、あの子に負担を掛けてしまったかしら···)

 

もしそうだとしたら、瑞鶴は驚いた表情をして、遠慮がちにこの部屋を出ていくだろう。

 

(あの子に申し訳ないことをしてしまいました)

 

「···加賀さん?」

「っ、は、はい」

 

ネガティブな方向へむかって行く思考の外から、不思議そうな顔をする瑞鶴が垣間見える。

 

「大丈夫···?」

「え、ええ···」

 

(取り敢えず、話を聞かないと始まりません·· もし何かしてしまったなら、それは反省すべきことです)

 

覚悟を決めたように、加賀は口を開く。

 

「···今日は出張の提督の代わりに私が相談役を務めるのだけど···よかったかしら」

「ええ、丁度加賀さんに言いたい事があったのよ」

 

心臓に氷柱が突き刺さったようだった。

想像される瑞鶴の罵詈雑言の数々。

 

『加賀さんホントウザいんだけど』

『あんな沈み方しておいて、それはないわー』

 

───────────

 

「は、はいなんでしょう」

 

若干涙目になっている加賀にギョッとする瑞鶴。

 

「ちょ、な、なんで泣いてるの? 大丈夫なの!?」

「···あ···はい、ごめんなさい」

「なんで謝るの···」

 

挙動不審な加賀を訝しげな表情で見つめる。

視線が重なる度に加賀は、躊躇いがちに俯く。

 

「···その、ず、瑞鶴」

「あ、そうそう。ごめんなさい、話したいことなんだけど···」

「は、はい···」

 

緊張の一瞬。

その緊張のあまり、更に涙目になる加賀に構っていられず、瑞鶴は切り出した。

 

「うちの加賀さんってさ、なんで私達五航戦のこと、バカにしないの?」

「しゅ、しゅみましぇ···え?」

 

咄嗟に出た謝罪の途中、言葉の意味を理解出来ずに加賀は顔を上げた。

 

「···え?」

 

もしかしてその手の趣味の子だったのか、と怪しい目で彼女を見ると、その彼女は慌てて両手を振り否定する。

 

「ち、違うのよ···!その、演習で他の加賀さんが艦隊にいる時、加賀さんは決まって私たちにそんな感じのことを言うから···」

「···?」

 

そのことを理解するには多少の時間を要したが、大体分かった。

 

「···私は、ほかの加賀とは違うのかしら···」

「まあ、うちの加賀さんは高練度だし···艦娘としての経歴が長いほど、性格に個性が表れるそうだから」

 

つまるところ、比較的新任の瑞鶴、又は五航戦が今まで演習で相見えた加賀も同じく新任だったのではないか、ということだ。

 

「本来の私の口癖、ということかしら···」

 

ごめんなさいね、と素直に謝ると、瑞鶴はまた、両手を振る。

 

「あ、いや···そういうことじゃないの!うちの加賀さんはいつも優しいから···だから気になったの···本当は演習相手の加賀さんと、同じことを思ってるんじゃないかって···」

 

済まなさそうに瑞鶴は笑う。

 

ごめんね、と言わせない。

その言葉をを聞きたくない。

 

そんな思いが咄嗟に湧いてきて、気付けば身体は動いていた。

 

「そんなことは、ないわ」

「へ···ちょ、ちょっと」

 

肩を掴まれ、静かに抱きすくめられて目を回す瑞鶴に、加賀は語る。

 

「私は─────私達、と言った方がいいのかしら─── 比較的早く着任して、この鎮守府の制空を担ってきたわ···艦娘として備わった心に、貴方達の記憶はないけれど、おそらく、貴方の言う通り、無意識の中に、そういった口癖はあったのでしょう···それでも、艦としての記憶を思い出した時、とても、貴方達を悪く言うことなんてできなかったわ」

 

抱きしめる両腕に、更に力をこめて続ける。

 

「そうやって、一年ほど前には、貴方達が来てくれた···とても嬉しかったわ。けれど、それと同時に、軍艦としてのあの戦いの中で、貴方を置いて先に沈んだという事実に、私は耐えられなくて···そのことを恨まれているものだと···思っていたの」

 

加賀の肩に乗せた瑞鶴の顔に、涙が零れた。

 

「そんな訳···ないじゃない」

 

加賀の髪を撫でて、瑞鶴は続ける。

 

「あの時、加賀さんが沈んだ事を聞いて···本当に悲しくて···それでも、私たちはこの国を護るために、闘わないといけなくて···レイテで沈んだ時、加賀さんは私を許してくれるのか、不安だったの」

 

その不安は、水底に沈んだ艦船の瑞鶴の魂を呼び起こし、艦娘という形をとって、特別海域を進攻中の舞鶴第一鎮守府、第一艦隊の前に現れたという。

 

「だから、私も···また加賀さんや翔鶴姉に会えてほんとに嬉しかった···!でも、あのことをずっと聞き出せなくて···こんな言い方になっちゃって、ごめんなさい」

 

目を瞑って、加賀の腕の中へ顔を埋める。

 

「いいのよ···ありがとう、瑞鶴」

 

ふっと零した笑み。

 

(あ、ああの加賀さんの笑顔···!)

(ほわあああ···浄化されるうう)

 

うっすらと開いた扉から覗いた五航戦の片割れと二航戦組が悶絶していることなど露知らず、加賀は慈愛に満ちた目で瑞鶴を撫で続け、その膝元で瑞鶴は眠るのであった。

 

 

 

「ん···」

 

泣き疲れか、それともずっと隠していた感情を吐露し、それが受け入れられた安心からか、加賀の膝の上で眠りに落ちた瑞鶴が目覚めたのは、夕暮れ時であった。

すっかり傾いた日は部屋の隅々を橙色に染めていた。

 

「あ···寝てたんだ···私」

 

目を擦り大きく伸びをしていると、ちょうど部屋の戸が開かれた。

 

「···起きたみたいね、瑞鶴」

 

加賀は、いつもと同じような無表情で、瑞鶴にそう告げる。

 

「加賀さん」

 

けれど、瑞鶴の目には、彼女の表情が、確かに、はっきりと映っているのだった。

 

「明日帰ってくる提督のお疲れ会の準備をするそうです。瑞鶴も行きましょう」

「う、うん」

 

そう言って扉を開け、先を行く。

その加賀の手を追いかけて、瑞鶴は強く握った。

 

「···?」

「わ、私、これからも頑張るから!そ、その···よろしく、お願いします···加賀、さん」

「···ええ、こちらこそ」

 

繋いでいた右手を握り返して、加賀は微笑む。

今度こそこの子を守り抜くという誓いと覚悟を胸に。

 

────────────────────────

 

 

 

「それでね!あの時の加賀さんの顔ったらほんとに可愛くて···!」

「へえ···」

「やっぱり一航戦の先輩方は違います!格好良くて可愛いなんて犯罪です!瑞鶴も可愛かったけど!」

 

食い気味に執務室の机に寄りかかった例の三人組。

話を聞きつつ提督は、話題の人物の意外な一面に驚いていた。

 

「ところで、その二人なんだが···」

 

遠慮がちに笑った提督。

それもその筈、三人組の後ろには、例の二人の正規空母が厳しそうに立っていたからだ。

 

「ん?どうしたの···ひぃっ!」

「ヒィィィィィィィィィィィィィィィィ!」

「あれ···ちょっと?ず、瑞鶴?ね、ねえ何故無言で···あえええっ!?いはい!いはいはら!」

「···提督」

「どうした?」

「···聞きましたか」

「え?」

「あの二人から、何か、聞きましたか」

「え···いや、な、何も」

 

漂う一航戦ならではの殺気に身震いして、首を横に振る。

 

「そう、ならいいわ」

「良くないわよ〜!提督さんに全部聞かれてたなんてぇー!」

 

翔鶴の頬を抓りながら、瑞鶴は羞恥に悶えて叫ぶ。

 

「ず、ずいひゃふ···しょろしょろ···」

「翔鶴姉は黙ってて!」

「ひゃい」

 

その様子に苦笑しつつ、仲裁の弁を述べる。

 

「ま、まあまあ···別に悪い話じゃないんだし、 翔鶴にも悪気が···あった訳でもないんだし」

「···ほんと?翔鶴姉」

「ほ、ほんひょよ!」

 

ジト目の瑞鶴。

 

「···提督さんに免じて許してあげるけど次やったら縁切るから」

「えええ!?」

 

あと一回だけでもと縋る翔鶴が一蹴される様に、どちらが姉なのやらと思う。

 

「···やれやれ」

 

額に手を当てる加賀も、同じことを思っているようだ。

 

「···それで、相談室は上手くいったのか?」

「ええ、提督。しかしやはり聞いていたんですね」

「それは悪かったよ。ただ、このことはあいつも気にしてたんだ、勘弁してくれ」

「そう、なのですか」

 

彼は申し訳なさそうに微笑む。

 

「そうそう。ご褒美の件なんだが」

「っ···」

 

思い出したように口を開き、ポケットから取り出す。

 

「これで、どうかな」

 

取り出したのは、二対の花飾りだった。

 

「···これは」

「欲しいものを聞いてから買っても良かったんだけど、これが売っているのを見ると、どうしても買わずにはいられなかったんだ」

 

まあ造花なんだけど、と頬を掻く。

 

「この花はゴデチアって言って、その花言葉が、『変わらぬ親愛』って言うらしい···ほら、瑞鶴」

 

瑞鶴を近くに呼び、二人の髪に花飾りをつける。

 

「わっ···提督さん、これ何?」

「二人が素直になれたご褒美だ」

 

瑞鶴が花飾りに夢中になっている間に、加賀に向き直って、提督は言った。

 

「大丈夫だ。これまでもこれからも、お前たちの関係は変わらない。艦隊を支える空母としても、鎮守府の大切なメンバーとしても、瑞鶴を支えてやってくれ」

「···はい」

 

加賀は感情を表に出さない艦娘である。

ただ、この時だけは、その嬉しさを、精一杯の笑顔で表現していたのだった。

 

「···あ、電話」

 

瑞鶴が気付いて側にあった音の鳴った受話器を取る。

 

「はい、こちら舞鶴第一鎮守府です···はい、今代わります」

「おっ、来たか」

「···?」

「どうしたのでしょうか」

「さぁ?」

 

二人を(ニヤニヤして)見守っていたその三人組も、首を傾げる。

 

「さっきも言っただろ?ご褒美だ」

 

そう言って、彼は悪戯っぽく笑みを浮かべた。

 




この先のお話を書く前に、もうUAが6000を突破しててびっくりしました。
本当に感謝です…。

来週(今週)の平日は、特別枠を毎日投稿です。お楽しみに。


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第二十二話 鎮守府旅行編 #1

UA5000記念一発目。平日18時更新です。
会社、学校の帰りなどのちょっとしたお楽しみにしていただければ嬉しいです。


「慰安旅行···?」

 

執務室、瑞鶴はきょとんとして言った。

 

「そうだ。大本営からの褒賞らしい」

 

みんなのお陰だ、と朗らかに笑う提督に、正規空母の面々は混乱する。

 

「···?」

「褒賞なんてありましたか···?」

 

実の所、艦娘には作戦の成功に対する報酬が手配されない。

というのも、人間か兵器か、その定義付けにくい不安定な存在に報酬を与えたところで、という意見が、古参の軍人がまだ多数を占める海軍司令部において、非常に強く見られる。

 

「まあ、貰えるって言うならありがたく頂くけど···」

 

艦娘側もそれが当たり前の事だと感じているから、その事実に対して何ら不満を抱くことはなかった。

 

(···というより、むしろ)

 

加賀は思考する。この待遇に隠されている真実について。

作戦を実行するのは艦娘だが、全員分だときりがないし、功労者が分かりにくい。

 

(ということは──────)

 

はっとして顔を上げて、その人物を凝視する。

そう。

むしろ、報賞を受け取るのは──────

 

「···加賀?」

 

提督は、こちらをひたすら睨む一航戦の片割れに、不思議そうに問いかけた。

 

「なんでしょう」

「どこに行きたいか、って話なんだけど···どこがいいかな···?」

 

きょとんと問いかけてくるその男。

その表情は、加賀の内心を察しているのないないのか、ともかく、加賀は呆れて言うのだった。

「それなら…」

 

 

 

「それでは〜ッ!今から『ドキドキ!バス席くじ大会』を始めたいと思いまーす!」

 

──────鎮守府食堂。

 

提督禁制のその部屋では、舞鶴第一鎮守府所属艦娘の面々が、一世一代の大イベントに、瞳を燃やしていた。

 

「···流石に気分が高揚します」

 

その集団の先頭の加賀は、そう呟いて司会の青葉の隣、壇上へと足を進めた。

 

「皆さん、お疲れ様です。今回の作戦報酬について、伝えておかないといけないことがあります」

「···?」

 

頭上に疑問符を呈する艦娘たちに加賀は、あくまで冷静に伝える。

 

「恐らく、今回の作戦褒賞は私達のものではありません」

 

そう切り出した加賀に、聴衆はざわつき始める。

 

「どういうことだ、加賀」

 

我らが連合艦隊旗艦、戦艦長門は、唐突なそれに疑問を返す。

 

「おそらく褒賞はなんでも良かったのでしょう。資源でも、新装備でも、果てには昇進までもが叶うそうです」

 

どこで知ったのか、その情報をありのままに伝えると、艦娘の中には、申し訳なさそうな顔をする者も現れた。

 

「なん···だと···提督っ···!」

 

その筆頭が、先程の長門であった。

 

「わざわざ我々のためだけに、昇進を無碍にするなど···!」

 

酷く後悔したように叫んだ長門を横目で見つつ、加賀は言葉を続ける。

 

「···とにかく、折角の褒賞を私達のために下さったのは事実だとして、卑屈になるよりは楽しむべきです」

「そうですね。その方が提督も喜んでくれますし」

 

近くにいた古鷹がそれに賛同すると、小さく頷く者が現れる。

 

「という訳で、私達は今回の旅行において、提督の迷惑になる行動をしない、更に積極的に全員が楽しめるように行動することを心掛けます。異論はありませんね?」

「「はいっ!」」

 

弾かれたように答える艦娘の面々。

澄まし顔の加賀はそれを見渡し、青葉に目配せした。

 

「···と、いうことでぇ~、はいっ!」

 

ゴソゴソと青葉が用意してきたのは、それなりに大きい、鋼鉄の箱。

両手で抱えてちょうどいいそのサイズの箱には、全員分の席番号が書かれたくじが詰まっている。

 

「今からバス座席の抽選会を行います」

 

そう言い放ちながら、加賀はその表情に僅かな緊張を含ませた。

しかし、それは加賀に限った話ではなさそうだった。

 

「···あ、あの、その」

 

おどおどとした仕草で、羽黒は手を挙げる。

 

「質問を許可します、何ですか」

「その···て、提督はどこに···」

 

瞬間、その場の空気は凍りついた。

 

「ひっ!?」

 

羽黒が短く悲鳴をあげるのも無理はない。

物理的限界の絶対零度をも上(下)回るほどに、数メートル四方のその密室は、冷めきっている。

 

「ま、まあまあ···それで加賀さん、提督はどの席なんですか?」

 

すっかり怯えてしまった妹に見かねた妙高が、話を進めた。

 

「···こほん、提督は余った席に座られるとの事です」

 

あまりにも彼らしいその解答に、くすくすと笑い出す者もいた。

 

「···全く、最後まであの方らしいな」

「そうねえ。謙虚というか、なんと言うか···」

 

長門が隣の陸奥に語りかけると、彼女も同じように笑みを浮かべる。

 

「それはそれとして、くじの順番はどうするんです?」

 

企画しておきながらそれを決めていないことに気付いた青葉が加賀に尋ねる。

 

「それに関しては、各艦種代表の皆さんで決めてもらいます」

 

あくまで澄まし顔の加賀だが、その熱視線は正規空母代表の瑞鶴へ注がれていた。

 

(頼むわよ···瑞鶴)

(まっかせといて!)

 

それを受け取った瑞鶴は自信たっぷりに腕を構えた。

 

「さあ!行くわよ!かかってきな···」

「雪風、参ります!」

「さ···」

「瑞鳳!抜錨しちゃいます!」

「い···」

 

彼女らの阿鼻叫喚の様子を見て鳳翔や間宮が苦笑いするのは、今に始まったことではない。

 

 

 

「···どうやら私たちの戦艦、第二グループは後手のようだな。今籤を引いている駆逐艦たちのグループで大分くじは引かれてしまうことになるが···」

 

隣の戦艦、武蔵は少しにやけてそう言った。

大方、こちらの心境を見透かしてからかっているのだろう。

 

「だ、大丈夫よ!さ、さっきだって瑞鳳さんと握手してきたし···」

 

内心焦ってそう答えると、若干武蔵が引いている。

 

「お前···何してるんだ···」

 

どおりで先程から、瑞鳳や初霜が苦痛の悲鳴を上げている訳だと納得している武蔵に、慌てて弁解を試みる。

 

「だ、だって!お、思わず握っちゃったんだもの···」

 

思い返す瑞鳳の表情。

それに少ししゅんとして俯くが、今はそんな場合ではないと考え直す。

 

「だ、大丈夫よね···!お祈りも運を上げるための準備もばっちりだし···!」

「お前は努力の方向を間違ってるな···」

 

武蔵の呆れ顔に少しムッとするが、全く間違っていないのが腹立たしい。

 

「···私だって、偶には提督のお側に··」

 

大和型一番艦、大和。

世界最強の名を欲しいままにした、その圧倒的火力を備えた戦艦は、先の大戦では日の目を見ないまま坊ノ岬に姿を消した。

蘇る過去の記憶に、彼女は艦娘として、不安を覚えることが多かったのだ。

そんな中、彼はいつもと変わらぬ微笑みのまま、彼女に語りかけるのだった。

 

「提督···」

 

思いを馳せるのは、艦隊の帰りを待つ凛とした表情。

すっかり恍惚としてしまった姉に、武蔵はやれやれと溜息をつきながら、電子掲示板に表示されるバス座席と番号を見ているのだった。

 

「吹雪さん、三号車二二番」

「えっと···隣は睦月ちゃん?」

「にゃしい!お隣が吹雪ちゃんでうれしいよっ!」

「────夕立さん、二号車四〇番」

「ぽいいいっ!?い、一番後ろっぽいいいい!」

 

人数的に40人ずつのバスでは、かの鎮守府では1台で収まる筈もなく、軍本部より支給された資金をそちらに削ることとなった。

因みに、宿泊施設など艦娘達へのサービスを設定しすぎたせいで、旅行費の一部が提督の収入から出ているのはお決まりのことだ。

帰りのバスでそれが発覚して騒動になるのは置いておいて、肩を落とす夕立に苦笑して綾波がその隣の票を見せていた。

 

「···不幸だわ」

 

そんな夕立達の後ろでは扶桑、山城、翔鶴、大鳳など、悲しいかな運の低い者が集まって体育座りをしている。

その様子たるや、暗澹という言葉では表現出来ないほどであった。

 

「まさか、皆で集まってしまうなんてね···」

「ええ···まあ、嬉しいのだけれど···ね」

 

三号車の最後部からまるで狙ったかのように五人の席は決まり、そしてその周囲は既に埋まっている。

 

「何てことでしょう···」

「ああ···不幸だわ···」

「あ、あらら···」

 

その様子を、雪風が引き攣った笑みを浮かべながら見ている。

因みに雪風の両隣四方は未だに埋まらず、くじの多くが引かれてきた後半戦、かなり有利であることは間違いないのだった。

 

「瑞鶴さん、一号車六番」

 

どよめく観衆達。

 

「き、来た!雪風の隣なら···!」

 

真ん中の通路が席を分け、バスの前方右側から横に数えていくそのクジ。

六番ということは、右二列目の通路側となり、雪風の七番の席の、通路を挟んで隣となる。

どちらにせよ、近くがまだ埋まっていないため、残りの提督の席が近くになる可能性は十分にあった。

 

「ずい、かく···よかったわね···げふっ!」

「しょ、翔鶴姉ー!?」

 

吐血して倒れ込んだ翔鶴を横目に見つつ、瑞鶴の嬉しそうな顔が、緊張を更に加速させる。

 

(私には···)

 

胸の高鳴りを感じる。

決して自分は、運の高い方ではない。

そもそも、正体の知れない運がこのくじ引きの結果に影響を与えるのか、ひいてはそもそも“運”など存在しうるのだろうかと、脳内では様々な言い訳が生まれる。

 

「···はいっ!それでは次は、長門型、金剛型、大和型の皆さんですっ!」

「···行ってくるわ」

「だ、ダメだって加賀さん!いくら元戦艦でも!」

「は、離して頂戴飛龍···私には使命が────」

「あ、あの···隣が私じゃ、だめでしょうか···」

「やりました」

 

前列では、緊張した面持ちの神風を加賀が抱きしめている。

武蔵や霧島などはそれに苦笑しているが、長門や金剛はそれどころではない。

 

「いいいいいい行くぞムツゴロウ、私に続けぇ!」

「誰よそれ···」

「いっちょやったんぞー!」

「お姉様っ!?」

「だ、誰なのでしょうか···」

 

阿鼻叫喚の戦艦勢力のトップバッターは、勿論この人。

壇上、皆の視線を一身に集め、大和は固まっていた。

 

「や、大和さん、どうぞ?」

「っあ!は、はい!」

 

くじ箱の置いてあるテーブルへと、歩みを進める。

艦娘たちは息を飲み見守っているが、右手と右足が同時に動いていた。

 

(緊張しているなぁ···)

 

特別海域最深部の戦闘時よりも険しい表情をしている彼女を窺い、武蔵は呆れるばかりであった。

 

「さあどうぞ!」

「···っ」

 

来る。

この中に、あの人の隣の席があるかも知れない。

見える。

もしかしたら、あの人の隣に、いられるかも知れない。

 

「い、行きますっ!」

 

思い切って、箱の中に手を入れる。

確かな感触。

心が、それだと叫んでいた。

 

「こ、これで···お願いします」

 

クジを持つ右手が震える。

 

「は、はい···えーと、大和さん···一号車、三二番です!」

 

おおっ、と歓声が上がり、瞬時に電光掲示板の方を仰ぎ見ると、周囲の席はまだ空いている。

更に、もう残りの席は少なくなっており、三号車の一部と、一号車前方、そして大和のいる一号車後部を残すくらいだった。

 

「よ、よし···!」

 

思わず、拳を握り締める。

「こ、これで提督と···!」

誰もが、彼女の勝利を確信した瞬間であった。

「──武蔵さん、一号車三三番」

「え?」

「金剛さん、一号車二一番ですっ!」

「Nooooooooo!」

「長門、一号車三七番だよお」

「何···だと···っ!」

「え?」

 

偶然の悪戯というものだろうか。

あっという間に、大和の四方は固められてしまった。

 

「え?」

「ま、まあまあ···戦艦の親交を深めるという意味でも、悪くはないのではないか?」

「え?」

「や、大和···?」

「え?」

「お、おいやめろ!隣だからって私に提督の制服を着せるんじゃない!大和ォ!」

 

駆けつけた妖精さんに取り押さえられ、執務室に突き出されて提督が頭を抱えることになるのは、また別の話である。

 

 

 

──────旅行当日

 

「よし、全員乗ったか?」

 

朝日の眩しい九時過ぎ。

天候にも恵まれ、秋晴れとなった空を見上げる。

 

「二号車四〇名、全員揃っています」

 

非常用の携帯無線からは、神通の声が聞こえてくる。

 

「三号車四〇名、確認しました司令官!」

続けて、吹雪の声が聞こえる。

 

「了解。大丈夫だろうけど、バスの中での行動は、二人に任せてあるからな。頼んだよ」

「「はいっ!」」

「···そんな気を張らなくてもいいんだぞ?」

 

普段から戦艦や空母の艦娘たちが、日常生活の指揮を執ることの多いという話もあったため、このような形を取り、非常時の作戦行動に備えたりすることもある。

特に心配はしていないが、あるとすれば、二人がこの旅行を楽しめればいいということくらいだ。

 

「じゃあまた後で。楽しんでくれ。通信を終わる」

 

スイッチを切り、艦娘たちの乗ったバスの搭乗口、運転手に挨拶をする。

 

「それでは、よろしくお願いします。」

「はい、こちらこそ。短い時間ではありますが、どうぞ旅をお楽しみ下さい」

 

初老の男性が帽子を取り、頭を下げる。

姿勢や物腰には気品があり、帝国海軍の洗練された気風を感じさせた。

 

(さて···)

 

車内に入り、運転手は中の艦娘たちに向かった。

 

「舞鶴第一鎮守府の皆様、おはようございます。この度は、帝国交通をご利用頂きまして、誠にありがとうございます」

 

恭しい一礼の後、通信機器についての説明があった。

どうやら全てのバスの間で中継をすることができるそうで、各々の席から、チャットやテレビ電話に近いものができる。

 

「それでは、狭い車内ではございますが、旅をお楽しみください。」

 

こちらを一瞥し、笑みを浮かべていた運転手から、マイクを差し出される。

 

「提督の方からも、一言頂きましょう。ねえ?」

「え···」

 

その言葉に、艦娘たちは沸き立つのだった。

 

「提督ー!いっちょよろしくぅ!」

 

囃し立てる隼鷹。

 

「諸注意などもありますでしょうし···」

 

賛同する鳥海。

 

「テイトクー!愛してるデース!!」

 

なんだか分からない金剛。

 

「···ああ、提督···うふふ···」

「ひいいいっ!?しょ、翔鶴さんがぁ···」

 

端末の中で病み始める翔鶴に、泣き叫ぶ潮。

そんな混乱した様子にぽかんとしていたが、我に返る。

 

「···ええと。皆、少し聞いてほしい」

 

その言葉に、車内は静まり返る。

 

艦娘たちの目線は、彼に集中していたのだ。

 

「この旅行は、皆の頑張りを評価して、大本営から贈られた報奨になっているけれど、俺は、このくらいじゃ恩返し出来てい

ないと思っている···だから」

 

少し緊張した面持ちで、我らの提督は言葉を紡ぐ。

 

「どうか皆、楽しんで欲しい。もちろん、そのために俺ができることなら何でも言って欲しい」

 

ぎらりと目を輝かせた一部の艦娘がいたのは今更か。

 

「改めて、今まで俺を、この鎮守府を支えてきてくれて、ありがとう」

 

伝わったかどうかは分からなかったが、自分の思いを、精一杯込めたつもりだ。

そしてそれは、次の瞬間の、艦娘たちの拍手とともに、確信に変わった。

 

「提督!かっこよかったでち!」

「これからもよろしくなの!」

「···ありがとう。それでは、よろしくお願いします」

「はい」

 

あくまで静かに、けれど運転手は、微笑んでいた。

 

「···ふう」

「提督、お疲れ様でした」

 

そう言って少し頬を桜色に染めて言ったのは、自分の隣の席である2番に座っていた艦娘。

 

「ああ。まあ月並みだったかも知れないけどな」

 

そう言いつつ、その艦娘の元に歩いていく。

 

「今日はよろしくな」

 

秋空の中、バスはゆっくりと走り出した。

 




まだ旅行してないっていう…。
くじ引き回は、割とこの作品を構想する前から妄想してたりしてました。はい。(阿武隈


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第二十三話 鎮守府旅行編 #2

「提督!こちらです」

「ああ。ありがとう」

 

どうやら隣に座るのは、濡羽色の長髪をした榛名という艦娘らしかった。

挨拶を終え、一抹の緊張から脱した後に視線が合わさると、彼女は小さく笑みを浮かべていた。

 

(どうやらそこまで迷惑には思われてないかな)

 

何度自戒したつもりであっても、無意識のうちには卑屈な思考が芽生えてくる。

特にこの手の話題とあっては、この男はいつも以上に慎重になるのだから、これに恋慕する艦娘の諸姉も報われないというものだ。

 

「結局席はくじで決めたのか?」

「はい!皆さん食堂に集まって···」

 

例の籤騒動が三日前のことだ。

今回の旅行の為、大量の煩わしい職務と対峙していた彼からすると、一夜にして艦娘たちのcond値が急変(ほぼ急落)していたこたは驚愕すべき事項であり、実に摩訶不思議なことであった。

 

「なるほど。すまんな、わざわざ俺の隣なんかに」

 

一人で座っても良かったんだけどと付け加えると、ふと榛名のむくれた表情が目に入る。

 

「···どうした榛名?」

「提督は、榛名の隣、お嫌いですか」

 

頬を膨らませた顔はまさに駆逐艦のそれと同じだった。

 

「ま、まさか。寧ろ座ってくれて嬉しいくらいだ」

 

たじたじでそう答えた時には、既に榛名の表情は絶妙な笑顔へと変わっていたのだった。

 

「そうですか。榛名も提督のお隣で嬉しいです!」

「···そっか」

 

バスはそんな会話をよそに走り出した。

 

 

 

「む〜」

「···文月ちゃん?」

 

一号車後列。

 

「あたしも司令官の隣がよかったよぉ〜」

「うわっ!?ま、まあまあ。また今度行こうよ。もしかして、私の隣、嫌だった···?」

「んーん!阿武隈さんの隣も好き〜」

 

文月が阿武隈の膝に覆い被さる。

実に微笑ましいの光景なのだが、それにも関わらず阿武隈の表情筋を引き攣らせている理由は、前方のどす黒い空間にあったのだった。

 

「「···」」

「や、大和···?」

「こ、金剛さん···?」

 

それぞれ隣の武蔵や白雪が慌てている理由は、もちろん前方で光り輝くあの席にあった。

 

「提督、昨日はよく眠れましたか?」

「うーん、微妙かな。昨日はいろいろと執務に手配が立て込んでいてね、朝方までかかってしまった」

「お体は大丈夫なのですか?」

 

心配そうな視線を向けた榛名の頭を撫でる。

 

「大丈夫だ。実は今日が楽しみで眠れなかったくらいだよ」

 

唐突な彼の照れ顔に、榛名は硬直する。

 

「しょ!しょうですか!は、榛名もですぅ!」

 

がたがたと音を音を立てる後部座席。

 

「mmm…!はーるーなー!が羨ましいデース!」

 

ワタシなんて滅多に撫でてもらったことないのニー!と叫ぶ金剛を、白雪が抑える。

 

「お、落ち着いてくださいぃ!ふ、吹雪ちゃん助けてぇ!」

「て、提督がわ、私と旅行楽しみって…うぇへへ」

「戻ってこい大和!現実を見るんだ!頼むからシートベルトを外そうとするなあぁ!」

 

甘い雰囲気の前方座席と、修羅場のような後部座席。

一号車の艦娘たち(榛名、金剛、大和除く)は、その気圧差に圧迫され続けるのだった。

 

────────────────────────

 

「て、提督!」

 

隣の榛名が、なぜか意を決したような表情を浮かべる。

 

「な、なんだ?」

「その、私、お弁当を…っ」

 

榛名がそう言いかけた途端に、ぐううっ、と音が聞こえた。

 

「…」

「ああ。もう昼だな。って今の音は…」

 

音の発信源と思われる榛名を伺うと、おなかを抱えて何やら悶えている。

 

「えっと…榛名…」

「わ、忘れてくださいぃ!」

 

真っ赤な顔で焦る榛名がなんとも微笑ましいが、女性からすると相当恥ずかしかったのではないか。

 

「だ、大丈夫だ。聞こえてないから。それより、えっと…」

 

手元の鞄を探り、目当てのものを取り出す。

 

「ほら、これ。一応、作ってきたんだ。」

「え…も、もしかして、お弁当ですか!?」

 

驚いた表情を見せた榛名。やはり、作って来たのは不味かっただろうか。

 

「ああ。あ、要らなかったら無理に食べなくても…」

「頂きます!!」

「お、おう」

 

やけに目を輝かせて弁当を見つめているのは、彼女なりの優しさだろうか。

 

「そ、それじゃあ、その…榛名のお弁当も…」

 

おずおずと差し出された、可愛らしい弁当箱を見て合点がいく。

 

(なるほど。さっきはこれを…)

 

「わざわざ作ってきてくれたのか。ありがとう。じゃあ、交換だな」

「はうぅ…」

 

(こ、《交換》…は、榛名、こんなに幸せでよいのでしょうか…!)

 

なにやら悶え続けている榛名の弁当箱を開けると、色とりどりの具材が。

 

「おお。これはすごい。全部榛名が作ったのか?」

「はっ!え、ええ。少しお姉さま方にアドバイスを頂きながら」

 

実のところ、血涙を流す金剛に試食してもらうのは気が引けて、比叡と霧島に味見してもらったのだが。

 

「榛名、料理が得意ではないので、お口に合うか分からないのですが···」

 

不安げな榛名をよそに、燦然と輝く卵焼きを一口。

 

「ん、美味いな。甘みがある」

「そ、そうですか!?」

 

乗り出してきた榛名に苦笑する。不安だったのだろう。

 

「ああ。味付け自体は甘い卵焼きじゃないから、素材を上手く料理出来てることが分かるよ」

「はうっ」

 

自然な笑顔に絆されて、思わず俯く榛名。

一つ後ろの席に座る瑞鶴と涼月が隙間から覗き見ると、口角が上がりっぱなしの珍しい榛名が見られたそうだ。

 

「さあ、俺の弁当も食べてみてくれよ。なにぶん長く料理してなかったから、食べにくかったら言ってくれ」

「あ、はい!頂きます」

 

周囲の目線を一身に集めながら、しかし彼らはそれに気付かず、お互いの弁当をひたすらに褒め合っていたという。

 

 

 

バス車中。

可動式の席を回し、向かい合った提督・榛名・瑞鶴・初霜。

埋め込み式の台を立てて、カードゲームを始めていた。

 

「ウノ!」

「わっ、もう残り一枚ですか瑞鶴さん?」

「ふふん。やっぱり瑞鶴には幸運の女神が─────」

「ウノは運じゃないぞ。ほいD2」

「私もです」

「あ、私も」

「···」

 

数字でしか上がってはいけないこのゲームでは、残り一枚は攻撃の餌食だと自称するようなものである。

偶然(?)から生まれた超弩級の攻撃を受けて、涙目の瑞鶴はやむなく山札を引いた。

 

「うう···ひどい」

「まさに頭脳戦だな。瑞鶴はともかく、榛名と初霜は手強そうだ」

「提督こそ」

 

初霜は静かに、意味深な笑みを浮かべながら、しかし内心はその何億倍も喜びを感じていた。

 

(き、期待はしていたこととはいえ、本当に提督とお話出来るとは)

 

ニヤニヤしそうになるのを間一髪で堪えながらも、目の前の手札と周囲のメンツのカードを伺う。

 

(す、少しでもこの時間を長引かせるため···あわよくば提督と一対一になるため···ここは慎重に行きましょう!)

 

ゲームの勝ち負けとはなんの関係もなく気合を入れて、鼻息荒く初霜は黙考する。

 

(···なんてこと考えてそうね)

(ええ)

 

鋭くアイコンタクトを取る瑞鶴と榛名。

一体何をどうやってそれを行っているのか、皆目見当もつかないが、ここに一つの同盟が生まれた。

 

(暫くは共同戦線よ、榛名)

(ええ。榛名でよければ、お手伝い致します)

((我が野望のため!!!))

(うおっ、なんか皆、目つきが鋭い···!これは俺も頑張らねば)

 

ウノ海峡の戦い、勃発。

 

────────────────────────

 

「すぅ、すぅ···」

「···寝ちゃったか」

 

結局、数回の戦闘を挟み、ウノはお開きになった。

その後は、榛名や雪風たちと談笑して盛り上がっていたのだが、喋り疲れたのだろうか、榛名は提督の肩を枕に、眠りに落ちてしまった。

 

(弁当も作ってくれてたもんな···夜遅かったのかもしれない)

 

かかった髪を左右に寄せ、少し頭を撫でていると、運転手からアナウンスが掛かった。

 

「お疲れ様でございました。バスは間もなく、京都市内、帝国ホテル前に到着致します。皆様、お降りになる際のご準備のほ

ど、よろしくお願い致します」

 

(もうそんな時間か)

 

楽しい時間は一瞬である。距離は近いとはいえ、ついさっきこのバスに乗ったと思えば、あっという間に京都市内だ。

 

「榛名、起きれるか」

「ん···」

 

軽く肩を叩くと、榛名が薄く目を開けた。

 

「ふぁ···」

「おはよう。気分は大丈夫か」

「え···」

 

提督が覗き込んだ榛名の顔が、茹でダコの如く赤くなっていたことは、言うまでもない。

 

 

 

「吹雪、神通。そっちに何か異常はないか」

「二号車、異常ありません」

「三号車も大丈夫です!」

 

元気の良い声が端末を通して聞こえてくる。そこに、少しの安心を覚えた。

 

「よし。それでは、これから宿泊所に荷物を預けた後、集合時間までは自由行動とする。班分けはしてあるが、基本班員の誰

かとの行動、もしくは班長へ連絡した上での行動であれば問題ない。それでは皆、この旅行を楽しんでくれ」

「「了解!」」

 

艦娘たちはそれぞれに、意気揚々と返事をする。

元気の良い姿を見て安心すると同時に、またそれぞれがこの地で良い体験ができるよう、期待するばかりであった。

 

「それでは、総員解散!」

 

その敬礼は、かつてないほどの統一感を見せたのであった。

 

 

 

古都、京都。

溢れる歴史の香りを楽しみつつ、その時代に生きた人々、伝統、生活を間近で、実際に見ることも出来る。

そんな魅力を提督は感じつつも、ゆっくりと、夕暮れのその街を彷徨い歩いていたのだった。

 

(一時休息だな)

 

京都から嵯峨嵐山駅までを三〇分電車に揺られ、一人降り立った提督は、丸太町通を横切って北に、甘味処に腰を落ち着けた。

甘味が疲れを癒すのを感じながら、ゆったりと夕日の落ち行くのを眺める。

 

(···至福だ)

 

ホテル(旅館)のチェックインを済ませ、諸連絡を終えて出てきた頃にはすっかり昼を回ってしまっていた。

日暮れも短いこの季節、昼飯を食って旅館を発つ頃には、もう夕方になりそうであった。

それはしょうがないとして、どうも一人で回るのは寂しさを感じる一方で、気楽さを覚えている自分がいることも事実。

この際、目一杯楽しんでやろうという提督なりの魂胆である。

 

「···はっ」

 

ついうとうとしてしまいそうになったが、気がつけば時刻は集合時間まであと3時間を切っていた。

 

「いかんいかん。そろそろ行かないと」

 

椀の茶を飲み干して外へ出る。足取りは至って軽い。

 

────────────────────────

 

「ふむ」

 

道をさらに東、そしてまた北の方向へ進み、とある寺に辿り着いた提督。

借景を存分に楽しめる池を敷地内に持ち、この寺には、幾度となく訪れたいと思っていたのだ。

広い境内の回廊を進んでいくと、狩野山楽の襖絵や、障壁画が現れる。スケールの大きさに、ただ圧倒されるばかりだ。

 

「おお···」

 

そして、一番に彼が感動したのが風景。

山あいに吹く涼やかな秋風が、何とも嵯峨野の紅葉の風景を引き立たせる。

日本を千年間見つめ続けたこの寺は、今でもその原風景を留めてくれていたようだ。

 

(どうか、この場所がいつまでも守られ続けますように)

 

その使命を感じつつ、決意を新たにした提督だった。

 

 

寺を西に行きつつ、道を戻る形で清凉寺付近へ。

近くの湯豆腐屋へ入る。

 

「おお、これは旨そうだ」

 

思わず垂涎してしまいそうになるその料理の煌びやかさ。

秋の美しさのせいにして、すっかり堪能してしまった。

 

 

さらにさらに、清滝道を進んで愛宕念仏寺(愛宕に写真を撮ろうとして、後々波乱を呼ぶ)、祇王寺、常寂光寺と南へ下る。

残すは天龍寺と、大河内山荘庭園と天龍寺を結ぶ竹林の道である。

 

 

 

──────竹林の道

 

天龍寺の大パノラマを楽しんだ提督は、この季節、時間限定でライトアップされている竹林の道へ足を踏み入れた。

 

「おお···」

 

息を呑む美しさに感動する。

 

(心に沁みるなぁ···)

 

無機質な直線や、文明的な数字では表せないであろう(個人的な私怨も入っているのだろうが、主に書類)その風景美に心打たれる。

人も居らず、この眺めを独り占めしている気になって、少し嬉しく思っていた、その刹那。

 

「ひっ、ぐすっ···」

 

先の見えない竹林の向こうから、すすり泣く声が聞こえてきた。

 

「···!おいおい、流石に幽霊はNGだぞ···」

 

その手のものは苦手ではないが、この町ではあながち信じられないことでもないというのがネックである。

恐る恐る近づくと、灯篭の光が、妖しげに泣く子を照らし出していたのだった。

 

「ひぐっ、ううぇ···」

「大丈夫か?」

 

やはり古都とはいえ幽霊ではなかったと、見当違いな安心感を抱きながら顔を覗き見ると、見知った顔であることに気付く。

 

「···て、提督」

「や、山風じゃないか」

「て、いとくぅ···」

 

山風は大泣きで抱きつかれ、狼狽する提督。

 

「迷子になったのか」

「ひとりは、さびしい···!」

「···大丈夫だ。俺がいるから」

 

抱きかかえ、背を撫でてやる。

しばらくすると安心したのか、泣き疲れて眠ってしまった。

 

「山風の班は白露型の一部だったよな···」

 

職務用端末の、班員一覧をまとめたページを開く。

そこには、海風、江風、涼風、そして山風の文字が。

 

「なるほど。二十四駆か」

 

史実での関係が今も強く残っている艦娘も多い。

何はともあれ、残りのメンバーが彼女を探して慌てている可能性もあるので、連絡を入れることにした。

 

────────────────────────

 

場所は変わって、嵯峨嵐山駅。

 

「おいおいマジかよ···どこ行っちまったんだァ!?」

「竹林の道入るまでは一緒だったんだよな。やっぱりあそこのどこかで道を間違えたんだろ。出る時にはいなかったから」

 

冷静に話す江風の意見が正しいだろうと、海風は一人黙考する。

 

「山風も駅に向かっていると思ったのですが···まだ居ないようですね···端末も反応がありませんし」

「ま、まさか誘拐とかかァ!?」

 

慌てふためく涼風を諭すように江風は言う。

 

「それはないぜ。その気になりゃあ妖精さんの判断でも、勝手に艤装展開出来る。むしろそうなったら危険なのは誘拐犯さ」

 

艦娘の装備展開に関係すると思われている妖精は所謂彼女らのボディガード。

もとより運動能力の高い彼女らを、さらに粒子から成る艤装を展開させることで、陸地での警護を固めている。

装備は初期のものになるが、それでも海上に立つ推進力や、敵艦を穿つ破壊力は、一人の人間ではまず及ぶことがない。

加えて、艦娘の体内に影響するであろう菌類や物質も完全にシャットアウト、それ以前に侵入したものに関しても消失させる能力を持つので、どうあがこうと彼女らをどうこうすることは、現代科学の全ての能力を結集しても不可能である。

欠点は唯一渡り合える存在の、深海棲艦でしかないのだ。

ともかく、彼女の身に危険がないとしても、端末の返信がないのは心配である。

繰り返し掛けてはいるが、返答のない自分の端末を見つめて、海風は不安げな表情を浮かべた。

 

「心配すんな。とりあえず、竹林の道に戻りつつ探そうぜ」

「え、ええ。ありがとう江風」

「いいってことよ!ほれ、行くぞ涼風」

「おう、待ってろよ山風!」

 

江風に励まされ、少し笑顔を取り戻した海風の端末が鳴り響く。

 

「え···」

 

表示には山風の文字が。

 

「噂をすれば、だ!出てくれ」

「はい!···もしもし!?山風なの!?」

 

念のため聞き落としのないように、スピーカーに切り替えて電話に出る。

 

『海風か。こちら提督だ。山風のケータイ借りてるぞ』

 

「へ···?」

 

素っ頓狂な声を上げる海風。

 

「提督か?なんでまた···」

 

思わず聞こえていた江風が問う。

 

『江風もいるか。山風だが、竹林の道で迷っているところを見つけて連れ帰ってるよ。今どこにいる?』

 

それに答えるように、提督は告げた。

 

「そ、そうなのですか。ありがとうございます···」

 

へなへなと力が抜けるようにして座り込んだ海風。

 

「今は嵯峨嵐山駅の前です。この後行くルートは共有してありましたので、山風がここを通っているかと思って···」

『なるほど。もうすぐ俺たちもそっちに着くから、少し待っててくれないか』

「は、はい。本当に申し訳ございませんでした」

『まあ山風が無事だったから大丈夫さ。俺も偶然通りかかっただけだからな。んじゃあ、また後でな』

「ええ。ありがとうございます。失礼致します」

 

切れた電話を見て、ほっと長いため息が出た。

 

「よかったな無事で。というか、提督がいてよかったなァ」

「全くだ」

 

腕を組んで涼風に首肯する江風。これで一安心である。

 

 

 

「···ん、あれ提督じゃないか」

 

先程の電話から5分ほど経って、彼らが現れた。

 

「山風っ!」

 

思わず駆け寄った海風らに、提督は人さし指を立てた。

 

「しーっ、今眠ってるんだ」

 

見ると、彼の背には、静かに寝息を立てる山風がいた。

 

「ったく、こっちはどれだけ心配したか」

「まあ、無事で何よりだ」

 

苦笑する江風と涼風を置いて、海風は一人、俯いていた。

 

「···申し訳ございません、提督」

「ん?仕方ないさ。山風も端末で連絡できなかったことは、冷静さが足りていなかったからしょうがない事だし」

「それでも、もし提督が通りがかっていなかったら···」

「大丈夫だ。山風も海風も、きっとそれぞれが考えて動いて、時間はかかっても解決していただろう」

「そ、そうでしょうか···」

 

憂いた表情の海風であったが、提督はその背中を軽く叩いた。

 

「大丈夫さ」

そんな彼に、思わず微笑んだのであった。

 

 

 

夕暮れの嵐山を離れゆく電車。

開いた車窓からは、涼しげな風が流れ込んだ。

 

「んむ···」

 

提督の膝の上で目を覚ました山風。

 

「お、起きたか」

「あれ、ここ···海風姉、江風、涼風も」

 

目を擦りながら、彼女はゆっくりと起き上がった。

 

「ああ。みんな山風を探してくれていたみたいだ。必死に」

 

その証拠か、はたまたその安心感からか、三人は心地よい電車の揺れに、深く眠ってしまっていた。

 

「···あたし、端末も見ずに一人で勝手に泣いてるだけだった」

「まあ、一人で迷子になったら寂しいのも分かるよ」

 

頭を撫でて言う提督、しかし決意を込めてこう言った。

 

「だけど、一人じゃないってこと、忘れないで欲しい。 いつも、いつでも、きっと山風を見てくれている人がいる。

だから、迷っても、暗くても、それを信じて前に進めるんだ」

「···あた、しを?」

「ああ」

 

振り返れば、すやすやと眠る海風たちの姿。

 

「それを忘れないでくれ」

 

そして、微笑んだ提督の姿。

落陽の光に照らされ、なんとも幻想的に映ったその車内。

山風はそこに、一粒の涙を零したのだった。

 

───慰安旅行は、まだまだ続く。

 




山風に甘えたい。


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第二十四話 鎮守府旅行編 #3

一八〇〇、京都市内帝国ホテルロビー

 

「そうですか…」

「誠に申し訳ございません。混雑時季ということもあり…」

 

(なんてこった)

 

提督は驚きつつ、そして一抹の焦燥感を覚えていた。

簡単にこの件を説明すると、睦月型の一部が宿泊予定であった部屋が、清掃員の不手際により水浸しになってしまっており、ホテル側もこの状態で客を泊めさせることはできないと判断した。

当然のことながら自分の部屋を譲った彼は、一転して京都への流浪人と化してしまったのである。

 

「空き次第すぐに手配致します。重ね重ね申し訳ございません」

 

ホテル側の処置は、空き部屋へ最優先で入室させてもらえることと、ラウンジ等の設備を自由使用させてくれるとのことなの

で、ホテル(旅館)内での娯楽などに関しては事欠かないが、何分、行楽の季節ということもあり、部屋、つまるところ今日の寝床がないのである。

 

「まあ、しょうがないですよね。宿泊に関しては私の方で探してみますんで大丈夫です。他の艦m…部下たちの部屋の方は特に何も起きていないでしょうか?」

「は、はい。そちらは」

 

もし艦娘の部屋だけであったら、自分の部屋を譲れば、少し部屋は狭くなるが何とかなるだろうが、両方が被害を受ければどうだろうか。この時期に京都市内で当日二部屋、それも信頼できる宿を確保するのは、とてつもない労力が必要だろう。

 

(まあ、そう考えれば最悪野宿(最悪)でも平気な分、楽だったか)

 

流石に軍属の者としては、みっともない行動は控えなければならないだろうが、もちろん極論の話だ。

 

「良かった。なら特に問題はないです。とりあえず、明日の晩までに部屋の方を使用させて頂ければ、と思うのですが、可能でしょうか」

「も、勿論でございます。可能な限り早急に…」

「いえ。明日の夜に泊まれれば大丈夫なので、よろしくお願いします」

そう言い残して、ホテルを去ろうとすると、スタッフに呼び止められる。

「お、お客様!?」

「部屋、探してきますんで。宴会の方は、三時間後にお願いします。」

 

(とは言ったものの…どうするか)

 

すっかり暗くなった京都市街の空を見上げ、提督は一つ、ため息をついた。

 

────────────────────────

 

「提督の部屋がない!?」

「そ、それは本当なの!?」

 

ホテル内の大浴場、貸し切りとなった浴場で夕張は言った。

 

「え、ええ。どうやら睦月型の皆さんのお部屋が漏水だとかで」

「にゃ、にゃしい!?」

「ぼ、僕たちのせいってことかい!?」

 

夕張、それにその場に居合わせた睦月と皐月が目撃者の青葉に詰め寄り、肩を揺らす。

 

「うえぇえ!そ、それは偶然ですし、提督もお考えになったうえでの判断だと思いますけど…」

「そうよ。あの提督のことですもの。私たちだけ別の宿泊所にするくらいだったら、自分が野宿するくらい喜んでする人よ。あの人は」

「き、如月」

 

その話を聞いていたのか、からからと戸が開く音がして、如月が浴場へ足を踏み入れた。

 

「確かにそうだね…でもそれこそ不味いんじゃ」

「そう。そんなことにはさせないわ」

「そうだね。睦月たちの部屋が原因なんだし、何とか解決方法を考えよー!」

「「おぉー!」」

「私も、微力ながらお手伝いしますよ」

「私も。提督だけ別なんてダメよね。」

 

青葉と夕張も、睦月型に同調した。

 

「でも、具体的にどうするのさ」

 

皐月が、現実的な解決策を見出そうと切り出す。

 

「そうなんですよねぇ。現状、ホテルのキャンセルはないそうなので、やはり新しい部屋は確保できないようですし」

 

提督とスタッフの話を聞いていた青葉が、頭にタオルを乗せて答えた。

 

「一部屋あたりの宿泊人数を変えて、一部屋空けるとか」

「それも微妙よね。このホテル、旅館ぽいところもあるし、予約している部屋によっては和室もあるのかも知れないけど」

 

実際にその通りで、希望した鳳翔や那智、長門などの数部屋は和室になっているようだ。

最も、元から定員オーバー気味でもあるので、なかなか一部屋分を空けるのは厳しいようだ。

 

「洋室だとベッドなので、一人一つで人数は変えられませんしね」

「なにより、それだとあまり提督は了承してくれなさそうね」

 

如月が、苦笑しつつも言った。

 

「まったく、自分のこととなると途端に無関心にゃし」

「ふふ、そうですねぇ」

 

朗らかに笑った青葉だったが、内心、結構心配していたりする。

 

「そうなると、本格的にどうするか難しいわね」

 

そう結論付けた夕張の隣で、皐月たちは唸っていた。

 

「···あ、そうか」

「なに?何が分かったにゃし?」

 

ふと皐月が閃いて呟いた。

 

「ぼくたちの部屋に提督を招待すればいいんだ!」

「え··」

「「えええええっ!?」」

 

 

「何やら騒がしいな」

 

隣の男湯は、男性が提督だけのため、貸切ではない。

が、時間帯のこともあり、人はまばらだ。

 

「ていとくさん」

「おお、妖精さんか」

 

ふよふよと近づいてくる妖精さんに、近くにあった小さめの桶を湯に浮かべた。

人も少ないし、気にする人もいないだろう。

 

「おつかれさまです」

「妖精さんこそ。日々の疲れを存分に癒してくれ」

「ええ。ちんじゅふのおふろもいいですが、さすがていこくほてるですな」

 

湯は少し熱め、様々な効能を持つ、伝統的な温泉だそうだ。

 

「全くだ。いやあ、喜んでもらえて良かった」

「ところでていとくさん」

「ん?」

「なんでも、きょうのおへやがないとかなんとか」

 

情報が早速漏れていることに驚く。

 

「バレていたか。ちなみに、情報元はどこだ?」

「こじんじょうほうほごのかんてんから」

「高級和菓子、抹茶もつけよう」

「あおばさんが、ていとくがはなしているところをきいていたそうです」

「青葉か···」

 

ため息をついて、提督は厄介事になると予感した。

恐らく、彼女らで気を配って一部屋空けてくれたりするのだろうが、直前に宿泊人数を変更したりすると、彼女らだけではなく、ホテル側にも迷惑を掛けることになるので、あまり望ましくない。

 

「かんむすたちも、どうにかしてていとくとこのおやどにとまりたいのです」

 

真剣な眼差しで、妖精さんたちは語るものだから、つい提督はたじろいでしまった。

 

「む···気持ちはとても有難いんだが···起こってしまったことはしょうがないからなぁ。とてもホテルの方々に無理強いする訳には」

「こちらはきゃくですし、もんだいありませんよ」

 

そもそも今回の問題の責任はホテル側にあると、妖精さんは言いたげだった。

 

「恐らく、清掃には専門業者を呼んでいるんだ。管轄が違うから、部屋の構造とかも知らない。だからこういう事故もあるんだろうな」

それだけに、あまりホテル側を責め立てるのは筋違いだというものだ。

「そうでしょうか」

「ああ。それに、責任を問うてばかりでは問題は解決しない。艦娘たちのためにも、それは勘弁してくれないか」

 

何故か提督が謝る形になって、妖精さんたちは慌てた。

 

「あやまらないでください。しかし、わたしたちも、ていとくさんといっしょにとまりたいのです」

「うーん…」

 

果たして、艦娘たちも自分がここへ泊ることを望んでいるのだろうか。

確かに、彼女らの好意を受け取ることは最近になってようやく慣れてきたというところだ。

 

「ていとくさんも、かんむすも、われわれも、みんながいてこそのまいづるちんじゅふです」

「…」

 

それだけに、彼女らがこうして自分のためにしてくれていることは、あくまで上司への配慮という理由からであって、自分への好意からだとは、とても信じられない自分がいるのだ。

現にそういう艦娘もいることは確かだろう。

自分がもしここへ泊まるとして、迷惑に思う子がいたとしても、それは不思議ではない。

 

(いや…違うな)

 

提督の胸中には、一つの自戒と、新たな決意が生まれていた。

(艦娘のせいにしてはいけない。きっと俺は、自信がなくて、怖いんだ)

 

それは勿論、艦娘たちに嫌われてしまうことが。そして、その可能性があることが。

更に胸の奥を突き詰めると、それは、いつか艦娘たちが自分を必要としなくなってしまうのではないかという不安に帰結した。

 

「ていとくさん」

 

手元では、決死の表情をした妖精さんが自分の指を掴んでいる。

自信に満ち溢れているようで、その実、少し怯えている。

それはきっと、妖精も、提督も、そして艦娘も、心情は一緒だった、ということだろう。

 

「…ああ。そうだな」

 

まだ、それは単なる予想でしかなかったけれど、提督は、妖精に微笑んで言った。

 

「ありがとう。おかげで決心がついた」

「そ、それでは」

「ああ。艦娘たちに、受け入れてくれる部屋がないか頼んでみるよ」

「おおぉ…」

 

隠れて見ていたのか、話していた妖精の近くの岩の影から、他の妖精が歓声を上げて殺到してきた。

 

「やりましたねたいちょう」

「しんじてました、はい」

「ていとくにもたいちょうにも、いっしょうついていきます」

 

しらじらしい言葉を掛けられ隊長妖精は不満げであったが、どこか嬉しそうでもあった。

その姿を見つつ、提督は湯から上がる。

 

「艦娘たちには俺から話す。他言無用だ」

「「りょうかい」」

 

涙を流す妖精たち。提督とともに長年の鎮守府運営を支えてきた隊長妖精は、その潤んだ瞳で、若い提督の成長に感動していたのだった。

 

(ついに、ですか…)

 

 

──────帝国ホテル内、宴会場

 

風呂や身支度、そして欠員がないことを確認した艦娘たちは、予定通り旅館内の宴会場へ集まりつつあった。

部屋は広く、100人を超える大所帯もすっぽりと覆ってしまうほどの大きさ。これを貸し切ることがどれほどの事なのか、艦娘たちは見当もつかないでいた。

 

「···何?」

 

各部屋の点呼状況を確認していた長門は、睦月型長女から件の話を聞き、顔を顰めた。

 

「これは大変なことになったわね」

 

同伴していた陸奥も、普段の冷静さが隠れ、明らかに焦りの色が浮かぶ。

 

「まさか部屋が漏水で使えないとは···。仕方ない、神通」

「ここに」

 

作戦時のような真剣な表情に応えるように、どこからともなく神通が長門の背後に現れる。

 

「各艦の点呼が確認でき次第、手筈通りに艦娘を配置。我々艦隊司令部はこの案件を緊急のものとし、宴会開始までの残りの

時間で解決法を探る。現場は任せた」

「承知致しました。お任せ下さい」

 

そう言って、音もなく姿を消した神通。

相変わらず、彼女を相手にはしたくないものだ。

 

「···それで、司令部ってのは?」

 

陸奥が尋ねる。真剣な面持ちなのは、彼女も変わらない。

 

「ああ。それは無電で知らせる。陸奥、お前も来い」

「ええ、勿論」

 

翻し、踏み出した長門の足取りは重く、この事態が艦娘たちにどれほどの影響を与えるかを示しているようだった。

 

────────────────────────

 

「···そんな、まさか」

 

集められたラウンジ内、大淀が驚愕の表情で呟く。

 

「全くの予想外だ。提督から我々艦娘の誰にもその情報が伝わっていないことを鑑みると、このままどこか別の宿へ宿泊する可能性が高い」

 

長門が悔しそうに口にする。集められた精鋭の艦娘たち、通称司令部に焦燥感が高まる。

 

「そんな訳にはいかないデース!せっかくの慰安旅行なんだから、提督が楽しめないなんテ」

 

金剛型からは長女と末妹が。金剛に同調するように、霧島は眼鏡をクイッと上げる。

 

「しかし、どうしますか。提督も恐らく無理やり自分が泊まることを望んではいらっしゃらないのでは」

「ええ。あの提督のことですものね···」

 

深刻そうに、第一航空戦隊からは赤城、加賀が頭を悩ませる。

 

「とにかく、既に提督が行動に出ていると打つ手がない。事情を詳しくお聞きするのだ」

「そうね。そして、今の私たちで、提督がここに泊まることできるように、できる限りの最善策を用意する···でしょ?」

「ああ」

 

長門の考えを汲み取った陸奥がウインクする。

 

「それなら、やはり皆さんに伝えることも必要ですわ」

「はい。それは私たちに任せて下さい!」

「僕も微力ながらお手伝いするよ」

 

最上型の熊野、そして初期艦の吹雪、白露型からは時雨が頷く。

 

「よし。それでは、作戦立案を大淀の進行のもと我々長門型、金剛型が担う。提督を探し出し、詳しい経緯の報告任務に一航戦があたり、集合場所の神通の援護と艦娘たちへの連絡は熊野、吹雪、時雨に任せる。それでは···総員散開ッ!」

 

次々と飛び出す艦娘たちは、その使命に燃えていたのだった。

 

 

 

──────帝国ホテル内、大浴場・更衣室入口付近

 

「ふぅ···」

 

髪をかきあげ、浴衣に着替える。

ひんやりとした空気が湯で火照った身体に心地よい。

とはいえ、湯冷めしてはいけないのでと、妖精さんがわざわざ羽織ものを運んできてくれていたらしい。

 

(後でお礼しないと···色々と)

 

妖精さんのお陰で、踏ん切りがついた。

本心を言うとやはり少し不安があることは否めない。けれど、もし、彼女たちが自分の思いを受け入れてくれるとしたら。

それは彼にとって、何よりも嬉しいことなのだ。不安はあるが。

艦娘たちにどのように切り出そうかと考えながら入ってきた男湯の暖簾をくぐると、右手の女湯の方から走ってきた少女にぶつかった。

 

「むぐっ」

「おうっ」

 

胸元に激突する少女の威力に、何故か島風のような声が出てしまった。

 

「···いてて···おお、君は」

「あっ、す、すみません!って、司令官!?」

 

少女は、我が鎮守府の艦娘であった。

 

「大丈夫か、綾波。不注意だった。すまない」

「い、いえ!私の方こそ、廊下を走るのは良くないですよね。申し訳ありません」

 

ぺこぺことお互いに頭を下げ合う謎の儀式を一通り終えると、二人は顔を見合わせて笑った。

 

「ふふ。まあ、綾波自身も怪我をしなくて済むからな。特に公共の場では気を付けよう」

「はいっ!」

 

敬礼した綾波の頭を撫で、同時に降って湧いた疑問。

 

「ところで、急いでどうしたんだ?」

「···あっ、そうでした!し、司令官が···!」

 

思い出して慌てた綾波は、提督の顔を見て、目を丸くした。

 

「し、司令官!」

「お、おう。俺が、どうした?」

「み、皆さんが探しているんです!今日のお部屋が漏水で使えないって、本当なんですか!?」

 

ぴょんぴょん跳ねる綾波をどうどうと落ち着かせつつ、提督は答える。

 

「ああ。その事か。どうやらそうなんだ、宴会の時に、皆に連絡しようと思っていたんだが」

「とっ、とりあえず、こちらへ!」

 

自然に綾波に手を引かれ、廊下を進んでいく。

この後彼を待ち受けるであろうあの混沌を、提督は未だ知らずにいたのだった──────

 

 

 

「あっ、提督!」

 

綾波と共に進んだ廊下の先、ラウンジ前には赤城と加賀が。

 

「綾波さん、ありがとう」

「いえいえ。偶然居合わせたので。携帯で回ってきた連絡を見て、私もビックリしました」

 

綾波が微笑んで話す内容に衝撃を受ける。

 

「そのことがもう伝わっているのか」

「ええ。皆知っているでしょうね」

 

すまし顔で言う加賀。

 

「提督、もう隠せませんからね。私たちにも協力させて下さい」

 

同調するように、赤城が少し強めの口調で言った。

 

「隠すつもりはなかったんだが···実のところ、俺も何とかここへ泊まらせてくれないかとみんなに頼む予定だったんだ。だから、そうしてくれると何よりだ」

 

その言葉に、一航戦と綾波はきょとんとするばかり。

 

「···どうした」

「て、提督が積極的だなんて」

「これは変ね。いつもの提督ではないわ」

 

訝しげな(実のところは嬉しさに震える)目線を送る面々。

 

「あ、あぁ···やっぱり泊まるのは流石に我が儘だったか」

 

曲解しそうな提督の手を取って、綾波は紅潮した面持ちで言った。

 

「そ、そんなことありません!綾波もそれが良いですっ」

「そうなのか?」

 

一航戦の方を振り向くと、彼女らははっとして頷くばかり。

 

「も、勿論です」

「そうね···まさかこうくると思ってはいなかったけど···むしろ好都合です」

 

加賀の、後半の台詞は聞き取れなかったものの、どうやら了承は取れそうな感じではあると安心する。

 

「とにかく、長門さんのところに参りましょう。少し話し合いを」

「話し合いまでしてくれているのか。気を遣わせて済まない」

「この件は仕方の無いことよ。気にしないで」

 

いつの間にか隣にいた加賀が、ぶっきらぼうに言う。

 

「···そうか。ありがとう」

 

────────────────────────

 

「おお!提督、探していたぞ」

卓上に手をついて立ち上がった長門。

他の面々───隣に座る陸奥と、金剛に霧島、そして大淀が起立し、敬礼を見せた。

 

「作戦中でもあるまいし、敬礼はいいさ。どうか楽にしてくれ。 詳しい話は 赤城から聞いている。俺も、何とかここへ泊まれないかと思っていたんだ。夕食前に時間を取って君たちに聞くつもりだった」

 

そう言うと、長門たちは揃って赤城たちと同じ表情をした。

皆が同じく目を丸くしているものだから、少し笑ってしまう。

 

「やっぱり似合わないことを言ったようだ、赤城」

「ええ、普段の提督なら絶対に言わないようなことですし···」

 

それでも皆さん嬉しいんですよ、と付け加え、朗らかに笑う赤城。

 

「···何か心境の変化でも?」

 

長門が真剣にそう言うから、更に笑いがこみ上げる。

 

「大したことはない。ただ、妖精さんと少し話してな」

 

恐らく、彼らの存在がなければ今ここに自分はいないだろう。

一歩踏み出す勇気をくれた妖精さんには、感謝しかない。

 

「君たちさえよければ、なんだが」

「そ、それはつまり···」

 

垂涎しかける金剛の口元を拭く霧島。

 

「いいいい、一緒の部屋に···、ってことですかぁ!?」

 

ちゃっかり付いてきていた綾波が、顔を真っ赤にした。

 

「落ち着け。一部屋分の艦娘たちを、それぞれ他の部屋に割り振るということも出来る」

 

冷めやらない綾波の興奮を抑えるように長門が言った。

しかし、彼女の内心もまた、金剛同様に穏やかではない。

 

(相部屋···か。胸が熱いな」

 

「本音ダダ漏れじゃない···あ、私はもちろん歓迎よ?」

 

陸奥がウインクする。その目線は当然提督に向けられていた。

 

「まあ、そうなれば俺は床にでも寝させてもらうさ。簡単に言えば、泊まるところだけあればいいからな」

 

勿論、先程長門の言った案も視野にはある。

迷惑な話ではあるが、後日お詫びとして届く、このホテルの宿泊券があるようなので、部屋を譲ってくれた艦娘たちにはそれを渡そうかと考えていた。

 

「oh、そんな事言わずに是非ワタシと一緒のbedでああああぁァ!!」

 

霧島に締めあげられる金剛。

 

「全く···」

「ま、まあそこまでいかなくても、余分な布団くらい用意できると思いますよ?」

 

呆れる加賀と、困ったように笑う赤城。

 

「となると、やはり部屋に提督を招く形で、そして余分の布団を用意できる和室の方がよろしいですか?」

「ああ。もしそれでも良い子たちがいれば、そうさせてもらおう」

 

提督は少し、安心していた。

非常識な頼みであることは分かっていたのだが、やはり今まで良好な関係を保ってやってきた艦娘たちにこの件で気を遣わせて、嫌な思いをさせることは堪える。

言葉だけでは分からないとは言いつつも、見たところ艦娘たちの中に本気で嫌がっている子はいないようだ。

 

「では、そうしよう。それでは、どの部屋にするか、だな」

「ここで決めてしまうことも出来るけど···。」

 

陸奥がちらりと金剛の方を覗く。

 

「ガルルル···」

 

そこには文字通り金剛力士像のような目をした金剛が。

 

「ひっ」

 

綾波が怯える。

 

「こら、やめないか。提督、夕食前の一言の時間にでも」

「ああ、そうしよう。恐らくあまりいないと思うが···もし複数いたら、決め方はどうする?」

「それこそ、バスの座席と一緒で籤にしましょう」

「そうね。部屋の代表が引きに来る形で」

 

大淀の提案に頷く一同。

そんな風にして、風雲渦巻く一大決戦が、この京都の地に幕を開けたのである。

 

 

 

──────帝国ホテル内 宴会場

 

夕食の時間、艦娘たちは吹雪たちの指示のもと、既に宴会場に集合ししていたのだった。

 

「静粛に。提督から一言頂く。一同、敬礼」

 

色とりどりの浴衣に身を包んだ艦娘の視線が、上座に集まる。

 

「ああ、皆、今日は楽しめただろうか。残りの二日、この旅行で日頃の疲れを取って欲しい。それでは、グラスを」

 

艦娘たちは提督のするように、手元のグラスを手に取った。

 

「いつもお疲れ様、乾杯」

「「かんぱーい(っぽい)!」」

 

艦娘たちの元気な声が部屋に響く。

提督としては彼女らの笑顔が何よりであった。

冷えた麦酒やら、駆逐艦らはサイダーやらを一口、口に運ぶ。

 

「「っはー!」」

 

皆が皆、同じように言って笑う。そうして食事が、始まる筈だった。

 

「静粛に。まだ話が終わっていないぞ」

 

長門の声に、艦娘たちは不審な目を向けた。

 

「まだあるのかい?」

「あれ、なにか忘れてたことあったっけ」

「むー、早く飲ませろってぇ」

 

不思議そうにする者から、不満を垂らす者。

全ての者をこの一言で、長門は沈黙させた。

 

「提督の今晩の部屋のことであるが」

 

────────────────────────

 

現在、二三三〇。

ぎりぎりまで入室を控えた提督が、少し遠慮がちにその艦娘たちの部屋に足を踏み入れた。

 

「あっ!提督、いらっしゃいです!」

「お邪魔するよ。今晩はすまんが厄介になる」

「厄介なんてとんでもない。災難だったな」

「···」

 

妹たちが提督と言葉を重ねるのを、彼女はどこか緊張した面持ちで眺めていた。

 

「···秋月姉さん?」

「ひゃ、な、なに?」

 

妹の涼月が、不思議そうに訊いてきた。

 

「大丈夫ですか?体調が悪いのかしら」

「あ、だ、大丈夫大丈夫···」

 

自分の額に手を当てる天然な妹。

大丈夫だと言ったものの、実のところ大丈夫ではない。

鎮守府の防空担当として、凛々しい姿を見せてきた秋月ではあるが、素顔はなんのことはない、ただの恋する美少女である(初月談)。

秘密裏に取引される提督君グッズは数知れず、部屋のベッドの布団の中にはぬいぐるみがあり、本棚の奥の方にはブックカバーに包んだ写真集が入っている。

比較的大人しく、天然な照月と涼月は未だにそれには気付いていないものの、普段の反応を見ていればバレバレである。

妹として、姉の体裁を守るのは義務だと考える初月はそのことを内緒にしてはいるものの、肝心の本人の恋心が丸見えな以上

(提督本人には隠せているのが不思議で仕方が無いが)、果たしてそのことに意味はあるのかと一人思案していたりする。

 

「···」

 

(姉さん、ここがチャンスだぞ···)

 

提督から目線を姉に向けるが、やはり顔を真っ赤にするだけだ。

焦れったいが、少しずつ慣らすしかないだろう。

 

(姉の恋路を成功させるのも、妹として一興だな)

 

内心苦笑して、今日ばかりは彼女に手を貸すことにした。

 




この間の初秋イベで秋月型をコンプしました。
冬月なんて実装された日には、史実公認の涼×冬百合カップルが爆誕してしまう…(期待)


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第二十五話 鎮守府旅行編 #4

申し訳ないです。PCの不調で、立ち上げに時間が掛かってしまいました。



「それにしても、漏水とはね」

「ええ。こんな由緒正しいホテルでもあるんですね」

「まあ、滅多にないだろうな。今回ばかりは、山城に慰められてしまった」

「まあ、うふふ。あの山城さんが」

「意外ですねぇ」

 

宴会後、許可を得て(内心断られるかとびくびくだったことは言うまでもない)提督は秋月型の部屋で泊まることになった。

日付も変わろうとしている二三四五、四姉妹に提督を加えて話は盛り上がっていた。

 

「初月は着任したばかりだが、なにか困ってることはないか」

「ああ。姉さん達もいるし、なによりこの鎮守府の皆は優しい」

 

どうやら遠慮しているわけでもなさそうだ。

その自然な表情に、提督は安心するのであった。

 

「それは良かった。うちは対空戦が得意な艦娘が少ないから、初月も気づいたことがあったら積極的に言ってくれ」

「ああ。任せてくれ。対空射撃は僕達の仕事だからな。なっ?秋月姉さん」

「···ふぇっ!?な、なに!?」

 

ぼうっとしていたのか、不意打ちをくらったように慌て出す秋月。

 

「大丈夫か?」

「もー、秋月ねえ、バスの中であんなに寝たのにまだ眠いの?」

「あ、ああ!気にしないで下さい、少し考え事をっ」

 

両手を振って誤魔化す秋月。どこからどう見ても顔が真っ赤だ。

 

「···?」

「提督が来て緊張しているんだ、気にしなくてもいい」

「へあっ!?」

「気を使わせてたらすまんな、嫌な思いをしていたらすぐに言ってくれよ」

「いいいいいいえ!私は大丈夫ですう!」

 

ますます不自然に慌てふためく秋月に、こりゃダメだと初月が額に手をやった。

 

 

──────――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

日をまたいでも、秋月型の姉妹の話は尽きないようだ。

 

「提督って、いつもお仕事してるけど、いつ休日なんですか?」

「いつもってことは無いぞ。最近は皆のお陰で日曜が休みになることか多くなった。感謝だな」

「つまり、それ以外は仕事してるんだろう?」

「この前の秘書艦業務は、日曜日もありましたから···毎週という訳ではないようですし···」

 

苦笑する初月と涼月。

 

「こ、この秋月もお手伝いしますから!いつでもお呼びくださいっ」

「おう、助かるよ。ありがとう」

 

時間も経ち、漸く秋月も慣れてきたようである。

 

(その調子だ秋月姉さん)

 

目線で親指を立てる初月に、秋月は緊張の面持ちで頷いた。

 

「むー、折角の旅行なんだし、お仕事のことは忘れましょう?」

「それもそうか」

「そうだな···そうだ、僕は提督に聞きたいことがあるんだ」

「ん?何だ?」

 

初月は至って笑顔のまま、爆弾を投下する。

 

「提督の好みのタイプが知りたい」

「!?」

 

その時、空気が凍てついた。

 

「お、お初さん、それって···」

「いいねー!そういうのそういうのっ!」

といっても、天然娘の照月は意に介していないようだ。

「こ、答えなきゃダメか」

「うんっ!照月、知りたいかなって」

「艦娘たちの中でも話のタネだ。僕も知りたいな」

「こ、こら!提督がお困りだからいい加減に…」

「そ、そうですよお初さんに照月姉さん…」

 

流石にと思った秋月たちが止めに入るが、口元が緩み切っているので、何というか、止め方が適当である。

 

(日頃あれだけ真面目な秋月ですらこうだしなぁ…やはりもう少し艦娘たちの距離を縮めるべきなのだろうか)

 

全く見当違いな思考を進める提督であったが、何はともあれ四姉妹の思惑通りにコトが進むようだ。

 

「ええと、それは艦娘の中で、ってことか」

「っ、提督ぅ!?」

 

秋月が思わぬ一言で喜びの驚嘆句(言葉にならない)を漏らす。

 

「そ、それはっ…!」

 

意外に思ったのは他の三人も同じなようで、皆一様に目を大きく開いて、輝かせていた。

理由はそれぞれ違うようだが。

 

「えーっ!?提督、好きな人いたのぉ!?」

 

うそーっ、というように照月が口元を両手で覆う。

 

「意外だ。提督は恋愛に疎そうなイメージだったが」

 

初月までもが、耳をぴょこぴょこさせて詰め寄っている。

 

「ざ、残念ながらそういう子はいないぞ。仮にも部下であり、大切なお国の艦だからな」

 

焦りと困惑混じりの笑みを返した提督。

 

「なんだ、そっかぁ…」

「だと思ったよ。お前はそういうタイプではない」

 

心底残念そうにする理由が分からないが、青葉に似たような、ゴシップ好きな女の子らしい側面からなのだろうか。

 

「流石にな。これはどこの提督も同じだと思うぞ」

 

なんとかやり過ごした提督。

呉の提督が浦風と大本営公認の恋仲であることを思うと、彼女らがそのことを知らない比較的新参で助かった。

 

「でもでもっ!」

 

しかしまだ追撃の手を緩めない照月。

 

「もし私たちが艦娘じゃなくて普通の女の子だったら、どう?」

「!?」

 

とてつもない爆弾が投下された。

 

「え、っとだな…」

「心配するな提督。ここで言ったことは絶対に僕たちだけの秘密さ。約束する」

なっ、皆と初月が周りの三人に確認すると、照月は笑顔で、秋月と涼月は神妙に頷いた。

「くっ…」

 

提督は、焦る。

この空気では、自分が答えない限りこの場が収束することはない。

対人、もっと言えば対女性会話の少ない提督にも、これだけははっきり言えた。

 

(落ち着け…落ち着け。可能な限り彼女らに不快な思いをさせず、かつ場が白けない方法を考えろ…!)

 

まず、彼女らについて言及するのは避けた方がいいだろう。

直接そういう風に言われるのは、たとえ自分に対して反感や嫌悪感を持っていなくても困るだろう。

 

(艦娘はみんな性格や見た目も良い。ここはなんとか凌げる筈だ)

 

なけなしの語彙を振り絞って言葉にする。

 

「そ、そうだな…」

「「ごくり」」

 

顔を寄せる秋月型の圧力にたじろいでしまうが、続ける。

 

「た、例えば大和は、振舞にも気品があって、大和という名前に負けない大和撫子っぷりだよな。魅力的だと思うよ」

「気品…なるほど」

 

秋月が奥でメモを取っている。

 

「他にはっ!?」

 

尚も詰め寄る照月。

 

「う、えーと…ず、瑞鶴は普段から元気いっぱいだ。日頃の所作も溌剌としていて、力をもらうよ。魅力的だな」

「溌剌としていて、元気がある…なるほど」

 

涼月が奥でメモを取っている。

 

「ふむ…他には」

 

初月は追撃の手を緩めない。

 

「そ、そうだな…鳥海のように、戦闘時と変わらない凛々しさと、気配りができる優しさがあると、こちらも励みになるな。魅力的だ」

「凛々しさ…」

「気配り…」

 

秋月と涼月はメモと対峙するばかりで、なかなか戻ってこない。

ただ、聞き耳は立てているようだ。

 

「えへへ、提督のタイプ、いっぱい知っちゃったね」

「そうだな。意外なところもあったし、男性は鎮守府には少ないから参考になったな」

「俺個人の意見だからな…?ただ、みんなそれぞれ魅力を持っていると思うぞ?」

「「そ、そうでしょうかっ!?」」

 

超速度で反応した奥の秋月と涼月が、他の姉妹を押しのけて瞬時で提督に迫った。

 

「お、おう…?」

 

思いっきり反り返る提督は、何が何だか分からず、また、好みを暴露してしまったことに恥ずかしさを覚えるばかりである。

 

「そうだ」

 

ふと、思いついて意地悪な笑みを浮かべる初月。

 

「な、なんだ…?」

 

嫌な予感を感じつつ、冷や汗をかきながら提督は訊いた。

 

「僕たちのなかで、一番お前の好みに合うのは誰なんだ?」

 

秋月たちが思わぬ発火剤で沸騰したのは、言うまでもない。

 

「あー!、それ気になるぅ~っ」

 

瞳を更に輝かせて照月は同調する。

女の子たちの会話の盛り上がりは、ひとたび火がついてしまうとなかなか鎮火できないようだ。

 

「「…っ!」」

 

秋月と涼月は、ただただ期待と不安の入り混じった表情でちらちらとこちらを覗いては、赤面するだけである。

 

「そ、それは難しいな…さすがに」

「何だ?それは僕たちに女性としての魅力が無い、ということか?」

「ひどーい!照月たち、駆逐艦だけど結構やるのよ?」

 

抗議の目線を送る照月と初月。

後方では秋月・涼月たちの涙目援護射撃付きだ。

距離を詰め続けられる提督はたじたじである。辛うじて少ない言葉を紡いでいく。

 

「そ、そんなことはない。さっきも言ったが、みんな女の子として魅力的だと思う。た、ただ、その、優劣というか、順番をつけるのは…」

「そうか。みんな一様に好きだということだな?」

「お、おう…?」

「嬉しいですけど、何か物足りないよね?秋月姉さん」

「へっ?そ、そうなの!?」

「ああ。涼月も不満そうな顔だ」

「ええっ!?そ、そんなことは…っ」

「…ど、どうすればいいんだ」

 

結局俯いてしまう秋月たち。

それがいったい嫌悪感からくる行動なのか、その他に何か思うところがあってなのか、彼の知りうるところではない。

 

「そ・れ・じゃ・あ…私たちの魅力について、一言ずつもらうっていうのは?」

「おお、いいな。是非聞きたいな」

「ちょ、ちょっと初月…」

「そ、そうですよお初さん、さすがに提督のご迷惑に」

「はいはい。二人共、悪いがさっきと表情が何も変わってないぞ。本当は嬉しいんだろう?」

「「っ!?」」

「何で分かったのって言いたげだけど、バレバレだよ…」

 

コントのような話を続ける四人組の傍ら、提督は一人焦燥感を募らせるばかり。

 

(何の罰ゲームだコレは…心臓が持たん)

 

言葉を選び、慎重に発言してきた提督にとって、一連の詰問はただの拷問なのであった。

決して彼女らとの会話が嫌なわけではないのだが、精神的疲労が甚大である。

すでに半分ほど撃墜されたマインド艦載機たちに最後の攻勢をかける。

 

「さあ。提督」

「わ、分かった。い、言うよ…」

 

せめて彼女らが最小限の不快感を感じるくらいで済むようにと、もてる語彙力を総結集して提督は重い口を開く。

 

「えー···と、じゃあ照月はだな」

「まずは照月か?」

「お~!照月からですか?、嬉しいです!」

 

改めてこの状況を俯瞰すると、色々不味い。見る人が見たら間違いなく罰せられるだろう。

そんな謎の背徳感と緊張感とを彼は背負っていたのだった。

 

 

「そうだな…照月は、天真爛漫っていう言葉がぴったりだと思う。さっき言った瑞鶴に似ているかも知れないけど、仕事で疲れているときも、照月が秘書艦でいてくれたら、俺も頑張ろうって思える。何というか、励まされるんだな」

「そうかなぁ?私はいつも通りなんだけど」

 

首を傾げる照月へ、更に言葉を繋いでいく。

 

「素でそういれることが何より凄いことだぞ。愚痴を零したり、辛そうな表情ひとつ見せない、ってことは大人でもなかなかできることじゃない。ただ元気でいることなら多くの人が出来るかも知れないが、照月はそうじゃない。そう見えて、実は周りの人間の表情をよく読んでいるんだ。相手が何を考えているか、自分なりにしっかり考えて、適切な言葉を選んでいる」

「そ、そうなのか!流石は僕の姉さんだ」

「え、えへへ…なんか恥ずかしいです」

 

提督の語る言葉は、決して嘘ではなかった。それは日頃艦娘たちと接する中で彼が感じたことそのものであり、艦娘たちを心の底から理解しようとしていることが、照月をはじめ四人に伝わっていたのだった。

 

「ああ。でも初月だって良いところが沢山あるぞ。まだ会ってから日は浅いが、秋月型としての艦隊の役割を考え、時には榛名や吹雪に外からの意見を取り入れて努力し続けている。自分が強くなる為に、そして艦隊を守ることに一途だ。尊敬しているよ」

「むっ…そ、そうだな。僕はここに着任してからも、あの戦争を戦っていた時も、秋月型としての誇りと使命を忘れたことは一度もない。艦隊の盾になるこの誇り高き大命、それこそが僕の存在意義だ」

「まあ、俺としてはもう少し肩の力を抜いてほしいところではあるが…話は戻るが、初月はそういう愚直さがなによりの長所だ。信頼できるし、一緒にいて安心できるんだよな」

 

提督の心には、妖精さんの言葉が何度も反芻されていた。

 

 

「ていとくさんも、かんむすも、われわれも、みんながいてこそのまいづるちんじゅふです」

 

 

多少の恥ずかしさを覚えていたにせよ、提督にもはや躊躇いはなかった。

 

「そ、そうか…なかなか分かっているじゃないか」

 

胸を張る初月。なかなか満足そうである。

きっと、思ったままでいいのだ。

 

「これからも期待しているぞ」

「っ…ああ!」

 

初月の肩を軽く叩く。今まではきっと躊躇っていただろう。当たり前だ。会って間もない男に肩に触れられて、いい気はしないのは当然だ。

しかし、艦隊を指揮する立場としても、一人の人間としても、自分は、きっとこの魅力的な艦娘と話をしたいと思う。

正直になること。

思い切って、近づくこと。一歩踏み出すこと。

妖精さんは、その勇気をくれた。

間違いを恐れてはいけないということを、教えてくれたのだ。

 

「さ、さて!次は涼月姉さんだ。提督、頼むぞ」

「ええ!?ちょ、ちょっと待っ…!」

「そうだな、涼月は…」

 

考え始める。

涼月の普段の姿、何気ない姿。

それは提督自信が思い浮かべる姿であって、涼月本人のもつ「自分」だとか、艦娘にとっての「涼月」ではない。

それでも、一人の人間として、一人の涼月と対峙した時、話した時に感じた、この思いを伝えたい。

涼月が知らない自分自身を、伝えてあげたい。

 

「艦としてのことはよく知っている。あれだけの苦しい闘いを、よく乗り越えてくれたな。本当にありがとう」

「えぇっ?あ、ありがとう、ですか!?」

「ああ。それが今、ここにいる君を形作っている。人一倍強い心を持っているから、優しさも人一倍になる。知っているぞ。秋月たちや霞、初霜たちにしょっちゅう料理してくれているんだろ?特に朝潮型なんかは練度が高いから、任務も多くて、疲れて帰ってくると霞以外部屋にいない、なんてこともある。そんな時に、涼月が来て、一緒に料理を食べてくれる…本当にありがたい、嬉しいことだと、霞は言っていたよ」

 

霞らしくないその言葉に、照月は驚いた顔をしている。着任して間もない初月も同じだ。

 

「そ、そうなのでしょうか…私はただ皆さんのお役に立てればと…霞さんもあまり」

「あれは照れ隠しだろうな。ここだけの話、涼月の話をする時の霞は、笑っているんだ」

「えっ!?あの霞ちゃんが?」

 

一体霞の艦娘のイメージはどうなっているのか気になるが、おそらく悪いものではないだろう。

それは誰よりも自信を持って、提督としての自分が言えることだ。

 

「ああ。いつもありがとうって伝えたいけど、どうにも恥ずかしいみたいだけどな」

「へぇ···いいこと聞いちゃったかも」

「そうなのですか···迷惑じゃなかったようで、一安心です」

 

涼月は、ほっと胸を撫で下ろしていた。

その姿が、言葉が、かつての自分と重なる。

 

「大丈夫さ。涼月の料理が嫌いな奴なんて、いないと思うぞ」

「そうさ。姉さんの料理は鳳翔さんのとも引けを取らない。この初月が保証しよう」

「み、皆さん···」

「料理は真心が肝要というからな。涼月が料理を作る人のことをしっかり考えて、真正面から向き合ったからこそ、皆が美味しいと感じるんだ」

 

家族が作る料理なんて、資格を持つ凄腕の調理師に敵わないのが当たり前だ。専門職ではないのだから。

だが、その差を埋め、そして超えるものがあるとすれば、間違いなく届ける人への愛情だろう。だからこそ、それを食べた人は美味しく思える。そして、ふと思い出すと、どうしようもなく懐かしくなるのだ。

 

「私も手伝えるようにするわ。いつでも言ってね、涼月」

「は、はい」

「涼月の料理、美味しいよねぇ。また食べたいな」

「ああ。今度は僕らも手伝おう」

「うん!私もお料理できるようになりたい!」

 

三人には、涼月の味がすっかり染み込んでいる。

きっと、作り手のように、体を常に労わってくれる優しい味なのだろう。

 

「これだけの証人がいることだ。涼月の芯の通った優しさと、どこまでも真摯なところが魅力的なのは、嘘なんかじゃない」

「~~っ」

 

提督はそう言い切って、涼月に微笑みかけた。

嘘偽りなく放った言葉が涼月の言葉にどう響いたのかは分からないが、それを聞いた涼月本人は耳まで赤くして布団に包まるのだった。

 

「あ、ありがとうございますっ」

「す、涼月?」

「あれは喜びに打ち震えているんだ。今はそっとしておいてやってくれ」

「そ、そうなのか?とにかく、これは俺の本音だ。お世辞なんかじゃないということを、涼月に分かって欲しかったんだが」

「充分すぎるほど伝わってますっ!やっぱり提督のおっしゃることは違いますなぁ」

「て、照月…涼月!これは本当のことだぞ!嘘じゃない!涼月は本当に誰にも優しくできて──────」

「わ、分かってますぅ!分かってますからぁ!ありがとうございますうっ!」

「…?」

「お前、涼月を殺す気か?」

「な、何故そうなる」

 

ジトっとした目線を提督に送る初月であったが、呆れたように嘆息するばかり。

照月に聞こうにも、あまり彼女は飲み込めていない様子だった。

 

「…まあいい。それでは最後は秋月姉さんだ。提督、ぶちかましてやってくれ」

「ええ!?」

「表現が悪いな…えっと、秋月はだな」

「ひゃいっ!?」

 

提督と視線が重なる。秋月は、心の奥を射抜かれたようで動けない。

彼の言葉を、固唾を飲んで今か今かと待ち受ける。

秋月にはそれが、永遠のように感じられたのであった。

 

────────────────────────

 

「う…ん」

 

秋月は、薄く目を開けて、ゆっくりと起き上がる。

ふと布団が掛っていることに気が付く。

 

(あれ…私、いつの間に寝てたんだっけ)

 

部屋の電灯は消されており、隣で寝ているのであろう妹たちの、静かな寝息が聞こえてくる。

すぐ隣の照月の、なんとも心地よさげな寝顔に和んでしまうが、問題はそこではない。

 

「っ、そうだ、提督は」

 

辺りを見回すが、この部屋にはいないようだ。

 

「─────ああ。お陰でうまくいったよ」

 

その時、部屋の奥、窓側から提督の声が漏れ聞こえた。

 

(提督の声…しかし誰と)

 

そっと、向こうの間を遮る障子の近くへ足音を忍ばせて近づく。

純粋に、彼が誰と話しているのか気になったからだ。

 

「…おっ、秋月か」

「ひゃっ!?」

 

と、一瞬で看破されてしまった。

 

「な、どうして分かったんですか?」

「ああ。彼らさ」

「彼らって…あ、妖精さんでしたか」

 

彼と酒を酌み交わし談笑していたのは、どうやら妖精さんだったらしい。それも一人だ。

 

「あきつきさん、こんばんわ」

「こ、こんばんは。ところで、お二人は何を話されていらっしゃったんですか?」

「せけんばなしをしょうしょう。なんでもないはなしです」

「酒もあることだしな。少し思い出話も」

「そうなんですか」

「ああ。秋月もどうだ。確か酒は飲めたんだったか」

「えっ!?あ、はい!喜んで…と言いたいですけど、お酒はちょっと苦手で」

「あるはらはいけませんよ」

「流石に心得てるよ。確か冷蔵庫に何か」

「そ、そんな、贅沢ですよ!」

「こんな時くらい気にするな」

 

ジュースの小瓶を冷蔵庫から取り出した提督。

妖精さんが渡してくれた栓抜きを使って、グラスに注ぐ。

 

「あんまりみためがかわりませんね」

「確かに···」

「丁度いいだろう。ほら、乾杯」

「かんぱーい」

「あ、ありがとうございます」

 

規則正しい生活を送る秋月は、このような深夜の珍しい体験に、神妙な面持ちだった。

 

「それにしても、ていとくがほめちぎりすぎたせいで、さいごまですずつきさんはふとんのなかでしたね」

「そのまま寝たんだっけか。特にゲームとかはしなかったな」

「そ、そうでしたね···って、妖精さんも聞いてたんですか!?」

 

聞き捨てならぬ妖精さんの口ぶりに、秋月は触れた。

提督の放った言葉の、内容が内容だけに慌てていたのだ。

 

「ええ。もちろん、あきつきさんのときも」

「そ、そんなぁ···あうう」

 

寝る前に聞いた提督の言葉を少しずつ思い出し、羞恥に身悶えする秋月。頭を抱えている。

 

「謙遜するなよ。嘘じゃない。長女としての心構え、そして責任感。どの艦娘に接する時も、それを感じさせる。普段からそう心がけることが当然になっているからこそ、皆から尊敬が集められるんだ」

「は、はいぃ···」

 

たじたじになっている秋月。

そんな彼女を認め、称える提督の言葉は、確かな温もりを感じさせた。

もちろん、少し酒が入っていたこともあるが、そこには嘘偽りなどない。

 

「あまりながすぎると、あきつきさんがはっかします」

「発火か。それは困るな」

「そ、そうかもです···」

「それでは、短くまとめるとするか」

「そうですね···って、まだあるんですか!?」

「当たり前だ。着任した時から秋月はそういう姿勢を崩さなかった。だからこれは、やっぱり秋月本人の確かな自覚と、信念に因るものだ。俺はそういう、艦娘たちの向上心を支えたいと思っていて───」

 

この後も、酒とジュースを交えつつ、幾度となく提督の艦隊と秋月の自慢話は続いた。

普段は見られない提督に新鮮味を覚えている秋月だったが、やはり褒め殺しされるのは慣れていないようで、彼女が悶えに悶えて、妖精さんがそれに苦笑する光景は、想像に難くないのであった。

 

────────────────────────

 

「···おっ、つきです。まんげつ」

「丁度雲から顔を出したんですね。とっても綺麗です」

「本当だな。やっぱり京都で見るからか、なんだか鎮守府よりも輝いて見えるな」

 

ふと窓から見える雲間から姿を覗かせた月の輪が、眩しく市街を照らす。

妖精さんが渋い顔で日本酒を啜っているのはなんだか一周回って風雅さすら感じさせる。

勢いよく杯を呷った妖精さんがぽつりと零す。

 

「あきつき、ですね」

「はい?」

「秋の月という意味だろ?」

「あ、そういうことですか。確かに」

 

言われてみれば、という表情の秋月。

視線を移すと、妖精さんがかなり酔っているようだ。持っている杯の酒が波うっている。本人もかなりぐらぐら来ている様子だ。

 

「…大丈夫ですか?」

「仕方ない。用意してきたものがある」

 

そう言って、部屋の奥に置いてあった提督バッグから、小さなカゴを取り出した。

中には小さめの毛布などなど。

 

「ほれ、水も傍に用意しておく。入ってくれ」

「ありがたきひあわへ」

 

呂律の回らない妖精さん。

布団に入ると秒もしないうちに寝入ってしまった。

 

「は、早い…くしゅん」

「少し寒いか。もういい時間だしな、そろそろお開きに…」

「だ、大丈夫です!も、もう少しお話ししましょう!」

「そ、そうか。でもとりあえず羽織着てくれ。ほら」

 

ここぞとばかりに初月から教わったハングリー精神を発揮する秋月。

深夜テンションに飲み込まれた秋月は無敵だった。

 

「…そうだな。俺が話し出すとまた自慢話になってしまうからな。何か最近あったことと言えば」

「あっ、それならお聞きしたいことが。最近加入された酒匂さんなんですけど、初めて会った時に、提督が担がれていたのって、どうしてですか?」

「ああ。それはだな。海域で助けたときに意識がないって言うから、急いで医務室まで運んだんだが…何のことはない。運んでる時にやたら低い音がすると思ったら、お腹が空きすぎて意識がなかったらしい」

「うふふ。酒匂さんらしいです。この間もですね…」

 

 

二人の四方山話が終わりを迎える頃には、夜も明けて綺麗な秋空が広がっていたという。

 




次回最終回です。


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第二十六話 鎮守府旅行編 #5

遅れて申し訳ありません…。
記念掲載シリーズ最終回です。


舞鶴第一鎮守府の慰安旅行、二日目。

翌日は昼のうちに舞鶴に戻るため、一日中この古都を楽しめるのは今日だけとなる。

ただでさえ多忙を極める鎮守府が、三日間も稼働を停止できるのは、ひとえにその戦果報酬が重大なものであるからだ。

提督はそのことについて、皆のお陰だと言って多くを語らなかったが、艦娘たちには、おおよそそれが提督一個人の努力に起因するものなのだろう、と思うと同時に、彼を誇りに思う者が少なくないのであった。

 

「さて、着いたな」

「はい。なかなか歩きましたね」

 

鴨川の岸辺から通りを抜けて祇園をゆっくりと楽しみ、歩くこと一時間ほど。

距離は結構あったのだが、談笑しているうちに到着してしまった、というのが本音である。

提督は、隣を歩く艦娘───鳳翔を見やった。

 

「俺はそれほど疲れなかったが、鳳翔は大丈夫か。慣れなかっただろう。長時間歩くのは」

「いえ。平気ですよ」

 

少し胸を張って答える鳳翔に苦笑する。

その様子がなんとなく彼女らしくないように思うが、それだけ楽しんでくれているということだろうか。

 

「よし、それじゃあもう少し行くか。この坂を越えたら見えてくるぞ」

「はい。楽しみです」

 

秋晴れの祇園の空。

二人は、舞い落ちる紅葉に導かれて、足並みを揃えて清水寺へ進んでいく。

 

 

 

 

しばらく坂を上っていると、店がちらほらと見受けられるようになってきた。

 

「鳳翔、この辺りから土産屋があるから、買いたいものがあれば俺に言ってくれよ」

「い、いえそんな…自分で買えますし、私だけ買って頂くわけにも」

「いいさ。いつも艦隊のために夜遅くまで頑張って貰っているんだ。こんな時くらい贅沢したっていい。皆も納得してくれるだろう」

「そ、そうでしょうか…それなら、お言葉に甘えて」

 

鳳翔は戸惑いがちに提督を見上げたが、労いの言葉を掛けると、嬉しそうにしていた(内心の喜びようといったらお察し)。

実のところ、鳳翔をこの清水寺を含むコースに誘ったのは、他ならぬ提督自身なのであった。

事の発端といえば、昨日の隊長妖精の言葉だろうか。

夕食のときにこっそりと鳳翔の元を訪ねた提督は、その旨を口ににして、鳳翔のテンションを無限の彼方へと飛ばしてしまったのだった。その理由は提督には伝わっていないようであったが…。

 

「ああ。というか、最近休めているか?新規加入艦も増えてきているから、店の方も忙しくなると大変だろう」

「大丈夫ですよ。この間も妙高さんと初風さんがいらっしゃって、手伝って頂きました。本当に助かりましたよ」

「それはまた不吉なメンバーだな…まあとにかくだ。負担が軽くなるようであれば、そういう当番も用意しよう」

「いえいえ。私も前線を退いた身ですし、こういう形で鎮守府に貢献させて頂けて嬉しいんですよ」

 

昨晩の秋月型姉妹の笑顔を思い出した。

彼女らと同じように鳳翔も、笑顔に嘘はないようだった。

 

「···そうか」

「ええ」

 

そんな提督の心境を、知ってか知らずか。

鳳翔は双眸でしっかりと彼を捉え、そして微笑んだ。

 

「お土産屋さん、いっぱいなのです!」

「本当ね。八つ橋に抹茶アイス、わらび餅にお団子もあるわ!行きましょ!」

「Да…食べ物ばっかりだな。それもお菓子」

「待ちなさーい!ちゃんとお小遣いの残りと相談よ!っていうか走り回るなぁ!」

 

ふと坂の下から聞こえてくる声に振り返ると、第六駆逐隊の三人が駆けてくる。

暁が一応止めようとしているようだが、三人とも足が速い。

平日の為、人は少ないといえ褒められたものではないので、彼女らを止めに入る。

 

「あらあら···」

「こらこら。皆。他の参拝客の方もいるんだから、あまり騒ぐなよ」

「あっ、司令官」

「は、はい!ごめんなさいなのです···」

「Извините」

「全く···だから言ったのに」

 

暁が腕を組んで三人の前に立って、頭を下げた。

 

「司令官、ごめんなさい。三人は私がちゃんと見ておくわ」

「ああ、頼むよ。だが、暁たちの班はもう二人···」

第六駆逐隊は、他の軽巡二人と班を構成していたことを覚えている。

その名前を思い出そうとしていると、また声が聞こえてきた。

 

「ま、待ちなさいよ···」

「み、皆さん速すぎ···」

 

息を切らして坂を上ってきたのは、長良型軽巡の五十鈴と阿武隈。

二人とも、この旅行では暁たちのリーダー役として班分けされていたのだ。

 

「おお、そうだ。阿武隈と五十鈴だったな。大丈夫か」

「て、提督」

「この子たちを見るって···元気よすぎて無理···」

 

肩で息をする長良型に、鳳翔が「まあまあ」と包みから持っていたタオルを取り出して汗を拭っていた。

 

「暁たちは止めておいたぞ。気をつけてな」

「ありがとうございます提督…」

「あ、あんたたちぃ…」

「ぴぇっ!?」

「だ、だから走るのはやめましょうって言ったじゃない!」

「今更逃げようとしても遅いよ、雷」

 

この後は五十鈴のお説教タイムが延々と続いていたが、阿武隈が「お二人はどうぞ、お先に…」と言って提督と鳳翔を先に行かせたのだった。

 

 

 

「元気いっぱいなのは良いことだがな」

「そうですね…日頃の神通さんの訓練も厳しいようですし、こういう日でないとはしゃげないのかも知れないです」

 

まるで娘たちを愛でるように、目を細める鳳翔。

艦隊の母と呼ばれ、尊敬される、確固たる所以を提督は感じ取っていたのであった。

 

(こんなこと、口が裂けても言えないが)

 

その昔、鎮守府を引き継いだばかりの頃に、うっかり「まるでお袋さんだな」と口を滑らせたことがある。

瞳を灰色にした鳳翔に、吹雪や響、睦月たちに白い目を向けられながら必死に弁解していた記憶が甦る。

 

「…すまん、鳳翔」

「…」

「…鳳翔?」

 

ふと口に出てしまって慌てたが、鳳翔の返事がない。

不思議になって彼女の方を窺うと、彼女の目線は、参拝路に続く坂の店並びの中の一店に注がれていた。

 

「はっ!?す、すみません提督、先に参りましょう」

 

我に返った鳳翔が先を急ごうとするが、提督はその手を取った。

 

「まあまあ。行こうぜ、折角だから。遠慮するな」

「ううぅ…すみません、こんな、はしたない真似」

「何言ってるんだ。今日は慰安旅行だ。それも俺に付き合ってもらってるんだからさ」

 

その店───団子銘菓の茶屋を指し示して進むと、鳳翔は恥ずかしさに頬を朱に染めて応じるのだった。

 

──────────────────

 

清水寺。

あまりにも有名すぎるこの寺は、778年、僧の賢心によって観世音菩薩の功徳を説かれた坂上田村麻呂によって建立された。

 

「ほおぉ…たっけえぇ…」

 

本堂の参拝を終えてみると、舞台に集まるまばらな参拝客の中から、聞きなれた声が聞こえた。

そちらを向くと、あちら側も提督たちに気付いたようで、手を振っている。

 

「お~い!提督、鳳翔さーん!」

「あっ、朝霜ちゃんに清霜ちゃんですね」

「行ってみようか」

 

二人が夕雲型姉妹の元へ向かっていく。

その所作に何か思うところがあったのか、清霜は神妙な顔つきをしていた。

 

「よう、清霜…ってどうしたんだ」

「なんか、清霜、こういうの本の中でしか知らないけど…」

「…?」

 

これに鳳翔も不思議そうな顔をしている。

 

「提督と鳳翔さん、“ふうふ”みたい!」

「…」

「なっ…こ、こら清霜ちゃん、提督に失礼でしょ!そ、その、夫婦、だなんて…」

 

明らかに口角が上がっている鳳翔だが、それに提督は気付いていないようだ。

 

「ははは。そう見えたのか?俺の方こそ申し訳ない、清霜にも悪気はないんだ」

「い、いえいえっ!」

 

そんなやり取りをする二人に、舞台から戻ってきた朝霜は薄目である。

 

(清霜も呼ぼうと思ったけど…なんだこの甘々空間)

 

提督と鳳翔はまた何か話を始めたようだが、そこにいつもの鳳翔の穏やかな笑みはない。

これぞ恋する乙女と言わずして何というのだろうか。

 

「ほれほれ。清霜、二人の逢瀬を邪魔すんなよな」

「あっ、朝霜ねえ、“おうせ”ってなに?」

「も、もうっ!朝霜ちゃんまで」

 

清霜を引っ張る朝霜は振り返って、提督をねめつけるように言った。

 

「提督…そろそろ気付いてやんねーとみんな収まりがつかねえぜ」

「どういうことだ?」

「あ、朝霜ちゃん!」

 

やれやれと首を横に振る朝霜と、何やら慌ただしく提督をちらちら窺う鳳翔(口角は上がりっぱなし)。

清霜は話をうまく飲み込めていないようで、その純粋な瞳を輝かせるばかりであった。

 

 

 

「この舞台、めちゃくちゃたっけーんだ」

「ああ。確か13メートルくらいだったと思うぞ」

「そ、そんなに!?ここから落ちたら痛そう…清霜、怖くなってきちゃった」

「『清水の舞台から飛び降りる』という言葉もあるくらいですしね」

 

舞台の下を覗いて怖がる清霜を抱き留めて、鳳翔が笑う。

朝霜も先程の提督の思考を同じくして、しかしながら言葉には出さないのであった。

 

「そうだ。清霜、提督に聞きたいことがあったの」

 

ふと、清霜が提督に駆け寄った。

 

「どうした?」

「この前のお正月にお参りに行った…えっとお…」

「靖国神社のことではないですか?新年参拝に行きますし」

「そう!そこは神社なんだよね?けどどうして、ここはお寺なの?お参りするのは一緒なのに」

「ばっかお前。そりゃ日本には神道と仏教があってだな…」

「だって、どっちもお参りするじゃん!金剛さんは、イギリスには、えーとぉ…“いえすさま”にしかお祈りしないって言ってたしっ」

「うぐ…」

 

たじろぐ朝霜に代わって、提督が言った。

 

「清霜は誰にお祈りするんだ?」

「えー…かみさま!」

「そうだな。金剛の故郷…外国だな。そこに神様は、一人しかいちゃいけなかったんだ」

「どうして?」

「神様は偉いだろ?誰が一番かで喧嘩したんだな」

「そうなんだ。日本は?」

「日本の神様は、仲がよかったというか…のんきだったんだな。誰が一番とか、あんまり考えなかったんだ」

「へー。なんか日本っぽいかも」

「うふふ…確かにそうかもしれませんね」

「げえ、そうなのか?」

 

流石の朝霜も、提督と鳳翔の口ぶりに驚いている。

 

「まあ、詳しくは勉強してみるといいんじゃないか?面白いぞ」

「そうですね。日本神話はあまり学校では習わないですし」

 

朝霜も清霜も、士官・艦娘学校の育成コースを経て舞鶴に着任している。

学校の授業形式や過程が分からないので何とも言えないが、普通には習わないだろう。

 

「うん!ついでにこのお寺のお勉強もするねっ!行こ?朝霜ねえ」

「うお、ひ、引っ張んなぁ!」

 

猛然と、本堂の紹介文を掲示する碑に夕雲型姉妹は走っていく。

そんな彼女らを微笑ましく見つめる提督と鳳翔なのであった。

 

 

 

「ん…あれは」

 

鳳翔と更に奥へと散策をしていると、水の流れ落ちる音が聞こえてくる。

 

「なんだか少し涼しいですね」

「この辺りだと…音羽の滝だな」

「音羽の滝…ですか」

「ああ。三種類の流れのうち、一つの水を飲むことで、それに応じた願いが叶うと言われているんだ」

 

そんな話をしながら歩いていると、見えてくる行列。

そこで両人は、再び見知った顔を大量に見つける。

 

「…あの行列…真ん中ですか?」

「そうだな…ってか、あれほとんどウチの…」

 

何のことはない、真ん中の行列は、恋愛成就を祈願する舞鶴第一鎮守府の艦娘ばかりなのであった。

提督は苦笑すると同時に、年頃の娘を持つ父親のような感情に囚われている。

 

(確認したけど、やっぱりあれ恋愛成就だよな…。よく見たら皐月とか駆逐艦もいるし…。好きな子が出来たのか!?)

 

頭を抱えた提督をよそに、鳳翔は胸を高鳴らせる。

 

「…提督、私、行ってきますね」

「ぐおおお…あ、ああ。おう、ちなみに、どこの滝にするんだ?」

 

一抹の寂しさに翻弄される提督は、鳳翔の選ぶ滝が気になって仕方がない。

惜しむらくは、それが恋愛感情に基づいたものでないことだろうか。

ともかく、提督は鳳翔の表情を見逃さなかった。

 

「わ、私は…その…え、縁結びの、方に…」

「」

 

普段あれだけ艦隊の母として、艦娘を支える鳳翔も、やはりこうした一面がある。

それを(対象から自分を外して)認識しただけ進歩であろうか、提督は抜け殻のまま延命長寿の水を飲むのであった。

ちなみに、列に並んだ鳳翔が金剛や大和、蒼龍に質問攻めを食らって怯えるのはもはや予測できることだった。

 

────────────────────────

 

二人は再び祇園方面に戻り、八坂の塔を参拝して、懐石料理店で昼食を済ませた。

鳳翔が居酒屋の新メニューにインスピレーションを得たのか、若干はしゃいでいるのが提督には嬉しかったようだ。

祇園四条駅から鴨川を下る形で四半刻、着いたのは、鳳翔が来ることを熱望したとある神社。

 

「今日は結構歩くな。清水寺もそうだけど、ここも峰の中だからか、坂が急だ」

「ええ。もし提督が歩けなくなっても、私がおぶって帰りましょう」

「それはありがたい話だが何とも情けないな」

 

顔色一つ変えないでこの強行軍じみた道のりを進む鳳翔。

まさに母は強し、という言葉が浮かんだがぐっと飲み込む。

 

「提督もお仕事でいつもお疲れでしょうし、もし体調を崩されたようであればおっしゃって下さいね」

「ありがとう。まだまだ若いはずだから、多分大丈夫さ」

 

清水寺とは違って、提督を鳳翔が導く形になる。

提督の心境の変化が、彼女にも伝わったのであろうか。

 

「っと、話していればもう御劔社だな。一の峰はすぐそこだ」

「ええ…あら?」

 

行軍の先で、既に誰かが頂へ近づいているようであった。

僅かに映ったその影に、見覚えがある。

 

「恐らく艦娘の誰かだな」

「やっぱり有名ですし、どなたかはいらっしゃるようですね」

 

少し急ぎ目に、その影に追いついてみれば、そこには間宮、伊良湖と大淀、そして大淀に背負われる明石の姿が。

 

「おーい」

「あら?提督に鳳翔さん。こんにちは」

 

振り返った間宮達に、二人が追い付く。

 

「こんにちは。いらしてたんですね」

「おう。明石は大丈夫なのか」

「提督、聞いてください。明石ったらもう歩けないって言って…。間宮さんたちも歩いているのに」

「だってぇ…いつも工廠にいるからこんなに歩かないし…そもそも間宮さんも伊良湖ちゃんも体力凄すぎないですか!?」

 

大淀の背から降ろされた明石は、駄々をこねる子供のようであった。

 

「まあ、それを言うなら夕張ちゃんだってきっちり対潜任務もこなしていますし…最近増設されたトレーニングルームも、予定を入れたら長門さんや武蔵さんがご指導して頂けるようになったので、私たち非戦闘艦も使いやすくなったんです」

 

うぐっ、と伊良湖の鋭い指摘が明石に刺さって、呻く。

 

「そうね。泊地移動の時にも何があるか分からないし…それに、きっちり体形管理も出来るわ」

「うごッ」

 

最後の矢が最も明石に深く刺さったらしい。

大淀はすかさず追及しはじめる。

 

「あなたも、二人を見習いなさい!それに最近太ったって泣いてたじゃない」

「あああああ!そ、それを言うなぁ!」

 

どう反応していいのか分からず、提督は苦笑する。

明石はそんな提督の表情を見て、涙ながらに帰った後のトレーニングを決断するのだった。

 

 

その後、一の峰へと到着した一行は、それぞれに祈りを捧げた。

どうやら、間宮や伊良湖、鳳翔がここを訪れたのは、祭神稲荷大神、つまり五穀豊穣を司る宇迦之御魂神の元にお参りをしようと考えていたかららしい。

料理人として、食材を与えられ、それを食卓に届ける立場として、一度は訪れたいと考えていたようだ。

新嘗祭には早すぎたが、多忙の身としては来ることができただけでも上等だろう。

因みに、明石は店の商売繁盛、大淀は再来月に迫る戦闘指揮艦の採用試験の合格、つまり学業成就を祈願したようだ。

提督はそんな艦娘たちの活躍を期待しながら、そしてその成功を祈るばかりなのであった。

 

「んっ!?…重い!?」

「そうかしら。私は軽かったわ」

「試験は受かりそうだな」

「これまで熊野さんに教わりながら勉強してきたので、自信はあります。後は、最後まで駆け抜けるだけです」

「頑張ってくださいね!」

「あれ?私の商売繁盛は?」

 

一の峰を下った先、おもかる石のある奥社で小休憩。

自分が思ったより石が軽ければ願いは叶い、逆に重ければなかなか叶わないという。

各々は思い思いに石を持ち上げては一喜一憂しているようである。

間宮や鳳翔が提督を見ては溜息をつく。どうやら重かったらしい。

その様子に苦笑していた伊良湖がふと腕時計を見て、慌て出した。

 

「あっ、もうこんな時間です間宮さん」

「本当!電車に乗り遅れてしまうわ」

 

談笑している時間は意外と長かったようで、まだ次の目的地を残していた四人は、北側の順路を通って走り出した。

 

「提督、鳳翔さん、お先に失礼いたしますね」

「おう。気を付けてな。多少は遅れても大丈夫だから、慌てるなよ」

「ええ、ありがとうございます…あっ、そういえば、お二人はもう鳥居の方へ行かれましたか?」

「そう言えば、まだ通っていませんね」

「この時間帯、夕日でとっても綺麗なんですよ」

「ええ。私たちも行きに通りましたけど、壮大でした」

「そんなにか。鳳翔、行ってみようか」

「ええ。こっちですね」

 

間宮達を見送った後、提督たちは千本鳥居の方へ足を向けるのであった。

 

────────────────────────

 

「わあ…」

 

声にならない声を上げる鳳翔。

それもその筈、山中の隅々を照らす夕日が、数えきれない鳥居に反射して、幻想的な雰囲気を醸し出していた。

その中を通る鳳翔の姿は、まるで夢の中のことのように儚げで、美しさを感じさせた。

 

「これは見事な。来て正解だった」

 

そんな彼女を見て、提督は目を細める。

舞い落ちる紅葉に、日の光が透過していく。

 

しばらくの沈黙。

二人が口を閉ざしていたのは、互いを含んだこの社と自然との風景に、魅入られていたからなのかも知れない。

 

「…提督、今日はありがとうございます」

 

ふと、鳳翔がそう零した。

 

「俺の方こそ。わざわざ付き合ってもらって」

 

提督はそう答える。

夕日から目を逸らして、両者の目線は重なった。

 

「一つ気になっていたのですが…お聞きしてもよろしいでしょうか」

「ああ」

 

両手の指を、突き合わせる鳳翔。

そこには若干の躊躇いが見て取れたが、やがて、意を決したように向き直って言う。

 

「今日は、どうして私を誘ってくださったのですか?」

 

僅かな期待が、鳳翔の胸中にはあった。

それが、彼の人格からすれば、あり得ないことであっても。

 

(分かっています…提督は、誰かを贔屓したりはしません。この鎮守府の艦娘たちを、誰よりも深く、平等に、愛しておられます)

 

それでも、昨日の夜に彼が自分の元を訪ねて来てくれたことが嬉しかった。

自分のことを選んでくれて、“特別”に想ってくれているような気がして。

 

清水寺で、音羽の滝で、本当はここでももしかしたら、心のどこかで願っていたのかもしれない───

 

鳳翔の瞳を見つめ、提督は伏し目がちに答える。

 

「ああ。もちろん、鳳翔への日頃の感謝の意味も込めて、だ。誰よりも早く起きて、誰よりも遅く寝る。その日のうちに、鳳翔がどれだけの艦娘たちを支えてくれているか、想像できないほどだ。俺は君のそういう───当たり前のように、人の心を支えられることが、どれだけ重要で、そして大変なことかを誰よりも理解しているつもりだから」

 

鳳翔は、目を薄める。

この人は、きっと誰よりも優しいのだ。

 

照らす夕日の光の筋が、ふっと細くなっていく。

 

「…俺は、そういう風に()()()()()()()()

 

その言葉が、一瞬のうちに鳳翔の心を穿っていった。

 

「…?」

 

その言葉が、心臓に確かな拍動をもたらした。

浮足立つような期待感と、そして高揚感とが、身を包む。

そう感じてはいけないと、戒めていたはずなのに。

 

「昨日、妖精さんと話したよ。俺は、どこかで艦娘たちに嫌われて、そして必要とされなくなることを恐れていた」

「…!」

 

提督の言葉は、告白に近かった。

今、彼の傍で聞くことが出来るのは、自分だけ。

否、聞けることが出来るのは、自分だけなのだ。

 

「だから一歩踏み出せなかった。君たちを知りすぎることが、俺を知られすぎることが、そこへ繋がると思っていたから」

 

風が出てきた。木々の枝葉を揺らし、音を立てる。

流れる髪も、もう気にならなかった。

 

「けど、そうじゃなかった。妖精さんも、艦娘も、お互いにそんな悩みを持っても、俺に近づこうとしてくれていたんだ。本当に大切なことは、自分の悪いところも、相手の悪いところも、一度は受け入れて、そして気付かせてあげることだった」

 

提督は、俯いていた目線を上げる。

再び光に照らし出されたお互いの姿へ向けた瞳を、二人は決して逸らさなかった。

 

「一方通行じゃダメだってことを、皆が気付かせてくれた。だから俺は、近づこうって決めた」

「…提督」

 

提督の瞳が、今までの彼のものとは違うことに、鳳翔は気付いた。

それは、最古参として彼とともに歩み続けた彼女しか気付き得ないことだった。

 

「まずは、鳳翔に、この思いを伝えたかったんだ。他でもない、ずっと一緒にこの鎮守府を支えて来てくれた、鳳翔に」

「提督…!」

 

微笑んだ提督に、鳳翔もまた、頷いて笑みを返す。

近づいて手を取って、鳳翔が彼を見上げる。

 

「ありがとうございます。私、本当に嬉しいです」

「そうか…よかった」

 

安堵の表情を浮かべる提督を、鳳翔は不思議そうに見つめた。

 

「どうしてですか?」

「これは俺自身の問題だから…。こんなことを言っても迷惑かと考えたんだが。やっぱり、誰かには宣言というか、伝えておきたかったんだ」

「…そうですか。それでも、私におっしゃって下さったことは、本当に嬉しいんですよ」

 

彼が自分を選んだ理由が、たとえ望むものではなかったとしても。

確かな信頼と絆がここにある。

鳳翔には、それだけで十分のように感じられた。

 

「…もちろん、夢は夢のままでは終わりません♪」

「ん?何か言ったか?」

「い、いえっ、何でもないですよっ?さあ、そろそろ門限も近いですし、戻りましょう!」

「お、おう」

 

急ぐふりをして、提督の手を引く鳳翔。

今、彼女の胸中には、確かな思いが芽生えつつあるだった。

 

木々の隙間から、そして鳥居の間から漏れる光は、駆け行く二人の影を伸ばしていた。

 

 



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第二十七話 幸せのレシピ

タイトルと話数でお気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、「鎮守府旅行編 #最終話」の校正中、とんでもないミスをしでかしていたことに気付き、急遽再構成中ですので、投稿を延期し、定期更新の日曜日分を先に投稿させて頂きました。

楽しみにしてくださっていた方がいらっしゃれば、大変申し訳ございません。

また、このお話は次話投稿後に差し替えます。


(腹が痛いッ!)

 

鎮守府一階南のトイレの中、提督の頭にはその言葉しか浮かんでいなかった。

 

(ど、どうしてこうなった···)

 

というより、それしか考えられなかったと言っても良い。

腸内で暴れる暗黒物質。

それは紛れもなく、昼に比叡が作ったカレーであろう──────苦笑(?)しつつも彼はその経緯を思い出していた。

 

────────────────────────

 

「正午12時をアナウンスするデース!ランチの時間デース!」

「ん、もうそんな時間か」

 

少し伸びをして窓の外を窺うと、演習を終えた艦娘が戻ってくる姿があった。

 

「Lunchにしますカー?」

「そうだな、今日は早めに。金剛もどうだ?」

「もっちろんネー!頂きマー···」

「司令!」

「ス···」

 

勢いよく、執務室の扉を開ける音がした。

執務室へやってきたのは、異臭を放つ鍋を持った比叡だったというわけだ。

 

「おう、お疲れ比叡。···それは?」

「カレーです!作ったので食べて下さい!」

「おお。そりゃありがたいよ。丁度今から昼食にしようと···」

 

近づいていくうちに気付く。

 

「思って···」

 

鍋の中身は、カレー本来の色を失いかけている。

この鍋は──────

 

「たん···」

 

(少なくとも、カレーではない)

 

「だぁ···」

「それは良かったです。じゃあ用意しますね!お姉さまの分も!」

 

眩しい笑顔とともに、比叡は自室へ盛り付け皿を取りに駆けていった。

 

「···テイトク、どうするデス?」

「···金剛は、比叡の料理を食べたことがあるか?」

「Yes···し、シカシ思い出すだけでも···うップ」

「おう···大丈夫か···」

 

背中をさするとダ、ダイジョブと返す英国かぶれ。

そんな彼女の妹の料理は、果たしてどんな味がするのだろう。

 

「て、テイトク···!今からでも遅くありまセン!比叡が来ないうちに早く···」

「お姉様、提督!持ってきましたよー!」

 

逃亡計画も虚しく、嬉々とした表情で、彼女は食器を片手にやって来たのだった。

 

 

 

「さあさあ!冷めないうちにどうぞ!」

 

にっこり笑顔の比叡は、自信作を提督と姉に勧める。

 

「そ、ソウネー、提督、頂きマショー···ハハハ」

 

(心なしか、さっきよりも若干ルーが青くなってるような気がシマス···これを食べたラ…いやしかしっ、愛するsisterの好意を無駄にするわけにはッ!)

 

心では姉としての務めを果たそうとし、しかし同時に本能的に五感が忌避してぶつかってせめぎ合う金剛の胸中。

そんな彼女の苦悩を察したのかどうなのか、提督は決意して匙を手に取る。

 

「おう···それじゃあ、···頂きます」

「Oh!テートク!?」

 

勇敢にも、彼は率先して紫色のそれを口に含んだ。

 

「どうですか?」

 

比叡は味を尋ねる。わくわくとした期待に満ち溢れているのが、誰からでも見て取れた。

 

「お、おう。う、旨いぞ···オフッ」

 

しかし、その反応が悪いのも、もはや表情に隠しきれないのも、誰でも分かることだった。

 

「そうですか!?良かったです。今回のは自信作でして!」

 

しかしこの金剛型二番艦、そういった所には全く以て鈍感である。

まるでその笑顔が凶器の刃先のように輝いて、次々と例のそれを皿に盛っていく。

 

(ヒエエエェ!)

 

その光景を間近で見ていた姉の顔は瞬時に青ざめる。

 

「お姉様もおかわりはいっぱいありますからね!」

「ハ、ハイッ!」

「?」

 

まるでこの場から去ることを許さないような、そんな鋭いものを感じた金剛は、観念したのかしていないのか、震える手でスプーンを持ち、それを掬い、含もうとする────

 

「そ、そうだ金剛」

「は、ハヒッ」

 

その寸前、提督に呼び止められる。

 

「さっき持ってきてって頼んだ書類だが、やっぱり今頼んでもいいか?」

「え···?」

 

今、金剛は彼の輝く笑顔を見て、全てを理解していた。

 

(あとは任せろ、金剛)

(て、テイトク···)

 

親指を立てて微笑んだ提督の姿を連想した金剛は、席を立つ。

 

「っ、ハイ!」

「あ、お姉さま?カレーは···」

「まだ欲しいな。おかわりいいか?」

「あ、はいっ!えへへ、美味しいですか?」

 

(テイトクのこと···ワタシは絶対、忘れまセン···!)

 

後に執務室の前で虚空に見事な敬礼をする金剛が見られたのは、別の話だ。

 

────────────────────────

 

「たべ···おわった···グフッ」

 

右手の匙を静かに置いて顔を上げた彼の視線は、どこを捉えるでもなく、宙を彷徨っていた。

 

「その、どうでしたか···?カレー···」

 

恥ずかしそうに指を重ねている比叡。

その可憐な様子とは似ても似つかない口内の味覚を何とか堪えながら、感想を口にする。

 

「ウプ···比叡はアレンジが好きなのか?」

「よく分かりましたね!そうなんですよ。隠し味に色々入ってます!」

 

(この酸味と甘味は···そういうことか)

 

次に、手元の水を流し込んで続ける。

 

「そうだな···そのアイデア性は素晴らしいと思うよ。だから、今度はシンプルにレシピ通り作ってみるのはどうだ?」

「シンプル···ですか?」

「ああ。比叡の腕なら、シンプルに作るのは簡単で張り合いがないって思うかも知れないけど、その分、普段より調味料の量とか、きっちりと作る余裕ができる」

 

最後に、これ以上犠牲者が出ないことを祈って、比叡の頭を撫でる。

 

「ありがとう。またよかったら作ってくれ」

「あ···」

 

突然に髪に触れたことに驚きつつも、次の瞬間には、彼女は──────比叡は、笑顔を取り戻していた。

 

 

────────────────────────

 

時は戻ってトイレの中。

 

「そういや、金剛は大丈夫だったのかな···」

 

ふと、彼女に意識を傾けると、丁度、洗面所の戸を叩く音。

 

『テイトクー!大丈夫ですカー!?』

 

その声に応えるように、(一瞬)静まった腹を抱えて扉を開く。

 

「お、おお金剛···」

「さっきはありがとうございまシタ···提督がアレを全部食べたって聞いテ···心配で心配で」

 

顔の青ざめた様子を見て、若干申し訳なくなりつつも、言葉を返す。

 

「まあ、腹の中のものを全部出したから···痛くなることはあってもトイレには行かなくて済むかな···」

 

流石に今日は休まなけばなるまい。

そう考えた矢先、激痛が走る。

 

「うっ···」

「だ、大丈夫デスカ!?」

 

いつもの彼ならケロッとして「大丈夫だよ」と返すのだが、今回はそうもいかない。

 

「ふっ···ぐぉ···ぅゥン、ダイジョブダ」

 

経験した者こそ分かるのかも知れないが、体内に痛みを起こす原因が吸収されてしまうと、(汚い話だが)排出されるのに時間が掛かり、それに伴って痛みも長くなるという訳だ。

 

「流石に食べすぎたネー···ゴメンナサイ、ワタシのせいデ···」

「き、キニスルナ···オゥッ」

 

暫し痛みに悶絶していたが、これ以上は金剛に責任を感じさせてしまうと思い、満身創痍でも立ち直る。

 

「···金剛だって、あいつの料理、食べたんだろ?」

「え?う、ウン···そうだけド」

「だったら尚更だ···金剛たちだけでアレを食べ切るのは···大変だろ。しかもあれだけ笑顔ときたら、なかなか···その、味を指摘することもできないだろうし」

 

ゆっくり足を進めながら金剛に語りかけた。

 

「そ、それデモ何も全部食べなくても···ワタシが」

「いやだって···鍋見た時の金剛の顔、真っ青だったし···」

「そ、それハ···」

 

口篭る金剛の頭を撫でて、続ける。

 

「比叡に正しく料理を教えてやるのが、姉としての、金剛の仕事だ。やってくれるか?」

 

少なくとも、料理に悶絶しながら無理して笑顔を繕うことではないだろう。

 

「テイトク···」

 

彼女の表情に僅かな笑顔が戻ったのが、彼にははっきりと分かった。

 

(出来れば、こんな姿は見せたくなかったけど···)

 

仕方ない、と考え直して自室に向かう。

 

「申し訳ないけど、大淀に今日は休むって連絡頼めるか?風邪かなんかだと取り繕っておいてくれ」

「モチロンネ···しっかり休んでネ!」

「お、おう···」

 

そうして、ふらふらと倒れ込んだ自室のベッド。

 

(···これで、良かったのかな)

 

痛みを堪えて思い出すのは、比叡と金剛の、それぞれの表情だった。

嘘をついた結果、比叡は笑ってくれた。それでも金剛は不安げな顔をしていた。

 

────これで良かったのか。

 

(そんなもの···笑顔が良いに決まってる)

 

思い直して浮かんだのは、しかし、金剛の表情だった。

 

(俺は···比叡を悲しませないように、金剛を···)

 

結局、自分は何をしていたのか。

 

(こんなの···ただのエゴじゃないか···)

 

金剛の見せてくれる好意を、まさか彼は知らない訳では無かった。

だからこそ、感じる責任と悲しみも重い。

 

「···うっ、ぐ···」

 

そんな中、繰り返し腹部を襲う痛みに、意識は途切れた。

 

 

 

「···はっ」

 

かなり眠っていたらしい。

やおら起き上がると、傍にいた艦娘と目が合う。

 

「Oh···提督、もう大丈夫ナノ?」

「こ、金剛か」

「勝手に入ってゴメンネ、でも提督、辛そうだったカラ···」

 

目を伏せて言う金剛に、罪悪感がこみ上げる。

 

「いや、大丈夫さ」

 

慌ててそう言うが、彼女の顔が晴れる訳でもない。

どう声を掛けようか迷っていると、金剛が切り出した。

 

「···提督は、優しすぎネー···」

「え···」

 

ふと顔を上げるとその両眼から溢れる涙が光っていた。

 

「ま、待て。ただのカレーの話で金剛が泣くことなんかない」

 

慌ててそう諭すが、金剛が泣き止むことは無かった。

啜り泣く声が、静まった部屋に響く。

 

「今日のことだけじゃない···いつも提督は私たちのため に大変な思いしてるのに···何もしてあげられない」

 

「提督は優しいから···いつだって笑ってくれてるから···私たちはそれに、甘えてるネ」

 

その言葉が、提督の心にどう響いたのかは分からない。

しかし彼は、思わず彼女を抱き締めていた。

 

「···優しいのは金剛の方さ。本当は比叡にだって責任を感じて欲しくないけど、姉だからといって金剛が謝ることなんてない」

 

肩を震わせる金剛の負う責任感。

それは提督自身が体験していない限り、その重さはどれほどのものなのか、知ることは出来ないのだろう。

 

(だけど···それを言い訳にしていいはずがない)

 

「でも···デモ!」

 

金剛が肩を掴むのと同時に、激痛が全身を覆う。

それを表情に出さないで、彼女の顔を右肩に押し付けるように抱き留め、優しく背中をさする。

 

「ありがとう金剛。心配してくれることがとても嬉しいよ···でも、もう大丈夫だから」

 

──────きっと、この気持ちは、悲しみ。

 

自分のせいで、大切な人が苦しんでいるのを見て、それを感じない者はいない。

それだけに、金剛がここまで自分のことを心配し、そして支えようとしてくれることが嬉しい。

そして、同時に悲しいのだ。

金剛が涙を溜め、自責の念に駆られていることが。

何よりも、結果的にそうさせてしまった自分の判断の誤ちに対して怒りが湧く。

 

「···うっ」

「テイトク···?」

 

突然の腹痛に、朦朧とする意識。

彼女の瞳から頬へ流れる涙を拭って、先程の体勢のまま、布団に倒れ込んだ。

 

「ふぇっ!?」

 

突然の行動に戸惑う金剛。

 

(な、ナニコレ···)

 

彼女としては日頃から期待していたというか、自分からそう持って行くつもりだったのだが、望んだ状況が、目の前にある。

そう、まるで夢のような。

 

かたや提督は、薄れる意識の中で、心にあるものをしっかりと金剛に伝える。

 

「俺は、この仕事を辞めたくない。この鎮守府から、みんなから離れたくない」

 

腰に回された腕は力強く、金剛はその密着具合に鼓動を高鳴らせた。

 

(ゆ、夢みたいデース···で、でも、恥ずかしい···!)

 

純情少女が展開に目を回しているが、彼はそのことに気付いていない。

 

「しょうもない意地だと思うかも知れないけど···どんな時でも、その思いだけは変わらなかった」

「···」

「だからお願いだよ···金剛」

 

顔を近づける。もう少しで触れてしまいそうになる距離。

真剣なその表情。間近で彼の顔を見るなんてことはあまりないものだから、金剛の頬は激しく紅潮した。

密着する身体の、引き締まった感触が、彼女に甘い痺れを与えていた。

 

「ひゃう···て、テイトク···」

「俺に、俺と一緒に···これからも···」

 

瞳の奥と心を射抜かれたように、金剛はふらふらと視線が定まらない。

 

「か、かんむりょうネ···」

「だ、大丈夫か?」

 

話より、そちら側の刺激が強かったのだろうか、湯気を立ち上らせ目を回す金剛を寝かせ、もう一つ布団を敷こうと立ち上がろうとする。

 

「···っ」

 

(まだ、痛みが···)

じんわりと広がる鈍痛に顔を歪め、布団に倒れ込んだ。

 

 

 

「···んぅ」

 

自分は一体何をしていたのか、良くわからない。

ただ、自分が好きである、その青年を置きっぱなしにして眠っていたことが、唯一の気掛かりだった。

 

「テイトク!」

 

そう短く叫んで起き上がろうとすると、その人は隣で眠っていた。

 

「···ん···」

「oh…あのまま眠ってしまったのでしたネ」

 

時計を見、それが数十分前のことだと気付いて、自分が眠っていたことを悟る。

 

(···テイトク)

 

それから、ゆっくりと彼の方へ向き直る。

穏やかな寝顔は痛みが引いてきた証拠なのだろうのか。

先刻の出来事が甦り、顔が赤くなるが、今はそんなことを気にしている場合ではない。

 

「···んしょ」

 

彼の頭部を膝に乗せ、その髪を撫でる。

 

「···」

 

ただ静かに、寝息を立てて眠る彼の表情から、一体何が察せるのであろうか。

金剛は、もう泣くことはなかった。

 

(この人は···強くて、それでも脆い人デス)

 

胸中に渦巻くものの正体を、彼女は理解することは出来ない。ただ、それが、目の前の男への愛に基づいているという事だけだ。

 

「···ねえ、テイトク」

 

愛しい。

この人が、ただ、愛しい。

けれど、その衝動に駆られて行動を起こすことを、自分は望まないし、望まれない。

この人に、中途半端な愛は、きっと似合わない。

 

「私、やっぱり···大好きデス」

 

そっと、その言葉を囁く。

本当は直接彼の反応を知りたかったが、中々勇気が要るものである。

心の中の自分と葛藤しつつ、そっと彼の頬を撫でるだけに留めておいた。

 

「···ぅ、こ、金剛···?」

 

目が覚めたのか、膝の上のその男性は、瞼を開いた。

 

「テイトク···お腹、ダイジョブですカ···?」

「ああ。大分良くなったよ。それより、ごめんな、気遣わせちゃって」

「いえいえ···よかったデス」

「そろそろ夕方だな···執務室も片付けないと···」

 

ゆっくり起き上がろうとする提督を制して言う。

 

「まだ危ないネ!」

「大丈夫さ」

 

そのまま起き上がった提督は、納得出来ていなさそうな顔の金剛に苦笑して付け加える。

 

「もしして欲しいことがあるとすれば、比叡の姉さんには料理を教えてやってほしいかな」

 

そんな魂胆の見え透いた彼の呟きに、金剛は少し、笑顔を見せるのだった。

 

「···分かりマシタ。デモ!ちょっとでも体調がbadだと思ったラ、すぐに安静にしてネ!」

 

そう言い放って彼の自室の扉を開けた。

 

「···You’re irreplaceable for us.」

 

声は小さく突然流れてきた英語に、少し戸惑うも、金剛の気持ちは伝わってきた。

 

「···ああ。俺もだよ。ありがとな」

「~っ!」

 

顔を真っ赤にした金剛は返事に慌てて出ていった。

 

「ふふっ」

 

その様子が面白くて、つい笑ってしまう。

 

「···さて、今日ばかりは早目に休もう···」

 

まだ書類は残っているが、今は体調を万全にすることが第一だ。

 

────────────────────────

 

それから数日。

 

「ホラっ!比叡、手が緩んでるヨー!」

「ひええ!?す、すいませーん!」

 

その後、金剛が比叡に料理を猛特訓させる謎の光景が見られた。

 

「もう遠慮はしませんヨー!」

「な、何のことですかー!?」

 

ハードな特訓に悲鳴をあげる比叡と、できた料理(の味)に絶叫する金剛とで、その日の調理場は鎮守府のミステリースポットと化したそうな。

 




早くもUAが10000を超えそうです。本当にありがとうございます。

ご感想、ご評価の方もお待ちしています。よろしければお願い致します。


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第二十八話 失敗を乗り越えて

UA10000ありがとうございます。
記念作品については、イベント開始頃に上げられればと思っております。

今回は霞さんのお話。


───────舞鶴第一鎮守府母港

 

「おううううっ寒いいいいいいい!」

「ひえええええええああああ寒い! 」

 

数時間前の出撃から帰投した艦娘たちは凍えている。

 

「あっ、ちょっと二人共!報告は!?」

 

入渠ドッグへ駆け出した比叡と島風を咎めようと霞が声を荒げていた。

 

「大丈夫だ。それよりも霞、寒いだろ。これ着てくれ」

 

余分にと持ってきていたウインドブレーカーを羽織らせる。

 

「い、良いわよ別に···そんなやわな鍛え方してないわ」

 

霞は手を撥ね除けるが、見ているこちらが寒そうである。

 

「そうか···?」

 

何やら顔を赤くして走り去っていった霞を心配していると、背後から声が聞こえた。

 

「提督、申し訳ありません」

「ん···大淀」

 

旗艦補佐をしていた彼女は、同じ礼号組として霞と仲がよく、一緒に話している光景を頻繁に見る。

 

「霞ちゃんも今回の旗艦経験で色々思う所があったみたいで···比叡さんと島風ちゃん、何よりも旗艦の自分が中破したのを気にしているんでしょう」

 

大淀の言う通り、吹雪や響といった高練度の初期駆逐艦に次いで、今日は霞が艦隊旗艦を務めていた。

周りにも、何より自分に厳しい彼女のことだから、大淀の言う通り気にしているのだろう。

 

「そうか···あ、そうだ」

 

悩むことは成長に不可欠だが、それを受け入れ、自分の中で昇華させなければ、それは成長とは言えない。

語るのは簡単だが、実際にそれを行うのは難しいのだ。

そう思いつつ、ポケットの中を探る。

 

「あったあった···大淀、これで霞を誘ってもらえるか?」

 

不思議そうに大淀が受け取ったのは、間宮の無料券。

 

先日のことだが、呉第一鎮守府の提督と共に艦隊における間宮の役割や、その効果を著し大本営に提出したところ、大きな反響を受けた。

思いの外評価はよく、全国の鎮守府の「間宮」からは感謝の声が届く結果となった。

間宮に関しては、実装当初では使い道が漠然としていて、ただの娯楽施設のように扱われ、真価を発揮出来ていなかったところを、戦闘時における艦娘の身体、精神的疲労回復効果、艤装の更なる能力の向上など、事細かな実例から導き出された効果の全貌に、上も舌を巻いたということなのだろうか。

その証拠に、今大淀に渡したそのチケットは、何を隠そう感謝状とともに届いたものである。

呉では早速争奪戦が始まっているそうだが、舞鶴の艦娘たちはどうだろうか。

 

「これ···霞ちゃんと、私の分···ですか?」

「ああ。この機会だし、大淀にしか頼めないと思ってるんだ。励ましてやってくれないかな」

 

押し付けるようですまん、と頭を下げると、大淀は慌てる。

 

「い、いえいえ···お任せ下さい。話してみますね」

 

こちらの安心した表情に、彼女は微笑んでいた。

 

(ありがとうございます···提督がそうやって優しく見守って頂けるだけで、私たちは強くなれます)

 

その思いは果たして恋心と呼べるのだろうか。

道は険しそうではあるが──────

 

 

 

「ふう···」

 

書類の右端、サインを書いて筆を置く。

仕事の量が膨大なのはいつものことだが、それに加えて今朝の霞の様子が気になって頭から離れない。

気にしていなければいいのだが。

 

「司令官、そろそろお茶にしませんか?」

「おう。そうさせてもらおう。お茶を淹れてくれるか」

「はい!」

 

ぱたぱたと駆けていったのは初春型の初霜だ。

真面目で誰にも優しく接することの出来る性格が周囲に好印象を与えている。

着任してからそんなに日数は経っていないが、あの卯月のいたずらにも笑みを浮かべて対処できるところを見ると、艦娘たちはすっかり彼女を尊敬の対象とするようになったという。

 

「この間の間宮の上奏の件で、羊羹が沢山届いてな。折角だから頂こう」

「そうなんですか。嬉しいです」

 

どうやら間宮羊羹はどの艦娘にも共通して好物であるようだ。初霜は年相応の少女のように、目を光らせている。

 

「いっぱいあるからな。遠慮せず食べてくれ」

「おおぉ…」

 

あまりの魅力に声を失う初霜に苦笑する。

ふと、提督は彼女を見て、今朝の霞と、目の前の初霜が重なって見えた。

彼女らは、“あの作戦”を共にしている。

 

「…丁度いい、少し聞きたいことがあるんだ」

「はい。何でしょう?」

 

提督として、彼女を救わないという考えはない。

持てる手段の全てを尽くすのみだと、彼は必死だった。

 

 

 

「霞さんが、ですか…」

 

初霜は、伏し目がちに呟く。

 

「ああ。最近話をしていたり、見かけたときに何か変わったところがあったら教えてほしい。初霜はあの戦いでも面識があるから、気付きやすいかと思ったんだ」

「そうですね…。私は最近着任したばかりで、あまり練度も高くないので、ご一緒することは少ないのですが…でも、どう表現すればいいのでしょうか、何だか思いつめたような…。作戦は成功したけれど、旗艦として中破したことに責任を感じているように思います」

 

初霜の目線で見た霞は、確かに実像を描いていた。それは、やはり苦楽を共にした僚艦ならではということだろうか。

初霜は続ける。提督に請願する。

 

「···あの、霞さん、普段は気の強いところがあるかも知れないですけど···決して悪い子じゃないんです。提督、どうか」

 

なにやら初霜は勘違いしているようだが、霞のことを真剣に考えていることは変わらない。

 

「ああ、いやいや。もちろん、何か罰をという訳ではないんだ。霞もきっと気にしているだろうから、どうにか励ませないかと思ってさ」

「そ、そうでしたか!申し訳ありません、とんだ勘違いを」

「気にしないでくれ。初霜の言う通り、霞は優秀だ。自信もあっただけに、感じる責任も重いんだろう」

 

窓の外を覗けば、積もり始めた新雪に足跡をつけて駆け回る大潮と霰の姿。

同型艦たちの目を気にしているのかもしれない。この鎮守府に一番早く着任したのは霞だ。もちろん練度も高くなる。

 

「···大丈夫だとは、思うんだがな」

 

拭い去れぬ不安感。

母港には、ただしんしんと雪が降り積もっていた。

 

────────────────────────

 

「大淀」

 

体育館への渡り廊下で、すれ違った大淀に声を掛ける。

 

「霞の様子はどうだった?」

「···やはり、私では駄目なようです···」

 

一体何があったのだろうか、意気消沈する大淀。

 

「だ、大丈夫だ。そもそも俺が直接話すべきだったな」

 

今度お詫びさせてくれと言うと、眼鏡を輝かせた大淀に苦笑して、霞の居場所を聞いた。

 

 

 

体育館 コート内

 

「うああああっ!」

 

叫び声とともに、霞のか細い腕からは想像もつかない、凄まじい豪速球が放たれる。

 

「そうよ!もっと心の底から叫びなさい!」

 

ばしん、と音を立ててそのボールを両手でキャッチしたのは、妙高型三番艦、足柄。

彼女も初霜や大淀同様、礼号作戦組として霞の僚艦を経験している。

 

「私の···バカあぁぁ!」

 

足柄が受け止め、返したボールを、霞が叫びながら再び投げ返す、といった摩訶不思議な光景が、眼前に広がっていた。

 

「何だこれ···」

 

とにかく、霞は今回の出撃の事で悩んだ末の行動ではないかと、何となくだが察する。

 

(とりあえず、あんな球がぶつかったら危ないからな···)

 

周りで遊んでいる艦娘たちもいるので、とりあえず彼女らを落ち着かせることにする。

 

「おーい!霞!一旦ストップだ!」

「ふぇっ!?し、司令官!?」

 

突然の、その声に驚いた霞の手元が狂う。

 

(まずい!)

 

霞も、足柄も、提督も、その瞬間に、顔が青ざめた。

弾道は、的確に隣のコートで遊んでいる文月を捉えていたからだ。

 

「くそっ!文月っ!」

 

衝突を咄嗟に悟った提督は走り出す。

空気を切り裂くような弾頭の前に立ちはだかる。

 

「ふえ?」

「ぐおおおおお…!」

 

見事な直線を描いた軌道の球を、全身で包み込む。

 

「うっ…あぐっ!」

 

が、流石は改二駆逐艦。勢いはとどまることを知らず、身体を吹き飛ばすようにして空中を奔った。

 

「し、しれいかん!?」

 

幸い、文月のいる位置から弾道は逸れ、球は体育館の壁へめり込んだ。

 

「だ、だいじょうぶ…!?」

「な、何とか…」

 

差し出された文月の手を取って立ち上がる。

 

「それよりも…おーい!足柄、霞!すまないが危ないからキャッチボールは止めてくれ!」

「す、すみません…お怪我は?」

 

おずおずとやってきた足柄の、珍しい態度に苦笑する。

 

「俺なら何ともない。だけど…」

 

後ろを向き、砕け散って穴の開いた壁に目をやる。

 

「…工事費は、そのぉ…」

「お金ならいいから、始末書どうにかしてくれ…」

 

仕事が倍になったことの方が心にくる。

が、がんばろっ、と言って文月が手を握ってくれたことが、唯一の救いなのだった。

 

────────────────────────

 

「ふぅ」

 

例の件から数時間後、始末書の提出を終えた。

なお本日の仕事は終わっていない、だがそのことは関係ない。

 

「ほ、本当にごめんなさい、提督…」

 

足柄がペコペコと頭を下げ続けているのを、手で制する。

 

「いいさ。霞の悩みを聞いてあげてたんだろう?」

 

元はといえば俺がちゃんと話さなかったのが原因だし、と付け加える。

 

「だけど…提督、いつもお仕事ばっかりですし」

 

恐らく彼女も強い責任を感じているのだろう。

艦娘同士のケアの方がいいだろうと思っていたが、こういうことも起きてしまうものなのだ。

安易に仕事を丸投げしてしまうのも、上司として思慮が足りていなかった、と反省する。

 

「これも提督の仕事のうちだからな。気にしないでくれ」

 

そこで、気になったことを一つ。

 

「…霞は?」

「えっと…」

 

相当に気まずいのだろう、足柄は苦い表情を浮かべていた。

 

「気にしていそうか?」

「それはもう…塞ぎこんで、部屋から出てこないですし…」

「相当だな…よし、俺が行くよ」

 

目指すは朝潮型寮室、足柄に案内を頼み、歩を進める。

 

 

 

「霞」

 

小さくノックを3回。

 

「···」

 

返答はないが、扉はゆっくり慎重に、開かれた。

 

「あ、司令官、お疲れ様です」

 

出てきたのは長女の朝潮で、例の件を察しているような表情であった。

 

「朝潮か。霞はどうしている?」

「今は泣き疲れて眠っています。あの、今回の件、申し訳ありませんでした」

 

頭を下げる朝潮に少し慌てる。

 

「顔を上げてくれ。朝潮も、霞も悪くない」

 

少しきょとんとしている朝潮に、しゃがんで視線を合わせる。

 

「旗艦というものは判断力や行動力が問われる難しいものなんだ。上手くいかなくて悔しく思う気持ちもよく分かる」

 

部屋を振り返り、次の行動を決める。

 

「霞に伝えてもらえるか?夜少し会って話したいことがある」

「分かりました」

 

真面目な朝潮らしく敬礼を決めていたので、こちらも敬礼で返すことにした。

 

 

 

──────ラウンジ前

 

霞はただ、憂鬱な気持ちで佇んでいた。

 

(···怒ってる、かしら)

 

そんなことはないと朝潮は断言していたから、きっと彼女の前ではそうなのだろう。

元々、優しい人であるから、おそらく自分の思っているようなことにはならないのだと思う。

けれど、少しでも、彼に失望を抱かせたくなかった。

それは、霞にとって何よりも重大なことだった。

 

(まあ、旗艦を失敗した上に壁壊してるんだし···当たり前よね)

 

自嘲して、心が沈む。

後悔は涙を誘い、明かりがなければ泣き出してしまいそうであった。

 

「···お、霞」

「あ···」

 

そんな時、彼が現れた。

 

「体調は大丈夫か。艤装は明石の方で修復しておいた」

「だ、大丈夫よ···」

 

急いで涙を拭い、いつもの仏頂面に戻る。

 

「それで、何の話···って、分かってるけど」

 

素っ気ない態度を取ってしまう自分がたまらなく憎い。

 

「ああ···何て言えばいいのかな、整理がついてないんだが···」

 

ゆっくりと、確かな言葉を紡ぎ出す。

 

「霞は、今回のことをどう思ってる?」

「···」

「まあ、酷な言い方かも知れないけどな」

「···私は、私が中破して作戦行動に支障が出たことが悔しいわ。その後も、旗艦としての役割を果たせなかった」

 

拳は、強く握られていて、また微かに震えていた。

 

「作戦が成功したからよかったけれど、あんな失態をした以上、もう、艦隊に合わせる顔が、ないのよ···っ」

 

堪えきれず、涙の雫が頬を伝って、滴り落ちる。

 

「···霞」

「···なに、よ···っ!?」

 

俯いた霞の顔に掌を添えて、彼女と視線を重ねる。

 

「状況を理解し、自分の非をしっかりと認めることは、なかなか出来ることではない。その点では、君はやはり優秀なんだ」

「···違うわよ、そんなの」

「君は沈まずに、作戦は成功した。それは、中破した上で自分も、艦隊も最善の結果を出すことができるように、霞なりに考えて動くことが出来たからじゃないのか?」

 

いつになく、普段穏やかな彼の目は鋭く、心の奥底までも見透かしているようだった。

 

「君は君の、全力を尽くした。作戦とはいえ、君や皆が生きて帰ってこれただけで、それだけで十分じゃないか。少なくとも、俺はそう思う。失敗から学ぶことは大きい。今度は成功するために、ひたすら努力するだけだ」

「···」

 

なおも沈黙を貫く霞に、頭を撫でて、こう、付け加えた。

 

「幾らでも失敗しろ。そして、絶対に帰ってこい。責任なんて、全部俺が背負ってやるから」

「···っ」

 

再び、霞の目から、涙がとどまることなく流れ出す。

大きな手から伝わる温もり。

それは、彼が背負う責任、彼の大切にする、霞たち艦娘への思いの深さを伝えていた。

 

「···もう、このバカ···」

 

きゅっと袖を掴んできたので、そっと抱き締めた。

彼女の嗚咽が治まるまでの数分間、彼は目を細め、霞の背中を優しく叩いているのだった。

 

 

 

──────翌日

 

「準備はいいか?···よし」

 

白い軍装に身を包んだ提督は静かに、それでいて厳かな口調で言葉を発した。

 

「第一艦隊、水上反撃部隊、抜錨。各艦は全艦に被害の及ばない範囲での作戦成功に尽力せよ」

「ふふ、了解だよ」

「はい!榛名は大丈夫です!」

 

元気な返事が聞こえ、頼もしい限りである。

 

「全く、甘いのね」

「···お」

 

そんな声が聞こえた方を向くと、そこには我らが旗艦の姿が。

 

「そんな言い方しちゃって、この間のこと忘れたの?」

「なっ···!別にいいでしょ!?」

 

阿武隈が霞の頭を撫で、霞が腕を振り回している。

そんな微笑ましい姿も、また霞の一部なのである。

提督は苦笑しながら、姿勢を正し、敬礼を行う。

彼の姿に、全員の表情が、真剣なものになる。

 

「分かっていると思うが作戦成功には、君たちの安全が何よりも大事だ。何があっても、戻ってこい」

 

表情はにこやかであるが、言葉には重みがある。

 

「了解!」

 

艦娘たちは、そんな提督へ信頼を寄せ、今日も海原を駆けて行くのだ。

自由を、命を、誇りを、仲間を、そして彼を守るために。

 

「水上反撃部隊 旗艦霞!抜錨するわ!」

 

青空の下、凛とした彼女の声が響き渡った。

 




変わらずご感想、ご評価お待ちしております。
作品を書く上での大きな原動力となってますので、是非···。


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第二十九話 あの子とカチューシャ

日曜枠です。日曜25時(迫真)


秋も深まる十一月。

段々と吹き付ける海風も冷たさを増す。

艦娘たちの中では、座学の教室にひざ掛けなどを持ち込む者もいるようだ。

早速提督は足元を温める専用ヒーターを買い付ける(もちろん自腹)と、鳳翔などに怒られていたのだった。

 

(うーむ…出撃に加え、座学もなかなかきついとは思ったのだが…やはり強くあるためには、鳳翔にとって暖房器具などは甘え、ということなのだろうか)

 

提督は、ひとり鳳翔の凛とした強さを思い浮かべる。

実に美しい。この国の女性らしいというか、立派な心掛けであることは確かだ。

 

(やはり、教育上こうしたことは褒められたことではないのかも知れないな)

 

ついつい艦娘たちには甘くしてしまう。

提督の感じるそれは、年頃の娘を持つ父親の心情にそっくりなのであった。

何でもかんでも欲しがるものを与えるだけでは、その子の為にならないということであろうか。それは、確かに正しいことだろう。

 

(しかし…艦娘のみんなもみんなで頑張ってくれていることだしなぁ…)

 

正直、山風あたりになにか、ぬいぐるみなど欲しいと迫られたとき、それを断固として拒否できる自信など、全く以てない。

むしろ超速で買いに走るまである。

彼としては、国の為に日々命を削ってくれている彼女らが満足できるようにと、フォローを忘れてはならない、という考えが未だに心の中にあった。

しかし、それでは真に彼女らを想う、ということにはならないのかも知れない、と思い直す。

突き放す愛情もまた、必要なのである。

 

「むむむ…ん?」

 

そう、声を漏らして廊下を歩いていると、視界の隅、中庭に一人佇む艦娘を見つけた。

彼女はどこか遠い所を見つめて、ぼうっと立ち尽くしていたのだった。

 

「あれは…」

 

風に揺れる白銀の髪は、どこか神々しいものを感じさせる。

とにもかくにも、提督は近くの扉を開けて外へ出た。

 

「おーい、響」

「ん…司令官」

 

その艦娘は、駆逐艦の響であった。

響、という呼称は本人が希望したもので、性能や扱う兵装はソ連時代のものを引き継いでいる節がある。

比較的長期に渡って軍艦として活躍した経歴からか、彼女ははっきりと艦としての記憶を持ち合わせてはいたが、僚艦との思い出もあるからか、響としての呼び名を好んだ。

 

「こんなところで何してるんだ」

 

提督が近くの石段に腰を下ろすと、彼女はふっと静かに答える。

 

「…少し、私の祖国ことをね」

「祖国?…というと」

「今日はソビエトが本当に一つになった日さ」

 

提督は、彼女の言葉と、士官学校で学んだ僅かな知識を照らし合わせる。

 

「十月革命記念日か。なるほど」

 

古い暦でなのか、この日は、現在では十一月の初めにあたる。

北のあの国に住む民衆は、この日を待ち望んでいたのだ。

 

「ああ。形はどうあれ、我々にとって重要な日さ。いつもパレードが行われるあの場所を、ふとこの中庭で思い出してしまってね」

 

響の表情は至って平静だ。穏やかに、そして密やかに微笑んでいるような気もする。

 

「…なるほどな」

 

彼は納得する。

彼女にとって、この国と、そしてあの北国はどちらも重要な意味を持つ、故郷だったのだ。

それだけに、どちらとしての“自分”として生きるか、迷う時期もあった。その境界線に立つことを恐怖に感じることもあった。

しかし、彼女はそれを乗り越えた。

どちらの自分も、今は記憶の中に生きている。

仲間たちは、そんな彼女を咎めることなど、微塵も考えていなかった。

これ以上ないほど、優しく迎えてくれたのだ。

 

「どこに生きようと、私は私だ。“私”にとって、暁たちのいるこの鎮守府こそが、ふるさとなんだ。けれど、日本も、ソ連…ロシアも、私は蔑ろにすることなんてできない」

 

響は遠くの雲を見つめるように言った。

その瞳は、かつて時代のの誇りを忘れていなかった。

 

「何よりも大事にしたい…いつまでも覚えていたい…何があっても守り抜きたい。その思いが揺らいだことは、一度もない」

 

提督に向き直る。確かな自信が見て取れた。

 

「だから…いつまでも私は忘れたくないのかも知れない」

 

提督は、彼女の思いの深さを知っていた。彼女は乗り越えたのだ。

たとえ、どれほど辛く苦しい経験があったのにも関わらず、だ。

見かけは小さな体かも知れないが、いつだって魂は変わっていない。

 

「そうだな。折角だから、お祝いをしないか?」

「へ?」

 

響の声が上ずる。

 

「何か、出来ることはないか?盛大に祝おうじゃないか。他ならぬ響の祖国のお祝いだ。きっとみんなもそう思うぞ」

「い、いいさ…あまり知られていないことだし」

「そんなことないのです!」

「!?」

 

どこからか聞こえてきた声に条件反射で耳を傾けると、そこには電と、他の六駆の姿があった。

 

「響ちゃん、お名前は変わっても、私たちはずっと一緒なのです」

「雷もそれがいいわ!響と一緒にお料理するの、大好きだもの!」

「あ、暁だって!えーと、えーと…そう!改二のこと、もっと教えてあげなくちゃ!」

「み、皆…」

 

ぽかんと三人を眺めて、自然に笑みがこみ上げてくる。

言葉はもはや関係ないのだ。唯一無二の家族のように接してきた、彼女たちの中でしか生まれないその感情が、響の胸の中にあったのだ。

 

「これよりもっとだ。響のこと、もっと知りたいって思っている人もいるかも知れないだろ?」

「そ、そうかい…それなら、お言葉に甘えようかな」

「なのです!早速だけど…響ちゃんに、プレゼントを」

 

おずおずと電が手渡す箱を受け取る。

どうやら、他の二人と連名のものらしい。

 

「へえ…。これを、くれるのかい?」

「そうよ!絶対似合うわ!皆で一緒に選んだの!」

「あ、開けてみなさい!」

「う、うん…」

 

響が、慎重にリボンを解いて、その箱を開けていく。

中に入っていたものは、帽子と同じ、紺色のカチューシャ。

 

「これは…カチューシャかい?」

「そうなのです。この前、お歌…ええっと、音楽の時間に、ロシアのことを少しお勉強して…」

「ちょうど『カチューシャ』っていう歌を歌ったのよね」

「そこから電が考えついて、これをプレゼントしようって決めたのよ!」

 

経緯を聞き、少し驚いた表情をする響。

彼女にしては珍しいことだったが、気になることは別にあった。

 

「そ、そうなのか…でも、今日が革命記念日だなんて、よく分かったね」

「あっ、それは…」

 

電が言葉を発し、雷がそれを引き継ぐ。

 

「暁がロシアのこと、すっごく勉強してたのよ!響のふるさとのこと、お姉さんとして知っておきたいって!」

「ちょ、言わないでって言ったじゃない!」

「あ、暁が…?」

 

衝撃だった。

それは普段暁が子供っぽい言動をしているから、そういう気を配るようなことをするのが珍しくて、ということではない。

暁は見た目と発言こそ幼くても、姉としての資質を十分に持ち合わせている。

誰よりも泣き虫かも知れないけれど、誰よりも勇気を出して、夜戦では真っ先に探照灯を照らして艦隊を導く。

誰よりもわがままと言われても、我慢強く厳しい訓練に耐えて、乗り越えていく。

第六駆逐隊は、いつだって四人一緒にやってきた。

暁が三人をよく見て、三人が暁を慕っている構図は変わらない。

響にとって、そういう風に暁が妹としてだけではなく、一人の艦娘として、その経歴を知り、そして理解しようと努力していたその事実が、何よりも衝撃的で、ちょっぴり(どころじゃなく)嬉しかったのだ。

 

「う、うん…私、レディになりたいなんて言ってるけど、実は響がロシアに行っちゃってからのこと、何にも知らなくて…そんなんじゃ、お姉さんとしてもだめって思って…」

「暁ちゃん、妙高先生にもお願いして、ロシアのこと、いっぱい教えてもらったり、授業してもらえるように提督に頼んだりしてたのです!」

「そうか。そういう理由だったんだな」

 

それは、いつになく正直な暁の言葉。そして、その事実。

姉の、艦娘としての本音だった。

暁が自分のその後を知らなくて当然だ。違う国に行ったことは勿論、自分があの国に行くころには、彼女は沈んでいたから。

けれど、暁はそれを言い訳にはしなかった、姉としても、そして一人の同じ立場の艦娘として当然のことだと考えていたのだ。

 

「そ、そうなのか…ありがとう、暁」

「い、いいのよ!お姉さんとして当然なんだから」

「…」

 

胸を張る暁に、すっと近づく響は、ぎゅっと姉の体躯を抱きしめたのだった。

 

「…ありがとう、お姉ちゃん」

「…うん。もう、どこにも行っちゃダメよ」

 

暁は、優しく響の白銀の髪を撫でる。

雷も電も、それを微笑ましく見守っていたのだった。

 

「…まあ、実のところ、カチューシャは髪飾りという意味ではないんだけど」

 

──と、響がそう漏らすまでは。

 

「へ?」

 

暁が、一転素っ頓狂な声を上げる。

 

「そ、そうなのです!?」

「本当なの?響」

 

ざわつく一同。

提督は額に手を当てていた。

 

「ああ。あれは女の子の名前さ。あの歌は恋の歌なんだ」

「そ、そうなの…?」

 

ケロリと言い放つ響と、顔面蒼白になる暁が、とても対称的だ。

 

「う、嘘…せっかく用意したのに」

「し、知ったかだったのね…」

 

慌てる三人を見て少し楽しそうな響に、提督は言った。

 

「まあまあ、いいじゃないか。響も、プレゼントをもらったんだしその辺にしてやってくれ」

「もちろんさ。これは嬉しいよ、みんな」

 

そう言って笑う響に目を輝かせる電に、苦笑する雷、知ったかに暗澹たる表情のままの暁。

三者三様の表情ではあったが、その収拾をつけるためにも、提督は四人を間宮に誘うのだった。

 

 

 

──数日後、執務室

 

執務室にある写真立てには、その日間宮で撮った写真があった。

仲良く四人で笑いあう写真もあれば、提督に肩車してもらいご満悦な響の写真もある。

 

「全く、肝が冷えたぞ。いつか言うんじゃないかとは思っていたが」

「ああいうのは嘘をついていてばかりではいつかバレるからね。遠慮なく、正直に言ってあげるのも、姉妹の役割さ」

 

響の言い分に苦笑する提督。

あながち間違っていないようにも聞こえる。

 

「…でも、こんな記念日は初めてだ。みんなが、祖国の日を祝ってくれるなんて」

 

はっきり言ってしまえば、遠い異国の地。知らなくても生きていけるだろう。

それでも、暁たちは知ろうとすることをやめなかった。

 

「…ああ。響のこと、皆が大切に思ってるんだぞ」

「皆が、大切に…」

 

ずっと、あの地にいた自分は孤独だと思っていた。

この記憶は、誰にも触れられない。何を体験したわけでもない。

それでも、彼女らは、一歩、また一歩と歩み寄ることをやめなかった。

それがたとえ偽善と罵られようとも、過去に向き合うことをためらわなかった。

孤独ではなかったのだ。

 

「…本当に、ありがたいことだ」

「ああ。かけがえのない仲間を持ったな」

 

提督は筆を置いて微笑む。

 

「もう、誰も沈ませない」

「うん、その意気だ。皆、お前を守るために必死になる。響も、大切なものを守るために戦ってほしい」

「ああ」

 

大切な人たちがすぐ隣にいる。

あの時と違って、今は思いを通じさせることもできる。

それでも、本質は昔と何も変わっていないのかもしれない。

たとえ、それが遠い遠い彼方の海にあっても、想う気持ちは、変わらずにある。

 

「私は、忘れないよ」

 

なんだか、懐かしい匂いがした。

それは、海の匂い。

どの海に駆けても、それは変わらない。

水平線の太陽を見て感じる、清々しい気持ちは変わらない。

全てが愛おしく感じられた。

 

「…司令官」

「ん?」

 

窓の外を眺めていた提督が振り返る。

ゆっくりと近づいて、寄り添う。

触れた左肩から、彼の体温が伝わり、そして高鳴る心拍が、提督へ伝わっていく。

 

「Я хочу быть с тобой всегда.」

 

耳元で、静かにそう囁いた。

言ってしまったら、途端に顔が真っ赤になる。

 

「ろ、ロシア語か···?すまん、少し待ってくれ、翻訳を···」

「い、いいよそのままで!お茶淹れてくるよ!」

 

帽子で顔を隠すようにして、ぱたぱたと給湯室へ駆け込む。

胸に手を当てると、経験したことのないくらい、どきどきが止まらなかった。

 

(わ、私は何を急に···!)

 

制御できない感情の波に揺さぶられる響。

しかし、それでいて、口角は上がりっぱなしである。

 

(でも、まあ···いいかな)

 

心の中の、隠れた思い。

暁も、雷も、電も。

皆が大切な人。守りたい人。

そして、思いを馳せた、あの人の胸の中。

心を溶かした、あの人の温もり。

いつだって、隣にいて欲しい。

 

響は決意した。

過去に向き合って生きることを。

未来に手を伸ばし続けることを。

 

 

ずっと、君と一緒にいたいから。

 




メリークルシミマス!(フライング呪怨


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第三十話 再会

UA10000記念となっております。

イベント前の軽い暇つぶしになればと思います。


舞い散る桜の花びらが、この場所を周りから隔てる。

思い出のあの日、彼はその中心に佇む桜の木の下に、少女の姿を認めて近づいた。

 

「あ…」

 

少女の長い長い髪が、振り返った拍子に揺れる。

桜の薄桃色と、彼女の髪の美しい黒が陽光に輝いて、この色彩を二度と目にできないことを思うと、彼には惜別の念を掻き立てるように感じられた。

 

「…行くんだね」

「ああ。行かなきゃならない」

 

ぽつり、少女は呟いた。

幼げな体躯に受け止めきれないほどの悲しみと愛しさを抱えて俯く。

 

「…うん」

 

けれど、彼女は全てを受け入れた。再会の日への思いを託して、前を向いた。

風が吹いて、まるで前に進まなければならないということを、暗示しているようだった。

 

「分かった、君の言うことなら応援する」

「…すまん」

「ふふ…なんで謝るのよ。君はいつもそうだよね」

 

少女は、至って冗談めいた笑顔で言う。

しかしながら、言動とは裏腹に、一筋の涙は流れていた。

 

「…いつかきっと、ね」

 

思えば、その言葉も冗談だったのかも知れない。

彼女がすっと顔を寄せて、そして記憶は途切れている──────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

舞鶴の地に積もり積もった雪も解け始める、三月下旬。

 

「お疲れ。ほら、まだ寒いからな。これ飲んで、この後も頼むよ」

「わっ、ココアかい?ありがとう提督」

 

紙コップに大きめの魔法瓶からホットココアを注いでいく。

特に高いものでもないが、甘い飲み物が大好きな妖精さんと試行錯誤して作ったレシピを使用し、味の方はばっちりである。

 

朝早く起きた提督は早朝演習の艦娘たちを労った後、秘書艦とともに、忘れ物を取りに自室へ向かっていた。

 

「えへへ、司令官のお部屋、はじめてです」

「あまり見せられたもんでもないぞ…というか、朝早くから秘書をありがとう、春雨」

「いえ!これもお仕事ですし、春雨も楽しいですから」

 

ご機嫌な様子で前に出る春雨に苦笑しつつ、ふと窓に目を向ける。

今日も今日とて美しい海辺の朝焼けに視界が埋め尽くされていた。

そんな風景美に思わず見とれていると、無電が端末を通して届く。

 

「無電か。すまんが春雨、しばらく人を通さないでくれ」

「はい。了解です」

 

春雨が執務室の連絡板を[立ち入り禁止]にするより早く、提督は猛然と立ち上がった。

 

「…!?」

「ふんふふーん、って司令官!?」

 

呆気にとられる提督の顔に訝しむ春雨はそう尋ねた。

 

「···もしや」

「な、なんですか?って、司令官!?」

「春雨!誰でもいいから空母を桟橋近くまで連れてきてくれ!艦戦ニ部隊、艦偵一部隊、整備員付きだ!」

「へっ!?は、はい!」

 

突然走り出した提督に、戸惑う春雨。

それでも流石は艦娘、緊急時に即座に対応できるよう、しっかりと訓練は積んでいるものだ。

装備中のインカムを片耳に押し付け、何やら口にしつつ走り出した。

 

「えーっと、空母の方···空母の···」

 

とりあえず別棟の寮がある宿舎に駆け出した春雨。

秘書席で見た任務リストを思い出す限り、今日は西方海域に第三艦隊とその支援艦隊が向かっている。

蒼龍率いる第二航空戦隊と、翔鶴率いる第五航空戦隊がその基幹部隊だ。

 

(となると…)

 

寮内に駆け込んで、真っ先に向かったのは、空母の演習場だった。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「司令官!連れてきました」

「おう。ありがとう」

 

出撃を終えた艦娘たちの帰ってくる桟橋。

妖精さんを肩に乗せて、提督は海の向こう側を睨んでいた。

 

「提督、どうされましたか」

 

春雨の後を追ってきた、第一航空戦隊の片割れである赤城が息も切らさずに尋ねた。

 

「ああ。現在丁度作戦指揮を執っている熊野が出撃部隊の無電を受け取ったようだが、どうも所属不明の索敵機が近海にいるみたいでな」

「ええ!?」

「…鎮守府の警戒線を超えてくるとは…相当の高度と航続距離ですね」

 

赤城の表情は当然険しくなる。

常備のレーダーと熟練艦娘たちが操る索敵機の包囲網を潜り抜けるとなると、それ相応の機体ということだ。

深海棲艦による奇襲の可能性もある。

 

「で、でもこの間月次作戦を完遂したばかりですし」

 

春雨の言うことも正しい。

赤城の所属する第一艦隊が近海主力部隊を叩いたばかりなので、日が経たないうちに再び仕掛けてくるとは考えにくい。

さらに遠方から艦隊が強襲に来ているとすれば、必ずどこかの警戒線に引っかかるはずなのだ。

 

「ああ。とりあえず先手を取る意味でも、赤城に索敵を頼みたい。零戦二一型の熟練部隊はは足が長いから、整備員を付ければ航続距離には困らないだろう。哨戒線を超えて危険のない範囲で帰投させてくれ。今は蒼龍たちが帰投中だ。何かの手違いで帰還不可能になった場合はそっちに緊急着艦も出来るよう、詳細を伝えておく」

「ありがとうございます。それでは発艦準備に移ります」

 

一礼して去っていく赤城を見送って、提督は春雨に言った。

 

「とりあえず、午前の仕事は延ばしても特に問題ない。春雨はこのまま俺と待機。念のため、熊野は赤城に連絡が可能な状態にしておいてくれ」

「了解です!」

 

非常時ではあるが、提督の傍にいられることが少し嬉しい春雨なのであった。

 

 

 

 

 

「や、やっぱり索敵機だったんですか!?」

 

熊野からその事実を告げられ、春雨の顔は蒼白であった。

それもその筈、索敵機がこちらの陣内に入り込めば、敵艦隊に情報が洩れている可能性が高い。

 

「ええ。現在鎮守府からは赤城、西方カスガダマから帰投中の蒼龍さんによって敵侵攻艦隊の居場所を探っていますが…未だ領海以遠に大規模な艦隊の侵攻は観測されていません」

「入り込んだ偵察機はどうだ?」

「依然と警戒網に引っ掛かっていないようです。提督のご指示で赤城さんの偵察機を増員させていますが、こちらもまだ…」

 

そう熊野が言いかけて、無電の受信を知らせるブザーが鳴る。

 

「…っと、失礼します…!」

 

目を見開く熊野。何か事態に進展があったのかも知れない。

 

「提督、第三艦隊旗艦蒼龍から入電です。単艦回航中の味方艦を保護したとのことです」

「味方艦?」

 

提督と春雨は首を傾げる。

 

「ええ…艦種は軽巡洋艦、甲標的と主砲兵装に加え…カタパルトが装備されているとのことです」

「カタパルト…?」

 

春雨は更に困惑を深める。

軽巡洋艦がカタパルトを搭載しているなど、聞いたこともない。

 

「…なるほど」

「心当たりがあるのですか?」

 

熊野も春雨と同じような反応であったらしい。どこか納得したような提督に驚いている。

 

「ああ。おそらくだが、偵察機はそのカタパルト搭載艦の発艦機と考えるのが妥当だな。加えて、最近大本営からも似通った改装計画が公式に通達されている」

 

その軽巡洋艦は、多機能型の改装を施され、制空に先制雷撃、先制対潜攻撃、夜戦連撃、対地攻撃と、複数の戦法を装備によって活用できる。

基礎のステータスの低さを庇うどころか、それを補って余りある性能を誇る。

 

「うちにはいない艦だ···他の鎮守府からの異動かもな」

「事前通達はないのですか?」

「ああ。今のところはな。何かの手違いで通達が遅れているのかも知れない。こちらから大本営に問い合わせよう。もしかすると単に落伍しただけかも知れない···熊野」

「はい。確かめます」

 

片耳に手を当てる熊野。

艦娘は無電機能を内蔵している。思念で他艦へ呼びかけ、同意が得られれば会話が可能である。

距離は状況にもよるが、長くて二、三百浬程度た。

便利な機能ではあるが、使用には全神経を注ぐので、戦闘中に意思疎通を図るのは簡単ではない。

昼戦ならば偵察機がその役割を担うことが多い。

 

「···その前に続報のようです。軽巡洋艦は『由良』と自称、損傷はありません、北方から回航とのことです」

「そうだろうな、カタパルトとなれば···。とりあえず、呉の浦風と横須賀の大和に聞いてみるか」

「···由良、さん」

 

提督の隣で、春雨がそう呟く。

 

「ああ、そう言えば春雨は四水戦で同じだったよな」

「はい!ずっとお会いしたかったんです」

 

嬉しそうにサイドテールをぴょこぴょこさせる春雨。

僚艦、それもリーダーとなっていた由良の存在は、当時も彼女の精神的な支柱になっていたことだろう。

 

「て、提督!」

 

そこへ、索敵機を指揮していた赤城が駆け込んできた。

 

「何かあったか?」

「はい!偵察機を発見しました」

「戦闘行動に移りましたが、偵察機からは交戦の意思がないと判断し、通信を行いました」

「…すみません、今無電が…ええと」

 

赤城は神妙な口調で聞き取った情報を伝える。

 

「…こちらは単独回航中、軽巡洋艦『由良』発艦機、本日着任の報を舞鶴第一鎮守府提督に伝えられたし…とのことです」

「や、やっぱり新規着任だったんですか?」

「それにしては変だな…熊野、呉の方には今日の異動予定はないか?」

「はい。浦風さんに確認しましたわ」

 

中枢の横須賀を除けば、最大戦果を挙げている呉に連絡がないというのもおかしい。

こう言ってしまえばなんだが、大きい役割を担う鎮守府ほど全国各地艦娘の動向を把握している必要も生まれてくる。単艦回航するならばなおさらだ。

 

「横須賀の大和に確認するのが手っ取り早いか。少し待っていてくれ。赤城は、偵察機を帰投させてくれ。由良の水偵は由良へ着艦させるように連絡を」

「了解」

 

提督の脳裏には一人の少女の姿が浮かんでいた。

 

思い出の中の彼女の、長い艶やかな髪が、風に揺れる。

振り返って零れ落ちた涙が、日の光に輝いていて、そこに懐かしい記憶を蘇らせる。

 

「…まさかな」

 

そんな一瞬の光景が、ふと懐かしくなって苦笑する。

ただ苦しかった、消えかけの記憶の中で、まだ彼女は生きていたらしい。

艦娘となったあの少女は、名を捨て、姿を変え、今はどうしているのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

提督はただ茫然と、第三艦隊の帰投した桟橋の上で立ち尽くしていた。

まるで、夢の続きを見ているようだった。

 

「そ、その髪型…」

「ええ。見覚え、あるでしょ?」

 

艦隊の先頭に躍り出た『由良』は、長い髪を縛った髪飾りを解いて微笑む。

一陣の風に舞った桜の花が、両者の間を通り過ぎて行った。

 

「ようやく会えたね」

「…っ」

 

提督は、その笑顔に確かな既視感があった。

あの時の少女。

姿は変わっても、それは紛れもなく目の前の由良だ。

 

「て、提督?」

 

隣にいた春雨は、何が何だか分からず彼の表情を見つめる。

これまでどんなことがあってもそう大きな動揺を見せなかった彼が、今は目を見開いている。

 

「あの、提督とお知り合いなのですか?」

 

支援艦隊の翔鶴が、由良に近づいて問う。

 

「ええ。私、由良の士官学校時代の同級生。それが提督…『(みなと)』なの」

 

にっこり微笑むばかりの由良を置いて、艦隊の表情は驚愕に染まる。

提督は固まったままだ。

 

「「うえええええ!?」」

 

そう叫んで、すぐさま蒼龍と飛龍が艤装を外して提督に駆け寄った。

 

「そ、そうなんですか!?」

「あ、ああ。確かにそうだ。当時のことは、結構記憶が混濁しているけど…覚えている。由良…常盤木(ときわぎ) 海咲(みさき)だよな?」

 

小さく震えた手を取って、由良はにへらと笑みを浮かべた。

 

「ええ。よろしくね?『提督』さん」

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「それにしても、まさか士官学校時代の同級生だなんて」

「はい…というか、私は司令官の本名が『東雲 湊(しののめ みなと)』さんだったことも知らなかったのです」

 

食堂にて、出撃後の補給を行う電と、提督の指示で配膳を任された春雨が話している。

 

「知らんったんか?でも確かに、初めの方に着任した艦娘以外は知らんかもなぁ。秘書艦のとき、書類整理とかでたまに知るくらいやから」

 

近くにいた龍驤が口を挟む。彼女は睦月や響と同じく、最古参の艦娘の一人だ。

どうやら彼の名前は、大部分の艦娘にはまだ浸透していないらしい。

 

「住んでた地域の川の名前から取ったって言ってたなぁ」

「そうなのですか?司令官の住んでいたところって…」

「あっ、それは瑞鶴さんから聞きました。ずっとこの辺りに住んでたって」

 

春雨が言う。

瑞鶴からそういう話が出たのは、彼が小さくなった時のことだ。

提督が許したこともあり、徐々にその話が広がっていた。

 

「っちゅーと…この辺りに川なんてあったかいな」

「この前、足柄先生とお勉強したのです」

「朝来川、福井川、与保呂川に…あっ」

 

何かに気付いたような春雨。電も同様である。

 

「なんやなんや。ウチ、そういうの分からんねん」

「…由良川、です」

「…え?」

 

三人は真理を悟り得たような表情のまま、カレーを食す手を止めたのだった。

 

 

 

 

 

───演習場

 

「…由良の湊に、由良の岬」

「久しぶりに聞いたな。それ」

 

由良に鎮守府を案内していた提督は、その言葉に少し懐かしい感情を抱いた。

 

「あなたはこの辺りに住んでいたのよね。『由良』の名前も、近くの川から頂いたの」

「知ってるさ。でも、人間としての由良…『海咲』は、和歌山の由良川から取ったんだっけか」

「ええ。ややこしいから、艦娘になるならあなたの方が適任かも」

 

冗談めいた笑みを浮かべる由良。

この会話も、その表情にも、やはり既視感がある。

 

「…横須賀の大和に聞いたが、艦娘になったんだな。しかもここに着任するとは知らなかったぞ」

「私、元は人間だからね。色々と珍しいみたいで…極秘になってるみたい。艤装も他の由良とちょっと違うみたいだし」

 

そう言って艤装を展開する由良。

光の粒子が、彼女の体の周りに集まっていく。

 

「…ふう」

 

艤装はほぼ改装計画通りである。

提督はその内容を思い出しながら、目の前の艤装と照らし合わせていた。

 

「大和から送られてきた報告書を読んだが、雷撃性能が高くなり、追加増設スロットを所持…だったか」

「ええ。人間で艦娘になると、特別な能力を得られるみたい」

 

通常の軽巡洋艦の持つ三スロットに加え、もう一スロットが使用可能になり、増設スロットも通常通りに運用できる。

元々幅の広い戦術を持つ第二次改装と非常に相性がいい。

 

「心強いよ。きっと多くの艦娘に刺激となる。新入りとはいえ、気付いたことがあったら遠慮なく指摘してやってくれ」

「ええ。早く夕立ちゃんや春雨ちゃん、長良型のみんなと会いたい」

「ああ。きっと歓迎してくれるさ。さあ、行くか」

 

そうして鎮守府に戻ろうと背を向けると、袖元が何かに引っ張られている感触がして振り返った。

 

「ん…由良?」

「ねぇ…昔みたいに、海咲って呼んでくれないの?」

 

提督は目を見開く。

胸元に見る上目遣いにも、どことなく当時の雰囲気を思い出したのだ。

 

「…俺は、今は提督だ。由良だけを人間として特別扱いすることはできない」

「そう、だよね」

 

由良は伏し目がちに俯いている。

なんだかいたたまれなくなって、提督は由良の姉妹にそうするように、彼女の頭を撫でた。

 

「…?」

「まあ、そうだな…職務でないときはいいだろう。休日は時間を取れるようにしよう。積もる話もあるだろうしな」

「っ…!」

 

撫で続けると、由良は涙ぐんで、余裕のなさそうな表情をする。

それがどういう意味なのか、提督は分かっていない。

 

「懐かしいな。昔もこんなことあった気がする。教官に怒鳴られて泣いてたっけ」

「も、もう…なんでそんなこと覚えてるのよ」

 

抗議の目線を送る由良。

何だか当時に戻ったように感じて苦笑する。

 

「…というか、みな…提督さん、何だか笑顔が増えた気がする」

 

由良は話題を変えたかったようだが、それが気になっていた。

当時の彼は連日のアルバイトで目が死んでいたり、半開きだったりすることがほとんどだったという。

 

「まあ、提督となってからはそこまでしんどい仕事はなくなったからな」

「よかった。またお仕事大好き人間になってたのかと思ってたの」

「俺を一体なんだと思ってたんだよ…」

 

嘆息して由良を見据える。

こんな軽口を気兼ねなく叩けるのは、やはり彼女だけかもしれない。

提督としてやっていく以上、それはまずいと思うのだが。

 

「えへへ、でも昔とそんなに変わってなくて安心したかも。改めて、これからよろしくね?『提督さん』」

「ああ。期待してるぞ、『由良』」

 

新しい呼び名。

それは由良にとって、彼との距離が遠くなるような気がしていた。

ずっと心の中で支えになっていたものが、すっと消えていくような気がして。

 

「…ごめん、やっぱり最後にもう一回だけ、お願い」

「ん?何をだ?」

「…頭、撫でて」

「そんなことか」

 

さっきと同じように、由良の髪を撫でる。

しなやかな長髪は、あの頃とは違って淡い桃色をしていたけれど、提督にはそれが確かにかつての彼女の髪だということが理解できた。

 

「…もういいか」

「ん…もう少し」

 

由良はさらに提督に近づいて、彼の胸元に顔をうずめる。

提督は彼女の表情――微笑みと、そして静かに流した涙を見て、感情の発露を悟った。

 

「…大変だったか、訓練は」

「うん…厳しくて、人間の私じゃダメなんじゃないかって、ずっと思ってた…」

「それでも、諦めなかったんだな」

「うん…艦娘になって、湊に会いたかった」

 

別離の苦痛と悲哀を乗り越えて、彼女は今ここにいる。

そうまでして自分を追いかけてくれたことに、提督は強く心を打たれていた。

 

「…ありがとう。俺も嬉しいよ。由良が――海咲が、ここにいてくれることが」

「っ…」

 

由良はゆっくり顔を離す。

 

「…ん。もう大丈夫。ありがと!」

「本当か?一人でここまでやってきたんだ。心細いのも当然だろう」

「うん。でも、もう一人じゃないわ。私は艦娘として、この鎮守府を支えます」

 

茶化したように笑う由良。

胸中の寂しさは消え去って、かわりに違う感情が芽生えていた。

彼を想う気持ちは、あの頃から加速するばかりだ。

 

「湊…」

「おいおい、もう俺は提督だって…っ!」

 

そう言いかけた刹那、頬に柔らかい感触を感じた。

唇を離した由良は顔を真っ赤に微笑んで、一歩下がる。

そして、ふと我に返ったのか、慌てだしたのだ。

 

「···っ!え、えと…!」

「…由良?」

「ご、ごめん…!」

 

ダッシュでその場を去る由良を、ぽかんとして追えずに立ち尽くす提督。

 

「ど…どうしたんだ一体…」

 

呆気に取られてそう零す提督を、柱の陰で見つめる艦娘が一人。

 

「あ、青葉見ちゃいました…!」

 

こうしちゃいられない、と言わんばかりに走り出す青葉。

提督の明日はどっちだ。

 

 




ラブコメは苦手です…(経験不足
とはいえ、提督が彼女らの気持ちに気付くのは、もう少し先になるかと思いますが…。

提督の皆さん、2019冬イベントは気合い入れて行きましょう!


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第三十一話 春眠

いつからイベントは今日開始だと錯覚していた?
…という訳で、イベント遅延記念と題して投稿させて頂きます。


春の一日。

鎮守府の港とは反対側の窓からは、爽やかな朝風が頬を撫でる。

 

「···見事だなぁ」

 

この季節特有の、ぼんやりした空気。

散りかけの桜の薄い桃色が、それと相まって心地よい。

しかし、それを楽しんでいる暇はない。

とはいえ、二徹明けの身体には沁みるものだ。

 

「いかんいかん、こりゃあ寝てしまう」

 

ぼーっと眺めているうちに、霞みゆく意識を辛うじて保ちながら、小休憩を終えたのだった。

 

────────────────────────

 

「···終わらんなぁ···」

 

秘書艦のいなくなった執務室の暗がりに、ぽつんと伸びる人影。

それが紛れもなく自分のものであることは、誰の目から見ても分かることだろう。

──────その左右に広がる、無機質で形の整った影も。

堆く積まれた書類は、未だに消化される気配を見せない。

すでに時刻は午後九時。

就寝時刻を目前に控えた艦娘たちに秘書艦の仕事など任せる訳にもいかず、ただただ黙って一枚ずつこなすばかりである。

心配し、手伝おうとしてくれる艦娘や、休養をとるように言ってくれる艦娘もいるが、提督としての立場がある以上、そうそう簡単には仕事を休む訳にも行かない。

気持ちは嬉しいのだが、自分が効率を上げる以外に解決法がないのが現状だ。

 

霞と満潮、曙などにこの有様を目撃されて、(手伝う口実に)罵声を浴びせられたのが懐かしい。

 

(···確か、あの時は全力で謝って手伝ってもらったんだっけ)

 

当時も変わらずそれに遠慮して、彼女らを休ませようとしたところ、お構いなしに三人揃って、不満を口にしつつ手伝いを始めるという、奇妙な光景が見られた。

彼女らの本心を知らない彼は、お礼として彼女らに多額の謝礼と長期休暇を用意した結果、事情を知った彼女らの姉妹に謝罪されるという珍事件も起きたのだった。

 

(これだけ恵まれた職場なんだから、何とか踏ん張らないと)

 

背けていた視線を戻し、意を決して、目の前の平積みされた書類に手をつけていく。

 

 

 

「···ふあぁ」

 

(つ、疲れた···)

 

大きく伸びをすると、コキ、という骨の音とともに、凄まじい眩暈が脳を襲った。

 

「···ふう」

 

〇五三〇、日の昇り始めたその時間。

輝きを放つ橙の光線が、鎮守府の桜を鮮やかに彩っていた。

 

「今日のノルマは終わってるし、午前中に終わるかなぁ」

 

朝食前に片付けてしまおうかとも思ったが、その前に湯浴みをしようと考えた。

艦娘は一人の人間である前に、女性であり、若い者ばかりだ。

流石に昨日風呂に入っていないままで顔を合わせる訳にはいかないだろう。

そう思い男湯へ足を進めていく。

早朝ということもあり廊下には人影がない。

今日はこの時間の出撃もないので、尚更だった。

 

「ふう···」

 

何も考えられない。

三徹明け、身体に溜まった疲労感が、全て溶けていくような気がした。

問題は、この後何か休暇があるという訳ではないということだが、とりあえずそれは置いておこう。

天井を見上げながら、そんなことを考えていた。

 

 

 

────その後、総員起こしのち朝食の時間。

 

「今朝は何にしようかしら」

 

本日の秘書艦、天津風とメニューを覗く。

 

「これもいいわね···あ、でもこれも」

「俺のでいいなら食べていいぞ」

「ほんと!?」

 

苦手な食べ物は特にない、どうせなら、食事を楽しめた方がいいだろう。

 

「…こほん、ありがと。代わりに、私のも少しあげるわ」

「そうか、ありがとう」

 

彼女の普段の口調からすると、結構喜んでくれたようで、思わずこちらも微笑んでしまう。

 

「…ってあなた、もの凄いくまじゃない。大丈夫なの?」

「クマをお呼びかクマ?」

「球磨さんじゃないです!」

「…少し仕事が立て込んでてな。今日はすぐ切り上げられるから、大丈夫だ」

「本当でしょうね?」

「あ、ああ。きちんと午前には終わる予定だ」

「ならよろしい」

 

腕を組んで頷く天津風だったが、内心彼の体調を案じていたのだった。

着任して数か月、彼女が見た彼はいつも、艦娘や仕事のことを考え行動するばかりで、自分自身へ向けられたことがなかったからだ。

 

(このところ激務だったみたいだし、大丈夫かしら···って!こ、これは上官を気遣っているだけであって…!)

 

何故か自分で自分に言い訳をする天津風なのであった。

 

 

 

「あなた、ここってどうすればいいの?」

「ん?ああ、それはだな…」

 

机を並べて仕事を進める提督と秘書艦天津風。

彼女の椅子は少し高くしており、目線が丁度同じくらいになっている。

因みに、本人たっての希望である。

 

「ふうん、なるほど…ありがとう」

 

そう言って、筆を走らせていく。

 

窓からは、まだ冷たい風が吹き込んでくる。

 

「…あ、いい風」

「ああ、涼しくて丁度いいな」

 

書類仕事に疲れた頭を冷やしてくれるのがありがたい。

執務は今日の分を既に終えようとしており、今日は半休を掴み取れそうだ。

 

「···ふああ」

「あら、珍しいわね。やっぱり疲れているのね。少し休んだら?」

 

普段は気の緩みに繋がるため、せめて自分だけでもしないようにと努めてきたのだが、欠伸をこらえるのも、もはや限界を迎えていた。

 

「すまん、気にしないでくれ」

 

とは言いつつ、視界は暗い。

それは、明るい午前中の執務のため、照明器具をつけていないから、という意味ではない。

 

「気にするわよ。どうせ徹夜なんでしょう。何徹なの?」

「···三徹」

「え···」

 

書類が残り一枚となって安心したのか、頭のぐらつきを抑えられなくなってきた。

 

「こ、これで···」

 

その下部に判子を叩きつけ、やおら立ち上がる。

 

「だ、大丈夫なの!?」

 

集中力と精神力が限界を迎え、遂にバランスを崩して倒れそうになる。

先程の言動にただただ慌てていた天津風が、ふらつく体を支えてくれた。

 

「昼寝しようと思うんだが···天津風もどうだ」

「ど、どうって、昼というかまだ十一時過ぎなんだけど···」

 

困り果てた表情。

の裏には、絶好の機会に歓喜するもう一人の自分が。

 

(え?え?今この人にお昼寝誘われた!?)

 

「昼食を先に済ませるか。もう仕事は···終わってるし···」

「い、いいんだけど、あなたの部屋に行った方が···ベッドもあるし···って!べ別に私も一緒にベッドで寝たいとかいう訳じゃないんだからね!?」

「お、おう···とりあえず、ついてきてくれ」

 

その後、半開きの寝ぼけ眼で昼食を済ませ、移動する。

階段から転げ落ちるかも知れん、と付け加えて、お目当てのお昼寝スポットのある方向へ足を進めた。

 

 

 

「···わぁ」

「大当たりだ」

 

別棟の一階、和室から望んだ庭の景色は、この季節において最も美しいと思えるほどに、鮮やかなものだった。

加えて春特有の暖かい風が、鼻の先を掠めた。

桜の匂いと相まって、非常に心地よい。

 

「すっごい···よく知ってたわね」

「伊達に三年間ここで勤めていた訳じゃないさ···それより、本格的に眠気が」

 

眠気によって、身体の制御が利かない。

それに完全に屈する前に、持ち合わせた大きめの毛布と枕を縁側近くに置いた。

 

「よっと···」

 

毛布にくるまるようにして横になる。

凄まじい眠気が、全身を襲った。

 

「···ほら、おいで」

「え、えと···」

 

嫌がられてしまったら少し悲しかったが、その辺りは島風から聞き取り済み。

元からそういう話がなければ、こういう行動に出ることはないのだ。この男は。

そんな男から唐突な行動を起こされると、天津風は、いや全艦娘は弱かった。

 

「し、失礼します···」

 

彼女が毛布に入ると、急に暖かさが増す。

艦としての特徴を受け継いだのか、彼女は体温が高い。そのため、加賀同様、冬は暖炉代わりになっている事が多い。

春先のこの時間帯、彼女の存在は心地よい睡眠を補助していたのだった。

 

「暖かいな。天津風は寒くないか?」

「え、ええ···あなたは、大丈夫?」

「ああ···ごめん···先に寝てしまいそうだ···。」

「いいのよ。ゆっくり休んでね」

 

胸の中の天津風は微笑みをたたえながら、毛布を肩の方へ掛けた。

優しい、気遣いの出来る子。

少し上からの物言いは、長女の陽炎のものだった。

比較的ツンツンした口調だとは言われているけれど、実は心配性なその性格からか、それが深い思いやりの表れであることは、この鎮守府の皆が知っているだろう。

まだまだ練度は低いが、駆逐艦や艦隊の中では大きな役割を果たしてくれている。

 

「···ありがとな···天津風」

 

そんなことを思いながら、眠りについたのだった。

 

 

 

「···はっ」

 

目を覚ますと、陽は傾き始めていた。

 

(二、三時間は寝てしまってたか)

 

心地よい眠りから覚め、気分は爽快だった。

夕方の演習処理を除けば、仕事はもう残っていなかったから、少しはゆっくり出来ると考えた彼は、胸元で眠る駆逐艦に気付く。

 

「すぅ···すぅ」

「そうだった。天津風がいてくれてたんだな」

 

軽く頭を撫でると、とても安心したような笑顔を浮かべる天津風。

 

「···えへへ···」

 

そんな彼女も、普段は姉妹たちを支えているのだから、誰かに甘えることが出来ていないのかも知れない。

 

(俺がそのはけ口になれれば、いいけど)

 

彼女の本心などつゆ知らず、彼は一人そんなことを考えていたのであった。

 

「それにしても起きないな···」

 

寝不足だったのだろうか、とも思ったが、他艦娘より体温が高いことで、エネルギーを使っているからその辺りのこともあるのだろうか。

 

(とはいえ流石にこれ以上長居する訳にもいかない)

 

「よっ、と」

 

そう思い、華奢な彼女の身体を持ち上げる。

その軽さに驚く。ダイエットがどうとか話しているのをよく耳にするが、島風も天津風も細すぎるように感じる。

 

「すぅ···すぅ···」

 

振動で起こしてしまわないかと思ったが、どうやら熟睡のようだ。暫くは起きまい。

 

「陽炎型の寮は···反対側か」

 

辺りを見回し、少しずつ歩みを進めた。

 

────────────────────────

 

正直に言って、心配だった。

使命感の強い彼のことだから、きっと疲れていてもお構いなしなのだろう。

 

(私が、なんとかしてあげられたら)

 

天津風がそう思うようになったのも自然のことだった。

 

「なんや、今日はやけに気合い入っとるやん」

「そ、そうかしら?」

 

陽炎型は、広めの部屋が二つ。

もうすぐ、三つに増やされる予定だ。

姉妹たちは、その部屋をその日の気分で行き来する。

 

「ははーん、今日、自分秘書艦やな?」

「なっ···!?」

 

黒潮は、そんな自分をからかうような目で言った。

 

「分かるで〜、初めはウチも緊張してん···」

 

遠い昔を懐かしむような目で語り出した彼女にホッとしてその場を立ち去った。

 

(危ない危ない···黒潮が語りたがりで助かった)

 

執務室に赴く前、そんなことを考えていた。

 

「んあ···」

 

微睡みの中で、誰かが頬をつつく。

 

(そうだ···私、寝ちゃってたのか)

 

初めは提督に抱き締められているという緊張から、終始焦りっぱなしだったが、少し冷たい風と、穏やかな陽の光に、その状態が心地よく感じるようになっていた。

何より彼の匂いに包まれているという事実が、嬉しくてたまらなくなってしまったのだが。

 

「ふあ、ぁ」

 

そうして目を開く。

視線はいつもより高く、島風や時津風のにやけ顔を見下ろしていた。

 

「···え」

「お、起きたか」

 

それに一瞬、戸惑ったが、すぐに彼女は理解したのだ。

提督に抱えられている──それも俗に言う、お姫様抱っこというやつで──ことに。

 

「な、な、なっ···!」

 

それと同時に、顔は真っ赤になり、タダでさえ高い体温も急上昇する。

ちなみに、煙突帽子から出る煙が提督の視界を塞いでいた。

 

「あ〜、天津風ちゃん、照れてる」

「かわいいねぇ」

 

そんな天津風を見て、ギャラリーは色々言っているものの、それに構っている余裕はない。

 

「天津風、体温が凄いぞ···大丈夫か?」

「だ、大丈夫だけど、は、早く下ろして···!」

 

真っ赤な顔を両手で覆い、叫ぶ。

 

「おう···無理するなよ?」

 

ゆっくり、それもとても優しく、彼は床へ自分を下ろしたが、まだふわふわしているような感覚に襲われる。

 

「提督、どこいってたの?」

 

島風がふと、それを聞いてきた。

 

「ああ、ちょっと昼寝にな」

「もしかして、天津風ちゃんと?」

「っ!?」

 

時津風が鋭い質問を投げかける。

 

「あ、あー!あなた!午後の演習があるじゃない!早く行きましょ!」

「え?あ、ああ···」

「ちょっとー、答えてないでしょー!」

「あ、天津風、そんなに押すな」

「はいはい!行きましょーねー!」

「待てー!」

 

長い長い司令部の廊下を駆け抜ける。

 

「天津風も行くか?」

「と、当然でしょ!秘書艦なんだから!」

 

今日は、他でもない、貴方のために。

そう決めて今日の日を心待ちにしていたのは、いつからだろうか。

 

「そっか、ありがとう」

「っ···いいわよ、そんなの···!」

 

そろそろ息が切れてきた。

心拍は色々な要素の相乗効果で跳ね上がる。

 

「···よし」

「な、何···?」

 

母港への扉の少し前、振り返った彼は自分の手を握る。

 

「行こう!」

 

その笑顔が、彼女の瞳に焼き付いた。

 

「え、ええ···!」

 

光に満ちた、春空の下。

 

(他でもない、貴方のために)

 

彼女は、そんな想いを、胸に秘めるのだった。

 




元々イベント開始と同時に投稿したかったのですが、深夜まで起きていられる自信がないので投稿させて頂きました。

新艦娘の夢を見ながら今日は眠ります…。


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第三十二話 お酒と艦娘(正規空母編)

長らく更新が空きました。
定期的には更新できるようにしていくので、気長にお待ちください。


「···ぅ」

 

思わず、小さな呻き声が出てしまった。

 

(重い···?)

 

開いた目には非常に眩しい光が飛び込み、それがもう朝だという事実を知らせる。

肌寒いこの季節、日が昇り始めているということは、もう昼も近いのではないか。

そして、思い出したように、動かない上半身に視線を戻すのだった。

 

「え···」

 

今のところ、まともな日本語を喋っていない。

そうは分かっていながら、目の前の光景が信じられなくて、声が出せないのだった。

 

「ず、瑞鶴···なの?」

「···zzz」

 

すやすやと自分の身体を枕にして眠っていたのは、後輩の五航戦の片割れだった。

最近では赤城さんがもう一人の方の面倒を見ることが多く、私はこの子にかかりっきりであったりする。

 

「うーん、翔鶴姉···」

「···寝言でも翔鶴なのね」

 

その言葉に、他意はない。

少し笑ってしまった。

 

「ほら、起きなさい瑞鶴」

 

頬をつつくと、彼女は顔を顰めたのだった。

 

「んもう、翔鶴姉なに···って、え?」

「私はあなたの姉ではないわ」

 

胸元で熟睡していた瑞鶴が、驚愕に口を開き、羞恥に顔を赤く染める。

 

「えええ!?か、加賀さん!?」

「ええ。おはよう」

「あ、おはようございます···じゃなくて!」

 

軽快にノリツッコミを入れていく瑞鶴は、決してボケには回れないのだろう。

彼女が空母の誰よりも真面目な性格の持ち主であることを、一体何人が知っているのだろうか。

 

「昨日は飲み過ぎたわね···頭は痛くない?」

「あ、うん···そういえば、飲み会で」

 

頭を片手で抑える瑞鶴。

二人の頭の中に、昨日見たその光景が浮かんでくる。

 

────────────────────────

 

『うへへ、蒼龍ぅ~』

『ちょ、ちょっとまって飛龍!や、やめむぐぐ』

 

溢れんばかりに酒を注ぎこまれる蒼龍。

みるみるうちにその顔は赤くなり、やがて目を回して仰向けに倒れた。

 

『全く、情けないなぁ蒼龍は』

『飛龍さんこっわ···』

 

酒に酔う暇もなく、後ろで青ざめていた瑞鶴に、彼女の双眸が向く。

 

『あれ?瑞鶴、まだ飲み足りてないんじゃない?』

 

顔も青いし、と付け加える飛龍に、後ずさりする瑞鶴。

 

『そ、そんなことないから!ちゃんと飲んでるから!』

『先輩の酒が飲めないのかー!』

『パワハラだー!』

 

全力で逃げようとする瑞鶴の腕を、誰かが掴む。

 

『どこへ行くの?瑞鶴 』

『ちょ···え、ちょ、翔鶴姉、まっ──────』

『今です!』

『おうともよ』

『あ゛──────っ!』

 

そんな光景を目の当たりにして、赤城は苦笑し、加賀は額に手をやるのだった。

 

────────────────────────

 

「そうだ、飛龍さんと翔鶴姉にお酒を···」

「あなたも災難だったわね」

 

下ろされた瑞鶴の髪を撫でる。

いつもは両側を束ねているから、長く暮らしていないと瑞鶴だと分からなかったりするのではないだろうか。

 

「そ、それはそうだけど、私、どうして加賀さんたちの部屋に···?」

 

きょとんとした顔で呟いた瑞鶴。

首を傾げる仕草は、年相応の、可愛らしいものだった。

 

(二航戦があざといと言う理由も、わかる気がします)

 

問題といえば、彼女が艦娘で、艦歴を含むと80年近いということだろうか。

 

(私はもう一世紀経とうとしているのだけれど)

 

艦娘の外見は変わらないとはいえ、精神が老いていくのではないかと思うと、少し震えてくる。

 

「ん···どうしたの?」

「いいえ、何でもないわ」

 

そう考えて、はたと思い出す。

 

(そういえば···)

 

「まあとにかく、翔鶴姉やみんなを探しに行かないと」

 

その瑞鶴の一言で、加賀は我に返る。

 

「そうね···時間も微妙だから、朝食には遅いことだし」

「またご飯の話してる···」

 

呆れる瑞鶴をよそに、加賀は早々と支度を始めているのだった。

 

 

 

「あっ、蒼龍さん」

 

宴会部屋には、申し訳程度に毛布を掛けられた蒼龍が床に倒れ伏していたのだった。

 

「あのままだったのね···可哀想に」

 

無理には起こさないでおこうと、瑞鶴の背に乗せ、部屋へと連れ帰る。

 

「う、う~ん···?」

「起きたようね···蒼龍、大丈夫···?」

 

加賀が心配げに顔を覗き込む。

その表情が珍しすぎて、瑞鶴が目を奪われていたのは別の話。

 

「あれ···かがさ···うぷっ!?」

 

(···不味いわ)

 

咄嗟に顔を青くした加賀に瑞鶴が不思議がっていたが、何か叫びながら、瑞鶴から半ば奪い取るように、蒼龍を抱えて走り去っていくのを見て、ようやく理解した。

 

「も、も限界···」

「が、我慢して蒼龍!!」

 

────────────────────────

 

「ふう、何とか間に合ったわね」

「あ、ありがとう加賀さん···」

「色々と···すみません···うぅっ」

 

小柄な蒼龍が、更に猫背になって悶える。

加賀は、お水でも貰いましょうか、と辺りを見回す。

 

「···何だ、どうしたんだ三人とも」

 

訝しげな表情をして、我らが提督が話しかけた。

休日の私服姿だろうか、ラフな格好をしていた彼に蒼龍を除くニ人がドキッとしていたのは置いておくとして、片手に持った袋に目がいく。

 

「お、おはよう提督さん。昨日の宴会明けで、蒼龍さんの酔いが酷くて···」

「なるほど···大丈夫か?さっき買った水があるぞ」

 

名前通り顔の青い蒼龍の前に、フタを開けたペットボトルを差し出す。

 

「んっ、ぐっ···ぷは、あ、ありがとぉ···」

 

依然としてフラフラの蒼龍を提督が慌てて抱える。

 

「だ、大丈夫か」

「ゔ···い゛てて···」

 

流石に艦娘とはいえど、非艤装展開時に人一人を持ち上げるのはきついだろう、と提督は思い当たった。

 

「···蒼龍は俺が運んでおくよ。これ、渡しておくから、必要なら飲んでくれ」

 

そう言って渡したのは、手持ちの袋の中の瓶に入ったサプリ入りのドリンクと水。

 

「これ···提督も二日酔いなの?」

「いや。昨日那智と隼鷹、千歳と飲んだんだが、飲みすぎたらしくて」

「あの三人が酔うって、どれだけ飲んだのよ···」

 

おぞましい量の酒瓶を思い浮かべ、ゾッとする二人であった。

 

「酒保にも売ってるんだな。まあ取り敢えず、今は念のために他の子を見てきてくれ」

「すみません、有難く頂きます」

 

そう言って、蒼龍を背に載せた提督が、顔色一つ変えずに行く。

 

「「いいなぁ···」」

 

思わず漏れ出た本心にニ人ははっと顔を赤らめるが、当の提督は全く気付く素振りはないのであった。

 

────────────────────────

 

二航戦部屋。

 

「お邪魔しま~す」

 

そっと扉を開けるが、気配はない。

 

「···寝てしまっているのかしら」

 

加賀がそう呟いて、奥へと入って行く。

 

「飛龍さーん?もうお昼ですよー···」

 

それについて行った瑞鶴が問うが、やはり反応はなかった。

 

「ここかな···?」

 

部屋の隅まで彼女の姿を探したが、見つからない。

 

「もう起きてるのかな」

「そのようね。赤城さんのことですし、ひょっとすると自主練されているかも知れないわ」

「うひゃぁ…しばらくぶりの非番なのに?」

「赤城さんはそういう人です」

 

まさに尊敬のまなざし、赤城は、加賀が目を輝かせるほどの艦娘らしい。

瑞鶴は自分の師である加賀からここまで信頼される彼女の人物像を、大食いファイターからようやく改めようとしていた。

と、その時、廊下の先からパタパタと走る足音が聞こえた。

 

「あれ…風雲」

「あっ、お疲れ様です、瑞鶴さん、加賀さん」

 

ぺこりと頭を下げる風雲であったが、何やら袋を抱えている。

 

「どうしたの?」

「随分と急いでいるようね」

 

気になって両人が尋ねてみると、風雲は苦笑して答えた。

 

「ええ。昨晩飛龍さんが翔鶴さんのお部屋へ翔鶴さんを引き込んで遅くまで飲んだらしくて…二人共ひどく酔っていらっしゃるようだったので、そのお見舞というか」

「…本当にごめんなさいね」

「なんていい子なの…!」

 

静かに涙を流す加賀と瑞鶴に、風雲は怪訝な目線を送るばかりであった。

 

「ここは私たちに任せて?風雲、今日は確か非番だったでしょ?わざわざ朝からこんなゲロ酔いの世話なんて···」

「ゲロ酔いって、貴女···」

「い、いえ。大丈夫ですよ。飛龍さんは昔からお世話になってますので···」

 

遠慮する風雲。本当にいい子なのだが、流石にこんな事で大切な時間を浪費させるわけにはいかない、と瑞鶴は感じているようだ。

 

「なら、とりあえず私たちも行きましょう。それで最低限処置をしたら、それぞれ部屋に送り届けるということで」

「そ、そうね。風雲、それでいい?」

「あ、はい。ご一緒します」

 

まったくとんだ迷惑な酔っぱらいです、と呟く加賀であるが、どことなく楽しそうにしている。

この空母六隻で一緒にいることは、彼女にとって何より重要な意味をもつのだ。

口数の少ない加賀ではあるが、いつもより三割増で激しく動くサイドテールを見てそれを感じ取った瑞鶴は、ふふっと笑うのであった。

 

 

 

「お゛お゛お゛あ゛あ゛あぁぁぁ···、いてぇ···」

「ううう···いたい、いたいれすぅ···」

惨憺たる光景。

五航戦の部屋では、阿鼻叫喚の絵面が広がっていた。

 

「獣のような声ね···」

「風雲は見ちゃダメ」

「えっ、そんなにですか···?」

 

なす術なく地を這う飛龍と翔鶴の上半身は肌蹴ており、なんとも情けない格好となっていた。

加えて二日酔いに苦しむ様はまるで死相のようであり、酒癖の悪さを映し出すようであった。

 

「酒の量には気をつけなさいとあれほど」

「ゔぁ···か、加賀ひゃん···み、みずぅ」

 

傍に寄った加賀から水の入ったペットボトルを受け取り、大量に流し込んでいく飛龍。

 

「飛龍さーん、風雲見てますよ」

「はっ!?か、風雲!?」

「ひ、飛龍さん···大丈夫ですか?色々持ってきました」

 

心配そうに飛龍の顔を覗き込む風雲。

二日酔いの頭痛と、風雲の純真な視線に晒され、飛龍の心はにわかに苛まれる。

 

「だ、大丈夫ですぅ!」

「···なんで敬語なんですか?」

「哀れ、飛龍さん···」

 

涙をこらえるフリをする瑞鶴。もちろん内心は爆笑ものなのであるが、これをネタにするのはまた今度だ。

 

「おっとそうだ、翔鶴姉も、ほら起きて。これお水」

「ゔあぁ···瑞鶴···私の天使···」

「何言ってんだか」

 

恭しく容器を受け取った翔鶴。飛龍と同様に凄まじい勢いでペットボトルの水を飲み干した。

 

「っふう…た、助かりました加賀さん、あと瑞鶴」

「あとって何よあとって…それに、風雲もいるんだからね?」

「そ、そうだった…風雲ちゃんも、ありがとうね」

「い、いえ。昨日はかなり飲んでましたもんね」

 

先輩を騙れないような醜態にも拘らず、風雲はおろおろとした表情で心配しているようだ。

その愛らしい姿に頭痛が和らいだような気になっていた飛龍は、ふと思い当たることがあった。

 

「ってか風雲、私たちが呑んでるの見たってことは、結構夜遅かったの?」

「ええっと…昨日、遠征から帰ってくるのが遅かったので。睦月型や朝潮型の子だと結構眠くなっちゃう子もいるので、夜間遠征は夕雲型と陽炎型で担当することになってるんです。だから、起きたらすぐ飛龍さんと翔鶴さんのところに行こうと思って…。」

 

そう説明する風雲は、少し得意げだった。

個人差はある駆逐艦の年長組とはいえ、まだ彼女らは自分の半分と少しくらいしかない年齢だ。

そんな子たちがくたくたで帰ってきたところにこんなぐでんぐでんに酔う空母がいたらどうだろうか。

 

「…飛龍、翔鶴」

「わ、わかってます…ホントごめん、風雲」

「ごめんなさい風雲ちゃん…年長者失格だわ」

 

自己嫌悪に囚われて俯く二人に、風雲は慌てて言う。

 

「そ、そんな。普段の出撃も大変でしょうし、わ、私は気にしてないんです!むしろ尊敬してます」

「…よかったね、嫌われてなくて」

「ホントに…」

 

恐らくそれが建前でないと(祈って)安心しつつ、飛龍は相方の居所が気になった。

 

「そういえば、蒼龍はどこなの?」

「そうですね。あと赤城さんも」

「蒼龍は置き去りにされてたから、提督に保護してもらっています」

「赤城さんは練習だってさー。すごいよね」

 

聞き捨てならぬ情報が耳に入ったが、あれだけ飲ませておいて文句は言えないだろうと自制する飛龍。

ともかく何があったのかは尋問…ではなく事情聴取する必要があるので、ある提案をした。

 

「それじゃあさ、提督と蒼龍と赤城さん呼んで、鳳翔さんのところでお昼ご飯にしない?風雲にもお礼したいし!」

「えっと…いいんですか?」

 

遠慮がちに、それでいて目を光らせる風雲。

たくさん食べさせてあげようと、飛龍は大きく頷いたのであった。

 

「いいじゃない!私、さっそく蒼龍さんのとこ行ってきます!」

「それなら私は、赤城さんのところに。貴女たちは着替えて、先に風雲と鳳翔さんのところに行ってもらえるかしら」

 

話がまとまり、部屋を出る加賀と瑞鶴を見送って、飛龍と翔鶴は怪しげな笑みを浮かべた。

 

「気になりますね…蒼龍さん」

「ええ…。何があったのか吐かせるまでは、手段は選ばないわ」

「え、えっと…」

 

何を言っているのか分からない風雲は、ただオロオロとするばかりなのであった。

 

────────────────────────

 

「話は聞いていたが…そりゃあ災難だったな蒼龍」

「そうなんですよ!艦娘は体は丈夫ですけど、アル中になりますよあんなの」

「貴女たち…どれだけ飲んだのよ」

「あはは…」

 

居酒屋鳳翔に客はまばらだった。

執務を大淀と長門に任せているとはいえ、提督が休暇のため、遠征も出撃もほとんどない。

艦娘たちは哨戒中か、自主トレ、演習、そして空母娘のように休みの者も多いようだ。

 

「嗜む程度はいいですが、くれぐれも気を付けてくださいね。はい、提督のご注文ですね?」

 

そう言って料理を運んでくる和服の艦娘。鳳翔だ。

前線から退いた現在は鎮守府の厨房を担当し、その傍らで居酒屋を経営している。

 

「お、ありがとう。…鳳翔の言う通りだな。嗜む、というのが何でも丁度いい」

「なら、提督さんのお仕事のアレも嗜んでるの?」

 

痛いところを突いてくる瑞鶴。

途端に二航戦も意地悪そうな目つきを向けてくる。

 

「まあ、慣れればあれも趣味みたいなところも出てくるな」

「趣味って…」

 

呆れる一航戦に、苦笑する風雲。

鳳翔に取り皿を頼んで、話は続く。

 

「私と加賀さんに瑞鶴は引き揚げたけど…あの後も飛龍と翔鶴は飲んでいたの?」

「ええ。かなり話し込んだよね?」

「はい。もうほとんど記憶がないですけど…。」

「私が遠征から戻ってきて、飛龍さんと翔鶴さんを見たのが二時くらいだったと思います」

「飛龍…」

「あ、あはははは…まあ、今日は非番だったしね?」

 

冷たい目線を送らつ一同を宥めようと、提督は口を開く。

 

「た、たまには休暇も必要だしな。それじゃあ、飛龍と翔鶴以外はどうしてたんだ?」

「私はその場でダウンでした…今朝加賀さんたちに起こされるまでずっと」

「私、よく覚えてなくて…。加賀さんも?」

「ええ。でも、何か赤城さんに頼まれごとをされたのを覚えています」

 

顎に手を当てて思い出している加賀に、隣の赤城がニッコリ微笑んで告げる。

 

「ああ、それなら加賀さんに爆睡している瑞鶴を部屋まで運んでもらおうと思ったんですよ」

「え、そうなの?」

「ええ。でも加賀さんも酔っていたのか、自分の部屋に担ぎこんじゃうものだから…布団をもう一枚敷いたんだけど、加賀さんも部屋に入った途端に布団に倒れたっきりで…結局、そのまま二人で寝てしまったようです」

 

提督は、加賀の顔がみるみるうちに赤くなっていることに気付いていた。

 

「あらあら、仲いいんだね?」

「師弟っていうより姉妹って感じだね」

 

顔を見合わせる二航戦たち。彼女らも彼女らで仲が良いようで何よりだ。

 

「そ、そうだったんだ…加賀さん、なんかごめんね?」

「い、いえ、いいのよ…。私も酔っていて、どこへ運んだものか判断できなくて」

「いいじゃないですか。昨日の夜を見る限り、瑞鶴も加賀さんに甘えっぱなしだったし」

「!?」

 

今度は瑞鶴が慌て出して、翔鶴の方を向く。

どうやら昨日、酒が入ってからのことは覚えていないようだ。

 

「ねぇねぇ加賀さーん、ってずっとくっついてたね」

「ちょちょちょちょっとぉ!?私それ知らないんだけど!」

「加賀さんもたじたじだったよね?」

 

完全にこの話を面白がっている蒼龍が加賀に話を振る。

すると、加賀は気まずそうに答えた。

 

「まあ、そうね…あっ、でも瑞鶴、決して嫌な訳ではないから…安心して頂戴」

「あ、安心できないぃ!」

 

そう叫んだ瑞鶴の周りで笑っている空母艦娘たち。

その中で、一人加賀は小さく、そして安堵したような笑みを浮かべていた。

 

(どうやら懐いてくれているのかしら…)

 

前任の鎮守府では、仕事ばかりで交わす言葉も少なく、無表情も相まって、怖がられていたようなので、加賀としてはいかに表情豊かな生活を送るかがカギになっていたようだ。

日頃からドタバタする生活も、彼女にとっては楽しみのひとつとなっている。

 

「仲がいいなら何よりだ。健康に気を配っていれば完璧だな」

「はーい、善処しまーす。ってか蒼龍、提督の部屋で何があったのー?」

「ふえ!? ひ、秘密…」

 

面白がっていたところに投げ込まれた爆弾に怯む蒼龍。途端に口数は少なくなった。

 

「是非お聞かせ願います」

「あら。私たちも聞きたいわね。加賀さん」

「ええ。あの後何があったのか。提督の証言も挟みつつ」

「お、俺もか?」

「ま、待っ…!ちょ、ご勘弁を!」

 

にじり寄る空母娘たち。

提督は脱兎する機会を伺っていたようだが、隣の翔鶴と風雲に腕を組まれて逃げられないようだ。

 

「き、君らもしや…!」

「うふふ。どちらへ?」

「て、提督、すみません…」

 

「私、気になります!」

「も、黙秘権!黙秘権です!」

「これは裁判ではありません。尋問です」

「さあ吐け!さあ!」

 

手をわきわきと動かす飛龍。

間もなく先制攻撃が始まり、やがて陥落する蒼龍に、瑞鶴と提督は苦笑するばかりなのであったとさ。

 




加賀さんと瑞鶴の近いけど微妙な距離が好きです。


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第三十三話 真面目に生きるって

提督の朝は早い。

 

「···ふあ、ぁ」

 

自室にはまだ日の光が差し込むことのない午前4時半、寝ぼけ眼のまま起床する。

朝は平気だが、夜も平気にしなければいけないようで、結局休みはないというのがここ数年で得た経験則であったりする。

そんな過酷な労働にも耐えうる心の源泉。

無論それは、この鎮守府、艦娘のことを思えばこそである。

だが、彼はそんな信条を口に出すことはなかった。

着任当初から長い間使っているコーヒーメーカーから、その黒い液が滴る音が小気味良い。

顔を洗い、髪を整えるうちに、何とか目が冴えてくる。

 

「···よし」

 

古傷を隠すように、不自然に伸びた髪にピンを差す。

この間は迂闊に微睡んでしまい、金剛にバレてしまった。

余計な心配は掛けたくないものだ。

コーヒを一口啜りながら、すぐ近くの母港へ急ぐ。

 

 

─────────────────────────

 

 

「よっし、ドラム缶持ったかー?」

 

遠征艦隊旗艦の天龍が、第六駆逐隊の面々の指揮を執る。

水雷戦隊としての攻撃力、統率力も相当のもので、不測の事態にも対応してしまうのが凄いところだ。

 

「はいなのです。あっ暁ちゃん!」

「むにゃ···」

 

海面でふらつく暁を電が心配している。

 

「んむ···はっ!?あ、暁は大丈夫なんだから!」

 

そう言って何故か右腕に嵌めた機銃を見せてくる

どうやらドラム缶と間違えたらしい。

これに苦笑していると、天龍がコツンと彼女の頭をつついた。

 

「あうっ」

「ったく···早く取ってこい···って、提督が?」

 

母港から工廠の装備庫までは距離がある。

ただでさえ遠距離の遠征に行ってもらうのだから、そのくらいは陸にいる者が何とかするべきだ。

天龍にそう言い残し、小走りで工廠へと走る。

 

「···?」

 

出発まであまり時間はない。

それ故無人でまだ暗い工廠からドラム缶を早く回収しなければと思っていたのだが、どうやら先客がいるようだ。

 

「···すー、すー···」

 

規則正しい寝息が聞こえるのを感じ、部屋の奥を覗くと、そこには点検済みのドラム缶と、突っ伏して眠る夕張の姿が。

 

「···」

 

きっと彼女のことだから、徹夜で作業し、最後に今日の遠征を確認してドラム缶などの装備を確認してくれていたのだろう。

夜更かしを咎めることなど、到底できなかった。

隣の仮眠室に運び、軽く頭を撫でる。

いつもありがとう、と思いを込めて。

 

 

 

「うし、揃ったな。ありがとな提督!それじゃ、旗艦天龍、これより南方海域への遠征を開始する!」

「了解!」

 

笑顔で敬礼を返し、その姿が見えなくなるまで見送る。

いつの間にか工廠から付いてきていた妖精さんも一緒だ。

夕張の事が気になりつつ、妖精さんの敬礼に返礼する。

 

「おはよう。今朝も早いね」

「ていとくさんにはまけます」

「そうかい?···そうだ、今朝は夕張に朝食を作ろうかと思っていてね。妖精さんにもご馳走しよう」

「ほんとうですか」

「ありがたきしあわせ」

 

妖精さんがわらわらと帽子の上に集まってくるのに苦笑する。

 

「早起きは三文の得、というやつだな」

 

工廠のすぐ側にある作業場、その奥。

先程夕張を運んだ仮眠室とは別に、簡易だがキッチンなどが設けられている部屋がある。

 

「ここ、ひさしぶりにはいります」

「ふむ···意外と綺麗にしてあるんだな」

 

ゴミや雑誌が散らばっているということはなかったが、この様子だときちんとした料理は作っていなかったのだろう。

冷蔵庫の中身はエナジードリンクなどまともなものが無く、ここから取り出して何かを作る、ということは難しそうだ。

 

「あまりこういうものは健康に良くないからな···たまにはベーシックに、しっかりした朝食をとるというのも悪くない、かな」

「たのしみであります」

「期待して待っててくれ」

 

見るからに胸を躍らせている妖精さんたちにウインクをして、材料を取りに、一度ここを出ることにした。

 

 

「あ、あれ···?」

 

目を開くと、工廠の仮眠室であろう、その光景が広がるが、昨日···今日、そこで眠りに就いた記憶がない。

 

「あ、夕張」

 

起き上がったベッドの上からの視界には、提督が盆を持ってくる光景がありありと映った。

 

「え、て、提督!?」

 

普段とは違うジャージ姿に、朝から幸せで仕方がないが、現状が理解出来なくて焦る。

 

「おはよう。朝の遠征でドラム缶を取りに行った時に夕張を見つけてね。迷惑だったかも知れないけどここまで運ばせてもらったよ」

 

近くのテーブルに両手で持った盆を置く。

湯気を立ち上らせるカフェオレからは、良い香りが漂う。

その他にもクロワッサンやミニトマトのサラダ、ソーセージと、よくあるが最近は全く口にする機会のなかったきっちりとした朝食に、思わずくうぅ、とお腹が鳴る。

 

「はっ···!?す、すみません」

「謝ることはない。作ったから、もしよかったら食べてくれ。」

 

提督は微笑んでそう言うのだった。

 

 

─────────────────────────

 

 

「ご、ご馳走様でした」

「お粗末様。味は大丈夫だったか?」

「こんな美味しいの、久しぶりに食べました···最近は食堂にも行ってなかったので」

 

目を輝かせる夕張だが、提督はそんな彼女を心配していた。

 

「大丈夫か?申し訳ない。仕事を任せすぎて無理をさせてしまっていたみたいだ」

 

胸中には申し訳なさが残るばかりである。

 

「いえ···!提督に比べればこんなの」

 

両手を振って否定する夕張。

仕事熱心な彼女だが、同時に責任感も強い。

対潜や、砲撃戦等で重装軽巡洋艦として活躍する傍ら、明石を始めとする工廠でのサポート。

任せられた仕事や、自分の役割は、全て責任をもってこなしてくれてしたのだろう。

 

「俺は提督として当然かも知れないが、軽巡艦娘がこの仕事量をこなすのは流石に無理があるだろう」

 

もちろんそれは夕張の能力が足りていない事ではない。

それを付け加えつつ、夕張に休暇を与えた場合のシフトを脳内で組み立てていると、彼女が少し悲しそうな表情をしているのに気付く。

 

「···私は、真面目なことくらいしか取り柄がないので」

 

彼女は、そう言った。

 

「···」

「勿論、そんな私が自信を持てるように、提督が色んな世界を見せてくれて、私に役割をくれたことには、本当に感謝してます」

 

その微笑みが、どうしても寂しげに映る。

彼女は知っていた。

真面目である人間は、つまらない人間だということを。

それしか能のない人間は、きっと彼にとって必要とされなくなってしまうことを。

それが、どうしても怖かったのだ。

 

「···夕張」

 

小さく身を震わせる彼女に、思わず感情が抑えきれなくなったのは、どうしてだろうか。

 

「···ぇ」

 

夕張の肩を掴む。

 

「今から、少し変な話するけど···いいか」

「は、はぃ···」

 

赤らめた顔を伏せるのにしたがって、声が小さくなる。

そんな彼女に構わず、提督は続けた。

 

「真面目でいることは、そんなに簡単なことじゃない」

「···?」

 

思わず顔を上げ、不思議そうな顔をする夕張。

 

「それで充分じゃないか」

 

その表情が、段々と、変わっていく。

 

「確かに世の中、真面目なやつには辛いよな」

 

慈愛のこもった視線が、どうしようもなく夕張の心に刺さる。

 

「どれだけ努力しても、あの人は真面目だから、で終わってしまうこともある。優れた才能をもつ人間には勝てないと、悟らされてしまうこともある」

 

彼女の綺麗な翠色の髪に手を置いて、ゆっくりと撫でる。

 

「それでも、君を···人間としての『夕張』を見てくれている人は、絶対にいるから」

 

震えはいつの間にか、治まっていた。

 

「少なくとも、俺は知っているぞ。人より多く、自主練や研鑽を重ねる夕張を。工廠で夜遅くまで装備の点検をしてくれている夕張を」

「そんな夕張を、俺は人間として尊敬するし、部下としてこれ以上なく誇りに思う」

 

自分にどう思われているかは関係ないかも知れないが、上司としては、言っておくべきなのかも知れない。

もはやこんなクサい言い方をしている時点で、気にする必要もないだろうと、彼はいつも通りの思考だった。

 

「自信を持て。君はそのままの君がいい。自分の為に、他人の為に努力できる君は素晴らしい」

「···は、い」

「ゆ、夕張?」

 

頬に流れる涙の筋が二つ。

 

「ありがとう···ございます···っ」

 

世界が彩られ、輝きを放つ。

自分が自分として生きる意味を知ることは、きっとそういう事なのだろう。

提督は、涙を拭う夕張を無意識のうちに抱き寄せ、背中を軽く叩いてやる。

嗚咽はしんとした部屋の静寂の中に、しばらくの間響くのであった。

 

 

 

 

 

「夕張」

 

後日。

昼下がりに、工廠へと荷物を運ぶ夕張を見つけて声をかけた。

 

「あ、提督。お疲れ様です」

 

振り向いて、小さく会釈をした夕張の背中から覗かせる、小さな姿が一つ。

 

「お疲れ様です!」

「ああ、五月雨。手伝ってくれているのか?」

「そうなんですよ。ほんとに大助かりです」

 

ポンポンと頭を撫でられ、照れくさそうにはにかむ五月雨。

あれからというもの、夕張はいい意味で無茶をしなくなった。

それは提督が工廠の手伝いをそれとなく促した結果であるかも知れないが、何でも一人で抱え込むことが無くなったといえる。

 

「えへへ。今まで夕張さんや明石さんにはお世話になりっぱなしだったので、私も恩返しできるように頑張りまひゅっ!」

「···」

 

言葉が切れた途端、五月雨はしゃがみ込んでしまった。

恐らく、舌を噛んだのだろう。

 

「〜〜っ、いひゃい···」

「だ、大丈夫か」

 

慌てて近くに寄る。彼女は涙目であった。

 

「ま、まあ、適度に頑張って行こうね」

「ひゃ、ひゃい···」

 

涙を浮かべる五月雨を抱きとめる夕張。

そんな彼女に、提督は目を見開き、そして微笑した。

 

「···応援してるからな」

 

二人の肩に手をやる。

「ひゃい!」

「···はいっ」

 

振り向いた夕張の顔は、底抜けに明るい笑顔だったことは、言うまでもないだろう。

 

 

 

 

 

あれから、私の生き方は、変わったような気がする。

 

「夕張さん、この主砲は補修ですか?」

「そうね。こっち側に持ってきてもらってもいいかしら?」

「はい!」

 

弾かれたように動く五月雨ちゃんは、少しドジっ子だけれど、とても優秀なお手伝いさんだ。

 

あの日、提督が「そういう風に」働きかけてくれなければ、もしかしたら、私はどこかで折れてしまっていたのかも知れない。

 

「···ん、ありがとう。じゃあこの主砲の特徴でも話しながら修理しましょうか」

 

欠けた主砲の側面を撫でながら話す。

そして提督の言葉が、自然と思い出されるのだ。

『見てくれている』

 

その言葉は、辛い心を照らしてくれるような気がしていた。

どこかで私は、欲してしたから──────自分が自分として生きて行くことを、認めてもらうことを。

誰かの影に隠れる自分ではなく、誰かの先を導く自分を。

そして、私は変わることができた、ような気がする。

具体的には、私も知識面では、明石さんと同じような立場として扱われるようになったこと。

工廠の現場の役職としても、五月雨ちゃんというパートナーと、作業を(もちろん教えながらではあるが)分担できるようになったことだ。

 

丁寧に塗装を塗り込んでいく。

損傷部位については、妖精さんの専門分野だ。

もちろん、艦娘に出来ない事はないが、作業速度が違う。

そう、こんな風でいいんだ。

みんなが、それぞれの得意なところを生かして活躍できる。

それは難しいかもしれないけれど、現に、私たちの提督は、私を認めてくれた。

 

「この主砲は癖が強いけど、しっかりと着弾した時のダメージは桁違いなの。大切に使ってあげてね」

「はい」

 

塗料の乾燥のため、一時保管場所を変える。

主砲を手渡すと、五月雨ちゃんは明るく笑っていた。

 

 

────────────────────────

 

 

ある日。

この日は夕張の、着任記念日だったりする。

初夏の日差しが眩しく、そんなことも忘れて、彼女は工廠での作業を汗だくで終えていた。

 

「おーい」

 

自分を呼ぶ声に反応して後ろを振り向く。

 

「はい···あ、提督!」

 

彼は両手に小包を持っていた。

 

「どうしたんですか?それ」

 

不思議そうな表情をする彼に首を傾げる。

 

「ああ。今日、夕張の着任記念日だろ?」

 

包みを紙袋の中へ入れながら、彼は言った。

 

「そ、そういえば」

「おめでとう。これからも、共に艦隊を支えてくれ」

 

握られた手が、これまでになく熱い。

それは、様々な感情が入り交じった心の温度。

 

「大変なこともあるかもしれないけれど···」

 

固く握られた手に、他の掌が重ねられる。

 

「その時は、私たちが支えて見せます!」

 

よく聞いた声。

 

「さ、五月雨ちゃん···」

「ボクたちも一緒さ!」

「おうよ!」

「皐月ちゃん、江風ちゃん···」

「私たちも忘れないでね···ねっ?」

「由良に阿武隈、五十鈴も」

「対潜ではあなたに負けないけれど···その装備を管理して、万全の状態にしてくれているのは、あなただもの」

 

五十鈴は夕張の肩を叩くと、そう言った。

 

「私たちの魚雷も、夕張さんが丁寧に整備してくれたから、活躍できるのよ」

「あたし的には、ウルトラOKです!」

 

由良と阿武隈が、夕張の手を取ってそう言った。

 

「皆、夕張の頑張りを見ているから」

 

提督は微笑む。

 

「誰よりも頑張り屋で、誰よりも優しい夕張を」

 

夕張の目には、涙が浮かぶ。

 

「よおし、今日は夕張ちゃんを甘やかすよお!」

「おーっ!」

 

五月雨たちが、一斉に夕張に抱きつくと、夕張はその涙を拭いながら言った。

 

「ありがとね···みんな···!」

「えへへ、夕張さんも泣き虫ですね」

 

五月雨がそう言って、笑いが沸く。

笑顔の輪の中心で、夕張は一際輝いた表情で笑っていたのだった。

 




ほっこりする話って、なかなか難しいですね。

作者の薄い人生経験では捻り出せません…


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第三十四話 証

「…あれ、司令官?」

 

もう日付が変わろうとしている時間帯。

文月はラウンジ近くの廊下に提督の姿を発見した。

 

(もうお仕事終わったのかな)

 

夜間作戦に体を慣らすため、この頃は第二二駆逐隊の面々と共に、起床と就寝の時間帯を繰り下げて生活している。

そんな理由もあって、夜間演習を終えた文月は、こっそりとテラスに出向く提督の後をつけた。

 

「…ふぅ」

 

(あれ…?)

 

柵の縁にもたれ掛かって、小さく息をついた提督。星を見上げているのだろうか。

ふと、文月は彼の手に、普段見ないものを見つけた。

 

(司令官って、たばこ、吸うんだっけ…?)

 

着任以来、提督は、艦娘への気配りを忘れなかった。

だから、彼が煙草や酒をあからさまに嗜んでいる姿を、文月たち艦娘はほとんど見たことがない。

彼女の脳裏に、穏やかでいて、凛とした表情で佇む普段の司令官像がはっきりと映る。

 

(なんか、いつもの司令官とは、別の司令官みたい)

 

遠くの景色を眺めるようにして、目を細めて煙草を吸った提督の瞳には力が抜け落ちて見えた。

全身から、その身に纏う覇気が消え失せていたのだ。

 

(どうしちゃったんだろ、司令官)

 

陰ながら彼を見つめていた文月。

廊下の奥にその小さな体躯を潜め、胸中の微かな不安の混じった目線を向ける。

 

「…どうしたんだ、こんなところで」

「ひゃあ!?」

 

そんな彼女の後ろから、夜警の仕事を始めようとしていた長門がやってきて、声を掛けた。

 

「あ…長門さん。お、お疲れ様です」

「うむ。もう夜も遅いぞ…と思ったが、夜間作戦前だったな。ここで何をしていたんだ?」

「え、ええと…」

 

一瞬、文月の脳内で、提督を眺めていたことを白状することを躊躇う自分との葛藤があったが、ふと、先程感じた違和感の正体を、長門ならば知っているのではないか、と思い当たって口を開いた。

 

「あのね、向こうに、司令官がいるんだけどね、なんか、いつもと違うみたいなの」

「なに、提督が…本当だな」

ふと顔を上げて、テラスの奥を覗けば、確かに彼の姿はあった。

薄く照明の灯るのみの鎮守府の闇のなかで、彼はまだこちらに気付いていないようだった。

 

長門はふと見慣れない彼の姿と、その身に纏う雰囲気とを文月と同様に感じ取った。

ただ、唯一彼女と違うところがあるとすれば、彼女が年長者であり、そして聡明であるが故に、あれこれ思考を重ねて、ある結論に至ったことであろうか。

もちろん、文月を貶しているわけではないが。

 

「…そうか、今日だったか」

「…?」

 

少し俯いて、しかし決して悲哀を感じさせない表情をして、長門は呟いた。

 

「今日、十年ほど前の今日は…深海棲艦の舞鶴襲撃の日だったんだ」

「…!」

 

文月は、目を見開く。

彼の『昔話』は、今では鎮守府の多くの艦娘たちが知るところとなっていた。

 

「あの襲撃で、提督のご両親は亡くなっている。だから、もしかしたら…今、提督は、お話をしているのかも知れないな」

「おはなし…」

 

提督の表情が、文月の脳裏に再び蘇る。

彼が見せた力のない瞳は、本来彼が備えもつ瞳なのかも知れない。

日々深海棲艦との死闘を繰り返し、指揮を執る、あの凛とした視線は、あくまでも彼が見せる様々な感情のうちの、ほんの一部でしかなかったのだ。

 

「一年に一回…提督が一人の人間として、ご両親とお話しすることのできる夜だ」

「…今日、だけなの?」

「ああ。…いつもならばこの時間は仕事も終わっていないだろう。今日だって、つい先ほどまで私が執務補佐に就いていたくらいだ」

「今だけ、なの?」

「彼の代わりは、世界のどこにもいない。大事な使命を、提督は遂げようとしているのだ。今日くらいは…夜の煙草も見逃してやろうじゃないか」

 

文月は、ただ口も聞けず、弱さすら感じさせる、儚げな提督の姿を見つめていた。

薄く開かれた彼の瞳は、もう一切の悲しみと後悔とを振り切って、ただ慈愛の念を強く放っていたようだった。

 

「しれえ、かん」

「…文月」

 

一筋、涙が文月の頬を伝って流れ落ちる。嗚咽を溢すこともなく、しんしんと流れる。

それがどんな感情に起因しているのか、文月は知らない。

泣きたいときに泣き、笑いたいときに笑うことのできる、そんな温かい環境に生まれ育った文月は、それを理解することができない。

彼と文月の間に、性別や年齢だけではない、大きく彼らを隔絶させるなにかが、超然と存在していた。

 

その、あまりにも遠すぎる距離に恐怖を抱いているのだろうか。

 

「しれいかんが…どこかへ行っちゃう」

 

手を伸ばした文月。

急に怖くなった。彼が霧のように消え、風にさらわれて遠くへ行ってしまうような気がしたのだ。

長門はそんな文月を抱き上げ、背をゆっくり、優しく叩いた。

 

「提督は深海棲艦への復讐のために提督になったのではない。自分のような人間が生まれないようにするためだ…それが綺麗事にならないように、どこまでも努力を続けているのは、文月も知っているだろう」

「…うん」

「提督は、ずっと私たちの側にいる。隣に立って、未来へ導いてくれることだろう」

「…うん」

 

ただひたすらに純粋な信念追求の極致が、彼の感情と表情として生まれ、表れている。

ここまでの人生を捧げ、その信念を燃やすように輝かせて生き抜いてきた者だけが見せるものが、そこにはあった。

 

「私たちには、私たちなりのやり方がある。その方法で、力の限り提督を支えようではないか」

「…!」

 

顔を長門の肩に押し付けたまま、文月は何度も頷いた。

その姿に、長門も小さく頷く。

 

「さあ、もう眠ろう。明日また、彼を支えられるようにな」

 

長門は、振り返ってテラスの奥を一瞥し、月明かりが照らしている彼の姿を見た。

彼の瞳は何を映しているのかが、長門にはなぜか、ひどく気になったのだった。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「…っふぅ」

 

長い長い執務を終え、一人、テラスに立つ。

今日ばかりは予定を入れられなかったとはいえ、艦娘たちの夕食の誘いを断ってしまったのが少し申し訳ない。

 

それでも、察しの良い者は気遣ってくれたようだ。

今日という日が何の日であるかを、彼女らに教えたことはない。ということは、わざわざ調べてくれた、ということか。

 

(部下に恵まれたな…俺は)

 

言葉では表しきれない彼女らへの感謝の思いを胸に留めていると、やはり昔とは大違いだという感覚が生じてくる。

 

苦難に富んだ人生だと、自分でも思う。

身寄りのなくなるということは、こんなにも不安なことなのかと、初めて知ったあの夏。

親類縁者の中で、唯一自分の顔と名前を知る老夫婦の元へ、暗い夜道の峠を越え、息も絶え絶えに歩き続けた光景が懐かしく、脳裏に浮かぶ。

 

家族の死を受け入れること、死を背負って生きること。

その重圧と喪失感の寂寥は、たった十数歳の少年が抱えるには重すぎた。

あまりにも救いのない人生と、後悔に一人涙を流したことは決して少なくなかった。

 

それでも、やはりこうして生き抜いたことは間違いではなかったらしい。

それは、他でもない艦娘たちが証明してくれたようだ。

鳳翔、吹雪、睦月、響、阿武隈…と、これまでに出会った順に、艦娘たちの笑顔が俊巡していく。

彼女らと出会えたことが、提督の人生に意味を与えた。

 

(家族や、艦娘たちのことを考えるだけで、力が湧いてくるようだ)

 

士官学校でも、自分より成績の高い者は幾らでもいたはずだ。

そんなものより、ずっと強く求められていたことは、きっとこの純粋さだったと、自信を持って言えた。

それをひけらかす意図は全くもってないが――。

 

(父さん…俺は、強くなれたかな)

 

いつもの優しげな表情も、時には厳しく叱られたあの記憶も、今では自分を支える大切な柱になっている。

 

(母さん…俺は、まだそっちには行けないみたいだ)

 

抱き締められたときの温もり、懐かしい料理の味。

薄れていく記憶の中でも、きっとそれらは、いつまでも残っていく。

 

(…)

 

兄弟や友人との思い出だって、強く心に刻まれていることだろう。

しかし、今となっては、彼らに会う手段もない。彼らは、自分の記憶の中に生きるだけなのだ。

いつまでも、覚えていること。繋いでいくこと。

それが、一人の人間としての自分の使命だ。

 

(まだ…けれど、きっといつか)

 

優しい月の光が降り注ぎ、星々は、都会の放つプラスチックな光に負けずに輝く。

一心に命を燃やすその生き方に、提督は惹かれるようだった。

 

(会いに行くから)

 

今度こそ、この大切な国を守れたなら、皆は許してくれるだろうか。

次に会ったときは、笑って自分を抱き留めてくれるだろうか。

 

あの優しい微笑みに触れられるなら、今すぐにでも、会いに行きたい。

そんなエゴを胸の奥にそっと押し込めて、未来を向く。

あの人たちが、そして艦娘たちが望む平穏が待っているはずだと、強く奮い立たせる。

 

(…少し、休んでから、迎えに行くよ)

 

彷徨に似ていて、しかし決して同じではないその思いが、彼の胸の中に溢れていた。

 

(待っててくれ)

 

遠く、遥かな思慕の念を抱いて、あの星に想いを馳せる。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

名残惜しい夏の夜の空気を振り切って、テラスから屋内に戻る。

空調が効いた心地よい涼しさが全身を覆った。

 

(さて…)

 

煙草を捨て、空き缶をゴミ箱に投げ入れる。

迷いのない視線でもってそれを確認したら、既に彼はいつもの表情へと戻っていた。

 

「…」

 

音もなく、夜の廊下を歩き進む。

起きている艦娘も少ない。夜間演習や、遠征に帰投した者がちらほらと散見されるだけだ。

 

執務室の扉を開けると、夜警である長門が待機していた。

 

「長門か。お疲れ」

「ああ、そちらも」

 

少ない言葉を交わし、残された、書きかけの文書を確認する。

すると、何だかそれらを書き始めようとする力が出ない。

 

「…」

「…提督?」

 

机上ですっかり固まってしまった彼の腕の動きを訝しんでか、長門が彼の名を呼んだ。

 

「何故だろう。今晩はどうも、駄目みたいだ」

 

言葉尻に微かな声の震えがあったことを、長門は聞き逃さなかった。

 

「…これは、秘書艦兼夜警の独り言だ。気にしないでくれ」

「…?」

 

小さく咳払いをして、長門はそっぽを向いて言う。

少し不思議にも思ったが、提督はそれを黙って聞くことにした。

 

「今日くらいは、提督にも休んでほしいものだな。思い出に浸る時間も大切だろう。弔問する暇もなければ、きっと後悔が残るだろう」

「…っ、長門」

「おっと、喋り過ぎたようだ。上司に聞かれては不味い」

 

立ち上がって、振り返る長門。

 

「…私だって、艦娘だって提督と同じ思いだ。そこに大きさの違いはあれ…決して忘れたりはしない」

 

彼女の表情には、確かな自信と笑顔があった。

目を見開いて、提督はそれをしっかりと見た。

 

「それではな。そろそろ巡回時間だ」

「ああ。……ありがとな」

 

さよならに手をひらひら振って、長門は扉を開ける。

提督は、そんな彼女の後ろ姿を見送って、窓辺に佇む。

見上げた夜空が、ついつい潤んでしまった瞳に、歪んで映る。

 

「…俺は本当に、幸せ者だな」

 

年を取ったからか、それとも、この鎮守府で変わったのか、いつの間にか緩くなってしまった涙腺。

提督は、涙が零れないように目頭を押さえて、一人、海の向こうに続く夜空に微笑んだ。

 

 



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第三十五話 思い出

提督視点多すぎてすみません。
そしてちょっとシリアス(?)続きなので、次話からは日常回も増やしていきます。


自分の過去を振り返ると、幾らでも掘り起こされる思い出がある。

 

雪の日、川で溺れていた猫がいた。

震える思いで飛び込んで助けたものの、処置が終わって顔を覗き込んだら、顔を引っかかれてしまったことがある。

 

道端で泣き叫んでいる子供がいた。

迷子とのことで、なけなしの生活費を削って食べ物を買い与え、町を探していたら、母親が現れた。

安心のあまり泣き出す子供だったが、母親は安心してはいなかったようだ。誘拐と間違われ、通報されかけたことがある。

子供の手から取り上げられて、地面に投げ捨てられた飴が、何とも痛々しげに映っていた。

 

仕事場へ向かう電車の中、痴漢被害に遭っていた少女を助けた。

最寄り駅のホームへ連れ出したは良いものの、あろうことかその痴漢に抵抗を食らって殴られ、終いには痴漢が捕まった後、駆け付けた少女の父親に誤解され、もう一発もらってしまったことだってある。

 

あの猫も、あの子供の母親も、あの少女の父親も、決して悪気があったわけではない。

そりゃあ知らない動物に突然抱え上げられれば驚くだろうし、息子が知らない男に連れられていたら、危機感を抱くのも当たり前だ。娘が痴漢被害に遭っていたと聞かされれば、近くにいた男に激昂のあまり拳をぶつけてもおかしくはない。

 

当時の自分は身寄りのない人間だ。ほとんど親類に奪われた残りの資産で、何とか生活を続けていくしかなく、そんな子供を受け入れられるほど、深海棲艦の強襲被害から立ち直ろうとしていた社会は寛容には出来ていなかった。

 

とにもかくにも、自分ではそう結論付けることしか出来ないようにも思われる。

そうでもしなければ、理不尽な社会には耐えられないのだ。

 

 

 

 

 

(…なんでこんなこと思い出したんだか)

 

提督は、早朝の鎮守府廊下を一人、歩いていた。

徹夜明けなものだから、昨日は風呂に入っていないため、艦娘たちの起床より早く風呂に入って身だしなみを整えておこうという、彼なりのささやかな心配りであった。

 

「···ようやく休める」

 

廊下の先に見えてくる大浴場。

夜間から艦娘たちの起床、総員起こしまでの時間帯は提督や臨時に鎮守府を訪れる男性職員が使用できる時間帯だ。

彼は、間違いのないように当日の秘書艦に報告を済ませた上で使用していたのだった。

 

激務の後ではあるが、今日の業務内容を考えながら、安息の地へと足を踏み入れる。

暖簾をくぐって、広々と更衣室に用意されているロッカーに着ていた服を投げ込んだ。

これも後で洗濯しなければならないのかと思うと、気が重いが、今は一刻も早く休みたかった。

勢いよく扉を開けると、そこにはブラシを持っている二人の艦娘が。

 

「──え」

「「ひゃああああああ!?」」

 

こちらは全裸にタオル一枚。

どう考えても立場が悪いのは確かだ。

そんな思考が頭をよぎる前に、二つの湯桶が顔にめり込んでいた。

 

「あぐっ···」

 

疲労困憊の身体にはよく効いて、そのまま彼の意識は霧散したのだった。

 

 

 

 

 

──────提督

───────────提督!

 

「ん···」

 

身体を揺さぶられる感触に、瞼が開く。

彼はゆっくりと意識を取り戻していた。

 

「あれ···?」

 

そういえば、自分はどうしていたのだろうか。

徐々に広がっていく視界に映った、毛布を被せられた自分の姿と、脱衣所。

加えて、そんな状況に動じずに(?)

半泣きになっている龍鳳と鳳翔を見て、合点がいった。

 

「て、提督!」

「ご無事ですか!?」

「な、何とか···」

 

ゆっくり起き上がると、額の部分が強く痛んだ。

若干ながら、鳳翔らに桶をぶつけられたのを思い出す。

 

「いってて···」

 

流石は彼女らというべきか、額には完璧な処置が施されていた。

特に傷口に関して心配する必要もなかろう。

 

「も、申し訳ありません!」

「そ、掃除中だったもので···」

 

平謝りをする軽空母の二人組。

湯桶をめり込ませたことだけではなく、内心では気絶する提督の身体を見て、思わず喉を鳴らしたことも懺悔しているようだ。

 

「気にしないでくれ。というか、俺の方こそ無確認だった。申し訳ない」

 

肝心なことを忘れていた。

最初に手違いで人がいないか確認するのは義務だろうし、そもそもここは鎮守府なのだから、男の自分は、その辺りに配慮しなければならないのだと、提督は頭を下げる。

 

「て、提督が謝られるようなことは···」

 

鳳翔に疲れた笑みを返すことしか出来ないほどに、提督は疲弊していた。

 

「申し訳ない、贅沢を言わずに部屋のシャワーを浴びればよかった」

「あ、提督…」

「朝方にまた会ってもらえるか。お詫びをさせてもらう」

 

二人に謝罪と掃除のお礼をした後、軽く着替えを済ませ、よろめきながら自室へ向かうことにした。

立ち上がると頭がひどくくらくらする。

 

(や、やってしまった…)

 

全ては自分の不注意が原因なのだが。

既に身体的、精神的疲労はピークを迎えており、その辺りの事情に気を向ける余裕が無かったのだろう。

そんな言い訳じみたものを考えつつ、彼は自室のシャワーから吹き出る温水を浴びるのであった。

 

 

 

 

 

「あれ?そのおでこどうしたの?」

 

朝食前、今日の秘書艦である鈴谷が顔を出すと、開口一番にそれを聞いてきた。

 

「ああ、それがさ···」

 

少し話すのは躊躇われたが、話してみようと口を開くと、何やら傍で自分を呼ぶ声がした。

 

「て、提督…」

 

振り向くと、そこには暗澹たる表情をした鳳翔と龍鳳の姿が。

目は灰色に濁っており、提督は今朝方のことを未だに引きずっていると感じて、ひどく後悔した。

 

「あ、ああ鳳翔に龍鳳。丁度いい、ついでに話してしまおう」

「んー?なになに?」

 

なんだか不穏な空気を感じていた鈴谷だったが、提督たちの落ち込みようなどは予想だにしないのであった。

 

――説明中。

 

「あっははは!提督も大変だね!」

「笑い事じゃないですよ!?」

 

龍鳳が机を叩いたが、その音に提督は震えた。

日頃の鬱憤が溜まりに溜まって、爆撃でもされればたまったものではない。

なんとか罷免くらいで許して頂けないだろうか。

 

「…そうだな。まずは今朝のことを謝らせてくれ。本当に申し訳なかった」

「あ、謝らないでください!」

「そうですよ。私たちこそ提督が使用される連絡も確認せずに、注意書きなしで掃除していたんですから」

 

こちらこそ申し訳ありません、と鳳翔たちは頭を下げた。

しかしながら、提督にはそれは受け入れがたかった。

 

「頭を上げてくれ。俺のしたことは事故とはいえ、著しく配慮を欠いた行動だった。責任は取らせてもらうよ」

「そ、そんな!」

「提督は悪くありません!」

 

彼女らもまた、その判断が受け入れられるものではなかったようだが、鈴谷が諌めるように言った。

 

「ま、まあまあ鳳翔さん、龍鳳さん。提督もこう言ってるんだし。提督なりに考えた結果なんでしょ?」

「ああ。お互い様、では済まされない。今後こうしたことがないように戒める意味でも、ここは納得してくれないか」

 

頼む、というように再び頭を下げる提督。

鈴谷は見慣れない上官の姿を見て、そこに彼なりの苦悩を感じ取った。

彼女らを守るため、自分が悪いと言い聞かせて、自分を縛り付けているようにも見えた。

それが彼の人生が彼自身に強いて来たことであろうか。

 

「…ね。二人の言いたいこと、めっちゃ分かるよ。でもきっと提督が二人のことを思って出した答えなんだし」

「そうなの、ですか?」

「…誓って保身のような考えはない。何なら本営に訴えてくれても構わない」

「そ、そんな…」

 

慌てる龍鳳。鳳翔は、そんな提督に微かな不安を覚えていた。

彼が自分のせいで背負いすぎてしまうことが、何よりも心配だった。

 

「…分かりました」

「ほ、鳳翔さん」

「鈴谷さんもおっしゃっていることですし、もう私は何も言いませんが···私は、提督を信頼しています。それだけは、覚えていて下さいね···?」

「ああ。ありがとう」

「わ、私もです!」

 

どうやら、一件落着のようだ。

鈴谷は和解する彼らにひと安心するとともに、鳳翔と同様に、提督を案じていたのだった。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「提督ってさあ」

 

午後三時を過ぎた執務室、丁度良い時間だと思ったので、小休止ついでに秘書艦の鈴谷にスコーンを振る舞った。

金剛から本場直伝レシピを聞いたので、味には自信がある。

それを裏付けてるように、鈴谷は嬉々とした表情でスコーンの味を楽しんでいた。

カップに紅茶をもう一杯入れると、ふと鈴谷はそんなことを聞いた。

 

「…不満とかって、ないの?」

「不満、か?」

 

提督はきょとんとした表情で言葉を返す。

秘書艦の問いの意味が分からないというより、何故そんなことを訊いてきたのかが、彼には不思議に思えたのだった。

 

「うん、不満」

「そりゃ、生きていたら不満を感じることもあるだろうが…急にどうしたんだ?」

「っ…あるの?」

「まあ、そうだな…昔からそう思うことは少なくなかったが」

 

散々な出来事についてであれば、話題には事欠かない。

流石にあの日のことを笑い話にできるほど精神は強くないが、決して今までの生活が常に幸福だったかと言われれば疑問だ。

 

「あ…ごめん、昔の話じゃないんだけど」

 

彼の過去を知っているのだろう、その話題に触れると、気まずそうな面持ちとなる鈴谷。

 

「そうなのか。じゃあ、最近の話ってことか」

「うん…というより…」

 

ある程度、彼女の言いたいことがわかった気もする。

根は誰より優しい鈴谷のことだ。きっと秘書艦業務を通して、色々と自分に対して何か思うところもあったのだろう。

それは、自分の身を案じてくれた鳳翔や龍鳳たちの優しさと似通っていたのだった。

 

「…急にどうしたんだ?俺は何ともないぞ」

「いや…うん、そのね。いつも提督って、何があっても気にしないっていうか…きっと我慢してるんだと思うんだけど…その」

 

一度言葉を切った鈴谷が俯く。

日頃元気いっぱいな彼女にしては珍しいというか、耳まで赤くしているのが分かった。

 

「…気になっちゃったの。し、心配で」

 

目を見開いて、思わず苦笑する提督。

しかしながら、鈴谷が自分に対してそのように思ってくれていたことは、言葉にはできないが、彼にとって何とも嬉しいものであった。

 

「ふふっ」

「ちょ、ちょっとお!?何で笑うし!」

「すまんすまん。でも嬉しいよ。ありがとう」

「へ!?……あう」

 

一気に口数の少なくなる鈴谷。誉められたり、表だって感謝されると弱い。

 

「こうしていると、鈴谷と会った時のことを思い出すな」

「ギクッ」

 

ふと、初対面の時の思い出が話題に上り、鈴谷は動揺する。

色々と提督や年上の人間を軽視する節のあった問題児は、初対面の彼にも容赦なく毒を吐いたものだった。

――まあ、見かねた最上に演習でぼろ負けして一喝されたのだが。

 

「…まあ、気持ちはわかるんだけどな」

「うっ..あ、あれはまだ幼かったからっていうか…!」

「何というか、色んな意味で女子高生らしかったよな」

「い、言わないでって!」

 

鈴谷の見せた、大人に対する不満や何者にも囚われずに、独り立ちしたいという感情の芽生えは、思春期の子供にとって大きな成長の要素となる。

艦娘にも同じことが言えて、見た目不相応に幼い言動だったり、どこか達観した物言いが見慣れるのは、艦娘としてこの世に生を受けてからの時間に左右される、と結論付けられるのだった。

 

「人に直すと、俺も鈴谷とそう変わらないんだけどな」

「そ、それは提督が変におっさんくさいだけじゃん!」

 

艦娘の成長は早く、一定の成長度に達した艦娘は、大きな心身における変化はなくなる。

その後どのように変化するかは、文字通り指揮を執る提督次第、と言った所だ。

 

「そうか?」

「そうだよっ!暁を膝に乗せてる時とか、めっちゃお父さんだし」

「…」

「というか、言動に収まらないし。欲とか、そういうのから解脱しちゃってるし」

「そ、そんな人を仙人みたいに」

「そう!それ、仙人じゃん!」

 

ぱっと明るく言った鈴谷の表情が清々しすぎて、心に刺さる。

お前には若々しさが足りん、と言い放った呉提督の呆れたような顔が目に浮かぶ。

これでも、鎮守府に着任している提督の中では相当若い方なのである。

おかげさまでまだまだ出世の道は遠い。

 

「そう、なのか…」

「あと、考えるときに眉間にシワが出来てるよ」

「それは当たり前じゃないか?」

「いっつも考えごとしてるじゃん」

「ぐっ…」

 

言われてみればそうかもしれない。

非常に参考になる意見ばかりである。

 

「うーん…それじゃ、提督の欲しいものとかってあるの?」

「直接なにかを手に入れたい、ってことはないな…強いて言うなら」

「言うなら?」

「休暇」

「あっ…」

 

遠い目をした提督の表情で全てを悟ってしまった鈴谷。

艦娘に囲まれた生活を夢見て着任した提督たちの退職理由ランキング一位のその威力たるや、浮世を離れたこの仏のような人間をも苦しませるというのだから、もはや考えるまでもない。

 

「まあ、何だかんだいってこの生活には慣れたし、作戦時を除けば楽しいんだ。君たちの成長を見届けたいとも思っている」

「そ、それは嬉しいんだけど…やっぱり台詞がおじさんっぽい」

「うぐっ」

 

心臓の辺りを押さえる仕草をする提督。どうやらかなりショックらしい。

 

「…ふふっ、でも楽しいなんてね。鈴谷もちょっと嬉しいよ」

「そういってくれると有り難い」

 

紅茶を一口啜って、小さく息を吐いた提督。

そんな彼に背後から忍び寄って、両肩を掴む。

 

「うおっ」

「鈴谷が肩揉みしてあげる、楽にしてて」

「あ、ありがとう…?」

 

酷く凝った提督の肩。

この背中に、どれだけの重荷を背負っているのか、きっと自分には想像も出来ないのだろう。

だから、今はこうするだけ。

 

「硬いよー?いつもお疲れ様だね」

「鈴谷こそ。最近は練度上げの演習も多いだろ?」

「鈴谷はだいじょーぶ!ってね。もうすぐ軽空母にだってなれちゃうんだから」

 

彼が心配しないように、今出来ることはひとつだけ。

どこまでも強くなることだ。

それが提督を支えることを、鈴谷は強く信じている。

 

「…ね、提督。今日の夜、暇?」

「ああ、空いてると思うぞ」

「なら、一緒にご飯食べに行こうよ。熊野も誘ってさ」

「いいぞ。なら、さっさと執務を終わらせてしまおうか」

「おー!ってことで、はいおしまい!」

 

腕を振り上げて気合いを入れる。

ぱっと提督の肩から離れると、提督は鈴谷の方を振り返った。

 

「…ありがとう。大分楽になったよ」

「んっ!じゃあぱっぱとやっちゃうよ!」

 

昼下がりの陽だまりの中、鈴谷ははにかんでそう言うのだった。

 

 




お気に入り数が100人を突破しました。本当にありがとうございます。
これからも細々と続けていきたいと思っておりますので、よろしくお願い致します。
また、活動報告を更新させて頂きました。大切な内容ですので、差支えなければお読みください。


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第三十六話 提督の休日《スポーツと鍋編》

一月の舞鶴は極寒である。

久しぶりの休日を獲得した提督は、運動不足を解消するべく、同じく今日が休暇の駆逐艦に連れられて体育館にいた。

 

「――ほっ」

「でやあっ!」

「おっと!」

 

真ん中のコートは提督を引き連れた夕雲型によって貸し切られており、そこでは白熱したバドミントン大会が開催されていた。

 

「な、長波の方が優勢だけど…」

「司令官さんって人間ですよね…?」

 

艦娘が艦娘と呼ばれ、人間と区別されるその理由は、異常なまでのその身体能力にあった。

走ればあの黒人選手より速く、跳べば並のバレー選手の身長なんて屁でもない。

その上闘えば怪物なんて一捻り(ではいかない怪物もいるが)なのだから、霊長類最強どころではない。

つまり、高度な身体能力は、彼女らを彼女らたらしめているのだ。

 

「――はあああっ!」

「…うおっ!」

 

勢いをつけて跳び上がった長波が放つスマッシュ。初速は何百キロだろうか。

一般にバドミントンのシャトルは、羽があるからか初速から最終速度はかなり落ちる。

それでも目に追えるかどうかというのだから、その力の大きさと、そもそも彼が辛くも打ち返せているというのが驚きだ。

 

「やるね…!さすがっ!」

「このくらいは出来ないと…なっ!」

 

眼前に繰り広げられる、スタントマンの撮影ばりの光景に、夕雲や巻雲、風雲たちは目を見張るばかりだ。

試合はもはやバドミントンの領域を超えて、戦闘アクションと化している。

 

「聞いたことがあるわ。士官学校って、艦娘になる女の子だけじゃなくて、提督になる男子生徒も体術訓練をするって」

「それでこんな怪物になるんですか~!?」

「ともかく…提督になるって、相当難しいのかも知れないわね」

 

夕雲は半ば呆れたような表情で激戦の様相を窺い見る。

改二が実装され、力を持て余していた長波にとっても全力を出せる場があることは確かに良いことだろうが、まさかその相手が提督だとは夢にも思ってはいなかった。

早く自分も改二になりたい。

 

「…ふふっ。でもな…この長波様の実力、こんなもんじゃないぜェ!」

「!?」

 

瞬間、長波の纏うオーラが一変する。

何故か夕立のように、瞳が紅く燃えているのだ。

 

「はああっ!」

「うおっ…!」

 

体を反転させ、その勢いで力強いバックハンド。

シャトルは凄まじい回転を加えられて、提督から見てコート右端の絶妙な位置を目掛けて空中を奔る。

 

「わっ、すごっ!」

 

巻雲は短く感嘆の声を上げる。

ようやくバドミントンらしい戦いになってきた。

 

「どうだっ…!?」

「ぐおっ…!」

 

長波が勝利を確信したのも束の間、提督はラケットを()()()()()()()() ()、速度を失ったシャトルへ飛び込んだ。

空中で手首のスナップを効かせ、クロスネットで見事に打ち返した。

 

「あ、あれを打ち返したの!?」

「ええ…」

 

シャトルは僅か数センチ、ネットを飛び越えて長波側のコートに落下する。

いつの間にか緊迫の面持ちで観戦していた睦月型や長良型を合わせて、その場にいた誰もが提督の勝利を予想した。

 

「よし…!」

「――ふっ」

 

驚愕していたのも一瞬、不敵な笑みを浮かべる長波。

ギラリと瞳を輝かせて、床を強く蹴った。

 

「ま、まさか――っ!」

「はああああ!」

 

提督のやり方を踏襲したのだろうか、勢いをつけてコート端、低高度でシャトルに迫る。

プッシュで提督側のコートへシャトルを叩き込んだ。

 

「――ッ!」

 

シャトルがコートへ着地し、小さく音を立てる。

その刹那、試合の決着を目前にした艦娘たちの叫び声にも似た歓声が、体育館を包むのであった。

 

 

 

 

 

「ふう…」

 

体育館に併設された職員用のシャワーを浴びた後、持ち合わせていたタオルで髪を拭く。

体を冷やさないように上着を着こんだ提督は、その爽涼感に浸っていた。

 

「提督!」

「ん…冷たっ」

 

しばらく外気で涼んでいたところで、後ろから自分を呼んだ声に振り返れば、頬に冷たい缶の感触が。

 

「おっ、長波も出たのか。お疲れ」

「おう。提督もなっ!これ、大和さんからだってよ」

 

手渡されたのは大和ラムネ。なにやら量産化されているようで、鎮守府の酒保をはじめ各所で販売中だったりする。

因みに甘さは控えめ、スポーツドリンクのような水分補給も可能であり、訓練後やダイエット中の艦娘たちに大好評なのだ。

 

「そうか、後でお礼しなきゃな」

 

良いものを見せていただきました、と汗の滲んだ提督を恍惚の表情で見つめていた大和。

どうやら好試合を繰り広げることができたようで、なんだか満足感が込み上げている。

 

「はーっ!うまい!…それにしても、いい試合だったな!」

「ああ、長波も流石だよ。まさかあれを打ち返されるとは」

「私も改二だしな!ざっとこんなもんよ…と言いたいとこだけど、提督って何者なんだよ?」

 

あの動きは尋常じゃねえ、と付け加えた長波に苦笑しながら答える。

 

「まあ、これも提督に必要な身体能力だ…と言っておこうか。横須賀の提督なんかはこんなもんじゃないぞ」

「はァ!?提督よりまだ強いやつがいるのか?」

「…ノーコメント、だな」

「おいおい!そりゃないぜー」

 

袖を引っ張って抗議する長波。見た目相応の子供らしい反応が少し面白くて笑ってしまう。

そんな長波を伴って体育館を出ようと歩いていると、不意にぐうぅ、という音が。

 

「ん…?」

「ひゃっ!?」

 

音の下方向、まさに長波の方を振り返れば、お腹を押さえて丸まっている長波がいた。

何やら顔を真っ赤にしている。

 

「…聞いた?」

「…何をだ」

「聞いてただろぉっ!」

「な、何をだ!?」

 

追いかけてくる長波から逃れつつ、埠頭付近、夕暮れの海岸沿いの道をひた走る。

 

「あっ、提督! お姉さま、提督がいらっしゃいます」

「Really!?…Oh、テートクー!」

 

視界の奥から、金剛型の二人が姿を見せる。長女と三女だろうか。

 

「おう、金剛に榛名か。お疲れ」

「お疲れ様です!」

「お疲れネー」

「待てよ提督ー!…って、むぐっ」

 

金剛たちに挨拶をしていると、追いかけてきた長波が背にぶつかった。

 

「おうっ」

「?…島風ちゃんの真似ですか?」

「榛名、違うネ。長波がぶつかったダケ」

「長波、大丈夫か?」

「痛ってて…って、金剛さんに榛名さん」

「ハーイ長波」

「こんにちは、長波ちゃん」

 

提督の背中からひょっこり顔を覗かせた長波も、姉妹に挨拶をする。

ふと、彼女らが提督に尋ねる。

 

「テートクと長波は何してたデス?」

「ああ、それなら…」

「体育館でバドミントンやってたんだぜ!」

「まあ。バドミントンですか」

「ああ。割と激戦だったな」

「夕雲姉に動画撮ってもらってたんだ。後で見よーぜ!」

「その話、詳しク」

「わ、分かり、ました」

 

真顔で迫る金剛にたじたじの長波なのであった。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「はうー…やっぱりコタツっていいなー」

「温まりますねぇ…」

「Exactly…so warm that cannot help sleeping...」

 

提督私室。

ほどよい運動もしたところで、夕食にしよう、との顔を真っ赤にした長波の発案があり、丁度有り余るほどの豚肉を知人から送られていた提督の意見具申によって、金剛型の二人を交えた鍋パーティと相成った。

 

「炬燵と言ったらみかんだよな。ほれ」

「おおーっ!至れり尽くせりだな。さんきゅー」

「あ、ありがとうございます!」

「テートク、最高デース…zzz」

 

主役のみかんが登場し、盛り上がる三人に苦笑する提督。

彼はといえば、鍋の準備を進めようと、具材を探していたのだった。

 

「量を確保してれば、そこまで凝ったものじゃなくてもいいか」

 

艦娘はその運動量もさることながら、かなりの量の食事をする。

別に赤城に限った話ではないのをご理解頂きたい。

という訳で、あまり質にこだわりすぎてしまうと大変である。

その分、酒と肉に良いものを使おうと考えたのであった。

 

「そうすると…野菜は白菜にネギ、椎茸くらいか…豆腐も買っておこう」

 

キッチンの奥からカセットコンロと鍋を取り出す。鍋料理も久しぶりだ。

買い物メモと財布を持って部屋を出る。

 

「んじゃあ、材料を買ってくるよ。少し待っててくれ…」

 

そう言ってコタツに丸くなる三人組を振り返れば、とっくに熟睡していたようだ。

 

「「zzz...」」

「ありゃ…」

 

提督は苦笑して、静かに扉を閉めたのであった。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「ん…」

 

榛名は薄く目を開ける。

部屋は薄暗く、何やらぐつぐつと物音が聞こえる。

 

「ふわ…あれ、榛名何してたんでしょう…」

「お、起きたか」

「ひゃわっ!?」

 

聞きなれた声に秒速で振り向くと、そこにはエプロン姿の提督がいた。

どうやら鍋を作っている最中らしい。

 

「あ、て、提督!申し訳ありません、すぐ手伝いますね」

「気にしなくていいぞ。今日はお客さんだからな…それに、お手伝いさんならもういるよ」

「?」

 

首を傾げた榛名。

ふと、提督の背後から二人の艦娘が顔を出した。

 

「おはよう、榛名」

「今日は演習でしたもんね。お疲れ様です」

「矢矧さんに涼月ちゃんですか。お疲れ様です」

 

提督がまず酒を確保しようと酒保を訪れた帰り際、大量の野菜を運ぶ二人に出会った。

何でも、家庭菜園でカボチャを育てすぎた為、近隣の農家の方々におすそ分けしていたら、大量の白菜や葱、ニンジンとなって戻ってきたらしい。

 

「丁度良かったものだからな。二人も誘ったんだ」

「金剛や榛名と一緒にご飯食べたことなかったから、いつか誘おうと思っていたのよ」

「私もです。長波さんともお話したいと思っていました」

 

「…という訳だ。もうすぐできるから待っててくれよ」

「や、やっぱり榛名も手伝います!」

「お、おう?それなら助かるよ」

 

結構なプッシュ気味に提督は困惑するが、あまり深くは考えていなかった。

精々好みの味付けがあるのかくらいなものだろうと、矢矧はやれやれと肩を竦めてため息をついた。

 

「最初はミルフィーユで行くか。さあ、ひたすら切るぞ」

「「了解っ」」

 

山のような白菜と豚バラ肉を切り分けていく。

白菜は食べやすいよう、葉と芯を分ける。

層状かつ同心円状に配置したら、鰹節と昆布でとったダシを酒、みりん、うすくち醤油で味を調えて投入。

隙間なく詰められた鍋は、大きさだけではなく、その密度が凄まじい。

 

「これが食べ終わったら次はポン酢にしよう。さっぱりして旨いと思うぞ」

「なるほど。二回楽しめるのね」

「楽しみですね!」

「榛名、もうお腹が空いてきちゃいました」

 

白菜の葉を最後に入れて、水を加えて強火で煮る。

ぐつぐつと音を立てる大鍋に、榛名たちは喉を鳴らしていたのだった。

 

「さて、食器を用意しよう。あと…よっ、酒もな」

「た、大量ですね」

「本当。今頃隼鷹たちが泣き叫んでるんじゃないの?」

「その時は隼鷹たちも呼べばいいだろう。最近は俺も飲んでなかったからな。鍋よりこっちの方が楽しみまである。こんなことを言っておいてなんだがみんな、くれぐれも無理せずにな」

「私はお酒は強い方ね。阿賀野型はみんな結構強いのよ」

「榛名はあんまりですね…金剛お姉さまはかなり強いです」

「…あれは酔いながら呑んでる節があるよな」

 

何も高級な酒をちびちび楽しむだけが酒の醍醐味ではない。物は試し、安くても良い酒はあるのだから、食わず嫌いせずに呑んでみて、掘り出し物が見つかればラッキーなのである。

そこに節度があれば、誰も咎める者はいないのだから。

 

「そういえば、涼月ちゃんはお酒大丈夫なんですか?」

「一応、飲むときもあります。お祝い事の席が多いですが…」

「まあ駆逐艦だからといってダメ、という訳でもないわよね」

「ソフトドリンクも用意してあります。慣れていないなら、食事を進めてからでも良いでしょうしね」

 

まるゆや文月辺りが一升瓶を抱えていたらそれは驚くだろうが、涼月ならばまあ、理解に苦しむことはないだろう。

響をはじめ、駆逐艦でも大酒呑みはいることだ。

 

「そうだな。なんとなくだが、涼月は日本酒が似合いそうだな」

「そ、そうでしょうか?」

「確かに。縁側で静かに飲んでそうよね」

「涼月ちゃん、格好いいです!」

「そ、そんな、まだ飲んだこともありませんし」

 

顔を真っ赤にした涼月が遠慮がちに手を振る。

そんな彼女の頭を撫でる矢矧。

大人っぽく見えても、やはり駆逐艦だからか、矢矧の成すがままに撫でられていても、どこか嬉しそうである。

鍋の蓋を開いてみて、そろそろだと感じた提督は、鍋を持ち上げて艦娘たちに言う。

 

「…よし、もう大丈夫だろう。追加分はコンロで温めよう。矢矧、あの子たちを起こしてくれるか」

「分かったわ」

「榛名と涼月ちゃんは、飲み物の用意をしましょうか」

「はいっ」

「ほら、起きなさい。鍋が出来たわよ」

「んう…テートクとの新婚旅行がぁ…」

「なんだか気になるわね…まあいいわ、起きて起きて」

「んぐぅ…はっ、寝てた」

 

目をこする金剛たちの目の前に、大鍋が鎮座している。

 

「オォー!It’s greatですネ!」

「旨そうだなー!」

 

はしゃぐ金剛と長波を微笑ましい目線で見つめていた提督。

そんな提督を見つめる榛名の表情こそ恍惚そのものなのであった。

 

「さあ、頂きましょう。提督、お酒注ぐわ」

「ああ、ありがとう。長波と涼月はどうする」

「私も酒でいいぜー」

「最初の一杯だけ頂きます。提督のおっしゃった通り、残りは食事を進めてからで」

「よし、それじゃあ注ぐよ。ほら、金剛」

「おっとっとっと…」

「お姉さま、なんだかおじさんみたいです」

「Oh。コレが日本のルールですヨ?」

「注いどいてなんだが、いつの時代だよ」

 

ツッコミを入れながらも、矢矧と長波の酒を注いでいく。

榛名と涼月がお互いのグラスに注いで、各々はグラスを持った。

 

「行き渡ったか。んじゃ、音頭を…金剛」

「OH!只今ご指名頂きましタ、金剛型一番艦の金剛デース!僭越ながら乾杯の音頭を取らせて頂きマース!」

「もう酔ってそうだな」

「金剛らしくて良いじゃないか」

「Too coldな日々が続きますが、寒さに負けズ、雪にも負けズ、これからも頑張って行きまショー!

それでは皆サン…カンパーイ!」

「「乾杯!」」

 

 

グラス同士がぶつかる音が部屋に響き渡る。

提督と艦娘たちは、それぞれがこの晩餐を楽しむのであった。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「ふう、食った食った」

 

満腹感が身を包む。

食事は進み、会話に花が咲いた。あまり普段は作戦以外で行動を共にすることがない艦娘たちが打ち解けられたようで一安心だ。

艦種や史実に囚われることのない、つまり人間的な面でも真の仲間になって欲しく思った。

酒に酔ったのだろうか、眠ってしまった艦娘たちを起こさないように、鍋をキッチンへ運ぶ。

 

「流石は艦娘…すごい量だ」

 

あれだけあった野菜も豚バラも綺麗になくなっているし、酒瓶もそこら中に散乱している。

それらを片付けつつ、最後にコタツの卓上を拭き掃除していると、もぞもぞと誰かが動いている。

どうやら目が覚めたようだ。

 

「…ん、あれ」

「起きたか、矢矧」

「私…寝ちゃってたのかしら。ごめんなさい、後片付け、お手伝いできなくて」

「これくらい平気だ。…それにしても、結構飲んだか」

「そうね、私が眠ってしまうなんて」

 

何だか悔しそうな表情の矢矧がそう零したのを横目に苦笑しながら、小瓶の飲み物を注いでいく。

 

「とりあえず、これでも飲んでくれ」

「これって…ジンジャーエール?」

「チェイサー代わりにしてくれ。明日に残ると不味いからな」

 

鼻に抜ける爽快感がアルコールの残留感を取り除いてくれる。

少し辛口だが、甘すぎないのでカロリーも控えめだ。

 

「…美味しいわね!これ、好きかも知れないわ」

「大人向けかとは思うが、これはこれで美味しいよな」

 

グラスに満たされた氷がいい感じである。

 

「金剛と榛名、長波は明後日から基地砲撃の調整に入るが…矢矧と涼月はどうだったか」

「私たちは南西諸島の敵機動部隊打撃艦隊に加入するわ」

「そうだったな。航空戦力の漸減は重要だ。頼んだぞ」

「ええ。今度こそは成し遂げて見せるわ」

 

力こぶを見せる矢矧。

非常に頼もしく思う反面、酒の席でこんな話をするのも野暮かと、口を慎むこととする。

 

「すまん、こんな時に話す内容でもなかったな」

「いいのよ。私たちは半分(ふね)よ。どんな時だって心は戦場ある、常在戦場ってね」

 

笑みを浮かべた矢矧は実に人間味あふれる表情だ。

 

「ふう…それにしても、この子たち、そろそろ起こした方がいいかしら」

「そうだな。明日にも響くだろうし、そろそろ」

 

そう言った提督が炬燵から出ようとすると、腕を何かに引っ張られた。

気になって右手の袖を窺うと、矢矧の手が炬燵の下から伸びている。

 

「…矢矧?」

「…はい、あーん」

 

矢矧は、いつの間にか剝いたみかんの実を突き出している。

酒が入っているのだろうか、艶やかな瞳が潤んでいて、一種の強迫のようなものを感じさせた。

 

「…酔ってるのか?」

「まさか。これ、食べてくれたら話してあげる」

 

振り払うのもアレかと思って、ここは素直に従うことにする。

 

「…ん」

「ふふっ、顔が赤いわよ。可愛いのね」

「ぐっ、まあ…そりゃあな」

 

間近で矢矧の瞳がまっすぐに見つめてくるものだから、何だか恥ずかしさを隠せない。

彼女らは遊びのつもりでやっているのだろうが、矢矧のような女性に素でこんなことをされると男は勘違いしてしまうのではないか。

 

「…ねえ、私にも頂戴」

「正気か?」

「正気も正気、貴方にしてほしいのよ」

 

どうやら本格的に酔っているらしい。

矢矧にこんな一面があるとは全く知らなかった。

 

「…ほれ」

「ふふふ…あー…」

「ああーーっ!!」

 

仕方なく降参して、一粒を矢矧の口に運ぼうとした瞬間、金剛がけたたましい叫び声を上げて起き上がった。

 

「金剛!?」

「なぁにしてるデース!矢矧がしたなら私にもあーんの権利がありマース!」

「お、落ち着け金剛…」

「あら。それは提督次第じゃないかしら?…はむっ」

「Nooooooo!!!」

 

右手の指ごとみかんの粒が消えていった。

ドヤ顔を披露した矢矧に、金剛が過熱、過激化していく。

 

「テイトクー!今すぐ私と情熱的な食べさせあいっこを!!」

「むにゃ…はるなもだいじょうぶですよー…」

「ちょっ、二人とも落ち着け!チェイサーを飲もう!」

「んぐっ、んぐっ…ぷはあ!さあ!」

 

金剛が飲み干したのは、まだジョッキに残っていたビールであった。

 

「それ酒だぞ!?ちょ、金剛!」

「あああ…テートクが二人ネ…I’m in the heaven...」

「おいおい、大丈夫か」

「はるなはだいじょうぶですぅ…」

「…自分が蒔いた種とはいえ、惨状ねコレは」

「矢矧も手伝ってくれよ…」

 

結局彼女らを各部屋に送り届けるのは未明のことになり、金剛型と駆逐艦の二人はひどい頭痛に苛まれることになるのであったとさ。

 



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第三十七話 ひねくれ者たちの哀歌(エレジー)

二作目『ハッピーエンドをあなたに』を上げました。よろしければそちらもご覧ください(ここぞとばかりのアピール


努力、勇気に友情。

最近ラウンジや図書室に運び込まれる漫画なんかに、よくそんな話が載っていたりする。

 

「···はあぁ」

 

(そんなもの···ある訳ない)

 

溜息混じりに、憂鬱そうに空を見上げる。

 

昼下がりの鎮守府裏庭。

日差しは茹だるような暑さをもたらす訳でもなく、風は凍てつく冷たさをもたらす訳でもない。

至って普通の天候である。

 

ベンチの背もたれに体を預けた満潮は、恨みがましく鎮守府隣接の寮を見つめた。

 

「お」

「げっ」

「よう。げっ、とはご挨拶だな」

 

そんな彼女のすぐ側を通りかかったその人は、あえて無遠慮に、隣に腰かけた。

 

「···別に。何も言ってないわよ。自意識過剰なんじゃないの」

「そうか」

 

噛み付くような口調にも、いたって平静に彼は苦笑している。

 

「それで?」

 

提督は口を開く。

 

「今日は一体どうしたんだ」

「どう、ってこともないわよ。別に、何も」

 

ぶっきらぼうに答える満潮。

 

「本当か?朝潮は慌てていたが」

「…朝潮姉は関係ないでしょ」

 

いつも穏やかな彼の表情に、艦娘たちは癒され、安心するものだが、今、この瞬間だけは、満潮は少し腹が立った。

 

「···関係ないのよ、朝潮姉は朝潮姉だし、大潮は大潮よ」

「そうか。ならあんなに必死の形相で大潮を追いかけていった朝潮も、満潮と何も関係ないのか?」

「…うっさい」

 

関係がないわけがないことは、満潮自身もわかっていたのだろう。

だから今は、都合の悪い提督の言葉に耳を傾けないでいる。

要は意地だ。

 

「…それなら、まだ何も聞かないよ」

「っ…」

 

そう言って、彼は席を立つ。

小さく漏れた寂しさの感情がバレないよう、満潮は口をつぐんだ。

 

「…今度は教えてくれよ」

「ふ、ふんっ」

 

くるっと背を向けて、手を振って歩き出す提督。

再びどこかに視線を移した満潮が、恐る恐る彼の方を向き直すと、ばっちり目線が合ってしまった。

 

「…は、早く行きなさいってば!」

「すまんすまん」

 

何もかもを見透かされているような、その瞳。

満潮は感じた恥ずかしさを払い除けるように怒鳴っていた。

 

 

 

――――執務室

 

「提督、お茶が入りましたよ」

「…おう、ありがとう」

 

睨めつけるように眺めていた収支表から目を離す。

秘書艦である扶桑は、流れるような所作で側に控えて微笑んだ。

 

「…ふぅ、温まるな」

「吹雪さんから提督は猫舌だとお聞きしたので、少し温く入れています」

「ふ、吹雪…」

 

脳内に吹雪の悪戯っぽい笑みが浮かんでくる。

ひょっとするとあることないこと話されているのではないか。

由良の着任も相まって、最近は提督の話で艦娘たちが盛り上がることも多い。

 

「皆さん、提督のこととなると興味津々みたいですよ?」

 

くすくすと笑う扶桑に抗議の目を向けるも、特に効いているわけでもない。

机の方に向き直って、仕方なく筆を執ろうとして、今朝のことを思い出した。

 

「…そうだ。満潮…」

「満潮…ですか?」

 

首を傾げる扶桑。どうやら知らないようだ。

彼女のことが気がかりで執務も手がつかないことになっている内心に苦笑しつつも、彼女に事の顛末を教えることにした。

 

 

 

「なるほど…そんなことが」

「ああ。確か朝潮が大潮を宥めに向かっていたが…」

「…問題は満潮、ですか」

「いや、まあ彼女も少し素直になれないところもあるかもしれないが、年相応のものだろう。根はいい子だから」

「それでも、仮にも姉妹艦ですから…日頃から艦隊を組んで、一緒に生活する以上は、早く仲直りしてほしいものです」

 

扶桑は俯いている。きっと満潮を心配していることだろう。

史実では西村艦隊として、レイテの激戦に共に挑んだ仲としては、見過ごすわけにもいくまい。

 

「さっき少し話したんだが…本人もまだ飲み込めていないというかな」

「頭を冷やすのにはきっと時間もかかるのでしょう。すみません提督」

「扶桑が謝ることもない。また時間をおいて、話してみるよ」

 

提督が扶桑に話した内容とは、今朝の朝潮型の中での喧嘩のことだ。

第八駆逐隊として次作戦に挑むこととなった大潮と満潮であったが、作戦計画段階で意見が分かれてしまったらしい。

役割分担による各艦撃破論を主張した満潮と、協力態勢の上、旗艦に攻撃を集中させることを優先させた大潮。

元々性格もひねくれ気味で冷静な満潮と、情熱的で前のめりな大潮とでは、なかなか意見が一致しなかったらしい。

僚艦の朝潮と荒潮はそれぞれ仲裁に入ったが、次第に過熱していく議論はついに姉妹喧嘩までに発展してしまったそうな。

 

「…提督がおっしゃった通り、あの子は本当はとっても優しい子なんです。時々我を忘れて勢いに任せてしまうところもあるのですが…それも誰かを守るためだったり、正しいことをきっちりやり遂げる強い心があの子の中にはあるのです」

「俺もそう思うよ。正義感で言うと霞だが、何かをやり遂げる力は艦隊の中でもピカイチだな」

 

正しいことを正しいと言うことの、どこが間違いなのだろうか。

一生懸命に努力を続けることの、どこが格好悪いというのか。

彼自身、満潮のような年齢の頃にはそう思うことも少なくなかった。

最も、その考えは今でも変わらず、次は艦娘たちを評価する立場として、そうした姿勢を見逃さないようにしなければならない、と考え始めていたのだが。

 

「…だが、大潮も満潮を否定しようと思って喧嘩をした訳ではないだろう。お互いに自分の主張を俯瞰して、間違っているところは素直に認め、修正することも、また必要なんだろうな」

「ええ。…けれど、大人でも難しいものですね」

「そうだな…。誰だって自分が間違えているだなんて思いたくないさ。けれど、今のうちに気付くことが出来れば、この先きっと役立つだろう」

 

提督の目は、この戦争の先の未来を見つめていた。

艦娘たちはどのように暮らしていくのか、どのように生きていくのだろうか。楽しみでもあり、それを支えていかなければならないという強い使命感が提督の胸中にあった。

 

「…やっぱりこうしてはいられない!」

 

提督はやおら立ち上がった。

 

「て、提督?」

「すまん扶桑。今日はもう上がっていいぞ。執務もほとんどない。残りは夜か明日の早朝に仕上げておくよ」

「は、はあ…」

 

急ぎ足で執務室を出ていく提督を見送って、扶桑は呆気にとられながらも、苦笑していたのだった。

 

「全く…本当に艦娘思いの方というか…」

 

それでも、笑顔は隠しきれない。

満潮に思いを伝えるように、窓の外に視線を移す。

 

(満潮…私たちは本当に、恵まれているのかも知れないわ。だから、しっかり成長しなさいね)

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「まったくー。満潮姉も素直じゃないんだからぁ」

「う、うっさいわね…」

 

朝潮型の寮室、荒潮は呆れたように笑って言った。

ちなみに、朝潮の指示で荒潮は満潮を宥める担当となっていて、朝潮は大潮を連れラウンジで彼女を宥めすかしていた。

 

「…提督も話に来てくれたんでしょー?」

「そっ!それは…関係、ないし…」

 

極端に動揺し始める満潮ににやつく荒潮。

このめんどくさい性格上、提督も苦労するだろうなぁとも思う。

 

「大ありよぉ。提督だっていつも時間があるわけじゃないんだし」

「し、司令官の勝手でしょそんなの!?」

 

なおも反抗の意志を見せる満潮がじれったくなって、荒潮は少し脅すような口調を取ることにした。

 

「でも、期待してたでしょー?提督がきっと見かねて来てくれるって」

「そ、そそんなこと…!」

「…早いとこ仲直りしちゃわないと、見捨てられちゃうかもねぇ」

「へ…?」

 

きょとんとする満潮に、荒潮は内心ほくそえみながらも畳みかける。

 

「だってぇ、折角来てくれたのに、『うっさい』なんて言っちゃったら提督も傷ついちゃうだろうしー」

「はっ…!」

 

満潮は、もはや取り繕って本音を隠そうともせずに慌てだす。

荒潮はその光景が面白おかしくてしょうがなくって、今にも吹き出してしまいそうだったが、ぐっとこらえる。

 

「思ってること話して相談に乗ってもらうなら、もう後がないわよぉ」

「…!」

 

まただ。

また、その見透かしたような目。

どうやら荒潮には、自分の考えていることがお見通しらしい。

 

「…っ、し、司令官のとこ行ってくる!」

「はぁい、いってらっしゃーい」

 

真っ赤になった頬を隠すように、荒潮に背を向けて部屋を出る。

荒潮はそんな姉の行動が面白くてたまらなかったが、やがて、やれやれというように小さく笑った。

 

「ほんと、素直になるって難しいわぁ」

 

お茶を啜り、そんな言葉を漏らす。

今日一日、満潮を見ていて心から思ったことだ。

 

「…あら、冷めちゃってる」

 

荒潮は、不器用な姉を案じつつも苦笑したのであった。

 

 

 

 

 

「…失礼、します」

「ん」

 

提督は、聞き慣れない声を執務室の扉の外に認めた。

最も、声は毎日のように聞いているのであって、本当に聞き慣れないのはその言葉遣いであった。

 

「満潮か」

「…ええ」

 

いつもの彼女らしくない。

扉を叩くより、入る前の「入るわよ!」がノックらしいというくらいの、いつもの覇気や元気がない。

 

「どうした、元気がないな」

「ど、どうだっていいでしょ…今は」

「それもそうか」

 

返答に困るようなレベルで声が小さい。

それほど、大潮との件が気になっているようだ。

 

「…それで、その」

「うん」

 

きっと、彼女の心の内で、素直になれない自分との葛藤があるのだろう。

今更話し方や接し方を変えられない自分もいるのかもしれない。

だから、彼女がそれを乗り越えられるまで、提督は待つ。

決して彼女を焦らせないように、じっと待つ。

 

「…っ!」

 

満潮は、提督の表情で何かを感じ取ったのか、キッと覚悟を決めて口を開いた。

 

「大潮と仲直りしたいの。だから、し、司令官にアドバイスして頂きたい…です」

「…うん」

 

彼女をここまで素直にさせた荒潮の話術に内心で舌を巻きながらも、提督は席を立ちあがって満潮の前に出た。

 

「俺は直接満潮たちの喧嘩を見ていたわけじゃない。どちらが悪かったかではなく、満潮の意見は大潮とどう違ったから喧嘩になってしまったのか教えてくれ」

「…え、っと。私は、元々こんな捻くれた性格だったから…。大潮の言ってた協力っていう言葉も、なんだか薄っぺらく聞こえた。もっと論理を詰めて、敵艦を分析したうえで各個撃破できるならその方がいいって…だから、私はついカッとなっちゃって、大潮を傷つけるようなことを言っちゃったの」

 

呟くようなしゃべり方の満潮の表情は、目尻を下げた深い悲しみと後悔をたたえていた。

提督としては満潮の捻くれ方も理解できるので、彼女が全面的に悪いとは思えないが、あの満潮がここまで反省しているというのは、それなりに彼女の成長が促されているとも思えた。

 

「なるほど。よく自省できているようだ。俺から言うこともほぼない」

「えっ」

「まあ、何も言わないというのも職務上問題だからな。少しだけいいか」

「う、うん」

 

提督は、出来るだけ長くならないように、分かりやすいように、言葉を繋いでいく。

自分の拙い言葉よりも、満潮自身が掴み取る自分の心の成長や、大潮たちとの会話の方がずっと大切だろう。

 

「正直、満潮の気持ちも良く分かるんだ。俺だって『捻くれ』ていたからな。努力や友情の美しさを並べ立てるのは良いが、それが現実に即しているかと考えたときには疑問を持つのも頷ける。要は、教育者が行動を通して証明出来ていないんだ」

 

教えることの責任。

現実から逃避した理想論を子供たちに教え込むのであれば、秩序から矛盾した社会の闇を取り払うことが前提となる。

それが出来ないのであれば教育など無意味だ。

極論を言えば、生命の窮地に立たされたことのない者は、その大切さを語る資格はないように、戦争を経験したことのない者が、戦争を騙ることはできない。

大切なのは、自分の立場や感情に囚われず、その論理性を粛々と確かめていくことだけなのだ。

 

「士官学校の教育に関しては、全国の提督の意志に反しないように洗脳のような教育があることは否めない。だから我々提督の立場にある者の資質が問われている。本当に申し訳ないと思うよ」

 

軍帽を取って頭を下げる提督。

満潮を権利ある独立した個人として扱うのと同時に、暗にその責任を果たすことを求めているようにも見えた。

 

「…その部分を除けば、満潮の洞察力や判断力は驚くべきものだと思っているし、信念を貫徹させる心意気は、きっと努力を続けるうえで大きな助けになるだろう」

 

満潮は怒られると思っていたのだろうか、口をぽかんと開けて何も言えないでいる。

やがて提督の言葉の意味を咀嚼し始めて頬を赤く染めた。

 

「ばっ…!な、何よ、私を擁護して宥めようってつもり!?」

「本当のことを言っているだけだ。それに、満潮にも反省すべきところはあるだろう?」

 

あくまでも冷徹にそう言い放って、提督は真剣に彼女を見据えた。

満潮はばつが悪そうに口を閉じる。

 

「一度口に出した言葉は取り消せない。すれ違ってしまったら、一生仲を直すことができなくなるかも知れない」

「…!」

 

カッとなって口に出た言葉は、満潮からすれば大した意味はなかった。だが、それを受け止める大潮からすればどうだろうか。

彼女の気持ちは、どうだっただろうか。

 

「無口になれというわけじゃない。発言には責任が伴う。それは人として知っていて当然のことだ」

 

提督の言葉が満潮の心に刺さっていく。

裂けた心の傷跡から、何かが流れ出した。

 

「…ぐすっ、わ、分かった…!」

 

それは後悔であり、覚悟だった。

艦娘という兵器と人間の立場で揺れ動く者の宿命と矛盾に、彼女は向き合っていたのだ。

 

「きっと君たち朝潮型のような年齢の子には難しい問題だろう。それでも、俺は乗り越えていけると思う」

「…うん」

 

満潮の両肩を掴む。

小さく体を震わせていた彼女は、思わず提督に抱き着いて、嗚咽を漏らしていた。

 

「私、もう後悔したくない」

「うん」

「ちゃんと大潮にも謝る」

「うん」

「…ありがと」

「…どういたしまして」

 

おそらく、いやきっと、今はこれでいいのだろう。

満潮たちはこれからも理想と現実の狭間で苦しむことがあるのかも知れない。

兵器としての自分と、人間としての自分の理想像に思い悩むことも多いだろう。

けれど、それは決して悪いことではない

むしろ、苦悩が人間性を育て、彼女らの人生を豊かにする。

戦いの無くなった未来に羽ばたくとき、再び彼女らはこの国の未来を創っていくのだ。

 

提督は目を瞑って、優しく満潮の背を叩いていた。

 

 

 

 

 

「…」

「…」

 

朝潮型の部屋。

朝潮がハラハラした面持ちで、荒潮は笑いを堪えながら深刻そうな雰囲気を漂わせて対面する二人を見ていた。

 

「「…」」

「「ごめんなさい!!」」

 

彼女らはどちらが先ともせず。勢いよく頭を下げる。

あまりにタイミングが良すぎて正面衝突してしまうくらいに。

 

「…っ!…っ!」

「んぐッ…!」

「あっはっはっは!!」

「ふ、二人とも、大丈夫?…ぷぷっ」

 

荒潮は声を上げて笑い、あの朝潮ですら吹き出しそうになるのを我慢している。

痛みから何とか立ち直った満潮と大潮は目が合うと、同じように口角が上がってしまった。

 

「…ふふっ」

「…えへへ」

 

なんだか、これまで言い争っていたことが下らないようにも感じられた。

素直に相手の意見を受け入れることの、何が難しいのだろうか。

 

「ごめん、大潮。私…」

「お、大潮こそ!ごめんね!」

 

今なら、素直に言える。

それからは姉たちを交え、作戦会議を練り直した。

感情論ではなく、冷静な判断を伴う話し合いは若干ぎこちなさもあったけれど、真剣さはそのままで、笑い声は絶えなかった。

 

万が一のために朝潮と荒潮に呼ばれた提督は、扉の陰から覗く彼女たちの笑顔に一安心してその場を去っていったのであった。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「うふふふふ…」

 

執務室の椅子の上、荒潮は満足そうな笑みを浮かべた。

第八駆逐隊による突入作戦は成功、朝潮、荒潮の援護射撃が敵支援艦を掃討し、大潮、満潮の突撃によって敵旗艦を見事撃沈せしめた。

という訳で、今回の喧嘩騒動と作戦で重要な裏方のサポートを果たした荒潮から、その対価を要求されて今に至る。

 

「こんなもので良かったのか」

「ええ、もちろんよぉ」

 

額を擦り付けるように引っ付いてくる荒潮の髪を撫でる。これも要求通りだ。

 

「まあ喜んでくれるなら何よりだ。姉妹たちの為によく頑張ってくれた」

「あ…うふふ」

 

駆逐艦が懐いてくれるのはありがたい話だ。

数が多い駆逐艦の特性上、どうしてもコミュニケーションを取ることが出来なくなってしまう。

それゆえに、スキンシップとまではいかなくても、定期的に食事や教育などを通して会話をすることは、艦隊の雰囲気づくりにとって不可欠なのである。

 

「…司令官!」

「おう、朝潮か。ありがとう、わざわざ」

 

ひと段落しようとお茶とお茶請けをお盆に載せて持ってきたのは、同じく僚艦の朝潮である。

提督は知らないが、荒潮に「今しかチャンスがないわよぉ」と煽りに煽られ、いつの間にか執務室にやってきていた。

 

「…そ、それで司令官、そ、その…ご褒美の件を…そのぉ」

「ああ、そうだったな。荒潮、下りてくれるか…って」

「うふふふ...…zzz」

 

すっかり熟睡してしまった荒潮に苦笑する。

普段から落ち着きのある彼女もまた、駆逐艦なのである。

そんな荒潮を抱きかかえてソファーに寝かせると、提督は朝潮の方を向いた。

 

「実は朝潮の希望も荒潮から聞いたんだが…これでいいのか?」

 

朝潮の脇の下に腕を通して抱きかかえる。

そのまま慌てだす朝潮の背中をさすってやると、彼女は落ち着いたようだ。

 

「し、司令官」

「違ったか?…まあいいだろう、後でまた言ってくれればいい。満潮たちのためにいろいろと動いてくれてありがとう」

「ふぁ…ふぁい…」

 

猛烈な眠気の中、心地良い温もりを享受する朝潮であった。

この後、満潮や大潮が作戦報告書を提出しに来ると、すやすやと寝息を立てる姉二人が発見されて騒動になるのだが、また別の話。

 



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第三十八話 別れの季節

──────季節は三月。

 

新しい出会いと、過去への別れを象徴する、日本の春。

鎮守府東側の庭、満開を迎えようとする桜の下に、二航戦飛龍はいた。

 

「別れ、ねぇ···」

 

なんとなく、その言葉が口を衝いて出た。

頬を掠めて舞い落ちる桜の花が心を揺らしたというのだろうか。

 

「…ふふっ」

 

文学的な口調に笑いが込み上げてくる。

ともかく、この季節は何とも儚げで、何とも思い出深いことは確かなのである。

今や新しい時代に生きる艦娘として、過去の記憶に苦しむことはないけれど、少し――ほんの少しだけ、淋しい。

 

「···」

 

脳裏によぎった、二人の人物の影。

憧憬とも呼ぶべき彼らの影が頭の中に映って、淋しく感じるのだ。

 

「···ねえ、元気?」

 

桜の樹に片手を添え、まるでそこに()がいるように、飛龍は目を細めた。

 

「もう、七十年も経っちゃったね···」

 

光を浴びる桜の花弁。舞い落ちるうちの一枚を手で捕らえ、もう一度、空を見上げた。

 

「飛龍」

「ん?···ああ、蒼龍」

 

鎮守府の方から歩いて来たのは同じく二航戦の蒼龍だった。

親友として、旗艦として、言葉には出さなくても尊敬しているし、信頼している。

また二人で隣にいられることを、何よりも嬉しく思う。

 

「もうすぐ、お昼だよ?午後は秘書艦なんだし、そろそろ行こうよ」

「そうだった、行こうか」

「うん」

 

今ではもう、苦しむことはないが。

そんな心の中の変化に、手放しでは喜べない自分がいることが、心の何処かで分かっていた。

 

(···忘れない、忘れられないよ、あなただけは)

 

あの人と共有した記憶は未だに鮮明だけれど、色を失くしている。

それはつまり艦娘としての自分のものではない記憶が、心の中心に確かに在るというとだ。

 

思いは、消えない。

それが後悔だからだろうか。

今のところ、それが最もな理由だと思っていた。

 

「ね、飛龍」

「…ん?なに?」

「今度航空隊、取り替えっこしない?」

「え〜、蒼龍にうちの友永隊をやるわけにはいかんよ」

「父親かっ!···いいでしょ?また別の作戦の時のためにさぁ」

 

隣に、親友がいること。

当たり前の日常が、我に返ってみれば、たまらなく愛しくなって、切なくも、恐ろしくもなる。

 

(···ねえ、聞こえるかな)

 

彼への思いは膨張し、胸中でさらに大きくなっていく。

桜の儚げな葉色は、その想いの色を幾重にも変えて、心を惑わせ、調和を乱すのだ。

 

(私は──────)

 

「···りゅう、飛龍ってば!」

「ん···わわっ」

 

思考の底から意識を戻すと、眼前に映ったのは大きな小豆色の看板。

回避しようと急いで身を捩るが、間に合わない。

 

「おっと」

「え···」

 

驚きと一抹の恐怖は、軽微な衝撃とともに霧散した。

今度は純白の色が目の前に広がっていた。

肌触りからして、軍服なのだろう。温もりとともに、どこか懐かしい匂いがした。

決して不快になることはない匂いだったが、どこか、不安になる。

思わず手を伸ばしたくなるような、その気持ち。

 

(何に──────?)

 

片方の掌は、過去に。

もう一つの掌は未来に。

それぞれが何者を指しているのか、知る術は、彼女にはない。

 

『──────本当は分かっているのだろう』

 

「···っ!」

 

心のどこかで、それは叫んだ。

今まで隠した振りをしてきた自分の過去を、目の前に顕示するかのように。

 

「···っと、飛龍、大丈夫か?」

「ご、ごめんなさい提督、飛龍ったらぼーっとしちゃってて···!」

 

傍の蒼龍が駆け寄ってくる。

その下駄と土が擦れるような足音が、たまらなく恐ろしい。

自分の中の、怨霊のような感情が蘇るような気がした。

 

「ああ、大丈夫だよ。それより飛龍、大丈夫か?顔が青いぞ」

 

右肩に手が置かれた。

飛龍自身、彼に対する想いには、もう隠し誤魔化し切れなくなっていたから、それに基づいて、心拍は激しさを増す。

 

焦燥感と絶望が心の中を支配し、身体は震えを隠せなくなっていた。

何かに追われ、隠れているような感じがした。

 

(···ああ、そうか)

 

彼の存在は、自分を縛り、操っているということが事実として、否応なしに眼前に突きつけられているような錯覚に、飛龍は陥れられていた。

彼は、悪意を持っているという訳ではない。寧ろ誰よりも大切な存在のはずだ。

だとしたら、自分の身体が、心が、彼の存在を忘れさせることを拒否しているのだ。

故に、飛龍は遠い過去に縛られてしまっている。

 

「あ···あぁ···」

「···飛龍?」

 

提督の姿が、かつての景色に重なる。

彼の心配そうな目線が、自分を貫いているように感じられた。

 

「ひっ···! 」

 

恐怖のあまりに、気付けば走り出していた。

 

「お、おい!飛龍!」

「飛龍!?」

 

自分を呼ぶ声に、恐怖は増した。

絶望の闇に引きずられ、飲み込まれる気がして。

 

「ひっ···ひぐっ···」

 

自室の布団にくるまった所で、脳内に蔓延るその存在は、決して消えないのだった。

 

「どうして…」

 

記憶は、冷たく燃えている。

心臓を氷柱が貫いて、皮膚が焼け爛れたような感覚がもたらされる。

烈火の炎に焼かれ、深く冷たい海の底に沈んでいく記憶が蘇る。

どれだけもがこうと、もうあの空は水面に歪んで映るだけ。

 

「どうして…!」

 

心を切り裂き、脳を揺さぶる記憶の欠片。

何も考えられなくなって、何も感じられない。

 

「···あ···ぁ···」

 

涙は枯れ、瞳は輝きをなくす。

倒れ込んで、薄れゆく視界の片隅に、誰かの人影が映っていたのは、気のせいか。

 

 

────────────────────────────────────────

 

 

「···あ」

 

気が付くと、日付は変わっていた。

まだ夜は深く、月明かりだけが、部屋を照らしていた。

 

「···寝ちゃってたのか」

 

隣では蒼龍の規則正しい寝息が聞こえてくる。

恐らく、心配して近くで寝てくれていたのだろう。

先程とは比べ物にならないくらいに、心は落ち着きを取り戻していた。

 

「もう一回は···眠れないかなぁ」

 

完全に調子が戻ったかと言われれば、はいとは言えない。

飛龍は何かを求め、彷徨うように、扉を開けた。

 

「···あれ」

 

廊下はどこまでも暗いはずなのに、どこからか光が漏れている。

 

「もしかして、執務室かな」

 

前にもこんなことがあったような気がするが、大凡の見当はついていたのだった。

床が歩調に合わせて、軋んで音を立てる。

この建物も古く、近々改修されると言う。

 

(···そうしたら、忘れられちゃうのかな)

 

過去の記憶は、やがて失われる。

こんな時代があったことも、長い目で見れば、些細な事だったのかもしれない。

 

(翔鶴も、瑞鶴も、鳳翔さんも)

 

旧く遠い、記憶は色褪せ、やがてぼろぼろに、砕け散っていく。

 

(加賀さんも、赤城さんも)

 

あの戦いの歴史は、海に溶けるように、消えていく。

 

(蒼龍も)

 

沈んで、見えなくなってしまう。誰も自分たちのことを覚えていない世界。

 

(多聞丸も)

 

そんな世界を想像したからか、飛龍は寒気を覚えて、廊下を歩く足を早めた。

 

(···提督)

 

今は一刻も早く、誰かに会いたかった。

他でもない、あの人に。

 

「···提督!」

 

気付けば、声に出していた。

 

「おお飛龍···どうした?」

「···え? 」

 

執務室前、想いを寄せる人物は、後ろから現れた。

 

「そうだ、昼間は大丈夫だったか?何か不安なことでもあったか」

「え、えーと···」

 

顔を合わせるも、視線が重なると真っ赤になってしまう。

それは、彼女の精神に回復の兆しが見えたことを示しており、まさに提督は、コロコロと変わる彼女の豊かな表情からそれを察していたのだった。

 

「それとも、体調が悪かったのか?」

 

 

普段は落ち着いている彼女が、あんな顔をするとは思ってもみなかった。

 

(とはいっても、見当はついてるんだよな···でも、どこから話したものか)

 

そう、既に目星はついているのだ。

赤城にも、加賀にも、蒼龍にも、一応尋ねては見たものの、口を揃えて彼の名を呼んだ。

自分自身、それしかないだろうと踏んでいたから、飛龍の元へ向かおうとする彼女らを宥め、自分でどうにかしようと思った。

部下を不安にさせた償いは、完遂するべきだ。

 

「···飛龍、少しいいか」

「え?···ま、真夜中だけど···」

「丁度いい。静かな方がいいんだ」

「え···」

 

そんな使命感とは裏腹に、彼女の心拍は倍増していた。

実際にはそんな訳ないのだが、体感、だ。

それくらい、焦りと期待はどこまでも昇り続けていた。

 

(て、提督のことだから、そんなことじゃないとは思うけど···まさか)

 

少年少女には見せられない妄想を拡げつつも、蒼龍じゃあるまいし、と親友を犠牲にして正気に戻る。

数日ぶりに入る執務室は、何も変わりなく、質素で、それでいて思い出に溢れていた。

駆逐艦が作った貝のアクセサリーが、とても大事そうに飾ってある。

軽巡や重巡が贈った花の入った花瓶とメッセージカードは、手入れが行き届いており、中の花は変わっても、元の美しさは色褪せないでいた。

長門が作ったというテーブルだって、艶は消えずに置いてある。

金剛型のティーカップも、きちんと整理されてある。

 

(本当に私達のこと、大切に思ってくれてるんだなあ···)

 

存在自体が雇用という概念を飛び越えた彼女らの存在について、幾度となく激論は交わされてきた。

同情などせず、兵器として、淡々と“使用”するべきという意見が大半を占めた軍部中枢に、単身土足で乗り込んだのは、他でもない彼だった。

勿論、その表現はそのままの意味ではないが。

激論の末、何とか彼の守るべき一線は死守され、今があるのだ。

ようやく、海軍内部も代の交代が見込まれ、彼の望んだ未来がやってこようとしている。

その保証はないのにも関わらず安心してしまうのは、きっと彼への信頼が、人一倍、それも無意識のうちに、胸中で育まれてきたからだろう。

それくらいには、彼への想いは、飛龍の心の中を占めていたのだった。

 

「···飛龍、大丈夫か?」

「はっ、な、なんでもないよ!」

 

かぶりを振って彼の言葉に応じる。

つい彼のことを考えすぎるあまり、ぼーっとしてしまっていた。

 

「えっと、それで、どんな用事···って、そりゃ一つしかないよね」

 

飛龍は自嘲気味に呟く。

何も関係の無い彼を、自分の記憶が巻き込んでしまっている。

女───艦娘といえど、軍の者として、あるまじき行動なのかも知れない。

 

「ホントにごめんなさい。少し、昔の記憶を思い出して、我を忘れていたわ」

 

何も言わない提督。

その目に宿るのは侮蔑か、怒りか、嘲笑か。

どれにせよ、良い想像の一つも出来ないほど、表情は硬かった。

 

「···本当に、ごめんなさい」

 

飛龍は深く頭を下げる。

冷たい涙は頬を伝って流れ落ちる。

 

「···飛龍」

 

そう言って、彼は両肩に触れた。

 

「顔を上げてくれ、飛龍」

 

その名を呼ぶ声が、愛おしく感じてしまう。

想いを寄せる、その人の声。

 

「···ぅ」

 

本当は分かっていたのだ。その声色で。

否、それよりもずっと前から、期待していたのだ。

 

「ごめんなざい···ぅううっ、ひぐっ」

 

涙の温もりは増す。

溜め込んでいたそれが、止めどなく溢れ出して、視界が歪んでいく。

 

「謝らなくていいんだ。辛い思いをさせてごめんな」

 

ぐしゃぐしゃになっていた顔を抑えていた両手をゆっくりと離して、抱きとめられた。

 

「うあああああぁっ!」

 

恐ろしかった。

加賀が、赤城が、蒼龍が、好きな人たちが、いなくなることが。

もう二度と還らないその人たちのことを想うことが。

やがて自分が何もない暗闇に沈んでいくことが。

愛する人を置いて。

 

「ひっ···ううう···うぁ」

「俺は絶対にいなくならない。君達と一緒に生きて、一緒に沈もう。もっとも、君達は絶対に沈まないけど」

 

顔を胸元に埋め、止まらない嗚咽を抑える。

それでも、その温もりに、隠していた感情は、涙は、決して止まらなかった。

 

「誰のせいでもない。時代が、その波が、皆を悪い方向へ動かしてしまったんだ。」

「それでもっ、わだじがああっ···」

 

思い出してしまうのは、始まりと最期の記憶。

 

『よろしくな、飛龍』

 

舞い散る桜が、提督を彩って。

 

『──────また、あの世でな』

 

舞い散る火花は、かつての提督と過ごした自分の記憶を、憧憬を、燃やして消えた。

いずれまた、思い出の人たちとの別れがやってくるのだと思うと、とても耐えられそうになかった。

 

「置いて···行かないでぇ···!」

「置いていかないよ。皆で歩いていこう」

「私を···皆を、忘れないで···」

「忘れないよ。これから、いつまでも」

「一緒に、いてよ···!」

「離さないよ。絶対に」

 

言葉が今、時を越えて、記憶の彼方に突き抜ける。

幾つもの季節を通り過ぎて。

 

「···なあ、飛龍」

 

今度は提督から、小さく呟くように話しかけた。

 

「···うん」

 

相変わらず、彼女を強く抱き締めたままだ。

 

「過去の記憶を断ち切れ、なんて俺は言えない。君達の方がよっほど過酷な戦場を経験しているから」

「···うん」

「それでも、向き合うことは出来る。少なくとも、一緒に生きていくことは、きっと出来る」

「全部、一人の飛龍という空母として、艦娘として、君の強さになってくれる」

「うん」

「ありきたりな言い方だけど…。山口多聞中将は、君の心に生きる。君と共に、君自身として、生きていくんだ」

「うん···!」

「気負わなくていい。君なりのやり方で、彼の遺した思いを、未来に託して欲しい」

 

涙は次第に、収まってきていた。

暖かい感情に、心は解れていく。

腕の力が、少し強くなって、顔を上げた。

 

「全力で、俺はそんな君を支えようと思う」

「···っ!」

 

何となく、相手の顔で、本心かどうかなど、分かってしまう。

蒼龍の強がりも、翔鶴の遠慮も。

けれど、彼の本物の笑顔は、どこまでも澄んでいて。

純粋な優しさだけが、この空間を染めていた。

彼女自身も、それに染まっていく。

否、もう染まっているのかも知れないが。

 

(···ああ、そうか)

 

そして、彼女は気付いた。

 

(提督は、本当に私達の事が、大切なんだ)

 

その両肩に、どれだけの試練を背負ってきたのだろうか。

掛け値なしに、何の対価も求めることなく自分たちのために、ただこの国を守るべく、ひたすらに辛い現実と闘い続ける生き方は、いつの時代だって難しいだろう。

 

(きっと、私はこんなに強くなれない)

 

単純な力だけでは、その境地に辿り着くことが出来ないとも思う。

 

(···それでも)

 

あの人の隣に立ちたい。一緒の道を歩んでいきたい。

その憧れが原動力になって、自分を支えていくのだ。

飛龍はもはや不安を覚えることはなくなっていた。

 

「···ねえ、提督」

「なんだ?」

 

少し腕を緩め、離れるけれど、視線は決して逸らさなかった。

 

「私、頑張るよ。もう二度と、提督や空母のみんなを沈めたりしない」

「ああ」

「不安な思いになんて、させない」

「ああ」

「···多聞丸の思いに、応えるために」

「ああ。」

 

目が少し赤いが、決意に瞳は揺らがなかった。

 

「···君は立派な、空母機動部隊の一人だ。」

 

頭を撫でる。

 

「でもな、これだけは、約束してくれ」

「ん···なに?」

「絶対に、自分を犠牲にするようなことは、しないでくれ」

 

笑顔だが、これまでにないほど、強い意志を感じた。

 

「···そうよね。ええ。約束するわ」

 

この人は、そういう人だから。

どこまでも優しく、どこまでも厳しい。

他人の辛さを理解し、全てを分かち合える人。

 

(というか、そこが好きな所なんだけど)

 

ありきたりでいい、つまらないと言われてもいい。

ただ、そんな彼と一緒にいたかった。

 

「良かった。···もう大丈夫か?」

「···えっと、その」

 

つまり、そういう行動に出ても文句は無いはずで。

 

 

 

 

 

「···ん···」

「おはよう飛龍!」

 

うっすら目を開けると、蒼髪の少女が目の前に。

 

「んあ、蒼龍···おはよう」

 

まだ少し眠い。

完全にリラックスして眠れたのは、五時間くらいだ。

 

「昨日は看病してあげられなくてごめんね···?大丈夫だった?」

 

心配そうにこちらを覗き込んでくる大親友を抱きとめる。

 

「わっ」

「ごめん。昔のことで結構ナーバスになってたみたい。もう大丈夫だから」

「···えへへ、久し振りだね、こういうことするの」

「って、聞いてる?」

「も、もちろん!元気そうで良かったよ」

 

結局昨日は提督に私室に来てもらい、膝枕や添い寝をしてもらっていた。自分にしては大胆すぎる行動に、顔が赤くなる。

 

「あー!飛龍照れてる〜。かーわいい!」

 

頬をつついてくる親友に、慌てて弁解を試みる。

 

「ちっ違うよぉ!」

「じゃあ何なのさ〜」

 

好きな人と一緒にいることは、やはり心が安らぐ。

抜け駆けしたことには少し罪悪感を感じるのだが。

 

「と、とにかく!もう朝ご飯だし!食堂行こっ!?」

「ええ〜?怪しいなぁ」

 

追撃を仕掛ける親友から逃れるように部屋を飛び出す。

 

「待てー!」

「ひいぃー!」

 

後ろに向けていた目線を戻すと、目前には既視感を感じる純白の軍服。

 

「うわあ!?」

「おっと」

 

その通り、提督とぶつかってしまったらしい。

 

「大丈夫か?気をつけろよ」

「え!?は、はいっ」

 

(か、顔が熱い!絶対赤い!)

 

もう隠しておけないその思いに、頬の緩みと紅潮が抑えきれない。

ついでに目を合わせられない。もう蒼龍や翔鶴のように初心な艦娘をいじり倒すことができないだろう。

 

「あー!また提督に抱きついてるんだからー!」

 

そんな飛龍の反応を見て、後ろからやってきた蒼龍がカンカンである。

 

「え、ちょっ!?これはぁ!」

「そうだ、昨日はよく眠れたか?」

「へ?」

「え?」

「まあ、昨日というよりは今日か。大分疲れていたみたいだからな。それだけ元気が有り余っていたら大丈夫そうだな」

「···う、うん···」

 

微笑みについつい顔を逸らしてしまう飛龍。

そんな彼女の肩を後ろから掴んだ蒼龍は、凄みを浮かべた微笑で飛龍に迫った。

 

「ひーりゅーうー?」

「ひぇっ!?」

「そんな時間に提督と何やってるのよー!?」

「うわあああああ!?」

 

怒り狂った猛獣の如く追いかけてくる蒼龍の迫力に、再び走りだす。

 

「···気をつけるんだぞー」

 

恐らく聞こえてないだろうが、ともあれ飛龍の調子が戻ったならばよしとしよう、と提督は再び廊下を歩き出す。

まさかとんでもない爆弾を投げこんだとは、微塵も感じていない提督なのであった。

 

 




懲りずに空母ネタ。


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第三十九話 レディ、特訓中です

「艦隊、これより挟撃戦に突入します!」

 

戦闘海域の北方一万メートル、熊野は艦隊の総員に声を掛けた。

 

「了解!」

 

第一戦速で海原を駆け抜ける。

飛沫の中、熊野は水上機を前方に飛ばすと、次第に先遣艦隊の姿まで俯瞰した映像が送られてくる。

 

「鈴谷!行きますわよ!」

 

その中に見えるもう一人の旗艦、鈴谷に無電で呼びかけると、遥か遠くで彼女は笑顔で親指を立てたのだった。

 

「砲雷撃戦、開始ですわ!」

 

 

────────────────────────────────

 

 

「お疲れ様、熊野」

 

母港に帰り着いた熊野たちを出迎えたのは、我らが提督であった。

 

「提督、お仕事はよろしくて?」

「ああ。今週の分はあらかた片付いてる」

 

最近は、敵艦を撃つということに、あまり恐怖を感じなくなったきた。

それは、生命を奪う行為であるという以前の認識が、変わってきたということを意味する。

そこにはこじつけのような、若干無理矢理に自分を納得させる感情があったのかも知れないが、選択したのは自分だ。誰にも異論を挟ませる気はない。

また、その選択肢を与え、自分がどの道にあろうと絶対に応援すると言ってくれた彼に、確かな感情があったこともまた事実なのだ。

 

「報告は後でいいから、先に入渠を···と言っても、あまりいないか」

 

そう言おうとして艦隊の人員を見渡すが、特に目立った損傷はない。

 

「凄いじゃないか。熊野」

「い、いえ···まだまだですわ」

 

褒められるのには慣れていないらしく、熊野は照れからか俯く。

 

「提督ー!鈴谷は?」

「お前もよくやったよ。はいこれ、間宮券」

 

丁度二枚余っていたので熊野たちが旗艦へのご褒美として受け取った間宮券は、前の鎮守府では決して見られないものだった。

 

「やったー!」

「あ、ありがとうございます」

 

なんだか感慨深い思いに浸ってしまう。

ふと、今まで渡ってきた海の青を振り返った。

──────この海を護る。

水平線の向う側に待ち構える、あの存在は、元々は敵ではなかったのではないか。

かつての戦争において、重雷装巡洋艦という艦種は、この国にしか存在しなかったこと。

海外の艦船の魂を受け継いだ仲間がここにいること。

その事実の数々は、その仮説を証明しつつある。

 

なにはともあれ、想いの強さが現在の熊野の確かな原動力となっていたことは確かだ。

 

「···よくやったな」

 

提督は、少し遠慮がちに頭を撫でた。

多少は自分くらいの娘への配慮をしてくれているのだろうが、もっと撫でてくれてもいいものだと思う。

 

「あ、ありがとうございます···」

 

そんな事を考えていた自分にはっとして顔を赤くしていると、提督の後ろから視線を感じた。

 

「···?」

「···ねえ、熊野さん」

「おっ、暁か。熊野に用事か?」

 

それは、暁型駆逐艦一番艦、暁のものだった。

聞くところによれば、長女としての威厳を示そうと様々なことにチャレンジしているが、どう頑張っても雷の圧倒的母性の前に屈服しつつある、危機的状況らしい。

 

「ええ」

「暁さん···?何かしら?」

 

提督の背後に隠れるようにしていた暁は、バッと熊野の前に躍り出た。

 

「暁に、レディーを教えて欲しいの!」

「···え?」

 

彼女の決意の瞳は小さく、それでいて力強く燃えていた。

 

 

 

 

 

『 レディー···ですの?』

 

質問の意味が分からず、きょとんとする。

レディー。

レディーなのかレディなのかよく分からないその言葉は、あまりにも抽象的で、けれどもそれを口実にすることは出来なさそうだった。

 

『 ええ。教えて』

 

ずいっと、半歩近づいた暁にタジタジと後ずさる。

『 え、ええっと···』

 

『 まあまあ、暁、昼飯の後でもいいだろ?熊野も皆も疲れているし』

 

提督が彼女らの間に割って入ると、暁は渋々頷いた。

 

『 そ、そうね···じゃあ熊野さん!お昼の後で聞きに行くわ!』

 

そう言った暁は、パタパタと寮へ戻って行った。

 

 

─────────────────────────────────

 

「ど、どうしましょ···」

 

熊野は悩みに悩む。

それもその筈、何をもってレディを定義するかなど、熊野には分かる訳が無い。

 

「元々暁は、ああいう背伸びした性格なんだ。姉として、大人っぽい行動をしたいんだろうな」

 

夕暮れ時。

秋空は綺麗な夕焼けを映していた。

書類を一段落させ、熊野は憂鬱そうに呟く。

 

「大体、何故私に···」

「それは、暁から熊野はそういう、大人っぽい女性に見られているってことなんじゃないのか?」

「私が···ですの?」

 

熊野は信じられないといった目でこちらを見ているが、そう思われるのも当然だろうと思う。

 

「ああ。他の艦娘から話をよく聞くよ。普段の生活から肌の手入れなんかに気を使ったり、アドバイスしてくれたりだとか。後は、私服がすごいお洒落とかか」

「そ、そうですの···」

 

言葉を聞くうちに、頬が赤く染まっていく。

「残念ながら休暇も少ないもんで、なかなか休日の君たちと会うことも少ないんだが···って熊野?」

「ま、まあ私は神戸生まれですもの!オシャレの専門家ですわ!」

「おう···まあ、とにかくだ。暁の期待に答えるという意味でも、何か、出来る範囲でアドバイスを頼んだ」

「そうですわね···分かりましたわ、この熊野にお任せ下さいまし」

 

自信満々に、胸を張って熊野は言う。年相応の無邪気さを見せるのは、彼女にしては珍しい。

 

「よろしくな。お礼に今日の夕食、奢らせてくれ」

「ほ、ほんとですの!?」

「お、おう」

 

(金欠なのか…?)

 

身を乗り出すほど目を輝かせていた熊野に、見当違いな考えが頭を掠めた彼であった。

 

 

 

 

 

「あっ、熊野さん!」

 

待ち合わせの約束をした間宮の前、果たしてどうしようかと思案していると、暁が走ってくるのが見える。

 

「ごめんなさい、待ったかしら」

「いいえ。私も今来たところですわ。急がなくていいのよ」

 

ドラマの一幕のような定型問答だなと思っていると、暁が憧れの眼差しで自分を見つめていた。

 

「えっと…暁ちゃん?」

「これが『おとなのよゆう』ってやつね!さすが熊野さんだわ!」

「そ、そうかしら…?」

 

正直なところ、全くわからない。

そんな思いはひた隠し、日の当たる窓辺へ席を取る。

 

「と、とりあえず好きなものを頼んで下さいね」

「ええっと、わたし、おこづかい持ってきたわ」

 

ごそごそと小さなバッグを探る暁。可愛らしいものでつい微笑んでしまう。

 

「気を使わなくていいですのよ。今日は私が払いますから」

「え…い、いいの?」

「もちろんですわ。でも、晩ごはんの分はしっかり残しておきなさいね?」

「ええ!」

「ふふ…」

 

ここまで彼女の無邪気な笑みにこちらも終始微笑みっぱなしだが、そこから、彼女が所謂『レディ』に憧れる理由が分かった気がしていた。

 

「はい。特製パフェとホットコーヒーです」

「ありがとう!」

「ありがとうございます」

 

口をつける前から、コーヒーの香りが漂う。

流石は間宮といったところか、ドリンクメニューの完成度にも隙はない。

芳醇ともいうべき風味が口の中を巡っていた。

 

「美味しいですか?」

「ええ!あっ、熊野さんも一口いかが?」

「あら、ありがとう。じゃあ頂きましょうか」

 

あーん、と差し出されたスプーン。

思わずあらあら、と呟いて、一口頂く。

 

「…ん。甘くて美味しい。疲れが飛んでいきますわ」

 

暁には、その熊野の表情が、何とも魅力的に映るのであった。

 

「ほぁ…!」

「···?どうしましたの?」

 

きょとんとする熊野に、暁のキラキラした視線が刺さる。

 

「こ、こうしちゃいられないわ!」

「へ?」

 

淑女の気品とは一体なんだったのか、パフェをかっ込んだ暁は、一言熊野にお礼を告げる。

 

「熊野さん、パフェご馳走さま!あと、私、熊野さんのおかげで何か掴めそう!」

「は、はあ···」

 

長い髪を振り乱し、出口へ駆け抜ける暁。

その勢いに気圧され、彼女がいなくなった後も、熊野はしばらくぽかんとしたままだった。

 

 

 

 

 

別棟の縁側。

最近では、天津風を連れてきたくらいか。

 

『私、秘訣に気付いたの!』

 

そう言って聞かない、興奮冷めやらぬ暁を落ち着かせるため、休憩がてら話を聞こうかとこの場所へ連れてきた。

気のせいか、それを告げると本日の秘書艦の不知火は、

 

『どうぞご勝手に』

 

と、何やら不満げな顔をしていたが。

 

「───ねえ、聞いてる?」

「あ、ああ。何の話だったか」

「聞いてないじゃない!…もう。熊野さんの話よ。レディの何たるかを、私は掴んだのよ」

 

得意げにする暁は至って子供らしいと感じさせるが、まあそれは言わないでおくことにする。

 

「ほう。して、それは一体なんなんだ?」

 

教えてくれ、と乞うようにすると、暁は得意顔を更に輝かせて答える。

 

「ふふん、それはね···可愛さよ!」

「なるほど…?」

 

いまいち言葉の真意分かっていないが、とりあえずは続きを聞くことにする。

 

「熊野さんは確かにお洒落だし、それに物知りだわ。 けれど、そんな熊野さんを魅力的にしているのは、熊野さんのちょっとドジっ子なところだったり、純粋なところだと思うの」

「···その心は?」

「ギャップ萌え、ってやつね!作戦中の熊野さんならしないことが魅力的に映るの」

 

まさか、彼女からギャップなんて言葉が出るとは。

提督は目を見開いた。

一方、暁はと言え自信がこもった瞳を輝かせている。

言っていることが間違っていないだけに、北上あたりはうんざりしそうな明るさである。

 

「成程。よく熊野を観察したんだな」

「人間観察、っていうのかしら?」

 

なんだか地雷臭のするそのワードを呟く暁。

 

「ともかく!そういうメリハリが、熊野さんの、いわゆるレディの魅力なのよ!」

 

真理に辿り着いた哲学者の表情で、さらに続けた。

 

「そうだな。よく駆逐艦の子からも話を聞くよ」

 

彼女の導き出した結論には納得させられることが多い。

普段から周りに向けられる生温かい目線を見ていると、ついついその天真爛漫さに隠れてしまうが、やはり人をよく観察する力に優れているようだ。

 

「やっぱり!?えっへん」

「暁はみんなをよく見ているな」

「えへへ、もちろん!レディですから」

 

よほど嬉しかったのか、頬が緩みまくりでニヤつきが止まらない暁。

提督は膝の上の駆逐艦に苦笑しながら、ひたすら髪を撫で続ける。

満足げな笑みを浮かべる暁は、ご機嫌な表情で続ける。

 

「私、これからは熊野さんを見習って頑張るわ!」

「目標となる人を見つけられたのは良いことだな。頑張れ

よ」

「ええ!サーモン海域なんてへっちゃらなんだから!」

「頼もしい限りだ」

「それなら…んっ、もっと撫でてちょうだい」

「ふふっ、仰せのままに」

 

頭を押し付ける暁。

普段から長女として努力を欠かさない一方、見た目相応の、まだまだ子供っぽい一面は見ていて癒される。

 

「…さっきの話だが、熊野をお手本にして頑張るのは素晴らしいことだ。ただ、『暁らしさ』も忘れないで欲しいと思う」

「私らしさ?」

「ああ。いつか、そのことで悩む日がくるかも知れない。その時に、きっと役に立つはずだから」

「そうかしら?…うん、でも、司令官の言うことだし、きっと大切なはずよね!」

「そう思ってくれて嬉しいよ。大人っぽい暁も好きだけど、第六駆逐隊のみんなで遊んでいる時の楽しそうな暁も可愛らしくて良いと思うぞ」

「えへへ…って、も、もう!」

「本当のことだ」

 

暁は、抗議の目線で提督の胸元をポコポコと叩いている。

一通り終わってから、暁は提督に向き合って笑った。

 

「んへへ…じゃあ、もうちょっとこうしててくれる?」

「ああ」

 

うららかな春の陽気にあてられる二人の影。

身体を撫でる涼しげな風と提督の腕の中で、暁はすやすやと寝息を立てるのであった。

 



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第四十話 作戦前夜

夜が明けた。

朝日は鎮守府全体を照らし出す。

 

「…ふあぁ」

「あっ、起きた?おはよ」

「んん…おはよっぽい」

 

白露型の部屋で、夕立は目をこすって、隣で布団を畳んでいた姉の村雨に挨拶をする。

 

「ようやく明日ね」

「っぽい…ちょっと楽しみっぽい?」

「うーん…本当は楽しみって言っちゃいけないんだけど…そうなのかも」

 

夕立は、起きぬけながら姉の纏う雰囲気がいつもと違うことを感じ取っていた。

流石は姉妹艦というべきか、時雨、夕立に続く形で村雨も白露も武闘(夜戦)派艦娘であることを忘れてはならない。

演習でこの鎮守府と当たった時は、航空ロングレンジで損傷を与えて夜戦には持ち込まないのが、他鎮守府の常套手段となりつつある。が、それも対空番長の摩耶や秋月によって悉く墜とされてしまうのだ。

 

「とりあえず、朝ご飯にしない?もう白露姉さんも起きてるよ」

「ふふん。朝四時起き。いっちばーん」

「ふふ、暑苦しいよ」

 

窓を開けて苦笑する時雨。彼女もまた、翌日の作戦に参加予定だ。

 

「ほらー!みんな起きて!」

「んが…っ!?な、なんだァ!?地震かァ!?」

「ねむい…ぐぅ」

 

涼風や山風が五月雨や海風に揺すられ、寝ぼけ眼を覚ましている。

作戦に備えた訓練は熾烈を極めたため、睡眠時間は増す一方だ。

 

「今日は総員起こしがないけど…まあ習慣化した方がいいよね。明日も大体この時間だし」

「うん。多分村雨と春雨、海風たちはその時間に出撃だろうからね」

 

白露型のお姉さん、白露と時雨がそんな言葉を交わしている。

作戦開始の一週間ほど前になると、戦闘訓練の時間が減り、代わりに作戦計画概要をとことん頭に叩き込む。その上で作戦時間帯に体を慣らす必要があるのだ。

頭も体もフル稼働させた白露型姉妹にとって、朝の五時はまだまだ眠いのであった。

 

「ひゃあ!?江風、また私の布団に入ってるんですか!?」

「んあー、眠いぜ姉貴…」

 

江風はいつの間にか姉の布団に潜航していたようだ。

 

「…ん、あたしも」

「や、山風まで!?ひゃっ!?も、もう!」

「…姉妹仲が良いのは何よりだけど、もう行くよ」

「そうそう。ほれ、こちょこちょこちょ~」

「んひぅ!?や、やめろォ!う、うひひひひ!」

 

白露が江風の腋に手を突っ込んで起こしている。

時雨が満面の笑みを浮かべているのを見て、同様の被害を咄嗟に察知した山風は布団から脱出した。

 

「さあ!まずは朝ごはんだよ!」

 

艦娘たちの朝は、ちょっと特別な形で始まった。

 

 

 

 

 

食堂の前、榛名は、廊下から駆けてくる比叡に手を振った。

 

「お姉さま、こっちです!金剛お姉さまも霧島も待ってますよ!」

「ひええ、ご、ごめんなさーい!」

 

乱れる髪もほどほどに、比叡は食堂に向かって走る。

あと五分、を三回ほど続けられた霧島が呆れて、置いて行ってしまったらしい。

 

「皆さんお待ちかねですよ」

「はぁーっ、はあ、すみませんお姉さま」

「Oh!比叡が来たヨ、霧島」

「全く…遅すぎます」

「あ、あはは…ごめん」

 

頭の後ろに手をやって比叡は謝る。

彼女の妹は、艦隊の頭脳などと呼ばれている割には割と脳筋なところがある。それだけに、怒らせてはならないということを知っていた。

 

「提督はどうされるんですか?」

「そうそう。さっき何やら用事があったとかで遅れるッテ…」

 

金剛がそれを思い出す前に、提督が現れる。

 

「あーすまん、ちょっと遅れたか」

「あ、提督。丁度比叡お姉さまも寝坊で遅れていましたので、大丈夫ですよ」

「うぐっ…お、おはようございます」

「そうか。よし、それじゃあ頂こう」

 

そうして手を合わせる前に、隣の金剛が目を輝かせていることに気付く。

 

「Good morning!ところで提督、どうしてApronをしてるノ?」

「あっ、本当ですね。もしかして」

「ああ。作戦前日だからな。間宮と伊良湖、それに大鯨が戦闘糧食の準備と調整をしてくれているらしいから、鳳翔の手伝いで朝ごはんを作ってたんだ」

「提督がですか!?」

 

霧島が驚いた顔をしている。金剛と比叡も続いて目を見開いた。

 

「意外か?でも安心してくれ、多少は料理の経験があってな」

「提督はお料理がお上手なんです!お弁当、美味しかったですし」

 

榛名がやや興奮気味に、そして自慢げに話す。

先の鎮守府総出での慰安旅行では、彼女が見事提督の隣の席を勝ち取り、お弁当を交換することができたのだった。

 

「mmm…榛名だけずるいデース!」

「まあ待て金剛。そんなに欲しいんだったら、また今度作るよ」

「そ、その時は私も…!」

 

嫉妬の炎を燃え上がらせる金剛を宥める。

向かいの席では、比叡がおこぼれにあずかろうとしていたのだった。

 

「榛名もお願いします!」

「榛名はもう食べたんでショ!?」

「わ、分かった分かった。とりあえず食べよう」

「そうですよ。お姉さま方は朝から元気良すぎです…では提督」

「ああ。それじゃ」

「「いただきます!」」

 

 

 

朝食後、提督は秘書艦の長門を伴って工廠にいた。

作戦で使う装備と妖精たちのコンディションを一通り確認するためだ。

 

「おはよう、明石」

「あっ、おはようございます提督、長門さん。装備の点検は昨日までに済ませていますよ」

「ありがとう。明日は海域中部までの制圧に留めるから、大型艦の出撃は少ないと思う。陸上機の方は。搭乗員妖精さんたちが空母寮で会議中だ。もうすぐ戻ってくるだろうから、編成を確認しておいてくれ」

「了解です!夕張ちゃんとも確認しておきますね」

「ああ。頼むよ」

 

そう言って、部屋の奥へ進んでいく。

長門が兵装のメンテナンスをする妖精を見て呟いた。

 

「ふむ…何だか士気が高揚しているようだな」

「一応休暇をな。働きづめは戦果にも影響すると思って」

 

提督を見つけて、大騒ぎで駆け寄ってくる妖精たち。

微笑ましいその光景に、厳格な性分の長門も頬を緩めたようだった。

 

「人間も艦娘も妖精も、そう変わらないのだな」

「ああ。というか、妖精さんの方が軍人よりずっと人間らしいよ」

 

肩へ登って胸を張る妖精たち。

羨ましそうに見つめる一人の妖精を掌上へと誘って、提督は苦笑したのだった。

そんな彼の表情を見て、長門は少し不安を感じていた。

 

「…提督も、休めているか」

「ぼちぼちだな。今日はできる限りの作業を済ませたら大淀と交替するよ」

「うむ…。ならば、いいんだ」

 

流石の提督も、作戦時とあっては体調管理に努めるようだと判って、安心する。

日頃から鉄仮面のイメージを抱かれていることの多い彼女だが、なんのことはない、普通の女性とも同じように美容に気を遣ったりすることもあるし、今のように誰かを心配することもある。

縫いぐるみが好きなのは横須賀の長門だ。

 

「心配かけてすまないな。だが、作戦は任せてくれ。必ず、誰も欠けることなく勝利しよう」

「…その言葉が聞けるだけで、有り難い。私も全力で艦隊を勝利へ導く」

 

主砲艤装の上にいた妖精が、長門の肩口へ飛び乗ってサムアップする。

二人は顔を見合わせて笑ったのだった。

 

 

 

「なにやってとるん、磯風?」

「…ああ、黒潮姉さん」

 

隣部屋の壁を(武蔵が)ぶち抜いて作った陽炎型の部屋。

窓際で磯風は一人、夕暮れの水平線を見つめていた。

 

「改装はもう終わったのか」

「ついさっき。これでウチも改二や!」

 

後期型駆逐艦の設計図を完成させるには多大なコストがかかるため、大本営の方も開発に対して慎重になる。

それでも、一度実装されてしまえば規定練度を超えることは容易い(主に川内型教官のせいで)ので、古参の黒潮はすぐに改装となった。

 

「羨ましいぞ。私は二次改装といっても、臨時改装だからな」

「まあ、その辺はお姉ちゃんやから堪忍な?…っというより磯風、まだお風呂入ってないん?今日の就寝は早いから、夕食前に済ませたほうがええよ」

「…ああ」

「どうしたん?自作料理でお腹壊したとか?」

「ちっ、違う!」

 

そう言って茶化した黒潮は悪戯っぽく笑みを浮かべる。

比叡よろしく料理の腕は絶望的なので、邂逅から日の浅い提督が床に臥せったことは完全に黒歴史と化していた。

ちなみに比叡の不味さとは、また違うらしい。

 

「あっはは。冗談やって。んじゃーなんや?」

「…それは」

 

口数の少なくなった妹を見て、黒潮は何かを察する。

こんなタイミングなのだから、明日からの作戦が関わっていることは確かだ。

 

「司令はんから聞いたで。最終海域やろ?」

「うっ」

 

黒潮がそれとなく(尋問に近い)提督から聞いたところによれば、磯風など、史実に基づいた艦娘の攻撃力が異常に高くなっている可能性が指摘されているという。

萩風や嵐は舞鶴には未着任なので、最大火力が期待できるのは彼女のみとなり、敵侵攻艦隊の迎撃部隊本隊に抜擢されたという。

 

「お姉ちゃんには何でもお見通しや!」

「…全く、敵わないな」

 

苦笑した磯風は、ぽつり、ぽつりと語りだす。

 

「…不安なんだ。私は主力部隊の中では練度が高い方ではない。それこそ姉さんや陽炎姉さんが担うべき大役を、私は任されている」

「何言うてんねん。磯風やから…あんたやからこそ任されたんやで。確かに、『磯風』としての活躍を期待されてる部分もあうるのは確かなのは認めるわ。でも、司令はんは絶対にそれだけで出撃させたりせえへん」

「っ…そう、なのだろうか」

「そうや。ウチが保証したる。それとも、あんたは信じられへんか?」

「ま、まさか。黒潮姉さんの言うことだ」

「ウチやない。司令はんのことや」

「…そうだな」

 

目を瞑って、あの人の姿を思い浮かべる。

執務を行う穏やかな表情。指揮を執る真剣で厳格な表情。

明らかに失敗作である手料理を完食し、苦悶をおくびにも出さず真面目に料理の評価をする彼の表情。

彼を信じようと決めたのは、他でもない自分ではなかったか。

 

これは、彼への信頼を証明するための戦いだ。

自分を信じてくれた彼に報いるための戦いだ。

 

(私は…何を迷っていたんだ)

 

意を決して、俯いていた顔を上げる。

握られた拳は固く、そして瞳は燃えていたのだった。

 

「…大丈夫そうやな」

「ああ。黒潮姉さんと…司令の、お陰だ」

 

紅く火照った顔を自覚して、照れ笑いする磯風。

揺らぐことのない覚悟を胸に秘め、彼女は海を駆けていく。

 

 

 

 

 

「よし…っと!」

 

鹿島は、満足げな表情で筆を置いた。

A4の紙束をトントンと机で揃えて、クリップで挟む。

昨日と今日の演習で行われた『最終練度調整表』が全艦娘分書き終わった。

 

「あら、終わったの?」

「うん!香取姉もチェックしてくれてありがとね!行ってきます!」

「あまり走ると転ぶわよ。行ってらっしゃい」

 

スキップしそうな勢いで機嫌よく部屋を飛び出していった妹に苦笑する。

初めて自分が責任を持って完成させた仕事だけに、嬉しさもひとしおなのだろう。

 

(…まあ、本命はおそらく提督でしょうけど、ね)

 

そんな姉の思惑などいざ知らず、一目散に執務室を目指すのであった。

 

「提督、失礼します」

「おう。鹿島か…そうだ、調整表だな」

「はいっ!完成しました!」

 

自信満々な表情で敬礼を見せる鹿島。

どうやら調整表が完成したらしいと提出された紙束を見る。

 

「ふむ。じゃあ少し確認させてもらおう。参加練度基準に届かなかった艦娘はいたか?」

「いえ。前回の第二次欧州支援作戦と同じく、いなかったようです」

 

練度不足による轟沈を防ぐため、相当の練度がないと作戦には参加できない。

新米鎮守府の司令官たちは、徹底した支援作戦に駆り出されるのがオチだ。

 

「よし、ちょっと待っててくれ。一旦部屋に戻っても良いぞ」

「いえっ!お待ちしてます!」

 

目が輝いている。期待の表情だ。

提督は苦笑して席を立ち上がった。

 

「じゃあコーヒーでも淹れよう。そこの机で待っててくれ」

「あっ、私が…」

「さっき磯風が来てたからな、用意は出来てるんだ。…あ、紅茶の方が良かったか」

「あっ、ならアールグレイを…って!自分でやりますぅ!」

 

わたわたする鹿島を尻目に、提督は調整表に目を通しつつ紅茶を入れるのであった。

 

 

 

 

 

「…うん、良く出来てる」

 

そう言って提督が調整表から目を離したのは、わずか十五分後のことだった。

それでも緊張からかそれが長く感じられたようで、彼を真剣な眼差しで見つめていた鹿島は、その言葉を聞いて跳び上がった。

 

「ほ、本当ですか!?」

「あ、ああ。書式についてはルール通り修正すれば問題ない。中身は充分だと思う」

「や…」

「や?」

「やったあああ!」

 

変わらず跳びはね続ける鹿島に、提督は思わず苦笑する。

しかしながら、この仕事にそれだけのやりがいを感じてくれていたということだろう。それが嬉しくもあった。

 

「特に映像観察と聞き取りがしっかりしているな。各艦の行動の目的がすっきり見やすくなっているのも良い。これを見れば、作戦時の目的意識の重要性が皆に伝わるだろう」

「えへへ。香取姉からアドバイスをもらったんです。『艦隊行動で必要なことを整理できるような表を作りなさい』って」

「なるほど。着眼点が鋭いな。流石は香取だ」

「…むぅ」

「も、もちろんそれを自分なりに判断して表を作った鹿島も素晴らしい」

 

慌ててフォローを入れつつ、再び表に目を向ける。

色使いも多すぎず少なすぎず、非常に視覚的理解が進む。

思考のプロセスを段階ごとにはっきりさせているため、その筋道が手に取るように分かる。

また、艦娘たちの報告書に基づいて反省ポイントを用意してあるため、指揮者が彼女らへ指示を出すときに参考になった。

艦娘にも提督にも分かりやすい報告書としてまとまっている。

 

「お疲れ。研修があったとはいえ、ここまで仕上げてくるとは思わなかったよ。これからもこの質を維持しながら、香取たちのアドバイスも取り入れつつ頑張ってくれ」

「っ…はい!」

 

鹿島は余程嬉しかったのか、感動のあまり半泣きである。

少し驚いたが、それほどまでに懸命に仕事に向き合ってくれたのだろう。提督としても胸が熱くなった。

 

「明日の作戦でも、これを使わせてもらう。鹿島のやってきたことが活きることを信じているよ」

「あ、ありがとうございます…っ!」

「うん。明日の出撃予定はないが、対潜哨戒で力を借りることもある可能性がある。配備済みの対潜装備をチェックしておいてくれ」

「りょ、了解です!失礼いたしました!」

 

涙を拭って姿勢良く敬礼を見せる鹿島。

提督は返礼し、退室しようとする彼女を呼び止めた。

 

「少し待ってくれ。渡したいものがある」

「え!?あ、はいっ」

 

何を期待したのか、固まって直立不動の鹿島に、提督は紙袋を渡した。

 

「余っていてな。香取と食べてくれ」

「へ…これって」

「間宮羊羮だ。大本営に行った時に多目に貰ってな」

「あ、ありがとうございます」

 

何とも言えない鹿島の表情。

 

「赤城辺りに取られる前に配らないとな。じゃあ、お疲れ」

「は、はいっ。お疲れさまです!」

 

トリップから正気に戻った鹿島は赤面する。

ひょっとしたら彼の懐から小箱が出てくるかも知れなかったのだ。どうかご容赦願いたい。

 

(わ、私ったらあんな妄想を…)

 

式は洋装がいいな、とまで想像を広げていた彼女は、今はただ嬉しさと恥ずかしさに襲われながら廊下をひた走るしかないのだった。

 

「う、うわあああん!」

「は、走ると危ないぞー…」

 

突如狂奔した練習巡洋艦に驚きつつも声をかけて、訳もわからず提督は執務室の扉を閉めた。

 

 

――――――――――――――――――――――――――

 

 

水平線の向こうに太陽の光は届かない。

ただ、薄ら明るい紺の空が広がっている。

 

「…第一艦隊、揃ったか」

「はい!第一艦隊、中部ソロモン輸送艦隊。旗艦『響』『睦月』『如月』『江風』『村雨』、出撃準備完了しています」

「よし…」

 

提督は外套を羽織り、冬空の下、秘書艦の吹雪を伴い、桟橋を伝って限界まで海に浮かぶ彼女らに近づいた。

 

「輸送作戦部隊の諸君、聞こえるか」

『はいっ!』

 

インカムの向こう側、彼女らの決意を秘めた声が伝わってくる。

練度も充分、そして熱意は溢れている。

 

「これよりソロモンにおける諸作戦を開始する。その先陣が、舞鶴の精鋭駆逐隊である君たちだ。空母でもなく、戦艦でもない。この輸送作戦こそ、この戦いを完遂する上で最重要と考えてもらいたい」

『…』

「戦闘に際し、決して臆するな。しかし、命は一つしかない。この言葉の意味を、深く噛み締めて欲しい」

「君たちには還る場所がある…俺は提督として、全員の生還だけを求める」

 

一度言葉を切る提督。

気がつけば、隣の吹雪だけではなく、多くの艦娘たちが集まり、遠くの彼女らを見つめていた。

 

「…作戦開始まで、残り二分」

 

吹雪が無電にて告げる。

 

「各艦、天祐を確信し、出撃せよ。暁の水平線に、勝利を」

『了解』

 

艤装の起動音が静かな海に響く。

静寂は破られ、緊張が高まっていくのが分かる。

提督と吹雪は、目配せをしてインカムを耳に押し当てた。

 

「残り一分」

「各艦抜錨準備」

「抜錨準備始め!」

『了解、抜錨準備始め。…抜錨準備、完了しました』

「司令官、抜錨準備完了しました。残り十五秒」

 

吹雪の言葉を聞き終わらないうち、提督はインカムのマイクを切る。

ただ、静かに腹の底へ力を溜める。

 

「残り五秒…、三、二、一、今」

「作戦開始!各艦抜錨せよッ!」

「各艦抜錨!」

『了解っ!』

 

海の向こうまで轟くような大声で叫び、振り上げた腕を、垂直に大きく振り下ろす。

雷鳴のような叫びに乗せて、情熱の電流が艦娘に伝わっていく。

彼女らの瞳には、何の迷いもなかった。

姿を見せた朝日の光を受け、瞳は燃えている。

 

提督は静かに祈る。

海の向こうへ行く、彼女らの無事を。

 

「…全軍に告ぐ。貴艦らの生還を祈る」

 

旭日の輝きを受け、敬礼を映した影が、すっと海へ伸びた。

 




気がつけばもう四十話。
ここまで読んでくださった方々、本当にありがとうございます。

これからも、どうかよろしくお願い致します。


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第四十一話 存在証明のフィロソフィー(前)

シリアスに見せかけてますが、内容は薄いです。


きっと私は、独りぼっち。

 

 

そんな考えがいつも、心の奥に凍り付いていて、引き剥がすことなんてできなかった。

現代の孤独とか、文明発展の功罪だとか、講義で長門さんや妙高さんに教えてもらう知識で考え付いたことではない。

もっと簡単で、個人的なものだ。

 

だからって、私が姉妹艦がいなくて、取り繕っているけど本当は人と話すことが苦手なことの気休めにそんなことを考えているのではない。

そもそもそんな簡単なことなら、きっと既に解決しているはずだ。

 

鎮守府のみんなは良い人たちばかり。

 

だからきっと、心のどこかで引け目を感じてしまう。

こんな私にも気を遣ってくれているのではないか、本当は私と関わることなんて望んでいないんじゃないかって。

――否。

こんな風に勘ぐってしまう私が、こんな私が存在していることを許容してしまう私が、私は嫌いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ほう」

「大鳳!」

「…っ、はいっ!」

 

遠のいていた意識が、自分の名を呼ぶ声によって途端に現実に引き戻される。

大鳳は慌てて顔を上げ、黒板の前に立つ艦娘、講師役の長門を仰いだ。

 

「どうした。体調が悪いのか」

「い、いえ…。少しうとうとしてしまいました。申し訳ありません」

 

周囲の受講生、つまり艦娘たちは彼女の珍しい姿にざわつく。

しかしながら、もちろん真実は、彼女が言い訳したように微睡んでいたからなどではないということは、大鳳自身気付いていたのだった。

 

「…ふむ。もし授業中に身体の異常に気付いたら、すぐに申し出てくれ」

「…すみません。以後気を付けます」

 

教室内のざわつきは、しばらくするとすっと収まっていく。

けれど大鳳は、彼女の心の中で、そのざわつきを抑えられずにいた。

 

(みんなの思う、私って)

 

受講生たちのざわつきを起こした原因は、何か。

大鳳には、それが分かっていたけれど、それを直視することを望みはしなかった。

 

(…それでも)

 

それでも、考えてしまう。

悩みの種が、また一つ増えてしまうことをわかっていつつも、考えてしまう。

 

受講生たちのざわつきを起こした原因は、何か。

それは、彼女たちの描く「大鳳」の虚像が生んだ違和感そのものだ。

少なくともあの子たちにとって、あの行動は、きっと「私」らしくない――。

 

下げた目線の先に、配布されたプリントが映る。

今日の科目は倫理・哲学だそうだ。

 

『cogito, ergo sum』( 我思う、故に我あり )

 

無機質なゴシック体がひたすらに問う。お前は何者だと。

デカルトのように仰々しいことでなく、ただ単純に、強く問う。

ゆっくりと、力なく指先で『我』の字をなぞり書く。

 

(私、って何なの)

 

そもそも彼女たちが思う、いや、思うことなんてないかもしれないけれど、彼女らの心理と想像が描き出して結んでいく大鳳の像は、果たして虚なのだろうか。

それが間違っていることを、誰が断じることができるというのだろうか。

形のない自我の不確実感が、大鳳の心を包んで支配している。

 

(私を決めるのは、私?)

 

心に浮かんだ一つの回答。

それが完全なる正答だと、彼女が今ここで信じることはできない。

 

他人の目に映る自分の姿を気にしていては、キリがない。

かと言ってそれを顧みずに自分の思う通りの行動を続けていれば、それは歪んだ理想像、つまりエゴイストと断じられても否定できない。

幼稚な悩みだ。思春期の子供のような悩みだ。

それでも、今、大鳳にとってはこれ以上なく解決困難な問いのように感じられた。

 

人間、兵器。

理想、現実。

主観、客観。

真実、虚構。

 

二律背反を、それでも、敢えて選ばなければならないならば、自分はどうすべきか。

回転の遅い頭を必死に回して考え続けるが、答えは見えない。

 

彼女は、そんな彼女が嫌いだった。

 

『答え』を、あるいはそれを導くための方法を誰かに乞うつもりはなかった。

けれど、仮にそれを導いたところで、それを正しいと決める手段が、価値基準が、大鳳の内には存在しなかった。

問題を設定して、解法を得るために、その手段をまた設定していく。

偉人が放った、超然と存在する目の前の文字列が突き付ける課題の解決は、大鳳にとって、あまりにも高次元過ぎた。

この場合、彼女の場合、はじめに考えるべきはなにか。

求めるべきは何か。

 

(私は、私が欲しいものは)

 

大鳳を、大鳳として繋ぎ留めておくものが欲しかった。

それは、やはり自分だけでは成り立たない。

そこに自我の不安定さを感じつつ、それでも、その結びつきぬきに自分を騙ることが、大鳳にはできなかった。

人は自由で独立した存在ではなかったのだろうか。

士官学校で学んだ知識は、次々と裏切られていく。

 

持っていたペンが、指をすり抜け転がり落ちて、音を立てた。

 

 

 

 

 

「えっと…」

 

トレーニング終わり、グラウンド脇のベンチに座って、天津風は呟いた。

 

「いつ友達になったか、ですか?」

「ええ」

 

大鳳はその答えを、彼女らに見出そうとした。

言い訳がましいが、解決の糸口を見つけることは、解法を得ることとはまた別であると結論付けて。

 

「去年だったわよね?」

「うん。着任する前に会ったんだっけ」

 

過去を懐かしむように語る島風。

肩を掴んでじゃれつく島風に、天津風はうっとおしそうでもあり、同時にそれを楽しんでいるようにも見えた。

 

「後から聞いたけど、私を見つけるためにAL海域の捜索隊まで出したそうじゃない」

「ありましたね。私も練度上げ目的で参加しました」

「友達が欲しいって提督に言ったら、まさかあんなことが起きてるなんて、聞いてないよぉ」

 

困ったような照れ笑いを浮かべた島風。

天津風も同様らしく、自分の背に寄りかかる島風を厭う素振りもなく受け入れている。

 

「…つまり、初対面で会ったその時からお知り合いだった、ということですか?」

「そうかもねぇ」

「なんというか、私たち艦娘って前世(ふね)の記憶をどれくらい覚えてるかは人それぞれだけど、関わりの深かった艦娘に会えばなんとなくだけど、すぐ分かっちゃうのよね」

「…そうなんですか?」

「少なくとも、私は天津風のことが分かったよ」

「私も。連装砲くんたちもそうみたい」

 

足元で飛び跳ねている自律式連装砲に天津風たちが目をやると、彼らはそれに呼応するかのように、キュウっと鳴いて手を挙げる。

島風の連装砲も同じような仕草をし、見事ハイタッチのような体勢になった。

 

「その日のうちには友達だったかな?」

「明確に区切るようなものはないと思うけど…強いて言うならそうかもね」

「なるほど…」

 

そう小さく零した大鳳に、天津風は首を傾げて訊く。

 

「でも、どうしてこんなことを聞いたのかしら?」

「あっ、それ私も気になる」

 

彼女らの疑いのない、純真無垢なその表情は、大鳳に一抹の羨望のようなものを感じさせた。

 

――こんな関係に、いつか自分もなれるのだろうか。

もはや自分の存在意義や役割は戦闘に限らなくなった。鎮守府に戻れば迎えてくれる艦娘たちや提督もいるし、生活を共にする空母の仲間もいる。

大鳳はその新しい関係性に漠然とした不安定さを感じ取っていた。

 

艦艇時代にはなかった、言語を使い、感情を表現するということ。

それらはこの新天地での生活の中で、必須になる一方で、その難しさも言わずもがなだ。

一方通行ではいけないし、かと言って無口を貫くことは不可能だ。

言葉は選ばなければならないことだってある。一歩間違えば、それが凶器と化してしまうことすらもありえるのだ。

 

(いっそのこと、言葉なんてなくなってしまえばいいのに)

 

不安のあまり、そう考えることだってあった。

何も言わなくても、心が通じ合えて、お互いがお互いを自分のことのように気にかけ、信頼する。

そんな関係性を、その存在性を抜きにして、大鳳は無意識のうちに欲していた――。

 

だから、この質問には彼女らを試すという意味もあった。

彼女らとはよくトレーニングで一緒になるとはいえ、不意にこのようなことを訊かれれば不審に思うのが当然だ。

 

(こんなこと考えてるのは…きっと、私だけ)

 

それだけに、大鳳の心に重圧をかける自己嫌悪の念は、その大きさを増した。

彼女らのいる領域に、未だ踏み込むことのできない自分の情けなさを恥じていた。

 

「それは…今度お教えします」

「ええー。それじゃあおっそーいよ!」

「こら島風っ…まあ気になるのはわかるけど、今度答え合わせってことでいいでしょう?」

「そうして頂けると」

 

苦笑して大鳳はベンチから立ち上がる。

 

「それじゃあ、次のトレーニングはまた一週間後ですね。お先に失礼します」

「あっ、またね、大鳳さん!」

「お疲れ様でした」

 

空母にしては小柄な大鳳の体躯の影が、夕日の光で長く伸ばされる。

彼女は自嘲的な笑みを浮かべながらも、脳内では冷静に、次に訪れる艦娘の寮室の位置を思い出していたのだった。

 

 

 

 

 

「信頼…か」

「ええ。あなたなら、きっとわかると思って」

「ふふ…それは光栄だ」

 

大鳳はシャワーを浴びたあと、手土産を片手に第六駆逐隊の寮室を訪れていた。

入って手前のテーブルに座って、響は話し始めた。

 

「それにしても、なぜその話を?」

「そうね…艦娘として再び生を受けて、この暮らしを続けていたら、なんとなく気になったの。私には姉妹艦もいないから」

「なるほど」

「それなら、艦隊で一番仲の良いあなたたちに聞こうって」

「それは…なんというか、照れるな」

 

言動は大人びている響だが、やはり根は子供らしい一面を覗かせる。

真っ白な頬の肌に赤みが差す。一種の神秘を感じさせるほどであった。

 

「本当のことよ。…やっぱり、姉妹艦という理由が強いのかしら」

「そうだね…それは大きいと思う。だけど、私自身、暁や雷、電との『信頼』を育んできたのは、それだけではないと思っている」

「…というと?」

「史実では、私たちが一緒に行動した期間は短い。たとえ同型艦であれど、それが私たちの関係性の中核になっているとは、私は思いたくない」

「…そう、なの?」

「ああ。過去にとらわれない、艦娘としての今を生きる私たちなりの『信頼』こそが、今の第六駆逐隊を支えるものだ」

 

大鳳は目を見開いた。彼女の紡いだ言葉の説得力に、ただ頷くことしかできなかった。

 

「もちろん、あの戦いの記憶は忘れてはいけない。再び戦場に立つ者として、過去の失敗から目を背けることは許されない」

「…ずいぶん、厳しいようにも聞こえるわ」

「そうだろうか。少なくとも良い結果とは言えないかも知れない。が、あの時代、私たちがかつて生きたあの時代、確かに『栄光』は…『信頼』は、存在していたと、思う」

「…!」

「身内びいきに聞こえるかな。雷と電が危険を顧みず敵艦の救助を行ったときの誇りを、暁がソロモンの戦いで探照灯を照射したあの勇敢さを、私は絶対に忘れない」

 

響は懐かしむような目つきをして言った。

それでも、瞳には確かな自信が見て取れた。

 

「具体的に何をしたか…そればかりじゃない。あの時代を生きた人間、艦艇全てを、私は信じたいんだ」

「…っ」

 

言葉を失う大鳳。

響の、駆逐艦としての幼すぎるようにも見えるその体の奥底に眠る、魂の煌めきと情熱の大きさを、彼女は瞬時に悟った。

 

「おそらく、だけど…この鎮守府にいる艦娘たちは、みんなそう思っているはずだ」

「大鳳さんだって、そうだろう?」

「わた…しは」

 

彼女は、決して強要しているようには見えなかった。実際にそうではないことなど分かる。

だからこそ、大鳳は自分の心の醜さに、矮小さに震えてしまう。

 

「…きっとそうさ。今はそう思えなくたって」

「そうなの…かしら」

「私はこんな小さく幼いなりだ。そんな艦娘が言った戯言を、大鳳さんはこんなにも真剣に聞いて、考えてくれている」

「…」

 

響の瞳には、はっきりと慈愛の情が見て取れた。

それは、あの大戦を生き抜いた艦だけが持ち合わせる、特有の包容力を持ち合わせた感情であるのかも知れないと、大鳳は感じた。

 

信じて、もらえるのだろうか。

踏み込んでも、良いのだろうか。

大鳳の中で、固く閉じた心の扉が、僅かにその隙間を見せたような気がした。

 

「私は、暁たちを信頼するように、あなたを信頼したい。大鳳さんを信頼したい。そのために、もっと大鳳さんのことを知りたいと思う」

「…私も、です。信じてもらえないかも知れない。それでも、私は心から、皆さんと繋がりたい。私欲の醜さも、愚かで傲慢な感情も曝け出せる、そんな強い関係を、『信頼』と呼ぶのなら…私は、皆さんを信頼したい」

「…うん」

 

気が付けば、勝手に涙は溢れていた。

まだ、大鳳はその思いに確信が持てたわけではない。恐らく冷静になれば、疑問や猜疑心は湧いて出るのだろう。

それでも、信じようと思った。

その事実が、大鳳の枷を一つずつ、確かに外していくのだった。

 

 

 

 

 

あの後、勝手に泣き崩れていたところに暁たちが部屋に戻ってきて、あの惨状を目撃し、響が泣かせたのではないかとひと悶着あったりして。

結局弁解ついでに食堂に行き、食事を摂るという流れになった。

 

(今度会ったらまた、響ちゃんに謝らないと)

 

不要な迷惑をかけてしまったと後悔するが、いつものように心が沈むことはない。

我ながら単純だとも思うが、それほど響の放った言葉が自分にとって重要であったのだと、結論付ける。

 

「あっ、大鳳さん」

「…妙高さん」

 

廊下の先、夕食後の大鳳に妙高は声をかけた。

数十分前の光景を思い出してつい微笑んでしまっていた大鳳は、その声に表情を引き締める。

 

「お疲れ様です」

「ええ、お疲れ様です。今から食堂ですか?」

「いえ。もう那智(いもうと)たちと済ませました。…あっ、そうだ、これからの時間はお暇ですか?」

「は、はい…」

「それなら、晩酌でもどうでしょう?」

「晩酌、ですか?」

 

聞くところによると、どうやら妙高型姉妹は明日が非番の日、ゲストを呼んで晩酌を行い、様々な話を語り明かすことが多いそうだ。

ゲストは酒豪の武蔵や千歳、隼鷹、そしてちゃっかりと提督、もしくは四人には負けるが同じく酒の強い一航戦、摩耶、響とバラエティに富んでいるという。

 

「あまりお酒に強くないようでしたら、その辺りも調整しますよ」

 

大鳳自身、特段酒に強い訳ではない。

過去の経験でそれを加味したのか、妙高は苦笑して言った。

 

「そうですか…それなら、お邪魔させてもらおうかしら」

「ええ、なら行きましょうか」

 

姿勢の良い妙高の背を追いかけるように歩く。

――私も、彼女のようになれるのだろうか。

 

今まで、大鳳が悩み心を磨り減らしてきた問題は、今では幾つにも分岐し、それぞれがそれぞれの解答を求めているように思えた。

しかしながら、その根源は殆ど同一のもののように思える。

 

それが、今この廊下を歩く、妙高の背に表れているように、感じられた。

 

(天津風や島風のような関係性に、なれたら)

(響ちゃんのように、誇りを持っていられたら)

(妙高さんのように、絶対的でいられたら)

 

妙高に関しては、特にこの話題について話したことはない。

今日だって会って話したのは初めてだ。

それでも、日頃から重巡洋艦をとりまとめ、そして艦隊を勝利へ導くあの凛々しさを見ていれば、想像はつく。

 

きっと誰よりも日々の訓練を続けているのだろうし、講義だって今や提督に講師に任じられるほどだ。

しかし、大鳳が見ているのはそれではない。

もっと内側の、彼女の根本を見ている。

 

「…さあ、着きましたよ」

 

思考が奥深くへ沈んでしまっている大鳳には、妙高の声が届かなかった。

 

「大鳳さん?」

「…」

 

回転の遅い頭で、大鳳は考える。

 

私は、何を求めているのか。

そして私は、何が違っているのか。

 

「おーい、大鳳さん…?」

 

暗くなった寮室前、困惑しきった妙高のヘルプで現れた那智、足柄、羽黒によって大鳳が我に返るのは、数分後のことであった。

 



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第四十二話 存在証明のフィロソフィー(後)

待たせたな!(待ってないですよねすみません)
春先のゴタゴタがようやく収まり、花粉症に苦しみながら執筆してます。

※もう一つの小説も更新しています。よろしければご覧ください。



「…ほお、そんなことを考えていたのか、大鳳は」

 

酒の席、酔いからか悩みをポロっと漏らした大鳳に、那智は答えた。

因みに、姉妹艦の足柄や羽黒は度の強い日本酒に酔いつぶれて既に眠ってしまっていた。

 

「あ…つい、すみません、こんなつまらないことを」

「つまらなくないさ。実に興味深い」

 

酌を更に傾けた那智。勢いは止まることを知らないが、頬に赤みが差すことはなかった。

彼女らは相当酒に強いのだろう、と大鳳は感じた。妙高がアルコールの控えめな酒を注いでくれているとはいえ、それでも酔っている自覚がはっきりとしていた。

 

「自我不安定の状態にある、ということだな」

「…それほど堅い言葉でもないと思うんですけどね。子供みたいです」

「そうでしょうか?」

 

振り返ると、妙高が料理を載せた小皿を運んでくる。

 

「おっ、ホタテか。これは良いな」

「あ、わざわざすみません」

「いえいえ。漬けただけの簡単なものですから」

 

早速皿の上のつまみに箸をつけた那智を横目で流す。

妙高は、一人酔いの中で沈思する大鳳の隣に座って、呟いた。

 

「…やはり、悩みは消えませんか」

「っ…はい」

 

那智との話は妙高に聞こえていたようだ、

一瞬言葉を失った大鳳だったが、もはやその悩みを隠そうとは思わなかった。

 

「このことは、自分で解決しようと思っていたんですけど」

「ふむ…酒の力は偉大だな」

「貴女のそれは少し違うでしょう?」

 

苦笑して那智に指摘する妙高。

どうやら全て、彼女らの掌上で踊らされていたようだと、大鳳は観念したのだった。

 

「…どうして、ご自分だけで解決しようと思ったのですか?」

「私の問題は、私自身で解決すべきだと」

「立派な心掛けだが、それで講義が上の空では元も子もあるまい」

 

手酌で日本酒を注いで、那智は続ける。

素面と比べれば饒舌な彼女ではあったが、指摘は冷静そのものだった。

 

「…そういうときは周りの人を頼ってもいいのではないでしょうか?」

「で、ですが」

「まあ、信頼に値しないというのならば話は別だが」

「っ、そんなことはありません!」

 

大鳳は、卓上を叩いて勢いよく立ち上がる。

盃に注がれた酒が波打つ。

 

「…すみません」

「いや。私も言い方が悪かった。気にするな」

 

まあ、足柄たちが起きては厄介だからなと苦笑して、那智は杯を煽った。

 

「…私たちも講義での大鳳さんの様子を見て、心配に思っていたんです」

「貴様の心境は痛いほど分かる。それだけに、何か役に立てないかとな」

「…っ」

 

照れくさそうな那智の微笑みと、慈しむような妙高の笑顔。

その両方の輝きを一心に受けた大鳳の心はその熱に溶かされていくようだった。

 

「…私は、不安だったんです。私なんかが、過去の英霊の結晶である艦娘の皆さんと同じ立場にいられるのか、と」

「マリアナのことか。世辞にも良い最期だったとは言い難いからな」

 

盃を戻して、那智は過去を振り返るように目を細めた。

彼女の脳裏には、大爆発を起こす大鳳の最期の姿が浮かんでいた。

 

「あの頃、私は北方海域での作戦を主としていたから、あの戦いを見たわけではない。しかしその無念…そして、艦娘として生まれ変わったとき、貴様が妙高を見て感じたその不安定感は、想像がつく」

「わ、私ですか」

 

那智は何度も神妙に頷く大鳳を見て、盃を置いた。

 

「身内贔屓に聞こえるかもしれんが…妙高、お前はアイデンティティの塊のような(ふね)であり、艦娘(にんげん)だ。この心理状態の大鳳からすれば、いやどの艦娘からしても、憧れる部分は大きいだろう」

「そうです。妙高さんの戦闘時に限らない凛々しさ。臆病で、自信のない私は、貴女に憧れていました」

「そ、それはまた…直球ですね」

 

妹としてはかなわんがな、と付け加えた那智は、しばらくすると黙考して、目を瞑りながら呟く。

 

「言い方は悪いが…。駆逐なら夕立や綾波、軽巡なら神通。そして重巡とならば妙高というように、改二などでその性能が大幅に強化される艦娘は、艦歴に基づく改装が施されることが多い。そうした面で艦としての独自性を見出し、自信がつくのだろう…現に私だってそうだ」

「これは言い訳です。それでも、それに納得できなくて嫉妬してしまう私が、情けなくて」

 

大鳳は俯いた。

口にした言葉は紛れもない本心で、彼女の苦悩の核心を突いていたようだった。

 

「しかし案ずることも無かろう。貴様は数の少ない空母だ。それも装甲空母というアイデンティティを持ち合わせているように見えるが」

「現状は、です。聞くところによると、翔鶴型のお二人も、装甲化の検討が進められているとか」

「なるほど。第二次改装なら、性能強化が行われる可能性もありますしね」

 

二人は、大鳳の内心をよく汲み取っていたようである。

それはつまり、彼女らも同じような経験をしたということであった。

 

「史実、そして第二の生を受けたこの時代で…私は、どう、すればいいのでしょうか」

 

言い聞かせても言い聞かせても、大鳳の胸中に巣食う自虐心は消えない。

消せない記憶が、ただ純粋な悪意となって、彼女の心を覆う。

 

「『…改二がすべてではない』だったか」

「え?」

「私たちも、大鳳さんと同じことを考え、悩んでいた時期があったのですよ」

「その時に、奴が言ったのさ」

 

遠い目をした那智の姿に、思わず見とれていた。

男女を問わず、惹き付けられるような魅力があった。

 

「や、奴」

「提督ですよ」

 

妙高の言葉に振り向くと、そこには未だに見たことのない、彼女の表情があった。

過去を懐かしむような、その言葉に遥かな想いを抱くようなその表情だった。

 

「聞いてみるといい。きっと貴様の役に立つ言葉が聞けるだろう」

「は、はい」

 

那智や妙高がここまで言うほどだ。

そう期待させられる反面、彼の口から放たれるであろう言葉を、大鳳は一つも想像できないでいた。

 

「だが覚えておけ。最終的にこの問題を解決するのは貴様だ。自らの責任と使命を考え、そして行動することだ」

「…ええ、分かっています」

 

那智の言葉が胸に刺さる。

しかし大鳳は、それをずっと忘れないでいようと思えた。

 

 

 

 

 

「…という訳で」

「ほう。紆余曲折があってここに、ということか」

 

真夜中の執務室。

煌々と灯るテーブルランプの中に浮かび上がった提督のシルエットに、入室したばかりの大鳳は短い悲鳴を上げたのだった。

 

「こんな時間にすみません。しかし、那智さんと妙高さんが、あそこまで仰るほどであれば…是非、聞かせて頂きたいと」

「ふむ」

 

提督の操作したリモコンで、部屋の明かりが全体照明のものに切り替えられる。

大鳳は、そこにはっきりと映った指揮官の輪郭を認めた。

 

「そうだな…。それなら、一つ大鳳に言っておかなければならないことがある」

「…?」

「これから俺の言うことは、」

 

大鳳は彼の言葉を咀嚼しようと試み、そして飲み込むことに失敗した。

 

「そ、それはどういう…」

「まあ、情けないが保険というようなものかな。君たちが海上で経験したことを、俺は知らない。今、大鳳が悩んでいることを、俺は理解しきってあげられないのかも知れない。だから、これは独り言を聞き流すようにしてくれて構わない」

「はあ…」

 

一抹の困惑を感じながらも、そして大鳳は、提督のが一語、また一語と紡ぐ言葉に耳を傾けるのだった。

 

「那智や妙高にこの話をしたのは、丁度古鷹や加古の改二を実装した時だ。燃費も良く、性能が大幅に強化された古鷹たちの活躍は目を見張るものがあってな。恐らく自分の存在意義を見失ってしまったように思う。今は翔鶴型の改二・装甲化を検討しているから、大鳳も同じような状況だな」

「そ、そうです。仰る通りです」

「そうか。なら、俺から大鳳にアドバイスできることがあるとすれば、それは…」

「そ、それは」

 

生唾を飲み込んで、提督の口から放たれる言葉を待つ大鳳。

しかしながら、それは呆れるほどに単純で、大鳳にとっては意味不明な言葉であった。

 

「気にするな。だな」

「は?」

 

上官に失礼な物言いだと自覚するまでには、暫く時間がかかった。

提督の言葉は大鳳の思考を停止させるのに十分な威力を持っていて、したがって彼女は相当理解に苦しんでいたようだ。

 

「…あっ、すみません。し、しかし、それはどういう…?」

「みんな揃って同じ反応をするんだな。だがまあ、話を聞いてくれ」

 

そう言って続ける提督。

 

「…本営の工廠中枢では、すでに多数の艦の第二次改装が検討されているらしい。気にする間もなく、改二はいつかやってくるものさ」

「で、ですがそれが通達されるまでにはまた時間が掛かってしまうのでは?」

「改二を待つのなら、な」

 

一度言葉を切った提督。執務室には謎の沈黙が訪れた。

大鳳は不思議に思い、視線を上げて彼を窺ったその瞬間、絶句した。

それは能動的な行為ではなく、彼の鋭い視線に射られ、まるでその空間に磔にされたような、そんな錯覚を覚えていた。

 

「…っ」

「大鳳、君の使命は何だ」

「は、はいっ、深海棲艦から人類を護る、それこそが私たち艦娘の使命だと、思っています」

「まあ、軍人として、軍艦としてここに存在する訳だから、それも一つの答えだろう。しかし、それは『艦娘』の使命であって、必ずしも君がその使命を遂行する必要はないんじゃないか」

「そ、それは」

「もちろん、大鳳が役立たずだなんてこれっぽっちも思っていない。神に誓おう。俺が言いたいのは、艦娘として生きる君たちの価値を否定できる者なんて、どこにもいないということだ」

 

きっぱりと、提督は断言した。

自らの存在意義に思い悩む部下を、艦娘を、放っておけるわけがなかった。

それが、不敬ながらもかつての自分の姿と重なって見えたから。

 

「かつての艦艇、そして乗組員たちの魂は君たちの心の中で確かに息づいている。経緯はどうあれ、純粋に、見返りを求めずして、祖国を護るためにその身を投げうった人間が尊くないわけがない」

「そ、それは私も同感です。しかし、それがどう…その、『気にするな』という言葉に繋がるのか」

 

少し考えて、熱くなって説明を省きすぎたかと苦笑する提督。

 

「ああ。大鳳は着任からずっと、軍人として模範となるような活躍をしてくれている。それこそ、翔鶴や瑞鶴に劣らないくらいに」

「い、いえ。私はまだ着任したばかりですし」

「普段の生活態度を見ていれば分かるよ。このまま実戦配備したって、君は戦果を挙げられる」

「そ、そうでしょうか」

 

照れからか、わずかに頬を赤く染めて俯いた大鳳。

そんな彼女を眺めつつ、提督はゆっくり、言い聞かせるように言葉を紡いでいく。

 

「だからこそ、考えて欲しい。この舞鶴第一鎮守府に生きる、君だけの、大鳳自身の生きる意味を」

「私、自身」

「そんなに難しい話じゃない。この鎮守府の加賀は意外に表情豊かだし、響なんかはああ見えて激情型だ。そんな風に、他のどの大鳳とも違う、君なりの生き方について、ゆっくりでいいから考えてみて欲しい」

「私、なりの生き方、ですか」

 

小さく呟いた大鳳。

段々と、塞がれていtが視界が開かれていくように、彼の言いたいことが分かってきた。

 

「確かに、改二改装は戦略上重要だ。それでも君自身が君らしく生きる上で、本当に大事なものだとは、俺は思わないけどな」

「…私、は」

 

俯いたままの大鳳から、ぽつりぽつりと思いの丈が綴られる。

それを提督は、頷きながら黙って聞いていた。

 

「私は、マリアナの敗戦を経験したのみで、無残にも沈みました。きっと、『大鳳』のすべての乗組員は、あの戦いに勝利しようと、全力だったと思います。それは、理解しているつもりです」

「…」

「私は戦うことが分からない。戦うために生まれた艦娘なのに、生きる意味が分からないと、そう…今でも思ってしまいます」

 

悔しかった。栄光を手にしたあの人たちが羨ましくて仕方がなかった。

醜い嫉妬心の塊となった自分が嫌いで、それでもこんな自分を否定したくなかった。

 

「もうあんなことを繰り返さないために、私は強くなりたいんです。簡単に過去を呪うなんて、出来ませんから」

 

言い切った。

そうだ。私は強くありたいのだ。

そう、心の底から叫んだ気分だった。

 

「…本当に、大鳳は強いよ」

 

震え、掠れる声の中にも、提督はそんな大鳳の思いを汲み取っていた。

その純粋さを指揮官として、これ以上なく誇りに思えた。

 

「私は、まだ、弱いです。軍人としても、人間としても」

「そう思えることが、何より難しいことだよ。君はこのまま真っすぐに、ただひたむきに生きて欲しい。君らしさを忘れずに」

「…はい」

 

大鳳の目には、まだ若干の迷いが見て取れた。

しかし、確かな胸の温もりがあった。

 

「こんな私ですが…改めて、よろしくお願いします」

「こちらこそ。艦隊は君を必要としている。この鎮守府で、君がこの世界に生きる意味を見つけてくれることを祈っている」

 

敬礼する提督の姿に、大鳳はあの時代の軍人の面影を感じ取った。

それは彼女が、確かにあの時代に生きていたなによりの証左と感じられた。

 

「…はいっ」

 

頬を伝う涙の雫を、もはや気に留めることもなく、大鳳は笑った。

差し出された手のひらを握ると、伝わる熱量が心を溶かしていく。

新たな決意を秘めた瞳に滲む涙は、決して悲しみから生まれたものではなかったのであった。

 

 

 

 

 

「艦隊、帰投致しました」

 

短く、しかし自信に満ち溢れた表情で、大鳳は言い放った。

温もりを伝える日の光が降り注ぐ桟橋の上で、提督は返礼をして艦隊の被害状況を確認した。

 

「AL方面攻略、成功か。よくやった」

 

大鳳を旗艦とする北方艦隊はAL方面の攻略を実施、道中の北方棲姫の攻撃を退けて泊地艦隊の撃破に成功。

機動部隊を取りまとめる大鳳の的確な指揮は、中短射程の艦を寄せ付けず、圧倒的な勝利を飾った。

 

「皆さんのお陰です。加賀さんや瑞鶴さんに支えて頂きました。那智さん、妙高さん、鳥海さんは北方棲姫の撃破に貢献して頂き、道中の被弾も最小限で済みましたし」

「いいえ。大鳳さんの攻撃隊指揮が上手く作用したのよ。初めてとは思えないほどでした」

「その通りだ。素早く正確な偵察は、艦隊を安心させる。私たちも憂いなく攻撃を行えるというものだ」

「そ、そうでしょうか…」

 

艦隊の面々から賞賛を受け、頬を赤くして慌てる大鳳。

提督は内心で安堵の溜息をついていたが、それも杞憂だったのかも知れないと苦笑した。

 

「そうそう!加賀さんがここまで褒めるって珍しいんだから」

「あら、心外ね。それとも瑞鶴も褒めて欲しかったのかしら?」

「へぇっ!?そ、そんにゃことは」

「顔に書いてあるな」

「うふふっ…瑞鶴さんもまだまだ甘えんぼさんですね」

「ちょっとおー!」

 

大鳳よりも顔を真っ赤に染めて抗議する瑞鶴に、一同がどっと笑いはじめる。

雑談が繰り広げられる中、提督は大鳳の側へ寄った。

 

「…改めて、よくやってくれたよ。何か掴めたようだな」

「艦隊の一員として、私も全力で向き合うことに決めました。過去を恐れず、私らしさを守りながら生きていこうと」

「その意気だ。いつまでも語り継げるよう…どんな過去であっても、君たちには、忘れないでいて欲しい。もし見失いそうになっても、皆が、きっと思い出させてくれる。俺だって、全力で支えよう」

「はい。信頼に応えられるよう、精進して参ります」

 

海風になびく黒髪を押さえて、大鳳は微笑む。その瞳の奥に、確かな誇りを湛えて。

あの夜のように、再び差し出された手を、ゆっくり噛みしめるように握る。

今度は強く、そしてその熱を分け与えるように。

 

「強く、君らしく生きてくれ。この戦いを越えても」

「ええ、貴方と一緒に」

 

提督の隣に立って、遥か水平線のその先を見据える。

遠い、戦いのない未来の景色を望むように。

 

 




色々と終わって赤疲労状態です…。
これから始まる新生活も張り切ってまいりましょう。


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第四十三話 艦娘型録(その一)

お久しぶりです。私生活の方で少し時間が作れたので、ちょこちょこ書いていた艦娘の設定を閑話として上げようかと思います。第四十二話はしばらくお待ちください。


『艦娘型録』とは!

 

▽舞鶴第一鎮守府に所属する艦娘や、その他ゲストを交えて解説する一大艦娘図鑑である。

▽艦型や艦番号などの基礎知識をちょこっと交えつつ、艦娘たちをざっくりとご紹介します。

▽紹介は各回3~4艦ずつ。順番は邂逅順だったり、同型艦だったり、同戦隊、同水雷戦隊だったりとまちまちです。同じ艦を載せるときは〇話参照というように記載させて頂きます。

▽なお、ここで紹介する隊の内容は史実と大幅に違っています。史実編成時は『』をつけて記載いたしますので、ご留意ください。

▽各艦のレベル右側に番号を記載しています。これは上二桁が所属鎮守府識別番号、その次の二桁が所属鎮守府序列(舞鶴第一なら『01』)、最後の四桁が着任順(0001なら最古参)となっております。

▽本作オリジナルのキャラ付の一環です。かるーく流し読みする感じでご覧いただければ幸いです。

▽それではどうぞ!

 

 

 

 

 

鳳翔型航空母艦一番艦 鳳翔《改》Lv.98/04010000

 

【経歴】東雲(しののめ)提督が始動させた鎮守府では、最も古参の艦。提督が初めて邂逅した艦娘でもある。

どうやら提督が着任する前からこの舞鶴第一鎮守府にいるらしいが、その過去を知るのは今も在籍している彼女一人。

鎮守府の草創期には、貴重な航空母艦の一員として南西諸島海域バシー海峡を制圧するなど活躍。その後は、新しく加入した赤城をはじめ、数多くの空母艦娘の教導艦としての役割を担うことに。また、海域の制覇を重ねるにつれ激務に苦しみ始める提督を見かねて烹炊など家事係を買って出る。お艦の誕生である。

艦娘の数が増えた南方戦線開拓後は、増えた人員を炊事以外に充てた(炊事は磯風に任せられなかった)ので、長年の夢であった『居酒屋鳳翔』の経営に着手。料理の提供を通して艦娘のコンディションを支える。

赤城・加賀が成長し、現在では専ら家事や居酒屋店主としての仕事を行っている。しかしながら未だに航空母艦としての戦闘力は健在。弓を取ると眼光は鋭くなり、敵艦隊を撃滅させたときの柔らかな笑みは恐怖しか感じさせない。

週休二日制(にさせたい)。しかしながら休みの日も気付いたら家事をしていることもしばしば。見かねた提督が空母艦娘たちに彼女を休ませるように指示したとかしていないとか…。

 

【練度・性能など】元来の高練度に加え、鎮守府における航空戦の基礎を提督と確立させたことで、教導艦としての確かな実力を持ち合わせるに至った。基本的には軽空母の機動力を生かした一撃離脱戦法を用い、艦載機を撃墜させずに、かつ中大破しにくい戦闘スタイルを使用する。僚艦の空母を発した艦載機を着艦させたり、発着艦地点を変えることで敵艦隊を撹乱させるなどの戦法を考案、敵空母との艦載機数の差を覆す。とにかく航空戦にはかなりストイックなのである。

艦載機搭載スロットは従来の空母より一つ少なくなっているが、その分数には自信あり。攻撃時にはある程度の火力でもって敵艦隊を瞬時に潰していく(物理)。熟練の艦載機妖精と心を通わせ、一心同体となって攻撃に参加。

空母にとっては縁遠い砲撃、雷撃、夜戦にも興味を示し、空母として戦闘に貢献するため、最適解を探し続ける。

練度の高さは、飛龍によると赤城や加賀が『手も足も出ない』くらい。流石に高難易度海域では装甲に不安があるため出撃を控えている(ということになっている)。鎮守府での戦闘行動に関する仕事は、専ら教導艦としての仕事であって、出撃することは滅多にない。

補強増設スロットには機動力を上げるタービン、もしくは対空砲火用の機銃を配備。対空砲火もお任せ(空母)。

 

【性格】ご想像の通りの大和撫子っぷりで、人を立てることが得意な一方、あまり目立つような行動を好まない。

仕事本位の生活になってしまうのも、こうした性格に起因していると考えられる。休日も縁側にいるときは大抵誰かが膝の上にいる。主に駆逐艦。

献身的な行動の裏でかなり疲労が溜まっているのではないかと心配されるが、本人は否定している。むしろ好んでやっている節があるため、もう誰も彼女を止められない(提督を除く)。

戦闘以外の時はおっとりとしていて、物腰柔らかな性格は艦娘たちにも人気。

自分の管轄外(要は戦闘と家事以外)の分野に関してはとことん無頓着であるため、その辺の知識は皆無。私服が全て和服だったり、しかもそれを着ていく休日がなかったりして空母娘たちをドン引きさせることもしばしば。

人の気持ちを察することに長けている。悩みを打ち明けやすい存在として、お悩み相談室の窓口にいることもある(第八話参照)。

本気で怒ることは滅多にない。というより、まだ誰も見たことがないからこそ恐れられているのだ…。

 

 

 

吹雪型駆逐艦一番艦 吹雪《改二》 Lv.98/04010001

 

【経歴】東雲提督率いる舞鶴第一鎮守府における初期艦。鳳翔が鎮守府の生活担当とするならば、この吹雪は職務担当といったところだろうか。

士官学校の初期艦育成コースを無事卒業し、鎮守府に着任。そのため異動経歴はない。

鎮守府始動時から提督の右腕として秘書艦の務めを果たす傍ら、水雷戦隊、駆逐隊の基幹戦力として数多くの海域制圧に貢献。提督の戦術を理解し、現場での指揮を執ることもある。

近海が沈静し、秘書艦が固定制でなくなると、吹雪はその職務を解かれ、第一駆逐隊(吹雪、響、島風、白雪)の旗艦として

任務に就く。その後練度の上がった阿武隈を加入させ第一水雷戦隊を結成。こちらも旗艦として活躍。

南方戦線では呉鎮守府と呼応して攻勢をかけ、ソロモン攻略部隊(第一駆逐隊、『第六戦隊』で構成)の旗艦を務め、サブ島沖を突破。南方海域制覇の橋頭堡を築いた。作戦終了後は響、睦月に次ぐ改二実装。実力に磨きがかかる。

その後も駆逐艦の得意とする夜戦に引き摺り込む戦法で多くの海域主力を葬る中で、第一駆逐隊は海域深部での活躍を求められるようになり、非戦闘時は駆逐隊の教導にあたることに。

艦娘全体の練度が上がった現在では、教導に第二駆逐隊があたり、吹雪ら高練度の艦娘は彼女ら自身を操る艦隊指揮について学ぶことになったため、その効果を試験するために立候補。提督不在時の執務代行を担う。

駆逐艦としては異例の職務内容であるが、これも初期艦の運命なのかもしれないと本人は語る。

 

【練度・性能など】戦闘の参加数は艦隊一。艦隊に戦艦が混じろうと旗艦を務めることが多く、主に夜戦での指揮を執る。基本的な戦法としては、水雷戦隊の苦手とする昼砲撃戦においては回避に徹し、雷撃から素早く夜戦を展開、払暁までに数的有利をもって撃滅するという形。

昼戦で示し合わせて駆逐などの低級艦を沈めてしまえば、多対一の状況を作り上げてしまえるが、昼戦における連携と夜戦時の機敏な判断を要する難易度の高い戦法でもある。また、艦隊戦では六隻全てが大型艦ということも少なくないため、昼戦で沈めきれなかった場合、夜戦では大型艦に各自が単艦で対峙しなければならず、状況は厳しくなってしまう。

ただ、その点は彼女らも把握済み。夕立を代表として(第五話参照)、駆逐艦には夜戦の鬼が多数在籍しているように、短射程を逆手にとった近接砲戦や白兵戦で猛威を振るう。今日もまた、どこかで重巡リ級が修羅となった吹雪に襲われているのだ…。

吹雪自身の能力に注目してみると、対空戦闘に高水準の技術を持ち合わせている。秋月型の着任に伴い、そのマニュアル作成にあたって提督と共に熟成させてきたようだ。現在では駆逐艦における対空戦闘の教導を秋月、照月に引き継いでいる。

その他砲撃、雷撃、回避、索敵などに一定の技能を持つ。これは原作通り。バタビア沖の戦闘(1942年2月、連合軍との戦い)における単艦避退や敵艦撃沈などに代表される勇敢さはまさに主人公に相応しいものだろうか。

史実では『第十一駆逐隊』(吹雪、白雪、初雪、深雪)を編制。

 

【性格】至って真面目。主人公らしからぬ『地味』さを揶揄されることもあったが、戦闘時に見せる旗艦としての毅然とした立ち振る舞いやその勇敢さに憧れる新米駆逐艦も非常に多い。激戦に次ぐ激戦をくぐり抜けた精悍さは艦隊に良い緊張をもたらす。鳳翔以外のどの艦娘にとっても、頼れる先輩なのである。

先述したように艦隊でもかなりの権限をもつ駆逐艦らしくない彼女ではあるが、日常生活では雷(自然現象)が苦手など普通の女の子。人見知りな一面もあり、彼女に憧れる駆逐艦たちがいざ話してみると驚くという。ほぼ同時期に着任した睦月や響と仲が良く、休日は姉妹もしくは二人と一緒にいることが多い。

長女だからか要領が悪いことを気にしているが、その分努力量もピカイチ。この辺は原作通りで、艦種を問わず畏敬の対象となっていることが多い。責任感があり、任務を遂行する上で物事を冷静にとらえることができる。

色々と規格外な駆逐艦ではあるが、やはり駆逐は駆逐である。長女ということもあり、普段は抑えている甘えたい思いが限界を超えたときはとことん甘えんぼになります。見たい。

加えて超純粋。やると決めたことは最後までやり抜くタイプで、地味でも諦めずに、根気よく、粘り強く、泥臭くを信条に、今日も一日頑張ります。

 

 

 

睦月型駆逐艦一番艦 睦月《改二》Lv.93/04010002

 

【経歴】舞鶴第一鎮守府工廠で、始動初日に建造される。ほとんど同時に完成したとはいえ、睦月型の建造時間は18分、暁型は20分なので、先に着任したことになる。

初期艦として補佐に就いた吹雪に対し、睦月や響、鳳翔は鎮守府での出撃準備や清掃など、拠点整備を主な任務とした。その後は四隻での周辺海域哨戒、外海進出を目指す。

鎮守府正面海域制覇後は、新たに加入した阿武隈、島風、白雪が第一駆逐隊、第一水雷戦隊に編入。睦月はといえば、補給時に消費資材が少ないことが判明したため、遠征艦隊旗艦として補給線防衛任務に就くことに。また、補給作戦などの考案に関する専門知識を取り入れるため、提督と共にノウハウを培うことに(このようにしてハーレムを作る提督)。のちに編制される遠征艦隊は睦月、龍田、天龍に率いられることとなった。

持ち前のしっかり者さと明るさを生かし、遠征の合間にも容赦なく鍛錬に励むストイックな彼女は、順当に練度を上げ、南方で激戦が繰り広げられる中、遠征艦隊に所属していたのにも拘らず改二相当の練度に到達。響に次いだ第二次改装実装艦娘となった。

現在も遠征の引率を行っているが、大発動艇搭載可能艦が増えたこともあり、遠征収支管理をはじめその他の任務に就くことが増えた。といっても休日は他の艦娘と同じであり、その辺は提督の細やかな配慮が窺える。

 

【練度・性能など】睦月型の中では着任順を考慮してもずば抜けて高練度。もはや自主トレの域を超えた猛特訓は、遠征の非常時に艦隊を守れるようにするという彼女の使命感の強さを暗示しているのだろう。

先述した通り、燃費は一般駆逐艦と比べて3/4程度と非常に良い。睦月型の特徴を生かした遠征は彼女の十八番である。

遠征部隊旗艦は、通常艦隊の旗艦とは全く異なる性質をもつため、彼女その研究や実体験で学んだことは貴重な資料として記録され、受け継がれている。

また、実戦においても引けを取らないどころか抜群の実力を発揮。並の駆逐艦や軽巡洋艦娘では相手にならず、加えて気まぐれで艦隊に参加し、夜戦ではタ級を沈めてくるので、深海サイドとしては脅威でしかない(お供に連れてくる響や夕立に関しては言うまでもない)。

一線級として扱われ、過ぎ去る時代に古びた艦体を酷使して各地を転戦した史実通り、戦闘でも他の艦娘たちに負けない底力とパフォーマンスを発揮する睦月型である。

 

【性格】底抜けに明るい。どんな時でも快活で、誰とでも打ち解けられる性格の持ち主。落ち込んでいるときには彼女の笑顔に癒されるものも多いだろう。艦隊のムードメーカーという大切な役割を担っている。

吹雪に負けず劣らずのしっかり者。初期駆逐艦トリオ(吹雪、睦月、響)はボケ役がせいぜい響しかいないので、鎮守府草創期はそれはそれは平和だったそうな。

また、超ストイックメンバーの一人である。先述した遠征中改二事件のように、彼女の意外な熱血さに驚かされることも多い。彼女が駆逐隊の演習教導担当に当たってしまったときは覚悟しなければならないという(望月談)。女の子と言えどタイヤは腰に括り付けて引っ張るものだし、砂浜は周回走の聖地なのである。無限のモチベーションの根源は強い意志によるものなのか、はたまた…。

好物は(女の子らしく)マカロン。好きすぎて自作している(意識が高い)。彼女の親友になるとバレンタインには大量のチョコマカロンが送られてくるという。彼女曰く、「あの造形美は人類の至宝」らしい。

吹雪と同じく長女である。しかし睦月自身あまりその辺りを気にしないので、今日ものんびりマイペースに筋トレとマカロン作りに励んでいる。しかしながら、菊月がそんな彼女に憧れているのは別の話。

 

 

 

暁型駆逐艦二番艦 響《Верный》Lv.94/04010003 

 

【経歴】睦月とほぼ同時期に舞鶴第一鎮守府工廠で建造。睦月同様、着任して最初の任務は鎮守府の清掃であった。

駆逐艦としての仕事というより、鎮守府始動時からの古株としての経歴が光る。

鎮守府正面海域を鳳翔、吹雪、睦月と共に制すると、睦月と代わって島風、白雪を編入した第一駆逐隊、更に阿武隈を編入した第一水雷戦隊として活躍。キス島沖では史実通り阿武隈、島風と共に突入作戦を敢行、敵戦艦の砲撃をかいくぐり、見事無傷でこれを完遂した。

第二次改装である《Верный》実装に伴い獲得した高い対潜能力や装甲を生かし、後に着任する五十鈴と対潜戦闘の技術を磨く。近海での月次対潜哨戒任務に就くことを主として艦隊に配備される。しかしながら駆逐隊、水雷戦隊としての実戦配備を兼ねている状態であり、秘書の吹雪、遠征の睦月、対潜の響と初期組は大忙しに。

南方深部の任務遂行の為、朝霜に対潜哨戒任務を引き継ぐ。昼戦においてバルジで砲撃被害を防ぎ、高い夜戦火力をもって敵艦隊を撃滅する戦法が板につき、甲型駆逐艦の改二改装に際しての戦闘法に応用された。

その後は吹雪と共に後進駆逐艦の育成に取り組む。海域深部を除く哨戒には第二駆逐隊があたり、現在では艦隊指揮、駆逐隊旗艦としての勉強に励んでいる。

 

【練度・性能など】戦闘配備艦としては吹雪に次ぐ高練度。史実通りの高い生存率の表れであるバルジ搭載/非搭載に拘わらず持久戦を得意とし、日没後の夜戦で一気に片を付ける。旧ソ連兵装の適合率が高く、火力上昇効果も見込めるため、昼砲撃で小中型艦を撃沈させ、多対一の状況に持ち込めるので有利。

対潜戦闘を比較的初期から成長させてきた舞鶴第一鎮守府では、彼女や五十鈴のもたらしたレポートの貢献が大きい。対潜が得意な駆逐艦は後期に着任した朝潮、浦風、谷風やその改二改装が最近のものである朝潮改二丁などの艦娘であり、貴重な対潜要員として活躍してきたのだった。

本人曰くソ連時代の記憶は曖昧だが、それでもソ連にまつわる知識は持ち合わせているため(第二十九話参照)、彼女にとっては両方故郷のようなものらしい。彼女への呼び名は「響」、「ベルちゃん」と艦娘によってまちまち。

激戦を戦い抜き、そして祖国を離れ新天地で生き抜いた不死鳥の覚悟が、彼女の信頼を築き上げているのである。

 

【性格】外見の白い肌から想像されるように、口調も至ってクールではあるが、吹雪や睦月から言わせればその裏側は非常にのんきかつ感情的らしい。更に極度の寒がりという旧ソ連艦らしからぬ特徴を持ち合わせる。秋雨の降るころ、急に鳴り出した雷と下がった外気温に吹雪と響が震えあがって布団にくるまっている光景を睦月は目撃したらしい。

何事も努力、という吹雪と睦月とは対照的で、身体を動かすうえで重要な諸感覚、特に平衡感覚が優れていて、割と直感で何とかなることが多い。しかしながら座学は苦手であり、今日も苦しみながら艦隊指揮についての勉強に励んでいる。

姉の暁とは仲が良い。といっても彼女が一方的に暁に絡んでいる部分が大きい。暁をからかうのも、実は彼女なりの照れ隠しであり、内心では再会できたこの奇跡を喜んでいるのだろう。

言葉遣いが若干中二っぽい。そもそも不死鳥なんて二つ名を持ちあわせるばかりに、そんなイメージが先行してしまうのかもしれないが…。とにかく、初期組トリオには駆逐らしい駆逐がいないことは確かなようだ。

 




設定集は妄想がはかどりますね…。

徐々に私生活の方が落ち着いてきました。課題と仕事を終わらせてすぐに執筆に戻りますので、もうしばらくお待ちください!


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第四十四話 せいくらべ

今回はタイトルド直球、背比べです。
艦娘の背は完全に主観ですのでご了承ください。


「おおおっ!」

 

二航戦の二人は、新たな後輩の姿に感嘆の声を漏らした。

工廠から出てきた二人は、新しい体に戸惑いつつも、目が合うと照れくさそうに笑った。

 

「すっごーい!てかカタパルトながっ!?」

「なんだか二人共凛々しいというか…しっかりしたねぇ」

 

飛龍は腕を組んで、うんうんと頷く。

蒼龍は翔鶴のカタパルトに興味津々なようで、ペタペタとその材質やらを触って確認している。

 

「二人とも、元々装甲化を決定していたからな。改二を飛ばしてしまったが、その分成長したのがはっきり分かる」

「そうだねぇ。もう練度も90超えちゃったし」

「私たちも負けてられないね、飛龍」

「そ、そんな。先輩方に比べれば私なんて…」

 

謙遜して、両手を振って否定しようとする翔鶴。

そんな彼女の肩を掴んで、瑞鶴は言う。

 

「私たちだって、いつまでも後輩のままじゃいられないからねっ!」

「その意気だ。最近は雲龍型の着任も報告されている。二人も先輩になる日が近いぞ」

「そ、そうなのですか…?」

 

提督の言葉に少し驚いた表情をする翔鶴型姉妹。だが、すぐにそれを改めて、決意を固める。

 

「…よっし、私たちも頑張ろうね、翔鶴姉」

「ええ。これからは先輩方を支えられるように頑張りましょう」

「ううっ、泣かせるねぇ」

 

感動のあまり涙を堪える仕草をする飛龍に、思わず笑いが込み上げる一同。

そんな彼女らを見つめていた艦娘が、もう二人。

 

「翔鶴、瑞鶴…!」

「あっ、先輩方…ってええ!?」

「ちょ、ちょっと赤城さんに加賀さん!?」

 

赤と青、対の色をした袴を着た一航戦の二人は、もはやとどまることを知らないまでに流れる涙を隠さずにやってきた。

驚愕と困惑のあまり口が塞がらない二航戦と五航戦。

 

「大丈夫か、二人とも」

「ええ…しかし、教え子がこんなに立派になった姿を見ると、感動のあまりですね…ううっ」

「…」

「か、加賀さんは何もしゃべらないの?」

「もはや、言葉は要りません…」

 

その場に泣き崩れる赤城と、直立不動で涙を流し続ける加賀。

嬉しいような困ったような、なんとも言えない雰囲気が工廠前の雰囲気を支配していた。

 

「…俺はお邪魔のようだ。また今度様子を見に来るよ」

「あっ、ちょっと提督さん!?」

「こんな収拾のつかない現場を置いていかないでぇぇ!」

 

ダッシュでその場を離れる提督。

今となっては鎮守府随一の調停役はいなくなり、残された正規空母四人の困惑は深まるばかりだ。

 

「…しょうがない。とりあえず泣き止んでください、二人とも」

「そうそう。このままだと翔鶴たち、困っちゃうよ?」

 

自分たちの使命だと観念したのか、飛龍は赤城、蒼龍は加賀をそれぞれ泣き止ませる。

これではどちらが先輩かなど分かったものではない。

 

「ううう…っ!」

「泣き声なのそれ…とりあえずハンカチで涙拭いてください」

「加賀さんもっ!黙ったまま泣かないで」

「あ、ありがとうございます」

「に、二航戦の子たちも、こんなに優しい子になって…!」

「ちょっ!今度は私たちぃ!?」

 

しばらく泣き止まない一航戦の面々に、五航戦はただ苦笑することしかできないのであった。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「ようやく落ち着いたね…」

「す、すみません。あまりの嬉しさに激情の奔流が抑えきれなくてですね」

「…?」

「赤城さん、あまり難しい言葉は…。瑞鶴が置いてけぼりです」

「なっ!?わ、分かってますよっ」

「そうそう。蒼龍のことも考えて」

「ちょっ!」

 

空母部隊は五航戦姉妹の改二(甲)祝いに、間宮を訪れていた。

今日は調理場に鳳翔も参戦し、涙ながらにその腕を振るうという。

 

「と、とにかく、そんなに喜んでいただけて私たちも幸せです」

「翔鶴は88で、瑞鶴に至っては90の高練度だもんねぇ。そりゃー育てた本人の感動もひとしおって訳かあ」

「育てたなんてとんでもないですよ。二人は二人の力で、努力を続け、この改装を勝ち取ったのです」

「そうね。元々素質もある子たちでしたし、こうなることは十分わかっていたとはいえ…ここまで成長するまでには、数々の苦しい思いを乗り越えてきたに違いありません」

「そ、そんな」

「そうですね…武勲艦としての輝きがあります。立派だわ、二人とも」

「え、えへへ…」

「せ、先輩方」

 

まさかここまで褒めちぎられると思っていなかったためか、次第に顔を赤く染める鶴姉妹。

翔鶴などは耳まで赤くして俯いている。

 

「…加賀さんが饒舌だね」

「ね。もう一週間分はしゃべっちゃったかも」

「ふふふ…」

 

普段には見られない加賀の姿に目を丸くする二航戦と、笑いを堪えるあまり小さく震えている赤城。

 

「心外です」

 

そう言って不満そうに半目で睨む加賀もまた、彼女たちにとっては珍しい光景なのであった。

 

「ごめんなさい加賀さん…珍しいものですから」

「そうそう」

「あはは…というか、今気づいたけど翔鶴も瑞鶴も、なんだか背が高くなった感じするよね」

 

ふと、蒼龍がそんなことを口にした。

途端に視線が絶賛紅潮中の五航戦姉妹に集まる。

 

「そうですね。まさか座高だけ伸びたわけではないでしょうし」

「いいなぁ。脚長くて…」

「いいじゃん、蒼龍は胸あるし」

「ド直球かよ!?…いや、けど空母のみんなは割と…はっ!?」

 

背筋に這う寒気に目を見開く蒼龍。

正面の席に若干一名、さらに仕切りを隔てた向こうに約二名の殺気を感じる。

 

「…」

「い、いやほら!それも個性の一つだから…えっとその」

「一長一短?」

「そうそれ!」

「ということは…胸がないのが個性ですか?」

「ちょ、赤城さんそんな身も蓋もない…ず、瑞鶴、私は瑞鶴も充分魅力的だと思うわっ」

「うええええん!翔鶴姉が憐みの目線で見てくるぅ!」

 

ドストレートに放たれた言葉の刃が刺さり号泣する瑞鶴。

隔たりの向こう側では、血涙を流す瑞鳳と龍驤がいた。

 

「加賀さん慰めてえええ!」

「ちょ、瑞鶴…って高い!」

 

オロオロしていると、突然の瑞鶴が縋りついてきて動揺した加賀であったが、間もなく彼女の身長が予想以上だったことがそれを助長した。

 

「ほ、ほんとだ。加賀さんに覆いかぶさってるじゃん」

「覆い被さるは言い過ぎだけど…ってことは、翔鶴も?」

「私も加賀さんと同じくらいですから。翔鶴さん、ちょっといいですか?」

「あっ、はい」

 

席を立った赤城の横に並ぶ翔鶴。

やはり加賀と瑞鶴の身長差と同じように、翔鶴の身長は赤城より頭一つ分高いようだ。

 

「大きくなったね翔鶴も」

「やっぱりIF改装だからかな?艦艇時代(むかし)は同じくらいだったよね」

「そうですね。なんだか新鮮です」

 

照れからか小さく笑う翔鶴。

そんな彼女を見上げつつ、赤城は再び感慨の涙を流す。

 

「こ、こんなに大きくなって…!」

「ちょっ!?あ、赤城さんまたですか!?」

「あーあー…」

「うえええええん!よく考えれば加賀さんも結構あったぁ!」

「ず、瑞鶴、抱きすくめるのは良いのだけど…息が…」

 

涙もろすぎる赤城にわたわたと慌てる翔鶴と、絶望のあまり泣き叫ぶ瑞鶴に強く抱きしめられすぎて窒息寸前の加賀。

もはや収拾は不可能であった。

 

「…なにこれ」

「艦これ」

 

理性を脱し、瞳からハイライトを消した二航戦。

騒ぎを聞いて駆け付けた鳳翔に一同が絞られるのは、また別のお話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うんしょ…っと!」

 

皐月は、背伸びをして身長計の測定部を移動させる。

ゆっくりと降ろされたそれは、もふっと音を立てるように三日月の頭部に着地した。

 

「三日月は…133センチ、ってとこかな」

「わあー、三日月ちゃん、背が高いんだねぇ」

「伸びたわけではありませんけどね。でも、第二次改装に期待です」

 

医務室には執務室に連結した提督私室や給湯室のように、更なる小部屋が続いていて、艦娘の身体検査はそこで行われたりする。

もっとも、改装以外で見た目の変わらない艦娘の検査は、通常は滅多に行われることはないのだが。

因みに、ただいまの時間帯には某軽空母たちが激しい頭痛を訴えて寝込んでいる。

 

「僕も文月も改二が近いからね。身長伸びるかなって話してたら、提督が買ってくれたんだ」

 

だからこそ、皐月や艦娘たちが見慣れないものに関心を持つのも必然といえよう。

そのあたりの事情を察した提督は、迷わず購入を決意したという。

 

「これって、士官学校にあったのと同じですよね。個人で買えるものだったんですか」

「司令官にありがとーって言わなくちゃ」

 

笑顔いっぱいの文月に癒されつつ、三日月は皐月と場所を変わった。

 

「んっ…皐月は135センチですね」

「わあ、皐月ちゃんもすごーい」

「ふふん。お姉ちゃんだからね」

 

瞳を輝かせる文月に胸を張る皐月。ほとんどどんぐりの背比べではあるが、三日月は苦笑しつつ黙っていた。

 

「文月は130センチだったよね」

「もっと背が高くなりたいなぁ」

「大和さんとか長門さん、かっこいいもんね」

 

腕組みをして、うんうんと頷く皐月。

彼女らにとって、戦場で勇ましく活躍する大和ら戦艦たちの存在は、憧れにも近いものになっていたのだった。

 

「ふふっ…。でも、この前大和さんがおっしゃってましたよ。“私たちが戦場で満足に戦えるのは、駆逐艦や軽巡洋艦の皆が遠征をこなしてくれているお陰です”って」

「あー。そういえば、あの時三日月って大和さんに頭撫でてもらってたよね」

「わあ、うらやましいなー」

 

恐らく大和が撫でたであろう三日月の頭を、文月が撫でる。

 

「…文月?」

「えへへ」

 

文月がしようとしていることは分かっているが、なんとなく照れくさくなって三日月は訊いたのだった。

 

「三日月ちゃんも、いつも頑張ってるよねぇ。お疲れさま」

「…文月もです」

 

文月は少し背伸びをして、三日月は少し屈むように。

お互いがお互いの色の違う髪を撫でる。

 

「…んん?」

 

一人、首を傾げる皐月は、訳も分からずに頭を傾げたままであった。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「おお~!」

「遂に、なのだな」

 

工廠前では、文月と皐月を除いた睦月型の九名が集結していた。

 

「ああ。睦月と如月に続いて二人も改二実装だ。…よし、もう出られるか?」

「はあい!」

「皐月、出るよっ!」

 

勢いよく扉を開いて出てきた二人は、少し背の伸びた出で立ちであった。

 

「おおっ!なんかかっこいいにゃしい」

「私たちの制服と少し似てるわね?」

 

はじめに二人に駆け寄った長女と次女は、妹たちの改二(せいちょう)が嬉しいようだ。

他の妹たちの見せる羨望と尊敬の眼差しとはまた違って見える。

 

「でも、お月さまのバッジは健在だね」

「ふむ。私たちも後に続かねばな」

「おめでとー。…ふあぁ」

 

長月や菊月は彼女ららしく、至って真面目である。

望月も、興味なさげではあるが、目線はしっかりと二人の艤装に注がれていた。

 

「っと、ほらほら弥生、早くするぴょん」

「う、卯月も持ってよ」

「おお、来たな」

 

弥生と卯月がなにやら持ってきたようで、姉妹と提督は一斉に後ろを振り向いた。

 

「皐月、文月」

「改二おめでとうっぴょん!」

「ええっ!?それって…」

「もしかして、プレゼントぉ?」

 

他の姉妹を掻き分けて駆け寄った皐月たち。

弥生と卯月、二人で運んで丁度良いサイズのその大きな箱は、真っ赤なリボンで覆われていた。

 

「…うん、そう。皆で用意したの」

「さささ、今すぐ開けるっぴょん!」

「おおお…ありがとねみんな!」

「すごーい。ありがとねえ」

 

嬉々として、するするとリボンを解いていく。

 

「よおし、じゃ、開けよっか文月」

「うん!せえの…」

 

二人が勢いよくプレゼント箱の蓋を開ける、まさにその刹那ーー

 

「「うわあ!?」」

 

箱からは、卯月似の妖精さんが飛び出してきた。

驚いてのけぞる二人。

 

「ぷっぷくぷーっ!ドッキリ大成功だぴょん!」

「…ごめんね、二人とも」

 

してやったりのどや顔を披露する卯月と対照的な、懺悔の表情を浮かべる弥生。

呆気に取られる文月と皐月。

 

「も~!びっくりしたあ」

「これはどういうことかなあ…う・づ・き?」

「ガチギレにゃしい」

「あら~」

 

そんな雰囲気も束の間、皐月が卯月の方へにじり寄っていく。

本当のプレゼント箱を用意していた睦月と如月は、傍観に徹することを決めたのだった。

 

「な、なんで弥生はお咎めなしぴょん!?」

「どうせ卯月が巻き込んだんだろぉ!?」

 

そのうち大脱走劇を開始させた卯月を追うように、皐月が走り出す。

二人の描く周回コースの中心で、弥生がオロオロとしている。

 

「あの…その…」

「もぉ、弥生ちゃん困ってるよぉ」

「…睦月、長女としてこの鬼ごっこを止めてくれ」

「対価としてマカロン十個を要求するにゃしい。ピ〇ール・〇ルメの」

「手厳しいが…それも致し方ないか」

 

ここぞとばかりに足元を見てくる睦月のしたたかさを感じつつ、ここは仕方ないと嘆息する提督。

 

ちなみに、プレゼント箱の中身はお手製ホールケーキと、夜でも光る、工廠特製睦月型バッジ。

後の輸送作戦では、蓄光塗料を光らせた睦月型が夜戦で大活躍するのであった。

 




作者の背は170と少しある程度なので、大和や武蔵なんかには抜かされてそうですごい劣等感を覚える今日この頃です。


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第四十五話 銀雪と恋

UA30000、本当にありがとうございます。
あと、更新遅れてごめんなさい。隔週水曜枠は厳しいかもです…。


「うわあ、すごい雪」

 

呉で行われた会議の帰途、舞鶴へとひた走る鈍行列車の中、由良はそう呟いた。

 

「山中だからな。峠越えか」

「今どの辺りかしら…っていうか、段々速度下がってる?」

 

窓辺に眺める景色がゆっくり流れていく。

提督と由良がこの鈍行に乗っているのは、できるだけ秘匿して移動せよという本部の命からであった。

 

というのは恐らく口実で、この後執務ではないことを知っていて、この際だから新幹線ではなく鈍行で移動させ、経費削減しようという見え透いた魂胆が窺えるのだが…。

 

「ん?確かにそうだな」

 

周囲の乗客はまばらで、この列車がたとえ鈍行だということを差し引いても異常な乗客の少なさであった。

 

「積雪中の上り坂にしても不思議なくらいだ…」

 

窓から顔を出すわけにも行かないので、張り付くようにして雪景色を眺める由良。

既視感を覚える光景に苦笑して、同じように窓を覗く。

 

「あっ…」

「ん、相当だな。これは納得だ」

「え、ええ」

 

不意に近づく両者の距離に、思わずぱっと顔を赤らめて目を逸らした由良には気付かず、提督は窓の外に広がる銀世界を眺め続ける。

一方由良はと言えば「んもうっ…」と一人抗議の目線を向けていたが、届く由もなかった。

 

「…おいおい、相当酷くなってきたな。日本海側に出た途端これか」

 

次第に強まる降雪はまさに怒涛と言わんばかり。

豪雪に子供心を喜ばせるのもたかが一週間の内で、提督や初期着任の艦娘たちは、冬場の雪がもたらす雪かきの圧倒的労働苦を知っているので、ただ嘆息するばかりである。

…という風にうんざりしていたのも束の間、車内のスピーカーから、車掌のものと思われる声が響いてくる。

 

『…お客様にご案内です。只今豪雪の影響の為、次駅からの運転見合わせが決定致しました。お急ぎのところご迷惑をおかけしまして、大変申し訳ございません――』

 

「…え?」

「と、止まったってことか」

 

全車両を合わせても一桁ほどの乗客が悲報にざわめく。

豪雪は鎮守府外でも害を及ぼしてくるらしく、次駅以降の運行が取り止められた。

隣に座る由良も他の乗客と同様の反応を見せていた。

 

「ど、どうしよ湊」

「こら…湊はせめて鎮守府内にしてくれ。仮にも軍装なんだから」

 

素が出ると名前で呼んでくるのは昔からの癖だ。鎮守府では呼ばれることもなかったので、なんだかくすぐったくなってしまう。

とはいえ、由良の着任以降妙に名前で呼んでくる艦娘が増えたように思う。

 

「あ、ごめん…なさい。でも、じゃあ今日は」

「駅の近くのホテルで一泊だな…。しかし、こんな山間部に泊まるところあったかな…?」

 

急いで持ち合わせていた携帯端末で周辺の宿泊施設を検索していく。

余談ではあるが、鎮守府ではスマートフォンの操作がまともにできる者は極端に少ない。

当たり前と言えば当たり前なのだが、彼女らには約一世紀の文明のブランクが存在しているので、その超科学ぶりに苦しむ者も多いという。

 

「お、意外とあるみたいだな。よし、予約を…と」

 

空室のマークを確認して、手続きを進める提督。

そこへ、無情にもアナウンスが続く。

 

『…お客様へご案内です。只今周辺地域に暴風雪警報が発令されており、外出は大変危険です。降車後は速やかに駅舎内へ移動し、天気の回復をお待ちください』

 

「えええ!?…ちょっと、大丈夫なのよね、ね?」

「…だいじょばないかもな」

 

吹雪と言えば某初期艦のイメージがあるが、地吹雪ともなれば相当な狭視界をもたらし、交通網は麻痺するだろう。駅舎内への誘導は正解と言える。

慌てた様子で袖を引っ張る由良に目をやると、いつもの制服に一枚薄いコートを羽織っただけである。艦娘は体が丈夫とはいえ、見ているこちらが寒くなるくらいだ。

 

(…とりあえずは防寒具が必要になるかもな)

 

寒さの恐ろしさを身をもって体感している彼は、揺らされる頭の中で駅に到着してからの行動を組み立てていくのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お…ここが」

「よかったあ…」

 

電車を降りると、一瞬にして身体が吹き飛ばされそうになるほどの暴風が二人を襲った。

その勢いに驚きつつも、慌てて駅舎に入ってみれば、係員の誘導が行われているようであった。

話を聞いてみれば、どうやら併設の宿泊施設が臨時開放されていて、そこに泊まることが出来るようであった。

 

「申し訳ありません。軍人さんがいらっしゃることが分かれば、私たちももう少しお出迎えする準備が出来たのですが」

「いえ、お気遣いなく。どうぞ私たちも、一般の方々と同じようにして頂ければ」

 

仮にも軍属の者ということで、予定を変更して宿泊する場合は本部と所属鎮守府、そして宿泊施設の担当者には連絡をする規定が存在している。

管理人である初老の男性は訳を話していくと驚いた様子ではあったが、どこか嬉しそうにしていた。

 

「国防を担われる御方ですから、日々お疲れでしょう。本日は狭い宿で恐縮ですが、ゆっくりお休みになって下さい」

「ありがとうございます」

 

恭しくお辞儀をして、二人は管理人から話を聞いていく。

駅舎に併設された、同鉄道会社の後援するこの施設には、一通りの設備が整っているらしく、電車はそれを見越してここまで運行してきたとのこと。

自然災害や戦災などの被災時への備えとして、避暑地として人気を集める夏に得られる利益でこの施設を経営しているらしい。

 

「まだまだ設備も最低限のものしか揃っていませんが、今晩だけならばどうにかなるかと」

「とんでもない。乗客も少ないとはいえ、このような設備を無償で提供して下さるというのは、大きな安心となります」

 

近くに湧く温泉を引いた風呂や、小規模ではあるが食堂、そして個室もあって、十分快適に過ごせるだろう。

 

「ありがとうございます。しかしながらこの後停電の見込みなのです。非常用電源では暖房や照明が制限されるでしょうから、お客様には心苦しい思いをさせてしまうかと」

 

この寒さを乗り切るために使われる電力だけでなく、乗客個人が消費する電力量も考えると厳しい。

 

「非常時ですし致し方ないでしょう。乗客の方々にも消費電力削減を心がけてもらえるよう、呼びかけるのも手です」

「そうですね…」

「私たちにお手伝いできることがあれば、仰って下さい」

「由良もお手伝いします」

「これはこれは。ありがとうございます。そちらの方も軍人さんですか」

「ええ、まだまだ新米ですがね」

「…むぅ」

 

頬を小さく膨らませる様子に、管理人は軍人らしくない一面を感じたのか苦笑する。

「これでも期待の新人でしてね」と加えた提督は、話を一区切りさせようと、由良を見やった。

 

「それでは、とりあえず部屋の鍵を頂いても宜しいですか。お手伝いできることがあれば、ご連絡下さい」

「はい。…ええと、これですね。7号室になります」

「え?」

「…はっ」

 

管理人の渡した鍵は、一部屋分だった。

それはつまり、そういうことではないかと由良が勝手に想像して赤面する。

 

「部屋は…一つですか?確か申請書には」

「生憎、この停電で計画的に使用できる暖房設備が、丁度七部屋分までしか用意できず」

「そ、そうなんですか…それじゃあ、私は夜警でも…」

「べっ、別にいいんじゃない?ねっ?」

 

早くも逃げ腰の提督に待ったをかけるかのように、由良は言った。

若干強迫めいた声色の「ねっ?」は、かつて聞いたことがあるような響きであった。

 

「そうですな…仮にも男女ですし、部下の方なのであれば、尚更そうした方がよろしいですか」

「い、いえいえお気になさらず!由良たち、実は幼馴染でして」

「お、おい由良」

「そうでしたか。旧知の仲ならば、特に咎められることもありませんかな?」

「そっ、そうですねっ、ねっ!?」

「…由良」

「ね?」

「…はい、そうさせて頂きます」

 

勢いと恐怖に流されてしまう提督。

そんな二人の過去を知らない管理人は、仲の良い上司と部下の様子に和んで微笑んでいるだけなのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えええええ!?停電で外泊ですか!?」

 

電話の向こう、吹雪は仰天して叫んでいた。

耳を(つんざ)く叫び声に思わず目を瞑ってしまう提督。

 

「…おう。あまり電源を使えないから手短に話すが、とにかく移動できるとすれば明日以降になる。また明朝、〇六三〇から〇九〇〇の間に連絡を入れる。その時間帯はいつでも着信を受け取れる状態で人員を配置しておいてくれ」

「りょ、了解です」

「艦隊指揮権は吹雪、熊野、大淀に移譲する。それじゃあな」

「はい!…って、そうじゃなくて──」

 

吹雪渾身の「はい!」で電話を切った提督は、目の前の光景に苦悩の嘆息を漏らした。

それはつまり、この軽巡洋艦と同室になっているということで──。

 

「吹雪ちゃん、驚いてたね」

「…ああ」

 

もう今更になって部屋を変えるだとか、暖房なしで別部屋に泊まるだとか言うつもりはない。

これ以上忙しい管理人に迷惑をかける訳にもいかないし、この寒さで暖房なしの氷点下部屋に泊まることは即ち死を意味する。

 

「…それにしてもだな」

 

加えて、彼女とは見知った仲であることを熟知しているつもりではある。

けれど憂慮する気持ちが消えるわけではない。

 

「な、なによ」

「本当によかったのか?相部屋で」

「だ、大丈夫よ!あなただってそうでしょ?」

「俺は構わないが…」

 

今更遠慮し合うような仲ではないし、それも彼女はわかっているだろう。

士官学校の奇妙な関係が、ここまで続いてきていることが不思議で仕方がなく思えたりする。

 

「じゃ、大丈夫よ。ね」

 

上着をハンガーに掛けて振り返る由良。薄桃色の、長く束ねられた髪が揺れる。

含み笑いにいったい何が込められているのか、彼は知る由もない。

 

「…分かったよ」

「それじゃあ、今日は(みなと)って呼んでも」

「それは流石にな…」

「けち」

 

しかめっ面をする由良の表情は、過去の記憶の中に映る彼女とそう変わらない。果たして、彼女から見て、自分は変わったように映っているのだろうか。

 

「それで?『提督さん』、この後はどうするつもりなの?」

「ああ、電力節約のために就寝時間帯までは個室の設備使用が制限されているようだ。つまり、基本はロビーや食堂を使うことになるな」

「そうなのね。…あっ、じゃあ晩ごはんでも探さない?お昼軽かったから、由良お腹空いちゃって」

「行くか。軽食くらいならあるだろ」

 

荷物を部屋の隅にまとめて置いて、よっこらせと立ち上がる。

そのまま扉に向かおうとして、袖が何かに引っ張られてつんのめる。

 

「…?」

「…えへへ、いいでしょ?」

 

後ろで腕を掴んだ由良が、隣に飛び出してきてにへらと笑う。

もはや訂正も改めさせることも出来ないので、思わず苦笑いが滲んでしまった。

 

「あー、お気の召すままにどうぞ…」

「お言葉に甘えます、ねっ」

 

不適な笑みを浮かべる由良は、自信満々にそう呟いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふう…」

 

地元自慢の天然温泉に浸かり、冷えた身体を温めた乗客たち。

提督もそのご多分に漏れず、底冷えする館内の寒さをもろともせず、未だ湿った髪をかき上げた。

 

「あっ、みn…提督さんも上がったのね」

「おう」

 

首に掛けたバスタオルで髪を拭いていると、後ろから見切った声が聞こえて振り返る。

 

「お…」

 

小さく、彼は感嘆の声を上げる。

眼前に佇む由良は、部下としての『由良』の、髪を長く束ね、軍装を纏った姿ではなく、かつての級友としての『海咲(みさき)』の姿で現れた。

 

「えへへ、なんだか久しぶりかも」

「懐かしいな」

 

髪を緩く二つ結いにして、左右に垂らす。ツーサイドアップとでもいうのだろうかと思案した。

鹿島のような髪型に近いが、彼女よりは長めだろうか。

 

「お湯、結構熱めだったね。少しのぼせちゃったかも」

「体も相当冷えていたからな。それでもいい湯だったよ」

「…うん」

「?」

 

湯に浸かって逆上せかけたせいか、どこか由良の頬が赤い。

それにしては赤すぎると、提督が疑問を抱く一方で、由良は見慣れない彼の姿に慌てていた。

 

(な、なんだか湊、見ないうちに大きくなってる…!)

 

出会った当時は十五歳かそこらであり、五年という年月は彼を成長させるのに充分であった。

艦娘となり、身体の成長が止まった由良から見れば、面影こそ感じるものの、隣に並べば身長差もあり、その大きさに驚くのであった。

よって、そのギャップに彼女が驚愕し、そして心拍を弾ませていたのも当然でーー。

「さあ、早いところ部屋に戻ろう。もう廊下の電力も制限されるからな」

「…うん」

 

(…なんだか素直だな、珍しい)

 

つかみどころのない彼女が今日は大人しくて、提督が少し驚いていたのも当然だといえよう。

 

 

────────────────────────────────────────

 

 

「ご飯、コンビニのだったけど美味しかったね」

「保存食もあったしな。案外何とかなるものなんだな」

 

施設に併設されていたコンビニエンスストアが一通りの食事と生活用品を提供してくれていたお陰で、難を逃れることができた。

いざという時の便利さが有り難く、やはり災害時にはこうした準備が活きるということが身に沁みて理解できた。

 

「あっ、そうだ…借りたお金」

「気にすんな。どうせ経費で落ちるんだろうし」

 

財布を探し出す由良を制し、それでも尚遠慮する彼女に、提督は「これからの活躍に期待してる」と笑って言った。

 

「そうなの?」

「ああ。それに、まあ昔のよしみだ。これくらいはさせてくれ」

「ふふっ、なにそれ」

「その髪型を見て、少し昔を思い出してな」

 

提督は椅子に腰掛け、小さく笑った由良を横目で眺めて目を瞑る。

瞼の裏に浮かんでくるのは、なけなしの青春の日々。

 

「懐かしいな…半べそかいてる()()に勉強を教えたこともあったっけ」

「な、何でそんなこと覚えてるのぉ!」

 

恥ずかしい記憶を掘り起こして欲しくないのか、由良は拳を握って腕をぶんぶんと振る。

そんな幼馴染の抗議に苦笑して、あえて更に提督は続ける。

 

「お前は、学術よりは体術だったな。艦娘の適正がある人間としては、そっちの方が好都合か」

「そんなこともなかったかな…全然体術も楽じゃなかったし」

「…まあ、そうじゃないと教官に怒鳴られて半泣きで居残りになることもないか」

「もぉーっ!そういう湊だって、目が死んでてやる気がないって、体術の教官にげんこつされてたじゃない!」

「あれはしょうがないだろ…っていうか、体術の教官って確か…」

「「権田(ごんだ)」」

「…ふっ」

「ふふっ」

 

些細な思い出話も、彼らにとっては宝物のように感じられてならなかった。

思い出が宝物なのではなく、それを目の前の親しい友人と共有できることそれこそが、彼らにとっては永久に続くような、長い時間を苦しみと闘ってきた者にとって、大切に感じられたのだ。

 

「…もう四年か。随分経ったな」

「でも意外と覚えてるものよね。…あー、また戻ってみたいかも」

「また補習だぞ?」

「次はうまくやるわ!…たぶん」

「多分かよ」

 

そんな他愛ない思い出話に、どうしようもなく、由良は心が暖かくなって止まらなかった。

きっと、彼には彼の世界があって、自分のように、目の前の旧友に憧れ、そして想い続けている訳ではないだろう。もしそうだとしたら嬉しいことに変わりはないがーー。

 

(それでも…貴方と、湊とまた会えて良かった)

 

憧れていた。

どんな苦しみにも立ち向かい、必死に、過酷な現実と、残酷な過去に向き合って、闘い続けていた彼に。

支えてあげたいと思った。

身も心も、ボロボロになってしまった彼を。

孤独じゃないってことを、伝えてあげたかったーー。

 

「…さっ、明日も早いし、もう寝ましょ?」

「おう。結構寒いからな…ふあぁ」

 

由良の決心は、揺らぎようもなかった。

頑張れない理由がなかった。

これからは、隣に居てくれるから。そして、共に戦うことができるから。

 

「そういや、勉強会の後もこんな感じだったか」

「寮室に戻るのも疲れちゃって、そのまま眠っちゃったりしてたね」

「気付いたら朝だったりな…」

「そうそう」

 

雪のせいではあるが、久しぶりに執務から手を離してこの時間帯に眠りにつく提督は、既に眠たげに、小さく呟いた。

横目で彼の虚ろな目を覗いた由良は、ふふっ、と笑みを溢した。

 

夢の中で、ずっと追いかけた姿がここにある。

あの日、桜の木の下で、本当は縋りついても引き留めたかった想いが、この瞬間に叶った気がした。

 

「…ねえ、()()()()

「ん…」

 

既に、彼は眠っていた。

微かな寝息が、暖房をものともしない冷たい空気の中に、細く流れるだけだった。

それを知って、由良は彼に顔を近づけた。

不自然に伸びた、右の額にかかる髪をかきあげて、自分を守って付いた古傷を撫でる。

 

「好き、よ」

 

胸一杯に溢れ出る想いをこらえて、短い言の葉に全ての感情を注ぐ。

一度言ってしまうと、愛しさが込み上げて、ともすれば泣いてしまいそうだった。

 

吹き付ける風も、積もり続ける雪も、今は止んで、月の光と静寂だけが、二人を包んでいたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…んへへ」

 

吹雪から一転、翌朝は昨日の荒天が嘘のように、太陽が晴天に顔を覗かせた。

鎮守府への帰投の目途がつき、帰り支度を始めようとする提督に頼み込んで髪を梳かしてもらいながら、だらしなく緩んだ口元を隠そうともせず、由良は心地よさそうに笑っていた。

 

「なんだその笑い方…っと、こんなもんか」

 

長髪をポニーテールにして結わい、リボンで巻いていく。

どこで艦娘の標準軍装が定められたのかは分からないが、こんな髪型を指定してくるあたり大本営も何を考えているのか見当もつかない。

由良や阿武隈の朝の苦労が偲ばれる。

 

「んっ…ばっちりよ、ありがとう!」

 

ぱっと輝くような笑顔で感謝する由良。

幼さやあどけなさは、士官学校の級友としての面影を感じるが、過去の彼女とは全く違う何かを提督に感じさせていた。

 

「…?」

「ん…どうしたの?」

「いや、気のせいだな」

「んん?」

 

そんな提督の疑問に気付くはずもなく、由良は至ってご機嫌な様子で、提督のブラッシングを堪能している。

最後に毛先を整えていると、仕事用の提督の端末がけたたましく鳴り響く。

 

「お…鎮守府からだな。由良、電話に出るからこれくらいでいいか?」

「はいっ!ありがとう提督さん」

「どういたしまして…っと、もしもし」

 

通話のボタンを押すや否や、一人や二人ではない人数の叫び声が聞こえてくる。

『しれー!』やら『テートクゥゥゥ!』やら種類様々ではあるが、ともかく吹雪や熊野だけではないことだけが分かった。

 

『司令官に由良さん!なんとかして早く帰ってきてくださいよぉ!』

『ちょっと由良ぁ!あんたまさか提督と…っ、何にもしてないでしょうね!』

『ともかくテートクを出すデース!Hurry up!』

 

「うわあ…」

「おいおい、耳が潰れそうだ」

 

そんな元気いっぱいの鎮守府の面々の様子に、提督と由良は顔を合わせて苦笑する。

由良は髪をまとめ終えると、「ちょっと貸してっ」と提督の携帯を手にして、ぽそぽそと何か呟く。

 

「お土産、買って帰りますね。それと、昨日の夜の話は…」

「帰ってからの、お楽しみです!」

 

『ええええええええええ!?』

 

「…おい、何を言ったんだ」

「うふふ。ちょっとした事前連絡よ」

 

口の前で人差し指を立てる由良。そんな様子は、四年前と何も変わっていない。

 

「…そうか」

 

(何を言ったのか分からないけど…あの艦娘たちの叫びようだと、これは帰ったら大変だな)

 

嘆息はするが、特に憂鬱ではない。

気分を一新して、またこの旧友と、頑張ろうと思えた。

 

「よし、なら電車も来ることだし、行こうか」

「ええ、行きましょう!」

 

はにかんで笑う由良。

白銀の雪が照り返す日の光が、彼女の笑顔を明るく彩るのであった。

 




由良は上司として、旧友としてという風に提督に対する言葉遣いを変えています。
少し納得のいかない部分もあるので、ちょいちょい修正を繰り返してはいますが…。


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第四十六話 夏風邪

大変長らく更新を空けてしまいました。
新生活に春イベなど、もうてんてこ舞いでして…。


「げほっ、ごほっ…」

 

心地よい海風が吹き込む、夏の朝の執務室。

静かな部屋の中で、大きな咳の音が響いていた。

 

「し、敷波、大丈夫か…ぜえ…」

「だ、大丈夫だって、て、提督こそ…はあ…ごほっ!」

 

二人の咳の音は重なって、場の雰囲気は惨憺たるものであった。

提督と本日の秘書艦、敷波はこの季節恒例となった大量の書類仕事に追われ、さらに夏風邪に罹るという二重苦に見舞われていたのだった。

 

「ンフッ…やはり敷波は休んだ方が」

「だ、大丈夫だっての!しかも今咳我慢したでしょ!ンフッ」

 

(司令官一人置いて休むわけにはいかないし…)

 

「…って!別に司令官が心配なわけじゃないけど!」

「!?」

 

何やら叫びながら頭を抱えて振り回す敷波。

提督はその狂乱ぶりに、敷波のただならぬ異常を感じ取った。

 

「お、おい大丈夫か」

「だ、大丈夫大丈夫!何でもないから!」

 

しかし、提督の憂慮は消えない。

昨日の十数時間にも及ぶ激務にも拘らず、敷波は今日もこんな地獄に付き合ってくれているのだ。それも当然だった。

 

「流石に疲れただろう。よく頑張ってくれたよ。ほら、部屋まで送って行くから」

 

敷波の座る椅子と執務机の前で屈む。

風邪の時は歩くことも辛いものだ。本人には少し悪い気もするが、おぶっていこうと考えたのだ。

 

「だ、だから…まだ行けるって…っ!」

 

勢いよく立ち上がると、強い眩暈が襲ってくる。

体が言うことを聞かず、敷波はふらついた。

 

「おっと…大分重症だな」

 

敷波を抱え上げ、執務室を出る。

提督自身、熱に浮かされていながらも、ここは上司としての義務を果たすべきだと、ふらつく体をぐっと堪えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…あれ、提督じゃないか?」

「んん?本当だクマ」

 

休暇で楽しんだ間宮からの帰り、部屋に戻ろうと談笑しながら廊下を歩いていた球磨型の長女と末妹は、遠くに彼の姿を見つけた。

 

「結構遠いクマ。よく見つけたクマね」

「…べ、別に、たまたまだよ」

 

徐々に近づいてみると、どうやら提督だけではないらしい。

具体的には、彼が誰かを抱え上げて移動している、ということだ。

 

「む、あれは…敷波クマ?」

「なにかあったのか?少し、聞いてみないか、姉さん」

「よしきた。敷波はスラバヤで一緒だった仲だし…気になるクマ」

木曾が天然な姉のお陰で追及を逃れて安心している隙に、球磨は走り去ってしまっていた。

 

「ちょっ!待ってくれぇ!」

「クマー。提督、敷波ー」

「ふぅ…おお、球磨か。お疲れ」

 

球磨は提督に走り寄ると、即座に彼らの異変に気付いた。

 

「…提督、敷波を担いでどこに行くクマ?」

「ああ、風邪を引いているようでな。明石に連絡して、医務室に向かうところだ」

「なるほどクマ。ついでにもらった風邪薬でも適当に飲んで誤魔化そうって腹積もりクマね」

「…やっぱり気付くものか?」

「顔、真っ赤クマ」

「あはは…」

 

提督が頭を掻いていると、木曾がやって来た。

 

「ま、待ってくれ球磨姉、って提督、顔赤いぞ」

「…」

「こんなの誰でも気付くクマ」

 

球磨は嘆息した。

 

「球磨姉、これはどういうことになってるんだ?」

「風邪ひいた提督が風邪ひいた敷波背負って医務室に向かってたとこクマ。そのあと普通に執務するつもりクマ」

「」

「おいおい…無理すんなよ」

 

完膚なきまでに目論見を看破されてしまった提督であった。

とりあえず、と言って球磨が言葉を繋ぐ。

 

「提督も執務が忙しいとはいえ、今は少しでも休むべきクマ」

「そうだな。敷波は俺たちが運ぼう」

「すまん、迷惑かけるな」

「気にするなクマ。普段からお世話になってる恩返しクマ」

「クマの恩返しってか」

「…」

「木曾、流石に提督もフォロー出来てないクマ」

 

敷波を抱えた球磨がジト目を向けているのに苦笑して、提督は歩き出す。

わざわざ声を掛けて来てくれた球磨型の二人には感謝しなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「風邪ですね」

 

医者コスプレに身を包んだ明石は、提督の胸元に聴診器を当てつつすっぱりと言い放った。

ちなみにわずかに緊張していたりする。理由はお察し。

 

「微熱に咳、くしゃみとくればそれしかないクマ」

「検査もしましたが、この季節はインフルエンザも流行っていませんし」

「まあ、重病じゃなくて良かった」

 

後ろで腕を組んでいた二人も納得の表情である。

そんな艦娘たちを見回して、提督は感謝の言葉を口にする。

 

「二人共、わざわざありがとう。明石、処置の方は」

「漢方を出しておきますね。あと、咳の症状がひどいようですので、咳止めを」

「ああ、ありがとう」

 

明石から処方箋を受け取り、ゆっくりと立ち上がる提督。

球磨はそんな彼の行く手を阻むように立ち塞がった。

 

「どこへ行くクマ?」

「まだ何もしてないだろ。…自然な演技だったと思ったんだが」

「執務なら大淀に連絡してある。吹雪たちが代行してるぜ」

 

いつの間に、と目を見開く提督に、木曾は自信たっぷりの笑みを浮かべる。

一同のやり取りに苦笑して、明石は近くにあった冷蔵庫から飲み物の容器を取り出した。

 

「これ、特別調合のスポーツドリンクです。医務室のベッドが今使えないので、別棟の和室に布団を敷いてもらっています。提督と敷波ちゃんも、そこでお休みになっては?」

「丁度いいクマ。二人とも球磨たちが看病してやるクマ」

「そうだな。今日は暇だったんだ」

「わざわざ手を煩わせることもないさ。風邪くらいで」

「遠慮するな。俺とお前の仲だろう」

 

やけにイケメンな台詞を受け取りつつ、提督は遠慮する。

敷波はともかく、部下に時間を削らせ、気を配らせる必要もないと思ったようだ。

 

「提督、ここは素直にお世話されてはいかがですか?」

「明石」

 

迫る球磨型娘たちにたじろいでいると、明石が耳元で助け舟を出してくる。

しかしながら、その内容は彼の望んでいたものとは違っていた。

 

「球磨ちゃんたちも心配なんですよきっと」

「…そうなのか?」

「っ、ええ…」

 

思いもしなかった言葉に明石の方を向く提督。

急に近くで視線が合わさってか、明石は顔を赤くしつつも頷いた。

 

「コラーッ!なにイチャコラしてるクマ」

「し、してませんしてませんっ!」

「…ともかく、分かってくれるな?」

「あ、ああ…」

 

話の展開が読めずに、もはや抵抗する気力もなく、場の空気に引き摺られるだけの提督なのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…んぁ」

 

深く沈んでいた意識が甦って、敷波は目を開く。

未だにふわふわと浮いたような感覚が身体を支配していたが、倦怠感や痛みはない。多少は楽になったようだ。

 

(…そうだ、私、風邪引いてたんだっけ)

 

次第に天井の色がクリアになっていく中、今日一日の記憶が思い出せるようになっていく。

体調が悪くなっていたことは敷波自身分かっていたものの、一人激務に耐え続ける提督を放っておくことはできなかったのだ。

 

「そうだ、司令官が――」

 

歪んだ視界の中、不安げに自分を見つめていた彼の表情が思い返される。

こうして自分が眠りについていたということは、今も彼は職務を続けているのだろうか。

敷波は、勢いよく起き上がった。

 

「…おお、起きた、のか…けほっ」

「あっ、うん…って司令官!?」

 

なんだか至極ナチュラルに返答をしてしまったが、ふと気付いて振り返ると、そこには彼の姿が。

物凄い勢いで二度見した敷波は仰天した。

 

「うひゃああ!?」

「あ…すまん、驚いたよな。色々と訳があって…。すぐに出る」

 

よろよろと立ち上がる提督。

よく見ると見慣れないジャージ姿である。恐らく彼も同じように風邪に苦しみながら寝ていたのだろうと、敷波は察した。

 

「あ、待って司令官!」

 

咄嗟に彼の服装の裾を掴んだ敷波。

とは言いつつも、その後のことを何も考えていなかったのか、押し黙るしかなかった。

 

「ん…どうした」

 

二重瞼でゆっくり問いかける提督。

語調はいつもよりも弱く、かなり疲弊しているであろうことが分かった。

 

「…だ、大丈夫だから。司令官のことだもん。こんなこと絶対しないって分かってるから」

「そ、そうか…っ」

 

意外な形で信頼を受け取った提督。

誤解のなかったことに安心したのだろうか、全身を脱力感が襲った。

よろめいて均衡を崩したところを、敷波が慌てて支えた。

 

「って、大丈夫!?」

「あ、ああ。少し寝かせてくれ。成り行きを説明するよ」

 

朝方に比べれば、どうやら敷波の体調は回復した様子。

提督は件の説明をしたあと、球磨たちへの報告を頼んでから眠りに落ちた。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

誰もが信用に値しない。

それが彼の人生にとっての前提であった。

 

自由と独立を高らかに謳い、新文明に酔いしれた時代から百年、二百年と経つ。

個人意思を貴ぶ時代の流れに任せて、我々は内面に潜む凶暴さと愚かさを隠し切れなくなってきたようだ。

 

『…』

 

大切に守ってきたものは、跡形もなく消えてしまった。否、初めから何もなかったのかも知れない。

変わってしまった世界の中では、それは何もないことに等しいから。

 

崩れ落ち、灼けつく瓦礫と劣化した絶望の感情の中で見た、あの人の――艦娘たちの表情の、なんと純粋なことか。

 

『…っ』

 

なにも高尚なことを考えているわけではない。

ただ単純なことなのに、人は目を向けようとしない。ただ子供の絵空事と笑うばかりだ。

孤高であることを尊んだはずの人間たちは皆、孤独になっていく。

自分が一度は選んだはずの生き方に後悔し、嘆いている。

 

恐怖のあまり、他人を押しのけてまで進もうとする人の波。

押しのけられた子供は、崩壊しようとする建物の瓦礫の海に消えた。

憎しみは、嫉妬の形を取ってありもしない責任をぶつける。

 

ただ彼は呪った。病に冒され続ける人間という存在を。

自分が生きていることも無責任な気がして、信じられなくなった。

 

また彼は愛することができた。彼女らを――彼女らに殺されることすら望むくらいに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…あ、起きた?」

 

若干の息苦しさを覚えて意識を取り戻した提督。

瞼を開いてみると、すぐそばに厚着をした敷波の姿があった。

 

「…ああ、そうだ…寝ていたのか」

「なんだかうなされてたみたいだけど…すぐ治まったみたい」

「そうだったか。なんだか申し訳ない」

 

僅かに気だるい体をゆっくり起こすと、額から濡れたタオルがずれ落ちた。

 

「ん…敷波が掛けてくれたのか」

「ううん。球磨さんと木曽さんが」

「そうか…」

 

割と高熱であったことは自覚していたが、温かくなってしまったタオルを握ると、やはり無理をするものではないと思わされる。

残念ながら、簡単に休むというわけにはいかないにしても、積極的に自分を休めたり、健康に気を遣うことは大切だ。

 

「後でお礼を言わないとな。敷波はもう大丈夫なのか?」

「まだちょっと寒いけど、楽になったみたい」

 

余裕が出てきたのだろうか、敷波の表情に笑みが見られる。

お互いに無理をしていたことを知っている彼らは、安堵からか、はたまた若干の照れからか、笑い合うのだった。

 

「…お互いに、無理しすぎてたのかもな」

「うん。意地張って抱え込むより、しっかり休むことの方が大事なのかもね」

 

敷波は、天井の仄かな照明を眺めるように寝転ぶ。

熱からか顔は赤いが、意識はしっかりしているようだ。

 

「…済まんな。本来は、みんな提督職のはずなんだが」

「ううん。艦娘(あたしたち)は艦隊を組んで戦えるけど、司令官はいつも一人で戦ってる。それを手伝いたいって、思っただけだから」

「…敷波」

「あたしたち…あたしが考えて、あたしが決めたんだ。足手まといかも知れないけど、司令官を支えたいって」

 

瞳には、確かな想いが宿っていた。

恥ずかしくて、ついつい艦娘たちの言葉を代弁するように話してしまうけれど、今だけは、自分の言葉で伝えたかった。

 

寝転んだまま、仰向けでこちらを向く敷波は、確かに台詞にそぐわない格好ではあったかも知れないけれど、想いは、確かに提督に伝わったようだ。

 

「…ありがとな」

「うんっ…けほっ」

「まずは風邪を治すところからだな。しっかり寝て、また頑張ろう」

「そ、そだね…」

 

何となく、温かくなる心にどうしても照れくさくなって、布団を被って顔の半分だけを出す。

ちらり、見つからないように、敷波は提督の方を覗いた。

 

「…z」

 

日頃の疲れも溜まっていたのか、既に眠りに落ちようとしているようだ。

対照的に、既に体力も回復しつつあった敷波は、彼から目を逸らせずにいた。

布団の隙間から覗く、熱で火照った頬と、軍装の上からは見えない、恵まれた筋肉質の体躯に、ごくりと敷波の喉が鳴る。

 

「きょ、今日くらい…いいよね」

 

熱で浮かされていたせいか、はたまた心境の変化か。

夏風邪は、結果的に彼女の背中を後押ししたと言えるだろうーー。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「うーむ…これはギルティクマ」

「罪状は?」

「抜け駆け罪クマ」

「今日くらい許してやってくれないか、姉さん」

「そうクマね…ま、昔のよしみってことで、見なかったことにしてやるクマ」

 

射るような強い夏の日差しも和らいできた夕方、和室には提督のすぐそばで眠る敷波の姿があった。

球磨たちはこれが過激派にバレないように努めようと決心するとともに、抜かりなく写真を残しているのだった。

 

「二人とも無茶するところはそっくりクマ」

「なんだかんだ言って頑固だからな」

 

それが必ずしも悪い意味ではないことは、二人とも理解しているようだ。

持ってきたスイカを枕元に置いて、汗の流れる敷波の額を優しく拭く球磨。

まったく、仕方ないクマと言いつつも甲斐甲斐しく世話を焼く姉の姿に、長女らしさを再確認する木曾は苦笑している。

 

「…なんだクマ?」

「いいや。ともかく、敷波は素直になれたみたいだからな」

「釈然としないけど…そうみたいだクマね」

 

提督の腕にしっかりと抱きついた敷波は、満足げに頬を緩めて眠っている。

どうやら相当いい夢を見ているようで何よりだ。

 

そんな敷波の珍しい表情を眺めながら、球磨がポツリと呟く。

 

「…提督として、大切で大変な仕事なのはわかってるけど、やっぱり無茶はして欲しくないクマ」

 

いつも明るい姉にしては、なかなか似合わない言葉だった。

それでも、彼女の本心には変わらない。木曾は、そんな姉の言葉に静かに、強く同調して応じる。

 

「そうだな。だが、ただ言うだけじゃあ無理難題を押し付けてるのと変わらない。提督が一人で俺たちを支えてくれているように…俺たちも、俺たちなりのやり方で提督の力になろうじゃないか」

「…クマ」

 

海から、そよそよと風が吹き抜ける。

部屋は少し暑く感じられたけど、気分は爽やかだった。

 

「…それじゃ、大淀たちの様子でも見に行こうぜ。あまり騒ぐのもなんだ」

 

木曾は、提督を一瞥してそう言った。

 

「そうクマね、それじゃあスイカも持ってくクマ?」

「いや…置いておこう、しばらくしても起きてなかったら片付ければいいさ」

 

日も既に水平線の下に消えようとしている。

夕食の時間には間に合わないと考えたのだろうか、木曾は姉にそう促して、部屋を去っていった。

 

 

(…バレてたか)

 

艦隊随一の武闘派である木曾のことだ。恐らく自分が目を覚まして会話を聞いていたことくらい気付いていたのかもしれないと、提督は悟った。

その証拠に、わざと残されたスイカを眺める。

 

「…全く、艦娘たち(みんな)には助けられてばっかりだな」

 

男としての、なけなしのプライドが悲鳴をあげている。

ただ、今自分に出来ることはといえば、このスイカを食べて水分補給をし、またよく眠る。そして、明日からの執務に、全力で挑んでいくことくらいなのだろう。

 

「むにゃ…えへへ…司令官…。」

「…?」

 

何やら自分の夢を見ているのだろうか、それにしては愉快な夢のようで、どんな醜態を晒しているのか不安になる提督。

 

「スイカ、食べるかな…」

 

夏の夕凪の時間帯。

熱く乾いた空気が、部屋の古い扇風機に流されて頬を撫でる。

額を滑る汗を拭って、窓の外を眺めると、眩い橙の閃光が飛び込んでくる。

 

「…ふにゃ?」

「おっ、起きたか敷波」

「あっ、司令k…ってこ、これはそそその…!」

「元気そうだな。球磨たちが持ってきてくれたスイカ、食べれるか」

「えっスイカ!?って、そうじゃなくてぇぇ!」

 

日は沈み、次第に風が流れ出してくる。

窓辺の風鈴が、二人の(騒々しい)会話をよそにちりん、と鳴った。




気長に更新をお待ち頂ければ幸いです。


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第四十七話 夏めく思い

夏が近づいてますね。夏回連続ですが、こちらは5月初旬くらいのお話。


「…あぁ」

 

望月は、そうやって意味のない声を力なく発した。五月、初夏の快晴が、やたら目に刺さってきて苦しい。

 

「三日月は…そうだ、買い出しか」

 

朝早くから自分と望月たち姉妹の朝食を作り、意気揚々と出ていった彼女の姿が容易に想像できる。

つまるところ、彼女は睦月型のなかでも随一の働き者なのである。

 

「…あぁ、めんどい」

 

そんな一つ上の姉と対照的な自分。そんな自分も嫌いじゃないのだが。

それでも、なんとなく、胸がざわついた。

こんな口癖を吐いていられるのも、ここにいられるからこそであって。

 

他人への体裁を気にして、自分を捨てることは、望月が最も忌み嫌うことだった。

 

「ほんとは…もっとしゃんとしないといけないのかねぇ」

 

ベッドの上、そんなことを呟いてみる。

自分には似合わない、この季節の爽やかな風が、一瞥することもなく部屋を通り過ぎて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生憎、望月に友と呼べる存在は少ない。

いつも一緒に暮らしているのは姉妹――つまり家族に近い。数の多い駆逐艦にとって、姉妹艦以外で編成される可能性はかなり高いため、日頃から生活を共にし、絆を深めることは重要であるから、提督をはじめ、艦隊を指揮する立場にある者たちは、積極的な交流を促していた。

 

(とは言ってもねぇ…)

 

生まれてこの方、話の合う姉妹以外の艦娘と出逢ったことがないのだ。

そもそも「話すための」話をほいほいと持ってこられるほどの経験もないし、休みは外に出歩いて、何か刺激を得ている訳でもない。

趣味といえば…寝ることだろうか、とそれしか浮かんでこない。

友達甲斐がない――多分、そういうことなのだろうと望月は理解していた。

 

「…ふぅ」

 

特にこれといって、目立った性格をしている訳でもない。

激しい思いをぶつけるような意思の強さを心に秘めていることも、もちろんない。

 

望月は、両手を身体の後ろ側について、スープを掬っていた匙を置いて顔を上げた。

新装(と言ってももう5年ほど経つ)の木目が明るい陽光をたっぷりと吸い込んで輝いている。

 

「とりあえず、ぶらついてみるかぁ」

 

後になって思えば、自分はうららかな陽気にあてられて、何か、退屈心を解消し、満たしたいと思う原動力というか、そんなものが心のなかに生まれたと、そういうことなのだろうとしか表現できないのであった。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「…それでですね、望月(もっち)ったら、「私はいい」なんて部屋に戻ってしまうんです…全くもう」

「そ、そうなのか。まあ大目に見てやってくれないか」

 

提督と三日月は、鎮守府から数十キロ離れた(これでも最寄である)ショッピングモールの一階――食料品売り場を歩いていた。

三日月は運良く本日の秘書艦になっていて、数日前、要はこの施設に買い出しに来ることが決まった日にそれを告げられると、たちまちに舞い上がってしまっていた。

 

「司令官は望月(もっち)に甘すぎです!」

「そ、そうか?望月は…確かに普段は…というか日常生活では不規則な部分があるかも知れないが、演習や出撃での動きは悪くない。むしろキレがあって、無駄がない。良い働きをしてくれているよ」

「むう…」

「も、もちろんそれを支える三日月たち姉妹の存在あってこそかも知れないが」

 

慌ててフォローを挟んだが、ふくれっ面の三日月はそっぽを向いてしまったようである。

しかし、それもあまり本気ではないらしいというのが、(望月の働きに関して)小さく頷いて首肯しているので分かった。

 

「…司令官は、望月のこと、よく見ているんですね」

「まあ提督職の半分の役割だからな」

「ちなみに、もう半分は?」

「…元帥のポカミスの尻拭いだ」

「へ、へえ…」

 

顔を引き攣らせて苦笑する三日月。まさか元帥ともあろう者が、と思うかも知れないのだが、この提督は冗談を言わない。

提督は遠い目をしながらも、世に言う「てへぺろ」をして凡ミス(大規模)の報告を済ませる好々爺(本人談)の表情を思い返していた。

 

「ともかくだ。三日月もたぶん分かっているんじゃないか?望月(あの子)だって悪気があるわけじゃないさ」

「はい。でも、やっぱり姉としては、もうちょっと周りに関心を持ってほしいかなって…」

 

小さく俯いた三日月を一瞥して、提督は緩く笑みを浮かべた。彼女たち姉妹の結びつきの強さを知って、安堵のような喜びの気持が湧いてきた。

 

「大丈夫さ。不安だったら、真っすぐに声を掛けてやるといい。三日月になら、きっと望月も同じように真っすぐ言葉を返してくれるだろう」

「そうでしょうか…」

「ああ…っと」

 

野菜が陳列されている冷凍ケースに右腕を伸ばす。

本日の調理番である如月や衣笠、鈴谷の書いた買い物メモの内容を見つつ、そこにあった「白菜♡」の文字を横線で断じていく。

視界の端の三日月が思案しているのが見て取れたが、そこでもう、彼が言葉を加えることはなかった。

 

「おーい。こっちはもう揃えておいたぞ」

「少し思いけど大丈夫?長月ちゃん」

「ああ、問題ないさ」

「おう、ありがとう長月、古鷹。さあ、行こうか」

「…はいっ」

 

それは別行動していた長月や古鷹が戻ってきたからかも知れないが、提督は、なにか決意したように吹っ切れた三日月の表情をしっかりと捉えていた。

前をしっかりと見据えた三日月は、力強く頷いたのであった。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「…ほー、凄いもんだねぇ」

 

あてもなく鎮守府を歩き回ることでこの非番の休日を過ごすことを決めた望月は、晴天の下に足を踏み出していた。

ちなみに今は演習海域に面する母港にいて、双眼鏡でその模様を観察している。

 

「あれは…うん、弥生か。あっちは…えー…あのメガネっ子は…誰だっけ」

 

姉妹のことがすぐに見つけられるのに、それ以外は全く見分けがつかない…というか、名前が浮かんでこないというのは、もはや艦隊では致命的だというような気もする。

もちろん、作戦行動時はちゃんと覚えているので問題ない。問題は、それが終わってしまったらすっかり忘れてしまうことなのだが…。

 

「うお…なんだ今の回避」

 

やけにアクロバティックな回避術を見せるそのメガネっ子。

弥生も一緒になって、艦隊はそのまま増速、勇ましく海を駆け、敵艦隊への距離を詰めていく。

 

「陸から見るとこんな感じなんだな…」

 

一大海戦と化している演習風景を眺めつつ、感嘆の声を漏らしている望月の背後に、艦娘が二人、おそるおそる近づいていた。

 

「あ、あのぉ…」

「!?」

「わあっ!?」

 

全く気配を感じなかった背後から声を掛けられたためか、驚きのあまり双眼鏡から覗いたまま振り向いてしまった。

 

「…」

「え、えっと…どうしましょう、暁ちゃん」

「わ、分かんないわよ!」

 

異質でしかない目の前の光景を前にして、気弱な二人はすっかり慌てふためいてしまっている。

一方望月はといえば、この状況にどこから対処していけばいいのか、持ち前の(碌にない)経験を生かせずに思考停止していた。

 

「…も、望月ちゃん…よね?」

「…うん」

「そ、そこで何やってるのよ?」

「…」

「…え、な、なんで黙ってるの!?私なにか間違えたかしら狭霧!?」

「と、特には思い至りませんが…」

 

相変わらずわちゃわちゃしている二人組。お互いの呼称を聞いている限り、この二人――言葉の態度が大きい少女が「暁」、自信のなさそうな銀髪の少女が「狭霧」なのであろう。

仲が良いことが伝わってきて、独りで海を眺めていた自分と比べるとなんだか虚しい気持になってしまう。

 

「…私は望月だけど。どうしたん」

「あっ、やっぱりそうなのね」

「あ、あの、演習…天霧さんたちの演習を見ていらしたんですよね」

 

仕方なく(照れくささを押し殺して)双眼鏡を下げて応じると、暁と狭霧は、どこか安心した表情でそう言った。

愛想よくしなきゃ、なんて考えていると日が暮れてしまうので、ここは仕方なく、いつものぶっきらぼうな口調で返してしまう。

 

「あー…うん。暇だったから。弥生もいたし」

「あっ、今私の姉…天霧さんも演習なんです。同じ艦隊なんですね」

「私の妹もいるのよ!雷…今、旗艦やってる子!」

 

二人によれば、どうやらここに来ていた目的は同じらしいとのこと。

「隣、よろしいですか?」と言われてしまえば断れない。海を向いて左から狭霧、暁、望月というような順に腰を下ろしている。

 

「休みの日は何してるの?」

「へっ?」

 

ああ、何だか姉妹以外の艦娘が横に座っているのは珍しいな、なんて思っていると、隣の暁がひょこっと顔を覗かせた。

望月の右には誰もいない。つまり、暁の素朴な問いは、自分に向けられたものだということを悟る。

 

「わ、私は…うーん…いつも姉妹といるけど、何してるって言われると特にはないかも」

「そうなの?」

「でも、姉妹(みんな)で一緒にいられるだけで楽しいものですよね。暁さんも、ヴェルさんたちといる時、とっても楽しそうですし」

「ま、まあ暁はお姉ちゃんだし、ね」

 

内心では恥ずかしいのか、顔を真っ赤にしている暁。狭霧が「うふふ」と小さく笑っている。

そんな二人を眺めて、思わず頬を緩ませつつ、望月は彼女たちを羨ましく思った。そして、純粋に疑問に思った。

 

「…二人は、いつから友達になったんだ?」

「と、突然ね」

「友達になる…というのがいつからと決めることは出来ませんが…去年の夏に私が着任しましたから、そこからの話になりますね」

「私たちは第十駆逐隊でも一緒だったから、私が教導役に任命されて、そこから仲良くなったのよ」

「なるほどねぇ」

 

遠く、砲撃の力強い音が海風に乗って耳に届く。

過去の縁が今でも続いていることは、素直に驚くべきことだろう。ついつい良いなぁ、なんて思ってしまったが。

 

「望月さんもそういう方がいるのでは?」

「んー…あの時も卯月とか三日月とばっかだったからねー。私、南方輸送にかかりっきりで」

「そうなんですか…」

「ま、そう戦いばかりなのもね」

 

暁は幼い体躯に似合わないそんな台詞を口にしたところで、沈黙が訪れる。なんだか悪い気はしなかった。

三人は、それぞれに思いを抱えたまま、海の向こうを眺めていた。

 

(そっか、こんな感じでいいのか…)

 

目を瞑って、この静寂を五感と全身で味わう。

身体は宙に浮くように軽く、通り過ぎていく涼風は長い髪を透って、心が安らいでいく。

話すことがなければ、話したくなければ、何も語る必要などなかった。

お互いがお互いのありのままを受け入れる、そんな関係が、彼女が心のどこかで、密かに求めていた「仲間」であることを、望月はようやく悟ったようだった。

 

「あら、こんなところでどうしたの三人で」

「三人とも見事な体育座りだな…」

「あっ、鳥海さんに武蔵さん」

 

なんだか不思議な光景に困惑している鳥海と武蔵が声を掛けてきた。

三人でいると、こんなにも輪が広がっていくのかと望月は密かに驚いている。

 

「暁に狭霧、望月か。珍しい組み合わせだな」

「姉妹の演習風景を見に来たら、ちょうど鉢合わせたのよ」

「なるほど…って、そう言えば高雄型(うち)も摩耶が…」

「大和もだ。確か旗艦に任じられたと舞い上がっていた」

「ま、舞い上がるんですね、あの大和さんでも…」

「勿論だ。特に、提督のことになるとな」

「摩耶もなんですよ。本人は隠しているつもりなんでしょうけど」

 

どうやらそれぞれの姉妹が、海の向こうの演習艦隊に属しているらしい。妙な偶然もあるものだと、望月はなぜか苦笑してしまう。

 

「望月の姉妹からは誰だ?」

「弥生…です。今朝から張り切ってて」

「ふふ、あの弥生ちゃんでも、やっぱりそうなるのね」

「…あっ!」

 

ふと、暁が何かに気付いたように声を漏らした。少し大きかったからか、狭霧の肩がビクッと跳ねた。

 

「び、びっくりしました」

「ご、ごめん…」

「どうしたんだ?」

「三人とも、メガネ掛けてる」

「…それだけかよ」

「…ふふ」

「くくっ…!た、確かにそうだな」

 

脈絡のない唐突な暁の発見と、少し天然な狭霧の驚きよう、そして冷静な望月のツッコミが武蔵のツボを直撃したようだ。身体を捩じって笑いを堪えている。

同じように笑い声を漏らす鳥海に、暁は「も、もう!笑わないでよぉ!」と顔を真っ赤にしている。

 

「そ、そういえば天霧さんも掛けています。メガネ」

「天霧か。奴はなかなか骨のあるやつだ。私の立てたトレーニングも、4分の1はこなせているしな」

「いつもお世話になっています」

「何、良い刺激になっているよ。今度は狭霧もどうだ」

「え、遠慮しておきます…神通さんたちの教導もありますし」

「駆逐艦に武蔵さんのトレーニングは無理よ…」

 

それほどまでに想像を絶するのだろうか、暁と狭霧が遠い目をしているので、望月はなんとなく察して口を噤んだ。

 

「っていうか、メガネの子ってアクティブな子が多いわよね…なんとなくだけど」

「そ、そうかしら…私は、あんまりそんな自覚がないけれど」

「…鳥海さんも、夜戦は凄いですよね」

「ああ。この武蔵を凌く火力を出すときもある」

「そ、そんな私なんて…!」

 

そう本人は謙遜しているが、夜戦で怒涛のような主砲連撃を放ち、有無を言わせず魚雷片手に突撃を行う鳥海の雄姿を駆逐艦たちは忘れていない。

全く、艦というものは陸と海、昼と夜でその姿を大きく変えるものである。

 

「そ、それなら望月ちゃんはどうかしら?」

「あっ」

「…武蔵さんのトレーニング、やってみようかな」

「「えええ!?」」

 

仰天のあまり声が裏返る第十駆逐隊(漣除く)。すぐさま望月を諫めようとする二人に、武蔵と鳥海は顔を見合わせて笑うのであった。

 

「個性がバラバラだが…案外面白い組み合わせになるかもしれんな」

「そうですね。息もぴったりですし」

「そ、そうでしょうか?」

「なんだか面白そうね!今度水雷戦隊を組んでみましょうよ!」

「えー…」

 

思わず素が出てしまう望月に、暁と狭霧が今にも泣きそうな顔を見せてくる。

 

「…ダメ?」

「駄目、でしょうか…」

「わ、分かったってば…」

「「やったぁ!」」

「ふふ。名駆逐隊の結成だな」

「ええ」

 

わいわいと盛り上がる駆逐艦たちと、そんな彼女らの様子を見守る武蔵と鳥海。

そよ風が、5人の側を通り過ぎていく。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「…あら?」

 

そのまま昼食をショッピングモールで済ませ、国道をひた走って帰投した提督と三日月たち。同行のお礼として四人でアイスを食べたのは内緒だ。

提督の運転していた買い出し用のライトバンから降りた三日月は、母港から聞こえてくる喧噪に耳を向けた。

 

「もう演習が終わっているのかもな。食料も如月たちに預けたし、行ってみるか」

「はい」

 

駐車スペースから少し海側へ歩くと、母港と桟橋が見えてくる。

そこに三日月は、暁や鳥海と会話に花を咲かせる妹――望月を見つけた。

 

「…司令官、やっぱり、司令官の言う通りだったみたいです」

「ああ。大丈夫さ。望月も、彼女なりに考えて成長を続けているんだ」

「…でも、少し寂しい気もします」

「そうなのかもな。姉としては」

 

勝手な話なのですが、と付け加える三日月の頭に軽く手を置いて、提督は笑った。

 

「その時は、目一杯望月に構ってやれ。迷惑がられるくらいにな」

「え…」

 

髪を撫でられたことにも驚いたが、彼の言葉の中身が気になって振り返ると、彼の少し寂しそうな笑顔が、そこにはあった。

遠い昔、兄や姉を亡くした彼にとって、それが艦娘たちへの大きな願いであることを、三日月は瞬時に悟ったのだ。

 

「…ええ。そうですね」

 

陽光降り注ぐ初夏の季節。

楽しそうに話す妹の姿に、三日月は一つの喜びと、そして一つの決意を胸に抱くのであった。

 

 

 

 

 




夏めく、というのは初夏の季語だそうです。
毎日暑いですが、健康に気を配り、元気を出して頑張りましょう(自戒)。


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第四十八話 旅路

──────舞鶴第一鎮守府、食堂

 

「今日もお疲れ様。楽な状態でいい。少し聞いてくれるか」

一週間も終わりを迎えようとしている金曜日、夕食の時間帯には、多くの艦娘が集まっている。

普段は基本的に自由な生活スタイルを取っている舞鶴第一鎮守府であるが、金曜日の夕食は提督が頻繁に食べに来ることもあって、艦娘たちが自然に集まっている。

その場にいる艦娘たちに呼びかけるようにして提督は言った。

 

「ちょうど来週の金曜日から二泊三日、呉での会議の為に鎮守府を空ける。その件はすでに伝えてあったと思うんだが」

「聞き及んでいます。大淀さん・長門さんが提督代理だとか」

 

近くにいた不知火が反応する。

 

「うん、それでなんだが…どうやら秘書艦、護衛艦が必要となるそうだ。したがって休日勤務を募集する。もちろん、報酬の他に交通費、宿泊代も出すぞ」

 

その言葉を切っ掛けに、いったい何度目か分からない鎮守府バトルロワイヤルが繰り広げられるのだが、それはまた別の話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさかあんなに人気が出るとは」

「当然だよ。そろそろ提督も、皆からの好意がどれくらいになっているか考えた方がいいさ」

 

舞鶴を出発するバス車中の最後尾、時雨は嘆息しながらも苦笑した。

 

「好意?むしろ報酬目当てなんじゃないのか」

「…提督さんもなかなかのニブチンっぽい」

 

隣で夕立が呆れている。割とガチだ。

 

「いやあ、最初は誰も手を挙げてくれないかと思って心配だったんだ」

「そんな訳ないよ。あの惨状を見てよくそんなことが言えたね」

 

時雨が半ば責めるような物言いになっていて狼狽える提督。

 

「まぁ、提督らしいっぽい?」

 

結局行けることになったし、結果オーライねと付け加えて夕立ははにかんだ。

 

「でも、どうして僕たちを選んだんだい?」

「あー、夕立も気になるっぽい!」

 

両側から詰め寄られると、白露型のエースの圧を感じずにはいられない。

 

「ああ、それはアレだ。二人とも、この間の出撃で練度が90を超えたからな。せっかく希望してくれているんだったら、そのお祝いを兼ねようと思っていたんだ」

「し、知ってたのかい」

「ゆ、夕立感激っぽいぃ!」

「艦隊のことに関しては誰よりも詳しい自信があるさ。いつもありがとうな」

 

鞄から取り出したプレゼントの包みを二人に渡す。

 

「あ、ありがとう···開けていいかい?」

「ああ。荷物になるかと思ったが、移動中も使えるからな」

「移動中も?」

 

夕立は不思議そうな顔で、包を開けていく。

 

「こ、これ、ストール…しかも白露型の制服柄だ」

「本当!?素敵っぽい!」

「ちゃんと戦闘でも破れないようにしてある。まあ普段使いがあるから、外出するときにでも使ってくれ」

 

少し恥ずかしいのか、頬を掻いて言う提督に、二人は微笑む。

 

「うん…大切にするよ」

「これからもよろしくお願いしますっぽい!」

 

なんだか湿っぽい空気になってしまったため、閑話休題。

 

 

────────────────────────────────────────

 

 

「おおー…これが駅弁なんだね」

 

京都駅に着いた一行は、旅券を買い求め、新幹線の待ち時間の間に土産物等のコーナーに立ち寄った。

 

「ああ。色んなものがあるぞ。時間も余裕があるし、じっくり選べ」

 

駅弁の種類に目を輝かせた時雨が、無心にディスプレイを覗き込んでいる。

 

「ふうー、お待たせしましたーってそれ何っぽい?」

「夕食用の駅弁さ。夕立も好きなのとってきてくれ」

「すっごーい!おいしそうっぽい!どれにしようかしら」

 

興味津々な様子の二人が駅弁にくぎ付けになっている様は、なんだか和んでしまう。

 

「今日は出撃もあったし、腹減ってるだろう。多めに買って行ったらどうだ?」

 

勿論残すのはだめだけどな、と加えると、彼女らは更に目を輝かせた。

 

「い、いいのかい」

「ああ、着いてきてもらったお礼だ」

「やったぁ!」

 

跳ね回る夕立を落ち着かせつつも、提督は、この小旅行にどことなく楽しさを覚えつつあった。

そうこうしているうちに新幹線の発車時刻が近くなったため、ホームへと移動する一行。

しばらくすると、轟音を響かせながら長い車両の新幹線が入ってくる。

 

「うおおおー!」

「ど、どうしたんだい夕立」

「なんか…燃えるっぽい!かっこいいっぽい!」

「夕立は新幹線が好きなのか?」

「なんていうか、こういうおっきいのがすごいっぽい」

「語彙力ないなぁ…」

 

時雨の冷たい目線をもろともせず、夕立ははしゃぎ続ける。

ゆっくりと速度を落とし、到着した新幹線の扉が開く。興奮冷めやらぬ夕立の頭を撫でて宥める提督。

 

「よし、席に座ろう」

「うん」

「ぽーいっ」

 

車内は余裕のある完全指定席、所謂“グリーン”のため、乗客はまばらであった。

 

「席は二人ずつだから、向かい合わせにしようか。いいよね?提督」

「いいぞ。人も少ないし、もう一人分の席も埋まらないから、荷物おきにしよう」

「すっごーい。ふかふかっぽい」

 

先に座席に座った夕立と目が合う時雨。

この間わずか0.3秒、瞬時に白露型の意思疎通がなされた。

 

(今日はプレゼントももらったし、おべんともあるし···無益な諍いは避けるっぽい)

(ああ。それが賢明だろうね。提督に見苦しいところを見せる訳にもいかないよ)

光の速さで固く合意と握手を果たした姉妹は仲良く隣り合わせで座る白露型二人。

 

「僕らは一緒に座るよ」

「仲よしっぽい」

「? おう。それじゃ、もういい時間だし、早速だが駅弁食べるか」

 

不思議に思いながらも、悩みに悩んだ駅弁の袋を取り出す提督なのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ、提督が戻ってきたみたいだ」

「ぽいっ!」

 

呉鎮守府別棟、応接室で世間話をしていた時雨たちは、廊下の奥に提督の姿を認めた。

しかしながら、どうやら他にも彼の隣にいるようである。

 

「待たせてしまってすまない。今日の会議はここまでだ」

「気にしないで。それより、後ろの方たちは?」

「ぽい、うちの鎮守府にも着任してるっぽい、浦風ちゃん」

 

提督を宿泊施設に案内していたのは、呉第一鎮守府の提督と、その秘書艦である浦風であった。

 

「こんにちは。今日はぶち遠くからよう来たねぇ。今日と明日、案内役させてもらう浦風じゃ。よろしゅうね」

「ほんでもって俺がこいつの上司…呉第一の提督、丹羽(にわ) 清彦(きよひこ)だ。よろしくな」

 

東雲提督の肩を掴んだこの男性は、どうやら呉のトップということらしい。

いつも東雲提督を見慣れているせいか、丹羽の豪放磊落な性格、そしてなによりその山のような筋骨隆々っぷりを、時雨と夕立は物珍しそうな目線で見つめた。

 

「よ…よろしく、僕は時雨」

「ゆ、夕立です…っぽい」

「あらあら、二人とも緊張しとるけぇ」

「お、驚かすつもりはなかっんだがな」

 

「み、見た目はこんなんやけど」と慌てて二人のフォローに回った浦風の後ろで、提督同士の会話が始まる。

 

「おいおい、お前のとこの艦娘は気が小せえのか」

「夕立は単騎で空母棲姫に挑むような子ですし、時雨はその艦載機爆撃を抜け切って魚雷を突っ込むような子ですよ」

 

遠い目をした提督は、丸太のような腕を組む丹羽を一瞥して、それから苦笑した。

自分も初対面ではかなり気圧されていた記憶が甦る。

 

「もう、毎回こんな説明繰り返すのも飽きたわぁ」

「許せ。これも秘書艦の務めってこたぁな」

「…」

 

浦風が呆れからか黙る。

一方、夕立と時雨は、そんな二人の会話にどこか似たようなものを感じていた。

 

「そ、そういえば、二人はかなり仲が良いみたいだけど、付き合いは長いのかい?」

「提督さんと由良みたいっぽい」

「そう言えば言うてへんかったねえ。私とキヨは幼馴染。だから、私は純正の艦娘じゃないんよ」

「そ、そうなのかい!?」

「まさしく由良のことっぽい!」

 

浦風はそう言うと、ちらりと丹羽の方を見て、えへへと笑う。

その姿は、夕立の呟いた通り由良と提督の会話そっくりなのであった。

 

「由良っつーと…ああ、東雲の彼女か」

「彼女じゃなく部下ですよ…。時間は掛かりましたが、ようやく配属ということになって」

 

“彼女”という単語にぴくっと耳が反応する白露型であったが、提督がすぐさま否定して胸を撫で下ろす。

 

「ほーん…ま、そういうことならウチと事情は似てるな」

「海咲ちゃん艦娘になれたんやねぇ。嬉しいわぁ」

 

尚も懐疑的な目線を提督に浴びせる丹羽であったが、夕立らが続きを気にしているようなので話を元にもどす。

 

「浦風…本名は鴉越(あごし) (あおい)っつうんだが…、こいつと俺は家が海軍将校の家系でな。昔からの知り合いなんだわ」

「へえ…じゃあ、それも提督と一緒なのかい?」

「俺の父親はその代限りだ。昔、丹羽さんの上司だったそうでね」

至誠(しせい)さんは俺たちの教育係だったな」

「よく叱られたわぁ」

 

しみじみ過去の思い出を語る浦風。

そんな彼女を、夕立がじっと不思議そうに覗き込んでいる。

 

「…ど、どうしたん?夕立ちゃん」

「それじゃ、浦風は丹羽提督と同い年…?」

「そ、そうか…」

「ああ、そうだな。今年で確か――」

「わぁぁぁ!!こ、これでこの話は終わりじゃ!!」

 

艦娘の外見は、その主体となる人間が艤装を身に纏い、承認された瞬間に固定化される。

つまり、艤装が主体を解放しない限り、由良や浦風は年を取らないともいえるのである。

うっかり実年齢を公開されそうになった浦風が、慌てて話を遮る。

 

「うおっ…何だ何だ」

「何だ、じゃないけえ!」

「別にいいじゃねえか年くらい。どうせ東雲より年上なのはバレてるんだからよ」

「そ、それでもっ!」

 

(僕も、提督と幼馴染だったらな…)

(由良みたいに、もっと近くで提督さんとお話ししたいっぽい)

 

幼馴染らしい距離感の近いやりとり。

時雨や夕立は、その様子をどこか羨ましげな表情で見つめていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…反転現象?」

「ああ、最もそれはまだ仮の名前だが」

 

時間は既に深夜。浦風や夕立、時雨は既に報告書を書き上げて眠っている。

丹羽は、彼女らと同じように用意された私室へ向かおうとしていた途中の提督に声を掛けた。

 

「約五十日前だ。佐世保を発した六隻艦隊のうち、飛鷹が南西諸島沖で撃沈された」

「…ええ、報告にはありました」

「そして今日、同じく南西諸島沖で突如深海棲艦の兵力展開が見られた。改ヌ級、軽空母を基幹とする任務部隊だ」

「…っ」

「まあ、お前の言いたいことも分かる。これだけならただの偶然とも捉えられる。…だがな」

 

一度そこで言葉を切った丹羽は、おもむろに懐の内を探り、一筋の紐を取り出した。

 

「…それは」

「お前んとこにも『飛鷹』はいるだろうが…そうだ、奴の標準軍装の髪留めだ」

 

彼としては珍しく持ち合わせていたハンカチで、煤に汚れほつれそうな糸を優しく扱う。

情熱に溢れ、そして誰よりも艦娘たちを大事にする司令官だと、そういう風に丹羽のことを提督は認識していた。

 

「対になっていたうちの一つが、戦闘後の水面に残っていたらしい。奴の妹…隼鷹は、佐世保の野郎に一つの恨み言も言わずにこれを手渡したんだと」

「佐世保の彼は、決して近海でも油断するような提督ではなかったはずです」

「だからこそだろう。アイツを心から信用しているからこそ、もう突き詰められるのは自分たちの責任だけだと、そう思ったんだろう」

 

提督と艦娘の間には、決して無視できない「壁」が存在することは確かだ。

それは人間と兵器、という部分でもあるし、上司と部下、そして提督によっては、男と女という意味でもあった。

現に自分自身、未だに飛鷹の撃沈を受け止められないでいる。しかし、艦隊を統率する立場にある者として、もう次の瞬間、夕立たちと接する時には、割り切っていかなければならない。

逆に、艦娘たちからすればそうはいかない。艦隊にぽっかりと空いた穴に、隼鷹たちはどう向き合っていくのだろうか、それは想像もつかない。

 

「恐らくこの件に関しても艦娘たちと俺等の間で捉え方に大きな差が出る。艦娘たちへの報告は時間を置いてからだ」

「はい」

 

静かに、そして鋭い眼差しが、思いの丈をじっと眼前のそれへ伝えている。間違いなく、彼なりの鎮魂であった。

 

「…しかし、なぜその髪結びが丹羽さんの元へ?」

「ああ。寧ろ本題はそこだ。…っと、これか」

 

薄い金属ケースが取り出される。電子制御式なのか、表面が暗号入力によって内部まで可視化された。

 

「紅い…」

 

先程見た結び紐が、濃い赤に染まっていた。もはや、狂気すら感じさせる程に。

迫り来、浸透する恐怖と脅威に、提督は二の句が継げなかった。

 

「接触すら禁止されている。あまり眺め続けるのも身体に良くないだろう」

「ええ…こ、これは一体」

 

提督が問うと、丹羽は少し逡巡して、そして語気を強く言い放った。

 

「飛鷹の沈没地点、そして今日の敵艦隊の展開水域でこれが見つかった」

「そ、それでは」

「ああ。間違いなく、飛鷹…そしてヌ級改の『共通項』、元は飛鷹の髪留めの片割れだったものがヌ級に引き継がれていた可能性は高い」

「何てことだ…」

 

思わず口にしてしまっていた。

それほどまでに、遥か遠洋で起きた出来事は、提督の心境に少なからず影響を与えていた。

 

「過去にも駆逐棲姫と春雨、軽巡棲姫と那珂、阿賀野など深海棲艦と艦娘のつながりは指摘されてきたが、やはり今回の件を鑑みて、本営も調査に乗り出すらしい」

 

丹羽は金属ケースをまた懐に仕舞うと、小さな溜め息をついた。

側に置いたカップの中のコーヒーの液面が、微かに波打っている。

 

「考えたくもありませんが…それでは私たちは、かつての仲間を」

「ああ。反転現象の仮説が正しいなら、尚更な」

 

信じたくなかった。

もし、神に誓ってそのようなことがないとしても、何かの間違いで夕立や時雨が沈んだ後のことを考えると、身体が震えてくる。

元の鎮守府で熊野が看取った鈴谷は、今、重巡棲姫となって艦娘を沈めているのだろうか。

もしくは、自分が指揮した誰かに沈められているのだろうか――

 

「…っ」

「お前ンとこもウチも、まだ轟沈はない。だから隼鷹たちの気持ちは分からん。わかっちゃあ、いけない気がする」

「…はい」

「しかし――あいつらは、艦娘たちは自分の存在について、考えたことがあるもんなのかね」

 

丹羽は、提督を一瞥して、それから煙草の先に火をつける。

一回り年の離れた弟のような存在、そしてかつての恩師の息子。

そんな彼を、艦娘たちと同様、絶対に守り抜かねばなければならないと、密かに心に誓っていた。

 

「…お前、まだ『例の任務』は手をつけてないのか」

「え、ええ」

「そうか…」

 

椅子を軽く引いて、天井を仰ぐ。煙が薄く細く、高い木目に吸われていくようだった。

 

「俺はな、『渡す』ことに決めたぞ」

「ほ、本当ですか!?」

「ああ」

 

小さく呟かれたその決意は、重く提督の胸に響く。

彼の思いの強さが、純白に彩られた桐の小箱に込められているように感じられた。

 

「お相手は、もちろん」

「勿論ってなんだよ…」

 

確認するように慎重に言う提督に苦笑する丹羽。

桐箱を開け、現れた指輪を掌で包んで、愛しそうに見つめる。

 

「まあ、相手はアイツしかいなかったんだがな」

「…きっと、葵さんも喜ぶと思います」

「そうかぁ?また冗談じゃろ?なんて誤魔化される気もするが」

 

おどけて言う丹羽だったが、「いや、」と言葉を置いて、提督に視線をぶつけた。

彼の情熱、決意が全て秘められたような視線だった。

 

「俺は…絶対に沈めない。その証明になるために、これをアイツに渡すつもりだ」

「…」

「焦らなくてもいい。だが、聞いておきたい。お前は、どうする」

「俺は…」

 

ほのかな灯りの照らす提督のシルエットが、微かに揺らぐ。

提督は、丹羽により提示された目の前の問に対し、ゆっくりと口を開くのだった。

 

 

 




指 輪 は 誰 の 手 に


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第四十九話 背中合わせ

前回の続きではありません。
ストーリーが一気に進んでしまうことになるので、別時系列という形で投稿させて頂きました。
今回は第三水雷戦隊旗艦、川内さんとのお話。


「う…ん」

 

朝、ふと目が覚める。

私は寝覚めが悪く、冬の間なんかは布団にこもりっきりで、よく妹に迷惑をかけてしまったりする。

――だから、『夜戦好き』なんてキャラを被ってしまったり。

 

「ふあぁ…」

 

欠伸をしながら、光差す窓辺に立って、カーテンを勢いよく開く。

瞬間、眩くも優しい春の陽光が、両目に飛び込んでくる。

 

「わっ、まぶしっ…」

 

思わず掌で光を遮ってしまうが、徐々にその明度に慣れてきた。

そして、視界を埋め尽くすのは――。

 

「きれー…」

 

満開に咲き誇る桜の木々。

今年初めての温かさに生じた春霞の白、そして冴えわたる空の蒼に、花びらの薄桃色がよく合う。

見事な光景についつい見とれていると、背後から声がする。

 

「ね、ねえ、さん…?」

「ん、おおー。神通、おはよー」

 

窓から視線を戻し、声がした方へ向き直る。

まだほんのり薄暗い部屋の中、我が妹、神通はまるで信じられないものを見るように、パジャマ姿で私を見つめていた。

 

「どした?」

「ね、姉さんこそ!この時間に起きるなんて、一体何が…!?はっ、て、敵襲ですか!?」

「…」

 

本当に敵襲ならきっと、神通も気付いているのだろう。だって戦闘狂だし。

そんな彼女が慌てるくらい、私がこの時間に起きているのは珍しいものなのだろうか。

 

「…ま、まさか寝ぼけているのですか?」

「寝ぼけてないっ!…てか、もう八時半じゃんっ。別に早起きじゃないじゃん」

「そ、そうなんですか…?」

 

早起きなんて思ってしまう自分にもツッコミを入れる。これでは自他ともに認める夜戦バカが爆誕してしまう。

 

「と、ともかくだ。今日はちゃんと起きたの。ほら、那珂起こして朝ごはんいこう」

「は、はいっ」

 

神通は思わず出撃前と同じ敬礼をして、那珂を起こしに行くのだった。

…やっぱ、明日からも早起きしよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…おっ」

 

提督は、間宮から受け取った膳を運びながら、この時間帯には珍しい艦娘の姿を認めた。

 

「あーっ!提督だー」

「おはよう那珂。隣いいか?」

「もっちろん!」

 

自分を指差した那珂に誘われて、その隣席に腰を下ろす。

そして、先程から気になっている艦娘に声を掛けることにした。

 

「川内もおはよう。珍しいな」

「おはよ…って、提督もそれ?」

「だってぇ、川内ちゃんが起きてるの珍しいんだもん」

 

那珂は笑いながらそう言って、トーストにかじりつく。

 

「まあ生活時間は人それぞれだからな」

「ちょ、それ私を夜起きて朝寝る人みたいに扱ってるでしょ」

 

実際、軽巡洋艦は夜間戦闘で起用されることもあるため、夜間中心の生活になってしまう場合があることも否めない。

とはいえ、川内は自主的に夜戦に向かっていく節はあるのだが…。

そんな川内の抗議の目線を感じていると、もう一人の妹が近づいてきた。

 

「あっ…提督さん、おはようございます」

「おう、神通。おはよう」

 

川内の隣に座った神通は、那珂に川内の話を促された。

 

「――という訳で」

「今朝は那珂ちゃんより早かったもんねえ。今日は出撃ないでしょ?」

「ない…けど、なんか目が覚めちゃって」

「作戦時ならともかく、姉さんが自主的に起きるなんて、珍しすぎます」

「ちょ、辛辣」

 

妹たちの言葉にたじたじな川内に、提督は助け舟を出すことにした。

 

「今日は暖かいからな。自然と身体が目覚めるのかも知れない」

「そうかも。あ、そうだ! 外の桜が凄くてさあ」

「桜?」

 

首を傾げる那珂に、神通が説明する。

 

「正門前の桜並木ですね。毎年この時期に満開になりますし」

「へえー!那珂ちゃんも見た―い!」

「那珂と神通はこの後出撃じゃなかったか?」

「そうだよ。帰ってからだね」

「ええー!それじゃ夜桜になっちゃうー!」

 

じたばたしながらも神通にジャムの付いた口元を拭われている那珂。

川内は苦笑して、「朝はこんな感じなのか」と零しているのだった。

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

朝食後、出撃に向かう神通とふくれっ面の那珂を見送って、川内は提督と廊下を歩いていた。

 

「んで、よく見たら提督もオフなんだね。軍装じゃないし」

 

ふと、川内が見慣れない提督の服装―つまり白のジャージのことであるが―について触れた。

 

「本当は着るべきなんだがな、仕事とのメリハリがつかないというのも問題だと言われてしまったよ」

 

規定上は、突然の攻勢などによって艦隊指揮を行う必要に迫られる場合を考慮し軍服の着用が認められるが、彼にこれを着せていると延々と仕事を続けてしまうので、長門たちがこれを止めさせた、とう格好だ。

 

「ふーん。まあそれでいいと思うけどね。提督、ワーカーホリック気味だし」

「どこの鎮守府もそうさ。ただでさえ人が足りてないからな」

「そうなの?」

「ああ。養成所…士官学校に通っても、その多くは留年か期限切れで放学だ。思ったよりも資質を持つ人間は少ないのかもしれない」

 

提督はそう言って窓の外を覗く。

満開の桜並木は、数年前自分がこの地に初めて足を踏み入れた頃と何も変わっていない。

 

「じゃあ提督って優秀だったんだね」

「要領は悪いが、やることはやる。そんな感じで上も情けを掛けてくれたんじゃないか?」

「謙遜するねぇ」

「事実だからな」

 

川内は、その言葉の裏にどんな意味が込められているのか、内心で悟りつつあった。

 

当時の彼のような、身寄りのない士官候補生は、言い換えれば両親や保護者などの後ろ楯のない子供である。

国からすれば対価の要らない労働力であるし、他の武官出の子供たちのように親族からの文句もない。

“同情”などと言えば聞こえはいいが、現状の仕事に苦しんでいる状況を当時の提督が想像していたにしろしていないにしろ、あの境遇にあった彼にはもはや選択の余地がなかった。

 

「…ううん、立派な人だよ、提督は」

 

川内は、眩しそうにガラス越しの桜を見つめる提督の手を取った。

 

「お、おう…?」

「ね、今日非番なんでしょ?ちょっと付き合ってよ」

 

そのまま後ろ向きに歩いて、彼の手を引く。

提督は少し驚いた顔をしていたが、川内が微笑みかけると、つられるように笑った。

 

「分かった。どこに行くんだ?」

「桜、見に行こうよ」

 

この春の日を、出来るだけこの人と過ごしたい。川内の胸中に、そんなささやかな願いが一つあった。

夜戦明けの身体の疲れなどものともせずに、光の差す方へと走り出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやぁ…やっぱりすごい眺めだね」

「ああ。5年は見ているが、毎年驚いているよ」

 

川内と、二人揃って同じように感嘆の溜息をついて話す。

鎮守府前のベンチは何年かおきに改修されているが、それでもやはり多少はガタが来ているのだろうか、腰を下ろすと軋むような音を立てた。

春風に二人、煎茶を一口飲んで、細く息を吐く。

 

「洋菓子もいいけど、日本人にはやっぱり和菓子だねぇ」

「甘さがちょうどいいな。お茶もおいしい」

 

間宮で買った団子とお茶を手元に置いて、川内と桜を仰ぐ。

暖かい陽気の中に吹く涼風が、春らしさを醸し出していた。

 

「神通と那珂にもお団子買ってもらっちゃって、ありがとね」

「出来立てを渡せないのは申し訳ない」

「んーん。間宮さんのはいつでも美味しいから、大丈夫だよ」

「それもそうだな」

 

時折少しの会話を挟みつつ、のどかな春の風景を全身で味わう。

川内も川内で、そよそよと流れる風に身を委ねてリラックスしているようだ。

上官と二人でらは休まらないのではとも思ったが、そんな彼女の様子を見て安心した。

 

「ん、んー…っはぁ、やっぱり非番はゆっくりするのが一番かも」

「そうだな。身体は大切な資本だ。しっかり休養を取ってくれ」

「りょーかい」

 

敬礼もどきでおどけた様子の川内は笑う。こちらもつられて笑ってしまうくらいの眩しさがあった。

艦娘たちにも開放的で打ち解けやすいそうで、艦隊の中心にいることが多い彼女。

夜戦好きは人を選ぶのかもしれないが、それを考慮しても愛嬌のある艦娘だと言っていいだろう。

 

「なに考えてんのさ?」

「いや。川内はよくやってくれていると思ってな」

「おだてても何も出ないよ?」

 

照れているのか、おもむろに団子を齧り始める川内。

バシバシ背中を叩かれる。結構痛いものだ。

 

「…ねえ」

「うん?」

「やっぱり提督の仕事って大変なの?」

 

ふと、川内がそんなことを訊いてきた。やはり、先程の話を気にしているのではないかと後悔する。

 

自分にとって、艦娘たちは思い出したくもない過去から、目を逸らさない心の強さをくれた存在だった。

もう向き合うことを決めた過去だ。今更この仕事についてとやかく言うつもりもないし、喪った家族のことを想っても、懐かしみこそすれ、涙を零すようなこともない。

決して薄情なわけじゃない。そういうことではなく、今ここで激情に流されてしまうことは、自分にとって破ってはならない戒律のように思えた。

 

「艦娘のみんなに比べれば、大したことはない」

「あはは、私たちと比べちゃダメでしょ」

「…?」

 

川内の言葉に、疑問を抱く。

彼女の意図していることが、まるで分からなかった。

 

「…んー、じゃあ問題です。私たちは一体何なんでしょう?」

 

きょとんとしてしまっていたのだろうか、自分の表情で疑念を感じ取った川内は、問いを投げかけてきた。

しかし、それもよく分からなかった。

答えも分からなければ、それが意図するところも、また同様に。

 

「…艦娘、ではないのか」

「いや、合ってるよ。でも、きっと答えはそうじゃないと思う」

 

「よっ、」と声を出してベンチから降りる川内。着ているパーカーの先紐がしなって跳ねた。

 

「多分、私たちは(ふね)だし人間なんだ。艦ならもっと強くて堅ければいいのに、感情がある。人間ならもっと繊細でか弱ければいいのに、提督(にんげん)の命令ひとつで海を奔って、深海棲艦(ふね)を殺す」

「…それは、艦娘本人である自分たちにこそ分かる、ということか」

「ご明察」

 

桜を見上げていた川内は、振り返ってにっと笑う。

輝く笑顔の裏に、どんな感情が秘められているのか、自分には知り得なかったし、逆にそれが何もないことの証明になるだろうと思った。

 

「提督が世の中のしがらみから私たちを守ってくれるように、私たちは提督を深海棲艦から護るよ。それがお互いにとって、一番いい協力関係だって知ってるから」

「…」

「…まあ、ちょっと冷たく聞こえるけど、そんなことはなくて。つまり言いたいことはだね」

 

川内はもう一度ベンチに腰掛けると、一気にグイっと近づいて、自分の肩を組んだ。

突然の行動に呆然としているところへ、満面の笑みのまま顔を寄せた川内が言った。

 

「私たちに背中を預けて、ってことっ」

「…川内」

 

「参ったな、こりゃ恥ずかしいや」とはにかむ川内が、今は誰より愛しく思えた。

もちろん、そこには何の邪な気持ちもない。ただ、信頼し合えることがこんなにも尊いことなのかと、感動してしまっていた。

 

「…ありがとう、川内」

「お礼なんか要らないよ。提督が頼ってくれるならね」

 

ごろん、と膝元に寝転がる川内。

人懐っこい笑顔で、「えへへ」と体を擦り寄せた。

夜戦はきっと、想像する以上に精神を磨り減らすのだろう。

もし、彼女らの心の拠り所に自分がなれたとしたら、それより嬉しいことはないと思った。

 

「あー…眠くなってきちゃった」

「寝てもいいぞ。寒くないか?」

「うん…平気、あったかいよ」

 

瞼が落ちそうな川内の額にかかる髪を、努めて優しく払いのける。

春風は少し冷たいが、川内は満足そうにしていた。

 

「そのまま撫でてくれてもいいんだよ?」

「髪が崩れるんじゃないか?」

「いーのいーの。元から崩れてるんだし」

「そ、そうか」

 

距離感の近いところがある彼女ではあるが、ここまで気を許してもらえているのは、喜ぶべきかと思う。

 

「…こんなものかな」

「あー、ありがと…気持ちいい」

 

か細い声は、髪を撫でるたびに静かな寝息へと変わっていく。

力が抜けて、彼女の身体が自然に膝へ預けられるのが分かった。

 

「川内、もう眠ったか」

「…くぅ…」

「…ありがとう、本当に」

「…ん」

 

返事が聞こえたような気がしたけれど、既に眠りに落ちている。

それが気のせいでもそうでなくても、自分にとってはどちらも等しく嬉しかった。

 

ざあっと吹いた風が、桜の花弁を舞い上げる。

ぼんやりと霞む青空が、桜色に染められていくようだった。

 

――――――――――――――――――――――――――

 

 

「…んん…?」

 

額にふと感触があって、川内は眠りから醒めた。

どうやら桜の花が舞い落ちてきたらしい。

 

「ふぁ…もう夕方近いかな」

 

まだまだ日が落ちるのは早い。

夕暮れ時とは言わずとも、あれから二、三時間ほど経ったのだと腕時計と傾いた日が語っている。

 

「あ、提督の膝枕だったんだっけ…」

 

むくり、と起き上がって提督の方を向いてみれば、彼もまた、ぐっすりと眠りに落ちてしまっていた。

昨日は自分より早く起き、そしてより遅く眠った彼。

夜戦から帰投した自分たちを誰より早く、そして誰より喜んで出迎えた彼。

そんな彼を、川内は愛おしげに見つめて微笑む。

 

「…あー、幸せだ私」

 

そっと起こさないように近づいて、髪をくしゃりと撫でる。

額の右側から覗く傷跡は、きっと誰かを守ってついたものだろうと思う。

左指にできたペンだこも、右手についた擦り傷も、きっと自分たちの為に、敢えてそれを厭わなかった結果だと思う。

川内には、その推測が事実だと断言できた。それは普段の彼を見ているから。

 

「ありがと、提督」

 

こつん、と額を合わせる。そんな意味のないことが、理由もなくやりたくなってしまった。

春という季節は恐ろしいものだと、ついつい心の中で言い訳してしまう。

 

「ん…」

「あっ、起きた?」

「ああ…そうだ、川内と一緒だったんだな」

「そーそー。提督って、寝顔可愛いんだね」

「可愛いって…もうそんなことも言えない年齢だぞ俺は」

「大丈夫、私なんて艦齢じゃあもうじき100歳だし」

「それは当たり前だ」

 

他愛もない、冗談交じりの話ができることを、こんなに嬉しく思ったことはない。そういう風に、川内は感じていた。

生まれ変わったこの艦生(じんせい)を、この人と過ごせるのなら。

それは、何より代えがたい喜びであり、彼女が最も強く望んだことであった。

 

「あはは…んじゃ、そろそろ行こうよ。神通たちも帰ってくるし。これ、間宮さんんとこに返却しないとね」

「そうだな。行くか」

「…ん」

「?」

 

先に立ち上がった提督が、彼女が隣にいないことを悟って振り返ると、片腕が伸ばされていることに気付く。

物言いたげな、そしてどこか自信たっぷりな表情で、彼女の意図するところが思い当たった。

 

「…ほら」

「えへへ。ありがとー」

 

提督は、川内の手を握って、軽く引き寄せる。

そんな彼の腕に引かれて、自身も勢いよくベンチから跳んで離れた川内は、そのまま提督の横へ着地した。

何気なく離れた二人の手。

 

「…また手、握ってね」

「川内が望むのなら、いつでも」

 

再びこの掌が重なることを、川内は願う。

彼女の願いが叶えられるよう、提督は決意を新たに誓う。

二人を包み込み、まるで激励するかのように、舞い上がった桜の花は、風とともに海の向こうへ流れ去るのだった。

 

 




川内とケッコンしました(迫真)。

UA40000、本当にありがとうございます。かなり嬉しいです。


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第五十話 ぬくもりエントロピー

陽炎型+α回。
このネタ好きです。


──────鎮守府食堂

 

「今日は急な頼みを手伝ってくれてありがとう。お礼に奢らせてくれ」

「ほんと? ラッキー!それじゃ、お言葉に甘えて···」

 

陽炎はにこにこ顔で注文口の大鯨へオーダーする。

 

「司令って、結構秘書艦の子にお昼ご馳走してること多いわよね?」

「そういえばそうかもな。いつも使わないからか、余ってくるんだ」

 

財力にものを言わせるようで少しばかり心象が良くないが、流石は提督職の給料。

どうせ使われないならと、艦娘たちの為に使うことが多い。

例えば今日は、臨時秘書の仕事を頼み込むと、快く承諾してくれた陽炎に昼を奢っている。

 

最近では何かにつけて鎮守府へ自分の給金を入れるようになっているが、その度に他の艦娘に咎められてしまう。

 

「艦娘の給金だけじゃ足りないだろう。やりくりはしてるんだが」

 

それも、艦娘たちへの対価の為だったりする。

散々艦娘達を兵器でなく人間と扱っておきながら、給料の一つも支払わないようでは、それは綺麗事と謗られても文句を言えないのである。

そう考えた提督は、着々と準備を進め、ようやく去年の夏頃に、給金制度の実現にまで漕ぎ着けた。

既に呉を始めとして、他の鎮守府にも考えが広まっているようである。

 

「いやー、そんなことないと思うけどねぇ…そうそう、秋雲とか時津風なんて無駄使いしてばっかだし」

「…そうなのか?」

 

なかなか幼い駆逐艦の艦娘たちには、給金制度は難しいようだ。

駆逐艦や軽巡洋艦たちの長女に聞き取りをして、なにかしら対策をした方がいいのだろうか、と考えてみる。

 

「まあ、駆逐艦だけに限らないけどね。赤城さんは食費、武蔵さんはトレーニング用具…」

「…ただでさえ深海棲艦との戦闘でこの国を救ってくれているんだ。こんなのでは足りないさ 」

 

そうは言ってみたものの、彼女らのお財布事情が気になって仕方がない。

遠い目をしていたら、何やら騒ぎ声が聞こえてきた。

 

「はぁー、あったかいね天津風は〜」

「ちょ、ちょっと時津風!?や、やめてってばっ」

「むー、いいじゃんいいじゃん〜。ほら、神通さんも」

「い、いいのでしょうか···あっ、本当に暖かいですね」

「な、何なのぉ〜!?」

 

「···あれは、天津風か?」

「そうみたいね」

 

どうしたのかしら、と首を傾げる陽炎。

天津風の周りには、続々と艦娘たちが集まっている。

 

「あっ、陽炎ねえにしれえ!お疲れ様です!」

「ん?雪風じゃない。出撃終わったの?」

 

何があったのか気になっていると、雪風がトレーを持って歩いてきた。

 

「はい!今日は雪風、MVPを取りました!」

「おおー。偉いじゃない」

「えへへ」

 

陽炎に髪を撫でられて、少し恥ずかしそうに笑う雪風。

なんとも姉妹らしいやり取りに、思わず頬が緩んだ。

 

「お疲れ。南西諸島派遣の水雷戦隊だな」

「はい!川内さんが夜に報告書を提出するから、待っててとおっしゃってました」

「夜っていうか…」

「深夜だなそれは…」

 

どうやら陽炎と考えていることが同じだったようだ。

まあどうせ今日も残業だし良いか、と自分を納得させていると、先程の話を思い出した。

 

「そうだ。天津風の周りに皆がいるのはどうしてなのか知ってるか?」

「はい。天津風ちゃん、船の時代の特徴を受け継いでいて、体温が高いみたいです」

「ああー…そういえばそんな話も聞いたことがあるわね」

 

提督の脳裏には、あの大戦での天津風の姿―もちろん写真ではあるが―が浮かんでいた。

 

「新型高圧缶…400℃だったか」

 

新式のボイラーの試験運用によって、天津風の蒸気温度は高い。

つまり排熱時に溜まる体温も高い、という訳だ。

 

「陽炎型の標準が350 ℃だったはずよね。艦娘…っていうか人間の身体にしてみれば、単純計算で40℃以上ってことかしら」

「40℃…温かいですね!」

 

恐らく計算の内容は雪風に伝わっていないようだが、まあ天津風は温かい、ということが分かってもらえればよい。

 

「冬場には大活躍だな」

 

最も、活きるのは本人にではないのだが。

 

(夏場は気を使ってやらないと)

 

心の中にメモをしていると、食堂がさらにざわつく。

 

「何かしら、みんな騒がし…って、うわっ!」

 

もう一度意識を外側へ向けると、前後、艦娘の塊のような者が現れた。

背中には霰、両腕には文月を抱えているのは、栄光の第一航空戦隊──────加賀である。

 

「か、加賀さんでしょうか」

 

目を丸くした雪風、陽炎と目を合わせて軽く頷くが、未だに信じられないといった表情である。

それもその筈、性格は鎮守府毎にそれぞれ違っても、あくまでも加賀はクールビューティ。

鎮守府の面白お姉さんではない。

 

「いかにも、加賀です」

 

子育て真っ盛りの主婦のような格好で加賀はそう言った。

聞こえていたのか、というような顔をして、なおも驚き気味の提督に代わって答える。

 

「おう、お疲れ。それにしても、何事だそれは」

 

胸元に抱えた文月は熟睡しており、背中にしがみついた霰はどこか満足気な笑みを浮かべていた。

 

「冬はよくあることです···あの子も」

 

困惑気味に、二水戦の面々から逃げ回る天津風を一瞥する加賀を見て、合点がいく。

 

「なるほど」

 

いつぞやの春の一件を思い出す。

 

「…ああ、加賀もだな、そういえば」

「ええ。天津風(あの子)はもう少し高いわ」

 

何気なく、彼女が差し出した掌を握ると、明らかに温度が違う。

灼熱地獄とまで呼ばれ、乗組員を苦しめたといわれる『加賀』の艦内温度。誘導煙突の採用により居住性は言わずもがなであり、それが彼女の体温にまで表れているのだろう。

 

「おお、温かいな···ってすまん、触れて良かったのか」

 

冬場でしかも体温の低めな自分の手は恐らく冷たいだろうし、そもそもよく知らない男に(以下略)申し訳なく思う。

 

「ええ…大丈夫です」

「…むう」

 

いつも通りの自虐思考の提督の傍ら、何やら不満そうな目つきをして見つめる陽炎には気付かない提督なのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…でね、全く時津風ったらもう」

「そ、そうなのか」

「…」

 

執務中の提督の膝の上には、天津風が乗っている。

提督も困惑気味ではいるが、一番納得がいかないのは隣の席に座る陽炎のようだ。

 

「んで、天津風は何やってんのよ」

「え?…だって提督が執務中に暖を取りたいって」

「…ちなみに、それは誰に言われたんだ?」

「時津風だけど…はっ!?」

 

すっくと立ちあがる天津風。見るからに慌てている。

そんな彼女に、陽炎が呆れたように言う。

 

「あんたまた騙されたの…」

「くっ…!」

 

とは言いつつ、再び提督の膝に座りなおしてしまう天津風。

妹の、本能との葛藤を感じる陽炎は思わず失笑してしまった。

 

「あ、天津風…無理しなくていいんだぞ」

「こ、こうなったら騙されついでにあなたの湯たんぽ代わりになるわよ…」

 

腕を背に回して、提督の胸へ密着する天津風。

煙突からはハート形の煙が排出されており、傍から見ると恋人たちの抱擁でしかない。

 

「ちょっとお!?」

「あ、天津風。それは少し…少しどころじゃなくマズいから…って熱っ!?」

 

胸元でもぞもぞと動く天津風は流石の体温であり、触れた肌から伝わるその熱量に驚いて筆を落としそうになる。

すると、執務室の扉が勢いよく開き、三人の駆逐艦が顔を覗かせた。

 

「…何してんの?」

「はわあ、天津風ちゃん大胆です!」

「だ、騙されてるどころじゃない…!」

 

執務室を訪れた十七駆の面々は、それぞれが驚愕と羞恥に顔を赤く染めていた。

 

「あんたたちも天津風を止めて!司令が火傷しちゃう!」

「「了解っ」」

 

若干の羨望の眼差しで飛び込んでいく陽炎型。

引き剥がした頃には提督は汗だくであり、天津風は目を回していたのだった。

 

 

───────────────────────────────────────―

 

 

「…てな訳で、時津風、何か司令に言うことは?」

「ごめんなさーい…」

 

陽炎に襟首を掴まれた時津風は、項垂れて言った。

因みに天津風はといえば、傍らのソファーで氷枕と氷嚢を溶かしながら目を回して眠っている。

 

「嘘は程々にな…ところで、時津風たちは何の用で来たんだ?」

「そういえばそうね」

「そこのむっつりツインテを探しに来たのよ」

「島風ちゃんと一緒に鬼ごっこするんです!」

 

ふと湧いた疑問に答えるのは初風と雪風。

天津風の合流により、史実編成が可能になったため、主に北方アルフォンシーノ方面の作戦を遂行しながら練度を高めている。

 

「むっつりツインテて…」

「呼び名は人それぞれだが…ともかく遊んでいたんだな。納得だ。それにしても、天津風は物凄い体温だな。いつもこんな感じなのか?」

「はいっ!寝るときは初風ちゃんと一緒に寝てます!」

「ちょ、それは言わない約束だったじゃない!」

「ほぉー、お姉ちゃん知らなかったなぁ」

「ひ、秘密にしなさいよ!?」

 

意地悪そうな笑みを浮かべる陽炎に、顔を真っ赤にして詰め寄る初風。

そんな二人の隣には、事情をよく呑み込めていない雪風と、陽炎に引っ掴まれながらもけらけら笑う時津風。

陽炎型は人数が多いが、姉妹仲は他の駆逐艦たちとも負けていないようで何よりだ。

 

「ん、んん…」

「お、起きたか天津風」

「あれ…?私、執務室で何やってたんだっけ…っ!?」

 

天津風は起き抜けに見た提督の顔で全てを思い出したのか、また顔を真っ赤にして布団に潜った。

脚をばたばたとでたらめに動かしている。

 

「…これは当分尾を引くわよ」

「ちょっと、今夜どうしてくれんのよ」

「てへぺろー」

「初風ちゃんは雪風と一緒に寝ましょう!」

 

それぞれの勝手な方向に話が進んでいくので流れが掴めない。

そんなところも陽炎型の特徴なのだろうかと、提督は提督で一人思案していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…という訳だ」

「へえ。役得やん、提督」

「それは肯定してしまっていいのか」

 

天津風たちとの一件について一通り話すと、黒潮はにやにや顔で応えた。

隣に同行している陽炎は疲れたのか、溜息をついている。

 

「ま、天津風もあれはあれで隠しきれてるつもりやねん。それに乗ったってな」

「ん、何をだ?」

「…ほんまに分かってないんか?」

 

疑念たっぷりの表情で提督の目を覗き見る黒潮だったが、「そういやこういう人やったな」と嘆息する。

陽炎も陽炎でうんざりした目線を向け、再び溜息をつく。

 

「ふ、二人とも…?」

「「はぁ…」」

 

何が起こっているのか、事態の進行が全く理解できない提督はきょとんとして陽炎型を見つめている。

 

「まあそれはそれとして、よ。天津風があんなだし、今加賀さんが大変なんじゃない?」

「確かにそうやな。食堂行ってみるか?」

「もういないんじゃないか?今日は確か非番だったと思うから、この雪だし外には出てない気がする」

 

そう言って二人を引き連れ、執務室の外へ出る。

扉を開けた途端、何やら騒ぎ声が聞こえてくる。

 

「…ん、何だこの声」

「寮室の方ね」

 

艦娘寮に接続する渡り廊下へ近づいていくにつれ、次第に大きくなる声。

一度外に出てしまうと冷たい風が三人を吹き付けた。

 

「わっ、さっむ!」

「ううう…なんだってこんなところにいるのよぉ…」

 

提督につかまりながら、苦渋の表情をして歩く陽炎たち。

間もなく、廊下の向こうから見える艦娘たちの姿が。

 

『まてぇー!!!』

『…!』

「な、何事や!」

「鬼ごっこにしては苛烈すぎるわ」

「く、来るぞ。先頭にいるのは…加賀か!?」

 

充分に近づいた距離から見える艦娘は、紛れもなく加賀。

普段からの無表情に焦りが滲んでいる。

 

「か、加賀さん!?」

「ちょちょちょ、止まらんかい!!」

 

猛然と走る足を止めない加賀は、そのままの勢いで提督たち三人へ向かう。

咄嗟に陽炎と黒潮が前に出て、提督を護るように立ち塞がった。

 

「と、止まってぇっ!」

 

最悪の事態が頭に過り、思わず目を瞑る陽炎。

提督も二人を庇うように自身に抱き寄せた。

 

「「つーかまえたっ!」」

「…え?」

 

 

────────────────────────────────────────

 

 

「…んで、群がるみんなに耐えられず、逃げ出したと」

「ええ…」

「てっきり鬼ごっこかと思って…」

 

陽炎と黒潮に提督、そして彼の背に隠れる加賀に向かって、何人かの駆逐艦と瑞鶴が正座している。

彼女らの保護者である綾波、時雨、翔鶴は、にこやかかつ凄まじい怒気を孕んだ笑顔で囲んでいた。

 

「駆逐艦はいつものことだとしても、なんで瑞鶴さんまで?」

「い、いや、なんだか羨ましくてつい…」

「“なんだか羨ましくて”?瑞鶴、どういうことかしら。お姉ちゃん怒らないから言ってみなさい?」

「ひいぃ!」

 

提督の側からは翔鶴の表情が読み取れないが、瑞鶴の怯えようを見れば一目瞭然である。

陽炎たちも苦笑の裏に戦慄を隠せないでいる。

 

(翔鶴さん怖え…)

 

事の顛末を説明すれば、文月たち同様、他の駆逐艦たちにも大人気の加賀であったが、流石に四六時中誰かに引っ付かれていたら本人が暑くてたまらない。

思わず逃げ出した彼女を追った駆逐艦プラス瑞鶴と、ガチ追いかけっこを展開していたという訳だ。

 

「ほんで、秋雲たちも瑞鶴さんと同じ理由なん?」

「わ、私は同〇誌のネタになるかなって同行してただけで…」

「は?それで止めなかったのかい?」

「ヒイィ!!」

 

時雨も時雨で、提督に表情を見せない角度で秋雲を覗く。

滅多に怒ることがない彼女だけに、本気で怒ったときの恐ろしさは推して知るべしだ。

 

「い、いいのよ…。元はといえば私が逃げ出してしまったのが悪いのだし」

「加賀さんはなにも悪くないですよ。ほらっ、卯月ちゃんに響ちゃん、初雪ちゃんも謝って」

「う、うーちゃんは文月に勧められただけで…」

「やはりソ連艦とはいえど冬の寒さは厳しい…その点加賀さんはХорошо(はらしょー)、素晴らしい」

「冬はこたつと加賀さんが居れば…大丈夫だ、問題ない」

「あ・や・ま・っ・て?」

「ごめんなさい」

「Извините」

「本当に申し訳ないと思っている」

 

三者三様に謝ったようだが、根底にあるものは、鬼神綾波に対する恐怖で一致している。

傍から見れば地獄絵図。提督を含める四人は茫然とするしかないのだった。

 

「まあまあ、皆謝っているようだし、加賀も納得しているようだし」

「ええ。綾波、時雨、翔鶴さん、その辺で勘弁してあげて」

「ビビりすぎて固まってるで…」

 

悪いことをしたときには、叱ることももちろん大切だろう。

しかしながら今回ばかりは三人への恐怖が反省心を上回っているようだった。

 

「そうですか?提督と加賀さんがそう仰るのなら」

「仕方ないね」

「分かりました。瑞鶴、後でお話ししましょうね」

「うわああああ!提督さん助けてぇ!」

「こ、個人的指導は程々にな…」

 

冬、という季節ならではの鎮守府の光景を再発見した提督。

人気者の苦労を知る一方、教育の大事さについても認識させられるのだったとさ…

 

 




気づけばもう夏なのに去年の冬書き始めた話を投稿する怠慢さに涙が出てきます。

いつもありがとうございます。


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第五十一話 快晴

本日は加古さんたちのお話。


「うーん…」

 

加古は、両手指を重ね合わせ、大きく伸びをする。

ちらり、横目に見る鎮守府の風景。

夏の光に満ち溢れる明るい正午前、夜戦明けの大義名分を引っ提げて今日は睡眠を謳歌したという訳だ。

 

「しっかし、あちーな…」

 

着慣れた大きめのルームウェアの襟元をぱたつかせる。

光る海、輝く空…と、目を引く景色は結構なのだが、それでこの蒸し暑さが解決するわけではない。

いかんせんこう暑くては感動も何もない、というのが正直なところであった。

 

「…ん」

 

そんな時、加古は廊下の向こう側に艦娘たちの集団を見つけた。

 

「いよっし、んじゃ行こ―!」

「そんなに張り切って、よくやる気が出るのね…」

「まあまあ、そう言わずに。お願いしますよ」

 

潜水艦娘、伊19に伊401、伊400と思しき艦娘が、わいわいと前方を歩いている。

良く日焼けした肌は、潜特型艦娘の特徴なのだろうかと思案した。

 

「ん…あー!加古なのね」

「ほんとだー」

「加古さん、おはようございますっ」

「うお、なんだなんだ」

 

わらわらと寄ってきた潜水艦組。

なんだか伊19に至っては救われたような輝く笑顔を浮かべているので、何か隠しているのではないかと疑ってしまう。

 

「ちょ、ちょうど良かったのね。今日は二人とも、加古に水泳を教えるのねっ」

「はあ?」

「えー、あたしイクさんに教えてもらいたかったのにー」

「人に教えるのも上達のコツなのね」

「なるほど、納得です!」

「…おいおい」

 

急展開に待ったを掛けようとする加古であるが、そこに伊19の縋るような目線が刺さる。

 

(どういうつもりだよ…)

(今日だけ付き合ってあげて欲しいのね…このモチベーションにはイク、ついていけないのね)

 

直接脳内に訴えかけてくる伊19。

なんだか良く分からないが、まあこの蒸し暑さから逃れられるので良いか、と溜息をついた。

働いたら負けというスタンスを裏切らないだろう、なんてこの暑さで生まれた謎の思考回路に従うことにする。

 

「…分かったよ、んじゃ泳ぐか」

「自分で言っといてなんだけど、そんな簡単に決めちゃって大丈夫なのね?」

「なんだそれ…まあ、これだけ暑いし良いかなって」

「す、すごい決断力です」

「んー?どゆこと?」

 

一人首を傾げる伊401をよそに、加古の即決に驚きを隠せないようであった。

しかしながら、加古の言葉は冗談でなく、本当なのである。

 

「こう暑いとだらけるからなぁ。どうせなら泳ごうかってね」

「言っとくけど、水中では寝れないのね」

「分かってらぁ!!」

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「んじゃ、はじめるよー?」

「うーい」

 

常時水着で鎮守府をうろつく潜水艦娘に対し、加古はもちろんその手の水着を持ち合わせていない。

誰が着る予定なのかは分からないが、伊400が取り出してきた予備のスク水を着用し、先にコースロープの準備をしていた教官―伊401の元へ近づく。

 

「加古さんって、泳げるの?」

「んー、まあ一応士官学校でやったからなー」

「しおんたちは邂逅艦なので分からないんですが、水上艦娘も泳がれるんですね」

「まあ海で活動する以上はねぇ」

 

背中や肩甲骨を伸ばして、準備運動。

じりじり照りつける夏の日差しも、そよ風に波打つ涼しげな水面を見ていると、期待感で気にならなくなってしまう。

 

「飛び込みとかってできる?」

「ん、まあやってみる」

「気を付けてくださいね」

 

教練の記憶を身体が覚えているか分からないが、取り敢えずやってみよう、と考えた。

キャップを被り、飛込台へ足を踏み出す。少し目線が高くなって、水のきらめきが視界を彩った。

 

「よぉし…」

「がんばれー」

 

普段は寝てばかり(本人認識済み)ではあるが、今ばかりはなんだか違う。

目に届く光の眩しさのせいだろうと言われればそうかも知れないが――。

 

身体を大きく後ろへ引いて、脚に力を込める。

後は、思うがままのタイミングで目一杯、台を蹴り出して跳ぶだけ。

加古は、自分を迎え入れようとする水面の青色をただ見つめていた。

 

(…ここっ)

 

目を大きく開いて、弧を描くイメージで曲げた両膝をバネに大きく跳び出す。

空中を舞う一瞬で、脚を上向きに、頭を下げて入水準備。

どぽん、という音とともに、小さい飛沫を立てながら加古の身体がするりと水面へ引き込まれる。

 

「おーっ」

「加古さん、上手です!」

「…っ」

 

身体が冷たい水に包まれたその瞬間、長い間沈んでいた記憶が、脳裏に蘇る。

 

閉じていた目を思い切って開けてしまえば、そこは空の青が映る、光の差す水の中。

思わず水の冷たさに驚きながらも、飛び込みの勢いを活かして進み、身体が浮き始めたら、今度は腕を動かす。一かき、また一かきと、身体の中心軸に沿って水を掴み、腰の方へ押して推進力を得る。

 

「…はっ」

 

伸ばしたままの片腕で支えた顔を水面から出して息継ぎ。

肩越しに見たプールサイドの景色は、少し歪んでいて、とても鮮やかだった。

 

「いいねー」

「その調子です!」

 

瞬間的に見える潜特型姉妹の表情。

応援に応えねばと、水の塊を掴む腕を、素早く動かして勢いに乗る。

次第に迫る向こう側の壁に気が付かないまま、加古は次の腕を水へ放りだす――。

 

「はーい、そこまで」

「んむっ」

 

――その直前に、伊401に身体で止められた。

傍から見れば、突然に視界の外から現れた彼女のお腹に飛び込んだ感じになっていた。

訳も分からず、慌てて水面から顔を出す加古。

 

「ぷはっ、な、なにごと」

「そのまま壁にぶつかるとこだったよ。やっぱりゴーグルとか要るのかなぁ」

「水中でも、正確に視えているのは潜水艦だけなのかしら」

 

加古自身、水泳にブランクがあったとはいえかなりのスピードを出していたつもりだったので、素で追いつくどころか自分に対向してくる潜水艦娘の速さに驚いていた。

そんな彼女の様子に気付かないで、ゴーグルの必要性について話す潜特型姉妹。

 

「目が慣れてないだけなのかも。まあ、その辺はスピード控えめにして気を付けるよ。ありがと」

「ううん。それにしても、加古さんって泳ぐの上手いんだね!」

「静かで綺麗な泳ぎでした。いい先生に教わったんですね」

 

「あっ、もちろん加古さんもすごいんですけど」、慌てて加える伊400に苦笑する。悪気がないのは日頃の彼女を見ていれば分かるのだ。

 

「いい先生ねぇー…どうだったかなぁ」

「え、覚えてないの?」

「もう4,5年前になるからなあ…でも体術指導の教官はみんなマジできつかった」

「スパルタだったんですね」

 

遠い夏の記憶に、目を閉じて触れようとするが、その人の表情は思い出せない。

もう二度と帰れない、なんて懐かしむようなものでもないし、そもそも今の方が楽しいから気にならない。

 

「――でも、なんでこんな気分になるかな」

「ん?なんか言った?」

「あ、いや。んじゃご指導よろしくしおい教官!」

「りょーかいっ」

「あっ、しおんも教官ですよぉ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほいっ、しおいはみかんね」

「うんっ、ありがとーございます」

「どういたしまして。ええと、しおんはカルピス、っとほれ」

「あ、ありがとうございます」

「こちらこそ。結構いい練習になったよ」

 

2時間ほど泳ぎの練習をして、息の上がった加古がリタイアする形で水泳教室は幕を下ろした。

軽く髪を乾かして、いつものセーラー服に着替えなおした一行。

 

「元々お上手でしたから、加古さん」

「あたしたち要らなかったかも」

「いえいえ、ご謙遜なさらず」

 

二人へのお礼にと買った棒アイスのソーダ味を咥えつつ、伊401の髪を留める加古。

特に髪を気にしない伊401はこうして他の誰かに髪を結んでもらうことが好きなようだ。

一番はもちろん姉とあの人。

 

「ふー…やっぱ水に入った後は涼しいね」

「でもまた汗かいてきちゃうと大変よ?」

「んじゃ娯楽室行こう。誰かいるかもよ」

「おー!」

「そうですねっ」

 

元気よく腕を突き上げる伊401と、優しく微笑む伊400。

顔を合わせて話し始めた二人を眺めながら見上げる空の快晴に、巨大な入道雲一つ。

独り占めするように、視界を埋め尽くす濃い蒼はいつかの夏を蘇らせる。

 

あの時歩いたプールサイドも、腰かけたベンチも、今ここにはない。

だから過ぎ去っていく日々を忘れ行くのも仕方がないなんて、言わないで。

いつまでもあの日を、そして今日を覚えていようと思った、

 

「おーい!」

「ん」

 

ふと声のした方を向くと、遠くに何人かの艦娘たちが見える。

陽炎の揺らめく向こう側を、三人は注意深く、目を凝らした。

 

「あれ、イクさんたちじゃない?」

「ほんとだ!おーい!」

 

手を振って近づいていくと、次第に見えていた人影が大きくなっていく。

どうやた伊19だけではなく、伊168や伊58などなど、いつもの面々が顔を揃えているようだ。

 

「あれ、加古さん?」

「おーっす。今日は潜水艦隊非番なんだな」

「しおんたちは今日も自主練?精が出るわねぇ」

「あー、えっと」

 

複雑な経緯を話そうと当惑している伊401を見て、加古と伊400が苦笑している。

 

「今日は加古さんに泳ぎをお教えしていたの」

「か、加古さんに?なんで?」

「そこのサボり先輩に聞いてみな」

「ちょっ、イクは無実なのね!」

 

焦りに焦る伊19を問い詰める潜水艦娘たちを、笑って傍観する三人。

彼女の救いを求める眼差しにやれやれと助け舟を出すのは、もう少し後の事であった。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「なるほどねぇ、イクに任されたばっかりに」

「い、イクの身にもなってほしいの~」

 

冷房の効いた娯楽室にはそれなりの数の艦娘がいたが、昼の演習の時間になるとその多くが涼しさに名残惜しそうな表情を浮かべて退出していった。

非番の潜水艦隊は特に面白い訳でもない、この時間特有のワイドショーをソファーに寝転んで眺めていた。

 

「だって、折角の非番なのに暇なんだもん」

「イムヤさんたちはどうされてたんですか?」

「あー、それならハチがモーニング食べたいっていうから」

「西舞鶴までね」

「えー、行きたかったなー」

「加古さんにアイス頂いたんだし、いいじゃない」

「私たちにもアイスちょーだいなの」

「仕事ほっぽって飯食ってたやつの台詞じゃないな…」

 

窓を通してセミの鳴く声が聞こえてくる。

眩しいばかりの光を遮ろうとカーテンを閉じると急に暗くなる娯楽室。

寝転んだ潜水艦と加古に猛烈な眠気が襲ってきた。

 

「…夏に運動とか外出した後って物凄く眠くなるでち…」

「わかるわ…」

「はっちゃん、昨日夜更かししてたから…もうダメかもです…zzz」

「あ、はっちゃんが落ちた」

 

真っ先に眠りの海に沈んだのは伊8だった。

隣の伊168の膝に横たわりながら、うとうとと目を閉じかけている。

 

「あぁ~…Weich(ゔぁいひ)…」

「なにそれ」

「ドイツ語で柔らかい、なんですって」

「なんで知ってんだよ…」

「あれ、どっか聞いたことある語尾でち」

「ふ、太ってなんかないわよ…ね?」

 

思い思いの言葉を口に出す艦娘たち。会話になっていないのが眠気の強さを感じさせる。

絶妙に調整された空調の涼しい風が、熱された身体を冷やしていく。

 

「んん…」

「ふわぁ…」

「うおぅ」

 

加古の両隣に座る潜特型姉妹が眠気に耐えられず、加古の肩に寄りかかった。

伊401に至っては頬が肩に触れて、寝息がくすぐったく伝わるほどだった。

 

「なんだかんだ二人ともかなり泳いでたもんな…」

 

すっかり乾いた姉妹の髪を撫でる。心地よさそうに身体を預ける彼女たちに、なんとなく頬が緩んだ。

加古自身、眠気を感じていたことは事実なのだが、それでも今は目を瞑る気分になれなかった。

 

「――あれ、加古?」

「!?」

 

ふと、がちゃりと開いたドアの音に驚く。

急いで後ろを振り向けば、そこには姉である古鷹の姿が。

 

「お、おう古鷹…今ちょっと」

「あれ、潜水艦の子たち…あ、みんな眠ってるのね」

 

近づいて、次第に見えてくる潜水艦たちの姿に声のボリュームを下げる古鷹。

加古は目が合うと、「頼む」と言わんばかりに頷いた。

 

「今日はこの子たちと一緒にいたのね」

「うん。水泳を教えてもらってた」

「す、水泳!?」

 

しーっ、と口の前で指を立てた加古に、古鷹が慌てて口元を押さえる。

まあ当たり前の反応か、と苦笑いして納得してしまう。

 

「話すならまた寮室かな」

「そうね…でも、離れるならこの子たちを連れて行かないと、娯楽室に来た子が困っちゃうんじゃない?」

「それもそうか…んじゃ起こすか」

「おんぶして連れて行ってあげましょう。大鯨さんも呼ぶから」

「お、おうそうか…」

 

世話好きな古鷹らしい提案である。

最近はちゃんと自分のことができているのか、妹としても心配なので、悪い男に捕まらないうちに早いところ上司にもらって頂きたいのが本音であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ…もうくたくただ」

「そっか、水泳のあとだもんね。もう寝ちゃう?」

「いや、流石に…夕飯までは起きてるよ」

 

部屋に戻った加古たちは、時折雑談を挟みながらもそれぞれ読書やゲームなどに興じていた。

少し冷房で身体が冷えたため、節電がてら扇風機を回している。

最初に両隣の潜特型をおぶっていき、大鯨を呼んで残りの三人を寮室の布団まで送り届けた。

途中で伊168が大鯨の背中で目覚め、顔を真っ赤にして慌てていたのが可愛らしかった。

 

「珍しいね、ずっと起きてるなんて」

「不満だけど事実だから言い返せねぇ…ってか、古鷹は今日何してたのさ」

「私は提督のお手伝いに」

「ほーん?んで、どうなのさ今日のアプローチ戦果は」

「べ、別にそういう訳じゃあ…!」

 

目に見えて動揺している姉。普段の世話焼きに加え、日頃からこんなに純粋では世の男たちを勘違いさせてしまうこと請け合いである。

早く貰ってあげて欲しい。

 

「んまあ、妹としては応援するからさ。最近遠征体制が変わって駆逐艦と一緒にいること多いし、ライバルは多いよ?」

「え、そ、そうなの…って違うってばぁ!」

 

もはや本音を隠す気があるのかと問いたくなるほどなのだが、うちの姉はこれがデフォルトなのである。可愛い。

そんな感慨に浸りつつ、しかし姉という存在が身近にある加古にとって、先程の体験は不思議なものであった。

アイスを奢ったり、おんぶして部屋に送ったり。

年長者らしい振舞いを意識したことがなかったからなのか、いつも姉はこんな心境だったのだろうかと察する。

 

「…まあ、古鷹なら勝算あるよ」

「えっ、ほんと…って!」

「提督、末っ子らしいじゃん?お姉ちゃんとかに弱いんじゃない?」

 

いつまで経っても、建造された身とはいえやはり妹は妹。下の子の気持は分かる。

 

「そ、そうなのかな…」

 

何でも器用にできるかも知れないけれど、姉のように純真にはなれないというのが率直なところ。結構羨ましかったりするのだ。

そんな彼女が思う存分甘えさせてあげたら、きっとあの鈍感もイチコロのはずである。

 

「うむ、私が保証しよう」

「ふふっ、加古が言うなら納得かも」

 

笑った古鷹を横目に、傾いた太陽を眺める。まだ明るい青空に、茜色が映り始める夕暮れ時。

大きな雲も台風もなく、明日もきっと晴れるだろうけど、もう二度と、同じ夏はやってこない。

そう思うと、不意に寂しくなってしまう。

 

「…うん」

 

何かを求めてあがいて、そして今があって。

潜水艦たちと泳ぎ、一緒に眠って、夕日を眺め感傷に浸っている今日この時を、一体誰が想像しただろうか。

 

「あっ、六時だ。加古、お夕飯行こっか」

「おう」

 

自分を呼ぶ声に、窓を閉めて扇風機の電源を切る。羽の回転がゆっくりと静止する。

じっと、その様子を見つめた加古は、なんだかおかしくなって少し頬を緩ませた。

 

「加古ー?」

「今行くよ」

 

変わらず青い空と海は、たとえ自分が沈んだって青いままだろう。

だからこそ、今日を、明日を大切に生きていこうと思うこの気持ちが芽生える。

古鷹や青葉、衣笠と、伊400たちと、提督と、かけがえのない大切な仲間たちに出逢いながら、歩んでいくこの人生を生きて征くと、加古はそう惟った。

 

一抹の疲労感に、生ぬるい風が包む。

海の向こう、夕映えの橙がついに青空を染めつつ、黄昏時が訪れたのだった。

 

 




試験期間にはASMRが最高ですね。


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第五十二話 絆

吹雪さんとその妹、白雪ちゃんのお話。


「ふんふふーん…」

「…」

 

夕暮れ時。

座学教室の中で、本日の日直である吹雪は、鼻歌混じりに黒板を消している。

すっかり気温も下がり、冷たい風も拭く季節なので、いつもの制服軍装にカーディガンを重ね着している。

 

「…あ」

 

一通り、チョークを消し終わって振り返ると、一番上の文字列を消し切れていないことに気付く吹雪。

再び黒板消しを手に取って、つま先立ちをして手を伸ばしても、届かないようだ。

 

「うん…しょっ…!」

 

目を瞑って、腕を思いっきり上げるも、あと少しのところで届かない。

 

「あと…少し…!」

 

ぐいっ、と身体を必死に伸ばして見える視界の横から、誰かの手がスッと伸びた。吹雪は、それが自分と同じベージュ色のカーディガンの袖に包まれていることに気が付いて、はっと振り返った。

 

「よいしょ…っ!」

「し、白雪ちゃん」

 

白雪は姉の声に、顔を向けて微笑んだ。

少しだけ背の高い身長を思う存分に伸ばして、なんとか白文字を消していく。

 

「ふう…これで大丈夫?吹雪ちゃん」

「うんっ。助かっちゃった」

「お姉さんが困っていたら助けるのが、妹の役目ですから」

 

おどけた様子でえっへん、と胸を張った白雪に、吹雪が苦笑して髪を撫でる。

 

「えへへ…で、吹雪ちゃんは今日、このあとお仕事あるの?」

「ないよ。最近は司令官も余裕が出てきたみたいだし」

「流石初期艦ね。司令官のこともよく知ってるし」

「そ、そんなことないよぉ」

 

慌てて両手を振る姉が可愛らしくて、白雪は思わず笑ってしまう。

「もぉ!」と頬を膨らませて抗議する吹雪の手を受け止めつつ、教室を出る。

 

「白雪ちゃんも着任時期は一緒くらいでしょ?」

「まあ、そうだけど…でもやっぱり、司令官の隣にいるのって、吹雪ちゃんって感じがするの」

「へ!?…え、えへへ…そうかなぁ」

 

慌てたり怒ったり照れたりと忙しい吹雪の表情を眺めていると本当に飽きない。

姉ながら、多くの駆逐艦からの尊敬を集める当鎮守府のエースの素顔を知っているというのは、何だか嬉しい気持になった。

いつまでも自慢の姉なのである。

 

「…うん。それでさ、これから空いてるんだったら、一緒に食堂に行きたいなと思って」

「そういうことだったんだね。もちろんいいよ!」

 

笑顔で快諾する吹雪。夕映えをバックにすると、その表情が輝いているように見えて、もはや神々しいものまで感じてしまう白雪。

思わず眩しい光を遮るように目を覆ってしまう。

 

(か、可愛すぎる…我が姉ながら)

 

「ど、どうしたの白雪ちゃん?」

「こっちの話です。きょ、今日の献立ってなんだったっけ」

「えっと、金曜日だしカレーかな」

「カレー…間宮さんたちの食べて、研究しようかな」

「あっ、そっか。白雪ちゃん、お料理得意だったもんね」

「吹雪ちゃんも主計科にいたでしょ?」

「うーん、いたことはいたんだけど…私不器用だからさ…」

 

半笑いして謙遜する姉であるが、実際にそういうところはある。裁縫では針に糸を通すことが苦手だったり、料理では切り方が雑だったりすることもある。なかなかどうして、艦娘とはいえ長女らしいところが出てきているのだ。

 

「いやいや、あれだけ夜戦で砲と魚雷振り回してるんだし」

「まあそれはそれってことで…」

 

揃えた手を台詞とともに、横にスライドさせる吹雪。「おっしゃる通り」と言わんばかりの表情である。

砲撃戦で見せる凛々しい表情はどこへやら。それも彼女の魅力の一つなのだが、それだけメリハリがあるということなのだろう。

 

「…あっ、白雪ちゃんってごはんの前にお風呂入る派?」

「えっ?うーん…先にごはん、って感じだけど。でも、どうして?」

「そうなんだ。いやぁ、この前は島風ちゃんと一緒に夕食を食べたんだけど、話を聞いてたらいつも9時には寝ちゃうっていうから、びっくりしちゃって」

「へぇー、寝るのも早いんだね」

 

彼女なりの最大効率の追求ということなのだろうか。それよりも、姉の交友関係はどこまで広がっているのかが気になる。

オレンジ色に染まった廊下の少し先を歩いた姉の背を、白雪はぼーっと見つめていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふいー…」

「あー…体が溶けるぅ」

 

一通り金曜カレーを堪能したあと、二人は一番風呂に浸かっていた。

木枯らし風に当てられて冷えきった体の芯に、少し熱めの湯が温もりを伝える。

白雪は、おっさんくさい台詞を息とともに吐き出した姉をじっと見つめる。

 

「な、なに?」

「いや…吹雪ちゃんって、素で可愛いなって」

「可愛っ…!」

 

そうやって赤面する姿が、特に男性には刺さると思う。いや、そういう知識は全く無いけれども。

白雪の憧れていた「姉」像は、そういう純粋さにあるのかもしれないと、尚も慌てふためく吹雪を眺めつつ考えた。

 

「やっぱり可愛い」

「い、いやいや、それなら白雪ちゃんの方が女の子らしいと思うけど…」

「ううん。普段はしっかりもので頼れるけど、こういう何でもないときに恥ずかしがりだったり、素直に自分の弱いところを喋れるのって、なんだか、素敵だなって思うの」

「そ、それって私のこと?」

「うん」

「い、いやいや、私なんて地味だし、ただ古株だからこうしてお仕事も任されてるだけで…」

「そんなことないよ」

 

思わず、彼女の手を取っていた白雪。

謙遜する吹雪に、これだけは言っておかなければならないというように、強く掴んだ。

 

「吹雪ちゃんは、私の自慢のお姉さん。だから自信もって」

「し、白雪ちゃん…」

 

強い思いの込められた眼差しが、吹雪の眼に飛び込んでくる。

湯煙が辺りを覆う中、なんだか不思議な絵面が僅かな時間続くのだった。

 

「…へくちっ」

「さ、寒かったね。もうちょっと浸かろうか」

 

二の句を継げなかった吹雪が応える前に、白雪がくしゃみをする。

姉妹は肩まで湯船にその身を沈めた。

不思議な雰囲気が、彼女らの間、少しの距離を流れる。

神妙に、吹雪がゆっくりと語り出した。

 

「…私、初期艦として任命されたから、自分なりに努力してきたつもりなんだけど、不器用で、できるようなるまで時間がかかったりして、足引っ張っちゃうことも多くて」

「うん」

「島風ちゃんみたいに早くもないし、雪風ちゃんみたいに魚雷を当てる技術もなかった。改二だって、響ちゃんと睦月ちゃんの方が早かった。家政だって、鳳翔さんや白雪ちゃんの見よう見まねで失敗したりして」

「…」

「それでも司令官が私を秘書艦にして下さっていたのは、私が初期艦だから。消えない肩書きを持っている以上、これが義務だと思って、出来ることを、迷惑をかけながらやってたんだ」

 

自らの過去を振り返り、そして噛み締めるように語る吹雪。

彼女がひたすらに努力を重ねて、積もり積もらせてきた膨大な経験値そのものが、今の吹雪を形作っているということを、白雪は誰よりも理解しているつもりだった。

だから、白雪は言う。強く、自信と想いを込めた声で。

「提督が吹雪ちゃんを指名したのは、吹雪ちゃんの誰よりも努力できるところを大事にしたかったからじゃないかな」

「そ…そうかな」

「うん、きっとそう」

 

擦りガラスの向こう側、水平線を見渡して言った白雪。

二番艦、つまり吹雪にもっとも近い妹として、これだけは譲れなかった。

 

「これからもきっと、吹雪ちゃんは大変なことに挑戦していくんだと思う。一人だって、嫌な顔ひとつせずに」

「…っ」

「でも、私は見てるよ。それで、もし吹雪ちゃんが困っていたら、助けたいって思う」

 

振り向いた吹雪の頬を、右の掌で優しく撫でる。

まだまだ幼さの残る、自分と変わらない小さな身体で、どれだけの苦悩と困難を乗り越えてきたのか、途方もなく離れた練度と経験の差から、白雪は想像することもできない。

髪から滴った湯の雫を拭って、彼女は微笑みかけた。

 

「初雪ちゃんや叢雲ちゃん、磯波ちゃんだってそう。たった一人、吹雪型のネームシップとして名前と誇りを背負ってる吹雪ちゃんの力になりたいって、みんな思ってる」

「白、雪ちゃん…」

「大丈夫だよ。吹雪ちゃんが今までやってきたこと、私たちは知ってるから」

 

左腕も上げて、両手で姉の頬を包み、ほどいていた髪を梳くように、柔らかく触れる。

厭うことなく、吹雪は心地良さそうにそれを受け入れていた。

 

「…白雪ちゃんが妹でよかったよ」

「私も、吹雪ちゃんがお姉さんでよかった」

 

手を離して元通り、横に並んだら、吹雪が白雪の肩にもたれかかった。

一抹の驚きに目を見開いた白雪だったが、姉の笑顔に感じるところがあったのだろうか、表情を綻ばせる。

それ以上は、何も言うことはなかった。薄暮の日本海が宵闇に包まれゆく、そのゆったりとした時間の流れに身体を預けていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、今日は一緒に寝てもいい?」

 

風呂から上がって髪を乾かしているとき、雑談の中でそう訊いたのは白雪だった。他の姉妹が東方遠征中であり、11月、極度に冷える日本海側の冷気の中、暖房も効かないベッドの中へ潜り込むのも何だと考えたらしい。

目をぱちくりさせた吹雪も同じことを考えていたらしく、「やっぱり姉妹だね」と笑って言った。

そんなこんなで、隣り合わせで敷いた敷布団の上に、大きな羽毛の掛け布団を一枚。

寒さに震えつつ潜り込んで、枕に頭を置いて向かいあった二人。

 

「ふあぁ…最近は忙しかったからもう眠いや」

「吹雪ちゃん、出撃よりも指揮系統関連でよく呼ばれてるもんね。朝練はいつも通りやってるし」

「昼の本演習は後進の子の邪魔になっちゃうからねぇ」

 

長い欠伸に、口元を抑える吹雪。

寒い時期には体の筋肉が冷え固まってしまうこともあるのだろうかと、白雪は思案する。そのせいで、深い眠りを阻害されているのかもしれない。

 

「うひゃぁ!?」

「やっぱり固いね。少し肩も凝ってるのかも」

「く、くすぐったいよ!」

 

首元に軽く触れ、肩の先の腕まで緩く撫で下ろす。しなやかに伸びる筋肉は良く鍛え上げられており、とても吹雪の小柄で可憐な印象からは想像もできないほどだった。

爆発的な力を発揮するための大きく堅い筋肉とは違い、持久力や柔靱性のあるものだ。

興味深そうにさわさわと吹雪の腕や腹を触診していた白雪だったが、吹雪にやり返される。

 

「そういう白雪ちゃんだって結構固いよ?」

「ひゃっ、く、くすぐったい」

「お返し。あれ、大分腕鍛えたんだね」

「も、もしかしたら新しい炊事当番の子たちの指導でたくさん重いものを持ち上げたからかも」

「あー、そうかもだね。今日のカレーだってどれだけの材料を使ってるか見当もつかないし」

「まとめて段ボールで管理してる食材もあるから、そういうのはかなり重いよ。玉ねぎにじゃがいも、ニンジンなんかはそうね」

「そっかぁ…」

 

吹雪がそう呟くと、ぐぅ、という音が鳴った。二人は音の出所である吹雪の腹を同時に見た後、顔を見合わせた。

 

「…もうお腹空いたの?」

「えへへ、夕飯足りなかったのかな」

「…ぷっ」

「ふふふっ」

 

示し合わせるでもなく、互いに笑いが込み上げてくる。

しばらくそのおかしさに笑いが止まらず、ひとしきり笑いあって目が合うと、またどこからともなく笑いが湧き上がってきて、もう抑えようがなかった。

 

「はぁー、笑った笑った」

「夜って、なんだかほんの些細なことでもおかしくって笑っちゃうんだよね」

「それ、ちょっと分かるなぁ。その日あった面白いことを思い出しちゃったときとか」

 

大笑いのあまり浮かんできた涙を拭ったら、丁度心地いい温かさが保たれていることに気付く。

身体から力が抜け始めて瞼が重くなって、段々と下がってくるのを感じる。

 

「はー。本格的に眠くなってきたかも」

「私も。そろそろ寝ようか」

 

暖色灯のスイッチを切ると、もう部屋のほとんどが夜の暗がりに隠れて見えなくなる。

僅かに差し込んだ月明かりの中、白雪は吹雪の手を握った。

 

「握ってていい?」

「うん」

 

一人、頑張り屋の長女である姉を、誰も気付かない場所で努力を続けている姉を労うことができるのはきっと自分だけだから、それが、せめてもの彼女への恩返しだと悟った。そして、これからも続けていこうと決めた。

この先の未来、きっと多くの困難と苦しみが鎮守府を、提督を、そして提督を支える姉に降り注ぐだろう。

それでも、彼らは前を向き続けなければならない。それが艦娘の上に立ち、艦娘を導く者の使命に等しいから。

 

(――もし、吹雪ちゃんや司令官が心が折れそうなとき、痛みや苦しみに疲れ果ててしまったとき、私が側にいられたら)

 

白雪は、眠りに落ちる前の虚ろな目で、吹雪の寝顔を見、そして微笑んだ。

繋いだ手が離れない限り、その隣で、彼女を支え続けることができるはずだと思った。

 

「…おやすみ」

 

抱えてきた重荷と途方もない疲労をいたわるように、白雪は言った。それに応えるように、握られた吹雪の手が、少しだけ強く感じられて、それを嬉しく思った。

横顔にかかる前髪の先を優しく動かして、頭を撫でる。熟睡のようだった。

 

「私も、寝ようかな」

 

仰向けで天井を眺めると、秒と経たないうちに眠気が襲ってくる。

包まれるような温もりの中、もう一度、手を繋いだ吹雪の方へ顔を向けた。

彼女の寝顔を認めると、白雪は、目を細めて小さく笑い、瞼の裏の暗闇へと意識を手放すのだった。

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「う、うーん…」

 

夜が明けた。

旭日が次第に水平線から顔を覗かせた時間帯、もうすぐ勤務上は起床となる時間が迫る。

光が辺りを包む中、吹雪はゆっくりと目を開けると、やおら起き上がって枕元を確認した。

 

「あちゃー、寝坊しちゃったか」

 

予定していた朝練の時間からは二時間弱ほど過ぎている。やはり、連日の激務の中練習をこなすのは無理があったかと自省する傍ら、何か、右手を引っ張る力を感じた。

 

「あ…そうだった」

 

掌をしっかりと握っていたのは、隣で眠っていた白雪だった。

昨日はなんだか不思議な様子だったけれど、自分のことをよく考えてくれていたのだと思うと、それだけで姉妹として嬉しさが込み上げてくる。

 

「ふふふ…まあ、今日はいっか」

 

起床時間は制度上決まっているとはいえ、複数の作戦が今も進行している以上、一律にそれを設けることを廃した提督によって、今では全体朝礼までに間に合っていればよいということになっていた。

ちなみにラッパは鳴るが、これはまだまだ鎮守府の生活に慣れない新しい艦娘たちに限る。

そんな経緯もあってか、白雪に微笑みつつ、しばらくはこうしていようと決めた吹雪であった。

 

「すう…すう…」

「ふふっ、かわいいなぁ私の妹は」

 

布団に入り直して、近くから髪を撫で、見つめてながら規則正しい寝息を聞く。

これまで、ずっと妹たちや他の駆逐艦の模範となるべく、自分でも努力はしてきたつもりだ。

しかし、それは古参として、そして何よりも初期艦の肩書を背負う上でほとんど当たり前のことだと思っていて、疑いもしなかった。だから、夕立や時雨、響に睦月など、個性豊かに輝く同僚の中で、何も自分らしいことをできていないのではないかと、自分を責め続けてきた。

 

(白雪は、妹たちは最初から、私を認めてくれていたのかも。それは司令官がおっしゃるのと同じように)

 

白雪の強い想いは、しっかりと吹雪の心へ響いていた。

これからも変わることなく、この子たちの先を行き、そして導いていこうと心に誓うことができた。

 

「…よおし、頑張るぞ…!」

 

布団の中で小さくファイティングポーズを取って笑う吹雪。

誰より大切な仲間たちを、妹たちを護り、そして彼女らとともに戦うために。

そしてこれまでの道を示し続けてきてくれた提督へ報いるために。

光輝く朝、白雪と手を繋いだまま、彼女は思いを新たに、この地で生きていく意味を見出すのであった。

 

 



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第五十三話 手紙と倖せ(前)

「うーん…」

「どうしたの?瑞鶴」

 

翔鶴型の寮室で、瑞鶴は鉛筆を持ちながら唸り声を上げた。

そんな彼女の背を不思議そうに思って、姉の翔鶴が問いかける。

 

「いやぁ…これなんだけどさ」

 

頬を掻きながら、瑞鶴が後ろを振り向く。ひらり、瑞鶴の指先に挟まれていた紙のタイトル――『大切な人へ』を見て、翔鶴は口元に手をやって「あら」と零した。

 

「そういえば、もうすぐ提出期限よね。まだ終わらせてなかったの?」

「いやいや、サボってた訳じゃないんだけどね。…毎日寝る前とかに考えてたんだけど」

 

ちなみに、この手紙は姉妹艦と提督以外が対象。姉妹だと書くのが簡単なのと、提督への手紙だと溢れて原稿用紙が足りなくなる輩が現れるからだろうか。

姉の咎めるような視線に焦って、両手を振る瑞鶴。訝しむような翔鶴の表情に慌てる。ただ、本当に怒っているようではないようだというのが分かるのが翔鶴ならではだ。

 

「翔鶴姉は誰に書いたの?」

「私は…少し迷ったんだけどね、やっぱり赤城さんに」

「あ、やっぱりそうなの?私も加賀さんに書こうと思ってたんだ」

「ええ。でも、それならすぐに書けるじゃない、日頃からお世話になってるのだし」

「いやぁ…改まって書くとなると、何を書こうか悩んじゃって」

「そうなのね。でも、気持ちはわかるわ」

 

苦笑して、再び手紙に視線を戻した瑞鶴は、手紙の文頭、『加賀さんへ』という文字列を凝視する。

用紙に刻まれた指定行数を少ないと思うか、はたまた多すぎると思うかは、その人との思い出だけではなく、どれだけ密度の濃い文章を書くかにも因って違ってくる。

少なくとも、これを多すぎるとは思わないほどに、加賀と生活を共にしてきた覚えはあるし、きっと向こうもそう思っていてくれているはずだと願っているのだが。

 

「うあー、やっぱりだめかも!」

 

後ろの畳へ倒れ込んだ瑞鶴。期せずして正座していた翔鶴の膝に倒れ込む。

「あら…」と困ったように笑う翔鶴の表情を見上げながら、瑞鶴は興味深そうに訊いた。

 

「ね、翔鶴姉はなんて書いたの?見せてよ」

「み、見せるの?恥ずかしいわ」

「だいじょーぶ、笑わないって」

「もう…瑞鶴ったら」

 

そう言って、懐からしぶしぶ差し出した手紙を翔鶴から受け取る。

「えっと…なになに――」と声に出して読み出すと、「わああ!」と慌てて止める翔鶴でなのであった。

 

 

 

赤城さんへ

 

こんにちは。いつもご指導頂いており、本当にありがとうございます。妹の瑞鶴ともども、一航戦、二航戦の方々に支えられながら、ここまで来られたと思っております。

感謝の気持をこうして手紙にする日が来るなんて、艦の時分には想像もしませんでした。

今までの思い出を振り返れば、着任したころは弓の持ち方も知らず、たくさんご迷惑をお掛けしたこともありましたし、間宮だけではなく舞鶴や京都の街へ連れ出して頂き、艦娘としての新しい世界を見せて下さったこともよく覚えています。

それらすべて、赤城さんがいらっしゃなければ経験できないことばかりでした。

確かに私たちは改二や装甲化を得ましたが、本当に大切なのは、芯の通った心の強さだということを、そんな赤城さんの背を見て学びました。

ですから、今はまだあなたの代わりになれるほど強くはありません。それでもあなたに教えて頂き、そして学んだ全てで、重圧や責任を一人で背負うあなたを支えられようになりたい。

この国に生まれ、あの戦いで刻みつけた誇りを持ち、これからも、あなたを追いかけ、そしていつか隣で戦えるよう、これからも精進して参ります。

あなたへ、全ての感謝を込めて。

 

翔鶴より

 

 

 

「…うん」

「ど、どうかしら…。なんだか書いているうちに熱くなっちゃって」

「いや、多分これ見たら赤城さん泣くよ、多分」

「ま、まさかそんなことは」

「私たちの改二のときだってそうだったじゃない」

「…まあ、それはそれで嬉しいことよね」

 

練習中や戦闘中とは違い、日常生活では映画や小説、お祝い事に対して涙もろい赤城を思い出して小さな失笑が漏れる翔鶴。

 

「参考になるかは分からないけど、提出期限も近いんだし、急ぎなさいね」

「はぁーい」

 

再び手紙とのにらめっこを始める瑞鶴を横目に、翔鶴は鏡台の前に座り、身支度を進めていた。

 

「あれ、今日はどこか出掛けるの?」

「ええ、赤城さんと街まで。手紙も渡そうと思って」

「へえー。雰囲気もばっちりだね」

「と、特に意味はないんだけど…。いい機会だし、ね。瑞鶴も、加賀さんに渡すときはそうしたら?」

「そうするよ」

 

じゃあね、と手を振る姉を見送って、改めて手紙の宛先である加賀のことを思い返す。

初めて出会ったときの申し訳なさそうな、なんだか畏れるような表情は、聞いていた一航戦としての厳格さよりも、感情の起伏のない、控えめな印象が目立った。

そんな彼女や赤城、そして鳳翔や二航戦といった仲間たちと出逢い、自分はどれだけ変わったのだろうか。

 

「ううーん、やっぱり分かんない!」

 

鉛筆を投げ置き、頭を抱える瑞鶴は、机に突っ伏して呟くのだった。

 

「…聞いてみるかぁ、そろそろ時間だし」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、ここにという訳か」

「うん」

 

冬の厳しい寒さもようやく和らぎ、徐々に過ごしやすい日々が増えてきた三月の末。

心地よい陽光にあてられながら、本日の秘書艦、瑞鶴は提督と執務を進めていた。

 

「あっ、その前に。ここがちょっと分からなくて」

「ん、ああ…符号がマイナスになってるな。これは参考にする行に関数を指定して…」

 

隣に座る秘書艦、瑞鶴のパソコン画面を覗いて、必要な数式を代打ちする提督。

予想外に近づいた二人の距離に、瑞鶴は関数どころではなかった。

 

「って、瑞鶴?」

「っあ、ご、ごめん提督さん、ちょっと見とれt…考え事してて」

「おう、眠くなったら言ってくれよ」

「あ、赤ちゃんじゃないんだから大丈夫よこのくらい!」

 

上司の提案に思わず顔を赤くして抗議する瑞鶴。実際、深海棲艦との戦闘に必要な知識は、この画面には少ない。

しかしながら基礎的な情報処理技術は、この戦いが終わった後、社会に出る艦娘たちに必須のスキルとなるだろう。

この戦いの先まで、艦娘たちが生きていけるように見通しながら続ける、彼なりの努力であった。

 

「そうは言うがな。昨日も珊瑚海まで長躯出撃だったし」

「へっちゃらよ。もう装甲空母になったんだし、これくらいの貢献はしないとねっ」

 

片方の袖を捲って、張り切った様子を見せる瑞鶴。改二改装に向けた特訓で一回り大きくなった体躯も相まって、頼もしいことこの上ない。

それにしても、そんな彼女を支える同僚たちの結束力は強いようだ。

 

「無理はしないでくれよ。休むことも重要な任務のうちだ」

「それ提督さんが言うんだ…」

 

なんだか物言いたげな目線を感じて薄ら汗をかく提督は、「そういえば」と話題を転換させた。

 

「手紙の件はいいのか?あれは…確か、古鷹主導だったか」

 

そもそも、こうした企画の多くは座学・講義などと同じ枠組みの中にあるカリキュラムではない。

毎月1,2回ほど定期的に希望者参加型で行われる催しは、その企画を構想し、立ち上げるという過程を経験させるためのいい練習台となっている。

隠された需要を見つけたり、それに伴うリターンがどのようによりよい影響をもたらすか考えることは、多角的に物事を考えるきっかけになるだろう、と考えてのことだ。

 

「そうそう。優勝者…というか最優秀作品に選ばれたら、すっごい景品がもらえるんだって」

「古鷹も思い切ったな。それほど思い入れの強い企画ってことか」

 

もちろん自費開催だ。それ相応の準備をしていなければ、いくら高給取りでも金銭的に中止を決断せざるを得ない場合もある。

瑞鶴から聞き及ぶことになった当企画の参加者はおよそ50名に達し、その中で一番になるということはかなりの景品が贈られるだろう、という予想だった。

 

「まあ、景品目当てって言うと印象はよくないかもだけど…こうしていつもの仲間と一緒にいられることって、きっと当たり前じゃないと思うから、さ」

「…ああ」

 

目を伏せて、しみじみと呟いた瑞鶴を首肯する。その噛みしめるような口ぶりに、思い当たるところがあった。

目の前の瑞鶴自身を作り上げる構成要素としては、史実に基づくあの時代の『瑞鶴』の記憶が占める割合は決して大きくはない。艦娘のアイデンティティは所属鎮守府内や艦娘としての経験が影響してくるからだ。

それでも、姉の翔鶴をマリアナで喪い、レイテでは最後の航空母艦としてこの国の誇りを一身に背負った覚悟は、彼女の根本に息づいていると言っても過言ではない。

甚だ不釣り合いなのは分かっているのだが、逡巡する自分の過去を、どうしても彼女に重ね合わせてしまっていた。

 

「いいきっかけだと思うんだ。だからちゃんと書きたい。キレイごとじゃない、私自身の言葉を。翔鶴姉と同じくらい素直な気持ちを伝えたい」

「応援するよ。それで、どこからアドバイスすればいいんだ?」

「さ、最初から…です」

「お、おお…」

 

平身低頭する瑞鶴であったが、恐らく言葉に迷っているのだろう。いざ一から書くとなると、何から書き始めようかと思案してしまう気持ちは分かる。

少し笑って、「大丈夫だ」、と声を掛ける提督。

それから暫くの休憩時間を使って、顔を突き合わせて手紙は完成に向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぁ、赤城さんっ!」

「ふぁい?」

 

すっかり夕暮れ時、街を一通り回って休憩中の翔鶴と赤城。

肉じゃがパンを頬張る赤城に、翔鶴が意を決したような表情で声を発した。

 

「どうひまひた?」

「あ、お食事中すみません…あの、これをお渡ししたくて」

「ん…んぐっ、あら、お手紙…って、あの古鷹さん主催の」

「あっ、そうなんです。いい機会ですから、普段お世話になっている赤城さんにと」

「まあ、嬉しいわ。わざわざありがとうね」

「い、いえいえ!」

 

彼女なりにかなり渡すのに緊張したらしく、言葉遣いや仕草が硬くなっている。

そんな後輩の様子に思わず頬を緩めた赤城は、手元の封筒を見つめた。

 

「…開けてみても?」

「こっ、ここでですか!?は、恥ずかしいです…」

「あら、そうなの?じゃあ、私の手紙を読んでもらえる?」

「へっ…」

 

突然に手渡された封筒に間の抜けた声を上げ、わたわたと慌てる翔鶴。赤城は面白いのか笑いをこらえきれないでいる。

赤城らしく、至ってシンプルなデザインの便箋をおずおずと取り出してみると、そこには力強くも美しい文字が刻まれているのが見て取れた。

 

「読んでください。私も、貴女と同じように思いを込めて書いたつもりですから」

「…はいっ」

 

赤城の、柔らかな笑みの裏側にある真剣な心奥を汲み取った翔鶴は、ゆっくりと頷く。

一抹の期待感と緊張が胸の中で混ざりあって、どんな表情をしていいか分からないで、神妙な手つきで開いていく。

 

 

 

翔鶴へ

 

いつもお疲れ様。翔鶴は私、瑞鶴は加賀さん、という風に今まで師として、先輩として翔鶴の練習に付き添ってきましたが、本当に頑張っていますね。二航戦をはじめ、軽空母の皆さんにもその頑張りが伝わって、いい雰囲気が作られています。改二の高練度に達するには大変な思いをさせてしまったし、もっと分かりやすい指導ができたのではないかと、私自身反省していますが、それでも諦めずについてきてくれたあなたたちに感謝とお祝いの気持ちを伝えたく、この手紙を書いています。

思い返してみると、いつでもあなたはひたむきに、懸命に、そして誰かを支えながら頑張ってきましたね。妹の瑞鶴を導きながら、先輩ばかりの空母部隊でひとり気を使ってくれたり。昔、加賀さんと話していたこともありました。「あの子に気を使わせるようでは私たちもまだまだね」なんて、あの加賀さんから想像もできないでしょう?

もはや、私たちはあなたを後輩としてでなく、共に並び立つ仲間として接するべきとも思います。しかし、それは同時に全てのリスクと義務をあなたたちに負わせることに等しい。私はまだ、その決断を下せずにいます。

あの戦いにおいて、私ができたことなど、あなた方に比べれば些細なことなのかも知れない。たった一度の慢心によって栄光を水底に沈めてしまったから。だから、私にできる限り、この生涯を捧げてあなたを導きたいと思ったのです。

できるならばいつまでもあなたを護り続けたいけれど、そうはいきません。新たに戦列に加わる空母たちを導くのはあなたです。新しい世代を作り、支えていく――まさに新編一航戦としてのあなたの力が必要なのです。そのために、私や加賀さんにできることがあれば、いつでも力になります。

この国を護る艦娘として、共に精進して参りましょう。

 

赤城より

 

 

 

「っ…!あ、赤城さん」

「…ええ。翔鶴も、読み終わりましたか…っ」

 

ゆっくりと顔を上げて感じる温もりに、改めて涙の筋が流れていることに気付く二人。

夕映えに滲む歪んだ視界が、何よりの証左だと告げている。

瞳から溢れ出て止まらない涙の粒をお互いに見つめ合っているうちに、なんだか可笑しくなって笑ってしまう。

 

「ぐす…うふっ、ふふふっ」

「ふふふっ…なんだか、不思議な気持ちです。温かくて、心地よくて…」

「ええ。こんな気持ちになるのも、手紙のお陰かも知れません」

 

涙を拭って、じっと手紙の文字を目に焼き付ける翔鶴。ふと、妹の手紙の件が気になった。

 

「…瑞鶴も、今頃加賀さんのところに行っていると思います」

「あら、じゃあ私たちと一緒なのね」

「え?」

 

きょとんとした様子の翔鶴に、「これも言ってなかったわね」と赤城が付け加えた。

 

「加賀さんも、瑞鶴に書くつもりで試行錯誤していたんですよ」

 




正規空母短編はこれで書き切る感じです。
ミッドウェーの悲劇、そしてその後の翔鶴型の奮闘を受け継ぐ艦娘たちを描くのはかなり難しかったです。(描けたとは言ってない


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第五十四話 手紙と倖せ(後)

「あ…えと…そのぉ」

「…ええ」

 

場所は赤城と加賀の寮室、緊張のあまり力んで突入してしまった瑞鶴は、筆を置き、手紙の前で頭を抱えている加賀に出くわしてしまった。

気まずそうに目を逸らす瑞鶴。

 

「か、加賀さんも書いてたんだね、それ」

「ええ…瑞鶴も、かしら」

「あっ、そ、そうなの!加賀さんにっ…!」

「私に…?」

 

至極驚いた表情をする加賀が落とした手紙が、ひらひらと瑞鶴の足元に舞い落ちた。反射的にそれを拾おうと屈んだ瑞鶴の目に、「瑞鶴へ」の文字が飛び込んできた。

 

「え…」

「そ、その…私も瑞鶴に書こうと思っていたのだけれど…何から始めていいか、見当もつかなくて…書きたいことは、沢山あるのですが」

「それなら…まず、私のを読んでよ。そのあとで、手紙じゃなくてもいいから、お返事聞かせて」

「いいのかしら…ごめんなさい、私、ものを上手に書くのが苦手で」

「ううん、私も書き出せなくて提督さんに教えてもらったし…それじゃあ、はいっ」

 

手渡した便箋は、これまた瑞鶴が同じように悩みに悩んで選んだものだ。鶴の可愛らしいキャラクターが下側に描かれている。

因みに、加賀は錨のマリン柄。なんだかんだこれを選んでしまうあたり、やはり艦娘といったところか。

 

「あ、ありがとう。読んでみるわね」

「うん。でもやっぱり緊張するわ…」

 

 

 

加賀さんへ

 

いつも練習、出撃、日常生活の色んな場面でお世話になっております…って書き始めようとしたんだけど、やっぱり私らしくないので、書きたいことを書きます。いつもありがとう、加賀さん。

一文一文、こうして考えて書くのはなんだか久しぶりで、改めて手紙の大切さを感じます。素直に言えないことも、手紙なら書けるんだって気付きました。

改二になっても加賀さんに甘えっぱなしで、まだまだこれから迷惑を掛けてしまうことも多いかと思います。でも、一人でできないことは翔鶴姉と力を合わせて、これからの機動部隊を支えていこうと決めました。そのためには、今以上の鍛錬が必要になります。加賀さんが教えてくれたことを思い出して、きっと主力になれるよう頑張りたいです。

『瑞鶴』としての名前を背負う重さと厳しさを、練習を通して加賀さんは教えてくれました。いつも優しく、親身になって教えてくれる加賀さんはきっと、どうすればよりよい指導ができるか考え、迷っているのだと思います。それは多分実際に弓を引くより大変なことで、なかなか上達しない私に自分を責めることもあったかも知れません。だから、今度は私がそうじゃないってことを証明する番。加賀さんの隣に立って弓を引けるような艦娘に、私はなりたい。

いつまでも、加賀さんは私の憧れです。

 

瑞鶴より

 

 

 

「ううー…も、もう読んだ?恥ずかしいよやっぱり」

「…ぐすっ」

「か、加賀さん?ちょっ、泣いてるの?」

「ご、ごめんなさい…ぐすっ」

「いや…喜んでくれてたら嬉しいんだけど、書いてるうちに自分でもよく分からなくなっちゃって」

「ええ…っ、こうして貴女が、筆を執って書いてくれたこと。本当に嬉しいわ」

「そっか…えへへ」

 

頭の後ろに手を回した瑞鶴。表情に出やすい性格とはいえ、やはり加賀は加賀だ。ついつい思いを隠してしまうことの多い彼女は、その代わりに何を言えばいいか、どう表現すればいいか、言葉に詰まることもあった。

だからこそ、その加賀がこうして真っすぐに落涙し、思いを伝える様子は新鮮だった。

 

「…もし、大丈夫だったら、聞かせてくれないかな、加賀さんの言葉で」

 

恐らく初めて目の前にするだろう彼女の気持ちを知りたい。そう瑞鶴が考えたのは明白だった。

加賀は、純粋な彼女の瞳を一瞥し、涙を拭って向き直った。

 

「ええ」

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「これは少し前にも話したけれど」

 

そう言って、加賀は静かに話し始めた。

 

「私…いえ、『加賀』は戦艦として期待された過去と、一航戦としての、空母としてあの大戦を戦った実際の史実とを持ち合わせています。歪んだ自我と、“あの記憶”――栄光、そして慢心と戦略上の過ちを抱えたまま沈んだ後悔。それを裏打ちするように、一片の感情をも見せまいと、口を固く噤み、不愛想な表情をする。そういう意味では、“私”は特異だったと言えるでしょう」

「そう、なのかな」

「まだ横須賀にいたときはそうではなかったと思います。けれど、舞鶴に着任し、鳳翔さんから航空戦を一から教わり、改めて戦史を眺めて…そして気付いた」

 

加賀がもたらす真っすぐな視線。それは、瑞鶴へ向ける温かい恵愛のそれではなく、凍てついた自責と憤りに満ちたものだった。

 

「私と貴女は…本来比べられるべき存在ではない。大日本帝国海軍で最も精強である空母は、苛烈で残酷な戦場を、矢尽き刀折れるまで勇敢に戦い抜いた『瑞鶴』、貴女であるべき」

 

力なく俯いた加賀は、しかしそれでも続ける。現実から目を逸らさない意志を瞳に湛えたまま。

しかし、それは同時に、瑞鶴にとっては受け入れられないものでもあった。

 

「そんなことない。私は運が良かっただけ。加賀さんが一航戦としてあの戦いに参加していなかったら」

「それが史実、というものよ。いくら仮定をしたところで変わらないもの――あなたがレイテで、すべての運命を受け入れたように」

「…っ」

 

言葉を失った瑞鶴に、加賀はまだ迷っていた。あれだけ、心揺さぶられる手紙を綴ってくれた彼女を失望させたくない思いは、確かにあった。だが、これだけは必ず、言わなければならないと思った。

 

「これでも尚、私を信じてくれるのなら…まだ、私の隣に居続けててくれるのなら」

 

そこで一度言葉を切り、顔を上げて瑞鶴を見つめる。再び涙が流れていたが、決意は揺らがなかった。

 

「赦してくれるのなら…これからも、貴女を支えさせて欲しい。私が学び、経験した全てのことを、貴女や翔鶴を沈ませないために伝えたい」

「加賀さん…」

 

縋るような目線ではあったが、加賀のそれは決して保身や打算に流された結果とは思えなかった。

歴史の因果を乗り越え、そしてそこに自らの義務を見つけたからこその言葉だった。今、ここで自分が赦さなければ、誰が彼女を赦すのか。瑞鶴にはそう感じられた。

 

「…赦すなんてできないよ」

「…っ」

「加賀さんを赦すのは、加賀さん自身」

「…!」

「私は加賀さんがいない鎮守府なんてありえないって思う。けれど、加賀さんが一人だけ責任を感じて…私たちに負い目を感じて過ごすことは、もっとありえない」

 

一歩踏み出し、加賀の肩を強く掴む。小さく声を上げ、喫驚の表情を明確にした。瑞鶴はそれに構わず、ほとんど密着したような距離感で胸中の叫びを吐露した。

 

「一人で抱え込まないで。私や翔鶴姉を見て感じる加賀さんの痛みを、責任感を、喜びを共有させて欲しい。他のどんな“加賀”でもない、あなたに出逢えた倖せを一緒に分かち合いたい」

「瑞、鶴…」

 

背の後ろに腕が回されて、加賀は抱きすくめられる。改二になって、元々高めだった瑞鶴の背は、彼女を追い抜いていた。

いつかは自らの元から離れていく瑞鶴の姿を無意識に思い浮かべたのは、今となってはひとえにこの機動部隊に、この鎮守府の一員として過ごしていきたいという、単純明快な願望の下に発生した情動であったことが、はっきりと理解できた。

 

「ずっと、皆で一緒にいようよ。この戦いが終わっても、皆でずっと。絶対に沈まないって約束して」

「…はい」

 

ぽつり、瑞鶴の瞳から零れ落ちた涙が加賀の肩に落ちる。彼女にとって、それはひどく重たい感触がした。

嗚咽を隠すことなく、二人はお互いを繋ぎ留めるように抱き締める。

水平線の向こう、傾いた日は次第に海と融け合い、水面を黄昏色に染めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで?」

 

龍驤は参加賞の間宮謹製どら焼きを頬張りながら、窓側の席で仲良くパフェを分け合っている一、五航戦のそれぞれへ目線を送りながらも、提督に向き直った。

 

「瑞鶴に何教えたん。審査員が書き方教えるのは反則やでぇ」

 

艦隊作戦の指揮を終えたその日の昼間。提督は休憩がてら本日の秘書艦である龍驤を伴って間宮を訪れていた。

龍驤を含め、艦娘たちの最近の話題は今日締め切りの手紙コーナーであり、審査員である提督と企画者の古鷹に注目が集まっていた。

 

「手紙を書く上で中核になる基礎だけだからな。他にも教えてあげた子がいるし」

「なんや。聞きに行けばよかったんやな」

 

セットの日本茶を啜り、ほう、と細く息を吐いて満足そうな笑みを浮かべた龍驤は言う。

 

瑞鶴に教えたのはただ一つ、自分の気持ちをそのまま原稿にぶつけること。

彼女が気付いたように、手紙には『表現するための壁』がない。あるといえば言語上の表現技法などの問題であり、面と向かって言えないことや、言い表すことのできないことを、手紙は届けてくれる。

艦娘になって、もしくは生まれて初めて書くことを経験した者も少なくはなく、したがって書き方に迷った艦娘たちに、提督はそのようなアドバイスを授けたのだった。

 

「ああ。瑞鶴もかなり迷っていたようではあったけど、最終的に渡せたみたいだ」

「加賀宛てやったな。あいつら最近仲良すぎて逆に困るわぁ」

「ははは…」

 

瑞鶴と加賀のような普段から仲の良い艦娘たちだけでなく、日頃文通を行わない者、配備の関係でそもそもコミュニケーションを行う機会の少ない者同士の距離が随分と縮まったようだと感じる。駆逐隊や水雷戦隊でも、新たな組み合わせを見かけることが多い。

結果的に、古鷹の発案は艦隊にとって良い刺激となったようだ。

 

「古鷹もこれだけ大規模になるとは想像していなかったらしい。最終審査も張り切っていたよ」

「そんなん()うてる場合なん?提督も審査員やろ?」

「ああ、あの子たちもそうなんだが…皆出来が良すぎるから最優秀作品なんて決まらないんだ。だから意見を聞きたくて」

「それは公平なんか…一応ウチも応募してんねんで」

「さっき読ませてもらったよ。確か鳳翔宛だったよな。『ウチにできること全てで、あんたを支えたい』っていうところが一番心に残ったよ」

「い、言わんでええねん!…あー、恥ずかし…」

 

再顧するとやはり筆が乗りすぎたと思ったのだろうか、情熱のままに文字を書いたことを若干後悔している様子の龍驤。

例にも漏れず、多忙で手紙を出せなかった鳳翔は彼女らから届いたそれにすっかり感動してしまって、来客の中に手紙を送り主を認めるたびに涙が溢れてしまうのであった。

 

「そうは言うけどな、決して悪いことではないと思うんだが」

「ちゃうねん…確かに書きたかったことではあるんやけど…後から見返すと、なんでこんなこと書いたんやろってなるんや」

 

分かるやろ?と加える龍驤。なんとなく言いたいことは分かるのだが、それも手紙の醍醐味ではないだろうか。

 

「なるほどな」

「あんたは誰かに書いたん?」

「生憎中部方面の指揮で筆に触る暇もなくてな。今朝ようやく一息ついたところだ」

「二水戦の子らやったっけ」

「いや、あの子たちは…まあなんというか、どうも夜戦が好きみたいでな。今回は三水戦に任せている」

「まあうちの一水戦と二水戦はキワモノ揃いやからな…一水戦に至っては勝手に指揮し出すやろうし」

「だろうな」

 

苦笑して、口元を押さえて欠伸を噛み殺す提督。

グアノ環礁での諸作戦行動では南方の激戦のように暴れ回るというよりは、効率よい撃破対象の設定や指示系統や規律への絶対遵守など、かなり器用にこなさなければ大型艦や鬼姫級に砲を向けることさえできない。

一度目は全員中破での帰投となった陽炎たち第三水雷戦隊も、今では全艦撃破も不可能ではない状態まで迫っている。

 

「眠そうやなぁ。選考はひと眠りしてからでもええんちゃう?」

「そうしたいところなんだがな。結果発表を待っている子たちもいるんだ」

「結果発表って…いつなん?」

「明朝9時だな」

「…参加者77人のうち、誰まで読んだん?」

「…5番の龍驤だ」

 

遠い目をする提督に、嘆息する龍驤。多分古鷹に言えば期限などどうにでもなるだろうが、この男は頑なに認めないのだろう。ならば、本日の秘書艦である自分にできることといえばただ一つ。

 

「…しゃーないなぁ。この際や、このウチの手紙を超える文才の持ち主を発掘したるで!」

「心強いよ。助かる」

「ほんなら早速行くでぇ!」

「おう」

 

提督は、手を引く龍驤の後に続く。数時間ぶりに浴びる日光は眩しく、身体が活気づくのが分かる。

 

「…」

 

思えば、手紙とはつまり、艦娘たちが自らの語彙と体験を振り絞り、最大限に自分の気持ちを伝えようとした努力の結晶ではないかと認識している。

龍驤も含め、今まで読んだ艦娘たちのものだけでも、心揺さぶるような感情の熱を感じるのだ。

あの大戦では、一艦一艦全てにドラマがあった。きっと、時代と世紀の間をまたいで記憶を受け継いだ艦娘たちだって同じはずである。

自分の使命は、()()()の胸に秘められた物語とその思いを受け止め、次の時代へ繋いでいくことなのだと、提督はごく自然に、そして本能的に感じ取っていた。

 

「ほらほらぁ!はよ行くでぇ」

 

爽やかな春めいた風が、遠くで手を振る龍驤の二つ結いにした髪を靡かせる。

目を細めて眺める提督は強く願う。運命が導く、まだ見ぬ艦娘たちとの出逢いを大切にしていきたいと。

 

また、それを“倖せ”と呼ぶために。

 

 



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第五十五話 夜明けの雨

一体何が書きたいのか分からなかったまま、最後まで書き上げてしまいました、いつも以上に訳の分からない話で申し訳ない。。。


「雨か…」

 

夜闇の中で、机上の電灯一つでは降り始めたそれに気が付かなかった。

しかしながら言葉を漏らさない限り、全くの沈黙が部屋中を支配しているので、光量の少ないなかでも感じ取ることはできたのだった、と心の中で結論付ける。

 

水平線の先の先を見つめていると、空が薄ら明けようとしているのが分かる。徐々に激しさを増すこの雨では出撃は難しいだろう。ただし、念のために警戒は行うべきなのだが。

荒天時航行は、実は艦娘にとって重要なスキルだったりする。荒波を乗り越え、雨天でもリズムを崩さずに行動できることは大きな強みだからだ。

 

「…夜間哨戒の子たちが集まってくるな」

 

日没後に出撃して行った第五戦隊との交代で出た第六戦隊が帰投してくる予定である。今度は第七戦隊、三隈・最上の第一小隊と、水雷戦隊旗艦である能代に率いられた白露、五月雨、春雨が続く。

目頭を押さえながら撥水性の上着を羽織り、積み上げられた未記入の書類の山の中から哨戒部隊に関するものを引き抜く。

雨音を聞きながら廊下へ続く扉を開き、真っ暗闇の足元へ電灯の光を照らす。

 

(この雨の中出撃してもらうのは申し訳ないが、後で何か、お礼になるものを…)

 

街中とは隔絶されている(軍事施設という側面ももちろんその理由の一つだが、この立地自体が既に未開の地だと主張する者もいる)鎮守府の中では、懐中電灯を使ってもまともに前が見えたものではない。

遠く、母港前の集合場所の灯りに向かって足を進めていると、何やら後ろから自分を呼び止める声が聞こえた。

 

「ま、待ってくださぁい」

「ん…?」

 

振り返ってそちらを照らすと、大変長い髪を揺らしながら涙目の艦娘が走り寄ってくる。

 

「うわっ!?」

 

急に明るい光源が目に飛び込んできたからか、驚いて目を覆ったその艦娘は、大きくのけぞると同時に足を滑らせてひっくり返りそうになる――

 

「おっと」

 

その前に、咄嗟に出した両腕が彼女の背を支えた。完全にコケたと思っていたのだろう、ぎゅっと瞑られた両目が恐る恐る開かれて、それと同時にきょとんとした表情を彼女――五月雨は浮かべる。

ドジっ子とはよく言われているのを耳にするものの、それは何事にも一生懸命で張り切りすぎてしまう結果なのだという風に解釈していた。

 

「大丈夫か」

「はっ!て、提督!?ど、どうもすみませんっ」

「俺の方はなんともないから平気だ。それより、この時間だから少し静かにな」

「そ、そうでした…むぐっ」

 

手で口を塞ぐ仕草をする五月雨。きっとこれも大真面目にやっていると考えると、とても良い子なのだと思う。

少し頬が緩むのを感じながら、そうこうしてはいられない時間であることに気付く。

 

「もう〇三三〇だな。今朝はどうしたんだ?」

「も、申し訳ありません…懐中電灯の電池が切れてしまっていたみたいで迷ってしまって」

「なるほど。そういえば、昨日江風がつけっぱなしで置いて行ってたからな。残りが少なかったのかも知れない」

「いえ…残量を確認しなかった私にも責任がありますので」

 

躊躇わずに自らの非を認め。妹である江風を庇うところにも彼女の誠実さが感じ取れる。

「間に合うだろうし、問題ない」と五月雨を落ち着かせて先を急ぐと共に、そんな彼女をすっかり応援したくなっているのだから、これでは鈴谷や夕雲にまるで父親だと指摘されるのにも納得してしまうのだった。

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「もーっ、遅いぞ五月雨」

「ご、ごめんなさいっ」

 

小走りで母港前の待機所に向かうと、白露が両手を腰に当てながら妹を待っていた。どうやら春雨も一緒らしく、自分の後ろに五月雨の姿を認めると、ホッと息をつくのが見て取れた。

引率の能代を含め、半ば責めるような目線を感じたので、ここは弁明してやらねばと思って口を開く。

 

「電灯の電池が切れていたみたいでな。昨日少し使いすぎていたみたいで、気付かなかったのも無理がない」

「て、提督」

 

少し驚いた様子の五月雨を一瞥して、続けて彼女らに語りかける。

 

「あっ、それで司令官に会ったんですね」

「なんだ、それならそうと言ってくれればいいのに」

「あ、そ、その」

 

今まではきっと、彼女も自分の責任だと言い聞かせてきた部分はあるだろう。多くの場面で沈黙は金であるが、言うべきところを見極めて発言するのも大事なことだ。

 

「さ、それくらいにしてそろそろ出撃準備はじめるよー」

「「了解っ」」

 

用意された艤装が集められた隣の兵装庫前で、旗艦の最上が呼びかける。

それに応えて白露たちがばたばたと駆け寄る前に、あえて彼女の名を呼んだ。

 

「五月雨」

「は、はいっ」

 

ぴくっ、と肩を震わせて振り向いた五月雨に苦笑してしまう。

多分、これが『五月雨』の持つ性格なのであり、それは決して悪いことではないのだろう。

一人だけ作業が遅れてしまっても、彼女は自分の時間を削って丁寧に任務をこなすだろうし、たくさん失敗しても、その分人より多く学んでいるから、次はミスしない。

当たり前のことを、当たり前にこなせるように、彼女は努力を惜しまないのだ。

 

そんな思いで、出撃前の彼女へ向けた言葉を紡いでいた。

 

「大丈夫、普段通りの五月雨で行ってこい」

「…はいっ!」

 

曖昧な言葉の意味が伝わったのか、それは分からないけれど、雨の中でも彼女は元気いっぱいに笑っていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さてさて…」

 

第七戦隊の面々を見送って、積まれていたタスクを片付けたのち今に至る。

残念ながらその多量さに完膚なきまでに叩きのめされてしまったため、多忙のあまり彼女らを迎えにいくことは出来なかったのだが、そのお詫びに彼女らの朝食を「鳳翔さんの朝食券」で豪華にしておいた。

初めて食卓に並んだときは、ここは旅館かどこかだという錯覚に陥るほどであったので、おそらく満足して頂けると思う。

 

「今朝はずっと動きっ放しね。大丈夫かしら?」

「ああ。溜まっていたのも今日で終わる見通しが立ってるからな」

「終わる、というより()()()()()でしょ?んもう」

 

これでも食べて、と言いながら本日の秘書艦、村雨がおにぎりの乗った皿を差し出した。

 

「ありがとう、どうにも手を離せなくてな」

「部下の朝食を豪華にする前に、まずは自分が朝食を食べないとね」

「それを言われると痛いな」

 

最もなことを言われてしまったのだが、こちらの事情もよく知っているらしく、村雨は笑っていた。

おにぎり一つとっても塩加減といい料理上手なのが伝わってくるが、果たして彼女は駆逐艦なのか、それともこちらの駆逐艦に対するイメージが幼すぎるのかは分からないが、ともかく自分の幼いころと比べてすっかり感心してしまっていた。

 

「うお、酸っぱい」

「あっ、それ大当たりよ。朝の遠征に出る時雨ちゃんたちに作ったうちの一つ」

 

こうやって子供っぽく笑うところは年相応なのであるが、なんて考えているそばで雨音が強くなるのが感じられた。

窓辺の様子を窺えば、雨粒は第七戦隊を見送った時よりも大きく、そして激しく降り注いでいた。

 

「でも旨いぞ。結構好きだな」

「えっ、ほんと?自分で言うのもなんだけど、かなり酸っぱいわよそれ」

「自家製なのか?」

「ええ。まだまだ初心者だけどね」

 

(本当にこの子は駆逐艦なのか…)

 

えっへん、とおどけて胸を張る村雨にただただ感嘆の視線を送る。戦闘ができるだけではなく梅干しまで作れる艦娘、もとい女性はそうそういないのではないだろうか…。

 

「それにしても、ひどい雨ね…あっ、そうそう。五月雨たちの見送り、ありがとね。傘も置いて行ってくれたから助かったって言ってたわ」

「この雨の中の出撃だからな。それくらいはさせてくれ」

「ふーん、優しいじゃない」

「どこの司令官も同じだと思うけどな」

「じゃあ、村雨が出撃するときにもよろしくね」

「もちろん」

「んふふっ、やったあ」

 

喜びを全身で表現するように、小さく跳ねる村雨。そう思ってくれているのであればありがたいことこの上ない。

最後のおにぎりを食べ終わって、「ごちそうさま」を言うと、彼女は真っすぐに満面の笑みを見せるのだった。

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「よし、できた…」

 

村雨のお手製朝食を頂いてからかれこれ二十時間。日は暮れても雨は降り続け、もう第七戦隊を見送ってから一日が経とうとしているのだ。

その間働きづめという訳ではないが、ほぼ書類には触れていたような気もする。これに付き合ってくれた村雨はもうすっかり眠ってしまっていた。

 

「村雨、起きれるか」

「んう…」

 

寮室で眠るように勧めたのだが、「これも秘書艦の務めよ」と言って譲らなかった。お陰でかなり助かったが、ここまで付き合わせてしまったことには申し訳なく思う。

外ではバケツをひっくり返したような勢いの猛烈な雨が降るようになっており、本棟と接続していない白露型の寮室に彼女を担いで移動するのも一苦労な予感がした。

 

「あれ…私、寝ちゃってた!?」

「うおっ」

 

突然、勢いよく起き上がった彼女を間一髪で避ける。

 

「あ、ああ。だけど、手伝ってくれたお陰でかなり助かった。ありがとう」

「いえいえ…っていうか今何時なの?」

「あー…二時ちょうどだな」

「これ、私が帰ってたらまだ掛かってたかもってことでしょ?」

「そ、そういうことだな」

 

まったく彼女の言う通りで、咎めるような目線からついつい目を逸らしてしまう。残業を抑えるようになったとはいえ、(不本意ながら)やることは結局変わっていないというのが現状である。

 

「もうっ、無理はしないでって言ってるじゃないですか。寝ておいてなんだけど」

「すまない。どうしても間に合わなくなってしまって」

 

尚も頬を膨らませている村雨に、必死の弁明も試みるも無意味なようだ。ほのかに灯っていた明かりがもたらす陰影でくっきりした目のクマがバレバレである。

それを証明するように、彼女の指が目元をゆっくりとなぞっていく。

 

「明日は…というか今日は見送りを止めてもう寝たほうがいいですよ」

「いや、そういう訳にも…」

「むう…」

「…そうだな。また朝からの執務もあるし」

 

目線を感じながらも、ここは体調第一、素直に従っておくことにする。

村雨に背中を押されながら気付いたが、よく考えれば彼女は寮室に戻れるのだろうか。ふと、それを口にしてみる。

 

「村雨」

「はぁい?」

「この雨だが、外は大丈夫か?戻れるか?」

「え?」

 

そう言って村雨の覗き見る窓の向こうでは、豪雨といって差支えないほどの雨が今も降り続く。恐る恐る横目に見る本棟の仮眠室への廊下は真っ暗で、月明かりも雨雲に遮られて届かなかった。

 

「…提督のお部屋、借りてもいいかしら」

「もちろん」

 

時折光って鳴る雷の音に肩を震わせる彼女に、子供らしさの一片を感じられて何故か笑いが込み上げてくる。

彼女といい時雨といい、出会ったときよりもすっかり大人っぽくなった駆逐艦は多い。それを考えると、まだまだ芯の部分は変わっていないようでなんだか安心してしまう。

部屋に入って電灯を点けると、へたへたと村雨が座り込んだ。

 

「はあぁ…怖かったぁ」

「大丈夫か。何か温かいものでも用意しよう。その間にシャワーでも浴びてきたらどうだ?」

「そうさせてもらいます。あっ、でも着替えが」

「そうだったな…ん?」

 

一番重要なポイントを忘れていたので困っていると、ふと袖を引く感覚に気付いて振り向く。

いつの間にか部屋に潜入していた妖精さんが、自信満々の表情をしてサムアップしていた。

 

「あら、この子確か入渠ドッグの…」

「はい、ぎそうのしゅうふくたんとうです。むらさめさんのせいふくもなおしてます」

「なるほど。その力を貸してもらえる訳だな」

「ええ。ねまきくらいなららくしょーです」

 

そう言った妖精さんが、村雨に向き直ってなにやらにやにや顔を向けた。

 

「なにかあるといいですね」

「ちょっ…もうっ!」

「…どうした?」

「な、なんでもないです!」

「もがが」

 

何を言ったのかは分からなかったが、とにかく村雨が妖精さんの口を塞ぎながら、異様に顔を赤くしていたことだけは分かった。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「はぁー…温まりますねぇ」

「間宮に入れ方を聞いたんだが、市販のものでも時間を掛ければイケるんだな」

「うんうん。甘くて美味しいですっ」

 

一口飲むごとに脚を伸ばしてパタパタ振る村雨。妖精さんも一緒である。

 

「落ち着いたか。外はまだひどい雨だが」

「どうしよう…ね、妖精さん」

「わたしはもうねむいのでおやすみします」

「ここに住んでたんだな…」

 

居住者もびっくりな真実を告げてふよふよと飛んでいく彼女を見送りながら、提督も一口啜る。

激しい雨によって気温は大きく下がり、早くも冬の訪れを感じさせるほどであった。

 

「寝床はすまないが俺のベッドを使ってくれ。あと、寒かったら暖房も」

「でも、それだと提督はどうするんですか?」

「ソファーだな、執務室のブランケットもあるし」

「そ、それは村雨的に良くないかも」

 

わたわたする村雨に手を振りながら歩いていく。こうなったのも彼女に部屋に戻るよう説得しなかった自分の責任なのだから当然だ。

底冷えしてきた晩秋の夜、確かにこれは厳しいかもしれないが、昔のことを思えばどうとでもなるというのが素直な感想である。

 

「さあ、もう寝よう。明日に響くと悪い」

「…もん」

「?」

「提督が自分のベッドで寝てくれないと、私も寝ないもん」

「お、おいおい」

 

そう言って、村雨はベッドから起き上がると、一瞬のうちに強引に腕を引き寄せた。思わず膝をついた提督の顔が、至近距離で映って顔が赤くなるのが、自分でも分かる。

ここが正念場だと言い聞かせるように、というか言い聞かせて加速する鼓動を抑えようとする村雨であった。

 

「ねえ、こうして一緒に寝ればいいでしょう?」

「ほ、本当にいいのか?迷惑じゃないか」

「それは、私が聞くべき台詞なんだけど…」

 

提督は、引っ張られるままにして寝床へ身体を収める。

布団を掛けて、今度は村雨がベッドの隅に手をついて提督に問う。

 

「私もご一緒しても、いいかしら?」

「ああ。もちろん」

 

一種の悲痛ささえ感じさせるその視線、そしてその表情には、もはや駆逐艦らしいあどけなさなど見る影もなく、ただアダルティに、左右で互い違いの色をした瞳を潤ませた村雨が、ココアを飲んでいた先程とまるでは別人のように思われた。

降りしきる雨音の中、布がこすれる音が響いて、彼女も同じように寝台へその身を委ねる。

 

「ん…しょ」

 

備え付けのベッドはやや大きめではあるが、二人が寝るには狭い。寒さも相まって、温もりを求めて自然と寄り添う形になる。

 

「狭くないか」

「うん…あ…っ」

 

意図せずして、至近距離で視線が絡み合った。意表を突かれて、しどろもどろしてしまう村雨。

 

(ちょっ、まっ…!むむむ無理かもぉっ!)

 

この状況を自らが望んだとはいえ、圧倒的経験値不足によって心拍的にもたなさそうだ。

 

(緊張しているか…誘われるがままだったが、あれはやはり遠慮しようとしていたからで、こうなるのも不本意だったのか)

 

そんな村雨をよそに、通常通り斜め下へ思考が傾いていく提督の眉が曇る。

彼としては艦娘の望まないことはしたくないのだが、それがこのような場合はどう接すれば良いのか、途方に暮れていたのだった。

 

「あの…ね」

「ん?」

「今日も…多分、明日も提督は頑張ってて…それで、きっと邪魔になっちゃうと思うんですけど…それでも、執務のお手伝いをしたり、今夜みたいに、一緒にお話ししてくれると、嬉しい…ですっ」

「…!」

 

意を決するように見上げた彼女の目線を見て、提督は理解した。

見た目や仕草がどうであれ、村雨の中核を成すものはその言動、そして心に表れている。とりとめのない会話をし、その時間を共有したいという彼女の言葉は疑いようもなく真だろう。それ故に、ただ彼女は、自分や艦娘たちとの出会いを大切にし、またより親しくなれるように歩み寄ろうとしてくれているのだと推察したのだ。

 

「邪魔になんてならないさ」

 

そこで一度言葉を切り、俯いていた村雨の頭を緩く撫でる。

なにやら小さく声を上げたようだが、概ね彼女は心地好さそうにそれを受け入れていたようだった。

 

「…今みたいにすること、迷惑じゃないか」

「ええ。もちろん」

「まあ、毎度のことで申し訳ないが…俺は、これだけ生きていても、まだ自分が生きる意味だとか、それに代わるものを見つけられないでいる。それで、君たちと触れ合い、関わり合うことに対して、相応しくないのではないか…そう思うんだ」

 

情けない話だが、とさらに呟いた提督を、村雨はじっと、神妙そうに見つめていた。そんな目線に提督が気付くのとほぼ同時に、彼女は両手で頬を包んだのだった。

 

「…提督は、本当に真面目なんですね」

「こういう性分なのは重々承知しているが…こればかりは譲れないんだ。過去の英霊を引き継ぐ艦娘たちに、生半可な覚悟で接してはいけないと思う」

 

目を伏せるとともに、少し後悔した。弱弱しい自分をこうも簡単に彼女に見せてしまっても良いものだったのだろうかと思った。

しかし、そんなことは些細な問題だというように、村雨は微笑んで、ぎゅっと片腕を抱き締めた。

 

「そんなに考え込まなくてもいいんですよ…って言っても、多分提督は納得してくれないだろうから…」

「?」

 

胸元に擦り寄って、顔を埋めてくる。村雨のもてる最大限の勇気を振り絞ってのことだった。それほどまでに、伝えたい言葉があったからだ。

 

「私が戦う意味は、提督に生きて欲しいから。提督が提督として、私たちと一緒に戦って欲しいから。それが、あなたの生きる意味になるなら…村雨、とっても嬉しいです」

「…参ったな」

 

初めは冗談かとも思ったが、その目を見、そして村雨の覚悟を感じ取って、とてもそれが嘘だとは言えなかった。

同時に、それに応えたいと思ってしまう自分がいたのも事実で、現に今もその思いは覆りそうにないほどに、胸の情熱は冷めることがなかった。

 

「ずっと思ってたこと、言っただけですよ?」

「そうなのか…それは、とても嬉しいことだ」

「そ、それで…どうですか。私の質問」

「ああ、もちろん――」

 

差し出された手を取り、緩く握る。ほぼ答えは出たようなものだったが、敢えて告げた。

 

「村雨たちと、これからを生きていきたい。その真っすぐな思いに応えるために」

 

――長雨が、その一瞬だけは止んでいるような気がした。

 

 

 




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第五十六話 お酒と艦娘(任務娘編)

お待たせしました。


事の始まりは、夏季特別海域攻略作戦のお祝いの二次会を、この四人で行おうという明石の発案だった。

潜水艦作戦を支える潜水母艦と、それを指揮する戦闘指揮艦、そして補給、修復面を支えた工作艦たちの活躍は他の戦闘艦娘たちとはまた違ったものとなり、したがって同艦種で集まって、互いに労おうという彼女の発言はもっともなものだった。

 

(だけど…)

 

しかし、それは同時にある事実を意味していた。それは、その四人のうちの一人である大鯨――今は龍鳳だが――にとって見過ごすことのできない事実でもあった。

 

「――ぷはぁ!うまいっ」

「いやー…やっぱお酒最高だわ。というか、ビール最高」

「なに言ってんですか。日本人なら日本酒飲まなくてどーすんですか。ひっく」

「あ、あのぉ…」

 

――龍鳳を除く三人は、そろいもそろって酒癖がひどいということなのだ。

 

「ちょっ、そんな一気に飲みするのは危ないですよぉ!」

「いーじゃないですか。こんな時くらい飲まないとやってられないんですよぉ!…ひっく」

「あっはっは!大淀酔いすぎだって!酒弱いのに日本酒とか飲むから」

「明石さんも笑いすぎですぅ!やっぱり酔ってるんじゃないですかぁ」

「「あっはっは!」」

 

龍鳳による制止をものともせず、浴びるように酒を飲み続ける三人組。普段は割と大人しい方――というか、担当分野に物凄い熱量を注いでいるために騒ぐといったことがない分、いざ酒を入れるとなるとここまで豹変してしまうものなのかと舌を巻きつつも嘆息する。

 

「もぉ…」

「まあまあ、龍鳳も飲みなよ、はいこれ、私のビールだから」

「『私のビール』とか言いながらメロン味のビール作っちゃってる辺り、完全に夕張ですよね」

「完全に夕張ってなんだよ」

「まあまあメロンちゃん落ち着いて」

「誰がメロンだ誰が!」

「まあ胸はメロンどころか蟠桃(ばんとう)ですけどね」

「わざわざ平たいということを表現するためだけに蟠桃を持ち出してくるのは流石大淀だよね」

「くそっ…見たことないのに形だけは分かる…ってかそれに関してはあんたもでしょうが!」

「言ってしまいましたね…それを…」

「あっはっは!」

 

やりたい放題の三人組を見ていると、尚更溜息が出てくる。この惨状はひとえに酒、つまりはアルコールがもたらしたものだということを考えると、やはり酒というものは十分気を付けなければならないというのが分かる。

比較的頭脳派であるはずの(というか、大淀に至っては艦隊の頭脳であるはずなのだが)彼女らとは思えない乱れっぷりだ。

 

「要らないのよ。()()()()()あればそれ以上は」

「そーだそーだ!」

「必要なだけ?今必要なだけって言った?」

「うるせえええ!」

「もおおおおぉ!」

 

見ていられず叫び出した龍鳳に、酔っ払いの半目の目線が集まる。完全に呑まれているのか、びっくりしているといってもほとんど半笑いの節がある。

 

「うわっ、どうしたのよ龍鳳」

「皆さん酔いすぎですよ!明日もありますし流石にこれ以上は…」

「だいじょーぶですよ…明日は提督の出勤ですし、艦隊指揮は吹雪さんが代行してくれるそうですし」

「工廠もさっき修理終わらせてきたしねー。やっぱ夕張と五月雨ちゃんいるから効率が違ったわ」

「ふふん、やるでしょ」

「流石夕張、仕事上手」

「夕張(さん)は格が違った」

「でも胸はメロンじゃない…どうして?教えてよ大淀!」

「訳アリなんでしょう、きっと…メロン(くだもの)だけに」

「うるせえええ!」

「「あっはっは!」」

「もうやだ…」

 

唯一のストッパーを差し置いて大笑いする酔っ払い一同。完全に顔がアルコールで赤く染まっており、もはや事態の収束は不可能だということを、残酷にも龍鳳は悟らされていたのだった。

ふと、目線を三人から逸らしていると、畳に置かれた机の脚の裏側に震えながら隠れていた妖精さんを見つけた。

 

「…どうしたんですか?」

「や、やべーです…ここからはやくにげましょう」

「に、逃げる?」

 

事の重大さを伝える妖精さんは、今にも逃げ出そうとしている。それほどまでに、彼女らに捕まるということは不味いのだろうか。まあ、なんとなく分かってしまうのだが――

龍鳳の掌に乗ってわたわたと両腕を振る妖精さん。

 

「かんむすのかたがた、おさけをのむとひょうへんするひとおおいです」

「つかまったらいっかんのおわり」

「そのご、かのじょをみたものはいなかった――」

「ま、まあそれは明石さんたちを見れば分かりますけど…皆さん全員がそういう訳では――」

「…そりゃ、おぼえてないですよね」

「え?」

 

ぼそっと声を発した妖精さんが何を言ったかは聞き取れなかったが、おそらくは大抵明石たちへの愚痴だろうと思った。

頭上に疑問符を冠したままの龍鳳に溜息をついて、妖精さんは宙を眺めている。

 

「…あっ、きたきた、きました」

「え、な、何が――」

 

そう言った途端、目の前に何か、高速の物体が通過した。驚いてのけぞりそうになる。

 

「な、何ですかぁ!?」

「きんきゅうだっしゅつのための、やむをえないそちです」

 

その物体――龍鳳自身も見覚えのあるそれは三機の艦載機、もっと言えば艦上偵察機「彩雲」である。

まさに「我ニ追イツク敵機無シ」と言わんばかりに高速で再び掌上を走り抜け、そこへ絶妙なタイミングで妖精さんが飛び乗る。

やむを得ない措置、というのは恐らく艦載機の無断使用ということだろうが、罰せられるのは離艦のための飛行甲板を貸し付けたか、妖精さんに気付かないまま甲板そのものをほったらかしにした空母艦娘の誰かなので問題ないのだろう。

 

「――りゅうほうさんも、ほどほどにしてくださいね」

 

そんな言葉が、聞こえた気がした。

 

「えええ…」

 

あっという間に見えなくなった彩雲が飛び去って行った方向を、呆気に取られて見つめたままの龍鳳。

一体彼女の言葉がどういう意味を持っているのかが分からなかった。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「…でさぁ、私、特技とかあるわけでもないし?真面目にっていうか、何かを続けることくらいしかできなくて、自己嫌悪に浸ってたわけ。でも提督は『自分の為に、他人の為に努力できる君は素晴らしい』って…」

「うあー。言われてみてぇ…」

「それ最高ですよね…任務で死にそうになってる時にループ再生して聞いていたいです」

 

各々は一通り作戦での活躍を労いあい、大量の猫を見ただの夜戦バカがうるさいだのとこの頃の近況報告を済ませると、今度は提督についてのあれやこれやの話題を持ち出した。

 

「提督はどうなんだろうねー。好みのタイプとかあるのかな。今は執務が恋人って感じだけど」

「実際エグいですよ。私や吹雪ちゃんが補佐してるって言ったって、ほんの一部ですし」

「さっきの話の時も、朝の遠征部隊を見送りに来て私を見つけたらしいし、一体いつ寝てるのって話なのよね」

 

彼の元に着任してから、それぞれ差はあれど五年程が経とうとしている訳だが、謎は深まるばかりである。

ともかく彼女らの目には、提督はかなり魅力的に映っているようであった。

 

「龍鳳はどうなの?提督のこと何か知ってる?」

「へっ、私ですか!?」

 

謎の答えを迫る三人組の目線が、龍鳳に向けられる。

当の本人は完全に予想外だったらしく、慌てた口調で返事をした。

 

「鳳翔さんと一緒にデッキブラシでしばき倒したってことしか知らない、私」

「そ、それは誤解なんですぅ!」

「それあったねー、もう懐かしい」

「んでんで、どうなのよ龍鳳」

「えと…そ、それは…」

 

 

もじもじと両人差し指をつつき合わせる龍鳳は、かなり照れているのか、呑んでもいないのに顔が真っ赤になっている。

そんな彼女の様子に業を煮やした艦娘が忍び寄っていた。

 

「龍鳳、あーんして」

「ふぇ?あー…」

「ほい」

「んぶっ!?」

 

夕張が特製ビール(メロン風味)を龍鳳に流し込む。みるみるうちに顔を赤くして、かくっと首を垂れた。

 

「ええ…大丈夫なのそれは」

「まあまあ」

「おーい、りゅーほー?」

「…です」

「へ?」

「好きなんですぅ!」

「「…」」

 

突然のカミングアウトをかました龍鳳に、三人が呆気に取られてぽかんと彼女を見守っていた。

頬は先程までより赤みが増しており、彼女がどれだけ酔っているのかというより、どれだけ酒に弱いというのかが分かる。

 

「りゅ、龍鳳…?」

「龍鳳さんの秘密を知りたいという訳ではないんですが…」

「これ絶対酔ってるよね?」

 

三者三様の反応を見せるが、予想外のシャウトに驚きのあまり酔いが覚めた明石たち。何か、龍鳳の奥深くに秘められたものを解放してしまったような気がして焦り始める。

 

「私、てーとくさんのことが好きなんですよ」

「存じ上げております」

「ここに来る前の鎮守府じゃあ、訳も分からず潜水艦作戦に連れていかれて、失敗したら延々と叱られて…何が悪いのかも分からないまま、バケツを被ってまた再出撃…もううんざりでした。でも、ここのてーとくさんは親身になって一から教えてくれて…自分が眠る時間なんかお構いなしで」

「お、おう…」

「だから今度こそ恩返ししたいんです!ついでに恋人艦にもなりたいんです!」

「ついででなられちゃ困りますね」

 

溢れ出る思いが止まらない龍鳳であったが、それぞれ共感はできるのだろうか(若干引き気味ではあるが)、明石などは腕組みをしながら頷いていたりする。

 

「まあ、みんな思ってることは近いってことですよね」

「そのためにどうするかが問題ってことよねー…」

「龍鳳さんは提督のことで、何か知ってたりしますか?」

「ええとぉ…あっ、由良さんと古いお友達だったそうですが」

「あー…由良ねぇ」

「夕張、なんか知ってるの」

 

なにやら深刻そうな表情の夕張。それが由良の話題に因るものだと予感して、大淀も似たような顔になった。

 

「あの子、めちゃくちゃ仲良いですもんね…」

「再会の約束までしてたらしいじゃない。舞鶴まで回航してきたときもめちゃくちゃにやけてたし」

「両想いですかねぇ…」

「そんなの勝てるはずないじゃない…」

「はぁー…もうまじ無理…」

 

夕張はぐだぁ、と卓に伏せるが、思いは龍鳳たちも同じようで、あまりの恋路の困難さに挫けそうになっているようだ。

由良がその座に着くかどうかは置いておくとしても、実際に夕張が漏らした言葉の通りであって、分け隔てなく艦娘たちに接している彼にとっての一番になるには、まだまだ遠いように思えた。

 

「でも大淀とかいいじゃん、提督と毎日顔合わせてる訳だし」

「そうなんですかぁ!?羨ましいです」

「合わせるつっても書類とですしねぇ…雰囲気もなにもあったもんじゃないですよ」

「そういや先週夜勤明けに改修報告しようと執務室に寄ったけど、大淀も提督も顔物凄かったもんね」

「アイシャドウとか言ってられないですよ」

「大淀がメイク道具の話でボケてるんだけど…」

「この子なりに知識を振り絞ってるんだから最後までやらせてあげましょうよ」

「ふ…ふふっ…」

「ちょっと、なに龍鳳さんまで笑ってるんですか」

 

不満げな顔をする大淀。実のところ、潮水に血汗入り混じる戦闘に化粧もなにもあったものではないので、彼女のようにそれらに手を出さない艦娘は多い。もっともはじめから必要ないと口を揃えて言う者が大半なのだが――。

 

「まぁ男性だし、その辺の事情も知らずに提督になった人だしねぇ」

「私服だってついこの間までなかったですもんね」

「…え、そうなの?」

 

何故提督の私服の事情を知っているのかはともかく、告げられた事実にはもはや悲嘆や同情などできずに唖然としてしまう。

いつか教えてもらった彼の過去は確かに凄絶で、想像などできないほどだったが、こうして現在も彼が背負い続けているものの重さを考えれば、途方もないストレスと責任感が彼を襲っているのだと感じられた。

まさか私服の話ひとつで、ここまで心が痛むとは思ってもいなかった四人。

 

「ほんと、色々と凄いひとよねぇ…」

「だからこその人望じゃない?私だって、この鎮守府で特別困ったことなんてなかったけど。その分提督が気を配ってくれてたってのもあると思う」

「普通なら、それに応えなきゃってなりますもんね」

「まあ、問題意識はあれど、今はこのままでいいのではないでしょうか?艦娘には艦娘、提督には提督に適した役割があるはずです。書類や艦隊指揮も、吹雪ちゃんや私だけではなくて、熊野さんや連合艦隊の方も参加されるようになっています。段階を踏んで、提督の負担を減らしていければ」

「私たちは改修工廠、龍鳳は烹炊に潜水艦ね。それぞれ得意技を活かしてサポートするってことか」

「なんかやる気出てきたわね…いよっし、明日からも頑張るかぁ!」

「おーっ!」

 

酔いは回っていたが、熱意は本物だった。

威勢よく鬨の声を上げて再び乾杯をした四人は、その後も熱を帯びた会話を繰り広げ、時に激論を交わすのであった――。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「たすけて、たすけてください」

「かくまってくれぇ」

「お、おお…?」

 

“イベント”後定例となった書類との殴り合い(婉曲表現)にひと段落つけてコーヒーを啜っていると、扉を抉じ開けて妖精さんたちが入ってきた。船ではなく艦載機だが、掲げている信号機は白地に赤のばつ印、つまりV旗は『救援求ム』の信号だろうか、他二名の妖精さんたちがC旗、B旗と交互に掲げているので恐らく間違いない。

 

「どうしたどうした」

「よっぱらいどもがごらんしん」

「まさかここまでとは」

「酔っ払い…?戦勝会は昨日だったような気がするが」

 

突然の乱入に困惑するが、冷静になると何故艦載機が鎮守府内で飛行しているのかが気になる。

それほどまでに逼迫した状況であれば哨戒機や警戒線部隊からの連絡がないとおかしい。

そう考えて、妖精さんのきまぐれかとも思えば、彼らはかなりの焦燥した表情を浮かべているので、一体何事なのかと当惑してしまっていた。

 

「じつはあかしさんたちがかくかくしかじか」

「明石が?…ああ、そうか。今日は四人で祝勝会をするって言っていたな」

「りゅうほうさんがよそういじょうによわかった」

「…止める子がいないってことだな」

 

なんとなく事情を察した提督。この慌てようでは相当なのだろう。

経験上、本音を言えばなかなか気乗りしないことは事実なのだが(隼鷹や千歳で慣れているので)、それは艦娘ではなく酒のせいなのだと腰を上げる。

 

「よし、行こうか」

「ごどうこうかんしゃします」

 

敬礼する妖精さんに手を差し出して肩に乗せ、タオルや水、そして何に使うのかはお察しのビニール袋と新聞紙の入ったバッグを持って、彼女らの待つ宴会場へと向かうのだった。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「んみゃあー…あれ、てーとくう?」

「相当呑んだんだな。…なんだこれ、ウォッカの空きビンか!?」

「まだもういっぽんあります」

「おおう…これは凄いな。ほら夕張、少し冷たいが水だ。飲めるだけ飲め」

「ありがとー…んぐっ」

 

横になっていた夕張の背を支えて、主人のいない酒保から買った水をゆっくりと飲ませる。代金は代理の妖精さんに支払い済みだ。

 

「うええ…きつい…もう無理ぃ」

「ま、不味い!妖精さん、頼む」

「びにーるたい、あかしさんのまえへーっ!」

「おろろろろ…」

 

おおよそ国防を担う艦娘とは少しも相応しくない惨状(嘔吐)の現場から目を逸らして、提督は遠くを見つめていた。

考え方を変えればこれも提督の務めだ…と思っておきつつ、ともかく膝元で寝かせている夕張を用意したクッションの上へ寝かせて、軍装を緩めてもらうように妖精さんに指示し、彼女らと場所を交代する。

 

「…詰まりはないようだな。明石、きついか」

「…ゔあー…頭痛いですぅ」

「頭痛だな。薬も渡すから、少しずつ飲んでくれ」

「飲ませてくらさいー…」

「…分かった、分かったから離してくれ」

 

明朝このやり取りを咎められたくないので気は進まないのだが、仕方なく夕張と同じようにする。

妖精さんが対処中の大淀はほぼ熟睡なので、恐らく今すぐ問題は起こらないであろうと思う。

――したがって、目下の問題は部屋の奥で一升瓶を抱えて座る彼女、龍鳳のみとなった。

 

「おおよどさんのしょち、かんりょうです」

「よし、最後だ。そうだな…人員はビニール袋の君たちを残して片付けに回ってくれ」

「がってんしょうち」

 

旗を振ってテーブルの方へ向かった彼女らから目線を龍鳳に向ける。大淀と同じように眠っているようであったが、すぐそばで腰を下ろすと、うっすらと目を開けた。

 

「ん…あれぇ、てーとくぅ?」

「龍鳳、大丈夫か。酔っていないか」

「よってなんかいませんよぉー」

「おっと!りゅ、龍鳳」

 

全く信憑性のない言葉を吐きつつ、提督に抱きついた龍鳳を深刻そうな眼差しで妖精さんたちが見守っている。

つまりは、提督の胸元で爆撃(意味浅)をされてしまうと、大変なことになるわけで――。

 

「――ゔっ…!」

「りゅうほうさんっ…ま、まさかッ」

「…っ」

 

迫真の叫び声を上げた妖精さんを見て、提督は察した。

濁流()が胸元を奔りゆくのを眺めながら、彼はそれでも、これも日々戦いを繰り広げる艦娘たちを支えるという重要な仕事なのだと、そう思うしかないのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あら、提督。おはようございます」

「間宮。おはよう」

 

翌日朝、夜の騒乱を妖精さんと共に何とか切り抜けた提督は殆ど徹夜だった。

あれから例の現場を思い出して()()()()しまったのは別の話。

 

「今朝はしじみ汁か。ありがたい」

「提督、お好きでしたか?」

「いや…あの子たちがね」

 

振り返ったその先には、食堂の卓で頭を抱える艦娘たちの姿。

 

「い、いたいぃ…」

「完全に飲み過ぎましたよね…でも、なんだかいつもより楽みたい」

「昨日のこと、なぜか覚えてないのよねぇ…龍鳳は?」

「私もです。うーん…」

 

そんな彼女らの会話に苦笑いを向けた提督と、受け取り口の台の上で、肩を竦ませて両手を上げる妖精さんの様子で、間宮はなんとなく、昨夜のあったことを理解したようであった。

加えて、日に日に濃くなっている上司の目の隈の深さが、それを肯定している。

 

「まあ、そんな訳だ。今日は早めに休もうか」

「きょうはこうしょうもおやすみですし」

「な、何だか申し訳ありません。それとなく、言っておきますので」

「わたしだってゆったんですよ。『ほどほどに』って」

「ははは…そうなのか」

 

乾いた笑いで、改めて四人の卓の方へ目線を移す。

見た目と年齢は違うとは感じつつも、やはりこうしたところを考慮すると呑まれてしまう部分もあるのだろう。

しかしながら、呑まれることも教訓になる…ことを願っている。

 

「…妖精さんには申し訳ないが、これも大切なことだろう。日頃の鬱憤を晴らして労い合うのは必要だ」

「それでは、こんやはわれわれのばんですか」

「私もご一緒します。間宮特製のご馳走を用意しますよ」

「いいな。俺も手伝おう」

 

妖精さんの魅力的な提案に、二人は快く頷いた。

鎮守府でも随一の働き者が集まる酒会は、一体なにが肴になるのか、そしてどうなるのかすらも分からないが、これでも三者ともに期待感を胸に膨らませていることは確かなようだった。

 

「ん―…?」

 

一方、龍鳳たちの卓では、昨夜の記憶を思い出そうと首を傾げる者と、頭痛に悩まされる者、メガネの曇りを拭く者などなど、ともかく、昨夜の真相に辿り着く者はいないようであった。

 

それでも、やがてそれに気付く龍鳳たちが羞恥のあまり部屋に引きこもることになるのは、また別の話。

 

 



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第五十七話 月夜海を越えて

少し空いてしまいました、すみません。


『あれ?』

 

いつの日にか見た光景が蘇る。これは夢だと、身体にまとわりついた不思議な浮遊感がそう告げていた。

ゆっくりと周囲を見渡しているうちに、その場所がどこなのか、それがなんとなく理解できていく。

 

(ここは――)

 

足元の水面に星々のみが映って煌めく。あまりにも幻想的で柔らかな光が夢想の世界を彩っていた。

そう。今、自分が立っているのは、海──星々の瞬く、蒼い、蒼い海だった。

 

「会い…たい」

 

(あれ…?)

 

ふと、理由もなく声を発してしまった。

否、発したのではなく、発したのは自分の意思ではないことを、瞬間的に自覚した。

それならば、"会いたい"のは誰なのか――。

 

「貴女に…会いたい」

 

そんな疑問を抱える自意識に構わず、か細い声が星空に向かって、白く霞んだ息に乗せられ、溶けていく。

真っ白な腕がすっと、漆黒の空の向こうへ伸ばされていた。

 

 

何か、大事なことを忘れている気がしてならなかった。

 

 

──────────────────────────────────────────────────────────────────────

 

 

「っ···」

 

目を覚まして起き上がる。時刻は5時を過ぎた所だった。

まだ日の昇らないような仄かに暗い早朝、少し涼しくなった空気に身震いして、制服に手を通す。

 

(あの夢は···)

 

どこかで、夢と記憶が繋がっているような気がした。

 

(それなら…いつの夢なんでしょうか)

 

とてもとても、大切な記憶のような気がした。記憶の断片に思いを馳せて、既視感を覚えたあの星の光を再顧する。

窓にそっと手を添えて、薄く映った自らの瞳を見つめる。硝子の向こうの太陽は、その姿をゆっくりと現そうとしていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「提督、おはようございます」

 

時刻は7時。秘書艦が執務室を訪れる時間――にはまだ早いが、それは規定上の話で、大体の艦娘たちは同じような時間にやってくる。

提督としてはとても有難い話だと思ってはいるが、秘書艦娘たちの心中にある思いを考えるとそれも大概なのであった。

 

「おお、今日は涼月だったな」

「はいっ。本日はこの涼月が、お傍で務めさせていただきます」

「ああ、よろしく」

 

対空戦闘にも秘書業務にも生真面目に取り組む彼女は、所定の時間よりも早くここを訪ねることが多い。

さらに温厚な性格は周りの信頼や好感を生み、加入時期は新しいながらも艦隊の調整、相談役を務めてくれることもあり、とても頼もしい限りだ。

 

 

「今日もお忙しいんですか?」

「いいや、先週から余分にやっておいたからな。午後の執務に入れば、すぐに終わると思う」

 

コツコツやっておいて正解だったと付け加える。これも日頃の艦娘たちが円滑に艦隊行動をこなしてくれているお陰なのだ。

 

「それは良かったです···提督はいつもお忙しそうなので、お休みを取って欲しくて」

 

笑顔から伝わるその優しさが、とても嬉しい。さらに早く彼女らを解放できるのならお互いに好都合であろう。

 

「ありがとう。まあ、心配を掛けないよう、程々にやっていくつもりだ」

 

執務机の横につけた作業用の机。

隣に座った涼月と目が合うと、彼女は一瞬だけ目を伏せ、そして嬉しそうに微笑んで目を向けた。

 

「さあ、今日も頑張ろう」

「はいっ!」

 

彼らの一日は、そうして始まったのだった。

 

 

──────────────────────────────────────────────────────────────────────

 

 

「提督、ここは···」

「ん、ああ資材残量が合わないか···資材管理書を確認しよう」

 

そう言って立ち上がる提督を、涼月が止める。自分の仕事なのだから、自分でやるのが当然、といった表情だった。

 

「あっ、私が行きます」

「涼月は、資料庫初めてだろう。案内にもなるからな」

 

ふとした瞬間に見せる軽い微笑みに、心臓は不意打ちをくらって心拍数を上げる。

きゅっ、と音がするようだった。

 

「は···はい!お願いします」

 

()()は指揮官への憧れか、それとも一人の男性に対する恋慕の情か。

元々そういう話には疎い面もあった彼女ではあるが、慰安旅行での一件で、提督は予想以上に自分のことを見てくれているのだと知り、徐々にその存在が心のなかで大きくなっていることを、認めざるを得なくなっていた。

 

「とりあえず、経理に関する報告書はここにまとめてあるから、新しいものから探していこう」

「はいっ」

 

資料室は広く、先代の書類まできちんと整理されている。

 

「これは…かなり整理されているんですね」

「ああ。着任当初はかなり散らかっていたからな。先代はこういう管理や計算も無視していたようだから、建造されたばかりの子たちにも手伝ってもらったよ」

「へえ…」

 

多くの駆逐艦や軽巡洋艦とああだこうだ言いながら、この部屋の整理整頓に励む彼を想像すると、ついつい笑みが零してしまう。

そんなことに注意しながら、一番窓側にあった、古ぼけた一冊を、おおよそ資材管理とはほぼ関係のないものだと知りながらも、涼月は手に取ってしまっていた。

 

「これ…」

「ん、見つかったか」

「あっ、いえ。すみません、どうしても気になってしまって、つい」

 

引き抜こうとして、提督の声を聞いてようやく職務外の内容であることに気が付いて、涼月はそれを元に戻そうとする。

その資料のタイトルが目に入って、提督は一考し、「いや」とその手を止めた。

 

「あっ…」

「これ…背表紙には何も書いてないな。涼月、君は確か邂逅艦だったよな」

「は、はい…あ、あの、そのぉ…」

「それなら、あの戦争のことは、あまり記憶にはないのか」

「そ、そうですね。…あの、それより、手を」

「…よし」

 

ふと、何かを決心したような表情をして、提督は涼月の手首を掴んでいた指先を離し、例の大層古びた資料冊子を最後まで引き抜いて取り出し、本棚の上に置いた。

 

「涼月」

「は、はいっ」

「…執務は中断だ。これから、君にとって大切な話をしよう。覚える必要はない…が、しっかりと聞いてくれると嬉しい」

「…はい?」

 

至って真剣な、提督の眼差し。

棚の上に置かれた冊子――『艦船勤務』が、少し冷たい風に頁をはためかせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「その、提督。一体、どういったお話なのでしょうか」

「ああ。それはだな」

 

提督に率いられる形で小会議室に足を踏み入れた涼月。

ホワイトボードや近海航路の海図など、軍議に使用される品々には目もくれず、提督はさきほど涼月が手に取った冊子の表紙を開いて、そこに書かれていた詞を読み上げ始めた。

 

「四面海なる帝国を 守る海軍軍人は」

「…?」

 

涼月は、彼の声にはっと顔を上げる。それは、普段とはまた違う、あくまでも冷徹さを感じさせる彼の声色に反応した、という理由以上に、聞いたことがないはずのその言葉の並びに、心が突き動かされたような気になったからである。

 

「戦時平時の別ちなく 勇み励みて勉むべし」

「あ、あの…っ」

 

そこまで読んで、一度提督は朗読を止めた。もう殆ど歌詞を()()()()()()()とはいえ、伏せていた顔を上げ、涼月に視線を集める。

 

「聞き覚えはあるか?」

「い、いえ…ですが、何故かそのような気がしてしまって」

「そうか」

「一体、これはどういうことなのでしょうか」

 

好奇心と不安とが混ざりあった感情を、提督は確かに涼月の目線から読み取っていた。それはきっと、名前も知らない一曲の歌に揺さぶられる心に、誰か、別の人格の『涼月』を感じているからなのだと考えられた。

 

「知りたい…涼月はそう思うか?」

「はい」

 

そこには、一瞬の迷いもなかった。

普段はあまり、自分の思いを前に出すことのない彼女だけに、その思いの強さが意外なところで証明されたのだった。

提督は、微笑みながらも口を開く。涼月とその歌を繋いだ記憶について――

 

 

 

 

 

駆逐艦『涼月』は、幾度となく艦命の危ぶまれる事態に身を晒しながらも、その窮地を乗り越えてきた駆逐艦だった。

 

一度目はウェーク島の輸送時、敵潜による雷撃が原因で、船体の半分を失う大破。しかし、初月の援護・曳航もあり、損失部分を新造して得ると、なんとか戦線に復帰する。

二度目はその復帰から数か月後、今度は僚艦若月と共に台湾への輸送任務の際による被雷。時同じくして後の僚艦となる冬月も同程度の被雷を受けている。更に、これが原因でレイテには参加できず、秋月、初月、若月を失う。

 

そして、文字通り命を賭した坊ノ岬の死闘。航空戦力をマリアナに次ぐレイテで完全に喪失した日本軍にとって、夥しい数の敵機群への対空戦闘能力こそ必要とされた。

全砲が火を噴き続ける中、ほぼ全ての艦船機能が黙する大破を受けながら、大和の沈没を看取った。

 

臨時旗艦となった冬月により作戦は中止された。涼月の通信機能は途絶していたが、もはや戦闘不可能の状態に陥るにあたり、単艦での帰投の判断が下される。前進は被弾箇所の浸水を招き沈没につながりかねないため、後進9ノットによる航行帰投が決定。未だなお消火活動に苦しむ涼月乗組員は危険を顧みずも、生還を諦めなかった。

 

「如何なる堅艦快艇も 人の力に依りてこそ その精鋭を保ちつつ 強敵風波に当り得れ」

「歌詞の続き…なのですね」

「ああ。乗組員はこの詞そのままの心で、涼月とともに還ることを選んだ。敵潜による被雷も免れた。50名あまりの戦死者、30名以上の負傷者。他にも、きっと痛みを厭わずに闘った乗組員もいただろう。全員の努力の結果、翌日には佐世保軍港に帰投している。この歌――『艦船勤務』は、帰還を祝った冬月や生存艦の初霜、雪風の歓声に応えて歌われたものだったそうだ」

「あ――」

 

その瞬間、知らない記憶と、聞き覚えのないはずの声が頭の中を駆け巡った。

 

 

『やったなあ、涼月。すごかったぞ』

 

 

「あれ…私…!」

「水漬く屍と潔く 生命を君に捧げんの」

 

続く歌詞の一部を、提督は噛みしめるように口にする。

気付かないうちに溢れた涙に戸惑い驚く涼月に、持ち合わせたハンカチを手渡して続けた。

 

「排水が終わって、被害状況の確認が進んだ。完全に浸水したにも拘らず水密を保っていた区画では、酸欠死した組員がいた。同じく水測室では、探信儀に手を掛けたまま力尽きた者もいた」

 

語る残酷な真実は、ひとえに涼月を祖国の港へ帰還させるために、自らの命を投げうってまで行動した乗組員たちの努力の成果だった。

涙ぐむ涼月を見据えて、それでも敢えて言葉を切らない。

 

「もちろん、それは感謝して当然のことだ。恐らく、本来の意味とはまた違うのかも知れないが――『君』を守り抜こうと彼らは必死だった。けれど、俺が一番言いたいことは、涼月自身の心に、その血が流れているということだ」

 

やや婉曲的な表現をしたが、つまるところ、艦娘たちはその艦体の魂のみを引き継いだのではないということ。

艦長以下全ての乗組員たちの魂は混ざり合い、あるいは組み合わさるようにして一つの人格――現代の艦娘たちへと繋がっている、というのが提督の予想でもあった。

 

「涼月は、『必ず還る』という言葉をよく口にしているな。それは決してあの時代の駆逐艦『涼月』の思いだけではない。思いを一つにした組員たちの、涼月に対する想いが結晶となって、今の涼月を支えているんだ――

それを、できるならいつまでも、覚えていてあげて欲しい」

「ええっ…もちろんです…っ!」

 

還りたい。会いたい。

その想いは、間違いなくあの時のものだ。初霜、雪風、そして冬月――あるいは、佐世保に待つ僚友、郷里に迎えてくれる家族、恋人に。

星の光以外、何も見えない夜闇の中で行き場を失ったその感情が、今は手に取るように理解できる。

 

「いつか、冬月や若月が着任して…初月や初霜たちと共に艦隊を組めたなら、その時は、佐世保の防波堤で精いっぱい慰めてあげて欲しい。貴方たちの願いは、今この時に叶いました、と」

「はい…はいっ…!」

 

涼月はもう、提督の前で涙を見せることを憚らなかった。顔を上げ、努めて明るい笑顔を見せた。

遠い未来、必ず彼らに報いることができることを信じて。

 

「気張らなくていい。ただ、彼らはきっと、新しく生まれ変わった君に心から、自分たちの生きたこの世界を、楽しんで生きて欲しいと思うはずだ」

「ええ」

 

熱鉄身を灼く夏の日も、風刃身を切る冬の夜も。

この世界で彼女が生き続けることは、必ず彼らにとっての鎮魂となるはずだと、この場で断言できた。

 

「私は、きっと…逢いに、行きますから」

 

自分自身の過去を知る艦娘は、決して多くはない。それが、艦娘という存在が偶発的に生まれたものであることの証左となっている。

現実として、新たな脅威となった深海棲艦との戦いの中で、それを知る必要はないのかも知れない。

しかし、どんなに悲惨な過去であっても、目を向ける勇気をもつことは、必ず、強さを手に入れる鍵となる。

涼月の言葉を聞き、その真っすぐな瞳の輝きを受け止めて、提督はそれを信じて疑わなかった。

 

澄み切った風が、新しい季節を運んでこようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「おっ、夕食はほうとうなのか」

 

あれから数日。涼月はいつも通りどころか防空演習でも抜群の成果を上げていた。

元々かなり防空能力は高いのだが、練度の高い長女の秋月にも追いつきそうな勢いなので、張り切りすぎて無理をしていないか心配ではあったのだが、それも杞憂だったようだ。

 

「はいっ。春から夏に育てていたものを、一度収穫して追熟させていたんです」

「防空射撃と家庭菜園にかける情熱が凄いのだな、涼月は」

 

涼月と初対面の者ならば、彼女の口から「追熟」というワードが出ることは予想だにできないのであろうと苦笑する。

ふと目が合った磯風も、同様の表情を浮かべていた。

 

「も、もちろん他のお仕事もちゃんと…」

「分かっているさ。しかし、涼月自身はそれで大丈夫なのか?もっと自分を大切にして――」

「うふふ。提督のようなお言葉ですね」

「い、いや。これは本心からでだな――」

 

慌てて両手を振りながら、こちらを窺う磯風。実際のところ、思っていたことがほとんど一致していたので吹き出しそうになってしまった。

 

「磯風はしっかり者だからな」

「そ、そうだろうか」

「はい。それと、私は充分に私生活も楽しませて頂いていますよ?秋月姉さんたちと一緒に艦隊を組めること、本当に幸せだと思っています」

「それは勿論、素晴らしいことなのだが…。司令、何か言ってやってくれ」

「このほうとう、旨いな。だしが効い麺に麺に良く絡まっている」

「し、司令!」

「そ、そうですか!自信作でして…かぼちゃ以外にも大根や人参、大豆も育てていまして…あっ、そうそう。だしも昆布や煮干しの産地をよく選んでですね――」

 

マイペースに食べ始めた提督に、猛烈な勢いで迫ってこだわりを語りだす涼月。やや赤ら顔なのを見る限り、これこそが彼女の『情熱』と『楽しみ』なのではないかと、ほうとう特有の平らな麺を啜りながら思案する。

 

「あ…美味しい」

「本当ですか!?あっ、お味噌も本場の甲州みその作り方を間宮さんに教わってですね…!」

 

留まることの知らない料理研究家の興奮冷めやらぬ早口を耳にしつつ、何故か黙々とほうとうを食べ進めてしまう。

こうした涼月の知らない一面が、一体いつから現れてきたのか。それを磯風が知ることになるのには、まだまだ時間が掛かるようであった。

 

 




かぼちゃ食べながら涼月出した提督いましたよね。
サブ艦に欲しい。ほんとに。


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第五十八話 名前を呼んで

すみません、なかなか書き切れなかったので遅れちゃいました!


「むうう…」

 

金剛は、そんなうなり声を上げた。ついでにほんのり赤い片頬が真ん丸な膨れっ面であった。

彼女がまあまあ面白い表情をしている理由――それは、彼女が般若の如く睨んでいるその先にあった。

 

「はいっ、てーとく。資材報告でち」

「いつもありがとう。本当に助かるよ()()()

「むむっ、ゴーヤだけですかー?」

「これは失礼、()()()もありがとう。しかし、初めは周回なしの予定だったのに、大丈夫か?」

「こんなのへっちゃらでち」

「キス島の方がたのしーけどねぇ。ま、外しちゃうとちょっと大変だけど」

 

頭を撫でてもらおうと提督の元に集まってきた潜水艦の二人に、金剛は例の目線を向けているのだった。

 

製油所地帯沿岸の防衛作戦では、端数となった量の燃料をドラム缶輸送することができる。

今月は舞鶴鎮守府がその警備哨戒にあたるということで、燃費の良い潜水艦の雷撃や、大容量の補給艦の水上機攻撃を用い、敵侵攻部隊の早期撃滅を主眼とした艦隊が結成されたという訳だ。

 

「キス島付近の敵艦隊は対潜能力も高いからな。六隻はともかく、単艦出撃なんて、幾ら高練度でも俺の心臓がもたない」

「心配してくれてるんでち?」

「勿論…と言いたいところだが、生憎俺は君たちのように対艦戦闘ができる訳でもないのでな。(いささ)か偽善的かも知れない。せめてこれでも受け取ってくれ」

「おおー!」

 

これも提督業の性なのではあるが、戦闘を行う現場の艦娘たちとの温度差は、簡単に埋められるものではない。

だからこそ、提督は身を削って艦娘たちのサポートに努めるべきなのだと、少なくとも東雲(しののめ)は考えていたのだが、どう見てもオーバーワークであることに変わりはない。

懐から差し出された間宮券に目をきらきらと輝かせる伊401の傍らで、伊58に半目で凝視されていることに気付く。

 

「…ゴーヤ?」

「まったく、てーとくはめんどくさいこと考えるんでちね」

「よく言われるよ」

「てーとくならどっしり構えてればいいんでち。そしたら、ゴーヤもっと頑張れるから」

「しおいもね」

 

もう一度、強く抱き着いてきた伊58の髪を撫でながら、その小さい身体に秘められた勇気の大きさを思うと、自分の躊躇など些細なことのように思えた。

伊401の向ける純真無垢な視線もまた、彼女らが寄せてくれる信頼に、行動で応えたいという思いを膨らませる。

彼女たちに求められているのは、遠慮ではないということを、提督はその身をもって噛みしめていたのであった。

 

「…ああ。ありがとう、二人とも」

「分かればよろしい、でち」

「えへへっ」

 

間宮券ありがとね、と手を振りながら執務室を出て行った二人を見送って視線を戻す。

――そこには、真っ白になった金剛の姿があった。

 

「うおっ、い、一体どうした金剛」

「どうもこうもないデース…目の前であれだけいちゃつかれたら流石のワタシも燃え尽きマース…」

「いちゃつく…?」

 

身に覚えのない単語に首を傾げるばかりの提督に、溜息をついた金剛は「ともかく」と座り込んでいた椅子から立ち上がって、こほん、と咳ばらいを一つした。

 

「ワタシもゴーヤやシオイみたいなnicknameが欲しいデス!」

「ニックネーム?」

 

唐突な秘書艦の要望に困惑してしまう提督。

吹雪や鳳翔など、最初期の面子に次いで秘書の経験があったこともあり、彼女とは(対人、対女性会話に慣れないながらも)比較的近い距離にいたつもりではあったのだが、ここにきてそれが揺らいでいる。

 

「まあ、潜水艦はみんな数字呼びだからな。そういう意味ではニックネームが名前ともいえる」

「むぅー…でもでも、ワタシなんて『金剛』ですヨ!?とても女の子のつける名前じゃないデース!」

 

まあこの名前も好きですケド、なんて付け加えた金剛はふてくされたような表情であった。

 

艦歴にして実に100年以上、この名前とともに戦い抜いてきたこともあり、愛着をもつのは当然のことなのであるが、彼女――もとい艦娘となった金剛からしてみれば、可愛らしさどころかある種の男気すら溢れてくるような『金剛』の名には何か感じるところがあるのかもしれない。

 

「女の子らしい名前って言うと、例えば誰だ?」

「ンー…あっ、妹の榛名なんて素敵デス!」

「榛名…か。なるほど、現代の女の子でも通用するな」

「他には…皐月なんてどうですカ?摩耶なんて、very prettyデース!」

 

両腕をぶんぶん振ってはしゃぐ金剛に苦笑する。

確かに彼女らの名前を聞けば、人間の女の子と同じように呼ばれてみたいような気になってくるのも理解できる――

 

「おーっす、提督いるかー?」

 

思わず頷いてしまいそうになったその瞬間、ノックもなしに勢いよく開かれた執務室の扉。

これまた元気のいい声に金剛と似たものを感じさせていた彼女は、まさに話中の人であった。

 

「おう、摩耶。どうしたんだ?」

「Rumorをすればマヤ、ネ」

「あぁん?金剛、そりゃあどういう意味だよ」

 

恐らく執務室を訪れた目的であろう、バインダーに挟まれた手元の演習報告書を捲る摩耶が、胡乱げな目線を金剛に向けた。

 

「Ah, well…それは先に報告書を渡してから話すネ」

「んだよ、もったいぶって」

「済まないな。お言葉に甘えるよ」

「That's fine!」

「ったく…ならそうするけどよ」

「ああ。それで、初月たちはどうだった?」

「んまあ、概ね及第点だな。第一次攻撃は無傷、第二次攻撃で涼月に被雷判定だ。それでも対爆射撃は成功して、艦攻の雷撃に掠る寸前ってとこだったから、あのまま続行できてた可能性は充分にある。初月の判断が少し遅れた感じだったな」

「ふむ…機動部隊の攻撃力を高く設定しすぎたと思うか?」

「まあ、秋月たちは全機撃墜だったからな。厳しすぎることはないかも知んねーけど、アイツらにはまだ高い壁だったみてぇだ」

 

相変わらず秋月と照月の対空戦闘能力には舌を巻くことが多いのだが、そんな彼女らに負けるどころか率先して牽引してきた摩耶の言葉には重みがある。

 

今回は低高度の爆撃を仕掛ける伊勢型の水上爆撃機部隊を、通常の艦載機部隊に加えている。様々な高度から飛来する敵機にどれだけ対応できるかが要になってくるのだ。

「ま、いい経験だったってことだな」と一言付け加える摩耶の表情からは、後輩の奮闘ぶりに喜ぶ笑みが見て取れた。

 

「ふふっ、摩耶もすっかりお姉さんデスネ」

「頼りになるよ。これからも秋月型に限らず、対空指導を頼む」

「お、おうよ!」

 

胸を叩いた摩耶。三女ということもあって、まだ少し背伸びしたような表情ではあるが、そういう自覚を持つということが大事なのだ。

 

「んで、結局なんなんだよ?金剛が話してたことって」

「ああ、それはだな…」

 

両手を腰に当てて訊いた摩耶に、二人は事の経緯を話すことにしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まあ確かに、女の『金剛』はキツいな」

「キっ、キツい…!テートクぅ!」

「お、落ち着いてくれ」

 

勢いよく身体を抱き締め(上げ)てくる金剛を制しながらも、カレーを頬張る摩耶に目を向ける。

食堂の奥では摩耶に率いられていた防空訓練の演習艦隊が遅い昼食を摂っており、目の前の彼女も同様であった。

 

「でもさ、アタシらは女である前に艦娘な訳だろ?社会の中の扱いは別としても、名前はどうこうできる問題じゃねーんじゃないか?」

「だって、ゴーヤが羨ましかったシ…」

「許してやれよ。アタシだって番号で呼ばれるのは流石にヤだぜ」

「それはそうですケド…!」

 

子供のような金剛を宥める摩耶に、なんだか成長のようなものを感じる傍ら、金剛の意見にも耳を傾けていた。

 

「ま、摩耶は名前が可愛いからイイじゃないですデスかー!」

「は、はあ?か、可愛くなんてねえよっ。大体、重巡の艦名は地形の名前から取ってるんだから関係ないって…」

「まあ、摩耶の由来になっている兵庫県の摩耶山は、釈迦の母である摩耶夫人からつけられているからな。あながち間違いでもない」

「お、おい提督!?」

「ほらァ!なんて素敵な名前デスか!?」

 

訳の分からない逆ギレをして立ち上がった金剛に、摩耶がやや面倒くさそうな表情をして、恨みがましげな視線を浴びせてくる。

本当のこととはいえ、発言のタイミングを間違えたらしく、口を噤んでももう遅い。

 

「…じゃ、じゃあ、例えば金剛はどんな名前が欲しいんだ?」

「そ、そうだな。言ってみろよ金剛」

 

ともかくこれ以上の混乱を避けるため、ここは彼女の希望を聞いておくことにする。

 

「そうですネー…金剛石、ということでDiamond...『ダイヤ』なんてどうでショウ?」

「とても日本人としては受け入れがたいんだが…漢字でなんて書くんだよ」

「ま、まあ最近はそんな名前もあるって言うしな」

 

咄嗟にフォローを入れるが、彼女をそう呼ぶ自分の姿が想像できないので困る。

その辺りの命名センスのようなものは人によってそれぞれであるので、反対する意思も権利もないのは勿論なのだが、出来れば思いとどまって頂きたかった。

 

「じゃあどんな名前がいいデスか?」

「うえっ!?て、提督はどーなんだよ」

「お、俺か」

 

見るからに、さほど思いつかなかったのを隠したように感じられたが、あえて口には出さず、ここは一つ考えてみる。

大戦での艦歴、そしてこの鎮守府で活躍する彼女の姿を改めて振り返り、思うことはあるにはあった。

 

「…うーん、どうも、金剛は”先輩”っていうイメージがあって、あだ名をつけられないな」

「せ、先輩デスカ?」

「ああ。もちろん大和や長門たちの活躍は大きい。けれど、金剛は始めの方に着任してくれたこともあることを差し引いてもかなり貢献してくれているから」

 

当時まだまだ新米だった自分にとって、強敵をばったばったと薙ぎ倒していく彼女の存在は頼もしかった。

それは、確かに自分の指揮のミスをカバーしてくれる、戦艦特有の能力への率直な思いだったかも知れない。

でも、それ以上に、きっと金剛のあの明るい性格が背中を押してくれたのだろう。

 

「なるほどなぁ…。まあ、あの戦いでも長かったしなぁ金剛は。武勲艦だぜ」

「な、なんだか照れますねェ…でも、それが”先輩”なのデスカ?」

「ああ。なんというか、ついていきたい、って思えるんだよな。実際はともかく、そういう気持ちになる」

「分かるぜそれ。安定感が違うっていうか、年の功っていうか…」

「摩耶?」

「わりいわりい…だから握り拳はよせって」

 

笑顔の奥に般若が見える金剛。

一連の会話に苦笑していると、そんな彼女が膨れっ面でこちらを睨み付けた。

 

「提督も提督デース!女性に対して年の話はtabuデスヨ!」

「せ、先輩といっても、そんな年の差のあるものじゃなくてだな…。精神的に、心強いという意味で」

「ほんとデスカー?」

「勿論」

 

訝しげに顔を覗きこんでくる金剛に、摩耶が「皺がバレるぞ」と茶化して鉄拳制裁を喰らう。

 

本人の名誉のために注記しておくが、彼女はそんなことを心配する年ではない。

 

「じゃ、じゃあさ…」

 

そんなことを考えていると、痛みの残る頭頂部を押さえていた摩耶が、一つの提案を申し入れたのだった。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「…あっ、来まシタネ」

「おう、金剛」

「今は『先輩』デショ?」

「…そうでしたね、『先輩』」

 

執務を挟んだ日暮れ頃、提督は金剛の待つ屋上へと向かったのだった。

摩耶の提案によると、実際に『先輩』、それも士官学校での上下関係を想定して会話をしてみてはどうか、ということだった。

 

「この制服もなかなかイケるデショ?」

「ええ、似合っていますよ」

 

流石にセーラー服は無理デス、と金剛が観念したこともあり、かつての海上自衛隊の青紫色の制服を着ている。実年齢では違和感がないのだろうが、比較的長身の彼女にはこちらの方が似合うだろうと、提督は思ったりしていた。

 

「テートク…おほん、東雲クンの学ランもgoodダヨ。blackが格好いいネ」

「ありがとうございます。久し振りに着たので、かなり違和感がありますが」

 

制服の衿を抓んで、そんなことを口にする。今では少しだけ小さく感じられるそれは、士官学校時代に必死に溜めた金で買って、捨てられずに残しておいたものである。

おそらくそのままの大きさだったら着られなかったのだろうが、妖精さんが不思議なパワーで修繕してくれていた。

 

「…ねえ、東雲クン」

「はい」

 

ふと、金剛の口調が静かなものになった。

さあっ、と流れる秋風が彼女の背中に僅かな寂寥感を残していく。

 

「今日一日、ワタシのわがままに付き合わせてしまってゴメンネ」

「…らしくないですよ。俺も楽しかったですし、気にしていません」

「ホント?」

「本当です。それに、艦娘からそういう話を聞けるということも大切ですし」

 

口にする、どの内容も本当のことだ。

意図的にその存在を分かつべく動く市民団体があるくらいだ。その背後にある様々な利害関係を抜きにしても、やはり民衆の間での艦娘という異次元の存在への距離は、未だ遠い。

そういう意味で、彼女が語った言葉一つ一つが、彼にとって貴重なものに思えていた。

 

「…提督という立場にいる者として、そして何よりも、この海で、この鎮守府で隣に立って戦う仲間として。いつも『先輩』方を知りたいと思っています」

「…そっカ」

 

夕映えにシルエットを遺す金剛の後ろ姿からは、その表情を読み取れなかった。

ただ、吹き抜ける風に長く、流麗さすら感じさせる髪が靡いた。

 

「今、アナタにとってのワタシは、『先輩』なんですよネ」

「ええ」

「じゃあサ…」

 

髪を押さえながら振り返って、初めてその表情に気が付いた――潤んだ瞳に、紅く紅く染まった頬。

目が見開かれ、言葉を奪われた。

その瞬間、一歩、駆け寄った彼女がふわり、胸元へ飛び込んできた。

 

「…少しだけこうさせてネ」

「…先輩」

 

緩く抱き留めた金剛は目を瞑っていた。ともすれば心拍まで伝わってきそうな至近距離で、彼女の温もりが秋の空気に冷めた身体の緊張を解きほぐすようだった。

 

「Nicknameが欲しい、なんて言ったけれど、やっぱりワタシは『金剛』の名前が好きデス」

 

「先輩ごっこは終わりにしまショウ」と、照れ笑いを浮かべて言った金剛。

想像よりも早くその結論に帰着したため、少し拍子抜けしてしまった。

 

「…それにしても、なんで急にあだ名なんて」

「そうデスネー…」

 

一考して、金剛は顔を上げた。

 

「繋がりが欲しかったのかも知れまセン。提督に、ワタシを覚えていてほしくて」

「忘れたりしないさ」

「もちろん、提督のコト、信じてますから心配してませんヨ。…というより、寧ろ」

 

そこで一度言葉を切った彼女は、なにか言いたげにして、躊躇しているようだった。

提督にはそれが珍しく感じられた。素直で、何者にも臆さない彼女を見てきたのだから尚更だろう。

それでも、彼女は意を決した瞳で告げた。

 

「…ワタシだけ、ワタシだけを、見て欲しかったんデス。もちろん、提督にとってそれがどれだけ難しいことか、分かってたケド」

「…」

 

空虚さを感じさせる金剛の微笑み。その表情は、言葉では表しようのない気持ちを湛えており、提督自身、()()()()()をしているな、という自覚を持つ瞬間はあった。仕事の疲れを気に掛けないふりをするとき。反りの合わない上官との宴席で酌を注ぐとき。

だからこそ、彼女の気持ちが、今では分かる。

本当のものだと、信じられる。

 

「最近、どんどん艦娘の数が増えていますヨネ。とっても嬉しいことだけど…ホントのことを言うと、ちょっと寂しかったデス。ワタシ、もしかしたら提督に必要とされてないのかもって。勝手に凹んでマシタ」

「そんな風に感じさせてしまっていたのか。申し訳ない」

「ううん、お仕事だって忙しいし、秘書艦も平等に回していたら機会も減りマス。…だから、これはワタシの思い込みとわがままなんデス」

 

詫び言に首を振って、彼女は俯きながら、それでも笑みを崩さぬよう、気丈そうに振舞っていた。

しかし、それは仕方ないことなのだから、と自分を説得しているようにも見えた。

 

「そんなことはない。少なくとも、俺にとっては」

 

だから、提督は切り出す。金剛の背に腕を回して抱き締める。

これ以上、そんな金剛の表情を見たくないと思ったから。諦めと自責に満ちた、その表情を――。

 

「俺は、今まで人と触れ合うことを極端に怖れて生きてきた。頼れば足元を見られるし、縋ったところで呆気なく見放される。たった一度の経験が、ここまで自分を臆病にさせてしまうなんて、思ってもみなかったが」

「…ワタシは、私たちは提督(テートク)を裏切るなんて…!」

「もちろんそんなことは思ったこともない。君たちこそ、()()()事件のあった鎮守府で、よく着いてきてくれたと思う。俺にとって君たちは…」

 

提督はそこで言葉を呑んだ。否、一言も発せられなかったのだ。それを自覚するのと同時に、眼前の金剛が呆気に取られたような表情を浮かべていることに気付く。

 

提督(テートク)、涙が…!」

「…君たちが、この命も軽いと思えるほどに、愛しいからこそ…っ」

 

嗚咽に遮られる言の葉。

こうして人前で涙を見せるのはいつぶりだろうか。少なくとも、家族を喪ったあの一瞬、絶望のあまり立ち尽くすことしかできなかった彼にとっては、この感情はほぼ新鮮なものといっても過言ではなかった。

――もしかすると、この涙は、あの時感じることのできなかった悲哀の一部なのかも知れないと、冷静な理性が告げていた。

 

「…俺は、君たちを喪うのが、何よりも恐ろしいと思うんだ」

「…っ」

 

金剛の胸中で、一つの仮説が繋がって、浮かび上がってきた。

ずっと彷徨い続けていた心の居場所を、彼は本当にこの地に見つけたのだ――あまりにも大きすぎる離別の悲しみと、襲い来る不安、そして何よりも、身勝手で理不尽な大人たちへの恐怖心から逃れようと、しかしそれらに絶え間なく苛まれ続けた彼にとって、この瞬間まで、この世界に信頼でき得る存在などなかった。

 

そんな彼が艦娘たちに少しでも近づこうと、心の葛藤にもがき苦しみながら、日々の激務をこなしていた。

言い訳を嫌い、そして何よりも、自分たちを信じられない彼自身を憎み、時には自分を責めながらも辿り着いたこの場所で、今、金剛は何を言えるだろうか。

 

「…頼りない司令官で申し訳ない。部下の前で泣くなんて、言語道断だな」

「…泣いても、いいんじゃないデスカ」

 

頬を伝う雫にも厭わず苦笑した提督を、今度は自分から、というように抱き締め直す金剛。

仮にも戦艦娘である。そのくらいの膂力はあるし、寧ろ、だからこそ、彼の身体が今にも崩れ落ちてしまいそうな、そんな儚い存在に感じられてならなかった。

 

「…ワタシ、ずっと誤解してマシタ。提督はずっと、何があっても前を向いてるっテ」

「本当はそうでないといけないんだがな」

「いいえ…そんなの、誰にも出来ませんヨ。できる人がいたとしたら、それはもう、『壊れて』しまっているんですカラ」

「…」

 

胸元に提督を抱き寄せる。

艦娘の中では少しばかり背が高いと言っても、彼との身長差は10センチほどある。したがって、靴が伸ばしてくれたそれは、お互いに殆ど同じような目線をもたらしていた。

 

「今はこうさせてくだサイ」

「ああ…ありがとう」

 

今まで、誰にも支えられたことなどなかった。支えを喪ってしまえば、自分が無くなってしまうような気がして。

けれど、今この瞬間に関しては言えた――きっと、この子たちとなら――と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…ただ呼び名の話だったのに、なぜこうなってしまったんでしょうネ」

「名前というのは、その人との繋がりを示すものでもある。…呼ばれて初めて、その人にとっての自分が存在できる、ということかもしれないな」

「…ウーン、難しいデスネ」

「まあ、俺も曖昧なイメージしかないよ」

 

僅か10分かそこらではあるが、金剛の膝元で眠りについていた提督。

まだこのままでもいい、と主張する部下に対し、思い切って自分の膝元で寝ることを提案し、速攻で許可された。

何気なく、二人で眺める落陽が黄金に輝いて、その光の眩しさに金剛が手をかざす。

 

「でも、今日はそのお陰でいっぱい知っちゃいました。…提督(テートク)のヒミツ」

「幻滅されるだろうが、言ったって構わないさ」

「言わないですヨ。だって、ワタシだけが知っているなんて、なんだか特別な気がしますカラ」

 

そう言って、見上げる姿勢から、くるりと転がって腹に寄り縋ってくる金剛。

可愛いらしくもあり、同時に、守りたいと思うその心が、強い脈動を響かせていた。

 

「でもやっぱり、俺は君のこと、『金剛』って呼びたいよ」

 

髪をゆっくりと撫でながら、そんなことを口にしてみる。他意はなく、それは事実だった。

 

「じゃあ、ワタシは提督(テートク)って呼びマス。いつものが一番ネ」

「そうだな」

 

お互いに、顔を見合わせて微笑むこの瞬間が、なにより尊いものに感じられてならない。

きっと、その根源にある気持ちは同じで――。

 

「…金剛」

「どうしタノ?」

「これからも、できれば長い間…ここに居たいんだ。よろしく頼むよ」

「Yes!食らいついたら離さないからネっ!」

「…ああ」

「ちょっ、そこツッコミ入れるとこデース!」

 

「さては聞いてませんでしたネ?」なんて、抗議代わりにしがみつく力を強める金剛。

そこに心地よさを感じつつ、もう一度、顔を上げる。

 

もうここにはいない、大切な人たちの名を、口に出すことはないも知れない。言ってしまったら、思いが溢れてしまうから。

代わりになるなんて思ってはいないけれど、今は誰よりも、この子たちが大切だから。

 

 

生きていこう、と思えた。

 

――その名前を、いつまでも呼び続けるために。

 

 



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第五十九話 秋と鎮守府

遅れに遅れてすみません。
ついでに小説中の季節も遅れておりますが、記憶を巻き戻してご覧ください(白目)




「ったく…折角高練度になったってのに、近海任務だけってどういうことよ」

 

曙は、すっかり涼しくなった風の吹く海上で声を荒げた。

手元に握られているのは竿であり、ついでに提督に「これでも着ていくといい」と勧められた釣り用のジャケットをしぶしぶ(本心はお察し)着用している。

 

秋季恒例となったF作業であるが、舞鶴は割と気合いが入っているようだ。

北方部隊に率先して立候補した響と那智などは、文字通り酒の(さかな)目当てに連続出撃を敢行。那智は戦艦に負けず劣らずの砲撃で敵艦隊を近づけず、響はその卓越した腕前で抜群の釣果を発揮し、不漁という言葉を感じさせないほどであった。

 

「荒れておりますなぁ、ぼのたん」

「ぼのたんって言うな!」

 

そんなこんなで、彼女が日頃のツンデレ以上に不満そうな表情をしているその様子は、なにも払暁ギリギリの早朝からの任務で低血圧だからではない。高練度組に混じって敵艦隊と戦い、戦果を挙げて褒められたいという野望が潰えたからである。

駆逐艦は主に対潜処理、そして機動力を活かした釣りを行う任務を命じられており、どちらかといえば釣果(サンマ)を期待されている。

 

そんな曙とは対照的に、同じ任務に就いている後続の漣はすこぶる快調であり、さらにその後方で真剣に竿を振った朧、同様に竿を持ちながら焼き芋を頬張る潮と、その軍人としての艦娘らしさについては置いて措くとして、今日も艦娘たちはおしなべて元気なのであった。

 

「まあ、深部は空母の先輩に任せて、肝心の()()は私たちでなんとかしなきゃ」

「そ、そうだねっ。はむっ」

「なんでそんなやる気なのよ…ってか、まだ食べてるの潮!?」

「潮たん、それ何個目?」

「えっ!?えーとぉ…」

 

目を泳がせながら誤魔化すように笑う潮に、曙は白眼視するばかり。

元々よく食べる子だとは思っていたが、それでも太らないのが羨ましい。

 

「太らなくて羨ましい…とか思ってるでしょ?」

「お、お、思ってないわよ」

「噛みすぎだぞ~?」

「うっさい!」

「おごぉ!?」

 

曙の見事なエルボーが炸裂するのと、「や、焼いてるからゼロカロリーだよねっ」などと供述しつつ食べ続ける潮をぼーっと眺めていた朧の竿が、くいっと引かれる。

 

「おっ、かかった…!」

 

勢いよく引いた竿に伸びる釣糸の先、再び水面へ落下してきたそれを朧が手に取る。

 

「…どちらさま?」

 

()()は、例年彼女たちが目にする秋刀魚という魚よりも一回り小さいサイズをしていた。

朧は、ピチピチと跳ねるその未知の生物を前にして、小さく首を傾げるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「不漁です…」

「あっ、お疲れ様です加賀さん…って暗っ!」

 

第一声に敵艦隊の報告をしないということは、もう海上には敵戦力は残っていないということだろうが、そんなことは些細なことのように、加賀は顔面蒼白だった。

 

「なになに?また食糧(ボーキ)が底ついたの?」

「違うよ漣ちゃん…今年は秋刀魚が不漁なんだって」

 

話を割と真面目に聞いていた潮によると、今年はどうも例年に比べて秋刀魚の漁獲高は低いとのことであった。

そんな彼女の言葉を甚だ不本意に肯定するように、同じく顔面蒼白な赤城がやってくる。

 

「そうなんです…これじゃあ今年の秋を越せません」

「ま、まだ漁獲時期は始まったばかりですし…ねっ、みんな?」

 

後ろを振り返る潮。しかし、同僚の三人は図らずもその意見に同調してくれるわけではなかった。

 

「んー、まあ漣的には別にOKですね。メシがうまければなんでもっていうか」

()城さんなのに顔色は青い…ふふっ」

「わ、私は別にクソ提督に持っていく秋刀魚がないからって心配なんかしてないし!」

「…」

 

すっ、と目の輝きを失った潮は、「うん、そうだよね」と言って、それ以上考えるのをやめた。

 

「ああっ、潮たんの目が灰色に」

()ライトってとこだね」

「ぼーろ…流石に激寒だぜそのギャグは」

 

もはや収拾のつかない事態と相まって、ストッパー役を代行した漣も同様の表情になりそうであった。

しかし、ふとした瞬間に、先ほどの釣果を思い出した。

 

「あっ、そーだ。ぼーろ、さっき釣ったのが入ってるクーラーボックスは?」

(はい)、これ」

「もうええわ!…んしょ、赤城さん、加賀さん、これ見てちょ」

「なんです?それ」

 

落ち込んでいた赤城は、不思議そうに漣の抱えるバッグの内側を覗くと、目を見開いた。

 

「わっ、とんでもない釣果じゃないですか!」

「…しかし、秋刀魚ではないようですね」

 

氷の浮く水の中には、魚の群れがゆったりと泳いでいる。しかし、加賀の漏らした言葉の通り、それは彼女らや艦隊司令部の目的とする魚、秋刀魚ではないようだ。

 

「これ、鰯よ多分」

「おっ、ぼのたん知ってるの?」

「ぼのたんって呼ぶな!…少し前、間宮さんにフライのレシピを教わりに行ったことがあるの」

「へえ…私、知らなかった」

 

目を見開く潮。それは他の二人も同じようで、仲間の意外な一面を知ってか「ほおー」やら「今度作ってよ」やら口々に感嘆の声を上げていたようだった。

 

「…なによ」

「いや?別に、ご主人様のために頑張るぼのたん萌え~、とか思ってないし」

「口に出して言うなっ!」

「ぐえー、いひゃいいひゃい」

 

横一文字に漣の頬を引っ張る曙。微笑ましい駆逐艦たちの戯れに、気を落としていた赤城と加賀もくすくすと笑っていた。

そんな時、旗艦である加賀の元に一通の電信指令が入った。

 

「ん…皆さん、少しお静かに願います。司令部の大淀さんから」

「帰投指令ですかね?」

「ええ、どうやらそのようです…それと、()()魚のことも」

「それ…ってこれですかい?」

 

漣が抱えるバケツの魚が、加賀たちの視線に晒され、ぴしゃっと小さく跳ねた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…これはまた、一体どういうことなんだ?」

「それが、さっぱりです。海域にも特に大きな変化が見られていないようですし」

 

曙ら、秋刀魚を収集するべく編成された南西方面部隊の帰投を命じた提督は、ひとまず執務を中断し、(くだん)の魚の視察に入った。部隊を指揮していた大淀も同行している。

 

「横須賀からの連絡は?」

「未だありません。ただ、呉からも同様のものが。提督の端末にも送信するとのことでした」

「おお…っと、これか」

 

胸元のポケットから取り出した端末のキーを開き、受信ボックスをスライドさせて確認する。

とても艦娘たちには見せられない大本営からの通知の山を掻き分けていくと、上部に丹羽(にわ)からのメールを確認した。

 

「『今年はイワシの竜田揚げで一杯やるか』…とだけ入ってるな」

「…に、丹羽さんらしいですね」

 

ついでに添付されているファイルを覗くと、調理済みの竜田揚げをにこにこ笑顔で皿に乗せている龍田の写真があった。

舞鶴の彼女同様、笑顔の深奥にある怒りの大きさが見て取れるようで恐ろしい。

 

「あまり参考にはならないが…これはどの鎮守府でも共通の問題となりそうだな。…よし」

 

呉で確認済みの問題ということは。大本営直轄の横須賀はもう先に事態の様相を掴んでいると考えられる。

とすれば、この漁獲に起きた異変に対して未だに特別な指令を受け取っていないということは、大本営(むこう)に言わせれば「構わん、続けろ」ということなのだろう。

 

「烹炊班に無電にて指令。鰯料理のレパートリーを揃えるように」

「りょ、了解しました…って、え?」

「安心しろ、俺もいくつか出来るから手伝わせて貰うつもりだ」

「い、いえ、そうではなくて…え?」

 

呆けた表情の大淀をよそに、提督は早くもレシピを考えつつ、活きの良い鰯とにらめっこを始めていた。

 

「…え?」

 

「そういうこと?」と顔に文字が書いてある秘書艦はただ、首を傾げる他にないのであった。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「たっ、大変…!司令官、追加で十七皿ですっ」

「おう。相変わらず遠慮がない量だな。任せろ」

 

注文を取ったのち、その尋常でない量に驚いて厨房に駆けこんできたのは、最近になって鎮守府に加入した神鷹である。

現在は瑞鳳との猛特訓により護衛空母としての実力を確立し、対潜戦闘の腕を磨いているようだ。

 

「今揚がったのがあるからな、とりあえずこれを」

「だ、大丈夫ですか?まだまだお客さんが途絶えていないようですが」

「大丈夫。まだこんなにあることだし」

 

そう言って、昨晩ほとんど貫徹で下準備をした鰯の山に手を伸ばした提督。

片手間であっという間にその身を両断していくのがどうにも現実の光景とは、神鷹は思えずにいた。

 

「と、とりあえずお届けして参ります。それが終わったらお手伝いいたしますね」

「あんまり焦らずにな、人も多いことだし」

 

ととと、と音を立てながら、メイド姿のスカートをひらひらさせて暖簾をくぐっていった神鷹。

小柄な彼女が大量の小皿を盆に載せていることに気が気でないが、彼女も立派な艦娘であるため、そのあたりの平衡感覚はとても人間と比較できるようなレベルではない、と思い直した。

 

「…俺は俺にできることをするか」

 

次の竜田揚げを揚げつつ、もう片方の手でつみれ用に包丁で叩くその様は、とても軍属の人間だということを想起させなかったし、その出で立ちもエプロン姿であり、もはや休日の主夫のそれである。

厨房でそんな魅力的な彼が孤軍奮闘していることなどつゆ知らず、艦娘たちは各々に例年とは違った海の味覚を楽しんでおり、提督はその様子が見えたり、舌鼓を打つ声が聞こえてくるたびに、頬を緩めるのであった。

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「おおおっ、可愛いじゃん!」

「そ、そうでしょうか…?」

 

一方、こちらは竜田揚げを注文した伊勢型のテーブル。姉の伊勢は、提督特製の鰯料理を届けにきた給仕の神鷹のメイド姿に興奮冷めやらぬ様子だった。

 

「うんうん!その緑色も…松葉色って言うのかなぁ。奥ゆかしい感じがしてめっちゃ良いよ」

「あ、ありがとうございます…」

 

照れ顔を盆で隠すようにした神鷹の様子が、伊勢のハートに突き刺さる。

心臓の上で重ねた両手で尊さを押し殺すようにした彼女に、日向が冷めた目線を送っていた。

 

「似合っているのは確かだが…伊勢に褒めてもらっても嬉しくはないだろう」

「何よそれー!」

「そ、そんなことはないです…あの、本当に、嬉しいんですけど…!」

 

すぐさま否定すると、二人の視線が真っすぐに向けられて、また恥ずかしくなってしまう。

元々物静かで照れ屋な節がある神鷹は、両手で抱えていた盆に目を伏せ、瞳だけをちらりと伊勢型姉妹に向けながら言った。

 

「は、恥ずかしくて…つい」

「…これは良いな」

「でしょー!?」

「ああ。ついでと言っては何だが、その給仕服…もしや、瑞雲を意識して…?」

「んな訳ないでしょ」

 

ぺしっ、と伊勢の鋭いツッコミが繰りだされる。日向はどこか心外そうに、伸ばしていた腕を戻した。

 

「しかし、瑞雲は役に立つぞ。事実、この鰯のいくらかは、瑞雲の貢献によって発見されているわけだからな」

「まあそれはそうだよねぇ…私たちは艦戦載せることが多くなったからアレだけど、この秋はどこの海域でも引っ張りだこだし」

「そ、そうなんですか?」

「うん。バシー海峡に行く海防艦の子たちも、すっかり妖精さんと馴染んじゃって」

「彼女の姿を見ないと思って訊けば、今や寝食を共にする仲のようだな」

 

「うむ、良いことだ」と腕組みをして頷く日向。若干呆れ気味の伊勢はいつものことだとして、神鷹は瑞雲の可能性に驚いていたのだった。

実際のところ、対爆射撃を回避できる六三四空の熟練操縦能力、そして彗星艦爆部隊に迫る、水上爆撃機としては驚異の爆撃能力によって大活躍中であったので、日向の鼻が高くなるのも頷けた。

そんな圧倒的カリスマ水上機の搭乗員である妖精さんに目の前にして、海防艦たちの目がきらきらと輝くのが、引率としてよく彼女らの面倒を見ている神鷹には容易に想像できてしまうのだった。

 

「ご、ご迷惑お掛けします…!」

「いーっていーって。そもそも兵装は鎮守府所属のものだしね。飛龍の友永隊じゃないんだし、妖精さんの好きにさせとけばいいよ」

「うむ。自由こそ瑞雲の神髄」

「またテキトーなこと言ってる…」

 

この摩訶不思議な掛け合いも、伊勢型姉妹の個性なのだろうかと思いつつも、神鷹はふと、壁に掛けてある時計の針を目にした。

 

「わっ、大変…!もうこんな時間」

「あっ、そうか。シフト結構忙しいんだっけ」

「引き留めてすまん。急ぎ向かってくれ」

「は、はい。それでは、どうぞごゆっくり」

 

一礼して去っていく神鷹の所作には焦りどころか流麗さが勝っており、一体どのような英才教育ならぬ英才研修が施されたのかと首を傾げる伊勢型姉妹なのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし、これで今日は終了だな。皆、よく頑張ってくれた。給与は来月の分に上乗せする形で支払われる予定だ。着替えが終わった者から伊良湖のいるカウンターに寄って、券を受け取ってくれ」

「「了解っ」」

 

遅めの昼食時間帯が過ぎた15時頃、翌日の仕込み分を残して完売となったため、特別料亭は終了。

提督の「それでは解散」の一言で、給仕担当の艦娘たちが一斉に口を開いて歓談を始めた。

赤城が満腹になるのが先か、揚げ物の油が尽きるのが先か、など話題が絶えない中、提督はエプロンの帯を結び直し、一人厨房に向かっていた。

 

「…おっ」

「あら?」

 

カウンター裏手の暖簾をくぐると、すぐ近くで鰯の仕込みを行っている艦娘――間宮、そして神鷹と目が合った。

 

「間宮…と神鷹。もうシフトは終わりだが…」

「あっ、ええと…その」

「ふふっ、手伝いたいって申し出て下さったんですよ」

「そうなのか」

「は、はい。私、なかなかお給仕がうまく出来なくて…だから、せめて仕込みくらいはお手伝いできたらと」

 

どうやら、話を聞いてみれば仕事に慣れないせいで迷惑を掛けてしまったと彼女は感じているようだった。

給仕中の様子を思い返してみても、それほど手こずっているような印象は見受けられなかったのだが、それだけ彼女の職務に懸ける思いが強かったということだろう。

 

「本業でもないんだし、それは当然だろう。それに、神鷹は随分働いてくれていたと思うぞ」

 

なあ、間宮と加えて、提督は微笑んでいた。

間宮も特に否定するようなことはなく、むしろ彼女に感謝するような優しい目線で頷いていた。

 

「い、いえ…そんなことは」

「まあ、手伝ってくれるのは有難いことだ。三人で手早くやってしまおう」

「そうですね。じゃあ、神鷹さん、よろしくお願いしますね?」

「は、はい」

 

未だ、神鷹の胸中では、東雲提督という人間に対してぼんやりとしたイメージが渦巻いていた。それは今この瞬間にもいえて、軍装の上着を脱ぎ捨ててエプロンをつける料理人さながらの格好を見て混乱しているのが好例だろう。

 

「…提督はよくお料理されるのですか?」

「俺か?うーん…そうだな。自炊は士官学校の寮に居たときに覚えてな。()s…由良がまだ同級生だったころによく当番制だったんだ」

「…これは、私も初耳ですね。今度伊良湖ちゃんに教えてあげないと」

「そこまで需要がある話なのかそれは…」

 

もちろん、というように笑みを浮かべる間宮に苦笑いを返す提督であったが、彼らとは別に、神鷹は、一人考え込むような様子だった。

 

(ということは…提督は、たった一人で)

 

勿論、彼が言うように、士官学校での生活に由良という存在がいたことは大きい。自炊だって、寮にいれば必要な場合もあるだろう。

しかし、それでも、それまでは彼は一人だったかも知れない。それはコミュニケーション上の問題ではなく、以前、真剣な面持ちで姉の大鷹から告げられたような、孤独の重みに耐えながら、彼は生活してきたということへの、彼女なりの些細な憂慮だった。

 

「…凄いです。何でもできてしまうなんて」

「そんなことはない。どの料理も間宮や伊良湖には敵わないよ。鳳翔や大鯨にだってそうだ」

「それは、もちろん本職の方ですから。日頃から提督職をやる傍ら、それを両立できていること…尊敬します」

「お、おう…」

「ふふっ」

 

褒められ慣れていない(悲しいことに)提督が、神鷹のあまりの熱心な観察眼にたじろいでいる。

その様子を、間宮が微笑んで眺めていた。

 

「ま、まあ全ては偶然の産物というものだ」

「偶然…ですか」

「ああ」

 

その言葉だけで、神鷹は理解を進められるとは思えなかった。全てを、「偶然」の一言で片付けていいようには、納得出来ずにいた。

そうやって思案する様子に、提督もやっと、思い当たったようだ。

 

「…同情を買おうとしてこうしている訳じゃあない…と言いたいところだが、そう見えているのかも知れない」

「いえ、そんなことは」

「良いんだ。ただ、俺から言えることは一つだけだ。…俺は、君たちとこういう時間を過ごしたい。そのためにはどれだけ損をしてもいい。少なくとも、そう願ってしている…つまり、結局のところは独善(エゴ)なんだが」

 

自嘲するような笑みを浮かべた提督。それでも、決して表情は悲観からくるそれではなかった。

それを察したのか、間宮も言葉を加える。

 

「私は、提督のそういう気持ち、嫌いではありません。…むしろ、好きです。戦闘で疲れた心を癒し、皆で笑いあえる…そんな環境にあって欲しいと思います。もっとも、これは私が非戦闘艦だからそう思ってしまうのかも知れませんが――」

 

鰯の下処理を終えたまな板をよくすすいで、水道栓をきゅっ、と強く締める。

滴った雫の落ちる音が、言葉を切ったあとの沈黙によく響いた。

 

「…神鷹さんは、どう思っていますか?」

「――っ…」

 

いつも通りの、優しい瞳。今、ここで彼女の言葉を否定してしまうことも容易にできてしまうだろう。

けれど、そうは思わない。思えなかった。

二人のそんな表情を前にして、神鷹は艦隊にかける思いの大きさを知ったからだ。

 

「…はい。私も…そうあって欲しいです。そうなっていけるよう、お二人を支えさせて下さい」

「…そう言ってくれるとありがたいよ」

「ええ。一緒に頑張っていきましょうね」

 

間宮と笑いあう神鷹を眺めて、彼女が着任したばかりの頃を思い出す。

懸命に。真剣に任務活動にとり組む様は、今も変わっていないが、心の余裕というものが生まれたのではないかと思う。

そんな純朴さを、大切にしてほしいと、そう願っていた。

 

「神鷹さーん!」

「え…雷さん、電さん」

「司令官さんに間宮さんもいるのです」

「二人とも、ごめんなさいね。今はお店やってなくて」

「そうじゃないわ!」

「さっき神鷹さんがお給仕されてるのを見て…電たちも、お手伝いにきたのです」

「…!」

 

驚いた様子で振り返る神鷹に頷く。

今、自分がこうして生きていられること、提督として、艦隊を指揮する立場にいられること。

仲間がいることは、そこに絶対に必要となるということを、知って欲しかった。

 

「ありがとう。それじゃあ、最後の掃除と後片付けをやってしまおう。終わったら、丁度知り合いから頂いた栗と小豆で、パフェでも作ろうか」

「本当なのです!?」

「やったあ!」

「神鷹と間宮もどうだ?」

「あ、ありがとうございます!頂きます」

「むむむ…手ごわい商売敵ですね。でも、頂きます!」

「よぉし、それじゃあやるわよ!」

 

勢いよく飛び出して掃除用具を取りに行った電たちを追いかけていく神鷹。

「危ないですよ」と注意するのとは裏腹に、その表情は、お礼の和風パフェに期待して話をする彼女らを微笑ましく見つめているのであった。

 

「…提督、後でレシピを教えて頂けると」

「抜け目ないな。まあ、()()()()()なら喜んで協力させてもらおう」

 

苦笑して、窓に目を向ける。切れ目のない青空が、どこまでも続いていたのだった。

 

 

 



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第六十話 夢を追う

大遅刻…本当にすみません。
ネタ切れと多忙をお許しください。

※以前に投稿した話の中で、提督が幼体化するお話がありました。今回のお話はその続きということになりますのでご了承ください。


暗闇の中で、思わず手を伸ばした。

夢中で追いかけた背中は、どんどん遠ざかって行き、そして見えなくなった。

 

『待って…!』

 

普段は口数の少ない幼子が、狂おしいまでの恐怖と悲しみに顔を染めて走る。

 

『待ってよ...!』

 

――彼という存在を押し出すように、町並みは崩れ、黒煙が空を染めるのだった。

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

「ん…」

 

うっすらと目を開けた提督は、いつの間にか伸ばしていた片腕で、その身を抱えるようにして身震いをした。

 

もう十一月の終わり。

季節は着実に移ろいで、早くもこの年を閉じようとしている。

 

「通りで寒いわけだ…。」

 

ほとんど剥ぎ取られた布団の先、つまりはすぐ隣を窺うと、すやすやと寝息を立てる艦娘が二人。

 

「「zzz...」」

 

「…ああ、そうか、昨日の」

 

彼女らの寝顔が、昨日の光景をよみがえらせる。

先の中部太平洋作戦における功績が認められ、舞鶴には一隻の軽巡洋艦が着任した。

したがって彼女の歓迎会、そして作戦成功の祝賀会を開いたのだが、あまりに騒ぎすぎてしまったようだ。

主役は初めて飲んだ酒にすっかり呑まれてしまい、介抱に向かった姉妹艦も、宴が終わるころにはベロベロに酔ってしまっていた。

そんなこんなで、事後処理のため途中退場した提督のいる執務室に、彼女らが酒の勢いに任せて突撃したことは、容易に想像がつくだろう。

 

 

そんな昨日の記憶を掘り起こしつつ、私室奥の台所で朝食を作り始める。

練度が規定以上に達した艦娘が増えたため、ここ一年で作戦参加数が増えたこともあり、すっかり大所帯となった舞鶴第一鎮守府。

そんな背景もあり、鳳翔や大鯨、間宮たちの苦労を考えるといつもいつも食堂で食事をするのはどうだろうかと思い至ったのだ。

 

実際は姿を表さない彼に、烹炊班の表情はやつれていくばかりなのだが。

 

 

(あんな夢を見たのも、もしかしたらこの姿だからだろうか)

 

不思議なことに、今、彼の身体は幼い頃の姿に戻ってしまっている。

金剛や榛名などを筆頭とした艦娘たちのコンディションは高まるとしても、やはり彼としては一刻も早くこの状況を脱したいということに変わりはないのであった。

 

「よ、っと…」

 

背伸びをして、冷蔵庫の奥へ手を伸ばす。が、届かない。

 

(ん、やっぱり早く戻りたいな...)

 

こんな時は、元の身体でいられた日々が恋しくなる。

 

「むむむ…」

 

しかしながら、願ったところで身体は戻らない。

ため息をついて、そしてまた必死につま先立ちで腕を伸ばしていると、視線の先に誰かの指が伸びた。

 

「はい。これでよかったかしら」

「ああ。ありがとう」

 

振り返って目を向けた先にいたのは、先日の作戦後から加入した艦娘――もっと言えば、昨晩、もう一人の艦娘といた軽巡洋艦、矢矧である。

 

「おはよう。昨日はよく眠れたか」

「ええ。このところ忙しかったから、少し疲れていたのかも知れないわ。お酒もかなり入っていたし」

 

バナナの皮を剥き、潰していく。

矢矧にひとかけら口に入れられながら、その言葉が少し引っかかった。

 

「無理しないでくれよ。阿賀野たちもサポートしてくれることだろうし」

「大丈夫。自分でできることは自分でやるわ」

 

必要以上に人に頼らず、むしろ率先して周りを導いたり、規範的な行動ができることが、新参でも尊敬を集められる彼女の良いところだ。

 

「そうか。まあ、何かあったらいつでも言ってくれ。出来る限り力になるよ」

「...っ!そ、そう。ありがとう」

 

子供の姿に似つかわしくない微笑は、可愛らしさが潜んで、彼自身のもつ男性的な愛嬌を醸し出す。

矢矧はそこに胸の高鳴りを感じながら、思わずもうひとかけらを彼の口に突っ込んでいた。

 

潰したバナナに、ハチミツ、溶き卵、牛乳を加える。

 

「昨日は演習もあったし、よく食べるかな」

 

多めに用意したそのボウルを、電子レンジで加熱していく。

 

「それにしても、提督は男の人なのに料理をするのね。少し意外」

「この仕事も、ただ艦隊の指揮を執っていればいいという訳ではないらしいからな」

 

矢矧の言葉に思わず苦笑した。世論には口を挟む気はないが、女性が政治はまだしも、戦に参画する世の中になることは、きっと彼女たちの艦長も予想だにしなかったことだろう。

 

「そうかしら。私たちは、あなたに甘えすぎている気もするわ」

 

阿賀野姉然り、と付け加える彼女は笑っていた。本心ではないのだろう。

 

「それくらいが丁度いいんじゃないか?君たちは欠かせない、国防の担い手だ」

「貴方だって欠かせないわ。私たちにとっては」

 

昂然として言い放った矢矧に少し驚くが、同時に嬉しく思う。

 

「二水戦の旗艦殿にそう言われると、光栄だな」

「生意気ね。でも褒めてあげるわ」

 

髪を梳くように撫でられる。そこに心地よさを覚えるも、提督としての意地が許さなかった。

というより、ただ恥ずかしかったのだろうが――

 

「そ、そろそろいいだろう」

「あら、いいの?残念」

 

不敵な笑みを浮かべる矢矧。やはり華の二水戦旗艦には敵わないようだ。

 

バターを熱して溶かしたフライパンに、混ぜ合わせたボウルの中身と食パンを投入。

甘い香りが鼻孔をくすぐる。

 

「簡単なのね。寮でもやってみようかしら」

「おやつにもいいかもしれないな。皆好きだろう、こういうのは」

「うーん···」

 

顎に指を当てて沈思する矢矧。

『女の子は甘いものに目がないんですよ』と吹雪に教わっていただけあって、それを不思議に思う。

 

「どうしたんだ?」

「いえ…阿賀野姉はこれ以上太っちゃうとダメね」

「そ、そうなのか…」

 

何ともコメントのしようがない答えであった。

実際、彼女が妹である能代にそう指摘されている現場に出くわしたことはあるのだが、聞こえていないふりをして通り過ぎようとしたこともある(成功しなかった)、という話は口にしないでおこうと思った。

 

いわゆる適正な健康水準の体重と、彼女らが気にしている体型とは大きな差があるのだと思いながらも、フライパンに視線を戻し、程よい焦げ目の出てきたところで火を止める。

 

「よし、フレンチトースト完成だ」

「こっちも出来たわ」

 

三つのフライパンに出来上がったトーストを盛って、ついでに湯も沸かしておく。

 

「コーヒーでいいか?」

「ええ。…ああ、でもあの子はまだ飲めないと思うわ」

「分かった。ホットミルクにしようか。矢矧はあの子を起こしてきてもらえるか」

「了解」

 

矢矧の小さい足音と、薬缶の湯が流れ落ちる水音が、静かな冬の朝の空気によく響く。

心地よい雰囲気に浸っていると、寝室から大きな欠伸をする声が聞こえて、少し苦笑するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あむっ、はむ…ぴゃあ!これ美味しいよ矢矧ちゃん」

「ええ。提督が作ってくれたのよ」

「本当!?」

「ああ。口に合ったようで何よりだ」

 

もう一人の来訪者、矢矧と同じ阿賀野型の末妹である酒匂は、提督と姉の合作朝食に舌鼓を打った。

どうやらお気に召してくれたようで、提督は内心ほっとしている。

 

「なんだか小さい弟にご飯を作ってもらったみたいだねぇ」

「弟か…まあ、これでも中身は二十歳過ぎだからな」

「…私たちは最近着任したから現場にはいなかったけど、本当にそんなことが起こるものなの?」

「俺も未だに信じられない。しかも、原因が全く分からないんだ。出来るなら今すぐにでも戻りたいよ」

 

悩ましげな表情で嘆息する提督。

それがあまりにも子供らしからぬ仕草であったからか、矢矧と酒匂は笑った。

 

「私はこのままでもいいわよ?」

「かわいいもんね~」

 

食事中にも拘わらず、酒匂に抱きつかれる、というか抱きかかえられる。

この見た目の年齢だと身体が小さく軽いので、艦娘たちには割と好き放題されてしまうことが多いのが最近の提督の悩みであった。

彼としては対応に困ってしまうのが本音なのである。

 

「七十年前のことを思えば、こんな提督は新鮮よね」

 

膝の上に乗せ、髪を撫でながらトーストの切れ端を口に運んでくる矢矧。

仕方なくそれを受け入れていると、今度は酒匂に横から頬をつつかれる。

 

「俺としては問題だからな…」

 

もはや抵抗を諦めて、提督は一人そんなことを呟くのであった。

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

朝食を済ませた三人。矢矧は任務(溺死した艦娘たちの救出と部屋の掃除)の指揮のため別行動となり、執務室には二人だけとなっていた。

 

 

「さて、執務を始めようと思うが…昨日の今日だからな、これが初めての任務になるか」

「ぴゃんっ。よろしくねっ」

 

元気よく手を挙げた酒匂。軽巡洋艦娘にしてはまだまだ幼さが残るが、それが逆に良い雰囲気をもたらすこともある。

昨日は初めてにも拘らず次々と酔っ払いと酒を酌み交わしていく彼女を見て戦慄したのだが、それも若さの表れということだろうか。

 

「それなら、今日は秘書としての業務内容を説明させてもらおう。ホワイトボードに軽くまとめるから、メモしてもらえるか」

「はーいっ」

 

家具職人によってグレーに塗装され、その上に見事な雪原が描かれている壁板には、かなり大きめのホワイトボードがはめ込まれていた。電子化されており、書くのも消すのも楽々なので駆逐艦の落書き用にもなっている。

苦渋の決断ののちそれを消し去った提督が、業務内容をいくつかの要項にまとめていくのを、酒匂はまじまじと見つめ、時折メモをとっていたのだった。

 

秘書艦――今ではすっかり鎮守府に馴染んだこの制度は、かつては指揮を行う提督と、その(もと)で任務を遂行する艦娘たちの連絡・調整役を果たした初期艦、吹雪の役割を一般化・制度化したものである。

提督自身は、吹雪のみに二重の責務を追わせてしまうことを心苦しく思っていたものの、かといってそれを他の艦娘たちに強制してしまうのも如何なものかと考えていた。

 

そこに目をつけた策士大淀――当時はまだ未着任の任務娘であった――が、数の増えてきた艦娘の中で希望者を募り、比較的艦娘たちの受け持つ実戦に近い職務の一部を請け負うこととしたのが、正式な秘書艦制度の始まりである。

案の定希望者は殺到、大淀の狙い通りの結果となったわけだが、提督は今でもその理由を彼女らの善意によるものだと勘違い(中にはそういう者もいるが)している。

 

「基本的には俺に同行してもらえればいい。執務室では簡単な書類作業―情報を打ち込んで電子化する仕事、工廠では開発・改修の途中経過をメモ、出撃・演習時の母港ではその時間管理と艦娘たちのケアなどを、逐一指示する」

「つまり、決まった仕事はないってこと?」

「そうだな。仕事柄、というべきか、似たようなものはあっても条件が違う、ということが多い。けれど、難しいものはないし、何かあったら聞いてくれれば答えるよ」

 

酒匂がうまくまとめたように、提督職というのはルーティンがない。

一部の新興鎮守府であれば、定期的な演習、開発などが必要になってくるが、現在の舞鶴第一鎮守府においては、必要不可欠ではない場合もある。また、外海への任務は一部吹雪や大淀、熊野といった面々が行う場合もあり、遠征についても睦月や天龍型が管理していることが多いので、提督にはむしろより高度な情報処理とばらばらに動く艦隊のまとめ上げが必要とされる。

この莫大な労力の一端を補うのが、ずばり秘書艦という訳である。

 

「うーん…」

「何か分からないことはあるか?」

 

神妙な顔つきをする酒匂。失礼ではあるが、彼女のイメージはやはりいつでも笑顔だという考えが先行してしまうせいか、提督は出会って一日と経たずに違和感を覚えていた。

 

「ううん、でも、いろんなお仕事があって、全部できるか不安かも、って」

「気負うことはないさ。一回目からうまくいくことなんてそうそうない。失敗して成長することの方が大事だ」

「うん…」

 

その言葉に、酒匂は一度は元気を取り戻したようだったが、少しするとまた俯いてしまった。

提督はその理由を、何となく解しつつあった。

 

「…そうだな。やっぱり、不安は消えないと思う」

「えっ…」

 

顔を上げた酒匂の瞳には、一抹の緊張がみてとれた。

先の大戦でも、戦局の悪化に伴って酒匂が実戦投入されることはなかった。そのせいか、実の姉にだって会えていない。

 

そんな彼女が艦娘として砲を持ち、海を駆けること自体、きっと初めての経験だろうし、そこに感じる不安など想像もできないほどだろう。

改めて、眼前の艦娘という、莫大な力を抱えつつも脆弱である存在に対して、統率する立場にある自分の負うべき責任を理解していた。

 

「俺は秘書艦制度について、初めは反対だったのは説明したよな」

「う、うん」

「それは、艦娘たちに負担を掛けないため、守るためだとずっと思っていたし、今もその思いは変わらない」

 

一旦、そこで言葉を切った提督は、今まで出逢ってきた艦娘たちの表情を回顧していた。

心配する表情、尊敬し、あるいは慕ってくれている表情、そして、怒ったような表情、寂しそうに笑う表情。

自分なりに考えて、決断したことに対し、彼女らの思いはそれぞれ違っていたが、結果として彼女らを遠ざけてしまったことは、やはり事実なのだろう。

 

「…少し前、とある秘書艦が言った。俺と、艦娘たちと、この鎮守府で共に生きて行くことが、自分の生きる意味だ…ってな」

 

「若干好意的に解釈すれば、だが」と加えた提督が、照れくさそうに言う。

少年のそんな幼い表情に、しかし、酒匂は誇らしさを汲み取った——とてもその体躯と見た目では、表現しきれないほどの苦悩の変遷が作り出すものだった。

 

「同じく、妖精さんには、もっと自分たちを頼って欲しいとも言われた。信じることは、そういうことなのだと、ようやく知ることができた」

 

生憎、彼という人間はどうにも他人を宛てにして生きることが絶望的に下手なのだった。

 

どれだけ目の前の艦娘(にんげん)が純粋な心を持っていても、本当は打算があるのではないかと疑ってしまう。というよりも、もうこれ以上騙されないように、人を信じないようにするための、心理的な障壁が生まれているとも、いえた。

 

「今では、艦娘たちを信頼し、その信頼に応えていくことは、義務だとすら思う」

 

そう言って、酒匂に目線を合わせた提督は、ただ小さく笑って言った。

 

「こんな気持ちにさせてくれた君たちに対して、自分の仕事のミスくらいで責めるなんてできないさ」

「司令…」

「大丈夫だ。記憶は酒匂にもある。あの時代、俺がまだ生まれていなかったあの戦争を生きた記憶が」

 

英霊という言葉は、まさに彼女らの「記憶」と密接に関係していると思われてならなかった。

だから、言葉は揺るがなかった。あの時代を生きた全ての人間の思いを背負っている彼女らに言葉を与えることが、烏滸(おこ)がましくて、無礼で、不躾だとさえ感じられてしまう程に。

 

——それを口実に、彼女らをどこか、自分とは遠い存在だと決めつけていたことも、彼はひどく理解していた。

 

「心配なら、俺にも手伝わせてほしい。あの子たちと同じ場所に辿り着きたいという願いは、同じだから…多分」

「…」

 

酒匂は、開いた口が塞がらない。

決して上司の話が難解で呆けてしまっているとか、そんなのではない。断じてない。優秀な阿賀野型の末妹なのだから…多分。

 

「ふふっ」

「…?」

 

上司の言葉尻と重なって、思わず笑みが込み上げてしまった。それを不思議に思った幼い姿の上司が、おろおろした表情でこちらを窺っていた。可愛い。

 

酒匂は、決断した。そして、動いた。一歩を大きく踏み出して、提督との距離を一気に詰めて——

 

「私、頑張るよっ」

「おおう、そうだな…っておおお!?」

 

そして、提督は宙に浮いた。

 

「私、矢矧ちゃんみたいにかっこよくなりたい。能代姉みたいにしっかり者にもなりたいし…阿賀野姉みたいに、なんだかんだ、皆から頼られるようにもなりたい」

「そ、そうか…って、ちょっと下ろしてくれないか…」

「よーし、じゃあ早速…」

「き、聞いてるか?っておおお…!?」

「まずは演習視察だねっ。ぴゃんっ」

 

小脇に抱えられ、全速で駆け抜けていく彼女が今は頼もしく、そして恐ろしく見えた。

 

「ねっ、司令」

「な、なんだ?」

「いつか…二人でみんなのところに行けたら」

「行けたら…?」

「…ひみつっ」

 

酒匂はそう言い残して、更にスピードを上げた。

 

「どういうことなんだ…?」

 

そして、提督は考えるのをやめるのだった——。

 

小さく、それでも力強い笑みを浮かべながら。

 

 

 



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第六十一話 いつでも君を

「ふおおお…」

 

駆逐艦の敷波は、鎮守府の廊下で一人、床に手をついて声を震わせた。

それは、新たに着任する地、舞鶴の冬の寒さに凍えたのではない。

 

「どうしたの?敷波」

「ろ、廊下がピカピカだ…部屋もきれい…」

「どういうことなの…?」

 

首を傾げる綾波に、敷波は興奮気味に話す。

 

「だって、佐世保はもっと小汚いっていうか…なんか生活感溢れてたし!部屋で雑魚寝してたし、食事のメニューも!」

「ちょ、ちょっと落ち着いて…!」

 

熱の冷めやらない敷波のハイテンションぶりに、綾波は少し動揺していた。

妹の知られざる一面である。

 

「そうでしょうそうでしょう。何といってもここは日本随一の満足度を誇る鎮守府ですから」

「毎年ランキング見てるけど、すごいんだよ?」

 

「!?」

 

突然、背後から降ってきた声に振り返れば、そこには霧島と長良の姿が。

二人は何やら沢山の袋をいっぱいにして抱えている。

 

「あっ、霧島さん、長良さん」

「着任おめでとう、敷波!」

「お姉さまたちも呼んでいるのよ。パーティにしましょう」

「ぱ、ぱーてー?何それ…?」

「!?」

 

妹の語彙力のなさに驚く綾波。

我が妹ながら、これは流石にいただけない。

 

「し、知らないの…?」

「知らないなら、体験しなさい。さ、行くわよ!」

「おー!!」

 

この後、とんでもない量の食事と豪華な飾りつけが二人を待ち受けていたのは、また別の話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うぇー…せかいがまわる…」

「だ、大丈夫?」

 

夜も更けて、時刻はすでに午前一時。

会場では既に金剛型と長良型が爆睡しており、鳳翔やその手伝いの五航戦姉妹が彼女らを曳航して部屋へ連れ帰っていた。

 

「お、お酒って…初めて飲んだかも」

「初めてなのにあんなに飲むから…」

「飲んだんじゃなくて、飲まされたんですけど…」

 

盛り上がりに盛り上がったパーティは、逆に主賓の敷波が緊張してしまうほどの賑やかさを見せたが、金剛や霧島、長良や川内などはお構いなしに彼女を輪の中に引き込んだ。

少し安心していた綾波だったが、敷波が酒を飲んだことがないというので、酔っ払ってすっかりハイになった霧島と川内に飲まされた辺りで流石に止め、戦線を離脱したという訳である。

駆逐艦とはいえ艦娘なので、迷惑をかけなければ、健康に害しなければ飲酒も良いという提督の方針ではあるが、これは明日あたり鳳翔の雷が落ちるだろう。

 

「そういう綾波だって飲んでたじゃん」

「わ、私はもう慣れたっていうか…」

「へー、もう大人の仲間入りって訳ですかー」

「そ、そういう訳じゃないけど…」

 

一概に責めきれない綾波。たまにしか飲まないとはいえ、彼女もまた酒癖がいいとは言えない。

特に迷惑をかけることはないが、何分甘え上戸のため、誰彼構わず甘えまくる。

長女としての、普段の凛とした態度とのギャップにやられた軽巡諸姉が鼻血を出して倒れていたりする。

そんなこんなで、一番困るのは翌日その記憶が蘇ってきたり、覚えていなくても生温かい目線で見られる自分なのだ。

 

(禁酒しようかなぁ…)

 

そんな見た目に似つかわしくない考えをしていると、前方から懐中電灯の光が。

 

「そこの二人ー、誰だ?」

「あっ」

 

眩しく、光源が姉妹を照らす。

彼女らを視認して、本日の夜警――提督は近づいた。

 

「おお、綾波と敷波か。そういえば今日は歓迎会だったな」

「す、すみません!すぐ帰って寝ますので」

「おぉー、よろしくしれーかん」

 

陽気に手を振る敷波に提督は苦笑する。綾波の顔面が蒼白になったのは言うまでもない。

 

「ちょ、し、敷波!失礼でしょっ」

「いいさ。それより、こりゃあ結構飲んだな。何か飲ませた方がいい」

「あっ、大丈夫ですよ。お水を飲ませておきますから」

「いやー…この様子じゃ飲むのも初めてだったんだろ?明日は酷いぞ」

 

提督は経験上知っていた。

前職では死ぬほど飲まされたうえ、翌日はお構いなしに激務だったこともある。

そのために用意した予防策はバッチリだった。

 

「そ、そうですか?」

「ああ。顔がかなり赤い。あんまりアルコールには強くないみたいだ」

「えへぇ、しれーかんの手冷たくてきもちいい…」

「…本当に申し訳ありません」

「謝ることはないさ。誰も初めはこんなもんだ。俺は部屋から何か持ってくる」

「あ、ありがとうございます」

「んー、くるしゅーない…むにゃむにゃ」

 

 

 

 

 

「ぐおぉぉぉ…」

 

翌日、綾波型の部屋。

長期遠征で第七駆逐隊が出払っているため、今日は綾波と敷波の二人だけだ。

敷波は、二日酔いではなく、昨日の醜態を思い出して一人呻いていた。

 

「後で司令官さんのところにお礼しに行こうね」

「う、うう…でも」

「行こうね?」

 

ソロモンの鬼神の眼力は凄まじい。普段は穏やかだが、時としてそれは深海棲艦をも恐怖させるほどである。

長姉の悪魔的側面を出会って一日で敷波は悟った。

 

「は、はい…」

 

それにしても酒は恐ろしいものだ。

まあなんだかんだ大丈夫だろうと思ってはいたが、ここまで人を変えるというのか。

 

「っていうか、昨日は司令官が面倒見てくれたの?」

「うん。よくある話だからって、いろんな種類のサプリとか、対処法を知ってたの…やっぱり素敵だなぁ」

 

なんだか恍惚としている綾波。惚れ込んでしまうのもあの彼の性格からして無理はないのかも知れないが、酔っ払いを助けただけの話なのだ…自分のことではあるが。

 

「よ、よくあるんだ…」

「そうそう。この間も隼鷹さんが…」

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

長い長い、一日が終わった。

地道な遠征は、華々しい出撃を支える縁の下の力持ちだと言う者がいるが、それは嘘である。

艦隊に真に求められる必要不可欠な作戦こそが遠征であり、それがなければ艦隊も司令部もあったものではないのだから、むしろ、艦隊は遠征のために存在しているのだとも言えて——。

 

「つまり、鼠輸送は艦隊の存在意義であり、美の極致という訳だよ、如月君?」

「と、突然ね睦月ちゃん…」

 

謎の思考を繰り広げたのち、普段は全く使わない口調でドヤ顔を決めてきた姉に、如月は引き攣った笑みを浮かべた。

 

「ま、まあ重要なのは確かよね。戦艦や空母の方々も資源がなければ動けないのだし」

「うむっ、よくできました」

 

にしし、と笑って頭を撫でてくる睦月の姉らしい一面を感じ取るが、その実態は遠征に心を奪われた遠征中毒(ホリック)なので素直に喜べない。

 

「それにしても、最近は楽になったよねぇ。ひたすら長距離航海や防空射撃しなくて良くなったし、ひたすら海上護衛することもなくなったし」

「そうね。まああれはあれで楽しかったけれど、人手が増えて賑やかになったのも考えると、今が一番ね」

「そうそう。…おっ、ついたついた…うひゃあ~、疲れたぁ」

 

自室――同型艦が増えたこともあり、一室に入りきらなくなって分けられたその小部屋に着くなり、睦月は声をあげて布団に飛び込んだ。

眠るには少し早い時間帯だが、連日の任務を達成してへとへとの彼女らにとっては、それでも十分だった。

 

「うふふ、お疲れさま、睦月ちゃん」

 

そんな睦月を見てか、妹の如月が思わず笑みを零した。

彼女も睦月と同じく、任務を終えて疲れているはずではあるのだが、姉の自然体を目の当たりにして、緊張がほぐれているのだろう。

 

「如月ちゃんもねっ。でも、やっぱり北方の寒さは(こた)えたねぇ…でもその分、お風呂もお布団もあったかい」

「ええ。本当に」

 

そう言いながら、妹たちが準備してくれた布団に寝転がる。よくできた妹たちだと感涙しそうになるが、今は疲れているためか、感動より心地よさの方が上回ってしまっていた。

 

「…ねねね、如月ちゃん」

「なあに?」

 

ふと、睦月のそんな声を聞いて身体をそちら側へ捩ると、彼女の顔が間近にあって驚く。

 

「わっ、いつの間に」

「えへへ、今日は一緒の布団で寝てもいい?」

「…ええ。もちろん」

「やった。じゃあ明日の支度しよっと」

 

布団から元気よく飛び出て、いそいそと、制服を畳んだり書類やなにやらをまとめていく睦月の背を、如月は何気なく眺めていた。

 

「…睦月ちゃんって、なんだかお姉さんらしくないわよねぇ」

「えー?そうかなぁ」

 

けらけら笑って、それでもなお嬉しそうに寝支度を済ませる睦月が、如月にとってはただ一人の姉らしさを感じさせていたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうしよう」

「ん?どうしたの睦月ちゃん」

 

部屋の隅に置いてある角型行灯が、ほのかに部屋を照らす。

如月は殆ど眠りかけていたが、姉の呟きで何とか意識を保っていた。

 

「何だかこの眠気に任せちゃうのって…もったいなくない?」

「ええ…そうかしら?」

「だってさ、これ、()生でかなり幸せな瞬間じゃない?」

「なるほどね…」

 

同じ布団の中でそう力説する睦月に、ついつい苦笑してしまう。言い分は分かるのだが、睡眠不足は良くない。

 

「でも、しっかり眠らないとダメよ?」

「ふっふーん、それなら眠らせてみればよかろう?」

 

何故かこの姉はいちいち偉そうなのだが、その愛嬌のある笑みは憎めなくて、そればかりかこちらまで笑ってしまうような、魅力のある輝きを放っているように思えた。

それならば、如月のするべきことは何か。

 

「仕方ない子ねぇ…どっちが姉なのかしら」

「およ?」

 

そう零しつつ、捩じった身体のまま睦月の身体を引き寄せる。

丁寧にブラッシングした髪を崩さないように、優しく撫でつける。

 

「…ねえ」

「どうしたの?」

「寝ちゃうんだけど」

「寝なさい?」

 

始めは抵抗していた睦月も、次第に腕の力が小さくなっていってふにゃふにゃになっていく。

 

元気に話していたのも最初の数分の話で、やはり任務で潮風が堪えたのだろうか。如月自身、割と眠気も最高潮に達していて、湯上りの身体に纏った冷たい空気や、行燈の優しい桜色だとか、睦月の使っているヘアオイルのラベンダーの香り、伝わってくる心拍と体温も、おおよそ如月たちが目を覚ましていられる理由はなかった。

 

「もーちょっと…ね…ばる…」

「ふふっ…」

 

必死に目を開けようとしている長姉が、うっかり妹のように可愛い存在だと思えてしまってならない。

 

「お休みなさい」

「ふぁ…」

 

睦月の耳にそう囁いて、闇の中へと意識を放ったのだった。

 

 

 

いつでも、彼女たちは妹に先んじている。ネームシップはその重責を、その苦悩を、一身に背負いながら。

だから、傍にいる妹は追いつきたいし、知りたい。少しでもそれを分かち合えるように、理解してあげられるように。

 

そんな彼女たちの鎮守府生活は、今日も続いている——。

 

 



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第六十二話 つながりコンプレックス(前)

新型ウイルスだったり、艦これサーバーへの攻撃だったり、なにかと不穏ですが、今回のお話はちょっとだけシリアスです。

※わずかですが流血描写にご注意ください。


「――敵艦隊発見!那珂ちゃん、現場入りまーすっ。みんなー?戦闘準備っ」

「了解っ」

 

雪混じりの暴風の吹きすさぶ北方海域AL方面では、那珂率いる第四水雷戦隊が奮戦していた。

敵艦隊を迅速に捕捉したのち、隊列を乱さずに長射程の戦艦砲撃を潜り抜けて吶喊する。

 

「いいねぇ。皆ついてこれてる」

「那珂先輩のご指導のお陰ですっ」

「まあ…あれだけの訓練を行えば、な」

「あっれはきつかったなぁ…」

 

振り返って余裕の笑みを浮かべた那珂に、後続の浜風と磯風が応える。

至近距離で水柱が勢いよく立ち上がるのも気にも留めず、最大戦速にて敵陣営に迫る。全ては航路確保を担う那珂に対する信頼からきており、磯風や谷風に至っては壮絶な訓練を想起するくらいには余裕があった。

 

「じゃあ各艦散開準備っ。敵高速戦艦は仕留めちゃうから、各個撃破するよ。砲撃が合図ねっ」

「「了解!」」

 

徐々に接近する両艦隊。未だ多くの艦は敵を射程内に収めていないため、戦艦の長射程砲撃のみが海面に刺さり続けている。

しかしながら、一直線に距離を詰める水雷戦隊には掠りもせず、心なしか砲撃の間隔が短くなり、理性や感情を持たないはずの敵戦艦にまるで焦りが感じられるのだった。

砲を構える那珂が、一種の鋭さを感じさせる空気を纏って、それが本当の戦闘開始を後続の駆逐艦たちへ告げていた。

 

「いよっし…はいどっかーん!」

 

中射程ギリギリ、敵軽巡もようやく捕捉を開始し始めたであろうタイミングからの速攻。砲撃は敵戦艦に吸い込まれ、主砲らしき艤装に刺さって爆発し、火煙を吐かせた。

 

「ひゅう、さっすが那珂先輩」

「驚いてる場合じゃでしょ。舞風、行くよ」

「おっけー。さあ、華麗に舞うわよ?」

 

スナイパーのように、再装填を済ませて砲撃を行う那珂の姿はまさに精緻そのもの。

艦隊は配置を変え、那珂を最後尾として単縦陣で突入し、猛然と海面を駆け抜ける駆逐艦が砲撃を開始した。

 

「四水戦、突撃する!続けーっ!」

 

四水戦から抜きん出たのは野分。敵駆逐艦の砲撃をひらりと躱し、敵補給艦へと迫る。

 

「はぁっ!」

 

至近距離の砲撃で、敵補給艦が航行リズムを崩す。もう一撃加えたところで、後続の駆逐艦の照準が野分に定まる——

 

「舞風!」

「はーいっ。舞風行っきまーす…てぇ!」

 

照準合わせのタイミングでは、敵艦の航行能力が低下し、減速する。その一瞬を狙って、舞風が鋭い一撃を大口を開けた駆逐艦に見舞った。

内部構造は見当もつかないが、機関部を貫かれたらしい。断末魔を響かせる間もなく、駆逐艦は爆炎を上げてゆっくりと沈みゆく。

 

「もう一発!…ほいっ」

 

砲撃反動から解放された野分が、敵補給艦の苦し紛れの反撃を回避してその場を脱する。それに呼応するように、舞風がとどめの一撃を叩き込んだ。

四艦が相まみえた戦闘海域には、その半分が海中に没することとなった。

 

「…ふう。援護ありがとう舞風」

「どういたしたしまして。のわっちだって突撃すごかったよ」

 

ひとまずの安息に、互いの戦果を称え合う。握手が二人の堅固な絆を象徴しているようだった。

海上の北風は止み、炎上した敵艦の上げた黒煙がゆらゆらと立ち上る。

「さあ、那珂さんと磯風に合流しよう」

「うん。無電は…っと」

「その必要はないよぉ」

 

舞風が妖精さんと意思疎通を図り、耳に掌を当てようとしたところで那珂の声が二人に届く。

 

「那珂先輩…?」

「どこだろう」

 

彼女の居場所を見つけようと周りを見渡しても、煙と塵で視認することはできない。

すると突然、火花が散る煙を切り裂いて、勢いよく飛び出してくる影があった。

 

「…ッ」

 

思わず戦闘態勢を整えようとした舞風だったが、影の姿をはっきりと捉えられた時には、すぐ眼前にいた()()に抱きすくめられていたのだった。

 

「うーん…もうちょっと練習が必要かな?今度は回避訓練」

「な、那珂先輩…」

「ちょ、ちょっと!」

 

野分の視線が含んでいたメッセージに気付いて、ぱっと跳び離れた那珂が悪戯っぽく笑う。

 

「戦闘海域だからね。油断は禁物だよっ」

「は、はいっ。すみません」

「でも、敵艦撃破はお見事だったからよしとしましょう!のわっちもねっ」

「しょ、承知しました」

「固いなぁ、私のことは那珂ちゃんって呼んでよ~」

「流石にそれは…」

 

明朗に、笑顔の眩しい普段の那珂とはまた違った、艦隊の実力者としての怜悧な一面が垣間見えて、つい緊張してしまう。

そんなこちら側の事情を汲み取ってか、那珂(せんぱい)はおどけてそう言うのだった。

 

敵高速戦艦は那珂が撃破した。まずは砲を中心に鋭く撃ち込んで、攻撃機能を半壊、沈黙させたのち、一気に距離を詰めた酸素魚雷の雷撃によって仕留めたそうだ。

 

「さあ、磯風ちゃんたちの援護に行こうか」

「「はい」」

 

三隻は周囲の警戒を継続しつつ、最後尾の野分が電信を行いながら合流を図る。

彼女らが撃破したのは敵主戦力であり、現状撃破確認のできない敵艦は大した相手ではなかった。

ふと、磯風との無電通信が繋がって、向こう側の声が野分の耳に届く。

 

「…あっ、磯風?戦闘海域の敵艦撃破が完了したから、これからあなたたちの援護に向かうんだけど、位置を教えて欲しいの」

『なに、もう撃破したのか?那珂先輩がいるとはいえ、そこそこの戦力だったはずだが』

「えっ?」

『私たちも敵艦の排除に成功したところだ』

 

そこそこの戦力、とはどういうことだろうか。勿論、敵高速戦艦は駆逐艦にとってみれば大きな脅威といえるだろうが、那珂が撃破するだろうから、舞風と野分の分担する小型艦では戦力に数えるまでもないだろう。

――一抹の不安がよぎって、磯風に訊き返す。

 

「待って、その()()()()()()というのは」

『ああ。これが数が少ない割になかなかしぶとくてな。輸送ワ級フラグシップと、その援護の駆逐二級後期型だ』

「—ッ」

 

今、磯風はそう言い切った。ならば彼女らが撃破したのは二隻。

那珂を含めた野分たちの撃沈させた艦は三隻ということは、もう一隻、戦闘を逃れて回航している敵艦がいる筈で――

一瞬の判断から報告を行おうと顔を上げたその時、晴れ行く煙の向こうに砲を(もた)げるその影——軽巡ツ級が見えた。

 

「っ危ない!!」

 

もはや射線は固定されていた。先頭の舞風の被弾は免れない。ならばと大声を上げて、その弾道へと割り込む。

 

——間に合わなくなる前に。

 

身体が、記憶がそう叫んでいるのを感じた。

照準合わせもままならないが、そうでなければ彼女らを護ることができない。被弾の恐怖などに躊躇する暇もなく、前面へと躍り出ていた。

 

「ぐッ…うおおっ!!」

 

爆音、そして間もなく艤装と体中の骨格が軋むような痛覚に襲われる。それでも厭わず、全身全霊を込めて砲撃を継続する。

初弾以外は命中し、それなりの損害を与えているが、これ以上腕が動かなくなっていることに気付く。

 

「の、のわっち!?」

「は、早く撃破を…っ、逃げられてしまう前に…うぐっ…!」

 

海面に膝をついて、被弾箇所である右肩を左手で押さえる。力なく垂れる腕には激痛が走っており、流れ零れた血の雫が、眼下を僅かに紅く染めるのが分かった。

 

()()、ありがとう…後は任せて」

 

野分の必死の訴えに、那珂が最大出力で敵艦へ迫る。そこに鎮守府の那珂の姿はなく、一戦士としての、冷酷なまでの一閃がツ級を切り裂く。

彼女の納刀と同時に、機関の大爆発がツ級を包む。煙が流れる頃には、もう一片の艤装も残ってはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「のわっち…」

 

ゆっくりと閉じた入渠ドッグの扉の前で、舞風は憂いの声を漏らした。

 

野分の被弾判定は中破だったが、艤装を除いた本人のダメージは軽微なものだった。そのため、入渠さえ完了してしまえば大きな問題はないと聞いて一安心したはずなのだが、内心で蔓延る靄は消えなかった。

 

(本当に、大丈夫、だよね…)

 

明石からの話を聞いて、心配はいらないと、そう分かっているはずなのに、疑念は消えない。杞憂だと理解しているはずなのに、心ではもしものことがあったら、なんて考えてしまう。

大丈夫、修復にも時間は掛からない、と問いかけてみたところで、落ち込んだ気分が晴れる訳でもない。

 

 

(——これがもし、那珂先輩だったら)

 

「―—ッ!」

 

かぶりを振って、そんな戯言を霧散させる。

一瞬でも、そう考えてしまった自分が恐ろしい。戦力以外で艦隊に優先順位をつける基準は存在しないというのに、比較しうるものがあって良いはずがないのに、本能がそれを告げていることに気付き、そして、認めざるを得ないということに、ひどく失望する。

 

「どうして…」

 

これほど必死になってしまう理由が、不思議なことに、舞風にはまだ理解できないでいた。

自責の念に苛まれていることも確かだ。ひょっとすると、彼女が離れて行ってしまうのではないかと、不安になってしまう心の弱さがあることも確かだ。

 

(のわっち…あたし、どうしていいか分かんないよ…怖いよ。のわっちがいなくなることも、のわっちに置いていかれるって、考えることも)

 

どうしようもなく溢れ出た思いと涙に、舞風は、自分がこれほど野分に依存していたのだということを悟る。

拭っても、拭っても冷たい涙が零れてしまう。胸元を強く押さえたって、霧のように広がった不安には怖気づいてしまう。

 

繋がっていないと不安になる。いつでも傍にいられることが当たり前になって、彼女の隣に立つことが一番大切になってしまった。

だから、いつも問いかけてしまう。野分と対等になれているのか。彼女が護るに値する存在になれているのか。

たまに、夢で見る過去が本当になってしまわないように、必死で野分を追いかけてきたけれど、それ以上にはなれなかった。なろうとも思わなかった。

 

「分かんないよ…のわっち」

 

力が抜け、ずるずると、扉に背を向けてへたり込んでしまう。

体育座りで俯いても、思いが隠せる訳でもないし、見えないようにすることも出来ない。

 

「…舞風?」

「っ」

 

その時、頭上から声が聞こえた。

見せないように涙を拭って、顔を上げてみれば、そこにいたのは提督だった。

 

「そんなところで、どうした?何かあったか」

「う、ううん。何でもない」

「…本当か」

 

視線が重なる。何もかも見通してしまうその透明なそれを直視すると、つい、この思いの全てを吐露してしまいそうになる。

 

「…抱え込むことは良くない。何かあったら、必ず相談してくれよ」

「…うん」

 

提督はずるい。全部が分かったうえで、そう言ってしまう。

言ってしまえば絶対に解決できる、そんな子供じみた信頼が心に芽生えていることを知っているのかいないのか、その柔らかい笑顔で聞いてくるから。

 

だから、今は言えない。自分の過去——彼がまだいなかった世界に遠因を持つその問題を清算するのは、自分だけだと思うから。

 

「大丈夫だよ」

「…ああ、分かった」

 

提督は、そんな拙くも自分勝手な思いを肯定したのだろうか、少なくとも「大丈夫」と言って誤魔化したときの自分を見て、何かを察したような表情をしていた。

 

——本当に、ずるいよ。

 

通り抜けた風に髪を押さえて、舞風は少しだけ笑えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

業火——この世の全てを焼き尽くしてしまうと言えば大げさだろうか、それでも、それが適切かと思えてしまうほどに、水平線が朱に染まって光る。

直に、こちらへもやってくるはずだ。

 

『敵機来襲!総員対空戦闘配置!』

『——っ』

 

身の毛もよだつ、敵艦載機の群れを前にして、繋いだ手が固く結ばれていくのを感じた。

——はっきり言えば、自分はこの時怖かったのだろう。指先が震えるのが分かった。

 

『…大丈夫』

『…?』

 

手を繋いでいた彼女がそう言う。怖くないのだろうか。そう思って、隣を窺う。

 

『…私が、守るから』

『…っ』

 

鉢巻を巻いた、彼女の視線は強く、雲霞の如く押し寄せる敵機を睨みつけるように固定されていたけれど、そう力強く聞こえた。

少し、安心した。彼女がこう言ってくれることが、何よりの励みになった。

ぐっと力を込め、はるか上空から来る敵機に照準を合わせる。

 

瞬間、轟音とともに砲撃が降り注いだ。雨霰のような機銃掃射と爆撃の中をひたすらに駆け抜ける。

足が竦む。反撃しないと沈むかもしれないのに、怖くて照準が定まらない。

どうしようもなく震える腕を、彼女——舞風が支えた。

 

『ま、舞風』

『大丈夫!のわっちはあたしが絶対守るから!』

 

絶望の中で、ただ一人、彼女だけが笑っていた。後続の空母群が押し寄せても、艤装も、その身体にかすり傷を刻みながら、、躊躇わずに。

航行がほとんど不能になって、船体が半壊した。水面を一直線に叩きつける敵の砲撃は精密で、無情にも敵電探の能力を誇示せんと、動けない舞風たちを狙って命中させ続けた。

 

『ダメだ、これ以上はっ!曳航して撤退しよう!』

『だ…大丈夫って、言ったでしょ…』

 

口の端から赤い血を垂らし続けるのも厭わず、ボロボロの舞風は自分に言い聞かせるように呟いて笑った。

そして、全身全霊をもって叫ぶ。

 

『総員、ここを耐え抜けッ!味方の撤退を援護する!』

『そ、そんな…!』

 

振り返って、優し気な視線を向ける。その意味を、残酷にも理解してしまった。けれど、納得はできなかった。

——血に混じって零れる涙を見て、そんなことが出来る筈がない。

 

『…ねえ、のわっち——生きて、きっと、この国を支えてね』

『…ッ』

 

敵の砲撃が激しくなって、水柱がそこら中に立ち上がる。

確かに繋いでいたはずのその手が、解けて、離れていく。

 

『舞風っ、舞風ぇ!!』

 

情けなく、涙ながらにそう叫ぶ、どれだけ手を伸ばしても、彼女との距離が遠くなって、そして黒煙のうちに見えなくなる。

 

『舞風ぇ!』

 

——絶叫ののち、煙が一瞬だけ晴れた。そこに確かに見た。必死の形相て砲を構え続けた舞風に、敵艦隊の斉射が命中し、朱の華が咲いたその瞬間を。

 

 

 

彼女はそれでも、笑っていた。

 

 

―———————————————————————————————————————————————————————

 

 

「舞風ぇっ!」

 

伸ばした腕は、虚空へと一直線にただ伸ばされていた。

自分が彼女の名を叫んだことに気付くのに、しばらくの時間を必要としたが、荒い呼吸と、見上げた入渠ドッグの天井が意味するところを理解して、あれは夢だった、と結論付けた。

 

「…そうだ、私、被弾して」

 

どうしてあんな夢を見たのか、それは分からないが、被弾が何かしらのトリガーになったことは間違いないだろう。

野分は、皮肉にも夢のなかの出来事(史実)が、舞風に対する思いの深さ、そして被弾原因となった自分の突出の理由を表しているものと理解し、自嘲気味に笑った。

 

「…今度は、守れたかな」

 

被弾を覚悟して飛び出した時、自分は海戦や作戦の趨勢でもなく、舞風ただ一人無事であってほしいと願っていた。自分が犠牲になっても、彼女が守られればそれでいいと思っていた。

それは、あの空襲で舞風が見せた誇りに対し、自分は目を逸らして逃げてしまったことに対する償いでもあった。

それを自覚して、この時代に彼女に少しでも報いることが出来たのであればいいと、ただ思っていた。

 

「…だけど」

 

髪の先から滴った水滴が、湯船に丸い波紋を生む。

 

野分は、未だに考え続けていた。

 

自分と、駆逐艦野分と、駆逐艦舞風の関係は、そう片付けられていいものなのか。

その疑念だけが、胸の中で残ったままだった。 

 

 



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第六十三話 つながりコンプレックス(後)

お待たせしました。


「――駆逐艦野分、入渠修復作業完了しました」

「おう、お疲れ様」

 

 

あれから小一時間ほど経って、野分は戦闘後の処理を行う提督の元へと報告に向かっていた。

執務室には緩く空調が効いており、入渠後の彼女は存外に脱力していたのだった。

 

 

「野分さん、大丈夫でしたか?」

 

 

心配そうに、彼女を気遣ったのは練習巡洋艦の香取。片腕に抱えた半透明のファイルは執務用のものなので、本日の秘書艦を任命されているのだろう。

 

 

「はい。ご心配お掛けしました」

「何でも、僚艦の舞風さんを庇って被弾してしまったとか」

「損傷具合を見るに、敵艦の砲撃火力に対してもまだ小さいダメージで済んでいる。しっかりダメージコントロールと受け身の体勢をとれたようだな」

「そ、そうなのでしょうか」

 

 

思えば、敵軽巡の艦影を捉えてから、身体を動かすのは一瞬だった。だからこそ、防御行動に移る時間が僅かに生まれたのだ――という考えに辿り着く。

そんな思案中の彼女の表情を窺うように、香取が一歩近づいた。

 

 

「接近に気が付かなかった舞風さんが被弾していたら、どうなっていたか分かりません――本当に、ありがとう」

「あっ、い、いえ。私は――」

 

 

二の句を継ぐ暇がなかった。香取に抱きすくめられていたからだ。

ほのかな温もりが伝わってきて、改めて、自分が今、しっかりと(おか)にいることを実感していた。

 

 

「え…」

「…心配だったんですよ。私もあの時、あの海域に居ましたから」

「あ…」

 

 

トラック島での惨劇――橙色の閃光に怯えたあの記憶が呼び起こされる。

自分が心配に思えば思うように、香取もそう思う筈であり、そしてそれは彼女にも言えることで――。

 

 

「出撃で疲れているところ申し訳ないが、舞風の様子がどうもおかしい。やはり、この件に関係していると思う」

「ま、舞風が…」

「史実と艦娘の精神的関係…運命の(くびき)ともいえるものが作用している、という者もいる。それだけ、過去…舞風の場合、轟沈時の経験が与えるものは大きい」

 

 

香取が傍から離れるのを視界に捉えつつ、提督の言葉に耳を傾ける。

彼の言葉は正しい。自分自身も、艦隊生活の範たるあの香取でさえも、離別の過去を忌避する衝動に影響され続けているのだから。

 

 

「…私たちは強大な兵器としての側面と、人間としての繊細な感情を持ち合わせています。けれど、()()()()たりえる訳ではない。練習しなければ兵器としての真価を発揮できませんし、人間としてはあまりにも歪な――過去に縛られすぎるあまり、本当のことを見失ってしまう」

 

 

香取の言葉が、すっと胸に沁み込んでいくのを感じていた。

大切にしすぎるあまり、すれ違う。過去の因縁に依存して、本当に大切なこと――今の関係から目を逸らしてしまう。

胸に手を当てる。確かな鼓動が刻まれている。

この時代に、今を生きているという証を、握り締めた。

 

 

「私たちに欠陥があるとすれば、それは胸にある思いを言葉にできないこと――。私、これが当たり前だと思っていて、負い目ばかりで、舞風と一緒にいる理由を片付けようとしていました」

「負い目…か。だとしたら、舞風が君に対して抱いている感情は、きっと引け目だろう。対等な関係でいたいと、そう願うからこそ」

「提督の声を聞いて、力を借りるということを拒んだ――だとすれば、辻褄が合いますね」

「引け目…なんで、舞風がそんな」

「お互いを大切にしすぎるあまり…だったな。野分が舞風を守りたいと思うように、舞風は、きっとあの後の戦いを生き抜いて、君の隣にいたかったと、そう後悔したと思う」

「…ッ」

 

 

提督は目を細めてそう言った。想いの大きさが、時に彼女らを束縛してしまうことさえある――

しかしながら、この試練を乗り越えれば、必ず彼女らは強くなれる。そう感じさせて疑いはなかった。

 

 

「もう一度、問い直して、そして舞風に会って欲しい」

「野分さん自身の言葉で、あの子を――舞風さんを、救って欲しいんです。運命の軛というものから」

「…はい」

 

 

戦友として、姉妹として、彼女とともに生きることに、史実も、理由も、その関係に名前を付けることも必要ない。

ただ、好きだから。関わりたいと思うからこそ、手を差し伸べる。声を交わす。

目を瞑って、決意する。

 

問いの答えは、出た。

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

「どこ…舞風…!」

 

 

鎮守府廊下にて、彼女を捜す。一抹の不安は確かにあったが、それでも足どりは確かで、今も両脚で、踏みしめるように歩いていた。

彼女と共に生きる訳を、理論で説明しつくすことは出来ない。だからこそ――突き詰めた理論の先に残った感情を見つけ出して、証明してみせよう。

過去との決別を、清算をしよう――

 

足が早まり、そして気付いた時には、走り出していた。

向かうのはこの廊下の先――

 

 

「はっ、はっ…!」

 

 

(舞風…!)

 

 

息切れも厭わず、無我夢中で彼女を捜す。すれ違う艦娘たちの間を、声もなく、風のように通り抜ける。

見えてきた廊下の出口は、光に溢れていた――

 

 

「舞風!」

 

 

飛び込んで、あまりの眩しさに目を覆った。

晩秋の広葉樹の黄金は、陽光を存分に反射して光りながら舞い落ちる。一人涙を零す彼女の一瞬を切り取った姿は、絵画かと錯覚するくらいに、美しいと思えた。

 

 

「え…嘘、のわっち?」

 

 

気付かれないようにと、急いで涙を拭う仕草に、心がざわつく。居てもたってもいられなくなる。今すぐ、駆け出したい。

 

 

(やっぱりそうだ)

 

 

この関係を、『負い目』で終わらせていい筈がない。野分は確信していた。

 

 

「心配かけてごめん。…少し、話したいことがあるの。いいかな」

「えっ?」

 

 

舞風は、唐突なその申し出に、首を傾げた。

 

 

 

× × ×

 

 

 

「…本当に大丈夫なの?」

「うん。損傷の具合もそこまでのものではなかったから」

「そ、そうなんだ…良かった」

 

 

俯く舞風を、横目で捉える。その表情は、自分の身をどれだけ案じていたかを克明に、安堵として示していた。

思い上がりではないだろう。立場が逆ならば、野分も舞風と同じような表情と感情を持つ自信があった。そのことは、とても嬉しく思う。

――しかしながら、素直には喜べない事情もまた、ある。

 

 

(本当に、舞風は私に――依存しているのかな)

 

 

とても自分から言い出すのは自意識過剰甚だしいのだが、それでも、提督の指摘は正鵠を射ているような気がしてならなかった。

 

引け目――彼女にとって、野分に追いつくこと、傍にいること自体が、全ての基準であり、目標となりつつあった。

だからこそ、野分が傍からいなくなることは、離別の悲しみというものよりもずっと、根本的な意義を失わせることに繋がりかねない。

 

野分は事の重大さを理解していた。自分が動かなければいけないという義務感も確かにあった。

しかし、何より強い感情は、ただあるべき関係を追い求める、その友愛の極致だった。

 

 

「…ねぇ、舞風」

「な、なに?」

 

 

怯えていた。

長年の朋友を前にして、舞風は怯えていた。それが、野分には手に取るように分かった。

色々な人々の助けを得て、今では心情が読める。

大切な人を残して逝く苦しみを、不安をよく知る彼女だからこそ、残される方の悲しみに脆い。

お互いに、あの時代の逆を体験しているのだ。

 

腕をそっと、彼女の方へ伸ばした。途端に身体がびくっと跳ね、ゆっくりとその手に触れる頃には、目を瞑ってしまっていた。

震える掌を、自分の掌で包み込むようにして握る。そうすると、なんだか驚いたかのように目を見開いた舞風の顔が見えた。

 

 

「…少し、いい?」

「え…」

「聞いて欲しいことがあるの。私たちに関わる、とても大切なこと」

「…うん」

 

 

短い言葉の肯定に覚悟するように、身を縮こませながらもこちらを見上げる仕草についつい苦笑してしまうが、きっと彼女は、その身に降りかかる責任感と重圧に、必死に耐えているのだろう。

そんな様子を前にして、つい言い淀んでしまいそうになるけれど。

 

 

「…そして、私の話を聞いて感じたこと、話して欲しい」

 

 

彼女の苦しみに、決意に応えなければならない。女は度胸と言うけれど、野分の胸中にある提督と香取の言葉が、そんな想いを加速させていた――。

 

 

「――長くなるけど、聞いてね。私、舞風の様子が変だって聞いて、不安になった。いつも明るいあなたが、らしくない俯き顔をしている姿が想像できなかった。…それくらい、なたが笑っていて欲しいと思っていて」

「…」

「ごめんなさい。こんなものはただ理想を押し付けているだけに過ぎない。あなたはいつもそうだって、私の理想だって、そう思いたかった。あの海戦(とき)からずっと」

「…っ」

 

 

その言葉を口にした瞬間、舞風の表情に動きがあったことを、確かに認めた。

やはり、間違いない。私と、目の前の少女との間には、あの時以来の因縁の鎖で繋がれた(しがらみ)がある――

野分は、確信を得た。

 

 

「…でも、もうそんな考え方はしない。私は負い目、あなたは引け目。お互いに大切な存在だと思っていても、そんなもののために傷ついて、踏み込めないなんて嫌だから」

「負い、目?」

「…ええ。あの時、私はあなたを助けられずに、ただ逃げてしまった。香取さんさえも…見捨ててしまった」

「そ、そんなことっ!」

「知ってる。あなたがそうは感じていないこと…むしろ逆に、その後を共に戦えなかったことを悔やみ、一人になること、離れることに恐怖を抱きすらしていること」

「っ…」

 

恐らく、彼女の胸中にある核心を突いたのだろうということを、その反応から悟った。

それを裏打ちするように、震えた口調で続けられるのを、黙って聞いていた。

 

 

「…や、やだなぁ、私、艦娘だよ? 一人になるくらい…」

「…」

「なんて…こと…っ」

 

 

強がる発言に背くように、頬に涙が流れる。彼女なりの、精いっぱいの抵抗だったことを、明確に示していると思った。

明るい表情は、悲しい過去と臆病さの裏返し。華麗な演舞の裏に、血の滲むような努力と、劣等感(コンプレックス)が詰まっていたということを、初めて知った。

感情は、あくまでも主観に過ぎない。それでも、彼女がそう感じるのであれば、その世界では事実となるのだろう。

 

 

「過去を忘れてしまう訳ではないの。もう二度と負けてはならない。あんな思いを繰り返さないように、胸に刻みながら…本当の私で、本当の貴女自身と向き合いたい。そのためには、思っていること、後悔したことを全て伝える必要があったと思ったから」

 

「聞かせて。あなたの全てを」

 

 

野分の独白は、舞風に引き継がれる形で幕を下ろした。吹き付ける風と沈みゆく夕日が、舞風を急かす。

けれど、震える口からは、野分がどれだけ待ち望もうと、答えは出ない。

ただ、涙と、嗚咽が漏れるばかりだった。

 

 

「…っ、ご、ごめんね」

「いいよ。幾らでも、待つから」

 

 

野分は見透かしていた。舞風自身の成そうとしていることに対する覚悟と怯えを。その想いのベクトルが、自分に向かっていることも。

全てわかったうえで、ひたすら待った。

孤独に耐え、必死に戦っている舞風を、ただ待った。

――けれど、思いは届かなかった。

 

 

「…ごめん、やっぱり話せない」

 

 

するりと手が引き抜かれて、身体が離れていく。伏せた顔から涙の筋が覗いた。

 

 

「…っ」

 

 

ダメだ。

思いは募って、もう押し殺した感情に抑えが効かなくなる。

一瞬のうちに瞑すると、自然に身体が動いた。

 

 

「ひゃうっ…!?」

「逃げないで、舞風」

 

 

背を向けた舞風の先に、手をついて逃げ場を塞ぐ。腰に当てた腕に力を込めて、しっかりと抱き寄せた。

狼狽える声を聞きながら、しばらくの間抱き締め続ける。

落ち着くのを待ってから、もう一度、言葉を紡ぎ出す。

 

 

「ごめんなさい」

「…どうして、謝るの?悪いのは、私なのに」

「分かっていたの、もしかしたら、あなたが…こうなってしまうかも知れないって」

「…ううん、それでも、私が…」

「ねえ。舞風、あなたはきっと、まだ後悔しているのだと思う。それは、私も同じ」

「…うん」

「それって、それだけ、あなたの中に、私がいたということの証明になる…それを、肯定してあげて欲しい」

「え…」

「それでも、罪悪感が消えないなら…」

 

 

過去の軛が、鎖が、心を縛るのならば、それを解き放つものはきっと未来にある。

二度目の生を得、出逢えた奇蹟は、そのために起きたのだと、確証を持って言えた。

 

「私のこれからに期待して欲しい。私も、あなたのこれからを、しっかり見ておくから」

「あ…」

 

 

願い、求める視線が交わされた。離れ行こうとした舞風の身体のこわばりが解れていくのが分かって、野分も、引き付ける腕の力を緩めた。

 

 

「あなたもそう思ってくれると嬉しい。舞風(あなた)舞風(あなた)のために、野分(わたし)を必要としてくれれば、とても幸せ」

「…うん」

 

 

肩口に、温かく湿った感触があった。まだ嗚咽は続いているが、震えと怯えは感じられなくて、それがどういうことを意味しているか、悟った。

 

秋風が吹く。感情の高まりと、ぶつかりを経て火照った身体にを、ほどよく冷ます。

それでも、確かな熱と繋がりは、そこにあった。

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

お互いに理想を描き続けて、すれ違った。

私は一度、逃げてしまった。けれど、野分は、離してくれなかった。真っすぐに、感情をぶつけてくれた。

たとえそれが醜いと分かっていても、おぞましいものと断じられようとも、信じてくれた。

 

 

「駆逐艦野分、出撃する」

 

 

ふわり、雰囲気がピリリと張りつめる。痺れのようなものが、心に伝わるような気がしていた。

今では、理解できる。私の奥深くにある、不格好で、自分勝手な思いもひっくるめて、私を、野分を、そしてこの世界を護ろうとする気持ち。

本当に大切なものは過去だけじゃない。過去を引き継いだ今この時と、未来を生きる私と、あなたの繋がり。

 

 

「さあ、舞風」

「うんっ!駆逐艦舞風、出撃します!」

 

 

踏み出して、海原の水面へ両脚を放り出す。煌めく朝日の輝きを、身体に纏うような感覚がした。

手を広げて待ってくれている。視線がぶつかって、結ばれて。掌が重なる。

 

 

「さあ、華麗に舞うわよっ!!」

「うん…行こう」

 

 

水平線に影が伸びる。いつまでも繋がっていてと願う。

 

私はきっと、誓いを立てたあの日のことを忘れない――

 

 




なんだか大変なことになってますね…(小並感)

暇つぶしになればよいのですが、投稿頻度も上げようと思ってますので、よろしくお願いします。


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第六十四話 蛍

なかなか日常には戻れませんね…

投稿頻度も上がらないのですが、出来る限りのことはしたいと思いますので頑張りましょう!


「うわああーーッ!!」

 

 

そんな叫び声が聞こえてきたのは、梅雨明けの蒸し暑い夏の朝の食堂。

厄介な暑さの続く毎日ではあるが、空調の効くここへ来れば安息が得られるというのが一日のルーティンの始まりなのである。

そんなまるっきり平穏な空間に飛び込んできた雄(?)叫びに、啜っていた味噌汁を吹き出しそうになってむせる。

 

「て、提督、大丈夫かい?」

「だ、大丈夫大丈夫。それよりもどうしたんだ一体」

「私、ちょっと見てくるね」

 

 

背中をさすってくれる時雨にありがとうを言う自分に苦笑し、秘書艦として警護任務に就いていた川内が、食卓を立った。

「よろしく頼む」と声を掛け、微笑みとともに返答代わりの敬礼を見送って、今度は隣で眠りこけながら食事をする(実際にはしたくても出来ていないようだが)初雪を揺り起こす提督。

 

 

「ほら、起きないと味噌汁に顔から行ってしまうぞ」

「それはこまる…むにゃむにゃ」

 

 

艦娘の中には、朝や夜が極端に弱い者がいるが、さきほどの川内はこの間からリズムが整ってきたようである。

今の絶叫もそれ絡みなのだろうか。

 

 

「うーん…コーヒーでも淹れてくるか」

「苦いのは得意じゃない…」

「ちゃんと受け答えするあたり、割と目は覚めてるんだな…」

「全然眠い…」

 

 

一方の初雪と言えば、そんなことをのたまいながら膝へ頭を載せて寝っ転がっている。

懐いてもらえるのは有難い話なのだが、生憎今は食事の場だ。

 

 

「…何やってんの?」

 

 

ふと、視界の外から冷たい口調が響いてきて、薄っすら目を開けた初雪が焦燥を浮かべるのを横目にしながら、思わず振り返った。

 

 

「せ、川内…さん」

「ほら、連れてきたよ提督。噂の人」

 

 

にこり、と笑みを浮かべるも、どうしても鋭さと冷たさが隠せなくなっている彼女。初雪がぱっちりと目を開けて食事を再開しているのは言うまでもない。

提督は苦笑しつつも、その背後にいる艦娘たちに視線を向けて、目を少しだけ見開いた。

 

 

「おお、君たちは蒼龍に、加賀…か?」

「あ、あはは…おはようございます」

「…おはようございます」

 

 

提督が一抹の驚き…のようなものを感じていた理由は主に二つある。一つには、いつも相部屋のペアで行動することの多い正規空母たちに珍しい組み合わせが出来ているということ――いや、それはほとんど喜んでいいことだと思われる。

ならば、真に驚愕すべき――というか指摘せずにはいられない点が一つ――

 

 

「…本当に加賀か?」

「…ええ。まあ、普段の加賀()ではない、という意味では同意するのだけど」

「この御託(ごたく)って感じ、紛れもなく加賀さんだね」

「それは全くもって不本意ね」

「あ、あはは…助けて、提督ぅ…」

 

 

蒼龍に手を引かれる、というかほぼ運搬されるがままの加賀に驚いたのは、まあ気まぐれにはねた髪の毛は彼女らしくはないと思ったのはさておいても、全体的に色が暗い、ということだろうか。

はっきり言って、寝覚めがよくなさそうなのである。

そんな超弩級に違和感のある加賀の姿に無意識に原因を探っていると、蒼龍の支援要請を忘れてしまいそうになる。

 

 

「…っとすまん、それでどうしてこんなことになってるんだ?」

「さっきここに来るまでに話を聞いたんだけど、この暑さで加賀さんがどうにかなっちゃった、って感じだったよね?」

「ま、まあそんなところ…かな?」

「ちゃんと説明しなさい…。実際はどうにもならないからこうなっているの」

 

 

主要な語のないせいでふわふわになってしまっている会話に馴染めずにいると、蒼龍が気付いて助けてくれるようだ。

 

 

「ごめんごめん。提督も分からないよね。実は…」

 

 

 

× × ×

 

 

 

 

「なるほど。最近の酷暑もあって出撃で疲れていた身体を睡眠で回復させようと思ったが…」

「熱帯夜で寝付けずに寝不足」

「加えて朝は低血圧だから…」

「まあ、そうなるわね」

 

 

苦渋に満ちた溜息はそのままに、(某航空戦艦っぽく)そう結論付けた加賀は意外と余裕があるのではないかとも思ったが、隠し切れなくなった目の下の隈は、耐性のある自分とは違って相当に悪影響を与えていると考えた方が良い、と思い当って改めた。

 

 

「空調やエアコンはどうしてるの?」

「温度調節が難しくて、私も赤城さんも敬遠しているの。扇風機を持ち込んでいるわ」

「なるほどね。二航戦(わたしたち)や翔鶴たちの部屋はエアコンだけど、たまに温度のことで言い争ってるから分かるなぁ」

 

同居人がいるということは、楽しみも増える分、それだけ意見の衝突も増えるものだ。それが感情の露出を伴えば喧嘩になるし、押し黙ってしまえばストレスにもなる。

今回の加賀の件には関係がないようだが、もしかするとそういう思いをしている艦娘もいるかもしれないと気付く提督だった。

 

 

「赤城はこの暑さに何か言っていないのか?」

「『確かに暑いことには暑いですが、これも季節の一つの楽しみ』と言って、今朝も出撃へ…」

「さっすが…というか超人の域だねぇそれも」

 

 

加賀さんもすごいけど、人間味がある方がいいんじゃない?と励ましにかかる川内。確かに赤城の範たる生活態度は目を見張るものがあるが、少しばかり主題から逸れてきているようだ。

 

 

「それで、今日蒼龍が加賀を連れてきたのは、それなりに問題が重大になってきたからということか?」

「うん。今朝も赤城さんの出撃準備のお手伝いをしてたら、加賀さんがふらふらで出てきて…ここまで連れてきたときも急に転んじゃうんだもん」

「あの叫び声は、転んだ加賀さんが後ろから蒼龍さんを押し倒しちゃったみたいだよ」

「…なるほど」

「その節はごめんなさいね、蒼龍」

「大丈夫だよ。それよりも、今日はしっかりと休まないと」

「…」

 

 

熱はないよね?と加賀の額に手を当てている蒼龍を見守りつつ、少しばかり思案する提督に川内が訊く。

 

 

「どうしたの提督?」

「ん…ああ。加賀の疲れが睡眠不足から来ているなら、の話なんだが」

「それは確かだと思うわ。出撃で疲れるのは当然だし、それを癒せていないことが原因だと」

「そうか。それなら、昼の間に眠ってしまうのはお勧めできないかも知れない」

「えっ、そうなの?」

「…なるほどね。夜眠る習慣を付けないと、昼夜逆転生活になっちゃうもんね」

「お、おう。その通りだ」

 

 

正直なところ、川内の口からそうした言葉が出るとは思ってもいなかったので一瞬たじろいでしまったが、彼女の言う通りである。

川内のジト目に、この思考がバレていることを察して目を背けるが、追及の視線からは逃れられないようだ。

 

 

「…むう。何、その目は」

「い、いや。それより、今は夜間の睡眠の質向上について対策を立てよう。暑さを凌ぎながら」

「そうだね」

「後で聞くんだからね。私はもうすぐ任務終了で、次は教練だから参加できないけど…何か考えてみるよ」

「ありがとう。助かるわ」

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

「それは大変ですね…」

 

 

川内を見送り、互いに雑務と昼食を済ませた後で、気分転換にと訪れた甘味処間宮。

深刻そうに反応した店主の間宮は、器用に運んだトレイに載せていたグラスを置いた。

話題はもちろん、加賀の不眠についての諸々なのではあるが、日差しを受けて輝くその飲み物に、一同の目線が注がれつつあった。

 

 

「あれ、提督もう頼んでたの?」

「いや…ああ、確か夕雲たちが話していたな。アンケート、だったか」

「ええ。こちらはまだメニュー化する前の段階でして。よろしければ感想を頂きたいと思って、お冷の代わりにお持ちしているんです」

 

 

涼し気な透明感を与えるそれは、今日の議題にぴったりな飲み物であったことは言うまでもない。

興味をそそられた加賀が、隈をつくった目で訊いた。

 

 

「間宮さん、これは…」

「レモングラスジンジャーのハーブティーですね。シンガポールなど、丁度南方で飲まれている飲み物です」

「へぇ…」

 

 

爛々とした目で見つめる蒼龍に思わず苦笑する。ともあれ、確かに惹きつけられるその輝きは宝石さながらのものとも言って差支えなかった。

 

 

「ジンジャー、ということは生姜ですか。また体温が上がってしまいそうで…」

「確かに生姜は体温を上げる効能がありますが、これは代謝や血行の促進作用によるものです。きちんと汗をかいて熱を放出して、身体の疲れをとるのに最適なんですよ」

 

 

間宮の豊富な生姜知識に驚く一同。そもそも、この手の話をさせれば間宮や伊良湖の右に出る者はいない。

そんな中で加賀はひとり、持ち前の高い体温の悩みが晴れるようで、少し安心した表情を浮かべたのだった。

 

 

「加賀の言う通り、温まるのも確かだからな。涼むためにもなにか冷たいものを頼むか」

「でしたらかき氷などどうしょう?今年は新作も増えていますよ?」

「こちらのメニューをご覧ください!」

 

 

にゅっと間宮の背後から現れた伊良湖が席を回って、それぞれにメニュー帳を差し出してくる。

苺や柑橘類、メロンなど果実を中心に彩られた王道本格派のもの、間宮の和風な雰囲気を活かした宇治抹茶金時、ブルーハワイのカクテル風、果てには黄粉餅にティラミス風といった渾身の力作がきらきらと輝くように載せられていた。

 

 

「おおおー!!」

「…ごくり」

 

 

歓声を上げる蒼龍の目はもはや加賀の問題を置き去りにしてくぎ付けになっている。…もっとも、当事者である加賀本人も喉を鳴らしてメニューの説明をくまなく読んでは小さく息を漏らしているので、やはり問題の解決は早そうだと苦笑するのだった。

 

 

 

× × ×

 

 

 

「美味しかったぁ…提督、ご馳走様でした!」

「ご馳走様。ごめんなさい、私たちの分まで払ってもらうなんて」

「満足してもらえたならいいさ」

 

 

鎮守府とサービスは艦娘のためにあると思いつつ、まだまだ照りつける太陽に手を(かざ)した。

気温は下がる前兆をみせるどころか、西に傾いていく日差しはこれ以上の熱を(おか)に残そうとしている。

 

 

「…しかし外にいるのが危険なくらいだな。加賀は大丈夫か」

「今すぐ室内に逃げ込みたいわ。けれど、空調の効きすぎているのも考えものね」

「暑すぎたり涼しすぎたりすると、身体が疲れちゃうもんねぇ」

「なるほどな」

 

 

艦娘は身体が丈夫だとはいえ、寒暖の感覚はほぼ人間と同等というかそのものである。

朝方の話で、加賀たちが夜間にエアコンをつけなかった理由はこれなのだろうと合点がいった。

 

 

「提督はどう?」

「ああ…そうだな、昔は寮室にエアコンが敷設されていなかったから、自費での設置だったんだ」

「そ…それは、つまり」

「もちろんそんなお金はない。海軍(ここ)に入ってから、冷も暖も、空調をつけたのはここに着任したのが始めてだったな。だから慣れだ」

「ち、力業だ…」

 

 

少し引き気味の空母二人組から目を逸らして遠い目になるのを自覚する。

因みに、よく自分の寮室に来ていた由良の部屋にはばっちり設置されていた。いつでも来ていいとは言われたが、流石に女子寮に赴く勇気はなかった少年時代であった。

 

 

「…本来なら、これも自分の責任で解決するべき問題なのよ。…まだまだだわ」

「加賀さん…」

 

 

加賀は周囲と自らを比較し、省みることで、自らの成長に繋げるという能力が長けている。しかし時として、それが年長者としての責任感と結びついた時に、自らを責めてしまうのだろう。

提督はそれを知っていた。

 

 

「そんなことはない。二十年以上やってきている人間でもこれだけうんざりしているくらいだ。君たちが一番知っていることだろうが、艦娘が少なくとも、外見上、構造上人の形をとっている以上、どうしても艦艇時代のギャップが生まれてくるのは仕方のないことだ」

「提督…」

「…うん、そうだよ。それより、皆でこの暑さをどうにかする方法、考えようよ!」

 

 

蒼龍の励ましもあってか、顔を上げた加賀。心なしか表情が明るく見えて、内心安堵する。

 

 

「けれど、これ以外に有効な方法なんてあるのかしら」

「うーん…冷たいとか涼しい、っていうことにこだわると、やっぱり難しいのかな」

「ふむ…」

 

 

変わらず照りつける光を避けながら移動して考える。

鎮守府のある海岸線は太陽を遮るものがなく、基本的に外にいると暑い。それだけに、日陰が涼しく感じたりするものだ。

 

 

「…要するに、今よりも涼しく感じるってことが重要なんだよな」

 

 

ふと視線を浜の方へ送ると、この炎天下でビーチバレーの熱戦を繰り広げる白露型と、干からびかけの吹雪型(主に初雪)たちが見える。

気を利かせた妖精さんはパラソルを運んでくれたり、飲み物を用意したりと忙しそうだ。

 

 

「ん…あれは」

 

 

その中の一人(一匹?)に、かつて私室で村雨の服を調達してくれた妖精さんの姿を認めた。

 

――服装、か。

 

脳内で生まれたアイデアが、積み重なった問題を一つ一つ突破していくのを、提督は感じていたのだった。

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

「おう、来たか」

「ええ。赤城さんや蒼龍たちも誘ったのだけれど、今日は先約があるそうで」

 

 

あれから少しして、日の落ちた後の宵時。

とある策を思い立った提督が、死にかけ干からびかけで重労働をする妖精さんの代行を務める代わりに、なにやら頼み事をしているのを不思議に見つめていた加賀は、彼が再集合を呼びかけたこの和室と纏う浴衣で、大方、彼が思考を巡らせて何とか暑さを凌ぐ方法を考案してくれたのだろうと察していた。

 

 

(とはいえ、改めて考えてみれば…この状況、提督と、二人きり)

 

 

加賀は極めて理知的であった。そのためか、与えられている状況において、自分がどのように位置しているかを察することに長けていた。

それは今も同じことがいえて――

 

 

「ああ、俺も同じ話を聞いたよ…それよりも、その浴衣」

「え…」

「妖精さんが大体の仕上がりを教えてくれてな。素材も麻で、色合いも落ち着いたものだから、その…渋すぎないか心配をしていたんだが」

 

 

硬直する加賀をよそに、コップに注いだ冷茶を(あお)って一息ついてから、提督は続けた。

 

 

「…よく似合ってるよ。暗めの紺と、白い紫陽花が綺麗だ」

「き…!綺麗、ですか」

「おう、とても」

「そう…ですか」

 

 

(今綺麗と言われましたよねそうですよね…!普段から()()()()()()()()()()()()()()提督のことですから私も安心というか油断していたというのにこんな唐突に奇襲されるというのは…ッ!)

 

 

加賀は理知的である。だからこそ、想定外に弱い。

コントロールできない暑さにも、予想だにしない上官からの言葉に対しても、彼女は弱かった。

 

 

「…」

「どうした?」

「いえ、なんでも…」

 

 

顔が紅潮するのを感じて、そっぽを向いて彼の視線から逃れようとする。

目を合わせたくない訳ではなかった。あまりにも緊張してしまって、心臓が跳ねるのが分かって、目を合わせられないだけ。

ドキドキと、脈打つ鼓動が全身に響いてどうしようもなくなってしまうのだ。

 

 

「?」

「そ、それより、この服装のことだけでなく、幾つかお聞きしたいことがあるわ」

「ああ、少しばかり、妖精さんを見ていて気付いたことがあってな。無理に涼しさを求めるよりも、暑くない、身体を熱しすぎないことに気を配るべきなのかと」

「暑くないこと…ですか」

「ああ。今着てもらっている浴衣は麻の素材で、風を通しやすい。帯には冷却材を挟み込んであって、熱を抑えてくれるそうだ」

「そうなのですか」

 

 

妖精さんから伝え聞いた内容を漏らすまいと、丁寧に語る提督自身の服装も、加賀よりも少し薄い紺地に細い白の縞模様の浴衣を着ていた。

ゆったりと着るその衿口から覗く肌に目が自然と引きつけられる。

 

 

「..どうした?」

「――はっ、い、いえ…」

 

 

既にした問答が繰り返されているのだが、そんなことはお互いに気付いている。

ただ、その理由について、(至極困ったことに)理解をしているのは当事者たる加賀のみであった。

 

 

「まあいいか。それなら早く夕食にしよう。軽いものだが作ってきたんだ――」

 

 

その言葉とともに襖が開かれ、妖精さんたちが膳に載せた料理を運んでくる。

「おお、ありがとう」と、それらを受け取って並べていく提督と妖精さんたちの会話を驚きのこもった目で窺っていた加賀は暫く硬直(フリーズ)していたのだが、色とりどりの食事に次第に意識と食欲を取り戻していくのであった。

 

 

 

× × ×

 

 

 

「そろそろつまみも切れてきたな。何か作るか」

「それなら、私も」

 

 

食事も進み、ゆっくり酒を酌み交わす程度のものになってきた。

一品料理を振舞おうと立ち上がった提督と一緒に、加賀も厨房に立って仕込みを始める。

普段の厳しく忙しい執務から離れ、頬を緩ませて茄子を切り分けていく提督の横顔に、加賀もつられて口角が上がってしまうのだった。

 

 

「月山涼夏、ですか」

「ああ。その名の通り、島根の地酒だろうな。涼夏の名前に惹かれて買ってきた」

 

 

氷で冷やした酒瓶から、透き通った雫が注がれるのに、視線を送る。

手渡された猪口を受け取って、口に少しずつ流れ込むその味わいを愉しんだら、上品な余韻に酔いしれる。

加賀自身、そこまで弱いわけでもなければ、千歳や隼鷹に並びうる強さを持っている訳でもない。

 

程よく酔うとはこのくらいなのだろうか、と実感する傍ら、並んで座る縁側に、優しい風が運ばれてくるのを感じた。

 

 

「風が…」

「和室を選んだのはこういう理由もある。遮る家具も少ないし、畳に座るから冷たい空気が流れやすいみたいだ」

「なるほど」

 

 

深く首肯し、改めて涼風の流れに身を委ねてみる。

ほろ酔いの火照った身体が冷まされていく感覚は、何とも心地よいものだった。

 

 

「庭や外観が直結しているのも良いな。目を瞑れば、海際の波音も聞こえてくるぞ」

「本当ですか」

 

 

彼の言う通り目を瞑って視界を遮断すれば、遠く、夜闇の中に漣の音が僅かに響くのが聴こえた。

凪の静穏が支配していた海面が、吹く風によって波立って、渚に寄せる様子がありありと浮かんでくる。

対照的に、蒸し暑さで乱されていた加賀の心は平穏を取り戻していく。

 

 

「それに一番のお楽しみがあるんだ」

「お楽しみ…ですか?」

「ああ。少し、まだ目を瞑っていてくれ」

 

 

そう言った彼の言葉通りにしていると、音を立てないように動いたのであろうか、それくらいに微かな衣擦れの音を耳にした。

捗ってしまう想像(妄想)を抑えるあまりなんだか緊張していると、ふと、これまで感じていた空気の流れが止まったことに気付いた。

それと同じくして、提督の下駄の音がした。どうやら庭の奥を見て戻って来たらしい。

 

 

「よし、もう大丈夫だ」

「一体、何が…っ」

 

 

飛び込んできた庭園の景色に、自然と、目が見開かれていくのが分かる。

水の流れに沿うように、数秒の間隔で柔らかい光が明滅しながら飛び交っていたのだ。

そんな夜の一幕を、艦娘の加賀自身は見たことがない。それでも、どこかで知っているという気がしてならなかった。

 

 

「これは…蛍?」

「そうだ。毎年この時季に近くの川で見られるんだが…今年は蚊取り線香を焚かなくて正解だったな」

 

 

思わず大きな声を出してしまいそうになって、苦笑した提督が「しーっ」と口の前に人差し指を立てる。

その仕草に、年相応の魅力を見出した私はきっと幸運艦だ、と冷静に分析しているもう一人の自分は置いて措くとして、光の弧を描く蛍たちに対し、加賀は口を噤みながらも、溜息の出るような感動を覚えていた。

 

 

「この光景を、私は見たことがあります」

 

 

尾を引いた彗星のようだった。

小さく、ゆっくりと、本来のそれが見せる煌々とした輝きよりもずっと、弱くて儚いものだった。

それでも、彼女にはそんな風に思えた。もしかしたら、心の奥深くで眠る記憶がそうさせているのかも知れない。

 

 

「…蛍が、あの戦争に関わっていた話を聞いたことがあるか?」

「ええ。知覧基地の神風特別攻撃隊――戦争末期の逸話でしょうか」

 

 

艦娘として生を受け、再び蘇ったのは戦争が終結してからあと数年で70年を迎えようとしていた夏だった。

あの頃はまだ横須賀に所属していたが、座学の教練で自らが沈んだ後の趨勢を知ることになった。

 

彼女は涙した。

それは、栄光を水底に堕とした屈辱からでもあったし、ミッドウェーの敗戦を生き延びた瑞鶴たち後進の空母に、結果として全ての運命を強いたことに対する後悔でもあった。

そして――

 

 

「…本来ならば、私の甲板から発艦し、そしてその命を無駄にすることなく、立派な戦果を挙げるはずだった未来ある若者たちを、私は、特攻は、殺してしまいました」

「…特別攻撃に参加した全ての隊員は、無駄死だったと思うか?」

「いえ。そうは思いません…もっと明確に、残酷に言えば、杜撰で不条理な、おおよそ作戦とは呼べないようなものでも…それを震える手で受け入れた、その結果だけが、無駄ではなかったと思います」

 

 

掌上に乗せた光の火を、じっと見つめて呟いた。

 

今更、あの作戦を褒めそやして、愛国心の結晶だと、官民が犠牲を厭わず一丸となって戦った成果だと言うことは、どうしても出来なかった。

あの時代、あの瞬間に見られた、逃れようのない死の恐怖に屈するまいと歯を食いしばった全ての隊員たちの葛藤を隠れ蓑にしているように思えてしまうからだ。

 

自分はあの時、彼らを海上から見送ることが出来なかった。大切なものを護るために戦うことが出来なかった。

その罪を悔いる気持ちが、ただ残った。

 

 

「蛍は、特攻隊員の生まれ変わりだったと言われている。もちろん言い伝えの範疇に留まるが…」

 

 

同じく乗せていた蛍を闇に放って、提督が話を続けた。途中で酒瓶を傾けて、一杯を飲み干した。

 

 

「艦娘という存在は、戦争時の艦船の意志そのものと、兵士の英霊の結晶だという意見もあることを思うと、ひょっとしたら、かつて加賀の乗組員だった者が、特攻隊を組織し、あるいは参加したのかも知れないな」

「そう、なのでしょうか」

 

 

注がれた月山の水面に、加賀の表情が映った。神妙に、過去に思いを馳せるようだった。

 

 

「加賀が見た、その時の蛍と、今、目の前に見える光景とは何が違う?」

「…違い…」

 

 

もし、記憶の中にあるあの淡い光が、かつての特攻隊員が見た景色なのだとしたら。

彼らにあって、自分にないもの、そしてその逆は、何なのだろうか――

 

 

「戦争への覚悟でしょうか」

「我々だって、現に戦争をしている。その覚悟はあの時代と比べても、劣っているつもりはないさ」

「ええ。だとしたら」

 

 

 

蛍へ生まれ変わって、全てが終わった後のこの国を、大事な者たちの幸せを望むその気持ちを、加賀自身なぞるように生きてきた節はあった。

それでも、彼らの根本にあるものは違っていたことに気が付く。

彼らが蛍に託した思いのなかに、きっと未来を生きようとする期待はなかったのだろう。

 

 

 

「未来を生きようとする心…ですか」

「ああ。人道を知らない作戦を作戦と呼ぶ気はないが…それを貫くうえで、どうしても切り捨てなければなかったものだ。泣きたくとも泣けないその気持ちを、我々は理解できない…理解してはならないんだ」

 

 

決意の籠った瞳が、蛍光のネオンカラーに輝く。平和を願う心の強さを証明するようだった。

 

 

「…提督」

 

 

握られた拳に、そっと手を重ねて包み込む。

少し驚いた様子を見せるも、提督は、それを柔らかい微笑みで受け入れたようだった。

思いの丈が溢れそうになって、必死に堪えた加賀の口から、短く、伝えられる。

 

 

「貴方は、死なないで」

「…加賀の方こそ。君の存在は、艦娘たちにとって確かな指針になる。君を信頼する者、慕う者の気持ちを背負うことの大切さはよく知っていると思うが、辛いときは、その気持ちをぶつけることを恐れないで欲しい」

「ええ…」

 

 

重なった視線は、それぞれまた庭の方へ戻っていく。二人は緩く紡がれた光の糸を、目を細めて見つめ続けていた。

 

 

 

× × ×

 

 

 

「今日一日、色々として下さったこと…本当に感謝しています」

「どういたしまして。俺自身も、気付くことが多かったからな。いい学びになったよ」

 

 

「それに」と付け加えた提督に、加賀が顔を向ける。

何やら覚悟を決めるような、踏ん切りをつけるように一杯を呷った提督が言葉を口にするのを待つ。

 

 

「…こうして加賀と二人で呑めたことも、正直役得だったと…思うよ」

「え…」

 

 

その言葉の意味を飲み込もうとして、飲み込めなかった。ただ、次第にそれが心にじんわりと沁み込んで、頭で理解できるようになってくると、今度は顔が人生で最高潮といえるくらい、燃えるような朱に染まっていく。

加賀は恥ずかしいような、くすぐったくてもどかしいような、初めてで奇妙な感覚に陥って、動揺のあまり目を逸らしてしまう。

 

 

「な、ななな、何を…!」

「いや、深い意味はなくてな。その、気にしていたら申し訳ない」

「…っ!」

 

 

普段はこちらの思いに一つも気付く素振りなんて見せないのに、油断していたらこの(ひと)は!

 

紛らわすように杯に口をつけても、一瞬の清涼感の後にはこの不思議な火照りが戻ってきて、まるで言葉一つで舞い上がってしまう自分の本心をからかわれているような気がしてならなかった。

 

 

「…前言撤回です」

「え?」

「涼しくさせる気あるんですか、貴方」

「で、でもさっきは…」

「…」

「す、すまん」

 

 

怒った素振りをして、そっぽを向くなんだかよく理解していない提督の混乱ぶりに、加賀はくすりと笑う。

 

 

「お返しです…また明日から、付き合って頂きますので」

「お、おう?」

 

 

二匹の蛍が引いた光の筋が、ゆっくりと結ばれていく。

やがて、星の瞬く夜空へとその螺旋が昇っていくのを、いつまでも眺めていたのだった。

 

 

 




加賀改二待ってるんだ…(懇願)

やはりミッドウェーの6月実装ですかね?


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第六十五話 キング(前)

お久しぶりです。めちゃくちゃ経ってしまった…。

という訳でリハビリがてらショートな前編です。妄想垂れ流しなのでテキトーにお読みいただければ。


夏季特別海域の攻略を終えた舞鶴鎮守府。

日ごとに涼しくなる風も、まだまだ熱風に近く冷房は必須である。

 

「由良、そっちはどうだ?」

「ええ、今ちょうど…っよし!終わりました」

 

埋めるべき書類の空白を埋め切って、筆を置きながら、秘書艦兼昔馴染みに、提督は声を掛けた。

勿論、声を掛けた彼女というのは海咲(みさき)、もとい軽巡由良のことだった。ブルーライトカットの蒼縁眼鏡を外しつつ、彼女は達成感のある笑みで返す。

 

「お疲れさん。結構大変だったろう」

「あなたこそ。また寝てないんじゃない?」

「…海咲のお陰で今日はよく眠れそうだ」

「誤魔化しが下手ですねえ…まあ、名前で呼んでくれたのは嬉しいから、許してあげる」

 

半目で睨みを効かせてくる彼女から何とか目を逸らすが、追及の視線からは逃れられない。

視界を移し続けても入り込んでくる由良のふくれっ面に幼馴染の面影を感じ取って、つい懐かしくなっていると、執務室の扉が叩かれる音が聞こえた。

 

「あら、誰かしら?」

「明石です!」

「卯月もいるぴょん」

「入ってくれ」

 

珍しい組み合わせに、眼前の秘書と顔を見合わせるが、これも激戦のあの時には見られなかった光景だと思い直して、そう口にした。

 

「しつれいするっぴょん!」

「失礼します」

 

元気よく入室してきた面々の顔ぶれを見て改めて思い直せば、桃色の髪が揺れる二人は姉妹艦のように思えてきた。

どちらも特別海域では対潜戦闘、泊地修理と自らの任務をしっかりと遂行してくれたのだった。

 

「おう、お疲れ。今日はどうしたんだ?」

「はい、それがですね…」

「王様ゲームするっぴょん!」

「…え?」

 

途端に状況が緊迫してくる。それは、見た目小学生の卯月が口にしたワードがあまりにも似つかわしくなかったからでもあり、そしてその言葉の意味――というか危険性というか、概ね大学生特有のモラルの乱れ的なものを気にした由良の顔が青褪めた。

 

「…どこでそんなワードを」

「そんな、っていうのがどんな意味かは分からないけど、発案は明石さんっぴょん」

「明石さん…」

「ちょちょちょ、誤解させないでよ卯月」

 

由良の冷ややかな視線に晒されて、明石が焦る。話の全てを見透かしているような、卯月の悪戯っぽい笑みは、彼女らをますます姉妹だと感じさせていた。

苦笑しつつ、このままだと話が見えてこないのを確信して卯月に問う。

 

「それで、結局どういう話なんだ?」

「いやに冷静ね」

「流石司令官っぴょん。実は――」

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

「なるほど…海域制覇のお祝い会のレク、ってことね」

「由良さん、その通りです!」

 

ずびし、と明石とそれに続いた卯月が由良を指す。

彼女らの話では、毎年恒例の夏季特別海域攻略に伴う宴会のレクリエーションとして、いわゆる王様ゲームをやってみてはどうか、とだれかが提案して、それを明石が具体的な形へまとめてきたようだ。もちろん任意参加である。

 

「でも…なんだか王様ゲームっていかがわしいイメージがあるわ」

「そうなのか?」

 

これに対する由良の反応はいまいちだった。表情が不安で曇る。

 

「提督さん…(みなと)には馴染みがないかもしれないけれど、士官候補生時代も時々やろうとした人がいたのよ」

「馴染みがない、ってところが哀しいですね…」

「ぐ…まあそれはそれとして、それが何か危なかったのか?」

「見つかり次第軒並み摘発案件よ。ええと、なんというか…王様役にかこつけて女の子に変なこと命令しようとしたのもいたんじゃない?」

「変なことって、なにぴょん?」

「はいはい、卯月はちょっと耳塞いでおくね」

「えー」

 

話の展開を予測した卯月以外の面々が、彼女の反応に安堵する。どうやらうちの鎮守府の風紀は爛れていないらしい。

 

「まあ、企画を立ち上げる前にそれも検討したんですけど、冷静に考えて鎮守府には男性は提督しかいませんし」

「何番、って指定して提督さんが当たることもないし、万が一にもその逆もないってことかな?」

「そういうわけです」

 

なるほどね、と顎に指を当てて考える由良を見て、提督も同様に思考を巡らせる。

 

(俺が参加しなければいいというのは…まあ折角誘ってもらっているのだから、言わぬが花か)

 

どういう訳か信頼を寄せられているのはありがたいと今は思っておくことにして、あれこれ話を進める由良と明石を眺める。

――話が煮詰まってくるにつれて、彼女らの眼光が鋭くなって、何やら固い握手を交わしていたのは、この際見なかったことにしておく。

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

「という訳で始まりました、王様ゲームっ!!」

「「いえーい!!!!」」

 

そんなこんなで数日明け、八月の終わりの日。

宴もたけなわとなってきたところで、場所を宴会場からラウンジ横の多目的スペースの一角に移し、待望(?)のそれが開始された。

任意とはいえ大勢の艦娘たちが参加していたので、明石たち企画者らも満足していたようだった。

 

「司会はやっぱり青葉なんだな」

「はい。こういう時の盛り上げ役にぴったりだと思いまして」

 

隣に座る彼女の人選は間違っていなかったようで、「王様になりたいかー!?」と呼びかけた青葉に、熱狂的な歓声が返される。

ノリ…というものがあまり提督には(哀しいことに)理解できていなかったが、こういう遊びは盛り上がった方が面白いのだろうということは、なんとなく予想がついた。

 

「いやあ、すっごい熱気ですねえ。イイ感じですっ!それでは早速、ルールの説明からいっちゃいましょう!」

 

妖精さん、お願いします!と叫ぶ青葉の後ろ、小さい舞台では電灯が消えて、代わりにスポットライトがその中央を照らす。

探照灯の妖精さんがプロジェクターのスイッチを身体全体を使って押し込むと、そこには簡易的な映像が投射される。

 

「一般的な王様ゲームといえば、みんなで割り箸を一本ずつ選んで王様を決め、お題を決めますが、うちは大所帯。割り箸一つ用意するのも、『環境保護の観点でうんたらかんたら~』と文句を言われてしまうのが目に見えています」

「世知辛いわね…」

 

呆れる叢雲が呟く。

 

「そ・こ・で!このプロジェクターと、妖精さんの出番という訳です!」

「おまかせあれー」

 

どこかで見たような指さしの先にいた先程の妖精さんが、何やらプロジェクターを操作している。

観衆がそれをじっと見つめていると、突然、部屋全体が暗闇に包まれた。

 

「な、何っ!?」

「夜戦!?」

「姉さん、違います」

 

数秒後、舞台側のスクリーンにぱっと映ったのは、仮想的なルーレットとカードの山札。

 

「これこそ、今回のオリジナル王様ゲームを支えてくれる画期的な舞台装置なのです!」

「ど、どういうこと…?」

「まあ見てて下さい!まずはデモンストレーションからです!妖精さん…スタート!」

「がってんしょうちのすけ」

 

青葉のゴーサインとともに、ルーレットが開始される。

よくよく目を凝らしてみてみれば、参加者が多いせいか、細くなったルーレットの選択肢を見てみれば、そこには艦娘たちの名前が記されていることに気付いた。

 

「なるほど。それならあのカードが…考えたな」

「いやあ、苦労して作った甲斐がありましたよ」

 

ざわついていた艦娘たちの中にも、気付いた者が出てきたらしい。

次第に艦娘たちの視線が舞台側に集中していく。

 

「それでは…すとーっぷ!!」

 

青葉の号令とともに、ルーレットの回転が減速していき、やがて一人の人物の名を指した。

 

「おおっとこれは…吹雪さんだぁーっ!」

「わ、私ですか!?」

 

画面に大きく表示された名の艦娘――吹雪が立ち上がると、妖精さんがタイミングよくスポットライトを浴びせる。

続いて、画面にはカードの山札から無造作に取り出された数枚が背を向けて並べられた。

 

「それじゃあ吹雪さん、お題を決めちゃって下さい!」

「え、ええと…それじゃあ、一番右側で」

「了解です!それでは…カードオープン!」

 

ふわっと、吹雪の指定したカードが浮き上がり、効果音とともに翻る。

そこに書かれていた指示は、『5秒で卯月のモノマネ』だった。

 

「え?」

「さあカウントダウンスタート!」

「ごー」

「よーん」

「え、えええ!?」

「そこは手動というか妖精さんが声を出すんだな…」

「予算が足りなくて」

 

吹雪の同様をよそに、カウントダウンは妖精さんの間延びした声に乗せられて進行する。

目を回していた彼女に期待の視線が突き刺さる。

 

「にーい」

「いーち」

「ふっ、吹雪だぴょんっ!!!」

 

一瞬の沈黙。ウサギのマネをしたのか、頭の左右に添えられた吹雪の手を含め、時間が止まる。

 

「「…」」

「う、ううう…!」

 

そののちに、一人吹雪は顔を紅潮させるのであった。

 

 

 

 

 

「いやぁ、可愛かったですねぇ!」

「もうやめてくださいよぉ!」

 

リアクションは絶大であった。「可愛すぎて心臓が止まりました」とは、妹の白雪や後発組の駆逐艦たちの弁である。

 

「というか、このゲーム王様を決めるんじゃなかったの?」

「言われてみればそうですね。少し仕様を変更しましょう!」

「わ、私の一発芸は何だったんですかぁ!?」

 

夕張の指摘を受け、しばしお待ちを!と妖精さんや明石をはじめとする関係者を引き連れて舞台裏へ歩いていった青葉。

抗議虚しく打ちひしがれる吹雪は、綾波や時雨に慰められていた。

 

「吹雪は大丈夫だろうか」

「まあ、あの子も打たれ強いですから…」

「そうだな」

 

苦笑したのは、明石とは反対側の隣に座っていた高雄である。

生真面目というか、堅実なイメージを抱かせる職務態度や、会話の節々で感じる実直さから、彼女がこういう催しに参加するのは、はっきり言って意外だった。

 

「しかし、結構ハードなお題もあるんだな。この調子だと、高雄のウサギのマネを見ることになるかも知れない」

「あら、私は一発芸を披露しにきたのではありませんよ。王様になって、提督や皆さんの素敵な姿を見せて頂くためです」

「勘弁してくれ…」

 

大胆不敵、挑戦的な口調で微笑む彼女は、なんだか夜戦突入前よりも昂揚しているように感じる。

ソロモン海夜戦で見せた縦横無尽の立ち回りを想起させ、どうかその矛先が自分に向かないことを祈るばかりだ。

 

「うふふ。まあ、王様になってお題を決めても、指名することが出来ないと意味がありませんが」

「それが新しいルールなのか?」

「そのようねぇ」

 

ふと、明石の居なくなった席から声がする。高雄の姉妹艦、愛宕のものだった。

 

「先に例のルーレットで王様を決めて、山札から引かれたお題のうち一つを指定」

「その後で、またルーレットを回して犠せ…こほん、命令の対象となる人を選ぶようですね」

「なるほどな…」

 

恐ろしい言い間違えはこの際聞かなかったことにして、先程とは少し条件の変わったルールであることを認識する。

吹雪には悪いが、というかあれは彼女だから許されるのであって、自分がやっては色々と法律に引っ掛かって最終的に更迭されそうなので実現しないでほしい。

 

「お待たせしましたーっ!」

 

脳内でそんな自虐を繰り広げていると、舞台袖から華々しく戻ってきた青葉が司会進行を復活させる。

同様にプロジェクターをいじる妖精さんを見ていると、どうやら高雄たちの言った通りのルール展開となりそうだ。

 

「ご指摘によりルールを一部変更しています!第一回目のルーレットではまず何より大切な王様を決めます!掛け声はもちろん、『王様だーれだ!?』でお願いしますっ!」

「次にお題ですね。どんな命令でもできる、という訳ではなく、王様は山札からランダムに生成されたお題のうちから選ぶことになります。…まあ、この理由はお判りでしょうが」

 

遠い目をして言う明石。その先には、企画立案の段階で相当に欲望に塗れた命令を断行しようとした大和などが居り、もちろん目線を逸らして吹けもしない口笛を吹いていたのだった。

 

「大和…お前」

「なっなんですか武蔵!?私はこれをいい機会に提督とあんなことやこんなこと…あっいけません提督それ以上はっ!」

「自白を通り越して妄想まで…こいつ、只者ではないな」

「やめなさい長門…それだと尊敬しているように聞こえるわ」

 

艦隊の華のイメージが急降下していく。

見かねた某軽巡が「早くやりましょう」とため息交じりに促して、ゲーム本番がようやく開始される。

 

「は、はい…。そ、それでは切り替えてまいりましょー!皆さん、せーのっ」

「「王様だーれだっ!?」」

 

艦娘たちの掛け声とともに、羅針盤妖精さんが飛び出てくる。

彼女らが手に掛けた運命の針が、今にも回り出そうとしていた。

 

 



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第六十六話 キング(後)

お待たせしました。イベント始まってますね。


「それーっ」

「「…っ」」

 

仮想化されたルーレット…というより羅針盤を模したソレは、しかしやけにリアルな音を立てて回っている。

艦娘の数が多すぎて殆ど線状になった枠内――つまり「王様」を決める銀の針の向こう側を、場の全員が、固唾を呑んで見守っていた。

 

「…ん」

 

やる気のなさそうな妖精さんがスイッチを押すと、猛烈なスピードが段々と弱まっていく。

 

「さぁルーレットが減速していきます!果たして誰が王様になるのかー!?」

「さぁ、僕を王様にっ!」

「させないっぽい!王様になるのはこの夕立っぽーい!」

「王様…ふふふ、不幸だわ…」

「山城はどうしてコレに参加しているんだい…?」

 

この状況に対する艦娘の反応は様々だが、やはりその多くが引き締まった表情をしているようだった。

もはや先日の最終作戦海域であるサンタクルーズ諸島突入よりも張りつめた緊張の糸が、羅針盤の針先が完全に静止するとともに、勢いよく切れるのだった。

 

「…おおっとおー!?こ、これは…!」

 

ゆっくり、その名が拡大されていく。

艦娘たちはおおっ、とか、きゃあっ、と歓声を上げつつ、好奇心の渦中の人物――名取へ視線を向けた。

 

「ちょっと名取!あなたよあなた!」

「…へ?私?」

「来ない来ない、なんて言っている子ほどくるんだよねぇ」

 

もはや自分が王となって楽しむことを、思考の埒外に置いていた彼女は、ふと我に返るようにそれを悟った。

長良や五十鈴がすぐそばで苦笑している。

 

「さあ名取さん!出てくるお題から一つを選んでくださいね~」

「はっ、はひ」

 

山札からは、ランダムにロードされたお題札が飛び出してくる。

元々時代の隔壁を挟んだハイテクノロジーには疎い艦娘たちだ。名取も例に漏れず、おどおどとそれを見守るばかり。

 

「こういうときの名取って、()()()()()()()戦闘中の名取とは別人だよね」

「さあオープンしてください!」

 

青葉の言葉に従うように翻って、お題札がその中身を告げる――

 

 

 

【自ラノ手番二オイテ対象ト次ノ状態ヲ継続セヨ】

 

 

 

「なんだか無電みたいだね」

「作っておいてなんですが、読みにくいので次からは普通の表記です」

「あ、そこは実用的なんだ…」

 

状況を理解していない姉に代わりにツッコミを入れる鬼怒。

割り箸の件といい、妙なところで現実的になるところが当鎮守府、工廠組の特徴である。ロマンと現実の海上戦闘をはっきり分けることができるのは、彼女らの真摯な職務態度の証左だろう…と提督は解釈する。

 

「ね、姉さんこれどういうことぉ!?」

「そんなに慌てないの。さっきの吹雪と違って、お題に沿って命令を決めるのよ。ほら、さっきの吹雪みたいな」

「わ、私ウサギじゃないよ?」

「いや、そもそもウサギのものまねじゃないし…」

 

半コントのやり取りが続く中、名取に集められたスポットライトの一部が、ステージに移っていく。

 

「な、なんだか混乱されているみたいですが…名取さん、命令を決めちゃってください!」

「えっとぉ…急に言われても」

「それじゃあ、周りの方々と相談も可でっ!」

「ね、姉さん…」

「仕方ないわねぇ…でも、確かに難しいわ。【対象と次の状態を継続】ねぇ」

 

顎に指を当て、小首を傾げて考え込む五十鈴。しばらく続いた沈黙に、天龍が助け舟を出した。

 

「王様ゲームってのはよく分かんねぇけどよぉ、要は名取が誰かと一緒に何かやるんだろ?」

「そうね。うーん…あっ、そうだ。名取あなた、いつも私たちの背中に隠れてばかりなんだから、たまには艦隊のみんなとお話ししてきなさいよ」

「えええっ!?」

「おーいいなそれ、なんか平穏で安心したぜ」

「でも、それだとつまらないし、チャレンジって感じしないよね?」

「な、長良姉さん!?」

「ええ、しかも名取のことだから『じゃあ私はこれで…』とか言っていなくなるかも知れないわ」

「うっ…」

「図星かよ。それならどうすんだ?」

「こうするのよ。青葉ーっ、決まったわ」

 

そう言って、王様の意向を完全に無視して、勢いよく手を挙げて青葉を呼び寄せた五十鈴。

その場にいた艦娘たちの注目を一身に受けても気にせず(むしろ名取は隠れてしまったのでもはや止めようがない)、高らかに宣言した。

 

「「おおーっ!?」」

「おっ、遂にですか!さあ名取さん、お題をどうぞ!」

「お題は私からよ!【王様と手を繋いでおしゃべり】!これでどう!?」

「「おおーっ!!」」

「ええーっ!?」

 

盛り上がりも最高潮、一様な反応を返した艦娘と、似たようなしかし悲鳴を上げた名取はまさに対照的であった。

御多分に漏れず、青葉も目を光らせているようだ。

 

「いいですねぇ!というか同意のない名取さんが気になりますが…。まあいいでしょう!」

「よくないですぅ…」

「それでは行きましょー。試製電子羅針盤改、回しちゃってください!」

「りょーかーい」

 

尊い吹雪の犠牲によってプログラムの改造が行われた試製羅針盤、もといルーレットが回される。

針の先を示すのはこれから当分の間名取の手を握り、そして隣に立つ者だ。ある者は誰と何を喋ればいいのかと怯え、ある者は妹の成長を願い、そして大半の艦娘はそれを見守っていたのであった。

しかしながら、そこに一人、強い危機感を抱く者が、その様子を凄まじい目線で見据えていたのだった――

 

「ゆらゆら、どうしたっぽい?」

「ちょっとね…名取のお相手さんについて考えていたの」

「一つ上のお姉さんですものね」

 

夕立は、五十鈴たちとは少し離れて、まるでルーレットを睨むように佇んでいた由良が気になって声を掛けた。一緒にいた秋月も同様だ。

質問に答えて、由良はまるで何かに慄いている表情を見せた。

 

「そんなに気になるっぽい?」

「た、確かに…なんだか薄っすら汗をかかれているような」

「姉さんはね、これといって運が特別良いとか、悪いってことはないんだけど…目立ちたくないって思うときほど、その逆になるのよね」

「あ、それ分かるっぽい。教室で、問題が分かんなくて当てられたくないなーって思うときほど当たるっぽい」

「それはちゃんと話を聞いていれば答えられると思うけど…」

 

なにやら問題のありそうなな夕立の授業態度は措いておくとして、そこまで由良を焦らせているものの正体に、秋月はまだ気付いていなかった。

 

「目立ちたくない姉さんが、一緒にいて、手を繋いでいて逆に一番目立ってしまう相手は―――」

「ま、まさか…」

 

夕立がそう呟くと、由良はこくりと神妙な表情で頷いた。秋月は、ルーレットと提督を交互に見やって、思わず息を呑む。

 

「こういう時…当たってしまうものなのよ」

 

その瞬間、ルーレットの針先は静止した――由良の予言した通りの者の名で。

 

 

 

× × ×

 

 

 

「いいのか、名取」

「へっ、い、いやっ、そ、そのぉ…」

「いいのよ。癪だけど名取にはいい薬だわ」

 

そう言い終わらないうちに、茹で蛸の色になった顔色の名取の腕を掴んで、提督と引き合わせる五十鈴。

後ろにいた長良や鬼怒の目線が生温かく、提督としては少し気恥ずかしくもあり、同時にいたたまれないほどの動揺ぶりを見せる名取には申し訳なさが先行していたのだった。

 

「そうそう。これはゲームなんだから、気軽にやりなよ。あっ、言っておくと名取は嫌がってるとか絶対ないからね」

「なんたって命令だし。しっかり握ってあげてよ、提督さん」

 

容赦ない姉妹である。というか、むしろこちらの反応を窺っては楽しんでいる節さえ感じられるので、どうやらもう引き返すことのできないものと悟った。

相変わらずこちらを控えめすぎる上目遣いでちらちらと見ている名取に近づくと、提督はあえて頼み込むように言った。

 

「改まって言うのはなんだか気恥ずかしいけれど、王様の命令は絶対だそうだ。今だけ、手を握らせてくれるだろうか」

「ふぇ!?は、はいぃ…」

 

差し出された手に、為すすべなく掌を重ねてしまう名取。

そこは何でもない、ただの大部屋だったはずだが、彼女の目には違う景色が映っていそうだ。

 

「わ、わわ…なんだか大人っぽいわね」

「これは…素敵ですねぇ」

 

艦娘たちの視線が注がれる。大半が羨望のそれ、そして行き過ぎた者は憤死寸前の形相で詰めかけていたのだが、このような件での暴動を予期したのだろうか、青葉たちの差し向けた警備隊(武蔵、霧島、鳥海、妖精さん)が眼鏡を光らせていた。

 

「ロマンチックな雰囲気のところ恐縮ですが、まだまだやっていきますよ!」

「そうです!提督の片手両脚はまだ空きがありますから、大和さんに金剛さんも諦めないで」

「た、確かニ…!希望はまだこの手にあるということデスネ―!」

「両脚…?」

 

明石の遺した不穏な一言と、疑いをもたない艦娘たちに一抹の不安を覚えるものの、諫めることはもはや難しいこと告げている。

「あらあら」と愛宕たちも苦笑しているようだが、目が笑っていない。彼女らの本気は覆すことができないことを悟る。

 

「あ、あの」

 

思わず身震いしていると、その愛宕たちとは反対側、右手を遠慮がちに握る名取が声を掛けてきたことに気が付いた。

 

「どうした?」

「い、いえ。その…手、繋ぐことなんですけど」

 

繋いでいないもう片方の手指で口元を隠すようにして、呟く名取。声は小さかったが、その瞳は顔を俯かせながらもこちらを覗いていたのだった。

 

「ああ、嫌だったならやめておくか」

「い、いえ。こちらこそ。私なんかと繋ぐこと、提督さんはいやじゃないかって、思って」

「…ふふっ」

「…?」

 

慌て方というか、卑屈気味なところが自分と全く同じでつい笑ってしまう。

不安そうにこちらを見つめる名取に誤解させては可哀想なので、「いや、すまない」と付け加えて応えた。

 

「俺も初めはそう思ったんだ。もし名取が嫌がっていたら気まずいし、何よりゲームどころじゃない」

「あ…私も、そう、です」

 

既に次の決戦へと準備を進めている壇上では、引き続いて青葉が場を繋ぎながら熱狂を先導しているようだ。

周囲の視線がそちらへ向かっていったからだろうか、名取は心なしか安堵の表情を見せつつ話し始めた。

 

「他意はないが…俺は司令官で、提督という役職だし、色々と君たちとは違う立場にいるものだと感じるときがあったから、ついそういう自虐思考をしてしまうよ」

「そ、そうなんですか?」

「名取はどうだ?」

「私は…あまり自分に自信がなくて」

「自信か」

「はい。みんなと違って地味ですし…目立った戦果も上げられたことがないので」

「地味、か。鎮守府(うち)では目立つ方が難しいからなぁ…ほら、あんなに騒ぎすぎるのも考えものじゃないか?」

 

名取は、提督の指さすその先に視線を向ける。先程と同じように、壇上では次の王様が決まったようで、豪運の持ち主、雪風が眩しい笑顔で観客の艦娘たちへ手を振っている。

玉座に就くことのできなかった艦娘たちの怨嗟と悲鳴は、もはや彼女の憧れた艦隊の華々ではない。

 

「あ、あれは例外、ですね…」

「地味というのも考えようによって変わってくる。今は指揮を吹雪たちに任せているが、日頃の南西諸島や北方での活躍は俺も把握してるよ。聞いたぞ。単艦避退のこと」

「えっ、ど、どうして」

 

目を見開いて驚く名取。提督は、そんな彼女が本当にびっくりしているのが伝わってくるので、つい笑みが漏れ出てしまう。

 

「突然の増援だったそうじゃないか。煙幕を貼って単艦で別方向へ避退、敵艦隊を上手く誘導して、艦隊が体勢を整え、支援艦隊が到着するまで時間を稼いだ…と報告にもあった。危険を顧みず艦隊を救ってくれたと、吹雪や僚艦の子たちも言っていたよ」

「そんな…私は何もしていないんです」

「それなら報告は嘘ということになるぞ」

「う…何もしていない、わけではない、ですけど」

 

目を逸らして、少し気まずそうにする名取。功労者に意地悪をする訳にも行かないので、「言い方が悪かったな、すまん」と付け加える。

 

「名取。君は自分に自信がないと言ったが、それは、思うに自己肯定感が足りないからなんじゃないか」

「自己…肯定、ですか」

「ああ。確かに、性能や戦果に思うところがあるのかも知れないが…はっきり言って、それを活かしきれない指揮官の無能さのせいだ。気にしなくていい」

「そんな、司令官は無能なんかじゃありません!」

「…そ、そうか」

「…はっ!?…はう…すみません」

 

思っていたより大きな声が飛び出てしまって、喧騒の中でも少し目立った。先程から人目を引くことが多いが、それでも慣れないものだ。

 

「…まあ、とにかくだ。ありのままの自分に対して、今のままではいけない、もっと上手にやれるはずだと思ったことはあるか?」

「あっ…あります。単艦避退も、吹雪ちゃんみたいに、もっと上手にできたらって」

「そうか。向上心や目標があることは良いことだな。けれど、他にも感じていることがあるんじゃないか」

「他に…」

「そう。君の口癖…というか、かつての戦いへの強い思いを抱える艦娘の中では、普遍的なのかもしれないが」

 

じっと、彼女の思案する顔を見つめる。その言葉を、できるだけ聞きたくなかったけれど、口にする艦娘は現実に存在することを、ぐっと噛みしめた。

 

「諦めが、心の中にあるからだ」

「諦め…」

「失礼な物言いをしてすまない。けれど、事実そんな艦娘たちの存在を、俺は知っているし、気持ちだってよく分かる。歴史と戦いの中で経験した無力さ、無念…それらが強い憧れや希望を歪めてしまうこともある」

 

はっとしたように、顔を上げた名取。そして、握っている手にかかった力が強くなるのを、提督は僅かに感じ取った。

 

「思い出すんだ。もう一度生を受けて、海の底からここへ辿り着いたのは、どうしてだと思う?」

「どうして…それは、深海棲艦を…」

 

そう言いかけて、この気持ちが、諦めや無念といったものが、おしなべて深海棲艦が放つ言葉に見え隠れしていることを、名取は悟った。

彼女らと対になるべく存在である艦娘たちが、彼女らを再び水底へと還す――つまり、撃沈するという行為が、どういう意味を持つのかを、理解しようとしていた。

 

「…いえ、この国と、大切な人たちを守るためです」

「ああ。俺もそのために指揮を執る。海上に立つことは出来ないが、共に戦っている」

 

見上げれば、お題【肩車】を見事提督に命令した雪風が両手を上げて舞台から降りてくる。

 

「しれえ!雪風王様になりましたよ!」

「おう。しかし肩車か。改二になって雪風も少し大きくなったから卒業だと思っていたが」

「いつでもしれえの肩の上は雪風の定位置です!」

 

勝気な笑顔でそんなことを言う王様に、困ったような微笑を向ける提督。

その目は、しっかりと目の前の景色と守るべき艦娘たちを見据えているように見えて、名取はそれを眩しく思った。

ずっと、姉妹以外の誰にも見られないと思っていたけれど、それは違った。忘れられるものだと、勝手に考えていたけど、それは違ったのだ。

 

「すまん、一度この子を乗せる」

「…あっ、はい」

 

繋いでいた手が離れる。そのまま雪風の前にしゃがんで、嬉しそうにいそいそと肩に乗った彼女を持ち上げたのだった。

 

「おーっ、なんだかいつもより高い感じです!」

「やっぱり背が伸びたんだな。海域のフィニッシャー、これからも期待してるぞ」

「任せてください!雪風は絶対大丈夫です!」

「おう」

 

雪風の笑顔はきっと、心からのものだったに違いない。見ていてくれるから、傍にいてくれるから、力を貰えるんだ――

今まで彼の掌の中にあった手を、もう片方の手で包んで、一人、そう理解した。

 

「…そうだ」

「?」

 

ふと、声がして顔を上げた。

 

「この通り、雪風が改二になって――運用試験としての新たな任務も追加されている。改二改装を施した時雨との最精鋭駆逐隊だな」

「はいっ。呉の雪風、佐世保の時雨で頑張りますっ」

「南方海域深部の敵泊地を痛打し、中部海域に進出する作戦だ。しかし、そのためにはソロモン沖の敵戦力撃滅も必要となるだろう」

「ソロモン沖って…確か夜間戦闘が必要な」

「ああ。敵の輸送部隊を仕留めるには夜間の攻略に限る。そして、同時に深部の防衛線を突破するんだ。名取、君の得意な夜戦でな」

 

そこまで言って、話の意図が掴めてきた。つまり、新鋭改装の雪風たちを引き連れ、南方の防衛線を打破する艦隊――この旗艦に任命されるのが自分、ということだ。

 

「わ、私ですか!?私なんて――っ!」

 

つい、その言葉が出掛かって、思わず呑み込んだ。

 

(そうだ、私、今その話をしてたばかり――)

 

あの時――単艦避退することを決断した時、自分は一体何を考えていたのだろうか。少なくとも、今みたいには怯えていない。

かつての戦いで、残した無念。それは、もっと艦隊に貢献し、そして多くの人々を守ることだったのではないか。

そのために、南の海の深い水底から還ったのではないのか――

 

「…確かに難易度の高い任務であることには間違いがない。けれど、君の艦隊を守ろうとした強い思いと勇気は、きっと作戦を成功に導いてくれるはず」

 

そう言って、提督は手を差し出した。

 

(そうだ…私はもう後悔したくない。今度こそ守りたい…!)

 

その手をもう一度繋ぐことを名取は迷わなかった。決意とともに、強く握り締めた。

 

「はい…っ!」

「ありがとう。雪風や時雨たちを、よろしく頼む」

「よろしくお願いします、名取さん!」

「雪風ちゃん…」

「私も考えます。もう一度、今度はみんなを守れるようにって。だから、頑張ります!」

「うん、頑張ろうね…絶対に」

 

雪風の思いを今一度考え、彼女がひたすらに前向きな言葉を口にすることに、提督は大きな感慨を抱いていた。

他方、名取のように自信を失った者、かつての戦いで残した思いに悩む者の存在もまた、彼女らがあの時代の意志を引き継いで生まれてきた大切な証であると確信した。

平和な海への決意、そして、目の前の艦娘たちへの途方もない崇敬をもって、使命を遂げることを、明日からを生き抜く目的としたのだった。

 

――繋いだ手が、もう二度と離れることのないように。

 

 

 

× × ×

 

 

 

ちなみに、その間も王様ゲームは進行していて――

 

「うおーっ、漣が王様ですか!?(゚∀゚)キタコレ!!」

「お題は…、【二人の対象を指定し、互いの好きな所を語らせよ】だって」

「うおーっ、しかも超面白そうだし!」

「この場合は、一人を任意に、一人をルーレットで決めることができますよ!」

「マジっすか青葉さん!んじゃ、一人はぼのたんで」

「ちょ、なんてことやらせんのよ!」

「んふふ、王様の命令は絶対ですしおすし」

「ぐぐぐ…」

「んじゃーやっちゃいましょう!…あれ、これって…」

 

 

「…私、ですか?」

「おおっ、鳳翔さんじゃん!んでんで、お題は!?提督とイチャコラするの!?」

「も、もう飛龍さんたら…そう何回も提督と当たるなんて起こりませんよ」

「イチャコラは否定しないんだ…」

「お題は…【対象の膝に頭を乗せる】!?」

「な、なんだか嫌な気がしますが…ルーレットスタート!…ってこれまた…」

 

 

「や、やりました…!遂に!遂にもぎ取ったのデース!」

「お姉さま、おめでとうございます!」

「さあ、お題は…【対象と熱い抱擁】!これは…ッ!私の想像以上のものデスネ…!」

「お姉さま、それは霧島の台詞…」

「いざ行きマース…この両手で情熱的な抱擁を!テートクに!青葉ッ!」

「は、はい!ルーレットスタートっ…これは…!はい、ええと…私ですね」

「…」

「お、お姉さま…?」

「…あれっ?ちょ、ちょっと金剛さん?無言で近づかれると怖いっていうか…その感じで抱き締められると青葉粉々になっちゃうっていうかあああああああ!?」

「熱い抱擁…だね青葉」

「ちょっと明石さん!?見てないで助けてくださいよ!」

「さあみなさーん、王様ゲームはここまでっ!間宮さんたちの特製デザートをご用意してるので宴会場へどうぞ!」

「明石さん!?」

 

八月の夜が終わり、九月の朝がやってくる。これまでもこれからも、彼女らの戦いは終わらないのだろう――。

 

 

 




併行作業中にシロッコちゃんがドロップしました。いつも思うけどこの子たちの絵師さん色んな意味で凄いよなぁと思います…。


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第六十七話 膝元の指輪

なんとか書き終えました。若干前回の続きの内容を引きずっていますので、読んでいただけると嬉しいです。


「んでんで、()()どうだったの、鳳翔さん」

「あ、あれ、ですか…ええと」

 

鎮守府のとある居酒屋で、蒼龍は店主に唐突に尋ねた。

隣の飛龍といい、何かを期待するようなにやけ面が、こう言っては何だが忌々しい。

 

「何の話?」

「ええーっ、加賀さんもいたじゃん、あの時」

「あの時…?」

「ほら、こないだの作戦終わりのレクですよ」

 

飛龍に促され、無自覚なのか首を傾げる仕草をした加賀が「なるほどね」と頷く。

店主――鳳翔は、後輩に続いて(無表情ながら)期待のこもった眼差しを向ける加賀に降参の溜め息をついて、「特別なことは何もないですけれど…」と頬を赤らめて話し始めた。

 

「いやいや、特別なことしかなかったでしょ」

「鳳翔さんか引いたお題、膝枕だったじゃん。したの?してもらったの?」

「命令としては、どちらにも取れるわね」

 

夏の終わりの作戦成功祝賀会、もはや恒例と化した任意――もとい強制参加のレクリエーションでは、王様ゲームが行われた。

様々なお題が飛び交う中、見事女王の座に就いた鳳翔が手にした命令カードが、提督への膝枕だったということだ。

 

「それが、その場では手を繋いだ名取さんや雪風ちゃんたちかいましたから…」

「あっ、そういやそうだ」

「なんか後日やりましょう、みたいに提督が濁したから、私たちがきちんと日程合わせしたんだよね」

「貴女たち…」

 

加賀としては、それほどの熱意は航空戦に注いで欲しいのだが、年頃なのでしょうがないのだろう。

呆れたような視線をものともせず、二航戦の詰問は続く。

 

「そ、そうだったわね。その日が今日だったから、ついさっき休憩中の提督にお会いしてきたんですよ」

「えっ、事後ってこと!?」

「誤解を招く発言は慎みなさい」

 

オーバーヒート寸前の蒼龍を、冷たい目をした加賀がチョップで止める。

 

「あうう…」

「全く…」

「でも、その感じだとあんまり恥ずかしくなさそうだね。やっぱり()()()方だったってこと?」

「いえ。提督が遠慮なされて、私がしていただくことになったんですけど…」

「えっ、ほんと!?」

「それにしては動揺してない…ま、まさか日常茶飯事ってこと!?」

「落ち着きなさい」

 

邪推のあまり蒼龍同様に諌められる飛龍は措いておくとして、提督絡み――とりわけそんな状況下では慌てふためくはずの鳳翔の反応が薄い。

加賀はそれを悟り、同時にその理由が本題なのだと結論を下した。

 

「一体そこで何があったのですか」

「それが…全く覚えていないんです」

「…えっ?」

 

頭を抑えた蒼龍が、一人頓狂な声を上げた。

 

 

 

✕ ✕ ✕

 

 

 

「…なるほど、そういうことだったんですね」

「ごめんね、非番なのに呼び出しちゃって。一航戦の機動部隊が出撃で、飛龍も決戦支援で出ちゃったから」

「いえいえ。私も、瑞鶴が演習なので暇していたんです」

 

居酒屋を出て、蒼龍は件の真相を確かめるため、翔鶴を引き連れていた。

海外艦が未加入の舞鶴第一では、常にローテーションを回すためには練度上昇や整備が不可欠なので、正規空母は誰かしら海上にいることが多かった。

 

「でも、すごい力ですね。あの鳳翔さんが覚えていないくらいなんて」

「初めは恥ずかしくて大変だったって言ってたけど、気付いたら何もかも終わっていて、ソファに寝かされてたって」

「ま、麻酔みたいですね…」

 

曰く、恥ずかしさや緊張を感じる暇のなさが彼の膝枕の絶対的効力を物語っているという。

あながち麻酔というのも間違ってはいない。

 

「そういえば、聞いたことあるよ。提督は、昔は戦争孤児のお世話をする仕事をしていたことがあるって」

「だ、だからといって私たちまで寝かしつけられるとは…」

「味わってみたい?」

「え、ええと…正直、期待してます」

「ふふっ、だよねえ」

 

艦は人によって造られる。故に、人の温もりに惹かれるのは道理であると言えるのかもしれない。

「…私たちの場合は個人的な事情が強いですけどね」と加えた翔鶴に、「まあね」と蒼龍は苦笑するのだった。

 

「…おっ、あれ提督かな」

 

そんな話のなかで、視界の奥に彼の姿を認める。

「本当ですね」と隣の翔鶴が応え、そして何かを見つけたようだ。

 

「誰かと話してますね」

「あれは…睦月ちゃん?どうしたんだろ」

 

近づいて、「おーい、二人とも」と蒼龍が声をかけると、すぐに振り返った両人が「しーっ」と口の前で人差し指を立てた。

 

「あっ、ごめん」

「皐月が眠ってるんだ」

 

そう言って背中を向けると、満足げな表情ですやすやと寝息をたてる皐月の姿が映った。

「ふふっ、可愛いですね」と、翔鶴が屈んで髪を撫でた。

 

「ごめんね。お邪魔しちゃった」

「この通り皐月も熟睡だからな。気にしないでくれ」

「それで、お二人はどうしてここに?」

「皐月が機嫌悪そうだったから、提督に寝かしつけてもらってたの」

「べ、ベビーシッターですか…」

 

小声で話す一同。どうやら寝不足だったこともあり、若干不調気味の皐月の寝かしつけを行っていたらしい。

 

「やっぱすごいんだね。提督のそれ」

「なんでも、気が付いたら全てが終わったあととか」

「鳳翔から聞いたのか?鳳翔も皐月も、今日はあんまり眠れていなかったらしいからな。それでだろう」

「そうなの?」

「いやあ、それでも手をつけようがなかった皐月を秒殺したのには驚いたのね」

 

「如月ちゃんと同等に渡り合えるのは凄いです」と、睦月がしみじみと語る。姉妹仲は問題ないようで何よりだ。

 

「へえー、睦月ちゃんがそんなに言うなら試してみたいなぁ。私も最近眠りが浅くて」

「毎日爆睡されてますよね…?」

 

なんのことだか、というような表情をする蒼龍だが、目つきは挑戦的だ。

提督から皐月を受け取って、「それなら挑むがいいのです」と睦月は言う。

 

「おうよ、この二航戦が受けて立ちます」

「対決なんですか…?」

「睦月は誰の味方なんだ?」

「もちろん提督ですよ。それじゃあ睦月は部屋に行くね。蒼龍さん、頑張って」

 

軽々と皐月を抱きかかえて去っていく睦月。なにやら企んでいるような笑顔が、妙に心に残った。

 

「よーし、それじゃ提督、早く行こっ」

「そ、それはいいが」

「あ、あの提督、私も…よろしいでしょうか」

「構わないけど、別に蒼龍に合わせる必要はないんだぞ」

「ち、違います!本心です!」

「…お、おう…?」

 

 

 

✕ ✕ ✕

 

 

 

別棟の和室への移動を行った一同。以前天津風を連れてきて昼寝をした話を振ったら、なにやら不機嫌になったのは内緒だ。

 

「よしこい!」

「元気あるんだな…やる意味が薄れる気がするが」

「まあまあ。それじゃあ、私はお茶でも淹れてきますね」

 

そう言って、翔鶴が立ち上がって併設の台所へ歩いていく。

 

(とは言ったものの…膝枕されているのを見るのも見られるのも少し恥ずかしい気がしますね)

 

あの様子だと、蒼龍もそう簡単に眠ることはないだろう。

湯を沸かして準備することほんの四、五分。戻ってみれば、縁側には安らかに眠る彼女の姿があった――。

 

(ほ、本当に秒殺…っ)

 

全く信じられないことに、しかし目の前のほぼ気を失ったように瞑目する蒼龍の姿は本物だろう。

湯呑みと盆を近くに置きながらそう理解せざるを得なかった。

 

「ありがとう」

「いえ…。それにしても、あれだけ気負っていた蒼龍さんが」

「寝不足気味というのは本当だったようだな」

「昨日はお風呂から上がってすぐでしたが…」

 

特段早起きもせずに朝寝坊を決め込んだはずの彼女は、決して睡眠が足りていないはずがない。

一周回って緊張感を覚えた翔鶴は、「それほどの威力なのですね」と零した。

 

「たまたま偶然が重なっただけだと思うが…ともかく、向こうの部屋に寝かせてくる。待っていてくれ」

「はっ、はい」

 

一体どれほどの睡魔が蒼龍や鳳翔を襲ったのは分からない。しかし、彼による膝枕はもはやほとんどの艦娘にとっての至福のときであることは間違いない。

せがまれて膝枕をし続けていて感覚が狂ってきたのか、提督がこの流行りで膝枕をすることを躊躇わなくなっているため、今こそが好機なのだ。

 

「よ、よし…がんばれ、私」

 

ぐっと拳を握る。ほどなくして、「お待たせ」と提督が襖を開けて、縁側に腰かけた。

 

「そ、そ、それでは」

「ああ。おいで」

 

(…!!)

 

おそらく、数多くの駆逐艦や海防艦たちを膝に預けてきたのだろう。

膝を叩く慣れた手つきと優しげな目元に、思わず吸い込まれるようだった。

 

(もはやそういう目で見てもらえているわけではなさそうですが…これはこれで)

 

「し、失礼しますね…」

 

隣に座って、ゆっくりと左へ体を傾ける。

もしかしたら重いかもしれないと思い、上半身を少しだけ持ち上げたものの、気にするなと言わんばかりに右肩を優しく寄せられたので、抗いようもなかった。

 

「蒼龍も初めの方は緊張気味だったな」

「し、仕方ないですよ…上官の膝に身体を預けているのですし」

「確かにそうだな」

 

照れからかそんな言葉を口にしてしまったが、提督は微笑む。

 

「駆逐艦の子たちにこうすることはよくあったが、まさか空母の子をこうして膝に乗せるとは、思ってもみなかった」

「…やっぱり、ご迷惑だったでしょうか?」

「まさか。というより、少し嬉しかった」

「えっ」

「運用や日常生活に不満があるのではないかと思っていたから、話しかけてきてくれるだけでも嬉しい」

「…もうっ」

「?」

 

相変わらずこちらの気持ちが恋愛方面では伝わらないようでやきもきするのだが、今に始まったことではない。

言葉にしなければ分からないことももちろんあるはずなのだ――ことこの鈍感においては。

 

「なにか要望はあるか?司令部だけでなくて、艦隊や鎮守府の話でもいい」

「そうですね…それでは」

 

両手を動かして、彼の掌を包む。男性らしい、大きな掌だった。

そのまま自分の頭に乗せるようにして、翔鶴は「撫でて頂けますか」と言った。

 

「…了解した」

 

若干の気恥ずかしさもあったのだろう、あえて堅い口調で応えて手を動かし始めた。

大きな手が髪を優しく包み込んでは流れていく。今まで少し遠いように感じていた彼の気持ちに直接触れたようで、翔鶴は目を細めて心地よさを享受した。

 

「こんなものか」

「はい…とってもお上手です」

「髪、綺麗にしてるんだな」

「ありがとうございます。艦娘ではありますが、女の命と呼ばれるものですから」

 

僅かに、提督の微笑が曇った。

 

「…翔鶴は、自分の存在について考えたことはあるか?」

「自分の存在、ですか?」

「簡単にいえば、人と艦、どちらの自分が本来のものかということだ」

「そうですね…」

 

深く考えこむ仕草をした翔鶴。艦娘の存在を定義付けるのは艦娘の他にない。そう考えていた提督は、彼女を注意深く見守っていた。

 

「提督は、どう思われますか」

「俺が口を出していいのか?」

「私は、少なくとも艦の翔鶴は、貴方の艦ですから」

「そうか――」

 

雪のような、純白を梳くように、傷つけないように触れる。

慎重になるあまり、もう片方の掌に頬を擦り寄せている翔鶴に気付かなかったが、ともかく満足げにして貰えているのだろうかと、安堵するに至ったのだった。

 

「理想を口にすれば、社会的には君たちが一人の人間として、戦いの後の世界を生きていけるようにしたいと思っている」

「提督は、艦娘を人間として扱うべきとお考えですか?」

「こうして髪に触れて、血の通った暖かさや、心臓の鼓動を感じると、とても兵器としての冷たさを思い出せなくなる。たとえ戦争中でも、失うなんて考えたくもないと思ってしまうよ」

 

(きた)るべき日のことを思って、目を伏せる。下がった視線の先に、目を瞑る翔鶴が映る。

彼女は自分の指揮下とはいえ、国から預かる艦である。波濤を乗り越えて戦場を駆け抜け、この国のために戦い、そしてしかるべき時局には沈み行く定めなのかもしれない。

 

「――もし、願いが叶うのなら」

「…?」

「私は…いえ、私だけではありません。多くの艦娘たちが、貴方のもとで戦い、その後の世界をともに生きていきたいと、そう思っています」

「…そうか」

「冗談だとお思いですか?」

「…正直、社交辞令だとばかり 」

「…」

「申し訳なかった」

 

目を細めた恍惚の表情から一転、膨れっ面で分かりやすく不満の意を示した翔鶴。

お詫びということなのだろうか、更に頭を撫でるよう要求した彼女に従いながら、彼女らの思いの強さを信じるしかないのだと思い知らされるのだ。

 

「私たちは艦娘です。ひとつの側面としてその特性を備えていますが…人間にも艦にも似て非なるもの」

「艦にも娘にもなれないと?」

「ひとつの側面、と言いましたが、私たちにとって人としての身体は器であり、そしてあの時代から引き継いだ魂が心に宿っています。人の身体、艦の魂の両方を得た存在を、どちらかに定義してしまうことは…少し、残酷にも思います」

「…!」

 

――自分の存在について、艦娘たちは考えたことがないのだろうか?

 

丹羽があるとき口にしたその問いの答を、予想外な場面で知り得ることとなった。

きっと、口にしないだけで艦娘たちは気付いているのだろう。自らが何者として、いかなる役割を負ってこの世界に存在しているのか――

 

「人と艦、そのどちらかに()()()()のではなく、このままで居たい――私たちは本能的に、どこかで貴方のような提督…凛々しく、雄々しく、私たち艦の魂を導いてくださる方の傍にいることを願っているように感じるときがあります」

「そう、だろうか」

「ご謙遜なさらないで。今まで私たちが誰一人欠けることなくこの戦いに勝利し続けられたことは…きっと偶然ではありません」

 

はっきり聞こえる声で、翔鶴はそう呟いて提督の右手を取った。胸元に大事そうに抱いて、瞑っていた目を薄く開いた。

暫くの沈黙が続いて、上官からの反応はない。戦果報酬を悉く艦娘たちにとって利になるようにしてきた彼のことだから、自分が納得しない限り、言葉で考えを変えることのない人なのだろう。

だが、真っ先に否定しなければならないことがひとつ、ある。

 

「…それとも、私たちが今のように貴方と触れ合おうとするこの感情を、先天的なものと思っていらっしゃいますか?」

「えっ」

 

思わず、短く言葉に驚きが漏れたその瞬間、翔鶴は腕をついて起き上がる。

反応を待つ間もなく、提督の背に手を回して勢いよく抱きついた。

 

「しょ…うかく」

「今お話したものは艦としての、自然な感情のうちの一つです…けれど」

 

突然の出来事に、話半分ほどしか理解していないようにも見えるが、言ってしまうならここでしかないと思った。

 

「人として…(おんな)として、貴方をお慕いするこの思いは、きっと――」

 

埋めていた顔を上げ、彼の目を見つめる。視線がぶつかり、彼の目がこれから何とか紡ぎ出すつもりの言葉を予見して、優しげなものに変わる。

――これはまずい!

 

「…え、ええっと…その、ですね」

 

空母にあるまじき至近距離からの視線の交差は、翔鶴にとってこの上ない緊張と羞恥の波をもたらしていた。

言葉は詰まってしどろもどろになり、いつのまにか合わせていたはずの目線も逸れてばかりだ。

そんな様子を見て、初めは目を丸くしていた提督も苦笑が漏れるのだった。

 

「くくっ…いや、よく分かった。すまない、思えばそんな風に言わせようとしているととられても文句は言えなかった」

「い、いえ!ですからこれは本心で…!」

 

そこまで言いかけた翔鶴の頭に手を置いて、彼女の口が止まった。

きょとんとして、そして顔を真っ赤にして俯く様子は少し嗜虐心…とは違うが、似たような思いを抱かせるようだった。

 

「艦としての本能が君たちの心の全てではなく、この鎮守府で、艦娘としての新たな生で学び得た経験や知識、そして感情は、れっきとした人間の特性だ。器が人、魂が艦というように二元的に扱えるようなものではないということだな」

「え、ええ、そうです。それと、もう一つは――」

「それも、分かったよ。艦の魂を引き継ぐといって、君たちが本能のまま司令官に付き従う…ということではなく、やはり人の心や感情に基づいて、こちらをよく見ている。つまり、いつでも艦隊指揮には気が抜けないということだ」

「い、いえ…それはそうなのですけれど…」

 

訂正するにも、筋としては合っているのでそれ以上の言葉が出てこない翔鶴。

 

(…というか、こんな形で解釈することのほうが難しいです提督…まさか、本当は伝わっているのでは…!)

 

思い切って抗議の目つきでもって睨みつけてみるも、微笑で容易く弾かれる。

今までは鈍感の二字で済ませてきたが、これは怪しい。否、気付いていて尚、こちらを待っているとしたら――

 

「提督は…意地悪ですね」

「言葉の受け手は、捉えたいように捉える…と言ったらいいか」

 

やはり分かっているようだった。こんな心音が伝わるか伝わらないかの距離で密着していることは避けたいと思うくらいには恥ずかしい。

抱き締めていた腕を解こうと思ったが、幸か不幸か提督もまた、片腕で翔鶴を繋ぎとめている。

 

「――言い続けてきたことだが…俺の、誰かを信じることへの覚悟が足りなかった。皮相の上を滑るようなコミュニケーションでは、艦隊の指揮など取れたものではない。俺の艦隊運営は、どこか一方通行だったことに気付いたんだ」

「…」

「だから、変えないと。君たちや、君たちの気持ちを、知らないといけないと分かった」

 

語りかけながら、懐から一通の封筒を取り出した。薄い、書面一枚の入った茶封筒だった。

それを機械的に読んでいく。少し、抱き留める腕が強張ったことを、翔鶴は感じ取った。

 

「…南方及び中部海域の敵戦力増加・強大化を鑑み、各鎮守府に在籍する主力艦娘部隊の練度及び性能向上を図る」

「?」

 

よくある話ではある。しかし、今一度改めて、しかも書面で通知するようなないようではない。

疑問符が未だ頭上に乗っかったままの翔鶴に対し、どこか緊張した面持ちで、提督は告げる。

 

「その手段として、練度上限の解放が横須賀工廠明石の考案した手法――指輪の譲渡、『結婚(仮称)』より可能となる」

「けっこん…」

 

血痕、と間違えているのではなく、恐らく漢字表記に出来ていないのであろう。提督から見た彼女は、どこか浮ついたような、呆けたような表情でその言葉を反芻し続けていた。

 

「結婚、だ」

「けっこん…ですか」

「結婚。分かっているか」

「あ、はい…!?!?!?」

 

間もなくすべてを理解して、翔鶴は目を丸くしたまま硬直した。

「まあ、最初は俺も似たような反応をして笑われたよ」と、提督はそんな彼女の反応に対し、もっともだと頷いた。

 

「ど、どどどどういうことですか!?け、けけけ結婚って…!」

「艦娘たちに話すのは初めてだが…練度の上昇がストップした艦娘たちは、鎮守府でも特別な存在だということは知っているだろう」

「は、はい…これ以上練度が上がらないということは、通常の海域戦闘においてはその経験値が無駄になってしまいますから…大規模・高難度作戦時以外は提督の傍付きになることが多いと」

「ああ。だが、そんな高練度の艦娘ですら苦戦する強敵も南方海域を始め、深部では続々と出現するようになっている。練度の解放は、さらなる練度上昇を狙い、敵戦力との差を埋め、超越する要素として期待されている」

「い、いえ、ですから一番気になるのは…」

 

そこまで言って、先程と同じような問答を繰り返していることに気付く翔鶴。今度は本気で睨む。

 

「わ、悪い。今のは素だ。そんな特殊な司令官と艦娘たちの関係を揶揄しているのか…一応、『結婚』は『㋘作戦』として、この意味で用いるときはカタカナ表記にするらしい」

「ほ、本当なんですか…?」

「あの明石だ。舞鶴(うち)とは比べ物にならないくらい不思議なセンスをしている」

 

遠い目をする提督は、もはやこの話を受け入れているらしい。しかし終始あっけにとられていた翔鶴が気になることは一つで――

 

「それでは、提督はこの鎮守府で…」

「まずは初期生産した指輪について、一人目に受け入れてくれる子を探すことになる。明日、皆の前でこの話をしようと思う」

 

仮称とはいえ、ケッコンは結婚である。気にする娘たちには強制できないと言い、手元の指令書に目を落した提督。

どちらにせよ、深い信頼関係のもとで行動しなければならない司令官と艦娘。疑似としてもこのような名前を付けることで、ある意味で覚悟を必要としたのかも知れない――と、翔鶴はそんな上官を見て納得したようであった。

 

「もちろん、所属時期や練度、そしてコミュニケーション上の問題で指輪を渡す艦娘は限られる。これをきっかけにする訳ではないが、色々なことを見直すいい機会だと思う」

「…もし」

「?」

「もし、明日私がそこに手を挙げたら」

 

敢えてそこで言葉を切った。提督からの言葉を待つためであり、また、彼の気持ちを知るためでもあった。

試すような真似をして申し訳ありません――と、言外に伝える翔鶴に、提督は笑って答えた。

 

「初期生産の指輪は一つだ。もし、翔鶴だけ手を挙げてくれたなら、指輪を渡させてもらうよ」

「…!」

 

みるみるうちに表情を変化させていく様子が少し面白い。提督はそんな翔鶴に問う。

 

「そこまで喜んでくれるのか。俺がなにか、翔鶴にしてあげられたことがあったか」

「先程の話を覆すようにも聞こえますが…私たちは艦。誰も傷つかず、もしものことがあっても安全に航行ができるのは、全て貴方のお陰なんです」

「…言葉は、素直に受け取るよ。ありがとう」

「ふふ…それだけではありません。私が持って生まれた不運を肯定してくれた。諦めず、ここまで育ててくれた――提督。貴方の思いは、しかと私たちの心へ、伝わっているんですよ」

 

自分の胸に手を当て、深い慈愛を込めた目で見つめる翔鶴の、思いの大きさを知った。

「ありがとう」と、その一言だけを返して、再び、彼女を膝元へ戻らせ――彼は、その背をそっと叩き始めた。

 

「話込んでしまったな。なまじ真剣な話をしてしまったから、疲れただろう」

「あ…いえ、そんな…」

 

そういえば、聞いたことあるよ。提督は、昔は戦争孤児の世話をする仕事をしていたことがあるって――

ベビーシッターですか――

 

そんな会話の節々が、脳内で反響する。まさかまさかとは思っていたが、これほどのものとは。

長髪と頭を丁寧に、そして背中を優しく触れるこの腕前は、間違いなく艦娘に特効があると言って差支えない。歴戦の空母たちが軒並み眠りに落ちてきたのも理由があったのだ。

 

「て、ていとく…」

「ん…?ああ…分かった」

「…?」

 

その破壊力に思わず手を伸ばしてしまったが、何を分かったのか、意識も絶え絶えの中、その手を彼の手が包み込む。

もはや「そうじゃない」とは言えず、真っ逆さまに落ちていく意識を手放すほか選択肢がないなかで、翔鶴はひとり結論付けた――

 

(や、やっぱり貴方…鈍感ですぅ…zzz)

 

「お休み、翔鶴」

 

夢かどうか、判断はつかない。つける自分がもういない。

けれどその声が、おそらく自分の聞いた中でもっとも優しい声だったことを、翔鶴は覚えているのだった。

 

 

 




少しだけ話を進めました。指輪を渡すときは、各艦娘ごとに1話分を作ってみたいですね。
また、各話の構成変更をちょこちょこ行いたいと思っています。その場合は活動報告にてお知らせいたします。
それでは。


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第六十八話 変わらないもの

明けましておめでとうございます!
新年一発目投稿ができて良かった…(投稿頻度的に)

さて、今回は量的には軽めです。暇つぶしにご覧いただければ。

※海外艦についてのアンケート取ってます。


自分がこの鎮守府へ着任して、もう五年が経った。

深海の脅威が排除されたこともあってか、年を数える毎に宿舎や庁舎は賑やかになっていき、この地に活気が戻ってきたことを感じている。

 

初めてこの地へ来た時、自分はまだ二十歳を迎えるかそこらの年だった。今日と同じ、日本海から春の冷たい風を受けながら、寂れた――それもほとんど廃屋のような――この建物に、不安と困惑を抱きながら足を踏み入れたことを覚えている。

 

「あっ、提督。おはようございます」

「おはよう。一昨日頼んだものだが、届いているか?」

「ええ。先ほど担当業者の方が直接」

「そうだったか」

 

朝もまだ早いというのに、明石はきちんとした対応をこなす。特別なことではないが、それでも善いことは善い。

「今、取って参りますね」と、暖簾をくぐって裏へと向かった彼女。

この酒保はそんな彼女の着任と同時に整備した。逆にいえば、それまでは酒保というものが我が鎮守府には存在しなかったのだ。

 

「…っと、お待たせしました。花浜匙(はなはまさじ)っていうんですね、このお花」

「和名だな。リモニウムとも言うらしい」

 

明石には、生花業者を通してこの花の受け取りを頼んでいた。目に飛び込んでくる鮮やかな紫色に、やはり自分で選ぶよりは、専門の者に任せてよかったとつくづく思う。

 

「今日行かれるんですか?」

「ああ、今から」

 

執務もひと段落してな、と付け加える。明石は「ひと段落しているところなんて、殆ど見ませんけど」と言って訝しむが、今回ばかりは本当のことだ。

…耳が痛い話である。

 

「お供する秘書艦は、やっぱり鳳翔さんですか?」

「いや、今回は一人だ。毎年のことだから誘っていたんだが、あいにく久々の近海哨戒でな。雲龍型の航空戦指導もあって、予定が嚙み合わなかった」

「珍しいですね、鳳翔さんが」

「二航戦が先週の西方海域作戦からの疲労が抜けきっていないからな。まあ、鳳翔も腕が鈍ってはいけないと受け入れてくれた」

「めちゃくちゃ後悔してそう…」

「後悔?ああ、今日の件か?それなら後日の休暇を用意しているから」

「いや、そういうことじゃ…」

「?」

「はぁ…何でもないです」

 

何やら明石に胡乱な目を向けられるが、よく分からない。特に()()()()()()()()()()()()理由はないはずだが…。

 

「とにかく、一応近海部隊も出撃中なんですから、吹雪ちゃんたちに任せているとはいえ早く言った方がいいでしょう」

「あ、ああ」

 

花束が風で崩れないように、手際よくラッピングして紙袋に入れた明石。そのまま自分の右手にそれを持たせて、背中を押したのだった。

一体何の話だったのだろうか?

 

 

 

× × ×

 

 

 

目的地は鎮守府とそう離れていない。それでも、このところ出向もなく買い出しへの車を走らせることもなかったので、強い海風に晒されるのが久しぶりで身体に堪えた。

 

五年前の舞鶴は、深海棲艦からの強襲を受けた時と変わらない廃墟に近い有様であった。

海自の航空基地や総監部を始め、沿岸の港湾施設は悉く砲撃を受け、海上の脅威への対抗や地域住民への支援行動が不可能となった。

深海・そして海外勢力の侵攻を懸念し、陸上部隊は何としても防衛線を引き下げてはならないと決死の覚悟で突入を試みたが、予想に反して敵部隊は以降の上陸作戦を仕掛けてこなかった。現在では、目的は海自拠点の破壊のみであったと考えられている。

 

(しかしまあ…あの戦闘以来人が寄り付かなくなってしまったな)

 

臨時舗装された国道沿いの高台から、誰もいない浜辺を覗く。

 

かつて沿海部にあった町の賑わいは去ってしまった。今でこそ艦娘や鎮守府からの護りの下、ある程度の人口に回復したが、それでも当時の五分の一と言ったところだ。

全国各地での強襲被害では国内総人口の四割を喪失した。艦娘の出現と大規模反攻作戦により我が国はある程度の防衛に成功しているが、艦娘を保有しない他のアジア各国では沿岸部をはじめ行政機能が崩壊した国家もあり、また制空権を失ったことによって支援作戦もほぼ不可能となってしまった。

我が国は制海権の喪失と周辺国家の消滅によって、確実に孤立状態に陥っている。

 

(…それでも、こうしてまだ命を繋いだ国民が生き延びていけるのは、君たちのお陰だ)

 

海へと吹き抜ける風に乗って、鳥たちが飛んでいく。それを見上げながら、心に残った思いを強く抱いて、行かなければならない場所へと歩みを進める。

 

当時のことは、まだ覚えている。黒煙の覆う空、赤く染まった海、倒壊した家屋に残る血飛沫、叫び声――どの記憶も断片的ではあるが、それらに感じた恐怖と絶望は、今でも心を竦ませる瞬間があるほどだ。

――しかし、それだけではない。

 

 

『待って…!』

 

 

確かに見た。そう叫んで、手を伸ばした。燃え盛る炎の中を、あの光を追って、手を伸ばしたことを覚えている。

そうでなければ、あの事件ののち、暗い峠道を越えて歩いた理由がないから。

 

(誰かは分からないが、あれはきっと)

 

今では声も姿も思い出せないその存在を、しかし夢幻のようなものではないと確信している。あれはきっと、戦う使命と未来への希望をくれた存在であることを、自分は覚えている。

 

「…ふう」

 

追憶に思いを馳せていれば、国道の分岐路が見えてきた。そこを右手に曲がり、木々の間に伸びた細い階段を降りれば、そこが岬――かつての海を戦い、沈んで艦娘たちの墓所である。

鎮守府が出来る前、最前線を支え、舞鶴を護りながら散っていった艦娘たちへの感謝と哀悼を示すため、当時の地域住民の一部が密かに建てたという。

 

まだ艦娘という存在が、今以上に知られず、そして恐怖されていた時代だった。襲い来る深海棲艦との区別もつかず、外的と判断する人々も決して少なくなかった。

そんな状況下で、彼女らに感謝して墓標を用意するということが、狭いこの地域の中でどれほど危険だったかは、言うまでもない。

 

(しかしそのお陰で…彼女たちも報われたのだろう)

 

以降、舞鶴第一鎮守府を始めとして、殉死した艦娘や司令官がこの場所へ骨を埋め、弔われるようになった。

無論自分の指揮下ではまだ、轟沈した艦娘がいない。これからもそんなことがないように指揮を執るつもりである。

だから、ここに捧げる花束は、着任前の艦娘たちへのものだ。

 

 

 

× × ×

 

 

 

「だ、第一鎮守府ですか」

「そうだ。しかしながら舞鶴は、第一鎮守府を敷設した旧自衛隊基地への攻撃が特に激しい地域であり、現在は序列制を採用せず、保有戦力の高い第二鎮守府へと、系列指揮権を移行している」

「…戦力の欠如も著しいということでしょうか」

「ああ。それについては、先に渡した資料を見て欲しい」

 

丹羽さん――当時は横須賀鎮守府の提督であった――が、舞鶴への辞令を言い渡された自分のもとを訪ねたのは、着任の一週間前だった。

具体的な内容は聞かされておらず、手元にある書類のみが情報源であった。士官学校で学んだ知識だけでやっていけるとは、到底思ってもいない。だから、こうして彼によって情報提供がなされることに対しては、安堵を拭いきれなかった。

 

「12ページ目に現在の戦力保有状況が書かれている」

「…軽空母、一隻」

「ああ。これにお前が指定した特Ⅰ型駆逐艦の吹雪が初期艦として加わるが、それだけではまともに機能できるとは思えん。資源数の限りはあるが、なるべく戦力増強に努めろ」

「ええ、それは分かっています。…しかし、これはつまり」

 

自分の言葉に、彼は苦々しく、そして沸き上がる怒りを感じさせながら「艦隊を指揮する者として、到底受け入れられないが」と言ってから答えた。

 

「旧鎮守府では…前任は艦隊指揮を放棄して逃亡した。指揮系統を失った艦隊は近隣鎮守府の救援を待つ間防衛戦を維持し…そしてその多くは沈んでいった」

「…っ」

 

丹羽さんの明かしたことは、本土防衛に大きな穴が空いたという事実であった。主力の全滅、そして残った艦娘たちも人間への不信と、それに対する葛藤で心に傷を負い、その軽空母以外は皆、転属して舞鶴を離れるか、艦娘として戦う力を失くしてしまったということだ。

 

艦娘は、その存在自体が高度な精神性の結晶といえる。多くが海中に没した旧帝国海軍の艦艇に残存した思念や祈りがその身体を(かたど)っているからだ。だからこそ、仲間の撃沈に対する恐怖や悲しみ、提督を始めとする人間に対する負の感情が与えるダメージも、我々が考えるよりもはるかに大きいのだ。

それだけに、一人残った軽空母艦娘の心境など、想像もできなかった。

 

「元帥閣下からは、当該海域での速やかな敵戦力掃討、そして舞鶴の第一拠点としての指揮系統回復が命じられている。かなり無謀ともいえるだろうが、まあ、海域の方は横須賀第一(ウチ)と舞鶴第二に任せて、戦力増強と施設整備を第一に指揮を執れ」

「承知しました。可能な限り迅速に対応します」

「ああ。…それと、だが」

 

丹羽さんは、何か言い淀むような表情をした。言外に、それがおそらく唯一残留を希望した彼女のことであろうと察した。

 

「…彼女からすれば、私は部外者に過ぎません。軍人としてみれば、実戦、実務の経歴も違う」

「…」

「でも、だからこそ――」

 

その時語ったことは、今思い出せば恥ずかしくなるような、過酷な現状を知らない若者の綺麗事でしかなかった。

それでも、決して間違っていると思ったことはない。

艦娘たちの側に立ち、そしてあの時代の英霊を引き継ぐ存在に触れることの覚悟を、忘れることなく向き合っていかなければならないと。

 

 

 

× × ×

 

 

 

「…これで、いいか」

 

墓所に着いて、まず雑草取りや墓石の周りの軽い掃除を済ませる。一年の間、鳳翔など鎮守府の者以外は訪れなかったようで、やはり荒れていたため、掃除の後はすっきりとして見違えていた。

そのあとは用意したペットボトルの水を掛けて、墓石を磨いた。少なくとも建てられてから五年以上、荒い白御影の上では刻字が見えにくくなっている。

しかしながら、代わりの墓標を建てようとはとても思えなかった。込められた思いの大きさが、そう思わせていた。

 

風で少し傾いていた花立を直して固定し、紙袋の中から花束を取り出す。花浜匙は前から知っていたが、これを取り寄せたのはその花言葉だった。

供物の羊羹を添え、線香をあげて立ち上がる。岬からは水平線が見え、青空が澄み渡っていた。

 

「…今年も来ました」

 

そう告げるのは、毎年のことだ。ほとんど無人といっていいこの地域で、自分の声を聞くものは、どうせ()()()だけだろう。

揺らぐ線香の煙が、風に流されていく。後ろ側の林のざわめきが、自分の言葉に答えるようだった。

 

「貴女たちのお陰で、この地が守られました。残された艦娘たち、そして多くの住民たちが、救われました。…本当に、感謝しきれない」

 

彼女らは、どんな思いで戦っていたのだろうか。誇りと、勝利への信念を胸にしていたのだろうか。

あるいは、恐怖――沈む海の冷たさに怯えていたのだろうか。艦娘とはいえ、撃沈、すなわち死を前にすれば、人間と変わらず無力である。

それでも、事実は変わらない。守ったこの地が、これからも守られ続けていく限り、彼女らの残したものはなくならない。

 

「いつか――平和な海が訪れたら、まず、貴女たちにお知らせします。貴女たちの思いは消えずに引き継がれ、大切なものを護ったことを」

 

身体は魂の器であると言った翔鶴の言葉は、今も記憶の中に残っている。それが本当だとしたら、魂とその願い、祈り、希望といったものが引き継がれていく限り、彼女たちは消えない。

今、舞鶴第一鎮守府に暮らし、ともに戦ってくれる艦娘たちが、誰一人沈まずにこの戦いを終わらせることができたら、その時は、自分の役目の一つが果たされた時なのだろう。

 

繋ぎ、守り、継ぐことが、提督の役割なのだから。

 

「…」

 

合掌、のち、瞑目する。暫しの時間、海の音だけを聞いていた。

波が弾け、風に乗って海の香りがした。それは子供の時から、いつだってそばにあった香りだった。

 

 

『待っています…その時を』

 

 

そう聞こえたのは気のせいだろうか。それでも、信じずにはいられない。一抹の驚きに目を開ければ、からかうようなつむじ風が傍を吹き抜けていった。

つい、そんな偶然に笑ってしまう。すると、手元の端末が鳴っていることに気付いて、それに出た。

 

「吹雪か」

『はいっ。近海部隊は敵哨戒部隊と会敵、先程敵戦力の撃滅に成功しました』

「了解。こちらの被害は」

『全艦、小破以上の損傷はみられません』

「よくやった。吹雪の指揮の賜物だ」

『いえ。鳳翔さんや皆さんが頑張ってくれたお陰です。…あっ、それと』

「?」

 

吹雪は、無電の向こうで何かを調整しているようだ。こういう時の大体は、他部隊との中継を要請されているときだが、派遣中の部隊は近海部隊を除いて存在しない。

 

『帰投中の機動部隊より入電。「司令官、空をご覧ください」とのことです!』

「空…?」

 

墓標の裏側へと周り、より岬へと近づく。段々と東西の水平線が見えてくる視界に飛び込んできたのは、見事な編隊を組んだ零戦と烈風の部隊、そしてその後方の機動部隊だった。

 

『司令官!どうですか?』

「…とても綺麗だよ」

 

次第に機動部隊が岬へと近づくにつれ、艦戦隊が編隊を変更しながら着艦していく。

恐らく新設航空部隊の着艦訓練だろう。五航戦の指導を受け、見事な手際で各機が格納されていく姿にすっかり見とれてしまっていた。

 

『提督。こちら鳳翔です。聞こえていますか』

「ああ。見事なものだ。よく指導できているよ」

『翔鶴さんたちの日頃の指導の成果でしょう。ねえ、葛城さん?』

『はいっ。瑞鶴先輩のお陰です!』

 

元気のよい反応は、雲龍型の末妹のものだった。史実では果たせなかった航空戦を見事に行い、十分に活躍してくれたようだ。

そう言っている間に、残った艦戦隊は少なくなった。四十数機、おそらく鳳翔のものだった。

編隊は列を乱さず甲板へと滑り込み、決して遅くはなかった雲龍たちをはるかに上回るスピードで着艦を済ませてしまう。

 

『…提督』

「素晴らしい。お手本としては最高の着艦だった」

『ふふっ、ありがとうございます。…お墓参りのことも』

「気にするな。俺にとっても大事なことだから」

『あなたと私が覚えているなら…きっと、あの子たちは、あの子たちの残した思い出は消えません』

「そうだ。…これからも、きっと」

 

向こう側で、鳳翔の微笑んだ声が聞こえる。機動部隊はわずかに見える海の彼方だが、彼女の表情が浮かぶようだった。

 

――祈るような優しい風が、遠くから運ばれてくる。

 

 




今年はいったいどうなるんでしょうね…。

とりあえず筆者はまだやってないE4を攻略してきます()


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第六十九話 運とは?

──────演習海域。

 

「はあっ!」

 

毎日のように行われる演習。

二隊に分かれて行う模擬海戦において、瑞鶴は、第弐演習艦隊旗艦を務めていた。

 

「っぽーい!」

 

夕立が、見当外れの砲撃を行う。

 

「···ありゃあ、随分と外したね···」

「ごめんなさいっぽい···」

「大丈夫よ。まだまだこれから!」

「はいっ!」

 

すると、途端に風向きが北の方角へ変わる。

 

「あれ···これは···」

 

──────所変わって、翔鶴旗艦、第壱演習艦隊のいる海域。

 

「しょ、翔鶴さん!直上です!」

「···あら?」

 

夕立の砲撃は、翔鶴の元へと吸い込まれるように、風に流された。

 

「きゃああ!」

「だ、大丈夫ですか!?」

 

思わず傍の白雪が駆け寄る。

 

「え、ええ··」

 

『そこまで。第壱隊旗艦中破判定により第弐隊の勝利です』

 

演習の結果を告げるアナウンスが鳴り響く。

 

「やったっぽい!」

「今のは運がよかっただけでしょ···」

 

瑞鶴は夕立に呆れた目線を送るのであった。

 

 

──────入渠ドッグ

 

「はああ···」

「しょ、翔鶴姉、元気出して!?」

「流れ弾に当たるなんて···ついてないわ···」

「ま、まあまあ。時にはこんな時もあるよ」

「時々ならいいんだけど···」

 

うんざりした表情で、ゆっくりと湯から上り、シャワーを浴びようと、水道栓を捻る。

 

「···あっ、そこは···」

「ひゃあああ?!」

 

──────故障により、そのシャワーだけ温水が出なかったと、後に瑞鶴は言った。

 

 

「うう··」

「あわわ···」

 

その後、水の冷たさに驚いた翔鶴は足を滑らせ、転ぶのだった。

 

「つ、ついてないわ···やっぱり被害担当艦だものね···」

「そ、そんなことないよ!たまたまよ!」

 

暗い顔で項垂れる翔鶴を、何とか励ます。

 

「···でも、普段からこんなことばっかりだし···」

「うっ」

 

翔鶴の不運は、今に始まったことではない。

軍艦時代から、妹の瑞鶴が幸運艦とされるのに対し、翔鶴は被害担当艦とされることが多かった。

 

「この名も伊達じゃないわね···はぁ。」

 

(不味い···翔鶴姉がネガティブ思考に···)

 

姉の姿に慌てていると、部屋にノックの音。

 

「おーい翔鶴!今日の午後は秘書艦じゃなかったか?」

「···あっ、そうだった!す、すみませ〜ん」

 

提督に呼ばれ、弾かれたように飛び出していく翔鶴。

 

「大丈夫かなぁ···」

 

そんな姉の姿が、瑞鶴は心配でしょうがなかった。

 

「も、申し訳ありません!」

「大丈夫だって。それより、珍しいな。翔鶴が忘れるなんて」

 

普段から勤勉を絵に書いたような翔鶴のことだ。何かあったのだろう。

 

「それは···えっと」

 

そう言って、翔鶴は今日の成り行きを説明し始めた。

 

────────────────────────

 

「なるほど、ねぇ」

 

見事な不幸っぷりだ、とは言わなかったが、翔鶴らしいといえばそうだ。

 

「普段の行いが悪いんでしょうかねえ···」

 

自嘲気味に薄く笑う翔鶴にたじろぐ提督。幸が薄そうである。

 

「そ、そんなことはないと思うが···もし無理をしてるようなら今日は休んで貰ってもいいけど」

「そ、そういう訳には行きません!」

 

音を立てて立ち上がった翔鶴にたじろぐのだが、それと同時に、深い感慨を覚える。

 

(やっぱり、翔鶴は真面目ないい子だなぁ···何かご褒美あげられないかな)

(数少ない提督との共同作業··!)

 

ややすれ違っているようだが、事務の進行に支障は出ないのだから、不思議である。

 

「···よし、後はこれを資料室に持ってけば終わりだ。翔鶴、これを頼む」

「はい···って、提督の方が多いじゃないですか!」

 

持ちます、という翔鶴に大丈夫だと制する。

 

「階段もあるからな。もし何かあったら危ない」

「そ、それは提督もですよ!」

「心配するな。これでも士官学校時代は鍛えたもんだ。それに、女の子に多く持たせる訳にはいかないよ」

「うう…はい」

 

翔鶴としては、先程の失敗を取り返すためにも、活躍しておきたかった。

しかし提督の笑顔にほだされてしまったようだ。

そうやって会話を続けつつ差し掛かった、2階への階段。

 

(やっぱり提督は、優しいなぁ···)

 

数段上がったところで、翔鶴の足が滑る。

 

「あ──────」

 

途端、逆さまになる視界。

 

(やっぱり私は、不幸艦なんだ──)

 

諦めて自由落下に身を委ねた瞬間、視界の外から腕を掴まれた。

 

「翔鶴!」

「えっ···」

 

それでも、声を出す間もなく、翔鶴は真っ逆さまに落ちていった。

 

「う···ん?」

 

(痛くない?というより、下に誰か···)

 

「いたたた···翔鶴、すまんがどいてくれると助かる」

「きゃっ!ご、ごめんなさい提督!」

 

落ちる翔鶴の身代わりになるように下敷きになったのは、他ならない提督だった。

 

「だ、大丈夫だ。翔鶴は怪我はないか?」

「は、はい···」

 

どうやら翔鶴の踏んだ段が、オイルなどで滑りやすくなっていたようだった。

 

────────────────────────

 

「す、すみません···提督にもご迷惑をおかけしてしまって···」

「事故なんだから気にするな。それより、これから時間あるか?」

「え···?」

「連れていきたいところがあるんだ」

 

階段に散らばった書類を拾い集めた後、提督は翔鶴にそう言った。

 

「ここ、ですか···」

「ああ。本当なら埠頭でもいいんだが、駆逐艦たちがよく来てるみたいだからな。ここは秘密の場所だ」

 

鎮守府から数分歩いたところにある、岬の突端。

埠頭を越えて更に海に近づいて、日本海を一望できるこの場所は、付近随一の絶景スポットだった。

 

「きれい···」

 

夕焼け空。水平線に日が沈んでいく。

 

「そうだろ?俺は昔から、嫌なことがあったら、ここか埠頭に来てるんだ」

「そうなんですか」

 

夕日を真っ直ぐ見つめて、彼は続ける。

 

「忘れられる訳じゃない。慰められる訳でもないけど、この景色を見てると、また頑張ろうって思える」

「···はい」

 

どこまでも真っすぐに生きるそんな姿に、自分は惹かれているのかも知れないと、微笑んだ。

 

「なあ、翔鶴。」

「はい。」

「前世の艦としての記憶とか、運命とかに、自分が抗えないって考えることが、これからあるかも知れない。けどさ、あの時とは絶対に違うものが、お前にはあるだろう?」

「はい···!」

 

妹の瑞鶴だけでなく、一航戦、二航戦の方たちがいる。

 

(そして…何よりも)

 

「···俺も、いるからさ」

「え···」

 

考えが読まれているようで、少し焦る。

 

「加賀や赤城たちに相談できないって思ったら、俺を頼ってくれていい。どんなことだっていいんだ。翔鶴が不安に感じてること、嬉しかったこと。」

 

多少の恥ずかしさを感じているのか、頬をかきながら、彼は笑った。

 

「この鎮守府は皆、俺のかけがえのない仲間だ」

「は、はい···!」

 

気付けば、顔が火照っているのが分かる。

 

「···ん?大丈夫か翔鶴?顔が──────」

「わーっ!な、何でもないですっ!」

「そうか···?」

「そ、それじゃあ提督、また明日···!」

「ああ、そのことなんだが、夕飯、一緒にどうだ?」

「へっ!?」

「あんまり今まで翔鶴と二人で話することもなかったしさ···もし、何か用事があるならいいんだけど」

「よ···」

「?」

「喜んでっ!」

「お、おう···」

 

提督は、ころころと表情の変わる翔鶴に苦笑しつつも目の前の夕日を、暫くの間、眺めるのだった。

 

──────夕飯後

 

「いでででっ!」

「だ、大丈夫ですか司令官···?急に階段で転ぶなんて」

「あ、あはは···ドジっちゃって」

 

(翔鶴にバレなくて良かった···)

 

翔鶴を庇うときに腰を捻りすぎたようだ。

部下を助けるためだからよかったのだが、翔鶴たちにばれないようにしなければ。

吹雪に腰を押してもらいながら、その晩は何かと呻き声を上げる彼の姿が見られたという。

 

「今日は幸せだったわ瑞鶴!」

「気のせいかな···誰かが困ってるような···」

 

運とは、人を巡り巡って様々なことをもたらすものである。

 

(全く、恐いもんだ)

 

そう思いつつ、溜息をつく提督なのであった。

 




この姉妹ホントに好きなんです(大胆告白
また出てくるかもしれないです。他の艦娘が嫁の提督さんには申し訳ないですが…


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第七十話 提督の休日《少年の日々:短編》

提督幼年期回ですので彼は縮んでおります。ご了承ください。
また、二短編の別々の構成のお話となってます。


空が好きだ。

海の青色に、朝日の光の筋が輝きを放つ様子が、まるで絵画のように美しく目に映る。

夏の澄み切った快晴も、夕焼けの赤に染まった別れを告げるような空や、星々の瞬く夜空も好きだ。

 

こんな仕事をしているから、海での生活は切っても切り離せないけれど――

いつだって、海と、海に繋がっていた空は、自分の近くにある気がしていた。

 

「···ふう」

 

――初夏。

 

柔らかな風に木々の枝葉は揺れ、木漏れ日が降り注ぐ。何とも気持ちいいもので、目覚めも良く、つい自分の身に起きている()()()を忘れてしまう。…否、忘れてはいないが、この景色を眺めているうちは、まあ良いかと感じさせてくれるのだ。

 

「いい風ねえ···あっ、今のは天津風の真似じゃないわよ」

 

窓辺からそよそよと、海から運ばれてくる風が、大きめのリボンで束ねた彼女の長髪を揺らす。

 

「分かっているよ。…過ごしやすい季節になったな」

 

訂正の呟きに応えて湯呑みを傾けると、丁度良い温度の煎茶が、口の中を満たした。なんだかいつもより苦く感じたが、それもその筈だった。

 

「春の作戦も終わったことだし、司令官も休憩したらどう?」

 

もちろん、急ぎのお仕事はあるかもだけど、と付け加えた彼女の目は、どこかそれを期待しているように見える。

 

「···ああ、そうだな」

 

ふと顔を上げると、なおも眩しい陽光の中で、本日の秘書艦――神風は微笑んでいた。

 

 

 

× × ×

 

 

 

今ではもう慣れた、この低い目線――窺い見る隣を歩く神風より、少し背が低いくらいだと気付き、この減少を改めて実感する。

鏡の中の自分は、十年以上も昔の姿に逆戻りしていた。

何を言っているのか分からないのも当然で、自分自身ですらも理解出来ていない。ただ、この状況に対応せんと、毎日をひたすら生きるのみであった。

 

「あら、提督さんと神風じゃ」

「ほんとだ!おはよー!」

「ああ。浦風に舞風。おはよう」

 

元気よく駆け寄ってくる舞風。後ろからは、ふふふ、と笑みを零して浦風が歩いてきた。

 

浦風といえば、呉鎮守府の彼女――鴉越(あごし)さんを思い出すが、その彼女とは別である。練度差は数字上でこそ十前後であるが、艦娘としての実戦経験と戦闘能力は桁違いである。

もちろん在籍年数を考えればこちらの浦風に非はなく、むしろよく働いてくれていて助っている。

 

「わぁ、提督やっぱりちっちゃーい」

 

早速自分のこの姿に気付いてか、頭上から手を回して自分と背を比べる舞風。

やはり神風といい勝負のこの体躯では舞風の身長すらも追い越すときは出来ず、威厳もへったくれもあったものではない。

 

「提督さん、かわいいねぇ」

 

独特なイントネーション――広島弁で言った浦風に頭を撫でられた。

そう言えば、鴉越さんにもこうして撫でられたことを思い出す。気恥ずかしいのは当時だけで、今となってはこの姿を見た艦娘たちにやりたい放題されていたので、もはや何を感じることもないのだった。

 

「貴女たち、仮にも上官なのよ…」

「まあ、舞風たちが気にしないのなら構わないけど」

「うちらの方から触ってるのに、迷惑も何も」

 

けらけらと明るく笑う浦風。舞風も同じように、眩しい笑顔を見せながら、頬を抓んで、緩く引っ張ったりしている。

 

「全く…その癖、やめなさい」

 

神風はそう言うと、二人のもとから腕を引き寄せた。

彼女は普段の勤勉な態度からか、あまり舞風達のような行為をすることはなかったので、少し意外であるとともに、その言葉の意味を測りかねていた。

 

「···?何か、不味かったか?」

「されるがままじゃない。あなた、艦娘には甘々過ぎるのよ」

 

その言葉に、ついついきょとんとしてしまう。

後ろで舞風と浦風がなにやら悶絶しているのは放っておくとして、神風は呆気に取られ、こめかみを押さえて溜息をついていた。

 

「そんなに甘いか」

「甘々もいいところよ。艦娘の立場としては有難いけれど、日頃から気持ちを律していないと、作戦時に困るわよ」

 

ふむ、と顎に手を当てて考え込む。神風らしい言葉であり、この艦隊のことを考えてのものと思うと、特にこの姿では誰が司令官か分かったものではない。

しかしながら、ことこの問題に関しては、絶対的な自信があったのだ。

 

「うちの艦娘なら、大丈夫さ」

「え···?」

「今までどんな苦境だって乗り越えてきた。 鉄底海峡も、礼号作戦も、レイテ沖も」

 

幼く見えるだろうが、この言葉だけは真意なのである。

一度言葉を切って、なるべく真摯な眼差しで神風たちを見据えながらそう口にした。

 

「皆のお陰だ」

「···っ」

 

――結局、そう言い放って照れくさくなってしまい、笑ってしまった。

目を逸らした神風に、何やら火の灯ったように顔を赤らめた舞風に浦風。自分の言葉は伝わったのだろうか?

 

 

 

───────────────────────────────────────────────────────────────────────────────

 

 

 

ある冬の日のことだった。

 

「···あ」

 

午前で仕事を早目に切り上げた提督。

小さい身体で大きく伸びをして、その書類――家具コインの回収保有数の報告書に目をやった。

「そういや、久しく模様替えもやってないな···」と呟いて、最近の推移を調べたところ、度重なる駆逐隊や水雷戦隊による遠征によって、その数はもはや所持上限――妖精さんを総動員しても、一度に改装を頼める量をはるかに超えていることに気が付いた。

 

「結構かかるけど···どれくらいあるんだろうか」

 

表された数値に呆気に取られる。これではコインが貨幣としての役割を果たしていないと思いながらも、そう独り言を呟いて端末に保存されている家具カタログの資料を呼び出す。

 

「···おっ」

 

目を見開いて、とある家具の頁に注目する。

日差しは柔らかく、それでも冷気が刺さる冬の一日。その家具は提督や艦娘たちにとって役立つものであった。

 

 

 

× × ×

 

 

 

「提督ぅ、何してんのさ?」

 

工廠で妖精に設計願を手渡す提督に、非番で散歩中の北上が話しかけた。

長袖に改造した改装前の制服を身に纏った彼女は、鎮守府初期の頃を想起させる懐かしい出で立ちであり、加えてさしもの艦娘もこの寒さは堪えるのか、その華奢な体躯には大きめの厚手のパーカーを羽織っていた。

 

「ああ、模様替えでもしようかな、と」

 

頬をかく幼い提督の姿に(はや)る気持ちを抑えて、北上は隣から久々の家具注文にやる気を出して取り組む妖精さんたちを覗き込んだ。

彼女らがいそいそと材料を運び込み、謎の技術で溶接やら組み立てやらに取り込むその家具に、思わず北上は反応した。

 

「···んん?これって炬燵(こたつ)?」

 

形状から、北上はそう判断した。どうやら合っているようで、提督は小さく頷く。

 

「そうだな。最近寒くなったし、執務室でなくとも適当なとこに置ければ、皆の役に立つだろうなと思ってな」

「なるほど。こりゃー魅力的だね」

 

北上はそう言うと苦笑する。それには納得の理由があって――

 

「執務室、ホントに何もないしねー」

「そうか···?ああ、何か要望があったら言ってくれ」

「違うよぉ、提督のものが何もないってこと」

 

よく駆逐艦がやって来ては、提督の用意したお菓子を貰ってはしゃいでいる様子が北上の脳裏に浮かんだ。それを嬉々として眺めている彼はなんというか、無欲の象徴、もしくは擬人化の存在であるような気がしてならない。

 

「執務室は俺の部屋じゃない。それに、艦娘のみんなが集めて来てくれたコインなんだから、君たちが必要とするように使うのが道理だ」

「まあ、そういう意見もあるんだろうけどさ。少しくらい自分のために使っても怒られないよ」

 

彼らしい言い分に呆れるのだが、これが彼らしさと言うほかない。

個人的にはもっと貪欲に、ついでに自分たちにも貪欲に近づいて欲しいというのが本音だが、そんな彼の様子が全く想像できないので、胸の内にとどめておく。

 

「そういうものか…?」

「うん。そういうものだと思う」

「そ、そうか…じゃあ、これは執務室に置こうかな」

 

心や精神までもが幼くなっているとは聞いていないが、そういう部分もあるのだろうか。ついつい期待の微笑みが零れたその少年の表情に、北上の顔は綻ぶ。

 

(か、可愛い)

 

堪らず湧いて出た衝動に身を任せ、提督を抱きかかえる北上。一方その彼はといえば、抗うことも出来ず、部下の両腕の中から目を丸くして何事かという視線を向けていた。

 

「···どうした?」

「あ、いや、条件反射で」

 

自分の無自覚さに驚くが、これは仕方ない。彼の仕草が思わせぶりで、しかもちゃんと可愛いのが悪いのだ。

 

「···あんまり、こういうのは得意じゃない」

「可愛いからいいじゃん」

「いや…恥ずかしいよ」

 

頬を朱く染める彼の表情が、彼女の理性を突き崩す。

北上は、おもむろに妖精さんに炬燵の設置位置の指示を済ませると、艦娘の馬力で飄々と彼を小脇に抱えて、「どういうことだ」の言葉も聞かずに走り出した。

 

「···提督、ごめん」

「へ?北上…?北上!?」

 

さながら、ラグビー選手とそのボールのようだった。

 

 

 

× × ×

 

 

 

「···それで、こんなことに?」

 

頭上で、北上の隣に座った大井がこちらを覗いている。部下の腕の中にすっぽり覆われて座っているのは恥ずかしい限りであり、提督は、なんとも居心地の悪い思いを味わっていた。

 

北上は提督を連れ去った後、迅速な炬燵展開作業を行った妖精さんに上着のポケットから取り出した駄賃(飴玉)を手渡して敬礼すると、すぐさまその炬燵へと(彼を伴って)身体を滑り込ませた。

「初めはあったまってないからさ」と言い訳をして、ひたすらに困惑する提督を膝元に座らせながら雑談をしていると、作戦報告書を提出しにきた大井がその現場を目撃することとなった。

 

「す、すまん。折角提出しに来てくれたのにだらけていて」

「いえ、いいんですよ」

 

いつもお疲れですし、と姉を一瞥する。元はといえば、この姉が原因であって、提督は腕力を物に言わせる強引な艦娘に巻き込まれた被害者なのである――

――との糾弾めいた心の声をこめた視線を送るが、当の本人といえばのほほんとするばかりで、

 

「そーそー。提督はちょっと働きすぎだよ」

 

と胸元に提督を抱きしめて言うので、これは反省していないと悟った大井は嘆息して、その隣に座った。

 

「北上さんも、提督の邪魔にならないようにして下さいね?」

「大井っちに言われちゃあ仕方ないなぁ。じゃあはいっ、提督かわいいよー」

「えっ、ちょッ」

「おいおい、俺は縫いぐるみじゃないし、大井も困ってるだろ」

「違いますっ!危ないじゃないですか!」

「え…」

 

脇の下に腕を通し、大井に提督を手渡そうとする北上。

いくら見慣れない男児に可愛げを感じるからと言って、それが上司ではただの迷惑にすぎないと思っていたのだが、突然の安全思考にきょとんとしてしまった。

 

「···」

「お、大井…むぐっ」

「にひひ」

 

沈黙ののち、受け取った提督を無言で抱きしめる大井。いつもは色々な意味で自分に盲目な妹の珍しい挙動に、北上はついつい悪戯っぽい笑みを零した。

 

「ご、ごめんなさい!その、て、提督が可愛いから···!」

「あ、ああ···構わないんだが、その、やっぱり近すぎるというか」

「はっ!?す、すいません!」

 

腕の中の少年が浮かべる苦笑いに、大井はようやく理性を取り戻して腕を離す。少し寂しそうな彼女に「隣でいいなら、座らせてくれ」と言った提督は、また炬燵の中へ脚を伸ばした。

 

「あーあったか…今日はもう執務ないんだっけ」

「そうだな。」

「この所、提督もちゃんと休んでくれるようになったね」

「そうですね···本当によかったです」

「みんなのお陰だよ。とても助かってる」

「でしょー?いやあ大井っち、日頃から提督に休んでもらえるように哨戒頑張った甲斐があったねー」

「北上さんッ!?」

「そうなのか。気を遣わせてしまっていたんだな」

「ちっ…違いませんけど、それは北上さんと一緒の時間をですね…!」

「…」

「…いえ、はい、そうです…」

 

俯きながら顔を真っ赤にして肯定した大井。なんだか居たたまれなくなって、提督は「なんだか申し訳ない」と頭をかいた。

 

「い、いいですよもう···その代わり、今度私と北上さんを間宮さんのお店に連れて行って下さいね!」

 

腕組みをして、そっぽを向いてぶっきらぼうに言う大井。

 

(大井っち···恥ずかしいから私を巻き込んだな)

 

北上にはその真意が汲み取れたが、それはそれでラッキーだ。折角のチャンスを逃す手はない。

 

「というか、床もホットカーペットが引いてあるんだね」

「折角だからな。まだまだコインは余ってたから、どうしても寒い時の避難所にしてくれればと思ったんだ」

「でも、それだと執務の邪魔になりませんか?」

「少し寄って話すくらいなら、邪魔にはならないと思うけど」

「···やっぱりダメです。時間限定にしましょう」

「それが得策かもねー」

「そ、そっか。ニ人が言うならそうしよう」

 

(二人とも、特に北上はああ見えて結構真面目なんだな···)

 

意外な一面を悟って提督は驚きつつも、日頃マイペースだと思っていた彼女らの評価を改めていたが、何のことはない、それは彼女らが秘書艦の特権(二人きりの時間)を知っているからに過ぎない。

 

(提督の時間を邪魔される訳には···)

 

気付けば自分を抱えていた姉妹の纏うオーラが一変したので、提督は思わず身震いしたのだった。

 

 




E4なんですが、深夜終わったところです。
乙なのに姫鬼級5隻ってヤバいですね!()


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第七十一話 四人でいれば(前)

話が長くなりやすい…


「ふんふふーん…♪ 」

 

まるでスキップでも踏むかのようなハイトーンで鼻歌が漏れる。

 

ある朝、初霜はいかにもご機嫌な笑みを周囲に振りまきながら、食堂へと続く廊下を進んでいた。

後からついてきた艦娘の仲間たちが不思議そうな表情を浮かべて、彼女を見守っていた。

 

「あんまり前ばっかり向いてても転ぶぞー…って聞こえてないか」

「い、一体今朝はどうしたのかしら」

 

二人は顔を見合わせる。

彼女――初霜は確かに普段から少しだけふわふわしている節があることは否めないとはいえ、これほど真っすぐに感情を表に出して――真っすぐにも程があるが――メルヘン全開の夢心地で舞い上がることは珍しい。

 

吹雪ら第一駆逐隊ほどの経歴はないが、そこそこ長い間彼女と駆逐隊を組んできた身としては、まだまだ知らない一面があるということを、少々の驚きをもって受け止めたということだ。

 

「だって、お手紙が届いたんです!()()()から――!」

「「あの子?」」

 

そう言うと、手を広げた初霜はくるりと振り返る。目がキラキラしていて、なんだかかえって不気味だった。

 

「はいっ!」

「あの子ってどの子だよ?」

「わざわざ手紙を出すってことは、別鎮守府か…もしかして町の友達ってこと!?」

 

なんだか不安げなツインテール――朝雲をどうどうと宥めつつ、仕方なさそうに笑うもう一人――長波の質問に応える。

 

「あ、説明し忘れてましたね。実は、私がこの鎮守府に来る前に所属していた士官学校があったんですけど――」

 

そう言って、懐かしむように過去を語る初霜に耳を傾ける朝雲と長波。相槌をうちながら階段を下りて、本棟への連絡通路を歩いていく。

 

彼女の説明によれば、その士官学校時代には一人の親友がいたようだった。

紫苑の長髪、淑やかで気品あふれる佇まいは艦娘たちや男子学生のみならず、女学生たちからも人望を集める魅力に溢れていたという。

 

「私たちは寮室が一緒で、よく行動を共にしていたんです。ドジだった私をいつも励ましてくれて…とても頼りになる存在でした」

「ドジ…っていうか、なんかふわふわしてるのは今でも変わらないけどな」

「そうでしょうか?」

「自覚ないのね…」

 

じとっとした目線に晒されながら、なおも首を傾げる初霜。濃紺の鉢巻が一緒になって揺れるのが可愛らしいが、本人の意識するところではない。

 

「でも、紫色の長髪ねぇ。そんな奴見たことねーぜ」

「そうね。私たちは邂逅艦だってこともあるけれど」

 

初霜によれば、まだ舞鶴第一鎮守府には未着任の艦娘らしい。

初春や曙、弥生など、紫髪で思いつく限りの者たちはどれも鎮守府に在籍しているので、邂逅してから転属の経歴を持たない長波たちが知り得ないのも当然と言えた。

 

「何て名前なんだ?」

「それはですね…」

「萩風と申します」

「そっかー。萩風ねぇ…って、え?」

「だ、誰…?」

 

背後から聞こえてきた聞き覚えのない声に、思わずそちらを振り向く。既視感などない透明感のあるそれと、どこかで聞いたことのある()()()()()()()()()――

 

「陽炎型十七番艦、萩風です。よろしくお願いします。そして…お久しぶりです、初霜さん」

 

 

 

× × ×

 

 

 

「わ、わ、わ…!」

「初霜、膝が笑ってるぞ。少し落ち着け…」

 

呆れた口調の長波が初霜を落ち着けている傍ら、事情を察したのであろう朝雲が訊いた。

 

「…ということは、あなたが初霜がさっき話していた子?」

「話していて下さったんですね。光栄です…はい、私が本日付けでこちらに配属となりました、萩風です」

 

駆逐艦としては少し大人びた風貌――高めの身長、陽炎型の落ち着いた服装、そして淑やかなお辞儀の所作にはとても自分たちと同世代だという実感がわかず、思わず見とれてしまう。

 

「おお、もう会えたのか」

 

そんな声がして、初霜を置き去りにした三人は後ろを振り返る。男性らしさに溢れる低めのトーンは、我らが提督のものだった。

 

「ええ。司令のおっしゃる通り、皆さんこちらにいらっしゃいました」

「あっ、提督」

「あなたの差し金なの?」

「差し金って…随分な言われようだな」

 

苦笑して、薄目で睨んでくる朝雲に返す。何だか普段から怒られてばかりのような気もするが、怒りが全く伝わらないどころか、可愛げすらあるというのが彼女という艦娘なのだ。

 

一方、「まあまあ」と抑えにかかる長波がちょいちょいと手招きをするので、膝をかがめてそれに応じる。

 

「初霜を取られてちょっとジェラシー気味なのさ、察してやってくれよ」

「そうなのか」

「ちょっとぉ!また変なこと司令に吹き込んでるんじゃないでしょうね!?」

 

ひそひそ話が聞こえないだけに、色々と暴露がなされたのではないかと顔を真っ赤にして抗議する。

「あなたも忘れなさい!」とお腹の辺りをぽこぽこと叩いている彼女の、ついついそんな様子がおかしくて、驚きながらも頬が緩んでしまう。

 

「ふふふっ…司令は皆さんととても仲がよろしいのですね」

「ど、どこを見たらそう見えるのよ!?」

「今のやり取りはそういうことだろ…」

 

ぽかんとしてこの騒動を見守っていた萩風が、次第に堪え切れなくなって笑いだすのに気付いていた提督は、この調子なら彼女もここへ打ち解けられるだろうと、なんとなく思えてきていたのだった。

 

「それで、提督はどうしてここに来たんだ?」

「ああ、そうだった。萩風の転属受理をしていたから少し遅れてしまったんだが…この四人に伝えておきたいことがあってな」

「つ、伝えておきたいこと!?」

「なぜこんなに朝雲さんは動揺してらっしゃるのですか?」

「多感な時期なんだよ」

 

駆逐艦(このとし)の女の子には色々あるのよ、という陸奥の言葉を反芻する。

最近は彼女だけでなく、夕雲に鈴谷、神風など頻繁に女の子のあれこれを(自主)講義してくれる艦娘が多い。

何せその手の経験値などまるでないに等しいので、指揮を執る立場としても、一人の人間としても助かっていたのだが、履修するには必要な単位数がなにぶん多いらしい。

 

「…」

「ど、どうしたのよ、何か言いなさいよ」

「ああいや、何かあるのかと思って」

「あなたが言わないと始まらないでしょ!」

「そ、そうか。まあ簡単なことだ。君たちの駆逐隊――第十五駆逐隊に、萩風を加えたいんだ」

「ほ、本当ですかぁ!?」

 

ものすごい勢いで迫る初霜にたじろいでのけぞる。瞳の輝きは燦然として、これまで見たこともないくらいの喜びと期待をたたえていた。

それだけ萩風との士官学校での生活に楽しい思い出があったということだろう。

 

「…そうだ。君たちの士官学校での話は教官殿から聞かせてもらったよ。黄金コンビとまで呼ばれていたそうじゃないか」

「お、黄金!?」

「そんな、黄金だなんて…萩風ちゃんがサポートしてくれるからこそです」

「いえ。初霜ちゃんの類稀なセンスが教官にも認められていたんですよ」

「息ピッタリの謙遜…」

「ふふ…相性の心配はなさそうだな。だが、駆逐隊はこの四人での連携が重要となるから、演習でも連携を磨いてくれ」

「それなんだけどさ、私たち、いい加減演習も飽きてきたぜ。折角改二にもなったんだから、たまには出撃させてくれよー」

 

そんな暑苦しい二人にうすら汗をかきながらコメントを残した長波は、提督へそんな不平を漏らした。

その言葉を待っていたと言わんばかりに、彼は持っていた資料用のクリアファイルから一枚の紙を取り出したのだった。

 

「もちろん、駆逐隊を組んでもらうからには出撃を予定している。二週間後の、沖ノ島沖海域の敵戦艦部隊の撃滅だ」

「それって、あの南西方面深部の?」

「高難度じゃない!入ったばかりの萩風には荷が重いわ!」

「心配するな。萩風は士官学校のお墨付きを得ている。現在の練度としてもあおの海域の深海棲艦と互角以上に渡り合えるはずだ」

「おっ、そりゃー心強いな!」

「恐縮です。しかしやはり、本番は実戦経験がものを言うはずです。皆さんに追い付けるよう頑張りますね」

「大丈夫です!萩風ちゃんは私が守ります!」

「あら。初霜ちゃんに守ってもらえるのは頼もしいですね」

 

隙さえ与えれば暑苦しい会話が始まるので、長波と朝雲は早くも二人の駆逐隊内での扱いに困り始めていたようだった。

提督といえば、「本当に仲が良いんだな」とまるで好々爺の微笑みを浮かべるばかりなので、これは期待できないと両人は嘆息した。

 

 

 

× × ×

 

 

 

駆逐艦寮は、その所属人数の多さから個室がなかなか整備されないでいる。というよりも、深海勢力の脅威を真正面から受けるこの地で長期間の土地造成を行うことは危険が大きく、定期的な点検と整備、厳重な警戒態勢のもと軽い工事を行うに留まっている。

 

「というわけで、個室はないぜ。基本は同型艦、もしくは今のあたしたちみたいに出撃の迫った駆逐隊が臨時に同部屋になったりするって訳」

「なるほど、了解しました。陽炎型の皆さんや()()()おせわになった方々とは一通り挨拶を済ませておきましたし、しばらくはこの四人での行動ということになりそうですね」

「あなたが来たってことは、陽炎型はあと何人になったのかしら」

「艦娘として公式に記録されている者の中では、親潮姉さんと嵐…かしら」

「人のことは言えないけど、陽炎型ってのは人数が多いんだな…なあ初霜?」

「…」

「初霜?」

 

返事がない。「ただの屍のようだ」と、この間巻雲に教えてもらったゲーム内の台詞を続けてしまいそうになって彼女の方を振り向くと、なにやら呟きながらほの暗いオーラを纏った初霜がごにょごにょと呟いている。

 

「ちょ、どうしたのよ」

「ということは…私に会いにきたのは最後だったってことですよね…」

「「めんどくさっ!?」」

 

初霜らしからぬ粘着性と厄介さに旧知の二人が驚愕の声を上げる。それほどまでに濃密な仲だったということは分かるが、それにしたって驚くくらいだ。

そんな二人をよそに、「あらあら」と口に手を当てた萩風が、「いいんです、私なんて後付けの仲ですから」といじける初霜の傍に寄って、背中からその両肩に触れた。

 

「ごめんなさい。確かに初霜ちゃんからはそう思えたかも知れないけれど、その…少し、緊張していたんです。私も、舞鶴(ここ)に着任すると聞いてからいてもたってもいられなくなるほど期待してしまっていたので」

「え…本当ですか」

「ええ、嘘偽りなく。貴女に会えて、今もとっても幸せなの」

「は、萩風ちゃん!」

「あらあら…ふふっ」

「また始まったよ」

「あなたたちはそれが素なの!?」

 

我慢できず、泥沼の展開になっていくと理解しつつもついにツッコミを入れてしまう朝雲。長波といえば感情が乱高下する初霜の世話ができるのは萩風しかいないと内心で舌を巻きつつ、今はその場をただ眺めることしかできなかった。

 

「…こほん、じゃあいい加減出撃の話を進めるわよ」

「ごめんなさい。こうして初霜ちゃんだけでなく、皆さんと勉学以外のことでお話しするのが楽しくて」

「っ…ま、まあいいわ。新入りにリラックスしてもらうのも既属の艦娘の役割だし」

「ちょろいな」

「それで、沖ノ島沖というのはどのような海域なんですか?」

「なんであなたが知らないのよ…」

 

嘆息する朝雲に、初霜は「えへへ、恐縮です」と笑う。それに対して長波が「褒めてねぇからな」と半目を向けるのだった。

そうして朝雲に代わり、「仕方ねーな」と零しながら、新たな部屋で暮らすための生活用品が入ったバッグから、分厚い教本を取り出した。最終ページには各海域図が挟み込まれている。

 

「沖ノ島は、南西諸島海域の深部…っても、もうマリアナが近いって言えるくらいの東部で、大きな島は見当たらないな。だから、おそらくそこに深海棲艦の拠点や泊地があるんだろーな」

「高難度と呼ばれている所以はそこにあるわ。まあ、毎年毎年湧いて出る大艦隊ほどではないけどね」

「今年の冬は疲れたぜ。全く」

「そうなんですね」

「ほぇー…」

「初霜、あなたは出撃したじゃない…」

 

初霜の戦闘能力は折り紙付き、ひとたび海へ出れば砲撃の雨をかいくぐりながら突撃し、夜戦では破壊的な魚雷攻撃をお見舞いするのだが、集中力が目の前の戦闘にしか及ばないのか、海域図が頭に入っているとは思えない。

 

「…まあ、そこは置いておきましょう。海域では、経験則として敵の重巡戦隊を中心とした戦力が道中に待ち構えているわ。これに対して、私たち駆逐艦が護衛する空母の先輩方の航空兵力を用いて突破」

「主力部隊は戦艦が多数だ。制空権を取って砲撃を抑えつつ、敵艦隊との距離を縮めながら夜戦で一気に押し潰す、ってのが作戦だな」

「私たちの方には戦艦はいないのですか?昼戦での対抗力がないのが少し不安ですが」

「道中の速力が問題なのかもな。あとは燃費」

「鎮守府経営は大変ですからねぇ」

「初霜は誰の立場からなのよそれ…」

 

まるで湯呑みを傾けるのが見えるように、呑気な言葉に少々驚く萩風。聞く限りは高難度の条件が揃っているが、それでも余裕があるということだろうか。再会までの期間、彼女がどれほどの経験を積んだのか、一人のライバルとして気になる所でもあった。

 

「とすると…演習はどういう想定で行いますか?」

「そうね…道中の遭遇戦では(もっぱ)ら航空戦を行う空母の支援が大事だから、対空戦闘。あとは的減らしのために小型艦にしっかりと砲撃を命中させて、なるべく一撃で仕留めること」

「最深部は敵戦艦の砲撃をしっかり回避して、できれば動きを封じるために必殺の雷撃を当てたいな」

「こちらも小型艦を落として航空攻撃の負担を減らしたいですねぇ」

 

三人が口々に言った作戦時の目標を、萩風はすぐにメモとして記録していった。やはり、実戦を経験している艦娘からの作戦提案は、士官学校の講義より具体的で理解が捗ることを肌で感じていた。

 

「やっぱり凄いです。皆さん、豊富な経験を積んでいらっしゃるんですね。…座学でただ学んだだけの私など、足手まといになってしまうかも」

 

だから、実力差を感じずにはいられなかった。自分にはまだ、知識だけでなく、艦娘としての資質と能力がまだまだ備わっていないと、俯く。

 

「それは違いますよ、萩風ちゃん」

 

初霜の声に顔を上げて、驚きを覚える。普段の温厚さとは対照的に、そこには若干の憤りが見て取れたからだ。

 

「私たちが士官学校で学んだことは、決して無駄にはなりません。その知識や経験が、ここで活かされているんです」

「そう…でしょうか」

「はい。私も着任して初めての日に、同じことをある先輩から教わりました」

 

力強く、しかしいつも通りの穏やかさを取り戻した初霜の言葉には、何故か強い説得力があった。

 

「確かに、私たちの戦う意味は、決して学ぶこと――教科書の文字をなぞって理解できることではないのかも知れない。あの夕焼けを見て揺れ動いた心と感情、その思い出が私たち自身をつくり、そして戦う強さをくれるから。それでも、私にとって、その思い出と同じくらい――萩風ちゃん、あなたとの士官学校の思い出が大事なんです」

「えっ…」

「萩風ちゃんは私の憧れであり、目標でした。それは今でも変わりません。士官学校のみんなの期待を背負って、誰も見ない場所で努力を続けていた姿を、私は忘れないから」

 

そっと、胸に置いた片方の掌にもう片方を重ねて言った。優しさと、芯の強さが共存する彼女の人格を感じさせるようだった。

萩風は、そこに舞鶴鎮守府での成長を感じ取り、長波や朝雲は、彼女が育った士官学校での温かい周囲の環境を窺い知った。

 

「…そうだな。期待してるぜ、萩風」

「初霜がこう言うんだもの。私たちも信じるわ。一緒に頑張りましょう」

 

長波がその肩を叩いて、朝雲が照れくさそうにしながら声を掛ける。思遣が心に深く滲んで、強く勇気づけられた。

瞑目し、わずかな沈黙の中で決意する。

 

「…分かりました。先程の言葉、撤回させてください。司令が認め、皆さんが支えて下さった私を、私こそ信じなければいけませんね」

「その意気よ」

「よっし、それじゃあ早速演習だな。旗艦の空母の先輩のところに行こうぜ」

「やりましょう!」

 

初霜が差し出した手の上から、長波、朝雲、萩風の順に重ねられて、「おーっ!」の鬨の声とともに空へ伸びる。

 

――確かな団結と絆の萌芽があったことを、四人はそれぞれの胸の内で感じ取っていた。

 

 

 



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第七十二話 四人でいれば(後)

なんだか四人じゃなくて六人になってますがお許しを…


空母寮への訪問をきっかけにして、彼女らの沖ノ島沖における敵主力部隊掃討戦に向けた演習が始まった。

偶然に遭遇した一航戦の二人と面会し、一目でそれがあの戦いでその最期を看取った空母であると感じ取った萩風が、涙を浮かべたことに気付いたのだろう、赤城と加賀は彼女を迎え入れるように抱き留めて、込み上げる思いを噛みしめながら、「お久しぶりです」とだけ言った。

そんな感動の再会もあったものの、二週間という期間は意外に短い。後に必ず、という条件で名残惜しさを振り切り、赤城の情報から、既に演習を始めているらしい空母の元へと、今度は演習場へと踵を返した。

 

「あら、来たわね!」

「あっ、ほんとだ」

 

演習海域を望む母港桟橋近くまでやってくると、その空母――正確には、正規空母一人と軽空母一人だが――は四人に大きく手を振った。

背の高い、元気溌剌とした艦娘は雲龍型航空母艦の末妹、葛城であり、その傍で花が咲いたようにパッと笑顔を向けたのは、祥鳳型軽空母二番艦の瑞鳳だ。

 

「あなたが萩風ちゃん?」

「はい。本日よりこちらに着任いたしました。よろしくお願い致します、先輩方」

「よろしくね。といっても、艦としては私、最後の方に建造されたから萩風の方が先輩になるんだけどね」

「先輩後輩はなしにしても、すっごい大人っぽいね」

「そうだよな。瑞鳳、それに比べて…若いな、色々と」

「もーっ、それどういう意味?」

 

小柄な瑞鳳の体躯は、どこか小動物的なものを感じさせるため、駆逐艦の中に紛れて(もれなく龍驤も同様に)お姉さま方にる可愛がられていることがある。姉の祥鳳がよい例で、面倒見の良い彼女に頭を撫でられている様子は、もはや親子間のそれに近く、しかし瑞鳳はふくれっ面で否定するのであった。

 

「やはり皆さん、仲がよろしいのですね」

「空母と駆逐艦だから、他の鎮守府では強い上下関係で縛られているって聞くけど、うちは緩いのよね、そういうところ」

「私たち空母だけでは戦いに勝てないわ。もちろん直掩機もいるけれど、護衛にあなた達がいなければ安定しない。お互いの役割を果たし合うことで、勝利を確実にすることができる…そういう部分を重視したって、提督が言っていたわ」

「司令が…」

「まあ、そんなわけだ。私たちにも、もっと軽く接してくれよ」

「丁寧で、尊敬を忘れないという意味では、長波にも見習って欲しいけどね」

「うっ」

「ふふふ…」

 

初霜が思わず吹き出して、「おい、そこまで笑うことかよ!?」と長波が抗議すると、周囲もつられてどっと笑いだす。

そんな艦隊のム―ドに旗艦である葛城は安堵し、同時に、

 

(この子たちをしっかり守らないと…勝つためにも)

 

と、強い責任感のもと、一人決意を固めるのだった。

 

「仲も深まったところで、演習を始めましょうか。分かっていると思うけど、萩風は実力を伴っていると言っても、初めての艦隊行動になるわ。残りの三人でちゃんと補助するのよ」

「何かあったら私にも相談してね。回避行動から卵焼きの作り方まで何でも教えちゃうんだから」

「卵焼きの作り方もは気になりますね…」

「瑞鳳?萩風をそっちの道へ引き込まないで」

「ごめんごめん。よし、それじゃあ始めよっか」

「「了解っ」」

 

敬礼ののち、四人は和気藹々の雰囲気を保ちながらも、駆け足で兵装庫へと駆けていく。

その様子を見た瑞鳳が、「うん、これなら安心して任せられるね」と自信を感じさせるように言って、頬を緩めた。

 

「初霜と萩風のコンビネーションだけでなく、長波と朝雲がそれを後ろから観察して、支えるべきところを支えている…またその逆もできているわ。だから、あとは旗艦の私がしっかりした指示を出すことができれば」

「いやいや、今のは葛城の話だよ」

「え…?」

 

思わず戸惑いを隠せなくなった葛城を見て、「すごいきょとんとしてる」と苦笑する。ひとしきり笑い終えた後、そんな彼女をよそに展開していた艦載機の着艦・格納を済ませて続けた。

 

「不安な気持ちもあるかもしれないけど、葛城はちゃんと出来てるよ。私たちの戦いは、敵を沈めることより味方や大切な人たちを守ること。…それが、ちゃんと分かってる」

「…っ」

 

葛城は、まるで自分の考えていたことをトレースされたような心地だった。それすらも読み取ったのだろうか、目の前の()()はこうも語った。

 

「提督が今回、あなたを旗艦に指名した理由の一つがこれ。あなたたちが成長し、将来先頭に立ってこの戦いを終わらせるために…私も頑張っちゃうんだから」

「…あり、がとう」

「ええ。期待してて。私もあなたに期待してるから」

 

腕まくりをして、その細い腕に力こぶをつくる真似をする瑞鳳。「アウトレンジ、決めます!」とおどけて言うその姿は、冗談でも、身内びいきでも、ましてや世辞でもない心強さを与えるのだった。

 

「ええ…必ず勝って、皆揃って母港へ戻りましょう」

 

瞳に意志の籠った光が宿る。それに瑞鳳が頷く。葛城の戦闘機隊が、力強く二人の上空を駆け上るのであった。

 

 

 

× × ×

 

 

 

そして、運命の二週間後―――――

 

「…葛城発艦、第二次攻撃隊の敵戦艦撃沈を確認!」

「やったね!」

「ええ…!」

 

葛城艦隊は、昼戦にて瑞鳳のアウトレンジ戦法を中心に遠距離からの攻撃に努め、先手で敵正規空母に中破の損害を与えることに成功すると、航空戦で敵戦艦の砲撃を抑えつつ、随伴艦の駆逐艦二隻、そして戦艦一隻の撃沈に成功した。

予想を上回る攻撃隊の戦果に喜びを隠し切れないが、震える手を押さえ、気持ちを切り替える。

 

「…敵主力部隊の残存艦は旗艦正規空母一隻、大型戦艦一隻、軽巡一隻。既に発着艦能力を失った正規空母に退避の時間を与えず、迅速に水上艦二隻を夜戦にて撃滅する。各艦、夜戦準備!」

「「了解っ」」

 

水平線上の日が沈みゆく。未だ顕在の敵戦艦の砲撃は見当違いの方向にあるが、着実にその精度が高まっている。

一度適切な距離を保つために島の東側へ回り込み、夜戦にて仕掛ける算段であった。

 

「…瑞鳳夜間攻撃隊、発艦準備完了っ」

「駆逐隊も完了しました」

「了解。…それでは、艦隊反転。敵部隊を撃滅します。…」

 

やれることはやった。後は瑞鳳を始め、駆逐隊の皆に任せるしかない。

――しかしながら、まだ仕事は残っている筈だ。

 

夜戦では、専用の攻撃隊を組織しない葛城は無力だ。それでも、甘んじて無力感に身を委ねることはなかった。

瑞鶴たち五航戦、そして陽炎たち三水戦、他にも沢山の艦娘が演習に取り組む任務部隊に指導を加え、アドバイスをくれた。歴戦の艦娘に比べればまだまだ経験の浅い自分たちが何故この任務を任されているのか、そして何故旗艦の座が自分に回って来たのか――

 

その問いの答えが、自分なりに理解できた。ならば、あの人たちへ、行動でそれを示さなければならない。

 

葛城は一度深呼吸をする。こちらは大きな損傷を負っている艦はいない。しかしながら、駆逐隊にはかつてない程の緊張が見てとれた。それも当然だった。

 

(だから、これが私の役目)

 

心の中で呟いて、葛城は少し増速し、背後の艦隊へと向き直った。一抹の驚きに、五人の目が見開かれるのがすぐに分かった。

 

「皆、あとは夜戦だけね。確かに、私ができることはもう少ない。だから、あなたたち…特に、駆逐隊の四人は緊張しているかも知れない」

「っ…」

 

誰のものとも言えない、しかし駆逐隊から発されたことが明らかな息遣いが聞こえる。その表情が理解できる。

一人、瑞鳳が真剣な表情の中に心強い笑みを浮かべている理由も、今は知っている。

 

「だからこそ、私は信じるわ。苦しい演習を耐え抜き、強い絆を結んだあなた達ならば、大丈夫だって」

 

言葉は、飾らない、ありきたりなものであっていい。大切なことは、そこに注がれる思いが伝わることだ。自分の場合は、この子たちへの信頼がそうだ。

 

「真っすぐに前を見つめましょう。そうすれば敵を…大切なことを見失うことはない。私たちの戦う目的は、仲間を失って得られるものではないわ」

 

ほんの僅かに、緊張が解れていることが分かった。自分の言葉が成せることは、恐らくこれくらいなのだろう。自嘲的に聞こえても、それが真実だから。

それでも、思いを伝えることは決して止めなかった。

 

「この戦い、誰一人沈まず、勝って還りましょう。大切な人の待つ母港へ」

 

言い切って、静寂が訪れる。気持ちは伝わっただろうか、不安はあった。だけど、すぐにそれは霧散した。

――瑞鳳が、そして皆が、笑っていたから。

 

「はいっ!」

「やってやろうじゃねーか!」

「やりましょう…皆で」

「ええ。必ず、還るために」

 

駆逐隊の盛り上がりように、張りつめていた糸がぷつんと切れたように脱力する。ここが戦場だということを忘れさせるほどだった。

ふと、苦笑を向けて近づいた瑞鳳に気付く。こちらも大体同じような顔をして迎えた。

 

「やるじゃん」

「ありがとう。…色々と」

「私は何もしてないよぉ。さて、こんな名スピーチをしてくれた旗艦に報いないとねっ」

 

瑞鳳は、矢筒の夜間戦闘機(この言い方は非常に不思議に聞こえるが)に指を伸ばした。

わいきゃいしていた駆逐隊も、彼女の様子を見て弾かれたように戦闘態勢に入る。その目は、戦う者の目をしていた。

 

「…さあ、葛城」

「ええ。各艦に通達。瑞鳳発艦の攻撃隊発艦後、その攻撃と同時に仕掛ける。駆逐隊は海域進入後、単縦陣で突撃します」

「「了解!」」

 

これが最後の伝達事項。後は、死力を尽くすのみだった、

 

「――我、夜戦に突入す!」

 

その号令を皮切りに、全艦が最大戦速の葛城に合わせるように、複縦陣で航行を開始した。

 

「さあ、やるわよ…夜間攻撃隊、発艦!」

 

二番艦の瑞鳳が力強く告げて、艦攻隊、艦爆隊の矢を勢いよく宵闇へと放つ。まるで火矢のようにぼうっと燃え上がったかと思えば、戦闘機へとその姿を変えて、光の筋を作った。

 

「照明弾、発射」

「撃ちます…っ!」

 

荒波の中、彼女から見て前方、つまり敵部隊の退避した西の沖ノ島方面へと、初霜の砲によって照明弾が放たれる。

攻撃隊の目に、その煌々とした輝きによって残存艦隊がしっかりと映し出された。

 

『れんらくどおり、せんかん1、じゅんようかん1、そしてきかんくうぼ1をしにんしました』

『そのほかのてきせんりょくはかくにんされません。あとはおまかせを』

 

搭乗員の妖精さんより、視認成功と感謝の言葉が伝えられる。彼女らもまた、瑞鳳の厳しい訓練に耐え抜き、その思いに応えようとしていたのが、その声を聞いてよく分かった。

 

間もなくして、凄まじい爆風が向こうから届く。どうやら攻撃に成功したらしい。

 

「…瑞鳳発艦、夜間攻撃隊より入電!『われてきぶたいきかんくうぼとけいじゅんのげきちんにせいこうせり』」

「了解!直ちに帰投して。駆逐隊は突入準備っ」

「「了解っ」」

 

葛城も、瑞鳳も、その声に喜びの音が混じっていたことは確かだった。しかしながら、航空部隊がしっかりと駆逐隊の補助遂行を果たしたことに、大きな安堵を覚えていた。

 

「…突入準備、完了しました。先鋒に長波ちゃん、そして朝雲ちゃんに続き私…萩風。最後に初霜ちゃん。単縦陣にて敵戦艦へ突撃します」

「了解。それじゃあ、行きなさい!」

「うしっ!第十五駆逐隊、突撃する!」

「「おう!」」

 

長波に続き機動力で勝る駆逐隊が、速度を落した葛城、その隣の瑞鳳を追い抜き、単縦陣を組んで突進する。

彼女らの双眸に迷いや緊張はなかった。

 

「…後は、祈るだけね」

「ええ。…改めて、ありがとう、瑞鳳」

「お礼は妖精さんにもね」

「ええ。それでも…まずは、あなたに」

 

瑞鳳は、差し出された掌と、葛城を見る。一回り背の高い後輩は、その言葉には表れずとも、心からの感謝と尊敬をその表情に、態度にたたえていた。

それを握ると、「これからもよろしく」と微笑むのであった。

 

 

 

× × ×

 

 

 

すっかり日も暮れて、夜闇が駆逐隊を覆う。

誰も言葉を発することはなかった。けれど、思いは共有していた。

 

長波の力強い砲撃、朝雲の配慮を欠かさないサポート、萩風の卓越した先見性、そして初霜の天性ともいえる雷撃能力。

それぞれがお互いを補い合い、支えるようにして第十五駆逐隊が成り立っている。

自分を信じている戦友、そして司令官に応えるたいという思いが、そこには確かにあった。

 

「…敵戦艦、見ゆ」

 

長波がそう呟く。距離は八千メートルと比較的近いため、その存在は分かっているが、それをあえて口にしたのは、明らかにこちらの進路を阻もうとしているため。

改めて、炉ではなく、心に闘志の炎が宿るのを感じていた。

 

「間もなく、敵戦艦の射程に入ります」

「よし、さらに増速するぞ。いけるか?」

 

――もちろん。

振り返った長波は、その問いの答えを聞くまでもないということを、三人の表情で瞬時に悟った。

タービンエンジンの強い出力音が鳴り響く。それが彼女らにとっての戦闘開始の合図だった。

 

敵戦艦との距離は、至近距離といってよいほどに迫る。

駆逐艦にとっては破壊的なまでの火力での主砲射撃が海面に突き刺さると、水柱が巻き起こるとともに海面が甚だしくうねりを打つ。

至近弾にも怯まず、ひらりとそれを躱し、時には波に乗って、空中に舞うように勢いをいなしているうちに、やがて敵戦艦が視認できるほどになった。

 

「敵戦艦の再装填を待って、砲撃を回避してから一気に畳みかけるぞ!」

「了解っ。肉薄するわ!」

「さあ、行きましょう初霜ちゃん」

「ええ。任せて」

 

敵戦艦の砲が揺れ動き、こちらを向く。狙いを先頭の長波へ向けているようだ。

それを見逃さなかった朝雲が、咄嗟に機銃を構えて射線へ飛び込む。

 

「砲撃、来るわ!」

 

まさにその瞬間だった。機銃掃射をその腕を狙って撃ち込み、それを受けた反動で砲撃軌道が逸れると、弾道はわずかに駆逐隊の右を掠めて後方の波を割った。

 

「でかした!行くぞ!」

 

これを逃していつ攻撃するのか、と言わんばかりに駆逐隊が吶喊する。敵戦艦に向け、横一文字、一斉に砲を構えて、最大火力にて撃ち放った。

 

「長波様の連撃だ!…敵主砲粉砕!」

「やってやるわ!…敵装甲破壊っ」

「行きます…敵戦艦中破」

 

長波から、順に三人の攻撃が敵戦艦を着実に追い詰める。その威力に耐えきれず、海面に膝をつくように均衡を崩したその瞬間を、初霜は見逃さなかった。

 

「行けェ!初霜!」

「決めなさい!」

「今です!初霜ちゃん」

 

その声に応えるように、身体に力が湧いてくる。照準のぶれはなくなり、視界がくっきりとしてくる。

 

「――ありがとう、これで決めます」

 

必殺の五連装酸素魚雷、その威力を爆発的に解放させる攻撃――カットイン。

身体に纏う閃光の眩さが増していき、その臨界点に達するとともに、初霜が瞑っていた目を見開いて、魚雷発射管への出力が高まっていく。

 

「私が、守ります!」

 

ごう、と風が吹いた。紛れもなく、気迫ある初霜の周りから巻き起こったものであることに間違いはなかった。その言葉とともに、魚雷が射出される。

――無限の雷跡が、敵戦艦を爆炎の中に覆った。

 

 

 

× × ×

 

 

 

「こ、これがケーキね…!はむっ…んー!」

 

出撃の夜から明けて翌日。駆逐隊は戦果報酬として、提督から手渡された間宮券を使って各々が好きなデザートに舌鼓を打っていた。

朝雲は「いつも羊羹じゃあね」と言ってケーキを一口、片頬に手を当てて恍惚の表情を浮かべている。

 

「朝雲さん、とっても可愛いですね。でも、なんだかいつもと違うような…?」

「出撃のとき以外はこんなもんだよ」

「萩風ちゃんも駆逐隊に馴染んできたってことですよ!」

 

顔を見合わせて笑う萩風と初霜。長波は、その様子を「おいおい、出撃後に馴染んでもな」と苦笑いでその会話を聞いていたのだった。

 

「お疲れ」

「おう、提督じゃんか」

「提督、お疲れ様です」

 

呼びかける声に、暑苦しいコンビの駆け寄った先は提督であった。後から歩いて追ってきた長波は、いつもは彼について回っている艦娘の姿がないことに気付いた。

 

「今日は秘書艦どうしたんだ?」

「ああ、順番では瑞鶴だったんだが…まあ、あんな感じでな」

彼が指を差す窓側の席では、満足そうな笑みを浮かべる瑞鶴と、その前に並べられたデザートのフルコース――さらに、目を輝かせる葛城と瑞鳳がいた。

 

「大方、航空戦指導をしたのは瑞鶴だから、その戦果に喜んでいるんだろう」

「こほん…なるほどね。それじゃあ司令は?」

「あっ、朝雲さん。元に戻ってますね」

「提督の前じゃこんなもんだ」

 

抜かりなく解説を加えている長波。仲の良さという意味ではもちろん喜ばしいが、自分と長波達とで、態度を変えるというのは、やはり緊張させてしまうものなのかと内心落ち込んでいるのだった。

 

「提督、提督」

「どうした?」

 

初霜は、そんな彼の心中を推し量ったのだろうか、小声で彼を呼び止めると、

 

「朝雲ちゃんは提督が上司だから緊張しているのではなくて、提督の前ではだらしない姿が見せられないと、張り切っているんですよ」

 

と、彼女の背に合わせるようにしゃがんだ提督に密かに耳打ちするのだった。

 

「ちょっと、司令に何教えてるのよ初霜」

「ふふっ…内緒ですよ提督?」

「お、おう…?」

「なーにーよー!」

 

我慢ならず追いかけてくる朝雲に、提督の背を押して、彼とともに逃走を開始した初霜。

その様子を眺めていた長波が苦笑して、隣の萩風に語りかける。

 

「二週間で十分、分かったと思うが…いつも騒がしい駆逐隊だけど、改めてよろしくな」

「こちらこそ。あの戦いで、心を一つにしたように…これからも、長波さん、朝雲さん、そして初霜ちゃんたちと戦い続けるつもりです」

「あたしとしては、もう少し暑苦しいのを抑えてもらえると助かるんだが」

「うふふ…初霜さんだけでなく、皆さんともこのやりとりができるまで、仲良くなりたいものです」

「仲良すぎるのも考えものだな…まあ、あたしも大体同意見だ」

 

差し出された手を握って、はにかんだ長波の笑顔に微笑み返す。

――雲間から顔を覗かせた日の光の輝きが、部屋を満たしていたのだった。

 

 

 

 

 



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第七十三話 信頼と眩しさ

お待たせしました、ドイツ艦娘回です!
アンケートは一旦終了させて頂きました。回答していただいた方はありがとうございました!

他の国の艦娘たちのお話も検討中なので、ご要望等あれば感想などでお寄せください。


「アトミラールさんっ」

 

川内や、昨日の夜戦出撃艦娘にとってはまだ早朝の午前八時、既に執務に取り掛かっていると、そんな声がして振り向く。

――陽光に照らされて輝きを放つのは、金の髪色。

 

「おう、プリンツか」

 

ドアを隔てて隣に接する給湯室から出てきたのは、ドイツ艦娘のプリンツ・オイゲンであった。

 

元来ドイツ生まれの艦娘である彼女は、欧州戦線の沈静化と、南方海域深部及び中部太平洋方面の防衛強化の緊急性に伴い、本国からの対日派遣艦として先日から舞鶴に着任している。

――ちなみに、過去の歴史清算という面では彼女らの存在は倫理的な問題が生じたが、実際に海際の都市ひとつが壊滅するその瞬間を目の当たりにしている各国政治家・指導者層からすれば、それは些細な問題となったという。

 

「Guten Morgen...ちがった。おはようございます!今日は秘書艦頑張っちゃいますよぉ!」

「おはよう。それはとても助かるよ」

 

淹れてくれたコーヒーを受け取って、月並みな感想であるが、口腔に染みわたるコクある苦味によって頭が冴えてくるのを感じていた。

 

有名なサイフォン式だけでなく、ペーパードリップなどコーヒーの淹れ方の方法の多くはドイツで発明されていることもあってか、自分で淹れたものでは比べ物にならないほどに香りも豊かである。

 

「それにしても美味いな。なにかこだわりがあるのか?」

「うーん…そういうのはないかなぁ。豆だって特別なものじゃないよ」

 

ということは、国内ではこれくらいのものはありふれているということだろうか。正直に驚きを享受しながらもう一口を啜る。

その傍らで、プリンツは「それよりも」と興奮冷めやらぬ様子で喋り出した。

 

「やっぱりワショクはすっごい美味しいね!あっさりして味が薄いと思っていたけど、食べてみてびっくりしちゃった」

「文化自体の歴史も長いから、色々な試行錯誤があったんだろうな。ドイツでは、朝食が二回あるって聞いたぞ」

 

提督の言葉に「よく知ってるね」と大きな瞳を真ん丸にして返した彼女。

 

「遠く離れた本国からわざわざやってきてくれたんだ。郷に入ってはとは言うが、居心地を悪くさせてしまっては、君()()だけではなく、君たちを送り出してくれた向こうの人々に面目が立たないからな。色々と調べては取り入れてるんだ」

「Oha!これがニッポンのおもてなしってやつだね。嬉しいよ!」

「お礼なら鳳翔や間宮、伊良湖に言ってあげてくれ。味付けを考えなおしたり、食べやすいように工夫してくれたようだからな」

「うん!…それでも、まずはアトミラールさんにDanke…アリガト」

 

プリンツはコーヒーのマグカップを乗せていた銀の丸盆で顔を覆うようにして、何故か片言になって感謝を述べた。何のために、という問いは、見え隠れする赤く染まった耳を見れば愚問となるが、

 

(俺から…?何もしていないが…)

 

彼はそれに気付く気配すらないのである。

彼女らが艦隊に加入して一週間、きめ細かな配慮を欠かさないが故に、対日派遣艦隊は早くもその心を掴まれつつあった。

 

「提督、入ってもいいかい?」

 

ふと、ノックとともにそんな声が届く。プリンツは「おっ、きたきた」と振り向いて、提督の了承を得ると、先程の羞恥を振り切るように「どーぞー!」と元気よく答えた。

 

「し、失礼します」

「失礼するわ」

 

おずおずとして入ってきた艦娘と、対照的に威風堂々の四字が似合う艦娘が一人ずつ入室して、流麗とも呼ぶべき仕草で敬礼を決める。

ボーイッシュな方…というのも失言と捉えられるかも知れないが、それが前者であり、姉であるレーベレヒト・マースである。

彼女らは、本部の命を受けた提督から、派遣艦隊として鎮守府の暮らしに関するアンケートへの回答を要請されていたのだった。

 

「お疲れ様。もう慣れてしまったが、二人共肩に力が入りすぎじゃないか?」

「そんなことはないわ。これが、本国での艦娘のあるべき姿よ」

 

真一文字に結ばれた口、そして持ち前の怜悧な目つきは赤毛の妹、マックス・シュルツのものである。そんな彼女から放たれる言葉は、提督の言った通り常に緊張感を孕んだものであったので、姉が傍で苦笑した。

 

「…多分、執務室の扉が…うーん、何ていうのかなあ、強い、というか大きい?というか…」

「厳か、とかものものしい、とか?」

「そうだね、そういう風に見えて、提督に会いにこの部屋に入るときは僕も緊張しちゃうんだよ」

「ちょっと、余計なことを言わないで頂戴と何度も…!」

「そういうことだったのか」

 

彼女らの日本語の語彙が日に日に増していることは素直に尊敬できるが、それよりも執務室(特に扉)がそのように感じられているということの方が提督にとって衝撃だった。

 

「そ、それでも上官との接し方については十分な敬意と節度が求められるものよ」

「でもマックス、本国と違ってアトミラールさんにはため口?じゃない」

「そ、それは…」

「俺は気にしないよ。そもそも艦娘の成り立ちからすれば当然だからな」

 

速攻でフォローを挟む提督。恐らく前例があるのだろうが、その慌てようといい準備周到さには、レーベも苦笑を浮かべるほどであった。

ちなみに、規律には厳しいドイツ艦娘の中でも特にそれが顕著なマックスが、この国では打って変わっている理由は――言うまでもないだろう。

 

「アトミラールさん、女性に年齢の話はめっ、ですよ」

 

一方、彼のフォローを台無しにする(それはそれで正しいのだが)忠告…もとい注文には、「なるほど、気を付ける」と提督は頷いていて、指揮系統を大事にする作戦のときとは違って、フレンドリーで接しやすい提督像がレーベの中では形成されつつあったのである。

 

 

 

× × ×

 

 

 

「…よし、ありがとう。色々と参考になったよ」

 

提督が感謝の言葉を述べ、「いえ、こちらこそこちらの意見を取り入れて頂き、ありがとうございます」と(もはや手遅れにも思えるが)かしこまったマックスが返す。無論、彼女以外の三人が生温かい目でそれを見守っていたのである。

 

「それで、この時間に僕たちを呼んだ理由は何かあるの?」

「そうね。いつもは演習視察の準備をしている時間だったと思うのだけれど」

 

姉妹揃って同様の質問を口にした。

 

というのも、通常時であれば哨戒等の作戦準備や、彼女らの言った通りの演習準備が行われる時間帯である。秘書艦のプリンツは除いても、それこそ端末を使えばいつでもできる対日派遣艦隊への面接などをわざわざ呼びつけてまで行う理由が、彼女らは気になっていた。

 

「ああ、それなんだが…この後も君たちには同行してもらうつもりなんだ」

「この後?」

「特にプリンツには、この上ないサプライズになると思うぞ」

「へ?それって…!」

 

プリンツの表情が、十秒前の和やかなものから、期待に満ち溢れた輝きを秘めたものに変化していく。

 

「ああ、少し遅れたが、向こうから派遣許可が降りたそうでな。間もなく到着だそうd」

「は、は、は、早く行きましょうアトミラールさんっ!」

「うごッ」

「ちょっ、プリンツ!?」

 

彼の答えを待ちきれなかったのだろう。プリンツはその手首を引っ掴んだと思うと、自慢の膂力をもってして、カブでも一気にひっこ抜くように彼を連れ去ろうとして――勢い余って、彼の身体が宙に浮いた。

制止する間もなく、空中でひっくり返る彼を呆然と見上げるZ1型姉妹。

 

その直後、三回のノック。

 

「提督、お連れしました。失礼します」

「失礼致します!…って、えええ!?」

 

大淀と、もう一人の艦娘の溌剌とした声が部屋に響いて、扉が開く。

提督は彼女と目が合った。しかも空中でだ。

蒼い瞳を驚愕に染める、しなやかで長い金の髪をした艦娘――戦艦ビスマルクの着任は、提督が凄まじい勢いで背中から落下する音と、蛙さながらの「ぐえっ」という彼の呻き声で締めくくられたのだった。

 

 

 

× × ×

 

 

 

「全く…」

 

戦艦ビスマルクは驚愕した。

本国では度重なる深海棲艦との死闘を繰り広げ、幾度となくその危機を救った英雄も、まさか着任して最初の現地司令官との邂逅が、まさか空中となることなど予測できなかったからである。

 

戦艦ビスマルクは激怒した。

床への激突とともにすっかり()()()しまった彼だが、必死の救護の甲斐があり、無事生還した。

しかしながら、話を聞いてみれば、その原因は本国艦娘――しかも、かつて戦線を同じくし、指導もしたプリンツ・オイゲンだと言うではないか。

呆気にとられているレーベに経緯を尋ねたところ、その仔細が分かったのだ。

 

「ご、ごめんなさい!ほんっとーにごめんなさいっ」

「いや。奇跡的にだが、怪我はなかった訳だし…どうか顔を上げてくれ」

 

日本(ヤーパン)文化の代表たる土下座を決め込んで謝罪に謝罪を重ねるプリンツの頭にはたんこぶが一つ。紛れもなくビスマルクが鉄血制裁を加えたことによるものだ。

 

「というか、なんであの高さから落下して怪我がないの?レーベ」

「い、いやぁ…こればっかりは僕にも分からないよ」

「たまに提督のことが分からなくなるのは、この鎮守府の艦娘ならよくあることです」

 

その傍で繰り広げられる姉妹と大淀の会話。「たまに」なのか、「よくある」のかが分からない。日本語は習得が難しいと聞いていたが、それも当然であった。

 

「私からも謝罪します。大変申し訳ございません、提督」

「うう…」

 

プリンツの頭を引っ掴んで真下に向けさせるビスマルク。どうやら派遣艦隊の中では長姉のような立ち位置にあるらしく、多少なりとも強引なそれにプリンツはされるがままにしていたのだった。

 

「まあ、俺の方も焦らすような物言いになっていたような気もするし、お互いにこれでお終いにしよう。プリンツも君が来るのを心待ちにしていたんだろうし」

「は、はい!姉さまがいつか着任される日を思って、艦隊のみんなに姉さまのお話を」

「ちょっと待ちなさい。貴女、あることないこと話していないでしょうね」

「多分手遅れじゃないかな…」

「噂では空を飛び、またある時は単身で深海泊地に突撃し、姫鬼級と渡り合う…そんな話を聞いたことがあるわ」

「…プリンツ?」

「い、いやぁ…その、思いの丈を込めすぎたと言いますか…でもでも、お姉さまならきっと」

「できるわけないでしょう!」

「ふぎゃっ」

 

再び拳骨をお見舞いされるプリンツ。思わず片手で目を覆う提督に、大淀が苦笑した。

「どうして止めてくれなかったのよ」とビスマルクが詰問しても、レーベたちは「知らなかった」としらを切る。

なかなかの混沌ぶりではあるが、この様子ならきっと日本艦娘たちにもすぐに慣れるだろうと、提督は気を取り直すのだった。

 

 

 

× × ×

 

 

 

――後日

 

「…ふぅ」

 

波乱の再会から一週間が経った。

母港の端、砂浜とその波打ち際を望む木製のベンチに腰掛けたビスマルクは、細く息を吐くと、その手元を見つめた。

 

「おねーさまー!」

「…あぁ、お疲れ様、オイゲン」

「えへへ。お疲れ様ですっ」

 

視線を合わせて微笑んだプリンツは、「今日もお美しいです!」と興奮まじりに腰を降ろしたが、いつも向けられる苦笑がないことに気付いて、彼女の異変を感じ取るのだった。

 

「どうかされたのですか?」

「少し自信喪失気味なのよ…。アイデンティティ・クライシスとでもいうのかしら」

「えっと…?」

 

言葉の意味を解せないプリンツに溜息がますます深くなるのを自覚しつつ、彼女の不思議そうな表情に応えるように口を開いた。

 

「コンゴーにヒエー…だったかしら。彼女たちの改装は、私の性能に近いものだったわ」

「ほえー…」

 

もはや聞いているのかどうか怪しいが、いっそのこと独り言だと思って零すことにした。

 

「雷装能力を付与する第三改装と高い夜戦火力…これは私だけのものだと思っていたのに…」

 

本国では比較対象になりうる艦娘も居らず、司令官や他の艦娘からの期待と注目を欲しいままにした。それはたとえ最前線を戦い抜いた艦娘が大勢所属するこの国の鎮守府でも同じだと思っていたのに――

胸中には、不安があった。

隣に座る妹分(プリンツ)にも、いつか失望を与えてしまうかも知れない。

 

「なんだかよく分からないですけど、夜戦ならお姉さまと私の黄金コンビで向かうところ敵なしです!」

「黄金コンビ…?それは何?」

「Comic…日本のマンガです!とても仲良しってことです!」

「何それ。私にも見せなさい!」

「もちろんです!寮室へ行きましょう!」

 

――それでも、傍にいてくれるのだろうか。

そんな不安が、彼女の輝いた笑顔の裏にあるものを探らせるようだった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「俺を呼んだのには訳がありそうだな」

「そうy…です」

「構わないよ。仲間内で話しているようにしてくれれば」

「分かったわ」

 

ビスマルクは提督を夕食兼晩酌に誘った。その場にいた艦娘たちは即座に戦慄を覚えることとなったが、彼女がそれに気付く筈もなく、注がれる視線の鋭さに提督はただ一人困惑するのであった。

 

理由はあった。胸中で渦巻くものを解きほぐす方法を彼に求めたのだ。けれど、単に自分を指揮するその男を――本国の司令官とは体格も小さく、ともすれば少年のように錯覚してしまう彼を、この目で見極めたいとも思った。

 

「おおよそ見当はつくが…昼間の演習のことか?」

「よ、よく分かったわね。その通りよ」

「まあ、他の艦娘からも同じような相談を受けることがあるからな」

 

「注ぐよ」と言って、傍の瓶ビールをグラスに傾けていく。白く細かな泡の立つ琥珀色に、ビスマルクの喉が鳴るのが分かった。

 

「乾杯」

「ええ、Prost(乾杯)

 

かちん、と甲高い音が響く。しっかりとこちらの杯よりも低く合わせてきていることに、早くも日本文化(個人的には鎮守府では役に立つかは微妙だと思っている)に染まってきているな、と苦笑する。

 

「ん…美味しいわね。日本のBierも馬鹿にできないわ」

「今度はドイツのものも飲んでみたいな。国内では買えないものもあるだろう」

「任せなさい。私から連絡を取ってみるわ」

 

えへん、と声が聞こえるように得意げな表情で胸を叩いたビスマルク。演習指揮の大淀からは体格が大きくなった暁との評価が下されているのはあえて聞かなかったことにしておいた。

 

――思うに、彼女は自分の考えているよりもっと純粋なのではないだろうか?

 

邂逅初日、理由はどうあれ上官である自分を放り投げたプリンツを叱るその姿は年長者としての風格を大いに示したものだった。しかしながら、こうして自分の在り方に悩む様は、それこそ暁たち駆逐艦や、着任して間もない艦娘の姿として映る。

 

――だからこそ、規律の厳しい本国での艦隊生活というものが、透けて見えたのだ。

 

(艦娘の扱いは、保有数の多いこの国ですら定められていないのだから、それも仕方ないことなのだろうか)

 

艦娘の精神というものを魂とするなら、魂は大きく二つに分割される。一つは艦娘が生まれたその時から持ち併せる基部と、鎮守府など他の艦娘や人間との関わり合いの中で得ていく発展的な部分である。

同じ見た目をもつ個体が併存する艦娘たちをそれぞれ別のものとして定義づけるためには、その発展部が重要となった。

 

今、ビスマルクの懊悩の原因となっているものがそれだ。本国では他の戦艦艦娘もおらず、競い合う相手というものがいなかった分、問題は深く、大きいものとなっているといっていい。

 

「…提督?どうしたのかしら」

「悪い。考え事を少しな」

「ふうん…私との同席中に考え事とは、いい度胸じゃない」

「返す言葉もないが…君の抱えているものについて考えていたんだ」

「抱えているもの?――あ…ごめんなさい」

 

はじめは首を傾げていたビスマルクだったが、逸れていた本題――それも自ら救いを求めていたもの――を思い出すと、表情を隠すように俯いた。

 

「いや、気にすることじゃない」

 

上目遣いの彼女は、まるで親に叱られてるときの子供そっくりだった。実際、解を与えたり、教えて、時に導く役目をそう呼ぶのなら、あながち親子というのも間違いではない。

間違っているとすれば、それは――

 

「今は、俺は君の司令官だから、君の悩みを解決させる責任がある」

「責任って…貴方は義務感で艦娘と関わるの?」

「最近はコンプライアンス上の懸念が大きいからな…」

「私たちの提督は、とんだ捻くれ者なのね」

 

勢いよく麦酒を呷って、仕方ないといった風に笑うビスマルク。

その場の感情が顔に出るタイプだ。言い換えれば純粋と言っても良いだろう。

 

「捻くれているわけじゃない。義務を果たすためには強い信念が必要だからな」

「どんな信念?」

「…君たちの信頼が得られるように努力すること。そのために、君たちを信じること」

「それを始めから言いなさいよ…ふふっ」

「どうにも肝心な言葉が出てこないんだ。会話は得意じゃない」

 

先のビスマルクとは対照的に、提督――東雲は、特に認識の浅い人物に対して、感情を表に出すということにある程度の忌避を覚える人間であった。過去の経験がそんな人間性の根を張り巡らせ、他人を注意深く見つめ、精神的な意味でなるべく距離を取るように――ひょっとしたら臆病ともとれるくらいに――彼自身を変化させた。

 

だからこそ、その対極に位置する純粋さというものに対して、人並み以上の価値を見出だせる。

自分が信頼できる人間と認められたのかは別として、胸の内を明かしたビスマルクは、彼からすれば十分信頼に足りる艦娘といえた。

 

「まあ、ルックスには自信があるわ。貴方が緊張を覚えるのが無理もないくらいには」

「ああ。正直初対面はそうだった。髪といい瞳といい、綺麗な色だと思う。…しかし、艦娘というのはどうして皆美人揃いなのか」

「っ、Danke…」

 

おどけて自慢してみれば、それが当然という口ぶりが帰ってきたので、(先程とは違う意味で)頬を紅潮させるビスマルク。誉められ慣れていないからか、神妙な表情で感謝を述べる。

 

一方、提督は遠い目をして虚空を眺めていた。彼女らの指揮を取る男がこれでは釣り合うはずもなく、できれば集合写真を撮るときは別にして頂きたくなるくらいには劣等感を覚えていたのだ。

もちろん異性として相手になるとは思ってもおらず、鎮守府の乙女たち(主砲標準装備)の恋路が険しくなることこの上ない。

 

「それでも、私たちに必要なのはそこではないわ。祖国や同盟国の人々の暮らしと平和を守るために、私たちは存在しているのだから」

 

ぽつり、彼女が漏らす。

存在意義を見失うことは、誰でも辛く苦しいものだ。一度はそれを手にして、それが泡のように消えてなくなることを見ているだけならば、いっそはじめから見つからない方がいいのかも知れない。

 

――けれど、それでも彼女は。

 

「強くなりたいと思うのか?」

「ええ。少なくとも、私の求めるものは、そうして得られるものだと思うから」

 

真っすぐな瞳でそう言って臆さない。かつての驕りを認め、成長しようともがくその姿を美しいと思えた。それだけで、もはや疑いようがなかったのだ。

 

「…それだけで十分、君は強いよ」

「それはこの鎮守府の全員に言えることでしょう。私は、その先に――」

「ついてきてくれ」

「え…?」

「ついてきてくれ。俺を信じて」

 

短く、明確な意志の籠った声に彼女の続きが遮られた。一段と深く、濃密さを感じさせる低い声だった。

 

「日本を除く諸外国の艦娘はまだ経歴が浅い。これは仕方のないことだ。けれど、きっと君はそれを理由に、現状に満足したくないんだよな」

 

ビスマルクが頷く。彼は、痛快たる面持ちでそれに頷き返し、彼女によって飲み干された麦酒のジョッキを見てから、その代わりにと日本酒の一升瓶と杯を妖精さんに運んでもらうよう注文した。

差し出して、視線を重ねて言った。

 

「だから、ついてきて欲しいんだ」

「貴方について行けば、それで強くなれるの?」

「君が俺を信じてくれるなら、必ず」

 

提督は、その場で自信のビスマルクに向ける信頼を伝えなかったが、それでもよかった。

代わりはいくらでもいるから――なんて、卑屈な考えも確かに脳裏を過ぎったけれど、もしかしたら恥ずかしく思っているかもしれない。

そんなふうに、どこか他人事のように自分の感情を捉えていた。

 

「戦場に出れば俺はいない。その力をどう(ふる)うかは君次第なんだ。君の判断で俺を使い、君が望むように成長すればいいと思う。そうあってほしい」

「自由と責任、という話かしら」

「いいや、責任を取るのは俺の仕事だ」

 

もちろん完全な放任とはいかないし、教えるべきことは教えていきたい。しかしながら、それは真の意味で彼女らの成長にそぐうものでなければならない。

艦娘は高度な精神生命体としての一面を持つ。その意味でも、もはや一介の司令官の束縛など意味を成さないであろうことを提督は予期していたし、だからこそ、自分自身の役割を定めるうえでそのような結論を導いたのだった。

 

それを知ってか知らずか、眼前の彼女はきょとんとして、それからまたおどけたような笑みを浮かべる。

揺れた髪の金色が、照明の光を受けて輝いた。

 

「あら、随分と信頼されているじゃない」

「言っただろ…君たちを信じる、信念があるって」

 

結局のところ、それを口にしないわけにはいかなかった。

今だけは酒に強い体質が憎い。つい数分前のビスマルクのように顔が火照って、うまく二の句を継げなくなる。

一体誰がこんな自分の照れ顔を見たいと思うのか、そう問うことで平静を取り戻すことにした。

 

「…ふふっ…ふふふっ…」

「…あまり笑ってくれるな。自分でも恥ずかしいことを言ったと分かってるんだ」

「あら、そうかしら?私は嬉しかったわ」

「本当にそうなら笑いが漏れたりしないだろ」

「ごめんなさい。貴方、結構可愛らしいところがあるじゃない」

 

少し認識を改めるわね、と満足げな表情のビスマルク。今まで諭す側の立場にあったのがすっかり会話の主導権を握られてしまって、提督は決まりが悪そうに残りの麦酒を飲み干した。

 

「…でも、貴方を信じてみようと決めたことは、確かよ」

 

提督は幾許かの驚きをもって、外していた視線を戻した。俯くように卓を見つめているようだったが、落胆のそれではないということがすぐ分かった。

 

「だから、貴方も私を、そして貴方自身を信じなさい」

 

本国では酒を飲み慣れている筈だ。だから、その頬の赤みはきっと照れているのだろう。それでも向けられた笑みは眩しかった。

 

「ああ」

 

妖精さんが運び、注いでくれたらしい日本酒の杯を持ち上げ、答えるように乾杯した。

二人で酌み交わすその清涼感が爽やかで、心地よく思えた。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「ほら、もう帰るぞ。寮室まで送っていくから」

「うーん…おぶってえ…」

 

その後は彼女もはっきりと打ち解けたことを感じたのか、文化交流を建前とした与太話は尽きることがなく、酒が進んでしまった。

度数の高めなものだったこともあり、すっかり酔いが回って睡魔に斃れたビスマルクのそんな要請に応えるように、「仕方ないか」と彼女を抱える提督。

 

「むにゃ…貴方、以外に背中が広いのね」

「どういう意味なんだそれは」

「そばにいると安心できる、って意味よ…zzz」

「…聞いたからな」

 

これはこれで、思わぬ収穫かもしれない。

妖精さんの意味ありげなサムアップを横目に、提督は一人頬を緩ませるのであった。

 

 

 




残りのドイツ艦娘についても後のお話で出てきますのでお待ちください。
ちなみに投稿日にはこだわりました(隙自語)


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第七十四話:渚に寄せて

だんだん暖かくなってきましたよね。
とはいえまだまだ寒い日も続いてますので、お体にはお気をつけてお過ごしください。


夕暮れ時の母港。

遠く水平線上に沈もうとする太陽の光輝に、波打ち際が煌めいている。

 

「あー…今日も疲れた」

 

鎮守府の面々にとってはもはやすっかり慣れた光景だ。はじめのうちは感動に目を輝かせる艦娘たちも、次第に慣れてしまって、今では西日を煩わしげに眺めるだけだ。

 

「北上さんったら、また私の髪いじるんだから…もうっ」

 

しかしながら、今日の彼女――阿武隈は、それも何故だか悪い気はしなかった。

それは北上との一件のことでもあるし、目の前に燦然と照り輝く夕日のことでもあった。

そもそも演習後にわざわざ埠頭(ここ)まで出向くことなど滅多にないことに加え、苛烈を極める水雷戦闘でくたくたになった身体をここまで運ぶのはなかなかに厳しいのだけれど――

 

「ふふふ…」

「あっ、笑いましたね!?」

「いや、なんだ…すまん。…ふふっ」

「もぉ~っ!」

 

ぽこぽこ、と可愛らしい擬音が鳴るように叩くのは、我らが提督の背中。

そう、阿武隈にとって、彼との会話は演習や訓練後の疲労も吹き飛ぶものであったのだ。

 

「五年も経てば、すっかり仲がよくなるものだな、と思ってな」

「もうそんなに経ったんですね…仲良くないけど!」

 

腕を組んでそっぽを向く阿武隈、提督からすれば、それは照れ隠しであることは疑うまでもなかった。

五年間――つまりは鎮守府草創から戦場を共にしてきた古株の絆は、もはや言葉なくしても通じ合えるものとなっているから、仲が良い、などという言葉で語ることのできるものではないということくらい、阿武隈も理解しているだろうと思ったからだ。

 

「一水戦創設以来、君たちにはとても助かっているよ」

「私としては、そろそろ提督に指揮して欲しいんですけど?」

「面目ない」

 

一水戦はキワモノ揃いである。

阿武隈が旗艦ということになってはいるが、主人公、とまで言われるカリスマ性を持ち合わせる吹雪に、マイペースな響、吹雪にべったりな白雪、そして速度を追求するあまり軍装の軽量化に手を出した島風と、尖りすぎる個性を取り纏める難しさは以来彼女の悩みの種となっている。

溜息をついている阿武隈に、提督は苦笑いを浮かべて平謝りする。

 

「最近は出撃自体も二水戦以下に任せていたから、一水戦は夏の特別海域以来か」

「あのときもそうでしたけど、提督、ぜっっったいに一水戦に北上さんか大井さん加えてきますよね…」

「実力順だよ。他意はない」

「木曾さんだっているじゃないですかぁ!」

「実力は姉二人にも劣っていないんだが、『俺では阿武隈(旗艦様)についていけないから』と謙遜するばかりでな」

「それ確信犯!!!」

「誤用…と思ったが、それが正しいことだと信じてやっているのだから、あながち間違いでもないか」

 

抗議を声をわあわあと上げて騒ぐ阿武隈の傍で、そんな風に考え込むふりをする提督。

木曾なりに考えるところはあるようで、特に阿武隈と艦隊を共にするときの北上の表情をよく見ていたようだった。

 

「…阿武隈の指揮で夜戦に出撃する前、青葉が写真を撮ってくれたんだが」

「ちょ、なに撮ってくれてるんですか!」

「…はっきりいえば、阿武隈にピントが合っている訳ではなかったから、よく見えなかった」

「あ、ならよかった」

「写真は北上を撮ったものだ。阿武隈の髪を弄りながら、普段とは比べ物にならないくらい良い表情をしていた」

「それ絶対私の髪映ってますよね!?ついでにひどいことになってますよね!」

「…まあ、海上は潮風もひどいだろうからな。それは仕方ないというか」

「やっぱりひどかったんですか!?」

 

忘れてくださいぃ!とまたぽこぽこを繰り返す阿武隈はその顔を羞恥に染めているようだったが、嫌悪を帯びたものではないようだった。

出撃の過剰な緊張感が漂う中、彼女のような存在がそれを緩めてくれることが、どんなに助かることだろうか。

五年という年月のなかで、提督が見つけ出した阿武隈の真の強み。どんなに強力な先制雷撃よりも、卓越した夜戦火力よりも魅力的な彼女の持ち味。

 

――ああ、やはり、この子を初めての水雷戦隊の旗艦にしたことは、間違っていなかったんだな。

 

提督の胸の中を、そんな感慨が包み込んだ。

 

 

 

× × ×

 

 

 

「しかし、その髪型は確かにセットが大変そうだよな。やっぱり時間はかかるのか?」

「梅雨なんかは髪が暴れてしんどいですねぇ…でも、なんだかこうしてないと落ち着かないというか」

「阿武隈の中で、ジンクスのようなものがあるんだな」

「そうですそうです。…あ」

「?」

「会心の出来だ、って思った日に限って北上さんや駆逐艦のいたずらっ子が来る…」

「…なるほど」

 

瞳のハイライトを消して俯く阿武隈は、その深刻さを伝えるのに十分すぎた。頭を抱えて「うう~っ」と呻く様子に、提督は女の子の髪型への思いの深さを知るのだった。

 

「確かに、阿武隈らしさが詰まっているような気がする」

「ほんとですか?」

「言葉にするのは難しいが…そうだな、他の子でも似通った髪型をしている子がいるが、どの子たちも自分の髪型にこだわりを持っているというか」

「そうですよぉ。女の武器、とまで言われていますからね。主砲や甲標的より大事な武器です」

「違いない」

 

おどけた調子でそう語る阿武隈に、提督は苦笑を浮かべながら首肯した。

 

「提督の髪は武器じゃないんですか?」

「俺は男だが」

「最近は性別の壁も薄まってきているとかなんとか」

「こと海軍(ここ)ではそんな話は通らないだろうな」

「まあまあ、それでも気になります」

 

性別の話は、そもそも艦娘である阿武隈には関係のないものだから、ついでに言ってみたくらいのものだろう。比較的古い価値観の残る海軍では、特に下級士官などは未だに丸刈りが鉄則であるが、提督としては賛成も反対もする気はなく、敢えて言うとするならば訓練の邪魔になるのであれば不要である、くらいのものだった。

 

「髪型は意識したことがあまりないな。染めたことはもちろん、直すといえば寝ぐせくらいだ」

「提督の髪は真っ黒で綺麗ですね」

「ありがとう。まあ、この国では標準的だけど。この鎮守府ではそうでもないな」

「少し憧れます。由良が艦娘になる前も、色は提督よりも淡い感じがしましたけど、やっぱり澄んでいて綺麗でした」

「阿武隈が髪を黒くしたら…うん、あまり想像できないな」

「似合ってない?」

「いや。本当に想像できない。髪型もそうだが、髪の色も今が一番しっくりきていると思ったんだ」

「えへへ、そうですかね…」

「五年も経つとそうなるのかもな。よく似合っているよ」

「五年目にして始めて髪を褒められた!?」

 

提督からすれば、揃いも揃って美麗な艦娘たちにあえてそういった言葉を与えることはあまり意味もなく、かえって不審に映るのではないかと考えていたが、実際のところは艦娘たちを嘆息させるばかりであったことに気付いていない。

先程話題に上った由良が着任したから、色々とお小言を頂いたのである。

 

「申し訳ないんだが、生来その辺りには疎くてな」

「知ってますよ。色々とお話を聞いたこともあるし、五年もすれば」

「成長していないな、俺も」

「あはは…でも、いいんじゃないですか?変わることって難しいし、それを成長と呼べるかは分かりませんから」

 

妙に核心をついた弁に、提督は目を見開く。

それを見越していたように、その反応を待ち受けていた阿武隈は、目を細めてにっと微笑むのだ。

 

「…君は時々、鋭いことを言うようになったな」

「別に、()()()()()()()()()わけじゃありません。もともとこうなんですよ」

「…五年では知ることのできないこともある、ということか」

「そうです。だから、もっと知ろうと思うんです。…提督のことも」

「生憎中身が空っぽだと言われるものだから…」

「そうやって謙遜したふりをして一歩引いてしまうところを知っているのは、由良だけじゃありませんよ?」

 

むっと膨らませた頬を提督に向けて近づける阿武隈。

これは敵わない、と悟った提督は、頭を掻きながら乾いた笑いをもって応えた。

 

「…すまん、悪い癖だ」

「いいですよ。心の中を曝け出すことって、あたしも少し怖いですから」

「…歴戦の艦娘もそう思うのか」

「思います。だって、歴戦の艦娘を指揮する歴戦の提督でもそう思うんですから」

「…誰のことかな」

「今更とぼけたってダメなんですからね!」

 

まったくもう、とご立腹の阿武隈は、しかし上機嫌なようでもあった。

 

「私、実はちょっとだけ嬉しいんです。提督も、おんなじ悩みを抱えていたんだって」

「同じ悩み…というのは、自分のことを知られるのが怖い、という話か」

「はい。改二になる前とか、特に得意な戦術も、誇れる知識もなくて…一水戦のみんなは、艦娘としての経験も私より豊富で…それでも、旗艦になった以上、それを悟られるわけにはいかないから」

「…そうだったな」

 

過去を慈しむように語る阿武隈。

報われない努力に自分を責めて、懊悩が心を支配したときもあった。けれど、それをまるで苦とも思わずといったように晴らせてくれたのは――

 

「提督だったんです。提督が、あたしを深い水底から引き上げてくれた。そして、新しいあたしへ――今までのあたしを、否定することなく成長させてくれた」

「俺は何もしてないよ。阿武隈の頑張りがあったからこそだ」

「それはたぶん、間違いじゃないかも。だけどね、提督――」

 

渚へ、波が寄せる。

深海棲艦が襲来する前から、あの戦争が始まるよりも前から、ずっと繰り返してきたことだ。

けれど、提督には、その瞬間の音がこれまでになく強く、耳に残り続けた。

時を同じくして、阿武隈が右手を取って両掌で包み込んだ。

 

「あたしの改装のために、あたしが悩みを打ち明ける前から、ずっと悩んでいてくれた。工廠の妖精さんや、大本営の明石さんと協議を続けてくれていた。それを知ったら、もうあたしだけの力だなんて、言えないよ」

「…」

「こんなあたしでも、やればできるって教えてくれた。あたしを知って、受け入れてくれた。…本当にありがとうっ」

 

静止した時の流れが、堰き止められていたものを打ち壊したように流れ出す。

笑顔を浮かべる阿武隈の瞳に溜まった雫が、その命の最後に輝きを増した夕日に晒されて、光の筋を作った。

 

「…こちらこそ。思いを伝えてくれて、俺に、踏み出してくれて――ありがとう」

「…っ、えいっ!」

「おっと」

 

勢いよく胸元に飛び込んできた阿武隈を、焦ることなく受け止める。

仄暗くなって、温度の下がった波打ち際では、確かな温もりが感じられた。

 

「…撫でても、いいか?」

「――提督さんなら、いつでもオッケーですよ」

 

彼女なりの、信頼の証なのだろうか。

もしそうならばいいなと、努めて優しく、せめてこちらの信頼と感謝をこめて彼女の髪を撫でつけた。

胸の中で、眩い微笑みが、夕日の沈み切った渚を照らした。

 

 

 

× × ×

 

 

 

「いやあ、昨日はすごかったねえ」

「ふわあ…何がですかぁ…?」

 

翌朝、出撃はないが規則正しい生活を送る阿武隈は間宮食堂にて朝食を摂っていた。

欠伸をして、開いた口元を隠すように手で覆っているその隣に、どこから湧いて出たと言わんばかりに、北上が腕組をしながらそんなことをのたまっていた。

 

一体彼女は何故ここにいるのだろうか。というよりいつも気付かないところから忍び寄って驚かせてくるものだから、もうこうした事態は慣れっこなのだ。だから、そんな疑問ももはや胸中で渦巻くことは決してない――

 

「『提督さんなら、いつでもオッケーですよ』ってねぇ。いやはや、お熱いことで」

 

 

――んん?

 

 

「…い、いつそれを」

「いつってそりゃあ、昨日の夕方じゃん。いつもは訓練帰りなんてくたびれたカエルみたいな感じなのに、いそいそと支度して走って行っちゃうんだから、不思議に思うでしょ」

「…どこからどこまで、聞いてたんですか」

「え?どこからどこまでって――」

 

きょとんとした表情の北上が、問いに笑顔で答える

――間違いなく、悪魔の笑顔と称されるそれであった。

 

「一から、十まで?」

「忘れてくださああい!今すぐにっ!」

「忘れられるわけないでしょー。いやぁあれは大胆だったなぁ。でも北上さんとしては妬けちゃうなぁ。いつでも髪を撫でまわしていいなんて、提督が羨ましいよお。ねー、大井っち?」

「そ、そうですね…」

「お、大井さんまで!?」

 

北上が、いつの間にか隣で食事を進めていた大井に横目で話しかける。

少し言い淀んで反応した彼女は、おおよそのことを知っているのだろう。顔を真っ赤にしながら開いた口の塞がらない阿武隈の方を向く。

 

「あ、阿武隈さん…あなたって、結構…その、大胆なのね。私、誤解していたわ…」

「いやあああああ!」

 

叫び声を上げる阿武隈に、周囲の奇異の目線が一斉に向けられる。

 

「あっはっは。阿武隈、目立ってるよ?」

「誰のせいですか!忘れてくださいいいい!」

「えー。それは難しいなぁ。ねえ?」

「は、はい…というより、()()()()()を見せられると、忘れたくても忘れられないというか…」

「うわああああああ!?」

 

まさに狂乱。

頭を抱えて叫ぶ一水戦旗艦に、その隣でいつになく笑い声を上げる北上、そして顔を真っ赤にして俯く大井は、新入りの駆逐艦にしてみればそれはそれは奇怪に映ったという。

そして、当の提督といえば――

 

「…?騒がしいな」

「元凶は確かに青葉ですけど、提督はもっと事態を正しく認識するべきだと思いますよ?」

「…何のことだ?」

 

秘書艦の青葉が、「まあ、人は簡単に変われませんからね」と苦笑する。

彼は一人、そんな反応に首を傾げながら、朝餉の味噌汁を啜り、「今日も美味いな」と零すのであった。

 

 




評価をつけてくださった方、ありがとうごさいます。
やはりまだまだ文章が拙いので、艦娘の魅力や情景の美しさを伝えきれていないかもしれません。

感想などで教えてくださればもっと嬉しいです!


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