勇者を討伐した魔王様は魔力を封じられた為に解雇される。 (吉樹)
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第1話 「魔王様、魔王城から追い出される」

 閃光が瞬き、血風を巻き上げたのは人族の青年だった。

 白銀の鎧をまとっているもののすでにボロボロで、光の剣と白銀の盾も、からんと床に落ちていた。

 

 人族の希望たる存在──勇者である。

 

 勇者は力尽きたようにその場に崩れ落ち、瞬く間に床に血の華が咲いていく。

 

 

「……ふん、手こずらせてくれたな」

 

 

 息も絶え絶えにそう告げたのは、私。

 人族の絶望たる存在──魔王クレアナードである。

 

 とはいえ、いまの私も勇者との死闘により、すでに満身創痍ではあった。

 しかし、最後に立っていたのは私であり、勝ったのは私なのだ。

 

 勇者という存在は何人も存在するが、その中でも最強と名高いこいつをここで討ち取ったのは、大きな意味があった。

 これにより、勢いづいた魔族は人族へと一気呵成に攻め込めるだろう。

 かくいう私も、最強の魔族である自負があり、魔王なのだ。

 回復次第、歯向かう他の勇者たちも瞬く間に血祭にあげてやろう。

 

 人と魔の長きに渡る戦いに、ようやく終止符が打たれるのである。

 

 しかし……

 

 

「……まだ、だ……!」

 

 

 すでに死に体の勇者が、ぐぐぐっと、上半身だけを起こしてきた。

 

 

「……しつこいな。おとなしく死んでおけ」

 

 

 すでに私もボロボロな状態だが、私には余裕があった。

 ……言い換えれば、勝者ゆえの油断だったのかもしれない。

 だが生憎と、この時の私は勝利を確信していたので、死にぞこないの勇者に警戒をしていなかった。

 

 勇者は、口の端から血の糸を引く。

 

 

「俺は、もうじき死ぬだろう……」

 

 

 当たり前だ。

 それだけの傷を負っておいて生き永らえる方がおかしい。

 

 

「だが……ただでは、死なない……!」

 

 

 自身の血のりをつけた右手を私めがけて振り払う。

 油断しきっていた私は回避が遅れ、全身に勇者の血が付着してしまう。

 

 

「っ……!」

 

 

 舌打ちひとつ。

 正直なところ、抱いた感想は”汚い”の一言だったが……

 次の瞬間。

 私の全身に付着した血が熱を発し、私の皮膚を焼き溶かす。

 

 

「アッツ……! なんだこれ……!?」

 

 

 それと共に、何やら身体に違和感が……

 なんと、私の魔力が煙と共に抜けていくではないか。

 

 

「ちょ、なんだこれは……っ」

「……ふ、ふふ……」

 

 

 思わず狼狽えた私を前に、死にかけの勇者が不敵に笑ってくる。

 

 

「お前の”最強”は、俺が墓場に持っていく……」

「なんだと……」

 

 

 最強魔王の証であった絶大な魔力が、白煙と共に抜けて落ちていく……

 

 

「死にゆく俺からの……最後のプレゼントさ……」

 

 

「な……な……な……」

 

 

 私は、ただただ愕然として──

 

 

 

「そんなプレゼントいらんわああああああああああああああああああああーーーーーーー!!!!」

 

 

 

 私の大絶叫に満足したかのように、人族最強だった勇者は、静かに息を引き取ったのだった。

 

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 

「陛下……いや、クレアナード”殿”」

 

 

 勇者を撃退して落ち着きを取り戻した魔王の間にて、側近のひとりが()()()言い直してきた。

 

 

「いまや貴女は魔王たる資格がない。よってここに、我等は貴殿の魔王の資格をはく奪する」

 

 

「な……っ」

 

 

 私は絶句する。

 

 死闘を演じて魔族の天敵たる勇者を撃退した最大の功労者に対して、何たる扱いだろうか。

 魔族という種族は、ここまで薄情だっただろうか。

 

 

「ブレア……貴様……っ」

 

 

 私の憎々し気な視線を受けても、№2だった魔族──ブレアは眉根すら動かさない。

 

 

「魔王とは、最強の魔族が名乗る称号。だが、いまの貴女はもはや最強ではない。ならばこそ、当然の判断だと思うのだがな?」

 

「ぐぐぐ……」

 

 

 反論の言葉がない私は、口惜し気に奥歯を嚙みしめる。

 

 いまの私は大半の魔力を失った状態。

 簡単な魔法程度なら問題なく使えるが、中級以上となってくると、弊害が出てくるだろう。

 そして……目の前でしたり顔の№2に対して、戦闘力においては、もはや遠く及ばない……

 

 

「安心召され、”元”魔王殿。これから先の魔族は、この俺が、新魔王として率いていこう」

 

 

 にやりとイヤらしく嗤ってくる。

 

 ……まあ、状況的に考えて、こいつが次の魔王になるのは自明の理ではあった。

 なにせ、私に次ぐ№2なのだからだ。

 いや、私が失脚した以上、事実上、こいつが№1だろう……

 

 

 魔族は実力主義社会。

 

 

 それゆえに、私は魔王にまで上り詰めたわけで。

 いまさら、そのシステムに異を唱える資格は、さすがに私にはないだろう。

 

 

「……わかった。私に魔王の資格がなくなったことは、認めよう……」

 

 

 苦虫を噛み潰した声音と表情で、私は頷くしかない。

 最強勇者を葬ったというのに、その功労がこの始末ということに、私は自虐するしか出来ない。

 

 

(……だがまあ、元とはいえ魔王なのだ、私は。それなりの待遇は期待できるか)

 

 

 そんな打算をしていると、とんでもないことを新魔王が言い放った来た。

 

 

「納得したのならば話が早い。早速、この城から出ていくがいい」

 

「……は? 何を言っている?」

 

 

 城から出ていけ?

 意味がわからない。

 なぜ私が出ていかなければならないのか。

 少なくとも、最強勇者討伐の功労の褒章で、要職に就いてもおかしくないはずだ。

 

 

「魔力ばかりか、理解能力すら失ったのかな?」

 

 

 新魔王が私を嘲笑してきた。

 

 

「いま俺は、魔王城から出ていけと言ったのだ」

 

「な……なぜ私が……」

 

 

 愕然とする私は、視線を周囲にいる魔族たちに向けた。

 この場にいる者は皆、要職に就いている者たちである。

 

 私と目が合うと、彼らは気まずそうに視線を逸らすのみで、何も言ってはこなかった。

 

 

(なんたることか……)

 

 

 かつては、私に尻尾を振っていた取り巻きたち。

 それが今では、この有様。

 私の凋落ぶりが、ここまであからさまになろうとは。

 

 呆然自失となっている私へと、新魔王が追撃を放ってきた。

 

 

「力を失った者に用はないということだ」

「い、いや、待て。私には、今までの功績が……」

「ほう? まさか、最強を誇っていた魔王様が? 過去の栄光に縋ると? そのようなみっともない真似をなさると? まさか? 俺の聞き間違いですかな?」

「ぐぅ……っ」

 

 

 そう言われては、何も言えなかった。

 さすがに私にも、プライドというものがあるからだ。

 ここで泣きすがれば魔王城に残れるかもしれないが、それではあまりにも……惨めすぎる。

 

 

「クレアナード殿。新魔王となった俺はこれから忙しくなるのだ。あまり、()()()時間をとらせてほしくないのだがな」

 

 

 苛立ちを見せ始めた新魔王から、隠すことのない殺気が吹き上がり始めた。

 周囲の取り巻きたちが、ぎょっとした様子で後ずさっており。

 かつての私にとっては大したことはなかったが、いまの私には脅威であり、私も後ずさる羽目に。

 

 

「用済みのあんたを殺すのは容易い。だが、殺さないことが、俺の慈悲であることを知ってほしいな」

 

 

 口調ががらりと変わる。

 というか、これがこいつの本来の口調なのだが。

 

 

「………………」

 

 

 私は言葉を失う。

 そして思い出す。

 この男とは、何かと馬が合わなかったということを。

 

 

(慈悲だと……? よくいう。この場で私を殺さないのは……)

 

 

 力を失った私に、絶望を長く味合わせるためだろう。

 この男は、そういうイヤらしい面があるのだ。

 だから私はこの男が嫌いであり、何かと衝突が絶えなかったのだ。

 だが力関係は私が圧倒的に上だったので、今までは事なきを得ていたのだが……

 

 

(……悔しいが。ここは、おとなしく引き下がるしかない、か……)

 

 

 ここで下手に騒いでは、何をされるかわからない。

 私は知っているのだ。

 この男が、好色であることを。

 

 私は女であり、こいつは男。

 

 力関係は逆転しており、いまでは私よりもこいつの方が強いのだ。

 ならば……

 こいつが変な気を起こす前に、こいつの手の届かないところまで退避しないとならないだろう。

 

 

 

(……まさか。私が”女”であることが、足を引っ張ることになるとはな……)

 

 

 

 こうして私は、甚だ不本意ながらも、逃げるように魔王城を後にするのだった……

 

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 

(くそくそくそくそ……クソったれがぁ……っ!!)

 

 

 舗装された街道をひとり歩く私は、ひたすらに怨嗟の呟きを零していた。

 

 命を懸けて魔族に害ある最強勇者を倒したというのに。

 魔王を解任された揚げ句の追放。

 せめて要職くらいには留任したかった。

 

 魔王を解任された後、あいつの気が変わらない内に急いで自室に戻って、魔法で中身を拡張している道具袋にありったけの生活必需品を突っ込んで、逃げるように──いや、魔王城から逃げてきていたのだ。

 

 

 あいつの慰み者になるのだけは、絶対に勘弁してほしかったからだ。

 

 

 あの場で私を力ずくで押し倒さなかったのは、私に女としての魅力がなかったからなのか、あるいは他に狙いがあるからなのか、それはわからないが……

 

 

(女としては、複雑な心境だな……)

 

 

 私の外見は、それなりだと自負はしていた。

 

 切れ長の真紅の目だって色っぽいし。

 腰まで届く銀髪だって艶があって綺麗だろう。

 絶世のとは言わないが、氷のような美貌と称されたことだってあるのだから。

 かつて、何度となく魔王城内のアンケートにおいて、抱きたい女№1に輝いたものだ。

 

 ……念のために言っておくが、決して圧力などは加えてはいない。

 

 

(だからこそ……解せない。あの男が、力関係が逆転したいま、私を狙ってこないことが……)

 

 

 別に私は、襲われたいわけではない。

 だた、理由がわからなかったのだ。

 あれほどの好色が、絶品のフルーツ(弱体化した私)を狙わないなど……

 

 

(……まあ、不幸中の幸いというべきかもしれんが……)

 

 

 あの男が本気で狙ってきたのなら、いまの私では抵抗など出来ないのだから。

 無力な村娘のように、簡単に蹂躪されてしまうことだろう。

 想像しただけで……背筋がゾッとしてくるというものだった。

 

 

(……あるいは、私に女としての価値がないという屈辱を与えるのが目的か……)

 

 

 だとしたら……腹が立つ!

 ただただ純粋に、ムカつくではないか!

 

 魔王としての地位を奪われ、女としての価値すらないと見下され。

 

 

(乱暴されたいわけじゃない……だが! 女として価値がないと嘲笑されると腹が立つ!!)

 

 

 私はあいつが嫌いだったが、同じようにあいつも、私を心底嫌っていた。

 目の上のたんこぶだったのだろうし、女のくせに自分よりも地位が高い私を目障りだと思っていたことだろう。

 だからこそ、私に最大限の屈辱を与えた上で、魔王城から追放したのだろう。

 

 

(ふざけた話だ……)

 

 

 私がいったい何のために、最強勇者と雌雄を決したと思っているのか。

 傷付きながらも、どうにか打ち倒したというのに。

 すべてが、魔族国に住まう民の安寧のためだというのに……

 

 

 

 その揚げ句が、私の”女”としての侮蔑。

 

 

 

 なんだかもう……全てに腹が立ってくる。

 国民に罪はないだろうが、もうどうでもよくなってきた。

 というか、もうどうでもいい。

 いまの私は、国民に責任を持つ立場じゃないのだから。

 

 

 苛立ちまぎれに、道端の小石を蹴り飛ばした。

 

 

 すると気持ちよさそうに居眠りをしていた子犬にぶつかってしまい、きゃんっと悲鳴を上げて駆けていく。

 悪いと思ったが、私は反省しない。

 運悪く、あの場にいたあの子犬が悪いのだ。

 

 

(もう魔族国なんて知ったことか! 魔族なんてクソくらえだ!)

 

 

 などと思っていると……

 

 

「グルウウウウウウウウウ!」

 

 

 獰猛な唸り声と共に、私の眼前に狼型の魔獣が姿を現した。

 かなり大きい。

 私よりも二周りほど大きいだろうか。

 

 

(おいおいおい……街道の警邏隊は何をしているんだ? 怠慢だろうが)

 

 

 魔獣がこんなあっさりと、人間の往来が多いだろう街道に姿を現すなど。

 しかもなぜか、この狼型魔獣は、私に対してはっきりとした敵意を向けてくる。

 

 

「なんだお前……私が何かしたのか──」

 

 

 疑念の言葉は、すぐに理解へと変わった。

 なぜならば、その狼型魔獣のすぐわきに、先ほど小石をぶつけた子犬がいたからだ。

 

 

(……なるほど。ただの犬じゃなかったのか)

 

 

 親に泣きつきたといったところだろうか。

 小石をぶつけたのが、どうやらイジメられたと誤認したらしい。

 狼型の魔獣は、犬と間違いやすいのが難点だと、何かの本で読んだことがあったような気がする。

 

 イジメたつもりなんかはまったくない。

 八つ当たりは認めるが。

 

 だがまあ、いずれにしても……

 

 

「ふざけるなよ、獣風情が……っ」

 

 

 私は、腰に差していた鞘から一振りの剣を抜き放った。

 その途端、切っ先に蒼い雷が迸る。

 剣が魔剣というわけではなく、私自身の能力である。

 魔力が減退したとはいっても、これについては魔力とは関係ないので、普通に使えたというわけだ。

 

 

「落ちぶれたとはいえ、元魔王を舐めるなよ!!」

 

 

 誰に言い聞かせるでもなく。

 私自身に叫ぶように私は言い放っており。

 

 

 まるでそれを合図にしたかのように、狼魔獣が私へと飛び掛かってくるのだった。

 

 

 

 ※ ※ ※

 

 ※ ※ ※

 

 

 

「くっくっく……」

 

 

 玉座に深々と座り込んだ男が、隠すことなく低く嗤う。

 

 

「こうまでうまくいくとはなァ」

 

 

 新魔王となった男──ブレアの脇にいる壮年の男もが、嗤いを隠そうとせず。

 

 

「すべて計画通りですな、新魔王陛下」

「ドバン。お前の計画に乗った甲斐があったぞ」

 

 

 魔王の間には彼らふたりしかいないので、彼らは何の遠慮もなく言葉を交わす。

 

 

「しかしながら、陛下。てっきり私は、弱体化した前魔王を、御自らが嬲り者にするものと思っておりましたぞ。陛下が前魔王を快く思っていないのは、もはや周知の事実でもありましたしな」

「だからだよ、ドバン」

「というと?」

「俺はあの女を嫌悪している。嫌悪しきっている。ゆえに触れたくもないのだよ」

「……はあ、そうなのですか。ですが、前魔王のあの美貌には誰もが一目置いております。チャンスがあるならば、と思う男は多いと思いますがなぁ……」

「くくく……なんだお前。俺のおこぼれに預かろうって魂胆だったか」

「いえいえ、滅相もございませんが」

 

 

 慌てて否定するものの、男の口調にはありありと不満が見え隠れしている。

 ブレアはくだらんな、と鼻を鳴らした。

 

 

「俺は女ならば誰でもいいというわけじゃない。そこをはき違えるなよ」

「もちろんでございます。ですが……前魔王をこのままみすみす放逐でよろしいので?」

「馬鹿を言うな。どれだけ俺が辛酸を舐めさせられたと思っている? もちろん、すでに手は打っているさ。生きているのが嫌になるくらい、絶望してもらわないとな」

「おお、怖い怖い」

 

 

 おどけた様に男は言うが、反して目は一切笑っていない。

 

 

「それで陛下。あの女の妹を娶っている男は、如何いたしますか?」

「あの女がいなくなった以上、これ以上の戦力低下は避けたいところだ。よって、しばらくは様子見といこうじゃないか。五月蠅く騒ぐようなら──わかっているな?」

「妹君のラーミア殿も、大変見目麗しいと存じております」

「くくく……他人のことは言えんが、お前もなかなか好色じゃあないか」

「いえいえ。陛下には負けまする」

 

 

 

(前魔王と違って取り入りやすい奴だ……せいぜい甘い汁を吸わせてもらうぞ)

 

 

(俺を利用してるつもりなのだろうが……利用されているのはお前なんだよ)

 

 

 

 互いに思惑を隠しつつ。

 下卑た笑いが、魔王の間に響くのだった。

 

 

 ────

 

『小説家になろう』にて本編を書いています。

 

 

 



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第2話 「魔王様、追撃部隊と戦闘する」

 蒼雷の軌跡が迸り、狼魔獣から鮮血が吹き上がった。

 

 

 どうと倒れた狼魔獣はもはや息も絶え絶えの様子で、しかし敵意に満ちた視線だけは私に突き刺して来る。

 そんな狼魔獣へと、子供の狼魔獣が寄り添い、まるで守るように私の前に立ちはだかっていた。

 

 

「……ふう」

 

 

 私は溜め息ひとつ。

 

 弱体化したとはいっても、分類すれば下級に位置する魔獣(レッサー・ウルフ)相手に、私が後れをとる理由はないのだ。

 多少傷は追ってしまったが、軽微なので無視する私は剣を鞘に収め、傷付いて倒れている狼魔獣へとゆっくりと近づいていく。

 敵意を露わにする子供魔獣が「がうっ」と鳴いて私に噛みついてくるも、この際、仕方ないだろう。

 

 

「っ……安心しろ。お前の親を殺す気はない」

 

 

 左腕に噛みつかれたままで私は、倒れ伏す狼魔獣に近づき、治療魔法を施してやった。

 私がつけた傷跡がみるみるうちに治っていく。

 痛みがなくなっていくことに不思議に思ったのか、狼魔獣が警戒色が薄れた目で私を見てきた。

 

 

「もとはと言えば、私の不始末だからな」

 

 

 私は無駄な殺生は好まない。

 しかも私が原因なのだから、殺す理由すら見当たらないのだ。

 それでも襲ってくるのならば、容赦はしないが。

 

 そもそもが。

 魔王は絶対悪でいて邪悪だなどというのは、人族が勝手に作り上げた虚像に過ぎないのである。

 まあ、魔族と人族は敵対関係にあるので、プロパガンダ的なものだろうが。

 

 

 魔王とは、ただの魔族の王という意味しかないのだ。

 

 

 とはいえ。

 あの男(クズ)が新魔王になった以上、そのレッテル通りになってしまうのは想像に難くない。

 もはや私には関係ないことであるが。

 

 

「ペロペロペロ」

 

 

 いつしか、私に噛みついていた子供魔獣が私の左腕を舐めている。

 どうやら、私に敵意がないことをわかってくれたようである。

 

 完治した狼魔獣が私をゆっくりと一瞥した後、おもむろに背を向けて、街道脇の草むらへと姿を消していく。

 子供魔獣も急いでその後を追っていった。

 

 

「……やれやれ。前途多難だな」

 

 

 これからどうしたものだろうか。

 魔王城を追放されたいま、私には行き先もなく、目的も何もなかった。

 

 

 ふと脳裏によぎるは、№3に嫁いだ妹。

 

 

 私が失脚したといっても、さすがに新魔王とはいえ、№2に昇格した男相手に下手にケンカは売らないとは思うが……

 とはいえ、新魔王の不興を買っている私が妹宅に厄介になっては、無用な難癖をつけられて面倒くさい展開になってしまうかもしれない。

 だから、妹の厄介になるという選択肢はなかった。

 

 

「どうしたものか……」

 

 

 途方に暮れる。

 

 まあ、魔王城から逃げる際に、あらかたの私財を道具袋に突っ込んできたので、当面は心配いらないだろうが……資金が尽きたら、それまでである。

 

 

 街道を歩きながら、私は考えを巡らせる。

 

 

 行くアテもないので、とりあえず街道を進んでいるというだけだ。

 魔王城から少しでも離れるという意味もあったが。

 

 元魔王という肩書は使えない。

 そんなものは、何の意味もないからだ。

 

 

 ──過去の栄光に縋るのか?──

 

 

 忌々しいあの男の言葉が甦ってくる。

 いちいち言われなくても、そんな無様なことをする気はないのだ。

 

 

 と、道端で息絶えている亡骸を発見した。

 

 

 まだ新しいようで腐敗もしておらず、地面に血の華が咲いていた。

 進行方向にあったということもあり、とりあえず私はその遺体へと近づく。

 

 

「……ふむ。冒険者、か」

 

 

 身なりから、そう判断する。

 

 恐らくはソロで活動中、魔獣か何か知らないが怪我を負い、ここまで来たところで力尽きたといったところだろう。

 

 街道の警邏隊が通ればきちんと遺体を処理してくれるだろうが、あいにくと、ここを通る気配がない。

 

 

「仕方ないな」

 

 

 私は火炎魔法でその遺体を焼却してやることにした。

 このまま放置すれば腐って虫がたかることになるし、最悪の場合、アンデット化する恐れもあるからだ。

 元がつく魔王とはいえ、これまで国民のために動いてきた私は、国民に害成す恐れがあることを、さすがに放置できなかったのだ。

 自分でも甘いとは思うが……別に大した労力でもないのだから、よしとしておく。

 

 燃えていく遺体を前に、私はふと思う。

 

 

「冒険者として生計を立てるしかない、か」

 

 

 妥当なところだろうか。

 というか、それ以外、何も思いつかない。

 妹に迷惑をかけるなど、もってのほかなのだから。

 

 しかし……

 

 頂点を極めた私が、一介の冒険者風情に身を落とす……

 悔しさを通り越して、もはや笑い種である。

 

 

 人生、何が起きるかわからない。

 

 

 誰がいった言葉だったか。

 覚えていないが、まさにその通りだったと痛感だ。

 

 

 そんなことを思いながらしばらく街道を歩いていると、その場に、何やら物騒な連中が姿を現した。

 私は、隠すことなく嘆息ひとつ。

 

 

(おとなしく街道を歩くことすら許されないのか、私は)

 

 

 この街道……イベントが多過ぎる……!

 

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 

 一見すると、野盗然とした恰好の男たちだった。

 

 冒険者もこういったボロボロの恰好をしているのが多いが、私は冒険者だと判断はしなかった。

 なぜならば、そいつらが私を見ながら、イヤらしくニヤニヤした笑みを見せていたからだ。

 まあ、冒険者の中にも野盗まがいのことをする奴らはいるので、一概に判断はできないだろうが。

 

 

「金目のものを置いて行ってもらおうか」

 

 

 リーダーらしい男が宣言してくるが、その隣にいる別の男が下卑た目を私に向けてくる。

 

 

「よく見たらべっぴんじゃないか。お頭、金目のものだけじゃなく、()()()()も要求しましょうや」

 

 

 男たちがニヤニヤ笑ってくる中、頭と呼ばれた男が「ふむ」と頷いた。

 

 

「女、訂正しよう。()()()、置いていってもらおう」

 

「……別に訂正しなくてもかまわんよ。もとより、何も置いていく気がないんだからな」

 

 

 私が抜刀すると、見るからに低俗だった男たちの表情が、がらりと変わる。

 頭の表情も鋭いものになっており、片手で指示を出すや、男たちが抜刀して私を取り囲んできた。

 

 

(なるほど。野盗を演じていただけということか)

 

 

 私を取り囲んだ男たちの動きは、訓練された現役兵士のそれだった。

 野盗風情や冒険者が身に着けられるような動きではなく。

 もちろん、兵士崩れという可能性もないだろう。

 完全に統制が取れているのだから。

 

 あの男(新魔王)の追手と考えたほうが自然だろう。

 

 自分では何もしないことで私の女としてのプライドを傷つけさせ、そしてトドメとばかりに、複数の男たちによって私を嬲る計画ということだろうか。

 

 

(つくづくクズだな、あいつは)

 

 

 だからこそ、私は心底あいつが嫌いだったのだが。

 

 

「女。悪いが、お前の全てを頂くぞ」

 

「臭い芝居はもういい。くるなら、早くこい。ただし、死にたいのなら、だがな」

 

 

 リーダー各の男はにやり笑い、片手を上げた。

 その途端、私を取り囲む男たちが一斉に動きを見せる。

 無駄のない統率のとれた連携でもって、私の四方から襲い掛かってきた。

 

 数に差がある劣悪な状況なれども、私には何ら気負いはなかった。

 戦闘力こそ落ちていたとしても、これまでに培った経験値はそのままなのだからだ。

 すなわち。

 四方を囲まれた時は、相手の意表を突けば容易に抜け出せるのである。

 

 私は慌てることなく、魔法を発動させた。

 いまの私では下級レベルしか扱うことはできないが、それでも十分。

 私を中心とした地面が一瞬で氷漬けに。

 踏めば簡単に割れる程度に薄い氷なれど、突然の地面の変化に対応できない何人かが足を滑らせ、態勢を崩す。

 

 

「まずひとり!」

 

 

 バランスを崩している敵に肉迫しざまに蒼刃を一閃。

 血風を巻き上げ、絶命したその敵に回し蹴りを叩き込み、切っ先を送り込んできていた別の敵へとぶつけて、回避できずにもんどりうったところへ、死体の背中越しに蒼の剣を突き刺してトドメを刺す。

 

 ふたりの仲間があっと言う間に倒されたというのに、男たちには何ら動揺が見受けられず。

 表情を一切変えずに、黙々と私へと攻撃を叩き込んでくる。

 

 

「……ちっ」

 

 

 横薙ぎの斬撃を受け止め、私は舌打ちひとつ。

 

 さすがに訓練を受けている正規兵ということなのだろう。

 戦闘中には、無駄な感情を持ち込まない。

 ただただ一心に、目の前の敵を滅するのみ。

 

 両側面から男たちが斬りかかってくるので、私は正面の男に蹴りを入れ、その反動で距離をとるが。

 

 

「背中ががら空きだな!」

 

「っ……」

 

 

 リーダー格の男がいつの間にか回り込んでおり、回避が遅れた私の背中が撫で切られてしまう。

 追撃しようとしてくるリーダー格だが、私が牽制の一撃を放っていたので、中断される。

 しかし、氷の地面を踏み砕いてきた男たちが、一気呵成に私へと群がってくる。

 

 

 息つく暇もなく。

 

 

 数の利を生かした堅実な戦術。

 個々の戦闘力は、弱体化している私と比べても低いだろう。

 しかし攻防一体の連携が、私を苦しめてくるのだ。

 

 

 一対多勢による斬撃の応酬。

 

 

 私は地面を凍らせながら足止めしつつ、剣術と体術で迎え撃ち。

 男たちは攻撃役と防御役を決めているのか、自分の役割を忠実に守りながら、着実に私を追い詰めてくる。

 

 

 身体が……重い。

 思うように……動けない。

 

 

 思わぬ劣勢に、私は歯噛みする。

 私はここまで弱くなってしまったのか、と。

 蓄積された経験値がなかったら、とっくに勝負は決まっていたことだろう。

 

 

(これは予想以上か……認識を改める必要があるか)

 

 

 私は、少し現状を甘く見ていたらしい。

 真摯に反省しなければならないだろう。

 私はもはや最強魔王ではない、ということを……

 

 

「あの最強魔王を相手に押しているのか……っ?」

「いける……いけるぞこれ!」

「一介のおれたちが……!」

 

 

 思わずといった様子で、冷静さを保っていた男たちが口々に呟いてくる。

 さしもの訓練を受けている兵士たちとはいえ、この事態に興奮を隠せないようだった。

 

 前言撤回といったところだろうか。

 彼らと切り結びながら、私は苦笑いを見せてしまう。

 

 

「おいおいおい……身分を隠してたんじゃなかったのか?」

 

「すでにバレているんだ。だったら、いまさら隠す必要もないだろう?」

 

 

 リーダー格は部下たちの軽挙に叱咤するどころか、むしろ容認しているようだった。

 

 

「そもそも正体を隠す意味がわからないがな」

 

 

 私の呆れ交じりの指摘に、リーダー格が苦い顔に。

 

 

「……魔王城を追放した上に、追撃部隊まで出したとなれば……さすがに体面が傷つく」

 

 

 そう述べてから、初めてリーダー格がイヤらしい笑みを向けてきた。

 

 

「仮にも正規兵が、前魔王を蹂躙するなど、それこそ体面が崩壊する」

 

 

 その言葉が意味する卑劣性を受けて、私を取り囲む男たちも下卑た視線で私を舐めまわして来る。

 

 

「……クズに従う者も、またクズということか」

 

 

 私の呟きを負け惜しみと捕らえているようで、男たちは余裕の態度を崩さなかったが。

 

 

「この辺でいいだろう。終わりだ、ゲス共」

 

 

 私の意図する言葉がわからないようで、男たちが訝しむような顔に。

 彼らに説明する道理もないので、私は行動で示すことにした。

 びしょびしょとなっている地面に蒼の剣を突き立てるや、ひょいっとその柄に飛び乗る。

 

 そこで初めて、男たちが顔色を変えた。私の意図に気付いたのだろうが、もう遅い。

 

 

 蒼の雷が切っ先から迸る。

 

 

 それらは濡れきった大地を縦横に奔り、足元が濡れている男たちへと襲い掛かっていた。

 

 ──感電である。

 

 私の視界が蒼一色に染まり。

 色が消えると、たった一瞬でもってその場の戦闘は終了していたのだった。

 

 

 

 ※ ※ ※

 

 ※ ※ ※

 

 

 

「えぇっ!? お姉さまが失脚って……本当なのですの!!!?」

 

 

 素っ頓狂な声を上げたのは、見目麗しい女性だった。

 前魔王クレアナードの妹である、ラーミアである。

 自宅にて優雅な午後ティーを楽しんでいた彼女は、可愛らしい両目をまん丸にする。

 

 

「残念だけど、本当らしい」

 

 

 好青年然とした男──彼女の夫であるマイアスは、沈痛な面持ちで告げる。

 

 

「しかも、すでに義姉さんは魔王城を追放されたようだ」

「うそ!? なんで追放なのですの……!? 意味がわかりませんわ!!?」

「勇者との戦いで、義姉さんが最強の魔族じゃなくなったから、という理由らしい」

「そんなことって……お姉さまのこれまでの功績を考慮したら、たとえ魔王じゃなくなったとしても相応しい要職に就いて然るべきですわよ!!」

「……新魔王になったブレアは、義姉さんを快く思っていなかったからな……」

「ブレア……! あの筋肉ダルマ……っ!!」

 

 

 童顔には似合わない怒りの表情を浮かべるラーミアに、マイアスは複雑そうな表情で言う。

 

 

「ただ、不幸中の幸いとでもいうべきか、義姉さんはブレアに()()事はされずに、無事に魔王城を出たということみたいだ」

「当たり前ですわ! お姉さまがあんな筋肉ダルマに手籠めにされるなんて……在り得ないですわ!」

「ああ、そうだね。君の気持ちが痛いほどわかるから、その、少し紅茶を飲んで落ち着こう?」

 

 

 やや引きつった顔で勧めてくることで気づいたのか、ラーミアは「こほん」と咳払いしてから、言われた通りに紅茶を一口。

 

 

「そもそも、おかしいと思うんですけど……警戒が厳重のはずの魔王城の、さらに奥深くに潜入されてしまうなんて。マイアス、貴方は何か不自然だと思いません?」

「……まさか、手引きしたものがいるって言いたいのかい……?」

「お姉さまが失脚して誰が一番得をしたのでしょう?」

「……ブレアだろうね。あいつは新魔王になったのだから」

 

 

 その事実を口にしながら、マイアスの表情はだんだんと険しいものになっていく。

 

 

「あいつ、そこまでクズだったというのか……」

「こうしてはいられませんわ! いますぐにお姉さまを迎えに行かなくては!」

 

 

 勢いよく立ち上がったラーミアを、マイナスは冷静に制止した。

 

 

「それは、いまはやめた方がいい」

「? どうしてですの?」

「義姉さんはブレアと折り合いが悪い。そして義姉さんは失脚し、ブレアは最高権力を手に入れた。いまこの状態で義姉さんを匿えば、あいつに下手に付け入られる隙となるだろう」

「……マイアス。貴方は、お姉さまを見捨てるというのですの……?」

 

 

 ラーミアの双眸が鋭いものに変わる。

 そんな彼女を前に、しかしマイアスは静かに首を振った。

 

 

「そうじゃない。時期を見て動かないと、取り返しのつかないことになりかねるってことさ」

「……でも。でも、苦境に立たされているお姉さまに、何も出来ないなんて……」

「義姉さんも、それが分かっているからこそ、僕たちの元に姿を見せなかったんだと思う」

「でも……。……じゃあ、これからわたしたちはどうしますの?」

「しばらくは静観するしかないだろうね。いまは、軽挙妄動は控えるべきだと思う」

 

 

 わかってくれ、とマイアスは視線で彼女に語る。

 

 

「……わかりましたわ。でも、何かお姉さまとの連絡手段くらいは、確保しておきたいのですけれど」

「確かに、それは必要になってくるだろうね。いざという時に備えて」

 

 

 とはいえ、通信機は使えないだろう。

 傍受される恐れがあるからだ。

 最高権力を手に入れた以上、いまのブレアには何でも出来るのだからだ。

 

 

「信頼のできる密偵かなんかを、早急に用意する必要があるね」

 

 

 言うや否や、マイアスは足早にその場から出ていった。

 その場にひとりとなったラーミアは、不安を隠せない足取りでバルコニーへ。

 

 どこまで澄み切った青空。

 小鳥たちが飛び交い。

 城下町からは平和な喧騒が聞こえてくる。

 

 しかし対照的に、ラーミアの内心は曇天である。

 

 

「お姉さま……どうか、ご無事で……」

 

 

 いまは祈ることしかできないことに、彼女は苛立ちを隠せない様子だった。

 

 

 ─────

 

『小説家になろう』にて本編を書いています。

 なのでこちらの更新は遅めです。

 



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第3話 「魔王様、精霊メイドを召喚する」

「ふう……さすがに疲れたな」

 

 

 小川から水をすくって喉の渇きをいやした後、私は脇に転がっている少し大き目の小石に腰かけた。

 

 追撃部隊を返り討ちにした私は、街道から逸れて森に入っていた。

 ちょうど小川のせせらぎ音が聞こえてきたからだ。

 喉が渇いたこともあり、休憩がてら、今後の身の振り方を考えるために、この場に立ち寄っていたのである。

 

 これといって目的地があるわけでもないので、これくらい寄り道したって別に構わないだろう。

 

 

「……小腹が空いたな……」

 

 

 道具袋には生活必需品がそれなりに詰め込まれてはいるが、生憎と、食料は入っていなかった。

 私は基本的に間食もあまり摂らないので、自室にはお菓子の類も一切なく。

 こんなことになるならば、非常食をストックしておけばよかったと後悔である。

 

 

(……まあ、魔王城を追放されるなんて予測、立てられるはずもないがな)

 

 

 苦笑い。

 

 贅沢はしていなかったつもりだが、生活に困ることはなく、必要なものはすぐに揃えられていた。

 しかしいまでは……

 飲み水にすら苦労してしまう始末。

 

 

 ぐう……っと、空腹を訴えてくる腹。

 

 

 あまりにも情けなくて、涙よりも笑いがこみ上げてくる。

 

 森の中なので探せば食材はいくらでもあるだろうが、残念ながら私には食材の知識もなければ、料理すらまともにできなかった。

 料理人がいたのだから、私が料理をする必要がなかったせいでもある。

 

 それだけ私は……頂点にいたということだ。

 

 

「くくく……地位がなくなっただけで、私はこんなにも無力だったんだな」

 

 

 自虐的に呟いてから、思い出した。

 私には、身の回りを任せていたメイドがいたことを。

 

 

 召喚者の魔力を糧とする精霊。

 

 

 地位のある者や魔力の強い者は、金銭の関係ではなく自身の魔力で働いてくれる精霊メイドや執事を使役するのが主流であり、私もまた、同じようにひとりの精霊メイドを使役していたのだ。

 精霊メイドや執事は魔力を与える限り決して裏切るということがないので、信頼性が高い精霊に趣が置かれるのは自然の流れだった。

 

 金の切れ目が縁の切れ目……普通のメイドや執事の多くは、簡単に裏切るのだから。

 

 

 召喚自体は下級に部類されるので問題ないが……

 

 

「問題なのは、いまの減退した私の魔力が”あいつ”の好みにあるか、だな」

 

 

 新しく別の精霊を使役してもいいが、どうせならば、いままで使役していた同じ精霊がいいと思ってしまうのは……私自身、精神的に弱っているからかもしれない。

 

 全てを失ったわけだが、せめて身近に置く者は、慣れ親しんだ者がいい、と。

 

 

(……無意識に、私も弱ってたんだな……)

 

 

 私だって不安を抱いてしまうのは仕方ないだろう。

 虚勢を張っても意味がないので、無駄な強がりはしない。

 思い出すと、いまの状態で使役できるのかわからないが、すごく顔が見たくなってしまった。

 立ち上がった私は、正面の地面に魔法陣を展開する。

 

 

 明滅する魔法陣から現れたのは、メイド服に身を包む、ひとりの女性。

 

 

 美男美女のエルフを思わせる美貌の持ち主ながらも、まったくの無表情であり。

 白銀の髪と真紅の目が特徴的な魔族とは違い、前髪を切りそろえた深緑の髪と深緑の目が、まるで人形を彷彿とさせていた。

 

 その精霊メイドは、私を視認した後、きょろきょろと周囲を見回した。

 

 

「おや……? ここは魔王城ではありませんね」

 

 

 淡々とした口調には、感情の起伏がまったく見られない。

 感情がまるでないというわけではないが、彼女は単純に希薄なのである。

 

 

「ふむ……なるほど。クレア様。()()()魔王城を追い出されたのですね」

「……ん? ”ついに”? どういうことだ? お前は何か知っているのか?」

「我々精霊メイドの情報網では、すでに周知の事実だったのですが」

 

 

 当たり前のことを言うような口ぶりで、精霊メイド──アテナが私を見てくる。

 

 

「魔王陛下──クレア様は、じきに裏切られるだろうと」

 

 

 とんでもない爆弾を投下してきたものだった。

 

 

「なっ……いやいやいや! ちょっと待て!?」

 

 

 私はこめかみを抑える。

 

 

「そういう情報がありながら、どうして私に教えなかったんだっ?!」

「聞かれませんでしたので」

「…………ああ、そうか、そういうことか。お前は、昔からそういうところがあったよな」

「やれやれ。私に八つ当たりされても困ります。裏切られたのはご自身の不始末でしょう? 自身の無能さを棚に上げて私を責めるなど……愚の骨頂としか言えませんね」

 

 

 アテナは私に使役されていながらも、他の使役精霊と違って絶対服従の姿勢ではなく、言いたいことははっきりと言ってくる、少し変わったタイプだった。

 そういう面の相性が私と合っていたというのもあるが、彼女は口は悪いがメイドとして優秀だったこともあり、彼女(精霊メイド)を変更することなく、今日までずっと傍に置いてきたというわけなのだ。

 

 

 相変わらずの憎まれ口に、私は腹を立てるよりも、妙に懐かしく思ってしまう。

 

 

「アテナ、いまの私の状況をどこまで把握している?」

「把握も何も、召喚されなければ私は精神世界で眠った状態なので、外の状況はわかりかねます。精霊メイドのネットワークも、あくまでも召喚されている状態に、交換するものなので」

「そうなのか」

 

 

 淡々と答えてくるアテナに、私は隠すことなくいまの状況を教えた。

 隠す意味もなかったからだ。

 ここで見栄のために嘘をついたところで得るものは何もなく、ただただアテナの信頼を失うだけである。

 

 

 口を挟むことなく静かに聞き終えたアテナは、理解したように頷いてきた。

 

 

「なるほど。それでクレア様の魔力が()()なっているのですね」

「アテナ。私としては、これからもお前に傍にいてほしいと思っているんだが……」

「おやおや。プロポーズの言葉とは、気が触れましたか? 私にそっちの趣味はありませんよ?」

 

 

 抑揚のない声で、冗談か本気かわからないことを言ってくる。

 そんな彼女に、私は溜め息ひとつ。

 

 

「真面目な話だ。いまの私は魔力が減退している。お前の糧となる魔力が、いまの私の魔力で足りているのだろうか?」

 

 

 割と真剣な口調で問うと、アテナは「ふむ……」と顎に手を当てて、私をじっくりと観察してきた。

 深緑の両目がわずかに光を帯びたのは、私に内在する魔力を見極めているのだろう。

 

 ──やがて、アテナの両目から光が消えた。

 

 

「薄味になったスープ……と、いったところですか。まあ、これはこれでありですかね」

「……? どういう意味なんだ?」

 

 

 ちょっと意味がわからなかったので私が頭に疑問符を浮かべると、アテナはこほんと咳払い。

 

 

「大好きな料理を出す店があったとします。しかし薄味になってしまいました。ですがその料理は、その店でしか食べられません。ならば、多少の不満はあれどもレアリティを優先するのは当然のことです」

「……不満は、あるんだな」

「当然ではありませんか。まあですが、私は(魔力)に煩いのです。相性の良い魔力が薄くなったとしても、その味を手放したくはないのです。ですが、とてもとても不満です。それはもう限りなく。精霊にとって魔力は死活問題になってきますので。ですがまあ、私はオトナなのです。多少の不平不満はごくりと飲み込んでも、胃もたれを起こしたりはしないのです。ですからその点だけは、ご安心ください」

 

 

 珍しく饒舌になったのは、やはり不満の現れなのだろう。

 無表情でまくし立てられるのは、ちょっと怖いものがあった。

 

 しかし私は……

 

 

「そうか……すまんな」

 

 

 素直に嬉しいと思ってしまった。

 全てを失ったと思っていたが、私は全てを失ったわけではなかったということだ。

 

 

「あっさり下剋上された無能な元魔王様、ひとつ宜しいですか?」

「なぜお前は、いつも傷口に荒塩を塗り付けるのか。……なんだ?」

 

 

 無表情ながらもアテナが、まるで借金取りのような眼差しを向けてくる。

 

 

「薄くなった分、今までの倍の魔力を頂きます。文句はありませんね?」

「……戦闘に影響が出ないタイミングでなら、な」

 

 

 きちんと主義主張をしてくる”旧友”に、私は苦笑いを隠せないのだった。

 

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 

「空腹なんだ。さっそく、何か料理をつくってくれ」

 

 

 再び契約し直したアテナに遠慮することなく注文するも、当の彼女はやれやれと溜め息を吐いてきた。

 

 

「食材もないのに何か料理を作れなど……相変わらず無理難題を吹っかけてきますね。どこぞのヒーローみたいに『僕の顔を食べなよ』的な展開を期待されても、返答に困ります。私の中身は餡子ではないので」

「むう……そうか」

 

 

 言われてみればその通りである。

 いくら優秀なメイドとはいえ、食材がなければ何も作れはしないだろう。

 

 彼女が言った某ヒーローが何者なのか気になったが、精霊にしか知らない情報があるのだろうと、深く追求はしない。

 

 

「ちょうど、そこに小川が流れているのです。魚を捕られてはどうでしょう?」

「魚、か……」

 

 

 当然ながら、私には魚を釣った経験なんてあるわけがなかった。

 

 

「釣り竿もないのに、どうやって魚を捕ればいいんだ?」

「そんなものは知りません。ご自分で考えてください」

 

 

 魚を捕るまでは何もしないとばかり、アテナは手近にあった小岩に腰かける。

 まるで他人事である。

 まあ、食べ物を必要とする人間()と違い、精霊であるアテナにとっては、私の魔力さえあれば事足りるので、そういう反応になるのだろう。

 

 

 兎にも角にも。

 

 漁獲することに関してはアテナは役に立たないようなので、私は思案することにする。

 

 

(どうしたものか……)

 

 

 道具がなければ作る? ……私にそのような技術はない。

 熊のように素手で捕まえる? ……人間が動物の瞬発性を真似できるはずもない。

 ならば……

 

 その後もあれやこれやと試行錯誤を繰り返した結果、私がつくづく温室育ちだったのだと痛感するだけだった。

 

 いつまで待っても何の動きも見せない私に飽きたのか、小岩に座るアテナはいつしか、宙を舞う蝶々と戯れていたりする。

 完璧な美貌を持っているだけに、その光景は絵になっており、思わず見惚れてしまうが……

 腹の虫が抗議をしてくるので、私は正気に戻る。

 

 

(動物にはない知恵が、人間にはあるんだ。だったら、それを使えばいい)

 

 

 そして考えることしばし。

 ようやく私は、ひとつの答えにたどり着く。

 

 剣を鞘から抜いた私は、小川に蒼の切っ先を付き入れた。

 当然ながらそれだけでは何の効果もなく、川の中を優雅に自由に泳ぐ魚たちは、簡単に避けていく。

 

 

 私は、知恵を持つ人間だけが得ている、英知ともいえる魔法を発動させた。

 

 

 冷気が吹きすさび。

 氷が関となって、川の流れを遮断する。

 さながら、簡易的なダムと言ったところだろうか。

 

 進行方向が突如として塞がれたことに、魚たちが右往左往。

 

 そこへ、川の中に突き立てている蒼剣の出番である。

 雷撃が迸り、魚たちをまとめて感電死させたのだ。

 

 ぷかぁっと水面に浮かんでくる大量の魚を前に、私は満足げな笑み。

 

 思わずドヤ顔になってしまったのは……スルーしてほしい。

 それだけ、嬉しかったということだ。

 

 

「アテナ、魚を確保したぞ」

「時間がかかったようですが、まあいいでしょう。あやうく『魚すら満足に捕れないのか! この無能め!』と蔑むところでした」

 

 

 蝶々との戯れを中断したアテナはそう言って立ち上がり、私の元へと歩いてくる。

 

 

「ではクレア様。魚を回収後、魚と同じだけの小枝を拾ってきてください」

「……おいおい。まだ、私を酷使するつもりなのか?」

「これは異なことを。食事を摂りたいのはクレア様であって、私ではないのですが?」

「ぐ……わかった。いまは、言う通りにしよう」

 

 

 空腹には逆らえない。誰だってそうだろう。魔王とか関係なく、私はとにかく腹が減っていたのだ。

 

 言われた通りにすると、私から短刀を借りたアテナが手際よく魚を捌いて内臓を取り出した後、いつの間にか用意していた焚き火に、小枝を貫通させた魚をくべていた。

 

 

「……これは?」

「焼き魚です。魚料理においては、割とポピュラーな代表作です。本来なら塩で味付けしたいところですが、生憎といまこの場には調味料がないので、素の味をご堪能ください」

 

 

 焼けた魚を手渡され、ひと齧り。

 ……うん。決してまずくはなかったが、おいしいとも言えない微妙な味加減。

 確かに、これならば塩味が恋しくなってくる。

 こんなことならば、魚以外にも、木の実やキノコでも採取しておけばよかったかもと、思ってしまう。

 

 

 ……とはいえ。

 私だけでは、この程度の料理すらできなかったのだから、贅沢は言えないだろう。

 

 無言で魚をハグハグすることしばし……

 

 

「……ふう。とりあえず、満腹にはなったかな」

 

 

 元々私はあまり食べる方ではなく、どちらかと言えば小食の部類に入るので、これだけの魚でも十分すぎるほどに満足してしまうのだ。

 

 

「あふ……」

 

 

 大きな欠伸をひとつ。

 どうやら、満腹になったことで眠気が襲って来る。

 リラックスしてしまったことで、いままでの緊張感による疲労が一気に押し寄せてきたらしい。

 

 

 しかしそんな私を前に、アテナが無表情の目を私に向けてきた。

 

 

「では、対価の魔力を頂きます」

「……え?」

「『え?』ではありません。物事には対価が発生することは、今さら説明する必要はないと思うのですが?」

「いや、そうじゃなくて。魚料理をしただけで? という意味なんだが……」

「現状を考慮した結果、前払いさせて頂いた方がよいかと思いまして」

「いやいやいや……前払いとか、さすがにそれは、暴利じゃないか?」

 

 

 戦闘力が低下した状態による、先ほどの追撃部隊との戦闘で、私はひどく疲れていたのだ。

 そのうえ、漁獲でも少なからず疲労している。

 こんな状態でアテナに魔力を食われては、さすがに意識を保っている自信がなかった。

 

 

「クレア様。残念ながら、貴女に主導権はないのです」

 

 

 冷淡に告げてつつ、私へと近づいてくるアテナ。

 

 まじか……と私は絶句。

 これではどちらが主人なのかわからない。

 

 

「私としても”空腹”を覚えている状態なのです。まだ前回の働きによる報酬を頂いてはおりませんので」

「……ああ、確かに、そうだったな」

 

 

 まさか魔王城を追放されるなんて思ってもいなかったので、アテナへの報酬はまだ未払いだったのだ。

 あの最強勇者との決戦の日が、ちょうど報酬の支払日だったということもある。

 

 

「……すまなく思うが、延期という選択肢はないだろうか……?」

 

 

 こんな状況なのだ。

 もう少し安全が確保されてからでないと、おちおち眠ることすら出来ないだろう。

 寝ている時に襲われては、まさにひとたまりもないのだから。

 

 

「やれやれ……ご自分は満腹感を得ておいて、私には空腹のままでいろと仰ってくる。どれだけ鬼畜なのですか? 貴女は。それとも、空腹に喘ぐ他者を見て悦に浸る狂気的な嗜好の持ち主なのですか?」

「いや、何もそこまで言わなくても……」

「先ほども述べましたが、正直なところ、私にも()()がないのです。精霊にとって魔力接種は生死にかかわることですので。というわけで、頂きます」

「いや、ちょ……」

 

 

 私に反論の余地を一切与えずに、アテナが私に襲い掛かってきた。

 負い目もあることで反応が遅れてしまった私は、あえなく魔力を根こそぎ奪われることに。

 急激な魔力低下により意識が混濁してしまい。

 私の意識は、あっけなく闇の底に落ちていくのだった。

 

 

 

 ※ ※ ※

 

 ※ ※ ※

 

 

「はあ、はあ、はあ……っ」

 

 

 息を切らせながら、ひとりの軽装姿の少女が森の中を駆けていた。

 走るたびに尻尾が激しく揺れ、狼型の耳がしきりにぴょこぴょこ動いている。

 その全身は傷だらけで、額にも汗がびっしり浮かんでおり、それでも狼人族の少女はひたすらに駆けていた。

 恐怖が浮かんでいるその双眸が後ろを振り返ると、その原因たる”存在”の姿が。

 

 

 

『逃がさないぃぃい! ”あの人”を殺したお前だけは許さないぃいぃい!』

 

 

 

 宙を浮遊しながら、血走った目で少女を追ってくる女。

 半狂乱といった様子から、もはや会話が成立しないことは明らかだった。

 

 

 走りながら少女は、無駄と知りながらも叫んでいた。

 

 

「知らないってば! あたしは無関係だって!!!」

 

 

 森の中で気楽に採取クエストの最中に、運悪く”こいつ”に遭遇してしまっただけなのだ。

 

 

 

『”ジェイ”は立派な勇者だったのにぃいぃ! どうして魔王に殺されなきゃいけないのよぉおおぉ!』

 

 

「だから知らないってば!! 誰だよそいつ!」

 

 

 誇れる戦闘力を持たない彼女は、ひたすらに逃走する。

 冒険者とはいってもランクは初心者レベルなので、採取クエストで経験値稼ぎをしていたところだったのだ。

 

 

「あーくそ! なんでこんな森に”狂精霊”がいるんだよ!! 聞いてないよぉっ!!?」

 

 

 名の通り狂っている以上、穏便な話し合いなんて出来るはずもなく。

 まだ冒険者を初めて日が浅い彼女には、完全に手に負えない相手だった。

 

 

 狼少女は自身の不運さを呪いながら、ひたすらに逃げ回る──

 

 

 

 

 ───────

 

 

『小説家になろう』にて本編書いてます。

こちらは時間のある時に更新してる感じです。

 

 



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第4話 「魔王様、狂精霊と相対する」

 ゆらゆらゆらと、私の意識は暗闇の中を漂っていた。

 

 

 ああ……これは夢か、と認識すると、目の前にとある光景が映し出されてきた。

 

 

 場所は、見慣れている魔王城内にある演習場。

 私と剣を打ち合い、弾き飛ばされたひとりの青年。

 そんな青年を心配そうに見つめる童顔の少女。

 

 

「どうした? この程度か? それでは、妹との結婚は認められないな」

 

 

 私は冷然と言い放ち、慣らす様に剣をひと振り。

 宙に一条の蒼の軌跡が描かれ、舞い散る雪のような蒼雷の残滓が解けるように消えていく。

 

 

(……ああ、これはあの時のか……)

 

 

 妹との結婚許可を求めてきた日の出来事。

 交際していたことは知っていた。

 まあ交際程度ならばと黙認していたのだが、結婚となってくると話が違ってくるのだ。

 

 

「大事な妹を任せるのだ。だから弱い奴に任せることはできない。いざという時、妹を守れるだけの最低限の強さくらいは持っていてもらわなくてはな」

 

 

 この当時、まだ彼は№3の実力者ではなかった。

 実力だけでいえば当時でも№2だった()()()が相応しいだろうが……まあ言うまでもなく、あいつは論外である。絶対に妹が不幸になるだろう。

 

 

「く……」

「マイアス!」

「だ、大丈夫だよ、ラーミア。僕は、まだやれる……っ」

 

 

 悲痛な声をあげる恋人()に優しい笑みを向けてから、ゆらりと立ち上がった青年は、刀身から炎が吹き上がる魔剣を、ゆっくりと構えなおす。

 その両目には闘志が消えておらず、爛々と熱を持っていた。

 

 

(魔王という立ち位置にいる以上、私には多くの敵がいたからな……)

 

 

 外部だけでなく内部にすらも。

 万が一、私の身に何かあった場合、血縁である妹にも危害が及ぶ可能性がある。

 そのためにも、凶刃から妹を守るだけの強さが必要なのだ、妹の夫には。

 

 早くに両親を亡くした私は、妹の親代わりとして必死に妹を守ってきたのだ。

 妹とは歳が離れていることもあってか、いつしか私は姉じゃなく母親のような感覚も抱いていたりする。

 

 魔王は世襲制ではなく、実力主義社会の産物であり。

 

 妹を守るために必死になっていたら、気づいたら最強魔族となっており、魔王の座にいたというわけなのだ。

 自分で言うのも何だが、責任感の強い私は妹だけじゃなく、国民にも責任を持つことになるわけだが……

 

 そのせいで結果的に妹に危害が及ぶ可能性が出てしまったことは、なんとも皮肉な話ではあった。

 だから妹には私のような驚異的な魔力や戦闘力はないので、絶対に守ってくれる存在が必要なのだ。

 

 

「立ち向かうだけなら誰でもできる。必要なのは結果だ。私に結果を示して見せろ」

「……言われるまでも、ない!」

 

 

 漲る闘志を吹き出して、青年が私に飛び掛かってくる──

 

 結果。

 

 その日は、青年をボコボコにして終わる。私に一撃たりとも入れることはなく。

 次の日も、青年は私に挑んできた。しかし結果は変わらない。

 さらに翌日も……しかし、青年の敗北は覆らない。

 

 そんな変わらない結末の日々が、何日も何日も続いていく。

 

 私は決して手を抜かない。抜くわけにはいかない。

 なにせ、妹の将来がかかっているのだからだ。

 生半可な相手に、大事な大事なたったひとりの肉親を任せることはできない。

 

 私の想いを尊重してくれているのだろう。

 妹は、恋人をボコボコにする()を非難することはなかった。

 

 決して諦めない青年は、日々の私との戦いの中で、めきめきと力をつけていった。

 それもそうだろう。

 ある意味で、最強魔族である私に、直々に鍛えてもらっているようなものなのだから。

 

 

 

「踏み込みが甘い! 私を舐めているのか!」

「くそおおおおおおおおお!」

 

 

「攻撃が単調すぎる! お前は馬鹿なのか!」

「くそおおおおおおおおお!」

 

 

「必ず追撃がくると思え! 油断をするな!」

「くそおおおおおおおおお!」

 

 

「なんだこの火炎球は! 片手で払えるぞ!」

「くそおおおおおおおおお!」

 

 

 

 いつしか青年は、私との戦いを経て、№3の実力者へとなっていた。

 それでも、私との実力差は歴然としていた。

 これだけ戦っていると、いくら強さを得たといっても、彼の戦い方の特徴や癖を把握してしまったからだ。 

 

 なので、今日もまた青年は私に膝をつかせることはできず、逆に自分が地面に膝をついていた。

 

 

「はあ……はあ……はあ……今日も、ダメだったか……」

「マイアス、また明日がんばりましょう? ね?」

 

 

 寄り添うふたりへと、私は静かに言っていた。

 

 

「その必要はない」

「え……?」

 

 

 目を丸くする妹に、私は微笑を向ける。

 

 

「いい伴侶を得たな、ラーミア。お前たちの結婚を認めよう」

 

「「え……!?」」

 

 

 突然の展開に驚くふたり。

 

 

(これだけひたむきに妹を想っている姿を見せられては……さすがに、な)

 

 

 妹への想いが本物であることはわかり、そして納得できるだけの実力も身に着けている。

 妹が私から離れる……もう私の庇護を必要としないという事実に、寂しさを覚えてしまうが。

 彼になら──義弟にならば、大事な妹を任せても大丈夫だろう。

 しかし……

 

 

(初めて、妹が羨ましいと思ってしまったんだったな……)

 

 

 自虐の笑み。

 そして、そういえばと思い出す。

 

 

(マイアスが哨戒任務に出ている時に、あの勇者が襲撃してきたんだったな……)

 

 

 もしあの場に彼がいたならば、違った結果になっていたことだろう。

 偶然にそういうタイミングだったのか、それとも……

 

 

(まさか、な……)

 

 

 すると。

 身体を激しく揺さぶられる感覚でもって、私は意識を夢から現実へと戻すことに──

 

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 

「……ん?」

「おや。やっと起きられましたか」

 

 

 私を揺さぶっていたのだろう。私の身体に触れていたアテナが、私が目覚めたことに気が付いた。

 ……にもかかわらず、尚も私の身体をガクガクと揺さぶってくる。

 

 

「……いや、ちょっと待とうか。私が起きたの、気づいたよな?」

「はい」

「……じゃあ、なんでまだ揺さぶるんだ?」

「さあ? なぜでしょう?」

 

 

 寝起きでこれだけ激しく揺さぶられると、さすがに気持ちが悪くなってくる。

 しかしアテナの凶行は、割と近くから聞こえてきた爆音で中断された。

 

 

「なんだ……?」

()()気配が近づいてきます。ですから、こうして起こさせて頂きました」

「……そうか。私はどれくらい寝てたんだ?」

「3時間程かと」

「たったそれだけか……どうりで、まだ眠気が取れないわけだ」

「ですがこのまま起こさなければ、最悪の場合、そのまま永眠という可能性もあります」

「わかってる。起こしてくれて、ありがとう」

「どういたしまして」

 

 

 そんなやり取りを交わしている間にも、何やら物騒な音が近づいてくる。

 真っすぐにこちらに向かってくるというよりは、その気配はジグザグに近づいてきており、結果的にはこちらに向かってきている、といった感じのようだった。

 

 

 ──そして。

 私が剣を抜くのと、小川を挟んでの向こう側の木々から、その人物が飛び出して来るのは同時だった。

 

 

 息も絶え絶えに飛び出してきたのは、満身創痍の狼人族の少女だった。

 開けた場所に出たことで足元の小石に蹴躓き、思わず転倒しそうになるもどうにかバランスを保ち、私に気付くや、一目散に小川を突っ切て来た。

 

 

「た、た、助けて! おわ、追われてるんだ……!!」

 

 

 私にしがみついてくる狼少女に目を向けることなく、私は彼女が飛び出してきた木々へと鋭い視線を向けていた。

 やがてそこから姿を現すは、全身的に色素の薄い、浮遊する女性。

 ハッとするような美しい造形の容姿だったが、血走った目や半狂乱の様子が台無しにしていた。

 

 

「……なるほど。このねばりつくような不快な感覚は、狂精霊でしたか」

 

 

 瞳を細めたアテナが、平坦な声音で言ってくる。

 同じ精霊種であることから、アテナにはその気配が何となく伝わっていたのだろう。

 とはいえ、人間と同じように精霊にもいくつかの種が存在しており、その狂精霊は浮遊していることから、アテナとは違う種ということが見て取れる。

 

 

「狂精霊?」

 

 

 初耳だった私が眉根を寄せるも、アテナは淡々とした様子を崩さない。

 

 

「悠長に説明している場合ではないかと」

「確かに、な」

 

 

『私のジェイを殺した奴は許さないぃぃいい!!!』

 

 

 狂精霊が絶叫する。

 心無か、周囲の温度が下がったような気がする。

 

 私は自分にしがみついてブルブル震える狼少女を見下ろした。

 

 

「お前、誰か殺したのか? 犯罪者なのか?」

「違うよ! あいつが勝手に言ってるだけだから! あたしは薬草を採取してただけだから!」

「狂精霊と化した精霊の意識は、すでに正常ではありません。恐らくこの少女は、運悪くあの狂精霊の視界に入ってしまったのでしょう」

「あたしは何もしてないから! 信じて!」

「……ふむ」

 

 

 見ず知らずの狼少女を信じろという方が無理な話なので、アテナの指摘を信じることにした。

 とはいえ、アテナもこの少女が犯罪者ではないと否定はしていないのだが……まあ保留だ。

 いつまでも、呑気に話している暇はないのだから。

 

 

『みんな殺すうぅぅうう!! 道連れにしてやるぅぅうううぅ!!!』

 

 

 吼えた狂精霊が鬼様な形相になり、私たちへと飛び掛かってくる。

 浮遊しているだけに小川を簡単に飛び越え、頭上から襲い掛かってきた。

 

 

「ひ……っ」

「お前は下がっていろ。アテナ、援護を頼むぞ」

 

 

 怯えた少女は戦力としてアテにならないと即断した私は、少女をその場に残し、狂精霊へと走る。

 

 

「やれやれ。私は戦闘に向いていないのですが……」

 

 

 嘆息交じりに呟いたアテナが片手を上げるや、今まさに私と衝突する寸前だった狂精霊の足もとの”影”から大きな影の手が伸び、狂精霊の身体を拘束していた。

 

 

『ふぇえええぇ……!?! 動けないぃいいぃ……っ!!?』

 

 

 精霊であるアテナが得意とする影術である。

 相手の影を操れるのだが、影がなければ何も出来ないというデメリットもあったりする。

 しかも影で拘束したとしてもその影がなくなればあっさり無効化されるという面もあり、使う場面はかなり限られてしまう。

 

 

「降りかかる火の粉は払わせてもらうぞ!」

 

 

 身動きできない狂精霊へと、蒼の斬撃が吸い込まれていく──

 

 

 

『ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!』

 

 

 

 耳をつんざく甲高い絶叫。

 叫びが衝撃波を伴っており、思わぬ攻撃を受けた私は弾かれてしまう。

 

 

「っ……、なんだいまのは……?」

 

 

 宙で態勢を直して足から着地すると、耳を両手で塞いでいたアテナが淡々と説明してきた。

 ちなみに、狼少女もいまの攻撃を予測していたようで、ちゃっかり耳を押さえていたりする。

 

 

「狂精霊には”嘆きの悲鳴”と呼ばれる超音波の攻撃方法をもっています。知らなかったのですか?」

「……だから、言っただろうが。私は狂精霊自体、今日初めて知ったんだと」

「おやおや。無知とは罪であるという言葉を、包装紙にくるんで送りましょう」

「いらんわ! というか、これでは下手に近づけないな……」

 

 

 影に拘束されている狂精霊は、次の悲鳴を上げる準備をしているのか口をもごもごさせており。

 それに伴い、拘束している影の手が、ぎちぎちと嫌な音を上げ始めていた。

 

 

「……む。クレア様、早く何とかして頂かないと、拘束が持ちそうにありません」

「そうか……よし。ここはお前が可能な限り時間を稼げ。その間に私は遠くへ撤退するとしよう」

「……本気で仰られているので?」

「割とな」

「……拘束が破られた場合、真っ先に私が狙われるでしょうね」

「ああ。お前の尊い犠牲、無駄にはしないから安心しろ」

「なるほど。先ほど無理矢理魔力を頂いた事、根に持っておられたとは。心が狭い主ですね。こうなれば仕方ありません。死なばもろとも。いますぐに、拘束を解こうと思います。あの世で再会しましょう」

「それは無理だな。私は天国だがお前は地獄だろう? 日ごろの行いを思い出せ」

「ふふふ。面白いご冗談を」

 

 

「いやいやいや! ふたりとも何言ってんのさ! 冗談言ってる場合じゃないだろ!!」

 

 

 私とアテナが、いまにも拘束を破ろうとしている狂精霊を前に呑気に言い合っていると、顔面蒼白の狼少女がツッコミを入れてきた。

 私は思い出したように、彼女へと視線を向ける。

 

 

「なんだ、まだ逃げてなかったのか?」

「いや……さすがにさ。あたしだけ逃げるのは気が引けるっていうか……」

「ほう? なかなか立派な心掛けじゃないか」

 

 

 ならば、と私は彼女を戦力として数えた作戦を提案する。

 

 

「えー……まじで? あたし、自信ないんだけど……」

「仮にも獣人だろう? 他の人間種よりも身体能力は高いはずだと思うが?」

「そうだけどぉ……」

 

 

「お二人とも、猥談はその辺でよろしいですか?」

 

 

「えぇ……!?」

「アホか! こんな時にするわけないだろうが」

 

 

「いよいよ冗談抜きで、拘束が限界です」

 

 

 いつの間にかアテナは、片手だけじゃなく両手をかざしており、その額には薄っすらと汗が浮かび始めており、それに比例するように狂精霊を拘束している影の手が悲鳴を上げ始めていた。

 

 私は尻込みする狼少女へと、諭す様に言う。

 

 

「自信があるないの問題じゃない。やらなければやられる。だから、やる。それだけだ」

「うー……わかったよ。その代わり、ちゃんと一撃で仕留めてよね!」

「無論だ」

「あたしはウル。あんたは?」

「私はクレアナード。クレアでいい」

「おっけー。んじゃ、クレア! ……いっくよーーーー!!」

 

 

 吹っ切ったように狼少女──ウルが叫んだのに合わせ、私は狂精霊へと火炎球を解き放っていた。

 

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 

『ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!』

 

 

 

 ”嘆きの悲鳴”と火炎球が激突し、盛大な爆発が巻き起こる。

 爆炎が吹き上がり、土砂が舞い、爆煙が立ち込める。

 

 

「せっりゃあああああああああああああ!」

 

 

 まだ拘束が解けていない狂精霊の側面から、獣人族の高い身体能力を存分に生かして素早く移動していたウルが、右手に装備している鉤爪で斬りかかっていた。

 

 

 

『ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!』

 

 

 

「うひ……っ」

 

 

 近距離からの衝撃波を、攻撃を中断したウルはどうにか身をよじって回避する。

 しかし完全には避けきれなかったようで、左腕があらぬ方向にねじ曲がり、激痛が彼女を襲う。

 

 

「ったあああああああい!!!」

 

 

 

『ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!』

 

 

 

「ひい……っ」

 

 

 涙を浮かべながらも慌てて飛び離れた地面に衝撃波が炸裂し、地面に大きな穴を穿つ。

 飛び散った小石や土砂が頭から降り注ぎ、ウルの全身はたちまち汚れしてしまい。

 そこでついに、狂精霊を拘束していた影の手が、ぶちっと千切れ飛んでいた。

 

 自由の身になった狂精霊が、情けなく尻もちをついているウルめがけて飛び掛かり、息を吸い始める。

 

 

「ヤッバ……っ」

 

 

 獣人の身体能力は、人間に比べると比較的に高い。

 しかし限度というものがあり、()()()()()()()()なウルにとっては、そうそう都合よく身体が動いてはくれなかった。

 

 

「だから囮は嫌だったんだ! 死んだら化けて出てやるーーーー!!」

 

 

「──勘弁してくれ」

 

 

 蒼雷の一閃が迸り。

 背中を深々と切り裂かれた狂精霊から声なき断末魔が。

 間断なく返す刃で袈裟懸けに切り払い、トドメとばかりに、バランスを崩していた狂精霊の首を撥ね飛ばしていた。

 

 

『あ……あ……あぁ……ジェ、イ……』

 

 

 宙に舞う狂精霊の身体が蒼雷に焼き尽くされていき、やがて跡形もなく消滅していった。

 

 

 

 ※ ※ ※

 

 ※ ※ ※

 

 

 

「はあ……はあ……ぐう……っ」

「ジェイ! ああ、しっかして……!」

 

 

 森の中、一本の幹に背中を預けた青年──ジェイは、そのままぐったりとしてしまう。

 全身は傷だらけでいて焼け焦げており、たちまちその場に血の池が出来始めていく。

 

 ジェイは勇者のひとりとして、あの最強勇者と共に魔族領に潜入していたのだけども、魔族の攻撃を受けて彼とはぐれてしまったのだ。

 しかも運が悪いことに、ジェイの前に立ちふさがった魔族が強かった。

 

 哨戒中だったようで、遭遇した時は向こうも驚いていたようだけど。

 

 

 炎の魔剣を操る優男……

 

 

 こいつこそが”魔王”なんじゃないかと錯覚すらしてしまう。

 だからというべきか。

 奮戦したものの、ジェイは敗北してしまった。

 

 深手を負った彼は最強勇者の後を追うことはできず、撤退せざる得なかった。

 

 

 なぜか……あの魔族は追跡してこなかった。

 

 

 慈悲だったのか。

 あるいは、放っておいても勝手に死ぬだろうと思って放置したのか。

 その通りであり……致命傷を負っていた彼は──ジェイは、もうすぐ死ぬ。

 

 回復アイテムはすべてあの魔族との戦いの際に使いきっており。

 彼や私は治療魔法が使えなかったのだ。

 

 

「ああ……ジェイ……お願いよ。私を追いて逝かないで……」

「……すま、ない……君を……独りにして、しまって……」

 

 

 それきり、彼は動かなくなった。

 

 愛しのジェイ……

 私にとって、彼がすべてだった。

 彼のためなら、死んでもいいとさえ思っていた。

 それなのに。

 最愛の彼は、私を置いて逝ってしまった。

 

 

「あ……ああ……あああ……ああああああああああああああああああああーーーーー!!!!!」

 

 

 涙が溢れ。

 絶叫で声が枯れ。

 悲しみが絶望となり、怒りへと代わり、怨嗟へと堕ちていく。

 

 

 心がドス黒くなっていく……

 

 もうどうでもいい……

 

 彼がいない世界なんて……

 

 

 彼の死体を見つめながら、いつまでそこにいただろうか。

 ふいに、気配がした。

 狼人族の少女のようだけども……

 

 

 その姿が、あの炎の魔剣をもった魔族へと変わった。

 

 

 憎い憎い憎い……

 にくい、にくい、にくい、にくい……

 

 私から彼を奪った魔族……

 憎悪が、後から後から止めどなく湧き上がってくる……

 

 

 

『許さないイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!』

 

 

 

 ────────

 

 

『小説家になろう』にて本編書いてます。



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第5話 「魔王様、懐かれる」

 狂精霊を撃退した私たちは、移動することもなく、小川の傍──先ほど私が休憩した場所にて、休息をとっていた。

 同じように漁獲した魚を焚き火にくべて、焼き魚を咀嚼中。

 

 ちゃっかり相伴に預かっているウルはよほど空腹だったのか、無我夢中でかぶりついていた。

 彼女が骨折した左腕は、すでに私が治療済みである。

 

 

「はぐはぐはぐっ──うぐっ!? ──げほっ、げほげほ……!!」

 

 

 のどに詰まったのか激しくむせる彼女へと、アテナがやれやれといった感じで、大き目の葉っぱで造った簡易コップを手渡す。

 一気に飲み干したウルは、ぷはーっと大きな息を。

 

 

「ありがとね、アテナさん!」

「お気になさらずに」

 

 

 笑顔を向けられてくるもアテナの態度はにべもない。

 それでも気にせず、ウルは手に持っている魚に再びかぶりつく。

 そんな光景を前に私も魚をゆっくり食べながら、気になることを聞いてみた。

 

 

「ウル、どうして獣人族のお前が魔族領にいるんだ?」

 

 

 敵対している人族とは違い、獣人族と魔族はそこまで険悪な関係ではないので、往来があっても別に不思議なことではない。

 冒険者ならば、なおさらだ。

 しかしながら、どう贔屓目に見ても、ウルは新米冒険者。

 しかも見た所、仲間はいない様子。

 慣れ親しんだ母国で活動したほうが、安全面から考えても自然だと思ったのだ。

 

 

「んー……」

 

 

 何やらウルは、言葉を選んでいるようだった。

 瞳がきょろきょろ動き、挙動不審に。

 

 

「? ウル……?」

「クレア様」

 

 

 胡乱げになる私に、相変わらずの抑揚のない声でアテナが言ってくる。

 

 

「デリカシーがないかと。誰にでも、ひとに言いたくないことの1つや2つ、3つや4つあることでしょう?」

「何気に多いな」

「クレア様だってそうでしょう? 無様に追い出されたこと、知られたくないと思いますが」

「……おい。私が知られたくないことを、お前があっさり暴露してどうする……」

「おや、これは失敬。確かに、主が無能の烙印を押されているなど、仕える者として恥ですね」

「お前というやつは……」

 

 

 そんなやりとりを交わす私たちに、ウルはぽかんとしていた。

 

 

「もしかしてさ、クレアって家を追い出されちゃったの?」

「あ、いや……それはだな……」

「クレア、可愛そう……」

 

 

 瞳を潤ませてくる。

 彼女にも何か事情があるようで、もしかするとそれを思い出しているのかもしれない。

 

 

「……っ」

 

 

 私は顔が引きつる。

 アテナと違い、ウルにはまったく他意がない。

 純粋に心配してきてくれているだけに、強く言えず。

 それにそもそもが、事実をそのまま告げるのも躊躇われた。

 

 

(私にだって、プライドがあるからな……)

 

 

 だから私は、少し露骨だなと思いながらも、強引に話題をそらすことにした。

 

 

「そういえば、狂精霊がどういうものなのか、まだ説明を受けてないのだがな」

「強引ですね。まあ、いいでしょう。では、説明させて頂きましょう」

 

 

 多少は気を利かせてくれたのかわからないが、下手に追及してこないで、アテナが説明を始めた。

 

 

「そもそも”勇者”という特異な存在が、人為的に造られているのはご存じですよね?」

「ああ。人族の対魔族用の決戦兵器みたいなものなんだろう?」

「はい。ですが、人族のみに適応するというわけではないようです。積極的に人族が勇者を生産していることから、現在の割合的に、勇者は人族が多いというだけです。ですから、勇者が対魔族用の決戦兵器というとらえ方には、語弊があるでしょう」

「そうなのか……」

「あ、はいはーい! あたしの村にも、ひとりの勇者がいたよ!」

 

 

 手を上げて会話に参加してくるウルに、私は少し驚く。

 

 

「なるほど。アテナの言う通り、人族だけが勇者になれるわけじゃないんだな」

「そもそも”勇者”という存在は、儀式を経て、人間と精霊が同化した結晶なのです。ですから、人族のみに限定されるといった理由は、何もないのです」

「同化、か……なるほど。察するに、同化した人間はその精霊の力が使えるようになり、いろいろと身体的にも向上するといったところか」

 

 

 あの最強勇者との戦いを思い出す。

 不可思議な現象が何度も起き、私も苦戦したものだった。

 

 

「だが、それならばなぜ、魔族に勇者は生まれないんだ?」

「人族がその技術を秘匿しているのもありますが、その儀式で用いられる精霊にも、ある一定以上の力量が求められるのです。冒険者で例えるならば、最低でもAランク以上ということになります。それだけの上位精霊がそうそういるはずがありません。それに、いたとしてもその精霊が同化を容認しなければ、儀式は成功しないとのことです」

 

 

 なるほど、と私は納得する。

 そういった理由があるからこそ、人族が送り込んでくる勇者の数が少なかったらしい。

 

 魔族国では精霊は仲間というよりも使役する存在のために、精霊と絆を深めるといったことが希薄のため、他種族と違って勇者が発生しないのだろう。

 精霊という存在を、どのような位置づけにしていたか、という問題だったというわけだ。

 

 最近になって勇者の製造過程が判明したのだが、その時にはすでに遅く、魔族にとって精霊は国民レベルで服従させる存在となっており、関係改善は絶望的なのだ、とアテナが付け加えていた。

 

 

「アテナ、やけに詳しいな」

「クレア様が無知なだけでは?」

「ぐ……相変わらず手厳しいな、お前は」

 

 

 渋面をつくる私へと、アテナはさらに説明を続けてくる。

 

 

「当然ながら、リスクも存在しています。精霊にとってのリスクと言えますが。ほとんどの場合、精霊は同化した人間と生死を共にすることになります。ですが稀に勇者が死んだ時に分離してしまい、精霊だけが取り残されることもあります。この場合、高確率で精霊は狂精霊と化すのです」

「狂精霊……」

 

 

 先程のことを思い出してか、ウルがぶるっと身体を震わせる。

 

 

「でもさ、なんでそれで狂精霊になっちゃうのさ? そういうのがいるってのは知ってたけど、なんでそうなるのかまでは、あたし知らないんだよね」

「同化するということは、それだけ互いに信頼が高いということです。生死が共になる以上、必然です。そして異性同士だった場合は、恋愛感情も絡んでくるでしょう。大切な相方を失った悲しみや恨みから、精霊は狂精霊へと堕ちてしまうのです。人間と違い確固たる実体を持たない私たち精霊種は、己の精神を拠り所として存在しているので、その精神が狂えば、その末路は決まっているのです」

「ということはあいつ(最強勇者)以外にも、魔族領に侵入していたのがいたってことなのか……?」

「勇者は何人もいますので、そのうちのひとりが魔族領に侵入しており、魔獣に倒されたのでは?」

 

 

 後に、哨戒中のマイアスがひとりの勇者を撃退したと知ることになるが、いまこの段階においては、私にその情報はなかったのだ。

 なにせ、ロクな準備もままならない状態で、魔王城から追い出されたのだから……

 

 

「仮にも勇者だろう? Aランク程の精霊と同化しているのならば、そうそう魔獣に倒されるとも思えないんだがな……。逆に、それだけ驚異的な魔獣がいるとなると、そっちのほうが心配だぞ」

「おやおや。すでにお役目御免となっているのに、まだ国民の心配を? お人好しですね」

「……そうイジメるな。性分なんだから、仕方ない」

「相変わらずですね、クレア様は」

 

 

 薄っすら微笑してくるアテナからは、揶揄ってくるような気配はなかった。

 

 そんな私たちのやり取りを、意味がわからないといった様子で、ウルがぽかんと見ているのだった。

 

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 

 会話がひと段落したことで、私たちは再び食事に意識を戻す。

 少し話に夢中になりすぎたせいか、いくつかが焦げ始めていた。

 

 アテナがぱぱっとそれらを手に取り、私とウルに押し付けてくる。

 

 

「せっかく私が作った料理を無駄にしないでもらえますか?」

「いやいや……作ったというほど仰々しいものじゃないだろう……?」

「ほう? では次からは、クレア様に魚を捌いて頂きましょう。お手並み拝見と行きましょうか」

「うぐ……」

「クレアって魚を捌けないの?」

「そ、そういうお前はどうなんだ? やはり獣人だけあって、こういうのは得意なのか?」

「え……っ、あーいや。獣人とか関係ないと思うけど。あたし、料理系はさっぱりだし」

 

 

 この瞬間に、料理における上下関係が構築されてしまう。

 じっと無表情で見つめてくるアテナの視線の中、私とウルは慌てて魚をハフハフしながら平らげていく……

 

 どうやら、少しばかり調子にのって魚を捕り過ぎてしまったらしい。

 在庫は、まだまだ焚き火にくべられていた。

 

 

 ………

 

 ……

 

 …

 

 

「げっぷ……」

「おやおや。ゲップとは、はしたないですね。クレア様」

「……無茶を言わないでくれ」

 

 

 もともと私は小食なのだ。

 食べた比率でいえばウルのほうが圧倒的に多かったが、それでも私にしたら満腹中枢を何度も叩きつけられているような感覚になっており、しばらくは動きたくない思いに囚われていたりする。

 

 

「ふい~……満腹満腹~……」

 

 

 妊婦のように膨れた腹をさすりながら、ウルが満足気な顔でその場に寝転がる。

 そして思い出したように上半身を起こすと、私の鞘へと好奇心の目を向けてきた。

 

 

「クレアのそれってさ、魔剣じゃないの?」

「ん? なぜそんなことを聞く?」

「なんか蒼いバチバチが刀身から出てたけど、普通の剣っぽいからさ」

「ほう? 見るところはちゃんと見ていたんだな」

「むう……馬鹿にしてない?」

「いやいや、してないさ」

 

 

 頬を膨らませる彼女に、私は苦笑い。

 

 

「確かに、これは魔剣じゃなくてただの剣だ」

「どーいうこと?」

「私のオリジナル魔法だな。それで切れ味を上げている」

「まじで!? オリジナル魔法って……もしかしてさ、クレアってすごい人だったりするの?」

 

 

 私は妹を守るために、あらゆることをしてとにかく必死に強くなろうとしたのだ。

 その副産物が、このオリジナル魔法だったりする。

 高位の魔法使いなら別段珍しくもないことだが、クレアにとっては驚きに値するらしく、尻尾を振り振りして耳をぴょこぴょこ動かして、激しく興奮していた。

 

 そんな純粋に驚いてくれる姿に、私は少しだけ気分を良くする。

 

 

「ふふん。そうだ。私はすごいんだ」

「おおおおーーー!」

「クレア様、御戯れは程ほどに」

 

 

 いつの間にかアテナの手には、複数の木の実をすりつぶした飲み物が淹れられたコップをふたつ持っており、私とウルに手渡してきた。

 

 

「ただの水では味気ないと思い、適当に配合してみました」

「おー! ジュースだ!」

「さすがに手際がいいな」

 

 

 優秀メイドの肩書きは伊達じゃないということだろう。

 人をくった態度を差し引いても、アテナは十分すぎるほどに有能なのである。

 

 

「あまーい! なにこれ! 即席でしょ!? なんでこんなにおいしいのさ!?」

「この程度、私にとっては児戯にも等しいのです」

 

 

 無表情ながらも、純粋に褒められたことに、どことなく嬉しそうな雰囲気のアテナ。

 そして彼女は、私たちの会話の続きを補填するように、説明してきた。

 

 

「純粋に攻撃力を比べれば、ただの剣よりも予め属性が付与されている魔剣のほうが強いでしょう。ですが、世の中には”魔剣壊し”という武器が存在しているのです。ですので、魔剣の攻撃力に頼った戦い方をしていると、いざ魔剣が壊された時、困ったことになってしまうのです」

「なるほどー……だからクレアは、魔剣を使わないんだね!」

「まあ、そういうことだ」

 

 

 私のこれならば、常に攻撃力を一定に保つことができるのだ。

 確かに、魔剣の攻撃力や能力は、他にないほどの威力がある。

 しかしながら、魔剣は貴重なものなので早々出回ることもないので、壊されれば替えが効かないといったデメリットもあり、ただの剣ならば簡単に入手できるというわけだ。

 こういった経緯もあり、私は最強魔族として名を馳せた一因もあったのだ。

 

 そこでふいにウルが黙り込んだかと思うと、何やら思い詰めた表情を浮かべ、私を見てきた。

 

 

「クレアたちは、これからどうするの?」

「んー……そうだな……別に、これといった目的があるわけじゃないし……冒険者として適当にやっていく感じか」

「クレア様。そうなると、手近な街にある冒険者ギルドで登録する必要がありますが」

「ああ、そうだな。じゃあまずは、登録か」

「え……っ」

 

 

 ウルが信じられないとばかりに、両目を丸くしてきた。

 

 

「まだ冒険者登録してないの? じゃあいままで、どうやって生きてきたのさ……」

 

 

 そこまで言って、ハッとしたように口を押える。

 

 

「あ、ごめん。そういえば、家を追い出されたんだったよね……」

 

 

 憐みの目を向けられてくる。

 

 

「A級品の道具袋まで持ってるみたいだし、きっとどこかの貴族だったんだよね……」

「A級品……?」

「え……? もしかして、等級も知らないで持ってたの?」

「……あー、いや。気にしたことがなかったんでな……」

「えー……マジデ?」

 

 

 目が点になるウル。

 溜め息交じりで、アテナが教えてきた。

 

 

「道具袋にもいくつかの等級があります。ですが、”質量保存”の魔法が掛けられている道具袋は、A級品に限られます。製造がとても難しいからです。そして容量も、B級品までとは比べようもないです。ですので、クレア様がぞんざいに扱っているその道具袋は、それひとつだけで家一件が簡単に建ってしまうだけの価値があるのです」

「そうなのか……」

 

 

 魔王という地位にいたからこそ簡単に手に入っていたものだった、ということなのだろう。

 

 

「さ、さすがは貴族の出、なんだね……」

 

 

 ウルの顔が引きつっている。

 あながち間違っている認識ではないが……だからといって、訂正するわけにもいかないだろう。

 できれば、私が元魔王だったという事実は、隠しておきたかったからだ。

 

 

「クレア様。無知は罪という言葉を──」

「わかったから! そのやり取りはもういい!」

 

 

 思い詰めた表情のウルが、ばっと私へと土下座してきた。

 

 

「クレア! ──いや師匠! あたしを弟子にしてください!」

 

「は……?」

 

 

 突然の展開に、私は思わず間抜けた声をあげていた。

 

 

 

 ※ ※ ※

 

 ※ ※ ※

 

 

 

 魔族領内にある都市ドルント。

 

 人族領との国境付近に位置しているというわけでもないので、比較的平和を享受している普通の都市である。

 人口も普通だし、商業関連も普通、きちんと警邏隊も機能しているので魔獣の脅威も低く。

 本当に”普通”としか言えない都市だった。

 

 世の中、普通が一番、と誰かが言っていたような気がする。

 

 なんにしても。

 今日も今日とて、ドルントはこれといった異変もなく、通常運転だった。

 

 

「ふう……はい、次の方どうぞー」

 

 

 場所は変わって、そんな通常運転をする都市の一角に位置している、冒険者ギルド。

 受付嬢のひとりである彼女は、慣れた様子で行列を作る冒険者たちの対応をしていた。

 

 仕事内容としては、新規者の加入・または脱退申請、冒険者が請け負ったクエストの受注手続き・または完了の事後手続き、持ち込まれた魔獣の部位鑑定・その取り引きなど。

 仕事は、多岐に渡る。

 ひとりでは到底無理な仕事量なので、受付嬢は私ひとりではなく、何人もの人間が対応に当たっていた。

 

 しかし中には部位鑑定の結果、提示された額に不満を抱き、暴れる冒険者もいたりするので、割と広めの室内には、そういった連中を取り押さえるべく、別口で雇った冒険者が複数、睨みをきかせていたりする。

 

 

「お疲れさん」

「あ、お疲れ様です」

 

 

 上司にあたる男がその場にやってきた。

 その手には、手のひら大のオーブを持っていた。

 数いる受付嬢の中で彼女のところに来たのは、ちょうど彼女の所が空いていたからだろう。

 

 

「中央の本社からブラックリストに載せろと通達がきたんで、これの登録を頼むよ」

「わかりました」

 

 

 そう言うと、受付嬢は自分が担当する受付カウンターの上に、別のオーブを置く。

 冒険者を登録する際に用いられる装置である。

 偽造防止のために、指紋認証をしているのだ。

 これを経て、冒険者としてギルド登録され、ギルドカードが発行されるのである。

 

 このカードを提示しないと、価値のある魔獣の部位だったとしても、取り引きは行われない。

 ちゃんとした身分がない者との取り引きはリスクを伴うからであり、後々のトラブルを避けるためだ。

 

 Sランクは勇者枠、Aが一流、Bが熟練、Cが中堅、Dが一人前、Eが新人といった感じでランク分けされており、さらにSランクに関しては、S-、S+、SSと実力によってさらに区分されていた。

 このランク付けは全世界の冒険者ギルド共通のものだが、残念ながら魔族国には勇者がひとりもいないので、魔族の冒険者がSランクに昇格することはなく、たまに、人族以外の勇者クラスの冒険者がくる程度だった。

 

 また、国同士の関係性から冒険者ギルドは国ごとに独立しているので互いに干渉し合うことはなく、冒険者は国ごとに新たにギルド登録しなければならないという手間もあったりする。

 面倒なれど利点もあり、ひとつの国でブラックリストに入ったとしても、国同士のギルドは連携してはいないので、違う国では冒険者登録を行えたりするのだ。

 

 違う国では0からとはいえ、もっているギルドカードのランクを提示すれば、たいていは優遇され、同等のランクを得られるのだが。

 

 オーブとオーブをくっつけると、淡い光が放たれ始める。

 オーブに蓄積されているこの支部の情報に、本社から送られてきた情報を移行しているのだ。

 

 

「支部長、今回のヒトって、何をやらかしたんです?」

 

 

 ブラックリスト入りする人物は、たいていが何かを()()()()()者なのだ。

 当然ながら、ブラックリストに載った人物の冒険者登録は、拒否される。

 

 

「さあな。指紋の情報しか送られてきてないんだ。詳しいことはわからん。だがまあ、どうせ今まで通り、何かトラブルを抱えた奴か、犯罪者になったか、そんなところだろうさ」

 

 

 オーブの光が消え、情報交換が終わったことを告げてくる。

 支部長は持ってきたオーブを再び手に取り、「後は任せた」と言って奥に引っ込んでいった。

 

 

「ふーん……ま、なんでもいっか」

 

 

 ブラックリストの件は、別段驚くようなことではなく。

 言ってしまえば日常茶飯事のことなのだ。

 

 すると。

 

 

「おいおい! ふざけんなよ! こちとら命を懸けて捕ってきた部位だぞ! それがこの値段っておかしいだろうが!」

「過程はどうあれ、当方といたしましては規定以上の額をお支払いするわけにはいきませんので」

 

 

 受付の一角で、冒険者と担当する受付嬢が言い合っていた。

 

 

「舐めやがって!」

 

 

 剣の鞘に手をかける冒険者だが、素早く移動してきた雇っている別の冒険者たちが取り押さえており、ぎゃーぎゃー騒ぐ冒険者を強引に引き連れ、外へと連れだしていく。

 そして何やら外から喧騒が聞こえてくるも、室内にいた者たちはもう気に留めることもなく、通常の流れへと。

 

 こちらもまた、日常茶飯事の出来事なのである。

 

 

(やだなー。私のところに、ああいったクレーマーが来なきゃいいけど)

 

 

 受付嬢はそんな感想だけを抱き、通常業務に意識を戻すのだった。

 

 

 

 ────────

 

 

『小説家になろうに』にて本編書いてます。



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第6話 「魔王様、冒険者ギルドへ行く」

 いきなりウルに弟子にしてくれと言われた私は、驚きもあったが戸惑いが強かった。

 

 

「おいおい……いきなりどうしたんだ?」

 

 

 私が問うと、狼人族の少女は思い詰めた表情のままで、しかし言いにくそうに視線を逸らす。

 

 

「あたしさ、冒険者になってまだ間もないんだよね」

「まあ、だろうな」

 

 

 先程の戦闘から見ても、ルウは戦闘に()()()()()()

 動きそのものは、やはり身体能力が高い獣人族だと評価できるが、言ってしまえばそれだけなのだ。

 

 

「ちょっと事情があって家出してきてさ。こうしてここまで来ちゃったわけなんだけど」

 

 

 先程私が疑問を抱いたことの回答を口にしつつ、、ウルは言いづらそうに言葉を紡ぐ。

 

 

「さっきの戦いぶり見てわかったでしょ? あたしがさ、ぜんぜんダメダメなこと」

「だな。あれでは、これからも冒険者を続けるのであれば、長生きは出来ないな」

 

 

 にべもなく、はっきりと告げてやる。

 ウルの顔が強張ったが、彼女のことを思えば正直に言ってやるのが彼女のためなのだ。

 アテナも同意しているのか、揶揄する様子もなく、沈黙を守っていた。

 

 

「……だからさ。都合のいい事言ってるのは自覚してるけど……クレアに、稽古を付けてほしいんだ。ほ、ほら? 旅は道連れっていうよね? こうして知り合ったのも何かの縁だと思うし……」

 

 

 なるほど、と私は思った。

 理由は知らないが家出して魔族領まで来たはいいが、知り合いが誰もいない状況で、頼れる相手がいなかったこともあって心細かったのだろう。

 そうなると、彼女が魔族領に来たのは、本当につい最近なのかもしれない。

 

 

「ウル、いまいくつなんだ?」

「ふえ!? な、なんで……?」

「いや、気になっただけなんだが。言いたくないなら、別に構わないが」

「……えっと……17──ううん、13……」

「けっこうサバを読んだな」

「あぅ……」

 

 

 私に指摘されて、ウルがしょんぼりする。

 まあ、背伸びしたいお年頃なのだろう。

 

 

(しかし13か……若いな)

 

 

 その歳で故郷を離れ、異国で行動するのは、どれほど苦労があることだろう。

 まあそれでも、ヒトには大なり小なりいろいろな事情があるのだから、そんなことにいちいち首を突っ込んでいてはキリがないということもあるが……

 

 如何せん、私は”甘い”のだ。

 

 

(反省しなければならないのは、わかっているんだけどな……)

 

 

 真摯に強くなりたいと願う彼女を、どうしても見捨てる気にはなれなかった。

 それに、そもそもがアテのない旅なのだ。

 多少の寄り道をしたとしても、何の問題もあるはずがない。

 

 

「アテナ」

「私に異論はありません。クレア様のご随意に」

「そうか。ウル」

「は、はい!」

「さすがにずっとと言うわけにはいかないが、しばらくの間であれば、面倒を見てやろう」

「ほんと!? やったー!!」

 

 

 素直に全身で喜びを表現する少女が、なんとも微笑ましかった。

 

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 

 私の指導を受けられることに喜びを示したウルだったが、いま彼女は悲鳴を上げていた。

 場所は、先ほどまでいた森から抜けた先、街道沿いの平原である。

 

 

 

「前をしっかり見ろ! 戦闘中に一瞬でも目をつぶったら死ぬぞ!」

「ひい……っ」

 

 

「攻撃が武器だけだとは思うな! 常に相手の手や足を警戒しろ!」

「ひい……っ」

 

 

「魔法が来ることも忘れるな! 常に周囲を警戒し観察し続けろ!」

「ひい……っ」

 

 

 私にボコボコにされるウルは、陸に挙げられたトドのように地面をのたうち回る。

 

 

「戦闘中に何を休んでいる! 敵は待ってはくれないぞ!」

「ぐえぇ……っ」

 

 

 よろよろと私に立ち向かって来たウルへと容赦なく拳を叩き込み、回避できなかった彼女は直撃。

 バタンっと倒れ込んだ彼女は、ついに身動きが取れない様子で、目を回していた。

 

 

「……やれやれ。想定以上だな……」

 

 

 想定以上に、ウルは戦闘には向いていなかった。

 はっきり言うと、弱いの一言。

 獣人族ならではの高い身体能力があるからこそ、辛うじて人並みよりは動けるといった程度だったのだ。

 聞けばまだEランクの冒険者とのことなので、まあ納得ではあったが。

 

 

「ふと思ったのですが」

 

 

 気絶しているウルを優しく介抱しながら、アテナが無感情の目を私に向けてきた。

 

 

「指導となると、クレア様はとびっきりのサディストになるのですね」

「心外だな。私は真剣に相手のことを想っているからこそ、心を鬼にしているだけだぞ?」

「そうなのですか。私には、正論を振りかざして弱者を甚振って悦に入っているようにしか見えなかったもので。正直、軽く引いておりました」

「……偏見も甚だしいな」

 

 

 溜め息を吐いてから剣にかけていた魔法を解き、鞘へと戻す。

 

 

「獅子は子供を谷底へと落として教育するという。だから私も、手は抜かないんだ」

「その話は聞きますが……無事に生還できるのは全員ではないかと」

「まあ、私だって加減はしてるさ」

 

 

 肩をすくめてから、道具袋から一枚の布──カーテンを取り出して地面に敷いて、そこへと座り込む。

 慌てて自室にあるものを手あたり次第にかき集めたので、気づいたらカーテンまで入れていたのだ。

 小奇麗なカーテンを敷き布にするのに抵抗はないが、地べたに座るのには抵抗があったりする。

 複雑な乙女心というやつだ。

 

 

(我ながら変なこだわりだよな)

 

 

 苦笑いしてから、気持ちを切り替える。

 

 

「なんというか、ウルは子供だからな」

「? どう見たとしても、ウルさんは子供だと思うのですが?」

「ああ、いや、そういう意味じゃなくてだな……なんていうか、母性本能をくすぐられてしまうんだ」

「なるほど」

「だから、出来うる限りのことはしてやりたい。いつまでもずっと一緒にいられるわけじゃないしな」

 

 

 ふと思い出すのは、妹のこと。

 

 

「そういえば……ラーミアには今年で1歳になる子供がいたっけな」

「はい。ラーミア様によく似て、利発そうで可愛らしく、将来が楽しみなお子様です」

「ほう? お前にしたら、えらく評価しているじゃないか。いつもみたく毒は吐かないのか?」

「失礼ですね。それではまるで、私が手あたり次第に毒を吐きまくっているキチガイみたいじゃないですか」

「……自覚がないっていうのは、怖いものだな」

 

 

 やれやれとばかりに首を振る私へと、ウルの頭を撫でながらアテナが問うてきた。

 

 

「妹君が心配ですか?」

「……まあ、な。心配じゃないと言えば嘘になるだろうな」

「マイアス様がお傍におられるのです。必ずやラーミア様をお守りしてくださると思いますが?」

「……だな。だからこそ、妹を任せたんだ」

 

 

 彼を義弟と認めた日を思い出す。

 

 

「女としては、自分を守ってくれる相手がいるってのは羨ましく思ってしまうなぁ……。信頼できるダンナがいるっていうのは……」

「おや? クレア様。男の肌が恋しくなったので?」

「だからお前は……なんでそういう下品な発想になるのか」

「これは失礼を。男に飢えている発言だったもので」

「どう解釈したらそうなるんだ、まったくお前ってやつは」

 

 

 などと、すっかり慣れているアテナ(旧友)とやり取りをしていると、ウルがうなされているようだった。

 

 

「う……うーん……ひ、ひい……お願いだから、ちょっと休ませてぇ……」

 

 

 うわ言を何度もつぶやいているも、よほど疲れているのか、まったく目を覚ます気配がない。 

 

 

「クレア様。ウルさんを少し追い詰めすぎなのでは? まだ始めたばかりなのですし」

「……だとしても。強くなるのに近道なんてないからな」

 

 

 かつての私がそうであったように。

 強くなるには、血のにじむような──血が噴き出しても尚、日々の研鑽が必要なのだ。

 誰もかれもが簡単に強くなれるのならば、いまごろ世界には”魔王”がごろごろしているだろう。

 

 

「仮に、私の指導に耐えられなくなって辞めるというのならば、それはそれで構わない。冒険者は諦めて故郷に帰ることだろう。帰る場所があるのなら、素直に帰ればいいさ」

 

 

 そうなれば、少なくともひとりの少女が、むざむざと命を落とすことがなくなるのだ。

 強くなるか、諦めて帰るか。

 それはウル自身が判断することであり、私は私の出来る限りのことをするだけだ。

 

 

「そうですか。クレア様がそうお考えなのでしたら、私が言う事は何もありません。ですので、話題を変えてもよろしいでしょうか?」

「ああ、構わんよ」

「では話題を変えます。クレア様、一度、近くの街に寄りませんか? 旅に必要な物資を揃えるという意味もありますし、今後のことを鑑みると冒険者登録も済ませた方がよろしいかと愚考します」

「確かにな……」

 

 

 A級品の道具袋があるのだから、保存食に限らずに食料を備蓄することも可能であり。

 それに伴い、食器など生活必需品も揃える必要があるだろう。

 そして、今後の収入源を左右する冒険者登録をする必要もあった。

 

 

「貯蓄はまだ心配するレベルのものじゃないが、定期的な収入は得られる環境にはしておきたいな」

 

 

 伊達に魔王職には就いてはいない。

 慌てて魔王城を後にしたわけだが、私は馬鹿じゃないのである。

 ちゃんと、貯金は持ち出していたのだ。

 

 妹に迷惑をかけるわけにはいかないので、私は私で、自立した生活を送らねばならないだろう。

 

 と、話はがらりと変わってしまうが、それとは別に気になることがった。

 

 

「そういえば、ウルはなぜ、私のことは呼び捨てでアテナのことは『さん』付けなんだろうか?」

「おや? そのような些事が気になるのですか?」

「ちょっとだけ気になっただけだ」

「恐らくは……私からにじみ出る偉大なオーラを、野生の勘で感じ取ってのことでしょう」

「そうか」

「…………。スルーされるのは、とても寂しいものなのです」

「面倒くさい奴だな……」

 

 

 状況は違えども、アテナとのいつものやりとりに、どことなく安堵してしまう自分がいるのだった。

 

 そしてウルに稽古をつけるがてら、とりあえずは手近な街を目指すことに──

 

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 

 都市ドルントは、何の変哲もない普通の街である。

 これといって特色もなく、魔族領にいくつもある都市のひとつ、としか言いようがなかった。

 

 徒歩だったので、一番近くにあったこの街に到着するのも、1日ほどの時間を要してしまっていた。

 馬車が必要だなと思ったものである。

 ちなみにアテナは歩くのは嫌ということで、勝手に精神世界に帰っていた。

 私とルウがてくてく歩いている間、彼女は優雅にぐーすか寝ていたというわけである。

 

 

「ウルがいてくれて助かったな」

「えへへ。これくらいは、役に立たないとね」

 

 

 街に入る際、検問にてウルの冒険者カードが役に立っていた。

 Eランクとはいえ、身分が明らかになるものがあるとないだけで、街に入るにはその際の手間が大きく違うのだ。

 同行者ということで私は書類に簡単な必要事項を記入するだけで、私はあっさりと街に入ることができていた。

 何かトラブルがあった場合は、全責任をその冒険者が負うことになるというリスクと引き換えに。

 

 それとは別の理由もあったりする。

 どうやらウルはこの街を拠点にしていたようで門番らとも顔見知りとなっており、真面目に冒険者としてクエストをこなしている姿が評価されていたので、信頼性が高かったというのもあったのだ。

 

 ウルが見込んだ相手なら、ということで私に対する警戒も少なかったというわけだ。

 この街の警備は意外とザルだな・・・と思いつつも、ウルには余計な手間を省いてもらったのだから、やはり彼女には感謝してもいいだろう。

 

 そして私はウルの先導のもと、普通に活気のある通りを歩き、冒険者ギルドへと向かうのだが……

 

 

「やっぱクレアはすごいねー」

「ん? いきなりどうした?」

「もしかして気づいてないの? めっちゃ、男の人から見られてるじゃん」

「ああ……そのことか」

 

 

 通りを行く男たちが、下心丸出しといった顔で、不躾な視線を私に向けてくるのだ。

 

 

「気にならないの?」

「んー……今更だな」

 

 

 そう、私にとっては、このような視線はもはや()()()()なのだ。

 魔王城では、様々な視線にさらされてきたのだから、いまさらこの程度、気にするまでもない。

 それに、私の氷の美貌をもってすれば、その辺の男が魅了されても仕方ないのである。

 

 これが貴族令嬢の立ち振る舞いなんだ……と、ウルから羨望の眼差しが向けられてくる。

 

 そんなやりとりをしながら、私たちは冒険者ギルドへと──

 

 

「何……? 登録できない……?」

 

 

 私は、戸惑いの声を上げる。

 冒険者登録をするために、受付カウンターにあるオーブに手を充てた後。

 赤く明滅したオーブを見た受付嬢が、厳しい表情になっていた。

 

 

「貴女の指紋がブラックリストに登録されているのです。これでは、当方としましては登録を容認するわけにはいかないのです。何か心当たりがあるのでは?」

「馬鹿な……」

 

 

 室内の視線が一瞬だけ私に向いたが、すぐにその視線が四散する。

 どうやら珍しい光景ではないようで、興味本位でちらっと見た、といっただけだったようである。

 

 

「私がブラックリストに登録された理由は何なんだ?」

「そこまでのことはわかりかねます。中央の本社からの指示ですので」

「中央……」

 

 

 恐らくこの受付嬢が言っているのは、魔都オベリスタのことだろう。

 魔王城がある、魔族国の首都である。

 

 

(まさか……ブレア(新魔王)の仕業か……)

 

 

 それしか考えられない。

 どうやらあいつは、私の女としてのプライドを傷つけるだけじゃ物足りないらしく、私がまともな生活を送れないように、魔王の権力を使って冒険者ギルドに圧力を加えたのだろう。

 

 

(ここまでするのか、あの男……)

 

 

 それだけ私への敵意が強いということなのだろうが……

 こうなると、魔族国での冒険者登録は絶望的だろう。

 困ったことになったな、と私が思っていると、神妙な顔つきをしているウルが声を挟んできた。

 

 

「クレアは犯罪者とかじゃないよ!」

「ウル……?」

「ウルちゃん……?」

「クレアは貴族の出だけど事情があって家を追い出されたんだ。だからきっとその事情のせいで、冒険者ギルドに圧力がかけられたんだと思う。貴族ならではの嫌がらせなんだよきっと」

 

 

 すっかり私が貴族の出であるということを信じているようで、ウルの声にはよどみがない。

 どうやらウルとは顔見知りのようで、受付嬢があっさりと彼女の言葉を信じたらしく、私に対する警戒心や先ほどまでの厳しい表情が和らいでいた。

 

 

「なるほど……貴族、追い出された……確かに貴族なのでしたら、本社に働きかけが出来ても不思議ではありませんね。……上流貴族となってきますが」

「クレアが犯罪者じゃないってわかったんならさ、どうにかなんない? お姉さん」

「うーん……いくらウルちゃんの頼みでも、こればっかりは規則なんですよねぇ……」

「ちょっとくらい規則を曲げたっていいじゃーん。ねー? お願いだよ、このとーり!」

「いやいや……頭を下げられても……」

「お姉さーん、お願いだよー! クレアはあたしの恩人なんだしさー」

「うーん……そう言われても……」

 

 

 上目遣いで懇願してくるウルを前に、受付嬢は困ったように困惑を見せてくる。

 尻尾を可愛らしくフリフリされ、獣耳もピクピク動かされては、受付嬢も邪険にはできないのだろう。

 

 どうやらウルは、この街ではうまくやっているらしい。

 そんな事実になんとなく安堵しつつ、私は微笑を浮かべながらやんわりとウルを受付嬢から引き離す。

 

 

「ウル、気持ちは嬉しいが、あんまり彼女(受付嬢)を困らせるもんじゃない」

「えぇー? でもさ、登録できないとクレア、困らない?」

「まあ……どうにかするさ。あなたにも迷惑をかけたな、すまない」

「あ……いえいえ。こちらこそお力になれなくて、申し訳ありません」

 

 

 ウルとの微笑ましいやりとりがなくなったことで少し残念そうにしながらも、受付嬢にはもう私に対する警戒心がなくなっていた。

 

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 

「……なるほど。あの筋肉ダルマ(新魔王ブレア)の手が、すでに回っていたのですね」

 

 

 冒険者ギルドを後にした私は商店街へと向かうがてら、アテナを召喚して事情を説明しており、それを聞き終えた彼女は無表情ながらも嘆息を吐いていた。

 ちなみにウルは、一度滞在している宿に戻るといって、いまは別行動だ。

 落ち合う場所と時間はすでに決めているので、後で合流予定である。

 

 

「では、これからどうするので?」

「とりあえずは、当面はウルの冒険者カードをアテにさせてもらうってところだろうな」

 

 

 受付嬢曰く、魔獣の部位の取り引きやクエスト受注には、パーティの代表者が冒険者カードを所持していればいいようで、事情で冒険者登録できなくても、そういった方法があると教えてくれたのだ。

 正規の職員がそういった法の抜け穴的なことを教えるのは如何なものか……と思ったものである。

 とはいえ、提示されたランクカードに対応したクエストしか、受注できないが。

 

 

「なるほど。13歳の女の子におんぶにだっこですか……堕ちるところまで堕ちましたね、クレア様」

「……お前ってやつは。どうして気にしていることを、あっさりと口にするのか」

「主に隠し事はしない。私のモットーですので」

「少しくらいは、オブラートにしてくれてもいいんだがな」

「おやおや。クレア様は、ガラスのハートの持ち主でしたか。はあっと息を吐いて磨いてあげましょうか?」

「結構だよ。っと、見えてきたな」

 

 

 通りを歩いていると、目的地が見えてきた。

 商店街という名の、青空市場である。

 露店には様々な商品が所狭しと並べられており、商人たちの威勢のいい声が飛び交っている。

 時間帯のためか買い物客の姿も多く、人でごった返しており、大いににぎわいを見せていた。

 

 なぜここに来たかといえば、今後に備えての食料や日用雑貨の確保が目的である。

 

 

「食料はもとより……食器は必要だな。あとコップもか。ナイフやフォークも一応いるか」

「川の水などを貯水しておく物も必要かと」

「ああ、確かに。この道具袋の口に入る大きさで、手ごろなものを探そうか」

 

 

 などなど、アテナと共に今後必要になるであろう雑貨等を、入手していくのだった。

 

 

 

 ※ ※ ※

 

 ※ ※ ※

 

 

 

「ふんふんふーん♪」

 

 

 ウルは滞在している宿の部屋にて、上機嫌で荷造りをしていた。

 尻尾がフリフリと動いており、獣耳も嬉しさを隠せない様子でピクピク動いている。

 

 この部屋を引き払い、クレアたちが滞在する宿に一緒に泊まるか、あるいはクレアたちに同行して寝食を共にするか、どちらにしても彼女にとっては、この部屋を引き払うのに躊躇いはなかった。

 しばらく世話になった部屋なので多少の愛着はあれど、やはり借り部屋というのは落ち着かないのだ。

 

 

「……それにしても。クレアが冒険者登録できなかったのは、残念だったなぁ」

 

 

 荷造りの手を止め、思い出したように独りごちる。

 

 

「貴族ってのは面倒くさいんだね、きっと」

 

 

 でも、とウルは思ってしまう。

 クレアには悪いと思っても、ウルにとっては好ましいともいえたからだ。

 

 

「これであたしとクレアは、ウィンウィンな関係だよね」

 

 

 クレアがウルの冒険者カードを利用し、ウルもクレアに稽古をつけてもらえる。

 一方的に頼るのは嫌だなと思っていただけに、これで少なくとも、負い目はなくなったといえるのだ。

 

 

「えへへ。あたしも運がいいよね。クレアみたいな優しくて強いヒトに出会えてさ」

 

 

 故郷を飛び出して今日まで、ずっと心細い思いをしていた。

 でもいまは、頼ってもいい相手がいるのだ。

 このことは、13歳という幼いウルにとって何物にも代えがたいものだった。

 

 きゅっと唇をかみしめて、思い詰めた表情になる。

 

 

(あたしは強くなる……ならなきゃいけないんだ……)

 

 

 思い出されるは、故郷の村のこと……

 

 

「早くクレアみたく、強くならなきゃね……!」

 

 

 暗い表情は一転して元気なものへと変わり、再び身支度を再開。

 

 

「そういえば……クレアってすっごい美人さんなんだよねぇ……」

 

 

 種族の違いで多少の美醜の価値観が違うとはいえ、街でのクレアに対する男たちの態度から、クレアがただの美人ではなく、とんでもない美人であることは、ウルにも理解できていた。

 

 

「貴族だし強いし美人だし優しいし……稽古の時はちょっと怖いけど。でも、非の打ちどころがないよね!」

 

 

 嫉妬というよりも、ただただ羨望である。

 

 

「……でも。そこまで完璧なのに、なんで家を追い出されたんだろう……?」

 

 

 疑問に思ってしまう。

 自分にも事情があり、あまりヒトに言いたくないこともあるので、クレアの事情もあえて深くは聞かなかったわけだが……気にならないといえば嘘になってしまう。

 

 

「うーん……お家騒動とか、なのかなー?」

 

 

 あながち的外れともいえない想像をするのは、野生の勘が働いているからか。

 しかしながら、当の彼女にはその真相を知る術はないのである。

 

 

 ─────

 

『小説家になろう』にて本編書いてます。



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第7話 「魔王様、鍛える」

 ギルドで”情報”を仕入れてからドルントを後にした私たちは、購入した馬車で街道を進んでいた。

 

 頑丈な造りの幌に加え、馬車中もかなり広いのは、それなりのお値段がする高級馬車だからである。

 定期的に魔力を注ぐことで車輪の強度が高まり、それが維持される仕様なので、脱輪の心配はなく。

 しかしながら、その馬車を引く肝心の馬は、生物ではなかった。

 

 影で形成されている、ひと際大きな馬の形をした何かだった。

 

 その影の元──御車を務めているアテナが、影術で作り上げた”馬”だ。

 生物である馬の世話は何かと手間であり面倒ということで、このような方法をとっていたのである。

 

 

「やはり、徒歩よりも快適だな。高い買い物をした甲斐がある」

 

 

 丸められた布団に寄りかかりながら、小窓から外の景色を眺めながら私は感想を漏らす。

 大人が二人くらい手足を伸ばしても広々としている馬車内のため、これといった閉塞感を感じないので、大金をはたいたとしても後悔の念はまったく感じなかった。

 

 

「さすが貴族だよね~。こんな高級な馬車をぽんと一括買いしちゃうんだからさ」

 

 

 尻尾をフリフリしながらあぐらを掻いているウルは、しきりに感心している様子。

 

 

「無理に冒険者をしなくてもさ、お金には困らないんじゃないの?」

「そうとも言えないさ。消費するだけの生活だと、いずれは資金も尽きてしまうからな」

「収支はしっかりしないとだね!」

「クレア様は金使いが荒いですからね。きちんとした収入源は確保しておかねばなりません」

「そうなんだ……さすが貴族だねぇ……」

「アテナ。意味もなく私の評価を下げる発言はするな。ルウも信じるなよ? アテナのいつもの冗談なんだからな」

「え? 冗談なの?」

「心外ですね。私は常に正直をモットーとしております。嘘なんて吐きません」

「わざと曲解させた事実を嘘と言うんだよ」

 

 

 あはは、とウルが楽しそうに笑って来た。

 

 

「仲がいいんだね、ふたりとも」

「ん? ああ、まあ……付き合いが長いからな」

「そうですね。いつもクレア様に無意味に虐げられておりますが、頑張って生きております」

「またお前はそういうことを・・・」

「あははっ」

 

 

 そんなやりとりを交わしながら、街道を進む。

 よさげな場所があれば立ち止まってウルに稽古をつけたり、水の確保や木の実などの食料調達も忘れない。

 ドルントで食料は大量購入しているが、食料は多くあっても困らないからだ。

 A級品の道具袋のために”質量保存”の魔法がかけられているので、腐る心配はないのである。

 

 

 ”目的地”までの道のりは、まだまだ長い……

 

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 

 だいぶ暗くなってきたこともあり、街道の脇に馬車を止めて、夜営をすることに。

 

 精霊であるアテナは夜目が効くし、星々の輝きがあれば影も発生するので影馬を動かすことも可能ではあるのだが、別段急ぐ旅でもないので、こうしてまったりと夜営することにしたのである。

 

 馬車内の片隅に置いていた、持ち運びが便利な簡易焜炉を馬車から下ろし、それと共にちょっとした台所といったものを造ったアテナが、料理を始める。

 調味料や香辛料、食材も潤沢なので、夜営とはいっても食事の質は期待できるだろう。

 

 何やらスープ系のものを作っているようで、切りそろえられたいろんな食材が入れられ、グツグツ煮えている鍋からは、なんともおいしそうな匂いが。

 思わず腹の虫から催促されてしまう。

 

 

「おやおや、クレア様。はしたないですよ?」

「仕方ないだろう。うまそうな匂いをさせるお前の料理が悪い」

「ふふふ。それは、褒め言葉としてとっておきましょう」

 

 

 もうしばらくお待ちくださいと言って、アテナは無表情ながらもどこか嬉しそうに料理に意識を戻す。

 と、涎を拭うしぐさをしていたウルが、ふいに思い出しように私に声をかけてきた。

 

 

「そういやさ、どこに向かってるの?」

「なに……? いまさら聞くのか? てっきり知っていると思っていたんだが」

「知らないよー? ついてきただけだし」

「そうだったのか……」

 

 

 私は脱力してしまう。

 ウルは素直すぎる……この先、悪い奴に騙されなければいいが、とつい思ってしまう。

 

 

「目的地は、アルペンと言う名の森の魔女だ」

「魔女……?」

「ああ。ギルド職員からの情報だと、この先の街道一週間くらい行ったところにある……ええと、そうそう。バーブルという都市の東にある森に、その魔女が住んでいるらしい」

「ふーん……いまさ、街の名前忘れてたでしょ?」

「都市はいくつもあるからな。いちいち覚えてなんていられんだろ」

 

 

 国を統べていた者にあるまじき発言だが……いまの私は王じゃないのである。

 

 

「まあねー。いっぱいあるもんね。あたしもさ、生まれ育った村の名前くらいしか覚えてないもん」

「いやいや、それは少し問題じゃないか? せめて周辺にある街や村落くらいは覚えておかないとダメだろう。あと、首都くらいも」

「むう……父さんみたいなこと言って」

 

 

 頬をぷくうっと膨らませてから、思い出したように表情をコロッと変えたウルが、私を見てくる。

 

 

「んで? なんでその魔女に会いに行くわけ?」

「……少し込み入った事情があってな」

「言いたくないなら、別に聞かないよ?」

「いや、別に問題ない。たぶん私は、ちょっと厄介な”呪い”にかかってるかもしれないんだ」

 

 

 あの勇者から受けた”攻撃”で、私は著しく弱体化してしまったのだ。

 そこで私は、あれを呪いの一種かもしれないと判断したのである。

 同化している精霊を媒介にした、何らかの弱体の呪い。

 勇者と精霊の関係性を知ったからこそ、思いついたのだ。

 

 冒険者として生きていくのが困難ならば、早い話、力を取り戻して返り咲けばいい。

 

 とはいえ、全てが思い通りにいくとはさすがに思っていない。

 だからこそ、あらゆる事態に備えて万全の準備を整えたというわけである。

 

 

「え……呪いっ? 大丈夫なのそれ!?」

「命に危険があるといった類のものじゃないから大丈夫だ。だが、呪いがかかってるかもしれないのなら、解いておかないとならないだろう?」

「だねー。あ、じゃあその魔女が、呪いに詳しいとか解呪できるかも、とかなんだね?」

「そういうことだ。まあ、ダメもとだけどな」

 

 

 ダメならダメで仕方ないが、可能性があるのならば試してみるのも悪くない。

 これといってアテがある旅じゃないのだから。

 

 

「大変なんだね、クレアもいろいろとさ」

「大なり小なり、ヒトは大変なことを抱えてるもんさ。お前もだろう? ウル」

「う……うん、まあ、ね……」

 

 

 しどろもどろになるウルに、私はそれ以上下手に言葉はかけなかった。

 

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 

「シャアアアアアアアアアアアアアアア!」

 

 

 ヒトに似た顔をした、翼を生やした四足歩行の魔獣──レッサー・デーモンが、耳障りな咆哮をする。

 対するは、右手に鉤爪を装着しているウルだ。

 下級魔獣のためにそれほど脅威はないのだが……彼女は緊張を隠せない様子だった。

 

 まだ目的地に到着はしていないが、その道中で何度も稽古をつけてきたので、今日は魔獣相手に実戦訓練してみようという流れになったのだ。

 この場にいるのは一匹のみだが、最初から一匹だったわけではなく。

 合計で4匹おり、移動中の私たちに襲撃してきたのである。

 

 3匹は私が瞬殺したが、ちょうどいい機会だからと、残り一匹をウルに討伐させることにしたのだ。

 その3匹の亡骸は、いま現在、アテナが手際よく分解中である。

 ギルドで取り引きできる価値ある部位を物色中なのだ。

 

 レッサー・デーモンは仲間が殺されたことにいきり立っているようで、私へと怒りをぶつけてくるものの、正面にウルが立ちふさがっているために、矛先を小さな狼少女へと向けていた。

 

 

「シャアアアアアアアアアアアアア!」

 

「ひぃ……っ」

 

 

 容赦のない殺気をぶつけられて、ウルが思わずへっぴり腰に。

 私は溜め息を吐いてから。

 

 

「ウル! 戦う前から相手の威圧に怯むんじゃない!」

「わ、わかってるよぅ……!」

 

「シャアアアアアアアアアアアアアア!」

 

「ひぃ……っ」

 

 

 怒りを表現しているレッサー・デーモンなれど、どうやら警戒を滲ませているようで威圧する咆哮をするのみであり、ウルはウルでビビッているようで動く気配がまったくなかった。

 

 

(やれやれ……これでは埒が明かないな)

 

 

 仕方がないので、発破をかけることにした。

 一条の雷撃を放ち、下級魔獣の足元にてはじけ散る。

 ビクッと身体を震えさせた魔獣が大きく吼えるや、ウルめがけて突進を開始した。

 

 

「ひい……来たぁ……っ」

「ウル! 相手をよく見て動け! そこまで早い動きじゃない!」

「う……うん……!」

 

 

 こうして、怯えながらのウルと怒り心頭の下級魔獣の戦いが始まった。

 

 

「シャアアアアアアアアアアア!」

「うひぃ……!」

 

 

「シャアアアアアアアアアアア!」

「こ、このお……っ」

 

 

「シャアアアアアアアアアアア!」

「あうち……で、でも負けない!」

 

 

「シャアアアアアアアアアアア!」

「とりゃあーーーっ!」

 

 

 一進一退の攻防戦。

 私はただ、黙って見守るのみである。

 

 

「クレア様。ウルさんの様子はどうですか?」

 

 

 価値のある部位の回収を済ませたアテナが、私の横へと移動してきた。

 

 

「ああ、よく戦っているよ。……レッサー・デーモン”程度”と互角に、な」

 

 

 馬鹿にするでもなく、ただただ事実だけを述べる。

 まあ考えようによっては、まだ13歳なのだから、年齢の割にはよく動けているという評価もありかもしれない。

 

 

「やはりクレア様はスパルタですね」

「ウルが本気で強くなりたいと思っている以上、手を抜くのはあの子に失礼だからな」

「……正直、私としては意外でした。ウルさんは、すぐに根を上げると思っていたので」

「だな。私も半信半疑だったさ、最初はな」

 

 

 こちらの予想を覆して、ウルはどこまでも真摯に頑張った。

 弱音はすぐ吐くし、すぐに泣き出すものの、決して諦めることはしなかったのだ。

 まるで昔の自分を見ているようで……私はついつい、指導に熱を入れてしまっていた。

 

 

(ドルントの門番や職員がウルに心を許していたのが、わかるな)

 

 

 久しぶりに気骨の溢れた若者に出会え、こちらも嬉しくなってくる。

 

 

「シャアアアアアアアアアア!」

 

「てっやああああああああああああああああ!」

 

 

 ウルのひと際大きな絶叫。

 鉤爪がうなりを上げ、ついにレッサー・デーモンに致命傷を与えていた。

 どうと倒れ伏した下級魔獣は、もはやピクリとも動かない。

 

「やった……やったよ! クレア!! ねえ見た! 見たよね! 見てたよね!? あたし、ひとりで魔獣を倒したよ! どう!? すごいよねあたし!!」

 

 興奮気味で私のもとに駆け寄り、ぴょこぴょこ動いてくるウルの頭を、優しく撫でてやる。

 

「初めてにしては上出来だ」

「ほんと? ほんとにほんと!? やったー! クレアに褒められたよー! アテナさん、見たよね?! クレアに褒められたよ!!?」

「おめでとうございます、ルウさん」

 

 いつまでも嬉しそうにはしゃぐウルを、私とアテナは微笑ましそうに見ているのだった。

 

 

 

 ※ ※ ※

 

 ※ ※ ※

 

 

 

「……面白くない」

 

 

 魔王城の威厳の象徴である王の間にて、ただ独り玉座にいた新魔王(ブレア)は、両ひざに両肘を置いて、忌々し気に呟いていた。

 この場に誰もいないのは、単純に時間帯のためである。

 バルコニー側にはカーテンが閉められているので室内は薄暗く、天窓から差し込んでくる月明りだけが、唯一の光源として落ちていた。

 

 

「こんなはずではなかった……」

 

 

 目障りな女を失脚させて自分が王の座に就いたまではよかった。

 しかしその後が、予想を裏切っていたのだ。

 

 

 魔族国は実力主義社会。

 

 

 弱い者が淘汰され、強い者がのし上がるのは当然のことであった。

 敗北した者は、勝者にどう扱われようが仕方がないのだ。

 

 

「だというのに、あの男(マイアス)ときたら……」

 

 

 いまだに前魔王を支持しており、志を同じくする同胞を集め、一大派閥を作り上げていたのだ。

 いまでは、マイアスを中心とした前魔王支持者で構成される派閥とで、権力を二分する形となっていた。

 水面下でドバンが連中の切り崩しを行っているが、あまり効果はない様子。

 

 

 ブレアにとって面白くないこの流れに拍車をかけた原因……城全体に、とある”噂”が広がっていたのである。

 

 

 前魔王のクレアナードは、新魔王のブレアの奸計で失脚させられた、と。

 勇者を引き入れ、漁夫の利を得ただけの卑怯者。

 実力ではなく、汚い手で王の座を奪取した簒奪者……と。

 

 おかげでブレアは、魔王になったというのに、まるでその気がしなかったのだ。

 

 

「マイアスめ……汚い手を使いおって……」

 

 

 証拠はどこにもない。だが、断定する。

 しかしながら、マイアスがこのような裏工作を得意とする性格でないことはすでに知っているので、恐らくは、裏で糸を引いている人物……あの女の妹(ラーミア)当たりが入れ知恵しているのだろう。

 

 しかし表立った証拠が何もない以上、表面上は事を荒立てる気はないという姿勢を見せている№2を排除するわけにはいかなかった。

 そんな暴挙に出れば、さすがにマイアス派の連中が黙っていないだろうからだ。

 

 前魔王を失脚させ得たのは、弱体化したからという実力主義社会を背景とした大義名分があったからであって、いま№2のマイアスを排斥する正当な理由がなかったのである。

 

 マイアスも着実に実力をつけているので、正直なところ、ブレアと一騎打ちをしたとしても、もはやどちらが勝つかはわからない状態であり。

 しかもそのような事態になるということは、マイアス派と正面切っての衝突になることが予想され、魔族にとって甚大な被害を被ることだろう。

 それに加えて、戦力が消耗したところで人族の軍に攻め込まれては、ひとたまりもない。

 それではブレアが欲している権力が崩壊してしまい、本末転倒になってしまうのだ。

 

 

 つまり、いまのこの煮え切らない状況は──

 

 見通しが甘かった……その一言に尽きる。

 

 

(ドバスめ……あの無能が。一任したのは失敗だった)

 

 

 とはいえ。

 連中が粋がっていられるのは、前魔王(クレアナード)()()生存してるからに過ぎず。

 あの女さえ消してしまえば、マイアスたちもおとなしくなることだろう。

 

 

(こんなことならば、見す見す逃がすのではなかったな)

 

 

 落ちぶれた人生を後悔と共に過ごさせるために、あえて見逃したのだ。

 しかしよもや、その判断が誤りだったということに、ブレアは顔をしかめる。

 

 

(あの女への嫌悪が判断を誤らせた……か)

 

 

 ただ見逃すのも面白くないので、恥辱を与えるべく配下を追撃させたが……それも失敗に終わっており、もっと本格的な数を送り込めばよかったとかるく後悔。

 水面下で牽制してくるマイアス派のせいで、もう下手に動くわけにもいかなかった。

 

 ──だからこそ。

 いまブレアは、独りこの場で待っていたのだ。

 

 

 独りしかいなかった空間に、突如として”気配”が生まれた。

 

 

 いつの間にいたのか、ブレアの視界に人影が。

 全身黒ずくめ……口元を覆っているために性別は不明だが、紅い両目が魔族であることを示して来る。

 全ての入り口は閉じているのでどうやって侵入してきたのかはわからないが、その黒ずくめは音もなく、静かにその場に佇んでいたのだ。

 

 

「きたか。会うのは初めてだが、お前の噂は聞いているぞ。”暗殺者”ウーア」

 

 

 ブレア自身が動くわけにはいかず、兵も下手に動かせない、しかもドバンもアテにならない以上、第三者を使うという方法をとったのた。

 最強魔王だった頃ならばいざしらず、弱体化した今の状態ならば、それなりに名が売れている暗殺者でも殺せるだろうという判断である。

 

 いずれはマイアスも消す予定だが、いまはまだその時ではなく、まずはあの女の始末が最優先される。

 

 

「……依頼内容は」

 

 

 マスクのためにくぐもった声であり、声から性別を判断することはできなかったが、ブレアはこれといって気にした様子はなく。

 

 

「前魔王クレアナードの首をもってこい」

「弱体化したとの噂は聞いている」

 

 

 さすがはプロというべきか、暗殺者は眉根をピクリとも動かさず、淡々としていた。

 

 

「最強でなくなったのならば、依頼を果たせるだろう」

「だが、殺す前にやってもらうことがある」

「他にも依頼が?」

「奴が”女”であることを後悔させてから、奴の首をとれ」

 

 

 にやりと厭らしく嗤うと、初めて暗殺者の眉根が一瞬だけ反応する。

 

 

「……自分の仕事はあくまでも殺すこと。女を甚振るのは管轄外だ」

「何を硬い事を。あの女の美貌を前にすれば、そんな青い考えなど吹き飛ぶさ」

「……了解した」

 

 

 所詮は金で雇われる身であり、依頼主の意向には添わねばならない。

 どんなクズな依頼内容であろうとも。

 

 

(どうやら、新魔王の評価は評判通りだったということか)

 

 

 暗殺者は内心で吐き捨てる。

 仕事が仕事なので、依頼主の情報はあらかじめ把握しておくのも、身を守る手段なのだ。

 優秀な暗殺者であればあるほど、用心深いということである。

 

「期限は設けんが、出来る限り早く首を持ってこい」

 

 言葉を交わしたくないという表れなのか、暗殺者はこくりと頷いたあと、闇に溶けるようにして消えていった。

 気配がなくなるも、扉や窓が開けられた形跡はまったくなかった。

 

 

「魔法の類だったのか……? まあ、なんでもいい」

 

 

 大きく息を吐き、玉座に深々と背中を預ける。

 

 

「クレアナード……つくづく、邪魔な女だ」

 

 

 排除した後も尚、こうして手を煩わされるのだから。

 

 

「何と言われようが、勝ったのは俺であり、あの女は敗者に過ぎんのだ……俺は魔王であり、あの女はもはやただの魔族に過ぎん……。そうだ……勝ったのは、この俺なのだ」

 

 

 月明りが差し込む中、まるで自分に言い聞かせるように独りごちていた。

 

 

 ──────

 

『小説家になろう』にて本編書いてます。



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第8話 「魔王様、密偵と会う」

「甘い!」

「ぐへえ……っ」

 

 

 飛び掛かってきたウルにカウンターである膝蹴りを叩き込み、直撃した狼少女はもんどりうって、そのまま動かなくなる。

 ……死んだわけではなく、ただ気絶しただけである。

 

 場所は、街道沿いに広がっている平野。

 

 ちょうど昼時ということもあり、昼食を摂った後、恒例となっていたウルとの稽古の時間だったのだ。

 

 

「やれやれ。クレア様のドSは相変わらずですね。少しくらい手加減してもよろしいのでは?」

 

 

 意識がない少女を優しく抱え上げたアテナが、無表情のままで私を非難してくる。

 

 

「それでは稽古にならないだろうが。というか、私としても少しキツいんだけどな」

 

 

 私は額に、薄っすらと汗をかいていたりする。

 弱体化の影響は魔力のみならず、どうやら体力まで奪っていたようで。

 本来だったらこの程度の運動で、汗などかかなかったのである。

 

 

「なるほど。歳の差ですね。血気に溢れる若者が相手では、寄る年波に負けるクレア様では荷が重い、と」

「お前は、いつもよけいな一言が多いな。逆に感心するぞ」

「お褒めの言葉、ありがとうございます」

「いや、褒めてないから」

 

 

 街道脇に泊めている馬車内へとアテナがウルを運んでいくのを横目に、私は手近にあった小岩に腰かける。

 一旦身体を休めてしまうと、一気に疲労感が押し寄せてくる。

 

 

(……私はまだまだ若いつもりなんだけどな)

 

 

 内心で苦笑い。

 弱体化の影響だと思いたいところである。

 

 すると、街道を挟んで向こう側にある森に”気配”が生まれた。

 

 殺気は感じなかったのだが、一応警戒して、立ち上がってそちらへと鋭い視線を向ける。

 やがて木々の間から音もなく出てきたのは、忍び装束に身を包んだ少年だった。

 視認した私は、小さく息を吐いてから警戒を解く。 

 見知った顔だったからだ。

 

 

「ダミアンか……懐かしいな、と思うのはまだ早いか?」

 

 

 マイアス家お抱えの密偵のひとり……いわゆる、シノビである。

 彼とは何度か手合わせをしたこともあり、その時は私の全戦全勝だったが……

 いまの私の状態だと、勝敗はわからないだろう。

 

 

「お久しぶりです、クレアナード様。ご壮健で何よりかと」

「お前もな。それで? 落ちぶれた私にわざわざ会いに来たのはなぜだ?」

「通信機等では傍受される恐れもありますので、こうして俺が派遣されたのです」

「なるほど。で? 用件はなんだ?」

「……魔王城にお戻りになられる気はないのですか?」

「愚問だろう。いまの私はもう”最強魔族”ではないのだからな」

「……いまの上層部の情勢はご存じで?」

「知らないな。知る術もない」

「では、ご説明させて頂きます」

 

 

 ダミアンが語った内容に、私は少なからず驚いてしまう。

 

 

 かつては私の下で一枚岩だった上層部が、いまでは新魔王ブレア派と№2マイアス派とに分かれており、表立った対立こそないものの、互いに牽制し合っている、と。

 

 

「それでは、国の政ごとが滞っているのではないのか?」

「はい。大なり小なり支障が出始めております」

「あのマイアスがそんなことを望んでやるとは思えないな……ラーミアにけしかけられたか」

 

 

 私の指摘に、ダミアンは頷くことで肯定する。

 

 

あの馬鹿(ラーミア)……よけいな諍いを」

「クレアナード様を想ってのことです。いつ戻ってきてもいいようにと、居場所を守ろうと」

「気持ちは嬉しいが……迷惑をかけないようにこうして旅に出たというのに。これでは、意味がない」

「では、魔王城に戻られますか?」

「……いや。そんな拮抗状態なのだとしたら、それこそ私が戻れば、何が起きるかわからなくなってくる」

 

 

 私が戻れば、ブレアも黙ってはいないだろう。

 二大勢力の真っ向からの衝突ともなれば、魔族全体を巻き込んだ大規模なものになることは想像に難くない。

 その隙をつかれて人族に攻め込まれると、もはや目も当てられない。

 その辺りを危惧しているからこそ、今のところブレアも大きな動きは自重しているのだろう。

 あの男にとっても、せっかくトップに立ったというのに国そのものが滅んでは意味がないからだ。

 

 

(意味合いは違うが、その点(国を守る)だけは信用できるというのが、皮肉な話だな)

 

 

 しかし困ったのは、ラーミアたちだ。

 私を想っての行動みたいだが……

 国を弱体化させることは、はっきり言って私の本意じゃない。

 

 

「私のことは気にせず新魔王に協力を──いや、無理か。あの男(新魔王)では、賢王にはなれんよな……」

「まるでご自分がそうであったかのような口ぶりですね? クレア様」

 

 

 馬車から戻ってきたアテナが、いつもの通り揶揄してくる。

 私は、自嘲的に微笑。

 

 

「……少なくとも、そうあろうとはしてたさ」

「クレアナード様。そのお志は紛れもなく、誰もが認めていることです だからこそ、マイアス様に賛同する者たちが大勢いるのです」

「まあ……いずれにしても。いまの私では戻ったところで、諍いの火種になるだけだ」

「では、どうしても戻られる気はないと?」

「力が戻れば話は変わってくるがな」

 

 

 ダミアンに、これから向かう先の事を教える。

 

 

「なるほど……魔女ですか」

「その魔女について、何か知っていることはあるか?」

「申し訳ありません」

「そうか、まあ私も知らなかったからな」

 

 

 元々ダメもとで聞いたことなので、別に気にはしない。

 ダミアンは居住まいを正してきた。

 

 

「クレアナード様のお考えはわかりました。ではその旨を報告させて頂きます。では、これにて──」

「お待ちください、ダミアンさん」

 

 

 待ったをかけたのは、いつの間にか先ほどの余りもの──野菜スープが淹れられた皿を手にもつアテナだった。

 

 

「どうやらお疲れのご様子。少しくらい、休憩していってもよろしいのではありませんか?」

「アテナさん。お心遣いはありがたいのですが、しかし……」

 

 

 言葉を紡いでいる途中で、ダミアンの腹の虫が鳴ってしまう。

 まだ幼さを残している顔が、恥ずかしさでほんのりと赤くなる。

 

 そこでようやく、私も彼の様子に気が付いた。

 何やら疲労の色が濃かったのだ。

 

 

「疲れているのか?」

「……言い訳ではないのですが、まさか馬車を使われるとは思っていなかったので……不眠不休で移動してきたので」

「そうか……それは悪かったな」

 

 

 馬車の速度──しかも影馬だからさらに早い──に追い付くのに、どれほど無理をしたことだろう。

 しかしながら私は、彼の疲労に指摘されるまで気づかなかったのだ。

 アテナの洞察力には、頭がさがるというものだった。

 言ったら図に乗りそうなので言わないが。

 

 

「少し休憩していってくれ。お前に命令する権限がないから、”お願い”という形になってしまうが」

「クレアナード様からのお願い……もったいない事です。では、喜んでご厚意に甘えさせて頂きます」

 

 

 こうしてダミアンは少しだけ休憩を取った後、ウルが目覚める前に、私の近況報告を持ち帰ったのだった。

 

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 

 ダミアンが立ち去ってしばらくしてから。

 

 

「くんくんくん」

 

 

 たっぷり寝て起きてきたウルが、私の周囲をぐるぐる回りながら匂いを嗅いできた。

 

 

「ん? どうかしたのか?」

 

 

 私が問うと、ウルが上目遣いで私を見上げてくる。

 

 

「オトコの匂いがする」

「は……?」

「なんか、知らない匂いがすると思ったら、これオトコの匂いだよ!」

「……ああ。さすがに、獣人族の鼻はよく効くな」

「どういうことなの?」

 

 

 正確には男の()なのだが……彼女にとっては大して変わらないのだろう。

 寝起きで思考がはっきりしていない所に知らない男の匂いが私からすることで、少し混乱しているのかもしれない。

 ダミアンのことを説明するには、私が元魔王だということから話さないといけないだろう。

 ウルにはそのことを話すつもりはないので、どうやって説明するかなと私が思っていると……

 

 

「ウルさんには刺激が強い話になってしまいますが」

 

 

 何やらアテナが口を開いてきた。

 

 

「先ほど、クレア様の昔の男がやってきたのです」

 

「えぇ……!?」

「な……」

 

 

 ウルばかりではなく、私もが驚いてしまう。

 そんな私たちに構わず、アテナはまったくのデタラメをまるで真実のように、すらすらと述べてくる。

 

 

「いわるゆストーカーです。クレア様が無意味にその色香を発揮してその男を誘惑したことで、彼は勘違いしてしまったのです。しかし金の切れ目が縁の切れ目とはよくいったもので、貢いでいた彼が破産するや、クレア様はあっさりと見限ったのです。それでも彼はクレア様を諦めていなかったようで……まさかこの場所を特定して追いかけてくるとは思っていなかったので、私も驚いた次第です」

「アテナ、さすがにそれは……」

 

 

 無理がある設定では……? と言おうとするも、なぜかウルが納得した顔になる。

 

 

「貴族だもんね……そういうのもあるんだね……? そっか……クレアはオトナの女だもんね……いろいろあるよね……」

「いや、いまのは……」

 

 

 アテナの説明だと、私は完全にクズ女である。

 かといって否定すれば、別の理由を見つけないとならず。

 嘘が苦手な私にとっては、まるで何も思いつかない。

 

 権力争いに負けた事実を告げるか、クズ女の汚名を着るか。

 

 プライドの問題である。

 真実を告げた場合……この件に関しては、相手が誰であれ同情はされたくなかった。

 それゆえに……言えない。

 言いたくなかった。

 

 

(アテナの奴……もっとマシな理由は思いつかなかったのか)

 

 

 半眼で睨み据えるが、当の彼女は何を勘違いしたのか、ウルに見えないように私に親指を立ててくる。

 

 

「……ねえ、アテナ。そのオトコの人は……どうなったの?」

 

 

 恐る恐る聞いてくるウルに、アテナは神妙な態度でゆっくりと首を横に振った。

 

 

「ウルさんは、知らない方がよいかと」

 

 

 ビクッと震えたルウが私をちらりと見てから、乾いた笑いをしてくる。

 

 

「あ、あたし、もう一回寝てくるかなー……ふわぁ~、欠伸も出てきちゃったしね……!」

 

 

 わざとらしい欠伸をしてから、いそいそと馬車に戻っていった。

 その背を見送ってから、私は嘆息ひとつだった。

 

 

 それからしばらくの間、ウルから微妙な視線を向けられることになるのだが、私たちはどうにか無事(?)に、目的地にたどり着いていた。

 

 

 鬱蒼と生い茂る森が目の前に広がっている。

 かなり広大な規模のようで、ここからでは森の全容が見渡せないほどだった。

 

 

「獣道すらないねー……ほんとに、こんな場所に森の魔女がいるの?」

 

 

 耳をピクピクさせて森の外から中を窺おうとしているルウが言ってくる。

 

 

「野良の魔獣とかは、それなりにいる感じだけど」

「魔獣がいるのか……飼い慣らしているのか……? もしくは共生か……?」

 

 

 魔女の異名は伊達じゃないということなのかもしれない。

 

 

「クレア様。情報だと、魔女は森の中腹あたりに居を構えているとのことです。中腹がどの辺りなのかは現状だと見当もつきませんが……如何いたします?」

「んー……ウル、木登りは得意か?」

「ふぇ……? あー……まあ、小っちゃい頃からよく登ってはいたけど……」

「では、頼む。中腹あたりの場所を見てきてくれ」

「あ、そういうことね。いいよー!」

 

 

 あっさり了承したウルが一本の幹へと行くと、そのまま軽業師よろしくの身のこなしでもって、するすると木を昇って行った。

 

 

「さすが身体能力が高い獣人ですね。もう姿が見えなくなりました」

「だな」

 

 

 ややあって、ウルが昇っていた木から降りてきた。

 怪我をした様子もなく、せいぜいが衣服が多少汚れた程度だった。

 

 

「とりあえず、真ん中らしい場所はあっちの方向だったよー」

「そうか、すまないな。それで、何か建物らしきものは見えたか?」

「なんか家みたいのはぽつんってあったかも」

「状況的に、それが魔女の自宅の可能性が高いですね」

「だな。ウル、案内を頼めるか?」

「いいよー! 方角は覚えてるから、任せて!」

 

 

 元気よく返事したウルの先導のもと、私たちは森へと踏み入る──

 

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 

 森を進む道中で遭遇した魔獣は、その全てが下級に位置していた。

 

 下級のためにその脅威度は低く。

 ウルに経験を積ませる意味合いでそれら魔獣を彼女に討伐させながら、私たちは目的の場所へと到着していた。

 

 割と広めの開けた場所の中腹に、普通の民家が静かに佇んでいた。

 地下水をくみ上げる井戸も設置されており、少し大き目の物置すら置いてある。

 生活感に溢れた空間……ある意味では、こんな森のど真ん中では異質ですらあった。

 

 

「あれ、なんだろう?」

 

 

 不思議そうにウルが指さしたのは、何やら紋様が描かれている大き目の岩だった。

 周囲を見てみると、この広間を囲うような感じで、いくつか配置されていた。

 

 

「これは……魔除け? ……いや、この場合は、魔獣除けといったところか……?」

「おそらくはそうでしょう。そのような効果を発揮する”まじない”の類かと」

「まじないって、なに?」

 

 

 小首をかしげてくるウルに、岩をポンポンと叩きながらアテナが解説する。

 

 

「直接的に効果を発揮する魔法とは違い、間接的に効果を発揮するのが呪術であり、その一種に”まじない”という区分があるのです。主にこういった物体に紋様を刻むことで、目的の効果を発揮させるのです」

「へぇー……ってことは、これ作ったのは森の魔女ってことなのかな?」

「ふむ……状況的に考えれば、それが一番自然だな」

「クレア様」

 

 

 割と真剣なニュアンスで、アテナが私を見てきた。

 

 

「この”まじない”は、かなりしっかりと術式が構築されています」

「ほう? お前には紋様の奥の術式まで見えるのか? 私には表面上の紋様程度しか見えないんだが」

「精霊と人間の差でしょう。私たちは人間と違い、物体ではなく精神を拠り所としているので」

「なるほどな」

 

 

 私は思い出す。

 精霊が、相手の魔力の質を見ることが出来るということを。

 その事柄と同じような現象なのだろう。

 

 

「ですので、それを踏まえた結果、これを造った者は腕の良い()()()かと」

「そうか。どうやら魔女の正体は、呪術師だったってことか」

「? 魔女と呪術師だと、何か違うの?」

「言うほどの差はないけどな。”魔女”は漠然とした肩書き、”呪術師”はれっきとした職業、それだけの違いだ」

「そうなんだー……あ! そういえば故郷の村でもさ、いつも『ひっひっひ』って不気味に笑うばあちゃんが、みんなから魔女って呼ばれてたんだよね」

「意外だな。お前の村にも魔女がいたのか?」

「いやー……まあ、ただ単純にね、ばあちゃん歯がないから、うまく喋れなかったってオチ」

「……そうか」

「まさかのオチでしたね」

「あう……なんか、ごめん」

 

 

 そんな気はなかったのだろうが、私とアテナの微妙な反応に、ウルがしゅんとなっていた。

 

 

 気を取り直して、私たちは堂々とした足取りで民家へと向かう。

 いまさらコソコソしても意味がないからだ。

 恐らくこの”まじない”を通過した時点で、魔女には侵入者が来たことが知らされているはず。

 

 

「さてさて……蛇が出るか鬼が出るか」

 

 

 少なからず緊張感が漲ってくる。

 今のところ攻撃されてくるような気配はないので、話が通じる相手なのかもしれないが、油断はしないほうがいいだろう。

 

 私が目配せすると、その意を汲み取ってくれたアテナが、すっと自然な動きで無警戒なウルの側面に。

 

 

「? どうかしたの? アテナさん」

「少しモフモフしたくなったもので」

「え……っ」

 

 

 歩きながらモフモフされるウルは、戸惑ったように目をパチクリ。

 

 

(ドサクサに紛れて……少し羨ましいぞ、アテナ)

 

 

 実は、私もウルをモフモフしたかったりするのだ。

 しかしそこは必死に理性で止めていたというのに……

 そんな私の心情を知ってか、アテナが無表情のままで、にやりっと口角を吊り上げてくる。

 

 ……まあ、多少の悔しさはあれど。

 

 これで何か不測の事態があったとしても、アテナが傍にいるのだからウルの身は心配ないだろう。

 

 

「……さて、意外とあっさりついたな」

 

 

 何も起きることなく、私たちは民家の入り口ドアへと到達。

 しかし、まだ油断は出来ない。

 ドアを開けた瞬間、発動する仕掛けがあるのかもしれないからだ。

 

 

「では、クレア様。ドアを開けてください」

「……おいおい。ここは、メイドであるお前が開ける場面じゃないのか?」

「ご冗談を。それに、仕える主の骨を拾うことも、仕えるメイドの仕事ですので」

「私が死ぬ前提で話をするんじゃない」

 

 

「えーっと……あたしが、開けようか?」

 

 

 おずおずと言ってくるウルの頭をアテナは遠慮なくモフモフしながら、両目を細めてきた。

 

 

「13歳の女の子に、危険な役目を押し付けるのですか?」

「……だったら、お前が開ければいいだろうが」

「クレア様」

「はいはい、わかったよ」

 

 

 さすがに私としても、幼いウルに危険な役目を押し付けるほど鬼畜じゃないのである。

 とりあえず、こちらに敵意がないことを示す意味も兼ねて、呼び鈴を鳴らしてみた。

 

 すると、ガチャっと鍵が開く音が。

 しかしそれきり、何の反応もなく。

 

 

「……入って来い、ってことか……?」

 

 

 警戒しながらドアノブを握る。

 

 

「じゃあ、開けるぞ……」

 

 

 音もなく、ドアが開く──

 

 

 

 ※ ※ ※

 

 ※ ※ ※

 

 

 

 クレアナードと邂逅後、ダミアンは独り森の中を駆けていた。

 駆けるといっても地上を走るのではなく、木々の枝を足場にしなりを利用して跳躍しており、まさに身軽なシノビだからこその移動法であった。

 

 

(クレアナード様、元気そうでよかった……)

 

 

 魔王城を追放されたと聞かされたときは、耳を疑ったものである。

 その理由を聞かされた時は、怒りのあまり新魔王の首を取ろうとしたものだった。

 とはいえ、さすがに適わない相手なので、踏みとどまるほどの冷静さはかろうじて残してはいた。

 

 

(本当なら、クレアナード様のお傍にいたいけど……)

 

 

 クレアナードは、マイアスみたくお抱えの戦力を保有しなかった。

 自身が最強ゆえに、必要と感じなかったからかもしれない。

 本当ならば、ダミアンはクレアナードの配下になりたかったのだ。

 

 

 ダミアンは……クレアナードに淡い恋心を抱いていたのである。

 

 

 分不相応ということは理解しているが、せめて近くにはいたかったのだ。

 それゆえに彼は、少しでも彼女との接点を持とうと奔走し……マイアス家お抱えの密偵のひとりに。

 

 ケツの青いガキが色気づくな、と揶揄されるのはわかっていたが……ダミアンはひた向きにクレアナードを想っていたのである。

 

 ……彼女はもう覚えていないだろうが、ダミアンは彼女に命を救われたことがあるのだ。

 まだ彼女が、最強魔王となる前に。

 まだ幼い頃のダミアンにとっては衝撃的な出来事であり、幼い心に植え付けられた羨望が、いまでは恋心へと昇華していたのである。

 

 それゆえに、今回のクレアナードとの連絡役という任務を、ダミアンは率先して志願していた。

 

 

(クレアナード様……本当に弱体化していた……)

 

 

 再会した彼女からは、以前のような圧倒的感がまるで感じられなかった。

 それは、ダミアンにとっては非常に不安になる材料だったのだ。

 

 早くマイアス()に報告を持ち帰った後、クレアナード(愛し人)の下に戻らなければならない。

 

 

(俺が……クレアナード様を守るんだ!)

 

 

 決意も新たに、ダミアンは帰路を急ぐのだった。

 

 

 ────────

 

 

『小説家になろう』にて本編書いてます。



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第9話 「魔王様、魔女と会う」

「ウェルカーム! 歓迎しましょう!!」

 

 

 扉を開けると、パーン! とクラッカーが鳴らされ、色鮮やかな紙吹雪が宙を舞い……ゆっくりと落ちていく。

 

 

「「…………」」

 

 

 私は無言。

 アテナも眠たそうに半眼となっており。

 唯一、聴覚が鋭いウルだけは、驚きで硬直していた。

 

 

「……あ、あれ? あれれ? 私なりに歓迎の意を示したつもりだったんですけど……」

 

 

 フードを目深にかぶっているために顔が見えないものの、その声から女性であることだけはわかった。

 フードの女性は私たちの反応が予想外だったようで、役目を終えたクラッカーを片手に、所在なさげにオロオロとするばかり。

 

 

「……歓迎、してくれたのか?」

 

 

 どうにか声を出すと、フードの女性は見えている口元を笑みに形どった。

 

 

「はい。こんな場所まで()()の人間が来ることはないので、私なりに精一杯の歓迎をしたつもりだったんですけど……」

「とりあえず。招かれざる客でないのでしたら、お茶の御もてなし等を要求したいのですが?」

 

 

 淡々と厚かましい要求をするアテナにフードの女性は気を悪くした様子もなく、むしろ「そうですね!」と手を叩いて、私たちを茶の間へと案内してくれた。

 

 きちんと整理整頓されており、埃ひとつない茶の間。

 

 それぞれテーブルについた私たちの前に、お茶と簡単なお茶菓子が出される。

 緑茶とようかんという組み合わせなのが、なかなか通といえるだろうか。

 それとも急な来訪だったので、それしか用意できなかったのか。

 状況的には、後者の可能性が高い。

 

 

「……ふむ。少し熱いですが、まあ許容範囲ですね。茶葉もほどよい感じのようですし……合格です」

 

 

 何様のつもりなのか。

 お茶を一口飲んだアテナが、さも偉そうに評価する。

 

 

「ほんとですか!? それは嬉しいですね!」

 

 

 純粋に喜びを表現するフードの女性は、私とウルに視線を向けてきた。

 

 

「ささ、どうぞどうぞ! 遠慮しないで、召し上がって下さいな!」

「……じゃあ、遠慮なく」

「い、頂きまーす!」

 

 

 勧められたので、とりあえずは相伴に預かる私たち。

 そして私は、お茶を飲みながらちらりとフードの女性を確認する。

 

 

(特にかしこまった様子はないな……)

 

 

 落ちぶれたとはいえ、私はかつては国を統べていた王なのだ。

 そのことについて何かしらの反応があるかとも思ったのだが……

 

 

(森に引きこもっているようだし、世事に疎いのか……?)

 

 

 それならそれで構わないし、いくら王とはいっても、国民全員に顔が知れ渡ることもないだろう。

 

 

(冒険者ギルドでも、これといった反応がなかったようだしな)

 

 

 私は一息ついてから、切り出すことにした。

 

 

「それで。君が森の魔女、ということでいいのかな?」

「ええ。私が近隣ではそう呼ばれている魔女、アルペンです」

 

 

 私たちも簡単な自己紹介。

 

 

「それで、アルペンさんは呪術師なのですよね?」

「あらら……あっさり見破られちゃいましたか」

 

 

 アテナの指摘に、魔女──アルペンは隠すつもりもないのか、あっさりと認めた。

 

 

「近隣の街や村に、時々自作の呪術関連の魔道具を卸してるので、いつの間にかそういう評価になっちゃってたんですよねー」

「呪術の魔道具を卸してるって……物騒だな」

「お金は必要ですしねー」

 

 

 呑気な口調で答えた魔女は、しかし慌てたようにすぐに弁明を。

 

 

「あ! でもでも! 危ないのは卸してないですよ? せいぜいが、恋の成就率アップとか、学力増進、食欲不振の解消とか、ごくごく簡単なおまじないの道具とかなんです」

「いや、別に責めてるわけじゃない。先立つものは必要だからな」

「ですよね? ですよねっ? お金がないと、何もできないですもんね? 私は悪い事なんてなーんにもしてないですからねっ? ね?」

「いや……だから責めてないと……」

「クレア様はドがつくほどのサディストですから、きっとアルペンさんはクレア様が内包する闇を感じ取られたのでしょう。仕方がないことです」

「アテナ……お前は何しれっと当たり前のような口調で言うのか。ウルもウルで、そんな怯えた目を私に向けてくるな」

 

 

 疲れたように私が言うと、悪戯めいた笑みを見せてくるウルの頭を、アテナが撫でる。

 

 

「ウルさんも、()()()ようになってきましたね。教え甲斐があります」

「えへへ」

「おいおい……ウルに変なことを教えるんじゃない」

 

 

「あのー……、こういう状況で仲間外れにされるのは、けっこう寂しいんですけどー……」

 

 

 豊満な胸元に両手を当てて弱々しく主張してくる魔女に、私は意識を戻した。

 

 

「すまないな。さっそく本題に入りたいんだが、いいか?」

「ええ、どうぞどうぞ、喜んで」

「呪術師というくらいだから、呪いには詳しいと思うんだが?」

「そうですねぇ、私はけっこう優秀な部類に入る術者ですから、たいていの呪いは網羅していますよ」

「それは心強いな」

 

 

 自分で自分のことを優秀と評価するぐらいなのだから、よほど自信があるのだろう。

 私は表情を引き締めて、改めて魔女を見据えた。

 

 

「私にかけられている”呪い”を解くことは可能か?」

「え……呪いがかけられてるんですか……?」

「? 呪術師なのに、わからないのか……?」

「あ、いえそうじゃなくて。呪術師といっても、ちゃんと調べないと呪いがかかってるかなんてわからないもんなんですよ? 万能ってわけじゃないんですから」

「そういうもんなのか……早合点してすまなかった」

「いえいえ。貴女以外の他のひとたちも、呪術師はすぐに呪いを見破れる! みたいなイメージを持たれてるみたいですからね。いまさらそれくらいのことは、気にしませんよ」

 

 

 確認するのでついてきてくださいと言われ、彼女の先導で私たちは外へと出る。

 杖で地面に魔法陣を描いた後、魔女が私を手招きしてきた。

 

 

「それでは、クレアナードさん。この陣の中に入って下さい」

「わかった」

「クレア様、骨は拾うので安心して行ってきてください」

「えぇ!? いやいや! 安全な陣ですから……!」

「あー……真に受けないでくれ。ってか、ウルもメモしなくていいから」

「私の言動をメモするとは、勉強熱心ですね」

「えへへ」

 

 

 いつの間にかアテナに懐柔されていたウルに溜め息を吐いてから、私は魔法陣の中へと移動する。

 

 

「これから、私はどうすればいい?」

「これから魔法陣の模様が輝くので、その時に目を閉じていてください」

「わかった」

 

 

 すると間もなくして陣が輝き出したので、私は言われた通り、両目を閉じた。

 

 

「……ふむふむ……なるほどなるほど……」

 

 

 目を閉じているために暗闇の中、魔女の声が聞こえてくる。

 それと同じくして、手持無沙汰となったことで何やらアテナがウルに吹き込んでいるようで、ウルからはしきりに「アテナさんすごいや!」といった感動の声が。

 

 

(アテナの奴、ウルに変なことを教えなきゃいいが……)

 

 

 すると、魔女から問いかけられてきた。

 

 

「クレアナードさん、”呪い”をかけられるような原因に心当たりはありますか?」

「……それは……」

 

 

 さすがに、最強勇者との死闘の果てにかけられた、と言うわけにはいかず。

 そうなれば、私が元魔王であることも露見してしまう。

 ……まあ、別にバレてもいいのだが、なんというか……恥ずかしさが前面に立ってくる。

 失脚して城を追い出されたなんて……逃げてきたなんて……進んで言いたい内容ではないのだ。

 

 

「ああ、別に言いたくないのでしたら構いませんよ。ただ、心当たりがあるのかないのか、それだけを知りたかったので」

「……心当たりは、ある」

「なるほど……()()のですね」

 

 

 口調の裏に何か含みを感じたが、いまはいちいち指摘しない。

 まったく関係ないかもしれないからだ。

 

 

「クレアナードさん、もう目を開けても大丈夫です」

 

 

 目を開けると、すでに魔法陣の輝きは収まっていた。

 

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 

 場所は再び茶の間へと戻り。

 

 テーブル越しで私の対面に座る魔女が、神妙な表情で口を開いた。

 

 

「クレアナードさんには”呪い”がかかっていますね」

「……そうか。で、解呪は可能か?」

「んー……できなくはないです。けど……タダでというわけには。私も慈善家というわけじゃないので」

「わかっている、当然だ。相応の対価は払う。……いくらだ?」

 

 

 足元を見られて法外な値段をふっかけられると、さすがに支払えるかわからなかったが、それで解呪されれば魔王に返り咲けるのだから、そうなれば払えない額ではないはずである。

 

 

「あー……いえ、お金には困ってないので、金銭は要求しないです」

「……? 先程、金を稼ぐために魔道具を卸していると言ってなかったか?」

「はい。ですから、それでお金には困っていないんです」

「じゃあ……何を対価に支払えばいいんだ?」

 

 

 困惑する私に助け船(?)を出してきたのは、淡々としているアテナ。

 

 

「では、クレア様の身体を好きにしてもいいという権利ではどうでしょう?」

「な……っ」

「男を簡単に魅了するこの美貌です。呪術の実験にいろいろと使えるのではありませんか?」

「いやいやいや。アテナ、お前何を言っているのかわかってるのか? 主を売るとか、ないだろうが」

「安心してください。万一の時は、責任を持ってクレア様の骨は拾うので」

「さっきから……私の骨を拾うのが好きだな」

 

 

 私とアテナの話に入れないウルは暇そうに再び出されたお茶を啜っており、そんな私たちを前に、魔女は口元をきゅっと引き締めてから。

 

 

「クレアナードさん、取り引きしませんか?」

「……取り引き?」

「はい。この森から一日ほど行ったところにあるハルス村を、()()してほしいんです」

「解放……どういうことだ?」

 

 

 なにやら不穏な気配に、私は少しだけ緊張感をみなぎらせる。

 問われた魔女は、答えるのに一拍の間を空けた。

 

 

「ハルス村とはちょっと縁がありまして。それでその村が先日、性質の悪い魔獣使いに襲撃されて、支配されてしまったのです」

「魔獣使い、か」

 

 

 その名の通り魔獣を操る者であり、腕がいい者ともなると、たったひとりで一軍に匹敵するほどの戦力を有することさえある。

 そのため、ただの村では抗う術などないだろう。

 

 

「全て下級魔獣だけなんですけど、一体だけ特別な魔獣がいたようで……村の自警団は全滅したと……」

「特別な魔獣……?」

「オーク・ロードです」

「……なるほど、な」

 

 

 下級はレッサー、中級が名前のみ、上級がハイ、といった具合に魔獣にはランクがあり、ロードはその上位に当たり、下位の魔獣を支配することができるのが特徴である。

 大概の場合、ロードクラスの魔獣はそれなりの人語を介せるほどの知能があったりする。

 言うまでもなくロードクラスともなると戦闘力も高く、Aランク冒険者でも苦戦を強いられるほど。

 

 

(しかし……下級魔獣の群れの中に一体だけロード、か……)

 

 

 なんともアンバランスといえた。

 ロードの力をもってすれば、上級や中級も居ておかしい話ではなく、むしろ自然といえるからだ。

 まあ、まだそのロードが未熟なのか、ロードに成りたてだから、という可能性もあるが。

 

 ロードクラスと聞いてウルが息を呑む一方では、アテナはいつも通り淡々とした様子。

 

 

「相手がロードクラスであれば、村の自警団程度では敵うはずがありませんね」

「……はい。その魔獣使いは村を支配後、いまのところ食料だけを要求しているようですけど、いつ()()を要求してくるかわかりません。もし要求されたらと思うと……」

近隣の街(バーブル)には兵が配置されているはずだ。救援要請はしなかったのか?」

「しました。……でも、相手が魔獣使いの上に、オーク・ロードがいることを踏まえて、無駄に被害を出すわけにはいかないと……」

「見捨てたのですね」

「酷い……っ」

 

 

 魔女の言葉を引き継いだアテナの指摘を受けて、ウルが怒りをにじませる。

 

 

「こんな時こそ冒険者だよ! 冒険者ギルドには依頼を出してなかったの?」

「……ハルス村は決して裕福とは言えません。そして私も、そんなにお金は持っていないのです……」

「あう……」

 

 

 依頼を出したとしても討伐相手が魔獣使いともなると、その難易度が跳ね上がるのは言うまでもなく。

 破格の値段を提示すれば多くの冒険者も食いつくだろうが、報酬金が少ないのならば高難易度のクエストに挑戦する意味はなく、慈善家でもない限りはスルーされるだろう。

 

 

「それで、私に白羽の矢を立てたというわけか」

「私はただの呪術師であり、魔獣を倒す力はありません。でも()()なら、たとえ苦難があったとしても必ずや村を救ってくれると、私は確信しています」

「……まさか君は……」

 

 

 私はあえて言葉を続けない。

 いまこの段階で指摘しても意味がないからだ。

 

 

「君の取り引きに応じると、成功報酬として私の呪いを解呪してくれるんだな?」

「……はい」

 

 

 震える声。

 しかしフードの奥にちらりと見えた()()()には、”決意”の意思を宿していた。

 

 

「私はあの村を救いたいんです。返せないほどの恩があるんです。だからクレアナードさん、お願いします、ハルス村を救ってください……!」

「……わかった。どのみち、そんな話を聞かされてしまっては、私には見捨てるという選択肢はないからな」

「クレアナードさん……っ、ありがとうございます! ありがとうございます……!」

 

 

 嬉しそうに何度も頭を下げてくる魔女とは対照的に、アテナはひとつ溜め息。

 

 

「やれやれ。またクレア様の悪い癖が出ましたか」

「でもさ、人助けになるんだし、いいんじゃない? あたしは賛成だよ!」

 

 

 ウルも乗り気の様子。

 アテナに毒されてきているが、根は本当にいい子なのだ。

 

 

 こうして私たちは、取り引きの材料として、魔獣使いに支配されているハルス村へと赴くことに──

 

 

 

 ※ ※ ※

 

 ※ ※ ※

 

 

 

「まじで使えねーな、お前」

 

 

 魔獣退治をどうにか終えて、入り口が大きい洞窟から出たところで、冴えない風貌の男──魔獣使いは、冒険者仲間からドンっと背中を蹴られてしまった。

 

 

「うぐ……っ、な、何をするんだ!」

 

「『何をするんだ!』だってさ。ウケるんだけど、こいつ」

 

 

 別の冒険者仲間からは心配されるどころか、嘲笑を浴びせられてくる。

 

 

「な、なんなんだいったい……」

 

 

 そこで初めて、魔獣使いは違和感に気付いた。

 仲間だと思っていた冒険者パーティの面々が、侮蔑の目を向けてきていたのだ。

 

 

「俺が何かしたっていうのか……っ?」

 

「逆だよ逆」

 

 

 先程背中を蹴り飛ばした冒険者が、苛立ちまぎれに言ってくる。

 

 

「何もしてないのが問題なんだよ」

「何も……? 何を言って……」

「魔獣使いを俺らのパーティに加えられた時は嬉しかったぜ……魔獣使いがいるといないじゃ、クエストの難易度ががらっと変わるからよ。けどなぁ……」

「下級の雑魚しか使役できないとか、マジで役立たずなんだけど」

「そ、それは……」

「アタイが知ってる他の魔獣使いはさ、中級くらいはヨユーで使役してたんだよね。ねえなんで? なんでアンタは下級の雑魚までしか使役できないわけ? ねえ? 教えてよ」

「…………」

「黙ってんじゃねーよ! 聞いてんだろ! この無能!」

 

 

 ドンっと蹴りつけられ、魔獣使いは無様に尻もちをつく。

 

 

(俺は……無能じゃない……っ)

 

 

 とはいえ、他の魔獣使いよりは能力的に劣っていることは自覚していた。

 それゆえに、期待されてパーティに加わっては失望されて追放されるといった日々を過ごしてきており、いま彼が在籍しているパーティも、彼の低い能力を見限ったという話だったのだ。

 

 

「雑魚しか使役できねー雑魚(お前)はいらねーわ。今日限りでお前、追放な」

「ま、待ってくれ……っ、チャンス! もう一度チャンスを──」

「うぜぇ」

 

 

 顔面に蹴りが飛んできたかと思うと、魔獣使いはそこで意識を失っていた。

 

 やがて目を覚ますと、その場にはもはや誰もいなかった。

 魔獣の巣窟である洞窟前の広場でずっと放置されていたようだが……

 

 

(運が、良かったのか……)

 

 

 最悪の場合、通りかかった魔獣の餌になっていたことだろう。

 安堵するものの、ハッとして懐をまさぐる……サイフが抜き取られていた。

 

 

「くそったれが……」

 

 

 今回のパーティこそはと思っていたのに、この結末……

 悲しさよりも、怒りが湧き上がってくる。

 

 

「ふざけやがって……馬鹿にしやがって……許さん……絶対に許さんぞあいつら……」

 

 

 暗い暗い憎しみが、どこまでも深い憎悪が心を染めていく。

 散々いろんなパーティからお払い箱にされてきたことで、蓄積されてきた”負”の感情が、ついにその発露を求めて吹き上がってきたのだ。

 

 握りしめた拳からは、つうっと血の糸が。

 怒りと憎しみで脳がマヒしているせいか、痛みはまったく感じない。

 

 

「くそくそくそくそくそ……っ! なんで俺ばっかりが! ふざけるなよ……! 俺だって──」 

 

 

 怨嗟の連鎖が止まらずに、魔獣使いは地団駄を踏み続ける。

 

 あいつらを呪う。

 世界を呪う。

 もう何もかもを呪う。

 この世に神がいるのなら、神すら呪ってやろう。

 

 

「俺が悪いんじゃない……この世の全てが悪いんだ……」

 

 

 半狂乱の魔獣使いは、ヤケクソ気味でありとあらゆるものに呪いを吐いていく──

 

 

 

 ふいに、”闇”が落ちた。

 

 

 

 いったい、いつの間にその場にいたのだろう。

 瞬きする直前までは誰もいなかったというのに、瞼を開いた瞬間、その闇は静かに佇んでいた。

 

 宣教師風の出で立ちの、漆黒を纏うひとりの男。

 髪と同じ色の金の瞳にはまるで生気が宿っておらず、異様に不気味さを醸し出している。

 

 あまりの異質さに、怒りで我を忘れていた魔獣使いも、思わず気圧されて後退っていた。

 

 

「な……なんだいきなりお前は……」

 

 

 黒の宣教師は、狼狽える魔獣使いをじろりと睥睨。

 

 

「ギリギリ基準は満たしたといったところか」

 

 

 底冷えのするような声。

 聞く者の心の奥底までもが凍り付くような感覚に襲われる。

 現に、まるで金縛りにあったかのように、魔獣使いは身動きがとれなくなっていた。

 

 

「なっ……あ……が……」

 

 

 なんでこんな目に。

 なんで自分ばっかりが。

 死ぬ。

 これは間違いなく死ぬ。

 抵抗すら出来ずに、まるで虫けらを踏みつぶすように、あっさりと自分は死ぬ。

 

 

「し……死に、たくな、い……」

 

 

 気づけば魔獣使いは涙を流していた。

 

 あまりにも理不尽すぎる死だった。

 認めたくなかった。

 まだ死にたくなかった。

 やりたいことが山のようにまだまだ残っているのだから。

 

 これは罰なのだろうか。

 だったら、今までの仲間と思っていた連中からの暴言や暴行は許そう。

 なんなら怒りや憎しみも忘れよう。

 さっきこの世の全てを呪ったが、それも撤回しよう。

 

 だから……自分も、許してほしかった。

 

 

「た、たすけ……助、けて……」

 

 

 だからこそ無様でも何でも、一縷の望みにかけて、涙や鼻水でぐちゃぐちゃになった顔をそのままで、失禁すらしてしまっていたが気にする余裕もなく、迫りくる”絶対的な死”に命乞いをしていた。 

 そんな彼に対するは──

 

 

「勘違いするな、下等生物」

 

 

 感情が一切込められていない、ただただ事実だけを告げてくる冷たい声。

 冷酷な眼差しを突き刺す黒の宣教師が、硬直している魔獣使いへと悠然と近づいていく。

 

 

「喜べ。そして感謝しろ。貴様如き劣等種に、我が”神”の力の一端を授けてやろう」

 

 

 冷淡に告げた黒の宣教師がポケットから取り出したのは、禍々しい光を放つ小さな石。

 その小石を、恐怖で震えている魔術師の額に押し付ける。

 すると何の抵抗もなく、あっさりと小石の半分が額に埋没。

 

 

「え……あ、な……何が……?」

 

 

 訳が分からないといった様子で、怯えながらも魔獣使いが思わず問いかける。

 

 

「無能でなければ、すぐにその”石”の使い方は理解するだろう」

 

 

 冷たく言い捨てた黒の宣教師は踵を返すと、あっさりと立ち去っていた。

 ようやく恐怖から解放されたことで、魔獣使いはヘナヘナとその場に座り込む。

 

 

「あ、あはは……な、なんなんだよいったい……意味がわからない……」

 

 

 乾いた笑いとかすれた声で気づく。

 喉がカラカラになっており、口の中の水分が一気になくなっていたようだ。

 

 よくわからない状況だったが……助かったのだ。

 

 思い出して、おもむろに額に触れると、指に硬い感触が。

 額には、禍々しい光を放つ小石の半分がそのまま残されていたのだ。

 

 

「なんなんだこれは……」

 

 

 わからない事尽くし。

 しかし、どういうことだろうか……

 

 

「やけに……腹が減ってきたな」

 

 

 猛烈な飢餓感。 

 生涯で感じたことのない異様な空腹感。

 一刻も早く、この空腹を満たしたかった。

 

 ふらふらとした足取りで、魔獣使いは歩き出したのだった。

 

 



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第10話 「魔王様、兵士と遭遇する」

 ハルス村へ向けての移動中、馬車内で私は、尻尾をフリフリして外を眺めているウルに話しかけた。

 

 

「ウル。ハルス村に着いたら、お前は村の外で──」

 

 

 ピクンと耳を動かした狼少女は、バッと身を翻して来る。

 

 

「あたしも一緒に戦うよ! クレアとの稽古でだいぶ強くなったもん!」

 

 

 どうあっても譲る気のない姿勢だった。

 確かに、ウルは以前と比べると強くはなっただろう。

 しかし……どうにも脇が甘いのだ。

 まあ、この辺のことは多くの経験を積まないと得られない感覚なので、いまのウルにそこまでのことを求めても酷な話かもしれないが。

 

 

「しかしな、ウル……」

「クレア様、ウルさんの性格はすでに把握していることと思いますが。言いつけを守らないでしょうから、目の届かない所で勝手に戦われるよりは、目の届く範囲で戦ってもらったほうがよろしいのではありませんか?」

「わかってるね! アテナさんはあたしのことさ!」

 

 

 えっへんと胸を張る狼少女に、私は溜め息ひとつ。

 

 

「わかってないと思うから指摘するが、いまのアテナの発言はお前を褒めたわけじゃないからな」

「えっ……そーなの?」

「クレア様。私をダシに幼気な少女をいびるのは止めてくださいませんか? 私の清廉な品性まで疑われてしまいます」

「お前のどこが清廉なんだか。それに別に、私はウルをいびってるわけじゃない」

「クレア……あたしって、足手まといなのかな……?」

 

 

 上目遣いで見上げてくる。

 耳もしゅんと垂れ下がっており、子犬を思わせるような、ふいの可愛さが襲ってくる。

 

 

「く……っ」

 

 

 思わずモフモフしたくなるも、必死に理性で歯止めする。

 

 

「クレア……?」

「ふふふ。欲望に素直になれば楽になるものを」

 

 

 不思議そうに小首をかしげるウルと、平坦な口調のままで悪役っぽいセリフを言ってくるアテナ。

 

 

「……ま、まあ。敵の戦力は下級とロード一匹みたいだからな。私がロードを相手にするから、ウルには下級の始末を頼もうか」

「がんばるよ! あたし!」

「ああ、頼んだぞ。それでアテナ、お前は状況に沿って動いてくれ」

「おやおや。またメイドでしかない私を頼られるので? 酷使しすぎです。労働基準法に違反するとして、精霊労働組合に訴えてもよろしいですかね?」

「そんなものがあるのか……」

「はい。100%、クレア様に落ち度があると認められることでしょう」

 

 

「…………」

 

 

 私は無言になった。

 確かに、ここ最近、身の回りの世話だけじゃなく、戦闘面に関しても彼女を頼っていた節があったのは認めよう。

 弱体化したことが原因なのだが……

 いつしか、それが当たり前のように思っていた自分がいたことに、驚かされてしまう。

 

 

「クレア様……?」

 

 

 黙った私に違和感を感じたようで、アテナが眉根を寄せた。

 

 

「いつもの冗談ではありませんか。急に真に受けるとはどうなさったのですか?」

「いや……私も反省しなければと思ってな」

 

 

反省(同情)するなら魔力(金を)くれ」

 

 

「……何かの格言か?」

「はい。某演劇の名言をパロらせて頂きました」

 

 

 相変わらずの無表情ながらも、アテナは薄っすらとした微笑を浮かべる。

 

 

「クレア様。負い目があるのでしたら、その分、きちんと魔力をお支払いください。それで私は十分なので。あ、割り増しを要求しますがよろしいですよね」

「ドサクサに紛れてお前ってやつは……」

 

 

 そんな私たちのやりとりを、どこか羨ましそうにウルが見ていた。

 

 

「ふたりとも、仲がいいよね!」

「まあ、な」

「いいえ」

「ちょ……! ここで否定するかっ?」

「肯定してほしかったので?」

「なんというか……お前は、ブレないよな」

「お褒めのお言葉、ありがとうございます」

「褒めてない」

 

 

 あはは、と愉し気に笑うウルだった。

 

 そんなやり取りをしながら馬車を走らせていると、やがて進行方向に気配を感じた。

 場所はちょうど、ハルス村が目と鼻の先といった距離の街道脇。

 

 どうやらひとりの兵士が、街道脇の土の中に何かを埋めているようだった。

 その兵士は傷だらけであり、その顔にはありありと疲労の色があった。

 だからなのか、私たちが馬車で近づいてくることに気付いた様子もなく、すぐ傍まで来たところで初めて気づき、驚いたように尻もちをついた。

 

 

「うわっ、びっくりした……って、なんだこの馬は……」

 

 

 影馬に怯えの表情を浮かべながら立ち上がる兵士へと、私は馬車から声をかける。

 

 

「こんなところで何をしてるんだ?」

「……仲間を埋葬してたんだ」

「仲間……?」

 

 

 見ると、ちょうど墓のような感じで小山が出来ていた。

 鼻をすんすんさせたウルが、顔をしかめながら言ってくる。

 

 

「あの小山の下に、死体が埋まってるよ」

「そうか……。君は兵士のようだが、何があったんだ?」

「その前に問いたい。君らは何でいま、()()()()()()()でこの道を通っているんだ? この先にあるのはハルス村だけなんだが……」

「森の魔女からの依頼だ。村を解放してくれと」

「! じゃあ君らは、冒険者なのか」

「そうだよ!」

 

 

 ウルが冒険者カードを見せようとするが、私はやんわりと制止する。

 ここでEランク(新人)カードを見せたら、話がややこしくなりそうだったからだ。

 

 

「街のギルドじゃなく、森の魔女から直接依頼を受けて来た。だから私たちは、普通の冒険者じゃない。討伐対象の中にロードクラスが一匹いるようだが、私たちなら問題ないと思う」

「おお……それは頼もしい……!」

 

 

 希望に目を輝かせた兵士が、事情を語ってきた。

 

 彼の名前は、バースというらしい。

 今は都市バーブルで兵士として働いているようだが、故郷はハルス村とのこと。

 故郷の惨状を知った彼は、同じように同郷の兵士たちをかき集め、解放するべく行動に出たと。

 しかし……結果は返り討ち。

 仲間のほとんどが喰われてしまい、どうにかここまで背負って来た仲間も傷が元でここで息を引き取り、こうして埋葬しているところだった、ということだった。

 

 

「ハルス村を解放するのならば、俺も協力させてください! 故郷を助ける意味もありますが、仲間の仇をとりたいんです! 彼らの無念をこの手で晴らしたい……!」

 

 

 先の私の言葉を信じたからなのか、兵士は敬語になっていた。

 

 

「……んー……」

 

 

 真摯な願いを受けて、私は逡巡する。

 訓練を受けた兵士ならば、まあ足を引っ張ることはないだろう。

 むしろ、まだまだ未熟なウルのほうが足を引っ張る可能性が高い。

 なので、ウルの警護役として彼を徴用するのは、いい案かもしれなかった。

 

 

「君の身の安全は保障できないが、それでも構わないか?」

「もとより覚悟の上! このまま故郷を解放も出来ないでおめおめと生きていたら、死んでいった仲間たちに顔向けができません!」

「わかった。そこまで覚悟しているなら、同行してくれ。作戦は、追って馬車の中で言う」

「おお……ありがとうございます、冒険者殿!」

 

 

 嬉しそうに破顔する兵士を前に、馬車内にいるウルも素直に喜んでいた。

 

 

「仲間が増えたね!」

「クレア様の悪い癖が出ましたね」

「ふぇ? どーいうこと?」

「男癖が悪いのです。恐らくは、男分が足りなくなったので、彼で補充しようと画策しているのでしょう」

「えぇ……っ!? あ、でも。前にストーカーの件があったんだっけ」

「はい。クレア様はきっと、仲間を失って傷心しているのをいいことに、その心の隙間に入り込んで、彼を篭絡しようとしているのでしょう」

「お、オトナなんだね、クレアって……」

「……アテナ。どうしてお前は、主を無意味に貶めるのか」

 

 

 まだ馬車の外にいる兵士にはこのやりとりは聞こえていなかったが、もし聞こえていたら、兵士からも戸惑った視線を向けられていたことだろう。

 

 私へ向けて握った右手の親指だけをグッと上げるアテナだが、もはや意味がわからない。

 

 まあいずれにしても。

 一時の間だけだろうが、こうしてひとり、仲間が増えるのだった。

 

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 

 移動中の馬車内で、兵士──バースからハルス村の状況を確認していた。

 

 多くの下級魔獣であるレッサー・オークが、村人を逃がさないように村の周囲をうろついているらしい。

 ハルス村を故郷とする兵士たちの集団は、苦戦しながらもレッサーたちの防衛線を突破することに成功するも、村の中央にてオーク・ロードと交戦となり、そこへレッサーたちが加わったことで戦況は劣勢となり、ついには全滅したということだった。

 

 

「戦闘の最中、件の魔獣使いを視認したのですが……なんというか、すごくやせ細っていました」

「やせ細ってた……? 聞いた話だと、食料を要求しているはずなんだが……?」

「魔獣使いが食べているのではなく、使役している魔獣に餌として与えていたのでは?」

「でもさ。食料も無限ってわけじゃないんだし、尽きたら今度は、村人を食料にするかも……」

 

 

 何気ない気持ちの指摘だったのかもしれないが、ウルの発言にバースが顔を強張らせる。

 

 

「そ、そうなる前に! 早く! 一刻も早く、村を解放しなくては!!」

「あ、あわわっ。ごめんなさい! 不用意なこと言っちゃった……!」

「ウルさんの指摘はごもっともなことです。ハルス村の解放に時間をかければかけるだけ、支配されている村人の安否が脅かされることでしょう。取り繕った言葉で濁したとしても、この事実は変わりません」

「そうだな。それに、私としても時間をかける気はない。村に到着次第、すぐに行動するつもりだ」

 

 

 いまの私は国民の安全に責任を持たなければならない立場ではない。

 しかしだからといって、苦しんでいる民がいることを知っているのに、何もしないという選択肢は、生憎と私にはないのだ。

 アテナに甘いと揶揄されるだろうが……性分だから、もう仕方がない。

 

 魔王だった頃なら兵団を派遣すればいいだけだったのだが、それが出来ない以上、自分が動くしかないのだ。

 どのみち、いまの国の中枢は二大派閥の牽制し合いのせいで、それほど機能していない様子。

 国がアテにならない以上は、やはり自分が動くしかないのである。

 

 

「しかし……バースさんの平常心には感心させられますね」

 

 

 ふいに、アテナがそんなことを言って来た。

 名前が出た当の彼は、不思議そうな顔になる。

 

 

「何が……ですか?」

「いえ。このような狭い空間において、クレア様の美貌を前に平然としておられたので」

「え……ああ、いえ、そうではなくて。故郷の解放や仲間の敵討ちとかで頭がいっぱいだったんで……きっと普通の状況だったら、魅了されてたと思いますよ。クレアさんは、とても綺麗な方ですし」

 

 

 真っ向からの賛辞に、私は微笑。

 

 

「フフ。そう面と向かって言われると、照れてしまうな」

「おや? クレア様にも人並みの感性が備わっていたとは。驚きですね」

「私だって”乙女”だからな。照れることだってあって当然だろうが」

「おや? 私の聞き間違いですかね? ”乙女”の適齢期を判断するに、クレア様の年齢は……」

「言わなくていい! お前はいちいち、よけいな一言が多いぞ」

「素直さがモットーですので」

「空気が読めない、の間違いだろう」

「おやおや……手厳しいことを。深く傷ついた私は、思わず馬の操作を誤って横の川に転落してしまうかもしれません。その際は、ご容赦を」

「……卑怯だぞ、アテナ」

「その負け惜しみは、褒め言葉ととっておきましょう」

 

 

 私とアテナのやり取りをウルが真剣な顔で何やらメモしており、兵士のバースは当惑している様子だった。

 

 平常運転(?)で街道を進むことしばし。

 やがて目的地であるハルス村が見えてきた。

 そしてその村周辺をうろつく、多くの魔獣の姿も。

 その中には()()をしているのもいるようで、鎧をつけた肉塊を一心不乱に貪っていた。

 

 ウルが顔をしかめて口元を押さえ、兵士のバースは沈痛な面持ちで口元を引き締める。

 

 豚の頭をした緑色の巨漢──レッサー・オークたちはこちらに気付いたようだったが、警戒の唸りを上げるのみで襲い掛かってくる気配がなかった。

 どうやらオーク種しかいないようで他の種類の魔獣はいないらしく、情報通りである。

 

 村との距離を開けたままで、一旦馬車を停める。

 

 

「……どうして襲ってこないんだろ? 見えてるはずなのに」

「さっきと同じです。俺たちが村に来た時も、村との距離が近づくまでは何もしてきませんでした」

「恐らくは、村の周辺から離れるな、といった指示が下っているのでしょう。村人の脱走を妨害することが目的のようですね」

「しかもあれだけの数を使役しておきながら、全員に指示が徹底されている……どうやら魔獣使いとしては、かなり優秀みたいだな。もったいないことだ。犯罪に走らなければ、違った未来もあったろうに」

 

 

 これだけ優秀ならば、あの村を支配する魔獣使いはどこでも引く手数多だったことだろう。

 それなのに、なぜこのような愚かな凶行に出てしまったのか。

 人死にが出ている以上、もはやただの逮捕ではなく、”討伐”しなければならない。

 そのため、私たちが件の魔獣使い(人間)を殺したとしても、免罪されるというわけだ。

 

 

「……そういえば、君たち兵士の集団はあの群れを突破したんだったな。なぜなんだ?」

「え……、あ、っと。……て、敵の魔獣使いさえ倒せば、あの魔獣たちはいなくなるだろうと……」

 

 

 突然問われると思っていなかったのか、兵士は答えるのに、なぜかしどろもどろだった。

 緊張しているのだろうと判断した私は、その醜態をいちいち指摘したりはしない。

 もしこれ(兵士の態度)が私だったならば、ところかまわずアテナが揶揄してくることだろうが……

 

 

「ふむ……なるほどな」

 

 

 理論は、理解できた。

 臭いものは元から絶て、という判断だったのだろう。

 しかしながら、軍を指揮していた私から言わせてもらえば、稚拙だと言わざる得なかった。

 

 

「君たちの敗因は、”それ”だ」

「え……っ?」

「いきなり司令塔を狙うのではなく、まずは敵の援軍を叩き、敵の増援を絶つことが優先だからだ」

 

 

 安全策でいうならば、これが一番堅実だったりする。

 状況にもよるだろうが、目の前の敵を残したままで戦線を突破した場合、司令塔を倒すのに手こずってしまうと、その残した奴らに合流されてしまい、挟撃されてしまうだろう。

 だからこそ、兵士たちは全滅したのだ。

 逸る気持ちが判断を誤らせた、といったところかもしれないが。

 下級魔獣だからと侮れば、いつ足元をすくわれるかわからないのが、命を懸けた戦闘なのである。

 

 

「それともうひとつ。魔獣使いは魔獣を全滅させるまでは、()()()()()()()()

「えぇ……っ、それはなぜなんですか!?」

 

 

 さすがに声を荒げる兵士に、私は冷静にその理由を述べる。

 

 

「魔獣が村人を襲わないのは、魔獣使いの支配下にあるゆえであって、もしその支配が解かれたら、たちまち暴れ出して、それこそ村人に被害が出てしまうだろう」

「な、なるほど……」

 

 

 自分たちが命を懸けた作戦自体が失策だったと理解したのか、兵士は意気消沈を隠せない様子。

 

 

「仲間たちの死は……無意味だったんですね……」

「いや、そうとも言えない。君たちのその決死の戦闘で、魔獣の数も減っているんだ。私たちの負担も減ることになるのだから、君の仲間たちは決して、無駄死になんかじゃない」

「クレアさん……」

 

 

 感無量といった感じで兵士が両目を潤ませる。

 私はちらっとアテナを見やった。

 いまの場合だと「そうやって弱った男をオトすのですね」とかなんとか言ってくると思ったからだ。

 しかし……私の予想に反してアテナはこれといった反応を示さず、むしろ逆に、私の態度について言ってくる。

 

 

「おやおや、クレア様。私とて、状況くらいは見て発言しているのですよ」

「……そ、そうか」

「まったく、貴女という方は。私を何だと思っているのでしょうねぇ」

「ぐ……」

 

 

 無表情で呆れられると、さすがにムッとしてしまうものの、いまの態度においては私に非があるので何も言い返せない。

 兵士は目が点となっており、ウルは感心したようにメモをとっていた。

 

 いまのやり取りにメモする要素があったのかは、彼女のみぞ知る……

 

 

 

 ※ ※ ※

 

 ※ ※ ※

 

 

 

(最近、ウルちゃんこないなー)

 

 

 都市ドルントの冒険者ギルドに努めている受付嬢は、受付カウンターに両肘を置いて、ぼんやりと考えていた。

 昼時ということもあり、訪れる冒険者もこの時間帯は少ないので、暇を持て余していたのだ。

 

 くりくりした両目がすごく可愛らしい、元気に溢れた狼族の少女。

 

 まだ若いのに故郷を離れてひとりこの魔族領に来たといっていたので、最初は同情心から優しく接していたのだが、彼女のひた向きな姿勢に心を打たれ、いつしか彼女のことを妹みたいに思っていたりする。

 

 

(あのクレアナードってひとについていったみたいだけど……)

 

 

 思い出されるのは、まるで陶磁器のような美貌を持っていた女性のこと。

 同性の自分から見ても、ハッと息を呑むほどだったのが印象的だろうか。

 

 どうやら貴族の出らしく、お家騒動で家を追放されたらしいが……

 

 最初、ブラックリストに載っているので犯罪者とかそういう関係(裏の世界)のひとかと思ってしまったが、どうやらそうじゃなかったようなので、偏見で見てしまったのは申し訳なく思ってしまったものだった

 

 

(ウルちゃんが頼れる相手が出来たっていうのは、嬉しく思うけど……でも、なんか寂しいかな)

 

 

 種族は関係なかったが、新人であり、しかもまだ若いということもあり、他の冒険者パーティに嫌煙されていたようで、彼女が招かれることはなかった。

 端的にいうならば、足手まとい。

 

 それゆえに狼少女は……いつもひとりきりだった。

 

 だからこそ、よけいに気になってしまっていたのだ。

 職員だから皆に公平でなければならないのは、わかっていたが……

 

 会えないと、心配になってしまう。

 会えないと、寂しく思ってしまう。

 

 受付嬢という職業柄、これまで多くの冒険者を見てきているだけに、それなりに相手の実力を推し量る目は養っていた。

 

 

あの女のひと(クレアナードさん)は強い。だから……ウルちゃんも大丈夫だと思うけど……)

 

 

 さすがに性格までは推し量れないが……悪いひとではないと、思いたい。

 

 

(そういえば、クレアナードって名前、どっかで聞いたことあったような……どこだっけ?)

 

 

 日々、多くの冒険者を相手にするだけに、いちいち名前なんて覚えていられない。

 それゆえに、自分が興味をもった相手の名前しか覚えていなくても、職務怠慢じゃなく仕方ないのだ。

 公明正大であらねばならない受付嬢とはいえ、ひとりの人間なのだから。

 

 

「おーい、受付さん? 聞こえてる?」

 

 

 すると、声が聞こえてきた。

 どうやら考え事に集中しすぎていたようで、目の前に冒険者が来ても気づかなかったらしい。

 

 

「──あ、申し訳ありません。ご用件をどうぞ」

 

 

 狼少女は心配だったが、だからといって自分の仕事を疎かにしていい理由にはならず。

 受付嬢は思考を切り替えて、職務に邁進するのだった。

 

 



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第11話 「魔王様、オーク・ロードと相対する」

 一応泥棒除けの魔法を懸けてから馬車をその場に残し、私たちは堂々とした足取りで村へと向かう。

 

 馬車をここに置いていくのは、単純に馬車を壊されたくないからである。

 大枚をはたいた高級品なのだ。

 傷一つすらつけたくないと思っても当然だろう。

 

 私が剣を抜刀したのに合わせてウルが右手に鉤爪を装着し、兵士も折り畳み式の槍を両手に構える。

 武装する私たちとは対照的に、アテナは無手だった。

 彼女が得意とするのは影術なので、武器は必要ないのである。

 

 

「私は単身でいい。ウルと君はアテナの援護のもと、確実に敵を仕留めてくれ」

 

 

 私の指示に、アテナ以外が緊張した面持ちで頷く。

 距離を詰めてくる私たちに対して、ようやく下級魔獣たちも動きを見せてきた。

 雄たけびを上げながらこん棒を振り上げ、威嚇してくる。

 

 

「いまさら威嚇なんて意味がないのにな」

「ですね。こちらは最初から戦う気満々なのですから」

「す、すごいなー、クレアとアテナさんは。あたし、めっちゃビビってるんだけど……っ」

「お、俺も正直、少し──いや、かなり……」

「そう気張るな、ふたりとも。数は多いが、所詮は下級だ。冷静に相手の動きを見れば、対処できる。アテナ、ふたりの援護、頼むぞ」

「心得ております」

 

 

 距離を詰めていく私たちに、まだ魔獣たちは直接的には動かない。

 しかし──

 ある境を越えた瞬間。

 

 

「「「ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」」」

 

 

 咆哮を上げて、レッサー・オークたちが一斉に襲い掛かってきた。

 

 

「き、きたあああ……っ」

「く……!」

「怯むな! 戦力は私たちのほうが上だ!」

 

 

 別に一番槍を狙ったわけではなく、萎縮する味方を鼓舞するべく、剣に蒼雷を纏わせた私は駆けだした。

 

 距離は瞬く間になくなり、振り落とされてきたこん棒を回避しざまに、その魔獣の首を斬り飛ばす。

 続く動作で倒れ行く頭を失った魔獣の身体を踏み台に跳躍し、こん棒を繰り出そうとしていた別の魔獣へと頭上から斬りかかり、全体重が合わさった果断の一撃でもって、その身体を一刀両断。

 着地直後に横手からさらに攻撃されてくるも、氷魔法にてそいつの両目を潰しざまに踏み込んでおり、視界を潰されて反応ができなかった魔獣の首をぶった切っていた。

 

 

「クレア、すごい……っ」

「……っ」

 

 

 純粋に驚いてくるウルと、圧倒されているのか息を呑む兵士。

 そんなふたりへとレッサー・オークたちが群がっていくも──

 

 

「「ゴア……?」」

 

 

 突如として自分の影から伸びてきた黒の両手に拘束されてしまい、戸惑いの声が漏れてくる。

 複数の魔獣を一度に拘束したアテナが、ウルと兵士に目を向けた。

 

 

「対象が複数のために持続時間は長くありません。早く仕留めてください」

「ラジャー!」

「わ、わかりました!」

 

 

 ウルと兵士が身動きのとれない魔獣へと飛び掛かっていく。

 中には多少頭が回るものもいたようで、無手のアテナへと突進していくのもいたが、例に漏れず確実に影で拘束されており、ウルか兵士によってトドメを刺されていた。

 

 

(あっちは大丈夫そうだな。ならば、私は私でやるとしよう)

 

 

 弱体化しているとはいえ、さすがに下級相手に後れをとる私ではなく。

 ウルたちに負けないように私も奮闘して次々とレッサー・オークを屠っていき、やがてその場に見える敵戦力は殲滅される。

 

 

(ふむ。ウルもなかなかいい動きをするようになってきたな)

 

 

 どこか親の気分のような感覚を味わいつつ、肩で大きく息をしている兵士へと近寄った。

 

 

「敵の戦力は、ロードを除いてはこれだけか?」

「はあ、ふう……すいません。正確な数までは、把握していないです……」

「そうか」

 

 

 村の中にまだいる可能性も高いが、ここでこれだけの戦闘をしても他から現れる気配もないので、とりあえずは息をついてもいいだろう。

 

 

(情けないな……この程度動いただけで、息が上がるとは)

 

 

 自嘲してから、少し乱れた息を整える。

 額には薄っすらと汗すら浮かんでいる始末。

 そのために額に前髪が張り付いてしまい、私は鬱陶し気に手で払いのけるのだが、何やらそのしぐさを兵士が呆けた様子で見つめていたりする。

 

 

「クレア様、頬を紅潮させた上で気だるげな態度で異性の気を引くなど、余裕がありますね?」

「はあ? 何を言っているんだ、お前は」

 

 

 意味がわからなかった私は胡乱げに顔をしかめるも、アテナの言葉でハッとしたように兵士が居住まいを正しており、彼と同じように何やら呆けていたウルが、あっさりと告白してきた。

 

 

「あたしも、思わず見惚れちゃった。これが俗にいう”絵”になるってやつだね!」

「……ウルまで何を言っているのか」

 

 

 私は普通に前髪を払いのけただけなのだから。

 答えを求めるように兵士に目を向けてみるも、彼は気まずそうに視線を逸らすのみ。

 やれやれ、とアテナが溜め息を吐いてくる。

 

 

「鈍感すぎるのも、もはや嫌味ですよ、クレア様」

「クレアの意外な一面、見れたかも!」

 

 

「……なんなんだ、いったい……」

 

 

 オーク・ロードとの対決を前に、仲間からの意味不明な言動に、私は当惑を隠せなかった。

 

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 

 閑散としている村内を進む。

 

 舗装されていたであろう村道は、いまでは荒果てており、魔獣たちが乱暴に踏み荒らしたのだろう。

 所々に鮮血や肉片らしきものが転がっているのは……兵士たちの善戦の跡なのだろう。

 

 魔獣たちに付けられたのか傷だらけの家々は、その門扉が固く閉じられていた。

 その為に中の様子はわからないものの、ひしひしと怯えた気配が伝わってくる。

 

 

(まだ怯えるだけの気力は残っているか)

 

 

 本当に疲れ切ってしまえば、怯えることすらもやめて、ただただ無気力となってしまうからだ。

 そういう意味では、まだ間に合ったというべきだろう。

 返り討ちに合ってしまったが、兵士たちの善戦が彼ら住民に希望を与えたのかもしれない。

 諦めなければ、いつかは自分たちを助けてくれる者が現れると。

 

 

(そういう意味では、彼ら(兵士)の殉職も無駄ではなかった……と思いたいな)

 

 

 面識がないので彼らが死んだとしてもこれといって心が痛むことはなかったが、故郷を救おうと奮い立った勇士たちが志半ばで死んだことは、とても残念ではあったのだ。

 

 

(もし私が失脚しなかったら……)

 

 

 魔王の座にいたままだったならば、果たしてこの惨劇を未然に防ぐことができただろうか……その問いは、もはや詮無き事だろう。

 

 周囲を警戒しながら村道を進む私たちへと襲撃がくることはなく、意外とすんなり村の中央広場へと──

 

 

 

『ッゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』

 

 

 

 レッサーよりも二回りほど大きな体躯の赤道色のオークが、鼓膜を震わせてくる咆哮を轟かせてきた。

 オーク・ロード。

 ほとんどの場合(魔獣)が、赤道色なのがロードクラスの特徴だった。

 

 

「「ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」」

 

 

 ロードに続く様に、周囲にいる複数のレッサーたちも吼えてくる。

 

 

「ひぃ……っ」

「く……っ」

 

 

 ウルと兵士がたじろぐものの、私はさりとて平静だった。

 潜ってきた修羅場の数が違うのである。

 アテナも相変わらずで、無表情がまったく崩れてはいなかった。

 

 

「また威嚇か。無駄だと言っているのにな」

「おや? あのロードに対しては、いまが初めて仰ったのでは?」

「……そういうツッコミはいらない」

「これは失礼を」

 

 

 異質でいて異様な空間だというのに、いつも通りのやりとりを交わす私とアテナを、ウルが何やら羨望の眼差しで見てきていた。

 

 

「……ん、もしかしてあいつが件の魔獣使いか?」

 

 

 私の視線の端に、オーク・ロードの影に隠れるように佇んでいる人影が写り込んでくる。

 

 一瞬、骸骨かと思うほどにガリガリにやせ細っている男。

 虚ろな両目も今にも転げ落ちてきそうなほどで、額に埋まっている小石が不気味に輝いていた。

 その男は手に持っている野菜を貪るように丸かじりしており、咀嚼することなく胃に流し込んでいる。

 

 あんな食べ方では遠からず喉を壊してしまうだろうと思ってしまうが……まあ、壊したところで私にはまったく関係なかったが。

 それにどのみち、あいつの命は今日で終わるのだから、喉の心配をしても無意味なのである。

 

 

「なんか、あのひと変な()()がするよ……」

 

 

 ウルがやや怯えた色をにじませた声で言ってくる。

 あの男自体なのか、それともあの額の石のことを指しているのかはわからないが、獣人ならではの嗅覚が何かの異変を感じ取っているのだろう。

 

 

「ああ……食べても食べても腹が減る……」

 

 

 口から野菜屑をボロボロ零しながら、魔獣使いが虚空を見つめる。

 

 

「俺の邪魔をしないでくれ……俺はただこの空腹を満たしたいだけなんだ……」

 

 

 どう見ても、明らかに正常な精神には見えなかった。

 だが、()()()()()()関係ないのだ。

 村を蹂躙し、兵士たちを虐殺した罪は、もはや償いようもないのだから。

 

 怒りが湧いてくる。

 無辜の民を苦しめるこいつは……殺す。

 殺さねばならない。

 生かしておく理由もない。

 

 国を統べる者だった者として、私はこの異常者を赦すことはしない。

 

 

「そんなに腹が減っているのなら、月並みなセリフで申し訳ないが──私の剣を食らわしてやろう。在り難く思え。それでお前の空腹は消えるんだからな」

 

 

 剣呑な意味が込められていることに気付くだけの知性は残っていたようで、魔獣使いが叫んだ。

 

 

「だまれだまれだまれだまれぇえええええええええええぇええええぇええ!! 俺は悪くない! 悪くないんだ! 悪いのは全部お前らだああああああぁああああぁああああああああああ!!!」

 

 額の石が禍々しい光を放ち。

 

 

 

『ッゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』

 

 

 

 先程の威嚇とは違う声量で咆哮を轟かせたロードが、丸太ほどのこん棒を振り上げた。

 レッサーたちも続く様にこん棒を振り上げ、雄叫びを上げる。

 

 

「くるぞ! ロードは私が仕留める! レッサー共の始末は任せるぞ! アテナは援護を!」

「お任せを」

「う、うん……!」

「了解しました……!」

 

 

 こうしてハルス村を巡る攻防戦が、始まる──

 

 

 

 ※ ※ ※

 

 ※ ※ ※

 

 

 

 いつものように平和な日常を過ごしていたハルス村は、ある日、突如として平穏が壊される。

 

 

「「「ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」」」

 

 

 魔獣の群れが襲撃してきたのである。

 

 

「ま、魔獣が襲って来たぞーー!」

「きゃーーーーー!」

「みんな逃げろーーー!」

 

 

 村人たちにとっては魔獣の種類などわかるはずもなく、彼らにとっては下級だろうが関係なく、等しく自分たちに害を与える存在ということに変わりはなかった。

 

 すぐに反応したのは、村の自警団だった。

 

 

「女子供、老人は家の中へ! 戦える者は武器をとれ! 村を守るぞ!!」

 

 

 冒険者を引退した者たちで構成されているために、その年齢層は高かったものの、培った経験値は確かなものであり、衰えた肉体ながらも機敏に動き、襲い来る魔獣へと立ち向かう。

 

 

「若い頃を思い出すわ!」

「年寄りの冷や水になるなよ!」

「しかしなぜレッサー・オークの群れがこの村に……?」

 

 

 引退した身とはいえ、さすがに下級魔獣相手に遅れをとる者は少なく、いたとしても見事な連携でもってカバーし合っており、戦況は自警団が優勢と言えた。

 

 しかしその時。

 戦況を覆す咆哮が轟く。

 

 

 

『ッゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』

 

 

 

 たったの一撃で吹き飛ばされる何人もの自警団員。

 まるで木の葉のように宙を舞い。

 地面や民家の壁等に叩きつけられた者たちは、もはやピクリとも動かない。

 

 

「な……っ、馬鹿な!? なぜロードクラスが……っ」

 

 

 赤道色の巨躯を誇るオークを前に、愕然とした面持ちとなる自警団員たち。

 

 ロードクラスは普段、巣となっているただの洞窟や、何層もあるダンジョンの奥深くから動くことはなく、こうして陽の光の下にその姿を見せることはないのだ。

 支配している下位の魔獣に”狩り”をさせ、自分は悠々と巣穴にて下僕が餌等を献上してくるのを待つ習性があるからだ。

 

 だから、こうして自ら”狩り”をするなど、本来はありえなかった……

 

 

 

『ッゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』

 

 

 

 振り落とされた丸太のようなこん棒を回避できず、またひとりの自警団員が叩き潰される。

 しかし、そのことで一瞬だけ動きを止めていたロードへと、ふたりの自警団員が左右から斬りかかっていた。

 

 

「くらえ!」

「バケモノが!」

 

 

 ロードの脇腹が左右から切り裂かれるも、これといった痛痒を見せないロードは煩そうに腕を払う。

 ひとりの頭がはじけ飛び、もう一人は慌てて距離をとろうとするも、ロードが足を踏み鳴らした衝撃でバランスを崩してしまい、転倒。こん棒が叩き落され、次の瞬間には肉塊に。

 

 下級魔獣には優勢だったものの、さすがに引退した身では人数がいようとも、ロードの相手は荷が重すぎたのだ。

 奮闘したものの、自警団が全滅するのに時間はかからなかった。

 

 広場に強制的に集められた村人たちは皆が一様に怯えた様子でビクビクしており、そんな彼らの前には、オーク・ロードを従えた痩せこけた男が佇んでいた。

 

 

「食料だ……食料を寄越せ……!」

 

「しょ、食料……ですか。ど、どれほどの量を……?」

 

 

 怯えながらに村長が問うと、男は叫ぶように。

 

 

「全部だ! 全部もってこい!」

 

 

 

 こうしてハルス村は、魔獣使いの手に落ちてしまうことに……

 

 

 

 常に村の周囲を魔獣がうろついているので、村人たちは逃げることも出来ず、期を見て逃げ出そうとする者もいたが、簡単に追い付かれ、見せしめで食い殺されていた。

 しかし運よくというべきか、この村に来ようとしていた行商人が異変に気付いてすぐに逃げており、この村の現状を外に伝えてくれることだろう。

 

 とはいえ、戯れのように時おり上がる雄たけびに村人たちは怯え、夜も眠れない日々が続く。

 

 魔獣使いは村人からかき集めた食料をひたすらに貪るだけであり、それ以上の要求はしてこなかったが、しかしこの状況だと、それがかえって不気味であり、いつ違う要求をしてくるのかと村人たちは気が気がじゃなかった。

 

 村人たちにとって絶望の日々が数日過ぎたところで、変化が訪れた。

 この村が故郷である兵士たちの一団が、救出に来てくれたのだ。

 

 

「おお……あれは俺の倅だ!」

「私の息子もいるわ!」

「来てくれたのか……!」

 

 

 希望を抱く村人たちだったが……その希望はあえなく打ち砕かれる。

 赤道色の魔獣が、兵士たちを蹴散らしていたのだ。

 

 無残な姿を晒すことになった子供を前に、村人たちが嘆き悲しみ、途絶えない嗚咽が村を包む。

 子供の亡骸に群がる魔獣を追い払おうと家から飛び出す者もいたが、一緒になって喰われてしまう。

 

 まさに阿鼻叫喚。

 

 絶望し、悲嘆に暮れる村人たち。

 だが……

 

 

「む、村のみんなっ! 最後まで、あ……諦めない、で……くれぇえええーーーー……!」

 

 

 断末魔の代わりに、ひとりの兵士が叫んでいた。

 

 ハッとする村人たちは、悟る。

 ここで自分たちが諦めたら、死んでいった息子たちが無駄死にだということになってしまう。

 そんなこと、あってはならない。

 無駄な死になんて、絶対にさせるわけにはいかない。

 命をかけた息子たちに、顔向けができないではないか、と。

 

 戦う力のない自分たちが出来ることは、最期まで諦めないこと。

 死んでいった子供たちを、寿命を全うするまで想い続けること。

 

 絶望していた村人たちは、気力を取り戻す。

 怯えが消えたわけではないが、自分たちは何としても生き延びねばならないと決意する。

 

 

 そんな最中だった。

 

 

 まるで氷のような美貌の女性が、現れたのは──

 

 



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第12話 「魔王様、不意打ちを受ける」

『ッゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』

 

 

 

 重々しい咆哮と共に、丸太のようなこん棒が振り落とされてきた。

 さすがに、こんな重厚な一撃を受け止めるような愚を犯す私ではなく、横手に飛び退いて回避する。

 私がたったいままでいた場所に果断の一撃が叩き落され、盛大な土砂を巻き上げており、大きな穴がぽっかりと。

 これを見るだけでも、どれだけの威力なのかがわかるというものだった。

 

 とはいえ──

 

 

「当たらなければ意味はない!」

 

 

 ロードへとひと息に踏み込み、蒼雷まとう斬撃を叩き込む。

 ぶしゅうっと腹から鮮血が吹き上がるものの、ロードは何ら痛痒を示さない。

 どうやら、分厚い皮下脂肪が鎧の代わりをしているらしい。

 

 

 

『ッゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』

 

 

 

 ロードが空いている片手で私を握りつぶそうとしてくるも、私はロードの足を切り裂きざまにすでに飛び離れていたので、その片手は虚空を握りしめるのみ。

 すかさず私は、氷魔法を発動。

 一瞬でロードの足元が氷に閉ざされる──しかし、次の瞬間にはあっさりと氷が粉砕されてしまう。

 

 

「ち……っ、下級程度じゃ足止めも出来ないか……っ」

 

 

 ならばと、今度は火炎球をロードの顔面めがけて解き放つ。

 しかし五月蠅そうに振り払われた片手で、あっさりと吹き散らされてしまう。

 だが飛び散る爆炎によって、一瞬だがロードの視界が塞がる。

 

 この間隙を逃す私ではない。

 

 巨躯へと怯むことなく肉迫した私は、突進の勢いのままで蒼の切っ先をロードのつま先へと突き刺していた。

 肉を切り裂き、そのまま土に突き立った感触が、柄から伝わってくる。

 本当ならばつま先の骨を両断したかったところだが、骨が予想以上に固かったようで、ぶつかった衝撃で剣の軌道が変わってしまっていたのだ。

 だが、これといって問題はなかった。

 

 

「これならばどうだ!」

 

 

 切っ先に纏う蒼雷を解き放つ。

 ロードのつま先の内部にて、遠慮なしに雷が暴れ狂う。

 そこで初めてロードが痛痒を示したが──

 

 

 

『ッゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』

 

「な──」

 

 

 まさか、剣に貫通されているつま先をそのまま強引に蹴り上げてくるとは思っておらず。

 反応が遅れた私は、大きく蹴り飛ばされてしまう。

 その衝撃で剣も引き抜かれており、さらにロードが怒りの咆哮を轟かせ。

 私は背中から強かに、民家の壁に激突していた。

 

 

「がは……っ」

 

 

 背中からの激痛に、思わず吐血。

 とはいえ、ロードからの今の攻撃に対するダメージは、軽微だった。

 なぜならば、いまのは攻撃というよりも、痛がって足を振り上げた、といった程度のことだったからだ。

 

 

「それでも、こんなに吹き飛ばされるのか……」

 

 

 つま先が触れた腹部に痛みが走るも、深刻なダメージは受けていないことを確認する。

 内出血くらいはしているだろうが、いまその程度のダメージなど、気にする場合ではないのだ。

 

 

 

『ッゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』

 

「ブギャ……!?」

 

 

 八つ当たりというやつなのか、ロードが手近にいたレッサーをこん棒で頭から叩き潰していた。

 

 

「おいおい……あんな凶行を許していいのか、魔獣使いよ」

 

 

 ちらりと見れば、件の魔獣使いは離れた民家の壁に寄りかかって座り込んでおり、戦闘に興味がないとばかりに、ひたすらに貪欲に食事を続けている。

 

 

「元凶が優雅なものだな」

 

 

 吐き捨てるが、当初の作戦通り、あの魔獣使いは今すぐは殺さない。

 殺したかったが……()()()()

 あの男のコントロール下にあるからこそ、この場の魔獣たちは村人を襲わないからだ。

 みすみす状況が悪くなるようなことを、するわけにもいかないのである。

 

 

「てっりゃああああああああ!」

 

 

 ウルの威勢の良い声に目を向ければ、ちょうど影に拘束されている魔獣を鉤爪で屠ったところだった。

 その彼女の側面からこん棒が振り回されてくるも、バッと地面すれすれまで伏せて回避・猫のような俊敏さでもってすくい上げる様な一撃を繰り出しており、真下からその魔獣を切り裂いていた。

 

(猫のようなって……狼族なんだけどな、ウルは)

 

 奮闘するウルの一方では、兵士バースも負けてはいなかった。

 アテナのサポートを元に、見事な槍捌きで次々と魔獣をなぎ倒していたのだ。

 そして時折見せる体術には、目を見張るものがあった。

 

 

(あの動き……元は冒険者とかか?)

 

 

 詳しい素性は聞いていないので、いまは想像するしかできない。

 

 下級魔獣とウルたちの戦況は、アテナの援護がある分、ウルたちが優勢といってもいいだろう。

 兵士バースの戦力が予想以上であり、お世辞抜きに、彼が助力してくれたおかげともいえるだろう。

 故郷の解放と仲間の敵討ちが、彼の力を今だけは必要以上に底上げしているのかもしれない。

 火事場の馬鹿力、というやつだ。

 

 

(明日、とんでもない筋肉痛になるだろうな……)

 

 

 などと思っていると。

 民家の壁によりかかっていた私のすぐ横に、オークの頭部が猛烈な勢いで投げつけられてきた。

 まるでトマトのように、その頭部はぐしゃっと叩き潰れる。

 

 

 

『ッゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』

 

「……やれやれ。休憩はここまでか」

 

 

 身体が重かった。

 いまの私は、たったこれだけの運きでもすぐ疲れてしまうのだ。

 まったくもって嫌になってくるが……現状、嘆いてばかりもいられないだろう。

 

 

「もう少しくらい休ませてくれよな、まったく……」

 

 

 予測以上に私は”弱く”なっていたということを、痛感させられる。

 だが、ここで退くわけにはいかないのだ。

 もういまの私には、民を守る義務などはないのだが……

 

 

「さて……第2ラウンドといこうか、ロードよ」

 

 

 深呼吸してから、私は怒りの形相となっているオーク・ロードへと疾駆する──

 

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 

『ッゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』

 

 

 

 力任せに振り回されてくるロードのこん棒。

 私は戦術を、ヒットアンドアウェイに変更。

 こん棒をかいくぐってはロードの身体を切り裂き、決して深追いはせず、すぐに距離をとる。

 

 先程も述べたが、どんなに威力がある攻撃だろうとも、当たらなければ意味がないのだ。

 しかし一撃でも直撃を喰らえば致命傷となるので、重たくなる身体に鞭打って、あまり効果のない火炎球や氷で牽制しながら、私は必死で動き回る。

 

 息が切れてくる……が、断じて歳のせいではない。

 

 ロードが忌々しげな咆哮を轟かせた。

 自分の攻撃は当たらないのに、敵──私の攻撃が次々とヒットしていくことが、面白くないのだ。

 とはいっても、ロードの肉の防御力は高く、私の斬撃では致命傷を与えることは出来ていないが。

 

 ある意味では一方的な展開と言えたが、しかし私の攻撃はロードに効果的なダメージを与えることは出来ていないので、苦戦している、と表現したほうが的確なのかもしれなかった。

 

 繰り出されたこん棒が生じさせた風圧が回避した私の前髪をかき乱していき、思わず冷や汗が噴き出して来る。

 直撃していたら、私の頭なんて一瞬でミンチとなっていることだろう。

 

 その後も、私とロードは戦い続ける。

 

 切り刻まれていく赤道色の身体。

 対する私も無傷とはいかないが、致命傷だけは確実に避けており。

 それに伴い、どんどん身体が重くなっていき、息が上がってくる。

 弱体化の影響に舌打ちひとつ。

 長引くと、疲労困憊となった私が不利となることだろう。

 

 

(しかし、おかしいな)

 

 

 ロードとのギリギリのラインでの攻防の最中、私は違和感を感じていた。

 このオーク・ロードからは、まるで知性を感じなかったからだ。

 

 最初からロードとして生まれる魔獣はおらず 上級魔獣が進化して、初めてロードクラスとなるのだ。

 そしてロードに進化したのならば、それなりの知性があるはずなのだ。

 しかしいま目の前にいるロードには、その知性がまるで感じられなかった。

 

 どちらかというと……

 

 

(まるで知性のないレッサーじゃないか……どういうことだ……?)

 

 

 その答えを知るであろう魔獣使いを見やるも、彼は一心不乱に食事に埋没しているのみ。

 こっちが必死に戦っているというのに、あいつは食事にしか興味がないらしい。

 思わず、個人的な殺意が湧いてくるというものだった。

 

 

 

『ッゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』

 

「ちっ──」

 

 

 距離をとっていた私へと、ロードが手近にいたレッサーを掴み、投げてくる。

 飛び離れて躱すものの、ロードはその動きを予測していたのか、今度はこん棒を投擲してきた。

 

 着地直後だった私は、回避行動に移れない──その刹那。

 

 飛来する()()()()()から伸びた黒の両手が巻き付いており、こん棒を中空にて縫い止めていた。

 

 ウルとバースを援護する合間に、アテナが私の援護もしてくれたらしかった。

 

 

「貸しひとつです、クレア様」

「……助かったが、貸しを作ったのは後が怖いな」

 

 

 苦笑い。

 一方で、攻撃が不発だったことに苛立ちを見せたロードが、地面を踏み鳴らしながら突進してくる。

 影を引きちぎってこん棒を取り戻しざまに、私めがけて大きく振り上げてきた。

 

 だが次の瞬間には、ロードの影から伸びた無数の黒の腕がその全身に絡みつく。

 

 ロードの膂力をもってすればすぐに振りほどかれてしまうだろうが、この一瞬だけは、動きが止まる。

 

 

「貸し二つ目です」

「がめつ過ぎだぞ!」

 

 

 どうやら下級魔獣の数も残りわずかになったということで、ようやくアテナが私の援護に本格的に回ってくれたようである。

 

 私はこの一瞬の隙を逃さない。

 

 外部からの攻撃が効果が薄いのならば、つま先の時のように、直接内部へとダメージを叩き込めばいいのだ。

 だから私は迷うことなく駆け出しており、ロード目がけて跳躍・同時に真下へと火炎球を爆裂させ、その爆風を利用してロードの顔面まで飛翔。

 

 

 

『ッゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』

 

「威嚇は無意味だと言ったがな!」

 

 

 ロードの右目に、深々と蒼の切っ先を突き立てる。

 咆哮ではなく、痛みによる絶叫を迸らせるロード。

 錯乱でもしたのか、こん棒をあらぬ方向へと投げ捨てる。

 

 

「くらえ!!」

 

 

 切っ先に帯電する蒼雷を解放。

 ロードの頭内部にて、蒼の雷がはじけ散る。

 脳内を焼き尽くされ、その反動で左目が飛び出し、穴という穴から濁った血が噴き出す。

 

 さしもの頑強を誇るオーク・ロードとはいえ、頭部の中身を破壊されては、ひとたまりもなかったのだ。

 

 

 絶命したロードが、ゆっくりと倒れていく。

 

 

 地面に倒れ伏したその身体をクッションにして着地した私は、大きな溜め息を吐いた。

 そしてすぐにロードの状態を確認する。

 肉の焼ける嫌な臭いが発生しており、私は思わず顔をしかめてしまう。

 そして、ロードの頭部の穴という穴からは、どす黒い液体が流れ落ちていく。

 

 

「……ふう。さすがに、疲れたな」

 

 

 ロードの死体から飛び降りた私は、周囲を確認する。

 ちょうど、最後の一匹とウルが戦闘を展開中だった。

 アテナがウルを援護するべく動きを見せたので、その戦闘も間もなく終わることだろう。

 

 狂乱の魔獣使いは、ロードが錯乱して投擲したこん棒の直撃を受けて、身体の半分が潰れていた。

 このまま放っておいても、勝手に死ぬことだろう。

 

 

「同情はしないぞ。お前のやったことは──」

 

 

 私の言葉は、唐突に途切れることになる。

 なぜならば、私の脇腹に短刀が突き刺さっていたからだ。

 

 

「なっ……ぐう……」

 

 

 激痛が私を襲う。

 

 最後の魔獣を倒したウルが異変に気付き、声を上げた。

 

 

「えぇ!? なんでそんなことしてるのさ! バースさん!!」

 

 

 ──そう。

 いままさに、私に不意打ちを食らわせたのは、兵士バースだったのだ。

 

 

「な、なぜこんなことを……」

 

 

 意識が朦朧としてくる。

 全身の力も抜けてくるのは、恐らくは短刀に毒でも塗ってあったのだろう。

 

 私の弱々しい問いを受けて、兵士バースは、酷薄な表情を浮かべていた。

 

 

「難敵を倒した瞬間こそが、最大の隙となる」

 

 

 口調が、がらりと変わっていた。

 そして纏う雰囲気も、冷たいものへと変貌していた。

 故郷の解放を願い、仲間の敵討ちに燃えていた兵士の姿は……もう、どこにもなかった。

 

 

「お前、は……誰、だ……」

 

 

 そこで、私の意識は暗い闇の中に落ちていた──

 

 

 

 ※ ※ ※

 

 ※ ※ ※

 

 

 

 仲間だと思っていたバースから奇襲を受けたクレアが、力尽きた様にその場に崩れ落ちた。

 

 

「クレア!」

 

 

 駆け寄ろうとしたウルだったが、バースと名乗っていた男が牽制で短剣を閃かせたので、近づけない。

 しかしその瞬間、アテナが影術を発動していた。

 男の影から伸びた黒の手が、彼を拘束する。

 

 しかし──

 

 

「無駄だ」

 

 

 冷笑と共に男が頭上に解き放った光球が弾けるや、影がかき消され、黒の手も霧散してしまう。

 

 

「ふむ。こちらの手の内を明かしすぎましたね」

「なんでこんなことするんだよバースさん! 故郷を解放したかったんじゃないの!? 仲間の仇討ちは!?」

「そんなもの、この女を油断させるための嘘に決まっている」

「そんな……っ」

「察するところ、生き延びた本物の兵士を殺し、成り替わっていた、というところですか」

 

 

 冷静に、アテナが分析する。

 

 

「貴方のその発言から、狙いは最初からクレア様だったようですね」

「バースさん! あんたは何者なんだよ!」

「名乗る筋合いはない。女共、俺の邪魔をしないのであれば、見逃してやろう。依頼以外の殺しは、なるべく控えたいのでな」

「なるほど。”依頼”ですか。暗殺者の類のようですね」

「暗殺者!? なんでそんなのがクレアを狙うのさ!」

「答える義理はない」

 

 

 意識を失って倒れ伏しているクレアに手を伸ばそうとする暗殺者だったが、クレアの影から飛び出した黒の手により、中断させられる。

 

 

「……死にたいようだな?」

「まだ私への報酬が未払いですので。このままトンズラされては困るのですよ」

「あ、あたしだって! 黙って見てないよ!」

「そうか……ならば──排除するのみ!」

 

 

 暗殺者が動く。

 先程までの”兵士”としての動きではなく、”暗殺者”としての動きで、ウルたちへと疾駆する。

 

 

「え……っ」

 

 

 思わぬ速さに、ウルは反応できない。

 その彼女へと逆手に持った短刀が吸い込まれていくが──

 直後上がるは、金属音。

 ウルの影から伸びていた黒の手が、凶刃を受け止めていたのだ。

 

 

「ちっ。このような使い方も出来るのか」

「ウルさん!」

「せいやっーーー!」

 

 

 全身のバネを使ったウルの突進。

 暗殺者は余裕の動きであっさりと回避しており、続く動作による回し蹴りがウルに炸裂しており、彼女の小さい身体は大きく弾き飛ばされていた。

 

 トドメを刺すべく追撃態勢に移行しようとする暗殺者なれど、再び影から伸びた黒の手により拘束されてしまう。

 舌打ちと共に再び光球の爆発によって、影を霧散させる。

 その隙にウルは態勢を直しており、小さな唸りを上げて臨戦態勢に。

 

 

「どうあっても邪魔をする気か」

「当たり前だよ!」

「さすがにここでクレア様を見捨てるのは、寝覚めが悪くなります」

「……鬱陶しい」

 

 

 吐き捨てた暗殺者が殺気を放ち、ウルたちへと飛び掛かる。

 怯んだウルだがそれでも気力を振り絞り、アテナの援護のもと応戦。

 

 近接戦闘が展開される。

 

 暗殺者の武器は、逆手に持った毒塗り短剣と、卓越した体術。

 ウルは右手の鉤爪と、まだ発展途中の猫のようなしなやかさによる動き。

 アテナは影術のみ。

 

 それぞれが己の得意とする攻撃を駆使して、息も吐かせぬ激闘を繰り広げる。

 

 一対一では、ウルに勝ち目はなかっただろう。

 しかし彼女の隙を補うアテナがいることで、実力差が歴然としている暗殺者と辛うじて互角の戦いを展開できていた。

 

 大振りの鉤爪を半身だけ引いて躱した暗殺者がカウンターでウルの胸元を短剣で狙うも、ウルの影から飛び出した黒の手が盾となっており、態勢を直したウルが再び特攻。

 舌打ちで後方に飛び退く暗殺者なれど、その影から黒の手が伸びて動きを拘束。

 すぐさま光球で影を無効化して飛び掛かってきたウルを蹴り飛ばしてから、暗殺者が視線をアテナに向ける。

 

 

「なるほど。まずは、お前から始末したほうがよさそうだ」

「アテナさん!?」

 

 

 ウルの脇をすり抜けた暗殺者が、無手のアテナめがけて飛び掛かる。

 影術で牽制しようとするも光球によって無効化されてしまい、繰り出された凶刃がアテナの身体を斜めに迸っていた。

 その衝撃で態勢を崩した彼女へと、暗殺者は間断のない追撃を叩き込む。

 毒塗り短剣が何度も彼女の身体を切り裂いていた。

 

 

「アテナさん!!」

 

 

 悲痛なウルの叫び。

 しかし──アテナの無表情は変わらなかった。

 明らかに致命傷を負ったであろう彼女は、何ら痛痒を示さず、肉迫していた暗殺者の両腕を両手で掴んでおり、同時に影術を発動。

 アテナの影から飛び出した黒の手が、動きを封じられていた暗殺者の腹に叩き込まれていた。

 

 

「ぐう……っ」

 

 

 直撃。それでも暗殺者はアテナに蹴りを入れて、その反動で飛び離れていた。

 

 

「どういうことだ……? なぜ毒が効かない……?」

「素直に種明かしをするとでも?」

 

 

 ふらつきながらも、アテナは無表情で挑発する。

 答えは単純明快。

 彼女が、明確な肉体を持たない精霊だからである。

 

 暗殺者が使う毒は”人体”に影響のあるもののようなので、精霊には効果がなかっただけなのだ。

 とはいえ、ダメージは蓄積される。

 アテナは、自身の魔力が大幅に低下してしまったことを認識していた。

 

 精霊にとって魔力は死活問題であり、魔力低下は精霊にとって好ましい事態ではない。

 

 

(まずいですね……私とウルさんでは、この暗殺者を撃退することは、残念ながら難しいようです)

 

「アテナさん!」

 

 

 血相を変えたウルがふらつくアテナの傍に駆け寄り、彼女を庇うように暗殺者と対峙する。

 毒が効かないものの、ダメージを受けているアテナの姿に、暗殺者は短刀を構えなおした。

 

 

「理由は知らんが、どうでもいい。ダメージを受けているのならば、許容できないほどのダメージを与え続けるのみ」

 

 そう告げた瞬間だった。

 彼は、気づいた。

 

 

(なんだ……この異質な気配は……っ)

 

 

 一瞬ほど前までは感じなかったというのに。

 ふいに感じ取った”気配”。

 危機関知能力が全力で警笛を鳴らして来る。

 この場にいては危険だと。

 

 アテナとウルは気づいた様子はなかったが、暗殺者は裏の世界で感覚が研ぎ澄まされてきたために、その異様な気配に気づくことができたのだ。

 

 

(こいつらは……放置してもいいか)

 

 

 戦闘力を評価するに、この女共は脅威たりえない。

 ならば放置しても問題ないだろうと判断。

 

 暗殺者は、懐から取り出した手のひら大の球を地面に投げつける。

 その途端、視界いっぱいに煙が広がり……煙が薄れると、暗殺者とクレアの姿が掻き消えていた。

 

 

「逃げたの……?」

「クレア様の姿もありませんね。どうやら、連れ去ったようです」

「そんな……!? どうしよう!?」

「ウルさん、落ち着いて下さい。この状況では、ウルさんの鼻だけが頼りです」

「え……、あ! そうか! わかったよ!」

 

 

 獣人族であるウルは、身体能力が高い。

 ゆえに、嗅覚も人並み外れているのだ。

 

 鼻をふんふんさせることしばし……

 

 

「あっちからクレアの匂いがする!」

「お手柄です。急ぎましょう」

「うん!」

 

 

 ウルとアテナは、足早にその場を後にする──

 

 

 

 ※ ※ ※

 

 ※ ※ ※

 

 

 

「一匹しか()()()()()()()()とはな」

 

 

 身体の半分が潰れ、すでに事切れていた魔獣使いを、黒の宣教師が冷たく見下ろしていた。

 

 

「やはり、無能だったか」

 

 

 心無しか、死体の額に埋め込まれている小石が放つ禍々しい光が、その濃度を増している。

 無造作にその小石を回収すると、魔獣使いの死体が砂と化し、跡形もなくなっていた。

 

 

「ゴアアアアアアアアア……!」

 

「……なんだ?」

 

 

 傷だらけの魔獣が、黒の宣教師に襲い掛かろうと唸る。

 どうやら、生き残りがいたようである。

 

 

「時の流れで()()()()分際で、この俺に牙をむくか」

 

「ゴアアアアアアアアアアアアアア!」

 

 

 もともと知性がないからなのか、あるいは仲間を全て失ったことで半狂乱となっていたのか。

 黒の宣教師へと飛び掛かる魔獣だが──

 

 宙に、二条の漆黒の軌跡が刻まれる。

 

 一瞬で絶命した魔獣の残骸が、地面に転がっていた。

 黒の宣教師は、いつの間にか両手に現れていた漆黒の細身の双剣を振り払い、血糊を払う。

 

 

「知性すら失い、ただの獣に堕ちた()()は、同情を通り越して、もはや哀れだな」

 

 

 意味深なことを呟いた次の瞬間、闇がその全身を覆うと、黒の宣教師の姿は掻き消えていた。

 

 

 ─────

 

『小説家になろう』にて本編書いてます。

こちらは時間があれば更新していく感じです。



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第13話 「魔王様、不届き者を成敗する」

「……ん。ここは……」

 

 

 目を覚ました私のぼんやりとした視界に最初に飛び込んできたのは、木造の古びた天井だった。

 次第に視界がはっきりしてくると、ここが手狭な小屋だということがわかった。

 小さな窓から差し込む光がまだそれなりに明るいことから、意識を失ってから、それほど時間は経っていないのかもしれない。

 

 痛んでいる棚には用途のわからない雑貨が散乱し、よく見れば室内は荒れたままであり、どうやらここはどこかの廃屋らしかった。

 

 そこで私は気づく。

 

 いまの私は万歳する形で両手を固く縛られており、その紐は床に突き立っている短剣に結ばれていた。

 そして両足が()()()()()()で、両手と同じように床に突き立てられている短剣と紐で結ばれており、私は完全に身動きができなった。

 しかも私が寝かされている床には魔法陣が描かれており、どうやら魔法を封じる類のものらしかった。

 

 さらに最悪なことに……私の衣服は破かれており、肌もあらわな状態だった。

 全身的に気だるげなのは毒の影響かもしれないが、体感的に、()()何もされてはいないようだが……

 

 

(私が意識を失った後、どうなったのか……)

 

 

 状況がわからない。

 そしてアテナとウルの安否も。

 無事ならば、私を助けに来てくれると思うのだが……

 

 

「──目が覚めたようだな」

 

 

 声と共にふいに気配が生まれ、気づくと私を見下ろす人影が。

 兵士バース──だった者が、身を屈めて私の顎を手で掴んできた。

 鎧はすでに脱いでいるようで、いまは身軽な軽装姿だった。

 

 

「予想よりも目覚めが早い。さすがだな──()()()()()()は」

 

 

 動くことが出来ない私は、男を睨み付けることしかできない。

 

 

「何者だ、お前」

「答える義理はないな」

「……ふん。何者か知らないが、よほど私が怖いらしいな。つまらん小細工(兵士に偽装)をした上に、こんな念入りに拘束するとは」

「ああ、怖いな。元とはいえ最強魔王相手に、正面から挑むほど己を過信してはいない。臆病でなければ、裏の世界では生き残れないからな」

「……なるほど。裏の人間──暗殺者、といったところか。毒を使ったのは、確実に私を殺すためか」

「いや、それは違う。お前を拘束するために使っただけだ。すでに解毒済みだ、安心するがいい」

「なに……」

 

 

 私は、いよいよ当惑してしまう。

 何が目的なのか、わからなかった。

 ──いや。

 私のいまの状態(半裸)から察するに、こいつはこれから──

 

 

「お前にすぐに死なれては困るのでな。死姦の趣味はない」

「……下種が」

「これも依頼主からの意向なのだ。仕方がない」

「ふざけるなよ……っ」

 

 

 両手を動かそうとするもビクともせず、ただただ腕に紐が食い込むだけで、痛いだけだった。

 両足も同様であり、むしろ下手に動いたことで申し訳程度に残っていた衣服がはだけてしまい、乳房が白日の下に晒される結果に。

 だが私は気にせず、暗殺者に殺意を込めた視線を突き刺す。

 

 

「”仕方がない”で、私は嬲られるのか……っ」

 

 

 だが、暗殺者の反応はこちらの予想を裏切るものだった。

 

 

「ああ、すまない。言葉が足りなかったな。依頼主の意向だから、というだけが理由じゃない」

「……なに?」

「お前の美貌は、もはや武器だな。プロを自負していたこの俺が、魅了されてしまったのだから」

 

 

「…………」

 

 

 当然ながら。

 ここで賛辞を受けたところで、ちっとも嬉しくはなかった。

 

 私にとって嬉しくない告白をした暗殺者が、無造作に私の乳房に触れる。

 ピクンっと私は反応してしまうが、矜持でもって顔色は変えない。

 恥辱よりも、怒りの感情のほうが強かったからだ。

 

 

「ゆえに。お前を抱くのは依頼主の意向だけではなく、俺の意思でもある」

「……関係ないな。どうせ、私が嬲られることに代わりはない」

「安心しろ。苦しみや痛みは与えない。むしろ、お前を()()させてから、逝かせてやろう」

「くぅ……っ」

 

 

 胸を揉みしだかれ始めたことで、思わず声が漏れてしまう。

 慌てて唇をかみしめ声を押し殺す私を、暗殺者が静かな眼差しで見つめてくる。

 

 

「美しいな……。殺すのがもったいと思ってしまう」

「……だ、だったら、依頼主には虚偽を報告すればいいだろうが……っ」

「くく。思わず本気でそうしたくなってくる。まったくもって、恐ろしい女だ」

 

 

 そんなことをしたら暗殺者としての信頼は失墜することだろう。

 もう裏の世界では生きていけないどころか、同業者から粛正されかねない。

 

 

「欲で全てを台無しにするほど、俺は愚かではない。一時の”夢”を見るのみで、己を自制することにしよう」

 

 

 右手で私の胸を揉みながら、左手がゆっくりと胸から腹、腰へと滑っていく。

 

 私の肢体は、過大評価でもなんでもなく、無駄な贅肉が一切ない実にしなやかなものだった。

 出るところはちゃんと出ているし、引っ込んでいなければならないところはちゃんと引っ込んでいる。

 当然だろう。

 贅肉だらけてプルンプルンだったなら、最強魔王なんて務まらないのだから。

 しかし……だからこそ、艶のある肢体が男の情欲を掻き立ててしまうのは、皮肉な話ではあった。

 

 

「っ……」

 

 

 なんとも繊細な手さばきに、意識しなくても身体が勝手に反応してしまい、ゾクゾクしてしまう。

 そしてついに、ふとももを撫で回した後、その左手が私の下着に触れる。

 

 

「さあ。共に、一時だが最高の夢を見ようじゃないか」

「……私に拒否権は?」

「くく。答えるまでもないだろう?」

「……そうか」

 

 

 身動きが出来ない状態。

 解毒したといっていたが、まだ完治していないのか重い身体。

 しかも魔法すら使えない。

 

 いまの私は……無力だった。

 

 まったくもって成す術がなかった。

 これはもう、自力ではどうにもならないだろう。

 まさかこんな廃屋で……

 人生、何が起きるか本当にわからない。

 

 

(年貢の納め時、か……)

 

 

 いまの私に出来ることと言えば……声を押し殺すことくらいだろうか。

 

 

(こんな最期を迎えることになるとはな……)

 

 

 無事かどうかもわからないが、アテナとウルが間に合う気配がなく。

 諦めた私は、静かに目を閉じる。

 男が私の下着を破った感触が伝わってくる──

 

 

 

「──ってりゃあああああああああああああああああああ!」

 

 

 

 ドアをぶち破る音と、待ちに待った狼少女の声が飛び込んでくるのだった。

 

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 

「うぐ……っ、なぜここが……!?」

「獣人族の鼻を侮ったね!」

「ちいっ!」

「うきゃ……っ」

 

 

 暗殺者とウルの声は、そのまま外へと出ていった。

 気配や物音から、暗殺者がウルへと飛び掛かり、そのまま外へと出ていった、といったところだろうか。

 

 目を開けると、僅かに鮮血が壁に付着していた。

 

 先程まではなかったので、状況から察するに、暗殺者がウルの奇襲に対して反応が遅れたのだろう。

 私に意識を向け過ぎていたせいか、ウルがこの場に現れる可能性はないと高を括っていたのか、あるいは両方か。

 

 

「おやおや、これはこれは」

 

 

 いつの間にか私の傍らには、変わらず無表情のアテナが佇んでいた。

 

 

「お愉しみのところを邪魔してしまいましたか」

「……冗談はいいから、早くこの紐を解いてくれ」

「仕方ないですね。貸し三つめです」

「……勘弁してくれ」

 

 

 守銭奴のようなアテナによって解放された私は、紐が食い込んだことで痕がついた両手をさする。

 いまになって、じんじんと鈍い痛みを伝えてきたからだ。

 

 ビリビリっと音がしたかと思うと、アテナがメイド服のスカートの裾を手際よく切り裂いていた。

 そして私に手渡されたのは、スカートの裾から切られた二枚の長い布。

 

 

「すまない」

「お気になさらず。貸し四つ目ですので」

「……暴利すぎる」

 

 

 胸元と腰元にそれぞれ巻き付けた私は、改めてアテナを見やった。

 スカートの裾を切ったことで、いまの彼女は艶のある太ももが露わとなっている状態だった。

 

 

「ずいぶんと色っぽくなったな」

「クレア様には負けます」

「……確かに、な」

 

 

 苦笑い。

 外からは激しい戦闘音が。

 表情を引き締めた私は室内を見回すも、武器になりそうなものはなく。

 

 

「私の剣は持ってきてくれたか?」

「……申し訳ありません。回収を忘れました」

「ほう? 珍しいな、お前にしたら」

 

 

 いつも要領のいい彼女にしては、珍しいミスだった。

 私の言葉を受けて、アテナは本当に珍しく、その双眸を僅かに揺らす。

 

 

「私としたことが、()()()()慌ててしまいましたので」

「……そうか」

 

 

 叱責の代わりに、私は意地悪な笑みを。

 

 

「じゃあ、これで貸し借りは全部チャラってことで」

「……クレア様。暴君すぎますね」

「そうむくれるな、冗談だ。事が片付いたら、何か奢ってやろう」

「大盤振る舞いを期待しております」

「ちゃっかりしてるな」

 

 

 微笑してから、表情を引き締める。

 

 

「お前はまだ影術を使えるか?」

「いいえ。さすがに魔力を消費しすぎました」

「そうか……」

 

 

 かくいう私も、いまは満足に動ける状態ではない。

 

 

「なら、短期決戦だな」

 

 

 両手をバシっと叩いてから、私は無手のままで外へと繰り出す──

 

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 

「あぐぅ……っ」

 

 

 腹に膝蹴りが直撃したウルが、ちょうど吹き飛んだところだった。

 暗殺者は追撃しなかった。廃屋から私が出てきたのを認識したからだ。

 

 

「おとなしくしていれば、痛みではなく天国を味わえたものを」

「ほう? お前にそれだけのテクニックがあると? すごい自信だな」

「私としては拝見してみたいですね。不感症のクレア様がどのように乱れるのか、興味があります」

「またお前は、デタラメを当たり前のような口調で」

 

 

 ボロボロのウルがすぐに動けない様子なのを見てとってから、暗殺者が私を改めて見据える。

 

 

「無手でこの俺と戦う気か?」

「武器を貸してくれるのか?」

「……愚問だな。面倒だが仕方ない。叩きのめしてから、先ほどの続きをするとしよう!」

 

 

 私めがけて、地を滑るように疾駆してくる暗殺者。

 魔法を封じる魔法陣から出たことで魔法が使えるようになっていたので、私は魔法を発動させる。

 地面が氷漬けとなるものの、暗殺者の動きには何ら停滞がなく。

 牽制で放った火炎球は、短剣の一振りで難なく吹き散らされてしまう。

 

 

「これならば!」

「笑止!」

 

 

 私に迫る暗殺者との中間の空間に氷の壁を形成するも、所詮は下級魔法のために幅は薄く、ただの体当たりで簡単に打ち砕かれていた。

 しかしそのことで、一瞬なれども暗殺者の動きに停滞が生じており。

 私は暗殺者へと踏み込みざまに、握りしめた拳で殴りかかる。

 

 

「──フッ」

 

 

 思わずといった感じで、暗殺者が小さく笑う。

 ただの拳など、なんの脅威でもないと思ったのだろう。

 そのために、余裕の動きで左手で私の繰り出した拳を受け止めようとする。

 ガシっと、私の拳があっさりと暗殺者の左手に受け止められてしまう。

 しかし次の瞬間──

 

 

 蒼の雷が迸った。

 

 

 私の”右手”から生じた蒼雷が、暗殺者の左手を感電させたのだ。

 その衝撃で暗殺者は目を見開くと同時に、弾かれたように態勢を崩しており。

 

 

「これでッ!」

 

 

 蒼雷をまとった蹴りが、暗殺者の腹に直撃していた。

 

 

「ぐはア……っ」

 

 

 血の糸を引いて蹴り飛ばされた暗殺者は、受け身もとれないままで地面に激突。

 しかしすぐさま立ち上がるものの、いまのダメージは看過できないものだったようで、腹部を押さえたままで動きを見せず、驚きを隠せない様子だった。

 

 

「そ、その雷は、魔剣の能力じゃないのか……」

 

 

 バチバチと爆ぜる蒼雷をまとう私は、にやりっと笑う。

 これこそが、私が最強魔王と呼ばれていた所以だった。

 魔剣の性能に頼らない力だからこそ、私は最強たりえていたのだ。

 

 ……まあいまは、全体的に能力が低下しているので、この力だけでは最強たりえないが。

 

 

「さて。そろそろ終わらそうか」

 

 

 私は冷徹に宣言する。

 しかし、これは只のブラフであった。

 正直なところ、もう立っているのがやっとだったのだ。

 まとう蒼雷も、一瞬でも気を抜けばすぐに溶けてしまうだろう。

 

 これは懸けだった。

 

 もう私には満足に戦えるだけの力は残されてはいない。

 暗殺者がヤケクソになって飛び掛かってきたら……確実に私は負けるだろう。

 今度こそ、こいつの慰み者と化すだろう……

 散々弄ばれた揚げ句、殺される。

 女として、最悪の結末である。

 

 

(どう出る……)

 

 

 内心ハラハラした心境でいながらも、悠然とした態度を装って暗殺者を睥睨すると……

 

 

「……さすがは、元がつくが最強魔王といったところか」

 

 

 腹部を押さえる暗殺者が、顔をしかめながら言ってくる。

 

 

「こんな隠し玉を持っていたとは……」

 

 

 すうっと大きく深呼吸。

 

 

「……我が名は、ウーア。今回は敗北を認めるが、この雪辱は必ず晴らす。そして必ずお前を──抱いてやろう」

 

 

 プロゆえに、引き際は誤らないといったところなのだろう。

 暗殺者は不穏な言葉を残し、空気に溶けるようにその姿が消えていった。

 

 しばらく周囲を警戒するも、姿を現す気配がまったくないことに、私はその場にへたり込む。

 

 

「よけいな捨て台詞があったが……どうにか、ハッタリが効いて助かったか……」

「そう言いながらも、本当は、あの男に抱かれることを望んでおられたのでは?」

「勘弁してくれ」

 

 

 私はそのまま仰向けに倒れ込んだ。

 

 

(今回はウルに助けられたな……)

 

 

 ちらりと狼少女へと目を向けると、彼女はまだ目を回しているようで、耳をピクピクさせながらも動く様子はなかった。

 

 

 

 ※ ※ ※

 

 ※ ※ ※

 

 

 

「──以上が、持ち帰った情報です」

 

 

 マイアス宅に帰還した少年──密偵のダミアンが、クレアに関する報告を述べ終えた。

 その報告を聞いていたのは、見目麗しい女性──クレアの妹であるラーミアだ。

 家の主であり彼女の夫のマイアスは、現在は公務のため魔王城に赴いており、この場にはいなかった。

 

 

「そうですの……じゃあお姉さまには、呪いがかかっていたのですね?」

「断言はできませんが……」

「確かにそうですわね。でもそうだとして、その魔女に会えば、呪いが解かれてお姉さまには最強の力が戻る、ということなのですわね?」

「想定が事実であるならば、その可能性は高いかと」

 

 

 ダミアンの言葉に、ラーミアはふむ、と顎に手を当てる。

 

 

「お姉さまの弱体化の原因が呪いとは、まったく思いもしませんでしたわ。こんなことなら、もっと早くに呪いに関して調べましたのに」

「申し上げにくいのですが”呪いかもしれない”ということなので、確定したことは何も……」

「そうですわね」

 

 

 そう答えるものの、「呪いについて調べないと」と呟く彼女からは、以前にクレアの失脚を知った時の狼狽した様子は微塵も感じられなかった。

 そもそもが、ラーミアという人物は思慮深いのだ。

 あの時は、驚天動地の想いから、思わず気が動転していたのである。

 

 そんな彼女へと、密偵少年はおずおずと進言する。

 

 

「分が過ぎた発言をすることを、前もって謝罪します。提案なのですが クレアナード様専用の密偵部隊を創設されてはどうでしょうか?」

「どういうことですの?」

「俺ひとりですと、情報を持ち帰ってまたクレアナード様の元へ、となると時間がかかりすぎてしまうんです。なので、中継拠点と定めた場所で、密偵同士で情報交換するんです」

「なるほど……そこまで考えが及びませんでした。ごめんなさい、私の不手際ですわね」

「あ、いえいえ! 別に俺はそういうつもりじゃ……っ」

 

 

 素直に頭を下げてくるラーミアに、ダミアンは慌てた様子でかぶりを振る。

 その様子にクスっと微笑してから、ラーミアは言ってきた。

 

 

「帰ってきたら、()に提案しましょう。それでダミアン、帰還したばかりなのですし、私としてもいますぐ任務に戻れと言うほど鬼畜じゃありません。今夜は休憩の意味合いで泊まっていきますか?」

「……いえ。すぐに任務に戻らせて頂きます。こうしている間にも、クレアナード様の近況に変化があるかもしれないので」

「そうですか……ダミアン。貴方を頼りにしていますよ。お姉さまの身に何かあったら、助けてあげてください」

「力が戻られるまでは、微力ながらも全力を尽くさせて頂きます」

 

 

 では、と頭を下げた密偵少年は、足早にその場を後にする。

 

 

「お姉さま……」

 

 

 いま魔王城では、姉の居場所を守るためにマイアス()が奮闘しており、力及ばずながらもラーミアも助力していた。

 状況はいまのところ五分五分といったところだが……この先どうなるかはわからない。

 そのため、一刻も早く、姉には力を取り戻してほしかった。

 

 と、別の部屋から赤子の鳴き声が聞こえてきた。

 どうやら、ラーミアの1歳になる息子がお昼寝から目覚めたらしい。

 

 

「あらあら……」

 

 

 母親の顔になったラーミアは、急いでその部屋へと小走りで向かうのだった。

 

 

 



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第14話 「魔王様、次の行き先を決める」

「……お帰りなさいませ」

 

 

 ハルス村を巡る攻防を終えて魔女宅へと戻ると、森の魔女が土下座をして私たちを出迎えていた。

 もちろん言うまでもないが、今の私はちゃんとした身なりだった。

 馬車に置いていた道具袋には替えの服も入っているので、いまの私はもう半裸じゃないのである。

 

 

「ハルス村を救っていただき、本当に、本当にありがとうございます……」

 

 

 声には心からの感謝と喜びが込められていたが……

 震える声だけでなく、その全身もわずかに震えている様子だった。

 私を見つめる瞳には悲壮な決意が宿っており、私は内心で「やれやれ……」と嘆息ひとつ。

 

 

「え……どーいうこと?」

 

 

 困惑を隠せないウルが目をパチクリ。

 ちなみにいま、アテナの姿はない。

 消耗しすぎたこともあり、精神世界に戻っているからだ。

 

 

「森の魔女よ。とりあえず、茶の間で話そうか」

「……はい」

 

 

 まるで死刑執行を待つ囚人のような態度と雰囲気で、重たい足取りの魔女の先導で茶の間へと。

 

 椅子に座ることなく床に正座する魔女が、まるで献上するような動作で私に指輪を差し出してきた。

 

 

「……急ごしらえで申し訳ないんですけど、この指輪は私が造りました。効果は、周囲の魔力を取り込んで蓄積して、装備者の意思に反応してその魔力を受け取れる仕組みです」

「ほう? なかなか便利だな」

「ただ……急ごしらえだったんで、蓄積量がそんなにないってことです……ごめんなさい」

「ということは、これ(指輪)は私が貰ってもいいということか?」

「はい。私からの感謝と……謝罪と贖罪です……」

「ふむ……」

「ね、ねえ、クレア? どーいうことなのこれ? あたしたちってイイことしたんだよね? なんで魔女さんがこんなに怯えてるのさ? イミわかんないんだけど??」

 

 

 当惑を隠せないウルが問うてくると、それを聞いた魔女がビクっと震える。

 私は貰った指輪を装着してから、こともなげに告げた。

 

 

「まあ要するにだ。魔女は、私が()()()()()()()()()ことを知っているってことだ」

「ふえ……? なにを?」

「私の呪いを解くことが出来ないにも関わらず、取り引きを持ちかけたことだ」

「ええぇーーー!?」

「……っ」

 

 

 ウルが驚愕し、魔女が息を呑む。

 

 

「じゃ、じゃあ、あたしたちって騙されたの!? ってか、クレアは知っててハルス村に行ったんだね……!」

「話を聞かされて、私に見捨てるという選択肢はないからな」

 

 

「……ご慧眼、感服致します、クレア()……」

 

 

 観念した眼差しで正座のままで私を見上げてくる魔女が、胸元で両手を組んだ。

 それはまるで、神に祈りを捧げるかのような、あるいは逆に、懺悔するような敬虔な様子だった。

 

 

()()を謀った罰を受けることは、覚悟しています」

「なぜそこまでして、ハルス村を?」

「……恩があるんです」

 

 

 鎮痛な声音で答えた魔女が、ゆっくりとフードを脱いだ。

 私の目に移り込むは、黒の髪と黒の瞳。

 ……黒の容姿は人族特有のものであり。

 つまり魔女は……人族だったのだ。

 

 

「ふえ……っ? なんで人族が魔族の領域に? 確か、関係は最悪だったよね……?」

 

 

 ウルが目を丸くする。

 種族が違い、幼い彼女にとっても、もはや周知の事実。

 人族と魔族は国交断絶は言うまでもなく、むしろ敵対関係にあるので、人族である魔女が魔族の領域にいることは、極めて異質だった。

 

 なぜ人族と魔族の関係がここまで悪化したのかは、歴史の勉強をすればすぐにわかることなので、ここでいちいち説明するのは省くが。

 

 罰を受けることを覚悟している魔女は、静かな口調で語る。

 

 

「私は国を追われてきたんです。私はただ、依頼されたものを造って、それを依頼主に渡しただけなんです。恋の成就がアップする程度の簡単な魔道具だったんです。でも……」

 

 

 過去を思い出してか、小さく息を吐く。

 

 

「依頼主が勝手に改造してしまったらしく、魔道具が誤作動して、依頼主の意中の方を殺してしまったんです……」

「自業自得だな」

「私もそう思いました……でも。その依頼主が責任を私に擦り付けてきたんです。勝手に魔道具を改造したのが悪いくせに、欠陥品の魔道具を納品した私が悪い、と。しかもあまつさえ、最初から私に殺意があり、依頼主は利用されただけなんだと言い張ってきたんです」

「ひどい……っ」

「おかげで私は犯罪者の烙印を押されてしまい、国を追われることになったんです……」

 

 

 遠い目をする魔女は、道中の艱難辛苦を思い出しているのだろう。

 だが私には、気になる点があった。

 

 

「そこまで大事になることなのか? 確かに人ひとりを殺めたのは罪になるが、国を追われるなど……」

「依頼主が……一国の王女様だったんです。そして彼女の意中の男性が、隣国の皇太子でした」

「なるほど、な。それじゃあ、事を治めるには”生贄”が必要だったわけだ」

「どーいうこと?」

「下手をしたら、国の存亡を懸けた戦争に発展しかねないってことだ」

 

 

 魔王によって統一されている魔族国とは違い、人族国にはいくつもの国が存在しており、共同連合という形で魔族と交戦状態にあったのだ。

 小規模の領土争いも茶飯事のようで、魔族という共通の敵がいなかったならば、いまごろ人族国は全域に渡って領土争いの戦禍に塗れていたことだろう。

 

 

「隣国の王女に自国の皇太子が謀殺されたとあっては、報復というお題目を掲げて、開戦の口実に出来るからな」

「まじかー……人族国って、怖いねー」

「……はい。すごく、怖いところです、人族国は……」

 

 

 そして、魔女は話を続けた。

 

 真実を知る王女の側近のひとりが良識のある人物だったようで、地下牢に囚われていた魔女は密かに解放され、どうにか国外に逃げることができたとのこと。

 他の国にて細々と生きていたが、追っ手が放たれてきたことで彼女の逃亡生活が始まる。

 国を転々とする日々に疲れ始めた頃に追手に追い詰められた彼女は傷を負い、どうにか命からがら逃げ出せたものの、逃げた先は魔族国領であり、それがハルス村だった、との話だった。

 

 

「瀕死だった私は、ここが魔族領だと知った時、死を覚悟しました。でも……ハルス村の人々は、私が人族であることにも拘わらず、手厚く看護してくれたんです」

「そっかー……ハルス村って、命の恩人なんだね!」

「……はい。だから……どうしてもハルス村を救いたかったんです……」

 

 

 言うべきことは言い終えたとばかりに、魔女は居住まいを正してから、改めて私を見上げてきた。

 

 

「理由はどうあれ、()()を謀ったことに変わりありません。覚悟は……できています。私の首を差し出すので、どうか……どうか、ハルス村はこのままにしてもらえないでしょうかっ。悪いのは全部私なんです……っ。ハルス村は被害者であって、何の罪もありません! だから()()のお怒りを受けるのは、どうか私だけにしてください……! お願いします……!」

 

 

 どこまでも必死でいて、悲痛な懇願だった。

 本気でハルス村のために、自分の命を投げ出す覚悟なのだろう。

 

 私は……ひとつ溜め息を吐いた。

 

 ビクッと魔女が震えるが、構わずに私は言葉を紡ぐ。

 

 

「そもそも、君は勘違いをしている」

「……はい?」

「私が君を断罪する理由がない」

「え……そ、それは、私が貴女を謀ったので……」

「確かに、嘘は吐かれた。が、()()()()()依頼報酬(指輪)こうしてはもらったし、それに最初から全てわかっていた上で、ハルス村に行ったわけだしな」

 

 

 弱体化が解消されないことは残念に思うが、そもそもが最初からそれほど期待はしていなかったので、嘘を吐かれた程度で目くじらを立てるほど、私は子供じゃないのである。

 

 

「クレアナード様……」

 

 

 覚悟を決めていただけに赦されたことに、魔女がポロポロと涙を流していた。

 

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 

 どこまでも低頭平身だった魔女の家にて一泊した後、私たちは街道にて馬車を停めて、今後の方針を話していた。

 

 

「あの暗殺者は、間違いなくブレアの差し金だろうな」

「私も同感です。このタイミングでクレア様に暗殺者が襲ってくるなど、その可能性しかありえません」

 

 

 ブレア(新魔王)を知らないウルが不思議そうな顔をするも、わざわざ会話を中断するつもりがないのか、小首をかしげるのみ。

 恐らくは、私が元貴族だと思い込んでいるので、そっち関係の人間なのだろうと判断したのだろう。

 

 

「こうなってくると、このまま魔族国で活動するのは、面倒になってくるかもしれんな」

「確かに。また何かしらの()()()()が来るかもしれませんね」

 

 

 暗殺者をただの”嫌がらせ”の一言で片づけてしまうアテナに私は苦笑いを見せるも、私としても彼女の意見には賛同だった。

 

 

「いまのこの位置だと……近いのは、エルフ族国か」

「では、これからエルフ族国に向かうので?」

「まあ……魔族国に留まる理由もないからな」

 

 

 それに、違う国に行けば冒険者として新規登録もできることだろう。

 なので、リスクを負ってまで魔族国にいる必要はないのである。

 

 すると……神妙な表情を浮かべたウルが、口を開いた。

 

 

「あたしは……ここまで、かな」

「……ん? どういう意味だ?」

 

 

 私と無言のままのアテナが、狼少女を注視する。

 私たちの視線を受けて、彼女は「えへへ」と頬をかいた。

 

 

「今回のことでさ、なんか痛感しちゃったんだよね。あたしって……クレアにとって足手まといだなって。最初からクレアにアテナさんの援護があったら、もっと楽に勝てたんじゃないかな……?」

「ウル……」

「ウルさん……」

 

 

 今回のことについては、ウルに助けられたこともあるのだし、私としては彼女を足手まといだなんて思ってはいなかった。

 しかし、ウルにとってはそう思っていなかったようで。

 彼女は強い決意を宿している瞳で私を見てきた。

 すでに彼女の中では……答えが出ていることなのだろう。

 

 

(そういえば、魔女宅でも何やら考え耽っていたな……あれは、こういうことだったのか)

 

 

 一言相談してくれれば……と思うのは、私が()()()になりすぎていたのかもしれない。

 

 

「ほんとはもっと一緒にいたいけど……それだとクレアに頼ってばっかで、きっとあたしは成長しないと思うんだ。だから……いまは、お別れするよ」

 

 

 薄っすら涙を浮かべるも、ウルは元気な笑みを見せてきた。

 

 

「あたしはもっと強くなる。アテナさんの御守りがいらないくらい、クレアの背中を守れるくらい、もっともっと強く。だからその時は……その時こそ、()()()の仲間にしてほしいな!」

「……そうか」

 

 

 私は、柔らかな微笑を浮かべる。

 まだ幼い少女がここまで決意している以上、私が()()()からという理由で引き留めるわけにはいかないだろう。

 ウルの健気な気持ちを尊重しなければならない。

 

 

「これまで私が教えてきたことをしっかりと覚えていれば、必ず強くなれるさ」

「うん! だから、いまだけ──バイバイ!」

 

 

 こうして私たちは、お互いに違う道を進むことに。

 

 駆けて行ったウルの姿が見えなくなってから、ぽつりとアテナが言ってきた。

 

 

「寂しくなりますね」

「だな……だが、出会いがあれば別れもある。それが、冒険者の醍醐味ともいえるだろう」

「おや? クレア様は、まだ冒険者ではないと思うのですが? 登録できていませんよね?」

「……感傷的な気分ぶち壊しだな。こういう時は空気を読んでほしいな」

「これは失礼を」

 

 

 私とアテナのいつものやり取りに変わりはない。

 ウルはまだまだ成長期なのだ。

 きっとすぐに、私と肩を並べるだけの実力を身に着けてくることだろう。

 可愛い子には旅をさせろ、というやつだ。

 

 馬車に乗り込んだ私は(こんなに広かったか)と思ってしまい、苦笑い。

 御車席に座ったアテナが影馬を召喚し、私に訊ねてくる。

 

 

「目的地は、このままエルフ族国でよろしいのですね?」

「ああ。まあ、急ぐ旅じゃないんだ。のんびり行こうじゃないか」

 

 

 エルフ族には、エルフ特有の特殊な技能なんかもあったりする。

 もしかすれば、私のいまの状態を解消する”何か”もあるかもしれない。

 まあ、過度な期待はしないが、少しくらいならばいいだろう。

 

 

「では、発進します」

「ああ、頼む」

 

 

 澄み切った青空の下、私とアテナを乗せた馬車が走り出した。

 

 

 これといって目的のない旅は、まだまだ続く──。

 

 

 

 ※ ※ ※

 

 ※ ※ ※

 

 

 

「はあ……はあ……はあ……っ」

 

 

 重症を負いながらも魔女──アルペンは、必死に逃げた。

 無我夢中で、どこをどう走ったかもわからない。

 とにかく、”あいつら”から逃げることだけを考えて、ひたすらに走り抜いた。

 

 そしてたどり着いた場所は、どこかの村。

 そこで力尽きた彼女は、ついに意識を失ってしまう……

 

 

「……あれ、ここは……?」

 

 

 気づくと、彼女はベッドに寝かされていた。

 どうやら村の中の民家の一軒らしく、古びている窓からは穏やかな村内の景色が見えている。

 

 

「傷が……」

 

 

 重症を負っていたのだが、包帯が丁寧にまかれていることから、介抱されたのだと知る。

 と、ちょうどその時、様子を見にでも来たのか、ひとりの老婆が入ってきた。

 アルペンはその老婆を見て、硬直してしまう。

 そして、さっきは何の気なしに見た村の景色も思い出して、顔が強張るのを感じていた。

 

 

「魔族……ここは、魔族の村なんですか……」

「そうだよ、お嬢さん。ここはハルス村さ。なんだい、そんなことも知らずに来たのかい?」

「……わ、私は人族です。どうして、私を介抱してくださったんですか……?」

「瀕死のお嬢さんを放っておけってかい? そこまで薄情じゃないわい」

「で、でも人族と魔族は険悪な仲では……」

「ああ、そうみたいだねぇ。けどそれがなんだい? わたしらが直接人族に何かされたわけでもない以上、こんな片田舎で、種族同士の諍いなんて関係あるかい!」

 

 

 わっはっはと豪快に笑い飛ばす老婆に、アルペンは当惑するのだった。

 

 その後、老婆の家で療養する彼女へと、話を聞いたようで、村の人々が代わる代わる見舞いにきてくれた。

 思いがけない手厚い看護に、アルペンは涙を隠せなかった。

 

 この村は、種族とか関係なく、本当に暖かい人々たちでいっぱいだったのだ。

 

 無事に回復したアルペンは、村を後にする。

 とはいえ行き場などない彼女は、温かいハルス村付近に隠れ住むことに決める。

 さすがに世間の目があるのでフードで顔を隠しはしたものの、ハルス村の人々は変わらない優しで接してくれており、彼女はハルス村と親交を深めていく。

 

 呪術師という職業を生かし、村の役に立つ魔道具を造り、それを卸す日々。

 平穏を享受するも、それは唐突に壊れることとなる。

 ハルス村が魔獣に襲撃を受け、支配されてしまったのだ。

 

 ちょうどハルス村に魔道具を卸そうと向かっていた彼女は、どうにか逃げ延びることは出来たが……

 

 すぐに近隣の街に救援を求めたが、なしのつぶての反応。

 ギルドに依頼するだけの金も用意はできない。

 呪術師でしかないアルペンでは、直接魔獣を倒す力もなく。

 

 

(どうしよう……どうすれば……)

 

 

 居ても立っても居られないが、自分の力だけではどうにもできない事態に、歯噛みする。

 焦燥感に身を焦がす彼女のもとに現れたのが──

 

 

 元魔王、クレアナードだった。

 

 

 アルペンは、彼女のことを知っていた。

 ずっと以前になるが、少し遠出をして大きな街に魔道具を卸しに行った時に、ちょうど魔王のクレアナードが視察でその街を訪れており、顔を覚えていたのだ。

 

 最近、弱体化したことで解任されたということらしいが……

 

 アルペンは、彼女(元魔王)を利用できるかもしれないと思った。

 素直に実情を述べて助けを乞うこともできたが、彼女のことを詳しく知らない以上、それは出来なかった。

 弱体化しているので下手なリスクを負いたくないと言われたら、それまでなのである。

 

 しかし、状況はアルペンにとって有利に働くことになる。 

 どうやらクレアナードは、自分が呪いにかかっていると思っているようで。

 何も呪いの気配は感じられなかったが……アルペンは、この千載一遇ともいえる状況を利用することにした。

 

 というか、時間的にも、もう彼女にしか頼れない。

 

 だが……謀ることには、多大なリスクが伴うだろう。

 元とはいえ、魔王を騙すのだから。

 

 

(私も、ただじゃすまないですよね……)

 

 

 でも……どうしてもハルス村を見捨てることはできなかった。

 なんとしても助けたかった。

 あの日の、あの温かさを、いまでも覚えているのだから……

 

 

 だから──アルペンは覚悟を決める。

 

 

 ハルス村のために、己の命をかけると──

 

 

 

 ※ ※ ※

 

 ※ ※ ※

 

 

 

 都市ドルントの冒険者ギルドに、ひとりの狼人族の少女が姿を見せた。

 

 

「あ……ウルちゃん!」

「えへへ……だたいま、お姉さん」

 

 

 はにかんだ笑みを見せるウルに、受付嬢は僅かに顔色を変える。

 

 

「あのクレアナードって人はどうしたの? どうしてまたひとりに……まさか──」

 

 

 見放されたのでは、と受付嬢は危惧するも、当の彼女はブンブンと勢いよく頭を振る。

 

 

「んーん、違うよ! あたしが自分で決めたんだ。このままクレアにおんぶに抱っこじゃ、あたしは成長できないと思ってさ」

「ウルちゃん……」

「今日はさ、このクエスト受けようと思って!」

「これは……? 下級魔獣退治の……」

 

 

 近隣の村にて、数匹の下級魔獣が畑を荒らして困っているらしく、その討伐依頼だった。

 

 難易度はDなので、Eランクの冒険者であるウルには荷が重いんじゃ、と受付嬢は思ってしまう。

 昇格にも関わってくるので、ひとつ上の難易度までならば受けることが出来るのだが……

 

 もちろんながら、その際のリスクは自己責任である。

 己の力量と相談しながら見合った難易度に挑むのもまた、冒険者に必要な資質なのだ。

 

 

「ウルちゃん……ひとりで大丈夫なの?」

「大丈夫だよ! クレアにいっぱい鍛えてもらったから、もう以前のあたしじゃないからさ」

「そう……でも危ないと思ったら、いつでも逃げていいんだからね?」

「うん! 心配してくれてありがとね!」

 

 

 依頼を受注したウルは、喜々とした様子でギルドを後にする。

 その背を、受付嬢が心配そうに見つめていた。

 

 ギルドを出て通りを歩くウルは、ぎゅっと拳を握りしめる。

 

 

(ほんとはちょっとだけ怖いけど……でも、いつまでもそんなこと言ってられないもんね)

 

 

 強くなるためには、いつかは通らねばならない道なのだ。

 一日でも早く強くなって、早くクレアと肩を並べたかった。

 

 とある事情で故郷から出てきた幼い少女は、いつしかクレアが目指すべき目標となっていた。

 

 とはいえ、焦りは禁物だろう。重々承知である。

 

 焦らず、驕らず、確実に堅実に、一歩一歩進んでいくのだ。

 地道な努力がいずれは実を結ぶと、クレアも言っていたのだから。

 

 

(クレアだって、最初から強かったわけじゃないもん……だから──絶対に追い付いてみせる!)

 

 

 決意も新たに、狼人族の少女──ウルは、元気よく歩いて行くのだった。

 



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