カワルユウキ (送検)
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隣の席の田中さん 第1話 俺と腐れ縁と女の日常

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰か、誰でも良いんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺を、助けてくれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この、薄暗い部屋の中で一人、孤立無援───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰でもいいんだ。

 

 

 

 

 

 誰か───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 反抗的になっちまった妹を何とかしてくれええええええええ!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ふぉぉぉぉぉぉ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 ドンガラガッシャーン。

 

 

 

 そんな物音が鳴り響く中、俺の意識は妙な浮遊感からの肩周辺に広がる物凄い衝撃と共に覚醒した。頭と体の側面.....有り体に言ってしまえば側頭部と腕に痛みが走ったことで、俺は目を覚ますことが出来た。

 

 夢を、見ていた。

 

 それは壮大で、反抗的な夢。

 

 髪の長い女.....妹が俺の頭に馬場チョップをする夢。

 

 我が妹に限ってそのようなことはないと思うが正夢という可能性もある。只でさえ何処で覚えたのか分からないハイキックやらカウンターやらを兄にかます始末だ。気をつけなければならない。

 

 

 先程まで見ていた夢に震え、心がヒエッヒエになってしまった俺───名を啓輔と呼ぶ───は改めて今まさに起きている状況を確認する。

 今、俺はベットの下の床に寝転がっている。目の前にはタンス。その上には先程から喧しい音を立てている目覚まし時計。

 目覚まし時計程喧しくてかったるいものはないが、今の俺にとっては目覚まし時計の音を止めることよりもかったるい事案があったのだ。

 

 

 端的に、寒くて起きるのがかったるい。

 

 

 俺は、暫く毛布にくるまりながら倒れ込んだ状態でぼーっとしていた。耳を澄ませば目覚まし時計の喧しい音が聞こえてくるこの状態でぼーっと出来るのは個人的にやばいよ凄いよと自画自賛しつつボソリと一言。

 

 「あー......またやらかしたわ」

 

 まあ、俗に言う寝坊と言う奴だ。

 

 時刻は9時50分。今から急いでいけば、2時間目の途中に学校に着いているのだろうが、如何せん学校へ行くのが面倒だ。腹も減った。顔も洗いたい。寝癖もボーボーや。

 ざっと見積もって2時間目の終了に合わせて学校に着くと言った所だろう。

 朝は、寒くて辛い。寝起きなら尚更だ。俺は秋終盤特有の肌寒さを身をもって体感しつつ、リビングへと向かう。

 

 「また、怒られるなぁ」

 

 そんなことを独りごちて、俺は先ずは朝飯を食べることから始めた。

 

 パンを2枚食べた後に、顔を洗う。

 

 歯を磨いて。

 

 鏡を見る。

 

 そして、一言───

 

 

 

 

 

 

 「今日も俺最っ高!!」

 

 朝寝坊という特異な状況故に、珍しくテンションがおかしくなってしまった俺は思わず白いシャツに手を通しながら奇天烈な妄言を吐いてしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 変なテンション、というものは発生から時が経つにつれて次第に尾を潜める。そして、テンションがゼロになったその瞬間、現実に引き戻され、現実を認識し、愕然とする。

 

 少なくとも、今現在の俺はそうだった。

 

 「でっきるー.....でっきるー.....キミなら.....やっぱ怠くて無理だわ」

 

 ついでに言うなら寒い。そんなどうでもいいことを頭の中で考えていた俺は先程までの変なテンションはすっかり尾を潜めた状態となり、自宅から学校までの道を悠々と歩いていた。

 

 通学路というものは、一定の時間になると人がすし詰めのようになり、歩行が困難になり、気分を害すことが時としてあるのだが今日、盛大に遅刻をしてしまった俺はそんな苦労を味わう必要もなく、通学路を悠々自適といった心境で歩いていた。

 お陰でストレスは多少軽減されている。これぞ遅刻者の特権.....!学校の僅かな単位を犠牲にすることで得れる.....特権!

 

 「何時も遅刻寸前で焦ってるのがアホみたいだな」

 

 もっと言えば救いようのない馬鹿じゃないか。そう独りごちてひたすら学校までの道を歩いていた俺は、軽くスキップをしながら校門を潜り、手馴れた手つきで上履きを取り出し、履く。

 自分のクラスは1階。それ故に階段を上る必要もなく、廊下を歩けば直ぐに自分のクラスのドアがある。

 相変わらずの寒さに身を縮こませながら歩き、ストーブのある教室にまで辿り着くと、そこには仁王立ちで眼の前に立っている青年がこちらを強い眼差しで見ていた。

 

 否、睨みつけていたという方が正しいか。それだけの力を孕ませた眼差しをこの男───俗に言う腐れ縁、友達はしていたのだから。

 

 「.....どしたの?」

 

 目の前に立っていたら先に座れない。つついても微動だにしないし、無駄な労力は使いたくない俺にとって目の前の男は相性の悪い部類にある。

 そして、俺がヤツを苦手にするもうひとつの理由。それは───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「北沢啓輔ぇぇぇぇぇぇッ!!!」

 

 

 

 

 

 この、馬鹿でかい声だ。

 

 いっそのこと、野球場の売り子でもやったらお金を稼げるのではないのかという程の声を間近で聞いた俺は、その声に心底気分を落としつつ自分でも分かるほどのトーンの低さで語りかける。

 

 「.....何だよ」

 

 「待っていたんだよッ!!さあ!野球をやるぞぉぉぉぉぉッ!!」

 

 「ないわー」

 

 「何故だァァァァッ!」

 

 喧しい。

 

 というか、こんな寒い日にキャッチボールなんてしたら体が凍えちまう。運動部でもない俺は寒さに滅法弱いんだからな。果たしてこの目の前で悶えている腐れ縁は今の俺のこの状況をしっかり分かった上でそのような事を言っているのだろうか。

 

 「取り敢えず、どいてくれ。席につけないからな」

 

 「......俺は、俺は諦めないからな!?覚えてろよ──!?」

 

 そう言うが否や、廊下へと出ていってしまった腐れ縁『石崎洋介』を見送り、反抗の意を込めて思いっきりドアを閉めて、自分の席───窓際の一番後ろへと向かうとこれまた何やらいい姿勢で、目を瞑り、顔を顰めている女が俺を待っているかの如く座っていた。

 

 「.....はは、ダメだこりゃ」

 

 どうやらズルをしてまで安寧を求めた俺に、これ以上の安寧は送らせてくれないらしい。乾いた笑みを浮かべ、背負っていたリュックを机の脇にかけると、やはり、予想通りのひそりとした声が聞こえる。

 

 「.....遅い」

 

 さて、俺はこの隣の席で何かを呟き、顔を顰めた少女にどういった対応をしたらよろしいのだろうか。誰か教えてくれ。何ならこのクラスの誰でも良い。

 

 「.....ま、まあ、なんだ。悪かったよ」

 

 その『怒らせてしまった原因』が何であれ、俺は隣の席の女を怒らせてしまっている。それ故に素直に謝る。それによって俺自身の評価と好感度をあげる作戦に俺は打って出た。

 

 席につき、隣の女を見る。すると、彼女はこちらを見て、頬を膨らませて、訝しげな表情を作る。

 

 「今回で3回目.....それなのに反省しているの?」

 

 「仏の顔も三度まで、だろ?大丈夫。俺は山よりも高く谷よりも深く反省しているから」

 

 「......なら良いんだけど」

 

 そうかそうか、分かってくれたか。

 

 そんな訳で俺のルーティンワークである惰眠、もとい睡眠を貪ろうではないか。

 人というものは睡眠が大事ということをよく聞く。ならば必要に応じて睡眠を摂るのは良いこと。

 そして、睡眠は全身の力を抜いて、机に突っ伏すだけだ。3秒もあれば熟睡など睡眠惰眠マスターの俺にとっては容易なのだ。

 

 

 

 

 

 そう、3秒もあれば────

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ぎゃああああ!?」

 

 突如として鋭いチョップが俺の後頭部を襲う。おのれ、敵襲か。それとも奇襲かなのか。まあ、この際どちらでも良い。問題は『誰が俺を襲ったのか』なのだから。

 

 痛みに悶えていた俺は立ち上がり、周りを見渡し声を上げる。

 

 

 

 「誰じゃい!石崎か!それともそこのお前かぁぁぁぁ!」

 

 「隣よ!!角度と今の今までの会話で分かるでしょう!?」

 

 それもそうだったな。現に周りに誰もいないしな。

 

 「で、どうしたんだ田中」

 

 俺が先程とは打って変わってあくまで冷静にそう尋ねると、隣人───クラス1のしっかり者と言っても過言ではない女、『田中琴葉』はわなわなと体を震わせて俺を睨みつける。

 

 「どうしたのじゃないわよ.....!貴方今何時だと思っているの.....!?」

 

 「え、11時」

 

 「2時限目まで堂々と休んでいた貴方が睡眠なんて摂る必要ないでしょう!?反省をしているのならもっと態度で表しなさい!」

 

 怒りながら、とっととノートを写せとチョップの体制をとり目で命令する田中。それを見た俺こと『北沢啓輔』はひいひい言いながら板書きに書いてある内容を書き移そうとノートを取り出しながら弁解する。

 

 「は、反省はしているぞっ。谷よりも高く!そう!山よりも低く!!」

 

 「このやり取りを何度もやってる自分が憎たらしい......!」

 

 「し、仕方ないだろ!冬は寒いんだからっ!寒いのは苦手なの!そういう星の元に生まれてきたの!!」

 

 「なら、寝る前に体全体にポッカイロでも貼り付けとくのはどうかしら。寝起きも良くなって丁度いいじゃない」

 

 「暑いのも嫌なんだよなぁ」

 

 その瞬間、田中の鋭い眼光が俺を捉える。

 

 「何か言った?」

 

 「明日からポッカイロ体全体に貼り付けて登校します」

 

 「よろしい」

 

 全く、昔からそうだ。

 

 奴の怒った時の目には鋭いナイフでも宿ってるのかというくらいの眼光で思わず寒気がする。そもそも、どうしてこんな状況に陥ってしまったのだろうか。

 

 

 

 アンサー。

 

 

 

 うん、俺のせいだわ。

 

 「全く......この前も言ったけど、北沢くんには来年で高校3年生になるって自覚がないからいつまでも遅刻をするのよ。少しは時間にゆとりを持ちなさい」

 

 「そんなこと言うならお電話かけてモーニングコールでもしてくれよ。メアド教えるからさ」

 

 そうして、携帯を取り出そうとすると手を叩かれる。

 

 「学校内で携帯を使わない」

 

 真面目かよ。

 

 「田中。俺はスリルを体験したいんだ。何時、何処で先生が見ているかどうか分からない、この荒野の中で......!」

 

 「さっきから言っている意味が分からないけど、北沢くんが馬鹿でしょうもない遅刻魔って言うのははっきり分かった気がする」

 

 そう言うと、田中は俺からスマホを取り上げて引き出しに入れられる。

 そして、一言。

 

 「次、スマホを動かす素振りを見せたらもれなくスマホが壊れます。それでも見ようとするなら貴方の骨に───」

 

 「ぼ、僕のお骨どうなっちゃうんでせうか.....」

 

 暫し、沈黙───

 

 そして、鋭い目付きで俺を見て。

 

 

 「ヒビが入るわよ」

 

 ひいいいいいっ!!!

 

 怖すぎる!!

 

 田中さん怖すぎるよッ!!

 

 「わ、分かった!分かりましたから俺の唯一の連絡ツールと大事なお骨を破壊するのは勘弁してください!」

 

 連絡ツール&大事な骨とプライド。今の俺に1番大切なものは連絡ツールと骨だと思った俺はなけなしのプライドを捨てて田中に泣きつく。

 しかし、そんな行為気にも留めなかった田中は相も変わらず冷たい眼差しで、呟く。

 

 「それは北沢くんの行動次第、ね」

 

 「せめて火葬で骨の原型が残る位にはして下さい」

 

 行動次第───。

 

 今日ほどその言葉を物騒で恐怖に感じた日は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 俺、啓輔という人間について少しだけ確認と説明をしようと思う。

 家族構成が妹と弟と母親の4人暮らしで、良くも悪くも素直で───特に妹に関しては俺にバンバン罵声を浴びせてくる───家庭の中で、唯一と言っていいのか、俺はひねくれてしまっていると自覚している。

 何せ、高校入ってから3年生まで部活は未経験、時々遅刻はする。それでいて田中のような女の子を怒らせてしまう。

 

 まあ、俗に言う『不良生徒』とか言う奴だ。まあ、これくらいで不良生徒とか他の奴らから見たら片腹痛い所だろうが、俺が通っている学校からしたらこんな奴でも不良生徒認定されてしまう。

 

 友達が少ないというのも、俺を不良生徒たらしめている原因だ。何せ高校入ってからまともに話した人間が石崎と田中くらいしかいない。クラスメイトには挨拶をする程度。まあ、これも声が小さい故に返事が返ってこない時があるが。

 

 まあ、何が言いたいのかというと。

 

 片や野球部エース、片や委員長の俗に言う人気者としか深い付き合いのない不良生徒の俺が授業で孤立すんのはそれなりに分かっていることであって。

 

 

 

 3時間目───

 

 

 俺にとっては1時間目と形容してもおかしくないその時間。体育を受ける羽目になる俺は、殆どの時間独りでぬぼーっとすることを強いられているという事だ。

 

 今現在の競技は、野球。

 

 ズバリ、ピンポイントで俺の大嫌いな球技だった。

 

 俺は、野球という球技がとてつもなく嫌いだ。それに関しては様々な理由がある。それは、ただ単純に俺という人間が白いボールを追っかけることが嫌だったり、腐れ縁がいちいち誘ってきたり、軽ーくトラウマってたりと様々な要因が絡み合っていることで成り立っているのだ。

 

 こういう時は、ひっそりと外野で惰眠を貪るに限る。嫌いな野球をみんなでワイワイやるほど俺はリア充でもなんでもないのだから。

 

 さあ、寝よう。そう決断した俺は108ある特技のひとつである『何処でも惰眠を貪れるスキル』を発動し、穏やかな天候をバックに立ち睡眠をキメようとする。

 

 うつらうつらと首が落ち、視界が真っ黒ではなく真っ白に染まる。その背景は次第に円形状に俺の視界を支配して、意識を落とし────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ん?

 

 

 

 

 

 

 

 白、円形?

 

 

 不意に風を切る音が聞こえた俺は咄嗟に前を見る。するとそこには眼前にまで迫ったボールが。

 

 「うおおおお!?」

 

 唐突にやってきた白いボールを掌で掴む。やけに勢いのある『石』のような直球が掌を直撃し、やけに痛い。

 

 その白球はまるであの時のようで───

 

 

 

 

 

 よし、何だかイラッときた。後で石崎叩こう。

 

 なんて頭でどうしようもないことを考えながら、ボールの飛んできた方向を睨むともう1発。今度はグローブが飛んで来る。

 

 いくらなんでもかなりのスピードで飛んできたグローブなんぞを俺が片手で受け止められるはずもなく、為す術もなく見事にそれを顔面にくらい、倒れ込む。

 

 鼻に鈍痛が走った。

 

 「痛あああい!!誰か保健室!保健室に俺を連れてって!あわよくばサボるから!やった!これで3時間目休めんじゃん!!」

 

 「本音がダダ漏れだぞ啓輔」

 

 おっと、自覚がないがバッチリ声に出てたらしい。グローブが飛んできた方向。後ろに目を見やると、そこには俺のマイ腐れ縁、石崎がそこにいた。

 

 「.....安心しろ、誰も俺なんぞを助けちゃくれねえからな」

 

 「あちゃー、それ自分で言っちゃうかぁ.....」

 

 あぱー、と額を手でぽんと叩く石崎を尻目に俺は自力で立ち上がると諸悪の根源、石崎を睨み付ける。

 

 「グローブ投げの犯人はお前か。道具は丁寧に扱えよ。これ学校の備品だぞ」

 

 「おー、すまねーな。というわけでキャッチボールでもしようぜ」

 

 こいつは話の脈絡を意識しているのだろうか。幾ら部活に熱中し過ぎて成績がいつもドベの石崎でも流石にお話の仕方くらいはわかると思うのだが。

 

 「何故キミは謝罪の言葉からキャッチボールの勧誘に話が飛ぶの?」

 

 「何故...?そんなことはもう決まっている」

 

 おう。

 

 「そこにキャッチボールがあるからだッ!!」

 

 最後の『だ』だけ随分強調されたなあ、おい。

 

 「ごめん、俺肩関節脱臼しててさ」

 

 「さっきまで準備運動元気にこなしてたじゃねえかよ」

 

 「あ、ついでに足首とかも.....」

 

 「や、お前普通にランニングしてたじゃん」

 

 野郎。

 

 流石腐れ縁だ。俺のやるべき事を全て読んでやがる。それとも単純に俺が分かりやすいだけなのか。

 

 「わかりやすい嘘を吐くなよ」

 

 どうやら後者だったらしいぞ。

 

 「.....兎に角俺はキャッチボールはしない!!お前みたいな野球バカとキャッチボールするなら惰眠を貪っていた方がマシだ!!」

 

 「野球バカじゃねえよ!お前が野球に異常な程の嫌悪感を示してるからそう見えんだろ!?」

 

 「異常じゃありませんー、お前が異常なんですー」

 

 「よし言いやがったなテメェ!!表出ろ!!その腐ったパンツに風穴空けてやるからよ!」

 

 「ほざけ!!手前こそリアルア〇パンマンキメてやるから覚悟しろ!!」

 

 まさに臨戦態勢。

 

 俺は、白球とグローブを手に。

 

 石崎は何処で拾ったのか分からないテニスボールを片手に

 

 野球というスポーツが違うスポーツになってしまう可能性を孕むそれが勃発しようとしたその時。

 

 

 それの終わりは、唐突だった。

 

 

 

 

 

 「お前ら...」

 

 野太く低い、ハスキーボイス。

 

 その声を聞いた途端背筋がぴくりと動く。この声は、俺が体育の時間に最も危惧しているもの。

 振り向いたら非情な宣告をされる未来が見えてしまう。気付けば石崎はプルプルガタガタ震えてやがる。よ、よお。さっきまでの威勢はどうした石崎よ(ブーメラン)。

 

 「随分と元気だなぁ、北沢」

 

 「ご、ゴホッゴホッ」

 

 「せんせー、コイツさっきまで元気っしたー」

 

 「謀りやがったな石崎ィ!!」

 

 「お前こそ、いつまで経っても備品を大事にしないなぁ石崎」

 

 「や、やだなぁもう!僕このグローブ大好きなんですよ!何処がって......うん、そこはかとない素朴な感じが良いよね!」

 

 「せんせー、コイツ白球とグローブ俺に投げつけてきましたー」

 

 「啓輔ぇ!!」

 

 自業自得だ。俺を嵌めようとしやがって。死ぬ時は一緒だ。

 

 「ふ、ふふふふふふ」

 

 そして、俺らの罪の擦り付け合いを目の前で見ていた鬼教か...体育教師は顔を引きつらせて笑う。

 

 そして、一言────

 

 「お前ら2人とも走ってこい!!」

 

 「せ、せやな.....」

 

 「りょ、了解です.....」

 

 体育の授業の時はいつもこれだ。

 先生に怒られて、俺と石崎が喧嘩して言葉という名前のブーメランを飛ばしまくる。

 

 そして、怒られて走る───

 

 「テメェのせいだからな啓輔!!」

 

 「ブーメラン乙!!テメェのせいだろうがッ!!」

 

 「口より先に足を動かせこの不良生徒共がァ!!」

 

 先生の怒鳴り声を号砲に見立て、俺達は周囲の目線をいなすかの如く、ランニングを始めた。

 ここまでで、一つだけ分かることがある。

 

 俺と俺の隣を走る腐れ縁は、体育の時間を無駄走りなんかに費やしていらない疲労を溜めてしまうくらいには『馬鹿』だということだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 「起きなさい!北沢啓輔!!」

 

 そして、体育の疲労が原因でまたしても教室で惰眠を貪っていると隣の席の田中さんに叱られる。

 

 どうやら学校の中に俺の安住の地はないらしい。

 

 「勘弁してくださいよ田中さん。俺は今猛烈に眠いんだ...どこかのバカのせいでな」

 

 事実の筈だ。しかし、石崎のことがバカになるのなら、それは例に漏れずに俺自身もバカの部類に入るのだろうが。

 

 そんなバカの俺を田中は若干哀れみの目付きで見やる。言っておくが俺はこれしきのことで興奮なんてしない。しないったらしない。

 

 「......それ、どっちもどっちの気がするのは私の考え過ぎ?」

 

 「ビンゴ!」

 

 「貴方って人は......」

 

 田中はそう言うと、少しばかりのため息と共に俺を見つめる。

 

 「北沢くん、貴方さっきから惰眠ばかり貪ってるけれど本当に大学受験をしようと思っているの?」

 

 「いきなりなんでしょうか、田中さん怖い」

 

 「いきなりもなにもないよ。このままじゃ色々大変になるよ?」

 

 手厳しい一言をいとも簡単に発してくれる田中さん。そして、それを目の当たりにした俺は、今まで自分の行ってきた行動を振り返る。

 今までの俺は、部活という部活をやった試しがなく俗に言う帰宅部とかいうやつをやっていた。それでも、自堕落に暮らしを送っていた訳ではなくそれなりに参考書を見て勉強したり、無闇矢鱈に面接やら小論文やらのノウハウが書いてある本を見たりと受験生としての行動は取ってきた。

 しかし、最近は冬ということもあり若干の停滞期.....要するにおさぼりが多くなってきたのも事実。

 確かに怠けていた。それは事実。謝らなければな。

 

 「すまん、これからはもうちょっと頑張ってみるよ」

 

 男に二言はなしとはよく言ったもので、実際に口に出してしまうと『やらなければ』という想いに駆られることが時としてある。

 否、これは寧ろ人として当たり前のことなのかもしれないが俺にとっては物珍しい。普段からぐーたらしている俺からしたら、こういった言葉を発すること自体が稀なのだ。

 

 それ故か。そんなぐーたら星人の突然の意思表明を聞くことになったクラス委員長は、先程から何やら呆気に取られたかのような顔をしていた。

 

 「.....意外だなぁ、まさか北沢くんからそんな言葉を聞くなんて」

 

 「俺だってやる時はやるよ。要はエンジンがかかるのが遅い馬鹿ってだけでな」

 

 俗に言うスロースターターって奴だ。まあ、目の前のしっかり者にそんなことを抜かした暁には勿論その子は何時ものようなジト目で───

 

 「その癖を何とかした方がいいんじゃないかな.....」

 

 そんなことを言われるわけで。

 

 そんな言葉に俺は大抵同じような言葉で返す。

 

 その言葉は、意欲と誠意を同時にそこはかとなく見せることの出来る魔法のような言葉。そして、無理せずにストレスを溜めることもない素晴らしい言葉。

 

 

 

 

 

 「あ、明日やるよっ!」

 

 「明日やろうは馬鹿野郎って言葉知ってる?きっと今の北沢くんにぴったりだと思うよ」

 

 

 辛辣に、返された。

 

 

 

 

 

 

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 今となっては、既に過去と化した回想を夢というのかは果たして疑問なのだが、俺は睡眠中にとある夢を見た。

 

 それは俺という人間が学校にいる時に限り安寧の地がなくなってしまった時

 

 そして、俺の生活をちょっぴり変えることになった女と初めて出会った一幕───

 

 

 

 

 

 

 

 「席が変わった?」

 

 場所は遡って教室。諸事情で2時限目から学校へ来た俺を快く出迎えてくれたのは彼女でもなければゴリラでもない、野球バカの石崎であった。

 それも、昨日まで俺の席だった場所に陣取っていたんだから驚きだ。新手のいじめかとドキがムネムネしたぞ。

 

 「ああ、そうだぜ啓輔。そして、おめでとう...!」

 

 そう言って賛辞を送る石崎を見て、俺はなんとも言えない気持ちになる。

 彼が賛辞を送る時は、大抵良いことは起きない。

 

 「何がおめでとうだ」

 

 「なんと!お前は窓際だ!!」

 

 ああ、やっぱし。

 

 「巫山戯ろ。誰が好き好んで窓際なんかに行くか」

 

 「もう席替えで決まってるんだよなぁ」

 

 「それが巫山戯ろって話だよ。なして連絡してくれなかったんだ。もし席替えって分かってりゃ今すぐにでも来たのに」

 

 「仕方ねえだろ!!授業中にメールなんてしたらぶっ殺されるんだぞ!?兎に角これからお前は窓際だ!せいぜい隣のヤツと窓際でイチャイチャしてろこのリア充が!!」

 

 なんということでしょう。

 普段から野球部のエースとして人気の石崎くんにリア充とか言われました。

 耳をすませば俺の中のリトル北沢が『やっちまうか?』とか『処す?処す?』とかいう言葉が聞こえてくるよ。

 

 「あのさぁ、俺が窓際嫌いなの知ってんだろ?」

 

 「え?そうだったっけ」

 

 コイツ。

 

 1度叩き落としてやろうか。

 

 そう思ったものの如何せん暴力は良くない。これで仮に目の前の男を殴り飛ばしてしまったら、間も無く俺は保護者召喚の刑となり、母親に迷惑をかけ、弟に泣かれ、妹にゴミを見るような目付きをされてしまうことであろう。

 

 「ひっ」

 

 そう思うと頭が次第に冷えてきた。ついでに俺の心臓もヒエッヒエになった。そして、何故か目の前であたふたする腐れ縁。うん、なんでお前があたふたするのかな。

 

 「ど、どうしたんだよ。急に怒った顔になったり、ならなかったり。忙しない奴だな......」

 

 心配そうなその声に、俺は底知れぬ何かに恐怖を抱きながら石崎を左手で制す。

 

 「な、何でもない......取り敢えず、席に着くよ」

 

 「お、おう......何か、ごめんな...?」

 

 安心しろ、今の顔はお前のせいじゃない。何時も心の臓がヒエッヒエになるほどの鋭い目付きを送る妹のせいだから。

 石崎に1度チョップをかまして窓際一番後ろの席に着く。ああ、陽光が眩しすぎる────

 

 「...あ」

 

 後になって思うと、この時振り向かなければ俺の学校での安寧は守られていたんじゃないかなと思う。

 しかし、あの時の陽光の眩しさと妹の鋭い目付きにめげてしまっていた俺は思わず目の前の女の声に振り向いてしまったのだ。

 

 「あ?」

 

 いわば、一種の気の迷い。

 

 その声に振り向くと、そこにはマルサルカラーのロングヘアに黄色のカチューシャを付けた女が俺を驚いたかのような顔で見ていた。

 

 「......あの、何だ?俺の顔に何か付いているか?」

 

 俺が牽制半分、興味半分でそう尋ねると女は気を取り直したのか顔を元に戻し答える。

 

 「えっと......北沢くん?」

 

 なんと。

 

 目の前の女の子は俺の名前を知っていたらしい。まあ、それがどうしたって話なんだけれど。そして、俺はこの女の子の名前を知らない。クラスが同じなのに、それって結構哀しかったりする。

 大体、同じクラスになった以上クラス全員で自己紹介をしたりしたはずなのにそんなシーンすら覚えてない俺はきっと馬鹿を通り越して最早一種の天才なんだろう。そう思っとこう、じゃなきゃやってられない。

 

 「そうだな。俺の苗字は北沢だ」

 

 「名前は...」

 

 「啓輔。北沢啓輔だ、よろしくな」

 

 そう言うが否や俺は自身の気の迷いを自覚して、俺という人間が恥ずかしくなる。そして陽光を見てまためげ始めようとすると、死角から女の子の声が聞こえた。

 

 「私は、田中琴葉。よろしくね北沢くん」

 

 「おう、よろしく......?」

 

 驚いた。

 

 まさか彼女の方からコミュニケーションを取ってくるとは。

 これでも俺は、万年遅刻魔と鋭い目つきの影響で他人から怖がられたりする為中々友達やら話しかけてくる人間なんかはいなかったわけなのだが。

 

 「それにしても、盛大に遅刻したね。何時もこんななの?」

 

 「ああ、そうだぜ」

 

 学校に来る時は来る。だけど遅刻する時はするものだ。現に今年は今日の大遅刻で4回目。大学志望の俺にとってこれ以上の遅刻は不味いのだが、どうしても睡眠欲には負けてしまう。

 とはいえ、やってしまったものは仕方ない。人生とは切り替えが大事だし、そもそも遅刻如きで落ち込む程俺は遅刻を伊達に重ねてはいない。

 故に自信満々に田中にそう告げると、田中はやや呆れ気味のため息を吐く。

 

 「前々から遅刻を良くする人って聞いたけど...それって本当だったんだ」

 

 「おい、それどこ情報──」

 

 俺の噂話をされていたことに寧ろ驚きを隠せないんだけど。

 

 「石崎くんよ。彼、人気者だからクラスの女子とか男子とかに色々なことを話してるの。それが巡り巡って私に届いただけ」

 

 「石崎ィ!!」

 

 あ、あの野郎肩をビクッとさせた後廊下に出やがった。ありゃ完璧に逃げたな。

 

 「あのさ、俺は良く遅刻をするんじゃないの。遅刻をしなきゃ生きていけないの、アンダスタン?」

 

 「そんな理屈理解できないわよ...」

 

 それよりも、と田中は続ける。

 

 「北沢くん、大学志望なんでしょう?」

 

 「それまた誰情報だ」

 

 「石崎くん」

 

 石崎ィ!!〇す!ぶっ〇してやるから廊下突っ立ってないでこっちこいやぁゴラァ!!

 

 「くっ...この学校の生徒恐るべし...割とガチで怖ぇ...」

 

 「それ位で怖がらない...北沢くん、大学志望なのにそんなに遅刻していたら進学できないよ?」

 

 ほう、俺の進路を案じてくれているのか。何この子、天使かなにかでしょうか。

 

 「でもなぁ、遅刻はしないと俺生きていけないんだよ。ほら、お前だってルーティンワークでなにかしたりするだろ?例えば...お前のその黄色いカチューシャとか毎日付けてんじゃない?そう、遅刻は俺のルーチンなんだっ!」

 

 一瞬何処ぞのアニメの破天荒少女を連想してしまったのは秘密だ。きっとそんなことを言っても目の前の女に通じもしないだろうし。

 

 「流石に毎日は付けてないわよ...それに北沢くんのそれはルーティンワークでもない単なる精神的な問題よ」

 

 「辛辣だなぁ」

 

 この子は歯に衣を着せるということを知らないのか、はたまたこれは着せてる方でもっと残虐的な言葉があるのだろうか。人間関係が希薄な俺には全くと言っていいほど分からなかった。

 

 「うーん、でもやれと言われてすぐに実行できる程俺は人が出来てないぞ?それに、これでも俺は大学に熱心に行きたいってわけじゃないんだ」

 

 何なら働いても良い。今は高校生でも熱心さと熱意、それと履歴書があれば働ける時代だからな。

 しかし、家族を楽にさせるのがささやかな目標である俺は出来ることなら大学行って良い仕事に就きたいっていうのも俺の希望だ。

 

 「......嘘ね」

 

 「ええっ」

 

 何でさ。

 

 「目がキョロキョロしてて挙動不審だったから、かな。わかりやすいんだね北沢くん」

 

 

 ......

 

 

 

 まあ、そりゃ、なんつーか。

 

 

 

 「何だか俺の気持ちが読まれたみたいで悔しい」

 

 「それは、北沢くんが分かりやすいのが行けないんだよ」

 

 暫く、無言───

 

 その静寂は、田中の声によって遮られた。

 

 「良いこと思い付いた、北沢くんが学校に行かざるを得なくなる方法」

 

 「そりゃなんだ?」

 

 「私が怒ればいいんだ」

 

 

 

 ああ、うん。

 

 

 「それだと抑止力が何にも働かないから俺はひたすら怒られることになるが、遅刻は治らないぞ」

 

 俺がそう言うと、田中は少し残念そうな顔をして顎に手を添える。

 

 「ま、遅刻はしないように気をつける。お前さんもそれでいいだろ?別にお前さんが工夫を凝らさなくとも、遅刻しないように俺が頑張ればいい話なんだしさ」

 

 田中に笑いかけて、様子を伺う。

 

 訝しげだ。

 

 「本当?」

 

 「これでも根は真面目ちゃんだったりする」

 

 何なら、昔一途にアスリートを目指してたまである。俺がその時培った集中力を全1ヶ月に込めれば、遅刻なしも余裕のよっちゃんの筈だ。

 

 「だから、田中。俺を薄っぺらく信じてくれ。」

 

 「何で薄っぺらくなの...?」

 

 「過度な期待は重いから」

 

 睨みつけられた。

 

 辛いです......

 

 「......何だか、早速約束を守ってくれなさそうな気がするけど」

 

 

 

 

 

 

 そこまで言うなら、信じるよ。

 

 

 

 

 そう、最後に田中は言って。

 

 俺が見ていた夢は終わっちまった。

 

 

 

 

 今思えば、よくもまああんな約束をしたと自分を呪ってやりたくなる。

 俺は、朝が大嫌いなんだ。何故かわからないけど部活をやらなくなってからものっそい朝早くから起きれなくなった。最近は、眠る頻度も多くなった分、縦の伸び率も半端ないし。

 

 だけど、あの時もし遅刻してなかったら。

 

 あの時もし席替えが無かったら。

 

 あの時、陽光にめげてなかったら。

 

 そして、あの時の約束をしていなかったのなら。

 

 その時はきっと田中なんていう女の子とここまで話すような仲になる事はなかっただろう。

 

 そこまで深くこの出会いを考えてしまう俺は、きっとこの日常が好きなんだ。

 

 この一日を。

 

 親友と駄弁り、女に遅刻を咎められて。

 

 そんな日々が、ひどく心地よい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 けど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの時俺の日常がおかしくなってしまったように、この日常も、いつか終わりが来る。

 そして、その心地よい日常が終わった時きっと俺はこう呟くんだ。

 

 

 全ての事象を恨むように。

 

 過去の俺を慰めるように。

 

 

 

 

『それは、変わらずにはいられないよ』

 

 俺が今でも信じている魔法の言葉。それをきっと呟く。

 

 それだけは、変わらないと思う。

 

 

 たった、それだけの話なんだけどね。

 



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第2話 シスコンとブラコンの合成系って何だろうな

 

 人生において、目覚めというものは肝心なものだと俺は思っている。その日に始まる人間生活で、1番初めに行うものは目を覚まし、体を起こすこと。その時の気分により、今日1日の生活も決まるものだ。

 

 気分が良ければ、外に出ようと思う。

 

 気分が悪ければ、体温計を持ってきて熱を測る。

 

 眠ければ、更なる安息を得ようとする。

 

 トイレに行きたけりゃ、用を足しにいく。

 

 人の気分により、目覚めは多種多様。

 

 選べるのならば、やっぱり気分が良い目覚めを選びたい。

 

 

 

 かくいう考えもあって物事は最初が肝心という言葉をよく聞くように、俺自身が意識を持って最初にやること───目覚めに関しては、個人的に並々ならぬ執念を持っているのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 そんな俺の今日の惰眠の目覚めは、あれだ。

 

 そう、急にポケットに忍ばせた携帯の振動による目覚めだった。

 何がとは言わないが、変なところに振動が当たってしまい、俺は睡眠を思わぬ形で、そして最悪の形で妨害される。

 

 「あああああ!?」

 

 「!?」

 

 振動により、情けない声を出した俺の隣で勉強をしていた田中が肩を跳ねあげてこちらを見る。うん、何だろう、意外と恥ずかしい。というか、スマホのバイブで情けない声を出してしまう俺、物凄くだっせえ。

 

 「ど...どうしたの北沢くん?」

 

 何はともあれ、そんな俺を隣の席の田中さんが心配しつつも訝しげな表情を浮かべてこちらを見て、尋ねているのだ。ここはしっかり反応───もとい弁解をしなければ、俺のメンツに関わるってもんだろう。

 大体、弁解しなきゃ勉強してた田中さんに失礼だろ.....そんなことを頭の隅っこで考えながら、俺は遠慮気味にポケットを指さす。

 

 「い、いや...何かポケットから振動が」

 

 「マナーモードにした方がいいよ.....?」

 

 「ごめんなさい迂闊でした」

 

 指さした方向が生憎.....えと、ほら.....分かるだろ?な所だった事に後から気付いた俺は少し呆れ気味な声色でそう言った田中に謝罪の意味を込めて盛大に机に頭をぶつける。その間にもバイブはまだ動いている。しつこいぞバイブ。空気読めよバイブさん。

 

 そう言って何気なくスマホを取り出そうとして、気付く───

 

『次、スマホを見せる素振りを見せたらもれなくスマホが壊れます。それでも見ようとするなら貴方の骨に───』

 

 ヒビが入る。

 

 ま、不味いですよ。何が不味いってそりゃあ物理的に骨を折られてしまったら色々生活が不自由なことになったり、色々大変になっちまうだろう。

 ああ見えて田中さんのチョップは容赦も慈悲もない力強さを誇る。そんな田中さんが本気になって俺のスマホとお骨に物理的に攻撃を与えてみろ。大して鍛えてもいない俺の骨達はもれなく木っ端微塵になってしまうだろう。

 

 「.....まだ振動、止まらないの?」

 

 遂に止まらない俺のバイブに痺れを切らした田中さん。というかはよバイブ止まれよ。

 

 「え、えっと.....ほら、ほっとけば治まるだろ」

 

 「そうかな.....」

 

 ブー.....ブー.....

 

 「お、おう!きっと、多分、恐らく、めいびー.....」

 

 ブー.....ブー.....

 

 「本当に?」

 

 「嘘です電話出さして頂いてもよろしいでしょうか」

 

 ポケットでまだ振動が治まらない中、俺は田中という女の子に女王様よろしく媚びへつらう事を決心し、盛大に土下座をした。

 土下座外交も吃驚の弱腰な態度と媚び方だ。ここで気の強い輩なら『スマフォくらい使わせろやぁ!アアン!?』みたいに脅迫出来るんだろうが、俺にはそんな強さも度胸も趣味もありません。

 故に、見る方も思わず軽蔑するような眼差しを向けるだろう土下座をしたのだが、どういう訳か田中の目付きに軽蔑的な視線はなくて。

 

 「急な電話だと良くないから、出て良いよ。先生が来たら誤魔化しといて上げる」

 

 ため息は吐かれたものの、意外にも電話の許可を得ることが出来てしまった。

 

 「田中ァ...!?」

 

 お前は神か!?

 

 それとも天使なのか!?

 

 「うう...ありがとう、ありがとう...!」

 

 意外な言葉に俺が泣きながら田中に感謝を告げると、田中はいつも通りの声色で俺に諭す。

 

 「...別に良いから早く電話に出てあげなさい」

 

 「.....それもそうだな」

 

 諸悪の根源であるバイブは今後、マナーモードにするとか対策を練ることにして、今は目の前で起きている事案について対処をしなければならない。

 そうこうしている間にもスマホは俺のポケットで暴れている。痺れを切らした俺は、勢いで電話に出ることで心に溜まった鬱憤を晴らそうとする。

 

 「悪徳商法と!オレオレ詐欺は通用しねえからなぁ!?」

 

『......何言ってるの兄さん』

 

 おっと、急いでしまっていて誰の着信だか忘れてしまっていた。そうだ───コミュニケーションアプリ『LIME』で俺に電話をかけてくれる人物といいこのタイミングでの電話といいかかってくるのはただ1人ではないか。

 

 「おお、どうしたんだ我が愛しのシスターよ」

 

『その気持ち悪い言い回しを即刻辞めて。今時間はあるの?』

 

 「昼休みだからあるにはあるぞ.....んで、どした『志保』」

 

 俺が電話越しでまる1日かけて考えた独特の言い回しを拒絶されてしょげつつも、返答するとそれを聞いた妹.....志保が会話を始める。

 

『あの...今日のお迎えなんだけど』

 

 「ああ、良いぞ別に。『用事』だろ?頑張れよ志保。家の事なら俺がやっとくからさ」

 

『本当はこんなこと頼みたくは無かったんだけど、ごめんなさい兄さん。この借りは絶対返すから』

 

 「借りなんてお前もよそよそしいなあ。俺達兄妹だろ?困った時はお互い様だ」

 

『.....なら、お願いね兄さん』

 

 「おうよ、任せとけ」

 

 最後にもう一度、ありがとうと志保は言って電話を切った。

 

 「んー...」

 

 北沢志保。

 

 北沢啓輔の4個下の可愛い妹。クールな目付きといい、歯に衣を着せない残虐性といい、整ったスタイルといい、なにかと中学生離れしている妹である。

 

 そんな妹の珍しいお願いに、暫し思案───

 

『私、アイドルのオーディションを受けようと思っているの』

 

 当初、志保からそのような言葉を聞いた時には本当に驚いた。何せ今の今まで相談も何も無い上にそのような予兆すらもなかったのだ。しかしその後の志保の話を聞いていくうちに、元々拒む意思もなかった俺の心は驚きの心境から妹を応援する気持ちへと変わっていった。

 彼女にも、彼女なりの道があるのだ。それを拒むような兄は兄ではないし、口出しをする権利もない。志保がやりたいと思った道を突き詰めればいい。そして思う存分力を発揮し『夢を叶えればいい』と思う。

 

 

 

 

 夢叶うといいな、志保。

 

 お兄ちゃん、影ながら応援しているからな。

 

 

 

 「頑張れよ...」

 

 俺がそう呟いた瞬間だった。

 

 「誰が?」

 

 「ふぉぉぉぉぉ!?」

 

 思わぬ背後からの声に、不覚にも浸ってしまっていた俺は驚きのあまり声が出てしまっていた。

 声のした方を振り向くと、そこには唐突に叫ばれたことによる驚きと、本日2回目の叫び声を上げた俺に対する呆れをミックスさせたかのような表情をしている田中琴葉がそこにはいた。

 

 「そこまで驚かなくても良いと思うんだけど...」

 

 「驚くわ!突然背後の至近距離から話されたらな!」

 

 「それでも『ふぉぉぉぉぉ!?』って......男の人が『ふぉぉぉぉぉ!?』って......」

 

 「2度も言わんでいい!」

 

 全く、さっきの電話(志保)といい田中といい間が悪すぎる。そもそもの話田中みたいな可愛い女の子が突然後ろから話しかけてきたら誰だって驚きますわ。

 もう少し田中は自分がどれだけ世の男子高校生に影響を与えているのか知る必要がある。

 

 「...妹だよ」

 

 「北沢くんの妹さん...」

 

 「おっと、俺の妹を北沢啓輔と同じように考えるんじゃねえぞ。妹は俺と比べて高スペックで、可愛いくて、家族に対して面倒見の良いちょっとスポーツが苦手なのを除いたら非の打ち所のない女の子なんだからな」

 

 シスコン?はっ、何とでも言いやがれ。何ならブラコンの血を引き継いでいる迄ある。

 シスコンとブラコン、併せて...ダメだ。良い言い回しが思いつかない。

 

 「...私からしたら北沢くんもかなりの高スペックだと思うんだけど」

 

 は?

 

 俺が高スペック?

 

 「ないないない。俺は精々そこら辺の雑草位のスペックだよ」

 

 勉強...うん、並ですわ。

 

 スポーツ...もう衰えてますわー。

 

 ルックス...うん!お察し!

 

 「石崎を見てみろよ。アイツは良いぞー、野球も出来て、ルックスも良い!頭は...うん。まあ、伸びしろですねぇ!」

 

 勉強なんて努力次第でどうにでもなるだろうし、そもそもここそれなりの進学校だからな。だから...うん、きっと、きっと大丈夫さ、心配するな。

 

 「まあ、そんなわけで他にもスペック高い奴は沢山いるし、何ならお前だってスペックは高いんだから。お前さん普通に可愛いし、勉強出来るし、運動だって出来るし」

 

 だから気にすんな。

 

 そう言おうと口を開きかけると若干顔を赤くした田中が俯きながらボソリと呟く。

 

 

 「自信無くすなぁ...」

 

 「あ?」

 

 何を言ったのか分からないが、それを考える間もなく田中は顔を上げる。

 

 「...何でもないっ、馬鹿」

 

 何故か罵られたんだが、何でか分かるやつがいるのなら教えてくれやしないだろうか。

 

 そっぽを向いた田中の耳は依然として朱に染まっていた。

 

 

 

 

 ☆☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 終業のベルが鳴り、HRが終わる。

 

 ここで何時もの俺なら、更に惰眠を喰らって田中に叩き起こされるか、渋々帰り支度をするかのどちらかなのだが、今回の俺は風のように素早く帰り支度を始めていた。

 

 「え、ええっ...」

 

 俺が惰眠を貪ることに慣れている田中も隣で困惑の声を上げているが、そのようなこと知ったこっちゃない。急いで宿題をバッグに入れて...尤も、家でやるわけじゃないが。更に学習参考書をバッグに入れて...これまた家でやる訳では無いが。

 

 「...そういやあ田中は俺のこの速さを見たことが無かったか」

 

 教科書を厳選しながら、田中に尋ねると隣にいた田中も同様に帰り支度を始める。

 

 「...ここまで北沢くんの帰り支度が早いのは初めてかも」

 

 「なら、覚えといた方が良いな。北沢啓輔七不思議の1つだ」

 

 「残り6つは何よ...」

 

 それはな、俺も分からん。

 

 「俺は、家族が大好きなんだ」

 

 「良い事だと思うよ?家族を敬うことって結構大事......はっ」

 

 おい。

 

 今の驚いたかのような声はなんだ。

 

 「まさか北沢くん、ブラコンでシスコンなの?」

 

 ......

 

 「...き、北沢啓輔七不思議の1つだ」

 

 「何か今、妙な間があったんだけど...まさか図星?」

 

 「な、七不思議だぜっ」

 

 「...ああ、そうなんだね」

 

 田中は、まるで何かを察したかのようにそう言うと帰り支度をしながら続ける。

 

 「シスコンでブラコン......良いと思うよ。別に恥ずかしがることはないと思うの。だって、家族が好きなだけなんだもん。妹や、弟と、もしかしてお母さん、マザコンも......」

 

 「んなわけねぇだろ!!マザコンは絶対にねぇっ!!」

 

 マザコンっていうのは、大好きなのはお母さん!お母さんと結婚したい!!って奴の事の筈だ。俺は前提条件として母さんは好きだが結婚したいとは思えない。せめて結婚するなら年の離れていない普通の女の子と普通の恋をして、普通に結婚したい。ただ、結婚願望のようなものを持っている訳でもない。

 

 「兎に角俺はマザコンじゃないから!お前マザコンの意味知ってて発言してんのか!?」

 

 「え、お母さん嫌いなの?」

 

 「うわああああ!めんどくせえ!!田中ってものっそいめんどくせえ!!」

 

 「めんどくさいって.....失礼だよ。疑問を述べただけなのに」

 

 「人には言っていい事と悪いことがあるんだよっ!」

 

 

 俺は頭を抱え、そそくさと田中から逃げる。奴は危険だ、不味い、死ぬぞと俺の中のリトル北沢が警鐘を鳴らしている。

 このままでは、あえなくして俺の羞恥ポイントがMAXになって死んでしまう。俺という人間だって恥のかき方と死に方くらいは選びたい。

 

 後で田中のご機嫌でも取って先程までの会話を忘れて貰おう。そう思いつつ、俺は帰路───天使が待つエデンへと向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 「......ふう」

 

 学校の屋上で、私はとある男に電話をしていた。

 その男は、普段から阿呆で、馬鹿で、それでも私の事を良く見てくれていて、面倒を見てくれて。

 口には出さないけど憧れている。そんな男の人。

 

 北沢啓輔。

 

 彼は、私の4個上の兄である。普段から、遅刻寸前で起きてきて、急いで学校行って、それでも何時も家族の手伝いをしてくれる大切な兄。偶に気が向いた時に、家族のお弁当を作ってくれる気まぐれな兄。

 

『か、勘違いしないでよね!!志保とりっくんの為に作ったんじゃないんだからね!!』

 

 最初、弁当箱に必ずといっていいほど挟まっている置き手紙のような何かを見た時は、思わず殺意に駆られて兄さんの頬を抓ったりしていたのは良い思い出だ。

 

 何はともあれ、私はそんな茶目っ気も持っており、私達を大事にしてくれている兄さんを尊敬している。

 明朝、朝起きるのには苦手の筈なのに。惰眠を貪るのが趣味の癖に。

 

 本当に、兄さんはお人好しだ。

 

 笑みが少しだけ零れる。

 

 

 

 

 今日は大切なオーディション。失敗するかもしれない。私の実力が出せないかもしれない。そう思うと、少し怖くなる。

 否、もう緊張とプレッシャーで押し潰されそうになっている。私だって、人間だ。普段から兄さんに『クールと落ち着きを絵に描いたかのような子だ!世界一可愛い!』とか言われたりするけれどもど、私より可愛い子は沢山いるし、何より私だって落ち着けない時はある。

 

 そう言えば、今日の置き手紙。捨ててなかったなと思ってポケットに手を入れて、置き手紙を読んでみる。

 

 「あ...」

 

 それは、思わず破顔してしまう一言。それは、私という人間の心と体を意図せずとも励まし、解してくれる言葉。

 

 殺意に駆られる時はある。

 

 昔は兄さんを嫌いになったこともある。

 

 それでも何時も兄さんは憎めない。

 

 それは────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ファイト』

 

 

 

 

 

 

 

 「この......大馬鹿っ」

 

 北沢啓輔という人間が、私は大好きだからなんだろうと、私自身は思う。

 

 さあ、行こう。

 

 私は私のやりたいことをやって、自分の夢を叶える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、私自身が進みたいと思える道を全力を以て突き進むのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 あれから教室での田中の弄りを何とか回避した俺は、時間もあまりなかった為に早歩きでとある場所へと向かっていた。

 

 「あーあ...学校がも少し早く終わりゃあいいんだけどなぁ」

 

 学校は、確かに大事な時間だ。しかし、頭では分かっていても理不尽だと感じることは時としてある。

 俺の中では学校はそのひとつであり、学校で半日を過ごすことに最近は意義を見出しきれていない。

 正直、学校の時間を早く終わらせて家に帰って家族と過ごしていた方が俺にとっては良い。もしくは何処かで遊んでたりとか、尤も最近は遊びに繰り出すことは無くなったのだが。

 

 さて、そんな事を考えていたらもうすぐ目的の場所だ。俺はそこの門を潜ると、俺より小さな子供達がいるところまで歩き出して、ドアを開ける。

 

 「こんにちわー」

 

 「あ、啓輔君!こんにちは!」

 

 保育園の先生に挨拶をして周りを見る───

 

 「陸くん!お兄ちゃんが来たよ!」

 

 保育園の先生がそう言って、子供を呼ぶと帰り支度をした1人の男の子がこちらへてくてく歩いていく。

 

 「お兄ちゃん......おかえりなさい」

 

 少し遠慮がちな笑顔で、北沢陸は俺に微笑んでくれた。

 

 

 

 「ごっふ!!」

 

 ああ、また鼻血が出た。ここに来ると何時もこうなってしまう。故に、大抵何時も陸を迎えに行くのは志保の役目なんだけど、今日は致し方がない。それにこうなることを予期していた俺は盛大に鼻血を吹き出したように、ポケットティッシュを持っている。

 

 「き、啓輔くん!?」

 

 「お兄ちゃん!?」

 

 先生と、陸から慌てた声が聞こえるも、それを左手で制して、右手で鼻を抑える。陸のあまりの可愛さに鼻血が出てしまいましたなんて、死んでも言えない。

 

 「だ、大丈夫......最近、暑いですからね」

 

 「...いま、10月だよ?」

 

 なら、体温が上がっているんだろうな。心配するな、多分風邪じゃあないから。

 鼻血を止めて、振り向くとそこには最早伝統芸と化してしまっている俺の鼻血ブーに苦笑いの先生と、それを心配そうに見守る陸がいて、また鼻血ブーしそうになるも何とか堪える。

 

 「よし、それじゃあ行こうかりっくん」

 

 俺が陸に向かって手を差し伸べると、陸はその手をしっかりと握る。

 

 「それじゃあ、先生。失礼します」

 

 「はーい。陸くんもまた明日!」

 

 見送ってくれる先生を背に、俺達は靴を履いて園内を出る。外は、既に日が暮れかかっており、冬の訪れが近いということを教えてくれる。

 

 「りっくん、今日も楽しかったか?」

 

 「うん!楽しかった!」

 

 「そっか、それなら良かった!」

 

 子供は遊びを楽しむのが半分仕事のようなものだ。遊びを楽しまないような奴は、子供じゃない。俺だって、子供の頃は馬鹿みたいに遊んでたからな。

 

 「にしても、驚いたか?お姉ちゃんじゃなくてお兄ちゃんが来たこと」

 

 本来なら、志保が陸のお迎えに行くはずだったので突然俺が来て驚かれたらどうしようと内心思っていたのだが。

 しかし、陸はさして驚いた様子もなく俺を見上げて首を振る。

 

 「お姉ちゃん、今日はお兄ちゃんが来るってこと言ってたから全然驚かなかったよ」

 

 「おおっ」

 

 用意周到、完全無欠とはこのような事を言うのだろうか。サンキューシッホ、図らずも俺の懸案事項を解消してくれた志保は出来る妹。はっきり分かんだね。

 

 「お姉ちゃん、今日大切な発表会なんだって。大丈夫かなぁ...?」

 

 「なんだ、陸はお姉ちゃんのこと信じてないのか?」

 

 少し悪戯っぽく返すと、陸は慌てたようにふるふると首を横に振る。

 

 「なら、心配しなくても大丈夫だよ。志保は頑張り屋さんだから、きっと報われるさ」

 

 スポ根ものを全肯定する訳では無いが、これでも努力は報われるという言葉にはそれなりに信頼を置いている。先ずは努力をしなければ、始まらない。

 そして、志保はそれを実践した。だから、志保は成功する。明確な根拠はないが、そんな気がする。志保可愛いし。

 

 若干妹補正が入ってないの?と問われたら、多分入っていると答えると思うけど。

 

 とはいえ、陸が心配するのも分かる。現に陸は姉想いだから。

 

 頑張っている姉を応援しているからこその不安って、やっぱりあるよな。

 

 「陸、じゃあお姉ちゃんの必勝祈願に何かやろうか」

 

 「ひっしょうきがん?」

 

 「おう、お姉ちゃんが発表会で大成功する為のおまじない。今日はハンバーグかオムライスを作ってケチャップで何か描いてやろうぜ」

 

 そう言うと、陸はぱあっと擬音が付きそうな程の笑みを見せて、俺の手を握る力を強める。

 

 「僕が描く!ハンバーグにケチャップで描く!」

 

 「お、いいな。じゃあどでかいハンバーグ作るぞー」

 

 「おー!!」

 

 

 その後、近所のスーパーで挽肉を買って、陸と一緒にハンバーグを志保に振舞った。

 志保は、疲れた表情で帰ってきたが陸を見て直ぐに元気になる。

 陸と一緒に作ったハンバーグはケチャップアートの甲斐もあり、志保にとても喜ばれたということと、陸がとても喜んでいたということだけ伝えておこう。

 

 因みに、何故か俺だけ頬を抓られた。

 

 志保が言うには『したり顔の表情が何故かムカついた』らしい。

 

 解せぬ。

 

 急に抓ってくるウチの妹、怖すぎるよ。

 

 

 

 

 

 

 

 



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第3話 言っておくがこれはイチャイチャじゃない、ただの喧嘩だ

2話1部修正

志保の心理描写変更
変更前 北沢啓輔という人間に憧れて───
変更後 北沢啓輔という人間が大好きだと───

大した変化はありません。





 

 その日は、誰に言った訳でもない。田中の独り言から始まった。

 

 「先生、ここに不良生徒がいます」

 

 「......あん?」

 

 俺が田中の独り言をわけもなく拾い、問いかけるも田中の独り言は続く。

 

 「巷で聞いたんです。とある生花店で女の子とイチャイチャイチャイチャしてて」

 

 おい。

 

 「あまつさえ中学生時代は、その子と付き合ってた噂まであったとか」

 

 ちょっと。

 

 「そうだ、店の名前も聞いたんです。確か、し───」

 

 「シャアラァァァァップ!!」

 

 俺は、見知らぬところで俺のプライバシーが田中に透け透けになっていることを咎めようとして思わず暴言を吐いた。

 何故、俺のプライバシーがまたしても透け透けになっている?俺の情報はどうなっているんだ?敵は誰なんだ?そんな疑念に駆られていると、田中がこちらをまるで『何言ってんだこいつ』みたいな純真無垢な表情で問いかけてきた。

 

 「どうしたの?ブラコンでシスコンの北沢くん」

 

 「さり気なくこの前の話をネタにするのはやめてくれませんかねぇ......!それよりも俺が言いたいのはお前がブツブツブツブツ言ってたさっきのネタのことだ!!誰から聞いた!その手の話題は高校時代には何一つ話してないはずだぞ!?」

 

 俺が先程までの田中の独り言を咎めると、田中がジト目でこちらを見やる。

 

 「石崎くん」

 

 「テメエ石崎この野郎───!!」

 

 彼は何度も何度も俺のプライバシーを透け透けにしている前科がある。今日という今日はボッコボコのフルボッコにしても良いのではないかと拳を血に染める覚悟を決めていると、田中が怒りの表情でこちらを睨みつける。

 

 「私、今まで北沢くんの愚行は何度も見逃してきたつもりだけど」

 

 「おい待て、遅刻して何度も何度も痛い思いをしたのは気のせいか?」

 

 「今日という今日は、許せない。年貢の納め時だよ北沢くん」

 

 「更に待って、何時も許されてない気がするんですけどこれまた気のせいですかね?」

 

 適度にツッコミを入れるも、今日の田中は動じない。鬼のような形相を平気で保っている。怖い。端的に言って、恐ろしい。

 

 「......甘い。甘いよ北沢くんは。砂糖をふんだんに使ったコーヒーよりも甘いよ。まさか───」

 

 その時、田中は躊躇いを見せる。しかし、石崎に全てを話されているということは、もはや逃げ場はなし。俺は両手を広げ、降伏の意思を示す。

 

 「......ああ、そうだな。もう白状してやるよ。そういう事だよ」

 

 「......やっぱりそうだったんだ。道理で毎日活き活き惰眠を貪って───」

 

 「仕方ないんだ!俺には必要なことなんだよ!『大切な人』の為に!!」

 

 「なっ───!?」

 

 その瞬間、田中は頬を赤く染める。え、何で?

 まあ、別に田中が顔を赤く染めようが俺としては不都合がないので続けるわけなんだがな。

 困惑する田中を尻目に、俺は両手を翼の如く大きく広げて更に一言。

 

 「その人の事が大切だから、禁忌に手を触れるんだ。いわばスマホで電話することだって、バイトすることだってその人の為の布石なんだよ......!」

 

 「ふ、布石って......で、でも。駄目だよ、高校生がそんな───」

 

 「もう、この際言ってやる。誤魔化す気は無い。俺の口からお前に伝える、白状するよ」

 

 バレてしまったのなら、仕方ない。

 

 「そう、全ては───」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 「......で、殴られたの?」

 

 「いやあ、そりゃあ綺麗な右ストレートでしたよ。一瞬目の前とお空が真っ赤になりましたからね」

 

 あの右ストレートは素晴らしかった。普段は演劇をやってるらしい田中だが、アイツなら、ボクシングだって出来てしまいそうで末恐ろしい。

 

 と、そんな想像をしていると俺のバイトの先輩。黒髪ロングの美人がため息を吐いて、こちらに呆れた視線を送る。

 

 「馬鹿でしょ」

 

 「それを言ってくれるな」

 

 俺だって自覚してるやい。もっと深く石崎から聞いたとされている事前情報を掘り下げて聞くべきだった。

 

 まさか、俺がバイトを始めた理由が女の子との出会いを求める為とか言う不純な動機だったと噂されているだなんて、思いもしなかった。

 

 否、予兆はあった。最初から田中がそのような事を言っていたのは分かる。これは俺の聞く力の乏しさによる災難なのだ。

 

 序に石崎は止血した後直ぐにアップルパンチ(自称。特に他意はない)を脳天にぶちかましといた。無論、脳震盪を起こさない程度の、ゲンコツだ。偶には制裁を与えなければ、こちらの身とプライバシーが持たない。

 

 と、そんなことを思って心の中で石崎に対する呪詛を唱えていると、レジに座っている黒髪ロングの美人───2つ年下の『渋谷凛』がこちらをまるで馬鹿でも見るかのような、否──実際に言われていた──目付きで睨む。

 

 「大体、そんな噂をされているのは啓輔がことあるごとにこの店に来るからでしょ?自分のしでかした罪には責任を持ちなよ」

 

 「俺に罪ってあったっけ......!?大体、ここまで俺のプライバシーが筒抜けになってるのは俺の某友人のせいなんだぞ?」

 

 「友人に対してのブロックが甘いんだよ。啓輔は詰めが甘いからね」

 

 「初耳だぞそれ」

 

 そこまで詰めが甘いか俺。

 

 「十分甘いよ、啓輔はさ」

 

 そして、この笑顔だ。全く忌々しい。昔───俺がスポーツをやっていた頃からの腐れ縁のこの表情だけは昔と全く変わらない。

 渋谷凛は、いわば親友のような関係だ。昔から同じ小学校で、関わることが多くて、成り行きで友達になって、今ではバイト仲間───尤も年上の俺が後輩で、年下の凛が先輩という変な構図なのだが。

 

 「このド畜生め......」

 

 「啓輔、世の中には『先輩』に言っていいことと悪いことがあるんだよ?」

 

 「あああああ!!腹立つ!!無茶苦茶腹立つ!!3年前までランドセル背負ってた癖に!!あどけない表情して俺の裾掴んでた癖に!!」

 

 分かっていることだけに、尚更腹が立つ。確かに渋谷はこの生花店の一人娘であり、仕事の経験も彼女の方が長い。しかし、年齢的には俺が年上という一種のジレンマに陥ったことにより、地団駄を踏み、悔しがると凛が少し顔を引き攣らせて、無理くり笑顔を作る。

 

 「か...関係ないでしょ。全く、過去の話を持ち出すなんて啓輔も子供だね」

 

 「.....さあて?子供はどっちだろうな。こうやってバイトしつつ将来に備えて目を腐らせている俺。方ややることがなかなか決まらずに部活動何にしようかなーって未来に夢を馳せウキウキしてる若人───」

 

 その瞬間、渋谷の右ストレートが俺の頬を掠める。その軌道はまさに何処ぞの伊達のコークスクリューブローの軌道であり、それが髪に掠ってしまった俺の大事な髪の毛は、2〜3本抜けてしまった。いやあ、驚きだよ!啓輔心臓ひえっひえだよ!

 

 「啓輔、アンタが私の弟や兄じゃなくて良かったね。もし血縁関係だったら危うく啓輔直伝のコークスクリュー、よそ見からのガゼルパンチでアンタをはっ倒してた所だよ」

 

 「なりたくもねえよ。俺の妹は志保、弟は陸。これ重要だからな?最早俺はアイツら家族の為に生きているといっても過言じゃないんだからね?」

 

 「はいはい、本当に啓輔は家族想いだね」

 

 「あ、なんか今腹立った」

 

 そう呟いた俺は、休憩にかこつけて外の空気を吸う。穏やかな空気が俺の肺を支配して、また俺の体に活力が戻ってくる。

 太陽が、俺の顔を照りつける。それと同時に、凛は何気なく、俺に語りかける。

 

 「.....啓輔の弟妹になった子は幸せだろうね」

 

 「いきなりどうした」

 

 というか、何で。

 

 そう思い、カウンターを振り返るとその先には半ば呆れ気味の凛が苦笑して、こちらを見つめていた。

 

 「普段バイトをしてお金を稼ぎつつも、しっかりと妹弟の面倒を見てくれる優しい兄貴なんて、きっといてくれるだけでありがたいよ。まあ、啓輔はそれなりに頼りがいあるしね」

 

 そう言って、ぷっと吹き出す凛を見て若干の殺意に駆られるのは最早俺自身の問題なのだろう。煽り耐性が先の石崎の件で既に擦り切れていた俺はこめかみに力を入れて無理矢理笑顔を作る。

 

 「そっかぁ.....頼りがいがある、ねえ?」

 

 瞬間、俺は凛の元へ近づき、頬を引っ張る。

 

 「嘲笑しながらそう言っても信ぴょう性の欠けらも無い事に気付きやがれ!!」

 

 「い、いやほらっ!だって啓輔昔からその手の冗談を言うと本気で喜んで......って痛い痛いっ!分かったよ!悪かったから!」

 

 俺と、凛の日常はこんなものだ。

 

 決して、あらぬ噂の通りに仲睦まじいわけでもなく、かといって殺伐とした空気でもない。

 お互い軽口と軽い喧嘩をこなす程度に仲が良い、昔から.....ではないがこの関係性をずっと続けている。

 

 故に、俺は思う。

 

 渋谷凛といるこの日常は、決して悪いものではないと。胸を張ってまでは言えないが、少なくともここでは正直な自分をさらけ出せる。

 

 尤も、仮に俺と凛の関係が腐れ縁なんかでは無い初対面なんかだったらあの鋭い眼差しで軽く小便ちびるまであるんだけどな。

 

 この関係を『親友』というべきか、『後輩』というべきか、はたまた『親密』と言うべきなのか、俺は迷っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 さて、花屋のバイトを終わらせて、それでもチクチクと心臓を抉るようにやってくる凛のカットボールのような口撃を何とか回避しつつ帰路についていると、俺のポケットが振動する。

 

 「ふぉぉぉぉっ!?」

 

 あまりに唐突な出来事な訳でもないのに変な声を出してしまう。なんだろう、最近電話に対応する事に田中のせいで滅茶苦茶抵抗を感じるんだけど。

 

 「......畜生め」

 

 内容を見てみるとそこには妹からの電話が来ていた。こんな時間に、妹からのお電話。なんだろう、なんか嫌な予感がする。部屋に隠しといた石崎の回し物、俗に言うところのムフフなビデオでも見つかったか?

 

 

 ......

 

 

 勿論、ここで着信拒否なんてしたら帰ってきた志保に凛以上に内角を抉るようなカットボールもとい口撃が俺を襲うので、大人しく電話に出ておく。

 

 おうこら、そこのハムスター。情けないゴミクズを見るかのような目つきは止めないか。これは北沢啓輔という人間にしか分からない懸案事項なんだからな。え、ハムスター......?ハムスターって外にいるものなの?......いや、きっとバイト疲れで気が滅入っているからあんな幻覚を見るのだろう。そう思った俺は頬を1度叩いて電話に出る。

 

 「言っておくけど俺に罪はないからな。あれはクラスメイトiのアホが贈ってきた回しものだ」

 

 真実を早口に捲し立てると、志保が電話越しに困惑の声を上げる。

 

『......は?何を言っているの兄さん』

 

 ......どうやら、要件は俺の危惧していたものとは違ったらしい。1度、落ち着くために深呼吸をして気を取り直す。

 

 「悪い、妄言だ。で、どうかしたのか?」

 

『今、何処にいるの?』

 

 「うん、外にいる」

 

『私は外の何処にいるのか、聞いたつもりなんだけれど』

 

 おっと、確かに家にいなきゃ外にいますわな。言葉の真意をしっかり読み取れよ北沢啓輔。昔からそうだ.....そんなんだから昔からお前は妹の尻に敷かれてるんだろうが。

 

 尻......尻、か。うん、深く考えるな。言葉の喩えだろうが。

 

『今、物凄い不快な気分に陥ったのだけれど』

 

 「気のせいだ。それと、今スーパーの前にいるんだが......追加で買い物か?」

 

『ええ、ケチャップを1つ。何処かのお兄ちゃんがりっくんにケチャップアートを教えたせいで買っておいたケチャップが切れたから』

 

 やや辛辣に言葉が返ってくるも、今の彼女の言葉には『冷酷』さが全くといっていいほどない。これは何時もの妹から察するにあまり怒ってはいないという事だ。

 本気で怒った志保は、怖い。目のハイライトは消えていつの間にか、俺は尻餅を着くか、土下座をしている。そして悪魔のような無表情で見下ろされて冷酷な声色で一言だけ言われるんだ。

 

『正座』

 

 この怖さは、1度体験してみなければ分からない。そう思ってしまう俺は文字通り、志保の尻に敷かれてるんだろうということが自分でも理解できる。

 

 閑話休題───

 

 「美味しかっただろ?愛情がこもってて」

 

『因みに誰の、と聞いてもいいかしら』

 

 「99パーセントのりっくん成分と1パーセントの兄貴成分」

 

 俺がそう言うと、志保はため息を吐いて、一言───

 

『100パーセントりっくんを希望するわ』

 

 そうして、志保は電話をぷつりと切ってしまった。

 

 「俺の愛情はいらないってか」

 

 全く、失礼しちゃうぜ。俺だって陸と一緒にハンバーグ作ったんだぜ?そもそも100パーセントりっくん成分っていったらハンバーグを作るための工程を全て陸が背負わなければいけなくなる。

 レシピを見ながらハンバーグ作りに悪戦苦闘するりっくん......見てみたい気持ちはあるが、子供が1人で火を使うのは危険です。お兄ちゃんが許しません。

 

 「ま、それはいいとしてだ」

 

 ケチャップだったっけかな。それを買いに行かなければ志保の冷酷な目付きと声色が俺の五体を蝕むであろう。俺は、バイトで疲れた体に鞭打ちながらスーパーへと歩を進める。

 

 何時もなら買い物カゴを持っていくのだが、今回買いに行くのはケチャップだけ。故にカゴは持ち運ばず自動ドアを潜ると、店内をぐるりと見渡す。

 

 すると、意外な人物がスーパーの食品売り場で食材を吟味していた。

 

 「......げ」

 

 なんということでしょう。

 

 そこには本日のお昼時、俺にあらぬ疑いをかけて最後には右ストレートを食らわせてきた田中琴葉さんがいらっしゃるではありませんか。

 

 先の件といい、今年に入って田中のせいで何かとトラウマを植え付けられてしまっている俺としてはここで一発逃亡と洒落こみたい所なのだが、志保のケチャップの1件もある。

 まさに四面楚歌、背水の陣、ABCD包囲網って所だ。さっきから頭の中では最近まで聞いてた牛さんの歌が聞こえてくる。これが巷でよく聞く『はい、お前詰んだ〜♪』って奴なのだろうか。

 

 どうする、北沢啓輔。

 

 田中琴葉に近付くか。

 

 妹沢志保に『正座』させられるか。

 

 

 

 

 それとも───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 悪いことをしてしまった───

 

 

 私、田中琴葉は気分転換にお母さんに頼まれた食材を吟味しながら1人の男に対して、そんな気持ちを抱いていた。

 

 北沢啓輔───。

 

 その男は普段から、不真面目、不勤勉、寝坊助とダメな要素ばかり目立つ人間だ。授業は不真面目に取り組むし、高校生になって、何かを継続したことを見たことがないし、月イチのペースで寝坊は当たり前。その愚行は隣の席にいる私にとっては許容しがたい事実であり、性格だった。

 

 勿論、彼にだって言い分はあると思う。彼には弟妹がいて、何かと忙しい。友達と遊びに行く時間が無い程忙しい───という話を聞いたことがある。それ故の遅刻ならば、致し方ない面もあるし、部活なんて以ての外だろう。授業中に寝るのはあまり褒められたものではないが、それでもノートはしっかり取っているみたいだし(石崎くん談)。

 

 けど、だからといって、世間的に彼の行為が許される訳じゃない。遅刻はしては行けない。授業はしっかり受ける。最低限、これだけでもやって欲しいというのは本音だし、高校生のルールであろう。

 

 そんなことを考えている最中、私はたまたま出くわした石崎くんからとんでもない情報を得てしまったのだ。

 

 それが、バイトと女の子の話である。

 

『よーよー、田中ちゃん!最近啓輔と仲いいね!折角だから付き合っちゃいなよ!』

 

 彼の言動や、行動には嘘はない。一見ニコニコした笑みを振りまいた軽薄そうな男と思われがちだが、色んな人と友達だったり、野球を一生懸命やってたりと、クラスの男女からの評価はなかなか高い。

 それ故か、当初は彼の『こういった』言葉───俗に言う茶化し等に一種の抵抗を感じていた私だが、今ではちょっとした挨拶みたいなものとして、軽く受け流せる程度には、慣れた。

 

『あはは......まあ、まちまちかな?』

 

『そうかいそうかい!ならいいけど、もし啓輔を狙ってんなら早くした方がいいぜー?何せ、アイツはバイト先でも女の子とお話してるからなぁ?』

 

『え』

 

 バイト?

 

 初耳なのだが。

 

 ましてや、女の子?

 

『あ、やべ、口滑った』

 

 瞬間、真顔になる石崎くんをじっと睨み、1歩歩み寄る。説明してもらおうじゃないか。

 

『教えて?石崎くん』

 

『せ、せやな......』

 

 困惑する石崎くんを尋も......こほん、問い詰めて見たところ、北沢啓輔という人間はどうやらバイトをしているらしい。

 石崎くん曰く、中3のころからバイト的なものを始め、高校生かられっきとしたバイトとして採用されると某生花店で女の子とイチャイチャイチャイチャしていたらしい。

 

 もし、忙しいといっていたことがバイトなのだとしたら。その目的が妹弟の為ではなく、女の子の為だとしたら。私は彼を止める権利がある。

 

 こうなってしまった私を止めることは出来ないってことは私が1番知っている。情動に、熱情に身を任せることがよろしくないことは分かっている。

 それでも、私は。私自身を止めることは出来なかったのだ。

 

『あ、でも別にそういう関係になってるわけじゃないぞ?寧ろ噂のままに終わったっていうか......って、ちょ.....マテオ!』

 

 自分の席へと向かう。後ろで石崎くんが何かを言っているがそんなことは知らない。窓際1番後ろの席に腰掛けると、私は群青色の空をじっと見ていた北沢くんを一瞥して誰に語りかけるまでもなく、実際にはちょっとだけ語りかけるように石崎くんから聞いたことを復唱した。

 

 

『先生、ここに不良生徒がいます』

 

『......あん?』

 

 

 それから先は、お察しだ。

 

 

 家族の為にバイトをしていたという事実を確認しないまま、決めつけてしまった私は自分を恥じた。砂糖をふんだんに使ったコーヒーよりも甘かったのは、私なのであった。

 家族の為にバイトをしているのなら仕方ない。というか、賞賛に値するし、これに関しては怒る気もない。

 

 それなのに、唐突に白状し始めた北沢くんに驚き、あまつさえ大切な人の話を『彼女』のことと盛大に勘違いしてしまった私は羞恥で顔が熱くなった。

 

 そして、それを悟られないように北沢くんの目を塞ごうとした故の右ストレートだ。早急に保健室に連れて行って、何とか事なきを得たが、お陰様で見事なまでの罪悪感が私の心を支配してしまったのだ。

 

 「はあ......」

 

 あれから、色々と都合が合わなくてちゃんと謝ることが出来なかった。明日、ちゃんと謝らなければ。

 うん、大丈夫。北沢くんなら、多分、きっと許してくれる。

 

 ただひたすらにそう思い続けつつ、自らを奮い立たせるためにぐっと握りこぶしを作る。

 

 そして、そろそろキャベツを選ばなきゃ......と、キープしておいたキャベツを買い物カゴに入れようと手を伸ばしたその時だった。

 

 「ママー、ここに変な人がいるよー」

 

 「こ、こらっ!指をささないの!」

 

 子供連れの家族がそう言った声に思わず、咄嗟に振り向いてしまう。

 すると、目の前には先程まで頭の中に浮かんでいた男が、買い物カゴで顔を隠して、そろーり、そろーりと忍び足で私の横を通過しようとしていた。

 

 「......」

 

 こんなカモフラージュで、だまくらかせるとでも思っていたのだろうか。

 

 「......」

 

 「......お、おーう、ワタシ、アメリカカラキマシター、ジュテーム!ボンジュール!シルププレー!サヨナラホームラーン!!」

 

 アメリカ人なのか、フランス人なのか分からない時点でアウトだろう。そして最後のは全く関係の無い野球用語だ。

 

 「......じーっ」

 

 「......むーん」

 

 やがて買い物カゴのカモフラージュを解いた北沢くんが顔を背けて変なうめき声を上げる。そんな北沢くんの目を私はじっと見つめる。

 

 「北沢くん?」

 

 「......はい」

 

 不味い、自分でも笑顔になっているのがわかる。尤も、この笑みは楽しく愉快......と言ったものとは程遠いそれなのだろうが。

 

 「何してるの?」

 

 そう尋ねると、観念した北沢くんはため息を吐いて俯く。

 

 「ええっと、この度は妹からケチャップの調達を頼まれた次第でありまして......」

 

 「うん」

 

 「意気揚々とスーパーに行ってみたらキャベツを厳選している田中さんを見かけましてですね......」

 

 「それで?」

 

 「あ、これやべー......って思った俺は何とか野菜コーナーの近くの調味料、ケチャップを買う為に買い物カゴをカモフラージュに使って......」

 

 「全然カモフラージュになってなかったよ」

 

 「いや、案外お前さん騙されてたって......って怖い怖いッ!田中さん!?謝るからどうかその笑顔をヤメテ!精神的にやられちゃうから!俺、メンタルボロ雑巾だから!」

 

 ごめんなさいごめんなさいと呪詛のように私に言ってくる北沢くんを尻目に、私は溜まった息を吐き出す。ため息は基本よろしくはないが、あまりの急展開にこうでもしないと事に対応出来そうになかった。

 

 「何も隠れる必要は無かったでしょうに」

 

 「自由だろ、俺がそこで何しようが......」

 

 「それで子供に不審者と間違われてたら本末転倒でしょう」

 

 「うぐ......」

 

 北沢くんはそう言うと、バツが悪そうに顔を背ける。その表情がなんだか面白くて、私は少しだけ表情が緩んだ。

 初めて出会った時からそう。北沢くんには何か不思議な力があるのだろうか。例えば、出会った人、話した人を笑顔にするような力。そんな何かが北沢くんにあったのだとしたら、きっと北沢くんに会う度に笑ってしまう私はその何かに見事にやられてしまっているのだろうか。

 

 「北沢くん、顔は大丈夫?あの時は、ごめんなさい」

 

 私がいつの間にか、謝罪の弁を述べると北沢くんはいつも通りの切れ長の目付きを私に向けて、少しだけ呆れた表情で。

 

 「お陰様で、何とか」

 

 そして、ため息を吐いて北沢くんは笑顔を見せた。

 

 北沢啓輔は、不真面目で、不勤勉で、寝坊助だ。それでも、彼の内面は優しくて、妹弟想いで、寝坊助なのも理由がある。

 そんな彼は、私とって大切な友達であり、大切なクラスの一員だ。

 

 

 

 ......

 

 

 .........

 

 

 

 そして私は、昔の北沢啓輔を知っている。

 

 

 

 少なくとも、貴方はそんな暗い表情をするような人間ではなかったと私は記憶している。

 

 

 

 あの時の貴方の目は輝いていた。そして、そんな貴方の一言に、勇気づけられたのだ。

 

 

 

 本当の意味で、私を勇気づけてくれた。

 

 

 

 今の私がこうある原点が北沢啓輔なのに、今の北沢啓輔がそうでないことに、私はなんとも言えない、複雑な心境を抱いていた。

 

 

 

 

 

 ☆☆☆☆☆

 

 

 

 

 結局、こうなることは分かっていたのだろう。あれこれ考えて時間を無作為に潰している時点で俺の末路は決まっていたのだ。

 まあ、何が言いたいのかと言うと。先程まであれほどまで頭の中で考えていた出来事は、考えずとも答えが決まっているのであってだな......

 

 

 

 

 

 

 

 「で、兄さん?分かっているわよね?」

 

 田中にバレずにケチャップを取りに行こうとした時点で時間がかかってしまい、妹沢志保を怒らせてしまうことは分かっており、ケチャップを買おうが買わまいが俺がこうして尻餅を着いてしまっているのは最早既定事項だったというわけで───

 

 「せ、せやな......お兄ちゃんなんの事だか分からないよ」

 

 「そう......残念ね。疲労で頭がパンクしてしまっているのかしら」

 

 「そ、そう!そうなんだよー!最近俺右と左が分かんなくて!学校行こうと思ってたら公園のベンチで寝てたりとか結構あるんだよね!」

 

 俺が慌てて弁解をすると志保の冷酷な目付きが更に過激さを増す。

 

 「兄さんの方向音痴は昔からでしょう......全く、少し放っておいたらすぐにこれ。兄さんは本当に......お間抜けというか、阿呆というか、お馬鹿というか」

 

 「......すまん」

 

 「......全く」

 

 志保はそう言うと、俺と同じ目線に座り込み後ろに回り込む。

 

 そして、一言。

 

 「肩で良い?」

 

 「肩?」

 

 どういうことだろうか。志保がいきなり座り込んで俺の後ろに回り込んでいる時点で俺の頭はパンクしてるんだけど、どういう意味なのか分からない。

 

 いきなりの謎行動に困惑していると、志保が肩を思いっきり抓る。

 

 「ぎゃああああ!?」

 

 「疲れているって!言ったのは!何処の誰よッ!」

 

 「お、俺俺!」

 

 慌てて俺がそう弁解すると、志保は人生最大とでも言っても過言ではないため息を吐いて、俺の肩を拳で軽く殴る。うん、軽くでも痛いです。

 

 軽く殴っても痛い志保の肩パンに悶絶していると、志保が後ろから俺に一言───

 

 「肩、貸して。疲れているんでしょう?」

 

 少し、恥じらいを持つかのような声色でそう言った。

 

 「え、物理的には無理なんだが」

 

 「もう、突っ込まないわ......そうよ、分かっていたじゃない。兄さんが人類史に類を見ない阿呆って事は」

 

 乾いた笑いと同時に、なんだか非常に失礼な事を叩き込まれてる気がするだけれど、まあいいか。

 

 「んで、お前は俺に何をしてくれるんだ?」

 

 そう言って、振り向くと志保の手が俺の顔を強制的に押し戻す。その手には力は入っていなかったが、何となく押し戻される。

 1拍間が空いて、志保は無機質な声で俺に言う。

 

 「肩をマッサージしてあげるって言ってるの」

 

 「おお」

 

 志保の肩マッサージなんて何年ぶりだろうか。小さい頃、純真無垢な笑顔で肩たたきをしてくれた志保が懐かしい。

 

 「じゃあ、お願いしようかな」

 

 俺がそう言って肩の力を抜いて目を閉じると、肩が指に押される心地良い感覚が俺を襲う。その感覚はとても気持ち良く、それと同時に懐かしい感覚でもあった。

 過去に俺が純粋なスポーツ少年でいた時、疲れた身体を癒してくれたのは母さんの美味しい料理と、マイエンジェルである志保と陸の笑顔と、時々やってくれる志保のマッサージだった。最初は拙い手つきで、お世辞にも上手いとは言えなかったが、それでも俺は幸せだった。

 家族に囲まれて、何も考えないでいられる時間は確かに幸せだったのだ。

 

 「......あ、いい。そこいいわー」

 

 「中年のような声を出すの、やめてくれないかしら」

 

 それは、志保のマッサージが上手なのが悪いのだ。妹フィルターにかけなくとも、志保のマッサージは上手になったと個人的には思う。流石、何時も母さんのマッサージをしているだけあるな。ここまで来たら、最早職人芸だ。

 

 「学校、楽しいかー?」

 

 「.....兄さんは?」

 

 質問を質問で返すのはあんまりよろしくはないのだが、妹と話す時にそんな事を気にする事はない。俺は乾いた笑いを上げて、肩を竦める。

 

 「まあ、いつも通りってとこだろうか」

 

 登校したら石崎に野球部に勧誘されて。

 田中と挨拶して。

 時々、田中にプライベートを突っ込まれて。

 石崎にアップルパンチを繰り出したり。

『何時かは変わってしまうであろう』この日常も、今はそんなに悪くは無い。

 

 「ああ、そう。最近女の子とよく話すんだよ」

 

 「兄さんが?」

 

 「そう、田中って言うんだけど......まあ、話してて悪い気はしなかったりする」

 

 2年生になってからよく話すようになった隣人、田中琴葉。彼女と話している時間は俺的にはなかなかの暇つぶしになる。

 と、そんなことを考えているとマッサージの力が少しだけ強くなるのと同時に、後ろから志保の声が聞こえる。

 

 「兄さんらしい答え方ね。素直に『楽しい』って言ったらいいのに」

 

 「楽しい......か」

 

 そんな思い、俺にあるんですかね?

 

 記憶のそこらじゅうをほじくり返しても、楽しかった思い出なんてのは限られているし、それこそ高校生になってからはそんな未体験の楽しい思い出なんてのは作れた試しがないのだが。

 

 「それに、俺は家族と過ごせるこんな時間が1番楽しいからな。これを経験しちまうと、なかなか楽しいなんて言えるのは出てこなくなっちまう」

 

 例えばりっくんと遊んだりとか!

 

 志保と一緒に料理作ったりとか!!

 

 家族総出でどっか行ったりとかな!!!

 

 「ああ、また志保と釣りに行きてえなあ。あの時の悔しそうな表情の志保をもう一度見てみたァ痛い!!痛いよ志保さん!分かった!俺が悪かったからそんな強くマッサージしないで!!」

 

 俺が痛みに悶えながら志保に制止を訴えかけると、耳元にぞわりとした感触が。恐る恐る、聞き耳を立てると、志保が俺の耳元で囁く。

 

 「兄さん?記憶って殴れば消える可能性があるのよ?例えば......そうね、海馬の付近とか」

 

 「そんなこと言いながら頭を撫でるんじゃありません!!怖いからっ!」

 

 今、この瞬間、俺は悪魔を見たような気がします。

 もともと志保は怖かったけど、ここまで殺気に満ちた志保は見たことがない。冷酷な目付きで見られ、『正座』と言われるよりも恐怖を感じる。

 何はともあれここは話題転換の必要がある。これ以上のこの話題を続けるのは危険だと察した故だ。

 

 「さ、さあ!今度は志保の番だ!学校生活についてあらかた聞かせてもらおうではないかっ!」

 

 形勢逆転、またはリセットを求めて志保にそう尋ねると、案の定今までの雰囲気が変わっていつも通りの穏やかな雰囲気が訪れる。

 

 志保に釣りワードはNGだ。

 

 心のメモ帳に書いておかねばな。まあ、直ぐに忘れて痛い目見るのが俺。啓輔クオリティなんだけどさ。

 と、内心俺の思慮浅さを恨んでいると志保が無機質な声で一言───

 

 「普通」

 

 「一言で済ませやがりましたねぇ!」

 

 普段あまり学校の事を話さない俺があれだけ話した意味って一体なんだったんだろうな。きっと、上手く志保の術中に嵌ってしまっただけなのだろう。今までの経験からしてそうだ。

 

 「制限もへったくれもないでしょう。兄さんが喋りすぎて、私は普通に喋った。それだけの事よ」

 

 案の定そうだった。

 

 なあ、普通って何なんだろうな。

 

 「......別に兄さんの心配してるような事にはなってないから大丈夫よ」

 

 「......本当だな?」

 

 例えば、あることないこと言われてたりとか。

 

 例えば、ぼっちだったりとか。

 

 「ええ、本当よ。だから大丈夫」

 

 若干怪しいところだが、信じようではないか。あんまり深く介入するのも良くないしな。

 

 と、肩のマッサージが終わると今度は何故か頭を抱え込まれた。え、何すんの?ヘッドロックですか?

 

 「し、志保さん?」

 

 骨は残してください、と何時も妹に謝る時に使う常套句のような何かを発しようとすると、志保は耳元で囁く。

 

 「心配性な兄さん。私だってもう中学生なんだから私なんて放っておけばいいのに」

 

 「.....そうは行かないな。高校生になったらそれは考えてやるよ。まあ、一筋縄では行かないと思うけど」

 

 俺は、志保も陸も大好きだ。

 だから二人とも同じ位に心配してしまう。時々過保護だと思われたりもするだろうけど、それくらいの心配はお兄ちゃんとしてさせて欲しい。

 

 少しの間だけど、志保には寂しい思いをさせたから。

 

 「......遅刻魔で寝坊助な兄さん。毎日毎日無理して家の手伝い、しなくてもいいのに」

 

 「んー、遅刻魔は昔からだからな......それに、好きでやらなきゃ手伝いなんて続かないぞ?」

 

 最初は惰性だったけど。

 次第に美味しそうにご飯を頬張る皆の姿を見たり、何かをした時の達成感が癖になり、調理やら諸々の手伝いが楽しくなった。

 尤も、家庭科の授業は嫌いなんだが。作る料理を制限されてしまったり、座学の授業が非常に億劫だから。

 

 結局のところ、家族みんなには美味しいご飯を食べてもらいたいっていう俺の好きでやってる願望なんだ。

 

 まあ、一周回って善意の押し付けとか思われたら泣いちゃうけど。

 

 そう思い、心の中で涙を流していると、ふと頭を抱えていた感覚が消えて、肩に重心が乗っかる。

 

 「......兄さん」

 

 「......元から聞きたかったことがあったんだな。遠回しに色々考えやがって、可愛い奴め」

 

 志保なりの気持ちの表し方なのだろう。小学校3年生から少しずつクールに育っていったけど、志保だってまだまだ年頃の女の子だ。真正面から気持ちを表すのが難しく感じる時ってある。そして、それを1度経験した身として、言いたいことを言えるようにフォローしたり、聞いたりすること位は俺にだって出来る。

 

 「何かあったんだな?俺でいいなら聞くぞ」

 

 そう言うと、重心がこくりこくりと動いて、続ける。

 

 「私、オーディションに受かった」

 

 「おおっ」

 

 おめでとう。そう言おうとした俺を遮って、志保は更に続ける。

 

 「いいの?やって。夢を叶えようとして、いいの?」

 

 「妹が夢を叶えようとして、それを応援しない兄貴がいてたまるか」

 

 重心に手を添えて、撫でるように動かす。すると、少しだけ『それ』はぴくりと反応するも、そこから動く気配はない。

 

 「だから、気にすんなよ。家のことは任せろ。んでもって、自分の本当に進みたい道を突き進んで......俺をファン第1号にしてくれ。あわよくば初サインも俺のものな」

 

 んでもって家宝として崇め奉るんだ。ライブに行くのも楽しそうだ。

 そんなことを想像して少しだけ笑うと、志保も少しだけだが、くすくすと笑い声を上げる。

 

 「うん......兄さんがファン1号よ。サインだって、特別に家で崇めても文句言わないわ」

 

 「志保様───なんて言っても?」

 

 「馬鹿、羞恥で死ぬわよ」

 

 「恥は捨てるんだ......夢のためになっ」

 

 「恥をかく時と場所位は選ばせなさいよ......馬鹿兄貴」

 

 かくして、北沢志保はアイドルとなりその道を邁進していく。きっと、これからの彼女には様々な困難が襲うだろうけれど、きっと大丈夫。

 こんなにも、可愛くて、誠実で、真面目な子だ。どんな困難があっても諦めず、その道を突き進んでいくことだろう。

 

 

 

 ちゃんと、支えてやらんとな。

 

 

 

 そんな決意を胸に、志保の頭を撫でていた今日のこの頃だった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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第4話 いってこーい

 

 

 

 

 

 ただひとつ、問題点があるとするならばそれは俺の精神状態だったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 志保の件の後日、俺は久しく経験することのなかった『心地良い目覚め』が出来たことにより、珍しく二度寝をせずにリビングへと向かい家族を盛大に驚かせてしまっていた。特に、陸の目を見開いた様子は忘れることは出来ないであろう。あの表情だけで、普段の俺がどれだけ遅刻魔だったのかが分かる。

 

 心地良い目覚めでコーヒーを飲んだ後は陸を志保と一緒に保育園に連れていく。これまた、保育園の先生に驚かれていた。いやあ、慣れないことをするって怖い。怖すぎる。

 

 そして、時は今現在に遡り、志保と2人で登校中。

 

 「志保の制服姿ってのも、新鮮だな」

 

 「私だって新鮮よ。まさか兄さんと肩を並べて歩く日が来るなんて」

 

 「志保のマッサージのおかげだぜっ!」

 

 「どうだか」

 

 志保はあの時の可愛らしいそれから相変わらずの素っ気なさに戻ってしまったが、寧ろこれくらいの距離感を保ってくれた方がこちらとしても話しやすいし───

 

 「久しく志保がお兄ちゃん頼ってくれたからな。やる気に満ち溢れているっていうのもあるかもしれないな」

 

 ギャップがあった方がいじりがいがあるってもんだよな。

 

 「ッ......今日は随分と饒舌じゃない」

 

 志保の顔を見てみると、引き攣った苦い笑みを浮かべていた。普段はクールを地で行くような女の子だ。やっぱり昨日のそれは志保にとっては恥ずべきものであったのだろう。

 

 「ま、偶にでいいから頼ってくれよ。別に兄貴に頼ることを恥ずかしがる年頃じゃないんだし」

 

 「......分かってるわよ」

 

 「なら良いんだ」

 

 頭を撫でようとしたら右手でパシリと叩かれた。ちくせう、痛いハイタッチだぜ。

 

 「気安く頭を撫でないで」

 

 「恥ずかしいのか」

 

 「断じて違う、とだけ言っておくわ」

 

 次第に志保の通う中学校が近付いてくる。それにつれて、志保と同じ制服の女の子や、学ランの男の子も増えてきている。ちらほらとだが俺の高校の制服を着た奴らもいる。

 

 「んじゃ、そろそろお別れだな」

 

 「ええ、そうね」

 

 「お弁当!持ったか?」

 

 「ええ」

 

 「教科書!忘れんなよ!」

 

 「何時も何かしら教科書を忘れてた兄さんが言う台詞じゃないわね」

 

 「......寄り道しないで帰ろう!」

 

 「貴方は私の母親か」

 

 吐き捨てるかのように志保がそう言うと、振り返って校門へと向かっていった。

 

 「うし、俺も行かなきゃな」

 

 そう思い、俺の弁当箱を確認しようとバックを覗くと、そこには白猫の弁当袋......それを開けると黒猫の形をした弁当箱とタッパー。

 

 「あ、弁当箱間違えた」

 

 俺の弁当箱は白猫系統なのに、やらかしてしまった。まあ、いいだろ。弁当を間違えたところで俺と志保の弁当箱の中身は同じだし、どうせ帰ってきたら激おこぷんぷん丸のシッホが誕生しているだけだから正直、不都合はない。

 

 

 そう考えた俺は先程まで考えていた思考を放棄し、欠伸をしながら学校へと歩を進めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この時に俺はもう少しだけこれから起こるであろう事象にもう少し注意を払う必要があった。

 昔から、こういったいつもと違うような行動を意図せずに行っていた場合、高確率で何かが起こる。本とかでもよく見る展開だ。日常生活からヒロインに関わろうとする生活を送ろうとすると何かしらのイベントが起こる、運命的な何かに巻き込まれる。

 

 一見、テンプレで現代ではなかなかない。寧ろそんなイベントないとか思いがちだが、こういうのって意外とよくある。いつもより早く起きて登校したら忘れ物したとか、いつもより遅く、余裕を持って出かけたら家の鍵かけるの忘れたとか。

 

 なら、そこまで警戒している俺が何でこの日に限ってなんの警戒心もなしに登校していたのか、という疑念に駆られる。まあ、後々思った事なのだがこれに関しては一言───

 

 

 

 

 志保に頼られて、浮かれてた。

 

 

 それに尽きる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ☆☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、本題だ。

 

 俺───北沢啓輔という生徒が、妹に頼られて完璧に浮かれている状態で、教室のドアを開けて、石崎の『野球やろうぜ!』攻撃を華麗に回避して、席に着いたところから事件は始まる。

 

 「ふう」

 

 窓際の席で、珍しく余裕をもって座る。こういった時間はなかなか迎えることがない為、どういった時間を過ごせば良いのか分からない。こんなことなら暇つぶしになるものでも持ってくれば良かったと後悔する。ああ、スマホはダメだ。ホーム画面を見た瞬間に田中にクラッシュされるからな。

 

 と、そんなふうに窓際の席で暇を持て余ししていると、田中の方から声がかかる。

 

 「おはよう」

 

 「おう、おはろーさん田中」

 

 このようなやり取りを幾度となく繰り返しているためか、田中と挨拶することにより最早一種の安心感のような気持ちを得れている。さしずめ、ルーティンワークとでもいうのだろうか。女の子と話すことがルーティンワークと化している俺......なんかヤダ。

 

 と、そんなことを考えていると田中がじっとこちらを見る。それはそれは、まるで俺の目を覗くように。それに気付いた俺が田中を見ると、ふいっと目を逸らされる。なんだ、いじめか?

 

 「......おい」

 

 「えっ」

 

 そして、それが何度も続くもんなので堪らず俺は田中に声をかける。すると、田中が肩を跳ね上げてこちらを恐る恐る見やる。心做しか、出そうとした声も強ばっている。

 

 「ど、どうしたの?」

 

 「どうしたもこうしたもあるか。こちとらお前の視線と存在のせいで落ち着かねえんだよ」

 

 話しかけられるのは、別に構わない。しかし、用もないのにじっと見ていられるとこちらとしてもどう対応したら良いのか分からない。正直、困る。

 

 「用があるなら聞くけど、用がないならあまりチラチラ人のことを見ない方がいい。それとも、俺何かしたか?したなら謝るが」

 

 言いたいことだけ言ってもう一度窓を見やると、田中は今度はしっかりと、それでいていつも通りの毅然とした声で、俺を呼びかける。

 

 「少し、相談があって」

 

 ほう、あの田中が俺に相談とな。

 

 「聞こうじゃないか」

 

 この時、発せられた田中の言葉を俺は一生忘れることはないだろう。まるで、頭を鉄アレイで打ち込まれたかのような感覚。開いた口も塞がらない。体も金縛りにあったかのような、そんな訳の分からないような感覚が俺の五体を襲った。

 

 その言葉とは───

 

 「私......アイドル、やってみようかな......なんて思っているんだけれど、どうかな」

 

 「は」

 

 なあ、アイドルって最近流行っているのか?

 

 それとも、俺の関わる人間だけたまたまアイドルになろうとしているのか?

 

 どちらにせよ、唐突の発言に驚かずにはいられなかったものの、今回の件に関しての答えのようなものは持ち合わせている。やる、やらないは本人の意思によって決められるもの。やりたいならやればいいし、やりたくないならやらなければいい。それだけの話なのだから。

 しかし、『聞こうじゃないか』と言った手前まともな返答を返さなければ、俺の良心が痛む。それに、普段から田中には迷惑かけてるし......なんて柄にもない事を内心思いつつ、俺は目の前の女に問いかける。

 

 「お前はどうしたいんだ?」

 

 「え、私......?」

 

 「田中がやりたいんだったら受けるだけ受けてみればいいし、受けたくないなら受けなけりゃいい。それだけの話だろ?大体、お前に『アイドルやってみようと思います。どうでしょうか?』なんて問われても......『お、おう。せやな......』くらいしか答えられねえよ」

 

 一息にそう言うと、少しだけ残念そうな顔をして田中が俯く。

 

 「そっか......やっぱり私次第、だよね」

 

 「因みに、動機は?」

 

 「友達に言われて......『琴葉なら絶対大丈夫だから』って」

 

 「あらら......」

 

 どの世の中にも『絶対』なんてのは無くて、何も決まってない状態で『絶対』なんて言葉で励ましを送られても送られた当人は励ましどころではなくプレッシャーになってしまうことは良くあることなんだけど。

 しかし、田中は馬鹿みたいに真面目で正直で優しい人間だからそんな言葉もプレッシャーと同時に励ましとして享受していくのであろう。

 

 ま、そんな奴を目の前にして俺が言えることって言ったら、そうだな。さっきの言葉と、後は......

 

 「......田中さ」

 

 「?」

 

 

 

 

 これしかないわな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「見てくれが本当に可愛いよな」

 

 その瞬間、クラスの空気が固まったような感覚がした。さっきまで顔を向けていた田中はこちらを、まるで有り得ないものでも見るかのような表情で見やり、一言───

 

 「......え?」

 

 素っ頓狂な声を上げた田中に、わっしょいわっしょいモードへと頭のスイッチを切り替えた俺は更に言葉を続ける。

 

 「性格だってきっちりしてるし、俺が遅刻してきた時にはノート見せてくれるし、適度なツッコミが有難いし、こんな俺に話しかけてくれるし。外面だけじゃなくて内面まで完璧とか......あーもう、端的に言って最高。可愛すぎるでしょ。もう、本当に自重してほしいくらい可愛いわー

 

 自分でも何言ってるか分からないくらいに饒舌に舌が回る。そして、一点だけを見つめた視界からは、次第に顔を赤くして、引き続き、何を言えば良いのか分からない表情をした田中がいる。

 

 「な、え、北沢......くん、何言って───」

 

 そして最後に、目をぐるぐるさせてグロッキー状態になっている田中に座礼して、一言。

 

 「もう!ほんとに!田中さん最高ですッ!!

 

 そう宣言したのを最後に、俺は頭のスイッチをカチャリと切り替えて、本当に言いたかったことを言う。

 

 「まあ、オーディションやんなら気負わずいってこーい。心配しなくても何とかなるよ、田中は外面も内面もかっこかわいいんだからさ」

 

 俺は、過度な期待も応援もしたくなかった。そんなことを言ったって田中が気負うだけだということも、散々期待されることの苦しみも人並みに知っていたから。

 故に、俺は頭のスイッチを切り替えた。わっしょいわっしょいして、遠回しに田中にエールを送って、期待してない体を装って。

 俺は、そうして欲しかったから。

 昔───過度な期待をされることが酷く辛かったから。

 

 既に期待を背負わされている人間に更に期待を背負わせようとする程、俺は重い人間ではないし、そうありたくもないのだ。

 

 「......何が気負わずよ。人のことをこれでもかってくらい弄んで......北沢くんの馬鹿っ」

 

 と、まあ過去の回想やら何やらをしていると、赤面しながら怒り顔で田中さんにそう言われた。そして、それを聞いた俺は、その怒り顔が何時ものクラスメイトの『田中琴葉』に戻ったことに少々安堵する。やっぱ、田中はそうじゃないとな。張り合いもないし、つまらない。

 

 「事実だろ。田中は本当に自己評価が低いんだからな。もっと自分に自信を持て」

 

 「......別に自己評価なんて普通だと思うけど。それに自己評価云々なんて、そんなこと北沢くんには絶対に言われたくない」

 

 そう言うと、田中はそっぽを向いて授業の支度を始める。やたらと周りの騒音が五月蝿い。

 

 「自己評価......ねぇ?」

 

 俺の自己評価......そう思い、考えてみる。

 

 「自己評価もなにも、俺は世界に名を残す程の遅刻魔でっせ?周りからは不良生徒と見なされ、煙たがれ、石崎に『野球やろうぜ☆』って誘われる.....馬鹿だろ?」

 

 うん、我ながら完璧な自己評価だ。周りの奴ら(いしざき)の話を盗み聞いた周りの俺に関する評価を上手く纏めた最高の自己評価。

 これに追随する程の自己評価はないだろう.....!と自分でも訳が分からない程の自信を持った状態でそう言うと田中は『やっぱり』と言いたげな表情で俺を見る。

 

 「自己評価が低いのは北沢くんの方だよ」

 

 端的に言うと、ジト目。そんな目付きを向けられた俺はというと、それはそれは穏やかな天気なのにも関わらず、自らが完璧だと思った自己評価を否定されたことによるショックから、どんよりとした面持ちで机に頭を下げる。

 有り体に言って、惰眠を貪ろうとしたのだ。

 

 「あ.....こら、惰眠はさっき貪ったばかりでしょう」

 

 「田中の言葉で俺のハートがブレイクした。惰眠30分を希望するっ」

 

 「何処の豆腐メンタルよ.....」

 

 さあな。

 

 俺にだってわからんよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ☆☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「おい、啓輔!!あれはどーいうことだよっ!!」

 

 いつも通り、惰眠を貪っているとふとそんな叫び声と同時に肩を揺すられる気持ち悪い感覚が俺を襲う。その感覚に、惰眠を妨害された俺はストレスマッハの状態で石崎を見据える。

 

 「ああ......?折角の惰眠をごツイ手で妨害しやがって......お前は俺の嫁かっ!」

 

 「おい啓輔。お前本当に1度病院に逝った方がいいんじゃねえのか?」

 

 真面目に返された。なんだろう、凄い悲しい。

 

 「今日一日学校はお前の告白騒動で持ち切りだ。一体お前に何があった!?何がお前をそこまでにした!?俺、お前をそんな子に育てた覚えないよっ!?」

 

 逆に聞きたい。

 

 告白騒動とはなんだ。なんでお前がそこまで盛り上がっている。そして、お前は俺の母親なのか?

 

 「知らんがな、俺が聞きたい」

 

 「知らないなんてこたぁねえだろう!!現にお前の口から発せられた言葉なんだからな!!」

 

 「うっせーうっせー」

 

 喧しい声に抗うかのようにそう言うと、石崎が俺の両肩を掴んで続ける。

 

 「お前......もしかしてスイッチ切り替えたのか?」

 

 「あ?」

 

 続けて石崎が俺のネクタイを解きにかかる。やめろ。何がとは言わないが誤解されるだろう。

 

 「スイッチだよスイッチ!!」

 

 「生憎それを買ってやる金も甲斐性も俺にはない」

 

 「誰が任〇堂の話してんだよッ!!テメーの脳内のスイッチの話をしてんだよ馬鹿ッ!!」

 

 そう言って俺を罵る石崎。果たして俺は今月で何回バカと罵られるのだろう。

 それはそうと、周りの喧騒にも似た噂話と、石崎の鬼気迫る迫真の声色でようやく今、俺が置かれている状況が分かってきた。

 どうやら、過去に俺がしでかした田中さんわっしょいわっしょい事件(自称)により、俺の一連の行動を告白と勘違いした輩があることないこと学校中に広めまくっているらしく、石崎曰く、校内はその噂で持ちきりらしい。

 ふむ、参ったな。

 俺としてはどう噂を広められようが一向に構わないのだが、田中にとってはよろしくないだろう。何せ、今、まさにアイドルになろうとしてる自他共に認める真面目少女だ。これから先、彼女がアイドルになろうがならまいが、この噂は彼女にとっては傍迷惑なものとして残り続けるだろう。

 人の噂も七十五日とはよく言うもので、実際は噂なんてものはそのままにしていたら一生囁かれ続ける。俺は、確かに不真面目、不勤勉、不誠実と悪い性格ばかりが先行する阿呆だが、人様に迷惑だけは極力かけたくないのだ。

 故に俺はこの噂を撲滅するべく1度改まり、石崎を見据える。

 

 「......石崎、俺はどうしても切り替えなきゃ行けない理由があったのさ」

 

 「......聞こうじゃないか、その理由とやら」

 

 「俺はあの時......田中から発せられる空気を察したんだ。そう......あれは、凄かったッ!!」

 

 「な......何だとッ!?お前、いつの間に空気を読めるように───」

 

 「そう......あの、自己評価の低さから発せられる鈍感少女としての1面......そして、それを聞いてしまった俺の何か言わなきゃいけない雰囲気......!」

 

 それを聞いた石崎は涙を流す。流石、感受性とハンカチと嘘泣きには定評のある石崎だ。俺の言葉にいとも容易く涙を流してくれた。

 

 「お、お前......お前って奴は!」

 

 「人は、成長する生き物なんだよ......!それなのに、成長したと思ったら直ぐに茶化される!そんなの認められると思うか!?」

 

 「そんなの、そんなの嫌だッ!!折角啓輔がひとつ大人になったのに!心無い一言でまた啓輔の成長の機会が奪われるなんて......耐えられないッ!」

 

 「じゃあ、お前は俺に何をしてくれるんだ......?」

 

 締めの一言。俺がその言葉を口にすると、石崎は何処ぞの熱男よろしく拳を突き立て、一言───

 

 「噂をしてた奴を片っ端からアンパンチしてくるッ!!」

 

 「よし、逝ってこい!」

 

 そう言うと、石崎は親指を立てて廊下へと出ていった。『アンパンチ!!』やら『熱男ぉぉぉぉ!!』なんて言葉が聴こえてきたがここは無視だ。関与していない風体を装い、石崎が拳で噂を根源から叩き切る。そして、俺が惰眠を貪っている間にも噂は消えている。

 

 クラス1の人気者である石崎だからこそできる芸当だ。お世辞にも頭がよろしくはない石崎の事だからきっと誰かに咎められるまで物理的にアンパンチを繰り返し、黙らせる事だろうが。

 

 ありがとう、石崎。心の中で感謝を込めて敬礼をすると、後ろから声がかかる。

 

 「へー、私が鈍感少女かあ」

 

 その女の声は、聞き慣れた声なのに何故か寒気がする。そう、それはまるで妹に怒られている時のような、そんな感覚。そして、こういった事項が俺を襲った時、俺という人間はその事項に対し、為す術もないという事を俺自身が1番知っていた。

 

 「あ、いや、えーっと......」

 

 「北沢くん」

 

 何故か、デジャブを感じる。次に田中から発せられる言葉を俺は予知していたのかもしれない。予知......否、そんなものでは無い。寧ろやられ慣れてるとでも言った方が正しいのか。

 田中は、クスリと笑って一言────

 

 「正座」

 

 その瞬間、俺の膝は力が抜けた。糸でも切れたかのように───

 

 「先ずは、一言。言わなければ行けないことがあると思うんだ」

 

 ああっ......凄い。誘導の仕方まで妹とそっくりだ。こんなの抗いようがないじゃないかっ。そう思った瞬間、俺は誰に操られるまでもなく田中の方へ向き直り田中を見上げる。

 

 マルサルヘアーとでも形容すべきロングヘアーと年相応に整ったスタイルが目に毒だ───なんて事を頭の中で考えつつ、俺は頭を下げる。

 

 「自分、調子乗ってました。幾ら田中が可愛いからってそれを公衆の面前で......あまつさえ石崎には鈍感少女なんて......ごめん、田中は少女じゃなかった。立派な女だったよな......」

 

 そう言うと、田中は左手で顔を覆って首を横に振る。

 

 「突っ込んでいるのそこじゃないんだけどなあ......」

 

 「ええっ」

 

 なら、何を謝ればいいんだ。俺は、それ以外に失礼な事を言ったのだろうか。

 

 「それに関してはもういいけどっ。本当に今日一日どうしたの?今日の北沢くん......何だかおかしいよ?」

 

 おおう、どストレートな回答ありがとうございます。そうです、今日一日俺はおかしいんです。切り替え不可能なスイッチを志保の馬鹿が押しちゃったんですよー。『お兄ちゃん調子に乗っちゃう』スイッチ......おえっ、自分で言ってて気持ち悪くなってきた。

 

 「......済まないな。ただ、田中迷ってるみたいだったからさ」

 

 先程のお兄ちゃんスイッチは兎も角、それに関しては本音だし、真面目だ。目の前の何かに困った友達を何とかしてやりたいと思うのは俺の良心であり、心の奥に今でも決めている事だ。問題は、『何とかしたい』の方法だったわけなんだけど、流石に公衆の面前でわっしょいわっしょいするのは駄目だったな。反省しなければならない。

 

 「......心配、してくれたの?」

 

 「そらそうよ。新しい何かに挑戦するって凄い勇気のいることだから生半可な気持ちじゃ出来ない。それを俺の隣の席の奴さんがやろうとしてる......正直、大丈夫かと、そう思った」

 

 心配はしている。だからこそ、無責任に頑張れなんて言いたくなかった。若干ひねくれててもあの時のやり方があの時の俺の最適解だった。まあ、それも結局は不発だった......故にこうして正座させられているわけなんだが。

 

 「.....そっか」

 

 かくして、俺が正座をしながら過去のわっしょいわっしょい作戦を懺悔していると田中は、何かを考える素振りを見せる。

 

 「私......アイドルやるって言って、否定なんてひとつもされないでみんなに頑張れって言われてる。友達にも、家族にも、先生にだって。感謝してる、私のやることを肯定してくれて、反対も特になかった周りの人達に感謝って言葉じゃ足りないくらい......そう思ってる。だからこそ、期待に応えなきゃって......私は思ってる」

 

 「ああ、お前ってばそういう人間だったよな」

 

 北沢啓輔という人間を1括りにして考えるのなら、10人中10人は『馬鹿』って言うだろう。基本馬鹿で、遅刻魔で、寝坊助。ぞんざいな性格の割に頼られたら調子に乗っちゃう駄目兄貴。

 だけど、それが『俺』としての人物像でありあるべき姿だ。俺のアイデンティティなんだ。

 

 ならば、この目の前にいる女のアイデンティティってのは?田中琴葉の人物像ってのは?

 田中は『真面目』だ。故に男女共に人気があるし、周囲の期待も相応に受ける。

 

 普通の人間ならプレッシャーにしか感じないであろう一言も、田中は励ましとして受け取るであろう。現に俺のようなひねくれた奴の言葉も、心配として受け取ってくれた。

 

 田中琴葉という女はどこまでも『真面目』だ。そして、周囲の期待には応え、言われたこと、成すことは全て100パーセントの準備を以て100パーセントの力で遂行する完璧主義。

 田中琴葉はそういう人間だったんだ。俺とは違う、周囲の期待に対して投げやりになった俺とは確実に違う。彼女は周囲の期待をも力にしようとする。

 

 彼女はきっと、表舞台に立つことに向いている。直感的に、俺はそう思ってしまった。

 

 ならば、俺はどうする?俺も『頑張れ』なんて言って彼女を応援するか?

 

 答えは、否だ。

 

 言っただろう?北沢啓輔は『馬鹿』なんだ。だからこそ、模範解答が近くにあったとしてもそれを答えずにひねくれた回答をしてしまう。だからこそ、俺は何度も田中の事を褒めちぎるであろう。

 

『やるならやってみたらいい』

 

『やらないならやらなければいい』

 

『田中は可愛い』

 

『アイドルに向いている』

 

『最高です』

 

『気負わずいってこーい』

 

 そんな、1度は言われてみたかったであろうキーワードの1部を田中に言う。世間では、これを投影とでもいうのだろうか。はたまた感情移入か。

 

 ただ1つ分かることは、田中から見て、俺は先の質問に対してどっちつかずの解答をしてしまっていることは確かだったということだろうか。他ならぬ俺がそう感じている。

 

 「時に、田中よ」

 

 「え?」

 

 「お前は、俺に応援してほしいか?それとも、応援して欲しくないのか?」

 

 何気なく、そう発言した俺に田中はきょとんとした目を向けて、答える。

 

 「......どうだろ、だって北沢くん。仮に応援するって言ってもまた私の事を困らせそうだし」

 

 「ほう、わっしょいわっしょい作戦をしてほしいと」

 

 「そんなこと1度も言ってないっ」

 

 お互い会話を交わし、怒り、笑う。

 

 そんな不思議な感覚に身を任せるかのように、俺は言った。

 

 「アイドルになったら、応援してやるよ。それまではただの一般人だからな。応援する道理がない」

 

 だから、と続ける。

 

 「アイドルになる為に.....気負わずいってこーい」

 

 北沢啓輔は北沢啓輔らしく、目の前の『アイドル志望』に、高らかに拳を突き上げ、エールにすらならないエールを送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第5話 時と場所と状況は考えて

 「受かった」

 

 その言葉を聞いた俺は、少しだけ笑みを見せる。やはり、俺の目に狂いはなかったといったところか、なんて内心格好付けて見た所で何かが変わるわけでもなく、俺は普通に田中を賞賛する。

 

 「ほう、良かったじゃあないか。ならば、晴れて俺はお前さんのファンだ。第1号だ」

 

 拍手を2度して賞賛すると田中は少しだけ目を瞑り、話題転換。

 

 「それよりも驚いたことがあるの」

 

 「聞こうじゃないか」

 

 「北沢くんの妹さんがいた事」

 

 「おお、志保に会ったのか。どうだ、可愛かったろ」

 

 志保は自慢の妹だからな、と胸を張って言うとため息を吐いた田中が少ししんみりした様子で俺に言う。

 

 「ええ、可愛かったわ。可愛かったけど......」

 

 「無視されたか」

 

 「それはもう、見事にね」

 

 志保のやつ、まさかアイドルになって早速孤立しているんじゃなかろうな。心配だ。実に心配だ。

 

 「もし良ければ、志保のこと気にかけてやってくれ。同僚としてで良いから、会った時に挨拶......ああ、それでも無視するようだったら俺の名前を使ってくれて構わない。『アンパンチ』って言ったら多分仲良くなれるはずだからさ」

 

 一息にそう言う。すると、田中は呆気にとられたような表情をした後、クスクスと笑みを零す。

 

 「一応、真面目に考えたつもりなんだがな......」

 

 「ご、ごめんごめんっ。あんまり北沢くんが妹さんの事を気にかけるものだから思わず......」

 

 尚も笑い続ける田中を見て、俺は珍しく大きなため息を吐く。

 

 「まあ、いい。俺はシスコンでブラコンだからな」

 

 「え、マザコンは?」

 

 「断じて違う、とだけ言っておく」

 

 俺は母さんには感謝しているけど、マザコンじゃない。覚えとけ、ここテストに出るから。

 

 「それにしても......田中がアイドルかぁ」

 

 これから下積みを経て、様々な経験をして、ステージに経って、色んなことをするであろう将来性抜群な女が目の前にいることが、何だか想像出来ない。いや、実際アイドルが目の前にいるのだ。自覚しろよ北沢啓輔。

 

 「どうかしたの?」

 

 「いや......悪いけど田中がアイドルになったってのが未だに想像というか、自覚が出来なくてな......」

 

 「それは......ほら、まだ私見習いのようなものだし」

 

 「そうじゃない。いや、そうなのか....?」

 

 まあ、アイドルの友達なんて俺にいる訳でもなし。そんなもの何れ自覚するであろう。頭の中でそう自己完結させた俺は先程までの思考を放棄し新たな悩み───今日の晩御飯について頭を悩ませることにした。

 

 「さて、今日の晩メシどうしようかな......」

 

 そう呟き、チラシを取り出すと田中が興味深げにこちらを見る。

 

 「北沢くん、やっぱり買い物とかするんだ」

 

 「母子家庭だしな」

 

 何が高くて、何が安いのか、特売とか、それくらいの事は分かっとかないと買い物とか行けない。最初はノープランで買い物も行ってたけども、母さんにお金の使い方の大切さを学んでからはこのスタイルが身に染み込んでしまった。

 

 「お前も買い物くらいはするだろ?それと大差ねえよ」

 

 「ふーん......そんなものかな?」

 

 「そんなもんだ」

 

 まあ、俺の場合家事は志保との交代制だったからそこまで大変ってわけじゃないし、寧ろ家事とか色んなことが一人暮らしをする前に経験できるのは物凄く有難い。いずれは俺も一人暮らししなきゃいけないしな。何時までも実家ぐらしじゃ、母さんに面目が立たない。

 

 ふむ、野菜と鶏肉が安い。

 

 家にはルーがある。

 

 「よし、今日はシチューだな」

 

 「シチュー......」

 

 「そう、シチューだ」

 

 クリームシチューの濃厚な甘みと旨み。1度口に含んだら最後。病みつきになるあのクリームシチュー様だ。おおっ、考えたら涎が。腹も減ってきたな。

 

 時計を見てみると、時刻はちょうど昼休みの中盤。そろそろ飯を食わないと5時限目の授業に間に合わなくなってしまう。

 

 「さて、メシだメシ」

 

 俺は何かを考える素振りをしている田中を尻目に、自らの作った卵焼きに齧り付いた。

 

 うん、しょっぱいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ☆☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、長かった5時限目と6時限目の授業も終わり、俺と田中は早々に帰り支度を済ませていた。

 

 「んー......眠いなぁ」

 

 マトモに授業を受けたため、酷く身体がダルい。どうしてこうなったのかというと、惰眠を貪ろうとしたら田中に拳骨喰らったの一言に尽きる。

 クソッタレめ......と誰に言うまでもなく、悪態を突いていると田中が相も変わらず呆れたような視線を送り、俺に問いかける。

 

 「本当に......どうして北沢くんって授業中にそこまで寝ることが出来るの?」

 

 「田中......それは授業がつまらないからだよ!!」

 

 「それを両手を広げて高らかに言われても反応に困るんだけど......」

 

 何でさ。自分の主張を述べたまでだろ。

 

 「大体、授業はつまらなくても受けるものでしょう。学費だってかかってないわけじゃないんだから......」

 

 「う......」

 

 それを言われると弱い。

 

 「せ、せやな......これからは真面目に受けられるように頑張ってみるよ......」

 

 目を逸らしつつ、冷や汗をかきながら俺は苦し紛れにそう言う。その間に、前をチラリと見ると、田中は「じー......」とまるで擬音が付くかの如く、俺をジト目で睨んでいた。あ、なんだろ。ドキドキが止まらない(恐怖)

 

 「......ど、どうしたんだよ田中っ。俺はしっかりと授業を受けられるように頑張る。それでいいだろっ」

 

 そんな変な高揚感を胸に、そう言うと田中は先程のジト目を変えることなく一言───

 

 「『頑張る』っていうのが怪しすぎる」

 

 「即答ゥ───!?」

 

 間髪入れずに言われた言葉に思わずツッコミを入れる。出した当人である俺も吃驚のツッコミスピードだ。

 

 「だって、北沢くん何回も同じ事を言って直した試しなんて1度としてないじゃない」

 

 「失礼な。これでも最近は寝坊助直そうと頑張っているんだぞ」

 

 「北沢くんの場合そろそろ『頑張り』じゃなくて『結果』が求められる年頃だと思うんだけど......例えば、何をしているの?」

 

 ふむ、それを掘り下げて聞いてくるか。まあ、いい。嘘はついてないからな。ここ1週間で俺が行動したこと全てを洗いざらい話してやろうではないか。

 

 「月曜日に目覚まし時計をふたつにして、火曜日にオールナイトしてみた」

 

 「うん」

 

 「水曜日は、朝飲むコーヒーの量を2倍にしてみたり、木曜日には朝飯を作った後に妹に抱き着いて志保成分を吸収しようとしたら抱きつこうとした右手の上から何処ぞの宮〇も吃驚のジョルトカウンター喰らって失神した」

 

 「......ちょっと待って」

 

 「金曜日には、陸......弟に起こしてもらったりとか土曜日には、今まで行った全ての事を同時にやったりもした」

 

 「突っ込みたい......本当に色々突っ込みたいけど我慢しなきゃ......」

 

 何やら田中がぶつぶつ言いながら頭を抑えているが、ここまで言った以上最後まで言わなければ気持ち悪い。

 

 「んで、日曜日に最終手段で志保に寝起きを襲ってくれないかと頼んだら、何やら物凄い目付きで睨まれてハイキックからの肝臓打ちされて最後には───」

 

 「ごめん、話は変わるんだけど」

 

 唐突に話を切り替えられた。

 

 「おい、お前が切り出した話だろ。責任持って最後まで聞け」

 

 内心穏やかではない俺は早口に捲し立てる。すると、先程まで無表情だった田中が少しだけ顔を引き攣らせる。

 

 「聞くに堪えない話だったから......大体、妹にジョルトカウンターされる兄って一体」

 

 「そこは置いとけ。大体は俺のせいだから」

 

 現に志保があそこまで冷酷な目付きだったりジョルトカウンターを俺に噛ますようになったのはしっかりとした原因がある。

 そもそも、志保は赤の他人にあそこまで過激な攻撃はしない。基本は他人に無関心であり、深く関わろうともしない。それ故に距離を感じる時もあるし、それが心地好く感じる時もある。

 その距離を、どう思うかは接したやつ次第だ。それくらいでいいと思うやつもいれば、嫌だと思って踏み込む奴もいる。

 

 「北沢くんの......せい?」

 

 「ああ」

 

『北沢志保』という人間がどういうものなのか、そんなことは今は関係ない。今、説明補足が必要だったのは『北沢志保』が『北沢啓輔』という人間にどうして遠慮ない性格になってしまったか、だったな。

 

 「まあ、端的に言ってしまえば家族だから、なんだけどね」

 

 他人では、思わず自重してしまうような事も家族なら遠慮なく出来る。

 俺が、他人にあんまり関わろうとしなくても志保、陸、母さんにはとことん関わる。それは『家族』が俺にとって心を開ける存在だから。

 

 それは、恐らく志保も同様でその表現の仕方が俺に対する罵倒であったり、照れ隠しのジョルトカウンター、肝臓打ちだったり、時たま見せる優しい笑顔だったり、マッサージだったり。たったそれだけの話なんだ。

 

 「田中だって、家族になら心を開いてある程度のことは言えるだろ?それは何でだと思う?」

 

 「......信頼、してるから?」

 

 「それがお前の問いの答え......だと思うよ。うん、寧ろそうじゃなかったら泣く。自宅の押し入れでおいおい泣く」

 

 「何処の現代文よ......」

 

 そう呟いて、田中は帰り支度を済ませた鞄を肩にかけて、立ち上がる。

 

 「......何だか無性に美味しいシチューを作りたくなってきた。そろそろ俺行くわ!!」

 

 俺は、その時衝動に駆られた。

 

 必ずや志保の舌を唸らせるシチューを作り、家族の......主に志保の笑顔を見る為に。家族の笑う姿を想像し、やる気に満ち溢れた俺が今にも外へ行かんと歩き出すと、その足を不意に発せられた田中の声が止める。

 

 「.....北沢くん」

 

 「?」

 

 不意に立ち止まり踵を返した方を振り向くと、田中が真顔で俺に尋ねる。その姿に、自分の頭の中にあるスイッチ......『真面目』スイッチがカチャリと音を立てたような感覚が俺の体を無意識に真顔にさせた。

 

 「その......買い物なんだけど」

 

 「買い物?」

 

 俺が、そう言うと田中はまるで一大決心でもしたかのような決意のある表情と声色で俺に一言───

 

 「私もついていっていい?」

 

 そう言って、俺以外の周りの時を一瞬止めた。

 

 

 

 

 

 

 

 あー、なんだろ。

 

 買い物についていくのは別に良いんだけどさ。

 

 「そんな一大決心したかのような表情で言われても......」

 

 「う」

 

 「それに......お前、俺と一緒に買い物行って何がしたいの?」

 

 俺と買い物行って、メリットがあるのならそれを是非聞いてみたいのだが。

 

 「......あ、勿論目的はあるよ。私料理は出来るんだけど北沢くんみたいに材料とか、そういったものをチラシとかみたりして本格的にシチューを作ったことはなくて」

 

 ......ああ、成程ね。

 

 「つまり、俺が何を意識してシチューの材料を買っているのか知りたいと」

 

 「うん、個人的に気になるんだ。普段は適当な北沢くんがどんなことを思って買い物をして、どうやったら美味しいシチューを作れるのか」

 

 「......別に俺、料理ができるなんて言ったつもりないんだけどな」

 

 本当に。田中琴葉という女は北沢啓輔の事をどこまで知っているのだ。

 名前から始まって、バイトのことまではいいとして。料理が美味しいなんて情報、俺ですらそんなに聞いたことがない。

 あれか、また石崎か。

 

 「石崎くんから聞いたよ。『啓輔の料理は美味いんだよ......特にシチューがっ!』って」

 

 石崎の真似なのか身振り手振りを使って石崎の真似をする田中。流石、演劇部と言ったところか。滅茶苦茶似ている。というか、可愛い。

 

 後、情報をまたお漏らしした石崎は処す。

 

 「......分かった。まあ、大したことは説明出来ないだろうけど付いてきたいなら付いてこい」

 

 「本当?」

 

 「嘘はつかない。ああ、後......」

 

 「どうしたの?」

 

 「次から、一大決心する時と場所と状況は考えような。それから、石崎の真似はめっさ可愛かったぞ」

 

 まあ、どこで何言おうが自由なんだけど。そう最後に付け足してバッグを肩に背負うと、田中が固まる。

 

 「......おーい、田中?」

 

 身長柄、田中を少しだけ見下ろす形でそう尋ねると、ようやく田中が動き出す。

 

 「......ぁ」

 

 「あ?」

 

 言葉の意味が分からず、再度尋ねる。

 

 すると、田中はあっという間に顔を赤く染めてそれはそれは見事なまでに狼狽した。

 

 

 

 

 「ああああああ」

 

 目をぐるぐるさせて、何処ぞのポンコツアンドロイドも吃驚な位に壊れてらっしゃる。ここまで壊れた田中は初めてだ。

 

 結局、出発する為に田中を正常な状態に戻す必要があったため、あれから1時間は学校を出ることは出来なかった。

 

 

 

 

 

 ☆☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 「穴があるなら潜りたい......ッ!」

 

 学校からスーパーへの道すがら、田中は両手で顔を覆いながら重い足取りで歩いていた。

 

 「あのさぁ......そんなに後悔するなら言わなければ良かっただろうが」

 

 「だ、だってあの時は周りのことよりも自分のことばかり頭にあって......!」

 

 「それを何とかしろって話だよ」

 

 自分のやりたいことに一途なのは大いに結構だけれども、時と場合と場所は考えほしい。そうしなければ田中自身が近いうちに痛い目を見る。

 それが分かっているのに、言わないほど俺は薄情ではない。まあ、石崎にアップルパンチする程には冷たいが。

 

 「知らず知らずのうちに周りはあたかも俺達が放課後デートするかのように盛り上がってたし。こりゃあ石崎に噂を撲滅させる必要があるかもな」

 

 石崎ならば、きっとアンパンチで......あ、無理だ。職員室に連行されたって石崎に怒られたばっかりだった。ああなってしまった石崎は暫く口を聞いてくれないんだよな。まあ、数日経ったらまた『野球やろうぜ!』って話しかけてくるんだけど。

 

 というか、実際この状況ってデートだよな。勿論、そうは思いたくないし、田中となんて考えてすらいない。ただ、客観的に見たらこの状況は完璧にデートだと思われる。俺がこの状況を第三者の視点で見たら『リア充爆ぜろ!わっほーい!』って取り敢えず煽ると思う。

 

 「......石崎くんって本当に北沢くんのこと色々知ってるよね」

 

 「まあ、小学校の頃から同じクラスだしな」

 

 奴とは、切れても切れぬ仲なのかもしれない。小学校、中学校とクラスは同じ。高校も同じ学校で同じクラス。

 ただひとつ、決定的に違うのはアイツが野球部のエースで、俺が帰宅部って事だ。

 

 「石崎は陽キャ、俺は陰キャ。光があれば、影は鮮明に映し出される......」

 

 「最高のコンビってこと?」

 

 んなわけねーだろ。

 

 「光が憎たらしい。あー、もう石崎さん勘弁してくださいよ......って所だな」

 

 「貴方って人は......」

 

 田中は1度、俺を冷めた目で見つめると続ける。

 

 「野球、やってたんでしょう?石崎くんと。どんな人だったの?」

 

 どんな人だった、か。

 

 それはお前のイメージ通り───

 

 「何処までも底抜けに明るくて、それでいて天才。何でもできるといえばできるし、実際アイツは高校からの推薦もあった」

 

 最初のスカウトは、恐らく現在も最強の強さを誇るであろう在阪の高校。

 最後のスカウトは、関東の強豪校。

 兎に角たくさんの高校から推薦が来ていたし、石崎の力なら、セレクションだって受かるはずだった。

 だけど、アイツは全ての高校の誘いを断った。そして、今は無名の高校を県内でも随一の強豪校に仕立てあげ、奮闘中である。

 近々、石川から良い選手が来るらしい。彼の野球部強豪校計画は順調に進んでいる。

 

 俺、『北沢啓輔』から見た『石崎洋介』ってのは。

 

 「馬鹿みたいに優しすぎるんだよ。アイツは」

 

 そして、そんな優しいやつのひとつの道......可能性を、俺はぶっ壊したんだ。

 

 「優しい......か。確かにそうかもね」

 

 「何が確かなんだっての」

 

 「だって、石崎くん北沢くんの事を本当に楽しそうに話すから」

 

 「面白がってんだろ」

 

 「それもあるかもしれないけど......何か、そういうの良いよね。言いたいことを言える友達が近くにいる事ってなかなかないし、出来ないことだから」

 

 

 

 

 

 ......

 

 

 

 

 

 言いたいこと、か。

 

 「お前にもいるだろ。そんな事を言い合える友達は。それに、田中はこれからアイドルになるんだぜ?沢山の人と切磋琢磨していく過程で、そんな友達沢山出来る」

 

 「......そういうもの、かな?」

 

 「そういうものだよ。だから、一先ずは俺の言うこと信じとけ。騙されたつもりでな」

 

 やがて、スーパーが見えてくる。辺りはまだまだ明るいが、季節は冬。故に暗くなるのも早くなる。

 一時とはいえ、女の子と共にいるのだ。早く用を済ませて、早く帰らせなければ田中のご両親が心配するだろうし、俺だって志保の冷たい眼差しを浴びせられることになる。

 

 「話は変わるんだけど、北沢くんって何時から料理を始めたの?」

 

 スーパーに入店して、買い物カゴを取ると後ろから付いてきた田中が俺の横に立ち、尋ねる。

 

 「小3」

 

 「成程、小3......って。ええっ......!?」

 

 田中が驚いた声を上げる。そこまで驚くようなことを言ったか。

 

 「しょ、小3から料理を始めたの......?」

 

 「ああ」

 

 「ってことは、火を......?」

 

 「馬鹿言え、そんなの母さんが許してくれるか。何の変哲もない即席デザートだよ。牛乳とそれを混ぜたヨーグルトみたいなの」

 

 名前を忘れた。確かあれって......フ......ルーツ?だっけ。いやいや、フルーツってまんまフルーツじゃん。

 兎に角、あれが初めての料理と呼べるものだった。1人で作ったそれはとても美味しかった思い出がある。妹も、純真無垢な笑みで美味しいって言ってくれたよな。

 

 多分、そこから料理に興味を見出したんだろう。

 

 「そっから少しだけ間が空いて、本格的に料理をするようになったのは中学校の部活を引退した頃......だっけかな?志保に教えてもらったりして上達した」

 

 いやあ、師の大切さが分かった瞬間だよね。教えてくれる人が良ければめきめき上達する。今の自分の料理スキルがどれだけなのかは分からないけど、少なくともまだまだ料理が下手くそだった時に味見をしてくれた志保の顔が青くならなくなる位には上達したと思う。

 

 「田中は?」

 

 俺が興味本位で尋ねると、田中は顎に手を添えて考えるポーズを取る。ちくせう、いちいち行う表情や仕草が画になりますよね。流石アイドル見習いといったところか。

 暫く、考えていた田中は不意に思い出したのか手をポンと叩く。

 

 「確か小学校6年生の頃、かな。友達にクッキーを焼いたの。丁度バレンタインの日だったから」

 

 「ほー、田中がね」

 

 意外だ。いや、女の子にしてみたら普通か。友チョコとか色々あるもんな。

 それにしても、バレンタインか。そんなことを思いながら特売のジャガイモ、人参をカゴに入れる。

 

 「北沢くんは、バレンタインとか......なにか貰ったりした?」

 

 「あー、あれか。ああ、それなりに貰ったぞ」

 

 妹がチョコをくれる。

 

 弟がチョコをくれる。

 

 石崎が、『ほもちょこ!』とラッピングしてある封に書いたチョコをくれる。

 

 それから......

 

 「大変だよな、あれ。下駄箱にチョコを沢山ぶち込むなんて。あれ、1回いじめかと思ったんだからな」

 

 下駄箱を開けた瞬間にドバドバとチョコが溢れ出た時はクラス中が殺意に満ち溢れた目付きを向けるわ、石崎にからかわれるわ、妹に不機嫌になられるわで本当に大変だったんだからな。もう二度とあんな思いはしたくないものだ。

 

 「あれこそお菓子メーカーの陰謀だ......ううっ!寒気がするっ......と、どした田中。そんな鳩が豆鉄砲くらったかのような表情して」

 

 「......ご愁傷さま、だね」

 

 「は?」

 

 「何でもない、買い物の続きしよっか」

 

 「お......おう?」

 

 何故か、田中に呆れられているかのような顔つきをされたのかは分からないが、まあいい。俺はシチューに必要なベーコンを買うために歩を進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ☆☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 北沢啓輔という人間は、限りなく家族想いだった。

 

 今日1日過ごして、北沢くんについてわかったことはそれだった。

 

 北沢くんの口から発せられる思い出には沢山の家族の思い出が詰まっていて、それを聞いた私は自然と笑みが零れてくる。

 

 「んー......りっくんの人参嫌いは筋金入りだからなぁ......出来ればシチューには入れてやりたくない。だけど食べてくれないと将来困るし......複雑だ......」

 

 今も、北沢くんは家族の為にあれやこれや考えている。好み、苦手、栄養、バランス。今の北沢くんの選択にはしっかりとした責任があって、とても好感が持てた。

 

 ならば、他のこともしっかりとやれるのではと考えて......止めた。

 

 北沢くんは『本当にやりたいこと』に関して本気を出す人間という事実が分かったからだ。

 曰く、北沢くんは家族が好きだ。だからこそ、家族の為ならバイトだって、料理だって、シスコンだって、ブラコンだってなんでもやる。

 曰く、北沢くんは学校が嫌いだ。だからこそ、不勤勉で、不真面目で、寝坊助なのだ。

 

 1年間弱北沢啓輔という人間に関わってきた私が、仮に北沢くんの素顔がどちらかと問われるのなら今の私は胸を張ってこう言う。

 

『家族のことを考えている北沢くん』と。

 

 それ程に、今の北沢くんは真面目で、誠実で、勤勉で、何より正直だった。

 学校にいる時の北沢くんの方が本物と言う人もちらほらいるかもしれない。理解出来ないわけじゃない。実際、以前の私......一年前の北沢くんの事を深く知らない私がそこにいるなら絶対に『学校にいる時の北沢くん』が本物だったと思うだろう。

 しかし、深く関わってくると『北沢啓輔』という人間を取り巻く色んなものが嫌でも見えてしまう。ニヒルな笑みで、軽快に持論を振りかざす北沢くんは偶にその笑みに陰を落とす。

 

 それこそ、例えるなら今まで付けていた仮面のようなものがぽろりと落ちてしまうような感覚───

 

 1度それを見て、何かおかしいと気が付いた。

 

 2度それを見て、『おかしい』ということを確信した。

 

 3度目からは、学校での北沢くんの表情が嘘ということに気が付いた。

 

 深く関われば関わるほど見えてくる北沢くんの素顔を知る度に、私の中の北沢くんのイメージは、容易く崩されていくのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「田中」

 

 「!?」

 

 不意に声が聞こえる。その声に驚いて、声のする方......前を見ると、そこにはエコバッグを腕にかけた北沢くんが怪訝そうな表情で私を見ていた。

 

 「レジ、終わった。そろそろ行こうぜ」

 

 「あ、うん」

 

 今日も今日とて、北沢くんは気だるそうなオーラを身にまとい私に話しかけてくれる。その何時も見せる気だるそうな表情は、学校にいる時や、他所向きに話している時に使う北沢くんの仮面で。

 

 

 何故か、ズキリと心が痛んだ。

 

 

 スーパーを出て、帰路につく。自然と歩く歩幅が違う為北沢くんが私の斜め前を歩く形が嫌で、歩くスピードを少し早めた。

 それに気付いた北沢くんはこちらを苦笑いして見つめる。

 

 「言ってくれりゃスピード落とすのに。悪かったな」

 

 「別にいいよ。元々私が無理言って付いてきたんだし」

 

 それに関しては本当だ。北沢くんは本来1人で買い物に行く筈だったのにお願いして付いてきてしまったのだから。余計な気を遣わせたかもしれないし、お邪魔だったなと思う。

 しかし、そんな私の心配を他所に北沢くんは続ける。

 

 「それこそ別にいいよ。買い物さえ出来れば何人いようが変わらないし。それに少しだけど話せて楽しかった」

 

 「そう、かな?」

 

 「ああ。だから気にすんな」

 

 一言、そう付け足して北沢くんは私の歩調に合わせながらゆっくり歩いていく。ちょっとした気遣いが、私にとっては少しだけ有難かった。

 

 「......あ」

 

 不意に、北沢くんの足が止まる。ピタリと、時でも止まったかのように。

 

 「どうしたの?」

 

 そう尋ねるも、返事はない。息をするのも忘れているかのように、反応しない。

 

 一体どうしたのだと思い北沢くんの視線を追ってみる。するとそこにあったのは公園のベンチと『折れた木製バット』だった。それは、単なる木製バット。野球をする為に作られた、北沢啓輔には何も関係のないバットの筈だ。

 しかし、北沢くんはそのバットに向かって歩き出す。その足取りは重く、何処か覚束無い足取りだった。

 

 バットを持ち上げる。右手にはグリップエンド側のバットを。左手にはもう片方のバットを。まるで、懐かしいものを見るかのように。それでいて、その表情は────

 

 

 

 酷く、物憂げだった。

 

 この時、北沢くんが何を考えていたのかは良く分からない。

 けれど、そのバットを見た北沢くんの表情だけは分かったし、その表情が芳しくないって事も私には理解できた。

 

 果たして、これは踏み込んでいい一線なのだろうか。

 

 私なんかが、踏み込んでいいのか。

 

 私には、分からなかった。

 

 そして、覚悟もなかった。

 

 やがて私の姿に気が付いた北沢くんは、折れたバットを持ったまま私に近付く。

 

 「道具は大事に、後処理もしっかり」

 

 「......え」

 

 「スポーツの鉄則だぜ。折れたバットをあんな公園に捨てて......子供が触っちまったらどうすんだよな」

 

 全く、けしからん......とおちゃらけた雰囲気で話しかける北沢くんに、以前のような雰囲気は感じられなかった。

 

 「......さ、そろそろ帰ろうか。田中だって門限とか色々あるんだろ?幾ら自分の為っていっても門限を守れなかったら自炊どころじゃないからな」

 

 「あ......そ、そうだね!時間が......うん」

 

 「お、おう。なしてそんなにしどろもどろになっているのか知らんけど......ま、いいか」

 

 この男は、自分がどんな顔をしていたか気づいていないとでも言うのだろうか。先程の雰囲気がまるで嘘とでも言うかのように北沢くんは歩き出す。

 そして、その後をついて行くかのように私も歩き出した。

 

 風が凪ぐ。一通り、話したことで会話のネタが尽きてしまった私達は、無言になり気まずくなる。

 この空気を何とかしたいと思った私は、知恵を振り絞り北沢くんに質問をする。

 

 「北沢くんは、もし大学に入れたら一人暮らしをするの?」

 

 何気なく、尋ねたその一言に北沢くんは考える。

 

 「んー......まあ、憧れではあるよな」

 

 「北沢くんにも憧れ、あったんだ」

 

 北沢くんの良い意味で人間味のある所がひとつ見つかった。一人暮らし、大いに結構なことだと思う。北沢くんなら、きっと一人暮らしもそつなくこなしそうだ。

 尤も、一人暮らしをする前に寝坊助な面だけは直さなければならないのだけれど。

 

 「だって、あれだろ?1人でムフフな本読んでも誰にも咎められないじゃん。あれ、結構困るんだよね......よく、石崎が回覧板よろしく回してくるんだけどさ」

 

 一気に冷めた。

 

 「......いやらしい」

 

 「悪い悪い、ちょっとしたジョークだよ」

 

 「ジョークでも言っていいことと悪いことがあるよっ」

 

 大体、女の子の前でそんな......アレな話をするのは如何なものなのだろうか。北沢くんのデリカシーの無さを心底恨む。

 

 「......まあ、ムフフな本は兎も角として一人暮らしは何時かしなきゃな。何時までも家族と一緒にって訳にも行かないし、俺が独り立ちすれば家族は楽になるはずだから」

 

 「家族と一緒に居れなくなって寂しくないの?」

 

 北沢くんはブラコンでシスコンの筈だ。そんな北沢くんにとって妹と弟と定期的に会えないのは辛いのではないか。そう思い、声をかけると北沢くんはひとしきり笑って私を見やる。

 

 「そりゃあ寂しいけど......それも含めて家族だろ。大丈夫、俺はアイツらから既に沢山幸せ貰ってるから」

 

 「幸せ......?」

 

 「そー、幸せ。例えば、作ってくれた飯を残さず食べてくれたり、編んだりしたマフラーとかを着てくれたり、偶にマッサージしてくれたりとか......そういうのって、些細なことだけど物凄い幸せなんだ。そんな幸せを俺はもらってるから大丈夫。十分だ」

 

 「......そっか」

 

 「それにしても、お前が心配してくれるなんて珍しい事もあるもんだ。今日は槍でも降ってきそうだな」

 

 「ちょっと待って。なんで私が北沢くんを心配したら槍が降ってくるの!?」

 

 「いや、だって田中は普段俺の身の心配しないでバンバンチョップ放ってくるじゃん。ただただ珍しいなー......って思っただけだよ」

 

 「そんな事ないっ」

 

 北沢くんの言葉に何処か腹に据えかねるものを抱いた私は思わず身を乗り出して北沢くんを見る。それに驚いた北沢くんは思わず『うおっ』と声を上げて、仰け反る。

 

 「私は北沢くんのこと何時も心配してるよ。北沢くんは私にとって......」

 

 そこまで言い淀んで、考える。

 

 彼は、覚えてないのかもしれない。

 

 あの時の光景を、私と出会ったあの日の事を。

 

 ならば、今が言うべきタイミングなのではないか?それを言ったところで何かが変わるわけでもない。必要なのは、タイミングと『勇気』だ。

 

 前からそうだった。

 

 目の前の男の『深く』に入り込む勇気が足りなくて、私の過去を話せずじまいだった。ならば、今が話しかけるタイミングなのではないのか?勇気を振り絞る時なのではないか?

 

私、田中琴葉は北沢啓輔という人間に恩がある。あの時は、それっきり話す機会も無かった故にちゃんとしたお礼が言えなかったけど、今、ここで、このタイミングなら、言える。お礼を伝えることが出来る。

 

 言え。

 

 過去を話して、『ありがとう』と感謝の気持ちを伝えるだけではないか。

 

 「......お前にとって?」

 

 1度は驚いて情けない声を上げていた北沢くんが、私の眼をいつにもない真剣な目で見てくれていた。後は、言うだけだ。想いを伝えるだけなのだ。

 

 

 

 

 それなのに。

 

 

 

 「北沢くんは......」

 

 声が震える。緊張しているのか、自分が何をする為に、どこに立っているのかも分からなくなっている。今、唯一分かるのは喉元にでかかった言葉と北沢くんが私の眼をしっかりと見てくれていることだけだった。

 

 

 

 「私に、とって」

 

 「うん」

 

もう、ストックされた言い回しはない。後は一言───

 

 

 

 

 

 伝えるだけ────

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞬間、拍子抜けした音楽が私の耳を襲った。

 

 「え......ええっ......」

 

 振動したのは、私の携帯だった。何時も、聞き慣れた着うた。その音により、今の今まで構築されていた空間が壊されたかのような感覚を、私は覚えた。

 北沢くんはくつくつと笑みを零し、私を見る。その笑みは今の今まで見せていた真剣な表情とは裏腹に、本当に何かを面白がるかのような笑みだった。

 

 「また、今度だな」

 

 そう言うと、北沢くんは十字路を左に曲がり、帰路に。その姿に待てと制止をかけようとするも、その手は、その声は、北沢くんの声によって防がれる。

 

 「また明日、学校で」

 

 一言、それだけ残して北沢啓輔は去ってしまったのだった。

 

 「......間が悪過ぎるよ」

 

 初めて、家族からの着信を恨んだ私はきっと悪い子なのかもしれない。けれど、そう思ってしまうほど今回の件は残念だった。

 言えたかもしれないのに......否、言えた。きっと私は彼の目を見て言えたはずなのだ。

 

 

 

 

『私は、貴方に助けられたことがあるんだ』って。

 

『ありがとう』って。

 

 たった、それだけの話じゃないか。

 

 何故、あそこまで躊躇ってしまったのだ。

 

 「......馬鹿っ」

 

 最近は、よく隣の席の男の子に対して良く使うようになった言葉を、今回は私自身に投げかけて私は依然としてなり続けている携帯の着信を鎮めるために、電話に応答した。

 

 

 

 

 ☆☆☆☆☆

 

 

 

 

 「ふう」

 

 買い物袋を腕にかけ直し、俺は自宅に向かって歩き出す。

 

 あの時、田中は何を言おうとしていたのだろうか。まるで、一大決心をするかのような表情で何を俺に告げようとしたのだろうか。

 俺は、田中との面識はない。過去にも、俺の頭の中にあるのは真っ黒な野球に関する記憶と、その他諸々の家族の記憶しかない。田中のような......性格が真面目で、それでいて可愛い女の子なんて俺は知らなかった。

 

 まあ、彼女が言うことを気にする必要はない。言わなくても、それはそれでいい。

 

 

 知らなくていい話も、往々にしてある。

 

 

 思い出す必要のない過去だって、往々にしてある。

 

 

 もし、田中の口からそれが発せられた時は、きっと知る必要のある話、過去なんだろうけど生憎、俺に田中のそれを追求するかのようような意思も、決意も、甲斐性も俺にはない。ただ、川の流れのように流されていくだけだ。

 

 

 

 

 

 何かを追い求めるのは、もう疲れてしまった。

 

 

 

 

 

 

 「っと」

 

 暫く歩いていると、そこには家の前で待機している妹が仁王立ちで目の前の男......俺を睨みつけていた。

 

 「随分、遅かったわね」

 

 「心配したか?」

 

 「別に」

 

 素っ気ない返事で志保は俺の元へ歩き出し、荷物をやや強引に奪い去る。

 その強引な優しさが、今の俺には有難かった。

 

 「そういえば、そろそろクリスマスだな」

 

 「ええ、そうね」

 

 「またサンタの格好してやろうか?わーって盛り上げてやるよ」

 

 「別に、兄さんのサンタ姿なんて見慣れてるから今更盛り上がりもしないわ」

 

 いつも通り、志保は辛辣だ。

 

『初めて作ったシチュー』を食べた時も、有り得ないくらい罵倒された。

 

 だけど、その辛辣さが今の俺には必要だ。

 

 ドMとでも何でも言いやがれ。俺は辛辣で、時々可愛いところもあるこの妹が大好きなんだ。

 

 「今日は、シチューだ」

 

 何気なくそう呟いた一言を志保は受け取り、おれの方を振り向く。

 

 「なら、味見しなくちゃいけないわね。りっくんにあの味のシチューを食べさせるわけにはいかないから」

 

 あの時から、今日まで

 

 志保の憎まれ口は『辛辣』だ。

 

 だからこそ、今の俺がある───

 

 「言ってろ」

 

 家族な好きな俺でいられるのだ。

 

 

 

 

 



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第6話 女の子って積極的なのが流行ってんの?

 

 

 

 

 

 

 

 

 至高の時間、というものは直ぐに終わってしまうものだ───。

 

 

 

 

 2学期も終わりに近付き、次第に本格的な寒さが俺の四肢を襲い始める今日この頃。

 俺は日曜休みとかいう至福で最高の時間を自室のベッドで堪能していた。

 日曜は俺にとっては至高の時間だ。

 それは何故か。

 学校がないからだ。

 

 いつも通り、よく食べてよく寝るという行為をすることにより、いつもの俺なら8時頃に起きて、学校へ行かなければならないのだが日曜日に学校はない。

 それ即ち、どういうことか分かるだろうか。

 

 あの!委員長に!惰眠を妨害される必要がないのである!!

 

 田中琴葉は俺の惰眠の敵だ。俺が寝ようとしたらものの数秒もしないうちに叩き起こされてしまう。しかし、自室に田中がいるはずもなく結果として俺は何時までも惰眠を貪ることができる状態にあるのだ。

 序に言わせてもらえば、スマホをクラッシュさせられる必要もない。

 

 「......とはいえ、腹が空いたな」

 

 そろそろ自分の分の朝飯を食べるか。おっと、今の言葉だけ切り取ったら俺がまるでニートみたいに見えるが決して俺はニートなんかではないからな。勘違いすんなよ。

 

 ......誰に言ってんだろうか、俺は。

 

 得てして、俺は自室を住処から出たありんこよろしく飛び出て、リビングへと向かう。

 部屋に誰もいないのを確認。

 マッマ、リック、買い物か。

 そして、机に書き置き発見。

 

 ふむ、どうやら買い物に行っているらしいな。そして、何時ものように美味しい朝食用意してくれるマッマ最高です。ありがとうございます。

 

 両手を合わせて、感謝の念を母さんに送りつつ朝食を食べ始める。

 すると、ポケットに忍ばせていた携帯が不意に振動した。

 

 「......もう驚かねえぞ」

 

 勿論、最近は携帯の振動が田中のせいで軽くトラウマってたけども。最近はその程度のことで同様はしなくなった。

 寧ろ、携帯の振動でトラウマって毎日毎日『ふぉぉぉぉぉ!?』なんて言ってる人生俺は嫌だ。勘弁して欲しい。

 

 閑話休題───

 

 「なんだ朝っぱらから。お兄ちゃんが恋しくなったか?」

 

『なる訳ないでしょう』

 

 何故か、レッスンに行っていた筈の志保から連絡が来ていた為、電話に応答するとすかさず志保が辛辣な言葉を浴びせる。

 

 否、辛辣な言葉を言ってはいるものの何分その言葉には覇気がない。寧ろ元気すらないように思える。

 巫山戯てはいられない。そう思った俺は咄嗟に声色を落とした。

 

 「どうかしたか、一大事か?」

 

 「......ええ、そうよ。一大事。全くもって不覚だわ」

 

 珍しく聞く、志保の気を落としたかのような声。そして、俺の頭を駆け巡る焦燥感。思わず俺は声を出し、会話の内容を急かしてしまった。

 

 「どうした、何があった」

 

 暫し、間が空く───まるで言おうか、言わざるかの選択を迷うかのように。

 

 やがて、決心したのかこくりと息を呑む音が聞こえるのとほぼ同時に志保は内容を話し始めた。

 

 

 

 

 

 

 「お弁当を忘れてしまったわ」

 

 

 

 

 

 

 

 ...

 

 

 

 ......

 

 

 

 

 

 

 「おし、後で志保説教な」

 

 安寧の時間は、容易くぶっ壊れてしまうものなのである。あれ、さっきまでもそれっぽいこと考えていた気が......

 

 

 

 

 ま、別に良いか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ☆☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「いやあ、まさか自分の部屋にお弁当を置いてきてしまうなんて志保ったらおっちょこちょい!」

 

『気持ち悪い』

 

 今、俺は志保の部屋にあった弁当箱を抱えて外へ出ている。目的としては、志保がレッスンをしているとされている765プロライブシアターまで弁当を届けるためだ。傍から見たら出前とか、過保護の馬鹿兄貴とか思われそうだけど、志保の為を思えばこれしきのこと、『多分』辛く......ないです。

 

『それよりも兄さん、道は分かっているわよね。そのまま道なりに行ったところを真っ直ぐ行けば目的地に着く。鉄則よ、兄さん。道なり、真っ直ぐ』

 

 「お、おーけー!ばっちこい!!」

 

『......甚だ不安ね、兄さん方向音痴だから』

 

 そう、妹の話の通り、俺は極度の方向音痴なのだ。それはもう、妹が困る位には方向音痴を拗らせてしまっている。

 

 「俺的にはちゃんと目的地に着いている筈なんだがな」

 

『そう、兄さんは妄想と現実の区別が付けられない迷子兄貴なのね。私、初めて知ったわ』

 

 「喧しいわ!」

 

 俺だって好きで迷子になっている訳じゃないのだ。そう.....気が付けば迷子になっている。半ば運命的に迷子になってしまっているだけなのだ。

 ただし、今回だけは別だ。志保の弁当箱を届けるというミッションを授かり、スマホでマップも開いて、現在進行形でてくてく歩いている今の俺なら目的地に絶対に辿り着ける。そんな気がしてならないのだ。

 

 「.....待ってろよ。お兄ちゃんの.....お兄ちゃんの意地を見せてやる!」

 

 「期待しないで待ってるわ」

 

 そんな妹の失礼な一言を右耳から左耳へと流しててくてく歩く。道なりに歩いていく。

 

 

 

 そう、てくてくと───

 

 

 

 ......

 

 

 

 つれずれなるままに───

 

 

 

 ............

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「志保助けて、迷った」

 

『兄さん後で正座』

 

 志保に無機質な声でそう言われた。さて、どうする北沢啓輔。これで志保に説教すら出来なくなったぞ。

 

 「し、仕方ないだろ!?そう!これはもう運命なんだよ!新しい場所に行こうとすると迷うっていう───運命は、変わらないんだ!!」

 

『大体、さっきまで持ってた意地はどうしたのよ』

 

 「そこら辺の川に捨てた」

 

『随分軽い意地だったのね』

 

 失礼な、まあ.....事実だが。頭の中でそう考え、地団駄を踏んでいると少し声のトーンを落として志保が続ける。

 

『......昼までに着いてくれればいいからマップとか使って何とかお願い』

 

 「せ、せやな」

 

『それと.....迷惑かけて、ごめんなさい』

 

 そう一言だけ言うと、志保は通話を終了し、俺の耳にはツーツーといった機械音しか聴こえなくなってしまった。

 

 1度、通話が切れたのを確認した俺はその勢いのまま再度マップを開き、現在位置と目的地を確認しようとする。

 その瞬間、俺の目に映るのは訳の分からない細い道と現在地を示す方向キーみたいなの。

 あれ、これって方向キーが左向いてるな。志保が道なり真っ直ぐとか言ってたからこの道を真っ直ぐ進めば良いのか?

 

 そもそも、ここどこ?

 

 「......ジーザス」

 

 1度落ち着こう。落ち着きのない男はモテないとかいう噂まであるしな。や、別にモテたい訳じゃないんだけど。

 適当な自販機でブラックコーヒーを買い、公園のベンチに腰掛ける。すると、先程まで焦燥感に駆られていた俺の心は次第に落ち着きを取り戻し、呼吸も少しずつだが安定していく。

 寒いし、17歳がベンチに腰掛けてコーヒー飲んでる姿はなんというか、個人的にシュールに感じてしまう。まるで、新たな職場を探しているフリーター......

 

 考えたら腹が立ってきた。

 

 おっと、いかんいかん。心頭滅却だ。落ち着きのない男はモテないとか言うし(2回目)。

 

 「......ま、やるしかねえわな」

 

 方向音痴がなんだ。俺にはスマホという文明の利器があるじゃあないか。

 さあ、行こう。無事に765プロライブシアターにまで辿り着く。そして、志保に説教して、土下座する。

 

 ここから先はお兄ちゃんの独壇場だ───

 

 

 「ねえねえ!どしたのそんな所でガッツポーズなんてして!」

 

 と、決意した瞬間にこのザマだよ。俺ったら恥ずかしい。

 何事かと振り向くと、そこには茶髪のロングヘアーに着崩した服がそれとなく色っぽい女が俺を純真無垢な目付きで見ていた。

 

 あ、やめてください。その目付きは俺に効きます。主にメンタルが、死ぬ。

 

 「......いや、別に」

 

 「えー、そんなことないっしょー。さっきからスマホのマップずっと眺めて悶えてたじゃん」

 

 バレテーラ。

 

 「......お前、何時から俺の事見てたんだよ」

 

 俺がそう言うと、先程まで俺を見ていた女は少しだけ悩んだ素振りを見せ、うんと頷き、再度俺を見る。

 

 「コーヒー飲んでた頃からかな?『ここはどこだー』って嘆いてたじゃん」

 

 「や、嘆いてねーから」

 

 確かに迷ったことによって俺のハートはガクリときていたが、嘆くほどのものでもない。

 ついでに悶えてもいねーよ、この......なんだ。お、お洒落ヘアーめ。なんて悪態にすらなってない悪態を心の中で突いていると、目の前の女は俺のスマホの画面を覗き込む。

 

 「というか目的地765プロライブシアターじゃん!」

 

 「あ?」

 

 なんと、彼女は765プロライブシアターまでの道程を知っているのか。

 

 「お前、本当に何者?」

 

 疑心暗鬼の状態でそう尋ねると、女の子はまさに元気溌剌といった笑顔で、俺を見て─────

 

 「私は所恵美!まあ、通りすがりの一般人だよ!」

 

 自己紹介された。別に自己紹介して欲しくて尋ねた訳じゃないんだけど。しかし、自己紹介をされてしまった以上一般的な礼儀として、俺も名前を言わなくてはいけない。

 最低限のマナーだ......ソースは母さん。うん、信用に値する。

 

 「そっか。俺は北沢啓輔だ。よろしくな、所」

 

 そう言って俺が差し出した右手を、所は華麗にスルー.....というか忘れたのかは知らないが無視し、まるで有り得ないものを見るかのような目付きで見ていた。

 

 「......『北沢』!?」

 

 「ああ、北沢啓輔だ」

 

 そう言いつつ、手を引っ込める。なんだろ、行動が空回りした時って物凄く恥ずかしいよね。きっと、目の前にいる女の子もなんて馴れ馴れしい奴なんだとか思っていることだろう。

 この瞬間、俺の黒歴史がひとつ刻まれた。タイトルは『思春期だんし!黒歴史と化した勘違い』......うん、これは強い。なんか分からないけど強い気がするよ(小並感)!

 

 「......それってもしかして志保───」

 

 「妹の知り合いか」

 

 「見事に当たってた!?というか反応速っ!」

 

『志保』の名前を出した瞬間、自分でも驚く程の速さでそう尋ねた俺を所は大袈裟なアクションで驚く。勘弁してくれ、志保の名前が出てきたので思わず反応してしまったのだ。

 

 「ああ」

 

 「ってことはー......妹関連で何かあったの?」

 

 「ビンゴ」

 

 俺がそう言って、志保の弁当を見せると彼女......所はニヤリと笑みを見せて、俺の肩を小突く。

 

 「妹想いですなぁ〜、良いですなぁ〜、家族愛!」

 

 ヒューヒューと俺を茶化す所を見て、俺は胸を張る。

 

 「ああ、何せ俺はシスコンだからな!志保は最高だ!可愛い!!」

 

 「良いですなぁ!妹自慢!」

 

 お互いにニヤリと笑い合い、拳を合わせる。一時はどうなるかと思ったが、彼女とは仲良くなれそうだな。彼女には、周りを元気にする能力でもあるのかもしれない。これがコミュ力とでも言うのか。

 と、どうでもいいことを考えていると不意に所が俺の先を歩き始め、一言───

 

 

 

 

 「付いてきてっ、案内するよ!」

 

 

 

 

 ───あたし達のシアターへ!

 

 振り向いて、言い放った言葉の意味は分からなかったけれども。

 

 今現在は所恵美という女に頼らざるを得なくて、俺は渋々目の前の先を歩く所の後を付いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フルーティーな香りが、俺の周囲に漂っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ☆☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 所恵美という少女は、凄まじい程のコミュ力を持っていた。

 今日、成り行きで所に道案内をしてもらっていた俺の今日の感想が、これだ。あれから所は765プロライブシアターの事など、最近流行りの服やらミックスジュースやらの話を俺に教えてくれていた。

 無論、そういったものに疎かった俺はなかなか話題に乗っかることは出来なかったが、一方的に話題を提供する訳でもない所の話し方は意外にも好感を持てた故に苦にはならなかったのだ。

 

 

 閑話休題───

 

 

 「そういえば」

 

 ライブシアターまでの道程を歩いている所の後を付いていっていると所が減速して俺の隣を歩く。

 

 「『所』なんて他人行儀だなぁ、志保だって『恵美さん』って呼んでくれるのに......」

 

 なんと。

 

 貴女は出会って間もない思春期の男子に、名前で呼べと、そう仰るんですか。

 

 「俺はな、滅多に名前呼びはしない主義なんだ。分かったら頬を膨らませた顔を近付けるな!残念そうな顔をするな!」

 

 さっきからやたらと距離が近い所から距離を取りつつ、後を付けようとするも、その距離感はあっという間に詰められてまた距離が近くなる。

 

 「ぶーぶー、いいじゃん別に減るもんじゃなし」

 

 口を尖らせてそう言う所を見て、俺は何とも言えない気持ちになる。確かに所って呼びにくい。あんまり苗字に聞き覚えがないからか、単に俺がアホなだけなのか。どちらにせよ、所って苗字には若干の違和感がある。

 

 「それにさ、所って呼びにくくない?アタシが嫌なんだよねぇ、友達にも『恵美』って呼ばせてるし!」

 

 「俺らいつの間に友達になってたの......?」

 

 あっという間に友達となっているかのような一連の会話術。これがリア充とかいう奴か。やだもう、石崎といい田中といい所といいリア充怖い。

 

 「どうかな!ここはアタシを助けるって感じで!」

 

 「......」

 

 

 まあ、百歩譲ったとして?

 

 これは俺が好きでやってるわけじゃなくて、所恵美という少女にやらされてるってことになるし。

 

 志保とかに『名前呼びとか何考えてるの?』とか言われても、呼ばされてるんだって言い訳できるし。

 

 別に、個人的に不都合はないし。

 

 基本的には名前呼びはしない主義だが、本人が名前で呼んで欲しいというのなら、その希望に応えるべきか───

 

 

 

 「......分かったよ。機会があったらな」

 

 そう言うと、所は指パッチンを決めて、俺を見る。

 

 「やたっ!それじゃあ早速言ってみようか!」

 

 「言う必要性を感じない、却下」

 

 「ぶーぶー!」

 

 より声量を増した所からのブーイングが俺の心を何処かのジェフさんも吃驚なスライダーで抉る。こうなったら仕方ない、心にデッドボールを喰らいまくって俺のメンタルが廃人になる前に、話題転換だ。

 

 「.....志保はシアターではどんな感じだ?元気してるか?」

 

 俺がそう尋ねると、恵美は『にゃはは......』と少し苦笑いしつつ頭をかく。

 

 「他の子達と比べてちょっと孤立気味だけど......良い仲間が沢山いるから自然に溶け込んでいくと思うよ!」

 

 「おお、マジか」

 

 孤立気味っていうのは何時もの志保を想定したらなんとなく分からなくもない。俺が気になったのはそれをカバーしてくれる良い人達がいるか否かだ。

 俺は志保のプロデューサーでもなければ、介入者でもないから直接関わるようなことは出来ない。それに、下手に介入した所で何が出来るわけでもなし、そういった類のものは妹が嫌がることも知っている。心配だけど、見守る事しか出来ない。歯痒いけど、それしか出来ない。

 だからこそ、志保には不器用ながらも同期の人達と仲良くして欲しい。

 

 何をするにしても1人では限界があるから。

 

 何はともあれ、俺の心配事を聞いた恵美は俺の心の靄を振り払うかのような太陽直下の笑みで親指を立てる。

 

 「本気と書いてマジってヤツだよ!なんならスマホでビデオ送っても構わないし!」

 

 「いや、良いよ」

 

 流石にそこまでして頂けるのは、申し訳ない。志保の頑張ってる姿とか絶対に見たいけど、己の欲の為だけに他人に負荷をかけるような事はしたくない。

 志保の頑張る姿を見るのは、彼女の初ステージまでお預けである。ああ、今から楽しみだなぁ。今から心臓ヒエッヒエだよ!

 

 と、心ではヒエッヒエとか言っときながら実の所は『わくわくが止まらないよお』状態になっている俺がふと上を見上げると、そこには『765PRO LIVE THEATER 』と建てられた看板が目に入る。

 

 「見えたっ!ここだよここ!」

 

 歩行を止め、意気揚々とこちらを見て建物を指さす恵美を見て、俺は感慨に耽る。成程あれが765プロかと建物を斜めからから見上げてそう呟くと、恵美は俺の手を引っ張って走り出す。

 

 「ちょ......所さん!?自重!!自重!!」

 

 こんなシーン.....傍から見たら手を繋いで仲睦まじい姿でいるように見えなくもない醜態を妹に見られてしまったら俺はもう羞恥で軽く死ねる。しかし、こんなシーンで俺は死にたくない......!主に!!社会的に!!

 しかし、そんな俺の叫びを他所に恵美の足は更に加速......加速......止まらねぇ!!

 

 「お願い止まってぇ!!」

 

 「良いじゃん別に!!さあドアを開けるよー!!」

 

 「オワタァァァァ!?」

 

 そして、恵美が意気揚々とドアが開き俺が目にしたのは───

 

 睨み合う志保と、もう1人の女の子───どうやら、かなり修羅場な場面に出くわしてしまったようだった。

 

 「......孤立してないようで何よりだ」

 

 俺がそう呟くと、恵美は何故か慌てふためき俺に弁解をする。

 

 「ほ、ほら!あれだよ!!喧嘩するほど仲がいいとかいうしっ......!静香と志保は同世代の仲間のような......そう!ライバルっ!好敵手みたいな関係だよっ!安心して!志保と静香は仲間だから!」

 

 目をぐるぐるさせて、そう言う恵美。それを落ち着かせる為に、俺は恵美に深呼吸を促す。

 

 「はいストップ。先ずは深呼吸なー」

 

 恵美は言われるがまま、スーハーと深呼吸する。それを確認した俺は肩を竦める。

 

 「気にしちゃいねえよ。寧ろ安心した」

 

 「あ......安心?」

 

 こくりと頷き、俺は続ける。

 

 「志保があんだけ自分の主張を同年代にぶつけるなんて見たことなかったし......いや、寧ろ羨ましいわー。あんだけの事を言える仲だなんてー......と、俺はこのまま見てても良いんだけど、恵美は止めなくて良いのか?」

 

 そう言うと、恵美はハッとなって、またしても顔を強ばらせる。簡単に言うと、顔が二段変身した。

 

 「今さり気なく恵美って......だああああ!!そんなこと今気にしてる場合じゃなかったぁぁ!!」

 

 慌てて恵美が志保と静香と呼ばれる女の子の間に入って仲裁する。話を聞く限りでは練習方針の食い違い、か。まあ俺はアイドルの練習とか知らないし、それよりも優先しなきゃいけないことがあるんだけど。

 

 「おーい!志保ー!」

 

 お互いがそっぽを向き、漸く話が終わったかというタイミングでドアの前にいた俺は志保に声をかける。すると、その声に気が付いた志保は小走りで俺の元へ向かい、早速両肩を掴まれ、揺さぶられる。

 

 「兄さん!本当に兄さんなの!?こんなに早く来たこともない場所に来れるなんて......!」

 

 開幕早々失礼なこと言われてる気がするんですけど。それよりもだ。

 

 「所さんとやらに助けて貰ったんだ。それと後で志保説教な?」

 

 色々な意味で。や、もう失礼なこと言われたこととか弁当忘れたこととか色々。

 

 「そう......恵美さんには感謝しなきゃね。ああ、それと兄さんこそ後で正座よ」

 

 「ちゃっかり覚えてやがった......!?というか元はと言えば志保が弁当忘れたところから始まったんだぞ?」

 

 「それはごめんなさい。説教は甘んじて受け入れるわ。だからこそ兄さんも正座で私を心配させてしまったこと、詫びてほしいの」

 

 「なして俺が正座しなきゃいけないんですかねぇ......!?」

 

 北沢啓輔は激怒した。必ずかの邪智暴虐な妹をなんとかせねばならないと。

 何とかしようと顔を引き攣らせながら志保を見ると、目の前にはまたしても仲裁に入った恵美がこちらを苦笑いで見つめていた。

 

 「はいはい!ストップストップ!兄弟水入らずで喧嘩は良いけど場所は考えよ!」

 

 ふむ。

 

 確かにそうだった。良く良く周りを見渡すと今の今まで様々な場所にいた女の子達が何事かとこちらをまじまじと見ている。

 やましい事は何も無いが、用がないのにこれ以上長居するのも良くはない。そこで、志保に弁当を渡したことにより手持ち無沙汰になった俺は志保の方を見て、笑顔を見せる。

 

 「正座は甘んじて受け入れる。ああ、後は......頑張れよ」

 

 そう言うと、志保は少しだけ───俺にしかわからない程度に口角を上げて。

 

 「分かってるわよ、兄さんも帰り道......気を付けてね」

 

 そう一言だけ言って別の場所へと向かっていった。

 

 「道案内、ありがとな恵美」

 

 「んん!気にしないでいーよ!それに、志保の意外な面も見れたし......ねぇ?」

 

 何だか志保関連でとんでもないくらい嫌な予感がするのだが。

 

 「......お手柔らかに頼む」

 

 両手を合わせてお辞儀、ななめ45°の姿勢を取ると『にゃはは』と独特な笑い声を上げた恵美は俺の肩をぽんぽんと叩く。

 

 「志保の事は任せて!後は......そうだ!」

 

 と、恵美がぽんと拳と掌を合わせた乾いた音がしたので前方を向くと、恵美は俺にピースサインを向けて高らかに声を上げる。

 

 「アイドルとしてのアタシ......所恵美をヨロシクね!」

 

 ああ、薄々勘づいてはいたが彼女もアイドルだったらしい。恐らく彼女の今日イチとも称されるであろう笑みと同時に、俺の中でリア充で美人のアイドルの卵と親しく話してしまったという黒歴史が新たに追加された。

 

 「は、はは、はははは」

 

 乾いた笑いだけが、俺の口からは発せられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ☆☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 帰路についた流れで、昼まで何もやることのなくなった俺は、バイトの予定こそ立っていなかったが渋谷生花店で適当に手伝いをしていた。

 とはいえ、特に特別な事をするまでもない。ただ単に店番して、接客して、渋谷と話す。ただそれだけの事だったが、暇つぶしにはなったのだ。

 

 「それにしても、啓輔の方向音痴って相変わらず治ってないんだね」

 

 「喧しい」

 

 先程までの話を凛に話すと、予想通り凛が俺を見てクスリと笑う。

 渋谷凛という少女は、人をからかうのが本当に得意な女だ。尤も、それは慣れ親しんだ人間にだけなのだが。これから凛と友達になるであろう人間が個人的に不憫に思えてならない。

 

 「大体志保が弁当を忘れたのがだな......」

 

 「はいはい、どうせ妹が悪いだなんて欠片も思ってないんでしょ?」

 

 「......まあ、そうなんですけど」

 

 「なら、思ってもないことは口に出さない。あんたが方向音痴だったから志保に正座させられる。それで良いじゃん」

 

 「そうなんですけどさー」

 

 「敬語だかタメ口だかはっきりしないよね......」

 

 俺のはっきりしない態度に渋谷は何とも言えない表情で俺を見る。端的に言ってしまえば顔を引き攣らせて、可哀想なものを見るかのような目付き。いや、そんな表情出来る渋谷さん凄い!きっと将来役者になれるよー!

 

 渋谷が役者となり敵をバッサバッサ斬っている様子を想像しながら、茶を飲みこむ。

 

 

 

 

 

 

『踊ってるの───?』

 

 

 

 

 

 「ははははは!!!」

 

 「なんか凄い失礼な事考えられた気がするんだけど、取り敢えず泣くまで殴っていい?」

 

 「......すみません」

 

 流石、長年バイトを共にこなしてきた戦友───もとい好敵手だ。俺の考えている低俗な事など渋谷にとってはお見通しならしく、さっきから手首を回して臨戦態勢でこちらを睨みつけてらっしゃる。

 何処の紫髪のバイク通学委員長だよ。と心の中で悪態を付いていると、渋谷はため息を吐いて、俺に尋ねる。

 

 「何かあったの?」

 

 「は?」

 

 「啓輔が悩んでいる時っていうのは大抵訳わかんない言い回しをするからね。何かあったんでしょ?」

 

 

 

 

 

 .........

 

 

 

 

 

 ...............

 

 

 

 

 

 「......はあ、やっぱりバレちまうか」

 

 俺は、目の前で微笑む少女を何処かで甘く見ていたのかもしれない。誰にもバレないであろう俺の悩みもこの少女にはきっと筒抜けなのだ。

 尽く秘密ごとがバレる18歳。うん、だっせえ。

 

 「言っとくけど啓輔の隠し事の下手さは重症レベルだからね。バレてないとでも思ったの?」

 

 「ああ、寧ろバリバリで隠せてるんじゃねえかって現在進行形で考えてた」

 

 「阿呆ここに極まれり、だね」

 

 「うっせい」

 

 そう言った俺は、お茶を啜り喉を潤した後に頭に残っていた悩みを言葉に変換する。

 

 「俺さ、分かんねえんだよ」

 

 「何が?」

 

 「俺がちゃんと『兄』としてやっていけてんのかって」

 

 そもそも、兄って何をしたら兄なのかなと思う時が時々ある。弟妹の夢の応援をするのが兄?それともただひたすらに前を見て、手本を見せて、目指すべき指針となるのが兄?

 それとも、もっと他のことを当たり前のようにこなせてるのが兄なのか。俺は、志保や陸にとって『頼れる兄』でいられているのか。俺には分からない。

 甚だ不安だ。俺は兄としてやっていけているのか。

 

 「急に何を言い出すのかと思えば......」

 

 渋谷がそう言ってため息を吐く。失礼だとは思わない。寧ろ、いきなりこのような事を他人に言われれば誰だって困惑する。実際に俺だって石崎やら田中やらにそんな家庭内の事情聞かれたら困るから。

 けれど、俺は聞いてみたかった。この目の前の友達なのか親友なのか分からないこの女に、俺は『兄』としてやっていけてるのかを。

 

 「ずっと、前だけ向いてきたからな。いざ後ろを振り向いたら見えてるはずだったものが見えないんだよ」

 

 「......そういうもの?」

 

 「どうだろうな、昔から見えてなかったかもしれない。けれどあの時の俺が見えてなかったのは確かだったんだ」

 

 いわば、中学時代前半の俺は弟妹に無関心だったのだ。ただひたすらに『夢』を追い続けて、弟妹を蔑ろにし続けてきた。言い方は悪いんだろうけれど、中学時代の俺は志保を、そして陸をないがしろにし続けてきたと自負している。

 第三者がなんと言おうとこの評価が変わることはない。これは、他ならぬ俺がそう思っていることなのだから。

 

 「......そっか。啓輔は悩んでいるんだね」

 

 「......お前だって分かってんだろ。俺がここまで家族のことで悩むようになっちまった原因が」

 

 いわば、今の俺が今の俺たらしめる原因を。家族のことを優先して、学校を億劫に感じて、不真面目、不勤勉、寝坊助な原因───

 

 

 「俺が『部活』やってない理由」

 

 俺が1つ間を置いてそう言うと、凛は少し真顔で頷く。

 

 「うん。分かってるよ」

 

 「......そりゃそうだよな。お前と俺って小学生の頃からそれなりにつるんでいたしな」

 

 出会いは、小学3年生の頃だった。家族のプレゼントを花にしようと思い、近場の生花店を選んだ時に初めて来た生花店が渋谷生花店だった。

 そして、たまたま店に迷い込んできた凛と、俺は入口の手前でずっと睨み合っていたのだ。

 凛は、警戒心を露わに。

 俺は、その警戒心に反抗するかのように。

 

 そこから紆余曲折を経て、仲良くなった。学校が同じなのも幸いしたのか、少しずつ気安く話しかけられるようになった。

 

 そして、今はこうして事情を知りつつもこうして気安く話しかけてくれる。それだけで、俺は有難かった。

 

 そんな彼女は俺を見て呆れながらも笑みを崩さずにこちらを見続ける。

 

 「何年啓輔の腐れ縁やってきたと思ってるのさ。あんたが頑張ってたってことは人並みに見てきたつもりだし、分かってる......ま、私に分かられたって嬉しい訳ないんだろうけど」

 

 「そんなことない。現にこうして心がウッキウキな俺がいる」

 

 「無理矢理奮い立たせてるんでしょ......」

 

 あは、バレてしまったか。

 

 「実は今、少しだけ落ち込んでるんだ」

 

 それは、思い出す必要のない過去を思い出してしまったから。あの時の『夢』のようなナニカに縋り付いていた俺を思い出してしまったから。

 

 「やっぱり、か」

 

 渋谷は、ため息を吐いて俺を見る。そんな光景も最早当たり前のように感じてしまう。俺の言うことなすことにため息を吐かれ、それでも何かと世話を焼いてくれる。果たして年上はどっちなのか、実年齢を教えずに誰かに聞いたとしたらその誰かさんはどっちを選ぶだろうかな。

 俺が思うに、それは渋谷を選ぶ人間が多いんだろうなと。きっとそう思う。

 

 「あのさ」

 

 渋谷が俺を真剣な眼差しで見つめる。それに釣られて、俺の視線は彼女の鋭い眼差しに釘付けになる。

 

 「啓輔はさ、『変わらないもの』見つけた?」

 

 その問い───何度も何度も問われているその問題に、俺は昔から同じ回答をし続けている。

 

 「───欠片も見つからねえよ」

 

 最早、その考えすら放棄しているのかもしれない。何せ、俺はこのお題に対して何を思うことも無くなったのだからな。

 

 何もかも、変わらずにはいられない。

 

 そんな言葉を風の便りで聞いた時、俺は天啓を得たかのような、もしくは諦観を覚えたかのような、そんななんとも言えない想いを得た。

 

 それからの俺はというものの、その言葉を思い出しては、実感。思い返しては実感を繰り返し、心を痛めていた。まあ、痛めたといっても対してダメージは少ないし、鬱にもならないし、本気で悩んでいるヤツらにとっては俺のそれなんぞフンコロガシのフンのようなものなのだろうが。

 

 「......渋谷、俺は昔からひとつだけ信じているものがある」

 

 「うん、それも分かってる」

 

 そう、渋谷凛という少女が俺に同じ質問をするのと同様に俺という人間も彼女に対して同じ回答を繰り返している。

 だからこそ、彼女はこれから言うであろうその一言を覚えていたし、知っていた。

 

 「『変わらずにはいられない』とでも言うんでしょ?」

 

 その言葉に、待ってましたとシニカルに笑う。

 

 「正解した渋谷凛選手には啓輔検定1級を贈呈しよう」

 

 「うん、それはいらない」

 

 「辛辣だな」

 

 渋谷は、その言葉に冷たい眼差しを送るものの直ぐにその瞳を渋谷にとっては珍しい優しい笑みを孕んだ瞳に変えて俺に言う。

 

 「啓輔が志保や陸のお兄ちゃん出来てるかどうかは私には分からないけど。今の私がいるのは啓輔が私の面倒を見てくれたり、話しかけてくれたりしたからだよ。そんな啓輔が妹弟に関して道を違えることは絶対にない......断言出来るよ。だから自信を持て......とまでは言わないけど、虚勢位は張りなよ。『俺は志保と陸の面倒を見れてるブラコンでシスコンの北沢啓輔だ!』って感じにさ」

 

 「ふむ......?」

 

 虚勢、か。

 

 なかなかに斬新なアイデアだ。お前本当に俺より年下か。

 

 そんな面持ちで渋谷を見ると、渋谷はまだ言い足りないかというような表情で少しだけ笑う。

 

 「啓輔のブラコンシスコン子供好きは筋金入りだからね。そんな啓輔だったら何故か監視なんて事しなくてもお兄ちゃんやってる......そう思っちゃうんだよね」

 

 あ、子供好きって要するにショタコンか......と、何やらとんでもないことを口走ってやがる渋谷を見て、俺は過去を少しだけ思い返す。

 

 弟......陸と、妹である志保に全くもって構っていなかった酷いお兄ちゃんだった過去。

 妹弟たちは気にしていなくとも、俺にとっては気にする。

 

 

 

 

 北沢啓輔の人生の『汚点』だ。

 

 そして、その汚点は俺の記憶に度々現れては俺の心境を大いに狂わせる。

 

 

 

 

 

 「......なんてね」

 

 まあ、そんな汚点を作り出した原因とはとっくのとうにおさらばしたのだから最早そんな事柄を思い出す必要はない。なんなら変わらずにはいられないその記憶とやらを新しい、楽しい記憶で塗り潰していけばいいのだ。

 

 俺と、母さんと、妹と、陸と。

 

 そして、少ないけど特徴があって愉快な友達と。

 

 「うん、分かったよ」

 

 「何が」

 

 すかさず聞こえる渋谷の疑問の声に、俺は胸を張って答える。

 

 「明日から虚勢を張って生きている俺の未来」

 

 「へえ、その心は?」

 

 ああ、そりゃ勿論───

 

 

 

 

 「田中(委員長)にあっという間に見破られて、チョップを喰らう1日」

 

 

 

 

 そんでもって、その1日は、日常は何処かで崩れる。

 

 

 道を違える。

 

 

 俺も、田中も、石崎も、それぞれの未来がある。

 

 

 分岐して、違えて、すれ違って、時が経って───

 

 

 そして、時が経った俺の元には変わらないと信じていたものは、微塵も残らず砕け散る。

 

 

 

 

 

 

 俺は────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『変わらない』を信じられない俺自身が、心底大嫌いなんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




新撰組ガールズすこ。


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事務所では───

アイドルマスターの二次小説でよく見る『事務所では...』なんてものを書いてみたくてこの小説を書き上げたのはここだけの話。
三人称視点で書き上げた話を投稿するのは初めてなので至らない点はあると思います。おかしな点、不明な点があれば、ご指摘頂ければ嬉しいです。
また、お気に入り登録、評価、誠にありがとうございます。今後、不定期更新になりますが完結まで何とか持っていけるように頑張るので今後ともよろしくお願いします。


 

 

 765プロライブシアターには、新たに発足したプロジェクトがある。その名を39プロジェクトといい一人一人の特徴は十人十色。そんな色の濃い面子の中に、合流した人物が2名いた。

 

 1人の少女の名を、北沢志保という。彼女は、冷静沈着で、レッスンも笑わずに真面目に、真面目に、ストイックに取り組み続ける。今はまだ、他のものより技術面で劣るものの、そのポテンシャルは底を知らない。

 

 そして、もう1人。

 

 その少女の名を田中琴葉という。彼女は、周囲に気を配り、尚且つ自分も真面目に取り組むという俗にいう『委員長』タイプの少女である。

 

 そんな2人の見習いアイドルはタイプ的には、似ている面が多々あるが本質的な面ではやはり彼女達はそれぞれの真面目さに特徴を持つ。

 

 北沢志保は周りに無関心である。どれだけ仲良くされようが、公私をわきまえる。レッスンでは周りと馴れ合うことなく、皆がレッスンを終えても1人で自主トレ。常に1人でいることが多い、そんな人間だ。

 

 現に、レッスンルームを見てみると今日も今日とて北沢志保は1人で自主トレをしている。そして、いつも通り1人のアイドルに挨拶され、突き放し、なし崩し的にレッスンを一緒にやる......尤も、志保は片方のペースなど考えてすらいないが。

 

 

 

 「し、志保ちゃん速いよー!!」

 

 「なら1人でレッスンをして頂戴。私は1人でも大丈夫だから」

 

 

 

 ご覧の通りのストイックさを持ち合わせたアイドルが、北沢志保というアイドルなのである。

 

 一方で、田中琴葉というアイドルは、やはり自主トレをしている時でも周りのペースに合わせ、それでいて真面目に取り組む。

 その気配りと、真摯さが良い方向に混ざり合い、早速仲間も出来た。

 

 休み時間中に差し入れを送ったりする程の真面目っぷりだ。その真面目さから時々友達に良い意味で笑われたりすることも多々ある。

 

 

 

 「にゃはは!琴葉はマメだねぇ!別にそんなこと気にしなくたって良いのに!」

 

 「そんなことないと思うんだけどなぁ」

 

 

 

 

 と、まあそんな具合にこの色の濃い面子の中で2人は悪戦苦闘しつつも、それぞれの持ち味を発揮し、この先も自身のアピールポイントを見つけ、日々邁進していく事だろう。寧ろ、それだけの想いを持たなければアイドルの道に足を踏み入れたりなんかはしないだろう。

 

 片や、自らの慕う家族───母、弟、そして、兄を笑顔にする為に。

 

 片や、周囲の期待に応える為に───そして、自らを応援してくれるとある男の為に。

 

 それぞれの信念を携え、周囲の為に、今日も2人はトップアイドルへの道を歩んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ☆☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「琴葉ー」

 

 ふと、琴葉の耳に聞き慣れた声が聞こえる。その声は、やや高く、1度聞いたら忘れないであろう声。

 

 「恵美」

 

 琴葉が声のした方を振り向くと、そこには予想通り茶髪のロングヘアーにユニセックスのラフな衣服を着用しているイマドキの女の子といった風貌の所恵美が琴葉の後ろに立っていた。

 しかし、その見た目とは裏腹に今の恵美の表情は少し疲れたかのような表情をしていた。

 何時も明朗快活を地で行くかのような性格をしている恵美の事だ。このような表情をされてしまうと勿論真面目で気配りの出来る琴葉が見過ごす訳もなく、恵美を心配そうに見て、尋ねる。

 

 「どうかしたの?」

 

 「あ、あはは......実はね、今日は結構ハードな1日を過ごしてきたんだよ」

 

 恵美は、先程までの行動を思い返す。

 

 少年に出会い、そして意外な関係性を知り、そして肝心の用があるらしい女の子がもう1人の女の子と喧嘩していた───。

 それだけならまだしも喧嘩していた女の子───志保の何時もの冷たい程のクールっぷりとは無縁の家族を心配したり、兄に対してちょっとだけ傲慢な性格を持っていたりと色々な志保を知ってしまった。

 

 目まぐるしく変わり、崩壊する風景に、恵美は純粋に疲れてしまっていたのだ。

 とはいえ、目の前で起こっていた風景が嫌だったという訳では無い。恵美は啓輔という男を嫌っているという訳では無く、寧ろ無表情で軽快なトークを展開するシスコン兄貴に好意を抱いていた。

 何せ、話していて驚くほど疲れないのだ。これは北沢啓輔と話した人間がこぞって賞賛する本人は知り得ない北沢啓輔の持ち味であった。

 

 と、恵美がそんな事を考えていると琴葉が恵美を見つめて、尋ねる。

 

 「何があったの......?」

 

 一方で、琴葉は啓輔と恵美が話をしている間に他の仲間と共にダンスレッスンをしていた為に恵美が疲れを残した原因である『北沢兄765プロライブシアター突撃事件(恵美命名)』について、何ひとつ知識がない。それ故に、恵美が疲れを残している原因というのが気になった。

 無論、琴葉の質問に答えない理由がない恵美は琴葉を見て、笑顔で一言───

 

 

 

 

 

 

 「志保のお兄ちゃんが765プロに来たんだよ!」

 

 

 

 

 

 

 瞬間、琴葉は自身の顔が引き攣る感覚を覚えた。

 志保の兄───それは、つまりそういうことで。

 北沢志保の兄というなら、姓は北沢ということになる訳で、琴葉はその条件にピッタリ当てはまるシスコンブラコンお兄ちゃんの名前を知っていた。

 

 「......ねえ、恵美。その男の人って黒いショートヘアの......志保と同じ鋭い目付きをしてたり......する?」

 

 「んん......?どうだったかなぁ......?」

 

 恵美は、琴葉の顔の引き攣り具合に若干驚きつつもその男の顔をもう一度、思い浮かべる。

 

 黒髪のショートヘアーに整った顔立ち。鋭い目付きはそれなりに威圧感があって、感情表現には乏しかったけれど、何処か近寄り難さを感じさせない軽快なトーク。

 その特徴は、琴葉が問うていたキーワードに見事に当てはまったのだ。

 

 「うん、その子で間違いないと思うよ?何せあの目付きは志保とまんまそっくりだったからねぇ?はっちゃけた志保と会話してる気分だったよ!」

 

 瞬間、琴葉は何とも言えない顔をして、恵美を見る。その表情に、流石に何かを感じ取った恵美は苦笑いしつつ目の前の渋い顔をしている親友に問いかけた。

 

 「......どったの?」

 

 「......ううん、なんでもないよ」

 

 琴葉としては、特に言うべきことでもない。深刻そうな顔の割には、考えていることは『その男を知っている───というかクラスメイトだ』という在り来りな事なのだから。それでも琴葉のそんな顔つきを見た恵美がこれしきのことで引き下がる訳もなく、少しおちゃらけた様子でもう1度問いかける。

 

 「なんでもないってことないっしょー、だって今の琴葉の顔とんでもないことになってるよ?」

 

 「え......そんなに?」

 

 「うん」

 

 目は驚愕、そんでもって顔は引き攣っている。そんな表情を親友がしていれば、誰だって心配するだろう。

 

 「大体、何か用がなければそんな事聞かないでしょ?ここはアタシに任せてよ!」

 

 何処ぞのヒーローのように頼もしく胸を張る恵美を見て、琴葉は何とも言えない気持ちになる。

 大体、彼女に悩みなんてものはない。そして、今考えている事案が大したこともなく、目の前の友達に話すことでもないという事も同時に思っていた。事実、仮に琴葉が恵美の質問に対して『その男の子知ってるよー、私と同高なんだー!』なんて言ってみろ。それを聞いた殆どの人間は『え?あ......ふーん』と、返答に困るであろう。

 

 しかし、そんな事を考えてしまうのと同時に折角悩みを聞いてくれる恵美を無碍にしてしまう───というのも超がつくほどの真面目である琴葉には許容出来ない事案であった。

 故に、琴葉は恵美に苦笑いしつつ先程から顔が変になってしまっている理由を話そうと口を開いた。

 

 「実は、その人───北沢くんは私と同じ高校の人なの」

 

 「......今なんて?」

 

 「同じ高校の、クラスメイト」

 

 1拍、間が空く。

 

 そして、それと同時に恵美は琴葉の思惑とは大きく外れて、まさに『意外』といった顔つきで叫び声を上げた。

 

 「ええええええええ!?」

 

 「......ちょっと待って恵美。そこまで驚くこと?」

 

 「だ、だって......!高校生!?それも琴葉と同級生の!?高2!?」

 

 恵美は、琴葉からしたらなんでもないカミングアウトに対して、驚きを隠せないでいた。

 所恵美が思う北沢啓輔の人物像───それは、先程の印象の通りでそれら全ての特徴を纏めあげると、総じて『大人びて』いた。

 故に、恵美は啓輔の年齢を自身では知り得ない啓輔の実年齢よりも高く設定していた。身長の高さも含めると、少なくとも成人間近の人間だろうと恵美は思っていたのだった。

 

 「恵美は北沢くんに対してどんな人物像を抱いてたの?」

 

 「えっと......クールで、カッコよくて、それでいて......なんというか、シスコン?」

 

 当たらずとも遠からず───

 

 恵美の啓輔に対する印象を聞いた琴葉がそう思って恵美に学校にいる時の北沢啓輔について話そうとした瞬間、ふとドアが開く。

 

 開いたドアには2人の人物───片一方が、オレンジの髪にアホ毛がキュートな少女『矢吹可奈』に先程まで話題に挙がっていた北沢啓輔が溺愛するクールな黒髪少女『北沢志保』が立っていた。

 無論、2人共765プロの次代を担う金の卵でありそれぞれに大きな特徴を持つ。志保は前述の通り『冷静沈着、無関心』といったアイドルであり、可奈は『元気、歌声』が特徴のアイドルだ。

 

 ここで唐突だが、矢吹可奈は北沢志保と仲良くなりたい。それは、彼女───可奈の人懐っこさから来るもので、誰とでも仲良くなりたい物語の主人公のように、志保とも仲良くなりたかった。

 

 その一方で、志保はやはり周りに無関心であり、レッスンに妥協も、無駄話も、仲間との会話も現時点では一切ない。そんな彼女達の性格は『正反対』であり、なかなか二人の仲は進展していかなかった。

 

 「ま、待ってよ志保ちゃーん!」

 

 「......何か用?矢吹さん」

 

 「あ、反応してくれた!えへへー......実は今日美味しいパンケーキ屋さんを見つけたんだけど......って置いてかないでよ!待ってー!!」

 

 そんな二人の様子を見た恵美と琴葉は顔を合わせて苦笑いする。

 

 「そう......顔立ちは本当に似ているんだよねぇ」

 

 恵美は、そう呟いて啓輔との出会いを回想する。その思い出からは啓輔の軽快なトークが思い浮かばれる。今、こちらに向かってくる北沢志保と同じような無関心そうな顔をして、同じように猫系のキーホルダーを引っ提げ、そしてここぞとばかりの妹自慢。

 

 あまりのギャップに少しだけ笑いそうになってしまったのは本人だけの秘密だ。

 

 「うん、恵美の言う通り......北沢くんは志保にそっくりだと思う」

 

 そして、琴葉がそれに同調しながら二人揃って志保の様子を見ていると、それに気付いた志保が何やら嫌な雰囲気を纏わせて、こちらに近づいていく。

 やがて、目の前へと辿り着いた志保はこちらを鋭い目付き───彼女にとってはノーマルなのだが───で捉える。

 

 「あの、何か」

 

 さて。

 

 ここで覚えていて欲しいのは、田中琴葉が北沢志保という少女と『会話』というものをしたことがないという一点だ。勿論、両者共にいじめ等といった子供じみた事をしている訳では無い。ただ、単純に接点と縁がなかっただけなのだ。

 そのような理由もあり、琴葉にしては珍しく───端的に言えば、テンパっていた。

 何処のコミュ障だ......と琴葉は自分で自分を笑いたくなった。しかし、テンパってしまったものは仕方ない。何時もなら、会話でテンパることはないのだが今現在はこの鋭い目付きを送っている少女を目の当たりにしてテンパっているのが事実なのだ───と琴葉は現状を理解し、声を上ずらせながらも目の前の少女───志保に一言。

 

 

 

 

 

 「あ......」

 

 

 

 

 

 そして、その一言は。

 

 

 

 

 

 「アンパンチッ───」

 

 

 

 

 

 

 テンパった故に、発せられた一言だった。

 

 

 

 

 

 ☆☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 北沢志保は、困惑していた。

 

 

(......何を言っているのかしら)

 

 

 彼女の名前は知っている。

 田中琴葉。765プロダクションの仲間であり、同じ時期に加入した───年上の同期。彼女は人当たりが良く、根は真面目、ダンスや歌の予習も欠かさない俗に言う所の委員長のような人だった。

 そんな仕事熱心な田中琴葉を北沢志保はそれなりに認めており周りに無関心な志保にしては珍しく『彼女の名前と特徴』は覚えていたし、それなりに敬意を払ってもいた。

 

 そして、そんな志保の僅かな敬意が早速瓦解しそうであった───。

 

 あの田中琴葉が某アニメの必殺技を吐いてらっしゃる。その事実は、志保の瞼を3ミリ程上げさせるには十分な出来事だった。

 

 「......どしたの琴葉?」

 

 あの、誰に対しても、どんな時でも笑顔を絶やすことの無い恵美ですら、良く分からない......困惑といった表情を浮かべ、先程からフリーズしている琴葉の顔の前で手を振っている。それ程に琴葉の『アンパンチ』には、破壊力のような何かがあったのだ。

 

 さて、冷静さを幾分か取り戻した志保は先程までのアンパンチの事など忘れたかのように、恵美に問いかける。

 

 「恵美さん、先程から私の方を見ていましたが何か用ですか?」

 

 「あー......これ、言っても怒んない?」

 

 「用件にもよりますが」

 

 志保が無表情でそう言うと、にゃはは......と笑い声を上げた恵美が志保の迷いのない瞳を見て、先程までの話題を志保に教える。

 

 「ズバリ、志保のお兄ちゃんの話をしてたんだよ───」

 

 「兄が何かしましたか。教えてください恵美さん」

 

 恵美が兄───啓輔の話をしようとした瞬間、志保は驚くほどのスピードで詰め寄った。

 

 彼女───北沢志保は、兄の事になると反応が鋭くなる傾向にある。啓輔が弁当を持ってきた時、啓輔の呼び声にいち早く反応し、兄のお使いのような何かが方向音痴の割に早かった事を心配したのは志保であった。そして、彼女は兄を尊敬し、明確な好意を寄せている。

 まあ、纏めて何が言いたいのかというと、北沢家のシスコンブラコンは啓輔だけではないということであって。そんな志保の高速移動&心配っぷりに恵美は改めて『家族だなぁ......』なんて感慨に耽っていたということだ。

 

 「ストップストップ!別に何かやらかした訳じゃないから!取り敢えず落ち着いてって!」

 

 兎に角、今は感慨に耽るよりもやることがある。そう思った恵美は志保を一旦落ち着かせ、先程から固まっている琴葉を再起動させるべく耳元で少しだけ大きな声を上げる。

 

 「こーとーはー!」

 

 「ひゃうっ!?」

 

 変な声を上げて、再起動した琴葉が最初に見たのは、志保のなんでもない普通の視線と、恵美が苦笑いしている表情だった。

 

 「ど、どうしたの2人共......え、2人......志保?」

 

 先程から素っ頓狂な声を上げて志保と恵美を交互に見る琴葉を見た志保がため息を吐きつつ琴葉に言う。

 

 「......呆れた。自分が何を言ったのか忘れたんですか?」

 

 「え、私......何か言ったっけ!?」

 

 琴葉は確認の意志を込めて、恵美に問いかける。すると、恵美は琴葉の真似をするべく真顔で、一大決心をしたかのような表情で琴葉を見て一言。

 

『アンパンチッ───』

 

 ご丁寧に、言い終わった姿まで真似した恵美を見た琴葉は、次第に意識を無くすまでの自分がどういった行為を───否、愚行をしていたのかを思い出す。

 

 「......あ、あああっ、ごめんなさい志保!私ったらとんでもないことを......!」

 

 「......別に良いですけど」

 

 羞恥に顔を赤く染めた琴葉を見て、特に咎める気もない志保は一言で琴葉の行為を見なかった事にし、話題を転換しようと琴葉に話しかけた。

 今の彼女にとっては、琴葉の『アンパンチ』発言よりも、優先すべきことがあったからだ。

 

 「で、恵美さん。兄について、何か?」

 

 「ああ、そうだったね!そう......アタシ達は啓輔のことについて情報交換をしていたのさっ!」

 

 「情報交換......?」

 

 「アタシ、啓輔気に入っちゃってさー。鋭い目付きの割に面白い発言をするのがもうたまらなく面白くて......」

 

 「はぁ......」

 

 お腹を捩らせてクスクス笑う恵美をジト目で見やる志保は、先程の1件を思い出し、改めて頭を下げる。

 

 「恵美さん、兄がお世話になりました」

 

 「んにゃ!別にいいってー。アタシこそ啓輔とお話出来て楽しかったからさ!」

 

 頭を下げた志保を諌めるかのように恵美が言うと、それを見ていた琴葉が、今の今まで出来ていなかった自己紹介をしようと志保に向き合う。

 

 「あの、志保。なかなかタイミングが合わなくて自己紹介出来なかったけど......」

 

 そう言って、琴葉が自分の名前を言おうとすると、志保がその言葉を遮るかのように手を出す。

 

 「結構です。名前......田中琴葉さん、ですよね。流石に何日もいれば名前と顔くらい一致しますから」

 

 それに、と志保は言葉を続ける。

 

 「琴葉さんのことは、兄からも伺っています。何時も兄がお世話になっています......先程の1件も、どうせ兄が絡んでいるんでしょう?」

 

 「あ......あのことはもう忘れてっ!」

 

 確かに、北沢啓輔に扇動されたのは事実だが、この場面で元はと言えば北沢啓輔が『アンパンチ』と発言すれば───と言ったのが宜しくなかったんだ等の言葉を目の前の妹に対して言えるほど琴葉のメンタルや良心は廃れてはいない。

 それ故に、行きどころのない羞恥心に苛まされた琴葉はまたしても赤面───そして、その光景を見た恵美は茶化すかのように笑い、志保は───兄が琴葉のような人物と仲良くなれているのに驚きと共に、何故か、嬉しく感じてしまっていた。

 それと、後で琴葉さんにそれなりの恥をかかせた兄はフリッカーからのチョッピングライトで処す。

 そう思って、無表情で拳を握り締めた無自覚ブラコン少女は、自身の考えが兄と殆ど似通っているということに、依然として気付いていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第7話 冬休みの一端とお散歩日和

この話にかかった文字数18000字!!


どーしてこうなった。


遅くなりましたがあけましておめでとうございます。本年度もよろしくお願いします。


 あれから、大した事件も無く冬休みを迎えられた事を、良しとするか否かは今の俺には分からないのだが、少なくとも何もないのんびりとした日常というものは悪いものではないだろう。

 

 あの時、田中が何を言いかけたのかは正直分からない。気にならないと言えば嘘になるし、あそこまで溜めといて携帯の着信とかそりゃないでしょ田中さんとか言いたいことはあるが、俺から聞くような事をする必要はない。

 

 田中琴葉という女は、1度言い出そうとした事を有耶無耶にしようとする性格ではない。言おうと思ったことはどれだけの時間をかけても言うし、回りくどい事等はせずに思いの丈を正直に伝える。

 

 故に自ら知ろうと思わなくても、そのうち田中の言わんとしている事は俺の耳に入る。それまでに俺がやらなきゃいけないことは、田中があの時のような真面目で真摯な声色で同じような言葉を発しようとしたら、俺もスイッチを切り替えて真面目に話を聞くってこと。それが人としてのマナーであり、北沢啓輔がずっと続けてきた、半ば習慣のようなものだった。

 

 まあ、そんなわけであってあれから俺はいつも通り田中と会話を交わしつつ、石崎の『野球やろうぜ!』攻撃を華麗に躱して、惰眠を貪って、田中さんにチョップを喰らって───と、流されるように、のんびりと、穏やかな日々を満喫していた。

 

 そして、あれよこれよという間に終業式。全く、時というものは本当に過ぎるのが早い───なんてジジくさい事を考えつつ、俺は1人で雪の降る街を歩いていた。

 

 雪が、俺の肩にかかる。

 

 ふと、空を見上げてこの時期の到来を懐かしむかのようにため息を吐いた。

 

 時期は12月後半。

 

 

 

 

 

 1年が、過ぎようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ☆☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「いいかハナコ、俺がパーを出した瞬間にお手だ。OK?OK?」

 

 俺がしゃがみ込んだ状態でそう言うと、ハナコは大きな声でワン!と鳴き、俺を純真無垢な眼差しで見つめる。その姿に俺は一抹の不安を覚えつつも30分前から仕込みに仕込んだ一発芸を披露してもらおうと、右手を差し出す。

 

 「ぱー!」

 

 「ワンっ!!」

 

 仕込みに仕込んだ必殺技───お手をしてもらおうと右手をパーの形にして差し出すと、ハナコはそれを無視して飼い主の元へと走っていく。おのれ、裏切りおったなハナコ。そして走った先を振り向くと、そこには渋谷が呆れを通り越して最早一種の達観のような表情で俺を見ていた。

 

 「何してんの」

 

 「仕込み芸」

 

 「人のペットに仕込み芸教えちゃダメでしょ」

 

 そりゃごもっともですな。だが、こういった小動物にネタを仕込ませたいと思ってしまうのもまた事実。何気なくテレビで見た犬のお手に影響されたのは俺だけの秘密である。

 それにしても犬は可愛い。経済的な事情で犬等といった愛玩動物を飼う訳にはどうしてもいかないのだが、将来一人暮らしをするようになったら愛玩動物を飼うのも悪くは無いかもしれない。

 

 「俺、大人になったら大きな犬飼おう......2人で細々と暮らしたいな......」

 

 「あ、そうなの?じゃあ山奥でペンション買って犬と二人きりで暮らすんだね。名前は?ハチ?」

 

 「誰が猫田の話をしろと言った」

 

 幾ら俺でも山奥に家買ったりはしない。しないったらしない。仮にそんな所に家建てたら色々不便だし、第1母さんや、最愛の妹、弟に会う機会が激減してしまうではないか。俺はそんなの嫌だぞ。

 

 「それともお前、俺を山奥に押し込めて存在を抹消させたいとか言うんじゃなかろうな。そういう訳には行かない、例え抹消されても不死鳥の如く何度でも蘇ってやるからな」

 

 「今、ここでアンタの存在を永久に登録抹消してもいいんだけど」

 

 辛辣な一言を発して、渋谷は穏やかな天気には似合わないため息を吐いた。

 

 時刻はお昼過ぎ。冬休みの為マッマとりっくんが一緒に買い物に行っていて、なおかつ志保がレッスン。その為手持ち無沙汰になってしまう予定だった俺は昨日のうちに渋谷マッマにお願いして渋谷と共にバイトをこなしていた。

 学校、家事以外を終わらせた俺の趣味がバイトと惰眠しかなく、連日のお休みにより眠気もない俺はこの冬休みに時給900円という今の俺には非常に有難いバイトを渋谷先輩監修の元、バイトをこなしているのだ。今頃他所の奴等は勉強なり、部活なりしている事だろう。そう考えると、何となく自分が普通じゃない気がして、少しばかり不安になる。

 

 「なあ、渋谷。俺って普通の人だよな」

 

 何となくそう尋ねると、渋谷は鳩が豆鉄砲喰らったかのような表情で俺を見る。

 

 「本当にそう思ってんの?」

 

 「聞いてみただけだろ」

 

 「なら、自分の胸に確り確認してから私に聞いてよ。そうしたら自分がどれだけ分かり切った質問しているのか分かるからさ」

 

 「それ、遠回しに俺が異質とでも言ってんじゃなかろうな」

 

 そう呟いて、俺は胸に手を当てて今まで生きてきた俺という存在の確認を始める。

 

 妹に蹴りを入れられて、あの憎き委員長にチョップをぶちかまされて、今もこうやって渋谷に辛辣な一言を発せられて。そんな俺が常人、か。

 

 

 

 「うん、俺って超異質」

 

 「分かってくれたなら良かったよ」

 

 花の確認をしながらそう言った渋谷の言葉に俺は大きく頷き、しょげた。

 

 「ほら、やること特にないならレジ番しててよ。そんなところでしょげてないでさ」

 

 「なんで今日に限ってこんな客が少ないんだと思ったらクリスマス前日だからか。道理で客が来ないわけだ」

 

 流石にクリスマス前日の昼下がりにどんちゃん騒ぎしている輩は居ないだろう。寧ろ、クリスマスの休みを満喫する為に溜めていた仕事やらそれぞれのやることを消化している人の方が多数。俺のようにただ目的も無くのうのうとバイトなり家事なり手伝いなりしている奴等が少数だろうか。

 季節は過ぎて本日は12月24日。世間的にはクリスマスの一歩手前で皆が今か今かとクリスマスを待ち構えている日だった。

 

 「プレゼント、どうすっかな」

 

 何気なく、店番をしながらそう呟くとすかさず声が聞こえる。

 

 「シスコンブラコン」

 

 「当然だろ、好きなんだから」

 

 「あ、ショタコンも込みか」

 

 「属性を付け足すな」

 

 俺は弟と妹が大好きなだけで決して幼い子供が好きな訳じゃない。変な属性を付け加え、あらぬ疑いをかけるのは是非とも止めてもらいたいものだ。

 

 「因みに去年は何をプレゼントしたの?」

 

 「去年は母さんに花と財布、りっくんにはサッカーボールをプレゼントして、志保には絵本をプレゼントした」

 

 「ねえ、去年の志保って12歳だよね。なんで小6のプレゼントが絵本なのさ」

 

 「志保は絵本が好きだからな」

 

 本屋のあるコーナーにお気に入りの1冊を探そう!とかいうコーナーから厳選して取ってきた。選考基準は、俺が面白いかどうかという非常に拙い選考基準ではあったのだが。

 

 「勿論志保には絵本だけじゃない。黒猫のイラストが描いてある腕時計を買ったが......なんだろ、絵本の方が喜ばれてた気がするんだよなぁ」

 

 「・・・そりゃ気の所為でしょ」

 

 どうだろうな。1年前のアイツ見た目によらず趣味がまだ子供っぽい所あったし。

 

 しかし、1年経った今の志保や陸の趣味嗜好が大人っぽくなっているかまだまだ子供なのかってのは正直に言うと、分からない。人は成長する生き物だ、りっくんは大きくなって、サッカーが出来るようになったし、志保だって新人ながらアイドルを始めている。それ故に、俺は自慢の妹弟に何を贈るべきなのか。かつての思考のままで良いのか、本当に迷っていたのだった。

 

 「プレゼントは気持ちってのは分かってんだよ。でも、年に1回のイベント。折角なら盛大に、家族を喜ばせたいじゃないか。そんな時にプレゼントが足枷になるような事、俺はしたくないんだよ」

 

 そう言って、ひとつため息を吐く。その溜め息には普段使わない頭をうんと捻った事による溜め息と、事が上手く運べない駄目兄貴を自嘲する意味での溜め息だった。

 

 「兄も大変なんだね。まあ、啓輔の場合苦労はしてもそれを苦には思ってなさそうだけど」

 

 「良く分かってらっしゃる」

 

 それは、俺自身が望んでやりたいと思った事だから。考えるのは大変だけど決して辛いなんてことはないんだ。家族の為に、家族が喜ぶ為に、家族が家の中で笑っていられる為に。俺は毎年クリスマスにかこつけてサンタの仮装と共にクリスマスパーテイを開く。そして、今年も例に漏れず盛大に行う『予定』だ。

 時期はジングルベルが鳴り響く前日。皆が足繁く仕事を終わらせるために仕事やら営業やら何やらをしているであろう今日この頃。

 

 

 

 「だから俺はやるんだよ......」

 

 「何を」

 

 「クリスマスイベントをな」

 

 

 

 

 

 俺、北沢啓補の脳内では既にそれはそれは楽しい北沢家のクリスマスイベントが始まっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ☆☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 花屋のバイトを終えた俺は、ジト目でこちらを見やる渋谷を巻き込んでクリスマスの計画を画策していた。

 

 「やっぱり先ずは身なりから入らないとな。クリスマスといえばサンタクロースとプレゼント。というわけで渋谷、俺と一緒にデパートに行こう」

 

 「繋がりが全然見えてこないんだけど。大体なんで私が北沢家のクリスマスイベントに一役買わなきゃいけないのさ」

 

 「荷物持ち」

 

 その瞬間、こめかみに青筋を立てた凛が笑顔でパキパキ拳を鳴らす。

 

 「取り敢えずその頭1発殴らせて」

 

 「ジョークだ。ジョークだからその表情やめろ。俺のメンタルに響く」

 

 女の子に荷物を持たせようとする程俺は鬼畜でもないし、空気読めない人でもない。女の子と外に繰り出すなら荷物持ちはするし、話は聞く。母さんから教えられたマナーだ。

 

 「それに、渋谷が言っていた事も理解できる。確かに他所の奴が人のクリスマスに首突っ込むのってあんまりイメージ出来ないだろうし、そういうのお前守備範囲外っぽいもんな。お前孤高の少女(笑)だし」

 

 「遠回しに私をディスってんのバレバレだから。というか(笑)まで言葉で表現する啓輔は十二分に鬼畜だよ」

 

 「ばっかお前。俺を鬼畜なんていったらお前や志保はどうなんだよ、悪魔か?魔王か?どっちか選んでくれてどうぞ」

 

 「大方一般人でしょ」

 

 「面白い冗談はよせ。こっちの腹筋がもたないから」

 

 現に俺の腹筋がヒクヒク言ってる。大笑いはあまりしたくない質でな。渋谷の武士姿とか想像して吹いたりはしたけど、それだって本来なら有り得ない、俺としてはとっても希少なケースなのだ。

 

 閑話休題───

 

 「俺が渋谷に来て欲しい理由ってのはさ、プレゼントを見て欲しいんだよ」

 

 「へー」

 

 「・・・まあ、別に無理だってんなら強要する謂れはないし、別に良いけど。志保と渋谷は歳が近いから、女の子目線で良いものがあるのならアドバイスが欲しいってだけだからな」

 

 そう言って渋谷を伺うと、相も変わらず渋谷は作り物のような笑みを浮かべて、俺を見る。

 

 「花いいよ、特にポインセチアとひいらぎ」

 

 「露骨なステマを止めないか花屋の一人娘」

 

 「じゃあ......1日お兄ちゃんを好き放題殴って良い券を10枚発行するとか」

 

 「肩たたき券のノリで言うんじゃねえよ。俺を殺す気か?」

 

 先程から軽快に飛んでくる渋谷の罵倒のような提案を即否定していると、渋谷が若干目を輝かせ親指を立てる。

 

 「啓輔、男なら勇気出して飛び込むべきだよ」

 

 「無様に死ぬのが目に見えているのに飛び込むのはただの脳筋のお馬鹿さんだぞ」

 

 そういう役回りは石崎だけで結構だ。俺は負けの分かる戦に命を突っ込むほど勇気はないし、ライフポイントもない。というか、志保に好きなだけ殴られるのとか嫌を通り越して絶対に嫌。あの子のパンチ年々激しさを増してきてるんでっせ?最近はボクサーのように首ひねり使って勢いを半減させないと普通に気絶しかけるし。

 

 「第1、志保なら枚数コピーして永遠にガゼルパンチを繰り出しかねない。もう直に成人するであろう18歳が妹のサンドバッグになんてなってたまるかってんだ」

 

 「流石にそこまではないでしょ・・・・・・全く仕方ないな」

 

 そう言うと、渋谷はため息をひとつ吐き仕事用のエプロンを外し、立ち上がる。

 

 「お母さん少し外出ても良いー?」

 

 恐らく、奥で仕事の続きをしているであろう渋谷マッマに渋谷がそう言うと、渋谷マッマの了承する声が聴こえる。

 

 「いいわよー、デートでもするのー?」

 

 若干含みを持たせた渋谷マッマの一言に渋谷が呆れた表情でこっちを見やり、顎で俺に命令する。その意図を察した俺は先ずはジャブ代わりに奥の部屋に向かって高らかな声を出した。

 

 「渋谷さーん!!」

 

 「なにー?」

 

 「凛ってー!実は男も女もOKだったんですってー!」

 

 「そうなのー?初耳だよー!」

 

 渋谷マッマがそういった途端、何やら骨がパキパキなる音が聴こえたが気にしない。ここは渋谷の言わんとしていることを遂行するために更に声を出す。

 

 「娘さんお借りしますねー!」

 

 「はいはーい、凛をよろしくねー!」

 

 その声が聞こえた途端、渋谷の拳が俺の肩を貫く。その一撃は肉ではなく骨に響くパンチ。そんな拳を喰らった俺は膝をつき、蹲る。

 

 「痛ァい!?」

 

 「アンタ・・・私がどう見えたらバイに見えるの?いくらジャブ代わりでもちょっと度が過ぎると思うんだよね・・・!」

 

 「・・・え、違うの?なら謝る。スマン───」

 

 その瞬間、近くにあった本を頭に思いっきり振り下ろされる。そのあまりの激痛に、更に俺は蹲る。

 

 「痛え!?俺謝ったのに叩かれるの!?」

 

 「ごめん、その謝る姿が結構頭にきたからさ、思わず分厚い本で頭を叩いちゃった」

 

 その時、俺の頭に電流が走る───

 

 「頭だけに・・・頭にきたっ」

 

 「1点未満の駄洒落をありがと。で、私はアンタの頭をもっと叩けばいいの?それとも踏まれたいの?」

 

 「やめてください電撃的に閃いたんです許してください」

 

 笑顔で俺の頭を叩く渋谷のオーラは正に鬼。なあ、ちょっと前までコイツ俺の事鬼畜とか言ってきたんだぜ?果たして会話に(笑)を付ける俺と分厚い本で頭を叩いて、あまつさえそれを続けようとする渋谷。果たしてどっちがぐう畜なんだろうな。

 

 「・・・すまん」

 

 「聞こえない」

 

 「すみません・・・!」

 

 「動きを加えて、ワンモア」

 

 「本当にごめんなさい!それから買い物付き合おうとしてくれてありがとうございます渋谷先輩!」

 

 投げやりにそう言って頭を下げると、渋谷は近くに置いてあった鞄を取り、支度を始める。

 

 「・・・じゃあ、行こうか。それとアンタの買い物に付き合う代わりに私の買い物にも付き合う。これ約束というか条約ね」

 

 「ちょ、荷物持ちの俺の負担は───」

 

 そう言いかけると、それを渋谷が遮るかのように振り向いて、暗黒的な微笑を送る。そして、それを見た俺は完敗を認め、悟る───

 

 「え?何か言った?」

 

 「・・・荷物持ち、させていただきます」

 

 背景、家族へ。

 

 僕は、とんでもない後輩を持ってしまったらしいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ☆☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、場所は変わってデパートまでの道のり。昼までにバイトを切り上げた俺は母さんに断りを入れて渋谷と共にデパートまでの道を歩いていた。

 人は多い。冬休みだからというのもあるし、ここが都内ってのも勿論ある。

 

 「道中で買い食いするって言うのも、何か新鮮だよね」

 

 「そうか?」

 

 別にホットドッグを道中で食うって普通のような気がするけど。その気になって探せば屋台なんかかなりの頻度で見つかるし。

 

 「それよりも折角協力してくれるってんのにそれに対しての対価がそのホットドッグひとつって......本当にそれで良かったのか?なんならデパートのレストランとかでも良かったのに」

 

 「別にいいよ。私、このホットドッグ結構気になってたし。それに買い物に付き合う位の対価をレストランでの食事だと思うほど私は現金じゃないでしょ」

 

 「俺はもっと残虐だと思ったんだがな」

 

 「なら、考えを改めた方が良いよ。私は余っ程の事を言われない限り基本は何も言わないから」

 

 「ああ、そうかい」

 

 なら、別に良いのだが。

 

 そう思い渋谷の分を買うついでに買っといたホットドッグにありつく。

 

 それは一人で食べるよりも美味しかった。

 

 「美味いな」

 

 「でしょ?前々から気になってたんだ」

 

 「まさか渋谷に・・・否、この先は言うべきではないな」

 

 「ちょっと、今の思考に関して詳しく」

 

 鋭く突き刺さる渋谷の視線と抓り攻撃にひいひい言いつつ、デパートの中に入る。

 すると、辺りは様々な物と沢山の人達に囲まれ、軽快なBGMが耳を支配する。デパートに来るのも久しい俺にとっては、この世界はちょっと苦手だ。世界が目まぐるしく回っている感じがして、気持ち悪い。

 

 「で、どこに行くつもり?」

 

 デパートに着くなり渋谷が俺を見てそう尋ねる。その質問に対して俺は少しだけ含み笑い。

 

 「そんな質問に答えられてるのなら、俺は今頃1人でパーリータイムしてるよ」

 

 「それをドヤ顔で言われても困るんだけど・・・まあ、いいか。その為に私を招聘したんだもんね」

 

 ため息混じりにそう言うと、渋谷は真面目な顔になる。この時の渋谷は大体まともな返事をしてくれるので信頼しているのだが今回は何を言ってくれるのだろうかな。

 内心ウッキウキで渋谷を見ていると渋谷は真面目な表情を変えずに、冷静沈着な声で一言───

 

 

 

 

 

 「家電量販店でカミソリ2つ買いに行こうか」

 

 「お前は志保と陸に何させたいの?カミソリ持たせて何させる気なの?」

 

 1度でも渋谷のまともな表情を信頼した俺が馬鹿だった。ついでに言うなら無表情でカミソリ言われたら心の臓が冷えてしまうのは俺だけなのかな。

 

 「何って・・・最近は物騒だからさ。幼い女の子に護身用に持たせといてもいいんじゃない?啓輔の話を聞く限り志保なら物理的にカミソリシュートも出来るはずだよ」

 

 「怖ぇ・・・物理的にカミソリシュートってデパートで堂々と言えちゃう渋谷さんが怖ぇ・・・!」

 

 そして、そんなことを考えながらも家電量販店へと足を進めている自分が何より怖すぎる。どうやら、俺の中で渋谷凛という女の存在は想像を絶する程の影響力を持っているのかもしれない。というか、俺は渋谷のカミソリシュートに対してなんて突っ込めばいいのやら。平松さんか?それとも早田くんか?分かりません。

 

 「まあ、候補には入れときなよ。候補が多くて困ることは無いんだし」

 

 「一生セレクトしないであろう候補をありがとな。カミソリを買うくらいならそこら辺に置いてある石ころを『これ、神龍石なんですよー!』って言ってプレゼントした挙句ハイキックされた方がまだマシだ」

 

 「凄い妄想力だね。いっその事その力で小説書いてプレゼントしたらいいのに」

 

 「予測力って言ってくれない?あたかも俺がぶん殴られ願望があるかのように言うの止めろよ」

 

 やがて、俺達は家電量販店へと赴き視界に広がる様々な商品を品定めする。

 家電量販店には様々なものがある。炊飯器、オーブントースター、トイレ、ゲーム、etc......その中で、志保が貰って喜ぶであろうもの。ええ、彼女はゲームに興味がないことくらい分かっています。トイレなんか買った日には軽く蔑まれるでしょう。要はしっかりと吟味をしなければならないという事だ。

 

 「オーブントースターとかは?」

 

 「お、いいとこに目付けたな」

 

 そのオーブントースターで毎朝志保にパンを焼いてもらおうか。毎日志保に俺の朝食を作って貰えるのなら、俺はどんな事があっても我が妹をリスペクトしていく所存である。

 

 まあ、将来的には家を出て自炊せにゃならんのだが。

 

 「ただ、この場合オーブントースターが我が家に既に存在してるのが難点だし、志保の為になるプレゼントにゃならん」

 

 「そんなこと言ったら殆どの家電無理じゃん。なんでここ来たの?」

 

 「カミソリに釣られた」

 

 「うん、それは私が悪かった」

 

 二人同時に頭を下げて、早々に家電量販店コーナーを出ていった。さて、次は何処を目指すべきなのかな。

 

 「志保の好きなのは絵本だよね。なら、本屋は?」

 

 「本も良いが、他は?」

 

 本なら、俺の中では志保にプレゼントする第1候補になってはいるのだが、その場合去年と同じプレゼントになるのが痛い。

 

 「......例えば、志保がプレゼントされて喜ぶものっていったら何を想像する?あ、絵本とぬいぐるみ以外で」

 

 先を歩いていた渋谷が俺の方を振り向き、顔を覗き込む。そのクールな視線に、若干大人になったんだな、なんて想いを抱きつつも俺は目の前の女の子に答えを提示する為に頭を働かせる。

 思えば、志保の好きな物が絵本とぬいぐるみとりっくん以外ピンとこない俺は家族の事に対して本当に無頓着だったということが分かる。ダメだな、これじゃあシスコンなんて名乗れない。本当のシスコンなら妹の事で1週間は語れるようにならなければ。

 

 「くっ......!」

 

 「何だかピンとこないって顔してるね」

 

 「一生の不覚だよ渋谷......妹のプレゼント1つまともに考えられない俺が憎い」

 

 「そこまで悩むことかな......」

 

 内心気分をどんよりさせていると、渋谷が苦笑いしながら俺を見る。

 

 「まあ、いいじゃん。時間はまだまだあるんだしゆっくり悩めば良いよ」

 

 「......面目ない」

 

 「知ってる」

 

 「そりゃ結構な事で」

 

 隣接されているベンチに腰を下ろした俺と渋谷はほぼ同じタイミングでため息を吐く。その原因は言わずもがなプレゼントの内容であり、本来ならば俺自身が決めなければならない内容。その悩みを半分渋谷に肩代わりしてもらわなければ俺は今頃悩みに悩み、家電量販店にすらたどり着けなかったであろう。悩むことは悪いことではない。物事に関して悩むことは吟味しているという証拠になるし、適当に何かを決めるよりかはよっぽどマシだ。

 

 ただ、悩むことも度を越せば優柔不断と揶揄される。今の俺を客観的に見ればおそらくそれに該当するだろう。候補はあるのに実行に移せずこうしてベンチに座ってうんうん唸っているのが良い例だ。

 

 生憎、渋谷にも俺にも時間に限度がある。こればかりは抗いようのない事であり、どうしようもないことである。故に、悩みに悩むのも程々に・・・何処かでこれだというものを決めなければならない。

 

 志保に対するプレゼントに頭をうんうん悩ませている間にも人通りはベンチに座った俺達を通り過ぎていく。その様子を見ながら、志保のプレゼントを決めようと、商品カタログを取りに行こうと立ち上がり前を向くと、不意に俺の瞳が、1人の女の子に釘付けになる。

 途端、視線に気付いた女の子が俺を見て目を見開く。そして、一言───

 

 「北沢くん?」

 

 「田中」

 

 まさか、こんな所で出会うなんて思わなかった。田中さんならクリスマス前日でもパーリータイムせずにいつも通りの生活を送っているかと思っていたんだがな。

 

 「どうしたこんな所で。クリぼっちか?」

 

 「むっ......別にひとりきりじゃないよ。それに、今日はクリスマス前日だよ?」

 

 「ははっ、悪い悪い」

 

 「それよりも北沢くんこそ何してるの?」

 

 「家族のプレゼント、主に志保の」

 

 さも当たり前という風に答えると、田中は若干苦笑い。

 

 「シスコンだ・・・・・・」

 

 「別にシスコンじゃなかろう。妹弟のプレゼントを選ぶことがシスコンなら世界中のお兄ちゃんは全員シスコンだろうて」

 

 「そう言って、何時間プレゼントを吟味していたの?」

 

 「丸一日考えてたなっ」

 

 どうやったら志保やりっくんにクリスマスを楽しんでもらえるのかを主としてプレゼントやクリスマスツリーの位置。はたまた今回の仮装まで考えられるものは全て考えていたな。そんな意を込めて田中に笑いかけると田中は何とも言えないといった苦笑を崩さずに言葉を返す。

 

 「やっぱりそれシスコンだよ・・・・・・」

 

 

 

 何でさ。

 

 

 

 そう思い、半ば反抗の意を込めて田中を見遣ると先程まで田中と俺との会話を傍観していた渋谷が立ち上がり田中に正対する。渋谷の身長は15歳ながら田中の身長を越しており彼女たちの事を知らない人達から見たら同年代同士が正対していると思われる人も少なからずいるだろう。実際は違う。田中と渋谷の年齢はふたつ違う。田中が年上のJKで渋谷が受験を控えたJCだ。それにも関わらず渋谷と田中があたかも同年代のように見えてしまうのは身長の差のみならず年上にもタメ口を利く渋谷の度胸のような何かと大人びた渋谷の物腰と表情の影響なのだろう。

 

 渋谷は田中を視る。それはまるで何かを品定めするかのような、そんな瞳。そして、そんな瞳で見られた田中は心なしか緊張しているようにも感じた。

 

 「アンタが田中さん?」

 

 「う、うん」

 

 「私は渋谷凛」

 

 「趣味は人間生け花だぞ」

 

 「よろしく───ああ、因みに趣味は特になし。クラスメイトなら分かってると思うけどあの馬鹿の言うことは良い意味でも悪い意味でもまともに聞かない方がいいよ」

 

 そして、渋谷は握り拳を作り拳と腰を捻って俺にコークスクリューブローを放つ。

 

 「うぉぉぉぉ!?」

 

 「誰が人間生け花が趣味だって?花屋の娘になんてこと抜かしてんのさ」

 

 「残虐的なお前にはぴったりな趣味だと思ったんだがな」

 

 「まだ言うかそれを。あんたって本当にそういうとこ執念深いよね」

 

 ため息を吐き、薄目で俺を見る渋谷。そんな瞳で見られても興奮したりはできないがこちとら何時も苦汁を舐めさせられているんだ。今仕返ししないでいつ仕返しする。うん、今しかない。

 

 「と、いうわけでこいつが花屋の一人娘、田中が付き合っているとか勘違いした女の子渋谷凜だ。一応高校受験を目前に控えた中学生。将来は俺たちの高校に入学するかもしれないから今のうちに仲良くなっておくことを推奨する」

 

 「ねえ、私女子高行くって啓補に言った筈だよね。なに、アンタの前頭葉イカレてんの?」

 

 そういうことも言っていた気がする。まあ、渋谷の進学予定の女子高は私立だから都立の高校である俺と田中が在籍している高校も受けれるには受けれるのだけれど。このことを分かっていて渋谷は言っているのだろうか、気になる。

 

 「なんというか・・・北沢くんと関係がある人って良い意味で普通の人と飛び抜けているよね」

 

 田中がぼそりと俺に聴こえるように呟くとそれを聴いていた渋谷が呆れた笑いを浮かべる。

 

 「ハッタリでしょ。啓補は兎も角私は世間に馴染むように努力してきたつもりなんだけど」

 

 馴染む、ね。

 

 プレゼントのファーストチョイスにカミソリを選択して、ボクシングの必殺技をかましてくる目つきの鋭い普通の女の子がいるのなら是非お目にかかりたいものだな。良くも悪くもそんな子が普通の女の子なわけがない。渋谷は十二分に特別な女の子だろうて。そう思い田中を見遣ると、田中は渋谷の返答に対して何とも言えないような、そんな乾いた笑いを浮かべていた。

 

 「それにしても、珍しいね。北沢くんが顔見知りとはいえ一人で出かけずに友達と何かをするなんて」

 

 「と言っているぞ、渋谷。俺とお前は友達のように見られているらしい。先輩と後輩には見えないのは屈辱の極みだよ、啓補マジショック」

 

 「よし、後でアンタ泣かす」

 

 俺が突発的に行った挑発のような何かに渋谷は青筋を立て無理くり笑みを作り堪える。そして田中のほうを向いて一言。

 

 「アイツ、妹に渡すプレゼントで悩んでるからさ、一緒に何が良いのか考えるの手伝ってくれないかな?」

 

 その一言に、俺は目を見開く。ただでさえ渋谷の時間を削ってプレゼントを選んでもらっているのに田中の時間をも削ることになってしまったらもれなく俺は罪悪感で凹む。そこまでの人員をかけてまで選ぶことではない。俺と渋谷だけでも、最悪俺一人でもなんとかなる。

 

 「渋谷、別に田中の手を患わせる必要はないだろ。第一、田中は一人でこのデパートに来ているわけじゃない、友達か何かを待たせてんだぞ」

 

 「あ、そっか。すっかりそれを忘れてた」

 

 忘れるな。先程まで傍観に徹していたのならしっかりと覚えてろ。

 

 「田中、気にする必要はない。友人を待たせているのなら早くそっちの方に行ってやれ」

 

 というか、是非行ってくれ。そんな面持ちで田中を見遣ると、少し不満気な顔付きで田中が俺を見る。その瞳の意味が分からずに思わず顔を顰めると、田中は不満気な顔付きそのままで話す。

 

 「・・・私に頼るのは、嫌?」

 

 「いや、そういう訳じゃなくてだな。お前だって用事があるんだろ?だったら別に───」

 

 「確かに用事もあるけど、暫くは大丈夫だし・・・何より北沢くんが妹さんの為に何かをしようとしてるから、私も協力したい」

 

 コイツ。

 

 意図したのかどうかは知らんが断りにくい状況を作っちまいやがった。頼るのが嫌かと聴かれて断れる奴がいるのなら是非教えて欲しい。

 

 「・・・だってよ?どうするの啓輔。これ断ったら田中さんの好感度が急降下だよ?」

 

 「好感度ってお前なぁ・・・」

 

 確かに、そうかもしれないが田中にとっての感情がLOVEでもない俺にとっては田中の友好度も好感度も上げる意思がない。そんなものが数値化されて、明確にあるのならそんなものクソくらえだ。

 ただ、折角頼んでくれたものを無碍に断るのも気が引ける。その中で一種のジレンマをまたしても感じ取った俺はため息を吐いて、1度間を取って答える。

 

 「・・・何か案があるなら、教えてくれ」

 

 チキンだ。好感度云々言っておきながら、結局田中さんの厚意に甘えてしまっている俺は相当な腰抜けで優柔不断なモテない男だと卑下してしまう。それでも、そんな俺の言葉を聞いた渋谷はため息を吐いて『そこは教えてくださいでしょ・・・』と呆れ笑いを浮かべ、田中は嬉しそうな笑みを浮かべる。てか、同年代に敬語とか俺絶対嫌だからな。そして、何時もタメ口のお前が敬語を語るとかなにそのブーメラン・・・と渋谷を生暖かい目付きで見遣ると、ついに渋谷が俺の足をローキックで痛めつける。

 

 「ぐほぉ!」

 

 あまりの痛みに蹲る俺に田中は容赦なく質問を続ける。

 

 「そう言えば、志保の好きなものってなんなの?」

 

 「志保が好きなのは絵本とぬいぐるみだ・・・痛え」

 

 「・・・じゃあ、それにしたらいいと思うけど」

 

 「ところがそうはいかないんだよ、田中さん」

 

 「あ、えと───」

 

 「凜でいいよ。どうせ田中さんの方が歳上だろうし。その代わり、私もタメ口利いちゃうけど・・・いい?」

 

 「おい、その配慮を俺にもしろよ。俺歳上だろ?」

 

 俺と同い年の筈の田中に対しての態度に物申そうと渋谷にツッコミを入れるものの、渋谷はまるで意にも介さず田中に対して続ける。

 

 「この馬鹿は去年に黒猫の時計と絵本をプレゼントしてしまって、形式的に去年と同じプレゼントは出来ない上に、志保の趣味嗜好が変化しているのではないかと不安になっているんだよ。だから、今年はまた違ったプレゼントを送りたいんだって」

 

 「因みに一昨年はぬいぐるみだったぞ。ぬいぐるみぎゅって抱えてた志保はマジで可愛かった」

 

 「少し黙ってて」

 

 そして、ようやっと反応してくれたと思った所の罵倒に、俺の心は完璧に打ち砕かれる。仕方ないだろ、現にぬいぐるみ持ってた志保はマジで可愛かったんだから。何時もクールを地で行き、弱味を見せたりすることがなかった志保がプレゼント送った時に見せた本当に嬉しそうな笑みは周りの人すら幸せにしてしまいそうな力を持っていたように思える。現に、その時の俺がそうだったから。一生懸命プレゼントを悩み抜いた苦労がその笑顔だけで報われたから。

 

 「・・・だとすると、難しいよね。私も志保と同じ事務所でアイドルやってるけど、なかなかそういった話は聞かなくて」

 

 「しかもシスコン拗らせてるせいでいつもより判断力が鈍すぎる」

 

 「シスコンで何が悪い。志保も陸も俺の大切な兄弟だ」

 

 「・・・と、ご覧の有様だよ。だから、同じ事務所でアイドルしてる琴葉にアドバイスを貰おうと思ってたんだけど」

 

 「そっか・・・」

 

 そう一言だけ田中が呟くと、ふと田中が何かを思い出したかのように顔を上げる。その乾いた音に釣られ、思考の海に潜っていた俺の意識は田中に向けられた。

 

 「北沢くん、妹さん・・・志保が今熱中しているものってなに?」

 

 熱中、か。

 

 「お兄ちゃんを殴ることとりっくんを愛でること」

 

 その瞬間田中の笑みが引き攣り、渋谷の鋭い眼光が俺を捉える。

 

 「真面目に考えなよ」

 

 「真面目に考えたさ、新技の高速タックルめっさ痛かったんだからな」

 

 上体を低くしたプロサッカー選手顔負けのスライディングタックルは俺の足を痛めつけるには十分な強さを誇っていた・・・という所まで考えて、やはり護身用でもカミソリは要らないな、とまとめる。だって、今の志保普通に強いし何なら喧嘩に巻き込まれたとしても素手で何とかしてしまいそうなんだもん。

 

 「・・・じゃあこうしよう」

 

 そう言うと、田中は少しだけ悪戯っぽい笑みを浮かべて俺に問う。

 

 「志保が今、1人で頑張っているもの、なんだろ。シスコンの北沢くんに質問だよ」

 

 「1人で?」

 

 「今、志保は北沢くんに断りを入れて何をしてる?」

 

 1人で頑張っているもの。

 

 俺に断りを入れてやっているもの。

 

 そのキーワードは俺の頭にすっと入っていき、俺の頭の中で引っかかっていた何かを解消させた。そして、首を傾げた田中の問いに対する解を見つけた時、俺が考えうる中での最強のプレゼント・・・・・・志保をあっと驚かせるプレゼントが電撃的に閃いたのだった。

 

 「アイドル────か」

 

 普段はそうそう起こらないであろうすっきりとした感覚と口角が上がる感触を得た俺は半ば衝動的に渋谷に問いかける。

 

 「渋谷、スポーツ用品店行ってくる」

 

 「アンタ・・・唐突過ぎでしょ」

 

 「閃いたんだよっ。これなら志保を喜ばせられるであろう最強のプレゼントをな!」

 

 「・・・分かったよ、行っといで」

 

 ため息混じりの苦笑と共に渋谷がそう言ったのを確認すると俺は走り出す。頭の中はさながら有頂天。充実した日々を過ごせていると言っても過言ではないと思える。そんな俺は、最後にこんな俺のプレゼント選びに付き合ってくれた2人の女の子に振り返り、一言────

 

 

 

 

 「渋谷!田中!本当にありがとう!!」

 

 

 

 

 

 最大限の感謝を込めて、スポーツ用品店へと走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ☆☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1人の男がスポーツ用品店へと嬉々とした様子で向かっている中、取り残された2人の女の子たちはお互いを苦笑いの表情で見つめていた。渋谷は先程までこの場所でうんうん唸っていた啓補の豹変ぶりに呆れるかのように。琴葉は今日まで面識のなかった女の子と2人でいる気まずさから。啓補という存在がスポーツ用品店へと向かってしまった以上、2人の関係は浅いものであり。渋谷の目つきも相まって2人は話すタイミングを計りかねて無言のまま、暫しの時を過ごしていた。

 そんな静寂を、断ち切ったのは渋谷だった。琴葉の方は向かずに啓補の走っていった方向を見遣って続ける。

 

 「・・・ありがとう」

 

 「えっ」

 

 「いや、啓補ってああ見えて悩んだりすると結構ドツボに嵌るタイプだからさ。助けてくれて感謝してる」

 

 再びありがとうと今度は頭を下げた渋谷に、琴葉は顔の前で必死に手を振り渋谷の一礼を止めさせようとする。琴葉からしたら啓補にアドバイスを送ったのは、所謂エゴというやつで自分がアドバイスを送ろうと思ってそうしたまでの話であった。その為、こうやって第三者に頭を下げられるとひどく身体がむず痒くなってしまう。

 

 「べ、別に凜ちゃんが頭を下げる必要はないよ!これは私がやりたくてやった事だし・・・」

 

 「それでもだよ。友人として、協力者として琴葉には感謝してる。だから私はこうやってお礼を伝えてるの」

 

 渋谷は頭を上げて琴葉に笑みを送る。渋谷のそんな笑みは人に滅多に見せるものではないのだが、今のこの瞬間の友人を思う時の笑顔は魅力のあるものだった。今の笑みならばアイドルだって出来てしまうだろう、否・・・スカウトマンが黙っていないのではと琴葉が苦笑いしていると、その苦笑いに渋谷が不思議そうに反応する。

 

 「何?私の顔に何かついてる?」

 

 「ううん、凜ちゃんの笑ってる顔が可愛いなあって思って」

 

 無論、本音であり事実。しかし、そんな賞賛を凜は正直に受け取らずに、左手を口角に添える。

 

 「琴葉ってバイなの?」

 

 「口説いてないよ!?」

 

 琴葉は唐突な渋谷のキャラ崩壊に驚きつつ、彼女が啓輔と違和感なく軽口を言い合えている理由の一端を知る。啓輔と対等に渡り合うためにはこれくらいの会話を挟める余裕が必要なのかもしれない。尤も、琴葉自身啓輔の感情表現乏しい軽快なトークもとい家族自慢に真っ向から対抗する気はないのだが。

 

 「あはは、冗談だって。啓輔の馬鹿と長い間付き合ってると、自然と人の地雷踏む癖がついちゃって。ほら、啓輔が琴葉に殴られる原因を作った時みたいにさ」

 

 う、と琴葉が声を漏らすとそれに呼応するように凜がクスクスと声を漏らして笑う。

 

 「改めて言わせてもらうよ。万が一にもそんな事は無いし、当時の啓輔は女の子の尻を追っかけるよりも、家族の事に夢中だったから」

 

 「家族・・・か」

 

 田中は、その言葉に納得する。何せ、家族のプレゼントを未だに真剣に考えているお兄ちゃんだ。きっと、今も昔も志保や弟のことが大好きで大好きで仕方なかった人間の筈だと琴葉は推測する。

 

 「想像出来るよ。何となく」

 

 それ故に、発された一言に凛は納得の表情で田中を見た。

 

 「どうやら、そっちの啓輔は今のところ相変わらずみたいだね」

 

 「・・・凜ちゃんは、昔の北沢くんを知っているんだよね」

 

 「当然。じゃなきゃ他人の妹のプレゼント選びに手を貸したりなんかしないよ」

 

 まあ、若干渋ったりはしたが基本線は啓輔の事には協力的な凛である。彼女が啓輔の頼みに難色を示したのは啓輔を弄ぶ.....言ってしまえば暇を持て余した凛の遊びであるのだ。

 

 

 

 

 一定の会話を挟み、凛と琴葉の仲は早くも良好なものとなる。それは、とても好ましい事であり、双方にとっても楽しいものとなる。元々啓輔を介して知り合った2人である。若干の不安はあったものの今となってはそんな心配も杞憂だったというのが、2人.....琴葉と凛の感想である。

 

 それ故に、凛は踏み込んだ。琴葉の人となりを知った上で。琴葉の人となりを信頼して。

 

 「気になる?啓輔の過去」

 

 「過去って・・・」

 

 「今の啓輔よりも昔の・・・野球馬鹿だった頃の北沢啓輔」

 

 そう言って、渋谷は考える。

 

 もし、彼女が北沢啓補の過去を知らないのなら

 

 もし、彼女が何も知らないでいるのなら

 

 それなら、その過去を知っている私が彼女に伝えるべきなのではないかと。

 

 「・・・琴葉はさ、何かに絶望したことってある?」

 

 それは、一種の感情。夢破れ、挫折したものが時として感じる負のみのそれ。そんな体験をしたことはあるのかと唐突に問われた田中は驚くものの、渋谷の質問に誠実に返す。

 

 「似たような感情に陥ったことはある・・・と思う。ごめん、断言できる自信がない」

 

 「いいよ、別に。急に尋ねたわけだしむしろ断言されたほうが気持ち悪い」

 

 それでいい、と渋谷は納得した。そもそも人の絶望の感じ方なんてものはそれぞれだ。感じ方の温度差を咎める趣味は渋谷にはなかったし、絶望の度合いが違うことが渋谷のこれから話すことに影響することはない。渋谷がこの話をする上で最も重要視しているのはそれではない。

 渋谷が大事にしているのは、もっと単純な事なのだ。

 

 「体験したってのが大事なんだからさ」

 

 「体験?」

 

 「そう、体験。それに近いものを経験した人間じゃないと、啓補の過去は話せない。だって、経験したこともない人にそれを話したところでまるで響かないから」

 

 渋谷凜という少女は無闇矢鱈に他人の事を話そうとしない。それは、滅多にその機会がないからということもあるが、凜の友人に対する義理堅さもそうさせている。家族のことは勿論、少ない友人に秘密と言われたこと、確証のない話は絶対に口にはしない。『特に』北沢啓補に関しては人を選ぶ。少なくとも啓補は彼女にとって本当の仲間だと思っているから、信じているから。

 そんな彼女が、こんな質問をして琴葉を試すこと自体が、本当に珍しいのだ。

 

 「私だって・・・響くかどうかは分からない」

 

 「なら止める?強制はしないよ。これは私が琴葉に伝えときたいから話すだけの所謂エゴってやつだし。北沢啓補と後々関わっていく中で避けては通れない『過去』を私がアンタに伝えたいだけだから」

 

 聴かないのなら、それでいい。言い方は悪いがこれは聴く意思もない人間に安易に話すべきものでもないから。そう思い琴葉を薄目で見ると、琴葉は俯いて何かを考えているようだった。

 

 「私に、話してもいいの?」

 

 「何となく琴葉なら大丈夫かなって。そう思っただけだよ」

 

 その感覚はいわば直感のようなものである。人となりを知ったとはいえ田中琴葉という人間に深く関わったことがない以上、100パーセントの確証を持つことは出来ない。

 

 けれど、この目の前に立つ女の子がこの話を聞いて何かが変われば。

 

 北沢啓輔を変えられるのではないかと。

 

 その一方で、田中琴葉は北沢啓補の過去を知りたかった。それは、中学での琴葉が知っている啓補と今の琴葉が知り得る啓補とのギャップとの差ががあまりにもあったから。そして、今の啓補をどこか放っておけなかったから。けれど、絶望というキーワード。友達を待たせているという焦燥感。そして安易安直に人の過去を知っていいのかという悩みが琴葉の足を止めていた。その結果琴葉は俯き悩んでいた。

 

 そして、その理由が凜には手に取るように分かっていた。

 

 凜は紙を取り出し、自身の連絡先を記入し琴葉に押し付ける。

 

 「これ、私の連絡先。決心付いたら何時でもかけてきなよ。それから―――」

 

 急な展開に顔を上げて「え、えっ」と慌てている琴葉にニヤリと笑みを浮かべ、凜は一言。

 

 「さっき琴葉は啓補と絡んでいる私を良い意味で飛び抜けてるって言ったけど、そんな啓補と違和感なく軽口を言い合える琴葉も十二分に飛び抜けてるよ。特大ブーメラン、投げちゃったね」

 

 「なっ―――」

 

 今度は顔を赤く染め、狼狽した琴葉を尻目に凜はスポーツ用品店へと歩を進める。

 

 「もっと自信持ちなよ。啓補が碌に人と話さない中で、琴葉とはまともに会話しているんだからさ」

 

 最後に一言。そう言って本当に凜はスポーツ用品店へと向かって行ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「琴葉さん」

 

 ふと、後ろから聞こえた声に琴葉は肩を跳ね上げて後ろを振り向く。

 すると、琴葉の目の前に映ったのは啓補や凜と同じ、年相応以上に大人びた印象を持つ女の子がじっと琴葉を見つめていた。

 

 「あ・・・志保か。えっと、ごめん、迎えに来てもらっちゃて」

 

 「構いません、もともと琴葉さんにはお礼を言わなければならない立場なので」

 

 そう言うと、北沢志保はお礼を言うべく頭を軽く下げる。

 

 「兄のプレゼントと、それから荷物も少々持っていただいて本当に助かりました。ありがとうございます」

 

 「そんなにかしこまらなくたっていいよ。乗りかかった船のようなものだし・・・寧ろまともなアドバイスができたかどうか」

 

 頭を下げた志保を諫めつつ、こうして志保と2人でいる琴葉だが実のところは啓補に言われたように彼女は今日に限り『ぼっち』であった。午前中にレッスンを終わらせた後、余裕のできた琴葉であったが取り急ぎ行うような要件もなかった為それとなくデパートで時間を潰していた。

 そんな中、琴葉が通路で見たのは両手に抱えた大量の荷物に悪戦苦闘していた志保だった。そこから成行きで琴葉は志保を手伝うことになったのだが、その過程で琴葉が記憶しているのは兄と弟のプレゼントに対して無表情ながらも目を輝かせていた志保とプレゼントを買い終わった後の満足そうな笑みのみである。

 

 「それにしても沢山買ったね。何時もこうなの?」

 

 何気なく尋ねた琴葉の質問に、志保は思案する。

 

 「何時もはこうじゃないんですけど、今日はクリスマス用の食材とプレゼントを探していたので。こうでもしないと兄がすぐに調子に乗りますから」

 

 調子に乗らせるとはどういう意味だと琴葉は思案するも、それは志保の言葉により意味を理解する。

 

 「あれやこれや今日のうちに支度をしておかないと兄主導で混沌としたクリスマスパーティが始まってしまうので。クリスマスの日位兄には楽をしてもらいます。兄の思い通りには絶対にさせません」

 

 何時もの志保らしからぬ熱意のこもった声に、若干の既視感を感じつつも琴葉はクスリと笑う。兄妹というものはここまで思考が被るものなのか、というか混沌としたクリスマスパーティとは・・・?と内心琴葉が疑心暗鬼になっていると、志保は何時もの冷静さを取り戻す。

 今回、普段は一人でいる志保が成り行きながらも琴葉の厚意に甘えたのにもしっかりとした理由がある。それは兄経由でありながらもアイドルとして働く前から田中琴葉という女の子の人となりを事前に知っていた上で、ファーストコンタクトに細かなミス(志保が一度レッスンに釘付けで琴葉を無視&琴葉のアンパンチ)はあったもののしっかりと会話ができたという過程があるからである。もし、その場に居合わせたのが音痴の女の子や饂飩好きの女の子なら、仮に協力すると言われても頼まず突っぱねていたことだろう。

 

 やがて、出口にさしかかり琴葉と志保の帰宅手段も別の為2人は別れの言葉を言うために向き合う。

 

 「本当に今日はありがとうございました。このお礼は後々返します」

 

 「別に返さなくて良いよ。だって私達仲間でしょ?」

 

 仲間。

 

 その言葉に志保は顔を俯かせ、琴葉に言う。

 

 「・・・琴葉さんがそう思っても、私はそう思ってませんので。それに・・・」

 

 その時、志保は確実に何かを言おうとした。

 それは、何か大事な事を打ち明けるかのような哀愁に満ちた顔付きで。けれど、その言葉は発するまでには至らず喉から出かかった寸前で止め、言い直す。

 

 「すいません、何もないです。兎に角貸しは返させてください。誰かに貸しを作ったままなのは嫌なので」

 

 勢いのまま、そう言った志保はこれ以上の追撃を受けない為に早々に歩いていく。尤も、琴葉にこれ以上志保の決意のような何かに口を挟む気は毛頭なかったのだが。

 

 「さようなら、志保!」

 

 最後にお別れの挨拶を志保に届けるべく大きな声で呼びかけると、志保が振り向き様に頭を下げて、また歩き出す。そんな志保の義理堅さのような何かを垣間見た琴葉はこの短時間のうちに起こった濃密な時間を回想し、改めてその濃密さに大きく息を吐く。

 

 色んな出来事が起きた。志保に出会い、荷物持ちを手伝って、北沢くんに会って、凜ちゃんに出会って、そして志保のプレゼントを一緒に考えた。

 

 その中で偶発的に起きた、啓輔の過去を知るチャンスのような何か。その好機に、琴葉は身を竦めてしまった。

 

 過去は知りたかった。けれど、それを知ろうとした時、琴葉の気持ちを躊躇わせてしまったのは焦燥感、思いとどまり。

 

 そして、これを知った時決定的な何かが変わってしまうような半ば本能的な直感。そして、その直感は知らず知らずのうちに琴葉の心を締め付け、躊躇わせていた。

 

 

 

 

 

 そこまで考えて、琴葉は大きくため息を吐く。

 

 今の琴葉には、決定的なモノが欠けていた。

 

 それは、何時も生真面目で、委員長で、周囲の期待に努力と結果で答えを出してきた琴葉が持っていたもの。そして、『ある日』を境に琴葉が感覚的に身に付けていたもの。

 

 

 

 

 

 田中琴葉には勇気が欠けていた。

 

 啓輔の過去を知る勇気が欠けていた。

 

 自身がやりたいと思える事を躊躇わない勇気が欠けていた。

 

 変化に躊躇わず、突き進む気持ち

 

 

 

 

 

 

 変わる勇気が欠けていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




書いてて今更ですが、要所要所でシリアスを入れてくるスタイルなのでそういった展開が苦手な方はブラバ推奨です。

こんなのシリアスじゃねぇ!!凛すこ!琴葉すこ!妹沢すこ!な方が少しでも増えて頂ければ嬉しいです。

メイド志保、見たい(切実)



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それは変わらずには─── 第8話 謝るのがステータスになっているのはちょっと駄目な気がする

 

 

 

 

かつて、俺には夢があった。

 

それは、俺にとっては無謀で、無計画で、それでも壮大で希望に満ちた夢。

 

夢があったから野球が楽しかった。

 

夢があったから野球が上手くなった。

 

夢があったから野球が出来たんだ。

 

 

仮にその夢を純粋に追いかけられていたのなら、俺はその夢を叶えることが出来たのだろうか。その先にある幸福へ、俺は進めたのだろうか。

 

それは、今の俺には分からない。

 

『夢が壊れた』俺には、一生知ることが出来ない。

 

 

 

野球は、嫌いだ。

 

野球には、酸いも甘いも含めた沢山の思い出があるから。

 

そして、今では壊れ、崩れた夢を持っていた頃の俺を思い出してしまうから。

 

 

 

何度だって、言ってやる。

 

 

 

『俺は────』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日は、驚くべき一言から始まった。

 

 そう言っても、過言ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新年が明けて、2回目の登校日。朝、いつも通りギリギリに起きて、ギリギリで支度して、ギリギリで学校間に合って、ギリギリ田中さんの馬場チョップを回避することに成功したギリギリじゃないと生きていけないらしい俺は、田中に寒い目で見つめられながらも教室の自分の席に着き、ふらふらと悠々自適な時を過ごしていた。

 

 「新年経ってもギリギリの癖は変わらず......か」

 

 田中がそう呟いて、こめかみに手をやる。その様子はまるで出来の悪い子供の対応に困る母のような姿であり、不覚にも自分が情けなくなってしまった。

 とはいえ、多少自分が情けなくなった程度で行動を改めるのならば、とっくのとうに行動は改まっている。

 

 「ははっ、いっその事チャイムと同時に教室に入ってこようか」

 

 ───途端、頬に鈍痛が走る。痛みに悶えながら田中マッマを見ると、田中はニコリと黒い笑顔を見せながら俺の頬に手を伸ばしていた。

 

 「抓るよ?」

 

 「うん、ごめん。調子に乗り過ぎたのは謝るから有言実行やめれ、痛い」

 

 しかも、次第に力が強くなっていくのだからタチが悪い。どうやら、今の田中には遠慮なんてものは持ち合わせてないらしく、俺はひたすら田中の抓り攻撃を耐えていた。

 すると、次第に田中の抓る力は弱まり、手は俺の頬を離れる。そんな田中の様子を見て、やっと解放されたのか、そうなのかと内心コロンビアガッツポーズをして浮かれていると、田中はニヤニヤしている俺の顔を見て、少しばかりのため息を吐いた。

 

 「常に規則正しい生活を送って余裕を持って行動する。そうすれば日常にゆとりを持つことが出来るし、何より健康に良いんだよ?」

 

 「規則正しい生活、か」

 

 「因みに北沢くんは何時も何時に寝てるの?」

 

 「10時」

 

 その瞬間、田中の顔は驚きに包まれる。なんだろう、今日の田中は表情がころころ変わるなあ。その表情ひとつひとつが画になるのは、やっぱり田中が演劇部の部長として演劇に真摯に取り組んでいた故か、と思っていると、田中はその表情のまま続ける。

 

 「......私としてはその時間に寝て何故そんなに惰眠を貪れるのかを聞きたい所なんだけど」

 

 「そりゃあお前、俺を誰だと思ってるんだよ。惰眠マスターのケイスケだぞ?」

 

 「随分マスターになるのが簡単そうな称号だね......」

 

 うっせい真面目マスター。こちとら妹にも何度も何度も寝坊助を叱られているんだ。

 この前なんか遅刻間際でぼーっとベッドでうたた寝していた俺の頬を思いっきり抓ってきたんだぞ。そんな痛い思いをしても寝坊助が治らないってことはそれ即ち、俺の寝坊助&惰眠は一種のステータス......否、俺の天命ってことになってるんだよ。『ちゃんと寝てね☆』っていう神のお告げなんだ。

 

 「......今、本当にどうしようもないこと考えなかった?」

 

 「考えてない」

 

 そして、心を読むのは止めろ。冷や汗かくだろうが。

 

 そう思い、内心田中の読心術に肝を冷やしていると俺と田中の前に言わずとも知れた野球バカが現れ、ドヤ顔で身を乗り出す。迫力あるそのドヤ顔はまさに男前───なんて、またしても頭の中で馬鹿な事を考えていると、今度は読心術なんぞ心得てもいないだろう真正の馬鹿、石崎洋介が俺の肩を掴みながら耳元で叫ぶ。

 

 「球技大会だっ!!」

 

 「耳元で唾を吐きかけるな、気色悪い」

 

 「辛辣!?お、お前心友と書いてズッ友と読む間柄にある俺になんて事を───!?」

 

 「うん、ごめん石崎くん。今のテンションは流石にちょっと......ダメ、かな?」

 

 「田中まで!?酷い!!酷すぎるよっ!現実は......残酷や!」

 

 それを言うならお前が最近ハマりだしてるホラーゲームも随分残酷だと思うけどな。現実を残酷と言ってしまう位ならお前が常日頃からゾンビーズに殺られて『こ......興奮するぜッ!』とかいって授業中や休み時間にこっそりピコピコやってるゲームにも残酷って言ってやってほしいものなのだが。

 後、事ある毎に『嘘だッ!』とか言うの止めろよな。昔やってたゲームを思い出すからさ。

 

 「......ああ、そうだ。確かに球技大会近いよね。そろそろ練習とかするのかな?」

 

 さて、先程から項垂れて地面にのの字を書いている石崎を他所に、思い出したかのようにそう尋ねてきた田中に俺は『知らん』と肩を竦めて溜息を吐き、何処と無く呟く。

 

 「球技大会、か」

 

 かつて、暇を持て余した運動部員がこぞってやる気を出していた例の運動部の運動部による運動部の為の玉遊び。中学生時代は渋々参加していたが、高校生になって初めの球技大会は体調不良を理由に欠席した。無論、今回も体調不良を理由に応援に回る予定である。

 

 「北沢くん、何かやるの?」

 

 「おサボりって競技があるなら是非是非参加したいんだが」

 

 サボりと惰眠なら一等賞を取れる自信があるぞ。

 

 「そんな競技あるわけないでしょう」

 

 「なら出ない。拒否権を行使する───」

 

 「即答───!?」

 

 田中から驚きの声が上がるも、俺はそれを華麗にスルーして石崎を見る。石崎は依然として地面にのの字を書いてぶつぶつ言っている。俺はそんな石崎の坊主頭をペシっと叩き、正気に戻させる。てか、こいつの頭感触いいな。ツルッとしてて気持ちがいいぞ。

 

 「痛ってえな!馬鹿になるだろうが!!」

 

 「お前の場合もう馬鹿だから関係ない。それよりも、分かってるな石崎。今回の球技大会は俺は出ないぞ。体調不良で欠席する未来が見えたからな」

 

 「テメエが勝手に未来を捏造してんだろうが......!」

 

 石崎はわなわなと震えながら俺を見る。やだなあ、そんな熱い眼差しで俺を見ないでくださいよー。そんな目で見られても俺はお前の期待には応えられないぜ?

 

 冗談はともかく、俺は球技大会には出たくないのだ。その為には何をしたらいいのか、それは球技大会を取り締まっている体育委員の石崎に早い内に休養宣言をしてしまう事だ。生憎、我が高校の球技大会種目は団体戦が多い。それ故に1度でも頭数に入れられてしまえば、休んだ後にクラス中から強烈で鮮烈なバッシングが襲うだろう。只でさえメンタルがボロ雑巾の俺にそれはキツイ。絶対にキツイ。

 

 「大体お前だって分かってんだろ!?俺がその手の競技が嫌いなの!腐れ縁さんよォ!」

 

 「知らねえよ!てかお前普通にやればどの種目でもハイレベルにこなせるだろうよ!!なまじ運動神経は良いんだからよ!」

 

 「かーっ!分かってねえなぁこの石像は!上には上がいるんだよ!!それに比べたら俺の運動神経は並より下なの!クソなの!お前の頭と同じでな!!」

 

 「せ、石っ......言いやがったなこの野郎!!」

 

 遂に石崎がこめかみに青筋を立てて俺を見据える。しかし、それがどうした。お前の怒りなんぞ俺は既に分かっているし、見切っている。

 

 「......なあ、石崎。そろそろお前とは決着を付ける必要があると思うんだよ」

 

 「ああ......そうだなぁ。前々からお前のアップルパンチにはうんざりしてたんだ。丁度良い、ここら辺で俺をペシペシ殴っている事がどれ程愚かな行為なのか、身を以て分からせてやんよ」

 

 「......え、待って。何で北沢くんと石崎くんが決着をつける羽目になっているの?」

 

 田中が何やら怪訝な表情でこちらを見るが、そんなことは俺の知ったことではない。今、俺は目の前の石崎を熱い眼差しで見ることで精一杯なのだから。

 そして、何よりアップルパンチにうんざりする奴には負けられない。何故か分からないが、俺の心の中に眠る獅子の魂が今回限定で蘇ったのだ。今ならいける、そんな気がしてならない。

 

 「容赦はしねえ!安心して昇天しろ石崎ィ!!」

 

 「ほざけ!!ろくに運動してねえ奴に俺が負けてたまるかァァァ!!」

 

 2人揃って飛び出し拳を振り構える。俺はそのままストレートを打つために、腰を捻る。対する石崎は独特なステップを刻み、見るも明らかなアッパーを繰り出す為に上体を低くする。

 

 そして、同時に放った拳と言葉は───

 

 「アップルパンチ───ぶふぉ!?」

 

 「熱男ぉぉぉ───へぶしッ!?」

 

 両者相打ちの、手痛い一撃となってしまった。

 

 「みぞ......鳩尾痛い......!」

 

 「畜生......!喉に拳喰らわせんじゃねえよ......!」

 

 目の前には喉を抑えながら悶絶している石崎が、俺を苦し紛れに見つめていた。かくいう俺も鳩尾付近にアッパーカットを喰らった為、かなり痛くて蹲っている。

 石崎の熱男の威力を心底思い知ると同時に、拳に走った確かな感触に浸っていると、突如視線の恐怖を感じる。所謂、鋭い剣の切っ先を向けられているかのような感覚に陥った俺は、恐る恐る後ろを振り向く。すると、そこにはジト目でこちらを見やる委員長、田中が。おのれ、視線を送っていたのはお前か。

 

 「......二人共、何やってるの?」

 

 恐らく、俺の記憶史上最も恐ろしいオーラのような何かを引っ提げ、田中は尋ねる。

 先程まで悶えていた石崎は、田中の表情を見るなり無言で土下座を敢行する。幾ら潔さが大事だと言っても無言で速攻土下座って立場的にどうなん?貴方仮にも野球部キャプテンのリア充ですよね?

 

 ......なんて、場違いな事を頭の中で考えている俺も、内心では土下座しようかなー、なんて考えており、さっきから両手がわなわなと動いている。その動き、まさに変態。自分でもそう感じてしまう醜態に俺は心が痛くなりました。

 

 まあ、結局のところここまで田中さんに言われてしまえば、端的に言って『非』しかない俺達は頭を下げるしかなく───

 

 「......自分マジで調子乗ってました、すいません」

 

 「.....さーせん」

 

 しっかり者の委員長に、俺達は土下座でこの場を切り抜けようと、頭を教室のタイルにくっつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 あれから、田中によって強制的に仲直りさせられた俺と石崎は特に蟠りを残すこともなく、最後は清々しい程の握手をすることで、田中の機嫌を戻すことに成功した。

 

 委員長のジト目から逃れる為の方法が握手という何とも言えない攻略法であったが、まあいいだろう。別に石崎と仲直りをした事で何かが大幅に変わる訳でもない。変わるというのなら、それは石崎の『野球やろうぜ!』口撃が緩和されることくらいだろう。

 

 そう、俺の安寧は守られた───石崎に殺られることも無く、田中さんのジト目も元通りになり、今日の授業は殆どが自習。ここから先はまさに独壇場、惰眠し放題の睡眠入りっぱなしモードへ移行できるものだと......現時点までの俺はそう思っていた。

 

 不意に、目が覚める。

 

 時刻は12時、昼食の時間だ。あれから随分と惰眠を貪ってしまっていたらしく、机の上には手付かずの課題と適当に漁っていた大学のパンフレットやら何やらが乱雑に置かれていた。

 

 辺りは自習故にざわざわしている。最近流行りの服やら化粧水やら髪型やらの話だろう。尤も、俺にとってはそんな話は分からない上に興味もないのだが。

 

 ぼんやりとしていた視界が次第に開ける。それと同時に前を向いていた俺が最初に目にするのは必然的に黒板の方となる。それ故に、俺は黒板に書かれていた文字に目を見開き、驚愕することになる。

 それもそのはず、そこには球技大会と大きく黒板に書かれており、バドミントンと書いてある所に大きく俺と田中の名前が記入されていたのだった。

 

 「お、おい......」

 

 俺は、球技大会は不参加でお願いしますと言った筈だよな。果たしてあの野球馬鹿は何をお聞きになりやがってたのでしょうかね?

 というか球技大会がある事すら石崎とのタイマンで忘れてた───てへっ、なんて寝起き早々気持ち悪い事を考えていると、俺が起きた事に気付いたらしい田中が申し訳なさそうな顔で俺の肩をつつく。

 

 「田中......?」

 

 「ごめん、今回の球技大会全員参加って言うの忘れてたって石崎君が」

 

 「おい......石崎それ......!先に言ってよぉ......!!」

 

 不覚だった。

 

 思い返されるのは1年生の時に参加していた体育祭。部活動にも所属していないやる気のない俺は体育祭のありとあらゆる競技に難癖を付けて、参加することを拒否した。

 全員参加が求められていなかった1年生の球技大会では、拒否する俺に種目選択を強制する輩はいなかった為、俺は何の競技に参加することもなく、悠々自適に時を過ごすことが出来ていたのだ。

 そして、今回の球技大会も悠々自適な時を過ごせるのだと錯覚していた───

 

 「仕方ないでしょう。北沢くん、全員参加なんて初めから言ったら適当に個人競技選んで適当に不戦敗するだろうし」

 

 「流石田中、俺のやらんとしていることがパーペキに分かってらっしゃる!」

 

 「北沢くんが分かりやすいだけだよ......」

 

 失礼だな。まあ、俺が分かりやすいとか言われてんのは事実だし、色んな奴から言われてるから別にいいけどさ。

 

 「それにしたってバドミントンとは......しかも田中とって......」

 

 「む......何か失礼だよそれ」

 

 「そういう訳じゃないって。折角の楽しい球技大会をお前は俺『なんか』と同じ競技で過ごしてて良いのかって言ってるの」

 

 大体、クラスで人気者の田中なら頼まなくても他の女子やら男子やらと球技が出来るだろうて。

 そんな至高の時間を俺のような不良生徒と一緒にバドミントンして時間を潰して良いのか。

 そのような意味を持った言葉を発すると、田中が何故かジト目で俺を見返す。あ、やめてください。その瞳は俺のメンタルに響く。

 

 「北沢くんは自分をなんだと思ってるの?」

 

 「不良生徒」

 

 「即答......まあ、北沢くんらしいけど」

 

 「というのは建前で、実際の俺はシスコンブラコン変態お兄ちゃんなのだよ!」

 

 「うん、確かに妹にジョルトカウンターされたのを自慢する北沢くんは変態だね......って、そうじゃなくてっ」

 

 失礼な言葉を発しかけた田中はその言葉を1度区切り、俺の目を見つめる。その眉目秀麗な顔付きは、若干の怒りと、悲しみをミックスさせたよくわからない顔付きだった。

 

 「北沢くんは、確かに不良生徒だよ。遅刻はするし、偶に失礼なこと言うし、直ぐにサボろうとするし......うん、それに関してはもうフォロー出来ないくらいに不良生徒やってると思う」

 

 「お前は俺を貶したいのか?それとも罵りたいのか?」

 

 「多分罵りたいのかも」

 

 「見事に喧嘩吹っかけやがったな、よし表出ろ田中」

 

 俺がそう言って立ち上がろうとするも、それは田中さんの頬を抓る攻撃により阻止される。というか田中さん無視するとかやだもうこの子酷すぎる───

 なんて、考えていると抓られていた頬を開放された後、田中が俺を真剣な目で見つめ、一言───

 

 「だけど、私にとってそんなレッテルは北沢くんを忌み嫌う原因にはならない。私は、私が北沢くんと球技大会をやりたいから一緒にバドミントンをするんだよ」

 

 そう言って、ニコリと笑う田中さん。その一方で、俺は目の前の女の子の思わぬ言葉に驚き、目を見開いてしまった。

 俺は迂闊だったのだ。田中がそこまで考えてくれていたにも関わらず自分を勝手に卑下して、折角の誘いを有耶無耶にして断ろうとした。今、自分の目の前で起きていることを認識できていない証拠だ。結局物事というのはなるようにしかならない。今自分が何を要求されているのか、それを考え、出来ることなら流されていく。それこそが今の現代人がストレスやら重い何かを提げない秘訣なのだ。

 ならば、北沢よ。お前がやらねばならないことはなんだと自問し、今までの自分の行動を詫びようと頭を下げる。

 

 「.....まあ、何だ。そこまで考えてくれていたのに俺『なんかと』なんて言うのは失礼だったな。すまん」

 

 「別にいいよ。北沢くんがそういう人だってこと、分かってるから」

 

 「ああ......お前の中で俺は随分と失礼な評価をされている節があるけどな」

 

 「失礼な、ちゃんといい所も知ってるよ」

 

 ほう。

 

 なら、何処が良いのか当ててもらおうではないか。尤も俺の良いところなんて俺自身分かっていないのが本音なのだが。

 

 「例えば?」

 

 俺が、皮肉るようにそう尋ねる。すると、田中はあっけからんとした表情で俺を見て一言───

 

 「マザコンな所とか」

 

 「よっしゃ表出ろ真面目カチューシャ」

 

 

 

 このあと無茶苦茶口喧嘩した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 球技大会───以前の俺にとっては縁もやる気の欠片もないイベントだった筈なのだが、頭数に入れられてしまった以上、人様に迷惑をかけることを望まない俺はやはり球技大会に参加せざるを得ないのだろう。

 

 競技内容はバドミントン。はっきり言おう、俺にとっては縁もゆかりも無いスポーツだ。似たような競技でバレーとテニスをやったことはあるが何方も上手くいかず、ピンとこなかった為にテキトーに不真面目にこなしていた。てか、野球以外の競技のルール真面目に分からない。バスケの人数は何人だっけ、11人だったか?確か、サッカーが5人でやるんだったか?

 まあ、そんな状態の俺がバドミントンなんてもののルールを知っているわけないし、そもそも球技大会なんて遊びだし別にそこまでマジにならなくてもいいんじゃねー?なんて、最初はそう思っていた。

 

 

 

 もう一度言おう。

 

 

 

 「最初はそう思っていた......!」

 

 「急にどうしたの......?」

 

 おっと、心の声が出てしまったみたいだ。いけないいけない。心の中で留めておくものは留めておかないと俺の周りが周りなだけに幾ら命があっても足りない。

 

 閑話休題───

 

 「......もう一度、言ってみようか」

 

 先程まで、考え事に耽っていた俺は改めて田中を見据える。彼女の目は、まさに真剣(マジ)。恋は出来ないよー......なんてネタにすらならないであろうネタを頭の中で考えていると、田中は先程と同じように一言。

 

 「練習しよう」

 

 「俺が素直に練習するとでも思ってんのか?」

 

 もし、仮にそう思っているのだとしたら俺は田中の頭の中身をリセットさせてやらなければならない。果たして田中が俺のスポーツに対する姿勢をどう感じているのかは甚だ疑問だが、少なくとも俺はスポーツに熱意やら熱情やら情欲やらを感じる程清々しくない。

 寧ろ、1周回ってサボることに熱意を持っているまである。

 

 「大体、どの時間に球技大会の自主練習をするんだ?体育の時間は球技大会の練習に使ってもいいらしいけど、絶対お前体育の時間以外も練習しようとしてんだろ」

 

 俺が、田中の言っていた自主練習とやらに疑問を呈すると、田中はあっけからんとした表情で頷く。

 

 「まあ、それはそうだけど」

 

 「......やめとけやめとけ。てかお前アイドルだろ。球技大会に気合を入れすぎて怪我とかしたらどうするんだよ。時間を無作為に治療とリハビリに費やすことになるんだぞ?」

 

 「......そんな事言って。実は自分が1番休みたい癖に」

 

 「バレた?」

 

 「バレるよ!」

 

 田中はおちゃらけた調子でそう言った俺を一喝し、俺に詰めてかかった。その動き、まさに疾風の如く。俺が気付いた時には、田中は既に俺を見上げじっと睨みつけていた。

 

 「常に目先の勝利に全力で戦っていく......確かに北沢くんの性格からしてそんな事するのは難しいんだと思うけど、折角の球技大会なんだから勝ちに行こうよ!」

 

 「あのな、別に俺戦いとか求めてもいないし敵を踏み潰すような趣味も持ち合わせてないの!分かったらその可愛い顔をこちらに寄せて来るな!怒っているのは分かるが詰めてかかるな!周りの視線が痛いんだよ!!」

 

 現に、周りがざわついているのを田中は理解した方が良い。ただでさえ球技大会とか面倒事が目白押しなのに、根も葉もない噂とかが出来上がってしまった日には俺はもうストレスマッハで死んでしまう。

 

 やがて、周りの視線に気が付いた田中は辺りを見渡した後、コホンと咳払いをして若干赤く染まった顔を俺に見せる。表情が幾らか緩和している所からして、冷静にはなれたようだ。いいね、やっぱり人間COOLにならないとね!間違ってもKOOLにはなっちゃダメだからね!

 

 「......本当に、ダメかな?」

 

 その表情を見て、俺は少し後ろ髪を引かれる思いになる。一応、警告はしたつもりだ。それでもやると言っているのならば、俺は付いていくべきなのだろうしやらなければならないのだろう。折角誘ってくれたのだ、寧ろやらなければいけないだろう。

 

 「......んー」

 

 なら、折衷案で行こう。そう思った俺は田中を見てひとつの提案をする。

 

 「プレゼンをしてみてくれ」

 

 「え」

 

 「知ってんだろ?こう......俺が球技大会の練習をやって得があると思える何かを俺に言ってみてくれよ。その結果『おっ』て思えるものがひとつでもあったら俺は本気でバドミントンやるよ。約束だ」

 

 「......本当?」

 

 「ああ、嘘は吐かないよ」

 

 正直、『ラブアンドピース』とか抜かしてこの場を凌ぎたいのが本音なのだがそれを言った暁には周りに変な目で見られるだろうし、何より面倒だ。そして、球技大会の練習をやることで俺に何か得があるのだとしたら、それほど俺にとって喜ばしいことは無いのだ。

 

 故に、先ずは話を聞こう。その後でやるか否かを決めれば良いじゃないかと頭の中で自問自答して田中の話に耳を傾けるべく、席に着き田中の言葉を待つ。

 

 鳥の鳴き音を耳をすまして聞いて時間を潰す。やがて、考える素振りを見せていた田中が意を決したかのようにこちらを見るのを確認すると、俺は少し口角が上がる感覚を得る。

 

 「......北沢くん」

 

 「おう」

 

 「北沢くんは、誰かに応援されたことってある?」

 

 「あるな」

 

 かつて、俺が野球をやっていた頃に家族が応援してくれてたな。尤も、それも小学生が終わる頃には各々の事情があったことで家族が応援に来れなくなり、その感覚は薄れてきているのだが。

 

 「誰かに応援されるって本当に気持ちいいことだと思うんだ。プレー中、厳しい時に後一歩踏み込めれば、後一歩手が出れば。そんな時に応援されると......勇気が出る」

 

 「実体験か?」

 

 「うん」

 

 なら、信用に値するな。誰かの実体験ってやっぱり大事で、そういった話を踏まえるからこそ励ましの言葉やアドバイスに現実味を帯びてくる。苦しみを知らない人のアドバイスよりも、苦しみを知っている人物のアドバイスの方が俺は好きだ。

 

 「私はその1歩で助けられたことがあるから。そして、そんな応援を貰って......その上で勝ちたい」

 

 「だから、最善の努力をしたいと」

 

 「......それが、『私の最善』だから。北沢くんと練習して、万全を期して試合に臨みたいって、私自身がそう思っているから。もし、仮に練習を積み重ねて臨んで、その上で応援されて勝てたのなら......これ程嬉しいことってないと思わない?」

 

 成程、ね。

 

 流石田中と言ったところだ。なんでもそつなくこなせる故に即興のプレゼンも上手い。人を乗せるのも上手だし、事実俺は田中のプレゼンに乗せられそうになっていた。

 

 「......ダメ、かな?」

 

 そして、自信なさげに上目遣いだ。こんなの、即断で断れるわけがなかろう。仮にここで練習を断ったらどうなる?精々クラス中から非難の目付きとバッシング。そして、石崎の援護射撃が俺の心を蝕むことであろう。

 毎度、毎度田中と石崎が絡むことになるとろくなことにならない。バイトの件で誤解され、喧嘩の原因は殆どが石崎の情報漏洩。そして、今回の球技大会の件。本当に、タッグでも組んでるのかってぐらい俺に悩みと怒りとチョップをプレゼントしてくれる。

 兎に角、周りの視線が痛い。その視線に逃げるかの如く、俺は苦笑い───

 

 「田中の言わんとしていることは分かった。この件は家でよく考えて......明日には結論を出す。絶対だ」

 

 時間もないしな、今回ばかりはまともに期限を守らないと、球技大会をやること自体が有耶無耶になって、中途半端な精神のまま中途半端な結末を迎えることになる。

 俺は、ハッピーエンドやバッドエンドというはっきりした展開は好きだが、ノーマルエンドみたいな含みを持たせる展開は大嫌いなんだ。

 

 「......本当に?」

 

 「信じないならそれでいい。俺が明日になったら結論を田中に言うまでだからな」

 

 俺がそう言うと、終業のチャイムが鳴り響き部活動へ行く輩、帰る輩、駄弁る輩とそれぞれの行為に勤しむ為に帰り支度を始める。

 田中は......事務所に行く輩。俺は直帰の輩に分類される故に、自然と帰りも別々になる。

 

 「じゃ、明日な」

 

 俺が先に支度を済ませ、帰ろうとドアに手をかける。すると、ボソリと田中のつぶやく声が聞こえる────

 

 「......優柔不断」

 

 放っとけ。




どうでも良い設定

北沢啓輔
テレビ中継があれば、野球は観る。密かに妹が始球式をやらないのかと期待している。好きな言葉は『秋の風物詩』。

石崎洋介
根っからの野球好き。好きなチームは福岡の球団。嫌いなチームはキャッツ。
理由は大好きな選手がFAでキャッツに移籍したから。


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第9話 BURNING UP!

 「冗談でしょう」

 

 

 

 

 最愛の妹にそう言われた俺は苦笑いのような何かを禁じ得ずにはいられなかった。

 

 自分でも分かっている。まさか俺が、あの委員長とバドミントンをやるなんて思いもしなかったのだから。大体混合ダブルスとか何だし。何で俺が混合ダブルスやらなきゃならないんだし。

 

 「まあ、何はともあれバドミントンをやらなきゃいけなくなった。しかも田中が目指しているのは優勝だ。参ったな、俺はテキトーにバドミントンをやってればいいと思ってたのに田中さんまさかのガチ勢だよ」

 

 「......琴葉さんは真面目な人だから。大体、クラスメイトなんだからその程度の事兄さんは織り込み済みでしょう?」

 

 洗い物を終わらせた志保は台所から顔を覗かせて呆れた顔つきで俺を見る。果たしてその顔付きがどういう意味を孕んでいるのやら、俺には分からない。

 

 「まあ、そうなんだけどな」

 

 「だったら今更うじうじ考えるような事をしない。何時も短絡的で直情的な兄さんらしくないわよ」

 

 「遠回しに俺をディスりにかかるの、止めろよな」

 

 

 志保が台所の仕事を終え、麦茶の入った2つのコップを持って向かい側の椅子に腰掛ける。どうやら、俺の分のお茶を用意してきてくれたらしい。

 

 「悪い」

 

 「りっくんを寝付かせてくれたお礼」

 

 「何時もやってる事だろうよ」

 

 肩を竦めてそう言うと、志保も俺と同じく肩を竦めて自嘲気味に笑う。

 

 「当たり前の事を当たり前のようにしてくれる。そんな兄さんに偶には妹の気遣いがあっても良いと思ったの」

 

 「俺は何時も志保の気遣いに助けられてるぞ」

 

 「嘘よ、私最近兄さんにガゼルパンチを放った記憶しかないわ。それで助けられているって言うのなら兄さんは真正のドMよ」

 

 「サラッと俺がドMになっているかのように言うの止めろよな......!?ほら、最近肩とか叩いてくれたりしたじゃないか。それは気遣いにカウントされないのか?」

 

 「あれは......一種の手段だったから。それに、兄さんの肩を叩くなんて久しぶりで加減も分からなかったわ」

 

 ああ、そうだったな。確かに志保が俺に肩のマッサージをしたのには言いたいことがあったからというれっきとした目的があったからこそだったよな。

 だからといってその目的を達成する為の手段が肩のマッサージとかやだもうこの妹可愛すぎでしょとか色々言いたいことはあるんだけど、それを言うのは野暮ってやつだな。

 

 「それでも俺は嬉しかったがな」

 

 「......話は変わるけど、兄さん」

 

 照れたなこいつ。耳を赤く染めやがって、バレてないとでも思ったのかよ可愛いなぁ......

 

 そう思った瞬間、右足に確かなやわっこい感触が当たるのと同時に激痛が走る。

 

 「痛ぁい!?」

 

 「話が変わると言ったでしょうこの駄目兄貴。頭の中で変な妄想なんてしてないで私の話を聞いて?」

 

 「いやお前それほぼ『聞け』ってのと同義だろ!?」

 

 現に今、俺がこう言っている最中にもグリグリグリグリ俺の足を痛めつけている志保が聞く耳を持つ筈がない。なまじ俺の急所のような何かを心得ている志保は口も腕っ節も達者な女の子になってしまったのだ。お兄ちゃん、そういう風にシッホを育てたつもりないんだけどな。

 

 「と、兎に角お兄ちゃんは志保がグリグリ足を痛めつける限り人の話なんて聞かない───」

 

 「聴け、耳を傾けなさい」

 

 「ああっ!この子遂に躊躇いもなく言っちゃったよ!しかも笑顔で!!」

 

 「喧しい。りっくんが起きたらどうするの」

 

 「ぐ......志保、お前本当に良い性格になりましたよね」

 

 まさかりっくんを盾に使うなんて......そう考えた俺が、苦し紛れにそう言うと志保は俺を見て溜息を吐いて苦い笑いをこちらに向ける。

 

 「幼い少女にガゼルパンチ、肝臓打ちからのデンプシーロールを会得させたのは何処の誰?」

 

 「俺ですねごめんなさい」

 

 昔、喧嘩とか事件とかに巻き込まれた時の護身術とか抜かして遊び半分でボクシングマンガの技を覚えさせたのが元凶だったのだ。あれからの志保はというものの俺に対して容赦のないパンチを繰り出すようになってしまった。因みに1番効いたのは本気で怒った志保のよそ見からの放置プレイ。あれはシスコンの俺にとってはどんな拳よりもキツかった。

 

 「......それよりも、兄さん。琴葉さんとバドミントンをするなら、せめて1日だけでもいいから真面目に、真摯にバドミントンと向き合いなさい。じゃないと琴葉さんは怒るわよ」

 

 「えー......」

 

 「えーもへーもないわよ。誘ってくれて、それを了承したのならその人の考えにしっかり付いていく......人としてのマナーよ。兄さんより年下の女の子だって実行しているのよ?」

 

 まあ、そりゃあそうだな。

 

 折角誘ってくれたのにそれを無碍にするのは良くないと思って、田中の誘いを了承したのに、それで適当なプレイをしたら本末転倒だよな。

 志保の言いたいことは、そりゃあ分かるよ。

 

 「だがな、俺はバドミントンのセンスなんかないし意図せずとも田中の足を引っ張る事になるかもしれんのだぞ?」

 

 「真摯に行うことと技術的なものはまた違うのよ。そうね、例えるなら......下手でも最後まで付いてくる人間と、上手くても高慢で適当な人間、兄さんならどちらとバドミントンの練習したい?」

 

 「......下手なほうかな?」

 

 「そう、じゃあ兄さんは自分が人にやられて嫌な事を率先して行う畜生だったのね。私、そんな兄さん嫌いよ」

 

 「な───!?」

 

 「......あくまでそうなったらって話よ。いちいち大袈裟ね......」

 

 そう言うと志保は、席を立ちリビングを出ようと歩き出す。その後ろ姿は以前にも増して頼もしく見えて、俺は思わずその後ろ姿に声をかけてしまった。

 

 「ありがとな、志保」

 

 「琴葉さんが球技大会なんかでモチベーションやら諸々を落としたら事務所に迷惑がかかるから。くれぐれも馬鹿な真似とか、血迷った行為をしないように」

 

 そう告げて、志保は自室へと向かいその姿を消して行った。馬鹿な真似とか血迷った行為の心配をされている辺り、志保の中で俺がどんな立ち位置になっているのかと突っ込みたい所ではあるのだが、石崎曰く細かいことを気にしているとモテないらしい。それ故に、俺は先程までの考えを頭の隅に追いやり、明かりのついた天井を見上げる。

 

 

 

 今、その部屋には俺しかいない。母さんとりっくんは眠り、志保も自室へ篭った。

 故に、静寂───リビングには俺の呼吸音しか聞こえない。この状態なら、考え事をするのにはお誂え向きだろう。

 

 今、俺は田中とバドミントンでタッグを組む約束をしている。そして、やるからには勝ちたいと田中さんは仰った。誘われた側の俺は田中さんの言うことには逆らえない。『ラブ・アンド・ピース』なんて以ての外だ、死に晒せ。

 

 この状況を乗り越える為に必要なもの。それはシッホ曰く真摯に向き合う事、そして人にやられて嫌な事を他人にしない事らしい。

 俺は、基本的に嫌な事というものは野球以外にはないのだが、強いて言うなら調子に乗っている奴は嫌いだし、自らを誇示する人間も嫌いっちゃ嫌いだ。

 

 だからこそ、俺は先ずはバドミントンをしている間は高慢、卑屈、誇示はせずにひたすら田中に付いていく必要がある。でなきゃ志保に嫌われる。妹に嫌われるのは絶対に嫌だ。それこそ自宅の押し入れでおいおい泣き喚く。

 

 それから、後は田中の足を引っ張らないようにしたい。こう見えて田中はなんでもそつなくこなす事が出来る故に、バドミントンも人並みには上手い。

 片や俺はと言うと野球以外はポンコツの運動神経を誇る人間であり、テニスとかなんかは壁打ちでも空振りする程のセンスの悪さである。

 

 それでも、まあ、頑張ればなんとかなる筈だ。某サッカーアニメの主人公だって『何とかなるさっ!』とか言ってドリブルでそよ風を巻き起こして背中周辺からオーラぶちまけてたらいつの間にか全国制覇だ。俺だって、頑張れば、何とかなる。うん、2次元と現実はまた違ってくるけどそう思っとこう。じゃないとやってらんねえ。

 

 「よし」

 

 決意は固まった。天井のシミを数えてたら、目が疲れてきたので、俺もそろそろ自室で睡眠を取るとしよう。

 うつらうつらとしつつ、自室へ向かう。すると、俺の目の前に人影が。

 

 「お、陸......どしたの?」

 

 何だか心配そうな顔付きでこちらを見るもんだから気になって尋ねてみると、陸は依然として心配そうな顔を俺に向けて一言。

 

 「しんぱいだよ、お兄ちゃん」

 

 「なして?」

 

 「こんな時間なのにお姉ちゃんと何か話してたから......お兄ちゃん、お姉ちゃんに怒られてたんじゃないのかなって......」

 

 おー......

 

 弟にまで心配される長男って果たしてどうなんだろうな。というか、別に志保には怒られてないし......いらん心配をかけてしまったらしいな。反省、反省。

 

 「んー、別にお姉ちゃんに怒られていた訳じゃないぞ?ただ、相談事に乗って貰ってただけだよ」

 

 「......本当?」

 

 「ああ、本当だ!だから心配すんなよー可愛いなぁ!」

 

 陸を抱っこしてニコリと笑う。すると、陸もニコリと笑い......昔の志保と同じような顔ではしゃいでいた。

 守りたい、この笑顔───なんて言葉にしたら何処かの誰かさんに馬鹿にされるのだろうが、今の陸の笑顔にはそれくらいの価値があったのだ。

 

 「よし!元気になった!丁度良いから志保の誕生日にやるイタズラ考えようぜ!」

 

 「い、イタズラ!?お兄ちゃんそれはダメだよ!」

 

 俺を注意したりっくんが何やら顔を青ざめさせているのだが、そんな事はお構い無しに俺はりっくんを説得しようとする。

 

 「良いんだよ、プレゼントと一緒に渡すんだから......大体な、こういうおめでたいことってのはサプライズみたいなのが付き物なんだよ。最近志保俺がサンタさんの格好しても驚くどころか呆れた視線を送るんだぜ!?ここは1発志保が滅茶苦茶驚くような事をして、とんでもないプレゼントを────────

 

 

 

 

 

 

 ......なーんて事は冗談だからさ志保さん。拳をふらふらさせて臨戦態勢でこっち睨むのやめて?」

 

 「ノックアウトさせてあげるから直りなさい馬鹿兄貴」

 

 青い顔をしているりっくんを尻目にいつの間にか現れた志保の、恐らく何倍もの力強さを孕んだパンチが俺の肩を貫き、悶絶───なんでこの子肩パンこんな上手いの?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ☆☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結論から言うと、俺がやらなければならない事というのはしっかりと今起こっている現実から目を背けることなく、バドミントンと田中に対して真摯にならなければならないということだった。

 

 まあ、俺が真摯とか普段寝坊助不真面目不勤勉な不良生徒が何言ってんだぷぎゃーワロスとか自分で自分を笑いたくなるが、これをやらなければ志保に嫌われてしまうのだ。偶には真面目にスポーツやってもいいだろう。普段筋トレしかしてないから、気分転換にもなるかもしれんし。

 

 「......と、いうわけであってだな。さっきネットでバドミントンについて色々調べてみたんだけど」

 

 「先ずは色々突っ込ませて北沢くん」

 

 田中が何やら頭を抱えて俺を見る。その表情はまさに困惑。はて、俺が何かやったのか。それとも田中の調子が悪いのか。

 

 「どうしたんだ?」

 

 「まずひとつ。その大量のマンガはなに?」

 

 「ああ、これはは○バドだな。先ずはルールから覚えようと思って。これ結構バドミントンのルールとか書いてあって面白いよ?」

 

 逆転のクロスカット───とマンガには載っていないアニメの方の技の名前を言いながら嬉嬉としてカットの打ち方を真似ると田中はその漫画を取り上げ、何処から取り出したか分からない養生テープで縛り付けてしまった。

 

 「は○バドォ!?」

 

 普段使わない金をはたいて購入した故に愛着の湧きつつあった漫画を取り上げられたことに対し思わず叫び声を上げるも、田中は取り合わず無機質な声を続ける。

 

 「2つ目。その大量のワックスでセットされた髪型はなに?」

 

 「いやさ、先ずは見た目から入ろうと思ってさ。漫画のコーチの真似してみた。流石にパツキンはダメだし、黒髪故に不完全燃焼で終わったんだけどな」

 

 「じゃあ、最後。そのハチマキは?」

 

 「修造」

 

 「競技が間違ってる事に関して突っ込めば良いのかどっちなのか教えて」

 

 いや、それよりも先ずは整髪料を溶かせ。とものっそい笑顔で至極当たり前の事を言ってのけた田中。それを見た俺は苦笑いで一言。

 

 「やる気が空回りしてしまった」

 

 「やる気の方向性がブレてるんだよそれ」

 

 田中が溜息を吐いて苦い顔を俺に向ける。しかし、その表情は何時もの俺を叱るそれではなく、若干の微笑みも見受けられる。

 

 「......兎に角、ワックスは球技大会の練習までに溶かして、ハチマキは付けない。分かった?」

 

 マジか。

 

 事前学習からの事前準備をしてきた俺の誠意はどうなるんだ。と内心田中を恨めしく思うものの、今回の俺は田中に逆らうことは出来ない。仕方なく、俺は両手を上げて、全面降伏の意思を告げる。

 

 「......分かったよ」

 

 「なら良し......それと」

 

 そう言うと、田中は少しだけ悩む素振りを見せた後俺を見据え、胸の前で握りこぶしを作る。

 

 「......バドミントン、頑張ろ」

 

 「何時になく真剣ですね、田中さん怖い」

 

 「私は何時だって真剣だよ。特に勝負事においては......負けず嫌いだから」

 

 

 

 

 勝負師の顔なんて、何時ぶりに見ただろうか。

 

 そう思ってしまう程、田中の顔は本気と書いてマジというくらいに熱意と熱情に満ち溢れていた。灼熱のような覇気が田中琴葉という少女を纏い、辺りを彷徨い歩いていれば火が移ってしまいそう。

 

 ただ、今回だけは。田中の覇気に触発されてもいいのではないのかと、俺は何となくそう思ってしまった。それが、どういう過程でそう思ったのかは分からない。

 

 ただひとつはっきりとしているのは。

 

 

 「......負けず嫌いなのは、俺だって同じだよ」

 

 

 

 俺は今、どうしようもなくバドミントンをしたいと思ってしまっている事だろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ☆☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「お、お前ら......まさかここまでとは」

 

 男は、困惑した。

 

 それは、2人の熱意に溢れた混合ダブルスペアが、球技大会の練習中、阿吽の呼吸で何度も何度も頭をぶつけてるから。

 

 男は、顔をひくつかせた。

 

 それは、灼熱のような覇気が先程とは打って変わって沈静化してしまったから。

 

 「......天才」

 

 ここまで来れば、最早神に選ばれた者達だと男───石崎はある種の達観に至る。まさか───

 

 「同じコースの球を追っかけて同じところにたんこぶ出来るとか何処の息ピッタリペアだよもうお前ら爆発しろ」

 

 石崎は、ため息混じりにそう言う。その声を───先程から心に秘めときゃいいナレーションのような何かをぶつくさぶつくさ言っているのを倒れ込んだ状態でバッチリ聞いていた俺は同じく頭をさすっている田中を見て、取り敢えず謝る。

 

 「すまん、田中。立てるか?」

 

 「う......うん、大丈夫」

 

 良かった。頭のダメージって結構気を遣わないといけないからな。え?石崎の坊主頭を叩いたのはどうなんだって?はっは、忘れとけ。

 

 「それにしてもお前達......特に啓輔は癖が強すぎるだろ。何だよ両利きって。それとお前がさっきからやろうとしているあれ......何だよ」

 

 「クロスカット」

 

 「技術を付けて出直してこい。今のお前じゃどれだけの運動神経があっても無理だよ......てか、漫画の見すぎだ」

 

 図星を言われた。

 

 「田中も田中で......なんつーか、気合が空回りしてんだよな。二人とも、思う所は同じなのに考えていることは同じじゃないっつーか......」

 

 そう言い淀むと、石崎は頭をぽりぽりかいて、俺達に大きな声で問いかける。

 

 「お前ら!勝ちたいか!?」

 

 「うん」

 

 「そりゃあもう」

 

 二人とも勝ちたいという想いは変わらないだろう。田中は当然のこと勝つ気でいるし、俺は田中についていくということが確定しているし、やるからには勝ちたいし。

 

 それ故に、田中に続く形で同意すると石崎が再び質問を俺達に送る。

 

 「じゃあどういう風に勝ちたい!?」

 

 「圧倒的に」

 

 「とにかく勝つ」

 

 「そこだよッ!!」

 

 石崎が俺と田中にツッコミを入れる。おかしいな、そんな俺達おかしいこと言ったか?

 

 「お前ら勝つためのやる気は滅茶苦茶あるのにそこに行き着くまでのプロセスがないから空回りしてミスを連発してんだよ。折角勝ちたいって気持ちは同じなんだから作戦くらいは立ててからラリーの練習をしろ!」

 

 ふむ。

 

 確かに作戦を立てることは大切だな。かの有名な武将にも有名な軍師さんがいてこそ、幾度の戦にも勝利を収めることが出来たのだ。

 立派な作戦無くして勝利はない。完全勝利───バベルの頂上に射す太陽の光を浴びる為にも、俺達は練習に向けていた熱意を少しでも作戦立案に費やすべきなのだろう。

 

 「で、作戦って具体的にどーすんの。あれか、キツツキ戦法か」

 

 「どう挟み撃ちにするってんだよ......てか、最善の策を考えるのもペアの仕事だろ。そんなもん2人で考えろ」

 

 そう言うと、石崎は校庭へと歩き出す。

 

 「じゃあな、これから俺はバスケの練習で忙しいんでな。後は2人で仲良くやってろ」

 

 去り際の後ろ姿が、曲がり角を曲がったことにより消えてなくなるとぽつりと田中が呟く。

 

 「......作戦、か」

 

 「まあ、急に細かい作戦とか用意してもできっこないし、簡単な......そう、お約束事みたいなやつだな」

 

 例えば、こっからここまで渡っちゃいけないみたいな。決まり事のひとつやふたつなら俺だって何とか覚えることが出来るだろうし。

 俺に技術がない以上、ダブルスの力や技術力は数段落ちてしまう。ならば、せめて連携面や頭を使う事くらいは他に勝っておきたいところだ。

 

 「お約束......か」

 

 「どうだ?例えば......そうだな」

 

 俺は田中から1歩離れ、離れたことにより出来た間を指さし、境界線のような何かを作る。

 

 「こっから右は、俺がやる。だからその左はお前がやれ、みたいな?」

 

 「......ああ、成程。つまりコースの役割分担をするという事か」

 

 「そそ、そういうこと」

 

 そうすれば、俺と田中が同じコースを狙って打とうとすることで懸念される衝突も幾らか緩和される筈だ。死角から突然やってくる痛みより痛いものはないからな。俺だって、急にボールが死角から飛んできて頭にぶつかったりしたら嫌だし、辛い。

 

 「......真ん中に来たのは誰が叩くの?」

 

 それは......うん、ほら。あれだよ。

 

 「1番近い奴が叩く」

 

 「また衝突するよ!!」

 

 田中は最後の最後でアバウトな考えに至ってしまった俺にツッコミを入れる。仕方ないだろ、誰だって完璧な考えを1発で出来るやつなんていないんだからさ。

 

 「大体、試合中はかなりのスピードでシャトルが動くんだからいちいち北沢くんの位置まで見れないし......無理があるよ、それ」

 

 「ならどうすんだよ。言っておくが、これ以上俺には引き出しはないからな。精々後は位置を変えろとかそれぐらいしか───」

 

 俺がそう捲し立てるように言いかけると、顎に手を添えて考えていた田中が不意に顔を上げて目を見開く。

 

 「それだよっ!」

 

 「......は?」

 

 思わず素っ頓狂な声が出てしまった。

 

 「前衛と後衛に分けて、中途半端なシャトルが飛んできたら前衛がしゃがんで後衛が───」

 

 「そいつの頭ごと撃ち抜くと」

 

 「どうしてそうなるの......?」

 

 だってそんなイメージしか湧かないんだから仕方がない。

 

 「じゃあ、お前が後衛やってくれよ。俺が前衛で鋭いシャトルとかネット前に落ちるシャトルは対応するから。んで、中途半端なシャトルが来たらお前はしゃがんだ俺の頭ごと全力スマッシュを撃ち込んでくれ。俺はその尽くを耐え抜いて見せるからよ」

 

 「......北沢くんって、本当に性格悪い時があるよね」

 

 「うるさいよ」

 

 こちとら痛いことをされるのには慣れているんだ。大体加減しつつも何時ものようにチョップを敢行したり抓ったりして俺を痛めつけているんだから、今更ラケットで頭を撃ち抜かれようが大したことは無い。その程度でやられているのなら、俺は既に石崎の『熱男』でくたばっている。

 

 「......あ、それともなに。俺の頭をラケットで撃ち抜くのが怖いの?やだもう!何時もチョップ容赦なく打ってる田中さんらしくないじゃん!」

 

 田中さんマジテラワロスー......と舌を出しながら煽っていると、田中は何時もらしからぬ引きつった笑みで俺を見る。

 

 と、そんな表情も束の間。ため息をひとつ吐いて空気をリセットした田中は俺を見て、ラケットを思い切り振り抜く。

 オーバーハンドストロークからなされる思い切りの良いスマッシュは、俺の顔面付近を通り髪の毛にラケットが掠る......そんな感覚がした。

 

 「......本当は人に向けて振り抜いちゃ駄目なんだけど......言質は取ったからね、北沢くん」

 

 冷たい声がかかり、俺の身体は自然と硬直する。別に、これから俺が田中のスマッシュやらドライブの餌食になろうが恐ろしくもなんともないし、それこそさっき言ったように慣れている。伊達に渋谷のコークスクリューブローやら、志保のガゼルパンチをくらっている訳では無いのだから。

 

 では、何が俺の身体を硬直させ、何が現在進行形で俺を恐怖という感情に陥れているのか。それは、勿論田中の冷たい視線と、声色。本気で怒った......若しくは悟った時の視線と同義のもの。

 

 「容赦はしないから」

 

 そんな彼女の視線を見れたのははレアで、物珍しくて、序にラッキーなんだけど、状況が状況だ。

 

 俺は、そんな彼女を見て一言───

 

 「ジーザス」

 

 体育館の天井を見上げ、無数の明かりに俺は睨みを効かせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれから、俺と田中のバドミントンの特訓は苛烈を極めた。

 ある日は、穏やかな陽気が降り注ぐ中で石崎という協力者と共に、連携面の練習。

 

 「北沢くん!しゃがんで!!」

 

 「オーライ......ぎゃああああ!?」

 

 穏やかな日差しを背景にしてスコーン!!という音と共に俺の頭に衝撃が走る───こんな光景を見た石崎は練習後、顔を青ざめさせて『......後で、俺の良く使っているキズぐすりを紹介するよ』とか言ってきた。キズぐすりは有難いけど、俺の事を思ってくれての発言なら少しでも中途半端なロビングを上げるのを止めてくれはしないだろうかな。

 

 

 はたまたある日は、雨の降る中での体育館での練習。

 

 少しでも個々の技術を上げるために、シングルスで対決───勝っては再戦、負けては再戦を繰り返し今ではかなりの試合数をこなしたんだなぁ......と感慨に耽ることも出来る。因みに対戦成績は10勝9敗。田中にそれを言って自慢したら田中の奴『自分が10勝だ』とか言ってきやがった。まあ、この件に関しては俺も分からなくなってきたので放置───田中は依然として不満そうに少し頬を膨らませていたが。

 

 まあ、そんな精神的にも体力的にも厳しい訓練を繰り返して行った結果、それなりにフォーメーションも形になり、それなりに動けるようになり......少しではあるものの勝算も立てられるようにはなってきた俺と田中は、球技大会を前日に控えていた。

 

 

 

 

 「そう、結局そこまで来たのね」

 

 時は球技大会前日の夜。りっくんを寝かせた後に志保がいれてくれたお茶を飲みつつ、近況報告のような何かをしていた俺は、近頃の練習により張ってしまっていた筋肉を解していた。

 

 「結局......ってことは俺が途中で折れると思っていたのか?」

 

 「ええ、勿論」

 

 「そりゃ随分辛辣な評価ですね......」

 

 お茶を啜り目を細めて志保を見ると、同じくお茶を啜った志保があっけからんとした口調で続ける。

 

 「仕方ないでしょう、今まで兄さんが熱意を出して何かをやったことなんてある?唯一続いた野球だってポーカーフェイスなのかは知らないけど淡々とやってたし」

 

 「じゃあお前聞くけどサードがアウト1つ取る事に『アウトォォォォォォ!!うきゃきゃきゃきゃ、うきゃー!!!』なんて言って目立ってたらお前どう思うんだよ、絶対『コイツ変態だな』って思うだろ?」

 

 大体、バスケにしろ、野球にしろスポーツの感情表現なんて自由だ。虎のバードやノーミサンのようにポーカーフェイスで淡々と仕事をやってのける人もいれば、鷹の熱男や北のいじられ?キャラさんだったり色々なところの色々な人が、人それぞれの個性を磨き、輝いている。

 そして、その時の───中学まで野球をしていた俺の感情表現の仕方が淡々と野球をすること。たったそれだけの話だ。

 

 「......まあ、兄さんがそう言うのなら別にいいけど。元より中学生の兄さんが野球をやっている姿。私は見てなかったし」

 

 「そうだな。まあ、色々あったし」

 

 「......ええ、そうね」

 

 俺が今言った『色々』というワードには、様々な思いが詰められている。俺自身の後悔、自責。そして、家族の事情。俺の知り得る全ての思いを孕んだ『色々』だ。

 

 志保は昔、俺が野球をしている姿を『格好良い』と称した。どうやら当時俺が愛用していた赤色のバットやらリストバンドやらグローブやらを使って走り回る姿が志保の幼いお眼鏡にかかったらしく、それはもう試合がある時には毎回毎回、志保は俺の試合を見に来てくれていた。

 母さんと、『今はいない父さん』を引き連れて。

 

 陸が生まれて、暫くは志保も俺が野球をしている姿を応援してくれていたし、父さんも、俺が野球をしている姿を微笑ましい表情で見ていてくれていた。これでも父さんには憧れていたんだ。俺に野球を教えてくれて、俺の活躍する姿を本当に嬉しそうな表情で見ていてくれていた記憶がある。

 母さんは、色々忙しくて試合を見に来れなかったけど、理解していた。それでも、その日の試合で沢山打ったことを報告すると、本当に嬉しそうな表情で喜んでくれていたのだ。

 

 

 

 

 

 ある日、父さんがいなくなった。

 

 いなくなった原因は知らない。俺が知っているのは乱雑になったタンスと、父に関する全てのものが消えていたという事実。

 野球は、その時やりたかった。

 だけど、一家の長男として家族を守らなきゃいけない。

 母さんは野球を続けろって言った。

 その言葉を拒否するべく首を横に振ると、母さんがしゃがみこみ、俺の目の前に顔を近付ける。

 

『子供が遠慮をしないっ、啓輔が野球をやっている事が私にとっての楽しみなんだから』

 

 その時、子どもだった俺はその言葉に正直に野球を続けた。

 そしてみるみるうちに野球は上手くなって、当時のエースの力もあって県大会で優勝して───

 

 

 

 

 俺は、あの日、野球を続けた事を死にたくなるくらい後悔した。

 

 

 

 

 「あらあら、2人共どうしたの?」

 

 不意に、顔が上がる。先程まで無言になっていた俺と志保はそんな声にハッとなり、二人同時に声のした方を向く。

 

 「母さん」

 

 そう、目の前には北沢家のラスボス───なんてのは冗談で、何時も美味しい朝食を作ってくれているマッマが俺達を微笑ましい表情で見つめていた。

 

 「お母さん、お茶いる?」

 

 志保が立ち上がり冷蔵庫に向かうも、その足を母さんの声が止める。

 

 「ああ、別にいいわよ。私もそろそろ寝るから」

 

 穏やかな表情でそう言う母さん。それを見た俺は久し振りに見た光景に胸を踊らせ、志保を茶化す。

 

 「相変わらず志保は早とちりだなぁ、まあそこが可愛いんだけどさ!」

 

 「ええ、可愛いわね」

 

 「母さんもそう思うよな。長い黒髪に整った顔立ち!早とちりなのは気立ては良い証拠だし、料理も上手!!これに勝る可愛いがあるか!いや、ない!」

 

 あ、やらかした。

 

 「......啓輔は本当にシスコンね」

 

 「......後で処す」

 

 やらかし過ぎたと冷や汗を1滴流す頃には時既に遅し。目の前には、若干苦笑いでこちらを見やる母さんに、後ろには溢れんばかりの殺意でこちらを睨みつけているであろうシッホ。

 

 こりゃ後で志保に半殺しにさせられるなぁ、なんて思いつつ茶を啜り話題転換をしようと席に座る。

 

 「話は変わるけど母さん。俺、明日球技大会があるんだよ」

 

 「啓輔が?」

 

 「ええ、兄さんはバドミントンをやる為に。尤も最初はワックスを塗りたくりまくったり漫画の世界にハマってたりとか色々やる気の方向性を違えていたみたいだけど」

 

 「ワックスが無くなっていたのはこれが原因か......」

 

 母さんは苦笑いで俺を見る。しかし、その瞳は優しく何かを怒るような、そんな眼差しではなかった。

 

 「啓輔」

 

 「ん?」

 

 不意に尋ねられて、母さんの方を向く。すると、母さんは純粋に、疑問をぶつけてきた。

 

 「学校、楽しい?」

 

 その質問に対して、俺は即答───

 

 

 

 「無論、楽しいに決まってる」

 

 田中がいて、石崎がいて。そいつらが俺を楽しい気持ちにさせてくれて。そんでもって、明日は球技大会だ。楽しくないわけがなかろうて。

 

 さあ、明日は待ちに待った地獄の球技大会だ。田中に触発されてここまで来た以上、最後まであの委員長様に付いていこうではないか。

 そんなことを思い、俺は天井を睨みくつくつと笑みを零した。

 

 

 

 

 

 

 「あーっはっはっは.....ゲホッゲホッ!!」

 

 「兄さん気持ち悪い」

 

 「ごめんなさい」

 

 志保の罵声が俺のやる気を1段階下げた。

 

 

 

 

 

 




現在、興味本位で書いてしまったバド回に苦戦中。


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