人生にお酒を少しだけ (灯家ぷろふぁち)
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人生にお酒を少しだけ

「ホントにウイスキー、好きよね」

 飛鷹が提督に言う。

「ん、まあ、そうだけど。なんで?」

「ウイスキーフロートを飲んでるものだから……結構それ飲んでる事多いよね?」

 ウイスキーフロートはカクテルの一種で、その名が表す通り水の上にウイスキーが浮いているだけという、極めてシンプルな代物である。ウイスキーの比重が水より軽いという性質を利用したもので、最初はストレートあるいはロックで味わえるが、飲んでいくうちに水の比率が高くなって行き、最終的には薄めの水割りになる。まずはそのままのウイスキーを楽しみたいが、その後は口の中をリセットしたいという向きに適したカクテルと言えよう。なお、単純な材料構成ながら水の上にウイスキーを浮かせるというのが結構難しく、ウイスキーの注ぎ方を間違えてしまうと簡単に水と混ざってただの水割りになってしまうので実際に作る場合はその過程において少々コツがいる。

「ウイスキーの地の部分を味わっておきたい訳よ、最初はな。ただ、そればっかりだと俺の場合キツくてさ」

「なんか分かるわね」

 

 ここは鎮守府のカウンターバー。一仕事終えた後の艦娘達の憩いの場である。

 一部の酒好きな艦娘達から「空き時間に自由にお酒が飲めるスペースを」という強い要望があった為に、提督がダメ元で上層部に打診してみた所、実にあっさりと許可が出てしまい、急遽鎮守府内に設置されたものだ。しかもいざ改装工事が終わったのを見ればかなり本格的なものが設置されていたので少しばかり驚いた記憶がある。それとなく上層部に事情を聞いてみた所、この手の要望は以前より各地の鎮守府から上がっていたものらしく、リフレッシュはやはり必要だろうという事で国にも予め予算を申請していたものなのだそうである。出来上がったカウンターバーを見て飲兵衛達が大喜びしたのは言うまでもない。

 艦娘達は自前の酒をここにストックしておき、気が向いたときにここに来て酒を片手に思い思いの時間を過ごすという訳である。勿論、提督もその例に漏れないし、その雰囲気が気に入っているのか、酒は飲めないものの、その代わりにジュースなり他のソフトドリンクを飲みながらのんびりと過ごしている艦娘もいる。

 提督が一人きりで飲んでいる場合もあるが、大抵は誰かしらの艦娘が隣に座ってきて、その娘とたわいの無い雑談をして過ごす事が多い。そして、どういう訳かその話し相手となる頻度が一番高いのが飛鷹であった。

 飛鷹も酒は強い。好んで飲むのはワインだが、その実ウイスキー党である提督よりも強いのかもしれなかった。結構な量を飲んでいるはずなのに、それで乱れるというタイプでもないので、提督としても相手はしやすい。

「今日もまたつまらん雑用頼んじまったなあ」

「気にしないで良いって。好きでやってる事だし」

 仕事の話だ。飛鷹という艦娘は秘書艦の担当でない日であっても、作戦活動外の事務処理等も進んで引き受けてくれる。正直、提督としては仕事を任せ続けるのも申し訳ない気がしているのだが、彼女の熱意を無下にする訳にもいかないと思い、ここまで来ている。

 事務作業を共にする機会の多い二人だが、なにも飲んでいる時にまで仕事の話ばかりをしている訳ではない。

「へえ、ボジョレーヌーボーって相当口当たりが軽いんだな」

「そりゃ、樽で寝かせたりなんてほとんどしてないもの。ブドウジュースみたい、なんて言う人もいるくらいだし」

 今、提督の手にあるのは飛鷹のワイングラス。この二人、お互いの酒を交換して試飲するという事も結構する。当初は提督としても他人のグラスに口を付けるのは悪いような気がしていたのだが、飛鷹が気にするなと言ってくるのでその言葉に甘える事にしている。一方で飛鷹は提督のウイスキーを口に含んでゆっくりと味わっている。

「あら、結構飲みやすいのね。辛味が強いのに」

「だろ? 最初飲んでみて正解だったと思ったよ、それは」

 それぞれの酒が元の持ち主の手に戻った。

「ちなみになんだけど、度数どれくらいなの?」

 飛鷹がグラスに入った提督のウイスキーについて聞く。

「50%くらいだな、確か」

「ふうん」

 意外だと思った。これくらいの飲みやすさならもう少し度数も低かろうと思ったからである。

 そんな時、

「Oh my gosh!!」

 突然、背後からそんな声が聞こえてきたので二人は振り向く。

 どうやら、何人かの艦娘がトランプに勤しんでいるらしい。見た所、トランプの内容はポーカーであり、しかもルールはテキサス・ホールデムのようだが、何か賭けているのだろうか。

「おい、いかんぞお。賭け事なんかしちゃ」

 提督がグラスを片手に、苦笑いしながらポーカーをプレイしている艦娘達に話しかける。

「お金じゃなきゃ賭けても問題無いっしょ?」

 そう言うのは隼鷹である。言うまでも無く飛鷹の妹だ。

「お金じゃなくてもあんまり不道徳になるようなもんはやっぱダメだなあ」

「大丈夫、アタシ達が賭けてんのは酒だし。勝ち残ったヤツが負けたヤツのを飲むってワケ」

 姉の飛鷹を上回るどころか、この鎮守府でも有数の大酒飲みである彼女にしてみればたまらない企画であろう。

「うーん、微妙な気もするが……まあ、それくらいなら良いかな」

「提督も参加しない? 結構良いヤツだよね、それ?」

 指差した先にあるのは提督のグラスである。要するに飲ませろという事らしい。

「そうさせて貰おうか。やっぱダブルがいいか?」

「是非是非!」

 上物のウイスキーをダブルで、というのは魅力的なようだ。参加希望者が増え、一旦勝負は仕切り直しとなった。

「本当に良いの、そんな賭けしちゃって?」

 いつの間にか提督の隣に居た飛鷹が苦笑いしつつ聞くが、提督は気楽な感じで答える。

「まあ、たまには良いんじゃないか?」

 仮に提督がシラフであったのなら、酒を賭けるという事にすら果たして許可を出したかどうか。少なくともこの時点で彼にかなり酔いが回っていたのは確かであった。

 

 テキサス・ホールデムと言っても、正式なものという訳ではなく、言わばもどきであって、別にポットやら何やらといったルールまで設定されている訳ではない。今行われているのは、場に出ている5枚のコミュニティカードと、自分が持っている2枚のカードの組み合わせで作られる役が最も強かった者が、他の対戦相手の中から一人を好きに指定し、その相手の酒を飲む事が出来るという、かなり簡素化されたルールのゲームである。勝ち目が無いと判断したら勝負から降りる事も許されていた。その場合、自分の酒を取られる事は無い。なお、一人を残して全員が降りてしまったという場合には、残った一人が降りた全員の中から一人、酒を飲む相手を選ぶ事になっている。

 ディーラー役の艦娘がまず3枚のコミュニティカードを場に出し、勝負を続けるかを参加者に確認する。そして、1枚ずつ場にカードを追加していき、5枚が出揃うまでそれを繰り返す。

 5枚目のコミュニティカードが出された時点で参加者は三人に減っていた。が、そのうちの一人は、

「あー、ダメだ。私降りるね」

 と言って自分の手札を手放してしまった。

 残ったのは提督と、提案者の隼鷹であった。一騎打ちである。

 場に出ているコミュニティカードはダイヤの12、ハートの11にダイヤの8、そしてスペードの7とダイヤの7であった。提督は改めて自分の手札を確認する。クラブの11とスペードの11だ。フルハウスが成立している。

 こりゃあ勝ちだろ、と提督は思った。隼鷹の方を見れば無表情である。まさにポーカーフェイスであり、どんな役を成立させているのかは全く推測がつかない。ダイヤが2枚揃っていてフラッシュが成立しているのかもしれないし、あるいは10と9でストレートが成立しているのかもしれない。が、どちらもフルハウスよりは弱い。警戒しなければならないのは隼鷹が12を2枚持っている可能性だ。この場合はフルハウス同士の勝負となるが、スリーカード同士の比較では提督よりも強い為、隼鷹の勝ちとなる。しかしその可能性は低いだろう。そもそもフルハウスが揃うことなど滅多に無い。

 ちなみに、提督は降りるという選択肢を取るつもりなど毛頭ない。隼鷹のみならず、このゲームに参加していた艦娘にとっての最大のターゲットは提督のウイスキーだった訳だから、そんな状況下で自分が降りてしまえば参加者を興ざめさせてしまうだけであるし、何よりも自分自身が余りにもつまらない。

 それに、隼鷹が今飲んでいる日本酒は元々入手が難しいと聞かされていて、以前から一度は味わってみたいと思っていた銘柄だ。それが飲めるというなら、その可能性をあえて捨てる理由もあるまい。

「それじゃ、開けるか」

 提督がそう言うと、隼鷹は無言でコクリと頷いた。提督は丁寧にカードを裏返す一方、隼鷹はぞんざいにカードを前方へと放り投げた。

 事前に確認した通り、提督はクラブの11とスペードの11でフルハウス。

 そして隼鷹の手札。ハートの7とクラブの7。クアッズであった。

 一瞬だけ空間を静寂が支配し、次の瞬間、「えええええっ!?」という艦娘達の驚きの声が湧き上がった。提督も隼鷹の手札を覗き込んで、

「それが来んのかよお……」

 と、唖然としている。何せ、クアッズ(フォーカード)が揃う確率などフルハウスの5分の1以下である。

「ぜってー勝ったと思ってただろ!? そーれ揃っちゃってたらそりゃあなあ!」

 それまでの能面のような表情を一気に崩し、提督の手札を指差しながら隼鷹はケラケラと笑っている。

「あー、持ってけ泥棒!」

 苦笑いしながら提督はダブルのウイスキーが入ったグラスを隼鷹に差し出す。

「いっただっきまーす!」

 グラスを受け取った途端、隼鷹はウイスキーをグイッと飲み始めた。

「やっぱ旨いなー。良いやつは違うわー」

 グラスの中のウイスキーを眺めながら隼鷹は言う。

(本当、コイツって旨そうに飲むよなあ……)

 提督がそんな事を考えながら隼鷹を眺めていると、ふと彼女がこちらを向いて、少しだけグラスを提督の方へと差し出しながら、悪戯っぽくこう聞いてきた。

「飲みたい?」

 それに対して提督も素直に答える。

「うん、そりゃな」

「ふーん、そう」

 と言って隼鷹は再びグラスを彼女自身の元に戻して見せつけるように飲み始めた。

「うわ、ムカつくわーコイツ」

 提督が隼鷹を指差しながらそう言って周囲の笑いを誘っていると、突如としてその顔が何者かの両手で挟まれた。

 一体、誰が何を、と思っていると、そんな事をやらかしているのは隼鷹。なんのつもりかと思っていると、彼女はいきなり自分に唇を重ねてきた。何らかの液体が相手の口から流れ込んでくるが、それが何なのかはすぐに分かった。提督が飲んでいたウイスキーである。

 キャー、と周囲からは黄色い声が上がる。提督は口に流し込まれたウイスキーをゴクリと飲み干すと、

「おい、隼鷹。何だよ今のは?」

 と呆れ気味に聞く。しかし隼鷹は、

「いやあ、飲みたいって言ってたから飲ませてあげたんだよ。美女の口付けもオプションサービスって事で」

 と、してやったりといった表情で笑っていた。

「オッサンか何かかお前は」

 もう提督としても苦笑いするしかない。

 

 隼鷹に一気に飲まされたせいもあったのだろうか、その日の提督はかなり酔ってしまい、早めに私室に戻って床に就く事にした。戻るまでの間、飛鷹と隼鷹が付き添う。

「や、ごめん。アタシが変な事しちゃったからだよね?」

 ベッドに寝そべる提督に向かって隼鷹が申し訳無さそうに、両手を合わせて言う。

「気にすんなって。逆に楽しかったからじゃねえかな。ああいうのもたまには良いよな」

 提督がそう言ってくれたので隼鷹はホッとした表情だ。

「気持ち悪いとか、そういうのは無い?」

 隼鷹とは対照的に飛鷹は硬い表情で聞いてくる。

「無いな。むしろ気分良いよ。ゆっくり眠れそうだ」

 目を閉じたまま穏やかに提督はそう言った。

「そう……私達も戻るけど、何かあったら言ってね?」

 飛鷹はそう言い、隼鷹と共に提督の私室を出る。そのドアを閉じた直後に、

「やっぱ提督と飲むと楽しいよね。次もゲームか何か誘おうよ」

 と隼鷹が嬉しげに言った。

 途端、飛鷹は隼鷹に素早く顔を向ける。その目には異様な光が宿っていた。

「……隼鷹」

「ん? 何?」

 呑気に隼鷹が返事をした次の瞬間、パアン、という破裂したような音が響いた。

 飛鷹が隼鷹の頬に平手打ちを食らわせたのである。

「ってーなあ……。いきなり何すんだよ」

 叩かれた頬を片手で押さえながら隼鷹はそう言った。そしてそんな隼鷹に対し、

「あんたが何やったか分かってたらそんな台詞は出てこないはずなんだけどねえ?」

 と、鋭い目つきと共にこう聞いてくる飛鷹。

「何やったかって……提督に口移しでウイスキー飲ませちゃった事? ああ、そういえば飛鷹も提督の事好きだったっけ」

 思い付いたように隼鷹が言うと、飛鷹は苦しげに俯いてしまう。そんな状態ながらも、

「知ってたんなら、何で……」

 と、震える声でそう問い詰めてくる飛鷹に対して隼鷹は困惑気味に、

「いや、別に抜け駆けとかするつもりは無かったんだよ。それは悪かったと思ってるけど」

 と言った後、こうも言った。

「たださあ……どうしようもないと思うんだよねえ」

 すると飛鷹がやや顔を上げて隼鷹を見てきた。とても暗い目だ。

「飛鷹さあ、もうあんまりその辺りこだわっても仕方無くない?」

 隼鷹が語りかける。そして、

「もう散々分かってるとは思うんだけど、取り敢えずね? ……例えアンタがいくら提督の事を好きだったとしてもさ、ウチらの場合ってどうせ、この先結局はさ……」

 と諭すように言いかけた途端、

「その事だけは言わないでっ!!」

 と、飛鷹が叫び、隼鷹の言葉を遮ってしまった。そんな彼女を隼鷹は痛む片頬を手で押さえたまま複雑そうな表情で見ているだけだ。

 

 

 次の日の秘書艦は隼鷹であった。飛鷹も手伝いに来てくれてはいたが、昨日の今日である。会話があっても、どこかがぎこちない。遠征の戦果報告を始めとする各種書類の処理を一旦進めた後、隼鷹と共に演習の視察を行う為に、執務室を出ようとしたタイミングで、いつもなら室内に留まって事務作業を続けているであろう飛鷹が「じゃあ、今日は悪いけど私はこの辺で」と言ってさっさと自分の私室に戻ってしまった。

 演習の視察も無事終わって執務室へ戻って来た後、その報告書も含めたその日最後の書類も片付けて、隼鷹も自室へ戻ろうと思った所、

「隼鷹」

 と、提督に呼び止められた。

「話がある。部屋の鍵を閉めてくれ」

「鍵閉めてって、あー、いかがわしい事したりとか?」

 隼鷹はふざけてそう言うが、

「違えよ。鍵閉めたらそこ座れ」

 と、真顔の提督がそう言って執務室内の応接用のソファを親指で指し示したため、かなり真面目な話らしいと理解して、無言で鍵を閉める。

 テーブルを挟んで左右に分かれたソファの内、一方に隼鷹が座り、もう一方に提督が座る。

 一体何の話かと隼鷹は思っているが、提督が何やら考え込んでいる。その内、ふらりと彼は空中に視線を一巡させた後、スッと隼鷹を真っ直ぐ見つめて来て、言う。

「飛鷹に張られた頬はもう大丈夫か?」

 隼鷹は一瞬硬直したが、すぐに緊張した表情を解き、

「あちゃあ、聞こえてた?」

 と言った。

「完全に眠ってた訳じゃないからなあ。部屋の前であんな風に騒いでたらどうしたって聞こえるだろ」

「頬っぺたは全然平気だよ。ってか、うるさかったよね? ホントごめん」

 やけに低姿勢な隼鷹の事を内心でらしくないなと思いつつ、

「気にしてないから気にすんなって。それに今日聞きたいのはその事じゃないしな」

 と提督は言った。この姉妹に関しては以前から気がかりな事があったのである。

「お前らの退役がウチの他の連中と比べると早まるかもしれんというのは俺も聞いてる。仮にそうなったのならお前らがいたポジションをどうやったら穴埋め出来るか考えてた所でな」

 飛鷹と隼鷹はあくまで軽空母という枠組みに所属している艦娘である。しかし、対潜戦や対艦戦を器用にこなし、場合によってはその正規空母に迫る航空機運用能力を駆使して物量で押し切るという荒技さえやってのけるオールラウンドプレーヤーでもある。この鎮守府の規模は小さい方では無いが、それでも彼女達に抜けられた場合の航空戦力のやり繰りは決して楽ではなくなるだろう。

 とは言え、今日提督が隼鷹を呼び止めた理由はそこではない。

「相手の個人的な事情をあれこれ詮索するのは趣味じゃないんだが……。昨日あんな事があったんだし、流石に少しは把握しておく必要があるかと思ってな。昨日の件と何か関係あるか?」

 隼鷹は微妙な表情で提督から視線を逸らし、黙っていたが、ほんの少ししてから口を開いた。

「まあ、ね。アタシらの実家ってどういう所か、知ってる?」

「名家だかなんだか、そういう家らしいな」

「要するに、その事。そのうち実家の都合で呼び戻されるってだけの話だよ」

 単に実家に帰るという事が何故飛鷹をあそこまでヒステリックにさせてしまうのだろうか。少なくとも隼鷹にはそのような気配は見受けられない。

「飛鷹は帰るのがそんなに嫌なのか?」

「そりゃ、そうだろうね」

 提督は内心首をひねった。ただでさえ軍人というのは死亡率が高いし、悲惨な局面に遭遇する機会は一般人よりもはるかに多い。実家に帰れるのであれば喜んで帰るという連中は少なくなく、そういった気持ちは分かるのだが、どうやら飛鷹は真逆らしい。態度を見る限り、どうやら隼鷹もその点は同じようだ。

 帰ると不味い事でもあるのだろうか、そう思った提督は聞く。

「いつかは、という事なんだろうが、実際に呼び戻されるって話になったら、お前と飛鷹はどうするつもりだ?」

「さあねえ……」

 ぼんやりとした表情で隼鷹は答える。

「さあねえ、じゃないだろ。自分の事だろうが」

「自分の事だけど、決めるのは実家だからさ。ま、どっかのよく分かんないボンボンとお見合いして結婚とか、そんなとこじゃない?」

「随分といい加減っつーか、何つーか……。ご実家の事情はあるのかも知れんが、そういうのは自分の判断も必要なもんだと思うんだが」

「いやあ、無い無い」

 隼鷹は苦笑いと共に手を横に振る。

「そこであっさり否定するんじゃねえって。それ、かなり重要な事だぞ?」

「イカれた言い方になるかもしんないけど、家族の人生が安い家庭ってのも世の中にはある訳さね。人の命が安い国があるのと同じでさ」

 提督の内心はざわついている。退役後の人生について、彼女達自身の意思が介在する余地はほとんど無さそうであり、しかも、少なくとも隼鷹自身はそれが当然だと受け止めている節がある。

 理解し難いと思った。確かに、生きていて思い通りにならない事の方がそうでない事よりもはるかに多い。しかし、提督自身はそういった状況の連続においてなお、最終的な決断は自分自身で行えて来れたと思っているし、その結果が現在自分が居る場所だとも思っている。軍に入るに際して両親が良い顔をした訳では決して無いが、断固として反対されたといった訳でも無かった。

「やっぱり納得いかんなあ、そういうの」

 提督はそう言ってしまうのだが、隼鷹はこう言う。

「普通はそうなんだろうけどね。こっちはそういう育てられ方されてるからさ、逆にこういうのが普通なんだと思っちゃうんだよね」

 住む世界が違うのだろうか、もはや提督はあまりにも下らないと思い、それ以上隼鷹と会話を続ける気を無くしてしまった。話を聞いてて何か得られるものがある訳でも無さそうだし、もうコイツにはご退室願おうか、などと考え始めたその時、

「話は終わり? じゃあ、アタシももう戻るから」

 と、隼鷹の方から会話を切り上げてしまった。

 立ち上がって執務室の扉に向かう隼鷹はふと立ち止まり、提督の方を振り返って言った。

「とりあえず、提督にはありがとうって言っとく」

「どうしたんだいきなり?」

 突然そんな言葉をかけられたので提督は少々戸惑った。

「アタシね、今、一番自分らしく生きてる。多分、退役まではそんなに長くないと思うけど、こうやって生きる場所を与えてくれたのは提督だからさ、感謝はしなきゃね。飛鷹もそれは同じだよ。で、これがウチらの精一杯の抵抗」

 そう言う隼鷹の表情は、微笑こそ浮かべていたものの、いつもの朗らかなものではなく、淋しさに満ち溢れたものであった。

「あと、飛鷹の事はいい加減に扱っちゃダメだよ? あいつ提督の事本当に大好きだからさ」

 提督が隼鷹を見つめたまま何も言う事が出来ないでいるうちに、

「じゃあね」

 と言って彼女は退室していった。パタン、とドアの閉じる音が鳴る。

 夕日が差し込む執務室の中、しばらく提督は一人ソファに座ったまま、微動だにしなかった。視線は正面を向いているが、焦点がどこにあっているのかは本人にも分からない。

 やがてその口から出てきたのは、

「……下らねえ。ホント下らねえ……」

 という呟きだけであった。

 

 

 翌日。

 今日も今日とて秘書艦でもないにも関わらず、飛鷹は執務室へと向かう。ただ、いつもなら気分は多少なりとも前向きになれるのだが、昨日と同じく今日も気が重かった。当然ながら、それは隼鷹と一悶着あった事と無縁ではない。

 妹の隼鷹程ではないものの、それなりの奔放さが持ち味とも言える飛鷹。だが普段の言動からは想像しにくいものの、彼女は元々名門とも言える家系のご令嬢である。今までに言い寄って来た男は何人もいたものの、結局彼らの目的は飛鷹そのものではなく、彼女の実家の地位と財産であった。逆に、幾分かまともな感性を持った男は彼女の美貌は元よりその家柄から彼女自身を敬遠してしまう。結局、これまでの交際相手は権勢欲と金銭欲だけの連中ばかり。自分をまともに見てくれる相手などついに現れなかった。だからいつの間にか、所詮男なんてこんなものかという、冷めた感覚が備わってしまっていた。同時に、なんであんな家に生まれたのかと、心のどこかで自分の運命を半ば呪っているというのが飛鷹という艦娘なのである。彼女が酒を飲むのはそれ自体が好きというのは当然あるものの、酔う事で自分の出自に由来する鬱屈した気持ちを誤魔化したいというのも正直、あった。

 ところが、そんな飛鷹の意識を根幹から揺るがすような存在が現れた。それが彼女の上官である提督である。元々職業軍人として出世を重ねて現在に至った人物であるからその思考の基本はリアリズム。例え相手が飛鷹であっても生まれがどうのという見方をする事は無かった。あくまで提督が飛鷹に期待しているのは作戦活動においてどれだけの成果を残せたかであり、それ以上でも、それ以下でも無い。

 ある意味では淡白とも、冷淡とも言える態度であったが、飛鷹にとっては初めて会うタイプの人種であった。特別扱いをする事も無ければ、変に下に見る事も無い。まさに等身大の飛鷹を真正面から見てくるという、それこそ無意識下で飛鷹が真に求めていた人物でもあった。

 だからなのだろうか、飛鷹は提督と出会って以来、次第に彼以外の異性をまともに視界の中に置く気が失せて行った。今や提督以外の男を応対するにしても、社交辞令を交わして済ませるレベルだ。

 火薬の臭いが常に漂うような状況に身を置いている方が生き生きとしていられるというのだから皮肉な事この上ないが、それ以前は灰色の世界の中、他者によって敷かれたレールの上を走らざるを得ない生活を送っていた飛鷹にしてみれば、今の自分を取り巻く環境はそれでも十二分に明るいのである。

(でも、こんな生活もいつかは終わり……)

 それも、そう遠くない内に、である。

 そんな、敢えて考えないようにしていた事を、改めて意識せざるを得ない状態になっていたのである。

 暗い気分で執務室の扉を開けると室内に居たのは提督一人であった。それ自体はそう珍しい事でもないのだが、いつもとは少々雰囲気が異なる気がした。外が晴れているせいでもあろうが、室内も妙に明るい気がする。

「今日出来る事って何かあるかしら?」

 と飛鷹が聞くと、意外な返事が返ってきた。

「まあ、仕事はまず置いとこう。とりあえず飛鷹に確認しておきたい事がある」

「え……?」

 執務より先に自分に確認しなければならない事とは一体何か。飛鷹は少なからず困惑する。そんな彼女に提督は言う。

「近い内にって事なんだろうが、お前、実家に呼び戻されるらしいな?」

「……っ! 隼鷹が喋ったの!?」

「俺が隼鷹に聞いたんだよ。別にあいつが悪い訳じゃない」

 焦りを隠しきれない飛鷹とは対照的に提督は無表情だ。

「で、そん時はどうするつもりだ?」

「帰るしか、ないわよ……」

 一気に暗い表情になった飛鷹は俯いて言う。

「その為に、生きてるような、ものだもの……」

 もはや掠れるような小さな声。下を向いている飛鷹の表情は提督の位置からでは見る事など出来ない。

「そうか……」

 少しだけ黙ってから、更に提督は聞いた。

「ここでの生活は気に入ってるか?」

「ええ、それは勿論」

「ずっと居たいと思うか?」

「当たり前じゃない」

 ここで再び飛鷹は顔を上げた。そんな彼女を提督は指差し、更に言う。

「それは本心だな? 嘘は言ってないか?」

「嘘じゃないわよ! 一体何なの!?」

 やけに念入りに聞いてくる提督に流石にしつこさを感じ、飛鷹はついつい苛立ちを覚えてしまう。

 提督はしばらく無言のまま、口を曲げて床を見つめていたが、突如として自分のデスクのとある引き出しを開け、そこから何かを取り出すとそれを飛鷹に向かって放り投げた。

 慌てて飛鷹が受け取ったものは手のひらサイズの小箱であった。

(え? これって……)

 困惑気味に飛鷹が提督を見ると、彼は頭を掻きながら、

「とりあえず、開けてみろ」

 とだけ言う。

(まさか、まさかだよね……)

 恐る恐る小箱を開けてみたが、その中身は飛鷹の予想を裏切らなかった。ケッコンカッコカリの指輪である。

「え? ちょ、え?」

 指輪と提督の顔を交互に見ながら飛鷹が変な声をあげている。明らかに混乱してしまっている。

「まあ、それ受け取っちまったらここの戦力の中核って扱いになっちまう。それだけじゃないぞ? 国からも海軍における最重要戦力って扱いを受ける事になる訳だ。もう、そうなったら急に実家から戻ってこいなんて言われても簡単には戻れねえぞ?」

 提督は照れ臭さを噛み潰したような表情で言う。

「受け取るのか、受け取らないのかはお前自身が判断する事だ。さあ、どうする?」

 そう言われた飛鷹は困惑した表情を収め、やがてはにかむような笑顔になって

「受け取るに決まってるじゃない! ずっとここに居たいもの!」

 と言った。

「そうか……」

 とだけ言う提督はホッとしたような表情だ。

 そんな時、飛鷹は嬉しさと戸惑いをないまぜにしたような表情で言う。

「ねえ、これって自分ではめるの?」

「ああ、俺がつけてやらなきゃな」

 提督の手によって、そっと飛鷹の左手の薬指に指輪がはめられた。

「えへへ、やったあ」

 飛鷹は心底嬉しそうに指輪を提督に見せる。

 その時、ドアから、カタン、という音が鳴り、それに気付いた提督が、

「おい、そこに居る奴、入って来い」

 と呼びかける。

 気まずそうな苦笑いと共に入室してきたのは隼鷹であった。

「いやあ、おめっとさん!」

 とだけ、彼女は明るく言った。

「あんた、いつからそこに居たの!?」

 飛鷹は驚いて言う。

「ついさっきだよ。飛鷹がなんか暗かったからさあ、ちょっと気になって様子見にきたんだけど、そんな必要全然無かったよね」

「出歯亀やってたのは偶然だったって訳?」

 飛鷹は呆れたような表情だ。

「ま、そういう事」

 隼鷹は大した事でも無いだろうといった感じで言う。

「でもさあ、良かったじゃん。これで提督から離れずに済むんだからハッピーエンドでしょ?」

 とにかく二人の事を明るく祝福する隼鷹。しかし、飛鷹だって伊達に長く隼鷹の姉をやっている訳では無いのだ。彼女の内面が嬉しさだけで占められているという事は無く、決して前向きでは無い感情も同居している事をそれとなく感じ取っていた。

「でさあ、飛鷹。それ、たまにはアタシにもつけさせてよ」

 そう言ってくる隼鷹にジロリと視線をやり、そのまま見つめていた飛鷹であったが、クルリと提督の方を向いて、

「提督、これって複数人に渡すのもアリだったわよね? この子のも用意してあげて!」

 と言った。これには提督どころか隼鷹も驚愕だ。

「おい、何考えてんだ!?」

 と提督が言えば、

「そうだよ! 大体アタシだってお情けなんかじゃそんなもん貰いたくないって!」

 と隼鷹も大慌てだ。

「大事なのは如何に私達がここに長く居るかでしょ? 私は提督の側を離れるのは嫌だけど、隼鷹が帰っちゃうのも嫌。それに……」

 飛鷹は左手の薬指にはめられた指輪を隼鷹に見せながら、

「あくまでこれはカッコカリなのよ? カッコガチの相手はその内きちんと、時間をかけて選んで貰いましょ?」

 そう言って提督の方を見る。余りにも突拍子の無い発言に提督はポカンとしてしまっていた。それは隼鷹も同様だったが、やがて片手を口に当ててクスクスと笑ってから、

「まあ、それもそっかあ。カッコカリだもんねえ。ガチにしてくれる可能性もあるんだもんねえ」

 と言って楽しそうな表情で提督を見つめてきた。

「貰えないのかしら? 提督が隼鷹にも指輪を渡せないような甲斐性無しだったら私もこれを返上しようと思うんだけど?」

 いつになく力強い目でそう言う飛鷹。恐らく、ここまでのワガママを言うのは彼女の人生の中で初めてなのではないだろうか。

(仕方ねえなあ……)

 心の中でそう呟きつつ、頭を掻きながら苦笑いをして、

「あーもう、分かった分かった! 渡す! それで良いんだろ!?」

 と、とうとう提督は言い放った。

「やったあ!!」

 途端、隼鷹はそう叫んで提督に抱きついた。

「好きっ!! 提督大好きっ!!」

 提督の体を抱きしめたまま、そこへ何やら犬のように頭を擦り付ける隼鷹。

「朝っぱらからこんな所で引っ付くなっつーの! テメエもう酒飲んでるんじゃねえだろうな!?」

 提督が隼鷹を引き剥がしにかかり、飛鷹が隼鷹に怒鳴る。

「ちょっとお! 今は指輪貰ってるの私だけなんだからね!」

 

 ついでながら、具体的な会話の内容が聞き取れるレベルでこそ無かったものの、室内に居る三人の騒がしい声は執務室の外まで響いていた。たまたまその近くを通りがかったとある艦娘は提督と誰かが執務室で喧嘩でもしているのかと思ったそうだが、何故かとても明るい雰囲気だったような気がして、こんな喧嘩があるのだろうかと不思議に思ったという。



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