美鈴おかーさん (茶蕎麦)
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第一話 おかーさん?

 布団の代わりに柔らかに繁茂した草。天井代わりに天の川に星々を散らす天上。木の根に横たえた顔の隣で跳ねた、バッタに笑う。

 これは家なき子の、野宿。けれども、野を家とするのは、別に苦痛ではないと、紅美鈴は思う。

 

「何しろ、昔はこんなのばかりだったからねえ……」

 

 思い出し、肩を流れる紅の髪を弄りながら、妖怪少女は呟く。しかし、思い出に残った分の生でもあまりに長い。彼女はしばらく想起に時間を掛けた。

 そしてその殆ど最初、人型を取るようになる遙か以前。親に住処を追い出され自らに相応しき天地を探して周ったその頃と今を比べて、美鈴は微笑んだ。

 這いずり回り、居場所を探して生き永らえる。それは、以前よりずっと強くなった今でも同じことだった。

 

「あはは。私ったら、昔も今も変わらないなあ。自分の居場所を見つけられない、子供のまま」

 

 美鈴は何時何処で、或いは人など見えない過去に異界で生まれたのか、そんなこんなですらも定かではない程古来から在る妖怪。

 だが、ここまで至る経緯の大体は覚えていた。望ましい自分の居場所を求めて、永い間中華の大地をうろうろと。そうしてつい先ごろ、知己の大妖の伝手を辿って更に東方にまでやって来たのだ。

 そう、幻想郷にまで。

 

「さあて、ここは私があるべき土地なのかねえ」

 

 仰ぐ空に果ては感じられずに、目端に覗く自然も闇も深い。また、妖精たちも幸せそうで、この世界はたいそう美しいと、美鈴も思う。だがまだそれだけ。

 つまらなくなればこの異界を発って、また外の世界でしばらく人の海に浸かるのも良い。拳法道場の看板娘を再開してみるのも、悪くはないだろう。

 そう考えつつも、期待はあった。これまでずっとそれを裏切られ続けてきた美鈴だって今度こそ、と考えなくもないのだ。

 

「ま、もう少し馴染むまでゆっくりしようかな」

 

 管理者に挨拶をしてから足を踏み入れ、方方から来る監視の目から離れてようやく落ち着けたのが、今現在。

 霧に溢れる湖畔。そこから星が見える程度の外れにて、美鈴は着の身着のまま雑魚寝する己の頓着のなさに、また愉快を覚えた。

 大妖怪の自覚はあるし、財は性から嫌いではない。けれども、それに縛られることが出来ないのが、美鈴という女性だった。

 

 ぴゅうと、一陣の風が吹く。一匹の妖精を載せて自由に過ぎたそれに、美鈴は自分を重ねた。

 

 やがて、思うこともなくなっていけば、一人呟くことも消えて、美鈴の周囲には語るものが失くなる。その場に煩さは、消えた。

 しかし、自然は留まらない。風のそよぎに、虫の蠢き、妖精の笑い声。野宿に慣れているとはいえ、つい先日まで都会暮らしだった美鈴を寝静まらせるに、それは少し魅力的な音色で有りすぎた。

 だから、しばし美鈴が目を閉じながら大地の歌に聞き入っていた、そんな時。

 

「――きゃあ!」

 

 静寂と絹を裂くような悲鳴が辺りに響いた。それは、少女のもので、それもどうにもか弱き人のもののようである。

 大概の妖怪であるならば、それに食欲をそそられるものだろう。餌の訪れに喜ぶばかりが常であるに違いない。

 だが、美鈴は違った。

 

「ちょっと心配だ……さて、私が行くまで無事で居てくれるかな?」

 

 眉根を寄せてから、ひょいと身軽に美鈴は起き上がる。一度屈みながら彼女が思うのは、少女の無事。

 自ら愛らしくアレンジした中華帽を一度払ってから頭に載せて、妖怪紅美鈴は、見ず知らずの人間の少女を助けに走り出した。

 

 地を踏み急ぎ、そして、彼女は風になる。

 

 

 

 霧雨魔理沙は、人里――幻想郷に唯一といっていい、人の存在が許された集落――にある大手道具屋、霧雨店の跡取り娘である。

 お前をどこの馬の骨とも判らん奴の嫁にやるつもりはないと、大切に大切にひとり親に育てられた。愛すべき父の下にて、魔理沙はすくすくと成長していく。

 

 その良き育ちの最中、少女には疑問に思うことがあった。どうして、自分の髪の毛の色がお父さんや他の人と違うのか、と。

 それに、朗らかに父親は答えた。それは俺の愛したお前の母と同じ色だからだ、と。お前の金は母の色なのだ、と言った。

 途端、父の言葉にて、魔法のように異常が大切なものへと変わる。嬉しくなって、更に魔理沙は問いかけた。お母さんはどういう人だったのか、と。

 父の返答はまた、淀みない。笑顔で、とても佳い人だったと魔理沙に伝える。体は弱かったが、芯が強くて、とても外から来た人とは思えなかった、と。

 当然のように、外とは何かと魔理沙は問う。それに対して、返ってくるのは随分と遅かった。父親の口元は固く閉まり、そして彼女が待ちくたびれた頃になってから開く。

 父は言った。知らなくていい、と。今度は答えですらなかったそれに、魔理沙は激する。

 喧々とした口論。そして、泣きながら彼女は家から抜け出し、やがて。

 

「ここは、外?」

 

 魔理沙は知らず、人里の外の地を踏んでいた。涙で暮れて、紛れて、どこのスキマに入り込んで、こうなったのか。

 いいや、ゆりかごのような居場所に人っ子一人、子供も通れぬ厳戒態勢を作り続けることは難しいもの。きっとそれは、ヒューマンエラーに因するものだったのだ。

 兎にも角にも、魔理沙は独り、人里から出た。辺りはとうに暗がりに沈んでおり、幼子に怖気を誘うには十分。普通ならば、恐怖に足元を向いてしまうのだろう。

 

「わあ!」

 

 しかし、魔理沙は空を見た。満点の星空を。そして、お利口さんにも暮れれば寝入っていた彼女は初めて見た夜空のあまりの美しさに笑顔になって光を辿って歩き出す。

 少女は生来天真爛漫な上に世間知らずで有りすぎた。無垢な子供は美しさの隣の、醜さを知らない。

 石ころの痛みも、野犬の牙の鋭さも知らず、後ろの怪談すら聞いたこともなかったのだ。故に、その駆け足の先に待つ運命が判らない。

 

「わ、何か流れた! 綺麗!」

 

 流れ星は、尾を引いて天を飾った。その軌跡に追いつかんと、魔理沙は必死に駆け続ける。こうして助走を続けていれば、何時かはあそこに届くのではないか、そう思って。

 だがしかし、幻想郷の中とはいえ現実はあまりに幻想から離れていた。魔理沙の素養は普通。空を自由に飛ぶには成長があまりに足りていない。

 やがて、木々に入って、星を見失ってからしばらく。

 

「はぁ。駄目かあ……」

 

 力足りず、故にそのまま見知らぬ場所にて彼女は止まる。息を直し、汗を拭きながら、少女は溜息を吐く。

 途端、首元を撫でた涼にしては冷たすぎる風に、一度身震い。そしてやっと周囲を気にし始めた魔理沙は辺りを見回し、一言。

 

「ここ、何処?」

 

 それは、今まで何に足を取られることが無かったのが不思議なくらいの木々深く。汗だく少女の周りは暗闇ばかり。その中で、細く差し込む光を受けて輝く自ら金髪がやけに目立って感じられた。

 

「やだ……」

 

 心細さは、次第に増していく。夜鳥の鳴き声に怯え、一歩進んだ先に踏んだ草木の音すら怖い。

 しかし、そのまま分け入り、進んで。そして少女は開けた場所に出る。一歩疲れきった足を踏み入れ、そうして魔理沙は異臭を嗅いだ。

 そう、血の悪臭を。

 

「何……ひっ!」

「チ?」

 

 そして、見たのは猫の死骸を食むネズミ。そんな、あり得る筈の光景が魔理沙でもただ事ではないと判るのは、そのスケールの差異。

 果たして、猫はあそこまで小さかっただろうか。いや、かもしたらこれは。

 

「ヂッ!」

「きゃあ!」

 

 ネズミの異常な大きさを察した時に、気づけば魔理沙は巨大な体躯の下にあった。

 耳元で鼻音が大きい。腹が潰れそう。臭いがキツイ。

 そんなこんなを一度に覚えた途端、肩に強烈な痛みが走った。そして、鮮血が自らとネズミの妖怪の顔を汚した。

 

「ぎっ!」

 

 それは、原始的な捕食行為。恐れを抱かせる間もなく血肉を頂こうとする、妖怪ネズミは青く若い。故に、その拙速は魔理沙の憤怒を誘った。

 

「ぐうっ、このっ」

 

 巻き起こる感情のままに、魔理沙は暴れた。痛み走らせたままに、肩に無事な右手を動かし、そして偶に指一つが妖怪の瞳に入る。

 

「ヂィ!」

 

 それは、掠めた程度。しかし意外な窮鼠の一撃に、妖怪は痛みに警戒を覚えた。そして、魔理沙を突き飛ばして距離を取り出す。

 これがもし、こんな程度の低い妖怪でなければ、こんな間隙は起きなかっただろう。そもそも、反撃を許すことすらなかったかもしれない。

 だから、妖怪ネズミが気を取り直す前、魔理沙が作った時間に、彼女が間に合ったのはきっと奇跡的ですらある幸運だったのだろう。

 

 

「よ、っと。お食事中、失礼するわね」

 

 

 疾風。それは、風と供にやって来た。緑色の改造中華服を棚引かせ、女性の形が魔理沙を庇うように立ち出る。

 妖怪を前にして、それは笑う。そして、彼女、紅美鈴は宣言するのだった。

 

「そして、失礼ついでに勝手させて貰うわよ? さて――楽しいお食事はもうお終い。疾く避れ、ケダモノ」

「ジュッ!」

「あ……」

 

 言葉が終わったか否かの瞬間に、圧される周囲。気圧される、その極み。ただ少女の険一つで、場は圧倒に支配された。

 そして、ほぼ間断なく、妖怪ネズミは背を向け、逃げ出す。力の差を測るに、野生は敏だ。

 だがこれも、彼が妖怪として程度が高ければ、起きなかったことだろう。もう少し妖怪としての自信を育んでいたら、美鈴に無謀にも立ち向かっていた未来があったのかもしれない。

 そんな、頭蓋柘榴のもしもを回避できただけ、妖怪ネズミは幸運だったと言っても良い。

 

「あ……」

 

 だが、肩に傷を作った魔理沙は逃げられない。助けてくれた、ようである。しかし、それでも未だ目の前の女性がよく分からない。

 その接近に魔理沙は目尻に涙を浮かべた。美鈴は、そんな幼さに笑いかける。

 

「あはは。大丈夫。痛いのを治してあげるだけだから」

「え?」

「ちょっと、動かないでいてね?」

 

 そして、美鈴は魔理沙の傷んだ肩口に手をかざす。その抉れた様に同情してから、彼女は僅かな合間を光で補填した。

 それは、気。特に人によく効くものを送り込んで、美鈴は魔理沙の傷を和らげていった。

 どんどんと痛みが消えていく肩。肉が盛り上がり、巻き戻っていくかのように形を元にしていく傷口を見て、魔理沙は呟く。

 

「治ってる……凄い力……ひょっとして、仙人さん?」

「ううん。そんなのじゃない。私は妖怪よ」

「妖怪……さっきのと、同じ……」

 

 今更、言から先のネズミが人を害するもの、妖怪と気づいて全身怖じ気付かせ、そしてそれと同じと口にする女性に魔理沙は怖気づく。

 肩に感じる優しさ、それがまやかしであることを恐れて。だがしかし、目の前の妖怪は太陽のように笑んだ。

 

「あははー。怖がる必要はないかな。私ったら、別に人食いではないから」

 

 それは本当。そう、人を喰むなどという直接的な行為を起こさなくとも、十分。美鈴は在るだけで怖気を誘う、そんな存在の陰たる妖怪であった。

 故に、滅ぼされることすらなければ、その存在は永遠。霞を食むことすら必要ないのだった。美鈴にとって、人は食べ物ではない、限りある自然の一部、生き物だ。

 だから美鈴は今回、他種族であろうと子を守ろうとする生き物の本能に任せて、魔理沙を救ったのである。

 そして、安心させるために笑いかけた。

 

「人を食べない、妖怪?」

「そう。結構いるんだけれどねー。ここじゃあんまり居ないのかな? 私、外から来たばかりだからそこら辺の事、分からないのよね」

 

 美鈴は、魔理沙を優しく撫でる。その手の温もりはくすぐったくも嬉しい。

 外の存在。この妖怪はそうなのだ。魔理沙に、天啓が走る。

 死んだと聞いた。でも、この優しさは。赤と金。髪の色こそ違えど、同じ異端。この人はもしかして。

 少女は考えそのまま口にした。

 

「妖怪になったの、おかーさん?」

「へ?」

 

 魔理沙はそんな、勘違いをする。

 ぽかんとする美鈴。空いた間。そこに、新しい風が吹く。血生臭さは除かれ、後にはコミカルな空気ばかりが残る。

 

「あははは!」

 

 首かしげる魔理沙の前で、美鈴は大きく吹き出した。

 

 

 

 こうして、美鈴のおかーさん道は始まった。それは幻想郷の少女たちの運命をどう変えていくのだろう。

 

「こればかりは、貴女が代わりになれるようなものじゃないのよ」

 

「私を、私達を、守って……」

 

「あははははは!」

 

「――妖怪に、死を」

 

「何? 本の染みになりたいの? 魔界の本は硬いわよ」

 

「おかーさん!」

 

 進むべくは、過酷な道程。何しろ、吸血鬼異変が起きず、機会を失ったこの世界に、スペルカードルールなんていうものは存在しない。

 

 

「私が纏めて、面倒見てあげるから!」

 

 故に、美しくも泥臭く。紅美鈴は戦っていくのだろう。

 

 

 




 もし続きが読みたい方がいらっしゃいましたら、書いていきます。

 11/26日、追記。
 ちょっと押し付けがましい後書きであったかと思っていましたが、それでも心優しいご感想を頂けて、頑張ろうと思えました。無理のない範囲で続けていきますね!


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第二話 代わりじゃないよ

 続き、出来ました!


 

 

 蒼穹に立ち昇った、残滓の煙、白一筋。神社の境内から振り返り見たその景色ばかりが記憶に残る。

 博麗霊夢はその日、人里にて行われた盛大な葬礼に、深く感じることはなかった。

 可哀想に、頑張るんだよ、上から投げつけられるそんな言葉を下から聞いて、ただ頷いていたことばかり、よく覚えている。

 自分は特別。それに、自活できる水準の家事に並大抵の妖怪と互角以上に対せる退魔の技術。あの人から教わったものは今も確かに生きている。だから、これからもずっと、大丈夫なのだと霊夢は思っていた。

 

「ねえ、お母さん……あ」

 

 だがしかし、神社に独り、用達を頼もうと振り向いた時に誰も居なかった時、その際に彼女の瞳は勝手に透明な滴を零す。ああ、先代の巫女は、お母さんはもう居ないのだと、やっと理解して。

 涙は滂沱にならずに、しとしと溢れて、霊夢の心を濡らす。

 

「私は、あの人のことが、好きだったのね……」

 

 貴女は浮世離れしている、とは誰の評だったか。そんなことはない。現し世の生き死にで、一喜一憂する、私はただの人間で。

 ああきっと、今涙を拭ってぐっと我慢しても、誰も偉いと言ってくれない。だから、静かに泣き続けながら、霊夢は呟くのだ。

 

「寂しいな」

 

 それは、少女の本心だった。

 

 

 

 霊夢と先代巫女に、血の繋がりはない。親子関係だったが、拾い子とその保護者が結んだ殆ど形式上のもの。霊夢は幼子であったが、年上であった先代ですら若者の範疇といえた。

 故に、二人の仲は、親子と言っても少し優々したもの。険が起きるようなことは少なかった。それはまるで、静かな姉と、手のかからない妹の穏やかな交流。

 心の繋がりは確かにあれども、少し特殊な家族の形だった、とはいえた。

 

「でも、私達だって、こんなにおかしくはなかったわよ……」

「あはは。ごめんね。魔理沙ちゃんが付いていくって聞かなかったから」

「うー……」

 

 赤髪美人の妖怪の胸元にて、金髪の子供が赤子の如くに縋り付く。相談、として霧雨店の店主直々に認めた紹介の書状を持ってやって来た、曰く紅美鈴は、先からずっとそんな様子だった。

 その相談内容も聞くに、面妖なものである。美鈴という幼い霊夢では計り知れない力を秘めた大妖は、困ったように話した。

 

 曰く、一度助けてから送り届け、人里の実情を察した美鈴が去ろうとした際に、魔理沙という子供が妖怪の自分を母と呼んで帰らないでとぐずり、そして霧雨の旦那もまた娘の命の恩人に恩返しをする前に放逐するというのは駄目だと言い出したのだそうだ。

 その後は、主に娘の無事に対する旦那の大喜びから端を発した大店の前で起きた泊める泊めないの騒動に、通りすがった人里の重鎮も混じって喧々囂々。

 美鈴を他所に、結局今日一日は仕方ないが、どうあろうと人里によく分からない妖怪を長期滞在させるというのは頂けないということになったのである。

 そして、ならば彼女の良し悪しを巫女に占ってもらおうと渋る霧雨の主人が言いだしたのも、人情を考えると仕方なかったのかもしれない。

 

「はぁ」

 

 仔細、分かった。分かったが、実に面倒である。

 結論としては、認められないの一言に尽きる。そもそも、博麗の巫女が妖怪は人間の敵という幻想郷の構図を守るために陰ながら働いている、ということは裏にて知られたこと。

 美鈴が外の世界からやって来た妖怪で、幻想郷の事情を知らなかったという情状酌量の余地があるために、問答無用で処断することはないが、それでも彼女という妖怪が善かろうが悪かろうが人と並び立つことは認められない。

 それを理解していて、重鎮等も相談の許可を取ったのだろう。

 

 だが、霧雨店は、大店。正直なところ今回のことで、人里で買い物をするのによく周るひいきの店の主人に嫌われるというのは面白くない。

 だから、霊夢はどうにか霧雨の娘とやらに自主的に諦めてもらい穏便に事を治めることは出来ないか、と思いじろりと魔理沙を見つめる。しかし、じとりと見つめる少女のその幼さに、彼女は思わず揶揄してしまった。

 

「何。よく見たらこの子、私と大して年変わらなそうじゃない。随分と乳離れが遅いのね。せめて、自分の足で立ちなさい」

「やだ。巫女様がいいって言うまで、私、美鈴おかーさんから離れないから!」

「巫女様の裁定次第では離れなければいけないって、霧雨のお父さんが言ってからもう、頑なに私から離れようとしないのよ……ちょっと、このままでごめんなさいね」

「仕方がないわね……」

 

 どうにもやり辛い。それは、感覚を無視すれば、たちどころにただの親子に見えてしまうから。それほど、紅美鈴とやらには、妖怪の常である自己を誇る感がない。

 霊夢は、やけに働く自分の直感からも、優しさが嘘ではないと思う。なるほど霧雨の主人の目利きは正しい。真に珍しい、人に優しい妖怪ということなのだろう。

 だが、それでも、紅美鈴は妖怪なのだ。だから、確信を持って、聞く。

 

「妖怪に良いも悪いもないのだけれど……一応訊いておくわ。貴女、人間と妖怪二人が困っていたら、どっちを助ける?」

「それは、相手次第だけれど……まあ、両方助けようとしちゃうかな」

「そ。なら、あんたは、人間の敵だ」

「み、巫女様?」

 

 博麗霊夢はお祓い棒を向ける。途端、一瞬高まった美鈴の気配から、大凡敵う相手ではないと薄々察しながらも、迷いなく。

 そう、霊夢にとって、妖怪のその性が善だろうが、関係ない。どっちつかず。頑として人の側に立つ、そういうことはないと、美鈴は言った。ならば、彼女は妖怪側で、問答無用で退治すべき相手ということだ。

 幻想郷の維持には、妖怪が人を襲い、人が妖怪を恐れることが必要。霊夢はそう聞いて、理解し、信じている。

 もう、同い年の子が不相応にも発した鬼気に怯える魔理沙の姿にも、哀れなものを見たような顔をする美鈴ですら、こうなった霊夢の心に漣を立てることはない。

 霊夢はルールに則り、断言する。そして、赤い御札を懐からさっと取り出した。

 

「私は、完全に人間側ではない妖怪が人里で暮らすことを認めない。それに従わないというのなら……今直ぐにでも、退治してあげてもいいのよ?」

「そんな! 巫女さ……こんなのに様なんて付けらんないや。霊夢! お母さんに御札を向けるなんて、酷いよ!」

「魔理沙って言ったっけ。人の子のあんたには関係ないわ。しっし」

 

 憤る魔理沙の渾身のぐるぐるパンチは、手のひらばかりであしらわれる。彼女は遠くで払われ、近くでは軽く押し返された。

 指先で額をとんと突かれただけで、尻もちをついた魔理沙は、涙ぐみながらも、美鈴があやすその手に縋り付きながら尚言い募る。

 

「関係あるわ。私のおかーさんだもの!」

「それは、あなたの思い違い。こんなの人間と妖怪の、とんだおままごとよ」

「あはは……中々辛辣な子ねえ」

「むぅ。おかーさんも、笑っていないで、怒ってよ!」

「流石に、こんな可愛らしい子供の言葉にカッカするなんて、大人げなくてねえ……」

「ふぅん……」

 

 魔理沙の小さな手に引っ張られてそそのかされながらも、微笑み崩さない美鈴を見て、霊夢は目を細める。

 格下に啖呵を切られたところで、小揺るぎもしない。それは確かに大人であるのだろう。霊夢的にはナメられているかのようでムカつくが。

 

「おかーさんも、霊夢も、知らない!」

 

 そして、反するように魔理沙は子供。思い通りにならないことに、苛立って爆発するのは当たり前。

 激怒し、金色の重い頭をふらふらと、転ばないのが不思議な不安定さを持ってして、魔理沙は二人から逃げるようによちよち駆けていく。

 そんな様子を絶対零度の視線で見つめる霊夢と違って、生暖かい目で見る美鈴。しかし、その姿が鳥居の向こうに消えていったことに、彼女は少し慌てだした。

 

「ああ、魔理沙ちゃん鳥居の向こうに行っちゃった。ここいらには弱小妖怪避けの結界が多少あるみたいだけれど、一人で石段下るってのはちょっと危ないかな」

「ちょっと目を離すくらいは大丈夫でしょ。……それで、魔理沙は分からず屋だったけれど、貴女は理解してくれるの?」

「ええ。私が人里に住むことが出来ないということは、分かったわ。ただ……」

 

 中途にて黙る、美鈴。続きを言い難いのだろう。苦渋を呑み込まんとしている様子だった。子供相手に愚図ることは、したくない。まるで、そんな気持ちが顔に書いてあるようだ。

 きっと、自分を慕ってくれる魔理沙と別れたくはないのだろう。なんとなく、霊夢も偽物とはいえ仮にも親子の仲を引き裂くというのは気が引けた。思い出すは、あの日の寂しさ、涙の冷たさ。

 だから、彼女はついつい言葉を紡いでしまったのだった。

 

「……ままごとを止める権限までは、私にないわ。隠れて会うなりなんなりは、好きになさい」

 

 それは、博麗霊夢にしては、あまりに甘い言の葉。しまったと思うが、時間は戻らず、吐いた言葉も返って来ない。

 代わりに、目の前で輝いたのは、太陽のような笑顔。美鈴は大輪を咲かせてから、思わずたじろぐ霊夢に向けて頭を下げた。

 

「ありがとう! それじゃあ、霊夢ちゃん、また来るねっ」

「あ……」

 

 そして、本当に好んでいてだから心配なのだろう、脱兎、いや風の如くに美鈴は手をふりふり魔理沙を追いかけるために走っていく。

 その勢いにつられて手を上げてしまったことに赤面してから、霊夢は思い出したかのように呟いた。

 

「あいつ、また来るの?」

 

 そんな疑問に対して、答えは翌日に訪れる。

 どこで調理したのか手製の中華饅頭を携えやって来た美鈴に霊夢は、彼女が、妖怪が博麗の巫女の前に現れることの意味を判っていなかったことに、頭を抱えるのだった。

 ただ、一緒に食べたほかほかのご飯はちょっと、美味しかったかもしれない。

 

 

 

 それから。三日と置かずに、都度手土産を持って美鈴は博麗神社を訪れるようになった。

 半ば無視する霊夢に、美鈴はぺらぺらと饒舌に外の世界のことや、その日あったことを喋る。最初は聞いていなかった彼女も意外に面白いその内容に、雑務の手を止め聞き入ることも多くなっていく。

 その内に、人里にて外から農業を手伝いと子供をあやしにやって来る美人妖怪の噂を聞くようになり、次第に霊夢は、一々私の立場を考えろという文句をいうことも諦めるようになった。

 何せ、紅美鈴という妖怪は存外暢気なのだ。小言を笑って受け容れ、痛罵ですら粛々と呑み込んで、全てを次には忘れている。

 なら、痛めつけて思い知らせてあげればいいかとも思うが、美鈴は格上の存在。敵わない喧嘩をする趣味もないし、面倒くさがりの霊夢は後で問題になったら片付ければいいと思うようになった。

 

「それにしても、よくもまあ、退魔の人間の前でこんな寝姿を晒せるものねえ……」

「ぐう」

 

 そして今、美鈴はシエスタ、とかぬかして、神社の境内で昼寝をしている。美人が大口を開けて眠りこけているのは、どこか間抜けだ。とっとと、自分の家に帰って布団に入ればいいのに、それでも彼女は霊夢の前で安心している。

 そう、美鈴は最近、少し前に霧の湖の畔に、やっと掘っ立て小屋を建立出来たと、喜んでいた。霧雨のお父さんから頂いた赤い塗料で屋根を綺麗に塗った、私の家はちょっとしたものよ、と語っていたというのに。

 でも、一人はつまらないと出歩いて、美鈴は人や妖怪、妖精とすら遊ぶのだった。

 

「変わった妖怪よね」

 

 美鈴は今も幻想郷に根付き、どんどんと馴染んでいる。幻想郷のルールから少し外れた様子であるが、その速度は驚くほど。

 優しく、懐深い。どこでも少しだけ浮いてしまう冷たい自分とは違う存在だな、と霊夢は感じていた。

 霧雨店で買い物する度に、喧嘩腰で現れて負けないぞと敵愾心を燃やす魔理沙の、その執着も霊夢には分からなくはない。

 たった今、つうとヨダレを口の端から垂らしたこの妖怪は、稀有なほど、子に愛を向けてくるから。その母性は親なしには、どうにも眩しいものだろう。

 

 どうして、こんなつまらない私のところにやって来るのか、霊夢は美鈴に聞いてみたことがある。それに対しての返答は、寂しそうだったからの一言。

 たったそれだけの言葉に、霊夢は酷く喉を詰らせられたことをよく覚えている。

 

「美鈴」

「ぐう……ん?」

「これから戯言を呟くわ。また寝てしまっても、構わない」

 

 妖怪退治用の御札を認めるその手を止めて一歩近づき、紅い彼女の髪をひと撫でしてから、霊夢は目を瞑る。

 これは、感傷。語るべきではないと冷静に考える自分が何処かにある。しかし、判っていても、一線を守らんとしようとする自衛の言葉は止まってくれなかった。

 

「私は先代……母を愛している」

「うん」

「こればかりは、貴女が代わりになれるようなものじゃないのよ」

「そっか」

 

 きっと、美鈴は自分の母親代わりをしようとしてくれている。それは、分かるのだ。でも、魔理沙と違って、自分には確かに記憶に残る母が居た。

 だから、それを捨てて身近の温もりに縋り付くなんてしたくない。何しろ、あんなにも好きだったのだ。皆が忘れようとも私だけは、それを失くしたくないと、霊夢は思う。

 だが、起き上がって、黒く翳った少女の瞳に青い目を合わせてから、美鈴は話す。

 

「代わりじゃないよ。別に、とって代わろうって訳じゃないんだ。でも……新たにもう一人、貴女を支えてくれる人が増えるっていうの悪くないんじゃないかな?」

 

 聞き、霊夢の眼はぱっと大きく開かれた。それは、悪魔の甘言とすら疑えるような優しすぎる言葉。

 この青は嘘ではないか。しかし、彼女の真剣を、巫女の勘が裏付けてしまう。だから、この無償のような奉仕に、霊夢は疑問を覚えざるを得なかった。

 

「どうして……」

「心配なのさ。それに、いい子は幸せになって欲しくて。ただ、それだけ」

 

 霊夢に向けられる美鈴の笑顔は、何時だって満面である。それは、曇りなき好意から。

 大いなるものが、近づけば震えてしまうほどに小さいものを、愛することだってあっていい。そう、美鈴は思う。

 彼らは愚かなものか、懸命なだけだ。そう考えてしまう美鈴はきっと変わっていて、でもだからこそ嬉しいものであった。

 

 霊夢は、生まれて初めて妖怪を信じたいと、思う。

 

「……貴女は、私より先に居なくならないわよね?」

「勿論」

「なら、ちょっとあっち向いて」

 

 美鈴は指示を受けて、何の疑いもなく退魔の子供に背中を向けた。

 途端、そこにかかるは小さな重み。温く柔らかでどこか頼りないそれが何か、美鈴はよく知っている。

 

「少しだけ、寄っかからせて」

 

 霊夢は、そう言い、目を瞑る。温もりに、安堵を覚えて。

 

 

「いい天気ね」

 

 紅葉ひらり。頭に乗ったそれを無視して空を見る。そして青空に覗ける博麗大結界を檻と空目しながら、しかし美鈴は動かない。

 

「……お母さん」

 

 呟きと涙は大きな背中に呑まれていく。二人の影は一つのまま、暗くなるまで変わらなかった。

 

 

 



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第三話 可愛い妹

 

 

「はっ!」

 

 透過する、薄青に紅。朝霧に乗せた人魚の歌声響く中、霧の湖の畔にて、踊るものが一人。いや、それは舞にしては武骨であっただろうか。美しくも鋭い、それは演武となって霧を裂いていく。

 優れた形の移り変わりはあまりに素早い。そこそこな長駆を伸縮させて、蹴打が描くは数多の図案。様々な敵手への囲いを、痛撃を彼女は演出する。

 見に包む丈の長い中華服は、武の過渡を大いに彩り、はためきすら鋭く綺麗な音色となった。やがて、緑の流動は次第に速度を早めていく。

 

「やっ、ほっ!」

 

 ギアは、一段、二段とどんどんと上がっていった。そして、出来上がるは曲芸を越えた、人の目に留まることすらない武威の疾風。

 武人に、妖怪、果ては武神。想起される様々な仮想敵はしかし少女の空手に倒される。それが、彼女の拳が起こしてきた軌跡であることを誰が知るだろう。やがて、巧みは重なり続けて、次第に円と化していく。

 

「ふっ……はぁ。こんなところかしら」

 

 そして緑の軌跡は空を切り裂き、地をえぐり、球の嵐となったところで、唐突に止んだ。何時の間にか落ちていた帽子を拾い上げて、彼女は零す。

 

「朝の運動、これでお終い! あはは。疲れたー」

 

 そして、妖怪は空に輝くものに等しい笑顔を作る。闇より暗いはずの妖怪の心の底から湧き上がってくる、その歪みはしかし天然自然の何より美しい。

 その美を大いに飾る髪の紅をなびかせ、女性は伸びをする。途端に現れる豊かな曲線は、幻想少女相手でも他の追随を許さない。数多の羨望と欲望を集めるだろうそれらに、武人たる彼女は、邪魔なものだと価値を見出さないのが困ったところ。

 娘を自認する魔理沙が母のその身に宿る美麗を隠れて用意した数多の衣装にて輝かそうと画策するのも、自然なことだろう。

 そんな娘の暗躍を知りもしない彼女は、青に変わっても変わらず空は美しい朝の霧中、人魚の次の一曲に聞き入るために、どっかりその場に座りだした。

 

「遊びに来たわよー!」

「お、お邪魔します……」

「いらっしゃい。チルノに大妖精ちゃん。昨日ぶりね」

 

 そこに、やって来たのは、草色と氷色の二匹。美人の動と静の優しげな片一方しか知らぬ彼女等は、安心して女性に近づく。

 そして、氷精チルノは大人しげな大妖精の隣で元気にこれからを楽しみにざわめいた。

 

「何して遊ぶー?」

「そうねえ……あ、止んじゃった」

 

 途端に、風が一つ。帽子に手を当てながら、その一拍前に曲の終わりに止んだ歌声を、彼女は寂しがる。僅かな憂いに気づいた大妖精も、その影すら綺麗と思う。

 

「疲れたのかしら。まあ仕方ないわね。じゃあ、私達もわかさぎ姫のように歌いましょうか」

「いい考えね! ひょっとしたらこれは、大ちゃんの綺麗な声が世に知れ渡る、チャンスかしら!」

「え、私も歌うの? えっと……」

「ほら、恥ずかしがらずに。えっと、さっきの歌の始まりはうさぎおいしい、だったけ?」

「それは……」

「美鈴違うわ! 追いし、よ!」

「あははー……しっかり習得出来たと思ったのだけど、やっぱりちょっと日本語は不慣れね。練習あるのみ。三人で歌いましょうか!」

「えへん。あたい達が外から来た美鈴に日本語を教えてあげるわ! 大ちゃん、行くよー」

「う、うん」

 

 しかしそんなつまらなさなんて直ぐに跳ね除け、霧の下で彼女は再び太陽になる。その満面の笑みの直ぐ側で、妖精たちも綻んだ。

 中心にあるのは日向が一等似合う妖怪。そう、彼女は紅美鈴だった。

 

 

 

 美鈴は次第に集まってくる妖精たちを、お歌にお散歩、鬼ごっこに隠れんぼ、そしておままごとにてあやす。

 大人なら下らないと断じてしまいそうな、そんな子供の遊戯に楽しみを見つけて、妖精等の稚気を可愛がる。五行の綺麗に囲まれて、日輪の彼女はずっと幸せそうだった。

 やがて食を忘れた彼女らがお昼を過ぎた時間になって、美鈴は遊びの片が付いた頃合いを見計らってから、妖精を纏めて自らの家へと連れて行く。

 その、多少赤くはあれども館とはとても大げさ過ぎる、二部屋ばかりの小さな家にて、美鈴は奥から甘い香りが漂うものを取り出した。

 そう、それは三時のおやつ。こんもりと大皿に盛られたお団子の山に、どうぞという言葉に応じてがっつき出し、手と口元を汚す妖精たちに、美鈴は笑いかける。

 

「美味しい?」

「はい、とっても!」

「やっぱり、美鈴の作ったお団子は最高ね!」

「団子屋のアルバイトで貰った米粉を捏ねてきな粉に砂糖をまぶしただけの簡単なものだけれど。まあ頑張って作ったし、それでこうも喜んでもらえると、嬉しいわ」

 

 遊びの後、都度提供するため、それが目当ての妖精すら居るくらいに、美鈴の作った団子は人気がある。それはバイト先のお婆さん等から好意により頂いて、遊ばせている糧から出したもの。

 自然の中ではあまり頂けないその甘味に、妖精たちは羽をぱたぱた大喜び。彼女らは大いに美鈴の隣で騒いだ。

 そしてしばし時は経ち、これで散会となることを知っている妖精等のお礼を頂きながら、美鈴は撫でたり頬のおべんとうを拭ってあげたりして、笑顔で別れる。

 

「ほら、ほっぺを拭いてあげるから動かないで」

「わぷ」

「美味しかったー」

「ありがとう!」

「ごちそうさまー」

「お粗末さま。皆、気をつけて帰りなさいね」

 

 多くが手を振り、妖精達は三々五々家から元気に出ていく。偶に転けることすら楽しんで、彼女らは自然に命を表現するのだ。

 隣人に対する愛から、微笑みながらそんなおてんばな様子を美鈴は飽きるまで望んだ。そして、気づけば倒れた椅子やらで汚くなった室内に残ったのは二匹ばかりとなっていた。

 朝一に見かけた草色と氷色。大皿に群がる彼女らを認めて、何をしているのだろうかと、美鈴は近寄った。

 

「あら、貴女達、残ってたの?」

「皆は、残ったきな粉を食べてかないのね。ぺろ。これがツウのやり方ってやつなのに!」

「チルノちゃん、意地汚いよ……」

「あはは。可愛らしいねえ」

 

 薄く茶色い白皿に湿った指先をつん。そこに付いたきな粉をチルノは舐めて食んでいた。直接お皿を舐めたりしないのはお行儀がいいのか、仮にも女の子だからかどうかは分からない。

 けれども、大妖精に白い目で見られているその行動は、どうにもユーモラスであった。

 大いに笑ってから、その面白さの駄賃にと、美鈴は提案するのである。

 

「そんなに、気に入ったのなら、ちょっと残ったのがあるから、二人共、食べていく?」

「わあ、美鈴ったら太っ腹ねっ」

「チルノちゃん。女の人にあまりその褒め言葉は……あの。本当に、私達、頂いちゃっていいんですか?」

「あはは。気にしない気にしない。残り物には福がある。まあ、運が良かったと思いなさい。他の皆には内緒よ?」

「勿論! おかーさんとあたいと大ちゃんだけの秘密ね!」

「美鈴さんがお母さん、って……さっきやったおままごとの設定だよね?」

「そーよ。でも、本当に美鈴ったら、優しくって、私達のお母さんみたいね」

「そうだね……」

 

 大妖精は、全会一致で母親役に推された時の、美鈴の今も変わらない柔らかな表情を思い出す。

 構ってくれるだけで嬉しいのに、触れる手はどうにも心地良い。その優しさは母性に似ていて、彼女らはどうにも惹かれてしまうのだった。

 永遠子供の妖精達。無軌道無責任な彼女らは、あまり好かれない。知恵のない馬鹿。程度の低いものとみなされ、無視されるのが殆どである。

 それを、美鈴は隣り合うものと認めて、仲良くする。まるで、聖人のようにして。

 ちっとも恐ろしげでないそんなおかしな妖怪は、皆の母呼ばわりに少し悩んだ。

 

「うーん。私はそんな年に見える?」

「いえ、綺麗でとってもお若いです!」

「ね。こんなに、美鈴はぴちぴちよっ」

「こら。手を叩かない。……あはは。まあ、良いかな。お母さんでも、必要とされるのは悪くないからね」

 

 中身はともかく見た目は少女のつもりであるのに母呼ばわりされるのは、と思わなくもない。けれども、美鈴はそれも呑み込む。

 チルノ達の気安さが、とても嬉しかったから。氷精にぺしぺしされてひんやりとしてしまった右手をさすりながら、美鈴はおかわりを出した。

 中皿に月見をする際のように乗せられた団子に、甘い粉がかけられる様子を、二匹は目を輝かせて見つめる。

 

「大体十個くらいかな。どうぞ」

「わあい!」

「ありがとうございます!」

 

 出された箸を不器用に使って、チルノに大妖精は、それぞれ団子を口に含む。美味しい美味しいと、喜ぶ彼女らを楽しそうに見る美鈴。

 それはふわふわとした、幸せな時間。ずっと続けばいいと、誰もが思う。しかし、楽しみは永遠に続くものではない。

 泡と弾けるように、それは一声で終わった。

 

「あや。お食事中でしたか。いやはや、きな粉団子とは、皆様随分と素朴な甘味を召し上がっていらっしゃるのですね」

「誰かしら?」

 

 そんな団らんに、闖入する声。わざとらしいそれに、美鈴は眉根を寄せる。

 家主の険を感じ、これまた大仰に闖入者は頭を下げる。だが、その頭襟外さぬ軽い礼に、美鈴は警戒を解くことが出来なかった。

 

「これは失礼しました。ですが、戸が開いていましたもので、その不用心がちょっと気になってしまいまして、こうしてお邪魔を」

「文!」

「射命丸さん……」

「チルノさんに、確か貴女は大妖精の一種でしたね。そして、お初にお目にかかります。私は烏天狗の記者、射命丸文と申します」

「ご丁寧に、どうも。私は紅美鈴。ただの妖怪よ」

 

 記者、と聞き僅かに隔意が増す。しかし、それを表に出さずに、美鈴は軽く自己紹介。ただの妖怪という内容。それに、文の疑わしい視線が向く。

 

「ふうん。妖精に博麗の巫女が慕う、貴女がただの妖怪、ですか」

「ええ。ちょっと変わりのもの、というのは見て分かるでしょうけれど……っ!」

「――そして今、更に片鱗が分かりました」

 

 言の最中に、動く風が二つ。妖精が瞳を瞬かせたその間に、二人の影は重なっていた。

 死角を飛んだ天狗の流れ。そのあまりの速さ。目に映るはずのない疾風を、彼女は確かに受け止めていた。

 そう、美鈴は文が放った探りの拳を、柔らかくも無効化していたのである。しかし、両者、その業に驚きはない。ただ、起こったことを理解したチルノが激するまで静寂が少し広がった。

 

「文! わぷっ」

「失礼に続きご無礼を。謝罪します」

「はぁ。言いながらも悪びれないのね。まあ、別に構わないわ」

「大丈夫ですか、美鈴さん……」

「平気よ。射命丸さんが、手加減してくれたからね」

 

 こんな誰も怪我もしない程度の立ち会いを気にするほど美鈴の器は小さくはない。ぶつかり合い、しかし大きな険は起きなかった。

 暴力に怒るチルノは文に撫でなだめられ、心配する大妖精は美鈴に撫であやされる。

 やがて二匹がその手から感じる温度に蕩けた間に、その上で、言葉が飛んだ。

 

「やれ。最速の影すら踏む。なるほど人間が口にする、母は強しとはこういうことですか」

「多分、それは違うと思うけれど。それに、貴女本気ではないでしょう? 流石に空穿つ天狗の速さに並べるとは思えないわ」

「これは、ご謙遜を。本気でないのは同じこと。我々が天駆けるのならば、貴女は天に架かる橋。並ぶに苦労するのは、私の方でしょう。ねえ、八雲の虹、紅美鈴さん?」

「……あはは。この記者さんはどうにも耳が早いわねえ」

 

 二人の間に、僅かに鋭い視線が通った。赤と青は、対したところでしかし小揺るぎもしない。

 美鈴は知られすぎていることを気にし、文は未だ残る不明が気になる。だが、そのために広がった緊張は僅か。子供の前で、大人は何時までも本気ではいられないものだ。

 

「文、何言ってるの?」

「ん……」

「ぷ。可愛いものですねえ」

「本当に」

 

 そう、なでなでが止まったことに顔を上げるチルノと大妖精によって再び空気は和んだ。

 僅かに吹き出し、そうして再び氷精の頭を撫で擦ってから、文は本音を口にし出す。

 

「正直なところを言うと、今回は、記事にしたいがためというだけでなく、私的に気になったがために、少し調査に発奮したのですよ。ちょっとチルノさん、お耳を拝借」

「どうしたの、文? わ、何も聞こえなくなったぞー!」

「この子は、私のお気に入りでねえ。みだりに誘惑するのは、どんな相手かと気になっちゃったのよ」

「……それで、私は貴女のお眼鏡にかなった?」

「まあ、保護者としては、まずまずといったところかしら。それでは可愛い妹を頼むわね、美鈴お母さん!」

 

 チルノの耳を塞いで勝手に本音を喋って、そして自由にも風は消えた。お母さん、という響きが美鈴の耳に強く残る。

 騒々しい疾風が退き、後に残るは、静寂。それを大妖精は残念がって、言う。

 

「文さん、行っちゃった」

「何だったんだろ?」

「あはは。いい、お姉さんね」

 

 唐突に失くなった温かさ。それを寂しく感じている様子のチルノを代わりに撫でてあげながら、朗らかに美鈴は笑った。

 今回の文は、見知らぬ妖怪に懐くチルノを心配した彼女が確かめるために訪問したばかりのこと。なるほど情が絡めば調べも本気となるだろう。

 色々と知られていたのはそういうことだと納得してから、美鈴は零す。

 

「まあ、あの子も中々よく調べたみたいだったけれど、八雲の虹、はちょっと見当はずれだったかな」

 

 美鈴はそっと、窓から天を覗く。霧の最中で彼方の八雲は見えず、霧虹すらも映らない。

 ただ、そこから自分に手を振る妖精を認めて、彼女は微笑み返すのだ。ああ、這いずる自分には空の彼方など、どうでもいいと考えながら。

 

「私はただの、紅だから」

 

 そして思い出した過去に彼女は引っ掻かれ、その笑顔は少しだけ、崩れた。

 

 

 



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第四話 私の方が

 

 

 博麗神社を祟る怨霊。いや纏わり付き過ぎた挙げ句に御霊信仰に巻き込まれたのか今や博麗神社の主神のようにすらなってしまっている、魅魔。彼女にとって紅美鈴という妖怪は奇々怪々な存在である。

 

 魅魔はこれまで永き間、人の隣で呪っていた精神である。横から眺めていると、妖怪とは人の恐れそのものであり、決して人間と交わることの出来ない存在であると感じ取れた。

 悪霊は嫌いだから、人を呪う。しかし妖怪は好きだろうと人を食べる。その存在こそが禍。例外が多少あろうとも根本的に人と妖怪は、関わり合えばそれだけ不幸を生むものと考えていた。

 そもそも、単に、違う者同士なのだ。理解や親愛が生じ辛いのは当然のことだろう。

 

「にしては、随分と馴染んだもんだねえ……」

 

 遠い抜けるような蒼穹に自身を欺瞞し、神の端くれらしく高みから人を見つめて、魅魔はそう零した。

 眼下には、二人の子供と紅美鈴。肩で息をする魔理沙に、濡れた布巾で汗を拭ってあげる妖怪少女。その隣で、霊夢は隠れて口を尖らせる。

 彼女らのその、親子ごっこに真剣な様子が魅魔には不思議だった。だから、つい彼女は会話に耳を傾けてしまう。

 

 

「神社まで止まらずに、よく走りきったね、魔理沙ちゃん。偉い偉い」

「ぜえ、ぜえ……私、おかーさんに置いていかれたく、なかったから、必死で……」

「ふうん。ここまで来ると、甘えも大したものね」

 

 日向に目立つ金の髪を母親代わりに撫で梳かれながら、魔理沙は顔を下にして息を整える。

 魔理沙のその姿は、魅魔が最近見慣れ始めたもの。基礎体力作りと、美鈴と一緒に様々な場所を走り回っている彼女はよく目立つ。

 妖怪の持つ力に憧れ、己を鍛え始めた少女。これもまた、珍しいことである。それは、人知及ばない筈の妖怪が近すぎたためか、彼女に切れ端程度の才能があるためか。

 そんな、置いていかれたくないと、必死に手を伸ばし続ける魔理沙がどうにも気に食わずに、霊夢は捻くれた言葉を零した。

 

「うるさいわね、霊夢……」

「気にしない気にしない。魔理沙ちゃんは頑張っているんだから」

「うん。そうよね!」

「……そういえば、先日人里で遭った時に口走っていた変わった男の子みたいな言葉、使っていないわね。止めたの?」

 

 まがい物にしてはお似合いな親子の姿を横目で見ながら、霊夢はふと疑問を呈する。

 今着ている運動着にですら愛らしいワンポイントを忘れない少女趣味に、似合いもしない男言葉。だぜ、と語尾に付けながらニコニコしていた魔理沙は、黙っていたが面白かったのに。

 普通に戻ってしまったことを、少し残念に思って、霊夢は顔を上げた魔理沙を見つめる。

 

「それは……おかーさんが、駄目だって……」

「鈴奈庵っていうところで見つけた外の世界の漫画に影響されて、だぜ、とか変に男言葉を身に着けちゃったのよね……他の子供たちが真似しちゃって、止めさせるのが大変だったわ」

「別に、言葉遣い一つくらい、良いんじゃない?」

「私もそう思うのだけれどね。ただ先輩は、一つの乱れを認めると後にどんどん続いていちゃうよ、とか言うのよ」

 

 美鈴は体の前で手を組み合わせながら、言う。ひそひそ話の傘の下で、魔理沙ちゃんが不良になってもいいの、という脅し文句に屈してしまった自分の情けなさを思いながら。

 しかし、人里の事情にあまり詳しくない霊夢は、先輩とやらの姿を想像できずに、首を傾げる。

 

「先輩? あんた以外に、人里に子守なんて居たかしら」

「おかーさん。それって小傘ちゃんのこと?」

「そうね。霊夢にざっと説明すると、驚かせ下手な、かわいい女の子。かな? 子守というには、子供と距離が近すぎるのが困りものだけれど。でも、経験から色々と知っているのよねえ」

「へえ」

 

 霊夢に育児経験豊富な女の子、というのは理解の範囲の外にあったが、まあそんな変わり者も目の前の妖怪みたいに稀には存在するのかと、頷いた。

 隣にべったりとしているのが居るために、甘えどころが中々見当たらないことに、内心忸怩たる思いを抱きながら。

 

 

「やれ。今代の博麗の巫女は随分とつまらないと思っていたが、ごっこ遊びの中ではまずまず可愛げを見せるもんだねえ」

 

 そんな、霊夢の思いを透けるように見通して、魅魔はにやりと笑む。人間よりも人間らしいとすら言われたことのある彼女は、喜怒哀楽に心の襞が動く様は好むところ。

 嫉妬心も、悪心として捨て去ってしまうには趣深いもの。人の世は、積もり積もった思いの重なりによって出来ている。それを知っている魅魔には、心動かされぬ故に無表情だった頃より、恥じるからこそ表情に出さんとしている今の霊夢の方が面白い。

 知らず神格化されていようとも、元々魅魔は悪霊で魔法使いなのだ。その観点で見ると仏のような静かな心より、俗にも荒れる心の方が、好ましかった。

 

「あの金髪の子供には、光るものがあったかと思ったが……勘違いだったかな?」

 

 そして、美鈴と笑顔でお話をしている魔理沙に魅魔は目をやり、眉をひそめる。闇にこそ輝く才能潜めた、金の少女。それが日向で燻っている。

 勿体無い。そう思ってしまう程度には、魔理沙と魅魔には、多少の縁があった。もう殆ど途切れたものではあるのだが。

 

 それは、魅魔がふらりと偶の夜間飛行を楽しんでいたある時。彼女は眼下の森に妖獣の気配と、珍しい人の姿を認めて、空から眺めた。

 木々の隙間から望む金髪は、どこか輝く星のよう。魅魔は僅かな魔力をその身に感じ、普通に長じられる程度のそれを稀有な才能と取った。

 しかし、向かう先が悪い。歩みの結果は妖怪変化との邂逅に繋がる。生まれたての木っ端のようなものとはいえ、花開く前も前、種程度の力しかない子供が妖怪と出逢ってしまえば運命は決まったようなもの。

 それは、死。助けるか、否か。それには簡単に、答えが出た。何時でも妖怪を殺せるように、魅魔はちょっとした広場に杖を向ける。

 

 そして、予想通りに蹂躙は始まった。哀れな少女は、悲鳴を上げる。そして、魅魔は僅か、それに綻ぶ。

 この程度の苦痛は後の必死を生みだす糧にしかならない。私の下で足掻かせるには、もっと無力を味あわせた方がいいだろう。どうせ私なら人間など簡単に直せるのだ、骨の手前程度までは喰まれてしまってもいい。

 そう、助けないのだ。ただ、捨て置きはしないだけ。壊れたものを再利用はしてあげよう。そんな考え。

 人間らしいとされたとはいえ、あくまで亡霊である魅魔。彼女に、生死に痛苦はあまり頓着するものではない。そんな彼女の幼子に向けるべきではない容赦のなさ、それが魔理沙の明暗を分けたのである。

 

「私がもっと良心を持ち合わせていれば、何か違ったのかねえ……」

 

 結局、魔理沙は風のように現れた、太陽のような妖怪の手によって、魔導の世界へ繋がる可能性から掬われた。

 魅魔のスパルタ教育の代わりに、美鈴の一心の愛を受けて、魔理沙はよく笑うばかりの子供になったばかり。

 それが、魅魔には望ましくなくとも、仕方ないとは思う。太陽の隣では、生半可な星では輝き呑まれる。これはそういうことなのかもしれなかった。

 

「それにしても、あの妖怪は相変わらずだ。……そんなに、日向は楽しいかい?」

 

 子供と交わり、笑顔燦々と。夜に棲むべき妖怪が日向を楽しんでいるところは、やはりおかしく思う。

 人のつもりか、いやしかし。どう見たところで大妖怪と呼ばれて差し支えない程度の深みが覗ける。

 人間ですら、大人が子供に合わせるのは大変というのに、それほど規模が違うものが身を屈めることを厭わないというのは、変だ。

 今も、何を言ったか人の子を喜ばしている。笑みではなく、恐怖に歪ませなければいけない。畏れに憎悪の欠片を望むのが、妖怪の正統の筈なのに。

 そう、紅美鈴は、間違っている。

 

「なら、私の方が正しい筈だ」

 

 おかしい。そこに居るべきは元人であった私ではないか。うらめしや。

 ごちゃごちゃ考えた結果、そう思ってしまう辺り、自分は悪霊なのだろうと魅魔は自嘲する。そして、こんな部分が人らしいと形容される所以なのだろうと自覚した。

 

 

 そう。つまるところ、魅魔は霊夢が魔理沙にしていたように、紅美鈴に嫉妬していたのだ。

 

 

 

「こんばんは」

「こんばんは。貴女は? っつ!」

 

 それは、月光に溢れ、星が輝き揺れて、落ちんばかりの星月夜。人里から帰る道々、気配を覚えた美鈴が夜空に影を見つけたその時、更に光が溢れた。

 少女大の影、魅魔の杖から溢れるは、数多の白光による弾幕。惑っていても真剣な思いによるそれは、ごっこ遊びの域を抜け出した威力で輝く。

 これは不意打ち。実に、悪どいもの。それを理解して、魅魔は杖に尚力を込める。

 三日月を背負った魅魔の魔力による攻撃は、高速に地を穿った。炸裂した光は、夜をライトアップする。そんな礫飛び交う中に、赤き風が舞う。間一髪、美鈴は見事な体捌きによって弾の全てを回避していた。

 美鈴は、目つきを鋭くして、叫ぶ。

 

「何をっ」

「ごめんね、八つ当たりだ」

 

 返答は、おざなり。強い感情を元に、魅魔は翡翠色の瞳を輝かせる。そして、彼女は地べたに向けて、星星を放った。

 五芒とは五つの棘を持った図形にも見えるもの。そう、刺々しい全ては貫き害さんとくるくる周りながら炸裂していく。

 ぶつかり砕ける際に放散される光は盛大な目くらまし。ランダム性に任せたその間断は視界を明滅させて、回避に集中させない。それが続き、あっという間に、世界は白と黒に覆われる。

 

「まだ、足りないか」

 

 そして、魅魔はそこに、四つの巨星、太陽系儀のような惑星の模型を巻き込ませた。オーレリーズのシステム。赤青緑黄の宝玉が地を舐めるように巡っていく。

 やがてそんな四色すらも白い光芒に呑み込まれ、美鈴の姿は光にかき消えた。

 

「……これなら」

 

 さて、こんな中で何時まで逃げられる。確かにお前は大妖怪だろう。だがしかし、私は神と間違えられるくらいの大怨霊。決して見劣りするものでは無いはずだ。

 そうだ。何が足りないというのだろう。思い、魅魔は心の底から悲鳴のような大声を上げた。

 

「ああ……私だって、母――お前のよう――になりたかった!」

 

 うらめしや。しかし、何がうらめしい。それは自分の弱さである。

 親になりきれない、亡くした少女のかたち。それがずっと迷い続けているのが、魅魔だった。

 子もなく、ただ悪くあったがために誰かに伝承したものもない。このまま成仏してしまえば、自分はこの世に何も残せなかったということになる。それが、人間らしい亡霊には嫌なものだった。

 神と崇められたくない。まだ私は人だと幽かになっても縋り付き。そして魅魔はそんな自分の弱さを嫌う。もっと生きたかったのに、死んでしまった自分の弱さを。

 旧き作として亡くなり、どうしてこの美しい世界と混じれないのか。魅魔は、そうしてこの世を呪うのだ。

 

「うらめしい、いや羨ましい」

 

 悪霊とは、輪廻に対する駄々。本質的に大人になれない魅魔は、美鈴という太陽に憧憬を抱くのである。

 

「……あはは。なあんだ、そんなことか」

 

 光から現れ、そんな魅魔の懊悩を、美鈴はからりと、笑った。そして、傷だらけの彼女は輝き出す。大地の熱を借りて。

 何が星だ太陽だ。ただ綺麗を求めるのであれば、むやみに仰ぐな。地に足をつけろ。一等近くに、もっと大いなるものが存在するだろうに。

 そうして踏みしめた大地から、この大妖は気を集める。そう、それは地球という星の生気、地脈の力を借りた、美鈴という妖怪だからこそ出来る荒業。

 円を描いた美鈴の掌の中で、蒼き星の色を借りて球状に光る星の脈動。それを名付けるならば。

 

「星脈弾」

 

 夜が嘘であるかのように、一帯に輝きは広がった。

 

 

 

「……おねえさん、誰?」

「おねえさん? ふふ、私はおばけよ?」

「わ、足がない! 助けて、おかーさん!」

「あはは。魅魔ったら、楽しそうね」

 

 いくら落ち込んだとしても、陽はまた昇る。青く輝く天に、当たり前のように照らされ現れる亡霊が博麗神社に一柱。

 突然の昼間のお化けに慄く魔理沙だったが、既に深く知り合っている美鈴は彼女、魅魔を笑顔で歓迎した。

 魔理沙の大声に何かとやって来た霊夢は、その様を見て、嘆息した。

 

「はぁ。何かと思えば、魅魔じゃない。先代の頃には大分暴れたそうだけれど、また神社にちょっかいをかけるつもり?」

「そんなつもりはないさ。ただ……」

「ん……何?」

 

 亀に飛行を助けられて来ていた頃から半ば腐れ縁である魅魔に、霊夢は気安く話しかける。

 しかし、返答の前に作られた魅魔の笑みに、霊夢は違いを見つけた。それが何かが分からないまま、いたずらっぽく変えられたそれに、次の言葉に、彼女は驚かされる。

 

「魔理沙に霊夢。あんたたちに、ちょっかいをかけるつもりではあるよ?」

「はぁ?」

「ええっ!」

 

 宣言に驚く二人。そうして、はた迷惑にも、亡霊は人間に纏わりつくのである。

 

「あはは」

 

 それを、笑顔で受け容れる太陽。彼女を横目に、月は思い出す。

 

――羨ましいのなら、寄ってくればいい。私の隣に貴女の席はあるのだから。

 

 魅魔は、胸を押さえて、その奥にしまったそんな言葉に、感じ入る。

 

 

 



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第五話 べびーしったー

 

 

 朧月夜に影二つ。まるでそのものと見紛うばかりの見事な人の形に、球の集い重なりのような不可思議な形状の黒。そんな二つが並んで空を往く。

 仲良く、というには一方が少し先導しているような感もあるだろうか。空飛ぶ人間のようなものが、闇を引き連れている。それは、そんな幻想的な風景にも見えるかもしれない。

 しばらく経ってから、人影は口を開く。

 

「どう? ちょっと、落ち着いた?」

 

 振り向き、月光に晒されて輝くのは紅美鈴。曇り空にて、その微笑みに影はない。笑顔向けるその先が、怖気呑まれるほどの漆黒でなければ、それはそれは絵になったことだろう。

 果たして、その柔らかな表情を受け取って、暗がりは何を感じたのだろうか。僅かに震え、そうして拒絶の色はしぼんでいく。

 

「うん……」

 

 それはまるで、泡が弾けるよう。一つ二つと、暗黒球が消えていった後に、残ったのは少女。

 金の髪に、赤い髪飾り。黒が基調の服は、すこしぶかぶかとしている。彼女の子供服を余すほどの小さな体躯は、保護欲を誘う。しかし、その口に秘められた牙を思えばそんな全体も欺瞞と分かるだろう。

 そう、彼女は妖怪。名をルーミアと言った。闇を纏っていた彼女は今、幼気にも、目尻に涙を浮かべている。

 先程までの、余人から見通せないほどの黒は、弱気を隠すための化粧だったのだろうか。そう思ってしまうほどに、ルーミアは怖さを捨てて、弱さを出している。

 彼女のそんな哀れな様子を嫌ったのだろう、美鈴は近寄りその手を取る。温もりにびくんとしたルーミアだったが、次第に落ち着き。ぽつりと零した。

 

「私、弱いから」

「うん」

「それが、辛い……」

 

 妖怪は、妖怪の気持ちがどれだけ分かるものなのだろう。もし、詳らかに理解できたとして、大いなるものが小なるものにかけられる言葉など、どれほどあるのか。

 少しの間あぐねて、しかし美鈴は、誰かに付けられたのだろうルーミアのリボンを見つめてから、真摯に言う。

 

「それでも、貴女は手を伸ばせるわ」

 

 端的なその言葉は、どれだけの意味を持っているのか。小さなルーミアには、一つそこから察する。

 判って、だから微笑んで少女はその手を広大な空に伸ばすかのように、広げた。そうして、涙を零しながら問うのである。

 

「ぐす。……退きなさいここは私の世界だ、って言っているように見える?」

「私には、抱擁を待ち焦がれているように、見えるわ」

 

 解釈は反対。言葉遊びに真剣を返され、ルーミアの表情は崩れる。くしゃりと、泣き顔が作られた。

 

「よしよし」

「あ、ああ……うわーん!」

 

 美鈴は人食い妖怪を何恐れることなく、抱きしめる。そして、自分の心のその温もりを伝えるのだ。

 私の大切なものを食まんとする、貴女だって大切なものなのだと、伝えたくて。ぶるぶると、怖じに震える身体は、痛いくらいに縋り付いてくる。

 捨てきれない、両天秤。それが、酷く歪んだ価値観であることを知りながら、それでも愛おしいのはどうしようもない。

 

「私は、貴女を見捨てたくない」

 

 涙がかかり、身体が冷たく濡れていく。それを厭わずただ目の前の相手の幸せを望む。だから、紅美鈴は理解されることがないのだった。

 

 無償の愛などこの世の何処にもなく。そう。どうしようもなく、彼女は幻想的だったのだ。

 

 

 

 多々良小傘は、忘れられた傘が妖怪化した、付喪神である。から傘お化け、そんな言葉の方が通りは良いだろうか。

 兎にも角にも、彼女は傘、即ち道具であったことに拠る妖怪である。人に手に取られることの喜び。それを裏切られて恨んだ筈の小傘はずっと忘れていない。

 だから、趣味の悪い傘背負う、空色の髪色似合うオッドアイの少女と化してからも、妖怪として人の驚き――恐怖の形の一つ――を糧とするようになっても、小傘はずっと人の傍にあるのだった。

 

「ううー。美鈴さんが来てから親御さんの信頼をぐんと得てきたと思ったのに、怒られちゃったー……」

 

 とぼとぼと、小傘は背を曲げて歩く。性からか、哀れどころかむしろ面白く見えるその姿の後を付いていこうとする子供達を、親が引っ張る、そんな光景が人里の端まで続いていく。

 小傘は哀しみながらも、こう考えるのだ、やんなきゃ良かったと。でも、そうするのが自分の性で、それで腹も膨らんだから良いのかも、とも思う。

 そう、母親に背負われた赤ちゃんをあやして笑わすまでは良かった。喜ばれ、調子を良くした小傘。今度は妖怪の本分を急に思い出し、再びうらめしやで泣かせたところ、父親にげんこつを食らってこのざまである。

 

「うーん。べびーしったーは天職と思ったのに、難しいなあ」

 

 嫌われ追われ、それを続けてそれでも人を見ていた小傘。そんな中、彼女は小耳に挟んだ傘で空飛ぶ子守、ベビーシッターの存在を知った。

 傘と飛ぶところからそれを自分と重ねた小傘は、ならば自分もそれが出来るのではとやってみることになる。

 本来の用途で使ってもらえなくても、それでも役に立ちたい――人の傍に居たい――という殊勝な思いが小傘にはずっと前からあった。

 自分は驚かすことしか出来ないけれど、それで認められるならばと発奮し、子供には好かれども一時期は相当親御さん達に嫌われたものである。曰く、子にいたずらをする変質者だと。

 そんな認識が変わったのは、更に珍妙な妖怪が現れてしばらくしてからのことである。

 

「あ、美鈴さんだ、美鈴さーん!」

 

 紅の風。小傘は自分の境遇を少なからず変えた相手を思いふけり、人里端にて顔を上げたところ、直ぐ先にその姿が。思わず、彼女は声をかける。

 駆けて近寄り、そうして見たのは、美鈴が小さな子と手を繋いで歩んでいる姿。思わず小傘は首を傾げた。

 

「こんにち……こんばんはかな? あ、一緒のその子は……小鈴ちゃんじゃない。こんな里外れまで、どうかしたの?」

「暮れて来ているし、確かに微妙だけれど、ならば私はこんにちは、小傘ちゃん。小鈴ちゃんは、あのねえ……」

「あ、小傘ちゃん! 私、美鈴さんとこれからお外にお出かけなんだ!」

「え、本当?」

 

 暮れなずみ霞みかかった夕焼け空に彩られた、美鈴と小鈴は小傘の疑問に頷きを返す。

 妖怪が元気になる危険な黄昏時に、よりにもよって人里外に出かけさせるなんて、あまり納得出来ない小傘。それに、たどたどしくも間違えずに、小鈴はその故を語る。

 

「うん。私、お父さんお母さんと頑張って交渉したの! 魔理沙さんばかりお外に出てずるいって言ったら、お前には妖怪から保護してくれるような人が居ないだろうって言うんだもの。だから、私は美鈴さんに頼んで、一緒に説得してもらったのよ!」

「そんなに遠くまで出歩かせないっていうことと、私が死んでも守るということを約束して、それでもこじれてこんな時間になっちゃったのよね……」

「……ごめんね、美鈴さん。無理させちゃった?」

「ううん。確かに、一人お出かけできる魔理沙ちゃんをずるいと思ってしまうのも、自然なこと。小鈴ちゃんの好奇心を挫くのは心苦しいし。まあ、つまらなくてもいい経験っていうことで」

「わあい!」

 

 妖怪に撫でられ、喜ぶ子供。そんな信じがたい光景が目前にある。その後ろに、大人たちの信頼もあるとなれば、最早奇跡的とすらいえた。

 幾ら大店のお墨付きと巫女の黙認があるとはいえ、それでもいち妖怪が人に混じれているのは驚きだった。

 驚かされ、そうして小傘は微笑む。これは良い見本。自分だって、きっと他を驚かす程に人に交じることの出来る存在になれる。そう信じて、小傘は小鈴の手を取った。

 

「小鈴ちゃん、私も付いて行ってあげる!」

「小傘ちゃんも? やったー!」

 

 それは、喜色の驚き。怖い思いもなければ決して栄養になることはない。けれども妖怪は大いに微笑んだ。

 そう、本当は人と一緒にあれる、それだけで良かったのだから。

 子供は二人の手を引き、夕暮れに三つの影は、一つに結ばれる。そして、数多に溶けていった。

 

 

 

「暗い、臭い、広ーい! すっごいね、お外って!」

「あはは。お気に召したようね」

 

 やがて三人は外に出た。それは門番らと話し合い、他に妖怪の姿も見えないことだし、暮れきる前、我々の目に入る距離までならばいいという、許可が出たの後のこと。

 僅かな時間、そして制限された距離の中にて、しかし小鈴は大いに喜び笑んだ。

 それも当然。人の中、自然感じられぬ閉所にてこれまで小鈴は生きてきていた。別段つまらないわけではない。だが、それだけ。

 今までは好奇心を本に向けて抑えてきていたが、それでも楽しげに外の話を喧伝する同年代の女の子の話を聞いてしまえば、もう駄目だった。

 五感に触れ得る全てが新鮮で、そうして届かぬ全てが美しい。夜に混じったオレンジに紫が遠くに見える日暮れ。高い壁の向こうには、こんな素敵な光景が広がっていたのだと、少女は喜ぶ。

 見て、嗅いで、触れて。そうしてちょこまか動いていると、そのうち空にまたおかしなものを見つける。その出現に周囲が慌ただしくなり始めた中、小鈴は訊く。

 

「あれ、なあに?」

 

 傍にて構える美鈴の姿を知らず、小鈴はその真っ黒くろけの姿を見つめる。丸くて、大きくて、そして空のように青みがからずにただただ暗い。

 あれも天然自然の産物なのか。それにしてはどうにも禍々しいような。そう思って首を捻る小鈴に、美鈴は言う。

 

「後ろに隠れて」

「どうして?」

「あれはね……っ」

 

 唐突に、闇から光が現れた。美鈴に背で庇われながら、小鈴はそれが自分に向けられたものであることに気づく。

 飛んできた光弾は、前に出た美鈴の手に触れる前に、どんな力の作用か大気に消えた。だがしかし、攻撃、その意味を理解した少女は悲鳴を零す。

 

「い、いや……」

 

 外は怖い。それを言葉で知っていた。けれども、実際に害意に触れるのは初めてのこと。夜空に浮かんだ、暗がり。そこに小鈴は恐れを覚える。

 一瞬、そこから赤い瞳が見えたような。怖い。震え始める少女が涙する、その前。小鈴の両目に柔らかに手がかけられた。驚きに、彼女は硬直する。

 

「小鈴ちゃん。だーれだ?」

「え……小傘ちゃん?」

「そうだよ! 驚いた?」

「あんまり……」

「残念だなあ」

 

 それは何時ものような、小傘のいたずら。敵を前にして、彼女の落胆の色は、普段どおり。目隠しを外されて闇を見ても小鈴の停まった震えが再開することはなかった。

 危機に、コミカルが挿入される。そうして弛緩を覚えた少女は、改めて尋ねるのだった。

 

「美鈴さん、どうしよう……」

「それなら大丈夫。私が居るし、もう一人」

「私も居るからね!」

 

 美鈴に示されたことを喜んだのだろう、片目瞑って、舌を出しておどけながら、小傘は自身を誇示する。その子供っぽさを頼りなさと取った小鈴は、首を捻った。

 

「小傘ちゃんが? 大丈夫なの?」

「あー。小鈴ちゃん、私を甘く見てるねー! 私はそんなに弱くないよ。それに……」

「それに?」

「べびーしったーは、子供を守るも仕事だから!」

 

 その違いの瞳がまるで輝くよう。そこに、どれだけ気持ちがこもっているのだろう、言い張る小傘の表情はとても優しく、小鈴が初めて見るものだった。

 

 

 

「美鈴さんと小鈴ちゃんは行ったね……よし、あなたは何の妖怪?」

「うーん。身体を隠していたら強い妖怪と勘違いしてくれるかなと思ったのだけれど……ダメだったかあ」

「あ、可愛い」

「ありがとう。私はルーミア。貴女は?」

「私は多々良小傘。絶賛子守中の傘の妖怪よ!」

「こうもりがさ? どう見ても貴女はなすび色した変な和傘だけれど」

「むー。これはお洒落な色なのー!」

 

 美鈴が隠れて周囲にしていた威圧を逃れながら現れ、一体全体を闇に染めていた妖怪。その正体は小さな女の子であった。

 顕になった妖気を見ても、自分と大差ない小さなもの。小鈴を守りながら去っていく美鈴の後ろ姿に安心して、小傘は軽口を交わし合う。

 風でなびく髪の毛を彩る真っ赤な御札をリボンと勘違いする彼女はその闇の深さを知らない。

 

「それで、こんな人里近くに現れて、どうするの? 直ぐに怖い巫女さんに退治されちゃうよ?」

「……先代の巫女はもう居ないわ。あの人のお葬式でも涙一つ流さなかった霊夢なんて知らない。私は、お約束なんて守ってあげないもん!」

「幻想郷では巫女に退治されるのが、妖怪のお仕事なのに……全く、困った子ねえ」

 

 哀しみに怒り、その他が入り混じった複雑な感情。それを小傘はぷんぷんとしているルーミアの言動から受け取る。

 妖怪は、幻想郷を維持する博麗の巫女に危害を加えることが出来ない。人の守護者と戦うことすら許されず、また力を持て余していても、いたずらにそれを使うことが出来ない現状。最近はその中で腐って自棄になり人里を襲う妖怪が居る。

 ルーミアもその類であるかと思ったが、どうにも違ったようだ。まあ、博麗の巫女に対する情によって、似たように自棄になっているみたいではあるが。

 

「私は人をいっぱい食べて力を手に入れて、霊夢をやっつけるんだ! えいっ!」

「わっ……」

 

 その怒りは、裏切りに対して。しかし、そんなことは小傘に知ったことではない。ただ、彼女が打ち出す妖弾に対することこそ大事である。

 慌てた様子で薄白い光線。それに連なり葡萄のように大いに連なる赤青の光弾。宣言もなく周囲に溢れたトリコロールカラーに小傘の顔は驚きの形で照らされる。

 白熱するその全ては後から後から増える弾幕に力を増して押し出されてキラキラと煌く。小傘は場違いにもこれを小鈴ちゃんに見せてあげたら喜んだだろうなと思いながら、そこに傘を向ける。

 

「……っと。こんなものかな?」

「えっ?」

 

 そうして、当たるはずだった全ての弾を小傘は曲げた。

 全ては彼方に着弾し、地を汚すばかり。いや人里に張られた結界に触れて、かき消えるものもあっただろうか。どちらにせよ、当たるはずだった小傘は無傷である。

 舌を出して、どうだと妖怪は笑う。

 

「あはは。驚いた? 私、空を彩る粒を、受けることには慣れてるの!」

「そんな! え、えいっ!」

 

 高い撥水性。そして、光も遮る優れもの。傘は、もとよりそういったものである。だから、幾らルーミアがその力を輝かしてぶつけようとも小傘を打倒することは叶わない。

 くるくると、小傘は傘を回してルーミアの光弾を弾き続ける。彼女がその身から発した色は七を超え、その形も流しにくいように様々なものを用意したというのに、展開は同じ。

 どうしても、届かない。光線束ねて薙いでみたところで、一緒。むしろ反射し頬に掠めた自分の本気の威力に背筋凍らせたくらい。

 

「はぁ、はぁ……何なの……貴女、私と対して力が変わらないのに……」

「道具は使いよう! 闇の隣で光を表すことしか出来ない貴女に私は天敵だった、っていうことよ」

 

 そのうち、肩で息をするようになったルーミアに、元気に小傘は応える。その意気の違いに、彼女は絶望感を抱いた。

 近寄って来る小傘に向けて、力を向ける気すら出ない程度に。

 

「ふふー。悪い子はお尻ペンペン……でも貴女は頑丈そうだから、コレね!」

「それって……」

「愛用の金槌よっ!」

 

 ぺしぺしと、その手で硬さを確認しているそれ。小傘がいつの間にか傘の逆手に持っていた、重そうな金属製の鎚に、ルーミアの眼は吸い寄せられる。

 ああ、あれで叩かれたらとても痛そう。ルーミアが思わずそう考えた途端に、小傘が大きな声を上げた。

 

「どーん!」

「わーっ!」

「あははー」

 

 びっくり。そうして脱兎のごとくにルーミアは逃げ出した。けらけらと笑う小傘。こうして、妖怪は妖怪退治を成し遂げた。

 ルーミアが逃げ去った後に残るは、涙が一つ。それに小傘は気を取られることはない。自業自得。そういう気持ちにしかならないから。

 

「そっか、あの子、だったんだ……」

「ん。美鈴さん?」

 

 しかし、全ての事情を知っていて、なおかつ情深いものがそれを見たら、どう思うだろう。

 人の子を送り届け、風のように戻った紅一つ。

 そう、紅美鈴には、逃げるルーミアがただの人食い妖怪には見えない。情に動かされた結果、怖じて逃げる一人の子供。そんなものを、彼女が放って置けるだろうか。

 

「あーあ。霊夢の言うとおりね。確かに、私は駄目だ。どっちつかず」

「……ひょっとして」

「あの子を、悪いばかりのものに、しておけない」

 

 大きく目を見開かせる小傘の前でそう言って、美鈴は発った。

 

「ああ、美鈴さんは皆のべびーしったーなんだね……」

 

 彼女の後ろ姿に、小傘は思わずそう零す。

 

 

 

「ルーミア。貴女は、確かに悪かった。でも、私はそこから始まった繋がりを否定しない」

 

 ルーミアは先代の巫女の死の原因。しかし、記憶と力を封印されてからは、彼女を慕う子供にもなった。

 大妖ルーミアに付けられた暗黒に徐々に死に追いやられる中、先代は刷り込みで自分を親として近寄る子供ルーミアを拒絶しなかったらしい。そんなこんなを、美鈴は霊夢から聞いている。

 だから、親を亡くしてから考え込み、ある時吹っ切れて不仲の姉に当たってしまう、そんな気持ちも判ったのだ。

 

「少しだけ、素直になりなさい。それだけでいいの」

「……嫌だよう。弱いのは、嫌」

「うん」

「私、約束したのに……先代の巫女、あの人、お母さんと約束したのに、守れなかった弱い私は、大嫌い!」

 

 闇の中で、涙は目立たない。けれども確かに、そこにはあった。冷たいそれを感じて、美鈴は拭う。

 ルーミアは、先代と一つ、約束をしていた。それは、単純なこと。しかし、とても難しいことでもあったのだ。

 

「でも、霊夢と仲良くなんて、出来ないよう!」

 

 博麗の巫女に就いてから急に、向こうから引かれた線にルーミアは怯えた。出逢えば直ぐに退魔符を飛ばされ、遠くから声をかけても振り向きもしない。

 それはまるで嫌われてしまったかのようで、ルーミアが嫌になってしまうのも仕方なかった。そして、今一度振り向いて貰いたいと、彼女が禁忌に走ってしまうのも、無理からぬことである。

 

 ルーミアは知らない。霊夢がその都度、頑なに妖怪への情を立ち切らんと歯を食いしばっていたことを。何時か緩んだ彼女が美鈴に後悔の言葉と共に、事情を吐露していたことも。

 だから微笑んで、美鈴は告げるのだった。

 

「大丈夫」

「どうして、そう思うの?」

「私が二人の手を繋いであげるから」

 

 広げた貴女の手が届かないのならば、私の手を。尊い想いは叶うべきもの。であるならば、私は助けに躊躇しない。そんな全ては言葉にならなくても、しかしその手のひらから心に届く意味と成った。

 繋がり、初めて笑顔になったルーミアに、いたずらっぽく美鈴は言う。

 

「そうしたら、霊夢を一緒に振り回してあげましょう?」

「うん!」

 

 何時かの未来を思って、妖怪たちは笑う。それが、ちっとも悪どくなく、むしろ愛らしいものであるのはどんな奇跡によるものなのだろうか。二人を優しく風が撫でていく。

 

「約束だからねっ!」

 

 朧月の今夜、彼女はもう一人の母と新たに約束を交わした。

 

 

 

 



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第六話 レミリア・スカーレットの幻想入り

 

 レミリア・スカーレットは吸血鬼である。それも、彼女はドラキュラの祖であるヴラド・ツェペシュに連なる家系に生まれたのだとされた程の、生粋の血を啜るもの。

 父曰く、実際にかの串刺し公との繋がりは薄いそうであるが、それでもレミリアは生まれつき強力な吸血鬼であった。

 莫大な魔力妖力、そしてそれを抜きにした地力すら抜群の、悪魔。一等月が紅い夜の日の彼女の誕生はスカーレット家の様々な配下の魔のものに言祝がれ、支配下にある多くの人間に呪われたものである。

 

「お母様。どうして、私達は太陽を見つめることが許されないのですか?」

 

 支配を定められた、極めつけの大妖。穢れた異形らに傅かれる中、しかし、そんなことなんてどこ吹く風と、幼き日のレミリアは天真爛漫に生きた。

 敬語は取って付けただけ。鈴より透明な言の葉の音色を響かせながら、蝙蝠の羽をぱたぱたと。幼き紅い月は魔界産のロッキングチェアに深く腰掛け月を見る母を見上げる。

 それは、レミリアを統べることに取り憑かれることのないように育てた両親の方針もあったのだろう、彼女は未だ少女であることが許されていた。

 

「レミリア。それは、ただ嫌いだったものが弱点とされてしまったからよ」

「されてしまった? 私達は元々、日光の下に出られない、そんな定めだった訳ではないのですか?」

「日に曝され続けると消滅する。それは、決まりではないの。人間達の呪い。彼らのそうあって欲しいという、願いが叶ったことで、私達はもう太陽を望めないのよ」

 

 持ち前の柔らかき紫がかったブロンドの長髪に埋もれるように椅子に沈み込みながら、スカーレット家当主の妻たる母は話す。その持ち前の美しさを存分に娘達に継承した、彼女は知っている。陽光の温かさを、美しき広がりを。

 そう、吸血鬼は元々人の近くにあるどうしようもなかった、災害。しかし、それを克服するために彼らは呪ったのだ。色素薄いヴァンパイアが眩さを嫌う理由に、日光が苦手なのだという弱点を願って幻想を歪めたのだった。

 人々の想像に創造されて、陽の光を弱点とした欠陥妖怪は出来上がる。そう、自分たちの有り様は人の手に委ねられているのだ。このままでは何れ、人間に在ると思われなければ、失くなってしまう程に堕ちてしまうのではないか。そう、古の神々のように。

 まるで人間原理の鎖。スカーレット夫人はそんな風に考える。神の子たる人間の隣の悪は、そんな人の優遇に思う。けれどもそれはどうしようもないことだと、ただ今は我が子への愛を大切に、彼女はレミリアのくせ毛を撫で梳いた。

 

「人間って、怖いですね……」

 

 胸中にて、そんな親の諦観を感じ取ったのか、レミリアはぶるりと震える。生まれてこの方血液を食べやすい形でしか饗されていない少女は、人の形すらよく知らない。

 不明に恐れるのは妖怪も一緒。自分たちが呪わしき存在と思わずに、レミリアは自分を暗闇へと追いやる人間へ恐怖した。

 喜色を失われ、強ばる我が子の顔。それを、母はむしろ喜ぶ。目線を降ろし、言い聞かせるように彼女は告げた。

 

「そう。その感情を忘れないで、レミリア。きっと、食べ物に対するその恐れが貴女の助けになる日が来るでしょう」

 

 能力なんて持ち合わせていないスカーレット夫人に運命など判らない。けれども、一番の敵が何かは知っていた。だから、決して彼らを侮らないでと、伝える。

 人の間に潜む悪魔への恐怖の想像の形が吸血鬼である。ならば、何れ慣れと方便によって陳腐化されてしまうのは自明なのだから。そして、きっと無かったものにされる。

 そんなことを識る、人間出身で魔法を使う異端の吸血鬼は、だから今のありのままのレミリアを愛するのだ。きっと辛い未来がある。それを乗り越えるための愛を伝えるために。

 

「それでも、今は安心して。私が未だここにいるわ」

「むぎゅ。お母様……」

 

 その抱擁は、将来の花に贈るもの。今、娘のこれからを諦めることなんてあり得ない。だから、強く強く、縛して鼓動を伝えるのだ。貴女はここに居て生きていて、それでも良いのだと。

 しかし、母情のあまりの熱苦しさに、悶える声が上がる。幼きレミリアの膨れっ面は雪うさぎ。更に愛おしく思えども、それを直接伝えたらきっとこの子は耐えられないと、微笑んで。

 

「あら。ごめんなさいね」

「んぅ……」

 

 再び、撫で梳いた。スカーレット夫人は愛すべき流れのその途中に、一時絡まるものがあることを知りながらも、その後に続く平穏を望む。

 その日、紫色の揺りかごの中で、レミリアは眠った。

 

 

 

「これが、運命だった……とは思いたくないな」

 

 スカーレット家当主、レミリアの父は溜息を飲み込みながら、そう呟く。威厳のために特注した堅い椅子が冷たく、あまりに寂しい。

 貴方ほどの血と力の持ち主ならば、と持ち上げられた結果若気の至りで設けた玉座。一時は彼を王として本気で地の征服を目論む悪魔共が勢揃いしたその場は、今やがらんどう。

 安堵するように深く椅子に座してはいるが、決して彼が余裕を持っているという訳ではない。ただ、無事に残っているのがこの一室以外にないという事実に落ち込んでいるだけだった。

 

「それにしても、部下……いいや仲間だったあいつらを逃すのには苦労したな。ライカンスロープの娘の駄々には困ったものだった……」

 

 しかし、それでも良き思い出に吸血鬼は笑む。惜別の涙に、救いを覚えて。幾ら彼らが魔や妖な認めがたいものとはいえ、仲間の命をこの世に残すことが出来たこと、そればかりは誇らしい。

 妻を殺されたことで大いに荒れて暴れて、そうして人間の恨みを買い過ぎた結果破滅した、そんな馬鹿な君主にして彼らは過ぎた遺物であると言えた。

 

「……ニホン、か。レミリアは今絹の道を辿っているどころだろうか。イマイズミの伝手というのは信頼できるものだが……」

 

 そして、彼は一人この世に残した片娘の事を心配する。出来れば、最期まで手元に残しておきたかった我が子、レミリア。ウェアウルフの親子に小さな手を引かれながら、こちらを見ていた彼女の目の光なさを、思わざるを得ない。

 どうしようもない父だったと彼は自覚している。はじめは平和に任せて修めるべきものを修めさせずにただ眺め、しかし一度荒れ狂ってしまえば治まるまでレミリアの姿を目に入れることすらなかった。

 極端。自分のそんな欠点がもう一方の娘に受け継がれてしまったのは残念だと、彼は考えざるを得ない。そうして、今度はフランドールの歪んだ笑みを思う。

 

「フランドール……あの子には、父らしいことを、何一つしてやれなかったな。あいつが、魔法使いの娘等と共に、地下室ごと魔界に飛ばしてくれたが……果たして無事に、過ごしているだろうか」

 

 幼き吸血鬼、レミリア。彼女には五つ年下の妹が居た。しかし、彼女、フランドールはその持つ力の大きさと狂気故に、生まれつき父母すらろくに近づくことは叶わない、そんな存在でもあったのだ。

 父は、目に焼き付いてしまった光景を思い返す。持ち前の能力を持って館を破壊し、その破壊の中心にて日光を浴びて背中焼け焦がす赤子の姿を。その際のフランドールの壊れてしまった笑顔を振り返り、彼は悲しむのだ。

 以降フランドールは地下に籠もって外を嫌い、力を振るうようになった。それは心に残った、狂気にまで至る深い傷による行動だ。彼女が快復するまでは自分が居場所を守ろう、そう考えていたのに、現実としてそうはならなかった。

 人間界の隆盛に危機を覚えたスカーレット夫人。喧嘩の後に、彼女の先見の明を信じた彼は、その言を受け容れてフランドールを魔界に一時避難させた。

 全てを聞いても、狂った笑顔変わらせなかったフランドールの頷きを了承と捉えて。

 

「あの時は少し離れるだけ、と言ったが永遠となりそうだ……すまなかったな、フラン」

 

 そんな親の自分勝手を今更悔いて、孤独な吸血鬼は整いすぎた顔を苦渋で曇らす。温もり一つない、孤独の中で、これから日が明けたらやって来るだろう犇めく人間の足音を幻に聞く。

 全てを持っていた筈の彼は、今や己が力以外全てを失い、そうして最後に命すら亡くそうとしていた。悔いは沢山あった。その中でも、一つが表に現れて、ついつい彼は言った。

 

「せめて、昼夜関係なく我が紅魔館を守ってくれる妖怪が居たなら……いや、そんな存在なんて、そうは居まい。実際私のもとには居なかった。それが現実だ」

 

 彼は夜の王と呼ばれていたことがある。確かに、彼が独力で夜においては神すら下に見ることが出来る稀有な存在であることには未だ間違いない。

 しかし、日の下ではその力の多くが削がれた。それは、同調してくれた配下の者のほとんど全てが同じこと。日中には力を発揮できないという呪われし弱点が人間にこうまで攻め込まれる隙になったということは、彼が一番良く判っていた。

 だからこそ、もしもを思ってしまう。闇或いは光に深く人に呪われず、弱点などなく門前を守ってくれる強者の存在を。しかし、そんな者は自分の運命にはなかったのだ。とうとう、彼は嘆息した。

 

「はぁ。私は、ここまでか」

 

 どん詰まり。ここが華美に彩られた彼の呪われし生の終着点。一人きり、最期の抵抗の末に退治される。そんな未来は、決定的だった。

 吸血鬼は思う。確かに吸った、啜った。だが、果たしてそれは悪だったのだろうか。食事など、通常の行動ではないか。或いは隣合う者を食んだ先祖が間違っていたのか。しかし、人間こそ正しい。そんな道理にはどうしても馴染まない。

 考え、結局のところ自分の弱さに問題があると納得し、そうして労に痩けた顔を上げた、その時。鈴の音より綺麗な声色が直ぐ前にて響いた。

 

「……流石にお疲れのようですね、お父様」

 

 その声の主は、何より愛おしい我が子によるもの。人に紛れるために上質を汚したボロを身にまとっていながら、確かに彼女は一人きりで目の前に。可愛らしくも夜を確かに孕んだ小さなレミリア。その矮躯を見て、彼は狼狽した。

 

「レミリア! どうしてここに!」

 

 そう、彼女は居てはいけない。自らの死地に子を容れる親など存在するものか。最後にもう一度会いたかった。けれどもその願いは決して叶ってはいけないものなのに。

 はちきれんばかりの嬉しさを抱きながら、しかし父は我が子に叫んだ。どうして来てしまったのだと。

 怒気すら感じるその声にびくりとしながら、しかしレミリアは気丈に返す。

 

「お父様に、会いたくて……来ちゃいました」

「どうやって……この周囲は人間どもに取り囲まれていただろうに……」

「図書館に設置されていた召喚陣を、使いました。……お母様が、何時か使うことがあるかもしれないと、教えてくれたやり方で」

「あいつが、遺した魔法か……」

「道はまだ空いています。お父様も、一緒に逃げましょう?」

 

 レミリアは緊張を解いて、その頬を綻ばす。聡明なる母が遺してくれた、優れた方法。それを信じて、彼女は父の救出へとやってきた。

 遠くに設置した対となる陣に飛べば、親子揃って逃げられる。犠牲なんて、ないほうがいい。そうレミリアは考える。だがそれは子供の考え。父は、彼女を撫でて、言った。

 

「それは、出来ない」

「どうして!」

「全てのために、私は、死ぬべきだからだ」

 

 そう。彼はとうに覚悟しているのだ。この地で悪として、散ることを。

 人々の手により悪しき吸血鬼の親玉は、倒された。人の間にとっては喜ばしきその事実が広まれば、きっとレミリア等散り散りになった妖怪変化に対して深追いをすることもないだろう。

 それに、腐っても彼は統治者。ずっと、生きたかったが、それでも地には平和があることこそが望ましいものだと判っていた。故に、自分という癌を除くことは、この世のためになると、割り切れてもいたのだ。それはとても寂しいことだと、思うが。

 思わず子に向けた、諦観の笑顔。それに感じたレミリアは、涙を零して声を荒げる。

 

「そんなの、嫌です!」

「レミリア……」

「だって、私、返せていないです! 沢山の愛を頂いて……大好きなのに、愛しているのに、その一片もお父様に形として差し上げられなかった! これから、時間をかけて恩返し、したかったのに……」

 

 それは、恵まれた少女の涙と一緒にぽろぽろ溢れた本音。確かに、レミリアは愛を知っている。だから、返すべきだと思うのだ。

 だって、こんな心温かくなるもの、独り占めするなんてあまりにはしたない。好きな人にも、ぽかぽかになって欲しいと思うのはきっと間違いではないだろう。

 幼き吸血鬼はそう思った。けれども、年重ねた吸血鬼は、違う想いを持って、優しく語るのだ。

 

「違うんだ、レミリア。もう、十分なんだよ」

「ぐす……お父様?」

「私はね、君が生きているだけで、嬉しかったんだ。ずっと、とても、とても、温かかったんだ。だから、これからも君が生きていることこそ私にとって最高の恩返し、なんだよ」

「そん、な……」

「これは不出来な父親としての、最後の願いだ。レミリア、君は永く生きて……そうして、何時かフランドールと仲良く過ごすようになってくれたら、嬉しいな」

 

 それは、ありきたりな父親の願望。たとえ神が自分達を愛さなくても、だから辛くあったとしても、それでも我が子には生きて欲しいと思う。そんな想い。

 安心させるための笑みは、滑稽なまでに深く。それでいて、レミリアにはどこまでも優しいものに、見えた。

 ああ、この父の言葉は絶対に裏切ることは出来ない。そう、少女は思った。

 

「う……」

「なら、分かるね。こんな危ないところに長居してはいけないよ。さあ」

「お父、様……」

「行くんだ!」

「っ、はい! さよう、ならっ」

 

 声に追いやられ、疾く小さな影は消えていく。親子の邂逅の時間は僅か。それでも、確かに遺せたものはあった。

 

「私は、愛せた。幸せだ」

 

 多くに愛されしかし、向けた恋は一つ。それが成就したのは、きっと彼にとって最大の幸福だったに違いない。

 

 彼はしばらく留まり愛を想う。やがて静かに時はたち、空に光が顕れて、そのうちに彼は無粋者のざわめきを聞く。

 

「まあ。だからこれからは、八つ当たり、なのだろうな……」

 

 そして、自分を殺すだろう力ある者共に対するために立ち上がりながら、彼は零す。

 幸せだった。けれども、それと分かれるのは間違いなく、辛い。思わず当たりたくなってしまうくらいには。

 さて後は、果てるまでの戦いの時間だ。なら、それ相応の装いというものもあるだろう。そうして彼は普段の面を止めて、尊大な吸血鬼の仮面を付けて、襲い来る全てに向かって叫ぶのだった。

 

 

「――さあ、貴様らに、歴史に記せない程の、暗黒をここに残してやろう!」

 

 

 そして、彼の望みの通りに、スカーレットの名は人の世の中にて、無かったことになった。やがて、闇夜に少女の涙も人知れず、消える。

 

 

 

「苦しい……」

 

 それから、四百を越える時が流れ、多くの変遷を経た。多くの出会いと別れを繰り返し、その中でレミリアは、確かに闇の中で生き続けている。

 しかし、最早レミリアに貴族の如くに暮らしていた時の面影はない。穢れ、薄汚れた少女は人間に馴染まずに、影に生きていた。

 

「血が……足りないわ。お腹がひっついてしまいそう」

 

 前に人の血を啜った、いいや零したのは何時だったろう。呟きながら、レミリアは小さな手のひらにて自分のお腹を撫でる。そして、その未熟さにくたびれた笑みを作るのだった。

 そう、レミリア・スカーレットは小さいままろくに成長していない。それは、生来の少食に、更に過度の苦労が重なったがため。

 父親をよい教材として力を隠し続けた結果、随分と零落し弱々しい妖怪となってしまったレミリアがこれまで生き続けられたのは奇跡的だった。いいや、かもすればそうあることこそが運命だったのか。

 これまで、母親から教わった人に対する怯えに助けられたからこそ生きてこられたのだと、レミリアは自認している。力なんて、救いにはならない。全ては、意思によって紡がれた運命によるもの。それを、彼女は解していた。

 知らず運命に触れられるようになったレミリアは今も、生きるために立ち止まらない。

 

「幻想郷、ね」

 

 呟きは、冷え切った夜空に響いた。都市部から遠く離れた木々深く、続く石段を登りながら、少女は魔をすら受け容れる結界を感じる。

 

「私とフランと繋がる大きな運命。それは確かにこの先にある筈なのだけれど……」

 

 弱りきったレミリアはもう、隠した羽根で飛ぶことすら出来ない。一歩一歩、進みはまるで人のそれ。しかし、昇ることを止めなければ何時かはたどり着くもの。

 

「ああ、ここが……」

 

 鳥居をくぐり、その先の神社を認め、そうして、レミリア・スカーレットは幻想入りを果たした。

 

 

 

「血を、寄越しなさい」

「こんな夜更けに何かと思えば、大きな蚊だったのね」

 

 そして、彼女は黒髪の巫女と出会い。

 

「私を、私達を、守って……」

 

 運命を、自分の太陽をようやく見つける。

 

「私も、レミリアを助けてあげる!」

 

 そして、それは一つでは無かった。

 

「ああ……」

 

 吸血鬼は幻想の地にて、光を望む。

 

 

 



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第七話 どうして貴女は

 

 

 月は分厚い雲間に消えて、幻想の地は蕩けるような、闇の中。多くが寝入る夜に、レミリア・スカーレットは幻想の空気を初めて吸い込んだ。

 すぅ、と花蕾の唇は開かれて、喉が動いて涼を嚥下する。人工の飛沫は完全に除かれた、暫くの間味わうことすら出来なかった一昔前の清浄を飲み込んで、しかしレミリアは唾棄するかのように呟く。

 

「ふん。なんとも上等な結界だこと。人の排気は問題とするのに、私を問題なく受け容れてしまうなんて」

 

 ざわざわと木々騒ぐ辺りは、現代から隔離された何時の日かの自然ばかり。神社の下には黒黒とした杜が広がっている。

 なるほどこの古の風景を維持するには、人工ガスの苦味は邪魔だろう。そんなものは、結界で退かしてしまうのが正解だ。

 しかし、反して世界を区切るように張られたこの結界は、妖怪――否定されるべきもの――を容易く受け容れ過ぎていやしないか、とレミリアは思う。

 予想していた反発一つなく、吸血鬼は幻想入りした。それが、自分程度問題ないと言われているようで、気に食わない。

 幾ら常識的な範囲までに弱くなろうとも、レミリア・スカーレットには挟持がある。出迎えの一つもないことに、彼女は内心業腹だった。

 

「まあ、余計に争うつもりもなかったことだし、これでもいいわ。じゃあ次は……ここでは、ここでなら今の私でも飛べるかしらね?」

 

 以前のような全能に近い力はない。けれども、羽根持つものは空に憧れるもの。漆黒を、レミリアは見上げる。

 レミリアは暗黒を纏っているかのように昏い色をした薄手のワンピースの背部を持ち上げるように翼を伸し、その繊維を破って広げた。

 矮躯から現れるは大きな蝙蝠翼。羽ばたかせ、大いに風を孕ませ少女は浮いた。

 

「わ、うふふ……」

 

 そして始めるは、久方ぶりの飛行の時間。非常識の世界にて重力は小さく、体はあまりに軽かった。

 思っていたよりばたつくこともなく、流れるように空へ行った少女は、次第に羽根による運動だけでなく妖力により地への縛りを更に切り取ることも出来るようになる。

 暗き洞のような空にて大いに泳ぐ唯一人。眼下にその他全てを置く愉悦。それは、とても楽しいものだった。

 

「飛べる! 夜を支配できる! そうよ……私は、ただの人に寄生するばかりの存在ではないの」

 

 挫かれ虐められ、もうからっ穴の自信。しかし何もないには様々に詰め込めるものである。人間の世界で隠していた妖怪の自覚を思い出し、レミリアは笑う。

 この日この時、五百年近く人の合間にて身を潜ませてばかりいたレミリアは、自由だった。

 どこまでも少女の身であれば、柵のなさに昂ぶってしまうのも当然のことだったのかもしれない。レミリアは、遊ぶ。

 薄い胸を大いに逸らして、辺りを睥睨。戯れに、愛らしい顔に、にやりとあくどい笑みを貼り付けた。

 そんな、悪役ロールプレイ。目指すは、憧れていた父のカリスマ。しかし、貼り付けただけの歪な悪はどこか不格好。

 

「何、アンタ?」

 

 だから、夜に予感に起きて表に出た、博麗霊夢はそんな少女の児戯に呆れた。

 見たことのない妖怪が、境内の上空で変な顔をしている。大きな妖精に毛が生えた程度の妖力しか伺えない、そんな一山幾らの妖怪少女に対してどうして自分の勘が疼いたのか、霊夢は内心不思議がった。

 寝間着の白襦袢を着込んだ少女はただ、闇と黒衣を纏った少女をただまっ平らに見上げる。

 

「っ!」

 

 それに、ぼっとレミリアは顔を紅くした。それは、気を抜いたところを見られた恥から端を発し、そうして年端もいかない少女に侮られた怒りでピークに達した。

 霊夢の視線はどうしようもなく、それは生乾きの傷を刺激する。どうでもいいこの世の一つと目されて、消えかけの妖怪は癒えたばかりの自信に傷がついたことを感じる。

 やがて、まるで血のように赫々と紅くなったレミリアは、霊夢に脅しの言葉を向けた。

 

「私は吸血鬼よ。貴女……血を、寄越しなさい」

「こんな夜更けに何かと思えば、大きな蚊だったのね」

 

 霊夢は思わず出そうになった嘆息を、呑み込む。殺してしまうぞ、うらめしや。血を奪うばかりではなく、もっと恐ろしげな命に関わる恐ろしげな言葉を妖怪変化共から数多聞いてきた巫女は、レミリアの脅し文句は響かない。

 鬼とはよく分からないが、しかし吸血、すなわち目の前の弱小妖怪が人に害するものであるという言質は取れた。

 正直なところ危ないからといって、小さな生き物を虐めるのは博麗霊夢の趣味ではない。けれども、博麗の巫女は向かい来る妖怪に手加減をする、そんな腑抜けた存在では決してないのだ。

 たから、ぱちんと、両手の平を合わしてみせてから、言う。

 

「たかる蚊は……潰してしまうわよ?」

 

 そう言い、威圧的に霊夢は霊力を見せびらかす。大妖怪のそれと比しても何ら遜色ない地力。幼きその身には持て余すほどのものの一部が顕になった。

 普通ならば、これで力の差を敏に感じ、逃げるのが普通の野生。霊夢も何となく、それを期待してはいた。

 けれども、レミリアは人の間に隠れ潜んでいたもの。均された地にずっと居たのである。力の差を測るのに鈍くなるのは仕方ない。

 勿論、隣り合う人間達の恐ろしさをレミリアが忘れたことは片時もなかった。その中でも、きっと目の前の人間は、とびきり。

 けれども、自分は久方ぶりに夜空にある。反して相手は見上げるばかり。それはそうだ、容易く人が空を飛べるはずがない。地の利を覚えて下に見て、そうしてレミリアは血迷った。

 

「やってみなさい!」

 

 そうして、レミリアは啖呵に応える。そして、妖力にて爪を鋭く変形させて空から素早く舞い降りて、そうして相も変わらず白い目線を向ける少女に一泡吹かせようとした。

 所詮は子供。衣服でも刻んでしまえば、泣いて許しを請うだろう。そんな夢想をして、レミリアは己が弱者である現実を忘れていた。

 

「そう……仕様がないわね……」

「え……」

 

 風を切る音は、唐突に停まる。紅爪を素手で受け止めてから、霊夢はふわりと、それが当たり前のように浮いた。

 

 そう、博麗霊夢は力の強弱や何に頼ることなくただ摂理に則り、一人空を飛ぶことが出来る。きっと、そんな唯一の人間だった。

 一度解してから、空は最早自由。そんな特別が、黒く黒く、紅い瞳を覗く。見慣れていた筈の闇に、ぶるりと、レミリアは震えた。

 

「妖怪は、退治しないとね」

 

 改めてハクレイのミコは、そう宣言をする。そして、右手で摘んだ爪を引き寄せ、レミリアの小柄な身体に霊力を容赦なく打ち込もうとした。

 

「きゃ」

 

 思わず悲鳴が漏れる。霊夢の左手に集まった力は白く発光してしかし熱を持たない。しかし、それは弱小である自分を何度殺したところで余りあるもの。

 レミリアは確かな死を感じ、そうして目を瞑った。

 スイッチの入ってしまったハクレイのミコは迷わない。そして、レミリアに防御の方法はなかった。故に、吸血鬼がここに滅ぼされるのは必定だったのだろう。

 

「そこまでよ」

 

 そう、一迅の風さえ訪れることがなければ。

 

 

 

「あれ?」

 

 未だ、生きている。何やら風を感じたと思えば、自分が何かに抱きしめられていたことに、レミリアは気づく。

 目を開けて見れば、視界を掠めるのは長く綺麗な紅い髪。それを綺麗と思いながら、レミリアはぼうと更に見上げる。

 

「ふふ。大丈夫?」

 

 すると、そこにはあまりに綺麗な笑顔があった。思わず目を背けたくなってしまうほどに魅力的な面に、レミリアは時と場をわきまえずに紅潮した。

 だからたどたどしく、彼女は赤髪の女性に向けて言う。

 

「えっと、平気、よ?」

「そう。それは良かった」

 

 レミリアの無事を確認して、赤髪の女性、紅美鈴はレミリアをそっと地に下ろした。

 その位置が霊夢に捕まっていた先より大分離れていたことに気づいて、レミリアは狐につままれたような心地になる。どうやって、こんな一瞬で、と。

 それは、美鈴のその身一つで起こした単なる早業である。そんなことを見知っていた霊夢は、ハクレイのミコとして目の前の新手の妖怪に訊く。

 

「どういうつもり?」

「勝手に身体が動いたから、じゃあ納得いかない?」

「無理ね」

 

 半ば戯けて言う美鈴に、霊夢はぞっとする程に公平な視線を向ける。

 思わず、レミリアが美鈴の影に隠れてしまうくらいに、それは無比だった。

 しかし、霊夢のそんな面を解りつつ、苦笑いしながら美鈴は独白のようにして応える。

 

「……確かに、霊夢のお仕事の一つに、妖怪退治があることは知っていたわ。時に悪さする妖怪を、その手で殺めていることだって、分かってた」

「なら、どうして?」

 

 人の世から廃棄された妖怪たちの坩堝とすら言える、来る者は拒まずの姿勢を採る幻想郷の維持。それには確実に悪性を排除する存在の必要性があった。

 管理者の一人たる霊夢も、当然の如くに度を越した悪妖を見つけては間引くことを行ってきている。そのことを、美鈴は別に否定するつもりはない。

 そう、たとえ自分が霊夢の手にかかったとしても、それは仕方ないと美鈴は言うのだろう。だがしかし。

 

「単純な、エゴね。目の前で、霊夢が蹂躙する姿を見たくなくって」

 

 子供が子供を殺す。そんなことは許せない、許したくなかった。そんな勝手。今回は、そんな感情ばかりが先行した。

 独白を、レミリアは固唾をのんで見守って、霊夢は柳眉を釣らして怒りを示す。そう、子――霊夢――は親――美鈴――の勝手を嫌った。

 

「そういえば。あんたも、妖怪だったわね……」

 

 力あるからと邪魔を断行するのならば、それは摂理に悖ると認識せざるを得ない。

 想われてのことである。不快に思うことはない。けれども、ムカつく、とは感じるのだ。何となく、彼女に子供に見られるのは、業腹だった。

 

「……あんたも、退治するわ」

 

 だから、駄々をこねる。これは、ハクレイのミコとしての行動ではない。そんなこと、霊夢にも判っていた。感情をぶつけられる人に、ぶつけるだけの行為。

 そんな子供の当たり前を、美鈴は優しく見つめている。そう、対していながら、彼女は決して戦う気などない。

 霊夢には、美鈴のそんな様子ですら、苛立たしいのだった。

 

「いくわよ」

 

 そして、霊夢はレミリアに向けるはずだった矛の切っ先を美鈴に向ける。白は同等のものを二つ三つと増やして、避けにくく。

 もとより、背中にレミリアを庇っている美鈴に避けるという選択肢はなかった。大した妖怪ですら手傷を負いかねない力の奔流はただ真っ直ぐ紅の彼女へと向かう。

 

「ふん」

 

 何も悪いことなどしていないというのに、邪魔立てされる。それを思うと、霊夢の怒りは至極自然なもの。

 美鈴に対しては褒められたい気持ちさえあれども、非難されたくは決してなかったというのに。

 

 けれども、何も悪くない行動なんて本当にあるのだろうか。悪を滅ぼすことがはっきりとした善であると、決めたものは誰。

 そして親が子に教えるのが、正解ばかりではないことを、果たして霊夢は知っているのだろうか。

 

「あはは。霊夢って、叱られたこと、あんまりないんだろうなあ」

 

 ぼやき、そして紅美鈴の中の大妖怪の一部が、ぞろりと蠢いた。そして、それは表立ち棚引いて、虹の七色を持って夜空を彩る。

 彩光は美鈴の演舞に合わせて踊る。それは竜巻のようになりながら、なお輝いた。そして、それは無色を呑み込みながら壁のように立ち上がる。

 

「……綺麗」

 

 レミリアは少し離れた背後にてその光の渦の美しさを見上げる。初めて望んだ、虹の欠片。そこに感動を覚えない少女はいまい。

 霊夢も同時に、その光の豊かさにぐらりと目眩がする程の美しさを覚えた。しかし、瞬きの間の自失から戻った彼女は声を出す。

 

「目眩じゃない、これはっ」

「はい、おしまいね」

 

 そう、美しさこそ目眩まし。それこそ目にも留まらぬ素早さにて、美鈴は霊夢の後ろを取っていた。先程の目眩と思えた揺れは、その際の風の動き。

 ぴたりと、霊夢の頬に、美鈴の手のひらが当てられた。

 

 触れられたら、お終い。そんなルールはなくてもこの状態で暴れたところで無意味であることは、霊夢には判った。

 だから、返事の代わりに溜息一つと小言を吐くばかりである。

 

「はぁ……冷たいわね」

「あはは。私って、少し冷え性なのよねー」

 

 あっけらかんと、美鈴は霊夢の悪態を受け容れる。そして愛しい少女を離してから、どうも正体から冷たくなってしまう指先を擦りつつ彼女は続けて言うのだった。

 

「それじゃあ、あの子のことは、私に任せてくれない? 悪いようにはしないわ」

「全く。あんたがやること、悪くはなくても正しくはないことばかりだから困るんだけど……」

「あはは。そこは、反面教師ってところで」

 

 妖怪と人が平穏無事に暮らしている。これは悪くはないが、正しくは決してない。ましてや、巫女と妖怪が親子もどきをしているなんて、そんなこと。

 けれども、それで上手く行っているのであるからこそ、困ったもの。なるほど、鯱張って道理を通そうとしてばかりいるのは正しくもないのかもしれないと霊夢は思った。まだ、思っただけだが。

 

「……まあ、いいわ。貴女なら」

 

 そして、霊夢は妖怪を認める。霊夢は違和感に頬を撫でてから、自分が微笑みの形を取っていると、自覚した。

 どんどんと自分が変わってきていることに霊夢は気づくが、それが悪いと思えないのが、どうしようもない。少女は何となく、惚れた弱み、という言葉を思い出す。

 

「ありがとう、霊夢」

「もうそろそろ丑三つ時になるし、寝るわ。勝手になさい」

 

 そうして、再び霊夢は一人きりに戻る。それを、見送ってから、美鈴はレミリアへと振り返った。

 先の自信はどこへやら、おずおずとレミリアは格上を見上げる。

 

「貴女……」

「あはは。怖かった? あの子も悪い子じゃないんだけれど、ちょっと強情なところがあるからねー」

「貴女どうして、私を助け、いいえ、どうして私を助けられたの?」

「知り合いの幽霊から聞いて、ね。私はわりかし近くに居たから。全く、夜に出歩くのは性とはいえ、あまり良くないかな? 昼間眠くなっちゃうのよねえ」

 

 シエスタが捗るのは良いことかなあ、と戯けて続ける美鈴。彼女は微笑みながら、その言葉にレミリアの身体に強張りが少し取れたことを見て取った。

 そう、今回。正規ルートから訪れた妖怪と霊夢の夜の外出のかち合いを、悪い出会い方と見て取った魅魔は偶然、いや運命的にも近くを散歩していた一番の仲良しに相談してみたのだ。

 曰く、あの子をこれ以上機械にさせるのはどうかな、幼子が否定のしあいに傷つかない訳ないんだからと。そして、居ても経ってもいられずに、美鈴は霊夢たちの現場に馳せ参じたのだった。

 美鈴は、眼前の愛らしい稚気を多分に残した少女レミリアを霊夢が斃して傷つくようなことにならなくて良かったと、内心胸を撫で下ろしながら、続けて言う。

 

「そして、貴女を助けたのは本当のところあの子のためだったりするから、あんまり気にしないで」

「それでも、ありがとう……でも」

 

 でも、の後に少女は溜める。それは果たしてためらいか。いいやそれは万感の思いが喉に詰まっただけだったのだ。

 涙目になりながら、レミリアは言う。

 

「どうして貴女はもっと前から私のところに居てくれなかったの?」

「それは……」

 

 美鈴は思わず、言葉に詰まる。

 もっと前。それは、少しの前を指してはいない。真剣過ぎるレミリアの瞳を見つめてそう、美鈴は気づく。

 これはきっと昔々に、助けて欲しかった時があったのだ。今更の助け手に、歯噛みしてしまうことも、仕方のないことかもしれない。

 美鈴はレミリアに刻まれた傷を、思う。

 止まった会話。繋がった視線に何を覚えたのか、頭を振って、レミリアは続ける。

 

「意地悪な言葉だったわね。でも、心から、頼むわ。これから、これからでいいの。私を、私達を、守って……」

 

 言葉には、真剣な心と情が篭っていた。そっと近くの土の匂いのする妖怪に縋り付いて、吸血鬼は、昔々は高いところにあった頭を下げる。

 それは、レミリアという少女の、必死の請願だった。唯一の家族のことまでも思って、彼女は心より縋る。

 

「ああ、これは、跳ね除けられない、なあ」

 

 対して、美鈴は苦笑しながらも、その内に必要とされたことに対する喜びをもって、レミリアの縮こまった身体を返答代わりに抱きしめるのだった。

 

「お母、様」

 

 その熱に、久方ぶりの幸せだった思い出を想起し、レミリアは涙を零す。

 

 

 



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第八話 虹

 

 

 上白沢慧音は、戸惑っていた。

 昨今人里に見受けられる妖怪への恐怖を忘れがちな風潮を憂い、人里にて自らの寺子屋を作るという目標のための方々への根回し、そして子供達と顔を合わせていく内に、最近しょっちゅう耳に入るようになった名前。紅美鈴。

 人側とは言い切れない妖怪で、人に優しい。今ひとつ計りかねていた、そんな相手の突然の訪問に、どう対応すべきか、慧音は困り顔。

 しかし初対面の美鈴があまりに柔和であったがために家内に招かざるを得ず、応答の後にお茶に菓子を差し出して、一言二言。探りの言葉をかけるべきか、それとも語らせるべきか。そんな悩みに僅かな沈黙が降りた頃合い。

 

「ふふ。このお菓子、お上品な味ですね。とっても、美味しいです」

「ふむ……」

 

 そんな中で自由にもぐもぐ。だんまりな家主の前でも居心地の悪さなど微塵も感じさせない、朗らかな笑顔が目の前で咲き続けていることに慧音はうなり、思慮を捨てる。これ程の暢気の前で構え続けるのも馬鹿らしいことだと、思ったから。

 慧音は素直に応える。

 

「ひいきにさせて貰っている和菓子店は老舗、ということもあるのか随分と材料に調味に拘りがあるようでね。値はそこそこ張るが、中々のものだろう? 貴女が手伝っている団子屋の味も人気があるけれども、趣の違いは随分とあるかもしれないな」

「そうですねぇ。お爺さんお婆さんのたっぷりお砂糖を使ったものとは違って、こちらは素材を甘味で引き立てている、そんな印象です。でも、どちらも外の世界の数多い甘味に負けないくらいにとっても美味しいですよ」

「へぇ。それはそれは。何だか嬉しいことを聞けたよ」

 

 喜色満面の美鈴に合わせたように、慧音の表情も綻ぶ。地元の甘味屋、それが褒められたことが我がことのように、嬉しくて。

 自分が美味しいと思っているお気に入りが、外から来た者――それが変わり者の妖怪とはいえ――に同意されて、快くならない訳がなかった。

 更に、慧音が住む幻想郷の環境が、外の世界――現代社会――から幻想保護のために結界によって隔離されているという事実も笑顔に関係している。鎖された世界で、外の世界が気にならない訳がない。

 外は大概つまらぬばかりと聞き及んでいるが、甘い物ばかりは沢山あるようだ。出来れば一度はそれを味わってみたくもある。さわりとも未知の一部を知れたことは、頭でっかちな少女には想像広がる思いで、素直に面白いと言えることだった。

 

 やがて、そのままするすると、会話は広がっていく。どちらが話を始めたところで、この二人、存外受け取り方が上手かった。

 美鈴の感情表現豊かな笑顔の同意に、慧音の条理に基づいて受け容れる頷き。共に良識的であるからに、そうそう意見の相違はない。話はスムーズに続き、人里の子供の話題に至って、白熱した。

 親の視点と教師の視点。互いに子を思っていようとも見方違うことにて語れる部分は多い。子を育てることと導くことの違いや、どこまで手を貸し、痛みを容認するべきか等など。

 時によって変化する、子に科す強度にまで話が至った時、慧音は、はたと思い出した。

 

「私としては不良と健康の境を保護者が一方的に決めるのは反対なのだが…………あ」

「どうしました?」

 

 美鈴を家に入れてからもう一刻は過ぎている。けれども、その間に用向き一つすら聞けていない。社交辞令の話題が随分と飛びすぎていたと、慧音は反省する。

 何時か寺子屋で教鞭をとる望みが果たせたとしても、話を適当に切れなくては拙いだろう。これは、良くない。

 薄く頬を染めて、道具として湯飲みを使いながら、慧音は話を戻す。

 

「ふぅ。お茶が美味しいね。……では、今更かもしれないが改めて。ここに来たのは何の用があってのことだったのかな?」

「あ、恥ずかしながらお話が楽しくって、忘れかけていました。大事なことなのに……あの。まずお尋ねしたいのですが、慧音さんは人間側の妖怪である、と聞き及んだのですが、それで正しいですか?」

「うーん。正確には私は半分人だから、そう在りやすいというのもあるのだが……はは。まあ概ね正解かな」

 

 美鈴に頷いてから、慧音は中途半端な存在である自分を思い、からりと笑う。

 慧音は珍しい、人間の側に立つことを選んだ妖怪である。半人半妖とはいえ後天的に妖怪化したという出自。そして、人に有り難がられるワーハクタクのハーフであるということは、人間に寄った大きな因ではある。

 だがそもそも、彼女の性があやかしの混沌には合わなかった、というのが一番大きかったのかもしれない。歴史に直に触れられる妖怪少女は、理論整然とした明るい世界を好む。

 続く美鈴の話の先を想像し、目を瞑りながら慧音は先を促した。

 

「それで、美鈴。どうして貴女はそんなことを訊いたのかな?」

「ええと……実は、出来れば、皆に人の隣にあることを認めて欲しい子が居まして……その子は、人の間でなければ、生きていけないので……先輩、と言って良いのか分かりませんが、目指す位置にいらっしゃる慧音さんのご意見をお聞きしたいなあ、と」

「ふうん。察するに、その子とやらは今にも消えかけてしまっているくらいに弱々しい様子の妖怪なのか、それとも人から何かを奪わなければ存在出来ないような類いの存在なのか、そのどちらかなのかな?」

「その両方、です……」

 

 肩を落とし、酷く残念そうに美鈴は言う。彼女が現状に悲しみを覚えているのは明らかだ。

 その理由までは、流石に面からばかりでは察することが出来ない。だが慧音は、前後の会話からそれが愛情によるものだと想像できてしまった。きっと、この妖怪は人間臭くも弱者を見捨てられないのだ。

 慧音が手隙な合間にこくりと茶の渋みを再び嚥下した、その胸の奥が僅かに熱くなった。

 

「……ちなみに、その子の名前は?」

「レミリアちゃん、っていうんです。とても優しく賢くって良く気を使ってくれる、くりくりしたお目々がとっても可愛らしい……そんな、吸血鬼の女の子です」

「なるほど、よく分かった」

 

 この程度の会話だけでは殆どが、不明だ。しかし、一番大事なところは知れた。

 吸血鬼。その三文字ばかりが大切で、他の枝葉末節はどうでもいい付属品でしかない。

 しかし、まるで次の言葉を待つ美鈴の真剣振りは沙汰を待つ者のそれだ。面白いと思った慧音は少し固い表情を緩めながら、言う。

 

「正直なところ、その子が受け容れられるのは、難しいと言わざるを得ない。吸血を忌む人は多くても、好む人はおおよそ考えられないからな。たとえ立ち位置を明確にしたとしても、なるべくは、彼女を人里に寄せない方が、懸命かもしれない」

「そう、ですか……」

 

 重い気持ちに益々頭を下げていく美鈴を、慧音は冷静に見つめ続ける。

 こんな言葉なんて、冷たい現実よりもまだまだ甘い。実際、蚊に人がかける温情なんて殆どないのと同じで、吸血鬼が人に愛されることなど殆どありえないことだ。

 そして、妖怪が人に愛されることなんて、この幻想郷ではご法度。故に、至極残念がる美鈴に対して、慧音からは助けの船は出せない。それ自体に、思うところがないわけがなかった。

 

「あまり、早まったことはして欲しくないのだが……」

「…………はい」

 

 しかし、慧音は判っている。美鈴のこの相談は確認に過ぎないのだと。これは一つの存在のために酷くなるために、甘えを断ち切る、そのための確認。切り出すのが遅くなったのも、当然だ。

 その証拠に、再び上がった美鈴の顔には決意の色が見える。

 人里公認という可能性を鎖された後に、残るレミリアが幻想郷で生き続けられる可能性は幾つもない。

 

 きっと美鈴は、彼女のために彼女の血を使うのだ。彼女は愛らしい星の人間を、愛らしい夜の妖怪の餌に用いてしまう。

 

 誰かのために誰かが犠牲になる、それが生きるということ。しかし、どうにもやりきれない思いは、ある。だから、慧音の口は勝手に動いた。

 

「私は妖怪だが人間だ。だから、こうして相手によって相談に乗るくらいはするかもしれないが、基本的には妖怪を助けない」

 

 妖怪が、妖怪のために人間の子を使おうとする。そんなこと、本当は、止めたほうが良いに決まっていた。

 けれども、悩み苦しむ美鈴を見て、彼女はきっと間違い過ぎはしないという、根拠のない確信をも慧音は覚えている。

 慧音は本物の金を、初対面の妖怪の中に見つけていた。だから、彼女は黙認することを、決める。

 

「だが……もしレミリアという少女が人に寄り添おうという気持ちを本当に持っているとするならば……私はそれを拒まないよ。そして美鈴。私は君の彼女への想いを、信じよう」

 

 頭でっかちな、歴史の習いなど、今は知ったことではない。子の可能性と、親の愛を信じるということ。それこそが、長く生きた先達がするべきことでもあった。

 ただ慧音は、彼女たちが不幸にならないようにばかり、願う。そして、その思いは通じる。

 はじめのきょとんは理解に消えた。瞳の勝手な湿潤を放置して、美鈴は真っ直ぐに感謝を発する。

 

「……ありがとうございます!」

 

 感極まった雫が跳ねて、慧音の目の前に、笑顔の花がこの上なく綺麗に、咲いた。

 

 

 

「はぁ、はぁ。疲れたー」

「魔理沙ちゃん、お疲れ様。ふふ。よくここまで休まずに走ってこれるようになったね。ほら、水筒どうぞ」

「こくこく。ふぅ。お水、おいしー!」

 

 雲は地平に微かに残るばかりの、晴天の下。しかし残念なことながら何時も通りに霧に覆われている霧の湖にて、白に呑まれながらも魔理沙と美鈴は確かに笑顔を交わし合っていた。

 日々の鍛錬の一部としているランニング。魔理沙がその距離を伸ばして、人里からここまで続けられることになったことに、美鈴は大喜び。

 だくだくと流れる汗を特製スポーツドリンクと入れ替えるようにしている魔理沙を、美鈴は優しく見つめ続ける。

 

「最初、拳法を気に入っちゃったのには困ったけれど……魔理沙ちゃんに才能がたっぷりあったのは嬉しい誤算ね」

「はぁ。え、おかーさん。私、才能あるの?」

「ええ! このまま功夫を積めば、達人にだってなれちゃうわよ?」

 

 こてんと、白霧の隙間から届く光を星の輝きに変えながら、魔理沙は自分の才能を褒められたことに、驚きを見せた。笑窪を深めて、美鈴は肯定を続ける。

 妖力ない人間な魔理沙に美鈴が教授出来るのは、見取って纏めた武術の型に、肉体に秘められている気を大いに用いた身体強化、そしてそれらを支える体の鍛え方。

 やってみて、やらせて、そして美鈴は魔理沙に普通に長じられる程度の才があることを知った。そして、今日の頑張りに、その認識を更に深めたのである。

 魔理沙は逆さにこてんとしてから、再び問う。

 

「おかーさんとおんなじくらいに、なれるかな?」

「うーん……それは、魔理沙ちゃんの頑張り次第ね」

「そっかー」

 

 しかし曖昧に、美鈴は答える。それは、頑張ろうと気を入れている魔理沙には悪いが、彼女が頑張って自分に追いついて欲しくはなかったから。

 何せ、普通に才能がある程度の人が妖怪を超える程に極まるための道、それは修羅のものである。断崖絶壁ですら下らない、そんな困難を通るに少女にかかってしまうだろう痛苦を思えば、とても推奨は出来なかった。

 まあ、どうせそのうち自分について回るのも飽きるに違いないだろうと思いながら、美鈴は汗で濡れた柔らかな髪を撫でる。魔理沙はくすぐったそうに身じろぎもせずに、むしろ擦り付けるようにして受け容れた。

 

「わあ……ぅん? きゃ」

 

 そんな団らんに、バサリと大きな羽音が邪魔をする。大きな鳥でも現れたのかと魔理沙は音の先を見上げた。

 予想に反して、そこにあったのはフードを深く被り、大きな羽を広げた少女の姿だった。あまり飛んでいる人型を見たことのない魔理沙は驚き、間近のおかーさんにひっしと抱きつく。

 そんな子供を抱き返す美鈴を見下げて、少女、レミリアは言った。

 

「こんなに小さな子が、私の救いになるかもしれない、ね」

 

 言いながら、ふらりふらりと飛行すらも覚束ない。レミリアは、痩けた頬をすら気に留められないくらいには窮している。

 美鈴によって教えられた、幻想郷の、人里にて保護されている人間達はろくに食むこと出来ない、という現状に絶望を覚えたことは記憶に新しい。

 妖怪の種によっては時に屍肉を提供される場合もあるらしいが、血液は難しいとレミリアは管理者に事前に言われている。自給自足しなさい、と目尻を細めたぞっとするような美人のあの表情に、果たしてどんな意味があったのだろう。

 末路を想像し大いに眉を下げたレミリアに、美鈴が、私がなんとかしてあげると奔走した、その結果がきっとこの少女なのだろう。レミリアは至極つまらなそうに、しかし笑んだ。

 

 別段、幼子――弱者――を食むこと自体に今更惨めさなど感じない。ただ、哀れみは覚えるかもしれなかった。

 これからその無知を利用される不憫な子供。少女に対して、人間が思わず食べ物にいただきますと呟いてしまう程度の思いくらいはあった。

 しかし、それも飢餓感に、消えて失くなる。レミリアには、きょとんと見上げる女の子が、たまらなく美味しそうに見えた。

 

「レミリアちゃん……ひょっとして、待ちきれなかった?」

「単に、退屈だったのよ。妖精とのままごとなんて、よくやっていられるわね、貴女」

「真剣にやると、面白いわよ? ……ん?」

「おかーさん、その子、誰?」

 

 おかーさんが自分と同じくらいの女の子と、親しげにしている。それを嫉妬どころか不満げに思わなくても、不安にはなった。

 羽があるなんて変わった子。仲良くなれるかな。魔理沙は、熱く自分を見つめる少女の正体が気になった。

 

「あ、紹介忘れてたわ。この子はレミリアちゃん。こう見えて、魔理沙ちゃんより随分とお姉さんなのよ?」

「でも、ちっちゃいよ?」

「小さくても、私は妖怪なのよ、マリサ。長く長く生きているの」

「わっ」

 

 飛ぶのを止めて土を踏み、ずいと顔を寄せてきたレミリアに対し、魔理沙は、驚く。目の前に舞い降りてきた少女の背丈は自分より僅かに高い。しかしこんなの誤差だとも思えた。

 本当におねーさん、なのかなと疑いながら、しかし魔理沙は一つの言葉を気にする。

 

「妖怪? おかーさんと同じ?」

「そうよ。怖い怖い吸血鬼よ。ぎゃおー」

「えっと。ぎゃおー!」

 

 手を二つ、獣や恐竜のような爪を模してから、雄叫び一つ。これで脅かせたと思うレミリアに、どうしてか魔理沙は同じ仕草と叫びで返した。

 思わず首を捻るレミリアに、美鈴はニコニコ笑顔で補足する。

 

「魔理沙ちゃん、それ、挨拶じゃないわよ?」

「そーなんだ!」

「変わった子ね……」

 

 驚きに幼児がぴょんとコミカルに跳ぶ。それに、レミリアは白い目を向けた。いや、むしろそんな子をよしよししてあげている美鈴に、強く。

 べたべた懐く魔理沙に、その慕いに応える美鈴。仲の良い、まるで親子のような二人を前に、毒気が抜かれる。

 思ったのと違う。そう、レミリアは感じた。食料になる人間を攫ってきてくれたわけではないの、と彼女は美鈴に目で問う。

 最初は疑問が返ってきたが、次第に通じたのか数拍後に、美鈴は言った。

 

「あ、そっか。レミリアちゃん……ひょっとして、勘違いしてる?」

「勘違いって、どういうことかしら」

「ごめんね、まだなの。魔理沙ちゃんが、レミリアちゃんに血をあげてくれるかどうかって、まだ決まっていないのよ」

「血?」

 

 再び首傾げる魔理沙。どうにも頭の位置が定まらない子だ、と思いつつ、レミリアは同様に美鈴の言に疑問を持つ。

 おかしい。だって、それはまるで人間、それも弱き者に選択肢を与えているようではないか。問答無用こそ妖怪の普通。美鈴のその食べ物にすら向けている情に、レミリアは異常を感じた。

 

「その子から奪うのではなく……自ら提供させようってわけ?」

「ええ。実はもう既に親御さんにこの子が良かったら、と許可は貰ってるの。だから、後は魔理沙ちゃんがどうしたいか、だけ」

「……貴女は強いのに、どうして強制をさせないの?」

「……そうね。私は、どちらも選べないから……どっちも、大切なの」

 

 美人は憂い顔も変わらず綺麗ではあれども、物悲しさより深く現れるもの。どうしようもない性を、妖怪の枠に留まり続けられなかった過度の情を美鈴は悲しげに自嘲する。

 ここで、レミリアは気づく。美鈴は、お母様とは違うと。人から妖怪になることを選んだ母とは異なり、どっちつかずに宙ぶらりん。

 実に半端な存在。本当は妖怪の一員として忌むべきか、見下げるべきだったのかもしれない。

 

 けれども。

 

「もう、縋っているものね……いいわ。私を助けてくれた、貴女の選択に任せる」

「レミリアちゃん!」

 

 だが、それでも母だった。唯一この世に認められる母性だったのだ。だから、信じる。

 幾らか盲目だとしても、自分はその闇に飛ぶもの。愚かだって、いいのだ。そう、レミリアは決めた。だから、フードの中の表情はどこまでも安心しきって緩んでいく。

 

「そうね、じゃあ……説明しないとね。あのね、魔理沙ちゃん。良いかな?」

「なあに、おかーさん?」

「あのね、レミリアお姉ちゃんってね。血を食べる妖怪なの」

「血? あの痛いと出る赤いの?」

「うん。それね」

「そうなんだ……」

 

 信を受け、美鈴は発奮する。言葉はゆっくり丁寧に、しかし彼女は心を篭めて続けていく。

 その一言一言を大切にしている様子を感じたのだろう、魔理沙の背筋も自ずと伸びて、耳を傾けていった。

 

「レミリアお姉ちゃんは、人からそれを貰わないと生きていけないの。でも、こっちに来て、それを貰える人が居ないの……魔理沙ちゃん、ご飯食べられないと、大変だよね?」

「うん! ご飯遅くなったら、とってもぺこぺこで、大変!」

「そして、レミリアお姉ちゃんも、今大変なの」

「そっか……なら、早く血をあげないと!」

 

 どうやって出せばいいのかな、と白い綺麗な肌をあちこち探り探り。しかし、どこにも赤一つないことに、魔理沙は落胆を覚える。

 

「うう。私、血、ないよー」

「……先に魔理沙ちゃんが言っていたけれど……人はね、痛い、傷が体に出来ると体に血が出るものなの」

「だから今ないんだー」

「魔理沙ちゃんは……痛い思いをしてまで、レミリアお姉ちゃんに血をあげられる?」

 

 美鈴は、真っ直ぐに見て、瞳と思いを通じさせる。そして、頼みもせずに、ただ訊いた。

 縛されもしていない自由な子供の選択。その結果に、レミリアは拒絶される運命を想起した。

 痛いのは、嫌。そんなの誰だって一緒だ。特に、精神よりも肉体に重きを置いた人間にとって痛みとは避けるべきものであるはず。

 嫌われるのは当たり前。けれども、毎度、辛いもの。自然ごくりと、乾き以外の理由でレミリアの喉が鳴った。

 

「さっきレミリアが言ってたけど、おかーさん、レミリアを助けたんでしょ?」

「そう……だったかもしれないわ」

「そっか。なら私も、レミリアを助けてあげる!」

 

 いかにも軽い調子で、魔理沙は言う。しかし、その実彼女の意思は硬く重かった。当たり前の運命なんて、転じさせてしまうくらいには、それは強い思いだったのだ。

 やがて、星光の少女は闇夜の少女を見上げる。そうして、作られた笑顔は、たまらなく愛らしいものだった。

 過度に想像したのだろう痛みに怯え震える体を押さえながら、魔理沙がレミリアに安心してもらうために浮かばせた、笑み。そんな人間らしいもの、妖怪が大事に思わないなんて、嘘だった。

 

「ああ……ありがとう」

 

 目を伏せる。どうしようもなく、眩しくて。

 だって、レミリア・スカーレットは、生まれて初めて何より眩しい光を直視したのだから。

 

 光振らない曖昧の霧の中、しかし、全てが輝いていた。

 

「マリサ、貴女を信じるわ」

 

 そして、人間が怖くても、だからこんなに近いと震えを隠すのは大変だけれども、それでも信じてみようとレミリアも思ったのだ。

 優しく、思いをなるだけ篭めて。再び顔を上げた彼女が創った笑顔は何時かの妹に向けたものに酷似していた。

 

 光り輝き、霧中の空に、虹が出る。

 

 美しく、橋は渡された。

 

 

「うう、良かった、良かった……!」

 

 そして、互いに恐れを相手の安心のために隠さんとする少女二人の隣で美鈴は、安堵の涙をぽろぽろと零す。

 

「あはは。おかーさん泣き虫ー」

「ふふ。本当ね」

 

 その無様に子供たちは、本当に笑えた。

 

 

 



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第九話 †

 とても遅くなって申し訳ありません!

 今回はようやく旧作要素あり、のタグが活躍する感じですね。
 岡崎夢美さんがメインなお話ですー。


「むにゃむにゃ……」

 

 パイプ椅子に背を寄りかからせて、ぐっすり。その赤い髪おさげを垂らしながら、赤き彼女は眠っていた。

 つるりつるりが継ぎ目なく。そして少女の周りで時折キラキラ星空のように瞬く原色が、出来損ないのサイエンスフィクションのような内部の装いを浮かび上がらせる。

 そう、まるで嘘のような、どこかの最先端が集まった場所に少女は居た。真なる虚実のごとき、伝承の粋である幻想郷とは真逆を行く、科学に因したその空間。

 

 それが、世界を渡ってきた船の内部であると知っているのは、未だ件の赤き少女ともうひとりばかりだった。

 

「ふぁ……あ、一時間も経ってる? はぁ……たっぷり眠ってしまったわね」

 

 そしておもむろに目を覚ました少女は何も目にせずただ時を観て、そう零す。そんな超常すら、彼女が修めた比較物理学の前では初歩の一端。

 時を粒と波見るのは当たり前。粒子を操ることなんて、もはや彼女の世界の者とっては出来て当然のありきたりなのだから。

 十八歳の若者らしい健康を発揮して疾く、しかし研究職らしく凝りからくるぼきりという異音を立てつつ彼女は、立ち上がる。そして、ひらりとそのフリルで飾られた端々をなびかせながら、少女はその手を広げた。

 

「ちゆりは居ないか……現地調査でも続けているのかしら? なら丁度いいから復習しておこうかしらね。うーん……こんなところかしら、この世界で想定される魔法の形は」

 

 その白き無垢な指先を一振り。そして、抜きん出た少女であるところの岡崎夢美は科学を持って魔法を叶える。

 魔法式を計算式で再現。そして、現象を発揮させるという迂遠でしかたないやり方で高難度の科学魔法を叶えて、夢美は。

 

 宙に大きな紅い十字を描いた。

 

「うん。これくらいなら……魔法世界の住人にも対抗できる程度の強度はあるでしょう」

 

 夢美は近寄り、紅く白くも輝くその十字をノック。カンカンと硬質を響かせたその感触に満足を覚える。

 そうしてから彼女は指先を踊らせ、白い軌跡を空に描いた。途端に、まるでなかったかのように消える十字。夢美は完全に科学魔法を自在に使えているようだった。

 

「さて、後は向こうからのアクションを待つばかり、か……」

 

 頷き、再び夢美はパイプ椅子に座る。ぎしり、というこのアンティーク椅子の良さを認めてくれたのは、友であり助手でもある北白河ちゆりばかり。

 夢美も知らぬ世界にひょいと出ていってしまった彼女のことを、なんとはなしに、心配になってくる。

 偶には助手らしくフィールドワークってのをやってみるぜ、とどうにも旧臭いこの世界と交信をはじめようと動いたちゆり。自分たちの世界と違ってどうにも魔法の素がたっぷりあるこの世界で独り歩きというのは危険ではあるだろう。

 とはいえ、返るための足であるこの船を守る人間が残らないということはありえない。危険があれば何時でも端末で通信できるのだから、と行かせたが時間が経って夢美も不安が増してきた。

 

「まあ、あの子は腐っても助教授。機器なしに科学魔法を使えるだけの頭はあるし、大丈夫だろうけれど……」

 

 夢美はそう、独り言つ。そそっかしい子ではあるが、ちゆりだって大学院卒の十五歳。充分に大人と言ってもいい年ごろだ。いたずらに心配をすることもないのかもしれない。

 

「いや……むしろ、この世界で魔力が存在するといっても使える人が少なくて、その中でちゆりがいたずらに科学魔法を使ったら……その方が面倒事になりかねない、か」

 

 つぶやきそして、夢美は自らを安心させるように、周囲に対する危機意識の水準を一旦下げてみる。原始的な生活に、魔法が馴染むものだとしても、この周囲はあまりに旧びていた。

 まるで電気すらろくろく知らないような、清浄さ。その中で魔法を社会のために使っている様子だって遠目からでは存在しなかった。

 そんな中でちゆりが魔法じみたものを使ったら大変なことになるかもしれないし、そもそもこの船を動かしただけで大きな騒ぎになるかもしれなかった。

 

「はぁ」

 

 少し、嫌な予感がしてきたが、どちらにせよ未だ何も起きていないこの状況で心乱すのはただの取り越し苦労。

 ひとまず、居心地のよくない硬い椅子の上にて落ち着くことにした。

 

「まあ、一人二人、近くに魔法使い――サンプル――が居てくれたらそれで良いわ」

 

 石器時代の人間に、戦闘機に乗り込んだパイロットがやられることを想像するなんて、ただの臆病だ。

 故に、ただ果報を待つだけが正しい。夢美はそう信じることにした。

 

「後は……そうね、これだけ旧いのだから、神話生物とかいてくれたら嬉しいわねー」

 

 そして暇にあかせ、意外とオカルティックなロマンが好きな夢美はそんな信じてもいないことを口にする。

 そう、世界を渡ってやってきたここ幻想郷が魔力妖力神力なんでもありな、酷く神秘的な世界であることを、岡崎夢美は知らなかった。

 

 

「御主人様ー、世界を渡るってのはあっという間だっていってたけどさ。意外と時間がかかってるぜ?」

「全く……ちゆりはせっかちね。慌てないの」

 

 少女二人突貫で創った船の中。古を意匠に取り込みすぎて、まるで遺跡のような外観となったそれにて彼女たちは世界を渡航していた。

 可能性空間移動船。並行世界への移動という偉業を、二人はのんびり会話をしながら成すのだった。

 しかし、それ淹れている間には着くわ、という夢美の言葉を信じて旧いもの好きの彼女の趣味であるサイフォンから仕上げた珈琲を全部飲み込んでからしばし。

 一向に到着の報が来ない状況に、ちゆりは焦りを覚える。ついでに、緊張からか喉の乾きも覚えたので、彼女は二杯目を飲み込むことにした。

 

「熱、苦! って、おお、揺れた!」

「ふふ……」

 

 そして、その熱々と砂糖の存在を忘れて煽った一杯に驚きを覚えたちゆりは、更に足元の揺れを感じて更にびくりとする。

 対照的に、落ち着き払った夢美は満面の笑み。音声機器の不調を感じてから、まあそれもいいかと周囲のデータを観測。

 そして重力・電磁気力・原子間力の統一原理で説明されている範囲外の力を見つけたことに、頷くのだった。

 

「用意していた電子音声は出なかったけど、これは間違いないわね。魔力がある世界に着いたわ」

「おお、ハロー、ワールドと機械に言わせる御主人様のセンスは私としてはどうかと思っていたんだが、御主人様の説にやっぱり間違いはなかったんだな!」

「ええ。ここでなら存分に魔力の検証が出来るでしょうね」

「いやっほう! ……っと」

 

 大げさに喜ぶ、ちゆり。すると行った古から続くガッツポーズのために水兵服からへそが顕になって、慌てて彼女は可愛らしいそれを隠すのだった。

 そんな愛らしい仕草を見せてから、こほんと咳払いして気を取り直すちゆり。一転彼女は悪どい笑みを見せて、言うのだった。

 

「で、御主人。……ここでなら、科学魔法を使っても良いんだよな?」

「まあ、そうね。自衛のため、調査のためならきっと許されるでしょう」

「よっしゃあ! ……っと」

 

 そして、念願の向こうの世界では規制されていた魔法もどきの技術の解禁に喜び、ちゆりは再びちらりちらり。

 照れた彼女は再び服を下ろすのだった。呆れて、夢美は言う。

 

「……そんな丈の短い服着てるからよ」

「夢美様みたいに古式ゆかしいひらひらな服も向こうの世界だとそうとう浮いてたけどなー……ま、いいか。それじゃあ行ってくるぜ!」

「世界が違うとはいえ空気の組成は誤差の範囲内で行動には問題ないけれど……大丈夫?」

「おうっ、偶には助手らしくフィールドワークってのをやってみるぜ!」

 

 そう言い、手を振りなんでもない壁面に向かうちゆり。すると、当然のように壁は彼女が通れる程度の穴を開かせる。

 壁のどこでも出入り口になるという、まるで魔法のような科学技術。しかし、彼女らにとっては児戯でしかないありきたりを気にする者などだれもいない。

 しかし、ぽっかりと開いた空間から外の世界の太古の光景を見た夢美は、どうしてか身震いをして不吉を感じ、元気なちゆりに声をかけるのだった。

 

「……気をつけなさいよ?」

「心配性だなー、御主人様は。行ってきまーす!」

 

 帰ってきたのはどこまでも朗らかな返答。二つ結ばれた金の髪は左右にきらきら外の光で輝いていて。

 それも、再び閉じた壁面によってそれも見えなくなるのだった。

 

 

 

「ん? あ」

 

 そして、ふと果報を待つために寝入ってしまった不覚の時。機能ではなくナニカの超常により歪に裂けた天井を感じた夢美はその場から立ち退く。

 赤が避けた後に、その場に落ち込むは白。一瞬瞳に映った隙間のアンノウンを睨んでから、夢美は台無しになったパイプ椅子を気にもとめずに、ちゆり――服をぼろぼろにさせている――の元へ飛びついた。

 

「ちゆり!」

「あはは……ごめん、御主人様。やられちゃった」

「やられたって……大丈夫なの?」

「はは……夢美様なら分かるだろー? すっげえ手加減されちゃったぜ」

「そんな……」

 

 ちゆりの言の通りに夢美は比較が得手で逸しているがために、確かに分かる。彼女がかすり傷しか負っていないことを。

 そのことに安心は出来るが、しかしそれは驚嘆すべき事態の証左でもあった。

 もどき、とはいえそこそこに科学魔法を使って力を纏っていたちゆりはそれなり以上に頑丈だ。鉄板よりも強度のある彼女を、掠めるだけで傷つかせる程の力とは、果たしてどれくらいのものか。

 

「御主人様なら、なんとか出来ると思うんだけどな」

「それはそうだけれど……」

 

 恐るべき、敵がこの世界にはいた。これには、夢美も驚くが、ただそれだけである。

 なるほど想定される相手の出力は高い。けれども、それだけならば悠々に上回らせられる程に、夢美は科学魔法の演算が可能だ。

 伊達に、大学が十一歳で卒業可能な程の学の圧縮がある世界で大学の教授として齢十八歳にて教鞭を執っている訳ではない。

 確かに、夢美ならば仮想敵と対することだって、不可能ではないだろう。

 

「でも……そうなると船の守りが手薄になるわ」

「あの女の口ぶりからすると、手勢が少なからずあるみたいだったし……御主人様がぼっちじゃなけりゃ良かったんだがなぁ」

「それは言わない約束よ」

 

 しかし、守るべき生命線があり、その上で一人で、というのは流石に難易度が高かった。

 思わず、夢美も歯噛みする。いくら自分が学会で非統一魔法世界論を唱えた鼻つまみものとはいえ、せめて両親くらいには自分を認めて欲しかったのに、と思いながら。

 そして、そんな中唯一自分を信じてくれたちゆりをこれ以上危険に晒す訳には行かず、彼女は決断する。

 

「……一旦出直すわ」

「だな。それじゃあ私は核融合エンジンに一働きしてもらうようにしておくぜ」

「お願い」

 

 二人に、異見はない。座標を覚えた彼女らには幻想郷にまた来ることもそう難しくなければ、他の並行世界へ向かうことだって不可能ではないのだ。

 別段戦う者ではない二人に、踵を返すことは簡単だ。疾く、元の世界へと戻る段を取り付けようとしたその時。

 

「エンジンが」

「――存在しない?」

 

 誰も気づかない合間での核融合エンジンの消失――或いは簒奪――という事態を二人は発見し。

 そして。

 

「あはは……核融合って、物騒なものを持ち込んだのね、貴女たち」

 

 背後からの声。不可思議な隙間から現れた妖怪、紅美鈴に驚かされるのだった。

 

 

「……おいおい、私達の大切なモノをアンタ、どこへやったんだ?」

「うーん……ごめんね。私がやったんじゃないけれど……ここ幻想郷は、技術の停滞を良しとする世界なの。その観点からすると、核融合エンジンなんて代物はオーバーテクノロジーもいいところだから……きっと、没収されちゃったのね」

「……動き出してる最中のエンジンだぞ? 気軽に没収できるような熱量じゃないんだがな……」

 

 現れた謎の人物。美鈴はどこかちゆりから向けられた険に悲しそうにしながら、会話を返す。

 ちゆりが対話で空けてくれた時間に相手の観察を続ける夢美。彼女はしばらくしてから、結論を口にした。

 

「貴女は……魔力の塊?」

「正確には妖力、かな? ただの実体なし。私なんて、吹けば飛ぶような存在よ」

「はん! つまりあんたは自分が妖怪だとでも言いたいのか? 随分可愛らしい妖怪もあったもんだぜ」

「あはは……期待に添えなくてごめんね」

 

 食べちゃうぞ、な感じが妖怪じゃないのかよとぼやくちゆりに、ますます恐縮する様子の美鈴。

 こんなの豊満な美女が、いい人を見せているばかり。これはどう考えてもそれらしくない。どうなのか、と夢美へと振り返るちゆり。

 夢美は、零した。

 

「妖怪、か……なるほど。私の願いはまた一つ叶ったようね」

「御主人様?」

 

 ちゆりが見たのは、知恵深き者の笑みではない。それよりもっと、柔らかで幼い笑顔だった。

 オカルト好きな夢美は、それこそ心の底から望んでいたのだ。理屈はその後付でしかない。

 そう、私の分からないものが、この世にあって。実は夢美は痛くなるくらい明るい世界で一人足掻いていたのだった。

 

 何となく、感じた美鈴は微笑んで言う。

 

「それなら良かった……実は、私の御主人様も貴女たちに世界の可能性を見せて貰えたと言って笑っていたのよね。そういう意味では、本来貴女たちは招かれざる客ではないのかもしれない」

「なら」

「でも、それは賢者の意見ではないみたいなの。本来ならば、危険物は排除するのが当たり前らしいけれど―――ただ除くのは咎めるっていう私情から、判断を私に委ねてくれたみたい」

 

 美鈴がそれとなく、空に引いたは虹の端の紫。そして更にその深き色に赤を重ねてから、彼女は宣言をする。

 

「さて――――貴女達が、悪いものだと私は思えない。けれども、悪人だけが悪を成す訳でもなければ、病を運ぶのは無知が故のこと。この地にいたずらに分け入りたければ……幻想郷の門番、紅美鈴を倒してからにしなさい!」

 

 そして、先程就いたほやほやだけれどね、と片目を不器用に瞑るのだった。

 

 

 

「っ!」

「破っ!」

 

 所移して幻想郷の青い空のもとに、紅が縦横無尽に踊る。

 紅十字断ずる空間の中に、赫々と拳を振るう美鈴の格闘は閉じ込められない。

 夢美が指揮する威力の檻を破れずとも受け流し、向かう赤き光の渦を避けきれずとも踊りきった。

 そして、金剛石よりも頑なな結びの全体となった夢美ですら、美鈴の蹴撃に当たることは出来ない。

 虹色はどうしようもなく綺麗であり、であるからには止められないのだ。七色の可憐の怒涛。それをしかし赤一色にて留める夢美は流石だった。

 

「うひゃあー……二人共、とんでもないぜ」

「おかーさん、凄い!」

 

 そんなこんなを見上げて、ちゆりは零す。いつの間にか一蹴され地に落ちた自分の隣にて目を輝かせている幼子を目に入れながら、しかし彼女はそんなことすら気にすることもなかった。

 何しろ、美しい。綺麗は工夫によって出来た図案。そんなことが嘘っぱちに思えてならないような、そんな偶発の美麗が空には広がっている。

 

「……戦いって、こんなに空に映えるんだなー」

 

 そんな言葉が自然に転がる。勿論隣できゃっきゃしている金髪碧眼の幼子が、それを拾うことはなく。故に返答などありえない筈だった。

 

「そうなのよねぇ……後は見る方も演る方も、もっと力を抜いてもらえたら、万々歳かしら」

「――あんたは!」

「ぅん? きゃっ」

 

 しかし、子供がいる反対隣にぞっとするような美人がそこに浮かんで応えていた。

 呑気している子供を抱えて、ちゆりはその場から飛び退く。

 すると。

 

「――そんなに怯えないで? ひょっとして……あまり痛くしてあげなかったのが悪かったかしら?」

「お前……」

 

 当たり前のように、退いたその後ろから声が聞こえた。振り向けば、あまりに美しい白磁の顔。

 これには、先程出会い頭に攻撃を受けたばかりのちゆりでなくても、ぞっとして当然だった。

 

「誰?」

 

 しかし、妖怪と酷く親しい子供――魔理沙――はそうは思わない。ただ、怪異を当たり前として、妖怪八雲紫を受け入れる。

 紫はそっと、少女の首筋の包帯を優しく眺めてから、それに返答するのだった。

 

「貴女のお母さんと親しい者よ」

「おかーさんのお友達?」

「そうでもあるわね。そして――――」

 

 手を振り子供をあやしながら、そして八雲紫は隙間――なんでもない――の上に座しながら、冷たくちゆりを見つめる。

 妖怪は、言った。

 

「ここ幻想郷を見守るものでもあるわ。――さて、この世界をプレパラートに載せようとした貴女達の行為がどれだけ愚かなものだったのか……少しは知ってもらわないとね」

「な――っ」

 

 その言の後に、炸裂する空。あまりの轟音に、ちゆりの悲鳴は声にならない。大きな赤い花が、青に咲く。

 

「――紅砲っ」

「――っ!」

 

 赤には紅を。無数には、渾身の一筆で当たれ。

 多数の十字にて自らを守った筈の身体。それをまるごと撃たれて、少女は墜ちる。

 散りゆく、紅十字。空の墓標は果たして、誰のためか。

 夢美は落ち行く中で。

 

「夢美様!」

 

 悲痛なちゆり――最後に残った大切なもの――の声を聞いた。

 

 

 †††

 

 岡崎夢美は天才である。そして、人並みと外れてしまった寂しい子供でもあった。

 彼女は知っている。説明され尽くしてしまった世界のつまらなさを。そして、その中で安穏としている人々の不明さをもまた。

 あまりに輝かしい智慧の中で、周囲の輝きは映らない。

 そんな夢美が一人ぼっちになってしまうのも、仕方のないことだったのかもしれなかった。

 

『夢美先輩は、オカルトが好きなんだな! 遅れていると言うか、信心深いと言うか、むしろ変だぜ!』

 

 しかし、一人ぼっちというのは、存外ありふれているもの。変わった存在には、変わったものが寄ってきた。

 割れ鍋に綴じ蓋、という訳では決してない。むしろ、向こうはどうにも下手に出ることで収まろうとしているのだから、困ったところ。

 とにかく、それでも北白河ちゆりは岡崎夢美にとってかけがえのない存在だった。

 

『流石は、教授だな』

『もう、お前には私達は必要ないな』

『大人だものね』

 

 それこそ、認めるふりして見下ろす先達達や、自分を勝手に巣立ったものと決めつけてしまい離れていった両親なんかよりも、よほど。 

 

 ††††††

 

『非統一魔法世界論? 空想も程々にしなさい』

 

 そして、何時しか夢すら否定される。

 涙は、流れなかった。

 

 

 心は、死なない。けれども、愛は死ぬ。

 そんな風にして、遠のいていく大切なものに彼女は十字を切った。

 

 ††††††††††††

 

 そして、重ねた十字の山。血の如き紅に染まった全てを、しかし夢美は捨てられない。

 

 もしかしたら。ひょっとして。ありえないけれど。

 

 

 愛が何時かよみがえってくれるなんて、希望がまだ彼女にはあったから。

 

 

 柔らかさに、夢美は目覚める。

 

「あ、起きた?」

「貴女は……」

 

 感じて見て、遅れて気づく。自分は彼女に膝枕をされていると。

 こんなの、ダメだ。自分はもう大人なのだから。疾く退こうとする夢美。

 しかし、とんと額を突かれて、それは枕――紅美鈴――に止められる。

 

「大丈夫」

「え?」

「頑張らなくても、大丈夫。彼女だって、私だって、もう貴女を認めてる」

 

 そうして、優しく撫でられて。視界の端に、苦笑しながら見守っているちゆりも見えた。

 

 胸元に蘇る温かさ。頑なだった頬もまた緩んで。

 

 今度こそ、夢美は涙をこぼせたのだった。

 

 

 

 

「おかーさん」

「なに?」

「夢美ちゃんとちゆりちゃん、また来るって言ってたよね。何時来るのかな?」

「そうね、何時になるかな……学会も社会も全てをひっくり返してから、って言ってたから具体的には分からないかな」

 

 神社近くに遺跡が現れたという騒ぎも、神社上空の花火の後にその遺跡が唐突に消え去ったことから終わる。

 もう、誰もそんなことがあったことすら忘れだした頃合いに、当事者の家族たる紅美鈴と霧雨魔理沙は語り合う。

 そこそこ狭い、紅い家の中。そんな会話は同居人の耳の中にだって容易く入る。

 吸血鬼の少女、レミリア・スカーレットはごそごそと寝床から顔を出して、首を傾げた。

 

「マリサもお母さんも、誰かと別れたの?」

「あー……そういうことじゃなくてね」

 

 昼の吸血鬼はどこか心配げに、聞く。実際は、彼女が憂慮している程に大層な今生の別れというものでもない。

 少し悩む美鈴。その横に、ひまわりの花が咲いて、言った。

 

「また会う約束をしたの!」

「ふふ。そういうこと」

「なーんだ」

 

 幼子の喜色に微笑むレミリア。何だか幸せに終わったのだろう大事に。

 

「次も、こうなるといいわね」

 

 運命を手繰る吸血鬼は、そう言うのだった。

 



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第十話 〇〇〇〇の幻想入り

 また遅くなりました!
 そして今回はチャレンジ回といいますか、完全に独自のお話になりますー。
 もしもがもしもを呼んだのですね。

 果たして〇〇さんとは誰なのでしょうか……あえてちょっと不気味なお話にしました!


 

 彼女、〇〇は己が稀なる血の先祖返りであるということは知っていた。

 それもそうであるだろう、こんなシルバーブロンドの自毛を生やした日本人なんて、他にはいない。祖父が厳しく話すのを聞くまでもなく、自分が他と違うことくらい分かっていた。

 

「でも、まあ。……だからこそ私は菫子に見つかることが出来たのだろうけれど」

「ん? ちっちゃな声でなあに、〇〇? ぼうっとしちゃって、もしかしてUFOでも見つけてた?」

「あなたじゃあるまいし、そんな夢は見ないわ。ただ私は、自分のルーツに思いを馳せていただけ」

「ふぅん。きっと〇〇の家系図は、横文字ばっかりなんでしょうねー。面白そー」

 

 隣を歩む友達、宇佐見菫子の興味に爛々と輝く瞳を尻目に、高い空に一筋の飛行機の名残を望む。

 ご先祖様は、ルーマニアにて銀細工にてひと財産を成した後、日本へと渡ってきた変わり者。()()を追って遥々東方まで来たのだと伝わっているが、祖父の祖父が追い求めていたものの正体はもう失伝している。

 ただ、彼の残滓としてここにあるのは、幼くも白く透明なこの見目ばかり。そんな、西洋人形のようなシルクの少女は、しかし酷く人間らしく顔をしかめて、言った。

 

「菫子は面白いのが好きね。……つまんなくても別にいいのに」

「ええっ、つまんないとかサイアクじゃない! 最低でもそこらの人とは違わないと価値ないわよ」

 

 笑顔で、〇〇の前であることを楽みながら、菫子はそんなことを断言する。

 人気のない公園の端。ベンチとも取れないパンダの置物の上にぎゅうぎゅうに座しながら、二人は遊ばず語り合っていた。遠くに聞こえる子らの声の甲高さを白く見つめることは、〇〇はともかく、菫子にとっては自然なことだから。

 

「ホント、私に並べるのは〇〇くらいよね!」

 

 上を見ずに、下に見る。するとそれが睨むようになるのは当然だろうか。何せ、宇佐見菫子は神童である。賢ければ、異能とすら断言できる力を持ち、見目も美しくあった。

 だがそのため早く発達しきってしまった人生観はどうにも同級に並ばずに、等しく子供を下にしてしまう。

 だから、親愛を持つことが出来ずに独り文字の海を彷徨い、認めたありえないばかりを求めて足掻く。そんな彼女が、〇〇というとびきりに出会えたのは幸運だったのだろう。

 

「私としては、菫子ほど悪目立ちしたくはないのだけれど……」

 

 それこそ毎日、まるで引っ付き虫のように仲良くしてくる菫子に嘆息しながら、〇〇は零した。

 菫子は知らないが、〇〇は知っている。孤独より痛い、仲間はずれを。過ぎた者すら超える、断崖絶壁。菫子が自分の容姿に疑問を持ってしまうくらいに美しい銀の乙女はなおも果肉の唇を動かす。

 

「これでも私、人の上に立つのは好きじゃないの」

 

 世界を支配し得る能力を持った〇〇はそれを自覚しながら、うそぶく。

 けれども、そんな言葉は天狗になっている少女の理解の外。携帯電話での検索のし過ぎで最近メガネを付けるようにすらなった弱視を凝らし、目の前の人物が偽物ではないことを確かめてから、菫子は返す。

 

「信じらんない。なら〇〇。私の下に立ってみる?」

「ふふ……それもいいかもね」

 

 ただの冗句。しかし、それはあまりにたやすく飲み込まれた。風にスカートが揺れ、銀がなびく。

 はしたなくも口をポカン。言葉に嫌でも、考えてしまう。自分の下にてかしずく、〇〇。そんなとても嫌なものを想像した菫子は、吐き出すように叫んだ。

 

「ダメよ!」

 

 そう、それはダメだ。他人なんてどうでもいい。けれども、〇〇が自分を下から見上げてくるなんて、考えられなかった。

 そして、こんな友情に不慣れな自分のお節介すら友としてくれた大切な人が自分から僅かにも離れていくなんてあり得ない。

 菫子は、柔らかでか細いその指先のぬくとさを抱いて、縋る。

 

「〇〇は、私の隣にいてくれなきゃ……ヤダ」

 

 その瞳は、澄んではいない。乞いに焦がれて、どこか歪んでいた。

 まっくろくろすけ、●は闇。

 

 それでも、少女の思いが尊いものであるに違いはなかったから。

 

「……分かってるわ」

 

 苦く、月時計の少女は頷く。

 

 

 

 チクタクチクタク。しかし時計の針は無情。機械は愛など容れずにただ進んで、その数字を指し示す。

 

 

 

 妖怪は、もうこの世に滅多に存在しない。それを、〇〇はよく知っていた。

 だから、殺せと言われても、もう出来やしないのに。それでも、血はざわめいてそれを求めるのだった。

 

「はぁ……それで独り、銀のナイフを忍ばせて夜な夜な街なかを歩くとか、子供じゃなければただの変質者よね」

 

 なるべく暗がりを求め、少女はせっかくの銀を闇に沈ませながら、静かに吐露する。

 退魔。そんな信じられない職業が過去にはあった、と〇〇は聞いている。そして、先祖代々、自分の家系がそれを生業にしていたとも。

 

「そんなこと、聞くまでもなく私の身体が知ってたわ」

 

 〇〇は、苛立たしく言葉を落とした。今は、銀に特化したジュエリーを売りさばくばかりの〇〇家。その銀はもはや妖かしの血に濡れることなどない。

 けれども、己の中のルナティック、狂気の心はそれを求める。満月の光のもと、それは静かに滾っていた。こうして、興奮を夜歩きで消費しなければならないくらいには。

 

「妖怪なんて、いなくてよかった」

 

 だからこそ、〇〇はそう思う。逸した美ではなくただの少女として、穢れることは望まない。なにせ理性は、誰の死も望んでいないのだから。

 

 少女は独り夜を歩く。

 

 そして、今の世の中、ただ闇は闇。悪意にまみれた嘘はどこにもなく、あるのはただのつまらない現実。そんなつまらなさにこそ、〇〇は安堵する。

 血は騒ぐ。力を持て余す。でも。

 

「それでも、私はあの子の愛する幻想を否定したくない」

 

 〇〇〇〇は、少し間の抜けた唯独りの友達を頭に浮かべる。

 宇佐見菫子。幻想を求めて、それをあばきたがる性を持った、ただの夢見がちな少女。

 そんな彼女の夢を殺すなんて、そんなことはとてもとても。

 

「――――えっ」

 

 雲間が割れて、光差す。街灯のもと歩いているのは、ひとりの少女。黒いキャプリーヌが上下に揺れる。その下に輝く子供のような笑みを見て。

 

 

「殺さないと」

 

 

 〇〇は、知らず零していた。そう、アレを殺さなければいけない。だって、アレは犯すものだ。壊すものだ。暴くものだ。相容れないものだ。

 

 アレが誰かの大切だとしても、限りある希少だとしても、親友の望みであったとしても、そんなことは関係ない。

 だって、私はアレを殺すモノ。一振りの銀のナイフだから。

 

「ふふ」

 

 だから笑顔になるのは当たり前。今日は素敵な満月の日でもあることだし、それは然り。

 

「あはは」

 

 反して朔のような笑顔を浮かべる〇〇は、そのまま歩む。

 いつの間にか、少女の時は止まっていた。親友にすら隠していた力を披露するのだって構わない。それもそうだろう、コレを殺すために時がかかることすらうざったいから。

 もうコイツには一息も猶予をあげないのだ。

 

「さようなら」

 

 何も知らないまま、逝け。

 少女は停まった対象の前で銀のナイフを振りかぶり。

 

「――――まだ会ったばかりなのに?」

「っ」

 

 その妖怪が停止の中の()()()にて動いたことに驚いて、それを取り落とすのだった。

 

「うーん。ここはどこだったっけ。まあ、そんなのいいや」

「っ!」

「あなた、だあれ?」

 

 そして、しばらく停まっていた世界は動き出す。脱兎のごとく逃げ出す〇〇は額に汗をかきながら足を動かした。

 

「はぁ、はぁ……」

 

 過ぎていくは、二つ角に、まばゆい大道。その向こうに置いていったはずのものを彼女が思い返して振り返ると。

 

 

 

「――私はこいし。あなたは?」

 

 当然のように、後ろに誰かが立っていた。禍々しくも、可憐な笑顔の華がそこに咲いている。

 

「くっ」

 

 とっさに、薙ぐようにナイフを振る〇〇。しかし、それは無為。なんの成果もないまま空振って。

 

「え?」

 

 そうして、己の先がないことに気づく。気づけば〇〇の白磁の四肢はまるで無かったかのように、闇に溶けていた。

 

「あれ? あなたも……世界(これ)から嫌われちゃった?」

 

 そしてはじめて妖怪の笑顔が曇る。〇〇の顔は、言葉の意味に驚愕に凝った。

 

 〇〇は消えゆく全体の中、思う。確かに先に、自分は世界を止めた。忌み嫌うこの身体に秘められた力を使って、これまでにないくらいに長い時間。

 

 ああ。それが良くないことだと、全てから嫌われてしまうことだとなんて誰も教えてくれなかった。

 世界は修正されていく。その騒ぎ立てる血ごと何もなくなっていく、そんな感覚に怯えながら〇〇は妖怪、古明地こいしの声を聞いた。

 

「最後にもう一度聞こうかな? あなたのお名前は?」

「私、私の名前は……」

 

 やがて、時計の針はてっぺんに。そして全てが一つとなって。

 

 時間切れ。

 

「……何だっけ?」

 

 

 そしてためらいなく押されるは、リセットボタン。

 

 ぜろぜろぜろせろ。〇〇〇〇。終わりの零。

 

 その時計が蓄えてきた、記録は消える。

 

「――――あ」

 

 最後に言葉を残すことすらなく、やがて銀の時計は幻想に消えて。

 

「さようなら。また会いましょう?」

 

 変わらぬ笑顔も闇夜に消えて、そうして、彼女は最初から無かったことになるのだった。

 

 

 

 

 

「――――どうして、どうしてよっ!」

 

 何時か彼女が彼女を見つける、それまでずっと。

 

 



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第十一話 サクヤ

 またお久しぶりになってしまいました……申し訳ございませんが、東方を勉強し直して、何とか一話できましたー。
 書いたのは人里の様子と、そして少女のその後ですね。

 当たり前にそうなって、どうなるのかを楽しみにしていただけると嬉しいですー!


 その銀の少女が人里に現れたのは、酷く暗ったい夜も更けた頃合いであったようだ。

 少女は、幻想郷では珍しくもない木造の家屋の間をきょろきょろと驚きに怯えながら歩いていたらしい。

 酔いに酔った、問屋の番頭が赤ら顔で目抜き通りを歩んでいたところ、そこに現れたのが提灯の先にキラキラ輝く髪を持った少女の形である。

 何故か女性に変じた妖怪が多い幻想郷。見慣れぬ銀髪にすわこれは妖怪変化ではないか、と彼が思って肝を冷やしたのも仕方のないことと言えた。

 

 しかし、実際のところ少女は妖怪どころか噂に聞く外の国の人ですらない、ただの混血児。

 大丈夫ですか、と逃げる際に番頭が落とした財布を丸ごと返しに長く追っかけっこをしたことから、性の良さも自ずと伺えた。

 しかし、見捨てられんと番頭に連れられて行われた強面の問屋の親父の詰問に一切怯えることなく、何も覚えていないと淡々と答えたところ等には、おかしさもあった。

 だが、それくらいの奇妙など、幻想郷ではありふれている。なるほどこれは、外の世界から神隠しにあった子だと皆は理解し、そうして商人界隈の者たちにこれも縁だと少女は保護されたのだった。

 

「私は、名前も思い出せません」

 

 硝子の睫毛を申し訳無さに下げながら、少女は当座の代になればと上手な南蛮の細工が凝らされた銀のペーパーナイフを差し出し、世話のためとやんややんやと煩い女衆にそう語ったそうだ。

 これには、これまで父無し子やら何やらの不憫な子とだって仲良くしてきた彼女らも黙らざるを得なかった。

 名前こそ意味であり証であり、そして祝福である。当然のように、捨てる子にだって名前を付け損ねるような親はそうない。

 この場合は、名前の記憶を失くしてしまったというばかりのようだが、だがどうしたって名無しの少女に対して皆が思うのは、可哀想というその一言である。

 これは見捨てられんな、と番頭が人知れず腹をくくったその時、少女は顔を上げ、その青い瞳を柔らかにしてから健気にもこう言うのだった。

 

「ですから、皆様で私の名前を考えて下さると、嬉しいです」

 

 これにより、問屋内はちょっとした騒動になる。そして一日、ああだこうだと家が機能不全になるまで意見を出し切った彼らが少女に付けた名前は。

 

 

「私はサクヤ、か……」

 

 朔――新月――の夜に訪れたから、サクヤ。

 姓は大事なものだから思い出すまで付けなくていいだろう、という配慮のもとに、少女はただのサクヤとなった。

 

「ん、どうしたのかな、サクヤちゃん?」

「いえ、昼間の人里は賑わってるな、と」

「ああ、そうねえ。たしかあんたは夜の里と問屋の中しか知らなかったんだから、そう思うわよねえ」

 

 サクヤは問屋に奉公している丁稚と大差ない程度の年齢の子供だ。そして、幻想郷どころか、人里にすら慣れていない。

 故に、少女は暇をしていた手代――サクヤを一番に気にしている、元孤児の女である――に連れられ、今人里を案内されていた。

 中堅どころとはいえ問屋、となれば関わる者は数多。様々な人に声をかけられる手代の女に手を引かれながら、自分のことを聞かれるたびにサクヤはこう答え続けた。

 

「私はただの丁稚です」

 

 その、幼くも整った西洋風の見目をした少女を気にするものは多かったが、しかしそっけなくそう言い切られてしまえば、問いを続けるのは難しい。

 何となく聞かれたくないといった表情の手代の女が側に付きっきりであれば尚更。

 サクヤは、途中に半ば押し付けられるように奢って貰った団子を逆手に抱えながら、手代の手をしっかり握って、ずっと離れなかった。

 自分を頼りにしている。そのことに嬉しくなった女は立ちっぱなしでは疲れるだろうと知り合いの茶屋の軒下を借り、サクヤを隣にのんびりとこう聞く。

 

「それで、サクヤ。あんたは、何か思い出せたことはあるかい?」

「すみません……一つも。ただ、こうして誰かと一緒に出かけたことはきっと一度ではないとは思います」

「へぇ。それが分かるのは、どうして?」

「何となく懐かしいから、でしょうか……」

 

 日中を楽しむ旧い和装の群れは時に西洋風の格好を交えながらも、その大体は少女にとって珍奇に見える。

 サクヤは、何もかもを霞の向こうに置いてきてしまったことを感じながら、しかしここまでの人混みの中には当たり前を覚えていた。

 そして、更に誰かが自分の手を引っ張っていくこと、それに頼もしさ以上に懐かしさというものも感じられたことは収穫だろうか。

 外の世界で培ってきたのだろう多くを、自分は失くした。けれども、それでも向こうに行けばきっとそれはある。ならば、独りではないのかもしれない。そうサクヤも感じられた。

 

「ふぅん……」

 

 それこそ陶器製の西洋人形のような、硬い表情をしていたサクヤ。その頬の緊張が少し取れてきていることを感じ、女も嬉しくなる。

 そして、少女に確かに過去があり、それが完全に無くなったのではないことを、彼女は喜んだ。

 だから当然至極、善い人である手代はこう呟くのだった。

 

「そりゃ、良かったよ。だったら、一緒に居たっていうそいつにまた会うまで、頑張んないとね、ほら」

「……はい」

 

 ただ短くそう返し、サクヤは差し出されたみたらし団子をいただく。

 滴るタレの甘じょっぱさが、美味しい。そして、それだけでなく、喉を通る団子の食べごたえも良くって。それをとびきりだと選んでくれた女の気持ちもありがたく。

 

「う、うぅ……」

「よし、よし」

 

 だから、はじめて、この現実を飲み込めるようになったサクヤは、人の温かさに涙を零すのだった。

 

 

 

 さて、サクヤは外の世界であっても天才の類である。また、驚くほどに彼女は精神が幻想郷に適しているようでもあった。

 暗算にそろばんなんて朝飯前。ある日はひと目で、一日の帳簿の計算違いを言い当てた。これは外の子だから賢いというそれだけではないぞ、と思わぬ拾い物に問屋は湧く。

 そして、更には偉ぶることなく、まるで自分が下であることが当然のように接客を行い、教えもしないのに客に気に入られる所作を自然と行う。

 これは、麒麟児だと、店の皆がサクヤを殊更大事にし出したのは、当たり前のことだったのかもしれない。

 

「皆、気をつけて帰りなさいよ」

「はーい、サクヤお姉ちゃん!」

「また泥団子一緒に作ってねー」

「分かったわ。また明日ね」

 

 そんな中しかし、子供は子供と仲良くするものだと暇な間は店の外に追い出されて、誰彼とサクヤは遊ぶこととなる。

 それはどうも大人の間では緊張があるのかと、子供らしさに欠けるサクヤに対する店の連中なりの思いやりの一つでもあったが、しかし他の子と関わったところでサクヤはサクヤのまま変わらなかった。

 年下どころか持ち前の器の大きさにより年上連中の面倒をも見て、大人のように振る舞うサクヤは、子どもたちから次第に尊敬を集めるようになる。

 更に、大店の娘として少しやんちゃ気味だった魔理沙に何時か遠慮なくげんこつを落としたことによって、今や彼女はもはや大将の如くに扱われるようになった。

 ただの奉公人なのに、と思いながらも多くの人の世話をするのには文句なく、彼女はまず人里の子どもたちからあっという間に受けいれられるようになったのである。

 

「それじゃ、サクヤ、じゃあねー」

「はい、それでは霧雨のお嬢様も、また」

「もうっ、私は魔理沙でいいってのに!」

 

 金の笑顔が銀の微笑みの前に咲く。そして、ぶーたれつつも日暮れにキラキラ輝きながら、魔理沙は霧雨店に向って駆けていった。サクヤは、同い年くらいである筈なのに、その幼さを微笑ましく思う。

 自分を叱ってくれた少女に、魔理沙は懐いた。そして、彼女はただでさえ自分の髪の特異を気にしている少女でもある。

 金の己の対になるような銀が現れて、喜ばない筈がなかった。もっとも、その興奮からちょっと他の子達をないがしろにしてしまったこともあったが、それもごめんなさいでお終い。

 なら、仲良し小好しになるのが子供の当たり前だった。そして、当然のように拒まなかったサクヤは魔理沙と今日も仲良くする。

 いつもの文句を最後に、遠ざかる長い金の髪をサクヤはずっと眺めていた。

 

「サクヤ」

「あ……貴女は」

「あんたったら、霧雨の嬢ちゃんと仲良くなったのか……店としては良いことだけど、私としちゃ複雑だね」

「どういう、ことですか?」

 

 そんな、別れの間を知らず隣で眺めていたのは、何時ぞやの案内をしてくれた手代の女。彼女はその言の通りに嬉しそうな、厭そうな、そんな複雑そうな表情をしていた。

 何故かとサクヤは考える。魔理沙は基本的に誰からも好かれるような純粋な子供だ。そして、手代は自分に優しくしてくれたように、子供好きなきらいがあった。

 なら、ウマが合わない筈がないのだ。しかし、次第にごく厭そうにしてから、彼女は語る。

 

「サクヤには、私が孤児だってことは言ったね」

「はい……」

「だけど、私の両親が妖怪に喰われちまったってことは話してなかったか」

「え?」

 

 両親を妖怪に食べられた。そんな絵空事を真面目に女が語ったことにサクヤは、驚く。

 おかしい。妖怪なんていないし、いない方がいいに決まっているのに。それなのに。

 

 それがどうして禍として機能してしまっているのか。そんなこと、あり得てはいけない。

 

 ぼうとする頭の中、そんな確信ばかりがサクヤの強く胸の内を流れる。銀の血が脈打ち、どきりどきりと強く少女の胸を叩いた。

 何も言わない隣のサクヤに、驚いて言葉も出ないのだと勘違いした女は、最後にこう言って去るのである。

 

「仇は前の博麗の巫女さんに討ってもらったが、私は妖怪が嫌いだ。そして、そんな穢らしい妖怪とつるんでる霧雨の嬢ちゃんも好きじゃないのさ」

 

 それは終わったこと、そして彼女が少女だった時に決めたこと。そうであるからには、心変わりなんて有り得なく。

 

「よう、かい?」

 

 そして、それよりも遥か昔、数百の昔に誰かが己が血にまでかけた退魔という呪いを思い出したサクヤは今。

 

「どうしよう」

 

 先走る胸元を押さえながら、明日に迷うのだった。

 

 

 

「はぁ、はぁ……」

 

 それは、翌日。昨日と殆ど同じさようならを子どもたちとしてから、暫くのこと。

 皆とおひつから掬ったご飯を茶漬けでいただき、胃で熟れてきた頃合いに彼女は厠に向かうと嘘を吐いて、夜の人里を駆け出していた。

 

「どう、しよう」

 

 サクヤは分からない。これまでを失くしてしまい、これからも不明だ。

 そんな中、身を寄せたところで頑張ることを自分なりに決めたというのに、しかしそんな小さな決意も自分の中の呪いでどこかに消えていく。

 巫女様が結界術を自在に出来るようになったら、なんとしてでもお前を帰してあげるからな。そんな番頭の言葉が空言ではなかったことを、また今更に知った。

 

 そしてここ幻想郷には、妖怪が普通に存在する。そんな皆にとっての当たり前を、小さな子供から今日、教わった。

 それは絶望的な教えでもある。何せ、サクヤという少女の中を巡るこの血は、魔を覚えただけでこんなにも。

 

「苦しい……」

 

 殺せ殺せ。そう叫んでいるのだから。

 

 十六夜の月、完全でない月の元、なにかに急かされ、伸びる影を追いかけるように少女は駆ける。

 気づけば右手には冷たい、感触。預けたはずのナイフがどうして今自分の手元にあるのだろう。そして、またそんなものを隠すことなくちらつかせながら、人里を走って自分は何がしたい。

 おかしなことだ。ああ、おかしい。

 

「あはは」

 

 狂笑。それは、何に対する狂いだったのか。果たして、その原点である妹を魔に奪われた男の呪いは、その運命の歯車は何時何時狂った。

 それでも壊れた時計は、回る。チクタクと。廻り巡ってやがて、そして。

 

「あら、貴女は――――」

 

 ついに彼女は目の前に紅い彼女――とびきりの獲物を――青い、いいや赤い瞳に入れて。

 

「――妖怪に、死を」

 

 その時にかち、と時計は止まった。

 



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第十二話 めでたし、めでたし

 ちょっと早めに投稿できました!
 今回はサクヤさんのお話と、運命のお話となりますー。

 めでたし、めでたし。

 本当に?


 時を止めてしまえば止めた人だって動けない。

 そう、時間を止めてしまえば従属する空間だって凍る。そんな中を泳げる人間なんて果たして存在するのだろうか。

 勿論、ただの人がそんなことを可能にするのはきっと難しい。また、粒ごと固定された全てを退かすに足る力は、きっと時ごと再び動かしてしまう可能性すらあるだろう。

 故に泳げず、泳いではいけない。

 もっとも、そもそも時を止められる人間なんて絵空事であるのであるから、これは考えることすら愚かしい話であったのかもしれなかった。

 あり得ないは、あり得ない。

 

「停まった……」

 

 しかし、そんなあり得ないことなど幻想の彼方には普通に存在してしまうもの。記憶はなくとも確信から、周囲を少女は停止する。

 そして、サクヤという退魔の血を引いた少女には、本人の適性と違って世界を統べる格が備わっていた。

 故に、サクヤは時を支配した結果として、停止させられるのだ。また、配下に邪魔などされる程度の低い王ではないために彼女は停まった時でも一人、自由。

 周囲のありとあらゆるものが静止した中で、サクヤばかりは胸高鳴らせて血が求めた相手を望むことが出来た。

 

「これが、妖怪?」

 

 しかし、そんなサクヤが先に見つけたものは、妖しい怪物というにはどうにも整った容貌をした長身の少女であったようだ。

 櫛いらずの紅い長髪を筆頭として一体全体なだらかであり、表情に至ってはどこまでも優しげ。羨ましくなってしまうくらいにそれは眩く美しい。

 停まった時の中でも、これは一際価値ある彫像のようにサクヤには思えた。

 

「でも、無意味」

 

 しかし、呪われた血に満たされた心はそんな表層の奥に潜んだ大いなるものを見つけてしまう。

 姿は欺瞞。その内には、計り知れない人と違うあやかしが存在していて。

 

「気持ち悪い」

 

 故にこそ、サクヤはそう斬り捨てたくなる。

 人と異なる人に混じる何か。そんなものは、はっきりと人界にとって不要だ。害が有ろうがなかろうが多かれ少なかれ、それは人等の間に異常を招くものだった。

 しかしまた血に酔っているサクヤにとってはもはやそんな考えだって心よりどうでも良い。要ろうが要らなかろうがどちらにせよ、妖怪には死を与えたいと彼女の全身はふつふつと湧いていた。

 

 これが誰かの大切だろうと、希なる神秘であろうと、一切合切無に帰すために動くのが、この身体。

 停止した時の中流れるようにナイフを握った少女の右手は動いた。

 

「え?」

 

 そして、切っ先は妖怪――紅美鈴――の首元にて再び停まる。切り裂く筈の力は全て柔らかに皮膚に留められ、中身を暴露すること叶わないのだった。

 魔は銀に弱い。そんなどこかの当たり前なんて東方暮らしの美鈴は知らなかった。

 むしろ彼女は、金や銀などをこっそりコレクションしていた頃だってあった、光り物好き。その上鬼すら下に置くレベルの格違いの大妖怪ですらある。

 果たして、そんなものを斬ることの出来る刃物なんて、幻想郷中を探したとて見つけることは難しいだろう。

 そして、サクヤが握っていたのは現にあったただの銀製ペーパーナイフ。そんななまくらでは美鈴の命までは決して届きはしないのだった。

 柔らかに、少女の駄々は夜闇でも健康的な肌色に弾かれ、そして。

 

「あら?」

「……っ」

 

 気付けば停まった時は流れていて、場には喉に刃物を当てられた美鈴とサクヤが残る。

 行灯の色に染まった周囲の人気はまばら。影に塗れた中で少女の無意味な凶行を見て取ったものなど殆ど居ない。

 そして、驚きに直ぐにサクヤが懐にまで刃を引っ込めてしまったからにはそれを認知したものは一人ばかり。

 通り魔に襲われた魔である美鈴は、しかし唐突であったのと無傷と下手人の幼さから苦笑をし、こう呟くのだった。

 

「あはは……貴女ってやんちゃな子ね。私が相手だから良かったけれど、でもこういうのは他の人にしちゃダメよ?」

「っうっ!」

「わ」

 

 美鈴の笑顔は、朗らかで安心できるものである。しかし、サクヤの心はそこに裏を考えてしまい散り散りに乱れた。何せ笑みは牙を見せる途中に似ているものだから。

 相手はニコニコ健在である。そして斬れないなら、どうするか。全体重を持って突く他にない。報復される前に、と刃に身体を預けたサクヤの突貫は。

 

「ほうら、こういうのって危ないのよ?」

「あっ……」

 

 当然至極、停止した中でもなしに平素から無の構えを取っている美鈴に通じるものでは無い。

 指二つ。それに刃挟まれ前にも後ろにもびくともしないことに、サクヤは呆気にとられた。

 こんなの、無理だ。力に差があり、銀も意味がないなんて。これは時を停めて、逃げるほかにない。

 

 賢い頭が結論付けるのはあまりに早かった。ナイフを手放し、再び離れようとしたその時。

 

「はい、捕まえた」

「きゃっ」

 

 サクヤは美鈴にぎゅっと抱きしめられる。

 相手の先を取るのは武の基本。そして、妖怪変化との戦いにだって慣れ親しんだ紅美鈴にとって、術者との距離をゼロにすることが幻や何やらに対する一番の対抗手段だとも知っていた。

 そして、何より相手は子供。見ず知らずの妖怪に刃向けるような危ない子だ。

 

 そんなもの、大切に大切にして危ないところを優しく取ってあげないと、と思うのが美鈴の母性。

 

 だから、ぎゅっと優しく抱擁して、彼女は彼女に問った。

 

「もう、どうしてこんなことしたの? 誰かに刃物を向けちゃダメだって、習わなかった?」

「だって、貴女は妖怪だから……」

「たとえ妖怪でも、ダメなのよ?」

「え……そんなこと」

「ああ、これは知らなかったみたいね。そして悪いことしたら、自分に返って来ちゃうわよ?」

「でも、私の血が、どうしても……貴女を殺せって……」

「なるほど、退魔の血筋の子だったか……こりゃ、危ないなあ」

 

 危ない、それは何か。当然それはサクヤの命が、である。

 或いは外の世界では重宝され得る異能じみた魔に対する血の呪いも、しかしこの魑魅魍魎溢れた幻想の地においては邪魔である。

 妖怪が悪しく恐ろしいというこの世界のあるべき形に対する者。それがどうやら特殊な力はあるようだが、こうも弱々しい。

 胸元で暴れようとする、しかし明らかに人の子でしかないサクヤはどう頑張ったところでこのままではそこそこの妖怪に返り討ちにあってお終いになるだろう。

 

「そんなのは嫌、ね……」

 

 しかし、抱いてみて、その小ささに温さに感じ入った美鈴はそんな所感を抱く。

 この子は魔を断つナイフだ。けれども、結局のところそうなりがたる人の子でしかなかった。銀の柔髪の上で一つ、深呼吸。

 紅美鈴はある種の覚悟をして、問う。

 

「ねえ、貴女」

「な、何?」

「貴女は、このままでいいと思う?」

 

 そう、それは少女が変わりたいかどうかの確認。幾ら周りがどうしたところで、当人にその気がなければ変化は難しい。

 勿論、これで否と言っても美鈴は少女の進むかもしれない修羅の道の邪魔をしただろう。そのためいくら嫌われようが、良しとして。

 

「このまま……私は、このまま、魔を、幻想を……」

 

 けれども。現し世に残してきた全てを否定され、幻想に至った空っぽ少女にも、心はあった。

 それは、途切れて失くしてしまった友愛だったとしても、それはそれは大切だったから痛いくらいにその思いは未だに胸を焼く。

 ああ、私は魔に対する恨みに呪われている。殺せ殺せとそれに最適化した身体は未だに目の前の大妖を刺さんと身じろぎしていた。

 けれども、内にはそんな衝動すら些細なくらいに、強く燃える思いもあったのだ。

 それは、ただ一つ。忘れても、捨てきれなかった思いは願いとなって口からこぼれだした。

 

「嫌だっ、それでも、私はあの子の愛する幻想を否定したくない!」

 

 これこそ、サクヤとされた少女の本音。勝手な血の衝動によってこれまでずっと引き裂かれていた、彼女の心よりの想いだった。

 確かに、血を呪わす程に恨まれる存在が、魔なのかもしれない。でも、そんなことより、彼女のロマンの方が大切で。そんなこと、友達の当たり前。

 

 だから、相手を殺すための手は花のように開いた。

 

「おねがい、私を……助けて」

 

 そして、殺意に震える身体を意思で押さえて、サクヤは震えながら美鈴に縋る。

 これは妖怪。そしてよく分からない初対面。この相手はどうしようもない時に目の前にいただけ、けれども。

 

 それが運命でないと誰が決めたか。そして彼女がどうしようもない時の救いにならないなんて、そんなことはあり得なかった。

 

 だから、美鈴は少女の手のひらを両手で力強く握り込んで、言う。

 

「ええ。きっと、私は貴女を助けるわ」

 

 それは、ただの決意ではない必死の覚悟。どうあろうと、どうなってしまおうと、紅美鈴はきっとサクヤを見放すことはないだろう。

 何故かと言うならば、それは。

 

「私も、あの人の愛する幻想を見捨てるわけがないのだから」

 

 ぴたりと、二人は背中合わせに同じ思いであったのだから。

 

 

 

 

 昔々、あるところにとても仲の良い兄妹が居ました。早い内に親を失くしていた二人は、しかしとても仲睦まじく幸せに暮らしていたそうです。

 兄は彫金に道を見出し、妹は誇りを持って女中という仕事に励んでいました。

 ですが、まだ二人は見習い。故に貧しくも清く正しく、それこそある種美しく見えるくらいに絆を輝かせて互いの幸せのために頑張っていたようです。

 しかし、そんな互いの綺麗な想いを相手のために形にするには、先立つ物が要りもしました。ある年二人は、誕生日プレゼントを買うために、大いに悩むことになります。

 兄は思いました。これまでネックレスなど自ら手がけたキラキラ輝く小物ばかりを贈ってきたけれども、そろそろ妹も年頃。いっそ自分の師に頼んで彼女の子らにもずっと残るような素敵なものをあげたいな、と。

 妹も考えます。兄にはこれまで手作りの品しかあげられなかった。想いを込めてきたとはいえ、そろそろ形に残るものをプレゼントしたいな、と。

 

 そして、兄は師に頼み込みます。それはそれは素敵なカトラリーを、と。

 また、妹は探します。何か兄の役に立つような図案や言葉が認められた本を、と。

 

 やがてある日。兄は完成した銀食器を携え家に帰りました。これは喜ぶだろうなと満面の笑みだった彼は。

 

「ごめんなさい、兄さん」

 

 魔法陣を描いてみたところ、偶々自ら召喚してしまった悪魔に魅入られ、兄妹の尊い絆の全てを忘れて口づけを交わす妹の姿を見て、すっかり壊れてしまいました。

 

「■■■■■■■!」

 

 だから。兄は、妹だったものと悪魔に出来立ての刃を向けるのでした。

 

 そして、そして、ずっと、やがて、きっと。

 

 そんな全ての想いは凝って固まり呪いとなって、とある兄の子孫の少女の血に流れていたのですが。

 

「――――ごちそうさま」

 

 それも数奇な運命を辿った上にて、数百年後に生き延びていた妹と悪魔の子によって、平らげられてしまったようです。

 

 めでたし、めでたし。

 



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第十三話 もしもの時は

 ここまで読んでくださってありがとうございますー。
 咲夜さんならぬサクヤちゃんさん編は今回で何とか終了です!

 めでたし、めでたしの続きの不穏。感想とかいただけたら嬉しいですー!


 そして次は、時系列的にあの最強が……どうなってしまうのでしょうか?


 人において分かりやすい証というものは、名前と立場であるだろう。

 こと現世においては名刺にでかでかと書かれた名前と所属により、その人を信頼する場合も往々にしてあった。

 しかし、幻想に捨てられた際全て忘却してしまった少女には何も存在せず、故にサクヤという名前に使用人という立場は仮のものであり他人からのお仕着せだ。本人はこれまでそれに諾と従っていたばかり。

 もっとも、それが悪意どころか厚意によるものであるからには嫌うこともないという思いから少女も内心いただきものを認めてはいた。

 だが、最近もう一つ呼ばれるようになった異名というか立場には、どうもサクヤは居心地の悪さを覚えている。影に下に、そうして目立たぬ有り様こそ自分の好みであるのにこれは、と。

 

「ああ、巫女見習いの嬢ちゃん。今日は御店からのお使いかい?」

「……はい。乾物に余りが出ましたので、皆様にお配りしているところです」

「おお、切り干し大根に、椎茸もあらあ! こりゃありがてえなあ。そして何より、巫女見習いの嬢ちゃんが来てくれたってのも縁起が良い。どうだい、一度おらの店を拝んじゃくれないかい?」

「えっと、その……すみません。あまり商売繁盛とか祈祷の方の才能は私にはないみたいで……」

「んー? なら嬢ちゃんは何が得意なんだい?」

「退魔、ですかね……」

「はははっ! そりゃあいい。今度狸にでも化かされた時にはおらも世話になるとするかあ!」

「はぁ……」

 

 そう、サクヤは今や巫女見習いである。

 縁から退魔の力を見いだされたことで博麗の巫女としての修行に忙しい昨今。

 問屋の使用人ではなくただの店子としてお使いを任され、不要品を贔屓の客らに配り歩くなんていう行為は、くたびれた身体に鞭を打つようなものである。自然、応答も下手になりがちだ。

 その上、そもそもこのように自分そのものの来訪が喜ばれることなんて、記憶をなくしたサクヤにとってはほとんど初めてのこと。つい照れてしまい、口ごもる場面も多かった。

 

「まあ、今の博麗の巫女さんとまでは行かなかったとしても、おらあ嬢ちゃんに期待してるよ! 何せうんとめんこくって賢い子だったからなあ」

「ええと……ありがとう、ございます」

「なんだ、こんなおっさんの褒め言葉なんかに照れてんのかー。初心だねぇ。まあ、御店にもどうかよろしく言っておいとくれよ。後は、番頭にゃあ今度いつものとこで呑もうぜってことも伝えといてくれりゃありがたいな」

「……はい。かしこまりました」

 

 柔らかな銀を深く降ろし、子供と言うには少し大人しすぎる風にサクヤは桶屋の親父に頭を下げて畏まる。

 その、勤めに頑張る背伸びに微笑んでから、親父は再び顔を上げた少女に向けておもむろに懐から取り出した財布から幾らか銅貨を握り、差し出すのだった。

 差し向けられたこぶし。それが何を意味するか分からず、サクヤは首を傾げた。

 

「ええと?」

「ほれ。こりゃおっさんからの駄賃だ。下に両手を出し、受けとんな」

「そんな、悪いですよ……」

「はは! こりゃ、良くできすぎた子だ! いや、普通子供はこういうのを喜んでいいもんだぜ? いいから受け取っときな」

「あ……ありがとうございます」

 

 無理に手の上にじゃらじゃらと乗せられた銭。勿論その額は大したものではないが、全てを用いれば甘味の一つ二ついただける分には成るだろう。

 そんなのあぶく銭だと桶屋は思うが、しかし、子供のサクヤには多めの駄賃。

 とりあえずはと精一杯に頭を下げてから、さてこれをどうしようかと彼女は思うのだった。

 桶屋の主人は、日に焼けた顔に皺深く、少女に言う。

 

「それで友達と団子でも一緒に食えば良いさ。それじゃ、おいらは仕事が残っているからここでな。お前さんは気をつけて帰りな」

「はい。重ね重ねどうもありがとうございました」

 

 再び下がった銀髪乗っけた頭の向こうで、がらりと長屋の扉が閉じる音。

 ゆっくりと顔を上げたサクヤは、桶屋の友達と一緒に、という言葉に少し考え込む。

 最近それらしき人間は増えたが、しかしそれは里の外の人外の割合が随分と大きい。それら魑魅魍魎をわざわざ連れ込んで、里で呑気なんて出来やしないだろう。すると、選ぶのはここらの人に限られる。

 

 使いは桶屋で最後。すっかり両手は空になった。

 ならばもう自由にして良いだろうとサクヤは目抜き通りを目的として里を歩み出す。

 目的は、大店である、霧雨店。彼女はそこの一人娘であるところの魔理沙と共に。

 

「あの人の作るお団子をいただきましょうか」

 

 目指すは、紅いあの人が作っているだろう素朴な甘味。それを頬張り、団子屋の軒先で友達と仲良く過ごす、そんな小さな希望を思ってサクヤは微笑むのだった。

 

 

 あの日、サクヤは縋った紅美鈴に助けられた。それは間違いない。

 しかし、実は彼女を救えたのは美鈴が可愛がっている吸血鬼であるところのレミリア・スカーレットの力によるところが大きかった。

 

 美鈴はあの日、そのまま気を失った少女のために、血の専門家でもあるレミリアに診せるためにと買った酒も忘れて霧の湖に建った我が家に戻る。

 そして、寝台に寝かせたサクヤの額から胸元まで指先を這わせ、それで事態の全てを識ったレミリアは語った。なるほどこれも運命か、と。

 曰く、少女の中には人の魔に対する恨み辛みが凝っている。それこそ、少女のあり方を変えてしまうくらいにそれは強力なものであったそうだ。

 

 美鈴は問う。どうにかならないか、と。レミリアは返した。どうにでもなるわ、と。

 

 伯父さんの恨み辛みを啜ったレミリアはその呪いを力にし、そしてサクヤが魔を見る目はずっと優しくなった。あなたが辛くなくなって良かったと、涙目で美鈴は笑む。

 そして、そんなこんなを、隣で見定めていた博麗の巫女――博麗霊夢――はサクヤに一つ問った。

 ねえ、貴女巫女になるつもりはないかしら、と。

 

 サクヤがその問いに頷いたのは、数日の後、家族としている問屋の皆と充分に話し合ってからのことだった。

 

「はぁ、はぁ……」

「ふぅん。まあまあ、及第点ってところかしら」

「……そう」

 

 博麗神社境内の林にてサクヤが行っていたのは、符を浮かせて空を往く鏃とする、そんな博麗の巫女の基本。

 目標である木の皮を霊力にて弾いて裸にしたその力は霊夢から観ても及第点。そう、初心者にしてはまずまずといったところだった。

 霊夢ならば符術を用いずとも指先ほどに集めた霊力で木を真っ二つにへし折れるだろう。面倒なので、決して手本でだってそんなこと彼女が行いはしないが。

 

「はぁ」

 

 幾つ投じても、及第点かそれ以下。褒めているようで、あるがままを伝える同い年の少女。あまりに飄々とした先達を、好きになるのは中々難しかった。

 思わず、少女はため息を吐く。墨色の髪に脇を暴露した独特の巫女装束に身を包んだ美少女をサクヤは横目に見る。

 自分が子供らしくないとしたら、きっとこの子はもう子供ではない。そう、サクヤは思うのだった。

 背伸びしている訳でもなく、既に強くて逸している。気に食わない、とまでは感じないが、いやむしろ。

 それは寂しいことではと思うのは、自分だけだろうかともサクヤは考える。

 

「……ったく、あんたも甘いわね」

「甘い?」

 

 しかし、そんな同情の視線を無表情のまま一言で断ち切り、霊夢は続けた。からりと、湿り気薄く少女は断じる。

 

「柔らかく触ってばかりじゃこの世の中やってけないわ。万象鋭く断つことだって時には要るものよ? そして私はそっちの方に慣れている」

「それは……」

「そもそも、人の心配してる余裕なんて、あんたにはないはずよ? あんた、私相手に一本取りたいんでしょ?」

「そうね……」

 

 貴女を相手にだって勝ちたい。そんな無茶な啖呵を先日言った覚えを今更になってサクヤは恥じ入る。

 博麗霊夢はここ幻想郷の中心であり、そして境界を前に【私では】あんたを外の世界に返してやれない、と断じた人物だ。

 ならこれに勝るようでなければ自分は元の世界に戻れないのだろうと考え、発奮して巫女修行に挑んだ結果が、基礎修行にすら息を荒らす現在である。

 サクヤは、霊夢が暇なとき認めたのだという束ほどある貰った御札の一枚ぺらぺらとさせながら、自分の才覚の足りなさに悩む。

 

「それにしても、どうやれば霊力を上手く移動できるのかしら……」

「なに、そんなの悩んでたの?」

「まあ……」

「そんなの簡単よ。んー……ちょっと手を貸しなさい!」

「あっ……」

 

 柔くも温かな手のひらが、少し冷えたサクヤの手を包む。気づけば間近に、細長いまつげの一本一本が映る。

 可憐である、博麗霊夢。しかし、自分の価値などどうでもいいとしてしまう彼女は、だからこそまるで自然美の極致のように感動的で触れがたい存在で。

 そんなものが、自分に遠慮なく触れて、にぎにぎとしている。その事実に、サクヤはぼっと顔を紅くさせた。

 

「んー? 何顔赤くしてんのよ。あんた、恥ずかしがり屋ってやつ?」

「そういうのとは、違うけど……」

「はっきりしないわね……まあいいわ。取り敢えず、今から私があんたに霊力を伝えて、それを動かすから、一度でしっかり覚えるのよ!」

「わ」

 

 そうして、始まるは瀑布に全体包まれたような、段違いに接触した感覚。とんでもないものが少しだけ、自分に触れた。

 温かなその一部が身体を通じ、やがて手のひらの先一枚の紙に充満し、そして。

 

「凄い……」

 

 完全に符として意味を得た御札は当たり前のように輝き出す。それは、先にサクヤが頑張って込めた力とは段違い。

 奇跡に近いほどの意味を持ったそれはしゅると自ずから博麗の意思を持って空を舞い、やがて。

 

「きれい……」

「ま、こんなもんね」

 

 光り輝いたまま弾け、散華することで一つの空を輝かす力の花となって消えていく。

 きっと、その威力は絶大。生半可な妖怪変化で耐えきれるようなものではないだろう。そして、何よりその散り様は実に美しかった。打ち上げ花火ですら足りない、自然な壊れ。

 だが、とサクヤは慄きを持って満足そうに離れる隣の少女を見る。自分と違う、黒色を持って光飲み込む綺麗な霊夢という女の子を。

 少女にとってこんな大業ですら力の切っ先。本気では完全にない、お遊びの手本。師匠とした超えるべき存在の、そんな凄まじさを見てサクヤは流石に気を消沈させてしまう。

 勿論、間抜けではなく鋭い才覚を持っているサクヤは、今のやり取りで霊力をどのように移動させるかは理解できた。だが、それだけ。真似をするのにはそもそもどれだけ自分の霊力を高めれば良いのかすら分からない。

 途方に暮れ、正直に、サクヤは思ったことを呟く。

 

「ねえ、霊夢。どうして貴女は私を巫女にしようと思ったの?」

「んー? そんなの簡単よ」

 

 サクヤという少女には、巫女の才能はたっぷりとある。きっとこのまま頑張り続ければ持ち前の異能を抜きにしても、並の妖怪では束になっても敵わない力を得るだろう。

 だが、その程度では勿論、楽園の巫女を体現している霊夢には及びもつかない。神童なんて、愚かしい。そもそもからしてあるべくして存在する巫女である。

 しかし、そんなハクレイのミコとて少女でもあるからには、恐れるものだってあった。その一つの解決のために、霊夢はサクヤという少女を側に置こうと考えついたのである。

 

「――――あんたなら、私が出来なくなったとしても、きっと美鈴を殺すことが出来るから」

「は?」

 

 それは、己に芽生えた情一つ。愛を感じて、それを受け取ってしまった不安。

 当然至極に生きとし生けるものは愛されてよく、しかし、それを博麗霊夢だけは抱いてしまっては良くはなかったのに。それでも、燃え盛るものがどうしたって、あった。

 

 ああ、好きである。ひっかきたくなるくらいに、あれが大事だ。私は自分の職務なんかより、きっとあの一途な紅を優先させてしまうだろう。

 

 でも、もしあれが間違えてしまった時、その場合は誰が責任を取る。まるで親のようなあれとて万物の一部であるから当たり前のように間違えるぞ。もしそんな際に自分が動けなかったとしたら。

 そんな不安の中、霊夢はサクヤの銀の中に、無慈悲なものを見つける。だから。

 

「もしもの時は、頼んだわよ?」

 

 本音を持ってそんなことを言って、今日の修行は終わりと去っていく。頭頂の大きなリボンばかりが子供っぽい紅白の背中が遠ざかっていく、そんな様子をずっとぼうと眺めたサクヤは。

 

「私には、無理よ……」

 

 それだけを、零す。

 既に呪いは解けた。少女の中で幻想は壊すべきものではない。そんな想いばかりが先行している自分なんかがどうやって。

 

 まるで人の子の親のようなあの人を殺せるというのか。私は意思のないギロチンなんかではないというのに。笑ってしまう。

 

「ふふ」

 

 ああ。独りぼっちの今、土の匂いばかりを覚える。風に迷いを感じず、そして日差しの柔らかさなんてこの上ない贅沢で。そんな中。

 

「ふふふふふふふ」

 

 銀の、月に祝福されしサクヤはどうしたところで幻想の中に違和感を覚えてしまい、思わずそう痒感に背中を引っ掻いて、自らを抱く。

 ルナティック。狂気の前に、愛と殺意は一枚のカードの表裏。笑う少女の心の振り子は、どうしたって愛にばかり定まらずに。

 

 ふと青い瞳を閉ざしたサクヤは、次に紅い瞳を開く。

 

「そうね。でももし、あの人が幻想を否定したその時は……」

 

 少女の呪いは解けて、めでたし、めでたし。ならば、物語の続きの少女の狂いは果たして。

 

「――――私が目覚めさせてあげなくちゃいけないかもしれないわね」

 

 それは、少女の願いであり、一度心ひとつにしたことの弊害。私を裏切って生かしはない、そんな想いはサクヤの心の心鉄に癒着していた。

 

 

「あ、サクヤちゃん。霊夢から聞いたんだけど修行はもう終ったの?」

「ええ。もう終わったの。美鈴はどうしてここに?」

「魔理沙ちゃんとちょっと外でトレーニングしてたのよ。そのついでに、様子を見にね。修行は、順調?」

「勿論。むしろ私は魔理沙がどれだけ頑張れたかが気になるわね」

「あはは……そうねー。途中から私もおんぶをせがまれちゃって……」

 

 けれども少女は瞳をぱちくり、赤を青に戻して、そんな気持ちに知らん顔。

 大好きな親代わりにインプリンティングされた愛を持って接することを楽しみに、サクヤは。

 

「あはは」

「ふふ」

 

 明後日がどうかは分からずとも、きっと、友が望んだ幻想の地にて明日も笑顔で過ごすのだろう。

 

 




 巫女サクヤさんですー。


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第十四話 負けないで

 ここまで読んでくださって、どうもありがとうございます!

 今回は旧作で言うところの東方幻想郷、幽香さん登場の辺りですね。
 化け化けちゃん達の大量発生からはじまる、長めの異変となりますー。

 ちなみに、ここの幽香さんはこの時点で名字付きで、神社の周りにすむ、数いる妖怪の中では最強クラス、の原文から最強を抜粋して本当に最強なのです!
 まあ、これは拙作ではありがちなことなのですがー。

 美鈴さんと幽香さんがどうなるか、楽しみにしていただけると嬉しいですー。


 全てに見上げられるためにある輝き。何よりも美しく刺激的な、一つ星の形象。

 それを計る数字になど欠片の意味もなく、どこまでも幻想的なその決めつけにこそ価値があった。

 

 曰く、最強。

 

 別段三千世界にて比べあったことすらないというのに、その個体はそうであるだろうと天辺付近の全てから認められていた。

 力が強い、ただそれだけの極み。それだけで神の権能やルールすら最早それには届かない。群を抜きすぎた杭は、天井を遙か下に望む。

 だから尽く滅ぼすことすら最早容易いというのに、しかしそれはいたずらに微笑んで佇むばかり。小さな小さな嫌がらせをして、誰かの反応を楽しむのが彼女の日課。

 そんな強力無比の、ただの花の妖怪。仰ぐ空に、花が一輪ばかり。そうであるからこそ世界はここまで美しく。

 

「ふふ」

 

 識る人ぞ知るその少女の名は、風見幽香と言った。

 

 

「化け化け、ねぇ……」

『ばけばけー』

 

 平穏無事に霧に包まれた湖畔の掘っ立て小屋にて、霊魂が顔に三角天冠を付けて、舌を出している。そんなテンプレートなお化けの尻尾を掴んで眺めながら、美鈴はそれに付けられた名称を呟いた。

 化け化け。そんなものが一匹美鈴の白魚の指二つばかりに挟まれ、じたばた。

 

「うーん。見た目は可愛いけど……」

『ばけっ!』

 

 近くで見れば見るほどこの化け化けは、弱く間抜けな存在だ。先から寝床の布団をひっくり返すなんて悪さをしていた相手だが、全体の大したことのなさがむしろ美鈴には可愛らしくすら思えていた。

 

「けど、お前は外来種なのよね……」

『ばけ?』

 

 どこぞの外の世界からやって来た、化け化けの退治というのは、春の風物詩。どうやら最近力あるものの間で化け化けの扱いはそのようになっているそうだ。幻想郷における花粉のような扱いなのだろうか。

 つまり、酷く暴れながらばけばけ騒ぐ、こんな変な存在はけれども幻想郷に普段あるものではないらしい。

 

 そもそも、幻想郷で一般的な霊魂には目も口もなく、天冠をおしゃれに付けたりなんてしやしなかった。

 ならば、これは外からやってきたお化けということで、その自称っぷりから化け化けと名付けたのだと、数年前から春期の出没に悩まされている霊夢は語る。

 さて、しかしこんなお化けが幻想郷でないとしても果たしてどこで増殖できたのか。最低でも外の世界で長く過ごしてきた美鈴には見当も付かなかった。

 ならば、神境のような某が支配する異界にて存在する生命であるというのが妥当だろう。

 そして最近は異界で増えたそれをけしかけて遊んでいるものが居る、という噂も聞く。また、それが真実であるというのを、信頼できる情報筋によって美鈴は知っていた。

 

「夢幻館の主、風見幽香、か……」

『ばけ、ばけっ!』

 

 その名を呟いただけで、手元に捕まっていた化け化けは酷く恐れて暴れた。

 尾っぽ千切れんばかりに驚く様子から、それを直に見たのだろう化け化けが感じた恐怖も分かろうというものだ。

 

「どれほど、強いのかは気になるけど……ま、気になるだけで終わらしておきましょうか」

 

 曰く彼女は最強の妖怪。あなたでもきっと手も足も出ないでしょうから、何もしない方が賢明よ、とは賢者の意見だった。

 自称強者が蔓延る中で、誰もが認めるその一等星の実力は果たしていかほどなのだろうと、美鈴の中の挑戦者の気持ちはわめく。しかし、親代わりの八雲紫直々に無理と判断されてしまえば、無茶をする気も湧かない。

 

「それじゃごめんなさいね、えいっ」

『ばけー……』

 

 ならと対処療法的に彼女は化け化けを退治することに専念。ぽかりと愛らしい頭頂部分を殴ると、涙目になってすうっと化け化けは消えていった。

 

「あはは、なんだかなぁ……」

 

 やっつけてしまえば後にも残らない、これを大量に異界に送る風見幽香の目的は美鈴にはよく分からない。ただの嫌がらせよ、とは紫の言葉だったが、会ったこともない存在を決めつける気にはならないところが、少女の優しさでもある。

 まあ、とりあえずは深く考えずに、外の空気でも吸いましょうか、と出入り口の扉に手をかけたその時。

 

『ば、ばけばけ~!』

「こら、待ちなさーい! 大ちゃんをいじめる化け化けは許さないよっ!」

「あ、チルノちゃん、化け化けちゃんは、私をいじめてたんじゃなくって、一緒に鬼ごっこしてただけで……わぷ」

『ばーけっけ』

「むむっ、今度は大ちゃんの顔に張り付くなんて嫌がらせを……わっ!」

『ばけ?』

「勝手にあたいの羽根を触るなんて良い度胸ね、全部氷付けにさせてあげる!」

『ばーけー!』

 

 聞こえてきたのは空にて戯れる、妖精と化け化けの愉快な様子。そのままドアを開けてみると、チルノに彼女と仲の良い大妖精が、大量の化け化けに取り囲まれている様子が見て取れた。

 程度の低いいたずら心に更に小さないたずら心は惹かれるものなのか、チルノの力によって氷付けにされて大部分が消えていきながらも、化け化けたちは彼女らの近くに寄りたがる。

 

「……やりにくそうね」

「ふぁ……そうね。あれじゃあ、いじめるにもちっぽけ過ぎる」

 

 それをうっとうしげにするチルノに、どこか歓迎している様子の大妖精。思わずそんな様子に苦笑する美鈴の後ろから、眠たそうな声が響いた。

 

「おはよう、レミリアちゃん。よく眠れた?」

「ええ、おはよう、美鈴。貴女が寝床として棺桶を持ってきた時には頭どうかしちゃったのかと思ったけれど、でも以外と使えるわね、アレ。快眠よ」

「それは良かった」

『ばけ』

「はぁ。また出たわね」

 

 家の地下から現れたのは、朝から昼過ぎまで棺の中で惰眠をむさぼっていたレミリア。欠伸を噛み殺しながら、吸血鬼はふわりと微笑んだ。

 だがその前に、当たり前のように化け化けはぽんと現れる。彼女は最近の化け化けの出現率の高さに眉根を寄せながら、しかしこれもものの試しとにやりとするのだった。

 

「ふふ、化け化け。あなたも運の悪いときに現れたものね」

『ばけ?』

「そう、力の一部を取り戻した夜の王、レミリア・スカーレットを前にのほほんとしていられるのは今のうちよ!」

『ばけ、ばけっ』

「レミリアちゃんの言葉が芝居の口上だとでも思ってるのかしら……笑っているわね、化け化け」

「むぅっ、あまり私をなめていると、こうよっ!」

『ばけっ!』

 

 猛る完全に年端もいかない少女の前に、ユーモラスなお化けがニコニコ。思わず笑んでしまうようなそんな様を横目に見る美鈴に、子供扱いを感じた誇り高き吸血鬼は、更に発奮。

 思い切って全身に溢れる魔力を用いて、レミリアは化け化けに魔法をかけた。

 

「地獄の炎、味わいなさい!」

『ばけー』

 

 それは、対象を燃やす魔法。母がその昔に使っていたものの劣化コピー。地獄にはぬるい温度のまやかし。

 暖房代わりに丁度いい程度の熱量を直に浴びた化け化けは煤けたあげくに、さらさらと消えていくのだった。

 

「ふふん。どうかしら、美鈴。私も強くなったものでしょう?」

「そうね。レミリアちゃんも最初と比べたら随分と、だけれど……」

「だけど、何よ」

「まだ十点くらいかなー」

「赤点、にしても低いわね……いいわ、後で吠え面かかせてあげるんだからっ」

「ふふ。楽しみにしてる」

 

 レミリアの気合を表すかのように、背中のコウモリ羽は美鈴の隣でぴこぴこ上下左右に揺れる。

 彼女も以前の、武器を持ったただの人間にすら退治されかねない弱々しさからはとうに脱却できているのだが、しかしそれだって妖怪たちの中では小粒。

 ましてや強者である鬼を冠する程とは到底言えず、だから美鈴の採点は厳し目になる。せめて喧嘩友達のチルノに勝ち星を得られるくらいじゃないと目を離せないかな、というのが母親代わりの判断だった。

 

「んー?」

「……どうかした?」

 

 だがしかし、レミリア・スカーレットという吸血鬼はただのんべんだらりと五百余年を生き延びてきた訳では無い。

 弱く、世界中から嫌われながらもしかし図太く永く生きた。その所以は、運命に触れられる程にセンシティブな、先鋭化した感受性にある。

 私は、運命を操れるの。そんなうそっこのような少女の言葉を、しかし美鈴はまるきり嘘とは思えない。

 だから、暗くなり始めた空に目を細めて、何かを見つめる少女の様子に、紅美鈴は何か不安を覚えるのだった。

 案の定、レミリアはため息を吐きながら、言う。

 

「はぁ。それにしても、今日は何だか嫌な空。どうにも不穏がたっぷりね」

「……それは、どういうことかしら?」

「なんといえば良いのかしらね……」

 

 少女は顎に指先を当て、感じる現況の恐ろしさを言葉で定義するに悩む。

 希望した上等なドレスは中々手に入れられなければ、美鈴お手製のチャイナ服はスリットが恥ずかしいからと着ることもなく、ならとレミリアはそこらの子と同じ着物の背に穴を開けた上で身を包んでいた。

 けれども、彼女が逸した上等であるというのは明らか。それこそ、化け化けが服装の不似合いを笑ってしまうくらいには、煌めく舞台女優の如き存在感で、この場に確とある。

 大部分の力を失ったとはいえ、吸血鬼は並大抵の妖怪ではなく、ならばこの子が震える手を隠しながら怯えるような事態とは一体。

 

 どうしてかふと、美鈴は高嶺に咲く一輪の綺麗を脳裏に浮かべた。それは、孤高で、孤独でまた何より綺麗極まりなく。だからこそ、彼女は揺れて微笑んでいて。

 

「美鈴……どうかした?」

「あ……ごめんね、ぼうっとしていたわ」

「はぁ、貴女もやっぱり感じるのね」

 

 空の奥に何かを感じてぼうっとしてしまった美鈴に、レミリアも諦めたかのように苦笑い。

 遠く、異界の奥に感じる縁。既に結ばれている彼女とのそれは悪しきものか、良いものか。それは運命に触れられるレミリアにだって不明だ。だが。

 

「負けないで」

 

 そう、レミリアは母の代わりにエールを送る。どうしようもないあれに対し、この心優しい女性が敵になることは考えにくいが、だがしかし。

 最強にだって愛が勝って欲しいというのは、子供の欲目。少女の夢。

 だから、そんな言葉を受けた美鈴は、微笑む。そして梳かれた赤い髪が長く揺れ、強さよりも美しく彼女は歪んで。

 

「分かった。約束するわ」

 

 出来もしないことを、ここに約束してしまうのだった。

 

 

 

『ばけー』

「こっち、かしら?」

 

 晴れの空に、薄い雲。そこに点在する化け化けばかりがうざったい。

 その日、博麗霊夢はこと最近極まってきた感覚に身を委ねて、この化け化け異変を起こしている相手を探してふらりふらりと幻想郷の空を飛び回っていた。

 どうにも年々増えがちな化け化け。それがまた、博麗神社のある方角からやってくる率が高いというのもあり、人里の者たちからも文句となって霊夢に届くようになっていた。

 曰く、巫女さんはちゃんと仕事をやっているのかい、と。これには、実際また出たと思いながら邪魔した一部を潰してばかりの霊夢が悪いのであるが、しかしカチンと来るものがあった。

 

 こんな雑魚に感けるのが巫女の本業では決してないし、そもそもこれは魑魅魍魎にすら足りない、ユーモラス。実際、里の子ですら退治できるレベルのものだ。

 そも、今年なんてきっと毎日千どころではない数の化け化けがどこかしこに現れている。そんなの、人里に届くまでに全部やっつけるなんて無理難題だ。

 だから、プンプンしながら神社に帰ってきたところ、おかえりなさいと言わんばかりに大量の化け化けにたかられる始末。

 これについに怒った霊夢は、この異変を起こした相手をやっつけるために、神社の世話をサクヤに投げ出し、巫女の直感を全開にして探っているのだった。

 

『ばけ』

『ばけばけー』

「んー。やっぱり、この現世と幻想の境界ら辺が怪しいか……」

 

 そして、ふらふら空を往った結果、一周したところを怪しむことになる。そう、それは博麗神社の裏手。歴代の巫女が維持している世界を区切る境界線があるその辺り。

 閉ざされている筈の境界から溢れ出るように、化け化け達は現れる。

 感覚的にも封ざれている筈なのにこれはおかしく、ならばそこに悪因があるに違いないと霊夢は思った。

 

「んー……これって、境界が操作されてる? なら、それを逆手に取って……」

 

 ならばと、霊夢は博麗の巫女として境界の管理にとりかかる。空を走る複雑な式に触れ、意味ばかりの空間にあるノイズを感覚的に発見。

 そしてノイズほどの隙間を広げて通り道にしてみた彼女は、その先に道のようなものがあると理解した。また異なる世界のような感覚もある、だがその程度で怖じるほどハクレイのミコは繊細な存在ではなく。

 

「よし。これで元凶に向かえるわ」

『ばけ』

『ばけばけ!』

『ばけー』

「煩い」

『ばけー』

『ばけ……』

 

 化け化けたちの歓迎をすら一言で切って捨てて、綻び崩れた結界はそのままに、霊夢は秘匿されていた【博麗神社の裏山】へと向かう。

 その奥にある異世界、そして居を構える夢幻館にある一輪の最強を知らずに、蛮勇は真っ直ぐに空を飛んでいくのだった。

 

 

「あら、これは困ったわね……」

『――――』

『―――』

『―』

『』

「うーん……」

 

 当然、本当の幻想の管理者の一人である八雲紫がその事態を感じない筈もない。

 彼女は煩い口をスキマで縫い閉ざされた周囲の化け化けたちを指先の動きひとつで消失させながら、珍しくもしばし本気で考え込む。

 

「あ、結界が……大変! 霊夢、どこに行ったのー?」

「ふふ」

 

 そして、やがて眼下に無惨になった境界に慌てるサクヤの姿を見つけた紫はようやくにまりと笑い。

 

「今回は最悪、どちらか片方を失くしてしまうかもしれないかもしれないけれど……仕方がないわね」

 

 そう、残酷に呟くのだった。

 

 



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第十五話 弱っちい

 少し間が空いてしまいましたが、失礼しますね!
 しかしまた美鈴さんの出番が……申し訳ありませんー

 今回は強い弱いに、愛と最強、そんなお話になります!
 花の故、それをちょっとでも考えてくださると嬉しいですねー。


 蝶よ花よの言葉はあれども、誠に野花の生は辛いもの。

 日に灼かれて虫にたかられ、水を蓄えることすら難儀する。そもそも、身を委ねた地に命を預けることすら生半可な生き物であっては出来ないこと。

 だが、それでも花は咲く。歪であっても汚れていようが、愛のために。選ばれ手折られることを誉れと押しつけられても構わず咲き誇る、それはあまりに一途。

 

「好きだから、よ」

 

 ああ、愛されるはずである。彼女は正しく花だった。

 

 

 博麗霊夢は孤独ではない。それは、間違いない事実である。

 最近こと一人にさせてくれないような、そんな妖怪と知り合ってこの方愉快の方に親しんでいるが、そうでなくても別段ずっと彼女は哀しいばかりではなかった。

 霊夢は誰かを頼りにするのを苦にする性格ではないし、そもそも優れた能力から年齢以上に頼られがちだ。

 先日の八百屋の婆さんの腰を痛めたからありがたい祈祷で治してくれという依頼などには顔をしかめた覚えがあるが、そんな些事でも力になってくれると思われるくらいには、霊夢と人里の人間との心は離れていなかった。

 あいさつもすれば、利発な応答だって簡単。同じくらいの子供の相手は苦手なようだが、大人と対等以上に立ち回れる。

 そんな巫女様である子供は、しかし一人の子供として大事に想われていないこともなかった。そんなの、霊夢はよくよく知っていたお利口さんだ。

 故に、彼女が覚えていた寂しい思いはちょっとだけ。でも、それだって慰めてもらったからこそ、少女は今も活きていられる。

 

「はぁ。ここらの奴ら、なんだか、つまんないわね……」

 

 しばらく続いた戦闘の間隙に肩で息をしながら、霊夢はそんな感想を抱く。

 霊夢は境界を越えた後、博麗神社の裏山にある謎の魔法陣から優れたその勘を頼りに異世界へと出張していた。

 するとそこは正しく夢幻の世界。見目楽しませる、ファンタジックな装いをした全てに古風な巫女さんは度肝を抜かれた。だがしかし、その場を探索してみると、あまりに現場に生の香りがしないということにも気付く。

 

「うーん……」

「強いけど、それだけ」

 

 折角誰彼が開闢した世界であるからには、自然そこを埋めるための魑魅魍魎だってたっぷり存在した。

 だが他との関わりは最低限で、己の力に頼って存在している。そんな、幻想の妖怪の平均よりも力強いバケモノ達は、どこか綺麗すぎた。

 光り輝く己の出力を楽しむばかりで、泥臭い工夫などそこにはない。侵入者なんて珍しい、私を見てと、暴れるばかりの子供がそこら中から襲い来る。

 確かに得意にしていた彼女らの図案は美しかった。とはいえ、それは天才のみを頼りにした寂しいもの。孤独の形象は幾ら尖っても、花弁にならない。

 己の鼓動以外に愛を知らない孤独共の切っ先は、余りに鋭くも真っ直ぐすぎて搦め手ひとつで手玉に取れる。

 もっとも、それは天賦を持ちそれを妖怪退治で磨いた生粋の博麗の巫女である霊夢であるから出来たこと。

 ただの体力のある子供である魔理沙は勿論、多少の異能を持った程度のサクヤにだって到底不可能ごとではある。

 だが、しかし。この場の誰より胸元に燃えるものを持つ霊夢は、だからこそ使命感を持って周囲の化け化け達をすら気にも留めずに暴れる彼女らを一蹴する。

 

「この子強い~」

 

 妖精のような、よく分からない過激な存在は、化け化けたちの消失をなぞるかのように消えていく。

 そのまた生きる汚さのない去り際につまらなさを覚えた少女は、こう思う。

 

「はぁ。こんなの、脆いし、弱っちいわ」

 

 無闇に愛に溢れたあの人のような、強さを持った存在は果たしてここには居ないのか。敵対者が弱いことは楽であることは分かるが、これではただ掃除をしているのと同じ。

 きっと母のようなあの人と会う前はそう思わなかっただろうけれど、ああ、愛という強さを持つものが見当たらないこの世界を哀しく思えてしまうのは間違いでは、きっとない。

 

「……早く、帰りたいわね」

 

 さて、霊夢がこのような感想を持ってしまうのも、まあ仕方のないことだろうか。

 霊夢が先ほどから足を踏み入れているチェック模様が特徴的な屋敷は夢幻世界の端っこである夢幻館。

 その門前で待ち構えていた可能性のある自称門番は、今日は非番と決め込んでそこらをふらり。そう、力ない侵入者を死なせないために夢幻館の門の番をしている優しき彼女、エリーを抜きにして、この伽藍の屋敷に心はない。

 あるのは酔狂な悪魔たちと、力に引き寄せられた雑多を容れても最強な一輪の妖怪ばかり。

 

「ふぅん」

 

 しかし、ならばこそここには間違いなく歪んだ悪意は存在する。

 花天月地にこの世はあまりに美しく、故にこそ心はあまりに満たされない。

 空に座す最強ですら消極的であるなら、地に降りた月は果たして何を求めればいいのか。

 

 それはきっと、無様な他人。己を他で支えなければならないような、そんなどうでもいいもの。活きた、存在を少女は目に入れる。

 

「あ、か弱いもの、見つけた」

「っ!」

 

 手頃そうな虐め甲斐のある弱いものを見つけた、幻月――夢幻世界と夢幻館の創造主の一翼――は、口と羽根を弧のように持ち上げる。

 悪魔は身構える霊夢の無意味を嗤い、そうして。

 

「私が遊んであげますわ、お嬢ちゃん」

 

 彼女が行ったのは歓迎の美しきカーテシ―。

 最強直下の実力を持つ、最悪の魔の威容を目に入れて、そのなめ腐った態度を理解した霊夢は柳眉をこれでもかと逆立てて。

 

「上等っ!」

 

 まるで怖じる自分を鼓舞させるかのように、格上に対して汚い啖呵を切るのだった。

 

 

 

 その少女は、髪色と同じく正しく金のような値打ちの少女である。

 彼女は何色にも変われる純真であり、もしくは普通、中央値。故に、これでもかと彼女は紅美鈴という愛の塊に触れて、それにかぶれた。

 やがて、それこそ彼女はあまりに普通にもこの世に愛を振りまく千金と変貌する。

 見知らぬ妖怪にだって親愛を覚える彼女はどう考えたっておかしく、また変で、そして稀少だ。

 危なっかしくて本来ならあり得なくっていいのに、それがあり得てくれた。そんなもの、どう考えたって計り知れないほどに欲しいものには価値がある。

 

「……さて、それでは失礼しますわ」

「むにゃ」

 

 また、そんなのどうでもいいと考えるものにとっては、それだって輝くだけのただの石ころ。そんなところだって、霧雨魔理沙は金と同じだった。

 夢幻世界へ最強以外の何にも知られることなく潜入した愛を計りに入れない存在は、眠らしていた金をその場において隙間に消えていく。

 やがて、かけられていた術が解けたのか、目を覚ましてぱちくりとその大粒を瞬かせてから、魔理沙はこう呟いた。

 

「うーん、ここ、どこ?」

 

 少女の目に映るのは、どこもかしこもどうにも赤が悪目立ちする眩いチェック模様。センスが良いとは言いがたい、その一室には家具一つない。

 そして入り口すら判然としない広大さも持っているとあれば、魔理沙が自分の居場所を定義するに困るのは当然と言えた。

 また、更に彼女はいつの間にかここに連れ込まれているのでもあることだし、なんでだろと思わず不明でその頭をこてりと横に倒してしまう。

 

「そうね、ここは夢幻館というわ」

「わ」

 

 しかし、そこにふうわりと、疑問を聞いた天辺の少女が現れる。

 魔理沙をびっくりさせたのは草木の緑と血錆びの赤がはっきりとした最強。彼女こそ風見幽香、妖怪である。

 幽香は実に眠そうにしながら、しかし絶世の美を保ちつつ、見過ごしてしまいそうになるくらいに小さいものを睥睨していた。

 

「お姉さん、飛んでる……妖怪?」

「ええ。私は妖怪ね。貴女は?」

「私? 人間だよ!」

「へぇ。それは珍しいわね」

 

 初対面だって、嫌いに見えなければ殆どが愛すべき他人。そして、このお姉さんはとっても綺麗。ならば、出会いに嬉しくなっても仕方ない。

 そんな、通常とは言えない心の動きを、幽香は本当に珍しいものと思って見つめ続ける。

 まず、人間のような普通一般の生き物が、彼女の側に存在するのは滅多にないこと。そして、更にはそんなどうでもいいものが恐れ以外で顔を歪めているのはなんとも面白いものだったのだ。

 ゴミ一つ落ちてきた。ならば、掃除でもしようかしらと横着せずにふらりと移動してきたのだが、そうしたらそれは何やらキラキラしている。

 興が乗った幽香が考えるのは一つだ。さて、この愛以外に不感な珍妙な生き物をどういじめればいいのか、と。

 

「そうなんだ! あ、忘れてたけどはじめまして! 私は霧雨魔理沙っていうんだ!」

「そう。私は風見幽香と呼ばれているわ」

「幽香って言うんだ、お姉さん綺麗だけど可愛い名前!」

「そうかしら?」

「うん!」

 

 しかし、ここまであんまりに脆すぎる生き物相手から、どうやって面白い反応を得ることが出来るのか。

 幽香が人間の子供のような放っておくだけで亡くなるような存在と戯れていたのはそれこそ遙か太古まで遡らなければならない。

 今や、強きものですら下手に触れば壊れてしまうくらいだから、うかつにこの少女を痛めつけるのはためらわれた。

 だから、口を動かして、探り探り。どこを悪く言えば悲鳴を上げてくれるかを雑に考えて会話をする。

 

「ねえ、幽香ってこの……お家の人だよね。出口って分かる?」

「それは分かるけれど……私は貴女を返したくはないわね。もう少し、話しましょう?」

「いいよー!」

 

 そんな優しさにも思いやりにも似た、手加減。愛はそこにないのに、思わずくすぐったくなった魔理沙はしばらく話してから、言う。

 

「ね、幽香。幽香って優しいね?」

「……その言葉ははじめて言われたわね。理由は?」

 

 満面の笑顔。それに嘘は欠片も見当たらなく、ならばこの子供は本気で最強であり存在するだけで悪いとされる存在である妖怪、風見幽香を優しいものと見ている。

 それは錯誤とは思う。思うが、しかしはじめての自分に対する形容に、何だか少女もくすぐったくなった。思わず、理由を問ってしまった幽香に、魔理沙は。

 

「おかーさんが時々するのと同じような笑顔をするから!」

「それは……」

 

 つい、幽香は己の頬を撫でて確認する。

 これは、小さきものに対しての困惑が色濃い、笑み。それを果たして母というものはするのだろうか。人の子の母はまた人のはずで、そして同等の筈だろうが、分からない。

 眠気を忘れて幽香は身を乗り出し、魔理沙をはじめて真っ直ぐ見つめた。

 

「私は少し、そのお母さんというのが気になるわ」

「そう? どうして?」

「だって……」

 

 天は端から欠けずに揃って丸い。ならば、そこに更に上など要らず。つまり。

 

「私には親というものがないから」

 

 孤独な最強は、親というものを知らなかったのだった。

 

 

 



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第十六話 夢幻

 また大分時間が空いてしまいましたが、失礼しますー。
 今回は、幽香さんに幻月さんに対決する子どもたちのお話です!
 少しでも楽しんでいただけると嬉しいですー。

 どうなるのか、どうなりたいのか。


 

 夢幻。それは、創造に至らぬ想像。とりとめもない、不確か。

 夢は消えるもので、幻だってそれと同じ。だがしかし、強度が違うばかりで、ひょっとしたら現実もそれらと変わらないものではないか。

 胡蝶の夢。邯鄲の夢。主体は果たしてゆらゆらと、思考を待っている。

 

 

 風見幽香は花の具現である。それだけであったら、神や妖精と分類されても良かっただろう。

 だが、実際彼女は最強の、それこそ悍ましいまでの力を持っていたため、妖怪とされた。 常に輝く美しさを揺らがす幽香。闇より光が力強く美しいのは自然であると、幻想の花冠はときに語る。

 

「へぇ。人間を守る妖怪ね……中々面白いわ」

「そうなの? まあ、おかーさんは優しいから!」

「でも幾ら相手が優しかろうと、貴女は人の子。貴女は母が妖怪でどうして笑えるの?」

「うん? だって、おかーさん、温かいから。あ、でも身体はちょっと冷たいかな? 手を触ると何時もひんやりしてて……どうしてだろ?」

「ふぅん……子だけあって、温もりで安堵しているのね」

 

 また幽香は他者の反応を好むところがある。

 力持ちでありすぎるために触れ合いのその具合は虐めと殆ど同じものになりがちではあるが、しかしこのようにただのおしゃべりだって少女は嫌いではなかった。

 脅かすようになってしまえばこの子供は泣いて話にならなくなってしまうかもしれないから、柔らかく。そのように珍しくも気を遣って幽香は魔理沙と話していた。

 

「お母さん、とやらは意地悪はしないの?」

「えー……そういうのは、あんまりないけど……私じゃなくて霊夢とかレミリアちゃんに構ったりしちゃうところは、なんだかなって思うなー」

「ふぅん……貴女という一人を定めた守護者でもないのね、その妖怪は」

「誰にも優しいの! でも、それって多分大変だよねー」

「ええ。八方美人を貫くには、背中の痘痕を隠し通す覚悟が必要。ましてやそれが妖怪なら尚更ね。やっぱり、面白いわ」

「はっぽ? よく分かんないけど、おかーさんは綺麗だよー」

「そう……ふふ。美しさも、愛が故であってもいいのかしらね……まあ、私は違うのだけれど」

 

 また、その題目があまりよく知らない親という生き物のことであるからには、中々飽くことはない。

 にこりにこりと目を細め、幽香は小さ過ぎる星屑の少女を見つめながら話を聞く。

 幽香は天辺の上澄みより生まれ、妖精と混じりながら太古を生き、そして自然の歪みとなってもなお力長じさせ続け、結果どうしようもなくなりどうされることもなくなったために、異界を作ってこうしてうつらうつらと生きているのだった。

 そんな彼女に親とすべき存在なんて生じた偶然を生んだのだろう創造神くらい。しかし、神から親の温もりを一度たりとて味わったことのない幽香にとって、神の存在すらとても信じられるものではなかった。

 だから、自分に生まれた意味も、そこに愛すらもなかったのだと風見幽香は思っている。

 

「愛?」

「そうね、貴女の母が貴女に与えているのは愛なのだと思うわ。よく、知らないけれど」

「おかーさんが愛してくれてるなら嬉しいけど……幽香はそれ、知らなくていいの?」

「うーん……正直なところ、気にはなるわね」

 

 故に、彼女は一度くらい親の愛を見知りたい気持ちもあった。

 風が種を運ぶのが偶然だとしても、生じたことに意味が欲しい。それは人型を採っているが故の独特の願望かも知れないが、しかし今の幽香はこうも思うのだ。

 

「私は私。けれど、それだけではつまらないこともあるわね。一人で足りてしまっては、眠くなるばかり」

「眠いの?」

「大体ずっと、眠いわね。だから、気付けに誰かをひっかいてみたりもするけど、それだけじゃあ足りなくて。ふぁあ」

 

 弱きものたちの悲鳴の目覚まし。世界をひっかじいてそれを続けることすら怠くて堪らない。だから、館の中でこのところ幽香はずっと寝ていたのだ。夢幻世界は実のところ彼女の夢の産物が発端である。

 現実すら犯す少女の夢想は、双子の悪魔すら孕んだ。だがしかし、そんなことすらどうでも良いと、最強は欠伸をしながら呟くのだった。

 

「夢の中はいいわよね。何も考えなくて済むから」

「えー、つまんないよ!」

「そして、魔理沙。確かに貴女の言うとおり、主体ぼやければつまらなくもある。でも、現実だって面白くなくって……貴女ならどうする?」

「うーん……」

 

 最強最悪の前で、幼い少女は腕を組んで考える。

 その答えを、風見幽香は大人しく待った。

 

 さて、そろそろ結論の時間だ。この暇つぶしは価値があったのか、そうでないか今この蕾のような唇から答えが出る。もしそれがつまらないものであったならば、一重に潰してなかったことにして再び眠ってしまおう。

 そんな恐ろしげなことを、幽香は考えていた。

 

 だがしかし、たった一人の星の少女がつまらないわけなどなく、そもそも退屈は常に刺激を求めている。だから、彼女の言葉に彼女が目を瞠ったのは、当然のことだったのかもしれない。

 

「なら、私が幽香の友達になってあげる!」

「――――へぇ」

 

 それは無知の真心、屍の花に向けた友情という名の本気。

 勿論、そんな小さなプレゼント、いらないといって台無しにしてしまってもいいだろう。

 だが、果たしてキラキラ瞳輝かせる少女の隣に価値がないなんてことはあるだろうか。

 

 これは弱くて、私は強い。気が向いたら容易く消せる落書きみたいな相手と肩を並べるなんて、遊びにすらならない退屈かも知れないが、だがしかし。

 

「面白い。それ、いいわね」

「でしょっ!」

 

 最強という孤独な現実に目を瞑って、夢に逃げるよりもよほど良い。

 夢幻にてうつらうつらとしていた幽香は目を覚まし、ようやく少女は彼女の視界で像を持って。

 心もって、その愛らしさを痛いくらいに感じるのだった。

 

「わーい!」

「さて、霧雨魔理沙。貴女は私に何をもたらす?」

 

 独りごちる幽香。

 そう、彼女は友情の成就にきゃっきゃと周囲を駆け回る少女を一人の友としてじっくり見つめるのだった。

 

 

 

 博麗霊夢という少女は人間の中で大凡最高の出来をした巫女だ。

 力を込めずとも思うだけで空を飛べ、祈祷せずとも挑むだけで悪霊は四散する。

 彼女の親代わりである先代の巫女も大概優れた女性であったが、その視線から見ても霊夢は抜群。死の床でも未来に安心を覚えるくらいに、霊夢という器は強力過ぎた。

 

 だが、如何せん、霊夢は未だ子供。感情に振り回されずとも、覚えたその気持ちに耐えられないことだってあった。

 そして今回、それははじめて味わったものであるから、尚更。

 

「はぁ、はぁ……」

 

 言葉一つ出てこないくらいに息は荒れ、顔も意気すらまともに持ち上がらない。

 反して笑顔の最悪、幻月は無傷でその強さを誇っている。

 少女が天使のような悪魔に覚えるのは無力。何を足掻こうがどうしようもない相手に、生まれてはじめて霊夢は出会った。

 

「ふふふ」

 

 今は、意気消沈した霊夢を観察することに時間を使っているが、本来弾幕を張るというそんなレベルではない高密度を天から地まで一重に幻月は広げる。当然、眼前を疾く埋める力の輝き達を回避するのは不可能に近い。

 それこそ、霊夢とて巫術に博麗の秘儀を用いてようやく逃げて回れただけなのだから、これはきっと無理に近い難度なのだ。

 皮膚に一度掠っただけで肉ごと持って行かれかねない熱量を煌々と放つ少女の力は月より太陽が近い。

 血だらけの健闘すら許されない、恐るべき悪魔。我が神にすら足を向けて寝こける霊夢ですら、幻月に対しては一時たりとて目を離すことすら許されなかった。

 

「はぁ……あんた、何よ」

「私は悪魔。そして、とある妖怪の夢幻でもあるわね。お嬢ちゃんは、ちょっと私に出会うのが早すぎたみたいね」

「そんなこと……」

 

 否定しようとして思わず口ごもる、霊夢。

 相手とは生来の負けん気を持ってすら敵わないほどの力の差がある。だが幻月の言うとおり確かに、後一回り自分が強くなっていたらそれでも戦いにもなるだろう。

 しかし、現状どうやったところで力が足りない。頼り続けた陰陽玉はもう輝きの殆どを失っており、また能力に頼ってありとあらゆるものから浮くことすら、怖気によって維持出来そうもなかった。

 

 ひょっとすると、次に相手が弾幕を広げたその瞬間に、霊夢という存在は光に呑まれて消えてしまうのかもしれない。

 誰も知らない場所で負けて、何に看取られることなく終わるなんて認められるはずもないが、だがしかし。

 

「母さん……」

 

 ああ、死が唐突であるなんて、霊夢は既に知っていた。昨日微笑み合っていたあの人が調子を崩したのはあっという間。そして、先代の巫女は闇に飲まれて帰ってこなかった。

 また、それだけではなく、これまで彼女は里に降りるまでに何度死骸の供養を行ったことかも分からない。

 楽園の中でも死は本来身近であって、幸せな人生なんていうものは飛沫の夢のようでしかないのかもしれなかった。

 

「ふふ」

 

 それは天使のように、しかし悪どく白鳥の羽根を揺らがす。

 悪魔は次に撃ち込むつもりの弾幕を残酷なまでに美しく、フラクタルに空に並べた。挫けた少女を前にして、何感じることなくとどめを刺すために。

 後片付けは妹任せで構わないだろうと、嗜虐的に笑みながら、幻月は続ける。

 

「ま、これでも、私は妹と二人で幽香一人前なのよね。貴女はそんな私の半人前にも届かない」

「……あんたの更に、上が居るっての?」

「ええ。私を差し置いてこの夢幻世界の主である大妖怪。最強とは風見幽香のことよ」

「……困ったわね」

 

 霊夢も言の通り、参ってしまう。最悪の上に最強がまだ存在したとは。化け化け退治の延長線上に最強が待ち構えていたなんて、勇んだところでとんだやぶ蛇。

 この悪魔に勝たないと生きて帰ることすら出来ず、そんな無理難題を越えたとしても、まだ上の敵は居て。思わず笑ってしまうくらいに、事態は絶望的で。

 

「ふふ、いいわ。やってやろうじゃないの……」

「あら?」

 

 だからこそ、博麗霊夢は折れた心を基に、再び前を向いた。

 鄙びた様子一切ない綺麗の装飾に埋もれんばかりの美しい世界を否定するため、天使の羽根持つ悪魔を睨んで。

 

「だって、私は負けられないんだ」

 

 震える身体を強く抱きしめながら巫女としてそう、言い張るのだった。

 

 神の供物、人柱。博麗の巫女をそう呼ぶ者だっている。だがそんなこと知ったことか。

 いくら侮蔑されようが、哀れまれようがそんな奴らだって守ってやろう。

 何しろ私は死ぬまでそれをやりきった、何より尊敬する先代の巫女の娘。

 

「好きで、私は私をやってるんだから」

 

 そう、私は私。ただの捨て子だったけれども自ら選んで成った、今代の博麗の巫女。

 幸せになりなさいと、母は終わる前に言った。涙一つ流さず、彼女はそうして真摯に私の未来を願って逝ったのだ。

 そんなの貴女が願わなくてもなるつもりだったけれど、でも今私は決めた。こんな悪魔に最強になんて負けず、私は幸せになってみせよう。

 

 それこそ、貴女の娘だったからこそ幸せだったと言い切れるように、末永く。

 

「かかってきなさい!」

 

 霊夢はまるで、神に身を差し出すかのように手を広げて構えた。

 

「ふふっ、貴女面白いわね」

 

 面白い。言は同じくともそれは、幽香が魔理沙に感じたものとは真逆。興味と正対した感情を覚えた幻月は、裂けるほど口を開いて笑んだ。

 ああ、これはなんて面白い形をした、たんこぶなのだろう。恐怖に打ち克つ愛なんて、気持ち悪くてしかたない。

 なら、この上なく無情に跡形も残さず消し去るのは当然。力で圧すだけでは物足りない。もっと定めて集めて極めて。

 

「これを見てもそう言えるの?」

 

 そうして出来上がるは力の塊。閃光を窮めたこれは、最早弾幕ですらない直線を発するだろう。だが、それを伸ばして揮えば果たしてこの場に残るものなど欠片もあるだろうか。

 

「ええ」

 

 力渦巻く溜め込んだそれを少女に向ける。だが霊夢の瞳には焦りが見えない。

 そして帰ってきたのは云。なるほど、この子供は真に勝利を夢見ているのだろう。最凶の前で、愚かしくも。

 

 ああ、なんてそれは、愉快で、面白すぎて笑えない。苛々する心を抑え、ただ幻月はこれだけ言った。

 

「さあ――――消えちゃいなさい」

 

 言葉に応じるは、力の万華。スペクトルの花束を無理で重ねて爆発させたその威力は、幻想をすら焼き尽くす。

 空気が湧く。影は焼き付き、幻月以外の周囲全てが燃え尽きる。赤青黄色、それどころではない多色は爆発的に霊夢に向けて真っ直ぐ広がっていく。

 それは希望をすら粉々にする閃光。悪夢じみたその圧倒的な白光は。

 

 

「夢想天生」

 

 

「は?」

 

 たった一人の少女の夢想に掻き消えるのだった。

 

 

 

 空隙。沈黙の中、崩れ落ちる少女を紅が抱き止める。

 

「お疲れ様、霊夢」

「母さん……」

 

 幸せになろう。愛を知っても私は私。博麗霊夢はそんな、夢を見た。

 



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第十七話 背水の陣

 久しぶりに実家からこそこそ……美鈴さんの正体がちょろっと出てくる回ですので、どうかよろしくお願いいたしますー!
 こそこそ。


 紅美鈴というよく分からない妖怪は、出自を辿ると神獣へと行き着く。

 ドラゴン、龍。大いなる自然の具現で、混沌たる力の根源。少し傾けば善となり、反対に向いてしまえば悪となる。そんな、茫漠とした上澄み。

 そこから誕生したのが、紅美鈴という妖怪だった。

 

 それは、天上にて虹と共に生じた、紅。

 大陸の空を横断するその軌跡の夕雲に、多くが畏れて拝んだものだった。

 

「私は、私。あなたたちはあなたたち。それでいいじゃない」

 

 だが龍にしては醜く、ドラゴンとするには愛嬌たっぷりなその様子。兄弟達と力変わらずとも、彼女が一人妖怪とされてしまったのは、仕方がないことだったのかもしれない。

 袖を引っ張り別れを惜しむ妹分の頭を撫でて、家族とはそれっきり。

 崇められず人に混じり、武を楽しんで愛を成す。中華の大地を気楽に踏みしめ歩む彼女はそれはそれは、境界など無意味な有様で。

 

「ふふ。面白い子」

「貴女は?」

 

 だからこそ、それを気にした八雲紫に愛されることになったのだろう。

 八雲の空に浮かぶ虹には当然紅だって入っていた。紫色にほど近い位置にて、彼女はしばらく安堵していて。

 

「さようなら」

「ええ、また」

 

 だから、紅美鈴は幾ら名を変え袂を分かとうとも八雲の紅なのだ。

 

 

 

「はぁ……やっぱり紫さんはちょっと強引ね」

 

 だが、代わりとはいえ親の無法に、子が頭を痛めることも往々にしてあること。

 これだから付いていけないのだとでも言わんばかりに、溜息一つ。

 いつかたっぷり叱ってあげないと、と思う美鈴にしかし紫を見捨てるという考えは更々ない。

 だって、どうにでも出来ることしかあの人は自分に丸投げしてこないものだから。

 それくらいに、美鈴にはあの曖昧で不気味、しかし綺麗な境界の妖怪に対する信頼があるのだった。

 

「ふふ」

 

 八雲の紅を辞しても、それでも紫はこの楽園に自分を寄せたのだ。その理由が、ただ利用するためだけとは思いたくない。そんな子供の親愛は思わぬ笑顔となって表れる。

 それは、柔らかにも胸の中に抱く霊夢の元へと向けられた。

 

 自然対することになった悪魔は睨み付け、言う。

 

「お前か、夢月が言っていた力の強い方の侵入者は……私の妹をどうした?」

「妹……貴女と同じ髪色のメイドさんの格好をした子に対してだったら、別に何もしてないわよ?」

「……本当か?」

「ええ。むしろここまでの道の大体はあの子が教えてくれたものだったから、後でお礼をしないとね」

「夢月め、私に面倒を全てなすりつけるつもりね? いや、まあそれでも仕方がないか」

「どういうこと?」

 

 疑問に世界を梳く朱を流しながら首を傾げる美鈴。その、容姿ですらただ者ではないのは明らかな存在に、幻月は面倒を覚えざるを得ない。

 これはそもそもの気質が茫洋で容易くは計れないようである。だが、それだって守りに来た親が子の巫女よりも劣るはずがないだろう。

 そう考える悪魔は、どこまで真剣に対するべきかを考えあぐねて、つい言葉に頼るのだった。

 

「流石に、給仕服を汚さずにお前に勝てるとは思えなかったのだろうね……私は幻月。見ての通りのただの悪魔。お前の名を聞いても良い?」

「私は紅美鈴。見ての通り、ただの妖怪よ」

「ふうん?」

 

 しかし、初耳の名前に、妖怪の種族すら不明。自身を誇ることないその様子に、幻月の眉根も寄る。

 天使の羽根持つ悪魔なんてものは幻月と並ぶ者程ろくにないのと同じく、格を気にしない妖怪なんてこれまで彼女は見たことが無かった。

 天を突き刺す角要らずの龍。そんな物珍しい存在は人間の天敵である大悪魔、金星たる幻月ですら知らない。

 

「ただの妖怪は私の前に立つことすら不可能。つまり、紅美鈴。お前の言葉は虚偽とみなす。その上で……最大の警戒を持って神格持ちとして対峙するよ」

「あはは……ホント、私はそんな大げさなものじゃないんだけれど……」

 

 だからこそ、彼女は見積もりを高める。

 名こそ実力を示すものが妖怪であるのにそれを気にしないということは、つまり摂理と同化すらした神とすら呼ばれる存在と同格ではないかという予想から。

 人好きのする笑顔を見せる妖怪の言い訳じみた言など、殆ど幻月は聞いてすらいない。

 意味深い朱を持つこれは或いは、零落した神かそれとも神獣か。

 最悪とすら呼ばれた幻月にとって、そんな大袈裟な名前は虚仮威しにすらならずにむしろ笑みを持って受け容れたくなる代物だ。

 

「ふふ。貴女が神ほどだったなら、私は嬉しいんだ」

 

 なにせ、彼女は悪魔だから。最強直下の真っ白な穢れは、晒す白き羽根を十二に増やし、世界をも握りつぶさんばかりにそれを大いに伸ばして。

 

「だって――――私は神を弑すのが大好きだから」

 

 恍惚の表情を持って、そう紅美鈴に対して全力を広げた。

 

 

 

 紅美鈴は、弾幕というものが苦手である。

 それは、弾となる気の色形を操ることは得意であっても、加減というものが得意ではないからだ。

 彼女が空に展開するものはごっこ遊びでも殆ど使えないくらいに弱すぎるか、真剣勝負でも過分なくらいに強力などちらかの極端になってしまう。

 故に、愛し子として力を学ばせている魔理沙に対しても気弾の手ほどきは出来ずに、強請られる度に困っている現状。

 そんな美鈴だがしかし、今回は相手が強力ということもあって、端から全力で空に弾幕を張っている。

 大妖怪ですら一発も受けきれないその龍の咆哮に違いない気の大輪達は。

 

「うふふふふふ!」

「っ。まるきり届かない!」

 

 それこそ、神を殺すための弾の檻を崩すことすら叶わない。

 真剣を越えた、狂喜。そんな悪魔の心根に依った弾幕は、美を考慮に入れずともしかし怒濤となって輝き整列した綺麗と化している。

 赤と白を中心とした無数。その一発一発に篭もった力はどれほどか。それは、避け損ねて受け流した紅美鈴こそがよく判っている。

 技術を食い破り、触れた手を焦がし、更に心に至るほどの殺意を覚えるそんな弾が、空に数限りなく。

 どうしようもなく、死を覚悟せざるを得ないレベルの規模。これぞ、大災害に挑まんとする龍一匹。

 掠め吹き飛んで台無しになったお気に入りの帽子を気にも留めずに避けることに必死になりながら、美鈴は。

 

「よいしょっと」

「うぅ……」

 

 片手の内にて護っていた小柄、大事な大事な霊夢を弾の間隙にて横たえさせてから、その前にて立つ。

 子のため作った笑顔は振り向きざまに真剣に。ここではじめて彼女は両手を顎のように広げる。

 そして、だんと脚を地に。靴底に地脈の力を覚えないこの場が異世界であることを再認識しながら、浮かぶ悪魔に向けて宣言した。

 

「背水の陣だっ!」

「ふふふ……なるほどね……覚悟してきたか……面白い!」

 

 そう、幻月にとっては美鈴のその必死が面白くて仕方がなかった。

 このレベルの妖怪。もし人間を護ってすらいなければ、まだ逃げに徹したりして隙を見つけるのも不可能ではないだろう。

 だが、それでもこいつは愛していて、だからそのために全力を持って子を護りきることを決めたのだ。

 空を舞うべき龍が、地に腹ばいになって宝を護る。ああ、それはなんて無様で愉快で。

 

「気持ち悪いっ!」

「くっ」

 

 気高い者は、孤であるべき。そんなことは、自分を生み出した幽香という存在を見ないでも理解できるもの。

 強いものは、故に他に頼らず完結すべきなのだ。それこそ、美であり力という重力が起こす当たり前の結果。

 だが、この目の前の妖怪は、繋がりこそを愛しているようだ。気高さを棄てて、地に汚れてでもちっぽけなものに一々優しくしようとして。そんなもの、天を睨む悪として存在する魔は理解できるはずもない。

 

「消えなさいっ」

 

 だから、絶対的で権能にすら匹敵する程の魔力で持って創った弾幕全てを集中させて、否定とする。

 一発、それが地に当たればそれはクレーターを作るどころではない。光はぐつぐつと全てを煮立たせて、それでも止まらずに線を引く。そんな熱量で言えば恒星に匹敵するものが、輝きとともに押し寄せるのである。

 こんなもの、龍だろうが神だろうが耐えられる筈など無い。

 愛も心も吹き飛んで、蕩けて何もかもがなかったことになる。それこそが自然で当たり前。

 爆発する水蒸気に、次第に周囲は威力で何も見えなくなる。流石に、これでお終いだろうと思いながら、様子を見る幻月は、呟く。

 

「ふふ……大事にすべきものを間違っていた、それこそ貴女の敗因よ。愛するなんて、下らない」

 

 そもそも、この世を動かしているのは心ではなく力。故に、力こそ大事なのだと彼女は理解していた。

 そして、何より愛すべき者は己。そんなことすら判らなかった大妖怪の死をこそ願い、煙が晴れるまでを見つめていた幻月は。

 

「それが、貴女の結論なのね……寂しいわ」

「なっ!」

 

 五体無事にしたまま、子を守り切った親もどきの勇姿を見て、瞠目した。

 

「ぐ」

 

 いや、勿論彼女といえども無事ではない。準最強な力を技術と能力で受けきろうとした美鈴の指先は炭化を越えて骨ごと失われている。大気を操り、真後ろの巫女を守護りきったのはいいが、その分守り切れなかった五体は熱にやられて灼かれぼろぼろだ。

 だが、傷だらけの全身の中、その碧き瞳は決して死なずに天使だったかもしれない悪魔を見上げるのだった。

 力みに口の端から血を零しながら、美鈴は言う。

 

「一人でもいい。愛がむず痒い。そんな異見、別に私はあったって良いと思うわ。なんて言われたって、私は構わない」

「うっ……」

「でもね……愛が下らないなんて、そんなことだけはあり得ない!」

 

 そして、はじめて紅美鈴が隠していた牙を見せる。

 それは、忌まれる程に外れた、己を龍ですらなくさせた強力。こんなのを秘めていてそれを恐れていたなら、他を思いやりたくなってしまうのも納得だ。それくらいに、この力は何もかもを脆く感じさせるくらいの代物で。

 

「でも、私はっ!」

 

 だが、天を切り裂く七色の一本角を相手が披露した、それだけで圧を感じざるを得なかった幻月は逆に発奮をして。

 

「愛なんて知らないんだぁっ!」

 

 光を散らした。

 

 そう。創造主は最強無比な孤独であり、妹ですら悪魔。そんな出自でどうして愛を知ろう。どうせ得られないものなど下らないとつばを吐いて、酸っぱい葡萄だと忌んでしまってもいいだろうに。

 否定が生き方でも、文句を言わせないくらいの力は幻月にはあって。でも、今日それに文句を付ける、天殺しかねない程の龍が一匹。

 これまで育んできた自信すら揺らぎ、そしてだから圧倒的な筈の攻撃すら駄々のようになってしまう。

 

 

「そう」

 

 

 ああ、そしてそんな子供の駄々をすら受け止められない大人なんてそういないのだ。

 また、愛を知らないなんて魑魅魍魎の当たり前なのかもしれないけれど、それが叫びになってしまえば無視なんて出来やしない。

 究極にほど近い光熱は、本気になって大気を操って防御とした美鈴には届かずにただの美として消える。

 そして。

 

「彩雨」

「あ」

 

 彼女の宣言の通りに、色鮮やかが世界を埋め尽くす。

 

 

 

「あはは、幽香、くすぐったいよー」

「意外と、人の髪を梳くというのも難しいものね」

 

 きゃっきゃとうふふ。そんなが触れ合いに並ぶのは殆どこの夢幻世界では奇跡。

 そして、それを行っているのが主たる幽香と外の人間の子供魔理沙であるというのは、最早とびっきり。

 

「はぁ……今日はあり得ないことばかり起こるものね」

 

 そんなこんなを認めたのは、メイド服に身を包んだ夢月という悪魔。

 ホワイトブリムを揺らしながら、彼女は間借りしている屋敷主に報告のために入室する。

 開ききった扉の奥の少女達へ、彼女は歩んだ。

 

「幽香。失礼するわ」

「わ、メイドさんだー! はじめて見た! 可愛い!」

「ふぅん。夢月。貴女がわざわざやってきたということは……そういうことかしら?」

「ええ、判っているのでしょうけれど……改めて」

 

 小さな子に手放しに褒められ続けるのを無視しながら、最強の前にて口の端が歪むことを夢月は止められない。

 姉が負けた無念はある。けれども、それでも変化に希望を持つのは、自身が悪魔であるがためというだけではないだろう。

 

 そう、世界なんて壊れてこそ普通。最強なんて、決まり事ではないのだ。

 安置なんて、隣で見ていてもつまらない。だからこそ、それが揺らぐことが楽しみで、悪魔は報告をする。

 

「幻月。姉さんが、侵入者にやられたわ」

 

 聞き、風見幽香はただ、くすりと笑った。

 

 



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第十八話 家庭訪問

 皆様ここまで目を通してくださって、お疲れ様です!
 元旦からコロナでダウンしてましたが回復し始めて、辰年ということもあってこのお話から再開させてみましたー。
 どうかよろしくお願いしますー。


 幼少の妄想。人を殺めかねない不安。崇め立てるべき神聖。

 それらは妖怪、怪人、神等など。彼ら発生が空想信仰に依る者どもは、空から生まれた単一であるからこそ、多くが親愛など知らない。

 だからその存在が絶対であろうがなかろうが、殆どを対面のみで済ましてしまい他と寄り添うことなどありえないため、彼らは弱ることなくとも孤独である場合がしばしばあった。

 

 そういう者達からして、親だの子だのは理解の外。温とそう、くすぐったそうにする人の子らの時間を貴重とも思わず、強いて言えば下らないと認めるばかり。

 勿論、それに慣れた人間が触れ合いを馬鹿にするのと同じように、そんな風に決め込むことだって多々あって良い。

 この世に、ててなし、こなしが幸せになれないなんて道理はないのだから。

 

 もとより幼さの遍く全てが熱に守られる必要なんてなければ、そもそも愛は人を選びがち。

 また紅美鈴だって全てに応じた母性でなければ、広げる手の長さだって限界はある。

 ならば、妖怪変化達は美鈴の手一杯のその手をわざわざ好き好んで掴むべきではないのだろう。

 

「まあ、気まぐれよね」

「んー?」

 

 だが、時に風見幽香は今も首を傾げる危なっかしいまでの幼さを見ながらこう思ったのだ。

 いいな、と。

 

 幽香という存在は現在最強である。だが、彼女も最初からそこを定位置としていたわけではない。

 妖精の時代には侮られていたことだってあるし、妖怪と成っても上には上がずらりと並んでいた。

 その中で、一度も負けずに成長し続けられたのは、偏に貪欲のせい。

 ひたすらに、強く。味わったことのない敗北を恐れるからこそ、前に。

 それを続けてもう並ぶことのない者に成れはした。だが、それだけであってはつまらないもの。

 神すら超えた位階において何もよせつけなければただ暇でしかなく、ナイトキャップを被って寝ぼけてばかりの日々を送っているのも面白くない。

 故に今回などは近くの異界、幻想郷へと何故か夢幻世界をうろうろしている大量の化け化け達を仕向ける異変を起こすことで無聊の慰めとしていた。

 

「メイドさん!」

「ええ、確かに私はメイドの格好をしているわね」

「可愛いなぁ。おかーさんにもメイドの服着て欲しい……」

「そうね。貴女のお母さんもその内ここにたどり着くでしょうから、その時に話してみましょうか」

「えっ、おかーさんこっち来てるの?」

「ひょっとしたらお迎えの時間なのかもね」

「そっかー……そろそろ帰んなきゃダメかなあ」

 

 引っ掻くばかりでろくな抵抗もない、そんな何時もの下らぬ毎日。

 それが変わったのは、この夢月と遊んでいる霧雨魔理沙という少女がどこぞの妖怪風情から贈られて来た時から。

 いじめてみた結果プレゼントを貰うのは珍しいなと話してみれば、彼女の口から出るのは弱さの証明ばかり。

 あまりに場にそぐわない、その下らなさを幽香が酔狂にも受け取り拾って大事にしてあげてみると、結果出来上がったのは友という形。

 無論、人間なんかと結んだ生やさしい関係なんて彼女にはどうでも良くもある。

 だが、ありきたりこそ時に意味深いことを己の出自から識っている幽香は、だからこそこの新しい友達というものを気に入っていた。

 

 それこそ、束縛してしばらくの間離したくないくらいには。

 

 帰るなら片付けしないと、と幽香が戯れに与えた玩具とも言えない大きめの用具達を纏め出した魔理沙に、幽香は冷たくこう言った。

 

「ふふ。逃げるのは許さないわよ?」

「んー? 逃げる? 私はお母さんのところに帰るだけだよ?」

「それも、ダメ」

「えー! 幽香、勝手だよー」

 

 あまりの身勝手を聞き、動揺に少女の小さな手から大きな木製の匙が、がしゃんと落ちた。だが人間の中でも特に力を付けている様子でもない子は、直ぐに我に返って愚かにも最強に反駁する。

 隣で事の次第をあらあらと見つめる夢月を余所に、魔理沙は幽香に向かってこう続けた。

 

「お友達なら最後はばいばいして別れないと! 幽香、お利口さんじゃないよー」

「そうね。私は愚か。全てを手に出来、全てを滅ぼせる力を持ちながら、今求めるのは稚児の情、母の愛程度。けれど、さよならだけが人生だとまで私は思うことは出来ない」

「んー? どういうこと?」

「要は、はじめてのお友達とばいばいするのが、嫌ということね」

「うーん……そっかあ」

 

 意味深すぎて飲み込めない子供のために棘すら剥かれて差し出された言葉に、魔理沙は少なからず感じ入る。

 大店の子である魔理沙は人里ではこれまでガキ大将的な、そんな子供達の群れを統率するような立場にあった。

 最初は寄ってくる年下達に慌ててばかりだったけれども、おかーさんから聞いた覚えを用いて一人一人を意識し始めたら焦ることだってなくなる。

 親の働きに差し置かれた彼らの多くは友達。そして、求め合う個でもあった。個人にお話すれば、どうして悪さや騒ぎを起こすのかだって理解できる。

 それこそサクヤに立場を奪われるまでずっと、魔理沙は一番に話が分かる子供だった。

 

「同じかー」

 

 そんな経験則を頼ってみると、この強そうで綺麗なお姉さんにも、幼い部分が見て取れてしまう。

 はじめてというのはそれこそ子等より辿々しくなって仕方なく、また幼稚にとっては手と手を繋ぎあうことだって簡単で、むしろそれを離すことこそ難儀するもの。

 特別製の心なんてなければ、幽香だって一人の少女。バランスの取りにくい重い頭をうんうんと頷かせてから、魔理沙はこう言った。

 

「なら、いいや。お母さんと相談してみるよ」

「あら……どうして気が変わったのかしら?」

「だって、本当は私も幽香ともっと一緒に居たいもの!」

「そう」

 

 合わせてくれていた視線に、今度はこっちから沿わせる。

 そんなお子様の背伸びを感じた幽香は、気恥ずかしくなることもなく、ただ納得を覚えた。

 そう、友達というものは実に都合の良い他人であると。なるほど人がこのような存在を多々作って安堵するのは自然なことか。

 そこまで考えてから、しかし幽香は。

 

「ありがとう、魔理沙」

 

 幼子にはもったいないくらいの心の底からの美しい笑みを見せたのだった。

 

 

 

「ああ、私ではどうしようもない、かあ……」

 

 木製モダンな扉の前。ノブを捻りそれを空けるまでもなく、気配にだって敏感な紅美鈴はその先の絶対に気付いた。

 

 それは、断崖の気配。神域をも踏み越えた先にある、新たな妖怪。

 風見幽香という存在は最強でなくても華ではあるが、しかし実際万物きっての孤高の花であっては最早どうしようもない。

 

 高嶺の花。それは決して届かぬ価値のこと。

 それをまざまざと感じた実力者は、だが側に我が子ですらない守ると決めただけの余所の子が居ると知っていれば迷うこともない。

 ただ、障子の耳へとこれだけは口にして、進むのだった。

 

「恨むわよ、紫さん」

 

 そして八雲の紅は、七色のドラゴンは、鱗はなくとも冷たい手の平でその戸を開ける。

 

「いらっしゃい」

「おかーさん!」

 

 開かれた赤チェック柄の死地にて待っていたのは、目に入れても痛くない幼稚な赤の他人の元気と、幻想にして最強の花。

 並んで共に笑顔に綻んでいるのは同じでも、その意味は大いに違う。

 露わにしているのは、喜色と威嚇。

 何も知らない魔理沙は、しかし友達の機嫌なんて気にも留めずに美鈴へと飛び付くのだった。

 

「迎えに来てくれてありがとう!」

「……どういたしまして。魔理沙が元気で良かったわ」

「探させちゃったらごめんね……気付いたら私、ここにいたんだ!」

「そう……それなら、仕様がないわよね」

 

 柔らかな金毛に撫でる手も優しく、思い出に微笑みながら美鈴は呟く。

 悪戯も悪意すらもあの人との思い出で、ならばこの厄介な事態も娘として受け容れたい。

 そう、仕方がないのだ。たとえ最強という絶対の数値に潰されてしまうだろう未来だろうが、それでも八雲紫の子らしく泰然と。

 そんな健気な龍を前にして、幽香は指を空にて動かして。

 

「ありきたり。でもそれこそが愛の秘訣なのかしらね?」

 

 妖怪と人間の親子ごっこに、歪な丸をつけるのだった。

 

 改めて顔を向けて、美鈴は油断なく幽香の問いに口を開く。

 視界に入れただけで限界を感じるなんて武威を信じるものとして愚かだと、内心で自嘲をしながら。

 

 威が翻らなくとも虎の強さを一見で理解出来ない筈もなく。天蓋に咲くのが花であるからこそ、この世は美しいのだという道理も理解するのだった。

 

「ふふ……どこにでもあるものは、でもどれとして同じではないの。だから私は感じ入ってそれに同調するわ」

「なるほど。私には花々の円の歪ほどに惹かれるものはないけれども、騒々しいばかりの擦れ合いを下らないばかりと十把一絡げには思わない。また健気に咲いたクローバーの花を踏み散らして、その隣の四つの葉をばかりありがたがる気持ちだって理解は出来る」

「そう……なら。ここでの失礼も許して貰えたりは……」

 

 いつの間にやら、端にて羽根を白く広げていた悪魔は去っている。

 それはきっと、一歩間違えればこの場が何もかもにとっての死地になりうるからに相違なく、しかし対話によってそれが避けられればとの美鈴の思いは。

 

「とはいえ、貴女と違って私は決して優しくはない」

「っ!」

「きゃ」

 

 笑顔で、踏みにじられるのだった。

 

 言の通りに、本質として風見幽香は優しくはない。花であり、妖怪であり、最強であるという相反する要素をブーケで束ねて美にする乙女は、移り気。

 何よりも知らずに理解っていて、誰よりも柔らかくも尖っていた。

 世界に広げる千本針こそ薔薇の棘。秘部こそ色鮮やかな花びらの根幹である。

 

 つまり、私に/私が触れることこそ害と知れ。花など遠く眺めていれば良いものだというのに、友としたい/護りたいと思うのならば。

 

「許してもらえるくらいに私の心に触りたいなら、覚悟が必要よ?」

「このっ」

「わ」

 

 咄嗟に気を操った美鈴と影響下にあるもの、それ以外の全ては全身を持って臥すのが当然。

 むしろ一意のために粒すら潰れて何もかもの跡形もなくなった一室に龍と人と花が一輪。

 

 窮極の気当てから能力によって生き延びた美鈴は全身に汗を掻きながら、だがこう呟く。

 

「っ、はぁ……そうね」

「幽香!」

 

 覚悟は完了していない。だが、幼子という宝を抱いた龍の視線は真っ直ぐなまま外れなかった。

 そして、魔理沙が必死に伸ばしてきた楓の葉のような手のひらだって、それと同じ。

 

 何もかもがどうしようもない、そんな格差の奥に柔らかな心を求めて、二人は信じ切っている。まるでそこに救いでもあるかのように、愛こそ助けだと信じ切っていた。

 

 ああ、友達なら止まってくれる、花が打たないなんて誰が決めたのだろう。だが、その二人は幽香のこの癇癪の平和的解決こそを望んでいるようで。

 

 

「うふふ」

 

 愉快さに、笑む。

 その時、風見幽香の心に沿って、夢幻世界は上下にばかりと歪んで裂けた。

 バラバラと硝子のように屍と化す現。

 幻想の体現者はそれを気にも留めずに、ただそっと背中に妖精のものでも妖怪のものでも天使のものでも神のものでも、ましてや鳥など既存の生物のものとも重ならない翼を広げた。

 

 そうしてようやくここで、このおかーさんをいじめるための建前を広げようとして。

 

「ただ目の前に落っこちてきただけなら見咎めないけれども、貴女は私の番をしてくれていた一羽を落としてまでここに来た。ノックが乱暴なのは自然でそれが、我が友への愛のためだとしても……いや、そんな全てが関係ないのかもしれないわね」

 

 そんなこと下らないと少女は、止めたのだった。

 

 そう、こんなの余計なちょっかいでしかなく、それを強いて整えて言葉にするならば。

 

「ただ気になるから――――私は貴女の愛の試練となりましょう」

 

 或いは友達の家庭訪問とでも言うのだろうな、と微笑むのだった。



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