幼馴染はキグルミの中で笑う (ちゃん丸)
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第一話 幼馴染は空を見上げて笑う
桜が散り始めた季節。この日は強い雨が打ちつけていた。
普段は賑やかな街でも、今日は出歩いている人も少なかった。日曜日であるというのに、街は少しだけ寂しさを感じるような。
それでも東京都内であることには変わりない。自然よりも人工物が圧倒的に多い地区。普段より少ないとは言っても、単純に人の数で言えば十分に多いのは事実なのだが。
雨。たまには悪くないか――――。
窓に打ち付ける雨を気にすることなく、自分の部屋で哲学的に考える一人の男子高校生。考えているようで特に深く考えていないのが実際のところ。
その彼は耳に新品のイヤホンをはめ込んで、スマートフォンから音楽を垂れ流していた。せっかくの新品イヤホンも、これでは宝の持ち腐れだ。
この雨で、桜の花びらも完全に散るのかな――――。彼の頭をネガティブな思考が巡る。ただ、それを打ち消すようにロックバンドの曲に切り替える。ここで初めて、彼は気休めに音楽を聴いていることに気が付いた。
無気力な彼、
時刻は午後三時を過ぎた頃。あと少しで国民的なアニメが始まる。そこからはただただ憂鬱なだけだ。
優人は自宅近くの高校に入学し、いよいよ華の高校生活を送ろうとしていた――――だが、彼は見事にスタートダッシュに失敗した。決して社交的とは言えない性格に加えて、同じ高校に進んだ中学からの友達も居るが、不運なことに同じクラスには仲のいい友人は居なかった。
四月も下旬になるが、優人にとって友達と呼べるクラスメイトは居なかった。本人的にも焦ってはいるが、もうどうしようもないのもまた事実だった。
窓の外を見ると、雨脚は相変わらず強いまま。優人は決してアウトドア派ではない。自室の窓に大きな雨粒が打ちつけているのを見ると、外出する気力が出るはずもなかった。
そんな時、イヤホンからメッセージの通知音が耳を伝わる。ちょうどサビ前の盛り上がるところで、優人は水を差されたような気分になった。
――――申し訳ないけど、買い物行ってきて
彼はため息をついた。静かな部屋に響くほど大きなため息だった。
メッセージの相手は自らの母親。日曜日ということもあって、出掛けていることは優人も知っていた。だからこそ、『自分で行ってほしい』という感情が芽生えてくる。
今自宅には、優人以外に誰も居ない。そうなると、対応できるのは彼だけだった。
――――了解。何を買えばいいの?
仕方なく彼は了承の連絡を送る。するとすぐに既読マークが付き、母親から返信が届く。それによると、牛肉を買ってきてほしいとのことだった。
(肉なら……商店街にあったよな確か)
優人は母親がいつも商店街で買い物を済ませることが多いことを知っていた。その流れで精肉店にも足を運ぶことが多かったはず。彼はそう理解する。
――――商店街の肉屋に行くから。あとでお金ちょうだいね。
そう返信するも、既読がついただけで返信は無かった。絶対もらってやると心に決め、彼はジーンズに履き替えて家を出た。 外に出ると、彼が思っていた通りの雨脚の強さだった。少し大きめの傘をさして、商店街を目指して歩き始める。
地面に落ちる雨粒が反射して彼のジーンズを濡らす。中学生の頃から着ているそれは、相応の年季が入っている。そのせいで、濡れて色が変わったことも、彼は特に気にしていなかった。
しばらく歩くと、目的の商店街が目に入る。彼にとっては少しだけ懐かしい感情を抱く。立ち止まって、数秒入り口を見つめている。その間も、雨脚は強いまま。傘にバンバンと水滴がぶつかる音だけが彼の耳に響いた。
「――――ユウ?」
気怠そうな声が、無機質な音の世界を切り裂いた。
優人にとっては聞き慣れた声。でも、雨のせいで彼は少しだけ反応が遅れてしまった。
「ユウってば」
物思いにふけっていた優人は、驚いた様子で視線落とした。
そこには、不安そうに一人の少女が彼の顔を覗き込んでいた。黒色の傘の奥から見える顔立ちは、まさに美少女と呼ぶにふさわしい。
「あ、あぁ。美咲」
ユウ、と自分のことを親しげに呼ぶその姿に、特に驚く様子はなく平然と答えた。一方の声を掛けた彼女は、自身が雨に濡れないように気をつけている。恥ずかしがることなくそれこそいつものノリのように。
「センチメンタルな表情して。らしくない」
「どういう表情だよ、それ」
「どうもこうもないけど」黒髪の少女は背筋を伸ばしてそう話す。さっきまでの心配が無下に終わったことが明らかに不満なようで。表情にもそれが出ていた。
それを察した優人。気の利いたことでも言ってやろうかと頭を捻るが、物思いにふけっていたせいで頭が回らなかった。
「美咲も今から買い物?」
「まぁ、そんなところ」
結局、誰にでも思いつくような問いかけになった。
そのせいなのかわからないが、黒髪の少女、
かれこれ十年近い付き合いになる優人と美咲。名字がほぼ同じと言っても過言ではないが、血縁関係は一切ない。幼い頃はよくいじられていたが、二人は特に反応することもなく適当に受け流して来た。幼馴染とはいえ、どこかドライな関係。当の本人たちもそれが不思議だった。
商店街の入り口まで二人並んで歩く。身長は優人の方が高い。美咲の頭は彼の肩ぐらいの高さ。自身の顔が傘で隠れていることもあって、少しだけ嫌味な表情を見せた。独りでに。
「ユウはおつかい?」
「そ。よくわかったね」
「それ以外ないでしょ。見たことないもん、ユウがここに来てるの」
美咲は鼻で笑いながらそう言う。強く降りしきる雨の中でも、二人の会話はしっかりと互いの言葉を伝え合っている。
彼のことをユウと呼ぶのは家族を含めても美咲だけだった。彼女曰く、優人の「優」を音読みしただけだという。彼にもよく理解できない理由だったが、幼い頃から呼ばれているせいで今となっては気にしていなかった。
商店街に入ると、案の定人通りは少ない。優人は両側に並ぶ店舗を確認する。目的地は精肉店。だが美咲の言うように、彼は普段商店街に来ることはない。そのせいで、店の配置すら知らないのだ。
その様子を見て、美咲が助け舟を出す。
「何買うの?」
「肉。この辺りに肉屋あったよな?」
優人がそう言うと、彼女はあからさまに顔を歪ませた。
「え、無かったっけ」
自分の記憶が間違っていたのかと、不安になった優人は問いかける。余計な心配をさせたせいで、否定するように彼女は言葉を洩らした。
「い、いやありはするけど……」
「なら案内してよ」
「…近くまでなら」
優人から見ても、彼女の反応は明らかにおかしかった。眉間に皺を寄せる。しかし今ここで追及することでもないと割り切り、敢えて何も言わなかった。二人の間に変な空気が流れる。
でもそれは一瞬で。すぐに目的の精肉店、北沢精肉店が彼の視界に入った。
「あれか。サンキュー」
「私、ぶらついてるから」
「はいはい」
逃げるように彼の元を離れる美咲は、一つ安堵のため息を吐いた。心から安心したようにも聞こえるそれは、雨の音にも負けずよく響く。
彼女が立ち去るのを見届けた優人は、精肉店のカウンターに並べられた肉を眺める。牛肉を探し、母親に指定された分量を購入した。お釣りがいくらか戻ってはきたが、彼の財布は空に近い状態になったのが自分でも気に食わなかった。
精肉店を出ると、ついさっきまで一緒に居た彼女を探そうと辺りを見渡した。
「――――早かったね」
「うわっ! び、びっくりさせんなよ」
「そんなに驚くことないじゃない。別にそういうつもりは無かったのに」
「いきなり後ろから話しかけられると驚くに決まってんだろ…」
先の方まで行っていると決めつけていた彼は、思いのほか近くに居た彼女に気がつかなかったようだ。精肉店に背を向けてすぐ話しかけられたのもあって、優人の心臓は悪い意味で高鳴っている。
「ま、私ってそんな目立つ方じゃないし」
「そういう意味じゃなくて」
「別にいいよ、慰めは。 それより、用は済んだの?」
自虐しているのか、そうでないのか。美咲自身もそれはよくわかっていなかった。しかし、昔からこういう性格をしていると自覚していることもあり、本人としては至って普通。別に落ち込んでいるわけじゃない。だからすぐに気持ちを切り替えることができたのだ。
「まぁ済んだけどさ」
優人はため息を吐いてそう答える。彼から見れば、見事なまでの“慰め損”だ。ただ彼も昔から美咲の性格を十分に理解している。特に引きずることなく、美咲と向き合った。
「そういや、美咲は用あったんじゃないの?」
「あー…。いや。もういいかな」
「もういい? タイムセールか何か?」
「そんなところ」
「いや嘘だろ」
「分かってるなら言わないでよ」
受け流すというよりは、彼をからかうように答える美咲。普段からこの調子で話している二人は、側から見てもかなり仲が良いと有名。中学を卒業してからも、一週間に三回はバッタリと会う機会がある不思議な縁。気がつけば、優人はいつも美咲のペースに乗せられるのだ。
そんなことを考えてもいない美咲は、彼を適当にあしらって来た道を戻るように先導して歩き始めた。
「はぁ……いいけど」
一人呟いて、優人もその後を追った。地面を蹴る音がいつもよりも柔らかい。雨に濡れたせいもあるのだろう。彼のスニーカーは水気を吸って気分が重そうだ。
ビニール袋を片手に持つ優人と、手ぶらで傘をさす美咲。二人並んで歩いてはいるが、どこか距離感がある。傘のせいではなく、心の距離感なのだろうか。
「最近学校はどうよ。上手くやってるの?」
「ま、ぼちぼちね」
「テニス、続けてるんだっけ」
「うん。ユウは相変わらずなんでしょ?」
「うるさいな……」
互いに通う学校は違う。それでいて、学校生活もまさに正反対だった。優人とは対照的に、美咲は中学からテニスを続けている。高校でもテニス部に入部し、毎日を忙しく過ごしているようだ。
一方の優人。帰宅部で毎日特にすることはないのが現実。その時間を勉強に当てるわけでもなく、ただダラダラと毎日が過ぎるのを待っている。
当の本人は、それを十分に理解していた。
理解していたからこそ、葛藤しているわけで。単純に彼に足りないのは、そういった行動力だけだった。そして、それと正反対なのが美咲というわけだ。
「てかさ、さっきなんで逃げたの?」
「えっ、な、何が?」
「精肉店の時だよ。明らかに避けてたでしょ、アレ」
仕返しと言わんばかりの勢いで、優人は彼女に言葉をぶつけた。ぶつけたとは言っても、しっかりと抑えは効いている。
先ほどはスルーしたが、彼もやはり気になっていたらしく。タイミングはアレだが、その問いかけは紛れもなく彼の本心だった。
「あー…。いや…そのー……」
美咲は狼狽えた。
何もないと否定すればいい話。だが、彼女はそれができなかった。強く押されると、その流れに飲み込まれてしまう。こういう場合の誤魔化し方は慣れていなかった。そんな彼女の様子を幾度となく見てきた優人。疑念は確信に変わる。
「何? 別に聞いたところで何かするわけでもないから」
「……はぁ。わかった。わかりました」
拗ねた小学生のように、大きなため息を吐く。今日二回目のソレには彼に対する怒りや呆れのようなものが混じっているように見えた。
歩みを止めはしないが、少しだけ美咲の歩くスピードが早まる。自分の問いかけがその原因であると、優人は察した。
「あそこ、学校の知り合いの実家なの」
「知り合いって……花咲川の?」
「そう。それだけ」
「はぁ?」優人は心の底から声を出した。
「あんまり得意じゃないだけ。その子と接するのが」
「あ、そういうことっすか」
「何? つまんないとでも思った?」
「なんでそうなるんだよ。そんな怒ることないだろ」
「怒ってない」
拗ねてるだけですね――――優人は喉まで出かかった言葉を必死に飲み込んだ。ここでそう言えば、彼女の機嫌を完全に損ねてしまう可能性があったからだ。
今の二人は、完全に形勢が逆転している。美咲は機嫌が悪そうに優人と距離を置いた。それでも、すぐに手が届く距離だが。
優人は今の美咲を見て、ふと引っかかるものを感じた。
「その子と結構話すの? もしかして部活が一緒とか?」
彼が知る奥沢美咲という人物は、自分の立ち位置を気にしているせいもあって、集団での立ち回りが非常に上手い人物だった。
そのため、これまでずっと苦手な人間とはあまり絡まないようにしていたのだが、今の彼女からはソレが感じられなかった。
「ま、まぁ……そんな感じ」
美咲はまた誤魔化した。二回目ともなれば、聞き返すのも面倒になる。彼は「あぁそう」と呆れた様子で相槌を打った。
「でもそういう時、美咲って顔に出るよな?」
「……そう?」
「そうだと思うけど」
二人の会話とは裏腹に、さっきまで打ち付けていた強い雨は少し弱まっていた。それこそ傘をささなくても平気なくらいに。
傘を握っていた右手に疲れを感じていた優人は、それに気づいてすぐに傘を閉じた。後に続いて、美咲も黒い傘を勢いよく閉じる。
「向こうが一方的に話しかけてくるだけ」
「それなおさらすごいぞ」
「…どうして?」
「あ…いや、なんでもない」
傘を閉じたせいで、お互いの顔がよく見えている。さっきまでなら言えた言葉も、彼女の顔を見ると喉から出ようとしなかった。
雨が止むと、空模様は一気に変化していく。鉛色の雲に覆われていた空に切り込みが入る。その隙間から、奥に潜んだ青く澄んだ空と光がわずかに差し込み始める。
「今さら晴れてもなぁ…」
優人は立ち止まり、空を見上げてそうボヤく。青空を見れたことで、少しだけ嬉しそうな表情を見せる。
「いいじゃない。ずっと雨よりは」
「ま、それもそうか」
「そうそう」
そんな美咲も彼に合わせるように空を見上げた。彼女が見上げると、少しだけ太陽の光が多く差し込んだようにも見える。
立ち止まった二人は、空を見上げたまま微笑んだ。青空に向けた笑みはそれこそ屈託のない。
「ま、頑張ってね。学校生活」
何を思ったか、突然彼女はそう話す。それでも、優しく見慣れた微笑みを見せた。
ありがとうございました。
ハーメルン様で「奥沢美咲」と検索すると、約40件しか出てきませんでした。これはいけません。なんとかしなくちゃ。そう思って書きました。至ってシンプルな理由です。
正直、私はまだまだバンドリの知識は浅いです。が、二次創作ですし、楽しくやろうと思いまして。こんなの美咲ちゃんじゃねぇ! と言いたくなるあなた。堪えてください、お願いします。
話としては十話程度を予定してます。最後までお付き合いいただければ幸いです。
ご感想・評価いただければ、励みになります。待ってます(笑顔)。
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第二話 幼馴染は学校前で狼狽える
五月。つい先日まで満開だった桜はすっかりと散ってしまい。緑の木々が街並みのアクセントとなっていた。
ある日の夕方。優人は自身が通う学校の教室に居た。今日の授業は終わり、残っている生徒もまばらだが、彼はジッとスマートフォンの画面を見つめていた。
――――渡したいものあるから、学校まで顔出して
「参ったなぁ……」
メッセージの送り主は美咲。渡したいもの、とは言っているが具体的に何なのかは教えてくれなかった。それもあって、彼は躊躇う。
美咲が通う花咲川女子学園は、文字通り女子校だ。校舎も立派で、それこそ男子が近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
――――嫌だ。近付きづらいし
――――正門前で待ってればいいから
――――無理。帰ります
教室には優人の携帯から鳴る着信音がよく響く。残っているわずかな生徒が彼に視線を送る。それに気付いた彼は、急いでマナーモードに設定し直した。
美咲とイタチごっこを続けていたが、それに終止符を打とうとするように彼女は次の手段に出る。
優人が持つスマートフォンの画面に奥沢美咲の文字が浮かび上がる。痺れを切らした彼女は、文句を言う勢いで電話をかける。電話越しの美咲の表情が思い浮かんでいた優人は出るのを躊躇った。しかし、出なかったら後々面倒なことになりかねない。
「……はい」
優人はカバンを持って教室を出る。歩きながら話せば、少しは気が紛れると考えた。自分でも浅はかな考えだと自覚してはいたものの、なんとなく心の拠り所が必要だった。
「言いたいこと、わかるよね」
「早くお家に帰りなさい、でしょ?」
「早く来てね」
彼の冗談は見事にスルーされる。いつものことだが、美咲は優人が都合の悪い時に使う冗談をマトモに受け止めたことはない。一つ拾ってしまえば、話が逸れてしまうことを分かっていた。そしてそれは、元の話に戻せないことも。
「だったら家に取りに行くから」
「ダメだよ。今日この後予定あるから」
彼の提案は、一瞬で却下される。しかし、そこで引かないのが奥澤優人。根本的な疑問を彼女にぶつけた。
「そもそも今日じゃないとダメなの?」
「……そういうわけじゃないんだけど」
形勢逆転。
今日でなくても良いのであれば、話は大きく変わってくる。それこそ、明日自宅まで取り行くこともできるし、美咲が持ってくることだって可能なわけで。わざわざ花咲川女子学園まで足を運ぶ必要はなくなる。
「なら明日、朝一緒に登校すればいいだろ。そこで受け取るから」
途端に饒舌になる。スラスラと言葉が出てくる感覚に、優人は自分でも恥ずかしさを覚えた。
一方の美咲。言葉を発しようとするがいい言葉が出てこない。このままだと彼の提案が採用されてしまう。その一念で言葉を探し出す。
「い、今じゃないとダメだから」
「なんで?」
「気分……的に?」
「はい、また明日な」
気分で俺の一日を左右しないでほしい。優人は呆れながら耳からスマートフォンを離す。しかし、美咲も諦めない。
「……私、ずっと待ってるから」
そこで通話は終わった。優人が切ったのだ。よりにもよって、最後の最後に言葉が耳に届いたことを後悔している。
ずっと待っている――――。咄嗟に出てきた言葉とは言え、彼女は本気だった。彼が来るまで本気で待つつもりなのだ。だが、優人もそれを分かっている。
「……めんどくさ」
美咲はこう言えば彼は来てくれると全て想定の範囲内だった。意固地になっていれば、彼は見かねて要求を飲んでくれる。それが分かっているからこそ、最後のその言葉を呟いた。恐ろしい女である。
優人自身も、彼女が本気で待つような人間だということは知っていた。だからこそ、
廊下で話していたのもあって、電話を聞いていた何人かの女子が楽しそうにしている。顔が合うと互いに話す言葉も見つからず、優人はそのまま階段を駆け下りた。
一階に降りてみると、学校にはまだ多くの生徒が残っていた。部活だったり、生徒ごとに用は違う。そのせいで、下駄箱前もまだまだ賑わっていた。しかし、優人の心は正反対。憂鬱な気分を抱えたまま学校を出た。
それからは一気に人通りも減った。花咲川女子学園が近づくにつれ、それは無くなるのだろう。しかし、やはり寂しさを感じても仕方なかった。
耳にイヤホンを差し込み、スマートフォンから音楽を流す優人。いつかの雨の日とは違い、しっかりと歌詞やメロディーを頭の中で噛み砕きながら音を身体に染み込ませた。
彼は楽器をやっているわけではない。そのためギターのリフがカッコいいとかそんな細かい話は分からなかった。ただ単にギターの音、ピアノの音、ドラムの音。そんな認識で音楽を聴いているだけだった。
それが三曲目に差し掛かると、花咲川女子学園の制服を着た学生とすれ違うようになった。目的地は近い――――。彼は心の準備を整える。正門近くで待っているだけでいい話なのだが。
優人は女子校の雰囲気に未だに慣れなかった。小学校・中学校は共学で、高校もそう。周りの男子生徒は女子校への憧れをよく口にしている。優人もその気持ちは理解できたが、近寄るとなると話は別。雰囲気に飲み込まれるのが嫌だった。
いよいよ待ち合わせの場所が目に入る。優人はそこから少し離れた木陰で待っていることにした。ここなら生徒たちと会うこともないし、話しかけられることもないだろう。
そう思っていた矢先――――。
「あら! 男の人が居るわ!」
風に揺れる木々の音にも負けないほど、その声は高く優人の耳に届いた。少し幼さすら感じるソレは、果たして高校生なのだろうか。よくわからないまま、彼は声のする方に視線を送る。
正門前でハッキリと彼を見つめていたのは、金色の綺麗に伸びた髪が特徴的な一人の少女。花咲川女子学園の制服を着ていて、彼女もここの生徒なのだろうと優人は理解する。
それにしては雰囲気も幼く、発言した言葉にも賢さは感じられなかった。少しだけ嫌な予感を感じた優人は、一方後ずさる。
しかし、時すでに遅し。その彼女はものすごい勢いで彼の元に駆け寄って来ると、興味津々な様子で彼の身体を眺めた。
「あ、あのー……?」
優人の言葉は残念ながら彼女には届いていなかった。目の前にいる
「ねぇ、男の人がどうしてここに?」
自身のことを
「えっと……待ち合わせしてて」
「待ち合わせ? 誰と?」
「と、友達です」
彼女の年齢すらわからない。万が一を考え、恐る恐る敬語で答えた。いやその見た目で優人より年上ということもないだろうが。
「友達って?」
「花咲川に通ってる生徒ですよ」
「違うよ。お名前だよ。あなたの友達のお名前」
どうしてそんなことを聞いてくるのか。彼には理解することが出来なかった。まるで久々の友人と再会したように話しかけてくる彼女。記憶を辿っても、会った記憶は一切無い。馴れ馴れしいその態度に彼はイラつきを覚えた。
答えようか迷っていると、彼女が「あっ!」と何かを思い出したかのような声を出した。
「これから
「あ、はい……」
そう言い残し、彼女は猛ダッシュで立ち去った。
まるで嵐が過ぎ去ったように、優人の周辺は荒んでいるようにも見える。気分的な問題だろうが。
「なんだったんだ……」
そう呟いて、木にもたれかかった。女子生徒の視線とか、もうどうでもいい。疲れ切った彼は、盛大なため息をついた。
彼の人生の中で、一・二を争うぐらいに意味の分からない人だった。話が噛み合っていないのはもちろん、まるで昔から知っているように話しかけてくる彼女の性格。人見知りという言葉を知らない人種なのだ。
それからしばらくして。周辺の安全が確保されたことを確認した美咲が彼の元にやって来た。
「お疲れ様。災難だったね」
苦笑いしながら、優人を慰める美咲。その言葉を聞いた彼は、あからさまに表情を歪ませた。
「――――見てた?」
「うん。バッチリ」
「だったら助けてくれよー…ほんと意味分かんなかったんだから」
肩の力を抜いた彼の言葉に、美咲は思わず笑みがこぼれた。「ごめんってば」と謝ってはみたものの、疲れ切った優人にその言葉は届いていない。
「見殺しにするなんてな。見損なったよ」
「私も嫌なの。彼女と絡むの」
「知ってたの? さっきの子」
「まぁ……知ってるもなにも――――」
喉まで出かかった言葉を急いで飲み込む。咳き込んで誤魔化すが、彼はその様子をしっかり見ていた。
「知ってるもなにも……なに?」
「く、クラスメイトだから。あの子」
咄嗟に考えとは違う言葉を放った。我ながら上手く誤魔化せたと独りでに感心する。クラスメイトであることは事実なのだから、嘘を吐いたわけではない。美咲は開き直った。
「え。てことは……同級生?」
美咲はコクリと頷いた。その表情は苦笑いそのもの。明らかに迷惑していると言わんばかりの表情をしていた。
かつて二人で話した時、あまり得意じゃない人がいると言っていた。頭の片隅に残っていた記憶を、優人は彼女に問いかける。
「じゃあ、あの子が精肉店の?」
「あー…いや。それとは別。そんなことも言ってたっけ」
優人の記憶力に彼女は驚いた様子を見せた。しかし優人本人は特に気にした様子もない。だが、彼女以外にも
「それなら、さっきの子は何なの?」
「あれは……花咲川の
「い、異空間…?」
「そ。学校中で噂になってる」
なるほど――――。優人は申し訳なさを覚えながら口に出さずに納得する。彼が会話したのはほんの数分だったが、そのたった数分の間にも異空間に連れていかれたような。
木々が二人を急かすように揺れる。美咲と合流して五分ほど経つが、二人とも本来の目的を忘れているように見えた。そう、異空間のせいで。
「でもその異空間、バンドやってるんでしょ?」
「……え」
深い意味があったわけではない。優人にとっては。
しかし、それで焦ったのは美咲。口を少し開けて言葉を失っている。こんな時に限って、風は一切吹いていない。風の音で誤魔化すことも考えていた彼女にとっては不運。しかし、その様子に気づいていない彼は言葉を続ける。
「知ってた? バンドやってたってこと」
「ま、まぁ……聞いたことはある……かな」
若干震えた声で、なおかつ濁りきった回答。そこで彼は察する。
「ぎ、逆になんで知ってるの?」
「いや、あの子が自分で言ってたから」
「へ、へぇ……」
まるで脅されてでもいるかと思うほど、彼女の声は震えていた。
結局、二人の会話はそこで途切れてしまう。互いに何を言えばいいかわからないある意味カオスな状況。無論、それぞれの抱く感情は正反対のものだが。
「――――そういえばさ、渡したい物って何?」
「へっ!? え、えっと……」
本題、ようやく。
思い出したかのように、彼は問いかける。しかし、それはそれで困ったのは美咲の方で。彼の機転が余計に彼女の首を絞めることになるとは、優人も思っていなかっただろう。 きゅっ、と小さな握りこぶしを作っている。
「や、やっぱりまた今度でいい? いろいろと都合悪くなっちゃって」
「はぁ? 何のためにここまで――――」
「まぁ、異空間に会えたんだからいいじゃん」
「いや良くないから」
開き直った美咲。ここまでくれば清々しい。ただそれを良しとしないのは優人の方。ここまで折れて折れてこの仕打ちなのだ。文句の一つくらい言いたくなるのも理解できた。
「いいじゃない。女子校の雰囲気少し味わえて」
「まぁ、貴重な体験ではあったけどさ」
「そこは否定してよ。気持ち悪い」
「美咲が言い出したんだろうが」
お互い口調は穏やかだが、言動には棘があった。表情も嫌悪感を示しているわけでもなく、鉛のボールでキャッチボールしているような末恐ろしさ。
同じ場所に十分近く居ると、思春期の女子の目を引くのは必然で。正門のすぐ側で二人の様子を伺っていた三人組の女子生徒が駆け寄ってきた。
「奥沢さんっ」
「あぁ…みんなどうしたの?」
美咲は気怠そうに答える。三人組は彼女のクラスメイトだった。かと言って、特段仲が良いというわけでもない。興味本位で話しかけてきているだけだと自覚していたため、彼女は少しだけ不快な気分になる。が、それを表に出すことはしなかった。
「ねぇねぇ、その人って……」
「あぁ、彼は――――」
「彼氏さんとか?」
幼馴染――――その一言を言う前に、三人組の一人が核心を突く。それを聞いた他の二人はキャッキャと騒いでいる。要はそれが気になっていただけ。美咲と優人は二人一緒にため息を吐いた。
「いやいや。幼馴染だから」
「男の子の幼馴染かぁ。憧れるー」
「あはは…」
思っていた答えが返ってこなかったせいか、騒ぐだけ騒いだ三人組はすぐに立ち去った。明らかに表情を歪ませる美咲と、愛想笑いを浮かべる優人。表情は対照的でも、感情は同じだった。
スマートフォンの時間を確認して、思いのほか長居していたことに気づく。二人は顔を見合わせる。
「……帰るわ」
「なんか……ごめんね」
「いいよ。ま、無理すんなよ」
彼の中では、紛れもなく無駄な時間を過ごしていた。
別れを告げて二人正反対の方向に歩き出す。二人の距離感が二十メートルほど開いた時、美咲はとある人物に電話をかけた。
不思議とさっきよりも辺りを通る生徒の数は減っている。しかし、美咲はそれに気がつかなかった。
「もしもし、花音さん? ごめんなさい、今から向かいます」
そのせいで、彼女の話し声はしっかりと彼の耳に届いた。
テニス? バイト? それとも他の何か?
彼は考えを巡らせるが、結論は出ないまま。ひたすら前を見て歩みを進める。先ほどは無かった強風。伸びてしまった髪の毛が乱れる。
(女子校の近くだし)
さりげなく髪の毛を整える。誰も見ていないのに、一人虚しくなったまま帰路についた。
ありがとうございました。
早速のお気に入り登録・ご感想ありがとうございました。
また、高評価していただいたカルシウムナベさん、ありがとうございます。
一話と二話は、書き溜め分の更新です。
明日は更新難しいと思いますので、日曜日辺りにはアップしたいと考えております。
ご感想、評価お待ちしています。
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第三話 幼馴染は心の底で後悔する
美咲は優人と別れ、いつもの商店街に足を運んでいた。歩き慣れた道、歩き慣れた雰囲気。緊張感も何も無い、ほのぼのとした日常――――のはずなのだが。
「ねぇねぇ! 次のライブ、楽しみだね!」
橙色の美しい髪。活発なイメージを与えるショートヘアの少女が、鼓膜によく響く声でそう話す。
「もう今すぐにでもやりたい気分だわ! あ! せっかくなら新曲も作ったらどうかしら?」
黄金色の髪をした少女は答える。
先ほど優人に見せた表情とは打って変わって、満面の笑みだ。それこそ、世界を救ってしまいそうなほど。
「新曲……。ふっ、また私の魅力が溢れてしまうな……」
見事なまでの自惚れ発言。それもこの紫髪の少女にかかれば、不思議なことに自信を纏った言葉に変わっていた。
羽沢珈琲店。趣のある小洒落た喫茶店に彼女たちが集結している。個性のぶつかり合いで爆発を起こすかと思えば、そうではない。奇跡的に現実世界に留まっている。いや、もう半ば離脱しているようだが。
少し小さめのテーブルを美咲を含めた五人で囲んでいた。三人はワクワク感が抑えられないようで、テンションが高い。残る一人は冷静に現況を見守っている。まるで母親のような優しい目をしていた。
一方の美咲はというと。
(あー…めんどくさいことになった……)
テンションの高い三人とは真逆の感情を抱いていた。蔑むような目で彼女たちの様子を伺っている。そして同時に、何故自分がこの場にいるのか? そう自問する。しかし、出てくる答えは一つだけ。
弦巻こころ――――。
通称、花咲川の異空間。黄金色の髪をした彼女、いや。先ほど優人に話しかけたあの彼女、それが美咲の目の前にいる。絡みたくないと言っていた張本人が、目の前に。こんなにおかしな話があるのかと。笑いしか出ない。
「あー…こころ。ライブは来週なんだから新曲は無理」
「えぇ? それは誰が決めたの?」
「そんなの知らないけど。普通に考えて間に合わないって」
冷静さを通り越して、冷酷さすら感じる声色で彼女に言葉を刺した。だがそれが通じる相手ではない。こころは相変わらず能天気な声で反論するが、美咲は無視するようにため息を吐いた。
「こころん、新曲は次のライブでやろ? とにかく今は来週のライブを成功させることが大事だよ!」
奇跡的にフォローに入った橙色の髪をした少女。
美咲は目を見開いてウンウンと頷く。はぐみは空気を読んだわけじゃない。時間が無いから単純にそう言っただけ。それでも、美咲は心の底から感動していた。
はぐみにそう言われると思っていなかったのか、こころは残念そうに納得した。最初からそうしろと美咲は心の中で突っ込む。
「まぁいいさ。新曲が無くても、観客は私の演奏に心打たれるのだから」
先ほどから頭のネジが外れたようなことしか言わない紫髪の少女。
美咲は盛大なため息をひとつ。美咲の中で
「はぁ……本当にどうして私が」
「あはは…。私も手伝うからね」
うなだれる美咲に蒼色の髪をした少女、
いや、単純に他の三人が強烈すぎるだけの話。花音は至って普通の女の子。少しドジで自分に自信が無い性格ではあるが、常識人。美咲の立ち位置を十分に理解していた。
「本当になんで私がバンドなんて…」
「なんというか、運が悪かったというか…」
「えぇ、本当にそう思います」
美咲は高校に入ってテニス部に入部。ここまでは良かった。
高い時給に目が眩み、商店街のとあるアルバイトに応募したことがキッカケで全てが狂った。
そのバイトというのは、熊の着ぐるみを着てチラシを配るという至極単純なもの。仕事内容に問題は無かった……まぁ肉体的なつらさはあったが、百歩譲ってそれは良しとしていた。
ところがだ。バイト初日。商店街に美咲を除いた四人がやってきた。
「あの時の恐怖は多分二度と忘れないと思います」
そう語る美咲。メンバーが集まらないことを嘆いていたこころが、熊の着ぐるみを着た美咲にポスター配りを依頼。美咲は半ば強制的にポスター配りを手伝わされた挙句、バンドへ加入することとなった。……熊のミッシェルとして。
ミッシェルというのは、美咲が纏っている熊の着ぐるみの名前。しかし、三バカはミッシェルが人の手で動いていることを知らない。知らないというよりは、理解できていないのだ。まさに三バカである。
純粋、と言えば聞こえはいいが、世間的に言えばただ無知なだけ。美咲や花音も幾度となく説明を試みたが、理解してもらえず。二人はもはや諦めの境地に入っていた。
「美咲、ミッシェルは欠席なの?」
「あー…そう。用事あるって」
熊の用事とは何なのか。
川で鮭を狩ることなのだろうか。熊という生き物はこころたちが思っている以上に恐ろしいものなのだ。しかし、平和な世界を生きてきた彼女たちはそれを知るはずもなかった。
結局のところ、こころたちにとって美咲はミッシェルとバンドを繋ぐ人間という認識に過ぎなかった。だが、実際にステージに上がっているのはミッシェルを纏った美咲なわけで。これまでのミーティングでも話のズレを感じずにはいられなかった。
しかしだ。
ミッシェルの中が美咲であることを知らないのであれば。そのまま無視することだって出来た。しかし、彼女はそれをしなかった。何故か。
これもまた、美咲自身の性格にあった。お願いされれば断りきれない。まさに日本人気質な性格。しかし、一度引き受けたことはしっかりと筋を通すことが彼女のポリシーだった。
そこで彼女が今考えているのが、どのように筋を通してバンドから手を引くか。このまま失踪することは考えなかったのだから、隣に座っている花音も感心を通り越して尊敬の念すら抱いていた。
だからこそ、彼女をサポートしたいと思っているわけで。決して前に出るタイプでは無い花音。そういうところは美咲と少し似ていた。
「あんまり無理しないでね。私も手伝うから」
「…はい。ありがとうございます」
美咲は優しく微笑んだ。
思い通りにならないストレスで、荒んだ心が収まっていくような。暖かい気持ちを抱いて、彼女は甘いアイスミルクティーに口付けた。
「……無理しないで、か」
一人そう呟く。ストローが揺れないように右手でそれを押さえて、でも視線はジッと一点を見つめている。特に意識しているわけでは無い。無意識なのだが、花音はどこか放っておけなかった。
「どうしたの? 美咲ちゃん」
その独り言は花音の耳にしっかり届いていた。心配そうに顔を覗き込む彼女に、美咲は若干の申し訳なさを感じた。
「えっ、あぁ……聞こえてましたか。すみません」
「ううん、ボーッとしてたから。具合悪い?」
「ええ、平気です。ただ――――」
美咲は苦笑いを浮かべてそう否定する。花音もその様子を見て少しは安心したのか、ほっと胸を撫で下ろした。三バカは興味すら示していないが。
「幼馴染にも同じこと言われたなって、思っただけです」
「幼馴染って?」
「さっきここに来る前会ってたんです」
「へぇー」と花音は意外そうな返事をする。彼女から見て美咲には男っ気が一切感じられなかった。男の幼馴染と一言も言っていないにも関わらず、そこを当ててしまうのは女の勘というやつか。
別れ際優人が放った言葉は、しっかりと美咲の心に届いていた。それを言われたから何かが変わるわけではない。でも、彼女は彼のさりげない優しさが嬉しかった。
一方の花音は、少しぬるくなった紅茶を一口。特有の香りが口の中に広がり、甘いものが欲しくなる。彼女はメニューを見て注文しようか悩んでいると、美咲が口を開いた。
「あの、花音さん」
「うん? どうしたの?」
「私って、そんな無理してるように見えますか?」
花音にとって、思いがけない問いかけだった。真剣な眼差しを向ける美咲から、思わず目を背けてしまいそうになる。
自身が美咲よりも学年が一つ上ということもあって、敬語で話してくれていると感じていたが、ある意味そうではなかった。純粋に、美咲は花音の存在が有り難かった。個性がぶつかり合っているこのバンド。面倒見が良い美咲にとって、花音は
「……正直ね、無理してるようにしか見えないよ」
「あはは…そうなんですね」
「だから、私のこともっと頼っていいからね。頼りないかもしれないけど、協力するから」
「はい。ありがとうございます」
自分から行動するのが苦手な花音と、責任感の強い美咲。性格は相反する二人だが、合わさってみると意外としっくりとくる。本人たちはそんな感覚だった。
そういう出会いがあったことは、このバンドに関わることができてよかったと美咲は心のどこかで感じていた。ただ、それを口にするわけでも無い。そうすれば、自身の負けを認めるようなものだ。
「でも、その幼馴染の子はすごいね」
「え、どうしてですか?」
「美咲ちゃんのこと、よく見てるなぁって」
「いやいや」美咲は右手を顔の前で左右に揺らす。
「そんな深く考えてないですよ。あいつは」
「うーん、そうかな? 話聞くと、すごいいい人そうだけど」
「至って普通ですよ、普通」
優人への褒め言葉を全力で否定する美咲。本人が聞いたらそこでまた一悶着ありそうな。しかしここに彼は居ない。それをいいことに彼女は心の底から否定した。
そうは言うものの、美咲の表情は花音から見ても緩んでいた。まさに説得力のない否定である。
「仲良いんだね。その
「いやいやそういうんじゃ――――って言いましたっけ? 男だってこと」
「ううん。私の予想だよ。でも、正解みたいだね」
驚いた。美咲が想像している以上に花音は人のことをよく見ている。そう感じたのだ。
しかししかし。花音から言わせれば誰でも分かると言いたくなるのが本音。それだけ美咲が楽しそうに会話していたのだから。
「彼は知ってるの? 美咲ちゃんがバンド活動してること」
「いや……今日言おうと思ってたんですけど……」
「けど?」
「予期せぬ事態になりまして」
美咲は呆れながら話す。残りわずかになったミルクティーを飲み干す勢いでストローを吸う。氷と息がぶつかる音がよく響く。
彼女が今日優人にあった理由。それは一週間後に迫ったライブのチケットを渡したかったのだ。自身が参加していることについても、それとなく伝えるつもりだった――――のだが。花音はその理由を聞きたかったのか、黙って美咲を見つめていた。
「こころが先に話したみたいなんです。バンドのこと」
「そ、そうなんだ。ってことは、美咲ちゃんのことも?」
「いえ、それについては何も言ってないみたいです。だけど、それ聞いちゃったら何となく言いづらくて」
こころは「バンドをやっている」という事実しか彼には伝えていない。だから美咲が隠す理由は何もない。しかし、彼女からすればこころたちとバンドをやっているという事実を知られたくないのが本音だった。
バンドをやっていることを隠し通すことも考えた。しかし、美咲はそれが出来なかった。彼にどうやって伝えるか、自分でもどうしてそう思うのか不思議でならなかった。
優人のことを聞いた花音は、ふと先ほどの出来事が頭をよぎった。美咲に言うべきかどうか悩んだが、こころ絡みということもあり、あまり良い予感はしなかったため、口を開いた。
「そういえば。さっきこころちゃんが気になること言ってたな」
「気になること?」
「うん。次のライブは
「え」
美咲はあからさまに表情を歪めた。まさに予想していなかった展開。チラリとこころに視線を送るが、本人は楽しそうに薫たちと談笑している。
しかし、美咲は安心しなかった。
こころが言うことは、ある意味筒抜けなのだ。彼女の護衛たちに。もし彼女が
「そ、それってユウ――――じゃなかった。彼のことを言ってるんですかね…?」
「ど、どうだろう? 確かに私たちのライブには女の子が多いから、男の人にも見てもらいたいってことかも…?」
花音としても、こころの本心は分かるはずもなかった。
そもそもの話。このバンド活動自体もこころの思いつき。それであるにも関わらず、ライブの話まで持ってくるのだから、その行動力は見事と言わざるを得ない。
美咲はこころに真意を確認しようか迷った。しかし、余計なことを言ってまた面倒なことになる可能性もある。
(大丈夫……だよね? 多分……)
自身でそう言い聞かせるしかなかった。いずれにしても、ライブまで一週間しかない。いや、一週間も猶予がある。その中で、チケットを渡すしかないだろう。
ただ今日彼を呼び出したのは、美咲の心の準備が整ったから。バンドに無理矢理入れられた時から話したいと考えていた彼女にとって、一週間という期間はあまりにも短いのかもしれない。
「なんとか言わないとなぁ……」
花音にも聞こえない声でそう呟く。
その声には、優人を今日呼び出したことへの後悔の念が込められていた。
一方、その頃――――。
美咲と別れた優人は自宅まで歩みを進めていた―――のだが。普段とは違う明らかな違和感を感じていた。 いつもより歩くスピードを速めると、その違和感も一緒に着いてくる。そう、彼は尾けられていた。
尾行しているのは、こころのSP。つまり、美咲の不安が的中していた。ただ当の本人は彼女たちが
「なんだよマジで……」
自宅が近くなるにつれ、彼の不安は大きくなった。
ここまでは、自宅が特定されてしまう。遠回りをするか、近くの交番に駆け込むか。頭を巡らせる。しかし、この尾行劇に終止符を打ったのはSP張本人だった。
「奥澤優人さん――――ちょっとよろしいでしょうか」
「え、なんで俺の名前……」
彼の警戒心を少しでも解くため、人通りの比較的多いタイミングを見計らって声をかけた。ハッキリとした声のおかげで、しっかりと彼の耳に届く。優人は、名前を呼ばれたことに驚いた様子。それ以上に不気味さで出てくる言葉は少なかった。
「貴方にお渡ししたいものがあります」
「わ、渡したいもの? てかあんたたち誰…?」
優人の言葉に返答することなく、黒服の女性は一枚の封筒を差し出した。仕方なくそれを受け取ると、その女性は口を開いた。
「お嬢様からの希望です。よろしければ」
「は、はぁ……」
お嬢様、と呼べる知り合いは居なかった。結局誰のことを指しているのかわからないまま、その女性は彼の前から立ち去った。
白い封筒には何も書いていない。見るからに怪しさしかないが、恐る恐る中身を取り出してみると、一枚の紙が入っていた。
「……チケット?」
優人は視線を落として、チケットを読み込む。可愛らしくポップ。いかにも女子受けしそうな明るい色のソレは、一週間後に控えたライブのチケットだった。会場はライブハウス・CiRCLE。優人にとっては初耳だったが、距離としては十分近い。
人通りは少ない。SPたちが話しかけたタイミングはまさに秀逸というべきか。そもそも、彼の名前を調べてしまうのだから、只者ではない。
状況を飲み込めないまま、さらに読み進めていく。
「ハロー、ハッピーワールド!」
こんにちは、幸せな世界。
思わず笑ってしまうようなバンド名。お花畑にいるような。優人からすればダサい名前だった。
そのまま封筒に入れ直して、自宅へと歩みを進める。そのライブに行くかは今の優人には分からない。
バンド名から、あの黒服の人間は決して悪い人間ではないと察することが出来た。あくまでも彼の中での推測にしか過ぎない。それでも、それはほとんど確信しているようなもの。
当日のライブに行くかはわからないが、頭には留めておこう。それと、美咲にも連絡しなくちゃ――――優人はそんなことを考えた。美咲が不安を抱いていることは知らず。
ハロー、ハッピーワールド! に相応しいぐらい澄み渡った空。日が落ち始めた夕方に、彼は少しだけいい気分で帰宅した。
ありがとうございました。
書いてるとわかります。美咲ちゃん可愛いやつやん。
もっと美咲モノ増えて欲しいんですけどね。バンドリ自体、どのバンド・キャラクターが人気なのか、私自身も把握できておりませんが…。
いずれにしても、お気に入り登録・ご感想ありがとうございます。
新たに高評価してくださった境川さんもありがとうございました。
ご感想・評価お待ちしております。
十二月に入りましたね。引き続きよろしくお願いします。
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第四話 幼馴染はとっさに嘘を吐く
ハロー、ハッピーワールド! そのライブを三日後に控えた水曜日の夕方。美咲は全国チェーンの喫茶店で甘いホットコーヒーを啜っていた。
二人掛けのテーブル席。制服を着ているのは店内でも美咲だけで、ほんの少しの気まずさを抱いていた。待ち合わせの相手をジッと待つのも少し退屈。柄ではないが、スマートフォンを弄って時間を潰していた。
彼女は緊張していた。鼓動がいつもよりも早いのを感じている。そのせいで、周りの雑音は一切聞こえなかった。
決心したのだ。優人に、バンド活動のことを打ち明けると。鞄にはライブのチケットを準備している。可愛らしい封筒に入れたソレには、彼女の不安と期待がしっかりと込められていた。
緊張で喉が渇いているようで。甘いホットコーヒーではそれを潤すことは出来ず、彼女は席を立ちレジへと向かう。そこで、冷たいオレンジジュースを注文した。行儀は悪いが、立ったまま残り少なくなったコーヒーを飲み干し、紙コップをゴミ箱に捨てた。それと同時にオレンジジュースを受け取って席へと戻った。
少しだけ贅沢をしてしまった、そう思ったところでそれを味わう余裕なんて無かった。フーッと深呼吸をして優人を待つ。
喫茶店なら、いつも使う羽沢珈琲店がある。しかし、美咲は敢えて行かなかった。万が一、こころたちと鉢合わせになる可能性を考えたのだ。そうなれば、バンド活動のことを伝えるどころじゃなくなる。
それに美咲の場合は普通にバンド活動をしているわけではない。着ぐるみを着てミッシェルとしてステージに上がっている。ミッシェルの存在を
制服のポケットからハンカチを取り出し、手汗を拭く。美咲自身、ここまでドキドキするとは思っていなかったようで。ゆっくりと深呼吸する。
「別に言う必要ないんだけどなぁ……」
独り言。それは誰にも聞こえるはずもなく。
彼女自身、わざわざ優人に打ち明ける必要性は無いと理解していた。別にバンドに関わっている人間でも無いし、これから関わることもない。隠し通すことはいとも簡単だった。
しかし。美咲の中で優人に知っておいて欲しいという気持ちがあるからこそ、彼女は悩んでいたのだ。万が一、心が折れそうになった時に頼れるのは、昔からの知り合いである優人だと。
それは別に恋心なんかじゃない。長いこと一緒に居るからこそ、異性として意識したことは無かった。それは二人に共通して言えることだった。
「――――悪い、待った?」
「遅い。待ったよ」
「そこは嘘でも『待ってないよ』って言うんじゃないの?」
「嘘ついてどうするの。彼氏でも無いのに」
「それもそうだな」
約束の時間を決めていたわけではなかった。学校帰りにこの喫茶店に集合とだけ伝えていたせいか、優人は悪びれた様子も無く席に鞄を置いた。
「飲み物買ってくる」
「うん」
優人は鞄から財布だけを取り出して、レジへと向かう。特にアルバイトをしていないが、普段から浪費するわけでも無い。お年玉や時折貰う小遣いを上手く貯めていたため、懐には余裕があった。
一方の美咲。レジで注文する彼の後ら姿を眺めて、鞄から封筒を取り出した。薄いピンク色の封筒には花柄のイラストがプリントしている。自分でも
五分もしないうちに、優人は席に戻ってきた。
飲み物だけと思っていた美咲は少し驚く。お盆に飲み物とチーズケーキが二つ、乗っていた。
「ケーキ、あげるよ」
「え、何? 今日何かあったっけ?」
「いや、何もないけど?」
「そんないいよ。食べなよ」
「あ、そう。わかった」
彼は差し出したチーズケーキを再び自分の方に引き戻した。
しかし、それを見た美咲は顔を歪ませる。不満しかない表情をしているが、優人は敢えて何も言わなかった。反応すれば、また面倒なことになると感じたからだ。
「そこは無理にでも差し出すのが普通じゃないの?」
「なんでだよ。いらないんだろ?」
「それは……冗談に決まってるじゃん。察してよ」
「いや分かるわけないだろ」
反応してもしなくても、面倒なことは変わらなかった。今の彼女はかなり面倒な女になっている。そういう時は大概、疲れている時なんだろうと優人は察した。
ただ、ここで下手に出れば美咲にこき使われるのは目に見えている。彼は気づいていないフリをしながら、仕方なしに彼女にケーキを差し出した。
「はい、どーぞ」
「ん。ありがと」
皿に乗っているチーズケーキは、綺麗な黄金色をしていた。ケーキ屋さんのモノとは違い、喫茶店で食べるスイーツはまた別の美味しさがある。
優人はフォークで二等辺三角形に整えられたソレを丁寧に切る。口に運ぶと程よい甘さが一気に広がり、疲れが癒されていく感覚を覚えた。 しかしそれは一瞬で。目の前にいる美咲の視線に気付く。
「……なんでしょうか」
「フォークが無い」
子どものように何かを訴えかけるような視線。まさかとは思ったが、優人はフォークの場所を説明する。
「あー。あっちに置いてるよ」
「それは分かる」
「…じゃあ、なんですかね?」
「取ってきて」
「嫌です」
それは完全なるパシリである。優人は下手に出たつもりは無かったが、今日のところ完全にナメられている。ここで取りに行けば、今日は完全に尻に敷かれること間違いなしだった。
美咲も、自分の口からそんな言葉が出てくるとは想像もしていなかった。そこで初めて彼女は気付いた。自分が彼に
きっと疲れからキテいるのだろう。そう彼女は考えた。しかし、その疲れの原因はある意味優人自身。彼にとっては気の毒だが、フォークは自分で取りに行く気は一切無かった。
「早く。お腹空いた」
「……あーもう。わかったわかった」
「ん。それでいいんだ」
渋々、優人は再び席を立った。気分はただただ面倒。それが表情にも出ていた。
フォークを一つ取ると、すぐ近くの席に座っていた母親ぐらいの女性二人組と目が合う。何故か微笑んでいるが、優人は軽く会釈だけして席に戻る。
「どうぞ、
「サンキュ」
お嬢様、と茶化した優人だったが、彼女はそれを見事にスルー。お嬢様とはかけ離れたラフな返事をする。
心の中でため息をつく彼とは対照的に、取ってきてもらったフォークでチーズケーキを口に運ぶ美咲。久々にケーキを食べたのもあって、頬が思いっきり緩んだ。
「美味しいですか?」
「ん。おかげさまで」
「そ、ならいいや」
一つぐらい毒づいてやろうかと考えていた優人だったが、緩みきった彼女を笑った顔を見ると、そんな気もすっかり失せてしまった。
ストローでオレンジジュースを飲む彼女。そんな美咲を見ながら、彼はケーキを頬張る。一口目には感じられなかった甘味がそこにはあった。
「――――んで、用ってなに?」
すっかりケーキに夢中になっている美咲に問いかける。あっという間に残り半分になったケーキを名残惜しそうにしながら、鞄から取り出していた封筒を差し出した。
「なにこれ?」
優人は素直に投げかけた。しかし、美咲は何も言わずにただ差し出しているだけ。
彼女のことだ。別に変なことではないだろう――――そんな安心感から優人は素直にそれを受け取った。
美咲は心臓が高鳴っているのが自分でも分かった。きっと彼のことだ。すぐに封筒の中身を見るはず。そしたら、すぐに説明しないと――――そう思っていた彼女の予定は狂う。
優人には、この封筒を渡される光景には既視感があった。そこで彼は、封筒を開ける前に先日の出来事を美咲に話していなかったことを思い出す。
「そういやさ、この前も同じようなことあって」
「………え」
美咲は言葉を失った。察してしまったのだ。先週、抱いていた不安が的中してしまったのかと。だが、彼の言葉を聞くまでは分からない。素直に話の続きを待つことにした。
「黒服の女の人からいきなり封筒渡されて」
あぁ、最悪だ――――。美咲は右手に握っていたフォークをテーブルの上に力無く置いた。
またあいつだ、弦巻こころだ。彼女が余計なことをしたから。美咲の心の中で嫌悪感に近い感情が湧き出る。しかしそれは今に始まったことではない。ソレを本人にぶつけるつもりもないし、予定も無い。だからこそ、行き場のない呆れをぶつけたかった。
「それがバンドのライブチケットでさ。ハロー、ハッピーワールド! なんて言うバンド名で」
優人がツラツラと言葉を並べても、彼女の耳には届いていなかった。彼としては先日の奇妙な体験談を話したいだけなのだが、それが今、彼女の胸を締め付けるとは思うはずもなかった。
美咲自身、これから彼に何と言われるか不安でしかなかった。もうすでに封筒は渡してしまっている。これを開けられれば、何と言い訳しようか。今、彼女の頭はそんなことで一杯だった。
異空間とバンドをしているなんて、気持ち悪い。
バンド名も変。ダサい。
着ぐるみなんか着てステージに。馬鹿みたい。
そもそも私がバンドなんて――――。
悲観的な想いしか出てこなかった。どんなに頭をひねっても、彼女がバンドに抱いているのはそういうネガティブな想いだけ。
だからこそ、自らの口で彼には伝えたかった。加入した経緯を丁寧に説明して、彼女たちと
ただそれはもう叶わなかった。こころ、正確には彼女を取り巻くSPがライブチケットを手渡したことで、バンドへの先入観が彼に植え付けられてしまった。
それがどのような気持ちか、今の美咲には分からない。だけど、自分から聞く勇気は彼女には無い。自身の言葉はもう届かないかもしれない――――そう思うと、彼女はキュッと胸が締め付けられた。
「めっちゃ面白そうじゃない?」
「…………へ?」
美咲はここ最近で一番間抜けな声を出した。
彼の口からは、自身が想像していた言葉と正反対のセリフが飛び出したのだ。面白そう、それがどのような意味合いで言ったのかは分からないが。
一方の優人。美咲の間抜けな顔を見て思わず頬が緩む。チーズケーキを夢中で頬張っているかと思えば、こんな間抜けな顔になったりと。先ほどから一喜一憂している彼女が面白いようで。
「これってさ、例の異空間のバンドなんでしょ?」
核心を突く問いかけ。美咲は彼女が大富豪の娘とは一言も言っていない。したがってSPのことも彼は知らないはずだった。
しかし、優人は予想した。きっとあの人たちも異空間の関係者なのだろうと。その根拠は至って単純。ぶっ飛んでいるからだ。常識から。ただそれだけの理由でそう言うが、彼の中でほぼ確信していた。
「……うん。そう。弦巻こころが立ち上げたバンドなんだ」
「弦巻さんって、あの子?」
「そう、あの子。黒服の女の人っていうのは、その子のSP」
「SP……金持ちか」
彼はこころのことを理解する。先週、美咲と会う前に話しかけられたあの女子生徒がこのバンドを立ち上げた張本人。SPがチケットを渡したのも理解できる。思いつきか何かだろうと彼は察する。
「って、詳しいな美咲」
「……うん。まぁ」
ふと、優人は彼女から受け取った封筒のことを思い出す。「開けていい?」との問いかけに彼女小さく頷いた。しかしそこには先ほどまでの気弱な表情は無く。覚悟が決まったようなキリッとしたそれに変わっていた。
優人が封筒を開け、右手で中身を優しく取り出す。その間、美咲の胸の鼓動は恐ろしいほど高鳴っていた。
「チケット………ってこれ」
「…よかったら来て」
ぶっきらぼうな言葉で美咲はそう言う。それは優人がすでに一枚貰っているチケットと、全く同じものだった。想定外だったのか、彼は驚いた表情で美咲を見つめている。
あぁ、苦しい――――。高鳴る鼓動のせいで、美咲は息が詰まりそうだった。何と言うべきか。本当のことを言いたくても、喉がそれを許さない。
「え、美咲もバンドしてるってこと……?」
これを不思議に思うのは優人の方。まさに想定外の展開だった。こころが所属するバンドのチケットを彼女が持っているのだ。関係者だと思うのは自然の流れ。単刀直入に問いかける。
美咲だって、本当のことを言いたかった。着ぐるみを着て、ステージに立っていると。しかし、その計画は出だしから挫かれた。弦巻こころによって。
「私は彼女たちの手伝い的な。巻き込まれちゃって」
あぁ、やってしまった――――。自身でも最悪の展開だと理解はしていた。しかし、いざ本人を前にすると本当のことは言えなかった。
ここまで来れば、どうして言えないのかもよく分からない。彼女の中で
自分に冷めてしまったのか、美咲の表情は落ち着いている。
それは優人にも十分伝わったようで、 意外そうな目で彼女を見つめていた。
「へぇ、大変だな。いつから?」
「四月の頭から」
「それなら早く教えてくれれば、ライブ行ったのに」
「……バカにするくせに」
「なんでだよ。実際のところ、また断りきれなかったんだろ?」
「……そうだけど」
優人は心配そうにそう言うが、それに対する美咲の口調は厳しいものだった。いわゆる八つ当たりである。彼女はそんな自分に嫌気がさす。
ただ彼は慣れた様子を見せる。気にすることなく、チーズケーキを再び口に運ぶ。先ほどと変わらない甘さだ。
「ライブ、見に行くよ」
「いいよ来なくても」
「じゃあなんでチケット渡したんだよ。当日は美咲も居るんだろ? なら行くよ」
「……なにそれ」
視線を彼から逸らして、納得していないような声を出した。ただ実際のところ、彼女は心の底から嬉しかった。普段はふざけているが、彼の優しさは本当に暖かいもので。美咲の荒んだ心に染み渡っていく。
ただ優人は、そんなに深い意味を込めたわけではない。だとしても、美咲は素直に嬉しかった。バカにされると勝手に思っていただけに、少し身体がフワついたような、そんな感覚を抱いた。
「まぁ、怒らないでケーキでも食べなよ」
何もわかっていないくせに――――喉まで出かかった言葉を美咲は飲み込んだ。ここで彼に当たるのは違うと考えたのだ。少し頭が冷えたように見える。
本当のことを伝えられたわけではない。それでも、彼女は少しだけ胸のつかえが取れたようだった。手伝いをしているということも、あながち間違いではない。会場などは全て、美咲が押さえているのだから。
「うん。次はあのワッフル食べたい」
「自分で買ってくださいな」
「嫌。ご馳走してね」
美咲は残っていたチーズケーキを食べ終わり、精一杯の甘い声でそうお願いする。優人には
「まぁ……いっか」
彼女はレジで会計をする優人の後ろ姿を眺めながら、独りでつぶやく。諦めのような言葉に聞こえるが、実はそうではなかった。
優人には本当のことを言えなかった。でも、それでも良かった。無理して言うこともない。そんな感情が込み上げていた。
不思議な話なのだ。彼がバンドの存在を認めてくれて、ライブにも来てくれると言っただけで、美咲の心は本当に落ち着いた。懐かしい、暖かい優しさで。
「……何笑ってんの?」
「ううん。なんでもない」
幼馴染の存在というのは心の多くを占めている。それは優人にしても同じで、何かあればすぐに連絡したくなる関係性。それでいて悩みをそれとなく伝えると、自分が思ってもいないほど優しい答えが返ってくる。
だからきっと、受け入れてくれるはず。いつ言えるかわからないけど―――。美咲は彼が買ってきたワッフルを今日一番の柔らかい笑顔で口にした。
ありがとうございました。
お気に入り登録五十人も。ありがとうございます。
新たに高評価してくださった、ようやくサラダの逆さん、桜田門さん、ヨルノテイオウさん、ありがとうございました。
美咲ちゃん可愛いですよね。たまりませんね。ええ。
バンドリではどの子が人気なんでしょうか。感想で教えていただいてもいいんですよ。
ご感想・評価お待ちしております。
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第五話 幼馴染は全力で睨みつける
五月の中旬。青空の下、家族連れの笑顔が溢れている土曜日の午後。優人は近くのライブハウス・CiRCLEに足を運んでいた。初めて訪れたそこは、ライブが開催されるのもあって、彼が思っていた以上に賑わいを見せている。
ジーンズに長袖シャツを纏っている彼は、もう少し動きやすい服装が良かっただろうかと自問する。しかし今さら着替える気にはなれなかった。
優人はライブハウスにも来たことないし、ライブを見ることも初めてだった。
ハロー、ハッピーワールド! そのライブには彼が想像していた以上に多くの観客が集まっていた。チケットには2ndとの記載があったことから、ライブ自体は初めてではないようだ。
「にしても、女子率高いな……」
彼の周りはほとんどが女子高生だった。一番の要因としては、薫の存在。しかし、優人は薫のことも知らなければ、バンド構成も知らない。無知の状態でライブに参加したことを今さら後悔する。
美咲が手伝っているというだけで、ここまで足を運ぶのも中々に出来ないこと。彼は先日そう言ったことを少しだけ後悔していた。
ライブハウス初体験の彼は、後ろの方でのんびり見ようと考えていた。友達も居ないし、わざわざ前の方に行く理由もない。前の方は中々に人が入っていたが、後方部分はゆったりとした雰囲気が漂っていた。
前方の女子軍団は薫の登場を待ちきれないのか、すでにはしゃいだ様子。そのせいで、女子特有の甘い香りが彼の居る後方にまで綺麗に届いた。
甘っ――――。胸焼けしそうな香りに、彼は気持ち悪さを覚えた。女子たちはそう思われているとも知らず。気の毒な話だ。
決して広くはない会場。まさにライブハウス。
彼女たちはどのような音を奏で、観客を魅了するのか――――優人は心躍っている。今すぐ始まってほしいと。
その頃、ハロー、ハッピーワールド!のメンバーは舞台裏の楽屋で待機していた。ステージ衣装に着替え、準備も万端。二回目のライブということもあって、
「大丈夫ですか?」
「う、うん。やっぱり緊張するね……」
「上手くいきますよ。沢山練習したじゃないですか」
ミッシェル――――美咲は優しく声をかけた。
しかしそこには、奥沢美咲の姿は無い。今の彼女は熊のミッシェルとして楽屋に居た。熊が優しく励ましているのを見ると、幼稚園児が読むような絵本みたいな光景。ランランと歌っているこころは、ミッシェルに話しかける。
「ミッシェルっ、準備はいいかしら!」
「おー。頑張るぞー」
あぁ何やってんだろ私――――。心の中で自虐する。あれだけ嫌がっていたのに、しっかりとミッシェルを
普段よりも声のトーンを少し上げ、言い回しを優しくする。それだけで三バカはミッシェルの存在を信じてしまう。呆れすぎて、最早笑いしか出てこない。
そして何より、今日は優人が会場にいる。
ミッシェルとして彼の前に出るのは、もちろん今日が初めて。手伝っていると嘘を吐いてしまったことで、不安は完全に取り除けたわけではない。しかし、言わないよりマシだったと彼女は開き直った様子。
やがて、こころが全員を集めて円陣。大きな声で四人を鼓舞する姿には、美咲も素直に感心していた。強引すぎるところはあるが、人を引っ張る力に長けた人間。美咲とは正反対のキャラクターだ。
世界中の人たちを笑顔にする!――――それがこのバンドの大きな目標。大きすぎるようにも見えるが、弦巻こころのようにぶっ飛んだ人間が言うと、何故か説得力があった。不思議な話である。
会場はポップに装飾されている。
手作り感満載のソレは、いい味を出していた。それは優人も思ったようで、せっかくだからとスマートフォンで写真を撮っている。
それからすぐ――――ステージは暗転する。
前方に居た女子軍団は喉が千切れそうなほどの歓声を浴びせる。優人は念のため持参しておいたライブ用耳栓を急いで装着。間も無く、暗闇に浮かぶ五人の光。
ドラムスティックを叩く音がワン、ツー、スリーと響く。 そして――――ポップな音が重なり、キャッチーなメロディーを作り出した。
歓声も一段と大きくなる。
ボーカル、弦巻こころ。無意識だろうが、観客を煽る技術にも長けている。可愛らしい歌声の中に芯の強さが垣間見えた。
ギター、瀬田薫。その美貌を最大限に活かすギターテクニック。その存在感は抜群で、多くの観客の目を引く。
ベース、北沢はぐみ。目立ちにくい楽器ではあるが、持ち前のキャラクターでその不安を吹き飛ばす。ただしっかりとリズム隊を支えている。
ドラムス、松原花音。自信なさげな表情は、時間とともに消え失せ。練習を重ねたドラムさばきは確かなものだ。
そして――――DJ、ミッシェル。明らかに浮いている存在感が、不思議なまでに溶け込んでいる。楽曲を彩るプレイスキルは荒削りだが、確かな存在感を示している。
個性のぶつかり合い。それが奇跡的に化学反応を起こし、一つのバンドとして成り立っている。これが一人でも欠けていれば、こんなことにはならない。
観客の多くは、何故こんなバンドの音楽に惹かれるのか。よく分かっていなかった。洗練されていると言われれば、そうではない。特出したスキルがあるわけでもない。
ただ、見ると元気になる――――。果てしない目標を、もしかしたら達成できるかもしれない。そんなことを演奏しながら美咲は考えていた。
しかし。後方で見ていた優人は気になって仕方がなかった。
「……なんで着ぐるみ?」
その声はバンドが奏でる音にかき消された。
だが喋る相手もいない彼にとって、それは他愛もないことで。着ぐるみを着てバンドをするという発想が優人には無かったらしく、可笑しさを通り越して新鮮味すら感じていた。ただ、それが着ぐるみであることは流石に理解しているが。
熊の着ぐるみを着てDJプレイをする。冷静に見れば確かに可笑しな光景である。しかし、この場では誰もそれについて触れていないせいで、彼の興味はソコにしか集中しなかった。 約一時間のライブの中で、彼の印象に残ったことと言えばミッシェルのことがほとんどだった。
一方の美咲。ステージに出るとすぐに優人のことを確認した。後ろの方に居るだろうと予想していた彼女は、比較的すぐに居場所を把握することができた。だが――――。
(なんでずっとコッチ見てんの……!)
優人の視線はしっかりと
そのせいか、ライブ終盤のMCでは。
「今日はミッシェルも緊張したみたいだねー。あんまり落ち込まないでね!」
はぐみにそう言われてしまう始末。今日は歌わなかったせいで、マイクをセットしていない彼女は、何も反論することができなかった。
絶対またケーキ奢ってもらう――――。誰のせいでこうなったのかと言わんばかりに、そう美咲は誓った。八つ当たりもいいところである。
そんなこんなで、ライブは無事に終了。メンバーはステージ裏に引き上げると、テンションが上がっているせいか全員でハイタッチ。ミスした美咲についても、こころたちは思いのほか励ましてくれる。だが彼女からしたら傷に塩を塗り込むようなものだ。
そうとは知らず、観客は大満足した様子で会場を後にする。優人もその中の一人ではあったが、聞き覚えのある声に呼び止められた。
「奥澤さん――――ちょっとよろしいですか」
「あ。弦巻さんの……」
黒のスーツを身に纏った一人の女性。どういうわけかサングラスを外していたせいで一瞬気づかなかったが、その異様な存在感は彼の中にしっかりと残っていた。
「お嬢様がお呼びです。もしよろしければ、今ならステージ裏にいかがですか?」
「あー……」
どういうわけか。彼は弦巻こころに気に入られたらしく。あまりにも突然すぎる提案も、先日の件もあってさほど驚かなくなっている。しかしここで行けば、彼女の相手をしないといけなくなるのだ。あの異空間の相手を。
「えっと、みさ――じゃない。奥沢って居ますよね? 奥沢美咲」
「ええ。彼女も居ますよ」
「だったら、行きます」
「そうですか」と柔らかい声で女性は言う。緊張感のある姿しか見たことのない彼は少し驚いた。そういった顔も出来るのかと。
美咲が居るなら行く、勘違いされそうな台詞ではあるが、彼にそんなつもりは一切ない。ただ単に、こころとの会話を助けてくれる存在としての認識にすぎなかった。
それでも、女性の提案を断らなかったあたり、美咲に会いたいと思う理由は本音。無意識のうちに口実を作ろうとしているのかもしれない。
女性から渡された関係者用の名札を首からぶら下げ、優人は女性の後に続く。人の流れとは逆方向に移動していることもあり、彼はよく目立った。まるで悪い事をして連行されているように。
優人は周りの視線を気にせず、黙って歩く。名札までぶら下げているのだ。何も恥じることはない。
やがてステージ裏に着くと、狭い廊下に楽屋が数室並んでいた。まさにここでアーティストの卵たちが己を磨く。壁にはサインが書き込まれており、その独特な雰囲気に彼は驚いた。
女性はこのうち一室の前で立ち止まる。優人に少し待つよう伝えると、彼女は先に楽屋に入って中の様子を伺った。だが数分もしないうちにドアは開いた。
「お待たせしました。どうぞ」
「は、はい」
楽屋に入る前から、先ほどとは違う甘い香りが彼の鼻孔を刺激した。顔を出すと、こころと目が合う。他のメンバーも視界に入る。全員がステージ衣装のままで、美咲に至ってはミッシェルのままだった。その中でも、こころのなぜかキラキラと輝いている瞳は、彼にとっては眩しすぎた。
「あっ! 男の人!」
「ど、どうも……」
こころは優人に駆け寄り、彼の両手を胸の前で握った。
身長差が大分ある二人。彼が視線を落とすと、見た目に反して大きさのあるバストが目に入る。衣装のせいで下手をすれば下着が目に入りそうになる。平然を装っていた彼だが、己の意思とは反して顔がニヤけてしまう。
柔らかいこころの手。ここ最近で一番緩んだ優人の表情。その姿を冷めた目で見つめる瞳があった。
「何ニヤついてんの……あのバカ」
ミッシェルの中に美咲が居るとは知らず。男の表情をしている優人に、彼女は誰にも聞こえない声で毒づいた。
幼稚園から一緒の美咲は知っている。優人の女っ気の無さに。彼女が出来たこともなければ、女子と仲良く喋っているところすら見たことがなかった。
そんな彼の男の表情に、彼女は気持ち悪さすら感じていた。胸の奥がチクリと痛むような、そんな気持ち悪さに。
「美咲ちゃん、あの人が…?」
「そうです。あんな奴、認めたくないですけど」
隣にいた花音が、美咲にしか聞こえない声で問いかける。
美咲は思いっきり毒を吐くが、優人には全く聞こえていない。むしろ彼は、三バカと自己紹介を済ませて自然に会話していた。
「優人、また来てね!」
「も、もちろん。あはは…」
ただここで言う自然に、というのはこころから見ての話。
名前を教えるといきなり下の名前で呼ぶ彼女に、恥ずかしさすら覚えていた。その間もずっと手を握っているこころ。もちろん、彼女は意識しているわけではない。それは優人にも何となく伝わっていたが、それでも恥ずかしさを隠すことは出来なかった。
優人は我に帰り、美咲のことを思い出したようで。
「そ、そういえば美咲は?」
「美咲?」
私はついでですか。そうですか――――。嫌味ったらしく彼を蔑むような視線を送る美咲。しかしそれは彼に届かない。
その代わりに、目の前に居たこころが反応する。辺りを見渡してみても、当然のごとく美咲は居ない。いや居るんだがそれを知っているのはここにいる中で花音だけ。 それを知らないこころは他のメンバーに視線を送った。
「さぁ、見てないな」
「はぐみも見てないなー。みーくんのこと」
「み、みーくん……」
優人はつい吹き出した。しかし、はぐみは何故そうなったのか分かっていない。「ごめんなさい」と笑いながら謝る彼の言葉に説得力は一切無く。
「あーあーあー……!」
先ほどよりも冷酷さを増した美咲の視線と言葉。それに彼は気づくはずもなく。思いっきり怒鳴りたい感情を抑えるが、花音にはそれが伝わっていたらしく。彼女は美咲を全力で宥めた。「ミッシェル、落ち着いて」と。
美咲が少し落ち着いたところで、見かねた花音は優人に言う。
「美咲ちゃんなら……さっきここのスタッフさんと話してくるって言ってましたよ」
「あ、そうなんですか。えっと……」
「あっ、えっと…松原花音です。美咲ちゃんからお話は聞いてます」
ペコリと頭を下げる花音。優人も合わせて軽い会釈で応えた。
彼女の方を見た優人は、その隣にいるミッシェルがどうしても視界に入る。ライブでもひたすら集中していたこともあり、興味があった。ミッシェルという存在に。
「えっと……脱がないんですか?」
話が通じる人でよかった――――花音は心の底から安心する。ここで本物だと信じられれば、いよいよ収拾がつかなくなるのは目に見えていた。
ただ、この正体は美咲。今ここで脱ぐわけにはいかないのだ。優人が来ることを知っていたら、さっさと脱いでいたのに。こころたちに気を遣ったことを今になって後悔していた。
今話すわけにはいかない美咲に代わって、花音がそれとなく三人のことを説明する。優人も決して勘が鈍いわけではない。彼女のぎこちない説明を聞いて、すぐに納得した。無論、それはこころたちのぶっ飛び具合を知っていたからこそ。普通であれば有り得ない話だ。
「なんか……災難ですね」
彼はそう話す。さっきまでニヤついていた男とは思えないほど気を遣った台詞である。美咲は心の底から嘲笑した。説得力無いんだよ――――蛇のごとく毒を持った美咲の牙。
堪えていた感情を抑えきれなくなった美咲。のそのそと優人に近づき、彼の左肩目掛けて思いっきり右手をふるった。
「痛っ!! え、なんで!?」
「ばーかばーか」美咲は感情のこもっていない言葉を放つ。予想外すぎる展開。花音は優人を心配し、三バカはミッシェルの豹変ぶりに笑っている。まさにカオス。ただの楽屋がそれこそ異空間になってしまったようだ。
一方の優人。何も悪いことは言っていないのに、いきなり肩パンされたことに驚きしかなかった。
しかし、そこで彼は考える。これはミッシェルなりの挨拶なのかもしれないと。考えてみれば、これだけ個性的なメンバー。中の人もそれなりに
実際のところ、彼が一番よく知っている美咲なのだが。そんなことを言えば、更なるパンチが飛んできても不思議ではない。
「ミッシェルは機嫌が悪いのかい? 今日の失敗は気にすることない」
「そういうことじゃない気が……」
なんかムシャクシャするだけです――――。心の中で返答する美咲。彼女は優人が仲良く異性と会話しているのを初めて見た。それが無性にイラついていた。自分でも何故かは分かっていないのがミソ。
彼としてもいきなりその見た目で殴られれば、恐怖すら覚える。ミッシェルに背中を向け、そそくさと帰ることにしたようだ。
「あーそうだ。美咲に伝言いいですか」
「あ、はい。もちろん」
「無理しないでと伝えてください。なんかあったら連絡してと」
「……はい。わかりました」
伝言どころか、しっかりと聞いている。しかし、花音は気付かれないように冷静に対応した。
優人が楽屋を出ようとすると、こころたちがまたも賑やかになる。すっかり受け入れたようで、下手すればバンドに入れなんて言われかねない。逃げるように出て行った彼を見て、美咲は笑った。
「優しい人だね」
「……そんなことないですよ。あんな奴」
そうは言うものの、先程とは違って。美咲の声色は少しだけ優しくなっていた。彼女は、そんな単純な自分に嫌気がさしていた。
ありがとうございました。
バンド説明のところは完全に私の主観です。すみません。
昨日からお気に入り登録が三倍になってて驚きました。本当にありがとうございます。
また沢山の方に高評価してくださいました。fulluさん、青りんご1357さん、エリアさん、チェルシー+さん、伊咲濤さん、彩守露水さん、一般的な犬さん、レオパルドさん、椀子そばさん、きな粉ミントさん。ありがとうございます。
明日の更新は難しいと思いますが、今週中に続きをアップしたいと考えております。美咲はいいぞ。
ご感想・評価お待ちしてます。
ここでちょっとお知らせを。
11月25日から、ハーメルン様でラブライブ!の二次小説を投稿している薮椿さん主催で短編企画集を開催しています。毎日21時更新で、総勢三十二人の作家さんたちの短編が日替わりで投稿されています。もしよろしければご覧ください。
ちなみに、私も参加させていただきました。私の出番は12月6日です。覚えていたらご覧なってください(笑)
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第六話 幼馴染は遣る瀬無く雨の中
ハロー、ハッピーワールド! その2ndライブから、三週間が経った。季節はすっかり梅雨模様で、しばらく太陽は顔を出していない。 この日も空は鉛色の雲に覆われ、すっかり飽きられた水滴が地面に打ち付けていた。
土曜日で学校の無い優人は、普段なら部屋に籠っている。しかし、今日は違った。ジーンズにスニーカー、緑色のシャツを着て商店街近くのファミリーレストランに居た。
スマートフォンを弄りながら時間を潰している。どこか落ち着かない様子。しばらく連絡しなかった相手と、久々に食事の約束をしていた。
「――――お待たせ」
美咲は地味な色合いの服を着て、彼の前にやってきた。
傘を盗られることを考えていたせいか。傘立てに置かずにテーブル席まで持ってきたせいで、床が濡れている。しかし、美咲は気にした様子を見せなかった。
「別に待ってないから。俺もさっき来た」
まるで彼氏のような台詞を放つ。しかし美咲は感情なく「そう」と答えて優人と向かい合うように座った。
彼の拳に力が入る。自身が想像していた通りの彼女が来た。自分の予想が当たってしまったことに、イラつきを覚えている。
ドリンクバーを二つ頼もうとした優人だったが、美咲はそれを拒否。この後用事があるため、長居するつもりはないという。その声はとても冷め切っていた。
仕方なく、二人ともお冷やを用意。特に食べるものも無いという美咲に合わせて、優人も何も頼まなかった。
「で、話って?」
「単刀直入に聞くけど。……怒ってる?」
「なんで?」
「態度見ればわかる」
「別に? 気のせいじゃない?」
気のせい、と濁した美咲の返答。そこで優人は確信した。彼女は何故か自分に対して怒っている――――。怒っていないのであれば、素直に否定すればいいだけの話。
しかし、美咲はそうしなかった。彼女の中で嘘をつきたくないという感情があったからだ。怒りの感情については、自分でも上手くコントロール出来ないことに、美咲自身は気に食わなかった。
優人にしても、怒っているのはわかるが、何故彼女が怒っているのかが分からなかった。そもそも自分に対しての怒りなのか、別でただ八つ当たりしているだけなのか。
彼の心当たりとしては、三週間前のライブ。あの時、彼女が戻ってくるのを待たなかったことが尾を引いていると考えた。しかし、それだけでここまで引きずる美咲ではない。
道でバッタリ会っても素っ気ない態度を取り、メールをしても既読無視。相当お怒りの様子。
「あのー…俺に怒ってるの?」
「だから怒ってないってば」
美咲は続けて否定した。優人をあざ笑うかのような声で。お冷やを口にしても、彼女の頭は冷めない。
彼女が抱いている感情。三週間前のライブがきっかけであることは間違いない。正確には、ライブ後の出来事。三バカの口から優人のことが出るたびに無性にイラついた。
要は、ただの八つ当たりなのだ。美咲は八つ当たりであることは理解している。だから怒っていないと考えるだけの理性がまだ残っていた。
そのことを伝えればいいのに、そうしない。伝えてしまえば、自分が恥ずかしいだけ。それが、三週間もの間二人の関係性を微妙なものにしていた。
「いや怒ってるじゃん。ここ最近ずっと素っ気ないし」
「いつも通りだけど? 本当に素っ気ないのなら、今日来てないし」
「そ、それはそうだけど……」
「そもそも、別に付き合ってるわけじゃないんだし。何ムキになってるの」
今の彼女は感情が波打つことが無かった。
そのせいで、正論ともとれる言葉がツラツラと出てくる。確かにその通りではあるが、優人は納得した表情すら見せない。反論を考えているようにも見える。
一方で美咲。先ほど注いだばかりのお冷やをヤケになった様子で飲み干す。そして、彼の返答を待たずして席を立った。しっかりと傘を握りしめて。
「話はそれだけでしょ。私もう行くから」
「ちょ、ちょっと待てって!」
彼に背を向けて店を出ようとした美咲。優人は思わず立ち上がって彼女の右手を掴んだ。細く、柔らかい手。でもそれは、こころの手よりも冷たかった。
土曜日。雨の日であるが、店の中には家族連れも多く見受けられた。その分、二人に寄せられる視線もチラホラと。咄嗟の行動に恥ずかしくなった優人は、掴んでいた彼女の手を離した。
「ご、ごめん」
「………ばか」
美咲は早足で店を出た。残された優人。周りは彼に好奇の目を寄せている。思春期真っ只中の二人の関係。それが大人たちには途轍もなく甘く感じられた。
そんな視線を受けつつ、彼は席に戻ってメニューを開く。何も頼まずに出て行くことを申し訳なく思ったのか、ミートドリアを一つ頼んで美咲に電話をかけた。
しかし。反応は一切無い。気づいていないわけがない。無視しているだけだと彼は察する。ため息とともに、やり場のないストレスが彼を襲う。
俺が何したって言うんだよ――――。根本的な話がわからない彼は、もうどうしようもなかった。頭を抱えるしかなかった。
彼は思い返す。美咲とのこれまでを。彼女がここまで自分を突き放すことなんてまず無かった。あったとしても、それは二、三日程度で元に戻る。しかし、今は三週間だ。そんな長い間、こんな態度を取られたことはない。
ミートドリアが運ばれてくる。近くで見れば、湯気が上がっていて、見るからに熱いのがわかる。しかし、今の彼にそんなことは関係なかった。
熱々のソレを口に運ぶと、熱が舌を激しく刺激する。
千切れそうな痛み、麻痺しそうな感覚。そんなものでこの感情を誤魔化そうとしている自分に、彼は反吐が出そうだった。
美咲――――。届きもしないのに、心の中で叫ぶ。
恥ずかしさもない。残るのは虚しさだけ。八方塞がりの今この瞬間、その悔しさが涙となって。
優人の手のひらには、彼女が店を出ようとした時。咄嗟に腕掴んだあの感触がまだ残っている。
あの時、離してよかったのだろうか。
こっちに引き寄せるべきだったのか。
出て行った後、追いかけるべきだったのか。
ファミレスで一人、何をやってるんだろう――――。自分が情けなくなった優人は、急いでドリアを口に運ぶ。でも、熱いソレは中々減らなかった。
店を出ていった美咲も、同じようなことを考えていた。
最悪な自分に嫌気がさす――――。傘をさして青信号に変わるのを待つ美咲。バイト先の商店街までの距離が異様なまでに長く感じられた。
バイトの時間まで、まだ大分時間はある。それでもいい。一刻も早く奥沢美咲のことを忘れたかった。自分勝手な感情で、優人を傷つけてしまった。その事実から目を背けたかった。
雨が傘に打ちつける。撥水性に優れた傘は、水滴を見事なまでに弾き返した。それが、彼女の履いていたスニーカーを濡らす。靴下に雨水が触れると、気持ちの悪い感触が一気に押し寄せてきた。
替えの靴下を持参していた美咲にとって、それは他愛もないこと。気にすることでもないコトであるに関わらず、今はそれが心に沁みる。
青信号になって、一秒、二秒と時間が過ぎていく。
美咲以外に渡ろうとしている人間は居ない。信号停車中のドライバーが不思議そうに彼女に視線を送った。
あぁ、さっきと同じだ――――。ファミレスの時と同じように。美咲はそのドライバーと目が合ったせいで、急いで信号を渡った。
滑りやすくなっている地面。剥がれかけた路面表示が明るく見える。下手をすると、すぐに転んでしまう。注意して、彼女は渡りきった。
「美咲…ちゃん?」
「……あ。花音さん」
美咲が商店街の入り口に入ると、正面から花音が不思議そうに話しかける。少しだけ俯いていたせいか、美咲は反応に遅れた。
水色の傘にフリフリの白いスカートを纏う花音。彼女らしい服装。美咲は愛想笑いを浮かべた。
バイトまで大分時間がある。美咲の中で、そんなことが頭をよぎる。
「今からアルバイト?」
「……かなり早く来ちゃいまして。あの……もしよかったら少し話しませんか? 羽沢珈琲店で」
優人を適当にあしらっておいて、言えた口ではない。そんなこと、美咲自身も分かっていた。しかし、ここで花音に会えたのは彼女の中で一つの光。愚痴を聞いてもらえる絶好の相手だった。
ところが。花音は苦笑いを浮かべながら、その提案を断った。
「ごめんね。今から用事があって」
「……そうですか。すみません、無理言って」
「ううん。それより、大丈夫? 顔色悪いよ?」
「そうですかね…。平気ですよ。安心してください」
無理をしないでと伝えてください――――。花音の頭に優人の言葉がよぎった。伝言なんて必要のない場面であったため、彼女の口からは伝えていない。
でも、いまようやく。彼女は優人がそう言った意味が理解できた気がした。美咲の性格。責任感が強すぎる彼女の性格が。
「で、でも無理しちゃダメだよ。その……彼も言ってたし」
「……もういいです。ユウのことは。聞きたくないです」
「し、心配するに決まってるよ! だから今日は休んだ方が―――」
「もういいんです。本当に」
優しくも思いやりのある花音の声。
美咲は、それを受け入れなかった。むしろ、彼女に八つ当たりすらしそうになる。これが優人であれば、間違いなく感情をぶつけていたはず。ギリギリのところで堪えた。
無理に押し通すことが性格的にできない花音は、そこで諦めて美咲と別れた。これほどまで心が苦しくなるとは思わなかった。
今すぐ彼に連絡して、彼女を止めてほしい。あの時、連絡先を交換していなかったことを心の底から後悔した。
雨脚は強まるばかり。
美咲は商店街の中にある雑居ビルに入り、広報部のスタッフに声をかける。予定の時間より大分早いが、彼女はそそくさとミッシェルの着ぐるみを纏い、その上から大きな雨がっぱを着けた。
ここにあるミッシェルは、商店街が所有するもの。ライブ時に使うミッシェルは、こころの家に保管していた。彼女が絶対に分からないように細心の注意を払っているという。
商店街に出ると、着ぐるみ越しに雨を浴びた感覚に陥る。
強い雨の中でも、人通りはそこそこ。土曜日だからだろう。カッパを着た子どもたちも元気に走り回っている。
「あ! ミッシェルだー!」
ミッシェルという存在は、少しずつ認知度も上がっていた。
四月から定期的に姿を現わすこともあり、商店街のマスコットとしてしっかりとその役目を果たしている。
美咲は、バイトを始めてから今までに感じたことが無いくらいに気分が楽だった。奥沢美咲という人間じゃない、今この瞬間が。とても、とても居心地がよかった。
そんな彼女を、見つめる視線がまた一つ。
「……ミッシェル?」
優人だ。商店街の入り口付近で、物陰に隠れるようにピンク色のソレを見つめていた。
彼は熱すぎたドリアを食べ終わると、すぐに店を出た。それからすぐ、母親からおつかいを頼まれたのだ。手持ちがないことを願っていた彼だったが、目的を果たすためには十分な金額を所持。仕方なく、商店街にやってきた。
透明の傘のせいで、ジッとしていればよく目立つ。
ひとまず、おつかいを済ませてしまおうと考えた彼は、ミッシェルにバレないように商店街を物色。十分もしないうちに任務を遂行した。
相変わらず、ミッシェルは子どもたちの相手をしている。
見た目は可愛らしいが、彼は以前肩パンされている。というより、そもそもあれが自身の知るミッシェルなのかすらも分からなかった。
「……帰るか」
どのみち、今の彼は傷心そのもの。打ち付ける雨ですら心に痛いほど沁みていた。遠目でミッシェルを観察していた優人が背を向けると、背後から大きな音とともに子どもの泣き声が響いた。
彼は、意識したわけではない。無意識だ。ただ声がしたから振り返っただけ。
そこには、足を滑らせて転んでしまった五歳ぐらいの男の子と、手を差し伸べるミッシェルの姿があった。
「だ、大丈夫!?」
美咲は、自身がミッシェルであることを忘れて。素の声でその子に手を差し伸べていた。ただ男の子はそんな余裕もなく、ひたすら泣き喚く。
埒があかないと判断した美咲。とりあえず彼の身体が濡れないように転んだ弾みで落とした傘をさす。それからすぐに彼の母親が駆け寄り、ミッシェルに頭を下げる。
少し冷静になった彼女は、キャラを保つために右手を振った。
母親は彼の濡れた身体を拭き、少し落ち着きを取り戻すのを待って手を引いて帰っていく。その後ろ姿を見て、美咲は少しだけ申し訳なさを感じていた。
私がよく見ていれば――――。そんなことを考えたせいで、ミッシェルらしからぬ雰囲気が身体から出ている。
ただ視線はよく集まっている。ここはミッシェルとして、役割を全うしないと――――。そう思う彼女は、再び明るく振る舞う。
ミッシェル。それは熊の着ぐるみ。それは誰もが見て分かること。それなのに、遠目でそれを見ていた優人は――――呟いた。
「――――美咲?」
雨音に掻き消され、その声は誰にも聞こえない。
先ほど喧嘩別れしたはずの彼女の名前。どうして自分の口からそれが出てきたのか。優人は考える。
あぁそうだ――――。子どもを慰めるその姿が、彼の記憶の中にいる美咲とリンクしたのだ。なんとなく、彼女っぽい雰囲気のミッシェルに。
そこで彼は、これまで考えもしなかった一つの可能性に気づく。――――ミッシェルが美咲であるという可能性。まさに目から鱗。ジッとミッシェルを見つめても、ピンクの熊にしか見えない。
ただ、先ほどの後ろ姿は紛れもなく美咲の雰囲気を醸し出していた。幼馴染だからこそ分かる、根拠はそれだけ。
すっかり元通りになったミッシェル。笑顔を振りまいているのに対して、優人は。
――――あの三人はその…わかってなくて
――――美咲ちゃんなら、さっきスタッフさんと
――――痛っ!! あはは。ミッシェルは機嫌が悪いのかい?
「いや……まさか」
あくまでも一つの可能性にしか過ぎない。それは優人も分かっている。しかし、そう考えるとなんとなく合点がいった。
三週間前。自身が楽屋を訪れた時、問いかけにミッシェルという存在を信じ切っている三人が「知らない」と答えるのは自然。しかし、花音だけは理解していた。ミッシェルの存在を。
その彼女が上手く誤魔化した――――そう考えれば、イラついた美咲が肩パンしたこともある意味話が通じる。
しかしだ。これはあくまでも彼の中での推測に過ぎない。
今の優人に、ミッシェルのことを「美咲」と断定することは出来なかった。
「まさかなぁ」
頭をひねっても、美咲がミッシェルであるという確信は無かった。どうしようかと悩む。また美咲に伝言でも頼もうか。いや何度も言うが、そもそも本物のミッシェルなのかもわからない。
それでも――――彼は動いた。ミッシェルの元に、歩み寄る。
「えっと……み、ミッシェル」
恥ずかしさを抑えて、呼び掛ける。周りの子どもたちはキョトンと優人を見つめている。しかし、これに焦ったのは、美咲だった。彼の存在に気付かなかったことに加え、突然話しかけてきたのだ。声も出せず、ジッと彼を見つめる。
「お、覚えてます? ライブの時」
忘れるわけないでしょ――――。心の中で言葉をぶつける。
ここで反応しなければ、正体がバレてしまう可能性もあった。先ほどまでの
このミッシェルがハロー、ハッピーワールド!のメンバーなのか。話しかけてはみたものの、優人には分からなかった。それもそうだ。あの時は衣装もしっかりと用意されていたが、今は着ぐるみ用の雨がっぱを纏っているだけ。よくいる着ぐるみだ。
「……君に伝えるのはおかしいかもしれないけど。美咲に伝えてくれませんか」
これで違ってたら、ただ恥ずかしいだけだな。優人はそう思いつつ、口を開いた。気休めにもならないが、とにかく誰かに伝えたかった。それだけの話。
一方で、目の前にいる美咲は心の中で思い切り毒づいた。また伝言。それなら、直接言って欲しいと。先ほどまでの感情が湧き出る。
ただそれは優人に届くはずもなく。彼は口を開いた。
「俺は――――頑張ってる美咲が好きだって」
「へっ……?」
美咲は思わず声が漏れた。気の抜けたみっともない声。
ただ優人はそれに気づいていない。それだけ浮き足立っていた。自分でも考えた台詞と違う言葉が出てきて、「あぁいや!」と慌てて否定する。
「そ、そういう意味じゃないから! そこは誤解しないで、しっかり伝えてください。今ちょっと気まずいんで」
そう言い残し、優人はその場から立ち去った。
気のせいか、雨脚が少し弱くなっているように感じるほど、彼の身体は火照っている。恥ずかしさが心の中から飛び出してしまったような。
「す、す、好き………? な、何言ってるの……」
ミッシェル――――固まる。
雨に打たれて故障したかの如く。美咲の頭の中は、パンクしてしまいそうな。そういう意味じゃないと、優人が付け足した言葉は、彼女には届いていない。
「ママー。ミッシェルが動かなくなったー」
子どもの声がしても、彼女は固まっている。
やがて広報部のスタッフが慌てて美咲の様子を確認する。それでも彼女は上の空。そんな美咲をよそに、雨は止んだ。
ありがとうございました。
昨日は「明日は更新できないと思います」とあとがきに書きましたが、あれは嘘です。奇跡的に書き終わりました。やりました。褒めてください。
話も折り返しを過ぎました。
もうしばらくお付き合いいただけると嬉しいです。美咲はいいぞ。
高評価してくださった皆さん。燐(リン)さん、ハチミツたいやきさん、しょーきさん、セダンディさん、銀赫さん。ありがとうございました。
ご感想・評価お待ちしています。
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第七話 幼馴染は意味を履き違える
長かった梅雨も終わりに近づいて。
七月の上旬。金曜日の夕方。明日は休日ということもあって、街はどこか気の抜けたような。
いつ梅雨明けになってもおかしくない。しかし、まだまだ雨の日は多い。その一方で、気温は一気に夏模様へと駆け上がっていく。
その中で奥沢美咲。鼓動が高鳴って高鳴って仕方がない。
全国チェーンの喫茶店で、二人。甘すぎるホットコーヒーを飲みながら彼と向かい合っていた。ここで彼と話すのは約二ヶ月ぶり。前のことがかなり昔に感じられた。
「梅雨明けってまだみたいだな」
「へ、へぇ」
「最近雨ばっかりで嫌になるよな。たまには晴れてほしい」
「そ、そうだね」
ぎこちなさすぎる会話。まるで営業トークの導入部分のような。
二人の間でそんな世間話をすることはまずない。これまでのように、いきなり本題に入ることが出来なかった。
その理由として、あの時の言葉。
――――頑張ってる美咲が好きだよ
あーあー―――。しっかりと彼の声で脳内再生されるソレを、彼女は全力で振り払う。それでも、頭の中にしっかりとこびりついた言葉。この一ヶ月。一日たりとも忘れることが出来なかった。
優人にしてもそうだ。ミッシェルに伝えた言葉が、美咲にしっかりと伝わっているテイで座っている。自身が言った台詞がクサすぎて、彼にとっては今この瞬間、公開処刑のようなもの。
今ここに彼がいるのも、美咲からの連絡を受けてだった。
あの雨の日から二週間ほど。二人の関係は微妙なまま。しかし、美咲に関しては怒った様子もなく。
彼女はアイスコーヒーをストローで啜る優人を、チラリと確認する。互いに浮き足立っているせいで、視点が定まらない。
湿気のある外とは違って、空気が涼しい。いつもより髪の毛の収まりが悪い美咲の黒い髪。うまく誤魔化す。
「あ、あのさ」
「な、なに?」
「聞いた? その……ミッシェルの人から」
また空気が変わる。ピンっと糸が張るように。
優人が思い切って問いかけたのは、そんな空気に耐えきれなくなったから。このまま時間が経つのが彼にとってまさに地獄。さっさと要件を済ませたかったのが本心だ。
「う、うん。聞いた……聞いた」
砂糖のようなホットコーヒー。その後味が口の中に居座っている。そのせいか、喉が渇いて仕方なかった。
聞いた、優人の口から直接。そう言えば、楽になることも美咲は分かっている。ここまで及んでも、自身の口からは言えなかった。完全にタイミングを見失っていた。
――――頑張ってる美咲が好きだよ
そんな想いとは裏腹に。優人を前にすると、頭をよぎる言葉。
これまでよりもその頻度は高くなっている。さっきから美咲の鼓動は高まりっぱなしだった。
美咲はこれまでに、優人からそんな甘い言葉をかけられたことはなかった。これまで茶化し茶化されてきたただの幼馴染。それが今はどうだ。彼女にとって、男にしか見えなかった。
違う、違う――――! 心の中で一生懸命に首を横に振る。
そんな感情ではない。そう自身に言い聞かせても、それは脆く。
「あ…えっと……その……」
言葉が出てこない。こんなこと今までなかった。
言いたいのに言いたくない。言ってしまえば、きっとそれは――――。どこにぶつけていいかわからない感情。きっと彼も
「き、き、気持ちは嬉しい……うん、嬉しい……」
「お、おう…」
ん? 優人は内心首を傾げた。
いつもの美咲と違う。真っ先にそんな感情が湧き出たかと思えば、なんだこの生き物は。可愛いじゃないか――――と。
ん? 優人はまた内心首を傾げた。
可愛い? こいつが? このぶっきらぼうなこいつが? いやいやまさか。
確かにこの彼女。顔は整っている。中学時代はそれこそ可愛い部類に入ってた。でも優人自身、彼女のことを
それに加えて、彼女のサバサバした性格と筋を通す職人気質の性格。一緒に居ると実は結構疲れたりするような。
そんな彼女が今。顔を紅潮させて、自分の前にいる。
なんなんだこれは――――。優人はよく分からない感情に
「で、で、でもさ。やっぱりほら……その……」
これまでの人生で一番、美咲は恥ずかしさを抱いていた。
たった一言を紡ぐのに、彼のことを見つめると、考えると。喉がキュッと締まってしまう。
美咲に触発されてか、優人も固唾を飲んだ。飲み込まれてしまいそうな彼女の甘い雰囲気と香り。意識したことない感情が込み上げてくる。でも、それを言葉にすることは出来なかった。
「わ、私たちって……や、やっぱり幼馴染だから……」
ん? 三度目だ。心の中で首を傾げるのは。
彼の心模様に気付いていない美咲は、声が震えていた。それでも、しっかりとその想いを口にする。
彼女は完全に思考が止まっていた。彼の言葉に、すっかりと夢中になっていて。頑張っている、そんな前置きも彼女には無意味。
好きだよ――――。あぁなんて恥ずかしくて、甘い響きなのだろう。今の彼女は、それこそドラマのヒロイン。そんな勘違いをしてしまうほど、舞い上がっていた。
それでも心の何処かにいる理性が、必死にそう言うように舵を切った。気が強いのか、弱いのか。
しかし、これに困ったのが優人だ。
完全に誤解している、目の前の幼馴染は。しっかりとミッシェルには伝えたはずだ。そういう意味ではないと。
そもそもが、ミッシェルにそう言ってしまったことが間違いだなんて。今の彼には知る由もなかった。
「えっと……すごい言いづらいんだけど」
「ご、ごめん! ゆ、ユウのこと嫌いとかじゃ――――」
「なんか誤解してない……?」
「へっ」美咲はなんともみっともない声を洩らした。
まさに想像していなかった言葉。誤解? ごかい? ゴカイ? 止まっていた美咲の思考が、少しずつ動き始める。
「そ、そんな意味で言ったんじゃないんだけど……?」
「へぅ」変な声が出た。
全身の血の気が引いていく感覚。それなのに、身体は一気に熱を帯びていく。瞳を点にして、優人を見つめる美咲。やがて、自分が犯した過ちに気付いた。
自覚するともう止まらない。火が出そうなほどに、真っ赤に染まった美咲の身体。
優人は笑っている。可笑しくて? いや彼女に気を遣って。
ここは笑って受け流すしかない。それが美咲のためだし、自分のためにもなる。そう思っただけ。その笑いは決して余裕の表れではない。世間的に言う苦笑いというやつ。
「ま、まぁ……そのあれだ。俺が変なこと言ったから」
彼は謝罪の気持ちを込めて、彼女にそう伝える。
それで済むならなんとやら。美咲は「はぅはぅ」と喋っているのかただ呼吸しているのかよく分からない。まるで金魚のように。
最悪、最悪、最悪、最悪――――。彼女はその二文字を延々と脳内で繰り返す。自分の
相当恥ずかしいのか、諦めているのか。美咲は彼の顔を見たまま動かなくなった。
「お、おい? 美咲? 美咲ってば」
「わ、わ、わ、私――――」
「だ、大丈夫だから。とりあえず落ち着いて」
優人だって相当テンパっていた。だが人間とは不思議なもので。自分よりもテンパっている人が居ると、心が落ち着いた。
ふーっ、ふーっ。彼女は優人に促されるままゆっくりと深呼吸する。身体の熱は下がらない。鼓動だった早いままだ。それもこれも、全て優人のせいなんだから。そう思いながら。
数分経って、美咲はようやく落ち着きを取り戻した。
ぬるくなったコーヒーを一口。あぁ、甘い。身体が溶けてしまうほど。このまま今は溶けてしまいたい。
「……ユウのせいだから」
「いやそう言われても…」
「ふ、普通誤解するでしょ? そ、その……好きとか」
「だからそういうのじゃないって言ったんだって」
「そ、そんな聞こえなかったから!」
「えっ」
「……あっ」
やってしまった。こんな形で、あぁ。
美咲は身体の力が抜けていく。これまで隠してきた事実が、こんな形でバレることになるだなんて。
いや、別にバレたからって今さらの話である。実際のところ優人だって勘付いている。心の底から驚くなんてことはあり得なかった。
優人は頭を捻った。やがて、あの時の推測が。
あぁ、やっぱり。あの時の感覚は本物だったんだ――――。彼女は間違いなく隠している。自身がミッシェルであることを。あの日の勘が当たったことに、自身でも驚いていた。
驚くほど冷静になっていた優人は、そこで思考を巡らせた。なぜ彼女がここまでして隠してきたのか。ただこの短時間では、その理由まで見つけることは出来なかった。でも、何かしらの理由があるはず。大した理由じゃなくても――――。そう考えると、不思議と彼女を庇いたくなる感情が湧き出た。
「……ま。何れにしても誤解させたのは悪かった」
「あ……うん」
何も言わないんだ――――。喉まで出かかった言葉を、美咲は飲み込んだ。彼がスルーした理由。彼女に分かるはずもなく。ただ、今はその優しさが沁みる。
「せっかくだからさ。この流れで恋バナでもする?」
「……なんで今?」
「いやほら、美咲のそんな顔見たことないし」
「…うるさい」
空気を変えようと、優人は明るく呼びかける。その内容は、彼女の心を虐めるスレスレの話題。確かに今しか話せない内容ではあるが。
美咲と優人。幼馴染ではあるが、互いの恋愛事情を話したりすることはこれまで一回もない。ただ興味はあるようで、それぞれで察することもしばしばあった。
「美咲っていま彼氏いるの?」
「居るわけないじゃん」
「でも中学の頃は結構モテてたよね?」
「あー…。知らない男子からいきなり呼び出されることもあったっけ」
「ふーん。美咲って可愛いもんな」
「へっ」
「あっ」
違う違う違う――――! 彼は右手で口元を押さえ、左手を顔の前で左右に振った。違う、これに深い意味はないと。何言ってんだ俺――――。
優人自身、そんな言葉が出てくるとは思ってもいなかった。だからこそ、身体が火照ってくる。熱い、熱い。
ようやく落ち着いたのに。美咲の胸の鼓動は再び高鳴っていく。ドクン、ドクンと。苦しい。
可愛いだなんて。優人から初めて言われた言葉。中学の頃は確かに、色々な男子からアピールを受けていたが。美咲自身、彼に言われるその言葉が一番胸に刺さった。
あり得ない、あり得ないから――――! 彼女は頭をブンブンと横に振る。心の中に生まれた感情を振り払うがごとく。しかし、それは中々消えようとはしない。むしろどんどんと大きくなっていくような。
「ちゃ、茶化さないでよ!」
嬉しいくせに――――。心の中でそう突っ込むもう一人の自分。
嬉しい? なんで?
自問自答。それで答えが出るのならどれだけいいことか。肩の力が抜けていく。不思議と。
「わ、悪い……」
一方の彼。謝ってはみたものの。優人にとっても、完全なる不可抗力。謝る意味を見出すことは出来ていない様子だ。
美咲は先ほどから声と呼べないような声がよく出ている。冷静に思い返して、それが途轍もなく恥ずかしかった。
冷たくなったコーヒーを飲み干す。
甘い、甘すぎる。でも今はその甘さが頭を醒ましてくれるようで。ただ口の中は砂糖の味で覆い尽くされた。
「そ、そういうユウはどうなの。その……彼女とか」
「逆に居ると思う?」
「……なんかごめん」
「いやそんな顔するのやめて。悲しくなるから」
冗談で受け流してほしいと願う優人。ただ今の美咲にはそれは出来なかった。なんとなく真面目な回答になってしまう。これも全て優人のせいだと。
しかし、美咲は安心していた。
彼に恋人がいない。心の何処かでは、やっぱり気にしていたんだな、そう冷静に分析している。その反面、別に安心なんてしてないし――――と言い張る自分も居て。彼女の心の中はそれこそパニック状態だ。
「女子の友達とか居ないの?」
「居ない。
「へぅ」また変な声が出た。
今日はもうダメだ。彼の顔を見ると、変に意識してしまって。普段なら何とも思わない言葉も、今は感度が上がりすぎて辛い。
「な、なんか可笑しいよ。今日の美咲」
「あ、あんたのせいだから」
「だから俺はちゃんと伝えたって!」
「知らないよそんなこと!」
あぁなんと平和な喧嘩なのだろう。
店内でのんびりと過ごす客たちも、二人の会話が微笑ましく。懐かしそうに、楽しそうに、眺めていた。
一つの誤解でここまで話が進むものなのだ。意外なまでに。互いに意識していなかった関係。でも心の奥底にある相手に対する想いが、ミッシェルのおかげで姿を現した。ただ、肝心の二人はそれを理解していない。
「……あのさ、最近、こころたちがあんたの話するんだけど」
「え、なんで」
「そんなの知らないよ。何かあるんじゃないの、あんたたち」
感情が一周したのもあって、美咲は胸に引っかかっていたことを思い切って問いかけた。
こころたちとの関係。恋人は居ないと言った彼にとっては、友人と一人なのかもしれない。しかし、こころたちはどうだろう。彼に想いを寄せているからこそ、そう話題に上がるのかもしれない。
そんな美咲の想いに気付くはずもなく。優人は不思議そうな顔をしている。
「いや別に何もないけど。それにそんな話したことないし……」
彼の中で、こころを思い浮かべる。するとどうしても、楽屋での光景。想像以上に育ったバストが思い出されるのだ。そんなこと、口が裂けても美咲には言えない。
いやでも待て。ミッシェルが美咲。美咲がミッシェル。あの場には確か――――居た。
「じゃあなんであんたの話が出てくるの」
「俺に分かるわけないだろ。本人たちに聞けばいいじゃん」
「それは……嫌だよ。嫌だからあんたに聞いてるんだけど」
「なんで怒ってるのさ」
「怒ってません」
そんな会話をしながらも、優人は記憶を辿る。
あの時、こころたちと話して居た時のこと。表情は……緩み切って、目線は……落ちてて。
それをミッシェル改め美咲が見ていたと仮定する。とすると、一番見られたくない相手にそんな顔を見られたというわけに。
優人の身体が一気に熱を帯びる。そして、冷たい汗が背中に浮かび上がって。
「ど、どうしたの?」
「あ、いや、なんでも」
良からぬことを思い出しているのだろう。美咲は彼の様子からそう察する。馬鹿らしさと少しの寂しさ。
なんで私は寂しいのだろう。そんなよく分からない感情が彼女を襲った。
優人だってそうだ。彼女にあの光景を見られたことが恥ずかしいのは分かっている。でも、それ以外にも感情が湧き出て。
申し訳ないなんて。なんで謝らないといけないのか。彼女でもない美咲に。ただの幼馴染である彼女に。
――――そもそも、彼女はただ幼馴染?
うん、そう。その通り。
心の中で大きく頷く。過去最高レベルの同意だ。それ以外に何があるというのか。優人は強気に攻める。
恋人? そんなわけがない。こんな面倒な性格をしている女子と付き合えるはずがない。百歩譲って美咲が可愛くても、恋人になるのはまた違った話。
いや、本当にそうか? もう一人の自分が顔を出す。
ならどうして、「頑張ってる美咲が好き」だなんて、誤解されるような言葉を言ったんだ? さっき「可愛い」だなんて言葉が洩れたんだ? ミッシェルを認めた彼女を深く追求しなかったんだ?
それは――――。答えが出ない。
美咲がもし、居なくなってしまったら――――。
優人はふと、そんなことを考えた。誰かと付き合ってしまえば、こんな簡単に会えなくなるのは分かっている。今みたいに愚痴ったり仲良く話すことも出来なくなる。
それは――――。
なら、この感情は? 離したくないと思う、この感情は?
――――なんだ?
「幼馴染だよ。私たちは」
「え?」
優人の心の声を読んだように。美咲はそう告げる。
あと少しでその答えが見えそうだったのに。勿体ないタイミングだと、心の中で毒づいた。
一方で、先ほどまでの慌てていた彼女はそこにはなく。すっかり冷静さを取り戻していた。
「その、なんて言うか。ユウのことは幼馴染だから。勘違いしないでね」
「勘違いしてたの美咲だろ」
「う、うるさい。ほ、ほらもう帰ろ」
あぁ暖かい。なんて気持ちの良い暖かさなのだろう。
心の奥底まで染み込んでいくソレは、優人の想いを鮮明に彩っていく。
雨はまだまだ止みそうにない。強い雨脚。
地面に勢いよく打ち付ける水滴が、二人の足元を濡らす。古めのスニーカーを履いてきて良かったと美咲は決して大きくはない胸を張った。
「相合傘で帰る?」
「……ばーか」
優人の冗談。不思議と美咲は頬が緩んで。
そんな二人。梅雨の終わりが、顔を覗かせた。
ありがとうございました。
この話、個人的に好きです。美咲って本当魅力的なキャラですよね。今で言う“尊い”。
物語も終盤に差し掛かってきました。かなりハイペースで更新しておりますが、もうしばらくお付き合いください。
新たに高評価してくださった皆さん。ローニエさん、テスラ1さん、ソウソウさん、邪竜さん。本当にありがとうございます。
ご感想・評価お待ちしています。
最後に宣伝を。
先日のあとがきにも書きましたが、薮椿さん主催のラブライブ!短編企画。絶賛更新中です。
そして今日、私の作品が公開されました。タイトルは「スウェットの僕と朝焼けの君」。一人のメンバーに絞った話になってます。よろしければこちらもご覧ください。
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第八話 幼馴染は木漏れ日を浴びて
梅雨が明け、七月中旬。
本格的に暑い夏が訪れ、街行く人間たちの水分を奪っていく。そんな季節が今年もやって来た。
この日も良く晴れて、青空と白い雲が都会の景色によく映える。
花咲川女子学園も、夏服を着た生徒たちで溢れかえっている。世間的に見ても、それはまさに楽園。甘い香りに包まれた別世界。
学校の敷地から少し離れたところ。
木陰で太陽の日差しが当たらないように、優人は居た。時刻は夕方の四時を過ぎたというのに、太陽の日差しは強く下界に照りつけていた。
そのせいで、優人は独り言で「暑い」と洩らす。陰だろうがしっかりと熱を帯びている。額に前髪が張り付いて、気持ち悪い。思い切って彼は前髪をかきあげた。手のひらについた汗をハンカチで拭う。
優人が待っている相手は、いつ来るかわからない。
そもそもの話、約束をしているわけではないのだ。その段階で、相手は美咲ではないということになる。
彼にとって、今の美咲と話すのは勇気が必要だった。彼女の顔を見るたびに、あの紅潮した可愛らしい彼女の姿が思い浮かんで。上手く言葉を紡ぐことが出来なかったのだ。
「………はぁ」
これはそう。きっとそう。
彼は気づいていた。自身が美咲を
それはあれだ。美咲がバンドを始めたことが始まり。そこでこころたちと出会い、美咲の新たな一面を知り、彼女が女の子であることを初めて自覚する。そんな一連の流れに沿って、彼は美咲に惹かれていった。
いや、ずっと昔から惹かれていたのかもしれない。
「マジで参った……」
後悔するような声。それが洩れても、周りにいる人間には聞こえてすらいない。自分の世界だけで解決しないといけないこの状況。それが彼は辛かった。
だから、優人はここに居るのだ。美咲との関係について、相談するために。
その相談相手というのが、この花咲川女子学園に居る。同じ学校に腹割って話せるような友達は居ない。俗に言う親友と呼べる存在。
話が話であることから、相談相手を彼は慎重に思考を巡らせた。その際、美咲と日頃から一緒に居ることの多いバンドメンバーの方がいいのではと考えたのだ。
こころ? 却下。
はぐみ? 却下。
薫? 却下。
ただ三バカについては考えてもいない。考えるだけ無駄だと感じたのだ。まともに話せる自信がないせいで。
そうなってくると、残るのは一人だ。優人の中では、決して相談に乗るタイプではないと感じている。しかし、彼女しか居ないのだ。頼れる人は。
だからこうして恥を捨てて、花咲川女子学園の前で待っている。ここで待つのは二度目の彼。それでも、やはりこの雰囲気には慣れなかった。
「――――何してんの?」
「げっ、美咲!?」
「なに? ……まさか盗撮なんてしてないよね?」
「するわけないだろ…」
最悪のタイミングだった。
優人は自分の考えの甘さを痛感する。相談対象の美咲も下校することになるのだ。ある意味この展開は自然。
夏服姿の美咲は、なぜか蔑んだ視線を彼に送っている。彼女としても、ここに優人が居る理由が分からなかった。
特に約束もしていない。連絡だって頻繁にはとってない。なのになぜ彼がここに? そう自問しても、彼女に答えが見出せるはずもなく。蝉の鳴く声が二人の距離感を突き離す。
「だったらなにしてるの? ここで」
「えっと……それはあれだよ」
「あれって?」
「あれだよあれ」
時間を稼ぐように彼はそう言う。
ただそれは美咲に通用しない。昔から都合が悪くなると誤魔化そうとする彼の癖。彼女はそれを一瞬で見抜いた。
だけど、ここで何も言わないのが美咲。泳がせておいて、一気に仕留めるのが一番効果的だと知っていたのだ。恐ろしい女である。
「――――ま、待ち合わせしてるんだ」
「待ち合わせ? 誰と?」
実際のところ、一方で待っているだけなのだが。
美咲はそれこそ瞳を点にして彼を見つめる。彼がこんなところで待ち合わせをするとなるとそれは――――間違いなく花咲川の生徒だ。
それが彼女には理解できなかった。女っ気のない彼が、いきなりそんなこと。キュッと拳を握って。
優人にしても同じだった。
あぁ変に誤解されてるな、これ――――。他に上手い言い訳が見当たらなかったせいで。
蝉は鳴く。二人の耳を刺激する声で。
日差しは強く、美咲の白い肌に突き刺さる。熱を帯びていくのが美咲自身もわかっていた。日陰にいる優人にも、それは伝わっている様子だ。
「まぁ、そういうことだから」
察してくれ、そう言わんばかり。彼はスマートフォンに視線を落とした。突き離すような言葉かもしれないが、彼の声は優しかった。
美咲は考えた。いや、気になった。 彼は誰と待ち合わせをしているのか。それはどんな
「……私も待っとく」
「は?」
「別にいいじゃん。減るもんじゃないし」
「そういう問題じゃなくて……」
美咲のそんな提案に、優人は顔を歪ませた。想定外の展開だった。
しかし彼女はもう決めたようで。彼の隣に移動し、スマートフォンの画面を覗き込んでいる。デリカシーというものが二人の間には存在しないようで。
「何見てるの?」
「ニュース」
「ふーん」
「やましいやつでも期待した?」
「んなわけないでしょ。気持ち悪い」
優人の懸念は杞憂に終わる。あの時の気まずさは感じられないほど、自然な会話だった。
しかし、二人ともその感情は心の何処かに置いているようで。会話しながらも、相手の様子をしっかりと伺っていた。
蝉の鳴き声が少しだけ小さくなったような。優人は正門から出てくる生徒たちの流れに集中している。そんな彼を見上げる美咲は、よく分からない感情が胸を覆っていた。
女っ気のない優人。かつてはここまで来ることすら拒んでいたのに。それがどうして。美咲の拳に力が入った。
しかし、優人は花音を見つけることが出来ない。十分ほどが経つが、もう帰ってしまったのだろうか。約束をしていない彼にとって、長期戦は覚悟の上だった。
ここまでしても、彼は想いを吐き出したかった。美咲以外の誰かに。この感情は――――きっと。きっとそうなのだろう。あれから一人。ずっと考えていたのだ。
優人は美咲に恋をした。ずっと昔から抱いていた感情は、彼女がミッシェルに出会い、ハロー、ハッピーワールド!と出会い。確かな恋心へと変わっていった。
それだと言うのに、彼は落ち着いていた。
いきなり美咲に声を掛けられた時は焦っていたのに、今は不思議と心が穏やかに。
「……ねぇユウ」
「なに?」
「相談なら乗るよ。私でよければ」
「どうしたの、急に」
心配そうに彼女は声を洩らした。
視線は彼と同じで、生徒たちの流れ。予想外の言葉だったせいか、優人は言葉を考える。考え事をしていたことは簡単にバレていたようで。
二人は互いの顔を見ることなく会話を広げていく。
「なんか悩んでるんじゃない? なんとなく、そう見えたから」
「別に悩んでるっていうわけじゃない」
「無理しないでよ。いつも私に言ってくれてるじゃん」
「それはまぁ……そうだけど」
生徒たちを眺めながら二人は会話する。出てくる生徒たちも二人のことが気になるようで、チラリと視線を送って帰路についている。
互いに手が届く距離感。それでもどこか、美咲は彼が遠くに行ってしまいそうな。変な感覚を覚えていた。
もし、ユウに恋人が出来れば――――。
美咲はそんなことを考えた。今こうして一緒に居ることは叶わなくなる。きっと彼は、私のところから居なくなってしまう。そんなことを。
それは、嫌――――。
彼女の中で、結論が出る。至ってシンプルな結論だ。離れるのは嫌だと思う。つまりそれは、自身が彼に対して特別な感情を抱いているから、なのではないか。自問する。
そもそも美咲にとってあの日以来、あんなに話しかけづらかったのに。彼の姿を見ると、身体が勝手に動いてしまったのだ。
それはきっと彼だから。奥澤優人という男の子だから。昔から一緒に居るのだから、自分のことを見ていてほしい――――そんなことを。
「なぁ美咲」
「なに?」
「俺が他の女子と話してたらどう思う?」
「……急になに?」
「いいから」
彼女の心の声を読んだのかと言いたくなるほど、ドンピシャな問いかけだった。
彼の声は至って真面目だった。茶化すことなく、真剣な回答を求めている声で。美咲はそれが意外だった。
そんなの嫌だよ――――と素直に言えればどんなに楽だろうか。彼女は視線を落として考える。今さら、恋人関係になんてなれるわけがない。そんな想いが彼女の中にはあったのだ。幼馴染として接してきたせいで、男女の仲にはなれないと。
「別にいいじゃん。あんたモテないし」
嘘だ。大きな嘘。優しくもなんともない、彼を突き放すような嘘。美咲は自分で言っておいて、胸が締め付けられた。
「いや辛辣すぎない?」
「だって事実でしょ。それとも気を遣ってほしかった?」
「そういうわけじゃないけどさ」優人は少しだけ拗ねたような声で話した。美咲はチラリと視線を送る。表情からも拗ねた様子が感じ取れて、思わず彼女は微笑んだ。可愛いところあるんだな、と。
相変わらず蝉がうるさい。美咲は少しだけ彼の方に近寄る。声がよく聞こえるように。それに反応するように優人。視線を落として彼女を見つめた。
「――――俺は嫌だ」
「なにが?」
「美咲が、他の男子と話してるの」
「……だから急にどうしたの」
「別に」と優人は視線を逸らした。
彼の頬はどんどん紅潮していく。口元を抑えて照れているのを隠しているつもり。しかし、美咲はしっかりとその様子を見ている。
あぁ照れてるんだなぁ――――彼女はそんな彼が愛おしく思えた。可愛くて、頼り甲斐もあって、優しくて。自分にとって彼は、かけがえのない存在であると。
それでも彼は、別の誰かをここで待っているのだ。その事実が美咲の胸を締め付ける。そんなことを聞いておきながら、別の女子を待っているなんて。そんなふざけたこと言わないでほしい――――。そう心の中で毒づいて。
「それより、待ってる人まだ来ないの?」
「あぁそうだった」
思い出したように彼は言う。これまで忘れていたのかと突っ込みたくなる美咲だったが、何も言わずにまた視線を生徒の流れに戻した。
先ほどよりも出てくる生徒は減っている。それもそうだ。今帰宅している生徒たちは殆どが帰宅部。部活に入っている生徒たちはまだ学校に残っているのだ。
そもそも彼は、誰を待っているのだろうか――――。その疑問が再び美咲の頭に浮かび上がる。忘れていた様子を見ると、約束すらしていないのではないか。
「何時に待ち合わせしてるの?」
「えっと…時間決めてなくて」
「その人、部活は?」
「………あ」
優人はすっかりそのことを忘れていた。待ち人である花音が部活をやっているという可能性が頭から抜け落ちていた。
まさに気の抜けた声が洩れる。美咲は少し呆れた様子で彼に視線を送る。一方の優人は彼女の疑うような視線に、咄嗟に嘘を吐いた。
「じ、実は美咲のことを待ってたんだよ」
「………は?」
「ほら帰ろうぜ」
どうしてそんな嘘を吐いたのか、優人本人もよくわかっていない。
彼としては、花音に会うという事実を美咲に知られたくなかった。相談内容が内容だけに、美咲にだけは知られるわけにはいかないのだ。
しかしそんな嘘が彼女に通用するわけもなく。帰ろうとする優人の右手首をガシッと掴んだ。
「なに隠してるの?」
「隠し事? そんなもんあるわけないだろ」
「大体が怪しすぎる。女っ気のないあんたがこんな場所で待ち合わせだなんて」
美咲の腕にギュッと力が入る。自分のソレよりも太い彼の手首。目一杯掴んでいても、彼にとっては痛くも痒くもない。
「だから美咲のこと待ってたんだって」
「どうして? 別に大した要件でもないのに」
冷静さを通り越して、彼女は呆れていた。ここまでくれば嘘も面白さすら感じて。それとは対照的に優人は焦った。ここまで問い詰められるとは思っていなかったせいもあり、頭をフル回転させる。
ここまでくれば、素直になっていいかもしれない――――。そんなことを考えた彼だったが、口にするべきか悩んだ。言うにしても、今じゃない。そんな気がして。
「よ、要件ならあるぞ。美咲じゃないとダメな要件が」
「へぇー。聞いてみたいですね。なんですかそれ?」
敬語で問いかける美咲。顔は笑っているのか怒っているのかよく分からない。これは半端な嘘を吐いてしまえば、そこでゲームセット。彼は考えた。本気の想いを。
本来であれば、花音に聞いて言うはずだった言葉。でも、もうここで言ってしまおう。覚悟を決めた優人。一呼吸置いて口を開いた。
「今週末……デートしない?」
「…………へっ?」
驚いた美咲は、思わず掴んでいた彼の手を離した。
ハナからこのことを伝える気だったのか? いや違う。流れでそうなってしまっただけ。それは優人自身も分かっていた。今日花音に相談した上で、結局のところ美咲をデートに誘うのは変わらなかった。
タイミングが少し早まっただけ。そう分かっていたのに、彼の言葉は震えて、心臓が高鳴って高鳴って。上手く彼女に伝わっているのかすらも理解できていない。
一方の美咲。彼を見つめて固まる。
デート、デート、でーと。頭の中でその言葉を噛み砕いて、意味を理解しようと思考を巡らせる。出てくる意味は一つ。デート。二人でデート。
「はへっ」あの時と同じように変な声が出る。彼からの思いがけぬ提案。驚きとともに嬉しさが込み上げて。体温が上がっていく感覚を覚えた。
「その……ダメか。俺じゃ」
「あ…いや……そ、そうじゃなくて…」
冷静を装う優人の真面目な視線。彼女の瞳を見つめて見つめて。そんな彼の世界に美咲は飲み込まれそうになる。
ダメなわけがなかった。むしろ今すぐ出かけたいと彼女は心の中で叫ぶ。ただそれを言葉に紡ぐことは出来ず、喉の奥がキュッと締まって。
三秒間、美咲は優人を見つめる。
決して顔が整っているとは言い難い優人。しかし、今の美咲には相当な補正がかかっている。心臓が爆発しそうなほど脈打っていた。
「……うん、行こ」
「ほ、本当に?」
「……なに?
あぁ、やっぱり美咲にはバレてたか――――。自分の吐いた嘘の下手さに、内心呆れる優人。美咲は冷静に言葉を放ってはいるが、今にも頬が緩んでしまいそうなほど。
「そ、そんなわけないだろ。俺は本気で……」
「冗談だよ。ありがと」
からかうように、美咲は彼に背を向けた。
振り向きざま、彼が見た彼女の表情。それは優人が知る美咲の中で、一番輝いて、綺麗で、可愛くて。そんな笑顔を久々に見たような気がしていた。
「帰るんでしょ?」
「……うん。週末、どこに行きたい?」
「ユウが考えてよ。誘ってくれたんだから」
強がってそう言う美咲。「はいはい」と優人も分かった様子で隣を歩いている。周りには花咲川の生徒たちがいる中で、優人は美咲にしか意識がいかない。
二人にとって、これほどまでに週末が楽しみなのは初めて。
先ほどまで煩かった蝉の鳴き声も、今は二人にとって心地の良いものだった。
ありがとうございました。
ぴったり十話で終わりそうです。あっという間でしたが、もうしばらくお付き合いください。
美咲ヒロインの小説増えてください。心の底からお願いします(涙)。
新たに高評価してくださった方。リュー受験生@さん、麒麟@さん、青黄 紅さん、北上する愛知の民さん、やりおるマトンさん。本当にありがとうございます。励みになります。
ご感想・評価お待ちしています。
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第九話 幼馴染は恋人へと変わって
週末がやって来た。太陽が眩しい。まさに二人の運命の日に相応しい天候だった。
奥澤優人と奥沢美咲。二人の幼馴染はその関係を進展させようとしていた。互いに抱いた感情を今日ぶつけることができるのか。まさに運命の一日だ。
先に待ち合わせ場所へやってきたのは優人。美咲を待たせるわけにはいかないと三十分前に到着。自身でも気合が入っているのがよく分かった。
駅前は多くの人で賑わっている。休みの日ということもあって、制服姿の高校生は少ない。それこそ普段見慣れない私服姿で待ち合わせている友人、カップルが多く。優人もその中の一人と化している。
約束の時間は午前十時。そこから映画を見て、お昼を食べて。優人は至って普通の初デートを計画していた。夕方にはここに戻ってきて、解散する流れ。
彼は今日、彼女に想いを伝える。その一心でここまで来ていた。美咲をデートに誘った日。あの日からずっと。
約束の時間まで十五分。その時、彼のスマートフォンが振動とともに初期設定の音を奏でた。無機質なその音が、彼の気分に水を差す。
画面に表示されるのは、待ち人の名前。彼はふと嫌な予感がした。震える手で通話ボタンをタッチする。右耳にそれを当てると、一呼吸置いて彼女は話し出した。
「……もしもし、ユウ?」
「おう。どうかした?」
「ごめん、今日行けなくなっちゃって……」
「えっ」優人は言葉を失った。駅前。日陰にいるのに、背中から汗が滲み始める。彼女の声はそれこそ落ち込んだ様子だった。
「実は……急にバイトに行かないと行けなくなって」
「あー……」
「今日は無い予定だったんだけど、バイト先のミスで。私にうまく伝達できてなくて」
「マジかぁ……」
聞くからに声のトーンが落ちる優人。それは電話越しにも伝わっていた。落ち込む彼の声。あぁ可愛い――――なんて口には出さなかった。
優人の方はそれこそ意気消沈だ。気合いを入れてこの日を迎えたのだ。それが空回りとなってしまった。
しかし優人には心当たりがあった。美咲のバイトについて。
あの日、ミッシェルの着ぐるみを着ていたのは間違いなく彼女。美咲の口からぽろっと溢れた言葉で、彼は確信していた。しかし、それを未だに美咲には伝えていない。
「代役いないの? そのバイト」
「え、えっと……他の人もみんな忙しくて」
「へぇ」
代役がいるのかいないのかは定かではない。しかし、彼女の性格からして他に代役が居ないからこそ、断れないのだろう。無駄に責任感の強い美咲らしいといえばらしかった。
バレてるんだし、認めればいいのに――――。優人は心からそう思う。そのせいで、返事が素っ気なくなっている。
「その……ほんとごめん。埋め合わせはちゃんとするから」
「断りきれないだけだろ。わかってる」
「ち、違う――――」
「違わないって。大体それってバイト先が悪いんだから」
優人は正論を彼女にぶつけた。声には少しだけ怒りが込められている。それはしっかりと美咲にも伝わっていた。
可愛いと余裕を持っていた美咲も、スマートフォンを持つ手に力が入る。ここまで怖い彼の声を聞くのは久しぶりだった。
美咲は自宅でバイトに出かける準備をしながら、優人と電話していた。すぐに許してくれるだろうと思っていたが故に、この展開は予想外だった。それだけ優人は真剣に彼女と向き合っていたのだから。
「そ、それは…そうだけど」
「いいよ。埋め合わせなんて。バイト頑張ってな」
「あっちょっと――――」
切れる電話。無機質な音。鼓膜にこびりつきそうだ。
美咲は後悔した。彼を怒らせてしまったと。これまで優しく受け入れてくれた優人に甘え過ぎていたと。
確かに彼の言う通りだった。バイト先からも「こっちのミスだから無理はしないで」と言われたのだ。しかし彼女はバイトを優先させてしまった。相手のミスを優先させたのだ。彼が怒るのも無理はなかった。
「チッ」優人は久々に舌打ちをした。イラつきはしばらく収まりそうにない。行き交う人の流れにすら、今の彼にはイラついている。スマートフォンの電源を切る。彼女からの連絡を受けたくない気分だった。
駅前。これから二人で遊びに行く予定が、一気に暇になってしまった。あぁ最悪だ――――行き場のない怒り。あそこで電話を切って正解だったかもしれない。あのまま話していれば、きっと彼女を傷つけていた。
そう思うことが出来るだけ、まだ冷静なんだとそこで気付く。しかし、これからどうしようか。優人は一人考える。
「えっと……奥澤さん?」
「あっ……」
行き交う人の中で、不機嫌な彼に話しかけてくる一人の少女。彼女はかつて、優人が相談しようと学校に乗り込んだ相手だった。
イメージ通りの柔らかい私服姿。見慣れないはずなのに、どこか自然とそれを受け入れてしまうような。それぐらい自然だった。
「ま、松原さん」
「お、お久しぶりですっ。その……ごめんなさい急に」
「い、いえそんな」先ほどのイラつきはどこへやら。彼女の柔らかい雰囲気と声。ライブの時以来ということもあって、ほぼ初対面の彼女だ。緊張感が彼を襲った。
「い、いえ……どうされたんですか?」
「その……何かあったんですか」
「いやまぁ、いろいろと」
一度だけしか話したことなかったが、優人的に花音は面倒見のいい印象があった。美咲も唯一と言っていいほど、彼女に頼っている。
花音としても、優人に興味があった。興味と言っても、異性として気になるとかそんな感情ではない。ただ単に、美咲にとって大切な存在である彼がどんな人なのか。
勢いで話しかけてしまったとはいえ、想像以上に彼は落ち込んだ表情をしていたせいで。余計に気を遣っていた。
「あの……これからお時間ありますか」
「う、うん。買い物だけだから」
「少し話しませんか。今話したい気分なんです」
花音は驚いた。まさかの誘いだった。
しかしそれ以上に興味がある彼女。首を縦に振って、すぐ近くにあるファストフード店に入る。朝も早いせいで、朝食を済ませた二人は飲み物だけを頼んで席に着いた。一階の窓際。街の行き交う人がよく見えた。
二人向かい合って座る。互いに私服。
――――ほぼ初対面。そこで二人は思い出す。
「あー……いきなりすみません」
「う、ううん! その…話聞いてみたかったから」
「…俺のですか?」
「うん。美咲ちゃん、あなたの話ばかりするんですよ」
普段なら嬉しい言葉。でも今の彼には何も思わなかった。いや思えなかった。ドタキャンされたことが彼にとってそれほどショックだった。
「そうなんですね」と彼は素っ気なく答えた。全然関係の無い花音に当たっているようで申し訳なさを感じてはいたが、それを抑えられるほど大人ではなかった。
「……美咲ちゃんと何かあったんですか?」
「まぁ、そんなところです」
「理由は…?」
美咲から話を聞く限りでは、二人の仲は決して悪くはない印象だった。それが花音の頭にあったため、今の優人の反応は不自然。決して勘の鋭い方ではない花音にも、すぐ分かるほどに。
花音の問いかけに、優人は少し考えて。
「バイトが入ったからって、ドタキャンされて。今日の約束」
「えっ……」
「電話でちょっと当たっちゃって」
花音は少し驚いた様子。美咲はドタキャンをするような性格ではないはず。バイト、といえばミッシェルのこと。断れず渋々受け入れる彼女の姿が花音には思い描けた。
約束、ということは二人で遊びに行く予定だったのだろう。彼の表情を察するに。
「あの……奥澤さんは美咲ちゃんのことどう思ってるんですか」
「……好きですよ。異性として」
優人の真っ直ぐな瞳。花音の瞳を見つめるそれは、吸い込まれそうなほどに輝いていた。男子と普段話すことのない花音でも、優人とは普通に会話できている。美咲から話を聞いていたせいか。
彼女が話した通り、彼は優しい人なんだな――――。花音は彼の表情、声色、雰囲気。その全てからそう読み取る。
「そうなんですね。安心しました」
「……安心?」
「美咲ちゃん、すごく楽しそうに話すから」
「どうなんですかね」
「大丈夫ですよ。きっと仲直りできると思います」
彼女の優しい声に、彼は少し落ち着きを取り戻した。
コーラを一口。冷房の効いた店内。それがようやく美味しく感じた。花音もオレンジジュースの入った紙コップを手に取り、小さな口でストローを吸う。
「あいつのことなんで、断り切れなかったんですよ。ミッシェルの代役はいないんで」
「……美咲ちゃんから聞いた?」
「いえ。あいつの口が滑ったんです。何も言いませんでしたけど」
美咲は花音にいつ言えばいいのか、そう相談していた。しかし、最近それが無くなっていたため、てっきり打ち明けたと花音は思っていた。しかし彼の話を聞けば、まだ素直になり切れていないようだった。
同時に、彼の優しさを感じた。敢えて問いたださなかったのは、彼女のことを想って。長年一緒にいるからこそ分かる感覚。
「優しいんですね。奥澤さんって」
「いやそんな…」
優人は口元が緩んだ。美咲以外の女性に褒められることもない彼。いや美咲もそんなに褒めないのだが、それに慣れていないせいで、みっともない表情になっている。
そんな二人。釣り合いはしない二人だ。見つめる視線。それは店の外から――――。
「…………ゆ……う……?」
美咲だった。慌ててお洒落な服に着替えて、目一杯可愛くして。しかし、五十メートル先には優人と花音。二人で楽しそうに談笑している光景。
先ほどから優人のケータイに連絡をしていたが、繋がるはずもなく。ダメ元で来た結果が、これだ。
彼女は優人との電話の後、再度バイト先に連絡。断ったのだ。一度受け入れたことは筋を通す美咲が。彼のために。
しかし元はと言えばバイト先のミス。担当者も仕方ない様子でそれを受け入れていた。決して、筋違いなことではない。
それからすぐに用意していた白色のワンピースに着替え、髪の毛も綺麗にセット。女の子らしく、彼の前で可愛くいれるために。それなのに。
約束の時間は三十分ほど過ぎている。この時間の間に何があったのか。彼女は知る由もなかった。
あぁ、バチが当たったんだろうな――――。そんなことすら考える始末。私が変な責任感を持たなければ、今頃二人で楽しくデートしていたはずなのに。出てくる感情は後悔だけだった。
美咲の瞳からは、一つ、二つと涙が溢れる。
情けなさ、みっともなさ。自分の性格が心の底から嫌になって。とめどなく涙が溢れた。周りの視線を気にして、うつむきながら彼らに背を向ける。
もう大人しく帰ってしまおう――――。そう思った時、後ろから声をかけられた。
「――――美咲!?」
優人の声。心から心配している彼の声。
こんな顔を見られたくない、だけど、彼に会いたい、触れたい、抱きしめてもらいたい――――。止めどない想いは涙となって、彼女の肩を揺らしていく。
彼は花音に一言告げて美咲の元に駆け寄った。そして、優しく肩に手をかけると、美咲は振り返った。
「……花音さんと楽しめばいいじゃん」
あぁ違う、そんなんじゃない――――。思っていることと正反対の言葉。彼女はそんな自分が嫌になる。俯いたままそんなことを考えた。
「そ、それよりバイトは!?」
「……断ってきた」
「えっ……」
「ごめん……ほんとに…」
今にも壊れてしまいそうな細い肩。優人は後悔した。自分のやったことを。せめて、スマートフォンの電源さえ入れておけば。こんなことにはならなかったのではないか。
でも彼は、それと同時に嬉しかった。彼女が駆けつけてくれたこと以上に、楽しみだったからと素直になってくれたのが。
「ご、ごめんね美咲ちゃん。少し話してただけだから」
優人の後を追うように駆けつけた花音。彼をフォローするようにそう話す。
それは美咲も分かっていた。だからこそ、心の底から
「その……ごめんな。強く当たりすぎて」
彼は一言。美咲に謝罪する。自分が少し冷静になっておけばこんなことにはならずに済んだと。
「それと、ありがとう。来てくれて。めっちゃ嬉しい」
続けて感謝の言葉。今日は会えないと思っていた彼にとって、これは嬉しすぎる誤算だった。俯いていた彼女も、この言葉でフッと顔を上げる。涙はすっかり止まっていたが、目元は少し腫れている。
彼の表情は優しかった。電話越しで聞いた彼の姿はそこに無くて。普段見慣れた優人が居ることに、彼女は心からの安心を覚えた。
「……ん。遊び行こ」
「だな。すみません松原さん。俺たちはこれで」
「うん。楽しんでね」
優人は花音にお礼を言うと、美咲もぺこりと頭を下げた。彼と一緒にお礼を言ってるつもりなのだろう。花音はそれが非常に可愛らしく思えた。
それから二人は電車に乗り、新宿の映画館へと足を運んだ。
予定していた映画の時間には間に合わなかったが、代わりに別のコメディ映画を見ることに。人も多かったが、二人は並んで席に着く。上映中は二人ともいい笑顔でスクリーンを見つめていた。
映画が終わると、時刻は午後一時過ぎ。いい時間だ。昼食はチェーン店の定食。お洒落じゃなくてごめんと謝る優人に、美咲は優しく声をかけた。これぐらいがちょうどいいと。
そこには、朝から喧嘩した二人の姿は一切なく。
仲良く映画の感想を言い合っていた。その声色は優しく甘い色。
昼食後は、二人でぶらぶらと街を散策することとなった。
洋服だったり、CDショップだったり。各々が興味ある店に二人一緒に巡った。
ゲームセンターでは、美咲から「プリクラ撮ろうよ」と提案が。意外な提案に驚いた優人だったが、せっかくの機会。二人並んでプリクラを撮った。
「花音さんと何話してたの?」
「大した話はしてないよ」
「ふーん」
「拗ねるなって」
「拗ねてないですー」
デート中はそんな会話すらも、楽しくて楽しくて。
二人が過ごした初めての時間。甘くて酸っぱい時間は、一瞬にして過ぎ去った。
とにかく、二人の一日はあっという間だった。
帰りの電車すらも短く感じて、朝待ち合わせた駅前には、午後六時をすぎた頃戻ってきた。
「……帰るか」
優人の提案に、美咲は頷いた。こんなにも帰りたくないと思ったことは彼女の中で初めて。それだけ、彼の過ごす時間は楽しくてキラキラと輝いたものだった。
来た道を戻る。二人並んで。
人通りは多くない。夕焼けが空を染め上げて。もうすぐ満天の星が夜空を彩る時間帯になる。この時間に帰ってきて正解だと、彼は思った。
「ねぇ、ユウ」
「ん」
「今日、楽しかった。ありがとう」
「……そっか。ならよかった」
お礼を言う美咲。恥ずかしくて、彼の方を向くことが出来なかった。それは優人も同じで。隣を歩く美咲から緊張感が伝わってきて、それだけで心臓が跳ね上がる。
二人の周りには誰もいない。住宅街。夕焼けを彩るのはカラスの鳴き声だけだ。
「俺、美咲のことが好きだ」
急だった。時間が止まった。二人の甘い時間が。
それでもそれはほんの一瞬で。カチッと、秒針が傾くように、美咲は息を吸って、吐いて。
あぁ、告白された――――。彼女は理解する。愛しの彼に、告白されたんだ。この想いは一方通行なんかじゃなくて。彼も同じ気持ちでいてくれた。そう考えるだけで、彼女の体温は上がっていく。
「私も好き。ユウのことが」
恥ずかしくて恥ずかしくて。でも、とても嬉しいそれは、これまで絶対に言わなかった言葉となって。
美咲の言葉に、優人は顔が真っ赤になっていくのがよくわかった。それを隠すように、笑う。
「あはは……ありがとう。めっちゃ嬉しい」
「……うんっ」
照れ笑いを浮かべる二人。ようやく想いを伝えあい、晴れて恋人関係へと進展した。恥ずかしいのか、二人はまだ顔を合わせない。それでもよかった。今顔を合わせると、きっと真っ赤になってしまうから。
歩くのをやめない二人。それでも、二人の距離は少しずつ近づいて。彼の左手と彼女の右手が柔らかく触れた。
「……手、繋いでもいい?」
彼の問いかけ。美咲は首を縦に振る。
やがて絡まる二つの手のひら。それはしっかりと、互いの手を繋いで、もう離さないと言わんばかりに。
あぁ、恋人――――。昨日まではただの幼馴染だった互いが、今この瞬間から恋人になって。それが可笑しいのか、美咲はクスッと微笑んだ。
「なんか、変な感じだね」
「あはは。それには同意だよ」
そんなことを言いながら。
二人繋いだ手は、ギュッと力が込められている。
「顔真っ赤だよ」と茶化す美咲。優人は「夕日のせいだよ」なんて、普段なら言わないような冗談を飛ばして。
ありがとうございました。
次回はいよいよ最終回となります。明日の更新になるかはわかりませんが、間違いなく今週中には更新できると思います。最後までよろしくお願いします。
新たに高評価してくださった方。ごまだれ醤油さん、優希@頑張らないさん、暇人@蓮斗さん、八坂未来さん。本当にありがとうございます。
ご感想・評価お待ちしております。
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最終話 幼馴染はクリスマスの夜に
煌びやかなイルミネーション。普段は地味な商店街にも、赤色や緑色の装飾がなされ、街が浮き足立っている季節。
十二月二十五日。有名なクリスマスソングが街中を彩り、行き交う人の気分を高めた。スーツ姿のサラリーマンですら、片手にケーキを持って。浮かれ気分。
夜の十八時を過ぎ。商店街は仕事終わりで帰宅する人、買い物にやってきた人、またはカップル。様々な人間が行き交っている。
それにこの日は雪が降っていた。綺麗な白色の雪が。きっとこのまま降り続ければ、明日は一面銀世界になっている。
それだと言うのに、優人は自分の部屋で一人。音楽を聴いていた。
普段なら絶対聞かないような女子高生に人気の女性ソロアーティスト。甘い歌声が自身のルックスには不釣り合いだった。
二〇一八年のクリスマス。
暖冬と言われていたが、ここ東京都でも奇跡的にホワイトクリスマスとなった。それもあってか、例年よりも人の行き来が多い。それが優人には気に食わなかった。
夏だとまだ明るい外の景色も、今はすっかり真っ暗に。優人自身の気持ちを表しているようだった。
本来であれば、彼だって美咲と過ごしたかった。しかし、予め彼女から言われていたのだ。クリスマスは
バイト、そう言われた時のショックはやはり相当なもので。初めて彼女と過ごすクリスマスになるはずだった今年の優人。しかし蓋を開けてみればどうだ。これまでと変わらない日常となっている。
それから一時間もしないうちに、彼の家のインターホンが鳴った。優人の母親が応対する。彼は特に気にしないでいると、足音が自身の部屋へと近づいてくる。
「……よっ」
「み、美咲? どうして」
ニット帽に白いマフラー、クリーム色のダッフルコートを着てしっかりと防寒対策をした美咲。ひょこっと顔を出すと、彼の驚いた表情に思わず笑みがこぼれた。
彼女は彼に来ることを伝えていなかった。バイトがあったのは本当だったが、バイト先が彼女に気を遣っていつもより早く上がらせたのだ。そのため、優人の家でミニパーティーをしようと密かに考えた美咲。手にはケーキ屋で買ったショートケーキが四切れ入っていた。
部屋に入りコートを脱ぐと、彼も見慣れたグレーのトレーナー。それを見た優人は微笑む。
「な、なに?」
「いや。上着着てると女の子なのに、脱いだらボーイッシュだなって」
「別にいいじゃん。なに? ずっと着てればいいの?」
「怒ることないだろ。可愛いのは事実なんだし」
「……もう」
美咲はそうやって丸く収められるようになっていた。
かつてのテンパリ具合を考えれば大きな進歩だが、何も言い返せなくなる自分が嫌だったのだ。しかし、心のどこかでは諦めている自分もいて。
一方の彼。特に深くは考えていない。ただ思ったことを正直に伝えただけ。正反対の二人だが、不思議なことに上手いことやってきている。
外はかなり冷えていて、美咲の頬は赤く染まっていた。
暖まった優人の部屋。簡易こたつに足を入れると、冷え切った身体を溶かしていく熱が足を包む。
彼女が買ってきたショートケーキを並べると、優人はまたも微笑む。クスッと堪え切れなくなったように。
「……今度はなんですか」
「そんなムッとしないでよ。嬉しいだけ」
「何が」
「美咲とクリスマス過ごせるのが」
はぁ……。美咲は心の中で盛大なため息。まだまだ身体は冷えているというのに、一気に熱が上がっていくような。そんな感覚。
それは優人にしても同じで。美咲を見るたびに鼓動が早くなる。それだけ彼女のことが好きだった。
並べられたショートケーキ。うち二つはモンブラン。美咲はいちごのショートケーキと一つずつ分けた。
「てか晩ご飯食べてないんだけど」
「別にいいじゃん。おばさんめんどくさそうだったよ」
「それはいつものことだから」
ケーキはどうしてもデザート感が強い。夕食を済ませていない彼にとっては、少しだけ勇気が必要だった。ただ美咲だって食べていない。 なんなら、これが晩ご飯感がある。クリスマスらしすぎるのが彼女的にも少し可笑しかった。
「まぁいいか」そう呟いて、優人は一口。甘いクリームの味が口の中に広がる。今の彼にとってはそれがよく身体に沁みた。
「美味い」
「よかったー」
「どこで買ったの?」
「商店街のケーキ屋さん」
そこで彼は気付いた。このケーキは彼女のポケットマネーだと。
慌てて財布を手にとって、彼女にいくらしたのか問いかける。しかし、美咲は顔を歪ませた。
「そんないいって。今日会えなかったお詫びに」
「いやでも――――」
「いいのいいの」
美咲はかなり頑固な性格。そう言い張っている以上は、言うことを聞いてくれない。そう判断した優人は、大人しく財布をしまった。
彼女は微笑んで、再びケーキを口に運んでいく。彼も美咲に合わせるようにケーキを頬張るが、彼女よりも一口が大きい。あっという間に平らげてしまった。
飲み物がない事に気付いた優人は、部屋を出て一階に降りる。冷蔵庫からペットボトルのオレンジジュースとコップを二つ手に取る。ケーキだけでは物足りない彼は、ストックされていたスナック菓子も一緒に。
部屋に戻ると、美咲もケーキを平らげてしまい、ちょうど飲み物を欲していたタイミングだったらしく。彼を見るや否や「ちょーだい」と甘えた声を出す。
コップに注いで彼女に渡すと、そっと口づけて。
ピンク色の唇が、今の彼にはとても色っぽく見えた。
「……なに?」
「あ、いや」
彼は見惚れていた。彼女の仕草、表情、その全てに。
やべぇ、可愛い――――。そんなことを思いながら。
二人が付き合って、五ヶ月が経った。しかし、二人の関係に大きな進展はなかった。手を繋ぐ程度で、
この二人っきりの状況。ケーキを食べるという目的は達成できたことで、二人の間には沈黙が訪れた。
自室に二人だけ。彼と二人だけ。思う理由は違えど、考えていることは同じ。そういう意味では、お似合いの二人なのかもしれない。
「…昨日と今日はごめん」
ふと、美咲は謝罪の言葉を口にした。
「え、なんで」
「バイト優先させて」
「今さらだよ。気にしないで」
彼女が扮するミッシェル。クリスマスなどのイベントにはまさに不可欠な存在だった。前々から空けておいてほしいとバイト先が伝えるほどに。その時はなんとも思わなかった美咲も、いざクリスマスになってみると寂しかったようだ。
優人だって、こうなることぐらいは十分に理解していた。
ミッシェルが居ることで、商店街が活気付くのは事実。子どもたちからの人気も相当高かった。
「年明けたら、一緒に初詣でも行こうか」
「うん。ありがと」
今日のことを深く問い詰めることなく、先のことを話してくれる優人の優しさ。それが今の美咲には沁みた。
一方の優人。コタツに入っているせいか、頬を赤らめた美咲に鼓動が高鳴る。自分の幼馴染はこんなにも可愛かったのかと。
それから二人は、まったりとした時間を過ごした。
部屋に置いている小さめのテレビから流れるクリスマス特番を見たり、彼女のスマートフォンにあるハロー、ハッピーワールド!のライブ写真を見たり。
これまでの幼馴染としてではなく、大切な恋人として。二人は互いのことをもっと知ろうと。
ただ、時間が経つのはあっという間で。
「……帰らなくていいの?」
「あー…。そろそろ帰らないと」
残念がる美咲。彼は彼女の隣に移動して、ピタッと左肩を彼女の右肩に付けた。
彼女は驚いていたが、それも一瞬のこと。右手を彼の手に絡ませて、ギュッと力一杯握った。
「ごめんな。クリスマスプレゼントも無くて」
「いい。会えただけで嬉しいから」
「…そっか。ありがとう」
会えないとばかり思っていた彼は、クリスマスプレゼントを用意していなかった。ただ美咲もそれについて理解している。会えただけで嬉しいと、素直な気持ちをぶつけた。
彼の手にキュッと力が入った。
すごく緊張してるんだな――――。彼女は察した。帰る間際になって、隣に来て、こんな状況。きっと何かあるんだろうと。
「その……ごめん、めっちゃドキドキしてる」
「あはは…。 うん、私も」
タイミングなら今しかない。
そう思った彼は、意を決して美咲の顔を見る。すると彼女は上目遣いで自身のことを見つめていたのだ。
ゴクリ、思わず優人は固唾を飲んでしまった。そのせいで、喉仏の動きが彼女の視界に入ったらしく。緩まる口元を抑えきれなくなった彼女は、「ぷっ!」と下を向いて吹き出した。
「ちょ、ちょっと……緊張しすぎだよ……!」
「う、う、うるさいな! その……美咲が可愛すぎるから!」
「あー可笑しい…!」
彼女はお腹を抱えて爆笑している。
さっきまでのいいムードはどこへやら。まるでお笑い番組を見ているような雰囲気にすっかりと変貌を遂げた。
ただこれに良しとしないのは優人だ。彼女と口づけ出来なかったことではなく、男としてのみっともなさだったり情けなさ。ただあれだけ近くで彼女の顔を見ると、普通でいろと言う方が難しい話だった。
すっかり
時刻は夜の九時を過ぎていた。優人もグレーのPコートを羽織って、部屋を出る。外は真っ暗だったため、彼女を自宅まで送り届けることにしたようだ。ゴミを持ってきた優人に、彼の母親は優しく微笑んでいた。
両親に一言告げて、優人と美咲は家を出る。
玄関のドアを開けると、冷たすぎる風が一気に押し寄せた。
「積もってるじゃん」
「寒っ……」
二人は外に出ると、思わず目を見開いた。
先ほどまで黒く染まっていた地面には、うっすらと白い雪が積もっていた。雪が止まない様子を見ると、明日の朝にはこれ以上積もることは容易に想像出来た。
今日は家を出ていない彼にとって、この寒さは異常だった。みっともなく腕を組んでいると、彼女の呆れた視線。
ただそう言う美咲も、彼の部屋で三時間近く暖まったせいで、来た時よりも寒く感じていた。ジッとしているのがダメだと気付いた優人は、彼女の左手をしっかりと握って歩き出す。手を繋ぐのも、彼にとっては慣れたものだ。
「ユウの手、暖かい」
「美咲の手が冷たすぎるんだって」
「いいじゃん。私だけのカイロ」
美咲の家まで徒歩圏内。しかし、足元が滑りやすくなっていたせいで、二人の歩くペースはいつもよりゆっくりなものだった。
二人ともスニーカーだが、優人がしっかりと美咲をリードしている。先ほど緊張しすぎた男とは思えないほど、彼女は頼り甲斐を感じていた。
キュッ、先ほどよりも強く彼の手を握る。
ギュッ、先ほどよりも強く優しく、彼女の手を握り返す。
二人はしっかりと互いの存在を確認していた。
街灯はあるものの、空は真っ暗で、歩いている人もいない。住宅街。きっとどこの家族も今日は、クリスマスパーティーの真っ最中なのだろう。
そのせいで、シンシンと雪の降る音が聞こえてきそうな。それぐらい辺りは静まり返っていた。
「……ずっと気になってたんだけど」
「なに?」
静寂を切り裂くように、美咲は優人に問いかける。
「どうして何も言わないの?」
「え、なにが?」
「私が……ミッシェルだってこと」
「あぁ、そのこと」優人は笑いながらそう言う。
彼にとって、美咲がミッシェルであることは今さらすぎる事実だった。そのため、彼女に対して「ミッシェルなんだろ」なんてことは一言も言ってないし、気にも留めていなかった。
それが、美咲にとっては不思議でならなかったのだ。口が滑ったあの日以来、心の奥底で引っかかっていた事実。彼にはバレていると理解していながらも、どこか触れることができなかった事実なのだ。彼女にとっては。
「別に言うこともなくない? 言いたくなかったから言わなかったんでしょ?」
「まぁ、そうだけど」
「それだけの話。気にする必要なんてないよ」
言いたくなかったから――――。そう、その通りだった。
美咲にとって、こころたちとバンド活動をしていることは言ってしまえば
しかしだ。人間とは不思議なもので。
美咲も彼女たちとの活動を通して、バンドに対する印象が大きく変わっていった。それと同時に、メンバーに対する印象も。もちろん、いい方向にだ。
心の中でその整理がついたから、今この瞬間。彼に打ち明けたのかもしれない、自分から。それが本当かは美咲自身にも分からない。ただ、そう言い聞かせるしかなかった。
「実際どうなの? バンドって」
「……どうって?」
「楽しい?」
直球すぎる問いかけ。まるで美咲が避けていた言葉を察したかのような、鋭い質問だった。
楽しい、そう言われれば分からない。美咲のバンドに対する思いは相変わらず濁ったまま。しかし、悪くはない――――。そう思うようになっていたことも事実だった。
「悪くはないと思う」
「そっか。ならいいじゃん」
彼は微笑む。美咲の好きな柔らかい笑顔だった。
まるで自分の全てを見透かしたような、それを分かった上での優しくて暖かい笑顔。彼女の手に一層力が入った。
ユウには敵わないや――――。幼馴染として、恋人として。ずっと昔から自身のことをよく見てきた優人の存在の大きさを、美咲は改めて認識することとなった。
ずっと一緒に居たいと。そんな淡い想いとともに。
それからすぐ、美咲の家の前に到着した。
二人は繋いでいた手を名残惜しそうに離す。まるで一生の別れになるのではないかと不安になるほど。
「……それじゃ。また」
気の利いた言葉が思い浮かばなかった優人。あっけない言葉を放ち、来た道を戻ろうと身体の向きを変える。
しかし、それをさせなかったのは美咲の言葉だった。ハッキリと強く「待って」と。それが彼の耳にしっかりと届いた。
彼は、再び美咲の方に身体を向ける。
寒さのせいで頬は真っ赤に染まり、口から吐く息は真っ白く彼女の顔を覆っていた。
優人が口を開く前に、美咲が言葉を紡ぐ。
「さっきの……リベンジ」
「……えっ」
彼は考えた。彼女の言葉の意味を。
やがて行きつく答えは、部屋での出来事。見つめ合ったあの瞬間のこと。そのことではないか、と。
あの時、自分が何をしようとしていたのか。優人は思い出すだけで恥ずかしさがこみあげてくる。しかし、それは美咲にしても同じこと。勇気を出して、彼にそう言う。
「……うん」
彼は頷いて、彼女の正面に立つ。
身長が自分の首ぐらいまでしかない美咲は、黙って彼の顔を見上げて。緊張している彼の顔を見て、またも微笑んだ。
「まだ緊張してやんの」
「うるさい。美咲も同じくせに」
「……どうだか」
さっきまで寒かったのに。今、二人の周りだけ熱を帯びているようで。二人とも、寒そうな素振りは一切見せない。
やがて、近づいていく二人の顔。瞼を閉じて、互いのことだけを考えるこの瞬間。甘い感触。雪降る音がシンシンと。
一秒、二秒、時間が重なって。
一生懸命、彼を見上げる美咲も。包み込むように、抱きしめる優人も。
この聖なる夜に、美しく溶け込んでいた。
これにて完結です。読んでいただきありがとうございました。初めて三人称で連載しましたが、難しかった。それに尽きます。
せっかくですので、ここで一つ感想を。
美咲ヒロインの小説が全然無いことをキッカケに、まず美咲の口調をYouTube()で調査。三十分もしないうちに書き始めたのがこの小説です。美咲を百パーセント再現できたかと言われれば、それはまぁあり得ないでしょう。二次創作なのでそこは大目に見てください。
とにかく、私がこの小説で最優先させたのは「美咲を可愛く描くこと」です。推しの人も、そうじゃ無い人も。読んで好きになってほしいという私の勝手な想いを込めた作品になりました。
オリ主の特徴については身長ぐらいしか触れてません。十話完結のため、余計な設定は足枷になってしまうと考えました。幼馴染設定に関しては、話数も限ってましたんで仲の良い前提で話を進めるためには最適かなと。正直最強設定だと思いました。幼馴染から恋人へ変わっていくのってすごい好きです(語彙力)。長編であれば、いろんな設定も面白いかと思いましたが…。要するに美咲ヒロインの小説もっと増えてください。お願いします。
クオリティは置いておいて、個人的に楽しんで書くことができました。にも関わらず、沢山の方に読んでいただいたことは本当に嬉しかったです。評価・ご感想は励みになりました。
私自身、ラブライブ!小説が未完のままですので、まずはそちらに戻ります。ですが、またお会いする機会もあるかもしれません。その時はまたよろしくお願いします。
新たに高評価してくださった方。昼野夜中さん、桜井栞さん、スラりんさん、時雨さん、ナウいゆうさん、カルミナさん、オコレインさん。本当にありがとうございました。
それでは、また。
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