戦姫絶唱シンフォギアCW (とりなんこつ)
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EPISODE 1 (かな)いの城

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

広大なホールで、マリア・カデンツァヴナ・イヴがくるくると回りながらステップを踏んだ。

日頃から鍛えに鍛えたしなやかな身体から繰り出される足さばきは見事の一言に尽きる。

髪を翻して優雅に踊るその姿は、場の雰囲気も相まって、まるで中世の姫君のようにさえ見えたことだろう。

―――ただし、彼女がS.O.N.G.職員の制服をまとっていなければ。

 

「…こんなとこで勝手に踊りまわっていいのかよ? ユネスコの職員に怒られても知らねえぞ?」

 

拍手ではなく、そうぼやいて見せたのは雪音クリスだ。彼女もマリアと同様の制服姿である。

 

「残念ながら世界遺産には登録されてないけれどね。理由は分かる?」

 

「そんなん知ってるよ。普通の古城にあるべき聖堂と墓地がないからだろ?」

 

「さすがに優等生だけのことはあるわね。まあ、登録のための条件はそれだけではないのでしょうけれど…」

 

笑いながらマリアは無人のホールを振り返り、芝居がかった仕草で一礼。

 

いま二人がいるのはオーストリアとドイツの国境に存在する古の城。かの有名なノイシュヴァンシュタイン城である。

 

 

 

 

ことの始まりはあのバルベルデドキュメントだ。

ギャラルホルンへの対処もひと段落がつき、エルフナインの尽力もあって、最近は比較的重要度の低い記述への解析も進んでいる。

 

旧ドイツ帝国アーネンエルベ機関は聖遺物を確保する上で、とにかく様々なデータの蒐集を行っていた。

それこそ極小地域の民間伝承、巷間の噂話、果ては出所不明の伝聞風聞といったものまで集めていたらしい。

重要度が低いというのは、それら雑多な情報群に全くの裏付けや根拠がないことを意味する。

そんな膨大なデータの中に、ノイシュヴァンシュタイン城に聖遺物が秘蔵されている()()()との情報が発見された。

 

いくら噂程度のレベルであれ、S.O.N.G.としては調査しないわけにはいかない。

万が一のイレギュラーな事態への対処として、調査部と一緒にマリアとクリスも派遣された次第だった。

 

「まあ、実際に聖遺物があったら、とっくにドイツが接収しているはずだわな」

 

「同感だわ。でも、この城は狂王ルートヴィヒ2世が趣味で建築したものよ? どこに隠し部屋があるか分からないわね」

 

「狂王ってのは少しばかり可哀想な評価じゃないか?」

 

「自分の趣味に狂った王って意味よ。別に揶揄しているわけじゃないわ。それに…」

 

マリアは、広い室内を見渡してから、大きく両腕を広げて見せた。

 

「このお城自体はとても素晴らしいと思うわ」

 

本来、ノイシュヴァンシュタイン城は世界有数の観光名所である。場内の見学はツアーの引率付きで、全てを好き勝手に見て回れるわけではない。

マリアとクリスが見回りと称して自由に歩き回れるのは、ある意味贅沢な話なのだ。

 

『調査部の人たちは地下の捜索に入って、何もなければ明日で撤収だから』

 

基本的に装者は麓のホーエンシュヴァンガウの町のホテルで待機中。暇を持て余していたクリスをマリアが誘ったのが今朝の話である。

 

『城めぐりはあたしの趣味じゃないんだけどなあ…』

 

などとブツブツ言っていたクリスだったが、さすがに観光名所になるだけのことはある外観の美しさと、内装の調度の豪華さに圧倒されていた。

 

だからといってマリアほど「役得役得♪」とノリノリで楽しめないのは、仕事に関しては生真面目な日本人の血が半分流れている証左だろうか。

 

「ま、部屋でネット配信の映画見たり、ボードゲームにも飽きたからちょうどいいか」

 

「あら? わたしは好きよ、ボードゲーム」

 

「あんたと対戦すると。ずっと『マイターン!』とかいってあたしに手番回ってこなくてツマラねーんだよ!」

 

 

 

 

 

「実際のところ、まだ未完成の部屋が多数あるというのだから驚きよね」

 

鼻歌を唄いながら、ずかずかと奥へ向かって進むマリア。

その後に続くクリスは平静を装っているが、内心はおっかなびっくりである。

普段は観光客で賑わう城内も、今は国連肝煎りの調査であるから閉鎖中。

人気のない中世の城など、それだけで薄気味悪いものがある。

おまけに観光ルートを逸脱しているのだから照明も満足に配置されていない。

そんな薄暗い環境の中では、豪奢な装飾や美術品も、かなり不気味に見えた。

不安を押し殺すように、クリスは先を行くマリアへと質問を投げかける。

 

「なあ、なんで今回はあたしをパートナーに指名したんだ?」

 

今回の調査に先立ち、暁切歌と月読調の両名は、ギャラルホルンなどへの対応要員として日本で留守番中。

風鳴翼とマリアはイギリスに駐留していたため、まずそちらへ立花響とクリスが合流していた。

 

一旦イギリスはロンドンに集められた四人の装者のうち、二名をノイシュヴァンシュタイン城へと派遣。残った二名はロンドンでパヴァリア光明結社の残党や錬金術師への備えを担当する。

響とクリスの二人は基本的に外国生活に慣れていない。

ゆえに、経験豊富な翼とマリアをそれぞれのチームの主軸に据えた二人一組(ツーマンセル)を結成して対処するのが、司令部の下した判断だった。

 

ペアの編成に関しては装者たちに一任されていたので、マリアはクリスではなく響をパートナーに指名する選択肢があった。

にも関わらず、どうしてあたしを指名したのか?

クリスの質問に、マリアは顎の先端に細い指を当てて考え込む。

 

「そうね。理由は色々あるけれど、強いていえば相性かな?」

 

「相性?」

 

「まず、翼と響は結構いい相性でしょう?」

 

「確かにあたしが二課に参入する前から、二人でよろしくやっていたらしいな」

 

「そして貴女はわたしと同じお姉さんキャラ。ほら相性バッチリじゃない」

 

「なッ…!? ゴホッ、ゴホゴホッ!」

 

埃を吸い込んでしまい盛大に咳き込むクリス。

涙目でマリアを睨みつけるようにして、

 

「あたしのどこがお姉さんキャラなんだよッ!?」

 

「あら、違ったかしら? でなければあれだけ調と切歌も懐くわけないと思うのだけど」

 

答えるマリアの声音と表情はやや意地が悪い。

 

「なんだよ、意趣返しのつもりか?」

 

唸るクリス。

―――最近、日本から来る切歌と調のメールにはクリスクリスとばかり書いてあるとマリアが愚痴っていたぞ。

先日、風鳴翼とロンドンで顔を合わせたとき、こっそり耳打ちされていたことを思い出す。

 

「滅相もないわ。あの子たちの面倒を見てくれたことに関しては、貴女には心から感謝してるわよ?」

 

「ふん、それならいいけどよ。…だったらあたしも愛されキャラの面目躍如できたってわけだ」

 

束の間睨み会う二人。が、間もなくどちらともなく吹きだす。

お姉さんキャラはともかくとして、なんだかんだで根ッ子の部分では似ているところがあると、お互いに気づいたからも知れない。

散々城内に笑い声を木霊させながら、二人の表情にもはや確執も(わだかま)りも存在しなかった。

 

「で? 他に色々ある理由ってのは?」

 

目尻の笑い涙を拭いながらクリスは言う。

 

「ここだけの話よ? あの子のテンションの高さに付き合うのは、わたしには少しばかりハードルが高いわ」

 

「ああ、それは分かる」

 

この時、二人の脳裏に浮かんだ立花響の像は完全に一致していた。

今回のイギリスにおける任務は、積極的な介入ではなく完全な予備待機である。

加えてリディアンもちょうど試験休みであることから、響にとっては半ば海外旅行というわけだ。

さすがに小日向未来は同行させていなかったが、やれ彼女のための写真だお土産だと、初日からウキウキ気分を隠そうともしない。

 

「おまけに、料理をあそこまで美味しそうに食べられるとなるとね…」

 

「ああ…」

 

あくまで一般にイギリス料理は不味いと評価されているが、全てではない。美味しいところには本当に素晴らしい料理がある。

が、市井の屋台売りとかのものとなると、やはり日本人の舌には合わないものが多いようで、それらの分母が圧倒的に大きいのだ。

露店で響が買ってきたウナギのゼリー寄せとかいう代物は、さすがのクリスも一口で食べるのを断念している。にも関わらず、響は美味しい美味しいと平らげ、他にも露店の商品を買い食いしまくっていた。

 

「確かにロンドンの水があってるなら、無理にこっちに連れてくる必要はないわな」

 

「ま、そういうことね」

 

イギリス料理に閉口していたのはマリアも同様らしい。

ドイツに入国するなり本場のソーセージやアイスバインを堪能したことは他のみんなには内緒にしておこう。

二人は目線だけで暗黙の協定を交わし合う。

 

そんなこんなで城内を歩きまわった先に、マリアは突き当りの部屋を見つけた。

強いて偽装されているわけではないが、注意を払わなければ気づかないほどに目立たない扉。

 

「ねえ、これって隠し部屋かしら? お宝の匂いがしない?」

 

「別にカビ臭いだけだよ。それよか、あんまり勝手に開けたりしなほうが…」

 

クリスの止める間もあれば、マリアは一気に扉を開け放つ。

 

「あ…」

 

感嘆の声はどちらが漏らしたものか。

その部屋は決して広くはない。にも関わらず、たっぷり取られた天井から、窓越しに緩やかな陽光が降り注いでいる。

部屋の中心には古びた絨毯が敷かれており、四方は完全な壁。

なのに息苦しさを覚えないのは、壁に掛けられたタペストリーのせいだろう。

決して精緻とはいえないが、何が描かれているかは一目で理解できる年代物のタペストリー。

入ってすぐ右手には赤ん坊。

正面には両親らしい大人に手を引かれた少女の姿。

最後に左手には花嫁が描かれてたものが掛けられている。

そんなタペストリーの風景も相まって、不思議に温かみを感じさせる部屋。

 

「…こんな場所もあるなんてね」

 

呻くようなマリアに、クリスは言葉もなくタペストリーに見入っている。

この一連のタペストリーは一人の女の子の成長を綴ったもの。

部屋に入った瞬間、そんなことは理解している。

ただ、真ん中の絵。

親子三人が揃って描かれたタペストリーに、切なくなるほど郷愁を掻きたてられている。

自然と涙が溢れてきた。だけど、泣きじゃくれるほど、もう自分は子供じゃない。

そのような自戒も働いた結果、胸の奥の記憶の残滓は、旋律となって唇から溢れ出す。

穏やかで、素朴で、郷愁を誘う歌。幼いころ、母親が唄い聞かせてくれた歌。

 

「アニー・ローリー…」

 

マリアはそう呟き、クリスの口ずさむ歌に思わず唱和しかけたが、自重。静かに相棒の歌に耳を傾ける。

 

古の城の隠された部屋。

その中心で陽光を浴びながら、ただ無心に歌うクリス。

やがて唇から旋律が途切れると、惜しみない拍手が送られた。

 

「やっぱり貴女も相当な歌い手よね」

 

「な、なんだよ…」

 

マリアの忌憚ない賛辞に、頬を染めて身体ごと顔を逸らすクリスがいる。

逸らした目線の先には親子の描かれた例のタペストリー。

それを見つめ、彼女はふと思った。

 

―――もう一度会いたいな、パパ、ママ―――。

 

次の瞬間、タペストリーが俄かに光を帯びる。

だけではない。絨毯も発光していた。

 

「な、なんだッ!?」

 

クリスとマリアが身構えるなか、部屋は光で満たされていく。

そして―――。

 

 

 

 

 

 

 



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EPISODE 2 願いと対価と

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「確かにアウフヴァッヘン波形が観測されています」

 

S.O.N.G.本部のミーティングルームに集められた装者の前で、エルフナインの説明は続く。

投影式のディスプレイの上では、古びたタペストリーと絨毯が三次元で表示され、幾つものデータの注釈がついていた。

過日、ノイシュヴァンシュタイン城でマリアとクリスが隠し部屋で目にした例の代物である。

 

「つまり、うっかりクリスちゃんが聖遺物を起動させちゃったってこと?」

 

立花響がそう訊ねる。本人に全く悪意はないのだが、クリスとしてはその指摘は結構応えた。

 

「調査部も発見できていなかったんだ。その点でクリスくんを責めるのは酷というものだろう」

 

マリアが口を挟むより早く、風鳴弦十郎司令が擁護を展開する。

 

「司令の意見にボクも同感です。かなりの限定条件下での起動でしたので、事前に察知するのはかなり困難―――いえ、不可能だったと考えられます」

 

エルフナインは三次元ディスプレイの端末を操作する。

絨毯とタペストリーがそれぞれ大写しになり、さらに拡大。

画面いっぱいに表示されたのは古びた糸が数本と、切手の大きさほどの繊維が一欠片。

 

「結論から言えば、これらは聖遺物の欠片であることは間違いありません」

 

「…こんなちっぽけなものが?」

 

クリスが呻く。

 

「タペストリーに編みこまれた絹糸は、おそらく聖人の衣服をほぐしたものと推測されます。絨毯に含まれた繊維は、いわゆるマジカルカーペットの一部である可能性が高いかと」

 

「あのアラビアン・ナイトに出てくる魔法の絨毯ってことデスか?」

 

目を白黒させ、切歌は隣にいる調と顔を見合わせる。

 

「みなさん誤解しないでください。この聖遺物自体は欠片にすぎませんし、オリジナルのレプリカの更にレプリカといえるほど霊格は低いものですから」

 

慌てて付け足してくるエルフナインだったが、腕組みをしたままマリアの表情は厳しい。

 

「その本来の力を失っていたはずの聖遺物が起動した。それはなぜ?」

 

マリアの視線を真っ向から受け止めたが、エルフナインの表情は冴えない。

それでも彼女は端末を操作し、ディスプレイに新たな映像を投影する。

それは、マリアとクリスにとって、つい最近じかに目にしたものだった。

 

「…ノイシュヴァンシュタイン城……!?」

 

二人が異口同音に呟く中、エルフナインは説明を始める。

 

「本来ならこの二つの聖遺物に起動するほどの力はありません。なのに起動したのには、この城の存在そのものが影響したものと考えられます」

 

「それは城自体が聖遺物だったということかしら?」

 

「その答えは正しく、同時に正しくもありません。つまり…」

 

更に続けられるかと思ったマリアとエルフナインの問答は、おずおずとクリスが手を上げたことによって中断される。

 

「悪いが原因は後回しにしてくれないか? あたしがどんな聖遺物を起動しちまったのか教えて欲しい」

 

隠し部屋が謎の光で満たされたあと。

クリス自身には何も変化は見られなかった。

異常を察して駆けつけてきた調査部により、徹底的な捜索がなされ、例のタペストリーと絨毯より聖遺物の欠片は回収されている。

だが、それだけだ。

聖遺物は間違いなく起動した。

にも関わらず、目に見える結果が観測されていないのである。

調査部は未だドイツに残留し、日本へと急いで帰国したクリスは、本部で考えられる限りの様々な検査を受けていたが、こちらにも異常は見られていない。

表情にこそ出さないが、クリスの内心は焦燥感と不安で埋め尽くされていた。

かつてのソロモンの杖のように、ノイズや人類にとっての厄災を産むような聖遺物を自分が起動してしまったとしたら―――。

クリスの言葉に、エルフナインは司令席を顧みる。

弦十郎が小さく頷くのを見て、エルフナインは口を開いた。

 

「…クリスさんが起動した聖遺物は、おそらく〝願望器〟です」

 

「願望器、だあ…ッ!?」

 

クリスを始め、装者たちは揃って困惑の表情を浮かべる。

 

どのような効果を持つかは字面で理解できるが、果たしてそのようなものが本当に存在するのか?

 

「20世紀末、日本で流行したアクセサリーがありました」

 

エルフナインがディスプレイに表示させたのは、糸で編み込まれた簡素な腕輪だ。

 

「これはミサンガと呼ばれ、特に若者に爆発的な支持を受けます。この腕輪が自然に切れたとき、願い事が叶うという触れ込みで」

 

唐突な話題の転換に戸惑う装者たちをよそに、次にエルフナインがディスプレイに映したのは南米らしい場所を指し示す地図だ。

 

「そして、ミサンガの源流は、ここブラジルのサルバドール市にあるボンフィン教会が始めたという説が有力とされています。聖人の衣服を解し、リボンとして売り出したのが始まりだと。18世紀の話です」

 

ノイシュヴァンシュタイン城が建設されたのは1869年。19世紀になってからだ。

 

年代的に、遠く南米で作られた何かが、ドイツまで渡ってきていてもおかしくない。

 

「す、すると、魔法の絨毯は、あれデスか、魔法のランプだったってことデスか!?」

 

興奮の声を上げる切歌を、エルフナインは微笑で受けとめる。

 

「絨毯の繊維の方には多少の力の残留が認められた程度ですが…。でも、切歌さんの言うとおり、千夜一夜物語に基づいた何かしらの因果が生じたのは否定できませんね」

 

「聖遺物の欠片の『因果』に関しては理解できたわ。すると、ノイシュヴァンシュタイン城は『概念』を担当したということかしら?」

 

マリアがそう指摘すると、エルフナインは深く頷いた。

 

「御明察です。あの城はルートヴィヒ2世の全くの趣味で建築されました。自分の願望だけで作られた城。いわばあの城というフィールドは、主の全ての望みを叶える場所と言い換えることが可能であり、その歴史的事実は、もはや伝説の域まで巷間に膾炙しているのです」

 

タペストリーと絨毯に仕込まれていた聖遺物の欠片は、本来的に起動する力すらない。度重なる調査でも無視されてしまうほど霊威も因果も喪失していた。

ノイシュヴァンシュタイン城という巨大な歴史的概念を持つ城にあっても、それは意味を持たない。

しかし、あの場でクリスが歌を唄ったことにより聖遺物としての励起を受け、因果と概念が結びつき補強された。

加えて、彼女が何かしらを願ったその瞬間、あの城に出そろった条件が〝願望器〟という一個の聖遺物として融合、起動した―――。

 

…未だ理解の覚束ない年少組の装者のため、エルフナインが改めて噛み砕いて行った説明は上記のようになる。

だが、この説明をしたことにより、逆説的にクリスが何かを願ってしまったことが周知されてしまった。

エルフナインの冴えない顔つきに加え、弦十郎と顔を見合わせていた意味もクリスは悟らざるを得ない。

 

「願いごとなど、プライバシーの吐露のようなものだからな。言いづらいなら、あとでレポートででも提出してくれれば…」

 

弦十郎がそう配慮してくれるが、しかしクリスは一蹴。

 

「別に隠すほどのもんじゃないさ。あたしはただ、パパとママにもう一度会いたい、なんて思っただけだよ」

 

口にするのは少しばかり恥ずかしかったが、すっぱりと言ってしまったほうが気も楽になる。

 

「端から無理なお願いだってのはこちとら承知しているからな。いくらなんでも、死んだ人を甦らせてはくれないだろ?」

 

起動した聖遺物が〝願望器〟だと聞いた時点で、微かにでも期待していなかったと言えば嘘になる。

同時に、あんな寄せ集めの偶然で起動した聖遺物にそこまでの力がないだろうとも推測していた。

帰国してからしばらく経つが、未だに何も変化が起きていないのが何よりの証拠だ。

 

「ま、せめて夢枕にでも立ってくれることは期待するさ」

 

クリスがそういうと、ようやく周囲からも笑いが漏れた。

皆が皆、彼女の過酷な半生に思いを馳せ、口を挟むのを憚っていたのだろう。

しかし、そんな中で、なおエルフナインの表情に陰りがあるのをクリスは見逃さなかった。

 

「願いが叶わないのであれば問題はないと思いますが、でもしばらくは気をつけてください」

 

「は? どういうこった?」

 

「古今東西、願望器に対する伝説は数多いのですが…大抵、願い事を叶える替わりに対価を要求されているのです」

 

アラジンの魔法のランプでは、願い事を三つ叶える替わりに、ジンが解放される。

村を洪水から救うために娘は湖に住む竜神へとその身を捧げ、天狗の高下駄を履いて転べば小判を一枚得るがそのたびに背丈が縮む。

時空を旅したファウスト博士は悪魔に魂を要求された。

 

「ボクはこれを一種の因果の調律、または運の均等化だと考えています」

 

運定量説も昔からまことしやかに囁かれている。

つまるところ人の運の数値は定められており、生涯の幸運と不運は差引でゼロになるという考え方だ。

これを願望器に当て嵌めれば、巨大な幸運を願い叶えれば、同量の不運に見舞われることを意味する。

 

「ははっ、叶わない願いに対価を求められちゃあ、それこそバランスが崩れちまうぜ?」

 

笑い飛ばすクリスだったが、その語尾が微かに震えている。

 

 

 

 

 

 

「お邪魔しま~す」

 

「おッ、二人とも良く来たな!」

 

自宅を訪ねてきた響と未来を快く迎えるクリスがいる。

 

「でも、急にクリスちゃんから泊りに来てって珍しくない?」

 

着換えなどの諸々が入ったバックを置きながら響は言う。

 

「なあに、土産代わりに本場もののボードゲームをしこたま買ってきたからな。今夜は寝かさないぜ?」

 

卓上に所せましと並べられたゲームとお菓子の山を指し示してクリスは胸を張る。

 

「あら? クリスも外国の小説なんて読むんだ」

 

目敏く椅子の上に置かれた文庫本を小日向未来は手に取った。

 

「小説を読めば語彙も読解力も身につくからな。テスト対策にもバッチリさ」

 

思えば妙なテンションで饒舌なクリスに対し、違和感を抱くべきだったろう。

しかし未来は文庫本のタイトルを一瞥しただけで、そこに明確な解答があったにも関わらず興味を示さなかった。もっとも今日びの女子高生は、海外の怪奇小説短編集などに興味は示さないかも知れないが。

 

実は、クリスなりにエルフナインが言うところの〝願望器〟に対する逸話を収集していた。

その中で最も有名かつ不気味な話が、W・W・ジェイコブズの著作である『猿の手』である。

読了するなりクリスは両親の仏壇を拝み倒し、かつ立花響、小日向未来を召喚するに至った次第であった。

 

「クリスちゃんが良いならいくらでも泊まっちゃうよ♪」

 

「おう、しばらくは家から学校に通っていいぞ?」

 

「もうクリスったら」

 

この時の未来は、クリスの発言は全くの冗談と受け止めていた。

 

しかし実際に一週間以上泊り込む羽目になろうとは、人としての原罪を浄化された彼女をしても見通せない未来(みらい)だった。

 

 

 

 

 



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EPISODE 3 蒼穹の回天

 

 

 

 

 

雪音クリス宅に、立花響と小日向未来が泊まり込んで早一週間が経過している。

その間、クリスが危惧するような出来事は何も起きず、寝不足とストレスを感じながらそれなりの心の安寧を得ていた。

対して未来が響を二人きりで独占できないことにそろそろフラストレーションを抱きつつあったころ。

 

その事件は勃発した。

おそらく、全ての装者たちが忘れえぬ事件が。

 

 

 

 

 

 

「福岡にアルカ・ノイズの出現を確認ッ!」

 

S.O.N.G.司令部に藤尭朔也の声が響く。

 

「北海道函館市内にて自衛隊がアルカ・ノイズと交戦中! 援軍の要請が入っていますッ!」

 

友里あおいも吠えるように報告した。

 

「…止むを得ん! 切歌くんと調くんを緊急派遣だ!」

 

命令を下し、弦十郎は拳をデスクに叩き付ける。

現在、日本全土で同時多発的にアルカ・ノイズの出現が確認されていた。

旧ノイズに比べ普通の重火器にて駆逐可能ではあるが、それでも物理攻勢に対し圧倒的なアドバンテージを得ていることには変わりない。

さらに出現した場所が都市部であることも混乱に拍車をかけている。

逃げおくれた市民などで混沌としている市内に、強力な兵器の投入は躊躇われていた。

となれば対ノイズに特化したシンフォギア装者の出番であるはずだが、もともとS.O.N.G.は少数精鋭の特殊部隊だ。

限定的かつ特殊な作戦に投入されるのが本来的なもので、大規模な防衛戦への運用など元から想定されていない。

 

「ただでさえ少ない戦力を分散させるなど、兵法から逸脱しているにもほどがある…ッ!」

 

呻く弦十郎は、この大規模な同時多発テロが発生したことに対し、部下たちへの苦言を呈すつもりはない。

このような事案が発生する可能性は十分に検討されていた。

対アルカ・ノイズマニュアルなども策定し、防衛省にも働きかけている。

その件に関しては上でも色々と政治的な悶着があったらしく、現場へと精確にトップダウンされたかは疑わしい。

が、水際で阻止できず、後手に回ったことは司令である自分の責任だと弦十郎は考えている。

今さら悔やんでも仕方のない話で、漏れてしまった水はこれ以上零さないようにするしかない。

 

「敵の狙いはッ!?」

 

追い詰められたパヴァリア光明結社残党と、欧州の錬金術師の過激派たちが手を組んだとの情報は把握していた。

大規模な掃討作戦は立案されていたが、先手を打たれて逆に攻め込まれている現状だ。

半ば暴走した自爆テロなのか?

それとも各地に装者たちを分散誘導するのが目的か?

後者の場合であれば、目的ははっきりしている。S.O.N.G.が擁する聖遺物の数々。

特に存在自体が秘匿されているギャラルホルンは、使いようによっては世界を滅ぼしかねない。

これは絶対に敵の手に渡すわけにはいかなかった。

本部である潜水艦は深海まで沈降してしまえば取りあえずは安全が確保できるだろう。

しかし、風鳴翼は沖縄へ飛び、立花響は大阪だ。マリアは福岡へ急行中で、切歌と調は先ほど北海道へ向けて出撃している。

残る装者は雪音クリス一人のみ。

いわば最後の切り札であり、このカードを切る判断は弦十郎に委ねられている。

 

「ッ! 東京湾上空に多数のアルカ・ノイズの出現を確認ッ!」

 

「…是非もなし! 緊急浮上だッ!」

 

藤尭にそう命じ、弦十郎は待機室へといるクリスへ声を飛ばす。

 

「行けるか、クリスくん!」

 

「まかせときなッ!」

 

浮上した潜水艦のカタパルトからクリスが飛び立つ。

空には輸送型アルカ・ノイズが無数に浮かび、そこから雲霞のごとく飛行型を吐き出し続けている。

標的は、おそらく日本国首都東京。

 

「やっぱりド本命はこっちかよッ…!」

 

既にイチイバルを装着したクリスのアームドギアから無数の弾丸が放たれた。

クリスが本部へ残ったのは伊達ではない。

彼女のシンフォギアほど広域攻撃力を持つ装者はいないからだ。加えて飛行型にも強力な相性を誇る。

 

「さあて、楽しいパーティをしようぜッ!」

 

吠えるクリス。

 

弾丸が放たれるたびに、ノイズが次々と炭化して散っていく。

まるで半紙に穴が穿たれるがごとくノイズが殲滅されていく。

自ら精製したミサイルの上で空を縦横無尽に駆るクリス。

都心部へ至らせず海上で迎撃する彼女の手腕と活躍は、絶賛されて然るべきもの。

しかし―――。

 

「クソッ、在庫の一斉セールかよッ!」

 

減らす端から輸送型が現れ、同時に飛行型も補充されている。

単独で決定力を欠き、迎撃するので精一杯なクリスの様相は、消耗戦となりつつあった。

シンフォギア装者とて無限の体力を持っているわけではない。

敵のノイズが潰えるのが先か、それともクリスが体力を使い果たすのか先か。

 

『こちら翼ですッ! ノイズの殲滅を完了しました! 至急帰投しますッ!』

 

『待っててクリスちゃん! こっちはもう少しで全部倒せるからッ!』

 

『OK、こっちも全滅を確認したわ。すぐに戻るから待ってて!』

 

『クリス先輩、頑張ってくださいデスッ!』

 

『終わったらすぐに切ちゃんと駆けつけます!』

 

日本全国に散った装者より次々と入る通信。

仲間たちの激励にクリスは奮起するも、弾幕に間隙が生じ始める。

 

「まだだッ! まだまだいけるッ!」

 

歯を喰いしばり、さらなる弾丸を撃ち続けるクリスだったが、彼女の消耗具合は傍目にも明らかだった。

 

「…限界だな」

 

誰にも聞こえないよう、口中で弦十郎は呟く。

それから背筋を伸ばし、発令所全体に響き渡るような大喝で命令を発した。

 

「これより本部は全速力で沈降するッ! 聖遺物の安全確保を最優先事項とせよッ!」

 

他の装者たちの救援は間に合わない。

取りこぼしたノイズは、首都圏上に自衛隊が防衛ラインを構築してはいるものの、甚大な人的物的被害を齎すだろう。

それが分かるだけにクリスは引かない。全身全霊を振り絞り戦い続ける。

自分の責任で他人が傷つくことを、彼女は何よりも忌避しているのだから。

弦十郎の断腸の決断は、すなわち、いまだ奮闘するクリスの覚悟を見捨てるということに他ならない。

万が一にでも敵の真の狙いが本部である可能性が捨てきれない以上、万難を排さなければならない。

感情を排し、冷静に優先順位を見定めた故の命令だった。

 

「…諒解しました」

 

覚悟を決めてはいたが、藤尭は忸怩たる思いで潜水艦の沈降プロセスを開始する。

 

「司令、どちらへッ!?」

 

鋭い声は友里あおいの発したもの。

 

何事かと振り向く藤尭の視界には、発令所を出ていこうとする弦十郎の姿があった。

 

「後先になるが、俺が船外に出てから急速沈降してくれ」

 

弦十郎は振り返った顔に屈託のない笑みを浮かべ、

 

「クリスくんに絶唱を使わせるわけにもいくまいよ」

 

声を失う藤尭と友里。

兼ねてより自重していた風鳴弦十郎の自らの出撃。

いよいよそこまで事態は追い詰められているのか、と重苦しい空気が蔓延する発令所内。

今まで沈黙を守っていたエルフナインが大声を出したのはまさにその時だった。

 

「司令! ちょっと待ってください!」

 

「どうしたッ!?」

 

「ギャラホルンが起動しています!」

 

「なんだとッ!?」

 

三者三様の驚きを響かせたのもつかの間、藤尭は即座にギャラルホルンのモニタリングを開始している。

 

「フォニックゲインを確認! これは…何か質量を伴うものががこちらに転移して来る!?」

 

「こんな時に、偶然なの…ッ!?」

 

モニター越しに友里は光り輝く聖遺物を仰ぎ見た。

終末の角笛と称されたギャラルホルン。それは無数にある並行世界の往来を可能にする脅威の力を秘めている。

 

「放出されたエネルギーが本艦の上に集約されていきます!」

 

エルフナインが叫ぶ。

 

「アウフヴァッヘン波形の固有パターンを確認!! ……なッ!? この反応は、まさか!?」

 

藤尭の驚愕の声に続きモニターに大きく表示される文字。

それを読み上げ、弦十郎も仰天するしかない。

 

 

 

 

 

「イチイバルだとぉ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

頭の奥を刺すような激痛が絶え間なく襲い、時々視界が真っ赤に染まる。

疲労の極みに達しながらも、それでもクリスは歯を喰いしばり引き金を引き続けた。

だが、とうとうその努力も献身も限界を迎える。

薄くなった弾幕の隙間を縫うように、飛行型アルカ・ノイズが首都を目がけて飛んでいく。

今のクリスに残された体力では射程外だ。

もちろん追うだけの力も残っていない。

 

「…ちくしょうッ!」

 

クリスの目尻から悔し涙が弾け飛ぶ。

 

いま取り逃したノイズが、どれだけの人を殺すか。傷つけるか。

あたしに力が足りないばっかりに…ッ!

 

しかし、涙を振り切り、クリスは毅然と顔を上げる。

まだだ。まだ切り札がある。

装者の命そのものを燃やす絶唱。

体力を使い果たしたこの身でも、命を賭せばノイズを殲滅する力くらい絞り出すことが出来るはずだ――。

覚悟を決め、クリスが大きく息を吸い込んだ瞬間だった。

 

クリス自身、撃った覚えのない光線の軌跡が、遥か先行く飛行型アルカ・ノイズの群れを貫いた。

それだけではない。クリスの背後から、無数のミサイルや弾丸が次々と空高く駆けて行く。

そしてトドメとばかりに輸送型ノイズへ向けて飛ぶ12機もの大型ミサイル。

これはまさか。

 

「MEGA DETH INFINITY…ッ!?」

 

強烈な爆発音を響かせた蒼穹に、もはやアルカ・ノイズは一欠片すら残っていない。

硝煙染みた臭いを海風が洗い流していく中、クリスはおそるおそる背後を振り返る。

本部潜水艦の先端に、その人影は立っていた。

人影が身に纏う赤いFG式回天特機装束は、クリス自身が着装しているイチイバルと酷似している。

いや、イチイバルそのものだ。

そして、そのシンフォギアを纏う装者の顔は―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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EPISODE 4 デュオ・アンサンブル

 

 

 

 

 

 

 

各々の戦場より帰投した装者たちは、身支度を整えるのもそこそこに、S.O.N.G.本部発令所に集まっていた。

壁際に整列する彼女たちの視線は、いま、司令席の風鳴弦十郎に対峙する人物へと注がれている。

 

並行世界から来訪したイチイバルの装者。

ギャラルホルンの能力で並行世界に渡ったことはあっても、その逆に向こうから突然訪問されるのは前代未聞である。

加えて、大惨事になりかけた危機を寸でのところで救ってくれたエトランジェは、この世界の装者たちにとって、非常に見知った人物でもあった。

興味をそそられる一方、この世界側の全員が揃いも揃って戸惑う様子を隠せないでいる。

特に装者たちにその傾向は強く、常在戦場を自認する風鳴翼の動揺っぷりも只事ではない。

そんな彼女たちの心情は、おそらく立花響の漏らした呟きに最大公倍数で凝縮されている。

 

 

 

 

「…なに、あのクリスちゃんの顔したスーパーモデル」

 

 

 

 

 

 

「あたしの首をすげ替え式みたいにいうなッ」

 

さすがに小声ではあるが突っ込まずにいられないクリスもまた動揺していた。

 

「いや、私も最初は縮尺が狂っているのかと思ったが、あれは間違いなく雪音だな」

 

「アンタも言ってることが大概ひどいぞッ!?」

 

しかしながら、並行世界から来たらしい雪音クリスがそう評されるのも無理はなかった。

見慣れた髪型こそそのままだが、すらりとした背丈は隣に立つ友里あおいより高い。

加えてS.O.N.G.の正規女性制服を纏う豊かでバランスの取れた肢体は、おそろしくメリハリを主張している。

 

「…なるほど。そちらの世界にもギャラルホルンが存在する、と」

 

「はッ。初の起動にあたり、突発的ではありますが、小官が並行世界の観測任務を与えられた次第です」

 

弦十郎からの質問にハキハキと答え、ピンと伸ばした背筋には凛とした雰囲気が漂う。

 

「転移直後にアルカ・ノイズの反応を察し、居ても立ってもいられなくなり許可も得ず戦闘へ参加してしまいました。先走ってしまった上に、まことに差し出がましいことを…」

 

「い、いや、それはこちらが逆に助けられている。改めて礼を言わせてもらおう」

 

「はッ。そう言って頂けると僥倖です!」

 

ピシッと敬礼をした後、彼女は懐からメモリースティックを取り出し机の上に置く。

 

「これには、私たちの世界の情報が入っています。情報閲覧するにあたり、ディレクトリ構造にしてありますので、適宜確認しつつ掘り下げて取得して欲しいと、()()()()()()()()()()()()()()()言付かっております」

 

「そうか。ではさっそく精査させてもらう」

 

細かい打ち合わせに入った司令席を遠目に、壁際の装者たちは小声で各々の感想を漏らし合う。

 

「…悔しいけれど、最高に仕事が出来るイイ女って印象よね」

 

マリア・カデンツァヴナ・イヴが親指の先端を噛みながら言えば、

 

「なんか大人の女性って感じデース」

 

と暁切歌はぽーっと頬を赤らめ、

 

「マリアより大きい…だと…?」

 

そう呟いて月読調はボーゼンとしている。

 

「うん、あれはクリスちゃんじゃなくてクリスさんだね」

 

立花響が締めくくった。

 

「おまえらなあ…」

 

並行世界とはいえ自分のことである。苦言を呈すればいいのか頭を抱えればいいのか。

対応に困るクリスの前に、打ち合わせを終えたらしいクリス()()がツカツカとやってきた。

 

「あなたたちがこちらの世界の装者ですか」

 

敬礼され、慌てて直立不動で敬礼を返す一同。

そんな一同の姿の上を、並行世界より来たクリスの視線が彷徨う。

そして止まった先は、こちらの世界のクリスだった。

自分から見下ろされるという不可思議な体験に戸惑うクリスに、

 

「初めまして、こちらの世界の私」

 

「お、おう? じゃ、じゃなくて、こちらこそ、初めまして…」

 

手を差し出され、おずおずと握り返すクリス。

そのままじーっと顔を覗きこまれる。

毎朝鏡で見慣れているはずだ。

なのに顔に血が上り、思わずクリスは叫んでしまう。

 

「な、なんだよッ! なんかついているのか?」

 

すると、並行世界から来たクリス―――クリスさんは、涼しい顔から一転、くしゃくしゃに破顔した。

 

「いや~、こっちの世界のあたしってすっげぇ小せえのな!!」

 

「ッ!?」

 

同じ勢いで崩壊した口調に、こちらの世界の装者たちは全員目を見張る。

そんな驚きの視線も意に介さず、クリスさんは胸元のネクタイを緩めると、

 

「あー、固い口調で喋って肩が凝ったぜ。おまけに制服も息苦しいのなんのって…」

 

「ね、猫被ってたのかよッ!?」

 

「ありゃ仕事上の余所行きってやつさ。素のあたしはこっちだぜ」

 

ニヤリと笑う。

 

「こっちのマリアに、調と切歌も元気そうだな、変わらねぇなあ」

 

ついでに、よっ! とばかり手を上げて三人に挨拶。

 

「なんだ、そちらの世界でも雪音はやはり雪音だったかッ!」

 

かつて飛んだ異なる世界で半グレの立花響が目撃されている。

こちらの世界と異なる要因で分岐しているのが並行世界であるから、並行世界から来た雪音クリスも何かしらの性格の変遷もあるかと身構えていたが、どうやら杞憂のようだ。

 

「こっちの翼さんも、やっぱ堅苦しい喋り方だな」

 

「翼さん、だと…?」

 

名前を呼ばれ、目を白黒される翼がいる。

 

「ありゃ? なんかおかしいかい?」

 

「い、いや、普段から先輩とかアンタとかしか呼ばれてなかったものでな」

 

「ふーん…」

 

何故か頬を赤らめる翼の横で、元気よく挙手する響がいる。

 

「すみませーん! 質問質問! そっちのクリスちゃんは歳はいくつなんですか?」

 

「ん? 17でリディアンの三年生だけど、それがどうした?」

 

「じゅうしちぃ!?」

 

その場にいたほぼ全員が異口同音に叫ぶ。

 

「あ、あたしたちは同じ歳ってことか!?」

 

「そうだよ? なんだ、どっか変か?」

 

そういってクリスさんはその場でくるくると回って見せる。

落ち着いた佇まいの高身長。加えて抜群のプロポーションのせいもあってか、こちらのクリスより遥かに大人びて見える。

 

「…一体、あちらの世界で何があったのかしら…」

 

マリアが茫洋と呟くが、誰よりも本気でそう訊ねたいのは当のクリス本人だ。

 

「まあ、見た限り、こっちの世界とあっちの世界では、それほど差異はないみたいだな」

 

などとクリスさんはのたまい、ぽんぽんと響の頭を叩きながら言う。

 

「こっちの響も、本当に馬鹿みたいに元気そうで、見てるだけで安心するぜ」

 

「…クリスちゃん、今なんて?」

 

「あ? 響、どうかしたのか?」

 

果たして、いきなりぶわっと両目から涙を溢れさせる響がいる。

 

「お、おいッ!? どうした? どっか痛かったかッ!?」

 

「ううん、違うんです。こっちのクリスちゃんは、いっつもわたしのこと、バカとかアイツとかしか呼んでくれないから…」

 

さめざめと泣く響の頭を撫でるクリスさんが、なぜかこっちを睨んでくる。

 

「な、なんだよ…」

 

「あたしが言うのもなんだが、頑張っている後輩の名前くらい呼んでやれよ」

 

「う…」

 

言葉に詰まるクリスを前に、更に切歌と調までが参戦。

 

「あー、それはいわゆるクリス先輩のテレ隠しデスね♪」

 

「そう、クリス先輩は恥ずかしがり屋さんだから」

 

「おめーらまで乗っかってくんのかよ!」

 

助けを求めるように周囲を見回せば、マリアはニヤニヤ笑いを浮かべ、翼も腕組みをしてウンウンと頷いている。

 

…なんだよ、ホームなのにこのアウェー感は!

しかも原因が自分自身ってのが救われねえッ!

 

喘ぐようなクリスの脳裏に、全く別ベクトルの危惧が浮かんだのは、決して窮地から逃れたいがためではない。

 

「そ、そういえば、並行世界間の同一人物同士は干渉し合うってのはどうなったんだ!?」

 

かつて、並行世界の響と精神が干渉しあった結果、こちらの世界の響が行動不能に陥った事実がある。

 

「その件に関しては、これから詳細に調べますけど、ひとまずは大丈夫かと思われます」

 

エルフナインがひょっこりと一同の輪の中へ顔を出した。

 

「現状でお二人がこうやってお話できていますし、干渉は起きてないようですから」

 

クリス二人が顔を見合わせる。

 

「それでも、クリスさんには当面本部の方へ滞在して貰いたいです。色々と検査も必要ですし」

 

「おう!」

 

「おう!」

 

「…あの、並行世界からいらしたクリスさんだけでいいので…」

 

クリスが周囲を見回せば、皆が皆口元を押さえて笑いをこらえている様子。

顔を真っ赤にしながらクリスは叫ばずにはいられない。

 

「なんなんだよ、もうッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…疲れた」

 

自宅に帰りつくなり、クリスはベッドへと突っ伏す。

事後処理を済ませ、どうにか帰宅許可が降りたのがお昼すぎ。

並行世界からきたもう一人の自分と話がしたいと思ったけれど、前日からの緊張が解けた疲労が、ずっしりと全身にのしかかっている。

 

…さすがにもう頭も回らない。

駄目だ、眠ろう。

色々と訊きたいことがあったんだけどなあ…。

 

瞼を閉じて、次に目を開けたときには、部屋は暗くなっていた。

時刻は日付が変わる寸前の深夜。

このままもっと眠ろうかと思ったけれど、お腹がぐーっと音を立てる。

しばらく我慢してみたが、どうにも腹の虫が収まってくれない。

眠るのを諦め、クリスはベッドから立ち上がる。

 

「…なんか買い置きあったっけかなあ」

 

そのままキッチンへと足を向けたときだった。

 

ピンポーンと玄関のチャイムが鳴る。

 

「誰だ、こんな時間に…」

 

不機嫌そうに眉根を寄せるクリス。

もっとも全然心当たりがないワケではない。

未来とケンカしちゃった~どうしよ~と半べそで響が駆け込んできたこともあるし、前触れもなくSAKIMORIがお茶を飲みに来たこともあった。

だいたいとんでもないことを持ち込んでくるのは同僚の装者たちだ、とクリスは勝手に断定している。

どうせその手の類だろう、と一応用心しつつも扉を開けたクリスの予想は、ある意味当たっていた。

 

「よッ、こんばんは!」

 

扉の向こうで軽く手を上げているのは、間違うことなき自分の顔。

ただし、目線はだいぶ頭上にある。

 

「な、なんでここにいるんだッ!?」

 

「御挨拶だな。あたしが一人暮らししているっていうから陣中見舞いにきたってのに」

 

そういって中身のたっぷり詰まったビニール袋を掲げてくるもう一人の自分。

 

「だけど、本部で色々しなきゃならないって…」

 

「あ、それなら取りあえず済んだぜ?」

 

「はあッ!?」

 

「あとは、適宜協力してくれとさ」

 

言いながら、クリスさんはずかずかと室内へと上がり込んでくる。

 

「へえ、結構いいトコに住んでんじゃん」

 

遠慮なくリビングを見回した彼女は、とある一点で視線を止めた。

 

「…この仏壇はなんだ?」

 

「なんだって、パパとママの仏壇だよ」

 

「……ッ!?」

 

クリスさんは立ち尽くした。

顔をくしゃっと歪め、それから何かをこらえるように天井を仰いだ。

 

「これで色々と納得いった気がするぜ…」

 

「おい、何の話だ?」

 

彼女は、部屋の主であるクリスに顔を向けると、悲しげな声で言う。

 

「こっちの世界のパパとママは死んじゃっているんだな…」

 

「………え?」

 

 

 

 

 

 



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EPISODE 5 停滞ブレーク

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうか。あちらの世界ではクリスくんの両親は健在なのか」

 

並行世界からやってきたクリスの渡してきたメモリースティックには、まず三人の装者の情報が記されていた。

風鳴翼、立花響の情報に関しては、こちらの世界となんら遜色はない。

ただ、雪音クリスのデータのみ明確な違いが記されている。

 

父、雪音雅律。母、ソネット・M・ユキネ。都内在住。

 

あちらの世界の雪音クリスは、両親の愛情をたっぷりと注がれて成長したに違いない。

なればこそ、あれほどしなやかで闊達な言動の並行世界の彼女にも得心が行く。

こちらの世界のクリスを知る風鳴弦十郎としては、多少なりとも心が和む情報だった。

 

過日の錬金術師たちによる同時多発テロ事件、通称 <燎原の火(ワイルドファイア)>事件の終息を経て、なおS.O.N.G.発令所の面々は、不眠不休で情報の解析に当たっていた。

その成果として、向こうの並行世界でも、こちらと同様にルナアタックが勃発したところまでの情報を取得するに至る。

 

クリスがフィーネの傀儡となる展開こそなかったが、大筋の流れに変化は見られていない。

広木防衛相の暗殺も防がれることはなく、その他の人的被害もこちらの世界に準じている。

櫻井了子もフィーネとして覚醒し黙示録の赤き竜と化している。

 

…やはり彼女は救えないのか。

 

並行世界に接触するたびに、半ば無意識で櫻井了子の生存を確認してしまうことに、多分に私的な感情が介在することを弦十郎は否定できない。

だが同時にそれは、渇き果てて海水を飲むことと同義であることも承知していた。 

一時は渇きが癒え、束の間の幸福を得られるかも知れないが、直後に塩辛い現実を味わう。

彼女が生きているのは、遠くて近い別世界だということを思い知る。

やれやれ、この歳になっても感情の処理もままならないとは。

 

「遠くで祈ろう幸せを……か」

 

「え? 司令、いま何か言いましたか?」

 

友里あおいが激しくタイピングを繰り返しながら剣呑な眼差しで見てくる。

 

「い、いや、なんでもない、続けてくれ」

 

いかんいかん、大概オレも疲弊しているのかも知れん。

弦十郎は頬を撫でる。ざらつく髭の感触。

 

「ちくしょうっ、やっぱりダメか!」

 

半ばそう絶叫し、コンソールに突っ伏すのは藤尭朔也。

 

メモリースティック内のデータは、新たな階層を表示するために、いちいち詳細な―――もっと言ってしまえば偏執的なほどの設問への回答が要求されていた。

こちらの取得している情報と突き合わせ、正しい回答を入力しなければ、おそらくデータが自動的に消去されるプロテクトが組まれている。

データの取得は喫緊の問題である。緊急処置として、プロテクトそのものを解除しようと藤尭が一人奮闘していた。

だが、データ処理に関してはS.O.N.G.で随一、いや、おそらく世界でも五指に入るほどのエキスパートでもある彼を持ってしても、匙を投げるしかないものらしい。

 

「ってゆーか! このコードのクセ! 絶対にこのプロテクト作ったのは向こうの世界のオレですよッ!」

 

「だったら、尚更なんとか出来るじゃないの?」

 

「自分だから良くわかるんだよ! 司令、これは起動しちまったら解除不能なプロテクトですわ」

 

友里にそう応じてから、藤尭は半ば投げやりな声を司令席へと飛ばす。

 

「ならば地道に行くしかないな。なあに、何も収穫はなかったわけじゃあない」

 

データの羅列される巨大ディスプレイへ視線を注ぎ、弦十郎はニヤリと笑う。

同じ方向を見ながら、エルフナインも強く頷いた。

 

「はい。おそらく、向こうの世界でも、ギャラルホルンによって並行世界へ干渉したことがあるはずです」

 

並行世界から来た雪音クリスは、ギャラルホルンの初起動と言っていたが、おそらくそれは欺瞞だ。

初めての異世界の来訪に当たり、事前にこれほど周到なデータを準備できるとはとても考えられない。

同時に彼女は「()()()()()()()()()()()()()()()」とも言明している。

むこうの世界にもエルフナインは存在するなら、魔法少女事変も勃発し、同様の結末を迎えていなければ無理だろう。

こちら側の装者、マリア、切歌、調の三人もむこうの世界と変わりない、との発言も、フロンティア事変が起こり、その上で仲間となったことを裏付けているのではないか。

つまり、向こうの並行世界は、こちらの世界とかなり似通った世界である可能性が高い。

 

「…だったらなんでこんな勿体ぶった手管を用いるんですかね?」

 

似た世界であるなら、わざわざ回りくどい情報を確認する必要があるのか? さっさと情報を共有してしまった方が益があるのではないか―――。

藤尭のぼやきも十分に理解できる話ではある。

だが、弦十郎は首を振った。

 

「どう考えても二つの世界が完全に一致するはずはなかろう。手間はかかるが、やはり微細な変化は見逃さず、精査せねばならん。それに――」

 

弦十郎は、そこで発令所の面々を見回す。

 

「オレたちが考えつくようなことを、向こうのオレたちが考えないとでも思うか?」

 

「あ…」

 

呆気にとられた声を出す友里を横目に、藤尭がやさぐれ気味に噛みついてくる。

 

「なら、なおさらですよ。そんなにこっちの俺たちが信用ならないんですかね!?」

 

「そりゃあ信用ならんだろうよ。疑心暗鬼なのは向こうも同じだ」

 

「………」

 

今のおまえと同じだろう――と暗に指摘されて沈黙する藤尭に、弦十郎は自分自身に言い聞かせるように口を開く。

 

「ゆえに、オレたちは意味を考えなければならない。向こうの世界のオレたちが送ってきたデータの内容と、このデータを送って寄越したその意味を」 

 

「まるで時間稼ぎの意地悪みたいにも見えますけどね」

 

疲れた表情で呟く友里。

 

「それが答えの一つかも知れません」

 

エルフナインが頷く。

 

「…どういう意味なの?」

 

「現在のギャラルホルンの情報はあくまで秘匿されています。報告しているのは関係者の極一部だけですよね?」

 

友里の質問に、エルフナインは弦十郎を仰ぎ見るように尋ねる。

 

「その通りだ」

 

弦十郎は力強くうなずく。

実際のところ、ギャラルホルンに関して知る人物は限られている。

その中にはもちろん鎌倉の首魁、風鳴赴堂も含まれているが、今のところ沈黙を守っている。

というのも、あくまでギャラルホルンはこちらの世界から無数の並行世界に干渉するだけの力に留まるからだ。

しかも世界を渡れるのは装者ら適合者たちだけとあらば、いよいよの際に並行世界へ集団疎開という手段も使えない。

それが、今回の並行世界よりの来訪で事情は変わった。

もし、弦十郎が危惧する予想が当たっていれば、あの攘夷主義者が黙っているわけはない。

 

「…なるほど。そう考えれば、データの完全解析をしないうちに詳細な報告は出来ませんからね」

 

「そういうことだ」

 

おそらく、政治も含めたそのへんの周辺事情はむこうの世界も同じはず。

この厳重極まりないプロテクトは、対処するためにかかる時間という口実作りと、その間によくよく熟慮してくれとのメッセージが込められているのではないか。

もっとも希望的観測は厳禁だ。むこうが大きな差異を抱いている世界であることも否定は出来ない。

そうして取得できた情報を鵜呑みにするのも迂闊だろう。

 

だが、今日のところはとりあえず―――。

 

「現時刻で、一旦作業を中断する!」

 

弦十郎は発令所の一人一人の顔をゆっくりと見回す。

 

「作業再開は24時間後としよう。各人、どう過ごすかは自由だが、8時間以上の睡眠をとることを厳命するッ!」

 

今は休息の時だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「雪音さん、今日はお弁当なんだ? 珍しいね」

 

「あ、ああ…」

 

私立リディアン音学院の昼休み。

自席で弁当箱を引っ張り出したクリスの机の上を、級友たちが覗きこんでくる。

 

「ひょっとして手作り?」

 

「…まあ、そんなもんかな」

 

嘘ではない。作ったのは間違いなくもう一人の自分だ。

あの日の夜遅くにやってきた並行世界のクリスは、そのままこの世界のクリスの自宅へ宿泊している。

一宿一飯の恩義だぜッ、などと言いながら、朝食を作ってくれただけにとどまらず、出がけに持たせてくれたのがこの弁当である。

さっそく蓋を開けかけて―――クリスは慌てて閉じると言った。

 

「あ、やべえ、後輩たちと一緒に食べる約束だったわ」

 

興味津々で見てくる級友たちの前で席を立つと、あとは弁当を抱え一目散に中庭を目指す。

誰もいない中庭の奥まった場所を見回して一安心、とはいかなかった。

好事魔多しという格言が実証されたかは定かではないが、ご丁寧にシートを敷いてのんびりとしている二人組の片割れが大声を出す。

 

「あっ、クリスちゃんだ! こっちこっち~!」

 

「おまえらがいたのか…」

 

げんなりしつつも、大人しく立花響と小日向未来のもとへと近づくクリスがいる。

普段ならたとえ呼ばれても二人の世界を邪魔する気はないが、今回に限っては別だ。

多少なりとも事情を知っていて話が出来る相手の存在はありがたい。

 

「うっわ、クリスちゃん今日はお弁当? 珍しいね~」

 

級友たちと全く同じ反応にクリスは苦笑するしかない。

 

「ああ、もう一人のあたしが作ってくれたんだ」

 

「え? クリスさん、いまクリスちゃんの家にいるの?」

 

言っているほうも聞いているほうもややこしいが、クリスは素直に首肯する。

 

「昨日の夜だったかな? いきなりやってきて、そのままあたしん家に泊まっていったよ」

 

「へえ~、いいなあ。今日にでも会いにいっていい?」

 

「だからまだ家にいるかは分かんねーってば」

 

「それよりクリス、お弁当、食べなくていいの?」

 

優しい声音だが全く笑ってない目で未来が言う。

 

「そ、そうだな、腹も減ったしな」

 

背中にうすら寒いものを意識しながら、クリスは弁当箱の蓋を開けた。

弁当箱の中身は特筆するべきものはなかった。

卵焼き、鮭の切り身の照り焼き、ヒジキの煮物。敷かれたレタスの上の一口ハンバーグは、さすがに冷凍ものだろう。

メニュー的にはコンビニやスーパーで売っている弁当と大差はない。

しかし。

 

「…美味いな」

 

一口食べて思わずクリスは呟く。

普段食べている惣菜物と比べ、なんとなく優しい味がする。

 

「一口も~らい♪」

 

止める間もあれば、響が卵焼きを口の中へと放り込む。

 

「あ、甘い卵焼きだ、美味しい~」

 

確かにご飯と一緒に頬張る感じではなく、箸休め的な卵焼きだった。

梅干しの乗せられたご飯は冷めてもモチモチしていて美味しい。

 

「クリスさんって料理も上手なんだねー」

 

「お、おう」

 

響の感想に、自分のことながら胸を張っていいのやら。

もっとも現在のクリスに、こんな家庭的な弁当を作るスキルはない。なのに級友に弁当の中身を見られたらややこしいことになる。

そそくさとクリスが教室より避難した理由だ。

 

「ところでクリスさんはどこで何やってんの?」

 

「さあてね。適当にブラつくって出ていったみたいだけど…」

 

急いで弁当を掻き込み、パック牛乳を飲みながらクリスは答える。

用が済んだなら元の世界へ戻ればいいのにと言ったら、任務で当面は帰れないとのこと。

別に家に泊めるのはやぶさかじゃあない。

だが、どうにも気後れしてしまうクリスがいる。

まあ、単純に身長が高くて見た目からして違うからな…。

などと考えながら軽く視線を巡らせたクリスは、直後口より牛乳を盛大に逆噴射。

彼女の視線の先。

もう一人の自分が軽く手を挙げて「よッ!」と挨拶をしながら歩いてくるではないか。

 

「ど、どうしてここに来たッ!?」

 

「そりゃ少しばかり暇を持て余したからな」

 

「関係者以外侵入禁止だぞッ!」

 

「あたしも一応関係者だろ?」

 

「そりゃそうかも知れないけれど…あたしが二人もいたらパニックになるだろーがッ!」

 

「変装しているから大丈夫だぜ」

 

そう言ってのけた彼女は、上下のジーンズにデニムの帽子を目深に被っている。

 

加えて伊達眼鏡もかけていれば、なるほど、別人に見える……ものか?

 

「でもなあ…ッ!」

 

それでもとクリスが激昂しかけたときだった。

 

「ビッキー、やっほ~」

 

どう考えても事態をややこしくしかねない三人組、安藤創世、寺島詩織、板場弓美の面々がやってきた。

 

「あれ? 誰、この人? ひょっとしてモデルさん?」

 

と弓美が首を傾げれば、

 

「雪音先輩、こちらの方は?」

 

不審そうに尋ねてくる詩織。

 

「ん? きねクリ先輩に似てるっていうか……ヤバい、似すぎてない?」

 

これは創世。

すると響はなぜかえへんと胸を張って、

 

「そりゃ似ているよ! なぜなら…」

 

「わーッ、わーッ!」

 

その口を無理やり塞ぐクリスがいる。

 

「おまえバカかッ?! いくらこの三人でも、おいそれと並行世界の秘密を漏らすつもりかよッ!?」

 

小声で鋭く耳打ちをしている間に、渦中の並行世界から来たクリスは三人娘に向かって微笑む。

 

「初めまして。私は雪音クリスの従姉にあたる雪音雪姫と言います」

 

軽く長身を折って頭を下げる。完璧に如才のない挨拶。

 

「なるほど、従姉だったら似ていても当たり前かー」

 

「雪姫さんは今日はリディアンの見学ですか?」

 

創世と詩織は素直に納得。

 

「歌ずきんの雪姫ちゃんと同じ名前?  それって本当なの!? だとしたらまるでアニメみたいだね!」

 

一人はしゃぐ弓美だけが真実を言い当てていたが、本人は知る由もない。

 

「そ、そーなんだよ! それで、あたしはこれから従姉のねーちゃんを案内しなきゃなんないから、ほら、みんな、散った散った」

 

クリスは、自称従姉の手を引いて歩き出す。

そしてその反対の手を、小走りで駆け寄ってきて掴む未来がいる。

 

「あ、あの、わたしも案内しますッ!」

 

「はあッ!?」

 

クリスが顔を顰めると、遅れて響もやってきた。

 

「えーと、未来?」

 

「…はっ! わたしは一体なにを…? ご、ごめんなさい響! これは決して浮気とかじゃなくて…ああ、何いってんだろ、わたし!」

 

混乱する未来。普段と逆の役割を振られ、響としてはオロオロするしかない。

そんな二人を後目に、そそくさとその場を離れようとする雪姫=クリス。

 

「なんだよ、あの子のことは苦手か?」

 

「いや、そういうわけじゃないんだけど…。こっちの世界も同じなんだなって思ってな」

 

「うん? どういうこった?」

 

「いやな、あっちの世界の小日向未来も、ときどきあたしをドロッとした眼差しで見てくるときがあって怖いんだよ」

 

「…マジか」

 

 

 

 

 

 

 







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EPISODE 6 ライアーズ・バンケット 前編

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リディアン音楽院の屋上に二人のクリスがいる。

 

とっくに昼休みの終了を告げるチャイムも鳴ってしまったので、他に人影はない。

 

「なんだ、サボるのか?」

 

転落防止用の手すりにもたれながら雪姫=クリス。

 

「一体全体何の用があって学校まで来たんだよ?」

 

睨むようにクリス。

 

「さっきも言ったろ? 暇を持て余した…ってんじゃ納得できないか」

 

「ああ、もちろん」

 

「本音を言えば、こっちの世界のあたしのことが気になったからさ」

 

「はあ?」

 

「なんか妙に捻くれた態度を取ってるから心配したけど、どうしてなかなかこっちの世界でも友達はたくさんいるみたいじゃねえか」

 

そう指摘され、顔を真っ赤に染めてクリスは怒鳴る。

 

「ほっとけ、余計なお世話だッ」

 

「そうがなるなって。他ならぬあたし自身のことだ。知りたいってのは当然だろう?」

 

「保護者気取りかよ…」

 

勘弁してくれ、と切実にクリスは思う。

 

「ってゆーか、こっちの世界のあたしの保護者ってのは誰なんだ?」

 

ふと思いついたように雪姫=クリスが尋ねてきた。

 

先日、両親の仏壇を見られ、その死を知られた。そのことを見越した上で、割と当たり前の質問ではある。

 

「そりゃあ、おっさんだろ」

 

クリスの返答に、雪姫=クリスは眉根を寄せて、

 

「おっさんって誰のことだ?」

 

「おっさんはおっさんだよ」

 

「だからおっさんって誰なんだよ?」

 

埒が明かないので、クリスは半ば怒鳴るような声で、

 

「おっさんって言ったら風鳴弦十郎に決まってんだろッ!」

 

口にしておいて、その新鮮な響きに少し戸惑う。

 

対して、雪姫=クリスはきょとんとした顔つきになる。

 

「おまえ、弦十郎おじさんのことをおっさんて呼んでるのか…?」

 

「な、なんだよ、何かおかしいのか?」

 

「いや、こっちじゃ家族ぐるみの付き合いだからさ」

 

「本当かよッ!?」

 

「しょっちゅう家に飲みにくるみたいだし、正月のときなんか泣いてるぜ?」

 

「…なんだそりゃ?」

 

どういう流れかよく分からないが、妙に興味をそそられる話題になった。

 

もっと詳しく尋ねようとクリスが身を乗り出した時、屋上の入り口に人の気配が。

 

「残念、続きはまたの機会な」

 

言うが早いが、手すりにもたれたままの格好の雪姫=クリスは逆上がりするような形で後転。

 

「おいッ、ここを何階だと…ッ!」

 

慌ててクリスが手すりに飛び乗ると、眼下ではもう一人の自分が、壁や屋根のでっぱりを足掛かりに、飛び跳ねながらするすると降りて行く。

 

シンフォギアも使わないで出来る動きなのかよッ!?

 

まるでハリウッド映画じみたアクションにクリスが驚いていると、地面に着地した雪姫=クリスはこちらを見上げてニヤリと笑った。

 

そのまま何事もなかったかのようにスタスタと歩いて行ってしまう。

 

ただただ呆気にとられたまま、クリスは黙ってその姿を見送った。背後から聞こえる教師の誰何の声にも応えずに。

 

 

 

 

 

 

 

そして、またの機会とやらは、予想を通り越して早くやってきた。

 

その日の放課後、自宅へ帰りついたクリスは、今まさにドアを開けようとしている風鳴翼とばったり会う。

 

「…おい、人の家になに勝手に入ろうとしてるんだ?」

 

「いや、それは合鍵を使ってだな」

 

「そういうこといってんじゃねえッ!」

 

声を荒げるクリスの前にドアが開き、中からひょっこりともう一人のクリスが顔を出す。

 

「お、翼さん、買い出しお疲れ」

 

「うむ、適当に見繕ってきたがこれで良かったか?」

 

「上出来上出来」

 

そのままさも当然のように翼を家の中へ招きいれてしまう。

 

あまりの展開に、クリスは口をパクパクと開閉。

 

それから改めてもう一人の自分を睨みつけて怒鳴る。

 

「……あたしの家でなにやってんだおまえはッ!?」

 

「何もヘチマも、ここは()()()の家だろ?」

 

煙に巻くように言い置いて、自身も室内へ入ってしまう。

 

「おい、待て…!」

 

慌てて後を追ったクリスだったが、玄関の靴の数に嫌な予感を覚え、リビングへ突入するなりその的中を悟る。

 

「あ、クリスちゃん、おっかえり~♪」

 

立花響が満面の笑みで出迎えてくれた。

 

だけではない。響の隣では小日向未来が当然のように寄り添って腰を降ろし、対面には暁切歌に月読調。

 

カウンターでミネラルウォーターのボトルを煽っているのはマリア・カデンツァヴナ・イヴ。

 

買って来た飲み物をテーブルに並べる翼を含めると、全てのシンフォギア装者がここに集まっていることになる。

 

それはともかく。

 

「どうしてあたしン家に集まってんだよッ!?」

 

「まあ、固いこというなよ、あたし」

 

「………」

 

他人に言われれば言い返しもしたが、自分自身に言われたら一体どう答えればいいのだろう?

 

さらに意固地になってヘソを曲げるのも格好悪い話で、それでもやり場のない憤りを抱えたクリスにとって、翼の声はちょっとした救いになる。

 

「ほら、他ならぬ雪音もそう言っていることだしッ! と、どちらも雪音なわけだしな…。うむむ、ややこしいな…」

 

さすがにこれには失笑が起きた。

 

「ともあれ、今日は並行世界から来た雪音の歓迎会ということで、集まってくれた皆には感謝する」

 

なし崩し的に歓迎会とやらが始まってしまう。

 

まったく寝耳に水なクリスだったが、腹を立てることより、どうやら翼が企画・主催しているらしいことに驚きを禁じ得ない。

 

デリバリーの料理が開けられ、飲み物が交わされたあと。

 

どうやら主賓であるもう一人のクリスも同じことを感じていたようで、翼に向かい率直な声を投げかける。

 

「で? この歓迎会は、司令からの差し金かい?」

 

「それは勘繰りだな。決して任務に基づくものではないと断言しよう」

 

顔を上げそうきっぱりと言い切る翼だったが、すかさず溜息をつく。

 

「だが、私たちの純粋な歓迎の意志による―――と言い切れるほど潔白ではないな」

 

「相変わらず嘘がつけない人だな、翼さんは」

 

「なッ…年上をからかうなッ」

 

頬を赤くしてそっぽを向く翼だったが、相対するクリスの身長は翼より高く、下手をすると年上にすら見える外見だ。

 

そんな並行世界から来たクリスは、ニヤニヤしていた顔を真顔に戻すと、言った。

 

「奏さんの件は、残念だった」

 

「…ッ!」

 

翼は一瞬だけ表情ごと全身を強張らせ、ゆっくりと息を吐く。

 

「そちらの世界でも立花が装者になっているようだからな。さもありなん…」

 

スタジアムの惨劇を経てガングニールの欠片を埋め込まれなければ、立花響は適合者へとならない。

 

そのプロセスで、やはり天羽奏の死は避けて通れないものなのか。

 

「本音を言えば、それが一番私が訊きたかったことだ。益体もないと知りつつな。笑ってくれ」

 

「笑わねえよ。奏さんはあたしにとっても本当に格好良い先輩だった…」

 

しんみりとした空気は、響と未来にも伝播したようだ。生前の天羽奏の活躍を肌で経験したことが彼女らにはある。

 

「あの~、マムのことなんデスが…?」

 

そんな空気の中で、おずおずと切歌が手を挙げる。

 

「それは私も訊きたいです」

 

と調。

 

「教えて、あちらの世界では、マムはどうなったのッ!?」

 

ほぼ同じ目線の高さで詰め寄ってくるマリアに、クリスは「おいおい、落ち着け」と肩を押さえて距離を取る。

 

それから、室内の人間を見回すと、

 

「みんなが訊きたいことがあるのは分かっている。あたしだって、知っている限りのことは教えてやるさ。でもな、あくまで別の世界の話であることは弁えて欲しい。それと―――」

 

平行世界からやってきたクリスの眼が細くなる。

 

「あたしが話すことを全面的に信用するなよ?」

 

一瞬皆が絶句したが、真っ先に驚きの声を上げたのは響だった。

 

「そ、それってクリスさんは嘘をつくってこと?」

 

クリスさんは薄い笑みを浮かべて答えない。

 

「―――なるほど、了承した」

 

「そうね。そう前置きするしかないでしょうね」

 

納得の声を上げる翼に、マリアも同調の声を上げる。

 

「翼さんに、マリアさんまでッ!?」

 

「落ち着け立花。あちらの世界のことを、包み隠さず全て話せなど、元から無体なことなんだぞ」

 

「でも…」

 

「いくらこちらと似通っている世界であったとしてもだ。個人の嗜好やプライベートなど暴露されたくはないだろう?」

 

そこで、部屋中の視線はとある一点へと集中する。

 

「…なんでみんなしてあたしを見るんだよッ!?」

 

黙ってソファーに腰を降ろし腕組みしていた小さなクリスは声を上げる。

 

「本人がいる前で、本人の根幹に関わる質問など、まともに答えて言いわけがないだろう」

 

個人が自己責任で自らのことを喋るのは構わない。

 

だが、ここにはもう一人の自分も存在する以上、自己責任論をそのまま適用するのは無理だ。

 

しみじみ言う翼に響がぽんと手を叩く。

 

「ああ、そっか、クリスちゃんの好きな人とクリスさんの好きな人は違うかも知れないわけだしねッ!」

 

「何納得してんだよ、このバカッ! おまけに微妙にズレてるじゃねぇかッ!」

 

がなるクリスを面白そうに眺め、クリスさんは肩を竦める。

 

「ま、おおむねそんなとこだ。それを踏まえた上で、出来る限りは質問に答えるぜ」 

 

「はいはいは~い! それじゃあたしから! クリスさんの好きな人は誰ですかッ!?」

 

「こいつやっぱりビタイチ分かってねえッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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EPISODE 7 ライアーズ・バンケット 後編

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実のところ、ここしばらく小日向未来は機嫌が悪かった。

 

何よりも大切な人、立花響がシンフォギア装者として戦う運命にあることは承知している。

 

日本や世界を守るための大事なお仕事。

 

そう理解しているからこそ、S.O.N.G.の任務で不在の夜も、一人で乗り越えて来れた。

 

過日の錬金術師による集団テロも終息し、ようやく帰ってこれた響。

 

ところが、やさしく出迎えたにも関わらず、開口一番愛しの響から出た台詞は「クリスさん、クリスさん」ばかり。

 

詳しく聞けば、並行世界から来たクリスが今回の危機を救ってくれたとのこと。

 

そのこと自体はもちろん感謝しているし、こちらの世界のクリスだって好き。

 

だけど異世界から来たクリスとなれば、どうにも眉根を寄せてしまう未来がいる。

 

響が心を奪われたみたいになっているのも気に食わない。

 

―――だけど、そんな惚れっぽいところも含めて、響のことが…。

 

自分の赤くなった頬に両手を当て、クネクネと上半身をくねらせる未来は、見る人が見ればだいぶ(こじ)らせていると看破したかも知れない。

 

ともあれ、隙あれば苦言の一つも言ってやろう。そんな覚悟を決めて、そのクリスさんに相対した未来だったが。

 

 

 

…すらっと背が高くてかっこよくて、なのに顔がクリスって反則でしょうッ!?

 

で、でも、わたしにとっては響が一番なのッ!

 

だけど、素敵すぎ…。う、ううん、響の方が素敵よ…ッ。

 

…あれ? 引き分け?

 

 

 

ミイラ取りがミイラになったわけではないが、響ではなく自分が半ば心を奪われかけている。

 

必死でその感情の否定を繰り返す未来だったが、緩んだ気とともにネバっとした声が零れ落ちた。

 

「…ねえ、響。重婚ってどう思う?」

 

「何それ? なんかのコンニャク料理のこと?」

 

「ううん、なんでもないわ」

 

クリス邸で催されている並行世界から来たクリスさんの歓迎会は非常に盛り上がっていた。

 

ソファーに並んで座る響と未来の前には、レセプターチルドレンの三人に囲まれたクリスさんがいる。

 

「そ、それでそれでッ!? マムはどうしたんですかッ!?」

 

「ああ、あれはすごかったわ。パワードスーツを着たナスターシャ教授が、こうウェル博士の首根っこを押さえてさ、ソロモンの杖を奪取したんだ。そして、そのままの勢いで、射出された制御ユニットを追って月へ…」

 

「…信じられない」

 

「信じられないも何も、しっかり動画に残ってるからなあ。向こうの世界の動画サイトじゃ、不動の再生回数一位だぜ」

 

「と、ということは、マムはあっちでは何て呼ばれているのッ…!?」

 

「こっちの世界じゃどうか知らないけれど、向こうでは掛け値なしの英雄だぜ? それこそ『教授VS博士』って映画が作られるくらいに」

 

「す、すごいデースッ!」

 

喝采を上げ、乾杯を交わしあう切歌、調、マリアら三人を、翼が優しい眼差しで見守っている。

 

「よく別の世界のことであれだけ盛り上がれるぜ…」

 

そう苦言らしきものを呈したクリスは明らかに拗ねていた。

 

「そういうな、雪音。異世界とはいえ、知り合いが報われているのだ。水を差すのは野暮というものだぞ」

 

「ま、そりゃそうだろうけどよ…」

 

応えるクリスの声音は渋い。

 

なにせ()()()()()()()()()当人が目の前にいるのだから。

 

先日の夜。

 

当の本人の半生を既に聞き及んでいる。

 

NGO活動で、雪音夫妻が娘を伴い南米を訪れていたところまでは同じだ。

 

ところが、娘であるクリスが原因不明の腹痛を患ったところで、夫妻はNGOと一旦離れ、ブラジルの病院へ。

 

その直後、NGO本隊はバルベルデで戦火に巻き込まれ、雪音夫妻は娘とともに帰国を余儀なくされている。

 

帰国したクリスは二課に適合者としての素質を見出され、正規登録を受け、前任の適合者である天羽奏と風鳴翼を先輩と仰ぎ、日々訓練に励んでいたとのこと。

 

もう少しでトライウィングになるかも知れなかったんだぜ? 

 

そう語った彼女は、スタジアムの惨劇の時、日本にいなかった。

 

アメリカで秘密裏に発見されたイチイバル接収の任務に就いていたのだが、F.I.Sの先鋭派の暴走と米政府の暗躍により、予定にないトラブルに巻き込まれてしまう。

 

ようやく日本へ帰りついた頃には、天羽奏の死に関する事件は全て終息していた―――。

 

「もっとも、全部信用したわけじゃないけどな…」

 

そう一人ごちるクリスの表情は翳っている。

 

なぜなら、どうしても考えが及んでしまうのだ。

 

向こうの世界のあたしは、どんな風にパパに頭を撫でられているのだろう? ママにどんな料理を教わっているのだろう? と。

 

あくまで並行世界のことであり、こちらの世界の現実ではないことは百も承知している。

 

しかし、理性は納得するのだが、どうにも感情が納得してくれない。

 

ゆえに、奔放な笑顔で喋り続けるもう一人の自分を見る瞳は、複雑な色を帯びることになる。

 

「ク、クリスさん? 今度わたしと一緒にビーフストロガノフを作りませんかッ!?」

 

「お、いいぜ。向こうの世界のおまえが作ったヤツは美味かったなあ」

 

「やった~! わたしも手伝うよ、未来!」

 

「ごめん、響、わたしはクリスさんと二人で作ってみたいの」

 

「え゛!? な、なんで!? どうして!?」

 

「それはその……わたしにも別腹があったみたいで…」

 

「????」

 

混乱する響と未来から逃げるように、クリスさんがクリスの元へとやってきた。

 

「いやあ、こっちのも愉快で気のいい連中だな!」

 

と、ジュースの入ったグラスをカチ合わせてくる。

 

「愉快って部分だけは同意しとく」

 

そっけなくクリスは答える。

 

「なんだよ、あたし? 拗ねてるのか?」

 

「別に拗ねちゃあいないよ」

 

バレバレの嘘を溜息と一緒に吐き捨てて、クリスは別世界の自分へと尋ねた。

 

「なあ? 向こうの世界のあたしは幸せか?」

 

その問いかけは、思いもがけない効果を発揮した。

 

明らかに虚を突かれたような表情になるもう一人のクリス。

 

それからあからさまに()()して表情を立て直すと、言った。

 

「ああ、幸せさ。幸せだった」

 

―――()()()? 

 

おい、それってどういう―――と、クリスが疑問を唇に載せるより早く、もう一人の自分が質問をかぶせてくる。

 

「そういうおまえは幸せなのか?」

 

決しておちゃらけではない、真剣な質問。

 

その声音と表情に、今度はクリスが目を白黒させる。

 

思い返すのが辛いほどの過去がある。

 

一生抱えていかなければいけない後悔も山ほど。

 

でも、その果てに手に入れた現状(いま)は―――。

 

「…うん、悪くはない、かな」

 

「幸せかよ? どうなんだ?」

 

「ああ、幸せっちゃあ幸せかもなッ」

 

半ばやけっぱちで言い返すと、もう一人の自分は破顔した。

 

顔を寄せてくると、耳元に囁くように言う。

 

「あたしは、あたしのその幸せを守りに来たんだ―――」

 

 

 

 

 

 

 

仲間も全員帰ったその日の深夜。

 

寝室でむくりとクリスは起き上がる。

 

歓迎会の喧騒が身体に染み込んで眠れないわけではない。

 

もう一人の自分の囁き。

 

あれが気になって仕方ないのだ。

 

…仕方ねえ。直接もう一回訊いてみるか。

 

並行世界から来たクリスは先日に引き続き泊り込んでいる。

 

リビングで眠る彼女に元へ行こうと寝室を出たクリスだったが、直後に身体を強張らせた。

 

微かに聞こえてくるのは…嗚咽?

 

その音を辿り、クリスはリビングのソファーで眠り込むもう一人の自分の姿を見出す。

 

寝顔に光る二筋の涙のあと。

 

そして唇から零れ落ちた寝言に、事情を尋ねることを断念した。

 

「…パパ…ママ…」

 

クリスは静かにリビングを後にする。

 

再度ベッドにもぐりこみ、毛布をかぶる。

 

妙に可笑しい気分のまま瞼を閉じながら、思う。

 

 

 

あんだけ大人っぽくてお姉さんぶっているクセに。

 

なんだよ、ホームシックになってんのかよ。

 

やっぱ、あたしはあたしなんだな…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

眠りに落ちる寸前に抱いたその思いが大きな誤解であることに気づくのは、もう少し後のことになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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EPISODE 8 穏やかに分かれゆく水の高嶺(たかね)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、本当に出現するのかしら…?」

 

マリアの装着したアガートラームが銀色の陽光を弾き返す。

 

「切ちゃん、油断したらダメだよ」

 

「調こそ気をつけるデス!」

 

今、彼女ら三人がいるのは、福岡天神のメインストリートだ。

 

過日の錬金術師によるテロ事件の痕跡も生々しく、未だシャッターを下ろされたままの店や、瓦礫なども完全に撤去されていない。

 

普段は人通りが絶えないであろうそこは、昼間にも関わらず人影は皆無である。

 

それはなぜか?

 

事前に自治体を通じて日本政府より避難指示が発令されていたからに他ならない。

 

「…来たわよッ!」

 

鋭いマリアの声に、切歌も調も身構える。

 

その前触れを言葉で説明するのは難しい。

 

敢えて表現すれば、空気が震えた、というのが適切だろうか。

 

大気を揺らす振動が落ち着くと、そこには忽然とアルカ・ノイズたちが出現していた。

 

「うりゃああああああッ!」

 

ノイズたちが身構えるより早く、イガリマの刃が走る。

 

一直線に切り裂かれるノイズの一団。

 

左右に別れた群れをシュルシャガナの鋸刃が襲い、撃ち漏らされた残党はマリアのアガートラームが次々と屠って行く。

 

ものの3分も経たず、アルカ・ノイズの一団は殲滅された。

 

「…これで終わりデスか?」

 

切歌が拍子抜けした声を出す。

 

「前回とまるで同じ…」

 

茫洋とした声を出しつつも、あたりを油断なく警戒する調。

 

同じく周囲を睥睨しながら、マリアは本部への連絡を取る。

 

「こちら派遣チーム。無事、ノイズの殲滅を完了しました」

 

『ご苦労。こちらでも殲滅を確認している。が、念のため、調査部の作業後、移動してくれ』

 

「了解しました」

 

通信を終え、マリアは背後を振り返る。

 

風鳴弦十郎司令との通信は二人も聞いているはずだ。

 

「まだ足止めね。とりあえずホテルに戻ってシャワーでも浴びましょう」

 

「さっぱりしたら豚骨ラーメンを食べに行きたいデース♪」

 

「私は明太子おにぎりもいいな…」

 

マリアは苦笑し、はいはい、と切歌、調の両名に応じながら思う。

 

まるで旅行気分ね。

 

でも、これほど苦労しない戦闘であれば、気が緩んでしまうのも仕方のないことかも知れない。

 

なぜなら迎え撃つのではなく、事前に出現するとわかっているノイズを叩くのだから。

 

ノイズとの戦闘に否応はない。

 

十分に避難指示も行き届き、物理的損害もほとんど皆無となれば上々の結果だろう。

 

だとしても―――。

 

マリアは一抹の不安を覚えずにはいられない。

 

もっともこの不安は、既にS.O.N.G.全体で共有されているはず。

 

具体的な方策と方針は上層部が調べ、命令してくれる。

 

寄らば大樹の陰というわけではないが、組織に属するのは息苦しさを覚える反面、頼もしいものだ。

 

「マリアー、はやく行くデース!」

 

「いそがないと明太子が売り切れちゃうよ?」

 

切歌と調の声に急かされつつ、マリアは足を止め、もう一度福岡の街並みを振り向く。

 

今回はほぼ無傷で守り通した街。

 

なのに―――この胸騒ぎは、なぜ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…これは意図的なものなのか?」

 

S.O.N.G.本部にて。

 

風鳴弦十郎はディスプレイを凝視する。

 

表示されているのは日本列島の地図だ。

 

赤くスポットされているのは沖縄、福岡、大阪、北海道、そして東京。

 

過日の<燎原の火(ワイルド・ファイア)>事件でテロが実行された国内の主要都市である。

 

ことの始まりはちょうど一週間前だ。

 

沖縄にアルカ・ノイズの再出現が確認、報告された。

 

その翌日には福岡に、その翌々日には大阪、次に北海道、最後に東京。

 

一日のスパンを置き、それぞれアルカ・ノイズの出現が確認されている。

 

いずれもS.O.N.G.よりシンフォギア装者が派遣され、これを殲滅、鎮圧。

 

先の事件とくらべ、戦力の集中投入より被害は比較的軽微に済んでいる。

 

その後、調査部より、非常に興味深いデータが報告されていた。

 

出現したアルカ・ノイズの数および規模は、先の<燎原の火>事件とほぼ同一。

 

加えて―――。

 

『徹底的な調査を行いましたが、錬金術師たちの確保は出来ませんでした』

 

画面の向こうで緒川慎次が申し訳なさそうに報告してくる。

 

「分かった。引き続き事後処理と調査にあたってくれ」

 

『はい』

 

緒川の報告にもある通り、アルカ・ノイズの出現した都市における錬金術師たちの存在が確認されていない。

 

もともとが錬金術で産み出されたノイズの亜種だ。

 

専用のテレポートジェムを持って召喚されるべきものだが、肝腎の召喚者たちが見当たらないのは異常である。

 

「自動でジェムを排出するデバイスとかの可能性は?」

 

「それはそれで調査部が見逃すはずはないだろ?」

 

友里あおいと藤尭朔也の会話を、神妙な面持ちで聞くエルフナインがいる。

 

アルカ・ノイズは彼女のオリジナルであるキャロル・マールス・ディーンハイムが錬金術を駆使した産物である。

 

霊的融合を果たした彼女にとっても他人事ではないのだろう。

 

そんなエルフナインの細い肩に手を置き、弦十郎はことさら大きな声を出す。

 

「今回のことでパターンが認められたわけだが、今後の展開はどう予測するエルフナインくん?」

 

「は、はいッ! そうですね…」

 

弾かれたように顔を上げ、エルフナインはコンソールに指を走らせる。

 

「パターンと認識するなら、次は大阪、北海道と順番通りに至るでしょう」

 

一日置きで東京まで再現されたアルカ・ノイズの出現は、一巡すると再度沖縄に出現している。

 

今日、福岡でマリアたちが待ち構えていたのは、この出現パターンを見越してのことだった。

 

「だったら被害は最小限に抑えられるな」

 

もともと各都市に出現したアルカ・ノイズは装者単独で殲滅可能だった。

 

さすがに東京はクリス一人で無理だったが、装者が複数人で当たれば、福岡のように人的物的被害を皆無で通すことも不可能ではない。

 

S.O.N.G.としては戦力の集中運用といった本来の特殊部隊らしさを取り戻していることにもなるが、喜んでばかりもいられない。

 

今回のノイズの再出現を突き詰めると二つの疑問に直面する。

 

一つは、この出現現象はいつまで継続するのか。

 

もう一つは、誰がどのような意図を持ってアルカ・ノイズを再召喚し続けているのか。

 

「…やはり陽動なのか?」

 

陽動となれば、別の目的が存在するはず。

 

S.O.N.G.の擁する聖遺物はもちろん、テロの起こった各都市の霊的伝承施設、果ては要人などへも調査の対象が伸びていたが、いまだ決定的な情報は上がってきていなかった。

 

そして、日本の守護はもちろんだが、並行世界のこともおろそかに出来ない。

 

マルチタスクで行われている並行世界の情報開示は、指令部の面々の奮闘もあり、魔法少女事変の終結まで進んでいる。

 

現在のところ、こちらの世界とはそれほど差異のない展開が続いていた。

 

この先のパヴァリア光明結社との決戦を経て、大きく分岐する可能性はあるのだろうか?

 

もっともその可能性は低いと弦十郎は見込んでいる。

 

証拠は並行世界から来たクリスだ。

 

任務ゆえ向こうの世界へ帰還しないと公言するもう一人のクリスは、報告を聞く限り、良く言えば年頃の女子高生らしい日々を送っていて、悪くいえば暇を持て余しているらしい。

 

彼女は、おそらく情報が全て開示されるのを待っているのだろう。

 

「全く、身体はいくつあっても足りないな…」

 

全ての情報を把握した上で、こちらの世界側の方針も決めなくてはならない。そのことに関しては無論S.O.N.G.が単独で決定しうるものではなく、関係各省、国連とも密な情報のやり取りが必要になる。

 

今後の課題と処理の煩雑さを予想して思わずぼやく弦十郎に、エルフナインはくすりと笑う。

 

「きっと向こうの世界のボクたちもそう思っているはずですよ」

 

「違いない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日も学校から自宅へ帰ったクリスを、もう一人のクリスが出迎えてくれた。

 

「ただいまーッと」

 

「お帰り。風呂出来てるぜ?」

 

「そっか、じゃあ先にお湯貰うわ」

 

ピカピカに磨かれた廊下を歩き、クリスは脱衣室で制服を脱ぐ。

 

綺麗に畳まれたバスタオルをひっつかみ、浴室へ。

 

シャワーを浴びてボディソープのボトルを押す瞬間、ありゃ、買い置き切らしてたなー、と思い出したが、予想に反してボトルの中はたっぷりと満たされていた。

 

浴室の中の掃除も行き届いており、まったくストレスを感じることもなく入浴を堪能するクリス。

 

バスタオルを巻いて鼻歌混じりにリビングへ行けば、

 

「ほい」

 

と、テーブルの上に冷たい牛乳が準備されている。

 

牛乳を置いた返す手で、並行世界から来たクリスは言った。

 

「ほら、座れよ。髪乾かしてやる」

 

「ん」

 

素直にソファーに座るクリスがいる。

 

そのまま牛乳を飲んで雑誌なんぞを眺めている間に、ドライヤーで髪のブローは終了。

 

髪にリボンを結びながら、もう一人のクリスは尋ねてきた。

 

「さて、そろそろ晩飯にするか?」

 

「あー、もうちょい待とうや。どうせ今日も…」

 

そうクリスが口にするや否や、ピンポーンと玄関のチャイムが鳴る。

 

間もなくパタパタと足音がして、すっかり馴染みの二人組が顔を出した。

 

「こんばんは、クリスさん! クリスちゃん!」

 

「クリスさん、これ、今日もちょっと作りすぎちゃって…!」

 

立花響が大きな声で挨拶をし、小日向未来は持った自身の顔が隠れそうなほどの重箱を差し出してくる。

 

「な?」

 

互いに顔を見合わせ苦笑しあうクリス二人。

 

四人で食卓を囲む。

 

「御代わり、いるか?」

 

「は、はい! クリスさんの作るお料理は、ほんと絶品で…!」

 

「褒めたってなにもでねーぞー」

 

そう言いつつ、満更でもなさそうな顔つきで、山盛りの芋の煮っ転がしを未来に手渡すクリスさん。

 

「わたしは未来の作った煮っ転がしの方が好きだなー」

 

「うん? いま何か言った響?」

 

「………」

 

哀愁を漂わせる響の背中をぽんぽんと叩くクリスがいる。

 

食事が済めば、片付けられたリビングのテーブルの上でボードゲーム。

 

よおくカードをシャッフルし、全員に配るクリスさん。

 

自分の手札を確認したクリスはそこで―――爆発した。

 

「だあああああああああああああッ!! おまえはあたしを駄目にしにきたのかッ!?」

 

カードを全力で放り投げ、並行世界から来た自分自身を指さす。

 

返ってきたのはきょとんとした三対の視線。

 

「なにいってんだ、おまえ?」

 

クリスの目するところの諸悪の根源が、同じ顔で問い返してくる。

 

「そんなの決まってるだろッ! 朝起きたらご飯が出来ていて、洗濯も済んでいて、弁当まで用意してあって!」

 

指折りクリスは数えて、

 

「帰ってきたら帰ってきたで、買い物も風呂も夕食の準備までしてあるんだぜッ!?」

 

「…それの何が不満なの、クリスちゃん?」

 

かの立花響をして、完璧に拍子抜けした素の声が返ってくる。

 

「クリスったら、全部クリスさんにやらせているのッ!?」

 

対照的に未来の声音も表情も険しい。

 

「勝手にこいつがやってることが問題なんだッ!」

 

クリスとしては、このことを声を大にして叫びたい。

 

甘えている自分にも非があるが、とにかく痒いところまでに手の届く献身ぶりは、こちらを堕落させようとしているとしか思えない。

 

「…あたしとしては、泊めてもらっている恩もあるし、日中は暇だから好きでやってるだけなんだけどなあ」

 

ぼりぼりとクリスさんは頭を掻く。

 

「だからって、人が風呂入っている間に宿題まで済ますなッ!」

 

「ああ、それな。あたしだって勉強したくて、つい…」

 

たははと笑うクリスさんに、光速で詰め寄る響がいる。

 

「あ、あの! わたしの課題も手伝って下さいッ!」

 

「響、それはダメよ! 自分の力でするのッ!」

 

「え~、でもクリスちゃんは…」

 

「クリスは自分自身がしてるから良いのよ!」

 

ある意味、説得力のある言葉ではある。

 

そんな未来と響を横に、存外素直に並行世界から来たクリスは謝ってきた。

 

「まあ、おまえの気に触ったなら謝るよ。それでもこっちとしては楽しんでやっていることだからさ」

 

「…マジかよ? マジで楽しいのか?」

 

クリス自身、家事全般はそれほど苦にならないタチだが、ときどき億劫になることもある。

 

「そりゃあ楽しいさ」

 

そこで言葉を切り、もう一人の自分は少し遠い目をして、

 

「だから、おまえも素直に甘えていいんだぜ? 楽しめるうちに楽しむってのはとても大切さ」

 

言葉に込められた意味を察せられないほどクリスは愚鈍ではない。

 

この二人自身での共同生活など、本来ありうるべきものではない。いわば期限付きの至れり尽くせりだ。

 

ゆえにもう一人の自分が帰ったあとの生活の反動を心配してのクリスの激発だったが、こう素直に甘えていいと言われるのはなかなかに新鮮だった。

 

本来的にクリスは他人に借りを作るのは嫌いな性分ではある。しかし、相手が自分自身であれば果たしてそれは借りといえるものだろうか。

 

逡巡してしまうクリスを前に、もう一人のクリスが言葉を投げかけてくる。

 

言葉の内容は至極当たり前のもの。

 

だが、あとを引く妙な印象が残った。そう、まるで流星のように。

 

 

 

 

 

「何事にも終わりは来るのだから―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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EPISODE 9 S・O・S(ストロベリー・オン・ザ・ショートケーキ)

 

 

 

 

 

 

 

 

かつてエルフナインが装者たちを集めて説明したことがあった。

 

「みなさんはギャラルホルンと並行世界のことについて色々考えていらっしゃるかも知れませんが、量子力学的にある程度の説明は出来るのです」

 

「りょうしりきがく?」

 

思いきり頭上にハテナマークを浮かべる立花響。

 

「つまり、シュレディンガーの猫という思考実験が存在するように、箱の中の猫の生き死にを重ね合わせ(スーパーポジション)と定義されたのは周知の通りで…」

 

「あーエルフナイン、悪いんだが」

 

クリスが親指で隣を指し示しながら言う。

 

「こっちのバカにはもっと分かり易い言葉で説明してくれや」

 

「分かりました」

 

表情一つ変えずエルフナインが取り出してきたのは小さな箱。

 

中から現れたものに、響が快哉を上げる。

 

「うわぁ、美味しそうなケーキだね!」

 

箱の中にあったのは、イチゴの載ったショートケーキが一つ。

 

響の反応にエルフナインは微笑して、

 

「では、響さん。このケーキは本当に美味しいのでしょうか?」

 

「え? そんなの、実際に食べてみないと」

 

「どうぞ食べてみてください」

 

「いいの? じゃあ、頂きまーす!」

 

満面の笑みを浮かべてケーキを手に取る響。

 

「一口で行ったァッ!?」

 

驚愕の声を上げる他の装者たちも意に介さず、もぐもぐと咀嚼して呑みこむ。

 

「あー、美味しかった、ごちそうさま♪」

 

両手を合わせる響に、エルフナインが取り出したのはまた小さな箱。

 

開ければ、またショートケーキが一つ。

 

「響さん。このケーキは本当に美味しいでしょうか?」

 

「え? え?」

 

「食べてみてください」

 

「う、うん…」

 

おずおずと、それでもまた一口で頬張る響。

 

「うーん…? あんまり美味しくないかなあ。なんかスポンジは固くてイチゴも青臭いし」

 

その感想に頷き、またまた小さな箱を卓上に載せるエルフナイン。

 

開けると、そこにはやっぱりショートケーキが一つ。

 

「さて、響さん。このケーキはどんな味がすると思いますか?」

 

「えー、そんなの、やっぱり食べてみなきゃ…」

 

「そうです。食べてみなければ分からない。食べて初めて美味しいか不味いかが判明する。ですから、この時点で、このケーキはあくまで美味しそうなケーキのままです。決して美味しいケーキでも不味いケーキでもありません。つまり、このケーキには無限の可能性がある状態なんです」

 

「それもいわゆる重ね合わせ(スーパーポジョション)状態ってやつか」

 

クリスが答える。

 

「そうです。そして並行世界とは、簡単にいえば、重ね合わせ状態の可能性の一つとして分岐した世界と言えるでしょう」

 

「…?? クリスちゃん、どゆこと?」

 

「ここまで説明されても分からないのか、おまえはッ!」

 

クリスは声を荒げるも、がっくりと肩の力を抜いて、

 

「…はあ、まあいいや。仮に美味しそうなケーキがここに一個あるとするだろ? これはいいか?」

 

「うん」

 

「で、だ。このケーキを食べて『美味しい』と思ったおまえがいるとするだろう?」

 

「うんうん」

 

「だけど『美味しくない』って思ったおまえがいるかも知れない。もっと言えばケーキを食べないと選択したおまえがいるかも知れない」

 

「うんうんうん」

 

「そんな別の選択をした別のおまえがいる世界が、並行世界ってことなんだよッ!」

 

「うーーーーーん!?」

 

響は腕を組んで考え込むことしばし、

 

「でも、別の世界のわたしって言っても、わたしはここにいるわけだし…」

 

「何度もギャラルホルンで並行世界に行ってきただろうがテメェッ!?」

 

激昂して掴みかかろうとするクリスを、エルフナインの冷静な声が抑え込んだ。

 

「いえ、響さんの主張はとても重要なことです」

 

「…どういうこった?」

 

「この場合、並行世界の往来は元より、観測するという行為が矛盾しているのです。先ほども説明したとおり、観察しようと介入した時点で、それは重ね合わせ状態を脱し、一つの世界として固定されます。本来的に、並行世界という考え方も概念でしかありません。なぜなら、誰もその存在を確認できなかったのですから」

 

「だが、我々は実際に確認し、幾度か往来している。その原因は――」

 

「―――ギャラルホルンね」

 

翼の声をマリアが引き継いだ。

 

エルフナインは深く頷く。

 

「この聖遺物(ギャラルホルン)の力は、他の世界を観察、認識することが出来ます。それはいわば無数にある並行世界の中に、特異点を作り出す能力と形容してもいいのかも知れません―――」

 

 

 

 

 

 

 

「…なあんてこと、なんでか突然思い出したんだよねッ!」

 

無邪気な表情で立花響が言った。

 

「なんとも唐突な…」

 

呆れ顔の風鳴翼に、

 

「先輩、たぶん原因はアレっすよ、アレ」

 

クリスが指さす方向には、一枚の看板がぶら下がっていた。

 

大きくプリントされているのは、なんとも美味しそうなイチゴのショートケーキ。

 

「何においても食い気だな、おまえは…」

 

軽く溜息をつくクリスを始め、三人は既にシンフォギアで武装していた。

 

場所は函館市内で、公共交通機関は元より自動車どころか人ッ子一人見当たらない。

 

それもそのはず、パターン通りであれば、間もなくアルカ・ノイズが出現する時刻である。

 

『みなさん、準備はよろしいですか?』

 

エルフナインが通信で注意を促してくる。

 

『後詰はこっちに任せときな』

 

この通信は並行世界からきたクリスのもので、三者三様の声が返信した。

 

「了解した。そちらの雪音も頼りにさせてもらうぞ」

 

「クリスさん、お土産期待しててね♪」

 

「だから観光旅行じゃねーってんだろ!?」

 

現在のS.O.N.G.本部には、マリア、切歌、調の三人の他に彼女も待機している。

 

万が一、東京や、他の地域が襲撃されても対応可能な布陣だ。

 

「よし、さっさと片付けてスープカレーを食べに行こッ!」

 

響がぐるぐると腕を回しながら言う。

 

「油断は禁物だぞ、立花」

 

すかさず窘める翼。

 

「先輩の言うとおりだぜ。今回は、ちっとでも街を壊されたら負けと思え」

 

<燎原の火>事件当日にはイガリマとシュルシャガナ。再発生の際には、それにマリアが加わって対処している。

 

再々発生の今日、投入されたガングニール、天ノ羽々斬、イチイバルは、ある意味過剰戦力とさえ言えた。

 

「でも、この三人で戦うのは久しぶりだよね~」

 

「…言われてみればそうかもな」

 

「大丈夫ですよ。わたしたち三人なら、きっと神様だって倒せちゃいます!」

 

「ふふ、頼もしいな、立花」

 

ふと笑みを漏らしたかに見えた翼だったが、構えたアームドギアが次の瞬間に鞘走る。

 

「来たぞッ!」

 

叫び声とほぼ同時に、数体のアルカ・ノイズが炭化していた。

 

「よっしゃ、来たぞ、ぶちかませッ!」

 

「了解ッ!」

 

放たれた正確無比の弾幕を追い越すように、神殺しの拳が北の空に舞う。

 

 

 

 

 

 

 

「間もなく殲滅が完了するようです」

 

友里あおいの報告に一つ頷き返すと、風鳴弦十郎はエルフナインとの会話を再開する。

 

「…つまり、エルフナインくんは、あのときにギャラルホルンは起動したわけではないと言いたいのか?」

 

「はい。おそらく、あのときの現象は〝起動〟ではなく〝共鳴〟なのではないかと」

 

二人が話題の俎上にしているのは、並行世界からもう一人のクリスが来訪したときの事象に他ならない。

 

「向こうの世界のギャラルホルンが起動した際に、こちらの世界のギャラルホルンは共鳴した。そういうことか」

 

並行世界から来たクリスは、あちらの世界にもギャラルホルンが存在すると言明している。

 

その言葉を、弦十郎は素直に首肯したわけではない。

 

あんな破天荒な能力を有する聖遺物など、並行世界といえどそうそう存在されてはたまらない。

 

もう一人のクリスの来訪という事実を目の当たりにしても、なお懐疑的にならなければならないのは、職責上仕方のないことでもある。

 

だが、エルフナインの共鳴現象という解明を経て、向こうの世界にもギャラルホルンが存在することを認めなければならないようだ。

 

「むう…」

 

唸る弦十郎であるが、内心で荒れ狂う思考は、質実剛健な外見から想像もつかないほど深刻だった。

 

向こうの世界にも、こちらの世界にもギャラルホルンが存在するとする。

 

そしてギャラルホルンは、並行世界へと渡る能力を有する。

 

すると、どうなるか?

 

それこそが弦十郎がもっとも危惧しなければならない状態を意味する。

 

つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

一方の世界に、シンフォギア装者が倍の12人存在したらどうなるか?

 

戦闘能力の向上は単純に二掛け程度では済まない。場合によっては二乗ですら足りないポテンシャルを秘めている。

 

仮にこの情報を上げたとすれば、風鳴赴堂が看過するとは思えない。

 

ここでややこしいのは、二つの世界それぞれにあの攘夷主義者が存在するであろうことだ。

 

その上で二つの世界で率直な協定関係が結ばれる可能性など…。

 

「おっと、いかんいかん」

 

慌てて弦十郎は頭を振る。

 

仮定と可能性の話に色々と枝葉をつけても始まらないだろう。そもそも先走って一人で考え込むものでもあるまい。

 

弦十郎の沈思をよそに、エルフナインの口にした台詞は半ば独白に近い。

 

「ボクは、ギャラルホルンが存在するであろうもう一つの並行世界を、極近似世界と定義します」

 

その言葉に弦十郎が顔を上げたのと、藤尭朔也が叫んだのは一緒だった。

 

「あー、やっと全部のロックが解除されたッ!」

 

突っ伏す藤尭に、お疲れさまと労いの温かい飲み物を手渡すあおい。

 

「そうかッ、終わったかッ!」

 

どうやら、並行世界より持ち込まれたメモリースティックの情報の開示は全て終了したようだ。

 

これで山積している問題の一つは片付いたことになる。自分に気合を入れる意味も込めて快哉を上げる弦十郎。

 

同じくほっと息を吐いたエルフナインをちらりと見ると、藤尭はコンソールの画面をスワイプする。

 

「君にメッセージだ」

 

「え? ボクに?」

 

「フォルダの最下層にあった。映像データのようだけど…」

 

共有されたデータのタイトルは確かに for elfnein とある。

 

訝しげにデータを再生したエルフナインの正面に、鏡写しのような同じ顔が現れた。

 

「…並行世界のボク…ッ!?」

 

巨大ディスプレイに表示された別世界のエルフナイン。

 

その顔が青ざめて見えるのは、画面が暗いだけだろうか。

 

そんな画面の彼女は口を開く。

 

『ボクは、ギャラルホルンが存在するであろうもう一つの並行世界を、極近似世界と定義します』

 

「……ッ!」

 

奇しくも、先ほどこちらの世界のエルフナインが口にしたものと寸分違わぬ台詞だった。

 

絶句したエルフナインがただ見上げるだけしか出来ないディスプレイの中で、ふっと並行世界のエルフナインは儚げに微笑む。

 

『…そちらの極近似世界のボクに、あとは託します』

 

そういった彼女の唇の端から血が溢れた。

 

ディスプレイのエルフナインが画面の手前に向かって倒れ込むのと、こちらの世界のエルフナインが絶叫してその場に倒れたのはほぼ同時。

 

「きゃあああああああああああッ!?」

 

劈くような悲鳴は友里あおいの上げたものか。

 

同様の悲鳴は、ディスプレイの向こうからも響いてくる。

 

並行世界から持ち込まれた映像データの内容は、それだけにとどまらない。

 

向こうの世界の友里の悲鳴に続き、『エルフナインくん!?』という弦十郎のものらしき叫び声。

 

画面に映る指令室を背景に、明らかに混乱した空気の中、誰のものかも知れぬ苦鳴と誰何の声が交錯する。

 

そして爆発。

 

爆風と爆発音が連鎖する中、映像は完全にブラックアウト。

 

「………何なんだ、これはッ!?」

 

昏倒したエルフナインを抱え、さすがの風鳴弦十郎も叫ばずにはいられない。

 

それでも組織の長たる義務を振い立たせ、どうにか正常な判断を取り戻そうと苦闘する弦十郎の耳に響くアラート音。

 

それは、世界の終末を告げるとされる角笛の音。

 

「ギャラルホルンが起動している…ッ!?」

 

「こんなときに…ッ!」

 

混乱を告げる報告は終わらない。

 

「東京湾上空に、アルカ・ノイズが出現! くッ、予定より早いじゃないかッ!」

 

「いえ、アルカ・ノイズだけではないわ! ノイズの中心に巨大な物体を視認しましたッ!」

 

「これは…そんな馬鹿なッ! 質量が観測できないッ!?」

 

恐慌(パニック)一歩手前とも思える報告を前に、冷静な分析官(アナライザー)であるエルフナインは昏倒。

 

それでなくても悠長に意見を交わして対策を論ずる時間は存在しない。

 

弦十郎は腹を括る。

 

修羅場に於いて最後に頼るべきは己の本能と勘だと信じている。

 

あとはそれに準じ、全ての責任を負う覚悟を決めるだけ。

 

「よしッ! 待機している装者たちは全員緊急出動! 藤尭は謎の巨大物体の詳細を分析せよ! 友里は北海道の三人を至急呼び戻せッ!」

 

「…はいッ!」

 

藤尭、あおい二人とも、これほど己の戴く司令官が頼もしいと思えたことはないだろう。

 

矢継ぎ早の命令は速やかに実行された。

 

結果、待機所への装者たちへも指令が届く。

 

「全員、甲板まで急いで集合よッ!」

 

マリアを先頭に走る一行。

 

「ほら、クリスさん先輩も急ぐデス!」

 

「おうさ。任せときな」

 

その最後尾を走る彼女の小さな呟きは、先を行く三人は気づかない。

 

並行世界から来た赤い戦士の頬に、凄惨な笑みが浮かんでいたことも。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――やっと来やがったか。待ちかねたぜ…ッ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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EPISODE 10 全ての歌に背いて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんなの、アレはッ!」

 

S.O.N.G.本部でもある次世代型巨大潜水艦の甲板でマリアが叫ぶ。

 

「まるでおっきな毛糸玉みたい…」

 

調はそう呟いたが言い得て妙である。

 

無数の飛行型アルカ・ノイズの群れの背後に浮かぶ巨大な円の塊。

 

まるで幾つもの黄金の糸を寄り合わせたような表面は、調の言ったとおり巨大な毛糸玉だ。

 

その毛糸玉からほつれたように伸びた数本の糸が空中で揺れている。太い糸の先端は半透明に霞み、超常の存在であることを声高に主張していた。

 

「…ノイズで空が真っ黒デス…!!」

 

鎌を構えながら切歌の声が緊張で強張る。

 

黄金の毛糸玉を覆い隠すように、今もなおアルカ・ノイズが出現し続けていた。

 

「本部! 聞こえますかッ! ノイズの大群が空を覆っていますッ! 黒は七分の空が三分ですッ!」

 

『ああ、こちらでも確認しているッ! 響くんたちが戻ってくるまで、出来うる限り防衛に努めてくれッ!』

 

弦十郎も、さすがにこちらから打って出ろとは言えない。

 

それほどのノイズがどうして集結しているのか。あの黄金球との関係は存在するのか。

 

見極めなければならないことは多い反面、検討する時間はほとんど与えられていない。

 

しかし、国防という組織の存在意義にかけて、優先すべきは国土と民間人の命だ。

 

『本土の自衛隊にも防衛行動を要請しているッ! 各自、全力を尽くしてくれッ!』

 

「…了解ッ!」

 

マリアとしてはそう答え、己を奮い立たせるしかない。

 

圧倒的多数に対し、こちらは寡兵。

 

だけど、北海道に行った三人たちとも合流出来れば…!

 

「おい、ちょっといいかッ!?」

 

その声に、マリアの頬が微笑を刻む。

 

そうだ、すらりとした肢体に纏うイチイバルも頼もしい、この人がいた。

 

並行世界から来たもう一人の雪音クリスが。

 

「何か提案が!?」

 

「作戦を具申する。アンタたち三人でとにかくノイズを蹴散らしてくれ。射線が開いたのを狙って、あのデカブツはあたしが撃ってみる」

 

マリアは考え込む。

 

巨大だが相手が単独であれば、イガリマやアガートラームの方が分があるのではないか。

 

シュルシャガナ、イチイバルは、本来的に遠距離かつ広域殲滅を得意とするギアだ。

 

「むしろ貴女がノイズを蹴散らして、私か切歌があの巨球に接近戦を挑むのはどうかしら?」

 

素直にそう意見を述べると、並行世界から来たもう一人のクリスは笑った。

 

「ああいう正体不明のやつは、まず遠くから一撃喰らわすのが常道だろう? ロングレンジならあたしの専売特許だぜ」

 

一理ある意見だった。確かに正体不明の物体に迂闊に近づくのは危険を伴う。

 

「…分かったわ。その戦術で行きましょうッ! 切歌、調、それでいいッ!?」

 

「OKデース!」

 

「クリスさん先輩、了解」

 

三人の反応に、異世界のクリスは素直な笑みを浮かべた。

 

「感謝する」

 

言うが早いがミサイルを生成。すかさず飛び乗って空へと向かう。

 

「…お礼を言われるほどのことじゃないデスけどね」

 

「クリスさん先輩はとっても謙虚…」

 

思い返せば、二人の台詞は何かしらの違和感に基づくものだったのかも知れない。

 

しかしマリアは勢いよく二人を()かす。

 

「ほらッ、遅れないで! 続くわよッ!」

 

あのクリスの申し出は、至極真っ当なものだろう。

 

にも関わらず、実はマリアも言いようのない不安を覚えている。

 

だが、二人の前でそれを口に出すことはためらわれた。

 

いたずらに二人を不安がらせてしまうことは、彼女自身が許さない。

 

 

 

 

 

 

 

北海道を飛び立ったS.O.N.G.の移送用ヘリは一路東京を目指す。

 

乗り込んだ装者たちも、東京湾に出現した膨大なアルカ・ノイズの群れをモニター越しに確認していた。

 

「なんという数だ…ッ!!」

 

呻く翼。

 

「マリアさん、調ちゃん、切歌ちゃん、クリスさん! すぐに行くから頑張って!」

 

拳を握りハラハラとモニターを見つめながら、響はインカムに叫び続けている。

 

そしてクリスは、モニターの巨大物体を眼にした途端、言い知れぬ既視感に襲われていた。

 

もちろんあんな奇妙なものを見たことなんてない。

 

しかし―――。

 

どくん、と心臓が跳ねる。

 

「…クリスちゃん、大丈夫?」

 

「ああ、なんでもねえよ」

 

よろめき壁に手をつきながらクリスは言い返す。

 

急に視界がぐるぐると回ったかと思ったら、身体まで火照ってきた。

 

額に汗が滲み、鼓動はどんどん早くなる。

 

一体、何だってんだ?

 

服の上から胸に手を当て、精一杯呼吸を整えようとするが、動悸は早まるばかり。

 

荒い呼吸を繰り返しながら、それでもクリスはモニターを見つめた。

 

画面の中で、イガルマの大鎌とシュルシャガナの鋸刃が旋回し、無数のノイズを蹴散らす。

 

薄くなったノイズの群れを、銀の閃光が道を刻むように駆け抜けていく。

 

その後を追いかけるように飛翔する真紅のギアは、異世界より来たもう一人の自分だ。

 

縦横に宙を舞い、アームドギアを撃ち放つ。

 

そのたびに襲われる眩暈。

 

不意にクリスは思う。

 

これってもしかして、もう一人のあたしと感覚が共有されているのか?

 

はっ、そんな馬鹿な…。

 

しかし、そう意識した途端、今度はドクンと全身が跳ねた。

 

自分の身体がここにあるのに、何処かにぶれていくような感覚。

 

続いて溺れそうなほどの悲しみが胸底から溢れ出す。

 

後悔、悔恨、憐憫、自責。

 

込み上げてくるあらゆる悲しみの感情が渦を巻き、こちらまで呑みこまれそうだ。

 

悲哀の大波に、思わず涙を零してしまうクリスだったが、溢れ出る感情はそれだけには留まらない。

 

胸の中に赤い閃光が走った。

 

悲しみの海を叩き割り、溢れ出す感情。

 

溶岩のように過熱で激烈な真紅の感情。

 

これは―――怒り?

 

暴風のように荒れ狂う怒りが全てを飲みこんでいく。

 

その熱量で、悲しみの海すら干上がらせていく。

 

乾き果てた大地でなお燃えさかる炎。

 

それはまるで己すら焼き尽くそうとする灼熱の業火。

 

早鐘のように脈打つ鼓動。

 

磨り潰さんばかりに奥歯を噛みしめ、それでもクリスはその言葉で唇をこじ開けた。

 

「………()めろ」

 

「…クリスちゃん?」

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

クリスの絶叫は、東京湾で戦う装者たちへも届く。

 

「…ちッ」

 

通信を聞き、軽く舌打ちをする異世界クリスの前に、二つのギアが立ち塞がる。

 

女神ザババが振るいし紅刃と碧刃。

 

「おいおい、なんのつもりだ?」

 

「…クリス先輩の声が聞こえたデス」

 

二人の装者に、異世界クリスはおどけたように笑いかけた。

 

「あたしだって仲間だろ? なのに邪魔する気か?」

 

切歌、調はお互いの顔を見合わせて、

 

「クリスさん先輩も仲間だと思ってるデスよ?」

 

「でも、クリス先輩があんな声を出したのは、無視できません」

 

「これだけノイズがいるってのに、あたしは動くなってのか?」

 

「響さんたちが来るまで、大人しくしてくださいデス」

 

「それまで、わたしと切ちゃんでなんとかします」

 

「そうかい―――残念だ」

 

いうが早いが、異世界クリスは銃弾を放つ。

 

ハッとして振り返る切歌と調。

 

今まさに二人の背後から襲いかかろうとしていたノイズは三体まとめて消し飛んだ。

 

「クリスさん先輩―――」

 

ホバリングしていた切歌と調が思わず気を緩めた瞬間、今度は彼女たちが吹き飛ぶ。

 

海面に叩き付けられ、盛大な水しぶきを上げる二人に、マリアは憤怒の形相を浮かべた。

 

「貴女は――ッ!!!」

 

アガートラームが煌めく。

 

強烈無比な突進で襲い来る銀の刃を受け止めて、異世界クリスは平然とうそぶいた。

 

「あたしにかかずり合っていていいのかい? あっちの二人の方へノイズが行くぜ?」

 

「くッ! 貴女はいったい何を考えているのッ!?」

 

答えはない。同時に、異世界クリスの指摘も無視できるものではない。

 

海面にようやく顔を出した切歌、調だったが、ダメージのせいか浮かんでいるだけで精いっぱいの様子。二人ともイチイバルの零距離射撃を完全に不意打ちで喰らっていた。

 

「…説明なんていらないわ。でも、私は絶対に貴女を許さないッ!」

 

言い置いて、マリアは身を翻し海面へ飛ぶ。

 

家族よりも大切な二人の仲間へ群がるノイズを、次々と切り裂いていく。

 

「そうだ、それでいい」

 

マリアを見送って呟くと、異世界クリスはすかさずイチイバルの一斉射。

 

空を覆っていたノイズは討ち散らかされ、先ほどまでのマリアら三人の奮闘もあり、切り裂いたような道が出来上がっている。

 

謎の黄金球までに至る道が。

 

「…行くぜッ!」

 

異世界クリスが空へ向かい加速しようとした刹那、風切音が耳をつんざいた。

 

続いて、聞きなれた声が断続して飛んでくる。

 

「ク・リ・ス・さ~んッッッ!!」

 

「ッッ!?」

 

懐に凄まじい衝撃を喰らい息が詰まる。

 

その正体は、ほとんど体当たりする格好で抱きついてきたガングニールを纏った響。

 

バカなッ! 来るのが速すぎるッ!

 

半瞬遅れて追いかけてきた爆発音の連鎖に、異世界クリスは真相を悟る。

 

MEGA DETH INFINITYのミサイル12機を束ねて射出。途中で連続で爆発させてブースターにしやがったのかッ!

 

抱きつかれた勢いそのままに、二人はもつれたまま海面を跳ね回った。

 

「がはッ!」

 

衝撃に異世界クリスは呻く。

 

今度はこちらが完全に不意打ちを喰らった格好だ。さすがにすぐには立ち上がれない。

 

ところが不意打ちを喰らわせたほうの響はスクッと海面に立つと、

 

「ごめんね、クリスさん。クリスちゃんのお願いだから…」

 

「相変わらず頑丈なやつだな…」

 

蹲ったままの異世界クリスに、響は照れたように笑い、それからキッと空を見上げた。

 

「よく分からないけれど、あれが原因なんだね」

 

「………」

 

「あれのせいで、クリスさんもクリスちゃんも揉めてるんだよね?」

 

「…ああ、そうかもな」

 

異世界クリスは曖昧に頷く。

 

「だったらッ!」

 

天を衝くような水柱が上がる。拳を構えた響が空を翔けあがっていく。

 

「わたしが、全部ぶっ飛ばす!」

 

一筋の閃光にように黄金球を目指して飛ぶガングニール。

 

幾多の聖遺物を屠り、三千世界の神すら滅ぼす力を秘める、伝承伝説で鎧われたシンフォギア。

 

その拳が向かう先に誰もが何かしらの結末を予想し―――次の瞬間その背中が爆発した。

 

たちまち失速した神殺しの槍は、母なる海を目がけて真っ逆さまに落ちて行く。

 

「な、なんで…?」

 

墜落しながら、信じられないものでも見たような表情を浮かべる響。

 

痛みに歪んだ視線の先は、自分に向けられたままのイチイバルの銃口を凝視している。

 

「悪いな。あれはあくまであたしの獲物だ…ッ!」

 

異世界クリスは立ち上がる。

 

いま一度孤空の道を目指そうと力を込め―――断念せざるを得ない。

 

「…今度は真打の登場ってか」

 

ギリリと歯噛みを漏らす彼女の視線の先。

 

剣の名を持つシンフォギアが蒼い翼を広げていた。

 

 

 

 

東京湾上空で対峙する、赤と青のシンフォギア。

 

青のシンフォギア装者、風鳴翼が吠える。

 

「道理は訊かぬ。おまえなりの秘めた目的もあろう。だが、立花たち仲間を傷つけたことは看過できんッ!」

 

「ひでぇな。アンタまであたしを仲間だと認めてくんないのかい?」

 

「よくもいけしゃあしゃあと! 寝言はベッドでゆっくり聞かせてもらおうッ!」

 

「あたしの相手をしている間にも、ノイズがヤバいぜ?」

 

「おまえを制し、おっつけ防人の務めを果たすだけだ。何も問題ないッ!」

 

言い切るが早いが、翼は天羽々斬を振う。

 

研ぎ澄まされた切っ先から閃光が迸る。

 

衝撃に海面が切り裂かれ、半瞬遅れて水柱が追随した。

 

一方の異世界クリスも素早く後ろへと飛び退き、態勢を立て直す。

 

すかさず追いすがり斬撃を繰り出す天羽々斬。

 

かわし、受け止め、銃弾で応戦するイチイバル。

 

両名とも海面上空のギリギリをギアの力で浮揚。

 

飛び跳ね、退き、入れ替わる。そのたびに上がる水柱。

 

一見、氷上をスケートで滑るように優雅にさえ見えたが、交わされる剣戟と銃声の音は尋常ではない。

 

だけど、少なくともあの(つるぎ)の優位は変わらない…!!

 

墜落した響を助け起こしながらマリアは確信を抱いている。

 

現在S.O.N.G.が有するシンフォギア装者の中で、適合者としてもっても長い戦歴を誇るのは、風鳴翼その人だ。技量や安定性も他の装者に比して頭一つは図抜けている。

 

加えて彼女の使用する天羽々斬も、形状から近距離戦で抜群の性能を発揮するのはもちろん、中間距離でも相当の攻撃能力を持つ。

 

対してイチイバルは中長距離戦闘に特化したギアである。

 

天羽々斬とイチイバル。接近戦ではどう考えても前者に分があるはずだ。

 

そのはずなのに―――。

 

「…翼さんが押されている?!」

 

マリアの肩を借りながら、響が目を剥いた。

 

思わずマリアも見直す中、二人の接戦は苛烈さを増していく。

 

近距離における縦横無尽の剣舞に、両足のブースターすら斬撃として活用する機動力が天羽々斬の強みだ。

 

対して銃火器を主体とするイチイバルは、どうしても狙点を定めて射出するというツーアクションが必要となる。

 

銃弾にほとんと限りがない、というのがイチイバルの強みでもあるが、どうしても接近戦では他のギアの後塵を拝むことが多い。

 

にも関わらず、目前で展開する天羽々斬とイチイバルの戦闘は互角。いや、響の指摘するとおり、風鳴翼が押されていた。

 

天羽々斬の斬撃はいつも以上の鋭さ。

 

対して異世界クリスはしなやかな動きで攻撃を捌く。

 

しかも絶妙な位置から牽制の銃弾を放たれれば、翼の踏み込みが甘くならざるを得ない。

 

コンマ何秒という短い失速と躊躇の隙をつき、逆に異世界クリスが攻め立てる。

 

「…間合いが噛みあってないッ!?」

 

マリアがそう喝破した瞬間、異世界クリスの長い足が旋回した。

 

かわす翼に、振り抜いた足の勢いそのままに密着。

 

「くッ!」

 

どうにか間合いを取ろうと下がった天羽々斬に、予想以上に伸びた腕からイチイバルの銃口が追いすがる。

 

発砲。衝撃。

 

連続した水柱が上がったあと、風鳴翼はその場に崩れ堕ちていた。

 

彼女が見舞われたのは切歌や調が食らった零距離射撃の一撃と同じ。

 

「…間合いが違うだけでここまで狂わされるとは…。不覚…ッ」

 

うつ伏せで呻く翼を、異世界クリスは見下ろしている。

 

「こっちのあたしとの模擬戦はバッチリだったろうけどな。生憎、あたしはあっちの世界の翼さんと仕合って来てるんだよ」

 

翼には対イチイバル戦のノウハウはあった。だが、それはあくまでこちらの世界のクリスが纏っている場合に過ぎない。

 

ところが平行世界からやってきたクリスは、手足の長さからして違う。いくら纏うギアは同じでも、リーチが違えば戦闘スタイルそのものさえ変化してしまう。翼が辛酸をなめる結果へと繋がった理由だった。

 

「あっちの翼さんとほとんど戦闘スタイルが変わらなくて助かったぜ」

 

「…よもや私との手合せを断ってきたのも、今日のための布石なのかッ!?」

 

答えず、異世界クリスは空を見上げる。

 

減ったはずのノイズが再び集結し、空の道を閉ざそうとしていた。

 

三たび空を目指すイチイバルを、止められる装者はもういない。

 

―――いや、一人だけいた。

 

もう一つのイチイバルの装者。こちらの世界の雪音クリスが。

 

だが、今のクリスは、移送用ヘリに搭乗しようやく東京湾に達したところ。

 

響と翼をミサイルで射出して疲弊したこともあったが、彼女は今なお感情の奔流に晒されていた。

 

これは半ば精神攻撃に晒されているようなもので、ギアとの適合率も格段に落ちてしまっている。

 

S.O.N.G.の制服姿のままクリスは叫ぶ。

 

「アイツ、何をしようとしているんだ…ッ!?」

 

ヘリの搭乗口から身を乗り出し、空へと昇る異世界のイチイバルへと目を凝らす。

 

視界がシンクロするのも継続中で、もう一人のクリスが例の黄金球を見据えているのも分かった。

 

宙で腰を落とし、構えるイチイバル。

 

対戦車ライフルに似たフォルムを持つ長距離狙撃形態へとギアが変化していく。

 

銃弾が装填されるように、またもや膨大な感情が流れ込んでくる。

 

激しい怒りはそのままに、漂ってくるは畏れと諦観。

 

もう一人の自分が何をしようとしているのか理解し、クリスは戦慄する。

 

「絶唱……」

 

シンフォギア装者の命を燃やす絶唱。アームドギアを介して放たれるその威力は比類なく、同時にそのフィードバックは使用者の命を脅かしかねない。

 

だが、クリスには分かる。同じギアを纏うクリスだからこそ、分かる。

 

今、もう一人の自分は放とうとしているのは、ただの絶唱ではない。

 

かつてキャロル・マールス・ディーンハイムが自らの想い出を全て焼却しその力を高めたように。

 

己が命を全て燃やし尽くす覚悟で放たれる絶唱とその意味は―――。

 

「アイツ、死ぬつもりかよッ!?」

 

クリスはヘリから飛び降りる。

 

聖詠。

 

イチイバルを纏い、もう一人の自分の居る方向へと飛ぶ。

 

だが、間に合わない。

 

その時、ズキンと鋭い痛みは頭を襲う。

 

まるでギャラルホルンのアラートのような音が痛みとともに鳴り響く。

 

痛みで顔を顰めながらも、クリスは飛ぶ。

 

アイツを死なせたくない。

 

同時に、痛みととも天啓に似たものが全身を貫く。

 

痛みは声となって囁いた。

 

 

 

あれに手を出させてはいけない。あたしに、あれを壊させてはならない―――。

 

 

 

クリスの見据えた先には黄金球。

 

二人のクリスは、まったく同じ目標を見つめている。

 

 

 

 

 

あれを壊す。そのために、あたしはここに来た。

 

異世界から来たクリスは絶唱を放つ。

 

 

 

 

あれを壊させない。…じゃあ、どうすればいいッ!?

 

そしてまた、こちらの世界のクリスも絶唱を放った。

 

 

 

 

同じシンフォギアから放たれた二つの絶唱。

 

一つは中空に浮かぶ謎の黄金球を目指し。

 

片やもう一つは、それに追いつき、阻止するかのように斜角を描く。

 

 

 

ノイズで染まる空に、二条の絶唱が交錯する。

 

 

 

 

 

 

 

「ッッ! 全員、衝撃に備えろ!」

 

翼は他の装者全員にそう命じた。自らも身を丸め、衝撃に備える。

 

攻撃指向性を持つ絶唱と絶唱がぶつかるのだ。

 

どれほどの破壊力を持つか想像すらできない。

 

マリアは切歌と調に覆いかぶさり、響も顔の前で両腕を交差する。

 

そして―――。

 

「……?」

 

翼は顔を上げる。

 

黄金球は健在。

 

だが、確かに絶唱は放たれたはず。

 

いまなおノイズの浮かぶ空にうかぶくっきりとした二筋の線。あれが何よりの証拠だ。

 

しかし、絶唱と絶唱がぶつかったときに生じるであろうと予想された衝撃は何もない。

 

一体何が起きたのか?

 

装者の誰もが怪訝な表情で空を見上げるなか、二つの人影が堕ちてくる。

 

「雪音!」

 

「クリスさん!」

 

それぞれを、翼と響が受け止めた。

 

「良かった、生きているみたいッ」

 

「だが、このままでは…!」

 

引くか。それとも。

 

『全員無事かッ!?』

 

指令本部からの通信。

 

「全員健在です。ですが、二人の雪音は至急治療が必要な状態で…』

 

『それはこちらも把握している。止むを得ん。全員本部へ帰投せよッ!』

 

装者たちは顔を見合わせる。

 

翼と響はそれぞれ気を失ったクリスを抱え、マリアは左右の肩に切歌と調を担いでいた。

 

見上げる空に、なおノイズは増え続けている。事態は一行に改善する気配はない。

 

敗北。

 

誰もがその二文字を思い浮かべ、唇を噛みしめざるを得ない。

 

「…撤退だッ」

 

翼の声に、項垂れたまま、全員が本部へと帰投した。

 

傷ついた装者たちを乗せ、次世代型潜水艦は、深く静かに沈降していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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EPISODE 11 スワンソング

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「関係各省と国連本部より、報告を求むとの要請が」

 

「鎌倉からもホットラインが入って来ています…ッ」

 

現在、東京湾の戦場に背を向けて沈降を続ける次世代型潜水艦。

 

その中に存在するS.O.N.G.指令本部も、ある意味で修羅場に襲われていた。

 

コール音や通信要請のランプが明滅する中、仁王立ちのままじっとしていた弦十郎の眼がカッと開く。

 

「……全て無視しろッ」

 

「よろしいんですか!?」

 

「構わん。責任はオレが取るッ!」

 

藤尭とあおいは顔を見合わせ、コンソールを操る。

 

途端に指令部は静まり返り、あたりは静寂を取り戻した。

 

先ほどまでひっきりなしに入っていた無数の要請は、状況の説明を求めるものだろう。

 

アルカ・ノイズの大群に謎の黄金球の出現。

 

加えて装者たちの同士討ちが繰り広げられ、トドメは二つのイチイバルの存在が白日に曝け出されている。

 

その上で通信すら遮断した弦十郎の命令は、背任行為と取られても仕方のないものだ。

 

ましてや潜水艦ごと戦場を離脱したとあっては、S.O.N.G.そのものが造反したと疑われるかも知れない。

 

「すまんな、二人とも」

 

弦十郎は重い口を開く。

 

「…あれだけボロボロになったあの子たちに、これ以上無理はさせられませんよね」

 

あおいが明るい声で言う。

 

「あー、鎌倉の御前に目をつけられたら、オレのキャリアも終わりだなー…」

 

デスクに突っ伏して藤尭が愚痴るが、もちろん本心ではないだろう。

 

そんな二人を眺め、弦十郎は内心で思う。

 

全く、オレには過ぎた部下たちだ。

 

詰め腹を切るのはオレだけに止め、二人には累が及ばないようにしなければなるまい。

 

責任を一身に追う覚悟を決めた弦十郎だったが、彼自身、的確に状勢が把握できているわけではない。

 

謎の球体の出現と、あの無数のノイズはなんなのか。異世界から来たクリスにどのような思惑があったのか。

 

分からないことだらけで、求められても説明しかねるというところが本音だ。

 

だが、最終的には装者の出動は要請されるだろう。

 

確かにノイズは人類の天敵だ。

 

S.O.N.G.という組織に属している以上、命令に従い、無辜の市民の命と財産を守る義務もある。

 

だが―――装者自身は、誰が守ってくれるというのだ?

 

風鳴弦十郎は組織の長として、装者たちを守るのは当然だ。

 

しかし一個人としても、自分だけは彼女らの味方をし、護らなければならないと考えている。

 

たとえ世界中の誰もが敵に回ったとしても。

 

「司令、クリスちゃんが目を覚ましたようです!」

 

「ふむ? それはどちらのクリスくんかな?」

 

あおいの報告にそう応じると、さすがに笑いが返ってくる。

 

藤尭も笑ったが、笑顔をひっこめると真剣な眼差しで報告してきた。

 

「司令。例の球体の正体は不明ですが、過去のデータと照会したところ、幾つか類似するデータが認められました」

 

「ほう! さすがだな」

 

「それと、メモリースティックのデータに気になる情報が一つ…」

 

 

 

 

 

 

 

 

クリスは目を覚ます。

 

とたんに全身の痛みに襲われた。

 

思わず呻いて顔をしかめていると、立花響がこちらを覗きこんでくる。

 

「クリスちゃんッ、気が付いた!? 大丈夫ッ!?」

 

「…おう」

 

自分で想像した以上に弱々しい声が出た。

 

だが、五体満足で身体は動く。絶唱をぶっ放したとした身としては、調子は上々だろう。

 

「くッ…」

 

「駄目だよ! 無理に起きちゃッ!」

 

心配してくる響の手を振り払い、クリスは痛む上体を起こし、意識して声を張り上げる。

 

「…もう一人のあたしはどうしたッ!? もう一人のあたしはどこにいるッ!?」

 

「落ち着け雪音。今のおまえと同じく昏倒しているよ」

 

そう告げてくる翼を含め、病室には他の装者たちも勢揃いしていた。

 

全員どこかしらに包帯や絆創膏が貼られており、痛々しい。

 

「…クリスさん先輩はアタシたちを裏切ったんデスか…?」

 

茫然と切歌が呟く。

 

「ううん、きっとそんなことないよ! 何か事情があっただけでッ!」

 

「そういう貴女は背中から撃たれているじゃない。お人よしが過ぎるのも考えものよ?」

 

かばう発言をする響に、マリアの表情は厳しい。

 

「裏切ったとしてもだ。我々は誰も命を奪われるほどの攻撃は受けていない」

 

包帯の巻かれた頭を振って翼が言う。

 

こちらの世界の装者を害するのが目的であるならば、とどめを刺す機会などいくらでもあっただろう。

 

「でも…」

 

調はそこで言葉を切ったが、続きは誰もの意識下で一致していた。

 

並行世界から来たクリスにどのような事情があったにせよ、隠し事をしていたのは間違いない。

 

仮初めにもお互いに友好的な関係を築けていたという感情も相まって、どうしても裏切られたという思いは拭いきれないのだ。

 

「…雪音はどう思っているのだ?」

 

翼の質問に、クリスは俄かに答えられなかった。

 

視界と感情の共有。

 

原因不明のシンクロニシティがあったことを伝えても、皆が納得する答えになるだろうか?

 

しばらく沈黙し、言葉を選んでクリスは語り出す。

 

「もう一人のあたしを庇うわけじゃないけれど、アイツは、自分の命を賭けて絶唱を放っていた…」

 

シンフォギア装者たちにとって、それは疑いもない事実の一つだ。そのことに関して異論を挟むものはいない。

 

「じゃあ、あの金色の毛糸玉はなんなんデス?」

 

異世界クリスが絶唱の標的としたのは、突如空に出現した黄金球。

 

それが元凶であり、打倒すべき存在だとしても、クリスが単独で挑むのは不可解だ。

 

「クリスさん、わたしにあれに手を出すなって…」

 

響が言う。

 

彼女なりに必殺の一撃を喰らわせようとした途端、異世界クリスにの手によって撃墜されている。

 

「立花の手ではなく、絶唱でなければ滅せられない敵だということか?」

 

絶唱は確かに比類ない攻撃力を秘めている。が、神殺しの哲学兵装に匹敵するガングニールの一撃が通用しない敵とも思えない。

 

そもそも、他の装者の力を借りず、一人命を賭してまで絶唱を使用する意味がどこにあるのか。

 

「それも解せないが、雪音よ、なぜやつの絶唱を絶唱で邪魔したのだ?」

 

「それは…」

 

クリスは言葉に詰まる。

 

自分でもよく分からない閃きに従った、と言えば楽にはなるが、なんの説明にも解決にもなっていないだろう。

 

その時、入口の壁に備え付けてある電話が鳴った。

 

受話器を取ったマリアが、二、三言交わしたあと、通話を切って室内を振り返る。

 

「ここで論議を繰り返しても埒が明かないわ。場所を変えて何もかも白黒はっきりさせましょう」

 

「! まさか…」

 

翼の目線での問いかけに、マリアは頷く。

 

「彼女も目を覚ましたそうよ」

 

 

 

 

 

 

「みんなで雁首そろえて見舞いたあ、ご苦労なこったな…」

 

並行世界から来たクリスは、ベッドに横たわったまま皮肉げな声と表情を見せた。

 

絶唱で負傷した身にさすがに拘束着を着させるわけにもいかず、掛けられた毛布の上から起き上がれないように拘束帯が巻かれている。

 

「…ッ!」

 

意外にも、真っ先に剥き出しの感情を示したのはマリアだった。

 

怒りに任せにベッドサイドに詰め寄ろうとした彼女を翼が制する。

 

「…雪音。私はおまえが我々を裏切ったとは、心底からは思えないのだ。理由があるなら話してくれないか?」

 

「…………」

 

帰ってきたのは沈黙。

 

切歌、調が声をかけても無視するように口を閉ざしていた異世界のクリスだったが、響に肩を支えられながらこちらの世界のクリスが姿を見せると表情を一変させた。

 

「…てめぇッ! なんで邪魔しやがったんだ!?」

 

拘束されているにも関わらず、傷ついた身体が跳ねあがる。

 

シーツや毛布に血がにじむのも構わず向けられた激しすぎる怒りに、こちらの世界のクリスも一瞬面食らう。

 

しかし即座に言い返したのは、全く同一の気性の所持者であるのだから至極当たり前のことだろう。

 

「おまえこそ何考えてんだッ!? あんな絶唱ぶちかまして、死ぬ気かッ!?」

 

クリスの追随して放った絶唱に気を逸らされ、異世界クリスの絶唱は完全なものとして昇華しなかった。

 

結果として二人とも命拾いした格好になっているが、それはもはや奇蹟の領分に近い。

 

「へッ、あたしのことはいいさッ! あれを仕留めそこなっちまったのが問題なんだよ」

 

冷たく異世界クリスは笑う。

 

「おかげでノイズは消えず、街や人にたくさん犠牲が出るだろうよ! おまえの、いや、()()()自身が邪魔したせいでなッ!」

 

「…………ッ!!」

 

自分の行動の所為で他人が被害を受けること。

 

それが雪音クリスのもっとも忌むべきものだ。

 

真っ青な顔で硬直するクリスを響が支え、すかさず翼が割って入る。

 

「そういうおまえこそ、全生命を賭けた絶唱の一撃など正気か? 己が命と引き換えに戦に勝ってなんとする。おまえにも元いた世界に待つ家族がいるのだろう?」

 

「へ…ッ、そんなの余計な心配だぜ」

 

翼のその指摘に、異世界から来たクリスは泣きべそをかくように顔を一瞬歪めた。

 

それから眼を伏せて、静かに吐き捨てる。

 

「なぜなら、あたしの元いた世界は、もう存在しないんだからなッ」

 

 

 

 

 

 

病室に沈黙が降りた。

 

装者の誰もが絶句し、一番気色ばんでいたマリアの顔も蒼白になっている。

 

「そ、それは、本当のことなのか…?」

 

翼の震える声。

 

響ですら二の句を告げず茫然とする中、おそらく他の誰よりもショックを受けていたのはこちらの世界のクリスだった。

 

―――任務で帰れないってのは、つまりそういうことだったのか。

 

「…だからといって、私たちを攻撃したことの説明はついてないわよ?」

 

いち早く気を取り直したのもマリアだった。ちらりと切歌と調を見てから続ける。

 

「さあ、答えなさいッ! あの毛糸玉の正体は? 貴女の本当の目的は何ッ!?」

 

その時、病室のドアが開く。

 

「それについては、オレたちも一緒に拝聴させてもらおう」

 

「師匠ッ!?」

 

風鳴弦十郎以下、友里あおい、藤尭朔也が続く。

 

弦十郎は、室内の全員を見回すように言った。

 

「皆に、いくつか報告しておくことがある。友里ッ」

 

「はい。東京湾上に出現したあの謎の黄金球ですが、質量、座標ともに観測不能です。しかしギャラルホルンと類似したアウフヴァッヘン波形が計測されています」

 

「…どういうこと?」

 

「しッ」

 

疑問の声を上げる響を、クリスは諌める。

 

「それともう一つ。これは、並行世界から持ち込まれたデータを解析してのことですが…」

 

友里の話を結論から言ってしまえば、現行世界ともう一人のクリスが来た並行世界で、起きた事件の時系列に変化はない。

 

魔法少女事変を経て、パヴァリア光明結社との決戦が起こり、アダム・ヴァイスハウプトを、危うく神の器に取り込まれそうになった響が神殺しの力で屠ったところまで同じだ。

 

ただ、押収された結社の資料の一つに、一か所だけ異なる箇所が存在する。

 

それは統制局長アダム・ヴァイスハウプト以下幹部の名前が連ねられた紙片。

 

サンジェルマン

 

カリオストロ

 

プレラーティ

 

そして、ジョン・ディー

 

「ジョン・ディー自身は、エノクの魔術の体系を確立した錬金術師であり数学者で、1608年に没していますが…」

 

「そちらの世界では生き延び、パヴァリア光明結社の幹部として活躍していた。そうだな?」

 

友里の説明を、弦十郎が引き継いだ。

 

強い視線を向けられ、異世界クリスは観念したようにふっと笑う。

 

「お見事だぜ。そうさ、あの毛糸玉はそのジョン・ディーの慣れの果てさ。エルフナインは〝ヘイルダム〟と呼んでたっけな―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

ジョン・ディーもまた、サンジェルマンに見初められ、仲間となった錬金術師の一人だった。

 

サンジェルマンの錬金術により、完全身体構造の「女性」となったジョン・ディーも、当初は彼女の理想にも共感し、協力していた。

 

しかし不老長寿の肉体を手に入れたあとも、ジョン・ディーは良く言えば用心深く、悪く言えば臆病だった。

 

彼(女)が畏れたのは、己の消滅による蓄え磨いてきた〝知〟の消失。

 

知識を蒐集し、新体系を編み、大いなる術(マグヌム・オプス)を行使する。

 

これは神秘の深奥を巡る錬金術師の宿痾と称しても良い。

 

永遠に知識を求め続ける探究者たらんとしたジョン・ディーは、万が一に備えて幾つかの手段を講じた。

 

かつてキャロル・マールス・ディーンハイムは、己のホムンクルスを精製し、その肉体に意識を移し替えて執念を継続させていた。

 

その手法を下敷きに、パヴァリア光明結社が研究し求めていた「絶対たる力」を掛け合わせたもの。

 

結社の研究の実験として発現させた神性ヨナルデパズトーリ。

 

受けたダメージを並行世界に存在する同一別個体に生贄として肩代わりさせるという、常識外の能力を持つ。

 

ジョン・ディーは、その研究を己に活用した。

 

もしも自分の肉体が致命的なダメージを受けた際に、並行世界の自分へと意識を飛ばす。

 

ヨナルデパズトーリのよう肉体へ及ぶダメージの肩代わりを選択しなかったのは、現行世界で活火山の溶岩に放り込まれたり、脱出不可能な空間で拘束されたりといったデッドロック状態を懸念してのことである。

 

同時に、窮地に陥った際は、自殺出来るような仕組みも整えていたらしい。

 

そんなジョン・ディーがその手段をいつ行使したのか、詳細は不明である。

 

光明結社の幹部として名は知られているが、その姿を確認したものはいない。

 

その能力と人品についても、アダムとの決戦を前に一時的にS.O.N.G.に拘束されたサンジェルマンが語ったものに過ぎない―――。

 

 

 

淀みなく語る異世界クリスに、弦十郎は問いかけた。

 

「では、〝ヘイルダム〟とはなんなのだ?」

 

北欧神話における終末を告げる角笛(ギャラルホルン)を吹く神の名前。

 

弦十郎にもその程度の知識はある。

 

「こっから先は、エルフナインの推測の受け売りさ―――」

 

薄く笑い、異世界クリスは話を続けた。

 

 

 

並行世界に意識を飛ばすことに関しては、幾つもの危惧があげられる。

 

第一に、その世界の本人との意識の対立。

 

並行世界ならではの差異が、意識の統合を阻む可能性は軽視できない。

 

また、せっかく飛んだ並行世界が現行世界よりマシだという保証もない。

 

そのような危険性からの演繹的な推測になるが、おそらく幾つかの並行世界を巡った段階で、ジョン・ディーは己の主体を喪失、もしくはシステムから自分を切り離して破棄した可能性が考えられる。

 

あるいはその両方かも知れないが、とにかくシステムは生き続けた。

 

現行世界で肉体を失った後に、並行世界へと飛ぶというシステムだけが。

 

何十回、或いは何百、何千とそれが繰り返された結果、そのシステムは無責任な概念に近くなっていく。

 

やっかいなことにその概念は、並行世界を渡るたびに、その世界を因果の糸として絡め取る。

 

鎧われた因果は、己の肉体が消滅して並行世界へと飛ぶという手順を阻害するほどに巨大かつ頑丈になっていく。

 

それは、外部からの攻勢に対し、幾何学級的な防御力を備えていくことを意味する。

 

概念そのものに通常の物理攻撃は作用しない。

 

聖遺物を用いても生半可な攻撃は通用せず、概念上の〝肉体〟は滅びない。

 

その結果、〝ヘイルダム〟は自死をすることによって並行世界へと渡るという選択をするわけだが、本体そのものは並行世界の因果という頑強極まりない鎧で覆われている。

 

そんな自分自身を滅するための熱量は、いまや出現した世界を消滅させるほど巨大なものとなるしかない。

 

幾つもの並行世界を渡り破壊し続ける無意識の災厄。

 

それこそが〝ヘイルダム〟の正体。

 

 

 

 

「…あの糸みたいなもの一本一本が、それぞれの並行世界の因果だというの…?」

 

驚愕の表情を浮かべる装者たちを、異世界クリスは皮肉気に見渡した。

 

「そうさ。だけど今なら、あたしの絶唱でぶっ飛ばせたんだ…ッ!」

 

命を燃やし尽くすほどの絶唱。そのエネルギーを持てば、現行のヘイルダムを自爆するまえに破壊することが出来る。

 

それは道理だが、響が黙っていられる道理もない。

 

「なんでクリスさん一人、命懸けでそんなことしなくちゃならないのッ!? みんなで力を合わせれば! ううん、なんならわたし一人でも絶唱を使わなくったって…!」

 

いきり立つ響に、異世界クリスは冷笑を浴びせる。

 

「おまえに覚悟はあるのか?」

 

「…覚悟?」

 

「仮におまえがアレをぶっ飛ばしたとしてもだ。確かにこちらの世界は平和にはなるだろう。だけどアレは滅びるわけじゃない。他の並行世界に行くんだ」

 

「…え、と」

 

要はババ抜きと同じだ。

 

異世界クリスは問うている。

 

こちらの世界を守るために、他の世界へジョーカーを渡す覚悟はあるのか? と。

 

「確かに、他の世界にはおまえたちみたいに吹っ飛ばせる力を持つやつがいるかも知れない。だけどもし、いなかったらどうなる?」

 

対抗できる手段を持たない並行世界において、ヘイルダムの出現は避けることの出来ない滅びとなる。

 

並行世界など概念上のものだ。そう切って捨てられればどれだけ楽なことだろう?

 

今まで巡ってきた並行世界のことが頭に浮かび、響は瞬きもせず硬直するしかなかった。

 

黙りこくる装者たちに、異世界クリスは静かに瞼を閉じた。

 

「―――だからあたしが引き受けたのさ」

 

澄んだ表情が物語る。

 

どうせ戻る世界はない根無し草。他の世界に与える迷惑も非難も一身に引き受け、この世界を守り命を散らしても本望。そして何より、あれはあたしの世界を破壊した憎っくき仇なのだから―――。

 

その時、小柄な影が動いた。

 

弦十郎たち大人まで黙って見守る中、盛大なビンタの音が鳴り響く。

 

「いってぇ!?」

 

眼を向く異世界クリスに、その鼻先も触れんばかりの近距離でクリスは怒鳴った。

 

「かっこつけてんじゃねぇッ!!」

 

「!?」

 

「黙って聞いてりゃペラペラペラペラと。悲劇のヒーローだって酔っ払いたいのかよ、おまえはッ!?」

 

「ッ! おまえに何が分かるってんだッ!」

 

「分かるさッ! おまえは()()()なんだからなッ!」

 

実際にクリスには、並行世界から来たクリスの気持ちが痛いほどわかっている。

 

差し伸べられる手をはね除けて、一人戦い続ける自分。

 

フィーネの元を離れ、誰も頼るものもない孤独のとき。

 

このあたしは、あの頃の自分だ。

 

頭では理解しているんだ。寂しくてすがりついて泣きわめきたいくらいなのに、理想とプライドが邪魔して甘えられない―――。

 

「…だからってこれからどうにでもなるものかよッ!」

 

異世界クリスは絶叫する。

 

「どうにかする! いや、どうにかしねえとヤバいんだからな!」

 

―――だから、おまえも手を貸してくれ。

 

そう続けようとしたクリスの前に、響が割り込んできた。

 

そっと異世界クリスの殴られた頬に手を当てて言う。

 

「一人でいると世の中の全てが敵に見えちゃうよ?」

 

「……ッ!」

 

じわっと異世界クリスの両目が潤みかけた。

 

だが乱暴に瞼を閉じるとそっぽを向いてしまう。

 

「…もう、手遅れなんだよ」

 

「いいえッ、そんなことはありませんッ!」

 

声に、部屋中の視線が入口へと注がれた。病院着姿のままの小柄な少女が立っている。

 

「エルフナインくん! 目を覚ましたのかッ!」

 

弦十郎の歓声に頷き返し、エルフナインは二人のクリスを見つめながら言った。

 

「並行世界のボクが教えてくれました。〝ヘイルダム〟を完全に消滅させる方法はあります!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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EPISODE 12 真実の刻








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

指令室の自席で、病院着のままエルフナインはコンソールを操る。

 

「あちらの世界のボクは、ビデオメッセージを通した共鳴によって、ボクの脳裏へとダイレクトに情報を送ってくれたんです」

 

ギャラルホルンを介した意識の共鳴は、ジョン・ディーが用いた秘法とは似て否なるもの。

 

そう前置きして、エルフナインは続けた。

 

「おかげで、ヘイルダムへの対抗策も見えてきました」

 

どよめく装者たちの前の大型モニターに映る映像は、ノイズに染まる空に浮かぶ巨大な黄金球。

 

まるで毛糸玉のような表面がクローズアップされる。

 

「ヘイルダムを覆うこの糸のようなものは、並行世界の因果そのものである文字通りの世界〝線〟の概念が可視化したものと推測されます。同時に、因果によって鎧われたヘイルダムもまた概念的な性質を獲得し、一種の虚数存在と化したと言っても良いでしょう」

 

「…そうか、だから質量を観測できなかったのか」

 

と、藤尭。

 

同時にそれは、物理法則を歪ませるような膨大なエネルギーを持ってしか干渉出来ないことも意味した。

 

並行世界から来たクリスが絶唱という攻撃手段に訴えたことに対する裏付けともなる。

 

「あの~…」

 

そんな中、響はおずおずと手を挙げて、

 

「みんなの力を合わせて思いっきり一撃を喰らわせたら、やっぱり倒せるんじゃあ…?」

 

かつてヨナルデパズトーリを屠った彼女の拳には、他の装者にはない説得力がある。

 

「その質問に答える前に、皆さん、以前に重ね合わせ(スーパーポジション)の話をしたことを覚えていますか?」」

 

それは量子力学上に置ける思考実験の一仮説であり、並行世界の分岐点でもある。

 

解説をしながらエルフナインはモニターを暗転。

 

続いて真っ黒な画面の真ん中に、幾本の垂直な線を描かれた。その中心の一本をエルフナインは指し示し、

 

「これは、いまボクたちがいる世界を現しています。すなわち世界線ですね」

 

その線の中ごろに小さなポイントが打たれた。

 

「そして、この点が、アルカ・ノイズが大量に出現した燎原の火事件が起きた日としましょう。同時にこの座標を分岐点と定義します」

 

モニター上に赤く丸く表示されたそのポイントから、まずは左横に斜め分岐線が引かれた。

 

「ボクたちの世界では、アルカ・ノイズを殲滅できました。ですが、殲滅できなかった世界も存在する可能性がある。そうやって分岐した世界が、この枝分かれした先の可能性、ノイズが完全に殲滅されなかった並行世界になります」

 

赤いポイントから、さらに幾つもの分岐線が引かれていく。

 

「この線の先は、ノイズが半分だけ斃された世界としましょう。この線の先は、もしかしたらノイズは全く斃せなかった世界かも知れません」

 

一つ一つ線を指し示しながらそう説明するエルフナイン。モニター上の線は、さながら樹形図のように大きく枝分かれをしていく。

 

「無数に分岐し、あらゆる可能性が存在するのが並行世界です。そして、アルカ・ノイズの出現という事象に関して、その無数の並行世界を観測することが出来るとしたら…?」

 

「…なるほど。ヘイルダムは、我々がやってきたことと同じ事を行っているのだな」

 

腕組みをしながらそう唸ったのは弦十郎だった。

 

「師匠ッ! どういうことですかッ!?」

 

噛みつくような勢いで尋ねてくる響を真っ向から受け止め、弦十郎は答える。

 

「オレたちも、他の並行世界へお前たち装者を何度も送り込んでいるだろう? ギャラルホルンを使ってな」

 

現在この世界にはギャラルホルンが存在する。

 

ギャラルホルンは並行世界へ装者を送ることが出来る。

 

仮に、ギャラルホルンを所持する世界が他に複数存在し、とある並行世界の同一の座標を共有するとしよう。

 

一つの並行世界のその一点に対し、それぞれの並行世界から装者を送ることが可能なはずだ。

 

「御明察です。ギャラルホルンの力を有したヘイルダムは、アルカ・ノイズが殲滅されなかったであろう並行世界を複数観測し、そこを起点としてボクたちの世界の座標へアルカ・ノイズを際限なく送りこんで来ているものと思われます」

 

概念上、存在するであろう並行世界の数は無限に等しい。

 

となれば、そこに存在するであろうアルカ・ノイズの数も無限となる。いくら斃しても、傍から沸いてくるのは道理だ。

 

「…あたしのいた世界もそれで…やられた」

 

ぼそっと呟く並行世界からやってきたクリスに、部屋中の視線が集中した。

 

「あたしの世界でも、錬金術師たちの集団テロ―――こっちでは燎原の火事件ってやつが同じように起きた。その時の東京湾の襲来で、本部までノイズの侵入を許しちまって…」

 

あとはなし崩しだった、とクリスは続ける。

 

「外は外でヘイルダムに加えてノイズが溢れかえって皆手一杯だった。あたしも必死で本部で防衛していたけど、いくらでも沸いてくる敵相手じゃ、屋内では防ぎきれない。いよいよ本部もヤバいって中、いきなり司令に呼ばれてさ。行ったら、ギャラホルンが起動していた。そして、あたしだけでもメモリースティックと一緒に並行世界へ跳べって…。みんなを置いて、あたしだけ…ッ!!」

 

堰を切ったように言葉を吐き続ける彼女を止めるものは誰もいない。言葉がいつの間にか嗚咽に変わってしまったのを、果たして彼女は自覚していただろうか?

 

「…クリスさん…」

 

響はギュッと胸の前で手を握るだけで言葉をかけあぐねている。

 

こちらの世界のクリス本人でさえ、なんと言ってやればいいのか分からず戸惑うしかない。

 

誰もが声をかけるのを憚られるような雰囲気を両断したのも、エルフナインだった。

 

「向こうの世界の司令は、何も手近にいたからクリスさんを逃がそうとしたわけではありませんよ」

 

その凛とした響きに、異世界クリスが涙に濡れた顔を上げた。

 

「他の装者たちでは無理なんです。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「…え?」

 

「これを見て下さい。まず、こちらの縦線をボクたちが今いる世界線とします」

 

先ほどの縦線が赤く明滅して強調表示される。

 

「そしてこちらがもう一人のボクたちがいて、そちらのクリスさんがやってきた世界線としましょう」

 

視線を向けられ、異世界から来たクリスの眉が一瞬ピクリと動く。

 

「さらにあちらが奏さんが活躍されている世界線。こちらはナスターシャ教授とセレナさんが一緒にいらっしゃる世界線…」

 

声に合わせ、幾つもの縦線が明滅する。

 

装者の全員がそれぞれ感慨深げな視線を向ける中、エルフナインはがらりと声のトーンを変える。

 

「以上、説明はしましたけど、あくまで便宜上のものでしかありません。これは単なる概念図でしかありませんから」

 

そう告げて彼女がコンソールを操ると、図形上のとある縦線の一本の中ほどに、黄色い光点が生まれる。

 

「この線のそれぞれが世界線と先ほど定義しましたが、この光点は、その世界にヘイルダムが出現したことを表しています。そしてヘイルダムの性質は、自身の喪失に伴う世界線の移動。座標は、各世界線に存在するであろうジョン・ディーとなります」

 

光点が次々と世界線を移動した。伴い、動く光点に世界線という名の糸が巻き込まれていく。その光景は、敷き詰められた蜘蛛の巣の上で飴玉を転がす様子に似ていたかも知れない。

 

その果てにモニター上に現れたそれは、今まさに上空に浮かぶ黄金球―――ヘイルダムに他ならない。

 

「このように、ジョン・ディーがヘイルダムへと至った過程をシミュレートしてみました」

 

「なるほど。ヘイルダムの表面を覆う因果の糸とはそういうことか…」

 

腕組みをしたまま唸る弦十郎の横で、やはり首を傾げる響が居る。

 

「エルフナインちゃん、だったらやっぱり倒せないってこと?」

 

「いいえ。限定解除(エクスドライブ)モードの全威力を結集すれば、世界線の頸木すら引き千切り、因果地平の彼方まで吹き飛ばすことは可能かも知れません。しかし…」

 

「フォニックゲインが不足している、か?」

 

弦十郎の指摘。

 

「それもありますが、問題はヘイルダムを鎧う各並行世界の因果の糸です。ヘイルダムをそれらもまとめて吹き飛ばした場合―――」

 

エルフナインは顔を曇らせ、

 

「吹き飛ばされた因果を補修するための、大規模な『調律』が行われます。最悪、失われる世界線も存在すると予想されますし、いま、ボクたちがいるギャラルホルンを擁する世界線も例外ではありません」

 

「じゃ、じゃあ、アタシたちがアレを倒すと、この世界はどうなるんデスかッ!? アタシたちはどうなるんデスかッ!!」

 

弾かれたような切歌の声に、エルフナインは僅かに口ごもってから答える。

 

「…ギャラルホルンの持つ特異点の性質上、この世界線が維持される可能性は高いです。しかし、ボクたちの意識の断絶は免れないでしょう」

 

「意識の断絶? 気を失うってこと…?」

 

眉根を寄せて首を傾げる調。

 

「ヘイルダムを倒してもボクたちの存在自体は失われることはないでしょう。しかし、ヘイルダムに関する一連の記憶―――今この瞬間こうやって会話している記憶すら、打倒後のボクたちに引き継がれません。ヘイルダムや並行世界に関する全てのことが存在しない、つまり認識すらされなかった世界で、ボクたちは生きて行くことになります」

 

エルフナインの説明に、室内は一瞬静まり返った。直後切歌の絶叫が響き渡る。

 

「そんなのって、そんなのって……死ぬのと同じじゃないデスかッ!」

 

既に意味を把握した翼とマリアは唇を噛みしめて口を閉ざし、人を救うためには我が身を省みないであろう装者筆頭の響も、その正鵠に声を失っている。

 

打倒の対価に、今この時の記憶を全て失う。

 

いかに自分自身の存在が生き続けたとしても、今この記憶を保持しない自分と、果たして同一と言えるだろうか?

 

「狼狽えるなッ」

 

鋭いが決して険のない一喝。

 

皆の視線を集めておいてからS.O.N.G.総司令がエルフナインに向けた声は、むしろ温かく柔らかい。

 

「それは一つの策とその結末でしかない。そうだろうエルフナインくん?」

 

「はい。次善策が存在します」

 

弦十郎に軽く目礼をして、エルフナインは続けた。

 

「もう一つの策は、ヘイルダムを倒す前に、因果の糸を全て外してしまうことです」

 

そうすれば、他の並行世界への影響もなくなるばかりか、ヘイルダムの防御能力も無効化できるはず。

 

「しかし…それはどうやって?」

 

柳眉を歪め疑問を呈する翼。相手は物理現象に属さない代物である以上、当然の反応だろう。

 

「仮にこれを毛糸玉に見立てましょう。皆さんは、糸を切らずにこの毛糸玉をほぐすにはどうすればいいと思いますか?」

 

とエルフナイン。

 

「…手で一つ一つ摘まんで外すしかないのではないか?」

 

「すみません、言い忘れていましたが、糸はととてもデリケートなものです。摘まんだだけで切れてしまうかも知れません」

 

「はいはいはいー! じゃあ転がして外せばいいと思いまーす!」

 

「おいおい、闇雲に転がしたら他の別の糸も巻き込んじまうじゃねーかよッ」

 

「あ、そっかー」

 

響とクリスの会話を聞いて、エルフナインは微笑む。

 

「いえいえ、この場合、響さんとクリスさんお二人の答えが正解なんです」

 

「はあッ!?」

 

素っ頓狂な声を上げる二人に、モニターの映像が切変わる。

 

3Dモデルの毛糸玉のようなヘイルダムが宙に浮かぶ。

 

そして宙に浮かんだまま、その場で回転を始めた。

 

見る見る糸は解きほぐされ、最後に残ったのは元の小さな光点が浮かぶのみ。

 

「要は、転がってきたときと真逆のベクトルを持って転がせば、絡んでいた糸は外せるということ?」

 

動画を見終えてマリアが言う。

 

「なるほど、道理ではある。だが、世界線を外すには、いま存在する世界線を飛び越えるほどの力が必要なのだろう? 頓智か?」

 

翼の口にした死語を皆が礼儀正しく無視し、彼女が指摘した内容の本質を吟味している。

 

世界線を飛び越えるような威力を逆ベクトルで与えれば、因果の糸は外れるものの、当然、対象は他の世界線へと移動してしまう。そうなっては、それ以上手の施しようがない。

 

こちらも世界線を飛んで追うという手もあるにはあるが困難を極めるだろう。飛んだ先の世界線の装者か誰かに期待するというのも無責任な話で、且つ現実的ではない。

 

「世界線から放逐するような力を与え、世界線上から逃さない。―――確かに矛盾しているかも知れません。しかし、物理レベルでは至極簡単な原理で実行できます」

 

そう言って、エルフナインは両手と両手の掌を胸の前で突き合わせた。

 

「物体の対極から同じベクトルをぶつけます。これで対象は移動することはありません」

 

「でも、それじゃあ潰れちゃうんじゃ?」

 

響の指摘にエルフナインは微笑むと、拝むように合わせていた掌を指を突き合わせたまま膨らませる。

 

「実際のベクトルは点ではなく一種の波のようなものになります。…そうですね、真空中に浮かぶ風船を団扇で仰ぐイメージが近いかも知れません。片方から仰いでしまうとどこまでも飛んでしまいますが、もう片方から全く同じ力で仰げば、その場に留まり回転し続ることでしょう」

 

「なんとなくイメージは出来たけれど…」

 

頷いたものの、響の声音は渋い。

 

「だけど、全く同じ力で左右から押すなんて、出来るのかなあ? しかも全力でしょ?」

 

「ええ、そこでクリスさんたちの出番になるわけです」

 

「……ッ!!」

 

二人のクリスが顔を上げ、ほぼ同時にお互いを見合わせた。

 

「この世界線には、全く同一のイチイバルが二つ存在します。これこそが、向こうの世界のボクの示唆を基に立案した対ヘイルダム作戦の要なんです」

 

「その作戦とは?」

 

弦十郎が促す。

 

「敢えて簡略に説明するなら、ヘイルダムの両極からイチイバルによる絶唱の同時放射を行います。これで、理論上、ヘイルダムを現世界線に止め、因果の糸を全て分離することが可能なはずです」

 

さらりと明言するエルフナインだったが、作戦の内容は素直に快哉を上げられるものではない。

 

ひとことで絶唱と言えど、装者たちにとってその意味は計り知れないほど大きいものだ。

 

命を燃やして放つ最終攻撃手段は、射手に途轍もない負荷をもたらす。

 

現に二人のクリスも先刻の絶唱のバックファイアで半死半生の有様ではないか。

 

「…それはクリスちゃんたちじゃなきゃいけないの?」

 

響の質問は、彼女たち二人の体調を慮ってのもの。

 

しかし、エルフナインは首を振る。

 

「全く同じ特性を持ち、かつ遠距離型のギアとなれば、イチイバルの他に選択はありません」

 

「だが二人の雪音で体格の違いもあるだろう? それで果たして全く同一の攻撃など…!!」

 

「絶唱は魂の音叉を持って放たれるもの。この場合、肉体の大小は瑕瑾にはならないでしょう」

 

翼の声にそう答えておいて、エルフナインはもう一度モニターに全員の視線を集める。

 

「それに、クリスさんたちでなければならない絶対的な理由がもう一つ―――」

 

モニター上に展開される映像は、東京湾上空のヘイルダムにイチイバルが絶唱を放つもの。半瞬遅れてこちらの世界のクリスが放った絶唱が追いすがる。

 

二つの絶唱はその軌跡上のノイズを消し去ったが、交差した瞬間、消滅していた。

 

翼の表情に疑念が再燃する。

 

本来、爆発的な威力を持つ絶唱同士がぶつかり合った場合、その破壊と衝撃は乗法で増加してもおかしくない。

 

「絶唱は命を燃やす歌。歌は音。音は波。同じ波長同士がぶつかると、互いに打ち消し合う性質があります」

 

エルフナインの静かな声。

 

「これの現象は全く同じ魂を持つ装者から放たれた絶唱でしか再現は不可能です。同時に、ヘイルダムを倒す際に行われる『調律』に必要な、最も困難で繊細なファクターとなります」

 

いつの間にか部屋中の視線は二人のクリスに注がれている。

 

ヘイルダムを倒すための唯一、いや唯二の希望たち。

 

提示された作戦しか手段がないことなどわかりきっている。

 

だが、それでもなお、命を賭けて挑めなど、他者が口に出しては言えなかった。

 

だから皆が待つ。

 

世界の命運を握る二人の応えを。

 

「…あたしはやるよ」

 

「ああ、同感だ」

 

どちらの台詞がどちらの世界のクリスのものか、詮索することも定義することも無意味だろう。

 

既に絶唱を持ってヘイルダムを討とうとした並行世界から来たクリスにとって否応もない。

 

他に対抗手段がない以上、こちらの世界のクリスもそう答えるのは他の仲間にとっても十分に想定内のことだった。

 

―――人並みの幸せを享受する資格などない。一生償いをしていかなければならない。

 

常の彼女が抱える想いは、口に出さずとも仲間たち全員が知悉していた。

 

その上で、並行世界から来たクリスが次に口にした台詞は自棄に過ぎる。

 

「命を捨てる覚悟なんてとっくに出来ているさ。今度こそ確実にヤツの息の根を止めてやる…ッ!」

 

「バカ野郎ッ! それじゃダメなんだよッ!」

 

とっさに激昂して叫ぶこちらの世界のクリスに、もう一人のクリスは牙を剥く。

 

「何がダメだってんだッ! 仮にヤツを倒したって、あたしの元いた世界は…ッ!!」

 

言われるまでもなく、クリス自身お互いにそのことを強く認識している。

 

仮に生き残った先に、同じ世界線上に、エルフナインが言うところの同じ魂を持つものが二つ存在する不自然さもだ。

 

「だからといって死んでいいって話でもないだろッ!?」

 

「あたしだってそんなこと分かってるさッ! でも、でも…ッ!」

 

おめおめ一人だけ生き残っているという自責の念。

 

今さらながらクリスは、並行世界から来たもう一人の自分の覚悟と決意に圧倒されてしまう。

 

それでも頷けるはずはなかった。

 

そこに理屈など存在しない。ただ、自分を見捨てたくないという感情しか存在しない。

 

だいたい自分自身を救えず、どうやって他人を救えるというのだ?

 

睨みあう、まるで鏡合わせのような二つの顔。

 

他の装者たちも口を挟むに挟めない空気に、おずおずとエルフナインが差し込んだ声は、いっそ可憐なほど素朴に響く。

 

「え、えーと、クリスさんの元の並行世界のことですが、まだ希望は残されています」

 

「…なんだって?」

 

完全に左右対照に顔が動き、エルフナインの方を向いた。

 

「向こうの世界のボクたちは、クリスさんをこちらへ送る際に、ギャラルホルンの特性、いえ、存在そのものをクリスさんに付帯して送り出していたんですよ」

 

「…それは、この世界線にギャラルホルンが二つ存在するということか?」

 

唐突な説明に、さすがの弦十郎も驚きの声を隠せない。

 

「向こうの世界のクリスさんが来訪した際に、ギャラルホルンが『共鳴』したと説明しましたよね? その時点でこの仮説は意識していましたが、さらに二つの根拠が積み重なったゆえの結論です」

 

エルフナインは細い小さな指をピースサインの形で立て、

 

「一つ目は、クリスさんたち二人の間に精神干渉が生じていないことです。皆さん、かつて様々な並行世界に飛んだことは憶えているでしょうけど、最終的に全く同じ人間同士が顔を合わせた例は存在しません」

 

かつて飛んだ諸々の並行世界。

 

そこに確かに同じギアの装者たちが鉢合わせたケースは存在しない。

 

唯一、はぐれ狼のような響の存在が確認され、結果としてそれがこちらの世界の響への精神干渉を起こした件が特殊な事例として把握されているが、それでもやはり響と響同士が顔を合わせたことはないのだ。

 

ギャラルホルンが起動して渡れる世界は、こちらの世界の別の可能性であると同時に、何かが欠落し、または失われたものが存在している世界へと限定されている。

 

考えられるのは、同じ人間が同世界軸上に存在すると精神干渉を起こす故に、ギャラルホルン自身が渡来できる並行世界を選別している可能性。

 

逆説的ではあるが、そう仮定すれば、二人のクリスが顔を合わせても何も起きないことに対して、もう一人のクリスがギャラルホルンの特異点の性質を帯びているゆえとの証明になるのではないか。

 

「それともう一つは、この状況において以前に繋がった他の並行世界から、誰も救いの手が来てないことです」

 

「そうだッ! 考えてみればこのような火急の事態に奏が座しているわけもないッ!」

 

目から鱗とばかりに翼が力説。

 

なぜ来られないのかは、やはり同世界線上にギャラルホルンが二つ存在するという異常な状態が、他の並行世界からの干渉を突っぱねているのでは、とエルフナインは結んだ。

 

「だからって、それが何の希望になるってんだッ!?」

 

「つまり、クリスさんの元いた世界にギャラルホルンという特異点は存在しません。それはどういうことかと言えば、こちらのボクたちの世界にとっての観測対象となったということです。クリスさんが居た世界は、ボクたちが観測するまで重ね合わせ状態になっています」

 

「つまり、それは…?」

 

クリスの声が震える。

 

「クリスさんがこちらに渡ってきた瞬間を座標としても、直後の世界の行く末はボクたちにとってまだ確定されてないんです。へイルダムによって滅ぼされていない、いいえ、誰も死んですらいない無限の可能性がある状態なんです」

 

「それを見越してクリスくんを送り出したのか、向こうのオレたちは…ッ?」

 

絶句するクリスに成り変わり、弦十郎が感嘆の声を上げた。

 

こちらの世界の滅びを確定させないために、敢えて重ね合わせ状態へと置く。

 

危険かつ尋常ではない賭けだ。

 

「な、ならっ、向こうの世界は無事な可能性があるんだなッ!? みんな大丈夫な可能性があるんだなッ!?」

 

頷くエルフナインに、並行世界から来たクリスの顔がみるみると紅潮し活気に満ちる。

 

喜色に溢れた顔で周囲を見回し―――直後、たちまち青ざめた。

 

血の気の引いた唇が震え、ほとんど泣きそうなまでに歪んだ顔から、弱々しい声が漏れる。

 

きっと『後悔』という音色を表現するなら、きっとこんな声音だろう。

 

「…あ、あたしは、みんなに何てことを…ッ」

 

その気持ちは、こちらのクリスにも痛いほどわかる。

 

自らの行動で他者を傷つけたり無関係の者を巻き込むのは、おそらくあらゆる世界の雪音クリスという存在の共通するであろう忌避事項。

 

完全に色を無くし消沈した並行世界のクリスに、まず近づいたのは翼だった。

 

「…初見殺しとは良く言ったものだが、それも兵法だろう。だが、不覚を取ったのは違いない。よって全てが片付いたら、万全の態勢で再戦を所望する」

 

力強い眼差しを向けて肩を軽く叩くと、ふっと笑う。

 

その光景を見守っていた調と切歌が顔を見合わせると頷いた。

 

「とりあえず、食べ放題とビュッフェとバイキングを三回で手を打つデース!」

 

「それ、全部同じだよ切ちゃん」

 

更には騒々しく響が手を上げて、陽気な声を張り上げる。

 

「はいはいはーい! だったらわたしはクリスさんの作った料理がいいです! もちろんフルコースで!」

 

次に、マリアへと視線が集中した。

 

厳しい表情を崩さない彼女だったが、響、切歌、調と三者三様の視線を浴び、さすがに片眉を引き攣らせながら口を開く。

 

「…あー、もう分かったわ! 被害者のあなたたちが許してるんでしょう? だったら、私が怒ってヘソを曲げるなんて理由はないッ!」

 

腕組みをしたまま、ふん!とばかりにそっぽを向いて見せるが、その横顔の頬は赤い。

 

「…みんな…」

 

涙を浮かべる並行世界から来たクリスに最後に近づいたのは、弦十郎だった。

 

緩んだかに見えたクリスの表情が再び強張っていく。

 

仲間は元より、こちらの世界のS.O.N.G.総司令をも謀っていた。

 

そして弦十郎は、装者たちを統括する立場にある。

 

異世界のクリスには、仲間を傷つけたことに対する胸の痛みがある。

 

それが同種の痛みであるならば、装者たちを率いる弦十郎が受けた痛みは更に強く酷いものだろう。

 

装者である少女たちを戦わせることに、常に忸怩たる感情と強い責任を負い続ける。

 

風鳴弦十郎とはそういう男だった。

 

その大きく無骨な手がクリスへと迫る。

 

思わずクリスが目をつむり肩を竦めた瞬間、その掌は彼女の頭頂部へと置かれていた。

 

わしわしと髪がかき回され、暖かな温もりが脳天からじんわりとしみ込んでくる。

 

「…よく一人で頑張ってきたな」

 

その台詞が全てを許し、そして決壊させた。

 

「う、あああああああああああああああああ…ッ!」

 

弦十郎の分厚い胸板に顔を埋め、クリスは子供のように泣きじゃくるのみ。

 

 

 

 

 

その光景を静かに見守るこちらの世界のクリスに、響が悪戯っぽい声で囁きかけた。

 

「…こうしてみると、師匠とクリスさんって凄いお似合いじゃない?」

 

「うっせえ、黙ってろバカ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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EPISODE 13 S2ND

 

 

 

 

 

 

反攻作戦の発令に、S.O.N.G.本部全体が湧き立つ。

 

現在の状況は国連の指示すら無視したものであることを、全ての職員が理解して承知しているわけではない。

 

それでも指示に逆らうどころかなお高い士気を誇るのは、総司令である風鳴弦十郎の為人はもちろん、シンフォギア装者たちに負うところが大きいだろう。

 

幾つもの神秘を屠り奇蹟を成し遂げてきた装者たち。

 

彼女らが傷つく姿を目の当たりにしている職員関係者にとって、それは身内の怪我に等しく、同時にその(いさお)を共有している。

 

立花響が言うところの手を繋ぎ合えた結果、と面向かって言われれば職員の誰もが苦笑するだろうが、しかし内心では大いに肯定していることだろう。

 

今まさに浮上しようとする次世代型潜水艦の艦橋で、風鳴弦十郎はふと傍らの少女の表情に目を止めた。

 

「作戦の達成条件が厳しく不安なのはわかるが…」

 

そう声をかけられ、エルフナインはハッと顔を上げるも、間もなくゆっくりと首を振る。

 

「いえ、作戦のこともそうですけど」

 

「では何か他に気になることが?」

 

「先ほど、ギャラルホルンの特性を付帯して送り出した、と説明した件でなのですが…」

 

エルフナインはそこで僅かに言い淀む。

 

「ヘイルダムを倒すための手段はともかく、ギャラルホルンの性質だけを移し替えるなんて、とてもボクの発案と手管とは思えないんです。まるで、ボク以上の知識を持った誰かが他にいるような…」

 

「ふむ…」

 

弦十郎は顎に手を当てて考え込む。

 

もう一人のクリスがいた世界は、こちらと良く似通った環境状況と歴史背景を持つ『極近似並行世界』だとエルフナインが明言している。なのに彼女以上に聖遺物に詳しい人材がいるとなれば事情が違ってくるのは当然だ。

 

確かに気になる話だと思うが、弦十郎は頭を振った。

 

「その件についての詮索は後日にしておこう。今はこの作戦に集中することを第一に考えるべきだ。そうだろう、エルフナインくん?」

 

視線を向けられ、エルフナインも何かを吹っ切るように頷いた。

 

「…はい、わかりましたッ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「…気を使ってもらってるんだろうな、やっぱ」

 

格納庫の隅にある待機室。

 

ソファがー向い合せておかれているだけの簡素な部屋だったが、いまそこにいるのは二人のクリスのみ。

 

他の装者たちは何やら忙しく立ち働いていた。

 

手伝うと申し出ても、二人は作戦の要だから、病み上がりの身が心配だ、などと口々に言われ、この部屋へ押込められてしまっている。

 

「まあ、こうでもしなきゃ、作戦前にゆっくり話をする機会もなかっただろうけどな…」

 

そうは言ったものの、世間話をして駄弁る雰囲気でもない。

 

やはり作戦を前に緊張はしていたし、だいたい互いに互いの考えていることはほとんど分かる。

 

見目は多少違っても、なにせエルフナインに魂は同一と保証されている二人だ。

 

「…そっちの格好だと、やっぱりパーツごとに少し大きくなるんだな」

 

二人とも共にイチイバルを装着し、臨戦態勢である。

 

並行世界から来たクリスは、こちらの世界のクリスより身長が大きい。纏うギアは形は同じでも伸長して装着されている。

 

「まあ、そうでなきゃ困るわな」

 

クリスのあまりにも益体のない質問に、もう一人のクリスも苦笑するしかない。

 

しかし、やおらその表情を改めると、真剣な顔で頭を下げる。

 

「その、色々と済まなかったッ!」

 

「いや、止めろよ、そういうの」

 

クリスとしては複雑な表情で慌てるしかない。

 

なにせ相手は自分自身だ。仲間を裏切る辛さなど、それこそ我が身に染みている。許されることはないとの後悔もひとしおだろう。

 

すこぶる気持ちが理解できたし、暴挙に出た理由も今ははっきりしている。相手と立場を入れ替えた場合、あたしも間違いなく同じ行動を取っているはずだ。

 

その自覚があるがゆえに、面向かって謝罪されると、どうにも居心地が悪くなってくる。

 

だが、もう一人のクリスの謝罪したい件はそれだけではなさそうだ。

 

「その、おまえはあたし自身なのに、全く信用してなかったんだよ。むしろ何か妹みたいに扱っちまっていた…」

 

思い返せば二人で生活した期間。短かった間で、色々世話をされまくっていたわけだが、言われてみればあれは居候の義務ではなく、家族、それも妹を扱うような感じだったのかも知れない。

 

「そんなことかよ。気にすんなって」

 

クリスは鷹揚に答える。

 

姉でなく妹なのは、体格差で見た目的にもそうとしか見えないだろうし仕方がない。

 

「そういってもらえると助かる」

 

もう一人のクリスがホッとした顔で頷いたその時だ。

 

潜水艦の浮上を告げるアナウンスが鳴り響く。

 

「ん」

 

クリスは握った拳を向ける。

 

「…ああ!!」

 

もう一人のクリスも拳を握った。

 

こつんと拳と拳が打ち鳴らされる。

 

全く同じ二つの声音が待機所で交わされた。

 

「今度こそ全部の型をつけるッ!」

 

「ああッ! そして絶対に生きて戻るぜッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

格納庫のモニターに、ノイズの襲撃を受けた東京が映る。

 

建築物の被害は甚大だ。しかし、装者たちが遁走したにも関わらず、予めの避難が功を奏したのか、人的な被害は少ないとのこと。

 

「…未来」

 

モニター越しに燃える街並みを眺め、響が呟く。顔色は青ざめ歯噛みする様は、状況が許せば直ぐにでも飛んで翔けつけたいくらいだろう。

 

勇み立つ肩が背後からそっと押さえつけられた。

 

「翼さん…」

 

振りむいた先には、青いギアを纏った防人が力強い表情を湛えている。

 

「立花の気持ちは分かるが、今は作戦に集中しろ。…案ずるな、きっと小日向は無事だ。それにエルフナインの説明を信じるなら、あれを倒せば全てが回天するはず」

 

奇しくも叔父の台詞とほとんど同じことを口にする翼。

 

「…はい、そうですねッ!」

 

響も力強く返事をしたところでモニターの映像が切り替わり、指令室を映し出す。

 

『全員、準備はいいな?』

 

スピーカーから流れる弦十郎の声に装者たちが一斉に頷いた。全員、既にギアを纏った臨戦態勢である。

 

『それではオペレーション『S2ND』を発動するッ! 全員出撃後散開! クリスくんたちを守りつつアルカ・ノイズを殲滅せよッ!」

 

「了解ッ!」

 

潜水艦が浮上すると同時に、七人のシンフォギア装者たちが飛び立つ。

 

反応するように、雲霞の如きアルカ・ノイズの群れが、装者とS.O.N.G.本部へと向かって牙を剥いた。 

 

「うおおおりゃああああああッ!」

 

遠慮呵責ない大出力の一撃は、響の纏うガングニール。

 

ごっそりアルカ・ノイズの群れが削れるも、失われた空隙をたちまち他のノイズが埋めていく。

 

「くッ!」

 

思わずクリスがイチイバルの銃口を向けた先を、翼が舞うように遮った。

 

「今回の作戦の要は雪音、お前たちだ。露払いは私たちに任せて温存しておけッ!」

 

言うが早いが天羽々斬が鞘走る。

 

「さあ、刀の錆びにするに寸毫の不足なしッ! 風鳴翼、罷り通るッ!」

 

幾つもの斬撃が宙を舞い、縦横無尽に大群を切り裂く。

 

確かな手ごたえはあるものの、ノイズの濃さはいっかな減退しようとしない。

 

「―――だったら」

 

「削り取るまでデース!」

 

調と切歌が手を取り合う。

 

シュルシャガナとイガリマ。

 

女神ザババの双剣の由来を持つ二人のシンフォギアは、組み合わされることでその力を倍加させる。

 

果たして空中に生み出された巨大な二対の回転刃。

 

さながらチェーンソーの如くノイズの群れを削り取っていく。

 

「行くわよ、アガートラームッ!」

 

マリアの叫びに、鎖のように連なった銀剣が空を刻んだ。

 

ケルト神話の神ヌアザの銀腕の名を持つシンフォギアを纏う彼女の技は、装者たちの中で一番応用範囲が広いギアとも言える。

 

続いて銀剣が円を作り、放射状のエネルギー波を放つ。

 

まるで一個の巨大な生き物のようにうねるノイズの群れの中に、ひと塊になった装者たちが飛び込んだ。

 

「座標ポイントまであと二十メートル! 角度はそのままを維持ッ!」

 

藤尭のオペレーションを見事の一言で括るには、過小評価も極まるだろう。

 

なにせ存在しない物体の一定しない中心軸を計測し、かつ適切な攻撃ポイントへの誘導だ。

 

ある意味、大いに面目を施している指令室の面々に比し、現場の装者たちの苦闘は続く。

 

どうにか群れの中に侵入できたものの、四方八方からの攻撃は苛烈さを増すばかり。

 

「クソッ、このままじゃドン詰まりだぜッ!」

 

さすがにクリスたちも応戦せざるを得ない中、響が声を張り上げる。

 

「翼さん! マリアさん! 少しの間だけ持たせて下さいッ!」

 

「…心得たッ!」

 

頷く翼とマリアを横目に、響は双剣のギアを纏う二人へと伸ばす。

 

「調ちゃんッ! 切歌ちゃんッ! 手を繋ごうッ!」

 

「――はいッ!!」

 

「はいデスッ!」

 

一瞬で全てを察した二人の手を握る。

 

「スパープ・ソングッ!」

 

叫ぶ調。

 

「コンビネーション・アーツッ!」

 

叫ぶ切歌。

 

「セット・ハーモニクスッ!」

 

響の叫びに応じて、膨大なフォニックゲインが集約していく。

 

「S2CAッ! トライバースト・レディエーションッ!!」

 

ガングニールに集約されたエネルギーが、装者たちを包むように全方位へと放射される。

 

圧倒的なその威力に、ノイズの群れが漂白されたように消し飛んだ。

 

「クリスちゃん! 今ッ!」

 

肩で息をする響の声に、藤尭の悲鳴に近い声が被さった。

 

『今の衝撃はヘイルダムへと干渉! 目的座標を微修正しますッ!』

 

モーゼの海割りにも似た空隙が埋められるまでの刹那に、二つのイチイバルが空けの明星のように空を翔ける。

 

目指すヘイルダムは、まるで月のように浮かんでいる。かつてのフィーネと違い、この月を落とす目的は世界を救うため。

 

「クリスちゃん!」

 

「クリス先輩!」

 

「雪音ェッ!」

 

奮闘する仲間たちに守られ、二人のクリスは定められた座標へと到達する。ヘイルダムを左右から貫く位置。

 

しかし、これで終わりではない。ここからが本番だ。

 

「―――いくぜッ!」

 

お互い声をかける必要もない。呼吸は既に合っている。

 

聖詠。苦痛とともに湧き立つ力。

 

痛みを圧し、己の命を燃やす。魂の音叉を震わせる。

 

これぞ絶唱。シンフォギア装者の最後の切り札。

 

膨大なエネルギーの奔流が双極から放たれる。

 

『ヘイルダムの回転が始まりましたッ!』

 

エルフナインの声を、他の装者たちはアルカ・ノイズを蹴散らし続けながら聞いた。

 

結果として、回転するヘイルダムから銀色に輝く糸が次々と宙に解きほぐされていく様を目の当たりに出来たのは、S.O.N.G.指令室の面々だけ。

 

絶唱の奔流の中、所々で威力を打ち消し合い因果の糸を傷つけないように調整する。

 

絶唱を精密性の高い形で放射するが出来るイチイバルのみが可能な芸当。

 

ゆえの切り札。作戦の要。

 

「よし、このまま行けば…ッ!」

 

指令室の弦十郎が固唾を呑む先で、二人のクリスが吐血した。

 

命の燃焼を一瞬の爆発力に変える絶唱。

 

それを放出し続けるなど、本来不可能かつ正気の沙汰ではない。

 

「いけませんッ!! このままでは…ッ!」

 

友里の悲鳴。

 

それでもクリスたちは止めようとしない。

 

こちらから止める術もない。

 

血がこぼれるほど弦十郎が拳を握りしめたとき、響の声が大気を震わす。

 

「クリスちゃんッ! クリスさんッ!」

 

気づけば、他の装者たちも絶唱を唄っていた。示し合わせるように。もしくは当然のように。

 

しかしそのエネルギーが散逸することはない。

 

絶唱のエネルギーは全て響へと集約されている。

 

そして響の両手はそれぞれ左右のクリスたちへと向けられていた。

 

「この土壇場で…ッ!?」

 

驚愕する指令室の面々の耳に、雄叫びが響き渡る。

 

「S2CAッ! ツイン・コネクトォオオオッッッ!」

 

伸ばした手が直接繋がってなくても構わない。

 

繋げるは心の手。魂の絆。

 

もはや空間など意味を成さず、繋いだ拳が伝えるは仲間たちの命の熱量。

 

それを受け取った二人のクリスは、満ち溢れてくる力に今にも飛びそうだった意識を取り戻す。

 

全く同じ顔に不敵な笑みが浮かんだ。

 

 

 

そうだ、ここが踏ん張りどころ。

 

魂を振るわせろ。命の最後の一滴まで絞りきれ。

 

世界を救う戦いだ。そのために助けてくれる仲間がいる。

 

さあ、もう少し。あと少し。

 

ここで全てを終わらせろッ!

 

 

 

激痛に切り刻まれるクリスたちの耳に蘇ったのはS.O.N.G.総司令の声。

 

『作戦名はスワンソングだと縁起が悪いな』

 

風鳴弦十郎は笑顔で言った。

 

『よってS2NDとしよう。S2CAと韻を踏んでいて良いだろう?』

 

 

 

 

…ああ、全くその通りだぜ、おっさん。

 

激痛と裏腹に、クリスの顔に穏やかな微笑が浮かぶ。

 

きっと反対側にいる自分も同じ表情を浮かべているだろうという確信があった。

 

だから、クリスは最後の力を放つ。

 

命を使い切った先に待つ結末。

 

それを見据えてなおクリスは躊躇わない。

 

 

 

 

 

 

―――スワンソング。

 

ヨーロッパの伝承に曰く、白鳥は生涯鳴かないが死ぬ間際に美しい歌を歌うという。

 

 

ゆえに。

 

 

クリスは歌う。二人のクリスたちは魂の歌を唄う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あたしたちは命を賭して唄う(スワンソング)けれど決して死にはしないッ(ネヴァー・ダイ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朧な二人のクリスの視界で、とうとうヘイルダムから全ての因果が解き放たれる。

 

その中心から現れたのは、一人の女性。

 

それはたちまち老人へとなり、それからどんどんと若返り、子供になり、身を丸めて胎児へと戻り、そして―――。

 

全てが光で満たされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………ッ!?」

 

 

装者たちは思わず周囲を見回す。

 

全員が海面に居た。

 

誰もが空を見上げる。

 

晴れ渡った蒼穹の空にノイズの影はない。あの黄金球のようなヘイルダムも見当たらなかった。

 

「全部やっつけたの…?」

 

調が茫洋と呟く。

 

「あれは…ッ!?」

 

空を指さす切歌。

 

見上げれば、二つの人影が落ちてくる。

 

「…クリスちゃんッ! クリスさん!」

 

響が飛ぶ。半瞬遅れて翼も飛び、それぞれがクリスを受け止めた。

 

海面にやさしく着水しながら、両名とも激しい既視感に襲われている。

 

確か前もこんなことがあったような…。

 

『全員無事かッ!?』

 

潜水艦の浮上とほぼ同時に、弦十郎の声が届く。

 

「はい、無事です。しかし雪音は消耗が激しくすぐに治療が必要ですッ!」

 

口にしておいて、以前も同じようなやりとりがあった感覚に翼は戸惑う。

 

ともかく、二人のクリスの治療が急務だろう。

 

装者全員が潜水艦内部に戻ったところ、格納庫に息を弾ませたエルフナインが駆け込んできた。

 

「作戦は成功です! みなさん、お疲れ様でした!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「へイルダムは存在しなかったことになった結果、因果律の大幅な修正は、ヘイルダムの出現する直前まで事態を巻き戻すことで決着したようです」

 

エルフナインはそう説明したが、皆が皆、狐につままれたような顔つきになっている。

 

一応、既視感の説明はそれでつくはずなのだが、どうにも感情が納得しないようだ。

 

「あの戦いの気持ちも受けた痛みも、全部なかったことになるわけ?」

 

マリアが唇を尖らせる。

 

「別にボクたちの感覚や記憶までなくなったわけじゃありませんよ。分岐した結果から重ね合わせ状態まで戻ったということで納得できませんか?」

 

そう諭すエルフナインとの対比は、まるで互いの年齢が逆に見える。

 

「ともあれ、結果としてアルカ・ノイズの被害も殆ど出ていない様子だし、大団円と言ったところだろう」

 

全く実感は伴わないものの、時間が遡ったことにより国連からの命令無視に近い緊急離脱も、鎌倉からの連絡を無視したことも、全てなかったことになっている。

 

イチイバルは二つ存在することは周知されてしまったかも知れないが、こちらは政治的にも丸く収められる範疇だ。もちろんこれらは大人の都合の話で、装者たちに聞かせる必要はないが。

 

取りあえず終息宣言は出したものの、弦十郎の表情は渋い。

 

他の面々の顔つきも冴えないのは、その立役者とでも言うべきクリス二人を欠いているからだ。

 

幸いというかどういう因果が働いた結果は知らねど、両名ともに命を取り留めている。

 

しかし意識は未だ戻らず、しばらくは絶対安静とのこと。

 

「肉体のダメージはなくて実感は乏しくても、精神的にはみんな疲弊しているはずよ」

 

友里の言葉を一番実感していたのは、装者でなく藤尭であったかも知れない。

 

変遷する虚数存在の座標特定などという離れ業をやってのけた代償か、今も濡れタオルを眼に当てて自席でひっくり返っていた。

 

「友里の言うとおりだな。クリスくんたちを心配する気持ちはわかるが、各自休息を取れ。今回の件は落着したが、いつ新たな火種が燃え上がらないとも限らん」

 

弦十郎の命令にも近い声に、装者たちは不承不承頷くしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クリスは目を覚ます。

 

ぼんやりと滲む視界が輪郭を取り戻すと、ピッピッといった規則正しい機械音が耳をついた。

 

視覚を回復させ目だけを動かす。

 

点滴のチューブやら何やらがこれでもかというくらい身体から伸びていた。

 

…これがいわゆるスパゲティ症候群ってやつか?

 

ゆっくりと首を傾けると、めりめりという音と痛みが走る。

 

それでも横を向けた視線の先に、クリスは自分と全く同じ顔を見つけた。

 

「…よう」

 

「…そっちも目が覚めたのか?」

 

「…ああ、たった今な」

 

「…そっか」

 

二人のクリスは同じ治療室に並べて寝せられていた。

 

負傷程度も同じで、身体に付けられた医療装置の数もどっこいどっこいだ。

 

おまけに目を覚ますタイミングまで一緒だったらしいことに、なんとなく可笑しみを禁じ得ない。

 

「…どうにか生き残れたみたいだな」

 

「…ああ、なんとかな」

 

意識は戻れど、さすがに身体を動かせるほどのレベルではない。

 

ほとんど小声で囁き交わすだけが精々で、冗談抜きで死にかけたことを痛感する。

 

「…そういや、他のみんなは大丈夫かな?」

 

それでもまず仲間の心配をしてしまうのは、クリスらしいと言えばクリスらしい。

 

「良くわかんねーけど、きっと大丈夫だろ…」

 

「今、何時だ…?」

 

「…えーと、夜中の二時だな、たぶん…」

 

「なら、みんな寝てるだろうな…」

 

そう言葉を交わし、二人のクリスは揃って天井を仰ぐ。

 

さすがに真夜中では、すぐに駆けつけてはこないだろう。

 

薬の所為もあるのか、ぼんやりと天井を見上げ続ける二人だったが、間もなくその認識が甘かったことを知る。

 

静寂を破るような大きな物音。

 

一瞬、耳がおかしくなったのかと疑うクリスたちの前に、病室のドアが開く。

 

連鎖する足音。弾む息。

 

見知った顔が次々とこちらの視界を埋めていく。

 

「…クリスちゃん! 良かった気がついたんだねッ! 良かった、良かったよぉおおおおッ!!」

 

全力全開で泣き出す立花響の姿は、他の涙ぐんでいた面々も鼻白むほど。

 

「まったく、心配させないでよねッ。5日も目を覚まさなかったんだから、貴女たちは」

 

目尻の涙を細い指で払いながら、マリアは憎まれ口というには優しすぎる言葉をかけてくる。

 

「クリス先輩もクリスさん先輩も無事で、これで本当に万々歳デース!」

 

調と手を取り合い喝采を上げる切歌。

 

「御苦労だったな、二人とも」

 

涙目を隠すように目を閉じて何度も頷く翼もいる。

 

少しだけ遅れて弦十郎を筆頭に司令室の面々も駆けつけてきた。

 

「二人とも、良くやったな」

 

万感の思いを込めて弦十郎は二人のクリスを見やる。

 

誰ひとり欠けることなく任務を全うする。

 

それは弦十郎の信念であり、心からの願いだ。

 

「今はとにかくゆっくりと身体を癒してくれ。君たちの体調が回復するまで、不安は全てオレたちで取り除いておく」

 

力強く確約する。

 

「そうデス! 先輩たちが元気になったらお祝いパーティをするデース!」

 

「切ちゃんナイスアイディアだね!」

 

「そうだねッ! だからクリスちゃんたちも早く良くなってねッ!」

 

「おいおい、真夜中だぞ。少しは落ち着け」

 

はしゃぐ三人を翼が諌める。

 

「そうよ。みんなで騒いでいたら、休めるものも休めないでしょ?」

 

マリアもそう窘めると、さっさとベッドわきの椅子に腰を降ろして、

 

「今日は私がいるから、みんなは帰っておやすみなさいな」

 

「え~? マリアさん、ずーるーいー!」

 

「マリアこそ帰るデス! アタシと調で付き添うんデース!」

 

「いやいや、マリア。ここは先達の装者として私こそが不寝番をな…」

 

結局騒々しさは再燃してしまう。

 

大人たちが苦笑を浮かべて見守るなか、結局装者は誰も病室から去ろうとしなかったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上体を起こせるようになるまでそれから一週間。

 

固形物を食べられるようになるまで二週間。

 

立ち上がり、リハビリに励むようになった頃にはちょうど一か月が経過していた。

 

「…こりゃ勉強の遅れを取り戻すには時間がかかるなあ」

 

リハビリ室の歩行バーにもたれながらクリスがぼやく。

 

「おいおい、優等生なんだろ?」

 

からかうような口調で言ってくるのは並行世界から来たクリス。

 

「つっても勉強ってのは日々の積み重ねってヤツだぜ? 一か月以上も丸々休んじまってるとなると、さすがに追い付くだけでも一苦労さ」

 

一応、学院には病欠として届けはなされている。単位の取得に関してもある程度便宜は図られている上に、指摘されたとおりクリスは優等生だ。万が一にも落第はあり得ない。

 

気になるところと言えば、級友たちの見舞いを断っていることだ。

 

いくらなんでも事情を知らない彼女らに、S.O.N.G.本部を訪れさせるわけにはいかない。

 

替わりとばかりに装者の面々が入れ代わり立ち代わり日参してくれているけれど。

 

「ク・リ・スちゃ~ん!!」

 

今日も今日とて響が未来を連れだってやってきた。

 

もう一人の自分に、クリスは肩を竦めてみせる。

 

「ま、退屈はしないで済んでるけどな」

 

並行世界から来たクリスもくすりと笑う。

 

「違いないな」

 

そして更に二週間後。

 

ようやく病室から出る許可が下りた。

 

「はあ~…、やっとこれで病院食ともおさらばだぜッ!」

 

「言うほど不味い食事じゃなかったけどな」

 

病棟エリアから出たクリスは二人して控えめに伸びをする。

 

深刻なダメージは未だに跡を引き、さすがにハードな運動は辛い。

 

もっとも日常生活には不自由しないほどに回復しているので、これからは普段の生活の傍らでリハビリに励むことになるだろう。

 

「二人とも、退院おめでとうございます」

 

「おめでとうデース!」

 

調、切歌から花束を渡される。

 

彼女らだけではない。他の装者にエルフナインも出迎えに来ていた。

 

もっとも入院中にもほとんど毎日顔を合わせていたので特に真新しさはないが。

 

「二人ともありがとうな」

 

そう礼をする異世界クリスに、

 

「で、デース! 退院パーティーの準備も出来てるデスよ!?」

 

「たくさん美味しいもの用意してるからねッ!」

 

響も目を輝かせている。

 

「そうかい、ありがとうよ」

 

こいつらはどっちかっていうとパーティーの御馳走が楽しみなんだろうな、と内心で苦笑しながらクリスも応じた。

 

「パーティーはともかく、今日は友引の朝。退院には吉日だろう」

 

ただ一人古風なことを言ってうんうんと頷く翼に、どういうわけか異世界クリスが血相を変えた。

 

「…え? 今日は友引で…明日は大安?」

 

そう呟くなり、エルフナインの細い両肩を掴み上げる。

 

「なあッ! もしかして、あたしの元いた世界の日付も、こっちの日付と同じように進んでいるのか?」

 

「え? あ、はいッ、『極近似世界』ですから…多分向こうの世界の時間の流れもこちらとほぼ同じだと思いますけど…」

 

意味不明の迫力に押されながら返事をするエルフナイン。

 

「マジか…」

 

異世界クリスは天を仰ぐ。

 

それから困ったような表情になると、集まったみんなを見回して、

 

「悪い。あたしは急いで明日まで元の世界に戻らなきゃ…」

 

「そ、そんな! なんでいきなりッ!?」

 

口々に不満を訴える響たちに、俯き、少しだけ口ごもった後、意を決したように並行世界から来たクリスは顔を上げた。

 

心底申し訳なさそうな表情で言う。

 

 

 

 

 

 

「だって…結婚式があるんだからよ」

 

 

「……ええええええええええええええええええッ!?」

 

 

 

 

 

 

 



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EPISODE 14 近くて遠い世界の君に贈る歌

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

並行世界から来たクリスの突然の帰還宣言に、S.O.N.G.本部は一方ならぬ喧騒に包まれることになる。

 

「取りあえず、こちらからの親書を準備せねばな…」

 

弦十郎が無骨な手でタイピングしながら言う。

 

「その件ですが…無為になるかも知れません」

 

おずおずと進言するエルフナイン。

 

「というのも、実のところ、クリスさんに付与されていた向こうの世界のギャラルホルンの機能は、全て消失してしまったのです」

 

エルフナインの語るところに拠れば、消失した原因ははっきりしないらしい。

 

おそらくヘイルダムことジョン・ディーを消失させる際に、その特異点ゆえの何かしらの反作用、もしくは因果の修正に巻き込まれた結果ではないかという。

 

「つまり向こうの世界のギャラルホルンが無くなっちまったってことだろ? なら…どうなるんだ?」

 

とクリス。

 

「クリスさんは元の世界に戻れますので、そこは心配しないでください。他にこちらの世界の誰かも向こうの世界に行くことが出来ます。ただしそれは、観測するという因果を成立させるための一度きり。その後は、双方の世界での往来は不可能になることでしょう」

 

ギャラルホルンによって繋げられる並行世界。双方にギャラルホルンが存在してこそゲートが生じる。なくなればその道は閉ざされるは道理。

 

エルフナインの説明は明快だったが、皆に少なからぬ衝撃を与えていた。並行世界の往来が出来なくなるとなれば、あちらの世界のクリスとは今生の別れとなるからである。それに、なぜ親書が無為になるかの答えにはなっていない。

 

「なぜ無駄になるというのだ、エルフナインくん?」

 

弦十郎の問いかけに、エルフナインは気まずそうに並行世界から来たクリスを見る。

 

「…あちらの世界では、元々ギャラルホルンが存在しなかったことになるからです」

 

「つまり?」

 

「その結果、あちらの世界の人々の認識も因果律に修正され遡り、ギャラルホルンにまつわる記憶は失われるでしょう…」

 

「なあッ!?」

 

「ですが、そんな急速な修復はなされないはずです。こちらの世界から観測がなされ、クリスさんが元の世界に戻るというファクターが流入して初めて修復が開始されます。世界規模の調律になるため、矛盾で破綻をきたさないよう、非情に緩やかにギャラルホルンに纏わる記憶や事象の修正がなされると思われます」

 

慌てて言い添えるエルフナインだったが、並行世界からきたクリスは神妙な面持ちで沈黙したままだ。

 

ギャラルホルンに纏わる記憶が無くなるという世界規模の調律から、元の世界へ戻ったクリスも免れまい。つまり、あちらの世界に戻ってしまえば、こちらの世界での出来事も覚えていられないということ。

 

互いに命をかけた激戦も束の間の交流も、全てを忘れてしまう?

 

惜しいとか悔しいとか、そういったレベルを超越している。

 

到底受け入れがたく、理不尽に憤るしかない。

 

しかし、いくら納得できないからといって元の世界に戻らないわけにも行かない。

 

「エルフナインくんの言うところの意味は、送った親書も忘れ去られてしまうということかな?」

 

悩むクリスを見兼ねたのだろう。弦十郎が口を挟んでくる。

 

「…ええ」

 

頷くエルフナインの顔の曇りを吹き飛ばすように弦十郎は破顔した。

 

「なるほどな。しかし、礼儀というものも大事だろう。それに、いずれ失われるからといってその瞬間の価値まで無為になるわけではない」

 

大人らしい含蓄のある言葉に、エルフナインだけでなく、居合わせた装者の全員も頷く。

 

全くその通りだ。いずれ人は必ず死ぬ。だからといってそのことに絶望して今すぐ死ぬものなどいない。

 

たとえどれだけの時間であろうと、生きている瞬間にこそ人間の価値は存在する。

 

そんな極端な例を思い浮かべたからは分からねど、弦十郎の言葉に並行世界から来たクリスに強い示唆を受けたようだ。

 

「決めた! あたしは潔く戻るよ。そして…」

 

顔を上げ、その場にいる全員を見回す。

 

一人一人じっくりと見つめてくる様は、まるで脳裏に焼き付けるようで、事実その通りだっただろう。

 

「あたしは、忘れない。因果とか世界の調律なんて知ったことか。みんなのことを、あたしは絶対に忘れない…ッ!」

 

並行世界から来たクリスは笑った。笑顔を浮かべたままその頬をぽろぽろと涙が伝う。肩も震えだす。

 

「…クリスさんッ!」

 

響がすがりつく。調と切歌も続いて抱きついた。

 

こちらの世界のクリスは涙を流しながら怒鳴りつける。

 

「バカ野郎! なに愁嘆場になってんだよッ! 元の世界に戻るんだろッ! 胸を張って帰りやがれッ…!」

 

嗚咽が室内に溢れる中、涙声を隠すように翼がエルフナインに尋ねている。

 

「雪音をあちらの世界へ送る際、こちらから誰か一人が行けるという話だったが、人選は…?」

 

「ああ、それですけど…」

 

「クリスくんに一任しようと思っている」

 

目尻の涙を拭うエルフナインの替わりに弦十郎が答えた。

 

さすがに涙ぐんでこそいなかったが、挙動にいつものキレがない。

 

一方、寝耳に水の話に涙を引っ込めたのは当のクリス本人だ。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれよ! あたしでいいのか!?」

 

「むしろクリスさんしか務まりません。もっとも強い因果で結ばれてしまっているのですから」

 

エルフナインの言葉に、二人のクリスは顔を見合わせる。

 

少し考えてみれば、それはあまりにも明白。

 

同じ魂の持ち主が同一の世界線に存在できることこそ、言い換えれば特異点そのものだ。

 

「それと、結婚式ということだけど、一体誰の結婚式なのかしら?」

 

ずびーっと鼻を噛んでからマリアが尋ねてくる。

 

「ああ、それは…」

 

クリスは指をさす。

 

その先にいるのは。

 

「…オレだとッ!?」

 

驚きも露わにする弦十郎を後目に、涙を一瞬で蒸発させた響が好奇心丸出しで尋ねてきた。

 

「それで! それで相手はッ!?」

 

もはや響だけではない、室内の誰もが興味津々の視線を注いでくる中、並行世界から来たクリスはとびっきりの笑顔で言った。

 

「おっと、そいつは個人情報ってヤツだぜ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こちらのメモリースティックに詳細な報告が記録されている。そしてこれは親書だ」

 

弦十郎が差し出してくる封筒をクリスは受け取る。

 

普段は小揺るぎもしない巨体が、心なしか揺れていた。それはおそらくそのまま動揺の現れだろう。

 

…まあ、それは無理もないかもな。なんせ向こうの世界のおっさんが結婚式を挙げるんだ。

 

「くれぐれも、向こうの世界のオレによろしく…」

 

まだ何か言いたげだが、それだけ告げて弦十郎が引いたあと。

 

ギャラルホルンを格納した室内には、二人のクリスだけが残される。

 

本来、ギャラルホルンは自発的に起動する聖遺物だ。

 

しかし、クリスが二人存在するという特異点により、その能力が励起されている。

 

「おいッ! そういや飛ぶのはともかく、戻るときはどうするんだ?」

 

クリスは大声で叫ぶ。向こうの世界にギャラルホルンが存在しなければ、戻る手段が思いつかない。

 

『そのことに関しては、因果の調律が開始された時点で、クリスさんは向こうの世界から弾きだされる格好で戻って来られるはずです』

 

スピーカーからエルフナインの声。

 

「具体的に、向こうの世界にあたしはどれくらいいられる?」

 

『推定ですが、数時間は大丈夫かと』

 

ふむ、とクリスは頷く。

 

向こうの世界のおっさんに親書を渡し、かるく事情を説明。

 

ついでにチラリと結婚式とやらを眺めるにしても十分だろう。

 

「…準備はいいか?」

 

並行世界から来たもう一人の自分が尋ねてくる。

 

「ああ、いいぜ。行こう」

 

言うが早いがギャラルホルンが起動する。

 

無限に続く回廊を、丸い球に包まれて移動するような感覚。

 

…ヘイルダムもこんな感じだったのかな。

 

そんなことを考えて目を開ければ、そこは見慣れた格納室。

 

なるほど、確かにこっちの世界とそっくりだ。だけどやっぱりギャラルホルンは存在しない。

 

「おい、大丈夫か?」

 

並行世界からきたもう一人の自分―――いや、この場合、こちらの世界の自分、か。

 

「いや、大丈夫。なんでもない」

 

「そうか、なら行こうぜ」

 

「悪い、その前にちょっと聞きたいんだが」

 

「なんだ?」

 

「その…おっさんの結婚相手って…もしかしてあた…おまえなのか?」

 

クリスが尋ねると、こちらの世界のクリスは鳩が豆鉄砲を喰らったみたいに目を見開いている。

 

「冗談だろ? んなわけあるか。齢の差を考えろよ」

 

「あ、ははははは、そうだな、そーだよなッ!」

 

「…ひょっとして、おまえ」

 

「よし行こう! さっさと行こうぜッ!」

 

言い置いてクリスは小走りで部屋を飛び出す。

 

全く同じ構造のS.O.N.G.本部内で迷うはずもない。

 

「…しっかし不用心だな。保安も誰もいないじゃねーか」

 

ぼやきながら勝手知ったるなんとやらで廊下をつっきり、甲板へと上がる。

 

眩しい日差しが目を射る。どうやら本部である潜水艦は停泊しているらしい。

 

そこから見える光景に、クリスはしばし絶句した。

 

盛大に崩落したビル。ひび割れ、えぐれた幹線道路。

 

修復作業が進んでいる様子だが、その大きな被害の爪痕は痛々しい。

 

「…アルカ・ノイズに盛大にやられたからなあ」

 

少し遅れてやってきたこちらの世界のクリスがぼやく。

 

「だけど、因果の修復が起きたら、あの被害もなくなるのかな? なあ?」

 

「わっかんねえよ」

 

クリスは首を振り、そのついでにそれを見つけた。

 

更地の中に綺麗に焼け残った公園がある。

 

そこには多くの人が集まっていた。

 

「もしかしてあそこか?」

 

「ああ、結婚式会場だ。どうやら間に合ったみたいだぜ」

 

そういったこちらの世界の自分から肩の力が抜けるのを感じる。

 

街がこれだけの被害を受けても結婚式が執り行われるということは、それだけ人的な被害は少ないということだろう。

 

互いに手を取り合い、クリスはタラップを駆け下りた。

 

会場になる公園まで、停泊所の近くに止めてあったジープを無断拝借する。

 

運転するこちらの世界の自分の免許の有無は、この際知らなかったことにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

果たして結婚式会場である公園に到着したクリスたち。

 

屋外式のチャペルの前で白いタキシードを着た弦十郎も見物だったが、その隣でウエディングドレスを着て立つ人物に、クリスは目を剥くことになる。

 

「…フィーネ、いや、櫻井了子!? 生きてたのかよッ!」

 

「ああ、そっちの世界では、櫻井女史はネフシュタンの鎧と融合して赤い竜になったんだっけな」

 

こちらの世界のクリスはそう説明してくれたが、そういう話ではない。

 

そもそもフィーネの憑代として覚醒した櫻井了子は、その後十数年の時をかけてその人格を喰い尽くされたのではないか?

 

「いや、なんでもネフシュタンの鎧との融合が完全に進んでなかったらしくてな。霊的に引っぺがして物理でSEKKYOしたんだと」

 

「なに言ってんだかビタ一わかんねぇ!?」

 

「言っているあたしだって良くわかんねーよ。弦十郎おじさんと響の二人がかりでやったってことだけどさ」

 

そういってこちらの世界のクリスは頭の後ろで腕を組み、

 

「だけど、そのショックのせいか霊的経絡(チャクラ)までズタズタになったらしくてさ。しばらくは絶対安静面会謝絶で、公的には死亡扱いになってたんだ。それがようやく最近になって動けるようになったらしくて…」

 

なんせ、あたしもつい最近にまで知らされてなかったんだぜ? と笑う。

 

そして大安吉日の今日、長年の想いを実らせ結婚式を挙げることになったという。

 

なんとも幸せそうな二人を眺め、クリスはこちらの世界の自分へと言った。

 

「悪い。このメモリースティックと親書は、おまえから届けてくれねえか?」

 

「なんだ、顔を合わせなくていいのか?」

 

「いや、せっかくの式に水を差すのも、な」

 

「…そっか」

 

差し出されたメモリースティックと封筒をこちらの世界のクリスは受け取って、

 

「じゃ、帰還報告がてら、ちょっと行ってくらあ」

 

軽い口調はこちらを気遣ってくれているのかも知れないな。

 

そんな風に考えつつ、クリスの内心は複雑だ。

 

櫻井了子ことフィーネとの自分の世界での因縁は、正直あまり楽しいものではない。

 

こちらの世界では違うとは理解しつつも、面向かって話をし、普通に振る舞える自信はなかった。

 

そんな彼女が弦十郎の結婚相手ということも、クリスの心を大きくかき回している。

 

どうしてそんなことを思ってしまうのか。

 

しかしクリスはそれ以上深く考えないようにしながら、会場から後ずさり。

 

この祝福の席にS.O.N.G.の関係者が集まっているのなら、装者たちも参列しているはず。

 

こっちの世界のバカたちに見つかったら、それはそれでややこしくなること請け合いだ。

 

まあ、あいつらの顔を見たくないと言えば嘘になるけれど…。

 

公園の隅のベンチにクリスは腰を降ろす。本音を言えば、まだ身体は本調子ではないので、立っちっぱなしは辛い。

 

身体を休めながら空を見上げる。どこまでも澄んだ蒼穹がある。

 

―――平和だ。

 

こちらの世界のこの空を守れたなら、向こうの世界での奮闘も報われたってもんだ。

 

なにより、こっちにはあたしのパパとママがいるわけだし…。

 

ふと視線を下げると、すぐ近くで、小柄な顔がこちらを覗き込んでくる。

 

「おい、なにやってんだ…!」

 

見慣れた顔に声を投げかけ―――相手の小ささにクリスは違和感を抱く。

 

こちらの世界のあたしはずっと背が高いはず。だとしたら、いつの間に縮んだんだ…? おまけになんともコケティッシュなドレスまで着てやがる…ッ!

 

「いやあ遅れた悪い悪い」

 

「!!」

 

声の方を向けば、そこに立つのは長身の自分。

 

おいおい、あたしがもう一人増えただと?

 

その背後に、小さなもう一人の自分が走り込んだ。腰のあたりにすがりつきながら、じっとこちらを見てくる。

 

「おっと、先に来てたか。ほら、挨拶しなさい」

 

こちらの世界のクリスに促され、背後に隠れていた小さなクリスがおずおずと前に出てくる。

 

自分とそっくりだ、と思ったのは先入観で、その顔をよくよく見ればかなり幼い。

 

そんな少女は、勢いよく頭を下げると言った。

 

「ゆ、雪音アリスです! 初めましてッ!」

 

「紹介するぜ。妹だ」

 

「最後の最後にぶっこんできたなおいッ!?」

 

驚愕しつつ、同時に色々と納得がいくクリス。

 

こちらの世界の自分が異常に世話焼きな上に、家事全般に通じていることも全て説明がつく。

 

「…そうか、あたしに妹がいるのか…」

 

感嘆しつつ、その実どうリアクションをとっていいか分からないクリスの前で、こちらの世界のクリスはにやりと笑う。

 

「一人だけじゃないぜ?」

 

「…え?」

 

「おーい、二人とも、こっちへおいで!」

 

その声に手を繋いで駆け寄ってくる二人の子供がいる。その顔は、それほど自分に似ているわけではないが、二人の顔は鏡合わせのようにそっくりだ。

 

「あーれー、だいねーさまにそっくりな人がいるー!」

 

「そうだねー、でもちぃねーさまよりちょっと大きいよー!」

 

「じゃー、ちゅーねーさまだねー」

 

「ねー」

 

鏡合わせの二人は無邪気な声で笑いあう。

 

「こら、まずは挨拶だろ?」

 

だいねーさまと呼ばれたクリスの声に二人は頷きあって自己紹介。

 

「エリスだよ!」

 

「ソリスだよ!」

 

結婚式に呼ばれたからだろう。お揃いの格好でお召かしした二人はそう挨拶すると、姉であるこちらの世界のクリスの周りをくるくると回る。

 

「双子なんだ」

 

「驚いたぜ。若草姉妹かよ…」

 

「うんにゃ。もう一人いるんだな、これが」

 

「…はい?」

 

こちらの世界のクリスが手を振る。

 

すると、一組の男女が歩いてくるのが見えた。

 

男性らしき方の腕に、小さな女の子が抱かれている。

 

「あれが末娘のセリスだぜ」

 

その台詞を、クリスは聞いていなかった。

 

こちらへ向かってくる一組の男女―――おそらく中年の夫婦だろう――に目を奪われていた。

 

そして二人が目の前に立った瞬間、確信的な言葉が口から零れ落ちる。

 

「…パパ、ママ…」

 

そう呼ばれ、雪音雅律は微かに首を捻る。

 

「おや? 僕の知らないところで娘がもう一人増えてるように見えるんだが…?」

 

「そうですね。私にもそう見えますけれど」

 

夫から娘を受け取りつつソネット・M・ユキネ。

 

すかさず実の娘であるクリスは割って入る。

 

「細かい説明は出来ないけれど、こいつはあたしだ。別の世界のあたし本人なんだ」

 

雪音夫妻は揃って顔を見合わせる。

 

「…嘘でも冗談でもないぜ?」

 

「わかっている。こんなときにおまえは嘘を言う子じゃあない」

 

そういって、雅津はマジマジとクリスを見る。

 

それから何とも楽しげな声で言う。

 

「母さん、どうやら僕たちの知らないところで娘がもう一人増えていたみたいだね」

 

「あらあら、大変。でも娘が増えるのは嬉しいわ」

 

応じるソネットも、全く大変そうに見えない。

 

…そうだ、そういえばこんな感じだった。

 

クリスの心に何とも言えない懐かしさが込み上げる。

 

仲が良く、それでいてどこか茫洋とし、とらえどころのない夫婦だった。

 

どんな環境でも常に楽しそう、嬉しそうで―――でなければ歌で世界を救うなどといった活動に従事すまい。

 

自分が涙を流していることにも気づかず、ただクリスは立ち尽くす。

 

「こいつは、滅茶苦茶苦労してきてるんだよ。だから」

 

こちらの世界の自分が、よく分からないフォローを入れてくれた。

 

その台詞が言い終わらないうちに、クリスは雅津から抱きしめられている。

 

「とっても大変な思いをしてきたんだね。なんて小さな身体なんだ。ちゃんと食べてるのかい?」

 

「…パパッ、パパッ、パパッ…………!!」

 

懐かしい匂いと感触に、涙腺なんてとっくに崩壊している。

 

少しだけ太って、少しだけ頭に白髪が混じっているけど、間違いない。パパだ。あたしのパパだ!

 

「あらあら、あなただけ、ずるいわ」

 

そういってソネットは末娘を長女へと預け、雅津から解放されたクリスへと抱きついてくる。

 

懐かしい母の香りに包まれて、クリスは恍惚の表情を浮かべた。

 

「少しだけ見た目は違うけれど、貴女はクリスね? クリスなのね?」

 

その台詞がまたクリスを泣かせた。

 

ママ、ママと頷きながら、その胸元へ顔を埋めるしか出来ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、そろそろお別れかな」

 

雪音一家との短い交流を終え、クリスはこちらの世界の自分へとそう告げた。

 

こちらの世界のクリスはというと、何か言いたげな表情で口ごもっていたが、結局言った。

 

「…あのさ。おまえさえ良ければ、ずっとこっちの世界にいれば」

 

それは物理的に無理なことかも知れない。

 

だが、心底からの申し出であることが理解できたクリスは、その言葉だけで嬉しかった。

 

「ありがとよ。…いや、本当にありがとう。でも、あたしの生きる世界は、あっちなんだ」

 

未練がないといえば嘘になる。しかし、感謝の言葉に万感の思いを込めて。

 

「だいたいな、あたしが居ないとあっちの連中も困るだろうし、なによりあっちのパパとママのお墓も守らないとな」

 

「…そっか。そうだよな。うん、そうだったな」

 

深く頷く自分。

 

「それじゃ、元気でな」

 

「おう、おまえもな」

 

最後に固く互いの手を握る。

 

まったく同一存在である自分の手を握るという経験は貴重だろうけど、照れくささが先に立つ。

 

こちらの世界のクリスは言う。

 

「…あたしは、おまえたちのこと絶対に忘れないよ」

 

「ああ」

 

「そしていつか、また会える日が来ることを願っている」

 

「あたしもさ」

 

それは果たされることのない約束か?

 

否。果たすと信じ続けるかぎり、その約束は永遠だ。

 

もう一度手を強く握り合い、クリスは背伸びをして首を巡らす。

 

雪音一家が少し離れた場所からこちらに向かい手を振っている。

 

おそらく事情など良くわかっていないのだろう。

 

その上で心を開き、あたしを受け入れてくれた。

 

こちらの世界が自分の居場所でなくても、それだけでもう十分すぎる。

 

最後とばかりに、クリスはもう一度声を張り上げた。

 

「パパッ! ママッ!」

 

その瞬間、視界は切り替わった。

 

気づけば格納室の固い床の上。すぐ傍らでギャラルホルンは七色に発光している。

 

 

 

 

 

ふとクリスは思う。

 

遥か欧州はノイシュヴァンシュタイン城での願い。

 

それは叶ってしまったのではないか?

 

並行世界とはいえど、パパとママとの再会。

 

暖かく迎え入れ、理解し包んでくれた。

 

なのに、もはやあちらの世界へと赴く術はない。

 

そしてあちらの家族は、自分との交流も忘れ去ってしまうだろう。

 

垣間見た希望と表裏一体の永遠の別れ。

 

ったく、余韻もなにもあったもんじゃない。

 

それに、ちくしょう、対価にしては高すぎるぜ…。

 

 

 

 

 

 

『おかえりなさい、クリスさん』

 

スピーカーからエルフナインの声。

 

「おっかえりクリスちゃん!」

 

続いて響を筆頭に仲間たちがなだれ込んでくる。

 

「あれ? クリスちゃん、泣いてる?」

 

「ばっか、泣いてなんかねーよ。ちょっと埃が目に染みただけだ!」

 

乱暴に眼元を擦るクリスに弦十郎も近づいてきた。

 

「クリスくん、ご苦労だった」

 

「おう。…色々とありがとうな、おっさん」

 

そう応じたあと、小声で付け足した声は感謝の証し。

 

今回の人選は、向こうの世界に自分の両親が健在であること知った上での配慮もあったことだろう。

 

ところが、いつもなら、うむ、と一言頷いて颯爽と身を引く弦十郎なのに、ぐずぐずとクリスの前から動こうとはしない。

 

「…おっさん、どうした?」

 

「う、うむ。その、オレの結婚相手というのは…?」

 

なるほど、そういうことかよ。

 

納得するクリスだったが、周囲の視線を残らず集めていることにも気づく。

 

「それは…」

 

「それは?」

 

皆が固唾を呑んで見守っている。

 

結局、散々じらした挙句、クリスは言う。

 

 

 

 

 

 

 

「ナイショだッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「そ、そんな殺生な…」

 

珍しく泣き言に近いものを漏らす弦十郎を押しのけて、切歌と響が突進してきた。

 

「クリス先輩! バイキングと食べ放題の約束デース!」

 

「あ、あたしは手作りフルコースだったよねッ!」

 

「おいおい、約束したのはあたしじゃねーし、フルコースだってつくれねーよ!」

 

「そんなこといってもクリスさん先輩はクリス先輩なのデース!」

 

「そうだよ! クリスさんの責任はクリスちゃんが取るべきッ!」

 

「ちょっ、待てよ、無理だって勘弁してくれッ!」

 

クリスは逃げ出す。切歌、調、響が追ってくる。

 

走りながら、クリスはその実楽しくて仕方がなかった。

 

この世界には、自分を慕ってくれる仲間がいる。認めてくれる大人がいる。

 

たとえあたしが許されない罪を抱えていたとしても、絶望なんてさせてくれない大切な連中ばかりだ。

 

だから、あたしはこちらの世界で生きていける。生きて行くんだ。

 

 

 

 

さあ――――早く帰ってパパとママのお墓参りに行こう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







これにて完結です。
クリスちゃんが二人だからクリス・ダブルでCWでいいや、と案外適当につけたタイトルですが、クロス・ウエーブ、チェンジ・ワールドなどなど色々と解釈を含んだタイトルになったことに自分を少し褒めて、筆をおきたいと思います。





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