とある債務者の物語 (夏目ヒビキ)
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プロローグ

「居たぞ!捕まえろ!!」

 

 

繁華街の路地裏。華やかな表の世界とはうってかわり、その絢爛さのシワ寄せの様に負の雰囲気が漂う場所。汚れたノラ猫。誰が捨てたかもわからない食べかけのコンビニ弁当。空きカン。横たわったゴミ箱。中からは生ゴミが溢れ、鼻を刺す異臭を放っている。

 

 

そんな夜の、裏側の世界で生きる者達。

 

彼らは、何を思い、何故行動するのか。理由は簡単だ。「生きる為」である。原始的な渇望と、理性的な打算と暗躍で回る世界。

 

赤髪、耳につけたピアス、秀麗な眉目に、瞳の奥に危険な光を宿した男ーー

 

 

 

ーー「債務者」こと、天開司もその一人であった。

 

 

度重なる博打、博打、博打。その成れの果てに彼がいる場所が、光からは遠く離れたこの場所である。彼は今借金取り、特に闇金と呼ばれる機関の者たちに追われている。

 

「ハァ……ハァ……」

 

 

「居たぞ!!こっちだ!!」

 

「……ッ!!」

 

少し立ち止まっただけで直ぐこれだ。いかに彼が恨みを買っているかがよくわかる。借りてはそれを返す為に借り、そしてまたそれを返すためにーー

 

そうやって膨れ上がったのは、怨恨と利息。もはや個人で返せるような額ではない。自己破産しようにも、戸籍すらも金の為にとうの昔に売ってしまった。ギャンブルに取り憑かれたものの末路。いや、違う。彼は諦めようとはしていない。ここを「末路」にするつもりは無い。

 

疲れきって息は上がり、決して綺麗とは言えない路地裏を駆け回ったせいで、彼のジャンパーは少し黒ずんでおり、家すらも無くした底辺の底辺ーー所謂、浮浪者と見分けもつかない程になっていた。

 

だが、彼は気にも止めない。「今」さえ逃げ延びれれば、「今」さえ生き延びれれば、まだ希望はあるはず。一発逆転の大チャンスが、この底辺から抜け出すことが出来る大博打が、自分を待っている。そして、それを掴み取ることが出来ると信じて疑っていない。

 

金を貸してくれと頼み、そのまま縁を切った友人が何人いただろうか?

都合の良いことを言って、騙した人間が何人居るだろうか?

 

そんな事はもう関係ない。ただ自分が這い上がることだけを、賽を回す事だけを考えて生きている。

 

故に彼は、「クズ」

 

ーーそう呼ばれる事がいくつもあった。時には高利貸しに呼ばれ、時には家族にすらそう蔑まれる。

 

彼は債務者、彼は底辺、彼はクズ……!!

 

 

彼の名は、天開司。いずれ世界に名を轟かせる男。

 

 

 

これは、一端のクズであるこの男が底辺から再び、地上へ舞い戻る物語であるーー!!

 



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債務者と仲間たち

「おはクズ…!」

 

そう言ってこの建物に足を踏み入れたのは、債務者こと、天開司である。

 

この一言は彼なりの挨拶らしいのだが、残念ながら周囲には人影が見当たらない。よくよく見れば、彼の入ったこの場所は、今にも崩れ落ちそうな廃倉庫。穴の空いたトタン屋根に、無駄に高い天井。錆びた鉄扉。割れた磨りガラスからは、僅かに朝日が覗いていた。

拾い物か何かもわからないボロボロのソファとカラーボックス、生活感が無いわけでは無いが、現代日本においてこんな空間で生活する人間などは殆どいないだろう。

 

そんなことなど気にもせず、彼はそのボロボロのソファに座りこんだ。すると、物陰から人影が現れる。

 

 

「あら?司じゃない?」

 

 

先程まで隠れるように潜んで居た彼女は、万楽えね。突き出したその乳房を強調し、さらにハイレグカットまで入った服を着た姿は、とても子供に見せられるものではないほど過激だ。異性だろうと同性だろうと誰もが目を剥く格好をしているはずなのだが、何故か司は少しの反応すら示さない。

 

 

「ちょっと?無視?」

 

「ウルセェなお袋」

 

「えー、つれないなー。ケチ。」

 

「何がケチだこの淫乱」

 

「それ、お母さんにとったら褒め言葉だよ?」

 

「チッ……」

 

それっきり司は目を瞑って横になってしまった。しかし、えねも怒ることはなくーー少し拗ねた素振りはみせたがーーそのまま椅子に座って本を読み始めた。紙の擦れる音だけが屋内に響く。幾ばくかの時が経っただろうか。軋む扉を開けて、一人の大男が入ってきた。

 

「ただいま」

 

「あっ、ケン!お疲れ様」

 

若干むせるレベルのむさ苦しい雰囲気を纏っている。着ているはずの制服もパツパツで、中にどんな肉体を秘めているかは容易に想像できる程だ。

 

「今日の朝刊、貰ってきたぞ」

 

彼は今新聞配達のバイトをやっている。そのせいでこんな朝っぱらから制服を着て働き、帰ってきているのだ。対価は少しのバイト代と毎朝の朝刊。

情報を得る手段が少ない彼らは、この新聞で世情を知る。

 

「おい、司。新聞だぞ」

 

「……ん?ああ。ケンか。おはよう」

 

眠気を飛ばす為に伸びをしながら話している為、何を言っているか少し聞き取りづらい。

 

「ありがとな」

 

そう言ってケンの手から取ると、おもむろに眺めはじめる。彼の興味を持つ基準は、金になりそうなニュースかどうか。債務者である彼にとって最も大切なことなのだ。

 

「おっ。これ答えか?」

 

司の言葉に反応して、えねとケンが覗き込んでくる。

 

「えーっと、なになに?〔超能力少女、行方不明〕」

 

「昨今業界を賑わせていた超能力少女、城星譲友が行方不明に。警察は誘拐事件として捜査中……?」

 

司を除いた二人の顔が青ざめる。

 

「司……考えてることは分かるけど、本気?」

 

「ああ、マジの大マジだ。こんだけの有名人助けて恩売れれば謝礼くらいくれるだろ」

 

暫しの間。

 

目を爛々と光らせる司と、ため息を吐く二人。彼らが折れるのも、いつもの事だ。

 

「司は相変わらずだな。仕方ない。今回も世紀末パワーを使うとするか」

 

「母親に色仕掛けをさせるなんて最低!!」

 

「それはお袋が勝手にやってるだけだろ?!」

 

最早定番と化した流れ。安心感すら覚える。

 

頃合いを見計らってケンが声をかけた。

 

「それで、役割分担は?」

 

「ああ。いつも通りお袋は警察に忍びこんで情報収集、方法は問わない。……問わないだけだ。俺も裏の知り合いに聞き込み、ケンは土壇場で役に立って貰う」

 

「む!了解だ」

 

「司、お母さん頑張っちゃうからね!」

 

「はいはい。じゃあ、明日また集合で。作戦開始」

 

司の一言で、それぞれが仕事を開始する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーー翌日、pm.4:00ーー

 

「で、成果は?」

 

「警察はもう大体しっぽは掴んでるみたい。情報を纏めた紙がコレ」

 

「ありがとうな。こっちの掴んだ情報と大差ないってことは多分ガチだろう。恐らく今回の黒幕はケーアイ。海外の怪しい研究機関にでも売りとばそうって寸法だな」

 

「16歳の少女をそんな風に……世紀末だな!!」

 

別に彼らは正義感で動いているわけではない。むしろ、警察の手柄を横取りしようとしている輩なので、社会的に見れば真っ当では絶対にない。ただ、彼らの成したことが結果的に正義の行いになったことは度々ある。善悪は関係ない。利益とリスクを天秤にかけるだけだ。

 

「今回のアジトは山奥か。まあ、ありがちだな」

 

「足はどうするんだ?」

 

「ケンのバイクでいいんじゃない?」

 

「あのなぁ万楽、アレはバイト先の物だって何回も……」

 

「まあまあ」

 

まだ朝の四時。バイトの時間と丁度合わせてあるのも理解の上だ。このままケンがバイクを取りに行き、出発する。

 

「じゃあ、行くか」

 

「ああ」「ええ」

 

そう言って三人組は、まだ明けない未明の町へ繰り出した。

 

 

 

 

 

 

ーー同日、pm8:00ーー

 

中央山地にある山奥、一見変哲のない別荘だが、周囲に泊まった黒塗りの高級車と、やけにスーツを着こなしたサングラスの集団。よく目を凝らせば異常なのが分かる。

 

 

その別荘の中では、少女の悲痛な悲鳴が響いていた。

 

「ん〜〜〜!!」

 

「うるせえな。こんな山奥誰も来やしねぇよ。警察だってここには絶対来ない。お役人なんて上がダメって言ったら動かないのが普通だからな」

 

猿ぐつわをかまされ、手足を麻縄で縛られているが、必死にもがいている。

 

「それにしても変な声の嬢ちゃんだな。妙にケロケロしてるって言うか……」

 

「ーーーーー!!!」

 

ひたすら叫ぼうとするが、残念ながら弱々しい悲鳴が上がるのみである。

 

 

囚われている少女、城星譲友は現役女子高生。整った容姿と艶のある黒髪は誰もが振り向くほどだ。そんな彼女は、力を持っている。人とは違う力を。

 

先程から出入りする人を見ていると、最低でも八人は居ることがわかる。例え、世間から「超能力」と持て囃されている力を使っても、彼女一人では脱出は不可能だ。それに、部屋の隅でライフルを抱えて目を瞑っている男。アイツはやばい。彼女の第六感が全力で警鐘を鳴らしていた。

 

 

どうにかならないものかーー

 

そんな事を考えていると、下っ端っぽい男がドタバタと駆け込んできた。

 

「騒がしいな。どうした?」

 

「な、なんか訳の分からない三人組がバイクでーー」

 

「は?何をーー」

 

 

瞬間、轟音。なにかが激しくひしゃげる音がする。生暖かい風が顔にあたる。ガラスでも割れたのだろうか?

 

 

程なくして銃声がするが、鈍い音とともに徐々に小さくなっていく。間違いない。誰かが素手で銃を持った奴らを倒しているのだ。

 

(まさか、私と同じ……)

 

そう思ったのも束の間、その素手で敵をのしてきたであろう連中が部屋に踏み込んできた。

 

「派手にやったな。これこの後どうすんだ?」

 

「一応偉い人には話はつけてあるけど……」

 

「む!アレが例の少女か?」

 

そんな事を言いながらズカズカと彼女の側へ近づいてくる。

 

「こんな幼気な少女に、目隠しに、猿轡に……流石の俺でもドン引きだ。お袋!!」

 

「はいはい」

 

そう言うと、彼女の枷となっているロープを手際よく切り、解放する。僅か数秒の出来事だった。

 

「む!新聞と同じだな」

 

「おお、違いねぇ。お前、城星譲友だな?」

 

「え……ええ」

 

視界がひらけて目に飛び込んで来たのは、見知らぬ三人組。やや過激な格好の女性、ガチムチの男、そしてひょろっとした赤髪の男。助けに来たのかと思ったが、別に良い人達とは限らない。ーーむしろ、どう見てもカタギじゃない。

 

「あなた達……誰?」

 

「ああ。俺らはーー」

 

 

その時、銃声が響いた。幸い誰も血を流してはいないが、不穏な銃声。

 

二発目。今度は後ろの花瓶が吹き飛んだ。硬直した面々を見計らってか、渋い男の声がした。

 

「そのまま動くな!!膝をついて両手を上げろ。動いたらーーどうなるかは分かるな?」

 

 

言われるがまま両手を上げる。男は姿を現さない。パラパラと落ちる砂が、部屋の中に空虚に響く。

 

「お前らが何者で何故俺らの邪魔をしようとしたかは知らないがーー俺にとっちゃあ関係無い。ボスにはその娘さえ守れればいいと聞いている。安心しろ。暴れなきゃ痛い思いはしねぇよ。クックック……」

 

勝ち誇ったようなその声。どこから見ているかも検討もつかない。そもそもだ、いつからアイツは居なくなった?ダメだ、思い出せない。恐らくあのドサクサに紛れてだろうがーー

 

途端、乾いた銃声が鳴る。

 

撃たれたのは、私のすぐ近くの女性ーーでは無い。その横の赤髪の男も無事だ。となると、残ったのはあの屈強な男性?

 

 

しかし、誰も床に倒れている者は居なかった。それどころか、その肝心の男性は、胸の前でオッケーマークを作っている。何をやっているのだ?いや、違う、彼はなにかを摘んでいる。なんだ?あれはーー

 

 

続けて数発の弾丸が打ち込まれる。だが、それは全て屈強な男性に届くことは無かった。胸の前の指の形は変わらない。いや、間から煙が出ているが、アレはまさかーー

 

 

「銃弾を、掴んでる?」

 

 

その時だった。遥か彼方で敵が弾倉を交換する音が聴こえていたのだろうか。機を狙ったかのように跳躍すると、消えて居なくなる。残ったものは床に空いた穴だけ。しばらくして、鈍い音。

 

吹き飛ばされて男が戻ってきた。結局やられてしまったのか?違う。壁に叩きつけられて情けない血塗れの顔を晒しているのは、先程の男性ではなく、驚愕した顔で銃を抱えている見知らぬ男。四肢はあらぬ方向に折れ、鼻柱は曲がっている。

 

 

そして、肝心の男性は、ゆっくりと、だが、しっかりとした足取りで、廊下を踏みしめて歩いてきた。

 

 

「コイツで本当に最後の筈だ」

 

「ああ、助かったよ。ケン」

 

目の前で起きた衝撃的な光景に、しばらく唖然として居た譲友。そんな彼女を見かねたのか、赤髪の男の方から声を掛けてきた。

 

 

「ーー自己紹介がまだだったな。俺らはBANs。行き場を無くした奴らの集まりだ。俺は天開司。後ろの女が万楽えね。そして今銃をぶっ放してきた野郎を倒したのがケンだ」

 

そんな自己紹介が頭に入っているのかいないのか。恐怖で顔が引きつった譲友は、弱々しく声を出すことしか出来ない。

 

「あ、あの」

 

「なんだ」

 

「……どうするつもり?」

 

「ああ?」

「私を、どうするつもりなの?」

 

そんな彼女の質問に、今度は唖然とする司達。まさか自分達が警戒されるとは思ってなかったーーそんな感じだ。

 

「あのなぁ嬢ちゃん。別にどうもしねぇよ。ただ、助けに来たってだけだ」

 

「え?でも……」

 

「下心は無論あるぜ?帰ったらお前の親から感謝料をたんまりとーー」

 

「こら司。そういうところよ」

 

 

そんな風に笑う彼らは、とても楽しそうに見えた。それに、後ろで黙りこくっている彼。先程銃を持った男から助けてくれた人。彼はとても強そうだ。彼らならば、もしやーー

 

「残念だけど、お金は払えないと思うわ」

 

「え?なんでだ?」

 

「私の家、そんなにお金なくって。こうやって誘拐される危険を冒してまでメディアに出たのもお金の為」

 

「え?マジなのか?ギャラ、ちょっと位余ってないのか?」

 

「ええ。1円も。ただ、これから稼ぐことは出来るわ。だからーー」

 

「だから?」

 

「私を、仲間に入れてくれない?」

 

「「「……は?」」」

 

 

三人の声が重なった。そりゃそうだ。あまりにも唐突過ぎる話。しかも前後の文脈が繋がっていない。

 

「え?いや、別に来るものは拒まないから良いんだが……何で?」

 

「私、今後とも恐らくこういう風に攫われる可能性があると思うのよ」

 

「はあ」

 

「その時に、ケンさんだったりが側に居てくれた方が絶対安心でしょ?お仕事も手伝うから、なんとか!!」

 

とんでもない事を言い出す女子高生。普通の大人ならばそんなこと間違いなく止めただろうがーー残念ながら、ここに普通の大人は居なかった。

 

「……本当にいいんだな?」

 

「うん」

 

「そうか……仕方ねぇな」

 

「やったあ!!」

 

「お前な……」

 

仕方がないという体裁を取っている司だが、内心浮き足立っているのが見てとれる。仲間の存在と言うのはやはり嬉しいものなのだろう。

 

「……ただ!!私の名前は譲友!!お前でも嬢ちゃんでもなく!!いい?!」

 

「はいはい分かったよ。譲友な」

 

「わかればいいのよ!フフン!!」

 

「なんか偉そうなのが納得いかねぇな……」

 

ぼやく司。誰であろうと女性相手にはなんとなくリズムを狂わされるのだった。

 

唐突に、ケンが声をかける。

 

「そういえば、譲友の超能力ってなんだったんだ?」

 

「……ああ、それね。普段は見せないようにしてるから。vic!!」

 

そう彼女が叫ぶのと同時に、寒色系の肌をした人型の思念体のようなものが現れた。

 

「コイツはvic。私のスタンドって言って、分身みたいなものね。私の意のままに操れるし、宙にも立てる。さっき言ったとおり人には見えないから、遠くの物を浮かしたりだとか。そういう超能力の真似事が出来るって訳」

 

「凄いんだな……」

 

「ええ、この力の所為で、こんな大変な目に遭ってる訳だから、良いことばかりじゃないけどね」

 

 

そう言うと、少しだけ寂しそうな顔をする譲友。彼女にも、辛い過去があったのだろうか。

 

ふと、沈黙を保っていたえねが喋った。

 

「……あなた、その声どうしたの?変にケロケロしてると言うかーー」

 

「ああ、これ?」

 

「む!たしかに俺も少し違和感を覚えていたぞ!!」

 

「聞いちゃいけない事だったら悪いけど……」

 

「ううん。大丈夫。こうなったら話しとくのがスジよね」

 

 

そう言うと、彼女は少しだけ顔を曇らせーー

 

ーーそして、一言、一言ずつ、ゆっくりと言葉を紡いだ。

 

 

「……実は、昔一回同じように事件に巻き込まれた事があるらしくて。その時に声と『何か』を奪われてしまったの。声は機械の力を借りてるけど……もう一つの『何か』は分からない。だから、それをずっと探してる。そのためにも、怪しそうなあなた達に着いていけば、少しでも手がかりが掴めるかと思って」

 

どうやら、彼女も訳ありらしい。

 

BANsは一癖も二癖もある人物が流れ付く場所。誰もが人に言えない過去や経歴を持っている。それを共有し、分かち合い、共に関わる場所。来るのも去るのも自由。彼女の目的を達成するまでの居場所として、BANsはこの上ない場所となるだろう。

 

彼女の思いを聞き入れ、背景をなんとなくだが察した面々。しばらく瞠目し、司から口を開く。

 

「そういうことか。分かった。ーー改めて歓迎するぜ。城星譲友」

 

「司の言う通り。歓迎するわ。よろしくね」

 

「む!宜しくな!!」

 

 

 

「ーーええ、宜しく」

 

 

こうしてBANsにまた一人、仲間が加わった。

 

今後彼女は、とある森で熊をはじめとした愉快な仲間と共に洗礼を受けることになるのだがーーそれはまた、別の話である。



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債務者と非日常な日常 前編

朝のBANs本部。今日来ているメンバーは五人。いつもの三人はもちろん、それ以外にも、顔面をマスクで覆った怪しい男。それに、この場のなんとなく退廃的な雰囲気にそぐわない少女がいた。

 

「……で、君が例の新人か?」

 

先に口を開いたのは頭に被り物をした男。仲間からはタマキンと呼ばれ親しまれている。イケボですらっとした体つき。首から下だけならば一見なかなかの好青年だが、残念なことに被り物のせいで抱く印象は爽やかではなく「怪しい」の一言になってしまっている。

 

「え、ええ……そうだけど……」

 

そんな男に声をかけられた少女、城星譲友。彼女の反応は当然、困惑したものになっていた。視線が注がれるのはその被り物。まあ、間違いなく誰もが同じ反応を示すだろう。

 

「お、どうした?顔に何かついてるのか?」

 

 

 

「……ついてるのよ!!」

 

漫才かと勘違いするほど鮮やかなやりとりだが、当のタマキンは気にもしていないらしい。ようやく彼女の視線の示す先に気がついたのか、本題に触れる。

 

「ああ、この仮面か?これはな、玉さ」

 

「玉?」

 

「ああ、金のーー玉だ」

 

「はあ?……ってセクハラじゃない!!」

 

なにやらしたり顔ーー表情はみえないがーーで話すタマキンと、それに困惑ーーというかドン引きする譲友。そんな彼女らの様子を見かねて、司が割って入る。

 

「あー。譲友、コイツなりのアイデンティティなんだ。勘弁してやってくれ」

 

「いや、でも金の玉っていうのはちょっと」

 

「わかったわかった。被り物とるから、な?」

 

「本当?」

 

「本当本当」

 

仮面をとりながら謝るタマキン。なぜか後ろ姿が寂しそうなのは触れないでおこう。

 

「あ、素顔はイケメンじゃない」

 

「申し訳ないが彼女は募集してないぞ」

 

「バッ……誰もあんたなんか狙ってないわよ!!」

 

あたふたする譲友。気をとりなおしてタマキンから声をかける。

 

「えー。さっきはすまなかった。改めてタマキンだ。えーっと……」

 

「……城星譲友。譲友でいいわ。宜しく」

 

「ああ、宜しく」

 

 

そう言うとタマキンは手を差し出した。譲友もすぐに理解して、手を握り返す。握手だ。

 

そんな彼らの光景を、微笑ましく見つめる司達一堂。区切りがついたとみて、えねが喋り出す。

 

「そろそろいいかしら。本題に挿入っちゃうぞ❤️」

 

なんとなく語尾のハートマークと漢字に気づいた司が顔を覆ったが、ケンは気づいてすらいないようだ。

 

「ああ。そういえば今日はえねの招集だったな。どうしたんだ?」

 

「よくぞ聞いてくれました!!今日の本題はーー」

 

 

 

 

「ーーズバリ!譲友ちゃんの新人歓迎会でーす!!」

 

 

 

「おお。確かにそう言うのやって無かったな」

 

「む!是非ともやろう」

 

「いいんじゃないか?まずは買い出しからだな」

 

 

勝手に話を進める面々だが一人だけ話についていけない者がいる。勿論譲友だ。

 

「えっちょっと、悪いわよ、私なんかのために」

 

「気にしない気にしない。それに全員集合するきっかけもそんなに無いから、ちょうどいいのよ」

 

「まあ、それなら……」

 

 

渋々頷く譲友。だが、渋々という形を取っていながらも、まんざらではなさそうだ。

 

「買いに行くのは近くのデパートでいいかしら」

 

「ああ。色々選べるしいいんじゃないか?クラッカーとかも買わなきゃな」

 

「飾り付けもしっかりな」

 

それとなく目的が決まったところで、えねが切り出した。

 

「さあ、じゃあ四人で行きますか」

 

「え?四人?」

 

譲友は首をかしげた。何かと思って視線を巡らせると、ケンが首を縦に振っていた。

 

「うむ。俺はこれからバイトなのでな」

 

「ええ?!そうなの?!」

 

「ああ、ケンはやたら仕事が多くてな。確か今日はーー」

 

司が目配せすると、ケンがそれに被せる。

 

「道路工事だ」

 

「そう。道路工事。まあ、パーティーには間に合うんだろ?」

 

「ああ。主任に伝えておく」

 

「いつも悪りぃな」

 

「気にするな。こちらこそ中々来れなくてすまん」

 

「大丈夫だよ。いつでも待ってるぜ」

 

「助かる」

 

いつも若干むさい雰囲気を放っている彼だがーーその理由をなんとなく垣間見た気がした譲友だった。

 

「さあ、買い出しに行きましょうか」

 

頃合いを見計らって口を開くえね。続く面々も賛同の声を上げる。

 

 

「そういえば、移動手段は?」

 

「徒歩だぞ」

 

「はあ?デパートまで三キロはあるわよ?!正気?!」

 

「譲友……諦めろ」

 

「む!仕方ないな」

 

「うっそぉぉぉぉお?!」

 

少女の悲痛な慟哭は、倉庫の屋根を超えて辺り一帯まで響いたという。

 

 

 

 

 

「ハァ……やっと着いたわ……」

 

三キロの距離。歩けなくはないが帰りに荷物が増えるのを想像すると今からでも腰が引けてくる。

 

そう言って彼女が見上げた先にはだだっ広い吹き抜けが広がっていた。言うまでもなく、デパートの中である。

 

休日の真昼間ということで、デパートの中は賑わいを見せていた。辺りを見渡すと、家族連れやカップルの他にも、仮装イベントか何かの最中なのか、仮面を被った集団もいる。階下にも階上にも、人、人、人。喧騒につつまれた屋内は熱気を帯びている。

 

「さあ、何を買う?」

 

「そうだな……譲友の食べたいものでいいんじゃないか?」

 

「いや、そんな大したものじゃなくていいわよ」

 

「ほらーまたまた気を使って。こういう時は遠慮しちゃダメなの!!」

 

同調する司とタマキン。こういう所では良識ある大人だ。

 

「金の心配ならしないでくれ。それくらいの蓄えはある」

 

「……じゃあ、お言葉に甘えて」

 

「うんうん!!」

 

頷くえね。しばし黙考した後、譲友が口を開いた。

 

「お寿司、でいい?」

 

伺うようにして聞く譲友。そして、それを聞いた一同は破面する。

 

「はいはい寿司な。まかせろ、たーんと買ってやる」

 

「じゃあ、私と譲友ちゃんはお寿司選んどくから、司とタマキンは飲み物とか、小物系買っといて」

 

「了解だ」

 

「ああ。行くぞ、タマキン」

 

そう肩を小突き、二人で歩きだす。司とタマキンは、ある()()()()()で関係があるので、なんとなく他のメンバーとは雰囲気が違うのだ。

 

「……司とタマキンってそんなに仲いいの?」

 

「あら、どうして?」

 

「いや、なんとなく」

 

「あー。それはね、今度本人達に聞いてみるといいわよ」

 

 

 

 

 

 

 

司ら男子一行は、地下の雑貨用品屋に来ていた。相変わらず人が多いが、子供の数は少し減った印象だ。最近改装をしたのか、地域に根付いているデパートとしてはかなりこぎれいな印象だ。

 

 

「とりあえずは紙コップとかか?」

 

「ああ。それと割り箸とストローと……クラッカー?」

 

「まあ、おいおいな」

 

 

とりあえずパーティー用品のコーナーに足を向ける。ご丁寧に看板が掲げられているので、場所は直ぐに分かった。

 

「ここか?」

 

先程から歩いていて、品揃えが豊富なのがよくわかる。かなり広いスペースを割いてあるらしく、柄違い、素材違い。多種多様なものが並べられていた。今回は宴会なので、紙コップを探しているのだがーー

 

ーー司が角を曲がった瞬間、棚に置いてあったコップのいくつかが落ちてきた。遠くに転がっていくものもあり煩わしい。棚の方をみてみると、お世辞にも整頓してあるとは言えない風に陳列してある。

 

「チッ。店員は何やってんだ?」

 

「まあまあ」

 

そう言いながら、転がっていったコップを拾うタマキン。棚の下まで転がっているのもあり、おもたげに腰を曲げる。

 

が、ふと動きが止まった。

 

「ん?タマキン、どうした?」

 

「いや、さっきから店員を見てない気がしてな」

 

「……あ?ああ。言われてみればそんな気もするな。辺りにも見当たらねぇ」

 

タマキンは、再び先程の棚へと戻ってきた。棚の上から下までしばらく眺めた後、一言。

 

「なあ、これ。どう考えても荒らされた感じがしないか?汚く並べてあったとしても、こんなアンバランスにはならないだろう。ポップも潰れてるし」

「確かに。だが、そんな事をする理由なんてないだろ?」

 

そう司にいわれて、頷きかけたタマキンだったが、どうにも納得いかない様子。こめかみに手を当て、顔をしかめる。

 

 

「いや、わからない。もっとこう、故意じゃないというか。まるで意図してないのに倒れこんだようなーー」

 

 

ーー途端。数秒間の警報が鳴ったと思うと、照明が落ちた。暗闇に包まれた屋内に、ざわめく人々。緑色の脱出口のランプがやけに目立って見える。

 

「ああん?停電か?」

 

「いや、もしかしてこれはーー」

 

そのタマキンの言葉をかき消すように、鋭い発光とともに銃声が響いた。

 

 

今度はざわめき声が悲鳴へと変わる。パニックになりかけた場内を鎮めたのも、二発目の銃声。今度は、ドスの効いた男性の声と一緒だ。

 

「動くな!全員膝をついて手を上げろ!!」

 

今度は悲鳴が上がらなかった。流石に不味いと察したのか、場が静寂に包まれる。司とタマキンは瞬時に身を屈めていたため、まだ気付かれてはいないようだがーー

 

「動くなよ。動きが少しでもあったらその方向を撃つ!!お前達は助かるかもしれんが、流れ弾がどうなるかーー後は想像できるな?ここに居る全員が人質だ。分かったら、絶対に動くんじゃないぞ」

 

 

こんな時に、ケンが居たならーー

 

そんな考えが二人の脳裏をよぎる。だが、そんなたらればは通用しない。司らは()()を知っていた。この状況が、俗に言う非常事態だという事が分かったのだ。

 

不意に、煙と共に光が上がった。それは薄く広がるようにしてかき消されたが、元は途切れていないのか、もくもくと煙が上がり続けている。続いて出た声も、先程と同じな高圧的な声色だった。

 

 

「今、この部屋の空調を切った。ダクトも全て閉鎖済みだ。このままここに居続ければ貴様らはそのうち死ぬ。」

 

ーー嫌な間。この自分が優位な状況を楽しんでいるようだ。

 

「そこでだ。貴様らにチャンスをやる。光が見えるな?そこに集まれ。従わない奴らは連れて行かない。従わなかったら死ぬって事だ。貴様らが、生き延びるにはその光へ向かうしかない。反抗的な態度をとった奴が居たら即、射殺だ」

 

赤い光に照らされて、声の主と思われる男の姿が現れる。ガスマスクをはめており、サブマシンガンを握っている。背筋を伸ばし、重心を持ったただ住まいは素人では無かった。

 

「従えば殺さない。従わなければ死ぬ。さあ、選べ!!賢い者はこちらへ歩いてくるんだな!!」

 

 

再びざわめく場内。ただ、一人、一人と立ち上がり、光の方へノロノロ歩いていく。時間は無い。犯人が痺れをきらせば、命はないだろう。

 

 

「司……どうする?」

 

「ああ……こんな事になるなんてな。とりあえずついてくか?ここに居たら多分死ぬぞ?」

 

「分かってる。ただ、ついていったとして本当に安全ではないだろ。 アイツらの目的がわからない以上、なんとも言えないが……」

 

「このままここに居続けたとして、勝算は……ねぇな。こっちは丸腰だしケンみてぇな超人でもねぇ」

 

唸るタマキン。だが、司の言葉を受けて、方針を固めたようだ。

 

「直ぐ撃って来ないから人質にしたいのは見え見えだけど。着いてってみるか?おそらく快適に過ごさせては貰えないと思うが」

 

「……分かった。行こう」

 

 

そう言うと二人も立ち上がり、中央の光へ向かう。

 

 

 

そこで受けた扱いは案の定、ロクなものでは無かった。

 

 

後ろに銃を突きつけられ、よく分からない暗闇を暫く歩かされるだけ。生きた心地はしないし、この中の誰かがパニックを起こせば即、おじゃんだろう。

 

そんな状態で歩かされること数分。途中でぐずりだす子供にヒヤッとしながらも、ひたすら歩かされる。一々小突いてくる黒ずくめの男達が鬱陶しい。

 

 

 

何度か階段を上り下りし、ようやく視界が開けた。

 

着いたのは、高層階にある広めのフードコートだった。よくよく見れば大勢の先客がいる。おそらく他の階の人間もここに集められているのだろう。

 

 

出入り口も限られており、視界を遮るものといえば柱くらいしかない。籠城するにはうってつけなのだろう。店舗や窓際のシャッターも全て閉鎖されており、暗い雰囲気を醸し出している。あの先程までの明るい喧騒が嘘のようだ。

 

「チッ。そういうことか」

 

悪態をついた司は、乱暴に後ろから押されると、そのまま椅子に座らされ、麻縄で椅子ごと縛られた。ご丁寧に手首まで結束バンドで固定し、身動ぎ一つ出来ない状況だ。皮肉にも人々の団欒の象徴は、悪事の為に使われていたのだった。

 

司は、犯人達が遠ざかったのを見計らい、隣で同じような扱いを受けていたタマキンに話しかけた。

 

「とりあえず人質にされてるのは間違いなさそうだな……空調や照明を制御してたところを見るに建物も完全に占拠されてるんだろう」

 

「ああ。違いねぇ。下手に暴れようにも誰か死なれちまったら目覚めが悪いし……どうしたものか」

 

息を殺すように二人が会話していると、フードコート中央の方で動きがあった。どうやらこちらに聞かせたいことがあるらしい。

 

ガスマスクをはめた黒ずくめの男性が下品に机の上に立つ。完全に回りを見下す形になっている。手にはトランシーバーを持っており、その向こうに居るであろう人物に向けたように話し始めた。

 

 

「さあ!もう分かっているかも知れないが、諸君らは人質だ。誠に不運なことだとは思うが、警察は我々の要求に応じるつもりは無いらしい。そこでだ!申し訳ないが、これから十分毎に適当なヤツを一人ずつ殺す事にする!!殺す対象は完全にランダム!!私の気まぐれだ。貴様らを殺したのは我々ではない。要求に応じない警察なのだ!!恨むなら警察を恨むがいい!!フッハッハッハッ!!!」

 

 

人々がより恐怖に顔を曇らせた。狂気に包まれた犯人らの言動に、言葉を失い、慄く。かくして人とはこんなにも残酷なものなのかとーー極限状況に置かれた人々は思ったのだ。

 

 

「畜生が……」

 

「せめて、人質さえ居なければどうとでもなったんだがーー」

 

 

 

司がお手上げとばかりに天井を煽った時だった。

 

 

本来ならば「見えない」はずのそれに司は気付く。そのきっかけは、彼の過去に起因するものであったりするのだがーー

 

 

ーー果たして、それは今を打開する術になった。

 

 

「おい。タマキン、アレみえるか?」

 

「アレ?何の事だ?」

 

「ほら、正面に浮かんでる。青い肌のヤツだ。見えねぇか?」

 

「……?いいや。全く」

 

「……もしかしたら、どうにかなるかもしれねぇ」

 

「そうか……分かった。俺が必要になったら教えてくれ」

 

「ああ」

 

ーー返事をすると。司は眼を瞑ったきり黙りこんでしまった。タマキンからすれば、司が何をしているかは分からなかったが、司への信頼だけは揺るがなかった。だから、タマキンも眼を瞑り、時が来るのを待った。

 

 

 

 

 

ーー同時刻、司の精神世界ーー

 

 

 

 

「おい!vic!!おい!」

 

司は、ひたすら念じ続ける。一度錆びついてしまった感覚だが、霊的な要素がvicにあるならばーー可能性はあるかもしれない。司にとっては腐れ縁となった()()()()との出会いが、まさかこんな所で役に立つとは思わなかった。

 

「ん?」

 

ようやく気付いたのか、vicはこちらにやってきた。

 

「司か。何故私が見える?」

 

「ああ。昔、ちょっとな」

 

何やら含みを持たせた司の物言いだが、今は追及すべきでは無いと悟ったのだろう。vicは話を進める。

 

「譲友に言われ偵察をしていたのだが……残念ながら私の行動範囲は広くない。丁度このフードコート内程度だ。まさか不可視状態の私を見える者がいるとは思わなかった。譲友の位置はあの中央の柱の裏側。えねも一緒だ」

 

「OK。とりあえず二人とも無事なんだな?」

 

vicは首を縦に振る。司も安堵の溜息をついた。

 

 

「さて、どうしたもんか。とりあえず俺だけでも動ければどうにかなるんだがーー」

 

 

「ーーそれなら、可能かもしれない」

 

「ほう?」

 

「奴らの様子を見るに劇場型の傾向が強い気がする。そこを逆手に取ればーーもしかしたら光明が見えるかもしれない」

 

 

 

 

 

 

 

ーー()()()()()1分後ーー

 

 

「ーー成る程、分かった。後は手筈通りに譲友達に伝えてくれ」

 

シリアスな顔でそう伝える司の顔にも、僅かだが笑みが浮かんでいた。

 

「ああ、幸運を」

 

vicはそう言うと身体を翻し、譲友の方へと戻って行った。

 

「さあ、一泡吹かせてやるか」

 

司も、今度は口の端をニヤッと上げて、現実へと再び引き返した。

 

 

 

 

 

 

「ーーなあ、タマキン」

 

覚醒した意識も定まらないまま、隣で眼を瞑っていた男に問いかける。

 

「終わったか?」

 

「ああ。今からいなくなる。8分以内に帰って来るがーーもし間に合わなかった時は、お前が時間を稼いでくれ」

 

 

タマキンは、静かに頷いた。彼が何を成そうとしているかも、全て理解したように。

 

そんな彼の様子を見て、司も瞠目する。僅か数秒だったが、己の中で覚悟を完了させたようだ。

 

 

すると、司はおもむろに手を挙げた。

 

 

 

「なあ、トイレ行きたくなったんだが、ダメか?」

 

即座に犯人の一味と思われる銃を持った見張りがこちらを向く。訝しげにこちらを見つめる。どうやら連れて行くべきかどうかを吟味しているようだ。

 

「……チッ」

 

 

そう舌打ちをするとこちらにやってくる。油断は流石にないようだ。

 

「立て」

 

縄を解いて司を立ち上がらせると、背中に銃を突きつけた。勿論逃す気はないらしい。

 

「ハイハイ。何もしねぇよ」

 

 

鷹揚にそう答える司だが、黒服の男は顎でトイレの方へ後ろから小突いてくるだけだ。銃口が真近にあるのも良い気持ちはしないので、スタスタと、だが、怪しくない程度の速度で歩く。

 

不安げにこちらを見上げる他の人質達を横目に、売店の隣にあるトイレに入る。これで他の犯人からの目は離れた。ーー残念ながら、黒服の男も一緒ではあったが。

 

 

「一緒にするかい?」

 

「……」

 

司の軽口を無視し、無言で銃口を押し付けてきた。

とりあえずトイレという名目を済ます為、小便器へ向かう。

 

 

司は便器の前に立ち、背後の男に問いかける。

 

「なあ、バンド解いてくれねぇと出来ねぇんだが」

 

男は、煩わしそうに顔をしかめながら、ポケットからナイフをとりだそうとする。その瞬間、男の手から銃が離れる。

 

そして、それを見計らってーー

 

「……vic」

 

「ああ?今何かーー」

 

 

それがその男の最期の言葉になった。見えない()()からの静かな、だが確実な手刀を受け、力を失って昏倒する。男が倒れかかった先には、見えない壁のようなものーー今姿を現した、vicが居た。

 

その姿を確認した司は、愉しげにニヤッとする。

 

「ありがとうな。助かったよ」

 

「この先ついていけないのが申し訳ないがーー後は手筈通りに、だな?」

 

「ああ。頼む」

 

vicは一礼すると、壁の向こうに消えた。

 

それを見送った司はしゃがむと、倒れ込んでいる男のポケットからナイフを取り出すした。

 

「……さあ、ここから、だな」

 

そう独り言つと、おもむろにトイレの換気用の外窓を開けた。下を覗き込んでみると、寒々しい風と明滅するパトカーの赤灯が飛び込んできた。

 

口笛を吹いて、なんの躊躇もなく開けた窓から体に身体を外へ這わせる。

 

少しでも脚を滑らせたら、即転落死。司はそんな状況でも平然としていた。これは、彼の過去の経験に由来する。債務者として日々借金取りに追われる身であったため、こうした危険なルートを介して逃亡する事が多々あったのだ。時にはビルからビルへ飛び移りーー時には鉄骨の上を綱渡りしーーそんなこんなで彼が得たのが、この高所での移動スキルだった。

 

「ヒュー!高いねぇ!」

 

彼の表情に焦燥が浮かばなかったと言えば嘘になるが、司が臆することはない。

 

壁に這わされた直径10センチもあるかどうかのパイプを足場に、飄々と壁をよじ登っていく。目指すは一つ上の階のトイレ。vicが言っていた通り、窓が開いていた。

 

「この窓だな……よっと」

 

窓の縁に手を掴むと、そのまま身体を引き上げる。勢いそのまま、頭から突っ込むような形で、見事一つ上の階に侵入した。

 

 

「ってぇ……」

 

 

そう言いながら頭をさする。周りに人影は見当たらない。どうやら第一段階は成功のようだ。

 

(ここからは、アイツらの尻尾を追って……)

 

 

脳内で己のすべき行動を反芻しながら、司はトイレから慎重に、ゆっくりと抜け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

司が居なくなって数分後のフードコート。未だに緊張感は緩むことは無く、銃と言う名の犯人達による暴力が支配していた。過度なストレスに晒された人間は、いつ暴れ出すかはわからない。ーーもし、この中の誰かがパニックでも起こしたら、間違いなく犯人達は銃を撃つだろう。付近の人々何名もの命を犠牲にして。

 

先程から手に持っていたトランシーバーをみつめて黙りこくっていた主犯格らしき男。どうやら決めていた時間にでもなったのか、腕時計を見て、再び喚き散らかした。

 

「さあさあさあ、残り2分となったがあ?警察の返事はぁ?……なーい!!!そろそろ我慢の限界だ。今回の犠牲者を!!決めたいと思いまーす!!」

 

 

あくまで残忍な姿勢は変えるつもりは無いらしい。嗜虐的な顔で、人質達の顔を見回す。まるで、品定めでもするかのように。

 

「だーれーにーしーよーうーかーなー。……おっ」

 

 

下品かつふざけたような目で、犯人が見つめたのはーー

 

 

ーーよりにもよって、豊満な肢体をセーターで包み、頰を何故か上気させている人物。名を、万楽えねという女性だった。




なんか一万字かるく超えそうなので前編とさせて頂きます。続きはなるべく急ぐから!許して!!


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債務者と非日常な日常 後編

マズイ。

 

 

譲友は激しく動揺していた。よりにもよってえねが毒牙にかけられるとは。彼女が連れていかれ、机の上で犯人に銃を突きつけられている姿を見るだけで動悸が激しくなる。vicを介して、司の計画は聞いていたが、一人程度の死傷は最悪免れないかもしれないという話だった。それほど時間がないのだ。現に残り2分を切った今でも、変化は何も起こっていない。今vicを暴れさせる訳にはいかないが、そうでもしないと助ける術はない。譲友は、自分の無力さに打ちひしがれながら、ひたすら祈ることしか出来なかった。

 

「あと、いっぷーん」

 

ニヤケながらカウントダウンをする犯人を、心の中で睨みながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ一人あのフードコートから抜け出した司は、ただ一人地下一階へ向かっていた。最初の目的地はあの雑貨屋。あそこならば、「必要」な道具がそろう。司自身このデパートに来たことはほとんど無かったので、かなり迷ってしまった。ようやく闇に慣れてきた目をこらしながら、一歩ずつ足を踏み出す。

 

地下は地上フロアと違い、中央の吹き抜けが存在せず、シャッターも存在しない。外に出れる出口もない為か犯人達は見回りも行なっていないようだ。ところ狭しと店が並んでいる中探すのは苦労したが、地図を頼りにどうにか辿り着いた。

 

 

「さてと……」

 

声を殺しながらお目当てのものを探す。彼が必要としているのは、ロープ。それにクラッカーと紙粘土と花火。ロープはともかく、後の三つは武器ではない。ただのハリボテを作る為に必要なのだ。あちこち歩き回ってようやく手に入れる。ジャンパーのポケットに入る量も限られているので、大した量ではない。

 

ふと司は座り込むと、その場で棚からとった物を組み合わせ始めた。紙粘土の袋を破き、その直方体のフォルムに短めの花火を二本差し込んだ。できた外観は字面そのまま。紙粘土に、花火を差しただけである。

 

ーーと、司は満足げに頷き、そそくさとその場を後にする。この状態で別に何か出来る訳でもないのだがーー特に忘れ物を思い出す様子もなく、懐にしまいこんで歩き出す。

 

 

(……まずは、順調だな)

 

 

 

ニヤッと笑い、だが、足音はたてないように、少し足早で。司は、今も待つ友のために戦いへ赴く。彼にとっては、ここからが本番なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 

 

電気の消えた建物の中と言うのは、とても暗い。足下さえも目を凝らさないと見えないほどだ。まともな灯りといえば緑色の非常灯くらいなので、常闇に包まれた屋内がやけに薄気味悪く感じる。

 

司は、そんな暗闇の中で揺らめく人の影を目で追いつつ、次の行動を考え巡らせている。司の目的は、今回の建て込み事件の犯人達を撃退し、仲間達を助けだすこと。vicとの作戦会議で、照明や空調を操っている、犯人達の「本丸」があるとの話だったのだがーー

 

「ダメだ。全く見えねぇ」

 

そもそも建物全体の照明が落ちているため、犯人達の動向を追おうにも暗闇に目が奪われたような状態なのだ。まさしく、一寸先は闇ーーそんな感じである。度々建物内を巡回しているのであろう犯人達の気配は感じるのだが、どうにも手掛かりが掴めない。奴らが10分毎に死傷者を出すと言った以上、時間は有限であり、司も焦燥に駆られていた。

 

再び、足音がする。先程のように息を潜めて見送りかけた司だったが、焦りか、使命感か。得体の知れない何かが、それを許さなかった。

 

司は、場合によっては致命的となる一歩を踏み出した。ーー今回の場合は、杞憂に終わったようだがーー先程から隠れていた物影を抜け出し、その先の柱へ滑りこむ。

 

大丈夫だ。気づかれていない。ここならさっきの場所よりは犯人達の様子がよくわかる。このまま後を追えばその内敵の本丸に辿り着くだろうか?いや、同一人物がただこのフロアを巡回しているだけで、もしかしたら無駄足に終わるかも知れない。どうする?時間はないがーー

 

ーー気がついたら、先程の人影は消えていた。考えを巡らす間に、追っていた犯人を見失ってしまったようだ。

 

(……クソッ)

 

 

声にならない悪態を吐く。大きなロスだ。もしかしたらこれで救える命が助からなくなったかも知れない。クズであると言われている彼だったが、人の死を喜べるような壊れた人間ではない。

 

どうにか挽回しようと、少し先すら見えない暗闇で目を凝らすこと数分。再び、こちらへ向かってくる人の気配がした。

 

今度こそ見逃す訳にはいかない。柱から顔を覗かせようとした時、司はあることに気がついた。

 

先程と犯人の服装が違うのだ。無論暗闇な為、顔までは確認できなかったが同一人物が巡回しているだけではない事は間違いない。人が居ない筈のフロアにそう何人も人員を割く可能性は少ない。犯人グループもそこまで人員の余裕はない筈だ。現に、人質達の収容所であるフードコートに居る人員は必要最低限だった。つまり、そこから導かれる答えはーー

 

(ーーこのまま追えば、どこかへたどり着く?)

 

善は急げだ。迷っている時間などない。司は、気配をさとられ無いようにゆっくりと身体を忍ばせると、今度はショーウィンドウの背後に隠れる。毎回毎回死ぬほど気を使うので精神衛生上よろしくないことこの上ないのだが、この際ウダウダ言ってられないので、細心の注意を払う。

 

 

ーーそんなことを繰り返して、司がたどり着いた場所。それは、デパート内のセキュリティルームだった。厳密には、その目の前、だが。

 

実のところ、司達の読みは当たっていた。フードコート側に居た犯人達の人数があまりにも少ないので、外部を巡回をしているだろうということ。また、その場合フードコート以外にも犯人達が本拠地としている場所があるだろうということ。今回の場合の犯人達の拠点は、このセキュリティルームになる。

 

 

ちょっとした袋小路の隙間から様子を伺っていて分かったことだが、どうやら一定のルーチンワークで交代しているらしく、常に出入りする人のタイミングが同じだ。しかも人数もかなり多い。全フロア分の警戒班が回ってきているのだろうか。先程から秒読みで数えているが間違いない。なんにせ、次来るのは5秒後ーー

 

 

ーー当たった。やはり間違いないようだ。司は、この周期の裏をかく。統一された犯人達の制服さえ奪いとれれば、セキュリティルーム内に入るのは簡単な筈。内部も薄暗いので、目立った行動をしなければバレることはないだろう。

 

 

(……さあ、やるか)

 

 

司は秒読みをした絶妙なタイミングで、角からすっと手を伸ばして呑気に歩いて来た犯人の男の襟首を掴んだ。

 

「ーー?」

 

男が疑問の悲鳴をあげる間も無く、首を手に持ったロープで締める。もちろん、先程の雑貨屋で調達したものだ。やがて白目を剥いてぐったりした男を、そのまま隠れていた袋小路に引きずり込む。手早くジャケットとズボン。それからポケットにしまってあったナイフと拳銃ーーおそらくトカレフーーをガンホルダーごと腰に巻いた。背丈も似ている男を選んだので、服の大きさもぴったりだ。

 

姿見もないので自分の姿は確認できないがーー多分大丈夫だろう。怪しまれてはマズイ。司は、何事もなかったかのように通路に出た。

 

 

犯人達と同じようにノックをし、セキュリティルームの扉を開ける。

 

内部は、意外と広かった。薄暗い室内に、壁一面に並んだ監視カメラのモニタと、それらを制御するらしき機械類。そしてその前に乱雑に並べられたパイプ椅子。部屋の隅っこには元々ここの担当だったであろう警備員が拘束され、転がっている。

 

内部にいる敵らしき人間の数は大体7人程度。休憩室的な役割も兼ねているのか、銃は持たず、かなり弛緩した様子だ。しかし、今すぐここで暴れても彼我の力の差は歴然。勝てるはずもない。

 

(……さあ、どうしたもんか)

 

 

ここまで来た司の目的は明快。ここを乗っ取り、現場のvic達の補助をすること。彼と建てたプランではこのセキュリティルームの奪取が不可欠であり、そうしなければ下のフードコートでは犠牲者が出続ける。そんな状況の中、司は予め用意してあったプランを実行する。

 

 

司は先程作った粘土とクラッカーの紐を組みわわせただけのモノを取り出すと、それを掲げて急に叫びだした。

 

「こっちだ!!これを見ろ!!」

 

犯人達は何事かと腰を据えて司の方を見るが、その手に握られた物を見て動きを止めた。

 

「これがなんだか分かるな?そう、プラスチック爆薬だ!!」

 

直方体の紙粘土から生やされた二本の導線。知らない人からすれば何が何だかわからないだろうが、裏の世界の者ーーそれこそ今回のような連中からしたら馴染みのある、プラスチック爆薬にしか見えないのだ。ちなみになぜ司がプラスチック爆薬なんかを知っているかというと、彼の知人にやけに爆発好きの男がいるからである。

 

続いて司はどんどんペラペラと喋り続ける。ここまで嘘を平気で話せるのも、散々借金取り共から言い逃れてきた経験によるものだ。

 

「俺はもともとこのデパートでテロを起こそうとしていた者だが、お前達のせいでテロどころか拘束までされちまった。こうなりゃヤケだ!!このままここは俺が乗っ取ってやる!!」

 

 

支離滅裂かつテロ屋にテロの脅しをするなどと言う意味不明な状況だがここは勢いだ。取り敢えずは会話の主導権が握れればいい。さすがに奴らも死ぬのは嫌だろう。

 

若干取り乱しながら固まっていた男の一人が話しかけてきた。

 

「わ、分かった。落ち着け。銃は握ってない。な?だから早くその爆弾をーー」

 

「いいやダメだね。早く自分自身で両手を縛れ!!今すぐにだ。でなきゃ爆破する!!!」

 

オロオロしながら男達は縄で互いを縛り始めた。最後の一人は司が周囲を睨みつけながら結んだ。念のため本当に拘束が成されているかを確認して、制圧完了だ。結局トカレフを使うことは無かった。扉にはロックを掛けて後続の連中が入ってこないようにする。

 

すんなりといきすぎて逆に不気味になってきたが、そんなことを気にするのは後だ。

 

まずは操作パネル。そしてその向こうのモニタだ。必要な館内放送のマイクは……あった。次に監視カメラのモニタの方へ向き直り、フードコートの様子を探る。

 

「4Fの……この辺りか?」

 

ブツブツ独り言を呟きながら目を凝らす司。これが見つからないと今後の作戦も全ておじゃんになる。背後の男達の様子も気にしない訳にはいかないので、思ったよりも時間がかかる。

 

目を凝らすこと数十秒。司はようやくフードコートの映る画面を見つける。

 

相変わらず緊迫した雰囲気なのは変わらず、人々の顔は青ざめている。映っているカメラでは全体の様子が見えなかったので、手元のそれらしきボタンで操作してみる。何個か押して正解を見つけたようだ。

 

 

 

順調にカメラが切り替わっていく中、不意に、司が手を止めた。

 

「ーーマジ?」

 

 

一転、青ざめた表情でモニタの正面で固まる司。彼が食い入るように見つめた明滅する画面に映っていたものとはーー

 

 

ーーよりにもよって、犯人に銃口を突きつけられている仲間の姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 

恐怖に顔をひきつらせる姿は、みるだけでも痛々しい。恐らくここに居る人間の殆どが自分が被害者にならなくてよかったと思うか、何もできない自分に腹を立てているだろう。

 

えねの仲間である譲友とタマキンは、当然後者側の人間だった。無慈悲に時間を刻む秒針を睨み、静かな怒りをたぎらせていた。

 

「さあ、不幸にも選ばれてしまったあなたは本当に気の毒だとは思うが、それは全て我々の要求を呑まない警察のせいだ。恨むのであれば警察を恨んでくれるかな?」

 

 

そう言いながら下衆な笑みを浮かべる主犯格らしき男。嗜虐心丸出しでえねの頭に拳銃を押し付ける。

 

「さあ、そろそろ時間だーー」

 

そういうと男は引き金に指をかける。

 

 

「10秒前ーー」

 

勝手にカウントダウンを始める。それを見て動きだそうとする者がいた。タマキンだ。

 

「9ーー」

 

司に時間を稼いでくれと頼まれた。彼は必ず帰ってくる。この信頼は変わらない。

 

「8ーー」

 

ただ、自分に一言告げたという事を鑑みると、やはり一人目の犠牲には間に合う自信はなかったのかもしれない。

 

「7ーー」

 

自分もそれは呑んだつもりだ。別に自分達は正義の味方ではない。全員を救えるなんて思っちゃいない。救おうとも思ってない。

 

「6ーー」

 

ただ、それが仲間のえねだった場合は話が別だ。彼女の死は、流石の司も許容出来ないだろう。自分だってそうだ。

 

「5ーー」

 

リスクが高くなるのは変わらない。だが、仲間を見捨てるなんて有り得ない。迷いようがない。

 

「4ーー」

 

平凡な身だ。特別なことが思いついたわけでも、何か出来る訳でもない。ただ、彼は声を上げた。

 

「3ーー」

 

頼るべき仲間、信頼する仲間を、失わない為に。

 

「にーー」

 

「待て!!!」

 

 

 

フードコート一帯に響く大声。監視の連中が血相を変えてこちらに銃口を向けるが、怯まない。

えねに銃口を突きつけていた犯人も、拳銃を下ろしこちらを半目でみやる。

 

「ああん?なんだテメェ。撃つぞ」

 

「その女性を離せ」

 

「……何言ってんだ?立場分かって言ってんのかああん?!」

 

大声で威嚇してくる男。だが、これで正しい。今のタマキンに出来ることは、1秒でも時間を稼ぐ事。それだけだ。

 

「もちろん。自分は何もできない。身体は縛られてるし、な」

 

「意味わかんねぇな。撃つか?」

 

「まあ待て。誰か一人殺せればいいんだろ?」

 

男は何を言いたいのかわからないと言わんばかりに首を傾げたが、タマキンは話を続ける。

 

 

 

 

 

「俺を殺せ」

 

 

 

そのタマキンの言葉に、男はしばらく固まっていたが、意味を理解したのか喋り出した。

 

「……は?つまり、女を守ってカッコつけたいってことか?」

 

「そうとってもらっても構わない」

 

あくまでも毅然とした態度で話すタマキンが可笑しくなったのか、犯人は吹き出す。

 

「ハハッ。こんなところでカッコつける?バカじゃねぇのか?!じゃあお望み通りお前から殺してやるよ」

 

 

「頼む」

 

 

 

「……頼む?こりゃあ傑作だな!!おい、そいつの縄を解いて俺の所まで連れてこい!!」

 

男はそう配下達に命令すると、手元に抱えていたえねを突き飛ばした。えねが仮にだが解放された瞬間だった。だが、えね自信がそれをよしとしない。

 

「何言ってるのタマキン?!私はいいから、何もあなたがーー」

 

「いいや。ここは自分の仕事だ。えねに何かあったら、それこそ司に殺されちまう」

 

「ダメよタマキン!!」

 

「……」

 

何も言わないまま俯くタマキン。そんな二人の様子を見て、男は茶々を入れる。

 

「いいねぇ。お涙頂戴の犠牲ってか?泣けるねぇ」

 

そんな男の声を無視して、配下の男たちに小突かれるまま、己の命を刈り取ろうとする男の元へ向かう。

 

「さっきはお前に止められちまったがーーもう一度カウントダウンだ」

 

男の前に立たされたタマキンのこめかみに銃が向けられる。

 

「待って!!彼を離して!!」

 

「チッ。ウルセェなぁ。おい!そいつを黙らせろ」

 

男が目配せすると、えねの近くにいた犯人が無造作にえねを蹴り上げる。

 

「カッ……」

 

突然の鈍い痛みに蹲るえね。タマキンも見てられないと言わんばかりに目を覆う。

 

「よーく見てろ!!次はお前らがこうなる番だからなぁ?!ハーッハッハッ!!」

 

先程そうしたように、今度はタマキンのこめかみに銃口を押し付ける。

 

 

「さーん」

 

タマキンはギュッと目を瞑った。恐怖から逃れるためか。それともーー

 

「にーい」

 

男は引き金に指をかける。後は力を込めるだけ。放たれる凶弾は、一瞬にして一つの命を刈り取るだろう。

 

「いーち」

 

今度は、確実に、引き金を引く。男には夢があった。今回の事件で手に入れた金で、ラスベガスで暮らすのだ。もう惨めな思いはしなくて済む。そのためにも、見知らぬ男の命なんて何の感慨を抱かない程ちっぽけなモノだった。

 

だからこそ、引き金を引くのは簡単。別になんの問題もない。だからこそーー

 

 

 

 

 

 

 

バン。

 

 

 

 

 

 

 

音が鳴った。空気を震わせ、人々に伝わる。一人一人と伝搬していった。

 

悲鳴が上がった。恐怖すらも空気を伝っていくようだ。阿鼻叫喚。まさしくそんな絵面だった。

 

 

ーー人々が、閉じた瞳を開ける。彼の生死を確認する為だ。果たしてーー

 

 

 

だが、人々の視界には何も映らなかった。何も、映らなかった。決して比喩ではない。全ての人の視界には、平等に何も映らなかった。

 

 

暗闇。ただそれだけがこの場を支配していた。では、先程の「音」は?視界が闇に覆われた人々に確認する手段は無かったが、代わりに声が聞こえてきた。

 

「あー。聞こえてるか?」

 

先程の場からは想像出来ないほど、冷静な声だった。

 

「このデパートは、俺が占拠した。即刻全員抵抗をやめろ。繰り返すぞ。即刻全員ーー」

 

 

「何を言ってる?!このデパートは俺のだ!!一体何のマネかは知らないが今すぐやめろ!!」

 

「いいや。無理だ。このデパートには爆弾が仕掛けてある。俺はテロ屋だ」

 

「は?な、何を言ってーー」

 

狼狽する男。落ちた照明が再び点灯する。

 

急に明るくなった場内に人々が目を細める中、無理矢理目を見開く男。その瞳に映ったのはーー

 

ーーまるで、()()()()()()()()()()()()散乱する机と椅子たちだった。先程の音も何かが爆発する様な音だった気がする。まさかーー

 

「よく聞け!!このデパートには無数の爆弾が仕掛けてある。俺は今から貴様らごとこの建物を爆破する!!」

 

「バ、バカな。そんなことできる筈が……出鱈目だ!!」

 

館内放送のスピーカーから聞こえてくる声に対して真っ赤になって反論する男。つい数秒前まで殺そうとしていたタマキンのことなど忘却の彼方だ。

 

「なら試してみるか?」

 

すると、先程と同じ「バン」という音とともに天井にぶら下がっていた1番大きな照明が弾け、勢いよく落下する。飛び散る残骸。幸運な事に、死傷者は出なかった。ただ、その恐ろしさを知らしめるためには十分だ。聴覚と、視覚。二つの感覚で、「爆発らしき現象」を目の当たりにしては、もう信じる他ない。

 

「さあ、そろそろ分かったな?」

 

すると、今度は閉じた店舗のシャッターに内側から穴が空いた。そして、それを真っ先に見た誰かが、一言。

 

 

 

 

「煙だ!!!煙が出てるぞ!!!!!!」

 

 

 

 

そこからはもう場は混乱の渦中となった。

 

人質にしている人々のことなど忘れさり、全力で走り出す犯人達。そこにはもう先程まで人を脅し、恐怖に陥れていた影など何処にもなく、あるのはただ、脱兎の如く逃げだそうとする惨めな姿だけだった。つまづき、倒れた仲間の上を乗り越え、我先にこの場から逃げおおせようとする。それはもう、醜い姿だった。

 

 

もちろん、置き去りにされた人々はたまったものではない。犯人達と同様に恐慌し、叫び、慄くがーー

 

ーー残念ながら、彼は縄で縛られており。どうすることも出来ない。泣き、喚き、それにすらも疲れた所で、ようやく誰かが気づく。

 

 

先程までの爆発音が、嘘のように消えているのだ。よくよく辺りを見渡せば、立ち込めていた煙りももう消えている。

 

 

ーー助かったのかーー

 

そんな安堵と困惑に包まれる場に、少女の声が轟いた。

 

「もう大丈夫。私達は助かるわ」

 

そうやって自信満々に頷く少女、譲友。全ての事の顛末と、今回の司の行動の内容を知る、数少ない人間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

透き通った夕暮れ。薄暗くなった駐車場のアスファルトで、パトカーの赤色灯が回っている。その側では、先程えねやタマキンを撃ち殺そうとしていたあの男が、手錠を掛けられて警官に連れられていた。

 

「こんなはずじゃねぇ!!こんなはずじゃねぇんだ……」

 

「自分で転がり出してきて何を言う。あんなにも怯えた顔で、助けてくれと懇願していたのはお前じゃないか」

 

「ちげえ!!テロ屋が来たんだ。爆弾がーー」

 

「爆破の痕跡なぞ無かったぞ。デパートに籠城までしてヒヨッて出てくるとは、最近の犯罪者も軟弱になったもんだな」

 

「そんなことあるか!!たしかに爆発してーー」

 

「はいはい。話は署で聞くぞ」

 

そうやって警官に無理矢理パトカーに押し込まれる男。その後ろ姿からは、最早哀愁を感じる程だ。

 

 

その様子を眺めていた集団が居た。司たち、BANs一行だ。

 

「結局、とんだ災難になっちまったなぁ」

 

そうやって頭を掻くのは、埃だらけになったいつものジャンパーを羽織った男、天開司。

 

それに答えるように、譲友も喋る。

 

「ええ。本当よ。あなた達、いつもこんな感じなの?」

 

「まさか。ただ、二度とは関わりたくないな……」

 

と、タマキン。誰もが皆、疲れ果てた表情をしている。

 

その様子を眺めていたえねが、今回の本題を切り出した。

 

「皆、ごめん。私が最初に捕まっちゃうからこんなことに……」

 

「いいや、関係ないさ。ちょっと無茶はしたけどね」

 

「タマキン、本当にごめん。まさか庇ってくれるなんて思わなくて……」

 

心底申し訳なさそうにするえねだが、当然非はないので、誰も責めたりはしない。

 

「ところで、よく爆弾なんか仕掛けたわね。いつの間に?」

 

「ああ、それなんだがーー」

 

司が説明しようとしたところで、譲友が割って入った。

 

「私が説明するわ。vicが関わってるから」

 

「よろしく」 「俺も知りたいな」

 

何も知らない組のえねとタマキンが口をそろえる。

 

「じゃあ、まず、私の飛ばしたvicが司に気づかれた話からしましょうか。あの時、司とvicで作戦会議をしたの。内容は、実行した通り、司が爆発で脅して犯人達を追い出すこと。」

 

「なるほど」

 

「それで、司がまずは脱出して、徘徊している犯人の出所を突き止めた。それが案の定、このデパートのセキュリティルーム。そこを占拠した司は、照明を消したり、テロ屋のフリをしてスピーカーから喋ったの。肝心の爆弾は、司とvicの共同作業。仕組みは簡単よ。司があらかじめ雑貨屋から取ってきたクラッカーをスピーカーから鳴らして、それに合わせてvicが適当なものを吹っ飛ばして爆発に見せかけただけ」

 

「ええ?じゃあつまり、爆弾なんてものはーー」

 

「最初から存在しなかったの。vicは見えないから、現象を再現するにはうってつけでしょ?ちなみに煙は、フードコートとあって火元には困らなかったわ」

 

関心するえねとタマキン。そこに、司が改めて口を挟む。

 

「だが、当然タマキンが時間を稼いでくれなきゃ間に合わなかった。あんな危ない目に合わせたのは俺の落ち度だ。すまねぇ、改めて礼を言うぜ。

 

「気にしないでくれ。自分にもあれくらいしかできなかったからお互いさまさ」

 

「そう言ってもらえると助かる」

 

微笑む二人。こうやって山場を潜り抜けて育まれる友情もある。まさしく二人がその体現だった。

 

 

「さあ!!みんな今日の目的を忘れてない?」

 

そんなえねの言葉に、一同はハッとする。当然だ。こんなことになってしまって、忘れていたが、今日はーー

 

「ああ、譲友の歓迎会、だったな」

 

「え?でももうデパート無理でしょ?」

 

キョトンとする譲友。だが、その他のメンバーはやる気満々のようだ。

 

「いや大丈夫だ。寿司、だったよな?」

 

「まあ、そうだけど……」

 

「確か、回る寿司屋ならこの辺にあったよね?」

 

「間違いない。じゃあ、今日はそこにするか?」

 

「「「賛成!!」」」

 

 

重なる声には、遅れて譲友の声も重なっていた。

 

「ほらー譲友ちゃんも分かってきたじゃない!!」

 

「ええ。こういう時は遠慮せず、でしょ?」

 

得意げに言う譲友に、全員が破顔する。

 

手元に目線を落としたタマキンが切り出した。

 

「もう19時だからな。ケンも大丈夫な頃合いだろう」

 

「じゃあ、連絡もとってーー」

 

「ああ、今日はもやしとかも来るからな。楽しみにしてろよ?」

 

「え?もやし?」

 

「ああ、俺たちの仲間だ。まだまだたくさんいるぞ?」

 

心底楽しそうに笑う司。つられて譲友も笑顔になる。

 

 

「分かった。楽しみにしてるわ」

 

譲友と出会ったあの時と、変わらない笑顔。だが、あの時よりも確実に親しみを覚えた彼女の笑顔は、より一層輝いている。

 

夕日の朱色が、美しい星空へと、バトンを渡そうとしている。信じられる友と共に、譲友の新しい生活が、始まろうとしていた。



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債務者と大福 その1

喧騒に包まれ、人々は安心を得るというが、この状況がまさしくそれだろう。例の立て篭もり事件の直後、早速譲友のリクエストで回転寿司に行った司たち一行は、極限状況から抜け出した実感を噛みしめている。

 

事件に遭遇した司、タマキン、譲友、えねの四人の他、ほぼ貸し切り状態の店内のテーブルには様々な面子が顔を揃えていた。

 

露出の多い男なのか女なのか分からない声の女性(?)を始め、色々とアウトそうな千葉出身のネズミ、仮面を被ってバイクに乗ってそうな男など、多種多様である。

 

ーー彼らはいわゆる司たちBANsのメンバーなのだが、集まるのも不定期なため、こうして揃うのも稀である。お互いの近況を話し合い、杯を交わしている。

 

「いやー。君が譲友ちゃん?可愛いねぇーっ!ヒック!!」

 

「ど、どうも……」

 

すでに酔ってしまったのかベロベロで絡んでくる男もいた。正直譲友はドン引きしているのだがそんな事などお構いない様子だ。

 

「おじさんはねぇ……サイボーグな忍者をやってーー」

 

「なあフォックス。そろそろやめとけ。譲友が困ってる」

 

「ヒック。いやぁ、大丈夫だぁ……」

 

「……。ほら、肩貸してやるからこっちこい。な?」

 

「えー。ケチー」

 

そう言いながらタマキンに連れていかれてしまった。完全に千鳥足。見てて不安になってくるほどフラフラだ。

 

そんな二人の様子を見送っていた譲友に司が声をかけた。

 

「譲友、大丈夫だったか?悪い奴らじゃないんだが酒が入るとどうも……」

 

「いや、大丈夫よ。本当に面白いのね、あなた達」

 

「……ああ、よくも悪くも曲者揃いだからな」

 

「あら、それは司が言えた事じゃないでしょ?」

 

会話に加わって来たのはえねだった。酒が回っているのか、頰を赤らめている。

「……まあな。曲者で悪かったよ曲者で」

 

「さあさあ、譲友ちゃんも楽しんでってね。今日の主役なんだから」

 

「もちろんよ。今日はとんだ災難にもあったしーー」

 

譲友が今日の記憶を辿ろうとした時、ある疑問が頭に浮かんだ。

 

「ーーあ」

 

「ん?どうした?」

 

訝しむ司とえね。譲友の顔を2人して覗きこむ。

 

「いや、大した事じゃないんだけど。なんで不可視状態のvicに司だけ気づけたのかなって」

 

譲友が言っているのは、今日起こったデパート建て込み事件の事。囚われた譲友達がvicを顕現化させずに飛ばしていたところを、なぜか同じく囚われていた司だけが気づいたのだ。司は一般人なので、見える筈などない。譲友の疑問はそこから来ている。

 

「ああ、それか」

 

司は素っ気なく答えると、一度何かを思い浮かべるように一瞬目線を泳がせ、一言。

 

「……昔、ちょっとな」

 

含みを持った答え方に女子2名は興味をそそられたのか、逆に突っ込む。

 

「ちょっとって何よ!!」

 

「そうよ。お母さんに隠し事しないの!!」

 

2人の剣幕に若干押されそうになる司だったが、それでも答えたくない理由があるのか、頑なに話さない。

 

「嫌だね」

 

「えー。ケチー」

 

「ケッ。どうとでも言え」

 

司はそうあしらうと、再び記憶を辿り始める。彼の中ではあまり人に話す事はない過去。ある意味腐れ縁であり、ある意味戦友であったあの大福の記憶を。

 

(チッ……思い出しちまったじゃねぇかよ。あのクソ大福との話とか意地でも話してやらねぇからな)

 

そう考える司の意思に反して、脳はどんどん追憶をしていく。過去へ、過去へ。そう、記憶の引き出しを大切に。ゆっくりと開けるようにーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは、澄んだ空気の向こうで朝日が煌めく冬の朝だった。早朝と言う事で、商店街のシャッターは締まり切っており、新聞配達のバイク音が響いているだけだ。

 

そのある意味神妙な雰囲気の中、凍えるようにうずくまっている男こそ、天開司本人である。この頃彼はまだBANsとは無縁で、目的もなくただ一人街を彷徨うだけだった。ボロボロの賃貸に住み、日雇いのバイトに出掛け、対価の安い給料は大量の負債と家賃、それと酒の為に一瞬で蒸発してしまう。手元に金など全く残らない。正に自堕落。そんな生活を送っていた。

 

そんな彼は、翌日が休みなのを肴に道端で安酒を飲んだ後、そのまま外で寝込んでしまっていた。警察の職質によって起きた彼の身体を襲うのは、二日酔いの気怠さと刺すような寒さだけ。彼にとってはまさに最悪な朝。動くことすら億劫でここにうずくまっていた。

 

(……あーあ。何してんだろうなぁ。俺)

 

そんな後悔がずっと頭を回り続けるくらい、最悪な気分だった。日頃彼はそこまでナイーブな男ではないのだが、酒の力が失われたせいもあってか、急激に気分が落ち込んできたのである。

 

そうやって呻いたり呻かなかったりを繰り返して暫くした頃だろうか、不意に、司を照らす朝日を遮る影が立ち塞がった。

 

「……スィヤセェン。ちょっといいですか?」

 

女性の声が聞こえてきた。どうせ俺の姿を憐れんでか面白がってか知らないが興味本位で声をかけてきたのだろう。反応するのも煩わしくて、目を瞑っていたのだがーー

 

ーーどうやら居なくなる気はないらしい。痺れを切らした司がようやく半目で顔を上げた。

 

「ああ、冷やかしなら帰ってくれ。俺なんか見てたって面白いことなんてねぇぞ」

 

本当に無気力な声。瞳を開きかけた癖に顔すら見ようともしない。そんな彼の様子がおかしくなったのか、その影は笑いだした。

 

「まあまあ、そんな邪険にしないで下さいよ」

 

「ああん?こちとら眠いんだ。あんまり邪魔するようなら安眠妨害でーー」

 

そうやって再び寝ようとする司を遮るように、影は今度は魅力的な提案をした。

 

「……お兄さん。お金ぇ、欲しくないですか?」

 

金。その言葉に反応して、流石の司も顔を上げた。ようやく瞳に飛び込んで来た光に目を細めつつ、ゆっくりと目を見開いた先にはーー

 

ーー朝焼けの中で白髪をふわりと揺らす、少女が佇んでいた。後ろで結ばれた髪が上品に垂れ下がっている。服装は何らかの制服のような物の上に洒落たコートを着ていて、この場にはあまりそぐわないような雰囲気を醸し出していた。さっきからの半笑いのようなふにゃふにゃした喋り方の正体も表情を見れば分かった。確かに、ふにゃふにゃ半笑いしている。

 

「ーーああ、やっとこっちを見てくれた。ねぇお兄さん。お金、困ってるんでしょ?」

 

「……あ、ああ」

 

予想とは反した影の正体に、言葉を上手く紡げない司。認めたくはないが、陽の光に輝くその白髪と、透き通ったような雰囲気に一瞬だが見惚れてしまったのだ。

 

「なら、着いてきて下さいよぉ……いいお話、あるんです。お駄賃は……一回20万ほど」

 

ニヤニヤする少女に、呆気に取られながらも流石に違和感を覚える司。流石に高額すぎるし、彼も怪しい連中には幾度も騙されてきたので、そこら辺の免疫はある。

 

「あ?悪いが、サツに捕まるようなことはしねぇからな。昔手を出しかけたがリスクが高すぎる。分かったらとっとと立ち去りな」

 

少女はその言葉を受けて、少し瞠目した後に顔を上げた。

 

「……なら、安心して大丈夫。法には触れません」

 

「本当だろうな?」

 

「はい。なのでぇ……詳しいお話、聞いてくれます?」

 

暫く黙考した後に、司はようやく答えた。

 

「……分かった」

 

司は金に困っていた。それはそれは、とても。この生活が少しでも変わればーーそんな気持ちもあったのかも知れない。だからこそ彼は、そんな決断を下してしまったのだ。軽率だったと後で後悔するかどうかも、分からないまま。

 

「ありがとうございます……こんなところでも何なんでぇ、近くのお店でも行きましょうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

少女に言われるまま着いていった司だったが、入ったのは喫茶店だった。早朝ということもあって、客らしい客といえば隅っこのほうで新聞を読んでいる渋めの老人しか居ない。陰気で寂れた雰囲気が嫌でも目につく。

 

「ご注文は?」

 

「ああ。俺はホットコーヒーで」

 

「じゃああたしはこの……特性いちご大福って言うのとホットミルクで」

 

「畏まりました」

 

 

丁寧に一礼して去っていく店員を見送って、司は話を切り出した。

 

「聞きたい事は色々あるんだが……まずはお前が何者かだな」

 

「あたしはぁ……椎名唯華って言ってぇ。見ての通りの高校生」

 

「高校生?まあ、確かにおかしくはねぇが……もしそうだとして、目的はなんだ?援交ならお断りだぞ」

 

「援交じゃないですよぉ……っていうか、そうならあたしがお金をもらう側じゃないですかぁ?」

 

「む……むぅ」

 

普通に正論を返されて、狼狽する司。椎名はそんな様子を可笑しそうにーーこれまた煽る感じでーークスクスと笑っている。若干睨んでくる司の眼を鮮やかにスルーして、椎名は話を続けた。

 

「お兄さんには……ちょっとした人助けをして欲しいんですよぉ」

 

「人助けだぁ?なんかお前に言われるとどうにも胡散臭いっていうかーー」

 

「それについては安心して下さい。そう、貴方達の世界で言う()()()の仕事ですよぉ……」

 

いくらそういう風に言われても、司にはどうも信用することが出来ない。まあ、フニャフニャしながら仕事の話をしてくる少女を信頼しろと言っても無理な話なのだが。

 

「仕方ないですねぇ。じゃあ、この喫茶店の手助けって言ったら信じます?」

 

椎名は、内装一面を見渡してそう言った。見渡しているが、何処も見ていないようなーーとにかく不思議な動作だった。

 

「はぁ?つまり、バイトしろってことか?だったら初めからそう言え」

 

「いやぁ、まあ、そう。そんな感じ」

 

「喫茶店のバイトで、20万貰えるんだな?」

 

「ええ。そんな感じですね」

 

「乗った!!」

 

(即決かよこの債務者?!)

 

まさかここまでチョロいのかと驚愕する椎名を他所に、司はしごく真面目な顔でウキウキしている。残念ながら彼は愚かだった。お金に目がないあまり、こんな怪しい話に乗っかってしまったのである。

 

「じゃあ、こちらの契約書にサインをーー」

 

「オッケーオッケー」

 

沢山の文字が所狭しと並ぶ契約書の中身を()()のみ熟読し、したり顔で筆をとり堂々と名前を書いた。直前まではちゃんと気をつけているのに、結局上手い話に軽々とのせられてしまうのもまた、債務者の業であった。

 

あまりにもすんなりと行きすぎている交渉に顔すら曇らせ始める椎名と、顔を輝かせる司は、面白い程対照的だった。

 

 

「お待たせしました。ホットといちご大福です」

 

店員が先程の注文を運んできたようだ。丁寧な仕草で、食器の一つ一つを並べていく。

 

司が目を落とすと、机の上には、コーヒーと、牛乳と、大福が並んでいた。

 

この並びで明らかに異様なのが大福だった。司は椎名の注文内容など聞き流していたので、実際にその現場を見て絶句する。

 

「お前……朝から喫茶店で大福か?」

 

「うるさいなぁ。いいでしょお?何頼んだって」

 

椎名は不満げに頰を膨らませながらも、フォークを器用に使って大福にパクついた。

 

途端、先程とはうって変わり顔全体を綻ばせた。満ち足りたような表情をする椎名。見てるだけでなんとなく気が抜けてくるが、司は頑張って気を取り直す。

 

「お前なぁ……」

 

 

司がそう気怠げにツッコみかけた時だった。

 

 

パリン。

 

 

ふと、何が砕け散る音がした。店員が食器でも割ったのかと思い、カウンターの方を見るもそんな様子はどこにもない。では、だれがーー

 

ーーそう思って振り返ると、目に飛び込んできたのは水びたしの机の上に突っ伏した初老の男性、それに割れた陶器製の皿だった。

 

何事かと司が腰を浮かせようとするが、椎名が司を遮るように手を差し出す。

 

「んだあ?急に人が倒れたんだぞ?駆け寄るくらい別にーー」

 

そんな司の言葉など気にもせず、椎名はあろうことか机の上に置いてあったフォークを倒れている男性の方へ投擲した。先程までの彼女の雰囲気からは想像も出来ないほど鋭く、的確な一擲だった。

 

だが、そのフォークは男性の直上を通り過ぎ、そのまま壁に突き刺さる。

 

「……お前っ?!何をやってーー」

 

唐突な椎名の奇行に司は戦慄する。だが、彼女から返ってきた言葉は一言。

 

「黙って!!!」

 

その声を合図にするかのように、周囲の空気がねじ曲がった。形容し難い禍々しい気が辺りを包む。そう、入店時から感じていた陰気な感じがさらに増大した感じだ。

 

途端、世界が色を失う。同時にねじ曲がった空気も収束し、無機質な情景が顕になる。だが、モノクロになった景色の中で、唯一色を保っている物があった。隣でいつのまにか立っていた椎名と自分。それに、先程の老人。いや、老人のような何かだ。アレは違う。纏わり付かれているだけだ。色を失っていないのは老人ではなくーー

 

ーー虚無を湛えた瞳をした、怨念のような何かだった。

 

先程からの陰のオーラは全てそいつが原因だったのだと直ぐに分かった。そして、椎名が真っ先にフォークを投げた理由も。その怨念は、老人の身体を包みこもうとして、彼女の一擲により遮られたのだ。

 

「お、おい椎名。あれは……」

 

「ああ!やっぱりお兄さんにも見えるんだぁ……素質、あったんだね」

 

「……何を言ってやがる?とにかく今はアイツをどうにかしねぇとダメなんじゃねぇか?!明らかヤバイオーラが出てるぞ?!」

 

司がそう言ったそばから、その怨霊の周囲に亀裂が入り始めた。異様さと危うさが並立している光景。まさしく超常ーー常識を超えたとしか言いようのないその姿は、今までそのような世界とは無縁で暮らしてきた司を震え上がらせるには十分だった。

 

続いて負のエネルギーの具現のような形容し難いなにかーー無理くり言葉にするならば、「光球」いったところかーーが無数に飛んでくる慌てふためく司と対照的に、椎名は至って冷静だった。

「……お兄さん。よく見ててねぇ。これからお兄さんには、こんな感じの()()()()、してもらうからぁ」

 

光球がこちらに迫ってくる。そして、ついに自分達に衝突するかというところで、謎の光の壁によって阻まれた。

 

「アイツの攻撃はぁ、あたしが防いでるから効かない。だからお兄さん、落ち着いてぇ」

 

「し、椎名、お前、一体ーー」

 

司が驚愕している間にも、怨霊の攻撃は激化する。だが、言われたとおり自分達には何の影響もない。それを目の前の少女がやっていると言われても、素直に納得はできないのだ。

 

「ーーあたし?あたしはね、椎名唯華。ただの女子高生()()()()だよぉ」

 

正面を見れば前のものとは比べものにならない程巨大な光球が迫っていた。もともと置いてあった喫茶店内の机たちを一緒に呑み込んでいっている。あんな物に触れたら一瞬で消しとばされそうだ。

 

「ヒッ……」

 

恐れ慄く司。この光景を見れば、誰だって同じ反応をするだろう。

 

だが、その凶弾は二人のもとに届くことは無かった。

 

椎名がブツブツと何かを呟きながら手をかざすと、光球は一転し、何かに引っ張られるように明後日の方向へと向かって行く。いや、明後日どころか、そのまま怨霊の方向へ意思を持ったかのように飛んで行った。

 

怨霊は返ってきた光球に狼狽するかのように後ずさると、そのまま上へ逃げようとする。しかし、椎名がそれを許すはずがなかった。光球の色が白色に反転したかと思うと、巨大な球から長細い紐状に形を変え、怨霊を搦めとる。なすすべなく縛られた怨霊は、そのまま地面に叩きつけられた。

 

「ヴオオオ……」

 

完全に身体をがんじがらめにされ、身動きが全く取れない状況。だというのにまだ抵抗するようにこの世のものとは思えない呻き声を上げるその姿は、まさしく負の権化という言葉が相応しかった。

 

「お、おい。もう大丈夫なのか……?」

 

椎名は答えようとしない。代わりに、怨霊が居る空間一帯をずっと凝視している。

 

ーーそして、唐突に口を開く。

 

「伏せて」

 

脊髄反射で司がしゃがむ。瞬間、周囲の物全てを破壊しかねないおぞましい咆哮が響き渡った。

 

「グアアアアア!!」

 

余程力を使ったのだろう。怨霊の纏う漆黒のオーラが薄くなっている。だが、それを代償として、己を戒めていた光の縄が解けていた。

 

怒りの衝動のままに、怨霊は行動する。今度は早く、強くーー

 

気がついた時には、司の天地がひっくり返っていた。いや、ひっくり返ったのは司の方。理解できない程の一瞬の出来事だった。

 

今の一撃でついに建物も持たなかったのだろう。周囲は瓦礫と煙で包まれている。

 

(……しまった。椎名は?!)

 

揺れる脳内と霞む視界の中、あの未だ謎の少女の姿を必死で探す。ムカつく顔だしこんな訳の分からない事にも巻き込まされたりで散々な印象だったが、それとこれとは別問題だ。見捨てる理由にはならない。

 

「……ッ」

 

苦通に呻きながら立ち上がる影を見つけた。煤だらけでかなり様子は変わってしまったが、着ていた白い制服と白髪のポニーテールの面影がある。

 

「あー。ちょっと油断したかなぁ」

 

頭を抑えながら、フラフラと頭を上げる。もうその顔に、あの半笑いは残っていなかった。

 

「スィヤセェン……本気ぃ、出します」

 

その時だった。彼女の周囲に()()()()()()()としか言いようのないオーラが纏わり付いた。

 

 

「一撃でぇ、決めます」

 

 

椎名の異様な雰囲気に気がついたのか、怨霊が即座に動きだす。椎名が為そうとしている()()を防ぐため、拳を振りかぶるがーー

 

 

「降霊」

 

 

その一言と共に、怨霊の動きが止まる。ーーこれ以上近づいてはいけないーー椎名のオーラは、悪意にすら恐怖を与えるまでになっていた。

 

 

「一撃必殺」

 

 

 

椎名の眼光が怪しい光を宿す。周囲の時間が急にゆっくりになった。手を翳そうとした彼女の腕の残像がやけに鮮明に残る。

 

 

鋏•斬首刃(ハサミギロチン)

 

 

途端、怨霊の足下に五芒星が現れる。飛びのこうとする怨霊だったが、何かに掴まれたかのように足から身動きが取れない。ドス黒いオーラが立ち込めたかと思うと、怨霊の姿を覆い尽くさんばかりの巨大な鋏が現れた。鋏といっても、切断が目的の物ではない。いわば、甲殻類を思わせるような鋏。捕まえることに特化した形状。もちろん、それは今回の場合でも言える。

その巨大な鋏は、貪欲に吞み込めるもの全てを喰らおうとする。頭上に存在する怨霊、そしてその空間さえも。鋏というにはあまりにも大きな口を開けーー

 

 

ガチン。

 

 

その音と共に、全ての事象が終焉を告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーん、起きたぁ?」

 

 

司の意識が覚醒する。記憶が覚束ない。ここは何処ーー

 

「お疲れ様です〜」

 

軽い調子でニヤニヤしながら大福を頬張る少女の姿には覚えがある。だんだん記憶が鮮明になってきた。ここはーーいや、違う。まずはなによりーー

 

「さっきのは何だったんだ?!」

 

座っている机を思い切りバンと叩く。辺りを見渡すと、ビックリした顔で自分を見つめてくる客の姿。よくよく見ると、倒壊したはずのこの建物も内装も何事もなかったかのようにもと通りになっていた。

 

「ほらほら落ち着いてよお兄さん……周りの人がビックリしてるよ?」

 

「……」

 

流石に反省したように呻く司。さっきまでの出来事が夢みたいだ。未だにフワフワした感覚が消えない。

 

「お兄さん……さっきまでの内容、覚えてるよね……?」

 

「あ、ああ。あんな怖え目には会った事がなかった。足がすくんじまったよ。まあ、俺にはこの仕事が無理って事が分かったさ」

 

「はい」

 

「だからこそだ。俺は降りるよ。金は欲しいが、命までは晒す気は無い」

 

そう言って司は立ち上がる。今は一刻も早くここから立ち去りたかった。記憶を拭い去りたかった。だがーー

 

「お兄さんーーいや、天開さん、ダメだよぉ」

 

「は?」

 

「忘れたとは言わせないよ。コ レ 」

 

司を引き止めた椎名が差し出したのは一枚の紙。悲しいことに、取り消せない事実。先程サインしてしまった契約書だった。

 

「そんなんは無効だ。内容はしっかりと読んだがーーん?」

 

司が首を傾げた理由は簡単。椎名が紙をひっくり返したからだ。そう、あろうことか司は裏面を確認していなかったのだ。裏面には、椎名唯華の仕事全般を手伝うこと、仕事内容に関しては一切に従うことーーそんな内容をまじまじと見つめた司は、一言。

 

「そんなんーーアリか?マジでさっきみたいなよくわからんヤツ相手に仕事すんのか?」」

 

「ありありの大マジ。天開ーー何て読むの?てんかいじ?」

 

契約書に書かれたサインを見て、分かっていてか勝手に読みを作る椎名。色々言いたいことがある司だったが、これだけは一番嫌だった。

 

「俺はテンカイツカサだ!!」

 

「そうなんだ、てんかいじさん」

 

クスクスっと笑う椎名。これがまた憎らしい。

 

「まあ、何はともあれ、契約は尊守しないとぉ。もし違反をしたらーー今度はあのギロチンの中にてんかいじを放り込むよぉ?」

 

「なっ……」

 

全ての内容を理解し、顔を覆う司。顔色は真っ青だった。

 

「ふざけろっ……」

 

呻く司。その後悔は、するにはあまりにも遅かった。

 

「じゃあ、これからもあたしの()()()、よろしくねぇ、()()()()()ぃ……」

 

「こんの()()()()ぅ……」

 

恨み節を言う司だが、椎名にはノーダメージのようだ。地雷を全力で踏み抜いた後悔も、これからあんな化物相手に仕事しなければいけない恐怖も、もう誰も汲み取ってくれない。

 

 

(こんなんなら、まだサツに捕った方が……)

 

そんな考えすら頭を巡る。この先起こる様々な苦難を想像して、青くなった顔を更に白くする司だった。

 

 

 

 

ーーこんな、詐欺まがいのきっかけで出会ってしまった少女、椎名唯華。今回の彼女との記憶は、ほんの序章に過ぎないーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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