車椅子探偵えりか (ざんじばる)
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ピアノソナタ月光殺人事件
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ということで、クロス先は『FLOWERS』でした。
とりあえずコナン最初期の名エピソード『ピアノソナタ月光殺人事件』を舞台に描いていきます。

ハーメルンで『FLOWERS』を検索しても他に扱っている他作者様は一人しかいませんでしたのでそのマイナーさは理解しています。
そのため原作を知らなくともオリ主感覚で読んで楽しんでいただけるようにするつもりではおりますが、『Innocent Grey』の公式ホームページを見て、キャラクター確認だけでもしていただければより楽しめると思います。美麗なキャラクター絵が見られますので是非。

もちろん原作ゲームをプレイいただければ更に楽しめることは言うまでもありませんが。


 ■Side C

 

 ドッドッドッドッ。低く重い音を立てながら、分厚い霧の中を一艘の船が往く。

 

「———ったくよ———……」

 

 その船の甲板上でタバコを吹かしていた男は、口からタバコを離すと誰にいうでもなくぼやいた。歳の頃はおそらく40手前。そろそろ中年に差し掛かる年代だが、スーツに身を包んだその体は細身ながら引き締まり、鍛えられているのだとうかがわせる。オールバックに綺麗になでつけた髪と小粋に整えたちょび髭が目を引く男だった。

 

 男のぼやきは続く。

 

「世間じゃゴールデンウィークだっていうのに……なんでこの名探偵・毛利小五郎(もうりこごろう)がわざわざあんな島に出向かなきゃいけねーんだ」

 

 その言葉の通り、男、毛利小五郎は探偵業を営んでいた。もともとは『ヘボ探偵』『迷探偵』などと揶揄される、いわゆる自称探偵であったが、最近、警察も扱いに困る難事件を立て続けに解決。その独特な推理のスタイルから『眠りの小五郎』との異名も定着し始め、名探偵の末席に加えられるようになっていた。

 

 そんな男が、この船、とある島への連絡船に揺られているのには訳がある。小五郎は懐から一枚の紙を取り出した。この紙切れこそがその理由。そこには。

 

『次の満月の夜 月影島で再び 影が消え始める 調査されたし 麻生圭二』

 

 新聞の文字を一文字一文字切り抜いて作られた古式ゆかしい怪文書。それが一週間前に送られてきたのだ。それだけではない。おとといには月影島の麻生圭二を名乗る男より、依頼料を振り込んだので必ず来るようにとの電話があった。用件を一方的に伝えて即座に切られた怪しい電話ではあったが。

 

 そのことが小五郎には気に入らないのだ。

 

「———ったく…自分勝手な依頼人だぜ」

 

 なおもぼやき続ける小五郎。そんな彼に後ろからなだめる声がかけられた。

 

「でもいいじゃない。おかげで伊豆沖の小島でのんびりできるんだから! ねー、コナン君?」

 

 声の主は女子高生くらいの女の子。癖っ毛の黒髪をロングヘアーにしており、その跳ねた前髪が活発そうな雰囲気を醸し出している。スタイルはスレンダーだが出ているところは出ている。おそらく学校のクラスの中でも有数の目を引く少女であろう。

 

 その少女———小五郎の娘、毛利蘭(もうりらん)の問いかけに「うん!」と元気に答えるのは小学生くらいの少年。黒縁眼鏡が目立つ好奇心旺盛そうな男の子、江戸川(えどがわ)コナンだった。彼は毛利家へ居候の身であるため、今回の道行きにも着いてきたのだ。

 

 二人のそんな様子に小五郎は鼻を鳴らす。

 

「あれがのんびりできる島に見えるかよ……?」

 

 小五郎がそう漏らすとおり、ようやく見えてきたその島、月影島は霧に包まれ、上空では大量のカラスが鳴くという不気味な雰囲気を醸し出していた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 島に上陸したコナン一行がまず向かったのは村役場だった。麻生圭二なる人物の居所を突き止めようとしたのだ。けれど。

 

「麻生圭二?」

 

 村役場の窓口に座る、まだ年若い職員に聞くも、彼は知らないようだった。そんなはずはないと詰め寄る小五郎。その職員は先月この島に来たばかりらしく、事情をよく知らないようだった。住民名簿を端から端まで見てその名前がなかったことから、小五郎の間違いだろうと判断したらしい。

 

 その騒ぎを聞きつけて年配の職員がやってきた。何かトラブルだとおもったのだろう。窓口の職員へどうかしたかと声をかける。それに対して「麻生圭二」という人物から依頼を受けたらしいという話をすると。劇的な反応が返ってきた。

 

「あ、麻生圭二だとぉー!?」

 

 戦慄とでも言えそうな驚愕をその顔に貼り付けると、村役場中に響き渡る声で絶叫した。それだけではない。「麻生圭二」という名前を聞いた周囲の中年、老年に当たる村人たちが一斉にザワザワし出したのだ。なにやら動揺しているらしい。コナン一同は訳も分からず周囲をキョロキョロ見回す。その理由は年配の職員の次の一言で明らかになった。

 

「そ、そんなはずはない……だって彼は10年以上前に……死んでいるんですから……」

「「ええっ!?」」

 

 まさかの事態に驚きを禁じ得ないコナン一同。そんな彼らをよそに年配の職員は話を続ける。それもまた常軌を逸した内容だった。12年前の満月の夜。村の公民館で演奏会をやった後、突然家族を連れて家に閉じこもり、火を放ったというのだ。そして自分の妻と娘を刃物で惨殺した後、燃えさかる炎の中で何かに取り付かれたように家のピアノで何度も同じ曲を弾き続けたのだと。ベートーベンのピアノソナタ「月光」を……。

 

 息を呑んで年配の職員の話を聞き続けるコナン一同。そんな彼らを三対の瞳が見つめていた。一対は村役場のガラス戸の向こう側から、酒を一呷りした後で無言で立ち尽くす中年の黒いキャップを被った男。そしてもう二対は———

 

 

 

 ◇

 

 

 

 コナン一行は村役場を辞すると、その入り口の前でここまでに得た情報を整理しだした。死者からの手紙をタチの悪い悪戯と決めつける小五郎に対して、振り込み済みの依頼料と月影島の消印が入った手紙を根拠に、この島の誰かが麻生圭二について調べて欲しいのだと主張するコナン。その主張には小五郎も一考の余地を認めざるを得ない。蘭の取りなしでとにかく麻生圭二の友人だったというこの島の村長に聞いてみようということになった。その時。

 

「なんだ、ずいぶん面白そうな話をしてるじゃないか」

 

 キィキィと蝙蝠が鳴くような音を響かせながら村役場から出てきた人物が声をかけてきた。少女の声で男性のような言葉遣い。コナンたちが驚き振り向くとそこには二人の少女がいた。いずれも非常に目を引く少女たちだった。

 

 まず車いすを押している少女。160cm台と日本人女性の平均から見るとやや長身。大人びた顔つきは造形が素晴らしくまるで創り物めいて見える。長いまつげに縁取られた釣り目がちなまぶた。薄桃色の唇。透明な肌。萌葱色(もえぎいろ)の瞳。全てが黄金比で調和し、その美を形作っている。華やかな芸能の世界でもちょっとお目にかかれないような美人だった。

 

 そして先の声を放った車いすの少女。小さな頭。深い緑色の瞳にきめ細やかな肌。唇は少年のように薄く淡い色を為している。そしてすました猫の笑み。全体的に小作りに繊細に作られていながら、その瞳が彼女の内包するエネルギーを表していた。背後の少女のように絶世の美貌というわけではない。けれどツンとすました黒猫のような、思わず構いたくなるような愛らしさ。けっして並んで見劣りしない存在感を放っていた。

 

 突如現われた二人に圧倒されているコナンたちをよそに、少女二人は掛け合いを始めた。

 

「ちょっと、えりか。初対面の人に急に失礼でしょ。それに変なことに自分から首を突っ込まなくてもいいじゃない」

「なんだよ千鳥。せっかく山奥の学園から出てきたってのに、どこに行くのかと思えば、こんな辺鄙な所に連れてきやがって。退屈なんだよ。いいだろ? ちょっとぐらい」

「ちょっとって……それで熱中して他のことにかかり切りになっちゃうのがえりかでしょ。前に第二外国語を教えてくれる約束を二度も反故にされたこと忘れてないわよ」

「おいおい、それは……執念深すぎるだろ……」

 

 戸惑うコナンたちを放って、少女二人の掛け合いは軽妙だ。パパパッと話が展開していき止めどない。小五郎もコナンも割っては入れないところに、おずおずと声をかけたのはなんと蘭だった。

 

「あのー、もしかして考崎千鳥(たかさきちどり)さん、ですか?」

「え? ええ……そうよ」

 

 車いすの少女との会話を突如止められた彼女———考崎千鳥は硬質な表情を作ると興味なさげに頷いた。車いすの少女相手との態度とは随分違う。よそ向きの愛想はあまり良くないらしい。

 

「やっぱり! あの、以前舞台で見ました! すごかったです!!」

「そう。ありがとう」

 

 蘭の称賛にもやはり感心なさげだ。見かねた車いすの少女に「おい、愛想」と脇腹を小突かれている。

 

「蘭姉ちゃん、そのお姉ちゃん有名な人なのー?」

「うん。舞台とかで活躍してる芸能人さんだよ。歌もダンスも凄かったんだから。……でも、あれ?」

 

 そこまで蘭が説明して、何かに気付いたのか首を捻っている。その内容については考崎千鳥の言葉で説明された。

 

「ええ。今は学業に専念するために休業中よ」

「で、GWの長期休暇を利用して学生寮のルームメイトと旅行に来たってわけだ」

 

 そして、その後を車いすの少女が引き取った。コナンの目が車いすの少女の最も象徴的な部分へ行く。

 

「お姉ちゃん、その足……」

「なんだ坊主? タップダンスでもキめられるように見えるかい?」

「あ、ゴメンなさい……」

「あー、いや。こっちこそ悪かった。ただの軽口だよ。真面目に受け取らなくていい」

 

 しくじったと言わんばかりに癖っ毛を掻く車いすの少女。がさつな仕草だが彼女がするとなんとも愛らしく見えるのだから不思議なものだ。

 

「あのー。その制服ってもしかして」

 

 ばつが悪そうな二人の空気を変えるため、蘭が助け船を出した。二人は同じデザインの服を着ている。おそろいというわけではなく制服なのだろう。紺色のドレスのような制服。華奢で清楚な、一般的な女子学生服とは一線を画すものだった。

 

「うん? ああ『聖アングレカム学院』っていうところだ。知ってるのか?」

「やっぱり!」

 

 車いすの少女がその助け船に乗って話題を変えた。蘭はその答えに手を打って感嘆する。

 

「蘭姉ちゃん、その『聖アングレカム学院』って有名な学校なの?」

「全寮制のミッションスクールよ。お嬢様学校として有名なの」

 

 全寮制女子学校『聖アングレカム学院』。明治3年に建てられた由緒正しいミッションスクールだ。良家の子女が通う、いわば花嫁修業のために誂えられた場所。

 

「世俗から切り離されたと言えば聞こえはいいが、実際は辺鄙(へんぴ)な田舎の、そのまた森の奥にある陸の孤島みたいな場所だぜ?」

「そ、そうなんだ」

 

 評価は人それぞれである。

 

「秘境は学院だけで腹いっぱいだってのに、わざわざ旅行で今度は文字通りの孤島に連れてきやがって」

「なによ。いいじゃない、孤島。空気は澄んでるしとっても静かだし」

 

 車いすの少女の不平不満に対して噛みつく考崎千鳥。それを軽くあしらって。

 

「持ち込んだ本の数にも限りがあるし、さあどうやって退屈と戦うんだって辟易してたところで、あんたたちが興味深い話をしてる場面に出くわしたってわけだ」

 

 そう言って猫のような笑みを浮かべる少女。

 

「そうなんだ。お姉ちゃん、謎解きというかミステリとか好きなの?」

「将来はローレル・キャニオン地区のユッカ街に住みたいと思ってるぜ」

「フィリップ・マーロウ!」

「なんだ、その年で知ってるのか? なかなかやるじゃないか坊主」

「えへへ」

 

 共通の趣味が見つかったことで意気投合してしまったコナンと車いすの少女。やがて英国パズラー・ミステリと米国ハードボイルド・ミステリのどちらが至高かで喧々諤々の議論を始めてしまった。それで面白くないのは放置された小五郎と考崎千鳥である。

 

「おい! 遊びじゃないんだぞ、ガキんちょども!!」

「えりか!!」

 

 その時。一台の街宣車が猛烈なスピードで駆け抜けてきた。車道と歩道の区分けが明確でない田舎道のこと。議論に夢中の二人に接触しかねない危ないコースで迫る。とっさに蘭がコナンを。考崎千鳥が車いすの少女を引き寄せた。街宣車は「島の漁場を守るために、この清水正人に清き一票を!」とお決まりの文句を垂れ流しながら、止まることなく去っていった。

 

 急に引き寄せられた二人。コナンはよろめくだけで無事だったけれど、車いすの少女はそうはいかなかった。車いすは横倒しになりその主は投げ出されてしまった。

 

「えりかッ!?」

「大丈夫ですかッ!?」

 

 その様に考崎千鳥が悲鳴を上げる。そこに白衣をきた人物が飛び込んできた。車いすの少女を慎重に抱き起こす。そして我に返った考崎千鳥が車いすを起こし、そこにそっと座らせた。その白衣の人物は医療従事者なのか、テキパキと車いすの少女を診察していった。

 

「うん。大丈夫そうですね。外傷もありません」

「あ。看護婦さん、ありがとうございます」

 

 一同を代表して最年長の小五郎が礼を言う。それに対して。

 

「私は医者の浅井成実(あさいなるみ)!! ちゃんと医師免許も持ってます!!」

「あ、ドクターでしたか……」

 

 憤慨したように言う白衣の人物———浅井成実医師。小五郎は失言に恐縮していた。続けて考崎千鳥が礼を言った。

 

「えりかを診てくださってありがとうございます。浅井先生。……ほら、えりかも」

「あ、ああ。ありがとうございました」

 

 なぜか訝しげに浅井成実医師のことを見ていた車いすの少女も考崎千鳥に促されて礼を言う。浅井成実医師は「どういたしまして」とニッコリ笑って返した。

 

 次に騒動の一因となったコナンが車いすの少女に謝る。

 

「えっと、えりかお姉ちゃんゴメンなさい……」

 

 しょげるコナンを見た車いすの少女は猫の笑みを取り戻すと、「名前呼び気安いぞ」と言いながらコナンの額をピンと弾いて。

 

「坊主のせいじゃない。気にすんな」

 

 そう言った。やがてコナンも笑顔を取り戻す。

 

「名前呼び気安いぞって言われても、お姉さんのこと名前しか知らないし」

「……ああ。そうだな。名字は八重垣(やえがき)。八重垣えりかだ」

「八重垣お姉ちゃん、じゃ響きが変だよー」

「あー。……じゃあいいよ。好きに呼んで。ミステリ仲間に特別だからな」

「ありがと。えりかお姉ちゃん」

 

 一転和気藹々とした空気が流れる。けれどそれで収まらない人物が一人。考崎千鳥だ。

 

「そうよ。その子……コナン君だっけ。コナン君は悪くないわ! 悪いのはさっきの街宣車よ! 見つけ出して一言文句言ってやるわ!!」

 

 ルームメイトのことがよほど大事なのか、阿修羅さえも凌駕するといわんばかりに激怒している。落ち着けと八重垣えりかが取りなすも一度点いた火は収まりそうになかった。

 

「えっと……公民館に行けば会えると思いますよ」

「え?」

 

 そこに一石を投じたのは浅井成実医師。事情を聞くと今夜は前の村長、亀山勇(かめやまいさむ)の三回忌の法事が公民館で行われるのだと言う。そこに現村長の黒岩辰次(くろいわたつじ)、先ほどの街宣車の主、清水正人(しみずまさと)、おまけに残り一人の村長選挙候補者川島英夫(かわしまひでお)も参列するはずだという。奇しくもコナンたちの目的地も考崎千鳥たちの目的地も同じになったのだった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「———ったく……いつまでこんな所で待たせる気だ?」

 

 公民館を訪れたコナンたち一同に更なる同行者二人。公民館を遠巻きにして現村長への抗議活動を行う村民たちをよそに中へと入った一同は通路に二人がけのソファーと灰皿のみが設置されただけの簡易な待合室で待たされていた。今は村長の秘書を名乗る人物に村長を呼び出してもらっていた。街宣車の主———清水正人はまだ到着していないとのことだった。

 

 その待ち時間もそれなりの長さにおよび、焦れ始めた小五郎が漏らしたぼやきが冒頭の台詞だ。コナンも退屈したのかテテテと室内を歩き回り始めた。やがて何か気になるものを見つけたのか勝手にドアを開けてしまった。

 

「あ、コラ。コナン君……」

 

 コナンを叱り止めようとした蘭も開いた扉から中をのぞき込んだ所で言葉を止めた。なんだなんだと全員が後を追う。

 

「ピアノ……」

「でけー部屋だなあ……」

 

 ガランと広いその部屋の中には一台のグランドピアノが鎮座していた。コナンと蘭がピアノへ向かう。小五郎は部屋に入って右手へ進み、なんとなく窓の外を見た。

 

「ほー。公民館の裏はすぐ海か……」

 

 小五郎の言うとおり、窓のすぐ外には波が穏やかに打つ寄せる砂浜が広がっていた。

 

「こっちの扉からはその海にすぐ出られるみたいだぜ」

 

 小五郎の言葉に応えたのは、車いすを操ってピアノの奥まで進んだ八重垣えりかだ。彼女の前には片開きの小さな扉。直接外へと出られるようになっているらしい。

 

「演奏会をするための部屋、なのかしら?」

 

 部屋を見渡しながら考崎千鳥が誰に聞くとも無しに呟いていた。蘭はこの部屋の主役と言っていいだろうピアノをしげしげと眺めて。

 

「でもこのピアノきったないわねー! 少しは掃除すればいいのに……」

「ダメです! そのピアノに触っちゃ!!」

 

 素直な感想を述べた蘭の背中に突如大声が投げかけられる。不意打ちに肩をびくつかせて振り向くとそこにいたのは村長の秘書だという平田和明(ひらたかずあき)だった。平田は畳みかけるように言う。

 

「それは麻生さんが死んだ日に、ここで行われた演奏会で弾いていた呪われたピアノ!!」

 

 そんな大げさなと苦笑する小五郎へ、けれど平田は言う。ことはそれだけではないのだと。今日の法事の対象である前村長亀山勇。二年前、麻生圭二の事件の時と同じく満月の夜。明かりが消え誰もいないはずの公民館の中から美しいピアノの音色を聞こえ、誰かいるのかと声をかけたらピタリと止んだ。中に入って確認するとそこには鍵盤の上にうつぶせになって死亡していた亀山。死因は心臓発作。そして彼が死ぬ直前まで弾いていた曲も麻生圭二が焼身自殺しながら弾き続けたベートーベンの『月光』だったのだと。

 

 それ以来、この島の住民はこのピアノに触れるのを恐れ、いつしか「呪われたピアノ」と呼ばれるようになったのだという。

 

 壮絶なエピソードに一同、声を殺して聞いていた。重い沈黙が広がるそこに、不意にパラピンポンポンと軽快かつ珍妙な音が鳴り響く。下手人はコナンだった。一切空気を読まず「別になんともないよ。このピアノ」などと言いながら気ままに鍵盤を叩いていた。

 

 制御の利かない集団に困り果てたと言わんばかりの表情の平田に一同追い出されることになった。法事が終わるまで玄関で待っているようにとのことで、ついに公民館の中からも追放だ。よほど腹に据えかねたらしい。

 

 コナンは廊下を歩きながら、後ろからぎぃと鈍い音を立てて付いてくる人物に問いかけた。あるいはつい先ほどミステリ仲間となった彼女を試すように。

 

「ねえ、えりかお姉ちゃん気付いた?」

「ああ。坊主は世界的なピアニストになれるな。才能あるぜ」

 

 コナンはジト目で振り返る。その表情を見て猫のように忍び笑う八重垣えりか。

 

「あまりにいい音を鳴らすからさ」

 

 その一言でコナンは彼女も気付いていたのだと悟った。

 

 ———八重垣えりか……なかなかやる!

 

 コナンは八重垣えりかについて、少なくとも洞察力や観察力はかなりのものだと認めた。単なる好奇心の徒ではないらしい。

 

 

 先頭を歩く蘭が玄関へ出る扉へと差し迫ったその時。逆に外側から開き、二人入ってきた。そして目の前の蘭に気付き、そのうちの一人、黒いワンピースを纏った人物が声をかけてきた。

 

「あら、あなた達まだいたの? ってそりゃそうよね」

「あ! 成実さんこそどーしたんですか? 二人で……」

 

 浅井成実医師と連れだって入ってきた男性は、かっちりとした体型に爽やかな笑みを浮かべているが、成実のパートナーというには年が離れているように見える。

 

「ああ、清水さんとはたまたま道でいっしょになったのよ!」

「はじめまして。清水です!」

「えっと、清水さんって……」

「そう! 考崎さんが探していたあの清水さんよ」

 

 紹介された清水は、八重垣えりかと考崎千鳥の前に歩み出ると「申し訳ない」と言いながら勢いよく頭を下げた。一言申してやろうと息巻いていた考崎千鳥は、いい大人の思わぬ態度に困惑している。構わず清水が続けた。

 

「事情は浅井先生よりうかがいました。あの街宣車は漁師仲間が私のために走らせてくれていたんです。気のいい連中なんですが粗忽なところも多く。皆さんを危険な目に遭わせてしまったと。本当に申し訳ない!」

 

 そう言って清水はまた深々と頭を下げた。漁民の出の故か一本筋が通った人物らしかった。そのような相手を責め続けることもできず。考崎千鳥のほうから頭を上げてくださいと申し出ることになるのだった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 玄関の外で法事が終わるのを待つ一同。八重垣えりか、考崎千鳥の両名は目的を完了したのではあるが、せっかくだからということで付き添っていた。八重垣えりかのほうは何か期待しているようでもあったが。

 

 コナンは玄関の戸にもたれながら物思いに耽っていた。

 

 ———おかしい……

 

 疑問点は大きく二つ。あのピアノは何年も使ってないはずなのに音は正確に出た。これは誰かがこっそり調律していることを意味する。その目的が分からない。そして『麻生圭二』なる人物から出された怪しい手紙。その文面の意味が分からない。

 

 そんな時。公民館の中からピアノの音が聞こえてきた。真っ先に八重垣えりかが面白がるような声を上げる。

 

「おいおい……コイツは……」

 

 ———月光!!!

 

 コナンは己の失策を悟り即座に公民館の中へ突入した。法事を行っていた部屋からは何事かと奥をうかがう人達が身を乗り出していた。それを無視して駆けるコナン。ピアノがあった部屋の扉を突き破る勢いで開く。

 

 

 その部屋には。未だ『月光』を奏で続けるグランドピアノと。その上にもたれ掛かるようになって微動だにしない男性の姿があった。

 

 ———お、遅かったー!!!

 

 悔恨と怒りに歯を食いしばるコナンであった。

 




ひとまず1話目はコナン視点です。2話目からえりか視点になります。3話目からコナン達と別行動を始める予定ですので原作にない(作者の妄想の)シーンも増えてきます。

■FLOWERS用語解説
FLOWERS:猟奇ミステリ美少女ゲームメーカー『Innocent Grey』が送り出した百合ミステリ作品。春・夏・秋・冬の4作品から構成される。本作品登場の二人は夏編の主役級キャラクター。

フィリップ・マーロウ:現実に存在するハードボイルド小説の主人公。私立探偵。ローレル・キャニオン地区のユッカ街という架空の街に住んでいる。


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FILE2

2話は短め3千字。3話が1万字書いてもまだ終わってないので分割して投稿するかもです。


 ■Side E

 

 月影島の公民館。前村長の法事が営まれるなか、奥の部屋から流れてきたピアノソナタ『月光』。その音色を追って部屋に突入した私たちの目の前にあったのは一台のグランドピアノと演奏用の椅子に座って顔を鍵盤の上にうつ伏せている大柄な成人男性、川島英夫。探偵の毛利小五郎がその体を調べているのを遠巻きに見つめている弔問客やその他の集団。その中に車いすの少女、八重垣えりかもいた。やがて小五郎が呟いた。

 

「ダメだ……死んでる……」

 

 ———なにか面白いことが起こればとは思っちゃあいたが、まさか殺人事件とはな。コイツはいくらなんでも刺激が強すぎるぜ。

 

 そう思いながらもえりかは、さほど動揺していない自分に気付いていた。もともとそういう気質だったのか。あるいは学院でもっと酷い状態だった貴船さゆりの遺体を見たことで耐性がついていたのか。それは本人にも分からなかった。ただ冷静に考えを巡らせる余裕があることだけは事実だ。

 

 小五郎がテキパキと指示を出していく。蘭には駐在所への連絡を。他のものにはこの場を動かないように。そして成実医師に検死を依頼した。成実医師が検死を進める傍ら、えりかはこの奇妙な事件を整理することにした。

 

 

 まず毛利探偵に届いたという怪文書。その文面は『次の満月の夜 月影島で再び影が消え始める 調査されたし 麻生圭二』

 

 麻生圭二は12年前に焼死したピアニスト。その際に弾いていたピアノが『月光』。そして二年前にも前村長亀山勇が『月光』とともに心臓麻痺で死んでいる。つまり今回の事件の犯人は以前の二件と関係がある、もしくは関連があると思わせたい。

 

 ここから文面の意味を考えていく。『次の満月の夜』今夜は満月。つまり今時分だ。『再び影が消え始める』これは素直に人が死んでいくと捉えればいいだろう。影が消えるとしたのは満月の『月光』で照らされるからということだろうか。

 

 ———ふん。光が強くなっても影は濃くなるだけだけどな。いずれにしても怪文書の目的は、犯行阻止の依頼か、あるいは。犯行の予告だ。

 

 

「の、呪いだ……これはピアノの呪いだああ!!」

 

 村長秘書、平田の絶叫にえりかは一旦思考を打ち切った。ピアノの中に置かれ、『月光』を奏でていたテープレコーダーを取り出した小五郎。呪いの存在を否定し、誰かが仕組んだ殺人事件に過ぎないと喝破した。ニットキャップにサングラスをかけた色黒の男が断定的な小五郎の態度に反発する。

 

「だいたいあんた何なんだよ……さっきから偉そーに……」

 

 男の問いかけに小五郎はもったいつけてから名乗った。

 

「俺か? 俺は東京から来た名探偵……毛利小五郎だ!!」

 

 けれど。その台詞に対して周囲の反応は鈍かった。残念ながら『眠りの小五郎』の異名は伊豆沖の小島までは届いていないようだった。小五郎は恥ずかしそうにしながら毒づいている。

 

 ———ま、自分で自分のことを『名探偵』もないよな。

 

 遺体の横でそんな喜劇が繰り広げられるなか、コナンは何かを発見したのか床を観察した後、窓際へと寄っていった。

 

 ———床に濡れた跡があるな。部屋の奥の扉から続いてる。外から引き摺ってきたか。

 

 

 しばらく経ち、成実医師から検死結果が伝えられた。死亡時刻は30分~1時間前。死因は溺死。更にコナンが補足する。窓の外、海に浮かんでいる上着から、川島は海で溺死させられた後、ピアノのところまで引き摺られた。海に通じるドアやこの部屋の全ての窓に内側から鍵がかかっていたことから、犯行後廊下へ出ている。さらに玄関ではえりか達が1時間以上待っていたことから、犯人は法事の席に戻った可能性が高いと小五郎が結論づけた。

 

 今も犯人がこの中にいるかもしれないと知ってざわつく弔問客たち。まだ警察が到着していないこともあり、小五郎が聴取を始める。殺された川島はトイレに行くと言って出て行った。それ以降、法事の会場から出たものは、明確に分かっているのは成美医師。その他の人間で誰が会場から出たのか確信を持って言えるものはいなかった。

 

 

 コナンが犯人像の推理を披露した。犯人は男の単独犯。大柄な川島を短時間で海で溺死させ、引き摺りながらこの部屋へ運んできたことを根拠に上げたと言う。納得できる話だ。

 

 このピアノは15年前に麻生圭二が公民館に寄贈したものだという。贈り主の名前も名前も蓋に記されていると聞きピアノの蓋を閉じる小五郎。その時、蓋とピアノ本体の間に挟まれていた紙片がヒラリと落ちた。小五郎が拾い上げたその紙は。

 

「譜面……? ヘンだな……昼間見たときはこんな物なかったのに……」

 

 訝しがる小五郎。周囲も怪訝な表情を浮かべて、けれど一人劇的な反応を示すものがいた。中年の男が「うわあああ」と叫び声を上げながら走り去っていく。男は西本健。昔は羽振りがよく、酒・女・賭博と大枚をはたいて遊んでいたが、2年前に前村長の亀山が死んで以来、何かに怯えて外出しなくなったという。現村長の黒岩と幼なじみとのことだったが、当の黒岩は答えにくそうにしていた。西本の素行が悪いことから関わりがあると思われたくなかったのだろうか。

 

 みなの興味が西本に移っている間にえりかは車いすを押して進み、紙片を確認した。五線譜にオタマジャクシが踊っている。確かに譜面だ。残念ながら音楽的素養の低いえりかにその中身までは分からなかったが。

 

「あら?」

 

 背後から千鳥ものぞき込んでいた。片眉をあげて不思議な物を見るような顔をしている。

 

「なにか気付いたのか、千鳥?」

「え? ええ……。多分だけどその譜面———」

 

 千鳥が言いかけたところで背後から響く大声。

 

「お、お父さん。お巡りさん連れてきたわよ!!」

 

 蘭が警官を連れて戻ってきたらしい。よほど急いで戻ってきたのか、老域に差し掛かっていそうなその警官共々大きく息を荒げていた。小五郎から事態を伝えた上で今日は一旦解散となった。夜も遅いため本格的な事情聴取は明日となったのだ。

 

 

 夜道。コナン達一同とえりかと千鳥、それに成実医師が連れ立って帰っていた。成実医師は住まい兼病院へ。コナン達とえりか達はそれぞれの旅館へと戻る途中だった。成実医師は先ほどのコナンの推理劇を道中の話題に上げた。

 

「ビックリしたわよ。コナン君! さっきの名推理……説得力があってみんなすごいって」

 

 ———確かに。言っちゃあ悪いが毛利のオッサンより遙かに物事をよく観察し、論理立ててまとめていた。とても小学生とは思えないな。逆に毛利のオッサンはあれで本当に名探偵の一人に数えられてるのか? 何かこの辺りカラクリがありそうな気がするが……まあ、無理に踏み込むのも野暮か。

 

 コナンが小五郎のことを持ち上げてなんとか話を逸らそうとするのを見ながらえりかはそんなことを考えていた。

 

 やがて、成実医師と別れるときが来た。「早く事件を解決してくださいよ」と言いながら病院の方へ去って行く成実医師。小五郎はあんな事件ちょろいと安請け合いしている。それを半目で見送って。コナンがえりかにひっそりと問いかけた。

 

「えりかお姉ちゃん、なにか分かったことある?」

「いや。全然? 分からないことだらけだ。現時点では情報が足りなすぎるな」

「現時点では?」

「ああ。事件の進行を待つしかないな」

「進行? 進展じゃなく? ……まさかまだこの殺人劇が続くってこと!?」

「そりゃ続くだろう? なにせあの手紙には影が消え『始める』ってあったんだ。一回で済むなら『影が消える』でいいだろう?」

 

 えりかは猫の笑みを浮かべながらそう言う。「なんだ、坊主。気付いてなかったのか?」とでも言いたげな表情。コナンは戦慄に目を見開きながら、背後、公民館の方へと視線を向けるのだった。

 




■用語解説
八重垣えりか:CV.佐倉綾音。車椅子の少女。夏編主人公。クールを装っているが、原作中一番惚れっぽい気がする。性的接触に男子中学生並に耐性がない。たぶんむっつりスケベ?

考崎千鳥:CV.洲崎綾。夏編ヒロイン。夏編より編入生として登場。歌・バレエダンスが得意。本人曰くリードされたいタイプだがえりかが奥手のため、結果千鳥が肉食系に。

貴船さゆり:えりか達の約20年前に学院に在籍していた生徒。とある理由から学院の隠し部屋で自殺しそのまま放置。約20年もののミイラになっていたのをえりか達が発見する。


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FILE3

予告通り切りがいいところまでで分割して投稿します。それでも7千字近くありますが。
シリアスシーンの合間に、イチャイチャやグルメネタを放り込むのがFLOWERS流。
推理パートも少々。


 ■Side E

 

「ええっ!! 殺人事件を予告してただとー!?」

 

 コナンの指摘に驚愕する小五郎。

 

 ———どうにも、坊主が毛利のオッサンを操って事件解決に導いているって推測は間違いなさそうだな。

 

 そのやり取りを見ながら、えりかは自分の仮説に確信を持つに至っていた。

 

 麻生圭二からの怪文書についてコナンが小五郎に説明している。影が消えるっていうのは光に包まれるという事。そして光というのは川島が殺されていた現場でテープレコーダーで流されていた曲『月光』のこと。12年前に焼身自殺した麻生圭二、2年前に心臓発作で死んだ前村長の亀山。変死した二人が直前まで弾いていたのも『月光』。それが再び流れるということは、再び人が死ぬということだと。そして『消え始める』という表現は、まだ殺人事件が終わっていないことを表しているのだ。

 

 そこまで行き着いたことで、小五郎が公民館へと踵を返した。三つの事件がすべて公民館のピアノ付近で起こっていることから、あそこで再び殺人が起きる可能性があるというのだ。コナンに促され、蘭も小五郎の後を追っていった。

 

 残された二人のうち、千鳥が相方に聞く。

 

「私たちは行かなくていいの、えりか?」

「いいさ。雁首を揃えていても仕方ない。あいつらが現場を見張ってくれている間に私たちはしっかり休んで英気を養おうぜ」

「そう。じゃあ旅館に向かうわね」

 

 千鳥が車いすを押して、予約した旅館へと向かう。車いすがキイキイと蝙蝠が鳴くような音を立てながら夜道を行く。

 

「ねぇ、えりか。明日以降も毛利さんたちに付き合うつもりなの?」

「なんだよ、不満か? せっかく面白くなってきたところだってのに」

 

 猫の笑みを浮かべながら言うえりか。そんな彼女を咎めるように千鳥も言う。

 

「不謹慎よ。人が亡くなっているのに」

「そうだな。だけどよ。どんなに取り繕っても好奇心をそそられる事件なのは間違いないだろ?」

 

 確かに。色々と謎が深い事件ではある。そこには千鳥も同意せざるを得ない。

 

「それは確かに……ミステリ小説みたいな事件だとは思うけど。危ないじゃない」

「危ない? ……ああ私たちに危険が迫る可能性なら考えなくていいぜ。これはそういう類いの事件じゃない。まあ、偶然逃げる犯人と出くわして……なんてことならあるかもしれないが」

「なんでそう言い切れるのよ?」

「そりゃ色々根拠があるんだが……こんな路上で話すことでもないな。旅館で腰を落ち着けてから改めて話そう」

「なによ。焦らさないでもいいじゃない」

「こんな路上じゃ誰に聞かれてるとも限らないだろ? 万一犯人が聞き耳立ててたらどうする。口封じされるかもしれないぜ?」

「もう。適当言ってッ」

「ほら。もういい加減腹減っちまったよ。サッサと行って飯にしようぜ」

「はいはい。分かりました!」

 

 えりかがテコでも話す気はないと理解したらしい。千鳥は苛立ち紛れに歩みを早めた。やがて二人は目的地にたどり着いた。一軒の古びた旅館。あるいは民宿と言ったほうが適当そうなこぢんまりとした佇まいだった。

 

「あらあら。遠いところよくいらっしゃいました」

「お世話になります」

「どうも」

 

 呼び鈴を鳴らすと中年女性が出迎えてくれた。歳の頃は40代半ばから50代入ったばかりくらいか。年齢相応に恰幅がいい。一応女将ということになるのだろうか。やはり一般家庭の主婦に見えるが。

 

「若い女性お二人とはうかがっていましたけれど、こんな可愛らしいお嬢さんたちだったなんてねぇ。でも若い人にはこんな何もない島、退屈でしょう? 大島とか三宅島とか八丈島とか、伊豆諸島でももっと楽しいところもあったでしょうに」

「いえ。そんなことないです。この島も静かで空気も綺麗でいいところですよ」

 

 部屋に案内されながら、女将の世間話を聞く。千鳥が外面を繕ってにこやかに対応していた。

 

「……殺人事件もあるしな」

「えりかッ」

 

 えりかの呟いた軽口に、千鳥が小声で咎める。幸い女将の耳には届いていないようだ。やがて一室にたどり着いた。

 

「わあ。広いお部屋。……でも予約したときの情報よりかなり広いような……」

「今日はお嬢さん方の他に一組しかお客様がいないんですよ。なんでこの部屋を使ってください」

「ありがとうございます」

「そのお客様も到着は遅くなるって連絡が入ったので、今なら浴場は貸し切りですよ。よかったら先にひとっ風呂どうです? その間にお食事の用意をしておきますから」

 

 既に20時も回っているのに、なお遅くなるというもう一組の客。

 

「もしかしてもう一組のお客って毛利さんって方ですか?」

「あら? お知り合いですか?」

 

 やはり、毛利小五郎たちのことだったらしい。千鳥が役場で偶然会ったこと。この宿に来る直前までいっしょに行動していたこと。当面チェックインできそうにないことを話していた。

 

 ———まあ、観光地でもないこんな孤島にそんないくつも宿泊施設があるはずもなし。被るのは必然だったか。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ———気恥ずかしい。

 

 女将の勧めに従って、まずは旅の汚れを落とすことにしたえりかたち。事前に案内を受けたとおり浴場へとやってきた。当然ではあるが、足が不自由なえりかが一人で入浴することは難しい。田舎の鄙びた旅館だ。もちろんバリアフリー化などはされていない。それは歴史ある学院も同じことで。だから他人に介助されるのもいつものことではあるのだが。

 

 鼻を擽る白桃の香り。千鳥の匂いだった。最近はバスキア教諭に代わり千鳥が入浴の介助を行うことが多くなっている。けれどいつまで経っても慣れることはなかった。

 

 羞恥を感じる。恥を掻かされて恥ずかしいと思うことや、無知を相手に知られ赤面してしまうのとも違う。純粋に性的な恥ずかしさ、だ。

 

「どこか痒いところはない?」

 

 まるで、床屋ごっこの定番のような台詞を千鳥が投げてくる。

 

「……今日はいつも以上に愉しげだな。おい」

 

 どうしても目に入ってしまう、瑞々しい肌。———そしてバスタオルの下から存在を主張する確かなふたつの膨らみ。こちらは自分のものと見比べて落ち込んでしまう部分でもある。えりかの一族は皆、平坦な身体つき……スレンダーなのだ。今後も成長は見込めない。

 

「ふふ。いつもよりえりかを独占できているからかもね」

 

 動かない足を洗ってくれる度に、目の前で形の良い胸が揺れるのが見え、えりかは慌てて視線を逸らした。

 

「風呂の介助の時間はいつも二人っきりだろ」

「そう? そうね」

 

 なんでかしら、なんて千鳥は呟いている。

 

「……今日は、随分念入りにやるんだな」

「旅行先にいるんだもの。いつもより綺麗なほうがいいでしょう」

 

 えりかの小さな足指の間を指で丹念に擦りながら千鳥はえりかに答えた。千鳥の指先が水かきを撫でる感触から意識を逸らしながらえりかは毒づく。

 

「別に誰も見やしねーよ」

「誰が見なくても私が見るわ」

 

 この一言に処置無しとえりかは白旗を揚げた。

 

「へいへい。もう気の済むまで好きにしてくれ」

 

 許可を得たことで千鳥は嬉々としてアミティエの繊細な肢体を洗い上げていった。えりかの全身が薄桃色に染め上げられたのは浴室の熱さ故か、あるいは。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「おっとコイツは……」

 

 部屋に戻った二人。食卓には様々な料理が並んでいる。島というロケーション故か、刺身を中心に海の幸が盛りだくさんだった。えりかはそのうちの煮魚を見て目を輝かせている。刺身も豪華絢爛とまでは言わないまでも立派な物なのに、なぜ敢えて煮魚なのか。赤い皮の普通の魚に見える。強いて言えば目玉がギョロリと大きいくらいか。その魚が醤油ベースのつゆで煮込まれている。オーソドックスな家庭料理では? 不思議に思った千鳥が聞いた。

 

「その煮魚、有名な料理なの?」

 

 そんな千鳥をえりかは心底可哀想なものを見る目で言い放った。

 

「千鳥……。お前の食に関する知識は本当に残念だな。コイツは金目鯛。れっきとした高級魚だよ。伊豆で有名な料理と言えばまず金目の煮付けだろう。まあ島じゃなくて半島の伊豆だが」

「何よ。知らないんだからしょうがないじゃない」

 

 そうまで言われては千鳥も反発するしかない。そんな二人のやり取りを配膳していた女将が笑ってみていた。女将から食い道楽なえりかへ粋な提案もされた。

 

「ふふ。なんなら正真正銘、島の名物、くさやも出しましょうか?」

「え゛……あ、いえ。こんなに食べきれないほど出してもらってるので……」

 

 さすがのえりかもそれに手を出す勇気はなかった。一瞬固まった後、おずおずと辞退を申し出る。

 

「ふふ。承知しました。後でご飯物として名物のべっこう寿司をお出ししますからね」

 

 そう言って女将は部屋を出て行った。二人、食事を始める。

 

「うんッ。……美味しいわ」

 

 早速千鳥が金目鯛の煮付けに手を出していた。目を見開いてふんふん頷いている。

 

「だろ? 脂ののった身に甘辛いつゆが染みこんで最高なんだよな。うん。刺身もうまい」

 

 千鳥はおもむろに荷物を引き寄せると中から一冊のノートを取り出し、金目鯛の煮付けと記した。

 

「なんだ。その『自分ノート』、ここまで持ってきてたのか」

「ええ。どんな発見があるかわからないもの。早速書くこともあったし」

 

 千鳥が自分の好きなもの、嫌いなものを書き記している『自分ノート』。その一項目に目出度く金目鯛の煮付けがラインナップされたらしい。

 

「まあここの飯どれもうまいからな。学院寮の食事もうまいんだけど、こういう素材で勝負。ドン! みたいなのはあんまりないんだよな」

 

 しばし歓談しながら二人、女将心づくしの料理に舌鼓を打ったのだった。やがてデザートまで食べ終え、空腹をすっかり満たした後、お茶をすすりながら休憩としていた。そして千鳥が口を開く。

 

 

「それで? えりかにはこの事件のことがどこまで分かっているの?」

「うん? どうした? 千鳥もこの事件に興味が出てきたのか?」

 

 千鳥の問いかけにえりかはすました猫の笑みで、逆に問いを返した。

 

「私も巻き込まれているんだもの。当然興味はあるわ。それに旅館で落ち着いてから話してくれるっていったじゃない」

「なるほど。OK。じゃあさっそく話をしよう。まずは何から聞きたい?」

 

 相方の焦れを感じ取り、えりかは混ぜっ返すことをやめ、素直に応じることとした。

 

「えりかはなんで私たちが殺人事件の標的になることはないと思ったの」

「ふむ。そこからいくか……」

 

 千鳥がぶつけてきた質問に考え込む素振りのえりか。やがて口を開くと。

 

「今回殺された川島(なにがし)。海で溺死させられた後、ピアノの所まで運ばれたって話だったよな」

「ええ」

「なぜ犯人はそんな面倒くさいことをしたんだと思う? なぜ海に放置しなかった?」

「え?」

 

 逆にえりかがぶつけてきた質問に一瞬口籠もる千鳥。小考して答えた。

 

「過去の事件に結びつけさせて、犯人像を間違わせたい?」

「かもしれないな」

「正解なの?」

「分からん。だがたぶん違うと思う」

 

 えりかの曖昧な答えに、千鳥は苛立たしげだ。

 

「はぐらかさないでよ」

「わたしもまだ断定できてないんだよ。坊主にも言ったろ。情報が足りないって」

「じゃあ何で私の意見が違うと思うのよ」

「その話はこれからするところだ」

「じゃあさっさと話を進めてよ!」

 

 癇癪(かんしゃく)を起こした千鳥に、あくまでえりかは涼やかに接する。

 

「自分で考えることをしないと、この謎解きを楽しめないぜ?」

「だからえりかは不謹慎だって……」

「悪かったよ。じゃあ話を進めよう。次に私たちが川島某の死んでるピアノの部屋に突入した時、窓にも外への扉にも内側から鍵がかかっていた。だから犯人は廊下方向に進んで法事に戻ったと思われる。ここまではいいか?」

 

 えりかの問いかけに千鳥は公民館でのことを思い出し、頷く。

 

「ええ。コナン君がそう言ってたわね」

「窓の鍵は最初からかかっていたのかもしれないが、少なくとも扉の鍵をかけたのは犯人だ。これもいいか?」

「遺体を外から引き摺ってきたのは犯人だから……鍵をかけたのもそうでしょうね」

 

 ここでえりかは核心に迫る質問をぶつけた。

 

「じゃあ何で犯人は鍵をかけた?」

「え? 何で……?」

 

 千鳥の思考が止まる。犯人は外へつながる扉に後から鍵をかけた。それはなぜ? えりかはさらに畳みかける。

 

「川島某は大柄だ。死体を運ぶのは骨が折れる。例えば両脇に腕を回して引き摺って、扉を開けて中に通し、足まで引き入れたところで片手を伸ばして鍵をかける。あるいは一旦死体をピアノの椅子にセットして、鍵を閉めに戻った。わざわざ。なぜだ?」

「えっと……死体をセットしたり、月光を流す準備をしている最中に万が一にも外から人が入ってくるのを防ぐため?」

 

 何とか千鳥は鍵をかける意味を捻りだした。それにえりかは頷いて、けれど否定した。

 

「なるほど。それはあるかもしれない。けど本来、犯人は部屋を出る前に扉の鍵を開けておくべきなんだ」

「どうしてよ?」

「鍵が開いていれば、犯人は外に逃げたのか、中に隠れたのか分からなくなる」

「あ……」

 

 そこまで言われて、千鳥もそのことの異常さに気付いた。

 

「坊主たちはピアノの部屋から外への出口が塞がれていること、それに自分たちが玄関に陣取っていたことから、犯人は法事の部屋へ戻ったと推理した。分かるか、千鳥。犯人はわざわざ自分を絞り込むのに手を貸しているんだ」

「そう。……そうね」

 

 えりかが言わんとすることを理解する千鳥。えりかは千鳥がついてきていることを確認して話を進める。

 

「扉の鍵を閉めることが犯人にプラスになるとしたら可能性は一つだけ。犯人は外に逃げた上で何らかのトリックを使って外から鍵をかけ、犯人は中に留まったのだと誤認させる」

「だとすると、犯人は既に外に逃げていた?」

「いや。この可能性も除外する」

「え? なんでよ?」

「一応その道のプロである毛利のオッサンと、扉や窓を入念に調べていた妙に目端が利く坊主がその可能性を一切疑っていないんだ。彼らが見落としている可能性もないではないけど、一旦この可能性は切り捨てよう」

「……いいの?」

「いいさ。全部の可能性を疑っていたら切りがない。別に私らは捜査のプロじゃないんだ。可能性の高いところから当たっていこう」

 

 えりかのバッサリとした割り切りに鼻白む千鳥。けれど気を取り直すと再度えりかに問うた。

 

「分かったわ。それじゃあ改めて。なんで犯人は扉の鍵をかけたの?」

「これまで話したとおり、合理的に考えると鍵をかける理由は犯人にはない」

「……だとすると?」

 

 恐る恐る聞く千鳥に、えりかはお決まりの猫の笑みを浮かべ。

 

「決まってるだろ。合理的じゃない理由があるのさ」

 

 そう言い切った。

 

「憎悪。憤怒。あるいは復讐心。とにかくそういった強い感情にこの犯人は突き動かされている。被害者やこれから被害者になる予定の人間に、犯人が自分たちのすぐ傍にいると教え、死の直前まで恐怖させたいんだ」

「そんな。自分の存在を知らしめることが犯人が鍵をかけた理由だというの……」

 

 保身よりも相手の破滅を願う、強い悪意。その存在を感じて千鳥は身震いをしていた。

 

「これが、最初の千鳥の答えを否定した理由さ。鍵の件で自分の存在を絞り込ませることを許容した犯人が、過去の事件となぞらえて自分の正体を覆い隠すようなことをするだろうか、ってね」

「なるほど……じゃあえりかは最初の問いに対してどう考えるの?」

「そうだな。情報が足りないからあくまで仮説だが」

「それでいいわ。教えて」

 

 意志の強い緑青色の瞳が千鳥を見つめ。そして静かに言った。

 

「過去の事件と紐付けさせることそのものが目的。つまりこの犯行は麻生圭二の縁者が起こしている復讐劇だ」

「えりかにはこの事件の犯人が分かっているの?」

「分からないさ。最初から言ってる通り情報が足りない。……一人確実に嘘をついている人間なら分かるけどな」

「……誰よそれ」

「それは…………いや。止めとこう。そいつが犯人である確証はないんだ。O・J・シンプソンを有罪だと言い切るタイプにはなりたくない」

「何よそれ」

 

 ここまできてお預けさせられたことに千鳥は不満そうだが、そのことについてこれ以上えりかは口を開く気はない。だから話の方向性を変えた。

 

「とにかく言ったとおり、この殺人事件は麻生圭二に関わる復讐劇だと私は考えてる。だから私や千鳥に被害がおよぶ可能性はないって言ったのさ。私たちは殺人犯の眼中に入ってもいないだろうさ」

「そう」

 

 夜も更けた。ここで話は打ち切りとした。布団を並べてひき、電気を消して二人床につく。暗くなった天井をまんじりと見つめながら、えりかは誰に伝えるでもなくボソリと言った。

 

「この殺人犯には迷いがある」

「えりか……?」

 

 千鳥は真横にあるはずのえりかの顔のあたりを見つめる。えりかは続けた。

 

「小五郎のオッサンのところに届いた手紙がその証拠だ」

「…………」

「殺人犯は復讐心に身を焦がしながらも探偵を呼び込んだ。復讐を遂げることだけ考えれば明らかに余計だ。合理的じゃない」

「…………」

「あれは探偵への挑戦状や犯行予告なんかじゃない。自分を……止めて欲しかったのさ」

「そうね」

「まあ、第一の事件はもう起こっちまったんだけど、な」

「そう、ね」

 

 そしてそれ以上は二人とも口を開くことはなかった。夜が更けていく。

 

 




■FLOWERS用語解説
バスキア教諭:CV.高城みつ。本名ダリア・バスキア。学院の教師兼シスター。バレエにも精通している。学院唯一の体育、クラシックバレエの授業は彼女の担当。千鳥編入まではえりかの介助をしていた。金髪豊満。えりかが好意を向ける相手の一人。

アミティエ:全寮制の生活に早く馴染むために友人ペアを作る学院の制度の名称であり、その相手のこと。某スール制度との最大の違いは性格診断テストや面談の結果をもとに”学院側が”ペアを指定するところにある。ぼっちに優しい制度と言える。ペアは同学年で作られ自動的にルームメイトとなる。えりかたちの前の代までは二人組だったが、えりかたちの代からは原則三人組。えりかと千鳥は例外的に二人組。この制度を目的に入学してくる重度のぼっちもいるとかいないとか。

O・J・シンプソン:実在の人物。アメフトの米プロリーグ殿堂入り選手。元妻の殺害事件が起こり、その被疑者となった。本人の知名度や事件に人種差別問題が絡んだことで全米の注目を集める事件となる。その後刑事裁判では無罪。民事裁判では有罪となった。えりかは千鳥との初対面でO・J・シンプソンを有罪だと言い切るようなヤツだと言い放った。


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FILE4

 翌朝。いつもの習慣からか授業に間に合う時間に起き出す二人。浴場でシャワーを浴びて身支度を調え。女将が用意した朝食をいただく。食事をしながらあれやこれやと会話を始めた。

 

「えりか、今日も公民館に行くの?」

「ああ。坊主達は昨晩帰ってきてないらしいからな。なにか起きたのかもしれない。情報を仕入れに行こうぜ」

 

 朝食を配膳する際、女将から昨晩、小五郎たちは結局帰ってこなかったことを聞いていた。

 

「まだ首を突っ込むつもりなのね」

「乗りかかった船だ。最後まで見届けようぜ。それに興味を抜きにしても、私たちだって事件の現場にいたんだ。警察の事情聴取には協力しないとならんだろうよ」

「そっちはただの口実よね」

 

 ジト目でえりかを睨む千鳥。それにクツクツと笑いを返した後、えりかは。

 

「そういやお前、昨日ピアノに残されてた譜面を見てなにか気付いたみたいだったな。あれ何だったんだ?」

 

 昨日から未消化になっていた疑問点を解消することにした。

 

「ああ、あれ? たぶん『月光』の譜面よ」

「へえ? ちらっと見ただけでよく分かったな」

 

 えりかの問いにあっさりと答える千鳥。なんでもないことのように言う。

 

「暗譜と譜面の読解は音楽の基礎だもの。当然よ」

「さすがはバレエも得意な舞台女優サマだ」

「褒めるなら素直に褒めなさいよ……でもあの譜面、4段目がおかしかったのよね」

 

 千鳥はあの譜面を見て気付いた違和感を口にする。

 

「おかしい?」

「3段目までは確かに『月光』だったけれど、4段目は違う……そもそも音楽にもなってないわ。あの譜面通りに演奏しても耳障りな雑音になるだけよ」

「ふうん……。その4段目、今紙に書けるか?」

 

 えりかは譜面の謎の4段目に、なにか思い当たるものがあったようだ。今すぐ書き起こせるかと千鳥に聞くが、それには否定が帰ってきた。

 

「無理ね。音楽として形になってれば暗譜できるけど、意味の通らない音の羅列は簡単には暗記できないわ」

「そりゃ道理だな」

「どうする? 毛利さんにお願いして譜面を見せてもらう?」

「……いや。いい」

 

 けれど、えりかはあっさり興味を失ったようだった。エリカの態度が気になって千鳥が確認する。

 

「いいの?」

「ああ。おおかた犯人からのメッセージが暗号になってるんだろうが、どうせたいした意味はないさ。追いかけても犯人に振り回されるだけだ」

「そう」

 

 えりかの説明を受けて、ひとまず千鳥も納得することにした。情報の整理を終え、二人公民館へ向かうことにする。外出する二人を女将が見送ってくれた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「よお、坊主。眠そうだな。昨晩は徹夜か?」

「あ、えりかお姉ちゃん。おはよう。ふわぁ。……うん。もうすぐ東京から刑事さんたちが来るらしいから、それまでは起きてようと思って」

 

 公民館にたどり着いたえりかと千鳥。ピアノの部屋に入ると毛布にくるまったコナン達がいた。小五郎と老いぼれ警官は夢の中へ旅立っていたが、コナンと蘭、それにどうやらこちらへ合流したらしい成実医師は眠そうにしながらも起きていた。寝ずの番をしていたらしい。

 

 えりかがコナンへ声をかけるとあくび混じりに挨拶を返してきた。蘭と成実医師にも会釈しておく。

 

「そいつはご苦労様だな。どうだ? なにか面白いことはあったかい?」

「面白いって……」

 

 えりかの物言いに苦笑するコナン。気を取り直すと昨晩あったことを伝えた。

 

「夜の11時前くらいかな。窓の外に怪しい人影がいたんだ」

「へぇ?」

「僕らが気付いたことを悟るとすぐ逃げ出したんだ。後を追っかけたんだけど藪の中に逃げ込まれて見失っちゃった」

「ふむ。……坊主。その怪しい人影は今ここにいるみんな、見たのか?」

「疑ってるの? ここにいるみんなが人影を見てるし、小五郎のおじさんといっしょに追いかけたんだ。間違いないよ!」

 

 見間違いを疑われるなんて心外だとばかりに憤るコナン。そんな彼をよそにえりかは何事かを考えこんでいた。だがそこそこで思考を切り上げると謝罪した。

 

「悪い悪い。別に坊主の目を疑ってたんじゃないんだ。ちょっと気になることがあってな」

「気になること?」

「ああ。でもまあたいしたことじゃないさ」

「ふーん」

 

 えりかがこれ以上話す気がないと察したのだろう。コナンは話を変える。

 

「えりかお姉ちゃんの方ではなにか発見はなかったの?」

「あん?」

 

 コナンの質問に、えりかはどうしたものかと考え込み、そして。

 

「あー。……そうだな。殺人現場に残されていた譜面。3段目までは『月光』で、4段目は完全に別物のなにか暗号になってるぞ」

「残念。それは僕らも気付いてるよ」

「なんだ、そうなのか?」

「蘭姉ちゃんが実際に弾いてみてくれて、4段目がおかしいって分かったんだ」

「ああ。なるほどな」

「そっちはどうしてそのことに気付いたの?」

「うちは相棒が音楽に詳しくてな。一目で譜面がおかしいと見抜いた」

「すごーい!」

 

 コナンは感嘆している。そんなコナンをよそにえりかは他に何かあったかと思考を巡らせて、そして猫の笑みを浮かべてこう言った。

 

「そうだな。それじゃあ、昨晩坊主達が宿に帰ってれば夕飯は金目の煮付けだったんだぜ。惜しいことしたな」

「え? なにそれ?」

「私たちと毛利のオッサンが取ってた宿が同じ所だったんだよ。私たちは夕食を満喫した。うまかったぜ」

「えー……なにそれ。聞きたくなかった」

 

 コナンの心底残念と言った声に、えりかはククと小さく笑う。そんなことをしている間に外からどやどやと人の気配がしてきた。どうやら東京からの警察が到着したらしい。

 

 先頭をきってやってきたのは、茶色のコートとソフト帽をまとった恰幅のいい初老の男。ひげをシェブロン形にたくわえている。ネクタイを締め、かっちりとした印象ではあるが、どこかタヌキのような愛嬌もあった。

 

「目暮警部!」

「やあ、コナン君。今回も災難だったね」

 

 その男、目暮警部とコナンは顔見知りであったのか、入って来るなり親しげに挨拶を交わしていた。

 

「知り合いか、坊主?」

「うん。小五郎のおじさんの元上司で、事件に遭ったとき、よく捜査に来てくれるんだ」

 

 ———よく事件に遭うって……とことん探偵体質なやつだな。名探偵は事件を引き寄せるって言うが……。

 

「コナン君。そちらのお嬢さん方は?」

「えっと。えりかお姉ちゃんに千鳥お姉ちゃん。旅行者さんで昨日、たまたま知り合いになったんだ」

 

 目暮は目暮のほうで、コナンと気安く会話する初対面の女生徒が気になったらしい。コナンにえりかたちのことを聞いている。コナンが簡単に答え、その後千鳥が引き取って詳細を答えた。GWで旅行に来たこと。昨日偶然コナン達と知り合い、いっしょに行動したこと。昨日の事件に遭遇したこと。そして、事情聴取があるかもと思って再び公民館へ来たことを説明した。

 

 その説明に得心いったらしい。話題は事件のことに移る。コナンは譜面を目暮に渡し、事件のあらましや死体の状態を説明していく。それを蘭と成実医師が補足した。

 

「うむ。だいたいのことは分かった。ありがとうコナン君。蘭君。それに浅井先生」

「「どういたしまして」」

「まったく、それにしても子供や女性が事件解決にこれだけ協力してくれているというのにこの男達は……」

 

 呆れたような目暮の視線の先には、事件現場で寝こける小五郎と老いぼれ警官の姿があった。その後、目暮はコナン達徹夜明けの三人には仮眠して休息するように言い、えりかたちには村役場で事情聴取をやっているのでそちらへ向かってほしいと話すと、率いてきた部下達に鑑識を始めさせた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「それで、この島に来た目的は何なのかね?」

「旅行です。この島を選んだのは相方なので、なぜこの島なのかはアイツに聞いてみないと分かりませんがね」

 

 村役場では昨晩法事に集まっていた人間を参考人として事情聴取が行われていた。えりか達も名前と住所の他にこの島へ来た理由などを聞かれている。参考人の数が多かったこともあり、昼前から始まった事情聴取は午後6時近くになってもまだ終わっていなかった。

 

 

「なるほど。……あとは、八重垣君……その足は?」

「ええ。以前事故に遭いましてね。まったく動きませんとも。確認が必要であれば××病院へ問い合わせてみてください」

「そうか。済まないことを聞いたね」

「いえ。随分前のことですから。とっくに整理はついてますよ」

「協力ありがとう。事情聴取は以上だ」

 

 事情聴取を受けていた相手、目暮警部に会釈し部屋を出る。すると。

 

「「ふああぁぁ」」

 

 大あくびをするコナンに蘭、成実医師がいた。えりかが声をかける。

 

「よお。眠そうだな」

「あ。えりかお姉ちゃん!」

 

 徹夜していた三人は、あれから公民館で仮眠を取った後、こちらへと移ってきたのだ。そこへ聴取をしていた部屋から小五郎が出てくる。小五郎は事情聴取の手伝いということで立ち会っていた。蘭が犯人は分かったかと聞いているが、参考人が38人もいるなかでそこまで進展していないようだった。

 

 ———毛利のオッサンは目暮警部の元部下らしいが、いくら元警察と言っても部外者を事情聴取の場にいれてもいいものなのかね? 警察は意外と緩い組織なのか。あるいは名探偵故の協力依頼なのか。

 

 徹夜での疲労を鑑み、事情聴取を一番最後に回されたという成実医師は洗面所に顔を洗いに行った。あと事情聴取が残っているのは、成実医師の他に、村長の娘の黒岩令子、その婚約者の村沢周一、村長選立候補者の清水正人、村長秘書の平田和明に、現在取り調べ中の西本健の計6名とのことだった。

 

 西本は何を聞いても黙秘しているため時間がかかっているそうだ。

 

「俺のカンじゃ犯人はあいつだ……まーあの譜面のダイイングメッセージが解読できりゃーはっきりするがな……」

 

 ———おいおい。本当に大丈夫か、このオッサン。海で殺されて、その後犯人にピアノの前に座らされた被害者が、あらかじめメッセージを暗号にしてピアノに仕込んでたって言うのかよ……ねーよ。それに西本ってやつはどう見てもこれから被害者になる側だろ。

 

 

「バカモン!! 何が呪いのピアノだ!!」

 

 小五郎のことを呆れてみていると、背後から突然怒声がした。振り向けば村長の黒岩が秘書の平田へ怒鳴りつけるように指示していた。あのピアノの存在がこのようなふざけた事件を引き寄せているのだとしてさっさと処分するよう平田に指示している。平田は食い下がっていたが、黒岩が意見を翻すことはなく、今週中に処分するようにと押し切っていた。

 

 ———さて。今のは不吉なピアノをただ処分したいだけなのか、あるいは注目を集めてしまったピアノを置いておきたくない何かしらの理由があるのか。どう捉えるべきだ……?

 

 事件の重要なピースになっていると思われるピアノを警察に図ることなく一方的に処分しようとしている黒岩。その意図を推し量ろうとするえりかだが、手元の情報からでは結論は出なかった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 時刻は更に進んで午後6:30前。事情聴取は今もなお終わっていなかった。小五郎は引き続き聴取の立ち会いを。コナン達やえりか達は役場窓口の待合スペースで待っていた。聴取が行われている部屋からは村長の黒岩令子の怒号が響いている。もう10分以上になるだろうか。その持続力に、蘭と成実医師はヘンに感心していた。

 

 あれだけ犯人に怯えていた西本が、取り調べを終えてもまだ帰っていない。しきりに腕時計を気にしている。なにかあるのだろうか。えりかは西本の不審な態度を注視していた。

 

 ———お? 行ったな。坊主も追っていったか。

 

 西本は廊下をトイレの方に消えていった。その後をコナンが「トイレ」といいながら追っていった。西本の不審な態度に注視していたのだろう。えりかが時計を見ると時刻は午後6:30を指していた。

 

 ———さて。何が起きるやら。

 

 事態が動く。そのことを確信してえりかはその時を待った。やがてすぐに異変は起きた。村役場内の館内スピーカーが不意に音楽を流し出したのだ。『月光』の第二楽章を。すぐに聴取が行われていた部屋から目暮警部と小五郎が飛び出してくる。そのままコナン達が消えた廊下へと走って行く。村長の娘、令子や秘書の平田もその後を追っていった。

 

「えりか。私たちも行く?」

 

 千鳥が自分たちも後を追うべきか、えりかに尋ねるが。

 

「いいや。あの廊下の先の階段を上ると放送室があるみたいだ。目的地はそこだろう。面倒だからここで待ってようぜ」

 

 村役場館内案内図を見ながらえりかはそう言う。その手がポンと自分の車いすを叩いた。階段を上るには千鳥がえりかを抱える必要がある。そこまでする必要はないということだろう。

 

「『月光』の第二楽章。第二の殺人が起こっちまったか」

 

 えりかと千鳥以外だれもいない役場の窓口に、えりかの呟きがひっそりと響いた。

 



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FILE5

 ■Side E

 

 しばらく経って、廊下の奥、おそらく放送室へと消えていた皆が戻ってきた。役場内にいた全員が村役場のロビーへ集められた。彼らを前に目暮警部が話し始める。放送室で起きた第二の殺人事件の説明とその犯人の分析について。

 

 殺害した後、曲の入ったテープを再生し、死体を発見させるという手口と、その曲が、どちらもベートーベンのピアノソナタ『月光』という点からみて昨夜『月光』の第一楽章と共に発見された川島と、今夜『月光』の第二楽章と共に発見された村長の黒岩を殺害したのは同一犯だと思われること。

 

 さらに、成実医師による検死結果による死亡推定時刻と、かかっていたテープの頭に5分30秒の空白時間があることから、黒岩が殺されたのは発見される数分前、6時30分前後と思われること。

 

 即ち、その時間この役場内にいたものの中に犯人がいるということだと。

 

 

 容疑者は、警察とその関係者といえる小五郎一行を外すと。

 

 第一発見者の西本。成実医師。村長秘書の平田。村長の娘、黒岩令子。その婚約者、村沢。村長選立候補者、清水正人。それにえりかと千鳥の8人だ。

 

「ちょっとまってよ! どーして私がパパを殺した容疑者の中に入ってるわけ!?」

 

 父親殺害の容疑者に含まれてしまった令子が目暮に食ってかかる。続けて言い募った。自分は6時20分頃から死体発見まで取り調べを受けていたのだから犯行不可能だろうと。

 

 これには目暮警部も納得するしかなかった。すると続けて蘭が言う。6時過ぎから自分たちといっしょにいた成実医師も容疑者から外れると。コナンも同意を示した。

 

「それに八重垣さんと高崎さんも。彼女たちも6時前からいっしょにいたから容疑者から外れますよ。ね、八重垣さん」

「あ? ああ……」

 

 次いでえりか達のことにも言及した。なぜかえりかは心ここにあらずな反応をしていたが。

 

 話の流れでそれぞれのアリバイを確認していく目暮。結果アリバイのない人間は男四人に絞られた。秘書の平田。村長令嬢の婚約者村沢。対立候補の清水。そして第二の事件の発見者、西本だ。

 

 西本に放送室へいた理由を聞く目暮警部。西本から返ってきた答えは被害者の黒岩に呼び出されたというものだった。6時半に放送室に来るようにと。その話に目暮警部は、黒岩より夕方に人と会う約束があるため、取り調べは昼前にするよう依頼を受けていたことを思い出し、呟いていた。

 

 西本が犯人だと疑う小五郎。西本を揺さぶって反応を確かめている。それに対して西本は必死に否定するが、なにかを隠しているようで怪しい態度を隠せない。黒岩からどのような話で呼び出されたのか回答できなかった。

 

 一方で村長令嬢の令子が清水を犯人扱いして騒ぎを起こす。殺された二人がいなくなれば村長の椅子は清水のものとなり、一番得する人間だからとのことだった。一方的な決めつけに清水も冷静ではいられない。周りを巻き込んでの大騒ぎを始めてしまった。

 

 その騒ぎを気にすることなく、譜面の暗号解読に集中しているコナン。蘭からアドバイスを受けながらついに解き明かすことに成功した。

 

「わかってるな……次は、おまえの番だ……」

 

 ロビーに響いた不穏な台詞に、騒いでいた人々が一斉に振り返った。声の主はコナン。台詞は暗号を解読したものだった。ピアノの鍵盤の左端から順にアルファベットをあてはめて、メッセージの文字に相当する音を、譜面に書き記しただけのものとのことだった。そして川島が殺された現場にあった暗号を解くと「わかってるな。次はお前の番だ」となる。

 

「じゃ、じゃあ……さっきの血で書かれた譜面は!?」

 

 血相を変えて小五郎がコナンに聞く。それに答えてコナンは第二の暗号を解く。

 

「業火の怨念ここに晴らせり」

 

 12年前に焼身自殺した麻生圭二をたやすく連想させる暗号文だった。

 

「麻生圭二は生きていたんだぁぁぁ!!」

 

 恐怖に絶叫する西本。しかしそれを島駐在の老いぼれ警官があっさり否定した。

 

 焼け跡から麻生圭二とその妻、娘の三人分の遺骨が見つかっていること。歯型も一致していることから、麻生圭二の死は間違いないとのことだった。何もかも焼けてしまい残っていたのは耐火金庫に入っていた手書きの楽譜だけだったという。

 

 その楽譜が今回の事件を解く鍵になるのではと色めきだつ目暮警部や小五郎たち。楽譜は公民館の倉庫に保存され、倉庫の鍵は派出所に保管されているという。目暮の指示で老警官が派出所まで戻り、鍵をとってくることになった。走り去る老警官の後を追うコナン。蘭の制止も聞かずに飛び出していった。

 

「私たちは行かないでいいの、えりか?」

「ああ。あっちは坊主に任せよう」

 

 この事件に並々ならぬ好奇心を抱いているアミティエに千鳥が聞くが、帰ってきたのは意外な返答だった。

 

「それより気になることがあるんだ」

「気になること?」

 

 オウム返しに聞く千鳥には答えず、えりかは車いすを操って、小五郎のもとへ向かう。

 

「ちょっといいか、名探偵殿?」

「あん? ……なんだ?」

「さっきあんたが言ってた血で書かれた譜面ってのは何のことだ?」

 

 普段なら子供の言うことなど相手にしない小五郎だが、美少女に名探偵と呼びかけられたことに、それなりに気をよくしたのかすんなりと口を開く。

 

「ああ。黒岩村長の死体の傍に、その血でかかれた譜面があったんだよ。それが暗号になってたって話だ」

「ふぅん。被害者の血でね。……その暗号、なにか変わったことはなかったか?」

「変わった事って?」

「なんでもいい。気付いたことがあれば教えてくれ」

 

 えりかの曖昧な質問に考え込む小五郎。やがてなにか嫌なことを思い出したのかその顔が歪む。

 

「何かあったのか?」

「……いや」

「その顔はそう言ってないぜ?」

「……バカなガキが好奇心から譜面をのぞき込んでたから頭を叩いてやったら譜面の上に倒れやがったことを思い出しただけだ」

「なるほど。それで血の譜面が消えちまったのか」

「いいや、消えてない。何も問題なかったさ。……これ以上話すことは何もねーぞ。お嬢ちゃんもミステリごっこはほどほどにしとけよ」

 

 そう言いながら目暮の方へ離れていく小五郎。その背中に一言礼を投げるとえりかも千鳥の所へと戻った。

 

「小五郎さんと話したかったの?」

「ああ」

 

 千鳥の質問に生返事を返し、何事か考え込んでいるえりか。こうなると外の声はなかなかえりかに届かない。千鳥は溜息一つつくと壁にもたれ掛かった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「楽譜の確認は明日にして、今日は一旦解散にしよう」

 

 一時間近く経っても帰ってこないコナン達に業を煮やし、目暮はそう切り出した。

 

 役場に留め置かれていた人々から不満が出始めていたこともある。月影島は孤島なので簡単には逃げられないし、暗号の中で「怨念ここに晴らせり」と言っているのだから、これ以上殺人事件は起きないだろうという腹づもりも目暮にはあった。

 

 目暮の号令に容疑者を含む皆はそれぞれ家へと帰っていった。それをコナン達に知らせに蘭も走り出した。

 

「私たちも宿に戻るか」

「ええ」

 

 続いてえりか達も村役場を後にした。千鳥がえりかの車いすを押して進む。皆足早に帰ってしまったのか、満月に照らされた夜道に二人だけだった。二人の間に会話はない。えりかはなにかを考え込んでいる様子で。そして千鳥はそんなえりかを見守っていた。

 

 もうまもなく旅館へと帰り着くというタイミング。思考に沈んでいたえりかが顔を上げた。

 

「どうしたの、えりか?」

「ああ……別に。この事件の犯人が分かっただけだ」

「え?」

 

 千鳥の問いかけにえりかはあっさりとそう言ってのけた。あまりになんでもないことのように言うので千鳥は一瞬何を言われたのか理解できず、間抜けな声を漏らす。

 

「え……え? 犯人が分かったって……殺人事件の?」

「他に何があるって言うんだよ?」

 

 相棒のどこか抜けた確認に呆れ顔のえりか。

 

「まあ、最初から疑わしくはあったんだが……」

 

 そこでようやく千鳥のスイッチが入った。

 

「殺人犯が分かったって、ど、どういうことよ!」

「どうもこうもねーよ」

 

 声を荒げる千鳥に至極面倒そうな反応を返すえりか。そしてすました猫の笑みを浮かべるとこう言った。

 

 

 

「まあでも……さすがに嘘も二つ目となれば見逃せねえよな?」

 




次回、謎解き編。


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FILE6

■Side E

 

「まあでも……さすがに嘘も二つ目となれば見逃せねえよな?」

 

 連続殺人事件の犯人が分かったというえりか。そのことに驚愕する相棒に猫の笑みを向けながら、そうやすやすと言い放って見せた。

 

「ちゃんと説明してよッ。えりかッ。そ、それに犯人が分かったのなら早く警察の人に教えないと!」

「まあ……そうなるよな……」

 

 そんな千鳥の反応に、けれどえりかはなぜか乗り気じゃないようだった。

 

「しゃーないか。千鳥、公民館に行くぞ」

 

 頭を一掻きしてから車いすの向きを変えるえりか。けれどその方向はなぜか先ほど出てきた村役場ではなく、公民館の方向だった。

 

「え、なんで公民館なのよ。行くなら村役場でしょ?」

「さすがにそろそろ坊主たちも公民館の倉庫の鍵を見つけて楽譜の回収に向かった頃だろ。事件の重大な鍵になる麻生圭二の楽譜が出てくるとなりゃ警察も公民館に向かうはずだ」

「そう?」

「ああ。だから行こうぜ。道すがら私の推理も聞かせてやるよ」

「……分かったわ」

 

 どこか納得できない様子ながらもえりかの言に渋々従う千鳥。えりかの背後に着くと車いすを押し始めた。二人深夜の田舎道を公民館へと向かう。夜道を行く二人を月だけが照らしていた。

 

「それじゃ早速聞かせてよ。えりか」

「ああ……」

 

 ———千鳥に説明する前に今一度、事件の内容を浚うとするか。

 

 えりかは軽く握った右拳を口元へ当て思考を巡らせ始めた。

 

 

 

■Now reasoning.

 

 そもそも事件の起こりを考えてみよう。村長候補最有力の川島某が殺された第一の事件。海で溺死させられた被害者がピアノの前へ座らされていた。あれには過去の麻生圭二の事件に紐付けさせる以外にもう一つ意味があった。それは?

 

   海に放置するのが可哀想だった

  ⇒溺死させることに意味があった

   海に死体を捨てて汚すことが嫌だった

 

 そう———溺死という力任せな殺害方法をとったこと自体に目的があったのだ。

 

 そして、次の変事はコナン達が第一の殺人事件があった日の深夜、公民館で見たという怪しい人影。あれは?

 

   現場に証拠を消しに戻っていた犯人

   自分が標的になることを恐れていた西本

  ⇒殺人犯以外の別のだれか

 

 村長の黒岩が村役場の放送室で背中から滅多刺しにされて殺された第二の事件。ここでは犯人が仕掛けた嘘があった。それは?

 

   犯人の犯行が怨恨だという理由

   殺人が行われた場所

  ⇒被害者の死亡推定時刻

 

 そう。目暮警部が言った6時30分前後というのは犯人が演出した偽りの犯行時刻だ。

 

 最後に、この事件の容疑者の中には一人明確に嘘をついている者がいる。それも自分が容疑者から外れるための嘘を。その者とは?

 

   西本健

   江戸川コナン

   目暮警部

   平田和明

  ⇒浅井成実

   清水正人

 

 ま。こんなところか。頭の中で組み立て終わると、私は中天の満月を一つ睨み、相棒へとこの事件に隠されたものを説明することにした。

 

■Reasoning end.

 

 

 

 口元に拳を当て、しばし思考に沈んでいたえりかが不意に空を見上げたかと思うと、次に口を開いた。

 

「千鳥。昨晩、第一の事件について私がまず、なぜ被害者を海に放置しなかったと聞いたのを覚えてるか?」

「ええ。過去の麻生圭二の事件と紐付けさせることそのものが目的とえりかは考えてるんだったわよね」

 

 記憶を辿り、すぐに千鳥は答えた。えりかは頷くと話を続ける。

 

「ああ。だがここにはもう一つ不可解な点があったんだ」

「もう一つ?」

「なぜ犯人は海で溺死させるなんて面倒な殺人手段を選んだんだ?」

「え?」

 

 口をポカンと開く千鳥に更にえりかは畳みかける。

 

「海で溺死させるなんてのは大仕事だ。大柄だった川島某の抵抗は相当なもんだったろうし、犯人の服装もビチャビチャになっちまっただろう。法事に戻るなら、あらかじめ着替えを用意しておく必要があっただろうし、脱いだ服を見つからないように隠す手間もあったはずだ」

「それは……そうね……」

「そんなことをするくらいなら、第二の事件みたいに刺殺でも、あるいは絞殺でも毒殺でも、もっと楽な方法はあっただろう。わざわざピアノの部屋に運び込む苦労もない。なのになぜ海で溺死だ?」

「そんなの……分からないわ」

 

 ここで一呼吸置いたえりか。そして自分の見解を語り出した。

 

「つまり海での溺死であることそのものに意味があるんだ」

「溺死であることの意味?」

「そうだ。海で溺死させた後、ピアノの前まで引き摺っていった。この一連の流れから坊主が犯人像を特定しただろ。男の単独犯だってな」

「犯人がそう誘導したんだっていうのね。えりかは」

 

 千鳥の確認に、えりかは声に出すことなくただ頷いた。そして話を進める。

 

「そして第二の事件。黒岩村長が村役場の放送室で刺殺された」

「ええ」

「殺人が行われたのは、坊主達が発見する直前。18時30分ごろって話しだったが……あれは犯人が仕掛けた嘘だ」

「え? 何を言ってるのよ?」

「村役場で毛利のオッサンが、血の譜面がどうのって話をしてたのを覚えてるか?」

「は? ……ええ。でもそれが何なのよッ」

 

 突然の話題転換についていけない千鳥。ついつい声を荒げてしまう。構わずえりかは話を続けた。

 

「毛利のオッサンに聞いたんだが、黒岩村長が殺された現場に、血で書かれた譜面があったらしい。おそらく犯人からのメッセージだ」

「最初の事件で残されていた紙と同じでしょ。それが何なのよ」

「その血の譜面の上に坊主が倒れたらしいんだが、譜面は消えなかったらしい」

「だからッ———」

「血はそんなにすぐには固まらない」

「ッ!?」

 

 話が見えないことに苛立った千鳥が抗議の声を上げる前に、えりかはこの事件を揺るがす爆弾を放り込んだ。

 

「……どういうことよ?」

「人の血液は乾くまで……そうだな。今の気温なら30分近くかかるはずだ」

「……つまり、本当に村長が殺されたのは18時ごろってこと? でも月光のテープが流れていたのは」

「そんなのは予約設定を使うなり何なりどうとでもなるだろ」

「でも成実先生の検死結果は———」

「だからそれが嘘だって言ってんだ」

 

 なおも言い募る千鳥の反論を叩き切るように、えりかが告げた。

 

「つまり、えりかは成実先生が犯人だって言ってるの……?」

「ああ。そうだ。完全に凝固した血液と検死結果。どちらかが正しくてどちらかが嘘なら答えはそれしかない」

「でも。……でもほら、嘘をついてるわけじゃなくて、検死を間違えただけかも。成実先生は本職の検死官じゃないんだし」

 

 この短い期間とは言え、それなりに親しくした相手が連続殺人犯だと言うことをなんとか否定しようとする千鳥にえりかが諭すように言う。

 

「その間違いとやらで、アリバイができて容疑者から外れた。……これは偶然か?」

 

 その一言に千鳥は反論できない。だから別の話題をふった。

 

「えりか、さっき嘘は二つって言ってたわよね。成実先生がついているもう一つの嘘って?」

「あいつは男だ」

「は……?」

 

 そしてえりかは即答した。千鳥の思考は完全に止まる。そしてえりかのだめ押し。

 

「最初にあった時、倒れているところを抱き起こされたときに触れた身体の感触から。その骨格から、浅井成実が男であることには気付いていた」

「…………最初の事件で、被害者が溺死させられたのは、犯人を男だと印象づけるため。女性のフリをしていた成実先生は、容疑者像から外れることができた。…………えりかは最初から成実先生のこと疑っていたの?」

「ああ。だけど確信が持てなかった。浅井成実の女装は単なる趣味で、それが第一の事件で有利に働いたというのは偶然だったって可能性も捨てきれなかったしな」

「だけど、第二の事件で成実先生は嘘をついた」

「ああ」

 

 ここでえりかは笑みを浮かべて見せた。

 

「だから言ったろ? 嘘も二つ目となれば見逃せないってな?」

「…………」

成実(なるみ)を音読みすれば成実(せいじ)圭二(けいじ)成実(せいじ)。こいつはさすがにこじつけかな?」

 

 それはすました猫の笑みだった。

 




次回解決編


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FILE7

何か知らない間にえらくお気に入り数も評価も伸びてたんですけど何があったんだろう…?
嬉しいには嬉しいんですが、なんか不思議。
とりあえず更新です。


■Side E

 

 

 

 夜道を行く二人。えりかの推理をすべて聞いた後の千鳥は無言で。えりかも敢えて自分から口を開くことはなかった。初夏の爽やかな夜の空気。煌々と照らす満月の明かり。静謐(せいひつ)の中に虫の音だけが響いていた。

 

 やがて公民館が見えてくる位置に差し掛かる。その時に不意にえりかが声を発した。

 

「おい、千鳥。ちょっと脇道に逸れて身を隠せ。なにか様子が変だ」

「え? ええ……」

 

 突然のことに驚きながらもえりかの言うとおりにする千鳥。車いすを押して藪へ入る。そこから公民館を見張る。公民館の玄関前にはパトカー他、車が数台止まっている。パトカーは警告灯を回転させており、物々しい雰囲気だ。

 

「なにか起きたのかしら…………」

「第三の殺人事件だろうな」

「えッ!? でも刑事さんはもう事件は起こらないって……」

 

 驚く千鳥に、けれどえりかは飄々とと言う。

 

「見立て違いだったんだろ」

「見立て違いって、そんな……」

「そもそも月光は第何楽章まであるんだ?」

「え……あ……第三楽章…………」

「ならもう一回あるのが自然だな」

「えりか……?」

 

 何でもないことのように言ってのけるえりかの横顔を、信じられないとでもいうように見詰める千鳥。それにえりかは取り合わない。そのまま時間が過ぎていった。

 

 やがて、目暮やその他の警官達、コナン達が公民館からぞろぞろと出てきた。中には村長の娘、令子や成実医師もいる。パトカーに乗り込む目暮と何事か会話している成実医師。そしてパトカーや車が次々と出発していく。捜査拠点になっている村役場を目指しているのだろうか。

 

 それを見送ると自分も車に乗り込んで後を追うのかと思われた成実医師だが、車のトランクからなにかを取り出すと、公民館の裏手へと走って行った。

 

「えりか、刑事さん達が行っちゃったわよ! 早く私たちも追わないと!」

「待て。それより浅井成実が何をしているのかを確認する方が先だ。私たちも公民館の裏が見える位置に回り込むぞ」

「ええッ!?」

 

 抗議の声を上げる千鳥を無視して、自分で車いすを操り、藪の奥へ向かうえりか。木の根など地面の凹凸に揺れて危なっかしい。仕方なく千鳥は車いすのハンドルを握った。そのまま少し進むと公民館の裏側を見渡せる位置に着くことができた。

 

「なにか砂浜に埋めてる……?」

「ああ」

 

 二人が見詰める先、成実医師は公民館のピアノの部屋のすぐ外の砂浜を掘って、なにかを埋めていた。そして適当に砂を被せると、もと来た方へと走って行った。待機を続ける二人。やがて公民館の玄関方向から車が走り去る音が聞こえてきた。どうやら成実医師も去ったらしい。

 

「千鳥、何を埋めたのか確認に行くぞ」

「ええ……」

 

 藪を抜けて道に戻り、今度は公民館の建物沿いに裏手へと回り込んでいく。そして先ほど成実医師がなにかを埋めた地点へと、砂地に車いすの車輪を取られながらも何とかたどり着いた。月明かりを頼りに慎重に砂を掻き分けていく千鳥。やがてプラスチック製のタンクが現われた。中には何らかの液体が詰まっている。

 

「えりか、これ……」

「……開けてみてくれ」

 

 不安そうな千鳥の声に、えりかはタンクのキャップを外すよう指示する。恐る恐る千鳥がキャップを外すと、独特の刺激臭が二人の鼻を突いた。すぐに千鳥はキャップをはめ直す。

 

「灯油か軽油あたりか……さすがにガソリンって事はないだろうが……」

「成実先生は何をするつもりなの……?」

 

 嫌な予感に襲われ、えりかに聞く千鳥。けれどえりかの返答は千鳥の期待に沿うものではなく、嫌な予感を肯定するものだった。

 

「そりゃ油の用途のなんて一つしかないだろ。燃やすんだよ」

「燃やすって……何をよ?」

「まあ、わざわざ一番デカい20リットルのポリタンクで用意してんだ。因縁のピアノだけってこともねぇだろ。公民館全体を燃やしちまう気なんじゃねぇか?」

 

 自分たちが見つけてしまったものの恐ろしさに戦慄する千鳥。

 

「何のためにそんな……」

「この事件のフィナーレを飾るためかな。最後は麻生圭二の再現で締めるつもりとかな」

 

 えりかのその発言に疑問を感じた千鳥。そこに一縷の希望を込めて問いかける。

 

「でも、月光は第三楽章までよ。もう復讐の相手なんていないんじゃ?」

 

 それに対するえりかからの回答はより救われないものだった。

 

「そうだな。たぶんさっき殺されたのは西本とかいうヤツだろうけど、それでターゲットは終わりだろうな」

「じゃあなんで……」

「さてね。案外自分自身でも燃やす気なんじゃないのか?」

 

 えりかの指摘に目を見開いて驚く千鳥。

 

「え? …………まさか……成実先生が自殺する気だって言うの?」

「昨晩の話の中で、犯人には迷いがあるって話をしたよな。復讐に燃えている裏で、そんな自分自身を止めてほしがっている良心もある。復讐を終えた上で、罪に塗れた自分自身を処す。……こいつはありえない発想か?」

「そんな………………止めないとッ!」

 

 ———やれやれ。連続殺人犯に対して真っ先にそんな発想が出てくるあたり、コイツも大概お人好しだよな。まあ、そこもいいとこなんだけどな。

 

 えりかは心の中で苦笑をかみ殺すと、猫の笑みを浮かべて言った。

 

「だな。さてどうするか。中身を水にすり替えておいて、火を付けようとしてビックリ、なんてことができれば私好みなんだが……油を適当に投棄するのも自然に良くないしな」

「なに悠長なこと言ってるのよ!」

「何だよ? 自然保護は大事だぜ? ……まあいいや。千鳥、このポリタンクあの藪の中に適当に隠してこいよ」

「……そんなのでいいの?」

 

 千鳥はあまりに杜撰なその対処法に疑わしげな視線をえりかに向ける。

 

「十分だよ。ここに火を付けに来る頃には、浅井成実は警察に追い詰められているはずだ。一々燃料を探している余裕なんてないさ」

「分かったわ。ちょっと行ってくる」

 

 えりかの説明に納得したのかポリタンクを重そうに抱えて、藪の方へ歩き出す千鳥。だが、ふと足を止めるとえりかの方へ振り返った。その千鳥の態度を訝しんだえりかが訊く。

 

「どうした?」

「……ねえ、えりか。……えりかはもう一度殺人が起きるって分かってたんじゃないの?」

 

 えりかの問いかけに、けれど千鳥は質問で返した。

 

「どうしてそう思う?」

 

 そしてえりかも明確な答えを返さない。ただ表情が消えた。

 

「えりかは毛利さんから血の譜面のことを聞いた時点で成実先生が犯人だと分かってたのよね? でもその場で警察に教えることはしなかった。そして私に犯人が分かったって教えてくれたのも宿に着く直前になってからだった。……意図的に時間を作ったんじゃないの? 成実先生が最後の復讐を果たせるだけの時間を」

 

 その千鳥の推理に、えりかはすました猫の笑みを浮かべた。それはよくたどり着いたという称賛の笑みだったのか、あるいは。そして開いた口から出た言葉は。

 

「私は別に正義の味方ってわけじゃない。それに復讐が必ずしも悪だとも思っていない」

「そう」

 

 えりかは明確に答えたわけではなかった。けれど胸の内を自分には明かしてくれたと思ったからか、千鳥はそれ以上問い詰めることなく、踵を返して藪の中へと向かっていった。

 

 

 そしてしばらくして千鳥が戻ってきた。

 

「隠してきたわよ」

「ありがとよ」

「でも油がなくても火を点けようと思えば点いちゃうんじゃないの?」

「さあ? 乾燥してる季節でもないし、そう簡単には延焼するようなことはないと思うが、カーテンあたりに火が点けばまずいか……よし。千鳥。お前、各部屋を回って、カーテンを外してこい。その後はトイレに行って全部水の中に突っ込んどけ。後はそのまま隠れてバケツに水溜めたり、水道にホース繋いだりして消火の準備をしとけよ。なんかあったら合図するから」

「ええ!? ……合図ってどうやってよ?」

「…………そうだな。私はそこでピアノを思いっきり叩いて鳴らすからそれが合図だ」

 

 えりかは公民館のピアノ部屋を指さすと、ピアノの鍵盤を両手で叩く仕草をして見せた。それに千鳥は眉を顰める。

 

「ポリタンクが消えてるのに気付いたら、成実先生はまず手近なピアノの部屋から公民館の中に入ろうとするでしょう? まさかえりか、一人で成実先生と向き合うつもりなの?」

「まあその時は、なんとか思いとどまらせてみせるさ」

「危ないじゃない。なんでそこまで……」

 

 不安そうな千鳥に、えりかはニヤリと笑みを浮かべて見せる。そしてこう嘯いた。

 

「義理が廃ればこの世は闇ってヤツさ」

 

 けれど納得いかない千鳥。反論を続ける。けれどえりかは取り合わない。

 

「出会ったときに介抱されたことを言ってるの? 恩と義理が釣り合ってないと思うけど」

「それを判断するのはお前じゃない。私さ」

 

 ここまで来てアミティエは一歩も譲る気がないことを千鳥は理解した。仕方なく受け入れる。けれど釘を刺すのも忘れない。

 

「もしえりかに何かあったら……どんなことをしてでも成実先生を八つ裂きにするから」

「おお、怖い怖い。相棒を犯罪者にしないように私も頑張らないとな」

 

 えりかはその発言をおどけて受けて止める。その様子に千鳥は溜息をついてえりかの車いすを公民館へ向けて押しだした。とはいえ先ほどの発言は掛け値無しの本気ではあったのだけれど。

 

 

 

■Others side

 

 

 

 静まりかえった深夜の夜道を一台の車が疾走する。そのハンドルを握る人間———浅井成実(あさいなるみ)、いや麻生成実(あそうせいじ)は笑いをかみ殺すことができず、クツクツと音を漏らした。

 

 ———いやー。参った参った。まさかあのトリックを全部見破られるとはな。さすが名探偵『眠りの小五郎』。途中途中ではなんだあのヘボ探偵はと何度も呆れさせられたけど、最後の最後で帳尻を合わせてきやがった。

 

 浅井成実は敗残者だった。死亡推定時刻を誤らせるための、テープのリバース再生のトリックも、自らが第二の事件を検死するために仕掛けた、第一の事件で変死に見せかけたわけも。全て見抜かれてしまった。不幸中の幸いだったのは、なぜか毛利小五郎が役場のスピーカー越しに推理を披露したことだった。自分が犯人であることは暴露されてしまったが、みながスピーカーに気を取られている間に、目を盗んで逃げ出してきたのだ。

 

 ———まあでも。お父さんがなぜ死んだのか。あいつらが麻薬取引に手を染めていたことも明るみに出たことは唯一の救いか。

 

 車を走らせながら麻生成実は己の敗因を振り返る。ようは余計なことをし過ぎたのだろう。思わせぶりな暗号文を残すなんてことをしなければ真実は闇に葬られたはずだった。

 

 ———まあでもそう上手くはいかないよな。三人殺しておいて、逃げおおせようって考えがそもそも甘かったんだ。そう考えると第二の選択肢を用意しておいたことは正解だった。備えあれば憂い無しってやつだな。

 

 車は公民館の前へとついた。乱暴にドアを開け、閉めることももどかしく走り出す。公民館の裏手へ。後始末をつけるための準備をしておいた場所へと。けれど———

 

 

 ———ない!? どういうことだ!? 掘る場所を間違えた!? いやそんなはずは!?

 

 浅井成実はひどく混乱していた。確かに隠しておいたはずの灯油入りのポリタンクがないのだ。これでは。これでは最後の幕が下ろせない。

 

 ———くそッ。どこへいった!? 波に流されたのか!? いやそんなはずは……そもそもオレはなんで事前に埋めておくなんてバカなことをしたんだ! 車に積んだままにしておけば間違いなかったのに!!

 

 後悔先に立たず。混乱と自分への罵倒が満たしてろくな思考ができない。けれどそんな浅井成実の耳に、不意にある音が届いた。

 

 

「ピアノの……音……?」

 

 パラピンポンポンと軽快かつ珍妙な音。明らかに音楽的な素養のない人間が適当につま弾いたような音だった。

 

 父と自分をつなぐ因縁のピアノ。それが切羽詰まっている自分を嘲笑うように乱雑に掻き鳴らされている。瞬間的に浅井成実の頭は沸騰した。ピアノ部屋への扉に駆け寄りノブを回す。鍵はかかっていない。乱暴に押し開いた。

 

「誰だッ!?」

 

 自分の誰何に呼応したようにピアノの音は止み。そしてピアノの前に座していた人物がゆっくりとこちらへと振り向いた。

 

 キィキィと蝙蝠が鳴くような音が鳴る。彼女が乗る車いすが立てた音だ。小さな頭。深い緑色の瞳にきめ細やかな肌。唇は少年のように薄く淡い色。ピンと外側に跳ねた髪。そしてすました猫の笑み。窓外から降り注ぐ月光に照らされたその人物は、八重歯を見せてこう嘯いた。

 

「よう。遅かったじゃねえか、犯人さん?」

 

 少女の声で男性のような言葉遣い。その想定外の人物に麻生成実の意識は一瞬真白に染まった。その人物は———

 

 

 

■Side E

 

 

 

 かくして犯人はやってきた。復讐鬼。連続殺人犯。浅井成実。

 

 えりかが待ち構えていたことがよほど予想外だったのか惚けたような様を晒している。笑える状況ではあるがこのままでは話が進まない。

 

「どうした? 鳩が豆鉄砲喰らったような顔してるぜ?」

 

 えりかが揶揄(やゆ)したようにそう言うと気を取り直したようだった。

 

「あなた、八重垣さん? なんでこんなところに?」

 

 声は落ち着いたように聞こえるが、その瞳が油断ならないというようにこちらを睨み付けていた。

 

「満月に誘われて一曲弾きに来たってのはどうだい?」

「その腕で?」

 

 ———コイツは痛いところを突かれた。けれど倍返しにしてやる。

 

「まあこの足じゃあろくにペダルも踏めないんだがね。でもまあさすがにピアニストの息子様はいい耳をお持ちだ」

 

 その一言に成実の目が更に細まり視線に力が増す。芝居は無駄と悟ったのか口調も男性的に変化した。

 

「……毛利探偵から聞いたのか?」

「あん? 別に小五郎のオッサン達とは連絡先の交換もしてないぜ?」

 

 ———なんでそこで小五郎のオッサンの名前が出る? 謎を解くなら坊主が先だと思ったが……坊主が手柄を譲ったのか?

 

「こいつは驚いた。まさか自力で真実にたどり着いたのか。……いつ気付いた?」

「あんたが男だってのは会った瞬間から」

 

 えりかが即答すると、成美は鼻白んだように一度開いた口を閉じた。そして一呼吸置くと改めて口を開いた。

 

「……なのに毛利探偵や警察にはあの場でオレが男だって言わなかったんだな」

「ああ。あんたが単なる女装趣味の人間だって可能性を捨てられなかったんでな」

「よせよ。人を変態扱いするのは」

「そういう言い方は良くないぜ。私は性的マイノリティも尊重するようにしてるんだ」

 

 緊迫した場面ではあるがお互いに軽口を飛ばし合う。成美が先を促すように顎をしゃくった。

 

「ま、総括するならあんたは余計なことをし過ぎたな。小五郎のオッサンへの予告文は置いておくにしても、外連味溢れるダイイングメッセージは明らかに余計だった」

 

 えりかが失点を挙げてみせた。それはどこで浅井成実が犯人だと確信を得たのかを如実に示していた。成美はそのことに声を上げて笑ってしまった。その反応に今度はえりかが眉をひそめる。

 

「いや悪い。他意はないんだ。ついさっき自分でも反省していた部分を突かれたもんでな」

 

 その勘違いをただした成実は。

 

「それで? 本当のところなんでお嬢さんはこんな時間にこんなところに来たんだい?」

 

 確信に迫ることにした。そしてえりかも答える。

 

「馬鹿野郎が自殺しようとするのを止めに来たのさ」

「なるほど……油を隠したのはお嬢さんか。……なんでそんな余計なことを?」

 

 けれど本心から応えたわけでもなかった。

 

「三人も殺したんだ。勝手気まま裁きたいように裁いておいて、自分は『はいサヨナラ』じゃ道理に合わないだろう? あんたも裁きを受けるべきだ」

「あいつらは麻薬に手を染めておいて、抜けようとした父を自殺に見せかけて殺したんだ。どうしようもない悪人どもだった」

 

 その言葉に、全てを悟ったえりかは瞑目した。けれど再び目を見開くと反論を続ける。

 

「それを否定する気はないさ。だけどあんたも今やヤツらと変わらないだろう?」

 

 その指摘は成実にとっては痛いものだった。なんせ自分でもそう思っていたからだ。だから自裁することも計画に組み込んでいた。けれど他人から指摘されると否定したくなる。せずにはいられない。

 

「違う! これは正当な復讐———」

 

 だけどえりかはその言い訳を許さない。はっきりと断ち切った。

 

「違わない。少なくとも村長の娘にとってはそうだろう。それなりに慕われた父親だったようだぜ?」

「ッ……! だけどヤツも最低な犯罪者———」

「そうなる前にあんたが殺しちまったんだろ? 罪を告発されて犯罪者として裁かれたんじゃない。彼女にとっては頼れる父親のまま理不尽に奪われたんだ。今のあの人はかつてのあんたと同じ立場だ。ならあんたが裁かれるところを見る権利があってしかるべきだろうさ」

 

 その主張を成実は退けられない。ギリリと歯噛みして。そしてけれど、悪役然としてなお嗤って見せた。

 

「なるほど。お嬢さんの主張は一理ある。けど、オレがそれに付き合う義理はないぜ。オレの最後は決まってるんだ。父と同じように炎の中、ピアノを弾きながら消えるってな。巻き込まれたくなければさっさとここを出て行くんだな」

 

 精一杯の脅し。けれどえりかには通じない。猫のように笑んだ。

 

「油も無しにどうしようってんだ?」

「そんなの他のものに火を付けてなんとかするさ。カーテンとかなんでも———」

「へえ?」

 

 えりかの唇がますます愉快というように吊り上がる。成実にはまるで童話の中のチェシャ猫のように見えた。愚か者を嘲笑う悪戯猫。そこでハッと気付いた。ここまで煌々と月の明かりが差し込んでいるわけに。

 

「ッ……! カーテンがない!?」

「悪いな。カーテンは全部洗濯中なんだ。ここだけじゃなく公民館中全部な。で、持ってる火種はチャッカマンか何かか? 頑張ってフローリングとか燃やしてみるかい?」

 

 なぜ気付かなかったのか。いつもこの車いすの少女を押していたもう一人の美貌の少女がいない。彼女がきっと。悔いる気持ちを押し殺し。書類やなにか。燃えそうなものが少しは残っているはずと思い直す成実。

 

「それならッ」

 

 公民館内へと駆けだす。扉へ手をかけようとしたところで、その背中にえりかから声がかかった。急制動をかける。

 

「あー。そうそう。それから公民館内は今、相棒が大掃除中で水浸しだから滑らないように気をつけろよ」

「ッ……!」

 

 成実の足下からぴちゃりと水音がする。扉の外から水が漏れてきているようだった。どこまでも先回りされている。得も言われぬ恐怖と、そして苛立ちから足を止めてえりかへと振り返る。

 

 ———まあ、千鳥に扉付近に外からバケツで水を撒かせただけなんだがな。さすがに公民館全体を水浸しにしたりしたら後から怒られそうだし。

 

「それならお嬢さんを人質にして何とか逃げおおせるさ」

 

 ついに付け火は無理と認めた成実は逆にえりかへとゆっくりと歩み寄る。それを面白そうに見遣るえりかは袖を捲り上げると両腕を広げて身構えた。

 

「お。やるか? こう見えて私は武芸十八般、免許皆伝だぜ?」

「軽口を!」

 

 余裕の態度を崩さないえりかへと掴みかかろうとしたその時。通路へと続く扉が破れんばかりの勢いで外から押し開かれた。

 

 

 

■Side C

 

 

 

 ———しくじったッ!

 

 コナンは今、焦燥に駆られていた。推理で犯人を追い詰めたのはいい。けれど詰めが甘かった。まさか成実が逃げ出すとは。完全に予想外の行為だった。

 

 月影島は完全な孤島だ。連続殺人事件の発生で厳戒態勢の今、勝手に島外へ出ることはできない。そして警察からも完全に犯人だと認識された以上どうすることもできないはずだ。そのことが余計にコナンを焦らせる。

 

 この状況では、成実は最悪の選択をしかねない。コナンは成実が憎くて推理をしたわけではないのだ。なんとしても止めなければならなかった。

 

 一分一秒がもどかしい思いをしている間にようやく公民館へとたどり着いた。一見異変は起きていないように見える。けれど成実はここにいるはずなのだ。目暮達と共にコナンは迷わず公民館の中へと突入した。

 

 目標はピアノの部屋。まっすぐ突き進めばいい。先頭に立って駆けるコナン。そこで突入の音に気付いたのかトイレからひょこりと考崎千鳥が顔を出した。

 

「千鳥お姉ちゃん!?」

「コナン君!? 警察の人達も!」

 

 お互いに驚きの声を上げる。特にコナンは思いも寄らぬ顔が出てきたことに完全にパニックになった。

 

「何で千鳥お姉ちゃんがこんなとこに!?」

 

 けれど千鳥は待ち望んでいた援軍にすぐに思考を切り替えた。トイレを出てピアノの部屋へと走り出す。

 

「いいから! 早くピアノの部屋に! 成実先生とえりかが二人でいるの!!」

 

 ———なぜそこで八重垣えりか!?

 

 更なる予想外に混乱しつつも足を動かす。まあ千鳥がここいる以上えりかもいることは自然なことなのかもしれないが。

 

 そして体ごとぶち当たるようにして扉を開けるとそこには。車いすの少女と彼女に掴みかからんとする女性、のように見える姿があった。無意識の動きで更に突貫。

 

 目暮が成実にタックル。コナンもその足に飛びついていた。勢いのまま押し倒された成実は何が起こったのか理解できないままもがき。そして自分にしがみついた目暮とコナンを認識すると諦めたように動きを止めたのだった。

 




次回、エピローグ

■FLOWERS用語辞典
義理が廃ればこの世は闇:えりかが度々使う台詞。歌詞「人生劇場」(1959年/村田英雄)からの引用。


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FILE8

エピローグです。
これにて月光ピアノソナタ編は終了。
次はどのエピソードにしようかな。


 ■Side E

 

 

 

 えりかは差し込む日の光を目蓋の裏に感じる。意識はまだ微睡みの中にいるというのに感覚器官だけが外からの刺激で先に起き出してしまったようだった。視覚の次は嗅覚。えりかの好きな白桃の香りが鼻先を擽った。

 

 えりかは誘われるようにその香りの方へと寝返りをうつ。白桃の香りは更に強くなり、その匂いが、夢の中のえりかをゆるゆると覚醒させていった。夢の尾にしがみついたまま微睡んだ瞳を開ける。

 

 初夏の爽やかな昼の陽射しと、清潔なシーツ。そして傍らでこちらをのぞき込む美しく整った顔を捉えた。えりかはこれを夢の続きだと思った。頭の芯が痺れ、夢の余韻が残っていたせいだ。でも、

 

「ん……っ」

 

 その美しい顔が不意に近づき視界を埋めると、濡れた薄桃色の唇がえりかのそれに触れた。白桃の香りを間近で吸い込む。

 

 夢の中などではなく現実だと認識。一気にえりかの鼓動は高まり、意識が覚醒する。その甘美な感触に、羞恥が打ち勝つ。のけぞって唇を離すと思わず抗議の声を上げた。

 

「おい……なにして……やがる……」

「ふふ。えりかの寝ぼけ顔が可愛かったから、ついね」

 

 けれどえりかの抗議などどこ吹く風。千鳥は微笑んだまま手を伸ばし、えりかの愛らしく艶やかな髪を撫でた。その手触りは黒猫の背を撫でたかのような心地だ。

 

「答えになってないぞ」

「なんでもいいじゃない」

 

 髪を梳るアミティエの指。その感触にえりかは目を細めた。まるで主に撫でられ、喉を鳴らす黒猫のよう。甘やかな二人の時間はその後、女将が朝食を勧めにくるまで続いた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 朝食をとる二人。そのさなか千鳥が口を開いた。

 

「成実先生のこと……あれでよかったのかしら」

 

 千鳥は成実の自殺を阻んだことを言っているのだろう。

 

「さてなぁ……」

 

 それに対してえりかは相槌を打ちながら昨夜のことを思い出していた。

 

 

 あの時、目暮達警察に取り押さえられた浅井成美は全てを諦め、力を抜いた。そしてなぜ犯行におよんだのか、全てを話したのだった。

 

 動機はえりかの睨んだとおり、やはり復讐だった。家族もろとも焼き殺された父親、麻生圭二の復讐。今回殺された川島英夫、黒岩村長、西本健、そして二年前に死んだ亀山前村長。彼らは麻生圭二の海外公演を利用して麻薬を買い付け、捌いていた。そしてあるとき、麻生圭二が抜けると言いだした。そこから口封じされることになったとのことだった。

 

 前々から父の死に不審を感じていた成実は真相を探るため、医大卒業後に月影島へと戻った。麻生圭二の息子と悟られないよう女医として。生来の女顔と医師免許には名前にふりがなが振られないことが功を奏したらしい。

 

 そして事態を大きく動かしたのは亀山前村長だった。スケベ心から成実を呼び出し二人きりとなった亀山は、けれど成実が麻生圭二の息子だと分かると急に怯えだし、慈悲を乞うかのように全てを明らかにした。そして心労が祟ったのか、あるいは日頃の不摂生のせいか、心臓麻痺で死んでしまった。

 

 そしてそれは事実を識った成実による復讐計画の始まりとなった。未だこの世にのさばる残り三人に応報を喰らわせるための。

 

 

「そうだな。ことは三人の計画殺人だ。家族を殺されたという情状酌量の余地を認められたとしても、刑期は20年か30年か……塀の中から出てきた頃にはもう還暦前かもしれん。社会的には死んだも同然だ。そう考えると死なせてやった方が幸せだったか……」

「そんな……」

 

 悲観的な推測に、悲痛な声を上げる千鳥。そんな相棒を見遣って、えりかはニヤッと笑った。

 

「なんてな。まあアイツなら上手くやるだろ。なんせあれだけのことやらかす計画性と行動力があって、その上、医者になれるほど地頭が良いんだ。どうとでも生きていけるだろうさ」

「もう。そう思ってるなら最初から言いなさいよ! ……でも本当にそう思う?」

「ああ……きっと大丈夫さ」

 

 成実が見せた最後の表情を思い出しながら、えりかはそう言った。昨晩片付いたのは成実の事件だけではない。

 

 毛利小五郎の推理によって麻薬の取引についても明らかになった。譜面の暗号を通じ海外から仕入れた麻薬を、あの公民館のピアノに設けられていた隠し扉に一旦隠し、そこから各地へ捌いていったとのことだった。最近の実働は村長秘書の平田が担っていたらしい。彼の家から大量の麻薬が発見され、即座に逮捕された。最初の殺人が起きた夜にコナン達が公民館で見た怪しい人影も平田だ。事件で注目を浴びたピアノから麻薬を一旦待避させるつもりだったようだ。

 

 平田は拘束され、今日も目暮により事情聴取を受けることになるだろう。全ては白日の下にさらされることになるはずだ。そのことを知った成実は憑き物が落ちたような、晴れ晴れとした表情をしていた。あの様子ならきっと。

 

『ありがとな、かわいい探偵さん』

 

 彼にかけられた言葉を思い浮かべながら、確かにそう思うえりかだった。

 

 

 

 ■Side R

 

 

 

「もう! お父さん、早くしないと船が出ちゃうわよ!!」

 

 蘭は船着き場で足踏みしながら、後方の小五郎へ声をかける。小五郎は息も切れ切れ。とても返事を返す余裕はない。傍らでは先にたどり着いたコナンが呼吸を乱しながらも呆れたように小五郎を見ていた。

 

 事件を解決に導いた翌日。連日続いた事件の対応で疲労がたまっていたからだろうか。宿に泊まった小五郎達、三人は朝食に誘う女将の声に気付くことなく爆睡してしまった。その結果、今日の連絡船に間に合うか、乗り遅れるかのデッドヒートを余儀なくされていた。三人の中で一番運動不足な小五郎が遅れているのだ。とはいえ、出港には間に合いそうだったが。

 

 無事乗船した三人は甲板で、一度見たら忘れられない存在感を放つ二人組に再会した。

 

「えりかお姉ちゃん、同じ船だったんだ?」

「よお坊主」

 

 考崎千鳥と八重垣えりかの二人組。早速、コナンが駆け寄って声をかける。それに対してえりかはニヒルに返した。蘭と千鳥もそれぞれ会釈を交わす。

 

 

 それから。小五郎はとっとと腰を落ち着けるべく船室へと消えた。コナンとえりかはワイワイと今回の事件について話しながら、船首の方へと進んでいった。結果、船尾には蘭と千鳥が残された。事件を通じて千鳥たちともそれなりに言葉を交わすようになっていた蘭は残されたものどうし、会話をしてみることにした。

 

「考崎さん達もこの船で帰るんですね」

「ええ。もともと二泊三日の予定だったから」

「そうなんですか。でも、まだまだGWも続くのに」

 

 暗にもっと長く滞在すればよかったのではと問う蘭。それに対して。

 

「そうもいかないわ。経済的にはともかく、親や学校の許可という面でね。子供二人だけでの旅行では二泊三日が限界だったのよ」

 

 千鳥の答えに得心がいった。確かに高校生だけでの旅行ならそのあたりが限界だろう。千鳥は甲板の手すりにもたれ、航跡を見下ろしながら深く溜息をついている。気遣う蘭。

 

「どうかしたんですか?」

「せっかくの旅行だったのに、事件のせいで全然目的を果たせなかったのよ」

「目的? なんですか?」

「えりかを食べようと思ってたの」

「は?」

 

 予想もしない一言に思考停止に陥る蘭。千鳥はそのことに気づきフォローを入れる。

 

「あ、もちろん食べるって言っても性的な意味で、よ?」

「え? は? えぇ!?」

 

 けれど状況はますます悪化。蘭の状態は停止から混乱へと移行した。

 

「そんなに驚くようなことかしら?」

 

 蘭の様子に首を傾げる千鳥。あまりと言えばあまりなその千鳥の反応に一周回ってようやく蘭も思考を再開した。

 

「そんなの驚くに決まってますよ! えっと……その、考崎さんも八重垣さんも女の子ですよね? その、恋人同士なんですか?」

「ええ。……おかしいかしら?」

「その……おかしいかどうかは……お二人は男の人より、女の人の方が好きなんですか?」

「さあ?」

「さあって……」

「学院には男性はいないから。えりかと私は偶然お互いを好きになったけれど、同じ空間に男性がいたらどうなってたのかしらね?」

 

 空に視線を移し、遠い目をする千鳥。けれどかぶりを振ると言葉を続けた。

 

「まあでも意味のない仮定ね。今の私が好きなのはえりか。それだけのことだわ」

「なんか……凄いですね。…………あの、それで性的な意味でって……」

「そのままの意味だけど。学院じゃそういうことするチャンスがないから。寮の部屋でも、お風呂でも常に誰かが入ってくるかもしれないし」

「あ、いえそういうことじゃなくて。即物的……というか結構露骨なんですね」

 

 過激なほうへ向かいそうな議論になんとかブレーキをかけようとする蘭。けれど、それを千鳥は自分への非難ととったらしい。即座に反論を飛ばす。

 

「あら? 心でつながった相手なら、次は体でもつながりたくなるのは普通の欲求だと思うけど。あなたにはそういう相手はいないの?」

 

「私にだってはしたないという思いはあるわ。えりかから求めてくれるのならそれを待っていたいけれど、あの子、そういうことにはすごく奥手なんだから仕方ないじゃない」などと千鳥は言葉を続けていたが、蘭には一つも入ってきていなかった。大混乱に陥っていたのだ。

 

 ———ええ!? 体でもつながりたい相手って……別に新一はそういう相手じゃないし、そもそも今どこにいるのか、何しているのかも知らないし……ってそうじゃなくて! なんで私新一のことなんか考えてッ!?

 

 言葉には出していなかったが、その蘭の百面相する様子から察したらしい。千鳥は唇を片端吊り上げる。

 

「その顔は心当たりがあったみたいね」

「なッ!? ないです! 全然! 全く! これっぽっちもないです!!」

「別にそんなに否定しなくても。私たちくらいの年頃なら興味があって当然のことだと思うけど?」

「違うんです~! 考崎さぁん!!」

 

 必死になる蘭を面白そうに見つめている千鳥。その顔にからかわれていることを察したらしい蘭は唇を尖らせる。

 

「でも意外です。そんなこと他人にぺらぺら話してしまっていいんですか? 結構ナイーブな話題だと思いますけど」

 

 LGBTなど性的マイノリティに対する寛容さが大事だと叫ばれてはいるが、それでも実際にはたくさんの偏見があるのが現実だ。ましてや芸能の世界に足を突っ込んでいる千鳥は況んや、だろう。そのことを蘭は気遣っていた。

 

「そうね。でもそんなことよりもっと大事なことがあるから」

「大事なこと?」

 

 これはきっと崇高な話が聞けるに違いないと身構える蘭。そして千鳥は。

 

「ええ。牽制よ。最初にこう言っておけば、えりかに横恋慕しようとする人はいないでしょう?」

「え? ……そんな理由ですかぁ?」

 

 大いに肩すかしをくらい、情けない声をあげる蘭。

 

「大事な事よ。だから、えりかに手を出したら許さないわよ。毛利さん」

「出しませんよ! …………っていうか牽制って、過剰に警戒しすぎじゃないですか?」

「そんなことないわ。あれでえりかはモテる、というかえりかに構いたがる人って結構多いのよ。懐かない子猫に構いたくなるような感じなのかしら?」

 

 ああなるほど、と蘭は心の中で掌を打った。えりかに失礼な表現だったので口には出さなかったが。その気持ちは分かった。

 

「えりかはえりかで、ちょっと優しくされたらあっちへフラフラこっちへフラフラ。ほんと惚れっぽいんだから。白羽(しらはね)さんのことは仕方ないにしてもこれ以上ライバルが増えたらたまらないわ」

「八重垣さんが……惚れっぽいですか?」

 

 その言葉は蘭にとっては意外だった。白羽さんとやらのことは分からないが、あのいかにもクールそうなえりかが惚れっぽい?

 

「意外? でしょうね。でも本当の事よ。あのクールな態度なんて上辺だけよ。奥手だし、性的なことには全く免疫がないし、すぐ絆されるし。最初に介抱されただけで成実先生にもあんなにこだわって。あれで人嫌いなんてよく言ったものだわ。…………まあ、そこがカワイイんだけど」

 

 千鳥はブツブツと言いながら、何もない空間を、苛立っていることに苛立っているような目で睨んでいた。そして急に表情が緩み、挟まれる惚気。蘭は意外なものを見るような目で千鳥を観察していた。

 

 連絡船が東京へ向けてのんびりと進む間二人の恋バナらしき話は続いた。ガールズトークに二人は打ち解け少し仲良くなるのだった。




■FLOWERS用語解説
白羽さん:白羽蘇芳。CV:名塚佳織。春編・冬編およびシリーズ通しての主人公。えりか達の同級生。学院最強の美少女。顔立ちやスタイルだけならタメを張れる生徒は何人かいるが、その妖精染みた雰囲気まで合わせると蘇芳が最強との評判。推理力もおそらくシリーズ通してNo.1。秋編では一年生にして生徒会長的なポジションに。とここまででぶっ壊れスペックの持ち主なのはおわかり頂けると思う。…だがぼっちだ。えりかの好感度ランキングNo.1。ぶっちゃけ片思いの相手。千鳥も彼女なら仕方ないと認めざるを得ない。



若干千鳥にぶっ込ませすぎたような気がしなくもないですが…まあ、多少はね。
特に記載していませんでしたが今作ではFLOWERS冬編終了後。つまり二年生になったえりか達という前提で書いています。


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そして人魚はいなくなった
FILE9


お待たせしました。
第二幕、開幕です。


 ■Side C

 

「———ったく……感謝しろよ……」

 

 福井の港を出港し、日本海は若狭湾を航行するフェリーの上に彼らはいた。タバコを燻らせ、船首甲板の落下防止柵に頬杖をつく中年男は、隣で同じく柵に背中を預けている青年に対してぼやいている。

 

「いきなりアポ無しで現われて、事件だから福井に調査に行こう、なんてバカな旅行に付き合ってやってんだから……」

「ええやんか! お金はこっち持ちなんやし……」

 

 そのぼやきに対して青年の返答は軽い。そこからは中年男性に対して親しみはあれども、敬意はさほど抱いていないことが察せられる。

 

 その青年の更に隣では海を眺めながら、小学生くらいの黒縁眼鏡の少年が、二人の会話に興味なさげに欠伸をしていた。

 

 中年男性の名は、毛利小五郎。『眠りの小五郎』の異名で世間に広く知られる名探偵である。髪をきちりとオールバックに撫でつけ、トレンチコートに身を包むその姿はダンディながらも、トレードマークのちょび髭が愛嬌という名のアクセントを加えていた。

 

 対して青年の名は、服部平次という。私立改方学園高等部二年。『西の高校生探偵』と称される若き名探偵だ。祖父譲りの地黒の肌、ちょんと跳ねた前髪が、青年の精悍さを際立たせていた。お気に入りの米メジャーリーグ球団の『SAX』ロゴ入りキャップを後ろ向きに被ったその姿は活動的な印象をより強くしている。

 

 そして少年の名は、江戸川コナン。帝丹小学校に通う1年生。しかしてその正体は高校生探偵工藤新一が、謎の組織により試作毒薬『APTX(アポトキシン)4869』を飲まされ、その副作用により幼児化してしまった姿であった。その後彼は正体を隠し、毛利家に居候しながら、元の姿に戻る手段を求め、自分に件の毒薬を飲ませた謎の組織を追っているのである。ちなみにこの場で服部平次にだけはその正体を知られていた。

 

 つまり、この場には『眠りの小五郎』の他に、『西の服部、東の工藤』と並び称されるふたり。あわせて三人もの名探偵が集っていることになる。これには理由があった。平次がとある事件の調査への協力を小五郎に依頼したのだ。実際の所、平次の目当ては小五郎ではなく、小五郎の下にいるコナン、工藤新一であったのだが。

 

「んで? どこだって? これからオレ達が行く島は?」

「美國島っちゅう、若狭湾沖のちっさい孤島やけど……ここら辺の者はこー呼んでるみたいやで……人魚の棲む島やてな……」

「人魚だとぉ……?」

 

 平次の説明に如何にも胡散臭いと言わんばかりの疑いの声を小五郎が上げる。

 

「ああ……なんでもあの島に、人魚の肉食うて長生きしてる婆さんがおるそーや……」

 

 平次が付け足すが小五郎の顔は晴れない。そこにフォローを入れたのは彼らの同行者の女性二人だった。

 

「それ知ってる! 三年ぐらい前にブームになってた不老不死のおばーちゃんの事でしょ?」

「そーそー、アタシもその永遠の若さと美貌にあやかろ思てついて来てん!」

 

 関西弁の少女は、遠山和葉。大きなリボンで結んだポニーテールが特徴的な可憐な少女だ。平次の同行者で、彼の幼なじみでもある。そして、もう一人の少女は毛利蘭。小五郎の娘だった。女三人寄れば姦しいとは言うが、二人でも同じ事のようである。きゃいきゃいと女性陣の間で会話が弾む。

 

「そっか! その若さと美貌で服部君に……?」

「アホ! 大きな声でゆうたらアカン!」

「でも人魚がいるかもしれない島なんてロマンチックよねー?」

 

 そんな彼女たちの会話を平次は聞こえないふりをし、コナンは「今でも若けーじゃねーか……」と呆れ、そして小五郎は。

 

「フン……あほらしい……八百年も生きた八百比丘尼(やおびくに)じゃあるめーし」

 

 と切り捨てた。そんな小五郎を平次がなだめる。

 

「まあ比丘尼伝説の発祥の地はこの福井県やし……」

 

 ——そう語る老婆が出てきても無理ねーってわけか。

 

 コナンは内心で一人納得していた。小五郎はうんざりしたように言う。

 

「おいおい。……まさか事件の依頼って人魚に会いたいから探してくれなんていうんじゃねーだろーな?」

 

 それに対して平次の答えは。

 

「その逆や……手紙の依頼分はたった一言……震えた字ィで書いてあった……人魚に殺される……助けてくれってな!!」

「に、人魚に……!?」

 

 殺されるという不穏なメッセージに息を飲む、小五郎と蘭に和葉。けれどこの場に一人、全く意に介さぬものがいた。コナンだ。ふぁと相変わらず欠伸をしている。その態度に腹を立てた平次がコナンの耳元で囁く。

 

「コラ、真面目に聞け。だいたいな、電話でゆうたこと、お前がきっちりゆわへんからややこしいことになってんねやんけ!」

 

 それに対するコナンの態度は変わらなかった。二人のコソコソ話は続く。

 

「バーーロ、『冬休みに人魚捜しに行くで』なんて言われて本気にするかよ……それに、そんなお伽噺に付き合いたきゃ一人で行けよ……」

「アホ! それだけやったらオレも来ぇへんねや……」

「ひっかかったんは依頼先の名前や……宛名はオレんトコやったのに手紙の頭には……『工藤新一様へ』て書いてあったんや」

「え?」

 

 ここでコナンが初めて興味を示した。服部平次宛の手紙になぜか自分の名前。分かりやすく不可解だった。平次はその手紙に最初、腹を立てたらしいが、新一に関連のある人物かもしれないから念のため話を回したのだと言う。

 

 ——オメーがオレの名前を言ーふらしてるんじゃねーだろうな……

 

 平次の恩着せがましい言いように、不快に感じるコナンだった。

 

「おい、その依頼主に連絡して確かめたのか?」

 

 小五郎が口を挟んでくる。その問いかけに平次は勿論と答えた。手紙をくれた門脇沙織という人の携帯電話の番号が、手紙の最後に書いてあったのでかけてみたのだと言う。その結果は。

 

「二回目からはなんべんかけてもつながらへんかったけど、一回目は誰かがとってすぐ切りよった……そん時、電話の向こうで聞こえた音はちゃーんと耳に残ってんで……あの女のうめき声と波の音はなァ……」

「ま、まさかその人……」

「もう人魚に……」

 

 既に殺されているのではないか。平次の証言にそう怯える蘭と和葉。小五郎も気圧され、コナンは思考に沈んだ。その様子に平次は満足する。「興味が出てきたやろ」と問いかければコナンは「別に」と否定していたが。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「おい。いい加減冷えてきたぞ。そろそろ船内に入ろうぜ」

 

 まだ季節は秋とは言え、日本海の風はそれなりに冷たい。港から離れ、景色のただ海原が続くばかりでそう面白いものでもない。小五郎の提案は妥当なものだった。一同は船内へと入る。そのまま廊下を抜け、客室へ続く扉へ入ろうとしたところ、逆から人が来たのかひとりでに扉が開いた。

 

「「あッ」」

 

 扉の向こうから出てきた人物と蘭が互いの顔を見て同時に声を上げた。お互いに見知った相手だったからだ。歳の頃は、おそらく蘭や和葉と同じくらい。けれど二人に較べ遙かに大人びた雰囲気を持つ少女だった。硬質なその美貌を驚きに歪めている。

 

 その少女は車いすを押していた。車いすの主もまた少女だった。背後の少女とはまた異なる魅力を持つ少女。短くカットされた艶やかな黒髪。小柄で華奢な体躯。まるで愛らしい黒猫のような、けれど人に懐かない孤高さのような雰囲気も併せ持っていた。小五郎たちを認識して、唇の端を持ち上げている。

 

 車いすの少女の名は八重垣えりか。それを押す少女の名は考崎千鳥。いずれもまるで自分たちと同じ世界の住人とは思えない。彼女たちを知るコナン達はともかく、面識のない平次と和葉はポカンと大口を開けて惚けていた。それほど自分たちとは隔絶した存在感を持つ少女たちだった。

 

 なんとも言えぬ沈黙が場を包む。それを破ったのは車いすの少女、八重垣えりかだった。

 

「よお、坊主。久しぶりじゃねぇか。こんな所で会うとは奇遇だな。元気してたか?」

 

 少女の声で男性のような言葉遣い。それもえりかの魅力のひとつだ。片手を上げて挨拶をしてくる。それにコナンも答えた。

 

「えりかお姉ちゃん! 久しぶり。うん、ボクは元気だったよ。えりかお姉ちゃんは?」

「ああ。問題はないぜ。なんならアラベスクを決めて見せようか?」

 

 動かない脚をポンと叩きながらそんなことを言ってくる。皮肉な物言いも健在のようだ。コナンとしては苦笑するしかない。

 

「千鳥お姉ちゃんもこんにちは!」

「ええ。コナン君も元気そうで何よりね」

 

 驚きの表情から、なぜか微妙な表情へと変化させていた千鳥は、コナンの挨拶に改めて微笑を浮かべ、挨拶を返してきてくれた。そこで。

 

「ちょ、ちょ、ちょ、ちょ、ちょう!?」

 

 平次がコナンの肩に腕を回して引き寄せると、後ろを向きながら耳元に囁いて問い質してくる。

 

「工藤!? あのえろう別嬪な姉ちゃん達と知り合いなんか!?」

「あぁ? ……ああ。以前伊豆諸島に行った時にちょっとな」

「なんやて!? ほんなら早く紹介せえや! 水くさい!!」

「あぁ!? いや、紹介してやるけどよ……なにそんな焦ってるんだよ?」

 

 別段、えりか達に平次達を紹介することに異存はなかったコナンだが、そこまで強く言われては面白くない。それ以上に平次の態度が解せなかった。美人な母親の影響か、あるいは可憐な幼なじみを見慣れているからか、如何に美人とはいえ、ここまで平次が女性に対して興味を見せたことは過去になかった。だからコナンは素直に聞いてみたのだが、「どアホ! さすがにあんなレベルの美人は見たことあらへんぞ!!」とのことである。コナンにとっては新鮮な平次の姿であったが、そんな姿が面白くない人物が一人いる。

 

「へ~い~じ~~?」

 

 コナンと平次、屈み込み内緒話に興じる二人の上に影が差し掛かり、声が降ってくる。声の主は。

 

「か、和葉……どうかしたか……?」

「どうかしたかちゃうやろ! 美人と見たらデレデレして!!」

「はぁ!? してへんやろ! デレデレなんて!」

「してました~」

 

 コナンの背後で言い合いともみ合いが発生する。それを不思議そうにえりかは見て。

 

「どうかしたのか?」

 

 コナンは苦笑で誤魔化すしかない。この二人は周囲からどのように見えるのか無頓着なところがあるから言っても分からないだろうというのもある。ともかく平次たちを紹介することにした。

 

「あはは……なんでもないよ、えりかお姉ちゃん。えっと……こちら、服部平次お兄ちゃんと、その幼なじみの遠山和葉お姉ちゃん。二人とも大阪の出身で、今回の旅行に誘ってくれたんだ」

 

 その紹介に感じるものがあったらしい。えりかの瞳が面白がる色を帯び、視線を平次へと当てた。

 

「へぇ……『西の高校生探偵』殿か」

「「知ってるの、えりか」お姉ちゃん」

 

 えりかの呟きに、コナンと千鳥が同時に反応する。平次と和葉も取っ組み合いを止めて、えりかの方へ振り向いた。

 

「ああ。何度か新聞で名前を見たことがある。高校生ながら難事件で警察に協力し、解決した若き探偵、ってな。東京にも有名な高校生探偵がいるらしくて、『西の服部、東の工藤』って並び称されているとか。……そういや東の工藤のことは最近聞かないな。これは高校生No.1探偵は服部に決定かな」

 

 そう言って目の前にいる平次のことを持ち上げてみせる。それに両極端の反応を見せる二人。

 

「いやー。見る目あるで、ほんま。そう。オレが高校生No.1探偵、服部平次や」

「多分最近名前が出てこないのは、なにか大きい事件を追いかけてるからじゃないかな? どっちにしてもNo.1を決めるのは早いと思うよ」

 

 同時に言い放つと互いの顔を見合うコナンと平次。次の瞬間、今度は二人が手を組み合って押し合いを始めた。そんな二人を見て「仲がいいんだな」と笑うえりか。その指摘に二人は渋々押し合いを止め、離れた。そしてコナンは今度は平次達に紹介する。

 

「えーと。こっちが考崎千鳥お姉ちゃんと八重垣えりかお姉ちゃん。聖アングレカム学院って学校の生徒さんで、ボクらとはGWに伊豆で会ったんだ」

「やっぱり聖アングレカム! その制服、もしかしてと思っとったけど!!」

 

 先に反応したのは和葉だった。聖アングレカムというのは女子にとっては一種のブランドになっているらしい。それも大阪の和葉も東京の蘭も知っているとなれば全国区のブランド校だ。

 

「制服……そう言えば、GWに着てたのと違うね。夏服?」

 

 GWに月影島であったときの二人は、黒のワンピースドレスのような制服を着ていたが、今は前合わせの部分にレースが施された白シャツの上に白のジャケット。それに黒のハイウエストスカートというツートンカラーでまとめられている。夏服というには少々寒い時期だし、防寒という意味では以前の制服とそう変わらなさそうに見えるが。

 

「ああ。こいつは秋服だよ。前のは春服。うちは変わっててね。四季にそれぞれ異なる4つの制服があるのさ」

 

 コナンの疑問にえりかが答える。

 

 ——なるほど、さすがお嬢様学校。4つも制服があるとは。

 

 蘭と和葉はうらやましそうにしているが、当の本人は「面倒なんだがね」なんて言ってたりする。

 

 お互いの紹介が終わったところでみんな船室へ戻る。その最後尾を歩きながら、コナンはとなりの平次へヒソヒソと伝えた。

 

「車いすの、八重垣えりかの方は推理力もかなりのもんだぞ」

「へぇ。工藤、お前が言う程か」

「ああ。彼女たちと会った伊豆の孤島で事件があってな。彼女がいなかったら犯人には自殺されていた」

「ほぉ……かわいい上に推理もできるんか、最高やんけ」

「お前なぁ……」

 

 平次の軽い態度に呆れるコナン。コナンとしてはとてもそのようには思えなかった。あの悲しき犯人の命が助かったことが何よりだった。その過程なんてどうでもいい。誰が救ったのかなんて些細なことだ。そう思いつつも、エゴとしか言えない自分の感情に蓋をすることはできなかった。悔しさのようなものを感じていた。自分が何よりプライドを持っている『推理』で上を行かれたのだ。自分と同年代の、それもこれまで事件に関わってきたわけでもない少女に、だ。

 

 あるいはそれは、コナンの中にも等しく潜む、性差別意識や傲慢さのようなものだったのかもしれないが……。

 

 

 いくつもの思いを乗せてフェリーは進む。人魚の棲む島、美國島へと。

 

 



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FILE10

■Side E

 

 

 

「思いの外、人が多いな」

 

 行き交う人の多さに辟易したのか、車いすの少女が顔を歪め呟く。島への上陸後、役場へと向かうコナン達と別れたえりかと千鳥は島のメインストリートを散策していた。彼女の言うとおり、細い島の道にはそれなりの数の人々の往来がある。もちろん東京などの大都市としては較べるべくもないが、その道が想定している通行量は軽く上回っているのだろう。流れは滞り気味だった。

 

「有名なお祭りだそうだから。そもそも私たちだってそれ目当てに来たんだし」

「私は知らなかったけどな」

 

 えりかが鼻を鳴らすように言う。たしかに今度の旅も、千鳥が彼女を半ば強引に連れ出したものだった。旅の目的地の詳細もろくに伝えずに。千鳥はえりかに目を合わせず、視線を彷徨わせる。そして人の流れを避けるように、近くの土産物屋へと足を踏み入れた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 人魚のお守りにマーメイドストラップ、儒艮饅頭と人魚を前面に押し出した商品が並ぶ。人魚の島の面目躍如といったところか。ここまで商売っ気を出されると興ざめを通り越してくるから不思議だ。

 

 土産物屋に並ぶ品々を興味深げに眺める少女二人。島ではとても見ることがない華やかな雰囲気の少女達に、土産物屋の中年女性店員から声をかけた。

 

「あらあら。とても可愛らしいお客様だわ」

 

 二人は軽く黙礼して返す。

 

「お嬢さんたちも『儒艮の矢』目当て? こんなに可愛らしい子たちのところにこそ不老長寿のお守りが来るといいけどねぇ」

「『儒艮の矢』?」

 

 鸚鵡返しにするえりか。話し好きそうな中年店員がなおも教えてくれた。

 

「さっきも言ったとおり、霊験あらたかな不老長寿のお守りよ。外からの観光客のほとんどはこの矢を目当てに来てるの」

「ふーん。それでその矢とやらは、儒艮がせっせと作って持ってきてくれるんですかね?」

 

 そう相槌をうったえりかの瞳は興味なさげだ。あるいは胡散臭いと思っているのかもしれない。そこにフォローを入れたのは、後ろから出てきたもう一人の店員だった。黒髪のボブカットと厚い唇が特徴的な30前くらいの女性。黒江奈緒子(くろえなおこ)だ。

 

「さすがに矢を作ってるのは儒艮ではないわ。人間よ。……ただし、人魚の肉を食べた不死の人間だけどね」

「人魚を食べたぁ? おまけに不死だぁ?」

 

 顔をしかめ、盛大に疑念を漏らすえりか。それに対して奈緒子の態度はあくまでクールだ。

 

「ええ。人魚の肉を食べて永遠を生きる(みこと)様、その念を込めた髪の毛が、『儒艮の矢』には結わえ付けられているの」

「命様……ねぇ」

「180歳にも200歳にもなるって言われてる、島の神社のお家の大おばあ様ですよ」

 

 今度は中年店員の方が、奈緒子の説明にフォローを入れる。180年も生きる人間など信じがたくはあるが……。

 

「どう? 『儒艮の矢』効果ありそうでしょう?」

 

 奈緒子はどうだとばかりに顎をしゃくる。それに対してえりかは。

 

「さて、どうだかな……個人的には永遠の若さなんてゾッとしないがね。昨日より今日、今日より明日。人間、日々成熟していくべきだ。青いままじゃ人生なんてやってられないぜ」

「それは、あなたが今若いから言える事ね。私くらいの年齢になると、一日でも長く若さを保とうと必死になるものよ」

 

 どこか皮肉屋なところが響き合うのか、お互いに薄い笑みを浮かべたまま軽口をぶつけ合うえりかと奈緒子。そんな二人をこのままにしておくことに不穏なものを感じた千鳥は「お邪魔しました」と告げると足早に土産物屋を後にした。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 土産物屋を出た二人は、人の流れに乗ってしばらく進むことにした。やがて行き着いたのは、今日、多くの人にとって共通の目的地。『儒艮祭り』の行われる島唯一の神社だった。多くの観光客を呼び込む祭りの舞台だけあり、境内には多数の人が行き来している。

 

「えりか、お祭りの本番は夜からだから、まだ少し時間があるわ。せっかくだからお参りしましょう」

 

 千鳥が拝殿(はいでん)を見ながら言う。けれど、えりかは賽銭箱前に並ぶ行列の長さを見てうんざりだと言わんばかりの溜息をつくと、すげなく断った。

 

「わたしはいいよ。この辺で待ってるから気にせずお前一人で行ってこいよ」

「えりかといっしょにお参りしたいのよ」

「悪いな。この足だからさ。神様の前に輿(車いす)に乗ったまま出て行くわけにもいかないだろ」

 

 膝をぽんと叩きながらへりくつをこねくり出すえりか。足を持ち出されると千鳥としても強くは出られない。十中八九単なる軽口だとしてもだ。結局「もう!」と言いながら、一人で参拝客の列の最後尾へと並ぶのだった。

 

 そんな相棒を見送ると、えりかは改めて周囲を見渡す。やがて境内にポツンと手水舎(ちょうずや)があるのに気付いた。鳥居から入ってすぐのところにも手水舎があったからか、境内側の手水舎には人があまりいない。

 

 ———せっかくだから手ぐらい洗わせてもらうとするか。

 

 えりかは車いすを手繰ってそちらへと向かう。幸い手水舎との間には石造りの参道が敷かれていて、車いすでの移動にも苦労しなさそうだ。玉砂利が敷き詰められた境内を突っ切るとなるとそう易々とはいかないが。

 

 慣れた手つきで車いすを操る。このまま人の流れに乗って行けば問題なく着く。けれど、祭りの日の境内ではそうは行かなかった。突然前を行く人の間を縫って、逆光してくる人物が現われた。大柄な中年男性。向こうも目を剥き、あわやの所で車いすを躱した。が、完全にとはいかなかった。車いす本体は避けたものの、それに乗るえりかとそれなりの勢いでぶつかる。

 

 中年男性は舌打ちしながらそのまま歩み去って行くが、えりかはそのままでは済まなかった。咄嗟の回避行動で、外へとカーブした進路。石造りの参道から片側の車輪が脱輪するまで幾ばくもかからなかった。さらに重心が寄り、そこに追い打ちのようにぶつかったのだ。玉砂利に突っ込み、片側だけ急制動がかかった車いす。傾いた重心。車いすが横転することは自明の理だった。

 

「あぐッ!」

 

 えりかの体が勢いよく投げ出される。足が動かないえりかには受け身の取りようもない。硬い玉砂利に打ちのめされる華奢な体躯。騒々しい音を立てて横たわる車いす。ぶつかった中年男性は振り返りもしない。周囲の人達は突然のことに凍り付いていた。

 

 痛みに呻きながら、懸命に腕を立てて身を起こそうとし、上手くいかない無残な少女の姿が取り残されるようにそこにはあった。

 

 

「大丈夫ですかッ!?」

 

 

 沈黙を破るように強く声をかけ、駆け寄る一人の人物。えりかの傍に跪くと、そっと慎重にエリカの頭部を持ち上げる。えりかの顔など露出している面に視線を走らせ、傷がないことを確認すると、今度は艶やかな黒髪を逆撫で、見えない部分に出血がないか確認していく。

 

 やがてえりかの頭部に外傷がないことを確認した、その人物は膝枕をする形でえりかの頭をそっと安定させると今度は、地面へと打ち付けた体の確認へと移った。

 

 一方、堪えていた痛みがようやく治まってきたえりかは、そっと目を開いた。先ほどから女性らしき人物が自分に駆け寄って随分心配してくれていることには気付いていた。膝枕をされていたえりかは自然とその人物を見上げる形になる。

 

 開いた瞳に映るのは、一人の女性。歳の頃は20代中盤を折り返したくらいだろうか。豊かな黒髪を中央で緩やかにわけ、つるんとした額を覗かせている。清楚ながらも活発そうな大人の女性だった。視線をずらしていくと彼女の格好が目に入ってくる。一般的な生活ではまず見ることのない白の着物と赤の袴の組み合わせ。

 

 ———巫女……さん……?

 

 真摯な表情で、自分を見詰めるその女性に。神聖性を示すその布地越しに伝わる温もりに、えりかは得も言われぬ胸の高鳴りを覚えた。ほうとその顔を見詰める。やがて巫女の方も自分を見上げる視線に気付いたのか視線を下ろす。二人の視線が交錯した。

 

 巫女の方はえりかの意識がしっかりしていることに安心したのか破顔して、くしゃりと笑みを浮かべた。

 

「良かった。大丈夫そうね」

 

 年の割に、そしてその清楚な雰囲気に反して子供っぽい笑顔にえりかは体温が中から高まるのを感じる。なぜか彼女の呼びかけに応えることはできなかった。

 

 

 その時、やじ馬を掻き分けて一人の少女が飛び出してきた。

 

「えりか! 大丈夫……ッ!?」

 

 大切なアミティエの名前を呼んで、一歩二歩と前に出た彼女に飛び込んできたのは、そのアミティエが巫女に膝枕をされた状態で顔をのぞき込まれ、顔を赤らめて惚けた表情を晒している姿。

 

 ……有罪だった。完全に千鳥の中では。

 

「……えりか……車いすの女の子が横転したって聞いて慌てて走ってきてみたら…………」

「おい。待て。……違うぞ?」

「何が違うのかしら? ちょっと目を離したら……いえ、私の目の前ですら、あっちにふらふらそっちにふらふら……シスター(バスキア教諭)の次は巫女ってわけ?」

 

 眉を跳ね上げ、美しい(かんばせ)をさらに硬質なものにして、こちらを睨み付けてくる相棒に咄嗟に否定の言葉を投げつけるえりか。それは千鳥の怒りに更に燃料を注ぐ行為でしかなかった。二人の間に挟まれ戸惑う巫女。

 

「えっと……お友達かな?」

 

 ただただカオスな空間がそこにはあった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「さっきは助かりました。ありがとうございます」

「いいの。気にしないで。神社の中でのトラブルの対処も私の仕事だから」

 

 千鳥が落ち着いたところで改めて挨拶を交わした。名乗った二人に対して巫女も。

 

「なんてったってうちの神社だからね。私は島袋君恵(しまぶくろきみえ)。見ての通りこの美國神社の巫女よ」

 

 自らの正体を明かした。そのプロフィールに心当たりがあった二人。先に聞いたのは千鳥だった。

 

「あの。この神社の巫女さんということは、今夜のお祭りの主役の命さまって……」

「ああ。うちの大おばーちゃんよ。私はその曾々々孫」

 

 ———曾々々孫? いや。それでもかなり凄いが180はいかねぇわな。

 

「あの。命さまって本当に180年以上も生きてらっしゃるんですか?」

「あはは。ないない。大おばーちゃんは今年でまだ130歳よ」

 

 ———確か、現在存命中の世界最高齢が日本人で116歳。過去に遡っても公的な記録がしっかりと残ってるのは122歳が世界最高齢だったはず。これが本当なら大きく記録更新になるが……。

 

「まだって……十分すごいと思いますけど」

「そうかな? まあ確かにみんな大騒ぎして、長寿にあやかろうとはしてるけど、私にとっては単なる大おばーちゃんだからねー。ま、唯一の家族だから大事ではあるけど。普段はふつーの老人だよ」

 

 あっけらかんと言う君恵。その発言の中に気になる情報があったので千鳥が反射的に掘り下げる。

 

「あの唯一のご家族って……ご両親は?」

「ん? ああ。五年前に父と一緒に海で行方不明になっちゃってね。祖父と祖母も私が生まれる前に同じように海で行方不明になったらしいから、そういう家系なのかな?」

 

 思わぬ重たい話に、後悔する千鳥。深刻な顔をして謝るが。

 

「えっと……ごめんなさい。不用意に聞いてしまって」

「あはは。全然。気にしないで。とっくに整理がついてることだから。大おばーちゃんとの二人暮らしもそれなりに楽しいしね。こうやってお祭りで島を盛り上げて」

 

 当の君恵は重たい感情を見せる素振りもない。本当に何も感じていないのか。あるいは健気にまっすぐな女性なのか。後者と受け取った千鳥は、君恵に対して好感を持った。と、同時にこれはえりかが懐くのも当然かと、警戒の意識も新たにするのだった。えりかは、そんな二人のやり取りをよそに何事か考え事をしているようで、我関せずではあったが。

 

「そうだ。二人ともこの時期に美國島に来たんだから、『儒艮の矢』がお目当てなんでしょう? 良かったらこれ」

「え? なんです、これ?」

 

 君恵が二枚の木札を二人に差し出す。それを受け取った千鳥は木札の正体が分からず戸惑った声をあげる。君恵が言うには。

 

「『儒艮の矢』の抽選札よ。この後のお祭りの抽選会で当たれば『儒艮の矢』がもらえるの。結構な人気で抽選札はもう売り切れだったんだけど、急遽島を離れないといけないとかで今朝キャンセルした老夫婦がいたから二枚だけ余ってたの」

「いいんですか? そんな貴重なものをもらっちゃって」

「いいのいいの。せっかく神社に来てもらってトラブルだけじゃつまらないでしょ。……まあ、矢は三本だけだから当たるかどうかは分からないけど楽しんで行って頂戴。もしかしたらみんなが言うように永遠の若さと美貌が手に入っちゃうかも知れないわよ。超絶美人の二人にはぴったりね♡」

 

 そう言ってウインクすると君恵は社殿の方へと去って行った。祭りの準備に戻るのだろう。そして残された二人は。

 

「……どうする。えりかは永遠の若さなんて興味ないんでしょ? 宿に帰る?」

「抽選会とやらに参加してみようぜ。せっかくの好意だ。無駄にしちゃ罰が当たっちまう」

「…………”美人の巫女さん”の好意だからでしょ……君恵さん、さっぱりとした美人だったものね。学院にはいない感じの」

 

 えりかは千鳥の恨めしげな視線に苦笑して。

 

「違うって。いつも言ってるだろ。『義理が廃ればこの世は闇』って。それだけさ」

「えりかの場合は末尾に『ただし、美人からの義理に限る』って但し書きをつけておくべきだと思うわ」

 

 どうやら根は深いようだ。説き伏せるのを諦めたえりかは、その千鳥の発言はスルーし。

 

「ま、万が一矢が当たれば白羽にでもプレゼントするさ。自分の若さには興味ないが、あの美を永遠に残すことには大きな意義がある」

 

 そう述べるとさらに千鳥が噛みついた。

 

「あら、私にはくれないのかしら。えりかは私の美には興味ないのね」

「なんだよ。相棒。お前はわたしといっしょに歳を取っちゃあくれないのか? お見限りとは寂しいね」

 

 猫の笑みを浮かべながら傍らのアミティエにそう告げるえりか。こう言われては千鳥も抵抗できない。

 

「もう! 調子のいいこと言って! ……ほら、行きましょう!!」

 

 えりかの背後に回って車いすのハンドルを握ると、境内の散策を再開するのだった。

 

 




えりかはちょろイン


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FILE11

今日は、PS4版FLOWERSの発売日。
四季全てが同梱された超お買い得版です。

何が言いたいかというと―――買え(直球160㎞/h)



PC版春~冬とPSVita版春~冬をコンプしているのに特典のドラマCD目当てで予約済の作者でした。


■Side E

 

 

 

「よお、坊主」

「あ。えりかお姉ちゃん!」

 

 夕日が沈み、神社が薄闇に包まれ始めたころ、本日のメインイベント目当てに境内に人が増えだした。そんな中、少年探偵達を見つけたえりかが声をかけた。コナンはすぐに返事をするとそちらへ歩み寄る。

 

「坊主。依頼はもういいのか?」

 

 えりかがコナンへ問いかける。船上でこの旅の目的を聞いていたからだ。それに対してコナンは依頼人が行方不明になっていること以外はたいして収穫がなかったことを告げた。

 

 役場、お土産屋、そしてこの美國神社。偶然にもえりかと千鳥の後を追いかけるように聞き込みをした中で得られた情報は下記の通りだった。

 

 ①依頼人、門脇沙織は三日前から行方不明になっている

 ②沙織は1年前に当たった儒艮の矢を無くし、一週間前から人魚の祟りを恐れていた

 ③三年前に人魚の死体と噂される、骨が奇妙に砕けた奇妙な焼死体が発見された

 

 今日、最後に聞き込みに来たのがこの神社で、せっかくだから祭りを見物していくことになったとのことだった。

 

「お。始まるみたいだな」

 

 島の男衆が叩く太鼓の音が低く響き渡りだした。えりかの言葉通り祭りが始まったらしい。闇に落ちた本殿がかがり火に照らされ、神秘的な雰囲気を演出する。集まった人々のざわめき。みなの期待が高まり始めていた。

 

「さて、どうなるかね」

 

 えりかもポケットから木札を取り出し、その時を待つ。

 

「あ、八重垣さん木札買えたんだ。いいなー」

 

 それをめざとく見つけた蘭が声を上げる。それにえりかは苦笑して説明した。

 

「この神社の巫女さんとちょっとしたことから縁が出来てな。私と千鳥、一枚ずつ残り物をもらったんだ」

「そっか、八重垣さんたちも君恵さんと会ったんだ」

「ん? なんだお前達もか」

「ええ。依頼人の沙織さんと君恵さんが幼なじみと聞いて、話をうかがいに。さっぱりとしたいい人ですよね。君恵さん」

「ああ……」

「それに、美人だしねッ」

 

 えりかと蘭の会話を聞き咎めてしっかりと口を挟む千鳥。それにえりかは苦笑して。

 

「考崎さん……どうかしたんですか?」

 

 声を潜めて蘭が聞くが、えりかは「なんでもない」と手を振りながら呟き返して、詳細は語らなかった。千鳥の厳しい表情を察して、この話はあまり突っ込まない方がいいと察した蘭は話を変えた。

 

「儒艮の矢、当たるといいですね」

「ま、私はもし当たっても矢は知り合いにやるけどな。永遠の若さなんてゴメンだ」

「どうせなら考崎さんにあげなくていいんですか?」

「コイツには相棒として私といっしょに歳を取ってもらうさ。永遠の若さは学園最強の美人に進呈しようと思ってる。ま、取らぬ狸の何とやらだけどな」

 

 そのえりかの言葉に蘭はとても興味を惹かれた。自身類い希な魅力を持ち、そして傍らは常に絶世の美少女である千鳥を置いているえりかが彼女を差し置いて、最強の美人と言いきる相手。いったいどれほどの美少女なのか。

 

「学園最強の美人って……考崎さん以上の人がアングレカム学院にはいるんですか?」

「ああ。そいつ以外にも去年までは金・銀の豪華な美人もいたんだけどな」

「金・銀?」

「ハーフなんだよ。金髪・銀髪で並んで立つと、それはまあ派手派手しい二人だった。まあ、去年学園を去っちまってるけどな…………ってまあ、それはどうでもいいんだがその二人と千鳥、それに私が学園最強に推すヤツも容姿って意味じゃあ……好みもあるんだろうが同レベルだ」

「それじゃ、何が決め手なんです? 最強の」

「雰囲気だな」

「雰囲気?」

 

 曖昧な答えに鸚鵡返しに問い返す蘭。それにえりかは眉根を寄せてしばらく言葉を選んだ後で。

 

「なんというか存在感が妖精染みてるんだ」

「妖精?」

「そう。まるでこの世のものじゃないような……そうだな。創作に出てくる深窓のお嬢様をイメージしたらピッタリだと思うぞ」

 

 その人物のことを語りながらどこか恍惚とした表情を浮かべるえりか。その態度からどれほどのものか計り知ることはできたが同時に焦る蘭。こんなに熱っぽく語って千鳥が気を悪くしてないかとそちらを見て。けれど千鳥は処置なしと肩をすくめているだけだった。その諦めの入った千鳥の態度からも相当のものらしいと分かる。

 

「そっかぁ。八重垣さんがそんなに言うほどの人だったら私も一度会ってみたいなぁ」

「さて……そんなにフットワークの軽いヤツじゃないからな。学院の外の人間が会う機会があるかどうか」

「えりかが白羽さんのフットワークをどうこう言う? えりかだって私が連れ出さないと旅行なんてきてないでしょうに」

 

 えりかの台詞に千鳥がツッコミ、二人の掛け合いが始まる。そうこうしているうちに祭りは一番の時間を迎えていた。太鼓の音が一層力強く轟く。

 

「お! 出てきよったで!!」

「あれが命様か……」

 

 神官達が開いた障子の奥から一人の老婆が進み出てきた。巫女服に身を包み、冠を乗せている。神社に集った老人達が口々に「命様じゃ」とありがたがって拝んでいた。

 

「ち、ちーせーなー……」

 

 小五郎の言葉通り、非常に小柄な老婆。顔を白塗りに塗りたくっている。平次曰くただの厚化粧のバアさんはその手に長い棒を握る。その棒の先には練習用の槍のように丸めた布がついていて、そこにかがり火から火を付けた。そしてなんと背後の障子に火に移した。

 

 この演出にはさすがのコナンも平次も度肝を抜かれた。けれど当然ながら命様は単に放火したのではなく。立て続けに火を付けられた障子にやがて火文字が浮かび上がる。京都の大文字焼きなどと同じ仕組みらしい。

 

 浮かび上がったのは漢数字。『参』『百七』『拾八』

 

 仕事を終えたのか、命様は障子の奥へと消えていく。そして残された観衆から「外れた」と悔しがる声がいくつも聞こえ、対照的に。

 

「ウ、ウソ……マジ? やったラッキー♡」

 

 という喜びの声も上がる。その黒髪ロングの30手前くらいの女性は当たったらしい。そしてここにも一人。

 

「どうやら狸が本当に取れちまったか」

「え? 八重垣さん当たったん!? すごいやんか!」

 

 さほど嬉しそうではないえりかの手には『拾八』の木札。それを見て歓声を上げる和葉。当たった本人は「まあ、いい土産ができたか」などと言っている。実に対照的だ。

 

 火文字が神官達によって消し止められ、いつの間にか君恵が現われていた。格好こそ昼間と同じ巫女服だが、しっかりと化粧が施されている。その君恵が声を張った。

 

「ではおのおの方……これより一時後、儒艮の矢を授けます。人魚の滝へ……いざ参られィ!!」

 

 矢の授与は別の場所で行われるらしい。君恵が先導して歩き出す。特に当選者のみの秘密の場所というわけではないのか、観衆もぞろぞろとついて行っていた。

 

「ほら、えりか行くわよ!」

 

 千鳥が少々乱暴に車いすを押す。車いす上で揺られて危うく落ちかけたえりかは「おい。危ないだろ」と抗議するが、千鳥はフンと鼻を鳴らし取り合わない。どうやら化粧をきめた君恵に見とれて惚けていたのに気付かれていたらしい。

 

 

 やがて一同は河原に設置したかがり火をしめ縄で囲む露天の祭壇へと至った。奥には滝が流れ落ちており、神聖な空気を醸し出している。そして祭壇の中に一人いる君恵が呼びかけた。

 

「では、幸運を手に入れられたお三方……前へ!」

 

 真っ先に出て行ったのは土産物屋の店員、奈緒子。彼女も当たったらしい。えりかも進み出る必要があったが河原の祭壇まではゴツゴツとした石が一面広がっている。

 

「おい千鳥。代わりに受け取ってきてくれよ」

「ダメよ。こういうのは当たった本人が受け取らないと」

「は? いや、車いすじゃあそこまでいけない―――」

 

 即答で断った千鳥は、続くえりかの言葉を無視し、その華奢な体を一気に抱き上げた。

 

「お、おいッ!? なにしてッ!」

「なにって連れて行って上げるだけよ。君恵さんのところまで」

 

 そのまま祭壇へと歩き出す。えりかをお姫様抱っこしたままで。

 

「ふざけッ…………どんな羞恥プレイだよ…………」

 

 なおも抗議の声を上げようとして、けれど千鳥の顔にその本気を悟って諦めたえりかは小声で毒づいた。千鳥はそんなえりかを無視して進む。胸を張って、えりかの所有権を君恵にアピールするように。そんなこと思いもしない君恵はただ微笑ましそうに見ているだけだったが、事情を知っている蘭は引きつった笑みを浮かべている。そこまでするかと。

 

「あとお一方! あとお一方はおらねませぬか!!」

 

 再び君恵が声を張る。祭壇にはまだあと一人が現われていなかった。境内で歓声を上げていた黒髪ロングの女性。そして君恵の声に促されて出てきたのは、けれど彼女ではなかった。酔った様子の中年から初老へ差し掛かろうかという男性だった。

 

 ―――矢が当たったと喜んでいた女性がいないな。どういうことだ?

 

 違和感を感じたえりか。見れば同じようにコナンと平次も戸惑っている。周囲を見渡してもその女性の姿は見えない。けれど儒艮の矢授与の儀式は、えりか達の戸惑いとは無関係に粛々と進んでいく。

 

 三人への授与が終わり、祭りのフィナーレとして花火が打ち上げられた。轟音と共に夜空に咲く大輪の華。その明かりに照らされた人々が歓声を上げる。けれど。その歓声が戸惑いに、そして戦慄へと変わるまでいくらも時間はかからなかった。

 

 君恵の背後、流れ落ちる滝の前にぶら下がるそれも花火は照らし出した。ゆらゆらと揺れる長い黒髪とその持ち主。まるで滝の中を舞い泳ぐ、人魚のごとき……それは儒艮の矢を当てたはずの女性だった。あの時歓声を上げていた彼女は今は黙し、ただ揺れていた。その首に荒縄を巻き付けて―――

 




■FLOWERS用語解説

金の美人:小御門ネリネ。CV.西口有香。秋編ヒロイン。ニカイアの会(生徒会)前副会長。金髪ハーフのほんわか美人だが、冬編ではどぎつい悪役ムーブを見せる。スイーツイーター。

銀の美人:八代譲葉。CV.瑞沢渓。秋編主人公。ニカイアの会前会長。銀髪美人のトリックスターだがヘタレ。冬編ではネリネとセットで悪役ムーブ。だがメシマズ。


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