傭兵サフィーアの奮闘記 (黒井福)
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序話:何時か何処か、世界の壁を越えた先で

 初めまして。嘗ては黒服と名乗っておりました、黒井福と申します。こちらでは初投稿となります。
 なろうの方で投稿している作品と同一の作品となりますが、宜しくお願いします。


 今、一発の銃弾が頬を掠めた。

 傷口から一筋の血が流れ落ちるが、彼女はその事に躊躇しない。している暇もない。何しろ、掠めた程度で済んだのは運が良い方だからだ。

 こうしている間にも、無数の銃弾が放たれる。彼女はそれを時に見切って躱し、時には手にした剣で弾いた。そしてお返しに魔力の刃を飛ばすと、射線上に居た敵兵が数人切り裂かれたが、その穴はすぐに別の敵兵によって埋まってしまった。

 今度は火球が飛んできた。恐らく敵兵の一人が放った魔法だろう。飛んでくる火球を見て、彼女は小さく舌打ちをしながら左の肩当てから伸びたマントを翳す。マントに直撃した火球は彼女の身を焦がすことなく、マントの表面に広がる様にして散っていった。

 

 散った火球の熱を頬に感じながら、彼女は共に戦う仲間達に意識を向けた。

 右手には二刀流の剣士の男、左手にはライフルを持った銃士の男。二人とも頼れる仲間でこの軍勢を前に持ち堪えてはいるが、やはり敵の物量を前に苦しい表情をしている。

 右肩には相棒が乗っている。ここぞと言う時に彼女の危機を救ってくれる頼れる相棒だが、度重なる敵の攻撃にこちらもそろそろバテ気味だ。

 上空を見上げればここまで彼女達を運んでくれた一機の飛空艇が、無数の敵機に追い回されていた。碌な武装もないのに未だ逃げる様子を見せないのは、地上に居る彼女達の事を思っての事だろう。

 

 状況は正直に言って最悪だった。本当の事を言えばもう止めてしまいたい。

 だがそれは出来ない。ここで止めてしまえば、それこそ世界が終わってしまう。

 

 それでも、こう思わずにはいられない。

 

――あ~ぁ、何でこんな事になってんだろ。普通の傭兵の筈だったのに。――

 

 人間、あまりにも苦しい状況に立たされると不意に現実逃避したくなるものだった。引っ切り無しに飛んでくる銃弾や魔法を前に、彼女はその例に漏れず徐に数か月前の事を思い出していた。

 

 

 

*************************************

 

 

 

独立国『オブラ』・首都『イート』近郊の森

 

 今、一人の女性が森の中をひた走っている。年齢は凡そ十代後半から二十代前半だろう。大海原の様に深く青い、それでいて宝石の様な美しさの瞳と同色の背中まである髪をポニーテールにしている。ホットパンツから伸びた健康的な太ももと合わせて、とても活発そうだ。

 

 そこまでなら彼女はスポーティーな魅力ある女性にしか見えないのだが、問題はそれ以外の部分にある。

 まず上半身だが、ライトブルーのシャツの上に白いジャケットを着ているのはまだいいとして、その左肩には銀色の肩当が装着されており更にその肩当からは体の左半分を覆い隠すほどのマントが伸びている。彼女の動きに合わせてはためくその様子はともすれば女騎士か戦乙女に見えなくもない。事実、彼女の右手には剣が握られていた。

 だがこの剣も普通のそれと比べると少々可笑しい。何が可笑しいって、刃の付け根から柄までの間に拳銃のような機構が存在するのだ。柄自体も普通の剣とは異なり刃の側に向かって傾いている。もし刃の部分を隠してこいつを見たとしたら、その多くはこれをグリップが少し上に上がった拳銃と思ったかもしれない。

 

 一方、下半身の方に目を向けるとこちらも普通とは言い難かった。

 太ももまでであるなら先程述べた様にスポーティーな女性で済ませられるがその下、即ち膝から下は金属製のレガースで覆われていた。見た目も考慮してか最低限の装飾が施されてはいるが、それは誰が見てもファッション目的ではなく物々しい戦闘用であることが伺えるだろう。

 

 言うまでもなく彼女は一般人などでは断じてない。彼女は、傭兵なのだ。

 

「はっ……はっ……よぉっし、いいわよぉ。そのまま、こっちに来なさい!」

 

 森の木々の間を縫うように走り抜ける彼女。その背後から、森の木々をなぎ倒しながら爆走する巨大な影が迫っていた。

 その姿は一見するとトカゲの様だが、兎に角そのサイズがでかい。全体的な線は細いが、鼻先から尻尾の先までの長さが実に大型バス三台分ほどある。森の中と言う事もあってその全長を一度に目にすることは困難であり、それが余計にその陰の主を大きく見せていた。

 

 背後から迫るその影を肩越しに覗き見て、感じる威圧感に冷や汗を流す。

 

「ひぇぇ。噂に聞いてはいたけど、森の中でフォレストソウを相手にするのはスリルがあるなんてもんじゃないわね!」

 

 背後から迫るオオトカゲ――フォレストソウから逃げながらも、彼女はそんな軽口を叩く。余裕がある訳ではなく、軽口でも叩かないとやってられないからだ。

 

 足を緩めず、彼女は森の中をひた走る。時には飛び出た木の根を飛び越え、坂道では倒木の上をレガースの靴底で滑ったりと、兎に角反撃せず逃げに徹していた。その細い体で森の木々の間を縫う様に移動できるフォレストソウを、森の中でまともに相手にするのは無謀の極みと言うものだ。

 そうこうしていると、彼女の目の前に突如亀裂が出現した。蔦や苔などがへばり付いている所を見るに、何かの拍子で過去に出来た地割れの跡だろう。彼女の位置からは見えないが、下を覗き込むと結構深い。落ちればただでは済まないのは確実だ。

 

 その亀裂を目にしても、彼女は一向に速度を落とさない。いやむしろ速度を上げているように見える。

 彼女はそのまま亀裂に向けて走っていき、そして――――

 

「うぉおりゃぁぁぁぁっ!!」

 

 気合と共にその亀裂の上を飛び越えた。亀裂の大きさは幅にして約10メートル、普通に考えて人間が飛び越えれる距離を超えている。

 案の定、彼女の体は亀裂の反対側に近付くよりも早くに落下を始めた。このままだと反対側の端に手を掛ける事もなく口を開けた亀裂の下へ真っ逆さまだ。

 だがその時、不自然に強い風が彼女を下から押し上げた。まるで掬い上げるかの様に風に押し上げられた彼女はそのまま難なく亀裂の反対側へと着地する。その様子は運良く風に押し上げられて九死に一生を得た、と言う風には見えなかった。

 

 着地と同時に彼女は背後を振り返った。背後から迫っていたフォレストソウを、ここで迎撃する為だ。あの巨体を以てすれば、この程度の亀裂を飛び越える事など訳ないであろう。だが着地の瞬間には幾分かの隙が生まれる。彼女はそれを狙っているのだ。

 

 だが、背後にあったのは予想外の光景だった。背後から迫っていた筈のフォレストソウの姿が影も形も無くなっているのだ。決して落下したわけではない。落下しているのだとしたらタイミング的に尻尾の先端位は見えている筈だし、落下による命の危機を察して上がる断末魔の悲鳴がある筈だ。

 それが無いと言う事は、落下した可能性はまず存在しない。では諦めたのか?

 

 そうではない。フォレストソウはここに亀裂がある事を知っていたのだ。ただある事を知っていただけではない、亀裂がどの程度の長さであるかも熟知していた。少し迂回すれば楽に亀裂を超えられることも、だ。

 故に、フォレストソウは直進せず迂回して亀裂を回避した。それは結果として彼女の視界から外れ、彼女にその存在を眩ませることにも成功する。

 

 彼女は姿を消したフォレストソウを警戒して、その場に立ち止まり周囲を見渡している。その姿は、フォレストソウからすれば周囲に隙を晒しているようにしか見えなかった。

 事実、今フォレストソウは彼女の背後の木々の陰に隠れながら移動していた。長年の経験で、人間は背後に対する反応が一瞬遅い事を知っているのだ。こいつはこうして今までに何人もの人間を仕留めてきた。

 

 今回の獲物は彼女だ。狙いを定め、彼女の隙が一番大きくなる一瞬を狙ってフォレストソウは息を潜める。

 

 すると、一向に動く気配を見せないフォレストソウに油断したのか彼女が警戒心を解いたかのように剣を下ろした。

 瞬間、フォレストソウは一気に飛び出し彼女の背に飛び掛かった。

 

 全身をバネの様にして木々の間から飛び出たフォレストソウの動きは容易に目で捉えられるものではない。ましてや背を向けていた彼女に、これに反応する事が出来よう筈がなかった。

 

 フォレストソウはこの日の獲物を仕留めた事を確信した。そのまま勢いに任せて彼女の上半身を食い千切ろうと鋭い歯の生えた顎を勢いよく閉じ――――

 

「ッ!?!?」

 

 肉ではなく空気を嚙んだ事に空中で動揺した。

 

 一体彼女は何処へ消えた? このタイミング、完璧なタイミングと速度で飛び掛かったのに何故外した? 自身の理解の及ばない結果にフォレストソウは原始的ながら容量の大きな脳みそで自分なりに結論を出そうとした。

 

 だがそいつがするべきことは、考えるよりも動く事であった。今この瞬間、フォレストソウはこれ以上ない程隙だらけだったのだ。

 

「貰ったぁッ!!」

 

 それこそ、体を屈めていた彼女が反撃の一撃を確実に叩き込めるほどに。

 

 彼女が振るった剣は、寸分違わずフォレストソウの首を切り裂き頭と胴体を泣き別れさせた。フォレストソウの体は飛び掛かった勢いそのままに森の木々に突っ込んでいい、数本の木を薙ぎ倒しながら停止した。

 一撃でフォレストソウの首を切り落とした彼女はそれでも念の為反撃を警戒して剣を構え直す。その時、彼女の持つ剣の刀身から青白い燐光が放たれていたが、それはすぐに収まり元の銀色の刀身に戻っていった。

 

 森の中に暫しの静寂が訪れる。たっぷり一分程経ってから、漸く彼女は安心して構えを解き剣を下ろした。

 

「ふぃ~、依頼達成っと。これで漸くルーキー脱却だわ」

 

 彼女は剣を鞘に納めながら額の汗を拭うと、腰のポーチからPDAを取り出し仕留めたフォレストソウの姿を写真に収めていく。

 そして十分に仕留めた事を証明する写真を撮ると、彼女は最後に一度だけフォレストソウの亡骸を自らの眼に納め、その姿を目に染み込ませるかの様に目を閉じるとその場を後にするのだった。

 

 

***

 

 

独立国オブラ・首都イート・傭兵ギルド支部

 

 森を後にした彼女は、レンタルした車で森から一番近くにある街であるイートに戻ってきていた。

 彼女はここで依頼を受け、そして今その結果の報告と報酬の受け取りを済ませているのだ。

 

「お疲れ様です。達成の報告、確かに確認いたしました。こちらが今回の報酬となります」

「は~い」

 

 ギルドの受付嬢から差し出された紙を、彼女は笑顔で受け取った。報酬と言っても、現金をその場でポンともらう訳ではない。報酬は指定の口座に振り込まれる。今受け取ったのは、振り込まれる額が掛かれた明細書だ。

 大物を仕留めただけあって、支払われる額も宝くじで軽く当てたくらいの額だった。定職についている身であれば軽く財布の紐が緩んで今日一日くらいは豪遊しようと思ったかもしれない。

 

 尤も定期収入の無い傭兵は質素倹約が基本なので、この程度で豪遊などしていられないのだが……。

 

 それに、今回受け取るのは報酬だけではない。と言うか、今回の依頼はここからが本命とも言えた。

 

「それから、今回の依頼の達成を持ちまして、貴女の傭兵ランクをC+からB-へと昇格させていただきます。宜しいですね?」

「もっちろん!」

 

 傭兵ランク…………それは、端的に表現すればその傭兵がどれだけ信用できるかを分かり易く表現したいわば傭兵の格付けである。

 当然だがギルドに寄せられる依頼には簡単な物もあれば洒落にならないくらい難しい物もある。傭兵なり立てのルーキーが身の丈に合わない困難な依頼を受けることが無いよう、受注段階で篩(ふるい)にかける事が出来るように制定されたのが、この傭兵ランクであった。

 

 彼女は受付嬢から、傭兵ギルドに所属している事を証明するIDカードを受け取った。今まで、そのカードの表面には彼女の名前と共に『C+』と言う表示があったが、今はそこが『Bー』に変わっている。

 それを目にして彼女は誇らしげに目を細めて笑みを浮かべた。

 

 自らの成果を喜ぶ彼女に、此方も事務的なそれとは異なる笑みを向けながら口を開いた。

 

「以上を持ちまして、『サフィーア・マッケンジー』さんをBーの傭兵として認定します。今後も頑張ってくださいね!」

 

 受付嬢の言葉に彼女――サフィーア・マッケンジーは、屈託のない笑顔を返すのだった。




 ご覧いただきありがとうございました。
 なろうに投稿しているものに追い付かせる為、当分の間は3~4日に1話の頻度で更新していこうと思いますので、今後ともよろしくお願いします。


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第1話:始まりの朝

読んでくださる方達に、最大限の感謝を。



2019,04,03
 感想にて、説明部分が長くてくどいと言うご指摘をいただきましたのであまり必要でない部分を削って部分的に加筆してみました。


 翌朝、先日大物の討伐を終え見事傭兵ランクの昇格を迎えたサフィーアは、窓から差し込んだ朝日に目を覚ました。

 

「ん、んぅ?」

 

 朝日に顔を照らされ一度顔を顰めた彼女は、目に残る眠気を落とす様に瞼を擦りながらベッドの上で上体を起こした。体を起こすとそれまで彼女の体を包んでいたシーツが重力に引かれて落ち、下着だけに包まれた彼女の発育の良い胸が露わになる。

 

「ん…………くぅ~…………はぁ」

 

 ベッドから起き上がったサフィーアはその場で大きく体を伸ばして全身の筋肉を解すとベッドから降りた。彼女はそのまま寝惚け眼を擦りながら、室内のハンガーに掛けてある衣服を手に取り着込んでいく。下は動き易さを重視したホットパンツと銀色に輝くレガースで覆われた膝下までのロングブーツ、上はライトブルーのシャツのみだ。何時もはその上に更に白い長袖のジャケットを着るのだが、今はまだハンガーに掛かったままだった。

 

 未だ残る眠気に思考を邪魔されつつ着替えた彼女はその場で腰を捻り、屈伸し、背中を思いっきり仰け反らせた。それによって引き延ばされた筋肉が血管を絞り、血液を高速で循環させ酸素が脳に送られる。酸素が送られたことで脳の働きが活性化し、残っていた眠気がほとんど吹き飛んだ。

 

「ん…………よっし!」

 

 眠気がある程度吹き飛んだことで、それまで半眼だった彼女の目が大きく開かれ瞼の下に隠れていた大海原の様な深い青色の瞳が姿を現した。

 

 殆ど完全に目が覚めた彼女はベッドサイドに立てかけてある鞘に納まった自身の相棒である剣の整備に移った。傭兵にとって、武器は最も身近な相棒。これを疎かにしては仕事に支障を来す。

 サフィーアはベッドに腰掛けると、立てかけておいた鞘から相棒である剣を抜いた。

 

 剣の中に銃の機関部を持った、何とも不思議な見た目の銃剣ともいうべき武器。そんな武器の機関部を彼女は手慣れた様子で分解し、パーツ一つ一つをオイルを染み込ませた布で磨き、そしてまた組み立てる。剣と銃が一体化した複雑な武器を、彼女は鼻歌交じりに組み立てていった。

 組み立て終わると刀身を朝日に当て、可笑しなところがないか確認し最後に数回トリガーを引いて動作に異常がないか確かめた。

 

「ん。いい感じ、っと」

 

 好調な動作をする相棒に機嫌を良くしたサフィーアは、剣を鞘に納めるとベルトで腰に吊るした。そのままハンガーに掛けてある白いジャケットに袖を通すと、さらに左肩に体の半分ほどを覆うマントが伸びた肩当てを装着する。そして最後に背中まである瞳と同じ海色の長髪を白いリボンで縛ってポニーテールにした。

 

 準備完了。

 

「さ~てと、まずは朝ごはんっと」

 

 身嗜みを整えた彼女は、いい感じに日が昇り朝食を摂るにはベストな時間になったのを見て宿の食堂に向かうべく部屋を出ていった。

 

 

***

 

 

 食堂に向かったサフィーアは、適当に開いている席で朝食を摂りながら片手で携帯を弄っていた。一見すると行儀が悪いように見えるかもしれないが、決して知人とメールのやり取りをしている訳ではない。ネットに繋いで情報収集を行っているのだ。やっぱり行儀が悪いように思えるが、時間を有効活用することは傭兵としては決して間違ったことではなかった。

 大きく見出しになっている情報の中で、今最も目を引くのはやはり世界情勢であろう。特に、現在の帝国の動きは決して無視できないものとなっていた。

 

「最近は帝国の動きも怪しくなってきたわねぇ」

 

 トーストに割った目玉焼きの黄身を付けて食べながら、サフィーアは溜め息をついた。

 

 現在のこの世界の勢力を大雑把に分けると、中央大陸の東側を占める『ジュラス共和国』と西側を支配する『ムーロア帝国』、中央大陸から海を隔てて北に位置する北方大陸の『イブラハ連邦』、そして北方大陸と同じく海を隔てて中央大陸から遠くにある西方諸島の小国家群に分けられる。その内共和国と帝国の間には無数の独立した小国が存在しており、中立の立場であるそれらによって両国の間には通称『グリーンライン』と呼ばれる不可侵領域が形成されていた。

 現在サフィーアが居るのも、グリーンラインに存在する独立した小国の一つのオブラと呼ばれる国である。

 しかしここ最近、帝国が頻繁にそのグリーンラインに対しちょっかいを掛けているのだ。具体的には国境ぎりぎりに軍を待機させたり、酷い時には領空侵犯も平然と行う。

 それのみならず、酷い時には言い掛かりに等しい理由を付けて一部の独立国を武力支配までする始末だった。これには周辺諸国からも非難轟々であったが、帝国は全く意に介した様子を見せないどころか懲りもせない。寧ろ更に戦力を増して、今にも攻め入らんとしている有様であった

 頭に思い浮かぶのは、どう頑張っても中央大陸の二大大国である帝国と共和国による全面戦争だ。

 

「戦争かしらねぇ。傭兵にとっては稼ぎ時と言うけど…………やだやだ」

 

 嫌な考えをスープと共に飲み干したサフィーアは、手早く食器を返却口に返しその足で傭兵ギルドへと向かった。と言っても、傭兵ギルドは彼女が宿泊していた宿のすぐ近くに存在していたので、歩いて数分もかからず到着していた。

 早速彼女はギルドのロビーにある大型スクリーンの前に立つ。そこには今現在ギルドが受け付けている依頼が全て映し出されているのだ。

 

「ん~~…………」

 

 彼女は片手にPDAを持ってスクリーンを眺める。このPDAはギルドからの支給品で、傭兵達はスクリーンに映し出された依頼に振ってある番号をPDAに入力して受付に持っていく事で依頼を受けれるのである。因みにこのPDAの起動にはギルドのIDカードが必要なので傭兵以外には使用できない。

 事実、今スクリーンの前には早くも多くの傭兵達が今日の依頼を何にするか考えながらサフィーアと同じようにPDAを覗いていた。老若男女、年齢は勿論種族すら違う者達が一つのスクリーンの前に集まってスクリーンとPDAを交互に見たり近くの者と話している様子は、朝市などに近い活気を感じさせ熱気に溢れていた。

 

 サフィーアは壁一面に達する程の大きなスクリーンを隅から隅まで眺め、手頃な依頼がないか探した。基本的に傭兵には定期収入は無いので、安定した生活費だけでなく傭兵としての活動を維持する為には様々な依頼を熟して資金を稼がなくてはならない。

 のだが…………。

 

「う~ん、どの依頼もいまいちねぇ」

 

 目の前に広がる依頼を紹介するスクリーンをざっと見た限り、やれ下水道に湧いた小型モンスターの駆除だの、やれ街の外壁の修理だのルーキー専用と言った依頼ばかりが目に付くのだ。傭兵は何でも屋的側面を持っているのでこういう依頼が回ってくるのは当然の事なのだが、それと依頼を受けるかどうかは別問題である。

 しかし何もしないと言うのはそれはそれで問題だ。生活や活動の為の資金が手に入らないし何より理由なく長期に渡って傭兵としての活動をしないでいると、傭兵ギルドから除籍されてしまう。当然そうなると身分証にもなるIDカードも失効してしまうので、非常に面倒なことになるのだ。

 

 そんな訳で何かしらの依頼を受けないといけないのだが、さて何を受けたものやら。

 

「ん?」

「あ、サフィーアさん!」

 

 どんな依頼を受けるかで悩んでいた彼女に、背後から声を掛ける者がいた。見ればそこには、フォーマルなスーツに身を包んだ女性、傭兵ギルドの受付嬢であるナタリアの姿があった。この街の傭兵ギルドの筆頭受付嬢と言っても過言ではない人物で、サフィーアもこの街に来てからと言うもの何度か彼女に依頼を斡旋してもらったことがある。

 

「もしかして、受ける依頼で悩んでらっしゃいますか?」

「え? あぁ、うん。そうだけど」

「それでしたら、ギルドから一つ依頼したいことが―――」

「ごめん、用事思い出したわ」

 

 ナタリアが全て言い切る前にサフィーアはその場を離れようとする。対するナタリアは慌てて彼女を引き留めた。

 

「ちょちょ、待ってください!? 何も逃げなくたっていいじゃないですか!?」

「あんた達がそういう言い方するときは大抵面倒なことにしかならないからよ!」

「いいじゃないですか、依頼で迷ってたのは事実なんでしょう?」

「こっちにも選ぶ権利ってものがあるのよ!」

「まぁまぁそう言わずに。ぶっちゃけると今表示されてる依頼とそんなに大差無いレベルですから、ね?」

 

 二人の押し問答は暫く続いた。肩マントの裾を掴んで必死に懇願するナタリアと、それを必死に引き剥がそうとするサフィーア。受付嬢と言う印象で言えばどちらかと言うと貧弱なイメージを抱かせる役職に反して、意外と力持ちなのかサフィーアは振り解けずその場に釘付けにされてしまった。

 ふと気づけば、二人の周りには人っ子一人いなくなっていた。サフィーアと同じように今日の依頼を吟味していた筈の数多くいた他の傭兵達は、サフィーアが押し問答に勝った時自分に矛先が向かないように既に退避している。引き際を間違えない、良い傭兵達だ。

 

 サフィーアは一人貧乏クジを引く羽目になったことに大きく溜め息を吐いた。

 

「あぁ、もう。分かったわよ。受ける。受ければいいんでしょ?」

 

 そして引き剥がすことを諦め、大人しくギルドからの依頼を受ける決意をした。実際ロクな依頼がなかったのは事実だった。何を選んでも同じなら、点数稼ぎの意味も込めてギルドからの依頼を受けた方がずっと建設的だ。

 ただ、大抵こういう場合の依頼の内容はアホらしかったりひたすらに面倒臭いものが多かったが。

 

「で? 何よ、依頼って?」

 

 果たして今回の依頼は――――

 

「依頼は…………ペット探しです」

 

――――やっぱりアホらしく、そして面倒臭いものだった。




ご覧頂きありがとうございました。ご感想等いただけますと、大変励みになりますのでどうか宜しくお願いします。勿論誤字脱字や批判等も受け付けております。

次回の更新は日曜日を予定しております。


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第2話:オブラのイートで捕まえて

早くもお気に入り登録ありがとうございます!

読んでくださった方達に最大限の感謝を。


「…………やっぱりこういうの、傭兵の仕事じゃないわよねぇ」

 

 依頼を渋々ながらに受けたサフィーアは、探し物であるペットが写った写真を片手に街の中を当てもなく歩き回っていた。その表情にははっきり言ってやる気が感じられない。それもその筈で、ペット探しは傭兵達の間ではかなり嫌われている依頼の一つだからだ。

 何しろ地味であることは勿論、目的のペットを傷付けることも探したり捕まえたりする為に周りに被害を出すことも許されない。非常に気を遣う上に大体依頼主は口煩い好事家や傲慢な金持ちが多いので、ちょっとしたことでも文句何かが飛んでくるのだ。それでいて報酬はしょぼいとくれば、傭兵が好んで受ける訳がない。

 

 そこを考えるとある意味今回の依頼は少々珍しかった。と言うのもこの依頼、ペット探しにしては妙に報酬が高いのだ。ペット探しの報酬の相場は大体500セルから1000セル、場合によっては値切られまくって250セルとなる。

 しかし今回の報酬は2000セルとかなり割高だった。それに加えて首尾良く捕まえる事が出来れば追加報酬もあると言う好待遇っぷり。これだけでもこの依頼の異質さが分かるだろう。

 尤もその理由も大体想像つく。

 

 「これ、モンスターよね?」

 

 目的のペットの特徴をざっと述べると、緑の体毛、ウサギのように長い耳、狐の様にフワフワな尻尾。見た目を一言で言えば、ウサギとキツネを足して二で割った感じだろうか。これらだけならとても可愛らしい動物なのだが、普通の動物には絶対にない物が此奴には付いている。

 それは宝石。額に煌々と輝く赤い宝石が付いているのだ。

 

「カーバンクルだっけ?」

 

 カーバンクルとは、写真に写っているように額に赤い宝石が付いていることが最大の特徴のモンスターだ。モンスターとしては非常に温厚で大人しく、人間に友好的なモンスターの代表格として知られている。

 しかし友好的とは言えモンスターはモンスター、通常の動物とは比較にならない程身体能力が高くおまけに鉄壁の障壁を張る特殊能力を持っていることもあって力尽くで手元に置くのは非常に難しい。

 

 そんなモンスターをペット探しの目的としていると言う事は、今回の依頼主は只者ではないと言う事だ。まぁギルド職員が直々に傭兵に依頼を持ってくるあたり、只者ではないという予感はしていたが。

 

「とは言え、どこに居るのかしらねぇ?」

 

 今彼女が居るオブラの首都『イート』はそれなりに大きな規模を誇っている。その中から、一般的な猫と同サイズのモンスターを見つけるのは少々骨が折れた。

 

「ま、見れば一発で分かるからただの猫とかよりは楽だと思うけどね」

 

 気を取り直してサフィーアはペット探しを再開する。まずやる事と言えば聞き込みだ。相手が非常に特徴的なので、人目に付けばすぐに分かる。

 サフィーアは早速あちこちで聞き込みを行った。

 

「すみません、この写真に写ってるの見ませんでした?」

「ん~? いやぁ、見てないね」

 

「ちょっといいですか? この写真に写ってるのなんですけど…………」

「あら可愛い! この子がどうしたの?」

「探してるんですけど、どこかで見ませんでした?」

「さぁ? 見てればすぐ分かるんだけど」

 

「あの、今少しいいですか?」

「お、なに? もしかして逆ナン? まいったなぁ」

「失礼しました」

 

「あ、すみません――――」

 

 

***

 

 

 それから三時間後、サフィーアは公園のベンチで缶コーヒー片手に項垂れていた。理由は言わずもがな、目的のカーバンクルが一向に見つからないのだ。

 

 決して見つかり難い筈がない。これだけ目立つ見た目なのだ、誰かの目には必ず入っている筈。にも拘らず全く目撃情報が無いと言う事は、場合によっては街から出て行ってしまっている可能性もある。そうだとしたら捜索は絶望的だ。

 だが悲しいことに、一度依頼を受けてしまっている以上そうなったとしても彼女は探さなければならない。一応依頼の取り消しも出来なくはないが、やったらやったで違約金を払わなければならないのだ。定期収入が無い傭兵にとって、それは結構な痛手であった。

 

 この辺りもペット探しが敬遠される所以だろう。

 

「はぁ~ぁ…………見つからないなぁ」

 

 サフィーアはぼやきながら缶コーヒーを飲み干し天を仰ぎ見る。今のどんよりとした彼女の心とは正反対に空は晴れ渡っていた。清々しい筈の晴天が、今は無性に恨めしい。

 

「はぁ~…………」

 

 いっそ魂が抜け出そうなほど大きな溜め息を吐くサフィーア。そんな彼女に、突然横から声が掛けられた

 

「あら貴女、さっきの?」

「へ?」

 

 サフィーアが声のした方を見ると、そこには1人の女性が佇んでいた。半袖の白いTシャツの上にノースリーブの黒いベストを纏い、同色のスリットの入ったスカートの下に白い長ズボンを穿いた女性だ。両手に装甲付きのグローブを着けている所から察するに、彼女は闘士の傭兵だろう。

 その女性だが、彼女は何故かサフィーアの顔をじっと見つめている。サフィーアの方には女性に身に覚えが無いので、見つめられる理由が分からない。

 

「あ、あの、何ですか?」

「ん? ん~…………いや、何でもないわ」

「でも、今…………うん。やっぱり、いいです」

 

 何故か見つめてくる女性に訝しげな顔をしていたサフィーアだったが、途中で追究を止め女性から目を離した。

 サフィーアの様子に女性の方は暫し彼女の事を眺めていたが、不意に笑みを浮かべると彼女の隣に腰掛けた。そして妙に親し気にサフィーアに話し掛け始めた。

 

「ペット探し? 大変ねぇ」

「あ、聞こえてました? まぁ、仕事ですから」

「無理やり押し付けられた、ね」

「えぇ、まぁ」

 

 女性の言葉から彼女がサフィーアとナタリアの押し問答を見て、そして巻き込まれないようにその場を離れていたことを察する事が出来た。それを理解しても、サフィーアは特に気分を害することはしなかった。立場が逆なら多分サフィーアも同じ行動をとっていただろうし、特別馬鹿にされている訳でもないので気分を害する道理はない。

 

「ところでどんなの探してんの?」

「こういうのです。何処かで見ました?」

 

 徐にサフィーアが探しているモンスターがどんなのかを女性が訊ねてきたので、サフィーアはモンスターが写った写真を女性に見せた。

 それを見た女性は、何ともおかしな顔をした。探しているペットがモンスターだった、と言う事に対して驚いている様子ではない。何と言うか、驚きと戸惑い、そこに拍子抜けが混じったような不思議な顔だ。

 彼女の様子にフランも釣られて何とも言えない顔になってしまった。

 

「あの、どうしました?」

「…………これ探してんの?」

「そうですけど…………何処かで見ました?」

「何処かって言うか…………ん」

「ん?」

 

 女性は何も言わずあらぬ方向を指さした。その指先を追ってサフィーアが視線を動かすと、彼女の指が向いた先に公園の中央に植えられた一本の木があった。その木の枝の上に緑の体毛をした動物が居る。そいつの額には、遠目に見ても分かるほど煌々と輝く赤い宝石が…………

 

「い、居たぁッ!!」

 

 遂に目的のカーバンクルを発見したサフィーアは、空き缶をゴミ箱に放り投げつつ駆け出した。あっという間に木に接近し低めの位置に生えている枝に飛び掛かる様にしてカーバンクルを捕まえようとする。

 しかし…………

 

「くぅん!」

 

 サフィーアが近付いた瞬間、カーバンクルはひらりと身を翻し彼女の腕の間をすり抜け、枝から飛び降りると華麗に着地しそのまま逃げて行ってしまった。

 

「逃がすかぁッ!?」

 

 やっと見つけたカーバンクル、ここで逃がしたら次に見つかる保証もないのでサフィーアは全力で後を追いかける。彼女は木の枝から飛び降りるとあっという間にカーバンクルに追いついてしまった。四本足で小柄なので人間とは比べ物にならない程の速度を出せる相手に対して、である。

 

 彼女がここまで速く走れる理由は、魔力で肉体を強化しているからだ。魔力とは誰もが持っているものであり、扱い方さえ分かれば誰でも魔法を使う事が出来る。今彼女が使用している肉体強化魔法『マギ・コート』などは万人が使える魔法の代表格であり、傭兵でなくとも習得している者は多い。

 マギ・コートは非常に汎用性が高い魔法としても知られており、筋力の強化だけでなく感覚の強化や寒暖への耐性も強化される。それだけでなく頑丈さもかなり強化されるので、マギ・コートの対に当たる武装強化魔法である『マギ・バースト』以外の攻撃は大幅に威力を軽減できた。

 

 ただどちらも当然使用中は魔力を消費し続ける為、魔力残量を考えて使用する必要はあるのだが。

 

 閑話休題。

 

「こんのっ!?」

 

 すぐ近くまで接近したサフィーアは再びカーバンクルを捕まえようとしたが、カーバンクルの方もそう簡単に捕まるほど甘くはない。またしても彼女の腕の間をすり抜けるようにして躱し、そのまま人混みの中へと逃げ込んでしまった。

 

「あぁん、もう!? 面倒臭い所にッ!?」

 

 人混みの中は行動が著しく制限される。これが森の中であればまだ遣り易かったであろうが、人混みの中となると街の人への配慮をしなければならなくなるので考えて行動する必要があった。

 少なくとも、他人を無闇矢鱈に押し退けることは控えなければならない。

 

とは言えまだ逃げ切られてはいない以上、そこまで悲観することは無いだろう。いくら体が小さかろうと、カーバンクルにとっても人混みの中を動き回るのは容易ではない筈だ。サフィーアは当然行動を制限されるが、カーバンクルの方も行動を制限されるだろう。

 

 それに、あちらが彼女を|意識してくれている(・・・・・・・・・・)内は、逃がしはしない。

 

「ごめんなさい、よっと!」

「おわぁっ!?」

 

 サフィーアは目の前に立ち塞がる人の波の上を飛び越えた。突然頭上を少女が飛び越えた事に何人かが驚くが、そのことを気にせず彼女の視線はカーバンクルを捉え続ける。カーバンクルはカーバンクルで、人混みを飛び越えてまで追いかけてくるサフィーアに驚愕しながらも目の前の人の足を避けつつ逃げていく。

 その後もサフィーアによる追跡は続いた。時には壁を蹴り、電柱を掴んで急カーブし、更には車を踏み越えてまで追いかけるサフィーアと、足の間を潜るだけでは飽き足らず時には人の頭を踏み台にしてまで逃げ続けるカーバンクル。彼女たちの動きは宛ら街中を舞台に人間の身体能力を限界まで引き出して行うスポーツ、パルクールを見る者に彷彿とさせるだろう。

 

 そんな中、両者は街の中にある大通りに出た。既に時間が昼近くまでいっていることもあり、車道は多くの車が行き交っている。

 

「ちょ、そっちは洒落にならないって!?」

 

 もし罷り間違ってカーバンクルが車に轢かれたりでもしようものなら、下手をすれば依頼失敗である。全力で阻止しなければならない。

 走る速度を上げる為に、全身に満遍なく行き渡らせていた魔力を足に集中させる。踏み出す一歩がいつも以上に地面を蹴り彼女の体を大きく前進させた。

 が、彼女が追い付く寸前、車道に入ると思っていたカーバンクルが真横に飛び退いた。フェイントを掛けられたのだ。

 

「ちょ、わわっ?!」

 

 幸いにしてガードレールを掴むことで車道に出ることは回避されたが、今ので速度が完全に削がれてしまった。見ればカーバンクルは既に遠くまで行ってしまっている。慌てて追い掛けるが、とうとうカーバンクルは完全に視界からいなくなってしまった。

 

 一瞬落胆するサフィーアだったが、すぐ気を取り直して追跡に取り掛かる。まだ諦めるのは早い。暫くカーバンクルが消えた方に向かって走るが、案の定その姿は確認できないままだ。逃げられてしまったようにも見えるが、しかしサフィーアの表情はその状況とは裏腹に小さく笑みを浮かべている。

 その表情は、まるで何かを捉えたような…………そんな顔だった。




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第3話:マスコット、参入

読んでくださった方達に最大限の感謝を。


 物の見事にカーバンクルに逃げ切られた後もサフィーアは街中を走り続け、遂には最初に見つけた公園まで戻ってきてしまった。人影はあれども、今度はカーバンクルの影も形もない。

 ついでに言うと、先程の女性の姿も見当たらなかった。

 

「さってと…………」

 

 サフィーアはそのまま暫し公園内を見渡していたが、何度か見渡した後諦めたように踵を返してその場を立ち去った。公園の出口に向かい、そのまま再び街中へ――――

 

「――――なんちゃって?」

 

 公園から出そうになっていたサフィーアが、後ろも見ずにバク転するように後方へ大きく飛び退いた。彼女が着地したその目の前には、今正に公園に入ろうとしているカーバンクルの姿が。

 

「くぅんっ!?」

「捕まえた!!」

 

 突然の事に反応が送れたカーバンクルを、サフィーアは真正面から捕まえて持ち上げた。

 

「ふっふっふ、残念だったわねぇ! さっき見失った時あたしの後ろに回り込んで逆に後をつけて見つからないようにしたのは悪くない作戦だったけど、あたしには通用しないわよ!」

 

 このカーバンクル、サフィーアの視界から外れると共に物陰に隠れて彼女が通り過ぎるのを待っていたのだ。前を逃げれば視界に移る限り追い回されるが、逆に彼女が隙を見せるまで後を付ければ見つかることもなく安全に逃げ切る事が出来る。作戦としては悪くなかったが彼女にはお見通しだったようだ。

 

「くぅん、くぅんっ!?」

「は~いはいはい、暴れないでねぇ~」

 

 必死に暴れて逃れようとするカーバンクルだったが、脇の下を完全にがっちりと掴まれてしまっているので逃れようがない。人を傷つけられるほどの爪も牙も持っていないカーバンクルには(あってもマギ・コートをしていればダメージにもならないが)、彼女の手から逃れる術がないのだ。

 数分と経たずに暴れることを諦め大人しくなるカーバンクルだったが、今度は哀愁漂う目で見つめてきた。力尽くが駄目なら情に訴えると言う訳だ。

 

 これには流石のサフィーアも思わずたじろいだ。

 

「くぅん?」

「うぐ…………だ、ダメダメ!! こっちだって仕事なんだから。離せと言われても離せないって、諦めなさい」

「くぅん」

 

 彼女の言葉に今度こそ諦めたのか、カーバンクルは完全に項垂れて抵抗する素振りを見せなくなった。内心で悪いと思いつつ、これも仕事と割り切りサフィーアはギルドへと向かっていった。別に殺される訳ではないのだ、そこまで悲観することもあるまい。

 まぁ、ここまで必死に逃げて抵抗したと言う事を考えると、飼い主とはそりが合わないか待遇に不満があるのだろう。そこは同情するが、生憎それとこれとは別問題だ。

 

 そのままサフィーアがカーバンクルを抱きかかえてギルドへ向かうと、ナタリアが奥の応接室に案内してくれた。今回の件は通常の依頼とは少々異なるので、受付で済ます訳にはいかないのだそうだ。

 

「すぐに依頼人を呼んできますので、少し待っていてくださいね」

 

 そう言うとナタリアはサフィーアを置いて応接室から出て行ってしまう。残されたサフィーアはソファーに座り、出された茶で喉を潤した。いくら魔力で肉体を強化したとは言っても、全速力で長時間走れば疲れるし喉も乾く。カップに口をつけて茶を啜りつつ、茶請に置かれたクッキーを齧った。

 

「くぅん」

「ん? 食べる?」

 

 物欲しげな声を上げたカーバンクルに、サフィーアはクッキーを半分砕いて掌の上に乗せ口元に近づけてやった。差し出されたクッキーを前に、カーバンクルは鼻をひく付かせるとコリコリと齧り始める。

 追い掛けている間は捕まえようと必死だったこともありあまりしっかり見れていなかったのだが、こうして見るとなるほどどうして可愛いではないか。これなら例え好事家でなくともペットとして近くに置きたくなるだろう。

 

 そんな事を考えながら腕の中にカーバンクルを抱きかかえたまま待つこと数分、時々カーバンクルを撫でたりちょっと魔が差して頬擦りして嫌がられたりしながら待っていると応接室の扉が開かれた。サフィーアとカーバンクルがそちらを見ると、ナタリアと共にスーツ姿の女性が入ってくる。栗色の髪を伸ばし、メガネを掛けた女性だ。しかし知的な雰囲気ではなく、どこか道化のような印象を受ける。

 

「すみません、お待たせしちゃって」

「いや、それはいいんだけど…………もしかして、その人が?」

「はい。今回の依頼人の…………」

「ウイウイ、ビーネ・アーマイゼと申しま~すぅ。クロード商会の会長をしておりま~すぅ。宜しくお願いしま~すねぇ」

 

 奇妙に間延びした話し方の女性、ビーネ・アーマイゼの自己紹介にサフィーアは思わず目を見開いた。クロード商会と言えば、ギルドと提携して様々なアイテムを取り扱っている大手の商会だった筈だ。携帯食料からテント、果ては爆薬なんかも手広く取り扱う、正に今の時代の何でも屋と言ったところか。

 

 正直、予想を大幅に外れていた。モンスターをペットにするあたり見栄っ張りなオッサンかそこいらが依頼人だろうと思っていたのだが、まさかこんな女性だとは思ってもみなかった。それも二重の意味で。

 

「くぅん! くぅん!?」

「わっ!?」

 

 サフィーアがビーネに驚いていると再びカーバンクルが暴れ始め、彼女の手をするりと抜けるとそのまま彼女の陰に隠れてしまった。逃げだすのは無理そうだからせめて隠れようと言う事だろうか。そこまで帰りたくないのか。

 

「こらこら、あたしに隠れてどうするのよ!?」

「くぅん!? くぅぅん!?」

「だぁぁ、もうっ!? 諦めてご主人様のところに帰りなさいっての!?」

「くぅぅんッ!?」

「そこまで嫌かッ!?」

 

 全力で嫌がり、終いには障壁まで張り出すカーバンクルを必死に宥めるサフィーア。その様子を困った様子でナタリアが見つめている一方で、ビーネはクスクスと笑みを浮かべていた。

 

「やれや~れぇ、大分嫌われてしまったみたいで~すねぇ」

「あの、不躾かもしれませんけどこの子との間に何があったんですか? 嫌がり方が尋常じゃないんですけど?」

 

 全力で逃げようとしたり、逃げられないからと言って隠れたり障壁を張るのはいくらなんでも拒絶し過ぎだ。彼女とこのカーバンクルの間には絶対何かあった。それこそ深い溝ができるくらいの何かが。

 確信をもって訊ねると、ビーネは何故か楽し気な笑みを浮かべて答えた。

 

「別に大したことはありませ~んよぉ? ただ頭の先から爪先まで満遍なく愛して可愛がっただけで~すぅ」

 

 それを聞いてサフィーアは確信した。原因はそれだ、愛が重すぎたのだろう。ペットを可愛がること自体はご自由にと言いたいところだが、何事にも限度はある。これだけ拒絶すると言う事は、多分傍から見たら引くほどの溺愛っぷりだったに違いない。

 

「あの、差し出がましいかもしれませんけど、もうちょっと接し方を考えた方が良いですよ?」

「ん~、フフ~フゥ。まぁそれは頭の片隅にでも置いておきま~すよぉ。それより報酬の話に移りましょ~かぁ」

「いや、あの――――」

「首尾良く捕まえることがで~きたらぁ、追加報酬を払う約束で~したよねぇ」

「は、はぁ…………」

 

 何と言うか、こちらの話を聞いてくれないと言うかマイペースな人だ。サフィーアの苦手なタイプの人間である。

 若干精神的な疲れでげんなりするサフィーアを余所に、ビーネは彼女に払う追加報酬を口にした。

 

「追加報酬は…………そうで~すねぇ、ウォールちゃんをあげちゃいましょ~かねぇ」

「ウォールちゃん?」

「今貴女の後ろに隠れてるその子の事で~すよぉ」

 

 ビーネの言葉にサフィーアはこの日何度目になるか分からない驚愕に目を見開いた。

 

 あげる? このカーバンクルを? 溺愛する程大事ではなかったのか? サフィーアの頭の中を様々な疑問が駆け抜けた。

 

「え、いや、いいんですか!? この子大事だったんじゃ?」

「大事は大事で~すけどぉ、また逃げたりして心無い人に捕まってろくでなしに売られる方がよっぽど悲しいで~すからぁ。ウォールちゃんは貴女に懐いている様で~すしぃ、貴女と一緒に居た方がウォールちゃんにとっても幸せでしょうか~らねぇ。よろしくお願いしま~すねぇ」

「よ、よろしくって…………」

「あぁ、心配しなくても基本報酬の方もちゃんとギルドに振り込んでおきま~したからぁ。“今後とも”よろしくお願いしま~すぅ」

 

 そう言うとビーネはナタリアにも挨拶して応接室を出て行った。後には困ったように笑みを浮かべるナタリアと、状況についていけず唖然としたサフィーア。そして…………

 

「くぅん!」

 

 脅威が去って上機嫌となりサフィーアに頬擦りするカーバンクル、もといウォールだけが残されていた。

 

 

***

 

 

 一方その頃………………

 

 イートの近くにある森の中に、複数人の人影があった。数は全部で8、全員が同じ装甲服に身を包んでいる事から傭兵の類ではないことが伺える。

 頭の先から爪先までヘルメットと装甲服で統一された装備、そして統率されたような動きは傭兵と言うよりは軍隊のそれだった。オブラの軍隊ではない。左肩のアーマーに施された恐らくは所属する国家を示すペイントが、イートのゲート等に掲げられたオブラを示す国旗とは異なっている。

 

 その一行の内の一人、恐らくは指揮官だろう者が何者かとヘルメットに内蔵された通信機で連絡を取っていた。

 

「こちらαチーム、現在『収穫場』近くで待機中。『猟犬』、応答せよ」

『こちら猟犬。もう街に入ってる』

 

 指揮官は通信機の向こうからの応答に満足そうに頷く。

 

「了解した。手筈はいつも通りに頼む」

『任された。精々手頃な奴を誘い込むとするよ。首尾よく事が運んだら、報酬の上乗せも考えてくれよ?』

「そこは働き次第だな。精々しっかり成果を挙げる事だ」

 

 その言葉を最後に指揮官は通信を切り、部下を伴って森の奥へと消えていく。明らかに不審なその集団の存在を知る者は、通信機の向こうに居た者達を除いて、誰も居なかった。




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第4話:お誘い

読んでくださった方達に最大限の感謝を。


 ビーネからの依頼を彼女の性格に振り回されながらも成し遂げ、なんやかんやでカーバンクルのウォールを追加報酬と言う形で譲り受けたサフィーア。一先ずいい時間になったので、昼食を挟んで午後に受ける依頼に備えた。

 

 午前に2000セルも稼いだのだから午後は休んでも良いような気がするが、金の問題ではなく純粋にペット探しなどと言う依頼では少々物足りなかったのだ。

 街中を走り回っておいて何をと言う気もするが。

 

 ウォールと共に宿の食堂で腹ごしらえをし、再びギルドに戻りスクリーンの前で依頼を吟味した。大型スクリーンを肩に乗ったウォールと共に上から下までじっくり眺める。が、相変わらずいい依頼が無い。内容が変わっただけで方向性は午前に映し出されていたものと大差ない物ばかりだった。

 

「歯応えのありそうな依頼が無いわねぇ。そろそろ違う街に移るべきかしら?」

「くぅん?」

 

 正直こんな依頼が傭兵の仕事かと思わない時はないが、これらも世間からは傭兵の立派な仕事として認知されていた。

 と言うのも、彼女たちの事を傭兵と呼んではいるがその本質はファンタジーの物語などでよく登場する冒険者に近いからだ。実際一時は傭兵の事を冒険者と言う呼び名に改めるかと言う意見もあったのだが、科学と魔法がハイタッチを交わして発展を重ねている現代において冒険者と言う言葉は少々レトロな響きに過ぎると言う意見が多く、結局は傭兵と言う呼び名で落ち着いていた。

 

 閑話休題。

 

「ん? この依頼は?」

 

 そんな時、彼女の目に一つの依頼が目に留まった。

 

《近隣の森に出現するようになった『アジャイルリザード』の討伐依頼》

 

 アジャイルリザードとは、全長約2m程の大きさの肉食で凶暴な性格をしたトカゲ型のモンスターである。見た目の大きさに反して非常にすばしっこく、鋭い爪と牙で人間を易々とズタボロにしてしまう程の力があった。しかも基本数匹で群れを作って行動している為、甘く見ているとあっという間に袋叩きにあった挙句骨も残さず食い尽くされてしまう。

 しかしそれ以外に目立った特徴は無く、特別頭が良い訳でもブレスを吐いたりすることもないので、戦い慣れた者が準備を怠らず挑めば少人数で討伐することも不可能ではなかった。

 

 サフィーアはその依頼を見て悩んだ。他の依頼に比べれば遣り甲斐のある依頼だが、この依頼は複数人で臨むことが推奨されていた。推奨は飽く迄も推奨であって強制ではないので、その気になれば1人で依頼を受けることも不可能ではない。

 さりとて彼女はベテランと呼ぶにはあまりにも経験が少ない。一応彼女は傭兵となって既に1年以上活動しているので決してルーキーではないのだが、複数人推奨の依頼を1人で受けて問題ないかと言われるとどうしても不安が残る。

 

 さてどうしたものだろうか? そんなことを考えていたサフィーアだったが、突如その顔が盛大に歪んだ。かなり不愉快そうだ。

 

「くぅん?」

 

 突然彼女が表情を歪めたのを見てウォールが不思議そうに首を傾げた直後、彼女に背後から声が掛かった。

 

「ねぇ、君もしかして1人?」

 

 サフィーアは声を掛けられた瞬間、飲み下すように表情を元に戻すと背後を振り返った。

 そこに居たのは、3人の男だった。見たところ、2人は剣や槍を装備しているので剣士、残る1人はライフルを携えているので銃士のようだ。

 

 因みに此処で言う剣士銃士と言うのは『戦闘スタイル』の違いの事であり、例え槍や斧を装備していても近接武器を用いる者は『剣士』、遠距離武器を用いて戦う者は『銃士』と言う呼び方をする。この他の区分分けとしては、武器を使わず素手ないしは籠手やグローブを装備して体術で戦う者を『闘士』、魔法を用いて戦う者を『術士』と呼称する。さらに言うとそれぞれの戦闘スタイルは立ち回りによって細かく『ジョブ』に分けられるのだが、それについてはまたいずれ説明しよう。

 

 それはともかくとして、素早く表情を切り替えたことで気付かれることがなかったのか、彼らはサフィーアが直前まで盛大に不愉快そうな顔をしていたことに全く気付いていない。それどころか、彼女の肩に乗ったウォールの方に気を取られていた。

 

「あれ、その肩に乗ってるのってもしかしてカーバンクルってやつ?」

「えぇそうよ。色々あって譲り受けたの。珍しいでしょ?」

 

 3人の傭兵は少しの間物珍しそうにウォールの事を見ていたが、すぐに本来の目的を思い出したのか本題を切り出した。

 

「それよりもしかしてさ、君もその依頼受けるつもりだったりする?」

 

 その依頼、と言うのは今し方サフィーアが受けるかどうするか迷っていたモンスターの討伐依頼の事だろう。君『も』、と言う事は彼らも同じ依頼を受けるつもりなのだろうか。

 

「えぇそうよ。と言ってもこっちは1人なもんだから、どうしようか迷ってたところなんだけどね」

「そうか、そりゃ良かった! いや実はさ、俺らもあの依頼受けようかと思ったんだけど、もう1人くらいメンバーが欲しかったところなんだよね」

「あんたさえ良ければ、今回限りでもいいからパーティー組まない?」

 

 1人ないし2人で行動している傭兵が、他の傭兵と一時的にパーティーを組むことは珍しいことではない。傭兵にとって何よりも大事なのは依頼を達成すること。その為には時に人数が必要であり、近くに居る見ず知らずの者と手を組まねばならない事態が往々にして存在していた。

 今彼女の前に居る3人も依頼達成率を上げる為に彼女に声を掛けたのだろう。

 

 彼らの提案に対しサフィーアは即答しなかった。確かに彼らの提案は今の彼女にとって渡りに船ではある。あるのだが…………

 

「えっと、何か問題でも?」

「ん?」

「嫌なら別にいいんだぞ。元よりこっちは剣士2人に銃士1人。この上お前まで入ったら剣士3人に銃士1人でバランスが悪くなっちまう。せめて1人は銃士か術士が欲しいところだ」

 

 どうも3人の内銃士である1人はサフィーアを迎え入れることに不満があるらしい。確かに彼の言う通り、ここで彼女が参加した場合前衛が3人で後衛が1人と言う少々アンバランスなパーティーとなってしまう。万全を喫すならここはバランス良くする為に後衛が2人になるようにするべきなのだが。

 

「おいおい、相手はたかがアジャイルリザードだろ?」

「多少バランス悪くても何とかなるって。な?」

「…………お前、傭兵やってどれくらいだ?」

 

 銃士の男に傭兵としての活動期間を訊ねられたサフィーアは、特に見栄を張ることなく偽りのない答えを口にした。

 

「大体1年と少しよ」

「ランクは?」

「B-(ビーマイナス)。ま、割と最近になってC+(シープラス)から昇格したんだけどね」

 

 傭兵にはそれぞれランクが存在し、依頼によっては受ける事が出来るランクに制限を設けている場合がある。最初は誰もがC-からのスタートとなり、優れた功績を積み重ねることでそこからC、C+、B-と昇格し最終的にはSランクで打ち止めとなる。なお、Sランクだけはやや例外でS-、S+は存在しない。そこまで登り詰める事が出来た傭兵が現時点で存在しないのだ。

 因みに現在のサフィーアのランクであるB-とは傭兵としては中堅一歩手前と言った評価が一般的である。大体C+までがルーキー、Bまで行くと中堅。そしてA-まで上げる事が出来れば十分にベテランを名乗る資格があった。彼女は現在B-だが、一般的に10代後半で傭兵を始めた者はB-に差し掛かるまでに大体2年ほどの月日を要する。そこを考慮すると19歳と言う若さの彼女が1年と少しでこのランクに達する事が出来たのはなかなかのハイペースであると言えた。

 

 それが分かっている彼らは、彼女の活動期間とランクに舌を巻いた。

 

「へぇ~、凄いじゃん」

「実力的には問題なし、ってとこかな? まだなんか文句ある?」

「チッ…………まぁいいだろう」

「それじゃ、あの依頼はこの場の4人で請け負うってことで。君もそれでいい?」

「ん~~…………えぇ、構わないわ」

 

 サフィーアが承諾すると、剣士2人は笑みを浮かべてハイタッチを交わした。見たところ彼らは男3人でパーティーを組んでいる様子。その事を考慮すれば、ズバリ女っ気に飢えているのだろう。

 

「それじゃ、今回の依頼だけだろうけど宜しくな。俺、グリフってんだ」

「俺はウィンディ、短い間だけど宜しく」

「バートだ。足手纏いにだけはなるなよ」

「サフィーアよ。こっちはウォールね」

「くぅんッ!」

 

 剣を持ったのがグリフ、槍装備がウィンディ、銃士がバートと言う名の3人と自己紹介を終えるサフィーア。彼女との握手までを終えるとグリフがPDAを取り出しながら踵を返した。

 

「依頼はこっちで受けとくからさ、準備を整えて1時間後に街のゲート近くに集合ってことでどう?」

「いいわ。1時間後ね」

「オーケー。それじゃ、また後で」

 

 そう言うと3人は手にしたPDAを操作しながら受付へと向かう。

 サフィーアは離れていく彼らの背を見送ると、自分も準備の為にその場を後にするのだった。

 

 

***

 

 

3人の傭兵達と別れた後、サフィーアはギルドに併設された雑貨屋に立ち寄っていた。

 雑貨屋とは所謂アイテム屋であり、傭兵としての活動を行う為に必要な物が大体揃っている。それこそ長期に渡って人里から離れた地で活動する時に必要になる携帯食料やテント、スコップにツルハシ、果ては薬や医療器具まで揃っていた。更にはそれらのアイテムは全てそれぞれの専門店で求めるよりも料金が安い。収入が安定しない傭兵にとって、仕事に必要なアイテムが安価で手に入るのは非常にありがたい事であった。

 言うまでもないが、それらのアイテムを一挙に卸しているのはクロード商会である。

 

今回はそんなに長期に渡って街を離れることはないので、そこまで念入りに装備を整える必要はない。精々携帯食料を少し補充する程度だ。

 

「あ、と。一応これも用意しとこ」

 

 不意に思い出したかのように呟くと、サフィーアは火薬類が陳列した棚に向かい煙玉と閃光玉を数個手に取った。一見するとこれらは武具工房で入手できそうな気もするが、爆弾・銃弾の類は工場で大量生産された物が出回る為どちらかと言うと一度に纏まった数を取引するアイテム屋で購入しやすい傾向がある。武具工房で取り扱うのは基本的に職人が一つ一つ丹精込めて作り上げた一品物だ。

 

 一通り必要な物を買い揃えたサフィーアは、店を出ると彼らとの集合場所に定めていた街の西ゲートに向かった。

 その道中、彼女はかなり多くの注目を集めていた。傭兵は基本戦う際に独自のスタイルを確立する為、中には個性豊かな格好をする者も多い。しかし体の左側をマントで覆ったサフィーアの出で立ちはやはり相当目立つのか、目的地に着くまでに大分注目されていた。まぁそこは彼女の見た目の良さと、ウォールを肩に乗せているからというのもあるのだろうが。

 

「あら、さっきぶりね」

「はい? あっ」

 

 突然後ろから声を掛けられたので、足を止めて背後を振り返るとそこには先程公園で出会った女傭兵の姿があった。

 

「さっきの、え~っと?」

「あぁ、そう言えば自己紹介がまだだったわね。私はクレアよ、『クレア・ヴァレンシア』」

「サフィーアです。サフィーア・マッケンジー」

 

 お互い自己紹介を終えると、クレアはその肩に乗っているルビーの存在に目を瞬いた。

 

「あれ、それって貴女が依頼で探してた? 今連れて行くところ?」

「いえ、もう依頼は終わってます。この子は、なんか追加報酬で貰っちゃって」

「くぅん!」

 

 サフィーアがウォールを撫でながら言うと、ウォールは尻尾を振りながら一声鳴き彼女の頬に擦り寄った。柔らかな毛並が齎すくすぐったさにサフィーアが笑みを浮かべていると、クレアが興味津々と言った様子でウォールに指を伸ばす。それに気付いたウォールは、彼女の指先に鼻を近付け鼻をひくつかせた。

 

「ふ~ん、結構人懐っこいのね。名前あるの?」

「前の飼い主、ビーネさんはウォールって名前着けてたみたいです。あたしもそれに倣って、この子の事はウォールって呼んでます」

「ビーネ? それってビーネ・アーマイゼの事? クロード商会の?」

「えぇ、はい」

「私も前に会った事あるけど、変な人だったでしょ?」

 

 クレアの言葉にサフィーアは乾いた笑いを上げるしかできなかった。変人かどうかは別として、独特な雰囲気を持つ人物であることは確かだからだ。それを変とするか個性的とするかは人それぞれだろう。

 そこまで考えた辺りで、サフィーアは依頼の事を思い出した。

 

「あっ!? そうだった、あたしこの後依頼があるんだった!?」

「そうだったの。ごめんね、引き止めちゃって」

「いえ、大丈夫です。まだ時間あるんで」

「因みに何受けたの?」

「近くの森のアジャイルリザードの討伐です。他の傭兵と臨時でパーティー組んでるんです。待ち合わせしてるんで、それじゃ!」

 

 腕時計を見ると、時間がちょっと厳しくなってきた。クレアへの別れの挨拶もそこそこに集合場所に向かって掛けていった。その背に向けて軽く手を振ってから、クレアはその場を立ち去っていく。ただし、視線だけは鋭く離れていくサフィーアの背に向けられていた。

 対するサフィーアが集合場所に着くと、彼等は既に集まっていた。一応集合時間にはまだ余裕があるのだが、彼方の方が早くに来ていたらしい。

 

「ごめんなさいね、待たせちゃって」

「いやいや、俺らが早く来すぎちゃっただけだから気にしないでいいよ!」

「集合時間までまだ10分はあるからな」

 

 一番最後に来たサフィーアに対し、文句を言う者は誰も居なかった。バートの言う通り、集合時間にはまだ早い。

 

「それじゃ、全員集合したことだし。早速出発しようか!」

 

 グリフの声を合図に、一行は街の近隣にある森へと出発するのだった。




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第5話:トカゲ狩り

読んでくださった方達に最大限の感謝を。

年末年始まで暫く更新速度を上げます。


 街を出てから数十分後、即席パーティーの一行は近隣にある森に到着していた。道中はレンタルした車で移動し、森のすぐ近くで停めてある。

 

「さて、アジャイルリザードが居るのはこの森の中だ。気を引き締めていくぞ」

 

 アジャイルリザードはかなり広範囲に生息するモンスターで、平原から森の中まで活動可能な領域ならどんな場所でも全力で動ける。ルーキーの傭兵はそこのところを甘く見て餌食になりやすい。これが問題なく討伐できるようになれば傭兵として一定のレベルであると認められるので、ある意味傭兵としてのルーキー脱却の登龍門的な存在だった。

 

 4人と一匹は森に入ると、しばらくの間無言で森の中を進む。隊列は先頭にサフィーア、その後ろをグリフとウィンディがバートを挟んでついて来ている。

 因みに言うまでもないが、一匹とはウォールの事だ。彼(ウォールは雄だ)は特等席であるサフィーアの肩の上に乗っていた。

 

「…………今更かもしれないが、そのカーバンクルを連れてくることに意味はあるのか?」

 

 ある程度森の中を進んだ時、バートがそんなことを訊いてきた。まぁ確かに気にはなるだろう。傭兵は基本無駄な荷物は持ち込まない。モンスターとは言え、いやモンスターだからこそ、連れてきたことには何か意味があると考えるのは普通の事だった。

 

「ん? 意味? いや、別にないけど?」

 

 しかしサフィーアは、あっけらかんとした様子で首を横に振った。その答えにバートは額に青筋を立てた。

 

「お前、何考えてるんだ!」

「いやだって、宿で留守番なんて可哀そうだし」

「そういう問題か!?」

「まぁまぁ、カーバンクルって言ったら強力な障壁を張れるってことで有名だし少なくとも邪魔にはならないんじゃない?」

「そうそう。それにカーバンクルをこんな近くで見る機会なんてなかなかないんだし」

 

 考えなしの発言をするサフィーアに向けて苦言を呈すバートに対し、剣士2人は状況を楽観的にとらえていた。実際彼らが言う様に、カーバンクルが張る障壁は非常に強固なものなので、いざと言う時には盾代わりになる。

 勿論サフィーアはそんなつもりでウォールを連れてきてはいない。本当に一匹で留守番させるのは忍びないから連れてきただけだ。それに、何だかんだで彼女は早くもウォールの事を気に入っており、離れるよりは一緒に居たいという気持ちもあった。

 尤も、邪な考えを持ってウォールを攫おうとする輩の存在を警戒して連れて歩いていることも理由の一つだったりするのだが。

 

 どちらにせよここまで来てしまったらもうどうしようもない。このまま連れていくしかないのだ。その事が気に入らないのか、バートは苛立たし気に鼻を鳴らした。

 

「それより、あなたの方こそ大丈夫なの? 結構取り回しが悪そうな武器だけど?」

 

 話題の転換も兼ねて、サフィーアはバートの装備に突っ込んだ。彼が装備しているのは狙撃銃、長距離での戦闘ならともかく否が応にも近距離か精々中距離での戦闘になる森の中では扱い辛い武器の筈だ。この中ではむしろ彼の方が足手纏いになりそうだが。

 

「俺を馬鹿にしてるのか? こんな状況いくつも潜り抜けてきた。今更この程度、問題ない」

 

 バートはそう言って手にしたライフルを軽く叩いた。

 実際、銃士の傭兵の中には接近戦にも対応している者は居る。本職の近接戦闘のプロである剣士や闘士には劣る場合が多いが、腕利きならどんな距離でも戦えるオールラウンダーを狙える程だった。何を隠そう、サフィーアの父がそうだ。彼女の父は銃士が習得する武術『ガンナーアーツ』の数少ない使い手であり、遠・中・近全ての距離で全力が出せるのである。

 

「ふ~ん、ならいいけど」

 

 サフィーアは彼の答えに気のない返事をしながら、手に滑り止めを兼ねたレザーグローブを嵌め腰の鞘に収まった剣の機関部のスライドを引いた。鞘は刀身部分は完全に隠すが機関部は左右だけを隠すように出来ているので、スライドを引くと上部の排莢口が露わになる。彼女はそこに腰のポーチから取り出した拳銃の弾丸の様な物が10個くっ付いたクリップを取り付けると、機関部の中に一気に押し込んだ。クリップを抜きスライドを戻して弾を薬室に送ると残ったクリップは再びポーチの中へ放り込み、剣を鞘から引き抜いた。

 

「君、随分変わった武器使ってるけどそれ何? 剣みたいだけど?」

 

 それまでマントに隠れていてよく見えなかった剣が露になった時、サフィーアのすぐ後ろをついて来ているグリフが疑問の声を上げた。まぁ来るだろうとは思っていた。銃の機関部を持った剣など、普通はお目に掛かれるものではない。

 

「あぁこれ? マエストロ・ガンスの力作よ」

「何だそれ、剣と銃どっちだ?」

「つか、マエストロ・ガンスが作ったのかそれ!?」

 

 『マエストロ・ガンス』とは世界に数多くいる武具職人の中でもトップクラスの腕前を持つと言われる人物である。武具職人としての腕は誰もが認めるほどであり、数多くの者が彼の作り出す武具を求めてその工房を訪れていた。ただ、非常に気儘な性格をしており同じ場所に長期間留まることは少ない。世界のあちこちに自身の工房を持っているらしく、気分次第で滞在する工房を変えていた。それ故、彼に直接武具の製作を依頼する事が出来るかは完全に運と情報収集能力に掛かっていた。

 尚、マエストロ・ガンスと言う名は本名ではなく、その名を持つ者の下で修業し一人前と認められた時その名を与えられる免許皆伝的な意味を持つ名前らしい。なので、時代によってガンスと言う人物は面影も糞も無いくらい異なっている。実際サフィーアの父も嘗てガンスの世話になったことがあるらしいが、現在のガンスと当時のガンスは性別以外に似通った部分が全くないとのこと。

 

「どういう武器なんだ?」

「説明してあげたいのは山々なんだけどさ、あたしがいきなり剣を抜いた意味を少しは考えてくれない?」

 

 尚も質問しようとする後ろの傭兵達を、サフィーアは前方を見据えながら諭した。何気ない風に紡がれた言葉だったが、その言葉の中に隠れている剣呑な雰囲気に男3人も各々武器を構えた。

 

 背後で男共が武器を構えるのを気配で察しながら、サフィーアは慎重に前に進む。彼女の視線の先には、緑生い茂る森の中にあって不自然な、赤く染められた木があった。

 近づいてみると分かるが、それは飛び散った血だ。バラバラになった何かの死骸を中心に、不規則に血が飛び散っている。殆ど骨だけになってしまっているどころか骨すら殆ど残っていないので元が何だったのか判別するのが難しいが、辛うじて残された部位から推測するに恐らくは野豚か何かだろう。それが見るも無残にズタズタに引き裂かれている。

 

「酷い有様ね」

「アジャイルリザードか?」

「多分ね。まだ新しいわ、そんなに時間は経って…………」

「くぅん?」

 

 突然黙ったサフィーア。肩に乗ったウォールが不思議そうに首を傾げるが、直後に何かを感じ取ったかのように耳を聳て周囲を見渡した。

 

「ふぅぅぅぅっ――――!?」

 

 サフィーアに続きウォールまでもが突如周囲を警戒しだした。それが何を意味しているが…………彼女と共にいる傭兵達も分からない程馬鹿でも経験不足でもなかった。

 何も言わず、銃士のバートを中心に円陣を張る剣士2人。その様子には先程までの緩んだ雰囲気は微塵も感じられない。なんだかんだでやはり彼らもプロだと言う事だ。メリハリは確りついている。

 

 誰もが無言だった。全神経を集中し、何処から何が来ても直ぐに対応できるようにしている。

 その時、不意に近くの茂みがガサガサと音を立てた。全員の視線が一斉にそちらに向く。バートは銃口を向け、いつでも引き金が引ける状態だ。

 

 そして…………出し抜けに背後から一体の巨大なトカゲ――アジャイルリザードが飛び出した。

 

 一早く奇襲に気付いたサフィーアが即座に振り替えると同時に手にした剣を振るった。剣は彼女に食らいつかんと飛び掛かっていたアジャイルリザードを一撃で切り裂き始末することには成功したが、それを合図にしたかのように周囲から次々とアジャイルリザードが飛び出してきた。

 

「来やがった!」

「離れてなさい」

「くぅん!」

 

 飛び掛かってくるアジャイルリザードに応戦する最中、サフィーアはウォールを近くの木陰に隠れさせた。激しく動き回る剣士の肩に乗っていては、何かの拍子に振り落とされてしまう。

 彼女がウォールを隠れさせようとした隙をついて襲い掛かろうとしていた奴を、バートが撃ち抜いた。

 

「だから言ったんだよ!? 役立たずのペットなら置いてこい!!」

 

 バートの怒鳴り声に、サフィーアは手にしていた剣を投擲して答えた。何をと問い掛ける前に、彼女の手を離れた剣はバートからも、他の2人からも死角になっている所から彼に襲い掛かろうとしたアジャイルリザードを木に縫い付けた。

 

「悪いわね、世話掛けて。これはそのお礼よ」

 

 皮肉を込めてそう返すと、サフィーアは一飛びでアジャイルリザードごと木に突き刺さった剣に近付き引き抜いて次に備える。バートは一瞬苦虫を噛み潰したような顔になるが、すぐに気持ちを切り替えて次の獲物に引き金を引いた。

 

 戦いの始まりはアジャイルリザード側からの奇襲だったが、戦闘は終始サフィーア達傭兵サイドが圧倒していた。元々アジャイルリザード自体が、言うほど強いモンスターではないことも要因ではあるだろう。勿論モンスターではあるので、一般人からすれば危険極まりない相手ではあるが。

 しかしアジャイルリザードの討伐を楽な仕事と断じる者は、決してルーキーを脱却する事は出来ないだろう。アジャイルリザードは強いモンスターではないが、決して雑魚ではないのだ。

 

「流石に、数は多いな!」

「上も気を付けろよ、こいつら木に登って飛び降りてくるぞ!?」

 

 グリフが言う様に、アジャイルリザードはとにかく数が多い。時には両手の指で数えられる程度の規模しか群れていない場合もあるが、多い時は洒落にならない数で群れを形成することもある。しかも厄介なことに、群れる数が多くなると強力な特異個体が出現する事があった。中には群れを統率する事に長けた個体が出現することもあり、これが出ると持ち前の素早さに連携が加わりアジャイルリザードの危険度が一気に上昇するのだ。

 

「特異個体いなけりゃ、大したことねぇよ!」

 

 半ば叫ぶように言いながら、ウィンディが上方から飛び掛かってくるアジャイルリザードを切り払った。それを押し退ける様にしながら飛び掛かるアジャイルリザードを、相棒のグリフが刺し貫いて仕留める。さらに引き抜いた刃で死角から迫っていた奴をウィンディとの同時攻撃で切り裂いた。2人が攻撃を放った直後で硬直しているところを、バートが援護する。

 元々パーティーを組んでいただけあって、彼ら3人の連携は見事なものだ。お互いがお互いをカバーできている。

 

 それに対し、サフィーアは正に三面六臂とも言える活躍をしていた。

 

「この程度ならッ!!」

 

 素早く接近してくるアジャイルリザードを、サフィーアは真正面から切り裂いた。その際の勢いを利用して真後ろに転身し、背後から飛び掛かろうとしていた奴の首を切り落とす。噴出した鮮血を肩マントで防ぎ視覚が潰されるのを回避。更にその場でマギ・コートで強化した脚力を用いて跳躍して視野外から飛び掛かってきていた奴の攻撃を避け、逆にレガースで覆われたブーツによる蹴りで地面に叩き落とした。無論その程度で死ぬほどモンスターは脆くはないが、そこに追撃で剣を叩きつけ完全に仕留めた。

 その後も殆ど1人で次々とアジャイルリザードを始末していく彼女に、男たちは舌を巻いた。

 

「へぇ、凄いねあの子」

「なかなか、良いんじゃない?」

「厄介だがな」

「馬鹿ッ!?」

「なに、何とかなるって。心配するな」

 

 彼らは戦闘の片手間にサフィーアを品定めするように眺めていた。その間も攻撃の手は緩めず、周囲のアジャイルリザードを的確に仕留めていく。

 戦闘の音とアジャイルリザードの鳴き声で、彼らの声はかき消され彼女の耳には彼らの会話は耳に入らない。その筈なのだが、彼女は一瞬鋭い視線を彼らの方に向けた。しかしそれは本当に一瞬の事、彼らは彼女の視線に気付くことなく討伐を続け、彼女もまた迫りくるアジャイルリザードが居なくなるまで戦い続けるのだった。




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第6話:想定内と想定外

日々読んでくださる読者の方々のおかげでUAが100を超えました。これがこのサイトでは早いのか遅いのか分かりませんが、ありがたいことです。

読んでくださった方達に最大限の感謝を。


 戦闘開始から数十分後、戦闘は終了した。襲い掛かるアジャイルリザードの最後の一体をサフィーアが切り捨て、その後増援が来ることは無かった。

 一見するとそれで全て討伐し切ったように見えるが、今回の討伐数は少々数が多くもしかすると特異個体で統率する奴が出現している可能性もあった。その場合あの場は一旦退いて、彼女達が居なくなるか油断するのを待つと言う指示を出している可能性も捨てきれない。

 

 なので今日のところはこの森の中で一泊し、何の変化も見られなければ依頼達成として街に戻ろうと言う事になった。

 アジャイルリザードの残党や他の危険なモンスターが出現しないとも限らないので、森の中を警戒しつつ夜が来るのを待つ。結局、何も現れることなく夜の帳が降り、徐々に森の中が暗くなったので彼女達は野営の準備に取り掛かった。適当に開けた場所で火を起こし、それの周囲に腰を下ろす。

 

「あむ…………」

 

 ウィンディがガスバーナーコンロでポットを火に掛けているのを横目に、サフィーアは持参した携帯食料を口にした。

 この携帯食料、安価で腹持ちも良くしかも栄養価も高いと言う長期で街から離れる際には手放せない代物なのだが、ただ一点味が少々微妙であった。兎に角徹底的に水分を飛ばしているので非常にパサパサとしており、味自体もとても安っぽく正直食欲はあまりそそられない。故に人気自体は低く傭兵の多くは野外での食事は最低でもレトルト食品で済ませることが多かった。携帯食料は、本当に食べるものが無くなった時の為の所謂保険だ。

 しかし、サフィーアはこれが嫌いではなかった。味はともかくとして、これを野外で食べると如何にも『野営している』と言った雰囲気になり、それが彼女は好きなのだ。流石に街に居る時にスナック感覚で食べようなどとは思わないが。

 あとこの携帯食料には保存性を更に上げたバージョンの物も存在しているが、そちらは味関係を完全に捨て純粋に保存性のみを追求しているので味もへったくれも存在しない。食感もまるで硬いゴムのようであり、嚙み切るのに結構力が要る。こちらは流石のサフィーアも受け入れ難く、食べたのは好奇心で最初に食べたきりであった。

 

「くぅん!」

「ん? 分かってるって。ほら」

 

 空腹を訴えて鳴き声を上げるウォールに、サフィーアは砕いた携帯食料の欠片をグローブの上に乗せて与えた。前述した通り味は安っぽくパサパサしている為この携帯食料を好まない者は少なくないのだが、ウォールは全く不満な素振りを見せることなく彼女の掌に乗った欠片を食べた。彼も存外これが気に入ったようだ。その事にサフィーアは笑みを浮かべる。

 

「――――ッ!?」

 

 その時だ。サフィーアは突然鋭い視線を周囲に向ける。表情を険しくし、辺りに警戒する視線を向けつつ残りの携帯食料を口に放り込む。

 

「どうした、そんな顔して?」

「ん?…………ううん、何でもないわ」

 

 彼女が表情を険しくしていることに気付いたグリフが首を傾げるが、一瞬間を置いてから表情を元に戻しつつ何て事は無い風を装った。

 そんな彼女に、ウィンディがポットで沸かした茶をコップに入れ差し出した。

 

「そんなに心配しなくても、どうせ何も来やしないって。これでも飲んでリラックスしな」

 

 携帯食料の包みを左手でポーチの中に突っ込みながら差し出されたコップを受け取り、火傷しないようそっと息を吹きかけ軽く冷ましてから口をつけるサフィーア。暖かな茶が彼女を体の芯から温める。

 その様子を男達は人の良さそうな笑みを浮かべてみている。よく見ると、バートも珍しく口角を釣り上げて笑っているようだ。出会ってからずっとしかめっ面しか見ていないサフィーアには、彼の笑みはとても新鮮なものだ。

 

「ん、ふぁ…………」

 

 食後の茶を飲んでから数分後、満腹から眠気が襲ってきたのかサフィーアが大きく欠伸をする。傍らに居るウォールはとっくの昔に丸くなって夢の中だ。

 

「眠いなら先に寝ちまいな。見張りは1人居れば十分だ」

「んじゃ、俺らも一足先に寝かせてもらうぜ」

「言い出しっぺだ。見張りは、1人でな」

「お前ら…………」

 

 バートが睨む前で、グリフとウィンディは早々に寝袋に入って寝てしまった。仲間2人の薄情な様子に溜め息を溢しつつ、彼はサフィーアを見る。

 

「全く…………お前も寝とけよ。昼間一番動いたのお前なんだからな」

「うん…………それじゃ、任せるふぁ」

 

 お言葉に甘えて、その場で横になるとサフィーアは肩マントを毛布代わりに眠りについた。物の数秒で意識を手放したのか、彼女からも規則正しい寝息が聞こえ始める。

 

 次の瞬間、それまで寝袋に入っていた筈の剣士2人が起き上がった。彼らはバートとお互いに目配せすると、小さく頷き合いゆっくりとサフィーアに近付いていく。その表情は、つい先程までの親しみやすい物から一変して、不敵で怪しげなものへと豹変していた。

 グリフがそっとサフィーアに向け手を伸ばす。その手がマントに掛かり…………

 

 突然、彼女の足が彼の手を思いっきり蹴り上げた。

 

「あだ、なっ?!」

 

 予想外の事態だったのか、グリフは蹴られた手を押さえながら驚愕の表情を浮かべる。ウィンディも驚いてその場で固まっている。

 そんな中でただ1人、バートだけはライフルを構え彼女に向けていた。

 彼らの様子を見て、サフィーアは同じく飛び起きたウォールを伴い3人から距離を取りつつ剣を抜いて構えながら口を開いた。

 

「ふん! そんな事だろうと思ったわ!」

「お前、ぐっすり寝てた筈じゃ!?」

「大方、さっき飲ませた茶に睡眠薬でも入れてたんでしょうけどね。残念だけど、そう来るだろうと思って一緒に解毒薬飲んどいたのよ。お高い奴をね」

 

 先程携帯食料の包みをポーチに突っ込んだ時。あの時同時にポーチの中に入れておいた解毒薬を取り出し、茶を飲む時こっそり口に入れて一緒に飲んでおいたのだ。

 この解毒薬、購入できる薬品としてはかなり高価な部類であり、これより安価な物に比べて分解できる成分の種類が多い。それこそ、風邪の時に飲む薬などの成分も分解してしまうほどだ。薬も過ぎれば毒となるとは言うが、この解毒薬は正しく人体に入る薬学的な異物を全て除去してしまうのである。

 

「そこまで用意してたってことは、俺らがお前を狙ってるって分かってたって事か? 何時から気付いたんだ?」

「ギルドであんた達が声を掛けてくる直前からよ」

「そ、そんな時から!?」

「ごめんね、あたし他人から向けられる悪意とかにすごく敏感なの。だからあんた達が時々あたしに気持ちの悪い視線を向けてたことにもすぐ気付いたわ」

 

 サフィーアの種明かしを聞いた男達は、暫しその場で固まっていた。サフィーアの方も、彼等がどんなアクションを見せるのか待っている。

 その沈黙を破ったのはバートだった。

 

「ハァ…………」

 

 バートは突然大きな溜め息を吐くと、2人の剣士の男をじろりと睨み付けた。

 

「何処のどいつだ、この女が楽な仕事だなんて抜かした奴は?」

「いや、だって…………なぁ?」

「そうそう。今までだってこのやり方で何とかなってきたんだし」

 

 怒気の籠った視線を向けられた2人は、明らかに萎縮した様子を見せながら必死に弁解する。今まで鳴りを潜めていた様だが、彼等の力関係はバートが圧倒的に高いらしい。

 

「全く…………所でお前、一つ訊かせろ」

「何を?」

「お前、俺達が悪巧みしてるって気付いてたなら、何で一緒に行動したんだ? 最初の時点なら、抜けることも容易だった筈だ」

 

彼からの問い掛けに対し、サフィーアは鼻で笑いながら答えを口にした。

 

「あら、分かんない? あんた達程度なら上手くあしらえそうだったし、言い逃れできないタイミングでコテンパンにしてギルドに引き渡してやろうかと思って」

 

 不敵な笑みを浮かべながらのこのセリフに、3人は一瞬唖然となる。が、直ぐに全員俯いて肩を震わせた。普通に考えればこれは馬鹿にされて憤っていると捉えるべきなのだが、彼女は彼らの様子に笑みを引っ込め剣を構え直す。

 彼女が構えを取ったタイミングで、彼らは一斉に顔を上げた。その表情は憤るどころか、心底おかしいと言いたげに笑みを浮かべていた。

 

「アッハッハッハッハッ! こりゃ傑作だぜ、なぁ?」

「全くだ。調子に乗ってるのはどっちだよって話」

「ま、痛い目に遭わせる理由にはちょうどいい」

 

 一頻り笑い落ち着いたバートが、徐に手を上げてフィンガースナップで指を鳴らした。

 すると周囲の木の陰から、複数人の人影が姿を現した。その数、総勢8人。サフィーアはその姿を現した一団を見て驚愕に目を見開いた。

 

「3人なら上手くあしらえる? ならこれならどうだ?」

「流石にこの人数は予想外だったんじゃないの?」

 

 バートとグリフがそう言うが、伏兵の存在自体はサフィーアはとっくに気付いていた。

 彼女が驚いたのは、伏兵の存在ではなく伏兵そのものだ。その存在に気付いた時、彼女は精々伏兵も男たちと同レベルかチンピラ程度だろうと高をくくっていた。

 しかし…………

 

「帝国兵!? 何でこいつらが?」

 

 現れた伏兵は、全員がムーロア帝国正規軍の装甲服を身に纏っていたのだ。フルフェイスヘルメットのバイザー部分には単眼のカメラアイが搭載されており、無機質な視線を彼女に向けている。

 

「ここがグリーンラインの中だってことは分かってるわよね? 何でここに帝国軍が居る訳?」

「それをお前に教える必要はないな」

「自分の心配した方が良いんじゃない?」

「くそ舐めた態度取ってくれたんだ。まさか単にボコられるだけで済むだなんて思ってないよね」

 

 サフィーアは男達に嫌悪の視線を向けつつ、この状況をどうやって打開するかを必死に考えた。

 本当は、事前に用意しておいた煙玉や閃光玉で上手いことやり過ごすつもりであった。しかし、相手が帝国正規軍となるとそう簡単にいくかどうか怪しいものだ。煙玉はともかく、閃光玉はあのヘルメット相手に効果は薄いだろう。そうなると、彼女は訓練を受けた帝国軍兵士8人と、恐らくはBランク以上の傭兵3人を纏めて相手にしなくてはならない。

 ちょっとどころかかなり厳しい状況に、サフィーアは冷や汗を流した。降伏など有り得ないし、したとしてもその後の結末は抵抗して捕まった後とそう大差無いであろう。あの口振りからすると、嬲り者にされることは確実だ。

 

 ならば選択肢は二つ。この場の全員を叩きのめすか、或いは上手いこと逃げおおせるか、だ。彼女個人としては、こう言う女を舐めてかかっている連中を相手にするなら前者を選択したい。是非とも全員ぶちのめして鼻を明かしてやりたいが、ここは後者を選ぶのが懸命か。幸い煙玉は有用だろうし、いざとなればウォールの障壁もある。へまをしなければ何とかなるだろう。

 思考する間にも傭兵3人と帝国兵達は徐々に彼女を包囲しつつ距離を詰めてくる。サフィーアはそれを油断なく見据えながら、左肩から伸びる肩マントの下でこっそりと煙玉を掴んでいた。ハイテクはアナログに弱い。いくら高性能のカメラと言えども、単純な煙幕を前にしては手も足も出まい。

 

 男達の包囲が完了する直前、タイミングを見計らって左手に握った煙玉を地面に叩き付けようと腕に力を込めた。

 その時だ。

 

「…………ん?」

 

 突然サフィーアが明後日の方向を向いた。まるで何かに気付いたような、そんな感じだ。

 彼女のその様子を見て周囲の者達は絶好の隙と見て取ったのだろう。グリフとウィンディが彼女に向け同時に飛び掛かり…………

 

 突然横合いから1人の女性が飛び出してきた。




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第7話:鮮血の瞳

読んでくださった方達に最大限の感謝を。


 1対11と言うかなり厳しい状況での戦いにサフィーアが覚悟を決めて挑もうとしたその時、あらぬ方向から女性がサフィーアと傭兵二人の間に飛び出してきた。

 

「たぁッ!」

「な、グッ?!」

「ゲハッ?!」

 

 予想外の出現をした女性は剣士二人と向き合うと、グローブを付けた拳で二人を殴り飛ばした。目にも止まらない鋭い拳は寸分違わず彼らの顔面を捉え、一撃で昏倒させてしまう。

 女性は彼らを殴り倒すと、サフィーアを守る様に立ち塞がり帝国兵達と対峙した。

 

「え?」

 

 突然の事に一瞬唖然となるが、状況はすぐに理解できた。援軍である。全く予期していなかったが、何故か彼女に味方が現れたのだ。

 しかもその増援にサフィーアは見覚えがあった。クレアだ。やはりと言うか、彼女は傭兵で闘士だったらしい。それもかなりの腕前の、だ。

 彼女は一瞬サフィーアの方を見て小さく笑みを浮かべると、次の瞬間にはバート達に鋭い視線を向けた。

 

「な、何だお前はッ!?」

「あんた達ね、ここ最近消えた傭兵と最後に一緒に行動してたって三人組はッ!」

「何ッ!?」

「やり過ぎたわね。捜査依頼がギルドから出てたわ。ここまで来るのに苦労したんだから、大人しくお縄について貰うわよ!」

 

 どうやらクレアはサフィーアの援護を目的にして来たわけではなく、バート達をとっちめる為に来たらしい。とは言え援軍は援軍だ。有り難いことに代わりはない。

 

「依頼中にメンバーに欠員が出るのは傭兵にはよくある事だから、依頼に連れ出して攫うってのは考えた方ね。そこんところは褒めてあげるわ」

「ぐ、ぬぅ――――ッ!?」

「ただし、ギルドの受付嬢を甘く見すぎよ。彼女達は不審なあんた達をばっちりマークしてたから」

「ぐぐぐ…………ッ!?」

 

 狼狽して唸ることしかできないバートを見据えながら、クレアは構えを取った。同時にマギ・コートで全身を強化したのだろう、迸る魔力が彼女のスカートの裾をたなびかせる。

 

「くそ、やれ!?」

 

 彼女が戦闘態勢に入ったのを見て、バートと兵士達が一斉に引き金を引いた。9つの銃口から吐き出される銃弾を防ぐべく、サフィーアは咄嗟にウォールを抱き上げマントを広げて体を守った。

 一方、クレアの方はと言うと、迫る銃弾を見切って避けるかグローブに付いた装甲で弾き飛ばした。それどころか、ただ弾くだけでなく相手に弾き返して反撃までしてみせた。

 

「ガッ?!」

「チィッ!?」

 

 弾き返された銃弾に帝国兵の一人が倒れ、それを見たバートは思わず舌打ちをする。今ので確信した、彼女はAランクの傭兵だ。

 

 何も知らない者は、闘士を剣士の下位互換的存在と認識している。人間が相手ならともかく、モンスターを拳一つで倒すのは不可能に近かったからだ。

 しかし実際はそんなことは無く、闘士は剣士に引けを取らない活躍が期待できた。魔力による肉体強化は、闘士を剣士・銃士と同じ土俵に上がらせたからだ。勿論、全ての闘士が彼女と同じことが出来る訳ではない。飽く迄も理論上は出来ると言うだけで、実際に行うには豊富な経験によって裏付けられた確かな実力が必要だった。

 そしてそれを事も無げに実行できた、彼女の実力はただのベテランレベルでは済まされない。

 

「フフン!」

「す、凄いッ!?」

 

 弾丸返しを行ってみせたクレアは得意気に笑い、サフィーアはそんな彼女に驚愕と尊敬の眼差しを送った。飛んでくる弾丸を防ぐ為に弾く事はサフィーアも一応出来るが、彼女の様に弾いて返すことは出来た例がなかったのだ。

 

 一方の帝国兵達は、彼女に普通の銃撃が通用しないと見るや戦い方を変えてきた。ライフルに銃剣を付けて接近戦を挑みに掛かったのだ。曲がりなりにも正規の訓練を受けた兵隊達だ、その瞬時の切り替えや動きは流石と言えよう。

 しかし、今回は相手が悪かった。

 

「甘いッ!!」

 

 クレアは向かってくる帝国兵達に向けて、拳を握り締め突撃する。あっという間に両者の距離は縮まり、彼女に一番近い位置に居た三人の兵士が銃剣を付けたライフルで斬り掛かった。刺突、袈裟斬り、唐竹に振るわれる3つの斬撃が襲い掛かる。

 それらの斬撃をクレアは捌き、防ぎ、躱して逆に正拳突き、手刀、回し蹴りで反撃した。

 

「グオッ?!」

「ギャッ?!」

「ガフッ?!」

 

 瞬く間に三人が倒されたが、帝国兵は怯まず突撃する。しかもその攻撃は、彼女だけでなくサフィーアにまで向かった。

 

「そりゃ、見逃しちゃくれないわよねッ!!」

 

 彼女にも三人の兵士が向かってくる。彼女に対しては銃剣だけでなく銃撃も行うらしく、一人は離れた位置から銃口を向けている。

 

「舐めんなッ!」

 

 サフィーアは向かってくる二人の兵士を迎え撃つ。兵士達の銃剣による斬撃に彼女も手にした剣で対応する。二対一という状況であることもそうだが、流石は正規の訓練を受けた軍人だけあって一筋縄ではいかず、サフィーアは防戦一方であった。

 その防戦の最中、彼女に向けて離れたところに居る兵士からの銃撃が襲い掛かった。前衛の兵士二人を相手に必死になっているのを見て好機と見たのだろうが、彼女はその銃弾を剣で弾いた。

 

「な、くそッ!?」

 

 その後も何度か前衛が攻める合間を縫って援護射撃が行われるが、サフィーアにはまるで通用しない。

 と、ここでサフィーアは前衛の兵士二人から距離を取った。後方に飛び退いて離れた場所に移動した彼女に前衛の兵士二人は銃剣を構えて突撃する。

 

「そらぁっ!」

 

 彼女はその二人に向けてその場で回し蹴りを放った。その距離はどう見てもやや遠い。普通に考えればそこからでは届くことは無く、無様に足を振り回すだけで終わる未来しか見えない。

 ところが次の瞬間、彼女が蹴りを放つとそれに合わせて突風――と言うより暴風が放たれ、二人の兵士を木に思いっきり叩き付けた。

 

「ッ!? 風属性の魔法かッ!!」

 

 離れたところから銃口を向けていた兵士は今し方サフィーアが何をしたのかすぐに見抜いた。

 今の時代、属性魔法も決して珍しいものではない。『エレメタル』と言う特殊な鉱石さえあれば、魔力の扱いを知る者なら誰でも属性魔法を操る事が出来るのだ。事実、サフィーアの右脚のレガースには一番上の所に装飾の一部になるように青い宝石の様な見た目の風属性のエレメタルが装着されていた。

 

 離れていた兵士はサフィーアに対抗してか手を突き出すとそこから魔法で生み出した火球を放った。凝縮された業火が、サフィーアを丸焦げにせんと突き進む。

 サフィーアはその火球を、苦も無く肩マントで防ぎきってしまった。

 

「何ッ!?」

「飾りじゃないのよ。このマントはねッ!」

 

 サフィーアの言う通り、そのマントはただのマントではない。100年近くを生きたドラゴンの皮を鞣して作り上げた特注品だ。彼女が“師匠”から卒業記念に譲り受けた、年季の入った逸品である。

 ドラゴンは生きた年月が長ければ長いほどその能力も高くなる。特に100年以上生き続けたドラゴンの強さはそれ以下の年月を生きたそれとは一線を画しており、その素材も当然尋常ではない性能を発揮する。今彼女が身に付けているマントは、ただの銃弾は勿論生半可な魔法なら魔力を通して強化しなくても防ぎきれるだけの性能を持っていた。

 サフィーアの言う通り、飾りで着けている訳ではないのだ。

 

 そして防御だけでは終わらない。サフィーアは遂に、今まで使用していなかった剣の引き金を引いた。ハンマーが薬室内の弾丸の雷管に当たる部分を叩く。

 瞬間、青白い魔力の火花が飛び散と同時に薬莢が排出され、刀身が青白く発光する。

 

「はぁぁぁぁ…………」

「させるかッ!!」

 

 明らかに大技を放つつもりで溜めるのを見て、それを阻止せんと帝国兵は右手に持ったアサルトライフルのストックを脇に抱えて引き金を引き、左手からは再び炎属性の魔法による火球を放った。その射線上にウォールが入ってくる。ウォールは飛んでくる銃弾と火球を見据えると――――

 

「くぅんッ!!」

 

 額の宝石を煌めかせ、サフィーアと帝国兵の間に光の障壁を張った。障壁に当たった銃弾は敢え無く弾かれ、火球も阻まれてサフィーアまで届くことは無かった。

 

「ナイスよウォールッ! ハァッ!!」

 

 攻撃を完全に防がれたことで一瞬隙を晒した帝国兵に、サフィーアは上段から剣を振り下ろした。直前に障壁を解除して横に飛んだウォールが居た場所に剣が叩き付けられると、そこから衝撃が地面を伝って帝国兵に向けて一直線に奔った。地面を割きながら走る衝撃を前に帝国兵は果敢にも逃げずに攻撃を続けるが、衝撃が銃弾と火球を弾き飛ばしそのまま帝国兵も吹き飛ばした。

 

「ぐあぁぁぁぁっ?!」

 

 衝撃に吹き飛ばされた帝国兵は受け身も取れず地面に叩き付けられ、そのまま意識を手放したのか動かなくなってしまった。

 三人の帝国兵を倒したサフィーアは、残心を忘れず警戒しながらもクレアの方の戦いに目を向ける。

 そこではちょうど彼女の方も残った帝国兵を倒すところだった。

 

「ハッ!!」

 

 クレアが気合と共に両手を突き出すと、そこから火球が放たれ帝国兵に直撃した。

 

「ぎゃぁぁっ?!」

 

 火球の直撃を喰らった帝国兵は絶叫を上げながら吹き飛ばされた。彼女の火属性魔法の威力はそこそこ高かったのか、火球は帝国兵を吹き飛ばすだけに留まらず身に纏っていた装甲服も粉砕してしまう。今ので帝国兵は全て倒された。

 これで残るは――――

 

「ぐ、くぅ――ッ!?」

 

 銃士の傭兵、バートただ一人。

 

「さて、大人しくしてもらおうかしら?」

「立場逆転ね。ま、災難だったと諦めなさい」

「くぅんッ!」

 

 サフィーア、ウォール、クレアが徐々にバートと距離を詰めていく。彼が周囲に目を向けるが、彼の仲間は全員倒れている。帝国兵も全滅しているので、完全に孤立無援状態だ。

 

「畜生ッ!?」

 

 これ以上の抵抗は無意味と悟った彼は、踵を返して森の奥へ逃げようとした。ライフルも手放しているあたり、本気で逃げに徹しようとしているらしい。

 背を向けて闇夜の中に消えようとするバートをサフィーア達は追い掛ける。元より彼は本来グリーンラインに居る筈の無い完全武装の帝国兵と大きく関わっているのだ。逃がす訳にはいかない。絶対にとっ捕まえて、イートの街の警備に引き渡す。

 

「グゥッ?!」

「ん?」

 

 その時、逃げようとしていたバートが苦悶の声と共に突然立ち止まった。その様子に異変を感じたサフィーア達が足を止めると、彼はゆっくりと振り返った。

 

「うッ!?…………何?」

 

 彼が振り返った瞬間、サフィーアは全身を震わせ自分の体を抱きしめた。みるみる顔色が青くなり、吐き気を催したのか慌てて左手で口を押えた。彼女の異変にウォールが肩に飛び乗り、心配するように頬を舐めている。

 一方クレアもバートを凝視していた。正確には、彼の額を凝視していた。何しろそこには、つい先程までは絶対無かったものが付いているのだ。

 

「赤い、目玉?」

 

 それは、深紅の目玉だった。瞳も白目も全て赤い、正しく異形の眼球が彼の額に張り付いていた。まるで眼球が根を張る様に、額や頬に血管が伸びている。

 

「Bugururu、Gurururu…………」

 

 彼の口から、人のものとは思えない唸り声が上がる。本来の彼の目には正気の色は無く、狂気と破壊衝動以外感じられなかった。

 

「気を、付けてください。あれ、普通じゃないです」

「見れば分かるわ。って言うか、貴女こそ大丈夫なの?」

「な、何とか。もう落ち着きましたから」

 

 そう返すサフィーアの顔はまだ青さが残るが、吐き気は引いたのか呼吸は安定している。両手でしっかり剣の柄を握っている様子からは頼りなさを感じない。

 クレアは彼女の様子に頷き、構えを取るとバート“だったもの”と相対した。サフィーアも剣を構え、いつでも迎え撃てるようにする。

 

「あれ、何だか分かる?」

「『サード』に見えますけど、正直自信無いです」

「そうよね、私もよ。でも呼び名が無いのは不便だから、とりあえず『レッド・サード』とでも呼んどきましょうか」

「|深紅の三つ目(レッド・サード)ですか、分かり易くていいですね。嫌いじゃないですよ、そう言うの」

 

 二人はお互いに顔を見合わせ一瞬笑みを浮かべ、すぐにそれを引っ込めた。見た目以外完全に別物となったレッド・サードが今にも飛び掛からんと身構えているのだ。

 睨み合うサフィーア達とレッド・サード、まず最初に仕掛けたのはレッド・サードの方だった。徐に額の眼球に魔力を集束させると赤い閃光を放った。

 

「くぅんッ!」

 

 クレアに向けて放たれた閃光を、前に出たウォールが障壁で防いだ。かなりの威力があったのかウォールは足を踏ん張っていたが、それでも防ぎきることには成功する。

 その隙をついて、サフィーアとクレアは同時に飛び掛かった。

 

「狙うはあの目よ!」

「了解ッ!」

 

 二人は拳と剣を相手の額の目に向けて振り下ろす。ほぼ同時に繰り出されたそれを、レッドサードはマギ・コートで強化した腕で防いでしまった。普通の人間の魔力とは異なる、赤い魔力光を纏った腕がクレアの拳とサフィーアの剣を受け止める。それと同時に額の瞳が再び怪しい光を宿した。

 それを見た瞬間のサフィーアの判断は早かった。

 

「クレアさん、あたしの後ろにッ! ウォールは倒れてる連中を守ってッ!」

 

 サフィーアはクレアを庇いながら後退し、同時にウォールに指示を出す。その際、マントを正面に広げマギ・コートで強化するのを忘れない。マギ・コートは肉体だけでなく、衣服等も強化できるのだ。

 その強化されたマントに、彼の放った閃光が直撃した。二人を同時に消し飛ばすつもりだったのか、先程と異なり閃光は右から左に薙ぎ払われた。直撃を喰らえば胴体が真っ二つになっていただろう閃光だったが、マギ・コートで強化されたマントは閃光を見事に弾いてみせた。

 

 薙ぎ払われた閃光は彼女達だけでなく後ろにも被害を及ぼすので、放っておけば倒れている帝国兵達も危険なのだがその為にサフィーアはウォールを向かわせていた。ウォールは可能な限り横に広く障壁を張り、閃光の被害から帝国兵やウィンディ達を守ったのだ。

 

「へぇ、良いマントじゃないッ!」

「特注品だそうですからね。読みが当たって良かった」

 

 目玉が額に埋め込まれず露出している形状を見たサフィーアは、あの閃光はかなり広範囲に撃つ事が出来ると踏んでいたのだがどうやら当たったらしい。あと一瞬判断が遅れていたらクレアか後ろで倒れている誰かがやられていただろう。そう考えるとサフィーアはゾッとした。

 

「Gijaaaa!!」

 

 一方のレッドサードの方は正しく獣の様な声を上げると、マギ・コートで強化した両腕を振り上げて飛び掛かってきた。よく見ると、手が変異しているのか指先に鋭利な爪が伸びている。強化された上にあんなものが生えた手で攻撃されようものなら、こちらがマギ・コートで強化していてもただでは済まないだろう。

 それに対して、サフィーアの後ろから飛び出したクレアは怯まず相手に接近し格闘戦を仕掛けた。一撃で地面をも抉る程のパワーを持つ相手の一撃を、彼女は流れるような動きで受け流していく。

 

「たぁぁりゃぁぁぁぁッ!」

 

 攻撃を受け流されて無防備を晒した相手の懐に、クレアは容赦なく強力な連打を叩き込んだ。ただの拳ではなく、炎属性の魔力で強化された拳だ。次々に叩き込まれる炎を纏った拳は、相手を空中に浮かび上がらせる。

 しかしやはりこいつは普通の相手ではなかった。連打を受けながらもそいつは一瞬の隙をついてクレアの両手をそれぞれ片手で受け止めてしまったのだ。

 

「あっ!?」

「Gururu…………」

 

 クレアの両手を掴んだレッドサードは、両腕を左右の斜め上に向けて大きく広げた。合わせて引っ張られた彼女の両腕から、ミシミシと嫌な音が響く。

 

「ぐぅ、あぁっ!?」

 

 苦悶に表情を歪めるクレアを前にして、レッドサードは額の眼球に魔力を集束させた。あの閃光をこの至近距離から放つつもりだ。両腕を拘束されている以上、彼女はこれを回避することは勿論、防ぐことすら叶わない。

 

「はぁぁぁぁッ!」

 

 絶体絶命、その言葉が過った瞬間、サフィーアの声がレッドサードの背後から響いた。クレアが注意を引き付けている間に後ろに回り込んだサフィーアが、剣を構えて飛び掛かるところだった。このまま行けば、反撃を受けることなく無防備な背後を突ける。

 しかしレッドサードには常識が通じなかった。背後から迫る彼女の存在に気付いたそいつは、なんと体を正面に向けたまま首だけを真後ろに向けたのだ。人体の構造を完全に無視した動きに、首から骨がへし折れる嫌な音が響く。

 

「なっ!?」

 

 見れば、先程までは頬まで延びていた目玉からの血管が気付けば首の下や両手の先にまで伸びている。やはり本体はあの目玉、それ以外がどうなろうと問題ないらしい。

 レッドサードはそのまま背後にいるサフィーアに向けて閃光を放つ。相手は変わったがそれでも至近距離、しかも彼女は攻撃動作に入っている。このタイミングでは回避することもマントで防御することも出来ない。

 

「舐める、なぁぁぁッ!」

 

 額の眼球が赤く煌めき閃光を放つ、その直前にサフィーアは引き金を引き閃光に向けて振り下ろした。刹那、青白い魔力光を放つ刀身が深紅の閃光を真正面から切り裂いた。

 

「Gii!?」

 

 意外な事に、レッドサードにもまだ驚愕するだけの感情があったらしい。自慢の閃光を目の前で切り裂かれ、剝き出しの赤い眼球の瞳孔が大きく開く。

 その隙を見逃さず、サフィーアは再び引き金を引きレッドサードを袈裟懸けに切り裂かんと剣を振り上げる。振り下ろす直前、彼女は一瞬だけレッドサードの赤い瞳を強く睨み付け――――

 

「ハァァァァァッ!!」

 

 相手の体を左肩から右脇に掛けて大きく切り裂いた。魔力を纏った剣、マギ・バースト状態の剣での一撃はレッドサードの体を右胸から上と左胸から下に両断してしまう。その際に手の力が緩んだのか、クレアは拘束から抜け出した。

 

「Oaaaa――――?!」

 

 レッドサードは断末魔の叫びを上げ、体を両断されながらその場に崩れ落ちた。恐ろしいことに、それでも直ぐには死なず右胸から上の方がもがく様に動いていた。途中何度か赤い眼球が魔力の光を宿すが、閃光が放たれることなく光は空しく散っていった。流石に宿っている肉体の方が限界以上に損傷すると本体の眼球の行動も著しく制限されるらしい。

 とその時、深紅の眼球が真上を見上げた時、その視界にクレアの姿が映った。右拳に炎を纏い、今正に振り下ろされんとした拳を掲げた状態で。

 

「これで、終わりッ!!」

 

 振り下ろされる拳に向けてレッドサードが最期の悪あがきに閃光を放つが、先程とは比べるべくもない威力のそれが彼女の拳を止めること叶わず。

 謎の深紅の眼球はクレアの振り下ろした炎の拳に焼かれながら叩き潰されたのだった。




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第8話:サフィーア、吼える

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読んでくださった方達に最大限の感謝を。


 サフィーアは、クレアがレッドサードに叩き落とした拳を引き抜く様を眺めていた。レッドサードの赤い眼球はクレアの炎を纏った拳にバートの頭毎叩き潰されて見るも無残な有様だ。流石に本体の赤い眼球を潰されては一溜りもなかったのか、再び動き出す様子は無かった。

 目の前の脅威が消え去り、ホッと息を吐き肩の力を少し抜くサフィーア。

 

 その彼女に向けて、クレアの拳が飛んだ。

 

「ちょ、なっ!?」

 

 突然の攻撃だったが、サフィーアはぎりぎりで反応し剣の腹で受け止めることに成功する。防御が間に合ったのはある意味奇跡だっただろう。そう思うほどに今の拳は鋭かった。あと一瞬反応が遅れていたら、顔面を殴り飛ばされていたかもしれない。

 

「い、いきなり何するんですかッ!?」

「…………ふ~ん」

 

 突然の事に当然サフィーアが抗議するが、対するクレアは彼女の抗議を物ともせず構えを解いた。そんな彼女にサフィーアは首を傾げる。

 

「あ、あの?」

「油断大敵、よ。安心するのはまだ早いわ」

「え?」

 

 漸くクレアの口から出てきたのは、サフィーアに対する叱責の言葉だった。その言葉の意味が今一理解できずに頭の上にハテナマークを浮かべる彼女に、クレアは言葉を続けた。

 

「この赤い眼球はこいつが自分でつけたものじゃないわ。逃げようとする彼に誰かが引っ付けたのよ。私達に気付かれずに、ね。そうでなければ逃げる必要なんてない筈だもの」

「あっ!?」

 

 そこまで言われてサフィーアもやっと今はまだ危機が去っていないと言う事を理解した。即座に背後を振り返り、剣を構えながら倒れている傭兵2人と帝国兵達に歩み寄る。もしバートをレッドサードに変異させた下手人が近くに居るのなら、そして赤い眼球を他にも用意しているのなら、再びレッドサードが現れるかもしれない。

 

 結果としてその心配は杞憂に終わった。尤も、実際の結果も手放しに安心できるものではなかったが。

 

「そ、そんな…………何時の間に?」

「口封じね。やられたわ」

 

 倒した男たちは全員が死んでいた。首を鋭利な刃物で切り裂かれて、だ。レッドサードの相手をしていたサフィーアとクレアは勿論、彼らを守る事に重きを置いていたウォールでさえその存在に気付かなかった。それは即ち、下手人は相当な手練れだと言う事を示していた。

 サフィーアは意識を集中させ周囲を警戒する。しかし、下手人の存在には全く気付けない。それは相手が巧い具合に隠れているからではなく、既にこの場を立ち去っているからであることをクレアは見抜いていた。

 

「もうこの近くには居ないわね。居たら確実に何らかのアクションを起こしてる筈だもの」

 

 ここまでの事をする相手だ。関係者は皆殺しくらいの事はしてもおかしくない。少なくとも、未熟感バリバリのサフィーアに対しては何らかの行動を起こす筈である。にも拘らず何の異変も起こらないと言う事は、即ちこの場に居るのはサフィーアとクレアの2人だけと言う事だ。

 

「そう、みたいですね。くっそぉ…………はぁ」

 

 サフィーアは落胆の溜め息をついた。この戦い、勝者は気付かれることなくこの場を立ち去った下手人だろう。何が本当の目的だったのかは分からないが、やりたい事だけをやり遂げまんまと逃げおおせてしまった。そこに彼女達は全く干渉していない。下手人にとっては、彼女たちなど相手にもならないと言う事だろうか。

 自身の力が全く及んでいないことに、サフィーアは気付かない内に拳を握り締めていた。グローブを嵌めていなければ、爪が掌に食い込んでいただろう。

 

「くぅん…………」

 

 悔しさに拳を握り締めるサフィーアを、ウォールが申し訳なさそうに見上げる。守るように言われておきながら守り切る事が出来なかったことに、彼も責任を感じているらしい。

 そんなウォールをサフィーアは抱き上げ優しく撫でた。

 

「ウォールの所為じゃないわ。寧ろウォールがまとめて殺されたりしなくて良かった」

「そうそう、いじいじしてても仕方ないわよ。貴女もね」

 

 ウォールを慰めながらも自身は落ち込んだ様子を見せるサフィーアに向け、クレアは明るい声でそう言うと徐に彼女の頬を両方とも抓った。口角が引っ張られ口が強制的に笑みの形にさせられる。

 

「ふにっ?! く、クレアひゃん?」

「うんうん、やっぱり女の子は笑顔でなくちゃ! 落ち込んだ顔よりずっと似合ってるわよ」

 

 クレアはそう言って笑みを浮かべると、サフィーアの頬から手を放して彼女を解放した。そんなに強い力で引っ張られたわけではなかったので痛くは無かったが、無理やり引っ張られたことで彼女の頬は少し赤く染まってしまっていた。

 

「あの、クレアさんは何ともないんですか?」

「何ともなくは無いんだけどね。ただ、ここで悩んだってしょうがないじゃない」

 

 クレアは快活な笑みを浮かべながらそう言った。

 

「出し抜かれたことは気に食わないけど、それはそれでしょうがない。命があれば次がある。次には次のチャンスがあるんだから、反省はしても落ち込むな、よ」

「クレアさん…………うん」

 

 サフィーアはクレアの言葉に何かを感じ取ったのか、小さく頷くとウォールをその場に下した。そして徐にその場で大きく息を吸い込み始めた。限界近くまで肺に空気を入れ、もうこれ以上入らないところまで来たところで止める。

 そして…………

 

「わあああぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 腹の底から森中に響き渡るのではないかと言うほどの大声を上げた。突然の事にウォールは小さく飛び上がるほど驚き、クレアも目を丸くしている。

 唖然とする1人と1匹を余所に、サフィーアは今度は肺の中の空気を全て吐き出さん勢いで叫び続けた。

 

「あああぁぁぁぁ――――ケホッ、ケホッ。うぅぅ…………よしっ!」

 

 一息で叫び続け、肺の中の空気を殆ど吐き出しきって咽たところで叫びは止まった。肺の中を空にし過ぎて少し気分が悪くなったのか胸元を押えて呻いていたが、数秒で回復すると今度は勢いよく顔を上げ拳を突き上げて勇ましい声を上げた。

 

「クレアさんの言う通り! うじうじしてるなんてあたしらしくなかったわ」

 

 吠えるサフィーアの表情には、最早先程までの沈んだ様子は見られない。あるのは溢れんばかりの闘志に満ちていた。

 

「何処のどいつか知らないし聞いてる訳もないけど、覚えてないさいよッ!! 次があったら絶対好きにさせないんだからッ!!」

 

 姿の見えない下手人に向けての宣戦布告。

 その姿にウォールはやれやれと言いたげに溜め息をつき、クレアは面白そうにサフィーアの事を眺めていた。

 

 

***

 

 

 その頃、森の中を1人の男が歩いていた。燕尾服姿で、どう考えても森の中を移動するには適さない格好をしている。どう考えても普通の人間ではなかった。

 

「『スレイブ』があっさりやられた、か。まぁ良い、一応データにはなった」

 

 よく見ると、その男は肩から大きなカバンを提げていた。男がカバンを開けると、中にはいくつもの瓶が入っている。灯りが無いので暗くて中は見えないが、水が揺れる音から察するに瓶の中身は液体らしい。

 男は徐に瓶の一つを取り出す。それと同時に、森の切れ目に出て月明かりが男と瓶を照らした。おかげで、僅かにだが瓶の中身が分かるようになった。

 瓶の中身は案の定液体だった。赤茶色で粘性があるのか、水より少し動きが粘っこい。

 だがそれだけではなかった。液体の中に何かが浮いている。球体とそこから触手の様なものが伸びた、何か…………

 

「それにしても、あの剣士の女。あいつはもしかして…………」

 

 男は先程のサフィーア達の戦いを見ていたらしい。サフィーアに何か引っ掛かることがあるのか、瓶をカバンの中に戻し歩き続けながら顎に手を当てて考え込んだ。因みに周囲は再び森の木によって月明かりが閉ざされ夜闇に包まれている。そんな状態であるにも関わらず男は、灯りも無しに木の根に足を取られたりすることなく歩き続けていた。

 

 その男を、暗闇の奥から見続けているものがいた。サフィーアが戦ったアジャイルリザードに非常によく似ているが、体色があれよりも濃い。そして何より、前足の爪と牙があちらよりも大きくて鋭い。これはアジャイルリザードの特異個体の一つで、群れで動かない代わりに単体での戦闘力が高い攻撃特化個体だ。

 攻撃特化個体は、男に背後からゆっくりと近付いていく。そして不意に男が足を止めた瞬間一気に駆け出し――――

 

「…………まぁいいさ。計画に支障はない」

 

 突如としてその動きが止まった。まるでそこだけ時が止まったかのように、空中で男に襲い掛かろうとしたまま固まった。と思っていたら、次の瞬間一瞬で細切れの肉片と化してしまった。何かに切り刻まれたかの様に、全身隈なく切り裂かれ森の中を部分的に赤く染め上げた。

 だが、男は自分の近くでそんな事が起こったにも関わらず全く気にした様子を見せず森の中を歩き去っていった。

 

 後には、弾けたように血と肉片をまき散らせた攻撃特化個体のアジャイルリザードの死骸だけが残されるのだった。




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第9話:結果報告

読んでくださる方達に最大限の感謝を。


 翌日、サフィーアとクレアの2人は何事もなくイートに戻る事が出来た。その際、サフィーアが移動に使った車の荷台には帝国兵8人と傭兵3人の遺体を乗せている。昨夜の一件を警備兵とギルドに報告する為だ。

 

 昨夜は大変だった。戦闘を終え、疲労した2人に待っていたのは死体の処分である。幾ら傭兵生活の中で死体の存在そのものには慣れているとは言っても、死体の山の中で眠れるほどサフィーアもクレアも神経図太くはない。更に言うと血の匂いが夜行性のモンスターを引き寄せるかもしれないので、その対策もしなくてはならないのだ。

 激しい戦闘の後と言うこともあって本当は一眠りしたかったのだが、そう言う訳にもいかず徹夜で作業をする羽目になる。で、結局昨夜は一睡もする事が出来ず、気付けば朝になっていた。朝日が上った瞬間、2人は全てを諦めサフィーアがレンタルした車に遺体を全て乗せ、クレアのレンタルしたバイクの先導で街まで戻ったのだ。

 

「ふぁ、あふぅ…………流石に眠いわぁ」

「頑張れぇ、あとはギルドに報告するだけだから。そしたらお互い宿に戻って、一眠りしましょ」

 

 サフィーアがレンタルしていた車は、遺体ごと警備兵に預けてある。あとはこの国の政府の仕事だ。2人がするべき事は、今回の一件をギルドに報告するだけである。一応クレアは依頼を受けているので、それで報酬も発生する。サフィーアは参考人としてそれに同行することになっていた。

 

 ギルドに到着すると、暫く待たされた後でナタリアに案内されて奥の応接室に通された。あまりに待ち時間が長かったので、サフィーアは勿論クレアもベンチの上で半分眠りかけてしまっていた。

 2人が部屋に入ると、ソファーには既に1人の男性が座っていた。サフィーアはそれが誰なのか分からず首を傾げていたが、クレアは相手の事をある程度知っていたのか身形と姿勢を正した。

 そんな正反対な反応を見せる2人に対し、男性は席を立つと会釈しながら自己紹介した。

 

「突然お呼びして、申し訳ありません。私はこの街の警備部隊隊長を務めております。ラドルと申します。宜しく」

「ご丁寧にどうも。私はクレア・ヴァレンシアと言います。Aランクの傭兵です」

「あ、私はサフィーア・マッケンジーです。ランクB-の傭兵です」

 

 ラドルの自己紹介に流れる様に返したクレアと、それを見て慌てて自分も自己紹介を返すサフィーア。

 お互いが自己紹介を終えるとラドルは2人を向かいのソファーに座るよう促した。サフィーアとクレアは促されるままにソファーに腰掛けると、何時の間にかナタリアが淹れてくれていた茶で喉を潤した。サフィーアもクレアも、朝に軽く携帯食料と水を口にしただけでそれ以降は何も腹に入れていなかったのだ。

 そんな2人の様子を眺めつつ、ラドルは早速本題に入った。

 

「本日貴女方にご足労頂いたのは他でもありません。昨夜の事について詳しくお訊ねしたいのです」

「昨夜? それって、バート達の事ですか?」

「えぇ。是非とも、聞かせて頂きたいのです」

 

 別に隠す事でもないので、2人は素直に昨夜の出来事を話していく。サフィーアがバート達とどういった経緯で出会ったのか。クレアがどういった経緯で彼らを追う事になったのか。そして、帝国兵の登場と2人の共闘と――――

 

「赤い目玉?」

「としか、言いようがないんですよ。ね、クレアさん?」

「えぇ。誰かがバート……だったわよね? の額に、赤い目玉を貼り付けたみたいなんです」

「すると、その男が赤い目玉に肉体も精神も浸食され、凶暴化したと」

 

 話を聞いたラドルは腕を組み、難しい顔になった。それも仕方がない。人間をモンスター化させる赤い目玉など、これまで確認されたことが無いのだ。俄かには信じがたいのだろう。サフィーア自身、自分が体験したのではなく他人から聞いた話だとしたら、直ぐに信じる事は出来なかったと思っている。

 暫く口をへの字に曲げながら考え込んでいたラドルだが、彼は徐に顔を上げると2人に頭を下げてきた。

 

「お話、ありがとうございました」

「いえ、大して役に立つ話も出来なかったわけですし、そんな……」

「そうでもありませんよ。帝国軍とどれだけ関係あるのかは分かりませんが、何らかの形で関係しているだろうその赤い目玉と手練れの『アサシン』の存在が分かっただけでも収穫です。ありがとうございました」

 

 大して役に立つことも出来なかったと言うサフィーアに対し、ラドルは再度頭を下げ感謝の言葉を口にした。それを無碍にするのは彼に対し失礼なので、サフィーアは大人しくその感謝を受け取る。

 

「今回の事に関しては、ギルドを通して街の方からも謝礼をさせていただきます」

 

 ラドルの言葉にサフィーアは恐縮して、クレアは気負った様子もなく頭を下げた。サフィーアとしては、実はただ働きだったのが思わぬ方向に進み報酬を得られるとなって喜びたい反面、大した事をした訳でもないのに報酬を得られる事にやや戸惑いを感じてしまったのだ。対するクレアの方は、貰える物はとりあえず貰ってしまおうというある意味において傭兵らしい割り切った考えによるものか。

 

 話が纏まったところでサフィーアとクレアの2人は席を立ち、部屋を出ていった。ナタリアも部屋から居なくなってしまった為、室内に残されたのはラドルただ1人。

 1人残って考え事をしているラドルだったが、不意に扉をノックする音に思考を中断して扉の向こうの相手に入室を許可した。

 

「はい、どうぞ」

 

 彼の許可に扉の向こうの相手はノブを回して扉を開いた。その先に居た相手を見た瞬間、ラドルはソファーから立ち上がり直立不動の姿勢で敬礼した。

 

「だ、ダグラス将軍ッ!? 失礼しましたッ!!」

 

 警備部隊は所詮警備部隊。仕事は街中の治安維持が主な目的で、携行できる武器も小火器に限られていた。当然それでは他国の軍隊や大型モンスターを相手にし切れない。

 そう言ったものとの相手を想定し組織されているのが、警備部隊の上位組織である守備軍であり、入って来た白髪混じりの口髭を生やした男性はその軍を指揮している将軍であった。

 慌てて敬礼するラドルに対し、ダグラスは軽く手を上げて応え楽な姿勢を取らせた。

 

「気にするな、突然押し掛けたのはこちらの方だ。それよりも、詳しい話を聞きたいのだが?」

「ハッ!!」

 

 ラドルはダグラスに先程サフィーア達に聞いた内容を話していく。終始黙って聞いていたダグラスだったが、やはり赤い目玉は興味を引かれる内容だったのかその部分に差し掛かると表情が若干険しくなった。

 話を聞き終えたダグラスは、話の内容を吟味するように顎の先を擦りながら唸り声を上げていた。

 

「帝国軍が傭兵と協力して人攫い、そして人間をモンスター化させる謎の赤い目玉…………か」

「どう思われますか? 自分は、正直困惑するばかりでして」

 

 申し訳なさそうに項垂れるラドルに対し、ダグラスは気にするなと告げる。そして、頭を上げたラドルに自身の考えを述べた。

 

「率直に考えて、帝国は今の世界の均衡を破るつもりなのだろうな」

「それはつまり、帝国軍が本格的にグリーンラインに侵攻するつもりと言う事でしょうか?」

「私はそう考えている」

 

 実際問題、ここ数年の間大人しかった帝国が最近になって急にグリーンラインの都市国家群に対して頻繁に挑発行動をとるようになったこと自体異常なのだ。そんなことをすればその先にある共和国を刺激することも、漁夫の利を狙う連邦から要らぬ横槍を入れられるだろうことも容易に想像できる筈だった。帝国の皇帝は代々野心的な者がなる場合が多いと言われているが、パワーバランスが均衡状態にある今それを無理に崩すのがどれほど愚かな行いであるかが分からない程の無能ではないだろう。

 にも拘らず、現実に帝国軍は奇妙な行動をとっている。それが意味しているのは、この均衡を崩しつつ自分たちが優位に立てる材料を何か手に入れただろうと言う事だ。

 

 ダグラスは赤い目玉がそれに関わっているだろうと考えていた。いや、関わっている所ではない。恐らく件の赤い目玉こそが、帝国軍にとっての切り札なのではないだろうか?

 

「その赤い目玉とやらだが、現物は無いのか?」

「はい。どうやら、止めを刺す際に叩き潰した上に焼き払ってしまったらしく」

「そう、か。それを調べる事が出来ればよかったのだが」

「将軍は、本当にその赤い目玉とやらが帝国軍の切り札であるとお考えなのですか?」

「うむ。まず間違いないだろう。これは推測に過ぎないが、今はまだ実験段階の様なものなのだろう。傭兵を攫うのは、その実験の一環だと思っている」

 

 そう言われると筋は通っているように見える。態々浮浪者の様な者ではなく傭兵を攫うのは、元の戦闘力が高い人間の方がより強いモンスター化を果たすからなのではないか? そして、最近になって帝国軍が活発に活動をするようになったのは、そもそもが人間をモンスター化させる事ができるその赤い目玉を手に入れる事が出来たからではないだろうか?

 未だ想像の域を出ていない話でしかないが、今ある情報を使って組み立てたにしてはよく出来た話のように思える。

 

 ダグラスは1人満足したように頷くと、ラドルを伴って席を立った。

 

「この一件は早々に首相にお伝えし、早急に対策を講じねばならんな」

「場合によっては、共和国の助力を?」

「そうすることも已むを得まい。強大な帝国軍を相手にするには、グリーンラインの戦力だけでは力不足だ」

 

 帝国は非常に強大な軍事力を有しており、その戦力はグリーンラインの都市国家群が徒党を組んで掛かっても勝つ見込みが無いほどの差があった。海を隔てた大陸に存在している連邦ですら、1対1では勝利できるか怪しい。現状帝国軍に唯一単独で対抗できるのは、グリーンラインを挟んで帝国の反対に位置する共和国軍のみだ。

 そこまで考えて、ダグラスはふと思いついた。

 

「他にも居るかもしれんな」

「は?」

「今回と同じように、不審な動きをする帝国軍と接触した傭兵だ。仮に先程の話が真実だとした場合、実験台を集める役割の者が件の傭兵達だけとは限らないだろう。同じように雇われて傭兵を狙う傭兵や、狙われた上で逃げ延びたり返り討ちにした傭兵も何処かに居る筈だ」

 

 ダグラスの言う通り、昨夜の件が赤い目玉を用いた実験の一環であるとするならば、より多くの実験体を確保する為に他の場所でも同じことが行われている可能性がある。その中にはサフィーアと同じように攫われそうになった上で逃げ延びたり、撃退したり返り討ちにした傭兵もきっと居る筈だ。

 その傭兵達と接触する事が出来れば、より多くの情報を得る事が出来るかもしれない。

 ダグラスは軍本部に戻る最中、部下に通信機でギルドや周辺のグリーンラインの都市国家に連絡を取り次ぐ様指示を出すのだった。

 

 

***

 

 

 ギルドで諸々の手続きを終えた後、サフィーアとクレアは別れてお互いの宿泊している宿に戻った。

 部屋に辿り着くなり、サフィーアは早々にベッドに倒れ込んでそのまま眠ってしまった。考えてみたら前日は午前中からウォールを追い掛けて街中を走り回り、午後はアジャイルリザードの討伐。夜はクレアと共に傭兵3人と帝国兵、更にはレッドサードとの戦闘を行い、更にはそのまま一睡もせずに11人の死体を街まで乗せて帰ったのだ。いい加減体が休息を求めている。

 

 その後彼女が目を覚ましたのは数時間後、もうすぐ夕方に入るかと言う頃だった。

 とりあえず食堂で軽く腹ごしらえを済ますと、剣の整備をしたりして時間を過ごした。流石に今日はもう依頼を受ける気になれない。一応収入はあったのだし、偶にはだらだら過ごすのも悪くはないだろう。四六時中気を張り詰めていたら参ってしまう。

 そうこうしていると夜になり、夕食を済ませシャワーも浴び、さて寝ようかと思ったのだが…………

 

「…………寝れない」

 

 全く眠気がやって来ない。流石に事実上一日に二回寝るのは厳しかったようだ。目を瞑っても全く眠気がやってこなかった。

 このまま眠気が来るまで粘ろうかとも思ったが、気付けば眠る気そのものが失せてしまったので思いきって夜の散歩にでも出掛けようと思いベッドから出た。手早く何時もの服装を身に付け直し、周りに少し気を遣いながら部屋を出る。

 

「くぅん」

 

 部屋を出ようとした際、何時目を覚ましたのかウォールが肩に飛び乗ってきた。別に寝ててもいいのだが、と彼女は苦笑しつつ彼を撫でつつ共に部屋を出た。




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第10話:明らかだった秘密

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 イートは規模は大きいとは言え発展途上の街でもある。故に日中は兎も角夜半ともなるとそれまで鳴りを潜めていた邪な考えを持つ者達が動き出す。流石に表通りの様な夜は夜で賑わいを見せる場所は別だが、路地裏や単純に人気が少ない場所に行くと途端に危険度が跳ね上がる。一応警備部隊が警戒しているが、街の全域をカバーできるほどではない。まず女性の一人歩きは確実に避けるべきだろう。少なくとも、表通りから外れた所に関しては。

 

 しかしサフィーアはそんじょそこらのか弱い女性とは大違いだ。彼女は約一年ほどでB-ランクにまで上り詰めた傭兵である。当然荒事には慣れているし、彼女の危機感知能力は常人のそれを遥かに上回っていた。

 現に今も、暗がりから彼女に襲い掛かろうとした不埒な輩を軽くあしらってやったところだ。

 

「ひ、ひぃ~ッ?!」

「一昨日来なさい」

 

 悪漢ではあるが所詮はチンピラレベルの輩であった為、態々剣を抜くまでもなくレガースで数発蹴りを入れたら呆気無く逃げて行ってしまった。と言うか、一応腰に剣をぶら下げているのだから彼女が傭兵だと簡単に察しが付きそうなものだが。

 

 まぁ中には悪漢を威嚇したりカモフラージュ目的で武器を携える女性も居るのだろうが、そもそもこんな発展途上である以外は至って普通の街で態々夜中に外を出歩くか弱い女性は居ないだろう。そう考えると、やはり先程の悪漢は相手と自分の力の差を見極められない、チンピラ以下の馬鹿という事だ。

 ああいう輩はこの辺では珍しくないのだろう。今し方悪漢を撃退する前にも、路地裏からチンピラと思しき連中が飛び出してきた瞬間に遭遇していた。ただどうもそいつらは彼女と出会う前に誰かに痛い目に遭わされたのか、ボロボロの風体で彼女には目もくれず一目散に逃げて行ってしまったが。

 

「はぁ~……嫌ね、全く」

 

 サフィーアは思わず溜め息を吐いた。自衛の為には止むを得ない場合があるとしても、彼女としては弱い者虐めは本意ではない。なので可能な限りやり過ぎないように手加減を心掛けているのだが、それはそれで力を向けた相手を馬鹿にしているようで正直気分が良いものではないのだ。

 出来得る事なら、正々堂々真正面からお互い全身全霊を掛けて行うような戦いを彼女としては望んでいた。それは彼女が戦闘狂と言う事からくるのではなく、単純に戦う力を向けるならば、の話である。

 

「ん~、方向性は同じかしら? ねぇウォール?」

「くぅん?」

 

 思わず感じた疑問をウォールに訊ねてしまうが、ウォールは首を傾げるだけだった。そりゃそうだ。幾らなんでも話が唐突過ぎる。

 突然の問い掛けに訳が分からないと言いたげに首を傾げるウォールの反応を見て、サフィーアは自分の意識が大分緩んでいることを自覚し反省の意味を込めて自らの頭を小突いた。

 思考が大分内側に入り込んでしまっていた。これでは咄嗟の時に反応が遅れてしまうではないか。彼女は若輩ながら僅か一年ほどで傭兵ランクをC-からB-まで引き上げた実力を持つが、それは決して彼女だけが成した偉業ではない。彼女同様僅かな期間で傭兵ランクを大幅に引き上げた者は当然居るだろうし、過去には彼女を超える速度で傭兵ランクを上げた者だって居る筈だ。

 サフィーアは傭兵としてはそこまで特別な存在ではない。未だ未熟な面が多い若輩者なのである。

 

 自省し頭を振って気を取り直すと、周囲が見覚えのある光景になっていることに気付いた。今居るのはあそこだ、先日ウォールと初めて出会った公園の直ぐ近くだ。

 何とはなしに公園の入り口に近付き、周囲を見渡すサフィーア。当然ながら公園内には親子連れの姿はなく、それどころか人の気配そのものが――――

 

「んんッ?」

 

 いや、あった。公園の大体真ん中辺り、大きく開けた所に誰か居るのが見える。

 電灯が放つ光の下に居るのは、1人の女性。手には何も持っておらず、鋭い突きや蹴りを虚空に放っている。その動きには一切の無駄がなく、流れる様なその動きはまるで舞踏か何かの様だった。

 そして、サフィーアはその人物が誰かを知っていた。

 

「クレアさん?」

 

 公園の中で1人鍛練に励んでいるのはクレアだった。恐らくだが彼女も夜に寝ることが出来なかったので、体を動かして程好く疲れて眠気を誘おうと言うつもりだろう。

 彼女の姿を見付けたサフィーアは、少し考えた後公園の中に入っていった。ちょっと迷ったが、遊ぶつもりもなく夜の街を歩き続けるはつまらなかったし、何よりクレアとはもっとじっくり話をしてみたかったのだ。

 

 公園に足を踏み入れ、サフィーアはクレアに近付いていく。彼女はまだサフィーアの存在に気付いていないのか明後日の方を向いてばかりなので、驚かそうと言う訳ではないがサフィーアは足音をなるべく立てないように歩み寄っていった。

 だと言うのに、意外な事に先に声を掛けたのはクレアの方だった。

 

「こんな夜更けに散歩かしら?」

「うぇっ!? あ、き、気付いてました?」

「そりゃね。消す気のない気配なんて見付けて下さいって言ってるようなものよ」

 

 クレアはそう言いながら構えを解き、笑みを浮かべながらサフィーアの事を見た。

 

「で、どうしたの?」

「まぁ、どうしたって程の事は無いんですけどね。ただ眠れないから散歩してたら、偶々クレアさんを見かけたってだけで」

「ふ~ん」

 

 サフィーアの言葉にクレアはあまり興味無さ気に適当な相槌を打ちながら近くの木に近付いていく。暗がりでよく分からなかったが、その木の根元には水の入ったペットボトルが置かれており、クレアはそれを手に取ると蓋を開けて中身を一口だけ口に含んだ。

 

「ん…………ふぅ。んじゃさ、ちょっと相手してくれない?」

「へ?」

「組み手よ。1人でやるより2人でやった方が効果的だし。今寝れなくて時間持て余してるんでしょ?」

 

 突然の提案に一瞬呆気にとられるサフィーアだったが、少し考えて受けて立つことにした。思いっきり体を動かせば少しは眠くもなるだろうし、何よりAランクの傭兵の鍛練に付き合わせてもらえる機会など早々あるものではない。

 

「ごめんねウォール。ちょっと離れてて?」

「くぅん」

 

 サフィーアはウォールを安全な場所に移動させる。彼が向かったのは、公園の真ん中にポツンと生えている一本の木枝の上。その木は奇しくもサフィーアとウォールが初めて出会った木だった。

 

「属性魔法の使用は禁止。使える魔法はマギ・コートだけよ」

「はい!」

 

 始める前に簡単にだがルールを決めておく。今回は場所が場所なので、やりすぎると大いに問題となってしまうのだ。特に魔法の使用は慎重になる。

 お互い距離を取った2人は、それぞれ剣と拳を構える。程好い緊張感が流れる中、徐にクレアは懐から硬貨を一枚取り出す。親指の上に乗せた硬貨を弾き、真上に飛んでから落ちたそれが小さくも甲高い音を立てた。

 

「ハァァァァッ!!」

 

 瞬間、サフィーアは迷わずクレアに向けて突撃した。マギ・コートで強化された脚力を活かし、一気に加速して接近する。流石に通常の倍の速度でルーキーを脱却しただけあり、彼女の動きには目を見張るものがあった。

 だがそれも、クレアと言うベテランの前では霞んでしまう。

 

「甘いッ!」

 

 クレアは振り下ろされた剣を苦も無く受け流し、お返しとばかりにフックを放ってきた。屈んで回避しがら空きの胴体に見え内を叩きこもうと剣を振るうサフィーアだが、フックを放った勢いを利用して放たれた回し蹴りが飛んでくるのを見て攻撃を中断。剣の腹を盾代わりに放たれた蹴りを防ぐが、想像以上に重い一撃だった為踏ん張りが利かずそのまま蹴り飛ばされてしまった。

 

「ぐぅっ?!」

「ほらほら、休んでる暇無いわよ!」

 

 蹴り飛ばされそのまま地面に叩き付けられたサフィーアに対し、クレアは容赦なく追撃を行う。降り下ろされた拳を、サフィーアは転がるようにして避け勢いそのままに立ち上がり体勢を整えた。結構勢いよく叩き付けられた様に見えたが、マギ・コートの恩恵で然したるダメージを受ける事無く立ち上がる事が出来たようだ。

 体勢を整え再び剣を構え、サフィーアはクレアに突撃していく。

 

「デヤァァァァッ!!」

 

 今度は反撃する間を与えまいと、地面を滑るように左右に動き回りながら連続で攻撃を仕掛けていく。マギ・コートで筋力を強化しているとしても、本来あまり素早く動いて扱うには適さない大型剣を持ちながらなかなかのフットワークである。

 彼女の動きにはクレアも舌を巻いていた。

 

「へぇっ! 良い動きするじゃない!」

「鍛えてますからねッ!」

「なら、もうちょっと本気出しても良いかしらねッ!!」

 

 言うが早いか、クレアの動きが明らかに変化した。先程まではサフィーアの動きに合わせて拳や蹴りを放つ、所謂後の先の動きで対応していた。だが今度はサフィーアの動きを押し退けるような、激しい動きで圧倒し始めたのだ。

 

「うわっ!? ちょっ、くっ!?」

 

 サフィーアは先程と同じ様に左右に素早く動きながら攻撃を仕掛けることで相手を釘付けにしようとしたが、今度はその動きが通じない。あちらの方がフットワークが軽いのだ。素早く右に動いて剣を振った時には既にそこに彼女の姿はなく、転がるように移動して取ったサフィーアの背中に裏拳を叩き付けた。

 

「あだッ?! クゥッ!?」

 

 裏拳を喰らいながらもサフィーアは背後を振り向き反撃を放つが、今度は刀身の腹を叩かれ攻撃を逸らされた。それだけでなく、明後日の方向に向けて伸びた腕を掴んでサフィーアを放り投げてしまった。

 

「グゥッ?!」

 

 昨夜から分かっていたことだが、クレアは攻撃のリーチが短いなりに先手を打たれた状況への対処が巧い。闘士の戦い方はインファイトでの素早い連打や軽いフットワークが最大の特徴だが、武器を持たないのでリーチが短く更には武器持ちと比べると攻撃の重さで負けるので一撃が軽くなりがちと言う欠点を持つ。故に、闘士はどちらかと言うとパワーで戦うよりテクニックで戦う者が多いのだが、クレアはそれが特に顕著だった。洗練されていると言ってもいい。サフィーアが未熟と言うのもあるかもしれないが、攻撃も回避も動きに無駄がなく捉えきれなかった。

 組み手とは言え、状況はあまりにも一方的だった。サフィーアの攻撃は一発もクレアに掠りもせず、逆にクレアは攻撃を全てサフィーアに当てている。

 

「う、くぅ……はは、凄いですね」

「んにゃぁ、サフィーアもなかなかのものだと思うわよ? 正直思ってた以上に粘ってるもの」

 

 クレアの言葉は本心からのものだった。飽く迄も実戦形式の鍛錬を目的とした組み手だった為本気を出してはいなかったが、それにしたって実力差から直ぐに音を上げるだろうと思っていた。ところが蓋を開けてみれば、サフィーアは全く音を上げないどころか逆に闘志を更に燃やしているではないか。

 

「それじゃ、もっと粘るって言ったらどうします? って言うか粘ってもいいですか?」

「…………ふふっ」

 

 自然とクレアの口元にも笑みが浮かんだ。こういう負けん気の強い相手は嫌いじゃない。

 

「誘ったのはこっちからだったんだけど……いいわ。とことん付き合ってあげる!!」

「行きますッ!!」

 

 最大限まで燃え上がらせた闘志を胸に、サフィーアの剣とクレアの拳が再びぶつかり合い――――

 

 

 

「う…………ぐぅ」

 

 数分後、電灯が照らす公園には、精魂尽きた様子で大の字に横たわるサフィーアとそれを横に立って眺めているクレアの姿があった。

 

 あれからもサフィーアは何度もクレアに己の出せる全力でぶつかっていったが、やはり年季の違いは大きかったらしい。加減はされていたが一方的に殴られ蹴られ、果ては投げ飛ばされて何度も地面と望まぬ抱擁をした。

 結果、体力を使い切ったサフィーアは立ち上がる体力も無くなり大の字で地面に横たわっていると言う訳だ。

 

「いやぁ、ホント粘ったわね。正直びっくりだわ」

「あ、あはは…………すみません」

「褒めてんのよ。いいガッツしてるじゃない。気に入ったわ」

 

 クレアは満足そうな笑みを浮かべると、立てないサフィーアに手を差し出した。鉛の様に重くなった腕を気合で持ち上げ、サフィーアはクレアの手を取り立ち上がった。

 そのままサフィーアはベンチに座らされ、自販機で買った冷えた水を渡された。サフィーアは一言礼を告げると、開けたペットボトルの中身を一気に口の中に流し込んだ。

 

「ん……ん……ングッ!? ゲホッ、ゲホッ!?」

「ほらほら、落ち着きなさい。冷えてるから一気に飲むと体がびっくりするわよ」

 

 全身汗だくで体が水分を欲したからか、後先考えず水を流し込んだ結果気管にでも入ったのかサフィーアは激しく咽た。その彼女の背を隣に座ったクレアが撫でて落ち着かせ、漸く彼女は一息つけた。

 

「落ち着いた?」

「はい。すみません、迷惑掛けちゃって」

「いいのいいの。元々こっちから誘ったんだし。いい刺激にもなったしね」

「そ、そうですか?」

「うん。正直、ある程度痛めつけたら音を上げるかな、な~んて思ってたんだけどね。いいガッツしてるわよ、貴女」

 

 実際、サフィーアはよく粘った方だ。普通自分が一撃も与えられず相手から一方的に攻撃されるだけの状況に陥った場合、大抵の場合は心が折れて降参の意思が生まれる。

 だがサフィーアは、どれだけ攻撃を避けられ反撃を喰らい、投げ飛ばされようとも決して諦めようとせず体力が尽きるまで立ち向かってきた。

 

 その敢闘精神は、クレアの興味を大いに引いたのだった。

 

「うん…………決めたッ!」

「え、何を?」

「ねぇサフィーア、私とパーティー組まない?」

 

 突然の提案に、サフィーアは一瞬言葉を失った。

 実際、クレアの提案はいろいろな意味で魅力的だった。ベテランの傭兵の下で多くの事を学ぶ事が出来る機会なんてそうあるものではない。それが彼女とパーティーを組むことで幾らでもその機会に恵まれるのだ。向上心を持つ者であれば一も二もなく飛びつくだろう。

 当然サフィーアも彼女からの提案を喜んだ。実力的には圧倒的に格下の自分にベテランから声を掛けてもらったのだ。これに乗っからない手は無い。

 

「あ~、えっとぉ」

 

 無いのだが、サフィーアにはいろいろと事情があり即答する訳にはいかなかった。

 答えに窮して押し黙るサフィーアに対し、クレアは朗らかに笑いながら衝撃的な事を口にする。

 

「ん? あぁ、もしかしてバレるのは流石に怖かった?」

「へっ?」

 

 クレアの言葉に間の抜けた声を上げるサフィーアは、彼女が自分の目を指さしたのを見て合点がいった。

 

「あ…………気付いてました?」

「まぁね。昔知り合いに居たのよ。貴女と同じ、“他人の思念を感じ取れる人”が、ね」

 

 他者の思念を感じ取れる人間、即ち『思念感知能力者』は、世界七不思議の一つと言われている。

 読んで字の如く彼ら彼女らは他者から自分に向けられる思念――早い話が喜怒哀楽や敵意、愛情など――を感じ取る事が出来る。ただし飽く迄も感知できるのは感情レベルであり、流石に心の中で考えている事までは読み取れないらしい。

 

「あっちゃ~…………あの、因みにどこら辺から?」

「初めて会った時からなんとな~くね。それと昨日の夜、レッドサードと対峙した時の反応。その後の不意打ちに対する反応速度と今の鍛錬で確信したわ。貴女が他人からの思念に反応してることにね」

 

 思念感知能力者はその数が非常に少なく、それ故に殆どの者はその存在をまるで信じていない。その事は彼ら彼女らにとってもある意味都合が良い事であっただろう。何しろそんな能力があると知られれば、異質な存在として見られ忌避されるか何らかの形で利用されるのが目に見えている。

 だからこそサフィーアはその事を隠していたのだが、思念感知能力者は知る人が見れば一発で分かる特徴を有していた。それは瞳の色だ。彼女らはとても深い、海の様に暗い青色の瞳を持っている。明るい青の瞳を持つ者こそ数多く居るが、彼女の様に海色の瞳を持つ者は居ない。

 

 特異、或いは異質。サフィーアの様な者を一言で言い表すとすればその二文字がしっくりくるであろう。端的に言って、彼女の思念を感知する能力は場合によっては周囲との不和を招きかねない厄介な能力だ。何しろ嘘が付けないのだから、付き合い辛いったらない。

 

 しかし…………クレアはそれらを知りながらサフィーアをパーティーメンバーに誘っているのだ。

 

「いいんですか? 知ってるなら、あたしの近くに居ると色々と気を遣うんじゃ?」

「気にしな~い気にしな~い。言ったでしょ? 昔知り合いにサフィーアと同じ思念探知能力者が居たって」

「は、はぁ」

「それに、サフィーアは色々と見どころあるし。ならパーティー組むのもありかなって」

 

 嘘はついていないらしい。サフィーアは能力でそれが分かった。

 

「どうかな? 勿論、サフィーアが嫌だって言うなら無理強いはしないけど」

「…………いえ、あたしとしても、ありがたいです。こっちこそ、よろしくお願いしますね!」

「よっしゃ!」

 

 サフィーアは差し出されたクレアの手を取り、2人は互いに笑みを浮かべ合った。




ご覧頂きありがとうございました。ご感想等いただけますと、大変励みになりますのでどうか宜しくお願いします。勿論誤字脱字や批判等も受け付けております。

明日より年末年始の連休に入りますので、次回の更新は明日土曜日の午前と午後の二回を予定しております。


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第11話:生態不確定

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 太陽の光を遮るほどに木が生い茂った深い森の中。

 そこでサフィーアは手にした剣を、目の前に居るモンスターに渾身の力を込めて振り下ろした。例え相手が小さくても手加減はしない。中途半端な力で剣を振るった結果、切り裂けずめり込んだ状態で隙を晒したなど笑い話にもならない。

 

 やる時は全力で、だ。

 

「デヤァッ!!」

 

 振り下ろした剣が、彼女の目の前に居たモンスター――茶色い肌に尖った長い耳を持つ、ゴブリンと呼ばれるモンスターを袈裟懸けに切り裂いた。ゴブリンは切り口から夥しい血を撒き散らして断末魔の叫びを上げ息絶える。

 

 だがサフィーアに休んでいる暇はない。何しろゴブリンは、平均して20匹前後で一つの群れを作ることがほとんどなのだ。彼女が一匹仕留めた隙を突いて、次どころかその次、そのまた次のゴブリンが一気に襲い掛かってくる。

 

「あぁん、もうっ!? こっち来ないでッ!?」

 

 流石にこの数を一度に捌き切る事は出来ないので、サフィーアはレガースのエレメタルに魔力を注ぎ込んで蹴りを放ち、風属性の魔法で暴風を発生させ複数のゴブリンを一気に遠ざけた。

 

 その瞬間、彼女の背後を取っていたゴブリンが彼女に向けて弓を放つ。粗末な素材で作り上げた質の悪い代物だが、当たり所が悪ければただでは済まない。

 

「くぅんっ!!」

 

 しかしその矢は、サフィーアに命中する事無く肩に乗ったウォールが振るった尻尾で弾かれあらぬ方向へ飛んで行った。

 つい数日前までは迂闊に肩に乗せたまま戦うと振り落としてしまうかもしれないという理由で、戦闘中は近場に避難させられていたウォールも、ここ数日で大分サフィーアとの連携が上手くなった。今では巧みに立ち位置を変え、サフィーアの死角からの攻撃に対し適格な援護が行えるまでになっていた。

 

 ウォールによって防がれた矢が地面に落ちると同時にゴブリンの敵意には気付いていたサフィーアが振り返り、引き金を引いて魔力を充填させた剣を振り下ろし斬撃からなる衝撃波『地裂漸』を放つ。

 放たれた衝撃波は見事にゴブリンを吹き飛ばしたが、彼女はそれを確認する事無く明後日の方に向け剣を振るった。同時に彼女が一撃を放った直後の隙を突こうと飛び掛かっていたゴブリンを切り裂く。

 

「たくもう、本当に数だけは多いんだからッ!」

 

 ぼやきつつサフィーアは更に剣を振るい、新たに飛び掛かって来たゴブリンを切り裂いた。その直後、サフィーアはその場で大きく飛び上がった。

 刹那、彼女が居た所に合計4匹のゴブリンが一斉に飛び込んだ。

 

 もしあそこで一歩でも行動が遅れていたら、瞬く間に彼女は無数のゴブリンに集られ押し倒されていただろう。その光景を思い浮かべ身震いしつつ、サフィーアは再び引き金を引くと眼下のゴブリン達に向けて剣を振るった。すると剣に充填されていた魔力が青白い斬撃となって飛翔し、ゴブリン達を纏めて切り裂いた。彼女が持つもう一つの技『空破漸』である。

 

「ふぅ。今ので大体12、3匹ってところかしら?」

 

 今ので一時的にでも周囲から向けられる敵意が無くなったことを能力で察知したサフィーアは、着地と同時に一息つくと自分の戦果を確認した。それと並行して、ちょうど空になった薬室にポーチから取り出したクリップを差し込んで新たな弾を装填する。

 

 その最中、サフィーアは同じように複数のゴブリンを相手にしているクレアの方に視線を向けた。あちらはサフィーアとは違い途中で弾の装填などが必要ない為、体力と集中力が続く限り戦い続ける事が出来る。現に今も、複数のゴブリンを相手に見事な立ち回りを見せていた。囲まれていると言うのに、逆に完全にゴブリンを圧倒している。

 

 尤も、ゴブリンは単体では非常に弱いモンスターなので、ゴブリン相手に優勢を取れても全く自慢にはならないのだが。

 

「ん? あぁっ!?」

 

 等と悠長に構えていたら、クレアの背後に大きな影が近付いていることに気付いた。ゴブリンは勿論、クレアよりもずっと大きい。しかもただ大きいだけではなく、相応に筋肉質で表皮も堅そうだ。

 

 これは流石に不味いとサフィーアが警告しようとしたが、クレアの方もそいつには気配で気付いているのか振り向きざまに渾身の右拳を叩き付けた。

 

 しかし…………

 

「ぐっ?!」

 

 クレアの右拳は、背後に接近していた大型のゴブリン――『グレーターゴブリン』によって容易く掴み取られてしまった。すかさず左の拳を叩き付けるクレアだったが、何とグレーターゴブリンはそれすらも掴み取ってしまう。

 

 両手を掴まれ無防備を晒す羽目になるクレアを、グレーターゴブリンはそのまま持ち上げ両腕を大きく振りかぶった。恐らくそのまま地面に叩き付けるつもりなのだろう。ベテランの傭兵ともなればマギ・コートで底上げできる防御力もかなりの物になる筈なので、それで彼女が致命傷を負う事はないだろうがそれでも大きな隙を晒すことは間違いない。

 まだ他にも仲間が居る中で、ゴブリン相手に隙を晒すのは命取りだ。特に女性だと色々な意味で。

 

 サフィーアはクレアを援護するべく駆け出し、同時に引き金に指を掛けて何時でも空破漸か地裂漸を放てる用意をした。弾一発当たりの魔力の充填時間は精々20秒程度なので、無駄撃ちは出来ない。

 

「ん?」

 

 とそこでサフィーアは、クレアが妙に仰け反っていることに気付いた。受動的に空中に下半身を投げ出されたにしては少し反り過ぎだ。まるで自分から体を仰け反らせているかの様――――

 

「せりゃぁっ!!」

 

 その認識は正しかった。グレーターゴブリンがクレアを地面に叩き付けるべく両腕を振り下ろそうとした瞬間、彼女はそれに合わせて腕を引き寄せ同時に腰を曲げて膝を突き出した。結果、グレーターゴブリンの腕の力とクレアの腕の力が合わさった膝蹴りは、グレーターゴブリンの顔面を陥没させるほどの威力を発揮し一撃で倒してしまった。

 

「あ、ありゃ?」

「よっと」

 

 援護しようとしたら自力で問題を解決されてしまい、暫し唖然となるサフィーア。そんな彼女を余所に、クレアは周囲に目を向けた。

 

 今2人が居るのはイートから少し離れた所に位置している、小さな村の近くの深い森の中。二人は依頼でゴブリン退治に赴き、つい先程まで数えるのも億劫になるほどの数のゴブリンを相手にしていたのだが、今は影も形も見当たらない。

 これで全て倒したのかとも思ったが、森の奥に目をやるとまだ複数のゴブリンが彼女たちの様子を窺っているのが見える。先程まではグレーターゴブリンが居るという事で気持ちが大きくなっていたのか、被害など物ともせず数に物を言わせて攻撃してきていたが、この場のリーダー格と思しきグレーターゴブリンが倒れたことで旗色が悪い事を察したのだろう。次の瞬間には一斉に残った全てのゴブリンが森の奥へと消えてしまった。

 

 逃げていくゴブリンを2人は油断なく睨み続ける。どれほどそうしていたか、周囲からゴブリンの気配が完全に消えた頃を見計らってクレアが口を開いた。

 

「どう、サフィ?」

「ばっちり、こっち意識してます」

「ま、あれだけ派手に暴れればね」

 

 2人がゴブリンの生き残りを見逃したのは、別に慈悲の心があった訳ではない。敢えて逃がすことで連中の巣穴に案内してもらうのだ。

 本来であれば絶えず付かず離れずの距離をキープして追跡するか、追跡用の発信機をくっ付けて巣穴の場所を知るのだが今回は必要ない。何せサフィーア――正式にパーティーを組んでからクレアは親しみを込めてサフィと呼んでいる――が居るのだ。ゴブリンが彼女の事を意識している限り、その思念を逆探知して居場所を知る事が出来る。

 

「オーケー、それじゃ早速追い掛けるわよ。案内お願いね」

「あ、はい」

 

 クレアは作戦通り、ゴブリンがサフィーアの事を意識してくれている事に満足そうに頷くと、戦闘に巻き込まないように離れたところに置いてあった荷物を担いだ。サフィーアも慌ててそれに続き、思念が飛んでくる方に向け歩き出す。

 

 休む間もない行動に、サフィーアはこっそりと溜め息を吐いた。正直、ゴブリン退治と聞いた時は大したことないと思っていたのだが、その認識が甘かったことを思い知らされた。

 

 まさか、『生態不確定』の依頼がこれほどハードだったとは思ってもみなかったのだ。

 

 歩きながら水筒を傾け、水で喉の渇きを癒しつつサフィーアは依頼を受けた時の事を思い出した。

 

 

***

 

 

 数時間前――――

 

 サフィーアがクレアとパーティーを組んでから、早くも数日が経っていた。その間、ギルドに出された依頼はどれもこれも派手さの無い、言ってしまえば地味な依頼ばかりだったのだがクレアはその内容を気にすることなく……と言うか逆に人気の無い依頼を積極的に受けていた。

 何故そんな依頼ばかりを受けるのか? めぼしい依頼が無いのであれば他所の街に移動した方が良いのでは? とサフィーアが問い掛けた所、クレアは次の様に答えた。

 

「傭兵なんて定期的な収入が見込めない職業だからね。適度に依頼を受けて資金には余裕を持っておかないと。それに、人気の無い依頼を積極的に受けておけば、ギルドからの心象も良くなるのよ」

 

 特にギルドからの心象は割と重要だった。これが良いと受付嬢なんかがさらっとお得な情報を齎してくれることがあるのだ。

 例えば、周辺のモンスターの生息分布の変移や盗賊団の存在、何らかの理由で自衛力の下がった街の存在などである。地道に様々な依頼を受けていくよりも、そういった情報を手に入れ傭兵活動に活かす方がずっと大きな稼ぎに繋がる。

 

 そんなちょっとした知恵などを教えてもらいつつ、クレアと共にスクリーンに映し出された依頼を選んでいたサフィーアは、この日奇妙な依頼を見つけた。

 その依頼がゴブリン退治だ。

 

 ゴブリン退治自体は何もおかしくは無い。連中はある日突然増え、近隣の街や村に牙を剥く。対応が遅れると小さな村などはあっという間に全滅してしまうので、存在が確認された場合即座にギルドは傭兵達に討伐依頼を出す。

 今回もそのパターンだろうと思っていたのだが、よく見るとその依頼にはおかしな部分があった。

 

「え、B-?」

 

 普通ゴブリン退治の依頼は傭兵ランクC+で受けれる(流石に傭兵なり立てのC-、Cランクにはモンスター退治系の依頼は回されない)のだが、そのゴブリン退治の依頼はB-から受注可能となっていた。

 これは何かおかしい。そう感じたサフィーアは早速クレアにこの依頼の存在を知らせた。すると彼女は若干表情を険しくさせ口を開いた。

 

「これは早い内に私が片付けといた方が良いかもしれないわね」

「普通のゴブリン退治と何が違うんですか?」

「ここよ」

 

 サフィーアの質問に、クレアは依頼内容に記されている一文を指差した。

 そう、『生態不確定』と言う一文を、だ。

 

「これがどういう意味か知ってる?」

「ギルドの方でその依頼に関わるモンスターの生態がいまいちはっきりしないって意味ですよね?」

 

 依頼を斡旋するに際して、傭兵ギルドはまずその依頼に関係する周辺の生態調査を行う。例え簡単な依頼に見えても、その周囲に非常に危険なモンスターが居た場合高ランクの傭兵でなければ任せられないからだ。

 ギルドの手が届く範囲には各地に調査員が存在し、彼らが細かくモンスターの生態調査を行った結果を基にギルドはそれぞれの依頼の受注可能ランクを設定するのだ。

 しかし、偶にギルドの調査が思うようにいかず不十分な情報しか集まらない場合がある。そんな時、ギルドはその依頼を生態不確定な依頼として設定し、場合によっては通常よりも受注可能ランクを引き上げることがあった。少しでも経験のある傭兵だけが受けれるようにし、不測の事態に対応できるようにする為だ。

 

 これ位の事は傭兵ギルドに登録する際にチュートリアルで説明されるので、サフィーアも当然知っていた。それに対しクレアは満足そうに頷いた。

 

「ん、よく出来ました。偶に居るのよ。こういう序盤に教えてもらう情報を聞き流して痛い目を見る馬鹿が」

「はぁ。で、この場合は何がそんなに不味いんですか?」

 

 言っちゃあ何だが、ゴブリン退治でそこまで警戒する必要があるのかと言う気がする。

 サフィーアも過去に何度かゴブリン退治の依頼は経験しているし、二度か三度はヒヤッとする場面もあったが、逆に言ってしまえばその程度だ。Aランクのクレアが深刻そうな顔をする必要の事とは思えなかった。

 そんなサフィーアの様子に、クレアは苦笑を浮かべている。まるで同じような光景を何度も見てきたような様子だ。

 

「ま、これに関しては、口で言うより実際に体験させた方が良いかもしれないわね」

「へ?」

「ゴブリンに関しては、この言葉の重みが違うってこと」

 

 そう言うとクレアはPDAを操作し、その依頼の番号を入力した。受けるつもりのようだ。それを見てサフィーアもとりあえず自分のPDAに同じ番号を入力する。

 

 その後、二人は受付で依頼を受注し、場所が離れているからという事でギルドで移動用の車をレンタルしついでに諸々の準備を整えてゴブリン退治に赴いたのだった。

 

 

***

 

 

 その結果が、通常よりも遥かに多いゴブリンの集団と見たことも無いゴブリンの上位種の出現だった。

 記憶にあるゴブリン退治とはまるで異なるそれに、サフィーアは肉体的にはともかく精神的には大分疲労していた。

 

 若干足取りの重いサフィーアの様子からいろいろと察したクレアが、諭すように話し掛けた。

 

「どう? 生態不確定のゴブリン退治は?」

「正直、思ってた以上にしんどいです。何ですか、あの数とあのデカブツ?」

 

 出発前にクレアが言っていた言葉の意味を骨身に染みて理解したサフィーアは、肩を落として大きく溜め息を吐きながら訊ねた。確かにゴブリンは高い繁殖力を持つが、それでもあの数ははっきり言って異常だ。それに加えて彼女が初めて見るグレーターゴブリンの出現。

 

 何れもサフィーアにとっては未知の体験であった。

 

「あの数は単純にゴブリンが異常繁殖した結果よ。少しの間天敵や傭兵が出なかっただけであいつら一気に増えるから、本当はいろんな傭兵が定期的に間引き目的で討伐しなきゃならないんだけどね」

「ゴブリン退治は人気無いですからね」

 

 ゴブリン退治はモンスター討伐系の依頼の中では、リスクの割に報酬が安いという事でどちらかと言えば不人気な依頼だった。傭兵ランクC+から依頼を受ける事が出来るがそのレベルの傭兵は大物を討伐して手早くランクアップを狙う為ゴブリン退治を避け、高ランクの傭兵は高ランクとしてのプライドがある為ゴブリン退治など受けない。

 結果多くのゴブリンがのさばる事となり、天敵が現れなかった場合は更に繁殖スピードは跳ね上がる。その末があの異常な数のゴブリンという訳だ。

 

「あのデカブツは?」

「あれは群れが一定以上の大きさになると出始める異常変異個体よ。ゴブリン絡みで生態不確定とくると高確率で遭遇するわ」

 

 これはゴブリンに限らず、群れを持つ全てのモンスターに共通する事象であった。個体レベルで弱いモンスターは弱いなりに群れることで単体レベルでの力不足をカバーし、更に増えると群れの中から特別な能力を持った個体が出現するようになる。

 

 そしてこれこそが生態不確定認定されたゴブリン退治の依頼が通常の物よりワンランク受注資格が高くなる理由であった。

 

「普通の討伐系依頼だと生態不確定は『他のモンスターが乱入する可能性があるから気を付けろ』って意味になるんだけど、ゴブリンの場合は『どれだけ群れが膨れ上がってるか分からないし異常変異個体が出るかもしれないから気を付けろ』って意味になるのよ」

「それで、依頼の受注資格がランク一つ分上がるんですか」

「そういう事。特にゴブリンは数が増えれば増えるだけ累乗的に危険度が跳ね上がっていくから、実際にはランク一つ分程度じゃ済まない可能性もあるわ」

 

 毎年ゴブリン退治の依頼を失敗して命を落とす傭兵は必ず居るが、その半分は生態不確定とは言え相手はゴブリンだからと言う理由で侮る者が殆どだった。

 

 弱いモンスターは居るが、雑魚のモンスターは居ない。何時何処で誰が言ったのかは知らないが、サフィーアでも知っている言葉である。

 

「因みにですけど、こういう場合ゴブリンってどれぐらい増えてるものなんですか?」

「時と場合によるから一概には言えないけど…………記録だと最大で100匹の群れが確認されてるわね」

「ひゃ、100ッ!? そんなにッ!?」

「最初の内はそうでもなかったらしいんだけど、討伐に手古摺ってる内にどんどん数が増えたらしいわ。大方まだ群れがそこまで大きくない内にルーキーの女傭兵が何人か舐めてかかって返り討ちにあったんでしょ」

 

 ゴブリンによる被害で最も恐ろしいのは、女性を孕み袋にする事だった。奴らは主に人間の女性を攫うなどして巣穴に連れ帰ると、自分達の子孫を残す為の苗床にするのだ。

 とにかく生殖力が旺盛なので、被害に遭った女性は文字通り死ぬまでゴブリンの子孫を孕まされることとなる。一般人は勿論女傭兵も被害に遭う事があり、対応が遅れると爆発的な増殖を許してしまう。

 その結果、今回の様な生態不確定の状態を作り出してしまうのだ。

 

 以上の理由からゴブリン討伐は割と重要な案件なのだが、前述した通りゴブリン討伐は依頼の中では人気の無い部類で積極的に請け負う傭兵は少なかった。

 

 それでもゴブリンが大きな問題とならないのは、奴らがモンスター界の食物連鎖のピラミッドの最下層に位置しているからだ。ゴブリン自体は単体では人間の子供程度の身体能力しかないので、単体での能力に優れたモンスターが相手だと異常繁殖した群れであっても一方的に殲滅されることもざらだった。加えて、クレアの様なゴブリンの脅威を良く知る傭兵が積極的に討伐に出ることも、ゴブリンの増殖が大問題にならない要因だろう。

 

 閑話休題。

 

「今回もそれくらいの数が居ると思いますか?」

「ん~、それは無いわね。グレーターが一匹だけだったし、さっき倒した数も私とサフィで合わせて30匹位でしょ? 大きな群れだったらもっと数が来てる筈だし、残りは多分多くても20匹位じゃないの?」

 

 クレアの話に不安を滲ませるサフィーアだったが、クレアは全く気負った様子を見せずに言った。侮っている訳ではなく、長年の経験からくる推測だろう。サフィーアとは積み上げてきた年季が違うのだ。

 

「それより、連中まだこっちを意識してくれてる?」

「それはもう。あたしの事も結構怖がってるみたいですから、クレアさんなんて見ただけで逃げ出すんじゃないですか?」

 

 サフィーアの言葉にクレアは思わず苦笑した。先程の戦闘でグレーターゴブリンを仕留めたのもクレアだからという事でサフィーアはゴブリンが恐れているのはクレアの方だと思っているようだが、クレアに言わせれば寧ろサフィーアの方が恐れられているだろう。

 何しろサフィーアにはまともに攻撃が通用しないのだ。ウォールとの連携が上手くなったことも要因だろうが、何よりも攻撃に対する反応速度が尋常ではない。背後を取って不意を打てるかと思ったら即座に反応して防御どころか反撃までしてくるのだ。

 

 ゴブリンからすれば、単純に優れた技量で圧倒してくる分かりやすい強さを見せるクレアよりも、何だか分からないが確実に死角を取ったと思ったのに素早く反応してくる、サフィーアの方が不気味で恐ろしかったに違いない。

 

とは言え、その事は敢えて言わないでおく。言えば多少なりともサフィーアは気にするだろうし、何よりも――――

 

 クレアも、一度は同じ事を思った事があったからだ。




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第12話:一網打尽、そして新たな依頼へ

読んでくださる方達に最大限の感謝を。


 サフィーアとクレアの二人は、それから数分と経たずにゴブリンの巣穴を発見していた。

 森の奥深く、そこから唐突に隆起して出来た岩山に蟻の巣の様に洞窟が開いており、その前に見張りらしきゴブリンの姿があった。あの洞窟が巣穴で間違いないだろう。

 

 巣穴を発見するなり早速クレアは担いできた荷物を地面に下し、中身を取り出し始めた。

 

「ところで一応確認するけど…………誰も居ないわよね?」

「ん…………はい。助けを求めてる人は居ないみたいです」

 

 荷物を取り出してゴブリンの巣を一網打尽にする用意をしつつ問い掛けるクレアに、サフィーアは少し集中して助けを求める思念が飛んでいないことを確認した。この手の思念は特定の誰かではなく不特定多数に向けられたものなので、見ず知らずの相手であっても感じ取る事が出来るのだ。

 それが感じ取れないと言う事は、今あの巣穴に囚われている者は誰も居ないと言う事になる。

 

 しかし、この能力を持っているサフィーアだからこそ考えが至る事だが、助けを求める思念が感じられないからと言って誰も居ないとは限らない。孕み袋として酷使された女性は当然心身共に激しく疲労しており、場合によっては意識を失っていてもおかしくない。

 幸か不幸かサフィーアは過去に請け負ったゴブリン討伐依頼でその状況を目にすることは無かったが、それでも意識を失っていた場合の事を想定できるくらいには頭が回った。

 

「でも、もしかしたら気を失ってるだけかもしれませんよ? それなのに、そんなの使うんですか?」

 

 サフィーアが不安に思うのも無理はない。何しろクレアが取り出したのは、この依頼の為にギルドでレンタルした軍隊の払い下げ品のロケットランチャーだったのだから。

 

 作戦としては森の中で派手に暴れ、ビビって逃げたゴブリンを追い掛けた先にある巣をこのロケットランチャーで吹き飛ばすというものだ。

 前半は兎も角後半は効率とリスクを考えれば合理的ではあるのだが、もし仮に二人が駆け付ける前に囚われた人が居るならその者を巻き込んでしまう危険を伴う。それだけにサフィーアはどうしても使用に後ろめたさを感じていた。

 

 そんなサフィーアの問い掛けに、クレアはあっさりとした様子で答える。

 

「あぁ大丈夫大丈夫。サフィが感じ取れないならあそこには絶対人なんて居ないから」

「その根拠は?」

「一つは、依頼を出してきた村にゴブリンの被害が全然出てない事。生態不確定で異常繁殖してるのに被害ゼロってことは、あのゴブリンの群れはつい最近他所からあそこに移り住んだってことよ。多分ドラゴンとか大型のモンスターに住処を追われたんでしょうね」

 

 ゴブリンが見かけられた場合、人的被害が無くとも食糧を食い荒らされたりと何かしらの被害はある筈だった。しかし村が依頼を出したのは、被害が出たからではなく複数のゴブリンを近くで見かけたので警戒しての事。二人が辿り着いた時も何一つ被害は出ていなかった。

 にも拘らず群れが普通よりも大きいと言う事は、あの群れはこの地で大きくなったのではなく何処か別の場所から移住してきたと考えるのが妥当であった。

 

「移住する時に連れてきたりとかは?」

「それは無いわね。ゴブリンが住処を変える時は周囲に餌とかがなくなった時か天敵が出て逃げる必要が出た時。どっちも余裕なんて無いから、足手纏いにしかならない消耗した女の人は全員置いていくのよ」

 

 ゴブリンは弱いが愚かではなかった。奴らは酷使され続けた女性が逃げる際の足手纏いになり、逆に置いていけば少しの間なら天敵の注意を引き付けられる囮になる事をよく理解していた。故に、ゴブリンが巣の場所を変える時は捉えられていた女性は置いて行かれる。

 この習性があるので、囚われた女性の救出は意外と容易だったりする。巣の近くで派手に暴れてゴブリンをビビらせ、堪らず逃げて行った後に助け出せば良いのだ。

 

「あたし達が来る前に別の傭兵が来た可能性は?」

「その場合ギルドの方から何かしら情報が来てる筈よ。PDAには何も来てないでしょ? つまりはそういう事」

 

 ギルドから支給されるPDAはギルドからの連絡事項を受信する役目も持っている。もし依頼受諾後に何かしら変化などが起こった場合、このPDAを介して連絡事項が伝達されるのだ。実際サフィーアも、依頼終了後にPDAを確認したら追加報酬とそれを受け取れる条件が提示されたことがあった。

 

「さ、お喋りはこれでお終い。さっさと仕事を終わらせましょ」

 

 そう言うとクレアはロケットランチャーに専用の弾頭を装填し、照準器を覗き狙いを洞窟に向けた。その間サフィーアは念の為周囲を警戒し、ゴブリンの奇襲に備えていた。傭兵がゴブリンに後れを取る最大の要因は、奇襲を掛けようとして逆に奇襲されるというものだった。

 ゴブリンを侮る者がよく陥る事態だが、攻撃を仕掛ける事に集中するあまり警戒を怠った結果隠れ潜んでいたゴブリンに奇襲される事がよくあるのだ。

 

 サフィーアとクレアはそれを知っているので、役割を分担してサフィーアが周囲の警戒に回っていたのである。自分に向けられる敵意などを敏感に感じ取れる、サフィーアには適役であると言えた。

 

 クレアはサフィーアが周囲を警戒している中、ロケットランチャーの照準をゴブリンの巣穴に向ける。二人の姿は向こうからは茂みに隠れて見えないので、見張りのゴブリンがクレアに気付いた様子はない。

 

 そして――――

 

「――ッ!?」

 

 クレアが引き金を引いた瞬間、弾頭が火を噴きながら勢いよく飛んでいきあっという間に巣穴の中へと飛び込んでいった。

 

「伏せてッ!!」

 

 言われる前にサフィーアは頭を押さえてその場に伏せた。その隣には同じようにしてクレアが伏せ、更にウォールも見様見真似なのか前足で頭を押さえて姿勢を低くした。

 

 直後、巣穴に飛び込んだロケット弾が炸裂したのか凄まじい爆音と共に傾斜となっている壁面が吹き飛んだ。土や岩の破片に混じって木端微塵になったゴブリンの肉片が辺りに降り注ぐ。

 特に勢いの付いた物はサフィーア達が伏せている場所まで飛んできたのか、時折体のあちこちに何かがぶつかるのを感じた。大体は小さな岩や礫だったようだが、時々粘着質で柔らかい感触がぶつかるのをサフィーアは見逃さなかった。

 

 どれほどそうしていただろうか。体感では5分から10分近くそうしていたように思うが、恐らく実際には1分と経っていないだろう。何も降ってこなくなった頃合いを見計らって二人と一匹が顔を上げると、辺りは先程とは大分様相を変えていた。

 

 辺りに散らばる土塊や岩塊、それに赤黒い肉片と大きく抉れた壁面。見ただけで分かるほどゴブリンの巣穴は完全に崩壊していた。

 

「う~わ、環境破壊」

「この程度ならよくある事よ。どうって事ないわ」

「そうですかね?」

「くぅん?」

 

 サフィーアが周囲の惨状に思わず顔を顰めると、抉れた壁面がガラガラと音を立てて崩れ完全に崩落した。あれでは仮に中に爆発から生き残れたゴブリンが居たとしても、生きて出ることは不可能であろう。

 

 これがゴブリン退治で一番リスクの少ないやり方だった。もう少し仲間が居れば或いは巣穴に突入して一匹一匹虱潰しにするのもありなのだが、今回のように人数が少なくゴブリンの総数が不明な場合はこうして爆薬で吹き飛ばすのが一番効率がいいのだ。

 無論、ロケットランチャーなんかのレンタルの代金は支払わなければならないが、本体は兎も角ロケット弾その物はそこまで値の張る代物ではないので、多少なりとも余裕があるならこうするのが一番だった。

 

「ま、何にせよ、これで依頼達成ね」

「一応、周りを見回っておきます? もしかしたらこことは別の所に抜け穴みたいなのがあるかも」

「そうね。意外としぶといところあるから、もしもってことはあるしね」

 

 二人はその場を離れ、ここから見えないところに抜け穴か何かがないかを調べ始める。

 この時意外な事にウォールが大いに活躍した。視点が低いからか、二人で気付けないような場所に空いた穴を幾つか見つけたのだ。そう、案の定ロケット弾を撃ち込んだ穴以外にも抜け穴が複数存在していたのである。抜け穴と分かるのは、それらの穴から先程のロケット弾で焼き払われた内部が燻ぶった結果だろう煙が零れ出ていたからだ。

 それらの抜け穴は多くが使われた形跡すらないものばかりであったが、幾つかは抜け穴として機能していたらしい。明らかにゴブリンの往来の痕跡が見受けられたし、この穴を通って逃げ出そうとするゴブリンも居た。

 尤も、その穴を通って逃げ出そうとしたゴブリンも残念ながら逃げること叶わず出る直前に力尽きていたが。

 

「どうやら、正真正銘全滅したみたいね」

「それじゃ、証拠の写真だけ撮って帰りますか?」

「そうしましょ」

 

 こうして二人と一匹はギルドへの報告用の写真をPDAのカメラ機能を用いて撮影し、元来た道を辿ってイートまで帰るのだった。

 

 

***

 

 

 依頼を終え、依頼人の村長への報告を済ませた二人はレンタルした車に乗って数時間揺られながらイートへと戻って来た。そしてその足でレンタルした車とロケットランチャーを返却し、更に依頼達成の報告と報酬の受け取りまでを終わらせた二人は少し早めの夕食を摂りにギルドに併設された酒場へと向かった。少し早めに入ったからか店内はまだ人影が少なく、何処でも好きな場所に座る事が出来る状態だった。

 

 二人は適当に空いているテーブル席に座ると、適当に料理とビールを注文する。因みにパーティーを組んでから分かった事だが、クレアはなかなかに酒豪な様だ。

 

 数分程で料理とビールが来たので、二人は一先ず依頼達成を祝して細やかながら乾杯をした。

 

「それじゃ、生態不確定の依頼無事達成を祝って乾杯、ね」

「はい」

「くぅん!」

 

 二人は軽く杯を上げると、杯を傾けビールを流し込む。それに合わせてウォールもスープ皿に入ったミルクに口を付けた。

 サフィーアは杯の五分の一程を飲んだ辺りで口を離したが、クレアは一気に全部飲み切ってしまった。そして杯が空になるとウェイトレスに声を掛け早くも二杯目を注文した。

 

「すみませ~ん! ビールもう一杯追加でッ!」

「は~い!」

「もう慣れましたけど、よく一気に入りますね?」

「これくらいどうって事ないわよ。さ~て、いただきますっと」

 

 仮にもジョッキ杯一杯を一気飲みしたにもかかわらず全く変化を見せないクレアに関心半分呆れ半分になりながら、サフィーアも料理に手を付けた。ドレッシングの掛かったサラダをフォークで刺し、瑞々しい野菜を口の中に放り込む。量が若干控えめであった事もあるだろうが、日中の戦闘と森の中の移動で思ってた以上に体力を消耗していたのかサラダはあっという間に彼女の腹の中へと消えてしまった。

 

 早くもサラダをぺろりと平らげてしまったサフィーアの近くに、何も言っていないのにトレーが差し出された。それを特に不思議にも思わず、サフィーアは空になった皿をそのトレーに乗せた。

 

「ありがと。お願いね」

「キキッ」

 

 礼を言われた相手は、甲高い鳴き声の様な返事を返すとサフィーアの腰より少し上程度までしかない身長で空になった皿とついでにクレアが飲み干したジョッキ杯を乗せたトレーを厨房に運んでいった。

 その“小さく緑色”の背中を、サフィーアはしみじみとした様子で見送った。

 

「不思議ですよねぇ」

「ん? 何が?」

「昼間はあれだけ叩き切ったっていうのに、今はああして普通に接してるんですもん。同じゴブリンとは思えませんよ」

 

 今サフィーアの座るテーブルから食器を持って行ったのは、日中彼女達が討伐したモンスターと同じゴブリンであった。

 が、何もかも同じではない。

 

 あのゴブリンは俗に『ヘルパー種』と呼ばれるゴブリンだった。

 ヘルパー種とは、とても温厚な性格のゴブリンでありカーバンクルと同じく人間などと友好的なモンスターの代表格である。その多くは森の中に生息しているが、中には人間と共存する道を選ぶ者も居りこうして人間他理性的で高度な知能を持つ種族の小間使いとして生活していた。

 これに対し二人が日中に討伐したのは『ヴィラン種』と呼ばれるゴブリンである。こちらは読んで字の如く自分達以外の全ての種族に対し非常に攻撃的で残忍な性質をしていた。

 

 この両者は同じゴブリンでありながらも性質が180度違っており、しかもお互いに相手を同種族とは見なしていないのかヘルパー種はヴィラン種には近付こうとせずヴィラン種はヘルパー種に躊躇なく襲い掛かるのだ。一般にヘルパー種が他種族の中で小間使いとして生きる経緯は、人間などが自発的に森に入ってヘルパー種を連れてくるか、ヴィラン種に追われたヘルパー種が身の安全と引き換えに小間使いとなるものが殆どだった。

 

「別に不思議な事じゃないでしょ」

「そうですか?」

「人間だって似たようなものじゃない」

 

 サフィーアが溢した疑問に、クレアは然も当然と言った感じで答えた。それどころか、『偽らないだけ人間より分かり易い』とまで言い放つ始末。

 ともすれば人間はヴィランゴブリン以下とも取れるこの答えに対し、サフィーアは肯定も否定もしなかった。出来なかった、と言った方が良いかもしれない。何しろ彼女は自分に向けられるものに限定されるが、他人から向けられる思念を感じ取る事が出来る。分かり易く言えば、嘘などを一発で見抜く事が出来るのだ。

 当然これまでに嘘と吐かれたことは何度もある。それこそ子供の悪戯や誤魔化しレベルのものから、明確な悪意を持ったものまで。その中でも、悪意を持って放たれる嘘は大抵笑みと甘言を伴うものが殆どだった。

 

 人間に限った話ではないが、高度な知性ある者は相手を貶める悪意を偽る。悪意を隠して近付き、相手が油断した瞬間に隠していた悪意を解き放つのだ。

 幸か不幸かサフィーアは常人以上にそれを実感出来てしまう。出来てしまうからクレアの言葉を否定することも出来なかったのだ。

 

 自然と気分が沈み、険しい顔になってしまうサフィーア。そんな彼女に、クレアは務めて明るく声を掛けた。

 

「ま、それでも欲望を自制せずに振舞うモンスターの方がずっと醜悪だけどね。サフィだって人間の悪いところばかり見てきた訳じゃないんでしょ?」

「も、勿論!」

「じゃ、それが答えよ。難しく考えること無いじゃない」

 

 クレアはそう言うとジョッキのビールを一気飲みし、ヘルパーゴブリンを呼んで空のジョッキを片付けてもらった。そこには相手がモンスターだからと距離を取るような様子は見られない。目の前に在るが儘を受け入れているのが見て取れた。

 偏見の一切を捨てたその様子に、サフィーアは肩から力が抜けていくのを感じた。毒気が抜かれたと言ってもいいかもしれない。クレアは目の前にあるものをそのままに受け入れる、それはサフィーアの様に他人と決定的に違うところを持つ者にとって何よりもありがたい事であった。

 

 感謝やら何やらで思わず涙ぐみ、改めてパーティーを組めた事にサフィーアは感謝した。

 だが次の瞬間、彼女の前にあった皿から肉が一切れ持っていかれてそれらが全部吹き飛んだ。

 

「あっ!? ちょ、それあたしのッ!?」

「早い者勝ちよ~ん! 悔しかったらサフィも奪ってみなさ~い!」

 

 たちまち二人の卓は騒がしくなった。それはクレアの気遣いによるものであたのかもしれないし、そうではないのかもしれない。

 ただ一つ言える事は、今この場には超古代文明人の末裔など存在しない。何処にでも居る、女傭兵が二人居るだけであった。

 

 

***

 

 

「失礼、ちょっとお訊ねしたいのですが」

 

 それから暫く経ち、腹も膨れ酔いも少し回って来た頃。突如として二人の卓に一人の女性が近付き声を掛けてきた。見ると女性の耳は長く尖っており、顔立ちも目を見張るほど美しいのでエルフであることがわかる。

 

「はい、何でしょう?」

 

 ちょうど彼女が声を掛けてきた瞬間、クレアは最後の一杯を胃に流し込んでいる最中だったので、サフィーアが応えると彼女はメガネの縁を指で押し上げながら皿に問い掛けてきた。

 

「お二人はクレア・ヴァレンシアさんとサフィーア・マッケンジーさんで宜しいですね?」

「えぇ、間違いありません」

「私、クロード商会の会長秘書を務めている者です。突然で申し訳ないのですが、会長からの伝言をお伝えに参りました」

 

 クロード商会の会長秘書と名乗る女性を前に、サフィーアとクレアは揃って顔を見合わせた。だがそれも一瞬の事で、次の瞬間には再び女性の方に顔を向け話の続きを促した。

 

「伝言って?」

「明日の午前10時に、オブラの傭兵ギルドにお越し願いたいそうです。お二人を指名で依頼をしたいとの事で」

 

 どうやらビーネが直々に二人を指名して依頼をしたいらしい。これは決して珍しい事ではなく、依頼人の中には懇意にしている傭兵や名立たる傭兵を名指しで指名し依頼することがある。

 しかし数少ないAランクのクレアはともかくとして、まだB-のサフィーアまで名指しとは彼女にとっても予想外であった。ビーネとサフィーアが出会ったのはクレアとパーティーを組む前の話である。にも拘らず名指しをしてきたという事は、クレアを指名するついでに彼女を雇おうとしたのではなく彼女自身を頼って指名したという事だ。

 

 以前受けた依頼を達成した時に気に入られたのだろうか? そんな風に考えサフィーアが首を傾げていると、伝えたい事を伝え終えたからか女性はその場から立ち去ってしまった。後には二人と一匹だけが残される。

 

「どうやら、明日も忙しくなりそうね」

「ですね。あの会長さんの依頼ですもんね。しかもクレアさんまで名指しってことは、雑用レベルでないことは確実っぽいです」

「ま、精々気張るとしますか。ところでさ……」

 

 クレアはそこで言葉を区切ると、視線をサフィーアの膝の上に向けた。そこには二人と同じように腹も膨れ、腹ごなしとばかりにサフィーアにじゃれついていたウォールの姿があるのだが――――

 

「ウォールはどうしちゃったの?」

 

 先程の秘書が来た辺りからウォールの動きはまるで映像を一時停止したように止まり、今は可能な限り体を丸くしていた。その様はまるで何かに怯えているようでもある。

 

「あ、あはは、は…………」

 

その理由を知るサフィーアは、クレアの問い掛けに対し乾いた笑いを溢す事しか出来ないのであった。




ご覧頂きありがとうございました。ご感想等いただけますと、大変励みになりますのでどうか宜しくお願いします。勿論誤字脱字や批判等も受け付けております。

次回の更新は日曜日の午前と午後を予定しております。


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第13話:有難くも疲れる縁

読んでくださる方達に最大限の感謝を。


 翌日、二人は指定された時間に間に合う様にイートのギルド支部に訪れていた。既に話が通っているのか、受付でナタリアに声を掛けると真っ直ぐ応接室に通された。

 思えばギルドの応接室にもここ最近頻繁に訪れるようになった気がする。そんな頻繁に訪れるような場所ではない筈なのだが、これも何かの縁だろうか?

 

 そうそう、縁と言えば…………

 

「はぁ~いぃ、数日ぶりで~すねぇ」

 

 この人とも縁があると言って良いかもしれない。

 

 今サフィーアとクレアの対面には、ビーネが昨日二人に伝言を伝えに来た秘書と並んでソファーに腰かけていた。彼女は足を組みながら優雅にソファーに腰かけ、何が楽しいのかニコニコと笑みを浮かべている。

 胸が真っ平であること以外は整った容姿のビーネがソファーに腰かけ笑みを浮かべる様は非常に絵になるのだが、先日散々に振り回された一件があるのでどうにも警戒してしまう。

 

 しかし仮にも相手は自分を指名してきた依頼人だ。ならば相応に扱うべきと自分に言い聞かせ、サフィーアは若干の牽制の意味も込めてビーネに話し掛けた。

 

「まさか、あたしまで指名されるとは思いませんでしたよ」

「んふ~ふぅ、ご謙そ~んをぉ。若手の傭兵としては異例の速さでB-まで上り詰めたサフィーアさんが優秀でない筈が無いじゃありませ~んかぁ」

 

 ビーネによる真正面からの賞賛に、サフィーアはこそばゆくなり『どうも』と答えるしかできなかった。何だかんだ言って自分は未だ経験の浅い未熟者であると言う自覚はある。今でこそクレアとパーティーを組ませてもらい、その近くで色々と学ばせてもらっているがたかが数日でどうにかなるようなものでは無い。どうしても知識が足りなかったり実力が及ばない時は来る。

 

 その時の事を考えると、こういう賞賛は自分には分不相応なのではないかとサフィーアは考えてしまうのだ。それ故に、彼女は思わず顔を伏せてしまった。

 

 一方その原因たるビーネはと言うと、そんなサフィーアの様子を楽しそうに眺めている。

 見かねたクレアが二人の間に割って入るかのように声を上げた。

 

「それはそうと、今回の依頼は? うちの妹分をべた褒めする為だけに呼んだ訳じゃないんでしょ?」

 

 釘を刺すようにクレアが言うと、ビーネは肩を竦めテーブルの上に置かれたカップを手に取り優雅に口を付けた。

 

「ん~、これまでにいろいろな街のギルド支部にお邪魔してきま~したがぁ、この街の支部で淹れてもらった物が一番で~すねぇ」

「話逸らさないでもらえるかしら?」

「おやお~やぁ、そんな態度で良いんで~すかぁ? これでも一応お得意様で~すよぉ?」

「今までの付き合いであんたにはこれくらいでも問題無いって分かってるんで」

 

 以前軽く触れていたが、クレアとビーネには面識がある。考えてみれば、クレアは数少ないAランクの傭兵であり、ビーネはギルドと密接に関わりのある大手の商会の会長でありしかも女性だ。であれば、同じ女性で腕利きのクレアを頻繁に指名していてもおかしくはない。

 恐らくこれ以前にも何度か指名で依頼を受けたことがあるのだろう。

 

 しかしそれにしたって、相手は一応依頼人である。程度の違いこそあれ傭兵は依頼人相手には基本下手に出るものなのだが、クレアにはそのつもりは一切ないのか堂々とした立ち振る舞いでビーネと対峙していた。

 その様に羞恥から回復してきたサフィーアも内心で冷や汗を流すが、思いの外ビーネは不機嫌そうな素振りは見せずカップの中身を飲み干すと仕事の話を始めた。

 

「それで~はぁ、真面目にお仕事の話と行きましょ~かぁ。アイラちゃ~ん」

 

 ビーネが秘書――アイラと言うらしい――に声を掛けると、彼女は持っていたアタッシュケースから数枚の書類を取り出しテーブルの上に置いた。今回の仕事の資料らしい。二人は一言断って書類を手に取り、その中身に目を通していく。中身はどうやら何処かの森を上空から撮影した写真のようだが、その中に一点おかしな部分があった。

 

 森の中に突如として突き出ている人工物。半ば森に飲み込まれて蔦やら何やらが絡みついているが、それでも緑の合間にチラチラと建物の壁の様なものが見て取れる。

 見た所場所は何処かの街の中と言う事もなく完全に人の生活圏外であるように見えるが、これは一体何だろうか?

 

「ん~? これ、は…………?」

 

 案の定サフィーアは訳が分からないと言った風に何度も首を傾げているが、クレアはこれが何なのかすぐに分かったのか少し眺めてから口を開いた。

 

「遺跡ね?」

「ウイウイ。うちの商会でチャーターした輸送機が偶然捉えたもので~すぅ。確認を取ったと~ころぉ、未だ未発見の新たな遺跡である事は確実みたいで~すぅ」

 

 クレアとビーネの会話にサフィーアはなるほどと頷いた。言われてみれば緑の合間に見える壁はかなり年季が入っている様で汚れや風化が確認できる。確かにこれは遺跡――――超古代文明時代の遺跡の様だ。

 

 しかし分からないのは、何故これを態々傭兵であるサフィーア達に持ってきたのかと言う事だ。こういうのは傭兵よりも考古学者の方がずっと有効活用できるのではないだろうか?

 

「あの、何であたし達に遺跡の写真なんて持ってきたんですか? 正直あたし達に遺跡の調査なんて無理難題以前の問題だと思うんですけど」

「ノンノン。遺跡の調査は後回し、まずは遺跡が私の商会に占有権がある事を確固たるものにする必要があるんで~すぅ」

「占有権?」

「遺跡は宝の山だからね。出土品も調査内容も物によっては物凄い価値があるから、他所の連中が手出しできないようにする必要があるのよ」

「何しろ遺跡は誰の物でもありませんか~らねぇ」

 

 ビーネの言葉に、サフィーアは三等校で習った事を思い出した。

 

 通常遺失物は勝手に所有することを許されないが、遺跡他人間の生活圏外で発見されたものに関しては手続きさえ済ませてしまえば拾得者に所有権が移譲される。郊外に落ちている遺失物は多くの場合既に持ち主がモンスターの餌食となって死亡している場合が多いからだ。余程明確に元の持ち主が特定できて且つ生きている場合を除いて、人里離れた森の中や山中で見つけた落し物は見つめた人物の物となる。

 今回の場合もそれが適用されるのだろう。

 

 しかしそうなると、今度はビーネ達が何を求めているのかが分からなくなってしまった。手続きさえ済ませてしまえばいいのなら、別に傭兵の出番など存在しない筈である。

 

「でも、やっぱり傭兵の出番があるとは思えないんですけど?」

「サフィは遺跡絡みの依頼は初めて?」

「え? はい」

「なら仕方ないか。今回私たちに求められてるのは手続き完了まで遺跡に留まるクロード商会の人間の護衛と警護なのよ」

「警護?」

 

 護衛ならまだ分かる。長い間放置された遺跡には小型のモンスターが棲み付く場合がある為、現地に赴く一般人を護衛する必要があった。だが警護と言う言葉が出てくる理由が分からない。

 サフィーアが首を傾げていると、クレアが彼女の疑問を解消してくれた。

 

「遺跡を見つけるのは、何もクロード商会に限った話じゃないって事よ。他の商会や企業も何らかの方法で見つけるかもしれないし、そうなればそいつらもお宝を独り占めしようと占有権の確保に乗り出す筈。その時、最後まで遺跡を確保し続けた人間が遺跡の占有権を手にするのよ」

 

 当然ながら口先だけで確保できるほど占有権は安くはない。遺跡の場合手続きの最終確認として国際機関の人間が現地に赴き申請者と関係のある者が遺跡に留まっている事を確認して初めて占有権を手に入れる事が出来る。それまでの間に別の組織の人間が遺跡を確保してしまえばクロード商会に占有権は発生せず、遺跡を確保した余所者に占有権が発生してしまう。

 

 この辺りが『早い者勝ち』の所以であろう。

 そして今回、サフィーアとクレアにはその他のライバル企業などの放つ傭兵を追い払うことが求められたのだ。

 

「なるほど」

「仕事内容は理解できたみたいね。それで、場所はどこに?」

「ここから車で南に5日ほど移動したところで~すねぇ。遺跡に着く直前に近くの街に立ち寄りま~すのでぇ、そこで一旦休憩してから改めて遺跡に向かってもらいま~すぅ」

「出発は明日の正午。それまでに準備を整えておいてください」

「あと現地にはこちらのアイラ・クロードちゃんも同行しま~すのでぇ、仲良くしてあげて下さ~いねぇ」

 

 ビーネの話を聞きながら、サフィーアは頭の中で必要な物をピックアップしていく。

 

 まず携帯食料と水、これは必須だ。往復の道中で消費する分に加え、非常時に備えて余分に持っていく必要がある。それと剣に使用する特殊弾もそろそろ補充を考えた方が良いかもしれない。これは一般には流通していない品なので、この後すぐにでも武器屋に発注しておかなければ。

 向かう場所が遺跡という事を考えた場合、屋内戦も想定するべきだろう。遺跡内部は暗い事も予想されるので、発炎筒なんかも用意しておくべきか。

 

――――と、そこまで考えた所で不意にサフィーアはビーネの口から無視できない単語が飛び出た事に気付いた。

 

「んん? クロード?」

 

 ビーネの商会の名前がクロード商会。そして彼女の秘書のファミリーネームはクロード。偶然とは思えない一致に訝しげな顔をアイラと呼ばれた秘書に向けると、彼女は何とも居心地の悪そうな様子で顔を背けた。

 

 この反応は、もしや――――

 

「んふ~ふぅ、お気づきの通りこの子は前会長の一人娘で~すぅ」

「えっ!? それが何で秘書に? 見たところ子供って訳でもなさそうですけど?」

 

 エルフは人間に比べて寿命が長い。故に年齢とが意見が一致しない場合が多いのだが、これまでの行動を見る限りアイラが子供という事はなさそうだった。にも拘らず、何故彼女が会長ではなくビーネが会長の座に就いているのだろうか?

 

 その答えはサフィーアの隣のクレアから齎された。

 

「私知ってるわ。その子前会長が急死するまでずぅっと遊び惚けてたんだって」

「うぐっ?!」

「遊び惚けてた?」

 

 クレアの言葉にアイラは胸を撃たれたように呻き声を上げた。サフィーアがその様子に素っ頓狂な声を上げると、ビーネが追撃となる言葉を放った。

 

「お嬢様ときたら困った事に自分に次代の会長の座が回ってくるのはあと5~60年後だろうからと会長の座を引き継ぐ為のお勉強をサボり続けていたんで~すよぉ。そこにきて不慮の事故による大怪我で余命僅かになった前会長は今際の際に私に会長の座を譲られたんで~すぅ。お馬鹿なお嬢様が会長になれるくらい立派に育ててくれと言う遺言とと~もにねぇ」

「ぐふっ?!」

「ま~ったく困ったお嬢様で~すぅ。調子に乗ってるから私なんかに会長の座を取られちゃうんで~すよぉ、そこのところ分かってるんで~すかぁ? プライドだけは立派なハリボテお嬢~様ぁ?」

 

 容赦のない言葉の連続に、アイラは悔しそうに目尻に涙を溜めている。しかし言ってることは正しいと分かっているのか、反論することはなかった。

 

 それにしてもハリボテと来たか。言われてみれば昨夜酒場でサフィーア達を訊ねてきた時彼女は二人に対してややつっけんどんな態度を取っていた気がするが、あれは少しでも自分を大きく見せようという虚勢からくるものの様だ。

 分かってしまえば何てことはなかったが、それにしてもビーネの応対は手厳しいなんてものではないように思う。今も彼女はアイラに対しネチネチと嫌味を言い続け、アイラはそれに耐え続けている。これは流石にやり過ぎではないだろうか。

 

「あれも修行の内よ」

「クレアさん?」

「あぁやって他所の連中に舐められた態度を取られても平常を保てるように鍛えてるのよ。いざ彼女が商会のトップに立った時、言葉一つで相手にイニシアチブを取られたりしないようにね」

 

 やはり女で若造となると、如何に大手の商会の会長であろうと他所の経験豊かな者達に嘗められるらしい。それを防ぐにはどんな嫌味にも一ミリも表情を動かさない神経の図太さか、若しくは相手の言葉にそれ以上の威力のある反撃が出来るだけの頭の回転が求められるのだろう。

 確かに普段からあんな嫌味を言われ続けたら、嫌でも罵倒に対して耐性が出来る。これも愛の鞭という事だろうか。一見するとどうしても虐めているようにしか見えないが、今まで会長になる為の勉強をサボってきたアイラが立派な会長になる為にはあれ位のスパルタが必要だと言う事か。

 

 思えばサフィーアも傭兵になる事が許される前は両親に厳しく鍛えられた。腕っぷしだけでなく、内面も。特に命のやり取りに関する部分は念入りに鍛えられた気がする。まぁこの能力を持っている以上、傭兵をやるなら常人以上にしっかり鍛えておかねばとても精神が持たないだろうが。

 等と考えていると、いつの間にかビーネがサフィーアの目の前に佇んでいた。背後を除けばそこには燃え尽きて真っ白になったアイラがソファーに力無く腰掛けている。散々弄り倒されて精根尽きたらしい。

 

 今のやり取りを見た者としては彼女が明らかにこちらに狙いを定めて警戒を露にしてしまうのだが、それに反してビーネの応対は極めてフレンドリーなものだった。

 

「どもど~もぉ、今回も宜しくお願いしま~すねぇ」

「あ、はい。こちらこそ」

「んふ~ふぅ、そんなに警戒しなくても大丈夫で~すぅ。別に取って食ったりはしませ~んからぁ」

 

 そう言うビーネからは確かに邪念は感じなかった。邪な念を抱いていないのであれば、サフィーアも流石に警戒はしない。

 

「用があ~るのはぁ、どちらかと言~うとぉ…………」

 

 ビーネは言葉を区切ると、素早くサフィーアの左側を覆っている肩マントの裾に手を掛けた。アッと思う間もなく彼女はマントを捲り、その下に今までずっと隠れていたウォールの姿――全力で体を丸めて前足で耳を押さえ、必死に『僕此処にいないよ』とアピールしている――を露にした。

 もう見つかっているのに必死に自分の存在を隠しているウォールにビーネは笑みを浮かべ、その背中をツンツンと突く。その度にビクンと体を震わせるルビーを不憫に思い、サフィーアはウォールを抱き上げビーネから遠ざける様に抱きしめた。

 

「そこまでにしてあげて下さい。可哀そうですから」

「すみませ~んねぇ。でも可愛かったで~しょぉ?」

「いやまぁ…………うん」

「くぅんッ!?」

 

 可愛いか否かで聞かれたら確かに可愛い。そこは認めざるを得なかったので思わず頷けば、すかさずウォールが責めるような縋るような何とも言えない目で見てきた。心情を代弁するなら『頼むよ、おいッ!?』と言ったところだろうか。

 

「あっ! いや、ウソウソ。可哀そう可哀そう、うん」

 

 慌ててサフィーアが取り繕うと、今度は彼女の頭をビーネが撫でてきた。

 

「仲良くなって頂けたようで何よりで~すぅ。それでは今回の依頼も宜しくお願いしま~すねぇ」

 

 ビーネはそう言ってサフィーアから離れると、クレアにも一声掛けてから漸く復活してきたアイラを伴って応接室から出ていった。

 二人を見送って、クレアは小さく溜め息を吐きながらカップに残ったすっかり冷めた紅茶を飲み干した。対してサフィーアはと言うと、ウォールを抱きしめたまま思いっきりソファーの背もたれに背中を預ける。

 

 そして――――

 

「つ、疲れる」

 

 溜め息と共に力なく弱音を吐き、改めてビーネの相手が精神的に堪える事を実感したのだった。




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第14話:準備完了、出発進行

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 ビーネ達と分かれたサフィーアとクレアは、ギルドを出ると早速次の依頼の準備に奔走した。

 道中の水と食料、戦闘時の閃光玉や煙玉、負傷した際の医薬品などだ。その中でも戦闘で消費する物は多めに用意しておく。と言うのも、クレア曰く遺跡には少なくない確率でモンスターが巣食っていたり、或いは遺跡自体に何らかのトラップが仕掛けられている可能性があるからだそうだ。

 遺跡に行く直前に一つの街に立ち寄るそうだが、早め早めに準備して損はない。

 

「何しろ長い間放置されてる訳だしねぇ。小型のモンスターが住処にしてることもあるし、元が重要施設かなんかだった場合遺跡自体に超古代文明人が侵入者対策で保存しておいたモンスターが居たりすることがあるのよ」

 

 超古代文明人はその科学力で以て生命の神秘の領域にすら手を伸ばしていたらしい。その中には、既存のモンスターとは異なり人工的に生み出され長期間休眠状態になれるものもあるのだとか。迂闊に遺跡に立ち入ると、迎撃機能の一環としてそいつらが目覚め襲い掛かってくることがあるので、遺跡の探索には戦闘要員の同行が必須なのだそうだ。

 因みにクレアの場合は、過去に何度か受けた遺跡探索系の依頼で二回ほどそう言うのに出くわした事があるらしい。

 

 宿の部屋の中でそんな話を聞きながら、サフィーアは手にした発注書に剣で使用する特殊弾――『マギカートリッジ』の必要量を書き込んでいく。

 荷物をある程度纏め終えたクレアは、手持ち無沙汰になった事もあってかそれに興味を抱いた。

 

「何してるの?」

「あたしの剣に使う特殊弾の発注です。普通に出回る品じゃないから今の内に武具屋に出しておかないと」

 

 そんな風にぼやくサフィーアの傍らには、この後整備するつもりと思しき彼女の剣が置かれていた。

 

「何度見ても変わった剣よね。え~と、確か名前は…………」

「『サニーブレイズ』です」

「あ、そうだったそうだった。ちょっと見てもいい?」

「いいですよ」

 

 クレアはサフィーアから受け取った剣――サニーブレイズを色々な角度から眺めている。闘士の彼女は普段剣と関わり合いになる事は殆ど無いが、全く無い訳でもない。それでも剣に銃の機構を組み込みインスタントにマギ・バーストが行えるようにした物など初めて見た。

 

「これ、マエストロ・ガンスの作品なのよね?」

「えぇ。何でも、先代のガンスが昔父さんの戦いを見て、それを参考にして練り上げた構想を今のガンスが形にしたんだとか」

「あら、サフィのお父さんと知り合いだったの?」

「みたいです。この剣の名前も父さんから取ったって聞きました。あたしの父さん、サニーっていうんです」

 

 サフィーアの話に興味深そうにしつつ、クレアは手にしたサニーブレイズを軽く振った。彼女は拳で戦う闘士だったが、それでもこの剣の良さが分かった。

 

 銃の機構を仕込んである為どうしても重くなりがちだが、かと言って身の丈ほどの大剣などの様な重さはない。攻撃に力を乗せやすく、防御の際に踏ん張ることも出来るくらいには頑丈そうだ。しかもこの剣、銃の機構を組み込む関係でそうなったのであろうが、柄が刃側に向けて若干倒れている。このおかげで上手からの攻撃には大きな力が乗りやすく、更にほんの僅かな動きで攻撃の角度を変化させることも可能としていた。

 これは単純に剣に銃の機構を応用して手軽にマギ・バーストが行えるようにしただけでなく、剣単体としても高い完成度を誇る武器なのだ。流石はマエストロ・ガンスの手掛けた一品と言えるだろう。

 

 惜しむらくは、サフィーアが未だ経験不足の若輩者であるという点だろうか。彼女は未だこの剣の能力を100%扱いきれていない節があった。

 だがそれは、今後経験を積めば大きく化ける可能性がある事を示唆していた。これから先多くの戦いを経験した結果、彼女は一体どれ程強くなるのか? その事を考えるとクレアの口元には自然と笑みが浮かんでしまっていた。

 

「クレアさん?」

 

 クレアからやや不穏な思念を感じ取ったサフィーアが、やや怪訝な表情を浮かべそちらを見た。視線を向けられると、クレアは微笑みながら剣を返すとベッドに飛び乗る様にして腰かけた。

 

「将来が楽しみね」

「はい?」

「良い女になるって意味よ」

「それは、どういう方向での話ですか? 絶対言葉通りの意味じゃないですよね?」

「そ~んな事ないわよ。言葉通り、いい女になるわよ貴女。色々経験しなさい」

 

 意味深なクレアの言葉に、しかしサフィーアは首を傾げる。思念は読み取れても思考は読めないのだ。故に、彼女は常人よりも一歩進んで一歩足りないレベルで相手が理解できてしまう。

 それがどうしてももどかしくて、サフィーアはどこか釈然としない顔になってしまった。

 

 そんな彼女の頭を、クレアは笑みを浮かべながら撫でるのだった。

 

 

***

 

 

 翌日、二人は指定された時間である正午まで、宿の中で過ごしていた。時間になればクロード商会の人間が迎えに来てくれる手筈になっているからである。

 

 そして正午、早めに宿の食堂で昼食を摂り終えた二人が部屋で茶を啜りながら雑談に花を咲かせていると、何者かが部屋のドアをノックした。ドアに近い場所に居たサフィーアが応対して開けると、そこにはアイラの姿があった。

 

「お待たせしました。こちらの準備が整いましたのでお迎えに上がりましたが、そちらは?」

「こっちも大丈夫ですよ。クレアさん」

「は~いよっと」

 

 サフィーアに呼ばれて自分のと彼女の二人の荷物を持ってドアまで移動するクレア。彼女から装備と荷物を受け取ったサフィーアは、ウォールを肩に乗せると彼女と共に部屋を出てドアの鍵を閉めた。

 彼女が鍵を閉めたのを見て、アイラは二人を伴い宿の外へと向かう。

 

 フロントで鍵を返しつつアイラについていくと、宿の前には既に一台の車が停まっていた。あれに乗って移動するらしい。

 

 アイラが素早く車に近付き後部座席のドアを開ける。二人が入ると、アイラはドアを閉め自分は助手席に座り運転手に指示を出した。

 

「出してください」

「はい」

 

 ゆっくり走り出した車は真っ直ぐ街の南ゲートに向かい、門衛の許可を得て街から出て街道を進んでいく。途中他のスタッフが乗った別の車が合流し、計二台で遺跡に向けて速度を上げた。

 街中を走るのに比べると大分速度が速いが、言うまでもなく街道に速度規制等無いので個人の技量が許す限りの速度で走ることが出来る。ドライバーの中にはそれを利用して街中やその周辺では到底できない様な危険な運転を楽しむ者もいた。

 

 幸いなことに、クロード商会のドライバーは極力安全運転を心掛けてくれる人物だったらしく、速度は速いが極めて快適な乗り心地が維持された。

 その乗り心地の良さにクレアも満足気に背もたれに体重を預けた。

 

「ふ~ん、流石はクロード商会所有の車ね。乗り合いバスとは大違いだわ」

「こんなのまだまだ、我が商会は飛空艇も所有しています」

「飛空艇ッ!? ホントにッ!?」

 

 飛空艇は空飛ぶ船とも呼ぶべき乗り物であり、言うまでも無く一隻の値段はシャレにならない額に上る。当然一般人が個人的に所有できる筈もなく、傭兵や庶民が乗るには航空会社所有の長距離移動用高速飛空艇を利用するしかない。しかしそれも料金が高くおいそれと乗れるものではなかった。

 クロード商会はそれを当然のように所持しているという。

 

 顔は見えないが確実に得意気な顔をしているだろうアイラの発言に飛びつくサフィーアだったが、直後にクレアが呆れ交じりに呟いた。

 

「威張れるのはあんたじゃなくてビーネでしょうが」

「た、確かに使用権限は会長にあるかもしれませんが、会長が所持しているという事は商会の所有物という事でも――」

 

 クレアの指摘に慌てた様子で取り繕うアイラだったが、更にクレアが追撃の指摘をした。

 

「そもそもそれ、商会の所有物じゃなくてビーネの個人所有の飛空艇でしょ? でなけりゃ何で態々輸送機をチャーターする必要があるのよ?」

 

 大体、商会所有の飛空艇があるのなら態々輸送機をチャーターする必要はない。ただでさえ飛空艇は高いのだから、自分達で持っているならそちらを使う方がずっと安上がりなのだ。

 にも拘らず、先日の話ではクロード商会は輸送機をチャーターしている。これが意味するところは、アイラの言う飛空艇とはビーネの個人所有の小型飛空艇であると言う事に他ならない。少なくとも大きな荷物を運ぶのに使えるようなものでは無いことは確実だ。

 

 まず間違ってもアイラが威張れる道理はない。

 

「う、うぐぅ」

「あ、えっと、でも、チャーター出来るだけでも凄い事なんじゃないですか? そんじょそこらの商会じゃ輸送機のチャーターだって簡単にできる事じゃないでしょうし、ねぇ?」

 

 目に見えて落ち込み始めたアイラに、サフィーアが慌ててフォローを入れる。

 流石にこの手の事に対して門外漢のサフィーアの言葉ではあまり慰めにはならなかったようだが、それでも多少は救われたのかサフィーアは彼女からの感謝を思念でだけだが受け取った。言葉でそれを表せなかったのは、彼女の中で燻ぶる意地やプライドによるものだろうが、サフィーアにはそれで十分だった。

 

 サフィーアは優しく笑みを浮かべながらアイラの肩に手を置く。アイラはそれを一瞬乱暴に振り払おうとしたが、思い留まったのかそのままサフィーアの手を受け入れた。

 クレアはその様子をやれやれ、と頭を振りながら眺めていたのだった。

 

 

***

 

 

 現在世界で最も大きな勢力を持つ商会は言うまでもなくクロード商会だが、当然ながら商会は他にも多数存在している。その大半はシェアをクロード商会に取られてしまっている為商いも小さな規模に留まってしまうものが多いが、中には虎視眈々とクロード商会のシェアを奪い取らんと活動を続けている商会も存在した。

 ここ、独立国『リオ』を本拠地とする商会『ディットリオ商会』もその一つだ。彼らはクロード商会には及ばないが豊富な資金源を持っており、その力で以て優秀な人材を引き入れたり他の小さな商会を取り込んだりして着々と勢力を伸ばしつつあった。

 

 そんなディットリオ商会の会長が、オフィスで部下からの報告を受け取っていた。

 内容は、クロード商会が新たな遺跡を発見しその占有権を確保しようとしている、と言うものだった。

 

「くそ、忌々しいアーマイゼめ! もう行動を起こしおったか」

「既にアーマイゼ会長は占有権確保の手続きに動いており、部下が遺跡の確保に向かっているとの情報もあります」

 

 ディットリオ商会の会長は部下からの報告に苦虫を嚙み潰したような顔になった。実は遺跡自体は彼らもとっくの昔に見つけていたのだが、手続きの為に向かわせた部下がモンスターに襲われてしまい肝心の占有権確保への動きが遅れてしまっていたのだ。

 即座に次の行動に移ろうとしたディットリオ商会だったが、その前にクロード商会に動かれ先を越されてしまった形となっていた。当然、ディットリオ商会としては面白くない。

 

 勿論クロード商会の行動を静観している彼らではない。こんな事もあろうかと初動で躓いた時点で傭兵を雇っておいたのだ。他の連中が遺跡を見つけても、確保する事が出来ないようにする為の傭兵を…………

 

「早速だが出番の様だ。遺跡に向かうクロード商会の連中を足止めしろ。最悪殺しても構わん」

 

 ディットリオ商会会長からの指示に、頷いたのは三人の傭兵だった。

 

 一人は今時珍しい全身鎧に身を包んだ大柄な傭兵だ。ともすれば大昔の騎士や戦士とも言える風体だが、背負ったバックパックとベルトマガジンで繋がったでかいマシンガンが酷くミスマッチである。

 

 二人目は日に焼けた黒い肌とドレッドヘアーが特徴の男だ。こちらは一人目とは打って変わってひょろっとしている。しかしそれは不健康的なそれではなく、完全に無駄なく鍛え上げられたことが伺える頑丈な細さだった。

 

 そして最後の一人――――

 

「連中は護衛を雇ってんのか?」

 

 左腰に剣を二本差した、長い茶髪を項の辺りで一纏めにしたその傭兵はそう訊ねた。その視線はまさに刃のように鋭く、来るべき戦いを心待ちにしているのが見て取れた。

 

「情報によると二人ほど雇っている様だ。その内の一人は、あのAランク傭兵の『闘姫(とうき)』らしい」

 

 腰に剣を差した傭兵は会長からの情報に口笛を吹く。闘姫――クレアの二つ名である――の実力は彼も良く知っていたのだ。

 

「相手が相手だ。依頼を達成出来たら報酬には色を付ける。だから絶対にクロード商会の連中を遺跡に近付けるな。いいな!」

「了解だ。行くぜ、ポール、ジャクソン」

 

 剣士の傭兵は仲間の二人に声を掛け、彼らを伴ってその場を後にする。

 残されたのは、ディットリオ商会の会長ただ一人。

 

「クロード商会め…………早々好きにはさせんぞ」

 

 そう呟くと、彼は徐に机に備え付けられた電話の受話器を取るのだった。




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次回の更新は月曜日の午前と午後を予定しております。


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第15話:追撃者たち

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 イートから出発して二日目…………

 

 出発して最初の日は特に問題なかった。道中でモンスターや盗賊の類に遭遇することも無く、寧ろ周囲の景色を楽しむ余裕すら持ちながら一日を終えた。

 少しでも急ぐ為に食事と運転手の交代の時以外は夜中ですら車の中だったが、乗り合いバスに比べれば格段に乗り心地の良い座席(乗り合いバスの乗り心地は本当に悪い)に包まれ快適に過ごしていた。

 

 このまま何事も無ければよかったのだが、当然そんなことある筈もない。案の定、トラブルは発生した。

 

「こぉん、のッ!?」

 

 サフィーアが後部座席左の窓の縁に腰かけながら、右手に持った剣を振るう。言うまでも無く非常に危険な行動だが、こうでもしないと逆にこの場の全員の命が危険に晒される。

 

 何しろ今彼女たちは、複数のモンスターによる襲撃を受けている真っ最中なのだから。

 

「ちぃ、ちょこまかとッ!?」

 

 サフィーアとは反対側の窓から身を乗り出したクレアは、右手を翳しブレスレットに填められたエレメタルに魔力を流して掌から火球をモンスター――狼型モンスターの『ティンダー』――に向けて放つ。長々と溜めている余裕は無かったので即座に撃てる火力の弱い魔法だったが、あの程度のモンスターを倒すだけの威力はある。

 現に今も彼女が放った火球を喰らったティンダーはもんどりうって動かなくなり、あっという間に車から離れていってしまった。

 

 しかし安心してはいられない。ティンダーは大きな群れを作る事で有名なのだ。事実、今クレアが倒した後もすぐに別の個体がその穴を埋めるように前に出てきた。もう何度目になるか分からない光景に彼女は露骨にうんざりとした表情を浮かべた。

 

「あぁん、もうッ!? まだ連中のテリトリーから出ないのッ!?」

 

 ティンダーは一定のテリトリーに入りさえしなければ襲い掛かってこない。逆を言うとテリトリーに入るとどういう訳か視界に居なくても何処からともなくやってきて、こちらがテリトリーの外に出るまで追い掛けてくる。

 一番良いのはティンダーのテリトリーに入らない事なのだが、当然テリトリーの内外の境界は分からないのでティンダーの被害から逃れるには迎え撃ちながらテリトリーの外に逃げるしかない。一応その群れの全てのティンダーを討伐し切るというのも一つの手だが、大抵の場合ティンダーの群れは50匹を軽く超える。しかも足が速い上に頭も働き数の有利を生かして襲い掛かってくるので、真面に正面からやり合うのは非常に危険な相手なのだ。

 

 特に今回の場合は非戦闘員も抱えている上に銃士がいない為、下手に相手をするよりも逃げながら相手をしテリトリーを脱するか向こうが諦めるまで逃げ続けるのがベストな方法だった。

 

「連中に襲い掛かられてから大分時間が経ってるわ。いい加減そろそろテリトリーの外に出る頃の筈だから頑張ってッ!」

「了解ッ!」

 

 クレアの激励にサフィーアは返事を返しながら新たに飛び掛かって来たティンダーを切り捨てる。

 

 とその時、一瞬の隙を突いて一匹のティンダーが車体後部に飛び乗り窓の縁に腰掛けているサフィーアに襲い掛かった。

 

「うわっ、くッ!?」

 

 喰らい付いてきたティンダーの前に彼女は咄嗟に肩マントを巻き付けた左腕を翳した。防刃性にも優れた肩マントのおかげでティンダーの鋭い牙が彼女の左腕に突き刺さる事は避けられたが、万力の如き力の強い顎が彼女の左腕を圧迫した。

 

「ぐぅッ!?」

 

 喰らい付かれた左腕の骨が軋みを上げる。走る痛みにサフィーアは顔を顰め、対するティンダーは追い打ちを掛けるように彼女を車の外に引き摺り出そうと喰らい付いた左腕を引っ張った。

 両手が塞がっている彼女にそれに抗う術はない。精々が脚を窓の縁に引っ掛けるくらいだが、それも長くは持たないだろう。反対側を守っていたクレアが危険を承知で車体の上部に飛び乗ってサフィーアの救援に向かおうとするがそれよりも彼女が引き摺り出される方が早い。

 

 正に絶体絶命のピンチ。そんな窮地を、彼女の相棒は見逃さなかった。

 

「くぅんッ!!」

 

 今にも外に引き摺り出されそうになるサフィーアの体の上を伝ってティンダーの顔に飛び乗ったウォールは、その鼻っ柱に思いっ切り噛み付いた。

 

「ギャンッ!?」

 

 元々攻撃的な性質を持たないウォールの噛み付きではあったが、どう頑張っても鍛えようがない生物としての弱点である鼻っ柱への攻撃は無視できなかったのか堪らずティンダーはその口を離した。すると当然その体を繋ぎ止める物が無くなるので、ティンダーは置いて行かれるようにサフィーアと車から離れていった。

 

「ウォールッ!!」

 

 そのままでは当然ウォールもティンダーと一緒に車から引き離されてしまうが、それよりも前にウォールはティンダーの顔を踏み台にしてサフィーアに向けて飛び掛かった。彼女も次にウォールが取るだろう行動を予測していたので、即座にその体を左腕で抱きしめた。

 

「くぅん!」

「もぅ、危ないことして! でも助かったわ、ありがと」

「くぅんっ!!」

 

 サフィーアが礼を口にすると、ウォールはどんなもんだとでも言いたげに鼻を鳴らした。

 

 直後、突然ティンダーの群れが彼女達の乗る車から離れていった。サフィーアもティンダーの敵意が急速に衰えていくのを感じた。どうやら漸くテリトリーの外へと出られたようだ。

 瞬間、車内には安堵の空気が広がった。

 

「ぬ、抜けたぁ」

「いやぁ、今回はちょいとやばかったかもね。何はともあれ、お疲れ様サフィ。ウォールもね」

「クレアさんこそ」

「くぅん」

 

 一応の警戒は続けるが、見たところティンダーは追撃を完全に諦めたらしい。追ってくる様子はなく、また他のモンスターが迫ってくるという事もなさそうだ。

 

 サフィーアは一先ず剣を鞘に納めると、そのままするりと車内に戻り座席の背もたれに思いっきり凭れ掛かった。彼女も傭兵の端くれなので体力には並み以上の自信があったが、流石に車の窓の縁に長時間座りながらの戦闘は体力の消耗が激しかったようだ。座席に沈み込まんばかりに体重を預け、筋肉の緊張を解す様に車内で出来る限り体を伸ばす。

 その彼女の隣では、クレアも頻りに首と肩を回して凝りを解している。更に前の助手席に目を向ければ、アイラもアイラで背凭れに体重を掛けながら大きく息を吐いている。戦闘中は基本何もしていない彼女ではあったが、それでも戦闘の只中に置かれれば精神的な疲労が溜まるのだろう。それを責める事は出来ない。

 もし責めるような輩が居れば、そいつは頭と言わず体中にリンゴを乗せて射撃の的にしても許されるだろう。

 

 しかし…………

 

「ねぇクレアさん、あたし思うんですけど」

「うん、言いたいことは分かってるわ」

「二人とも近接戦闘スタイルだと厳しいですよね」

 

 サフィーアは兎も角、ベテランのクレアと言えども射程と言う避けようのない壁を前にしてはどうしても出来る事が限られてしまう。一応魔法で遠距離の相手に対抗する事は出来るが、魔法の使用は当然魔力を消費する。自然回復するとは言え戦闘しながらだと収支は確実にマイナスに傾くだろう。唯でさえ近接戦闘スタイルはマギ・コートの為に魔力を消耗しているのに、それに加えて遠距離攻撃魔法など使いまくればあっという間に魔力は底を尽きてしまう。

 マギ・コートの使用を止め遠距離攻撃魔法のみに魔力を費やすのも一つの手だが、そもそもの話普段の間合いを大きく離れた相手にどれだけの命中率が見込めるだろうか。それを考えると、今回の様に護衛対象が多い場合は剣士・闘士だけでなく銃士か術士の存在が必要不可欠である。

 

「ねぇ、遺跡着く前に一度街に寄ってくのよね? その時に追加で傭兵雇ったりできないの?」

 

 聞きようによってはクレアの言葉は自身の力足らずを露呈させる弱気な発言であるが、失敗して信頼どころか命まで失っては元も子もない。命あっての物種とも言うし、大変だが苦労すれば取り戻せる信頼とは異なり失われた命は絶対戻ってこないのだ。

 死んだり依頼失敗するくらいなら、信頼を犠牲にして傭兵を追加させた方が良い。クレアもサフィーアもそう考えていた。

 そしてそれは、クロード商会側も理解していたらしい。

 

「そうですね、会長には後程こちらから話をつけておきます」

「お願いね」

 

 アイラとクレアが話を纏めている中、サフィーアは一人窓から外の景色を眺めて周囲の警戒に努めるのだった。




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第16話:月下の襲撃

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 ティンダーの群れから逃れた日の夜。

 

 その日も一行は休憩を兼ねた夕食の為に、街道を外れた場所に車を止めて野営していた。車から離れすぎていない場所で火を起こし、適当に夕食を摂る。

 サフィーアも何時もの如く携帯食料を齧りつつ、クロード商会から分けてもらったパウチのシチューを口に運ぶ。湯で温めてあるシチューが腹だけでなく心も満たしてくれる。

 

「サフィ」

 

 ちょうどパウチの中身が空になり、携帯食糧の最後の一欠けらを口に放り込んだところでクレアが声を掛けてきた。サフィーアがそちらを見ると、クレアが水の入ったコップを差し出してきたのでありがたく受け取った。

 

「ありがとうございます」

「ん」

 

 受け取ったコップの水で喉を潤すサフィーアだったが、ふと飲みながらクレアの方を見ると彼女はコップに口を付けながら明後日の方を神妙な面持ちで睨んでいる。

 

 クレアの様子から只ならぬものを感じ取ったサフィーアはそっと彼女に声を掛けてみた。

 

「あの、どうかしたんですか?」

「え? あぁ~……」

 

 サフィーアに声を掛けられて我に返ったクレアは、どう答えるべきか悩んでいるのか何とも言えない表情で頬をかいている。

 

 何かまずい事でも聞いたのだろうか? サフィーアが少し不安を感じつつ怪訝な表情でクレアの事を見つめていると、彼女は意を決したかのように小さく溜め息を吐くとその胸の内を明かした。

 

「何かさっきからね、いや~な予感がするのよ」

「嫌な予感……ですか?」

「うん。胸騒ぎって言うか、ね」

 

 傍から聞けば何を馬鹿な事をと思うかもしれないが、クレアはベテランの傭兵としてこれまでに何度も危険を潜り抜けてきた。数多くの危険と戦いの中で鍛えられた第6感が彼女の本能に警告を促しているのだとしたら、それは決して無視はできない。きっと何かがある筈だ。

 サフィーアがそう考え気を引き締めたその時――――

 

 とても鋭い思念が彼女を貫いた。

 

「ッ!?!?」

「サフィ?」

 

 反射的にサフィーアは立ち上がり、遠い夜空の彼方に目を向けた。文明の灯りに満たされた街ならともかく、人気のない平原では見えるものなど夜空に輝く星位のものだ。それ以外に見える物等ある筈がない。

 しかし、サフィーアは明らかに何かを感じ取っていた。その豹変っぷりに今度はクレアの方が首を傾げるが、直後に彼女もサフィーアが見ているのと同じ方角に目を向けた。それは試しに自分も同じ方角を見てみようと言うものではなく、彼女自身も異変を感じ取ったからだった。

 

 クレアの耳は感じ取ったのだ。遠くから響く風切り音…………ヘリのローターが風を切る音を。

 

「…………偶々通り掛かっただけだと思う?」

 

 彼女がそう問いかける頃には、サフィーアの耳にもローター音が届くくらいになっていた。

 サフィーアは段々と大きくなるヘリのローター音に、険しい表情を浮かべながら首を左右に振った。

 

「明らかにこっちに敵意を向けてます。足の速さから言っても戦闘は避けられないですね」

「そっか…………そうよね。よっし!」

 

 クレアは気合を入れ直して立ち上がると、アイラを始めとしたクロード商会の連中に向け即座に動き出すよう指示を出した。

 

「お客が来るわ、急いでここから離れるわよ!」

「て、敵ですか!?」

「そうだって言ってんの。多分あんたらの競争相手よ。分かったらさっさと動いて、早くッ!!」

 

 突然の事に狼狽えるアイラ達だったが、クレアの檄に急いで荷物を纏めて車に乗り込んでいく。

 

 全員が車に乗ったのを見たクレアが、ふと背後を振り返るとサフィーアがその場に目を閉じて佇んでいるのに気付いた。

 

「サフィ何やってんの?」

 

 まさか立ったまま寝ている訳ではないだろうが、もたもたしていたら直ぐにでもヘリが一行の頭上に陣取ってしまう。もしヘリが武装していた場合こちらはほぼ一方的にやられるのを待つだけになってしまうので、例えそう間を置かず追い付かれるとしてもできる限りの事はするべきであった。

 

 だがサフィーアはクレアの言葉にまたも首を左右に振って答えた。

 

「アイラさん達を逃がす必要、無いかもしれません」

「何で?」

「敵意が三つ…………それも強さから言って、多分ヘリから降りての直接戦闘を望んでるかも」

「サフィ…………あなたそんな事まで分かるの?」

 

 サフィーアの言葉にクレアは驚愕に目を見開いた。クレア自身思念関知能力者は自分に向けられた思念を感じ取る能力がある事は知っていたが、今サフィーアがした事は思念どころか心の内を読み取るに等しい行為である。

 彼女がそこまで強い力を持っていたことは、クレアをしても予想外の事だった。

 

「かなりの集中力を使うんで、易々と出来る事じゃないんですけどね」

 

 そう口にするサフィーアをよく見ると、成程確かに先程よりも息が上がっているように見える。彼女の言う通りおいそれと使えるものでは無いらしいが、それにしたってなかなか強力な切り札と言えるだろう。

 

 クレアは額から一筋の汗を流しつつ、自分に向けて小さく笑みを浮かべるサフィーアの姿に若干呆れの混じった溜め息を吐いた。その瞬間彼女から何かを感じ取ったのか、サフィーアが少し表情を暗くしたがクレアはそんな彼女の頭をやや乱暴に撫でた。

 

「だ~いじょうぶよ。別にビビった訳じゃないって。ただちょっと驚いただけよ」

「ほ、本当ですか?」

「あら、嘘吐いてるかくらい分かるでしょ?」

 

 言われれば確かに、クレアから感じられる思念に嘘はない。彼女は今本心でそう思っている。別にサフィーアの事を恐れている訳ではないし、不安を感じる要素などどこにもなかった。

 自然と、サフィーアの表情も和らいでいく。

 

「すみません、疑っちゃって」

「いいのいいの、こっちも悪かったわ」

 

 そう言ってお互い微笑み合う頃には、既にヘリは大分近付いていた。もうシルエットだけなら見えるくらいだ。

 

 突如として急激に降下してくるヘリ。恐らく乗っている傭兵か何かを降ろすためだろう。いよいよもって二人は気を引き締めると、サフィーアはサニーブレイズを構えクレアは拳を握り締める。

 襲撃者を待ち構える二人。その時サフィーアはヘリから感じられる敵意――いやこれは闘志か――の一つが大きく膨れ上がったのを感じた。

 

「ッ!? 来ますッ!!」

 

 警告を発しながらその場を右に飛びのくサフィーアに続き、クレアもその場を左に飛び退いた。直後、ヘリの右側から連続して発砲音が轟き、二人が居た場所を薙ぎ払った。

 左右に大きく引き離された二人の間を飛び去るヘリだったが、その際に左右の扉から合計三人の人影が飛び降りた。クレアの方に二人、サフィーアの方に一人だ。

 

 月が雲に隠れ、火も片付けてしまった為相手の姿はシルエットでしか分からないがそれでも数少ない光源が、相手が左手に一本の剣を持っていることを教えてくれる。相手は既に準備万端の様だ。

 

「やぁぁぁぁっ!」

 

 先手必勝とばかりに相手が構える前に斬りかかるサフィーアだったが、相手は彼女の剣を容易く弾くとお返しとばかりに鋭い突きを放ってきた。

 

「おらッ!」

「くッ!?」

 

 突き出された刃を横から弾くことで逸らしたサフィーアは、体勢を整えるべく一旦その場を下がろうとした。

 しかし男性と思しき相手は、彼女に下がる事を許さずそのまま体当たりするかの如く彼女に追随し剣を振るったのだ。

 

「オラオラッ!! 逃げてばっかじゃ勝ち目ねえぞッ!!」

「グッ!? くぁっ?!」

 

 更に二度、三度と振るわれる刃を何とか受け流すサフィーアだったが、怒涛の攻めに反撃に転じるどころか防御の為の踏ん張りすら利かせる事が出来ずとうとう大きく弾き飛ばされてしまった。

 

 強かに体を打ち付けるサフィーア。それでも剣を手放さなかった事は大したものだが、体勢は完全に崩れてしまっている為今の彼女は無防備だ。

 そして相手の男はそれを見逃すほどお人好しではなかった。

 

「こいつでぇッ!」

 

 トドメとばかりにサフィーアの物と同じ空破漸を放つ男。魔力で形成された飛ぶ斬撃はまだ体勢を崩したままの彼女に真っ直ぐ飛んでいき――――

 

「くぅんッ!」

 

 寸でのところで間に割って入ったウォールの障壁に阻まれ弾けて消えた。

 必殺のつもりで放った一撃が突如として防がれたことに、彼が驚いたのが気配で分かる。その間にサフィーアは何とか体勢を立て直した。

 

「ありがと、ウォール。今のはやばかったわ」

 

 流れる冷や汗をジャケットの袖で拭いながら、漸くサフィーアは体勢を立て直した。その間剣士の男は様子を窺うかのように佇んでいた。空破漸を防ぐほどの障壁を生み出せる、ウォールの事を警戒しているのだろう。

 常識的に考えれば、ここはウォールと連携して彼女が攻撃、ウォールが防御を担当するのがベストだ。そうすれば彼女は攻撃に専念でき相手との間に開いているだろう実力差を少しは補う事も出来るかもしれない。

 

 しかし彼女は、ここで思いも寄らぬ指示をウォールに下した。

 

「ウォール、アイラさん達の所に行って」

「くぅんっ!?」

 

 サフィーアの指示に、ウォールは突然何を言い出すんだと言いたげに驚いた声を上げた。只でさえ彼女と相手との間には小さくない実力差があるというのに、この上更に防御を捨てるとは何を考えているのか。

 

「言いたい事は分かるけど、ここは言う事を聞いて。今一番大事なのはあたしの身の安全じゃなくて、アイラさん達の安全なのよ。あたしがここで生き残っても、流れ弾や別動隊にアイラさん達がやられたらその時点でお終いだわ。だからお願い」

 

 ウォールは暫し思案するように俯いていたが、彼女の言う事にも一理あると納得してくれたのかその場を離れてアイラ達が乗り込んでいる二台の車の方へ向かっていった。

 ちょうどそれを見送ったところで、月を覆い隠していた雲が移動し月明かりが辺りを照らした。太陽に比べれば弱々しい光だが、夜の闇に慣れた彼女にはそれだけで相手の姿を捉えるには十分だった。

 

 そこに居るのは、そんなに歳の離れていないだろう一人の青年だった。長く伸びた茶髪をゴムか何かで適当に首の所で纏めている。目立つ装備としては、胸部や各部関節に装着したプロテクターと左腰に差した二本の剣だろう。

 内一本は今彼が“左手”に持っている訳だが。

 

 油断なく相手を観察するサフィーアだったが、対する相手は彼女に向けて呆れとも納得がいかないとも言った感じの顔を向けていた。

 

「良いのか? あいつが居ればお前少なくとも俺に負けることは無いんだぜ?」

「言ったでしょ? 今一番大事なのは依頼人の安全を確保する事。あの子の能力は最適だわ」

「その結果、お前が負けてもか?」

 

 この場合の負けるとは、イコール死ぬと同義語である。人によってはまた別の意味を持つ場合もあるが、今この場では少なくとも敗北=死であることがサフィーアには分かった。

 

 正直、彼女は自分が勝てるとは思っていなかった。決して弱気になったとか臆病風に吹かれたとか言う訳ではない。今し方の僅かな打ち合いだけで双方の実力の差を実感してしまったのだ。この相手は強い。少なくとも、クレアを除いて今までで一番の強敵だった。

 そんな相手に、出し惜しみをするかの如くウォールを下がらせると言うのは、この場において悪手に他ならない。

 

 では何故彼女は、敢えてそんな悪手を選択したのかと言うと――――

 

「勝てはしなくても、死なない程度に頑張れる自信はあるわ」

「ほぅっ! さっき一方的にやられてたくせして、随分とデカい口叩くじゃねぇか」

 

 強気なサフィーアの言葉に彼は関心半分挑発半分と言った感じの声を上げた。彼女の言葉を不利な状況下でもめげない強がりとでも思っているのだろう。

 

 実際、強がっているという見方も間違ってはいなかった。彼の傭兵ランクは恐らくA-前後、彼女とは積み上げてきた経験が圧倒的に違う。そんな相手に勝てると思えるほど彼女は身の程知らずではなかった。

 だが『勝つ』ではなく『負けない』であれば話は別だ。彼女は相手が向けてくる攻撃の思念を感じ取る事が出来る。それを利用して、相手の攻撃を上手く防ぎ続ける事が出来ればそれだけでも十分に足止めになるだろう。

 そして時間が経てば、残りの二人を叩きのめしたクレアがこちらに救援に来てくれる筈。

 

 サフィーアの狙いはそこにあった。

 

「大方、クレアがポール達をぶちのめしてこっち来るのを待ってるんだろうが、果たしてお前がそれまで持ち堪えられるかねぇ?」

「やってみる? こう見えてあたし、有言実行するタイプなのよ」

「はっはっはっ、そいつはいいや! そんじゃ、遠慮なく――――」

 

 彼は一頻り笑うと、左手に握った剣を構え直した。サフィーアもそれに応えるかのように構えを取る。

 

 気付けば、彼の口からは笑い声が聞こえなくなっていた。おかげで離れた場所でクレアと残りの傭兵二人が戦っている音がよく聞こえてくる。そんな中、サフィーアと彼はお互い黙って相手を見据えていた。それはまるで、レースカーがスタートの時を待ってエンジンを吹かしているようであった。

 

 とその時、二人の間を一陣の風が通り抜けた。強めの風が一瞬二人の間の草を押し倒し、即座に治まると草は再び元の形に戻った。

 

「はぁぁぁぁぁっ!!」

「おぉぉぉぉぉっ!!」

 

 次の瞬間、二人はほぼ同時に相手に向かい、そして手にした剣を互いにぶつけ合うのだった。




ご覧頂きありがとうございました。ご感想等いただけますと、大変励みになりますのでどうか宜しくお願いします。勿論誤字脱字や批判等も受け付けております。

年内の更新はこれで最後になりますね。

次回の更新は火曜日の午前と午後を予定しております。来年もよろしくお願いします。
皆さんよいお年を。


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第17話:敗北は悪足掻きと共に

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。


 サフィーアが襲撃してきた剣士の傭兵と対峙していた時、クレアの方はと言うと別の傭兵を二人相手取っていた。

 一人は樹脂製のプロテクターを身に着けた長身瘦躯で褐色の肌を持つ青年、もう一人は対照的に分厚い筋肉を重厚な鎧で包んだ全身鎧の男だ。全身鎧の方が男だと分かるのは、彼女がこの二人とも面識があるからに他ならなかった。

 

「ポールにジャクソン。あんた達が居るってことは、サフィが相手してるのはブレイブね?」

 

 クレアは戦闘の合間、一度体勢を立て直す為に二人から距離を取りつつそう訊ねる。彼女が距離を取った事で相手側にも若干余裕が出来たのか、ポールと呼ばれた軽装の青年が武器である両端にエレメタルを装着した棍を構え直している。一方のジャクソンも、全身鎧に対してミスマッチ極まりないライトマシンガンを構え直していた。

 この二人の内、クレアの質問に答えたのはポールの方だった。

 

「察しの通り、今回はブレイブを含めた三人での仕事だが、よく分かったな?」

「そりゃあんた達、しょっちゅう一緒に居るんだもん。寧ろソロで活動してる時の方が珍しいんじゃない?」

「そいつは誤解ってもんだ。ソロで活動することも結構ある。今回は偶々組んで受けることになったってだけだ」

 

 ジャクソンはクレアの言葉を否定するが、彼女が知る限りでこの三人が別々に行動している所を見たことは無かった。彼女が彼らの内誰かと遭遇する時は、決まって残りの二人も行動を共にしている。偶然そうなっただけなのかもしれないが、それでも彼女の中では彼らは三人で一組のパーティーを組んでいると言う印象が強かった。

 そのような事を考える一方で、クレアは現在の状況に危機感を覚えていた。自分が二対一という戦いに身を置いている事に対してではない、サフィーアがブレイブと言う男と対峙していると言う事に対してだ。

 彼ら三人は揃って傭兵ランクがA-、その中でもブレイブは飛び抜けて戦闘力が高い。クレアが相手をした場合、負ける気はしないがそれでも場合によっては苦戦を強いられることは確実だろうと思っている相手である。

 対してサフィーアは、素質はあるかもしれないが圧倒的に経験が足りないヒヨッコだ。ランク的にはルーキーを脱却しているが、実力的には中堅と言うにはお粗末と言うほか無い。ましてや彼女には、クレアから見て決定的な弱点がある。それもブレイブと言う男を相手にする場合致命的とも言える欠点が、だ。

 

 正直に言って、サフィーアには荷が重すぎる。

 

「こいつは、さっさとこっちを何とかした方が良さそうね」

「させるかよ!」

 

 構えを取ったクレアに対して、ジャクソンがライトマシンガンの引き金を引いた。無数の弾丸がクレアの引き締まった肢体を食い千切らんと殺到するが、彼が引き金を引く瞬間には彼女は素早くその場を離れていた。銃弾を弾き返してやってもよかったが、恐らくあの鎧に弾かれて大した効果は得られないだろう。それなら小手先の技に頼らず闘士が最大の力を発揮できるインファイトに持ち込んだ方が良い。

 

 クレアはジャクソンの銃弾を時に避け、時に弾きながら接近していった。ジャクソンはジャクソンで、インファイトに持ち込まれたら勝ち目がない事を分かっている為必死になって弾幕を張る。彼女の武器は基本素手であり鎧を着込んでいる彼相手では不利なように見えるが、彼女がそれを覆すほどの実力を備えていることを彼らは良く知っていた。

 

 そう、“彼ら”である。

 

「たぁぁぁぁぁぁっ!!」

「ッ!? チッ!?」

 

 もうあと少しで接近できると言うところで、横から棍を振るってポールが妨害する。彼が棍を振るうとそれに合わせてエレメタルから暴風が吹き荒れクレアの体を大きく吹き飛ばした。

 

「ぐっ?!」

 

 クレアは吹き飛ばされながらも何とか体勢を整え、地面に叩き付けられる事無く着地することに成功する。そして着地と同時にその場を駆け出した。彼女の着地点を狙ってジャクソンが引き金を引いたのだ。

 無意味に大地を耕す銃弾を見もせず、クレアは今度はポールに向かっていった。銃士のジャクソンは確かに厄介だが、それを護衛しているポールも十分に厄介な存在だった。彼が居ると肝心のジャクソンに攻撃できない。

 

「将を射るには、先ず馬からってね!」

「言っておくが、俺は暴れ馬だ!」

 

 

***

 

 

 クレアがポール、ジャクソンの二人と激闘を演じている頃、サフィーアはと言うと――――

 

「オラァッ!」

「がッ?!」

 

 襲撃してきた三人組の最後の一人、ブレイブを相手に劣勢に立たされていた。

 彼の振るう剣はどれも重く、下手に受け止めると一撃で腕が痺れる程だった。だがその事に頓着していると続く二撃、三撃目で体を両断されてしまうので、痺れる腕に鞭打ってブレイブの攻撃を受け止めるのだがそれにも遂に限界がきた。

 辛うじて防御は間に合ったものの、踏ん張りが不十分になってしまい力技でサニーブレイズ諸共弾き飛ばされてしまう。せめてもの根性で剣だけは離さなかったものの、受け身を取るのが間に合わず地面に諸に叩き付けられてしまった。

 

「ぐ…………げほっ!?」

「ほれどうしたどうした? さっきまでの威勢は何処行ったんだ?」

「くぅっ!?」

 

 ダメージと共に蓄積した疲労で振るえる脚を剣を杖代わりに立ち上がるサフィーア。ブレイブはそんな彼女を前に、剣を肩に乗せながら悠々と眺めていた。

 

 完全に遊ばれている。それは彼の態度からも分かるが、何より彼の武器の持ち方からもそれが伺えた。

 

 ブレイブは恐らく右利きだ。二本ある剣を両方とも左腰に差している事からそれは察する事が出来る。にも拘らず彼は“左手”で“一本だけ”剣を持ち、残った利き手だろう右手には何も持たず、|剰(あまつさ)え左手に持った剣の柄に添えてすらいない。

 本気の半分も出していないのだ。彼はサフィーアの相手ならその程度で十分だと認識している。

 

 その事が彼女は堪らなく悔しく、しかし現状を覆せる気は微塵もなかった。

 

「こ、のぉッ!? 舐めんじゃ、ないわよッ!!」

 

 それでも彼女は諦めずに手から滑り落ちそうになるサニーブレイズを握り締め突撃するのだが、疲労のあまり動きに先程までの精彩さはない。

 当然、そんな攻撃を喰らうブレイブではなく、極めて自然体で構えたまま振るわれた剣で彼女の攻撃は簡単に弾かれてしまった。

 

「あっ?!」

 

 弾かれたサニーブレイズに引っ張られて倒れそうになり慌ててバランスを取ろうとするサフィーアだったが、ブレイブがそんな彼女の足にローキックを喰らわせダメ押しの一撃を見舞った。

 

「あうっ?!」

「よっと!」

 

 ブレイブは完全にバランスを崩して倒れそうになったサフィーアを右手で受け止めると、彼女の首筋に左手で持った剣を突き付けた。

 押し退けようにも疲労で腕に力が入らず、そもそも首筋に剣を突き付けられては迂闊に身動きすることも出来ない。この場の主導権は完全に彼に握られていた。

 

 サフィーアは、せめて気持ちだけは負けてなる物かと月明かりに照らされた彼の顔を睨み付ける。その視線を涼しい顔で受け流し、彼は徐に彼女に降伏を迫った。

 

「勝負はついた。諦めて剣放しな。こちとらまだやる事あるんでな」

「冗談。そう簡単に諦めて堪るもんですか」

「往生際の悪い奴だな。もう魔力も殆ど残ってないだろうに、まだやるつもりなのか?」

 

 そう言いながらブレイブはツッ、と剣先を首筋から彼女の顎の下に持って行き、剣先で撫でるように彼女の顎を持ち上げる。

 

「うっ――――!?」

「安心しろ、下手に抵抗しなけりゃ誰一人殺しゃしねえよ」

 

 彼の言葉に嘘はない。本当に彼はこの場で彼女を生かしておくつもりのようだ。そこには後で彼女の体を楽しもうとか言う下卑た考えも存在しない。正真正銘、負かせただけで終わらすつもりの様だった。

 

 このまま大人しくしていれば命は助かるだろう。この場では敗北と言うケチが付いてしまうが、生きていれば雪辱を果たす機会などいくらでも回ってくる。彼の言う通り、諦めて剣を手放すのが最も利口な行動の筈であった。

 だが彼女はそんな殊勝な性格も、利口な頭も持ってはいなかった。彼女の中では彼に対し徹底抗戦を行う事は既に決定事項である。

 何故なら、彼女は能力で以て感じ取ったのだ。彼が自分を格下と見下している事を。彼の中で、サフィーアは取るに足らない雑魚の一人でしかないのだと、分かってしまった。

 

 そんな認識をされて、黙っていられる訳がないではないか。

 

「あのさ…………一つ言っていい?」

「ん? 何だ?」

「………………甘く見ないでくれる?」

 

 次の瞬間、サフィーアの右腕が跳ねるように動きブレイブに向けて振るわれる。ほぼノーモーションから放たれた攻撃であった筈だが、彼はそれを寸でのところで回避した。

 

「うぉッ?!」

 

 しかしこの攻撃は完全に回避する事も叶わなかったようで、右の頬に小さく切り傷が刻まれていた。放っておいても治るだろう程度の非常に小さな傷だったが、それでも血が滲み一滴程度の量の血が流れ落ちる。

 ブレイブは傷口を右手の親指で軽く撫で、血が付いているのを確認すると小さく溜め息を吐いた。

 

「はぁ…………お前、随分と無茶するな」

「あら? あたしが…………何、してるか……分かるんだ?」

「そりゃな。これでも傭兵歴は長い。旅の途中で、“そういう技”がある事は知ってたさ。実行に移してる奴は初めて見たけどな」

 

 今サフィーアが動けているのは、魔力を体力の代替として利用して体を動かしているからだ。魔力を用いた技術を学ぶ際、緊急時に用いる技能として教わる事もあるが基本的には活用されることのない、無駄知識レベルの技術であった。

 

 その認識の最たる理由は――――

 

「ろくすっぽ動けもしないのに、よくやるぜホント」

 

 そう。この技、発動したは良いが使うと心身共に多大な負担が掛かり満足に動くことも儘ならなくなってしまうのだ。例えるなら、ガソリンで動く車に軽油を入れる様なものである。そんな事をすれば当然車は壊れるし、こちらの場合も人間の体には尋常ではない悪影響が出てしまう。

 

「うっ!? ぐ、ん……ふぅっ!? ふぅっ!?」

 

 現に今のサフィーアは、全身に激痛が走り頭蓋骨を内側から鑢で削られているかのような頭痛と眩暈、耳鳴りに苛まれ意識を保つのもやっとと言う状態であった。表情にも余裕は一切なく、今にも反吐を吐きそうな感じである。

 しかしそれでも彼女は脂汗をかきながらもブレイブを見据え、サニーブレイズを構えて徹底抗戦の構えを見せていた。

 

 彼女の様子にブレイブは重く溜め息を吐くと、左腰に残っているもう一本の剣の柄に手を掛けた。

 

「お前の気持ちはよぉっく分かった。それじゃせめて、一撃で終わらせてやる」

 

 鞘から剣が抜かれる。驚いたことにもう片方の剣は、まるで血の様に赤い刃を持った剣だった。彼はその剣を抜くと、腰を落とし構えを取る。一気に突撃し一撃で決めるつもりのようだ。

 

 サフィーアも迎撃したいところだったが、悔しい事に体は言う事を聞いてくれない。意識を保つので精一杯で、首から下はまるで自分の物では無いかのように動かなかった。相変わらず頭痛は酷いし、視界は砂嵐で僅かに彼の輪郭が分かる程度。更には耳鳴りも酷くなり、音すら聴き取れなくなってしまった。

 こんな状態で戦える筈がない。何も出来ずに一撃で斬り捨てられるのが目に見えていた。

 

 ブレイブはそんな彼女が相手でも容赦する気は全く無いらしい。その証拠にマギ・バーストを発動させているのか二本の剣が燐光を放ちだした。

 左手に持った剣は青白い燐光を、右手に持った剣は鮮やかな赤い燐光を放っている。普通魔力は青白い燐光を放つ筈なので赤い燐光を放つのはあの剣に特別な何かがある証拠なのだが、今のサフィーアにその事を気にしている余裕はなかった。

 

 ただ、己の命を断ち切る一撃を待ち受けるのみ。

 

「ま、ガッツだけは認めてやるよ…………じゃあな」

 

 魔力を帯びて燐光を発する剣を振りかざし、ブレイブが迫ってくる。動けないサフィーアはそれをただ見ているしかできない。

 

 目前に迫る明確な“死”にサフィーアは覚悟を決め、ブレイブは手にした二本の剣を振り下ろし――――

 

「ぐあぁぁぁぁっ?!」

「なっ!? ちょっ、危ね、どわッ!?」

 

 剣がサフィーアに振り下ろされる直前、吹き飛ばされてきたポールがブレイブに衝突し攻撃を中断させた。それと同時にサフィーアとブレイブの間に立ち塞がる人影が…………

 

「ごめん、待たせた」

「あ――――」

 

そこに居たのは、サフィーアが何よりも待ち望んだ増援。クレアの背中がそこにあった。

 

「いきなり前に飛び出すな、危ねえだろ!」

「ぶっ飛ばされてきたんだ!? 誰が好き好んであんたの前に飛び出すかッ!?」

「つかお前ジャクソンはどうした?」

「あっちで伸びてる。生きちゃいるが、ありゃ暫く動けそうにない」

 

 一方、ブレイブの方は戦況が不利になったことに苦い顔をした。見た所クレアはまだ余裕を残している。大して自分達の方はジャクソンがダウンし、ポールも消耗しているこの状況。しかもポールはジャクソンを下がらせる為にこの場を離れないといけないので、実質クレアはブレイブのみで何とかしなくてはならないのだ。

 

「ちっ、しゃーねぇ。ポール、ジャクソン連れてヘリとの合流地点まで下がってな」

「あんたは?」

「俺以外で誰がクレアの足止めする?」

 

 ポールと話し合いながらもブレイブはクレアから目を離さない。クレアもそれは同様で、サフィーアに声を掛けながらブレイブからは片時も目を離さなかった。

 

「よく持ち堪えたわね、後は任せなさい」

 

 その言葉が決定打となり、サフィーアの緊張の糸は切れ体は重力に引かれて地に倒れ伏す。それを合図としたかのようにクレアとブレイブは同時に駆け出した。

 薄れいく意識の中、最後に彼女の視界に映ったのは激しい戦闘を開始したクレアとブレイブの姿だった。




今年最初の更新、読んでくださりありがとうございます。

今年もご感想などお待ちしておりますので、どうかよろしくお願いします。


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第18話:未だ過ぎたる力

読んでくださる方達に最大限の感謝を。


 唐突に浮上する意識の中、サフィーアは自身が横になっているのを理解した。

 

「ん、んぅ?」

 

 ゆっくりと目を開けた彼女が見たのは、一瞬見覚えのない、しかしよく見ると記憶に新しいクロード商会が用意してくれた車の後部座席からの光景だった。ただし今の彼女は横になっている都合上、大分視点が低くなっているが。

 それと意識が覚醒したことで気付いたが、頭が何かの上に乗っていた。程好く暖かくて柔らかいそれに視線を向けると、彼女が頭を乗せていたものは誰かの太腿だった。

 

 誰の太腿か? 何てこと考えるまでもない。ここまでくれば今の自分の状況を理解できるくらいには脳も覚醒しようと言うものだ。

 

「お、目が覚めた?」

「クレア、さん?」

「えぇそうよ。気分はどう?」

「悪くは、無いです…………多分」

 

 正直なところ、目が覚めたばかりでまだ感覚がフワフワとしている為、良いか悪いかと問われてもよく分からない。だが目が覚めた以上何時までもクレアの太腿に頭を預けている訳にもいかないだろう。ちょっと名残惜しい気もするが、さっさと頭を退かすべく起き上がろうとした。

 だが起き上がろうと全身に力を入れた瞬間、引き攣った痛みが彼女の体に襲い掛かった。

 

「あだだっ?! な、何?」

「あぁあぁ、まだ寝てなさい。無理した反動の疲労に加えて長時間動かずにいたから筋肉固まってるわよ」

「ちょ、長時間?」

 

 クレアの言葉に、サフィーアは痛みが小さい範囲で首を動かし窓の外を見る。視点の関係で景色を眺める事は出来ないが、昼か夜かを判断する事は出来た。見た所、まだ日は昇っていないように見受けられるが…………

 

「あの、今何時ですか?」

「大体夜中の9時ってところね」

「………………9時?」

 

 記憶が確かならば、ブレイブ達が襲撃してきた時の時間は夜の10時くらいだった筈だ。にも拘らず、今の時刻が夜中の9時と言う事は――――

 

「えっ? あたし丸1日寝てたんですかッ!?」

「そうよ~」

「あの、その間ずっとあたしクレアさんの膝借りてたんですか?」

「流石にずっとじゃないわよ。休憩の時とか降りなきゃいけない時は適当な物を枕代わりにしたわ」

 

 『その時に目が覚めちゃうかと思ったんだけどね~』とクレアは言うが、対するサフィーアはそれどころではなかった。長時間に渡ってクレアに膝を借りていた事に対する申し訳無さや、昨夜自分がとんでもない無茶をしていたと言う事に対する恐ろしさで頭の中がぐちゃぐちゃになっていたのだ。

 

 サフィーアの混乱を表情から察したクレアは、彼女の様子に小さく溜め息を吐いた。

 そして徐に彼女の額をペチンと叩いた。

 

「あ痛っ?!」

 

 突然額に走った痛みに小さく悲鳴を上げるサフィーアだったが、お陰で一瞬だが頭が冷えた。その瞬間を見逃さず、クレアは口を開いた。

 

「昨日は流石に無茶し過ぎよ」

「うぇっ?」

「戦って分かったと思うけど、相手は準ベテランのブレイブよ。まさか勝てると思った訳でもないんでしょ?」

「う…………はい」

「じゃあ何で勝てないと分かった時点で私と合流しようと考えなかったの?」

「そ、そこまで考えが回らなくって、あ痛っ!?」

 

 再び額を叩かれるサフィーア。クレアは気持ち先程よりも力が強めに叩いたのだが、それ以上にサフィーアは全身が筋肉痛で痛むので叩かれた力の違いには気付いていなかった。

 そう、筋肉痛だ。最初は予想外の痛みで混乱していたが、落ち着いてくると全身に走る痛みが筋肉痛によるものである事に彼女は気付いた。

 

「全く、『オーバーコート』まで使って。サフィにはまだまだ早いってのに」

「お、オーバーコート? 何ですかそれ?」

 

 溜め息と共にクレアの口から零れた聞き慣れない単語に、サフィーアは思わず首を傾げた。いや、それが昨夜自分が最期に使った技の名前なのだろうと言う事は察する事が出来るがそんな名前が付いていると言う事は今初めて知ったのだ。

 彼女が魔力の扱いを習ったのは二等校の授業での事なのだが、その時には魔力を体力の代替として扱うのは何らかの理由で体力が尽きた時の非常時の手段であり普通はやるものでは無いとしか言われなかったのだ。当然名前など無かったし、実行に移したのも昨夜が初めての事である。

 

 ところがクレアの口振りから察するに、あの技にはちゃんとした名前があり尚且つクレアはそれが使えるようですらあった。

 

「あれって、そんな名前があるんですか?」

「うん。多分教わった時は名前もない緊急時用の技術としか教わらなかったんだと思うけどね。ただ言わなくても分かると思うけど、技の難易度はマギ・コートの比じゃないわよ」

 

 それは本当に言われずとも分かる。マギ・コートを習得していてもこの様だったのだ。クレアの言うオーバーコートがどれほど難しい技かなど想像に難くない。

 

 しかし同時にこうも思う。果たしてオーバーコートはその難易度に見合う恩恵があるのだろうか?

 

「オーバーコートって、そんなに凄いんですか?」

「ん~、そうね。口で説明するより実際に違いを見せた方が早いかもね」

 

 徐にそう呟くと、クレアは懐から一枚の硬貨を取り出した。サフィーアも良く知る5セル硬貨だ。現在発行されている硬貨の中でも最も硬いとされている。

 それをクレアは親指と人差し指で挟んだ。その動作から彼女が何をしようとしているかはすぐに分かった。

 

「まずはマギ・コートからね」

 

 そう言った次の瞬間、硬貨はグニッといった感じで中心から見事に折れ曲がった。中心から綺麗に折れ曲がっている辺りに、クレアの実力の程が窺える。

 が、言っては何だがこの程度であればサフィーアにも出来る。あそこまで綺麗に出来るかと言われたら正直自信はないが、硬貨を指先だけで曲げろと言われればそれは可能だった。サフィーアだけではない、恐らくマギ・コートを習得したものであれば未成年であっても可能だろう。

 

 そう考えると、現代は末恐ろしい時代である。

 

「これがマギ・コートね。じゃ、次オーバーコート行くわよ」

 

 クレアの言葉に、サフィーアは雑念を頭の片隅に押し込んだ。今考えるべきはマギ・コートとオーバーコートの違いである。

 

 見た感じ、先程と違うところがあるようには思えない。魔力の燐光も同じだし、使っている硬貨も先程と同じ5セル硬貨だ。だたし使用しているのはたった今曲げたばかりの硬貨である。クレアはそれを回して、折れ目と折れ目の頂点の部分を指で挟んだ。サフィーアの位置からはちょうど半円にある二か所の頂点を挟んでいるように見える。

 と、見ていると突然クレアの右手から発せられた燐光が引っ込んだ。消えたのではない。言うなれば右手を覆っていた魔力がそのまま右手の中に染み込んだ感じだ。故に燐光はそのまま彼女の右手の中から発せられている。

 

 そして次の瞬間――――

 

「んッ!」

「いぃっ!?」

 

 クレアの親指と人差し指の間に挟まれていた硬貨がペシャンコに潰れた。そう、“折れた”のではなく“潰れた”のだ。それもメキメキと言った感じではない。粘土が潰れる様にグチャッと潰れたのである。

 その光景にサフィーアは言葉が出なかった。鍛えてあるとは言え、クレアの腕は女性特有の細くしなやかな腕だ。引き締まっているがぶっとく筋肉質ではない。そんな腕が一番硬い硬貨を一瞬で粘土の様に潰してしまった光景は軽く衝撃映像ものだった。

 

「これがオーバーコートよ。使うと反動が凄いけど、それに見合う性能はあるでしょ?」

「は、はい」

「ま、今言った通り反動が凄い上に扱いこなせないとサフィみたいに反動だけが凄くて動けないなんて事になるから、滅多に使う技じゃないんだけどね」

「反動って、クレアさんも凄いんですか?」

「まぁね。今ので右腕筋肉痛だし」

 

 サフィーアは今度こそ愕然となった。尊敬すべきベテランの傭兵のクレアでさえ僅かに使っただけで筋肉痛を引き起こすハイリスクな技を、知らなかったとは言え安易に使ってしまったのだ。丸一日眠り続けた挙句に全身筋肉痛程度で済んだのは良かった方だろう。

 だが同時に燃え上がるものもあった。クレアですらリスク無しには扱えない技である、習得がどれほど困難な技かは容易に想像できる。しかし困難だからこそ、挑戦し甲斐があると言うものだった。

 

 突如現れた難題に一人燃え上がるサフィーアだったが、それを見たクレアは呆れて溜め息を吐いた。負けん気の強い性格なのは長くない付き合いの中でも分かっていたが、少しばかり向こう見ずの気があるようだ。

 それを窘めるべく、彼女は今日一番の威力を込めてサフィーアの額を引っ叩いた。

 

「いったぁッ?!」

「ダメよ、安易に挑戦しちゃ」

「えっ!? あ、あたしまだ何も――ッ!?」

「顔に『絶対習得してやる』って書いてあったわ。サフィは他人の心の機微が分かるんだろうけど、サフィ自身も結構分かり易いからね」

 

 言われてサフィーアは、まだ痛む腕を上げて自分の頬に手を触れる。自分はそんなに分かり易い性格をしていただろうか? そんな疑問を抱いてしまう。

 

「今後は私が許可するまで、無闇にオーバーコートを使うのは禁止よ。いいわね?」

「う~…………」

「返事は?」

「は、は~い」

 

 突然の禁止令に最初の内は渋っていたサフィーアだったが、何時になく威圧感を持って迫られたので仕方なく頷くのだった。

 

 

***

 

 

 一方、最終的に襲撃に失敗して撤退する羽目になったブレイブ達三人はと言うと…………

 

「全く…………A-が三人揃って女二人相手に逃げ帰るとは、情けないとは思わんのかね?」

 

 昨夜、ブレイブがクレアの足止めをしている間にポールがジャクソンをヘリに乗せ、そのままブレイブを回収して這う這うの体で逃げだすことに成功。その後はクレアによってノックアウトされたジャクソンを宿に運んだりとした後にブレイブとポールの二人でディットリオ商会会長の元に報告に向かった。

 そこで対面して真っ先に彼の口から出たのが先程の言葉である。

 

「一人は確かにAランク、闘姫の異名を持つ傭兵だと言うのは知っている。だがもう片方は大した事のない雑魚だそうじゃないか。にも拘らず連中の足止め一つも出来ないとは何事かね?」

 

 これでもかと嫌味をネチネチと言われているが、戦果がサフィーアを追い込むだけしかできていなかったのは事実なので何も言い返せない。

 あの時、最初に役割分担をした時、サフィーアの相手をジャクソンに任せておけば或いは結果は異なっていたかもしれない。ベテランのジャクソンが相手ではサフィーアは手も足も出ず、ブレイブであればクレアの相手に不足はない。事実、昨夜クレアを足止めする際ブレイブは彼女を相手に一進一退の攻防を繰り広げたのだ。これに万全の状態のポールも加わればクレアを倒すとはいかずとも一時的に無力化する事は出来ただろうし、そのままの勢いでクロード商会を行動不能にさせることも出来たかもしれない。

 そう考えると、昨夜の襲撃は決定的に作戦ミスという事になる。依頼主からネチネチ嫌味を言われるのも致し方ないだろう。

 

「言い訳はしねえ。昨日の事は俺の作戦ミスだ」

「殊勝な事だな。それで、どう責任を取るつもりだ?」

「俺の報酬は無しで構わねえ。だから汚名返上のチャンスをくれ。遺跡であいつらを追い払う」

 

 報酬を辞退すると言うブレイブの言葉に、ポールは何かを言おうとするがブレイブ自身がそれを制止した。

 対して、会長の方はと言うとブレイブに対して侮蔑に視線を向けながら面白くなさそうに鼻を鳴らしていた。

 

「ふん、まあ当然だな。だが戦力も減った今、お前達だけでは不安が残る」

「俺達の方で、戦力をかき集めろってか?」

「それはこちらでやっておく。お前達はこちらの指示に全面的に従ってもらうぞ。例え、どんな命令であってもだ」

「………………了解」

 

 ブレイブが会長の命令を了承すると、会長はもう用はないと言いたげに犬を追い払うように手を振った。それを見て二人は黙って部屋を出ていく。

 

 ディットリオ商会の会長室を出て暫く、商会本部のビルから十分に離れた頃に漸くポールが口を開いた。

 

「何であんな事を言ったんだ?」

「あんな事って?」

「報酬辞退の話だ。何であんただけで責任を負った。今回の作戦は全員で考えたものだぞ」

 

 そう、昨夜の襲撃作戦で誰が誰を狙うかは三人で協議した結果決めたものだった。必ずしもブレイブ一人の責任ではない。責任を負う必要があるとすればそれは全員だ。

 だと言うのに、彼は寄りにもよって一人で全ての責任を負ったのである。ポールはその事が酷く納得できなかった。

 

「何でって、全員で報酬無くなったり減らされたりしたらジャクソンの治療費どうするんだよ? あいつ一番金掛かる銃士だぞ?」

「金が入用なのはあんたも一緒だろ。寧ろあんたの方がジャクソンより金が必要なんじゃないのか?」

 

 ポールの問い掛けに、ブレイブは答えを返さなかった。ただ若干口をへの字に曲げ、何処へともなく視線を向けるだけである。

 

 その行動だけでポールの言葉が真実であることが伺えた。沈黙は時に下手な言葉以上に雄弁に物語るのだ。

 沈黙を続けるブレイブに次第に苛立つポールだったが、無言の圧力に根負けしたのかとうとう口を開いた。

 

「俺は…………まぁ、何とかする自信はある。最悪適当な依頼受けて日銭稼げば食いっ逸れる事はねえだろ」

「あんたって奴は…………全く」

 

 苦しい言い訳にポールは呆れて溜め息を吐く。と言うのも、彼は変なところで意地を張り自分一人で物事を背負い込むのだ。

 以前その事を指摘して、何故そこまでするのかと問い質したことがある。その質問に対する彼の答えが――――

 

「何度も言うが、何故そこまで意地を張れるんだ。少しくらい他人に頼ってもバチは当たらないだろうに」

「男ってのはな、見栄を張らずにはいられない生き物なんだよ!」

 

 これである。毎度毎度この言葉で押し通してしまうのだから困ったものだ。

 

「男相手に見栄張ってどうする。見栄なら女に張れ」

「いいじゃねえか、金も掛からねえんだ。俺が俺を追い込んで誰が困る」

「見ててハラハラするって言ってるんだ。周りで心配する方の身にもなれ」

「分ぁ~かった分かった。これからは気を付けるよ」

 

 これは絶対今後も懲りずに見栄を張る男の言葉である。ポールは頭を抱えた。一体どうすればこの男を矯正できるだろうか?

 

 一人サクサクと歩みを進めるブレイブの背を眺めつつ、ポールは何度目になるか分からない溜め息を吐くのだった。




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次回の更新は水曜日の午前と午後を予定しております。


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第19話:目指すは前進

読んでくださる方達に最大限の感謝を。


 クレアからオーバーコート使用禁止令が出され、サフィーアはそれに渋々従う事を決めた。

 

 彼女が承諾したことを見て取ると、クレアは一つ手を打って次の話題を切り出した。

 

「さて、お説教が終わったところで次は反省会といきましょうか」

「反省会? さっきのは違ったんですか?」

「言ったでしょ? 今までのは勝手な事をしたお説教。ここから先は今後の事も考えての反省会よ」

 

 そう、今後の事を考えての、サフィーアの為の反省会だ。今回彼女はブレイブと戦い惨敗した訳だが、クレアはその原因に既に心当たりがあった。ただ今までそれを指摘してこなかったのは、弱点が浮き彫りになる前に指摘してもサフィーア自身が実感できないだろうと考えていたからだ。

 人間、いざその時にならないと理解できないものは山ほどある。百聞は一見に如かずとは言うが、百回見る事は一度の経験に遠く及ばないのだ。

 

 そう考えると今回のサフィーアの敗北はある意味ちょうど良かったかもしれない。少なくとも致命的な事態になる前に彼女は自身の弱点を知る事が出来るのだから。

 

「昨日の夜、ブレイブと戦って物の見事にボロ負けしたわよね?」

「うぐっ!? は、はい」

 

 いきなりド直球で事実を突き付けられ、サフィーアは一瞬言葉に詰まった。昨夜彼女がブレイブ相手に圧倒的敗北を喫したのは揺るがしようの無い事実なので反論のしようも無いのだが、改めて眼前に突き付けられるとやはり凹む。

 クレア自身もちょっと直球過ぎるかと思わなくはなかったが、変にオブラートに包んでも逆効果になる可能性があったのでここはサフィーアの為と思って心を鬼にして歯に衣着せぬ物言いを選択した。

 

「ま、その事自体は恥じる事ないわ。ブレイブって本当に強いし、純粋に実力だけで言えばAランクにも匹敵するもの。A-止まりなのは単純に性格の問題ね」

「性格? 悪いんですか?」

「悪くはないんだけど、何て言うかその…………そうね……どんな依頼人が相手でも物怖じしないのよ。だから時々依頼人とトラブルを起こして、その所為で昇格を逃してるのよ」

 

 クレアの話を聞いてサフィーアはなるほどと頷いた。

 

 傭兵も十人十色、様々な性格の者が居るがその中には異様にプライドが高かったり独自の美意識を持っていたりする者も居る。そう言った傭兵は依頼人と意見が衝突することも珍しくなく、結果依頼人とトラブルを起こして最終的にギルドからの評価を下げていた。

 そうなると当然実力があってもランクの昇格は見送られ、結果的に実力に反してランクの低い傭兵が生まれる要因となっていた。ブレイブもその口なのだろう。

 

 因みにサフィーアは今まで依頼人とトラブルを起こしたことはないので、実績と相まってギルドからの評価は高かった。

 

「あいつの昇格云々はどうでもいいのよ。問題は、あいつがすっごく強いって事」

「それは分かります。直に感じましたから」

「そうね。でもねサフィ、言っておくけどポテンシャルで言えばサフィはブレイブに勝るとも劣らないものを持ってると私は睨んでるわ」

「え~? それは流石に買い被り過ぎじゃないですか?」

 

 どうにもクレアの評価はサフィーアには信じられなかった。あれだけ圧倒されたのだ。一体何をどうしたら彼との経験と実力の差を埋める事が出来るというのか?

 

「現状、あたしがあいつに勝てるビジョンが全然見えないんですけど」

「はいそこ」

「へ?」

 

 思わずサフィーアが弱音を口にすると、すかさずクレアから叱責が飛んだ。実はそこに彼女がブレイブに後れを取る原因の一端があった。

 

「多分無意識なんだろうけどね。サフィってここぞってところで思考が後ろ寄りになってるのよ」

「いや、そんな…………事……」

「無いって言い切れる? ブレイブ相手にどこまで攻勢に出た? 大方終始防戦一方だったんじゃない?」

 

 ぐうの音も出なかった。最初は兎も角途中からはクレアの言う通り、サフィーアはブレイブ相手に碌に攻めに回ることも出来なかったのだ。強烈な彼の攻撃に翻弄され、攻勢に出ようと思う暇も与えては貰えなかった。

 その時の事を考え、サフィーアの表情が曇る。

 

「聞きたいんだけどさ、サフィは剣士としてどのジョブを目指してるの?」

 

 ジョブとは、それぞれの戦闘スタイルでの立ち回りの事だ。大雑把に分けてそれぞれの戦闘スタイルには前衛・後衛・特殊と三つのジョブが存在していた。例えば剣士の場合だと前衛ジョブが『ウォリアー』、後衛ジョブが『ディフェンダー』、特殊ジョブが『アサシン』と称される。

 

 因みに剣士で後衛と言うのは違和感があるが、これは早い話があまり前に出ずに後方から援護する銃士や術士、若しくは護衛対象等を守る事を得意とする技能を持った者たちの事だ。即ち、攻める事ではなく守る事に特化している。

 ついでに言うと、アサシンはその名の通り暗殺や隠密に特化したジョブだ。単純な攻撃力は低く正面戦闘ではウォリアーは勿論ディフェンダーにさえ引けを取るが、不意打ちや騙し討ちなど搦め手に関してはアサシンの右に出る者は居なかった。

 

 閑話休題。

 

 そんな訳で傭兵……と言うか戦闘に携わる者は皆自身の戦闘スタイルと立ち回りであるジョブをある程度確立している。クレアなら“闘士”で“ファイター”、ブレイブなら“剣士”で“ウォリアー”がそれぞれの戦闘スタイルとジョブになる。

 

 これに対して、サフィーアは剣士の中でどのジョブなのか?

 

「あたしは一応、ウォリアーを意識してますけど」

「ウォリアー、ねぇ」

 

 サフィーアの回答に、クレアは何事か考える様な仕草を見せる。その表情は何処か神妙であり、内心を図るとしたら自身の予想が的中してしまった事に対して困っているような印象を受けた。

 

 数秒どころか数分余り、クレアは何をどう言おうかと悩むかのように黙り込んだ。

 しかしどれほど考えても厳しい言い方にしかならないので、彼女は腹を括って口を開いた。

 

「多分だけどね、サフィは頭と心が別々に行動してるのよ」

「別々?」

「そ。サフィの場合特にしょうがない事なのかもしれないけど、相手からの敵意が分かっちゃうでしょ? それに対してあなたの頭が後退っちゃってるのよ。でも心は前に出ようとしてる。そのちぐはぐさが問題なのね」

 

 思念感知能力者であることを暈しつつクレアはサフィーアの問題点を指摘する。

 通常人間は第6感的な感じで察する事は出来ても、明確な感覚として他者の敵意を感知する事は出来ない。だがサフィーアは違う。彼女は明確な感覚として、つまり心ではなく頭で敵意を感じ取れているのだ。それ故に、危険を察知した彼女の頭は危機回避の為に回避ないし防御を選択するのだが、対して心の方は前に出たがるのでそこで動きに齟齬が出た。

 

 不幸中の幸いと言うか、サフィーアはこれまで圧倒的強者と矛を交えることが無かった。持って生まれた能力と才能に今までは助けられてきた訳だが、今回はそれで埋める事の出来ない差があったのだ。積み重ねた経験によって培われた実力は、持ち前の能力や才能程度で覆す事は出来なかったのである。

 

 恐らく今後も能力と才能だけでは太刀打ちできない相手が出てくるだろう。となると、サフィーアもレベルアップする必要があった。

 

「ん~…………」

「どうすればいいか悩んでるって顔ね?」

「今まで意識したこと無かったですから、どう対処したものかと」

 

 悩むサフィーアだったが、クレアには彼女の問題を解決する一番簡単な方法が分かっていた。ただしそれは、やる事は簡単だが出来るかどうかは別問題というものだが。

 

「ま、今のサフィに出来る事は一つだけだけどね」

「えっ!? 何です、どうすればいいんですか?」

「やる事は一つ、兎に角前に出る事を意識する事よ」

「意識する?」

「難しいことかもしれないけどね。要は気合を入れるの。頭が逃げに走って心と別の動きをしようとするなら、それを抑え込むくらい心を強く持つのよ」

 

 それは正しく言うは易し行うは難しな事であった。心と頭は、意識しようとすればするほど制御するのが難しくなるものだ。余程強い心を持つか、弛まぬ修練を積みでもしなければ出来るものでは無いだろう。

 今のサフィーアがそれを為す事が出来るとすれば、彼女がとても強い心を持った者である必要があるのだが…………

 

「正直、言うほど簡単な事じゃないけど……やれそう?」

「出来る出来ないじゃないです。やってみせます! あのままやられっぱなしなんて真っ平御免ですから」

 

 クレアは思念感知能力者ではないが、それでも分かる。今のサフィーアの言葉ははったりでも何でもない。彼女は本気だ、本気で気合だけで逃げようとする頭を心に従わせるつもりだった。

 

 これが他の者であればクレアも理想を語る甘ちゃんと評したかもしれないが、サフィーアがそう言う輩ではない事を彼女は知っていた。

 サフィーアはとにかく諦めない。例え相手が格上で勝ち目がない相手であろうとも、最後の瞬間まで絶対に諦めず抵抗を止めないのだ。困難に立ち向かわずにはいられない性格とも言える。決して長生きできる性質ではないかもしれないが、同時に確実に輝く時を持っている人間でもあった。少なくとも、クレアはそう思っていた。

 

 サフィーアの啖呵に、クレアも思わず破顔してしまった。

 

「よ~っし、その意気よ! 次……にいけるかどうかは分かんないけど、ブレイブの鼻を明かしてやりなさい」

「はい!」

「鼻を明かすとかはどうでもいいので、依頼料分の仕事は確りしてください。無理して依頼失敗されたらこちらにも損失出るんですからね?」

 

 意気揚々と声を上げたサフィーアに、それまで黙っていたアイラの辛辣な言葉が飛ぶ。空気を読まない言葉を口にするアイラにクレアがむっとした顔を向けるが、言葉を投げかけられた本人であるサフィーアは全く気にした様子を見せなかった。

 寧ろ、どちらかと言えばこそばゆさを感じているような笑みを浮かべてすらいた。

 

「あ、ありがとうございます。ごめんなさい心配させちゃって。でも大丈夫ですよ、次は上手くやりますから」

 

 サフィーアのその言葉は宛もアイラが、依頼の成否ではなく彼女自身の心配をしていると言っている様であった。アイラの口振りは明らかに銭金勘定の損得を考えてのものであったが、サフィーアが感じたものは違ったようだ。

 

「今の、あなたの心配をしてたの? 仕事の心配じゃなくて?」

「えぇそうですよ。ね?」

「…………ふん」

 

 そう言ってサフィーアが笑みを向けると、アイラはプイっとそっぽを向いてしまった。その仕草は一見すると馴れ馴れしさに不愉快さを感じてのものに見えるが、それが違う事は彼女のエルフ特有の尖った耳先を見れば分かる。明らかに先程よりも朱く色付いていた。

 図星を差されて照れているらしい。

 

 クレアはチラッとサフィーアの顔を覗き見た。

 

「ふふ~ん!」

 

 これ以上ないくらいのどんなもんだいと言う顔、所謂ドヤ顔をしていた。クレアをちょびっとだが上回れた事が、この上なく嬉しかったらしい。

 だがドヤ顔とはそれをした相手が敵でも味方でも、された側はイラっと来るものでもあった。それはクレアも同様だ。彼女は十分に大人だが、決して完全無欠ではない。心の何処かには子供っぽい部分を持っていた。

 

 何が言いたいかと言うと、サフィーアの行動はちょっと生意気が過ぎていたのだ。それはすぐに反撃となって彼女自身に降りかかった。

 

 未だ筋肉痛で激しく痛むサフィーアの腕をクレアが思いっきり掴み、車内に彼女の悲痛な叫びが響き渡るのだった。




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第20話:井の中の蛙

読んでくださる方達に最大限の感謝を。


 ブレイブ達からの襲撃を辛くも退けてから二日後、サフィーア達遺跡に向かう一行は遺跡から一番近くにある街である『アルフ』に到着した。

 予定では、この街で一泊し休息と物資の補給、それと傭兵の追加を行った後改めて遺跡に赴き占有権確保が完了するまでクロード商会のアイラ達を護るのが今回の仕事だ。

 

 正直、何事も無く終わるとはサフィーアは微塵も思っていない。既に一度襲撃を受けているのだ。向こうの依頼主がこの程度で諦めるような相手ならばそもそもブレイブ達を差し向けたりはしないだろう。必ず遺跡でも襲撃があるに違いない。それも、先日よりも戦力を増強させて、だ。

 予想され得る敵戦力の増強に備える意味でも、また現在の近接戦闘職のみと言う偏った戦力の問題を解消する意味でも、この街での傭兵の追加は重要な意味を持っていた。

 

「で、その追加の傭兵ってのはもうこの街に来てるんですか?」

「えぇ。会長から連絡がありました。この街のギルド支部にて既に待機して頂いているとの事ですので、私は今からそちらに向かいます。お二人も共に来て頂けますか?」

「あたしは良いですよ。クレアさんは?」

「勿論、ご一緒させてもらうわ」

 

 こうしてサフィーアとクレアの二人はアイラに付いて行ってギルド支部に追加の傭兵を迎えに行った。正直、この街では二人はやる事も無かったし暇潰しにはちょうど良いと言うのもあった。勿論、共に戦う仲間となる者達との最初の挨拶が大事と言うのも理由の一つだが。

 

 傭兵ギルドの支部とは、何処もそうだが活気があるものだ。依頼発注用の受付にはこれから依頼を出そうと言う者が列を成し、依頼を映し出したスクリーンの前には無数の傭兵がひしめき合っている。依頼受注用の受付では若い男の傭兵が受付嬢に色目を使い、少し離れた待合スペースではパーティーを組んでいるらしき数人の傭兵が何事かを話し合っていた。

 そんな傭兵や依頼人達を尻目に、アイラは真っ直ぐ総合受付に向かって受付嬢に話し掛けた。

 

「失礼、私クロード商会で会長秘書を務めておりますアイラ・クロードと申します。会長のビーネ・アーマイゼから傭兵が数名雇われている筈なのですが?」

「はい、お話は伺っております。こちらへどうぞ」

 

 受付嬢に案内されてアイラはギルド支部の奥へと向かっていく。サフィーアとクレアもそれに続くと、三人はそのまま応接室へと連れられていった。

 部屋の前に立つと、受付嬢は扉をノックして室内で待っているだろう傭兵達に向けて声を掛けた。

 

「失礼します。依頼人のクロード商会の方がお着きになりました」

 

 受付嬢が部屋に入り、後に続いて三人が入る。

 三人が入ると、室内には5人の傭兵が思い思いにソファーに座ったりして待機していた。その内の一人、銀色の額当てを着けた少女が彼女らに向けて笑みを浮かべながら近付いてきた。

 

「あ、どもどもッス! お宅が依頼人ッスか?」

「依頼を出したのは会長ですが、依頼人と思って頂いて構いません。クロード商会の会長秘書を務めております、アイラと申します。こちらのお二人は先立って依頼を受けて頂いた傭兵です。彼女らと協力して、今回は宜しくお願いしますね」

 

 話し掛けてきた傭兵と挨拶を交わすアイラの様子は、六日前サフィーア達と初めて出会った時と比べれば大分物腰が柔らかくなったように見える。何だかんだ言いつつも、学ぶべきところはしっかり学び次の機会に反映させているらしい。

 サフィーアの中で彼女に対する評価が上がった。

 

 一方、傭兵の方はアイラとの挨拶を終えると今度はクレアの方に近付いてきた。

 

「いやぁ、まさか姐さんとご一緒できるとは思わなかったッスよ! こりゃ今回の依頼は成功したも同然ッスねぇ!」

「こらこらこら、今回の依頼はクロード商会の連中の護衛よ。護衛依頼は護衛対象に何かあったらその時点で失敗なんだから、そこんトコロ気を抜くんじゃないわよ」

 

 陽気に楽観的な事を言う少女に対し、クレアは厳しい言葉を投げ掛ける。ここら辺は彼女の体験談も入っているのだろう。気にはなるが、多分突っ込むべき内容ではない。

 

 思考を切り替えて、サフィーアはクレアに話し掛けてきた少女をまじまじと観察する。

 身長はサフィーアよりも頭半分くらい低い。恐らく十代後半だ。肩にはスリングを使ってライフルを掛けているので、銃士であることは確実だろう。ライフルである事を考えると、ジョブは後方支援を得意とする『スナイパー』と言ったところか。

 だがそれ以上に気になるのは、彼女が身に着けている銀色の額当てだ。只の額当てなら別に珍しくも無いが、彼女の額当てはよく観察するとアイマスクの様にも見える。その様な物を持っているのは、彼女が知る限り一つの種族しか存在しなかった。

 

「ごめん、ちょっと聞いていい?」

「ん? 何スか?」

「あなたってもしかして、『サード』?」

「そッスよ。ほら!」

 

 サフィーアの問い掛けに少女は笑みを浮かべながら頷くと、額当てを両目の所まで下した。額当てがアイマスクの様に彼女の両目を塞ぎ、露わになった額では普通の人間には存在しない第三の目が瞼を開いていた。

 

 彼女らの種族名はサード。外見上は人間と殆ど変わらないが、ただ一点額に第三の目を持っていることが最大の特徴であった。この第三の目がなかなかの高性能で、裸眼でありながらスナイパーライフルで使用する高倍率スコープに匹敵する視力を有している。更には赤外線で物を見る能力が備わっていたりと言う優れ物なのだが、その高性能故に普通の目と同時に使用すると情報量の多さに脳がオーバーヒートを起こしてしまうのだ。

 それを防ぐ為に、サードは状況に応じて額の目と普通の目を使い分けていた。アイマスクの様な額当てはその為の物であり、形状は人によって違うがサードは誰もが身に着けていた。

 

 だからこそサフィーアは彼女がサードであると直ぐに見抜けたのであるが、つい最近レッド・サードと名付けた怪物と遭遇した事もあってかちょっと警戒してしまったのだ。

 彼女の額についていた目は普通の目と同様黒い瞳だったので、その警戒は杞憂に過ぎなかったが。

 

「お宅、もしかしてサードを見るのは初めてっスか?」

「ううん、そうじゃないの。ちょっと気になっただけよ、ごめんね」

「いえいえ、お気になさらず。あ、自己紹介まだだったッスね! 自分、シルフ・グラスっていうんス!」

「サフィーアよ。サフィーア・マッケンジー。今回は宜しくね」

「宜しくっス!」

 

 シルフはサフィーアと自己紹介を済ませると、彼女の手を取りぶんぶんと大きく振った。なかなかのアグレッシブさに少し圧倒されたサフィーアだが、少なくとも悪い人物ではないようだ。

 

 互いに友好を深める二人を余所に、クレアは他の傭兵達を交えてアイラと今後の事について話し合っていた。

 

「これで傭兵が総勢7人、か。この中でB+以上の奴は?」

「俺がA-だ」

 

 クレアの問い掛けに、弓を装備したエルフの銃士が答えた。他の者にも問い掛けたところ、残りは良くてBランクが精々らしい。サフィーアと共にいるシルフに至ってはB-だ。

 正直に言うと、ちょっと心許無いと言うのがクレアの評価だった。ビーネの事だから数合わせで適当に雇ったという事は無いだろうが、ブレイブと言う存在を含めた連中を相手するには不安が残る。

 その不安が表情に表れていたのか、アイラが険しい顔でクレアに問い掛けた。

 

「やはり、これだけでは不足ですか?」

「向こうもジャクソンが抜けた穴を埋める為に、当然戦力を補充してる筈だからねぇ。一応一撃ぶち込んでやったとは言え、ブレイブも健在だし」

「いぃっ!? も、もしかして相手側にブレイブの兄貴が居るんすか!?」

「そうよ。だから気を抜くなって言ったの」

 

 それを聞いてシルフはなんてこったとでも言うように天井を仰ぎ見て額に手を当てた。

 

「ま、マジっスかぁ。う~あ~、兄貴が相手となると確かに今回の依頼は厳しそうッスねぇ」

「あなた、クレアさんだけじゃなくてブレイブとも知り合いなの?」

「駆け出しの頃世話になったんス。だから兄貴の強さはよっく知ってるっスよ」

「もしかしなくても…………有名?」

「姐さんと違って二つ名が付くほどじゃないっスけどね。んが~、兄貴が相手と知ってたら絶対受けなかったッスよ。勝てる気しないんスもん」

 

 呻くように言うシルフを見て、サフィーアは自分が如何に井の中の蛙であったかを思い知った。

 彼女は傭兵を始めてまだ1年程度。その間特に他人の評価や評判なんかは気にしないでいたが、ちょっと他人の風評や評判なんかに無頓着過ぎたかもしれない。何しろ、クレアに二つ名がついているという事実ですら今初めて知ったのだ。

 モンスターや自分の居る場所の近隣の情勢ばかりを気にし過ぎた。もっと広い視野で情報を集めるべきだったのだ。

 

「ねぇ、恥を忍んでお願いがあるんだけど」

「ん?」

「他に有名どころな傭兵とか居たら教えてくれない?」

「良いっスけど、知らずに今までやって来たんスか?」

 

 痛いところを突かれ、サフィーアが苦虫を嚙み潰したような顔になる。言われても仕方のない事だが、言われたら言われたでやっぱり心に来るものがあった。

 

「ぶっちゃけ、他の傭兵の事なんて気にした事なかったから」

「……因みにお聞きしますけど、傭兵やってる期間と今のランクは?」

「傭兵は始めてまだ一年ってところ。ランクはB-よ」

 

 サフィ―アの傭兵歴を聞いた瞬間、シルフは一気に得意気な顔になった。頭半分背が高いサフィーアが自分の後輩と聞いて気分が大きくなったのだろう。

 

「そういう事なら仕方ないっすねぇ! ここは一つ傭兵歴四年のあたしが覚えておくべき傭兵の先輩方を教授してやるっス!」

 

 実際傭兵としてはサフィーアの方が後輩なので、シルフの態度は決して間違っていない。だが実力に関しては完全にサフィーアの方が上であろう。

 と言うのも、シルフがB-に昇格したのはつい最近の事だ。大体二年もあればB-に昇格してルーキーを脱却できる事を考えれば、彼女の単純な実力はお察しレベルと言う事である。勿論人格的に問題があると言う可能性も否定できなかったが、彼女の場合人格は問題ないだろうから昇格が遅れた理由はやはり戦闘での活躍に起因しているものと思われる。

 

 サフィーアが一年でルーキーを脱却したと言う事実を華麗にスルーしつつ、シルフは現時点で知っておくべき傭兵の名を挙げていく。

 

「まずそこに居るクレアの姐さんっスね。姐さんは闘姫の二つ名で呼ばれるほどの実力者っス」

「おぉ、カッコいい。他に二つ名持ってる傭兵って居るの?」

「モッチロン! 二つ名ってのは要はインパクトのある人に付けられるニックネームみたいなものっスから。ブレイブの兄貴もちゃんとしたのは付いてないっスけど、その内何かしらの二つ名が定着するのは確実っス」

「他の二つ名持ちってどんなの?」

「ん~とぉ、あたしが知ってる限りじゃ、『魔銃士カイン』に『銃剣ディンゴ』。あとは『予見者ヴィレッジ』、『独眼オグマ』は注意が必要っスよ」

 

 次々と挙げられていく二つ名持ちの傭兵をサフィーアは片っ端から頭に叩き込んでいく。その中に一人、聞き覚えのある名前がある気がしたが、今は敢えて無視してシルフの話に耳を傾ける。

 

「他に話題のある傭兵って居る?」

「良くない話を聞く傭兵なら」

「教えて」

 

 良くない話を聞くと言う事は、人間的に問題のある傭兵と言う事だ。そう言う奴は敵に回っても味方に回っても碌な事が無い。敵になれば卑怯卑劣の限りを尽くされて痛い目に遭うだろうし、味方になってもいざと言う時に捨て石なんかにされる可能性がある。

 サフィーアは能力的にそう言う行動に映ろうとする輩が分かるが、注意するに越したことは無い。

 

「エリザベート・ブラウンっス。姐さんのライバル的な立ち位置っスけど、評判は天と地ほども差があるっス。勿論、悪どいって意味で」

「共闘してる傭兵を囮にしたり?」

「それもあるっスけど、あの人とにかくサディストで有名なんスよ。噂っスけど、負かした相手を気が済むまで甚振りまくったなんて話も聞くっス」

 

 サフィーアは思わず顔を顰めた。話を聞いただけで人を判断するのは宜しくないが、恐らく絶対仲良くできる性質ではないだろう。

 彼女とクレアが仲良く出来ているのは、その本質が割と近いからに他ならなかった。二人とも正々堂々を好むし、生死に関わらず勝敗が決すればそれ以上相手を追い込むような真似は好まない。それが彼女達にとっての普通だからだ。

 人間とは、価値観の違う相手を無意識の内に拒む性質がある。だからこそ世界中の者が分かりあう事は出来ないし、無意味とも言える争いが起こる。それは過去の歴史が証明してきた事でもあるし、現在進行形でムーロア帝国が行ってもいた。

 故に、サフィーアが現時点でエリザベートを相手に苦手意識を抱くのも当然の事と言えた。

 出来れば相対したくはない、それがサフィーアが真っ先に抱いた印象であった。

 

 そこで彼女はふと考えた。では、ブレイブはどうだろうか?

 彼とはまだ一戦交えただけ、それもほぼ一方的に敗北しただけの関係でしかない。全てを知る事が出来たと考えるのはお世辞にも言えないが、それでも、彼はかなり正々堂々としていたような気がする。

 アイラ達に必要以上の被害を出すつもりは無かったようだし、サフィーアに対してだって勝敗が決したと判断した時は止めを刺さず降伏を促していた。それでも彼女が覚悟を決めて対峙した時は、それを正面から受け止めて手を抜かずに全力で仕留めに掛かってきた。相手の覚悟に対し、正々堂々と答えようとしたのだ。

 

 正直に言えば、彼女は嬉しかった。最初は未熟だからと言う理由で弄ばれていたが、決死の覚悟には応えてくれたのだ。その姿勢には非常に好感が持てる。

 

 だからこそ、彼女は改めて決意する。今度こそ、絶対彼に認めさせてみせると。

 

 今度は覚悟だけでなく、彼女の実力も、何もかも全てを見せつけ認めさせるのだ。

 

 サフィーアはそう固く決意するのだった。




ご覧いただきありがとうございました。ご感想などお待ちしております。

私の正月休みは本日まで、明日より仕事が始まりますので、再び更新を二日に一回に戻させていただきます。


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第21話:お代はリベンジで

読んでくださる方達に最大限の感謝を。


 ――中央大陸東部・ラウンドックキャニオン――

 

 ジュラス共和国はその全土に渡って、山岳部が多い。その中でも特に険しいのが、共和国北部に存在するラウンドックキャニオンだった。幾つもの岩山が剣山の様に立ち並び、何者の立ち入りも許さない様相を呈している。

 

 そんな場所に、共和国軍総司令部――暗号名『ベースワン』――が存在していた。

 

 巨大な峡谷その物を利用しての要塞は正に堅牢を誇っており、仮に他国の軍隊がここを攻略しようと思ったら相当数の戦力を投入しなければならないだろう。岩壁に隠すように作られたトーチカや対空砲、巧妙に隠された発着場から発進する戦闘機を相手にしながら強固な岩盤に守られた施設を攻撃するのは、並大抵の事ではない筈だ。

 更には徹底した防諜も施され、その全貌を知る者は共和国軍内でもごく僅かであった。

 

 その自然が作り出した要塞の最深部、共和国軍最高司令部の指令室に、この国の軍部の重鎮が勢揃いしていた。

 

「では、帝国軍はやはり本格的な開戦に備えていると?」

 

 今日この場で話し合われているのは、ここ最近の帝国軍の動向であった。

 以前から帝国軍は頻繁にグリーンラインに対し挑発行動を繰り返していたが、最近になってそれが特に顕著になってきていたのだ。それは最早挑発と言うレベルではなく、明らかに開戦を目的とした動きだった。

 

「そう考えて間違いないと思われます。諜報部より、オブラを始めとしてグリーンライン上の各独立国の近隣に帝国軍が出現したと報告がありました」

「さらに付け加えるなら、帝国軍は何らかの生物兵器を使用してくる可能性があります」

 

 サフィーアとクレアの二人は中立の筈のグリーンラインにて帝国軍と遭遇していたが、同様のケースが他の独立国周辺でも起こっていたのだ。これは明らかな条約違反であり、帝国を国際的に叩く材料になる。

 

 だが…………

 

「どうする? この事に対して国際的に帝国に対して抗議して動きを抑え込むかね?」

「止めた方が良いでしょうな。今下手に帝国に対して抗議などを行えば、開戦を早めることになりかねません」

「そうですな。少なくとも、こちらの準備が整うまでは」

「整ったとしても、迂闊な行動は慎むべきだ。帝国軍と下手に事を荒立てたら連邦の横槍を受ける危険があるのだぞ」

 

 今の情勢は三竦み、共和国と帝国、そして連邦が互いに睨みを利かせている状況だ。もしここで二か国が迂闊に戦争など起こそうものなら、残った一国が漁夫の利を狙うのは必然であった。

 故に、共和国軍司令部は帝国に対し迂闊に開戦を早めるような行動が取れないのだ。仮に帝国との戦争に勝てたとしても、消耗したところを連邦に襲われては一溜りも無い。

 

 しかし現実として、最早開戦は秒読み段階と言っても過言ではない。帝国軍は本気で戦争を起こすつもりなのだ。それも、グリーンラインの独立国を打ち破り、その先にある共和国をも打倒する為に。

 

「……元帥、意見具申しても宜しいでしょうか?」

「何かね、チェンバレン将軍?」

 

 会議が困窮する中、一人の将校が手を上げた。

 

「現状、開戦は最早不可避であると考えます。であるならば、少しでも敵の情報を集めておくのが最善であると判断します」

「その通りだが、どうするのかね?」

「既に帝国軍がグリーンラインに展開していることは事実。なので、我々は中立国への支援の名目で少数ながら部隊を派遣し、帝国軍の目論見を探るのが現実的と思われます」

「それは…………グリーンラインの独立国が許可するだろうか?」

「彼らとて帝国軍と直接戦闘は避けたい筈です。少なくとも、表立って帝国軍が行動するまでは我々が時間稼ぎの名目で行動することにそこまで難色を示す事は無いでしょう。彼らの戦力は、はっきり言って貧弱です」

 

 グリーンラインに点在する独立国はどれも自国で兵器を生産できるだけの国力は持っていない。基本共和国などの大国で旧式となった兵器の払い下げ品が兵器の主力を担っている状態だ。単純な兵器の質で言えば世界一と言っても過言ではない帝国軍を相手にするにはあまりにも頼り無さ過ぎる。例えるならば、戦車を相手に拳銃一丁で挑むようなものだった。

 それは彼らもよく理解している筈だ。故に、共和国からの提案を無下にする事は無いであろう。少なくとも、何らかの助力は喜んで受けようとする筈だ。

 

 そうなると、今度はどれだけの戦力を送り込むかが問題となる。事が事だけにあまり大規模な部隊を送り込む訳にはいかないが、かと言って小規模過ぎても頼り無い。理想を言えば、大隊規模の部隊を送り込みたいところだ。それもただの大隊ではない。優秀な大隊だ。

 チェンバレンには、それに合致する部隊に心当たりがあった。

 

「仮に出兵が受け入れられたとして、どの部隊を向かわせるつもりだね?」

「第105大隊を向かわせます。彼らであれば、安心して任せられます」

 

 チェンバレンがその部隊の名を挙げると、元帥は暫し考え込んだ後神妙に頷いた。

 

「そうだな。この件に関してはチェンバレン将軍、君に任せる」

「ハッ!」

 

 

***

 

 

 一方、サフィーア達はアルフにある宿の食堂で夕食を取っていた。明日は早朝から遺跡に向かい、国際機関の人間が来るまで遺跡を確保し続けなければならない。その英気を養う為に、彼女らはクロード商会の支払いでいつもよりちょっとリッチな夕食を満喫していた。

 

「って言っても、宿の食堂の料理じゃ高が知れてるけどね」

 

 クレアの言う通り、リッチとは言っても所詮は宿の食堂で出される料理だ。どちらかと言えば質より量が基本なので、美味い事は美味いがその味はどちらかと言うと野暮ったい。高級店や専門店に比べるとやはり洗練さが足りなかった。

 別に文句がある訳ではない。お高い料理など傭兵には縁のない物であるし、食堂で出される料理には不思議な満足感がある。食べる相手が体力勝負の傭兵などが主だからだろうか。

 

 尚、この場にアイラ達クロード商会の面々は居ない。彼女ら商人はサフィーア達傭兵とは違い何かしら忙しいのだ。

 なので、現在この食堂に来ているのはサフィーア達傭兵組だけである。彼女らは今回の支払いがクロード商会持ちと言う事もあってか、本気で自重せず普段はあまり手が出せない高い料理に舌鼓を打っていた。

 

 そんな中で、サフィーアが注文したのはミンチにした肉や刻んだ野菜を塩胡椒で味付けしパイ生地で包んで焼き上げたものだった。これは特別高い物でもなく、どちらかと言うとメジャーな料理であった。勿論メジャーであるが故に、値段は手頃でそれでいて味は万人が満足できるものであるのだが。

 

「サフィーアさんは何でそんな普通の食べてるんスか? 折角依頼主が奢ってくれるっていうんスから、偶にはステーキとか食べても罰は当たらないっスよ!」

 

 そう言いながらシルフは大きめに切ったステーキを一切れ口に頬張る。普段はなかなか口にできないものだからか、その表情はとても幸せそうだ。

 対してサフィーアは、心底幸せそうにステーキを食べるシルフに苦笑を浮かべつつパイをナイフで切りながら口を開いた。

 

「いやぁ、気を遣ってるとかじゃないんだけどね。ただいつも食べてる奴の方が、気分が休まるってだけの話」

「落ち着かないのね」

「ん……」

「んむ?」

 

 当たり障りのない言葉で誤魔化そうとするサフィーアだったが、クレアには通用しなかった。

 サフィーアが特別高い料理などに手を出さずいつも通りの物を食べるのは、極力普段通りを心掛け気分を落ち着かせる為。明日に迫っただろうブレイブとの再戦を前に、緊張で心が不安定になってしまったのだ。

 

 鋭く図星を突かれ、サフィーアは一瞬喉を詰まらせかける。

 

「んん……情けない、ですか?」

 

 先日あれだけ大見得を切ってみせたと言うのに、いざその時が近付くと勢いも失い一人モソモソと食事を摂る。我ながらなんと情けない事だとサフィーアは自分の不甲斐無さ、未熟さを恥じた。

 だがそれに対してクレアが向けたのは、いつも通りの快活な笑顔だった。

 

「そ~んな訳ないでしょ! 寧ろそうでいてくれないと困るわよ」

「困る?」

「戦闘狂のフォローって大変なのよ」

「あ~、ブレイブの兄貴とか正にそれっすね」

「あんなのまだ可愛い方よ」

 

 そこからクレアとシルフの間で戦闘狂な傭兵談義が開始された。やれあの傭兵は猪突猛進過ぎて困るだの、やれあの傭兵は意識を失うまで戦いを挑み続けて面倒臭いだのとこの場に居ない戦闘狂な傭兵について言いたい放題言い合っていた。

 話に付いていけないサフィーアは、自分の左右から飛び交う会話を適当に聞き流しつつ切ったパイを口に頬張った。しっかり火が通った肉と野菜の味がパイによって包まれ絶妙な味を醸し出す。

 ただこの時は少しばかり味にパンチが欲しかった。なのでサフィーアはテーブルに置かれた胡椒を手に取りもう少しスパイシーさを増そうとしたのだが、運の悪い事にこのテーブルに置かれた胡椒の缶は空っぽだったらしい。

 

 サフィーアは不十分なサービスに若干表情を曇らせたが、宿の食堂など大体こんなものと直ぐに気を取り直して背後のテーブルから拝借することにした。流石にどこもかしこも胡椒が切れているなどと言う事はないだろう。

 

「ごめんなさい。ちょっと胡椒分けてくれません?」

「ん? あぁ、いいぜ。ほら――って」

「あっ!?」

 

 背後のテーブルに居る者に胡椒を頼んで相手が振り返ってきた瞬間、サフィーアとその相手は互いの顔を見て一瞬固まった。何しろその相手と言うのが、よりにもよってブレイブだったのだ。まさかこんな所で再会するとは思ってもみなかったので、サフィーアはその瞬間驚愕で頭が真っ白になってしまった。

 一方、クレアはまさかの再会を果たしたブレイブを前にして、全く動じた様子を見せていない。もしかしたらこの状況も予想していたのかもしれない。

 

「あらまあ、あんたもこの街に来てたのね。見た所ジャクソンは居ないみたいだけど、あんたとポールの二人だけかしら?」

「よく言うぜ、お前がジャクソンを叩きのめしたくせによ」

「そう言えばそうだったわね。それで? 次の戦いではジャクソンは不参加と見て間違いないのかしら?」

「言うまでもねえだろ。ただし、こっちも追加が明日にはこっち来る予定だから、安心するのはまだ早いぜ」

 

 お互いに不敵な笑みを浮かべながら言葉で牽制し合うクレアとブレイブ。その様子を傍から見ているサフィーアは、何とも面白くなさそうな顔をしていた。

 言うまでもなく、ブレイブの眼中から外されているのが原因だ。折角再戦を意気込んでいると言うのに、肝心の相手の眼中にはクレアしか映っていない。彼からしてみればサフィーアはちょっとガッツがある程度の雑魚でしかないのだから当然と言えば当然だが、それで大人しく引き下がるサフィーアではなかった。

 

「ちょっと、あたし挟んでクレアさんとばかり話すってどういう事よ?」

「ん?」

「まさかとは思うけど、あたしの事忘れたんじゃないでしょうね?」

 

 これ以上ないくらいの不機嫌顔で二人の間に割って入るサフィーアに対し、ブレイブはやれやれと言った様子を隠しもせずに口を開いた。

 

「流石にこの短期間で忘れたりしねえよ。寧ろあんな無茶する奴、そんなすぐに忘れられるか」

「覚えててくれたんなら良かったわ。次に会った時は覚えてなさいよ。絶対ギャフンと言わせてやるんだから」

「よく言うぜ。ついこの間手も足も出なかったくせによ」

「次はそうはいかないわ。精々首洗って待ってなさい。ところでさ……」

 

 ブレイブに対して挑戦状とも言える言葉を投げつけるサフィーアだが、実は先程から気になっていることが一つあった。今まではブレイブに無碍に扱われた事に頭が一杯になっていたので無視してきたのだが、言いたい事を言った今ある程度頭が冷えてきた事でそちらを気にする余裕が出来たのだ。

 

「あんたと、え~っと……ポール? 二人って仲悪いの?」

「何でよ?」

「いやだってさ……」

 

 サフィーアはチラッと彼らのテーブルに目をやる。そこには当然彼らが注文した料理が乗っているのだが、ブレイブとポールで料理に格差がありすぎるのだ。

 

 まずポール。こちらは肉と野菜を炒めた物と色々な具材が入ったスープと、なかなかに精の付きそうな料理が並べられてる。決して豪華ではないが戦いに備える食事としては十分だろう。

 問題はブレイブだ。彼の前に置かれていたものは、拳ほどの大きさのパン――それも格安で味も良くない硬いパン――が二つあるだけだった。幾らなんでも質素と言うレベルを越えている。最早貧相と言うレベルだ。

 

 パーティーを組んでいないにしても、轡を並べて戦うのであればお互い多少は面倒を見合うものだ。特に食事絡みは、その後の戦闘でのコンディションに関わり間接的に自身の仕事の結果に関わる。勿論金銭のやり取りでもあるので、受けた借りを後程何らかの形で返さないと次第に誰も共に組んでくれないと言う事になってしまうが。

 

 以上の事を踏まえれば、サフィーアが食事に格差がある彼らを仲が悪いと評してしまうのは致し方ないのかもしれない。

 

「そんなんじゃ力出ないでしょ。肉どころか野菜も無いじゃない。それで明日戦えるの?」

 

 アイラたちからすれば寧ろブレイブが全力を出せないのは歓迎すべきことなのだろうが、サフィーアとしてはリベンジを望む相手が不調で全力を出せないのは困る。故に、彼にはしっかり食べてもらわなければならないのだ。

 

「お前には関係ねえよ」

「ある! お腹減って全力出せないなんて、そんなの認めないんだから!」

「いや、こっちとしては全力出さないで貰えると有り難いんスけど」

「あんたは黙って食べてなさい」

「ムグッ!?」

 

 横から口を挟んできたシルフの口にクレアがパンを突っ込む横で、サフィーアはブレイブに人差し指を突き付ける。

 

「弱ったあんたに勝っても意味無いの! 全力出せないと意味無いの! だから借金してでもしっかり食べなさい!」

「俺はこれで十分だってんだよ!」

「嘘付け!!」

「嘘じゃねえ!」

「嘘だっつってんでしょ!! 分かるのよこちとら!!」

 

 段々とヒートアップしてきた様子のサフィーアに、クレアは何時でも彼女の口を塞げるように身構えておく。何処でどんな輩がこの会話を聞いているか分からないのだ。もしこの場に彼女の秘密を知ってロクでもない事を考えるような輩が居たら、危険に晒されるのは彼女自身なのである。

 そんな風に心配しているクレアを余所に、サフィーアとブレイブの口論は続いていた。

 

「つかお前、俺のコンディションどうこう言える様な強さじゃねえだろ? つい最近ボコられておいて、何次は勝てる気でいるんだよ? どうせまたボコられるのがオチだろ」

 

 ブレイブにそう指摘された瞬間、サフィーアの顔から表情が消えた。

 

「あ……そう。そんな事言うんだ。ふ~ん……」

 

 そう言うと彼女は突然興味を失ったかのようにそっぽを向いてしまった。

 やれやれ漸く諦めたか、とブレイブは溜め息を一つ吐いて食事に戻った。と言っても堅パン二つを齧るだけだが。

 

 外も中もカッチカチの堅パンを一個平らげた時、徐に給仕が彼の居るテーブルに一つの料理を置いた。ミンチ肉と刻んだ野菜をパイ生地で包んで焼き上げた料理だ。当然ながらブレイブはこんなもの注文した覚えはないし、ポールも注文していない料理の登場に困惑していた。

 

「おい、俺らこいつ頼んだ覚えないぞ?」

「いえ、そちらのお客様から……」

 

 間違いか押し売りかと警戒して不機嫌そうな様子で問い掛けるブレイブに対し、給仕の女性は言葉と共に視線をブレイブの背後に向けた。その視線に嫌な予感を感じつつ背後を振り返ると、挑発的な笑みを浮かべたサフィーアと目が合った。

 

「お前か?」

「そうよ、あたしよ。何か文句ある?」

 

 得意気に言うサフィーアに対し、ブレイブの額に青筋が浮かぶ。

 だが意外な事に彼は怒りを爆発させることは無かった。拳を握り締めながら俯き、たっぷり時間を掛けて荒ぶる感情を飲み込むと漸く口を開く余裕が出来た。

 

「何だ、情けのつもりか? それとも恩を売りたいのか?」

「んな訳ないでしょ。挑戦状よ、挑戦状」

「挑戦状だぁ?」

「そうよ。それ食べて、元気付けて、あたしと全力で戦ってもらうの。あんたに損はないでしょ?」

 

 損が無いどころの話ではない。寧ろ得しか無いではないか。そんな事をして彼女に何の得があると言うのか。

 

「何でこんなことする?」

「さっきから言ってるでしょ。全力出せるあんたに勝てないと意味無いのよ。こっちが全力で挑もうってのに、そっちが全力出せないなんてフェアじゃないもの」

 

 サフィーアの返答にブレイブは大きく溜め息を吐いた。彼女の言いたいことも分かるからだ。戦うなら全力を出せる相手と戦いたい、そうでなければ意味が無いと言う考えは彼自身激しく同意できる話だった。

 だからこそこれ以上彼は何も言えない。強く拒絶すれば、それは自身の在り方をも否定することになる。

 

「…………礼は言わねえぞ」

「お礼は結構。次戦う時全力で戦ってくれればそれで十分よ」

「全力出すかはお前次第だ。精々引き出させてみな」

「ご心配なく。がっかりさせないから安心してて頂戴」

 

 お互いこれ以上は何も言うことは無いのか、サフィーアは再び挑発的な笑みを浮かべてからそっぽを向きブレイブは貪る様にパイ包みを食べ始めた。

 

 音だけで彼がまともな食事を始めた事にサフィーアは満足そうな笑みを浮かべているが、何時までも現実から目を逸らしてはいられない。覚悟を決めて彼女はブレイブとは反対方向に顔を向ける。

 そこに居たのは、盛大にジトっとした目を向けるクロード商会雇われ組の傭兵達の姿だった。そりゃそんな顔にもなろうと言うものだ。何しろサフィーアのした事は敵に塩を送るも同然なのだから、同じ相手と戦う事になる彼らからしてみれば堪ったものではない。

 彼らから向けられる視線と非難の思念に、彼女はそれまで抑えていた冷や汗を盛大に流していた。

 

「え、えっと、あはは…………ごめんなさい」

 

 現状、どう足掻いても悪いのはサフィーアなので、彼女に出来る事と言えば素直に謝る事だけであった。




ご覧頂きありがとうございました。ご感想等いただけますと、大変励みになりますのでどうか宜しくお願いします。勿論誤字脱字や批判等も受け付けております。

次回の更新は日曜日、朝と夜の二回の更新を予定しています。


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第22話:垣間見える悪意

お気に入り登録ありがとうございます。

読んでくださる方達に最大限の感謝を。


 遺跡に向かう当日の早朝、クレアは一人宿の屋上で鍛練に勤しんでいた。現地ではクロード商会の占有権確保の妨害の為に先日の様な襲撃がある事だろう。増強される戦力がどれ程かは分からないが、少なくともブレイブは確実に居る。彼の実力はクレアに迫るほどだ。それだけでこの依頼の難易度は跳ね上がる。

 サフィーアは彼と戦う事に強い意気込みを見せているが、現実問題彼の相手はクレアがすることになる可能性が高い。その時に備えて、今の内からウォーミングアップして体を温めておく必要があった。

 

 その時――――

 

「うっ?! つぅ……」

 

 舞う様に拳や蹴りを虚空に放っていたクレアの動きが突然引き攣ったように止まった。表情は痛みに歪み、その手は自然と左脇腹に添えられる。

 

「いっつつ……くっそぉ、まだ治りきらないかぁ」

 

 先日の襲撃の際、サフィーアと交代でブレイブの相手をした時、実は彼女は彼から最後の最後で一撃貰ってしまっていた。彼女は彼女で彼に強烈な一撃を叩きこんだので結果としては痛み分けで終わった訳だが、この傷が来るべき戦いにおいてどの程度響いてくるか分からない。そして戦いに於いては、こうした不確定要素が最大の障害となり得るのだ。

 勿論、戦いが終わった後で回復薬等を使って手当はしておいたが、野外で出来る手当てには限界がある。回復魔法が使えれば話は別だが、生憎とクレアには回復魔法は使えなかった。つまり、今彼女は戦いに於いてハンデを背負ってしまっている。

 この事はサフィーアには教えていない。余計な不安を与えないようにする為だ。ハンデを背負ってしまっているとは言え、決して戦えない程ではない。条件はブレイブも同じなのだし、彼に匹敵する者が向こう側に付いたりしなければアイラ達を護りきる事が出来る筈だった。

 

「まぁ……こういう時って希望的観測は大抵外れるのよねぇ」

 

 クレアはボヤキながら鍛練を切り上げた。一応手当てをして傷を塞いでいるとは言え、ここで無理をすれば傷が開くかもしれない。まぁ戦闘中に開かれてもそれはそれで困るのだが。

 

 早朝の静かな宿の廊下をクレアは自室に向け歩いていく。時々朝早くから掃除の為にヘルパー・ゴブリンが動き回っているのを見かけるが、他は誰もが覚める直前の夢の中だった。

 それは部屋に残されたサフィーアも同様で、クレアが鍛練の為に部屋から抜け出す時彼女はまだベッドの中だった。恐らくまだ起きてはいないだろう。

 

「ん? あらサフィ、今日は何時もより早いのね?」

 

 そう思っていたクレアが部屋に入ると、予想に反してサフィーアは既にベッドから出ていた。着替えも済ませており、何時でも出れる状態だ。

 ただよく見ると、起きているかは微妙な状態だった。今サフィーアはベッドから起きて椅子に座っているが、その眼は閉じられていたからだ。その様子はまるで眠っているかのようである。

 

「サフィ?」

 

 クレアが声を掛けるが、サフィーアは全く反応を見せない。ただ眠っている訳ではないようだ。

 

 

***

 

 

 その頃、サフィーアの意識は深い水の中に沈んでいた。と言っても、本当に水の中に居る訳ではない。

 

 彼女の能力で感知できる思念は大きく分けて二つ。自分に向けられる思念か、無差別に周囲に向けられた思念――例えば『誰でもいいから助けて』のような――の二種類だ。例えるなら無線の様なもので、自分にチャンネルを合わせた電波かオープンチャンネルで発信される電波を受信できるのである。

 

 サフィーアは今意識を集中させ、周囲を漂う無作為に飛び交う思念を拾っていた。普段は余程強い思念でない限りそう言う思念は無意識に弾かれてるいのだが、今は意識的に拾うようにしているので多くの思念を感知していた。その思念に意識が包まれた状態を彼女は水の中とイメージしているのだ。

 何故こんな事をしているのかと言えば、精神鍛練の為だ。無作為に周囲に向けられた思念を受け、それを受け流すことで雑念を洗い流す。これが彼女なりの精神鍛練だった。

 無作為に向けられる思念にも色々あるが、その多くは主に負の思念が多い。そうした思念を上手く受け流すことで、必要以上の恐怖心を消し去るのだ。同じ能力を持つ母からの、この能力の使い方だった。

 

 サフィーアの意識はどんどん深いところまで沈んでいく。それは彼女が重いからではない。無数の黒い手が彼女を深いところに引き摺り込んでいるからだ。この黒い手が負の思念、主に悪意や殺意、不特定多数に向けられた他者を傷つける思念だった。

 自らを暗く寒い所へ誘おうとする黒い手を、サフィーアは無理やり引き剥がすことはしない。これらは彼女を狙ったものではないのだ。意識せずとも、自然に構えていれば向こうから勝手に放してくれる。事実、無作為な悪意は次第に向こうから離れていき、彼女の体――これは飽く迄イメージであり実際は意識――は水面に向けて上がっていく。

 そして後もう少しで体が水から上がると言う時――――

 

「――――ッ!?」

 

 それまでとは違う、黒い人影を象った悪意が彼女に覆い被さった。悪意は彼女の首を両手で絞め、全力で以て彼女の意識を再び下に沈めようとする。

 

「――ッ!?――――ッ!!?」

 

 実はこれをやるのは久しぶりだった。クレアと出会う以前も同じやり方で精神鍛練を行ったことがあるのだが、その時にも同じ悪意が彼女を深いところに誘おうとしたのだ。それ以降彼女はこの精神鍛練をやらなかったのだが、今回はブレイブとの戦いに備えて意を決して意識を思念の海に沈めてみた。その結果がこれだ。

 この悪意の恐ろしいところは、これは彼女を個人的に狙ったモノではないと言う事だ。つまり、この悪意を放っているものはとてつもなく強い悪意を誰彼構わず向けている。これは最早誰でもいいと言うレベルではない。言うなれば全てだ。この悪意は、世界全てを憎んでいる。でなければ、ここまで明確に人の形を象る筈がない。

 

 己を暗く深い、深淵とも言える場所へ誘おうとする悪意に晒されるのが嫌でサフィーアは最近この精神鍛練をやらなかったのだ。だがそうも言っていられない。ブレイブとまともな戦いをするには、これを乗り越えねばならないのである。

 

 サフィーアは意識して精神を落ち着け、自分の首を絞めているとてつもない悪意を受け流す。この悪意は本当に強く、なかなか彼女を解放してくれなかったがそれでも彼女個人を狙っていない事に変わりはない。案の定時間が経つにつれて拘束が緩み、遂にその手が彼女の首から離れた。それと同時に彼女の体は再び上昇を始めた。

 悪意は依然としてその形を保ち続けているが、彼女の体が上に上っていくのでその距離は開いていく。勝手に沈んでいく悪意に難を逃れたと、あの悪意を受け流す事が出来たとホッと胸を撫で下ろした。

 

 次の瞬間、深淵から無数の蔦の様な物が伸びて彼女の体を絡め捕った。

 

「ッ!?!?」

 

 サフィーアは驚愕した。この悪意は先程とは比べ物にならない。

 

 いや、比べ物にならない所ではない。文字通り次元が違う。先程の悪意には人間らしい――或いは生物としてあって然るべきだが――悪意以外の思念が混じる余地が感じられた。とても強いが、完全無欠ではなかった。

 だが今度は違う。正真正銘、完全無欠の悪意だ。世界全ての生命を滅ぼさんとする程の悪意が彼女の意識を捕らえたのである。

 サフィーアはパニックを起こした。今度の悪意は受け流す事が出来るレベルではない。一度捕らえられたら寒く暗い深淵に引き摺り込むまで絶対に放さない。そんな意思を感じるのだ。

 

 サフィーアは水面に向けて片手を伸ばし、もう片方の手で蔦を引き剥がそうとしたが悪意は一向に彼女を解放する様子を見せない。それどころか更に拘束がきつくなり、蔦の数も増えていった。深いところに沈むにつれて、水面からの光が減り彼女の体を闇が覆い隠していく。

 絶望的な状況にサフィーアは届く筈の無い助けを求めた。

 

――誰か……助けて!?――

 

 その声を聞き届けてくれる者が居ない事は、彼女が一番よく分かっていた。ここは物理的な空間ではないのだ。例え助けを求めても、その声は誰の耳にも届かないし助けなど絶対に来ない。

 流石のサフィーアの心にも諦めと言う言葉が浮かんだ。

 

 その時だった。赤と白の刃が深淵から伸びる蔦を切り裂いた。

 突然の事に何が起こったか分からなかったサフィーアだったが、体が水面に向けて上昇したことで漸く自分が悪意から解放された事に気付いた。

 一体誰が? そう思い周囲を見ると、そこには二本の剣を持ち彼女に背を向けているブレイブの姿があった。彼女がその背を呆然と眺めていると、彼は振り返り彼女の目を真っ直ぐ見つめる。そして剣を持ったままの右手を挙げると、人差し指と中指をチョイチョイと動かした。挑発しているのだ。

 

 それは彼がこの瞬間偶然にも彼女の事を意識したからなのか、それとも彼女の負けまいとする心が無意識の内に彼の事を思い浮かべたからなのかは分からない。唯一つ言える事は、彼女の心が悪意から解放されたと言う事だ。

 だがその事実を噛み締めている時間は彼女には無かった。何故なら次の瞬間、何者かが彼女の意識を水面に向け引き上げたからだ。

 

『サフィッ!!』

 

 

***

 

 

「サフィッ!!」

「はっ!?」

 

 クレアが強く名前を呼んだ瞬間、サフィーアは目を開いた。呼吸は荒く、まるで猛暑の中を全力疾走した後の様に全身汗でびしょ濡れだったが、その体は驚くほど冷えている。彼女の事を心配して肩に置かれたクレアの手と、膝に乗ったウォールの体温が何時も以上に温かく感じられる。

 

「どうしたのサフィ? 何か様子がおかしかったけど?」

 

 心配して声を掛けるクレアの問い掛けに、直ぐには答える事が出来なかった。それ程今彼女がした体験は衝撃的だったのだ。

 頭を落ち着け考えを纏める為に暫し黙っていたサフィーア。その前にクレアがコップに入れた水を持ってきてくれたことで、漸く話をする余裕が生まれた。

 

「すいません」

「いいのよ。それより大丈夫? ただうたた寝してたって訳じゃなさそうだけど」

「くぅん?」

 

 クレアに続き、ウォールも心配そうな声を上げる。彼女達からの心配を受けて頭を落ち着けたサフィーアは、ゆっくりとだが今し方自分のした体験を語りだした。

 

「今のは、ちょっとした精神鍛練みたいなものです」

「精神鍛練? 鍛練ってレベルじゃなかったけど。呼吸も荒かったし、どんどん汗出てくるし」

 

 言われてサフィーアは、自分が下着までぐっしょり汗で濡れていたことを思い出す。自分の状態に苦笑すると、とりあえず下着だけでも取り換えるべく着替え始めた。勿論その間も話は続ける。

 

「ちょっと独特なんですけどね、持って生まれた能力を活用した奴で。長くなるんで説明は省きますけど」

「あぁ、そう言う?」

「はい。で、それでちょっと予想外の事が起こって」

「予想外の事?」

 

 首を傾げるクレアに、サフィーアは掻い摘んで説明していく。通常のものを遥かに超える強い悪意、それすら凌駕する悪意を超えた何か。

 

 着替え終わる頃に全てを話し終え、その頃にはサフィーアも大分落ち着いていた。一方、話を聞き終えたクレアは真剣な表情で考え込んでいた。彼女なりに新たな情報を整理しているらしい。

 それとも単純に理解が及ばぬ情報に頭を悩ませているだけか。

 

 たっぷり時間を掛け、先程より大分日も昇った頃漸くクレアが口を開いた。

 

「それさ……サフィ自身に悪影響は無いの?」

「ん~…………精神的に消耗する以外は、特に問題ないです」

「そっか。ただ、そういう精神的な物って肉体的なもの以上に後を引くから、辛くなったら言いなさいね」

「? はい、ありがとうございます」

「よし。それじゃ、そろそろ食堂行きましょ。ボチボチ他の連中も起きて朝御飯食べてるでしょ」

 

 言われてみれば、既に日も大分高くなってきている。遺跡に移動する時間を考えると、いい加減そろそろ朝食を済ませておかなければ空腹のまま移動することになるだろう。折角街に居るのだし、その間は調理された温かい食事を楽しみたい。

 

 サフィーアは慌てて席を立つと、ウォールを肩に乗せてクレアと共に食堂に向かうのだった。




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次回の更新は本日の午後を予定しております。


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第23話:出し抜けの強襲

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 朝食を済ませたサフィーア達は、その後すぐにクロード商会の――追加組はギルドでレンタルした――車で目的の遺跡まで移動していた。

 道中は不気味なほどに静かで、ブレイブ達は勿論モンスターの襲撃すらなかった。

 

「シルフ辺りなんかは、『この調子で終わってくれると楽で良いっスね』な~んて言ってそうね」

「クレアさんはそう思ってないんですか?」

「逆に聞くけど、サフィは簡単に終わると思ってる?」

「いえ全く」

「でしょ?」

 

 二人の会話はそこで途切れた。それは話題が無くなったからではない。来るべき襲撃を警戒しているのだ。彼女達は既に敵の存在を確信している。サフィーアは能力で向けられる敵意を感知して、クレアは傭兵生活の中で培った経験からくる勘で…………

 

 計三台の車からなる車列は暫く街道を進んでいたが、あるラインを越えた瞬間街道から外れ一直線に遠くに見える森に向けてスピードを上げる。目的の遺跡はあの森の中にあるのだ。

 

「今、オブラの国境を越えたわね」

 

 車が街道を外れた所でクレアがそう呟いた。彼女の視線の先には、ビル二階分ほどの高さがある鉄塔があった。あれは複合センサータワーだ。あれが数km間隔で設置されており、タワーの間を何かが通ると即座にオブラの守備軍に情報が伝わる様になっている。

 つまり、このタワーとタワーの間がオブラと外界の国境線となっている訳だ。

 

 そしてこの国境を越えたと言う事は、オブラと言う独立国の力は及ばないと言う事になる。ついでに言うと国境を越えたからと言って即座に別の国と言う訳ではなく、隣の国までは暫くどの国の領土にも属さない地帯となっていた。当然モンスターの間引き等も行われていないので、今まで以上に何が出てくるか分からない。

 尤も、間引きをしたからと言って安全と言う事は全く無いのだが。

 

 森にある程度近付くと、一行は車を適当な所に隠して徒歩で遺跡まで向かった。車を隠すのは、ブレイブ達の妨害の一環で車を破壊されるのを防ぐ為とモンスター等の目を誤魔化す為だ。モンスターの中には狡猾で車の近くで待ち伏せる事をしてくる奴がいる。それをさせない為に、偽造網を使って車を隠すのだ。

 

 遺跡までは徒歩で数十分ほど掛かった。単純な距離以上に、森の中の移動と言うのは足場の関係上意外と時間を食われるのだ。

 

「遺跡ってまだ遠いの?」

「いえ、もう到着しました」

「到着?」

「もしかして、これ?」

 

 到着した遺跡は、写真で見た以上に自然に飲み込まれていた。上から見た場合と下から見た場合で見え方が違うと言うのもあるのだろう。下の方は苔や蔦に覆われてかなり注意して観察しないと建物があるとは気付く事が難しい有様だった。

 アイラの視線からその存在に気付いたクレアも、正直半信半疑と言った様子だ。

 

 兎にも角にも目的地には到着したのだから、後はここを確保し続ければいい。一見簡単な仕事だ。

 

 そう、一見は…………

 

「どんな感じ?」

 

 他の者からの視線や聞き耳に注意しながらクレアはサフィーアに敵意の存在を訊ねた。先日も彼女のおかげで敵の数を知る事が出来たのだ。今回はあちらもこちらも戦力を増強しているのだから、それを有効に活用する為にはサフィーアに索敵してもらうのが一番だった。

 クレアに問われ、サフィーアは目を瞑って感覚を研ぎ澄ませる。先程までは移動と双方に距離があったこともあってその存在を朧気に捉えるくらいしか出来なかった。より正確に思念を感知する為には、ある程度落ち着いた場所で神経を尖らせる必要があったのだ。

 

 果たして、彼女の能力は迫りくる敵の存在を捉えた。真っ直ぐ彼女達の方に向けて接近してくる敵意を持つ者が全部で…………七つ。

 

「近付いてきてます。さっきよりもずっと近い。数は、七人ですね」

「こっちまで真っ直ぐ来てるの?」

「はい」

「となると、この間と同じヘリで移動してるとみるべきね」

 

 クレアは即座にアイラ達の所へ行き、急ぎ遺跡の中に隠れるよう告げると同時に追加組に戦闘準備をさせる。追加組の傭兵達は最初訝しげな様子だったが、闘姫と言う二つ名を持つ彼女の言葉はそれだけで重みがあったのか直ぐに各々戦いに備えていく。シルフなどは素早く遺跡の壁を上ると、適当に足場になるところで額当てをずらして第三の眼で周囲を警戒し始めた。特別な装備無しで広範囲を目視によって警戒できるのはサードと言う種族の強みだ。

 これに加えて、サフィーアの思念探知能力が加われば索敵はほぼ万全と言えるだろう。サフィーアが敵の存在を感知し、シルフが目視で敵を確認する。この索敵を掻い潜る事はそう簡単にできる事ではない。

 惜しむらくは、サフィーアの能力を公言出来ない為確固とした連携を取れない事だろうか。サフィーアが感じ取った敵意をクレアを通して曖昧な形でシルフに伝えなければならない為、即応性にどうしても難がある。

 

――せめてシルフにだけはこの能力を話せればよかったのに――

 

 サフィーアは小さく溜め息を吐いた。シルフと密に連携を取る事が出来れば良かったのだが、クレアにそれは止められている。どうも彼女はその性格に違わず口が少々軽いらしい。彼女を通じて思念感知能力の事が公になれば、面倒な事になりかねないので現状二人羽織状態で索敵せざるを得なかった。

 

「あっ、見えたっス! ヘリが一機こっちに向かってくるっス!」

「そこからパイロット狙える?」

「やってみるっス」

 

 そうこうしていると遂にシルフがブレイブ達が乗ったヘリの姿を捉えた。クレアの指示で彼女はライフルを構えると、ヘリのパイロットに向けて引き金を引いた。

 結果がどうなったのかは聞かなくても分かった。銃声が響いて数秒もしない内に彼女が顔を顰めたのだ。

 

「ダメッス、当たりもせずに弾かれました。多分術士が障壁張ってるっス」

「シルフはそのまま狙撃を続けて。当たらなくても威嚇にはなるわ」

「俺も加わろう」

 

 シルフが狙撃をしている隣に素早くエルフの銃士が立つと、矢筒から抜いた矢を弓に番えた。銃と並び立つ弓矢……字面だけだととても頼りなく見えるが、エルフの扱う弓矢は特別性であり現代兵器にも全く劣っていない。

 彼が放つ矢の鏃には人工的なエレメタルが使用されていた。これに魔力を充填して放つ事で、ただの弓矢の一撃を遥かに超える威力を発揮するのだ。

 

 ヘリがある程度近付いてきた事で射程内に入ったのか、エルフも射撃を開始した。あちらもこちらにエルフの銃士が居る事に気付いたのか慌てて高度を上げて矢による一撃を回避する。

 このまま攻撃を続けて撃ち落とすなり追い払うなり出来るだろう。サフィーアはそんな事を考えていたが、次の瞬間その表情が驚愕に染まった。

 

 突然正面の森の中に複数の敵意が出現したのだ。それと同時に、ヘリが反転して遺跡から離れていった。

 

「お? ヘリが逃げていくっスよ?」

「諦めたのか?」

 

 突然踵を返して逃げるヘリの様子にシルフ達が首を傾げるが、サフィーアは即座にそれを否定しつつ周囲に警告した。

 

「違う、ヘリの中の連中が森の中に居る!?」

「はっ?」

「クレアさんッ!!?」

 

 サフィーアがクレアに警告するのと森から人影が飛び出すのは同時だった。飛び出した人影は両手に装着した鋼鉄製の爪をクレアに向けて振り下ろす。

 

「くっ!?」

 

 先制攻撃を許しはしたが、そこは流石に二つ名持ちのAランク傭兵。咄嗟に相手の懐に入り込み腕を押さえて攻撃を防いだ。

 

「アッハハッ!! 久しぶりだね、クレアッ!!」

「あんたは!?」

 

 クレアに攻撃を仕掛けたのは彼女と同じく女の傭兵であった。胸部と関節部を最低限の大きさの鎧で守った彼女は、サディスティックな笑みを浮かべながらクレアから距離を取った。同時に他の傭兵が背後の森の中から次々に姿を現す。

 

「フフフ、運が良い。こうしてあんたと再会できたんだからね」

「こっちはもうあんたと会いたくなかったわよ、エリザベート」

 

 エリザベート……サフィーアはその名前に聞き覚えがあった。確かシルフに教えられた、要注意の傭兵の代表格だった筈だ。そう言えばクレアのライバル的立ち位置に居るとも教えられていたが、どうやら二人の様子から察するに因縁浅からぬ仲であるらしい。今も他の傭兵には目もくれずクレアだけを見つめている。

 

 ライバルと言うからには、実力は相当なものなのだろう。出来ればクレアを援護したいところだが、数の上では同数なのでそんな事も言っていられない。他商会に雇われた傭兵達がアイラ達クロード商会の者達に襲い掛かろうと向かってきたからだ。

 

「サフィ、悪いけど他の連中は任せた!」

「はい!」

 

 咄嗟の指示に勢いよく返事を返すが、サフィーアはその際のクレアから感じた焦燥の思念に胃がせり上がる様な感覚を覚えた。他の奴の相手をこちらに任せると言う事は、彼女にはエリザベート以外を相手にしている余裕はないと言う事だ。つまり、エリザベートの実力はクレアに匹敵している。

 そしてあちらにはブレイブが居る。ブレイブの相手はサフィーアがするつもりだったが、いざクレアからの援護が望めないとなると一気に緊張感が増した。

 同時に彼女は愕然となった。今自分は何を考えた? クレアの援護が望めない? 最初からブレイブの相手は自分が一人ですると決めていたのではなかったか?

 

 サフィーアはそこで気付いた。口では何だかんだ言いつつも、心の奥ではクレアに頼ってしまっているのだ。ブレイブに勝つ為には退かぬ気持ちが、絶対に勝ってやると言う前に出る気持ちが必要だったのではないのか。

 

――これじゃあ、何も変わらないじゃないッ!!――

 

 いざと言う時に弱気になってしまった自分に嫌悪感すら覚えていたサフィーアだったが、何時までも自分を責めている余裕は存在しなかった。

 

 ブレイブが他の傭兵達に交じって突撃してきたのだ。




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第24話:舞い散る刃

読んでくださる方達に最大限の感謝を。


 向かってくる他商会――ディットリオ商会の傭兵達。

 その中から最初にサフィーアと刃を交えたのは、ブレイブではなかった。

 

「しゃらぁぁぁっ!!」

「チィッ!?」

 

 剣を持った一人の傭兵がサフィーアに斬りかかってくる。彼女はそれを受け止めると、鍔迫り合いをせずに受け流して一旦距離を取る。筋骨隆々な男の傭兵と鍔迫り合いをするには、サフィーアは少々細すぎるのだ。彼女は力ではなく技術で勝負するタイプ。力勝負に持ち込まれたら勝ち目はない。

 サフィーアが一人の傭兵の相手をしている間に、他の傭兵達も戦闘を始めた。正直に言って、戦況はあちら側が有利に見えた。エリザベートはクレアが相手をしてくれているが、相手側にはまだブレイブが居る。サフィーアは知らない事だが、ポールだって決して弱くはない。生半可な者では相手にならないくらいだ。

 

 早急に目の前の傭兵を始末して他の傭兵達の援護に回るべきなのだが、今彼女が相手をしている傭兵も弱い相手ではない。重い斬撃で彼女の体勢を必要に崩そうとしてくる。彼女はそれを、相手の攻撃の思念を上手く読んで巧みに躱していた。

 

 率直に言って、この相手には絶対に負けたくなかった。単純に負けず嫌いだから負けたくないのではない。相手から露骨に下卑た思念が伝わってきたのだ。恐らく死なない程度に痛めつけておいて、仕事が終わった後でたっぷり彼女の体を嬲るつもりなのだろう。

 そんな目に遭うのは真っ平御免だし、そんな相手に負けるのも絶対に嫌だった。

 

 剣を構え直し、一瞬の静寂。相手も責めるタイミングを見計らっているのか直ぐに攻撃を仕掛ける事はせず、剣を油断なく構えて彼女の一挙手一投足を観察していた。

 静寂は一瞬、シルフが誰かに向けて放った銃声を合図に、両者の距離はあっと言う間に縮まった。

 

「おらぁぁぁぁっ!」

 

 相手の男は先程と同じく、力任せの斬撃を放ってきた。サフィーアも先程と同じく正面から受け止める事はせず巧みに受け流すことで相手に隙を作らせようとしたが、彼女の思惑は既に向こう側に見抜かれているのか彼女が受け流そうとすると彼は強引に体当たりをして彼女の体勢を崩そうとしてきた。

 

「ぐっ!?」

「捕まえたぞ!」

「誰がッ!!」

 

 そのまま抱き着いて動きを拘束しようとしてきたが、サフィーアは足から魔法で突風を発生させ相手を吹き飛ばす。そして相手の体勢が崩れた所を見逃さず、がら空きとなった胴体に向けて剣を振り下ろした。

 

「ぎゃっ?!」

 

 サフィーアが振り下ろした剣は相手の鎧を切り裂き胴体に赤い直線を引いた。致命傷となる箇所は外れたようだが、それでも確実に大ダメージは負わせられた。出血もあるし、少なくとも暫くは満足に動くことは出来ないだろう。

 今の内に他の傭兵達の援護をしようと構えを解いたサフィーア。その彼女の目にとんでもない光景が飛び込んできた。

 今倒した筈の男の傷が塞がっていったのだ。鎧は元通りにならなかったが、傷口は完全に塞がった。

 

「はぁっ!?」

 

 一体何が起こったのか。その答えは、男の背後の森にあった。いや、正確には“居た”と表現した方が良いだろう。

 森の手前、そこに一人の女性の姿があった。頭をすっぽりと覆うローブにエレメタルを先端に装着した杖と、これでもかと言うくらい分かり易く術士然とした格好をした女性だ。その姿を見た瞬間、サフィーアは即座にトリックを見抜いた。

 

「ヒーラー!?」

 

 術士のジョブは前衛の『ソーサラー』、後衛の『マジシャン』、そして特殊の『ヒーラー』の三つが存在する。

 ヒーラーはその呼び名の如く他者を癒したり、或いは魔力を供給したり肉体強化を施したりと兎に角味方のサポートを得意とするジョブだった。その分戦闘力はかなり低く、戦闘どころか自衛も仲間頼みになる事が多かったが、これが味方として存在するかしないかで大分違う。何しろ味方であれば多少の傷は気にせず戦えるのだ。反対に敵として回れば、相手の戦闘員を半端な攻撃では足止めできないので一気に面倒臭い事になる。

 

 サフィーアは戦慄した。相手方にヒーラーが居る以上、向こうの戦力を減らすには回復魔法では治しきる事が出来ない状態に追い込まなければならない。端的に言えば殺すしかない。

 無論殺さずとも何とかする方法はあるのかもしれないが、彼女にはその方法を選ぶ贅沢は存在しなかった。彼女はそんなに強くはないのだ。殺さずに確実に勝利を得るには、彼女は未だ未熟な部分を多く持っている。迂闊に殺さない方法を選ぼうとすれば、自分は勿論周りの人間にも危険が及ぶ。

 

 サフィーアは覚悟を決め、必殺の意思を込めて相手を睨み付けた。引き金を引き、剣をマギ・バースト状態にして駆け出し回復不能なレベルの傷を負わせる攻撃を放とうとした。

 

 その瞬間、明後日の方から別の敵意が彼女に向けられた。

 

「ッ!? うわっ!?」

 

 咄嗟にその場を飛び退ると、直後に先程まで彼女が居た場所を背後から振るわれた剣が凪いでいった。先程の傭兵を警戒しつつ距離を取りながら背後を振り返ると、そこには両手に剣を持った別の傭兵の姿が。

 二刀流だが、ブレイブではない。攻撃に彼ほどの勢いがなかった。

 

「ちっ、勘の鋭い奴だ」

「おいおい、殺すなよ。腹斬られた礼もしなくちゃならないんだからよ」

「知るか、自業自得だ。死んだら死体で楽しめばいいだろうが」

「死体で楽しめるか!」

 

 下卑た会話をする二人の傭兵を前に、サフィーアは周囲の様子を探った。相手側は傭兵の一人がヒーラーの術士なので戦力的には実質7対6……いやクレアとエリザベートが抜けているから6対5の筈だ。にも拘らず、こちらに複数の相手と戦う状況が出来上がっているのはどういう事か。

 その原因は直ぐに分かった。ブレイブだ。彼が一度に三人の傭兵を相手取って完全に抑え込んでいるのだ。これでは数的優位が活かせないのも当然である。それどころか、場合によっては優劣を覆される可能性も十分すぎるくらいあった。

 唯一の救いは、銃士組が意外と健闘している事だろうか。特にエルフの彼――確かロジャーだったか――がポールともう一人を相手に殆ど一人で持ち堪えている。彼が敵の傭兵二人を相手に上手く立ち回っている間に、シルフがブレイブや他の敵の傭兵に狙撃をしていた。

 

――こうなったら、イチかバチかよ!――

 

 このままではジリ貧になる。そう感じたサフィーアは、ここでちょっとした賭けに出る事にした。未熟な身の上で成功させられる保証はないが、このまま律義に傭兵二人を相手にしても勝ち目はない。

 クレアがエリザベートを倒してくれれば形勢は逆転する可能性かもしれないが、サフィーアはこれ以上クレア頼みで困難をやり過ごすつもりはなかった。自力で困難を乗り越えようと言う気概が無ければ、ブレイブと戦う資格はない。彼女はそう考えていた。

 

 思い立ったが吉日。サフィーアは早速作戦を実行に移す。

 

 とりあえずサフィーアは最初に襲い掛かってきた傭兵に向け突撃する。マギ・コートで強化した脚力で接近し、強化された腕力で以て渾身の一撃を放つ。しかし相手はベテランか準ベテラン、少なくとも確実に戦い慣れた傭兵だ。愚直に突撃しただけの攻撃は簡単に往なされる。更に増援としてやって来た二刀流の傭兵が彼女の背後を突こうと飛び掛かってきた。彼女のがら空きの背中に二刀が振り下ろされる。

 勿論サフィーアはこれに気付いていた。最初の攻撃が受け止められた段階で彼女は背後からの奇襲を読み、攻撃の思念が飛んできた瞬間にサイドステップで横に回避した。

 

「ぬっ!?」

「うおっ、馬鹿野郎!?」

 

 サフィーアが背後からの奇襲を回避した結果、勢い余った二刀流の傭兵の攻撃は彼女の攻撃を往なした傭兵に襲い掛かった。寸でのところで防ぐ事には成功したらしく大事には至らなかったが、結果として彼らは一時的に動きを止める事になる。

 瞬間、サフィーアは引き金を引くとその場で剣を振るい、空破漸を二人に向けて放った。

 

「行けぇッ!!」

「くっ!?」

「チッ!?」

 

 動きを止められたところで放たれた空破漸。しかし彼らは辛くもこの攻撃を回避した。タイミング的にマギ・バーストで受け止める事も出来なくは無かっただろうが、反撃に出る事を考えるなら受け止めるよりも躱してしまう方が早かったのだ。

 

 そして…………サフィーアは賭けに勝った。

 

「あがっ?!」

「ッ!? 何っ!?」

 

 背後からの悲鳴に異変を感じた二刀流の傭兵が振り返ると、そこではポールと共にクロード商会側の銃士二人を襲撃していた傭兵がサフィーアの放った空破斬によって真っ二つに切り裂かれている光景が目に入った。

 

 そう、サフィーアの標的は最初からあの傭兵だったのだ。傭兵の質は悔しいがあちら側が上だ。この状況を覆すには、数的有利を得るしかない。彼女はそう考えたのである。

 そして彼女の判断は正しかった。戦う相手が減ったことで、銃士組にこちらを援護するだけの余裕が出来たのだ。

 

 ただし、全てが上手くいっている訳ではない。ロジャーとシルフに余裕を持たせる代償を彼女は払っていた。

 

「うっ!?!? くぅ……」

 

 サフィーアは他者が自分に向けて――或いは無作為に――発した思念を感じ取る事が出来る。その思念には当然死の瞬間の怨恨や苦痛も含まれる。

 彼女は今、一人の傭兵の命を奪った。当然その瞬間彼は苦痛、無念、恨み辛みの思念を抱いていた。その瞬間彼女はそれを明確な感覚として感知し、心が声にならない悲鳴を上げた。心の悲鳴は苦痛となって彼女を苛む。

 しかし彼女が苦痛に動きを止めたのはごく僅か、刹那にも満たない時だった。相手の苦痛の思念が彼女だけに向けられたものではない事もあるが、最大の理由は死からくる負の思念に対する耐性をしっかり身に付けていたからだ。

 

 サフィーアが傭兵になる上で、最大の障害となるのは戦いの技能以上に殺した相手からの負の思念を諸に受けてしまう事だった。不殺を貫く事が出来るような超人的技巧を持っているならばともかく、そうでない場合戦えば何処かで必ず相手を殺めてしまうのは避けられない。そうなった時、相手を殺める度に死からくる負の思念に苛まれては自分が死んでしまう。

 それを避ける為、彼女は傭兵になると決意した時から両親の手によって負の思念に対する耐性を身に付ける訓練を受けていた。具体的にはゴブリンなどストレートに負の思念をぶつけてくるモンスターを彼女自身の手で仕留めさせるのを何度も経験させた。

 これがあるので、彼女は戦いで相手を殺めても僅かに苦痛を感じる程度で済んでいるのだ。

 

 閑話休題。

 

 圧力が減ったことで銃士組の援護が先程よりも激しくなり、その援護はサフィーアと戦っている傭兵二人にも及んだ。シルフの銃撃が剣士二人に襲い掛かる。

 

「こっちはいいから、森の手前に居る術士を狙って! あいつヒーラーよ!!」

 

 多少数的に有利になったとしても、回復役に居られては粘られる。一部を除き個人の技量では相手側に分がある現状、粘られては何時か相手に逆転される事は確実だ。そうならない為には、少なくとも回復役を釘付けにする必要があった。

 

 サフィーアは銃士組に敵ヒーラーへの攻撃を要請しつつ、剣士二人の隙を突いて指笛を吹いた。するとそれまで遺跡の中に避難させたアイラ達の守りに就かせていたウォールが彼女の元へと一直線に向かった。敵の傭兵はサフィーア達傭兵の排除を優先させているらしく、アイラ達には目もくれていない。

 ならばいっその事、アイラ達の方に割いている戦力もこちらに回してしまおうと言う訳だ。

 

「ウォール、シルフ達を守って!」

「くぅん!」

 

 主人の頼みに力強く吠え、ウォールはシルフとロジャーの元へ走った。然したる妨害もなく二人の元へ辿り着いたウォールは、素早く障壁を張って二人をポールの攻撃から護った。

 

「なっ!?」

「うぇっ!?」

「今の内よ! 森の手前のヒーラーを――」

 

 全てを言い切る前に、剣士二人の攻撃が彼女に襲い掛かる。その攻撃は先程よりも激しい。上手く出し抜かれた事で彼らのプライドが傷付けられたのだろう。激しい攻勢に、サフィーアは防戦一方だった。

 

「よくもやってくれやがったなテメェッ!! 楽に死ねると思うなよッ!!」

「くぅぅっ!?」

 

 素早い二刀流の連撃と力強い一撃は徐々にサフィーアを追い詰める。しかしやられてばかりではない。

 

 サフィーアはクレアに出会ってから多くの事を学んでいた。その一つが、魔法の扱い方である。

 クレアは戦闘に於いて魔法を単純に放つのではなく、マギ・バーストの様に自身の強化目的で使用することが度々あった。拳や蹴りに炎を纏わせて、威力を強化する奴だ。前々から興味があり暇を見つけては練習していたのだが、最近漸く納得のいくレベルで扱えるようになった。

 本当はクレアが見ている前で使って驚かせてみたかったのだが、今は四の五の言っていられない。

 

 適度に相手をしつつ、二人が可能な限り同じ方向に来るように誘導する。時々危うい場面もあったが、それでも何とか彼らを大体同じ方向に集めることに成功した。

 その瞬間、サフィーアは引き金を引き同時にレガースのエレメタルを通して風の属性を付与した魔力を刃の魔力と融合させた。すると刀身が魔力の風を纏い始めた。

 狙い通りの状態に内心でほくそ笑むと、彼女はその状態で空破斬を二人に向けて放った。

 

「喰らえっ!!」

 

 本日二度目になる空破斬。今度は彼らも背後に無防備な味方が居ないかを一応警戒しているが、彼女の狙いは彼ら二人だ。

 放たれた空破斬は彼女が剣を振りぬいた瞬間、無数の小さな魔力の斬撃となって彼ら二人に襲い掛かった。

 

「何ぃっ!?」

「クソッ!?」

 

 まさかの攻撃に回避しようとする二人だったが、数が多い上に広範囲に拡散しているので回避し切れない。彼らにとっては幸いな事に斬撃一つ一つの威力は低いので、致命傷を受けることは無かったが受けたダメージは決して無視できるものではなかった。

 

 そこそこの成果に満足しつつサフィーアは彼らの間を抜けてブレイブに向けて一気に駆け出した。

 

「ブレイブッ!!」




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第25話:期待外れの再戦

読んでくださる方達に最大限の感謝を。


「ブレイブッ!!」

 

 風属性の魔法で強化した空破斬――空破斬・旋――で傭兵二人の動きを止めた隙に、サフィーアは一気にブレイブに向けて駆け抜けた。

 それまで三人の傭兵を手玉に取っていたブレイブは、彼女の勇ましい声に彼らへの攻撃を中断し彼女の迎撃に取り掛かった。

 

「こっちはあたしがやるから、あんた達はあっちをお願い!!」

「ちょ、おい!?」

 

 傭兵達の制止を振り切り、サフィーアはブレイブに向けて剣を振り下ろした。彼はこれを読んでいたのか、慌てることなく“左の”剣で受け止め、それと同時に右の剣を鞘に納めた。

 彼が手加減モードに入ったことにサフィーアは表情を険しくするが、内心の苛立ちを押し殺して剣の柄を握る手に力を籠める。

 

「昨日言った通り、ギャフンと言わせに来たわよ!!」

「やれるもんならやってみな!」

 

 サフィーアは勢いに任せて何度も剣を振るい、ブレイブをこれでもかと攻め立てる。しかし彼はこの攻撃を全て片手で捌き切ってしまった。時には体を半身にして紙一重で避けるなんてこともやってのける。

 げに恐ろしきはその反射神経だ。サフィーアは何度も剣を振るい、時には彼の死角になる位置から攻撃する事もあった。だが彼は刹那の瞬間その光景が目に入っただけで、必要最小限の動きで回避してしまったのだ。

 

 それでも挫けず攻撃を続けるサフィーアだったが、不意に彼女は疑問を抱いた。何故彼は反撃してこないのか? 受け流す時は流石に剣を使っているが、それだけである。

 彼の行動は着実に彼女を苛立たせていた。

 

「ちょっと! あんた何でさっきから反撃しないのよ!?」

 

 一旦攻撃の手を止めてブレイブに問い掛ける。それを受けて彼は一つ溜め息を吐くと、剣の腹で肩を叩きながら口を開いた。

 

「あんまりこういう事言いたかねえけどよ…………お前、この間よりも弱くなったよな」

「なぁっ!?」

 

 あまりの物言いに絶句しサフィーアは何も言えなくなった。彼女としては精神鍛練もしたしクレアから自分の弱点も教えてもらった。寧ろ前よりもマシになっていると思っていたのに実際はこれだ。

 心底がっかりしたと言う様子を隠しもしないブレイブを前に、サフィーアは頭の中が真っ白になった。

 そんな彼女の内心を知ってか知らずか、ブレイブは言葉を続ける。

 

「お前、昨日なんつったっけ? 『こっちが全力で挑もうってのに、そっちが全力出せないなんてフェアじゃない』? 『がっかりさせないから安心してて頂戴』?…………はっきり言うぜ、がっかりだよ」

 

 ブレイブは感情の無い声で告げ、剣先をサフィーアの鼻先に突き付ける。

 眼前に突き付けられた刃。普段であればそれを押し退けるなり弾くなりするのだろうが、今の彼女にそういった行動に出る心の余裕は存在しなかった。

 

 生まれてこの方、サフィーアはこの様に感情もなく責め立てられたのは初めての事だったのだ。激情を交えて説教されることはあれど、澄んだ水面の様に静かに怒りの感情を向けられたことは今までになかった。冷たい汗が背中を流れ、思考は纏まらず、口の中は驚くほど乾いている。おかげで何か言葉を発しようにも、口も舌も思う様に動いてくれなかった。まるで口が自分の物ではないかのようだ。

 全く動かない体とは対称的に、頭の中はしっちゃかめっちゃかだ。何故? と言う言葉が頭の中を駆け巡る。

 

 クレアに言われて、決して退く事が無いよう前に出る事だけを考えた。だと言うのに、彼はがっかりしたと、期待外れだと言う。

 何が悪かったのだろうか? サフィーアには全く分からない。退く事を考えては勝てないし、前に出る事だけを考えては勝負にならない。ならば、一体どうすれば良いと言うのだろうか?

 

 一体、どうすれば――――

 

 

***

 

 

 時は少し遡り、エリザベートとの戦闘に突入したクレアはと言うと…………

 

「ほうれいっ!!」

「チィッ!?」

 

 こちらはこちらで激しい攻防が繰り広げられていた。エリザベートが執拗にクレアを攻め続け、クレアはそれを必死に受け流す。次第に二人の戦いの場は遺跡から離れていき、気付けば森の奥深くまで移動してしまっていた。

 

 もしこの場にクレアの事を知る者が居たら、ある疑問を抱く事だろう。何故彼女はなかなか攻勢に回らないのだろうか? と…………

 

「ん~? どうしたんだい、クレア? さっきから護ってばかりで全然反撃してこないじゃないか」

「え、そう? 気の所為じゃない?」

 

 強がってはみせたが、当然気の所為などではない。ブレイブに付けられた脇腹の傷が開き始めたのだ。念の為に出発前、サフィーアの見ていないところで回復薬を塗って包帯を巻き直しておいたのだが、やはり付け焼刃の治療では治りきらなかったらしい。

 それもその筈で、本来は数日は安静にしていなければならない程の傷だ。回復薬のおかげで動き回れる程度には治っているが、戦闘はやはり話が別だったらしい。

 

 もう何時完全に傷が開いてもおかしくない状態。しかしエリザベートは当然そんな事知る由もないし、もし仮に知っていたら執拗に傷口を狙ってくるだろう。そういう女だ。

 

「そらそらそらそらっ!」

 

 尤も、傷の事を知られていようがいまいがエリザベートからの攻撃が激しい事に違いは無かった。爪が付いた手甲による連撃を、クレアは必死に受け流していく。普段であればこの程度苦も無く受け流すどころか反撃に回ることも出来るのだが、傷の事を気遣って全力を出す事が出来ないでいた。

 結果として、クレアは徐々にだが窮地に追い込まれつつあった。

 

 勿論、このまま追い込まれるのを受け入れる様な彼女ではない。

 

「いい加減、しつっこいのよ!!」

 

 叫ぶように言うと、クレアは一瞬の隙を突いて掌から業火を放った。それを容易く喰らう相手ではなかったが、おかげで距離を取る事は出来た。

 

 その瞬間二人が考えたことは同じだった。両者とも右手に魔力を集め、同時に攻撃魔法で相手を攻撃した。

 

 放たれた火球と稲妻が衝突し、派手な爆発が周囲の木々を薙ぎ倒した。

 

 

***

 

 

 場面は戻って再びブレイブと対峙しているサフィーア。

 眼前に突き付けられた剣先を見て、しかし彼女はそれを退けようともしない。心にそれをするだけの余裕が無かったのだ。

 

「やる気ねえんなら、どっか行ってろよ」

 

 苛立ちと失望の思念が刃となってサフィーアの心に突き刺さる。

 だがそれと同時に彼女は彼から向けられる思念に何処か違和感を覚えた。何かがおかしい。

 

「なに、が……」

「あん?」

「何が、気に入らないのよ?」

 

 呆然としながらも彼女の口から出た言葉に、ブレイブは再び溜め息を吐いた。

 

「俺は別にチャンバラがしたい訳じゃねえんだよ。剣振り回すだけなんざ、ガキでも出来る」

「あ、あたしが子供っぽいっての!?」

「本気でやる気も無しに剣振り回してりゃ、ガキも同然だろうがよ」

 

 然も当たり前の様に返された答えに、一気に頭に血が上る。自分は子供ではない、ちゃんと考えて行動していると反論しようとして――――

 

 不意に、自分が感じていた違和感の正体に気付いた。

 

――ブレイブ……期待してくれてた?――

 

 失望していると言う事は、逆に言えば期待してくれていたと言う事だ。それが裏切られたから彼は失望し、彼女に辛辣な言葉を投げつけたのである。

 では彼は一体何を期待していたのか? そんなの簡単だ、サフィーアが彼を満足させる戦いを見せてくれることを期待していたのだ。しかし現実に彼が下した評価は、剣を振り回すだけのチャンバラだった。

 

 サフィーアは改めて先程の自身の戦いっぷりを思い出し…………

 

――あぁ、ありゃ確かに怒るわ――

 

 思い出して先程の戦い方の酷さに、自分でも驚いた。後先考えずただ剣を振り回すだけなど、彼の言う通り子供のチャンバラも同然ではないか。これでは馬鹿にしている、若しくは真面目にやっていないと思われても仕方ない。

 再戦に向けて意気込んで啖呵すら切ってきた相手がそんなふざけた戦いをしていれば、そりゃ失望して怒るのも無理はなかった。

 

 一気に頭が冷えたサフィーアは、溜め息を一つ吐くと徐に剣を逆手で左手に持ち、右手を包むレザーグローブを外した。

 そして何を思ったのか、突き付けられた剣先を素手で掴んだのだ。

 

「ッ!?」

 

 突然の行動にブレイブも面食らったのか眉間に皺を寄せ首を仰け反らせる。ここで漸く失望と怒り以外の思念を抱いた彼に構わず、そして刃で裂けた掌から流れる血と痛みも無視して彼女は口を開いた。

 

「ごめん……何かあたし勘違いしてたわ。只管攻めれば良い、なんて」

 

 クレアに言われた教え、兎に角前に出る事を考えろ。それは本来、逃げそうになる心を抑えるだけのものであった。たったそれだけだが、逃げ腰で戦うのと相手の攻撃に立ち向かう覚悟を持って戦うのでは出来る動きがまるで違う。

 サフィーアに求められたのはそれだというのに、彼女は何を思ったか何も考えず攻撃を繰り出すだけを考えてしまったのだ。

 

 何故そんな事になってしまったのか? それは簡単だ。クレアがエリザベートの相手をする為に事実上戦線を離脱してしまい、心細くなってしまったからである。

 こうして考えると何とも子供じみており、自分で考えて情けなさに失笑を禁じ得ないが、事実に変わりはないので受け止めなければならない。

 

――結局、あたしは甘えん坊って事ね――

 

 頼りになる先輩が離れてしまっただけで、冷静さを欠き我武者羅にしか動けなくなってしまうなど甘えん坊以外の何者でもない。もう大人になったと思っていたが、心はまだ子供の部分を残していたようだ。

 

 その事実を認め、知らず彼女は剣先を握った掌に力を込めた。傷口が深くなり流れた血が腕を伝わってジャケットの袖を赤く染める。

 

「ねぇ。一個だけお願いあるんだけど……いい?」

「ん~、まぁ……内容にも、依るな」

「もう一回だけ、チャンスを頂戴。今度は本当に本気で戦うからさ」

 

 サフィーアの懇願に、ブレイブは即答しなかった。彼はチラッと視線を逸らし、激しい戦いを繰り広げている他の傭兵達の様子を眺める。

 今のところ戦況は五分と五分、襲撃側の傭兵である術士がクロード商会側の銃士に釘付けにされ若干ブレイブ達の方が押され気味だが、まだ巻き返せる段階だ。エリザベートがクレアを相手してくれている限り逆転のチャンスはある。

 

「……構わねよ。ただし、こっちも仕事がある。次また不甲斐ない戦い見せやがったら、今度こそ容赦なくその首落とすからな?」

「望むところよ」

 

 ブレイブの返答に満足そうに笑みを浮かべ、剣先から手を離すサフィーア。そこで漸く痛みに顔を顰めつつ、取り合えず適当に止血しようとハンカチを取り出すのだがそれを包帯代わりにする前に彼が小瓶を彼女に向けて投げつけた。

 

「おい」

「え? わっ!?」

 

 サフィーアは反射的に投げつけられた小瓶を右手でキャッチしてしまった。裂けた掌にぶち当たり焼けるような痛みが掌から脳に伝わる。

 

「痛っつつッ!? な、何?」

「上等な回復薬だ。そこらの雑貨屋で買うよりずっと効果は高い。その程度の傷ならすぐに塞がんだろ」

「は? な、何で――?」

 

 この状況で敵に塩を送る。ブレイブの不可解な行動に首を傾げるサフィーアだったが、彼女は直ぐについ先日自分も似たようなことをした事を思い出した。

 

「もしかして、昨日のお礼のつもり? そんなの別に――」

「そうはいかねえ。男は恩と愛と夢は人生で絶対に忘れちゃならねえんだよ」

「って言うか、お礼は言わないんじゃなかったの?」

「俺は何も言ってねえよ。それに、相手が全力を出せないのはフェアじゃないんだろ?」

 

 昨夜の会話から上げ足を取ってみれば、屁理屈の上に彼女自身が居た言葉を上乗せして返された。

 サフィーアは思わず声を上げて笑い、剣を一度地面に突き刺すと小瓶の栓を引き抜き右掌に思いっ切り掛けた。すると見る見るうちに傷口が塞がっていった。普段彼女が使う市販の回復薬とは効果が雲泥の差だ。

 

 傷口が塞が他のを見届け、掌に残った回復薬をハンカチで拭き取るとレザーグローブを嵌め直し剣を引き抜いて両手で構えた。

 

 サフィーアが構えたのを見て、ブレイブも剣を構える。まだ左腕一本だけだが、その様子は先程よりもやる気に満ちていた。

 

「仕切り直しね」

「今度はがっかりさせるなよ?」

「分かってるって…………行くわよ!!」

 

 力強く声を上げ、サフィーアは地面を蹴ってブレイブに突撃していった。




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第26話:似た者同士

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 戦いが再開された。先手を取ったのはサフィーアだ。

 サニーブレイズによる一撃がブレイブに襲い掛かるが、彼は振り下ろされる斬撃を左手に持った剣一本で受け流してしまう。

 

「まだまだぁッ!!」

 

 初撃は容易く受け流されてしまったがサフィーアは構わず攻める手を緩めない。振り下ろし、横凪ぎ、突いては袈裟に振り下ろす。

 

 その様は一見先程の様に考えなしに剣を振り回しているだけの様に見えるが、そうではない事は対面しているブレイブが一番理解していた。今度は相手の動きをしっかり見て、闇雲に振り回すのではなく彼の動きに合わせて攻撃の軸をずらしていた。

 先程の比べれば、チャンバラ感は大分減ったと言えるだろう。

 

――つってもさっきよりはマシ、って程度だがな――

 

 それでも彼にはやはり物足りないものがあるのは事実だった。正直、彼の反射神経を以てすれば彼女の攻撃を見切る事は容易いのである。殆ど丸見えの攻撃を幾ら繰り出されても、特別燃え上がることは無い。

 

 何だかんだ言って所詮はこの程度だったか。さて、そろそろ適当に反撃して叩きのめしてから他の連中の援護に回ろうかとちょいと本気を出して剣を振るった瞬間だった。

 

 サフィーアの姿が彼の視界から消えた。

 

「ッ!?!?」

 

 何処に行った? 等と思う間もなく視界の右端に一瞬靡く青い髪が映った。次の瞬間には彼は本能的にその場を飛び退いていた。頭で考えず体が勝手に動いた結果ではあるが、お陰で死角から放たれたサフィーアの一撃をギリギリのところで回避する事が出来た。

 

「くっそ、外したッ!?」

 

 一瞬の隙を突いて放った攻撃を回避され、サフィーアは悔しそうな声を上げる。今のは結構自信があったのだが、存外上手くいかないものだ。

 今彼女がやったことは、何てことはない。ただ彼の思念が飛んでいる向きから彼の視線を逆算して死角に回り込んだだけの話だ。言葉にするとこれだけだが、実際にやるのが難しいのは言うまでもない。事実彼女

もこの技術をまともに扱えるようになるまでかなりの時間が掛かったものだ。

 

 だが今ので大分感覚が掴めてきた感はある。先程はクレアからの援護が望み薄になったと言う不安とブレイブと言う強者との対峙と言うプレッシャーに頭から基本や学んだ技術が抜け落ちてしまっていたが、一度冷静になって自分の中に刻み込まれた知識や技術を思い出してみると案外いい感じに動けるではないか。

 これが本来クレアが言いたかったことだ。相手を過度に恐れず冷静に対処することを忘れなければ、彼女の中に眠っているルーキーでは収まらない技術と知識が力を発揮するのである。

 

 今はまだ、経験値と言う神通力が働いている為にブレイブ相手に一撃入れることも出来ずにいるが、それもそう長くは続かない。彼との戦いの経験はサフィーアを劇的に成長させるであろう。例えこの場で勝てなかったとしても、生き残りさえすれば彼女はこの戦いの後見違えるほどに強くなっている筈だ。

 

 ブレイブはそれを確信し、自分でも気付かない内に口角を吊り上げた。

 

――前言撤回、こいつはもう少し本気を出しても大丈夫な相手だ――

 

 内心の歓喜を圧し殺しながら、ブレイブは右手を腰の鞘に収まったままのもう一本の剣に伸ばした。

 

「何だよ、やりゃ出来んじゃねえか」

「ちょっとはお眼鏡に叶ったかしら?」

「そうだなぁ……ぼちぼちってところだ」

 

 そう、ブレイブを満足させるにはまだ足りない。彼が本気を出すには彼女はまだ見せていないものが多すぎる。

 彼の本気を見たいのであれば、サフィーアはもっともっと“力”を見せなければならないのだ。

 

「ついてこれるか?」

「追い抜かされないよう頑張りなさい」

 

 互いに相手に放った発言に、二人は互いに不敵な笑みを浮かべる。

 

 そして――――

 

「「行くぞッ!!」」

 

 

***

 

 

 サフィーアとブレイブの戦いが激しさを増していく一方、残りの傭兵達の戦いもまた激戦の様相を呈していた。

 

 ディットリオ商会側の傭兵はサフィーアの活躍によって一人倒され、彼女とクレアがブレイブとエリザベートを引き離してくれたことで一見戦いを有利に進められるかに思われた。

 しかし残されたディットリオ商会側の傭兵達も個々の実力はクロード商会側の傭兵の大半を上回っていた。残されたクロード商会の傭兵の中ではロジャーが最も強く、時に他の傭兵のフォローに回る事もあった。だがそれでも何とか渡り合えている、と言った程度だ。時間を掛ければ確実に覆されるし、ブレイブかエリザベートが戻ってきたりしたらもうどうしようもない。

 

 もう何でもいい。何かこの状況を変える手立てはないものか?

 

「ん? あれは…………げぇっ!?」

 

 ロジャーが頭を悩ませている時、シルフは額の眼であるものを見た。瞬間、彼女は狙撃で相手の術士を狙う事も忘れて顔を青褪めさせた。そこに居たのは、この混沌とした状況で絶対に来てほしくないものだった。

 

「ら、ランドレーベッ!?」

 

 ランドレーベ……それは、数多く居るドラゴンの中でも特にメジャーな種類の一つである。

 ドラゴンと言うが、こいつは空を飛ぶ事が出来ない。背中には申し訳程度に小さい翼が生えているだけだ。もう何代か世代を重ねていけばその内進化の過程で完全に消失するのではないかと言うほどその翼は小さい。

 その反面、大地に接する四肢は強靭と言う言葉を絵に描いたように太い。爪も鋭く、こんなものでひっかかれた日には一撃で細切れにされてしまうだろう。

 このドラゴンは空を飛ぶ能力を失ったが、代わりに地上で縦横無尽に動き回る能力を会得していたのだ。鋭い爪はスパイク代わりになり、強靭な四肢の力を余すことなく地面に伝え脅威的な速度を生み出させた。その速度たるや、軍用車両の最高速度に匹敵する程だ。

 性格は言うまでもなく凶暴の一言であり、視界に入ってしまったら最期一切の慈悲もなく叩き潰されるか食い殺されてしまう。毎年何人もの傭兵がこのドラゴンの犠牲となっていた。

 

「何だとッ!?」

 

 この時彼女の悲鳴に近い声を聴いたのは、幸か不幸かロジャーだけであった。彼はその名前に一瞬表情を険しくしつつも、向かってくるポールに弓矢を放つ。

 

「こっちに来ているのか?」

「い、いや。運良くまだこっちには気付いてない見たいっス」

 

 視認できたと言っても、それはサードの第三の眼を用いての事。実際の距離は平均的な視力で遠くに小さく見えると言った程度であった。

 この程度の距離であれば、余程ド派手な音を立てるかこちらからちょっかいを掛けるかしない限り奴がこちらに向かってくることは無い筈である。

 

 だと言うのに、ロジャーはここでとんでもない事を口にした。

 

「よし。ならシルフ、奴を刺激してこっちに誘導しろ」

「はぁぁぁっ!? あんた正気っスか!? 100年以下しか生きてない奴でも洒落にならない強さなんスよ!? 下手したらこっちがあいつのランチになっちまうっスよ!!」

 

 ロジャーが口にした言葉の衝撃が強すぎるあまり、シルフは狙撃する手が疎かになる。その隙を突いてポールが突撃してくるが、ロジャーがさせまいと矢を射って牽制した。

 ポール他敵の傭兵達を遠ざけながら、ロジャーはシルフを諭すように話し掛ける。

 

「それはあちらも同じだ。そしてこのままではこちらはジリ貧、ならここはイチかバチか奴をこっちに呼び寄せて此奴らの相手をさせる。最悪連中を消耗させる事は出来るだろう」

 

 話しながら彼は懐から手榴弾を取り出して相手の術士に向けて放り投げた。術士の女性が溜まらずその場から逃げ出すのを視界の隅に捉えつつシルフは思案した。

 

 現状、何とか抑え込めてはいるがこのまま時間が経てば彼の言う通りレベルの差から徐々に圧されて終わりだろう。クレアが戻ってきてくれれば或いは逆転の可能性もあるが、それまで持ちこたえられるかどうか。

 そう考えると、なるほどロジャーの作戦はハイリスクだがリターンも大きいかもしれない。上手く立ち回れればランドレーベを完全に敵に押し付けて自分達は高みの見物が出来るかもしれない。

 

 シルフは覚悟を決めた。銃口をランドレーベに向け狙いを定める。

 

 そして…………

 

 

***

 

 

 場面は戻ってサフィーアとブレイブの戦い。二人は周りの事など考えずに戦った結果、次第に場所を移していき気付けば遺跡から大分離れた場所にまで来てしまっていた。

 しかしそんなこと気にしない。今二人の頭にあるのは、目の前に居る相手との戦いだけである。

 

 戦いは激しいが、戦況は終始ブレイブがサフィーアを圧していた。二本の剣による縦横無尽の斬撃をサフィーアは未熟な腕の剣一本で相手しなければならない。実力の時点で差がある上に手数も相手が上である以上、彼女の苦戦は必然であった。

 

 だが彼女は一方的にやられてばかりではなかった。時には反撃に出てブレイブを驚かせていた。

 

 今、真っ直ぐ突撃してくるブレイブを迎撃するべくサフィーアがサニーブレイズを振るった。瞬間、彼の姿は彼女の視界から掻き消える。その光景に彼女は一瞬目を見開くが、それは本当に一瞬の事であった。

 

「させるか!!」

 

 サフィーアは下から頭上に向けて剣を振るう。そこには、今正に両の剣を交差させて振るおうとしているブレイブの姿があった。下から振り上げられた剣と鋏の様に交差して振るわれた剣がぶつかり合い、激しく火花を散らす。

 拮抗は一瞬であり、空中で踏ん張りの利かないブレイブはサフィーアに押し返されるようにしてその場を離れた。

 

 少し離れた場所に着地したブレイブ。その顔には不敵な笑みが張り付いていた。

 

「ははっ! お前やるじゃないか! 俺も反射神経には自信ある方だが、まさかそれだけでここまで粘られるとは思ってもみなかったぜ!」

 

 言うまでもない事だが、実際にはサフィーアが彼の攻撃に対応できたのは思念感知能力あってのことだ。あの時ブレイブの姿が視界から消えた瞬間、彼女の能力は頭上から飛んでくる彼の攻撃の思念を感じ取ったのである。彼女はその思念の強弱から攻撃の瞬間を推し量り、時にそれに合わせて攻撃を放って相殺し、時には攻撃の範囲から逃れて回避していた。

 一瞬でも集中が切れれば即座に致命傷となるギリギリの綱渡りの様な戦い。だが彼女はそこに確かな高揚感を感じていた。徐々に、本当に徐々にだが、感覚だけでなく目で彼の動きが見えてきているのだ。

 

――あたし……追い付けてる!!――

 

 距離にすれば両者の差はまだまだ遠かろうが、その差は着実に縮まっている。その事実を微かに感じ取ったが故に、彼女の心は高揚していたのだ。

 

 だが高揚感を感じているのはブレイブも同様だった。

 

――こいつは、思ってた以上じゃねえか!――

 

 彼としてはちょっと粘れれば上等と思っていたが、蓋を開けてみればなかなかどうして楽しませてくれるではないか。弱い相手を嬲るのは彼の本意ではない。やるなら自分以上の実力者か、例え弱くてもしつこく喰らい付いてくれる相手の方が好ましい。

 戦う相手に対する、彼なりの拘りであった。奇しくもそれは、サフィーアの抱く拘りに近い物でもあった。

 

 だからと言う訳ではないが、彼は更に本気を出そうと決めた。ここまでくると、もっと見てみたくなったのだ。ここからさらに追い詰められた時、彼女がどう喰らい付いてくるのかを。

 

 ブレイブは徐に両の剣の柄頭を付き合わすと軽く捻った。すると何とそれまで二本の剣であったそれらは両端に刃を持つ長大な双刃の剣となった。

 

 ここで更に武器の形態を変化させた。それが彼の更なる本気の顕れであることを見抜いたサフィーアは、驚いたりするよりもまず面白い物を見つけたような笑みを浮かべた。

 

「へぇ――!」

「何だよ、あんまり驚いてる感じじゃねえな?」

「そう言えばそうね。感覚麻痺ったかしら?」

「おいおい、そんなんで大丈夫か? こっからはもっと激しいぜ?」

「そこら辺は大丈夫。だから安心して掛かってきて頂戴」

「それじゃあ遠慮な……くッ!!」

 

 再び突撃してくるブレイブ。しかも今度は最初からマギ・コートで強化して、だ。

 常人では目で追うことも出来ない程の速度で迫るブレイブを、サフィーアは確りと捉えていた。彼が剣を振るうのに合わせて、彼女もそれを迎え撃つべくサニーブレイズを振り下ろす。

 

 ぶつかり合う両者の刃、だが彼の攻撃はそこで止まることは無かった。

 片方の刃が受け止められた瞬間、彼は即座にそちらの刃を引き代わりに鍔競り合っている方とは反対の刃を振るった。サフィーアが防ぐ為に剣を構えたのは体の左側、対して今彼が剣を振るおうとしているのは彼女から見て右側だ。しかも今彼女は防御の為に動きが止まっている。このままだと彼の放つ二撃目に沈んでしまう。

 

 だがそうは問屋が卸さない。今彼女は精神的に乗りに乗っている。多少の想定外も頭の中の冷静な部分が的確に処理して動けてしまっていた。

 

「おっと!!」

 

 ブレイブの素早い二撃目が首を刎ねる直前、彼女はその場にしゃがんで寸でのところで回避した。そして即座に立ち上がると、反撃を放つ。どちらかと言えば大型剣に分類される大きさのサニーブレイズを連続で三回振り回し、袈裟・横凪ぎ・切り上げで攻撃を放った。それらは決して剣に振り回されたものではない、サフィーアが自分の意志で放った攻撃だ。

 その三連撃を、彼は双刃の長剣を巧みに扱い全て受け流してしまう。これにはサフィーアも思わず舌打ちしてしまった。

 

「チッ。分かってはいたけど、見掛け倒しって訳じゃないのね」

「当ったり前だろ。見栄えだけを気にして扱えない武器使うなんざ、ド素人以下のただの馬鹿さ」

 

 本当に見事と言う他無かった。ブレイブはともすれば自身をも傷付けてしまいかねない双刃の長剣を見事に扱いこなし、攻守共に隙の無い戦いをしていた。

 何より厄介なのは迂闊に攻撃を受け止める訳にはいかない点である。一度攻撃を受け止めてしまうと、即座に反対側についている刃が襲い掛かってくるのだ。

 

 さてあの武器をどう攻略したものか? サフィーアが油断なく構えながら思案したその時、突然真横からクレアが後ろ向きになって飛び出して目の前を横切っていった。

 

「うぇっ!?」

 

 突然の事に目を剥くサフィーア。その直後、クレアが飛び出してきたのと同じ所から今度はエリザベートが飛び出してきた。

 

「はっはぁぁっ! そらどうしたどうした? 動きに切れが無くなってきてるんじゃないか?」

「何をッ!!」

 

 二人はサフィーアとブレイブに気付いていない様子だ。どうやらあちらも激しい戦いの中であちこちに戦場を変えているらしい。

 

「あぁ、ったくもう。ん? あれ、サフィ?」

「クレアさん、大丈夫ですか?」

「今のところはね。そっちは?」

「何とか」

 

 不意にサフィーアの存在に気付いたクレアは、エリザベートに警戒しながら彼女に近付き手短に現状を報告し合う。結果は両者共に今のところは持ち堪えられていると言ったところだったが、お互いにお互いが言うほど問題ないと言う訳ではない事が分かってしまった。

 

 サフィーアは傍から見て分かるほど疲労している様子だし、クレアは無理をしているのが思念で分かってしまった。

 しかし分かりはしてもお互いそれを指摘する事はしない。してどうにかなる物ではないし、そんな事をしている暇はなかった。

 

「ふっふっふっ、お楽しみの時間はそろそろかねぇ?」

「頼むからこっちの邪魔だけはしないでくれよ?」

 

 構えを取るブレイブとエリザベート。二人を前にサフィーアとクレアも気合を入れ直し、再度始まる激戦に備えた。

 

 だがこの時、この場に居る誰もが知らなかった。

 

 今正にこの場に、目の前に居る相手以上の脅威が迫ろうとしていることに…………




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第27話:不完全燃焼

読んでくださる方達に最大限の感謝を。


 鬱蒼とした森の中、激しい戦いの音が響き渡る。

 

 刃が交錯し、拳がぶつかり合い、火炎が、雷が、暴風が吹き荒れる。

 

 周囲の地形を書き換えんばかりの戦場を作り出しているのはたった四人の傭兵、その中にサフィーアは居た。

 

「オラオラオラァっ! そろそろバテてきやがったかぁッ!!」

「なんの、まだまだぁッ!!」

 

 蹴りと拳の応酬を繰り返すクレアとエリザベートの戦いも激しいが、この二人の戦いもそれに負けず劣らず激しい物であった。

 サフィーアの戦いは正に紙一重、ブレイブの猛攻を思念感知と体に染みついた動きでギリギリのところで受け止め、反撃し、時には攻勢に打って出る。対するブレイブもそれに負けじと更に攻め手を強くした。

 

 ブレイブは双刃の長剣を巧みに操り、縦横無尽に刃を振るう。時にはサフィーアの背後を完全に取る事すらあったが、その都度彼女はそれに対抗して見せた。不意を突く形で背後から迫る刃を振り上げで背中側に回した剣で防御し、そしてお返しとばかりに放った斬撃を今度はブレイブが防ぐ。

 この構図を見てもらえれば分かると思うが、サフィーアが最初の頃に比べて大分ブレイブに近付きつつあった。

 

 しかし…………

 

「ねぇ……ちょっと聞きたいんだけど?」

「あん?」

「あんた何か無理してない?」

 

 そう、戦いが拮抗し始めたあたりから僅かにではあるがブレイブの動きに切れが無くなってきていたのだ。傍から見ると見落としてしまいそうなレベルの切れの悪さだが、彼の動きを直に見て全身で感じているサフィーアには一目瞭然であった。

 一体どうしたと言うのか? 彼に必死に喰らい付くサフィーアですら、息が少々上がりはするものの切れが悪くなるほどではない。彼がスタミナ管理を怠る素人とは思えなかった。もしそうであれば、戦いはもっと早い段階で拮抗状態に陥っていた筈だ。

 

 そこまで考えて、サフィーアはふとある事を思い出した。昨日、シルフ達追加組の傭兵達と合流した時の事だ。

 

『一応一撃ぶち込んでやったとは言え、ブレイブも健在だし』

 

 あの時、クレアは確かにブレイブに一撃加えてやったと言っていた。もしやその時のダメージを彼はまだ引き摺っているのではないか?

 

「あんたまだ全力じゃないでしょ?」

 

 サフィーアの問い掛けにブレイブは沈黙を保ち、手にした双刃の剣を軽く回すだけに留めた。

 その沈黙が何よりも雄弁に物語っていた。彼はまだ全力が出せないのだ。それは図星を差されたことで焦りを滲ませた彼の思念からも察する事が出来た。

 

 実際、彼は未だ万全とは言い難い状態だった。彼はクレアに最後に一撃放って彼女を不調に追い込んだが、それは彼も同様であったのだ。彼女の放った一撃は、彼の中で未だにダメージとして残り彼を内側から苛んでいる。

 それも最初の内は隠している事が出来たが、予想以上にサフィーアが粘りしかも徐々に追いついてきたので押し隠す事が出来ず遂に動きにダメージが浮き出てしまったのだ。

 

 そうと分かった瞬間、サフィーアは途端に闘志が霧散していくのを感じた。有体に言えば、白けてしまったのだ。

 彼女にとって価値があるのは万全のブレイブと戦って勝つなり何らかの形でギャフンと言わせること。万全を出せない彼との戦いに意味は無いのである。

 

「何でさっきのを自分に使わなかったのよ?」

「あんな高価な物この程度の事で使えるか。あれ滅茶苦茶高いんだぞ」

 

 深手ではないとは言え、傷口を一瞬で癒す回復薬だ。そりゃ確かに高いだろう。ここまで押し隠す事が出来る程度のダメージであったのなら、あえて使わずに温存するのも分からなくはない。

 だがそれで納得できるかと言われれば…………

 

「む~~……」

 

 彼女としては納得できる訳がない。折角全力で挑もうと言うのに、相手が全力を出さないどころか出せないのだ。

 サフィーアとしては拍子抜けしてしまうのも致し方ないだろう。

 

 だが今の彼女は剣士であると同時に傭兵でもある。傭兵である以上、任務として敵は倒さねばならない。それが例え納得のできない戦いであろうとも、だ。

 

 闘志を萎えさせ肩から力が抜けたサフィーアの頭を、出し抜けに何者かが小突いた。気を抜いていた為に反応が遅れたのだ。何だと思って背後を見ると、そこには何時になく鋭い視線を向けるクレアの姿が。

 

「あ痛っ?! え、クレアさん?」

「この馬鹿ッ!? 戦場でいきなり気を抜くんじゃないの!? ブレイブはまだやる気よ!!」

 

 クレアに激しく叱咤され、サフィーアは漸く自身が愚かな事をしている事に気付いた。

 不調とは言え、ブレイブは未だ闘志を萎えさせてはいなかった。彼はまだ戦う気なのだ。だと言うのに、対するサフィーアは彼が不調と言うだけでやる気をなくしてしまった。これでは単に迂闊と言うだけでなく彼に対しての侮辱でもあった。

 

 自分がどれだけ愚かな事をしたのか、それを漸く自覚し気を落とすサフィーア。それを見て再び彼女を叱咤しようとしたクレアだったが、状況はそれを許さなかった。

 

 突如として辺りに響き渡る咆哮。大地を揺るがすほどのそれはサフィーアとクレア、ブレイブのみならず、隙ありとばかりにクレアに襲い掛かろうとしたエリザベートの動きすら止めた。

 

「な、何今のッ!?」

「今の声…………まさかッ!?」

 

 今の咆哮に聞き覚えがあったクレアは一瞬で顔を青くする。

 

 その様子に状況が悪くなったことを感じ取ったサフィーアが彼女に声を掛けようとするが、それよりも早くに離れた所でへし折られた木が宙を舞うのが見えた。しかもそれは一本二本ではなく、更に言えば木がへし折れる波は明らかに彼女達の所へ近づいている。

 

 何かは分からないが、明らかにヤバい何かが近付いていることを察したサフィーアはサニーブレイズを構えて身構える。

 

 そして遂に、その姿を現した。

 

「グギャオオォォォォッ!!」

「たぁすけてぇぇぇっ!?」

 

 木々を薙ぎ倒しながら飛び出してきたのは、サフィーアにとって初めて対峙する大型の龍種であるランドレーベ。その前を泣きながら必死に走って逃げるシルフの肩には、これまた必死にしがみ付いているウォールの姿があった。

 

「し、シルフ!? ウォール!?」

「あっ!? 姐さん、兄貴!! 助けてくださぁぁぁい!!?」

「お、おまッ!? 何連れてきてんだ、元居た場所に返してこいッ!!」

 

 まさかの事態にブレイブが素っ頓狂な事を言うが、状況は刻々と悪くなる一方だ。シルフは彼女達の所まで逃げてきて、ランドレーベは新たに増えた四人の獲物を品定めするように眺めた。

 

 敵意全開でこちらを観察してくるランドレーベからサフィーアやシルフを護る様に前に出るクレア。彼女はランドレーベに対峙しながらこのドラゴンを引き連れてきたシルフに何があったのかを訊ねた。

 

「それで? 何がどうしてこんなの連れてくることになったの?」

「いや~、その……」

 

 シルフの話はこうだ。

 

 先程、ランドレーベを発見したシルフがロジャーの指示で撃ち、引き寄せる事には成功した。その結果、襲撃してきた傭兵達の内ポールと術士の女性以外を背後からのランドレーベの襲撃で始末する事は出来た。対してクロード商会側の傭兵達は直前にロジャーから指示を受けていたので素早く隠れて難を逃れる事が出来た。

 ただし、シルフを除いて、だ。彼女だけは行動が遅れてしまった。隠れようとして転んでしまい、体勢を立て直した時にはポールと術士以外をランドレーベが始末してしまっていたのだ。そしてそのタイミングで彼女はランドレーベに見つかってしまい、憐れ次の獲物に定められてしまったのであった。

 

「また随分と穴だらけの作戦を……」

「れ、連中本当に強くて仕方なかったんス」

「って言うかよく逃げ切れたわね?」

 

 サードと人間は身体能力に違いはないが、魔力の制御能力に関してはサードの方がいくらか劣っていた。具体的には一度に制御できる魔力が人間で10あるとすれば、サードは精々6~7くらいしか制御できない。その結果マギ・コートの様な強化魔法もあまり大きな効果が見込めず、だからこそクレアはサードである彼女が陸上での能力に優れたランドレーベから逃げきれたことが不思議でならなかったのだ。

 尚種明かしをすると、逃げてくる時に彼女の肩にしがみ付いていたウォールが絶妙のタイミングで障壁を張ってランドレーベから護っていたからだった。ウォールは主人の指示をしっかり守っていたのである。

 

 そんな事情など関係ないとばかりに今にも襲い掛かろうとするランドレーベ。いよいよ品定めも終わったらしい。誰かに狙いを定めて襲い掛かろうとしているのを全員肌で感じ取った。

 ランドレーベの脚に力が入り、地面が僅かに沈み込む。

 

 その瞬間、クレアが全員に向けて叫んだ。

 

「逃げろッ!!」

 

 その言葉を合図にランドレーベは飛び出し、サフィーア達は一斉に逃げ出した。

 

 しかし…………

 

「ぐぅ……」

 

 ブレイブだけは突然その場に膝を突いた。クレアに喰らったダメージが今になって脚に響いたのだ。

 

 動けなくなった獲物を見逃すモンスターは居ない。御多分に漏れずこのランドレーベも動きの鈍ったブレイブに襲い掛かろうとしたが、その前にサフィーアが立ち塞がった。

 

「サフィッ!?」

「おま、何してんだ逃げろッ!?」

 

 クレアとブレイブの声を無視し、サフィーアは魔力で強化した肩マントを構える。それを見てかランドレーベは足を止めると体を捻った。それに合わせて丸太の様な尻尾が大きくしなる。

 それを見た瞬間、クレアは必死の形相で叫んだ。

 

「サフィ、駄目ッ!? 逃げてッ!!」

 

 必死に警告するクレアだったが、それが実を結ぶことは無かった。

 

 しなる尻尾がサフィーアに迫る。彼女はそれを足を踏ん張って受け止めようとし…………

 

「がっ――――?!」

「ぐおっ!?」

 

 当然受け止められる筈もなく、サフィーアはマント毎ブレイブを巻き込んで弾き飛ばされる。明らかにヤバい吹き飛ばされ方だ。一瞬だが彼女の体が曲がってはいけない方向に曲がったのが見えた。

 更に悪い事に、二人が弾き飛ばされた方向には川があった。流れ自体は急ではないが、今の状態の二人にとっては深さがあって流れのある川と言うだけで十分脅威になる。

 

 このままでは不味い。そう思ったクレアの視界に未だシルフの肩にしがみ付いているウォールの姿が映った。それを見た瞬間彼女は素早く手を伸ばしウォールを鷲掴みにすると、流されていくサフィーアの方向に向けて思いっきり投げた。

 

「貴方のご主人様でしょ、自分で助けなさいッ!!」

「くぅぅぅぅぅぅぅぅんッ!?」

 

 悲鳴を挙げながら川に落ちていくウォールを見て、クレアは満足そうに頷く。見た目小動物だが中身はあれで優秀だ。きっと何かしらの形でサフィーアの助けになってくれるだろう。

 

 むしろ今一番問題なのは――――

 

「あ、姐さん!?」

「分かってるって」

 

 今にもクレアに襲い掛かろうとしているランドレーベの方だろう。他の獲物が居なくなったことで、必然的に奴の狙いは彼女一人に絞られる。

 ここまで近寄られては逃げられない。下手に逃げようとするより、迎え撃って撃退する方向で行動した方が生き残れる可能性はあった。

 

 そこまで考え迎撃の為に構えを取ったところで、彼女は先程からエリザベートの姿が見当たらない事に気付いた。視線だけでざっと周囲を見渡してみたが奴の気配が感じ取れない。恐らく一足先に逃げたのだろう。あの女は何時もそうだ。危険を人一倍早く察知すると、自分一人でさっさと逃げる。それがエリザベートと言う女だった。

 

 この場に居ない奴の事を考えても仕方がない。邪魔しないだけ寧ろありがたいと思うべきだろう。

 

「シルフ、下がってなさい。邪魔よ」

「言われなくても!」

 

 この状況では足手纏いにしかならないシルフに離れるよう告げると、彼女は一目散にその場から離れていった。

 

――少しくらいは躊躇しなさいよ――

 

 彼女の後姿をクレアは若干恨めしそうに眺める。逃げろとは言ったが、もう少し躊躇する素振りくらいは見せてほしかった。我儘であることは分かっているが、それくらいは期待したかった。

 

 シルフの後ろ姿を睨み、クレアは気付けば脇腹に当てていた左手に目を向ける。その掌にはべっとりと血がこびり付いていた。遂に傷口が開いたのだ。

 

「つぅ……これは、ちょっと不味いかな?」

 

 いつもに比べ大分力の無い笑みを向けた先には、完全に臨戦態勢のランドレーベ。脇腹に視線を向ければ、否応なく彼女の体力を奪う開いた傷口。

 サフィーアの事も心配で、どうしても集中が乱れてしまう。

 

 厳しい戦いになる。大きく口を開けて襲い掛かってくるランドレーベを見据えつつ、クレアは冷や汗を一つ流すのだった。




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第28話:自分でやるから価値がある

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「ッ!? ゲホッ!? ゲホッ、ゴホッ!? うぇ……」

 

 川を流された先でサフィーアは水を吐き出しきってから目を覚ました。最初、彼女は自分の身に何が起こったのか分からなかったが、水を吐き出したショックから落ち着くと直前の事を思い出した。

 

 ブレイブとの戦い、ランドレーベの襲撃、そしてブレイブをランドレーベから守ろうとして尻尾で弾き飛ばされた事を思い出す。

 そこまで思い出したところで、彼女は左腕に灼ける様な痛みを感じた。

 

「あっ?! ぐ、うぅ――!?」

 

 脳天まで突き抜ける痛みに視界に星が散った。思わず右手を左腕に持っていってしまったことで上半身の支えがなくなり、石だらけの河原に倒れこむがそんな事が気にならないくらい左腕の痛みが酷い。

 

――骨折ったのは、初めてかな――

 

 激痛に思わず飛び出しそうになる悲鳴を堪えながら、頭の中に残っていた冷静な部分がそんな事を考える。思えば傭兵生活の中で傷を作ることは多々あれど、骨を折るのは初めての事だった。初めての事だけに、感じる痛みも一際強い。多分これも慣れれば耐えられるのだろう(慣れたくもない)が、今の彼女にとっては地獄の苦しみだ。

 だが悲鳴だけは絶対に挙げなかった。何しろここは何処の国の領土にも属していない、謂わばフリーゾーン。当然ゴブリンなどの間引きも殆ど行われておらず、更に言えば無法者に成り下がった傭兵が闊歩していても不思議ではない。

 そんな連中に今の戦えない彼女が見つかれば、どんな目に遭うかなど想像もしたくなかった。

 

 暫くその場で蹲りながら痛みに耐え、漸く痛みが引いてくると彼女は体を上げ改めて周囲の状況を確認した。

 

 まず景色だが、先程とあまり変化はない。川が近くにあること以外は周りには木しかないので、地理的にはそこまで離れてはいないだろう。見れば川の流れも急と言うほどではない。恐らくだが歩けば十分にクレア達と合流できる。

 次に武器だが、こちらは残念ながら何もない。流される途中で手から離れてしまったのか、サニーブレイズは周囲には見当たらない。川の底に沈んだのか、はたまたそのまま川を流されてしまったのか。川の様子から察するに前者の可能性が高いが、今の状態で川の中を探すのは難しいだろう。やるなら傷を癒し、相応の準備を整えてからの方が良い。

 最後に自分以外に誰か居るのかという事だが――――

 

「ん? 近い?」

 

 落ち着いた今になって周囲からの思念に意識を集中させると、直ぐ近くで彼女を探す思念がこちらに向かってきているのに気付いた。数は二つ。

 真っ直ぐこちらに近付く思念の存在に一瞬体を強張らせるが、相手方の思念の中に彼女への心配が混じっているのに気付いた。心配しながら彼女を探していると言う事は、彼女が負傷して川に流されたことを知っている人物と言う事だ。

 

 現状で該当するのはクレアとウォールだが、川に落ちる直前に一瞬だけ見えた光景ではクレアはランドレーベと対峙していた。流石の彼女と言えども、ランドレーベを簡単に倒せるとは思えない。

 ではこの二つの思念は一体誰のものなのか?

 

「くぅん!!」

 

 その答えは程無くして明らかになった。思念の一つはウォールのものだ。ウォールは彼女の姿を見つけると、茂みから飛び出し彼女の胸の中に飛び込んできた。

 

「わっ!? とと、ウォール!? と……えっ!?」

 

 ウォールが飛び出してきたのはまだいい。こちらは薄々予想出来ていた。だがもう一つの思念の主は少々予想外だった。

 いや、ある意味では容易に想像できた相手かもしれない。状況的に考えて、彼女に最も近いところに居る者と言えば彼しか存在しえないのだから。

 

「ぶ、ブレイブッ!?」

「よ。ここに居たのか」

 

 ウォールに続いて茂みから出てきたのは、ブレイブだった。彼は彼女の姿を見つけると、安堵した様子で近付いてきた。

 

「大丈夫……じゃ、ねえだろうな」

「な、何であんたが?」

「あ?」

「だって、さっきまであたし達――」

 

 サフィーアがそこまで言ったところで、ブレイブは徐に彼女に近付くとその左腕を掴んだ。瞬間再び灼熱の痛みが彼女を襲い、一瞬息が詰まった。

 

「ぎっ?!」

「くぅんッ!?」

「安心しろチビ助、今のは軽く掴んだだけだ。思った通り、ぼっきり折れてんじゃねえか。そんな状態でお前、助けが要らないとか言ってる場合じゃねえだろ」

「い、いやあたしの事じゃなくって、あんたの事よ。あんたがあたしを助ける理由って何よ?」

 

 痛みに体を強張らせるサフィーアを見て敵意を向けるウォールを宥めるブレイブだが、彼女には彼の行動理念が分からなかった。一応心配してくれているし、腕の骨折以外に怪我がないらしいことを見て取り安堵しているらしいことも分かる。

 だがついさっきまで敵対していたのだ。その相手を何の見返りもなく助けると言うのが、彼女には理解できなかった。

 

 訳が分からないと言った様子のサフィーア。そんな彼女を見て、ブレイブは大きく溜め息を吐くと口を開いた。

 

「こんな状況で敵も味方もねえだろ。それに俺の事言うんだったら、お前は何でさっき俺の事守ろうとしたんだよ?」

「え? なんで、て……」

 

 ブレイブの問い掛けにサフィーアは押し黙った。何故と言われて即座に答えが出せるほど、先程の行動は考えてやった訳ではないのだ。強いて言うなら条件反射、怪我で動きが鈍った彼が危ないと思った瞬間には肩マントを構えていた。そこに打算があるかと言われたら、彼女は間違いなく即答で『ない』と答える。

 彼の行動もそれと同じだ。腕を骨折し満足に動くことも出来ない彼女を見て、彼がまず真っ先に思ったのが彼女を助ける事だったのである。そこには先程まで敵対していたことに対する|蟠(わだかま)りや打算は一切ない。

 

「そういう事だよ。ほら、分かったら少し大人しくしてな。とりあえず応急処置するから」

「う、うん」

 

 とりあえず一応自分を納得させ、サフィーアは彼からの応急処置を受ける。彼の持つ鞘の一本を添え木代わりにして、外した肩マントを包帯代わりに巻いて左腕の骨折した部位を固定した。中身は持って移動するのかその場に突き立てている。

 手際良く処置を終えたブレイブを、サフィーアは感心した目で見ていた。

 

「なんか、ちょっと意外ね」

「ん?」

「何ていうかあんたって、こう言うのもっと大雑把にやると思ってたわ」

 

 これまでの彼の言動は控えめに言っても荒々しく、紳士的とは口が裂けても言えない性格であることが窺えた。行動はワイルドの一言で表せられ、こう言った応急処置なども適当に済ませてはいお終い、で終わらせてしまう様なイメージを抱いていたのだ。

 それがいざ応急処置をされてみると、予想を覆された。彼女の中の知識と寸分違わぬ、いやそれ以上に実践的な応急処置を見て、サフィーアは自分の中の彼に対するイメージに修正を加えざるを得なかった。

 

「慣れてるの?」

「そりゃお前、傭兵生活長けりゃこう言うのも慣れるだろ。真面に出来るようにならなけりゃ、痛い目に遭うのは自分自身だ」

 

 処置を終えた彼はそう言うと立ち上がり、一頻り周囲を見渡して安全を確認すると彼女に手を貸して立たせた。

 

「とりあえず、他の連中と合流するぞ。どうするかはそれからだ」

 

 彼の言葉に一つ頷き、サフィーアは彼の手を取って立ち上がると共に森の中歩き始める。流されてここまで来たのだから、川の流れを遡っていけば元居た場所に辿り着く筈だ。

 問題は、その場所にランドレーベが健在かどうかだった。考えたくはないが、もしクレアが負けてしまっていた場合二人は御代わりとしてランドレーベに身を捧げる事になってしまう。

 

 「クレアさん、大丈夫かな?」

 

 意図せずサフィーアは口から不安を溢した。それはクレアに対する心配でもあり、自分達の先行きに対する心配でもあった。

 サフィーアは知らない事だったが、クレアはあの時点でブレイブに付けられた傷口が開き体力的に厳しい状態だった。客観的に見れば、クレアには勝ち目がない。今までサフィーアはクレアが負けるところを見たことがないし想像もできなかったが、そんな彼女でも今回は相手が悪いと感じていた。ドラゴンとは、それ程に強大な存在なのである。

 

「大丈夫だろ」

 

 そんな彼女の不安を見透かしていたのか、ブレイブは何でもない風を装って彼女の心配を否定した。

 

「あいつがこんなところにボッチで威張ってるドラゴン程度に負けるもんかよ。お前あいつとパーティー組んでるんだろ? 信じてやれよ」

 

 サフィーアの方を見もせずに言うブレイブだったが、彼女は彼が気遣って言っているのを感じていた。素っ気無い言い方ではあるが、あれが彼なりの気遣いなのだろう。考えてみれば、彼が親しく真摯に他者を気遣う様子も想像できないが。

 

「そう……そうよね。大丈夫よね」

「そうだよ。だから今は自分の事を心配してろ。この辺、ちょっと足場悪いぞ」

「ん。分かった、って、わっ!?」

 

 ブレイブの注意を軽い気持ちで聞いていたサフィーアは、足元に飛び出している木の根に足を取られて前のめりに倒れてしまった。受け身を取ろうにも、突然の事であった上に右腕しか使えないのでは転んだ拍子に左側に倒れこんで折れた腕に負担を掛けてしまう。

 

 サフィーアは来る痛みに備え、目を硬く瞑り歯を食いしばった。だが予想に反して左腕に痛みは走らず、それどころか力強い腕に支えられていた。

 

「えっ?」

 

 ハッとして周囲を見ると、ブレイブが彼女の体を支えていた。戦いの時とは打って変わって、優しく包むように左側から彼女の体を受け止めていたのだ。

 

「痛むか?」

「へっ? あ、いや。別に……」

「そうか。ほれ、気を付けな」

「うん、ありがとう」

 

 無理なく立たされると、先導するように左前を歩くブレイブに続いて再び歩き始めるサフィーア。

 

 そこで彼女は気付いた。彼は先程から彼女の左側に立ち続けている事に。

 

――気遣ってくれてる、んだよね――

 

 彼が自分の事を気にしてくれている事には気付いていたサフィーアだが、それは彼女の想像以上だった。今の彼女にとって死角になる方向を常にキープし、そちら側から何かあれば即座に手助けできるよう常に意識している。

 思っていた以上にマメな一面を見せるブレイブに、サフィーアは思わずクスリと笑みを浮かべた。同時に、それまで感じていた彼に対するすっきりしない思いが一気に霧散していくのを感じていた。

 

「サフィーア」

「ん?」

「サフィーア・マッケンジー。まだ名乗ってなかったでしょ、あたしの名前」

 

 サフィーアはこれまでの感謝の気持ちを込めて、今まで何だかんだで彼に対してやっていなかった自己紹介を済ませた。こういう時、女が男に感謝を示すなら頬辺りにキスでもするのが良いのだろうが、彼とはそんな事をする仲ではないしそもそもそんな色気のある事彼女にはとても出来なかった。

 だが彼女の感謝の気持ちは伝わったのだろう。彼女のフルネームを聞いた彼は肩の力が抜けたかのように破顔するとお返しとでも言わんばかりに自身の名を口にした。

 

「そう言や、俺もまだだったな。ブレイブ・ダラーだ。ま、クレアから聞いちゃいるだろうがな」

「こう言うのは自分の口から直接言う事に意義があるのよ」

「違いねえ。短い間だろうが、よろしくな」

「こっちこそ」

 

 二人は互いに笑みを浮かべ合うと、再び川上に向け歩を進め始めた。その距離は、心なしか先程より近いように思えた。




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第29話:それはまだ仄かな違和感

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 合流後、遺跡の近くまで戻る為に川の上流に向け歩みを進めるサフィーアとブレイブ、そしてウォールの二人と一匹は、極めて順調に移動を続けていた。

 その最大の理由は何と言ってもヴィランゴブリンやアジャイルリザードなどの小型のモンスターに全くと言って良いほど遭遇しなかったことにある。通常こう言った森の中はああ言った群れで行動する小型のモンスターが闊歩し非常に危険なのだが、今回は驚くほど森の中が静かだった。

 時々聞こえる生物の音と言えば、木の枝に止まった鳥や虫の鳴き声くらいのものだ。

 

 尤もその理由には大体予想がつく。ランドレーベが居るからだ。陸棲ドラゴンと言う強大な捕食者の存在に小型のモンスター達は恐れをなして逃げ出したのだ。

 この世界には数多くの生物が存在するが、その中でもドラゴンはある種隔絶した存在であった。

 

 最初の内こそ気を紛らわせる為に他愛のない話をしていた二人だったが、森の中から聞こえる生物の声が極端に少ない事に気付いてからは二人も口数が減り殆ど無言で歩き続けていた。ドラゴンは基本群れる事がないモンスターだとは言え、用心に越したことは無い。

 

 そんな時、サフィーアは河原にサニーブレイズが落ちているのを見つけた。

 

「あっ! あれあたしのっ!」

「ここに居な」

 

 サフィーアが指差した所に落ちている剣を見て、ブレイブは彼女をその場に待機させ自分が剣を拾いに行った。今二人が居る場所から剣が落ちている場所までは足場がまた少し悪い。彼女が拾いに行って転んでもしたら大変だ。

 ブレイブは素早くサニーブレイズの近くまで行くと周囲、特に川の中に注意しながら剣を拾う。先程川を流された時に何とも無かったので大丈夫だとは思うが、水棲のモンスターが襲ってこないとも限らないのだ。警戒するに越したことは無い。

 

 幸い、その心配は杞憂に終わり、彼は無事にサニーブレイズを回収して彼女がいる場所まで戻る事が出来た。

 

「ほれ、お前の」

「ありがとう!」

 

 ブレイブからサニーブレイズを受け取ったサフィーアは心の底から安堵した表情になる。この剣は彼女の信念の表れでもあり、彼女と両親との絆の証でもあった。それを失っていた先程までは、内心不安で仕方がなかった程だ。

 

 そんな彼女の様子を見ていたブレイブは、サニーブレイズにちょっと興味が湧いたらしい。横から覗き込むようにして眺めながら訊ねた。

 

「それ、何か思い入れあんのか?」

「うん、まぁね。これには、あたしが父さんと母さんに教えられた技術が全部詰まってるの。とっても大事な物なんだ」

 

 そう言いながら、彼女は引き金を引いたりして動作に異常がないか確かめている。川に流されてあちこちぶつけただろうに、それには目立つ傷も動作に異常も見られなかった。

 だが飽く迄も見られなかったと言うだけであり、調べれば細かな問題点があるかもしれない。後で落ち着いたらメンテナンスも兼ねて調べた方が良いだろう。

 

 兎にも角にも大事な武器が手元に戻り、サフィーアは安堵の溜め息を吐き頬を緩める。

 

 その瞬間、ブレイブは確かに彼女に見とれていた。反吐を吐きそうになりながらも決して視線を外すまいと自分の事を睨んでいた時の顔と、年相応の笑みを浮かべる今の顔とのギャップに視線を釘付けにされたのだ。

 当然サフィーアは、彼が自分に向ける思念に変化が起こった事に気付いていた。

 

 何だかんだで、サフィーアは見た目は美人の部類に入るので学生時代には男子から告白を受けた事が何度かある。ただ当時は傭兵になる事の方が大事であり、色恋には全く興味がなかったので完全にスルーしていた。

 いや、興味がないと言うよりは恋愛関係を持つことに踏み込めなかったと言うべきか。思念レベルでも他人の心の内が読めてしまうと言うのは、結構気を遣うものなのだ。特にロクに知りもしないものが相手だと。

 

 そう言う訳で、ブレイブから仄かな好意の思念を感じた瞬間サフィーアは身を硬くしていた。好意そのものは嬉しい、しかしそれにおいそれと答える訳にはいかない。迂闊に踏み込めば、互いに不幸になってしまう。

 だが嘗てのそれと今回の場合では大きく違うところが一つあった。それは以前彼女に告白してきた連中は彼女にとって、悪く言ってしまえば有象無象に過ぎない存在だったのに対して、ブレイブはどうでもいい存在などでは決してないと言うことだ。切っ掛けはなんであれ、彼女は彼に強い興味を抱いた。そんな相手からどちらかと言えば恋愛寄りの好意を向けられたことは、彼女にとって未知の出来事であった。

 

「な、何よ?」

 

 しばらくどうすればいいか分からず沈黙を保ち続けていたサフィーアだったが、何時までも黙っていることに耐え切れず口を開いた。だがその声は控えめに言っても他人が聞けば苛立っているとしか思えない声色であった。

 サフィーアは口にしてからしまったと表情を強張らせた。動揺したのは確かだが、彼女は決してブレイブを拒絶したい訳ではないのだ。ではどう思っているのかと聞かれると答えに困ってしまうところだが、嫌ってはいないと言う事だけははっきり言える。

 

 だからこそ、サフィーアは行動に迷ってしまったのだ。

 

 そんな彼女の内心を知る由もないブレイブは、ジロジロ見過ぎて彼女が不機嫌になったものと受け取ってしまった。そして彼は、自分が悪いと感じると躊躇せず謝る事が出来る男だった。

 

「悪い。何でもねえんだ」

「あ――――」

 

 何かを言う前に謝られてしまい、サフィーアは何も言えなくなってしまった。何かを言いたいのに何も言えず、その不満やら気持ち悪さが伝播し周囲の雰囲気を悪くする。

 

「あ~、とりあえず進むか?」

「う、うん」

 

 悪くなった雰囲気を引き摺ったまま、サフィーア達はその場を離れていく。

 移動する二人の間に会話は無い。先程は周囲を警戒して会話を控えていたからだが、今はどちらも相手に何を言って良いか分からない故の沈黙だった。重苦しい空気が二人に合わせて移動する。

 

 そんな状況において、サフィーアは意を決して言葉を紡いだ。

 

「あの、さ」

「ん、おう?」

「ごめん」

「いや今のは――」

「違う、そっちじゃないの。川に落ちる前の話」

 

 川に落ちる前の話、そう言われて彼は彼女が何を言おうとしているのか気付いた。

 

「あたし、あんたが全力出せないって知った瞬間勝手に失望して、怪我してもまだやる気のあるあんたを馬鹿にしてた。本当、ごめん」

 

 自分の浅はかさ、愚かさに顔を歪めながらサフィーアはブレイブに頭を下げた。こんな事をしている場合ではないのは十分分かっているが、やらずにはいられなかったのだ。

 

 ブレイブに向けて頭を下げてどれだけ経っただろうか。一分も経っていないような気がするし、三分以上経過しているような気もする。その間彼女はずっと彼に向けて頭を下げ、彼からの反応を待っていた。

 例え口を開かなくても、彼が何かしら思えば思念で大体何を考えているかを察する事は出来た。そして案の定、彼女の感覚は彼の思念を感知し、彼女の謝罪に対し彼が反応を示したことを伝えた。

 

 それによると、彼は少なくとも彼女に対して悪い感情を抱いてはいないようだ。苛立ちや失望、彼女を見放すようなことを考えてはいないらしい。だが彼女に分かるのはここまでだ。ここから先は想像するしかない。

 微妙に使い勝手の悪い自身の能力にサフィーアはやきもきしてしまう。

 

 彼女が内心でひやひやしていると、徐にブレイブが彼女に近付いていく。サフィーアは頭を下げているので近付く彼の姿を見ることは無いが、足音で近付いてくるのは分かる。

 とうとう視界に彼の足が入った。衣服の擦れる音で彼が手を上げたのが分かり、何をされるのかとサフィーアは肩を竦めて身構えた。

 

 そして…………

 

「顔上げな」

「ん……」

「ほれ」

「あ痛ッ!?」

 

 ブレイブに促されて顔を上げた時、サフィーアを待ち受けていたのは額のど真ん中に叩き込まれたデコピンだった。まさかのデコピンにサフィーアが目を白黒させていると、感じ取った思念の通りに呆れた様子のブレイブが彼女の事を見ていた。

 

「な、何?」

「お前が何気にする事あるんだよ」

「だって、あたしさっきあんたの事馬鹿にしたし……」

「それ言ったらお互い様だ。俺だってさっきお前と戦った時、最初お前の事をずっと嘗めてた。お前はそれをやり返したようなもんだろうが」

 

 だから気にすることは無い、彼はそう言って再び前を向き歩き始めた。サフィーアはその背を暫し眺め、右手でそっとデコピンされた部位を撫でた。もう痛みは無く、されたと言う感覚だけが残っている。

 

 何故だか分からないが、サフィーアは気恥ずかしさを感じた。クレアに諭された時とは違う、素っ気無くて荒っぽい諭し方だ。もっと心がささくれ立つかと思っていたが、予想外の心の動きに彼女は困惑を隠せない。

 

「どうした?」

「へっ? あっ! いや、何でもない」

 

 一人悶々としていると、ついて来ないサフィーアにブレイブが振り返って声を掛けてくる。急かしている訳ではなく純粋について来ない事を疑問に思っての事であったが、その声に我に返った彼女は頭を振ってもやもやした気持ちを振り払い慌てて彼の後に続いた。彼の所に向かう途中で先程の感覚が蘇るのではと少し警戒したが、いざ彼の背後まで来るとそんなことは無く極めて平常でいられた。

 その結果から先程の感覚は気の迷いと言う事で処理され、彼に対する認識も男から傭兵に戻っていた。ただし、傭兵の前に『気になる』と言う枕詞が付いていたのだが、彼女自身はそれに気付いていない。

 

 確実に自身の心境が変化していたのに気付かずサフィーアがブレイブの元に向かった時、突然ウォールが顔を上げ頻りに周囲の匂いを嗅いだ。

 

「くぅん?」

「ん? どうしたのウォール?」

「くぅん!」

 

 サフィーアの疑問に対し、ウォールは一声鳴くと彼女の肩から飛び降り森の奥へと入って行く。川から離れていくウォールをサフィーアは慌てて追い掛けていった。

 

「ちょ、ウォール何処行くの!? 待ちなさい、ウォール!?」

「待て待てお前ら、道分かんなくなるぞ!?」

 

 ウォールを追い掛けて森に入るサフィーアとその彼女を追い掛けていくブレイブ。道標でもある川から離れていく事に焦りながら二人が一匹を追い掛けていくと、ウォールは一本の木の根元で樹上をを見上げていた。

 やっとの事で追いついたサフィーアはとりあえず動きを止めたウォールを抱き上げて確保した。

 

「全くもう、いきなり走り出してどうしたってのよ?」

「くぅん」

「ん?」

 

 ウォールから訴えかける思念を感じたサフィーアが何を言いたいのかを読み取ろうと頭を捻るが、彼女が答えを導き出すより先にブレイブが『それ』の存在に気付いた。

 

「おい、サフィーアサフィーア!」

「何? 今ちょっと忙しいんだけど?」

「そんな事より上見ろ、上!」

 

 何やら慌てた様子のブレイブに、サフィーアは怪訝な顔になりながらも言われるが儘に上を見上げる。

 そして、そこにあるものに目を見開いた。

 

「え、ちょ、これってもしかして!?」

「あぁ、間違いねえ。こりゃ『キュアフルーツ』だ!」

 

 キュアフルーツとは、主に回復薬の原材料に使われる果実である。これの搾り汁と薬草などを混ぜ、更に様々な加工をすることで低級から上級まで様々な回復薬が作られるのだ。

 見た目は青緑色のリンゴと言った感じで味も甘みが薄いが決して食べられないことは無く、しかも果実の状態でもある程度の回復効果が見込めた。ついでに言うとこの果実が出来る場所は土壌中に一定以上の魔力が存在していることの証明でもあり、果実中にも魔力が含まれているのでそのまま食べると肉体の回復と共に魔力の補給も出来るのだ。

 

 回復薬の無い今の状況では正に大海で浮木に出会う様なものであろう。

 

 早速ブレイブは木をよじ登り、枝に跨ると片腕が使えないサフィーアの分を取って軽く放り投げた。例え片腕が使えなくとも、彼女も傭兵の端くれ。軽く投げられた程度の果実を落とさず掴むこと程度は容易に出来た。

 サフィーアに一個渡し、自分も一つ枝から実を一つむしり取って枝から下りるブレイブ。彼が下りてきたのを見て、漸くサフィーアは果実に齧りついた。瑞々しくも味の薄いキュアフルーツの味が口の中に広がる。

 

「これで少しは余裕出来たかしらね?」

「かもな。しっかし、分かっちゃいたがあんまし上手くねえなこいつ」

「文句言わないの。碌な回復薬もない現状じゃ天からの恵みよ。そもそもこれ薬の原材料だし」

 

 そうは言うが、サフィーアもこの果実の味に不満が無いではなかった。なまじ見た目がリンゴに近いからこそ、味の薄さに不満が生まれてしまうのだろう。とは言え、だったら果実にあるまじきえげつない見た目だったら食べる気すら起きないのだし、ここら辺は我慢すべき部分と言えた。

 兎にも角にもこれで多少はマシになった。さぁ改めて川を遡ろうと芯を捨てながら踵を返した。

 

 瞬間、森が震えた。

 

「「ッ!?!?」」

 

 揶揄でも何でもなく森全体が震え上がるほどの凄まじい咆哮が何処からか発せられる。その主の姿は見えないが、それが何なのかは考えなくても分かった。ランドレーベだ。確証は無いが、恐らく先程二人を川に叩き落としたのと同一の個体だ。

 二人はどちらからともなく顔を見合わせ、頷き合うと急いでその場を離れようとした。咆哮が大きすぎて折角には分からないが、そこまで距離が離れていないように思える。ここに居るべきではないだろう。

 

 だが運命は過酷だった。二人が移動するよりも早くに派手に木がへし折れる音が近付いてくる。

 

 それが何なのか、二人には見ずとも分かった。だからこそ急いで離れようとするが、それよりも二人の目の前の木が弾け飛んだ。

 咄嗟にサフィーアをブレイブが庇い、その二人をウォールが障壁を張って守った。高速で飛んでくる木片や礫が障壁に弾かれ、巻き上げられた土埃が周囲の視界を塞ぐ。

 

 もう二人は逃げようとはしない。ここまで来たら人間の足では逃げ切れないのだ。

 

 覚悟を決め、二人は武器を構える。それと同時に周囲の視界を遮っていた土埃が晴れていき――――

 

「勝算、ある?」

「自分を信じて立ち向かう。戦いで装備以外で備える事なんてこれしかねえよ」

「素敵ね」

 

 不敵な笑みを浮かべ合う二人の前に、憤怒の視線を携えたランドレーベが姿を現した。




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第30話:ドラゴンスレイヤー

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 サフィーアとブレイブの前に姿を現したランドレーベは、二人の存在に気付いた瞬間僅かにだが動きを止めた。まるで二人がこの場に居る事に驚いたように動きを止め、彼女らの姿をまじまじと眺めたのだ。

 

 だがそれも本当にわずかな時間。直ぐに気を取り直したのか、それともサフィーアが負傷している事に気付いたからか、憤怒の唸り声を上げ牙を剥きだしにして襲い掛かる体勢をとった。

 それを見てサフィーアはウォールに障壁を消させた。ランドレーベの激しいと言うレベルを超えるだろう攻撃を防がせるのは、ウォールに負担が掛かり過ぎる。ウォールの障壁は回避の間に合わない非常時の為に温存させ、それ以外は死ぬ気で回避に専念するのがベターな選択だ。

 

 最大の懸念事項は、全力が出せない状態の二人でランドレーベをどうにか出来るかと言う一点に尽きた。

 

 飛ぶ事は出来ないとは言え、こいつも立派なドラゴンだ。ドラゴンとは史上最強の種族の代名詞、その存在が確認されただけで周辺の都市・村・集落は一気に警戒度を上げ、一度ドラゴンが猛威を振るえば場合によっては尋常ではない被害を齎す。

 サフィーアでも知っている例を挙げれば、今から30~40年ほど前、共和国軍の一個師団がたった一体のドラゴン――バーンドラゴンと言うドラゴンの中でも特に強大な力を持つ種――を相手に文字通り壊滅的な被害と引き換えに撃破した話は有名だ。そのドラゴンがそれまで確認された中では最高齢の400年を生きた個体であった事を差し引いたとしても、この種の非常識さや強大さが分かると言うものである。

 

 今二人の前に居るランドレーベが何年生きたのかは想像する他ないが、このサイズで生まれて間もないと言う事はないだろう。先程の戦いとも呼べない戦いでしか相対していなかったが、今こうして目に前にしているだけでも膝が笑いそうになるほどの威圧感を感じる程には強大な力を持っている筈だ。

 

 改めて思う。こんな相手に勝てるのだろうか? こちらは僅か二人、しかもブレイブは残っているクレアとの戦いのダメージの所為で全力が出せず、サフィーアに至っては片腕が使えない。

 正直に言おう、絶望的すぎる。強大な力を持つドラゴンを相手に、たった二人の傭兵で挑むなど無謀の極みだ。

 

 だが、やるしかない。

 

「俺がメインでいく。サフィーアは援護に専念しな」

「ごめん」

「謝んのはこいつ何とかしてからにしてくれ。行くぞ!!」

 

 叫ぶなりブレイブはいきなり剣を連結させて、双刃形態にしてランドレーベに突撃した。ランドレーベは向かってくる彼を一撃で叩き潰そうと、鋭い爪の生えた剛腕を振り下ろす。

 

「なろがぁっ!!」

 

 頭上から迫る剛腕を彼は紙一重で避け、その腕に乗るとランドレーベの背中に駆け上がっていく。そこで彼は手にした双刃を何度もその背に向けて振り下ろした。マギ・バーストで威力を底上げされた斬撃が鱗や表皮を切り裂いていく。

 が、決して致命傷には至らない。精々が表面を削る程度だ。それは相手が大きいと言うのもあるが、やはり一番の理由はランドレーベの肉体が常識外れに硬いからだろう。前時代的な通常兵器では傷付ける事すら困難な生物だ、寧ろ人力で傷を付ける事が出来たら大したものだと言えた。

 

 しかしやはり自分より小さな存在が自分の体を傷付けるのは許せないのだろう。ランドレーベは必死に背中に乗ったブレイブを振り落とそうと暴れまくるが、彼は巧みに立ち位置を変えて振り落とされないようにしている。

 

「ブレイブ、飛んでッ!」

 

 唐突に飛んでくるサフィーアからの声にブレイブは素早く反応し、ランドレーベの背中から即座に飛び降りる。

 彼が巨大な背から飛び降りると、それと入れ違いになる様にサフィーアの放った空破斬がランドレーベの顔面に直撃した。ブレイブの方に意識を集中させていたランドレーベは反応が送れ回避する事が出来なかったのだ。

 

 魔力の刃は狙い違わずランドレーベのの顔面を捉え、正に会心とも言える当たり方をした。恐らく並大抵のモンスターであれば顔面を真っ二つにすることも出来ただろう。

 だが相手は地上最強の種族であるドラゴン、この程度で倒せるほど甘くはない。空破斬の直撃によって発生した煙が晴れた先には、大きく傷付けられながらも死ぬには程遠い様子のランドレーベの顔があった。傷付けられてはいるが、現状奴の心を大きく締めているのは生命の危機ではなく自分の体を傷付けられた事に対する怒りであるようだ。

 

 ランドレーベの怒りの咆哮が森の中に響き渡る。大音量の声は空気の壁となってサフィーアとブレイブを襲い、分厚い不可視の空気の壁で引っ叩かれた二人はその場から吹き飛ばされた。

 

「あぐぁっ?!」

「がっ?!」

 

 二人はそれぞれ地面と木に叩き付けられたが、この時不幸な事にサフィーアが体の左側を下にして地面に落下してしまった。瞬間、強い衝撃が彼女の左腕を襲い応急手当てをしただけの左腕が悲鳴を上げる。

 

「ぐっ!? く、ぎ、いぃ――――!?」

 

 サフィーアは落下の衝撃で激痛が走る左腕をサフィーアは声と共に必死に抑え込んだ。奥歯が砕けんばかりに歯を食いしばった結果、痛みのピークを越える事は出来たがその代償に大きな隙を晒してしまう事となる。

 

 痛みを抑えるのに必死なサフィーアを恰好の獲物と捉えたのか、ランドレーベは彼女に狙いを定めるとその大きな顎を開いて一気に肉薄した。一口で腹に納めるつもりらしい。

 視界の隅に自分に突撃してくるランドレーベの姿を見たサフィーアは何とか立ち上がろうとするが、右手は武器を持ち左手はそもそも使えない状況で素早く立ち上がるのはやはり難しいものがあった。やっと立ち上がった時には、もうランドレーベの口は目と鼻の先まで来ていた。

 

「くぅん!」

 

 絶体絶命、そんな彼女の窮地を救ったのは彼女に付き従う小さな相棒であった。ウォールは彼女の前に出ると自身と彼女をすっぽりと覆う様に障壁を展開し、ランドレーベの鋭い牙を見事に受け止めてみせたのである。

 だが、ウォールの障壁も完璧ではない。障壁に強い負荷が掛かり過ぎるとその分ウォールに負担が掛かってしまうのだ。ましてや今回負荷を掛けているのは人間どころか車でさえ一口で食い千切ってしまいかねない程の顎の力を持つドラゴン、掛かる負担も尋常ではない。

 

「うぉ、ウォール!? こいつ――!?」

 

 人間には想像もできない負担を受けて今にもその場に崩れ落ちそうになるウォール。相棒の様子にサフィーアが剥き出しの口内に向けてサニーブレイズの切っ先を突き入れようとした時、いち早く体勢を立て直していたブレイブが駆け付けた。

 

「|疾風(しっぷう)、|刃雷(じんらい)!!」

 

 ランドレーベに素早く肉薄したブレイブは、双刃を分離させて二本の剣に戻すと目にも留まらぬ速さで動き回りながらランドレーベを切り裂いていく。

 

 “風”の様に“疾”く走り、“雷”の様に“刃”を振るい相手を切り裂く…………故に疾風刃雷。

 

 ブレイブはランドレーベの周りを、そして時にはランドレーベの上ですらも縦横無尽に駆け回りながら刃を振るう。マギ・バーストで強化された刃はドラゴンの鱗も表皮も切り裂いてランドレーベの体に次々と切り傷を付けていく。ドラゴンの体に次々と増えていく傷口から血が流れ血みどろになっていく様は、一人の傭兵がドラゴン相手に与えるダメージとしては驚嘆に値するだろう。

 終いには真下から顎を蹴り上げ、トドメの飛び上がってからの踵落としでランドレーベの頭を地面にめり込ませた。

 

 頭が半分ほど地面に沈んだ状態で、意識が飛んだのかランドレーベの動きが止まった。それを見てブレイブはランドレーベに背を向け障壁の中に居るサフィーアの元へ駆け寄る。

 

「大丈夫か!?」

「後ろッ!?」

 

 サフィーアを心配しての行動だったが今回は迂闊だった。ランドレーベは一瞬意識を飛ばしただけであり、まだ死んではいなかったのだ。そしてドラゴンの生命力は常軌を逸している。当然、意識を取り戻すのも早い。

 

 ブレイブはサフィーアからの警告にすぐさま背後を振り返るが、その時には既にランドレーベが彼に向けて体当たりを放っていた。

 幸いだったのはマギ・コートがギリギリ間に合った事だが、それも無敵ではない。幾ら体が頑丈になると言っても所詮は人間の体だ、限度と言うものは存在する。少なく見積もってもトンは確実にいく重量による突進は、人間の体で受け止めきれるものではなかったのだ。

 

「がっ?!」

 

 大型トラックに撥ね飛ばされたレベルの衝撃がブレイブを襲う。撥ね飛ばされた彼の体は先にあった木を一本へし折り、地面に叩き付けられた。

 

 倒れたブレイブはその場から動かなかった。当然だ、動ける筈がない。傍から見ていても確実に直撃を喰らっていたのだ。骨の一本は確実に折れている。マギ・コートで体を頑丈にしていても尚体の内側に響くダメージは、彼の体の自由すら奪っていた。

 

 そんな彼にランドレーベはトドメを刺すべく近付いていく。故意か偶然か、ランドレーベは一気に駆け寄る事はせずゆっくりと歩いて近付いていった。その様子は獲物を仕留める直前に舌なめずりをしているかのようであった。

 ブレイブは激痛に霞む視界に映るランドレーベをせめてもの抵抗とばかりに睨み付ける。対するランドレーベはそれがどうしたとばかりに彼の前に立つと、彼の体を食い千切ろうと大きく裂けた顎を開き――――

 

「あああぁぁぁぁぁっ!!」

 

 突然雄叫びを上げながら突撃してきたサフィーアに一瞬動きを止めた。彼女は未だ自由が利き辛い体に鞭打って立ち上がり、彼の窮地を救うべく駆け出したのだ。

 

 傍から見たら余りにも無謀な行為。事実ウォールは彼女を引き留めるように吠え、ブレイブも心の中で暴言を吐いた。

 ランドレーベも同様だった。奴は片腕が使えないにも関わらず無謀にも突撃してくるサフィーアを内心で馬鹿にした。彼女からは強者特有の覇気を感じない。生態系の中でも上位に属するランドレーベにとって、彼女は圧倒的弱者でしかなかったのだ。

 

 それでも向かってくるなら容赦はしない。ランドレーベは動けないブレイブを後回しにし、サフィーアを叩き潰すべく前腕を思いっきり振り下ろした。

 

「くッ!!」

 

 サフィーアはその腕を、思念を読んで完璧なタイミングで前転しながら回避した。回避後に彼女が立ったのはランドレーベの真下、無防備な腹下だった。

 歯を食いしばって左腕に走る痛みを堪え、サニーブレイズを杖にして立ち上がった彼女は風属性の魔力を纏った刃を比較的柔らかい腹に突き刺した。それだけに留まらず、突き刺した状態で引き金を引いた。マギ・バレットに内包された魔力が刃に充填され、それに合わせて先に刃に纏わせていた風属性の魔力が押し出される。

 

「ッ!?!?」

 

 その瞬間、風属性の魔力は無数の小さい刃となってランドレーベの体内を暴れ回った。それはさながらフードプロセッサーの様にランドレーベの体内を切り裂きながらシェイクし、口と肛門から細切れにされた臓物と血を吐き出し一瞬で絶命した。流石のドラゴンと言えども、内臓を細切れにされたら堪ったものではなかったらしい。

 

 即死だった為死の瞬間の負の思念も感じることは無く、サフィーアはその事に安堵の溜め息を内心で吐いた。だが直ぐにある問題に気付き顔から血の気が引いた。

 

――ぬ、抜けない!?――

 

 サフィーアは今死んだランドレーベの真下に居る。そして死んだ生物は重力に引かれ真下に落ちるのが世の理。つまり、今の状態ではサフィーアは剣を引き抜く事が出来ないのだ。

 しかも先程述べたようにランドレーベの重量は軽く見積もってもトンはいく。とても彼女に耐えきれる重量ではない。

 

 折角倒したと言うのに、新たな危機に見舞われ焦るサフィーア。今はマギ・コートで強化した筋力で何とか耐えているが、このままだと魔力が切れてトンはいく重量に押し潰されてしまう。

 

 その時、横から伸びた何者かの手がサフィーアの手の上からサニーブレイズの柄を握り締めた。

 

「ッ!? クレアさんッ!!」

「そのまま踏ん張りなさい! オラァッ!!」

 

 横から伸びた手の主はクレアだった。彼女はサフィーアの手毎サニーブレイズを掴むと、渾身の力でランドレーベの体を蹴り上げた。その衝撃で刃がランドレーベの腹から引き抜かれる。

 クレアは刃が抜けたと同時にサフィーアの体を引っ張りランドレーベの下から引きずり出した。

 

 二人が抜け出た直後にランドレーベの体は今度こそ大地に横たわる。

 動かないランドレーベの姿を見て、漸くサフィーアは自分がドラゴンを仕留めた事を自覚した。勿論彼女一人の力ではない。ブレイブが削って注意を引き付けてくれたからこそ、彼女が決定打となる一撃を叩き込む事が出来たのだ。

 

 サフィーア一人の力で得た勝利ではない。だとしても――――

 

「頑張ったじゃない。やるわね、サフィ」

「え、えへへ……はい!」

 

 ドラゴンに勝利したと言う事実は、彼女の中で華々しい記憶として刻まれたのだった。




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第31話:結論はただ単純に

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 鬱蒼とした森の中、唐突に開けた場所に一体のドラゴンが口と肛門から細切れになった内臓をぶちまけて息絶えていた。

 言わずもがな、サフィーアが仕留めたランドレーベである。

 冷静に考えると、このランドレーベは世にも珍しい死に方をしたと言えた。ドラゴン自体は別に希少でも何でもなく、それどころか人の生活圏に近付き過ぎれば脅威と見なされ傭兵や軍隊によって討伐されることは多々ある話である。だがそれにしたって、内臓をミキサーにかけられたが如く細切れにされて口と肛門からぶちまけて死んだドラゴンはこいつくらいのものであろう。

 改めて、サフィーアが最後に放った攻撃のえげつなさが分かると言うものだ。脅威が去り頭が冷えて冷静に物事を考える事が出来るようになった今になって、サフィーアも先程の攻撃の恐ろしさに顔を引き攣らせた。

 

「今になってみると、なんだか凄い倒し方気がする」

「いいじゃないの。私なんて溶岩の中に叩き込んだこともあるのよ? 見た目原型留めてるだけまだマシじゃない?」

「ん~、ま、そうですね」

 

 正直五十歩百歩な気はするが、戦い方を選んで勝てる相手ではないので割り切りは早い。非情かもしれないが、モンスターが相手ならそんなものだ。

 そんな事よりも、クレアはサフィーアがランドレーベを仕留めた事を評価した。

 

「しかしまぁ、本当大したもんだわ。まさかサフィが此奴倒しちゃうなんてね」

「いや、あたしだけの力じゃないですよ。ブレイブとウォールも居てくれたから……ん?」

 

 不意に、サフィーアは自分に向けられる非難の思念に気付いた。出所はクレアの後ろ。

 何だろうと思い彼女の後ろを覗き見ると、そこには明らかに不満そうな顔をしたシルフの姿があった。

 

「えっと……何?」

 

 シルフに睨まれる理由が分からず、サフィーアは首を傾げる。ランドレーベを自分が倒してしまったことが不満だったのかとも思ったが、依頼の出ていないモンスターの討伐は原則早い者勝ちだ。誰が討伐しようとも文句を言われる筋合いはない。特に今回は、想定外の遭遇の末の事であり言ってしまえば不可抗力である。

 そんな思いを込めつつ訊ねてみると、彼女は何かを言おうと口を開いた。

 だがその内は素早く横から伸びたクレアの手によって塞がれてしまった。

 

「もが――!?」

「へ? あの、クレアさん?」

「あぁ、サフィは気にしなくていい事よ。それよりブレイブの方は大丈夫なの?」

「あっ!?」

 

 クレアの行動の意図がいまいち分からず困惑するサフィーアだったが、彼女に言われて漸くランドレーベの体当たりを喰らったブレイブの方に意識が向き慌ててそちらへと駆けて行った。

 

 ブレイブに駆け寄るサフィーアの背を見つめるクレア。その彼女に向けて、口を塞がれていた手を退けたシルフから疑問が飛んだ。

 

「何で本当の事言わないんスか?」

「いいじゃないの。仕留めたのは間違いなくあの子なんだから、ここは少しくらい花を持たせてあげましょ。サフィだって自分だけで倒せたなんて自惚れちゃいないみたいだし」

「それでも、何か釈然としないっス。姐さんが弱らせてたから倒せたってのに」

 

 そう。あのランドレーベ、実はサフィーア達と遭遇する前にクレアによって散々痛めつけられた後だったのだ。その証拠に、今はブレイブの疾風刃雷で全身傷だらけとなってしまっているが、よくよく見るとサフィーアとブレイブでは付けようのない打撲痕などが見て取れる。

 

 人間に、それも手負いの相手に余裕で勝てると思っていたランドレーベは予想外の相手の強さに堪らず退散。そうして逃げた先で今度はサフィーア達と遭遇しそのまま戦闘に突入したのだ。

 先程二人はランドレーベを前にして決死の覚悟で戦いに臨み、その心境は正に窮鼠猫を嚙むと言うべきものであったがそれはランドレーベにとっても同様だったのだ。窮鼠同士がぶつかり合った結果、噛まれたのはランドレーベだった。それだけの話だ。

 

 そんな事は露知らず、サフィーアは未だ倒れたままのブレイブに近付き彼に手を差し伸べた。

 

「大丈夫? さっき諸に体当たり喰らってたけど」

「この程度、どうって事ねえよ…………つったってお前には筒抜けなんだろ?」

「当然。女の勘を嘗めんじゃないわよ」

 

 思念感知能力の存在を隠す為、サフィーアは相手の嘘が分かる理由を女の勘と言う事にしておいた。下手に誤魔化そうとすると逆に能力の事を怪しまれる危険がある。それなら少しくらい無茶苦茶でもこう言うのにしておいた方が返って怪しまれないだろう。茶目っ気を込めて言えば更に効果は倍増だ。

 

「あ~くそ、いってぇ」

「我慢しなさい。ミランダは生きてるみたいだから、向こう戻れば彼女に回復魔法掛けてもらえるわ」

 

 サフィーアに手を借りながら立ち上がったブレイブは、全身を奔る痛みに堪らず顔を顰める。そんな彼にクレアは生き残りの傭兵の一人の名前を口にした。

 

 ミランダと言うのは、ディットリオ商会側の傭兵に居た今回唯一の術士の傭兵だ。二つ名は付いていないが術士としての実力は本物であり、クレアも何度か彼女に背中を預けて何度も助けられた事があった。それもあってクレアは彼女の腕を信頼している。

 ただ性格に問題があるのが玉に瑕だが。

 

「サフィは一人で歩けそう?」

「はい」

「それじゃサフィ、ブレイブ支えるの私と変わりなさい。シルフ、反対からブレイブ支えて」

「了解っス」

 

 片腕を骨折して応急手当だけで済ませているサフィーアに代わって、クレアとシルフがブレイブを支える。シルフは身長が少し低い為、彼女が支えている側が少々厳しそうだがそれでも何とかなった。

 一塊になって移動する三人の横をサフィーアがゆっくり歩き、その一行の前を先導するようにウォールが歩いていた。

 

 遺跡まで戻るまでの道中で、サフィーアはクレアにエリザベートの事を訊ねた。

 

「あれが、エリザベートって人なんですか?」

「そうよ~。しつこいくらい人の事目の敵にして、本当に迷惑な奴なのよ」

「何でそんなに?」

「さてね。初対面の時から変に因縁付けてきてたから、単純に自分より上の人間が許せないんじゃない?」

 

 つまりは嫉妬か。心を持つ人間である以上仕方のない事であるが、嫉妬される方は堪ったものではない。心底うんざりした様子のクレアから、エリザベートがどれだけ執念深いかを察してサフィーアは彼女に同情した。

 そんなサフィーアだったが、実は事は彼女にとっても他人事ではなかった。

 

「暢気してる場合じゃねえぞ」

「へ?」

「お前らの様子で、サフィーアがクレアの仲間だって事はエリザベートも気付いたろ。つまりは、だ」

「今後は私を釣り出す為に、サフィを狙ってくる可能性があるって事。でしょう?」

「若しくは動きを封じる為の人質だな。あいつなら平気でやるぞ」

 

 ブレイブとクレアの言葉にサフィーアは顔を強張らせた。二人の言う通り、卑怯卑劣を平然と行う者であればその関係者に危害を加える事を躊躇する筈がない。寧ろ相手を追い詰める為に嬉々として行うだろう。即ち、今後はサフィーアも狙われる可能性があるどころか、場合によってはサフィーアの方が狙われる可能性が高いのだ。

 その事実に気付きサフィーアは不安で表情を曇らせた。

 

 不安に駆られ気落ちするサフィーア。その様子を見たブレイブは、彼女に向け励ましの言葉を掛ける。

 

「別にそこまで気にする事ねえだろ」

「あ、あんたね。他人事だと思ってない?」

「難しく考えるなよ。狙われ易くなるってんなら、エリザベートより強くなればいいだけの話だろ」

 

 ジト目で睨み付けてくるサフィーアに向け、ブレイブは然も当然の事の様に告げた。確かに彼の言う通り、単純に考えればエリザベートより強くなれば例え狙われたとしても退ける事は可能だ。少なくとも余程の不意打ちでも食らわない限り、クレアの様に対抗する事は出来る。

 ただしそれは言うまでもなく容易い事ではない。現時点でサフィーアとクレアでは実力に差があるのだ。そのクレアと渡り合えるエリザベートに勝つには、生半可な強さでは相手にならない。

 

「兄貴、言ってること自体が相当難しい事だって気付いてないんスか?」

「何が?」

「何がって――――」

 

 彼の提案の無茶っぷりにシルフも呆れた様子で否定の言葉を口にする。

 だが意外な事に、彼の提案に対して否定的な意見を持っているのはこの場においてシルフただ一人であった。

 

「そう、か。そうよね。狙われるってんなら狙われても平気なように強くなればいいのよね」

「はいぃ!? サフィーアさん何言ってるんスか!? ランドレーベにぶっ飛ばされた時変な所に頭ぶつけたんスか!?」

「いや、ブレイブの言う通りよ。あいつ相手に和解なんて土台無理な話。なら取れる選択肢は戦って抗うか、只管逃げに徹するかの二択よ。そしてただ逃げてるだけじゃ何時か何処かで逃げきれなくなる時が来るのは確実なんだし、それなら最初から戦って抗う方向で考えるのは間違ってはいないと思うわよ」

 

 ただ単純に強くなればいい。ブレイブの言うは易く行うは難しな提案に共感するサフィーアとクレアの二人にシルフはただ開いた口が塞がらなかった。

 

 大雑把に分けて、傭兵には二種類の人間がいる。降りかかる火の粉を前に戦意を滾らせ奮い立つ者と、自分の手に余るリスクは極力避けようとする者だ。

 この場においてシルフは言うまでもなく後者である。それは決して悪い事ではない。リスクを鑑みて攻めるか退くかを決断出来るかどうかも、傭兵にとっては重要なスキルなのだ。危険を危険とも思えず無闇矢鱈に首を突っ込む傭兵は自身の命だけでなく仲間や依頼人の命すら危険に晒してしまう。そんな者に生と死が隣り合わせになった傭兵業が務まる筈もない。

 

だが同時に、危険に挑む気概の無い者に務まらないのも事実であった。死が間近に迫った時、それに抗う為に危険を冒してでも生き残る為の道を切り拓く事が出来るかどうかも傭兵としての資質を問われる要素の一つなのだ。

 これはどちらが正しいと言う訳でもない。強いて言うならどちらも一長一短であり、全体で見ればどちらも依頼を出す側からすれば同じくらい求められるものであった。故に、攻めの姿勢と逃げの姿勢の間に優劣は存在しない。

 

 存在しない、のだが――――

 

「皆さんの考えには付いていけそうもないっス」

 

 自分と相容れない感性に、シルフは一人辟易して溜め息を吐くのだった。




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第32話:最も安い価値あるもの

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 なんやかんやと駄弁りながら森の中を進んでいたサフィーア達は、途中休憩を挟みながらも2~3時間ほどで遺跡の所まで戻る事が出来た。ランドレーベの乱入で怒った混乱は収束したらしく、慌ただしさは見られない。それどころか、サフィーア達の姿を見た瞬間彼女達を心配した様子で駆け寄ってきた。

 

「お前ら、無事だったか!?」

「当たり前でしょ? って言うか聞いたわよロジャー、あんたとんでもない作戦考えたわね?」

「いや、すまない。あの時はああでもしないとこちらがジリ貧だと、な」

「な、じゃないわよ。お陰でサフィとブレイブが重症よ。あ、そうだ。ミランダ居る?」

 

 クレアはロジャーに対して文句を言いつつ、周囲を見渡して術士のミランダを探した。緊急を要する程ではないがサフィーアもブレイブも(ついでにクレア自身も)ボロボロなのだ。そして彼女らが居る場所は安全が確保されているとはとてもではないが言い難い。流石にランドレーベ並みのモンスターがそうそう出てくるとは限らないが、ドラゴンでなくとも危険なモンスターは山程いる。と言うかモンスター自体が危険だ。

 治療が出来るなら治療するべきである。そしてここには、それが出来る者が居る。

 

 果たして、クレアの呼びかけに応えて件の術士が前に出てきた。ローブを纏った如何にも術士然りとした恰好をした女性、ヒーラーのミランダだ。ランドレーベの乱入後ポール共々迅速に無力化されたのか、その手には杖を持っていない。

 

「何? 戦い終わったのに今更何の用なの?」

「戦いが終わったから、よ。ちょうどいいから、サフィとブレイブに回復魔法掛けてあげてよ」

「お前も掛けてもらえよ。脇腹傷口開いてんだろ?」

 

 自分を抜かして回復魔法の要請をしたクレアに、ブレイブは彼女自身の負傷を指摘した。

 それに真っ先に反応したのはサフィーアだ。彼女は今の今までクレアが脇腹を負傷していることを知らなかったのだから当然だろう。

 

「えっ!? クレアさん怪我してたんですか!?」

「ん!? あぁ、もぅブレイブ! 何で今バラしちゃうのよ!?」

「何で俺文句言われんだよ? 自分のコンディション分からない訳じゃねえだろ?」

「後でこっそり治してもらおうと思ってたのよ」

「何で?」

「私だって見栄の一つも張りたいからよ!」

「そんな無茶しないでください!?」

 

 心底訳が分からないと言った様子のブレイブにクレアが胸の内を打ち明けると、サフィーアがクレアに心配の籠った抗議をした。彼女からしてみればクレアは今まで全力を出せない状態で自分と同等の相手と戦っていたのだ。心配するなと言う方が無理がある。

 尤も、一概にクレアに問題があったとは言い難い。彼女がサフィーアに代わってブレイブの相手をした後、無条件に信頼して彼女に負傷の有無を訊ねなかった。もしあの時サフィーアが彼女に負傷の有無を訊ねていれば、或いは彼女が万全の状態でない事に気付けたかもしれない。

 それを考えれば、勝手に思い込みだけで判断し確認を怠ったサフィーアにも問題があったと言えるだろう。

 

 とは言え全ては最早過ぎた事である。今重要なのは負傷者が居て、この場にはそれを治療できる者が居ると言う事だ。

 その治療が出来る人物であるミランダは、クレアからの要請に盛大に顔を顰めていた。

 

「えぇ~、ブレイブは兎も角そのサフィーアってのとクレアは今回敵でしょ? 敵を治療しろっての?」

「何言ってんの、もう戦いも終わったでしょうが。それもそっちの負けで、よ。それともまだやる?」

 

 言ってはみたが、クレアとしてはこれ以上の戦闘は御免だった。ディットリオ商会側の傭兵は半数が倒れ、ブレイブは負傷。ポールとミランダも無力化されているがクロード商会側も多数の負傷者が居る。特に大きな怪我を負っているのはサフィーアとクレアの二人だけだが、残りはロジャーを除いて腕利きとは言い難い。

 何よりの懸念はエリザベートが一人ランドレーベの乱入から逃げ出した事だ。もし彼女が戻ってきた場合残りのメンツだけでは抑えきれない可能性が高い。クレアが出張っても、これ以上の戦闘は厳しいだろう。口では何だかんだ言っても、やはり脇腹の傷口が開いた状態でのドラゴンとの戦闘は相当に堪えたのだ。

 

 だからこそ、彼女達には治療が必要だった。それも応急処置ではなく、腕利きのヒーラーによる回復魔法が。

 故に、クレアは多少強引であってもミランダに回復魔法を掛けさせる為かなり強気な姿勢で交渉に臨んでいた。

 

「別に負けたからって、相手の言う事を聞かなきゃならないって法は無いでしょ。別に私捕虜になってる訳じゃないんだし」

「いや捕虜も同然だろうが。殺傷与奪の権利はこっちにあるんだぞ」

「それじゃ拷問でもする? この場にそれを躊躇なく出来る奴居る?」

 

 そう言い返されると、ロジャーも思わず口を噤んでしまった。ディットリオ商会側で集められた傭兵が一部を除いて非道を平気で行える者を集められているのに対して、クロード商会側で集められた傭兵は良心的な者が多い。人間的にはクロード商会側の傭兵の方が温厚だが、その分実力は容赦がない分ディットリオ商会側の傭兵の方が上だった。もっと時間に余裕があれば性格と実力を両立させた、クレアの様な傭兵を指名して雇うことも出来たのかもしれないが今回は時間的に限界があったのだ。

 結局この場に居るのは、一言で言えばお人好しばかりであった。そんな彼女らに力尽くで言う事を聞かせると言う選択肢は選べない。

 

 半ば膠着状態になりつつある中、ブレイブが行動を起こした。

 

「そうケチケチするなよ。これ以上いがみ合っても良い事ねえんだし、回復くらいやってやれって」

「あんた一人ならいいけど、クレア達はねぇ。特にそこのサフィーアってのの所為で痛い目に遭わされたし」

 

 先程の戦闘での事を根に持っているのか、サフィーアにジト目を向けるミランダ。向けられる、敵意とはいかないまでも嫌悪に近い思念にサフィーアは思わず苦虫を噛み潰したような顔になった。こういうのは慣れても気分が良いものではないのだ。

 

 ミランダからの嫌悪感に晒されるサフィーア。見かねたクレアが二人の間に割って入った時、ブレイブが口を開いた。

 

「よし分かった! お前が俺にしてる借金全部チャラにしてやる。それで手を打たねえか?」

「ん~……チャラ、ねぇ?」

「じゃあこうしよう。お前がポールにしてる借金も俺が肩代わりして――」

「ほら全員そこに並びな」

 

 ブレイブが全部言い切る前にミランダが先程より生き生きした様子で、やる気に満ちた声でそう告げた。その変わり身の早さにクレアは呆れて溜め息を吐き、ロジャーはあからさまに軽蔑の籠った視線を向けている。他の者も大体似たような感じだ。あからさまに軽蔑しているのはロジャーだけだが、殆どの者は大なり小なり呆れた様子を見せている。

 異なる反応を見せているのはサフィーアとブレイブの二人だけだ。サフィーアはあまりの変わり身の早さに半ば圧倒され、ブレイブは一仕事終えた後の様な様子を見せていた。

 

「……いや、いいの? あんた結構負担掛かってない?」

「何が?」

「何がって、借金のチャラとか立て替えとか」

「金で命と安全が買えるならそれ以上に安いものなんてねえだろ」

 

 さらっと言ってのけるブレイブに、サフィーアは何とも言えない顔になった。確かに彼の言う通り、金で安全が確保できるならそれに越した事は無いだろう。少なくとも、下手な要求を突き付けられるよりはずっとマシだ。

 だが彼女は彼が任務前の食事も質素にしなければならないほど資金面で苦しい状況なのを知っている。あまり金が掛からない筈の剣士で尚且つ腕も立つ彼がどうして金欠に悩んでいるのかは分からないが、兎に角出し渋る事はあっても容易くばら撒く様なことは出来ない筈だった。

 

「金策の当てはあるの?」

「んなもん依頼熟しまくりゃいいだけの話だろ。どいつもこいつも難しく考えすぎなんだよ」

「あんたはそれでいいのかもしれないけどね、少しは勝手に話進められて奢ってもらう方の気持ちも考えてよ」

「奢ってもらうなら悪い事じゃねえだろ?」

「借りを一方的に作るだけなのが心苦しいって言ってんの!」

 

 勝手な言い分かもしれないが、一方的に助けられるだけと言うのはサフィーアの性に合わないのだ。世の中全てギブアンドテイクを信条にしている訳ではないが、さりとて彼女は一人では何も出来ない子供でもない。助けられてばかりと言うのは彼女をして、気分の悪い事であった。

 一応彼女は彼女で、窮地に陥ったブレイブを助けたりしている。厳密に言うと一方的に助けられている訳ではないのだが、彼女的には比率が傾いているように思えていたのだ。

 

 そうとは知らないブレイブは、変にムキになっているサフィーアを相手にどうすればいいか考えあぐねて口をへの字に曲げてしまった。

 

「ん~、そうは言ってもよ」

「あぁ、もう! 分かった、じゃあこうしましょ。これから先何か困った事があったら何でも良いから絶対あたしに相談して!」

「分かった分かった、それで手を打とう。つう訳だ、頼むぜミランダ」

「話纏まった? それじゃあまずは……ほいっと」

 

 漸くサフィーアが静まったのを見て、ミランダは既に準備を整えていた杖を軽く振るった。すると先端のエレメタルから暖かな光がシャワーの様に噴き出し、ロジャーやポールら遺跡に残っていた傭兵達に降り注いだ。

 

「ん? 私達もか?」

「出血大サービス。この場の全員回復したげるよ」

「こう言う気前の良さを何故先程発揮してくれないのか」

 

 最初は特にダメージが大きいサフィーア、ブレイブ、クレアの三人のみに回復魔法を掛けてもらう筈が、ミランダの粋な計らいによってこの場の傭兵全員に掛けてもらえる事になった。それ自体はとてもありがたい事なのだが、同時に何故その気前の良さをブレイブが話を纏める前に発揮してくれないのかとポールが額に手を当てて天を仰ぐ。

 

 そんな彼の嘆きなどどこ吹く風、ミランダは続けてブレイブに回復魔法を掛けた。

 

「あんたまた豪く派手にやられたね?」

「龍種相手にこの程度で済んだんなら、寧ろ安いもんだろ」

「それもそうだけどね。ただ一つ言わせてもらうと、命粗末にするような真似するんじゃないよ」

「金を粗末に扱っているお前が何を言う」

「粗末になんて扱ってないさ。只日々を後悔しないように生きてるだけだよ」

 

 全く以て口の減らない女である。それでいて仕事はしっかり出来るのだから質が悪い。事実ブレイブの傷は物の数分としない内にミランダの回復魔法によって全快してしまっていた。

 

「はいおしまいっと。次、お嬢ちゃん」

「あ、はい」

 

 先程とは打って変わってあっけらかんとした様子で接してきたミランダに若干困惑しつつ、抵抗する事無く回復魔法を掛けてもらうサフィーア。暖かな光が降り注ぎ、小春日和の陽気の中に佇んでいるかのような感覚を覚えた。あまりの気持ち良さに若干ウトウトしそうになるが、次の瞬間その光は唐突に消失した。

 

「ん? え?」

「終わったよ」

「え、もう?」

「うん。ほら」

 

 若干名残惜しそうに口を開くサフィーアに近付くと、ミランダは徐に簡単に応急処置を施された左腕の肩マントの結び目を解いた。

 自由になった左腕。その腕に徐々に力を込めていくと、骨など折れていなかったかのように何ともない腕がそこにあった。

 

「うわ、すごぉい」

「どんなもんよ」

「ミランダは金遣いは粗いが、魔法の腕は超一流だ。転移魔法だって使えるんだぜ」

 

 転移魔法とは、その名の通り人や物を瞬時に移動させる魔法である。言葉にすると簡単だが、これがかなり難易度の高い魔法で発動に際して転移先の正確な座標を頭に叩き込んでおかないと在らぬ所へ転移してしまったり、そもそも魔法が発動しなかったりするのだ。

 因みにこの手の魔法でよく言われる、転移した先にある物体と融合してしまったりすると言う事はない。仮に人間を転移させ、その転移先に何か物体があった場合人間か転移先にあった物体のどちらかがその場から弾かれるようになっている。

 

 閑話休題。

 

 そんな訳で転移魔法は非常に難易度が高い魔法なのだが、ミランダはそれが使えると言う。その事実は彼女の実力を如実に表しているものであり、同時にある疑問を氷解させることにも繋がった。

 

「あっ!? だからここ来た時ヘリからいきなり森の中に移動してたのね」

 

 衝撃に任せて氷解した疑問を口にしてしまったサフィーアだが、これは少し迂闊だった。一般的な視点から見れば、ミランダが口にしたようにヘリを囮にして森の中を行軍したように捉えるのが普通である。透視能力でもない限り最初からヘリの中に居たとは思わない筈だ。

 

「あれ? ヘリに乗ってたの気付いたの? 状況的にヘリを囮にして下から移動したって捉えたかと思ったんだけど?」

「あっ!? あ、いや、その……」

 

 その違和感に気付いたミランダが疑問を口にすると、サフィーアはあからさまに焦った様子で視線を彷徨わせた。挙動不審にも程がその様子に、ミランダが訝し気な顔で彼女の事を睨み始める。

 

 次第に場の雰囲気が険悪に変化し始め、ロジャー達にも異変が伝播しそうになった…………その時であった。

 

「あんれぇ~? 意外と生き残ってんじゃん?」

 

 嫌味ったらしい声が場に響いた。




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第33話:弾ける血眼

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 場にそぐわない気楽さで紡がれた言葉。その声の主は、今になって戻ってきたエリザベートが発したものだった。この場に居る殆どの傭兵が戻ってきた時には多かれ少なかれ疲弊していたのに対し、早々に退避した彼女はいっそ嫌味ったらしい程に身綺麗である。クレアとの戦闘で全くの無傷ではないのだが、それでも他の者に比べると圧倒的に元気が有り余っている感じだ。

 今更になって現れた彼女に殆どの者は呆れや苛立ちの籠った目を向けているが、ただ一人サフィーアだけは彼女から不穏な物を感じていた。

 

 エリザベートは、この場に明確な悪意を持ち込んでいる。それが何かまでは分からないが、この場の全員に向けたものである事は理解できた。

 故に、サフィーアはまだ治療の済んでいないクレアを即座に守れるように近付きつつ警戒を強めた。周囲の者に気付かれないよう、そっとグローブを嵌めた右手をサニーブレイズの柄に添えた。

 

 サフィーアの異変に気付きながら、クレアはエリザベートから視線を外さず問い掛けた。

 

「で? 今更何しに出てきたのよ? 言っとくけどもうランドレーベは倒したし、ここでの勝敗は事実上決したわよ。それとも、今からあんたがこの状況を逆転してみる?」

 

 少し挑発して相手の出方を窺おうとするクレアだったが、彼女の挑発に対しエリザベートは特に大した興味も示さない。それどころか、何処か嘲る様な視線を向けてすらいた。

 

「いやぁ、遠慮しとくよ。どっちみちこの依頼は暇潰しと小遣い稼ぎで受けただけだしね」

「小遣い稼ぎだぁ? おい、どう言う意味だよ?」

 

 今回の依頼も貴重な収入源であった(その割には随分とばっさり自分の分の報酬を辞退していたが)ブレイブにとって、エリザベートの発言は見過ごせるものではなかった。この依頼に限らず、定期収入の無い傭兵にとって受ける依頼は全て大事なものである筈だ。少なくとも、小遣い稼ぎだから失敗してもいいや、で簡単に済ませる事が出来るようなものではない。

 その疑問に対する答えに、クレアは見当が付いていた。

 

「あんた、無断で契約をダブらせたわね?」

「あぁっ!?」

 

 傭兵が基本的に一度に受けれる依頼は一つだけだが、何事にも例外は存在する。一つの依頼の目的地の道中に別の依頼の目的が存在する場合だ。例えばとあるモンスターの討伐に向かったとして、その道中に別件で討伐対象となっているモンスターが居た場合などは、特定期間内に限り同時に複数の依頼を受ける事が許されていた。こうする事で、移動に掛かる運賃を節約する事が出来るのだ。

 ただし、例外と言うだけあって一度に複数依頼を受ける上で制約は存在する。それは報酬の合計金額の上限だ。当然ながら報酬金が多ければ多いほど依頼内容も危険である事が多く、それを一度に一人ないし一パーティーで受けたりすれば短い期間に何度も危険な橋を渡る事に繋がる。それで依頼を一度に達成できれば問題ないのだが、もし複数の依頼の内幾つかを残した状態で一つを失敗して死なれでもしたら、結果的に残った依頼も失敗となりその責任は依頼を斡旋したギルドにまで及んでしまう。

 それを防ぐ為、ギルドでは複数の依頼を同時に受ける場合は報酬金の合計金額に上限を設けているのだが、今回の依頼でディットリオ商会から約束された報酬はそれだけでギルドが設けた上限を超えているのだ。

 

 それが分かっているから、ブレイブはクレアの口にした内容に声を上げたのである。

 

「お前、こちとら遊びで依頼受けたんじゃねえんだぞ!? 真面目にやれ真面目に!!」

「別に、お前に命令される謂れはないね。こっちの依頼失敗だって、お前らが不甲斐無い結果じゃないか」

「それで? もう片方の依頼人は何処のどいつかしら?」

 

 ブレイブの抗議も何処吹く風と言った様子で受け流すエリザベートを、冷ややかな目で見つめながらクレアが問い掛ける。

こういう場合、もう片方の依頼はギルドを通さずに直に請け負っている事が多い。決していい顔をされることではないが、ギルドを通さずに依頼を受けることを禁止されている訳ではないので、裏では個人的に依頼を受けている者は意外と居る。ただし、その場合傭兵側には保障も補償も無い為、何が起ころうと自己責任だし最悪の場合依頼人に斬り捨てられるリスクもあった。その分報酬も法外に高額な場合が多いので、この手の依頼を請け負うのは脛に傷を持つ者か命知らずと相場が決まっていた。エリザベートの場合は間違いなく前者だろう。

 となると、遺跡絡みのとは別に彼女には依頼人が居る筈だ。それは一体誰なのか?

 

 クレアの問い掛けが頭上を飛んでいく中、サフィーアは依然としてエリザベートの動向に警戒していた。いや、寧ろ強めてすらいる。右手は既にサニーブレイズの柄を握り締め、左手は鞘を掴んで直ぐにでも抜けるよう態勢を整えていた。

 

 その様子に気付いているのかいないのか、エリザベートは喉の奥でくつくつと笑うとねっとりとした視線を全員に向けた。

 

「依頼人については詳しく話せないねぇ、守秘義務があるから。時間もない事だし、さっさと用事を済まさせてもらうとするよ」

 

 そう言うとエリザベートは腰のポーチから一つのカプセルを取り出した。一見すると自販機で購入できる缶ジュース程度の大きさの、完全に何かを入れる為だけに作られた飾り気のないカプセルである。

 クレアたちはそれが何なのか分からず、揃って首を傾げた。

 

 ただ一人、サフィーアを除いて。

 

「ッ!?!?」

 

 エリザベートがカプセルを取り出した瞬間、サフィーアは全身の肌が粟立つのを感じた。生まれ持った能力で、そして何より本能で感じ取ったのだ。あのカプセルの中には、例えようも無いほどの災厄が収まっている、と。

 

「ほれ」

「させるかッ!?」

「サフィッ!?」

 

 まるで缶ジュースを誰かに投げ渡すかのような気軽さでエリザベートがカプセルを放り投げた瞬間、サフィーアはそのカプセルに向けて一気に駆け出した。

 あれの中身を自由にさせない為に、あれの中身を解き放たない為に。

 

 だが彼女がカプセルの元に辿り着くよりも早く、ロジャーが放った矢がカプセルに直撃した。魔力の籠った人工エレメタルで出来た鏃が直撃したことで、爆発を起こしカプセルも木っ端微塵…………になる直前でカプセルの中の物がロジャーに向けて飛び出していった。

 

「うわっ!?」

 

 エルフ特性の弓矢による爆発は決して小さいものではない。故に、前に飛び出していたサフィーアは敢え無く爆風に煽られカプセルから遠くに吹き飛ばされてしまった。

 結果、次に起こった出来事にも対処する事が出来なかった。彼女には事の成り行きを見ているしかできなかったのだ。

 

「な、何だこ、ぐっ!? あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ?!」

「あ、あれはっ!?」

「まさかッ!?」

 

 サフィーアとクレアの視線の先では、カプセルから飛び出した物――――鮮血の様に赤い眼球が血管の様な触手を次々とロジャーの額に突き刺していた。その様子に、二人は先日見た光景を思い出す。

 

 逃げようとした瞬間、何かに阻まれたかのように動きを止め、そして次の瞬間には額にそれまで存在しなかった深紅の眼球を付けて振り返ってきたバート。

 

 その時の事を二人は鮮明に思い出していた。

 

「まさか、同じ物!?」

「はっ! エリザベート!?」

 

 目の前に再び姿を現した悪夢のような存在を前に戦慄するサフィーア。対してクレアは、あれが入っていたカプセルを持っていたエリザベートを問い詰めようとそちらに視線を向けるのだが…………

 

「じゃ~ね~」

 

 肝心のエリザベートは、嫌味ったらしい笑みを浮かべながらまるで霞の様にその場から消えてしまった。

 その様子にブレイブは驚愕に目を見開く。

 

「ありゃ、アサシンの得意技『メルドゥ』じゃねえか!? あいつ何時の間にアサシンに転身しやがった!?」

「くそ、逃げられた!? いや、今はそれよりも――」

 

 まんまとエリザベートに逃げられたことに舌打ちするクレアだったが、その事は今は置いておく。それよりも、再び現れたレッド・サードをどうにかしなければならない。

 頭を切り替えたクレアがロジャーだったレッド・サードの方を見る。そこでは既にサフィーアとレッド・サードの戦いが始まっていた。

 

「Gijaaaaaa!!」

「くっ!?」

 

 武器も使わず素手で襲い掛かるレッド・サードを相手に、サフィーアは只管防御に回っていた。理由は単純だ、彼女の後ろには腰を抜かしているのか動けずにいるシルフが居たのである。

 

「あ、あわわわっ!? い、一体何がどうなってるんスか!?」

「そう言うのは全部後で話してあげるから、今は逃げてッ!?」

 

 このままではシルフが邪魔で思う様に動く事が出来ない。彼女の存在を無視して戦っては、レッド・サードが額の眼球から放つ閃光の流れ弾を喰らってしまう恐れがある。一応ウォールが彼女を守れる位置に居てくれているが、レッド・サードの閃光はウォールをして踏ん張らねば防げない威力を持つ。消耗している今だと下手すれば弾かれてしまう危険があった。安全の為には少なくとも動けるようにはなってほしいところだが、彼女が立てるようになるには今しばらくの時間が必要だろう。

 そんなサフィーアの窮地を救うべく、他の傭兵達もレッド・サードに向けて攻撃を開始した。

 

「ロジャーはどうなったんだ!?」

「詳しくは分からないけど、少なくとももう助からないわ!」

「仕方がない、か。許せ、ロジャー!」

 

 少なくともサフィーアはあの状態を治す方法を知らない。唯一彼を止める方法があるとすれば、それは殺す事だけだ。先程まで共に戦っていただけに心苦しい事ではあるが、躊躇していてはこちらが殺されてしまう。

 意を決してロジャーだったレッド・サードに立ち向かうサフィーア達。

 

 そんな彼女達を嘲笑う様に、レッド・サードは額の眼球から無数の閃光を放った。

 

「嘘ッ!?」

 

 以前戦ったレッド・サードには無かった、チャージ時間無しでの拡散する閃光にサフィーアは一瞬反応が遅れてしまった。

 

 次の瞬間、彼女は背後からの衝撃で前に倒れ、同時に閃光に貫かれた傭兵達の悲鳴が辺りに響いた。

 

「い、つつ……な、何?」

 

 傭兵達の悲鳴と苦悶の声が響く中、サフィーアが背後に目を向けるとそこには顔を青くしながらも震える脚に鞭打って彼女を押し倒し閃光による被害を回避させたらしきシルフの姿があった。無我夢中で行動したからか、心此処に在らずと言った感じだ。

 

「あ、あああ――!?」

「ごめん、助かったわ」

「へ? あ、いえ。あ、あはは……って、あぁっ!?」

 

 実は今のはサフィーアを助けようとした訳ではなく、言う事を利かない足腰に鞭打って立ち上がったら、上手く立てなくて転んだ際に彼女を押し倒してしまっただけである。結果としてレッド・サードの閃光から助ける事になったが、狙ってやった訳ではなかったので礼を言われてシルフは気まずそうに笑って誤魔化した。

 

 そんなシルフが突然悲鳴を上げる。同時にサフィーアは自分に向けて強く向けられる殺意の存在に気付いた。

 顔を上げるとそこにはこちらに向けて変移した腕を振り上げているレッド・サードが目に入る。サフィーアは迎え撃ちたかったが、俯せの状態からではまともに相手をする事が出来ない。横に転がれば回避する事は出来ようが、シルフがしがみ付いているのではそもそも動きようがなかった。彼女を蹴り飛ばせばぎりぎり何とかなるかもしれないが、サフィーアにそんな乱暴なこと出来る筈もない。

 

 万事休すかと思われたその時、レッド・サードの背後から二本の剣を構えたブレイブが躍り掛かった。

 

「こっちだぁぁぁっ!!」

「Gurururu!!」

 

 背後から振り下ろされた二本の刃を、振り返ったレッド・サードはマギ・コートで強化した腕で防ぐ。

 瞬間、深紅の眼球に魔力が集まったのをサフィーアは見逃さなかった。

 

「ダメ、離れてッ!?」

 

 今度は間違いない、以前も目にしたのと同じ閃光を放つつもりだ。それが分かったサフィーアは即座に彼に警告を発するのだが、ここでレッド・サードは思いもよらぬ行動を取った。刃から手を放し、防御を捨ててブレイブの腕を直接掴んだのだ。

 防ぐ事を止めた為彼の刃がレッド・サードの体を切り裂くが、そんな事はお構いなしだった。何しろ奴にとって重要なのは本体である額の眼球のみ。余程大きな損傷でもない限り、多少のダメージは奴にとってダメージたり得ないのだ。

 

「ぐっ!? こいつ、放しやがれ!?」

 

 凄まじいパワーで掴まれた腕から激痛が走り、ブレイブの表情が痛みに歪む。幸いなことにマギ・コートで強化していたので腕が引き千切られるどころか骨が折れる事も無かったが、両腕を至近距離で掴まれてしまっては振り払うことも出来ない。

 サフィーアは援護したかったが、立ち上がって攻撃するよりも閃光が放たれるのが早かった。

 

 案の定、眼球にはあっと言う間に魔力が集まり、次の瞬間には閃光が放たれブレイブの体を穿とうとしていた。

 

 サフィーアの脳裏に、閃光で体を突かれそのまま切断されるブレイブの様子が過った。

 

「駄目ぇぇぇっ!!?」

 

 サフィーアが叫ぶ中、クレアは限界近くまで来た体に鞭打ってせめて照準だけでも逸らせようと魔法で火球を放とうとした。

 だが彼女らが何かするよりも先に、レッド・サードの深紅の眼球が突然弾け飛んだ。

 

「うをっ?!」

「…………え?」

「は?」

 

 突然の事にサフィーアとクレアは脳の処理が追い付かず呆然としていた。その間に本体を失ったレッド・サードはブレイブを解放し力無くその場に崩れ落ちた。

 後に残されたのは、眼球が弾けた際に飛び散った返り血を浴びてしまったブレイブと、その様子を呆然と見つめているサフィーア達のみ。

 

「え? 何今の? 魔力溜めすぎてパンクしたの?」

「今のは…………銃撃?」

 

 あまりにも衝撃的な事の連続に少々幼稚な事を口にしてしまうサフィーアだったが、対してクレアは現実的な結論を口にした。一瞬の事だったので聞き逃しかけたが、あの瞬間一発の銃声が耳に入っていた。つまり、誰かがレッド・サードの弱点でもある眼球を撃ち抜いてくれたのだ。

 

 ではそれは一体誰なのか? その答えは程無くして明かされた。

 

 突如として静寂が訪れた森の中から、藪を踏んでこちらに近付いてくる音が聞こえる。動ける者が一斉にそちらに目を向けると、森の奥から一人の男性が姿を現した。

 

 年の頃はサフィーアより少し年上位だろうか。理知的な顔にはこちらを安心させる為か薄く笑みが浮かんでおり、事実サフィーアは彼から敵意を感じなかった。

 恰好はこの場には少々不釣り合いなスーツ姿。だが手には先程発砲したのだろう、銃口から硝煙を立ち昇らせるライフルが握られている。ほぼ確実に傭兵だろう。あまり多くはないが、傭兵の中にはスーツの様なフォーマルな恰好をした者も居る。

 

「えっと、誰?」

 

 サフィーアは突如として現れた男性に問い掛けた。助けてくれた事には素直に感謝しているが、登場があまりにも突然すぎる。まずは名前だけでも教えてもらわなければ、頭が状況を整理できない。

 

 だが彼女の問い掛けに対する答えを口にしたのは、意外な事に彼ではなくクレアの方であった。

 

「久しぶりね、カイン。で? あんたこんな辺鄙な所で何してるのよ?」

「折角の再会なのに、いの一番に出てくる言葉がそれかい? もうちょっとムードのある言葉を期待してたんだけど」

「何を、今更……」

「え? え? 知り合い、なんですか?」

 

 余りにも親しげな二人の様子にサフィーアが問い掛けると、二人は意味深な様子で互いに笑みを浮かべるのだった。




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第34話:帝国の皇女

読んでくださる方達に最大限の感謝を。


ムーロア帝国・帝都『シーヴルズ』

 

 ムーロア帝国は、皇帝であるゼンガー・E・ムーロアを頂点とした独裁国家である。国民は須らく彼に対して忠誠を誓い、逆らう者はなんであれ反逆者として処分されてきた。現皇帝のゼンガーは特に苛烈な弾圧を行う事で有名であり、その凄惨さは内外問わず暴君と言われるほどであった。

 特に支配した占領地域での反乱に対しては異常なまでに徹底しており、一人でも反抗的な態度を取ったら最期、その人物と関係のある者が軒並み公開処刑にされるほどである。

 

 そんな皇帝だからか、その息子である第一皇子グラーフ・P・ムーロアも過激な人物であった。齢18歳と言う若さにして帝国軍の軍団の一つを任された彼は、皇族としての権威を笠に着て治安維持の名目で父親に匹敵する程の弾圧を行っていた。寧ろ直接指揮する分、場合によっては皇帝以上に過激な部分もあった。

 

 ところが、彼ら二人に対してグラーフの姉に当たる帝国第一皇女グラシア・P・ムーロアは全く逆の人物であった。即ち、慈愛に満ち力による弾圧を善しとせず施しと救済に力を注いだ、極めて穏健主義な人物だったのだ。

 彼女は絶えず帝国領各地にて、支配による貧困に喘ぐ占領地域の民――下民に対して、皇女として与えられた権限をフルに活用し彼ら下民の生活が少しでも豊かになるように努力していた。当該地区の税制や雇用制度の見直し、物資の援助、更には占領地域で強権を振りかざし下民を抑圧する帝国軍人に対し、皇女の権限を以て止めさせたりもした。

 その姿勢と行動から支配地域の中には彼女を聖女として慕っている者も居たが、対して帝国の重鎮達からは白い目で見られていた。何しろ国是が弱肉強食であり、武力によって支配した者達から搾取する事が当たり前の帝国においてその真逆の道を、よりにもよって次代皇帝の位置に居る者が往っているのだ。これまでの搾取で良い思いをしてきた帝国重鎮や上級国民である貴族達が良い顔をする訳がない。中には彼女の事を、絶えず各地を回る様子から巡業姫などと呼び裏で貶す者も居た。

 

 そんなグラシアだが、この日は珍しく帝都に戻ってきていた。

 久々の生まれ故郷だと言うのに、宮廷内を歩くその表情は険しい。それもその筈で、この日彼女が態々宮廷に赴いたのは父であるゼンガー皇帝に直談判する為であった。

 

 宮廷内の会議室に辿り着くと、グラシアは扉を撥ね飛ばす勢いで押し開けた。派手な音を立てて開かれた扉に、室内に居た帝国重鎮達が一斉に彼女の事を見る。その中には当然、皇帝であるゼンガーの姿もあった。

 グラシアは周囲の視線を無視し、真っ直ぐゼンガーの元へと向かっていく。

 

「何だ、今は会議中だぞ」

「申し訳ありません。ですが、どうしても父上に直接お訊ねしたい事が」

 

 ゼンガーから冷たい声が響くが、その声に怖気付く事無く近付いていく。そして彼の隣に立ったグラシアは、彼の目を見つめながら力強く訊ねた。

 

「率直にお訊ねします。父上は本当に共和国を相手に開戦なさるおつもりですか?」

「お前には関係ない事だ」

「何を仰るのですか!? ナバウル樹海のエルフ達とも争い続けている現状、帝国に共和国と事を構える余裕があると本気でお考えなのですか!? いえ、それ以前にナバウル樹海への侵攻もお止め下さい!」

 

 現在、帝国軍は大陸南部に広がる巨大な森林『ナバウル樹海』、そこに住まうエルフ達を相手に戦争を仕掛けていた。名目は樹海と帝国領に跨る地域に存在する地下資源の採掘権を巡っての紛争だが、実際には豊富な天然資源を有するナバウル樹海そのものへの侵略である。

 

 帝国は世界有数の技術大国だが、その反面天然資源の埋蔵量は驚くほど少なくその殆どを他国からの輸入に頼っていた。対して、ナバウル樹海は自然との共存を生活の基部とするエルフの方針からか開発が殆ど行われておらず、その地下には豊富な天然資源が眠っている事が明らかとなっている。

 その資源は帝国からすれば喉から手が出るほど欲しい物であり、樹海を全て手中に収める事が出来ればその技術力と合わさって世界最大の力を持つ国家となるであろう。

 

 勿論エルフ達がそれを許す訳がない。自然との共存を第一に考えているが故に技術分野の開発も遅れ気味なエルフだが、魔導分野に関してはその限りではなく彼らが扱う弓矢に代表されるように魔力と合わせることを前提とした技術に関してはどの国よりも優れている。その技術を以てして彼らは帝国の侵略に抗い続けていた。地の利を生かしている事も大きいだろう。

 だがそれでも帝国の軍事力は強大だった。帝国軍はナバウル樹海を着実に侵略しつつあり、既に樹海西部の大部分は帝国軍の制圧下に置かれている。

 

 しかし逆に言ってしまえば樹海中央から東部は未だエルフの領土であり、彼らは未だ抵抗する力を残していた。帝国軍の方も攻める力はまだあるが被害も決して小さい訳ではなく、紛争の負担は着実に平民や下民達に重く圧し掛かりつつあった。

 

 そんな中で共和国とまで戦端を開いてしまえば、国民に掛かる負担は更に大きくなり下民どころか平民にすら飢える者が激増してしまう。今でさえ下民には食うにも困っている者が多くおりグラシアは彼らを救済すべく奔走しているのだ。この上共和国とまで戦争を始めたら彼女でも手が回らなくなる。

 だからこそ彼女は、戦争を思い留まらせるべくこうして帝都まで戻ってきたのだ。

 

「このままでは平民や下民達に多大な犠牲が出てしまいます。どうか、どうか考え直してください!」

「事は軍事に関わる事だ。お前の出る幕ではない」

「ですが――」

 

 尚も食い下がろうとするグラシアに対し、ゼンガーは冷たい視線を向けながら口を開いた。

 

「大体お前はこんなところに居る暇など無いだろう。与えた使命はどうしたのだ?」

「ッ!? ですから、その為にも――――!?」

 

 ゼンガーからの指摘に一瞬言葉を詰まらせるグラシア。彼女に与えられた使命とは、占領地域に対する慰撫工作。即ちそれまで自己の判断で行ってきた貧困に喘ぐ者達への救済である。

 成人する前まではゼンガーの言葉も聞かず勝手に行動し、皇女としての権限を振るって行ってきたそれを成人してからは直々に命令として行うように指示されたのだ。それ自体は別にいい。やる事は何も変わらないのだから、寧ろ命令として行う事が出来るなら何の後ろめたさも感じる必要もない。

 

 だが、それは明らかに彼女を中央から遠ざける為の方便に過ぎなかった。こうして理由があって帝都に戻ってきても、何かにつけてこの事を理由にゼンガーは彼女を半ば追い出す様にして各地に飛ばしていた。これが未成年時の自己判断で動いていた時ならばともかく、成人して正式に皇族の一員として動かなければならなくなった今、彼女にその言葉に抗う力は存在しない。出て行けと言われれば出ていかなければならなかった。

 

 悔しそうに俯き歯噛みするグラシア。その様子を重鎮の一人が嘲笑う様に眺めつつ声を掛けた。

 

「皇帝陛下の仰る通りです。皇女殿下はこの様な所で油を売ったりせず、早く巡業に戻られてはいかがですかな?」

 

 重鎮の嘲りに、グラシアは鋭い視線を向けた。彼女も、自分が陰で巡業姫などと呼ばれて蔑まれている事は知っていた。その事に対して何かを言うつもりはない。各地を回る事で忙しい彼女には、そんなものに構っている暇はなかったのだ。

 だが正面切って悪口を言われたとなれば話は別である。流石にこの距離で、しかも除け者にしようという魂胆と共に吐き出されれば彼女と言えどもカチンとくるものはあった。

 

 しかし、他の重鎮が彼を責める事は無い。何故なら彼らも皆同じ思いだからだ。この場に居る重鎮や軍の高官、果ては帝国貴族など、彼女に悪感情を向けている者は数多くいる。

 

 とは言え、彼女は曲がりなりにもこの帝国の第一皇女、即ち次代の皇帝候補である。そんな人物に無礼な態度を取って、黙っていない者がこの場には居た。

 

「ここは帝国の今後を決める厳正な場です。如何に皇女と言えども、ぐっ!?!?」

 

 突然、グラシアに対し無礼な言動を口にした重鎮が苦しみだした。彼はない筈の首元を掻きむしり、空気を求めて死にかけの金魚の様に口をパクパクさせた。

 

 その様子にグラシアが弾かれたようにゼンガ―の背後に目をやると、そこには燕尾服を着た一人の男性が重鎮を無機質な目で見つめていた。

 

「皇族への無礼な物言いは万死に値する」

「止めなさいシェード!?」

 

 グラシアは燕尾服の男、皇帝直属の第一近衛騎士隊隊長のシェードに向けて慌てて制止を呼び掛けるが、彼はまるで聞く耳を持たない。彼が掲げた右手を握る様に動かすと、重鎮の顔が更に苦痛に歪む。

 それを見たグラシアが彼を止めようと飛び出し――――

 

「止めろシェード。放してやれ」

 

 直後にゼンガ―が命じると、重鎮は即座にシェードが行った何かから解放されせき込みながら机に倒れこむ。グラシアはそんな重鎮に駆け寄ると、労わる様に抱き起こしその背を擦った。

 つい先程まで自分を侮辱していた相手を即座に労わる彼女を見て、しかしゼンガ―は全く表情を変えずに冷たく言い放つ。

 

「もう一度言う。さっさと自分に与えられた使命に戻れ。それすらできない者の言葉を聞く気はない」

 

 実の父からの冷たい言葉にグラシアは彼を一瞥すると、沈痛な面持ちで顔を伏せゼンガ―に対し一礼しその場を立ち去って行った。

 

 自らの力が及ばぬことに肩を落として立ち去るグラシア。彼女の姿が扉の向こうに消えた時、軍の高官が吐き捨てるように呟いた。

 

「栄えある帝国の次代皇帝候補が、よもやあんな平和主義者とは。このままで宜しいのですか、皇帝陛下?」

「無礼を承知で言わせていただきますが、私も同感です。グラシア皇女殿下の穏健主義は我が国に悪影響を及ぼしかねません」

「前線の将兵からも、略奪を強権を持って押さえつけられて不満の声が上がっています」

 

 軍の高官に続いて重鎮たちが口々にグラシアに対する不満を口にした。貧困に喘ぐ者に施しを与える程度ならまだしも、弱者からの搾取・略奪が当たり前となっている国でそれを制限されるのは非常に厳しいものがあるのだ。特に前線で戦う将兵たちにとって、占領地での略奪は最高のガス抜きであった。それを皇女の権限を以て制限されるのだから、士気も下がろうというものだ。

 

 ゼンガ―は、一頻り重鎮達からの不平不満を聞き終えると相も変わらず底冷えするような表情を崩さず口を開いた。

 

「ふん。たかが小娘一人の力で何ができると言うのか。放っておけ」

「ですが、先程申し上げましたように前線の将兵からは不満の声が挙がってきています。このままだと、士気の低下で思わぬ敗退を喫する危険があります」

「貴様、それは本気で言っているのか?」

 

 重鎮の一人の言葉に、ゼンガーは目を細めて睨み付けた。その視線に晒された瞬間、その重鎮は一気に顔を青ざめさせた。自分の発言が余りにも迂闊てあったことに気付いたのだ。

 

「高が不満一つで敗北するほど、我が軍の将兵は脆弱だと、貴様はそう言いたいのか?」

「い、いえッ!? 申し訳ありません、失言でした!?」

「二度目はないぞ」

 

 最後に放たれた言葉に身を小さくし震え上がる重鎮を尻目に、ゼンガ―は周囲を見渡す。これは警告だ。冗談でもはったりでもなく、次に帝国の勝利を疑うような発言をしたら誰であれ命は無いぞ……という事をその目は如実に物語っていた。

 事実、彼はそれを躊躇せず実行するだろう。それはこの場の誰もが良く知っていた為、全員が一様に顔を青くさせたり冷や汗を流していた。

 

 重鎮達の様子に特に満足そうな素振りも見せず、ゼンガ―は全員に向け言い放った。

 

「開戦の時は近い。まずは共和国、次に連邦。他逆らう者は全て叩き潰せ。世界に我が帝国の底力を見せつけ、世界を帝国の色で染め上げるのだ!」

 

 ゼンガ―の宣言に、重鎮達は胸に手を当て揃って最大限の敬意を払った礼をする。

 

 そんな彼らの敬礼を、ゼンガ―は赤く光る眼で眺めていた。

 

 

***

 

 

 一方、半ば追い出されるような形で退室したグラシアは、肩を落としながら廊下を歩いていた。

 結局何の成果も得られなかった。共和国との開戦を思い留まらせることも、ナバウル樹海への侵略を止めさせることも出来なかった。己の不甲斐無さに、彼女は自分でも気付かぬ内に強く拳を握り締めていた。

 

 そんな彼女の様子に気付き、その手をそっと取って握られた拳を解きほぐす者が居た。

 

「姫様、お気持ちは察しますが、あまり気に病み過ぎないよう」

「サイ……」

 

 握り締められたグラシアの拳をほぐしたのは、黒いコートの上に所々に深紅の鎧を身に付けた青年だった。彼の姿を見て、彼女の表情が若干だが和らぐ。

 

「ごめんなさい、見苦しい姿を見せてしまって」

「何を仰います。貴女を支えるのが騎士である私の仕事、何を気にすることがありましょうか」

 

 青年、サイ・F・ハイペリオンはグラシア直属の第二近衛騎士隊の隊長である。帝国の名門貴族の一つであるハイペリオン家の長男であり、家柄だけでなく優れた剣の才によってグラシアの護衛の地位に就いた男であった。

 その実力は帝国最強とも称されるほどであり、皇帝ゼンガーの直属の騎士シェードをも超えていた。

 そんな彼だが、グラシアと行動を共にして長いからか、それとも生来の性格からか帝国の貴族としては意外な程紳士的であり、自分より格が下の相手を見下したりはしない。彼の生き様は正に姫君を守る一人の騎士、戦いに於いても決して不意打ちに出たりせず正面から正々堂々と相手と相対する。

 彼の使命は言うまでもなくグラシアを守り、時にはその剣となって彼女の敵となる者を斬り捨て打ち払う事にあった。だがそれ以上に、彼はグラシアを精神的にも支える事を己の使命としていた。

 

「ところで姫様。この後は――――」

「勿論、直ぐに発ちます。ゆっくりしている暇はありませんから」

 

 迷いなく紡がれた言葉に、半ば予測していたとは言えサイは苦虫を噛み潰したような顔になる。彼女は優し過ぎる。それこそ味方だけでなく敵が傷付く事にも心を痛めてしまうほどに。

 だからこそ、だろうか。彼女は平気で無茶をする。それこそ本当に心身共に削る勢いで行動し、貧困と圧政に喘ぐ民を救済する為に奔走していた。彼女は他者を助ける為なら、己の身や立場を一切顧みないのだ。

 

 だがその姿勢は彼女を敵視する者からして煩わしい事この上なく、彼女を慕う者からすれば何時か倒れるのではないかと気が気ではなかった。

 

「せめて、一日だけでも休まれてはいきませんか? 折角宮廷に戻ってきたのです。多少英気を養われても……」

「こうしている間にも、苦しんでいる帝国の民が居るのです。彼らを差し置いて私がのんびりしている訳にはいきません。それに……」

 

 グラシアはそこで唐突に口を噤んだ。まるで喉まで出掛かった言葉を飲み込むように一度俯くと、再び顔を上げ前を見据えた。

 

「これは私の責任でもあります。皇帝である父によって苦しむ民が出たのなら、それを救済するのが皇女である私の務めです。その為になら、この程度の事苦でも何でもありません」

「皇女殿下」

 

 きっぱりと言い切ってみせるグラシアだったが、サイはそんな彼女を呼び止めると肩を掴んで自分と向き合わせ、彼女の両手を取って目を見つめながら口を開いた。

 

「せめて、お願いですからせめて、私の前では無理をしないでください。貴女が思っている以上に貴女を慕う者は多く居ます。私も、私の部下たちもそうです。皆貴女が好きなのです。その貴女が無理をして倒れたりしたら、誰もが心配で心を押し潰されてしまいます。ですから姫様、せめて私の前でだけは、心を砕いては下さいませんか? 例え何の解決にならなくても、吐き出すだけで楽になると言う事もあります。意地でも休みたくないと言うのなら無理強いはしません。ですがせめて、弱音だけは吐いていただけませんか? 貴女が無理をしていないと言う事だけが私の、私達にとっての安心なのですから」

 

 真正面からそう言われ、グラシアの頬に朱が差す。その様子は傍から見たら、騎士が姫君にプロポーズをしている様にも見えた。事実、彼らは騎士と姫君だ。彼の真意は分からないが、少なくとも彼が彼女に並々ならぬ想いを向けている事だけは理解できた。

 

 グラシアは頬を染めたまま暫し目を閉じる。視界を閉じることで手から伝わる彼の体温がより強く感じられた。その温かさが、先程の会議室でささくれ立った彼女の心を穏やかにしてくれる。

 

「ごめんなさい。貴方には何時も苦労を掛けます」

「それが私の仕事です。それに、この位苦でも何でもありません。寧ろもっと頼ってください。その方が私も彼らも安心できます」

 

 そう言ったサイの後ろには、何時の間にか彼と同じく深紅の鎧を纏った者達が佇んでいた。彼らこそ、グラシアを護る為に存在する第二近衛騎士隊である。

 頼もしい彼らの存在に、グラシアの表情も緩む。

 彼女の肩から力が抜けた様子に、サイも少し安心した様子で口を開いた。

 

「さぁ、ご命令を。私達は何処までも貴女と共にあります」

 

 サイがそう告げると、騎士隊の面々が一斉に背筋を伸ばし直立不動の体勢を取った。彼らの姿にグラシアは一つ頷くと、再び歩き出した。その歩みに迷いはない。何しろ彼女には、頼れる騎士が居るのだから。どんな困難が待ち受けていようと、彼らが居れば大丈夫だ。

 

「行きますよ。まずはサイクスに向かいます」

 

 

***

 

 

 その頃…………

 

「え~っと? 何処だっけ?」

「サイクスだよ。現地で依頼人が待ってる」

「因みに帝国領よ。何時も以上に気合を入れていきなさい」

 

 それは偶然か必然か。

 

 いずれにしても、邂逅の時は近かった。




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第35話:意外と身近な交渉相手

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イート・傭兵ギルド支部

 

 ディットリオ商会からの襲撃を退け、更にはエリザベートが持ち込んだ赤眼によって生まれたレッド・サードをも倒したサフィーア達は、それから二日後にビーネと共に遺跡絡みの国際機関――国際古代文明解析委員会――がやって来てクロード商会に占有権があると認められた時点で依頼達成となった。

 依頼を達成した彼女達はビーネと共にイートに戻り、ギルド支部にて達成の報告と報酬の受け取りを済ませる事となる。

 

 因みに、ブレイブ、ポール、ミランダの三人もこの時一緒にイートまで戻ってきていた。彼らが依頼を受けたのは別の街での事なのだが、予定されていた迎えが来なかったのだ。恐らく依頼を達成した場合の彼らの回収兼達成の成否を確認する為の監視が居たのだろう。遺跡の確保に失敗したから、ディットリオ商会の手の者は彼らを見捨てたのだ。

 このままでは彼らは森の中に取り残されてしまう。一応敵対した間柄ではあるが最終的には味方と言っても差し支えない位にまでなった彼らを、サフィーアは見捨てる事が出来なかった。駄目元でビーネにブレイブ達を一緒に連れていく事が出来ないかと懇願すると、意外なほどあっさりと許可が下りたのだ。

 当然ながらアイラなどは彼らを連れていく事に難色を示していたが、そこはビーネが多少無理を通して彼らの同行を許可したのだった。

 

 恐らくだが、ビーネ的には恩を売った形になるのだろう。こうして何かしらの形で関わりを持つことで、いざと言う時に依頼を受けてもらい易くしておくのだ。

 こういうところでの強かさが、クロード商会を大手の商会として名を馳せさせた要因なのだろう。

 

 そのブレイブ達は、イートに到着するなり乗り合いバスで依頼を受けた街に向かおうとしていた。

 

「もう行っちゃうんだ?」

「まぁな。依頼失敗の報告に行かなきゃならねえし。それにあんまり長くここに居ると、面倒が舞い込んできそうだ」

「あ、あはは……」

 

 サフィーアは彼の言葉に思わず乾いた笑い声を上げてしまった。

 勘の良い彼はビーネの思惑と、彼女に関わると面倒が増えることに気付いたのだろう。逃れられないくらいがっちり掴まれる前に早々に街を離れるつもりのようだ。賢明な判断だろう。何しろ彼女は言うほど異例と言うほどでもない速度でランクを上げたサフィーアの何かを気に入り、半ば抱き込んでいる状態なのだ。彼女以上にベテランで腕も立つブレイブともなれば、ビーネから狙われるのは必須であった。

 

 だが、彼の判断を懸命に思う反面、ここで分かれるのを惜しむ気持ちも彼女にはあった。

 

「でも、これでお別れってのも、何だか残念ね。折角一緒にランドレーベの討伐までしたってのに」

「傭兵なんざそう言うもんだろ? 所詮、一期一会さ」

 

 口ではそんな事を言っているブレイブだが、サフィーアの能力は彼も心の内で後ろ髪を引かれている事を伝えてくれていた。

 それを知りつつ、彼女は敢えて彼を引き留めるようなことは言わない。それは、少し卑怯な気がしたのだ。

 

 だから彼女は、普通に彼と別れを惜しむだけに留めた。

 

「しょうがないわよね。ま、次に会えたらその時は最初から仲間として組みたいものね」

「俺としちゃ、また敵として会いたいがな」

「あらどうして?」

「決着がついてねえ」

 

 最初に対峙した第一戦目ではサフィーアの圧倒的敗北だったが、第二戦目はランドレーベの乱入により勝負がお流れになってしまった。

 

 それは気持ちが悪い。そんな決着を彼は望んでいない。彼が求めるのは、何の横槍も入らない堂々とした決着なのだ。

 故に彼は、サフィーアとのちゃんとした再戦を望み彼女との敵対を願っていた。そこにあるのはいっそ清々しいくらいに純粋な闘争心だった。

 

 あまりにもシンプルで、直球な彼の在り方にサフィーアは思わず吹き出してしまう。その彼女の反応にブレイブはムッとした顔になった。

 

「何だよ、脳筋とでも言いてえのか?」

「ううん、そうじゃないの。ごめんね、馬鹿にしたんじゃないわ。そうね、決着は大事よね」

 

 一頻り笑うと、サフィーアは拳を突き出してブレイブに対し宣戦を布告した。

 

「次は、あたしが勝たせてもらうからね。それまで誰かに負けるんじゃないわよ」

「言ってろ。次も勝ち越させてもらうから覚悟してな」

 

 サフィーアからの宣戦布告にブレイブは挑発的な笑みを浮かべながら、彼女の突き出した拳に自身の拳を軽くぶつけた。

 

「じゃあな、サフィーア」

「サフィでいいわ。そっちの方が呼び易いでしょ?」

「そうかい。そんじゃ、またな……サフィ」

「ん。元気でね」

 

 互いに別れの挨拶を告げると、ブレイブはポールたちが居る乗り合いバスの停留所へと向かっていった。

 去っていく彼の背を暫し眺めて、サフィーアも踵を返してその場を立ち去っていく。その彼女の良く先にはクレアが待っていた。

 

「すみません、待たせちゃって」

「いいのいいの。ああ言うのも大事だからさ」

「何時かは轡を並べて戦うかもしれないから、ですよね?」

「そう言う事。さ、行きましょ。カインが待ってるわ」

 

 クレアはサフィーアを伴ってギルドの支部へと向かっていった。そこでカインが、次の依頼に関する話し合いの為に待っているのだ。

 

 

***

 

 

 時は少し遡り、遺跡からイートへと戻る道中の車内での事だ。

 レッド・サードの眼球を一撃で撃ち抜いた彼――カイン・D・シュバルツから一つの誘いを受けたのである。

 

「サイクスに?」

「そうそう。そこのレジスタンスに指名で依頼を受けてね。ビーネ会長からの依頼が先に来てたからそっちは今保留になってるんだけど」

「で? あたし達にその依頼に付いて来て欲しいと?」

「いやぁ、君が居るとは思ってなかったんだけどね。運が良かったよ。君が居てくれれば心強い」

「まだ受けるなんて言ってないわよ」

 

 あの後クレアから聞いたのだが、どうやらこの二人は昔パーティーを組んでいたことがあったらしい。色々と訳あってパーティーは解散し、クレアはサフィーアと出会うまでソロで活動していたのだとか。

 そのカインだが、名前を何処かで聞いたことがあると思っていたら最近シルフから聞いた覚えておくべき二つ名ありの傭兵、魔銃士カインその人だった。まさかこんなに早く遭遇する事になるとは思ってもみなかったので、サフィーアは最初彼と魔銃士が同一人物とは思っていなかった。

 

 それは兎も角としてだ。カインはクレアと落ち着いて話せる環境が整ったとみるや、彼女を彼が保留にしている別の依頼に誘ったのである。

 これは別に珍しい事でも何でもなく、依頼の達成率を上げる為に知り合いの傭兵を誘うのはよくある事であった。ただし、報酬が個別に貰えるか折版になるかは依頼人次第なのでその都度交渉が必要になるが。

 今回彼が持ってきた依頼は帝国に占領されている地域のレジスタンスからのものなので、まず確実に報酬は折半する事になるだろう。稼ぎとしてはあまり期待できそうにない。

 

 因みにだが、彼はクレアがサフィーアと新たなパーティーを組んでいる事に対して特に深く突っ込むことはしなかった。それどころか彼女も共に依頼を受ける事になる事を歓迎している様すらあった。

 

 不可解な彼の思考に首を傾げるサフィーアを余所に、カインはクレアと話を進めていく。

 

「詳しい事はイートの支部で話すけどさ、一緒に受けちゃくれないかな? 勿論報酬はちゃんと折半するよ」

「う~ん、報酬の折半は兎も角として、今更あんたと組むのもねぇ」

 

 カインは柔らかな笑みと共に誘いを掛けているが、それに対するクレアの表情は正直芳しくない。そこには単に一度解散した嘗てのパーティー仲間と組むのが気まずい、と言うだけでは済まない何かがある様にサフィーアには思えた。どうやらこの二人には何かしら複雑な事情があるらしい。それを敢えて訊ねるような真似はしないが、その疑問はサフィーアの中に僅かながらもしこりとして残る事となった。

 

「欲を言えば、また君とパーティーを組みたいとも思ってる」

「ん~~…………」

 

 クレアの表情は何処か浮かない。どうやら相当気が進まないようだ。何時もはサバサバとしている彼女の珍しい反応に、サフィーアはちょっと得した気分になった。

 

 とは言えこのままだと話が進みそうにない。義理は無いが、さりとて車内の空気が重いままなのはサフィーアとしても望んではいないのでカインに助け舟を出すことにした。

 

「あたしは、ちょっと興味あります。帝国って行ったこと無いんで」

「サフィ……言っとくけど、今回は前にイートの近くの森での時とは訳が違うからね。正規の帝国軍を相手にするのよ。その事を分かって言ってる?」

「ちゃんと分ってる…………って言ったら嘘になるかもしれません。ただ、見てみたいんです。色々な世界ってのを」

 

 自分で言ってて恥ずかしくなる気取った理由だが、そういう気持ちも確かに彼女の中には存在した。何よりも彼女は、冒険に興味があったのだ。寝物語に父から聞かされた、戦いと冒険の日々。彼女はそれに憧れて傭兵となる道を選んだのだから。

 

「だめ、ですかね?」

「まぁどうしてもって言うなら無理強いはしないけどね。ただ同行者は歓迎だから、来たいって言うサフィは一緒に来てもらうけど」

 

 上目遣いでサフィーアに見つめられた事と、言外に仲間外れにする事をカインに告げられて遂にクレアが折れた。

 

「分かった、分かったわよ。流石にサフィをカイン一人に任せて帝国に送り込む訳にはいかないし、私も付いていくわよ。ただし、パーティーを組む訳じゃないからね。そこんところ履き違えないでよ?」

「もちろん、それで十分さ。君が居れば心強い。詳しい事は、イートに着いてから話すよ」

 

 カインはそう言うと、サフィーアに向けて笑みを浮かべながらウィンクしてみせた。その様子はまるで悪戯が成功した子供のようでもあり、それを見たサフィーアはこちらも笑みを浮かべながら彼に向けて親指を立ててサムズアップするのだった。




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第36話:ご契約は計画的に

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 時は戻って、イートに到着したサフィーアがブレイブとの別れを済ませた後。

 

 サフィーアとクレアの二人は、ギルド支部の待合スペースにてカインと相対していた。彼は二人が到着したのを見ると、一度席を立ち二人の分の飲み物を用意してから本題に入った。

 

「まずは、お礼を言わせてくれ。手を貸してくれてありがとう。特にクレア、何度も言うけど君が来てくれるのは本当に心強い」

「あ~、はいはい。そう言うのはもういいから。それよりも、仕事の話をしましょ」

 

 カインからの感謝の言葉を適当に流し、クレアは依頼の話を促した。変に素っ気無いのは、心の何処かではまだ今回の依頼を受ける事に気が進んでいないからだろうか。殆ど無理やり同行させることに加担した事になる身としては、サフィーアは彼女に申し訳なさを感じずにはいられなかった。

 とは言え最早手遅れ、ここまで来て今更謝るのもお門違いと言うものだ。毒を食らわば皿まで、依頼達成までクレアを付き合わさなければ。

 

「サイクスでレジスタンスに協力するのよね? 具体的に何をするの?」

「具体的には、現地で猛威を振るってる帝国軍を撃退する事だね。あそこは比較的最近帝国に占領された場所だから、帝国軍の配備も完全じゃない」

「今なら軍を撃退して、独立を再度勝ち取れるって訳ね。でもそう上手くいくかしら?」

「さぁね。そこは僕らの感知するところじゃないよ」

 

 クレアの疑問をカインはバッサリと両断する。些か無責任にも思えるが、さりとて一傭兵でしかない彼女達には政治に関わる問題は門外漢にも程がある。そして傭兵が長生きする為の秘訣の一つは、自分の力や知識の及ばない事に首を突っ込まない事にあった。時々居るのだ、余計な事に首を突っ込み過ぎた結果寿命を縮める輩が。

 そこら辺を弁えている辺り、やはり二つ名持ちは違うと言う事だろう。クレアとも旧知の仲の様だし、見た目の割に傭兵生活は長いのかもしれない。

 

 人を見た目で判断してはいけないのだ。

 

「で、出発は何時?」

「準備が出来次第、早ければ明日にでもだね。先方からは少しでも早く来てほしいって言われてるから」

「今更だけど、指名してきたとは言えよく保留させてくれたわよね?」

「勿論無条件ではないけどね。期限内に正式に依頼を受けなかった場合、保留は取り下げて別の傭兵を指名する事になってたんだ」

 

 カインは間に合って良かった、と暢気に言っているが当然どの傭兵でも通じる事ではない。大して名も売れていない傭兵に保留を許す者は居ないだろう。二つ名を持つほどの腕と、それを実証する信頼と実績があるからこそ出来る事だった。

 

 尤も、サイクスのレジスタンスがカインの保留を認めた理由はそれだけではないだろう。彼らは帝国軍の現状を鑑みて、今なら戦力の増強は無いと判断したのだ。

 

「まぁ帝国軍は今ナバウル樹海のエルフ達ともドンパチやってる真っ最中だからね。それに加えてあちこちにちょっかい掛けてるもんだから、サイクスみたいに最近占領したばかりの所にはあまり手が回らないみたいだよ」

「それでも周りの国にちょっかい掛けてるんだから、本当に何考えてるのかしらね?」

 

 クレアの言葉にサフィーアは同意するように頷いた。これは彼女だけの意見ではなく、帝国周辺の各国が共通して抱く疑問だろう。確実に勝てる程圧倒的な国力があるならともかく、帝国は資源的には共和国にも連邦にも劣っている。そんな国が、言うなれば世界相手に戦争を吹っ掛けて勝てるかと聞かれたら多くの者が『勝てない』と答えるだろう。

 にも拘らず帝国は周辺国にちょっかいを掛けるどころか、実際に侵略行為までしているのだから迷惑この上ない。

 

 尤も実際に侵略されている側の者達にしてみれば、迷惑どころの話ではないのだが……。

 

「で、今回はそんな帝国の迷惑行為の被害者からの依頼な訳だけどさ。この依頼って何を以て達成になるの? どういう条件で受けたのよ?」

 

 今回の依頼で一番不透明なのはそこだった。今回の依頼はある意味で傭兵と言う言葉にこれ以上ない程合致した依頼だが、戦う相手が帝国軍となると話は変わってくる。平時でも似たような依頼は度々発生するが、その場合敵はモンスターの群れや盗賊団など最悪撃退すればそれでお終いと言うものが多かった。そう言った相手は基本一時的なものであり、そうそう継続して襲撃してくることが無いのだ。

 だが相手が大国の帝国軍となると、一度撃退しても本丸が生きている内は何度でも襲撃してくるだろう。それも、撃退する度に戦力を増やして、だ。下手をすると何時まで経っても依頼が終わらないどころか、強大な戦力を前に押し潰されてしまうかもしれない。

 果たして今回の依頼は何を以てして依頼達成となるのだろうか?

 

「契約期間は最長一週間、達成条件は帝国軍の撃退か契約期間の満了だよ」

「あら、結構短いのね。ってことは、依頼主のレジスタンスは大した財力持ってないわね。まぁ小国のレジスタンスならそんなものか」

「そうではあるけれど……君、今日は随分と毒を吐くね」

 

 傭兵ギルドの存在によって傭兵との契約は非常に手軽に行えるようになったが、それと同時に問題となったのが個人による特定の優秀な傭兵の抱え込みであった。言うまでもない事だが傭兵にもピンからキリまでいる。その内優秀な部類に含まれる傭兵を、一部の者が独占する為に明確な契約期間を設けず長期に渡って雇い続ける事が昔あったのだ。

 ギルドに持ち込まれる依頼には様々なものが存在するが、その中には優秀な傭兵でないと達成できないものも存在する。そしてギルドとしては、達成されない依頼を残し続けるのは風聞的に宜しくない。依頼人あってこそのギルドである。その依頼人を不満にさせる様な事にならないよう、ギルドは傭兵を雇える期間に金銭的な制限を設け、雇う期間が長期間になればなるほど契約金が跳ね上がる様にしたのだった。

 これによって一部の者が優秀な傭兵を長期に渡って拘束し辛くし、優秀な傭兵に困難な依頼を達成してもらい易くすることに成功したのだった。

 

 だがこの制度は同時に、台所事情の苦しい依頼人の頭を悩ませる要因ともなってしまった。それ以前は多少金銭に余裕が無くても交渉次第で何とかなった長期契約が、ギルドによって明確に定められた高額な契約金を必要とするようになってしまったのだ。

 それでもやはり傭兵の力を必要とする者は居る訳で、結局のところ小さな集落や村、小規模な組織は手軽な値段の短期契約で済ませているのが現状だった。

 

 そう言った事情を知っているクレアだったので、今回の依頼人が帝国軍を相手にしようと言うのにあまり長期で契約を結ばなかったのを見て先方の財力と規模を大した事が無いと判断したのだが、その様子は普段の彼女を知るサフィーアからしても非常に刺々しいものであった。

 カインにその事を指摘された彼女は、一瞬唖然とした顔になると次の瞬間溜め息と共に自らの頬を軽く叩いた。

 

「あ~、うん、ごめん。ちょっとどうかしてたわ。今のは忘れて頂戴」

「まぁ誰にでも調子が狂う時はあるさ。それで、話を戻すけど――――」

 

 その後は、簡単に現地に向かうまでの予定などを話し合いこの日は解散となった。窓の外を見ると空は既に暗く、いい感じに夕食の時間となっていた。

 サフィーアは席を立つと、その足で宿の食堂に向かおうと歩き出した。その彼女の背に、クレアから声が掛かる。

 

「ごめんサフィ、今日は先に一人で食べててくれない?」

「へ? いいですけど、どうしたんですか?」

「ちょっと……ね?」

 

 そう言ったクレアは一瞬チラリとカインの方を見た。その視線で大体の事を察したサフィーアは、含みのある笑みを浮かべながら頷いた。

 

「分かりました。精々ごゆっくり~」

「いや、そんなんじゃないからね?」

 

 サフィーアの視線で彼女が考えている事を察したクレアが、弁明するように言うが今の彼女には通じない。クレアから感じる焦りの思念が逆に彼女の誤解を助長してしまっていた。

 

「わ~かってますって。それじゃあたしはお先に失礼しま~す」

「あの、だから…………もう」

 

 クレアの制止を聞かず、サフィーアはギルド支部を出る――――

 

 フリをして、物陰に隠れて建物の入り口をじっと見た。

 彼女の見立てでは、クレアとカインはただのパーティー仲間以上の関係だ。恐らくは男女の関係だろう。それが久々に再会し、しかも只ならぬ雰囲気になった。

 

「これはぜぇったい何かあるわよね。是非とも拝まないと」

「くぅん……」

 

 何も無い訳がない。きっと何かあるだろうと思い彼女は出歯亀する事を決めたのだ。

 当然褒められた行いではないので、横からウォールが呆れた目で彼女の事を見ていたが……。

 

 待つ事数分と経たず、あの二人はギルドの建物から出てきた。それを見てサフィーアはバレないようにその後を付けていくのだった。




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第37話:予想外の重さ

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 サフィーアが付かず離れずの距離を保ちつつクレアとカインの後を付いていくと、二人はとあるビルの角を曲がった先にある路地裏に入って行った。

 曲がり角に置かれているゴミ箱に気を付けながらサフィーアが路地裏を覗き込むと、そこで漸く二人は立ち止まり何やら神妙な様子で何事かを話している様子が見て取れる。幸いなことに今の時間は周りの人影も少ない為、余計な喧騒も少なく二人の会話が比較的聴き取り易かった。

 

「良かったよ、あんまり変わりがないようで。あの後一方的に解散した挙句気が付いたら一人で何処かに行っちゃってたから、もしかしたら何処かでうらぶれてるんじゃないかって心配してたんだ」

「失礼ね、そこまで弱い女じゃないわよ」

「そう思っちゃうくらい、あの時の君は危なっかしかったんだよ」

 

 カインの言葉にクレアはバツが悪そうに頬をかきながら黙り込んでしまった。サフィーアには詳しい事は分からないが、兎に角あの二人の過去には何やら只ならぬものがあるらしい。それも、あのクレアが酷く悩乱(のうらん)する程の何かが、だ。

 知りたい、そう思ってしまうのは仕方のない事だろう。思えばクレアは自分の過去を殆ど話したことが無かった。偶に気になって訊ねてみるのだが、返答は決まって『その内ね』だ。その時はあんまりしつこく聞くのも悪いかと言う事で追及する事はしなかったのだが、彼女の過去に対する興味はサフィーアの中で燻ぶり続けていた。

 そんな中で、これだ。突然目の前に降って湧いたクレアの過去が知れるチャンスに、サフィーアの心は釘付けだった。

 

 思わず身を乗り出して聞き耳を立ててしまうサフィーアだが、その瞬間カインの方から警戒する思念が飛んできた。慌てて身を引っ込めて隠れるサフィーア。カインが放つ警戒の思念は暫し彼女の近くを行ったり来たりしていたが、やがて気の所為とでも思ったのか警戒心を引っ込めてくれた。

 ホッと一息つくサフィーアをウォールがジト目で見つめ、カインの様子を不審に思ったクレアが声を上げる。

 

「どうかした?」

「ん? いや、何でもないよ。多分気の所為だ」

 

 そう言うとカインは気を取り直して、先程の続きを話し出した。

 

「で、話は戻るけど…………もう一度言う。また一緒にパーティーを組まないか? いや、そうじゃないな。もう一度、僕と組んで欲しい。僕は君が良いんだ。君以外考えられない」

 

 あまりにもド直球な言葉に、姿を見ず声だけを聴いているにもかかわらずサフィーアは頬が紅潮するのを感じた。なまじ色恋事に関わってこなかっただけに、余計に彼女には効いた。

 だがそれは言葉だけを聞けば、と言う話である。その本質は、実力者であるクレアと再び組んで依頼の達成率を上げるのが目的――――

 

「あたしじゃなくても、腕利きなんて幾らでも居るでしょ。そっち当たってよ」

「傭兵としてじゃない、一人の女性として君に傍に居てほしいんだ」

 

 前言撤回。傭兵関係なく男女の関係としてカインはクレアを求めていたのだ。期待してはいたことだが、身近な人物の恋愛事情というものは実際に遭遇すると思っていた以上に衝撃的であり、サフィーアは動揺を隠すのに精一杯だった。

 今クレアがどういう顔をしているのか、非常に気になったサフィーアは危険を承知で再び路地裏を覗き込んだ。この告白には流石のクレアも顔を赤くしているに違いない。

 

「ん?」

 

…………と思っていたのだが、見てみるとどうもクレアの様子がおかしい。確かに頬はほんのり赤く染まっているのだが、その表情はどこか悲しそうで苦しそうだった。

 ここ最近はクレアの初めて見る表情が多かったが、あの顔はその中でも殊更だ。普段の彼女の様子からは全く想像できない。

 

 それだけの事が、過去にあったと言う事だろう。それも、未だに心の奥で引き摺るほどの何かが。

 

「それは…………でも……」

「まだ、あの時の事を気にしてるのかい?」

「当たり前でしょ」

「何度も言うけど、あれは君の所為じゃない。本当は分かってるんだろう?」

 

 クレアを宥める為か、彼女の両肩をカインが掴んだ。掴んだと言うよりは、手を乗せたと言った方が正しいか。事実、その手には何の力も込められてはいなかった為、彼女はその手をあっさりと振りほどいてしまった。

 

 何だか両者の間に流れる空気が悪くなってきた。サフィーアは二人の様子に、怒られることを覚悟で間に割って入って宥めるべきか否かで悩んでしまった。

 だが次の瞬間、そんな悩みを吹き飛ばすほど衝撃的な事をクレアが口にした。

 

「じゃあどうしろて言うのよ!? あの子を殺したのは私なのよ!? 気にしないなんて出来る訳がないでしょう!?」

 

 慟哭にも匹敵する叫びを放つクレアの声に、サフィーアは一瞬動揺して大きく身動ぎしてしまった。瞬間、足が運悪くゴミ箱に当たってしまい派手な音を立てる。

 

「誰だ!」

 

 サフィーアがうっかり立てた物音に、カインが素早く反応して懐から拳銃を引き抜き構えた。

 必殺の思念が混じった警戒の思念と銃口に、サフィーアは声も上げれずに動きを止める。

 

「さ、サフィ!?」

「あ、えっと…………」

「……何処から聞いてたんだい?」

「ほ、殆ど最初から……」

 

 詰問にも匹敵する問い掛けにサフィーアは大人しく答えた。別に嘘を吐いたからと言って撃たれる可能性は無かっただろう。事実、今のカインからは必殺の思念が感じられない。未だに銃口を向けているのは、ただのハッタリか習慣の様な物だろう。

 だが、何と言うか迫力に負けてしまったのだ。今のカインからは、サフィーアとは比較にならない程の修羅場を潜り抜けた者特有の気迫の様な物が感じられた。とてもではないが、それに抗って適当な事を言って誤魔化そうと言う気にはなれない。

 

 出歯亀をしていたことを咎められることを覚悟していたが、予想に反して二人が何かを言ってくることは無かった。だが、それは何も言わないと言うよりは何を言うべきか悩んでいると言った方が正しいかもしれない。

 事ここに至り、サフィーアはこの二人の間にある問題が思ってた以上に重いものである事を知った。

 

「あの……ごめんなさい」

「ん? あぁ、それはもういいのよ。ただし、今後はこう言うのは控えなさい。いいわね?」

「はい……」

 

 幸いなことに厳しく咎められることは無かった。もしかしたら何かのタイミングで明かすつもりがあったのかもしれない。流石に今この場でこれ以上突っ込む気は無かったが、日を改めれば何かしら話してくれる可能性はある。

 ただ、釘だけは確り刺しにきている辺り完全に許されている訳ではないようだ。尤もそれは、モラル的な意味合い以上に彼女自身の身を守る為と言う意味だろう。

 

 依頼人の中には、当然ながら裏で表沙汰には出来ない秘密を抱えている者が存在する。もしサフィーアが変に好奇心の赴くままに行動し、その秘密を知ってしまった場合、最悪の場合依頼人から消される危険性がある。一度依頼に赴いてしまえば後は全て自己責任、死んでもギルドは依頼中のトラブルで済ませてしまう。依頼人が本気で隠すつもりで行動すれば、事が大きくなることはまずない。

 それを回避する為には、適度に自制し必要以上に他人の秘密に首を突っ込まないようにしなくてはならないのだ。

 要するに、出歯亀は宜しくないという事である。

 

 閑話休題。

 

 そして訪れる、何とも言えない空気。興が削がれたというか何と言うか、サフィーアの登場によって先程までの話を続けられる雰囲気ではなくなってしまった。

 

「…………私、先戻ってるわね」

「ん……そうだね。今日の所は、これで解散しとこうか」

 

 止む無く解散と言う流れになり、宿の食堂に向かおうとするサフィーアとクレア。その時、カインがサフィーアを呼び止めた。

 

「あ、ちょっとゴメン。サフィは少し付き合ってくれないかな?」

「へ?」

「ん~?」

 

 突然の指名に素っ頓狂な声を上げてしまうサフィーアに対し、クレアは訝しげな視線をカインに向けた。

その視線の意味する事を察して彼は、苦笑しながら彼女を宥めるように口を開いた。

 

「そんな目で見ないでよ。別に君にフラれてサフィに鞍替えしようってんじゃあないよ。ただ少し彼女と話したい事があるだけさ」

 

 そう言ってカインが『ね?』とサフィーアの事を見る。その瞬間に彼から感じた思念に、嘘は感じられない。正真正銘、彼は彼女と個人的に話がしたいが為に呼び止めたようだ。

 

 一瞬サフィーアは、クレアが居ると話し辛い内容なのかと勘繰ったが、よくよく考えれば今のクレアは精神的に少し不安定である。そんな彼女を、これ以上付き合わせるのは気が引けるというもの。彼女には一足先に夕食を済ませ、明日に備えてしっかりと英気を養ってもらわなければ。

 

「こっちは大丈夫ですから、クレアさんは先にご飯済ませちゃってください」

「本当に?」

「はい」

 

 クレアは暫しサフィーアとカインの顔を見比べた。数回ほど二人の顔を交互に見比べ、一つ溜め息を吐くと何度か小さく頷いて見せた。

 それは二人を信じたと言うよりは、これまでの実績を鑑みて自分を無理矢理納得させたかのような反応であった。

 

「分かった。それじゃ、お言葉に甘えて一足先に失礼するわ。出発は明日でいいのね?」

「準備が出来次第だけど、まぁそう思ってくれていいよ」

「オーケー。そう言う訳だから、サフィも早めに戻ってきなさいね」

「大丈夫ですって」

 

 サフィーアがそう言ってニカッと笑うと、クレアも小さく微笑んでその場を離れていった。

 

 彼女の背を見送った後、二人は場所を変えて近くの公園に移動していた。サフィーアがウォールと初めて出会ったのとは、別の公園だ。

 そこに着くなり、カインは開口一番に奇妙な事を訊ねてきた。

 

「さて、いきなりで悪いんだけど幾つか確認したい事がある。まず一つ目、君の名前はサフィーア・マッケンジー……で良いんだよね?」

「そうだけど、どうしたのよ今になって?」

 

 いきなりの質問に首を傾げるサフィーアだったが、次に彼が口にした質問に彼女は表情を若干強張らせた。

 

「うん、じゃあ二つ目の質問だ。君のお父さんの名前は…………サニー・マッケンジーで合ってるかな?」

「ッ!?…………そうよ」

 

 カインの口から父の名前が出た瞬間、サフィーアは彼に対して警戒心を向けた。彼と出会ってから、彼女は父の名前を口にしたことが無かったのだ。

 現状、彼に近しい人物の中で彼女の父の名前を知っているのは、彼女自身とクレアの二人しかいない。ここでサフィーアが除外される以上、怪しいのはクレアという事になるがそれも変な話である。何しろ、彼女がサニーの名を口にする理由がない。

 

 一体カインは何時、どのタイミングでサフィーアの父親の事を知ったのか。返答によっては――――

 

「いろいろ言いたい事は分かるけど、その前に最後の質問だ。君は、ソル・J・シュバルツと言う名前を知っているかい?」

「ソル・J・シュバルツ? 誰よそれ? そんな名前…………ん?」

 

 最初否定しようとしたサフィーアだが、ふと脳裏に引っ掛かるものを感じて俯き考え込む。ソル・J・シュバルツ、その名前は薄らとだが、彼女の記憶に存在していた。

 

 記憶の糸を手繰り寄せ、その名前が何であったかを思い出そうとするサフィーア。

 

 最初霞が掛かったようにハッキリとしなかった記憶が、徐々に鮮明になって来た。そうだ、自分はその名前に聞き覚えがある。

 

 聞いた場所は、子供の頃のベッドの中。寝物語にと父に何度も聞かされた傭兵時代の冒険譚。子供心に、父の活躍に興奮したあの話。

 

 その話の中で何度も出てきた、一人の軍人の名前。それがソル・J・シュバルツだった。

 

 ほぼ完全に思い出したところで、彼女は気付いた。カインのフルネームはカイン・D・シュバルツ。そう、彼もシュバルツなのだ。

 

 これが意味するところはつまり――――

 

「あんたのお父さんって…………もしかして?」

 

 恐る恐る顔を上げ訊ねるサフィーア。

 

 そこで彼女が目にしたのは、何時の間にか抜いた拳銃を向けているカインの姿だった。




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第38話:人の口に戸は立てられぬ

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 眼前に突き付けられた銃口…………それを前にして、しかしサフィーアは驚くほど冷静にそれを見つめていた。突然の事態に理解が追い付いていないのではない。正真正銘、今自分が危機に陥っているのではないと言う事が分かっているのだ。

 

 カインに害意はない。銃口は向けているだけであり、引き金を引くつもりは微塵もないのが彼から伝わる思念で分かった。

 

「くぅん!?」

 

 ただしそれは彼女だからこその話だ。何も知らない者からすれば、突然至近距離で銃口を向けられて動けなくなっているようにしか見えない。

 突然の事態に主の危機を感じ取ったウォールは、サフィーアに向けられた拳銃を見るなり障壁を張りカインとの間に壁を作った。瞬間、彼は咄嗟に後ろに飛び退って距離を取る。

 

「待った!」

 

 敵意剥き出しでカインを睨み付けるウォールだったが、彼に敵意がない事を分かっている彼女にとって相棒の行動は無駄でしかない。寧ろ、下手に事態を拗らせる可能性すらある。

 故に彼女は、相棒の頭に手を置き宥めに掛かった。

 

「大丈夫よ、落ち着いて。あいつは別にあたしをどうこうしようって気はないみたいだからさ」

「くぅん?」

「大丈夫だから、ね?」

 

 彼女の真摯な目と言葉、そして銃を懐のホルスターに納める彼の姿に理解を示したのか、ウォールは二人の間に張っていた障壁を消し去る。それを見て彼は小さく息を吐きながら近付いてきた。

 

「ごめんよ、誤解を招くようなことをして」

「全くよ。普通はいきなり銃口向けたりしたら即座に敵対待った無しよ?」

「普通なら、ね。まるで自分は普通じゃないみたいな物言いだね?」

「ん……いや、まぁ……ね? その……えっ、と…………」

 

 サフィーアは自分の失言に気付き、慌てて口を噤み言い訳を考える。ここはやはりブレイブの時と同じように女の勘で押し通すべきだろうか? だが彼と違って、カインは心ではなく頭で考えて行動するタイプに見える。

 その場凌ぎの嘘で誤魔化せるような輩ではない。だが元来彼女は他人を騙す事が好きでも得意でもないので、凝った嘘をその場で考えるのは難しかった。

 結果、具体的な言葉を口にすることも出来ずあ~う~と言い淀むしかできないでいた。

 

 そんな彼女を見て、カインは途中から堪えていた笑みを溢した。

 

「クク、ハッハッハッ! ごめんごめん、ちょっと意地悪だったね」

「はい?」

「忘れたかい? 僕、クレアとパーティーを組んでたんだよ? という事はつまり?」

「…………あ」

 

 そう言われて、漸く彼女は彼に担がれていたのだと言う考えに至った。

 パーティーを組んでいたと言うのなら、その期間は決して短いものではないだろう。短期間であれば『パーティーを組む』の前に『少しの間』とか期間が短い事を現す前置きが付く筈だった。

 そして長期に渡ってパーティーを組んでいたのなら、クレアが経験したことの一部はカインも共有したと言う事になる。つまり、彼女が知る人物は彼も知っていると言う事なのだ。

 

 と言う事は、彼は最初からサフィーアが思念感知能力者である事を知っていた。若しくは何処かしらで勘づいていたと言う事だろう。まぁ彼女達には文字通り目で見て分かる特徴があるので、それを知ってさえいれば初対面でも彼女がそういう人間であると言う事に気付く事は十分可能だ。

 

 以上を踏まえると、彼はかなり早い段階から彼女がそういう人間であると言う事に気付いていたのだろう。気付いていながら、彼女が自分で失言したと思わせたのだ。

 

「ねぇ…………あんたって、結構性格悪いって言われない?」

「否定はしないよ。ただ一つ言わせてもらえるなら、こんなのはまだ甘い方だってことを理解してくれ」

 

 担がれたことに一つ文句を言ってやったサフィーアだが、彼の返しにはぐうの音も出なかった。世の中には今以上に狡猾にこちらの秘密を引き出す輩が居る。それこそ、こちらが情報を暴露したことに気付かせない事すらあるだろう。

 今のはかなり手加減された方だ。何しろ、途中で彼女が気付く事が出来たのだから。彼がその気になれば恐らく彼女に気付かせること無くボロを出させることも出来た。それを敢えてしなかったのは、彼女に改めて秘密を守る事の大事さと難しさを教える為だ。

 

 その事は理解できるが、理解と納得は別物だった。出会ってそんなに経ってもいないのに、いきなり口先で嵌められていい気分はしない。

 

「む~……まぁ、その事は良いけどさ」

 

 さりとて、彼女も子供ではない。何時までもこの程度の事でへそを曲げていては馬鹿にされても文句は言えないと言うものだ。

 

 それに、今はそれ以上に気になる事がある。

 

「ところでさ、一つ聞いても良い?」

「予想は出来るけど、一応聞いておくよ。何だい?」

「クレアさん……昔何があったの?」

「内緒」

 

 即答である。即答で拒否された。あまりの即答っぷりに、サフィーアは思わずその場で脱力してしまった。

 

「そ、そこまで?」

「それだけデリケートな内容って事だよ。さっきの彼女の様子を見ただろ? まだ彼女の中で完全に整理がついていないのさ。だからそう易々と僕が話す訳にはいかないよ」

 

 言いたい事は分かる。確かにあのクレアの様子はただ事ではなかった。彼女があそこまで感情を露わにするところを、サフィーアは初めて見た。

 先程の何処か悩乱した様子の彼女を思うと、確かにそれ以上訊ねようと言う気にはなれなかった。下手をすると、彼女の心の傷口を抉るどころでは済まないかもしれない。人間の心とは、強い時は強いが弱い時は驚くほど弱いのだ。

 

 まだ二十年しか生きていない彼女にはそれを完全に理解し切るのは難しい話だったが、それでも普通の人間よりは心の機微等に敏感だし理解も深い。漠然とだが、今のクレアにこの話題はタブーであると言う事は察する事が出来た。

 

 だから、この話題はここでお終いだ。

 

「分かった、これ以上この事には突っ込まないわ」

「それが賢明だよ。そう心配しなくていい、多分時が経てば彼女の方から何かしら話してくれるよ」

「そう……かしらね? ん? あっ!? って言うかさっきの質問!?」

 

 何とはなしにそのまま解散と言う流れになりそうだったが、ここでサフィーアがカインに拳銃を向けられる直前に抱いた疑問への答えを得ていない事を思い出した。

 慌てて彼女が問い詰めると、彼は特に何でもないようにあっけらかんと答えてくれた。

 

「あぁ、そうだよ。僕の父さんの名前はソル・J・シュバルツ。嘗て、君の父親、サニー・マッケンジーとライバル関係にあった、共和国軍の軍人さ」

 

 カインの言う通り、二人の父親は嘗てライバル同士だった。父、サニーから聞いた彼の冒険譚では、意見の相違から対立する事が多く、何度も敵対したことがあったとの事だ。

 ただ敵対ばかりではなく、時には共闘したりと時と場合によって立場が異なっていたらしい。時に戦い、時に背を預け合う。そんな二人の関係に、少女時代のサフィーアは憧れを抱いたものだ。

 

 ただ一つ気になるのは、カインがその事をどう思っているのかだった。サフィーアは今述べた通り憧れを抱いているが、彼もそうだと言う保証はない。

 父から話を聞く限りだと、ソルは最終的にサニーを相手に負け越しているのだとか。

 もし、もしカインがその事に何かしらの不満を感じ、父の雪辱をサニーの娘であるサフィーアで果たそうとしているのだとしたら…………?

 

「一つ聞きたいんだけど…………」

「ん、何かな?」

「あたしの父さんが最終的にあんたのお父さんに勝ち越してるんだけど、その事についてどう思ってる?」

「ん~、そうだなぁ……」

 

 サフィーアの問い掛けに、彼は考え込む素振りを見せる。が、直ぐに答えを見出したのか顔を上げると曇りの無い表情で答えを口にした。

 

「別にどうとも……って感じかな?」

「どうとも、って…………」

「だって、父さんは父さんで僕は僕だし。仮に僕が君を倒したとしても、僕の父さんが君の父親に勝った訳じゃないんだから意味はないよ」

 

 間違いではないだろう。例えカインがサフィーアを相手に何百勝しようとも、それがイコールでサニーとソルの勝敗に関係する訳ではないのだ。彼の言う通り、ハッキリ言って無意味である。

 

 これが彼の本心からの言葉であることは疑う余地も無い。彼女はそれが分かる人間だ。

 

 だからこそ、分かってしまった。彼の心の奥底に存在する微かな嘘に。

 

「さ、僕らもそろそろ戻ろうか。明日は出発だ」

 

 恐らく、彼は自分でも気付いていないのかもしれないが、本当は父の代での雪辱を息子の代で果たそうとしているのかもしれない。

 だが、態々教えてやる必要は無いだろう。仮に教えたとしても、多分彼の答えは変わらないからだ。意地か、はたまた合理的思考に基づくものかは分からないが、少なくとも今し方の彼の様子からは意味の無い戦いを仕掛けようという気は微塵も感じられない。

 そういう男なのだろう。

 

 故に、サフィーアはそれ以上この事に触れる事はしなかった。触れる事無く、宿へ向かっていくカインの後に続いて歩きだすのだった。




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第39話:手荒い入国審査

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 乗り合いバス…………それは現代において最もメジャーな陸路での長距離移動手段である。

 

 比較的安価である為傭兵のみならず遠方に用事のある一般人も頻繁に利用している。自家用車で長距離移動をする者も居ることは居るが、リスクやコストを考えたら比較的近場ならともかく遠く離れた街や国境を越えた先に向かうのには色々な面で乗り合いバスの方が優れていた。

 

 勿論、乗り合いバスにも問題はある。見ず知らずの者達と数日間共に過ごさなくてはならないのでマナー等には何時も以上に気を遣わなければならないと言うのもあるが、何と言っても最大の問題はやはりその乗り心地であった。そう、乗り合いバスは他の車両に比べて乗り心地がかなり悪いのだ。

 シートは堅いし地面の状態によっては揺れも激しくなる。お陰で乗り慣れていない者や激しい動きに弱い者には酔い止めが必須だった。しかも座席一つ一つのスペースも決して余裕がある訳ではない為、持ち込める荷物には限度がある。陸路での移動なので当然ながら航空機程の速度は出ず、長距離の移動では数日間掛かる事もざらであった。結果、数少ない持ち込める荷物はその大部分が水と食料で占拠されてしまう為、個人の持ち物は本当に必要最低限に限られてしまっていた。

 

 それでもサフィーアの両親曰く、昔に比べれば大分マシではあるらしいのだが…………。

 

「そう言えば、あたし帝国に付いてあんまり詳しくなんですけど、どんなところなんですか?」

 

 今の時刻は昼飯時、携帯食料を齧りつつ不意にサフィーアは隣に座るクレアにそう訊ねた。訊ねられたクレアは、少し意外そうにしながら水筒から口を離した。

 

「あれ? サフィって三等校までは出てるって言ってなかったっけ?」

「三等校は出てますけど、学校で習うのって飽く迄も概要とかそういうレベルの話ですから実際帝国がどういうところなのかはよく知らないんですよ」

「あぁ、そう言う事ね」

 

 つまりサフィーアが聞きたいのは帝国と事を構える上で気を付けねばならない事なんかであった。確かに、学校では帝国軍の戦力や戦う上で注意すべき人物なんかは教えてもらえないだろう。

 サフィーアの言葉に合点がいったクレアは、PDAに地図を表示しながら説明してくれた。

 

「三等校で習った時何処までが帝国領だったのは知らないけど、今の帝国の領土はこんな感じよ」

 

 横からクレアのPDAを覗き込むサフィーアは、自身の中にある世界地図の帝国領と照らし合わせる。と言っても勉学から離れてかなり経っているので結構朧気になってしまっているが、それでも嘗て学業に勤しんでいた時に学んだ時のものよりも帝国の領土が増えている気がする。

 いや、気がするどころか明らかに増えている。昔学んだ時と比べてグリーンラインの西側が歪に歪んでいた。

 

「何か、随分グリーンラインが食い込まれてますね」

「そうね。ここ数年で帝国は殆ど言い掛かりも同然の理由を付けて近場の小国を侵略しまくったから」

「因みに、今一番帝国が力を入れてるのはナバウル樹海の侵略だね。広大な森とそこに眠ってる地下資源を狙って戦争を仕掛けてる真っ最中だよ」

 

 クレアが簡単に解説すると、前の座席に座っているカインが背もたれの上から顔を出して補足事項を話してくれた。

 

「ナバウル樹海って、事実上エルフの国ですよね?」

「そうそう。明確に国として成立してる訳じゃないんだけど、殆ど暗黙の了解みたいな感じで他の国は樹海に干渉しないようにしてるのよ。帝国を除いてね」

 

 正確に言えば、干渉したくても出来ないと言うのが正しい。帝国軍は容赦なく侵軍しているナバウル樹海だが、森の中には生態を知らなければ対処が困難なモンスターが数多く生息しており迂闊に侵入するとあっという間にそいつらの餌食となってしまう。

 そんなものが居るにも拘らず帝国軍が樹海の西部を制圧できているのは、偏に帝国軍の軍事力が優れていることの表れだろう。

 

「う~ん、やっぱり強いんですね。前に戦った連中は、弱いとは言いませんけどそこまで強いとも思わなかったのに」

「数も少ない一般兵はあんなもんよ。ただ、絶対に嘗めてかかっちゃいけない連中は居るけどね」

「それは?」

「近衛騎士隊さ」

 

 クレアの言葉に対する疑問に、答えてくれたのはカインだった。

 

「通称『クリムゾン・ガード』、皇族直属の親衛隊みたいなものさ」

「親衛隊?」

「そう。現在の帝国の皇族は皇帝の他に第一皇女と第一皇子、つまりクリムゾン・ガードは全部で三つ存在する事になる。その内特に注意が必要なのが第二皇女の警護をしている第二近衛騎士隊だね。隊員個人の力量も然ることながら、兎に角隊長の強さは群を抜いてる。普通の傭兵じゃ、まず勝ち目はないかもね」

 

 カインの話にサフィーアは俄然その第二近衛騎士隊の隊長に興味を抱いた。ブレイブとの二度に渡る戦いで感じた、自分が強くなったことに対する実感。その隊長と戦えば、再びそれが得られるだろうかと言う事に対する興味である。期待と言い換えても良いかもしれない。彼女は、近衛騎士隊と言う連中との戦いが自分を更なる高みへと導いてくれることを期待したのだ。

 

 だが同時に、ある疑問を抱く。件の隊長はかなりの技量でそこらの傭兵では手も足も出ないとの事だが、ではここに居るクレアはどうなのだろうか? 少なくとも彼女はそこらの傭兵と言う言葉で収まる技量ではない筈だが。

 

「それ、クレアさんとだったらどっちが強いの?」

 

 その疑問に対し、クレアとカインがまず最初に取ったリアクションは揃って苦笑する事だった。二人の反応にサフィーアが首を傾げていると、クレアの方が先に口を開いた。

 

「実際に対面したことないから、何とも言えないわよ。ま、勿論負けるつもりはないけどね」

「聞くところによると、第二騎士隊隊長のサイ・F・ハイペリオンは剣士らしい。ジョブまでは流石にはっきりしないけど、少なくとも相手が近接職ならクレアが負けるとは思えないよ」

「世辞はいいわよ。何とも言えないって言ってるでしょ?」

「おや? 負けるつもりはないって言ったのはそっちじゃなかったっけ?」

「それは……むぅ」

 

 何時の間にか、サフィーアを置いて二人だけで話を進めていくクレアとカイン。

 二人の間に入っていく事が出来なくなり、仕方なくサフィーアはこの遣る瀬無い気持ちを膝の上のウォールを撫でる事で誤魔化した。決して二人の間に流れる空気に当てられたわけではない。

 

 クレアとカインの会話をBGMに、ウォールを撫でながら外の景色を眺めていたサフィーア。

 その時、彼女はふと気づいた。バスが減速している事に。

 

「あれ?」

「ん? どうかした?」

「街が、近付いたわけじゃないのに減速してる?」

 

 窓から見える範囲では、周囲に街などバスが停留するような場所はない。長距離乗り合いバスは運転手の交代(基本三人の運転手が交代で24時間運転している)の時以外は止まらない筈だ。一番最近の運転手の交代をしたのがつい三時間ほど前だから、次の停車まではまだ五時間ほど時間がある。ここで止まる理由はない筈だ。

 

 そう思っていると、PDAのGPSで現在地を調べていたカインが画面を見ながらバスが止まる理由に検討を付けた。

 

「多分検問だね」

「検問?」

「帝国軍の検問よ。自分達に敵が多い事をよく分かってるから、国境に存在する陸路には全部に検問を設けてるの」

 

 何とも忙しない話だ。一体何が楽しくて周りに喧嘩を仕掛けているのか、サフィーアには全く訳が分からなかった。

 

 それよりも、今一番気にしなければいけないのはこれから検問を受けることそのものであろう。大雑把にしか帝国の事を知らないサフィーアでさえ、帝国軍の横暴さは知っている。あからさまに武器を持った者達が国境を越えようとしたりして、果たして見逃してもらえるだろうか?

 一応、彼女らの身分は傭兵ギルドによって保証されている。ギルドに所属していることの証明でもあるIDカードは身分証にもなるので、これさえ持っていれば基本どの国にも入国できた。傭兵の仕事の中には国境を跨いだものも少なくないからだ。

 

 だが帝国相手に果たしてどこまで通用する事か。

 

「大丈夫よ、迂闊に刺激しなければ通してくれるわ」

「本当ですか?」

「帝国軍の質自体はそんなに高くない。下手な動きをすることが無ければ適当に流してくれるさ」

 

 そんな会話をしていると一行の乗ったバスは完全に停車した。座席の陰からサフィーアが運転席の方を覗き見ると、運転手が窓から顔を出して何者か――恐らく帝国兵――と何事か話しているのが見えた。そう間を置かずに扉が開いたところを見るに、『検問するから扉開けろ』と言う様な事を言われたのだろう。特に運転手がごねる事無く扉が開いたのは、運転手が面倒を避けたからなのかそれともこの展開を読んでいたからなのか。

 

 等と考えている間に、開いた扉から帝国兵が二人ほど入ってきた。威圧感を感じさせる赤黒い装甲服と無機質な単眼のカメラアイが、車内の乗客達を舐める様に見渡していく。

 左右の客席を交互に見ながら歩く帝国兵は、徐々に三人が居るところまで近付いてきた。ここでまじまじと眺めていたら確実に因縁を付けられると思いサフィーアは視線を下げてウォールを撫でる事に集中する。

 

 と、不意にサフィーアとクレアの座る座席の横で帝国兵が足を止めた。あまりまじまじと見ないように、だが無視していると思われない程度に視線をそちらに向けて帝国兵の足を視界に入れる。

 

「お前達、傭兵か?」

 

 何か彼らの気に障る事があったのだろうかと警戒していると、帝国兵が二人に声を掛けてきた。熱を感じさせない問い掛けはそれだけで威圧感を感じさせる。

 

「えぇそうよ。何か問題かしら?」

 

 帝国兵の問い掛けに答えたのはクレアだった。流石と言うか、こう言う時に冷静な対処が出来る彼女は頼りになる。サフィーアが見習いたいと思う頼もしさだ。

 

「これから依頼を受けに行くのか? それとも……」

「変に勘繰らないでよ。あたしもこの子も傭兵よ? 仕事を求めてあちこち行くのは傭兵として間違ってないでしょ?」

「帝国に危害を加える気はないと?」

「それは、私が受けた依頼如何にもよるわね。ただ、警戒するに越したことは無いのは、自分でも分かってるんじゃない?」

 

 威圧感を交えながらの問い掛けに、クレアは飄々と返す。彼女が相手では埒が明かないと考えたのか、帝国兵は彼女の隣のサフィーアに標的を変えて質問をした。

 

「そっちのお前、国境を越える目的は何だ?」

「ノーコメントで」

「却下だ」

 

 クレアを真似て適当にはぐらかそうとすると、あろうことか帝国兵は彼女に銃口を向け始めた。言わなければ撃つぞ、という事らしい。

 サフィーアの額に冷や汗が滲む。この兵士は本気だ。これ以上ふざけた態度を取れば、本気で引き金を引くつもりなのだ。

 

 瞬く間に車内は緊張感に包まれた。車内には他にも傭兵が居るが、自分に飛び火することを恐れて兵士の暴挙を止める者は誰もいない。

 

 サフィーアは必死に考えた。どうすればこの事態を乗り越えられるだろう。依頼内容をバラすことは論外だが、かと言って適当な嘘を口にしてボロが出たら一巻の終わりだ。しかしこういう事態に遭遇するのが初めてのサフィーアは、こういう時どうするのが良いかを心得ていなかった。

 意識せず、彼女は乾いた喉で口の中に滲み出た唾を飲み込んだ。

 

「答えないのなら、お前にはここで降りてもらうしかないな」

 

 どうすればいいか迷い何も答えずにいると、帝国兵はそう言いながら彼女に手を伸ばした。途端、その兵士から下卑た思念が彼女に伸びた。喉まで出かかった悲鳴を飲み込んだのは、彼女の最後の意地だった。

 

 無遠慮に帝国兵がサフィーアの腕を掴み引っ張り出そうとする。瞬間ウォールが飛び掛かろうとしクレアもこれ以上は無理かと手を出そうとした、その時であった。

 

「ここで彼女に手を出して、困るのは君達の方だと思うけどね?」

「何だと?」

 

 唐突にそれまで沈黙を貫いていたカインが口を開いた。彼の言葉に帝国兵はサフィーアの腕を掴んだまま、彼の方に顔を向け若干苛立った様子で問い掛ける。

 

 彼らの様子に入り口付近で見張っていた兵士もやって来てしまったが、カインはそんなこと気にせず自身の傭兵ギルドのIDカードを取り出しながら話を続けた。

 

「僕ら傭兵は、傭兵ギルドに身分を保証されている。つまりIDさえ持っていれば国境審査は通る事になってるんだ。その事は知ってるよね?」

「それがどうした。帝国領に入ろうとする不審者を調べるのが我々の仕事だ」

「仕事熱心なのはいい事だけどね。ここで彼女を不用意に拘束したりすれば、傭兵ギルドは帝国に悪印象を持つ。そうなると、最悪君ら帝国には傭兵が斡旋されないなんて事になりかねないよ。それでいいのかい? そうなった時、君責任取れるの?」

「貴様――――ッ!?」

「言っておくけど、この場には僕以外にも証人は沢山いるよ。その事を忘れないでおいてね」

 

 その言葉に帝国兵が周囲を見渡すと、サッと顔を伏せる者が何人も居た。彼らも皆傭兵だ。新たな依頼を求めてか、若しくは何らかの依頼を受けて国境を越えようとしている傭兵達だ。

 彼らの存在に帝国兵は声にならない呻き声を上げた。カインの言う事に信憑性を感じ取ったのだ。ここで迂闊な行動をして、帝国の不利益になるようなことになれば自分の身がどうなるか? そう考えるとそれ以上手荒な真似は出来なかった。

 

「フン! クソッタレな傭兵風情が、調子に乗るんじゃないぞ!?」

 

 帝国兵はいっそ手本のような捨て台詞を吐くと、サフィーアの腕を離してバスから出ていった。彼らが出ていくと同時に扉は閉まり、バスは再び走り出した。心なしか、その速度は普段よりも速いように感じられた。

 

 検問を抜けたことで、車内の緊張は解れ乗客には安堵の表情が浮かぶ。その中で一番安堵しているのは、言うまでも無くサフィーアだろう。もしあのままバスから引っ張り出されていたらどんな目に遭っていたか、想像もしたくない。

 若干顔を青くしたサフィーアに、クレアが優しく声を掛けた。

 

「サフィ、大丈夫?」

「あ、あはは……怖くなかったって言ったら嘘になります。正直、頭の中半分パニックになってました」

「それでも暴れたりしなかったんだ。大したもんだと僕は思うよ?」

「そんなの、自慢にもならないわよ。それよりありがとう、お陰で助かったわ」

「気にしなくていいよ。あの場ではああするのが一番手っ取り早いと思っただけだからさ」

 

 カインはそう言って手をひらひら振ると、背もたれを倒して寝る姿勢に入った。照れ隠しなのか、それとも単に昼寝したくなっただけなのか。気持ちの切り替えが得意なのか、彼からは何の思念も感じ取れなかった。

 そんな彼の様子にクレアと顔を見合わせてクスリと笑みを浮かべると、サフィーアも背もたれを倒して少し仮眠を取るべく目を閉じるのだった。




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次回の更新は火曜日を予定しています。


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第40話:届かぬ者と届く者

読んでくださる方達に最大限の感謝を。


 検問を抜けたサフィーア達は、それから暫くして目的のサイクスに到着していた。

 帝国に侵略された都市国家と言う事で、戦闘の傷跡などが残った荒れた街を想像していたサフィーアだったが、着いてみれば街の様子は建物が崩れたりしているなどと言う事もなく至って普通の雰囲気だった。

 

「何か、思ったよりも平和そうですね?」

「サイクスは武力侵攻される前に降伏したから、実質戦闘はなしで制圧されたんだ。だから街の機能は微塵も損なわれてないし景観も綺麗なままなんだよ」

「一見、ね」

 

 カインの解説にクレアが不吉な言葉を付け足す。一体どういう事なのかと訊ねようとしたサフィーアだったたが、口を開いた直後に目に入った光景に彼女は言葉を失った。

 

「な、あ――――ッ!?」

 

 彼女の視線の先には一軒の商店、店先に瑞々しい果物などが並んでいるその店の奥から、二人の帝国兵が店主と思われる一人の男性を引き摺って出てきた。既に帝国兵によって痛めつけられたのか、男性の抵抗は扱いに反して少ない。

 その男性の後を追う様にして、二人の女性が店の奥から出てきた。見た感じ店主の奥さんと娘さんだろう。二人は連れていかれそうになっている店主を引き留めるべく片方の帝国兵に掴み掛ったが、簡単に振り解かれた挙句母親の方がライフルのストックで殴打された。かなりの力で殴られたのか、母親の方はそのまま動かなくなってしまった。

 父親が連れていかれた事に加え、母親まで怪我を負わされたことで娘の方は完全に冷静さを失ってしまう。

 だが帝国兵の横暴はこれだけに留まらなかった。父親を引き摺っているのとは別の帝国兵は、徐に母親に声を掛けている娘に手を伸ばすと彼女の腕を掴んで父親同様引き摺って連れていく。彼女がどうなるか、帝国兵の評判を鑑みればそんなの考えるまでもなかった。

 

 堪らず飛び出そうとするサフィーアだったが、すかさずクレアがその肩を掴み引き留める。咄嗟に抗議しようとするが、その口をカインが横から塞いだ。

 

「駄目よ。ここであいつらをぶちのめしてあの人達を助けても何にもならないわ」

「悔しいかもしれないけど、ここは我慢して」

 

 二人の言う事は正しい。ここでサフィーアがあの三人を助けても、帝国兵は逆に因縁をつけて逆にあの一家を害するだろう。もしかすると、ここで見て見ぬ振りをするよりももっと悲惨な結果になるかもしれない。それを考えると、悔しく心苦しいがこの場は見逃すのが最善なのかもしれなかった。

 だがそれは結局“どちらが良いか”ではなく“どちらがマシか”と言うだけの話だ。どちらに転んでもあの家族には不幸が訪れる。

 それを容認できるほど、サフィーアは物分かりが良くはなかった。

 

「でも、それじゃあの人達はッ!? 女の人なんて、どうなるか――――ッ!?」

 

 そのまま二人を振り払い、帝国兵を蹴散らして店主とその娘を助けようとするサフィーア。だがそれを実行するよりも先にクレアが彼女を近くの路地裏に放り込んで壁に押さえ付けた。

 

「止めなさい! 私達はただの傭兵であって、正義の味方でも何でもないの! 大体あなた一人の力で一体何が出来るって言うの!?」

「あ、あの人達を――――」

「助けて、その後は? ここに居る帝国兵はあいつらだけじゃないわ。ここで個人的に問題を起こせば帝国兵は挙(こぞ)ってあなたを“犯罪者”として捕まえに来るわよ。あの家族だって、ただでは済まない。それでもここで騒ぎを起こす気?」

 

 仮に彼女がこの時点で何かしらの依頼を受けた上であの家族を助けるのなら、問題は無かったかもしれない。だが明確な依頼としてではなく個人の意思で行動した場合、ギルドがサフィーアを擁護することは無い。唯の危険人物として処理されてしまうだけだ。

 サフィーアも頭ではその事は理解できる。出来るのだが、心が納得してくれない。今も二人を振り払ってあの家族を助けようともがき続けているが、クレアが的確に押さえ付けている為身動きが取れないでいた。

 そうこうしている内に、店主と娘は帝国兵によって護送用の装甲車に押し込まれそのまま連れていかれてしまった。角を曲がって車が見えなくなったところで漸くサフィーアの抵抗も治まり、クレアは彼女の体を解放した。

 

 解放されたサフィーアだったが、彼女はその場から動かない。何かを堪える様に俯き肩を震わせていた。

カインが彼女の手を見れば、掌に爪が食い込むほど強く握りしめているのか手の端に薄らと血が滲んでいた。

 その様子を見たカインがチラッとクレアの方に目を向けると、彼女は小さく頷きサフィーアの両肩に手を置き、先程とは打って変わって柔らかな声で話し掛けた。

 

「ごめんね。サフィの気持ちは痛いくらい分かるわ。ただ、今身勝手にサフィ一人で動いても事態は解決しないの。徒(いたずら)に帝国軍を刺激して被害を増やす可能性だってあるの。分かるわね?」

「……はい」

 

 搾りだす様にサフィーアの口から出た返事に、クレアは安堵と共感が入り混じった複雑な表情になりながら頷いた。

 

「悔しいよね。力足らずで何も出来ない悔しさ、よく分かるわ。その悔しさ、それと他人を見捨てられない優しさは大事にしなさい。間違っても捨てたりしないように、ね」

 

 そう言いながらクレアは、サフィーアの肩に置いた手をそのまま下に持っていき彼女の手を持ち上げる。握り締められたその手をクレアの手が包むと、サフィーアの手から力が抜けてゆっくりと開かれた。案の定爪が食い込み血が滲んだその手に、カインが横から簡単な回復魔法をかけて傷を癒した。

 彼女の手の傷を癒しながら、カインは砕けた笑みを浮かべて口を開く。

 

「ま、心配しなくたって、あの人達を助けるチャンスはきっとあるよ。何しろ僕らは、ドンパチする為にここに来たんだからさ」

「そうね。さっき感じた悔しさは、その時にでも吐き出しなさい」

「くぅん!」

 

 カインとクレアの言葉に続き、ウォールも彼女を励ます為かその肩に飛び乗り頬擦りをした。二人と一匹から伝わる暖かな思念に、自然とサフィーアの頬も緩んだ。

 彼女の表情が緩んだことに、クレアも安心したのか笑みを浮かべて手を離した。

 

「よっし! それじゃ、さっさと依頼人の所へ行くとしますか。カイン、案内宜しく」

「はいはい」

 

 意気込むクレアに急かされ、一行を依頼人の元へ案内するカイン。

 前を行く二人の背に、サフィーアは実力的には勿論人間的にも未だ届かぬものを感じながら、頼もしさと向上心を胸に抱きその後に付いていくのだった。

 

 

***

 

 

 一方その頃、街の中心部――侵略前は官庁として機能していた建物に、サイを引き連れたグラシアは訪れていた。

 ドレスではなくスーツを着た彼女の前に立つのは、占領後にこの街の統治を任された帝国の軍人だ。普段は部下や街の住人達相手に不遜な態度を取る彼も、流石に護衛付きの皇族を前にしては態度を改めていた。

 

「これは皇女殿下。突然のご訪問、誠に光栄であります」

「世辞は結構です。私がここに来た理由、分かっているのでしょう?」

 

 グラシアはここに来る前に、今とは違う装いで街の中をぐるっと回ってきていた。理由は勿論、占領後の統治がどのように行われているかを確かめる為だ。

 結果は彼女にとって悲しい事に、帝国による圧政でサイクスの住民は苦しい思いをしていた。つい先程も、帝国軍による圧政に不満を口にした商店の店主とその娘が不当に帝国兵に連行されそうになったのを見かけ、急いで追い掛けて止めさせたばかりであった。

 

 この街では、他の占領地と同じように帝国による圧政が布かれている。その事実を前にグラシアは心を痛め、同時に現状を変えなければと言う気持ちを強くしていた。

 まずはその第一歩――もう何度目になるか分からない一歩だが――として、この地における帝国からの圧政による負担を少しでも減らすべく占領統治を任された彼に占領後統治の見直しを申し渡しに来たのだ。

 

「率直に申し渡します。直ちに軍による住民への暴力等を止めさせなさい。これは皇族命令です」

「お言葉ですが皇女殿下。私は本国の意向に沿って街を統治しているに過ぎません。如何に殿下の命と言えども、それは流石に横暴が過ぎるのではないかと?」

 

 グラシアの命令に対し、統治を任されたその男は若干何時もの調子を取り戻したのか不遜さを滲ませてそう返した。最初こそ委縮してはいたが、彼の耳にもグラシアへの別称である巡業姫の名は届いていたのだ。その噂通りの発言に、彼は先程よりも余裕を取り戻していた。

 だがその様子を見てもグラシアは全く動じない彼女は真っ直ぐ彼の目を見つめながら口を開いた。

 

「貴方が私にどのような印象を抱いているのかはこの際置いておきますが、少なくとも見縊っているようでしたらそれは訂正を。こう見えて、仕事は確りできる方なのですよ」

「ほぅ?」

「ここに来るまでに、街の様子を一頻り観察させてもらいました。その間に両手の指では足りない回数の帝国軍人による市民に対する暴行などを目にしました。さて、この事を貴方はどうお考えですか?」

 

 冷めた視線と共にそう訊ねられた彼は、先程取り戻した余裕を失い額から汗を流す。ただでさえ美人の彼女が睨んだらなかなかに迫力があるが、冷や汗の理由はそれだけではない。

 正直彼はグラシアの事を舐めていた。皇族ではあるが、所詮は女性。蝶よ花よと育てられたお姫様が、夢見がちな義憤に駆られて動いているだけだと思っていたのだ。

 だが実際に対峙してその認識が誤りであると実感させられた。彼女も立派な皇族だ。感じる気迫は小娘が出せるものではない。親の七光りなんてとんでもない、彼女は正真正銘王の器を持つ者だ。

 

「じ、実は街の中に、帝国に対するレジスタンスが潜んでいる様でして。兵達には不穏分子の炙り出しを命じているのであります。皇女殿下が目にしたのは、その一環かと。はい」

「明らかに年端も行かぬ少年少女が相手であってもですか?」

「よ、世には少年兵と言うものが……」

 

 しどろもどろになりながら言い訳をする彼を、グラシアは手を上げて制する。この場の主導権は完全に彼女が握っていた。

 

「私は皇帝陛下に、支配地域に対する慰撫工作の全権を与えられています。この意味が分かりますね?」

「は、はい」

「では、兵達の躾けは任せましたよ。時期を見てまた視察に来ますので」

 

 そう言うと、グラシアはサイを引き連れて部屋を出ていく。

 後に残された軍人の男は彼女達の背に向けて頭を下げ続けていたが、二人の姿が見えなくなると仮面がはがれたように醜悪な顔で扉を睨み付けるのだった。

 

 一方、部屋を後にしたグラシアは官庁を後にするとすぐさま次の地へ向かおうと飛行場に来ていた。唯の傭兵などは乗り合いバスが主な移動手段だが、皇族である彼女がそんなものに理由もなく乗る訳がない。彼女の移動手段は専ら専用の飛空艇であり、サイ達近衛騎士隊も全員が乗れる程度の大きさのコルベットタイプの飛空艇が彼女の移動手段である。

 帝国産の飛空艇は速度と機動力に優れているので、ここから帝国領の端まで半日も掛からない。今からでも次の地へ向かうのは容易な事であった。

 

 ところが…………。

 

「出られない?」

「はい。整備に時間が掛かっている様で、もう暫くは飛び立つのは無理との事です」

 

 整備主任の言葉にグラシアは首を傾げた。彼女がこの街に来てから優に一時間以上は経っている。幾ら飛空艇が複雑な構造をしていると言っても、ここに来るまでの飛行時間を考えれば整備は十分に終わる筈だった。

 それがまだ終わっていないと言う事は、飛空艇に何らかの問題が起こったと言う事だろうか。そう言えば官庁で統治を任せた彼もレジスタンスがどうこうと言っていたが…………。

 

「殿下」

「え?」

 

 グラシアはこの事態に良からぬものを感じていたが、サイはある意味でこれは好機だと思っていた。どんな理由があるにせよ、これでグラシアに時間的余裕ができた。となれば、ここで彼女には少しでも休んでもらう事が出来る。飛空艇の整備が遅れると言う彼女にはどうしようもない理由があれば、ワーカーホリックな彼女も羽を休めざるを得ないだろう。

 勿論、サイ自身もここでの整備の遅れに違和感を感じてはいたがこの際多少の事は大目に見るつもりだ。何かあっても彼と彼の率いる騎士隊が居る。グラシアの守りは万全の筈だ。

 

「飛空艇が動けない以上、もう暫くはこの街に滞在せざるを得ません。ここは骨休めをされてはいかがでしょうか?」

「ですが……」

「ご安心を。レジスタンスに関しては我々が対処いたします。殿下はこの機会に少しでも英気を養ってください」

 

 本当は休んでいる暇はないと言いたかったグラシアだが、サイの彼女に休んで欲しいと言う気持ちも分からないではない。他人の好意を無碍にするのは、それはそれで彼女には心苦しい事であった。

 少しの間逡巡した彼女だったが、結局は彼女の方が折れた。自分の苦労は我慢できるが、他人の気苦労を堪えるのは難しい。申し訳ない気持ちが、彼女の首を縦に振らせたのだ。

 

「分かりました。少しだけ、骨休めさせていただきます」

 

 グラシアの言葉に、サイは安堵に頬を緩めた。

 直ぐに表情を引き締めた彼は、騎士隊の女性隊員に彼女を任せた。街に出るにしても、今の格好では目立ってしまう。少しでも変装して、レジスタンスなどの良からぬことを考える輩から守らねば。

 

 飛行場を離れていくグラシアとサイ達近衛騎士隊。その後ろ姿を暫し眺めた後、整備主任は何処かへと通信を送るのだった。




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第41話:許せぬ犠牲

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サイクス・レジスタンスのアジト

 

 カインの案内でサイクスの街に潜伏するレジスタンスのアジトにやって来たサフィーアとクレアの二人。

 レジスタンスのアジトと言うからもっと物々しい様相を想像していたサフィーアだが、実際は何の変哲もない六階建ての雑居ビルだった。見張りをしているらしき者も居らず普通にテナントに店が入って営業しているなど、あまりにも普通過ぎて最初サフィーアはカインが場所を間違えたのではないかと勘繰ってしまったほどだ。

 だがビルに入るなり、彼は迷うことなく二人を連れてエレベーターに乗り込んでいく。内心不審に思いながらも彼に付いていった二人がエレベーターに乗ると、彼は他に人が居ないことを確認してまずエレベーターの扉を閉めると、徐に奇妙な行動を取った。

 

 まず『開』と『閉』のボタンを同時に二回、次いで『三階』のボタンを三回、再び『閉』のボタンを一回押してから『二階』のボタンを二回押した。すると一階から六階までの全てのボタンが点灯し、彼は迷わず『五階』のボタンを押した。

 

 一連の行動に眉間に皺を寄せながらサフィーアが首を傾げていると、突然エレベーターが下降し始めた。階数ボタンには地下のボタンがないのにである。

 

「えっ!? 何これ!?」

「このビルの下がレジスタンスのアジトなのさ」

 

 驚くサフィーアに向けて得意気に話すカイン。だが対してクレアの表情は険しい。それはそうだ。サイクスが帝国の軍門に下ったのは割と最近の事。にも拘らず、何故一見何の変哲もない雑居ビルにこんな仕掛けが施されているのか?

 彼女はそこが解せず、このレジスタンスに対して少なからず不信感を抱いていた。

 

 そんな彼女の思いを表情から察してか、カインがこの隠し地下の出来た経緯を説明した。

 

「この地下、元々は会員制の店舗を設ける予定だったんだってさ。何の店かは知らないけど、兎に角元々はレジスタンスの為に作られたわけじゃない。健全かどうかは別として、ね」

「健全じゃない時点で不安しかないんだけど、この街大丈夫? 犯罪組織の隠れ家とかじゃない?」

「そこはちゃんと信頼できる筋から情報収集してるから大丈夫さ。信じてよ」

 

 少なくとも彼が嘘をついていない事は分かるサフィーアだったが、例え彼が嘘をついていなくても情報自体が間違っている可能性はある。そう思うとおいそれと安心できるものではなかったのだが、さりとてここまで来て引き返すのも情けない。

 それに何より、この場には腕利きの傭兵が二人居るのだ。レジスタンスがどの程度のものかは分からないが、少なくとも帝国軍の正規軍を上回るほどではないだろう。上回っているなら碌な抵抗もせずに降伏するなどありえない。

 

 そうこうしていると、エレベーターは目的の場所に到着したのか軽い音と共に停止した。その音にサフィーアが気を引き締めると、同時に扉の向こうから警戒心と好奇心が混じった思念が飛んでくるのを感じた。この向こうには既にレジスタンスのメンバーが待ち受けているらしい。警戒しているのは、帝国軍にこの場所が割れた場合の事を考えての事か。それにしては、何やら不穏な思念を強く感じる。

 そっと、サフィーアはサニーブレイズの柄に手を掛けた。カインの話で一応大丈夫だとは思っているが、それでも多少警戒してしまう。

 

 その警戒は正しかった。扉が開くと同時に一行の目に飛び込んできたのは、一斉に彼女達に向けられた銃口と剣の切っ先だった。どう考えても歓迎されている雰囲気ではない。

 だがサフィーア達も負けてはいなかった。と言うか、サフィーアが警戒心を強めた事でクレアとカインも臨戦態勢に入っていた。扉が開き剣先と銃口が目に入った瞬間、クレアは両手に焔を宿しカインは懐から抜いた拳銃を向けていた。一歩遅れてサフィーアもサニーブレイズを抜く。

 更にはウォールもサフィーアの肩から飛び降り、エレベーターの前に出て障壁を張る。この時点でサフィーア達の勝利は確定と言えた。何しろ障壁の内側からは攻撃し放題なのだ。室内に居るレジスタンスの数程度では一斉に攻撃を仕掛けたとしてもウォールを消耗させる事は出来ない。

 

 だがここでレジスタンスを攻撃するのは短絡的と言うものだ。相手は一応依頼人、舐められる訳にはいかないがだからと言って無闇矢鱈に力を振りかざせばいいと言うものでもない。

 

 結果として生まれた膠着状態。。互いに武器を向け合い、状況は完全に一触即発。ここで何かでかい音が立とうものなら即座に戦闘に突入するだろう。

 

 そんな中、まず真っ先に臨戦態勢を解いたのは、レジスタンス側の方だった。一番奥に居た一人の男がカインとクレアを見て、周りの者達に武器を下ろすように言った。

 

「彼らは敵ではない。全員、武器を下ろせ」

 

 彼の言葉に一瞬躊躇するような素振りを見せたレジスタンスのメンバーだが、エレベーターの中に居るのが傭兵である彼女達だけであると見て武器を下ろした。その様子にサフィーア達も臨戦態勢を解く。

 一触即発の空気が霧散し、内心で安堵の溜め息を吐くサフィーア。それを知ってか知らずか、レジスタンスのメンバーを宥めた男が彼女達に声を掛けた。

 

「済まないな、折角来てもらったのに。何分最近になって帝国軍の警戒が強くなってな」

「何かあったんですか?」

「その事も含めて、これから話そう。あぁ、言い忘れていたな。私がサイクスのレジスタンスのリーダーを務める、バザークだ」

「直接会うのは初めてですね。僕がカイン・D・シュバルツ。こっちはクレアとサフィーア」

「クレア・ヴァレンシアよ」

「サフィーア・マッケンジーです」

 

 カインからの紹介に軽く自己紹介を済ませるサフィーアとクレア。その際、サフィーアは自分に向けて不審に近い思念が向けられた事に気付いた。

 まぁカインとクレアはどちらも二つ名持ちであるのに対し、サフィーアは無名に等しいから当然と言えば当然か。一応知る人ぞ知る将来性のある傭兵だが、将来性は所詮将来性。実際に実績を築いていかなければその他大勢の傭兵と大差ないのである。

 

 小さな苦悩をサフィーアは胸の奥にしまいつつ、バザークに促され三人は適当な椅子に腰かけた。三人が適度にリラックスしたのを見てから、バザークはホワイトボードに街の地図を磁石で貼り付け今後の事を話し始めた。

 

「さて、まずは依頼を受けていただき感謝する。それも魔銃士だけでなく闘姫までとは、これで帝国軍に目にものを見せる事が出来ると言うものだ」

「どうも。それで、今後はどうするので? やはり、官庁に襲撃を?」

 

 バザークからの世辞を適当に流し、カインは作戦の説明を促した。

 とは言え、やる事は大体予想できる。官庁に居座るサイクスの統治を任された帝国軍の司令官を倒すなり捕らえるなり、だろう。そうすればとりあえず一時的にだがこの街を帝国軍の支配から解放する事が出来る。

 勿論そんな事をすれば帝国軍が報復に動くだろうが、帝国軍には敵が多い。ここに戦力を割くまでには多少の時間が掛かるだろうから、それまでに防備を整えれば帝国軍の報復にも抵抗できる可能性はあった。

 

 飽く迄も、希望的観測でしかなかったが…………。

 

 だがカインの予想は外れた。彼の言葉にバザークは顔を横に振り、思いもよらぬ言葉を口にした。

 

「いや、官庁への攻撃は後だ。実は先程街中に潜伏している同志からの報告で、この街に帝国第一皇女が来ている事が明らかになった。我々は皇女を捕縛する」

 

 バザークの言葉にカインだけでなくサフィーアとクレアも目を剥いた。まさかこんな所で、帝国の最重要人物に遭遇することになるなど思ってもみなかったのだ。

 

「それは、確かな情報なの? 帝国軍に掴まされたりとかは?」

 

 こんな情報がレジスタンスに簡単に漏れるものだろうか? クレアはそんな疑問を抱きバザークに問い掛ける。もし仮にこれが帝国軍の策略なのだとしたら、のこのこと皇女を狙っていったりすれば逆にこちらが窮地に立たされてしまう。

 

「それに関しては問題ない。飛行場他、複数の地点に潜伏している同志から得た確かな情報だ。間違いなく帝国第一皇女はこの街に来ている。我々はそれを捕縛し、帝国に対する交渉のカードにするのだ」

 

 力強く宣言するバザークだったが、懸念はまだある。帝国だって馬鹿ではない、皇女と言う最重要人物を一人で行動させる訳も無く、必ず護衛を付ける筈だ。そしてその護衛は、サフィーアが聞いた情報が確かなら只の兵隊より余程危険な相手である。

 

「でも、皇族って確かクリムゾン・ガードって言う護衛が付いてるんですよね? そう簡単に皇女さんを捕まえたり出来るんですか?」

「この街は我々のフィールドだ。攻撃に適した場所も、相手から死角になる場所もよく理解している。地の利はこちらにある。それに、魔銃士と闘姫の二人が居れば近衛騎士など恐れるに足りない。勝機はある!」

「ちょっと待った。まさかとは思うけど往来のど真ん中でドンパチおっ始めるんじゃないでしょうね? 官庁ならともかく、大通りみたいなところでやったら被害は洒落にならないわよ?」

 

 クレアの言葉にサフィーアは息を呑む。彼女自身つい先程まで失念していたが、街中で戦闘をするという事は民間人への被害も発生するという事である。

 ここに来るまでクレアとカインがその事にあまり注意を向けていなかったのは、狙いが街の統治を任された帝国軍の司令官が居る官庁を狙ってのものだろうと考えていたからだ。そこなら居るのは殆ど帝国軍だろうから、民間人への被害もそこまで大きくはならない。だがこれが往来のど真ん中、民間人が多数存在する大通りなどで攻撃を仕掛ける場合、被害は官庁での戦闘の比ではなくなってしまう。

 

「ち、違いますよね? その皇女を捕まえるのって、被害が少ないところでですよね?」

「残念ながら、予想される皇女の移動ルートに被害を減らせそうな場所はない。仕方がないが、最も皇女捕獲の成功率が高そうな大通りで捕獲作戦を実行する」

「ちょッ!? ダメダメダメッ!? 子供やお年寄りだって大勢居るのよ!? そんな所で戦闘したら、無関係な人まで巻き込んじゃうッ!?」

「元より覚悟の上だ。それに、この街の人間である以上無関係ではない。皆帝国の支配に苦しんでいるのだ。その支配から解放される為なら、多少の被害は耐えてくれる筈だ」

 

 サフィーアは抗議したが、バザークは全く聞き入れてくれない。それどころか身勝手にも等しい理由でコラテラルダメージを正当化しようとしていた。

 

 バザークの言葉にサフィーアはふざけるなと憤った。どんな理由であれ、戦闘の被害をおいそれと容認できる筈がない。解放の為とは言え、街中で派手に戦闘する事が住民の総意ではない筈だ。

 それは彼の背後に佇んでいる参謀か何かの様子からも伺う事が出来る。バザークの背後に佇んでいる男は、痛ましそうに顔を歪めていた。本意ではないのだ。正直に言えば街中で、それも大通りでの派手な戦闘はしたくはないのだろう。

 それを何も言わずに容認しているのは、状況が切羽詰まっているからかそれともバザークに逆らえないからか。

 

 彼の様子に辛抱堪らなくなったサフィーアは更に抗議しようとしたが、口を開く直前にクレアが彼女の肩を強く掴んだ。何事かと彼女がそちらに目を向けると、クレアは真剣な眼差しで彼女の目を見つめゆっくりと首を左右に振った。黙っていろ、と言う事か。

 正直納得は出来ないが、こう言う時のクレアの指示に間違いはない。少なくともサフィーアはそう考えていた。

 

 仕方なくサフィーアは口を噤み、それ以上は何も言わないようにした。その表情は、まるでとことんに詰めて限界まで苦くした茶を口に含んだかのようであった。

 

 そんなサフィーアを無視して、バザークは話を続けた。

 

「襲撃は先程から言っているように大通りに皇女と近衛が来た時に開始する。君達は大通りにあるカフェで待ち伏せし、我々が攻撃を開始したら同時に行動を開始してくれ」

「皇女の捕縛は誰が?」

「それはこちらで行う。君達は我々の行動を妨害しようとする近衛騎士隊の足止めを頼む。特に、隊長のサイ・F・ハイペリオンは確実に釘付けにしてくれ」

「了解。最善を尽くします」

「うむ!」

 

 カインの言葉にバザークは力強く頷いた。そしてそれは、作戦会議の終了の合図でもあった。

 

 解散し雑居ビルから出る三人と一匹。その際サフィーアは一人浮かない顔でカインとクレアの後に続くのだった。




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第42話:思想と好みは人それぞれ

読んでくださる方達に最大限の感謝を。


 レジスタンスのアジトを後にしてからと言うもの、サフィーアは終始ご機嫌斜めだった。理由は言わずもがな、バザークの民間人に対する被害の軽視が原因だ。

 帝国からの解放を謳(うた)いながら、肝心の民間人を蔑ろにする姿勢がサフィーアには全く理解できなかったししたくもなかった。アジトを出るまでは立場的な事もあって黙っていたのだが、ある程度アジトの雑居ビルから離れると抑えが利かなくなったのか突然その場で地団太を踏んで膨れ上がった不満を声に出した。

 

「あいつヤな奴ッ!? すっごいヤな奴ッ!?」

「はいはい、気持ちは分かるけどとりあえず落ち着きなさいサフィ」

「クレアさんは気にならないんですか!?」

「だ~か~ら、気持ちは分かるって言ってるでしょ。ここで怒ってもしょうがないんだから、とりあえずは落ち着きなさい」

「兎に角今は大通りまで行こう。色々話したい事はあるだろうけど、まずは待機予定のカフェまで行ってからさ」

 

 クレアとカインに宥められながら、怒り猛るサフィーアは大通りにある一軒のカフェに連れられて行った。超絶不機嫌な表情で怒りを微塵も隠さずクレアとカインに連れ込まれたサフィーアを、店員も最初は怪訝な顔で見ていたが暴れだす気配が無いのを見て必要以上に関わる事はしなかった。

 もしかしたらこの程度の事には慣れているのかもしれない。日々横暴を振るう帝国軍に比べれば、物に当たる事もなく怒りを露にしているだけのサフィーアは可愛い物なのだろう。

 

 とりあえず席に案内された三人は各々好きなものを注文した。サフィーアはアイスカフェオレ、クレアは紅茶、カインはホットのコーヒーだ。

 サフィーアは受け取ったアイスカフェオレにストローを差し口を付けたが、中身は一口も飲んでいない。逆に息を吹き込んで無駄にぶくぶくと泡立てさせているだけだった。

 未だに機嫌を直さないサフィーアに、クレアは苦笑しつつ行儀の悪い彼女を窘めるべく手の甲で頭をこつんと小突いた。

 

「んぐっ?!」

「いい歳してお行儀が悪いわよ」

「う…………すみません。でも、やっぱり納得できないです。幾らなんでも、同じ街に住む住人を犠牲にして…………」

「あぁ、彼はこの街の人間じゃないよ」

 

 何気なく横から飛んできたカインの言葉に、サフィーアは一瞬反応が遅れた。だがその言葉の意味を正確に理解した瞬間、彼女は弾かれたようにそちらに顔を向けた。

 

「はぁっ!? え、何、どういう事!?」

「言葉通りの意味さ。彼のフルネームはダイン・バザーク、その筋では有名な反帝国活動家だよ。主に過激派としてね」

「あぁ、私も名前だけは聞いた事あるわ。民衆を巻き添えにしようと構わずに帝国に反抗するその姿勢から、ある意味で帝国以上に危険視されてる奴よ」

「なぁ――――!?」

 

 サフィーアは言葉を失った。彼女はバザーク――ダインが帝国にどれ程の憎しみを抱いているのかを知らない。だが、幾ら憎しみが強かろうとも、いやだからこそ無関係な戦う気の無い者を巻き込むその姿勢が信じられなかった。自分が受けた事があるのなら、他人がどれくらいの痛みを受けるのかも分かるだろうと言うのが彼女の信条だ。

 それは所詮独り善がりの、身勝手な信条かもしれない。だが彼女には彼女の信条がある様に、彼には彼の信条があるのは当然の事である。そして信条は強ければ強いほど、他人のそれとは相容れない。

 

「訳分かんない」

 

 サフィーアとダインは正にそれだろう。他者の命を可能な限り尊重するサフィーアと、他者の命を蔑ろにしてでも自身の目的の完遂を望むダイン。相容れる事などあろうはずがない。この先もきっとそうだ。

 

 ダインとは絶望的に仲良く出来そうにないと確信するサフィーア。その時彼女はふと思った。では、クレアとカインの二人はどうなのだろうか?

 ここに来るまで不快感を露にしていたのはサフィーア一人であり、クレアとカインには微塵もそのような素振りは無かった。果たして二人はダインの事をどのように考えているのだろうか?

 

「クレアさん達はどうなんです? あいつのやる事に賛成なんですか?」

 

 サフィーアの問い掛けに二人は互いに顔を見合わせると、揃って嘆息しそれぞれ紅茶とコーヒーを一気に飲み干した。

 空になったカップを二人は同時にソーサーの上に置くと、まず真っ先にクレアが口を開いた。

 

「んな訳ないでしょ。私だって、コラテラルダメージは出来れば避けたいわ」

「ならッ!?」

「でも、私は傭兵であいつは依頼人よ。その事実は変わらない。もう受けちゃった以上、仕事だけはきっちりやらないと」

「そりゃ、そうかもしれないですけど……」

 

 クレアの言いたい事は分かる。例えどんな信条を持っていようと、今の彼女らとダインの関係は傭兵と依頼人だ。であるならば、余程の理由がない限り依頼人の意向に背くような真似は許されない。彼女ももう大人だ。大人であるならば、ある程度自制を覚えなければならない。特に気に入らない等と言う理由で、自分に課せられた責任から逃れるなど許されることではない。

 サフィーアにもそれは分かる。彼女とて子供ではないので、立場と責任が切っても切れない関係にある事くらいは理解できていた。ただ、納得出来ていないだけだ。

 

 クレアの言葉に表情を更に暗くするサフィーア。その彼女に、今度はカインが声を掛けた。

 

「実はね、保留にしてはいたこの依頼、最初は断ろうと思ってたんだ」

「えぇっ!?」

「あんたマジ? 指名を蹴るって結構評判に響くわよ?」

 

 数多居る傭兵の中で依頼人から指名されると言うのは、傭兵にとって非常に名誉な事だ。故に、大抵の場合指名された傭兵がそれを拒否すると言う事は殆どない。殆ど無いので、何時の間にか指名は受けるのが当然と言う暗黙のルールが傭兵と依頼人の間で出来上がってしまっていた。

 そうなると当然指名を拒否すればその傭兵の名は悪い意味で広がってしまい、その後の活動に響く事になってしまう。特にカインは二つ名付きの傭兵だ。評判を損ねて受ける被害は並の傭兵よりも大きいだろう。

 

 にも拘らず、彼は当初この依頼を拒否しようとしていたと言うのだからサフィーアは勿論クレアの驚愕は尤もだった。

 

「何で? 何でこの依頼を断ろうなんて?」

「そりゃ勿論、バザークが関わってるとなればコラテラルダメージが付いて回るだろうからね。そんなのに関わりたくはなかったから、最初は断ろうと思ってたんだ」

「それがどうして?」

「君達だよ。正確にはクレアだけど、僕一人なら難しくても君らが居れば少しでもコラテラルダメージを減らせると思ったからさ。そういう器用な戦い、得意だろ?」

 

 カインはそう言ってクレアに笑みを向ける。彼の言葉にクレアは呆れと嬉しさが混じったような笑みを浮かべた。

 

「呆れた。幾らなんでも買い被り過ぎじゃない? 流石に私でも周りへの被害を減らしながら戦うなんてできないわよ」

「本当に?」

「当たり前でしょ」

「でも僕と一緒だったら?」

「あのね…………」

 

 どうやらカインはクレアに絶大な信頼を置いているらしい。正確には、二人が揃えばどんな困難でも乗り越えられると思っている、と言った方が正しいか。カインがそう断言する程、二人の間にはサフィーアの知らない時間が存在しているのだ。

 

 尚も渋るクレアと彼女を信頼するカインのやり取りに、置いてきぼりを喰らったサフィーアは所在なく一人カフェオレをストローで吸う。

 その時、背後から思念が飛んできた。決して敵対的な思念ではない。こちらに何かを窺う様な、何かを要求すると同時に申し訳ないと感じているような思念だ。

 

「ん?」

「あ……」

 

 その思念に引かれてサフィーアが背後を振り返ると、そこには今正に彼女に声を掛けようとしていたらしき一人の女性が居た。丸眼鏡にハンチング帽を被った、何処か地味目な恰好をした女性だ。

 女性は声を掛ける直前にサフィーアが振り向いてきたことに若干驚いた様子で、軽く目を見開いている。

 

「えっと、何か用ですか?」

「あ、は、はい。えっと、お砂糖を分けてもらえませんか?」

 

 サフィーアの方から問い掛けられて慌てて言いたい事を口にした女性。どうやら彼女が座るテーブルには砂糖が無かったらしい。しかし砂糖が欲しいなら別にサフィーア達に声を掛けなくても、店員に言えば良さそうなものだが…………。

 

 だが当のサフィーアはそんな事よりも、別の事に気を取られていた。

 

――うわ、綺麗な人っ!――

 

 最初振り向いた時には気にならなかったが、申し訳なさそうに頼み事をしてきた辺りでサフィーアは女性の隠しきれない美しさに注意が向いていた。

 恰好は割と、と言うかかなり地味だったが、それでも尚女性は美しいと女ながらにサフィーアは感じた。整った目鼻立ちと白くきめ細やかな肌は白磁の彫刻を思わせ、鮮やかなアメジストの瞳はまるで宝石の様だ。

 そして何より目が行くのがその胸元。ゆったりとした服装をしているがそれでもその存在を主張する双丘はサフィーアよりも大きかった。同じ女性としてちょっと嫉妬してしまう。

 恐らくちゃんとした格好をすれば老若男女構わず振り返る美人になる事だろう。正直、こんな格好をしているのが勿体ないと思えてしまった。

 

「あ、あの……?」

「へ? あ、あぁ砂糖ね! ごめんごめん、はい」

 

 思わず見とれていたサフィーアは、女性自身に声を掛けられたことで我に返った。そして慌ててテーブルの上の容器からスティックシュガーを一本取り出して女性に差し出すのだが、それを見て彼女は逆に少し困った顔になってしまった。

 言葉には出していないが、思念でサフィーアには分かる。これでは足りないのだ。なのでサフィーアはすかさずもう二本ほど取り出すが、女性はそれらを受け取らず申し訳なさそうに口を開いた。

 

「あの、お恥ずかしながら……」

「ん?」

「その…………容器毎頂けないでしょうか?」

「へ?」

 

 容器毎と言われて、サフィーアはチラッと自分のテーブルにある砂糖の入った容器を見る。容器にはまだ十本近くスティックシュガーが入っているし、何より彼女達の中に飲み物に砂糖を入れる者は居ない。なので容器毎砂糖を渡すこと自体は別に構わないのだが…………。

 

「だ、駄目でしょうか?」

「い、いや、いいわよ?」

 

 サフィーアは取り出した三本のスティックシュガーを容器に戻すと、容器毎女性に手渡した。女性は渡された砂糖に顔を綻ばせると、サフィーアに丁寧に感謝した。

 

「あ、ありがとうございます!」

「いいのいいの、うん」

 

 女性からの感謝を適当に受け取り、サフィーアは再び前を向いた…………ふりをしてこっそり背後を覗き見た。

 

 果たしてそこには、案の定これでもかとコーヒーにスティックシュガーを入れている女性の姿があった。その数、勿論一本や二本ではない。一瞬で確認できるだけでも十本近くの砂糖が入っているのが分かった。どう考えてもそんなに溶ける筈がないのに。

 

「あ、甘党なのね。それもかなりの」

「へぇっ!? あ、そ、その…………はい」

「あ、ごめん。別に馬鹿にしてる訳じゃないのよ。ただ砂糖をそんなに使う人を見たこと無かったから」

「いえ、いいんです。周りにはよく入れ過ぎと言われますから」

「それでも入れるのね?」

「好きですから」

 

 自覚がありながらも、好きだからと言う理由で徹底的に砂糖を入れる事を止められないと言う女性。その答えにサフィーアは思わず吹き出してしまった。彼女も女性、甘いものは大好きだ。だから、健康や体形に悪いと思いながらも――サフィーアの場合は資金繰りに苦労すると分かっていながらも――甘いものに手を出してしまう気持ちはよく分かる。

 共感できてしまうが故に、サフィーアは思わず笑みを浮かべてしまったのだ。

 

 だが女性の方はそうは思わなかったらしい。突然笑われたことで、やはり自分はおかしいかと思ってしまったのか少し表情を暗くする。

 

「や、やっぱり変ですか?」

「ううん、そんな事ないわ。ごめんね、笑っちゃって。ただあなたの気持ちも何か分かるから、何て言うかつい、ね?」

「貴女も、甘いもの好きですか?」

「そりゃ女だもの。甘いものは別腹よ」

「同じですね…………ふふっ!」

「にひひっ!」

 

 女性はころころと笑いながら、徹底的に甘くしたコーヒーを一口啜った。恐らくサフィーアが飲んだら、そのあまりの甘さに胸焼けを覚えるだろうそれに彼女は幸せそうな顔をする。本気で甘いものが好きなのだろう。

 彼女は極甘のコーヒーを一口飲むと、徐にサフィーア自身の事を訊ねた。

 

「ところで、貴女方はもしかして傭兵の方ですか?」

「うん、そうよ」

「この街には、お仕事に?」

「それは秘密。お仕事に関わる事だからね」

 

 その仕事に関わる事で先程まで散々不平不満を漏らしていたのだが、そこら辺は軽く流すサフィーア。どの道帝国軍が街で幅を利かせている関係上出歩く者は勿論、店の中にも街の住人は少なかったので、然程問題は無かっただろう。

 だが女性は思っていた以上に賢しい様だ。この時点で彼女はサフィーアのこの街での仕事内容をある程度察しているのか、表情に影を落とした。

 

 彼女から感じる思念は、悔恨と悲しみ、そして不安。恐らくこの街で騒動が起きる事を考えての事だろう。そう判断したサフィーアは、女性を安心させるように肩に手を置き柔らかな笑みを浮かべて声を掛ける。

 

「大丈夫! 街の人には出来る限り被害を出さないわ。なんたって此処には凄腕のAランクの傭兵が二人も居るんだから!」

「サフィが偉そうにするんじゃないの」

「あ痛っ?!」

 

 サフィーアが胸を張って女性を元気付けていると、何時の間にか二人の会話を聞いていたクレアがサフィーアの頭に手刀を落とした。唯の手刀と侮るなかれ、闘士として素手での格闘が主な戦闘手段である彼女に掛かれば、手刀でさえかなりの威力になるのだ。それこそ本気で振り下ろせば、サフィーアの頭など斧を振り下ろしたスイカの様になるであろう。手加減しているからこそ、痛いで済まされるのだ。

 

 脳天に振り下ろされた手刀の痛みにサフィーアが頭を抱えていると、不意に新たな思念が飛んできた。今度は何処か警戒するような思念だ。明らかな敵意も混じっている。

 サフィーアは頭を抱えながらそっと周囲に視線を向ける。街中に居る傭兵と言う事で帝国軍に警戒されたかと思ったが、ざっと見渡した限りでは彼女達に注意を向けている帝国兵の姿は確認できない。街の見回り目的で巡回している帝国兵は見えるが、それらは彼女達の方を見てもいなかった。

 だが実際に敵意と警戒は感じる。これは一体誰が放っているものだろうか?

 

 などと考えていると、突然大通りの方で派手な爆発音が響いた。次いで街のあちこちから武装したレジスタンスが姿を現す。

 

 作戦開始だ。

 

「二人とも!

「サフィ、行くわよ!」

「はい!」

「あ、あの――!?」

「大丈夫だから、出来るだけ安全な場所に居て。それじゃ!」

 

 引き留める様に声を掛けてきた女性をその場に残し、サフィーア達は大通りに出る。

 

 そこでは既に戦闘が始まっていたが、その相手は彼女が見た事のある帝国兵ではなかった。

 

「な、何あれ!?」

 

 レジスタンスが戦っている敵は、普通の帝国兵とは違いまるで甲冑の騎士の様な装甲服に身を包んだ兵士だった。赤い装甲が目を引くその兵士は、的確な連携で大通りの真ん中に停車している一台の車を護っている。

 

「あれがクリムゾン・ガードさ。兜を被ってるのがソルジャー、バイザーを付けて剣を持ってるのがプレトリアン」

 

 言われてよく見れば、赤い装甲服を身に付けた兵士には二種類いる。一見甲冑の騎士の様だが兜には帝国兵の装備の特徴であるカメラアイがあり、手にはアサルトライフルを持っている兵士と兜の代わりにバイザーで目元を覆っている兵士。後者は兵士と言うより騎士と言う言葉がしっくりくる。

 

「連中は一筋縄じゃ行かないわ、特にプレトリアンはね」

 

 クレアはサフィーアに警告しながら、腹の前でクロスさせた両腕を顔の前に持っていき顔の前でクロスを解いて両の肘を腰に付けた。

 これはクレアが時々行う、プリショットルーティーンと言うものだ。一連の動作でクレアの集中力は極限まで高まり、一気に臨戦態勢に移行する。

 

 パーティーを組んでそれなりに経つが、サフィーアはクレアのルーティーンを片手で数えるほどしか見たことが無い。つまりこれをすると言う事はそれだけ相手が強敵だと言う事だ。

 俄然、サフィーアも気を引き締めた。クレアが本気を出すほどの相手、まだまだ未熟なサフィーアでは一瞬気を抜いただけで命取りとなってしまう。

 

 目前に迫った戦いに、サフィーアは心に陰りを落とした不安を振り払いクレアとカインに続き前に足を踏み出すのだった。




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第43話:気を遣う市街地戦

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 レジスタンスと帝国第二近衛騎士隊の戦いは、控えめに言っても近衛騎士隊の完全な優勢だった。あちらは曲がりなりにも帝国の皇族を護る為に厳選された人員で構成されている。故に、その練度は通常の兵士を上回っており、所詮は民兵上がりのレジスタンスでは全滅しないようにするだけで精一杯であった。

 

 幸いなのは、近衛騎士隊の目的が皇女が乗っているであろう車の防衛でレジスタンスの排除ではないと言う事だろうか。彼らは飽く迄防衛に徹しており積極的に攻勢に出る様子がない。ここでもし近衛騎士隊が本気でレジスタンスを潰す気で迎え撃っていたら、勝敗はあっと言う間に決していただろう。

 だがそれも帝国正規軍が到着するまでの話だ。今は数の上でのみレジスタンスが上回っているが、帝国軍の援軍が到着したら数の上でも逆転され、一人残らず皆殺しに遭うのは想像に難くない。

 更に言えば民間人への被害も問題だ。物々しい警備がされた車があるからか元々の住民はその多くが大通りから離れていたようだが、全てではない。大通りに面した店舗の店員がまだ残っている。このままでは彼らが巻き込まれてしまう。

 

 勿論、そんな事はサフィーア達が許さない。彼女達はその為に雇われ、ここに居るのだ。

 

「サフィは私と一緒に居なさい。離れないようにね。カイン!」

「お任せを、お嬢様」

 

 言葉少なく意思疎通したカインは、二人から離れて近くのビルの壁をすいすい登っていく。見事な手際にサフィーアは一瞬目を奪われてしまった。

 

「スゴ、猿みたい」

「カインに構ってる暇はないわ。行くわよ!」

「はい!」

 

 クレアに肩を叩かれ我に返ったサフィーアは、彼女と共にレジスタンスと戦っている近衛騎士隊に突撃する。

 レジスタンスを追い抜き突撃してくるサフィーア達の、最初の相手は当然ながらクリムゾン・ガード・ソルジャーだった。武装は見た目以外一般兵と大差ないが、練度が違うのか以前戦った帝国軍よりも狙いが正確だ。

 的確にこちらの急所を狙って飛んでくる弾丸を、サフィーアはマントで防ぎクレアは拳で弾く。

 

 凄まじいのはやはりクレアだ。彼女は迫る弾丸を弾きながら敵兵に肉薄すると、手近に居る奴から素早く蹴散らしていく。二手三手先を読んでの攻撃は敵に反撃の隙を与えず、それまでレジスタンスを圧倒していたC(クリムゾン)・G(ガード)・ソルジャーが全く相手になっていない。

 サフィーアも負けてはいなかった。彼女は彼女で周りを巻き込まない所まで出ると挨拶代わりに空破斬・旋を放ち、C・G・ソルジャーの動きを一時的に封じた。拡散する斬撃は、一発一発の威力は低くても視覚的に迫力がある。敵の勢いを削ぐにはこれ以上の技はない。

 案の定C・G・ソルジャーはその勢いを殺され、その隙にレジスタンスは体勢を立て直すことに成功した。民兵上がりではあっても素人ではない、と言う事か。

 

 だがそれは近衛騎士隊も同様だ。それどころかレジスタンスよりも素早く体勢を立て直した。サフィーアの範囲攻撃の範囲外に居た兵が動きを止めた兵のフォローをし、被害を最小限に抑えた。

 結局彼女の攻撃は僅かな時間稼ぎにしかならず、それどころか彼女自身が厄介な人物として近衛騎士隊の優先攻撃目標となってしまう。

 

「うっくぅ、流石にきついかな?」

「弱音吐くんじゃないの。大丈夫よ、ソルジャーまでならサフィでも楽勝よ」

 

 クレアのサポートを受けながらサフィーアは迫るC・G・ソルジャーの攻撃を凌ぐ。時にはウォールの障壁で対応が間に合わない方向からの攻撃を防いでもらいながら、クレアとは違い一人ずつ確実に敵の数を減らしていく。

 幸いだったのはソルジャーは装備が白兵戦にあまり対応していなかったことだ。一応コンバットナイフは装備しているが、彼女とて剣士の端くれ。ナイフがメインの武器である相手の場合は兎も角、接近された時の攻撃手段として装備している程度のナイフに負ける訳にはいかない。

 

「とは言え、簡単にはいかないわよね」

 

 接近するとナイフを抜いてサフィーアの胸を突こうとしてくるC・G・ソルジャーの攻撃を、サニーブレイズで防ぎお返しに風属性の魔力を纏った蹴りで吹き飛ばす。その勢いのままに別のC・G・ソルジャーに接近するとナイフを弾き、胴を凪いで一撃で仕留める。その際にソルジャーが彼女に向けた負の思念が彼女の心を苛むが、心の悲鳴を押し殺して彼女は次の敵に向かっていく。

 そんな彼女の目に、C・G・ソルジャーの向こう側で建物の陰に隠れている民間人。そして民間人に気付いていないのか、そのC・G・ソルジャーに向けてロケットランチャーを撃とうとしているレジスタンスの姿が映った。

 

「ッ!? クレアさん、あたしを思いっきり蹴って!!」

「はぁっ!? 何言って、ッ!! オッケー!」

 

 突然のサフィーアの言葉に何を言い出すのかと声を荒げたクレアだったが、彼女の先に広がる光景を見て据えてを理解し回し蹴りを放つ。サフィーアはその瞬間ジャンプし、両足をクレアの蹴り足に乗せるとクレアの蹴りの威力を利用して一気に跳躍した。

 それと同時に放たれるレジスタンスのロケットランチャー。

 

「させるかぁッ!!」

 

 C・G・ソルジャーに向かって飛ぶロケット弾、サフィーアはそれを空中で切り裂いた。真っ二つになったロケット弾は一気に減速し、C・G・ソルジャーの手前で爆発する。

 

「なっ!?」

「おいっ!?」

 

 突然のサフィーアの行動にC・G・ソルジャーは驚愕し、レジスタンスは怒声を上げる。彼女はその声に構わず着地した勢いをそのままに、驚愕に動きを止めたままのC・G・ソルジャーに斬りかかった。慌てて対応しようとするソルジャー達だが、間に合わずあっという間に蹴散らされてしまった。

 レジスタンス達にしてみれば、彼女の行動は訳が分からなかっただろう。自分達の行動を邪魔したかと思えば、敵は確り倒しているのだ。罵倒すればいいのかどうすればいいのか困惑してしまう。

 

 その彼らを無視して、二人は時に逃げ遅れた民間人を護る為にレジスタンスの攻撃を妨害しながら近衛騎士隊の数を減らしていく。

 

 その時、レジスタンスの一人が近衛騎士隊の防衛ラインを突破して車に取り付いた。サフィーア達が戦場を引っ掻き回した結果、彼らが近衛騎士隊を突破する隙が出来たようだ。

 レジスタンスのメンバーは後部座席のロックを魔法で破壊して後部座席から一人の女性を引っ張り出す。淡い桃色の髪の女性を、レジスタンスは乱暴に引っ張り出してそのまま連れて行こうとする。

 

 が、次の瞬間予想外の光景がサフィーアの目に飛び込んだ。なんとレジスタンスに引っ張り出された皇女が格闘でそいつをノックアウトしてしまったのだ。

 それだけに留まらず、皇女は徐に着ていたドレスを引き裂くと頭髪を毟り取り…………いやあれは鬘(かつら)だ。鬘を外すとその下から鮮やかな赤髪が、ドレスの下からは装甲自体はソルジャーより少ないが造形はより騎士と言う言葉がしっくりくる鎧が姿を現した。

 

「影武者!?」

「ま、支配が完全じゃない場所に大切な皇女を分かり易く連れてこないわよね」

 

 サフィーアとクレアが見ている前で、影武者の女性はバイザーを身に付け車の中から一本の剣を引っ張り出す。

 

 次の瞬間サフィーアに複数方向から敵意が飛んできた。周囲を見るとそれまでレジスタンスの相手をしていたクリムゾン・ガード・プレトリアンが一斉に二人に向かってくるのが見えた。勿論、影武者だった女性も。

 

「くっ!?」

「サフィ、私から離れちゃ……チッ!?」

 

 プレトリアンの作戦が分断と各個撃破だと素早く見抜いたクレアが警告を発したが、彼らの行動は早かった。一人が放った地裂斬を回避する為に二人の間に距離が開いてしまい、更に出来た隙間を即座に別の奴が広げ瞬く間に彼女らは分断されてしまった。

 ここの連携は流石と言ったところだろうか。

 

 感心している場合ではない。サフィーアは窮地に陥っていた。彼女の相手は二人のプレトリアン。一人は影武者の女性でもう一人は男、どちらも明らかにサフィーアより格上だ。

 他のプレトリアンはクレアの方に向かったようだが、何の慰めにもならない。

 

「さぁて、お嬢ちゃん。降参するなら今の内だぜ?」

「何甘っちょろい事言ってるのさジャック。こいつも皇女殿下襲撃に加担したんだ。手心は必要ないよ」

「いやいや、皇女殿下の事を思えばさ、イヴ。不要な殺生を皇女殿下は好まれない。可能な限り生かしておかないと」

「女だから、じゃないの?」

「否定はしない」

 

 サフィーアを前にして軽口を叩き合う二人のプレトリアン、ジャックとイヴ。二人の様子に彼女は思わず唇を噛み締めた。

 あの二人の様子は明らかに彼女を格下と見下したものだ。それは紛れもない事実だし、彼女自身も二人が自分より格上だと認識していた。だがこうして明らかに雑魚扱いされると、彼女の反抗心に火が着いてしまう。

 

「くぅん!」

「分かってる。自分は見失わないわ。でもね……」

 

 サニーブレイズを構え直すサフィーアを見て、ジャックとイヴも口を閉じ剣を構えた。だが見た目は気持ちを切り替えたように見えても、心の中ではまだ彼女を侮っているのを思念が教えてくれていた。

 

「舐められて平然としていられるほど、あたしは大人しくないわ!」

「馬鹿な奴。さっさと終わらせるよ!」

「あっちには闘姫が居るし、魔銃士が何処からか狙撃してきてる。この程度の傭兵はさっさと始末しないとなぁ!」

 

 

***

 

 

 サフィーアとクレアがプレトリアンとの戦闘に突入した頃、カインはと言うと一人大通りに隣接したビルの上から狙撃でレジスタンスを援護していた。彼の狙いは他のソルジャーに指示を出している指揮官的ポジションにいる奴だった。プレトリアンだけでなくソルジャーにも近くに居る奴に指示を出しているらしき奴が居り、そいつらが連携の要となっている。なので指示を出しているような奴を優先的に仕留め、敵の連携を崩す事を目的に行動していた。

 このお陰でレジスタンスの被害は少しずつだが減っており、そろそろクレアとサフィーアの援護に移ろうかと考えた時だった。

 

 カインは背筋に冷たいものを感じ、直感で狙撃を中止し素早くその場を飛び退いた。直後、彼が居た場所が斬撃で切り裂かれた。

 

「うおっ!?」

「ほぉ、流石は魔銃士だな。完全に奇襲したと思ったんだが」

「これでも、修羅場は多く潜り抜けてるんで」

 

 カインの反応速度に舌を巻く襲撃者――サイの言葉に、彼は平然とした様子で返すが、内心では盛大に冷や汗を流していた。

 何しろ相手は帝国最強の騎士との呼び声も高い剣士。距離が離れていれば兎も角、銃士の彼では接近戦は少々分が悪い。対抗できないとは言わないが、勝てるかと言われると断言はできなかった。

 

「闘姫と何方に向かうか迷ったが、こちらに来たのは正解だったか」

「不正解かもよ? 君ならともかく、ただのプレトリアンでクレアに勝てるとでも?」

「例え勝てずとも、持ち堪えてくれれば問題ない」

「仲間を信頼している様で」

「お互いにな」

 

 互いに剣と銃口を向け合っているとは思えない雰囲気で語り合うカインとサイだったが、それも終わりを迎えた。

 

 一気に張り詰める緊張感。カインはサイの心臓に狙いを定め、サイはカインの首を一撃で落とすべく彼の首筋に切っ先を向けた。

 

 そして…………レジスタンスの誰かがロケットランチャーを撃った瞬間、サイは駆け出し二人は同時に“引き金”を引いた。




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第44話:開眼

読んでくださる方達に最大限の感謝を。


 サフィーアは二人のクリムゾン・ガード・プレトリアン、ジャックとイヴを相手に健闘していた。

 相手は帝国の精鋭、実力的に言えば傭兵ならばベテラン一歩手前辺りと言ったところだろうか。そんな二人を相手に、時にウォールが手助けしてくれるとは言え未だ倒れず持ち堪えているのは見事と言えるだろう。

 

 しかし――――

 

「はぁ……、はぁ……、くそ」

 

 最早サフィーアの敗北は時間の問題だ。致命傷は受けていないが、体のあちこちに細かな切り傷が付けられている。所々に血も滲んでいるし、状態は満身創痍一歩手間である。

 

「ん~、なかなか頑張るねぇ。どうだい、傭兵止めてウチに入らない?」

「馬鹿言ってんじゃないよ。こんな弱い奴」

「いやいや、俺ら二人を相手にこれだけ粘れれば大したもんでしょう?」

「ただの悪足掻きさ。一気に決めるよ!」

 

 そう言うとイヴは徐に下ろした剣の鍔の部分の引き金を引いた。すると次の瞬間、細身で長かった剣が倍以上の長さに伸びた。

 その光景にサフィーアは思わず驚愕に声を上げる。

 

「チェーンブレード!?」

 

 イヴの持っていた剣はただ伸びた訳ではない。一本のワイヤーで繋がれた状態で刃がバラバラになったのだ。

 ジャックが持っているのがごく普通のクレイモアであるのに比べてイヴの持っている剣が嫌に細長いのが妙に気になっていたが、どうやらあれが彼女の剣の真の姿らしい。バラバラの刃を一本のワイヤーで繋いだ連結剣(チェーンブレード)、それが彼女の得物だったのだ。

 

 あの武器は正直かなり厄介だ。何しろ攻撃の軌道が読み辛い。ただの剣であれば軌道は直線的だが、あの形状だと熟練者ならヒットの直前に手首の動き一つで別の場所に攻撃を命中させることすらできる。そして恐らく、イヴはあの武器を手足の様に扱える筈だ。皇女の護衛を務める者が、伊達や酔狂であんな武器を持つ訳がない。

 

「そぉらっ!」

「くっ!?」

 

 イヴがチェーンブレードを振るうと、連結された刃が鞭の様にしなってサフィーアに襲い掛かった。迫る連結刃をサニーブレイズで弾くサフィーアだが、連結刃は弾かれた傍から軌道を変える。サフィーアの体の上を舐める様に軌道を変えた連結刃は、初撃を弾く為に体勢が崩れ無防備となった背中を切り裂く。

 

「ぐぅっ?!」

「隙あり!」

「くぅん!」

 

 背中を切り裂かれて動きを止めたサフィーアにトドメを刺そうと迫るジャックだが、彼の攻撃をウォールの障壁が阻んだ。サフィーアとウォールをすっぽりと覆う様に張られた障壁、その障壁にイヴの連結刃が巻き付いた。

 

「えっ!?」

「はっ…………甘いね」

 

 鼻で笑いそう呟いた次の瞬間、連結刃が青白い燐光を放った。マギ・バーストだ。

 イヴのマギ・バーストされた連結刃がウォールの張った障壁を締め付ける。その程度で切り裂かれるほどウォールの障壁は柔ではない。が、その威力は確実に負担となってウォールに圧し掛かっていた。

 

「く、くぅ……!?」

「ウォール!? もういい、無理しないで!?」

 

 このままではウォールが先に参ってしまう。サフィーアは障壁を解除させて肩マントで防ぐ方に変更しようとするが、そちらの方が遥かに危険である事を理解しているウォールは負担に足を踏ん張りながら首を左右に振る。この連結刃は、マギ・コートで強化したとしても肩マントで防ぎきれるものではない。

 

 だが結果としてウォールの頑張りは無意味に終わった。敵はイヴだけではないのだ。

 

「貰い!!」

 

 連結刃で完全に動きを封じられたサフィーアの上空から、ジャックがクレイモアを突き立てようと飛び掛かってきた。マギ・バーストされたクレイモアの一撃が障壁に突き立てられた瞬間、限界を迎えた障壁がガラスの様に粉々に砕け散った。

 その際、連結刃は障壁が砕け散ると同時に引っ込んでいった。そのままだとサフィーア毎ジャックを切り裂いてしまうからだろう。正に以心伝心の連携だ。

 

 一方、サフィーアはサフィーアで障壁が砕け散った瞬間ウォールを抱えてその場から飛び退いていた。あの一瞬、彼女の意識はウォールの方に向いていたがそれでも上空から飛び掛かってくるジャックの敵意を感じ取れていたのだ。

 

 辛くも危機を脱したサフィーアだったが、その表情は険しかった。

 

――くっそ、速い!?――

 

 普通の相手なら、サフィーアは思念を感知して回避なり反撃に転ずる事が出来る。だがC・G・プレトリアン相手だと、この二人が相手だとそうはいかなかった。

 この二人の攻撃はとにかく速いのだ。来ると感じ取った瞬間にはもう攻撃が目前まで迫っており、ぎりぎりで回避するか防ぐので精一杯で反撃に回る事が出来ないのだった。

 これはサフィーアにとって初めてではない。他ならぬクレアが彼らと同じように、サフィーアの感知を超える速度で攻撃してきたのだ。つまり、この二人はクレアに迫る実力者であると言う事。

 

 サフィーアは焦る。このままでは確実に押し切られ、敗北を喫してしまう。

 自分一人が負けるだけならいいが、それがクレアにまで迷惑が及んでしまうと考えると意地でも負けたくはなかった。と言うか、何としても勝ちたい。例え勝てないまでも、せめて一矢は報いたいと言うのが本音だった。

 

 どうすればいいか? サフィーアは油断なく構えながら考えた。単純な技量はすぐには埋まらない。なので対抗するには、作戦や発想で勝負するしかない。

 

 自分には何が出来る? 彼女は出来る事を頭の中でピックアップした。

 

――出来る事は剣を振るう事と、思念を感じ取る事。アイテムは、役に立ちそうなのと言ったら閃光玉と煙玉くらいかな?――

 

 一通り自分の手札を確認したが、これだけではこの状況を好転させる手立てが思いつかない。経験不足からくる自分の発想の貧相さに泣きたくなったが、ジャックとイヴはそれすら許さなかった。

 同時に動き出した二人に、サフィーアは一瞬どちらに対処するか迷ってしまう。その刹那、僅かな差だがジャックから感じる敵意が強くなった。反射的にサフィーアはその場に伏せると、横凪ぎに振られたクレイモアがサフィーアの首があったところを薙ぎ払った。

 間一髪で危険を回避したことに冷や汗を流す間もなく、今度はその場で飛び上がった。直後に地面すれすれの高さをイヴの連結刃が通り過ぎる。だがそれでイヴの攻撃は終わりではなかった。サフィーアの足の下を通過したと思った連結刃は、生きているかのように動きを変え空中のサフィーアの足を絡めとったのだ。

 

「ッ!? しま――」

 

 まずいと思った瞬間、足があらぬ方向に向けて引っ張られる。サフィーアは咄嗟に片手で抱えていたウォールをその場で手放した。コンマの差で足を引っ張られたサフィーアは、振り回された挙句無人となったビルの壁に叩き付けられた。

 

「ガハッ?!」

「ジャック!」

「応!」

 

 壁に叩き付けられたサフィーアは肺の中の空気を吐き出してしまい、呼吸が整わず動く事が出来ない。そこに追撃を掛けるジャック。彼女の心臓を突き刺そうと迫るクレイモアの刃を前に、サフィーアはただ見ているしかできなかった。

 だが彼女に最期の時は訪れなかった。ジャックのクレイモアが彼女に向けて突き出された瞬間、障壁を破壊された衝撃から立ち直ったウォールがジャックの顔に飛び掛かったのだ。

 

「くぅん!!」

「あイテッ?! なんだ、こいつっ!?」

 

 ウォールは大して鋭くもない爪や牙を使ってジャックの顔に噛み付いたり引っ掻いたりして彼の動きを止める。マギ・コートで防護した彼には当然大した効果はないが、目くらましにはなった。その間にサフィーアは体勢を立て直す。

 

 サフィーアは内心でウォールに感謝しながら、今し方の感覚に思いを馳せていた。今の回避が、彼女にあるヒントを与えてくれたのだ。

 

――そうか、“受け取る”だけじゃダメなんだ。自分から、“掴み取り”にいかないと!!――

 

 恐らくそれはサフィーアにしか分からない感覚だろう。

 今まで彼女は、攻撃に関する思念を受動的に感知していた。自身に迫る思念を、親鳥に餌を恵んでもらう雛の様に感じ取るだけだった。

 だがそれでは駄目だ。それでは大雑把にしか攻撃が来ることが分からず、彼女の動きに合わせて攻撃する場所を変える程の実力者が相手だと守りが後手に回ってしまう。

 

 ならばこそ、求められるのは能動的な思念感知だった。自分から相手の思念をつかみ取り、相手の攻撃を予知して見せなければ。

 

 サフィーアが体勢を立て直すと同時に、ジャックはウォールを引き剥がして彼女に向けて放り捨てた。元々障壁を破壊された負担で弱っていたにしては、かなり頑張った方だろう。

 よれよれとなった状態で飛んできたウォールを、サフィーアは優しくキャッチしその場に下した。その際、お疲れ様と軽く頭を撫でてやる。

 

 そんな彼女を、ジャックとイヴは左右から囲む。正反対の方向から向けられる敵意に対し、サフィーアは呼吸を整えサニーブレイズを構えた。

 

「さぁて、頼りになる相棒ももう使い物にならないだろう。年貢の納め時だぜ」

「何か言い残すことはあるかい?」

 

 もう二人は完全に勝った気でいた。厄介な障壁を張るカーバンクルはもう動けず、サフィーアの実力は二人に劣る。彼らにとって、負ける要素が存在しないのだ。

 

 その二人に対し、サフィーアは言い放った。

 

「あたしを、舐めるなッ!!」

 

 その言葉を合図に、ジャックとイヴはサフィーアに攻撃を仕掛けた。ジャックはクレイモアを振るい、イヴは連結刃を伸ばす。

 迫る二つの刃、本能が全力で逃げろと告げるが彼女はそれを根性で黙らせ左右から迫る思念に意識を集中させた。

 

 だが何かを掴み取る前に、限界を超えて迫った刃にサフィーアは堪らず前転して回避した。難を逃れた彼女を逃すまいと、連結刃の先端が蛇の様に向きを変えた。

 素早く背後から追跡してくる連結刃。サフィーアはそれに全意識を集中させる。

 すると徐に、彼女の頭は連結刃の先端が何処を狙っているのかを理解した。彼女はそれに従い連結刃の先端を弾く様にサニーブレイズを振るう。すると二つの刃はまるで引き合う様にぶつかり合い、力負けした連結刃があらぬ方向へ飛ばされた。

 

「ちっ、悪足掻きを!?」

「それでもこれで!!」

 

 イヴが舌打ちしながら連結刃を一度巻き戻す横で、ジャックはクレイモアを構えてサフィーアに向けて突撃する。彼女は回避と防御を連続で行い、一時的に無防備となっていた。普通なら、今が狙い目だ。

 

 そう、普通なら…………

 

「もらったぁ!」

 

 ジャックが会心の一撃を狙ってサフィーアに向けてクレイモアを振り下ろす。その瞬間、サフィーアは片腕だけでサニーブレイズを振るい、ジャックのクレイモアを横から弾いた。

 これは少し予想外だったのかジャックは驚愕に目を見開くが、直ぐに気を取り直すと弾かれた勢いを逆に利用してそのまま一回転してクレイモアを薙ぎ払おうとした。

 だがそれよりも早くにサフィーアが動いた。ジャックが一回転してクレイモアを振るおうと彼女から視線を外した一瞬の隙に接近し、サニーブレイズを振るおうとした。

 

「なっ!?」

「させないよ!」

 

 まさかの反撃に今度こそ驚愕するジャック。イヴが彼をフォローすべく連結刃を真っ直ぐ伸ばしてサフィーアを突き刺そうとするが、彼女はそれを紙一重で回避しながら蹴りと同時に放った風魔法でジャックを吹き飛ばした。

 

「なっ!?」

「うおっ?!」

 

 サフィーアの動きが明らかに先程と違っている。その事実に二人は一旦彼女から距離を取って体勢を整えた。今の二人の頭を占めるのは、混乱の二文字だった。

 

「何だこいつ、急に動きが良くなったぞ?」

「手を抜かれてた? いや、まさか…………」

 

 今のサフィーアが先程までの彼女と同一人物と信じられない二人は困惑した様子で彼女の事を見ていた。

 

 対するサフィーアは、、微かな高揚感を覚えていた。言うまでもなく今のはまぐれではなく、彼女が狙ってやったものだ。彼女は最高のタイミングでイヴの、ジャックの攻撃を防ぎ、最高のタイミングで反撃に転じたのである。

 

 この瞬間、彼女は自身の成長を感じ高揚感を感じていた。それは自信になり、彼女に更なる力を与える。状況は着実に好転しつつあった。

 

 好転はさらに続く。サフィーアを警戒する二人に向け人影が飛んで行った。突然飛んできた人影を、彼らは咄嗟に回避してしまった。

 

「ぐぉあっ?!」

「あぁっ!? おい大丈夫か!?」

 

 飛んできたのはクレアの相手をしていた筈のC・G・プレトリアンの一人だ。装甲はボコボコで、所々焼け焦げている。

 

 突然飛んできた仲間を心配して駆け寄るジャック。対するサフィーアは、希望に満ちた顔で背後を振り返った。果たしてそこには、若干呼吸を乱し無傷とはいかないまでも両の足で地面をしっかり踏みしめたクレアが居た。

 

「クレアさん!」

「あぁ~もう、本当にプレトリアンは厄介よね。それはそうとサフィ、よく頑張ったわね」

 

 クレアは額の汗を拭いながら、サフィーアに近付くと彼女の頭を撫でる。確かに成長を実感しそれを信頼する先輩に褒められる、それは彼女にとって何よりの勲章だった。

 

「さ、踏ん張りなさい。ここからが正念場よ」

「はい……って、あっ!?」

 

 残りの敵を一気に倒そうと意気込むサフィーア。そんな彼女に、ある光景が飛び込んできた。

 

 戦闘に加わらずその場を離れようとする一人のC・G・ソルジャー。そして、その彼に引かれている一人の女性。

 

 それは、先程カフェで出会ったあの甘党の女性だった。




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次回の更新は月曜日の午前と午後を予定しています。


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第45話:甘党の真実

読んでくださる方達に最大限の感謝を。


 その光景を目にした瞬間、サフィーアはその場をクレアに任せて飛び出した。

 

「ここ頼みます!」

「はぁっ!? ちょ、待ちなさい!!」

 

 制止も聞かずにジャックとイヴをクレアに任せたサフィーアは、甘党の彼女を連れ去ろうとしているC・G・ソルジャーの前に躍り出た。そいつは甘党の彼女の方に意識を向けていたからか、突然目の前に飛び出したサフィーアに驚き動きを止めてしまう。

 

「待ちなさい! その人をどうするつもり?」

「くっ!? 邪魔だッ!!」

 

 C・G・ソルジャーはサフィーアに銃口を向けるが、引き金が引かれる前にサフィーアがサニーブレイズでライフルを弾き飛ばした。

 慌てず即座に腰のアサルトナイフを抜き接近戦に切り替えるC・G・ソルジャーだったが、ソルジャーレベルならサフィーアは負けない。そいつが構える前にサニーブレイズを袈裟懸けに振り下ろし、あっという間に無力化してしまった。

 

「がはぁっ?!」

「あぁっ!?」

 

 目の前で人が切り裂かれて倒れる光景にショックを受けたのか、甘党の彼女は悲痛な叫びを上げる。戦いの場に居ない者にはかなり刺激の強い光景だろうそれを見せてしまったことに若干の罪悪感を覚えつつ、彼女を安全な場所に退避させるべくその手を取ってその場から引っ張っていく。

 

「こっちよ!」

「あ、ま、待って!?」

「いいから、大丈夫よ。早く!」

 

 突然の事態の変異に付いていけないのか、甘党の彼女はサフィーアを引き留めようとするが彼女はお構いなしに手を引いてその場を離れていった。

 甘党の彼女はサフィーアに引っ張られながら暫く倒れたC・G・ソルジャーの事を振り返っていたが、少しして彼女に付いていく事に納得したのか抵抗せずに彼女に付いていくのだった。

 

 

***

 

 

 一方クレアの方はと言うと、ジャックとイヴ、さらにはまだ戦うだけの余力を残したC・G・プレトリアンを相手に見事な戦いを見せていた。クレアは多少の軽傷を付けられてはいるものの微塵も動きのキレは失われておらず、逆にプレトリアンの中には彼女によって完全に行動不能にされた者も居た。

 

「全く、あのお転婆娘め。この仕事が終わったら少し説教が必要かしら?」

 

 ジャックとイヴを始めまだプレトリアンが数人残っているにも拘らず、クレアはそんな事を呟く。余裕綽々と言ったその様子にジャック達は思わず歯噛みするが、実際問題彼女一人にこの場の全員で掛かってもまるで勝てる見込みが無いので何も言えなかった。

 

「くそ、まさか闘姫がこれほどの実力者だとはな」

「まずいよジャック、このままだと――――ッ!?」

「言われなくても分かってるよ!? だがこいつが俺達を逃がしてくれると思うか?」

 

 実は先程から何度かクレアを振り切ろうとしてはいたのだ。だが彼女は巧みに彼らの行動を妨害し、プレトリアンを全員この場に完全に釘付けにしていた。

 次第に焦りを隠せなくなりつつあるC・G・プレトリアン達。だがここで天は彼らに味方した。

 

 突然、あらぬ方向からカインが飛ばされてきて地面に強かに背中を打ち付けたのだ。

 

「ぐあっ?!」

「とっ!? か、カインッ!? 何処から飛んできたのよ!?」

「すまない」

「いや、そんな大したことは無いけどさ……」

「そうじゃない。厄介な奴を連れてきちゃってね」

 

 カインがクレアに謝りながら立ち上がった時、彼に向けて魔力で形作られた斬撃が飛んできた。出し抜けに飛んできた空破斬に面食らいつつ、クレアは咄嗟に彼の前に出ると素早くルーティーンを済ませ飛んできた斬撃を魔力で強化した拳で迎え撃った。

 

「ぐぅっ!?…………らぁっ!!」

 

 サフィーアの放つそれとは比べ物にならない程完成度の高い空破斬に、若干押されつつクレアはそれを拳で押し返し明後日の方向へと逸らすことに成功した。だが流石に無傷とはいかなかった。強力な攻撃を拳一つで逸らした代償に、彼女の右腕は強い痺れを訴えていた。これは回復するまで少し時間が掛かるかもしれない。

 クレアは思わず顔を顰めた。右腕が暫く使い物にならなくなったからではない。それも重要だが、それ以上に重要なのは今の攻撃の下手人だ。その相手――サイを視界に納めた瞬間、彼女の表情から一切の余裕がなくなった。

 

「あんた…………本当に厄介な奴を連れて来てくれたわね」

「うん。だからすまないって」

 

 クレアに謝りながら、カインは油断なく周囲を警戒している。今の攻撃でクレアが動きを止めた事で、ジャック達数名のプレトリアンが体勢を立て直してしまったのだ。

 そんな中、ジャックはその場に現れたサイに一瞬喜色を浮かべ、直ぐに焦りの表情を浮かべると先程サフィーアが倒したソルジャーを指差しながら彼に声を掛けた。

 

「隊長、姫様が!?」

「ッ!? オウギュスト!」

 

 ジャックが指差した先に居るソルジャーを見た瞬間、サイはそちらに向けて駆け出し倒れたソルジャーを揺すった。揺すられたソルジャーはすぐに目を覚ますと、即座に起き上がり周囲を見渡して状況を理解した。

 

「はっ!? し、しまった、殿下が!?」

「誰にやられた?」

「申し訳ありません、傭兵相手に不覚を取りました。青い髪をした女の傭兵です」

「お前は大丈夫か?」

「はい。咄嗟に殿下が回復魔法を掛けて下さったようで」

 

 見るとオウギュストと呼ばれたソルジャーは、鎧こそ破壊されているが血が流れている様子は無い。彼が付けられた傷は決して浅いものではない。下手をすれば数分で命を落としかねないレベルの重傷だった。それを物の数秒で完治させた、彼が掛けられた回復魔法は非常に強力だったと言う事になる。

 

 その回復魔法を掛けたのは、他ならぬ彼が連れて行こうとしていた女性…………そう、あの甘党の女性こそが、彼らが本来守ろうとしていた帝国第一皇女のグラシア・P・ムーロアだったのだ。

 

 グラシアが連れ去られた。その事実にサイの顔から一切の表情が消えた。

 

「何処に行ったか分かるか?」

「自分が覚えている限りでは、そこの路地を曲がっていったかと」

「よし。お前は一旦引いて装備を整えてこい。ジャック、この場はお前たちに任せた。私は姫様をお助けする」

「お任せを!」

 

 その場をジャック達に任せたサイは、一目散にグラシアがサフィーアに連れていかれた方に向けて駆け出す。

 その様子にクレアはすぐにでもその後を追い掛けたかった。今のサフィーアにサイの相手は荷が重いなんてものではない。下手をすれば子供扱いなんてレベルではないくらい一方的にやられてしまう。

 

 だがクレアが彼の後を追う事は叶わなかった。彼がその場を離れると同時に、体勢を立て直したジャック達が二人を完全に包囲していたのだ。その表情は先程よりも覇気に満ちている。頼れる人物の登場と為すべき使命が、彼らの心を奮い立たせたのだ。

 

「仕切り直しだ、闘姫に魔銃士。お前たちはここから先には一歩も進ませないぜ」

 

 各々武器を構えるジャック達を前に、険しい顔をするクレア。そんな彼女の右腕に、カインは気休め程度だが回復魔法を掛ける。

 

「僕じゃこれが限界だ。すまないね、戦う事しか能がなくて」

「あんたが気にする事じゃないわ。それより、どれくらいでこいつら始末できそう?」

「出来る限り僕が此奴らを引き受ける。君は隙を見てこいつらを突破して、サフィを助けに行ってくれ」

「逆の方が良くない?」

「直接戦って分かった。僕は彼とは相性が悪い。君が行った方が確実だ」

 

 カインは先程のサイとの戦いを思い出しながらそう告げた。

 射撃も魔法も全て弾かれ、近付かれれば回避化防御で精一杯。一応カインも接近戦が出来なくはないが、本職の、それも超が付くほどの熟練の剣士が相手では分が悪すぎた。

 

「だからこそ、あっちは君に任せたい。こっちは僕が全部引き受けるから、君はここを抜け出す事だけに全力を注いでくれ」

「カイン…………分かったわ」

 

 彼の覚悟に、クレアは力強く頷いて返した。そして、プレトリアンの包囲を抜けてサフィーアの元へ向かう事だけに意識を向けつつ構えを取る。同時にカインも、シリンダーに弾を込め終えたリボルバーライフルを構えた。

 

 それを合図に、プレトリアン達は一斉に二人に向けて飛び掛かっていった。

 

 

***

 

 

 その頃、変装したグラシアを連れて大通りを離れたサフィーアは周囲に人の気配が無くなった辺りまで来て漸く走るのを止めた。

 

「ふぅ…………ここまで来れば安心かな? ごめんね、無理やり引っ張っちゃって」

「い、いえ……」

 

 サフィーアの気遣いにグラシアは困惑と申し訳なさの混じった顔を向けた。彼女からしてみれば、サフィーアは護衛を無力化した挙句に連れ去った誘拐犯である。普通であれば、この時点で即座にサフィーアから離れて元来た道を戻るものだ。

 だがサフィーアはグラシアの正体を知らない。彼女は彼女であの場面を、モラルのなっていない帝国兵が民間人の女性を連れ去ろうとしているように見えてしまったのだ。つまり、彼女に悪気は微塵もない。彼女としては、グラシアを助けたつもりだったのだ。

 

 グラシア自身もそれを理解している。だからこそサフィーアの事を拒絶する事もせず、だが彼女がやったことははっきり言って余計なお世話であり手放しに感謝する事は出来なかった。

 故に、グラシアは明確に拒絶も感謝もすることなく曖昧な反応を返すに留めたのだ。

 

 そんなグラシアの内心を知る訳もなく、自身に困惑や申し訳ないと言う思念を向けてくる彼女にサフィーアは一人首を傾げていた。

 傾げてはいたが、真実を知らないサフィーアはそれをただ事態に付いていけていないだけと判断。そのまま彼女をこの場に残し、再びクレアと合流しようと踵を返す。

 

「それじゃ、あたしは戻るから。気を付けてね」

「あ、あの――――!?」

「ん?」

 

 立ち去ろうとするサフィーアの背に声を掛けるグラシアだったが、掛けるべき言葉が見つからずそのまま口を半開きにして視線を泳がせてしまう。その様子に首を傾げるサフィーアだったが、どうしたのかと訊ねる事は出来なかった。

 突如、洒落にならないくらいの殺気が彼女の全身を貫いたのだ。

 

「ッ!?!?」

 

 レッド・サードの放つ混じり気の無いそれでいて悍ましい殺気とは違う、とても強い怒りで彩られた殺気だ。悍ましさはないが心臓が凍り付くほどの殺気は、サフィーアに一瞬自身が殺される様を幻視させた。

 口の中が一瞬で乾くと同時に全身が冷や汗でびしょ濡れになると言う真逆の状態を不快に思う余裕もない。サフィーアは反射的に殺気が飛んできた方を向くと、サニーブレイズを構えた。

 

 殺気の主が現れたのは、彼女が構えたと同時だった。マギ・コートで肉体強化して建物の上を跳びながら移動してきたのか、その相手は突然真上から降ってきた。

 

「青い髪の女の傭兵……貴様か!」

 

 サフィーアの姿を見た瞬間、殺気の主であるサイは既に抜いていた剣を彼女に向け振り下ろす。サフィーアはサフィーアで彼から放たれる殺気に既に迎撃態勢を整えていたので、素早くそれを受け止める事が出来た。

 彼と同様にマギ・コートで強化していたサフィーアはパワー負けして押されることは無かった。だが受け止めた瞬間彼の手にある剣を見た瞬間、彼女は予想外の物を目にして一瞬意識が彼から逸れてしまった。

 

「えっ!?」

「邪魔だ!!」

「あぐっ?!」

 

 意識が逸れて力が緩んだ隙を突き、強引に吹き飛ばされ壁に叩き付けられるサフィーア。サイは壁に叩き付けられた彼女を串刺しにしようと剣を突き出すが、サフィーアとて戦いのド素人ではない。直ぐに体勢を立て直すと紙一重でそれを回避し、至近距離から風魔法を放って彼を吹き飛ばして距離を離した。

 

「ちっ!? 小癪な真似をッ!?」

「やっぱり……」

 

 距離が離れて落ち着いてサイを観察する余裕が出来た事で、彼女は確信した。彼が使っている武器が彼女も良く知る物であることを。

 

「あんた、何でサニーブレイズを!?」

 

 サイが持っている剣は、サフィーアのそれと同じく剣と銃が一体化したような武器であった。ただサフィーアのと全く同じではない。サフィーアのが剣に銃の機構を融合させたものとするなら、サイの持つそれは大型の拳銃の銃身がそのまま剣になっているようなデザインだった。

 サフィーアのサニーブレイズは完全オーダーメイド、先代のガンスが練った構想を現代のガンスが形にした物である。他のどこも作っていない。それを何故彼が持っているのか?

 

「サニーブレイズ? あぁ、お前だったのか」

「何の話?」

「ガンス殿が作ったと言う、『ブラストエッジ』の試作品を持つ者だ」

「ブラスト、エッジ?」

「私とお前が持つ、この剣の種類としての名称だ。ガンス殿はこのタイプの剣を正式にブラストエッジと名付けた」

 

 言うなれば同じ剣にもバスタードソードやクレイモア、ロングソードなど種類がある様な感じだ。それらと同じように、サニーブレイズも正式にブラストエッジと言う種類の剣として世に存在する事となったのだ。

 

「最初は随分と色物だと思ったが、使ってみればなかなかどうして扱い易い。流石はかのガンス殿が作り上げた一品だ」

 

 サイはそこで『だが』と言葉を区切ると、一度は引っ込めた殺気を再びサフィーアに向けてきた。ただし、先程とは違い今度は多少の嘲りが混じっている。

 

「その武器も、扱うのが未熟者では全力を発揮し切れないだろうな」

「なっ!?」

 

 突然の嘲りの言葉にサフィーアは絶句した。そりゃ確かに、自分の腕が未熟である事は彼女自身が嫌と言うほどよく分かっている。だがそれを、出会ったばかりの敵に真正面から言われるては黙っていられない。此処で言い返さねば、稽古をつけてくれた父や師匠に顔向けできない。

 

「言ってくれるじゃない。何なら試してみる?」

「元よりそのつもりだ。お前は我が姫様に無礼を働いた。許せるものではない」

「姫様?」

 

 サイの口から出た言葉に怪訝な顔になるサフィーアだったが、その事に対する質問をする余裕を彼は与えてくれなかった。

 鈍色の切っ先が向けられ、怒りを削ぎ落した混じり気の無い殺気が放たれる。

 

「命乞いをする暇すら与えない。お前はここでこの『ドレッドノート』の錆にしてくれる」

「サイ、待ってッ!?」

 

 グラシアの制止も聞かず、サイはサフィーアに向け駆けだした。それに合わせてサフィーアもサニーブレイズを振るった。

 

 二つの刃がぶつかり合った瞬間、激しい火花が一瞬だけ両者の顔を照らすのだった。




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第46話:鉄壁の剣

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 サイと対峙したサフィーアは、兎に角果敢に攻めた。相手はクレアと同等の実力者と思しき強敵、最初から全力で臨み反撃の隙を与えず攻めて攻めて攻めまくる事を念頭に置いてサニーブレイズを振るった。

 怒涛の連続攻撃を、しかしサイは全て捌き切ってしまった。流れるような動きで何度も振るわれるサニーブレイズを受け流し、時には弾いて無力化する。あまりにも鮮やかなその動きに、サフィーアは一瞬自分が彼の傍を素通りしたのではないかと錯覚してしまった。

 

 攻撃を全て受け流され、勢いを削がれたサフィーアは無防備を晒してしまう。

 その瞬間、サイの反撃が彼女に襲い掛かった。

 

「隙だらけだな!」

「くっ!?」

 

 サイはドレッドノートを凪ぐように振るい、サフィーアの体を両断しようとした。サフィーアはそれを全力で防御しお返しとばかりに反撃するが、彼はその攻撃をまたも往(い)なしてしまった。

 彼のすぐ傍で隙を晒してしまったサフィーア。それを見逃すことなく彼は彼女の首を掴むと壁に叩き付けた。

 

「がはっ?!」

「貰った!」

「ぐぅっ?!」

 

 壁に叩き付けられた際に肺から空気が抜け、一瞬呼吸が止まってしまったサフィーアを一撃で仕留めるべくサイは彼女の心臓目掛けてドレッドノートの切っ先を突き出す。呼吸も儘ならない状況でしかし彼女は気力で体を動かし、体を右に捻り何とか回避した。

 だがその瞬間サイはドレッドノートを横に薙ぎ、サフィーアの背中を斬り付けた。

 

「あがっ?!」

 

 容赦なく背中に叩き付けられるドレッドノートの刃。だが幸いなことにその刃は広がった肩マントに阻まれ彼女の背を切り裂くことは無かった。だが斬撃の衝撃を完全に防ぎきる事は出来ず、彼女は背中を強かに引っ叩かれた。

 

 サイの攻撃はそれだけに留まらない。最初にやられた怒涛の攻撃のお返しとばかりに彼は鋭い斬撃をサフィーアに向けて放ったのだ。

 当然サフィーアもそれに対抗しようとするが、やはり彼女の攻撃は全て受け流されるどころか今度は即座に反撃が飛んでくる。

 

 突けば逸らされ、薙げば弾かれ、振り下ろせば受け止められる。そしてその次の瞬間にはドレッドノートの鈍く光る刃がマギ・コートの上から彼女にダメージを与えてきた。幸いなのは、彼がマギ・バーストを使ってこない事だった。恐らく嘗められているからだろう。もし使われていたらあっという間に彼女はなます切りにされていた。

 だがそれもこのままでは時間の問題だろう。マギ・バーストでなくても一応ダメージは通るし、ダメージを受けた分無駄に魔力も消費される。そして魔力が少なくなれば、最悪魔力欠乏症になり動けなくなってしまう。

 

 そうなる前に勝負を掛けたいところだが…………。

 

――攻撃が読めない!?――

 

 先程ジャックとイヴを相手にした時に掴んだ相手の思念から攻撃を先読みする技術が、サイ相手には殆ど意味をなさない。全く分からない訳では無いのだが、読んだと思って先手を打とうとすると即座に対応されてしまうのだ。

 まだ編み出したばかりの技法であり感覚が掴み切れていないと言うのもあるだろうが、その理由は彼のジョブにあった。

 

 戦闘スタイル剣士の立ち回り、所謂ジョブは、ウォリアー・ディフェンダー・アサシンの三つだ。

 この三つを大雑把に説明すればウォリアーは攻め、ディフェンダーは守り、アサシンは搦め手の戦いを得意としている。これらは一概にどれが強いと言うことは無く、それぞれをジョブとして戦う者達の勝敗は各々の腕に掛かっていた。

 

 サフィーアのジョブは言うまでもなくウォリアーだ。このジョブは前に出て攻める事が仕事であり、彼女もその例に漏れず戦闘では積極的に前に出て相手を攻める戦いを基本としていた。ブレイブなんかもそうだし、クレアの戦闘スタイル闘士のジョブファイターも同じような立ち回りが基本となる。

 

 では逆に、ディフェンダーはどのような戦い方をするのかと言うと、こちらはあまり積極的に攻める事をしない。攻めないのではなく、飽く迄も相手が攻めてくるのに合わせて反撃する後の先の戦いを得意としているのだ。それ故にディフェンダーの剣士は基本的に銃士のスナイパーや術士全般など防御や周囲への警戒が疎かになりがちな立ち回りの者を敵の奇襲や強襲から守るのが主な仕事だった。

 ここまでを聞くと、ディフェンダーは攻め手に掛ける印象があるがそんなことは無い。本当にディフェンダーとしての技を極めた者は、正に鉄壁と呼ぶに相応しい守りと時にウォリアー以上の苛烈な攻めで相手を完全に叩き伏せてしまうのだ。

 

 そう――――

 

「ぐ……ふ……ッ?!」

「やはり、所詮はこの程度か」

 

 正に今のサフィーアの姿がそれだった。

 何よりも恐ろしいのはその的確な防御だ。よく『攻撃は最大の防御だ』と言われているが、サイとの戦いはサフィーアの中に『防御は最強の攻撃』と言う言葉を思い浮かばせるに十分なインパクトがあった。何しろまるで彼女の攻撃が分かっているかのように的確な防御で勢いを殺し、それどころか彼女の攻撃の勢いを利用して強烈な反撃を繰り出してくるのだ。

 

 今までに無い戦い方で自分を圧倒してくるサイに、しかしサフィーアは恐怖を抱かなかった。彼女が彼に対して抱いたのは、自分を侮った彼に一矢だけでも報いてみせると言う敵愾心のみ。

 

――とは言え、どうしたもんかな――

 

 嫌が応にも認めざるを得ない。サイは強い、それも恐らくクレアと同等にはだ。今のサフィーアでは相手にもならないだろう。まだ一撃も入れる事が出来ていないのがその証拠だ。経験、技量、何もかもが彼女を凌駕しており、千に一つ万に一つも勝てる見込みは存在しなかった。

 だがここで諦めてはそれこそ本当に彼女はただの負け犬に成り下がってしまう。それは嫌だ、それだけは嫌だ。ただの負け犬になってしまったら、彼女を鍛えてくれた父や師匠、送り出す許可をくれた母の名に泥を塗る事になってしまう。

 

 自分一人が負け犬と嘲りを受けるのは耐えられる。だが自分に連鎖して関わりのある者にまでそれが及ぶのは我慢ならなかった。だからせめて、例え負けたとしても胸を張った負け方をしたかったのだ。

 

 その為には、せめて一矢報いる事はして見せたいのだが…………。

 

「どうした、来ないのか? ならこちらから行くぞ!!」

「くっ!?」

 

 負けたくないと言う気持ちを糧に、何とかサニーブレイズを杖代わりに立ち上るサフィーアだったがそこに容赦なくサイの追撃が襲い掛かった。全身を使って放たれた薙ぎ払いがサフィーアを大きく吹き飛ばす。

 

「あぐっ?! くぅ……」

「姫様への狼藉は、万死に値する。これで終わりだ」

 

 コンクリートの地面に叩き付けられ動かなくなったサフィーアにトドメを刺そうと、サイがドレッドノートを構えて彼女に近付く。

 その彼の前に、グラシアが腕を左右に広げながら立ち塞がった。

 

「サイ待って!? ダメです!?」

「姫様!? 何故です、そいつは姫様を連れ去ろうと……」

「いえ、違うのです。彼女には私を害する気なんて――」

「あの~、一つ質問」

 

 必死に自分を宥めようとするグラシアに、サイは困惑した様子を見せた。その彼にグラシアが事情を説明しようとした時、徐にサフィーアが倒れたまま手を上げて口を開いた。

 まだ彼女に意識があった事に、サイは素早く彼女とグラシアの間に移動しドレッドノートを向けて警戒する。

 

 その彼の警戒心を受けながら、サフィーアは学校で分からない問題を教師に質問するが如く彼に訊ねた。

 

「さっきから姫様姫様言ってるけどさ、もしかしてその人…………帝国の皇女様?」

「何を分かりきったことを…………ッ!?」

 

 突然のサフィーアの質問に訝しげな顔になるサイだったが、ここで彼も気付いた。気付いてしまった。自分が早とちりをしてしまっていた事実に、ここで漸く気付いたのだ。

 

「……知らなかったのか?」

「うん…………帝国の軍人に連れていかれそうになってる街の人かと思ってた」

 

 サフィーアの言葉にサイは思わず頭を抱えた。彼女の言葉が事実なら、彼は無用な勝負を仕掛けたに過ぎなかったのだから。あのまま放っておいてもグラシアに危害はなく、寧ろ彼女の手で安全圏に連れ出してもらえていたのだ。

 

「だから待ってと言ったのに……」

「も、申し訳ありません。少々冷静さを欠いていたようです」

 

 困ったように呟くグラシアに、サイは心底申し訳なさそうに頭を下げた。これは彼の失態だ。状況が状況故に仕方のない事だが、流石に宥めようとしたグラシアの言葉を聞かなかったのは些か冷静さを欠き過ぎだったと言えるだろう。

 

 だが忘れてはならない。サフィーアは帝国に、グラシアに仇為そうとしたバザークに雇われた傭兵なのだ。と言う事はつまり、現状は寧ろ敵味方がはっきりしたと言える。

 

 その事を指摘したのは、他ならぬサフィーア自身だった。

 

「いやぁ、それでもやっぱり戦う事にはなってたかもね」

「何だと?」

「だってあたし、レジスタンスに雇われた傭兵だし? 依頼人の目的ってそこの皇女様だし? と言う事はつまり、このままハイサヨナラする事は出来ない訳で……」

 

 サフィーアは全身をバネの様にして一気に飛び起きると、足元に落ちていたサニーブレイズを爪先で引っ掛けて空中でキャッチした。

 彼女が武器を手に取ると同時に、サイはグラシアを庇う様にしながらドレッドノートを構える。その顔は先程サフィーアに襲い掛かってきた時同様、警戒心と敵意に溢れていた。

 

 サイからの敵意と警戒心を諸に感じながら、サフィーアの表情には焦りは存在しない。それは彼女の中で、彼に対する闘争心が微塵も衰えていないからだった。

 

「結局、あたしとあんたは戦う事になってたって訳ね」

「…………一つ聞かせろ。何故目的を偽らなかった? 少なくとも一時的に私をやり過ごす事は出来た筈だぞ?」

「え?…………あぁ」

 

 言われてサフィーアは気付いたという顔になった。その発想がそもそも存在しなかったのだ。彼女の中に、目的を偽って不意を打つと言う、言ってしまえば卑怯な戦法は顔すら覗かせない。いっそ愚かな程の馬鹿正直さ、正々堂々とした戦いこそが彼女の望むものであった。

 

「ん〜、特に理由は無いかな。そこまで複雑に考えるの苦手なのよ、あたし」

「なるほど、つまりは馬鹿と言う事か」

「馬鹿は無いでしょ、馬鹿は。正直って言ってよ」

 

 少しむくれてそう言うサフィーア。彼女の様子にサイは思わず溜息をついてしまう。余りにも緊張感に欠けるその様子に、つい呆れてしまったのだ。

 

 だが…………。

 

――馬鹿だが、嫌いにはなれないな――

 

 気持ち良いくらい正々堂々としたサフィーアの気質に、サイは知らず知らずの内に彼女に対する評価を改め口角を吊り上げていた。

 

 彼は騎士だ。帝国の姫君、グラシアの剣であり盾を務める存在だ。その精神は高潔であり、戦いに於いては騎士道精神を持って臨む。

 つまるところ、気が合うのだろう。この二人は、戦いに対する姿勢が非常に似ているのだ。恐らくブレイブとも気が合うに違いない。

 

 尤も、彼にはそんな事関係なだろうし知るつもりもないだろう。彼にとって重要なのはただ一つ、グラシアの身の安全だけである。

 

「馬鹿にいつまでも付き合うつもりはない。さっさと終わらせるぞ」

「やってみなさいよ!!」

 

 仕切り直しとばかりに再び戦い始めるサフィーアとサイ。

 その二人の様子をグラシアが物陰に隠れながら心配そうに見守っているのだった。




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第47話:げに恐ろしきは忠誠心

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 サフィーアとサイが仕切り直して再び戦い始めたのと同時刻…………

 

 クレアは未だにジャック達プレトリアンに阻まれ、サフィーアの援護に向かうことができないでいた。

 

「くっそぉ、こいつらしつこいわねぇ――!?」

「この執念、尋常じゃないよ」

「忠誠心の賜物でしょ。お姫様と騎士、どっちに対するものかは知らないけど……ねっ!」

 

 カインの援護も受けて、先程から何度も包囲を突破しようと試みるクレアだったが、それは何(いず)れも失敗に終わっている。理由は言わずもがな、ジャック達プレトリアンが異常なまでに執拗に食らい付き彼女をここに釘付けにしているからだった。

 今、もう何度目になるか分からない突撃を敢行するクレア。カインが後ろから援護射撃をして彼女の進行方向に可能な限り穴を開けようとしてくれるが、只でさえ手練れ揃いである上に今は士気も高いので突破は容易ではなかった。飛んでくる銃弾に構わずクレアの前に立ち塞がると、彼女からの反撃を恐れる事なく飛び掛かる。

 

「こっちは急いでるってのに、邪魔よっ!!」

 

 飛び掛かってきた二人のプレトリアンを、クレアは炎を纏わせた拳で叩きのめす。サフィーアの危機を考えて少し余裕が無くなっている今のクレアには容赦のよの字もない。叩きのめされたプレトリアンは揃って鎧を砕かれてノックアウトされていた。

 如何に士気が高かろうと、目の前でそんな光景を見せつけられては流石に勢いも削がれるのか多くの者はそこで思わず及び腰となってしまう。魔力で手軽に超人に匹敵する身体能力が得られる現代においても、無手で鎧を砕き散らすと言う光景を目にすることはなかなか無かった。

 それを容易く行ってしまう、クレアの規格外さが際立っているのだ。

 

 だが全ての者達がクレアに恐れ戦く訳ではない。一部の者はそんな光景を目にしても、微塵も怯むことなく彼女の前に立ち塞がった。

 ジャックとイヴがそれだ。

 

「チッ!? 流石にAランクの傭兵、手強いな。だがっ!!」

「隊長が皇女殿下をお助けするまで、倒れる訳にはいかないんだよ!!」

 

 しぶとく進行を妨害しサフィーアに合流するのを邪魔してくる二人に、クレアは焦りを募らせ表情を険しくしていく。この後サフィーアと合流した時サイと戦うことを考えれば、ここで派手に魔力を消耗する訳にはいかないのだ。

 だがあの二人にとってはそれこそが目的。彼女が消耗すればするだけ、仮に突破されたとしてもサイにかかる負担が軽くなる。

 

 故に、ジャックとイヴの二人は例え銃弾が体を貫こうが炎が身を焼こうが、クレアの前に立ち塞がることを諦めないのだ。

 

 イヴが剣を通常形態から連結刃にしてクレアに向けて振るう。蛇のようにしなって襲い掛かる無数の刃を、クレアは炎の魔力を纏わせた掌を翳して軌道を反らせる事で防いだ。あらぬ方向に向けて流されていく連結刃を、イヴは手首の動きで操作して軌道をを変化せてクレアの背後から攻撃を仕掛けた。

 

「くぅっ!?」

 

 軌道が変化し背後から迫る刃にギリギリで反応したクレアは、今度は拳で弾く事で攻撃を防ぐ。だがその瞬間、クレアは一瞬とは言えイヴを視界から外してしまった。

 その瞬間をイヴは見逃さなかった。クレアが視線を外した瞬間、彼女はクレアに向けて駆け出しその身に抱き着いた。同時に、連結刃を操って自分の体諸共クレアの体に巻き付けた。

 

「し、しまっ――」

 

 普段のクレアであれば、こんな不覚は取らなかったであろう。だが戦いにおいては、僅かな焦りと判断ミスが致命的な隙を生み出してしまうのである。今回の場合だと、サフィーアに迫る危機を考える余りにクレアは咄嗟の判断を誤ったのだ。

 それに加えて、イヴの行動が思い切っていたことも理由だろう。俗に言う捨て身の特攻は、口で言う程あっさり出来るものではない。相応の覚悟とその行動に移させる何か——この場合は信頼や忠誠心だろう——が無ければまず出来るものではない。

 

「この、離せッ!?」

 

 捨て身の特攻で拘束されたクレアは、全身に炎属性の魔力を纏いイヴを熱で引き剥がそうとした。マギ・コートで防げるダメージにも限度はある。クレア程の熟練者であれば、相手のマギ・コートの防御を抜いてダメージを与える事さえ可能であった。

 

「ぐぅ、づあぁぁぁぁっ!?」

「こ、こいつっ!?」

 

 それでもイヴはその身を離さない。元より連結刃で自分諸共ぐるぐる巻きにしているので、物理的に離れることが出来ないと言うのもあるのだろうが、この場合はやはり己に課せられた使命を果たすことに全力を尽くしているからだろう。

 恐らく、例え死のうともイヴはクレアを絶対に離さない。

 

「クレアッ!?」

「させるかっ!!」

 

 クレアのみに迫る危機にカインが援護しようとするが、その瞬間四方からジャックを含むプレトリアン達が襲い掛かった。彼の武器は今手にしているリボルバー式のライフルと懐に仕舞われたサイドアームの拳銃、典型的な銃士の装備であり近接戦闘に対応しているとは言い難い。だからこそ彼らは一瞬の隙を突いて近接戦闘を仕掛けたのだろう。

 並の銃士であればこの時点でほぼ決着が付いた。手練れの剣士に相手の間合いで戦いを挑まれては、そこいらの銃士では一溜りもない。

 だが彼とてAランクにまで上り詰めた傭兵、一芸だけではそこまでに至ることは出来ないのだ。

 

 前方からジャックが剣を振り下ろしてくる。カインはそれを紙一重で回避すると、僅かに晒された隙をついて無防備な側頭部をライフルのストックで殴り付けた。

 

「ごっ?!」

「貴様っ!?」

 

 脳震盪を起こしたのか、ジャックはその場に倒れるとそのまま動かなくなる。空かさず別の方向から新たにプレトリアンが斬りつけてくるが、カインはその斬撃を蹴りで反らすとそのまま連続で相手を蹴りつけトドメにハイキックで頭を横から蹴り飛ばし意識を刈り取った。

 この状況に残りのプレトリアンは焦った。何しろ銃士に近接戦闘で遅れを取っているのだ。本来はあり得ないことである。

 

 近接戦闘で剣士を圧倒する銃士、その不可解な事実の秘密に真っ先に気付いたのは、ギリギリのところで意識を繋ぎ止めていたジャックであった。

 

「そ、その動き……ガンナーアーツの使い手だったか」

「その通り。君ら皇族の護衛なのに、銃士が近接戦闘に弱いなんて先入観持っちゃいけないよ」

 

 ガンナーアーツ…………それはサフィーアの父も習得している、銃士が敵に接近された時に対処するための格闘術である。主に足技を基本とした格闘術であり、それに加えて手にした銃を鈍器としても使用して近付いた敵を返り討ちにするのだ。銃士全体で見れば習得している者はごく僅かだが、伊達や酔狂ではなく習得している者は遠近両方で効果的に立ち回れる万能さを発揮出来るのである。

 

 思わぬ隠し球に焦りと警戒心を募らせるジャック達であったが、対するカイン自身も静かに焦っていた。チラリと視線をクレアの方に向ければ、彼女は未だイヴの拘束から逃れることができていない。イヴは己の身を顧みず連結刃を更に締め付けて自分諸共クレアを切り裂こうとしている。そうしなければ対処できない相手だと判断したのだろう。

 その判断力と思い切りの良さは素直に評価したい。

 

 だが暢気に感心している場合ではない。今はまだいい、クレアの魔力にもまだ余裕がある為マギ・コートで刃を防ぎながら炎属性の魔力でイヴにじわじわとダメージを与えられている。だが彼女の魔力とて無尽蔵ではない。このままではその内魔力が尽きて、防御力が下がると同時に巻き付けられた連結刃によりズタズタに切り裂かれてしまう。

 

――早い所クレアを助けに行きたいところだが――

 

 当然迂闊な行動をすればそれは即自身を窮地に追い込む。だが一刻も早くクレアを援護しなければ、待っているのは最悪の未来だ。

 それだけはなんとしてでも避けたいところだったが、焦るわけにはいかない。その気持ちが逆に彼から徐々に冷静さを奪っていた。

 

 ジレンマに囚われ、動きが止まるカイン。

 その彼に向けて、頭上から小さな影が飛び掛かった。




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第48話:未熟者の意地

ちょっと遅れました、すみません。予約しとくのを忘れてた。


 場面は戻って、サフィーアとサイの戦いは相変わらず一方的だった。

 

「く……っそぉ」

「ふっ、さっきの威勢はどこへ行った?」

 

 サフィーアは何度もサイに挑み、果敢にサニーブレイズを振るうがその悉くは無意味に終わった。

 彼女も決して我武者羅に戦うようなことはせず、時間が経つにつれて徐々にだがサイの動きに多少だが対応できるようになっていた。事実、彼女の体は掠り傷や小さな切り傷をあちこちに作っているが、致命的なレベルの攻撃は一撃も貰っていない。

 先程開眼した、相手の思念から攻撃を予測し防ぐ技術が少しずつ形になってきているのだ。

 

 だがそれでも、彼との戦闘経験の差を埋めるには至らない。当然だ。彼は帝国にとって重要な人物である皇族を護る為に日々厳しい鍛錬を積んでいるのだ。彼からしてみれば、サフィーアのこれまでの経験など微温湯に等しいだろう。

 

 圧倒的な力と経験の差が、気迫となってサフィーアの心にプレッシャーを与える。目に見えないそれに、彼女は思わず膝を折りそうになった。

 

 だがこの程度で心を折るようならそもそも難敵に挑むようなことはしない。一度挑むと決めたら、せめて一矢は報いるまで諦めないのがサフィーア・マッケンジーという女だ。

 

――とは言え、ちょっち厳しいかなぁ――

 

 しかし現実とは非情なものだ。どれだけ足掻こうともどうしようもない事はある。

 この戦いがそうだ。サフィーアは諦めるつもりは毛頭ないが、それでも正攻法で勝つどころか一矢報いることも出来るか怪しいところだった。

 

 一応言っておくと、一矢でも報いる為の手が全く無い訳ではない。サイにせめて一矢だけは報いる作戦は、彼女の中である程度固まりつつあった。

 問題は、その作戦が正直剣士としてあるまじき行動の上で成り立つという事。剣士として相対している以上一矢を報いるなら剣で報いたいのだが、この作戦だと剣士として一矢報いれたとは言い難い。

 

 剣士として挑み続けて何の成果もなく終わるか、一時とは言え剣士を捨てて成果を残すか。

 悩むサフィーアだったが、逡巡は数秒にも満たなかった。彼女は傭兵、剣士は飽く迄戦いにおけるスタンスであり、絶対のものではない。それに、実のところ言うほど剣士というスタンスに拘りがある訳でもなかった。

 

 そうと決まれば後は実行に移すのみ。彼女はせめて一矢報いる為に、行動を起こした。

 

「たぁぁぁぁっ!」

 

 気合と共にサニーブレイズの柄を握りしめ、サイに突撃するサフィーア。突然動きを変えた彼女に僅かに面食らうも、サイは冷静に迎え撃つ。逆袈裟に振るわれた刃を弾くと返す刀で彼女に斬り付ける。素早い反撃に、しかし彼女はそれを紙一重で回避して見せた。

 

――こいつッ!?――

 

 先程よりも動きが良くなってきている。その事を肌で感じたサイは、徐々にだが彼女に対して危機感を募らせた。

 今はまだいい、大した敵ではない。だがこの短時間でサイの動きに対応し始めたと言う事は、今後更に経験を積めば爆発的に実力をつける事も十分にあり得るだろう。もしかすると、そう遠くない内に追い抜かれてしまうかもしれない。

 

 サイの中でサフィーアが雑兵から油断ならない相手に評価が改まるが、そんな事は露知らず彼女は彼に挑みかかる。

 

「どうしたの? まさかバテたなんて言わないわよね!」

 

 激しく攻め立てるサフィーアに対し、サイは冷静に対処する。激流の様な彼女の攻撃を、まるで風に舞う風切り羽の様に彼は受け流した。

 受け流しの合間に、カウンターで反撃する事は忘れない。

 

「くっ!?」

 

 攻撃後の一瞬の隙を狙って放たれたカウンターを、サフィーアはギリギリのところで回避する。僅かに掠った刃が彼女の毛先を数本舞い散らせた。

 回避には成功したが、もう彼女は限界が近い事が丸分かりだ。動きに無駄が多いせいで体力を無駄に消耗しており、流れる汗で前髪が額に張り付いている。対してサイの方はまだ殆ど汗をかいておらず、彼女に比べて涼しい顔をしていた。

 

 にも拘らず、サフィーアの顔には小さく笑みまで浮かんでいる。それが逆に不気味で、サイは攻めが少し消極的になってしまっていた。もしかすると彼女は何か企んでいて、サイの意識が彼女に向いている隙にグラシアに危害を加えるのではないかとすら考えてしまう。

 

「へへっ」

「む?」

 

 徐にサフィーアが小さいながらも声を上げて笑った。場違いな笑いにサイが彼女の様子を訝しんでいると、再び彼女が突撃してきた。懲りずに突っ込んでくる彼女に若干呆れながら、しかしもしもの事を考えて周囲に気を配りつつ彼はその攻撃を迎え撃った。

 

 何度目になるか分からない剣と剣のぶつかり合いに、両者の間で火花が散る。

 その瞬間、信じられない事にサフィーアはサニーブレイズの柄から手を離した。

 

「ぬっ!?」

 

 本来であれば受け止めると同時に彼女の力を受け流しそのまま反撃に繋げる予定が、彼女が剣を手放したことで勢い余り彼は一瞬バランスを崩してしまう。その間にサフィーアは彼の懐に入り込むと、何もなくなった右手を握り締めサイの胸板に叩き込んだ。

 

「ぐっ?!」

「……ふむ」

 

 マギ・コートで強化された拳は、しかし同じくマギ・コートで強化された彼の胸の鎧に阻まれ全くダメージを通さなかった。寧ろグローブを着けただけの拳で鎧を殴った、彼女の方が拳を痛めた位だ。

 

 まるで意味をなさない攻撃をした彼女に対し、しかしサイは即座に反撃をすることは無かった。彼は一旦構えを解くと、身構えるサフィーアを前に殴られた部位を見てその部分を手で軽く払う。傷どころか汚れ一つ付いていないそれを見る彼の目は、驚くほど穏やかだった。

 まるで教え子を見守る教師の様な目をしながら、彼は彼女に声を掛けた。

 

「何故、剣を手放した?」

 

 それは純粋な疑問。剣士が剣を離す、それは料理人が捌くべき食材を前に包丁を手放すが如く愚かな行為である。しかもそれをした上で得られた成果が、無意味な打撃を叩きこんだだけというのだからお粗末極まりない。

 だが彼は彼女の行動にある種の賞賛を抱いていた。故に、彼は彼女を嘲る事もせず、純粋に抱いた疑問を口にしたのだ。

 

「正直に認めるわ。あたしじゃあんたには勝てない。少なくとも今はね」

 

 彼女の口から出てきたのは、意外な程にあっさりとした敗北宣言だった。自身の力足らず、力の及ばなさを口にしているにも拘らず、その表情には微塵の影も存在しない。

 

「でも勝てないってだけで終わるのはすごく悔しいわ。だからせめて一矢は報いる為に、剣を手放したの。剣士としては絶対勝てないからね。それなら出来る事は全部やらなきゃ」

「一矢報いる……か」

「ま、報いようと剣まで手放した結果がダメージなしのパンチ一発じゃ、無様としか言いようがないけどね」

 

 サフィーアはそう言って自嘲するが、サイはそんな彼女を見て笑うようなことはしなかった。全力で強敵に正面から抗おうとした一人の戦士を前に、一体誰がそんなことできようというのか。

 少なくとも彼にはその様なこと等できなかった。

 

「確かに、一撃の内には含めないな」

「そうよね」

「だが、一発は一発だ。その事実は変わらない」

「へ?」

 

 サイはディフェンダーだ。ディフェンダーは防御に特化したジョブ、相手の攻撃を防ぎカウンターによる反撃が最大の攻撃手段となる。つまり、彼の守りは堅い。

 その彼が、意表を突かれる形とは言え防御を抜かれノーダメージに終わったとは言え一撃貰うことを許した。許してしまった。

 グラシアの護衛として、それと同時にディフェンダーの剣士としてのプライドがあった彼にとって、その事実は決して小さくない意味を持っていた。少なくとも、相手への評価を大きく見直すほどには。

 

「自分で言うのもなんだが、一流のディフェンダーを相手に防御を抜いて一撃を入れてみせた…………その事実は誇るべきだと私は思う」

「そ、そう?」

 

 思いも寄らぬ賞賛の言葉にサフィーアは意表を突かれ言葉を詰まらせた。個人的にはまるで誇ることの出来ない結果しか残せなかったにもかかわらず、向こうはこちらをそれなりに評価してくれたのだ。

 予想外の高評価にサフィーアは場違いな嬉しさに少し顔をニヤけさせる。

 

 だがそれも、次の瞬間には引っ込んだ。

 

「そう。故に、私はお前を敵と認めよう。お前は蹴散らすべき雑兵ではない。打ち払うべき敵だ」

 

 そう告げた瞬間、サイから必殺の思念が伝わってきた。先程とは違う、言葉通りただの障害を排除するのではなく、正々堂々倒す事を目的とした思念だ。

 

 その思念を向けられたサフィーアは、己の体が震えるのを感じた。恐怖からくる震えではない、武者震いというやつだ。強敵から認められた事に対する、歓喜の震えだった。

 素早く落ちているサニーブレイズを拾い上げ、ただでさえ疲労で重くなった腕に鞭打って構える。同時にサイもドレッドノートを構えた。先程までは自然体ながらも隙のない、構えなき構えであったが今度は違う。一度顔の前に垂直に刀身を翳し、流れるような動きでその切っ先を彼女に向けてきた。まるで弓引く様なその構えは、恐らく先程よりも攻撃的な構えなのだろう。

 俄然、サフィーアの表情は引き締まる。

 

「そう言えば、まだ名を聞いていなかったな?」

「サフィーアよ。サフィーア・マッケンジー。最近B−になったばかりの、しがない傭兵よ」

「マッケンジーか、覚えておこう。我が名はサイ・F・ハイペリオン! グラシア・P・ムーロア皇女殿下の剣にして盾! 高貴な御身を守護する騎士! その名に恥じぬ様、全身全霊でお前を倒す!!」

 

 サイの口上にサフィーアは思わず笑みを浮かべた。どうやら無駄に彼を本気にさせてしまったらしい。恐らく勝負は一瞬で着くだろう。今の彼女に、彼の相手は絶望的だ。最早彼に油断は無い、苦し紛れの搦め手は通用しないだろう。

 だがそれならそれでもいいと思っていた。正直まだ死にたくは無いが、これ程の相手に倒されて散るのならそれもいい。色々と心残りだが、出し切れるものは全て出し切った。十分に誇れる死に方だろう。

 

 あと彼女に出来ることは、彼に自分の生き様を見せつけること。

 

――精々その目に焼き付けてもらうわよ!!――

 

 もうここを自分の死に場所にする気で、サイとの戦いに臨むサフィーア。彼も彼女の覚悟を感じ取ったのか、必殺の意思を込めて剣を構えた。

 その様子を心底不安そうにグラシアが眺めている。

 

 だが運命はサフィーアにここを死に場所とする事を許さなかった。

 

「え? わっ!?」

「何ッ!?」

 

 出し抜けにサフィーアの体が何かに吹っ飛ばされる。吹っ飛ばされる直前彼女も何かを感じ取った様だが、如何せん既に激しく消耗していたので反応が遅れてしまった。もしかすると、万全の状態でも反応できなかったかもしれない。それ程に仕立て人は手練れだった。

 

 サフィーアを吹っ飛ばしたのは、一本のワイヤーだった。糸鋸のように彼女に対して真横に飛んできたワイヤーは、彼女を吹っ飛ばすと勢いそのままに街灯に叩きつけた挙句巻き付いて拘束してしまった。

 

「がはっ?! な、何、これ?」

「誰だっ!?」

 

 当然の出来事にサフィーアは困惑し、サイはワイヤーが飛んできた方を見る。その表情には、少なくない怒りが見て取れた。一対一の真剣勝負に水を差されて、機嫌を損ねたのだろう。

 

「おやおや、そんな怖い顔をなさるとは……少々傷付くねぇ」

「あ、あんたは――ッ!?」

 

 サイの怒声に相手は全く悪びれた様子もなく答えながら姿を現す。その相手を見た瞬間サイは盛大に顔を顰め、サフィーアは表情を強張らせた。

 

「エリザ、ベートッ!?」

 

 街灯に磔にされながらその名を呼んだサフィーアに、エリザベートは人の神経を逆撫でする様な笑みを浮かべながら近付いた。

 その彼女の前に、サイがドレッドノートの刃を割り込ませて行く手を阻んだ。

 

「待て! シェードに雇われたお前が何故ここにいる!?」

「今回は旦那は関係ないよ。旦那からは暫く好きにしていいって言われててね。暇だからチョイとクレアにちょっかいでもかけてやろうかと」

 

 そう言ってエリザベートはサフィーアに向けて厭らしい笑みを向ける。

 サフィーアはその笑みに渋面を返しながら、クレアとの会話を思い出していた。

 

――本当にこっちを狙ってくるとはね――

 

 前もって言われてはいた。クレアに執心しているエリザベートは、彼女を追い詰める為にサフィーアに手を出す可能性がある、と。

 その忠告に対し、暢気していなかったとは言わない。心のどこかで、まさか自分に矛先が向くことはないだろうという油断があったことも否定は出来なかった。

 だがまさかこんなにも早くに行動に移されるとは、思ってもみなかったのも事実だった。

 

「あたしを、人質にでもする気?」

「よく分かってるじゃないか。お優しいクレアの事だ、腰巾着がこっちの手の内にあると分かれば抵抗は少なくなるだろう」

「こんの、卑怯者!? 正面から勝とうって気はないの!?」

「ハッ! 雑魚が偉そうに……」

 

 人質という卑怯な手段に走るエリザベートを非難するサフィーア。彼女の正論に対しエリザベートは、それまでの笑みを引っ込めて額に青筋を浮かべると右手に魔力を集め身動きの取れない彼女に向けて雷属性の魔法を放った。

 

「吠えんじゃないよッ!?」

「あぐ、ああぁぁぁぁぁあああっ?!」

「おいっ!?」

「お止めなさい!?」

 

 抵抗も出来ず全身を電撃に焼かれ悲鳴を上げるサフィーア。それを見てサイと、それまで近くに隠れていたグラシアが声を上げる。

 サイにしてみれば敵として認めた相手が不意打ちで動きを封じられた挙句目の前で痛めつけられるなど無視できないことであるし、グラシアに至っては一方的な暴力自体が見逃せないことであった。この二人がエリザベートを止めようとするのは至極当然のことである。

 

 一方のエリザベートはと言うと、サフィーアに放っていた電撃を止め鬱陶しそうな目を二人に向けた。

 

「何? 何か問題でも?」

「大ありだ!? 人の勝負に水を差しただけでなく、この様なことをッ!?」

「サイの言う通りです! その様な非道な行為、即刻辞めなさい!?」

 

 サイとグラシアの二人に非難されるも、当の本人はそんな言葉どこ吹く風。寧ろ何を馬鹿な事を言っているのだと言いたげな、どこか馬鹿にしたような目を向けながら口を開いた。

 

「何を仰ってるのやら。私はハイペリオン卿の負担を減らしただけですよ?」

「何?」

「ハイペリオン卿の仕事は、グラシア皇女殿下を安全な所へお連れすることでしょう? 私はその手伝いをしたに過ぎません」

「よくもいけしゃあしゃあと――ッ!?」

「それに、こんなところで油を売っていていいんですか? もたもたしてるとレジスタンスの連中がここを嗅ぎ付けるかもしれませんよ? そうなった時、皇女殿下の安全を確実に確保できますか?」

 

 エリザベートの言葉にサイは苦虫を嚙み潰したような顔になる。彼女の言うことは至極尤も、使命の優先度で言うならば、サフィーアの相手はエリザベートに任せ彼はグラシアを安全な所まで連れて行くのが道理である。

 

 だが、しかし…………。

 

「私がこのようなことを見過ごすとでも思っているのですか?」

 

 グラシアは全く引き下がる気を見せない。実を言えば先程までも二人の戦いを止めたくて仕方なかったのだ。ましてやこのような、一方的な暴力など彼女に許容できる筈もない。

 

「では命令しますか? 無駄ですよ。私の雇い主は皇族ではなくその護衛たるシェードの旦那。命令できるのも旦那だけです。たとえ貴女が皇族であれ、その命令に従う義理は私にはない」

「だとしても――――」

 

 なおも食い下がろうとするグラシアだったが、サイはそれを引き留めた。

 

「いえ、姫様。ここはこの女の言う通りです。今は非常時、何よりもまずは御身を気にしてください」

「サイッ!? あなたまで何をッ!?」

 

 エリザベートの言葉に従うかのような姿勢を見せるサイに、グラシアの咎める言葉が飛ぶ。怒っても尚美しさを損なわない彼女の顔に、しかしサイは見とれる事無く静かに彼女を諭した。

 

「落ち着いてください。姫様の気持ちは私も痛いほどわかります。しかし私は、皇帝陛下より貴女様の御身を何よりも優先するよう命じられております。そして姫様は、今の時代に必要な方です。横暴を働く帝国の暴走を真っ向から止められる貴女の身に何かあれば、誰が虐げられる者達を救えると言うのですか?」

 

 一見彼女に全てを丸投げしているかのような発言だが、仮にサイがグラシアの真似をして虐げられる者達を救おうとしてもその数はグラシアが救う数に比べたら雀の涙ほどだろう。力を持って行動すればもっと増えるだろうが、そのやり方では間違いなく犠牲が増える。

 最も最小限の犠牲で多くの者を救う事が出来るのは、権力を正しい方向で思い切って使う事が出来るグラシアだけなのだ。故に、今の時代に彼女は絶対に必要な存在だった。

 

 少なくとも、帝国が大きな力を持っている間は…………。

 

 だが例えそうだとしても、ここで退く事はグラシアの矜持が許さなかった。目の前の一人を救う事が出来ずに、どうして多くを救う事が出来ようか?

 

「い、いいから……」

「え?」

 

 葛藤するグラシアに、サフィーアが荒く息を吐きながら声を掛けた。

 

「あたしの、事は……気にしなくて、いいから」

「誰が喋っていいって言ったよ」

「あぐぅ、ああぁぁぁぁああぁぁっ?!」

 

 勝手に口を開いたことに対してか、それとも自分が危機的状況なのにもかかわらず他人を気遣う姿勢が気に食わないのか。若しくはそのどちらもなのかは分からないが、エリザベートは苛立った様子で再びサフィーアに電撃を浴びせた。

 彼女の口から出る苦痛の悲鳴にグラシアが手を伸ばそうとしたが、サイがそれを遮り彼女を無理やりその場から連れ出そうとする。

 

「は、離しなさいッ!?」

「申し訳ありませんが、それは聞けない命令です。後で如何様にでも処罰は受けますので、この場の主導権は私が握らせていただきます。ご容赦ください」

 

 必死の抵抗を見せるグラシアだったが、荒事とは無縁の彼女に日夜訓練に明け暮れているサイの力を振り解く事は出来なかった。

 

 そのままグラシアを連れてその場を離れていくサイ。

 だが彼も無情にその場を離れようとしている訳ではないらしい。何故なら、彼も去り際に非常に申し訳なさそうな顔をしていたからだ。

 彼も本当はこんな形で勝負がお流れになることを望んでいない。だが、状況と立場、そして使命が彼に勝手な行動を許さないのである。

 

 それを理解したサフィーアは、電撃から解放され全身から脂汗を流しているにも拘らず、心配そうにこちらを見ながら遠ざかる二人に向けて、彼女は精一杯の笑みを向けた。

 

「余裕だねぇ。クレアの腰巾着のくせに」

 

 唐突にかけられた言葉に、声のした方を見ればそこには心底不機嫌そうにしているエリザベートが居た。

 彼女が不機嫌そうにしているのを見て、サフィーアはふんと鼻で笑った。

 

「その、腰巾着に何時までも構ってる……あんたは一体何なのかしらね。おばさん?」

 

 手も足も出ないサフィーアの、ささやかな抵抗。この諦めの悪さ、不屈の精神こそが、今の彼女が持つ最大の武器であった。

 

 ただし、それは同時に彼女をより多くの苦難と苦痛に誘う諸刃の刃でもあった。

 

 レジスタンスと帝国軍の戦闘の影響で人通りの少なくなった街の一角。そこに三度目となる、サフィーアの絶叫が響き渡った。




ご覧頂きありがとうございました。ご感想等受け付けておりますのでお気軽にどうぞ。

次回の更新は日曜日の午前と午後を予定しています。


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第49話:簡単には折れない心

読んでくださる方達に最大限の感謝を。


「急ぐわよ! あいつら相手に時間を掛け過ぎた」

 

 サフィーアがエリザベートからの責め苦に苛まれていた頃、クレアとカインの二人はプレトリアン達を退け一路サフィーアへの増援に向かっていた。

 流石に帝国最精鋭ともいうべき連中を相手にしたので二人とも無傷とはいかなかったが、それでも大きく消耗する事なくあの状況を切り抜けられた。Aランクと言う評価は飾りではないと言う事だろう。

 

 そんな二人は、可能な限り早くサフィーアに合流すべく全速力で街の中を走っていた。彼女らの動きには一切の迷いがない。まるでサフィーアの今の居場所が分かっているかのようである。

 それもその筈で、今の二人の前をウォールが走りサフィーアの元へ先導しているのだ。

 

「しかしいいタイミングだったね。彼が来てくれたおかげであの状況打開できたし」

 

 先程、イヴの捨て身の行動で窮地に陥った二人だったが、このままではあわやと言うところでウォールが突然飛び出してきたのだ。

 飛び出してきたウォールはカインを敵の攻撃から護り、状況を即座に理解したカインがクレアを援護してイヴを引き剥がし、そのまま一気に残りのプレトリアン達を叩きのめしたのである。

 

 サフィーアとサイが戦っている最中、何度も窮地はあったのにウォールが彼女を護る様子を見せなかったのはそもそもあの場に居なかったからだった。両者の実力差を見て感じ取った彼は、即座に救援を呼ぶべくあの場を離れクレアとカインを呼びに向かっていたのだ。

 

 主人の危機を的確に察知し、最適な行動を選択できる。その優秀さに二人は後を追い掛けながら舌を巻いていた。

 

「しかし態々僕らを呼びに来たって事は、向こうはかなり厳しい状況って事かな?」

「考える迄もないでしょ。サフィにサイは荷が重いなんてもんじゃないわ。無事だといいけど」

 

 クレアはサフィーアの窮地を想像し、表情を険しくしながら走る速度を上げる。カインもそれに続いて速度を上げ、ついてくる二人が速度を上げたのを見たウォールも更に速度を上げた。

 

 と、突然ウォールが何かに警戒したように足を止めた。その様子に二人も足を止めると、ウォールの視線の先に向けて構えを取る。ウォールが警戒すると言う事は、少なくとも接近しているのはサフィーアではないか。良くて無関係な第三者、悪くて敵だ。

 

――こちとら急いでるってのに!?――

 

 敵かどうか定かではない相手に心の中で悪態をつきながら、クレアは接近する相手が姿を現すのを待った。

 

 

***

 

 

 

「う、うぅ……」

 

 一方エリザベートによって街灯に縛り付けられたサフィーアは、散々に電撃で痛めつけられ最早虫の息も同然の状態にさせられていた。脚にも力が入っていないのか彼女の体を支えているのは街灯に縛り付けているワイヤーのみであり、虚ろな表情でぐったりとしている。

 よく見ると両足の太腿には刃を突き刺した痕がある。これもエリザベートによるものだ。最初一方的に電撃で痛めつけられていたサフィーアだったが、負けん気の強い彼女は一瞬の隙を突いて魔法で反撃しようと試みた。だが動きが限定されている中での反撃が通用する筈もなく、あっさりと回避された挙句抵抗できないようにとエリザベートの武器である手甲に付いた爪を太腿に深々と突き刺されてしまったのだった。

 

 今のサフィーアは正にまな板の上で調理されるのを待つ魚状態。消耗しきり抵抗の手段も奪った彼女に、エリザベートは蔑みの笑みを浮かべながら近付いていった。

 

「ん~、いい感じに仕込めたかな? 今のあんたを見たら、クレアの奴はどんな顔をするかねぇ?」

 

 気分良く言いながら近付いたエリザベートは、もう抵抗はないからと調子に乗ってサフィーアの顔を覗き込んだ。無抵抗な相手が、何も出来ずにただ見返すしかできない様子を見て楽しむのが目的だった。

 

 だがこれは迂闊な行動だった。エリザベートが顔を近付けた瞬間、一瞬でサフィーアの目に光が灯り頭を上げると渾身の頭突きを叩き込んだのだ。

 

「あぎっ?!」

「ぐ、くっ――!?」

 

 完全に油断していたエリザベートは、サフィーア渾身の頭突きに額を割られ血を流しながらその場に蹲った。当然サフィーアの方も頭突きのダメージは自分で受けているのだが、自分から仕掛けている分反動に対して心構えは出来ていた分立て直しは早い。エリザベート同様額が割れて血が流れるが、先程とは打って変わりその眼には強い光が宿っていた。

 

 縛り付けられながらも力強く、無様に蹲るエリザベートを睨み付けるサフィーア。エリザベートは暫くそのまま蹲っていたが、唐突に顔を上げると容赦なくサフィーアの右肩に手甲の爪を突き刺し更にそのまま電撃を流した。

 

「ぎぃっ?! あ、あああぁぁぁっ?!」

「この小娘がッ!? 生意気なんだよッ!?」

「ぐぅぅっ?! あああぁぁぁっ?!」

 

 激昂したエリザベートは先程までの比ではない時間、サフィーアに電流を流し続けた。体の中を暴れ回る電流に彼女の四肢が意思に反して歪に動き回る。

 

 たっぷり一分以上電撃を浴びせられたサフィーアは、エリザベートの気が済んで電撃を止めた瞬間糸が切れた人形の様に動かなくなってしまった。

 

「ひゅぅ……ひゅぅ……」

 

 一見死んだように見えるが、微かに動く肩と隙間風レベルの呼吸音で辛うじて生きているのが分かった。

 死に掛けの状態となったサフィーアに、エリザベートは満足して勝ち誇ったように口を開いた。

 

「お前はクレアに対する盾としてだけで済ませるつもりだったけど、気が変ったよ。クレアの奴をぶちのめしたらお前は奴隷として帝国兵に売り渡してやる。見た目は良いからねぇ、きっと兵隊共に大人気だよ」

 

 顔を近付けてにやにやと笑うエリザベートに、サフィーアは最早何の抵抗もしない。今度こそ完全に無力化したらしいことを確信し、彼女を拘束するワイヤーを外す。拘束を解かれた瞬間サフィーアはその場に倒れこむ。

 身動ぎもしないサフィーアを、取り合えずその場から運ぼうとエリザベートが手を伸ばした。

 

 その時、突然真横から火球がエリザベートに向けて飛んできた。

 

「うおっ!?」

 

 咄嗟に回避に成功したエリザベートは、サフィーアを放ってその場から離れる。それと入れ替わる様に二人と一匹の影がサフィーアに近付いていく。

 

「カイン、サフィを頼むわね」

「言われずとも。そっちも、相手が相手だ。油断だけはしないようにね」

「誰に向かって言ってんの」

 

 サフィーアに回復魔法を掛けるカインと軽口を叩き合うクレアだったが、その表情は憤怒に彩られていた。自身の妹分を、やりたい放題痛めつけたエリザベートに怒り心頭らしい。

 

 一方のエリザベートは、そんなクレアを苦々しい表情で睨んでいた。本来クレアに対する盾として利用しようとしていたサフィーアは現在カインによって回復魔法を掛けられている。彼の回復魔法の練度如何にもよるが、遅くとも数分で復活するだろう。

 状況は限りなく彼女にとって悪い方に傾いていた。

 

「さぁてぇ? よくもうちの可愛い妹分を好き放題にしてくれたわね。あんた、覚悟は出来てるんでしょうねぇ?」

 

 指を鳴らしながら凄むクレア。放たれる怒気と気迫は凄まじく、感情に触発されて制御を離れた魔力がエレメタルを介して熱として放たれ、彼女の周囲の気温が上がる。

 

 陽炎が立ち上るほどの熱を放つクレアに暑さとは違う汗を流すエリザベート。逃げる事すら許されない状況に必死に打開策を考えるが、頭から容赦をなくしたクレアは対策を考えさせる余裕すら与える事無く攻撃を開始した。

 

「エリザベートォッ!?」

「くそっ!?」

 

 両手に炎属性の魔力を纏わせながら殴りかかってくるクレアに、エリザベートも手甲の爪に雷を纏わせて迎え撃つ。

 

 その様子はどちらかというと武と武のぶつかり合いと言うよりは陣取り合戦に近いものがあった。拳を相手の体に叩き込むのではなく、互いに相手の動きの中に生じた僅かな隙に拳を、刃をねじ込もうとする。

 

 炎の拳と雷の刃が激しくぶつかり合う。飛び散る火花と電気が両者の肌を焼くが、どちらもそんなものに頓着することは無い。クレアは怒りでそんなものには構っていられなかったし、エリザベートは苛烈なクレアの攻撃に対処するのに忙しく気にしていられなかった。

 

 だが怒ってはいてもクレアは我を失ってはいなかった。攻撃は苛烈だが決して力任せの我武者羅ではなく、一瞬の隙を突いてエリザベートの拳を受け流し無防備な胴体に何発もの拳を叩き込んだ。

 

「が、はぁっ!?」

 

 炎の拳を何発も叩き込まれ、悶絶しながら吹っ飛ばされたエリザベート。その程度では怒りが収まらないのかクレアは追撃しようとするが、ここでエリザベートが想定外の動きをした。

 徐に明後日の方に向けて何かを放り投げたのだ。

 

「ん? なっ!?」

 

 無意識の内にエリザベートが放り投げたそれを目で追い、クレアは目を見開いた。彼女が放り投げたのは、人間やエルフをレッド・サードにする目玉が入っていたカプセルだった。そしてそれが放り投げられた先には…………逃げずに隠れる事を選んだのか物陰に隠れた住民と思しき男が居た。

 

 咄嗟にそちらに向かいカプセルを炎で焼き尽くすクレア。だがそこで彼女はまたしても予想を裏切られる事となる。

 カプセルの中身が空だったのだ。

 

「は?……ッ!? サフィッ!?」

 

 一瞬理解が追い付かなかったクレアは、エリザベートの狙いに気付きカインに介抱されている筈のサフィーアの方を見る。

 果たしてそこには、一瞬の隙を突かれて接近を許したカインが、サフィーアをエリザベートに人質に取られ動きを封じられていた。

 

「カインッ!?」

「くそ、ごめん嵌められた。空のカプセルに気を取られた隙に近付かれた」

 

 見るとカインから離れた所にももう一個、ライフルで撃ち抜かれた空のカプセルが落ちていた。恐らくクレアが気を取られると同時にもう一つをカインへの目くらましで放り投げていたのだろう。以前遺跡でエリザベートが深紅の目玉の入ったカプセルを所持していた、その時の記憶を揃って利用されてしまったのだ。

 

 サフィーアを奪われ、動きを封じられたクレアとカイン。

 その二人に今度こそエリザベートは勝ち誇った笑みを浮かべた。

 

「形勢逆転だねぇ。さて、どうすればいいかは分かるだろ?」

 

 言外に抵抗するなと告げるエリザベートに、二人は唇を噛み締めるが人質を取られては動く訳にはいかない。已む無くクレアはマギ・コートを解除し両手を上げ、カインはライフルと拳銃をエリザベートの近くに捨てた。

 

「おら、お前も遠くに行くんだよ」

「くぅん……」

 

 反応が遅れ障壁を張り損ねたウォールも、悔しそうな声を上げながらサフィーアから離れた。

 その場の全員が自分に従う状況に気を良くしたエリザベートは、サフィーアを引き摺りながらカインが捨てた拳銃に近付き拾い上げると銃口をカイン自身に向けた。

 

「お前はどうでもいいけど、邪魔されると困るからここで死んでもらうよ。クレア、お前はそこでお仲間が死ぬところを黙って見てな」

 

 ちょっとでも迂闊な動きを見せれば、即座にエリザベートはサフィーアを傷付けるだろう。それを思うと二人と一匹は動く事が出来ない。

 それが分かっているエリザベートは、見せつける様にゆっくりとカインの胸に向け狙いを定める。勿論カインは、マギ・コートで銃弾を防ぐようなこともしない。そんな事をしようとすればその銃口は即座にサフィーアに向く。

 

 万事休す、カインは半ば諦めたのか目を閉じ最期の瞬間が来るのを待った。

 エリザベートの顔をこれでもかと殴り飛ばしてやりたいクレアだったが、サフィーアを人質に取られている以上動く訳にもいかずは血が出るほど唇を噛み締めるしかできない。エリザベートはそんな彼女の顔を、心底面白いものを見るような目で眺めていた。

 

 と、その時である。徐にクレアがハッとしたように目を見開いた。さらに言うとその視線がおかしな方を向いている。具体的には、エリザベートのすぐ後ろだ。

 おかしな様子を見せるクレアに訝しげな顔をするエリザベートだったが、直後に何かが動く気配を背後に感じて後ろを振り向いた。

 

「だりゃぁぁぁぁっ!!」

 

 体の向きを背後に向けたエリザベート、その腹にサフィーアの竜巻を纏った蹴りが突き刺さった。

 

「ごはぁっ?!」

 

 今までで一番強烈な一撃を、何の備えもなく喰らってしまったエリザベートは吐瀉物を撒き散らしながら蹴り飛ばされていく。その様子を見たサフィーアは、蹴りを放ったままの姿勢から足を下ろして今まで手放す事無く持ち続けていたサニーブレイズを構えた。

 彼女がピンピンした様子で立っていることに、誰よりも驚いたのはクレアであった。

 

「サフィッ!?」

 

 クレアは急いで駆け寄り、サフィーアの状態を確認する。

 そこで彼女は、今のサフィーアがどういう状態なのかを理解した。

 

「ッ!? サフィ、あんたまたッ!?」

「説教もお仕置きも全部後で受けます! それより今は――」

 

 今、サフィーアは禁止していたはずのオーバーコートを再び発動していた。エリザベートの拷問で残さず体力を使い果たしていた彼女だが、カインの回復魔法で僅かに回復して意識を復活させると枯渇寸前の体力を即座に魔力で補いエリザベートに反撃を喰らわせたのだ。

 

 そんなサフィーアだが、以前とは異なりオーバーコートを発動しているにも拘らず辛そうな様子が見当たらない。見た目満身創痍に見える事以外は至って元気そうにサニーブレイズを構え、蹴り飛ばされて腹の中の物を吐き出し続けているエリザベートを見据えていた。

 

「あいつをッ!!」

 

 クレアは一度サフィーアとエリザベートを交互に見遣り、一つ大きなため息をついた。正直なところ、今すぐにでも引っ込めさせたい。今のサフィーアの状態は察するに、オーバーコートによるブーストとアドレナリンの過剰分泌が合わさって動けている状態なのだろう。まだ太腿にエリザベートによる刺し傷が痛々しく残っているのがその証拠だ。こんな傷をつけていては、平然と立っているなど出来るはずがない。仮に立てたとしても、立つのがやっとと言うのが丸分かりな筈だ。

 だがクレアは、あえてこのまま彼女の好きにさせてやることを選んだ。下手に押さえつけようとしても興奮状態にある今は逆効果になりかねないし、何より散々にやられた相手に思いっきりやり返してやりたいという気持ちはよく分かるからだ。

 

「無茶するんじゃないわよ?」

「善処します!」

「この子は……もう」

「大丈夫、僕もフォローするからさ」

 

 全く信用できない『善処』と言う言葉に思わず頭痛を感じるクレアに、カインが苦笑いを浮かべながら声を掛ける。

 

 などとやっていると、漸くエリザベートが復活した。

 

「ちっきしょ…………ぐぅ――!?」

 

 何とか立ち上がるエリザベートだったが、クレアに続きサフィーアの攻撃も諸に喰らってしまい今度は彼女が満身創痍となってしまっていた。しかもそれに加え人質はいなくなり、サフィーア・クレア・カインにより半包囲されつつある状況だった。

 

「くそ、くそ、チクショウッ!? こうなったら――」

「逃がすかッ!!」

 

 完全に劣勢となった事で、迷わず逃げるを選択し遺跡の時の様にメルドゥで姿を消して逃げようとするエリザベート。

 だが姿を消す寸前、カインがエリザベートの近くに向け一発の銃弾を撃ち込むと着弾地点から半径数メートルに激しい放電が発生し範囲内から逃げきれていなかったエリザベートを感電させた。

 

「あぎゃっ?!」

「サフィッ!!」

「はいッ!!」

 

 先程電撃によってサフィーアを痛めつけていたエリザベートが、今度は電撃によって逃亡を阻止させられる。その皮肉に何かを言うよりも前にサフィーアとクレアは同時に魔法を放った。

 クレアの手から放たれた炎が、サフィーアの脚から放たれた風に乗り一直線にエリザベートに向かっていく。風によって火力を増した炎は、直撃したエリザベートを忽ち火達磨にした。

 

「ぎゃぁぁぁぁぁぁっ?!」

 

 全身を業火に包まれ、エリザベートの口から絶叫が響く。

 炎に包まれのたうち回るエリザベートを前に、サフィーアは無言で顔を背けた。散々に痛めつけてくれた相手だ、別に助けてやろうと言う気は起きない。だが、同時にあの女が苦しむさまを見て気分が晴れると言う事も無かった。

 

 とその時、突然エリザベートが爆発した。

 

「な、何ッ!?」

「これはっ!?」

 

 普通、人間が爆発するなどありえない。サフィーアとクレアの魔法で火達磨になったエリザベートだったが、二人の魔法は爆発を誘発するものではなかった。

 となると、あの爆発は第三者によるものかエリザベート自身が起こしたものと言う事になる。状況的に考えて第三者の可能性は低いから、エリザベート自身が起こしたものだろう。

 

 果たして、数秒ほどで煙が晴れるとそこにはエリザベートの影も形も無かった。それは勿論木っ端みじんのバラバラになったと言う訳ではなく、正真正銘姿が消えたと言う事である。

 即ち、エリザベートは何らかの方法で自力で爆発を起こして消火と逃亡を同時に行ったのだ。

 

「あの状況で、よくもまぁ。何したの?」

「多分だけど、魔力で炎を弾き飛ばそうとして過剰に魔力を放出したんだね。爆発したように見えたのは、恐らくだけど過剰放出された魔力に引火して炎が広がったんだ」

 

 冷静にエリザベートの行動を分析するクレアとカイン。長い事傭兵をしている二人でもこの状況は初めてだったのか、分析の方に気を取られている。

 と、二人の関心がそちらに向いている時、それまで少し離れた場所からそれを眺めていたサフィーアが突然その場に崩れ落ちた。

 

「くぅん!?」

「あっ! と、そうだった」

 

 慌てた様子のウォールの声に、クレアとカインもサフィーアが重症だったことを思い出し急いでそちらに駆け寄った。

 近寄る二人に対し、サフィーアはかなり消耗しているのか何の反応も見せない。そんな彼女にカインが回復魔法を掛けた。

 傷を癒され、体力的精神的に僅かながら余裕が出来たのか、サフィーアは幾分かしっかりした目で二人の事を見た。

 

「気分はどう?」

「正直……結構しんどい、です」

「良かった。大怪我した上にオーバーコートしておきながら平然とされてたら、流石に人間かどうか疑うところだったわ」

 

 ジョークを交えてくるクレアに、サフィーアは弱々しくも笑みを浮かべる。力は弱いが笑みを浮かべるだけの元気を彼女が取り戻したことに、クレアは安堵の溜め息を吐きながら彼女に肩を貸して立たせた。

 

「兎に角、間に合って良かったわ。一応あの二人には感謝しとかないと」

「あの二人?」

「サイ・F・ハイペリオンとグラシア皇女さ。ここに来る途中、偶然遭遇したんだけど敵対するどころかサフィが居る正確な場所を教えてくれたんだ」

 

 ここに来る途中クレアとカイン、そしてウォールの前に姿を現したのはあの場から離れる真っ最中のサイとグラシアの二人だった。互いに移動ルートが偶然にも一致したのだ。

 出会った時、クレアとカインはそこで一戦交えることを覚悟していたのだが、予想を裏切り二人揃って道を開けるどころかサフィーアの正確な場所、その時の彼女の状態までを教えてくれたのだ。

 結果的に見捨てる事になってしまったことへの、あの二人なりの謝罪の気持ちだろう。

 

 一応は敵同士だと言うのに、律儀な事だとサフィーアは笑みを溢した。

 直後、彼女は大通りの戦いがまだ終わっていない事に考えが至った。

 

「あっ!? ところで大通りの方は!?」

「プレトリアンは私とカインであらかた片付けたけど――――」

 

 クレアがここに来る直前の様子を思い出した時、大通りの方から派手な爆発音が響いた。明らかに重火器が使われた様子に、三人と一匹は一斉にそちらを見る。

 

「他がまだ粘ってるみたいね。正規軍が来たのかしら?」

「目的の皇女がこっちに居たからね、そりゃ……て、ちょっ!?」

 

 暫しそちらを見ていたサフィーアだが、突然再びオーバーコートを発動させると勢い良く立ち上がって大通りへと掛けていった。カインが慌てて引き留めようとするが、オーバーコートを使用してとは言えも奪った自力で行動するとは思ってもみなかったので間に合わず彼女が向かうのを見送ること結果になってしまう。

 角を曲がっていってしまったサフィーアを慌ててウォールが追い掛けていき、クレアとカインも急いで立ち上がり彼女の後を追い掛けていく。

 

「あんの、じゃじゃ馬娘が!? 親の顔が見てみたいわ!?」

「君の影響でもあるんじゃない? 他人の事言えるほどお淑やかじゃないでしょ」

「んな事ないわよ!? これでも一応節度は……って、どうでもいいのよそんな事!?」

「はいはい」

 

 下らない言い争いをしながら、二人は先走ったサフィーアの後を追いかけていくのだった。




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第50話:本末転倒な解放戦

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 満身創痍の体をオーバーコートで半ば無理やり動かして大通りに戻ったサフィーア。

 彼女がそこで見たのは、先程よりも更に戦いが激しくなりあちこちで火の手すら上がりだした大通りだった。

 

 帝国軍側は近衛騎士隊が(主にクレア達によって)被害を被ったものの、戦線を崩壊させるには至らずレジスタンス相手に粘り続けた。そこに街に駐留している帝国正規軍が増援として到着したことにより、余裕を無くしたレジスタンス側が抵抗を激しくしていたのだ。

 現場に到着したサフィーアは崩れたり火の手が上がった建物に顔を顰めつつ、少しでも早く戦いを終わらせるべく参戦した。

 

 増援としてやって来た帝国正規軍は数自体は決して多くはなかった。元々占領間もなかった上に今はエルフとの戦争で忙しいので、常駐している戦力自体が少なかったのだ。

 だがそれでも戦力的にはレジスタンスの方が圧倒的に劣っていた。プレトリアンが半壊し隊長のサイが戦線を離れたとは言え、ソルジャーの練度も帝国正規軍のそれを超えている。それは多少の数の不利を覆すほどに、だ。

 

 サフィーアはそんな連中を前に、怯む事無く果敢に突撃した。

 

「たぁぁぁぁっ!!」

「何ッ!? ぐおっ?!」

 

 気合と共に駆けて行き、帝国軍の兵士を相手にサニーブレイズを振るう。ソルジャーは兎も角として増援の正規軍は彼女の乱入に面食らったのか、対応が遅れバッタバッタと薙ぎ払われていく。

 それでもずぶの素人ではない帝国兵達は、体勢を立て直すと彼女を包囲して四方からの一斉射で仕留めようとした。だが極度の興奮状態もあってか感覚が鋭くなっている彼女は、その意図に即座に気付くと射撃が行われる直前に跳んでそれを回避。更に空中で空破斬・旋を放ち自分を包囲している帝国兵の一角の動きを止め、その隙に別方向の兵士達を風属性の魔法で吹き飛ばした。

 

「はぁ、はぁ……う――」

 

 一見すると絶好調に見える活躍を見せるサフィーアだったが、それが長続きしないことは彼女自身が誰よりも理解していた。

 そもそもの話、満身創痍の状態で体に負担の大きいオーバーコートを、未だ未熟な彼女が使って無事で居られる筈がないのだ。アドレナリンも分泌が収まってきたのか徐々に体が痛みを訴え始め、特にエリザベートに突き刺された右の肩と両の太腿からは激痛が走っていた。

 気力体力、共に限界に近付きふとした瞬間には集中が途切れ意識を手放しそうになるのを、彼女は砕けそうになるほど奥歯を噛み締め太腿と右肩から走る激痛を気付け薬代わりに戦いを続行した。

 

 そんなサフィーアを、遅れて大通りに戻ってきたクレアとカインが見て表情を険しくする。

 

「不味いわね。サフィの奴、失血と怪我に魔力のブーストが無理やり加わって思考が可笑しなことになってる」

「君も通った道だろ。それより状況がさっきより悪化してる。そっちをどうにかするのが先決だ」

「そんなの決まってるでしょ。とにかく帝国兵をさっさと叩きのめして戦いを終わらせるのよ」

「現状それが一番の近道か。それなら、ほらこれを」

 

 行動方針を決め即座に動き出そうとしたクレアを、カインは引き留め懐から取り出したエレメタルを彼女に握らせた。

 

「何、これ?」

「この状況ならそっちの方が有効だ。上手く使いなよ」

「だからこれ――――あぁ、そういう事?」

 

 カインの謂わんとしていることを理解したクレアは、今グローブの装甲に填め込まれているエレメタルを外すと彼に渡されたエレメタルを代わりに装着した。使い心地を確かめるようにそれに魔力を流すと、変換された魔力が雷を帯びる。

 半ば乱戦と化したこの戦場に於いて、下手に高火力な炎属性の魔法を使えば被害を無用に増やすどころか味方をも必要以上に巻き込んでしまう。その点、雷属性の魔法であればある程度被害を限定することが可能だ。場合によっては暴走した味方を無理矢理押さえつけるのにすら使える。

 

 クレアがカインから受け取ったエレメタルをグローブに装着していた時、サフィーアはと言うと凡そ重傷者とは思えない活躍を見せていた。

 

「はぁぁぁぁぁっ!」

「何だ此奴、自殺志願者か!?」

 

 敢えて銃撃に向かって掛けると、確実に自分に当たる銃弾だけを弾き帝国軍の弾幕を切り抜けた。その様に帝国兵の一人が驚愕しつつ彼女の正気を疑う。弾幕に向けて突っ込むなど、余程優れた防御力を持つ装備を身に着けていない限りまずやろうとは思わない。それを躊躇なくやってみせた、クレアの言った通り大分冷静さを欠いているのだろう。軽いバーサーカー状態だ。

 

 そのクレアはどうしているかと言うと、こちらは殆ど帝国兵とレジスタンスの二つを同時に相手しているも同然の状態となっていた。

 

「全くどいつもこいつも、街中で平然と重火器ぶっ放して!? こんなところで使うんじゃないわよそんなの!?」

「ぐあっ?!」

 

 クレアは雷を纏わせた拳で帝国兵を沈めつつ、街中でロケットランチャーなどの重火器を使おうとしている者を見つけたら敵味方問わず雷属性の魔力で作った雷球を飛ばして痺れさせた。既に街には大通りを中心に火の手が上がり始めている。この状況でロケットランチャーなど使おうものなら、被害はさらに拡大してしまう。

 当然ながら味方である筈なのに行動の妨害をしてくる、彼女に対して他のレジスタンスは困惑と怒りを露わにした。

 

「おい!? お前どっちの味方だ!?」

「うっさい民兵!? 街守る気あるなら周り見ろ!?」

 

 本来であれば依頼人の関係者にこのような物言いをするのは傭兵としては宜しくないのだが、いろいろとあり過ぎてクレアも少々心の余裕を無くしているらしい。無茶をし過ぎるサフィーアの事やら、街の解放を謳いながら街の被害を拡大させるレジスタンスやらの面倒を見なければならないともなればそれも致し方ないだろうか。

 

 そんなクレアにしてはあるまじき口汚い物言いに内心で苦笑しつつ、カインは二人を的確に援護しながら帝国軍の無力化に努めていた。

 と言っても、やることは先程とあまり変わらない。周りの指揮をしているものを優先的に仕留めつつ、味方の様子を適宜気にする程度だ。しいて先程と違う点を挙げるとするなら、やはり民間人への配慮だろうか。必要以上に街への被害が大きくなりそうな行動をとる者が居た場合、彼はエリザベートの動きを止めたのと同じ着弾時に周囲に放電する魔力の籠った銃弾をその者の近くに撃ち込んだ。

 

 クレアの怒声が幾分かレジスタンス達に届いたのか、唐突にレジスタンスの攻勢が弱まった。自分たちの行いがどのような結果を生むか漸く理解したらしい。

 だがそれは同時に帝国軍に付け入る隙を与えることとなる。

 

 レジスタンス側の攻勢が弱まったのを好機とみて、勢い付き始める帝国軍は重火器まで持ち出して一気に勝負を掛けに来た。

 次々と帝国兵がロケットランチャーを構える姿に、サフィーアの顔から血の気が引いた。

 

「ちょっ!? あいつら馬鹿ッ!? ウォール!!」

「何考えてんの、よっ!!」

「何も考えてないんだろ!」

 

 次々と放たれるロケット弾をサフィーアは空破斬・旋で迎え撃ちつつウォールに取りこぼしたロケット弾の対処を命じる。クレアとカインは一発でもロケット弾を減らす為、共に雷属性の魔法を帝国軍に次々と撃ち込んだ。拡散する雷属性の魔法は、しかし派手さはないのでこういう時必要最低限の働きだけをしてくれる。

 だがそれでも限界はあった。数発のロケット弾が三人と一匹の迎撃を潜り抜けて一般家屋に飛んでいった。

 

「ダメェッ!?」

「くそっ!?」

「不味いッ!?」

 

 

 反応が間に合わず、最早視線だけで弾頭を追い掛けるしかできない三人。

 

 彼女らの前で無情にも弾頭は街の建物へと直進していき――――

 

「ハッ!!」

 

 突如どこからか飛び降りてきたサイによって、全ての弾頭が切り裂かれ建物に命中する前に爆発した。

 それと同時に、戦場と化した大通りに一人の女性の凛とした声が響き渡る。

 

「帝国軍全兵士に告げます。直ちに戦闘を停止しなさい!」




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第51話:狂気鎮める言葉

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「帝国軍全兵士に告げます。直ちに戦闘を停止しなさい!」

「ッ!! あんた達もよレジスタンス! 絶対に変な気を起こすんじゃないわよ!」

 

 この場から離れていたと思っていたグラシアの登場に面食らう三人だったが、サフィーアは素早く状況を理解するとサニーブレイズを向けて半ば脅すようにしながらレジスタンスの行動を制限した。こうでもしなければ、暴走したレジスタンスの凶弾がグラシアの胸を貫いていただろう。

 最も、サイが居る限り彼女に怪我一つ負わせることはほぼ不可能であろうが。

 

 ともあれ、混沌としつつあった戦場をたった一言で収めてみせたグラシアは流石皇族と言ったところだろうか。今の一声で全ての人間の注目を集めているにも拘らず、彼女の様子には一切の動揺が感じられない。

 

 寧ろ堪ったものではないのは帝国軍の方だろう。自国の超VIPが戦場のど真ん中に居るのだ。もし何かあれば責任問題でこの場の全員の首が飛んでしまいかねない。

 

「こ、皇女殿下ッ!? 何故このような所にッ!? ここは危険です、すぐに官庁まで――」

「何が危険なものですか!? 侵略によるものとは言え、この街は既に我らが領土。その領土を無為に破壊する、貴方達の方が遥かに危険です!」

 

 慌ててこの場から退避させようとする帝国軍指揮官だったが、グラシアはそれを一蹴すると今度はレジスタンスに向け声を張り上げた。

 

「レジスタンスの責任者はどなたですか?」

「わ、私だが?」

 

 先程のグラシアの迫力に気圧されたのか、本来であれば黙っているべき存在の指揮官がおずおずと前に出てきた。

 サフィーアはその姿に見覚えがあった。レジスタンスのアジトでバザークの傍に控えていた、あの男だ。

 

 その男の姿を見るや、グラシアは何も言わずに近付くと彼の頬を思いっきり叩いた。

 

「貴方はッ!? それがこの地に住む方々の事を思う者のする事ですかッ!? 見なさい周りをッ!!」

 

 言いながらグラシアは周囲を見渡し、サフィーアも釣られて周囲に目を向けた。

 

 改めて見渡してみて、戦闘の激しさが伺えた。

 本来であれば特別美しいとは言わないまでも、ごくありふれた平和な街並みが広がる筈のそこは、あちこちで火の手が上がり建物は崩れ道路は無残に割れている。これを修復して元通りにするとなると相当の労力と費用、そして何よりも時間が掛かるだろう。

 

 この光景を作り出したのが、他でもない街の解放を願うレジスタンスと言うのは何とも皮肉な話である。

 

「これが貴方達が求めたものですか? 私たち帝国を追い出して、この光景を手に入れられたら満足なのですか? 帝国を追い出した代償がこれで、果たして他の住民は満足するのですか?」

「う、うるさい――!?」

 

 グラシアの言葉一つ一つがレジスタンスの心に突き刺さる。突き刺さった瞬間心には痛みが走り、痛みは苛立ちとなって彼の口から飛び出した。

 

「そもそも、お前達がこの街を侵略し私達から自由を奪ったんじゃないかッ!? 弾圧して、搾取して、我慢の限界を超えて歯向かったらしたり顔で説教かッ!? それが帝国のやり方かッ!?」

「では何故、武器をその手に取り暴力に暴力を返すのですか? それでは所詮一時凌ぎに過ぎませんよ?」

「他に何が出来ると言うんだッ!?」

「私がここに居るでしょうッ!!」

 

 感情のままに、正論を言われていると分かっていながら苛立ちだけで形作られた反論を口にするレジスタンスの指揮官。

 その男の口が、グラシアの言葉でぴたりと止まった。彼の口だけではない。その場にいたレジスタンス全員の動きが気付けば止まっていた。

 

「私がここに居ます。今ここで、貴方達が感じている不満を聞き、出来る限りでそれを解消してみせます。さぁ、話してみてください」

 

 そう言うと、グラシアはそれまでの気迫が嘘のように柔らかな表情で彼に手を差し伸べた。その姿はさながら、迷える者を導こうとしているかのようである。いや、実際そうなのだろう。

 

 先程とは違う種類の迫力に中てられ、彼は自然と口を開いた。

 

「か、家族を……」

「はい」

「家族を……帝国軍に、理不尽に連行された家族を、返してくれッ!?」

「そうだ!」

「親父やお袋を、返してくれ!?」

「俺の娘もッ!」

 

 レジスタンスの口から次々と家族を返せという言葉が飛び出る。

 グラシアはそれらを聞き、自身の中で噛み締めるように目を瞑ると背後に控えていたサイに声を掛けた。

 

「サイ、手配の方は?」

「既に完了しております、姫様。明らかに不当に連行された街の住民たちは、直ぐにでも解放されることでしょう」

 

 サイの報告を聞いてグラシアは満足そうに小さく頷き、彼を含んだレジスタンスに向けて笑みを向けた。家族が解放されまた会えると分かり、彼らの表情に希望の笑みが広がる。

 

「他には? 家族の事だけではないのでしょう?」

 

 レジスタンス達の中には確かに希望が広がりつつあったが、その中に感動が少ない者が居ることをグラシアは見逃さなかった。元より、帝国の侵略による制圧下では様々な圧政が敷かれるのが普通。彼らが感じる不満が連れ去られた家族に対するものだけでないことは容易に想像がついていた。

 果たして、一人の男が前に出ながら手を上げて口を開く。

 

「税を……税を何とかしてくれ! 帝国に侵略される前と比べて高過ぎる、これじゃあ生きていくだけで精一杯だ!」

 

 帝国は制圧下にある小国や小さな街から様々なものを搾取していた。食料や金銭は勿論、時には労働力となる若い男や女子供すらも、だ。侵略と略奪が推奨されている、帝国ならではと言えるだろう。

 だが、グラシアはそんな帝国の在り方に真っ向から異を唱える女性であった。

 

「税の事については、私もいろいろと思うところがありましたので、後程街の統治を任された者とじっくり話をする予定です。流石にこちらが侵略し制圧したことになりますので、税を侵略前と同じに戻すと言う事は難しいでしょうが、皆さんが可能な限り納得できる水準にまで落として御覧に入れます」

 

 グラシアの言葉にレジスタンス達の表情に笑みが戻る。

 

 だが…………。

 

「騙されるなッ!?」

 

 唐突に響く怒声。全員が何事かとそちらを見れば、レジスタンスの一人がグラシアに銃口を向けていた。

 

「お前ら、相手は帝国の、それも皇族だぞ!? きっと甘い言葉で誘惑して俺たちを欺こうとしてるんだ、そうに違いないッ!!」

 

 男が捲し立てる様にそう言うと、何人かはそれでハッと目が覚めたかのように笑みを引っ込めると続いてグラシアに銃口を向ける。

 その様子にサフィーアとサイがそれぞれ何か言おうと一歩足を前へ踏み出すが、クレアとグラシアがそれぞれを引き留めた。

 

 その直後、グラシアは思ってもみない行動に出た。なんと一人銃口を向けている男に近付くと、その銃口を自らの胸元に押し付けたのだ。

 予想外の彼女の行動に唖然となるレジスタンス。彼に向けて、グラシアは少しも怯えを滲ませない声色で話しかけた。

 

「私が信用できませんか?」

「え?」

「そうでしょうね。私は貴方達にとって憎い帝国の皇女、信用できないのも無理はありません」

 

 グラシアはそこで一旦言葉を区切ると、両手を広げ無防備を晒しながら相手の目を真っ直ぐ見つめながら言葉を紡いだ。

 

「ですが、敢えて言わせてください! 私を信じてください! 皆さんが少しでも笑顔でいられるよう、全力を尽くす事を誓います!」

 

 今の言葉に嘘がない事は、サフィーアでなくとも分かった。グラシアは正真正銘、全身全霊をもって支配地域の住民達が笑顔になれるように努めるつもりだ。

 その為になら、例え国内での自身の評判が悪くなっても構わないという覚悟が彼女にはある。それがその場にいた全員に伝わった。

 

「立場は違えども、私と貴方方の求めるものは同じ筈です。それでも信じられないなら、私が憎いと言うのなら、躊躇わず私を撃ちなさい」

 

 両手を広げ、部下を下がらせ、何時でも殺せと言わんばかりの姿を晒すグラシア。今なら例え殺しのド素人の子供であろうとも、彼女を殺すことは容易いであろう。

 だが、出来なかった。グラシアの前で彼女に銃口を突き付けている彼は、憎き帝国の皇女を仕留める絶好の機会であるにも拘らず、引き金に掛けている指に力を入れる事が出来なかった。頭ではなく心が、ここで彼女を殺める事は間違いであると感じ、引き金を引く事を拒否したのだ。

 彼だけではない。この場に居る、グラシアに銃口を向けていたレジスタンスの者達は全員が力無く銃を下ろしていた。

 

 その光景にサフィーアは目と心を奪われた。正確には、目に見える光景ではなく彼女だけが見る事が出来る、思念の光景。この場においてはクレアですら見る事の叶わない、彼女だけが理解できる変化に見とれていたのだ。

 

――狂気が……薄れていく――

 

 つい先程まで、この場には互いが互いを排除しようとする狂気とも言える思念が充満していた。本物の、サフィーアが今まで体験したことのない戦場の狂気。正直に言って、彼女はそれを恐れていた。ボロボロの体に鞭打ってこの場に乱入したのも、戦いを早々に終わらせてその狂気を消し去りたかったからだ。

 

 生半可な事では消えることは無いだろうその狂気を、だがグラシアは一切の武力を用いず言葉だけで彼らを静めてしまった。その事実に、サフィーアは唯々驚愕し、同時にそれを成し遂げられるグラシアの強さに羨望を抱いていた。

 

 レジスタンスもサフィーア達も、全員が注目する中グラシアに近付く者がいた。ジャックだ。クレアとカインによって倒され、街の何処かでのびていた筈だがどうやら復活したらしい。

 そのジャックは、何やら急いだ様子でサイとグラシアに近付くと何事かを告げた。何か緊急の報告だったのか、彼の報告を聞いた二人は驚愕した様子を見せる。

 

「戻りますよ、サイ!」

「ハッ! もうこの場に用はない、総員撤退しろ!」

 

 てきぱきと周囲の兵士たちに指示を出し、急ぎその場から引き揚げていくグラシアと帝国軍。

 

 その様子を見て、漸く緊張が解けたのか――――

 

「ふぅ……」

「あ、サフィッ!?」

 

 ダメージと疲労が限界に達したサフィーアは、その場で静かに意識を手放すのだった。

 

 

***

 

 

「ん……んぅ?」

 

 サフィーアが再び目を覚ました時、彼女は街の宿のベッドの上に居た。

 首を動かして窓を見つけると、外は既に暗くなっている。戦闘をしていた時はまだ日が高かったので、少なくとも半日は経った事になる。

 

「お目覚め?」

「あ……」

 

 窓の外を眺めながらぼんやりとしていると、看病してくれていたのかベッドの横の椅子に腰かけていたクレアが声を掛けてきた。

 

「今回は随分と復活早かったわね。まだ半日よ?」

 

 やはりまだ半日くらいしか経っていなかったようだ。前回、草原でブレイブを相手にした時無理矢理オーバーコートを使用した時に比べると大分進歩したと言える。

 

 そう、サフィーアはクレアに黙ってこっそりオーバーコートの練習をしていたのだ。クレアに言いつけられはしたが、やはりどうしても抑えが利かずクレアがまだ寝ている間やクレアの居ないタイミングを見計らって訓練していた。決してできる時間は長くは無かったが、こうして進歩があったと言う事は確かに効果があったと言う事だろう。

 自身の成長を僅かながらでも感じ、サフィーアは嬉しくなった。

 

 だがその気持ちも直ぐに引っ込むことになる。クレアから明らかに怒りの思念が向けられたからだ。

 

――あ、やべ――

 

 そこでサフィーアは、日中の戦闘中の会話を思い出した。説教は全部戦闘が終わった後で、サフィーアは憤るクレアにそう告げた。そして今は正しく戦闘終了後、日中に約束した時間にはぴったりだ。

 

 内心で激しく冷や汗を流すサフィーアを知ってか知らずか、クレアは内心の怒りとは正反対の笑顔でベッドの上に横たわる彼女を眺めていた。

 

「さ~て、サフィ? 私が何を言いたいかは、分かるわよね?」

「えっと、あの、そのですね? 言いつけをそんなに破るつもりはなかったんですよ? ただあの時は、そうするしか生き残る手段が無かったと言いますか?」

「ふ~ん? 私が見てない所で勝手にオーバーコートの練習をしておいて、破るつもりが無かったと?」

「いぃっ!?」

 

 クレアにはとっくに秘密の特訓がバレていたことにサフィーアは顔を引き攣らせるが、これはまだ序の口だった。兎に角身振り手振りで弁解しようと動こうとしたが、そこで漸く彼女は両手が動かない事に気付いた。

 

「へっ!?」

 

 見れば両手は頭上でタオルで固定されている。慌てて動こうとしたら今度は両足も固定されている事に気付く。更に首から下に目を向ければ、下着以外何も身に付けていなかった。

 サフィーアの顔から血の気が引き、顔面蒼白となった。

 

「あ、あの、クレアさん? こ、これ……」

「私はね、サフィが憎くてオーバーコートを制限した訳じゃないのよ? 今はまだ早いから使うなって言っただけなの。時期が来たら教えてあげる予定だったのよ? なのにサフィは私の言いつけを破って必要以上の無茶をした。分かるわね?」

「は、はい……」

「下手したら取り返しのつかない事になってたかもしれないの。本当だったら、一時間くらい説教したいところなんだけどサフィには口で言っただけじゃ意味ないみたい。だ・か・ら、お仕置きする事にしたのよ。分かった?」

 

 これ以上ない笑みを浮かべながらそう告げるクレアだったが、向けられたサフィーアはただただ恐怖するしかなかった。口元は笑っているが、目と心が全く笑っていない。

 どうにかこの状況を打開できないかと周囲を見渡すと、ベッドから離れた所のテーブルの椅子にカインがウォールを抱えて腰掛けていた。彼の姿を見た瞬間、サフィーアは一縷の望みを掛けて彼に助けを求めた。

 

「あっ!? ちょ、カイン、助けて!?」

「うん、駄目だよ。今回は君無茶し過ぎだからね。ちょっとクレアにお灸を据えてもらった方が良いと思うよ」

 

 一縷の望みは潰えた。よく見るとウォールも助ける素振りを見せない。彼も彼で、今回のサフィーアは無茶のし過ぎとでも思っているらしい。主人がある意味で危機的状況にあると言うのに、全く動く様子がない。

 油が切れた機械のようにゆっくりとクレアの方に首を向けると、先程と同じ笑顔が目に入る。

 

「と、言う訳で、覚悟しなさいね? 大丈夫よ、お仕置きって言ってもちょっとしたマッサージみたいなものだから」

「ま、マッサージって、絶対違いますよね!?」

「そんな事ないって」

 

 徐にベッドの上に乗ると、サフィーアの上に跨るクレア。

 

 クレアがいよいよサフィーアにお仕置きを決行しようとすると、カインは黙って椅子から立ち上って部屋から出ていこうとする。元々男女で部屋を分けているので彼が女子二人の居る部屋から出ていくのは自然な流れなのだが、この状況では死刑宣告に近かった。

 

「ま、待ってカイン!? 一人にしないで!? せめてここに居て!?」

 

 この後行われるだろうことを考えたら寧ろ止めてくれない只の観客はいない方が精神的に楽なのだが、余裕を無くしたサフィーアはそんな所にまで考えが及ばず傍から聞くととんでもない事を口走ってしまう。

 そんな彼女の訴えを、カインは涼しい顔で聞き流した。

 

「いや、男の僕がここに居ると色々と気まずい事になりそうだからね。僕はお暇させてもらうよ。それじゃ、ごゆっくり」

 

 いっそ爽やかな笑みを浮かべながら部屋を出ていくカイン。後に残されたのは、ベッドに固定されたサフィーアとそんな彼女に跨るクレアの二人のみ。

 

「さ~て、邪魔者もいなくなったことだし、そろそろ始めましょうか?」

「あ、あの…………お手柔らかにお願いします」

 

 せめてもの懇願を口にするサフィーアだったが、それが叶わぬだろうことは容易に想像できた。

 

 因みに、この部屋は街にある宿の中ではかなりいい部屋で、防音性が非常に高かった。つまり、この部屋の中で何が起ころうとも、周囲に気付かれることはまずない。

 

 長い、長い夜が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝、カインが二人の部屋をノックすると部屋から上機嫌のクレアと、正反対に死んだ魚のような目をしたサフィーアが出てきたのは言うまでもない事である。

 

 なお余談だが、その際サフィーアがぼそりと『お嫁にいけない』と呟くと、カインが『なら婿を取ればいいじゃない』と言って、サフィーアに割と本気でぶん殴られたのだがそれはどうでもいい話だろう。




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第52話:やられてばかりじゃいられない

読んでくださる方達に最大限の感謝を。


 大通りでの戦闘から一夜明けて、サフィーア達一行は街にある宿の食堂で朝食をとっていた。

 一日の最初の栄養補給である朝食、だがそれをとる為に席に着いたサフィーアの表情は暗い。理由は言わずもがな、昨夜クレアによって行われた、お仕置きが原因である。

 

「……はぁ~~…………」

 

 トーストにハムエッグ、瑞々しいサラダに湯気の立つスープとご機嫌な朝食を前に、しかしサフィーアの口から出たのは魂が抜け出そうなほど重い溜め息だった。

 まるで通夜の後の様な暗い雰囲気の彼女を見て、カインは若干引きながらも隣に座るクレアに話し掛けた。

 

「ちょっとやり過ぎたんじゃないの?」

「う…………否定は、しないわ。ただ弁解するなら、生っちょろい事じゃお仕置きにならないんだからね?」

「それを踏まえた上でも、あれはちょっと効き過ぎだと思うよ」

 

 サフィーアだけでなくクレアの名誉の為に言っておくと、一線を超えるようなことはしていない。飽く迄も、マッサージの範疇の事だけしかしていなかった。

 ただし、大分グレーゾーンを攻めていたことは否めないが。

 

 とは言え、マッサージの効果自体は本物だったらしい。その証拠に心とは裏腹に、サフィーアの体はオーバーコートの後遺症の筋肉痛もなく絶好調だった。例え今すぐ戦闘する事になったとしても、最高のコンディションで戦う事が出来るだろう。

 心がメタメタになっている点を除けば…………

 

「はぁ~……」

「んがぁぁっ!? 何時までうじうじしてんのよ!? 別に実害は無かったんだからいいでしょうが!?」

 

 いい加減スープが冷めるまで気分を落ち込ませたままのサフィーアに辛抱堪らなくなったのか、クレアは席を立って彼女に手を伸ばす。瞬間、彼女は小さく悲鳴を上げて顔を引き攣らせ素早く椅子毎クレアから遠ざかった。

 あまりにも素早い拒絶にクレアは一瞬唖然となり、直ぐに慌てて彼女に迫ろうとした。

 

「ちょちょちょっ!? な、何よその反応ッ!?」

「ひっ!?」

 

 テーブルから身を乗り出すクレアを前に、サフィーアは椅子を盾にして距離を取った。あまりにもあからさまな拒絶に、クレアの額から変な汗が流れる。

 

「そ、そんなにッ!? 一線は超えなかったしマッサージ自体はちゃんとやったでしょッ!?」

「あと一歩で開けちゃいけない扉を開けるところでしたよ」

「開けてないんだからいいでしょうがッ!?」

「じゃあ証明してください」

「証明? 何?」

 

 必死に取り繕おうとするクレアだが、サフィーアには取り付く島もない。流石にサフィーアに同性愛者と誤解を受けたままだと色々とまずいので必死に弁解しようと頭を回転させていると、徐にサフィーアが口を開いた。

 焦ったクレアはこの状況打破の光明をサフィーアからの提案に見出した。彼女の言う事であらぬ誤解を解く事が出来るのなら安いものだ、と。

 だが焦っていたクレアは気付かなかった。証明と言う言葉を口にした瞬間、サフィーアの目が怪しく光った事に。

 

「カインとキスしてみてください」

「…………はい?」

「そっちの気がないなら出来ますよね?」

「い、いや、それ……ここで?」

 

 街の状況が状況なので、宿に宿泊している客自体が少ない……と言うか三人しかいなかった。それでも、単純に宿の食堂の朝食目当てにした客などがこの時間に既に少ないながらも居た。

 クレアにとっては更に悪い事に、彼女達は少々騒ぎ過ぎたのかそれらの客の注目を集めてしまっていた。

 その状況でカインへのキスを求められ、クレアは何時になく心を乱していた。

 

「ちょ、ちょっとそれは止しとかない? ほら、他の人も居るし、ね?」

「あ、やっぱりそっちの気があるんですね。言い訳してやらないようにしてるんですね。あたし今日から夜はカインと一緒に――」

「だぁぁぁぁっ!? 分かった分かったッ!? やれば良いんでしょやればっ!!」

 

 遂に自棄になったクレアは、注目を集める事も厭わず大声を上げるとカインに向き直り彼の両肩を掴んだ。若干目を血走らせて荒く息を吐きながらカインに迫ろうとするその姿は、前後を知らないとかなり危ない人に見えるのだが彼女は気付いていない。

 

 一方のカインはと言えば、そんな状況とは言えクレアにキスしてもらえることは彼にとって望むべきことでもあったので当然止めるようなことはしなかった。抵抗も拒絶もせず、されるがままにしている。

 

 その際、彼はクレアからは死角になって見えないサフィーアの方に目を向けた。先程まではクレアの一挙手一投足に怯えていたサフィーア。

 だが今の彼女に怯えた様子は一切ない。テーブルに両肘を付け、軽く握った両拳の上に頬を乗っけてウキウキした顔でクレアがカインにキスしようとしている様子を眺めていた。

 どうやら半分は演技だったらしい。勿論クレアのお仕置きが効いていないと言えば嘘になるだろうが、何だかんだでクレアの事を慕っているサフィーアがそう簡単に彼女を拒絶する訳がない。大方、昨夜のお仕置きに納得がいかず仕返ししようという算段なのだろう。

 

 と、不意にサフィーアとカインの目が合った。瞬間、彼女は彼に向けて可愛くウィンクしてみせる。その様子に彼は小さく苦笑を返した。

 

――君もなかなか役者だね――

――でしょでしょ♪――

 

 言葉もなくやり取りする二人に気付かず、クレアは周囲に注目されながらカインに顔を近付けていく。

 そして遂に二人の唇が接触しそうになった、その時――――

 

「あ~、取込み中のところ、申し訳ないんだが……」

「わひゃいっ!?」

「あ…………チッ」

 

 出し抜けに横から声を掛けられ、飛び上がる様にしてカインから飛び退くクレア。折角のクレアとカインのキスシーンを見逃す事になったサフィーアは、小さく舌打ちしつつ声を掛けてきた人物に目を向けた。

 因みに残念そうにしているのはサフィーアだけではない。野次馬根性をむき出しにしていた周りの客達も一様に肩を落としたり舌打ちしたりしていた。滅多に見れない他人のラブシーンは、先日の戦闘で傷付いた街の住民の心を癒す絶好の清涼剤だったのだろう。

 決していい趣味とは言えないが。

 

 それは兎も角として、一行に声を掛けてきたのは先日アジトで、そして戦闘終了間際にグラシアと対面していたレジスタンスの男だった。

 彼は心底申し訳なさそうな、と言うか気まずそうな様子で一行に話し掛ける。

 

「その、都合が悪いようであれば出直すが――」

「そんな事ないそんな事ない! 寧ろよく来てくれたわ、ウェルカム!!」

 

 顔を真っ赤にしつつも、この状況から解放される事にクレアは満面の笑みで答え近くの席から椅子を引っ張ってくる。

 明らかに様子のおかしなクレアと周囲(主にサフィーア)から向けられる怒りと非難の視線に居心地の悪さを感じながら、彼は勧められた椅子に座った。

 

 椅子に座り一行と対面した彼は、いの一番に頭を下げ感謝と謝罪の言葉を口にした。

 

「まず、礼を言わせてくれ。ありがとう、この街の為に我々の暴走を止めてくれて。それと同時に、こんな事に巻き込んでしまいすまなかった」

 

 彼の言葉には微塵の嘘もない。彼は心の底から敵か味方か分からない動きをしたサフィーア達に感謝と申し訳なさを感じている。サフィーアにはそれが分かった。

 サフィーアはクレアに向け小さく頷き、彼の言葉に裏がない事を教える。

 

「別に構わないわよ。こっちは確かにサフィがボロボロになったりと被害はあったけど、そっちにも一応迷惑はかけた訳だし。結果だけ見ればトントンじゃないの? え~っと……」

「あぁ、自己紹介がまだだったな、申し訳ない。一応この街のレジスタンスのリーダーをしている、デインだ。よろしく」

「こちらこそ。ところで聞きたいんだけど、あの後街は結局どうなったの?」

 

 あの時、グラシアが急いであの場を離れた後、サフィーアの治療の為にクレアとカインは場所を変えていた。生憎と医療関係施設は街の住民への対応で手一杯だったので、治療は一行が宿泊する宿屋で行われた。

 なので、彼女達はあの後街がどうなったのかを知らないのだ。

 

 これについて、デインは事細かに教えてくれた。

 

 まずあの時グラシアが慌てて兵を引き挙げながら大通りから撤収した理由だが、どうやらあの時バザークが自分の手勢を率いて官庁を静かに襲撃していたらしい。それまで街の統治を行っていた帝国軍人を何時の間にか始末し、指揮系統を混乱させていたのだ。

 

「そう言えば昨日、バザークの姿を戦闘中全然見なかったわね」

「どこで高みの見物してるのかと思ってたら、僕らを囮に大物を取りに行ってたとはね」

「あれ? でもアジトじゃ……」

「どっちでも良かったんだろうな。奴にとっては帝国に損害を与える事こそが重要なのであって、何を以てそれと成すかは重要じゃないんだろう」

「えっ? 仲間なんじゃないの?」

「利害の一致で手を組んだだけなんでしょ。違う?」

「全く以て、その通りだ」

 

 聞くところによると、バザークはこの街の窮状に最初は手を差し伸べるスタンスでデイン達に接触してきたらしい。殆ど無抵抗で帝国の侵略を受けた彼らは民兵レベルとは言え抵抗する力を残していたので、喜んでバザークと手を組むことを選んだ。

 だが次第にバザークは街での抵抗活動の主導権を握りだし、遂には街の戦力を好き勝手使う様になりだしたのである。

 

「途中で追い出せばよかったのに」

「好き勝手にしているとは言え、やっている事は帝国軍に対する抵抗活動だ。侵略から解放されたいと言う想いは本物だったからな、どうしても積極的なバザークと手を切る事が出来なかったんだ」

「あ~、だからアジトで何か納得いかなそうな顔してたのね」

 

 帝国の支配からは解放されたいが、街に必要以上の被害は出したくない。そのジレンマに揺れながらデイン達とバザーク達は手を組み続けた。

 

 結局その後もずるずるとバザークとの関係が続いていたある時、徐に街にグラシアが訪れると言う情報をバザークが入手。これを好機とみてバザークは街から帝国軍を追い出すべく行動を起こし、サフィーア達はそれに付き合わされたのである。

 

「その結果が街の統治をしていた奴の始末、ねぇ。傭兵だから慣れちゃいるとは言え、こうもいい様に使われると面白くないわね」

「まぁそこは傭兵の宿命って事で」

「あれ? ところで肝心のバザークは? 一応あいつが雇い主よね?」

「奴は手勢を率いて早々に街を離れた。これ以上この街では活動できないと判断したらしい」

 

 もうこの街では抵抗活動が起きようがない。今回の一件で街の住民は武力による抵抗に忌避感を持ってしまっている。下手に武力で行動しようとすれば街の住民自体が敵に回りかねない。

 それに、バザークが街を統治していた帝国の人間を始末したことにより街は暫くグラシアが統治することになった。これによりそれ前の圧政が大分緩和され、不当に連行された住民も解放され帝国への不満が解消。それにより住民の抵抗の意思はなくなり、抵抗活動の鎮静化に繋がったのだ。

 

「ん~、結果的にめでたしめでたし?」

「って事ね。良かったじゃない、家族も帰ってきたんでしょ?」

「あぁ、グラシア皇女には本当に感謝しかない。あの方なら、安心できる」

 

 デインは心底安心した様子でそう告げた。実際、彼女が暫く統治してくれるなら安心だろう。彼女ほどの人格者なら、間違っても圧政で住民を苦しめるようなことはしないだろう。

 

 となると、この街でのサフィーア達の仕事は終わったことになる。後はイートに戻ってギルドに報告するだけだ。

 

「それじゃ、余所者はさっさと退散しますか?」

「だね。報告するまでが依頼だ」

「あぁ~、また長いバスの旅かぁ~」

 

 依頼の終わりを感じ、すっかり終了ムードとなった三人。

 その三人に、少々意外な人物が近付き声を掛けた。




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次回の更新は土曜日を予定しています。


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第53話:その感謝は本物で

読んでくださる方達に最大限の感謝を。


「ここに居たのか」

「ん?」

 

 突然サフィーア達に、何者かが声を掛けてきた。4人が一斉にそちらを見ると、そこに居たのは先日と同じ騎士服姿のサイとカジュアルなスーツを着たグラシアの二人組だった。

 

 帝国の皇族とその護衛の登場に、店内に緊張が走る。

 特にサフィーアは、まさかの二人の登場に面食らっていた。特にグラシアなどは、普通に考えればただの傭兵が短期間に二回も出会う事のない相手だ。先日は状況が状況だっただけにあまり気にしていられなかったが、こうして改めて直接対面すると緊張のあまり体が強張ってしまう。言葉だけで戦いを鎮めてしまった事もそれに拍車をかけていた。

 カリスマ、とでも言うべきものだろうか。兎に角サフィーアはグラシアに何か惹かれるものを感じていた。

 

 彼女の緊張を見抜いたのか、グラシアは苦笑いを浮かべていた。

 

「そんなに緊張なさらないでください。貴女にも、他の方達にもどうこうしようという訳ではありません。少しのお話と、お礼などを少々したいと思っただけです」

「は、はぁ……」

 

 親し気に話し掛けてくるグラシアだったが、ドレスを着ていなくても溢れる高貴な雰囲気に呑まれ思わず気のない返事を返してしまう。皇族を相手に些かどころではない失礼さではあるが、この様な状況に慣れていない彼女に高貴な相手に対する完璧な礼儀を求めるのは些か酷だろう。

 それが分かっているからか、グラシアに対する無礼な態度を見てもサイは軽く眉を動かしただけで何も言ったりはしなかった。感じることがないではないが、少しくらいなら許してやろうと言う事だろう。意外と寛大なようだ。

 

「グラシア皇女殿下!!」

「うおぅっ!?」

 

 皇族を前にしてもある意味何時も通りなサフィーアに対し、デインはそうではなかった。彼は徐に跪くと、そのまま勢いよく頭を床にこすりつける勢いで下げた。

 突然の出来事に驚くサフィーアを余所に、彼は心の底から彼女への感謝を口にした。

 

「この度は困窮に喘ぐ者達を救っていただき、同時に愚かな私たちを危険を顧みずに止めて下さり本当にありがとうございました!! あなたに止めていただかなければ、取り返しのつかない事態になっていたかもしれない。本当に、感謝してもしきれません!!」

 

 街の住民を救ってくれたことと、自らの凶行を体を張って止めてくれたことにデインは本当に感謝していた。

 それは彼だけでなく、街の住民の総意でもあった。見れば他の客は勿論、食堂の料理人ですら出てきてグラシアの前に跪き全身で感謝を表していた。

 

 その光景を前にグラシアはデインの肩を優しく掴むと、そっと力を入れて彼の上体を起こさせ小さく顔を左右に振った。

 

「私は自分の、皇女としての責務を全うしただけです。貴方達にとっては不本意かもしれませんが、この街が帝国の勢力下にあると言う事は貴方達は帝国の民も同然。その貴方達の苦しみを少しでも解消することは、民を守る立場にある私にとって当然のことです」

 

 そう言ってデインに微笑みかけるグラシア。その笑みはどこまでも慈愛に溢れており、聖女と呼ばれるのも頷ける優しさと神聖さが感じられた。

 

 一頻りデインと話し終えたグラシアは、ここで漸くそれまで放置されていたサフィーア達三人と向き合った。

 

「すみません、お待たせしてしまって」

「い、いえ、そんな――!?」

「うふふ…………普通に話してくださって構いませんよ? あまり歳も離れてはいないようですし」

 

 そんなこと言われても、とサフィーアは半分助けを求める様にサイに目を向けた。どちらかと言えば彼女もフランクな性格だが、流石に一国のお姫様と出会って数日もしていないのに気安く話すことには躊躇してしまう。それくらいの礼節は彼女にもあった。

 ここでサイがそんなことは許さぬとばかりに睨んでくれれば断る勇気も沸いただろうが、彼は静かに頷くだけだった。思うところがないではないが、それくらいなら許してやろうと言ったところだろうか。

 

 逃げ道がなくなったことで、腹を括ったサフィーアは意を決してできる限り普段通りにグラシアと接することにした。

 普段通りにするだけで意を決すると言うのもおかしな話ではあるが…………。

 

「まぁ、そこまで言うんだったら、お言葉に甘えさせてもらうけど……」

「えぇ、ありがとうございます。さて、いろいろとお話したいことはありますが……少し場所を変えてもよろしいでしょうか?」

 

 グラシアは少し周りを気にしながら遠慮がちに言った。

 食堂内には何時の間にか増えた街の住民たちが、一様に彼女に向けて跪いている。確かにこんな状況では、落ち着いて話をするどころではないだろう。どんな内容の話をするにせよ、場所を変えること自体には賛成だ。

 

 となるとどこに場所を移すか、だが…………現状考えられる場所は一か所しかなかった。

 

「んじゃ、あたしたちの部屋に行きましょ。少なくとも人目だけは免れるだろうし」

「音も防げるよ。何しろ昨日の夜は僕も快適に眠れたからね」

「あ、そ…………そりゃ良かったわね」

 

 カインの言葉に昨夜の事を思い出し、再び気持ちが落ち込むサフィーア。

 そのまま部屋に向けて移動を開始する彼女を不思議そうに見つめながら、グラシアとサイは彼女に続いて宿の部屋へと向かっていった。

 

 

***

 

 

 一行はサフィーアとクレアのとっている部屋に入ると、念の為周囲を警戒しつつ扉を閉めた。バザークが街を離れ街の住民がグラシアを心酔しているとは言え彼女は皇族、いつどこに脅威が潜んでいるか分からない。窓のカーテンも閉める上にグラシア本人は窓から見えない位置に座ってもらうと言う警戒っぷりだ。

 

 グラシアの護衛を務めるサイ以外の全員が椅子に座るのを見計らって、カインが気を利かせて全員に茶を淹れた。

 

「どうぞ。安物で恐縮ですが」

「いえ、ありがとうございます。あ、それと、出来れば――」

「これでしょ、はい」

 

 微笑みと共にカインからカップを受け取ったグラシアだが、一瞬表情を曇らせると申し訳なさそうに手を上げる。それが何を欲しているのかをサフィーアは先日の記憶を掘り起こして察したが、彼女が行動を起こすよりもクレアが素早くスティックシュガーの束を差し出した。

 

「あ! ありがとうございます!」

 

 グラシアは満面の笑みでそれを受け取ると、躊躇なく次々と砂糖をカップの中の茶に投入していく。その数実に十本、常人であれば甘すぎてとても飲む気になれないものと化しているだろう。

 その甘さの凶器とも呼ぶべき代物を、グラシアは幸せそうな顔で口にしている。見ているだけで胸焼けが起こりそうな光景から目をそらしつつ、サフィーアはふっと湧いた疑問を口にした。

 

「あれ? クレアさんもグラシ……ア、が、甘党だって知ってたんですか?」

 

 普段通りと言われたのでとりあえずグラシアの事を名前で呼ぶことにしたサフィーアだが、皇族を呼び捨てにして果たして大丈夫だろうかとサイの顔色を窺いつつクレアがグラシアの味覚を知っていたことへの疑問を口にした。あの時、彼女はカインとじゃれ合っておりこちらにまで意識を向けていないと思っていたのだ。

 

「まぁね。私とカインも、サフィの後ろから彼女とのやり取り見てたし」

「しかし、恐るべき帝国の皇女様がまさか大の甘党だったとはね。甘いもの好きを悪いとは言わないけど、これはちょっと行き過ぎでは?」

 

 あの時の光景は正直ちょいと衝撃的だったと語るクレアに対し、カインはサイにやんわりとグラシアにもう少し節度と言うか健康に気を使う事を意識させてはどうかと訊ねる。実際、事あるごとにあのレベルの糖分を摂取していては将来高確率で糖尿病になってしまう。

 その問い掛けに対し、サイは苦笑を浮かべながら口を開いた。

 

「私も何度か注意はしたさ。ただ、姫様はお忙しく働かれる合間に口にする甘味を何よりも好まれておいでだ。それを考えると、どうしても強くは言い出せなくてな」

 

 言われてもう一度グラシアを見てみる。まるで年頃の乙女の様にニコニコと笑いながら茶を啜るその様子は、確かに見ていると毒気を抜かれてどうでもよくなてしまった。

 

 心底幸せそうなグラシアの姿にふぅ、吐息を吐き出すとクレアが代表して本題を切り出した。

 

「それで? 態々邪魔が入らないような状況まで作らせておいて、目的は何? まさかただお茶しに来たわけじゃないんでしょ?」

 

 ここでクレアは、ちょっと強めに二人に訊ねた。こちらが下手に出たからと言って無茶苦茶を言うような相手出ないことは容易に察することができるが、職業柄多少なりとも相手に対して強気に出てしまうのは一種の職業病の様なものだった。

 

 強気な態度を見せるクレアに、グラシアはカップをテーブルに置くと小さく咳払いをし気持ちを切り替えるとこの場に来た目的を話し始めた。

 

「まずは、個人的な感謝を」

「感謝?」

「えぇ。貴方方はあの乱戦の最中、依頼主であるレジスタンスに牙を剥いてまで街の住民の事を救おうとしてくださいました。その事に対し、深く感謝いたします」

 

 そう言ってグラシアは深く頭を下げた。一国の、それも大国の皇女から頭を下げられ、サフィーアは狼狽えてしまった。クレアとカインは、慌ててはいないが居心地が悪そうに互いに顔を見合わせている。

 

「そ、そんな……あたしたちはただ、ねぇ? クレアさん?」

「そうね。私たちはただ自分たちの目的も見失って暴れる馬鹿を止めてただけよ」

「そうであったとしても、そのお陰で救われた方はきっとたくさんいらっしゃいます。本来であれば、皇女である私が責任をもって助けるべきなのですが……」

 

 グラシアは若干悔しそうな顔をして俯く。その彼女から、サフィーアは彼女が自分たちに向けて羨望の様な思念を向けていることに気付いた。戦いにおいて何の役にも立てない自分に対し、彼女は不甲斐無さを感じているのかもしれない。

 

 実際問題、先程の食堂でのことを考えれば真に街を救ったのはグラシアなのだが、本人は納得していないようだ。

 

 さてどうしたものかとクレアとカインは考え込む。経験上こういう相手が一番やり辛い。下手な言葉は何の慰めにもならないし、逆効果の可能性もある。そして今回の場合だと、逆効果を為してしまうとその瞬間彼女のすぐ近くに佇む彼女の騎士が剣を抜くだろう。

 それだけは避けたかった。

 

 だがそんな葛藤も、サフィーアには一切関係なかった。

 

「考えすぎだと思うわよ、それ」

「え?」

「どう考えても一番平和的に騒動を収めたのはグラシアじゃない。しかもただ収めただけじゃなく、街の人たちの心まで救ったんだから、もっと胸を張っていいと思うわよ」

「そう、でしょうか?」

「そうだって」

 

 事実、サフィーア達だけでは収容所から連れ去られた住民を助けることは出来なかっただろう。厳密に言えば連れ出すことは出来たかもしれないが、その後に待っているのは帝国軍による報復だ。きっと多くの犠牲が出る。

 

 だがそれを、グラシアは言葉だけで収めてしまった。それも、皇女と言う立場から後に報復などが起こらない形で、だ。十分に胸を張って然るべき成果である。

 

「だから、グラシアが気に病むようなことは何もないと思うわよ。あたしはね」

「ま、そうね。あれが一番後腐れなくて丸く収まった結果かもね」

「同感」

 

 三人は一様にグラシアの行動を無駄とは言わなかった。寧ろよくやったと、彼女が行動したからこそ得られた最良の結果だと口にした。

 その称賛は、街の住民たちの感謝の言葉とは違う形で彼女の心に染み渡った。単純な感謝とは違う、本国のゴマスリ貴族や重鎮の皮肉、彼女に取り入ろうとする打算ある言葉ともまるで違う。正真正銘第三者からの真っ当な評価として彼女の心に染み込んだのだ。

 

 普段一人頑張りながらも、裏で陰口を叩かれている事を知っている彼女にとって、その感動は如何許りだったか。

 

「そう、ですか。ありがとう……ございます」

 

 グラシアは目じりに涙を浮かべつつ、心の奥底から湧き出た久しく感じることのなかった感動を逃すまいとするかのように、胸元に手をそっと持っていくのだった。




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第54話:大変な事に変わりはない

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 一頻り感動を噛み締めていたグラシアだったが、直ぐに本来の目的を思い出したのか落ち着きを取り戻すと本題を口にした。

 

「すみません、お見苦しいところを見せてしまって」

「ん~ん、気にしないで」

「ありがとうございます。それで、貴方方に会いに来たもう一つの目的ですが……」

 

 グラシアがそこで目配せすると、サイが前に出て彼女に代わりサフィーア達に問い掛けた。

 

「お前達、元はグリーンラインの方から来たのだろう?」

「そうだけど、それがどうかしたのかい?」

「この後は真っ直ぐそっちに戻るつもりだったか?」

「そうだけど……え? 何、不味いの?」

 

 サフィーアが不思議そうに訊ねると、彼は懐から端末を取り出して街周辺の地図を表示する。

 

「まず最初に言っておく。ここから真っ直ぐグリーンラインに向かうのは止めた方がいい。昨日の戦闘の後、ここから東に向かう街道の検問が大分厳しくなっているからな」

「あ~、そりゃあんな事あったら厳しくもなるか。でもその程度だったら別に……」

「……もしかして、私らお尋ね者になってる?」

「えっ!?」

 

 何気なくクレアが口にした一言に、サフィーアは驚愕に目を見開く。

 それと言うのも、傭兵は基本的に指名手配されると言う事がないからだ。傭兵の仕事は多岐に渡るが、その中には当然戦闘も含まれている。時には権力者の手駒の一部となることもあるし、逆に権力者を追い込む猟犬にもなり得る。

 敵にもなるし味方にもなる傭兵を、一時苦い思いをさせられたからと言う理由で権力者や組織、国にお尋ね者にされてしまっては彼らの存在が商売の肝となる傭兵ギルドとしても堪ったものではない。そういった理由から傭兵ギルドは、国際的なルールとして依頼を通さず他者の生命や財産を侵害した場合を除き、傭兵の首に懸賞金などを掛けることを禁止していた。

 

 だがそれは飽く迄も表の世界での話。一度裏の世界を覗き込めば、そこでは裏社会の人間に楯突いた傭兵などが平然と首に懸賞金を掛けられていた。表の世界ではギルドなどがルール違反を厳しく取り締まっているが、流石に裏社会までは手が回らないのだ。

 

「……実は、ある兵士達が三人組の傭兵を探していると言う情報を得てな。その傭兵と言うのが、お前達と特徴が合致したんだ」

「あ、あいつらかぁッ!?」

 

 サフィーアが三人パーティーを組んだのはつい最近の事。それ以降に帝国と起こしたいざこざは、後にも先にも今回の依頼でここに来る途中の検問と街での戦闘以外にはない。

 そしてその二つを比べた場合、一番可能性が高そうなのは前者の検問でのいざこざだ。あの性格悪そうな兵隊なら、適当にあしらわれたことの仕返しに何か仕掛けてきても不思議ではないと思えた。

 

「となると、このまま真っ直ぐイートに帰るのは得策じゃないわね。途中の検問であいつらにまた絡まれたらこの間よりも面倒なことになりそう」

「う~…………あっ! そう言えばグラシアって帝国のお姫様なんでしょ? なら、そいつらにあたし達に手出ししないようにって一言言うか一筆書いてくれれば何とかなるんじゃない?」

 

 帰り道に不穏なものを感じるクレアに対し、サフィーアは然も名案とばかりにグラシアに頼ろうとした。

 実際、皇帝の娘でありある程度の権限や権力を持っている彼女ならば、言葉一つで兵士を黙らせることも可能だっただろう。

 

 帝国軍がまともな軍隊であれば…………

 

「それは…………少し、難しいかもしれません」

「え、何で?」

「軍の大半は皇帝陛下を長とするタカ派に属している。対して姫様はハト派の筆頭、この意味が分かるか?」

「んん? タカ派? ハト派?」

 

 サイは理解が追い付いていないサフィーアに出来るだけ噛み砕いて説明しようとするが、それえもサフィーアは理解できない様子。

 そんな彼女に、見かねたクレアが更に噛み砕いた言い回しをした。

 

「ようは過激派と穏健派の事よ。タカ派が過激派、ハト派が穏健派ね」

「あ、あぁ、そっかそっか」

「あんた……三等校は出てるんでしょ?」

「いやぁ、頭も体も使ってない部分は時間と共に錆びると言いますか」

「言っとくけど傭兵も腕っぷしだけじゃ生き残れないんだからね。そこんところよく肝に銘じておきなさい」

「は、は~い」

 

 耳に痛いクレアの言葉に、思わず項垂れながら返事をするサフィーア。カインはその様子をやれやれと眺め、グラシアは二人の様子を微笑ましく眺めていた。

 残るサイはと言うと、話を脱線させた二人を少々冷ややかな目で眺めると徐に一つ咳払いをした。

 

「んんッ! 話を続けてもいいか?」

「あ、ごめん」

「失礼、続けて」

 

 サイの咳払いに二人は気まずそうに話の続きを促す。

 話せる雰囲気に戻ったのを感じた彼は、改めてグラシアが置かれている状況とその影響を話した。

 

「つまり、軍の大半に対しては姫様の言葉はあまり発言力が無いと言う事だ」

「えぇっ!? お姫様なのにッ?」

「正確には、姫様の目が届かない所での話だ。流石に目の前に姫様が居るのにその言葉を無視したりしようものなら、一般兵などその場で首を刎ねられても文句は言えない。だが姫様の目がないところでは、どうしても無視されがちだ」

「嘆かわしい事だね。曲がりなりにも自分達の国のトップの娘なのに、ちょっと自由を制限したからって反抗するとは」

 

 カインの言葉にサフィーアもうんうんと頷いた。グラシアのやっていることは何も間違ってはいない。弱者を甚振るような真似をする方が悪いに決まっているのだ。

 にもかかわらず、逆恨みも同然に、しかも裏でグラシアに楯突くなど最低にも程がある。事ここに至ってサフィーアの中で帝国軍への評価はこれ以上下がりようもないほどのどん底にぶち当たった。

 

 改めて軍内部での自分に対する評価の酷さに、グラシアは表情を歪めていた。だがそれは、決して自身を蔑ろにする軍人達への怒りからではない。彼らを諭すことも出来ずにいる自分自身に対する不甲斐無さがそうさせているのだ。

 

 主の心境を敏感に感じ取ったサイは、話題をグラシア絡みの事から外すべく口を開いた。

 

「そういう訳だから、今グリーンライン方面に向かうバスに乗るのはお勧めしないな」

「そうねぇ。そうなると暫くこの街に缶詰めかしら?」

「滞在費、足りますかね?」

「臨時でバイトでもやるかい?」

 

 早々に街から出ることを諦めたサフィーア達だが、ここでサイが待ったを掛けた。三人は勘違いしているのだ。サイは飽く迄も“グリーンライン方面への”街道の検問が厳しくなったと言っているだけであって、それ以外については言及していない。

 

 つまり…………

 

「安心しろ。街から出て尚且つグリーンライン方面へ戻る方法ならある」

 

 そう言うと彼は手元のタブレットを操作してこの街を中心とした周辺の地図を表示させた。彼はその地図上に指を這わせながら説明を始めた。

 

「現状、街を出るなら北に向かうしかない。当然だな、東は今言った通りだし西は帝国の首都に近付いてしまう。南は現在ナバウル樹海のエルフたちと戦争中、向かえば向かうほど帝国の目は厳しくなる。となると、残されたルートは必然的に北と言う事になる」

 

 サイの指がゆっくりと地図上のこの街から上の方に向けて離れていく。

 彼の指の動きを目で追いながら、クレアが徐に手を上げた。

 

「はい質問。まさかとは思うけど、ハットハットに行けなんて言うんじゃないでしょうね?」

「よく分かってるじゃないか、そのまさかだ」

 

 自身の予想を肯定され、クレアがあからさまに表情を歪める。サフィーアも同様だ。何しろ、ハットハットと言う地名には聞き覚えがある。

 

 ハットハット……それは一言で言うならば悪の溜まり場とでも言うべき場所であった。あまりの治安の悪さに、帝国政府ですら匙を投げて関わることを止めた場所である。

 なるほど、確かにそこなら帝国軍の目は届かない。それに確かハットハットには飛空艇の発着場があった筈だ。三人が到着した時どれほどの飛空艇があるかは分からないが、持ち主と上手く交渉出来れば飛空艇を使ってイートまで戻る事が出来るかもしれない。

 と言うか、サイの言うイートへ戻るプランはこれだろう。

 

「ん~、正直気は進まないけど他にルートは無さそうね。ギルドへの報告も手早く済ませたいし、それでいきましょうか」

「だね」

「はい」

 

 方針は決まった。三人は早くも頭の中で、この後のプランを練り始める。

 

 そんな三人を見て、グラシアは心底申し訳なさそうにしながら口を開いた。

 

「本当に、申し訳ありません。私にもっと力があれば、書簡の一つでも持たせて皆さんの安全を確保出来たのですが……」

「いいっていいって、気にしなくても。二人が検問の事教えてくれなかったら、絶対面倒なことになってたもの。それに比べたらずっとマシだって」

 

 サフィーアの言葉に、グラシアはほんの少しだけ安堵したような表情になる。

 彼女の表情からは、とてもではないが今の帝国の横暴を為している皇族の血筋は感じられない。暴君と呼ばれるほどの男の娘が、よくもまあこんなにも優しく真っ直ぐに育ったものだと感心してしまう。

 

「しかし、こうして直に話すととことん現皇帝と血縁関係にあるとは思えないね」

 

 などと感心していたら、なんとカインが本当に口に出してしまった。

 

 そこで終わっていればまだ良かったのだろうが、彼は更にとんでもない事を口にしてしまった。

 

「もしかして、あの噂は本当かい?」

「え?」

「現皇帝が、その前まで女帝として帝国を治めていた妻を暗殺して皇帝としての地位を奪い取ったっていう話。暴君とまで呼ばれる現状を鑑みるにあながち間違っても――」

「そんな事ありませんッ!!」

 

 カインが一人納得しかけていると、突然グラシアが大声で彼の考えを否定した。その剣幕は凄まじく、直接言われている訳でもないのにサフィーアとクレアの二人もカインと共にその場で姿勢を正した。

 

 その間にも、グラシアは先程までの様子からは考えられない剣幕で捲し立てた。

 

「お母様がお亡くなりになった時、誰よりも嘆き悲しんだのは他ならぬお父様自身ですッ! そのお父様がお母様を亡き者にするなど、絶対にありえませんッ!! その噂だって、きっと何かの間違いですッ!! お父様は誰よりもお母様を愛しておられたんです。だから、だから――!!」

「姫様、その辺で……」

 

 先程とは別種の涙を目尻に浮かべ始めたグラシアを、サイは優しく宥めた。その一方で、殺意の籠った目をカインに向ける。先日は僅かに押されながらも対抗出来ていたカインだが、今戦ったらメンタルの関係でボロ負けするだろう。

 

 そして、今の彼の敵はサイだけではない。

 

 彼の右わき腹にクレアの肘鉄が、左足にサフィーアの踵が炸裂する。

 

「誠に申し訳ありませんでした」

 

 脇腹と爪先の痛みと三方向からの怒りの視線に苛まれながら、カインは誠心誠意の謝罪を口にするのだった。




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第55話:車内講座・基礎編

読んでくださる方達に最大限の感謝を。


 翌日、三人は昼過ぎに北方面に向かう長距離バスに乗り、ハットハットを目指していた。道中は幾つか街を経由していく事になるとは思うが、早ければ2週間ほどで到着するだろう。

 

 最も、何事も問題が起こらなければ、と言う前提での話ではあるが。

 

 何事も起こらない事を願いつつ、バスの座席で外を眺めていたサフィーアだったがその表情は何処かつまらなそうだった。仕舞いには溜め息迄零れる始末。

 不機嫌とまでは言わないが面白くなさそうなその様子に、遂にクレアが口を開いた。

 

「どうかしたの? 何か退屈そうだけど?」

「あ~、退屈……うんまぁ、退屈ですね」

「何が?」

「景色が、ですよ」

 

 そう言うサフィーアの視線の先には、はっきり言って面白味の無い大地が広がっていた。草木が全く無い訳ではないのだが、丈の低い草とヒョロヒョロの木がぽつぽつと生えているだけでおまけに動くものがほとんど見られない。所謂サバンナと言うやつだ。

 グリーンラインの近くでは遠くに森や山が見え、大地を駆け大空を舞う動物が数多く見られたので景色を眺めているだけでも良い暇潰しにはなったのだが、帝国領内ではそれは望めなさそうだった。

 

「だって見る様な物がな~んにもないんですもん」

「そんな事言わないの。別に帝国が環境破壊してこんな景色になった訳じゃないんだし、自然の摂理に文句言ってもしょうがないでしょ」

 

 帝国領は元々自然や資源に乏しく、世界的に見れば国力の弱い国であった。資源等を輸入に頼らざるを得ない帝国は、世界的な地位を確立する為に技術開発に全力を注ぎ、世界最高峰の技術を持つ国になったのだ。

 その世界最高峰の技術を用いて作り出された軍事力こそが帝国軍の精強さの秘密の一つであり、現在進行形でナバウル樹海のエルフ達を苦しめているのだった。

 

 閑話休題。

 

「せめて何か、動物でもいてくれたら良かったんですけどねぇ」

 

 見た所窓の外に生物の存在は感じられない。尤もそれはサフィーアが生物学のド素人だからそう感じるのであって、その道の専門家が見れば窓の外はまた違った見え方になるだろう。

 余程酷く汚染されているのでもなければ、生物の存在しない場所などない。遠くからでは見えなくとも、近付いたりすれば案外生物の存在は確認できるものなのだ。それこそ例え一年を通して氷に覆われた場所であろうと、細かく見れば生物などいくらでも確認できる。

 

 このサバンナだって、車上からは見えないだけで一度降りて注意深く観察すれば驚くほど生物に遭遇することができるだろう。

 尤も、こんなところで車から降りようものなら即座に隠れ潜んでいたモンスターに襲われてしまうだろうが。

 

「そんなに暇なら、今できる鍛錬でもしたらどうなの? 時間だけはたっぷりある訳だしさ」

「鍛錬って、イメトレの事ですか?」

「それもいいけど、そうねぇ……」

 

 クレアは少し考える。今この場でとある技術を教えて良いものかどうか、それを悩んでいるのだ。

 この技術は身に着ける事が出来れば心強いが、サフィーアに教えてしまうとまた余計な無茶をしてしまいかねない。力とは、一度手にしてしまうとふとした瞬間に心を魅了して暴れだしてしまうものなのだ。故に、知ることも教えることも慎重にしなければならない。

 

――とは言え、ここは教えといた方が無難かしらねぇ――

 

 暫し悩んだクレアだったが、意を決してサフィーアに新たな技術を教えることにした。下手に教えずにいて中途半端に不完全な技術を身に着けるよりも、ここである程度教えてしまった方が危険が少ないと判断したのである。

 彼女なら、教えずとも自力で今から教えようとする技術に片手の指先程度は引っ掛けそうだと言う漠然とした信頼と言うか確信というか、とにかくそんなものもあった。

 

「今から新しい技術を教えてあげるわ。オーバーコートにも繋がる重要な技術よ、心して聞きなさい」

 

 その言葉にサフィーアはそれまでの誰た雰囲気を消し飛ばし姿勢を正してクレアの言葉に耳を傾けた。思ってた以上の食いつきの良さに、クレアは思わず苦笑いを浮かべてしまう。

 

「これから教えるのは、オーバーコート以外の魔法技術もワンランク上に引き上げる技術よ。強力だけどその分、扱いが難しいからしっかり聞きなさい」

「はい!」

「元気がよろしくて大変結構。ただし、ここがバスの車内だと言う事を忘れちゃ駄目よ。周りの人の迷惑になるからね」

 

 クレアに言われて周囲を見渡すと、乗客の何人かは何事かとサフィーアとクレアの席に目を向けていた。更に言うとその内の何人かは若干迷惑そうな顔をしている。

 周囲から感じる視線と思念に気まずくなり身を縮こませるサフィーアだったが、その目はしっかりとクレアに向いていた。やる気は十分らしい。

 

 後輩の姿にやれやれと笑みを溢しつつ、クレアは両手に魔力を込めた。

 

「サフィが普段やってるマギ・コートね。あれ、正直に言って不完全もいいところなのよ」

「不完全、ですか?」

「正確には、初心者用って感じかな。簡単な知識があれば誰でも出来るけど、無駄が多くて効果も低い」

 

 そう言いながらクレアは両手の間に魔力を集めて魔力の球を作り出す。これは魔力の扱いを覚える上でまず真っ先にやる事になる技術であり、ここから大体の魔法は派生していた。慣れれば片手でも球を作り出すことは容易だが、両手で包み込むようにして魔力を操れば片手でも綺麗な球形を作り出すことは可能である。

 数秒ほど彼女の両手の間に浮遊していた魔力の球だったが、彼女が魔力の供給を止めると途端に霧散してしまった。

 

「これが普段サフィがやってるマギ・コートよ。次に、私が普段やるマギ・コートがどう言うのかを見せるわね」

 

 クレアは再び両手の間に魔力を集め、魔力の球を作り出した。ここまでは先程と同じだ。

 先程との違いはこの後だった。

 

「サフィ、魔力の流れを見ることは出来るわね?」

「え? はい」

「それじゃ、今から私の中を流れる魔力の流れをよっく見ときなさい」

 

 言うが早いか、クレアは徐に球への魔力の供給を断った。のみならず、右手を下ろし魔力の球を左手に乗せる様にしてサフィーアの眼前に差し出した。

 これにサフィーアは面食らった。まず魔力がクレアから球に流れていないにもかかわらず、球が全く形をブレさせる事無く彼女の左手の上で浮遊しているのだ。サフィーアの知る技で例えるなら、マギ・コートを発動している途中で魔力を流すのをやめるも同然だった。それなのに、何故魔力供給を断たれた球が存在し続けていられるのか?

 

 それともう一つ、サフィーアが驚いたのは球を形成している魔力そのものだ。こちらはよく見ないと分からないが、注意深く観察すると魔力が絶えず球の形になる様に動き続けていた。球の形で魔力が固定されていないのである。

 

 この二つの事実に、サフィーアは訳が分からずに首を傾げた。

 

「あの、これ、どういう事ですか?」

「口で言うのは簡単だけどね、要は魔力を循環させてるの」

「循、環?」

「そ、循環」

 

 魔力の球を作り出す際、クレアは球の形成に使用する魔力を単純に固めるのではなく同じ場所をぐるぐると移動させていたのだ。それは例えるなら、シャッター速度を遅くしたカメラの前でライトを振り回して絵なんかを描くようなものだろうか。

 確かに口で言うのは簡単だ。問題はそれを実行できるかどうかと言う事。

 

「コツって何かあります?」

「ん~、そうねぇ…………こればっかりは感覚がものを言うからね。強いて言うなら魔力そのものが自分の手足の一部だと思う事かしら?」

 

 かなり漠然としたアドバイスを、サフィーアは真剣な表情で受け止め早速練習する。と言っても、そう簡単に出来たら世話はないと言うもの。クレアからのアドバイスを元にいろいろと意識してみるが、やはりなかなか上手く球を作り出すことが出来ない。

 

 普段は簡単に出来ることが、少し何かが違うだけで全く出来なくなる。その事に悔しさを感じる反面、新たな技術の習得に遣り甲斐も感じていた。

 

 とは言え、何の進展もないのは精神的に堪える。サフィーアは息抜きも兼ねて横から覗き見ているクレアに声を掛けた。

 

「これ、普通に魔力を扱うのと何が違うんですか? 意味が無い訳じゃないとは思ってますけど……」

「無駄がなくなるのよ。ただ魔力を流すだけじゃ効果が出る前に外に流れ出ちゃうから、無駄なく魔力が効果を発揮できるように何度も循環させるの。分かり易く言うなら、穴が一つの袋と二つの袋、どっちがより大きく膨らませられるかって感じかしら?」

 

 穴が一つだけの袋ならそこから空気を入れるだけで大きく膨らんでくれるが、二つあると片方を塞がない限りもう片方から空気を入れても膨らむ前に空気が抜けてしまう。勿論入れる空気の量を増やせば一応膨らませられないこともないだろうが、その場合かなりの量の空気が必要になるししかも片方に穴が開いている限り膨らんだ状態を維持することは出来ない。

 循環と言う言葉からは外れてしまうが、魔力を循環させることとさせないことの違いはこんな感じである。

 

 クレアの説明に漠然とだが理解を示したサフィーア。だがクレア本人はそれにあまり手応えを感じていなかった。やはり口先と簡単な実技だけでは限界がある。

 

――いい感じに実戦での効果を見せることが出来たらなぁ――

 

 百聞は一見に如かずと言う。ここであーだこーだ言うよりも、実際に戦闘でマギ・コートを使用した際魔力がどんな動きをしているかを見せた方がサフィーアにも理解しやすい筈である。彼女は体の中を流れる魔力の流れを見れる程度には魔力の扱いに慣れているようだし、一度目にすればそれが刺激となって何かしらの手掛かりを掴める筈だ。

 

 とは言え、それでいいのかと思わずにはいられなかった。クレアが最初サフィーアに循環の事を教えることに少し躊躇したのは、彼女があっという間にその技術をものにして勝手にその次の段階まで行ってしまうのではないかと危惧したからだ。

 サフィーアはまだトータル二回しかオーバーコートを使ったことがない。にも拘らず、彼女の二回目のオーバーコートの反動は一回目よりも明らかに小さかった。これは、二回目で既にオーバーコートの反動を軽減する術を体が覚えていたからに他ならない。

 彼女自身は恐らく自覚していないだろう。だが、このままいけばある程度まではオーバーコートも扱えるようになる可能性は高かった。

 しかし循環を知らない状態で中途半端にオーバーコートを使用して、もし魔力のコントロールを誤れば最悪暴走した魔力に体が耐え切れなくなる可能性もあった。故に、クレアはここでサフィーアに魔力の循環の技術を教えることにしたのだ。

 

 とは言え、現時点ではサフィーアの理解度は精々半分程度と言ったところだろうか。これではとてもではないが習得には程遠い。

 

 いい感じに実戦での魔力の循環を見せることが出来れば良いのだが…………

 

「グォアァァァァァァッ!!」

「ん?」

「も、モンスターだッ!?」

 

 突如、車内に届くほどの咆哮が響き渡る。咆哮の発生源に目を向けると、そこには二足歩行のモンスターが一体進行方向に対して右側から突っ込んできていた。

 途端に騒然となる車内。どうやら今回バスに同乗している者の中に、この三人以外に傭兵はいなかったらしい。

 

 普通に考えれば窮地と言える状況、しかしクレアはこれをチャンスと考えていた。何しろ、実戦での魔力の循環を見せたいと思った矢先に、巻き藁の方が向こうからやってきてくれたのだ。この機を逃す手はない。

 

「運転手さん、バス止めて頂戴」

「は?」

「私があいつを始末してやろうって言ってんのよ」

 

 そう言ってクレアは右の窓から見える襲撃者を見据えた。

 彼女の目に映るモンスターの名はオーガと言う。見た目は筋肉質な人間の様にも見えるが、岩のような肌と鋭い牙、何より額から生えた角がそいつが人間ではないことを物語っている。人間ほど優れた知性は持っていないが、簡単な武器を扱う程度の知能はある。現に奴は、右手に恐らくはヘリか何かの残骸から引っぺがしてきたのだろうプロペラのブレードを一本持っていた。

 

 全身の筋肉により繰り出される攻撃は人間を一撃でミンチに変え、硬い肌は剣は勿論銃弾をも弾く。攻守ともに優れたモンスターであるオーガを一人で相手にすると豪語するクレアに、運転手は首を横に振った。

 

「馬鹿を言っちゃいけない!? 相手はオーガだぞ、全速力で逃げれば振り切ることも可能だ」

「果たしてそうかしら? オーガって地味に執念深いのよ。特にあの様子だとここ最近まともに食事にありついてないみたいだし、折角見つけた獲物を一度見失った程度で諦めるとは到底思えないわ」

「む、むぅ……」

 

 クレアの言う通り、オーガと言うモンスターは総じて執念深く一度狙った獲物はなかなか諦めない。移動速度自体は驚異的ではないので運転手の言う様にその場では逃げ切る事も可能だろうが、その場で逃げ切ることは出来ても振り払うことは出来ない。時間が経てば後を追って街へと近づいてくるだろう。

 

「さらに言うと、ああ見えてオーガは賢い。街道を辿ればいずれはバスを見つけられるだろうことにはすぐに気が付くと思うよ」

「それは……確かに」

 

 カインからの援護射撃に、交代要員も含めて運転手が黙り込む。こうまで言われては、やり過ごすよりも討伐した方がずっと安全と言う結論に達したのだろう。

 

「安心しなさい、この程度で金取ったりしないから。運賃の一つとでも思っとくわ」

 

 実際問題、長距離バスが移動中にモンスター等に襲われる事は決して珍しい事ではない。時には大型のモンスターに襲われ、逃げ切ることが出来ず運転手も乗客もまとめて餌食になったと言う話は偶にだが耳にする。

 だが逆に言えば偶にしか耳にしないのは、偏に乗っていた傭兵がモンスターなんかを追い払っているからだ。彼らだって死にたくはないし、移動手段に問題が起こって困るのは彼らも同じだった。故に、多少危険でも傭兵たちは乗っているバスがモンスターに襲われた際は率先して戦いに赴くのだ。

 

 今回はクレアが名乗りを上げ、オーガを討伐すべく意気揚々とバスを降りていく。

 

………………の前に、彼女は一度立ち止まると背後を振り返り、サフィーアに向けて一言声を掛けた。

 

「サフィ、しっかり見ときなさい」

 

 そう言うと、彼女は今度こそバスを降りて迫るオーガの前に立ち塞がるのだった。




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次回の更新は月曜日の午前と午後を予定しています。


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第56話:車内講座・実演編

読んでくださる方達に最大限の感謝を。


 オーガ…………モンスターとしてはあまりメジャーな方ではない。

 

 と言うのも、強さが中途半端で他のモンスターの陰に隠れがちなのだ。オーガ以上に強いモンスターはドラゴン系統を筆頭に、一歩間違えば小国程度なら単体で滅ぼせるものがいる。逆に弱い奴はゴブリンやアジャイルリザードなど、ルーキー傭兵の登竜門として有名なものがいた。こう言うのがモンスターとして名が知れ渡り過ぎている為、オーガはどうしても名が埋もれてしまうのだ。

 

 だが、だからと言って舐めて掛かってはいけない。飽く迄もドラゴンなどの有名どころに劣っていると言うだけで、人間と比べたら生物としての能力は圧倒的に勝っている。何も持っていなくても腕の一振りで人間など簡単に吹っ飛ばせるし、拳を振り下ろされれば一発でミンチだ。

 偶に、あまり話題に上がらないからと言う理由で挑んで逆に餌食になるルーキーの傭兵が毎年出るくらいだった。

 

 そんな、決して舐めてはいけないモンスターとクレアは一人で対峙していた。

 

「クレアさん一人で大丈夫かなぁ? いや、大丈夫だとは信じてるけど」

「欲を言えば、オーガを相手にする時は銃士か術士が一人は居た方が無難だね。あれ遠距離攻撃の手段持ってないし」

「でも心配はしてないんでしょ?」

「そりゃそうさ。なんたって彼女もAランク、オーガ一匹程度に負けたりはしないよ」

 

 若干不安を滲ませるサフィーアに対し、カインは全く心配していない様子でオーガと対峙するクレアの様子を眺めていた。

 

 二人を始めとしたバスの車内の乗客たちからの視線を浴びながら、クレアはオーガの前でいつものルーティンを行う。

 

「お、始まるよ。魔力の流れを見る準備は出来た?」

 

 言われずとも、サフィーアは目を魔力の流れが見えるようにする。

 彼女がそうするのを見計らったかのように、クレアはオーガと戦い始めた。一瞬でマギ・コートを発動させると、正に風のように素早くオーガに接近し手始めにその腹に飛び蹴りを叩き込んだ。

 

「たりゃぁぁっ!!」

「グギャァッ?!」

 

 マギ・コートで強化しただけの蹴り、しかしそれを喰らったオーガはその強靭な筈の肉体をいとも容易くくの字に曲げて2~3メートル吹っ飛ぶ。

 その瞬間のクレアの中を流れる魔力の流れを、サフィーアはしっかり見た。

 

 まるで高いところから見た川の流れの様だった。一見静かだが、その実凄まじい力を秘めている。

 

 だが当然ながらオーガとて一方的にやられてばかりではない。すぐさま立ち上がると右手に持ったプロペラのブレードをクレアに向けて振り下ろす。

 

「グオォォォッ!」

 

 人外の剛力をもって振り下ろされるブレードは空気を裂きながらクレアに迫る。あんなものを喰らっては彼女とてただでは済まないだろう。例えマギ・コートで防御力を強化したとしても耐えきれまい。一撃でハンバーグの元だ。

 勿論そんなものを大人しく喰らうクレアではない。

 

 振り下ろされたブレードをクレアは左掌で受け流し、ブレードを足場代わりに駆け上がるとオーガの顔面を回し蹴りで蹴り飛ばした。

 

「グァウッ?!」

「ん?」

 

 オーガの頭を蹴った瞬間、クレアは妙な違和感を覚えた。脚から伝わる感触が妙に硬いのだ。元よりオーガは人間よりも頑丈だが、先程腹を蹴り飛ばした時よりも明らかに硬くなっている。

 蹴られる瞬間に筋肉を緊張させて防御力を上げたか? いや、それとは少し感触が違った。あれは、どちらかと言うと…………

 

「グァアアァァァァッ!!」

「ちっ!?」

 

 悠長に考える暇を、オーガは与えてくれなかった。頭を蹴られて脳が揺さぶられただろうに、、随分と元気な事だ。クレアは構わずそのまま着地すると、懐に入り込み無防備な腹に連続で拳を叩き込む。

 

「たぁぁぁぁぁっ!!」

 

 炎属性の魔力を帯びた拳が何度もオーガの腹部に叩き込まれる。

 

 ところが可笑しなことに、オーガには一向にダメージで動きが鈍くなる気配がなかった。

 

「ねぇ、何か可笑しくない?」

「ふむ、確かに」

 

 ここまでくると離れた所から戦いの様子を眺めているサフィーア達にも違和感は伝わり、次第に車内に不安が立ち込めていく。

 

 すると…………

 

「グァウッ!」

「ぐっ?!」

「あぁっ!?」

 

 不意に、一瞬の隙を突かれて振るわれたブレードにクレアが吹き飛ばされた。幸いな事に防御には成功したし、地面に叩き付けられることもなく難なく着地することには成功する。

 だがクレアは全く気を緩めない。防御力だけでなく攻撃力も先程より上がっているのだ。基本手加減と言う言葉を知らないモンスターが、手を抜いていたなどと言う事はあり得ない。何かしらの方法で自らを強化したのだ。

 そして、この世界で肉体を強化するものなど、一つしかない。

 

「あっ!? 思い出した!」

「何を?」

「オーガって、角の形状で特性と言うか得意な事が違うんだ」

 

 具体的には、反りのある刃の様な角を持つオーガは全体的な筋力が優れており、剛力であるだけでなく見た目に反して俊敏に動き回る。

 先端だけが反った角を二本生やした奴は逆に表皮が異様に硬く、また魔力耐性も高い。ドラゴンに比べれば柔いが、それでも生半可な火力では倒すのにかなり苦労するだろう。

 

 そしてシンプルに真っ直ぐ円錐な角を持つオーガの特性は、優れた魔力操作が可能な点だった。どちらかと言えばモンスターは本能的に、ド直球に言ってしまえば考えもせず何となくで魔力を操っている場合が多い。

 だがこのタイプのオーガは違う。こいつは意識的に魔力を用い、的確に肉体を強化し攻撃力も防御力も上昇させる。オーガとしては規格外な強さを持つ存在と言えよう。

 

 そのオーガと言う種の中でも最強に近い存在が、今クレアの前に居る奴だった。

 

「ただ確認されてるのがこの三種類だってだけで、実は他にも種類がいるんじゃないかって言われてるね」

「いやそんな冷静にコメントしてる場合!? やばいじゃんそれ、流石に援護しにいかないと!?」

 

 サニーブレイズを持ってクレアの所へ向かおうとするサフィーアだったが、その彼女の腕をカインが掴んで引き留める。

 

「まぁまぁ、落ち着きなって」

「な、何でそんな落ち着いていられるのよ!?」

「逆に聞くけど、何でサフィはそんなに取り乱してるの?」

 

 そう言われるとサフィーアは言葉に詰まった。彼女だってクレアの事は信頼しており、あの程度のモンスターにやられたりはしないと思っている。だが、実際に目の前にするとどうしても心配せずにはいられなかった。

 

「まぁまぁ、そう心配しなくても大丈夫さ。クレア、あれでまだ本気は出してないから」

 

 カインの推測の通り、クレアはまだまだ余裕を残していた。サフィーアに魔力の循環がどのようなものかを見せるのが今回の戦いの意義であるので、余り本気を出し過ぎて直ぐに決着がついてしまっては意味がないのだ。

 とは言え、いい加減そろそろ頃合いか。この場には三人以外にもそれぞれ予定のある人達がいる。彼らを巻き込んで長々と戦いを続ける訳にはいかない。

 

「んじゃま、そろそろ終わらせるとしますかね」

 

 クレアはそう呟くと、今一度プリショット・ルーティンで集中力を高めた。それに呼応してオーガから放たれる魔力の燐光も強くなる。

 

 と、オーガは何を思ったか口を大きく開けると思いっきり息を吸い込んだ。遠くから見ていたサフィーア達は、それを大きな咆哮を上げる準備かと思っていたがそうではなかった。

 吸気に合わせてオーガの口中に魔力の塊が生成され、短い咆哮と共にそれが吐き出される。魔力を固めて作り上げたブレスが、大地を抉りながらクレアに迫る。

 

「とっ!!」

 

 自分に向け放たれたブレスを、クレアはサイドステップで回避する。

 だがオーガはクレアの行動の一歩先を行っていた。彼女がブレスを回避したその先では、既にオーガが二発目のブレスの準備を完了していたのだ。

 咄嗟に再び回避しようとするクレアだったが、ふと背後の先にある物を思い出しその場に踏み止まる。今、彼女とオーガを繋ぐ直線の延長線上には停車しているバスがあるのだ。ここで回避してしまっては、流れ弾ならぬ流れブレスがバスに直撃し乗客も何もかも木っ端微塵に吹き飛んでしまう。

 

 となると…………

 

「受け止めるっきゃ、無いわね!!」

 

 気合一番、プリショット・ルーティンで集中を高めると、足腰に力を入れて踏ん張る体勢を整えた。

 

 直後、クレアに向けて放たれるオーガのブレス。常人であれば一撃で消し炭どころか消し飛ぶ威力のそれがクレアに迫る。

 

 だが次の瞬間、視界に飛び込んだ光景を目の当たりにしてサフィーアは驚愕に目を見開いた。

 

「いぃっ!!?」

「へっへっへっ!!」

「ゴアッ!?」

 

 クレアは本当にオーガのブレスを受け止めてしまったのだ。笑みすら浮かべて余裕の表情で、魔力を凝縮したブレスを両手で掴んでいる。あまりにも予想外の光景に、オーガですら驚いて動きを止めている。

 

 瞬間、カインが声を上げた。

 

「サフィ、よく見てて!」

「ッ!?」

 

 何を見るのか、などと言う事は訊ねない。サフィーアは瞬きも忘れて、クレアの中を流れる魔力の流れを注視した。

 

 そこから先の光景は、信じられない事の連続だった。

 

 まずクレアの魔力がオーガのブレスに流れ込み、単に魔力を押し固めただけのブレスがクレアの魔力でかき回される。あんなもの、サフィーアは今まで見たことが無い。

 クレアの魔力はあっと言う間にブレスの魔力と混ざり合う。すると次の瞬間、オーガが放った筈のブレスが二回りほど大きくなった。クレアが魔力を流してブレスを強化したのだ。こんな事が出来るなど、サフィーアは見た事も聞いたことも無かった。

 

 サフィーアの驚愕を余所に、クレアは自分の制御化に置いたオーガのブレスを思いっきり振りかぶってオーガに向けて投げつけた。

 

「喰らえぇぇぇぇッ!!」

 

 クレアが投げつけたブレスは、回避を諦め防御を選択したオーガに直撃する。灼熱の魔力が防御力を強化したオーガの表皮を焼き、オーガは絶叫を上げた。

 

 その隙を逃さず、クレアは右足に炎属性の魔力を纏いながらオーガに向け駆けていく。ある程度近付いたところで高く跳躍し、飛び蹴りの体勢を取るとオーガとは反対方向に左手を突き出した。

 次の瞬間、その左手から派手な爆炎が噴き出し彼女の体をオーガに向けて一気に押し出した。

 

「トドメェェェッ!!」

「グガッ?!」

 

 爆速で突き進むクレアの右足は、洒落にならない威力だった。一撃でオーガの上半身を蹴り飛ばすどころか抉り、上半身と下半身を焼きながら分離させた。

 蹴りで人型のモンスターが真っ二つになると言う光景に暫し呆然となるサフィーア。他の乗客もクレアの戦い振りに見とれている。

 

 その視線に気付いているのかいないのか、クレアはオーガが完全に息絶えたのを見て乱れた髪をかき上げ溜め息を一つ付いた。

 

「ふぅ」

 

 溜め息と同時にクレアの体の中を流れていた魔力が静かに霧散する。戦いの終了だ。

 

 そんな彼女の姿を、サフィーアはいつしか目を輝かせながら見つめていた。傭兵の先輩として、何より女性として、強く凛々しい彼女に一種の憧れを抱いていたのだ。

 そのサフィーアの手元には、先程訓練用にと作り出した魔力球が出来ていた。気付かぬ内に作り出していたのだろう。彼女はそれを見てはいない。

 だがカインだけは、その存在に気付いていた。窓の外を見る振りをして、横目でチラリとサフィーアが作り出した魔力球を見る。

 

--何か切っ掛けがあればとは思っていたけど、まさかこれ程とはね--

 

 サフィーアが作り出した魔力球は、先程と比べて驚くべき完成度を誇っていた。クレアのやり方を見て学んだのだろう。だが簡単に出来る事ではない。確りとした基礎が出来ていなければ、見よう見まねの猿真似にしかならない。

 しかしサフィーアは、クレアの魔力循環技術を見ただけで自分の技術に昇華させた。

 

--クレア、君が見込んだこの子は、とんでもない存在かもしれないよ--

 

 こちらに戻ってくるクレアの姿を見ながら、カインはサフィーアの往く末に好奇からくる期待を寄せるのだった。




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第57話:いざ、悪の都へ

読んでくださる方達に最大限の感謝を。


 クレアがオーガからバスを護ってから数日後…………

 

 道中は順調と言えば順調だった。帝国軍にも盗賊の類にも、そしてモンスターにも遭遇する事なく街道を進んでいた。

 だが決して快適とは言い難い。それは勿論バス自体の乗り心地の悪さもある。だがそれ以上に問題なのが、この地域全体の暑さであった。

 

「う~~…………あっつい」

「我慢しなさい。外よりは断然マシなんだから」

 

 北に進むにつれて、サバンナだった周囲の景色は徐々に草木が少なくなり今ではすっかり岩砂漠と化していた。幸い街道は整備されていたので車体が移動の際にガタガタ揺れる事はなかったが、空調の性能故か車内は非情に蒸し暑い。サウナと言うほどではないがうだるような暑さに、サフィーアだけでなく乗客の殆どが参ってしまっている。

 クレアも口ではああ言っているが、その顔には汗が滲み時折手首で額の汗を拭っていた。

 

 そんな中で、唯一汗一つかかずに平然としている者がいた。

 カインだ。彼は全く暑そうな素振りも見せず、額や首に汗をかいた様子が全くない。まるで彼一人だけが涼しい場所に居るようである。

 

「カインさ……暑くないの?」

「ハッハッハッ! 君達とは鍛え方が違うのさ」

 

 得意げに笑いながら言ってのけるカインだったが、彼が暑さを感じさせない様子を見せる理由に見当がついているクレアはジト目で彼を睨んでいた。

 

「どうせ氷属性の魔法を使って自分の周り冷やしてるんでしょ?」

「えっ!?」

「あらら、バレちゃった?」

「可愛くない。どうせあんた予備のエレメタルいくつか持ってるんでしょ? あたし達にもよこしなさいよ」

 

 自分も真似して魔法で体を冷やそうとするクレアだったが、隣のサフィーアはそんなことを平然と言ってのける彼女に唖然としていた。

 やってることは単純だが、魔法を使えば当然魔力を消耗する。カインが何時から魔法で体を冷やしているのかは知らないが、全く汗をかいた様子がないところから察するに数分とかそんなレベルではないことは確かだろう。そんな長時間に渡って魔法を発動し続ける、戦闘中ではないので魔力の消費量はそこまででもないだろうが、それでも一歩間違えれば魔力欠乏症に陥ってしまいかねない。

 

 一体何故そんなことが出来るのだろう。それともこれも魔力の循環が為せる技だろうか?

 

「それよりも、もっといい方法があるよ」

「何よ?」

「こうするのさ」

 

 サフィーアが二人のやり取りを見て頭を悩ませていると、カインは徐に上を向いた手の平の上に魔力の球を作り出すとそれを天井に向け放った。あっと思う間もなく天井に向けて飛んでいった魔力球は、天井にぶつかるとその瞬間弾けて車内全体に光の粒子を撒き散らした。

 光の粒子は一瞬で車内に広がり、そして一瞬で消えていった。

 

 直後、車内全体の気温が一気に下がった。多くの乗客は突然車内の空気がひんやりと快適な温度になった事に不思議そうに辺りをキョロキョロと見ていたが、その原因を直接目にしたクレアは呆れ半分関心半分の目をカインに向けていた。

 

「あんた……銃士のくせして術士顔負けの魔法使うわね?」

「これでも魔法には自信があってね」

「ふわぁ~、涼しい! でも大丈夫? こんな魔法使って、途中でぶっ倒れたりしない?」

 

 一見すると今カインが使った魔法は常時発動型のように見える。常時発動型とは読んで字のごとく常に魔力を消費して常に発動し続けることで効果を発揮するないし、そうしないと意味のない魔法の事だ。消費する魔力自体は普通のそれに比べると少ないが、常にその量を消費し続けるので下手をすると通常の魔法の倍以上の魔力を持っていかれてしまう。

  そういった点からサフィーアはカインの事を心配したのだが、一方のクレアは全く彼を心配した様子を見せないでいた。

 

「大丈夫よサフィ。今の、単に車内の空気を冷やしただけだから」

「え? それだけ?」

「おいおい、そんな単純な話じゃないぞ。車外から伝わる熱の遮断とか、逆に人間が凍えたりしないように温度を微調整したりと結構忙しいんだよこれ」

「それを苦も無く平然とこなしてる、あんたは一体何なのよ?」

 

 呆れながらのクレアの問い掛けに、カインはふふんと笑みを返すだけに留めた。それは、これ以上の議論はお終いと言う無言の合図。嘗てパーティーを組んでいた頃の経験から、彼女はそれを察しそれ以上追及することはしなかった。

 

 一方、サフィーアは涼しくなり汗が引いたことで心に余裕が出来たのか、今まで保留にしてきた一つの疑問を口にした。

 

「そう言えば、今までずぅっと気になってはいたんですけど…………」

「ん? 何が?」

「このバスって、ハットハットに向かってるんですよね?」

「そうよ。私達の目的地じゃないの」

「じゃあ、他の人達は何なんでしょう?」

 

 このバスの目的地は、帝国国内で最も治安が悪く正に悪徳の巣窟とも言える辺境の街ハットハット。帝国内外で犯罪を犯した者が、最終的に行き着くゴロツキの街である。当然だが観光目的で行くような場所ではなく、サフィーア達の様な事情を持っているのでもない限りそこへ好き好んで向かうのは脛に傷を持つ連中ばかりだと出発当初は思っていた。寧ろ、道中で絡まれたりしないかと若干警戒すらしていた位だ。

 だが、蓋を開けてみれば乗客の多くは至って普通の人達が多かった。見るからに犯罪者然りと言った雰囲気の者は全く確認できない。

 

 正直なところ、拍子抜け感がどうしても否めなかった。

 

「飛行場目的だったとしても、態々ハットハットみたいな所に行かなくても……」

「その答えは単純よ」

「何です?」

「逃げ出すためには手段を選んでいられないのよ」

「あ、あ~~…………」

 

 要するに、このバスの乗客の多くは帝国の圧政に耐えかねて国外に逃げ出そうとしている者達が大半であると言う事だ。言われてみればなるほど、確かに納得できる。帝国による支配地域への圧政は目を背けたくなるほどのものであり、多くの人々は解放を願っていることだろう。

 その中には、ただ待つばかりではなく自発的に行動する者もいるのだ。それはレジスタンスとして帝国軍に対する反抗活動だったり、或いは国外逃亡で新天地を求めたりと言った具合に。

 この場合は後者の様だ。

 

 しかしこれから向かう場所は悪党の巣窟、圧政から逃げ出したい一心の民間人が向かって大丈夫だろうか?

 

「まぁこの中の半分が帝国を出られれば御の字かな?」

 

 カインの言葉に、やはり一筋縄ではいかない事をサフィーアは理解した。

 彼も実情を知っている訳ではないが、あの街を訪れた者の多くはそこに居る悪党共に食い物にされるのが関の山らしい。帝国からの亡命目的であの街を訪れた者の大半は、逆に悪党共の手に掛かり奴隷として帝国に売り捌かれるか一生を悪党の奴隷として生きるか、最悪の場合身包み剥がれて金目の物を奪いつくされた挙句殺される。

 それがあの街の現状とのことだ。

 

 この中の何人が、無事に平穏を手にすることが出来るのだろうか?

 そう考えると自然とサフィーアの手に力が籠る。

 

「……言っとくけど、この場の全員を助けようなんて考えてるなら止めときなさい」

「えっ? あたし、まだ何にも…………」

「見てれば分かるわ。手助けしたいって、思っちゃったんでしょ?」

 

 クレアの問い掛けにサフィーアは苦虫を噛み潰したような顔になりながら頷いた。その様子にクレアは仕方がないとでも言いたげに溜め息を吐いた。

 

「その気持ちを悪いとは言わないわ。ただ、身の程は弁えなさい」

「身の程って……」

「じゃあちょっとでも冷静に考えた? この人数を、本当に助けるだけの力がサフィにはあるの?」

 

 そう言われるとサフィーアは言葉に詰まる。自分に力があるかと言われれば、傭兵である以上人並み以上にはあるが、万人を救えるほどの力があるかと言われれば否と答えるしかない。何しろ目の前に自分よりも圧倒的に力のあるクレアが居るのだ。そのクレアが言外に出来ないと言っている事を、どう頑張ればサフィーアが出来るなどと言えようか。

 

 黙り込んでしまったサフィーアに、クレアは肩に手を置きながら声を掛けた。

 

「サフィがこれから先、どんな傭兵になりたいのかを私がとやかく言う事はしないわ。ただね、ヴィジョンを見たならそれを現実に出来るように努力しなさい。頭で思い描くだけなら誰でもできる。けどそれだけで行動を起こしたら、痛い目を見るのは自分だからね。それだけは肝に銘じておきなさい」

「…………はい」

 

 先輩からの厳しい言葉に、サフィーアは項垂れながらなんとか返事を返す。その様子は自らの力足らずを悔いている様であり、同時に弱い自分という殻を必死に破ろうとしている様でもあった。

 

 そんな師弟の様子を、カインは微笑ましいとも懐かしんでいるとも言える表情で眺めていた。

 

 

***

 

 

 それからしばらくして、一行が乗ったバスは無事に目的地であるハットハットに到着した。

 停留所に着きバスから降りるなり、サフィーア達三人を除いた乗客達は足早にその場を後にした。まだ街に着いたばかりだというのにこの行動の早さは、悪党どもに目を付けられないようにする為だろう。彼らの行動は、ここが悪党の巣窟だと言う事を嫌でも認識させられる。

 一方、サフィーア達は曲がりなりにも傭兵と言う事で荒事にも慣れている関係上、あまり気負った様子もなく街へと入って行った。別に油断している訳ではなく、その道のプロが本気で殺しに掛かってくるのでもない限りはクレアとカインならすぐに対応できるが故の余裕だった。サフィーアに至っては殺意を向けられれば直ぐに分かる。気負う必要性が無いのだ。

 

 とは言え共和国出身のサフィーアですら知っている、帝国有数の無法の街。何が起こるかは分からないし、何時何処で悪漢が襲ってきても可笑しくない。肩肘張り過ぎない程度に警戒しつつクレアとカインの後について街中を進んでいくのだが…………

 

「?……何か、思ってたよりも静かですね?」

 

 悪党の巣窟と言うからには、争い事が日常的に起こっているだろうと思っていた。路地裏などからは怒声や争う音が頻繁に耳に入るだろうと思っていたのだが、実際には至って静かで普通の街とあまり変わらないように見えた。

 

「そりゃ幾ら何でも街中で銃とか魔法ぶっ放す馬鹿は早々居ないわよ。そんなことしたらそいつ以上にヤバい気性の荒い奴とかを引き寄せちゃうじゃない。白昼堂々ドンパチ起こそうとする奴なんて、頭のネジが吹っ飛んだ馬鹿か身の程知らずの馬鹿だけよ」

 

 馬鹿である事に変わりがないように思えるが、兎に角悪党が闊歩する街とは言え早々荒事が起こると言う訳では無い様だ。その事にサフィーアは内心で安堵の溜め息を吐く。

 

 そのまま三人は街中を進んでいった。街の様子は、栄えているとは言い難いが寂れているとも違う感じだった。何と言えばいいか、貧しいながらも逞しさを感じさせる様な、そんな雰囲気を漂わせていた。

 ただし、その中に剣呑な空気が混じっている事をサフィーアは見逃さなかった。恐らくこれがこの街が悪党の巣窟と言われる所以、街に蔓延る悪党どもが互いに牽制し合い獲物を狙っていることの証明だろう。

 

 自然と、サフィーアの眉間に皺が寄り視線が鋭くなる。主人が周囲を警戒し始めた事に、肩に乗ったウォールが心配そうな声を上げた。

 

「くぅん?」

「ん、大丈夫よ。別に怖くなんてないから」

 

 心配するウォールを安心させる為に、出来る限り表情を柔らかくして頬を撫でてやるサフィーア。だがその表情とは裏腹に、内心は激しく乱れ始めていた。

 

 絶えず彼女の心に鳴り響く、誰かに助けを求める思念。きっと今もこの街の何処かでは、力を持つ悪党の暴力に苛まれている者が居るのだろう。それはもしかしなくても、先程まで一緒のバスに乗っていた者達かもしれない。

 本音を言えば今すぐにでもそちらに向けて駆け出したい。だがそれをすれば、恐らくクレアが力尽くで止めるだろう。

 

 身の程知らずな真似はするな…………クレアの言葉が頭を過り、サフィーアは耐えきれず笑顔を曇らせる。

 

 そんな彼女に追い打ちをかける様に、目の前にとんでもない光景が飛び込んできた。

 顔に傷のある厳つい顔をした如何にもな男性が、無数の妙齢の女性が繋がれた鎖を引っ張って三人の前を横切ろうとしたのだ。

 

「なっ!?!?」

 

 突然の事にサフィーアは絶句した。たった今まで剣呑とした雰囲気を感じさせながらも表面上は至って普通の街だったのに、何の前触れもなく無法の面目躍如とでも言いたげな事態に遭遇したのだ。

 

 恐らくあの男は奴隷商か何かで、女性達は商品と言ったところだろう。中には完全に諦めきっているのか目に光の無い者が居るが、その大半は抵抗しないながらも目には深い悲しみを湛えている。無理やり連れられている事は火を見るよりも明らかだ。

 

 その瞬間、クレアとサフィーアは同時に動き出した。サフィーアはサニーブレイズの柄に手を掛け、クレアはサフィーアの腕を押さえ付けて動けなくした。

 押さえ付けられた瞬間、サフィーアはそれまで見せた事のない凄まじい目をクレアに向けた。その目には何故邪魔をするのか、何故黙っていられるのかという感情がありありと見て取れた。心なしか、殺気に近い感情まで向けている気がする。

 しかしそんな視線で怯むクレアではない。彼女はサフィーアを押さえる力をさらに強め、耳元に顔を近付けると小声で話しかけた。

 

「馬鹿な真似は止めなさいって言ったの、もう忘れたの?」

「放って……おけません!?」

「駄目よ。あれが何処の手の者かも分からない現状、迂闊に手を出してとんでもない連中に目を付けられたらただじゃ済まないわ。今は堪えなさい」

「嫌です!」

「最悪あんたも同じ目に遭うわよ?」

「ここで見捨てるくらいなら――――」

 

 互いに譲らぬ押し問答。いよいよもってクレアが力尽くでサフィーアを、物理的に止めようかと考えだした。

 

 その時である。

 

「テメェ道の往来で何やってやがんだオラァァァッ!?」

「「えっ?」」

 

 突然怒声が響くと、両手に剣を持った一人の男が飛び出し鎖を引いてる男を斬り伏せた。あまりにも突然すぎる事態に目を白黒させるサフィーアとクレアであったが、それが誰かに気付いて再度衝撃を受けた。

 

「ブ、ブレイブッ!?」

「何やってんのあの馬鹿ッ!?」

 

 鎖を引く男を倒したのはブレイブだった。彼は男を斬り伏せると、視線を女性達に向け彼女達を拘束している鎖を次々と切り裂いて解放していく。

 

 それに黙っていないのが鎖を引いていた男の仲間達だ。突然の事態にサフィーア達と同じく固まっていた彼らだが、ブレイブが女性達を解放し始めた所で慌てて武器を手に彼を止めようとする。

 

「おいお前、何してやがるんだッ!?」

「俺らをラッチョファミリーと知っての狼藉かッ!?」

 

 各々手に銃や剣を持ってブレイブに襲い掛かる悪漢達。それを彼は両手に持った白銀と深紅の剣で次々と斬り伏せていった。

 

「あぁっ!? 知らねえよお前らなんてッ!! ラッチョだかマッチョだか知らねえがどうせお前ら最近ここ来たばかりの新参者だろうがッ! んな連中にビビると本気で思ってんのかッ!?」

「大体何で俺らの邪魔するんだよッ!? 何処かの組織の回しもんかッ!?」

「ガキ共の教育に悪いんだよッ!? 他に理由が居るか馬鹿野郎ッ!?」

 

 悪党の巣窟で子供の教育に悪いなどと言う理由を掲げて悪漢共を薙ぎ払っていくブレイブ。

 

 あまりにも破天荒な彼の行動に、サフィーアもクレアも、そしてカインもただ見ているしかできないのだった。




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第58話:日溜まりの教会

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 突然現れたブレイブは、ラッチョファミリーと自称した女性の奴隷を引き連れた連中をあっという間に叩きのめしてしまった。相手は複数人で、剣どころか銃を持っている者もいたのに、彼はそれらを一人で全員倒してしまった。

 数の不利を己の実力で覆した彼は、見事といえば見事だ。数の不利どころか武器の相性も覆して勝利してしまったのだから、彼の実力の程が窺えるというものである。

 とは言え、同じ事をしろと言われれば出来る自信がサフィーアにはあった。数が多いとはいえ相手は所詮チンピラも同然の連中だ。数は居ても連携のれの字もない奴らなど烏合の衆、負ける道理などなかった。

 

 そんな風にサフィーアがこっそりとブレイブに対抗心を燃やしていると、数人の子供が姿を現しブレイブに群がっていった。こんな街だというのに、彼に群がる子供たちの顔は無邪気そのものだ。

 

「ブレイブ兄ちゃん、終わったぁ?」

「悪者やっつけたぁ!」

「早く帰ろうよぉ~」

「お腹空いた~!」

「分~かった分かった! 分かったからちょっと待ってろお前ら!」

 

 騒ぐ子供たちをぶっきらぼうに宥めると、ブレイブは解放したばかりの女性たちに目を向け顎に手を当てて考え込む。

 粗末な衣服を身に纏った女性たちは、恐らく皆帝国から逃げ出そうとこの街にきて捕まったのだろう。正直に言ってしまえば自己責任なのだが、かと言って一度手を出してしまった手前このまま放置するのも気持ちが悪い。だが見た限り10人近くいる女性を、連れて帰る気にもなれなかった。彼がこれから向かう場所に、何の準備もなしにこの人数は多すぎる。

 

 さてどうしたものか。悩むブレイブが何気なく周囲に目を向けると、そこには目を丸くして彼らの事を見ているサフィーア達の姿が映った。

 

「んんッ!?」

 

 ここで漸く彼女達の存在に気付いたブレイブも、驚きに目を見開きその場で固まってしまう。

 

 両者動きを止めていたが、その膠着状態を崩したのはサフィーア達でもブレイブでもなかった。

 

「あ、あの……」

「んおっ!?」

 

 おずおずと解放された女性がブレイブに声をかける。その声に彼は一瞬で硬直を解き、弾かれる様にそちらに目を向けた。

 驚きで若干表情が強張っている彼に見られて女性はびくりと身を震わせるが、勇気を振り絞って口を震わせながら言葉を発した。

 

「あ、ありがとうございます。助けていただいて……」

「あ、あぁ。気にすんな。こいつらの為だ」

「それでも、です。それで、あの……」

 

 話の途中で口籠る女性。彼女の言わんとしていることは分かる。これからどうすればいいかという事だろう。

 奴隷として売られる寸前であったのなら、所持金も何もかも全て没収されているだろう。金がなければ、この街から動くことも出来ない。仮に己の足で街から出たとしても、どう見ても戦う力を持っているようには見えない彼女達ではあっという間にモンスターの餌食となってしまう。

 かと言って彼女達に移動の為の運賃を融通出来るだけの余裕もない。さてどうしたものだろうか。

 

「こっちで面倒を見ようか?」

 

 悩む彼に声をかけたのはカインだった。カインの言葉にブレイブのみならず、状況が理解できていない子供たち以外の全員が彼に注目する。

 

「僕らもちょうどグリーンラインに向かってくれる飛空艇を探してこの街の飛行場に用があったんだ。なんだったら物のついでにこの人達を乗せてくれる機を探してもいいよ?」

「その申し出は正直助かるが…………何が目的だ?」

 

 ブレイブはカインに懐疑的な目を向けていた。無償で面倒を引き受けるなど普通はあり得ない。何か裏があると考えるのが普通だ。特に、こんな街では殊更強く警戒するべきだろう。

 

 カインはブレイブのそんな気持ちを察し、彼の警戒心を解くべく何の含みも持たせない言葉で諭した。

 

「そう警戒しないでくれ。理由の一つは簡単さ、単に見過ごせなかったから。もう一つは、この人達の面倒を見る代わりにこの街で安全がある程度確保されてる場所を紹介してほしいって事かな」

 

 カインの答えに、ブレイブは難しそうな顔をして考え込む。彼の言葉には嘘はなさそうだというのは分かるし、彼の申し出は素直にありがたい。だが殆ど交流のない相手を、手放しに信じられるほど彼はおめでたい頭をしていなかった。

 

「ん~……」

「カインの言うことは信用してもいいわ。あたしが保証する」

 

 即答を渋るブレイブに、サフィーアが口添えした。カインだけなら信用すべきか悩んだ彼も、共に死線を潜った彼女の言葉があれば話は別だった。

 彼女の言葉に後押しされ、彼はカインに女性たちを任せることを決めた。

 

「オーケー、ここはサフィに免じてお前を信じてやる。後のことは任せたぞ」

「お任せあれ。そっちも、安全な場所に期待してるよ」

「予め言っとくが、保証はしかねるからな? ここがどういう場所かを考えれば分かるだろうが」

「右も左も分からない状態で動くよりマシさ。それじゃ皆さん、こちらに。クレア、サフィ、また後で」

 

 カインは女性達を引き連れて、飛行場へと向かっていった。一瞬彼にこの街の飛行場の場所が分かるのかと不安になったサフィーアだったが、よく見れば街の中に飛行場の場所への案内の看板があるのを見てその心配が杞憂であることに気付く。

 女性達を引き連れたカインを見送ったところで、それまで気持ち大人しくしていた子供達が我慢の限界に達したのか騒ぎだした。

 

「ねぇ~えぇ~! ブレイブ兄ちゃんそろそろ帰ろうよ~!」

「だぁぁぁ、もう分かったよ!? つう訳で、お前らもついてきな」

 

 半ば騒ぐ子供達に促されるというか追い立てられる形で移動を開始したブレイブは、サフィーアとクレアに手招きをし二人を連れて行った。

 

「どこに行くんですかね?」

「場所はともかく、どんな場所なのかは容易に想像がつくけどね」

 

 喧しく騒ぎながらもブレイブについていく子供達、そこから数歩離れたところを歩いてついていきながら、サフィーアとクレアはこれから向かう場所に当りをつける。状況的に考えればどんな場所かは想像できるが、それが果たして本当にこの街にあるのかという疑問はあった。

 

 だが街の外れに向かおうかというところでブレイブと子供達が入っていった建物を見て、予想が正しかったことを確信する。

 

 ブレイブと子供達が入っていった建物は、元々は教会か何かだったのだろうものをそのまま使った、明らかに孤児院としか思えない建物だったのだから。

 

「ぅお~い、シエラ~。今戻ったぜ~」

「お腹空いた~!」

「おやつ~!」

「お前ら、ちゃんとただいまくらい言え! またシエラにどやされるぞ?」

 

 ブレイブが子供たちを叱ると言う、これまでの彼の行動からはあまり想像つかない光景にサフィーアが目を丸くしていると、奥の方から一人の少女が現れた。ブロンドヘアーを二つ結びのおさげにした、ブレイブの胸ほどの身長の少女だ。今までキッチンにでも居たのか、可愛らしいエプロン姿で出てきた。

 

「あっ、お帰りブレイブ兄ぃ! ちょっと遅かったね?」

「ちょいと馬鹿共を叩きのめしてただけさ。大したこっちゃねぇ」

「ふ~ん、お疲れ様。ところであんた達? あたしブレイブ兄ぃ以外からただいまを聞いた覚えがないんだけど?」

 

 少女――シエラの言葉に、子供たちは固まり額から冷や汗を流す。

 

「…………挨拶はッ!?」

「「「ただいまッ!!」」」

「よろしい。さっさと手を洗ってきなさい。おやつの準備できてるから」

「「「はぁ~い!」」」

 

 おやつという言葉に反応したのか、先程の緊張が嘘のように子供たちは一斉に手を洗いにその場を離れていく。後に残されたのは、シエラとブレイブにサフィーアとクレアの4人だけである。

 シエラの登場から子供たちの解散まで、起こった出来事があっという間すぎて反応できずにいたサフィーアとクレア。だがそんな二人に、シエラは笑みを浮かべながら頭を下げた。

 

「すみません、騒がしいところを見せちゃって。挨拶が遅れましたね、あたしはシエラ・ライナン。この孤児院で子供たちの面倒を見てる者です」

「あ、あぁ、宜しく。あたしは、サフィーア・マッケンジー。見ての通り、傭兵よ」

「クレア・ヴァレンシアよ。悪いわね、いきなり押しかけちゃって」

「いえいえ。ブレイブ兄ぃが連れてきたって時点でそんな気にしてないですよ。大方なんか理由があってブレイブ兄ぃが無理やり連れてきたんでしょ?」

「おい待てコラ、その言い方は聞き捨てならねえぞ」

 

 シエラの物言いにブレイブがジト目で彼女を睨みつける。これでは自分が嫌がる女性二人を何かしら理由をつけて連れ込んだみたいではないか。流石にそれは不名誉極まる。

 サフィーアとクレアも、ブレイブが謂れ無き不名誉を被るのは納得できないのか即座に彼のフォローに回った。

 

「私達が今回お邪魔したのは、単純にこっちがブレイブの仕出かした事の後始末を請け負った事に対する見返りよ。詳しく話すと長くなるから、そこは割愛させてもらうけどね」

「なるほど、結局ブレイブ兄ぃが原因という事ですね」

 

 前言撤回、フォローになっていなかった。結局全ての原因はブレイブにありという事でシエラには認識されてしまう。

 これはいかんとサフィーアが更にフォローに回ろうとした時、奥の方から新たな人影が現れ4人に声を掛けた。

 

「おやおや、お客様とは珍しいですね」

「あ、先生!」

 

 奥から姿を現したのは、かなり高齢であることを窺わせる老婆だった。顔は干し柿もかくやと言うくらいしわくちゃで、か細い指先はちょっとした力だけで折れてしまいそうだ。

 だが不思議と儚さは感じない。吹けば倒れてしまいそうな見た目で、何故か頼もしさというか安心感の様なものを感じさせていた。

 

 そんな老婆を、ブレイブは先生と呼び近付いて行った。

 

「何も態々こっちまで来なくても、これからそっちに連れてく気だったんだぜ?」

「お客様はこっちから迎えに行かなきゃならないだろう?」

「歳考えてくれよ。もうよぼよぼなんだから、必要以上に動き回るのは勘弁してくれ」

 

 どこか滅入ったように頼むブレイブの様子から、彼女が年の割にアクティブに動き回るのは日常茶飯事らしい。確かに雰囲気は微塵も弱々しくないが、見た目は完全によぼよぼのお婆ちゃんだ。そんな相手に積極的に動かれたら見ている方は気が気ではないだろう。

 

「ご挨拶が遅れましたね。私、当孤児院の院長を務めております。イレーナ・ハリガンと申します。生憎と碌なお持て成しも出来ませんが、どうか、ごゆっくりなさってください」

 

 老婆――イレーナはそう言ってゆっくりと頭を下げ、サフィーアとクレアもそれに倣って頭を下げるのだった。




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第59話:初めての言葉

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 イレーナと挨拶を交わしたサフィーアとクレアの二人は、奥の客間へ通され椅子に座り一息ついていた。

 客間は、と言うか孤児院自体の内装は、街の様子と外から見た以上には綺麗だった。掃除も行き届いているし、年期からくる古臭さはあってもボロさは感じさせない。ちょっと場違いな壁に掛けられている大剣も、しっかり磨かれ錆一つ浮いていなかった。

 

 そんな壁掛けの大剣を眺めつつ、サフィーアは湯気の立つコップに口をつける。出されたものは生憎と白湯だったが、その程度で文句を言う彼女ではない。元より見ただけで資金面で余裕が無い事が丸分かりなのだ。贅沢など言える訳がなかった。

 ここに通されるのに前後して、クレアの携帯にカインから連絡が入っていた。売られそうだった女性たちは無事に信頼できる相手に送り届ける手配が出来、更にはサフィーア達が移動する為の便も取れたそうだ。

 現在は、クレアから孤児院の場所を聞き合流するために向かって来ているらしい。

 

「しっかし、何と言うか意外だったわ」

「あん?」

 

 現在客間に居るのはサフィーアとブレイブのみ。クレアは散歩がてら周辺の地理を頭に叩き込みに向かい、イレーナとシエラは子供たちの相手をしている。その肝心の子供達はと言えば、今は隣の食堂でおやつに夢中だ。

 子供たちの和気藹々とした声をBGMにしながら、のんびりティータイム(白湯だが)と洒落込んでいた。

 しかし元より大人しいとは言い難い性格のサフィーアが、何の会話もなくただ壁の剣を眺めて白湯を啜るだけで時間を何時までも潰せる訳がなかった。次第に暇を持て余し始め、何か話題はないかと模索した時真っ先に彼女の頭に浮かんだのは、先程の子供達の相手をするブレイブの姿だった。

 

 正直、意外と言う他なかった。相対した回数は少ないが、それでも大体の性格はよくいる戦馬鹿の傭兵、荒事に顔色一つ変えず臨み頭を使うよりも先に行動する。そんな感じだと思っていたのだ。

 それが、口調は荒っぽくともしっかりと子供達の事を思いやって、面倒を見ながら行動していたのである。

 こんなことを言ってしまっては彼に失礼かもしれないが、はっきり言って似合わない。子供たちの相手など、務まるような人間には見えなかったので先程の光景はちょっとした衝撃映像だった。

 

「あんたに、子供の面倒なんて見れたなんて意外だって思ったのよ」

「そりゃ、物心ついてからこれまで何人も年下のガキ面倒見てきたんだ。嫌でも慣れるってもんだろ」

「……って事は、やっぱり孤児院で育ったんだ?」

「あぁ。何でも昔、死に掛けてた母親だろう一人の女が抱えてた赤ん坊だった俺を先生が拾ったらしい。この辺じゃ昔からよくある話だ、別に珍しくもねえ」

 

 明後日の方を向きながら告げるブレイブからは、悲しみも寂しさも思念レベルですら感じ取ることは出来ない。本当に何とも思っていないのだ。

 

 それを知ってサフィーアは己の胸に痛みが走るのを感じた。

 彼女は知っている。親から与えられる愛情と温盛を。だからこそ彼に対しては何も言えない。知っているが故に、知らない彼には慰めることもフォローすることも出来ないのだ。なんと声を掛けていいか分からない。

 その不甲斐無さが、彼女の心を締め付けていた。

 

――傲慢ね。あたし――

 

 だが彼女はすぐにそれが、彼に分からないことを分かっているが故に存在する隠れた優越感からくる傲慢さであることに気付いた。彼は何も知らない、だから知っている自分がその事を哀れに思ってやろうと無意識のうちに頭がそう考えたのだ。これを傲慢と言わずして何と言おう。

 

 サフィーアは自分の心に湧き出た汚らしい部分を押し流すように、コップに残った白湯を一気に流し込んだ。大分冷めて微温湯ですらなくなった最早湯冷ましの冷たさが、隙間風の様に彼女の心を冷やす。

 

 と、不意に自身に向けられる好奇の思念に気付いた。出所はブレイブだ。視線を向ければ、いつの間にか彼はじっと彼女の顔を見つめていた。

 正直、ちょっと居心地が悪い。

 

「な、何?」

「ん、いや、悪いな。ちょいと凝視し過ぎた」

「それはまぁ、いいけどさ。どうしたの? あたしの顔に何か付いてる?」

「いや、ただ変わった目の色だって、今になって気付いてな」

 

 言われてサフィーアは密かに体を緊張させた。海色の瞳は思念感知能力者の証、普通の人間には発現しない。思念感知能力者自体が広く知れ渡っている存在ではないのでこれだけで自分の秘密がバレる様なことはないのだが、こうして何も知らない者に真正面から指摘されるとやはりどうしても警戒してしまう。

 クレアの時は向こうが能力者の存在を知っていたこともあって、瞳の色を指摘されるよりも前に能力者であることがバレて拒絶を恐れるよりも観念する方が早かったので警戒も何もなかったが、今回のような場合は話が別だった。

 警戒を悟られないよう、サフィーアは平常を保つよう心掛ける。

 

 その警戒を知ってか知らずか、ブレイブは彼女の瞳をまじまじと見つめていた。

 

「あの、あんまり注目されると、居心地悪いんだけど?」

「あぁ、悪い。流石に不躾だったな。お前も女だってのに、こいつはいけねえや」

 

 眉間に皺を寄せながらサフィーアが睨むと、ブレイブが額をぺしんと叩きながら視線を逸らす。気持ちを切り替える為かコップの中身を一気に呷ると、お代わりを入れる為にコップを持ってその場を立った。

 その際、サフィーアが使っていたコップも持ってキッチンへと引っ込んでいく。

 

 数分ほどで沸かし直した白湯を入れたコップを二つ持ち、ブレイブが戻ってきた。片方を差し出されたので、黙って受け取り沸かしたての白湯を口に流し込む。少し沸かし過ぎたのか、火傷する程ではないが熱々の白湯にサフィーアは堪らずコップから口を離した。

 

「アッツ!?」

「悪い、ちと温め過ぎたなこりゃ」

 

 たははと笑いながら頭をかくブレイブ。そんな彼を横目で見ながら、サフィーアは白湯を冷ましつつ能力に神経を集中させる。今気になるのは、彼の彼女に対する関心度。もしこの瞳の色だけでも相当に不審に思っているのなら、残念だが彼からは多少距離を取るべきだろう。

 それは以前クレアにも言われた、この能力の事が広まる事を防ぐのは勿論、異端を見る目で見られることを防ぐことにも繋がっていた。

 

 と言うのも、幼少期に一度だけあったのだ。明らかに周りとは違う瞳の色と思念が分かってしまうことで発揮される勘の良さが原因で、一時周囲から差別的な目で見られ孤立したことが。

 幸いにもそれは本当に一過性のもので、程無くして収まり交友関係も殆ど元通りになった。

 が、当時の事はサフィーアの心に傷――と言うほどではないがしこりとなって未だに残っていたのだ。

 

 今は昔ほど能力を明け透けにするようなことはせず、単純に勘が鋭い程度で済ませるようにしているがそれでももしもという事はある。

 

 そう思って警戒していたのだが――――

 

――あれ? あんまり気にしてない?――

 

 身構えてはいたのだが、予想に反してブレイブは彼女に差別的な感情どころか違和感も抱いていないようだった。全く気にしていないという訳ではなく、チラチラと彼女の方に意識を向けてはいるのだがそこにあるのは好奇とか関心とか、兎に角マイナス方向の思念が存在しない。純粋に彼女の海色の瞳を珍しいとだけ思っているようだった。

 こう言っては何だが、サフィーアの海色の瞳はこの世界の者からすれば本当に珍しく、ともすれば異質にも映ってしまっていた。まるで海中を思わせる深く暗い色の瞳は、ぱっと見目に光がないかのように見えてしまうのだ。よく見れば決してそのようなことはなく、むしろ彼女の活発な性格を反映して明るい光を湛えているのだが、第一印象で異質を感じてしまった者にはそうとは映らない。

 

 最初ブレイブがやたらと気にしているようだったので、彼も彼女の事を変なものを見るような目で見てくるかと思ったのだが、予想に反した結果にサフィーアはうっかり疑問の声を上げてしまった。

 

「あんまり気にしてないのね?」

「ん? 何をだ?」

「あたしの目。こんな色の人普通はいないから、もっと気にするかと思ってたけど?」

 

 ちょっと皮肉を込めてそう告げると、ブレイブは少しばかり気恥ずかしそうに頬をかきながら口を開いた。

 

「そりゃぁ、まぁ、珍しい色だとは思ったけどよ」

「思ったけど、何よ?」

「ん~~…………俺は、普通に綺麗だって思うぜ」

「へっ?」

 

 綺麗な瞳……そう言われてサフィーアの思考が一瞬停止した。

 今までの人生で、この瞳を真正面から綺麗だと言ってくれたものは一人もいなかったのだ。何人かは彼女に恋慕の思念を向けてくるものもいたが、それらも彼女の瞳が常人とは違うと気付くとそこに異質を見出していた。

 もしかしたら、それも所詮は一過性のものであったのかもしれない。そこで足踏みしたりせず、もっと踏み込んでみていれば彼らもサフィーアの瞳への異質さを拭うことができていただろう。

 だが結果として、サフィーアは彼らが自分に異質の思念を向けた瞬間壁を作るようにしていた。異端として孤立したりすることが無いように。

 

 だがブレイブは違った。彼は最初に彼女の瞳が普通とは違う色であると気付いた時も、そこに異質を見出すようなことはしなかった。それが彼女に壁を作らせず、今まで踏み出せなかった他人への一歩を踏み出す結果に繋がったのだ。

 

 ブレイブにとっては大したことはない発言だったが、サフィーアにとっては堪ったものではなかった。異性からそんなことを言われたのは今回が生まれて初めての事。それも今までは差別の元になると警戒していた瞳の色を、混じり気無しに正面から『綺麗』と言われたのだ。

 その瞬間、サフィーアの心に走った衝撃は尋常ではなかった。

 

「あ、あ~~…………そ、そう? ふぅ~ん」

「どうした? そんな急に動揺して?」

「な、何もッ!? 動揺なんて、そんな、この程度で子供じゃあるまいしッ!?」

「いや誰がどう見ても動揺しまくりだぞお前?」

 

 あからさまな動揺を見せるサフィーアに、ブレイブが心配そうな顔をする。

 こうなるとますます彼女も冷静ではいられない。至って普通に気遣ってくる彼の姿がさらに拍車をかけ、思考が纏まらず混乱の極みに達してしまった。

 

「あ……あ……ッ!? 決着! 決着つけよッ!!」

「はぁっ!?」

 

 突然、名案を思い付いたとでも言いたげに立ち上がるサフィーアに気圧されるブレイブだったが、彼女は構わずに続けた。

 

「前、遺跡の時はランドレーベが乱入してきて有耶無耶に終わっちゃったでしょ。その時の仕切り直ししよって言ってるの!」

 

 確かにあの時は、決着がつく前にランドレーベの邪魔が入って勝負は中断。その後は共闘してランドレーベを倒し、それで終わってしまっていた。

 流石に今度は邪魔も入ることはないだろうし、仕切り直すにはちょうどいい。苦し紛れにした提案だったが、存外悪くはないものでブレイブも少し考えすぐに乗り気になった。

 

「ん~、そうだな。確かにあの時は不完全燃焼で終わっちまった。よっしゃ、付いてきな! いい場所知ってんだ!」

 

 ほどほどに冷めた白湯を一気に呷り、ブレイブが客間から出ていく。

 サフィーアも、慌ててコップの中身を飲み干すとウォールを肩に乗せ急いで彼の後に続くのだった。




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次回の更新は日曜日の午前と午後を予定しています。


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第60話:三度目の対峙

読んでくださる方達に最大限の感謝を。


 ブレイブに連れられてサフィーアが辿り着いたのは、古い飛空艇の発着場だった。

 何があったのかは知らないが、時間の経過による劣化とは別の理由でボロボロになった建物の中に彼が瓦礫を押しのけながら入っていく。サフィーアは彼が切り開いた道を通って彼に続くが、外から見た以上にボロい内部は先導する者が切り開いたとしても尚油断を許さない。傭兵でない者が立ち入れば、崩れる瓦礫で下手をすればケガでは済まない事態になるだろう。

 

「えらいボロボロね。何ここ?」

「見ての通り、元飛空艇の発着場だよ。俺がガキの頃に街で起きたっつう抗争か何かでボロボロになって以降、誰も直さずにほったらかしにされてたんだと」

「そんなところで派手な事して大丈夫?」

「ボロいのは周りの建物だけだ。発着場まで行けば結構すっきりしてる。そこでなら思う存分戦えるぜ」

 

 そう言いつつブレイブは扉を蹴り飛ばした。錆びてボロボロになった蝶番などが派手に弾け飛んだのに構わず扉を潜る彼に続くと、そこにはコンテナがいくつか放置されているだけの発着場が円形に広がっていた。

 その地形はさながら闘技場の様であった。

 

「へぇ、結構広いのね」

「昔はそれこそ、街でも有数の発着場だったみたいだからな。広さは申し分ねえ。それに、周りは見ての通り建物で囲まれてて邪魔者は入らねえから、関係ない奴を関わらせたり巻き込みたくない時に最適なのさ」

 

 彼の話に耳を傾けながら周囲を見渡すと、彼女の目に気になるものが映った。

 

 大きく切り裂かれたコンテナ…………いやコンテナだけでなく、よく見ると建物の壁などにも何かで切り裂かれたような大きな傷が付いている。

 しかもその傷は、建物の老朽化具合に比べて妙に新しめだった。老朽化した後に付いた傷に見える。そこでサフィーアは、ブレイブがこの場所に手慣れた様子で入っていった事などから彼が昔からここで剣の鍛錬をしていたことに気付いた。

 

「馴染みの場所なのね」

「お、分かるか?」

「遊び場にするには危な過ぎるもの。あっちこっちに剣で切り付けた痕があるし、流石のあんたも独学だけであそこまで強くはなれないでしょ? 大方誰か戦い方を教えてくれる人が居たんじゃない?」

 

 サフィーアの予想はほぼ正解だった。ブレイブはその昔、まだ子供だった頃に街に滞在していたとある剣士に彼は戦い方と生きる術を教えてもらっていた時期があったのだ。周囲の傷跡は、その時の鍛錬で付いたものが殆どである。

 尤も最近は、シエラとの鍛錬で付いたものが増えつつあるのだが…………。

 

 そんなことは露知らず、サフィーアはウォールを適当な瓦礫の上に退避させる。ここから先の戦いは一対一の真剣勝負、余計な気遣いや手助けは寧ろ邪魔でしかない。

 ウォールもそこは理解しているのか、大人しく主人の命に従った。ただし、その目は若干不安そうではあったが。

 

 サフィーアがウォールを下がらせ、ブレイブは念の為に自分たち以外誰も居ないことを確認すると二人は適度に距離を取り互いに剣を構えた。

 自然と、サフィーアの体が震える。武者震いと言うやつだ。

 

 彼女が昂りつつあるのを、ブレイブも感じ取っていた。知らず、彼の口角が吊り上がる。

 

「ちったぁ自信を付けてきたみたいだな。そいつがただの増長でないことを願うぜ」

「心配ご無用、期待以上に満足させてあげるから」

「上等――――!!」

 

 会話が途切れた瞬間、二人は同時にマギ・コートを発動させる。それに呼応するかのように一際強い風が吹き、二人の髪を大きく靡かせる。

 ゴゥと言う音すら響かせる風が、吹いた時と同じように唐突に収まり――――

 

「「ッ!!」」

 

 それを合図として、二人は同時に相手に向かって駆け出した。

 

「貰ったぁッ!」

「何のッ!」

 

 先手を取ったのはサフィーアだった。女性が振るにはやや大振りなサニーブレイズを、素早く袈裟懸けに振り下ろす。

 対するブレイブはそれを深紅と白銀の剣で受け止める。普通に考えれば得物が二つあるのだから片方を防御に充て、もう片方で攻撃する方が理に適っているのだが彼は敢えて両方の剣で受け止めた。これは彼が油断していたとか素人だからとかではなく、二本の剣で余裕を持って受け止め、しかる後にそのまま彼女の剣をあらぬ方向へと弾き飛ばして無防備にしてしまおうとした結果であった。

 だが現実は彼の予想とは異なる方へと向かっていった。サフィーアの剣を受け止め弾き飛ばそうとしたが、予想に反して彼女の力が強く弾き飛ばすことが出来なかったのだ。

 

――んだこのパワーッ!? いや待てよ?――

 

 予想を超える馬力を見せたサフィーアに面食らうブレイブだったが、直ぐに冷静さを取り戻すと彼女の身に宿る魔力に注視した。

 そして彼は、サフィーアの身に宿っている魔力が放散されずに循環しているのを目にする。

 

「ハッ! お前も魔力の循環を覚えやがったか?」

「えぇそうよ。前とは違うのよ」

「だがその程度じゃぁ、なあッ!!」

 

 魔力の循環を覚えたことで、確かにサフィーアの魔力の出力はブレイブに追い付くだろう。だがその程度で自信を付けた気になられるのは彼にとっても心外だった。その程度の技術は彼もとっくに習得しているし、彼でなくても腕の立つ傭兵は大体が習得している技術である。別段自慢できるほどのものではない。

 それを教えてやろうと、ブレイブは力技でサフィーアを押し退けると両手の剣で彼女に斬りかかる。左右で時間差を付けて放たれる斬撃。ブレイブとしては小手調べの攻撃だったが、その鋭さは小手調べレベルではない。

 

 そんな攻撃を――――

 

「く、とっ!」

「いっ!?」

 

 サフィーアは紙一重ではあるが回避した。振り下ろしと薙ぎ払い、彼女の逃げ場を奪う様に迫った二つの刃を、彼女は剣で受け流すこともせず躱してみせたのだ。

 その秘密は勿論、先日ジャックとイヴの二人との戦いで開眼した思念感知能力を積極的に用いた相手の攻撃の先読みにあった。サイ相手には碌に効果を発揮することがなかった技術だが、典型的なウォリアータイプの剣士であるブレイブには効果覿面だったようだ。

 

 対するブレイブは、今の回避をまぐれの一言で片付ける事無く冷静に彼女の脅威度を数段階引き上げた。今の回避は明らかに何かがおかしい事に早くも気付いたのだ。

 様子見を兼ねて彼はサフィーアに怒涛の連続攻撃を仕掛ける。疾風刃雷程ではないが、縦横無尽に振るわれる刃の嵐は常人であればあっという間に細切れに刻まれてしまうだろう。

 

 だがその攻撃も、サフィーアを捉えるには至らなかった。彼女は時にマントやサニーブレイズで受け止めつつ、ブレイブが放った全ての攻撃を切り抜けてみせたのだ。

 

「ハハッ! 何だよお前、いつの間にそんなに強くなりやがったッ!」

「あたしだって日々成長してるのよ! それにこれはまだ序の口…………本番はこれからよッ!!」

「おっしゃ、来いッ!!」

 

 サフィーアの言葉にブレイブは獰猛な笑みを浮かべながら二本の剣を連結させ双刃形態にした。彼が更に本気になった証に、サフィーアの闘志も更に燃え上がる。

 双刃の長剣を回転させながら迫るブレイブに、サフィーアは空破斬を放って迎え撃つ。彼はそれを容易く回避してしまうが、その次の瞬間には目の前にサニーブレイズの刃が迫っていた。

 

「うをっ!?」

 

 思ってた以上に素早く対応してきたサフィーアに面食らいつつ、ブレイブは双刃を下から掬い上げる様に斬り上げて弾き飛ばしお返しとばかりに斬り上げの勢いを利用して体を一回転させ弾いた方とは逆の刃で突きを放つ。

 サフィーアは、サニーブレイズが弾かれた時点で次の彼の攻撃を先読みし素早く距離を取ることで反撃の刺突を回避。更にその瞬間を待ってましたと、一気に接近して至近距離からサニーブレイズを薙ぎ払った。

 ここでブレイブの得物が長物であることが災いする。リーチのある武器は相手よりも先手を取りやすいが、最も火力の出る距離よりも内側に入られると途端に打つ手が殆ど無くなってしまう。しかも今回の場合だと、ブレイブは刺突と言う攻撃直後にどうしても隙が生まれてしまう動作をした直後であった。これでは迫るサフィーアに対して反撃が行えない。

 

 普通であればここで一度距離を取ろうと言う選択をして剣を引いて後ろに下がるなり横に飛び退くなりしようとするだろう。だが彼が選んだのは後ろでも横でもなかった。

 まだ残っている刺突の際の前への勢いを利用し、前転するように跳躍してサフィーアの斬撃を回避したのだ。こうなると逆に隙を晒すのはサフィーアの方、無防備な背中にブレイブは容赦なく刃を叩き込もうと双刃を振るおうとした。

 

――そこねッ!!――

 

 だがサフィーアは彼の回避の方向を読んでいた。彼の刺突を飛び退いて回避し反撃に出た瞬間、彼の思念が自身の上の方に流れていったのを彼女は敏感に察知し、彼の次の動作が上方への回避とそこからの攻撃である事を見抜いたのだ。

 読み通りの動きをしたブレイブに、サフィーアは先制を取ってサニーブレイズを振るう。これは流石に想定外だったのか、ブレイブは攻撃を完全に捨て防御に全力を注ぐ。

 

「ぐおっ?!」

 

 何とかサフィーアの攻撃を防いだブレイブは、その勢いのままに大きく飛ばされ硬い地面に背中を叩き付けられる。

 背中を叩き付けられた痛みに喘ぐ時間を惜しみ、気合で立ち上がると双刃を分離させて二刀流スタイルに戻した。今のサフィーアを相手にするには、攻撃力の高い双刃よりも素早く対応できる二刀流の方が良いと判断したのだ。

 

「サフィ。お前、本気で何に目覚めた? 今明らかに俺の動きを先読みしただろ?」

 

 最後の動きはブレイブが次にどう動くかを先読みしなければできないものだった筈だ。ともすれば不気味な戦い方をするサフィーアに、彼が怪訝な顔になるのも致し方ない事である。

 

 少し派手に能力を使い過ぎたか? サフィーアの脳裏に一抹の不安が過るが、ブレイブから向けられる思念に畏怖に近いものは存在しない。単純に、彼女の動きに異変を感じているだけの様だ。

 そうとなれば下手に身構える必要もない。適当な事を言ってお茶を濁してしまえば問題ないだろう。

 

「自慢じゃないけど目は良い方なの。それに、あたしってば勘も鋭いのよね」

「……ほぉ~、言うじゃねえか。だがそんな話で俺が納得するとでも?」

「それじゃ力尽くで聞き出したら? そう言うの、得意なんでしょ?」

 

 話題を逸らす為、少しばかり挑発的な物言いをする。

 すると何故か彼は一瞬キョトンとした顔になった。だが次の瞬間には、心底愉快と言う気持ちを微塵も隠さず大声で笑いだした。

 

「はぁっはっはっはっ!! 言ってくれんじゃねえか。お前はこういうの、苦手だと読んでたんだがそうでもないみたいだな?」

「女はね、強かじゃなきゃ生き残れないのよ」

「なるほどなるほど、そいつは失礼したな。ほいじゃまぁ、お望み通り……」

 

 言葉を区切ると同時に、ブレイブの体を流れる魔力が大きく膨れ上がる。それを見て、サフィーアもサニーブレイズの引き金を引いた。

 

「力尽くで聞き出させてもらおうかッ!!」

「やってみなさいよッ!!」

 

 二人の刃がぶつかり合うと、魔力が弾けて衝撃が二人を中心に広がっていく。

 それは、二人の戦いが本当の意味で始まった事を意味するゴングでもあった。




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第61話:静かな勝ち鬨

読んでくださる方達に最大限の感謝を。


 サフィーアとブレイブが激しく戦っているのとほぼ同時刻、クレアは一人ハットハットの街中を散策していた。

 そんなに長く滞在するつもりはないが、何かあった時の為に街の地理を頭に叩き込んでおくのは悪い事ではない。まぁ、単純に手持無沙汰でやることがないから、暇潰しがてらに散歩していると言う見方もあるのだが。

 

 とは言え女性の一人歩き、それもクレア程の美人ともなれば目を付けられないはずがない。

 案の定大通りから少し外れた人気の少ない横道に入ると、数分もしない内に前と後ろを数人の明らかに堅気ではない男達に塞がれた。揃いも揃って下卑た笑みを浮かべ、手にはナイフや拳銃、果ては魔法の発動体だろう杖を持っている。

 

「いけねえなぁ、女がこんな所で一人ぶらついてちゃよぉ」

「久々の上玉だ。売る前にたっぷりと楽しませてもらうとするぜ」

 

 口から出てくる言葉もこの手の輩のテンプレート、予想した通りの内容にクレアは男たちを一瞥し大きく溜め息を吐いた。

 

 それから数分後――――

 

「ふぅ……こんなもんかしら?」

 

 そこにはクレアの手によってぼこぼこにされた男たちの姿があった。クレア自身は当然無傷、服にも汚れ一つ付いてはいない。つまりはその程度の連中だったという事だ。

 とは言え今この場にサフィーアが居ないのは幸いだったと思っていた。彼女ではこんな狭いフィールドでは思うように動けまい。小回りが利いて狭い場所でも十分に全力が出せるクレアが一人だったからこそ完封勝利できただけで、やや取り回しに難のあるサニーブレイズでは戦い方を大幅に制限されていた筈だ。そうなると、どうなっていたかはクレアにも分からない。

 

 とは言えそれも最早考えても意味の無い事。今考えるべきは、叩きのめしたこいつらをどうするかであるが、こんな街では警察機構なども存在しないだろう。あっても買収されるかして腐っている。頼りにはならないだろう。

 まぁ十分にぼこぼこにしてやったし、仮に報復に来るとしてもこの怪我の具合なら早くても二~三日は大人しくしている筈だ。流石にその頃にはこの街を離れているだろうから、あまり心配する必要はないとクレアは考えていた。

 

「な~んて事考えてると、昔っから真逆の展開になるのよねぇ。嫌だ嫌だ」

 

 倒した男達を時に踏み越えながらその場を後にしたクレアは、昔から自身に纏わり付くジンクスにうんざりした様子で首を左右に振る。

 そして、次の角を曲がった先で先程とは別の、だが先程の男達と全く同じような笑みを浮かべた男達を見て再び大きく溜め息を吐くのだった。

 

 

***

 

 

 一方、街の外れにある発着場での戦いは更に激化していた。

 

「はあぁぁぁぁぁっ!!」

 

 サフィーアは大ぶりなサニーブレイズをブレイブに向け振り下ろす。それを彼は横にずれることで回避するが、その瞬間地面が普通ではありえないくらい大きく抉れた。剣ではなくドラゴンが爪で抉ったかのようにコンクリートは弾け、瓦礫が猛烈な勢いで吹き飛ぶ。

 振り下ろしのみならず飛び散る瓦礫も回避したブレイブが反撃を放とうとするが、サフィーアは素早く次の攻撃を繰り出した。身を低くして下から掬い上げるようにサニーブレイズを振るい、ブレイブの攻撃を逆に弾き飛ばした。

 

――なんつう攻撃しやがるッ!? よくこんな攻撃考え付きやがったなッ!?――

 

 ブレイブは口には出さなかったが、サフィーアの成長ぶりに舌を巻いていた。

 

 言うまでもないが、今しがた地面を抉ったのは何もマギ・コートとマギ・バーストによる強化だけによるものではない。

 サフィーアが引き金を引き、専用弾に込められていた魔力が刃に宿る。その瞬間彼女はエレメタルで風の属性を付与した魔力をサニーブレイズに流し込み、剣に風属性を付与したのだ。

 これもまたクレアの戦い方を見て学んだ攻撃法。しかもこれはただ剣が風を纏ったというだけではなく、サフィーアが風を操作することで空気抵抗を減らすと同時に剣を風で押し、振るう速度を強化してあるのだ。

 そんな速度で振るえば普通は勢いに引っ張られて逆に剣に振り回される事になるが、魔力を循環させ質の高いマギ・コートで強化された肉体はその勢いに問題なく耐えた。

 

 最早常人を遥かに超え、ともすれば人間の姿をした大型モンスターが放つレベルの攻撃を仕掛けるサフィーア。

 そんな常人離れした攻撃をしてくる彼女に、流石のブレイブも完全に翻弄――――

 

「だが当たらなけりゃ見掛け倒しもいいとこだぜッ!!」

「あぐっ?!」

 

――――されてはいなかった。寧ろ、一瞬の隙を突き死角に回り込むと完全に無防備となった背中に向けて蹴りを放つくらいである。

 

 勿論今の蹴り、サフィーアには来ることは分かっていた。問題なのはそれを避ける余裕が無いタイミングで彼が攻撃してきたことである。

 正に絶妙のタイミングだった。彼がどのように避けようとするかも、その後に反撃を仕掛けてくるだろうことも彼女には分かっていたが、彼は彼女が自分の行動を読んでくるだろうことを見越して行動した。本当にギリギリの紙一重で攻撃を回避し、肉体の強化だけではどうにもできない程の隙を作らせそこを突いた。言ってしまえばその程度だが、肝心の隙は常人なら反応できないほど僅かなものであった。

 

 つまりはそれだけサフィーアの動きは鋭く、そしてそれに反応できるブレイブはある意味で彼女以上に常人離れした存在であると言えた。

 

「痛っつつ……くそぉ、いい感じに決まったと思ったんだけどなぁ」

「へへへ。最初はビビったが目が慣れちまえばどうってことねえな」

「ふ~ん…………じゃあこんなのはどう?」

 

 そう言うとサフィーアは再び引き金を引き、サニーブレイズに風属性の魔力を付与する。だが今度はそれで斬りかかりはしない。彼女は風属性の魔力を剣に纏わり付かせるのではなく、染み込ませる様に集束させた。

 その状態で彼女は峰に手を添え、右手を限界まで引くと次の瞬間に刺突を放つ。すると刃から刃を模った魔力が、音速に等しい速度で彼に向けて飛んでいく。サフィーアが操り集束させた風が、先程剣を振るう速度を上げたのと同じように空気抵抗を減らすと同時に魔力の刃を後ろから押したのだ。

 

 魔力で構成された飛ぶ斬撃、空破斬の刺突技『飛穿斬(ひせんざん)』を風属性魔法で強化した、音速で飛ぶ刺突『飛穿斬・疾(しつ)』が一瞬でブレイブに向かっていく。彼との距離は約五メートルほど、彼女が刺突を放った次の瞬間には魔力の刃は彼を貫く筈であった。

 

「くっ!?」

 

 だが彼はそんな常識を容易く塗り替えてしまった。サニーブレイズから飛んだ風を纏った魔力の刃が目前に迫った瞬間、彼は白銀の剣で若干それを逸らしながら紙一重で回避してしまったのだ。流石に刃と共に迫った暴風まではどうにもならなかったようで、回避の為にバランスが崩れた彼はその場から大きく吹き飛ばされてしまった。

 

 その光景にサフィーアは小さく舌打ちをした。今のは割と会心の出来だった。構想だけを練って今完成させたばかりの言ってしまえばぶっつけ本番の技だったが、その出来は十分に満足のいくものであった。

 恐ろしいのは彼の反応速度だ。正に電光石火の反射神経がなせる業だろう。そうでなければ未来が読めているか、サフィーアと同じように相手の思念か何かが読めているか、だ。

 しかし同時に、彼ならこれも防ぐか避けるかしてしまうだろうという半ば確信めいた予想をしていたのも事実だった。こんな小細工じみた攻撃では彼には届かない。

 

 彼に届くのは…………。

 

「もっと、近くでッ!」

 

 引き金を引いて風属性のマギ・バースト『ウィンド・バースト』を発動させ、同時に風魔法で自分自身をブレイブに向け押し出すサフィーア。暴風に吹き飛ばされながら凄まじい速度で剣を振るう彼女を、ブレイブは獰猛な笑みを浮かべながら迎え撃った。

 

「はっはぁっ!!」

 

 柄を連結させ双刃形態にした得物を振るい、サフィーアのウィンド・バーストを力技で受け止める。空気抵抗を減らし更に風に後押しされ普通なら反応するだけで精一杯だろう攻撃を、彼は真正面から受け止めてみせたのだ。地力の違いもあるだろうが、それ以上に彼の胆力とマギ・コートの出力が彼女のそれを上回っている事の証明であった。

 それどころか、徐々に彼は鍔迫り合いの状態から彼女を押し返し始めた。彼が更に力を込めたのを示すように、サニーブレイズを受け止めている深紅の刃が赤く輝き始める。同時に、まるで靄のように刃から赤いオーラが立ち上り始めた。

 

 ウィンド・バーストは飽く迄斬撃の威力を上昇させる為の技。故に、一度受け止められてしまうとその効果は半減してしまう。しかも彼は、サニーブレイズが風で後押しされているにも拘らず逆に彼女をし返しているのだ。単純な力比べでは分が悪すぎる。

 

 サフィーアは僅かに刃を傾け、ブレイブの剛力を滑らせて受け流すと一旦彼から距離を取った。流石に力比べでは勝ち目がない。彼相手には技巧で勝負しなければ。

 空になった弾倉にクリップを使ってリロードを行うと、ウィンド・バーストを発動させブレイブに向け突貫する。

 

「でやぁぁぁぁっ!!」

 

 ウィンドダッシュで一気に距離を詰め、サニーブレイズを振るう。今度はしっかり彼の思念の動きを見て、避ける方向を先読みして攻撃を仕掛ける。相手の動きの一歩先を読み、逃げ場を潰す要領で剣を振るった。

 だが彼は、サフィーアの先読みの先を行った。彼女を超える反応速度でもって振り下ろされる刃を躱し、即座に反撃を繰り出してくる。サフィーアはそれを先読みし受け流し、お返しとばかりに高速で斬撃を放つ。

 

 思念感知の先読みと、電光石火の反応速度。互いに相手の次の行動に即座に対応できる能力を持った二人の攻防は気付けば誰も手出しできないレベルにまでなっていた。もしこの場に第三者が居れば、サフィーアがB-の傭兵などと誰も思わないだろう。それほどの激しい攻防だった。

 

 暫し激しい攻防を繰り広げる二人だったが、突如としてその均衡が崩れる。徐にブレイブが双刃を分離させて二刀流になると、サニーブレイズを両方の剣で挟み彼女の攻撃の勢いを利用して彼女の手からもぎ取ってしまったのだ。

 

「あっ!?」

 

 しまったと思った時には既に遅く、彼はそのままの勢いでサニーブレイズを遠くに放り投げてしまった。

 

 その瞬間ブレイブは己の勝利を確信した。普通、自分の得物が手から離れたら誰しも意識はそちらに向かう。そこですかさず首筋に刃を突き付けてやれば、彼女は身動きが取れず彼の勝利は確定する。

 

 そう、思っていた。

 

 だが彼女の次の行動は流石に予想外だった。なんと彼女は、即座に意識を彼に向けると彼が左手に持つ白銀の剣に向けて飛び掛かったのだ。

 

「な、お前っ!?」

 

 この行動は彼も反応できなかった。まさか本来の得物の回収を躊躇なく諦め、こちらの武器を奪いに来るとは思ってもみなかったのだ。

 

 ブレイブの動揺もあって、サフィーアは彼の白銀の剣を奪い取ることに成功する。そのまま彼女は奪い取った剣で攻撃を再開し、ブレイブもそれに反撃していく。

 

「随分と思い切ったことするじゃねえかッ!」

「ごめんなさいね、手癖が悪くてッ!」

「気にすんな! 俺も他人の事言えるほど綺麗な人間じゃねえッ!」

「それじゃあたし達、似た者同士ねッ!!」

「違いねえッ!!」

 

 再び始まる先読みと超反応速度の戦い。互いに相手の次の行動を先読みし、素早く反応し、それに対応しようとした相手の行動に更に先んじた行動をとっていく。その戦いは正に超次元的な戦いであった。

 

 戦いの最中、サフィーアは自身の内に湧き上がる高揚感を隠せずにいた。単純に戦いに高揚している訳ではない。ブレイブが全ての意識をもって自身に集中させている事に高揚しているのだ。何の混じり気もない純粋な闘争心、互角の戦いをする彼女に対する称賛、それに加えて戦いの中で僅かに垣間見せる彼女の美しさに魅了されてもいる。兎に角彼は心の全てを彼女に向けていた。

 それはサフィーアも同様であった。今この瞬間、彼女の中にあるのは彼の事だけだった。ここが悪党の巣窟であるとか、自分が他人とは大きく異なる部分を持っているとか、そういう小さなことは今の彼女の中には存在しない。今彼女の中にあるのは、今この瞬間のブレイブとの戦いだけであった。

 

 互いに相手の事を全身全霊で意識し合う二人。ウォール以外に人目がない事を考えれば、これもある種の逢瀬なのかもしれない。事実、二人は互いにもっとこの時間が続けばいいのにと心のどこかで願っていた。

 

 だが何事にも終わりはやってくる。それは本当に突然であった。

 

「ッ!?」

 

 サフィーアの右目に額から流れた汗が入った。反射行動で右目を瞑り、連動して左目も細められる。その瞬間彼女の視界は大きく塞がれ、それはブレイブから見て大きな隙として映った。

 

 次の瞬間、ブレイブは体に染みついた動きとして彼女の隙を突くべく深紅の剣で素早く刺突を放った。それまでの攻防の勢いを乗せた刺突だ、普通に放ったものとは訳が違う。最早常人では傍から見ていても反応することは出来ないだろう。

 ましてや、視界を塞がれた状態のサフィーアに回避も防御も出来る筈がない。

 

――しまったッ!?――

 

 後に彼はこの時、何故彼女の隙を突いて攻撃したことに対し焦ったのかと首を傾げることとなるのだが今ここではそれは関係のない事であった。

 

 何しろ、この攻撃は意味の無いものとなってしまったのだから。

 

「くぅっ!?」

 

 ブレイブの会心の刺突が放たれた瞬間、サフィーアは視界が殆ど塞がれた状態で目にも止まらぬ速度のそれを紙一重で回避してみせたのだ。

 全ては彼女の思念感知能力によるものだろう。ブレイブの超反応と違いサフィーアのそれは視界に左右されない。言ってしまえば死角からの攻撃であろうと思念を感知できれば即座に回避できるのである。

 とは言えこれほどの回避は今回ほど状況が揃っていなければ難しかっただろう。ブレイブとの激しい攻防で身も心も限界まで温まっていたからこそ、能力が感知した彼の攻撃に対し頭が素早く判断を下し体が迅速に反応してくれたのだ。

 

 そしてその後の行動も早かった。ブレイブの刺突を回避したサフィーアは、彼が体勢を立て直すよりも早くに白銀の剣を振り上げ下から掬い上げる様にして彼の持つ深紅の剣を弾き飛ばし、返す刃で彼の首元に切っ先を突き付けた。

 

「な、あ――――!?」

 

 一瞬何が起こったか理解できなかったブレイブだが、背後に自分の得物の片割れが落ちる音が響く音と首元に突き付けられた切っ先の圧力に自身の敗北を悟った。

 何が起こったのか理解が追い付かなかったのはサフィーアも同様であった。今の瞬間、視界が一瞬悪くなったと思った次の瞬間には体が勝手に動いて気付けばブレイブの首元に剣の切っ先を突き付けていたのだ。彼女にしてみれば、一瞬意識が飛んだと思った次の瞬間には全く別の景色が広がっていたようなものだろう。録画したテレビ番組を話の途中でスキップしていきなり違う場面に飛んだようなものだ。

 

 呆然とするサフィーアを前に、ブレイブは両手を上げ降参の意を示した。

 

「あ~、チクショウ。俺の負けかよ」

「え?」

「ホント、お前短期間で豪い強くなったな。今回は俺の完敗だ」

 

 ブレイブからの敗北宣言と今の状況に、サフィーアは漸く現状を飲み込むことが出来、同時に自身がブレイブに勝ったのだと言う事を実感した。

 

 その瞬間、彼女の体を歓喜が駆け巡り、寒くもないのに全身が猛烈に震えた。その震えを押さえる様に両手を強く握りしめ両目を固く瞑り、勝利を噛み締めるかのように奥歯を食いしばった。

 

「――――はぁッ!」

 

 暫し全身を震わせたサフィーアは、体の中を暴れ回る歓喜を吐き出すかのように口を開く。勝ち鬨が出るかと思ったが、予想に反して口から出たのは勝ち鬨でも歓声でもなく、勢いがついただけのただの吐息であった。

 だがその吐息に万感の思いが籠っている事を、彼女自身も彼女の前に居るブレイブも理解していた。

 

 念願の強敵に勝利した事を静かに喜ぶサフィーア。

 そんな彼女にブレイブは笑みを向けながら、しかし挑戦的な口調で話しかけた。

 

「ま、今回はお前の勝ちだ。おめでとさん。だが次はこうはいかねえぜ。まだ一勝一敗一分けだ。次こそは俺が勝たせてもらうから覚悟しとけよ!」

 

 気持ちの良いくらいの宣戦布告。それに対し、サフィーアも負けじと力強く笑みを浮かべて応じた。

 

「望むところよ! 次もあたしが勝ち越させてもらうから、首洗って待ってなさい!」

 

 互いに相手に宣戦布告をした二人は、お互い相手に屈託の無い笑みを向け合うのだった。




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第62話:それは少し遅れてきた青春の如く

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 日が傾いてきた発着場で、ブレイブ相手に見事リベンジを達成したサフィーア。余計な柵(しがらみ)もなく互いに全力を出し合った二人は、晴れやかな気持ちで屈託のない笑みを向け合う。

 

 その時、突然それまで大人しくしていたウォールがブレイブに飛び掛かると、その視界を塞ぐように彼の顔の前を忙しなく動き回り始めた。

 

「くぅん、くぅん!」

「うをっ!? な、何だ何だいきなりッ!?」

「ちょちょ、止めなさいウォールッ!?」

 

 予想もしていなかった相棒の行動に、サフィーアも困惑しながら宥めようとする。だがウォールは落ち着くどころか逆に更に激しくブレイブの顔の周りで動き回り、それどころか主人であるサフィーアに対しても咎める様な思念を送ってきたのだ。

 全く心当たりのない警告に、サフィーアは訳が分からず首を傾げた。

 

「え、何? あたしがどうしたのよ?」

 

 ブレイブが近くにいることも忘れて、思念を頼りにウォールと会話するサフィーア。もしこの時ブレイブが冷静でいられたなら、流石に今の彼女に違和感を覚えただろうが彼はそれどころではなかった。現在進行形でウォールが顔の周りで動き回っている、その理由に気付いてしまったのだ。

 

「ん? あっ、ヤベッ!?」

「へっ?」

 

 今度は大慌てで後ろを向いたブレイブに、サフィーアは本気で困惑する。彼はただ背後を振り返っただけではなく、彼女に少なくない謝罪の気持ちを抱いているのだ。

 だが当然、今のサフィーアには彼に謝られる理由に見当がつかなかった。

 訳が分からず逆に焦るサフィーア。そんな彼女に、ブレイブは背中を向けたまま彼女に現状を教えた。

 

「サフィ、サフィ」

「何よ、どうしたのよ? あたしがどうかした?」

「えっとな、その…………」

 

 彼にしては珍しく歯切れが悪い。それまでの困惑もあって、サフィーアは苛立ちを隠せず問い掛けた。

 

「何なのよ?」

「…………下、見てみな。それで分かる筈だ」

「下? 下が何よ…………ッ!?!?」

 

 具体性に欠くブレイブの言葉に眉間に皺を寄せながらサフィーアは言われるがままに下を見た。

 そこで彼女は、今の自分がどんな見た目になっているのかを知ることになる。

 

「わぁぁぁッ!? こっち見んなぁぁっ!?」

「いってぇっ?!」

 

 サフィーアは一瞬で顔を熟したリンゴのように赤くさせると、左手で胸元を隠しながらブレイブの後頭部を渾身の力を込めてぶん殴った。

 

 ハットハットは、と言うかこの近辺の地域は、日中は非常に暑く何もしていなくても汗が噴き出す。マギ・コートは寒暖に対する耐性も上げてくれるが、二人は無意識の内に耐性への強化に割り振られている魔力も戦闘力の強化に回していた。すると当然高い気温がその身を苛み体は上昇した体温を下げる為に汗をガンガンにかくのだが、戦いに夢中になっていた二人は互いに滝の様に汗をかいていたことに気付かなかったのだ。

 しかもただでさえ高い気温に加えて、体力を絞りつくす勢いで戦った事によって汗は滝どころか洪水レベルで噴き出していた。

 

 その結果、サフィーアの衣服は水の中に飛び込んだのと同じくらいびしょ濡れになり、彼女の体にぴったりと張り付いてしまっていたのだ。

 幸いな事に彼女が着ているのは青いTシャツの上に白いジャケット、色的に地肌や下着が透けて見える事はない。だが代わりに豊かな乳房の形が服の上からはっきりと分かる状態になってしまっていた。

 

 異性とあまり密接に関わる事が無かったサフィーアにとって、見知った相手であろうと自身の体のラインを晒すことは到底我慢できることではなかったのだ。

 

「殴る事ねえだろッ!?」

「うっさい馬鹿ぁッ!? 見るんじゃないわよッ!?」

「見てねえだろッ!?」

「さっき見たでしょッ!?」

「不可抗力だよッ!?」

「いいからそのままあっち向いててよッ!!」

「言われなくても分かってるよッ!!」

 

 先程までの雰囲気は何処へやら。二人は互いに背を向け合いながら罵り合い、サフィーアは背を向けながらジャケットとTシャツを脱ぎ汗を絞り出した。

 ビショビショのTシャツを適当に畳んで絞ると、出るわ出るわよくここまでかいたもんだと逆に関心する位汗が地面に零れ落ちる。

 

――こりゃ、ちゃんと洗っとかないと大変な事になるわね――

 

 ついでに言えばシャワーも浴びたいところだったが、そもそもが水に乏しい地域だ。飲み水の確保すら苦労するだろうところで、果たして服や体を洗えるだけの水があるだろうか?

 

 最悪ここに居る間は汗の臭いを我慢しなければならないかもしれない。そんな想像にげんなりするサフィーアの耳に、再び地面に液体が零れる音が響いた。

 そちらに目をやれば、いつの間にかブレイブもプロテクターを外してシャツを絞っていた。

 

 ふと、サフィーアは自分が彼の背中に見とれていたことに気付き慌てて視線を逸らす。が、気付けば再び彼の露わになった背中に目を向けていた。

 

 女の自分とは違い、角ばって筋肉質な逞しい背中。だがその背中はただ逞しいだけでなく、所々に傷跡の様なものが見受けられる。切り傷や銃創、中にはモンスターの歯形の様なものまであった。

 その背は決して綺麗とは言えないだろう。多くの者は、その背を見れば思わず顔を顰めてしまうかもしれない。例え顰めずとも、好意的に捉えることはせずましてや何時までも眺めたりはしない筈だ。

 だが不思議とサフィーアは、その背を特別汚いとも醜いとも思わなかった。無数に刻まれた傷跡、それは彼がこれまでどれほど激しい戦いに身を置いてきたかを雄弁に物語っていた。いわば勲章の様なものだ。それに対して、どうして醜いなどと言う感想が抱けようか。

 

 思えば、異性の露わになった肌をまじまじと見たのは幼少期に父と風呂に入ったことを除けばこれが初めてかもしれない。一等校、二等校で男女問わず当時の友達と川に遊びに行った時に見たことがあったような気もしなくもないが、あの時はそんなに意識して男子の肌を注視するようなことはしなかった。

 だが今、サフィーアは露わになったブレイブの背中をまじまじと観察していた。

 

――って! 何堂々と観察してんのよあたしはッ!?――

 

 自分が何をしていたかに気付き、サフィーアは頬を赤く染めつつ慌てて視線を彼の背から逸らすと汗を可能な限り絞りつくしたTシャツを再び身に纏った。やはりと言うか、汗で湿ったTシャツを着るとべったりヒヤッとした感覚が彼女の上半身を苛んだ。

 気持ちの悪い感触に思わず顔を顰めていると、不意に強烈な喉の渇きが彼女を襲った。無理もない、こんな猛暑の中全力を出し切って戦えばそりゃ体は水分不足になろうというものだ。

 サフィーアが喉の渇きに表情を歪めていると、汗を絞り終えたブレイブが服と装備を着直た。彼は、喉に手を当て渇きを誤魔化そうとしているのを見ると思わず苦笑して彼女を手招きした。

 

「来いよ。ちょうどいいもんがあるんだ」

「ん?」

「喉、乾いてんだろ? そんな時にうってつけの、この辺りの名物を教えてやるよ」

 

 彼はそう言うと、サフィーアを伴って発着場を出ると彼女を街のマーケットへと連れて行った。

 道の左右に様々な店が軒を連ね、道行く人々が時折足を止めては店先に並んだ商品を品定めしている。暑さと乾燥でカサカサに寂れた街だと思ってはいたが、こういうところを見るとこの街もまだまだ捨てたものではないと認識を改めさせられる。

 

「ちょいとそこのお嬢さん。一つ買っていかないかい?」

「はい?」

 

 その時、サフィーアは不意に声を掛けられた。声のした方を見ると、そこには少々粗末な服装の老婆が手に何か木の実の様な物を持ってサフィーアに近付いてきていた。

 サフィーアは老婆からの思念に意識を集中させる。すると案の定、老婆からは彼女への悪意が感じられた。それも、こちらを騙して骨の髄までしゃぶりつくそうとする類の陰湿でしつこい奴だ。

 

「サフィ、こっち来な」

「うん」

 

 サフィーアが老婆に声を掛けられたのを見て、ブレイブは慌てず騒がず彼女を呼び寄せた。彼女が素直に従い彼の傍へ行くと、老婆は面白くなさそうにその場を立ち去って行ってしまった。

 

「あれ何だったの?」

 

 老婆の姿が見えなくなったのを頃合いと見て、サフィーアは素直に疑問を口にする。何か不味いものだと言う事は分かったが、何がどう不味いのかわからない。

 禄でもない物だろうことだけは確かだが。

 

「ありゃ一言で言えば麻薬だな。それもかなり依存性の高い奴だ」

「やっぱり。そんな感じの物だろうと思ったわ」

「勘がいいらしいな。この街に居る間は、出来るだけ緊張感を維持し続けた方が身の為だぜ」

 

 そう言いつつ、彼は一軒の店の前で足を止めた。見た所野菜か何かを売っていたようだが、店先に佇んでいるのはこれまた粗末な上に貧乏くさい服装をした老婆であった。ただ先程のとは違い、こちらは純粋に店の持ち主であるようだ。一人でこの店を切り盛りしているのだろうか?

 

 一人寂しく店番をする老婆にサフィーアが首を傾げているなか、ブレイブは特に気にした様子もなく老婆に話し掛けた。

 

「よぉ、婆さん。シェルフルーツあるかい? 一個でもいいんだが……」

「ん? あぁ、シェルフルーツかい。悪いけどもう品切れで…………おや? お前さん、ブレイブかい?」

「おうよ。最近帰ってきたのさ」

「そうかいそうかい! ちょっと待ちな」

 

 老婆は何処か嬉しそうにしながら店の奥に引っ込むと、両手に一つずつドングリを大きくしたような木の実を持って戻ってきた。

 

「お待ちどうさん。こいつは本当は売らずに取っとく気だったんだけど、お前さんは特別だよ」

「良いのかい?」

「気にするんじゃないよ。お代もいらないから、ほれ取っときな」

「馬鹿言ってんじゃねえよ。老い先短い婆さんが折角の稼ぎ時をふいにするなっつうの」

 

 ブレイブは木の実を受け取ると、財布から100セルを出して店先の籠に放り込みそのまま去っていく。老婆が引き留めようとするがお構いなしだ。

 

 やや強引ながら、彼なりの優しさともとれる行動に苦笑しつつサフィーアは彼の後についていった。

 その道中で、ブレイブは買った木の実の一つをサフィーアに手渡した。

 

「ほい、これ」

「ありがとう…………って、これどうやって食べるの? 丸齧りじゃないでしょ?」

「ははっ、まぁ他所じゃこいつにお目にかかることはねえだろうから知らねえのも無理はねえよな」

 

 ブレイブが買った木の実、シェルフルーツは砂漠や乾燥地帯特有の作物だ。外側は非常に硬い殻で覆われているが、その中には甘酸っぱくフルーティーな果汁が詰まっており栄養も豊富な為この辺りに住む者たちにとってはこれ以上ないほどのご馳走だった。

 その木の実の中身を堪能する為、ブレイブは徐に折り畳みのナイフを取り出すと楕円の木の実の先端を切断して中身が飲めるようにした。その際マギ・バーストを使用していたが、これだけの事をしないと傷付けることが出来ないくらいこの殻は硬いのだ。

 

 たかが木の実程度にマギ・バーストを使用したブレイブに軽く仰天したサフィーアに、彼は構わずナイフを手渡すと殻の中の果汁を豪快に呷った。

 

「――――ぷはぁっ!」

 

 一気に半分ほどを飲み干し、気持ちの良い飲みっぷりを見せつけられサフィーアも慌ててからの先端を切り落とす。いい加減そろそろ喉の渇き具合が限界だった。

 ブレイブを真似て一気に呷ろうとしたサフィーアだったが、寸でのところで思い留まると念の為に少しだけ口の中に入れ味見するように果汁を口の中で転がした。彼の味覚を疑う訳ではないが、さりとて未知の味覚を前に無防備に突撃する程無警戒ではなかった。もしかすると、彼女とは味覚が合わない可能性もある。

 

 だがそれは杞憂に過ぎなかった。一口以下しか飲まなかったが、たったそれだけで虜になるほどシェルフルーツは絶品だったのだ。

 

「うわ甘ッ!? 美味しいッ!!」

「だろ? ほれ、乾杯」

 

 硬い殻をグラス代わりに、軽く乾杯をするとサフィーアは一気に果汁を喉に流し込んだ。果汁はジュース系ほどサラサラしてはいないが、ジャムやソースの様にドロリとしている訳ではない。スムージーが口当たりとしては一番近いだろうか。キンキンに冷えている訳ではないが、爽やかな甘酸っぱさが乾いた体に染み渡りべたつく暑さが吹き飛ぶようだった。

 

「んく、んく…………はぁっ!」

「くぅん!」

「ん? 分かってるって、はい」

 

 主人の飲みっぷりに感化されたのか、ウォールがサフィーアに分けてくれとせがんだ。相棒の要求に彼女は快く答え、左手で器を作るとそれに少しずつ果汁を入れウォールに飲ませてやった。

 

 その様子を見て、ブレイブは流されそうになっていた疑問を口にした。

 

「そう言やさっきから薄っすらと気になっちゃいたんだけどよ、サフィって動物と話す力でもあったりするのか?」

「へぇっ?! な、何で?」

「いや何でって、さっきも今もやけに的確にそいつの言いたいことを当ててたからさ」

 

 サフィーアは全神経を動員して、目元を押さえて天を仰ぐのを我慢した。ここでそんな行動を取れば、それこそ何か裏がありますと白状しているも同然である。極力平常を保つように心掛けつつ、ブレイブの質問に無難な言葉を返した。

 

「んんっ…………そんなに不思議な事かしら? 別に言葉が通じなくても、意思の疎通は出来るわよ」

「ん~、だがお前のはその域を超えてるように思えるんだよなぁ。戦ってる時もそうだったけど、お前やっぱり何か――」

 

 いよいよ以て誤魔化しが利かなくなってきたか? 彼にも真実を告げて後腐れの無い関係を築くべきだろうか?

 

 そんなことを考え始めた時、徐に明後日の方向からカインが一人歩いて二人に声を掛けてきた。

 

「おや、サフィ。また珍しい相手と一緒にいるね?」

「あ、カイン」

 

 朗らかに笑みを浮かべながら二人に合流したカインに、サフィーアは内心安堵した。彼が声を掛けてきてくれたおかげで話の腰が折れ、ブレイブからの追求が止まってくれた。

 対照的にブレイブはカインに面白くないものを見るような目を向けていた。

 

「カイン? 魔銃士カインか?」

「あぁ、そんな風に僕を呼ぶ人も居たっけね。そう言う君は、ブレイブ・ダラーだよね。アルフの近くの遺跡じゃ満足に挨拶も出来なかった」

「そういやあそこで顔合わせる程度には会ってたっけな」

「ちょ、ちょっと? いきなり不機嫌になってどうしたのよ?」

 

 カインは友好の証として握手を求めて右手を差し出すが、ブレイブにその気はないのか差し出された手を握り返すことはしなかった。

 明らかに不機嫌ないし興味ないと言った態度をとる。態度を豹変させた彼にサフィーアも困惑を隠せない。

 

 不機嫌オーラを放ちだしたブレイブと、彼を前にオロオロするサフィーア。その二人の様子を見て、カインの口元に意地の悪い笑みが浮かんだ。

 

「あぁ…………もしかして僕、デートの邪魔しちゃったかな?」

「はぁっ!? なななななな、何言ってんのッ!?」

「いやぁ、まさか君がこんなに手の早い女性だとは知らなかった。これはクレアにいい土産話が出来た」

「待て、お前絶対ある事ない事付け加える気だろッ!?」

「違うからねッ!? 本当にそんなんじゃないんだからねッ!?」

 

 必死にカインを止めようとするサフィーアとブレイブだったが、持ち前の身のこなしで彼は二人の飛び掛かりをすり抜けながらその場を離れていく。

 いらぬ誤解をクレアに植え付けられては堪ったものではないと、二人は騒がしくその後をついていくのだった。




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第63話:人に歴史あり(前篇)

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 カインに茶化されながら孤児院に戻ったサフィーアとブレイブ。

 三人が孤児院に戻ると、少し意外にもクレアが迎えてくれた。

 

「あら、お帰り。三人一緒に帰ってきたのね?」

「あぁ。ま、僕が二人のデートにお邪魔しちゃった形だけどね」

「ちょっ!?」

「ほほぅ?」

 

 戻るなりカインがクレアの前で爆弾を投下してくれたおかげでサフィーアは彼女からしつこく質問攻めに遭うことになってしまった。当然サフィーアはこんな事態を引き起こしてくれたカインを睨みつけるが、当の本人はどこ吹く風。

 気付けばブレイブは何処かへ消えてしまっているしで、サフィーアは夕飯が出来るまでクレアからの質問攻めに辟易させられる事となるのだった。

 

 それから数十分後、漸く質問攻めから解放されることとなるのだが、そこでサフィーアはある意味で度肝を抜かれた。

 

 決して豪勢とは言えなくとも、失礼ながらこの場所にしては思っていた以上にしっかりした夕食。最初サフィーア達はシエラかイレーナが作ったものかと思っていたのだが、意外や意外これを作ったのはブレイブだと言う。

 出された食事はこの辺で何とか手に入る粗末な野菜と近場でシエラが狩ったとか言うモンスターの肉を使ったシチューのみで、味付けも殆ど調味料を使っていないものだ。だが子供たちは勿論、サフィーア達も十分に満足できる出来で、食べ盛りの子供達の事を考えなければもう一~二杯はお代わりしたいほどであった。

 

 何でもブレイブはこの孤児院では年長者として子供たちの世話をしてきた為、あの性格に反して家庭的な技術を数多く習得しているのだとか。最近は彼も傭兵としての活動の頻度を上げている為、基本的に家事はイレーナを除いて二番目に年長者であるシエラが行っているが、その技術の多くはブレイブ仕込みなんだそうだ。

 

「へぇ~、何か意外ね」

「うるせえな。必要だから出来るようにしただけだ。それよかシエラ、風呂用意しとけ。サフィの奴昼間全身汗だくになっちまったから」

「汗だくはお互い様でしょ。って言うかお風呂って、水は大丈夫なの?」

「そこは心配すんな」

 

 ブレイブがそう言ってシエラを見やれば、彼女は笑みを浮かべて掌の上にソフトボールサイズの水の球を作り出した。それを見てカインは感嘆の声を上げた。

 

「へぇ、水属性のエレメタルか。それがあるなら確かに、水事情に関してはかなり余裕があるだろうね」

 

 言うまでもない事だが、魔法で作り出した水や炎は日常で使うことが普通にできる。特にこの二つは比較的入手も容易で広く出回っているので、資金に余裕のある傭兵は戦闘と野宿の事を考えてこの二つを所持している者も居た。

 それならこの街でも水事情はそんなに苦労していないのかと言えばそんな事はなく、資金的にエレメタルを持てない者が多いので多くの家庭では頑張って湧き水やオアシスの水を節約して日々命を紡いでいるのが現状であった。

 

「あれ? だったらこれで作った水売れば孤児院ももうちょっと余裕ができるんじゃない?」

「馬鹿、この街にどんだけ住民が居ると思ってんだ。最低限度の量に絞ったって街の住民全員に行き渡るくらい水作ろうとしたらシエラが干乾びちまう。それともガキ共に作らせる気か?」

「あ~、そっか。ごめん」

 

 そう言う事で、魔法を用いての水の確保は慎重に行い周辺にはエレメタルを持っていることを気取らせないようにしていた。子供達だって知らないことだ。厳しい事を言うようだが、子供達に水属性エレメタルの事を話したらふとした瞬間に外部に漏れてしまうかもしれない。そうなったら周辺住民からの突き上げは勿論、街に潜伏している悪党共に狙われる危険だってある。これの存在を知っているのは、この場にいる全員とイレーナだけだった。

 

 兎にも角にも、水の心配は一応ないようなのでサフィーアは遠慮なく風呂で汗を流させてもらい、序に服も洗濯させてもらう事が出来た。正直な話、水の節約の事を考えて体は良くても濡らしたタオルで拭く程度、衣服に至ってはそのままで明日を迎えねばならないかと考えていただけに、これは嬉しい誤算だった。

 

 尤もその後、就寝時はサフィーアとクレアは揃ってまだ余裕があるらしいシエラの部屋を使わせてもらえることになったのだが、その際にクレアに加えてシエラからもブレイブとのことに関して再度質問攻めされてしまうことになった。

 

「それでそれで? ブレイブ兄ぃの何処が良かったんですか?」

「だ~か~ら~!? そんなんじゃないんだってッ!?」

「でもデートはしたんでしょ?」

「リベンジ戦で汗だくになったから水分補給の為に飲み物を買って二人で飲み歩いてただけですッ!?」

「「え~? ほんとぉ~?」」

「何で今日会ったばかりなのに息ピッタリなんですかッ!?」

 

 初対面であるにも関わらず仲良く声を揃えて煽ってくるクレアとシエラに、サフィーアが堪らず叫び声を上げると、扉が一度強くガンと叩かれ外から一言『寝ろ』とブレイブが怒気を感じさせながらも抑え気味な声で叱咤してきた。流石に少し騒ぎ過ぎたらしい。

 これ以上は折角寝た子供達を起こすことにもなりかねないので、三人は大人しく寝ることにした。尤も騒ぎの原因は無駄に煽ったクレアとシエラであり、サフィーアからすれば漸く解放されたと言ったところなのだが。

 

 そして翌日――――――

 

「ふぅ……」

 

 朝食を済ませ、特に何もすることがないサフィーアは客間で白湯を一口飲み小さく溜め息を吐いていた。不意に脳裏に、溜め息を吐くと幸せが逃げるなんて言葉が思い浮かんだが、それも溜め息の種類で違いがあるだろうと思い気にしないようにした。幸せが逃げる溜め息とは、きっと落ち込んだ時に出る溜め息のことの筈だ。

 そんなしょうもない事を考える彼女の視線の先には、使い古されたソファーの上でだらけたように力無く横たわるウォールの姿があった。暑さにやられた訳ではない、ただ子供達に揉みくちゃにされ無駄に疲労困憊しているだけだ。

 

「お疲れ」

「くぅん……」

 

 如何にモンスターとは言え、見た目は動物の可愛いところの多くを寄せ集めたような姿を持つウォールだ。小さい子供は放っておかない。ウォールはウォールで、相手は子供なのだからと好きにさせてやったら思いの外パワフルな子供パワーにすっかり体力を奪われてしまったという訳だった。前日はサフィーアが連れ回していたのもあって殆ど触れなかった事もあってか、子供たちの勢いはウォールの体力をあっという間に奪うほど激しいものだった。

 相棒の姿に苦笑しつつ、サフィーアはもう一口白湯を口に含むと視線を窓の外に向ける。窓の向こうには中庭が見えるのだが、そこではクレアとカインが子供達に簡単な護身術や魔力の扱い方のレクチャーをしていた。こんな危ない街に住んでいるのだし、最低限身を護る手段や後々使える技術は教えておこうと言う事だ。

 また、数日滞在することになるのでその家賃というのもある。

 

 カインによると、彼が奴隷にされそうだった女性たちを預けた飛空艇のパイロットは、彼女たちを安全な場所に送り届けた後ここに戻ってきて今度はサフィーア達をグリーンラインまで乗せることに快く了解してくれたらしい。

 随分とあっさり話が決まったと思えば、彼は笑顔で人差し指と親指で丸を作ってみせた。要は金に物を言わせたのだ。まぁこんな街なら、それに勝る力はそうそうないだろう。あるとすれば暴力だろうか。

 とは言え結局はここに戻ってこれるまで数日を要する様なので、その間はこの街に滞在し続けなければならない。その間の宿としてここを使わせてもらう事になり、宿賃としてクレアとカインは子供達を教育しているという訳だ。

 

 そういう事ならサフィーアも何かするべきだと思ったのだが、護身術に関してはクレアとカインが居れば事足りるし家事もブレイブとシエラがあっさりと終わらせてしまった。一応食費を浮かす為に街の外に狩りに行くという手段もあったが、それすらも土地勘のあるブレイブとシエラで十分であり寧ろサフィーアがついて行ったら邪魔になる可能性すらあった。

 結局、今の彼女に出来ることと言えば孤児院の用心棒と言う名目で客間でのんびり白湯を啜るくらいなのである。

 事実上の戦力外通告に不甲斐無さや虚しさ、やるせなさを感じずにはいられなかったが、周囲の者から蔑視の様な思念は感じなかったので決して役立たずとかいう風に見られていないと言う事が分かるのはせめてもの救いだろうか。

 

 しかし手持無沙汰なのは事実。トラブルなど無いに越したことはないのだが、何も無かったら無かったで暇であることに変わりはない。その手持無沙汰を少しでも解消しようと、だらけたウォールを優しく撫でてその毛並みを堪能していると対面からコロコロと笑い声が上がった。

 

「すみませんねぇ、何分あの子達もその子みたいな可愛らしい生き物は見た事が無かったもので」

 

 そう言うのは、この孤児院の院長であるイレーナだ。この時間は彼女もやる事が無い、と言うかやる事を事実上クレアとカインに取られている為、サフィーアと同じく手持無沙汰になってしまったらしい。

 ウォールを気遣うイレーナに、サフィーアは気にするなと手を振って答えた。

 

「気にしないでください。泊めてもらってるわけですし、多少は……ね?」

「それでも、ですよ。こちらとしては寧ろ、お客様として扱いたいくらいだというのに」

「それこそ勘弁してください。何もしてないのに、客として扱われる理由がありませんよ」

 

 二人の会話はそこで途切れ、客間に再び沈黙が舞い降りる。サフィーアは決して騒がしい事を好む性格ではなかったが、かと言ってこういう状況で長々と沈黙を保っていられるほど静寂を好んでもいない。

 何か話題はないかと思考を巡らせていると、不意に彼女の脳裏にブレイブの顔が浮かび気付けば口を開いていた。

 

「あの、ブレイブって赤ん坊の頃からこの孤児院に居たって…………」

 

 口に出してからから気付いた。ちょっと無神経すぎたかもしれない。孤児院の世話になると言う事は、普通ではない理由があると言う事だ。それは場合によってはおいそれと他人が知るべきではない場合もある。

 サフィーアは慌てて今の質問を撤回しようとした。

 

「あ、いえ、やっぱりいいです。何でも――」

「あの子は物心つく前から、ここに居ましたよ」

「あ――――」

 

 サフィーアの言葉など気にせず、イレーナはブレイブの過去を淡々と語り出した。

 

 そもそもイレーナが彼と出会ったのは、今から大体22年ほど前、彼がまだ赤ん坊だった頃の話だ。

 尤もそれは出会ったというよりは、見つけたと言った方が正しい。何故ならその時、ブレイブは当時既に虫の息だった母親らしき女性の腕に抱かれた状態でイレーナに見つかったのだから。

 当時のハットハットはただ貧しいだけで悪党の巣窟と言うほどの街ではなかったようだが、それでも街中で人が野垂れ死にするのは日常茶飯事だった。

 

 多くの者は死にかけの女性とその腕に抱かれた赤ん坊に目もくれない。例え一瞥しても直ぐに目を逸らして何事もなかったかのようにその場を立ち去るのが普通だった。自分も貧しいのに、どうして他人の、それも死にかけた者に手を差し伸べることが出来ようか。残酷かもしれないが、ここでは他人の不幸に対し見て見ぬふりをするのが当たり前なのだ。

 そんな中で、イレーナだけは女性に駆け寄った。例え彼女を助けることは出来なくとも、その腕に抱かれた赤ん坊をどうしても見捨てることが出来なかったのだ。

 彼女には子供が居なかった。正確には過去には居たが、まだ小さい内に病気で亡くしてしまった。だからだろうか、赤ん坊だったブレイブを見捨てることが出来なかったのは。

 

 イレーナが駆け寄ると、彼の母親らしき女性は薄っすらと目を開けただ一言――――

 

『息子を…………ブレイブを、お願い』

 

―――――そう言って事切れたらしい。もしかしたら金目の物を剥ごうとしただけの追い剥ぎかもしれない相手に、最後の力を振り絞って息子を託したのだ。それは偏に、息子を愛していたが故に。

 

 その後、彼女の持ち物から彼女の名前をプリシラ・ダラーであると知り、ブレイブのフルネームを知ったイレーナはプリシラを当時から打ち捨てられていた教会の墓地に埋葬した後、そのままこの教会で彼と共に暮らし始めた。イレーナ自身、当時住んでいたのは粗末な造りの家だったので、子供を育てるのにはこちらの方が都合が良かったのだ。

 

 母親が死にかけていた状態で見つけたのでブレイブの健康状態が心配だったが、それは杞憂に終わり彼はすくすくと成長してくれた。碌な物も食べさせてやることは出来なかったが、生来生命力が強いのか彼は健康に力強く育ってくれたらしい。

 

 それはそれとして、かなり意外な事に彼はかなり早い段階でイレーナが自分と血の繋がりのある親ではない事に気付いていたらしかった。彼は一度たりとも、彼女の事を『母』やそれに準ずる、所謂血の繋がりのある相手を呼ぶ呼び方をしなかったのだ。イレーナ自身が彼に自分を親と呼ぶことを強制しなかったのもあるが、それとは別で彼は彼女が自分とは全く血の繋がりのない他人であることに気付いていたらしい。

 だが呼び名がないとやはり不便であることに違いはない。そう考えたイレーナは、彼に自分の事を先生と呼ぶよう伝えた。それ以降、彼が彼女の事を呼ぶ時は必ず『先生』と呼ぶようになったのだとか。

 

「え~? 本当ですか?」

「信じられないでしょうけどね」

 

 話の途中ではあったが、流石にその部分に関しては半信半疑となり口を出さずにはいられなかった。幾らなんでも、右も左の分からない赤ん坊の頃から育ててくれた相手を事前知識もなしに肉親ではないと判断することが出来る訳がない。

 だが口では疑いつつも、認めざるを得ないことは彼女の能力が教えてくれる。イレーナは微塵も嘘をついていない。少なくとも彼女の中では、ブレイブは誰に教わることもなく自分の親が既にこの世にはいない事に気付いていた。

 それは彼の野生の勘が鋭いからなのか、それとも別に理由があるのかは分からないが。

 

「え~っと、どこまで話したかしら?」

 

 そして話は、まだまだ続いていく。




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第64話:人に歴史あり(後編)

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 ブレイブとイレーナは、暑く乾いた街で貧しいながらも穏やかに生活していた。

 そんな二人の生活に変化が起こったのは、彼が10歳の頃の事であった。

 

 ガーデュラ・バンギス率いる無法者の一味がこの街に本拠地を置いたのだ。元より寂れて貧しかったこの街は場所が場所であるが故に軍の目は届き難く、当時から帝国軍に目を付けられていた彼らが身を隠すにはもってこいだった。

 それからは街にはゴロツキや悪党が闊歩するようになった。今でこそ街はガーデュラ・バンギスが裏の支配者として君臨し、有象無象の悪党は目立たぬよう鳴りを潜めてはいるが、この当時はまだ軍の目が届き難い街に目を付けて流れ込んだ悪党の一部でしかなかった。結果、ガーデュラ・バンギスの一味を始めとした複数の悪党が街の主導権を握ろうと日夜争い続け、街には善人悪人関係なく多くの血が流れた。

 

 最終的に街の主導権を握ったのはガーデュラ・バンギス一味であったが、その時の戦いは街に大きな傷跡を残した。

 その一つが孤児だ。この街にも普通の家族は一応あったが、争いに巻き込まれ親を失った子供が多数出来た。シエラもその一人だそうだ。

 

 イレーナはその子らを教会に招き入れ、親代わりとなって育てることにした。

 勿論それは並大抵の苦労ではなかっただろう。ブレイブ一人の時だって貧しかったのだ。この上食い扶持が増えれば、生活が更に困窮するのは目に見えている。

 それでも、イレーナにその子らを見捨てるという選択肢はなかった。親もなく無法者の溜まり場となった街では、子供一人で生きていくことなど出来ない。飢えて野垂れ死にするか、悪党に捕まって奴隷として売られるか、だ。

 

 彼ら彼女らを見捨てる事が出来ず教会で共に暮らし始めたイレーナ。最初の内こそ親を失ったショックなどで激しく我儘を言ったり、イレーナからの施しを拒絶したり、逆に何をしても無反応だったりと子供たちの相手だけでも大変だった様だが、そこで活躍したのがブレイブだった。彼は年長者の兄貴分として、時に厳しく時に優しく、何より力強く子供達を導き纏め上げていったのだ。

 その頃から、ブレイブは日々突然消えては生傷を作って帰ってくることが多くなったと言う。朝イレーナと共に朝食を作ると何も食べずに教会を出て、日が沈み夕食が終わった後に帰ってきて片付けなんかをしてさっさと眠りにつく。

 一体何をしているのか? 何故日中は帰ってこないのか? 疑問に思ったイレーナがブレイブをとっ捕まえて問い質すも、彼はだんまりを決め込んで何も答えることはなかったそうだ。

 

 ブレイブが一人で何をしていたのか? それが判明したのはしばらく後になってからの事だった。

 ある日、珍しく教会に一人の男が訪問した来たのだが、なんとその人物の腕の中には傷を負って気を失っているブレイブが居たのだ。詳しく話を聞くと、どうもブレイブは街を闊歩する暴漢相手に盗みを働いたが運悪く捕まり、その制裁を受けてしまったらしい。本当であればそのまま殺されるか奴隷として売られていたのだろうが、間一髪のところで通り掛かった男に助けられ、近くの商店の人に教会の事を聞き送り届けたのだとか。

 

 当然イレーナはブレイブを厳しく叱った。普段は温厚に子供達を諭す彼女も、この時ばかりは烈火の如く怒り何故そんな危ない事をしたのか、スリなどと言う悪事を犯したのかを詰問した。

 最初、ブレイブは固く口を噤んでいた。目も逸らして、何が何でも理由を口にする気はないという姿勢を示していた。

 だが、最終的に彼は折れた。理由は、怒り以上に彼を心配する気持ちが大きくなったイレーナの目から涙が零れたから。ここまで貧しくとも大切に育ててくれた人物の涙を前にしては、彼も意地を張っていられなくなったのだ。

 

 で、肝心の何故ブレイブが半分家出するように教会を離れて危険を冒していた理由はと言うと――――

 

『だって……俺が我慢すれば、他の奴らがその分少しでも腹一杯食えるだろ』

 

 との事だ。つまりブレイブは、他の子供達が少しでも満足できるように、自分の分の食事を他の子達に回す為に、態と日中は危険を冒して全て一人でこなすようにしていたのだ。勿論、それで毎回彼が満足に食べられる訳がない。碌に知識も経験もない子供の彼に、確実にスリを成功させて腹を満たすことなど出来るはずがない。ましてや、獣やモンスターを狩ってその血肉を糧とするなど、土台無理な話だ。

 それでも彼は、増えた子供達の食い扶持に少しでも余裕を持たせる為自身に無理を課したのだ。

 

 気付けば、サフィーアは小さく口を開けてイレーナの話に聞き入っていた。彼女の表情に、イレーナは思わず笑みを溢す。

 

「ふふっ、驚いたでしょ? まだ10歳の子供が、他の子供の為に危険を冒すだなんて」

「なんて言うか、子供って言うのを疑います」

「そうね。でもそれがあの子なのよ」

「それで、その後どうしたんですか? 当然スリは止めさせたんですよね?」

「そりゃそうですよ。スリは止めさせましたし、暫くは教会から外に出る事すら禁止しましたよ」

 

 外出を禁止されたブレイブではあったが、当然大人しくしていることはなかった。その日から彼は、助けてくれた男に師事して戦い方を習いだしたのだ。戦い方を知れば、街の外に出てモンスターを狩ってそれで腹を満たすことができるという算段だった。同時に、街の悪漢から教会を護ることも出来る。

 実際、ブレイブが散々スリをしまくった所為で悪漢の中には教会に仕掛けてくる輩が出ていた。そいつらに関しては、宿代わりに教会を使わせる代償で傭兵の男に迎え撃ってもらえたが、当然いつまでもという訳にはいかない。余程の理由がない限り、大した収入が見込めない場所に傭兵は長々と滞在しないのである。

 彼が立ち去った後も教会を護り、街の外でモンスターを狩って食費を浮かす。その為に彼は、決して長くない期間ではあったが傭兵に師事して戦い方を学んだのだ。

 

 サフィーアはブレイブの強さの秘密を理解した。彼は幼い頃から常に危険と隣り合わせの生活を送り、実戦をサフィーアの倍以上経験してきたのだ。幼少の頃は平穏に暮らし、じっくりと鍛錬を繰り返しただけで傭兵業に就くまで殆ど実践を経験したことのないサフィーアとでは、実力に差があるのは当然である。

 尤もつい先日、そのブレイブにサフィーアは勝ってしまった訳だが。

 

「それからと言うもの、あの子はここの年長者兼用心棒として子供達を守りながら面倒を見てくれたんですよ」

 

 因みに当時他にここで暮らしていた子供達の多くは、ある程度の年齢に達した時点でここを出て行っている。残っているのはシエラくらいで、後はブレイブを含んで皆ここを出て自立していた。ただしその中で現状がはっきりしているのはブレイブのみ。後は今どうしているか、誰も知らない。どこかで静かに暮らしているかもしれないし、ブレイブと同じようにイレーナに恩返しの為に稼ごうと傭兵になっているかもしれなかった。

 尤も、現状孤児院を出た者の中で定期的に便りがあるのはブレイブのみで、後は音信不通なので今何をしているかは想像もつかないようだが。

 

 そこまで話して、イレーナの表情に影が差した。彼女は非常に申し訳なさそうに口を開いた。

 

「あの子には、本当に無理をさせてしまっています」

「それって――――?」

「えぇ。あの子は便りと一緒にここに資金を援助してくれてるんですよ。それも少なくない額の」

 

 ここに来た時から、何となく察しはついていた。以前アルフの街で出会った時、やたらと質素な食事をしていたことが気になっていたがここに来てその疑問が氷解した。彼は食費を削ってまでここに仕送りしているのだ。

 そうでなければ、少なくない人数の子供達を満足に養うことなど出来るわけがない。例えモンスターを狩って食費を浮かそうが魔法で水を作り出そうが、金がなければ限界はある。

 彼はそこを、多少無理してでも支えてくれているのだ。イレーナは本当に彼に頭が上がらない。

 

 そこまで聞いて、サフィーアはふと疑問を抱いた。何故イレーナは今サフィーアにこの話をしたのだろうか?

 イレーナからは、サフィーアに懇願したり縋る様な思念は感じられない。同情を誘って彼女にも資金援助をしてもらおうという訳ではないようだ。

 では一体何なのか?

 

「あの、今更ですけど何であたしにその話をしたんですか?」

 

 サフィーアがそう問い掛けると、イレーナは柔らかな笑みと共に答えた。

 

「あなたには、知っておいてほしかったんです。あの子の事を」

「何で?」

「あなたと話してる時、あの子は今まで見たことないくらい生き生きした顔になってたんです。ここで暮らしていた時は勿論、帰ってきて子供たちの世話をしている時もどこか張り詰めた様子のあの子が、私の前でも初めて砕けた様子を見せたんです。きっとあの子の中で、あなたはとても大きくて安心できる存在になっているんでしょうね。そう思うと、話しておかないとって思って」

 

 イレーナの言葉にサフィーアは最初ポカンとしていたが、頭に彼女の言葉が染み込むと一気に顔を赤くさせた。決して必ずしもそれは恋愛的な意味ではないかもしれないが、それでも異性の中で大きな存在になっていると言われては平然としていられない。

 赤面するサフィーアの内心を理解しているかいないのか、イレーナは言葉を続けた。

 

「これからも、あの子の事を宜しくお願いします。悪い子じゃないんですよ。ちょっと乱暴なだけで」

「は、はぁ」

「時々でいいんです。あの子の肩から、力を抜かせてあげてください。あの子はもう十分頑張ってるんですから」

「はい…………はい」

 

 一切裏表のないイレーナからのささやかな願い。時々でもいいのでブレイブの心に安らぎを与えてほしい、彼の止まり木になってほしいと言う願いに、サフィーアは赤面しながらも小さく返事を返した。多分言葉通りの意味だろうし、それならば別に断る理由は――――

 

「それにしても良かったわ。ブレイブにも漸く心を許せる相手が出来て。それもこんなにいい人をねぇ。てっきり女の子には興味ないかと思ってたから」

「はえっ!?」

 

 前言撤回、完全に勘違いされている。

 サフィーアは慌てて弁解に走った。

 

「ち、違ッ、違う違う違うッ!? あいつにそんな気は、無い…………よね、うん……じゃなくてッ!? そうじゃなくて、あいつとあたしはライバルみたいなもんでッ!?」

「えぇえぇ、分かってますよ。お互いを認め合って意識し合ったんですよね」

「いや、そうなんだけど、多分それ違う意味で捉えてるんですってッ!?」

「大丈夫ですよ。始まりがどんなものでも、後になればきっと笑い話に出来ますから」

「だ~か~ら~っ!?」

 

 サフィーアはこの日、思い知った。

 老人は長生きしているが故に時々やたらと勘が鋭いが、同時に一度思い込むとそれを訂正させるのは非常に困難であると言う事を。




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第65話:知りたいけれど……

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 あれから数分後、イレーナは子供達のおやつを作るために客間を後にしていた。おやつと言っても、商店で格安ないし無料で譲ってもらえる売り物にならない食材なんかを使ったものだが、数少ない楽しみでもあるので子供達は楽しみにしていた。

 

 そして残されたサフィーアはと言うと、ようやっとイレーナの勘違いから解放されて精神的疲労からテーブルに突っ伏していた。先程はウォールが子供達に揉みくちゃにされて精神的にグロッキーになっていたが、今度はサフィーアがグロッキーになる番がきたのだ。

 全身脱力して重力に身を任せている彼女を、先程とは逆にウォールが気遣っていた。

 

「くぅん?」

「あ~~…………お節介なお婆ちゃんってこんな感じなのかな?」

 

 サフィーアには祖母と言う存在が居ないので、ご近所付き合い以上に老婆と言う存在と接する機会はなかった。勿論世の中にはご近所付き合いレベルでも世話好きと言うかお節介焼きな老婆というものは存在しただろうが、少なくとも彼女が出会ってきた老婆の中ではイレーナがダントツでグイグイ迫ってきていた。

 正直に言えば、とても新鮮な体験ではあったが同時に無駄に疲れるので、当分は経験したくないと失礼ながら思ってしまった。

 一応、こちらの事も考えてはくれているようだったので、邪険にするつもりはなかったが。

 

「んお? どうした、んなだらしない格好で?」

「あ……お帰り」

 

 内心でイレーナにちょびっと苦手意識が芽生え始めた時、狩りから帰ってきたブレイブが声を掛けてきた。彼は何時になく脱力して情けない姿を晒すサフィーアに訝しげな顔をするが、彼女は彼の視線を気にすることなく体を起こして背筋を伸ばしながら二人の帰りを迎えた。

 

 背筋を伸ばしたことでポキポキなる背骨の音を聞きながら、戦利品だろう何かの肉を詰めた袋をキッチンに持っていくブレイブとシエラの背中を何気なく眺めるサフィーア。その時、彼女の中で好奇心が疼いた。

 

――ブレイブ、あたしの事どう思ってるんだろ?――

 

 一度興味が湧くと、元より好奇心の強いサフィーアはそれに促されるままに口を開こうとする。とは言えここでいきなり訊ねても、返ってくるのは特に飾り気もない素っ気ない返答だろうが、彼女が注目したのはその際に彼から向けられる思念にあった。

 思念感知能力は頭の中で考えている事までは読めないが、伝わる思念から大体どんなことを考えているかは見当がつく。例えば闘志の割合が高ければ、彼は彼女の事をライバルとかそんな風に思っていると言う事だ。既に次の戦いの宣戦布告を得ているので、向けられるとすれば高確率で闘志の割合が高いだろう。

 

 だが…………もし恋慕の割合が想像以上に高かったとしたら?

 

「――――ッ!?!?」

 

 その想像に至った瞬間、サフィーアは一度開きかけた口を慌てて噤み、熱を帯びた頬に両手を当てた。

 らしくない行動だが、もし本当に彼が彼女に恋慕の感情を向けていた場合、多分彼女は彼の顔をまともに見る事すら叶わなくなるであろう。何しろ恋愛など、彼女にとって完全に未知の領域なのだ。流石の彼女もそこでいつも通りに振舞えるほど図太い性格をしてはいない。絶対に無駄に意識してしまう。

 そうなったら、変に勘の鋭い彼は絶対に彼女の異変に気付くだろう。そして多分、それに気付いた彼は特に考えもなくその理由を訊ねてくる。

 その時、果たして彼女は冷静に対処できるだろうか?

 

…………多分、無理だ。絶対に何か粗が出る。下手をすればそれを切っ掛けに両者の関係が崩れてしまうかもしれない。

 そう思うと、彼女はそれ以上彼に何かを訊ねようという気にはなれなかった。

 

「あたしって、こんなに弱い女だったっけ?」

 

 思わず口から出たのは、そんな言葉だった。腕っぷしは兎も角として、心に関しては柔ではないと自分では思っていたが現実はこれだ。

 色々と荒事も経験して精神的にはタフになったと思っていたが、必ずしもそうではなかったらしい。

 その事実に、サフィーアは自嘲して大きく溜め息をついた。

 

 そして吐き出しながら気づいた。この溜め息は、きっと多分に幸せを含んでいるに違いない、と。

 

「どうしたんだよ、さっきから?」

「ふぇっ!? ンンッ! 何でもないわよ、うん」

 

 気付けばキッチンに引っ込んでいた筈のブレイブが戻ってきていた。両手で頬を押さえている様子に怪訝な顔をする彼を見て、サフィーアは慌てて姿勢を正して平常を装った。

 

 尤も、今更平常を装ったところで既に手遅れどころか逆効果でしかないのだが。

 

「何でもないって、さっきっから挙動不審じゃねえか。何かぶつぶつボヤいてたしよぉ」

「えっ? もしかして聞こえた?」

「何か言ってるな程度しか分からなかったよ」

 

 ブレイブの返答にサフィーアはほっと胸を撫で下ろした。とは言え思い返せば口から出た言葉はそれだけを聞くと前後の脈絡のないものだったので、仮に聞かれていたとしても意味が通じることはなかっただろう。だが弱音が出たことは事実であり、それを彼に聞かれるのは想像しただけで嫌な気分になる。

 まぁ要は負けず嫌いなのだろう。ライバル認定した以上、戦い以外であっても彼に弱いところは見せたくないのだ。

 

「で、何?」

 

 その思いが先走ってか、つい彼に対して素っ気ない態度を取ってしまう。流石にこれは冷たすぎたかと思ったが、それは杞憂で彼は特に気分を悪くした様子はなさそうだった。

 

「いや、買い物のお誘いだよ。ずっと室内に籠ってるのもしんどいだろ? 気分転換がてらに食材の買い出しに付き合ってもらおうかとな」

「え…………あんたと二人で?」

 

 瞬間思い出すのは昨夜のクレアが浮かべた、新しい玩具を見つけたという笑みだった。また二人で買い物に行ったなんてことがバレたら、彼女からの追求が更に激しくなることは自明である。

 

「安心しろ、今度はシエラも一緒だ。流石にこいつも一緒ならクレアも馬鹿な想像することはねえだろ」

「そういう訳で~す! あ、それともお邪魔でした?」

「あぁ? 今より更に背を低くしてほしいって?」

「じょ、ジョークジョーク!? ホンの悪ふざけじゃん、そんなマジにならないでよ!?」

 

 拳を作って旋毛(つむじ)に拳骨を押し当ててくるブレイブを前に、シエラは慌てて平謝りする。

 今更ながら、シエラは小柄だ。それこそブレイブは勿論、サフィーアよりも背は低い。年齢的にはサフィーアとそこまで差はない筈だが、身長的には完全に先輩後輩どころか姉と妹である。

 

 ブレイブはそんな彼女の旋毛に拳骨を落とそうというのだ。嘘か真か、旋毛を押されると身長が縮むと言う。例え言い伝えだったとしても、実際に身長が低い者からすればそれは戯言で済ませられる問題ではなかった。

 サフィーアも流石にそれは怒り過ぎでは? と思ったのだが、彼がシエラの悪ふざけに過剰に反応したのには理由があった。

 

「邪推されるサフィの気持ちもちったぁ考えろ」

 

…………詰まる所、彼の怒りの原因はサフィーアの迷惑を思っての事らしい。子供達への事を考えて往来で女性を奴隷として連れて行こうとするゴロツキを叩きのめしたり――しかも全員しっかり生かしていた――邪推されることでサフィーアが感じる(かもしれない)不快感を思ってシエラを叱り付けたりと、ブレイブはその性格に反して他者への気配りが細かかった。

 これで性格が荒っぽくなければ、きっと今よりずっと紳士的で女性なら誰もが放っておかない素敵な男性になっていた事だろう。

 

――でも……何か違うな――

 

 彼の今の性格を惜しいと思う反面、心の何処かではこの性格でこそ、と言う思いがあった。何処か乱暴で荒っぽいからこそ、ブレイブ・ダラーはブレイブ・ダラーであると思えるのだ。

 それはそう言う彼しか知らないからかもしれないが、兎にも角にも紳士的なブレイブはサフィーアにとってはブレイブではない、と言う結論に達していた。

 

「んで、どうする? 勿論無理にとは言わねえが?」

「あ、あぁ、そうね。どうせだし、ご一緒しようかしら。あんたの言う通り、少しは体動かしときたいし」

「うっし、決まりだな!」

「あ、でも、戦える人が留守番しなくて大丈夫?」

 

 こんな街だ。金目の物目当てでやってくる者がいても不思議ではない。ましてやここに居るのはその多くが子供だ。奴隷として売ればいい金になる、そう考える輩が出る可能性すらあった。

 そんな心配をするサフィーアだったが、それは杞憂であると直ぐに気付かされた。

 

「カインとクレアが居るみたいだし、問題ないだろ」

 

 そう言えばそうだった。ふと中庭の方に視線を向ければ、クレアは一人鍛錬なのか虚空に向けて拳や蹴りを放っているし、カインはライフルを解体して清掃している。

 凄腕の傭兵二人が居るのなら、仮に賊がやってきたとしても返り討ちに遭うだろう。

 

 サフィーアは安堵の溜め息を吐くと、椅子から立ち上がりウォールを肩に乗せブレイブ達と共に食材の買い出しへと向かった。

 

 

***

 

 

 ブレイブとシエラの後に続いてマーケットに向かう道中、サフィーアはあちこちをキョロキョロと眺めていたが、やはりパッと見た限りでは普通の街だ。街そのものが貧乏だからか街の外から風に乗って飛んできた砂があちらこちらに溜まってしまっている為どうしてもみすぼらしく見えてしまうが、そこら辺を除けば彼女がこれまでに訪れた街とそんなに大差ない。精々貧しく見えるかどうか程度だ。

 悪党の巣窟と言うからには、些かインパクトに欠ける。

 尤も彼女自身、つい先日街中で堂々と麻薬を売られそうになったので決して普通の街とも言い難いのだが。

 

「ねぇ、ブレイブってこの街長いのよね?」

「おぅ。ま、傭兵になってからは偶にしか戻ってこねえけどな」

「…………孤児院の経営資金を稼ぐ為?」

「ん? 先生に聞いたのか?」

 

 街の事をより詳しい彼に聞くついでに、サフィーアは勝手に彼の過去をイレーナから聞いたことをカミングアウトした。やはりどうにもこの手の事を本人に黙っているのは気が引けたのだ。

 無断で過去を知られた事に流石のブレイブも少しくらいは嫌な顔をするかと思ったのだが、予想に反して彼はあっけらかんとした様子でその事実を受け止めた。それこそ、嫌な顔どころか苦言の一つは覚悟していたサフィーアの方が拍子抜けしてしまうほどである。

 

「うん、そうだけど…………あんまり気にしないのね?」

「気にする必要? あるか?」

「普通、勝手に他人に過去の事とか知られたらいい気分はしないものじゃないの?」

「俺は別に。っつか、先生が話したんならお前は大丈夫だって判断したんだろ。だったら心配することは何もねえよ」

 

 随分とイレーナの事を信頼しているらしい。彼女が話したと言う事は、その相手は彼の過去を知る資格がある人物と言う事。彼自身は少なくともそう考えている。

 

 と言う事は、話してもらえたサフィーアはイレーナのお眼鏡に適ったと言う事か。ある意味においてそれはとても光栄な事なのかもしれない。

 

 しかし、サフィーアの心はその事を理解しても殆ど揺れなかった。それどころか、逆に何処か面白くない感覚がむくむくと膨れ上がってくるのを感じる。

 一体これは何なのか? 訳が分からず黙りこくって眉間に皺を寄せていたサフィーアだったが、不意にその理由に思い至った。

 ブレイブが、サフィーアが自分の過去を知ったと聞いても特にこれと言った思念を彼女に向けなかったのだ。自分の過去を知られた事に対する警戒心や不安など、彼女の顔色を窺うような思念が微塵も感じられなかった。それはつまり、彼にとって彼女が自分の過去を知ると言う事は本当にどうでもいい事であり、今の彼にとって彼女はその程度の存在でしかないと言う事の表れでもあり――――――

 

 その事が、サフィーアは無性に気に入らなかったのだ。




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第66話:離れ行く心

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 サフィーア、ブレイブ、シエラの3人は買い出しの為にマーケットに向かっていた。先頭をブレイブが行き、その斜め後ろにシエラが、二人から二歩ほど離れた後ろをサフィーアがついて行く。

 

 サフィーアに関して言うと、先程の事もあって少し機嫌は悪かったがそれを悟らせないように努めたおかげで三人は特に雰囲気を悪くすることもなく至って穏やかに道をのんびり歩いていた。

 

「今日のお夕飯はどうしようか?」

「ん~、ここんところシチューばっかだったからなぁ。偶にはハンバーグとか食わしてやりたいが……」

「あの肉をミンチにするのは骨が折れるんじゃない? お肉屋さんに頼むのも手だけど、それだとお金取られるし」

「半分譲るって条件で何とか…………ならねえか?」

「大量とは言えなかったし、下手すると半分じゃ済まないかもよ?」

 

 雰囲気そのものは穏やかだったが、ブレイブとシエラの表情は少し険しい。孤児院の子供達に少しでも美味しい物を食べさせたくはあるが、現状それは厳しいものがあると言う極めて家庭的な悩みである。

 しかし世知辛い話だ。こう言ってしまっては難だが、サフィーアにとっては馴染みがあるどころか珍しくもなんともない料理である。『今日はこれが食べたい!』と親に頼めば、連日続いているのでもない限りその日の食卓に上るレベルのものだ。

 それが、食材入手の段階で躓いてしまうとは。改めてこの街が如何に暮らし辛く、子供たちに優しくない所であるかを再認識した。

 

 そして再認識してしまった以上、動かない訳にはいかなかった。こうして厄介になってしまっている以上、あの子達とも決して無関係ではない。ならば、多少の事ならば一肌脱ぐことも吝かではなかった。

 

「ねぇ、ちょっと?」

「ん?」

「何です?」

「お肉屋さんでお肉ミンチにしてもらうお金ないんだったら、こっちでその分負担するわよ?」

 

 それなりに稼いでいる筈のブレイブとその援助を受けている筈のシエラの二人が渋るくらいなのだから、恐らく持ち込んだ肉をミンチにしてもらうのにも他の街では考えられない値が付くのだろう。多分、目を見張るほどの料金を要求されるだろうことは容易に想像つく。

 だがここで動かねば女が廃ると言うもの。子供達の笑顔を護る為、そして受けた恩義を少しでも返す為、サフィーアは肉屋の料金の立て替えを提案した。何もできる事が無かったとしても、いやだからこそこれくらいはやってみせねば。

 

 ところが…………。

 

「いいよ、それくらい。自分たちで何とかするから、金は大事に取っときな」

 

 ブレイブはそう言って素っ気なく返すと、何事もなかったかのように歩き続けた。

 

 彼の返答にサフィーアは顔を引き攣らせる。孤児院の状況と子供達の事を思う彼の性格上、断るとは思っていなかったのだ。そりゃ多少は申し訳なかったり渋い顔をされるだろうと思ってはいたのだが、まさか断られるとは。

 予想外の反応に歩きながら途方に暮れていると、申し訳なさそうな顔をしたシエラが静かに彼女の隣にやってきた。

 

「すみません。ブレイブ兄ぃにも悪気はないんです。後で言っときますんで、気を悪くしないでくださいね?」

「ん、ん~……まぁ、それは良いんだけどさ。ただ一つ良い?」

「えぇ、何なりと」

 

 シエラが申し訳なさそうにしているからそれに付け込んで、という訳ではないが、ブレイブの対応にどうしても気になるところがあったので恐らくこの場で一番彼の事をよく分かっているだろうシエラに思い切って訊ねてみた。実を言うと、彼に関しては随分前から気になっている事があったのだ。

 

「何であいつ、他人に頼るって事をしないの?」

 

 以前アルフの街の食堂で偶然出会った時も、あまりにも貧相な食事に見かねて無理矢理奢ってみせたがその時だってすんなりサフィーアの施しを受けようとはせず理由を付けて何とか納得させてまともな食事をさせてやった。そして今、彼は純粋な親切からの彼女の申し出をにべもなく断った。

 幾ら何でも他人からの施しを受け取らなさすぎる。これはきっと何かがあるに違いない。

 そう確信を持って訊ねると、案の定なのかシエラは困ったような笑みを浮かべながら答えた。

 

「う~んとですねぇ、とりあえず最初に言った通り悪気は一切ないんですよ。ただ何と言うか、ブレイブ兄ぃってあの孤児院で一番の年長者じゃないですか? だからか、頼るよりまず頼られちゃうんですよ」

「甘え慣れてないって事?」

「と言うよりは、自分で出来る事は自分でやるのが当たり前。周りの面倒を見るのも当たり前って考えが根付いちゃってるんですよ。多分それでですね」

 

 何となくだが、分かるような気がした。詰まる所、彼には甘えられる相手が居なかったのだ。

 イレーナの話にもあったが、ブレイブはかなり早い段階で自分が親の居ない孤独な存在であることに気付いていた。物心つく頃には親と呼んで差し支えないポジションに居た筈のイレーナの事を母や祖母とは呼ばずに先生と呼び、慕いはするが決して必要以上に近付かず近付かせず、絶えず自分の周りに壁を築き続けていたのだ。

 

 一体何故彼はそうまでして他者との間に壁を作り続けるのか? その理由にサフィーアは一つだけ心当たりがあった。

 

「親が居ないから……かな?」

 

 例え親代わりとなる存在が居ても、そこに血の繋がりは存在しない。そして血の繋がりがない以上、最終的に頼れるのは自分一人。故に彼はどんな事でも自分で出来るようにならなければならなかった。少なくとも彼自身はそう考えていたのだろう。

 そしてその半ば使命感染みた考えが、彼に他人に頼ると言う選択をさせない要因なのではないかとサフィーアは結論付けた。

 

 ところがその結論は、思いの外あっさりと否定される事となった。

 

「あぁそれはないですよ。随分前の話ですけど、ブレイブ兄ぃ思いっきりイレーナ先生の事を『大事な育ての親』って言ってましたもん」

「あれ、そうなの?」

「あの性格です。ブレイブ兄ぃにとって生みの親も育ての親も等しく親として考えてる筈ですから、親が居ないから~なんて事は理由にならないと思います」

 

 確かに…………ブレイブは小難しい事でうじうじ悩んだりしないタイプの人間だろう。生みも育ても親であるなら等しく親として捉えると考えるのが彼らしい。とすると、先程の推測も一部は間違っている可能性がある。具体的には、イレーナに対してはあまり壁を作ってはいないかもしれない。

 

 であるとするならば、彼が他人に頼るのを渋る理由とは一体?

 

「じゃあ他に何があるの?」

「多分ですけど…………素、じゃないですか?」

「素?」

「素、ナチュラルボーン。根っこの部分でブレイブ兄ぃは自分の面倒は自分で見る…………あ、違うな。他人の世話になる事を嫌う……も、違うな。う~ん……」

 

 いい表現方法が思い付かず唸り声を上げるシエラ。だが何となくだがサフィーアには、彼女の言いたい事が理解出来た。

 早い話が、彼は昔っから自分を大きく見せたい性質なのだ。だから他人からの施しは極力受けず、受けたとしても必要最低限。どんなに苦しくても自分から助けは求めず、困難は己の力のみで乗り越える。

 何だ、これではただの背伸びしたいだけの子供ではないか。その事に気付いたサフィーアはクスリと笑みを浮かべた。何だか、彼との距離が大きく縮まった気がしたのだ。

 

 二人の会話が聞こえているのかいないのか、ブレイブはズンズン先を歩いて行く。その背を眺めて、彼の心の奥底には一体どんな想いが根付いているのか? そんな事を一人静かに考えていた。

 

 

***

 

 

 それから暫くして、三人はマーケットに到着しこの日の夕飯の食材となるものを買い漁っていた。と言っても、場所が場所故に品揃えも良くはない上に値段も馬鹿高い。先日はシェルフルーツの値段しか見ていなかったサフィーアは、他の場所でも見られる食材が二倍も三倍も値上がりしている様子に思わず目を見張ってしまった。

 しかも街のあちこちには、あまり目立ちはしないが明らかにゴロツキと分かる連中が路地裏などから目を光らせている。下手に騒ぎを起こしたり、逆に大きな隙を見せたりすれば即座に引き摺りこんで身包みを剥ぎに掛かるだろう。生憎と、サフィーア相手にはそう言った悪巧みは通用しないのであまり心配する必要はないのだが。

 

「う~し、買い出しはこんなもんか?」

 

 それでも馬鹿をする奴が居ないとは限らないので念の為周囲を警戒していたサフィーアの耳に、両手に荷物を持ったブレイブの声が届く。因みに荷物の割合はブレイブが殆どを受け持っており、サフィーアとシエラの二人は片手でも十分に持てる量の荷物しか持っていない。これは別に二人が彼に荷物を押し付けたとかではなく、彼が自ら荷物持ちを買って出たのだ。

 最初は悪いと思っていたサフィーアだったが、シエラの諦めろと言う眼差しとブレイブの押しの強さに結局彼女の方が折れ、結果このような状況となってしまったという訳だった。

 

 兎にも角にも目的の物を買い終え、さてそろそろ帰ろうかと言う雰囲気が漂い始めた時だ。

 サフィーアの目に、とんでもない光景が飛び込んできた。

 

「ん? あれって…………ッ!?」

 

 サフィーアが目にしたのは、見覚えのある老婆だった。そう、つい先日彼女に麻薬を売り渡そうとした、あの老婆である。

 それ自体も問題でないではないが、一番の問題はその老婆が屈強な男二人に路地裏に引き摺り込まれたことであった。老婆の方も抵抗はしていたようだが、若く屈強な男二人が相手では枯れ木の様な腕の老婆では太刀打ち出来る筈もなく、為す術も無く路地裏へと連れ去られていった。

 

「あ、おいッ!?」

 

 明らかに普通ではない様子にサフィーアは一も二もなく飛び出すと、ブレイブの制止も振り切り件の路地裏へ飛び込んだ。

 同時に、一発の銃声が鳴り響く。

 

「あっ!?」

 

 サフィーアが路地裏に辿り着いた時には既に手遅れ、彼女が到着するのと男の一人が老婆に向けた拳銃の引き金を引くのは同時だった。サフィーアの目の前で、心臓を撃ち抜かれた老婆が糸の切れた人形のように崩れ落ちる。

 

「ん? 何だお前は?」

 

 突然路地裏に飛び込んできたサフィーアに、男達は不審なものを見る目を向ける。その視線と、今し方行われた蛮行に怒りを覚えサニーブレイズを抜こうとするサフィーア。

 だが、サフィーアがサニーブレイズの柄に手を掛けようとした瞬間、彼女に追いついたブレイブがその肩を掴んで引っ張り強引に自分の後ろに追いやった。

 

「あっ!? 何――」

「よぉ、ハッサンか。精が出るじゃねえか。今日も今日とてゴミ掃除か?」

 

 いきなり肩を引っ張られた挙句、自分の事などそっちのけで男達――片方はハッサンと言うらしい――と親しげに話しだすブレイブに、サフィーアは文句を言おうとしたが更に後から追いついてきたシエラがそれを引き留める。

 背後で繰り広げられるその様子を知ってか知らずか、ブレイブはハッサン達との会話を続けた。

 

「仕事熱心なのもいいがよ、今回はちょいと派手にやり過ぎじゃねえの? 始末屋なら仕事はもうちょっとスマートにやれよ」

「お前には関係ないね。それよか、その女は何だ? 孤児院の新入りって訳じゃねえんだろ?」

「何、うちの客さ。気にしないでくれ。こっちも気にしねえからよ」

「ふん、言われるまでもない。おい、分かってると思うが……」

「相互不干渉、だろ? 大丈夫だって。お互い無益な争いはしたくねえもんな。こっちにちょっかい掛けるような事しなけりゃ、俺もお前らのやる事にとやかく言ったりはしねえよ。邪魔したな、精々お仕事がんばれよ」

 

 ブレイブはハッサン達に軽く別れの挨拶をすると、不満そうな顔をするサフィーアを無理やり引っ張って路地裏を後にした。

 後に残されたのは、心臓を撃ち抜かれて絶命した老婆とそれを行った張本人であるハッサン。そして彼に付き従う、ガーデュラ・バンギス一味の新入りの男だけであった。

 その新入りは、ブレイブの姿が見えなくなるなり即座にハッサンに向けて口を開いた。

 

「先輩、あれが例のブレイブとか言う奴ですか?」

「あぁお前はまだ会ったことはなかったな。今の内に覚えとけよ? うちの組織にとって重要な奴の一人だ」

「正直、信じられません。所詮はただの傭兵でしょう? そんな奴が何故、先輩と対等に話し合ってるんですか?」

 

 新入りは酷く納得がいかないと言った様子でそう訊ねた。実際、この街に居るものの中でバンギス一味の者と親しげに会話出来るのなど彼くらいのものだった。他の街の住民はバンギス一味の者と相対したら、ほぼ確実に恐怖で委縮していただろう。この街の住民にとって、街を陰から支配するバンギス一味とは恐怖の象徴と言っても過言ではないのだ。

 そんな栄えあるバンギス一味と、事も無げに会話するブレイブが彼には理解できなかった。

 

「あいつを見てそんな感想が出てくる内は、まだまだ半人前の証拠だ。目で見てすぐに理解できる利益だけが、他人と付き合う上でのバロメーターじゃねえんだぜ」

「は?」

「ま、その内分かるよ。その内、な」

 

 ハッサンは意味ありげにそう言うと、老婆の死体を残してその場を去っていく。新入りの男も慌ててそれについていくのだった。

 

 

***

 

 

 一方、無理やり会話を中断させられた挙句に強引にあの場から引っ張り出されたサフィーアは完全にご機嫌斜めだった。これ以上ないほど憤怒の表情でブレイブを睨み付けている。

 

「どういうつもりよ?」

「そりゃこっちのセリフだ。まぁ、事前に説明しなかった俺の方にも非はあるけどな。だがこれだけは言わせてもらう。この街に居る以上、感情で行動するのだけは絶対止めろ。それがこの街で長生きする秘訣だ」

 

 人差し指をサフィーアの鼻先に突き付けながら、ブレイブは真剣そのものと言った様子で告げた。

 その堂々とした物言いに、しかしサフィーアは依然として彼を強く睨み付けるのだった。




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第67話:綺麗な世界と汚い世界

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 眼前に指先を突き付けてくるブレイブを、サフィーアは逆に睨み返していた。

 

「どういう意味よ?」

「そのままの意味だよ。この街は基本何するのも自由だが、事バンギスの連中が絡んだ事に対してだけは話が別だ。連中のやる事に対しては、下手に手出しするんじゃねえ。それが自分の身とこの街の秩序を守る事に繋がるんだ」

「何よそれッ!? 私刑の人殺しを見逃すことのどこに秩序があるのよッ!? そんなの法もクソもない無秩序じゃないッ!?」

 

 ブレイブの発言がサフィーアには納得いかなかった。

 仮にあそこに居たのが全員傭兵で、何らかの戦いの末に敗者が始末されたと言うのであればまだ納得できた。だがあれは明らかに圧倒的な力を持った一方が、抵抗する力を持たない方を私刑で殺めたことに他ならない。あの老婆はサフィーアに危険な麻薬を売ろうとした悪人ではあるが、例え悪人であろうとも裁判も何もなしに私刑で殺すことを彼女は容認できなかった。

 

 そんなサフィーアに対し、ブレイブは大きく溜め息を吐いた。その溜め息には、サフィーアでなくとも分かるくらい苛立ちが込められていた。

 

「はぁ~~、あのな。この街で法律がどれだけ意味持ってると思う? 事実上犯罪組織が取り仕切ってる街だぞ?」

「悪党が取り仕切ってるから何よ。悪党の街じゃ悪事が正義だとでも言いたいの?」

「半分はその通りだ。ここじゃ普通の街のモラルや常識なんて何の意味もねえ。あるのはただ一つ、バンギス一味が困るか、困らないかだ。そこさえ弁えればこの街の平和は守られる」

 

 サフィーアは急速に自身の中で彼への株が暴落していくのを感じた。ちょっと前までは自分の価値観をしっかりと持った、基本我が道を行くと言う奴だがそれでも好ましいと思える人物だった。それが今はどうだ? 平和を守るだ何だ言っているが、結局は強い者に尻尾を振っているだけではないか。

 勝手ながら彼に対して抱いていたイメージが音を立てて崩れていく事に、サフィーアは怒りを抑えきれなかった。

 

「見損なったわ。あんたはもっと自分の価値観を持ってると思ったのに、そんな簡単に他人に尻尾を振るのね」

 

 半ば見限る様に――実際半分以上見限っていた――ブレイブに向け、軽蔑の視線を向けながらそう告げた。

 すると流石に我慢の限界だったのか、ブレイブは怒りを隠さず寧ろ吐き出すように彼女の言葉に反論した。

 

「知った風な口利くんじゃねえッ!? 所詮余所者のお前にこの街の何が分かるッ!?」

「この街がおかしいって事くらい分かるわよッ! モラルや常識に意味がない? 悪党が困らなければ秩序が保たれる? 無法の時点で秩序もへったくれもないのに何言ってんのよ!?」

「法が無くても秩序はある! 本当の無秩序ってのはな、悪党が好き勝手やって家の中でも安心できない状態の事を言うんだぞ! そこんとこ分かって言ってんのかお前ッ!?」

 

 サフィーアは無法が無秩序を齎すと言うが、現実問題この街には秩序が存在している。無法であることを否定はしないが、ブレイブに言わせれば法律など裏を返せばペラい白紙の紙切れに過ぎないのだ。そんな不確かなものに縋る位なら、悪党でも確実に秩序を齎してくれるバンギス一味のやり方を受け入れた方が、自分の身は勿論子供達の安全もある程度は保証されると彼は考えていた。

 そう、子供達の為だ。無秩序では子供達を守りきることは難しい。彼の必要なのは頼りにならない司法ではなく、黙ってさえいれば安全を保障してくれる秩序なのだ。

 

 それを守る為ならば、彼は目の前で赤子が殺されようが無視する覚悟があった。

 

 だが、サフィーアにはそれが理解出来なかった。良くも悪くも、彼女は“表”の世界の住人なのだ。

 

「そんなの分かる訳ないでしょ!? 今の状態で、本当に安心して暮らしていけるの!? それは本当に保証されてるって言うの!?」

「少なくとも昔よりはマシだっつってんだよ!? お前が思ってる以上にこの街は十分暮らしていける。それが気に入らないってんならさっさと出て行けよッ!?」

「言われなくてもそうするわよッ!? フンッ!!」

 

 とにかくその場を離れたくて、踵を返し何処かへと向かっていくサフィーア。その時、気まぐれに意識をブレイブに向けると彼から怒りの思念とは別に悔恨の思念が向けられている事に気付いた。

 

「今更後悔とかしてんじゃないわよッ!!」

 

 何に対してかは知らないが、彼は今し方のサフィーアとの口論の何かを悔いている。その事を知ったサフィーアは、能力の事がバレるとかそういう事を一切考えず背中越しに怒鳴りつけた。

 

 何も口に出していないのに一方的に怒鳴られた事に、ブレイブは離れていく彼女の背中を凝視していたが、直ぐに面白くなさそうに鼻を鳴らしシエラを引き連れて孤児院へと引き返すのだった。

 

 

***

 

 

「それで、帰ってきてからそんな不機嫌そうにしてるのねあんた?」

 

 クレアの言葉にグッと言葉を詰まらせながら、サフィーアは携帯食料をもそもそと齧った。

 あの後、街の中を適当に歩き回ってから孤児院の教会に戻りはしたのだが、心は全く落ち着かずイライラは募るばかりであった。そんな状態では食堂で子供達と夕食を共にしても場の空気を悪くしてしまうだけと考え、この日は珍しく屋内でだが食事を携帯食料で済ませていたのだ。味気もへったくれもない夕食だが、こんな街での子供達の数少ない楽しみを台無しにするよりはマシだ。

 

 そんなサフィーアを、クレアは呆れの眼差しで見つめていた。

 

「全く、あんたって子は本当にしょうがないんだから」

「だ、だって…………」

 

 何でかは分からないが、あの時彼女の心は無性にざわついたのだ。あの時は少し好き放題言い過ぎたかと思わないではないが、さりとて己の意見が間違っていると認める気もなかった。

 

 そんな彼女を見ながら、クレアは溜め息を吐きつつ言葉を口にする。

 

「少しはブレイブの気持ちも汲んであげなさいよ。幾分かは絶対あんた自身を守る為でもあったんだからね?」

 

 もし仮にブレイブが居ない状態でこの街を訪れ、老婆が射殺されたような現場に居合わせた場合サフィーアは確実にそこに首を突っ込むだろう。その先に何が待っているかと言うと、邪魔者と判断したバンギス一味からの執拗な襲撃である。場合によっては裏社会で賞金を懸けられる可能性すらある。

 ブレイブの行動はそれを事前に防いでくれたのだが、サフィーアにはただ悪党に尻尾を振っているだけにしか見えなかった。今回の喧嘩の主な原因はその認識の違いだろう。

 

「……随分とあいつの肩を持つんですね?」

「客観的な意見を述べたまでよ。まぁあいつの事情を知ってるから、厄介事を避けようとしてる理由に見当がつくってのもあるけどね」

「見当?」

 

 クレアの言葉にサフィーアは首を傾げる。その無言の問い掛けに対し、クレアは黙って足元を指さす。

 最初サフィーアはその行動の意味が分からなかったが、冷静に考えて漸く察しがついた。

 

「ここを…………守る為?」

「ま、あいつ一人で出来る事なんてたかが知れてるだろうし、少しでも確実にここの子供達を守ろうと思ったら街を取り仕切ってる連中に目を付けられないようにするのが一番でしょうね」

 

 ブレイブの行動を分析するクレアだったが、その半分はサフィーアの耳には入らなかった。彼と別れる瞬間、最後に彼が彼女に向けた悔恨の思念の理由が漸く分かったからだ。

 

 彼も本当は現状に完全に納得している訳ではないのだ。ただ、彼はその立場から下手に敵を作る訳にはいかなかった。

 勿論相手が個人であれば、彼の行動も違っていただろう。或いは彼が特に何も背負っていない、身軽な状態であればサフィーアと同じ行動を取ったかもしれない。

 

 サフィーアがその可能性に行き着いた時、それまで黙って銃の手入れをしていたカインが口を開いた。

 

「まぁ、サフィは比較的綺麗な世界でしか生きてこなかったから、何かの為に何かを犠牲にするって発想が出難いのは仕方がないことなのかも知れないけどね」

 

 やや斜めに構えた様なカインの言葉に、クレアが咎める様な視線を向けるがサフィーアの心には彼の言葉が深く突き刺さっていた。

 世の中、綺麗事だけではない。普段見えている景色の裏では、欲望や陰謀等様々な醜いものが蠢いている。それは傭兵になるに当たって、父から何度か言われたことだ。

 決して忘れてはいけない、頭の片隅でもいいから覚えておくようにと言われた事だった筈だ。にも拘らず、サフイーアは今の今までその言葉をすっかり忘れてしまっていた。

 

 勝手に世の中の綺麗な面が全てだと考え、汚い部分を受け入れることをただの逃げだと断ずる。サフィーアには今の自分が酷く傲慢で醜い人物に思えてしまった。

 

「ッ!?」

「くぅん!?」

 

 堪らずサフィーアは部屋を飛び出し、教会からも出て行ってしまった。ウォールを置いてきぼりにしてしまっている辺り、相当余裕を無くしているのだろう。置いて行かれた事にショックを受けたのか、耳も尻尾も垂らして項垂れたウォールをクレアが優しく抱き上げ撫でつつカインを見やる。

 

「ちょっと言い方が意地悪すぎたんじゃないの?」

「君はこう言う事言い辛いだろ? 言えない君の代わりにこうして僕が言ってあげたのさ」

 

 傭兵をやる以上、どこかで必ず人間の汚い面や非情な場面には遭遇する。そこから目を背けていては、中堅以上には絶対辿り着くことはできない。クレアもカインも、そうした場面を乗り越え自分の中で区切りを付けベテランにまで辿り着いたのだ。

 良くも悪くも早々にルーキーを脱却したサフィーアには、そう言う方面に対する経験が足りていない。そこを危惧して、カインは敢えて意地の悪い言い方をしたのだ。

 

 クレアもそこのところは分かっているのだが、どうにも納得できずにいた。後輩として可愛がっているからだろうか?

 そんな彼女の不満を和らげるように、カインは整備の手を止め窓の外を眺めながら口を開いた。

 

「まぁまぁ、そう心配することはないと思うよ」

「何で?」

「サフィはそんなに弱い子じゃないだろうってのが一つ。もう一つは……」

 

 窓の外を眺めるカインの視線の先には、先程のサフィーアと違いとぼとぼと教会から出ていく男の後ろ姿があった。

 

「同じ気持ちの奴が居るからってのかな」




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第68話:月明かりの下で

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 孤児院を飛び出したサフィーアは、当てもなく夜の街を彷徨っていた。飛び出して少ししてからウォールを置いてきぼりにしてしまった事を思い出したが、さりとてすごすごと戻る気にもなれなかった。これは戻った時、ウォールから盛大に文句を言われるだろう。さて、どうやって機嫌を取ろうか?

 

…………などと考えていると、気付けば街から出て岩砂漠の中を歩いていた。街から出た事にも気付けなかっただなんて、とサフィーアは自分の焦り様に心底呆れた。

 

 だが同時に、寧ろ良かったとも思っていた。街の外なら悪漢に絡まれたりするリスクは少ない。モンスターに襲われる危険は跳ね上がるが、悪知恵の働く悪党を相手にするよりは断然マシだ。それに何より、岩砂漠の寂しい景色が不思議と心を落ち着けてくれていた。余計な喧噪がないからだろうか。

 

 サフィーアはそのまま、月の光に照らされた岩砂漠の中を歩いていく。昼間とは打って変わって凍えるような寒さだが、魔力を節約したマギ・コートで十分に防寒出来ていた。

 あまり街から離れ過ぎないように、時々振り返りながら黙々とロクに草木も生えていない大地を歩き続けていると、彼女の目の前に数本の樹木が姿を現した。駆け寄ってみるとそこにはオアシスがあり、その周辺だけは場違いに緑が生い茂っている。

 

 こういう時、何も考えずに飛び出すと大抵水を求めてやって来たモンスターや、そのモンスターを狙ったモンスターと遭遇する危険があるのでサフィーアは少し慎重に周囲を見渡す。果たして、モンスターらしき気配は感じなかった。もしかしたら水中に何か潜んでいるかもしれないとそっと水辺に近付いたが、彼女を狙う存在は感知できなかった。念には念を入れて近くの石を水に向けて放り投げてみたが、結果は同じ。どうやらここには本当に危険なモンスターは存在しないようだ。

 危険がない事を確認して、サフィーアは安心して近くの手頃なサイズの岩に腰掛けた。

 

 腰掛けて、ぼぅっと周囲を見て、凪いだ水面とそれに映る月、その向こうに広がるだだっ広い大地を眺めると自分がどれだけちっぽけな存在なのかが分かる。そしてそれを認識すると、落ち着いて自分の心と向き合うことが出来た。

 

――無神経だな、あたし――

 

 自分の心と向き合って、サフィーアが最初に抱いたのは己の愚かさに対する自己嫌悪だった。勝手にブレイブに関心を寄せて、勝手に幻滅して、勝手に見限る。彼が孤児院を、そこの子供達を大事にしている事も分かっていた。この街に来てブレイブと再会した時、彼はあれだけ派手に暴れておきながら女性を売り飛ばそうとした連中を一人として死なせてはいない。明確な『死』と言うものを子供達に見せないようにする為だ。彼はそれほど子供達の事を大事に思い、彼らを守る為に時には身も心をも犠牲にしているのだ。

 その事を分かっていたにもかかわらず、彼女はブレイブの事を我が身可愛さに悪事を見過ごす最低な男の一人と言うレッテルを張ってしまった。

 思い返すと何と最低な事をしてしまったのだろう。自分で自分が嫌になり、堪らず大きく溜め息を吐いた。砂漠の空気だが、場所がオアシスだからか湿り気を帯びている。

 

「はぁぁ~~…………うん?」

 

 この日一番大きな溜め息を吐き出すサフィーアは、不意に自身に向けられた思念に気付く。敵意や害意が感じられないので、危険なモンスターが近付いてきた訳ではないようだ。その事にホッと胸を撫で下ろすと同時に、こんな時間にこんな所に来るなど一体どんなもの好きなのだろうと興味を抱いた。

 まぁそれを言ったらサフィーアだってこんな夜更けにこんな所に一人で居るのだから、決して人の事が言える立場ではないのだが…………。

 

 とは言え興味があるのは確かだったので、逆探知の要領で思念を追い掛け思念を飛ばした相手を見やる。

 するとそこに、思わぬ人物が居た。

 

「ぶ、ブレイブッ!?」

「サフィッ!?」

 

 やってきたのはブレイブであった。互いに相手がここに来るなど全く想像していなかった二人は、昼間の事もあって非常に気まずそうな顔になる。

 

 だが何時までもこうしていては始まらないと考えたのか、ブレイブが思い切って口を開いた。

 

「お前こんな所で何やってるんだ?」

 

 とりあえず当たり障りのない質問で牽制を掛ける。本当は他にもいろいろと言いたいことがあったが、いきなりそれを言い出せる雰囲気ではなかったので、次点で気になっていた事を訊ねてみたのだ。

 

「べ、別に、何かやってた訳じゃないわよ。ただ一人で考え事したくてあっちこっち行ってたらここに着いたってだけの話よ」

 

 サフィーアはブレイブの質問に不貞腐れる様に答えた。その答えに対しブレイブは『そうか』とだけ返すと、サフィーアが腰掛けている岩の隣まで向かい徐に地面の上に腰を下ろした。

 彼の行動に一瞬戸惑ったサフィーアだったが、直ぐに彼の行動の訳に気付いた。単純に他に腰掛けるのに使えそうなものがないのだ。今サフィーアが腰掛けている岩が一番腰掛けるのに適した岩であり他の奴は上部が尖っていたりと腰を掛けるのに適していない。

 

 改めて、サフィーアは自身が腰掛けている岩をまじまじと見た。適当に選んだつもりだが、上部は適度に平らで幅もそれなりにある。何より、この場所からだと水辺と泉、そして周囲の砂漠がいい感じのバランスで見えた。なかなかに見応えのある景色が目の前に広がっていた。

 

 サフィーアはそっと座る位置を右にズラすと、自分の左側をポンポンと叩いた。

 

「ここ」

「ん?」

 

 その音と声に気付いてブレイブが彼女の方を見る。サフィーアは彼の事を一瞥すると再び視線を泉の方に向け再び自分の左側を叩く。

 

「座れば。地べたよりはマシでしょ」

 

 素っ気なくもブレイブの事を気遣って放たれたその言葉に、彼は一瞬ポカンとした顔をした後小さく笑みを浮かべるとその厚意に甘えて彼女の隣に腰掛けた。やはり地べたに直接腰を下ろすよりは、こういう手頃なものに腰掛けた方が色々と楽だった。

 ただ一つ問題があるとすれば、岩が思っていた以上に小さかったことだろうか。人二人が座れないと言う事はないが、幅がギリギリなのとブレイブのガタイが結構いい所為で、はみ出ない様に座ろうとするとどうしても二人が密着しなくてはならなくなった。

 これまでの人生で異性とここまで接近した事のないサフィーアは、ブレイブの体が自身に密着した瞬間体を固くした。

 

「ッ!?!?」

 

 口から出そうになった情けない声を気合で飲み込み、努めて平静を装うサフィーアだったが、密着している所為で体を強張らせたことがブレイブにバレてしまった。サフィーアは恐る恐る視線だけを隣に座るブレイブの方に向けると、目が合った瞬間彼が勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

 それを見た瞬間、サフィーアの体から硬さは消し飛んだ。代わりに対抗心が芽生え、ブレイブ相手に自然な姿を見せることが出来るようになった。と言っても、座った体勢から何も変わってはいないのだが…………

 

「ここ、良い場所だろ?」

「え?」

「ちょうどここからだと景色がいい感じのバランスで見えるんだ。おまけにオアシスって場所の関係で他の場所に比べて風もカラカラじゃない。一人で何かを考えるには最適だぜ、なぁ?」

 

 唐突にブレイブがサフィーアに話し掛けてくる。やはりと言うか、彼は昔からこの場所の事を知っていたし、何度も足を運んだことがあるらしい。しかも抱いた感想が、大体サフィーアのそれと同じときたもんだ。

 その事実にサフィーアは複雑な思いを抱きながらも、それを表に出すようなことはせず景色を眺め続けた。

 

 暫くの間二人はそうして密着しながら景色を眺め、揺れる水面と水辺に打ち付ける泉の水の音に静かに耳を傾けていたのだが、何を思ったのか唐突に意を決したように口を開いた。それも二人同時に。

 

「「あの……あ――」」

 

 奇しくも同時に同じ言葉を口にしようとした事に気付き、互いに気まずくなって再び黙りこくる二人。だが今度は沈黙は長くは続かなかった。

 今ので何かに吹っ切れたのか、思い切ってブレイブが先に言葉を発した。

 

「先、いいか?」

「うん……」

 

 サフィーアが小さく頷きながら答えると、ブレイブは真っ直ぐ前の景色を見つめながら言葉を紡ぐ。

 

「悪い。あの後戻ってからシエラの奴にも散々言われたが、さっきのあれは少し…………いやかなりか、言い過ぎた。お前のこれまでの人生とかを全然考えてなかったな、ありゃ。悪かった」

 

 ブレイブはいの一番にサフィーアに対し謝罪した。彼だって本当は分かっていたのだ。サフィーアが、自分とは違う世界で生きてきたのだと言う事を。過ごしてきた世界が違うのだから、感じ方とかも違うと頭では分かっていたつもりだった。

 だが現実には、この街でのやり方が理解できないサフィーアに対し売り言葉に買い言葉で喧嘩にまで発展してしまい、最終的には出て行けとまで口にしてしまった。

 当時の事を思い返し、改めてとんでもない事を口にしてしまったものだと軽く自己嫌悪に陥ってしまう。

 

 そんな彼に対し、サフィーアも謝罪を返した。

 

「そんなの、お互い様よ。あんたの言う通り、あたしは所詮余所者だもの。カインにも言われたわ。あたしは所詮綺麗な世界でしか生きてこなかったって」

「いいじゃねえか。ごみ溜めみたいなとこで暮らすよりはよっぽど自由に生きられる」

「でもそれはブレイブの思いを否定する理由にはならないわよ。改めて言うわ、ごめん」

 

 ブレイブの目を見ながらサフィーアは彼に謝罪する。憂いを帯びた、いつもの彼女らしくない表情だ。それだけ、今回の事は彼女なりに心に堪えていると言う事だろう。

 

 そんな表情を向けられ、ブレイブは腕を組んで目を瞑り虚空を見上げ唸り声を上げた。

 

 今回の一件、一概にどちらが正しいとも言えない。至極真っ当に生きているのであれば言うまでもなくサフィーアが正しいが、『そう言った』環境で生きることが当たり前だった者にとっては、ブレイブの意見も間違っているとは言い難い。彼の意見を否定できるのは実際にその場を経験していない者であり、そういった状況に直面した時の辛さを理解できない者達だ。辛さが理解できないから、何も知らずに否定する事が出来る。

 その逆もまた然りだ。

 

「ん~~…………だぁ、もうっ! 止めだ止め、こんなの俺らしくない!!」

「はいっ?」

 

 暫し悩んだブレイブだったが、まるで己の迷いを振り払うかのように声を上げながら頭を掻き毟ると、先程よりも幾分かすっきりした表情になっていた。その豹変っぷりにサフィーアも思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。

 

 そんな彼女に、ブレイブはずいっと右手を差し出した。

 

「俺もお前も、どっちも悪かった。ならそれで決まりだろ。どっちが悪いかなんて不毛すぎる。違うか?」

 

 力技にも程があるブレイブの理論に、サフィーアは一瞬唖然となるが直ぐに堪らず噴き出した。彼の言う通りだ。こんな事でうじうじと悩むなんてらしくないし、互いに謝り合ったのならそこいらが手打ちの頃合いだろう。

 サフィーアは笑いながら差し出された右手を握り返した。

 

「そうね、いつまでも悩むほどの事じゃなかったわ。この話はこれでお終い、それで十分だわ」

 

 そう言って笑いかけると、ブレイブも不敵な笑みを返した。二人の表情には、先程までの憂いは見られない。

 

 と、彼の笑みを見ていてサフィーアの笑みが意地の悪いものに変化した。

 

「にしても、なんか意外だったわ」

「あん?」

「あんたの口からあっさりと謝罪が出てくるなんてね。何て言うか頑固そうだったから、意地張るかと思ってたのに」

 

 そう言って挑発的にニシシッと笑みを浮かべれば、ブレイブは一瞬ムッとした顔になるが直ぐに挑発的な笑みを浮かべ反撃に移った。

 

「それを言うなら、お前も人の事言えないんじゃねえか?」

「は?」

「お前発着場で、俺とお前は似た者同士って言ってたよな? つう事はだ、俺が頑固で意地っ張りならお前も頑固で意地っ張りってことになるんじゃねえか? 実際先に謝ったのは俺の方が先だしな」

「はぁっ!? んな訳ないでしょ、ただあんたに先越されただけよッ!!」

「いいや、俺が先に謝らなかったら絶対謝らなかったね!」

「何よッ!?」

「何だよッ!?」

 

 先程までの雰囲気は何処へやら。夜のオアシスで雰囲気をぶち壊して騒ぐ二人を、月の光や微笑ましく眺めるように優しく照らすのだった。

 

 

***

 

 

 一方、孤児院の教会では多くの者が寝静まる中、完全武装したカインが魔法で作り出した照明を頼りにクレアが寝泊まりしている部屋に向かっていた。

 部屋の前に到着するなり、彼はノックも何もなしに扉を開け中を覗く。

 

「起きてる?」

 

 開口一番そう訊ねる彼の視線の先では、こちらも既に完全武装したクレアが静かに頷いて返した。彼女の傍には、大きな欠伸をするウォールと困惑した様子を見せるシエラの姿があった。

 

「とっくに」

「そりゃ良かった。お客さんはもうすぐそこまで来てる。サフィ達が居ないのが気がかりだけど、彼女らが戻ってくるまでは……」

「私らで迎撃、でしょ。分かってるわよ。全く、結局こうなるんだから」

 

 そうクレアが愚痴る中、教会の外を蠢く者たちが居た。

 室内であるが故に目には見えないそいつらに、しかしクレアとカインは鋭い視線を向けるのだった。




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第69話:闇夜の反撃

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 街の住民の多くが寝静まった深夜のハットハット。如何に悪党と言えども四六時中活動する訳もなく、余程の事情がない限りは彼らも他の住民と同じく眠りについていた。

 

 ただし、教会の周辺を除いて、である。

 

 今、闇夜に包まれたその教会の周辺を複数人の男たちが蠢いていた。その誰もが、悪意に満ちたギラギラとした視線を教会に向けている。

 彼らの正体はラッチョファミリー。少し前に街を訪れた女性を奴隷として売り払おうとしてブレイブにぼこぼこにされ、また一人で街を散策していたクレアにちょっかいを掛けてアッサリ返り討ちにあった連中でもあった。よく見ると、彼らの中には顔などに青痣が出来ている者が何人かいた。彼らは皆クレアにボコられた連中だろう。

 因みに、ブレイブにやられた連中も一応生きてはいるのだが、彼らの場合は命があっただけであり現在は未だベッドの上から動けずにいる。本当に死なない程度に手加減されただけであり、それ以外の事に関しては無視されたようである。

 

 彼らの目的は明白だ。クレアとブレイブに対する復讐である。クレアは恐らくこの教会に出入りしているところを見られたのだろうし、ブレイブはこの街では有名だ。少し調べればここに寝泊まりしているのがすぐに分かる。

 寝込みを襲って、ぼこぼこにされた仲間の仕返しをしようというのだ。

 

 ラッチョファミリーの連中はゆっくりと教会に近付いていく。全員その手に刀剣や銃器を持ち、いざ突撃しようとした。その時…………

 

「がっ!?」

「ぐっ?!」

 

 突然ファミリーの男が二人、一瞬の苦悶の声と共に倒れた。

 

「な、何っ!?」

「じゅ、銃撃ッ!? 教会からかッ!?」

 

 二人は頭を撃ち抜かれている。だが銃声は聞こえなかった。と言うことは相手は消音機を使っているのだろうが、そもそもの話何の予兆もなく接近しているにも拘らず逆に先制攻撃を受けたことが彼らには信じられなかった。

 男たちの間に動揺が広がる。その隙を見逃さず、一人の女性――クレアが躍り出て手近な奴から叩きのめしていく。次々と構成員が戦闘不能にされていくことに、さらに混乱が広がった。

 

「くそ、こいつら何時俺達に気付いたッ!?」

「怯むなッ!? 相手は一人だ、やっちまえッ!」

 

 動揺しつつも反撃に出る男達だが、彼らが相手にしているのは正に一騎当千と言っても過言ではないほどの実力を持つクレアである。荒事程度で鍛えた腕では敵う筈もない。

 さらには、彼女にはカインの援護がある。この暗闇の中、彼は魔力で強化しただけの視力で正確に敵の存在を捉え、クレアにとって完全に死角になる場所から攻撃しようとしている奴を一発で仕留めていた。

 連中にとっては悪夢でしかないだろう。闇夜に乗じて奇襲を仕掛けようとしたら、逆に自分達が奇襲を受けてしかも一方的に数を減らされているのだ。

 

 現状完全にワンサイドゲームとなっている様子を、教会の入り口からシエラが若干顔を引き攣らせながら眺めていた。

 

「い、いや~、流石Aランクの傭兵。あたしの出番無いかなこれ?」

 

 最初、クレアが突撃したらそれをサポートする形でシエラも迎撃に加わる手筈であったのだが、実際に戦いが始まってみればシエラに出番があるようには全く見えなかった。

 

「とは言え、仮にも孤児院を守る為の戦い。お客様だけに任せてたらいけないよね」

 

 シエラは両頬をパシンと叩いて残っていた眠気を吹き飛ばすと、傍に置いてあった身の丈を超える大きさの大剣――客間の壁に飾ってあったやつ――を軽々と担ぎ、クレアと共にラッチョファミリーの連中と戦い始めた。

 

「どっせぇぇぇい!!」

 

 あまり少女が挙げるべきではない声を張り上げ、身の丈を超える大剣を一人の男に振り下ろすシエラ。言うまでもないが大剣はちゃんと刃のある真剣だし、重量も見た目相応にある。そんなものを振り下ろされたら、当然ながら人間はただでは済まない。

 

「えっ?」

 

 案の定真上から振り下ろされた大剣によりその男の体は真っ二つに切断され、夥しい血を撒き散らしながら左右に別々に倒れた。

 少女が扱うには大きすぎる武器を用いて大の男を惨殺する様子に、周囲の男達は完全に恐慌状態に陥った。

 

「ひ、ひぃぃっ!?」

「な、何だよこれッ!? 話がちげぇよッ!?」

「やってられるかっ!?」

 

 遂には逃げ出す者も出始めるが、シエラはそれを許さなかった。振り下ろした状態から少し大剣を持ち上げて浮かせると、刃を寝かせて真横に振り回した。独楽の様に回転した刃は速度と重量を持って近くにいた男たちをまとめて切り裂く。

 さらには斬撃の範囲から外れた奴らも、カインの狙撃で次々と倒れていった。この場は完全にクレア達の優勢であった。

 

 そんな様子を、少し離れて見ている者が居た。襲撃している男たちを纏めている、ラッチョファミリーのボスである。まだ三十代前半と思われるその男は、次々と蹴散らされる部下の姿に怒りに身を震わせた。

 

「えぇい、何をしているんだあいつらッ!? たかが三人だぞッ!? たった三人にあんな、いくら何でも一方的すぎるだろうがッ!?」

「仕方がないでしょう。相手はあの闘姫と呼ばれるクレアと魔銃士と言われるカイン、どちらもAランクとして申し分ない実力の持ち主です。あの程度の連中では勝負にならないのも道理かと」

 

 苛立ちに任せて喚く男に対し、近くに立つ者は教会を守る戦力を冷静に分析していた。そいつはサードらしく、額にある目を使って闇夜の遠距離でありながらも教会近くでの戦いの様子を鮮明に捉えていた。

 ただそいつには奇妙な事が一つあった。サードであるなら必ず持っている筈の、目隠し代わりの額当てを装着していなかったのだ。それどころか、額の目を使っているにも拘らず両の目も開いている。サードとしては明らかに異質だった。

 

 だがラッチョファミリーのボスはそんなこと全く気にする様子を見せない。まるでそれが当たり前かの様に、気にした様子もなくサードの男に怒鳴りつける。

 

「暢気に眺めてる場合かッ!? そうと分かっているならお前もさっさと戦いに加われ、高い金払ってるんだぞッ!?」

 

 ボスの怒鳴り声に、サードの男はやれやれと溜め息を吐きながら教会に向け歩き出す。サードの男は傭兵だったのだ。

 

 それも、ただの傭兵ではない。

 

「あいつらはウチの連中をコケにしたんだ。何が何でも絶対に叩きのめせよ、『予見者』ッ!?」

「分かってますよ。私もあの二人には少しギャフンと言わせたかったところですので」

 

 そう言うと、サードの傭兵――予見者ヴィレッジは、マギ・コートで肉体を強化すると近くの建物の屋根に飛び乗りそのまま飛び石の様に建物から建物へと飛び移りながら教会へと向かっていった。

 

 

***

 

 

 一方サフィーア達はと言うと、一通り口喧嘩を終えるとお互いスッキリした様子でオアシスを離れ教会への帰路へついていた。

 

「いやぁ、ちょっと夜更かしし過ぎたかしらね?」

「お前ら明日当たり飛空艇に乗るんだろ? 酔っぱらうなよ?」

「乗り合いバスでも酔ったことないもん、大丈夫よ」

 

 雑談しながら砂漠から街に入り、闇夜に包まれた街の中を歩く二人。碌な街灯もなく暗闇に包まれた街中だったが、二人は全く迷った様子を見せない。目を魔力で強化し夜目が利くようにしているのだ。これは魔力が扱える者なら誰でも出来ることなので、街によっては経費削減の為に街灯を設置していないところもある。

 尤も、そこまでするのは余程予算に余裕のない街くらいのものだが。

 

 と、その時サフィーアが路地裏の前を通ろうとした時そこから一人の男性が飛び出すように姿を現した。道を塞ぐ様に自分たちの前に出てきた男に最初二人とも腰に差した剣の柄に手を掛けるが、サフィーアは相手から敵意や悪意を感じなかったのですぐに警戒を緩めた。

 

 あまり危険性を感じなかったのかブレイブも若干警戒を緩めたが、警戒自体は止めていないのか柄から手を放してはいない。

 そんな彼の警戒を知ってか、男は両手を肩のところまで上げ武器を持っていないことをアピールした。

 

「待て待て、落ち着け。俺はお前らと敵対する気はない」

 

 そこでブレイブは気付いた。目の前の相手はバンギス一味のハッサンだ。

 

「ハッサン? 何だお前、こんな夜中に? 何の用だよ?」

「おいおいいいのか、邪険に扱って? 結構重要なことを教えてやろうってのによ」

「重要?」

 

 ハッサンの言葉に二人は不穏なものを感じ、先程とは別の意味で警戒心を強める。

 二人が真面目に聞く気になったことを感じ取り、ハッサンは話を続けた。

 

「時間掛けるとあれだから、手短に話すぞ。今、孤児院の教会がラッチョファミリーの襲撃を受けてる。ラッチョファミリー、知ってるか? 最近この街にやってきた――」

 

 全てを聞く前に二人は一目散に走りだした。今教会にはクレアとカインが居る筈なので生半可な戦力では二人だけで撃退できるだろうが、二人はどうにも胸騒ぎがしていた。

 とにかく急ぐ為にマギ・コートを全力で掛け近くの建物から屋根の上に飛び乗り、教会に向け一直線に向かっていく。

 その甲斐あって数分で教会に到着した。

 

 到着した時二人が目にしたのは、頭から血を流して力なく壁に寄りかかっているシエラとそんな彼女を包囲する男達。その前にはシエラを守る為に立ち塞がるカインが居る。

 そしてクレアはと言うと、彼女はシエラを包囲している連中から少し離れたところで、一人の男を前に表情を辛そうに歪めながら片膝をついていた。




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次回の更新は土曜日を予定しています。


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第70話:見通す者

読んでくださる方達に最大限の感謝を。


 サフィーア達が教会に戻る数分前…………

 

 クレア、カイン、シエラの三人は向かってくるラッチョファミリーの構成員を次々と蹴散らしていた。ラッチョファミリーの連中も必死に攻めてくるが、クレアとカインの前には力及ばず数を減らすばかりだった。

 

 驚くべき事にシエラもなかなかの強さを持っていた。傭兵ランクに照らし合わせるなら大体BからB-と言ったところか。身の丈を超える大きさの大剣に全く振り回されることなく扱いこなしている。普通に考えれば大分現実離れした光景だが、クレアはその理由に見当がついた。

 

――そうか、シエラはドワーフか――

 

 ドワーフは若い頃は人間と全く変わらない見た目だが、老いるとエルフ同様に耳が尖ってくる。だが尖り方はエルフのそれと比べると緩く、あまり長くもならないので髪や被り物で隠れてしまう事が多いのでドワーフであると気付かれないこともあった。

 だが人間やエルフに比べて遥かに怪力であり、見た目少年少女にしかみえなくても人間の成人男性並みの力を持っていた。

 

 あの大剣を軽々と扱いこなせるのも彼女がドワーフであると考えれば納得出来る。だがそれだけでは彼女が男達を圧倒出来ている説明にはならない。確かな技術が必要だ。実際彼女は大剣を振るう際その重さに逆らうことなく、棒高跳びの要領で一気に移動するなど逆に大剣の重さと勢いを利用するような動きを多用している。確固とした技術を学んでいることの証拠だ。サフィーアと戦ったらどちらが勝つだろうか?

 

 などと考えていた時、闇夜の向こうから出し抜けに一人の男がシエラに飛び掛かった。ラッチョファミリーの新手だろう。ちょうどその時に周囲の男三人を纏めて薙ぎ払ったシエラがその存在に気付き、勢いそのままに迎撃しようと振り下ろした。その速度はクレアから見てもかなりのもので、自分が相対したらちょっとばかし気合を入れて相手をする必要があるかもしれないと思わせるほどだった。

 

 だからこそ、次の瞬間目に入った光景にクレアは勿論カインも目を見開く事となった。シエラが大剣を振り下ろし、コンクリートで舗装された地面を抉る。だがその一撃は敵を捉えることなく、相手は紙一重で回避し更にシエラの懐に入るとその腹を蹴り飛ばした。

 

「げぇっ?!」

「シエラッ!?」

 

 少女らしからぬ悲鳴を上げるシエラを見て援護しようとするクレアだったが、彼女の前にそれを阻むように男が二人立ち塞がる。

 

「邪魔よッ!?」

 

 苛立ちに任せて男二人を叩きのめすクレア。だがそれはシエラに襲い掛かった男が追撃を仕掛けるには十分な時間だった。

 腹に走る鈍痛を堪えながら立ち上がったシエラが大剣を横薙ぎに振るって迎え撃つが、先程までに比べるとその一撃はまるでキレがない。そのような攻撃を躱すことなどそいつにとっては容易いことで、片手で攻撃の軸を逸らすと蹴りでシエラの手から剣を蹴り飛ばし完全に無防備になったと事で一気に連撃を叩き込んだ。

 

「あがっ!? ぐっ?! がぁっ?!」

 

 シエラの叫びが響き、壁に叩き付けられ力なく崩れ落ちると同時にクレアの相手をしていた男たちが倒れる。障害がなくなった瞬間クレアはシエラの前に駆け付け、新たな襲撃者に相対した。

 そこで漸く彼女はそれが誰なのかを知った。

 

「ヴィレッジ――!?」

「どうも、クレア・ヴァレンシア。いい月夜ですね」

 

 紳士的に声をかけてくる男――予見者と呼ばれる傭兵ヴィレッジに対し、クレアは顔を顰めつつ構えを取った。その顔には余裕が感じられない。サフィーアがこの場にいれば、とても珍しいものを見る目で見つめたことだろう。

 なぜ彼女がこんな反応をするのか? それはこの相手が、彼女にとって数少ない苦手な相手だからに他ならなかった。戦ったことは何度かあったし、その中で負けたことはなかった。だが、その勝利は何れも相手を撃退に追い込むことで手にしたものであり、正面切って戦い倒して得た勝利はない。

 

 そんな相手との戦いの予感に、クレアも思わず額に冷や汗を浮かべる。

 

「カイン、こっち来て! シエラをお願い」

 

 ヴィレッジを相手にシエラを他の連中から守りながら戦う余裕はない。そう判断したクレアが教会の中から狙撃して援護しているカインに彼女の護衛を頼んだ。本当はウォールに護りを頼めればいいのだが、生憎あちらには教会の奥で子供達とイレーナを護ってもらっている。

 すぐさまカインは教会から飛び出し、シエラとクレアに近付こうとする輩を撃って遠ざけつつシエラの前に立ち塞がった。

 

 カインがシエラの護りに入ったのを見て、クレアはヴィレッジの相手をする事に集中する。油断なく構え相手の一挙手一投足に注視するクレアからは、ある種鬼気迫るものを感じさせた。

 そんなシエラを、ヴィレッジは鼻で笑いながら眺めていた。

 

「ふふっ…………今までは何かしら邪魔が入ってちゃんとした決着が付いたことがありませんでしたが、今度は違います」

「そいつはどうかしら? あんたの手の内はお見通しなのよ」

「分かっていても対処できないことというのもあります。それを証明してみせましょう」

 

 言うが早いか、ヴィレッジは両手の指先から果物ナイフサイズの刃が伸びた特殊なグローブを着けた手でクレアに攻撃を仕掛けた。両手を広げ、獲物に襲い掛かるフクロウ宜しく飛び掛かってきたヴィレッジの攻撃をクレアは炎を纏わせた拳で防ぎ、反撃の蹴りを放つ。

 それをヴィレッジは、軽く体を逸らすだけで回避してみせた。

 

「チィッ!?」

 

 軽々と躱されたことに舌打ちしつつ、クレアは相手の反撃を許さぬとばかりに連続で攻撃を放った。炎を纏った拳での相手の急所を狙った殴打は回避したとしても攻撃の際に付いてくる炎と熱が相手の体力を削り、鋭い蹴りは目にも止まらぬ速さで彼の頭を蹴り飛ばそうとする。だがそれらも全て回避された。

 その回避は、傍から見たら奇妙なものだった。ヴィレッジが回避の動作に入る瞬間が早すぎるのだ。彼はクレアが攻撃を放つ、そのコンマ数秒前に回避動作に移っているのだ。見てから回避動作に移っているにしても早すぎる。

 

「あぁ、くそっ!? 本っ当にあんたの相手は厄介なのよね」

「いえいえ、あなたもなかなかですよ。私とここまで渡り合える方はそうは居ません」

「そりゃどう…………もッ!」

 

 一瞬の隙を突き後方に飛びながら無数の火球をヴィレッジに飛ばすクレア。一つ一つが炸裂すれば手榴弾に匹敵する火力を持つそれを、これほど喰らえばただでは済まなかっただろう。

 だがヴィレッジはそれを全て、と言うかそれらも放たれる直前の後方に飛ぶ瞬間に動いてやり過ごした。

 その瞬間彼が移動したのは、火球を放ち終え僅かながら動きに隙が出来たクレアの目の前だった。

 

「ッ!?」

「ふふふっ!」

 

 目の前に迫り笑みを浮かべる三つ目の男の顔に、クレアが驚愕に目を見開く。だがそこはベテラン、咄嗟の状況でも即座に迎撃しようと拳を握る。

 が、彼女に出来た抵抗はそこまでだった。

 

「シィッ!!」

 

 次々と放たれる指先に刃を付けたグローブによる斬撃がクレアに襲い掛かる。クレアも炎を纏った拳で反撃するが、それらは全て受け止められ、受け流されていく。

 そして遂に一瞬の隙にクレアの腕が片方ヴィレッジに掴まれた。掴まれたのは肘に近い所、炎を纏っていない部分だ。

 引き剥がそうと自由な方の手でヴィレッジを殴り飛ばそうとするクレアだが、それよりも早くにヴィレッジの手刀がクレアの掴まれた方の腕に突き刺さる。

 

「ぐっ?!」

「クレアッ!?」

 

 押し殺すようなクレアの苦悶の声に、カインは咄嗟に彼女の援護をとそちらに銃口を向け引き金を引こうとした。しかし彼がヴィレッジの方に銃口を向けた瞬間、ラッチョファミリーの男が別方向からシエラに向け飛び出した。数を減らす気か、それとも人質にでもしようというのか。いずれにせよそいつの行動を許すと自分達が不利になると、カインは素早く懐から拳銃を抜き引き金を二回引いた。

 

「ぐぅ…………んのぉッ!!」

 

 カインがシエラを守ると同時に、クレアはマギ・コートの為に全身に巡らせた魔力に炎属性を付与して全身から炎を放ちヴィレッジを強引に引き剥がした。流石にこれには離れざるを得なかったのか、手刀を引き抜き手を放すヴィレッジ。

 だがただ離れるだけでは終わらせなかった。クレアから離れる瞬間、彼は置き土産とばかりに彼女の脇腹を切り裂いていた。

 切り裂かれた瞬間、反撃の一撃を放つがそれは空を切るだけだった。

 

「ち……くしょう……」

 

 思わず悪態を吐きながら、その場に片膝をつくクレア。ヴィレッジはそんな彼女を満足そうに見下ろした。

 

「勝負ありましたね。それも、私の勝利という形で」

「さぁ? それは、どうかし、らね?」

 

 苦痛に表情を歪めながら減らず口を口にするクレアだが、彼女は明らかに重症だった。片腕は満足に使えず、脇腹の傷により踏ん張りも利かせられない。頼みのカインはまだ残っているラッチョファミリーの男達からシエラを護るので精一杯だ。

 

 万事休す…………だが希望はあった。そう、まだこの場に居ない者が二人いる。二人が戻ってきてさえくれれば…………。

 

「クレアさん!!」

「退けテメェらッ!?」

 

 クレアの願いが天に届いたのか、ギリギリのタイミングで戻ってきたサフィーアがヴィレッジに斬りかかりブレイブがシエラとカインを取り囲む男達を蹴散らした。

 飛び掛かってきたサフィーアをヴィレッジはその場を飛び退く事で回避するが、同時に取り囲んでいた男達をある程度蹴散らしたブレイブがその矛先をヴィレッジに向ける。

 

「次はお前だッ!!」

「ふむ?」

 

 二刀流形態でヴィレッジに斬りかかるブレイブ。教会やシエラに危害を加えられて怒り心頭なのか、その勢いはサフィーアが見た中で一番のものだった。

 だが頭のどこかに冷静な部分を残しているのか、剣筋は微塵も乱れた様子を見せない。

 

 そんな攻撃も、ヴィレッジは苦も無く受け止めた。そこで漸くブレイブは相手が誰なのかを理解し、眉間に皺を寄せた。

 

「テメェ、ヴィレッジ!?」

「どうも、こんばんは。そして――」

 

 ヴィレッジはブレイブの剣を押しのけるとグローブの刃で斬り付ける。ブレイブはそれを両手の剣で受け止めようとするが、ヴィレッジは彼の防御をあっさり弾くとクレアの片腕を無力化した時の様に手刀を彼の腹部に突き立てようとした。

 

「――さようなら」

「舐めんなぁッ!?」

 

 だがそこは電光石火の反射神経を持つブレイブ、ヴィレッジの攻撃に素早く反応すると体を傾けギリギリのところで致命傷は避けた。更にはおまけとばかりに目の前に迫ったヴィレッジの頭に頭突きを見舞ってみせる。

 

「ぐっ?! く、このチンピラが――!?」

「うぐぐ、かはっ?! へへへ……ざまぁみろ」

 

 頭突きを諸に喰らわせることには成功したブレイブだったが、ヴィレッジの攻撃も完全回避とはいかなかった。ヴィレッジの刃はブレイブの腹を僅かながら切り裂き、彼から全力を奪っていた。

 

 そんな彼の前に、無傷のサフィーアが躍り出る。

 

「あたしが相手……って、えっ!?」

 

 クレア、ブレイブに代わってヴィレッジの相手をしようとしたサフィーアだが、彼の顔を見て驚愕に固まった。何故なら彼の顔は彼女も知るサードのもの、それも鮮血の様に赤くもないし額の眼球から血管が根の様に張り巡らせてもいない普通のものであるにもかかわらず、シルフとは違い三つの目を全て開けているからである。

 

「サード? でもなんで普通に三つとも目が開いてるの?」

「簡単な話です。私は他の連中とは違う、特別な存在だということです」

「サフィ、気を付けなさい。そいつは瞬間的な情報収集と解析能力に優れてるわ」

「つ、つまり?」

「あんたの目線や筋肉のちょっとした動きから次の行動を読まれるのよ」

 

 傷口を押さえながらクレアはヴィレッジの強さの秘密をサフィーアに教えた。

 

 僅かな挙動から次の動きを読む…………ヴィレッジのその能力に、サフィーアは表情を強張らせサニーブレイズの柄を握る手に力を込めた。




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第71話:見通す者 対 見透かす者

読んでくださる方達に最大限の感謝を。


 予見者ヴィレッジ…………

 

 彼を一言で言い現わすなら、異端と言う言葉が最もしっくりくるだろう。本来であれば同時に使用できない筈の三つの目を同時に開く事が出来る。それによって高い情報分析能力を発揮し、相手の僅かな挙動から次の行動を予測。相手が行動に移る前にはそれに対応してしまうのだ。

 実際に彼の相手をした者は、悪夢でも見たような気分になっただろう。

 

 そんな相手と、サフィーアは一人で戦おうとしている。対抗できそうな実力者のクレアは僅かに後れを取って負傷し、ブレイブの超人的な反応速度も力及ばなかった。

 一応サフィーアも、ヴィレッジと似たようなことは出来る。だが、彼はクレアと同じく二つ名を持つほどの実力と経験豊富な傭兵。対するサフィーアは傭兵を始めて僅か一年の新米から漸く片足を上げた程度の若輩者。とても勝負になるとは思えなかった。

 頼みの綱はカイン位だが、彼は彼で負傷したシエラとクレア、ブレイブを護るのに忙しくサフィーアの援護にまで手が回らない。

 結論、どう足掻いてもサフィーアはたった一人で経験豊富なベテラン傭兵を下さなければならないのである。

 

――遺書の一つでも書いとくべきだったかな?――

 

 一瞬下らぬ事を考え現実逃避しかけるサフィーアだったが、直ぐに気を取り直すとサニーブレイズを構え直しヴィレッジの攻撃に備える。先程から急激に彼から伝わる攻撃の思念が強くなってきているのだ。ボチボチ向こうから仕掛けてくるつもりらしい。

 

 来るなら来い…………覚悟を決め、ヴィレッジの攻撃を待ち構える。

 

「…………ふん」

 

 そんなサフィーアに対し、ヴィレッジは彼女を見据えると侮蔑の笑みと共に鼻で笑った。それに加えて生々しい侮蔑の思念まで飛んできたものだから、彼女は不快感に顔を歪める。

 

「何よ?」

「いえ、でかい事を言う割には動きが随分と拙いと思ったもので」

「は?」

「クレア・ヴァレンシアは元よりブレイブ・ダラーと比べても動きに無駄が多すぎる。洗練されていないと言ってもいい。とてもではないが、私の相手が務まるとは思えませんね」

 

 言いたい放題のヴィレッジにサフィーアは奥歯を噛み締めた。クレアに劣ると言われるのは分かる。サフィーア自身、彼女に勝るどころか追い付けていない自覚はあった。だから彼女と比べて動きが拙いと言われてもグゥの音も出ない。

 だがブレイブに劣るとまで言われるのは、正直納得がいかなかった。つい先日彼女は彼に対し、一対一で勝っているのだ。そりゃ確かにあの勝利は若干運によるところもあっただろうが、さりとてそこまで言われるほどではないと言う自負はあった。

 

「目が三つ使えるのに、人を見る目はないのね。お生憎様、あたしつい最近ブレイブに勝ってるのよ」

「運が良かっただけでしょう。それか若しくは彼が油断したか。何にせよやってみれば分かる事です」

「上等y「そいつのペースに呑まれるなサフィッ!?」ッ!?」

 

 ヴィレッジの物言いに激昂し飛び掛かろうとするサフィーアだったが、寸でのところで届いたブレイブの叫びに飛び掛かろうとした体勢で動きを止めた。

 

「そいつは口先も達者なんだ。こっちの反応見てどう返せば相手が冷静さを失うかを考えて物を言ってくる」

「えっ!?」

「だからそいつの言う事には耳を貸すな! 鳴き声だとでも思って相手しろ!」

 

 随分な言い様だが、実際口先だけでヴィレッジのペースに呑まれかけていたサフィーアにとっては無視できない話であった。サフィーアは特に他人と比べて明確な感覚として相手からの侮蔑を感じ取れてしまうのだ。ヴィレッジはある意味において、彼女にとってこれ以上ないほど相性の悪い相手であると言えるかもしれなかった。

 だが同時に、興味深い相手であると心の何処かが沸き立っていた。彼はサフィーアと違い相手の思念を感知することは出来ないが、僅かな挙動から相手の考えなどを見抜き次の行動や反応を予測する術に長けている。それは方向性は違うが、サフィーアの能力と似通っていると言えた。

 そんな相手と戦うなど、またとない機会である。ヴィレッジからの侮蔑に不快感を感じながらも、サフィーアは闘志を燃え上がらせていた。

 

 自身を観察する三つの目を睨み返しながら、サニーブレイズを握る手に力を籠めるサフィーア。少し立ち位置を調整しようと擦り足でその場を少し動いた。

 次の瞬間、彼女の意識が一瞬足の方に動いたタイミングでヴィレッジが斬りかかってきた。

 

「シャァッ!!」

「ッ!? く゚っ!?」

 

 斬りかかってくる瞬間、攻撃の思念が一気に増したのを感じて咄嗟に回避するのだが、彼にはその動きも文字通りお見通しだったらしく素早く反応され貫手が飛んできた。回避は間に合わないとサフィーアはこれをサニーブレイズの腹で受け止めるが、ヴィレッジは両手にブレードフィンガーを着けている。攻撃を受け止めた事で動きの止まった彼女の腹に、容赦なく自由な方の手による貫手が迫った。

 

「貰った――――!」

 

 サフィーアは大型剣のサニーブレイズを両手で持ってヴィレッジの片手による貫手を防いでいる。現状、今の彼女に別方向からの攻撃を防ぐ手段はない。ヴィレッジは勝利を確信した。

 だがここぞと言う時の思い切りの良さはサフィーアも負けてはいない。

 ヴィレッジの貫手が腹に突き刺さる瞬間、サフィーアはその場で踏ん張る事を止め更に腹に魔力を集中させた。これにより腹回りの防御力が劇的に上昇し、最初のサニーブレイズで受け止めた方の貫手の威力も相まってサフィーアはその場から大きく吹き飛ばされた。

 

「ぐふっ?!」

 

 当然だが、貫手が叩き込まれたことで腹部への衝撃と地面に落下した際の衝撃は喰らう事になるが、貫手で腹を貫かれるのに比べたら断然マシなレベルである。

 倒れた体勢から素早く立ち上がり、ヴィレッジの追撃に備えるサフィーア。だが彼女が立ち上がった時、視界には彼の姿は確認できなかった。

 

――消えた!? 何処に…………そうだ、思念!?――

 

 姿は見えずとも、狙いを自分に定めているのならば思念が飛んできた方向から逆探知できるはず。そう考えたのだがその判断は少々遅かった。

 彼女がヴィレッジからの思念を感知し、そちらに視線を向けた時には彼は既に彼女の目前にまで迫っていたのだ。

 

「なっ!? くっ!!」

 

 咄嗟に防御の体勢を取るが、ベテランの傭兵を前にして彼女の行動は遅すぎた。

 防御しようと構えたサニーブレイズを腕ごと弾かれ、空いたボディに刃が振り下ろされる。

 

「あぁっ?!」

 

 攻撃を喰らう瞬間無意識の内に半歩身を引いていたのが幸いし、致命傷は避けることに成功したサフィーアだがヴィレッジの一撃は彼女の柔肌に四本の傷跡を刻み込んだ。飛び散る血飛沫と奔る痛みに、サフィーアは一瞬動きを止めた。

 その隙をヴィレッジは見逃さなかった。サフィーアが動きを止めた瞬間、目にも止まらぬ速さでヴィレッジの両手が動きサフィーアの腕やむき出しの太ももなどを切りつけていく。

 瞬く間に傷だらけになっていくサフィーアだが、攻撃されつつも彼女は懸命に反撃を試みた。サニーブレイズを振るい、斬撃を放つと見せかけて飛び蹴りを放つ。魔法で風によるブーストを掛けての蹴りだ。一度放たれれば見えはしても反応が間に合わない筈。

 

 だが…………。

 

――腕の筋肉の収縮が小さい。それに視線と斬撃の通る線がずれている。極めつけに踏ん張りにしては必要以上に収縮した脚の筋肉。これは……蹴りか!――

 

 本来ならあり得ない三つの目を同時に使用しての動体視力は、サフィーアの動きに隠れた彼女の狙いを一発で見抜いた。直後、飛んできた斬撃は適当に受け流し本命の回し蹴りを受け止める。風属性の魔法によるブーストが掛かっていたので彼の予想を超えた速度と威力を持っていたが、最初から来ることが分かっていたのでどちらかと言えば余裕をもって受け止める事が出来ていた。

 

「嘘っ!?」

 

 これにはサフィーアも驚きを隠せない。今の攻撃は斬撃を読まれることを承知の上で放った一撃だったのだ。敢えて斬撃に対処させ、その直後に出来た隙を本命の回し蹴りで一撃加えるつもりだった。

 だが現実には斬撃が受け流されるだけに留まらず回し蹴りまでも受け止められてしまった。その事実にサフィーアは驚きに目を見開くが、すぐにこの状況がこれ以上ないくらい不味いものである事に気付く。彼女の大型剣に比べて、ヴィレッジのブレードフィンガーはリーチ自体は短いが攻撃の出が早くインファイトでの戦いに向いている。

 つまり、今ここは彼の最も得意とする戦闘距離になるのだ。ここに居るのはまずい、そう感じたサフィーアだが片足はヴィレッジに掴まれている。そして彼は、今にもその掴んでいる脚に貫手を突き立てようとしていた。

 

 瞬間、サフィーアを中心に空気が爆発したように暴風が吹き荒れ、ヴィレッジの体を吹き飛ばした。

 

「ちぃっ、揃いも揃って――――!?」

「せ、セーフ……かな。いつつっ……」

「うん? ふふっ、どうやら相当無理をしたようですね。大分ボロボロですよ?」

「そりゃあんたの所為よ」

「ではトドメを刺してあげましょう。いや、生かしておいた方が良いでしょうか。そうした方が彼らの楽しみが増える」

 

 彼ら、とは恐らく考えるまでもなくラッチョファミリーの連中の事だろう。大方今回の一件で溜まった憂さ晴らしにサフィーアを慰み者にさせようとでも考えているのだ。正直反吐が出そうだが、現状を打破できなければどの道そうなる。

 現にクレアとブレイブ、シエラは負傷し三人を守るカインの周りには未だに多くの男達が居た。男たちの方が思っていた以上に粘っているが、これは彼らが狙いをカインを直接狙うのから後ろの負傷している三人に変えたからだ。流石の彼も、三人の負傷者をカバーしながら確実に敵を仕留めるのは難しいらしい。彼は凄腕だろうが、数の暴力は個人の質を容易く上回るのだ。

 

 さてさて、どうしたものか。援軍は望めず、敵は格上。せめて少しでも体力を回復させることが出来れば或いは抗う事も出来たかもしれないが、相手はそれを許してはくれないだろう。状況は絶望的だった。

 そんな中で、ヴィレッジはとうとう勝負を決める気なのか攻撃の思念を大きく膨らませ構えを取った。

 

「ではそろそろ、終わりにさせていただきましょう。ご安心を、殺しはしませんから。まぁ、死んだほうがマシという目には遭うでしょうけどね」

 

 そう言うとヴィレッジは一気にサフィーアに突撃し、ブレードフィンガーを振り下ろした。度重なるダメージを受けたサフィーアに、この攻撃を受け止めるだけの体力は残されていなかった。




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第72話:綱渡りの戦い

読んでくださる方達に最大限の感謝を。


 自らに迫る刃を前に、サフィーアはせめてもの抵抗で肩のマントで防御しようとした。だが彼女がヴィレッジの攻撃を受け止めるよりも前に、彼の攻撃を防いだ者がいた。

 

「ブレイブッ!?」

 

 サフィーアとヴィレッジとの間に飛び込んだブレイブは、腹の傷口から血を流しながらも両手に持った剣でブレードフィンガーを受け止めていた。予期せぬ助けが来たことに一瞬安堵の表情を浮かべるが、ブレイブも無視できない負傷をしていることを思い出し目を見開く。

 

「ちょっ、何無茶してんのよッ!? あんただって怪我してんのにッ!?」

「ここで無茶しなくて何時するんだよッ!! お前にだけ頑張らせてたまるかッ!!」

「でも、お腹――」

「これっ位、男にとっちゃ掠り傷もいい所だッ!」

 

 そうは言うが、現在進行形で彼の腹の傷からは血が流れている。このまま彼に戦わせては出血によるダメージでどんどん不利になってしまう。現に彼の攻撃には先程までの精細さは無く、体力が低下した体を魔力で喝を入れて動かしているのが丸分かりであった。これ以上彼に戦わせてはいけない。

 幸いなことに彼が乱入して一時的とはいえヴィレッジの相手をしてくれたことで、サフィーアには若干だが体力を回復させる余裕が生まれていた。

 

 同時に、乱入したブレイブを見てある策が浮かんだ。たった今思い付いた、それは策と言うよりは無謀な賭けに近いもの。何の練習も無しにやって出来る可能性は半々どころか低い、平時であれば絶対に実行に移さないような策であった。

 だが先程以上にヴィレッジに圧倒され苦しい表情を浮かべるブレイブの姿を見て、心から躊躇いや迷いは消え去った。彼の前にサフィーアが躍り出て、ヴィレッジと再度相対する。

 

「交代よ! あたしがやるわ」

「馬鹿お前、さっきまでこいつにやられそうになってたじゃねえかッ!?」

「そんなのお互い様でしょッ!? そっちの方が明らかに重症なんだから、ここはあたしに任せて大雑把にでもいいから怪我治しときなさいよッ!」

 

 ブレイブはサフィーアの言葉に反論する事が出来ず、グッと言葉を詰まらせた。彼女の言う通り、今彼が負っている怪我は決して軽症とは言えず、このまま下手に戦闘を続けては遠からず限界が来るだろうことは彼自身にも容易に想像がついていた。なので正直に言って、彼女の提案は非常にありがたい。

 しかし、だ。大の男がここでおめおめと引き下がって女性のサフィーアに面倒を押し付けるというのは、彼のプライドがすんなりと認めてはくれなかった。せめてもの抵抗とばかりに、彼は勝算があるかを訊ねた。

 

「……勝てる自信あるのか?」

「まぁね。負ける気でこんなこと言わないわよ」

 

 サフィーアはそう言って得意げに笑みを浮かべるが、本当のところ自信はあるかないかで言われたらある、と言った程度でしかなかった。

 だが、同時にこれ以外にヴィレッジに対抗する手段はないと言う確信もあった。それが出来るのが自分だけだと言う事も。だから彼女は、ブレイブに代わってヴィレッジの相手を買って出たのだ。例え成功率が高くなく、ともすれば失敗する可能性が高かろうとも、手があるなら実行しない手はないと考えたのである。

 

『やって駄目なら諦めろ。だが何もしないまま諦めるな』…………サフィーアの父、サニーの言葉だ。その言葉に従い、彼女は一度は追い詰められた相手の前に再び立ち塞がった。

 

「またあなたが相手ですか? 負けるのはあなたの方ですよ?」

「それはどうかしらね? あたしはそうは思わないわ」

「ふぅ…………ま、どの道痛めつけることに変わりはない訳ですし、私は別に構いませんけどね」

 

 ブレイブが下がった頃合いを見計らってか、サフィーアに対し攻撃的な思念を向け始めるヴィレッジ。敵意に冷や汗を流しつつ、サフィーアはヴィレッジが攻撃に移る前に動いた。

 

「む?」

 

 その時彼女がとった行動は、とても奇妙なものだった。何しろ、一見すると勝負を諦めているようにも見えるものだったのだ。そのあまりにも可笑しな光景に、ヴィレッジも思わず敵意を引っ込め困惑した様子で彼女を見つめていた。

 

「何のつもりですか? まさかそれが策だとでも?」

 

 サフィーアがとった行動、それは自らの体を肩マントで隠し両目を完全に瞑りその場に佇むと言うものだった。それは確かにヴィレッジの未来予知にも匹敵する洞察力を封じる手段ではあるだろう。要は彼に目線の動きと僅かな筋肉の動きを見せなければ次の動きを読まれる事はないのだから。

 だがこれは同時に、自身の視界を塞ぐので相手の行動も見えなくなってしまう。そうなれば攻撃や反撃どころではない。普通に考えれば、彼女の行動は自棄っぱちのお粗末にも程があるものであった。

 

「やれやれ、どんな策を考えたのかと思えば…………もはや子供の浅知恵ですね」

「グダグダ言ってんじゃないわよ。来るならさっさと来れば?」

 

 呆れ果て侮蔑の言葉を口にするヴィレッジを、サフィーアが挑発する。依然として体と目の動きを彼から遮ったままでの挑発は、しかし確かに彼のプライドを刺激した。不愉快そうに表情を歪め、いつでも飛び掛かれるように構えるヴィレッジ。

 

「どうやらあなたには身の程と言うものを教えて差し上げた方がよさそうですね。泣いて許しを乞うまで徹底的に切り刻み、動けないあなたが蹂躙される様を見て楽しませてもらうとしましょう!」

 

 言うが早いか、ヴィレッジはサフィーアに向け飛び掛かった。まるで野生の獣のように素早い飛び掛かり。人間に比べて魔力の扱いに種族的に劣るサードであるにも拘らず、マギ・コートを用いてこれだけの動きが出来るのは流石の一言に尽きるだろう。

 そうしてブレードフィンガーの刃がサフィーアに迫る。狙いは体を隠す為にマントの端を掴んでいる左手だ。そこに一撃を加えてやれば、例え防刃性に優れた素材で出来ていようと衝撃で手を放す筈。そうなれば後は一方的に切り刻んでやるだけである。

 少なくともその時点では、ヴィレッジはそう考え自身の勝利を微塵も疑っていなかった。

 

 だが次の瞬間、彼の予想は大きく裏切られる。サフィーアが紙一重のところでヴィレッジの攻撃を回避したのだ。

 

「なっ!?」

 

 まさかあの状態で避けられるとは思っていなかったので、思わず驚愕して声を上げてしまった。何故目を閉ざしたまま避けられた、僅かな風切り音を聞かれたかなど様々な疑問が頭に浮かぶが答えを出している時間はなかった。次の瞬間、彼にとって死角となっているマントの裏からサフィーアがサニーブレイズを振るい攻撃してきたのだ。

 

「ッ!!」

「くおっ!?」

 

 これで回避と攻撃の瞬間サフィーアが僅かでも目を開けてくれていれば、ヴィレッジも更に困惑することはなかっただろう。だが実際には彼女は回避の瞬間も、そして反撃の瞬間も全く瞼を開けず光を閉ざしたまま行動したのだ。その事が余計に彼を混乱させる。

 

「あなた、本当に何も見ていないんですか?」

 

 混乱のあまり普通にサフィーアに問い掛けてしまうヴィレッジだが、サフィーアはそれに答えることはしなかった。返答の代わりに、サニーブレイズを振りかぶりヴィレッジに向けて振り下ろす。

 

「くっ!?」

 

 振り下ろされた刃を回避するヴィレッジだが、その動きは先程までと違って余裕がない。その理由は簡単だ、先程と違って彼はサフィーアの目線や筋肉の動きで彼女の次の行動を予測する事が出来なくなっていた。

 ヴィレッジは酷く困惑していた。一度だけならまぐれや勘で済ませられるが、回避どころか反撃を、それも我武者羅や出鱈目ではなくかなり正確に仕掛けてきたとなるとそれは彼の位置を把握していることを意味する。即ち、己が持っていた筈の優位を失う事を意味していた。

 

 思わぬ事態に焦りを見せるヴィレッジだったが、サフィーアはサフィーアでかなり一杯一杯だった。

 この戦法はつい今し方閃いたものだ。切っ掛けはふとした瞬間に思い出した、先日の発着場でのブレイブとの戦いの決着の瞬間での事。あの時は何が起こったのか分からなかったが、後になって冷静になって考えると、あれは視界を閉ざした状態でも思念さえ感知できれば戦闘は行えると言う可能性を示していた。

 目が見えなくても戦えるのなら、後は体の動きさえ隠してしまえばヴィレッジが持つ優位を奪うことが出来るのでは? そう思って実行に移すとこれがピタリと的中し、ヴィレッジはサフィーアを相手に余裕のない立ち回りを余儀なくされていた。

 

 だがこの戦いは、サフィーアにとっても紙一重の戦いであった。何しろ視界で相手の姿を捉えていないのだ。言ってしまえば殆ど勘に頼って戦っているのと変わらない。普通の人間が勘に頼って戦うのとは違い、彼女の場合は相手からの思念を明確に感知して相手の位置や攻撃の有無、回避の方向などを察知することが出来るが、目に見えるビジョンで戦いの様子を知ることが出来ないのは彼女の神経をガリガリ削った。

 それでも彼女は頑なに目を開けることはしなかった。一度開けてしまえばこちらにも余裕がない事がバレてしまう。そうなっては、失わせた勢いを再び取り戻させてしまう事になりかねない。

 例えリスクが大きくても、ここは敢えて強気に攻めるのが最善であった。

 

――分の良い賭けとは言えないけど――

 

 勝率は決して高くない戦いだが、サフィーアは己を信じてヴィレッジと相対する。何気に今まで賭け事をしなかった身だ。ビギナーズラック位はある筈だと自分に言い聞かせ奮い立たせた。

 

 そんな彼女の内心など露知らず、ヴィレッジは動きの読めなくなったサフィーアを前に手を拱(こまね)いていた。迂闊に攻めればまた動きの読めない反撃を喰らうかもしれない。今までは自分だけが相手の動きを一方的に読んで勝利を掴んできた訳だが、最早立場は逆転していた。

 

 今一攻め手に回ることが出来ないヴィレッジの様子に、向こうから仕掛けてくることはないと判断したサフィーアは自分から攻勢に打って出た。目を閉じ体を隠した状態でヴィレッジに接近する。そして十分に距離が縮まったと見るや、またしても彼にとって死角となる位置から今度は刺突を放った。

 

「えぇい、小癪なッ!?」

 

 タイミングは完璧だったが、今度はあちらの経験が勝った。ギリギリのタイミングで行動が間に合い、放たれた刺突の軸をズラして攻撃を逸らすことに成功したのだ。

 直後にヴィレッジはサフィーアを凝視した。攻撃の為にフォームを崩した今なら、次の動きを見ることも可能な筈だと。だがサフィーアは追撃などは一切考えず、即座に再び体をマントで隠し相手に一切の情報を与えないことに終始した。

 こうなると完全にヴィレッジはお手上げだった。なまじ普段の戦闘で相手の動きを瞬時に読み取ってから攻めると言う、所謂後の先の戦いに頼っていただけに相手の動きがまるで読めない戦いに弱いと言う弱点があったのだ。逆に言ってしまえば後の先の戦い一つでここまでのし上がった、ヴィレッジの実力の高さが伺えるがこの場に於いてはその偏った戦い方が仇となっていた。

 

 業を煮やして兎に角サフィーアに隙を作ろうと自ら攻めるヴィレッジだったが、サフィーアは彼が攻めてきた瞬間自身も前に出るとマントを思いっきり前方に広げ相手の視界を遮る。構わずに攻撃を続行するヴィレッジだったが彼の攻撃は空を切るだけに終わり、逆にその気に乗じて背後に回ったサフィーアの斬撃を諸に喰らってしまう。

 

「ギャッ?!」

「貰った!!」

 

 背中を切り付けられ動きが鈍ったヴィレッジにサフィーアの追撃が襲い掛かる。背後を振り返り反撃しようとするヴィレッジの右手のブレードフィンガーを破壊し、更なる追撃を恐れて防御に回した左手のブレードフィンガーを蹴りで弾き防御を崩す。立て続けに攻撃を喰らい余裕を無くしたヴィレッジは、最早サフィーアの次の動きに対応することが出来なかった。

 その隙を見逃さず、サフィーアは一気に勝負に出る。防御を完全に崩されたヴィレッジを前に、サニーブレイズを上段に構え一気に振り下ろした。

 

「くそがぁぁぁっ!?」

 

 迫る斬撃を前に、ヴィレッジはそれまでの紳士的な態度を完全に捨て去り怨嗟の声を上げる。

 その声を諸共に切り裂くように、振り下ろされたサフィーアの斬撃が彼の体を唐竹に切り裂いた。

 

「ぎぇあぁぁぁぁぁっ?!」

 

 最後の最後で相手を真っ二つに切断することに戸惑いを覚えたのか、斬撃はヴィレッジの体の前面を切り裂くのみだったが彼には効果絶大だった。

 

 体の前面、即ち額の眼球から股間までを大きく切り裂かれ、ヴィレッジは闇夜に包まれた街に大絶叫を響かせるのだった。




ご覧頂きありがとうございました。ご感想等受け付けておりますのでお気軽にどうぞ。

次回の更新は火曜日を予定しています。


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第73話:怖いものなし

読んでくださる方達に最大限の感謝を。


 決着はついた。最大の武器でもあった額の第三の目を失ったヴィレッジにはもう先読みは使えない。加えて武器を片方失い、そもそも致命傷一歩手前レベルのダメージを負ってしまった彼ではもう純粋な戦闘力でもサフィーアには敵わないだろう。直前のサフィーアの躊躇いで致命傷だけは回避されたが、これ以上はまともに戦闘出来ないのは明白であった。

 

 依然として痛みに顔を押さえながら呻いているヴィレッジを前に、サフィーアはサニーブレイズを下げ警戒を解いた。もう彼から攻撃の思念は感じない。憎しみは感じるが、この程度であれば脅威を感じるほどではない。

 もう彼は問題ないとサフィーアはサニーブレイズを鞘に納め、背後のブレイブに向け駆けていく。見れば彼は出血のダメージからか、額から汗を流し地面に蹲っている。

 

「ちょっとブレイブ、大丈夫?」

「んな顔すんじゃねえよ。言ったろ、これ位男にとっちゃ掠り傷だって」

「止血が利かなくなって血を流しながら何言ってんのよ。良いから肩貸して」

 

 半ば無理やりブレイブの肩を持ち上げ、カインの元まで引っ張っていく。ブレイブは一応抵抗してはいたが、サフィーアは構わず力尽くで引き摺った。

 自分も無傷ではないくせに、とカインは苦笑いで二人を迎えた。

 

「お疲れ。君らが飛び出していった時はどうなる事かと思ったけど、何とかなったようで安心したよ」

 

 カインはそう言いながらブレイブに回復魔法を掛けてやる。流石に本職のそれ程の効果は出ないのか治りは遅いがそれでも出血自体はすぐに収まった。よく見るとクレアの方は既にぴんぴんした様子で佇んでいる。

 そこでサフィーアは気付いた。さっきまでこの場には他にもラッチョファミリーの連中がいた筈だが、そいつらはどうしたのか?

 

「あれ? そう言えば他の連中はどうしたんです? もう全部倒したんですか?」

「残念ながら。ヴィレッジがサフィにやられたのを見た瞬間、生き残りは全員尻尾を巻いて逃げてったわ」

 

 周囲を渡せば、サフィーア達以外で立っている者は誰もいない。どうやらヴィレッジが今回の襲撃の要だったのだろう。それが倒された今、彼らの頭からはこれ以上戦闘を続行する考えが消え失せたらしい。ヴィレッジを無力化した直後でまだ意識がそちらに向いていたとは言え、サフィーアも気付かないほどに彼らの撤退は鮮やかだった。

 とは言えヴィレッジ本人はまだ生きている。生きている彼を放って自分達だけ逃げるとは随分と薄情な気もするが、無法な連中の傭兵の扱いなどこんなものだ。ギルドの存在によって一定の人権が守られるとは言っても、金や権力など力のある者にとっては傭兵は消耗品でしかないのである。

 

 見捨てられたヴィレッジに哀れみを感じないでもなかったが、彼は彼で紳士的な物腰の裏に下種な本性を隠していたので同情する気は起きなかった。勝てたからいいものの、負けていたらどんなことになっていたかなど想像もしたくない。

 

「ま、どちらにせよ勝負はついた訳だし、これで「ま……」て、うん?」

 

 これ以上の戦闘はないだろうと安心して思いっきり伸びをするクレア。その彼女の言葉に被せる様にヴィレッジが何やら呟き始める。同時にサフィーアは彼から敵意が膨れ上がるのを感じた。

 あれだけの怪我、そして最大の武器であった先読みを奪われておきながらまだ戦う気かと若干呆れながら一応サニーブレイズの柄に手を掛ける。それに気付いて、クレアにカイン、ブレイブもヴィレッジに目を向けた。

 

「まだ…………まだ、だ!?」

「何よ、まだ何かする気? お仲間はあんたを置いて逃げちゃったわよ? あんただってもう戦える状態じゃないでしょうが」

 

 再び戦意を取り戻したのか、憎悪の籠った目でヴィレッジはサフィーア達を睨む。その姿に彼女たちは、彼が自棄になって最後の特攻でも仕掛けてくるかと予想していた。

 だが次の瞬間、彼が取り出したカプセルを見て息を呑む。

 

「あ、あんたそれ――!?」

「こいつでぇ、お前ら纏めてお終いだぁッ!!」

「マズいッ!?」

「クッ!!?」

 

 カプセルの蓋は既に開いている。最早一刻の猶予もないとカインはライフルの銃口をそのカプセルに向け、今正にヴィレッジに取り付こうとしている深紅の眼球に狙いを定めた。

 だが今度の奴は目玉だけであるにも拘らず、なかなかに賢い奴だった。ヴィレッジに取り付くよりも先に、それを妨害しようとしてくるカインに向けて閃光を放ったのだ。

 

「なっ、くそッ!?」

「させるかッ!!」

 

 自らに向けて閃光が飛んでくると察した瞬間、カインはその場に咄嗟に伏せた。だが彼の背後には教会がある。このままでは彼の頭上を通り過ぎた閃光で、教会に被害が出てしまう。

 それを即座に察してか、伏せる彼と入れ替わるように閃光の射線に入り込んだブレイブが連結させた双剣に魔力を流して連結部を中心に高速回転させた。回転する双刃の剣はサークルシールドの様に閃光を防ぎ、ブレイブはその威力に歯を食いしばりながらも耐えきってみせた。

 

 だがその結果眼球は邪魔される事無くヴィレッジの額に取り付くと、元々あった第三の目を押し退ける様にして彼の額に収まった。

 一瞬で血管の様な触手を彼の全身に張り巡らせ、体の支配権を乗っ取ると殺気の籠った獣の目をサフィーア達に向ける。

 

「Gururururu!?」

「また此奴の相手をすることになるなんてね。しかも前のより頭良いんじゃないの?」

「グダグダ言ってる暇はないよ。今はこいつを何とかしないと、教会だけじゃなく街全体に被害が出る」

「あんの、くそ野郎。厄介なもん持ち込みやがって」

 

 レッド・サードの出現に、クレアらは愚痴を口にする。

 その横で、サフィーアは指笛を吹いた。すると今まで教会の奥で控えていたウォールが飛び出し、サフィーアの元へとやってきた。

 

「くぅん!」

「ウォール、悪いけど全力で障壁張って教会を護って。これは流石に流れ弾でもただじゃ済まないわ」

 

 サフィーアの言葉にウォールは嫌な顔一つせず勇ましく声を上げると、教会の入り口前まで向かい教会全体を覆いつくす程の障壁を張ってみせた。それを見てサフィーアは一つ頷くと、サニーブレイズを鞘から抜き構える。

 彼女が構えると同時に、その隣にクレアとカイン、ブレイブが並ぶ。シエラも立ち上がり続こうとしたが、それはブレイブに止められた。

 

「お前は下がって教会の中に入っとけ」

「そんな、ブレイブ兄ぃ!? あたしも回復は済んだし戦えるよッ!」

「そうじゃねえ。これがラッチョの連中の差し金なら、裏から別の奴が来るかもしれねぇ。その時に先生やガキどもを守る奴が一人は必要なんだよ」

 

 勿論そうだと言う保証はない。だが否定しきれるだけの要素もなかった為、シエラは仕方なく障壁の奥へと引っ込んでいった。

 口惜しいといった感じで引っ込んでいったシエラを見送ったクレアは、彼女の姿が見えなくなった頃を見計らってブレイブに声を掛けた。

 

「お優しい事ね」

「あん?」

「本当は分かってるんでしょ? パワーファイターのシエラはレッド・サードとは相性が悪い。だからあんたはそれっぽい理由を付けて彼女をこの場から遠ざけた。違う?」

 

 クレアの指摘にブレイブは憮然とした顔になる。彼女の言う通り、レッド・サードは純粋な馬力であれば人間は勿論ドワーフですら凌駕している。そしてシエラは、歳の割には優れた技量を持っているがその戦いの本質はやはり力で相手を圧倒するパワーファイターだ。常軌を逸したパワーを持ち獣の様に次の行動が予測できないレッド・サードの相手をするには些か不安が残る。

 それを直球で伝えることを避け、如何にもな理由で足手纏いとなる可能性のあるシエラをこの場から遠ざけた。ある意味においてはそれは彼なりの優しさであったのかもしれない。

 

 問題は、当の本人がその指摘を肯定せず面白くなさそうな顔をしていると言う事であった。

 

「そこまで考えてねえよ。本当にラッチョ共が戻ってきた場合の事を考えての事だ。勘違いすんな」

「それじゃ、そういう事にしておいてあげましょうか」

「おい」

「そんな事よりもサフィ、大丈夫かい? まだ体力は十分に回復させたとは言い難いけど?」

「これ位へっちゃらよ。カインこそ、魔力の使い過ぎでぶっ倒れたりしないでよね?」

 

 束の間、四人の間には緩んだ空気が流れるがそれも僅かな間の事。直ぐに気を引き締め目の前の脅威と対峙する。

 

「Giiiiii!!」

 

 鮮血の様に赤い額の瞳と、血走って赤くなった双眼。殺意の籠った三つの目からの視線に、しかしサフィーアは微塵も恐怖を感じない。不思議と、恐怖の感情が湧いてこないのだ。これ以上ないほどの暴力的な殺意の思念を向けられて尚、肩には全く余分な力が入らないのだ。

 まるで、この四人ならば何の心配もないと心ではなく体が理解しているかのようであった。

 

「Gaaaaaaaa!!」

「ッ!? 任せてッ!!」

 

 先手を打ってきたのはレッド・サードの方だった。変異して爪が鋭く伸びた右手と左手に残ったブレードフィンガーで襲い掛かってくる。先程までの、飽く迄後の先で相手の動きに合わせて攻撃してくるのとはまるで違う動きだった。

 その攻撃を、まず真っ先に受け止めたのはクレアだった。彼女は炎属性の魔力を纏う事で発火させた両手でレッド・サードの両手を受け止める。普通ならその瞬間に両手を焼かれたことに怯み攻撃を止めるのだろうが、その程度で止まるレッド・サードではない。手が焼かれていることなど全く気にした素振りも見せず、彼女をそのまま押さえつけ本体の眼球から閃光を放とうとする。

 

 瞬間、閃光を放とうとしていた眼球が明後日の方を向くと、力尽くでクレアを引き剥がし弾かれるようにその場を飛び退いた。

 直後に先程までレッド・サードがいた場所を一発の弾丸が通り過ぎる。

 

「ちっ……今度の奴は勘が鋭いな。ヴィレッジの体を使ってるからか?」

 

 銃撃が躱されたことに思わず舌打ちをするカイン。だがすぐに気を取り直すと逃げた先のレッド・サードに狙いを定め引き金を引く。正確に額の眼球を狙って行われる銃撃に、レッド・サードも反撃の余裕をなくし回避に徹する。おかげで他の事に対する注意が散漫になった。

 その隙を見逃すことなく、ブレイブが双刃形態の長剣が襲い掛かる。

 

「もらったぁぁぁっ!!」

 

 赤いオーラを纏った刃を振るう。狙うは首だ。そこを切り飛ばされれば、如何にパワーが優れていようと意味はない。

 だが彼が振るった刃は、同じく赤い魔力の燐光を放つ片腕で受け止められた。同時に、自由な方の手で彼に向け貫手を放つ。渾身の一撃を受け止められたブレイブはその攻撃を避ける事が出来ない。絶体絶命だ。

 

「させないッ!!」

 

 そこでサフィーアが、ブレイブの反対側からレッド・サードに斬りかかる。マギ・バーストしたサニーブレイズでの一撃を無視する訳にもいかないので、レッド・サードはブレイブに放とうとしていた貫手の為の手を防御に使用した。これによってレッド・サードは完全に両手を塞がれる。

 ここでレッド・サードは次の行動に迷った。まずは左右の二人をどうにかするか、それとも自由な額の眼球でカインを始末するか。逡巡は刹那の間で、直ぐにそいつはまずカインを攻撃することを選んだ。明確な遠距離攻撃の使い手を先に始末することで、脅威を減らそうと言うのだ。

 

 しかしこの場にはもう一人、しかも自由に動ける者がいることをレッド・サードは忘れていた。そう、最初にレッド・サードの攻撃を受け止め、カインの横槍で離れざるを得なくなった相手…………クレアだ。

 

「だあぁぁぁぁぁっ!!」

 

 雄叫びと共に迫るクレアの姿にレッド・サードは全ての目を見開く。と同時に、全身から純粋な魔力を放出させ、その奔流で事実上両手を押さえているサフィーアとブレイブを引き剥がした。

 

「どわっ、くそッ!?」

「こ、の野郎ッ!?」

 

 思っていた以上の力技での脱出に、思わず揃って悪態を吐く二人だが結果としてレッド・サードは大きく隙を晒した。膨大な魔力の放出の所為で、僅かながら動きが固まっている。

 そこを見逃す事無く、クレアは両手に魔法で作り出した火球を一つに纏め大きな火球にすると、レッド・サードに向けて撃ち出した。灼熱の業火で形作られた火球は空気を焼きながら突き進んでいく。

 

 その普通ならまず真っ先に回避か防御を選びそうな攻撃を、なんとレッド・サードは受け止めようとした。文字通り、両手で火球を掴んで受け止めようとしていたのだ。普通に考えればそれは確実に不可能、成功することもなく木端微塵にされて終わりである。

 だが相手は常識の通用しないレッド・サード、もしかしたら受け止めてしまうかもしれない。

 

 だから、それをさせない為にブレイブが行動を起こす。彼は素早く手にした剣を双刃形態から二刀流形態に分離させ、それぞれの剣を用いて同時に空破斬をレッド・サードに向けて放つ。

 

「おらぁっ!!」

 

 放たれた二つの斬撃は、狙い違わずクレアの放った火球の左右スレスレに通り過ぎると、そのままレッド・サードの両腕を切り飛ばした。

 

「Gijaaaaaaa?!」

 

 痛みか怒りかは分からないが絶叫を上げるレッド・サード。

 そこにダメ押しでクレアの放った灼熱の火球…………が直撃する直前、サフィーアが放った飛穿斬・疾が火球を突き抜けて――否、火球を巻き込んでレッド・サードに突き刺さる。

 瞬間、レッド・サードの全身が炎に包まれた。

 

「よしっ!!」

「いいわよ、サフィ!!」

 

 即席の連携攻撃が成功し、サフィーアとクレアは互いにハイタッチを交わした。

 

 一方のレッド・サードの方は、全身火達磨になりながらもせめて一矢は報いんと額の眼球に魔力を収束させ閃光を放とうとする。狙いはやはり、今しがた自分に痛手を負わせてくれたクレアとサフィーアだ。二人を纏めて薙ぎ払い、あの世への道連れにしようと目論む。

 

「させないさ!」

 

 だがそれが叶うよりも早くに、一発の銃声が響きレッド・サードの額の眼球を今度こそ撃ち抜いた。ブレイブ、サフィーア、クレアの攻撃を立て続けに喰らい完全にカインの存在を失念した、レッド・サードのミスを最大限に活用した一撃だ。

 

 本体を撃ち抜かれたレッド・サードは暫くその場に佇んでいたが、程無くして力なくその場に倒れこみ、後には燃え盛る炎の音と光だけが残された。




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第74話:後始末は悪党同士で

読んでくださる方達に最大限の感謝を。


 サフィーア達の手によってレッド・サードが倒される少し前――――

 

「クソッ!? チクショウッ!?」

 

 傭兵のヴィレッジがサフィーアに斬られた瞬間、生き残ったラッチョファミリーの残党はボスの男と共に一目散に教会を離れアジトへと向かっていた。

 その道中、ボスはずっと悪態を吐き続ける。

 状況は最悪だった。部下は殆ど失い、切り札だった筈の傭兵もやられてしまった。ヴィレッジは対バンギス一味戦も見据えての戦力だったので、それを失ったのは大きな損失だ。これでは街の勢力図を塗り替えるどころの話ではない。

 

 そうだ。最大の誤算は、ヴィレッジが一人の傭兵――それもカインやクレアと言う二つ名持ちどころか、ブレイブの様な実力だけは知られている傭兵とも違う名も無き女傭兵――に倒されてしまった事である。

 ラッチョファミリーにとって、サフィーアの存在は完全に盲点であった。精々がベテラン傭兵にくっつく腰巾着か、はたまた子分か何かだと思ていたのだ。それがタイマンでヴィレッジに打ち勝ってしまった。これは完全に想定外の事態だ。

 そもそも序盤はヴィレッジの方が圧倒していた。クレア・ヴァレンシアに続き勝負を挑んできたサフィーアも最初はヴィレッジ相手に手も足も出なかった。ブレイブ・ダラーですら、彼には悪足掻きを返す程度しかできなかったのに、ブレイブと入れ替わるように再びヴィレッジと相対したサフィーアは、先程の戦いは何だったのかと叫びたくなるくらいヴィレッジを逆に圧倒し始めたのだ。

 こんな事態をどうやって予想しろと言うのか。

 

 一先ず必要な物を纏めて一度街を離れることを決める。今は何よりも戦力を増強することが第一だ。バンギス一味や軍隊の目が届かない所に向かい、少しずつでも戦力の回復を図る。幸いな事に帝国領には、帝国軍の侵略のゴタゴタもあってか裏社会の人間が潜り込むのに適したところがいくつかある。そう言ったところで身を潜め、同時に帝国軍の侵略によって行き場を失った者を言葉巧みに引き入れるのだ。

 

 ボスの男が走りながら今後の予定を立てていると、突然目の前に複数の人影が姿を現した。いや、正面だけではない。彼らが動きを止めると、左右の路地や背後、果ては屋根の上にも人が居るではないか。しかも全員が手に銃器を握っている。

 

「テ、テメェらッ!?」

 

 彼らが何者かは直ぐに分かった。バンギス一味だ。これだけ纏まった戦力をこの街で持っているのは、バンギス一味以外ありえない。

 ラッチョファミリーの面々が囲まれている事に顔を青くしていると、バンギス一味側から一人の男が歩み出てきた。顔中に傷が刻まれた、筋骨隆々の男だ。その傍らには、ハッサンの姿もある。

 

「ハッサン、こいつらが?」

「はい、ボス。こいつらが例のラッチョって連中です」

 

 筋骨隆々の男、ガーデュラ・バンギスが訊ねるとハッサンは頷いて答える。

 そのやり取りにラッチョファミリーのボスは奥歯が砕けんばかりに歯を食いしばるが、今銃を抜いたりすれば即座に蜂の巣になる事は目に見えているので大人しくしておく。

 とは言え蜂の巣は時間の問題だろう事は容易に想像ついた。何しろバンギス一味の目的こそが、ラッチョファミリーの始末に他ならないのだ。街の覇権争いの障害となる存在の排除は、裏の世界ではお馴染みの出来事である。

 

 案の定、ガーデュラは即座にラッチョファミリーを始末するべく片手を上げて部下に合図を送った。

 瞬間、ラッチョファミリーのボスは恥も外聞もなく武器を手放しその場に膝をついてバンギス一味に命乞いをし始めた。

 

「ままま、待てッ!? 待ってくれッ!? わかった、降参する。俺達全員、あんたらの傘下に入る。だから命だけは助けてくれッ!?」

「ボ、ボスッ!? それは「お前らは黙ってろッ!!?」」

 

 力の低下した組織が別の組織の傘下に入る。それは彼らの業界で隷属化以外の何物でもなかった。言い換えてしまえば、ほぼ奴隷と同義の状態なのである。事ある毎に下に見られ、何事においても後回し。しかも有事には平然と捨て駒にされることも当たり前という、使い捨ての駒としての扱われ方が前提となる事なのだ。

 そんなのは御免だと部下は抗議の声を上げるが、ボスの男はそれを一蹴する。彼にとって、何よりも大事な事は生き残る事なのである。生きていれば必ずどこかで勝機はあるのだ。勝機を掴むことが出来れば…………

 

 だが運命は残酷だった。世界は彼に、挽回のチャンスを与えなかったのだ。

 

 周囲のバンギス一味の戦闘員たちが誰一人として銃口を下ろさず、あまつさえガーデュラが部下に攻撃中止の命令を出す予兆を微塵も見せる様子がない事にラッチョファミリーのボスも焦りを感じ始めた。

 

「ちょ、ま、待ってくれッ!? 降参するって――」

 

 彼の言葉は最後まで続くことはなかった。

 

「やれ」

 

 たった一言、ガーデュラがそう呟いた瞬間、バンギス一味の者達は一斉に引き金を引き残り少なかったラッチョファミリーの構成員を残さず撃ち殺した。死んだふりをした者が居ない事を確認する為、一人の人間に対して複数人で別々の部位に銃撃をすると言う徹底ぶり。言うまでもなくラッチョファミリーの構成員は文字通り全滅した。

 

「死体は街の外に捨てておけ」

「はい」

 

 死体処理の方法が些か雑に聞こえるが、実を言うとそうでもない。特にこのハットハットの様な辺境の街だと、近辺に肉食のモンスターが闊歩していたりすることもざらなので放っておいても血の臭いを嗅ぎ付けたモンスターが勝手に死体を処理してくれる。そして適当に死体を食わせておけば、モンスターが強引に街の中に入って住民に襲い掛かる事もない。

 ある意味に於いて、これ以上ないほど合理的な判断と言えるだろう。勿論、人道的倫理的に見れば最悪の一言に尽きるが。

 

 組織の最下層に位置する新入りが死体を運んでいくのを、ガーデュラとハッサン、そしてハッサンに付いて回る若手の男は無感動に眺めていた。

 と、不意に若手の男が口を開いた。

 

「ブレイブ・ダラーを放っておくと良い事があるってのはこう言う事ですか?」

「ん? おぅ、そうさ。なかなかに便利な男だろ?」

 

 ラッチョファミリーはここ最近になってこの街にやってきた新参者ではあるが、その勢力は実のところ決して馬鹿に出来たものではなくバンギス一味にとっては目の上のタンコブだったのだ。あまり事を表沙汰にして帝国の気を引きたくないバンギス一味は水面下での行動を余儀なくされ、それが余計に連中の勢力をこの街で大きくさせる要因にもなっていた。

 そう、バンギス一味のボスであるガーデュラは、この街で大きなゴタゴタを起こす事を頑なに避けていたのである。その事を他のメンバーは勿論ハッサンも不思議に思っていたが、以前下手にその事について深いところまで探ろうとした奴が次の日に半殺しの状態でアジトの入り口に吊るされているのを見て以来この件には触れないようにしていた。兎に角、この街では必要以上の騒ぎは起こせない。

 

 だがブレイブは違った。彼はそんな事お構いなしに、個人として動いてこの街にやってきては馬鹿をやらかそうとする連中を軒並み叩き潰してくれる。例え叩き潰せなくとも、今回の様に適度に弱らせてくれる。

 そうなれば後はこっちのもの。如何に勢力が大きかったとは言え、ボコボコにされた直後なら付け入る隙もあろうと言うもの。今回もその例に漏れず、ブレイブは彼が引き連れたサフィーア達の力もあってラッチョファミリーの連中の力を大幅に削り取ってくれたのだ。

 

 バンギス一味がブレイブと、彼の出身である教会に手出ししないのはそれが理由だ。彼らの方から下手に手出しすればブレイブは即座に敵となり甚大な被害を齎すが、放っておけば街に沸く蛆虫を勝手に仕留めてくれるのである。これを利用しない手はない。

 

「あんなチンピラに毛が生えただけのような奴が、案外役に立つもんなんですね」

「だから言っただろ。世の中一面だけじゃ損得は分からないんだよ」

「勉強になります」

「そんじゃ、ボスも帰っちまったし俺らも帰るか。処理の方も終わったみたいだし」

 

 ハッサンは他の者たちと同様に一人その場を離れ自身の寝床へと戻っていく。

 その道中、彼は一人自分たちのボスの奇妙な点に考えを巡らせていた。普段は深く考えないようにしてはいたのだが、やはりどうしても気になる点がある。

 

 何故、ガーデュラ・バンギスは変にあの教会の事を気にかけるような行動を取るのだろうか?

 今回の一件だって、元はと言えば最近おかしな動きをするラッチョファミリーの動向を探って戦闘の事を察知したと言うよりも、教会近くを回っていた者がラッチョファミリーの襲撃を偶然目の当たりにして知り得たが故の事だったのだ。それがなければ今頃はラッチョファミリーの戦力が大幅に低下したことにも気付かず、連中が戦力を回復させる時間を与えてしまっていたかもしれない。それを未然に防ぎ更には障害となる連中を排除できたことは確かに僥倖ではある。

 それは単純に考えれば、ガーデュラが先見の明に優れていたと言う事の証明であろう。

 

 だが果たして本当にそれだけだろうか? そもそもの話、彼らにとって打ち捨てられた教会を利用しての孤児院など気にするべくもない存在だ。運営は何時ポックリ逝っても可笑しくない老婆が一人で、この街の他の連中と同じく貧困に喘いでいる。金目になりそうなものと言ったら、あそこに集まる子供達そのものと現時点でその子供達の纏め役となっているシエラと言う少女位だった。特にシエラは、水属性のエレメタルを持っている。これを利用すれば、水不足で悩まされる事はなくなるどころかその水で商売が出来る。

 しかしそれは当然、ガーデュラによって禁止されていた。

 

 さて何故彼は教会関係に手を出すことを頑なに教会への手出しを禁止するのか? 可能性があるとすれば、ガーデュラと教会関係者に深い関わりがあると言う事だろうか。例えば、実はガーデュラはブレイブの実の父親だった…………とか。

 

 そこまで考えて、ハッサンは考えることを止めた。憶測の域を出ないし何より下手に探るとガーデュラから報復を喰らうかもしれない。前の奴は半殺しで許してもらえたが、ハッサンほどボスであるガーデュラに近い者であった場合、さて一体どうなる事か。

 

――いや…………止そう。これ以上突っ込むと寿命を削っちまう――

 

 好奇心は猫をも殺す。長生きするコツはタブーには関わらない事だと言う事をよく理解しているハッサンは、改めてその言葉を胸に刻みつつ闇夜に包まれた街の中に消えていくのだった。




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次回の更新は土曜日を予定しています。


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第75話:再戦を誓い合って

読んでくださる方達に最大限の感謝を。


 ラッチョファミリーの襲撃を切り抜けたサフィーア達は、翌日の昼頃に起床した。流石に深夜を回るまで戦い続け、全力を出し切った翌日の朝のいつも通りの時間に起きるのは難しかった。普段通りに起きることができたのはイレーナと子供たちだけで、シエラも含めて戦闘に参加したメンツは全員寝坊してしまった。

 午前中の子供達の世話を全てイレーナに任せてしまい、ブレイブとシエラの二人は特に申し訳なさそうにしていたが昨夜の頑張りをよく理解している彼女はサフィーア達も含め全員を優しく労った。

 

 その日一日は全員揃って休息も兼ねてゆっくりと過ごし、昨夜の疲れをじっくり癒す事に努める。

 

 そしてその翌日――――

 

「二人とも、連絡来たよ。今日例の飛空艇がハットハットに着くって」

 

 朝食後に茶を啜ってまったりしていたサフィーアとクレアにカインが携帯片手にそう告げた。待ちに待った、グリーンラインへの個人的直通便が来たのだ。

 

 それは即ち、ブレイブ達との別れの時が来たということである。

 

 別段、その事を寂しく思ったりはしない。パーティーを組んでいない傭兵同士が一時的に同じ依頼を受け、終えると同時に解散すると言うのはよくある事。一期一会は傭兵とは切っても切れない言葉であり、見ず知らずは勿論見知った相手であっても別れを寂しがるようではまだまだひよっこの証拠であった。

 

 だが、寂しいとは思わないが惜しいとサフィーアは思っていた。ブレイブとは最早知らない仲ではない。既に三度は本気でぶつかり合い、二度は窮地を共に切り抜けた。共にした時間は決して長くはないが、その限られた時間の中でサフィーアは彼との相性の良さを感じていた。波長が合うとでも言えばいいだろうか。

 彼とパーティーを組むことができれば、きっともっと上へ行ける。そう思ったサフィーアは、発着場に見送りに来たブレイブをダメもとで勧誘してみた。

 

「ねぇブレイブ? 折角だしあたし達のパーティー入らない? ね、クレアさん」

「は?」

「うん?」

 

 突然のサフィーアの言葉にキョトンとするクレアとブレイブ。一方それを横で聞いていたカインはやれやれと言った様子で肩を竦め、シエラはサフィーアとブレイブの二人を好奇心に溢れた目で交互に見ていた。

 

「ん~、パーティー…………ねぇ」

「ダメ…………かな?」

 

 渋る様子を見せるブレイブに、サフィーアが上目遣いに訊ねた。別に無理に誘おうとは思っていない。嫌がる相手とパーティーを組んだっていい事が何もない事は彼女も理解していた。

 だが彼の心は揺れ動いている。サフィーアの能力は、彼の思念が自分に近付いては離れてを繰り返している事を感知していた。彼としてもパーティーを組む事は吝かではないのだろう。ただ、事情があるのかそれともプライドか何かが邪魔をしているのか、すんなりと首を縦に振ることが出来ずにいるらしい。

 

 暫しうんうんと唸るブレイブ。他の四人が見守る中、長い事悩み続けていた彼だが意を決したように顔を上げると若干名残惜しそうにしながら首を左右に振った。

 

「悪いが断らせてもらう。誘ってくれたのは素直に嬉しいと思うが」

「え~、何で?」

 

 ブレイブの返答にサフィーアは肩を落として露骨に残念そうにする。やや幼さを感じさせるその反応に苦笑を浮かべつつ、ブレイブは拒否の理由を口にした。

 

「一勝一敗一分け」

「へ?」

「忘れたのか? 今の俺らの戦績だよ。最初は俺が勝って、次が文字通りお流れになってドロー。ついこの間の戦いでお前が勝って一勝一敗一分けだろ。そんな結果で満足か?」

「あ……」

 

 言われてサフィーアは思い出す。そうだ、彼とは完全に白黒はっきりついていない。優劣が曖昧なのだ。

 もしここで彼とパーティーを組んでしまったら、命を懸けての正真正銘本気の戦いは出来なくなってしまう。それは彼女にとっても、非常に気持ちの悪い事であった。

 その事に気付いた瞬間、サフィーアの心から落胆は消え去り代わりに闘志が湧き上がる。

 

「そうだった…………そうだったわねぇ」

「だろ? どうせならよ、そう言うのは完全に決着がついてからにしようや」

「それはつまりあたしが勝ったらパーティー組んでくれるって事?」

 

 極めて自然に自分の勝利宣言を交えるサフィーアに対し、ブレイブは若干顔を引き攣らせながら返した。

 

「んん!? ん~、まぁ、そう……だな。俺が勝っても(・・・・・・)、パーティー組んでやろうじゃねえか」

「むっ!?…………じゃ、そう言うことでね。あ・た・し・が! 勝ったらパーティー組んでよね」

「あぁんッ!?」

「何よ!?」

 

「「…………」」

 

 互いにどちらも譲らぬサフィーアとブレイブ。他の三人が見守る中暫し睨み合っていた二人だったが、不意に同時に吹き出し笑みを浮かべ、今度は互いに笑い合った。

 

「ぷっ!」

「くっ!」

「ふふっ、あはははっ! ふぅ、またね」

「はっはっはっ! あぁ、達者でな」

 

 一頻り笑い合った二人は、互いに再会――という名の再戦――を誓い合って別れた。

 サフィーアはクレア、カインと共に飛空艇に乗り込んでいき、ブレイブとシエラはそのまま飛び立つ飛空艇が空の彼方に消えるまで見送った。

 

 飛び立った飛空艇が視界から消えるか消えないかと言った頃合いに差し掛かった時、ブレイブは徐に隣のシエラに問い掛けた。

 

「……んで、先生の容体は?」

「うん…………最近は安定してるけど、それでも安心はできない。先生が歳だってのも勿論あるみたいだけど、やっぱりちゃんとしたお医者さんに見せないと」

 

 真剣な表情でブレイブが訊ねたのは、イレーナの今の容体である。実はここ最近、彼女は著しく体調を崩していたのだ。容体を見る限りただの風邪の様ではあるが、イレーナはかなりの高齢。ただの風邪であっても油断できない。

 出来る事であればちゃんとした医者に診せたいところだが、生憎とそこまで回せるほど資金に余裕は無かった。子供達の世話だけで精一杯なのである。

 普通であればここは子供達にも少し不自由してもらって医者に診せることを優先するものなのだろうが、他ならぬイレーナ自身が医者に掛かることを拒否して孤児院の運営に資金を割いているのが現状だった。

 

 ブレイブは口一杯の苦虫を噛み潰したような顔になった。イレーナは、自分の事を諦めているのだ。寿命が尽きる事を感じて諦めているのか、それとも高齢である自分が病に罹ってしまった事で諦めたのかは定かではないが、兎に角彼女は完治を諦めている。医者に金を払って治療費と薬代に金を使うくらいなら少しでも多く子供達の為に使いたいと思っているのだ。

 

 イレーナにちゃんと診察を受けてもらうにはどうすればいいか? ブレイブが考えた時、出てきた答えは一つだけだった。

 即ち、もっと金があればいいのだ。金さえあれば、イレーナも重い腰を上げて診察を受けてくれる筈。

 

 今よりもっと多くの、纏まった金があれば…………。

 

「…………ま、ちょうどいいっちゃちょうどいいのか?」

 

 ブレイブの脳裏に浮かぶのは、今し方別れを済ませたばかりのサフィーアとの約束。彼女との約束、再戦を叶え更には纏まった資金を得ることができる方法を彼は知っていた。

 

 いや…………保留していたと言った方がいいか。

 

「んじゃ、俺もそろそろ行くわ」

「え、もう行っちゃうの?」

「あぁ。ガキ共と先生の為にも、稼がねえとな」

「なんか、何時もごめん。ブレイブ兄ぃにばっかり頑張らせて……」

「何言ってやがる。その分お前は俺が居ない間先生とガキ共の面倒見てんだ。礼を言うのはこっちの方だよ」

 

 そう言うとブレイブは、少し泣きそうになっているシエラの頭を乱暴にグシャグシャと撫でた。乱暴且つ子供扱いな撫で方にシエラは一応の抵抗を見せるが、心からの抵抗ではないからか彼の行動を止めることなく寧ろされるが儘となっていた。

 一頻り撫で、満足したのかブレイブはシエラを解放しそのまま別れを告げた。

 

「ボチボチ時間だ。じゃあな、シエラ。後の事は頼んだぜ」

「うん。ブレイブ兄ぃも、気を付けてね」

「応よ! お前も、風邪とか引かねえようにな」

 

 そう言いながらブレイブは人差し指でシエラの額の中央を軽く小突き、額を押さえながら笑みを浮かべるシエラに見送られながらサフィーア達が乗り込んだのとは別の飛空艇に向けて歩いていく。

 その途中で、彼は傭兵ギルドから支給されるPDAの電源を入れ画面を覗き込んだ。画面が明るくなり内容が表示されると、そこにある一つの依頼が表示された。

 

 依頼内容は、戦時雇用。依頼主は…………ムーロア帝国軍。

 

 ブレイブは指名依頼とカテゴリーされたその依頼を眺めると、その依頼の隣に表示された『保留』という文字を画面を操作して消した。

 それは即ち、彼が帝国軍に雇われた傭兵になると言う事を意味していた。

 

――お膳立ては済んだ。サフィよぉ…………楽しみに待ってるぜ――

 

 ブレイブはPDAを仕舞い、不敵な笑みを浮かべると飛空艇のタラップに足を掛けるのだった。




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第76話:激突の予兆

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 サフィーア達がハットハットから飛空艇で飛び立ったのと時を同じくして…………。

 

 グリーンラインに存在する独立国の一つ、ヒースローの近郊にある岩山にある洞窟の中を二人の兵士が手にしたライフルに取り付けられたフラッシュライトの光を頼りに進んでいた。帝国兵ではない。帝国兵の標準装備の特徴は何と言ってもヘルメットに搭載されたカメラアイだが、この兵士が被っているヘルメットにはカメラアイはなく目の部分は遮光されたバイザーで覆われている。

 ヒースローの兵士でもない。グリーンラインに存在する独立国はいずれも大なり小なり軍備を保有してこそいるが、割ける資金の限界からかその装備は帝国や共和国などの大国ほど重装備ではなかった。特に頭の装備はそれが顕著であり、大体の独立国は最低限頭を守ることだけを目的とした顔などがむき出しのヘルメットを装着している。

 

 この兵士は、共和国軍の兵士だった。帝国軍の装備とは異なり装甲の色はカーキ色に染められており、見た目も帝国兵が角張っていたのに対しこちらは曲面が目立つ。機能的には帝国軍のそれより劣っていそうだが、あちらに比べて身軽そうな印象を受けた。

 

 と、その兵士が突然持っていたライフルの銃口を左下に向けた。ライフルに装着されたフラッシュライトの光が照らす先には、嘗ては人だったものが潰されたと思しき赤黒い肉塊が。

 兵士はそっとその遺骸に近付き、見ただけで分かるが死んでいることを少し触って確認する。

 

「コマンドポスト、こちらブラボー2、傭兵と思しきものの遺体を発見。何かに強い力で叩き潰されたようだ。どうぞ」

『こちらコマンドポスト。ブラボー2、仕立て人は分かるか? どうぞ』

「こちらブラボー2。状況的に考えて、恐らくオーガなどの人型モンスターだろう。この洞窟はそんなに広くない。オーガかそれに類する人型モンスター以外でこんな事が出来る奴は考えにくい。どうぞ」

『こちらコマンドポスト。了解した、引き続き警戒して洞窟内を「待て!」ッ!?』

 

 戦闘指揮所と通信していた兵士は通信機の向こう側のオペレーターの言葉を遮り、洞窟の奥に銃口を向ける。地面に膝をつき銃口を向けた先、フラッシュライトが照らす暗闇の奥からズシリズシリと何かが音を立てて兵士の前に姿を現す。

 姿を現したのは案の定オーガだった。岩のように固い筋肉で覆われた身体、丸太の様に太いその手には赤黒い生乾きの血が付着しているのが見える。

 

 オーガの姿を確認した瞬間、二人は同時に引き金を引いた。フルオートで放たれた軍用の徹甲弾がオーガの肉体を次々に穿ち蜂の巣にしていく。オーガは威嚇する間もなく腹部、胸部、頭部を穴だらけにされその場に崩れ落ちた。

 二人の兵士は数秒ほど倒したオーガに銃口を向けていたが、死んだふりをしているのでもなく本当に死んだのを確認すると銃を下ろしコマンドポストと連絡を取る。

 

「コマンドポスト、こちらブラボー1。たった今、仕立て人と思しきオーガを始末した。他の個体が居ないか念の為確認する。どうぞ」

『こちらコマンドポスト。了解、十分に警戒されたし。終わり』

 

 通信が切れると、二人の共和国兵はフラッシュライトで照らしながら洞窟の奥へと進んでいった。

 

 

***

 

 

 二人の兵士が探索している洞窟がある岩山のすぐ近くに、共和国軍の戦闘指揮車は停車していた。大型トレーラーを改造して用意されたその指揮車のコンテナ内部には通信機器とスクリーンが搭載されており、洞窟内に突入している兵士たちの動きがリアルタイムで分かるようになっている。

 

 そのスクリーンを、一人の男性が険しい表情で見つめていた。

 この男性の名前はエヴァンス・ヒューストン。階級は中佐で、この部隊――共和国軍第105独立大隊の指揮官である。

 

 彼が険しい表情をしているのは、別に状況が芳しくないからではない。いや、見方によっては芳しくないのだろうか。とにかく苦しい状況ではないのだが、現状は彼にとって、そして共和国軍にとって望ましいものではなかったのだ。

 その心中を察してか、副官の男が彼に声をかける。

 

「なかなか手掛かりが見つかりませんね。情報によるとこの近くでも帝国軍が確認されたとのことですが…………」

「うむ」

 

 彼らの目的は、グリーンライン内で密かに活動していると言われている帝国軍の捜索である。ここ最近、帝国軍がグリーンライン内で確認されているという情報が各独立国から齎されており、その真偽の確認の為に彼らはこうして数少ない情報を頼りに捜索を続けていたのだ。

 だが今のところ成果は殆ど無しときていた。何かしらの戦闘痕らしきものは確認できるのだが、それが帝国軍によるものか傭兵によるものかは定かではない為捜索結果としては今一つな成果しか出ていなかった。

 

 現在洞窟には複数の分隊が突入して捜索しているが、通信機からくる報告はどれも洞窟内に巣食うモンスターの討伐のものばかりであった。肝心の帝国軍の活動の痕跡が見つからない現状にエヴァンスも苛立ちが隠し切れなくなってきた。

 

 その時である。

 

「ん?…………ッ!? エヴァンス中佐、緊急連絡ですッ!!」

「どうした?」

「ベースワンより、我が軍の人工衛星が独立国アルフに向かう帝国軍部隊と思しき軍用車の車列を確認したと報告がありました」

「アルフの守備軍の車列じゃないのか?」

「車両の形状などから、その可能性は低いとのことです」

 

 オペレーターからの報告にエヴァンスは顎に手を当て思考の海に入る。

 この報告は恐らく真実だろう。共和国軍の保有する軍事衛星の精度は帝国や連邦に全く引けを取らないものを有している。きっと衛星が捉えた車列は本当に帝国軍の軍用車両のものだろう。

 だがそうなると、何故ここで突然あっさりと姿を現したのかという疑問が残った。これまで隠密行動に徹底し、衛星にすらその影を捉えさせなかった。それがここにきて見つかるなど、何かの間違いではないかと疑ってしまうのも無理はない。

 

 だが彼が思考に有した時間は僅かであった。確かに疑問は残る。だが現実に帝国軍と思しき連中が目撃され、それの向かう場所がはっきりしているなら行動しないという選択肢は存在しなかった。

 

「すぐに動ける部隊は?」

「現在待機中の第4中隊ならすぐに行動できます」

「では第4中隊は私と共に至急アルフに急行する。他の中隊も準備が完了次第アルフに急行せよ」

 

 自ら最前線に赴こうとする大隊指揮官の言葉に、副官は面食らい引き留めようとする。

 

「大隊長自らが!? 危険では? ここは私が向かいますので、中佐は後方から指揮を……」

「正確な情報が欲しい。お前を信用していない訳じゃないが、ここは私の我が儘を許してくれ」

 

 そう言われて副官は苦い顔になった。本当は引き留めるための言葉はいくらでも出てきた。だがそれらを並べ立てたところでエヴァンスは止まることはないだろう。

 彼は所謂叩き上げの軍人である。一兵卒から昇進を続け大隊指揮官の地位を手に入れた男であり、その頃の癖が抜けないのか今でも指揮官であるにも拘らず平然と前線にやってくる事があった。指揮官としてはやや意識に欠けるところがあるが、同時にそれが前線で戦う兵士たちを鼓舞し士気を上げているのも事実であった。

 

 行かせるべきか止めるべきか。副官は頭を悩ませたがここで議論している時間はなかった。現に帝国軍らしき連中が行動しており、この機を逃せば再び僅かな情報だけで帝国軍部隊の姿を探す羽目になってしまう。

 

 それならばいっその事――――

 

「分かりました、これ以上は何も言いません。ただ無茶だけはしないでください。我が部隊にとって、あなたも必要な存在なんですから。

「言われなくとも分かっているさ。よし、行くぞ!」

 

 エヴァンスは副官にこの場を任せると、移動指揮車から別の車両に乗り移り第4中隊と共に一路アルフへと向かっていくのだった。

 

 

***

 

 

 一方サフィーアはと言うと、貨物用とは言え始めてのる飛空艇の乗り心地に若干興奮気味であった。

 

「ふわぁ~、これが飛空艇かぁ。乗り合いバスとは全然違う」

「そりゃそうさ。えっちらおっちら地上を走るバスと颯爽と空を駆ける飛空艇、どっちが速いかなんて比べるべくもない」

 

 ガタガタと揺れることもなく、気温も最適に保たれている機内は快適の一言であった。サフィーアは乗り合いバスとは雲泥の差のその乗り心地に感動すら覚えていた。

 

 彼女らが乗っている飛空艇は『コーネリウス級コルベット』と呼ばれる種類の飛空艇であり、元は共和国を始め多くの国で使用された輸送艦で型としては少々古い。造りは非常に単純で、船体の左右に昇降用のプロペラを一つずつ搭載し船体後部には推進用のプロペラを搭載している。

 型は古いがその分造りは堅実で信頼性が高く、旧式と言う事もあってか安価なので個人の輸送業者なんかが未だに使用していた。

 

 例え造りが旧式であっても地上を走るのに比べたら空を飛ぶのがずっと早い。流れる外の景色はバスなんかの車内から見る景色とは比べ物にもならなかった。

 

 サフィーアは外の景色を見て子供の様にはしゃいでいるが、クレアとカインは飛空艇に乗り慣れているのか特に感激したりすることもなくリラックスした様子で椅子に座っていた。

 因みに今三人がいるのは乗組員用の船室の一つである。流石に元が輸送船である為上等な客室はないが、貨物室なんかにつっこまれるよりはずっとマシであった。

 

 しかし、クレアにはずっと気になっていることがあった。ズバリ、今回の支出だ。

 言うまでもないことだが飛空艇は維持費が掛かる。如何に旧式とは言え、立派に現役として活躍している以上維持費も安くはない筈だ。その飛空艇に、正規の手順を踏まずに乗り込むとなればそこにはちょっとお高いでは済まない額が掛かると言うのは容易に想像できるものであった。

 

「カイン、率直に聞かせて…………幾ら掛った?」

 

 不安を滲ませるクレア。そんな彼女の心配を察してか、カインは苦笑を交えながら答えた。

 

「まぁ、確かに安くはなかったよ。ただお金のことはそこまで心配しなくても大丈夫だよ」

「何で?」

「ん、まぁ僕は色々とコネがあるからね。この飛空艇くらいなら何とかなるってもんさ」

 

 そう言って笑みを浮かべるカインに、クレアは何とも言えない顔になった。彼とはそれなりに付き合いがある筈なのだが、未だに分からない事が多すぎる。特にこういう時は、彼の背景にどんな景色が広がっているのか想像もつかず薄ら寒いものを感じさせられることが多々あった。

 

 チラリと窓辺に目を向けてみれば、サフィーアは未だに子供の様に目を輝かせて窓の外を眺めている。

 妹分の気楽な様子を羨ましく感じ、クレアは溜め息と共に肩を落とすのだった。




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第77話:再び遺跡へ

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 サフィーア達一行は問題なくイートの飛空艇発着場まで到着できた。流石に大国ともなると空であっても国境付近には巡回の飛空艇があって、途中簡単な臨検を受けた時には肝を冷やしたが空は地上とは大した連携が取れていないのかサフィーア達の事も特に気にされる事無く国境を越える事が出来たのは幸いだった。

 

 そうしてやっとの思いでイートの傭兵ギルド支部に辿り着き、依頼達成の報告を済ませた一行。その三人に返ってきたのは、何時も通りのナタリアの労いの言葉…………だけではなかった。

 

「それと、その…………依頼を一つ終えた直後で大変申し訳ないのですが……」

「なに、どしたの?」

「その…………皆さんに、指名で依頼が……」

 

 指名で依頼されること自体は、傭兵にとって名誉なことである。それだけ期待され注目されていると言う事でもあるし、名が売れていると言う事でもあった。それ自体に文句を言う者はそうそういない。それこそ、よほどの面倒くさがりでその日暮らしの為に傭兵業を惰性で続けているのでもない限りは。

 だが手放しで喜ぶには、ナタリアの様子が少し気になった。申し訳なさそうと言うか、とにかく物凄く言い辛そうにしているのだ。ただの指名の依頼ならこんな反応はしない筈である。

 

 三人――特にサフィーアとクレアの二人は、盛大に嫌な予感を感じた。それも、どこかデジャビュを感じさせる予感だ。

 そういえば、つい最近も指名での依頼を受けたことがあったような…………。

 

「ねぇ、ナタリア?」

「はい……」

「その依頼主って、さ…………もしかして?」

「その…………はい、多分ご想像の通りかと」

 

 恐る恐るサフィーアが訊ねると、ナタリアは乾いた笑いと共に頷いてみせた。細かく言わずとも互いに誰の事を言っているのか理解できたのは、それだけ相手が強烈な印象を他人に植え付ける者であると言う事を何よりも物語っていた。

 唯一その相手が誰なのか理解できないカインは、首を傾げながらクレアに問い掛けた。

 

「誰の事?」

「あんたも知ってるんじゃない? ほら、クロード商会の現会長」

「あぁ、え~っと、ビーネ・アーマイゼだっけ? その人がどうかしたの?」

「変人なのよ、一言で言えばね」

 

 こうは言うが、二人は決して彼女を嫌っている訳ではない。確かにこちらのペースを乱され、会話するだけで疲れてしまうがそれでも彼女は依頼した傭兵を使い捨てにするような人物でないことは理解していた。

 ただ、何と言うか苦手なのだ。感性が独特と言うだけでなく、こう……一緒に、と言うか目の前にいられると、こちらの一挙手一投足や心の内までをも隅々まで眺め回されているような気分になるのだ。悪意あるものではないと言う事は何となく理解できるのだが、その感覚だけはどうしても慣れることなく苦手意識が拭えなかった。

 

「なるほどね。確かに苦手な人間が相手となると、指名を受けても素直には喜べないか」

「そうなのよ」

「それじゃどうする? いっそ蹴る?」

「あたしは出来ればそうしたいわ。あの人が係るとウォールこんなんなっちゃうし」

 

 そう言ったサフィーアの膝の上では、ビーネが係ると最早恒例となった怯えて縮こまるウォールの姿があった。試しにクレアが指先で軽くつつくと、全身の毛が吹き飛ぶのではないかと言うほどにびくりと震える。

 クレアの行動を手で軽く遮ることで咎めつつ、サフィーアは疲れた表情で首を横に振った。

 

「でもそう言う訳にもいかないでしょうよ。仮にもあたしたちを頼ってくれてる訳だし、特別酷い依頼をしてくる訳じゃないし」

 

 あんな性格ではあるが、何だかんだで傭兵使いは悪くない。金払いはいいし、必要とあれば増援の傭兵も雇ってくれる。仕事内容に難癖付けて報酬を減額するなどもされないし、したと聞いたこともなかった。雇い主としてはかなりの優良物件であった。

 ただ一点、悪質な意味ではなく性格に難があると言うだけである。

 

 そこまで考えてサフィーアは感づいた。ビーネは今この支部に来ているのではないか?

 過去に彼女から依頼を受けたのは二回だが、その何れにおいてもビーネは傭兵と直接顔を合わせている。最初の時は指名でなかったしタイミングも依頼達成後ではあったが、その次の依頼の時は態々アイラを使いに出して指名の件を伝えに来た。

 どうやら贔屓にしている相手には直接面と向かってモノを言うのがビーネのスタンスらしい。それ自体は好ましいのだが、その相手が苦手な人物と言うのがなんとも…………。

 

 とは言え、サフィーアが言った通り折角頼ってくれている上に無理難題を押し付けない、依頼主としては良好な相手だ。個人的心象で拒否するのも気が引けると言うもの。

 

「そう言う訳だからウォール、覚悟を決めなさい」

 

 溜め息を飲み込みながら立ち上がるサフィーアの腕の中で、ウォールが明らかに脱力したのを感じつつ三人はナタリアに連れられて応接室へと向かっていった。

 

 

***

 

 

「ウイウイ、どうもど~もぉ。最近よくお会いしま~すねぇ」

「あんたが指名しなきゃ私達はあんたと顔合わせることもなかったのよ」

 

 応接室に入るなり飛んできたビーネの変に間延びした言葉に、クレアがうんざりしたという気持ちを隠さず返す。そんな返しをされても、ビーネは全く気を悪くした様子もなくどこか楽しそうな雰囲気を崩さない。

 

「んふ~ふぅ、嫌われちゃいま~したぁ?」

「別に嫌っちゃいないわ。ただ苦手なだけよ」

「違いがいまいちよくわかりませ~んがぁ、今は置いときましょ~かねぇ。こちらとしても少しばかり急を要しま~すしぃ、早速仕事の話をしましょ~かねぇ」

 

 先程までと比べちょっとだけ真面目な雰囲気になったビーネを前に、サフィーア達三人も気を引き締める。カインはともかく、ビーネの事をある程度知る二人は彼女が真面目になる事の意味を考え、今回の依頼は少し険しいものになる事を直感した。

 

「まずは前回の依頼でアイラちゃんを始めうちの子達を守ってくれてありがとうございま~すぅ」

「ま、それが仕事だった訳だし」

「そ~れでぇ、今回のお仕事なんで~すけどもぉ、お三方にはもう一度あの遺跡に行ってほしいんで~すよぉ」

 

 ビーネの言葉に三人はキョトンとした顔になる。クロード商会が遺跡の占有権を確保してからそれなりに時間が経っている。そんなところに今更傭兵が必要だろうか? 彼女だって馬鹿ではない。サフィーア達が依頼を達成し別の依頼へ移った後、入れ替わるようにして彼女もまた別の傭兵を護衛に雇った筈だ。

 もしや、その傭兵たちに何かあったのだろうか?

 

「何か、トラブルでも?」

「あったと言うよ~りはぁ、ありそうだから行ってほしいと言う感じで~すねぇ」

「と言うと?」

 

 カインが首を傾げていると、ビーネの背後に控えていたアイラが数枚の書類をテーブルの上に置いた。代表してソファーの中心に座っていたクレアがそれを手に取り、左右からサフィーアとカインが覗き込む。

 書類に目を通す三人の横から、アイラが事の詳細を説明し始めた。

 

「先の遺跡に国際機関と我が商会が雇った学者の一団が調査に赴いたのですが、調べていくにつれて遺跡の規模が予想を遥かに上回って大きいことが分かりました」

 

 書類によると、深さは二十階建てのビルに相当し横の広さに至ってはちょっとした球場ほどもある。これは確かにかなりの規模と言えるだろう。

 となると、一つ問題が出てくる。規模にもよるが遺跡には大体対侵入者用のトラップが仕掛けられている場合が多い。この規模ともなればほぼ確実に、それも無数のトラップが仕掛けられている事だろう。それらを潜り抜けながら調査する、容易なことではない。

 

「これは、私達三人が加わっても骨が折れそうね」

「ウイウイ、十中八九機密保持用の防衛機構があるでしょ~ねぇ。勿論現地には皆さんの他にも腕利きの傭兵を複数雇うつもりで~すよぉ。今度は時間に余裕もありま~すのでぇ、実力等をしっかり吟味した上で雇いま~すぅ」

「向こうでは我が商会が、皆さんの活動に支障が出ないよう最大限バックアップします」

「報酬は前回の二割増しでお支払いいたしま~すよぉ」

 

 ビーネの言葉に三人は真剣な表情で顔を見合わせた。条件は、はっきり言って破格だ。万全のバックアップがあって尚且つそこそこ高額な報酬が得られる。これだけを見ればなかなかに旨い話であると言えよう。

 だが物事そんなに甘くはない訳で。遺跡絡みの依頼は何が起こるか分からず、労せず報酬を得る事が出来る事もあれば予期せぬ事態に陥り全滅する事さえあった。ある種の博打ともとれるその性質故、遺跡絡みの依頼は時としてビックリ箱や宝くじに例えられる事すらあるのだ。

 故に、表面上の条件だけで受けるのは危険である。受ける際には自分たちの実力とこれまでの功績、現在の資金などと相談した上で慎重に決断しなくてはならない。

 

 少しの間三人は考え込み、小声で話し合った結果――――

 

「オーケー、その依頼受けさせてもらうわ。確認するけど、報酬は三人別々に貰えるって事でいいのよね?」

「ウイウイ。勿論そのつもりで~すよぉ」

 

 クレアがパーティーの代表として依頼を受ける旨を伝えた。

 実際、今回の依頼は遺跡絡みと言う事で不透明な部分が多い。規模も大きいし、何かしらのトラブルが起こることは予想できる。

 だがそのリスクを冒しても尚、遺跡の調査の護衛は非常に魅力のある依頼だった。報酬の話ではない。しいて言うならロマンの話だ。前人未到の遺跡に赴き、未知との遭遇や新たな事実の発見に携わる。何とも心躍る話ではないか。多少のリスクを冒してでも、受ける価値はあると言うものだ。

 

「現地へはまた私も同行します。出発は明朝九時で宜しいですか?」

「分かった、朝九時ね。それで良いかしら、二人とも?」

「あたしは良いですよ」

「僕も、特に問題はないかな」

「ありがとうございま~すぅ。それでは、私は少し忙しいのでこれで失礼いたしま~すぅ。良い報告を期待してま~すねぇ」

 

 話が纏まったとみるや、ビーネはソファーから立ち上がり三人に頭を下げると優雅に部屋から出て行った。

 部屋に残ったのはサフィーア達三人と、明日三人に同行して遺跡に赴くアイラのみ。そのアイラも、明日の移動の手順なんかの確認の為と言って一足先に部屋を出ていく。

 

 残された三人は自分たち以外の人の気配がなくなると、漸くといった具合に溜め息を吐きながら肩から力を抜いた。

 

「あぁ~、何か変に肩に力が入った。あれがクロード商会の会長かぁ」

「ね、疲れるでしょ?」

「あたしゃこれで三回目よ。でも何でか全然慣れないのよねぇ」

「うん、あれは確かにちょっと独特な雰囲気の人だね」

 

 カインは初めて面と向かって対峙したビーネに早くも苦手意識を抱いたらしい。やはり彼女の、こちらを隅から隅まで眺め回しているかのような雰囲気に違和感を覚える者は多いようだ。

 

 果たして彼女を相手に対等に接する事が出来る者は現れるのだろうか? そんなことを考えつつ、サフィーアはすっかり冷めた紅茶を口に流し込むのだった。




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第78話:束の間の贅沢

読んでくださる方達に最大限の感謝を。


 依頼を受けた翌日、サフィーア達はアイラと共にクロード商会が用意した車に乗って再びアルフ近郊の森の中にある遺跡に赴いた。違いと言えば、今回はカインも加わって傭兵が三人いる事だがそれ以外は移動のルートも前回と一緒である。

 因みに前回遺跡に向かう途中でサフィーア達を執拗に追跡してきたティンダーの群れは、前回の依頼達成後の帰還時には既に存在しなかった。群れ自体が移動したか、別の傭兵によって討伐されたようだ。

 そんな訳で今回はモンスターの襲撃も、また他の商会が放った刺客による襲撃も受けることなく極めて順調に遺跡まで到達できた。

 

「いやぁ、今回は何事もなくて良かったわ……って、おぉう」

 

 遺跡に到着して彼女たちを待っていたのは、遺跡の入り口周辺に設営されたテントやプレハブであった。国際機関の調査団はこの地に遺跡調査の為の仮設拠点を作り上げたらしい。

 見ると、プレハブやテントからは学者と思しき者の他にも傭兵らしき物々しい装備に身を包んだ者たちの姿が見受けられた。遺跡の規模が発覚する前に護衛として雇われていた傭兵達だろう。若しくは、サフィーア達とは別のタイミングで雇われて先に到着していたか。

 いずれにせよ、今回は前回とは比べ物にならない戦力での依頼になる。多少トラブルが起きてもある程度は楽に対処できるだろう。

 

 トラブルが“多少”で済めば、の話ではあるが…………。

 

「依頼終了まで、皆さんはここで生活してください」

「ほほぅ、これはこれは」

「へぇ――――!」

「わぁ……」

 

 一先ず、傭兵三人は居住区へと案内された。アイラについていった先のプレハブは、そこらで見かける工事現場のプレハブ事務所のような安っぽい外見に反して内部はそこそこ上等な宿にも匹敵する充実ぶりであった。ビーネの言っていた、最大限のバックアップと言う言葉に嘘はなかったらしい。

 部屋は一部屋につき二人が限界だったので、何時もの如くカイン一人が隣の部屋に入りサフィーアとクレアは一つの部屋を使うことにした。

 部屋に入りまず真っ先にサフィーアがしたことは、ベッドの近くに鎮座する冷蔵庫を開ける事だった。しっかり電力が行き届いた冷蔵庫内部はちゃんと冷えており、それどころかジュースなどの飲み物も既に入っている状態だ。

 クレアはクレアで、トイレと洗面台と一つになったシャワー室で水や湯が出る事を確認している。最早ちょっとしたホテルも同然である。

 

「至れり尽くせり…………って、こういう事を言うのかしらね」

「あらご不満?」

「そんな事ないですよ。ただ普段泊まる宿でもここまでのサービスは滅多にないですから、ちょっと圧倒されただけです」

 

 実際、普段サフィーアの様な普通の傭兵が泊まる宿なんかは冷蔵庫すらないのが普通だった。その分値段もリーズナブルだし、大体一階部分に格安で飲食できる食堂が併設されているので特別不満はないのだが、やはりこういう違いを見せつけられると依頼を終え普段の宿に戻った時不満や物足りなさを感じたりしないかが心配だった。

 

 サフィーアがそんなちょっと小市民じみた不安を抱いているのを余所に、クレアは気にした風もなく冷蔵庫に手を突っ込むとジュースを一本手に取り栓を開けて喉に流し込んでいく。三分の一ほどを一気に飲み干したクレアは、口元を拭いながらベッドの一つに腰掛けた。

 

「ぷはっ! ま、気持ちは分からなくもないけどね。でもこう言うのは楽しんる内に楽しんどいた方が得よ?」

「ん~……そうですね」

 

 クレアの言葉に同意して、サフィーアもジュースを一本取りだして飲み始める。難しく悩むのは性に合わない。楽しめるものは楽しめる内に満喫しておいた方が心の健康の事を考えても有意義である。目の前に絶品の料理があるのに、要らぬ警戒をして雑多で不味い飯を食うなど馬鹿のすることだ。折角用意してくれた相手に対しても失礼である。

 そう、これは相手に対する礼儀なのであって、決して普段は出来ない贅沢を享受しているのではないのだ!…………と、サフィーアは自身を納得させるのだった。

 

 

***

 

 

 翌日、サフィーアはクレアとカイン他、遺跡調査の為に集められた傭兵や学者と共に仮設拠点の中でも一際大きなテントに集められていた。いよいよ、本格的な調査に乗り出す為の説明会が始まるのだ。

 集められた傭兵や学者は全員プロジェクターのスクリーンの前に並べられたパイプ椅子に座らされ、説明の時を今か今かと待っていた。

 説明を待つ間の様子は、傭兵と学者で全く違った。学者連中はこれから潜り込む遺跡にどんな発見があるかに知的好奇心を刺激され、興奮を抑えきれずに近くの学者仲間と軽いディスカッションをしている。ある程度場所を考えているのかその声自体は出来るだけ抑えられているが、それでも閉鎖空間内で複数人が同時に声を上げればその音量は十分に五月蠅いと言われるほどのものになっていた。

 

 ザワザワガヤガヤと話す学者達に対して、傭兵達は至って静かなものであった。スクリーンをムッツリ睨んでいる者も居れば己の武器を点検していたり、寝ているのか瞑想しているのかわからないが目を瞑ってじっとしている者も居る。行動は各々違うが、事傭兵に限って全員に共通しているのは誰もが大なり小なり気を引き締めていると言う事であった。

 何しろこれから彼らが潜り込むのは、何が起こるか分かったものではない超古代文明の遺跡である。しかもその規模はほぼ確実に何かしらのトラップがあることが予想される上に、トラップとは別に長い年月の間に棲み付いたモンスターが居ても不思議ではないのだ。絶対に不測の事態が起こると分かっているからこそ、彼らは例え仲間内であっても無駄話をすることなく調査の説明が始まる時を待っているのである。

 その様子は宛らレース開始前のバイクなんかがゲートでアイドリングしているかのようであった。

 

 大型テントに傭兵と学者が集められてから、果たしてどれだけの時間が経っただろうか。徐にテントの入り口から一人の壮年の男性が入ってきた。風体と雰囲気から、明らかに学者側の責任者と言うかリーダー的な立ち位置の人物だろう。

 

 因みに傭兵側は特別リーダーなどは決めていないが、暫定的と言うかネームバリューなんかの影響でクレアがその位置に収まっていた。カインもクレアと同じAランクで二つ名持ちなのだが、周りの意見はクレアを推す声が大きかった。

 

 閑話休題。

 

「待たせてすまないね。傭兵諸君にはまだ自己紹介をしていなかったが、私が今回の遺跡調査の責任者を務めるラウルだ。長々と話すのもあれなので、早速始めようか」

 

 新たにテントに入ってきた学者――ラウルは、挨拶もそこそこにプロジェクターと繋がったパソコンに近付きスクリーンに映像を映し出した。遺跡の全容を大まかに表したものだ。

 

「さて、この映像は本格的な調査に先駆けて、遺跡の生きているシステムにアクセスして解読しつつ引っ張り出したこの遺跡の全容を示すものだ。見ての通り、かなり大きな施設であったことが分かる」

 

 事前にビーネから遺跡の規模が大きい事は知らされていたサフィーア達はそこまででもなかったが、事前情報を知らされていなかった(若しくは事前情報を聞き流していた)傭兵達がどよめく。その理由の大半は勿論遺跡の規模の大きさであるが、中には未だ遺跡のシステムがアクセスしてデータの引き出しが行えるくらいしっかりとした状態で残っている事に対する驚きがあった。無理もない、こんな規模の遺跡に遭遇することなど普通に傭兵をしていればまずお目に掛かる事のないレベルノものである。

 

「システムにアクセスできたと言う事は、遺跡内部のトラップも掌握できたのか?」

「いや、残念ながら。そちらに関してはプロテクトが固く、上部建造物からアクセスできる範囲ではトラップに干渉することは出来なかった。現時点で得ることが出来たのは、この全体マップのみだ」

「内部にモンスターは居るんですか?」

「振動探知センサーを用いた所、内部で何らかの生物が活動している痕跡は確認できなかった。だが休眠なりして動いていないだけという可能性も考えられるので十分注意してもらいたい」

 

 それまで黙っていた傭兵達が次々とラウルに質問を飛ばすが、その大半は現時点では謎と言うものだった。これは決してラウル達先駆けて調査をした学者が無能なのではなく、咄嗟のトラブルに対処できる傭兵が揃っていない段階での深いところへ踏み込んだ調査はトラブルの元になるが故の、仕方のない事であった。

 

 その後も学者や傭兵達がスクリーンに表示された資料を見て質問などをしていくが、大体は現時点では正確な事は不明であり実際に入ってみないと分からないと言う身も蓋もない話が続いた。

 

「言うまでもない事だが、今回発見された遺跡はこれまで発見されたものの中でもかなり大規模のものとなっている。つまりそれ相応に予期せぬ危険に遭遇する可能性が高い。我々学者も持てる知識を総動員するが、いざという時に際しては傭兵諸君の活躍を期待している」

 

 話の締めにラウルはそう言って傭兵――主にクレア――の事を見やる。自分に視線が集中している事をサフィーアでなくとも感じ取ったクレアは、分かっているとでもいう様に手をヒラヒラ振った。

 

 その後、細かな今後の予定をアイラから知らされ本格的な調査開始の日程を決め解散となった。

 

 長時間パイプ椅子に座り続けた所為で少し固まった筋肉を解す様に肩を回し背筋を軽く仰け反らせながらテントから出て割り当てられたプレハブに向かうクレアについて行くサフィーアとカイン。カインは少し歩幅を大きくしてクレアの隣に並び立つと、首筋に手を当てて首の筋肉を解しているクレアに話し掛けた。

 

「それで、僕らはどうする?」

「どうするって?」

「君とサフィは勿論中に入るんだろうけど、僕も一緒に行くかそれとも上で待ってた方が良いかって話」

 

 この森は一応国境外の危険地帯だ。前回の様にランドレーベが出現するとは限らないが、それでも危険なモンスターが出現する可能性はゼロではない。そして遺跡の調査の際には当然ながら全員で遺跡に入る訳ではなく、情報の整理や緊急時のバックアップの為の待機要員が地上に必要なのである。

 となると当然バックアップの為に地上に残っているスタッフも傭兵が守らなければならない。カインはそちらに自分が加わるべきか否か、とクレアに訊ねた訳だ。

 

 その彼の質問に対して、彼女は即答で否と答えた。

 

「あ~、カインもこっちに来てくれない。お願いだからさ」

「ふむ…………僕としては大歓迎だけど、地上の守りは大丈夫かな?」

「心配いらないでしょ? 今回は前回以上に粒のある奴が集められてるみたいだし、ここまで事が進んだら他の商会から横槍が入るなんてこともないんじゃない?」

 

 実際、今回仕事を共にする傭兵の中には二つ名を得るほどではなくともそれなりに名が知れた者がチラホラいた。彼らであれば不測の事態にもある程度は対処できるだろう。

 

 それに何より――――

 

「今回は本当に何が起きるか分からないからね。ここぞと言う時、安心して背中を預けられる人がいないと不安で仕方ないわ」

「クレア……」

 

 クレアの言葉を聞き、カインはサフィーアが見たことないくらい満ち足りた笑みを浮かべた。彼女に求められることが、彼女に全幅の信頼を置かれることが嬉しくて仕方ないのだ。

 嬉しさに突き動かされるあまり、カインは思わずクレアの肩に手を回し抱き寄せた。突然のカインの行動にクレアは一瞬面食らい、慌てて引き剥がしに掛かった。

 

「ちょっ、こらカイン何してんのッ!?」

「ん?」

「ん? じゃなくてッ!?」

「はっはっはっ!」

「あんたいい加減にしないとぶっ飛ばすわよッ!?」

 

 すっかり二人だけの世界に入り、サフィーアを置いてきぼりにするカインとクレア。

 

 一人蚊帳の外に置かれたサフィーアは、目の前でイチャつく二人の姿に面白くなさそうに口をへの字に曲げるのだった。

 

 

 

 

 

 因みにこの後カインは、流石に調子に乗りすぎとクレアから腹に一発貰う羽目になったのは言うまでもないことだろう。




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第79話:フラッシュバック

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 説明会を終えてから数時間後…………。

 

 現在時刻は大体正午を回ったところだ。森の中でこの辺りだけ妙に開けた地形になっているせいで、真上から降り注ぐ太陽の光がサフィーア達を照らす。

 そんな彼女達の前には、苔や蔦に覆われた大昔と言う言葉でも表現に不測のある過去に建てられた建造物が口を開けて待っていた。超古代文明、今ではこの様に稀に発見される遺跡でしかその存在を知る事が出来ない、謂わば太古の遺産だ。

 その太古の遺産にこれから乗り込み、そこに眠る歴史の闇に埋もれた超古代文明人達の秘密を解き明かす。それを直接為すのはサフィーア達が守る学者達だが、彼女は遺跡調査と言う己にとって未知の体験に子供の様に胸を躍らせた。

 

「よし、それではこれより遺跡内部に入る。上層部分は予め先発隊がある程度調査し終えているので危険はないだろうが、もしもと言う事もある。十分に注意するように」

 

 ラウルの話が終わると、クレアがサフィーアを始めとした傭兵を数人引き連れて遺跡へと先行していった。もしもの時を考えて、カインは突入組の最後尾だ。

 

 説明にあった通り既に上層部分は調査が終了しているからか、行動しやすいように内部が綺麗にされていた。病院のロビーを思わせる内部は、驚いたことに外部から持ち込んだ照明機器ではなく遺跡に元からあった電灯らしきものによって照らされていた。洒落にならないくらい長い年月が経っている筈だが、先発隊が綺麗に磨いて使えるようにしたからか明るさは十分すぎる程だ。消しきれない壁や床の経年劣化による汚れも丸見えである。

 

「こんな大昔の遺跡なのに、ちゃんと灯り点くんですね」

「動力がまだ生きてる証拠よ。気を付けなさい、灯りが点くって事は機械仕掛けのトラップも動くって事だからね」

 

 お上りさんよろしく初めて入る遺跡の内部の様子に感動と感心の混じった声を上げるサフィーアに、クレアが油断なく周囲を見渡しながら注意を促す。事前にこの辺りまでは安全が確保されていると言われてはいるが、念には念を押して損はない。

 

 そうこうしていると、一行はロビーの突き当りにある扉と思しき物の前に辿り着いた。文字体系なんかが違うからか何と書いてあるのかはわからないが、扉の横に階数表示と開閉ボタンらしきものがあることからエレベーターか何かだろう。この遺跡はかなり規模が大きいようだし、下の階への移動の為にエレベーターがあってもおかしくはない。

 サフィーア達先行していた一団がエレベーターの前に辿り着くと、後からついてきていた学者と学者を背後から護衛していた傭兵の一団も合流した。

 

 因みに、現在遺跡に入っているのは傭兵が10人に学者が7人だ。傭兵に関して言えばこの場に居る者以外に外でバックアップ要因護衛の為の連中が7人居る。全部で17人だ。

 軍隊などの組織でないにもかかわらずこれほどの数の傭兵を一度に雇えるとは、流石はクロード商会である。

 

 追いついた学者の中から、ラウルが前に出て躊躇せずボタンを押した。こちらも動力が行き届いているのか、何の問題もなく扉が開く。念の為に傭兵達は扉が開く瞬間何が飛び出してきても大丈夫なように警戒していたが、彼ら彼女らの心配は杞憂に終わった。扉が開いた先には何もなく、壁や床が汚れたエレベーターがあるだけだった。

 

 内心でホッと胸を撫で下ろすサフィーアの横を通り過ぎるように、ラウル達がエレベーターに乗り込み――――――

 

 

 汚れ一つない綺麗なエレベーターに、海色の髪をした一人の女性が乗り込んだ。

 

「…………え?」

 

 その瞬間、サフィーアの周囲の景色は一変していた。広がるのは今時の病院と同じく清潔に保たれた、壁も床も天井も汚れ一つなくピカピカなロビー。そこには白衣やスーツを着た老若男女が居て、長椅子に腰掛けたり受け付けと何やら話していたりしていた。

 

…………訳が分からなかった。

 

 周囲を見渡してもクレアも、カインも、学者も傭兵も見知った者は誰一人存在しない。汚れてさえいれば室内そのものは見覚えあるものだが、定期的に清掃されていることが丸わかりな綺麗な内装になっていた為同じ部屋であるという自信すら持てなかった。

 そんな状況であるにも拘らず完全に取り乱していないのは、今目の前にいるエレベーターに乗った女性が原因だった。一頻り周囲を見渡し、そして再びエレベーターに目を向けると、女性はまだそこにいる。

 流れるような長い海色の髪と、同色の吸い込まれそうになる瞳。白衣を着て知的な雰囲気を漂わせるその女性を、サフィーアはこの場の誰よりも知っていた。

 

 唐突にサフィーアとその女性の目が合う。同時に閉まり始める扉の向こうで、女性はゆっくりと口を開く。

 

――『サフィ?』――

 

 

「サフィ?」

「ッ!?」

 

 突然、目の前の扉が再び汚れの目立つものに変わった。目を白黒させながら茫洋と視線を彷徨わせていると、出し抜けに体の向きが変えられた。隣にいたクレアが肩を掴んで強引に自分の方にサフィーアの体を向かせたのだ。

 何時もならそんな事をされたら声の一つも上げるだろうが、今は生憎と色々なことが一度に起こりすぎてか口も喉も反応してくれなかった。まるで人形のようにされるがままの彼女の目に飛び込んできたのは、心配そうな表情で自分の顔を覗き込んでくるクレアの顔だった。

 

「どうかしたの? いきなり黙ったかと思えば、呼んでも全然反応しないし」

「それは、えっと……どれ位?」

「五分も経ってはいないと思うけど…………本当に大丈夫?」

「大丈夫ですって。ちょっと初めて遺跡に入って圧倒されちゃっただけですから」

 

 サフィーアはそう言ってクレアを安心させようとするが、彼女からは相変わらず懐疑の思念が突き刺さる。適当なことを言っているのがバレバレなようだ。

 とは言え本当のことを言う訳にもいくまい。言っても信じてもらえないだろうし、要らぬ心配をかけるかもしれない。実際、今は特に感覚がおかしくなったり視界に変なところがあるなんてこともないので、仮に今すぐ戦闘が起こったとしても問題なく戦えるだろう。

 

 心配そうに見つめてくるクレアの目を真っ直ぐ見返し、問題ないという意思を伝える。

 

 暫しの間、クレアは疑わし気な視線をサフィーアに向けるが、これ以上は追及しても無駄だと悟ったのか観念して溜め息を一つ吐くとサフィーアを視界から外してエレベーターのボタンを押す。その頃には既に先に下りた連中を降ろし終えていたのか、下の階層に止まっていたエレベーターはすぐに上がってきた。到着すると同時に開いた扉に、サフィーアとクレアを始めとして最初に来た時に乗り切れなかった学者と傭兵の一部が乗り込んでいく。人数的にも荷物的にも、あともう一往復すれば全員を下に降ろせるだろう。

 

 カインが他の残りの傭兵達と共に、閉まりゆく扉の向こうでサフィーア達を見送る。扉が閉まり切ると、エレベーターが下に下りる時特有の一瞬の浮遊感を感じた。高層ビルに今まで縁がなかったサフィーアだが、感覚的に結構高速で下りているらしいことが分かった。

 案の定、エレベーターは数分と経たずに目的の階層に到着した。結構な深さに潜った気になっていたが、階数表示的には地下四階と言ったところのようだ。

 

「一気に下までいかないんだ?」

「上層までしか調査が終わってないんだ。ここから下は本当にまだ未知の領域、何があるかはわからないから気を引き締めてくれよ?」

 

 何気なく呟いたサフィーアの言葉に、同乗していた学者の一人が返した。精悍な顔をした、どことなく野性味溢れる顔をした学者だ。傭兵達とは食事時なんかにある程度交流を結んだサフィーアだったが、流石に学者達に対してはまだ大して話し掛ける事も出来ずにいた。タイミングはあったが、彼らは食事時でも遺跡に対してあれこれとディスカッションしており話し掛ける隙が無かったのだ。

 なので、サフィーアは彼の名前も当然知らない。

 

 目的の階層に到着して扉が開く中、サフィーアが互いに自己紹介をしていない初対面の相手であることに彼も気付いたのか、少し慌てた様子で自身の名を告げた。

 

「あぁ、そうだった。俺たち互いに相手の名前を知らなかったな。初めまして、クロード商会に雇われたフリーの考古学者、アレクサンド・ミラーだ。アレックスって呼んでくれ」

「サフィーアよ、サフィーア・マッケンジー。こちらこそ宜しく」

 

 サフィーアとアレックスは互いに軽く握手をすると、完全に開いた扉から地下四階に入っていく。そこではラウルを始めとした第一陣によって既に機材の設置が行われ始めていた。

 

「そっち、無線端末は上と繋がったか?」

「はい博士。無線端末は問題なく上のバックアップ班の端末と繋がりました」

「よし。そこ、遺跡のシステムにアクセスは出来たか?」

「すみません、まだ少し時間がかかりそうです」

「焦るなよ。下手なことをして変なトラップを起動させたりしたら目も当てられないからな」

 

 第二陣がやってきたことに気付いているのかいないのか、ラウルはてきぱきと他の学者達に指示を出していく。一緒に下りた傭兵達は、特にやることも無かったのか作業の邪魔にならない所にまで離れて待機中だ。

 到着するなりラウル率いる第一陣の手伝いに回るアレックス達第二陣の学者。サフィーア達第二陣の傭兵は、第一陣に倣って学者達の邪魔にならない所に退避して問題が起きた時に備える。

 

 しかし他の傭兵が周囲を警戒する中、サフィーアはどこか心ここに非ずと言った様子だった。理由は言わずもがな、先ほど見た白昼夢の様な、それでいて嫌に鮮明な光景だ。

 長い年月が経っているとは思えないほど清潔な内装に、明らかに調査と言うよりはここに努めていると言った風体の者達。そして極め付けに、エレベーターに乗り込んだ白衣姿のサフィーアもよく知る女性の姿。特にサフィーアはその女性の姿が妙に頭に引っかかっていた。いや、正確にはその顔か。この場に居るはずのない、そして実際に居なかった人物の事は、サフィーアの頭から冷静さを奪い取るのに十分すぎるインパクトを持っていた。

 

 それから数分と経たず、カイン他残りの傭兵達が合流した時には大体の機材の設置が終わっていた。彼が退避しているサフィーア達の存在に気付き近付いて話し掛けようとした時、ラウルの口から準備完了の知らせが告げられる。

 

「よし、準備は出来たな」

「はい!」

「それではこれより、中層以降の調査を開始する。オーキスとウィッキーはここに残り、情報の収集と上との連絡に努めてくれ」

「分かりました、博士」

 

 ラウルの指示により、学者は二手に分かれる。調査する者達と、情報のまとめや外との連絡係だ。

 一方、傭兵も当然二手に分かれた。

 

「あたし達はどう分かれます?」

「そうねぇ…………ディフェンダー居る?」

「ここに」

「あ、銃士でハンターやスナイパーも居れば」

 

 クレアとカインの呼びかけに、数人の傭兵が挙手をした。その中からクレアは三人ほど見繕ってこの場の警戒に当たらせた。

 

「んじゃあんたとそこの二人、三人でここを守って頂戴。残りは全員で学者先生方を護衛するわよ」

 

 メンバー編成を終えると同時に、ラウル率いる学者集団が移動を開始した。

 彼らが移動を開始したのを見て、それを先導し護衛すると言う役目を果たすべくクレアはサフィーアと共に学者集団の前に出る。

 

 一団が向かうのは、未だ調査の手が及んでいない中層以降の階層。歩みを進めるサフィーアの目前には、今回の仕事の不鮮明さを暗示するかのように照明が消えた階段が口を開けて待っている。

 その階段に向かいながら、サフィーアは先程見た幻覚のような光景を思い出し心の中に微かな不安を抱きながら、暗闇に包まれた下り階段に足を踏み入れるのだった。




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第80話:異変進行

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 クレアを先頭として暗い階段を下りた調査隊一行は、手にしたライトで周囲を照らしながら遺跡内部を進んでいた。ひたすら前方を照らし正面に異常がないか確認しながら進むクレアに対し、その隣を歩くサフィーアは忙しなくあちこちを照らして周囲を警戒しながら進んでいる。その後ろに続く傭兵や学者も似たようなものだ。

 

 複数のライトで照らされた内部は、思っていた以上に綺麗なものだった。勿論あちこちに埃は積もっているし、そもそも現時点で光源は各々が手にしたライトの光しかないのだから実際に照明が使えるようになればまた違った印象を受けるのかもしれない。

 だが少なくとも、屋外で数年手入れがなされず荒れ放題になった空き家に比べ、こちらの方が数段綺麗と言い切れる自信があった。

 

 と、暗闇の中を進んでいた一行はちょっとした空間に出た。目の前には一見すると巨大な柱の様にも見える、スクリーンと一体化したコンソール。それを中心に一行が歩いてきた通路を含め四方に通路が伸びている。

 サフィーアがコンソールを上から下まで眺めていると、ラウル達学者が取り付きラップトップコンピューターを繋げた。後ろから覗き込むと、ここから中層のシステムに接続し灯りを点けようとしているようだ。

 

 暫しキーボードを叩くカタカタと言う音が静かな遺跡の中に響くが、ラップトップを操作した学者は小さな溜め息と共に首を左右に振った。

 

「どうだ?」

「…………ダメですね。中層は上層とは動力が別のようです。どこかにある中層用の動力を見つけないと、中層のシステムに接続できません」

 

 どうやらそう簡単にはいかないらしい。ちょっと期待していただけに、落胆するサフィーアだったが彼を責めるのはお門違いだし自分はそもそも畑違いなので何の文句も言えない。連れてきた傭兵の中には不甲斐無い結果に不満を口にする者も居たが、そういった奴は即座にクレアの鋭い目線に黙らされた。

 ともかく、中層での調査を円滑に進め下層まで向かう為には中層の動力を再起動させる必要があるようだ。

 

「どこに行けば動力を起動させられるの?」

「ちょっと待て…………あぁ、ここだな。階層的にはここから四階層ほど下だ」

 

 ラウルが自分のラップトップを操作して遺跡の見取り図で動力炉の場所を調べる。

 

 動力炉の場所を確認したクレアは、サフィーアとカイン他二人の傭兵とアレックス、彼の助手であるトーマスと言う学者を連れてエレベーターに戻り、四つ下の階層に下りていく。

 その最中、サフィーアはあることに気付く。

 

「あれ? 動力動かないと中層のシステム動かないのに何でエレベーターは上層より下まで動くんだろ?」

 

 考えてみればおかしな話である。動力を起動させなければシステムは動かないのに、エレベーターは上層から下層まで動いてくれるなど矛盾しているのではないか?

 

 そのサフィーアの疑問には、カインが答えてくれた。

 

「それはこの施設が地下にあることが関係してるんだろうね」

「どういう事?」

「考えてごらん。もし仮に何か事故があった時、下の方の人が地上に逃げる為にエレベーターが動いてないと困るだろ?」

 

 階段で駆け上がると言う選択肢はあるだろう。だがこの遺跡は地下二十階まである。最下層の者が地上に逃げるには、階段では時間が掛かりすぎるし体力も持たない。火災などが発生した場合、逃げ切る事が出来ない可能性すらある。勿論階段による避難経路も必要だろうが、迅速に地上に逃げる為にはエレベーターが必要だろう。

 それも、そう簡単に止まる事のないエレベーターだ。

 

「他の階層は専用の動力がないと動かせないけど、エレベーターだけはどこか一つでも動力が動いてれば最下層から地上まで動くようになってるんだよ」

 

 仮に地上に天高く聳(そび)える建造物であれば、最悪飛び降りて逃げると言う選択肢はある。勿論、その場合はパラシュートなどの着地の為の手段が必要だが、とにかく選択肢は幾つかあった。

 だが地下から地上への脱出となるとそう簡単にはいかない。地上へ逃れる為には結局上方向に逃げねばならず、横方向に逃げても状況は好転しないのだ。仮に何らかの方法で穴を掘って横方向に逃げたとしても、それでは時間稼ぎが精々と言ったところだろう。

 結局、地下での非常事態と言う状況から逃げたければ、何かしらの上方向への移動手段は必要不可欠なのである。

 

 そう言った事をカインから説明され、サフィーアは漸く納得した表情になった。

 そしてそれと同時にエレベーターは目的の四つ下の階に辿り着く。

 

 扉が開くなり、カインともう一人の銃士が素早く出てライトと銃口を左右に向ける。左右にいくつもの扉がある暗い通路を一頻りライトの灯りが走り回り、何の異常もない事を確認するとカインはエレベーター内で待機していたクレア達に頷いて安全を知らせた。それを見てエレベーターから出るサフィーア達。

 

 エレベーターから出ると、アレックスが早速ラップトップを起動し動力炉のある場所を探す。

 

「中層の動力炉は…………このまま真っ直ぐ、突き当りまで言ったところにあるらしい」

「それじゃ、ちゃっちゃと行きましょ。サフィ、私と先頭よ。カインは真ん中でアレックスとトーマスを守って。残る二人は殿ね」

 

 手早く指示を出し、動力炉に向けて歩き始めるクレア。サフィーアはその後ろを慌てずについていく。

 そのサフィーアに向けて、クレアは後ろの連中に聞こえないよう小声で話し掛けた。

 

「(サフィ、悪いけど今回はかなり頼らせてもらうわ。この状況だとサフィの能力がかなり重要だからね)」

「(はい)」

 

 先が上手く見通せないこの状況では、サフィーアの思念感知能力による敵意の察知が何よりも頼りになる存在だった。例え目には見えていなくても、彼女にはこちらに攻撃しようとしている奴…………即ち遺跡内に巣食った危険なモンスターの存在をすぐさま察知することが出来る。

 妹分を体のいいレーダー代わりにすることにクレアは若干の後ろめたさを感じたが、結果的に全体を守る事にも繋がるので彼女は己の中に浮かんだ小さな罪悪感を抑え込んだ。

 サフィーアもその事は理解している。故にこそ、彼女はクレアの言葉に対し躊躇なく頷きレーダー役を引き受けたのだ。

 

 クレアの小声での頼みに、サフィーアは小さく頷き返し前方を見据える為再び前を向き――――――

 

 

 

 直後、彼女の隣を海色の髪の女性が通り過ぎていった。

 

「ッ!?!?」

 

 突然の事にハッと息を呑むサフィーアだが、よくよく周囲を見てみるとその光景は先程見たのと同じく明るく汚れ一つもない壁や天井が広がっていた。その光景は明らかに普通ではなく、常の状態であれば困惑のあまり軽くテンパっていても不思議ではない。

 だが、今のサフィーアの心は驚くほど静かだった。すくなくとも突然壁や天井が綺麗になり、クレア達の姿が見えなくなった事を殆ど気にしていない。

 今の彼女が気にしている事はただ一つ、今し方自身のすぐ隣を通り過ぎていった自分と同じ海色の髪をした女性の行方である。

 

 サフィーアは吸い寄せられるようにその女性の後をフラフラとついて行く。尋常でない彼女の様子に、クレアは困惑を隠せなかった。

 

「ちょちょ、サフィ? ねぇ、どうしたの?」

「くぅんッ!?」

 

 クレアの呼び掛けにもウォールの鳴き声にも全く反応しない。完全に無視して、一人ライトで通路の先を照らす事無く暗闇の中に消えていこうとしている。

 このまま見失ってはまずいと、クレアとカインがアレックス達を急かしてサフィーアの後に続く。と、徐にサフィーアは今まで通路に存在した部屋とは違い、最初から扉のついていない部屋へと入っていった。慌てて追いかけるクレアとカイン、そしてアレックスら学者二人。

 

 背後でクレア達が慌てて追いかけてきていることなど気付くこともなく、サフィーアは目の前の光景をじっと見つめる。

 

 サフィーアが入った部屋の中には、大きな試験管の様なシリンダーが無数に並んでいた。よく見れば、そのシリンダーの中には濁った液体が満たされており、さらに目を凝らせばその中の幾つかは中に人の影のようなものが浮かんでいるのが見て取れる。

 無数のシリンダーに目を奪われていたサフィーアだが、蒼髪の女性に動きがあったことでそちらに意識を向ける。気付けば、女性は右手に金属製のアタッシュケースを持っていた。彼女はそれを部屋の奥にいる男性研究員らしき人物の元まで持っていった。

 

 サフィーアの目の前で、女性が男性研究員に見えるようにアタッシュケースを開ける。男性研究員はその中身を見た瞬間顔を顰めた。

 一体その中身は何だろう? 疑問を抱いたサフィーアが覗き見てみようと女性の背後に近付こうとした。

 

 次の瞬間、目の前の景色が一瞬で暗く人気のない今のものに変わり、しかも左肩を思いっきり引っ張られ身体の向きを強制的に変えられるとそこには心底心配したと言った様子のクレアの顔があった。

 

「サフィ、あんたどうしたの? さっきから何か変よ、本当に大丈夫?」

「くぅん?」

「あ、あ~、え、んん?」

 

 クレアに続き、ウォールも心配した様子で頬擦りしてくる。

 一方のサフィーアは、何が何だか分からず困惑するだけであった。

 

 そんな様子を、少し離れたところから眺めている者がいた。共にアレックス達を護衛する為に下りてきた傭兵の一人のコナーズだ。

 彼は困惑した様子のサフィーアと彼女を心配するクレア、それを少し離れたところから周囲を警戒しながらそれでもやっぱり気にした様子のカインの姿を、遠巻きに眺めて鼻を鳴らした。

 

「フンッ、自分のところのメンバーなら手綱位しっかり握っとけってんだ。なぁ?」

 

 現状、足を半分引っ張っているサフィーアに不満を漏らし、相方から同意を得ようと後ろに声をかける。だが返ってきたのは無言、何の反応も返ってこなかった。

 その事を不審に思い、コナーズは背後を振り返った。果たしてそこに相方はおらず、彼の存在を知らせる痕跡は何一つ存在しない。

 

「は? ストーン? ストーン…………ストーンッ!!」

「どうかした?」

 

 異変を感じたコナーズが相方の名を呼ぶが、依然として返事は返ってこない。これは流石に何かあったと半ば叫ぶように名を呼ぶと、その声に異常を感じたカインが彼の元へと近づいていく。

 

「あぁ、実は、さっきまで後ろにいた筈のストーンがいつの間にかいなくなってて」

「何だって?」

 

 カインは背後の空間に向けライトを照らすが、見た感じ人影の様なものは見当たらない。

 

「変だな? まさか先に進んだなんてことはないだろうし」

「おいストーン! こんなところで迷子なんて笑い話にもなりゃしねえぞ!」

 

 突然姿を消した相方に不安と苛立ちを感じ、乱暴な物言いで声を上げながら元来た道を戻ろうとするコナーズ。そこで漸くクレアも背後の異変に気付き、サフィーアから一旦意識を背後に向けた。

 

 その時、コナーズの足元に何かが降ってきた。

 

「ん?」

 

 突然の落下物にコナーズとカインの視線が集中する。けたたましい音を立てて落下したそれは、一丁のマシンガンだった。

 

 それは、先ほどまでコナーズの後ろからついてきていたストーンが持っていたものだ。

 

 何故それが真上から降ってきたのか? そんなもの、考えるまでもないことである。

 

「ッ!? 上だッ!!」

 

 素早くライフルを上に向け、同時にライトで天井を照らすカイン。

 

 彼が手にした光源の先にあったもの…………それは、まるで枯れ枝の様な四肢のモンスターがストーンだった男性の遺体の首筋に食らい付いている光景であった。




ご覧頂きありがとうございました。ご感想等受け付けておりますのでお気軽にどうぞ。

次回の更新は日曜日を予定しています。


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第81話:命懸けのもぐら叩き

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 いつの間にか天井に現れ、ストーンの首を食い千切ったモンスターに対し最も素早い対応を見せたのは既に銃口を向けていたカインだった。ライトに照らされた先の天井に張り付いているそのモンスターに向け、彼は躊躇わず引き金を引いた。

 直前、そいつは既に死体となったストーンを投げ捨てるように手放すと天井の中へと引っ込んでいった。銃弾は奴を捉えることなく、天井に穴を穿つに留まる。

 

 よく見ると天井には四角い穴が開いていた。恐らく通気口か何かの穴だろう。

 

「くそッ!? 気を付けろ、奴はダクトの中に潜んでる。通気口に近付くな!!」

「くそがぁぁぁっ!?」

 

 天井に向けコナーズがマシンガンを撃ち続ける中、銃声とカインの声で一気に気を引き締めたサフィーアがクレアと共にカインと合流する。

 

「なになに、どうしたの!?」

「スケアクロウだ! 気を付けろ、あいつダクトの中に潜んでる!」

 

 スケアクロウとは、その名の通り案山子の様にガリガリな体をしたモンスターである。大抵遭遇するのは遺跡の中なので、一説には超古代文明人が遺跡警護の為に造りだした人工生命ではないかとも言われていた。

 

「チッ!? ウォール!!」

「くぅんっ!」

 

 カインの言葉にサフィーアは即座にサニーブレイズを抜き、ウォールをアレックスとトーマスの守りに就かせる。同時にクレアは上の階に居るラウル達に無線で警告を発した。あれは決して単独で行動するモンスターではない。一体居るとなれば他の所にも居る筈だ。

 

「ラウル、クレアよ! ここやっぱりスケアクロウが居たわ、気を付けて!」

『あぁ、こっちにも出た!? 幸い出たのは一体だけだし戦力も多いから何とかなりそうだが、そっちは大丈夫か!?』

 

 無線の向こうからはラウルの焦りを滲ませた声が返ってくる。だがそこまで切羽詰まった感じではないので、本当に大丈夫なのだろう。よく聞けば、ラウルの声の向こうから連続して重低音が響いている。上に残った傭兵の誰かが軽機関銃を派手にぶっ放しているのだろう。確かあの辺りには遺跡のシステムにアクセスする為の端末があった筈だが、スケアクロウ共々ハチの巣にしてしまっていないかが気掛かりだった。

 

 とにもかくにも、今は直ぐ近くの壁の中のダクトに潜んでいるスケアクロウを何とかしなくてはならない。これを何とか倒さなければ、動力炉の再起動も儘ならないのだから。

 

「サフィ、あいつの居場所分かる?」

 

 とりあえずクレアはサフィーアにスケアクロウの居場所を尋ねた。いくらこちらから見えない壁の中のダクトに潜んでいようと、サフィーアには筒抜けなのだ。居場所は直ぐに分かる。

 

 そう思っていたのだが、現実は甘くはなかった。

 

「ッ!? ダメです、あいつこっちを意識してない! これじゃあ、あいつがどこにいるか分かりませんッ!?」

 

 問題のスケアクロウは、サフィーアの事を完全に無視している。気付いていない訳ではないだろう。研究の結果、連中は目が殆ど見えない代わりに聴覚が異常に鋭い事が分かっていた。暗闇と言う多くの生物にとって行動を制限される状況で有利に立ち回る為の能力なのだろう。事実スケアクロウが出現するのは遺跡の中や、稀にだが洞窟の中など閉鎖的で狭く、何より暗闇に包まれた場所に限られる。暗闇が自分の味方であると知っているのだ。

 そしてその優れた聴覚は、僅かな歩き方の違いなどから個人を特定してしまえるのである。

 

 つまり――――――

 

「あいつ、カインかコナーズを狙ってるってこと?」

 

 サフィーアが狙われていないと言う事は、ほぼ同時にカイン達と合流したクレアも狙いから外れているだろう。となると、残りは男二人のどちらかが集中して狙われていると言う事になる。

 ではどちらが狙われているか? その答えは直ぐに明らかになった。

 

 出し抜けに先程とは別の天井の通気口から、恐らく同じ個体だろう口元に血をこびり付かせたスケアクロウが飛び出しコナーズに向け襲い掛かった。全身の筋肉をバネの様に伸縮させて放たれた突撃はかなりの速度であり、この光源の少ない場所においては視認することも困難な一撃だ。

 だが今回の傭兵は前回よりも吟味して選ばれたと言うだけのことはあり、コナーズはこの攻撃を紙一重ではあるが回避してみせた。更にはすれ違い様に素早く引き抜いたコンバットナイフで一撃見舞う抜け目のなさ。彼もまたプロの傭兵であると言う事の証明であった。

 

 とは言えその程度の一撃でどうにかなる程弱いモンスターでもなく、一瞬怯んだかと思うとあっという間に再び天井に引っ込んでしまった。コナーズは逃すものかと追撃し、奴が壁の中を移動する時に立てる音を頼りに壁越しに銃撃する。

 

 効いているのかいないのか分からない攻撃を続けるコナーズを一瞥し、クレアは再びサフィーアに目を向け目でスケアクロウの狙いが移ったかを訊ねた。目だけで訊ねられたサフィーアは首を左右に振る。どうやらスケアクロウは完全にコナーズに狙いを定めているらしい。

 何故か? 単純に一番派手な音を立てているからか、それとも倒しやすいと見られて数減らしの為に優先的に狙われているのか。

 

 とにかくこのままではコナーズがジリ貧になってしまう。援護も兼ねてコナーズとも合流しようとサフィーアが足を踏み出した。

 

 その時、偶然にも彼女の手にしていたライトがコナーズの足元を照らした。そしてそこにあったものを見た瞬間、サフィーアは盛大に嫌な予感を感じ口を開いた。

 

「ダメ、そこはダメッ!?」

「えっ? サフィどうし、ッ!? 離れろコナーズッ!? そこは――」

 

 サフィーアの警告の意味に気付いたカインがコナーズに退避を告げるが間に合わなかった。

 

 突然コナーズの足元の床が弾けたかと思うと、そこから飛び出してきたスケアクロウがコナーズの体を掴んでダクトの中に引きずり込んだのだ。

 

「うおっ!? うわぁぁぁぁぁぁっ?!」

 

 悲鳴を上げハッチの縁に掴まっていたコナーズだが、力及ばずそのまま暗く狭いダクトの中に引きずり込まれてしまう。それから数十秒ほど壁や床の向こうからコナーズの悲鳴が聞こえたが、どこかに連れていかれたのか止めを刺されたのか悲鳴は程無くして聞こえなくなった。

 

 突如訪れた静寂。何の音も聞こえなくなった状況に、耐えきれなくなったのかアレックスが口を開く。

 

「どっか行ったのか?」

「いや、一度この場を離れただけだ。すぐにでもまた戻ってくるぞ」

「どうするの?」

 

 現状は一時しのぎに過ぎない。根本的な問題の解決を目指すならば、やはりスケアクロウを倒す必要がある。だがあれを倒すとなると、ダクトから引きずり出すか少なくともダクトから出てきたところを狙わなければならない。

 その為の策はあるのか? そうサフィーアが訊ねると、カインは眉間に皺を寄せ暫し悩んだ後クレアに目配せする。クレアはそれだけで彼が何を言いたいのかを察し、難しい顔をしながら溜め息を吐いた。それは一言で言えば、言い辛いことを口にする決意をしたような様子であった。

 

「サフィ…………これからちょっと……いやかなり危ない役目を頼むことになるけど、いい?」

 

 珍しく遠慮がちにそう訊ねるクレア。何時もなら多少遠慮しつつも、サフィーアなら大丈夫だろうと言う信頼を持って提案を口にする筈だ。それがこんなにも言い辛そうに訊ねてくることにサフィーアは違和感を感じずにはいられなかった。

 

 これはつい先程までの、異常とも言える行動をサフィーアが繰り返していた事に起因するのだが、肝心の彼女は気付いた様子もなくいつも通りのやる気に満ちた笑みを浮かべて頷いた。

 本当はクレアが彼女に向けている心配や憂いを感じ取っているのだろうに…………。

 

「任せてください。で、何すればいいんです?」

 

 

***

 

 

 スケアクロウを倒すための簡単な作戦会議を終えたサフィーアは、クレア達から少し離れた場所にある通気ダクトのメンテナンスハッチをすぐ近くに佇んでいた。視線をクレア達の方に向ければ、壁に設置された別のメンテナンスハッチのすぐ隣に立つクレアと、そのメンテナンスハッチの真正面数メートルの場所でライフルを構えたカインの姿がある。

 作戦は至極単純、サフィーアが態とでかい足音を立て、それに反応してやってきたスケアクロウをクレアがいるハッチに誘導しサフィーアに襲い掛かろうと飛び出してきたところをカインが撃ち抜くと言うものであった。場所的にハッチからスケアクロウが飛び出した瞬間カインが引き金を引けば確実に頭部に命中させられるだろうが、もしもと言う時に備えてクレアが控えている。仮にカインが仕留め損ねたとしても、彼女が止めを刺すか次の行動を封じる一撃を見舞ってくれる筈だ。

 

 と、頭の中で作戦を思い返していたサフィーアに、クレアが掌の上に作り出した火の玉を見せる。作戦開始の合図だ。

 

 サフィーアは片足を上げると、渾身の力を込めて床を踏みつけた。金属製のレガースに覆われた足が力強く踏みつけた事で、床から派手な音が立つ。

 

 瞬間、どこか遠くの壁の中から何かが高速で移動するドタドタゴトゴトと言う音がサフィーア達の耳に入る。

 同時にサフィーアは、自分に向けて放たれる攻撃的思念を感知した。

 

「来た! 来た来た来たッ!!」

 

 見る見るうちに大きくなる壁の中からの音にサフィーアは冷や汗を流しつつ口角を上げ笑みを浮かべた。これから行う事は非常に危険な囮としての役割であり、一歩間違えると命の保証は誰にもできない。半ば自殺も同然だ。

 にも拘らずサフィーアが笑っていられるのは、彼女が異常者だからだとか言うのではなく彼女が危険を前に物怖じしない強い心の持ち主であることの証左であった。

 

 サフィーアは全速力でカインの近くへ移動しつつある。このままいけばスケアクロウがクレアの近くのハッチから飛び出す頃にはサフィーアは彼とハッチの射線上に到着する筈。恐らくサフィーアがハッチの前を通りがかった瞬間スケアクロウが飛び出してくるだろうから、彼女はその瞬間を見計らってその場でしゃがむかして姿勢を低くする。一瞬の判断の遅れが命取りとなるが、攻撃の直前の思念が大きくなる瞬間を見極められる彼女なら対応は可能だ。

 あとはそのタイミングでカインが自分に向けて飛び掛かってくるスケアクロウの頭を撃ち抜けば――――――

 

『聞こえるか? ラウルだ。こちらは始末したがそちらは大丈夫か?』

「ッ!?!? 馬鹿ッ!?」

 

 その時全く予期せぬ事態が発生した。上の階で待っていたラウルがクレア達を心配して無線で話し掛けてきたのだ。向こうとしては純粋にこちらを心配しての事だろうが、今はタイミングが悪過ぎる。

 

 案の定、スケアクロウの敵意は一瞬でサフィーアから離れた。奴の狙いは十中八九派手な音を立てた通信機の持ち主であるクレアだろう。

 運が悪いことに、今クレアがいる場所とこちらに向かいつつあるスケアクロウとの間には通気口があった。サフィーアはそれを見た瞬間声を上げる。

 

「クレアさん、そこ離れてッ!?」

 

 サフィーアの警告にクレアが彼女の方を見ると、同時に彼女の背後にあった通気口が吹き飛びスケアクロウが飛び出してきた。スケアクロウは無防備を晒しているクレアに襲い掛かる。

 ギリギリでスケアクロウの出現には反応できたクレアが背後を振り返るが、その時点で既に彼女はスケアクロウの攻撃の射程圏内に入ってしまっていた。スケアクロウがクレアを掴んでダクトの中に引きずり込もうと両手を伸ばしている。

 

 だがその手がクレアを捉える直前、青白い魔力の斬撃がスケアクロウに襲い掛かった。このままだと間に合わないと察したサフィーアが、走りながら引き金を引いて一足先に一撃を見舞ったのだ。

 

 生憎とその一撃は躱されてしまったが、クレアが体勢を整える猶予を作り出すことはできた。

 

「サンキュー、サフィッ!!」

 

 体勢を整えたクレアはスケアクロウに回し蹴りを放ち蹴り飛ばし距離を放す。床に落ちたスケアクロウにカインが追撃の射撃を放つが、銃弾がスケアクロウの体を穿つ前にそいつは近くの通気口の中に飛び込んだ。

 

 瞬間、クレアは無線を取り出すと大声で無線の向こうのラウルに話し掛けた。

 

「今のもう一度言ってッ!?」

 

 言うが早いか彼女は無線をカインに向けて投げつけた。カインは驚いた様子もなく無線を受け取ると上着のポケットに突っ込んだ。

 直後に無線の向こうからラウルの声が響く。

 

『何、もう一度? ちゃんと聞こえてるか、おい!?』

 

 再び無線からラウルの声が響くと、今度はカインの真正面にあるダクトのメンテナンスハッチが吹き飛びスケアクロウが姿を現す。

 

 その瞬間を見逃さなかった。

 

 姿を現したスケアクロウに、サフィーアが飛穿斬・疾を放つ。場所が場所である為威力を押さえてはいるがそれでも亜音速で飛ぶ刺突は、スケアクロウの体を遺跡の壁に縫い付けた。

 一瞬身動きが取れなくなり悶えるスケアクロウ。そこに追い撃ちで放たれたカインの銃撃が正確に相手の頭部を撃ち抜き、血と脳漿をぶち撒ける。

 

 頭部を破壊され、一瞬大きく震えたかと思うと直後に脱力しそのまま床に落下するスケアクロウ。クレアは念の為警戒しつつ近付き、二回ほど蹴って何の反応もないことにスケアクロウが完全に死んだことを確認すると二人に向けてサムズアップをしてみせるのだった。




ご覧いただきありがとうございました。

今回でなろうの方に投稿している話に追いつきましたので、今後は週一更新となりますがご了承ください。

基本日曜日の更新を目指します。


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第82話:反省は終わってから

読んでくださる方達に最大限の感謝を。


 多少のトラブルに見舞われながらも、何とか倒すことに成功したスケアクロウにサフィーアが近づいていく。クレアが既に死んでいることを確認している上にこちらを待ち受けている思念は感じられない為もう安全だと分かってはいるが、警戒はせずにはいられない。ゆっくりと近づくと、片手にサニーブレイズを握ったまま片膝をついてライトを当て、その異形をじっくりと観察した。

 

「これが、スケアクロウ?」

「そ、遺跡なんかに入るとよく出くわすモンスターよ。全身の筋肉をバネみたいに使って飛び掛かってくる上に狭い所にスイスイ入り込むから、見た目以上にすばしっこいわ。よく覚えときなさい」

 

 その厄介さは今し方体験したので嫌と言うほど分かる。幸い今回サフィーア自身は狙われることがなかったが、もし狙われた場合はかなり神経を削る戦いをすることになるだろう。

 

 スケアクロウの死骸をしげしげと眺めるサフィーアを横目にしつつ、クレアはそれまで後回しにしていたラウルからの通信に応答すべくカインから無線を受け取った。無線からは依然として焦りを滲ませたラウルの声が響く。最後の通信から全く応答しないことにかなり不安を掻き立ててしまったようだ。

 

『こちらラウルだ。聞こえているか? 聞こえていたら応答しろッ!?』

「はいはい、こちらクレアよ。大丈夫、ちゃんと聞こえてるわ」

 

 ラウルからの通信にクレアが漸く真面な応答を返すと、無線の向こうから溜め息と共に安堵した様子のラウルの声が聞こえてきた。

 

『あぁ、やっと真面な答えを返してくれたか。そっちの様子が分からなくて心配したぞ?』

「悪いわねぇ、ちょっと色々と立て込んでてね。ただラウル、一つ言わせてもらっていい?」

『なんだ?』

「空気読んで」

『はぁッ?』

 

 突然のクレアの言葉に、無線の向こうで訳が分からないと言う声を上げるラウル。実際あそこで彼が突然通信などしてこなければ無駄に危険な思いをすることもなかった訳だから、クレアとしては文句の一つも言いたくなるであろう。

 尤もそれを言ったら、そもそも重要な時は無線の電源を切っておくべきなのだろうから一概にラウルだけを責めることはできないかもしれない。まぁ結局、今回の事はタイミングと言うか運が悪かったと言う事で済ますのが無難である。

 

 それを察しているからか、クレアはそれ以上何も文句を言うことなく咳払いを一つすると本題を切り出した。

 

「んん、まぁいいわ。え~っと、それで……あぁ、スケアクロウならこっちでも倒したわ。ただこっちは無傷とは言えないけど」

『誰かやられたのか?』

「傭兵二人、コナーズとストーンの二人がやられたわ。ただそれ以外は全員無事だから、そこは安心して頂戴」

 

 安心しろと言いつつ、クレアの表情は少し険しい。自分が居ながらたった一体のスケアクロウに二人も犠牲を出してしまった。その事に少なからず責任を感じているようだ。

 責任を感じているのはサフィーアも同様だった。そもそもの話自分がもっとしっかりしていれば、スケアクロウの奇襲にも気付けていた筈だ。訳が分からない現象に振り回されたからとは言え――――いやだからこそ、サフィーアはサフィーアで責任を感じずにはいられなかった。自分が原因で、不要な犠牲を出してしまったと。

 

 そんなサフィーアの背中を、カインが優しくポンと叩いた。顔を見上げれば、彼は柔らかな笑みを浮かべて首を左右に振った。気にするな、と言う事だろうか?

 確かに傭兵をやっていればこんな事は日常茶飯事だ。今回に限らず、力足らずで犠牲になった傭兵はサフィーア自身何度か見たことがある。恐らくこれからも目にすることになるだろうし、場合によっては護衛対象や依頼人がそうなる可能性すらあった。その度に気に病んでいては、いくらなんでも心が持たないだろう。どこかで割り切らなければ、傭兵などやっていられない。カインはそう言っているのだ。

 

 サフィーアもそこは理解している。出来るだけ意識しないようにし、大丈夫と言う意思を込めてカインに向けて笑みを浮かべてみせた。

 尤もそれは、彼女の事を知らない者から見ても見事に失敗していたが…………。

 

「――――――えぇ、えぇ分かったわ。大丈夫よ、こっちはこっちでさっさと終わらせるから。再起動したらすぐ連絡するから、そっちもすぐにアクセスできるようにしといて」

 

 カインの励ましも徒労に終わる中、クレアはラウルとの話し合いを終えたようだ。無線を腰のユーティリティーベルトのポーチに突っ込むと、落ち込んだ様子のサフィーアに近付いて行った。

 

「ほら! 何時までうじうじしてんの、いい加減しゃんとしなさい!」

「う…………はい」

 

 クレアの厳しい言葉に一度は顔を上げるサフィーアだったが、簡単には割り切れないのかすぐに肩を落とした。そんな彼女にクレアは溜め息を吐くと、彼女の頬を掴んで無理やり顔を上げさせた。

 

「んみゅっ!?」

「あのね、サフィ。誰も忘れろなんて言ってない。ただ難しく考えるなって言ってるの。分かる?」

「え…………っと」

「分からないって顔ね。それは仕方ないわ、サフィがそう割り切りのいい性格をしてないってことは理解してるつもりだから。そこのところをどうこう言う気はないわ」

 

 クレアはそこで言葉を区切ると、サフィーアの頬を掴んでいる手に力を込めた。

 

「でもね。今のサフィは傭兵として、依頼を受けてここにいるの。事はもうサフィ一人が抱え込めばいいって問題じゃないのよ」

 

 基本、依頼人は雇った傭兵が何を感じるかなど気にしない。依頼人が気にするのは、依頼が達成されたか否か、それだけである。例えサフィーアのミスが原因で誰かが死んだとしても、それが依頼人に直接影響するようなことでない限り気にされることはない。依頼を投げ出すことなど以ての外である。

 

「口惜しい気持ちは分かるわ。でも足を止めるのは後、今はとにかく依頼を終わらせることを考えなさい。分かった?」

「…………はい」

 

 クレアの言葉に間を置いて返事したサフィーアの顔は、調子を完全に取り戻したとは言い難いが先程よりはマシな顔になっていた。少なくとも自責の念に圧し潰されて落ち込んだりしてはいないようだ。

 

 サフィーアの顔からとりあえずは大丈夫だと確信し、クレアは彼女の頬から手を離した。何気に結構強く掴まれていたのか、解放された瞬間サフィーアは自分の頬をマッサージして解している。

 そんな彼女に小さく笑みを浮かべつつ、クレアはカインやアレックス達とこれからの事を話す。

 

「とりあえず私達はこのまま動力炉の再起動に向かうわよ」

「増援はなしか。まぁこの程度ならね」

「異論はないが、彼女は大丈夫なのか?」

 

 アレックスは少し不安な様子でサフィーアの事を見る。頬を解していたサフィーアは自分に不信感が向けられたことを感知して身を固くした。

 それを察知したクレアとカインは、カインがサフィーアへの視線を遮りクレアがフォローに回った。

 

「あの子はまだ傭兵やって一年ちょいだから勘弁してあげて。でかい失敗が少ないのよ」

「それは本当に大丈夫なのか?」

「未熟は現時点で動かしようがない事実だけど、伸び代は保証するわ。才能もある。大丈夫よ、あんたが心配するようなことはないわ」

 

 これがただの傭兵の言葉であれば、ただの身内贔屓と不信感を募らせたであろう。だがクレアは傭兵ギルドが認めたAランクの傭兵、そこまで上り詰めるには単純な腕っぷしだけでなく他の傭兵の実力などをある程度図れる洞察力も求められる。しかもギルドの審査は厳しい。その審査を通ってAランクを手にしたクレアの言葉は、有象無象に比べれば遥かに重みがあった。

 

「…………分かった、そういう事にしておこう」

「そうして頂戴。さ! そうとなればさっさと動力炉を再起動させましょ。あんまり時間を掛けると上からせっつかれるわ」

 

 クレアの声を合図に一行は動力炉に向けて移動を始めた。

 

 動力炉へ向かう道中は不気味なほど静かであった。クレアの話では、スケアクロウは一体見かけたら確実に他にも存在するらしい。事実、先程ここで襲い掛かってきた個体とは別に上の階で待機している連中に襲い掛かった奴がいた。この広い地下遺跡だ、他に居る事は十分に考えられる。

 極力通気口やメンテナンスハッチには近づかないようにし、足音もできるだけ立てないようにして遺跡の中を五人は進む。まぁサフィーアを始めとして、履物が硬質的であるが故にどう頑張ってもコツコツと足音は立ってしまうのだが、そこはまぁご愛敬と言ったところか。

 

 要らぬことに気を使い過ぎていた為か、気付けば一行は動力炉の前に辿り着いていた。

 

 動力炉は、一言で言えば馬鹿でかいガスボンベの様な見た目であった。縦に長く天井と廊下を繰り抜いて造られたそれは、一見すると動力機関と言うよりは燃料タンクの様ですらある。

 

 ここでサフィーアが疑問を抱く。

 

「あれ? 億単位で時間が経ってるのに動力炉動くんですか? 動かす為の燃料とかは?」

 

 サフィーアの疑問は尤もである。どんな機械でも動く為には燃料が必要であり、燃料がなければ動力炉などただでかいだけのウドの大木であった。

 途方もなく長い年月が経っているのに、動力炉を動かす事が出来るのだろうか? サフィーアがそんな疑問を抱いてしまうのも致し方のない事であった。

 

 そんな彼女の心配を、クレアは得意げな顔で打ち払った。

 

「そう言えばサフィは知らなくて当然ね。聞いて驚きなさい、超古代文明の遺跡の動力炉はね――」

「地脈の魔力を動力源とする、魔力動力炉なんだよ」

「ぐ――――!?」

 

 得意げな顔で説明しようとしたクレアの言葉に、被せる形でアレックスが説明する。出鼻を挫かれて物凄く不機嫌な顔をアレックスに向けるが、当の本人は気付いているのかいないのか何でもないような顔で説明を続けた。

 

「大気や地中に漂う魔力にも潮流みたいな流れがあって、特に地中に流れる大きな流れを地脈って言うのは知ってるだろ? 超古代文明人はその地脈に流れる自然の魔力を利用して動力を生み出す装置を作り出したみたいなんだ」

「それが、これ?」

「その通り。魔力さえあれば装置が破損しない限り半永久的に稼働し続ける、現状考えうる限り最もエコな動力炉だよ」

「因みに共和国はこの動力炉の複製を始めてるよ。まだ数は多くないけど、いくつかは既に稼働状態の筈だ」

 

 アレックスの説明に続ける形でカインが補足を付け加える。クレアもそこのところを説明しようとしていたのか、今度はカインの事を恨めしく睨む。カインはカインでこちらは完全に彼女の視線に気づいているようだが、彼は自分に飛んでくる鋭い視線を一瞥すると涼しい顔で笑みを浮かべた。

 その様子にサフィーアが苦笑いを浮かべていると、それに気づいたのかクレアは一つ咳払いをするとカインの腕を引いて歩きだす。

 

「ほら!? 遊んでる暇はないんだから、さっさとやることやっちゃうわよ!!」

「はいはい、お嬢様」

 

 若干憤りを見せるクレアに苦笑しつつ、カインはサフィーアに見送られながら動力炉へと近づくのだった。




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第83話:動きだすモノ達

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 クレアとカインの二人は、動力炉に取り付けられた操作盤に近付いて行った。恐らくは動力炉を直接操作するための物なのだろうが、よく見るとその左右には子供ほどの大きさの透明な蛍光灯の様なシリンダーが取り付けられていた。一見すると何らかの照明か何かに見えたが、二人が近づいて行ったのは操作盤ではなくそちらの方だったので見た目通りの物ではないようだ。

 

 サフィーアが少し離れた所で見守る中、二人はシリンダーに手を翳(かざ)す。

 

「いい、同時だからね。間違えないでよ?」

「おいおい、そんなに僕は信用無いかい?」

「パーティー組んでた時、最後に受けた遺跡の依頼で動力炉の起動にミスったのは誰の所為だったかしら?」

「くしゃみは生理現象、仕方ないよ。それを言ったら君なんて罠全部起動させながら遺跡の中を進んだことを忘れたなんて言わせないよ」

「は~いはいはいはい! 昔話はお終い、さっさと起動させるわよ!」

 

 自分から話題を振っておきながら、強引に話を中断させるクレアにカインは苦笑を浮かべるがそれは一瞬のことだった。すぐに真剣な表情になると翳した掌に魔力を収束させた。彼が掌に魔力を集めるのを見て、クレアも真面目な顔でシリンダーを見つめながら同じように掌に魔力を集中させる。

 二人は互いに準備が出来たのを見て、一瞬互いの事を一瞥するとシリンダーに目を向けた。

 

「いくわよ。3……」

「2……」

「「1ッ!」」

 

 カウントダウンと同時に、二人は同じタイミングで目の前のシリンダーに魔力を流す。するとシリンダーの中に魔力の灯が点き、シリンダーから青白い燐光が放たれる。それに続き操作盤やモニターに光が灯った。モニターにはこの遺跡の簡易的な全体図のようなものが表示され上層部は緑、中層以降は赤で表示されている。

 

「よし、成功」

「それじゃ、あとは学者の二人に任せるわ」

 

 動力炉の操作が可能になったのを見て、アレックス達に操作を頼むクレア。二人と入れ替わるように動力炉の操作盤に取り付いたアレックスとトーマスは手慣れた様子で操作し始めた。

 

「このタイプの動力炉は、っと……」

 

 手際良く操作盤のレバーやボタンを押していくアレックス。時々トーマスの手を借りながら操作していくと、モニター上の全体図で赤く表示されている部分が部分的に緑に変化していく。

 そして中層部分が完全に緑で表示されると、それを合図にしたかのように室内の照明が点き光に包まれる。

 

 突然明るくなった室内にサフィーアは一瞬目が眩んだが、目が明るさに慣れるとそれまで暗くて不鮮明だった室内の様子が分かるようになり感嘆の声を上げる。

 

「おぉっ!」

「さて、これで動き易くなったかな?」

「だといいけどね。大変なのはこれからよ」

「へ? 何がです?」

「サフィ、忘れたの?」

 

 クレアが何気なく呟いた言葉に首を傾げるサフィーア。妹分の能天気な様子に呆れるクレアは、溜め息と共にその理由を説明しようとする。

 

「くぅん?」

「ん? どうしたのウォール?」

 

 と、その時。ウォールが突然通路の方を見て首を傾げた。サフィーアが見ると長い耳をピクピク動かしている。遠くの音を拾おうとしている証拠だ。

 と言う事はつまり、通路の向こうから何かが来るということである。

 まさかまたスケアクロウかとサニーブレイズの柄に手を掛けるサフィーア。クレアとカインも警戒心を露にし、武器を手にし構えを取る。

 

 通路を警戒してどれほど時間が経っただろうか。不意に、三人の耳に奇妙な音が聞こえてきた。カツカツ、カツカツという固い杖で床を突くような音だ。それも一つ二つなんて数ではない。数える事も出来ないような、無数の音が通路の向こうから響いてきた。

 

 何かが来る。

 

「因みにですけど、過去に二人はどんなトラップと遭遇したんですか?」

「あんまり変なのは無かったかな? 壁や天井からせり出してくるセントリーガンが殆どだよ」

「あとは凍結保存されてたモンスターが解き放たれるかよ。たまに洒落にならないくらい強いのがいるから、厄介さではそっちの方が上かしらね」

「って事は、この音は…………」

「音的に足音だね。どこかでモンスターが解放されたかな?」

 

 俄然気を引き締める三人。場合によってはスケアクロウに匹敵する何かが来るかもしれないのだ。気を抜いてなどいられない。

 

 そうこうしていると、遠目に何かが近づいてくるのが見える。その存在を確認した瞬間、カインはライフルに装着したスコープで一早くそれが何なのかを確認した。

 そこにいるのはどのようなモンスターなのか。固唾を飲んでカインの言葉を待っていたサフィーアとクレアだが、彼の口から出たのは予想外の言葉だった。

 

「…………ロボット?」

「はい?」

「ロボ? え?」

 

 カインの口から出た単語にサフィーアとクレアは首を傾げる。

 

「ロボットって、あの?」

「そう、だね。少なくとも生物には見えないよ」

 

 その言葉の通り、カインの視線の先に居るそれはとても生物には見えなかった。

 

 一見すると蜘蛛か蟹に見えるが、体には明らかに金属光沢があり間接は球体関節。頭部にはレンズが付いた眼球の様な球体が見て取れる。レッド・サードのような生物的ではなく完全に機械的な眼球だ。どう見ても生物とは思えない。

 恐らくは自立起動型の警備ロボットとかそんな奴だろう。

 

 等と近付くロボットらしきものに対して考察していたカインだが、ふとある事に気付いた。武装らしきものがないのだ。もしあれが仮に施設の警備を目的としたロボットであるなら、何らかの武装をしていなければおかしい。最低でもマシンガンか何かが付いていなければ、警備ロボットとしての意味がないではないか。

 もしや監視カメラ的な役割だけしかもっていないのか? 何てことを考えているとロボットのキョロキョロ動くカメラアイらしきものが彼らを捉えた。瞬間、カメラアイに赤い光が灯る。

 その赤い光から、静電気の様なスパークが放たれたのを見てカインは顔を青くして声を上げた。

 

「散れ、避けろッ!?」

「「ッ!?!?」」

 

 カインの警告に何故と問う間も惜しみその場を離れる二人。直後、警備ロボットのカメラアイから赤い光球が放たれたった今まで三人がいた場所に着弾した。

 

「はぁっ!? 何よこれッ!?」

「どうやら、ここは本当に今まで見つかった遺跡とは一味違うらしい。まさか機械が魔力を攻撃手段にする技術を用いた兵器が出てくるとは」

 

 カインの言葉を聞きながら、サフィーアは着弾箇所を見て頬を引き攣らせる。手の平大の大きさの光球が着弾した床は、対物ライフルか何かが着弾した後の様に抉れていた。

 もし生身で喰らっていたら、確実に着弾箇所から千切れるだろう。マギ・コートを用いてもただでは済まないかもしれない。

 

 施設を守ることが目的だろうロボットがそんな攻撃を、しかも動力炉を背にした自分たちに撃ってきたことにサフィーアは狼狽せずにはいられなかった。

 

「ちょちょっ!? あいつら施設守る気無いのッ!? あんなのが動力炉に直撃したらぶっ壊れるわよッ!?」

「システムか何かの異常? いや…………ハッ!?」

 

 狼狽えるサフィーアに対し、クレアは状況を冷静に分析するとふと何かに気付いたように背後の動力炉に目を向けた。振り返った視線の先に広がる光景に、彼女は合点がいった様に眉間に皺を寄せつつ右手に火球を作り出しそれを容赦なく動力炉に投げつけた。

 

「えぇっ!? クレアさんッ!?」

 

 クレアの突然の行動に驚愕するサフィーアだったが、火球が直撃して発生した爆炎が晴れた先にあったものに再び愕然となる。

 確かに火球が直撃した筈の場所は、全くの無傷だったのだ。焦げ目すらついていない。

 

「ど、どういう事?」

「よく見なさい、動力炉がシールドみたいなもので覆われてるわ」

 

 唖然としていたサフィーアは、クレアの言葉に動力炉を注視した。

 すると確かに彼女の言う通り、動力炉はよく見ると薄く青白い光の膜で覆われているのが分かった。

 

 サフィーアは漸く理解した。この施設とあの警備ロボットは完璧に一つのシステムとして成り立っているのだ。それは侵入者への対策もそう。

 警備ロボットは動力炉でエネルギーで動くと同時に動力炉から回された魔力を攻撃に転換し、動力炉他施設の要所は魔力に対して高い防御力を持つシールドで守られる。自分の攻撃に完全に耐性があるから、強力な攻撃をどんな場所であれ容赦なく使えるのだ。

 即ち、重要施設を背後にすることで攻撃を封じると言う手段が使えない。尤も、重要施設に攻撃を当てないと言う行動が設定されていなければどの道意味のないことだが。

 

「クレア、上の連中に連絡を。今ならシステムにアクセスして警備システムを止められるかも」

「分かってるわ。ラウル、ラウル聞こえる?」

『あぁ、聞こえている』

「動力炉は再起動させたけど、お陰で警備システムが動き出したわ。そっちで何とかならない?」

『今やっているところだが、何分大昔のシステムだからな。警備システムがどれなのかを当てるだけでも一苦労だ』

 

 おまけにこっちにもロボットが攻撃を仕掛けてきててな、と言うラウルの言葉にクレアは舌打ちを抑えられなかった。

 予想はしていたが、やはりそう簡単にはいかないらしい。技術的に接続することは出来ても、システムを構成している言語などは現代とは全く違う。その状態でシステムを弄るなど、ラベルのない調味料で味見もせず料理を作るようなものだ。

 

「とにかく早めになんとかして! このままだとジリ貧よ!」

『善処する!』

 

 ラウルと通信している間にも警備ロボットは通路の向こうからどんどんやってくる。その数は既に10を超えていた。カインが先程から狙撃で何機か仕留めてくれているが、数が増える方が早い。このままでは押し切られた挙句飽和攻撃にさらされる。

 

 その前に打って出て、上が警備システムを解除してくれるまで粘るしかない。

 

「カイン、サフィ。前に出るわよ」

「やれやれ、結局そうなるか」

「了解です!」

 

 クレアを先頭に、ロボットの群れに突撃するサフィーアとカイン。

 その背後では動力炉への入り口に陣取ったウォールが何時でも障壁を張れるように構えている。非戦闘員のアレックスとトーマスの守りは万全だ。

 

 後ろの守りへの心配を無くし、遠慮なく突撃する三人。その三人に向け警備ロボットたちは一斉に光球を発射した。




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第84話:simple is best

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 警備ロボット達が一斉に撃ってきた真紅の光弾を、サフィーアは前に出て肩マントで防いだ。このメンツの中で最も防御に優れているのは彼女である。気付けば、サフィーアはパーティーの壁役としての地位を確立しつつあった。

 

 いつも通り、手を抜くことなくマントにもしっかりとマギ・コートを用いて確実に防御するサフィーア。だが警備ロボットが撃ってくる光弾は見た目以上に威力があり、防いでいるにもかかわらず彼女の体力をじりじりと削っていった。

 

「グッ?! つつつ、何、これ? 結構威力あるじゃないッ!?」

「ブラッドスパークよ! そりゃ痛いに決まってるわ!」

「ぶらっどすぱーく?」

「退いてっ!!」

 

 耳慣れない単語に首を傾げるサフィーアを押し退けるようにして前面に出たクレアは、飛んでくる真紅の光弾を拳で弾き返した。時に裏拳で、時に掌底で、両手を裏表満遍なく使い目にも止まらぬ動きで巧みに光弾を弾きロボットからの攻撃を防いでいた。

 その鮮やかな動きに一瞬圧倒されたサフィーアだが、いつの間にか近くに来ていたカインの銃声に我に返るとクレアに倣ってマギ・バーストを発動させたサニーブレイズで弾き始める。

 だがやはり威力の高さに体力が削られることに変わりはなく、マギ・コートを展開しているにもかかわらず両手が痺れを訴え始めた。

 

「くぅ、何なのよこれ? 機械の癖に、一丁前に高威力の魔法攻撃してくれちゃって――――!?」

「言っただろ? ありゃただの魔力じゃなくてブラッドスパークだって」

「だから何よそれッ!?」

 

 初めて聞く言葉に苦しい状況が合わさり半ば苛立ちながらサフィーアはカインに訊ねた。

 苛立ちを隠さない彼女の怒鳴り声にカインは正確にロボットを撃ち抜きながら彼女の疑問に対する答えを口にした。

 

「普通の魔力はただ操作しただけじゃ青白い燐光しか放たない。だがより高い純度を持たせると真紅の輝きを放ち、より高い効果を発揮する事が出来るようになるんだ」

「それが、あれ?」

 

 光弾を弾きながらサフィーアが指差すと、カインはその通りと頷いてみせた。

 

「まるで血の様に赤いから、ブラッドスパーク。高出力魔力とも呼ばれるけどね。例の、レッド・サードが放つ閃光も同じ奴だよ」

 

 言われてサフィーアは、レッド・サードが眼球から放つ閃光も同じ赤だったことを思い出した。そう言えば、ブレイブが赤い方の剣を扱う際にも赤い燐光が放たれていたが、あれももしかしなくてもブラッドスパークなのかもしれない。

 だが今はそんなことを悠長に考えている暇は無かった。警備ロボットはカメラアイから光弾を放つ以外の攻撃をしてこないが、数で単純さをカバーしているのか攻撃が激しいのだ。カインやクレアは弾幕の中の僅かな間隙を縫って反撃しているが、サフィーアは防御するだけで精一杯だった。

 

 尤もカインはともかく、クレアの方は彼女なりに苦労を強いられているようだったが。

 

「えぇぃ、ちっこくて厄介な奴らねッ!?」

 

 そう、最大の問題は警備ロボットの大きさだった。こいつらは大きさが精々中型犬程度の大きさしかないのだ。剣士であれば得物の長さにもよるだろうが、闘士はどう頑張っても膝を曲げるなどして体勢を崩さなければならない。一度や二度ならそうでもなかろうが、全ての敵に対してこれをやらねばならないとなると足腰に掛かる負担が地味に厳しいものとなる。激しい戦闘の中でスクワットをしているも同然なのだ。

 

 故に、クレアは基本的に魔法で攻撃をメインに戦っていたが、基本魔法は拳での戦闘の補助で使うことが専らだったこともありその戦い方はいつもに比べてキレがなかった。

 

 それでもクレアは警備ロボット相手に、カインに引けを取る戦いはしていなかった。彼女はロボットが撃ってくる光弾を弾き返してそのまま攻撃に転用しているのだ。これなら体勢は大して崩さずに反撃できる。

 

 今、クレアは新たに自分に向けて飛んできた光弾をサッカーのオーバーヘッドキックの要領でロボットに向けて蹴り返した。蹴り返された光弾は狙い違わず撃った本人のロボットに直撃し、ロボットはバラバラに吹き飛んだ。

 そんな攻防の最中、クレアはある事に考えを巡らせていた。

 

――ちょいと厳しい戦いだけど、これはある意味で良い機会かしら?――

 

 クレアが考えているのは、サフィーアへの新たな技術の伝授だ。彼女の見立てでは、サフィーアには素晴らしい才能がある。正しく宝石の原石だ。

 だがその原石も、磨かなければただの石ころに終わる。そして彼女を磨くには、ただの布やブラシでは力不足だった。彼女は苦境に立たされた時にこそ、最大限の輝きを放ち次のステップに上る。

 その事を踏まえれば、今のこの状況は絶好の機会とも言えた。

 

「よし…………サフィ、よく聞きなさい!」

「はい?」

「相手の攻撃を弾く時はね、ただ力任せに弾くだけじゃダメよ。それだと向こうの力の加減によっては狙ったところに弾けない事もあるから」

 

 突然攻撃の弾き方に関する講義を始めたクレアに、サフィーアは困惑して一瞬動きを鈍らせる。それを見逃さず攻撃してきたロボットがいたが、その攻撃は全てクレアによって弾き返された。

 

「いい事? 相手の攻撃を弾き返す時はね、まず相手の攻撃を受け止める事から始めるのよ」

「攻撃を、受け止める?」

「そうよ。それも力任せに受け止めるんじゃないの。魔力をクッションにして、相手の攻撃の勢いを分散させて受け止めるのよ。それを意識して極めれば――――」

 

 話ている最中も関係なく警備ロボットは攻撃してくる。あるロボットの放った光弾が、真っ直ぐクレアに向かって飛んできた。それを見てクレアは、小さく笑みを浮かべながら手を伸ばす。

 

 次の瞬間、クレアの行動にサフィーアは完全に目が点になった。

 

「――――こんな事も、出来るのよ」

「うっそぉ…………」

 

 サフィーアが絶句したのも無理はない。何しろクレアは自分に向けて高速で飛んできた光弾を、まるでキャッチボールをしているかのように手で受け止めてしまったのだから。

 クレアは受け止めた光弾を片手の上で転がし、ポンポンと軽く浮かせてはキャッチしてを繰り返す。チラリとサフィーアに目を向ければ、彼女は信じられないと言うように目と口を丸くしている。これで今クレアが手にしているのが生卵だったら、その口の中に放り込んでいたかもしれない。

 

「お嬢さん方ッ!?」

 

 と、途中から一人でロボット達を相手取っていたカインからいい加減にしろと苦情が飛んできた。珍しいカインからの余裕のない苦情の声にクレアはおっと、と意識をロボットの方に向けると野球の投手にも負けない見事なフォームで手にした光球をロボットの集団に向けて投げ返した。クレアが投げ返した光弾は、警備ロボットの一体に命中すると反射して近くの2~3体も纏めて粉砕する。

 

 一連のクレアの行動にサフィーアはただただ圧倒されていた。たった今、カインの口からロボットが撃ってくる光弾は通常の魔法攻撃よりも高威力のものであると言う説明を受けたばかりなのだ。それをクレアは難なく受け止めた挙句、投げ返して見せた。それはつまり、クレアの言う『受け止める』技術が高い水準で練り上げられていると言う事に他ならなかった。

 そしてクレアは言外にその技術を習得しろと言っているのを感じ取り、サフィーアは生唾を飲み込んだ。

 

「それ、そんな簡単に?」

「それはサフィ次第よ。でも少なくともサフィは私よりはやり易いんじゃないかしら? 何しろ良い物を持ってる訳だし」

 

 良い物とは、間違いなくサニーブレイズの事だろう。確かに手でやるよりはリスクが少ない。仮に失敗しても痛い目を見る率は低いだろう。だが、それでもやれと言われてできるかと言われると、正直自信は持てなかった。

 

 だが自信が持てないからと言って引き下がるほどサフィーアは腰抜けではない。元来彼女は負けん気が強いのだ。それに加えて彼女は、クレアが心のどこかで彼女ならできると確信している事を感じ取っていた。

 そのクレアの期待が、サフィーアの闘争心に火を点けた。

 

「…………よしッ!」

 

 気合を入れ直し、サフィーアはクレアの隣に並び立った。サニーブレイズの引き金を引き、刀身が青白い燐光に包まれる。

 

 それを合図にしたかのように、警備ロボットは一斉に彼女に向けて砲撃してきた。思念を感じない、熱のない攻撃。普段相手からの攻撃に明確に冷たい殺意を感じ取っていたサフィーアにはやり辛い攻撃を前に、サフィーアは若干反応が遅れてしまい受け止めようとした光弾に逆に弾かれ体勢を崩される。

 これは不味いとすかさずマントを翳して防御態勢を取るが、その瞬間襟首をクレアに引っ張られ強制的に後ろに引かされた。

 

「ぐえっ?!」

 

 突然の事にカエルが潰されたような声を上げてしまったサフィーア。いきなり何をするのかとクレアに抗議しようとしたがそれよりも早くにクレアからの叱責が飛んできた。

 

「それじゃ何も意味ないでしょうが!? 今回の戦闘でマントを防御に使うのは禁止よ!? もし使ったら今みたいに後ろに引っ張るからそのつもりでいなさい!!」

 

 この状況であまりにも厳しすぎる言葉。一瞬文句が喉元まで出掛かったサフィーアだが、クレアから感じる思念に少なからず申し訳なさや後悔が混じっていることに文句を飲み込んだ。

 

 クレアは本気なのだ。本気でサフィーアの事を鍛えようとしてくれているのだ。本気だからこそ、自分の中にあるサフィーアをどんな時でも気遣おうとする甘さに蓋をして厳しい課題を課す。例えその事に、自分の心が悲鳴を上げようともである。

 顔には出ていないが、クレアが内心では苦しそうな顔をしていることにサフィーアは気付いていた。

 

――上等ッ!!――

 

 ここまで来たら、サフィーアの中でも覚悟は決まろうと言うもの。ここからはマントに頼らずサニーブレイズを使っての防御の会得に専念すべくサフィーアは肩当の留め具を外して肩当ごとマントを外して近くに放り捨てた。

 

「な、何を考えてるんだッ!?」

 

 その様子を後ろの方から見ていたアレックスは信じられないと言った様子で見ていた。あの弾幕を相手に、防具を捨てるなど無謀すぎる。特にサフィーアの動きはカインやクレア程キレがあると言う訳ではないのだ。自殺志願者ないしは自惚れの激しい愚か者と捉えられても仕方ないだろう。

 今からでも遅くはない、肩当を拾いマントを装着し直せとアレックスは声を投げ掛けようとした。だが障壁を張ってアレックスとトーマスを守っているウォールはそれを許さなかった。ウォールは口を開けて声を発しようとしたアレックスの顔に向けて、飛び掛かるとその顔に蹴りを一発お見舞いした。

 

「あだっ?!」

「先生ッ!? お前、何をッ!?」

 

 まさかただの壁役と思っていた相手からこんな事をされるとは思ってもみなかったアレックスは、ウォールの突然の行動に目を白黒させた。

 トーマスはアレックスの顔を蹴りつけたウォールに対し非難の声を上げたが、対するウォールは二人の顔を一瞥すると声も上げずにフンと鼻を鳴らした。アレックスにはそれが、ウォールが二人に『黙って見ていろ』とでも言っているように見えた。

 

 実際、ウォールの行動は二人に余計な事をさせない為にあった。

 ウォールは、主人の事を信じているのだ。きっと彼女ならあの苦境も乗り越えられる。そう信じているからこそ、余計な茶々を外野に入れさせることを防いだのだ。

 

 そんな背後からの信頼も感じつつ、サフィーアは警備ロボット相手に苦しい戦いを続けていた。

 

 普段サフィーアは相手からの攻撃への対処を、その前段階として敵意や殺意などの攻撃的思念を感知することから始めている。これによって彼女は、普通の人間に比べれば圧倒的に素早く相手の攻撃に反応し反撃や回避、防御を選択する事が出来る。

 だがこれには一つ欠点と言うか問題点があった。ずばり、音や気配などの普通の人間が感じ取れる感覚が鈍りやすいのだ。そちらの感覚に頼らずとも反応できる事の弊害と言ってもいいだろう。

 

 今正に、サフィーアは苦境に立たされていた。今まで活用することのなかった、必要のなかった感覚に頼り戦う事は、これまでの戦いで身に付いた動きと異なるものを要すのでどうしてもぎこちなさが目立つ。

 結果、何度も危うい場面に遭遇しその度にクレアやカインからのフォローを受ける羽目になっていた。

 

「くぅっ!? くそ、次はッ!?」

「サフィ、落ち着きなさい」

「でもッ!?」

 

 思わずクレアの言葉に噛み付くサフィーア。その隙を狙ったのか、一発の光弾がサフィーアに向け放たれる。発射音に反応しそちらを見た時には、もう光弾は目と鼻の先だった。

 

「あっ…………」

 

 光弾は頭部への直撃コースを取っている。あの威力だ、直撃すれば最悪一撃であの世行きだろう。それが理解できるだけの経験は積んでいた。

 それはある意味で不幸だったかもしれない。知らなければ、或いは死の恐怖に飲まれることも無かったろう。理解できてしまうから、恐怖が生まれるのだ。そして恐怖を理解した瞬間、彼女の脳裏にこれまでの決して長いとは言えない人生が走馬燈の様に過った。目前に迫る死を、彼女はまるで他人事のように眺めていた。

 

 だが、死と言うものは本当に気まぐれであり、必ずしも確信したタイミングで訪れるとは限らないものでもあった。

 

 光弾がサフィーアに命中する直前、クレアが彼女の前に立ち塞がり裏拳で光弾を打ち返したのだ。打ち返された光弾は撃った警備ロボットとその背後のロボットを纏めて吹き飛ばした。

 

「あ、ぁ……」

「サフィ、落ち着いて。焦ったら駄目よ。自分の心に打ち勝つの」

 

 クレアは尚も飛んでくる光弾を打ち返しながら、戦闘中とは思えない穏やかな声色でサフィーアを諭した。

 

「私も昔はそうだった。上手くいかない事、逆に上手くいき過ぎる事に冷静さを失って自分の本来の動きを、出来る筈の動きを見失って失敗した事が何度もあったわ」

 

 昔を懐かしむように、しかしロボットの攻撃は正確に弾き時には直接殴り蹴飛ばしてロボットの数を減らしていく。

 一見すると余裕に見えるが、ふとサフィーアは気付いてしまった。クレアの両手から血が滲みだしている事に。彼女も限界が近づいているのだ。

 

 それでもクレアは弱音も、辛さも見せない。毅然と、穏やかな雰囲気を崩さずただ只管にサフィーアを教え導く事に全力を尽くしていた。

 

「経験者だから、はっきり言える。落ち着くのよ、サフィ。そうすればあなたなら出来る」

 

 ロボットは減るどころか、壁や天井などあちこちから補充されてくる。クレアもいい加減魔力が心もとなくなり、折れそうになる膝を屈しないようにするだけで精一杯だった。

 そして遂に、限界が来た。ある一発の光弾をクレアが左手で弾いた瞬間、左のグローブが弾け皮膚が裂かれ鮮血が飛び散った。これには流石に平常を保っていられなくなったのか、クレアの額に脂汗が浮かび表情が苦悶に歪む。

 

「ぐ、くっ?!」

「クレアッ!? くそッ!?」

 

 クレアはこれ以上無茶できない。カインが前に出て次々とロボットを銃弾と魔法で撃ち抜くが、彼も彼でそろそろ限界だろう。

 

 そんな絶望が首を擡(もた)げつつある状況であるにも拘らず、クレアは微塵の不安も感じさせぬ目でサフィーアの事を見据えた。

 

「だから、自分に負けるな。あなたはまだまだ伸びる。がんばれ、サフィッ!!」

「ッ!!」

 

 あまりにもシンプルで、曖昧に過ぎる激励の言葉。だがその言葉が、サフィーアの心の炎を大きく燃え上がらせた。

 

 サニーブレイズの引き金を引き、一気に前に出るサフィーア。背後からカインの援護を受けつつ進み出た彼女に、警備ロボット達は一斉に砲撃を行った。

 

 まず最初に彼女に襲い掛かった光弾は三発。正面と左、後方右斜め上だ。射線が被らず、しかも一発は完全に死角からの攻撃である。このどこから攻撃が飛んでくるか分からない状況においては、たった三発であっても彼女の命を刈り取る一手となり得る。

 

 だが彼女はその全てに対して反応してみせた。流石に全てを綺麗に打ち返す事は叶わず、後方右斜め上からの光弾は明後日の方向へ向け飛んで行ったが残り二発は見事に砲撃したロボット自身に打ち返す事に成功する。

 その事に喜ぶ間もなく、サフィーアは次々と飛んでくる光弾を打ち返し、剣が届く範囲の奴はそのまま切って破壊した。サフィーアの前進の間隙を縫う様にして、カインが警備ロボットを撃ち抜いていく。

 

 しかし次第にカインの発砲する回数は減っていった。理由は簡単だ、サフィーアが次々とロボットを破壊していくのである。

 サフィーアの前進速度はみるみる上がっていった。最初は二~三発に一発は弾き返すのに失敗していたのが次第に五発に一発に減り、いつの間にか光弾弾きは十発に一発失敗するかどうかと言うほどにまでなっていた。それに加えて彼女は風属性の魔法も用いて、一度の斬撃で複数のロボットを同時に薙ぎ払うようになったのだからロボットの減少速度は正に破竹の勢いであった。

 

 サフィーアの予想以上の活躍に、カインは暢気にも口笛を吹いて称賛した。

 

「ヒュウッ! やるねサフィは。君の見立て通りだ」

「私もこれはちょっと予想外よ。磨けば光ると思ってはいたけど、よもやこれほどとはね」

 

 サフィーアの活躍に仕事が減ったと見たカインは、一度負傷したクレアの手を簡単にでも治療すべく彼女に回復魔法を掛けた。攻撃的魔法とは異なる温かな魔力にクレアの手の出血が治まった時、クレアの腰の通信機からラウルの声が響いた。

 

『こちらラウルだ。そっちはまだ生きてるなッ!?』

「当然でしょ! それよりそっちはどうなの? 今は朗報以外聞きたくないんだけど?」

『お待ちかねの朗報だ、待たせたな!』

 

 その言葉が通信機から聞こえた瞬間、突如として警備ロボットのカメラアイから光が消え、ロボット達は力を失ったかのようにその場に崩れ落ちた。壁や天井に張り付いていた奴も、それまでの重力に逆らっていた動きが嘘の様に真っ逆さまに床に落下し中にはそれで破損した奴もいる。

 どうやらやっとこさ上の連中が警備システムを止める事に成功したらしい。とりあえずの危機が去ったことに、クレアは安堵の息を吐きカインもライフルを肩に担いで首をコキコキと鳴らした。

 サフィーアに至ってはロボットの残骸の中で大の字で横になっていた。それまで緊張して張り詰めていたものから一気に解放されたのだ。そりゃ横になりたくもなるだろう。

 

「だぁ~…………や、やっと、終わったぁ」

「お疲れ、サフィ。凄かったじゃない」

「クレアさんが励ましてくれたおかげですよ」

 

 今回一番健闘したのは間違いなくサフィーアだろう。彼女の最後のお仕返しがなければ、最悪誰かが命を落としていた可能性もあった。

 その意味も込めての称賛に対し、サフィーアは謙遜してみせるがクレアはそれに否と答える。

 

「そんな事ないわ。今回、間違いなく一番頑張ったのはサフィ、あなたよ。誇っていいわ」

「その通り。今回は正直僕もやばいと思った。意味がいてくれて感謝だよ」

「そ、そう、かな? えへへっ!」

 

 クレアとカインからの称賛に、サフィーアはだらしなく頬を緩ませ笑みを浮かべる。

 そんな彼女に対し、クレアは意味深な笑みを浮かべると一瞬の隙を突いて無防備な彼女の額にデコピンをかました。

 

「あいたっ?!」

「た・だ・し! 調子にだけは乗らない事よ。今回の事で分かったと思うけどあなたにはまだまだ課題が多いんだからね。その事を絶対に忘れる事がないように」

「は、はい…………」

 

 散々褒めちぎっておいて最後の最後でダメ出しをしたクレアに、サフィーアは思わず恨めしそうな目で見る。

 その仕草がどこか子供っぽくて、クレアは思わず笑い声をあげてしまうのだった。




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第85話:調査再開

読んでくださる方達に最大限の感謝を。


 警備ロボットの襲撃を凌ぎ切ったサフィーア達は、エレベーター前でレトルト食品のパウチで食事を兼ねて小休止を取っていた。携帯食料と違い専用の機材を使えば何処でも温かい食事にありつけるレトルトパウチの食品は傭兵の強い味方だった。

 携帯食料に対しあまり苦手意識を持たないサフィーアも、クロード商会のバックアップで贅沢が出来ると言う事で今回に限っては節約とかを意識の中から放り捨てて温かいパウチの食事を思う存分堪能していた。

 

 そして現在、サフィーアはクレアから先程伝授された相手の遠距離攻撃を弾き返す技術に関する補足を教授されていた。あの時は戦闘中だったと言う事もあってあまり詳しく説明することは出来なかったのだが、この技術は理解を深めればもっと強力な力を発揮できるのだ。

 

「――――つまり、あの技はその気になれば“打ち返す”っていう動作をしなくても攻撃を相手に弾き返せるって事ですか?」

「そ。飽く迄理論上は、だけどね」

 

 魔力をクッション代わりにして相手の攻撃の威力を柔らかく受け止め、然る後にその攻撃を相手に弾き返すこの技。先程はクッションで表現したが、もっと突き詰めて考えればバネの様にと考えれば打ち返すと言う事をしなくても相手の攻撃をそのまま相手に返す事は不可能ではないのだ。

 即ち、相手の攻撃の威力を分散させず受け止め、そのまま相手に向けて打ち出せば余計な動作を減らし最小限の動きだけで相手にカウンターを見舞う事も可能なのだった。

 

 ただしこれは本当に突き詰めて考えた、クレアの言う通り理論の上での話である。実際にやろうとしたら反射角の計算などに脳のリソースを割かねばならず、忙しい戦闘中にそれをやろうとすれば逆に隙を晒して自らを窮地に立たせてしまう事となる。とてもではないが現実的ではない。

 

 その時、カインはエレベーターが動いている事に気付いた。見ればランプが上から下に動いている。ラウル達が下り始めたらしい。

 休憩時間の終了だ。

 

「上が動き出したらしい。皆、片付けて準備して」

 

 カインの言葉に四人は空になったパウチなどを片付け始める。と言っても空のパウチを一つのゴミ入れの袋に入れるだけなので、時間は数分と掛からずに終わった。

 それと同時にエレベーターの扉が開き、ラウル達が出てきた。見ると先程より人数が減っている。クレアが言うには上では犠牲者が出なかったそうなので、負傷か純粋に遺跡のシステムにアクセスする為に待機しているのだろう。エレベーターから出てきたのはラウルを含んで学者と傭兵が二人ずつだ。

 その人数を見てクレアが疑問の声を上げる。

 

「あれ? 遺跡のシステムに張り付いてる奴には護衛付けてないの?」

「いや、オーキスとウィッキーを護衛と一緒に合流させた。下手に人数を分散させるよりはいいからな」

 

 良い判断だろう。この遺跡はかなり危険な方であることが分かった。今後も何か不測の事態が起きる事は十分に予想できる。ある程度調査が済んでいると言っても油断はできない。下手に人員を分散させていると、各個に撃破される危険があった。

 そこを考えると、人員をある程度纏めておくのは悪くない考えだ。ラウルはこの道それなりに場数は踏んでいるのだろうし、こういう事態にも慣れているのだろう。

 

「そんじゃ、早速行きますか。また下に下りるの?」

「いや、今回は中層を重点的に調査する。これほどの規模の上に思っていた以上に生きている部分が多い。より安全で確実に調査するにはもっと人数が必要だろう」

 

 その意見にはサフィーアも賛成だった。こちらは既に二人も犠牲を出してしまったのだ。中層でこれなら下層になれば更に危険度は上がる。予想されるリスクを考えれば、学者も傭兵もより多くの人員がいた方がいいだろう。

 そうなると、気になるのは中層の調査終了後のサフィーア達の扱いだが、まぁそれはその時になって考えればいいだろう。継続して依頼を受けるかさっさと次の依頼に移行するか。時が来たらクレアとカインと相談して決めればいいだけの話だ。

 

 さて、そんなことを考えていると方針が決まったのか一団は移動を開始した。まずはこのままこの階の調査をするらしい。歩き出したクレアにサフィーアもついていく。

 

 廊下を歩く道すがら、一団は途中の部屋を手当たり次第に調べていく。が、成果は芳しくない。何やら個室が多いようだがそのどれもが居住スペースではなく研究室の様なのだ。ラウル達は何か学術的に価値のあるものがないかと調べていたが、めぼしいものは見つからず精々朽ちに朽ちた元は紙書籍だった可能性のある物が棚などにあるだけであった。

 

「しかし、ここは一体何をしていたのか?」

「それなんですが、少し気になる所が」

 

 何も得られない現状にラウルが眉間に皺を寄せながらぼやくと、アレックスが先頭に立ち一団をある部屋へと案内していった。

 そこは、先程サフィーアが何かに導かれて入っていった部屋であった。その時はスケアクロウの襲撃があった上にそもそも動力炉の再起動を目的としていたので詳しく調べている余裕がなかったが、今は違う。一応脅威は去ったし、時間にも人数にも余裕はある。詳しい調査をするにはもってこいだ。

 

 部屋に入るなりラウルは目の色を変えてあちこちを調べ始める。彼だけでなく、他の学者達もだ。学者の勘でここでなら何かが得られると踏んだのかもしれない。

 そんな学者達を、サフィーア達傭兵組はぼんやりと眺めながら危険が潜んでいないか警戒する。別の階層からスケアクロウが出てきたりしないとも限らないのだ。特に傭兵達に求められているのは学者の護衛、それを疎かにしたとあっては評価や報酬に響いてしまう。

 

 サフィーアも乱立したシリンダーの間を縫うように進みながら周囲を警戒していた。

 しかし見れば見る程気持ちの悪い部屋である。サフィーアが何かに導かれた時は濁った液体で満たされていたシリンダーは、穴が開いたりして液体が抜けてしまっているが中身はまだ残っていた。そう、乾燥してミイラの様になった、何かの生き物の死骸だ。

 その中に明らかに人間らしき物のミイラを見つけて思わず嫌悪感に顔を顰める。

 

「先生。ここ、元は生命工学の研究でもしてたんでしょうか?」

「何故だ、トーマス?」

「この部屋の端末にアクセスしてみましたが、出来る限り解析した結果どうも遺伝子情報らしきものがいくつか見つかったんです。ほら、これとか」

 

 シリンダーの中や影を覗き込みながら室内を歩き回っていたサフィーアの耳に、アレックスとトーマスの会話が入る。何とはなしに興味を持った彼女は、シリンダーの陰から覗き込むようにして二人の会話に耳を傾けた。

 

「…………確かに、DNAのらせん構造らしきものも見えるな。となるとここは、生物の研究をしていた施設か。それにしては随分と規模がでかいな」

「でもそれなら地下に造られた理由も納得できるのでは? 地下の施設ならバイオハザードが起こっても隔離が容易ですし」

「まぁな。となると、このシリンダーも中身は生物実験のなれの果てかな?」

「かもしれませんね。見てくださいよこれ、明らかに元は人間ですよ」

 

 そう言ってトーマスが指差したシリンダーの中には、骨と皮だけのミイラと化した遺体らしきものが納められていた。

 それを見てアレックスも思わず顔を顰める。

 

「今も昔も、人間のやる事は業が深いな。額に穴開けるとか、一体何がしたかったんだか」

「おまけにこの部屋、明らかにサンプルか何かの保存室ですよ。ここに努めてた超古代文明人、結構マッドだったんじゃないですか?」

「可能性はあるな」

 

 二人がそう結論付けていると、いつの間にか部屋の調査を終えたラウルが室内に居る者全員に声を掛けた。そろそろ移動するらしい。

 

 会話をそこで切り、部屋の入り口に向け歩いていくアレックスとトーマス。その二人が去っていった後に入れ替わるようにしてサフィーアがその場に姿を現す。別に彼らから隠れ潜む必要は無かったのだが、気が付いたら息を潜めていたのだ。

 サフィーアは静かに先程二人が覗き込んできたシリンダーに近付くと、若干曇った容器に顔を近づけ中身を確認する。

 

 そこには、二人の会話からある程度予想出来ていたが、やはりと言うか乾燥してミイラ化した人間が入っていた。それもただのミイラではない。額の部分に丸い穴が開いたミイラだ。

 一見するとそれはサードのミイラの様にも見えるが、よく見ると違うのが分かる。あちらは骨格として額に第三の目が入る為のスペースがあるがこちらのは少し違う。まるで力尽くで穴を開けたかのように穴が少し歪な形をしているのである。更にその穴の周りには形の崩れた円を描くように小さな穴が。

 

「――つっ?!」

 

 その瞬間、サフィーアの頭に鈍い痛みが奔った。視界が歪み、周囲の景色が変化し始める。

 また再びあの光景を目にするのか。その事に不安半分、期待半分の心持ちで視界の変化を待ち受けた。

 

 ところが…………。

 

「サフィ、何してるの? そろそろ行くわよ?」

「ッ!? あっ!?」

 

 クレアからの突然の呼び掛け。それに反応した瞬間、変化しつつあった景色は変化を止め、長い年月の経過を感じさせる汚れと破損の目立つ景色だけをサフィーアの目に見せるだけであった。

 

「あ~…………んんっ。は~い、今行きます!」

 

 変化する事のなくなった景色に若干残念に思いつつも、心の何処かで安堵したサフィーアは気を引き締め直すとクレアの声に返事を返しつつその場を離れるのだった。




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第86話:告白するは母の影

読んでくださる方達に最大限の感謝を。


 サフィーア達が遺跡の中層の調査を再開した頃…………

 

 地上の方では、アイラを中心としたクロード商会の協力を得て国際機関の考古学者が遺跡に潜った者達のバックアップの為に動き回っていた。

 彼らの話題の中心は、やはり想像以上に広くそしてそれ以上に生き残っていた施設の機能であった。通常は規模の大きな遺跡でも、生きているのは休眠状態だった自立起動兵器やコールドスリープされていたモンスターだけで後は辛うじてシステムの一部が生きていると言う場合が殆どだったのだ。

 だがこの遺跡は違う。動力炉を再起動させるとその機能の殆どを取り戻した。今は潜った技術者が弄って何とか警備システムを止めてくれはしたが、それが正解かは現時点で断言することはできない。もしかすると警備システムを止めたことで別の問題が発生するかもしれないのだ。

 

 それを考えると、現状の人数でこれ以上の調査は控えるべきかもしれない。下層まで下りたら何が待っているか分からないのだから、ここで無理をするよりも一旦引き返して体勢を立て直した方がいいに決まっている。

 遺跡の外でもそのように話が纏まっていた。

 

 その様子を…………遠くからじっと見つめる者達が居る事に、アイラ達非戦闘員は勿論彼女らの警護の為に待機している傭兵達も気付くことは無かった。

 

 

***

 

 

 今のところ特に問題もなく精々少し忙しい程度の地上に対し、地下の方はちょくちょく調査隊が危険な目に遭っていた。

 幸いと言うべきか中層付近に居たスケアクロウは先程の警備ロボットが始末してくれたらしくあれから姿を見せる事は無かった。だがその代わり、中央のシステムから切り離され独立した対侵入者用の警備システムがあちこちで動いており、それによって否応無しに危険な目に遭わされていた。

 

 特に焦ったのが、ある資料室らしき部屋にアレックスとトーマスが足を踏み入れた時である。その瞬間扉が勝手に閉まり部屋がロックされると、部屋の各所から何らかのガスが噴出され始めたのだ。

 これには誰もが焦った。このガスが侵入者を単に無力化する為の睡眠ガスの様なものであるならともかく、致死性の毒ガスであった場合仮に扉を破壊してもガスは処理が出来ない。

 どうするべきかと行動を決めかねていた時、徐にサフィーアが扉を切り裂き二人を部屋から引きずり出すとウォールに障壁を張らせガスが部屋から出ないようにした。そしてカインにこう告げたのだ。部屋を氷漬けにしろ、と。

 その言葉に理解を示したカインは即座に扉を魔法の氷の壁で蓋をし、次いで室内そのものを凍らせた。壁も何もかもを、余さずだ。

 すると、ガスの噴出口が氷で塞がれたからかそれとも室内から完全に生命の存在がなくなったからか、ガスの噴出が止まり地下遺跡がガスで充満すると言う事態は避ける事が出来たのだった。

 

 そんな事がありながらも微々たるものながら収穫を得た調査隊は、手頃な広さの部屋で休憩を取っていた。中層に限定したとはいえ流石にぶっ続けで調査をしていては思わぬミスに繋がりかねない。より確実で安全な仕事をする為には、適度な休息も大事なのである。

 

 その際、サフィーアは思い切ってクレアとカインを集団から少し離れた所に連れ出していた。理由は一つ、この遺跡に来てから自身の身に起こった異変について話す為だ。

 

「それで、話って?」

「僕らだけに聞かせたい内容って聞いたけど?」

「うん…………実は――――」

 

 サフィーアは包み隠さず話した。この遺跡に入ってから見た、あまりにもはっきりし過ぎた幻覚を。それが一度や二度ではなく、事ある毎に発生しその度にサフィーア自身混乱している事を。そう、警備ロボットの猛攻を凌ぎ切り調査が再開された後も、海色の髪の女性と幻覚は頻繁にサフィーアの前に姿を現していたのだ。

 その話を聞くクレアとカインは、揃って怪訝な顔をした。正直に言えば、信じ難いと言うのが本音であった。

 特に――――

 

「じゃあ、サフィはこの遺跡が遺跡になる前の、超古代文明時代の様子が見えるって言うの?」

「見たまんまを言うなら、ですけど」

 

 汚れ一つない綺麗な壁、森の中にある施設とは思えないスーツや白衣を着た人々。どれをとってもそれは遺跡と言う場所に来る者の恰好ではない。傭兵としての服装がスーツであるカインを除けば、アイラですらアウトドア向けの服装でここに来ているのだ。サフィーアが目にした光景がここが遺跡になってからの光景であるとすれば、どいつもこいつも場違いにも程がある。

 

 だがそれ以上に、サフィーアには気になる事があった。

 

「それよりも、さっきから話に出てた青い髪の女の人なんですけど」

「幻覚の中でのサフィの案内人か。その人がどうかしたの?」

「…………その人、どう見ても、あたしの母さんなの」

 

 そう言いつつサフィーアは何度も目にした白衣の女性の姿を思い浮かべる。白衣姿こそ彼女の記憶の中にはないが、それ以外は顔の造形から何から全て彼女の記憶の中にある母親の姿に相違無かった。しかしそれはあり得ない話である。言うまでもなく、サフィーアの母親は現代の人間だからだ。そんな人間が、超古代文明時代と言う途方もない程の過去に存在した遺跡に居る訳がない。とすれば、彼女が目にしたのは彼女の母親によく似た別人と言う事になる。

 だがどうしてもサフィーアには、そのように断言することは出来なかったのだ。あまりにも似すぎているから。

 

 しかしその話を聞かされた二人は、彼女の話について行けず怪訝な顔をしつつ首を捻る事しか出来ずにいた。

 

「それは、君のお母さんによく似てたって事、じゃなくてかい?」

「違う、そんなレベルじゃない。何でか分からないけど、理屈じゃなくて確信できるの。あれは母さんだって」

 

 疑問を口にするカインにサフィーアは断言する。誰が何と言おうと、あれはサフィーアの母であるマリンに他ならない。例え本人が否定しようと、サフィーアはそれを逆に否定しただろう。それ位サフィーアはここに来てから目にした母の姿に確信を持っていた。

 

 サフィーアが母の姿を見たことは勿論謎だが、そもそもの話遺跡の過去の光景が見えると言う事自体謎だった。クレアも傭兵やって長いし遺跡絡みの依頼を幾つも受けてきたが、サフィーアのような事例は初めての経験だ。

 そんな彼女でも、現状で一つ言えることはあった。

 

「ま、今その事に関して議論しても意味はないわ。私もカインも、、こんな事は初めてだしね。ただこの事に関しては、当面は私たち以外の人には言っちゃ駄目だからね。学者連中なんて以ての外よ」

「それは勿論。クレアさん達だから言うんですよ」

「それを聞いて安心したわ」

 

 もしかしたら考古学に携わる者ならばこの現象の事も何か知っているかもしれない。だが仮に何か知っているのだとしても、この事象そのものが滅多にある事ではないだろうことは確実だ。頻繁に起こるのであればクレアかカインのどちらかがどこかで耳にした筈である。

 それがないと言う事は、殆ど確認されることのない事象の筈だ。

 

 そんな事象が発生した者が、すぐ近くに現れたと知ったらどうなるか? 良くてこの依頼の間中、下手をすればこれ以降ずっと国際機関の預かりとなり自由のない生活を余儀なくされるだろう。

 そのような扱い、サフィーアに容認できる筈がなかった。嫌ならば、黙っているしかない。勿論、クレアとカインは迂闊に口に出すつもりは無かった。

 

「それにしても、よく話す気になったわね。こんな事言いたくはないけど、派手に疑われるとは思わなかったの?」

 

 実際には派手にとはいかないまでも、クレアとカインも話を聞いた当初は多かれ少なかれ疑いの目を向けた事は確かである。

 その事に関して、サフィーアは何も思っていないのかとクレアは不安に思っていた。

 

 だがその心配は杞憂に終わった。クレアの質問に対し、サフィーアは満面の笑みを浮かべながら答えたのだ。

 

「全っ然! そんな事をする人じゃないって、あたし分かってますから!」

「ッ!?……ったくもうッ! この子は本当にッ!」

 

 サフィーアから向けられる絶大な信頼に、クレアは気恥ずかしくなりサフィーアの頭をグシャグシャと撫でた。サフィーアはサフィーアで、多少抵抗しつつも笑顔でそれを受け入れている。

 仲睦まじい二人の様子を、少し離れた所からカインが笑みを浮かべながら眺めていた。

 

 

***

 

 

 それから数分後、休憩を終わらせ再び調査を再開した。調査再開に際して、今度は明確な調査目標が決まった。

 施設のデータを解析した結果、どうもこの先に矢鱈と大きな部屋があるらしい。何を目的とした部屋かは分からないが、これまでの小さな研究室なんかとは明らかに違う部屋のようだ。

 今度はきっと何かある筈、願い半分確信半分でラウルは目標をその部屋に定め一路その部屋に向けていくことにした。

 その部屋への移動の最中、ラウル達に合流したサフィーア一行は少し集団から距離を取りながらついていく。これはもし再びサフィーアが過去の幻影を見る事になってもフォローに回れるようにする為だ。原因は今のところ不明だが、知ってしまった以上クレアとカインはサフィーアのフォローを可能な限りすることに決めていた。

 

 と、その時…………。

 

「ッ!?」

 

 再びサフィーアの視界がちらつき始める。最初は何の前兆もなく変化していた視界だが、完全に自覚してからはまるで心の準備を与えるかのように視界が変化する前兆が発生するようになっていた。

 

 サフィーアはその前兆に感付いた瞬間、まだ辛うじて視界内に映っているクレアの手をそっと握った。

 

「ッ!……カイン」

「お任せを」

 

 これは先程決めた合図だ。サフィーアの視界が過去の光景に変化したら、隣を歩くクレアの手をそっと掴み知らせること。そうすればサフィーアがふらふらと何処かへと行く危険も減るし、フォローもし易くなる。

 予め決めておいた手筈通りに、カインが二人の前に出てそれと無く他の者達からのサフィーアに対する視線を遮る。

 

 二人からのフォローを余所に、サフィーアの視界は完全に過去の光景に変化していた。目の前にはやはり、そこに居る筈のないしかし己の母としか思えない女性の後ろ姿。

 

 マリンと思しき女性はまるでサフィーアの歩調に合わせるように歩き、時々すれ違う他の研究員らしき者と適度に挨拶を交わしている。

 と、不意にマリンが曲がるととある部屋へと入っていった。不思議とサフィーアもそれに引かれるようにそちらへと向かおうとしするが、クレアに手を引かれているからか意識に反して体はそのまま部屋の前を通り過ぎていく。

 そのままマリンが部屋に入るのを見送りつつ、サフィーア自身は部屋から離れて――――

 

「づぅッ?!」

 

 突然鋭い頭痛が走り、目の中に星が散ったと思ったら次の瞬間には視界は元通りになっていた。クレアに手を引かれているので歩みは止めないが、サフィーアは未だ星が散る視界に暫し目をしばたたかせている。

 漸く視界が戻り、周りの光景をちゃんと捉える事が出来るようになって最初に目にしたのは心配そうに自分を見つめるクレアの顔だった。

 

「大丈夫? 今までにない反応だったみたいだけど?」

「多分、大丈夫です。すみません、心配かけて」

「ん。まぁ、大丈夫ならそれでもいいわ。ただ、本当にまずいと思ったらすぐに言いなさい」

 

 今日はやけに心配性なクレアにサフィーアは苦笑を返しつつ頷いた。

 

 それと同時に、サフィーアは一つ気になる事があった。

 先程、何気なくマリンが入っていった部屋。あれは一体何だったのか? すでに通り過ぎてしまった、特に見向きもされなかったその部屋の存在にサフィーアは言いようのない違和感を感じつつ、今はとりあえずラウル達についていくことに集中するのだった。




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第87話:コード破り(半自動)

令和になってからの初更新です。今後とも本作をどうぞよろしくお願いします。


 警備ロボットの襲撃を退けてからの調査は、その後も大きな進展なく続いた。学者連中は思ったほどの実がない事に次第に落胆の表情を見せ始め、その一方で傭兵達は大きなトラブルが起こらない事に安堵していた。

 

 そんな一行の前に、中層最後となるだろう区画へつながる通路が姿を現した。

 通路を前に、それまでの雰囲気を一変させ若干緊張した面持ちになる傭兵達。何故か? それは明らかにその通路がそれまでとは様子が異なっているからだ。

 

「…………どう思う、これ?」

「見ただけで分かるよ。絶対何か罠がある」

 

 通路を前に、クレアとカインはそんな会話を交わす。

 

 一行の前に姿を現した通路は何とも奇妙な物だった。

 見た目は上下左右をガラスの様な材質で作られた、横幅が人二人分程度と狭いその通路。狭さに反して、天井と床、そして左右の壁全てが照明となっているので非常に明るい。それだけでも今までの通路とは違うが何より気になるのは通路の始めと終わりに分厚い扉が設置されている点だった。

 

――う~わ、あからさま――

 

 遺跡絡みの依頼の経験が少ないサフィーアでも分かるほどに、その通路は中に入った者を閉じ込める構造をしていた。恐らくは予め登録されていない者や許可証のない者が通ろうとすると自動で閉まるのだろう。

 問題は閉じ込められた者がどうなるか、と言う事である。これがただ捕獲を目的にした罠であるならそこまで脅威ではないが、ここまでの経験でこの遺跡が妙に殺意が高い事は証明済みだ。閉じ込められたら眠らされてお終い、では済まないだろう。

 それは傭兵だけでなく、学者達も一様に感じた事だった。

 

「さて、どうするの? 地図によると、この先へはこの通路を通らないといけない訳だけど?」

「う~む…………トーマス、何とかならんか?」

「ちょっと、難しいかもしれません。罠が動いていれば兎も角、今の状態だと下手に弄るのはそれはそれで危険を伴います」

 

 クレアとカインがラウル達とこの先への進み方で議論する横で、サフィーアは通路の入り口にそっと近づいていく。別に入ろうと言うのではない、ちょっとした興味本位と言う奴だ。

 通路への入り口近くに来たところで、サフィーアは入り口のすぐ横に何かが取り付けられている事に気付いた。見た所暗証番号か何かを入力するテンキーの様だ。様だ……と言うのは、テンキーの様な物はあるが肝心の数字どころか文字らしきものが何一つ刻まれていないからだった。テンキーの数は縦横5つずつの合計25個、少なくとも現代に広く知れ渡っているテンキーとは違った作りをしていそうだ。

 

 とりま、これの存在は教えておくべきだろう。迂闊に触る訳にはいかないが、ラウル達がこれの存在を知れば少なくとも何かしらの方向性を見定めてくれる筈だ。

 

 若干の期待を胸にサフィーアはクレア達の方に声を掛けようとして――――――――背後から伸びてきた手がテンキーを叩くのを見て目を見開いた。

 

「えっ!?」

 

 伸びてきた手は明らかにサフィーアの体を貫通している。にも拘らず、彼女の体にはどこにも負傷どころか異常が感じられない。そこでやっとサフィーアはこの手が現実のものではなく、この遺跡に来てから何度も目にしたマリンと過去の遺跡の様子の幻覚によるものであることに気付いた。

 とすると、この最後からサフィーアの体を貫通させてテンキーを叩いている人物は…………。

 

「か、母さん……」

 

 振り返るとそこには案の定サフィーアの母・マリンの姿があった。ただしあちらはサフィーアの存在に全く気付いていない様子で、黙々とテンキーを入力していった。

 

 テンキーの入力はあっと言う間に終わった。するとコンソールからピーッ、と言う電子音が響き、それを聞いたマリンは躊躇うことなく通路へと足を踏み入れる。どうやら通れるようになったようだ。

 通路の向こうに姿を消したマリンを見て、サフィーアはふと気付く。もしかして、同じように入力すれば現実の遺跡での通路も進めるようになるのではないか?

 

 思わぬところから解決策が出たと思ったサフィーアだったが、直後にどうやってこの事を伝えようかと悩んだ。普通に伝えればどうしてそんな事を知っているんだと不審がられるだろうし、勝手に入力して当て勘でやったと言ったら怒られるかもしれない。

 それ以前の問題として、視界の変化が唐突過ぎたのと今までとは違った母の登場に動揺していた所為もあり、肝心のテンキーの入力の順番を殆ど覚えていなかった。これでは本末転倒である。

 

 自分の迂闊さに落胆したサフィーアは、仕方なしととりあえずテンキーの存在だけでも教えておこうと視界が元に戻るのを待っていた。これまでの経験上、この状態は放っておけば直ぐに元に戻る。

 

 そう思っていたのだが、次の瞬間右手を何者かに掴まれたと思ったら視界が一瞬で元に戻りサフィーアの度肝を抜いた。

 

「わっ!?」

「わっ、じゃねえよ。何してんだお前」

 

 思わず驚き声を上げたサフィーアだが、ラウルと一緒に合流してきた傭兵が焦りの声と共に掴んだ右手を見て思わず固まった。そこにあったのは、押されたことを示す様に所々点灯したテンキーだった。恐ろしいことに、サフィーアは意識の中で過去の様子を見る最中、無意識の内にマリンが押した後を追う様にテンキーを押していたのだ。

 そしてサフィーアは気付く。押すべきテンキーは後一か所のみであること、その最後の一か所が記憶に残っていてどこを押せばいいかを己が理解している事に。

 

「ッ!!」

「あ、おいッ!?」

 

 それを見た瞬間サフィーアは制止を振り切り最後のテンキーを押した。瞬間、幻覚の中で見た電子音が響きその場にいた全員の視線を集める。

 

「何だッ!?」

「サフィッ!?」

 

 異常を察したラウルやサフィーアを心配するクレアの声が響く中、異変は更に続く。つい今し方まで上下左右全方位から照らされていた通路が、天井だけ残して照明が落ちたのだ。明るさは普通の通路と同程度となったが、あからさまに何かあると思っていた通路の異変にそちらへ行って確かめようと思う者は居なかった。

 

…………ただ一人を除いて。

 

「…………うん」

 

 クレアは明るさが変化した通路とその原因であろうサフィーアを交互に見比べると、意を決して通路へと入っていく。背後からトーマスや他の傭兵達が戻るよう呼びかけるが、クレアは無視して慎重に通路を進んでいった。

 次第に背後からの呼び掛けはなくなり、誰もが固唾を飲んでクレアが通路を進んでいく様を見つめていた。サフィーアもその一人だ。

 

 多くの視線に晒されつつ、クレアは一歩、また一歩と歩を進めていく。途中、暑さではなく緊張で額から汗が流れてきたのでそれをむき出しになっている腕で拭った。

 

 そして遂に、クレアは通路の向こう側へと辿り着く。通路の向こう側に何の異常もない事を確認し、また自分が五体満足で辿り着けたことにクレアは安堵の溜め息を吐く。

 安全が確保されたと見るや、ラウル達は足早に通路を通り向こう側の区画へと入っていった。

 当然サフィーアもその流れに加わり、通路の向こう側のクレアと合流を果たした。

 

「さて、どういうことか説明してもらおうか?」

 

 サフィーアが通路を渡り切ると、同時に先程彼女の右手を掴んだ傭兵が彼女の事を睨みつけながら問い掛けた。問い掛けると言うよりも、最早詰問と言った方が近いかもしれないが。

 その内容は考えるまでもないだろう。何故遺跡のトラップを解除する方法を知っていたのか、彼が聞きたいのはそれだ。彼だけでなくラウル達も同じ気持ちなのか、気付けば全員の視線をサフィーアが一人で集めていた。

 

「あ~…………えっとね」

 

 さてどう答えたものか。本当の事は絶対言えないが、さりとて適当な作り話で切り抜けようにもいいアイデアは出てこない。

 何も答えないサフィーアに、いよいよもってラウル達の思念に苛立ちや疑念が混じり始めた。それに伴いサフィーアも焦りを滲ませ始めたのだが――――

 

「あぁ、その子結構勘が鋭いのよ。この手のパスワードとか、初めて触る筈なのに適当に押しただけで当てちゃうんだもん。凄いわよねぇ」

 

 突然横からクレアがそんな事を口にした。サフィーアが驚きに満ちた顔でそちらを見ると、彼女は自慢げな様子で薄く笑みを浮かべていた。

 と、クレアが一瞬サフィーアに目を向ける。サフィーアと目が合った瞬間、クレアは彼女に向けて小さくウィンクしてみせた。と同時に、クレアから向けられる思念がサフィーアを包み込んだ。目には見えずとも守られていると言う感覚に、サフィーアは心に落ち着きを取り戻した。

 

「そ、そうなんですよぉ! あたしってばこう、変なところで勘が鋭く働いちゃってぇ!」

「勘、ねぇ? なんか途中まで心ここに非ずって感じでテンキー押してたけど?」

「ねぇ~、不思議よねぇ。あたしとしては普通にやってるつもりなんですけど」

 

 先程までとは打って変わって堂々とした言葉と、Aランクとして名を馳せているクレアの言葉にラウル達も一応の納得はしてくれたのか、それともこれ以上の追求は諦めたのか興味をサフィーアからこの区画へと向け始めた。

 早速区画のあちこちを調べ始めるラウル達とそれについていく傭兵達。彼らが十分に離れたのを見計らって、サフィーアは盛大に溜め息を吐いた。

 

「はぁ~~…………あ、危なかったぁ」

「本当よ。最初気付いた時はかなり肝を冷やしたわ」

「すみません。それと、ありがとうございます」

「いいのよ。ところで、さっきは本当にどうしたの?」

「僕が見た限りだと、また過去の幻影が関係してたように見えたけど?」

 

 カインの指摘にサフィーアは一つ頷くと、とりあえず先程見たものを二人にも話していった。

 その話を聞き終えて、クレアはサフィーアに呆れ半分関心半分と言った表情を向けた。

 

「あんた、度胸あるわね。そこで最後の一か所を押すとか」

「いやぁ、あそこはやっとかないとなぁって思っちゃって」

「度胸に関してはクレアもどっこいどっこいな気がするけどね。あの状況で最初に一歩を踏み出せるのは早々いないと思うよ?」

 

 そこはまぁ、サフィーアに対する信頼もあったのだろう。テンキーを押したのが彼女でなかったら、流石のクレアでもかなり躊躇したに違いない。それ位あの通路は怪しかったのだ。

 

 などと話していると、気付けばラウル達は区画のかなり奥の方まで行ってしまっていた。気付いたカインが少し慌てた様子で二人を促した。

 

「おっと、無駄話が過ぎた。僕らもそろそろ移動しよう」

 

 カインの言葉に二人は慌ててラウル達の後を追って区画の奥へと向かっていった。




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第88話:母の仕事

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 通路を抜けた先をいくらか歩いていくと、前方が一面ガラス張りの個室に辿り着いた。入ってみると壁や天井に無数の穴が開いているため、トーマスなどは一瞬またガスが出るのかと警戒していたがラウルはそれに対し否と答えた。この部屋の向こうには矢鱈と広い空間が広がっていたが、ただ無駄にだだっ広い訳ではなく左右に列をなすようにして手術台と言うか作業台のようなものが並んでいたのだ。

 その様子から、この先はさらに重要な研究を行う場所でありここは埃や静電気を除去する為の部屋であると判断したのである。

 

「恐らくこの先は超クリーンルームなのだろう。本来はここで静電気を除去して、研究サンプルに不純物が入る事を防ぐのが目的だ」

「ふ~ん……で、どうする?」

「どうするとは?」

「もう一つの扉よ。システムにアクセスして開けられるの?」

 

 そう、このガラス張りとその先の部屋の間にも当然ながら扉があったが、その扉には取っ手の様なものが見当たらないのだ。代わりに部屋の中央辺りにコンソールの様なものがある。恐らくここで何かしら操作すると静電気除去や扉の開閉が行われるのだろう。

 問題は、それが操作可能なのかと言う事だが――――

 

「こちらは問題ありません。もうアクセスには成功してます。これで……と」

 

 言うが早いか、トーマスがコンソールに接続したラップトップを操作するとあっさり扉は開いた。あまりにも簡単に開いたので、サフィーアなどはちょっと拍子抜けしていた。

 

――ま、さっきの奴をあてにされないだけマシだと思えば、ね――

 

 そんな事をサフィーアが内心で思っていると、ラウル達は扉を抜けていく。サフィーア達もそれについていき、大研究室とでも呼ぶべきその部屋へと入っていく。

 

「ッ!?!?」

 

 瞬間、またしてもサフィーアの視界に強いノイズの様なものが走った。サフィーアは急いでクレアの手を取ろうとするが、不運にもこの時に限ってサフィーアとクレアの間には少々距離があった。

 結果、サフィーアはクレアに異変が起こったことを知らせる間もなく幻覚の世界に飛び込むこととなった。

 

 ふと気づくと、サフィーアの前には母であるマリンの姿があった。マリンはサフィーアの存在に意識を向けることなく、大研究室の奥へと歩いていく。

 ここからの行動にサフィーアは悩んだ。クレアに異常を知らせる事が出来なかった以上、下手に動いて変なことをするくらいなら幻覚が覚めるまでここでじっとしていた方がいいのかもしれない。だが先程の様に、自分では何もしていないと思っていても実際には無意識に何かしている可能性がある。今回がそうでないと言う保証はない。

 であるならば、寧ろここはあえてマリンの後をついていき、そこに何があるのかを見ておいた方がいいのではないかと考えた。何だかんだで先程などは幻覚のおかげで何事もなく通路を抜ける事が出来たのだ。何でこんな幻覚を見ることになっているのかがそもそも謎だが、これ自体には彼女らを陥れる意図などは無いように思える。

 それに、少し申し訳ない話だが、幻覚に促された行動が集団から外れればクレアの方から異常に気付いてくれるかもしれない。

 その期待を胸に、サフィーアはマリンの後をついていくのだった。

 

 

***

 

 

 一方、クレアの方はと言うとサフィーアに異変が起こっていることにも気付かず周囲を警戒しながらラウル達の後についていっていた。明らかに何か仕掛けが施してあるだろう通路の先に、洗浄用の部屋を介しての研究室だ。これまでとはまた違うレベルの何かがあってもおかしくない。

 幸いにして大研究室は良くも悪くも何事もなく抜け、その先にある扉を一行は抜ける。

 扉を抜けた先は左右に道が分かれていた。目の前には案内板の様なものがあるが、超古代文明の文字で書かれているためクレアにはなんて書いてあるのか分からない。

 

「ん~? どっちがどっち? ってか何?」

「ふむ…………恐らく右が処置室。左が……何だ? 凍結…………んん?」

「恐らく、凍結保存室か何かでは?」

 

 超古代文字の解読に若干苦戦するラウルに、アレックスが助け舟を出した。それに納得して頷くと、ラウルは迷わず左に向け歩き出した。

 

「よし、ではまず左から行こう」

「何で?」

「分からんか? 保存室と言うからには何かしらの現物が残っている可能性がある。それも凍結した状態で、だ。もし本当に残っていたら、それは学術的に大きな価値がある」

 

 言うが早いかラウルはアレックス他学者連中を引き連れて凍結保存室へと向かっていく。彼女ら以外の傭兵二人も同様に、だ。

 意気揚々と言った様子を隠し切れずに通路の左へと向かっていくラウル達に、クレアはやれやれと言った様子で溜め息を吐いた。その隣に立つカインは、溜め息を吐くクレアに思わず苦笑を浮かべながら彼女を宥める。

 

「ま、学者ってのは知識欲に従順なところがあるから」

「まぁ、ハングリー精神は認めるけどね。と言うか、それがなかったら学者とかはやってられないだろうし。ただ少しは歳を考えてほしい所だわ」

 

 いい歳したおっさんがウキウキしながら歩く様は、時と場合にもよるだろうが見ていて気持ちのいいものではない。

 クレアはげんなりした表情を隠しもせず、後ろにいるサフィーアに声を掛けた。

 

「あんたはどう思う、サフィ………………サフィ?」

「くぅん!?」

 

 声を掛けたが、返事が返ってこない。代わりに耳に入るのはウォールの焦った声。不審に思い背後を振り返った先では、サフィーアがラウル達とは真逆の方向、即ち通路の右に向かって進んでいる事だった。それを見てクレアが己の迂闊さに苦虫を噛み潰したような顔になる。

 今回は完全に彼女の失態だ。発作の様に幻覚に苛まれ夢遊病者の様に勝手に動き回ってしまう今のサフィーアから、片時も目を離してはいけない筈だったのに。

 

「追うわよ!」

「あぁ。一応聞くけど、あっちは?」

「二人いれば十分でしょ。こっちは何しでかすか分からないんだから」

 

 まるで痴呆になった老人を相手にするような言葉だが、実際サフィーアの意思とは関係なく彼女の体が動いた例があるので仕方がない。流石に施設に問題が起こるようなことをするとは思えないが、彼女から目を離して取り返しのつかない事態になったらそれこそ目も当てられない。

 クレアはカインと共に処置室と言うところに入っていったサフィーアの後を追っていった。

 

 

***

 

 

 その頃、サフィーアは幻覚の中でマリンの後を追い処置室に入っていた。処置室に入る際、大研究室と同じような洗浄室を通りそこで医者が手術する時のような服に着替えたマリンは、洗浄室を抜けた先で研究員らしき者達と合流すると部屋の中央にある水槽の様な物へと近付いていった。

 いや、それは水槽ではない。見ると中には台の様なものがあり、その上に一人の男性が寝かされていた。

 

 だが近付いてみるとそれはただの男性ではないことに気付いた。そこに寝かされていた男性は、今や彼女もよく知るレッド・サードに他ならなかった。

 何故こいつがここに? そんな疑問を抱くサフィーアの前で、マリンは自分と同じ服装をした壮年の男性に声を掛けた。

 

『お待たせしました、所長』

『おぉ! 待っていたよ』

 

 二人は聞いたこともない言語で話している。恐らくは超古代文明時代の言語なのだろうが、不思議とサフィーアには二人が何を話しているのかが当たり前のように理解できていた。彼女自身は考古学に等欠片も触れたことはないと言うのに…………。

 

 困惑するサフィーアを余所に、マリンは水槽の様な手術台に向かうとそれに取り付けられた機械に文字通り両手を突っ込んだ。すると水槽の中で垂れ下がっていた機械仕掛けの腕が動き出し、大人しく台の上で仰向けに横になっているレッド・サードに触れていく。レッド・サードは、死んでいるようには見えないので恐らく眠らせるか気絶させているのだろう。怪力で手術台から抜け出すことも、閃光で部屋を破壊することもしない。

 

 そんなレッド・サードの見たこともない姿にサフィーアが目を奪われていると、マリンの操作する機械仕掛けの腕が徐に、しかし慎重にレッド・サードの眼球と男性を繋いでいる血管の一つをメスで切断した。

 

「え、ちょっ!?」

 

 流石にそんな事をすれば目覚めるのではないか? そう思い身構えるサフィーアだったが、予想に反してレッド・サードは動き出すことなくその後も時間を掛けながら血管を一本一本切断されていく。

 それを行っているマリンの表情は正に真剣そのもの、尋常ではない集中力を使っているからか額から流れる汗を拭いもしない。その様子はまるで爆弾の解体作業の様だ。

 

『少し上げて。2センチ……いや、3センチ』

 

 途中、助手をしている研究員に指示を出しながら、レッド・サードの眼球の切除を続けるマリン。

 そう、ここまでくればサフィーアにもマリンが何をしているのか理解できた。これはレッド・サードの眼球に寄生された人間から眼球を切除する為の処置なのだ。どうやってかは知らないが、レッド・サードと化した人間を強制的に大人しくさせ動きを封じた状態での切除を試みているのだろう。

 

 不意に今は幻覚を見始めてからどれだけの時間が経ったのだろうかと思うサフィーアだが、それと同時にマリンが最後の血管を切断し男性から眼球を引き剥がしたのを見て水槽に張り付くようにして事の成り行きを見守る事に全ての意識を向けた。

 

『凍結液を』

 

 壮年の男性が指示を出すと、別の研究員が機械を操作し水筒くらいの大きさのカプセルを手術台の上に移動させる。マリンは機械仕掛けの腕を操作して器用に眼球をカプセルの中に入れると、即座に蓋がされカプセルの中に半透明の液体が注入された。あれが凍結液とかいう奴だろう。

 その後、凍結液で満たされたカプセルは水槽の横に取り付けられた機械を通して水槽から出され、研究員の手によって何処かへ運ばれていく。運ばれるカプセルを見てマリンは漸く機械から手を引き抜き、ドッと押し寄せた疲れを感じたのか大きく溜め息を吐きながら額の汗を拭った。

 

「…………お疲れ様、母さん」

 

 見たこともない母の姿に、しかしサフィーアは聞こえる筈もない労いの言葉を送った。

 労いの言葉を送ったのは、壮年の男性も同様だった。

 

『ご苦労だったな。流石の腕前だ』

『ありがとうございます。ところで、彼は?』

 

 壮年の男性からの労いを受け取りつつ、マリンは未だ水槽の中の台の上で横たわっている男性に目を向ける。眼球が切除された額は既に傷口が縫合され、今は死んだように眠っていた。

 つまり、男性はまだ生きている。その事に壮年の男性は顎に手を当てて考え込む。

 

『ふむ、切除が成功した以上、彼が暴れ出すことはもうないだろうが…………念の為、彼も時期が来るまでは凍結保存しておくか』

『それは、しかし…………』

『君の言いたいことは分かる。だが今は状況を考えてくれ。今重要なのはあれの事をもっとよく知る事で、その被害者を救済する事ではないんだ。分かってくれ』

 

 そう言われると、マリンは苦しそうな顔をしながらも頷いた。本当は納得していないが、彼の言う事も理解できるので心を押し殺して自分を無理やり納得させているのが丸分かりであった。

 母の苦しそうな様子に、サフィーアも心なしか悲しげな表情を浮かべ始めた。

 

 その時である。

 

――『サフィ、サフィ!!』――

 

 サフィーアの頭の中に、聞くと安心する、誰よりも信頼できる声が響いた。それを合図にしたように、周囲の景色が暗転し彼女の目から母の姿が消えた。

 

 

***

 

 

 クレアがサフィーアを見つけた時、彼女は微妙に焦点の定まらない目で処置室の中央に存在する水槽の中を眺めていた。一体彼女の目に何が見えているのかは分からなかったが、あのままにしていい筈がないとクレアはサフィーアの肩を揺すりながら声を掛けた。

 

「サフィ、サフィ!!」

 

 果たして、今回は直ぐに反応が返ってきた。まるで居眠りを叩き起こされたかのように、あっという間に目の焦点が定まりしっかりとした目でクレアの事を見返した。

 

「あ、あぁ、クレアさん。えっと、他の人たちは?」

「あんたとは逆の方に行ったわ。それより今度はどうしたの? 何を見たの?」

「え~っと、今度は…………うっ?!」

「ん?」

 

 クレアの質問に答えようとして、突然言葉を詰まらせるサフィーア。その様子にクレアが首を傾げていると、突然サフィーアは頭を押さえて苦しみ始めた。

 

「うぐ……あぐっ!? あぁっ?!」

「サフィ? サフィ、どうしたの? サフィ!?」

「あ、ああ、う、うああぁぁっ?!」

 

 まるで何かを振り払おうとしているかのように、サフィーアは両手で頭を押さえながら髪を振り乱している。クレアが必死に宥めようとしているが、彼女の声は届いていないのかまるで意味をなさない。

 このままここに居るのは不味いと、カインはサフィーアを外に連れ出そうとする。

 

「クレア、ここにサフィを居させるのは不味い。一度彼女を外に連れ出そう」

「そ、そうね。サフィ、少し頑張って」

 

 二人はそれぞれサフィーアに肩を貸し、処置室から引きずり出すようにして連れ出した。サフィーアは未だに痛みに堪えるかのように呻き声を上げている。時々クレアが声を掛けるが、聞こえていないのか反応は返ってこない。

 明らかにただ事ではないその様子に、心を乱しながらクレアはカインと共にサフィーアを遺跡から連れ出そうとした。

 

 そうしてもうすぐ通路から大研究室へと繋がる分かれ道に差し掛かった時、今度は凍結保存室の扉が悲鳴と共に吹き飛んだ。

 

「何だ、このくそ忙しい時にッ!?」

 

 立て続けに起こる非常事態に、カインがらしくもなく声を荒げながら扉が吹き飛んだ凍結保存室の方を睨む。すると、そこから二人の人影が飛び出す。と、一人がもう片方に頭を掴まれ壁に頭を叩きつけられた。叩き付けられた方の頭が、トマトの様に潰れ壁にこびり付く。

 

「あれはっ!?」

 

 その様子にクレアが目を見開く。彼女は確かに見たのだ。一人の頭を壁に叩き付けた奴の顔に、煌々と赤く光る眼があるのを。それが意味しているのは、ただ一つ――――

 

「Gururururu!」

「最、悪ッ!?」

 

 状況のさらなる悪化だった。




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第89話:解き放たれるもの

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 時間を少し遡り、サフィーアが処置室に入った頃…………。

 

 ラウル達は凍結保存室にて、思いもよらぬものを目にしていた。それも悪い意味ではなく、いい意味で、だ。

 そこには、“額に治療後を持つ”一人の男性が完璧な状態で凍結保存されていた。カプセルの中に満たされた液体毎凍結されていたのか、これまで見た来たのとは違いミイラ化していない。これまでに発見された超古代文明人の痕跡が遺跡にて見つかった資料や地層の中から見つかった化石程度だったのに比べれば、正に歴史的大発見である。

 

 問題は、このカプセルの中身が生きているのかと言う事であるが…………。

 

「彼は、生きているのだろうか?」

「博士、これを見てください」

 

 カプセルの中の男を眺めていたラウルに、近くの機械を見ていたアレックスが声を掛ける。近付いてみるとその機械にはモニターが付いており、室内のカプセルが簡易的に表示されていた。

 気になるのは、そのカプセルの表示に色の違うものがある点だった。殆どは白く表示されているが、一つだけ目を引くように緑で表示されているのだ。よく見るとどのカプセルの表示にも、そのすぐ下に識別番号の様な文字が記されていた。

 

「……まさかッ!?」

 

 ラウルは弾かれるようにモニターから離れると男が入っているカプセルに近付き隅から隅まで眺める。そして見つけた。モニターのカプセルの表示に記されていたものと同じ文字列を。

 彼は確信した。この男はまだ生きている。

 

「おい、彼をここから出すことは出来るか!?」

「ま、待ってください!? トーマス、手伝え!」

「はい!」

 

 ラウルがもう一人の学者と共に鬼気迫る様子でカプセルを調べ、アレックスはトーマスとモニターのある機械を調べる。その間、手持無沙汰となった傭兵二人は念の為にと保存室の中に脅威がないか警戒をしていた。

 片方の剣士の傭兵は、片刃の剣を手にカプセルの影などを覗き込み何もいないことを確認しながら部屋の中を隅々まで見て回る。

 その彼の目が、一つのカプセルを見つけた。この部屋に置かれている他のカプセルに比べると随分小さい。大きめのペットボトル程度の大きさだ。

 

 そのカプセルの中には、明らかに人間の物とは異なる赤い眼球が凍結保存されていた。

 

「何だこりゃ? モンスターの目玉か?」

 

 彼は顔を顰めながらカプセルの中の眼球を覗き込む。カプセルの中では眼球から伸びた血管が凍結液の中で漂った状態で氷漬けになっていた。

 と、不意に彼は氷漬けになった眼球と目が合ったような気がした。とは言え相手は瞼もない眼球、覗き込めば嫌でも目が合ってしまうのは当然なのだが。

 

 なんだか嫌な気分になり、彼はそそくさとその場を去った。その際、彼は何気なくカプセルの台座となっている機械を小突いた。特に意識しての行動ではなく、彼自身も自分が今何をしたのかなど考えてもいなかった。そもそも、カプセルに入っているのは目玉だけと言う状態だ。仮に意識していたとしても、下手に触ったところで変化があるなど考えもしなかったに違いない。

 だが、彼が去った後に変化は起こった。カプセルの中に放電の様なスパークが走ると眼球毎凍り付いていた筈の凍結液が液状化したのだ。それはつまり、眼球自体も凍結から解放されたと言う事。

 

 傭兵が去っていった後、カプセルの中で封印から解放された眼球はゆっくりと血管の様な触手をくねらせ始めていた。

 

 そんな異変が起こっている事に気付くこともなく、ラウルは遂にカプセルの解凍のスイッチを発見する。

 

「これはッ!? この文字…………うん、間違いない、これだッ!」

 

 ラウルは期待の籠った目をしながらスイッチを押した。すると、こちらもカプセルの内部にスパークが走り凍り付いていた凍結液が液状化し中の男が凍結から解放された。

 続いて内部の凍結液が抜き取られると、減少する水位に合わせて男の体がゆっくりとカプセルの底に下ろされる。液が完全に抜けると、それを感知してかカプセルがゆっくりと開き中に居た男が外気に晒された。

 

 途方もない程に長い年月の凍結から解放された男は、ラウル達の前で瞼を震わせるとゆっくりと目を開き彼らの姿を捉えた。

 

「おぉっ!」

 

 確かに生きて動いている男にラウルは歓喜の声を上げ、アレックス他学者達も一様に感激している様子だった。

 と、突然男が大きく咳き込みだした。口から出てくるのは、先程までカプセルの中を満たしていた凍結液だ。恐らく肺などの中に残っていたのを吐き出しているのだろう。

 

 その光景を若干の驚きと共に眺めていた傭兵二人は、ここで漸くクレア達が居ないことに気付いた。

 

「あれ? あの三人は?」

「んあぁ、ここ来る途中一瞬後ろ見たら反対の部屋に行くの見たぞ。なんか慌ててるみたいだったけど」

「どうしたんだ? 腹でも下したか?」

「それか、何かお宝の臭いでも嗅ぎ付けてたりしてな」

 

 歴史的出会いに興奮する学者を余所に下らぬ雑談に花を咲かす傭兵二人。この時二人は完全に油断しきっていた。この直前に部屋の中を隅々まで見て脅威がないことを確認していたので、それも仕方のない事だろう。

 だからこそ、彼らは反応が遅れてしまった。

 

 ピシリッ

 

「ん? 今何か音しなかったか?」

「音?」

 

 二人の傭兵の内、エルフで闘士の傭兵の方が異変を察知し周囲を警戒しだす。だがもう遅い。

 

 警戒し始めた二人の足元を、一つの眼球が血管の様な触手で素早く通り過ぎ一直線にラウル達の方へ向かう。

 

「な、何だッ!?」

「コイツッ!? さっきカプセルの中にッ!?」

「逃げろッ!!」

 

 なんだか分からないが兎に角あれがやばいものであると言う事を感じ取った二人は、咄嗟にラウル達に逃げるよう警告するが時すでに遅し。彼らの下に辿り着くとそいつは迷うことなくカプセルから解放された男の顔に飛び付いた。

 

「―――――――ッ!?!?」

「うわぁっ!? な、何だコイツはッ!?」

「離れろッ!?」

 

 眼球に取り付かれて、声にならない悲鳴を上げている男。突然の事態に状況が呑み込めず困惑するラウル達を、傭兵二人は迅速に眼球に飛び付かれた男から引き剥がす。あれの事を二人はよく知らないが、少なくともああなったらもうどうしようもないと言う事は何となく察する事が出来ていた。

 

 そうこうしている内に、眼球は男の口の中に入り込んだ。最初は額に取り付こうとしていたが、何を思ったのか突如目標を変え口の中へと潜り込んだのである。彼も必死に引き剥がそうとしていたようだが、動きが早すぎて何かする前には口の中に入り込まれてしまっていた。

 そして眼球が完全に彼の口の中に入った瞬間、彼の雰囲気が変わった。

 

「G……Gururu……」

「だ、大丈夫か?」

「待った。明らかに様子がおかしい」

 

 エルフの闘士が警戒しつつ前進し、眼球に取り付かれた男にゆっくりと近付いていく。それに対し、男は暫しその場に佇んでいたが、ある程度エルフの傭兵が近付くとゆっくりとそちらに顔を向ける。

 

 最初、その顔は普通だった。強いて違うところを上げれば、目が真っ赤に充血している事だがそれ以外に異常は見られなかった。

 だが口を開けると、嫌でも今の彼が異常であると言う事実を叩きつけられる。そこにあったのは、紛れもなく先程彼の口の中に潜り込んだ眼球であった。

 

「おいおい、マジかよ」

 

 あまりにも突然すぎ、且つ予想外どころではない事態にエルフの闘士がポツリと呟く。

 

 それを合図にしたかのように、眼球が口の中に潜り込んだレッド・サードはエルフの闘士に飛び掛かった。

 

「Guruaaaaa!!」

「チィッ!?」

 

 正面から飛び掛かってきたレッド・サードを、エルフの闘士が迎え撃つ。振り下ろされる鋭く爪の伸びた腕による一撃を、エルフの闘士は手刀で受け流しカウンターで胴体に一撃叩き込んだ。

 ここで彼がレッド・サードの戦闘経験がないことが災いした。もしこれがサフィーア達であれば、レッド・サードに効果のないこの様な攻撃は絶対しない。したとしても足止め程度で、即座に次の行動に移っていただろう。

 

 胴体に鋭い一撃を叩き込んだことで、彼は油断してしまっていた。普通の相手であればこれで十分にダメージになるからだ。だが今回は相手が悪いとしか言いようがなかった。

 

「Gurua!」

「ぐっ?!」

「Gaaaaaa!」

 

 油断して動きを止めたエルフの闘士の首を、レッド・サードは掴んで容赦なく振り回し近くのカプセルを破壊しながら壁に叩き付けた。この時点で彼は首の骨を砕かれていたが、レッド・サードはトドメに壁に叩き付けられ床に落下した彼の体を思いっきり両足で踏みつぶした。飛び掛かり踏みつける瞬間に両足に力を込めたからか、エルフの闘士は腰の所で体を上下に両断されてしまった。

 

「ごぷっ?!」

「ッ!? ち、畜生ッ!?」

 

 相方が瞬殺されたことに僅かに怯みながら、剣士の男はレッド・サードに果敢に挑んだ。ここで彼が動かなければ、戦う術のないラウル達が危険に晒されてしまう。依頼を受けた以上、やるべき事はやらなくては。

 

――と言うか、あの三人は何やってるんだッ!?――

 

 思わず心の中でこの場に居ない三人に恨み言を述べつつ、彼はレッド・サードに斬りかかる。魔力がしっかり乗り、剣筋に乱れの無い良い一撃だ。

 

 だがその程度ではレッド・サード相手には不足だった。

 レッド・サードは放たれた斬撃を掴むと受け止めずに斬撃の勢いを利用して剣をあらぬ方向に放り投げた。剣士はその勢いに引っ張られバランスを崩し、その隙を見逃さずレッド・サードは彼の頭を掴んで部屋の外に向け飛び出していった。

 

 そのまま勢いと剛力に任せてレッド・サードは彼の頭を壁に向け叩き付ける。

 叩き潰されると同時に意識が途切れる刹那、彼が最後に見たのはあらぬ方向――方向的には処置室――を向いたレッド・サードの口の中の眼球だった。

 

 次の瞬間、彼の頭は壁に叩き付けられ剛力に押しつぶされ、血と脳漿を壁にぶちまけ物言わぬ骸となってしまった。

 

 あまりにも強烈な、そして唐突な出現を見せるレッド・サード。それを見てクレアは口一杯の苦虫を噛み潰したような表情になりつつサフィーアを少し離れた所に下した。彼女はまだ頭を押さえて呻き声を上げている。今回の戦いでは使い物にならない。

 サフィーアを退避させたクレアは、既にライフルを構えているカインの隣に立つと何時ものルーティンを行い集中力を高めた。

 

「さて、何か見覚えのある奴とは装いがちょいと異なる奴が出てきたわね?」

「油断禁物だよ。いつもとは違う攻撃を仕掛けてくる可能性が大きい」

「言われずとも、分かってるt「くぅんッ!?」、ッ!?!?」

 

 いざレッド・サードを迎え撃とうとしたその時、背筋に氷柱をねじ込まれたかのような感覚を覚えると同時に耳に入ったウォールの声に、反射的にクレアは背後を振り返り防御の構えを取る。

 

 それが彼女の命を救った。振り返り防御の構えを取ったクレアは、直後に振り下ろされた“サニーブレイズ”の一撃を見事に受け止めてみせたのだ。

 

 そう…………サニーブレイズの一撃を、だ。

 

「サ、サフィッ!?」

「何ッ!? サフィ、君は――」

「Gijaaaaaa!」

「えぇい、クソッ!?」

 

 サフィーアの乱心とも取れる行動に、驚愕に目を見開くクレアとカイン。カインは一体どういう事かとサフィーアに訊ねようとしたが、その前に飛び掛かってきたレッド・サードへの対応に追われることになるのだった。




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第90話:昔を思い出して

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 ついさっきまで原因不明の頭痛か何かで苦しんでいたサフィーアが、突然自分に向け攻撃を仕掛けてきたことにクレアは驚愕に目を見開く。その表情には信じられない、信じたくないと言う想いが溢れており、正気の状態のサフィーアが見たら今度は彼女の方が信じられないと驚愕する事であろう。

 

「サフィッ!? ちょ、どうしたのよッ!?」

「くぅんっ!?」

 

 クレアとウォールの必死の呼び掛けにも、サフィーアは何の反応も示さない。普段の彼女からは考えられない、感情の抜け落ちた光のない昏い瞳でクレアの事を見据えている。

 

 それは、クレアにとって忌まわしい記憶を呼び起こすには十分なものであった。

 

「い、嫌だ…………止めて、サフィ……」

 

 力なく首を左右に振り、懇願するクレア。彼女の精神状態が不味い事になっているのを察しそちらへのフォローに向かいたかったカインだが、レッド・サードはそれを許してはくれないらしい。

 

「Gaaaaaaa!」

「くそっ!? 少しは空気の一つも読んでくれよ!」

 

 悪態をつきながら、カインはレッド・サードを相手に接近戦を挑んでいた。下手に距離を離すとブラッド・スパークの閃光を使われ、流れ弾がクレアに当たるかもしれないからだ。

 振り下ろされる剛腕をライフルを使って上手い事受け流し、生まれた隙にストックでの殴打を叩き込みおまけとばかりに至近距離からの銃撃をお見舞いした。銃撃は勿論、頭部の赤い眼球に向けてだ。後頭部側からの銃撃だったが、このライフルの威力なら後頭部から口腔内の眼球を余裕で撃ち抜くだけの威力はあった。

 だが殴打を叩き込んで動きを鈍らせるところまでは上手くいったが、銃撃はギリギリで回避されてしまった。引き金を引く直前僅かに頭を下げられたことで、肝心の眼球から外れてしまったのだ。代わりに元の人間の脳天が吹き飛んだが、レッド・サードにとっては何の問題もないのかそのまま戦闘を続行した。

 その光景にカインは忌々し気に舌打ちをした。

 

「脳みそ吹っ飛んだなら死んでくれよ」

 

 忌々しさと呆れが半分半分に混じった言葉を口にしながら、カインはレッド・サードに接近するとライフルのストックを下から掬い上げるように振り上げアッパーカットを放った。ストックは見事にレッド・サードの顎を捉え、口を強引に閉じさせ顔を上にかち上げる。これは流石に効いたのか、たたらを踏むレッド・サード。

 

「サフィッ!? サフィ、しっかりしてッ!?」

 

 不意に彼の耳に、サフィーアに必死に呼びかけるクレアの声が響く。チラリとそちらに目を向ければ、いいのが入ったのか下手糞な人形師が操る操り人形の様に覚束ない様子でふらつくサフィーアを前に狼狽えるクレアの姿が目に入った。

 正直、かなり不味い状態だった。普段のクレアであればあそこで兎に角武器を手放させた上で支えてやるくらいのところまでは判断できる筈だ。それが出来なくなるくらい、今のクレアは精神的に余裕がない。

 

 カインが焦りに表情を歪める。本音を言えば今すぐクレアの方に向かい彼女をフォローしたいのだが、レッド・サードは未だ健在だ。今も、アッパーカットのダメージから回復し体勢を整えてしまっている。すぐにでも再び襲い掛かってくるだろう。とてもではないがクレアのフォローに向かっているほどの余裕は無い。

 

 レッド・サードがカインに襲い掛かったのと同時に、サフィーアも再びクレアに攻撃を仕掛けた。自身に向け刃を振り下ろしてくる妹分の姿に、クレアは今にも泣きそうな顔になりながら攻撃を防御した。先程からクレアは全くサフィーアに攻撃をする事が出来ず、終始防御する事しかできないでいた。

 幸いなのは、今のサフィーアは普段の動きがまるでできていない事だった。クレアの動きを読んでいないのが丸分かりな立ち回りをしているので、精神的には最悪のコンディションの彼女でも体に染みついた経験で何とか対抗できていた。

 だが、対抗できるだけだ。今のクレアにサフィーアを攻撃することは出来ない。そしてこの状態が長引けば、そう遠くない内に体力的に動きが鈍ったクレアがサフィーアの刃によって倒れるだろうことは想像に難くなかった。

 

 故に、カインは焦らずにはいられないのだ。

 

「クッ!? いい加減邪魔なんだよお前はッ!!」

 

フォローに向かいたいのに向かえないと言うもどかしさが憤りとなり口調に表れる。そしてその苛立ちに身を任せ乱暴に左手から魔法で雷を放ち、怯ませてから回し蹴りで壁に向け蹴り飛ばす。頭から壁に叩き付けられたレッド・サードは、振り向くと同時に閃光を薙ぐように放ってきた。

 カインはそれを転がるように避けつつレッド・サードに接近すると、大研究室から通路への分岐路の所へ蹴り飛ばし追撃で魔法の炎で爆発を起こし大研究室へ押し出した。流石にこの通路はいつまでも戦場にするのは狭すぎる。

 

 爆風に押し出されたレッド・サードを追い大研究室に飛び込むカイン。見ると爆風に飛ばされた衝撃から今正に立ち上がろうとしていた。その隙を逃さず、ライフルの狙いを定めるカイン。このタイミングなら外さない。

 

「カイン避けてッ!?」

 

 その時だ、クレアの警告が彼の耳に入ったのは。何事かとそちらに目を向けると、何とサフィーアがクレアを無視して彼にサニーブレイズを振り下ろしている瞬間を目にした。

 

「うおっ!?」

 

 咄嗟に部屋に飛び込むようにして回避するカインだったが、この時点で彼の中にある疑念が浮かび上がった。

 サフィーアに今何が起こっているのか?

 

 最初、サフィーアがクレアに襲い掛かったのは幻覚の悪影響でクレアが敵に見えているのではと思っていた。だが今のはただの幻覚による暴走と言うには、何と言うかレッド・サードにとってタイミングが良すぎる。まるで奴を援護するようにカインに狙いを変え攻撃を仕掛けてきたのだ。

 勿論、不幸な偶然かもしれない。だがカインの中で疑念は膨らむばかりだった。

 

「サフィ、もう止めてッ!?」

 

 暴走するサフィーアとレッド・サードに挟まれたカインだったが、彼女を追いかけて大研究室に飛び込んできたクレアによってサフィーアは羽交い絞めにされた。サフィーアはサニーブレイズを振り回してクレアを引き剥がそうとしている。ウォールもクレアに助太刀しているつもりなのか、サフィーアの顔の周りを動き回って視界を遮ろうとしていた。

 

 一人と一匹の奮闘を横目で見つつ、カインは再びレッド・サードと対峙する。とりあえず危機は脱したが、それは良く言えばの話であって現実にはほぼ振出しに戻ったも同然の状態だった。ただの仕切り直しとも言う。

 

 さて、ここからどうやって奴を倒したものか。そう考えつつ相手を観察していたカインは、ある事に気付いた。

 レッド・サードの目が微妙に彼の事を見ていないのだ。正確には、口腔内の眼球があらぬ方向を向いている。

 

 何を見ているのか? カインはそれにすぐに気付いた。サフィーアだ。あのレッド・サードは絶えずサフィーアの事を見ている。

 

――あいつ、もしかして?――

 

 試しにカインは大きく回り込むようにしてレッド・サードの背後に回ろうとした。だが彼が回り込むように動くと、レッド・サードはそれに合わせるように後方に下がり始めたのだ。

 それを見て彼は確信した。サフィーアの暴走の原因はコイツだ。あのレッド・サードがサフィーアを操っているのだ。

 

「クレアッ!!」

「何よッ!? 今こっち取込み中なのよッ!?」

「その取り込みに関係ある事だッ! サフィがおかしくなった原因はこいつにあるッ!!」

 

 思えば、サフィーアが突然苦しみだした直後にあのレッド・サードは姿を現した。凍結保存室で起こったことをカイン達は知らないが、少なくとも奴が行動を起こしてサフィーアに何らかの干渉を行った結果、彼女が暴走状態になってしまっただろうことは想像できる。

 そしてその手段は恐らく、口腔内の眼球で見つめることにあるのだろう。どういう原理かは知らないが、あの眼球で見つめている限りサフィーアは精神に何らかの干渉を受けてレッド・サードの意のままに操られてしまうのだ。

 

 そう言えば、先程サフィーアが変に足取りが覚束なくなっていた時があった。あの時はクレアの攻撃がクリーンヒットしたのかと思っていたが、よくよく考えれば今のクレアがサフィーアを攻撃できる訳がない。あれは恐らく、カインがレッド・サードをアッパーカットしたことで一時的に支配が薄れてああなったのだろう。その証拠にレッド・サードが体勢を立て直すと同時にサフィーアもクレアに対する攻撃を再開した。

 ここまで材料が揃えば、結論を出すことは彼にとって容易い事であった。

 

「つまりそいつを何とかすれば、サフィは元に戻るのね?」

「可能性は高い。やってみる価値はある筈だ!」

 

 先程とは違い、希望への期待を含んだクレアの言葉にカインは頷きつつレッド・サードの攻撃を受け流した。剛腕の一撃をライフルで受け流し、足を引っ掛けバランスを崩したところに懐から抜いた拳銃で頭を狙う。流れるような動きと素早い抜き打ち、しかしレッド・サードは頭だけは守り抜いてしまった。

 やはり一人だとこいつの相手は少し辛い。だがクレアと組んで掛かれば――――

 

「クレア! 少しの間だけでいい、サフィを何とか黙らせてこっちに来れないか?」

「オーケーッ!」

 

 カインからの要請に力強く頷くと、クレアは気合の入った顔でサフィーアを見つめ一つのルーティンを行った。

 

 それは、いつもとは異なるルーティンだった。胸の前に掲げた左の手の平を、右手の手刀で軽く叩くと言うシンプルなもの。何時もに比べるとモーションは小さく動きの完成も早い。

 だがそのルーティンが完了した直後、クレアの目から一切の迷いが消えた。恐れも躊躇もなく、ただひたすらに真っ直ぐサフィーアを見つめたクレアは一気に彼女に突っ込む。

 

 当然サフィーアはそれを迎撃するが、クレアは怯む事無くその攻撃を裏拳で弾いた。かなりの強さで弾いたのか、サニーブレイズを弾かれた勢いに引っ張られてサフィーアの両腕が大きく広がる。

 

「ちょっとだけ、我慢してねサフィッ!!」

 

 無防備となったサフィーアの胴体に、クレアの両の拳が五回叩き込まれる。魔力を込めた拳による五連撃、それはほぼ同一個所ではなくバラバラに離れた場所に叩き込まれた。拳がヒットした場所には魔力の燐光が残り、一見するとまるでサフィーアの胴体に五つの頂点を持つ五角形か五芒星が描かれたかのようだった。

 

「パラライズ・ペンダゴンッ!!」

 

 攻撃直後、珍しく技名を口にするクレア。その瞬間、それまで何があろうとも動きを止めようとしなかったサフィーアが、何かに押さえつけられたかのように動きを止めた。

 

「あが…………か…………」

 

 動こうにも動けないと言った様子のサフィーアに一瞬心苦しそうな表情を浮かべつつ、クレアはカインの隣に立ちレッド・サードと対峙した。

 

「あれは『彼女』の技かい?」

「えぇそうよ。『あの子』が多分一番得意にしてた技よ」

「凄いね、見事な再現率だ」

「見た目だけよ。私じゃ数分が限界だけど、あの子だったら最大半日は確実に動きを止められたもの」

 

 カインの称賛を軽く流しながら構えるクレア。二人の前では、サフィーアを動かす事が出来ないからかどことなく焦ったような様子のレッド・サードが、両手の爪を鋭く変異させて威嚇するように両手を広げている。

 それを見て、クレアが不敵な笑みを浮かべた。

 

「随分と好き放題してくれたわよね。サフィの分も全部まとめてお返ししてやるわ」

「Gaaaaaaa!」

 

 クレアの挑発に応えてか、咆哮を上げながら飛び掛かってくるレッド・サード。素早くルーティンを終えた彼女はそれを回し蹴りで迎え撃ち、飛び掛かってきたレッド・サードをそのまま空中に留まらせた。

 一瞬の拮抗、だがそれは一発の銃弾によって破られる。横合いからカインがレッド・サードに向けてライフルの引き金を引いたのだ。狙うは勿論、弱点でもある頭部の眼球である。今回は口腔内に隠れた眼球ではあるが、彼にとって狙う事は容易い事であった。

 

 しかし狙う事と当てる事は別の話。例え狙えても、相手が攻撃に対して敏感だったら回避される可能性は十分ある。事実、この攻撃は回避されてしまった。寸でのところで危険を察知したのだろう。

 その勘の良さにカインは敵ながら舌を巻いた。

 

「大したもんだね、全く」

「ねぇカイン、久しぶりに“あれ”やらない?」

 

 忌々し気に呟くカインに何かを提案するクレア。最初“あれ”と言われて数秒ピンとこなかったカインも、次の瞬間には合点が行ったと言う様に頷いた。

 

「“あれ”、か…………なるほど、それは良いアイディアだ」

「でしょ? 一応聞くけど、大丈夫よね?」

「おいおい、誰に向かって言ってるんだい?」

 

 二人は僅かな言葉だけで互いの言いたい事を理解すると、即座に行動に移った。

 

 まず仕掛けたのはカインの方だった。彼は銃士でありながらレッド・サードに接近すると、蹴り技を主体に攻撃を開始した。

 一見無謀にも見える行動だが、彼は銃士専用の近接格闘術ガンナーアーツを習得している。苦手な距離と言うものがないのだ。

 それに加えて、彼には多彩な魔法がある。魔法の発動体である左手のグローブに様々なエレメタルを填め込むことで、変幻自在な戦い方を可能としている。これが彼が魔銃士と呼ばれる所以であった。

 

「そらぁッ!!」

 

 鋭いロー、ミドル、ハイキックが次々と放たれ、レッド・サードの防御を崩していく。そして生まれた隙に銃弾を叩き込み、合間を縫って魔法で動きを止めていた。予測のできない攻撃の数々に、レッド・サードは強引に距離を取って眼球から閃光を放つ。

 当たればただでは済まない一撃だが、所詮は苦し紛れの反撃。カインは難無く回避するとお返しの銃撃を見舞った。閃光の発射箇所でもある眼球への銃撃は、しかしながら紙一重で躱されてしまう。

 だがそれで良かった。今の銃撃は、躱されてこそ効果を発揮するのだ。

 

 どういう意味か? それはこの後すぐに、クレアの手によって明かされることとなる。

 

「はぁい!」

「!?!?」

 

 弾丸を回避した直後、背後から聞こえてきたクレアの声にレッド・サードは背後を振り返った。

 同時に、クレアは回避されたばかりの銃弾を渾身の力で蹴り返した。

 

 これが二人の狙いだった。カインがあえて接近戦を挑んだのは、その派手さで相手の意識を自分に釘付けにする為。その間にクレアは、カインと自分を結ぶ直線状にレッド・サードが来るよう移動し、タイミングを見計らってカインが発砲。銃弾を避けたと思って安心している相手に、クレアが銃弾を蹴り返して本命の一撃を叩き込むという作戦だ。

 この戦法は二人がパーティーを組んでいた頃によくやったものだった。随分ブランクが空いていたので互いに上手くいくか不安だったが、結果は大成功。

 

 見事、クレアが蹴り返した銃弾はレッド・サードの口腔内の眼球に突き刺さるのだった。




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第91話:落ち着きを取り戻して

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未定 カインが引き金を引き、クレアが蹴り返した弾丸は狙い違わずレッド・サードの口腔内の眼球を撃ち抜いた。弾丸は眼球を潰すだけに留まらず、口腔内から後頭部に貫通しそのまま勢い衰えず壁を穿つ。

 そして肝心のレッド・サードは、弾丸に引っ張られるように仰向けに倒れるとそのままピクリとも動かなくなった。その直後、クレアの技によって動きを止められていたサフィーアが、一瞬痙攣した後糸が切れた人形の様に崩れ落ちた。

 

「サフィッ!?」

 

 崩れ落ちたサフィーアを見るなり、クレアは倒れたレッド・サードを無視してサフィーアの所へ向かった。言うまでもなく死んでいるレッド・サードは元より、サフィーアの方も全く動かない。その光景にクレアは顔から血の気を引かせながら彼女を抱き起し容体を確認する。

 幸いなことに呼吸はしているので、少なくとも生きてはいるようだが…………。

 

「サフィ、サフィッ!? 大丈夫、しっかり――」

「退いて」

 

 抱き起したサフィーアを只管揺り動かしながら声を掛けるクレアを少し強引に退かし、サフィーアの容体を見るカイン。ある程度持ち直したとはいえ、余裕を失ったクレアにサフィーアを任せていたら加減を間違えて無駄な怪我をさせてしまいかねない。

 カインがゆっくりとサフィーアを床に寝かせ、クレアとウォールがそれを心配そうに見ている。

 

 と、その時、徐にサフィーアの瞼が震えゆっくりと開かれた。

 

「ん……んん…………」

「ッ!? サフィッ!!」

「あ、れ? あたし、何で…………?」

 

 目を覚ましたサフィーアは、胡乱な目で周囲を見渡した。どうやら操られていた間の記憶はないようで、自分が何故こんな所で横になっているのか、そもそも何時の間に処置室から出たのかが全く理解できないでいた。

 そんな彼女に、クレアは躊躇なく抱き着いた。

 

「サフィッ!!」

「わっ!?」

「良かった…………大丈夫そうで、本当に、良かった…………」

 

 突然抱き着かれたことで、驚きのあまりサフィーアは完全に意識を覚醒させていた。

 驚愕に目を白黒させるサフィーア。その彼女に抱き着きながら、クレアは涙を流していた。まさか泣かれると思っていなかったサフィーアは、混乱の極みに居たり視線でカインに助けを求めた。

 その二人の様子に、カインは肩を竦めながらクレアを宥めに掛かった。

 

「ほら、クレア。サフィも混乱してることだし、ちょっと落ち着こう」

「う、うん…………」

「ま、気持ちは分かるけどね。さて、それじゃサフィ。とりあえず、どこら辺から記憶が途切れてるか教えてくれるかい?」

 

 カインに言われてクレアは涙を拭いながらサフィーアを開放し、入れ替わるようにしてカインがサフィーアと相対した。サフィーアは彼に言われるままに記憶の糸を手繰り、一番新しい記憶を思い出す。

 

「え~っと、母さんが男の人からレッド・サードの眼球を手術で切り取って…………それからクレアさんに起こされて…………んん?」

 

 そこまで話してサフィーアは言葉を詰まらせた。その辺りまで思い出してから、記憶に靄が掛かった様に何も思い浮かべる事が出来なくなったのだ。その後の事で覚えている事と言えば、いつの間にかここで横になっていて、目が覚めるなりクレアに抱き着かれて泣かれたことである。その間に何があったのか、サフィーアにはまるで覚えがなかった。

 

「ごめん、そこら辺までしか覚えてない」

「うん、ならそれでもいいよ。まぁ君も気になるだろうから、君が記憶をなくしてる間に何があったのかを掻い摘んで話すね」

 

 そうしてサフィーアは、カインの口からたった今まで自分が何をしていたのかを聞かされた。レッド・サードに操られクレアに対し問答無用で襲い掛かったと言う話を聞かされ、信じられないと言う思いと申し訳ないと言う思いが綯(な)い交ぜになった目をクレアに向ける。

 

「ご、ごめんなさい。なんか、凄く迷惑かけたみたいで……」

「馬鹿、何言ってんのよ。サフィに悪い所なんてどこにもないでしょうが。そんな事より、どこにも異常がなさそうで良かったわ」

 

 心底安心した様子で言うクレアに、サフィーアは再び心に何とも言えぬ罪悪感が浮かび上がるのを感じた。クレアが言う様に、今回の一件でサフィーアに非はないだろう。これまで何度かレッド・サードと対峙してきたが、他人を操る能力を持った奴など今回初めて出会ったのだ。そもそも魔法でも他人や他の動物の行動を操るものなど見たことも聞いたこともないのだから、対処の仕方などある訳がない。仮にこの事を第三者が知ったとしても、サフィーアを責める者などいないだろう。

 サフィーア自身もその事を頭では理解している。だが、それでも思ってしまうのだ。自分にもっと力があれば、他者の干渉など跳ね除ける位強靭な精神力があればこんな事にはならなかったのではないかと思わずにはいられなかった。

 

 そのサフィーアの苦悩を察してか、クレアは一つ苦笑するとサフィーアの額にデコピンをかました。

 

「あいたっ?!」

「だ~から、言ってるでしょ? 気にしなくていいの。今回の事は仕方がない事だったんだから。サフィは何も気にしなくていいのよ。分かった?」

「は、はい…………」

「くぅん」

 

 クレアの言葉と、励ましの思念と共に頬擦りしてくるウォールにサフィーアはこれ以上自分を責めるのを止めた。己への不甲斐無さをバネにして、より高みを目指す向上心を燃やしたのだ。

 

 心機一転し、漸く立ち上がったサフィーア。何気なく周囲を見渡す彼女の目に、件のレッド・サードだった男の死体が目に入った。

 最初それを見て思わず顔を顰めたサフィーアだったが、不意にある事に気付いた。誰だあの男は?

 

「あれ? あんな人居たっけ?」

 

 サフィーアの呟きにクレアとカインもそちらに目を向けた。

 先程は色々と緊急事態が重なっていたこともあり気にしている余裕は無かったが、事態が収束したことで冷静に男の事を観察する余裕が生まれた。そこで漸く二人も、そのレッド・サードが調査隊のメンバーに存在しない者だったことに気付いたのだ。

 

「言われてみれば…………こんな人居なかったわよね?」

「ふむ…………随分と変わった格好だね。一体何処にいたんだろう?」

 

 その男はウェットスーツのような服を着ており、顔は戦闘により後頭部がほぼ丸々吹き飛んでしまっている。だが対照的に顔面は額を覗いて何とか原形を留めており、どんな顔だったかを判別することは出来た。判別できるが故に、見覚えのない男の顔に三人は逆に困惑せざるを得なかった。

 だがそこで男の顔の一部…………本来の眼球に変化が起こる。それに最初に気付いたのは、サフィーアだった。

 

「え?…………ちょっ!? この人の目ッ!?」

「目? なぁっ!?」

「嘘っ!?」

 

 驚愕に目を見開きながらサフィーアが指差した先を見て、カインとクレアも男の眼球を凝視した。

 

 レッド・サードの支配の影響で鮮血の様に赤く染まっていた彼の目が、見る見るうちに色を変え深い深い青色に変化したのだ。

 その目は見間違えようもない。今この場に居るサフィーアのそれと全く一緒だった。

 つまりこの男は、思念感知能力者だと言う事に他ならない。

 

「な、何で?」

「この男、本当に何処から…………」

 

 三人が困惑しながら男の死体を眺めていると、サフィーアは自分たちに思念を向けている者がいることに気付いた。思念に誘われるままにそちらに目を向けると、そこには分岐路から三人の事を覗き見ているラウルの姿があった。

 

「ど、どうなったんだ?」

「あ、ラウルッ! あんたは無事だったのね?」

「あぁ、学者は全員無事だ。だが、傭兵は上に残ったのと君らを除いて全滅したようだがね」

 

 大研究室の入り口から自分たちを覗き見ているラウルの姿に、内心でそう言えばと彼らの事を忘れていたクレアは後ろめたさを顔に出さないようにしつつ彼らの無事を喜んだ。だが、下に下りた傭兵が三人を除いて全滅したと聞かされると流石に表情を曇らせた。

 そんな三人に、トーマスはやや非難の混じった視線を向けた。

 

「って言うか、三人はどこで何をしていたんですか?」

「あぁ、サフィが処置室の方に何かありそうだって言うから、そっちに。彼女、勘が鋭いからさ」

 

 トーマスからの問い掛けにサフィーアとクレアはぎくりと肩を震わせるが、ほぼ同時にカインが適当なことを口にして誤魔化した。

 ここら辺の頭の回転の良さと饒舌さは、クレアとサフィーアには無いものだ。クレアも多少は交渉事が出来る位肝が据わっているが、こういう突発的状況で汗一つ掻かずに適当な作り話をでっち上げられるのは素直に凄いとクレアなんかは舌を巻いている。

 因みにサフィーアに至ってはこう言う交渉事は論外であった。彼女は良くも悪くも正直で真っ直ぐすぎる。

 

 内心で二人がカインに感謝していると、倒れているレッド・サードだった男に気付いたラウルが大きく落胆したような顔で彼に近付いた。

 

「あぁ、なんて事だ。折角……折角超古代文明時代の生き証人と接触できたと思ったのに――――!?」

「えっ!? 生き証人?」

「あぁ、そうだ。この男、超古代文明時代からコールドスリープか何かでここに封印されてたみたいなんだ」

 

 ラウルの言葉に今日何度目になるか分からない驚愕を覚える三人に、アレックスが彼がどういう存在だったのかを告げた。

 だがそれを聞いてカインは一つの疑問を抱いた。ここの動力炉は機能を停止していた筈なのに、何故機械的に凍結保存されていた彼は生きていたのだろうか? 普通は動力炉が動かなくなれば、凍結機能も失われてどこかで目を覚ますか不完全な解凍により命を落としていた筈だ。

 その疑問に対する答えはラウルが口にしてくれた。

 

「恐らく最下層の動力炉だけは完全に停止していないのだろう。ここの動力炉は地脈に変化さえ起らなければ半永久的にエネルギーを生産してくれる。最低限の動力供給だけ止めないようにしていたのだろうな」

 

 ラウルの解説を、しかしサフィーアはあまり真剣に聞いてはいなかった。彼女にとっては自分と母以外の初めての能力者との邂逅になる筈だったのだ。それが本人の知覚していない所で叶わぬことになってしまった。

 彼女はそれを非常に惜しんでいたのだった。




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第92話:知らない事の方が多い

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 あの後、一行は一先ず地上に戻り改めて今後の方針を煮詰めていくことに決めた。

 その際、レッド・サードと化しそしてクレア達に倒された超古代文明人の遺体をどうするかで若干揉めたが、流石に遺体をそのまま担いで出る訳にもいかないので、後日改めて移送することにして今回は取り合えず処置室の手術台の上に寝かせておくこととなった。

 尚、持ち帰った遺体をどうするのかとサフィーアが訊ねると解剖し現代人とどれほどの違いがあるのかを調べると言う答えが返ってきた。その事に彼女はかなり渋い顔をしたが、さりとてどうこう言えるだけの立場でもなかったので仕方なく黙った。許可なく死人を弄繰り回すのは感心できないが、学術的に必要なことだと言うのも分からないではない。これが私利私欲を満たす目的だったのなら猛反発したのだが…………。

 

 彼の遺体を処置室の手術台の上に乗せた後、一行は地上に向けて移動を開始する。護衛の傭兵がサフィーア達三人だけになってしまったので、陣形はクレアが一人前衛として前を行きサフィーアとカインが殿を務めていた。なので今、サフィーアとクレアの間には物理的な距離がある。

 

「ねぇ、カイン」

「ん?」

 

 このタイミングを利用して、サフィーアは隣を歩くカインにある事を訊ねることにした。周りに聞かれないよう、小さく声を潜めながら話し掛けた。

 

「クレアさん、昔何があったの? さっきのあれ、クレアさんにしては何か……」

 

 弱々しすぎる、それが先程のクレアに対するサフィーアの印象だった。確かにクレアは面倒見がよく、サフィーアの事を時に優しく時に厳しく導いてくれるが、同時にベテランとして線引きがしっかりしている為ここぞと言う時は驚くほどドライな事も口にする。有り体に言えば、死や別れに対しての割り切りが出来ているのだ。

 

 そのクレアが、操られていたとは言え敵対したサフィーアが正気を取り戻した時に涙すら流して安堵していた。それがサフィーアにとってはひどく違和感を感じるものだったのだ。

 そしてサフィーアは思い出した。以前、カインとクレアがサフィーアに隠れて何かを話していたのをこっそり覗き見たことがあったが、その時もクレアは普段とは考えられない様子を見せていた。

 クレアの過去には何かある、そう感じさせるには十分だった。

 

 だからこそカインに訊ねてみたのだ。クレアに直接訊ねないのは、流石に話し辛いだろうと言う判断である。幾らなんでも何かしらの傷を抱えているだろう本人に直接訊ねるような事が出来る程、サフィーアの神経は図太くはない。

 とは言えカインもカインで、クレアの事を思い遣って口を閉ざす可能性もあった。その場合は仕方ない、気にはなるが無理やり聞くような内容でもないので、これに関する疑問は心の奥に仕舞う事にしようとは考えていた。

 

 そんな風に考えていたサフィーアだったが、カインは思いの外あっさりと口を割ってくれた。

 

「そうだね…………君は、知っておいた方がいいかもね」

「どういう事?」

「サフィ、昔クレアが思念感知能力者と知り合いだったって事は知ってるよね?」

「うん。だからあたしの事もすぐにバレた訳だし」

 

 それがどうしたのか? と首を傾げると、カインは昔を懐かしんでいるのかどこか遠くを見つめながら話を続けた。

 

「その人はね…………前に僕とクレアと共にパーティーを組んでた人なんだ」

「へぇ…………ん? ちょっと待って」

 

 カインの話に最初はただ興味深そうにしていただけのサフィーア。だがすぐにあることを思い出して視線を彼から外した。あの時、自分が覗き見したあの時、クレアは何と言っていた?

 自分が殺した…………そう言っていなかったか?

 そこまで思い出して、サフィーアは息を呑み目を見開きながらカインを再び見ると、彼はひどく寂しそうな眼をしながら頷いた。

 

「気付いた? そう、その人こそクレアが望まずして手に掛けた、僕らにとって掛け替えのない大切な仲間だった女性だよ」

 

 予想はしていたが、実際に当事者から話を聞いてサフィーアは絶句した。まさかクレアが単に能力者と知り合いだっただけでなく、その手に掛けてすらいたとは。

 

「な、何で?」

「理由は、今回の君と大体同じだよ。原因はこの場では省くけど、ある男に狂わされて僕とクレアに攻撃してきたんだ。僕らは勿論止めようとしたけど、今回と違ってあの時は彼女を正気に戻す方法が無かった」

「それで…………」

「あぁ。止むを得ない事だった。正気を失った彼女は、あの場で手を下さなければ確実に無関係な人に襲い掛かっていた。彼女自身がそれを望むことは絶対にないからと言う理由で、クレアは彼女を手に掛けた」

 

 そう告げるカインの顔は、後悔の念に塗れていた。恐らく、本当は自分が手を下すべきだったとでも考えているのだろう。そうすればクレアが受けた心の傷は今よりずっと浅い、そう彼は思っているのだ。

 

 対するサフィーアは何も言う事が出来ずにいた。恐れからではない。ただ只管に、己が情けなかったからだ。

 クレアが自分に対して、時折普段とは異なる目を向けていた事には気付いていた。その時はきっと、今は亡き二人の嘗ての仲間の思念感知能力者の事を想っていたのだろう。まだ心の傷を癒せていないが故に…………。

 そんなクレアに対し、何もしてやる事が出来ない己の無力さがサフィーアは情けなくて不甲斐無くて、カインに対して何を言う事も出来ずにいた。

 

 だがせめて…………せめて一つ、聞くべきことがある。例え何が出来ずとも、これだけは知っておきたかった。いや、知る権利がある。

 

「名前は?」

「え?」

「その人…………名前、何て言うの?」

 

 別に、それを知ったからと言って何ができる訳でもない。ただ名前だけは知っておきたかったのだ。

 その彼女の思いが分かるからか、カインは昔を懐かしむようにその名を口にした。

 

「彼女の名前は…………レイン。レイン・ファイン。子供の様にやんちゃで明るく、姉の様に面倒見が良く僕やクレアを時にぐいぐい引っ張り、そして…………最期の瞬間まで自分より僕やクレアの事を心配していた、心の優しい女性さ」

 

 

***

 

 

 カインがサフィーアにレインの事を話し終わった頃、タイミングを見計らったかのように一行はエレベーターの前に到着した。後ろを振り返り、欠けている者が居ないことを確認してクレアはボタンを押し扉を開くと全員が入った。皮肉な事にスケアクロウやらレッド・サードやらに傭兵がやられて人数が減ったことで、一度に全員が乗る事が出来てしまった。

 そのまま一度四階に行き、途中で置いてきた学者と傭兵を回収して地上に戻ろうとする一行だったが、その直前にサフィーアが地上から不穏な思念を感じ取った。

 

「ッ!?」

「ん? サフィ、どうかした?」

 

 急に雰囲気を変えたサフィーアにいち早く気付いたクレアが声を掛けると、サフィーアは緊張を滲ませた声でクレアに地上と連絡を取れないかと訊ねた。

 

「クレアさん、地上の誰かと連絡取れますか?」

「…………ちょっと待って」

 

 サフィーアの様子からただ事ではない何かを感じ取ったクレアは、無線機を取り出して地上に待機している筈の傭兵と連絡を取ろうとした。地上に残った傭兵は全部で五人、全員の持っている無線機に連絡を取ろうとしたが、誰一人応答しない。

 胸騒ぎが強くなってきた。何か上ではとてつもなく良くない事が起こっている気がする。いや、気がするどころではない。誰も通信に応えないと言う事は、間違いなく何かが起こっていると言う事に他ならなかった。

 

「ラウル、それに他の皆も聞いて。突然だけど緊急事態よ。上と連絡が取れなくなったわ」

「何ッ!?」

「上で何かあったのか?」

「多分ね。そこでだけど、ラウルを含めて学者全員と、あんた達三人はこのままここに残って。上には私達三人で戻るわ」

「大丈夫なのか?」

 

 クレアの言葉にアレックスが不安そうな顔をしている。無理もない。上に残った傭兵はクレア程とまではいかなくとも全員がB+と傭兵としてはそれなりに出来る連中が揃っている。それが全員応答しないとなると、ただ事ではない事態が起こったのは戦いの素人でも分かると言うものだ。

 そんなところに、たった三人で向かうなど無謀ではないか? 彼の目はそう言っていた。

 

 その感想は、間違いではないだろう。傭兵五人が通信途絶するほどの事態に、三人で挑むのは危険極まりない。これが三人共Aランク以上であったのならともかくサフィーアはB-だ。足手纏いにならないと言う保証はない。

 

 それでもクレアはこの三人で上に行くと言って譲らなかった。

 

「言いたいことは分かるけど、全員で上に行って全滅したらそれこそ目も当てられないわ。もし私達が上に行ってから十分経っても戻らなかったり連絡が無かったら、緊急信号を出して異常を外部に知らせて」

 

 クレアは最低限の事を言い残すと、サフィーアとカインを伴って上へと向かっていった。

 

 扉が閉まり、エレベーターが上へと向かっていく。その最中、クレアはサフィーアに待ち伏せの有無を問い掛けた。

 

「どう? 待ち伏せされてる感じはある?」

「ん~…………いえ、そんな感じはないです」

 

 と言う事は、少なくとも扉が開くなり蜂の巣にされると言う心配はなさそうだ。いや、こちらにはウォールも居ることだし流石にいきなり蜂の巣にされる心配は最初からあり得なかったか。

 そう思っていると、エレベーターが地上に着いた。大きな振動もなくエレベーターが止まり、次の瞬間には扉が開くと言う時突然サフィーアが焦りを滲ませながら声を上げた。

 

「何かこっちに来てます!? 敵ですッ!?」

 

 サフィーアは明らかに不穏な思念をこちらに向けながら近づいてくる存在に気付いた。上で待機している者の誰かだったら、そんな思念を向けてくることなどない筈だから彼女は咄嗟に敵と言う単語を口にした。

 それに素早く反応した二人は、扉が開くなり行動を起こした。

 

「シッ!」

 

 扉が開いた瞬間クレアは飛び出し、視界に映った相手に一瞬で近付くと魔力を纏わせた掌底を相手の腹部に叩き込んだ。掌底のダメージは相手が身に着けていた装甲服の内側に浸透し、内臓に直接衝撃を与え一撃で意識を刈り取る。

 扉の前に来ていたのは二人、突然クレアが飛び出してきたことに残りの一人が一瞬硬直し反撃が遅れた。その隙を見逃さずカインは氷属性の魔法を放ちもう一人を氷漬けにした。

 

 その時間、僅か五秒足らず。正しく一瞬の出来事に、サフィーアは脳の処理が追い付かなかった。いや、頭の中で二人ならこの程度できるだろうと分かってはいたが、実際に目にすると受ける衝撃がやはり違う。流石はAランクのベテラン傭兵と言ったところだろうか。

 

 と、そこでサフィーアは二人が戦闘不能にした二人を見て驚愕に目を見開いた。そこに居たのは帝国兵だったのだ。

 

「て、帝国兵ッ!? 何で――――」

「静かにッ!?」

 

  思わず声を上げるサフィーアの口を、クレアは慌てて塞いだ。ここに帝国兵が居るのはきっと偶然ではないし、この遺跡に来ている帝国兵がこの二人だけと言う事はありえないだろう。何より、地上に残った傭兵達と連絡が取れなくなって、帝国兵が遺跡に入ろうとしていた現状を考えると…………。

 

 三人は慎重に移動し、外からは死角になる入り口の脇に移動するとこっそりと外を覗き見た。そしてそこに広がる光景に、嫌は予感が確信に変わったことを知り盛大に顔を顰めた。

 

 遺跡に入るまでは学者やクロード商会の人間が行きかっていた遺跡外は、完全に帝国軍によって制圧されていたのだ。




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第93話:望まぬ再会

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 遺跡の入り口からサフィーア達は慎重に周囲の様子を窺うが、どう見ても状況は最悪の一言だった。右を見ても左を見ても、見えるのは帝国兵ばかり。学者やクロード商会の者は一か所にまとめられている。当然その周りは銃を構えた帝国兵が取り囲んでおり、非戦闘員の者は誰もが不安と恐怖に震えていた。

 そこでサフィーアは気付いた。傭兵の姿がない。地上には五人の傭兵が有事の際に備えて待機していた筈だが…………。

 

「居た、あそこだ」

 

 カインが指さした先に、傭兵が二人倒れているのが見えた。一人は頭から血を流し、もう一人は胸に風穴が開いている。あの二人は明らかに死んでいる。

 三人目はその向こうに居た。今正に三人の帝国兵によってリンチされ、動きが鈍くなった辺りで三人から一斉に銃撃を受けてしまった。撃たれた衝撃で歪な踊りの様に体を跳ねらせ、すぐに夥しい血を流して動かなくなる。その痛ましい様子と、死の瞬間に彼が無作為に飛ばした苦痛の思念にサフィーアは顔を背け思わず口元を押さえた。

 地上に残った傭兵はあと二人だが…………最悪な事にその二人は女性だ。そして帝国兵の悪い癖の事を考えると、その二人がどうなっているかは簡単に想像がついた。思わず想像して、胸糞悪くなる思いにカインとクレアは顔を顰めた。サフィーアに至っては思念感知で女傭兵二人がそう遠くない所で助けを求めているのが分かってしまうので、堪らず飛び出そうとするのをクレアが必死に押さえていた。

 

「ダメよ、サフィッ!?」

「何でですかッ!? 今この瞬間にも二人が酷い目に遭ってるのにッ!?」

「冷静になりなさいッ! 相手は軽く見積もっても一個中隊、ここであなたが出ていっても多勢に無勢で返り討ちに遭った挙句同じ末路を辿るのが関の山よッ!」

「でも……だけどッ!?」

「二人とも、静かに」

 

 激しく口論しそうになった二人を、カインが慌てて宥める。今はまだ帝国兵は三人の存在に気付いていないが、遺跡に向かった二人からの連絡がなくなったことで異変がバレるのは時間の問題だろう。そうなってしまっては、結局多勢に無勢の戦いに身を投じなければならない。

 カインとしてはそれならそれでも構わないと思っている。それは決して自棄になったからではなく、この三人ならある程度は何とかなるだろうと言う判断からだ。

 ただそれは、人質を取られるなどして精神的な枷が嵌められなければと言う前提の上での話である。ここで迂闊に飛び出して、非戦闘員や何処かで捕虜になっている女傭兵達が人質にされてはお終いだ。

 

 だからこそ、事は慎重に運ばなければならないのである。

 

 だが、事態は彼が思っているよりも早くに進行した。してしまった。

 

「あれは……アイラッ!?」

 

 徐に、一纏めにされている非戦闘員の集団の中からアイラが立ち上がり、指揮官と思しき帝国兵に猛然と抗議しだしたのだ。傭兵達へのあまりの暴虐に、辛抱堪らなくなったのだろう。近くの者が制止するのも構わずがなり立てている。

 

「いい加減にしてくださいッ!? 貴方方の行っている事はれっきとした条約違反ですよッ!? 分かってるんですかッ!?」

 

 遠くからその様子を見ているサフィーア達は肝を冷やすどころではなかった。アイラは国際条約を盾に帝国軍を何とかしようとしているようだが、そもそもの話帝国軍は条約を頻繁に破って近隣の小国を幾つも侵略してきた。連中にとって、条約など武力で容易く捩じ伏せれる程度と言う認識のものでしかないのだ。

 そんな奴ら相手に条約を盾にしたところで何の意味もない。寧ろその強気な態度が連中の神経を逆撫でしていた。

 

 指揮官に抗議するアイラの背後から、一人の帝国兵が近付くと問答無用でアサルトライフルのストックで彼女の後頭部を殴打した。

 

「あ゛ぅッ?!」

 

 突然後頭部に走った衝撃と痛みに、いとも容易く崩れ落ちるアイラ。まだ意識はあるようで立ち上がりこそしないが、殴られた箇所を押さえて呻き声を上げている。

 そんな彼女を、見逃す程帝国兵は優しくはなかった。アイラを後ろから殴りつけた帝国兵は、何の躊躇もなくライフルの銃口を彼女の脚に向け引き金を引いたのだ。

 

「ああぁぁっ?! うぅぅぅ――――!?」

 

 後頭部に続き脚に走った灼ける様な痛みに、アイラは頭を押さえていた両手を脚に持っていき撃たれた方の脚を必死に押さえて痛みを和らげようとしていた。

 そのアイラの襟首を、一人の帝国兵が掴んで何処かへと引き摺って行く。近くにいたクロード商会の者が引き留めようとするが、銃口を向けられ大人しくさせられる。

 

 アイラは何処へ連れていかれるのか? そんなの考えるまでもない。エルフは得てして誰しも美しい容姿をしている。アイラも然りだ。その彼女に帝国兵が何をするか、想像するのは容易かった。

 何より彼女が連れていかれそうになっている方角から、女傭兵達の悲痛な助けを求める思念が飛んできているのをサフィーアは敏感に感じ取っていた。

 

 彼女がこの後どんな目に遭うか。それを考えた瞬間、サフィーアはクレアの制止を振り切ってサニーブレイズを手に飛び出した。

 

「あああぁぁぁぁっ!!」

「サフィ、待ってッ!? あぁ、もうッ!? カイン、援護して!」

「ま、こうなるだろうと思ってはいたよ」

「下の連中は直ぐ上に来てッ! 相手は帝国軍よッ!」

『はぁっ!? おい、冗談だろッ!?』

「うるさいッ!!? 説明してる時間なんてないのよッ!? グダグダ抜かすな、早くしろッ!!」

 

 ほぼ一方的に下の傭兵達に援軍を要請し、自身はカインの援護を受けながらサフィーアの後に続き帝国軍約一個中隊に突撃していくクレア。それなりに多くの実戦を経験している彼女ではあるが、流石にこの戦力差は初めての経験だった。

 しかしもう引き返すことは出来ない。戦いの火蓋は切って落とされたのだ。こうなっては最早最悪の事態を避ける為に、出来る限りの全力で戦うしかない。

 

 雄叫びを上げながら飛び出したサフィーアは、まず真っ先に捕虜を取り囲んでいる帝国兵の排除に乗り出した。捕虜となっている者が全員姿勢を低くしているのを幸いとし、横薙ぎに放った空破斬でアイラを連れて行こうとしている帝国兵を含めて数名の上半身を一度に両断する。

 突然の攻撃に面食らう帝国兵達だが、腐っても正規軍だからかすぐに頭を切り替えサフィーアに銃口を向け反撃を開始する。引き金が引かれ、無数の銃弾がサフィーアに飛来した。普通であればそのような状況、被害を最小限に抑える為に突撃を中断し回避や防御に専念するものだろう。

 

 だがサフィーアはある意味において普通の傭兵ではない。その証拠に彼女は発砲されても構わず突撃し、剰え手にしたサニーブレイズで自身に命中しそうな銃弾を全て防ぎきってしまったのだ。

 のみならず、数発に至っては撃った本人や別の奴に向け弾き返し無力化する始末。

 

 全ては遺跡の中でのクレアによる指導の賜物だった。しかも今度の相手は機械仕掛けの自動砲台ではない。己の意思で、攻撃の思念を以て撃ってきているのだ。サフィーアにとってはずっとやり易い。

 

 飛来する銃弾を弾き返しながら、サフィーアは捕虜となている者達が集められている場所へと近付いていく。それを見た帝国軍部隊の指揮官が、これ以上の彼女の前進を許してなるものかと捕虜たちに向けライフルの銃口を向けた。

 

「動くな貴様ッ!? それ以上近付いたらこいつらの命のは…………?」

 

 人質を取ったつもりのなって気を良くしていた帝国軍指揮官だが、ふいに違和感を感じて捕虜となっている者達の方目と目を向ける。

 するとそこには、いつの間に居たのかウォールによって捕虜が全員障壁の内側へと納められていた。

 

「なっ!? き、貴様ッ!?」

 

 予想外の事態に帝国軍指揮官は咄嗟にライフルの引き金を引き障壁を銃撃するが、その程度の攻撃ではビクともしない。その程度で破られるほど、柔な障壁ではないのだ。

 障壁の内側からその様子を眺めていたウォールは、どんなもんだいとでも言いたげにふふんと鼻を鳴らす。

 

「ナイスよ、ウォール! これで心置きなく戦える!」

 

 捕虜がそのまま人質になる危険がなくなり、サフィーアの中から懸念が一つ消えた。

 だが安心はできない。ウォールの障壁も無限ではないし、何よりあの中に居ない捕虜がまだ居る。そう、先にここで帝国軍と戦闘し捕虜となった女傭兵二人だ。あの二人が人質となってしまっては意味がない。

 

 サフィーアはチラリと背後を見る。そこでは彼女に遅れて帝国軍と戦闘を開始したクレアとカインの姿が見えた。あちらは二人に任せて大丈夫だろう。サフィーアはそう判断すると、自分は捕虜となった二人の女傭兵の元へと向かっていった。

 

 一方、クレアとカインの二人は次々と向かってくる帝国兵を相手に善戦していた。如何に正規兵と言えども、現時点で傭兵としての最高位であるAランクが二人相手となるとその相手は容易ではなかったのだ。そもそもこの二人は一時は解散していたとは言え、それなりに長きに渡って共に戦ってきた仲である。その連携は多少の数の不利など容易く押し返すだけの力があった。

 

 クレアが両手に炎属性の魔力を付与した状態で帝国兵を次々と殴り飛ばしていく。優れたマギ・コートの制御による能力の底上げに加え、炎属性の魔力を纏った拳での一撃は相手に命中した瞬間爆発を起こし大ダメージを与えることを可能としていた。結果、彼女が拳を振るう度に帝国兵は装甲服を凹ませ時には砕かれ弾かせながらぶっ飛んでいく。

 勿論中には接近戦が危険だと言う事を重々承知して、クレアに対して遠距離から銃撃や狙撃で対処しようとする者もいる。だがそいつらは逆にカインの餌食だ。クレアには出来ない正確無比な射撃は彼女や己を狙う不届き者を次々と撃ち抜いた。

 

 たった二人を相手に手も足も出ない帝国軍、それだけを見ればなるほど確かに圧倒的と言えるかもしれない。

 しかし質はこちらが上でも、数の上ではあちらが圧倒的に上だ。何しろ相手は一個中隊、凡そ200人居るのである。その中の十人二十人倒した程度では、相手からしてみれば大した痛手になり得ない。時間が経てば疲労が溜まりこちらが不利になってしまうのは目に見えていた。

 

 更に悪いのが、サフィーアがクレア達からどんどん離れて行ってしまっている事だ。彼女としては帝国軍を圧倒している二人にこの場を任せて自分は捕虜となっている女傭兵二人を救出しようとしているのだろうが、状況を客観的に見れば彼女一人が突出しているだけである。これでは下手をするといずれ孤立した状態で各個撃破されてしまう。

 それを少しでも避けるべく合流したいのだが、そこの所の事情を理解しているのかそれとも偶然か、次から次へとやって来る帝国軍がそれを許してくれない。

 クレアは次第に苛立ちを隠せなくなっていった。

 

「えぇい、あんたら邪魔よッ!?」

 

 一際でかい火球が帝国兵を数人纏めて薙ぎ払う。それにより一瞬包囲に穴が開くが、後からやってくる帝国兵によってその穴は直ぐに塞がれてしまった。

 その様子にクレアは苦虫を噛み潰したような顔になり、顎先に流れてきた汗を手の甲で拭うのだった。

 

 

***

 

 

 クレアとカインが徐々に数に圧されだした頃、サフィーアは仮設拠点のプレハブ群の中にやってきていた。助けを求める思念はこの近くから感じる。

 途中物陰に潜んでいた帝国兵を迎え打ちつつ進んでいくと、一つのプレハブ小屋から纏まった数の帝国兵が騒ぎを聞きつけたからかぞろぞろと出てきた。その数は全部で六人。そいつらはすぐ傍に来ていたサフィーアの姿に一瞬面食らいつつも、彼女が上玉の女性であると見ると即座に下卑た視線を向けてくる。

 

「おい、どうやら追加か向こうから来たみたいだぜ?」

「丁度いい! 人数が足りなくて困ってたところだ。こいつも仲間に加えてやれ!」

 

 舐めるような視線と下種な物言いに鳥肌を立たせるサフィーアだったが、彼女には彼らの言葉が聞こえていなかった。

 彼らが出てきたところと、最も強く助けを求める思念が放たれているのは同じ場所だったのだ。つまり、あの中には――――――

 

「ああああぁぁぁぁぁっ!!?」

 

 瞬間、頭が沸騰したかと思うほどの憤怒に突き動かされサフィーアは帝国兵達に突撃していく。帝国兵たちは一斉に銃を構え引き金を引くが、たかが一人となめているのかそれとも可能な限り生かして無力化しようと考えているからか、狙いは非常に甘かった。その銃撃の中を正面突破することなど、今のサフィーアにとっては造作もない事であった。

 

 怯みもせず弾幕を突破したサフィーアに危機感を感じた帝国兵は先程よりもやる気を出して攻撃してきたがそれでも彼女には通用しない。寧ろやる気を出したことでその攻撃は彼女には手に取るように分かるようになり、弾き返された銃弾で二人が無力化される。

 

「こいつ、銃弾を弾き返しやがったッ!?」

「狼狽えるなッ! 接近戦で対応しろッ!」

 

 一瞬で二人が倒されたことに狼狽する帝国兵だが、指揮官らしき一人が出した指示で直ぐに体勢を立て直し銃剣をライフルに装着して接近戦を仕掛けてきた。下手に銃で攻撃するよりは被害が少ないと考えたのだろう。咄嗟の判断としては悪くないのかもしれない。

 だがサフィーア相手には無意味だった。サニーブレイズの攻撃範囲内に帝国兵が入った瞬間サフィーアは引き金を引き、同時に帝国兵の攻撃を読んで四方八方から放たれる銃剣による突きや斬撃を躱す。その瞬間、帝国兵たちはサフィーアの姿を完全に見失った。

 

「えっ!?」

 

 この瞬間、サフィーアは別に姿を消した訳でも何でもない。ただ彼らの意識的な死角に入り込んだのだ。偶然にも四人が同時に全く意識を向けていない場所があったので、これ幸いとサフィーアはそこに潜り込んだのである。

 結果、帝国兵たちはサフィーアを見失い致命的な隙を晒すこととなってしまう。もしここで彼らがその場を離れていれば、ここから先の結果は違っていたかもしれない。

 

「はぁぁっ!!」

 

 大きく隙を晒す帝国兵四人に、サフィーアは一切容赦なく斬りかかる。出し抜けにとしか言いようのないサフィーアの攻撃に、四人の帝国兵は為す術なくあっという間に全滅してしまった。

 目に見える敵を倒し、しかし油断することなく周囲に気を配り自分を狙う敵が居ない事を確認してサフィーアは女傭兵達の安否確認の為プレハブ小屋の中を覗き見た。

 

「大丈、うっ?!」

 

 中を覗いた瞬間、その惨状にサフィーアは思わず口元を手で押さえた。

 

 二人は酷い有様だった。既に散々嬲られた後なのか、全裸に近い格好でしかも体のあちこちに痣や銃創がある。恐らく嬲られる前か途中に激しく抵抗したのだろう。それか若しくは、単純に痛めつけられる二人の様子を見て楽しんでいたのか。

 

「う、うぅ……」

「た……たす、け……」

「う――――!?」

 

 最早息も絶え絶えと言った様子の二人だったが、辛うじて意識は残っているのかボロボロの体を動かし光の消えた目でサフィーアを見ながら震える手を伸ばしてきた。

 その光景にサフィーアは腹の奥から何かがせりあがってくる感覚を覚えたが、気合でそれを飲み下し二人に手を貸そうとプレハブ小屋に入ろうとした。

 

 刹那、サフィーアは自分に向けられる奇妙な思念に動きを止める。まず真っ先に感じ取ったのは敵意だが、その中に無念や遺憾、後悔が混じっていたのだ。

 敵意がある時点で味方ではないことは明らかだが、その中に混じっている他の思念の存在がサフィーアを困惑させる。

 

 敵の正体を確かめるべくサフィーアは二人への助けを止め、小屋から出て思念が向けられた方を見た。

 

「…………え?」

「よぉ……」

 

 そこに居たのは、ある意味で待ち望んだ、だがこんな場所では絶対出会いたくない相手であった。

 

「あんた…………何で?」

「そりゃぁ、傭兵だしなぁ。こう言う事もあんだろ」

 

 サフィーアの問い掛けに、相手は投げやりな答えを返した。だがそんな答えで納得できるほど、サフィーアは大人に成りきれてはいなかった。

 

 故に、彼女は思わず声を大にして口にしてしまった。

 

「何で、あんたこんなとこに居るのよ…………ブレイブッ!?」




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第94話:揺れ動くブレイブ

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 両手に剣を持って既に何時でも戦える状態のブレイブを前に、しかしサフィーアはサニーブレイズを手に持っただけで構えもせず彼と対峙していた。その顔は、信じられないと言う思いが溢れていた。

 

「何で、何でよ?」

「おかしな事聞くな? 傭兵なんだからこういう事もあるに決まってんだろ。つか、最初に会った時も俺ら敵同士だったろ」

「あたしが聞きたいのは、何で帝国軍なんかに雇われたのかって話よ!? あんた帝国軍がどういう連中か分かってんのッ!?」

 

 自分の問い掛けに飄々と言うか、投げ遣りな感じで答えるブレイブに未だプレハブ小屋の中で倒れている二人の女傭兵の事を思い浮かべながら叫ぶサフィーア。彼女としては、彼のような人間が帝国軍のような連中に与している事がどうしても気に入らなかったのだ。

 それは、未だどこかで大人になり切れていない彼女の理想だけで物事を捉えようとしている部分がそう思わせているのかもしれない。割り切れていないと言ってもいい。少女程夢見がちではないが、目の前の厳しい現実を全て受け入れられるほど大人になれていなかった。

 それがサフィーアにどこか子供っぽい事を思わせている要因だった。

 

 そんなガキ臭い理論を、ブレイブは鼻で笑い彼女に呆れの目を向けた。

 

「はっ! 何でとかどういう連中とか、んな事気にして傭兵がやってられっか。レベルに見合って報酬のいい依頼に飛び付くのは傭兵として間違っちゃいねえだろうが。俺が色々と事情あって金稼ぐのに忙しいの知ってんだろ?」

「そ、それはッ!? ま、まぁ……そうだけど、さ」

「だろ? 俺何も間違ったこと言ってねえだろ? じゃあそういう事だ。そして、俺とお前は立場上敵同士…………なら、やることやっとかねえとな」

 

 話し終えると同時に、ブレイブからの敵意が膨れ上がる。反射的に構えるサフィーアだったが、その構えはどこか覇気が足りないと言うか身が入っていない。彼女の様子に気付いたブレイブは顔を顰めて不快感を露にする。

 

「おい、ふざけてんのか? 何だそのやる気の無い構えは!?」

「ッ!?」

 

 ブレイブから放たれる怒声と怒りの思念に、サフィーアは思わず息を呑む。それを見てブレイブは更に苛立った。一度は認めた彼女が、まるで初めて実戦で強敵に遭遇したルーキーの様な情けない姿を晒したのだ。一度は認め再戦まで約束しただけに、彼は裏切られたような気持ちになり感情を抑えきれなくなってしまっていた。

 

「テメェ、俺を馬鹿にしてんのかッ!?」

「ち、違うッ!? あたしは、そんなつもりじゃ…………」

「だったら本気で掛かってこいやッ!!」

 

 必死に弁解しようとするサフィーアだったが、頭に血が上り熱くなってしまったブレイブに言い訳は届かない。彼女の言葉も聞かず、彼は両手にそれぞれ紅白の剣を持ち彼女に襲い掛かった。

 

「くっ?!」

 

 堪らず迎え撃つサフィーアだったが、やはり気持ちが乗り切っていないからか防戦一方と言う有様だ。いや、最早防戦ですらない。彼女の防御は全て弾かれ、何度も地面やプレハブ小屋の壁に叩き付けられている。

 ただ、防御が弾かれ攻撃の衝撃に踏ん張れていないと言うだけで彼が持つ二本の剣による攻撃を喰らってはいない。それにマギ・コートはしっかり掛かっているので、彼女の体へのダメージは実際微々たるものだった。被害は精々体力が削られるとかその程度だ。

 

 だが彼の攻撃に防御を弾かれ、衝撃に吹き飛ばされ地面や壁に叩き付けられる度に彼女の心は悲鳴を上げていた。痛みに対する悲鳴ではない。彼の心を受け止めようとする気持ちと、彼に理解してほしいと言う気持ち。二つが鬩ぎ合う事によって生じた痛みだ。

 その痛みは、確実に彼女から覇気を奪っていた。彼女は良くも悪くも、己の心に正直なのだ。それ故、心が乗っている時はどこまでも強くなれるが、反対に心が全く乗れていないと情けない程に弱くなってしまう。

 今回が正しくその後者の状態だった。今のサフィーアは心情的に全力が出せない。体に染みついた経験から来る動きで生き残れている状態だ。

 

 そんな彼女の相手をして、ブレイブが納得できる筈もなく。彼は徐に剣を両方とも鞘に納めると、怒りに眉間に皺を寄せながらサフィーアに近付き、胸倉を掴むと彼女が女であると言う事も気にせずその頬を引っ叩いた。

 

「うっ?!」

 

 頬を引っ叩かれても胸倉は掴まれたまま、頭を一瞬激しく揺すられたサフィーアは、しかし次の瞬間憤怒に染まったブレイブの顔を至近距離で真正面から見ることになる。

 

「お前、マジでふざけてんのか? どういうつもりだ? 最後に別れる時した約束…………あれは嘘だってのかッ!? ああっ!?」

 

 一歩間違えれば近くに居る者の身すら焼き焦がしそうなほどの怒りを胸に宿したブレイブの目を、サフィーアは最初怯えた目で見返していた。だがその一方で心の何処かは冷静に彼の心を受け止め、彼が彼女に向けている思念を感じ取っていた。

 その思念が、逆に彼女の心を静めてくれた。それまで一方的に言われるがままだったが、ここにきて彼女は彼の言葉に反論した。

 

「…………違う」

「あ?」

「ふざけてなんかいないし、嘘だってついてるつもりはないわ」

「だったら、この間みたいな全力で掛かって来いよッ!!」

「嫌よッ!!?」

「なッ――――!?」

 

 以前した約束を果たせ、その言葉に対して真っ向からの否と言う言葉にブレイブは思わず言葉を失う。そんな彼に構うことなく今度はサフィーアが言葉を続けた。

 

「全力で、今あんたと全力で戦うなんて、出来る訳ないでしょッ!?」

「何でだよッ!?」

「こんな気持ちで戦って、決着がついたって、あたし納得できないッ!」

「ガキみたいなこと言ってんなッ!? お前だって子供じゃねえんだ、現実を見ろッ!!」

 

 サフィーアの言葉に大反発するブレイブだったが、その言葉は何よりも己の心に突き刺さった。彼は男として、常日頃から夢とロマンを胸に生きてきた。真の男とはそういうものだと、彼はそれを信念にしてきたのだ。

 だが今、彼は抜き差しならない現実に直面していた。今の彼にとって何より重要なのは金の工面であって、自らの信条を気にしている場合ではないのだ。それ故に、彼は今己を殺してただ只管に傭兵として依頼を全うしようとしていた。

 そこに来て自らの理想を胸に戦うサフィーアの言葉はどんな光よりも眩しく、そしてそれを全力で否定する己の言葉はどんな鋭利な刃物よりも深く心に突き刺さった。

 

 戦いの最中サフィーアの心は悲鳴を上げていたが、今度はブレイブの心が言葉の遣り取りで悲鳴を上げる番だった。

 

 当然それはサフィーアにも知れることになる。彼が彼女に向けている羨望と反発、肯定と否定に彼女は彼が本心の全てから言葉を紡いでいるのではないと確信した。

 そして、彼女は唐突にその理由に思い至った。思えば、彼女が知る中で彼が拘るものなど一つしかなかったのだ。

 

「孤児院で何かあったの?」

「ッ!?!?」

「図星ね? 急にお金が必要になったんでしょ? とうとうあそこが地上げでもされた? それともイレーナさんに何かあった? 例えば、病気になったりとか――――」

 

 サフィーアは言葉の全てを口にすることは出来なかった。出し抜けにブレイブが突き飛ばすように彼女の胸倉から手を放し、距離が開いた彼女に真紅の剣の切っ先を向けたのである。

 彼は初めて見せる顔をしていた。驚愕、恐怖、警戒、様々な感情が綯い交ぜになった、今までの彼からは考えられない表情だった。

 僅かに感じられる拒絶の思念に、心にチクリとした痛みを感じながらサフィーアはゆっくり立ち上がり彼の目を真っ直ぐ見返す。

 

「…………お前には関係ねえ」

「そうかな?」

「そうだよ。関係ねえから、お前は気にせず黙って俺の敵として戦え。それが一番、互いの為になる」

 

 そうは思えなかった。サフィーアには今この瞬間も、ブレイブの心が悲鳴を上げているのが分かった。多分ここで無理に白黒つけようとして仮にサフィーアが負けしかも死んだりした暁には、ブレイブはきっと心に消えない後悔と痛みを抱えることになる。

 だから…………。

 

「止めよ」

「は?」

「今日はさ、止めにしよ。決着はこの次にしてさ。そっちの方が互いの為だよ」

 

 最早サフィーアには彼と剣を交える気は微塵もなかった。とてもではないが、今はこれ以上彼と戦う気になれない。故に彼女は、彼に停戦を持ち掛ける。サニーブレイズも手放しその場に落とした。思い入れのある大切な剣だが、最も分かりやすく戦う意思が無いことを伝える為には致し方ない。

 だがブレイブは止まらなかった。依然として剣を手放すことはなく、その切っ先を彼女の喉元に向けた。

 

「いい加減にしろ。お前の理想語りに俺を巻き込むな。さっさと剣拾え」

「嫌だと言ったら?」

「殺す」

 

 端的な言葉だったが、彼はその言葉と共に底冷えするような殺気をサフィーアに向けた。この瞬間、彼は本気で彼女を殺す気だった。

 それは彼にとってある意味で着火剤の意図もあった。ここまで本気で殺す気で掛かれば、彼女も観念して戦いだすと思ったのだ。

 

 しかしその目論見は次の瞬間崩される。サフィーアはサニーブレイズを拾うことなく、それどころか顔を少し上に向け目を瞑ったのだ。その様は正しく、これから行われる処刑を潔く待つ死刑囚のようであった。

 

 これにはブレイブも思わず息をする事も忘れて固まってしまう。そしてこの瞬間、ブレイブの心は大きく揺れ動いた。

 

 傭兵としての彼はこれをチャンスだと叫び、躊躇わず彼女を殺せと告げる。今彼女を殺せば、今後の障害が一つ減りよりスムーズに依頼をこなし報酬が手に入ると嘯いた。

 その傭兵としての彼を、男としての彼と戦士としての彼が全力で押さえつけた。男としての彼は告げる、彼女は絶対に殺すなと。戦士としての彼は、こんな形での決着など絶対に認められないと宥めてきた。

 多数決で言えば二対一で傭兵としての彼は負けているが、報酬が減れば孤児院もイレーナもただでは済まないと告げると男と戦士の彼は傭兵としての彼を押さえる力が緩む。

 

 無論サフィーアとて、本気で己の命を差し出すつもりはない。彼女はブレイブがこのような形での決着など絶対望んでいない事を分かっていた。だからこうすれば彼は攻撃できないだろうと言う確信を持って無防備を晒したのだ。彼が自分に向ける思念が分かるからこそできることだが、ふとした瞬間に心の均衡が崩れたら即座に首を刎ねられる可能性を考えれば、彼女の行動はやはり賭けだったろう。

 

 そして彼女は賭けに勝った。彼の心は正に、二つの意見が完全に拮抗し合い非常に不安定な状態だった。とてもではないが今の彼に、サフィーアの首を刎ねることは出来ない。

 

 そのまま互いに微動だにせず、奇妙な沈黙が辺りを支配した。

 

 長く苦しい沈黙、それを破ったのはサフィーア・ブレイブのどちらでもなく出し抜けに二人の頭上を飛び去って行った機影だった。




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第95話:局所的な戦争

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 突然頭上を通り過ぎていく数機の航空機。かなり低空だった為通り過ぎる際の突風と騒音にブレイブだけでなくサフィーアも思わず目を開け空を見上げ、機影が通り過ぎて行った方を見る。

 

「な、何今のッ!?」

「ありゃ、共和国軍のガンシップだぞ!?」

 

 上空を通り過ぎる際、ブレイブはサフィーアと違い目を開けていた為その航空機の全容を一瞬だが見る事が出来ていた。その際目に入った、ローターが内蔵された主翼と機体に刻印された国旗を見て航空機がどこの機体なのかを特定したのだ。

 一方のサフィーアは、自分たちの頭上を共和国軍が通り過ぎて行ったことに疑問の声を上げる。

 

「共和国軍? グリーンラインで? 何で?」

「そりゃお前、帝国軍が動き回ってるんだぞ。共和国軍だって気になって調べに来るだろうよ」

 

 自発的かどうかは知らないが、と締め括りブレイブはガンシップが通り過ぎて行った方を眺める。既に共和国軍は帝国軍と戦闘に入っているのか先程よりも派手な戦闘音が聞こえてきた。その音にサフィーアは向こうで戦っているクレア達の事を考えそちらに行こうと手放したサニーブレイズを素早く拾い上げる。

 と、踵を返してクレア達の下へ向かおうとしていたサフィーアは不意にブレイブの方を見た。武器を手にしたことで、また帝国軍に雇われている事もあって攻撃を仕掛けてくるかと思ったのだ。

 

 だが意外な事に、彼はサフィーアが剣を再び手に取ったと言うのにもかかわらず攻撃してくる気配がない。そのつもりが全くないのか、敵意を向けてすら来なかった。

 その事にサフィーアは戸惑いを覚え、思わず彼に問い掛けた。

 

「い、いいの? あんた、帝国軍に雇われてるんでしょ? あたしの足止めとか…………」

 

 そっと窺うように問い掛けると、彼は忌々し気に彼女の事を睨みつけた。だが苛立ちは彼女ではなく自分の方に向いているのか、向けられた思念に刺々しいものはあまり含まれてはいなかった。

 そして彼は徐に剣を鞘に納めると、羽虫か何かを追い払う様に手を振った。さっさと行け、と言う事らしい。

 

 完全に戦意を失った彼の様子に、サフィーアはなんだか申し訳ない気持ちになり堪らず頭を下げた。

 

「何か、ごめん。凄い我が儘言っちゃって……」

「ちっ…………分かってんなら少しは大人になれや。ガキの年齢じゃねえんだろ」

「うん……頑張る」

「フンッ、さっさと行きな」

 

 最早視線すら合わせないブレイブに、再度頭を下げ今度こそサフィーアは踵を返しクレア達の所へと向かう。後には、居心地悪そうに顔を顰めたブレイブだけが残される。

 今、彼は無性に不機嫌だった。それはサフィーアに対してではない、自分に対してだ。

 彼だって、本当は帝国軍に雇われたくはなかった。連中は殊更に他人を見下してくる。特に彼の様な、言ってしまえば替えが利く傭兵なんかに対しては特に横柄な態度をこれでもかと見せつけてくるのだ。それに連中が負かした捕虜などに対する非道な行為も、彼としては気に入らない。

 だが仕方がないのだ。今の彼にはとにかく金が要る。それも普通に依頼をこなすだけでは足りない位纏まった額の金だ。それを稼ぐには、帝国軍に雇われるしか道が無かったのである。

 

 世の中、綺麗事だけでは回らない。それは彼がこれまでの人生でまず最初に学んだ事であり、彼と言う人間の根幹を形成している要素の一つでもあった。

 彼が夢見がちとも言える信念を胸に掲げているのは、そんな己を心の何処かで変えたいと願っているからでもあった。変えたいから、光り輝く信念を忘れぬようにしてきたのだ。

 だが彼は結局その信念を曲げてしまった。全ては、苦しい環境の中自分を養ってくれたことに対する恩義を果たす為。その為に彼は、男として胸を張れるとはいいがたい所業を行う帝国軍に与し金を稼ごうとしていた。

 

 しかしサフィーアは違った。彼女は命と信念を天秤に掛け、信念の方を選び取ったのである。例え己がそこで命を落とすとしても、信念を曲げる位なら惜しくはないと言う姿勢を見せたのだ。彼女が心の内では彼が攻撃できないことをある程度確信してあのような行動に出た事を知る由もない彼には、少なくともそう見えていた。

 その事にブレイブは精神的に負けた気分になり、これ以上サフィーアと対峙する事が出来なかったのである。

 

「…………クソッ!?」

 

 暫しその場に佇み、湧き上がる苛立ちを発散するように地面を蹴るブレイブ。だが当然そんな事とをしても苛立ちが晴れることはなく、寧ろ虚しさが広がり余計に気分が沈んだ。

 堪らず溜め息を吐きその場を移動しようとするブレイブは、不意にサフィーアが出てきたプレハブ小屋の中を見てしまった。そしてそこに居る、ほぼ全らの半ば衰弱した二人の女性に顔を顰めると、彼は再び大きく溜め息を吐き女性二人を別のプレハブ小屋のベッドに寝かせ毛布を掛けてやり改めてその場を後にしたのだった。

 

 

***

 

 

 少し時間を遡り、場所はクレアとカインが戦っている場所に移る。

 

 戦闘は徐々にだが帝国軍優勢に傾きつつあった。幾ら二人が実力者であるとは言え、やはり多勢に無勢。増援にやってきた傭兵達も少なくない負傷をしており、次第に周囲を囲まれ追い詰められてしまっていた。

 自分たちの周囲を取り囲む帝国兵を、クレアは険しい表情で睨む。

 

「くそ、厳しいわね」

「だけど、諦める訳にはいかないよ。降伏したって碌なことにはならないんだし」

「んな事分かってるわよ。とは言え…………ん?」

 

 不意にクレアの耳が何かのエンジン音を捉えた。彼女だけでなく、その場の全員が聞いたのか誰もがその音が聞こえてくる方向に目を向ける。彼らの視線の先には、こちらに向かってくる七機の航空機の姿があった。

 それに真っ先に反応したのは、ライフルのスコープを覗いたカインだった。

 

「あれは、マーズッ!!」

「マーズ?」

「共和国軍の多目的強襲飛空艇/兵員用(Multipurpose Assault Airship / Soldiers)さ。ガンシップって言えば分かりやすいかな」

 

 カインの言う通り、こちらに向かってきているのは共和国軍で広く運用されている多目的ガンシップだった。約三十人の歩兵か四台の軍用バイクを輸送可能で、主翼のローターと機体上部の二基のジェットエンジンにより高速かつ安定した飛行を可能としている。更には歩兵等を搭乗させるカーゴ部分をアームに換装することで戦車などを輸送することも可能としていた。

 そのガンシップが、実に七機。歩兵にして凡そ一個中隊を輸送している事になる。

 

 向かってくるガンシップに対する反応は、クレア達と帝国軍で正反対だった。クレア達傭兵やクロード商会の者達は向かってくるガンシップの姿に歓喜し、対する帝国軍は焦りを浮かべた。

 

「馬鹿な、共和国軍だとッ!?」

「どうします、隊長!? 撤退しますか?」

「出来るか、馬鹿者ッ!? ザイツェル卿が見ているんだぞッ!?」

「ザイツェル?」

 

 帝国軍指揮官が明らかに恐れと共に口にした人物の名前に、カインが訝しげな顔をすると同時に共和国軍のガンシップが彼らの上空までやってきた。帝国軍は即座に上空に銃器を向け発砲するが、場合にもよるが人間相手ならマギ・コートですら傷つける銃撃も、ガンシップ相手には表面を軽く傷付けるのが精々だった。そもそもの話、あのガンシップは上空に待機しているクルーザー等から兵員を前線に降下させる強襲降下艇としての運用も視野に入れられているので下方からの攻撃には滅法強いのだ。

 流石にロケットランチャーなどが相手となるとおいそれと受けることは出来ないが、生憎この場にそれを持っている帝国兵はいない。使う事を想定していないのだから当然だ。

 

『此方は、ジュラス共和国第105大隊第4中隊である。帝国軍に告げる。直ちに戦闘を中止されたし』

 

 上空までやってきた七機のガンシップは上空を旋回し、帝国軍に対し警告を行っているが向こうはそんなの知ったことかとばかりに攻撃を続けている。それに対して共和国軍のガンシップは、降下しながら機首やカーゴの両サイドに取り付けられた機銃で帝国兵に攻撃を開始した。同時にある程度地上に近付いた機の後部ハッチから続々と共和国軍の兵士が下りてくる。

 

「行け行け行けッ! 盾持ちは前に! 円形に陣形を組めッ!」

 

 素早くガンシップから降りて帝国兵に銃撃しつつ、共和国兵達はクレア達を中心に円形に陣形を形成していく。帝国兵も応戦するが、共和国兵の最も前進している兵達が手にした大型の盾が帝国兵の銃撃の大半を防ぐ。

 更には兵を降ろし終えたガンシップによる空からの攻撃、地上と空からの二つの攻撃によって帝国兵はその数をみるみる減らしていった。

 

 最早状況は傭兵の出番を必要としなくなった事で、クレアは周囲を見渡す余裕が出来ていた。

 今一番気になるのは、この共和国軍部隊が何故ここに来たか、だ。まさか自分たちを助ける為だけに来たわけではないだろう。もしや、アイラがこっそり呼んでいたのだろうか?

 などと考えていると、ガンシップの一機から明らかに普通の兵士とは違う者が下りてきた。他の兵士の様な装甲服ではなく、軍服姿の男は一度周囲を見渡しクレア達の方に視線を向けると一瞬驚いたような顔になり次いで薄く笑みを浮かべながら近づいてきた。

 

 クレアには共和国兵の知り合いはいない。だがこの場には、共和国軍とコネを持つ人物が居る事を彼女は知っていた。その人物は、今正に自分の隣に居る。

 その人物ことカインは、近付いてきた軍服姿の男に軽く手を上げながら声を掛けた。

 

「ヒューストン中佐! お久しぶりです。助かりましたよ」

「お久しぶりです、カインお坊ちゃん。こんな所で会うとは……お怪我はありませんか?」

「お坊ちゃんは止めて下さいよ。もういい歳ですよ、僕」

「私からすれば、あなたは敬愛すべき大隊長の一人息子です。相応の接し方をしない訳にはいきませんて」

 

 歳の離れた友人の様な親しさで話す二人。それもその筈で、カインの父であるソル・J・シュバルツは今この場に居る共和国軍第105独立大隊の前指揮官だったのだ。エヴァンスとカインはソルがこの大隊を率いていた頃からの知り合いであり、心の底からソルを信頼しまた尊敬していたエヴァンスはカインに対しても敬意をもって接していた。

 

「しかし、本当にいいタイミングで来てくれましたね。今回はかなり肝を冷やしたんですが」

「えぇ、全く。これまで殆ど動きを見せなかった連中が、何を思ったのか監視衛星の目を気にすることなくここに移動しているのを捉える事が出来たのが大きいですね。念の為にとマーズを要請したらすぐに来てくれたことも幸いでした」

「つまり、共和国軍の上層部は今の帝国軍の動きをかなり警戒してるって事ですね?」

「その通りです。ま、何時戦争を仕掛けてくるか分からない連中ですからね。当然と言えば当然でしょう」

 

 二人が話している間にも帝国兵はある者は倒れ、またある者は武器を捨て降伏している。指揮官は最後まで抵抗の姿勢を見せていたが、今度はあちらが多勢に無勢となる番だった。多少粘りはしたが、それでも四方八方からの銃撃を前にしてはどうしようもなく、あっけなく蜂の巣になって遺跡の前に骸を晒すこととなった。

 そうして戦闘は帝国軍の敗北で決着がつく。帝国兵の殆どは死体となり、数少ない生き残りは軒並み共和国軍の捕虜となった。

 

 その直後である、ブレイブの元を離れたサフィーアが合流したのは。彼女が姿を現した瞬間、共和国兵達が一斉に銃口と敵意を向けた為彼女は条件反射で応戦しようとしてしまったが、クレアが間に入ってくれたことで事なきを得た。

 

「サフィ、ストップ!? 落ち着いて、こいつらは味方よ!」

「えっ!? あ…………この人達、共和国軍の軍人さんか」

 

 すんでのところでクレアが制止してくれたことで、サフィーアは彼らが共和国軍の兵士だと言うことに気付いた。正直今のは危なかった。何しろ装甲服の色こそ違うが、共和国軍の兵士と帝国軍の兵士は装備が非常によく似ているのだ。勿論少し注意してみれば、ヘルメットの形状のみならず装甲服もあちこち違いがあったりするのが一目で分かるのだが、極度の興奮状態にあったりすると意外と気づけないものだった。

 

 危うく味方だろう者達と同士討ちをするところだったことにサフィーアは額に冷や汗を滲ませつつ、周囲を見渡して戦闘が終了している事を知りサニーブレイズを鞘に納める。主人が戦闘態勢を解いたことで安心したのか、ウォールも非戦闘員達を障壁で守るのを止め彼女の下へと向かいその肩に飛び乗った。

 

「おっと! お疲れ様、ウォール」

「くぅん!」

 

 肩に飛び乗り顔に頬擦りしてくるウォールを労いの意味も込めて優しく撫でる。そこでエヴァンスは、クレアと親し気にしている彼女に興味を抱いた。カーバンクルとは言えモンスターを従え、闘姫と呼ばれるクレアと親しいサフィーアが何者なのか気になったのだ。

 

「あの、お坊ちゃん。彼女は?」

 

 エヴァンスがカインに訊ねた言葉が聞こえたのか、サフィーアは彼が何か言うより早くに自己紹介を始めた。

 

「あっと、失礼しました。あたし、サフィーアです。サフィーア・マッケンジー」

 

 サフィーアはごく自然に自分の名前を告げ握手の為右手を差し出す。

 

 対するエヴァンスは、何かに気付いたように眉間に皺を寄せると、サフィーアを半ば睨みつけるようにしながらカインに問い掛けた。

 

「坊ちゃん、まさか彼女は……?」

「お察しの通り、かのサニー・マッケンジーの一人娘さ」

 

 カインの回答にエヴァンスは分かり易いくらい苦い顔をした。彼女としては初対面の相手にいきなりこんな顔をされる覚えはなかったのだが、二人の会話から自分の父が何かしら関わっているのだろうと当たりを付け苦笑いを浮かべようとし――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――直前で猛烈な悪意を感じて全身総毛立った。

 

「ッ!?!?」

 

 一瞬で全身から冷や汗を流した彼女は考えるよりも先に剣を鞘から抜いて気付いた時には周囲を警戒していた。

 突然の彼女の行動に、しかしクレアとカインは素早く対応してみせた。瞬きする間もなく武器を手に構える二人。その様子にただ事ではないと悟ったエヴァンスが部下達に指示を出そうとした。その時である。

 

 突如として上空で周囲を警戒していたマーズ七機が次々と細切れにされ爆散し、次いで敗北し捕虜となっていた帝国兵の首がすっ飛んだ。

 

「…………え?」

 

 あまりにも一瞬過ぎる上に現実離れした光景に、思わず間の抜けた声を上げるサフィーア。

 

 それと同時に、一人の燕尾服を着た男性が姿を現した。




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第96話:皇帝の右腕

読んでくださる方たちに最大限の感謝を。


 それは本当に一瞬の出来事だった。

 突然上空で待機していた七機のガンシップが細切れになると同時に爆発し、それに僅かに遅れる形で地上で拘束されていた帝国軍の捕虜の首が切断され地面に落ちる。

 

 頭上での爆音と視界に映る鮮血の噴水にサフィーアは思わず思考が停止してしまっていた。

 

「…………え?」

 

 呆けた声を上げるサフィーアだったが、対してクレアや共和国軍の反応は素早かった。

 

「サフィ、カイン、こっちよッ!! あんた達もッ!!」

「退避だッ!? 総員退避しろッ!?」

 

 呆けるサフィーアを引っ張って、クレアはカインと他の傭兵達と共に一か所に集められていたクロード商会と学者達の所へ向かう。合流するなり誰かが何かを言わずとも自分の役割を理解しているのか、ウォールが即座に近くにいる者全員を守る障壁を展開した。真上から降ってくるガンシップはなかったが、至近距離に落下してきたやつが飛び散らせた破片や爆炎を見事に防いでくれた。

 

 一方、共和国軍の方は悲惨だ。こちらは上空から降ってくるガンシップへの防御手段が無かった為、とにかく必死に逃げ回るしかない。もちろんそれで無傷でいられる訳がなく、中には落下してきたガンシップの残骸の下敷きになった者や至近距離で爆発した機体の破片で全身を切り刻まれた者がいたのは不運としか言いようがないだろう。

 犠牲は出てしまったが、それでも全体で見れば少ない損耗でこの事態を乗り切れたのは流石と言えた。そして生き残った者たちは、すぐさまこの事態を引き起こした相手を探す。

 

 それはすぐに見つかった。相手は全く身を隠す様子もなく、寧ろ堂々と彼ら彼女らの前に姿を現したのだ。

 その人物を見て、カインは苦虫を嚙み潰したような顔になった。

 

「あれは、シェードッ!?」

「シェード? あれがッ!?」

「だ、誰?」

「シェード・ザイツェル……サイと同じ、帝国の皇族直属の近衛騎士隊の隊長さ。それも、皇帝のね」

 

 カインの言葉に、サフィーアは驚愕に目を見開きながら現れた燕尾服姿の男をまじまじと見た。

 

 見た目はサイに比べてかなり騎士という印象が薄い。サイは胸や腰、肩他関節などを鎧で護っていたがあのシェードという男が鎧を身に着けている様子はない。立ち振る舞いもどこか優雅で、騎士というより執事といったほうがしっくりくる姿だ。

 だがその見た目の印象に反して、感じる雰囲気は非常に禍々しい。サフィーアには分かる。あの男が周囲に対して、分け隔てなく凶暴な悪意を向けていることに。

 まるで足元から巻き付いてくる蛇のような悪意を向けられたことにサフィーア全身を粟立たせ、ジャケットの下の鳥肌の立った腕を擦るが周囲の者はそれに気付かない。

 

 一方エヴァンス率いる共和国軍は、当然相手が帝国の皇帝直属の騎士隊の隊長だということを知っているので体勢を立て直すなり彼を包囲した。

 

「動くなッ! それ以上動くと発砲するッ!?」

 

 四方八方を取り囲み、一人の男に銃口を向けているこの状況。しかし共和国軍の兵士の中に、不安を感じていないものは一人としていない。

 あの一瞬の出来事を、目の前の男がどうやって為したのか誰も分からないのだ。状況から考えてシェードがやったに違いないのだろうが、その方法が分からず皆彼を警戒していた。

 

 だが、シェードは周囲の共和国兵の事など全く気にしている様子はなかった。文字通り眼だけを動かして一瞥すると、視線を何故かサフィーア達の方へ向けそちらに向け歩を進める。エヴァンスの警告など御構い無しだ。

 

 完全に無視されていることに、遂にエヴァンスが発砲命令を下す。

 

「撃てぇッ!!」

 

 直後、周囲を取り囲んでいる共和国兵が一斉に発砲する。直撃すれば装甲服はもちろん、若いドラゴンの鱗すら撃ち抜ける威力の軍用炸裂徹甲弾だ。生身の人間が喰らえば例えマギ・コートを使用していようともただでは済まない。

 

 そんな銃弾が、シェードに届く前に悉く切断され威力を失い地面に落下していった。

 

「なぁっ!?」

「な、何あれッ!? どういう事ッ!?」

 

 間近で見ているエヴァンスはもちろん、少し離れたところからその様子を眺めていたサフィーア達もその光景には理解が及ばなかった。シェードはどう見ても魔法を使っているようには見えない。だが行っていることは魔法としか言いようがない。これは一体どういう事なのか?

 

「な、何だ? 一体何が起こってるんだ? おいッ!? 奴の放出魔力量に変化はないのかッ!?」

「は、はいッ!? 計測できる放出魔力に変化は見られません。奴は今、強化系以外の魔法を使用していませんッ!?」

「では、あれは一体何だッ!?」

 

 マギ・コートやマギ・バーストの様な強化系の魔法はともかくとして、体の外に魔法を放つ所謂放出系魔法はどう頑張っても使用に際して放出魔力が発生する。そして共和国軍の兵士が装備しているヘルメットにはその放出魔力を感知する機能が備わっているので、シェードが何らかの魔法を用いて銃弾を切断していれば分かる筈なのだ。

 だが彼からは放出魔力を感じない。つまり、彼は魔法を用いている訳ではないということになる。

 

 訳の分からない状況にエヴァンスが困惑する中、シェードが動きを見せる。それまでだらりと下げていただけの両腕を、舞台の上で演技でもしているかのように大きく広げて振るったのだ。

 その瞬間、周囲を取り囲んでいる共和国兵たちが悲鳴を上げる間もなく次々と切り刻まれ、血溜りの中に沈んでいく。

 

「あ、あれはッ!?」

 

 その瞬間目にした光景に、エヴァンスは察した。シェードの用いたトリックを。確かに彼は、放出系の魔法は使っていない。だがしかし、魔法そのものを使っていない訳ではないのだ。

 

 彼が用いたトリック…………それはズバリ、糸だ。ピアノ線の様に半透明で細く、それでいて硬質な素材で出来た糸が、シェードの身に着けているグローブの指先からトウモロコシの髭のように無数に伸びていたのだ。兵士たちを切り裂いた瞬間、僅かに付着した血が確かにその姿を一瞬だが浮かび上がらせたのである。

 その極細の鋼糸一本一本がマギ・バーストにより強化され、ただの頑丈なだけの細い糸が名刀の様な切れ味を発揮しガンシップや銃弾、そして人体を易々と切り裂いたのだということをエヴァンスは理解した。

 

 そしてその鋼糸が今正に、エヴァンス自身にも襲い掛かろうとしていた。

 

「うおぉぉぉぉぉっ?!」

「中佐ぁぁぁぁッ!?」

 

 間一髪、エヴァンスのすぐ傍に居た事で先の攻撃から逃れていた部下が身代わりとなることでエヴァンスの命は救われた。とは言えそれでも左腕は持っていかれたが、身代わりとなった部下一人の命と合わせても命があっただけ他の部下達と比べてマシな方であっただろう。

 

 しかしそれは一時的なものに過ぎない。仕留め損ねた獲物にトドメを刺すべく、シェードがエヴァンスに近付きつつあったのだ。

 

「うぐぉぉぉぉっ?! くぅっ!?」

 

 血を吹き出す左腕の痛みを奥歯を噛み砕きながら耐え、ホルスターから拳銃を抜き地面に倒れながら発砲する。しかしそんな攻撃が通用する相手である筈もなく、銃弾は指先を僅かに動かしただけで操られた鋼糸に切断され地面に転がった。

 最早絶体絶命だ。彼の部下の中には彼の様に体の一部を切り裂かれただけでまだ辛うじて息のある者もいたが、とてもではないが武器を手に取りエヴァンスを助けられるだけの元気がある者は居ない。

 

 そう、この場に彼を助けに現れる者は居ないのだ…………………………彼の部下の中には、だが。

 

「止めろぉぉぉぉっ!!?」

 

 軍人に元気のある奴は居らずとも、傭兵には元気のある奴がいた。サフィーアだ。彼女は、自分たちを結果的に助ける為に来てくれた者達が暴虐に晒されているのを、指を咥えて見ていられるほど薄情では無かった。

 例えそれが、自分より格上の相手に挑むと言う無謀な行動になろうとも、だ。

 

 雄叫びを上げながら向かってくるサフィーアに、シェードは狙いを変え彼女に向け鋼糸を放つ。透明でないとは言え、半透明で且つ極細の糸だ。人間の目で捉えることは容易ではなく、事実サフィーアはその存在を視認できてはいなかった。

 だが先程見た光景から、サフィーア達もシェードが目に見え辛い程の極細の糸を攻撃に用いている事には気付いていた。そして何より、例え攻撃手段そのものが目に見えてはいなくとも、攻撃的思念から相手が自分のどこを狙っているのかは何となく分かる。サフィーアにはそれで十分だった。

 

「舐めるなぁぁっ!!」

 

 引き金を引きマギ・バーストを発動したサニーブレイズに更に風属性の魔力を付与。その状態で横に薙ぎ払う様に振るうと、風属性の魔力により範囲と威力を増幅された斬撃が彼女に襲い掛かろうとしていた鋼糸を切り裂いた。

 

 一瞬、シェードは息を呑む。だが表情は変えずに即座に次の攻撃を放ち、サフィーアを捉えようとする。今度は鋼糸の数を倍以上に、攻撃する方角も正面からだけでなく上下左右から彼女を包み込むように放った。

 

「なっ!? くっ!?」

 

 サフィーアの自分への攻撃に対する察知能力は確かに脅威だ。だがそれも、彼女が対応できるレベルでならの話。流石に対応が間に合わないレベルの攻撃をされては、如何に察知できると言っても限界はある。幾らかは迎撃したが、健闘空しく彼女は無数の鋼糸に捕らわれてしまった。

 

「あぐぅっ?! く、うぅ……」

 

 捕らわれる瞬間、彼女は即座に全力でマギ・コートを展開した。この鋼糸が生身の人間を容易く切断できる威力があるのは既に見た通り。その要がマギ・バーストによる切断力の向上にあるならば、対を為すマギ・コートを全力で使用すれば少なくとも細切れにされることは防げた。

 だが当然、捕らわれている間は絶えず物凄い勢いで魔力が消耗していく。そして魔力の減少が影響してマギ・コートの防御力が相手のマギ・バーストを下回れば、彼女の命はない。

 故に何とかこの拘束から逃れなければならないのだが、鋼糸は全身隈なく彼女の体に巻き付き身動きすら許してくれない。それどころかどんどん食い込んでいき、メリハリの利いた彼女の体の柔らかさを強調させた。

 

「ぐぅ…………あぁっ?!」

 

 締め付けは更に厳しくなり、遂には防御が攻撃の威力を下回ったのかジャケットのあちこちが切り裂かれ、肌を露出させている太腿なんかには無数の切り傷が刻まれた。正しく絶体絶命のピンチ、しかしこの場に居るのは彼女だけではなかった。

 

「たぁぁぁぁぁぁっ!!」

「ッ!? チィッ!?」

 

 声を張り上げながら殴りかかってきたクレアを見て、シェードはサフィーアの拘束に回している鋼糸の半分をクレアの方に使った。刃や銃弾を弾ける彼女も、流石に鋼糸を弾いて防ぐことは出来なかったのかすぐにサフィーア同様目に見え辛い鋼糸に絡め捕られてしまう。

 だがこの程度の事は彼女にとって想定内、絡め捕られ空中に拘束された瞬間彼女はそれを破る手段を考え実行に移していた。目に見え辛い鋼糸が全身に絡みつき、サフィーア同様両手足を広げた状態で蜘蛛の巣に引っ掛かった蝶の様に空中に磔にされた瞬間、クレアの全身が突如燃え上がったのだ。

 

「何ッ!?」

 

 これはシェードも想定外だったのか、それまでのポーカーフェイスを驚愕に歪ませる。その間にクレアの全身に燃え広がった猛火――勿論魔法による炎でクレア自身にはダメージは然してない――は、あっという間に自身を拘束している鋼糸を焼き切ってしまった。

 物の数秒で自由の身になったクレアは、そのままシェードに全身を燃え上がらせたまま突撃した。これは流石にまずいと、シェードはサフィーアの拘束に使っている鋼糸を全て解除し、クレアの迎撃に努めた。片手間で対処できる相手ではないと悟ったのだ。

 

 全身を包む猛火を握り締めた右拳に収束させるクレア。対するシェードは全ての鋼糸を編んで束ねて一枚の板を作り出し、それを自分に向け突き進んでくるクレアの拳の前に翳した。その場で即席で作り上げた板と侮るなかれ。鋼糸を編み上げ束ねた上に、マギ・コートまでをも施しているのだ。戦車の装甲すら貫通する、対物ライフルの銃弾すら防ぐ代物と化していた。並大抵どころか、多少強力な攻撃も防いできた実績があった。

 

 だが今回は少しばかり相手が悪い。クレアはシェードが構えた鋼糸による障壁を前に、構わずそのまま拳を叩き込むと一瞬の拮抗の後鋼糸の障壁をぶち抜いたのだ。

 

「くぅっ!?」

「貰ったッ!」

「ガッ?!」

 

 さらにそこに追い打ちをかける様にカインの狙撃がシェードの右肩を撃ち抜いた。流石に障壁に全ての鋼糸を使用していた為、続く攻撃に対する対処が間に合わなかったのだ。

 とは言え勿論相手は皇帝直属の近衛騎士隊の隊長である。普段であれば例え障壁が崩されようとも次の瞬間には鋼糸の補充から再度の編み上げ迄そう時間はかからない。

 

 だが今回の相手は多少言葉が少なくとも何の問題もない程チームワークに溢れていた。それが遺憾なく発揮され、一瞬の隙間を縫うようにカインの狙撃がシェードを捉えたのだ。

 

 肩への一撃はシェードへの大きなダメージとなった。単純に負傷させたというだけでなく、肩を撃ち抜かれたことで連鎖的に指の動きも制限し実質的に右手の分の鋼糸を丸々封じたに等しい。それは玄人同士の戦いにおいて大きなアドバンテージであった。

 

「さぁて、片腕を封じられてこの場を切り抜けられるかな? サフィはともかく、僕やクレアの実力は噂程度には知ってくれてると期待してるんだけど……」

 

 カインはリボルバーライフルの銃口を向けながらシェードに降伏勧告を行った。彼は貴重な情報源だ。この機会は是非とも無駄にしたくない。クレアも、カインの射線に被らない位置に陣取りシェードが逃げ出さないように構えている。もし彼がちょっとでも怪しい動きを見せたら、即座に取り押さえることが出来る布陣だ。

 

 だがサフィーアは、その光景に何処か違和感を覚えていた。あまりにも呆気なさすぎる。彼女はシェードの実力の程を知らないが、仮にもサイと同じ近衛騎士隊の隊長を務める男にしては少し弱過ぎる感じがしたのだ。

 彼は何かを企んでいる。そう確信し、少し俯瞰的な視点でシェードの動きを観察した。こういう視点からの観察は慣れていないが、クレアやカインの行動なんかを意識して見様見真似でやってみた。のだが――――――

 

――……ダメだ――

 

 所詮は猿真似、やろうと思って出来る事ではない。視点を変えてみようと思いはしたが、どういう視点が俯瞰的なのか今一よく分からず逆に混乱してしまった。

 これでは本末転倒だと溜め息を一つ吐き、瞬間的に頭の中を空っぽにした。

 

 その時、サフィーアはシェードの様子に強い違和感を感じた。先程よりもずっと強い。

 

「ッ!?」

「くぅん?」

 

 サフィーアの異変に、彼女の肩に乗っているウォールが真っ先に気付くが彼女はその事を気にする様子もない。ただ、目の前の光景をジッと凝視して自分が何に違和感を感じたのかを探り当てようとした。

 そして気付く。シェードの放つ思念が、サフィーア自身の思念に濡れた髪の毛の様に絡みついている事に。

 

 それが何を意味しているのか、サフィーアは経験から知っていた。

 

「カイン、後ろッ!?」

「何ッ!?」

「クッ!」

 

 次の瞬間、カインの死角から血管の様な触手だけで動くレッド・サードの眼球が彼に飛び掛かろうとしているのに気付いたサフィーアが彼に警告を発する。カインは素早く反応して懐から拳銃を抜いて引き金を引こうとしたが、それよりもクレアの放つ火球が命中して焼き尽くす方が早かった。

 間一髪、カインは危機を脱することが出来たがその時には既にシェードは安全圏にまで退避していた。

 

 シェードは自身を囮にしていたのだ。敢えて追い詰められたかのように振舞いクレア達の意識を自分に向けさせ、その隙にカイン(若しくはクレア)をレッド・サードに変異させようとしていたのだ。

 その企み自体は失敗に終わったが、おかげで彼はその場を離れることが出来た。

 

「くそ、やられたッ!?」

「まだよ! 今ならまだ間に合う!」

「いいや、時間切れさ」

 

 

 

「グギャオオォォォォッ!!」

 

 

 

 すぐさま追撃しシェードを今度こそ捕らえようとするが、次いで響いた咆哮に三人は足を止める。聞き覚えのある咆哮、それにサフィーアとクレアは顔を見合わせ表情を強張らせる。

 

「グギャオオォォォォッ!!」

 

 再び響いた咆哮に三人が一斉にそちらを見やると、森の木々をへし折って一体のランドレーベが姿を現した。

 

「ちょっ、また此奴ッ!?」

「しかも前の奴よりデカいッ!?」

 

 明らかに前回戦った個体よりも強大な存在に、思わず顔を顰める二人。だが彼女らにとって本当に厄介な事態になるのはこの後だった。

 

「ついでだ、こいつもサービスしてやろう」

 

 そう言うと、シェードは懐から出したレッド・サードの眼球が入ったカプセルを躊躇せずランドレーベに向けて放り投げた。カプセルは空中で開くと中から血管の様な触手を蠢かせた眼球が飛び出し、ランドレーベの顔に取り付くとあっという間にその額に触手を突き刺して支配下に置いてしまった。

 

「そんなッ!?」

「生き物なら何でもオッケーなの?」

「くそっ!? 腕一本で邪魔してくるッ!?」

 

 レッド・サード化したランドレーベの姿に、サフィーアは慄きクレアは半ば呆れ、カインはライフルを下ろしながら毒づいた。実は彼は何もせず静観していた訳ではなく、シェードがカプセルを放り投げた瞬間からそれ目掛けて銃撃を行っていたのだ。だがその銃弾は、全てシェードによって防がれてしまいランドレーベのレッド・サード化を止めることは叶わなかった。

 

「それでは頑張りたまえ。私はじっくり見物させてもらうぞ」

 

 余裕綽々にそう告げると、シェードは景色に溶け込むように姿を消してしまった。

 

 シェードが姿を消した場所を恨めしそうに睨みつつ、サフィーアは自分たちに向け強烈な殺意を向けてくるレッド・サード化したランドレーベを前にサニーブレイズを構えるのだった。




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第97話:海色の魔力

読んでくださる方達に最大限の感謝を。


 レッド・サードと化したランドレーベを前に、サフィーアは緊張から生唾を飲むことを堪え切れずにいた。当然だ、前回遭遇した時は危ない橋を渡りつつも何とか倒せはした。だがこいつはその時の個体よりも明らかに大きい。おまけにレッド・サードと化したことで、全体的な能力が跳ね上がった上に本来こいつが持ていない筈の閃光と言う遠距離攻撃手段も持ってしまっている。

 どう考えても跳ね上がっている危険度に、足が竦みこそしなかったがそれでも緊張のあまり全身が強張ってしまうのは仕方がないことだろう。寧ろ、恐怖に飲まれて及び腰になってしまっていないことを賞賛すべきだ。一般にはランドレーベとは、それほどに危険な存在なのである。

 

「さ~て、こいつどうする?」

「こいつをどうにかするより、まずは戦えない連中を逃がすことを考えるべきだよ。共和国軍なんて生き残りがまだ居るんだよ?」

「そっちは放っておいて大丈夫よ」

 

 クレアの言葉にカインが周囲を見渡すと、なんとクロード商会の人間が周囲に倒れている共和国軍の辛うじて生きている者達を引っ張ってどこかへと連れて行っていた。何も言わずとも、彼らを安全圏まで連れて行ってくれるらしい。

 サフィーアも釣られて周囲を見渡すと、先程まで足を撃ち抜かれていたはずのアイラまでもがエヴァンスを引きずるのに手を貸していることに気づいた。どうやら自前で回復薬を持っていたらしい。それも結構良い物だったのか、行動には何ら支障がなさそうだ。

 

 そんなアイラは、サフィーアの視線に気付いたのかハッとした表情で彼女のことを見ると、一つ頷いてサムズアップして見せた。

 曖昧なところまでしか理解できない思念感知であっても、いやそれがなくても分かる。任せろ、そして気にせず全力でやれと言っているのだ。

 

 アイラから向けられる信頼に、サフィーアはフッと笑みを浮かべる。彼女との関係は傭兵と依頼人というのが主なものだが、互いに友人と言っても差し支えない関係が築かれていると思っている。向けられる親しさから、向こうも似たようなことは考えているだろう。

 その事にさらに笑みを深めると、サフィーアは指笛でウォールを呼び寄せた。アイラ達はこの場から離れるようだし、それならウォールはこちらに呼び戻して防備を徹底させたほうがいいはずだ。

 

「くぅん!」

 

 指笛に呼び戻されて、サフィーアの肩の上に乗るウォール。漸く主人の守りに入ることができてか、その目はやる気に満ちている。

 相棒のやる気に頼もしさを感じつつサフィーアがサニーブレイズを握る手に力を籠めるのと、ランドレーベが突撃してくるのは同時であった。

 

「Giaaaaaaaa!!」

 

 進行方向にある岩などを粉砕しながら向かってくるランドレーベに対して、まず真っ先に仕掛けたのはカインであった。彼は自分達に向けて突撃してくるランドレーベに対して、その頭部に寄生している眼球に向けて銃撃を行ったのだ。

 だがその程度で倒すことができれば苦労はない。案の定銃弾は可否され、レッド・サード化したランドレーベは三人に飛び掛かってきた。

 

「ぜあぁぁぁぁぁっ!!」

 

 大きく口を開け三人を食い殺そうとしてくるランドレーベに対して、サフィーアは引き金を引きマギ・バースト状態にしたサニーブレイズを手にランドレーベを迎え撃つべく飛び掛かっていく。体格は圧倒的に劣るが、攻撃の速度はサフィーアの方が早い。接近したサフィーアはランドレーベの頭部にマギ・バーストさせたサニーブレイズを叩き込んだ。

 

「こんのぉっ!!」

 

 一度のみならず、そのままランドレーベの顔の上に乗り何度もサニーブレイズを叩き付けるサフィーア。一応弱点とも言える目玉を狙ってはいるのだが、流石にそれは許してくれないのか小刻みに頭を動かして目玉に直撃するのを避けている。それでもマギ・バーストによる強化がされたサニーブレイズによる斬撃は普通であれば強固な鱗と強靭な表皮を纏めて切り裂き大きなダメージとなる筈だったが、レッド・サード化している影響か防御力が向上しているらしく何度刃を叩き込んでも鱗を多少傷付ける程度のダメージにしかなっていない。

 ダメージは小さいがそれでも顔の周りをウロチョロされて鬱陶しいのか、ランドレーベは顔の上に乗ったサフィーアを叩き潰すべく右の前足を自分の顔に叩き付けた。

 

「おっと!」

 

 右前足が自分に向け振り下ろされる直前、それに気付いていたサフィーアは攻撃を中断すると滑り降りるようにランドレーベの背中に移動しその背に生えた申し訳程度の大きさの翼を取っ手代わりに掴んだ。

 そのまま再び引き金を引いて切れ味を強化した刃をその背に叩き付けようとしたが、不意に頭上から殺気を感じてそちらに目を向ける。するとそこでは、天を仰ぐように頭を上に向けたランドレーベの額に取り付いた眼球が、深紅の魔力を収束させながらサフィーアの事を睨みつけていた。

 

「させない!!」

 

 これはまずいとサフィーアがランドレーベの背から飛び降りようとした直前、クレアが驚異のジャンプ力を発揮して頭を上に向けたランドレーベの上にまで飛び上がりその顔に向け渾身の蹴りを叩き込んだ。それにより射線がズレ、深紅の閃光はあらぬ方へと飛んでいく。

 

 明後日の方へと向かう閃光は、地面や森の木々を根こそぎ薙ぎ払っていった。その光景に肝を冷やしつつ、サフィーアは一旦体勢を整えるべく改めてランドレーベの背から飛び降りた。

 クレアも同様に地面に降り立ち、二人の間にランドレーベが挟まれる形となった。赤く染まった目で二人を交互に見てどちらに攻撃するか一瞬迷うランドレーベ。

 

 そこに今度はカインの魔法攻撃が降り注いだ。

 

「そら、こっちだこっち!」

 

 火球に始まり、電撃に氷塊、岩石などが次々とランドレーベに襲い掛かる。細目に左手のグローブに取り付けてあるエレメタルを付け替えて様々な属性の魔法を放つカインに、業を煮やしたのかランドレーベは彼に向けて閃光を放った。

 先程よりも威力を上げたのか、倍以上の太さでカインに迫る深紅の閃光。彼はそれをギリギリのところで回避すると、攻撃直後で隙のあるランドレーベの額の眼球に狙いを定めライフルの引き金を引いた。念には念の為、弾丸も魔力で強化されている。命中すれば一発で終わらせることができるだろう。

 

 だがレッド・サードと化したランドレーベは、思わぬ方法で彼の銃撃を防いでしまった。なんと小さく閃光を放ち、それでライフル弾を撃ち落としてしまったのだ。

 

「何ッ!?」

「カイン避けてッ!?」

 

 銃弾を撃ち落とすという予想外の行動に驚かされたカインは、迎撃用の奴の直後に放たれたもう一つの閃光の存在に気付くのが遅れてしまった。クレアが警告するが回避が間に合わず、左足に一発喰らってしまった。

 

「ぐぅっ?!」

「カインッ!?」

「サフィ、よそ見しちゃダメッ!?」

 

 足を撃ち抜かれてその場に倒れたカインに気を取られたサフィーアに、ランドレーベの尻尾による薙ぎ払いが襲い掛かる。一度は彼女も左腕を折られた一撃、だが今度は彼女にはウォールがついている。ウォールの張る強固な障壁が、ランドレーベの大木の様な尾による一撃を防ぎきってくれた。

 

「くぅ、ん!」

「ごめんウォール、助かった!」

「だぁぁぁぁっ!!」

 

 ウォールの活躍により大事には至らなかったサフィーア。対してクレアは、ランドレーベの意識がサフィーアの方に向いたのを好機と見て右腕に炎属性の魔力を纏わせて飛び掛かる。このタイミングならば、眼球がこちらに気付いたとしても飛んでくるのはカインに使った連射性重視の威力が低い閃光だ。弾きながら攻撃できる。

 案の定額の眼球はクレアの声に気付き、ランドレーベの頭部より先んじて彼女の事を見た。想定内の光景に、クレアは構わずその拳をランドレーベの頭部に叩き付けようとするが………………。

 

「が、あぁ――――?!」

「クレアさんッ!!?」

 

 出し抜けに真下から襲い掛かった衝撃。一瞬何が起こったか分からなかったクレアだが、吹き飛ばされ距離が開いたことで自分の身に何が起こったのかを理解する。

 何てことはない、ランドレーベの左前脚がクレアの死角から彼女を薙ぎ払っただけの話だ。考えてみれば今あの体は額の眼球が支配しているのだから、本来の顔がそっぽを向いていても何の問題もない。これはクレアの判断ミスだった。

 

 完全に死角からの攻撃を諸に喰らってしまい吹っ飛ばされるクレアの姿に、サフィーアが悲鳴のような声を上げるが肝心の彼女は吹っ飛ばされながらも空中で体勢を整え何とか着地に成功する。

 一見大事がない様子にホッとするサフィーアだったが、当の本人はそうでもなかった。

 

――くそ、ヤバいわね。足に来てる――

 

 背中から地面に叩き付けられることは何とか防げたが、彼女が受けたダメージは思いの外深刻であり何とか立ててはいるが膝ががくがくと震え今にも崩れ落ちそうだった。

 そんな彼女に、ランドレーベは容赦なく襲い掛かる。サフィーアとカインが空破斬や魔法でランドレーベに攻撃を仕掛けるが御構い無しだ。完全にクレアに狙いを定めている。

 

 どうやら先程頭を蹴り飛ばしたことで、優先的に始末すべきなのは彼女だと思われたのだろう。サフィーアに比べて防御が貧弱だというのも理由の一つかもしれない。目玉だけのくせして、なかなかどうして頭が回る奴だ。一番有効な戦術というものを心得ている。

 

 襲い掛かるランドレーベを、クレアは満足に言う事を聞かない脚に喝を入れながら何とか回避した。今はとてもではないが反撃に出る余裕はない。唯一の救いはサフィーアとカインがランドレーベの気を引く為に攻撃し続けてくれていることだが、大して効いていないのか意にも介さず只管にクレアだけを狙ってくる。

 流石のクレアと言えども、ダメージで普段の動きが出来ない状態でいつまでも逃げ回ることなどできず、遂には足がもつれて倒れこんでしまった。

 

 その瞬間を逃さず、ランドレーベは大口を開けてクレアに喰らい付いた。

 

「あぁっ!?」

 

 明らかに一口で丸呑みにされてしまったかのような光景に、今度こそ悲鳴を上げるサフィーア。だが次の瞬間頭を上げたランドレーベの口元を見て、それはまだ早とちりに過ぎなかったことを知る。

 

「うぐ……うぅっ!?」

 

 クレアはまだ抗っていた。満足に言う事を聞かない体に鞭打って、恐らくオーバーコートを用いているのだろう。彼女は閉じられようとするランドレーベの口の中で、上下から迫る顎を両手足を使って踏ん張っていた。魔力の制御がダメージの所為で上手くいっていないのか、体の至る所が暴れる魔力によって傷付き血を流している。

 それでもクレアは諦めるということをしなかった。諦めたらその先に待っているのは確実な死、強靭で大きな顎に押し潰されてしまう。

 

 だがそんな彼女の奮闘を嘲笑うかのように、ランドレーベは次の行動に移った。なんと口内に魔力を収束し始めたのだ。

 目の前で形を持ち始める深紅の魔力に、今度こそクレアの顔から血の気が引いた。

 

「は? う、嘘でしょ?」

 

 それは明らかにブレスを放つ際の予備動作だ。ドラゴンの中には何らかの属性を帯びたブレスを放つものがいる。有名なのは炎属性の魔力を帯びたブレスを放つバーンドラゴンだろうか。

 ランドレーベは本体ブレスを吐かない。放つ為には本来逆鱗に存在するそれ用の器官が必要になるからだ。逆鱗自体はランドレーベにも存在するが、肝心の器官は持っていないのでランドレーベはブレスを吐かない筈だった。

 恐らくはレッド・サード化した影響だろう。器官を持たなくてもブレスに相当する攻撃を可能としたのだ。

 

「は、ははは…………」

 

 最早避けようもないほど目前に迫った明確な『死』に、クレアが浮かべた表情は笑顔だった。もう笑うしかない。自棄でしかないのだろうが、この状況で命惜しさに泣き喚くのは彼女のプライドが許さなかった。

 顎を押さえる手足の力こそ緩めないが、その心には既に諦めの感情が浮かんでいた。心の中で、一足先に旅立つ事をカインとサフィーアに謝りもした。天国で待っているだろう、レインにこれから会いに行くことを告げすらした。

 

 だが、サフィーアとカインは彼女のそんな行動に意味を持たせることをしなかった。

 

「ウォール!」

「くぅん!」

「いっけぇぇぇぇぇぇっ!!」

 

 サフィーアは、自分の周りに障壁を張ったウォールをクレアに向けて打ち上げた。バットで打ち上げられた野球ボールが飛んでいくが如くウォールはクレアのところまで飛んでいくと、彼女にぶつかる瞬間自分と彼女を障壁で包み込んだ。

 

「えっ、あっ!?」

 

 今度ばかりはどう頑張っても助からないと諦めていたところへの救援、だがこれでは不十分だ。ウォールの障壁が強固なことはクレアも知っているが、それでも上下から迫る顎と目の前から放たれるブラッド・スパークのブレスを防ぎきれるかは微妙なところである。一時は防げるかもしれないが、ウォールの体力が持たない可能性が高い。

 

 それはサフィーア自身分かっていた。ウォールの障壁は強固だが万能ではない事は、主人である彼女がよく理解している。

 故に、ウォールをクレアの元へ送り届けたのはランドレーベの攻撃を防がせるためではない。

 

「やらせはしないさ――――!」

 

 ウォールが障壁でクレアを包むと同時に、カインはリボルバーライフルの引き金を引いた。本来であれば、銃口から放たれるのは精々が魔力で威力を強化された程度の銃弾。

 だが、今回ばかりは違った。彼が引き金を引いた瞬間、明らかに銃口を二回りほど上回る大きさの青白い閃光が飛び出したのだ。

 

 これこそがカインの奥の手の一つ、『マギ・ブラスター』である。収束した魔力を発砲に乗せて飛ばす、早い話が魔力による砲撃。その威力は、その気になれば戦車の正面装甲を撃ち抜けるほどの威力を誇る。

 当然対人戦では過剰な威力になってしまうので普段は銃弾を魔力で強化するまでしかやらないが、今回は話が別だった。そもそもの話、この技は対モンスター戦で使用することを想定しての技なのだ。ここで使わなければ何の為の技だというのか。

 

 カインのライフルから放たれた閃光は、狙い違わずランドレーベの頭部を撃ち抜いた。勿論クレアに射線が被らないように、慎重に狙いを定めての射撃だ。ウォールの障壁があるとはいっても、所謂フレンドリーファイアはやって気持ちのいいものではない。寧ろ恥だ。

 

「Giaaaaaa?!」

 

 頭部を撃ち抜かれたランドレーベは、苦しむように大きく頭を振りながらクレアを放した。大きく振り回されながら解放されたクレアはウォールの障壁に包まれながら飛んでいき、偶然にもカインの直ぐ傍に落下した。

 落下と同時に障壁が解除され、大したダメージも無くカインの傍まで飛ばされたクレア。だがその体は至る所が傷付き血で塗れ、正に満身創痍と言った有様だった。オーバーコートの使用による負荷もあってか、最早立つ事すら儘ならない。

 

「クレア、しっかり!?」

「ぐぅ――?!」

 

 自らの足の応急処置は既に終えているカインがクレアを助け起こす。オーバーコートの負荷で全身を痛めたクレアはカインの手で抱き上げられた際の痛みで呻き声を上げるが、生憎と今はそれに頓着している場合ではない。所詮は一時の危機が去っただけであり、完全に脅威が無くなった訳ではないのだ。

 

 案の定、ダメージから立ち直ったランドレーベは、いやレッド・サードは倒れている二人と一匹の方に顔を向けた。最悪なことに、その口内には今だブレスの焔が宿っている。今にも放たれそうだ。やられる前にやってしまいたいところだが、間の悪いことにシリンダー内の弾は先程のマギ・ブラスターで撃ち切ってしまった。

 

 急いでライフルを中折れさせ、レバーを引いて排莢し次の弾を込めていくカイン。素早く装填する為にハーフムーンクリップを用いているが、それでも射撃体勢が整う前にランドレーベのブレスが放たれるほうが早い。

 二人の危機にウォールが前に立ち、全力で障壁を張ろうとした瞬間、彼らの前にサフィーアが立ち塞がった。

 

「ッ!? サフィ、無茶だッ!?」

「くぅんッ!?」

「これはウォールでも防ぎきれないわ! あたしがやる!」

「君も無理だ!?」

「一度は出来たわ! だから、やってみせる!!」

 

 確かにサフィーアは一度、レッド・サードの閃光を正面から切り裂いたことがある。だがその時と今とでは明らかに出力が違う。誰の目にも彼女の行動は無謀以外の何物でもなかった。

 そんなことなど知ったことかと言わんばかりにサフィーアは、心の赴くままにサニーブレイズの引き金を引き構えた。背後に居る者達を守るのだと、目の前の障害を打ち払うのだという決意を込めて。

 

 そんな彼女の決意を嘲笑うかのように放たれる深紅のブレス。全てを破壊しつくさんばかりに大地を抉りながら迫るブレスを前に、サフィーアは続けざまに引き金を引き次々と魔力をサニーブレイズの刃に流していく。だがそれでもまだ足りないことを直感で感じたサフィーアは、自身の魔力をも刃に流した。

 全てを出し切るつもりで、体の奥底からも絞り出す思いで魔力をかき集め刃に集めていく。

 

 その時、カインとクレアは不思議な光景を目にした。サフィーアの持つサニーブレイズ、その刀身が放つ燐光が深みを増していくのだ。徐々に深みを増していく燐光は二人がよく知る魔力の青白いものではなく、それよりもずっと深い青い色となっていた。それはまるで、サフィーアの瞳のような色であった。

 

 それを知ってか知らずか、サフィーアは迫りくるブレスに海色の魔力を帯びたサニーブレイズを振り下ろした。

 

「はぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 振り下ろされると同時に、刀身が伸びたと錯覚するかのように放たれる魔力の斬撃。海色の魔力の斬撃はランドレーベの放ったブレスに向かっていき――――――

 

――――ブレスを打ち消しながら突き進んだ。

 

「はぁっ!?」

 

 カインはその光景に目を見開いた。サフィーアの攻撃がランドレーベに打ち勝ったことに対してではない、魔力で構成されたブレスが打ち消されたことに対してだ。

 これが、ブレスが切り裂かれ破壊の光があちこちに小さく広がったというのならまだ分かる。それなら単純にサフィーアの放った魔力の斬撃が、出力や収束率でブレスを上回ったというだけなのだから。だがあのように、まるで煙がかき消されるようにブレスが打ち消される光景など理解の範疇を超えていた。本来ならあり得ない光景なのだ。

 

 そんなことなど露知らず、サフィーアの斬撃はそのままランドレーベまで伸びていき、レッド・サードの眼球毎ランドレーベを真っ二つに切り裂いた。

 

 断末魔の叫びすらなく、真っ二つに切り裂かれその場に崩れ落ちるランドレーベ。その光景に、カインは勿論クレアも痛みを忘れて呆然としていた。

 

「ねぇ、カイン。あれが何か分かる?」

「さて、ね。あればかりは僕も始めて見るよ。あの青い魔力が関係してるんだろうけど…………」

「サフィだからできることなのか、私たちにもできることなのか…………て、あっ!?」

 

 今し方見た光景にあれこれ考察を巡らす二人だったが、次の瞬間サフィーアが糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちたことで思考を中断させられる。未だ動けないクレアに代わってカインがサフィーアを抱き起すと、息はしているようだが完全に気を失っていた。しかも顔色が悪く、おかしな発汗もしている。

 その様子に彼はこれが魔力欠乏症によるものであることを見抜いた。

 

「ヤバい、魔力欠乏症だ!? クレア、魔力回復用のポーションは!?」

「ごめん、さっきので全部割れた!?」

「僕のも品切れだよ。くそ、このタイミングで…………ウォール! アイラさん達を!」

「くぅん!」

 

 このままではサフィーアの命に関わるというのに、この肝心な時にポーションを切らしているという事に舌打ちしつつカインはウォールにアイラ達を呼びに行かせた。回復薬があるなら、魔力回復用のポーションも持っているだろう。

 それまでは自分の魔力をサフィーアに分け与えることで何とか場を持たせるのだった。

 

 

***

 

 

 一方、その戦闘の様子を黙ってみていたシェードは険しい表情でサフィーアを睨みつけていた。

 

――あの女、やはり……――

 

 シェードは暫くカインに抱きかかえられたサフィーアを眺めていたが、アイラ達がやってきて彼女を抱えてどこかへと向かったのを見ると踵を返した。仕掛けようかとも思ったが、アイラが持ってきた回復薬でクレアとカインが戦力として復活してしまった。対して自分は負傷している。戦えば最悪負けるかもしれない。雇った傭兵を嗾ければどうなるかはわからないが、今は大事の前だ。無用なリスクを冒すのは得策ではない。傭兵以外に戦力がないことを考えれば、ここは退くのが得策であった。

 

――何、焦る必要はない。今しばらくは様子を見よう――

 

 そう結論付けた彼は、雇った傭兵であるブレイブと合流し本国へと帰還するべく森の奥へと消えたのだった。




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第98話:更新、そして昇格

読んでくださる方達に最大限の感謝を。


「…………んぁ?」

 

 不意に意識が覚醒したサフィーアは、気の抜けた声と共に目を覚ました。目の前に天井が見えるので、どこかの部屋の中だろうことが分かる。視線だけで周囲を見渡すと、見える範囲に窓があった。そこから見える外の景色には日の光が見えないので、今の時刻が夜であることが分かる。

 それはいいのだが、それ以上に気になるのは今自分がいる場所だ。どこかの室内だというのは分かるが、今目の前に広がる部屋の内装は見覚えがない物だった。プレハブ小屋のものではないし、匂いに意識を向ければ仄かに薬品臭がする。

 

 そこでサフィーアは漸く自分が病院かどこかの、少なくとも医療施設のベッドの上に居るのだという事に気付いた。周りを見渡せば、自分の腕から管が伸びており点滴されているのだという事が分かった。

 自分が点滴されている状況にサフィーアは疑問を抱いた。記憶にある限り、自分はそんな大怪我をした覚えはない。それが何故こんな病人扱いをされているのか?

 

 考えていても仕方がないし、目が覚めたことで腹が空腹を訴えだしたのでとりあえず起きて何か腹に入れようと行動する。

 が、上体を起き上がらせた瞬間頭に走った鈍い痛みに顔を顰め動きを止めた。

 

「いっ?!……つぅ……」

「でしょうね」

「え?」

 

 頭痛の痛みに顔を顰めていると、全く予期していなかった相づちが返ってきた。その声に呆けながらそちらに目を向けると、クレアが呆れを滲ませた顔でサフィーアの事を眺めているのが見えた。その膝の上には、ウォールが乗っており同様に呆れた表情をしている。クレアは片手で膝のウォールを撫でながら、もう片方の手でどこかに電話をかけ始めていた。

 目が覚めて早々にそんな視線に晒されたことで、困惑したサフィーアは曖昧な笑みを浮かべながらも現状をクレアに訊ねた。

 

「えっと……質問、いいですか?」

「ちょっと待ってね…………ん、何かしら?」

「とりあえず、何であたし、ここに?」

「その前に一つ聞かせなさい。一番新しい記憶って何?」

 

 言われてサフィーアは記憶の糸を手繰り寄せるが、一番新しい記憶と言われて思い当たるものは一つしかなかった。

 

「ん~、ランドレーベを目玉ごとぶった切ったところまでは覚えてますけど…………」

「あぁ、そこまでちゃんと覚えてたのね。良かった良かった」

「はい?」

 

 クレアの様子にサフィーアは違和感を感じた。その様子は単純に彼女の無事や異常がないことを安心していると言うのとは少し違う印象を受けたのだ。具体的に何が変かと言われると言葉に窮するのだが、強いて言うならばいつも通りの様子に安心したといった感じだろうか。

 違和感に首をかしげるサフィーアを見てか、クレアは小さく笑みを浮かべながら今度は彼女からの質問に答えた。

 

「サフィがランドレーベをぶった切った後ね。あの後大変だったわよ。サフィは魔力欠乏症で死に掛けるし、共和国軍の救援部隊がやってきて遺跡周りはドタバタするし」

「あ、そういえばアイラさん達は?」

「ん? あぁ、クロード商会と学者連中なら荷物纏めて一度引き上げたわ。流石にあれ以上調査なんてできる状態じゃなかったし」

 

 そりゃそうだろう。仮設の調査拠点は帝国軍との戦闘に加えてレッド・サード化したランドレーベとの戦闘で滅茶苦茶になってしまった。再び調査を再開する為には、更に深層への調査の為の資材も含めて改めて準備する必要がある。それなりの時間が必要の筈だ。

 そこまで考えて、サフィーアはプレハブ小屋に残した二人の傭兵のその後の事が気になった。戦闘自体はプレハブ小屋から離れた場所で行われたが、ランドレーベが派手にぶっ放した閃光の流れ弾が飛んでいかなかった保証はない。

 

「あの二人は? プレハブ小屋に残してた筈の…………」

「彼女たちね。あの二人なら――――」

 

 クレアが答えようとしたその時、部屋の扉がノックされる。何者かと問いかけると、扉の向こうからカインの声が響いてきた。

 

『僕だ、カインだよ。入っても大丈夫かい?』

「えぇ、平気よ」

 

 入室の許可にカインは扉を開けて部屋に入ってくる。彼は目を覚ましたサフィーアの姿に軽く安堵の溜め息を吐く。見ると片手には、軽食の乗ったトレーを持っていた。それを見てサフィーアの腹が再び空腹を訴えて鳴り始める。

 音を立てる腹に赤面するサフィーアを見て、カインは苦笑を浮かべながら手に持ったトレーを彼女に差し出す。まだまだ聞きたいことはあるだろうが、まずは腹ごしらえだ。

 

「ほら、とりあえずこれでも食べて。病み上がりも同然だから、ちょっとボリュームには欠けるけど」

「今はなんだっていいわ、ありがとう」

 

 カインからトレーを受け取ったサフィーアは、いつもの快活さを取り戻し食事に手を付ける。トレーの上に乗っていたのはどれも薄味のサンドウィッチとスープだったが、空きっ腹のサフィーアにはそれでもありがたかった。

 夢中でサンドウィッチとスープにがっつく様子を、二人は温かい目で見ていた。

 

「良かった、どうやらサフィに変わりはないみたいだ」

「んぐ。変わり? 変わりって何?」

「覚えてないかい? サフィがランドレーベを仕留めた時のことを」

「いやそこは覚えてる。閃光も含めてキレイにぶった切ってやったわ」

「その時、君自分の魔力がおかしな色になっていたことに気付かなかったかい?」

「おかしな色? どんな?」

 

 サフィーアには心当たりがなかった。何分あの時は彼女なりにかなり必死だったのだ。そこまで気にしている余裕はない。

 自分に起こった異変を自覚していないサフィーアに、クレアとカインは難しい顔になる。彼女自身に何か心当たりがあるのならそれに越したことはなかったのだが、何も知らないとなるとここから先の事を伝えるのは彼女に無用な不安を与える可能性があった。

 故に、二人はサフィーアが用いた海色の魔力に関しては伏せることにした。少なくともこの海色の魔力の正体がある程度わかるまでは。

 

「覚えてないんだったらいいわ。それより、あの二人の事だったわね」

「あ、そうそう! あの二人、大丈夫だったんですか?」

「とりあえず、生きてはいたよ。サフィが軽く介抱したからか、帝国軍にやられた以上に酷いことにはなってなかったみたいだし」

「介抱?」

「サフィじゃないの? あの二人をプレハブ小屋のベッドに寝かせたの」

 

 もちろんそれはサフィーアではない。彼女がクレア達の元へと向かった後、その場に残ったブレイブがやったことだ。

 その事に気付いたサフィーアは、口では何だかんだ言いつつも他人を見捨てることができない、彼の性根の良さに思わず笑みを浮かべてしまった。

 

――ほ~んと、不器用よね――

 

 突然笑みを浮かべたサフィーアに二人が訝し気な顔をしていると、それに気付いた彼女は取り繕うように咳払いをした。明らかに何かを隠した様子のサフィーアに、クレアは悪い意味ではないが不信感を強めた。

 

「何か隠してる? 正直に話しなさい、こちとら一週間待たされたんだから」

「いや、そんな大したこと…………一週間ッ!?」

 

 詰問に近い問い掛けに笑って誤魔化そうとしたサフィーアは、聞き逃せない言葉に動揺を露にした。なんと、彼女は一週間も眠っていたというのだ。

 

「え? あの、って言うかここどこ?」

「イートの病院よ」

「エヴァンス中佐に感謝しなよ? 助けられた恩を返すって言って君をここに送り届ける為のマーズを用意してくれたんだから」

 

 何とも義理堅いというか、傭兵一人に恩を返す為に軍用機を使わせてくれるとは。次に会う機会があるかは分からないが、会うことがあったらカインの言う通り絶対感謝しようと心に誓った。

 それにしても一週間とは。過去にも何度か戦闘で無理をしすぎて意識を失い長時間眠り続けていたことはあるが、今回は一際である。過去最長記録更新だ。

 

「う~わ、寝坊しすぎ。そりゃ頭も痛くなるわけだわ」

「無茶のし過ぎも付け加えなさい。何度言っても聞かないんだから」

「う…………以後気を付けます」

「それ、気を付けない奴が言うセリフだよ」

 

 すでにサフィーアは今回の前に二度も無茶をして、長時間眠り続けたことがある。二度あることが三度あったのだ。という事は、四度目五度目があってもおかしくない。いや彼女の性格の根っこを考えれば、今後も絶対やらかすだろう。それを思ってクレアとカインは盛大に溜め息を吐いた。ウォールに至っては、ベッドの上に飛び乗り尻尾の先でサフィーアの顔をペシペシと叩く始末だ。

 

 感知能力がなくても感じられるほどの呆れに、居た堪れなくなったサフィーアは強引に話題を変えた。

 

「そ、そう言えば! 依頼の方は、どうなったんです?」

「少なくとも失敗扱いに放ってないよ。護衛対象は全員一応無事だった訳だしね」

「サフィが寝てる間に、私達で依頼終了の手続きは済ませたわ。ただ、ナタリアがサフィ個人に話があるって言ってたわね。医者は目が覚めたら大丈夫だって言ってたから、明日にでも顔出しときなさい」

 

 クレアのその言葉を合図にしたのか、カインはトレーを持ちクレアと共に部屋を出て行った。ウォールと共に部屋に残されたサフィーアは、少しの間扉とウォールを交互に見ていたが何かに観念したように溜め息を一つ吐くとベッドに倒れこみ布団を被るのだった。

 

 

***

 

 

 翌朝、目覚めたサフィーアは体調が良好だったこともあり、朝食後に即退院しその足でクレア達と共にナタリアの所へと顔を出した。昨夜クレアに言われた、サフィーア個人にある話とやらを聞く為だ。

 そこで彼女は、ナタリアの口から思わぬ言葉を聞くこととなった。

 

「はい? 昇格試験?」

「えぇ。サフィーアさんも何度か経験されてますよね? 面接試験です」

「いや、あの、何で?」

 

 普通、昇格試験がある場合は事前に知らされる。依頼を受ける前にその依頼の終了後に昇格試験が控えていると告げられるのだ。勿論その場合、受けた以来を成功させなければ昇格試験の話は取り消しになる。つまり、依頼がある種の昇格の実技試験になる訳だ。

 だが、今回は事前に何の告知もされていない。正直に言って寝耳に水だった。

 

 そう思っていると、ナタリアがサフィーアの疑問に答えてくれた。

 

「今回の依頼で、サフィーアさんはランドレーベの討伐に多大な貢献をされてますよね。その事を高く評価し、今回昇格試験を実施することになったんです」

 

 言われてそういえば、とサフィーアは思い出した。試験が実施される状況がもう一つあった。それは、その時点のランクに反して多大な功績を残した場合だ。例えば圧倒的に傭兵ランクが上の傭兵であったり、今回の様に非常に危険なモンスターであったりである。

 そう言った所謂格上の相手を打ち破る事に多大な貢献をした事が認められた場合、特例として告知なしで昇格試験が行われるのだ。

 

 確かに今回、ランドレーベにトドメを刺したのはサフィーアである。それも漁夫の利を狙うようなやり方ではなく、真正面から打ち勝つ形で貢献どころか功績として残している。昇格試験が実施される条件としては申し分ない。

 

「そう言う訳ですので、この後私と共に面接室へと来ていただきますが、お時間の方は宜しいですか?」

「はぁ、うん。大丈夫」

「ではこちらへ」

 

 ナタリアに連れられ、サフィーアは面接室へと連れていかれた。

 

 面接は、特にこれと言ったトラブルもなく順調に進んだ。質問内容は主に普段の傭兵生活での様子や依頼人とのやり取り、他の傭兵との付き合いなどである。言ってしまえばこの面接は彼女の素行を見るためのものなので、質問内容は当り障りのないものが多かった。

 

 そして………………。

 

「クレア、少しは落ち着いたら?」

 

 サフィーアがナタリアに連れていかれてから暫く、クレアとカインの二人は傭兵ギルド支部のロビーでコーヒーを飲みながら待っていた。既に朝の依頼の受注ラッシュは過ぎており、ロビーは閑散としていた。今居るのは依頼の処理などをしているギルド職員か、前日に飲み過ぎるなどして受注ラッシュに遅れた傭兵、若しくは依頼を持ってきた者達くらいだ。

 

 そんな彼ら彼女らの様子を眺めるクレアの目はどこか胡乱だった。無理もない、可愛い妹分の昇格が掛かっているのだ。

 表面上は冷静を装うとしているが、不安が隠せないのか頻りに貧乏ゆすりをしていて落ち着かない。

 

 彼女の様子にカインはやれやれと首を振りながら空のカップを片付け新しいコーヒーを淹れて持った来た。

 

「まぁ落ち着きなよ。大丈夫さ、サフィならきっと合格するって」

「だ、誰も心配なんてしてないわよ。当然でしょ、サフィなら合格するに決まってるんだから」

 

 無理をしているのが丸分かりなクレアの様子に、カインは堪らず苦笑を浮かべた。この心配性は昔から変わらない。

 

「お、戻ってきた」

 

 と、奥からサフィーアが戻ってきた。彼女の姿を見た瞬間、クレアは椅子をひっくり返す勢いで立ち上がり彼女の元へと近づいていく。カインはカインで、自分の分のコーヒーを飲み干してからそちらにゆったりと向かっていった。

 サフィーアに近づいたクレアは、彼女の肩を掴んで試験の結果を訊ねた。

 

「サフィ、どうだった?」

「く、クレアさん、落ち着いてくださいよ。ほら、これ」

 

 寧ろ試験を受けた本人以上に必死な表情をしたクレアに、サフィーアは逆に冷静になりながら自分の“新しくなった”IDカードを見せる。そこには、傭兵ランクを記す欄に-が取れたBランクの表示がされていた。サフィーアは晴れて中堅の傭兵になれたのだ。

 

 それを見たクレアは――――

 

「いよっしぁぁっ!! よく頑張ったわサフィッ!!」

「ちょ、クレアさん声大きいっ!? そんな大袈裟な」

「ほらクレア、周りの人は勿論サフィにも迷惑だから。まずは落ち着きなって」

 

 そう言ってクレアが残していたまだ熱さの残るコーヒーを差し出した。クレアは喜びのあまりそれを一気飲みしてしまい、その熱さに思わず盛大に吹き出し目の前にいたカインをコーヒー塗れにしてしまうのだった。




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第99話:残酷な差

読んでくださる方達に最大限の感謝を。


 サフィーアがBランクに昇格してから、早くも二週間が経っていた。帝国軍と結果的にやりあってしまった三人だが、意外なことに帝国はあれから驚くほど静寂を保っており、何のアクションも起こしてはいなかった。

 

 その事に不気味なものを感じつつ、彼女たちは今日も今日とて依頼を熟している。

 

 と言っても、この日受けた依頼はここ最近受けたものの中ではかなり平穏なものであった。

 

「サフィ、あった?」

「ん~、見つかりません」

 

 この日受けた依頼は、マンドレイクの採取だ。マンドレイクとはここ最近発見された植物であり、主な用途として上級の魔力回復用のポーションの材料として重宝されている。

 重宝されているのだが、これがなかなかに見付け辛い。現に今もサフィーアとクレア、カインの三人が探し回っているのだが、全く見つけることができずにいた。それは決して生育条件が厳しくて特定の場所や時期・時間帯でないと採取できないと言う訳ではない。と言うか生育条件自体はかなり緩いらしく、本気で見つけようとすれば意外とどこででも見つけることが可能であった。

 

 では一体何が問題なのか? それは………………。

 

「居た居た居たッ! 見つけた、そっちに向かってるッ!」

 

 出し抜けに叫ぶカイン。彼が指さす先には、がさがさと揺れる草むらが――――

 

――――いや、草そのものが動いていた。膝丈程度の高さに葉が生えた一つの球根が、根を使って地面の上を滑るように走っていたのだ。しかも地味に速い。

 

 これがマンドレイクがなかなか採取できない理由だった。こいつは植物のくせして近くに動物などが近づくと根を使って器用に逃げるのだ。一体何故こんなことができるのか専門家の間で議論が交わされているが、一説には草食のモンスターなどに食われないように移動する術を身につけたのではないかと言われている。事実、マンドレイクは近くに物が落ちたりした程度では動かないが動物が近づくと素早く反応して動物から距離をとるように動くことが確認されていた。

 

 この生態の所為で、マンドレイクは非常に見付け辛い植物として有名なのである。見つけようとしてもこちらの存在に気付くと、距離をとるように動いてしまうので見つけるのが困難なのだ。

 だがこんな変な生態をしていても、物は植物なので対処のしようはある。一番簡単なのは早期に発見したら、網を張っておいてそちらに向かって追い立てるように動くことだ。所詮は植物であり刺激に対する反射で動いているだけなので、目の前に網があっても構わず突っ込んでくれる。

 問題は、動いていない状態のマンドレイクは他の植物と殆ど見分けがつかないので早期の発見自体が困難なことであるが。

 

 今回、このマンドレイク採取のセオリーに従ってサフィーア達は一応網を持ってきてはいるのだが、肝心のマンドレイクがまるで発見できず先程まで森の中を彷徨っていた。そして漸く見つけたのだが、今度は見つけたマンドレイクを見失わないようにすることが大変だった。

 何しろマンドレイクの地上を移動する速度は、根で一体どうやっているのかと言うほど速い。これがモンスターでないことを疑うくらい速いのだ。

 しかもまだ見つけていなかった為に、持ってきた網は畳まれた状態でカインが背負っているバックパックに入っている。これではいくら追いかけても意味がない。

 

「てか、あれいつまで走り続けるのッ!?」

「マンドレイクの採取は初めて受ける依頼だったけど、こりゃしんどいわね!?」

「攻撃できないのがもどかしいよ」

 

 物がそんなに大きくない上に品質の事を考えると、迂闊に攻撃して傷付ける訳にもいかない。それがサフィーア達の行動を制限していた。

 

「あれ? ウォールは?」

 

 その時、サフィーアはいつの間にか肩からいつもの重さが無くなっていることに気付いた。マンドレイクを追いかけるのに夢中になっていて、いなくなったことに気付かなかった。

 すわ、逸れたか!? と周囲を見渡すサフィーアだったが、ウォールは三人が思ってもみないところから現れた。

 

「くぅん!」

 

 突然、マンドレイクの真上からウォールが飛び下り抑えつけた。上から押さえつけられたマンドレイクは、根っこを必死に動かして移動しようとしているが然して大きくない植物のパワーで振り払われるほどウォールも非力ではない。結果、マンドレイクは後から追いついてきたカインに捕まり、網の中に放り込まれたのだった。

 

「ウォール! よくやったわ、あんたは偉い!!」

 

 サフィーア達三人が派手に動いたおかげで、ウォールの動きをマンドレイクは感知できなかった。そこに気付き、素早くかつ的確に動きマンドレイクを捕まえて見せた。今回は正にウォールの大手柄だった。

 サフィーアは功労者のウォールを抱き上げ、抱き締めながら頬擦りする。主人からの熱い抱擁に、ウォールも嬉しそうに目を細めた。

 そんな一人と一匹を横目で見つつ、クレアはカインが持つ網の中で未だに根を動かしているマンドレイクを眺めた。

 

「こ~んなゲテモノな植物が薬の材料になるだなんてねぇ?」

「そんなものだよ。良い物ってのは見た目が悪い物からも出来るものさ」

「ねぇ、それでポーション出来るって事はそれ齧れば魔力回復するの?」

「ダメダメ、薬も過ぎれば毒となる。これを直接齧ろうものなら、飽和魔力でこの間のクレア以上にひどい事になるよ」

 

 これが魔力回復用ポーションの材料になると言う事を思い出し、興味本位で訊ねてみたサフィーアはカインから返ってきた答えに顔を引き攣らせて距離を取った。クレアも、先日遺跡でレッド・サード化したランドレーベとの戦いで全身ズタボロになった時の事を思い出し、顔を顰めている。

 

 魔力は無ければ無いで生命に関わる事もあるが、あり過ぎても問題があった。それが飽和魔力であり、早い話が制御が及ばなくなるほど体に入った魔力が、好き勝手に暴れて体の組織を壊してしまうのだ。オーバーコートはその一歩手前のギリギリの状態を維持したものであり、それ故に制御が難しい上に上手くいかないと逆に体を傷つける結果になるのである。

 

「うげぇ、何か危なそう。大丈夫なの?」

「これ自体に害はないよ。さ、目的は果たしたし、早く帰ろう」

 

 マンドレイクが一つ入った網を担ぎ踵を返すカイン。たった一つでは些か少ないように思えるかもしれないが、前述した通りマンドレイクは生育条件が緩くしかも根を張った状態に移行させられれば、たった一つからでも驚くほど増えるのだ。今回依頼が出されたのは、とある製薬工場で栽培していたマンドレイクが害虫に食い荒らされてしまったからだった。

 

 サフィーアとクレアが微妙な表情でマンドレイクを眺めているのを肩越しにチラ見したカインは、肩を竦めつつ網でぐるぐる巻きにしたマンドレイクをギルドでレンタルした車のトランクに放り込み、自身は運転席へと着くのだった。

 

 

***

 

 

 その後、イートに戻った三人はギルドに採取したマンドレイクを納品し、報酬を受け取りこの日はそれで締めと言う事になった。報酬は三人で分配し、ちょうどいい時間でもあったのでそのまま夕食を終わらせ、そして今………………。

 

「あ゛~~……散々走り回った後のお風呂は気持ちいいわぁ」

「ですねぇ」

 

 サフィーアとクレアの二人は、宿にある宿泊客用の大浴場でこの日の疲れと汚れを落としていた。今回は特に戦闘があった訳ではないが、その割にはいつも以上に疲れたと感じる。戦闘が無かった分、逆に気分が高揚する事が無かったからだろうか。

 クレアなどは女性らしからぬ声を上げながら大きい湯船に肩まで浸かっており、その様子を見てサフィーアは彼女の隣で苦笑を浮かべている。

 

 尚余談だが、両名とも抜群のプロポーションを持っているので、湯に浸かると二人の持つ豊かな双丘が湯に浮いている事を記しておく。

 

「…………はぁ」

 

 暫く苦笑していたサフィーアだったが、不意に笑みを引っ込めると湯面に視線を落としながら溜め息を吐いた。明らかに気分が落ち込んでいる様子に、クレアが彼女に声を掛ける。

 

「な~に辛気臭い顔してんのよ?」

「あぁ~、いや…………」

「当ててやろうか? ビーネに推薦受けた事を気にしてるんでしょ?」

 

 マンドレイクの納品後、サフィーアはまたしてもナタリアから次の昇格に関わる話を聞かされていた。何でもビーネから強い推薦を受けており、次に大きな依頼を成功させた時再び昇格試験を実施する運びとなっているとのことだった。つまり、殆どB+への昇格が約束されたも同然と言う事である。

 普通であれば喜ばしい事だが、あのビーネが関わっているとなると話は別だった。その推薦の裏に隠された、彼女の言外の要求に気付かずにはいられなかったのだ。

 

「あたし、あれ、あの人が『もっとランクを上げてさらに大変な依頼を受けれるようになってね♪』って言ってるように思えるんですけど……」

「奇遇ね、私もよ。そのつもりで推薦したんでしょ」

「嬉しくないなぁ…………」

 

 口元まで湯船に浸かり、ブクブクと音を立てるサフィーア。その子供っぽい仕草にクレアは溜め息を一つ吐くと、突然真横からサフィーアの胸を鷲掴みにした。

 

「わぁぁっ!? く、クレアさんッ!?」

「な~にこんなことでしょげてんのよ? 難しく考えたってしょうがないでしょ。あの女相手に抵抗なんてほとんど無意味なんだから、この際貰えるもんは貰っちゃいなさいな」

「ちょっ!? ま、待って、ひゃんっ!?」

 

 情け容赦なくサフィーアの豊満な胸を揉みしだくクレア。勿論抵抗するサフィーアだが、Aランクの実力を無駄に発揮するクレアを引き剥がすことは出来なかった。

 

「く、クレアさん!? 他にも人!? 人居ますから、あ、やん!?」

「女ばっかなんだから気にするんじゃないの! ま~ったく、胸こんだけ大きいくせして変な所で肝っ玉小っちゃいんだから」

「む、胸と肝っ玉は関係無、はひっ!? そ、それに胸だったらクレアさん人の事、んんっ!?」

 

 胸を揉みしだかれる恥辱とない訳ではない周りからの目に対する羞恥に、サフィーアは湯の熱とは別の意味で顔を赤くする。抵抗する過程で湯船に浸かる時邪魔にならないようにと纏めておいた髪も解け、濡れた頬に張り付き何とも艶やかな姿を晒していた。

 

 当然ながら二人の、と言うかサフィーアの艶姿は他の浴場を利用している女性客の目にもばっちり入っている。その多くは彼女たちと同じ傭兵であり、女傭兵同士であればあの程度の事はちょっと過激なスキンシップ程度として受け止められるので、そこまで変な目で見られることはなかった。

 まぁ、中にはそっち系の趣味を持っているのか二人の様子を食い入るように眺めている者も居たが。

 

 その中には、偶々ここを訪れていたシルフの姿もあった。最初二人の存在に気付かなかった彼女は、二人が騒ぎ出したところでその存在に気付き知り合いと言う事で挨拶しようと近付きかけたのだが…………。

 

「………………」

 

 絡み合う二人を、正確にはその二人の胸にぶら下がる双丘を見て、自分の胸元を見下ろした。視線を下ろした先にある、無い訳ではないが二人に比べてあまりにも貧相な膨らみ。そして再び豊満な二人の胸元を見やる時には、シルフの目からは光が消えていた。

 同じ女性でありながら、この天と地ほどの差。しかもサフィーアに至っては、自分とほぼ同い年の筈だ。にも拘らず、あまりにも残酷すぎる違いを目の当たりにし、彼女は思わず呪詛を口にする。

 

「…………もげちまえばいいのに」

 

 あまりにもストレート且つ禍々しい思念を感じ取り、サフィーアはクレアに胸を揉みしだかれながらびくりと肩を震わせ肌を粟立たせるのだった。




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