前世は真田幸村で御座る (賀楽多屋)
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真田幸村の章 時は平成

戦国無双4をプレイし終わったテンションで書いたものです

年末前に整理していたら、出てきたのでUPしてみました


 徳川が用意した大砲の音が辺りに響き渡る中、一人の男は只管に戦場を駆け抜けていた。紅牙飛燕を片手に、目前に立ちはだかる徳川兵を薙ぎ払いながら、男はただただ徳川家康の首だけを望んで敵の本陣に突っ込む。

 

 

「幸村様っ!!」

 

 

 男が幼少の頃より共に戦地を潜ってきた忍が男ーーー幸村の名を追い縋るように呼ぶ。幸村はその声に一度も振り返ることなく、敵本陣で幸村を見据える壮年の男に視線を注いでいた。

 

 

「乱世最後の花、幸村よ。とうとう此処まで来てしまったか」

 

 

「徳川家康! ご覚悟を!!」

 

 

 敵本陣にたった一人で乗り込んできた幸村に、家康は驚くことなく彼の突入を歓迎した。幸村が紅牙飛燕を構えても、家康は焦ることなく幸村を穏やかな眼差しで見詰めている。

 

 

「殿! どうかお下がりになってください!!」

 

 逃げることも、迎え撃つこともせず幸村と対峙している家康に肝を冷やしたのは周囲に侍っていた兵たちだ。どうやら、間が悪いことに本陣に名のある将が控えていなかったようで徳川兵達は、死地に臨むような顔付きで家康の前に立ちはだかる。

 

 

 

 

 どれ程の人間が家康と己の間に現れようとも幸村がやることはただ一つ。幸村が狙うのは家康の首だ。その首一つで真田幸村の意地が貫き通せるのだ。武士として、最期に貫き通すべき意地は徳川を討つことで完遂出来る。

 

 

「いざ、参る!!」

 

 

 幸村はその場から駈け出した。徳川の兵達が、個は敵わないと察して束になって幸村を襲って来る。しかし、束は束でも十数人しかいない束だ。此処に来るまでに打ち払ってきた者達の数を思えば苦にはならない。

 

 

「幸村っ!」

 

 

 

 今日はよく名前を呼ばれる日だと幸村は敵を薙ぎ払いながら思った。志を共にした友に呼ばれ、幼少の頃より時を共にした忍に名を呼ばれ、今は敬愛してやまない兄に名を呼ばれている。

 

 

「下がれ。幸村は私が相手をする」

 

 

 視界いっぱいにいた徳川の兵が漣のように引いていき、次いで見慣れた兄の姿が現れる。

 戦武装を身に付け、幼い頃から髪を一本に結っていた信之の姿は、敵に回っても誰よりも華やいで見えた。

 

 

 幸村は兄が得物を構えるのを見て取って、一瞬だけ柔らかな笑みを浮かべた。血を分けた唯一の兄との死合を前に幸村はポツリと零す。

 

 

 

 兄上、私はこんな日が来るような気がしておりました。

 兄上は私と同じように兄弟が袂を分かつ日が来ると分かっておられただろうか?

 

 

 お互いに構えあって、幾ばくもしないうちに切り結び合った真田兄弟に傍観者と成り果てた家康は一瞬たりとも眼差しを彼等兄弟から離さなかった。

 

 

 

 *

 

 

 ジリリリリと顔の直ぐ側から耳障りな音がした。

 

 私はあまりの耳痛いその音に居てもたってもいられずその場から飛び起きて、目覚まし時計を叩く。すると、あの喧しい音が止んだ。

 

 

「うう、どうも目覚めの悪い夢を見てしまった。いや、あれは夢ではない。私は、確かに兄上と・・・」

 

 漸く覚醒してきた意識に私は愕然とした。

 今の私は、真田幸村では御座らん。

 

 

 

「今の私は、あの乱世にいない・・・・・・平成の世だ。今の私は、沖野雪也で御座る」

 

 

 スッと頭が冷えてきたのが分かった。それと同時に、沖野雪也として過ごしてきた日々が走馬灯のように過ぎって行く。乱世を知らずに、安穏として日々を過ごしてきた沖野雪也の日常は私にとって衝撃的な事柄が多くあった。

 

 

 しかし、その記憶を私が拒絶したかと申せば否だ。私は、沖野雪也の記憶を拒みはしなかった。沖野雪也の生も私の物なのだ。よって、拒むことはしてはならぬと思ったのだ。

 

 

 

「・・・・・・だが、私はこれからどうすれば良いのだ?」

 

 

 そんな私の疑問の声は、時を置かずにして答えが返って来た。

 

 

「雪也! アンタ、いつまで寝てる気だい!? 学校遅れるわよ!!」

 

 

 

 

 確かに、その声の言うように私はこの平成の世で勉学に励んでいたような気が致してきた。

 

 

 

 

 

 

 沖野雪也。今生の私はそのような名を今生の父上と母上から頂いているらしい。真田幸村であった頃とは世の理が違うようで、十六歳である我が身は高校と言う学び舎に通わなければならないのだ。

 

 

「雪也~。な~んか様子可笑しくない?」

 

 

 学校に通うために、今生の母上に叱咤されながら支度を整えていると玄関から呼び鈴が鳴った。母上がそれに、歯を磨いている途中である私を見て嘆息を吐いた。

 

 

 

「もう。アンタがモタモタしてっから明依ちゃんが来ちゃったじゃない」

 

 

 母上の言う明依ちゃんとやらは、幸村の私は勿論覚えがなく、雪也の私に覚えのある名前であった。

 

 

 望月明依。この家の隣りに住む私と年の変わらない女子だ。母上に追い出されるようにして外に出た私を待ち構えていた少女であり、何故か顔付きも背丈もあの忍とは違うのに私にあの賑やかであった女子を思い起こさせた。

 

 

 明依殿は私に呆れた目つきを見舞うと、「さっさと行こうよ」と私に声を掛け、共に学び舎への道を行くことになった。

 

 

 明依殿はあの忍とは背丈が違うとはいえ、小柄な方であった。私の顎ほどにしかない背丈で、髪を頭頂に結んでおり、髪飾りが簪を何本も挿しているように派手だ。

 

 

 あの忍も派手好きであった。桃色の服をいつも好んできており、最初の頃は被り物をしていたのだが、何時しか邪魔にでもなったのか明依殿のような髪型へと変わっていたものだ。

 

 

「雪也、アタシの顔ばっか見てるけど何か私の顔についてたりする?」

 

「いや、そんなことはない」

 

「・・・そうなの? 何か雪也ったら変」

 

「不躾に眺めて悪かったな」

 

 

 明依殿を凝視していたことについて謝ったが、彼女は不思議そうな顔で今度は彼女が私を眺めだした。くりくりとした榛色の大きな目が猫のようで、やはり私は彼女を見る度にあの忍について考えてしまうようであった。

 

 

 明依殿と連れ立って歩いていると、半刻もしないうちに学び舎へと着いた。否、三十分も無かったであろう。この学び舎は私の家からそう遠くない場所にあった。

 

 

 私が通っている三国高校は、公立学校であり、この区域にある高校と比べると良くもなく、悪くもないという位置にあるようだ。また、生徒を多く有しているためかここらの住民にはマンモス校と認識されている。確かに、校門を行き交う生徒は多く、嘗ての大阪城前を彷彿とさせる。

 

 

 秀吉様がまだご存命であった頃の大阪城に私は登城したことがあるのだ。小県から出てきた田舎者であった私は、あの大阪城前の賑に随分と驚かされた記憶がある。いつの日か、その驚きを友達に話したことがあった。

 

 

 最期まで豊臣に尽くした友は私の驚きを鼻で笑っていた。

 

 

『幸村、このくらいで驚いていては困るのだよ。秀吉様は更に大阪を繁栄させていくおつもりだ。いや、この日本中が笑いの絶えぬ世になるのだから大阪だけでなく、幸村の故郷とて賑になるだろう』

 

 

 彼はいつも私には見えないものを真摯に見詰めていた。彼が支える豊臣の世は永久に続くだろうと私は疑いもしなかった。

 

 

 

 もう一人の愛と義を尊ぶ友は私の驚きを快活に笑い飛ばした。

 

 

 

『そうだな! 幸村!! 確かに此処は日本一の賑だ。だが、我ら勝重様が治める越後とて負けはしないぞ!! 愛と義心を抱く越後の民達は大阪の者にとて負けはしないのだ!!」

 

 

 彼と彼が仕える越後の大名には大層世話になった。領土が近いからと言ってあの様に慈悲を掛けて下さるあの方々には真田の誰もが足を向けて寝られない。

 

 

 

 三成殿と兼続殿はこの世に居られるのだろうか。

 

 そこまで空想を広げて私は頭を振る。居るはずが無いことは分かっている。私がこうして平成の世に居ることが異常であるのだ。輪廻転生については、物知りな兄上から話を伺ったことがあったが、まさかこの身で体験することになろうとは、私自身も信じ難いことなのだ。

 

 

 

「雪也、やっぱ今日変だよ。熱でもあるんじゃないの?」

 

 

 いつの間にか、足を止めて物思いにふけっていたようで、明依殿が私の肩を叩いてそんな心配そうな声を掛けてきた。私は漸く、自分が沖野雪也であることを思い出して明依殿に首を振る。

 

 

 

「心配無用で御座る。少々考えることがあったゆえ。さぁ、参ろう」

 

「えぇ・・・完全に可怪しいでしょ。雪也ったらなんでそんな堅苦しい言葉使い出したんだにゃ? 絶対熱あるよこれ」

 

 

 私は訝しる明依殿を促して学び舎へと入る。これからのことに不安が無いわけではないが、兎に角今は進むほかあるまいと覚悟を決めた。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 学び舎には、数多くの教室があり、そのどれもに数多の生徒が詰め込まれていた。勝頼様が率いていた兵よりも多いのではないかと思ったりもしたが、流石にそのようなことは無いだろう。私が属するクラスも人が多くいた。規則正しく並んだ机に腰掛けている者がいたり、または窓辺に輪になって話し込む者達がいたり。

 

 

 若人だけがこう多くも集まっていることが私にとっては衝撃であった。小県に居た時は兄上くらいしか同世代の者は居なかった。あの大阪にもこの様に沢山の若人は居なかったのでは無いだろうか。

 

 

 私が自分の席に鞄を提げながらそのようなことを考えていると、ホームルームが始まることを告げるチャイムが鳴った。私の目覚まし時計もあの様な音であればまだ聞ける音であるのだが・・・。つい、詮無いことを考えてしまった。

 

 

 チャイムが鳴ると生徒達もそれぞれ席に座った。なかなか足並みが揃った動きだ。

 

 

 

 記憶にはあるが、未だ体験したことがない授業とやらに私は戦前のように胸を躍らせていた。一体、どのようなことをするのだろうか? きっと、兄上の話のように面白い話が沢山聞けるのだろう。

 

 

 私はこの時、不安を抱えながらも未知なる授業への期待も抱いていたのだ。

 

 

 

 

 *

 

 

 初めに受ける授業は日本史であった。この日本史の授業なるものは、どうやら日本の歴史について学ぶ授業であるらしい。これならば、私とてまだ馴染のある話だ。私は知らずに詰めていた息を吐き出して、日本史の教本を捲った。

 

 

「・・・・・・うむむむむ。人の成り立ちの話なのか。ホモ、サピエンス? ネアン、デルタール人。一体、これは・・・・・・嗚呼、そうか。これは人の進化の過程であったな」

 

 

 日本の歴史なのだからと、少々私は見くびっていたようだ。あの頃よりもずっと日本は成長しており、日本の歴史も私が知らないことの方がずっと多く解明されているのだ。沖野雪也の記憶が無ければ私は恐らくこの平成の世で乱心していただろうな。

 

 

 沖野雪也が平成の理を知っていたお陰で、私は平成の世を生きていける。

 

 

 

「全員、揃っておりますえ? 誰も欠けてあらへんね?」

 

 

 授業のチャイムと共に教室に入ってきた女子は、訛りの強い女人であった。あれは、京訛りであっただろうか? どうも遠い昔に聞いた覚えがあるような気がする。

 

 

 その女子は、全員の席が生徒で埋まっていることを確認すると、教卓の上に胸に抱えていた生徒名簿や私が持っている物と同じ教本を置いた。

 

 何故か、神社の巫女のような格好をしており、彼女の和装姿が私には眩しく見えた。今の世は、バテレン人が着るような洋装が普通であるらしく、袴を履いている男も、着物を着ている女も通りで見かけることはなかった。私は少し、そのことが寂しく思えたのだ。

 

 

 日本から私達が抱いていた日本の心が無くなってしまったように私には見えたのだ。

 

 

 

 この女子の正体をやはり沖野雪也は知っていた。

 

 

 

 この女子は、牧田阿子。日本史の教師であり、生徒からは阿子先生と親しまれている。雪也も阿子先生と彼女のことを呼んでいたようだ。

 

 

「ほな、今日は随と日本の関係についてーーーやろう思うたんやけど、此処そない楽しゅうないんよねぇ。ウチ、小野妹子はんも聖徳太子はんもだーれも知らへんねんもん。北条氏康はんや毛利元就はんは会うたことあるんやけどね」

 

 

 阿子殿の日本史教師としては不味いと思われる発言に、生徒の誰もが苦笑交じりだ。元々、この様に奔放な方であるらしく、誰もが彼女の発言に慣れているようであった。

 

 

「じゃあさ、先生ー、北条とか毛利って戦国時代の人だよな? 豊臣秀吉とか徳川家康にも会ったことがあるっつー訳だ」

 

 

「せやなぁ。秀吉はんは大阪城にウチを呼んでくれたどすなぁ。ウチの舞が見たいからって。家康はんは関ヶ原で舞でも踊りまひょか言うたら戦が終わったらお願いしたいって言うてくれたんよ。お二人共、出雲に連れて帰りたい程のええ男やったどすなぁ」

 

 

「へー。もし先生がその二人を出雲に連れて帰ってたら、関ヶ原の戦いは無かったかもしれんのな」

 

 

「秀吉はんはもうその頃、この世には居らへんかったんよ。やから、あの戦を無くそう思うたら三成はんと家康はんを連れてかなあきまへんなぁ」

 

 

 

 もし、阿子殿がそのようなことをしていたら私は阿子殿と三成殿を追って出雲にまで行っていたかもしれないな。どうにも彼女に出雲に連れて行かれれば無事に済まないように思える。密かに私が彼女達の会話に冷や汗をかいていると、彼女達の会話に割り込む者達が現れた。

 

 

「阿子先生! 殿を出雲に連れて行くことは、この稲が・・・・・・いえ、私が許しません!! 連れて行くのは石田三成だけにしてください」

 

 

「彼奴は女についていくような質じゃない」

 

 

「そ、そんなことは分からないではないですか!? あの豊臣の家臣なのですよ!! 豊臣秀吉は大層な女好きでした。だから、あの方の子飼いと名高かった石田三成も有り得ると思うのです!!」

 

「正則ならともかく、彼奴だけは有り得ん。もしついていったのだとすれば、検地で手に入れた米の一つでも抱えて帰ってくるだろう」

 

 

 

 阿子先生と一人の生徒との間で交わされていた会話に割り込んだのは、家康殿を守ろうと立ち上がった女子と随分と三成殿に詳しい男子であった。確かに、彼が言うように三成殿は女子に出雲に誘われたからと、ついていくような男子ではなかった。秀吉殿や寧々殿に行けと言われればすかさず飛んでいっただろうが、そのようなことは実際起きなかった。

 

 

 女子は男子を噛み付かんとばかりに睨んでいたが、心地がついたのか席に座り直し、平素を装った態度でノートに文字を記し始めた。男子はくわっと欠伸を噛み締めると机の上に突っ伏す。

 

 

 私はやはり、この二人が気になった。

 

 

 まさか、私のように前世を抱えて生きている訳では無いだろうが、この平成の世ので三成殿や家康殿を想っている二人に胸が熱くなるようだ。約四百年前に生きていた我々を今もこうして思うてくれる日本の者がいる。私はそのことが、とても嬉しかったのだ。

 

 

 *

 

 

 一時間目の日本史の授業をはじめとした様々な授業を終えて、時刻は昼となった。昼になると昼休みという昼餉を摂る時間があるようだ。一日二食であった時も腹が空いてひもじい思いをしたことがあった。なので、私は昼餉を摂ることについては大いに賛成だ。沖野雪也にも友がいるようで、昼餉は彼等と摂る。私と話していて、不審を抱かれるのではないかと憂いていたが、いざ彼等と話すとなると口が勝手に動いた。

 

 

 彼等と気軽な口を叩いて話すことは心地良かったが、話の内容は私自身の要領を得なかった。沖野雪也が理解しているのであれば良いかと私はその後結論を出した。

 

 

 母上の手料理が詰まった弁当を突き、彼等と話に花を咲かせているといきなり廊下側から名を呼ばれた。

 

 

 

「雪也」

 

 

 大きな声を出している訳でもないが、声通りの良いその声に私は促されるように立ち上がり、名を呼んだその者の下へと足が自然に動いた。

 

 

 

「長之兄上。如何致されましたか?」

 

 

 長之兄上は、僅かに目を見開いて傍に寄った私に何か言いたそうに口を開いた。しかし、口を開いたのみで、声は出さず少し懐かしそうに目を細める。

 

 

「そのように言うと、そなたは本当に弟のようだな」

 

 

 長之兄上の言に、今度は私が目を見開く番になった。

 

 

「長之兄上には兄弟が居なかった筈ですが・・・もしや、叔母上が懐妊なされたんですか?」

 

 

「いや、言葉の綾だ。気にしないでくれ、雪也」

 

 

 

 長之兄上は、父上の妹御、私から見ると叔母上にあたる方のご子息である。つまりは、私の従兄殿になるのだ。沖野雪也はこの長之兄上を実の兄上のように慕っており、私はつい兄上と彼を重ねてしまう。

 

 

 温和で物腰柔らかい長之兄上は、私の兄上とよく気性が似ていることもあってつい二人を同視してしまいそうになるのだ。

 

 

「それにしても、雪也。一体何故、私のことをその様に呼ぶのだ? 三日前までは私のことを兄さんと呼んでいたのに・・・・・・。敬語も今まで私に対して使ったことは無かっただろう」

 

 

「え、あ、それはですね、長之兄上。これには事情があるのですが、その事情をどう話せば良いのかーーー」

 

 

「まぁいい。私は、雪也にこのボールペンを持ってきたのだ」

 

 

 長之兄上は片手に握っていたボールペンを私に差し出した。何処にでも売っていそうなインクが黒のボールペンに、私は首を傾げる。

 

 

「このボールペンを私に、ですか?」

 

「雪也、忘れたのか? これは、雪也が三日前に壊したボールペンだ。休み時間の間に分解していたらバネを無くしたと言って直せないか私の元へと持ってきただろう? だから、言われた通りに直したのだが」

 

 

 長之兄上に言われて私は漸く沖野雪也の記憶からそれを掘り当てた。三日前、確かに彼はインクが無くなったので、インク交換をしようとボールペンを分解していた。しかし、ボールペンを組み立てる際にバネを無くしてしまい、直せなくなったのだ。沖野雪也はそれに落ち込んで、何でも洋々と熟す長之兄上に縋ったようである。

 

 

「思い出しました。有難うございます! 長之兄上!」

 

 

 私もそうであったが、沖野雪也にも尊敬出来きる兄上が居たようだ。私は長行兄上に礼を述べて、ボールペンを受け取った。

 

 

「そう呼ばれるとどうにも落ち着かないな。どうにも色々と干渉したくなってしまう」

 

「では、長之兄上。私は昼餉に戻ります。長之兄上も午後の授業頑張ってくださいね」

 

「雪也も頑張るだぞ。もし、授業で分からないことがあれば何時でも私に聞きに来て良いのだからな。定期テストも近いのだし、遠慮することはない」

 

「はい! 長之兄上。詰まるところが御座いましたら長行兄上に聞きに行きまする」

 

「やはり、今日の晩、雪也の家にでもーーーーー」

 

 

「おーい、雪也! そろそろ飯食わねぇと昼休み終っちまうぞ!!」

 

 

「分かった! では、長之兄上。私は行きます。午後、頑張ってくださいね!」

 

 

 

 今生でも頼りになる兄上に、私は手を振って友達の下へと戻った。長之兄上が何かを言っているようであるが、空耳だろう。

 

 

「幸村・・・」と、何故か昔の名を長之兄上が呟いたのが聞こえたような気がしたのだ。

 

 

 



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真田幸村の章 愛を聞いた放課後

 

 

 午後の授業も終わり、私は目を回しながら教室を出た。日本史以外の授業はどれも私に馴染のないことばかりで、沖野雪也の記憶があるお陰でどうにか理解出来ているものの、この様な頭の使い方は前世ではしなかったことだ。

 

 

 前世で、父上や兄上が教えてくれたことは全て戦へと繋がったからこそ理解できたことであった。兵法も計算も、戦に勝つために覚えた勉学であり、私は二人から習ったことを基礎に策を立ててきた。

 

 

 しかし、今生での勉学はテストで良い点を取るためにするものであるらしい。このテストの点がゆくゆくは自分の身を立てると言うのだから、少しは勉学への意欲が増す。だが、戦が無いこの世で私は一体、如何すれば良いのだろうか。

 

 

 

 産まれてから死ぬまで、戦のことばかりを考えてきた。寝ても起きても戦とかけ離れなかった私は、これからのことを考えて茫然とした。

 

 

 今朝は学校があるからと目的を見つけ、それを結論にした。しかし、この学校も私を四六時中縛っている訳ではない。夕方になると教室から放り出され、部活とやらに入ってない私には直帰の選択しか残されていなかった。

 

 

 もし、乱世の世であったのならば、この空いた時間に鍛錬を積んでいただろう。いつ始まるとも知れない戦のために我が身を鍛えていた筈だ。

 

 

 

 しかし、この世は乱世ではない。武士の死地と決めたあの戦はもう存在せぬ。そもそも、今の私は真田幸村ではなく、沖野雪也なのだ。真田の家門を背負っておらず、真田の存続を考えずとも良い。安穏とした平和な日々を過ごしていくだけで良いのだーーーーー沖野雪也として。

 

 

 

 

「そうだとして、私は如何すれば良いのだ・・・?」

 

 武士にはあるまじき、気の抜けた声にピシャリと回答が叩きつけられた。

 

 

「私と帰れば良いのだよ。雪也」

 

 

 

 返事があるとは思わなかった疑問に私は驚きで両肩を跳ね上げて、ゆっくりと声のした方を振り向いた。

 

 

 そこには、不機嫌そうに顰めた顔付きで私を見詰めている男がいた。女顔とでも揶揄されそうな綺麗な顔立ちをした男は、腰に両手を当てて仁王立ちしている。

 

 

「嗚呼、三輝殿でありましたか」

 

 

 私は自然と浮かんだ彼に紐づく記憶と名前に笑みを浮かべて、三輝殿に体を向け直した。だが、三輝殿は片眉を器用に跳ね上げて目を細める。

 

 

「雪也、何だその言葉遣いは?」

 

「え? 言葉遣いで御座るか」

 

「そうだ。まるで戦国の世にでも居るような堅苦しい言葉を繰るのだな」

 

 

 しまった。どうやら、長行兄上同様、彼に対しても私は真田幸村のまま話してしまうようだ。昼餉を共に摂った友達とはこの様なことにはならなかったのだが、何故長行兄上と三輝殿には私のままで話してしまうのだろうか。

 

 

 否、そう言えば明依殿にも私はこの様に話していた。この違いが私には分からない。真田ならばこの様な謎、やすやすと解き明かさねばならぬのだが。

 

 

「おおー! 雪也はそんな所に居たのだな!! 三輝、よく見つけた!!」

 

 

 三輝殿に次いで現れたのは、穏やかそうな風貌の男であった。垂れた優しそうな眦が私と三輝殿を見て一層柔らかく下がる。私や三輝殿よりも背丈があり、彼は殊の外姿勢が良かった。

 

 そして、そんな彼は今日私が遭遇した誰よりも声の通りが良く、また大きかった。戦場であれば、その凛とした声音で指揮を取ることが可能だろう。

 

 

 

 私はこの男のことも知っていた。

 

 

「兼人殿まで・・・」

 

 

 沖野雪也と豊田三輝殿、そして浅越兼人殿は幼馴染なのである。まだ七にもなっていない童が集まる保育園とやらで彼等は初対面を果たし、その後小学校、中学校、高校とを共に進んできた古馴染なのだ。この二人は沖野雪也にとっても格別の友であるらしく、二人を誇りに思っていたようだ。二人の記憶を手にとった今でも胸がポカポカと温かい。

 

 

 まるで、三成殿や兼続殿を思い出したかのようだ。

 

 

 

「では、三人揃ったことだ。帰るとしようではないか!!」

 

 

 私と三輝殿の肩を組んで、生徒玄関へと歩き出した兼人殿に三輝殿が抗議の声を上げる。

 

 

「鬱陶しいのだよ! なんなんだ、この手は!? 普通に歩いて行けば良いではないか」

 

 

「三輝、これは三位一体をより味わうために必要不可欠なことなのだ! そなたたちとの愛と義の志をより強固にするためだ」

 

 

「三位一体は毘沙門天では無いだろう!」

 

 

「何を言う!! 謙信公も御前も、重勝様とてこの世に愛と義を広めるのであれば、また私達はその愛と義を受け入れる立場でなければならないと仰っていた」

 

 

 熱に浮かせれて、滔々と愛と義について話す兼人殿は、まるで本当に兼続殿のようだ。兼人殿は、真、上杉の方々を敬愛しているようで私も彼の心意気に拳を握る。

 

 

 

「はい、兼人殿! 愛と義は私が語るだけでなく、また誰かの愛と義を私は受け入れねばならないということですね。個と個が反響し合うような関係になってこそ、人は真に愛と義を悟れるのだと」

 

 

「嗚呼、そうだ! 今日の雪也は物が分かっているな!! そう、私達は個で存在しているだけは未完全な状態であるのだ。個と個が互いを認識し合い、触れ合うことで初めて個は完全体になったと言える!!」

 

 

「なるほど、大変興味深い話です」

 

 

「・・・ハァ。雪也、兼人。帰るのならば帰るぞ。貴様らに付き合っていると日が暮れそうだ」

 

 

 

 どうやら兼人殿の話に夢中になってしまい、足元が疎かになっていたらしい。三輝殿が率先として肩を組んだ状態で進み始めたので、私も兼人殿も鈴なりになって三輝殿についていった。

 

 

 流石にこの状態で、上履きは履き替えられないので肩を組むのを止めて、各々の下駄箱へと向かい、運動靴に履き替える。

 

 

 私が上履きを下駄箱へと仕舞った折に、隣のクラスのため近くにいた三輝殿が再度あの話を私に持ちかけてきた。

 

 

 

「雪也、どうして今日は俺や兼人に殿を付けたり、敬語で話したりした」

 

 

 憮然とした面持ちで私にそう問う三輝殿に、私は困ったような笑い顔しか披露できなかった。

 

 

 

「これには事情が御座る・・・・・・しかし、その事情を話すのは難しく、三輝殿が納得出来る話が私に出来るようには思えないのです」

 

 

「そうか。俺も、雪也に無理に話せとは言わん。その事情とやらが話せるようになってからで良い」

 

「かたじけない。いつか、きっと三輝殿には話すつもりで御座る」

 

 

 

 三輝殿は私の返事を聞いて、「そうか」と頷いて、それでこの話は終いとなった。私と三輝殿よりもいち早く靴を替え終わった兼人殿が生徒玄関に出て、夕陽を仰いでいるのか立ったまま微動だにしない。

 

 

 私と三輝殿は、兼人殿の横に並んで無機質な住宅街の向こうへと沈んでいく夕陽を眺めた。石や木造りであった家々はもう遠に無く、コンクリート製の縦に長い家ばかりがこの日本に並んでいる。

 

 

 私達三人は、その後暫く雄大な夕陽を眺め続けて、誰からともなく足を校門へと進めて帰途についた。

 

 






次回、答え合わせですが、ほぼ正体は分かったと思います


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石田三成の章 死後のあれこれ

 

 

俺は茶坊主から身を立てた身であるからか、この世の不思議にはとんと疎い。正則の馬鹿が好きな怪談話も、清正が一時期嵌りそうになっていた占いも俺は信じていない。

 

 

だからこそ、輪廻転生など誰かが都合良く考えた理の一つなのだと思っていた。この身にいざ起こるまで、そんなものは信じたことがなかったのだ。

 

 

 

俺が石田三成であったことを思い出したのは齢三つの時であっただろうか。母と父、姉の四人家族の長男として産まれたらしい自分に俺は身が凍る思いをした。

 

 

血の繋がった家族と懇意にしていたとは言えない身だ。私にとっての家族と言えば、不遜なことであるが、秀吉様に寧々様、あとはまぁ、飼い犬程度で正則と清正も入れてやっても良いくらいなものだ。

 

家族団欒という言葉には、とんと縁がなかった。

 

 

だからこそ、俺はこの今生の父上と母上、それから姉上との接し方に齢三つでありながら、苦悩した。

 

 

 

今ではなんとか、あの三人との接し方も様になったと思う。一時期は大層苦労したものだ。

 

 

ーーーーー嗚呼、こんな毒にも薬にもならない話をしたかった訳ではない。

 

 

今は、雪也のことを考えなくてはならなんだ。

 

 

 

俺は雪也と別れてから、未だにしつこく肩を組んでくる兼人に「雪也をどう思う?」と問いかけた。

 

兼人は、前世の時もそうであったが「雪也?」と鈍い声を出す。

 

 

「そうだ。彼奴、今日様子が可笑しかっただろう。まさか、本当に幸村ってことはないだろうな」

 

「確かに、今日は一段と幸村らしかったな」

 

 

「しかし、そうなるとだ。俺と貴様だけでも平成の世に転生したと言うのが信じられぬ話なのに、幸村もとなればいよいよ気味が悪くなってくるな」

 

 

「いや! そう怯えることはないぞ!! 三成!!」

 

 

「貴様、俺の名を何度間違えたら気が済むのだ。今の俺は三輝だと何度言えばその鳥頭は覚える」

 

「良いか、三成。これは愛だ! 愛なのだ!! 私と三成、幸村のあの三人の誓いが絆となって三人共に今生に生を受けた。固い絆が成し得た愛の所業なのだ!」

 

 

「俺の話を聞け! なんで貴様は四百年経った今でも人の話を聞かないのだよ!」

 

 

俺は頭痛を訴えてくる頭に手をやって、隣でべらべらと普段通りに愛と義について語る兼人を忌々しそうに見上げた。

 

 

 

今は浅越兼人と名乗っているこの男は四百年前、戦乱の世として有名であった織豊時代に直江兼続として生きていた。軍神と名高い上杉謙信公とその息子、重勝の二代に仕え、数多の戦場で愛と義を訴え続けた大変暑苦しい男なのだ。

 

 

流石に四百年も経てば、少しくらいは落ち着いているかと思えばそんなことは毛程にもなかった。

 

 

俺と雪也、そして兼人が出会うことになった保育園で、沢山の園児に囲まれて愛と義を説くこの男を見た時の俺の心境が分かる奴は居るだろうか。

 

 

恐らく、前世で何度も兼続とぶつかり合った奥州の独眼竜とその家臣、正則や清正も分かってくれるだろう。

 

 

ある意味、全く変わる様子がないこの男に感心してしまった俺がいた。

 

 

 

「幸村であったら良いな。また三人で今生の誓いを立て、歳を取っていきたいものだ」

 

「兼人・・・」

 

「今度こそは、共に歳を取り、老後を迎えて、句でも嗜もうではないか。嗚呼、幸村は老いても鍛錬をしてそうだな。私もその隣で鍛錬でもするか」

 

 

まだお互いに十六歳であるのに、兼人は老後についてあれこれと楽しそうに語った。何時も無駄に楽しそうな奴だが、この時は通常よりも殊更楽しそうであった。

 

 

 

俺が関ヶ原で潰えてから、次にそう長い年月を経ずに幸村が大阪で生を全うしたということを俺は兼人と再会してから聞いた。兼人は未だに幸村の味方となってやれなかったことが凝りになっているようだが、幸村はそのようなことは気にせんだろう。

 

 

そう言ってやると兼人はそうなのだと言って笑い、少し羨望を混じえた顔で語った。

 

 

武士としての魂を抱いたまま、生を全う出来た幸村が少しばかり羨ましいのだと兼人は微笑んでいた。

 

 

俺は兼続から二度の大坂の陣が開戦されたことを聞いて、驚く程に衝撃を受けた。

 

 

幸村は俺の後を継いで、秀頼様を守ったらしい。大阪城に陣を敷き、あの家康の本陣に鉄砲玉のように突っ込んで幸村はそこで生涯を閉じた。

 

 

そのことは例えようもない程に嬉しい。幸村が俺の志を引き継いでくれたことが、言葉にならない程に嬉しい。

 

 

だが、俺の死後にまたあの真田兄弟でやりあったのだと兼人から聞いた。関ヶ原で袂を分かたせてしまったあの兄弟を、俺は死んでからも離れさせてしまった。

 

 

そのことが、俺は気に入らなかった。

 

 

兄の信之は俺の数少ない友人であった。弟の幸村も俺の数少ない友人だ。

 

 

俺の死後は、あの二人がまた揃って戦地を駆け抜け、互いの背を守り合っていると信じたかった。その望みは、二人を引き離した俺には過ぎたものだったのだろうか。

 

 

 

「フン。私はまだ第一線を引く気はないぞ。老いても、気になって仕方がないだろうからな」

 

 

「もうあの世ではないのだぞ、三成。そうだ、今生では三人で旅に出ないか? 日本から出て、世界中を旅するのだ。アメリカ、イギリス、フランス、イタリア、オーストラリア、アフリカ、エジプト。中国も忘れてはいけないな、ロシアにも行ってみたい」

 

 

「・・・そう言えばそうだったな。世界中の旅か。姦しい旅になるだろうが、確かに貴様にしては名案かもしれぬな」

 

 

 

「三成! お前は何処へ行きたいか?」

 

 

 

次々と日本の外にある国名を上げていって、何処へ行きたいかと尋ねる兼人に俺は「そうだな」と間を持たせて答えた。

 

 

 

「三人ならば、何処でも良い。日本から一等遠く離れた場所であっても、反りが合わない輩が蔓延る地域であっても、だ」

 

 

「そうか! ならば、幸村にも聞いてみよう!! 幸村は何処へ行きたいと答えるだろうな」

 

 

 

俺達三人の中で、一番長く乱世を過ごした兼人は俺達が居なくなった前世で何を見、何を感じたか等は一つも語らなかった。

 

兼人がいつも口にするのは、俺と幸村がいた時ばかり。

 

 

俺は俺が居なくなったそれからのことを何度か調べたことがある。

 

 

今の時代は大層便利で、インターネットや図書館があり、情報を収集するのにこれ程時間を取られないことが今生で最も気に入っている事柄だ。

 

 

俺が居なくなった豊臣軍、関ヶ原の後に家康が開いた江戸幕府、幸村と兼続が対峙した二度の大坂の陣。

 

 

俺は未だに石田三成であり続ける。四百年経った今でも俺はこの平成の世に居ながら、思いを馳せるのは乱世の世だ。

 

 

 

だが、もし。

 

 

 

また、あの三人で出会えるのであれば俺はこの平成の世を自分の時代だと思えるかもしれない。

 

 

 

 

 






石田三成とその家族の仲については、悪くはなかったとこの間、友人から聞く機会がありました

私自身、歴史上の人物を扱っているので出来るだけ、史実を織り交ぜたいと考えていますが、戦国無双のキャラ像にも忠実にありたいので、ゴニョニョしながら書いていきたいと思います



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真田幸村の章 従兄弟を尋ねてきたその人は義姉に似てた

 

 

 私が、沖野雪也の身でありながら真田幸村としての一生を思い出して一週間が経った。父上と母上の前でも、やはり言葉遣いは沖野雪也のものとなり肉親の二人は私の存在について一切気づいていないようである。少しばかり、そのことが申し訳なく、私としてはやはりこの真田幸村の記憶は抹消したい所存であるが、どうにもこうにもこの記憶は根強く私の頭から離れない。

 

 

 学校に通うことも慣れた私は、授業を受ける度に乱世の世の習いとは格段に違う事実に衝撃を受け、文字通り目を回していた。しかし、定期テストなるものがある限り、私も授業を生半可な気持ちで受ける訳にはいかぬ。鍛錬を行うときのように、集中力を高めて事に当たっていることもあってなんとか授業についていくことは出来た。

 

 

 授業についていくことができたのは、もう一つの理由がある。度々長行兄上が私を慮って、家に訪ねてくださり、私が授業を聞いても理解出来ぬ所を親身に教えてくださることもそうなのだ。長行兄上は、兄上のように物知りで私に授業以外のことも話してくださった。兄上同様、話上手なので幾らでも聞いていられるのだ。私は前世でも今生でも、兄上に恵まれたと思う。

 

 

 

 忍に似た明依殿は私と共に登校することが日課であるようで、私は彼女を待たさないためにも沖野雪也が起きていた時間よりも三十分早く起き、玄関前で彼女を待つことにしていた。その度に、明依殿は私の顔を覗きこんでは言うのだ。

 

 

 

「雪也~、やっぱもしかして変なものでも摘み食いしたかにゃ? 最近、アッシが来るよりも先にいるじゃん。大丈夫なの? 無理してない?」

 

 

「気にするな。女子と待ち合わせて行くのだ。私がそなたを此処で待っていることは普通であろう」

 

 

 明依殿は何故か私のこの言葉に驚いたようで、大きなくりくりとした目を戦慄かせて、大袈裟に後ずさるのであった。そして、何度も目を擦っては私の顔を覗き込む。明依殿こそ、体調が芳しくないのかもしれない。

 

 

 そう思って告げてみると明依殿は私から顔を背けてさっさと学校へと行ってしまうのだ。乙女心は秋空よりも変わりやすしとは言うが、全く持ってその通りだと思う。

 

 

 

 学校に着くと生徒玄関で明依殿とは別れる。私も運動靴を上履きに替えようと下駄箱へと行って、取り替えていると「おはよう、雪也」と横から三輝殿の挨拶が掛かった。

 

 

「おはようございます、三輝殿」

 

 

「雪也は朝から元気だな。俺は、眠くてしようがないのだよ」

 

 

 

 三輝殿はそう言うだけあって、眼が眠そうに閉じかけている。私は三輝殿に苦笑して、三輝殿が眠くなっているその訳を口にした。

 

 

 

「また、遅くまで起きられたので御座るな。夜更しは体に悪いですよ」

 

 

「分かっている。だが、あの続きが気になってだな」

 

 

「本を読まれていたのですか?」

 

 

「否、フェルマーの最終定理だ」

 

 

 三輝殿は、三成殿のように数字が得意らしく、たまに数学の問題に取り掛かっては夜な夜な計算をしているようなのだ。私には縁のない夜更けの嗜みだ。

 

 

 

 私は三輝殿と連れ立って教室へと赴くことにした。三輝殿とは隣のクラスゆえ、向かう先が同じなのだ。

 

 

 

「コラァ! 慶斗!! お前はまたそんな格好をしおって!! また耳に穴を空けただろ!? どんだけその耳にジャラジャラと付ければ気が済むんだ!?」

 

 

「ハッハー、今日もセンコーは元気だねぇ」

 

 

「お前は毎回毎回その大きな体と済まし顔でちょこまかちょこまかと逃げおって!!」

 

 

「逃げないと怒られるからねぇ」

 

 

 

 教室へと向かう私と三輝殿のすぐ側を風のように駆け抜けた大柄な男がいた。二メートルもあるのではないかと思われる巨体がどうしてあれ程早く走り抜けられるのかが分からない。まるで、名馬の松風のような見事な走りっぷりであった。

 

 

 その後ろをやや離されて走るのは禿頭の教師である。黒のジャージを着込んだ壮年の男性が顔を真っ赤にして、逃げる大男を追って私と三輝殿の隣を駆けて行く。片拳をぶんぶんと頭上で振り上げている様からかなり立腹しているようだ。

 

 

 

「また伊勢谷に遊ばれているのか、あの教師」

 

「三輝殿はあの御仁をご存知なのですか?」

 

「嗚呼、あの大男は俺と同じクラスだからな。伊勢谷慶斗と言って、どうも思い出しくない輩と似ていて気に入らん」

 

 

 眠そうだった眼を正して、嫌そうに慶斗殿と教師の背を見送っている三輝殿に私は曖昧な相槌を打った。

 

 

「そうなんですか」

 

 

「あのどら声といい、間延びした口調といい、背丈ばかりが伸びた体といい。全く持って碌でもない類似点ばかりだな。あやつが松風にでも乗って現れたら、俺は即刻討ち取りに行くぞ」

 

 

 慶斗殿とよく似ているその御仁は三輝殿にとって余程、腹に据えかねる御仁であるようだ。三輝殿が眦を上げたまま教室に入っていき、私も自分の教室へと入っていく。

 

 

 

 ・・・・・・私はあの御仁の後ろ姿を思い出していた。

 

 

 二メートルもあるのではないかと思われる巨体と、後ろに一本で結われた金髪。鈴蘭の如く耳に付けられた耳飾りに、柔らかな間延びした口調。

 

 

 

『傾いてるかい?』

 

 

 以前、そう言って何度も戦場に乱入してきた大男は、私にとって恩人であった。私に武士としての在り方を教えて下さり、真田家の再興にも惜しみなく力を貸してくれた日本一の傾奇者。

 

 

「慶次殿も、もうこの世には居ないので御座るな」

 

 

 あの方だけは、誰かに討たれる姿が想像出来なかった。松風に乗って、日本中の戦場を駆け巡る慶次殿は武士の誰よりも武士の肝を分かっておられた。

 

 

 

 己の机に鞄を提げて、私は席に腰掛ける。ピロリンと尻のポケットから鳴ったその音に促されて、私は制服の尻ポケットから四角い物体を取り出した。

 

 

 

 平成の世には、あの頃よりとは比べようにもならない程の便利な道具が存在する。この四角い物体ーーースマートフォンとやらもその一つだ。このスマートフォンを持っていれば、スマートフォンを持っている他の者達と言葉のやり取りが出来る。戦場では沢山の伝令と忍が敵の情報を持って走り回っていたが、このスマートフォンとやらがあればその様なことにはならなかったであろう。戦場の常識はこれ一つで覆るのだ。私がこの平成の世を恐ろしく思ってしまう要因に便利すぎる道具の存在があった。

 

 

 スマートフォンの中に入っているアプリの一つ、RAINに着信があったようだ。三国高校は、基本スマートフォンの持ち込みは可能だが、授業中は使ってならないために電源を消しておくことが定めであった。昨夜、兼人殿と愛と義の相互性について語り合っていた時からそのままにしていたのであろう。私は、返事だけをして電源を切ろうとRAINを開いた。

 

 

 誰からの着信だろうと思えば、長行兄上からであった。

 

 

『晩の七時に雪也の家に向かう』

 

 

 どうやら、今晩も長行兄上は私に勉学を教えてくださるようだ。長行兄上は、バスケ部に入っており、部活後は大変だろうと思うのだが、私の遠慮を長行兄上は笑い飛ばしていつも我が家に訪ねて下さるのだ。長行兄上は番茶を好まれるので、今日も家に戻り次第ご用意せねば。

 

 

『承知しました。道中にお気をつけて』

 

 

 この平成の世では、牢人や野武士、乞食に陥った農民等に襲われる心配はなくなったが、それでも夜の道中には危険が伴う。私の兄上であればそのような者達に遅れをとったりしないのだが、長行兄上は木刀一つ、握ったことがない御仁だ。各言う沖野雪也も鍛錬などをしたことがない男子だ。私も恐らくは、乱世のように体を思い通りに動かせないであろう。腕も足も真田幸村であったころと比べると頼りないほど細い。

 

 

 兄上に返事を送って、私はスマートフォンの電源を切った。それを尻ポケットに仕舞った所で、私の目前にはいつの間にか二人の女子が現れていた。

 

 

 二人共、明依殿のように頭頂部で髪を一つに括っているが、髪質が正反対であるためか同じ髪型をしていても様子が違うように見えた。右側にいる女子はキツ目の顔立ちをしており、髪が波打っているせいか華やかな様相であった。左側の女子は瞳の大きな幼い面相の者で、真っ直ぐに床に伸びた髪が私には厳格の象徴に見えた。彼女達は私の机前に立って、椅子に座る私を見下ろしている。

 

 

 

「ちょっと良い? 沖野君」

 

 

 左側にいる女子が口火を切った。沖野雪也の記憶では、彼女を天野と呼んでいる。よって、私も天野殿と彼女をお呼びしよう。

 

 

「私に何用で御座ろうか?」

 

 

 沖野雪也の言葉に変わらず、私の言葉が口から飛び出てしまった。彼女達は私のこの言葉に驚いたらしく、面食らったようで女子同士で視線を交わし合っている。

 

 

 またこの現象が起きてしまった。これで、私の言葉を今生で聞いた人物は彼女達で六人目となる。未だに、この謎を解明出来ないでいる私は頬が引き攣るのを感じた。彼女達の次の台詞が想像できるが、さて、今回は一体どう話せば良いものか。

 

 

 

「沖野君って、そんな話し方してたっけ? ね、ねぇ、稲ーーーゴホンゴホンっ、佐奈? どうだったかしら?」

 

 

 何故か体調が芳しくない天野殿に私の口調について尋ねられた佐奈殿も視線を泳がせている。

 

 

「えっと、確かに稲ーーー私も沖野君の話し方に違和感を覚えました」

 

 

 何処か落ち着かない二人を私は見渡して、嗚呼、この右側の女子は家康殿を敬愛している女子であったなと初日の出来事を想起していた。確か、このクラスの学級委員長を務めている女子で清廉潔白が服を着て歩いてるような方であったと沖野雪也は記憶している。

 

 

 まだ一年であり、三国高校に入って間もない沖野雪也が彼女達について知っていることはそう多くないが、この二人はよく一緒に居ることが多いようだ。

 

 

「そんなことよりもっ! 聞きたいことがあるの、沖野君! ね、佐奈!」

 

「え、えぇ。そうなんです。沖野君」

 

 

 二人はまだ様子が可笑しかったが、本題に移ることにしたようだ。私も口調についてこれ以上尋ねられても満足に返事が出来ぬので、二人の本題に耳を傾けた。天野殿が目配せするように、佐奈殿を見やる。佐奈殿はそれを受けて、緊張を解すように息を吐き出した。どうやら、私に用があるのは佐奈殿であるらしい。私は佐奈殿が話す決心がつくのを待つことにした。

 

 

「あ、あの。沖野君。たまに沖野君を訪ねて昼休みに来られる上級生の方がおられるのではないですか。もし、居られるのであれば、あの方は、その、どういった方なのでしょうか?」

 

 

 いざ決心を固めて佐奈殿が私に尋ねてきたのはその様なことであった。佐奈殿の言に要領が得ない私は腕を組んで、たまに昼休みに訪ねてくる上級生について考え込む。

 

 

「髪を一つに縛っている殿方です。柔和な顔立ちで、いつも貴方を優しく呼んでいるお方で。もし、戦地で猪突を繰り返したら、優しく窘めてくれそうな殿方のことなのですけども・・・」

 

 

「佐奈ぁ、その説明じゃ流石に分かりっこないわよ」

 

 

「嗚呼、長行兄上のことですね」

 

 

「って! 分かるんかい!?」

 

 

 佐奈殿の分かりやすい説明のお陰で、この私にも佐奈殿が誰のことを言っているのか分かり申した。佐奈殿がお探しの人物は、長之兄上のことであるらしい。佐奈殿は「長之殿」とその名を確かめるように呟くと頬を薔薇色に染めた。大層、愛らしいご様子だ。

 

 

「その殿方は長之さんと言うのですね。偶然でしょうか、お名前もよくあの方と似通っておられます」

 

 

「流石にそれ以上の偶然は無いと思うわよ。そもそも、アタシ達が一緒に居ることのほうがおかしいんだから。でも、アタックするのは全然良いんじゃない? 恋に生きろ! 命短し乙女って言うし」

 

 

「アタックだなんて・・・! ふ、不埒ですわ! 甲ーーー夢花!!」

 

 

 

 佐奈殿は焔のように顔を赤くして、私に「教えてくださり有り難うございます」と律儀に礼を述べて佐奈殿の席へと舞い戻っていった。天野殿は、そんな佐奈殿の背を追って私の前から居なくなる。

 

 

 私は帰り際にでも賑やかなお二人を見送って、頬杖をついた。父上はよく、物を考える際に胡座をかいてその上に頬杖をつき、虚空を眺めていたものだ。

 

 

 長之兄上のことを佐奈殿が尋ねて来られたからだろうか。

 

 兄上に嫁いだ義姉上を佐奈殿に重ねてしまったのはそんなゆえあってか。

 

 

 私は平成の世に一週間も居るというのに、まだ乱世のことばかりを考えてしまうのであった。

 

 






静岡空港はもう少し、バスの本数を増やしてほしいです
家康だって、多分そうしたほうが良いと言ってると思います


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真田幸村の章 異国の地に思いを馳せる

 

 

 

 

 全ての授業が終わると、最後のホームルームが行われる。担任がその日の締めを行うために、教室へとやって来て、あれこれ話し、それも終えるとやっと放課後が始まる。

 

 

 

 私のクラスの担任は一週間のうち、きちんと教室に入ってきたことは一度もない。廊下側の窓から顔を覗かせて、出欠を取ると職員室へと直ぐに帰ってしまうのだ。彼は国語の教師であるからして、国語の授業の際にはきちんと教室に入ってくるのだが。

 

 

「諸君、出欠確認を取る。早退した者が居れば名を挙げるように。ーーーふむ、居ないのだな。皆、健康で結構。では、ホームルームを始める」

 

 珍しく教室に入ってきた担任は、はきはきと言葉を区切ると何故か手にしていた三味線を掻き鳴らして「うむ」と頷く。

 

 

 

「今日、俺が来たのは十月の遠征についてだ。諸君、何処か行きたい場所があるのならば早急に述べるといい」

 

 

 そして、担任はまた三味線を掻き鳴らした。担任は、叱られないのか教師にあるまじき格好でよく勤務している。今日もダメージジーンズに髑髏のTシャツを装着し、髪は女子よりも凝ってそうな髪型だ。沖野雪也はこの担任をロックな人だと評価していたようだ。私も彼を型にはまらない人物だと思う。

 

 

「参考までに言っておこう。前年度は、近くの遊園地に赴いたらしい。俺は、四国の魚が食いたかったのだがな。そう言うと田中にそんな予算はないと怒られた、凄絶にな!」

 

 

 私達の通う学校があるのは武蔵にある。家康殿が幕府を開いた場所でもあり、今は東京と呼ばれ、賑やかな場所になったこの世の光景とは思えない程の高い建物と人で溢れ返っている。日本の首都でもあるらしく、私の家や三国高校がある地区はまだ閑静な場所であるのであまり首都たる片鱗は見いだせないが。

 

 

 そんな場所から西国である四国に行こうと思えば、かなりの銭が必要だろう。兵糧と馬、用意する物資だけでもかなりの額になる。時間もかなり掛かるであろう。

 

 

 

「では、三河・・・静岡県は如何ですか? 静かな場所ですし、学ぶことも多くある地です」

 

 

 真っ直ぐに天井へと伸びた挙手と共に、遠征先の候補を出したのは佐奈殿だ。担任は「ほほう」と声を上げて、黒板に静岡県と書く。そして、他には?と問うように皆の顔を見渡した。

 

 

「はいはーい! アタシは小田原城址公園に行きたいわ! そう遠くないし良くない?」

 

 

 次に溌剌と声を上げたのは天野殿であった。担任が「これは田中が凄絶に喜びそうだな」と静岡県の隣に小田原城址公園と書く。

 

「あ、あの! 俺は九州に行きたい! 九州の海が見たい!!」

 

 

 小田原城址公園の次に出てきたのは四国よりも遠い九州であった。これには、担任も呵々と笑って「無理だろうがな」と意地悪そうに言いながら黒板に九州と書く。九州に赴くならば、四国以上の銭が必要になる。現実味のない話であったが、この行く先を提案した男子は真剣な面持ちであった。

 

 

「九州に行くんなら、熊本城に寄りたい。今はどうなってるのだろうな、あの城は」

 

 

 真剣な男子を援護するように別の男子が九州に行った際の行く先を挙げた。その男子は、三成殿を平成の世にいながらよく理解している男子であった。九州行きを提案した男子はその援護に励まされでもしたのか、目を煌めかせて首を勢い良く縦に振った。

 

 

「熊本城は良いな! 俺、一回だけでいいからあの城を攻め落としてみたかったんだ!!」

 

 

「・・・ん? どうにも聞き捨てならねぇことを口走らなかったか、このチビ」

 

 

 

 担任は新たに追加された九州の行く先に「九州は戦人ばかりであまり興味がないのだがな」と少々、面倒くさそうな顔をしている。担任は出揃った遠征先を一つ一つ確認して、「ふむ」と顎を撫でた。

 

 

「諸君、恐らくこの中で決めるのであれば、遠征先は小田原城址公園になってしまうが良いのだな。諸君らが行くにしては、どうも慰安旅行先感が凄絶にあるが、私はこれの持ち込みが可能であれば何処でも良い」

 

 

 担任が言うこれとは今も弾き鳴らされている三味線だ。すると、これでは不味いと思ったらしい他の生徒達がおずおずと手を挙げて、行き先を告げ始めた。

 

 

「前年度と同じ遊園地に行きたいです、先生」

 

「俺は、秋葉原」

 

「スカイツリーに登りたいなぁ」

 

 

「地下アイドル劇場!!」

 

 

 

 次々と挙げられる行き先は、私の知らぬ場所が多いが、何処も都内にあるようで担任は黙々と黒板にその行き先を記しておく。一通り出揃い、誰の声も上がらなくなった頃、担任は漸くチョークを黒板に置き、三味線を掻き鳴らした。

 

 

「これはこれで面白みがないな。なんとも陳腐だ。これならばいっそ、岐阜の関ヶ原に行ったほうが余程愉快だろう。彼処は今、関ヶ原の戦いが体験できるらしいぞ。どうだ、諸君?」

 

 

 担任は片頬を上げて、また呵々と笑った。私はついぞ、最期まであの地に行くことは無かったので、興味深くもある。しかし、担任のその提案を佐奈殿と天野殿、三成殿に詳しい男子が「結構です!!」と揃って否と答えたのだ。幾分か顔色が悪い彼女達を担任は可笑しそうにせせら笑っていた。

 

 

 

 結局、私のクラスで決まった遠征先は、前年度と同じ遊園地になったのである。担任はそれに「やはりな」とつまらなさそうな顔で呟いていた。

 

 

 

 *

 

 

「ほう。雪也のクラスは遊園地に行くのか! 私のクラスは激論の末、スカイツリーになったぞ!!」

 

「俺のクラスは浅草になった。これに落ち着くまでかなり労を要したぞ」

 

 

 放課後は、三輝殿や兼人殿と帰途を共にすることが日課になっていた。私のクラス以外でも遠征先について議論があったらしく、三輝殿は疲れたような様子で、兼人殿は朗らかな笑顔で私にそのことについて話して聞かせた。

 

 

「最初はアメリカに行こうと話していたのだが、そんな予算はないと北野先生に言われてな。では、ドイツ村にでも行こうかという流れになったが、アメリカには筏でも行けると井上が言いおって。そうこう話しているといつの間にやらスカイツリーに行くということで蹴りがついたのだ」

 

 

「俺のクラスは、伊勢谷が歌舞伎を見に行こうと言ってな。他にも、渋谷や原宿と遠足には不似合いな場所が多く議題に上がった。しかも、担任に至ってはサッカーを見に行こうと言い出す始末だぞ」

 

 

 お二方のクラスも遠征先を決めるのには手間取ったようだ。私は、草臥れたように嘆息を吐く三輝殿に苦笑を見せて、一人足早に校門へと歩を進める兼人殿に追いつこうと三輝殿に目配せをした。三輝殿も私の提案に異論はないようで、駆けるように地を蹴って兼人殿に追いつく。

 

 

 

「そうだ、雪也! もし、外国に行けるとすれば、そなたは何処へ行ってみたい?」

 

 

 すると、兼人殿に追いついて直ぐに兼人殿にそんな質問をされた。私が暫し、話の流れが読めず戸惑っていると三輝殿が「いろいろあるだろう」と咳払いして言う。

 

 

「アメリカ、イギリス、アフリカ、オーストラリア、ブラジル・・・。日本を出るならば、雪也は何処へ行きたいのだ?」

 

 

 三輝殿のお陰で漸く話の流れが掴めた私は、沖野雪也の記憶を手繰って日本以外の国について考え始める。

 

 

 私は幼い頃、小県を出、尾張や京、大阪といった国を見て回ってみたいと思ったことがあった。信長様に真田の名代として仕った時は京を訪れたが、あの風靡な都の景観を私は今でも覚えている。京の町並みは昔、今で言う中国の長安を真似て作ったのだと兄上に教わったことがあった。洛陽の町並みが今日びまで現存してあるのかは分からぬが、私はもう一度あの景観を拝見してみたい。

 

 

 

「中国に行きとう御座いまする。京が真似て作ったと言う長安をこの目で拝見してみたい」

 

 

 

 三輝殿と兼人殿は顔を見合わせて、私にもう一度顔を向けた。

 

 

「そうか。雪也は中国に行ってみたいのか。俺も中国の漢書は好きだった。もし、行くのであればそれらをもう一度収集してみたいのだよ」

 

 

「良い考えだな!それは。私も漢書には興味がある。向こうの国には愛と義を説く教えが沢山あるからな!!」

 

 

「でしたら、三人でいつか行きませぬか!? それこそ筏を組んでも良いです。海の向こうにあるあの大きな大陸に三人で渡ってみとう御座います」

 

 

 お二人方もかの大国には興味があるようなので、つい私は食い気味にお二人方を中国の旅路に誘ってしまっていた。私の剣幕に三輝殿と兼人殿は驚いたようで、目を丸くしている。私は己の所業に二人の丸くなった目を見てから気付いた。恥ずかしくなって、つい顔を俯けてしまう。全く持って武士として情けないことをした。

 

 

 しかし、御心の広い御仁である三輝殿と兼人殿は私の所業を何とも思っていないと言うふうに笑ってくださった。兼人殿の快活な笑い声が茜空に響き渡る中、三輝殿が「雪也」と私を呼ぶ。

 

 

「そうだな。俺と雪也と兼人の三人で海を渡ろう。大陸に着いたら、長安を目指して電車の旅をしても良い。飛行機に乗って空から大陸に渡っても良いな」

 

 

「兼人殿、三輝殿・・・」

 

 

「ハッハッハ!! そうだな、雪也! 三人で何処までも行こうじゃないか!! 愛と義に溢れた良い旅になることは間違いないな!!」

 

 

 三輝殿と兼人殿は私と一緒に来てくれると言う。日本を出て、海を超え、別の大陸へと渡ってくれるとお二人方は微笑んで私に告げる。

 

 

 小県を初めて出た時のような、心躍る気持ちをまた体験出来るとは思わなかった。まだ見ぬ未知に体の芯が震えるのは、平成の世に目覚めて初めての事だった。

 

 

「有難うございまする! いつか、参りましょう! かの地へ!!」

 

 

 私は勝鬨を上げる癖がついているせいか、つい紅牙飛燕を持っている訳でもないのに片手を高らかに振り上げてしまった。しかし、それには兼人殿も私に倣って振り上げてくださったので、今度は恥ずかしい思いをしなくて済んだのだった。

 

 

 






四国県民からいろいろ話を聞くと、高知県だけやっぱり突出して特色を放っているみたいですね

彼処はよく分からない、方言も凄い、山を隔てるからやっぱり違うなどなどありまして、もう一回行ってみたいなと思う県です

鰹とゆず、いいですよねー



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稲姫の章 夢見る乙女

 

 一人称を変えて、もう随分と時が経ちます。

 

尊敬する父上が居なくなり、殿のお姿を気軽に見詰めることが出来なくなったり、愛する夫の顔が朧気になったり。

 

乱世は悲しいことも辛いことも沢山ありました。けれど、稲にはあの時代、愛するものがそれ以上に沢山ありました。

 

 

 

 平成の世は、稲が夢見た理想郷です。戦がなく、誰も愛する人を戦で亡くさない幸せな時代。兄弟で戦うことも、親子で戦うこともないこの時代に再び生を受けて、稲はとても安心しました。

 

 

 

 しかし、稲の愛するものは、この時代には幾つもありませんでした。父上も殿もーーー信之様もいないこの時代で再び生きることは、本田忠勝の娘として恥ずかしいことですが、とても心許ないものだったのです。

 

 

 

 幾日、幾月、幾年、太陽が上り、星が巡り、月が沈んだことでしょうか。稲は平成の世に産まれてから、齢十六になっていたのです。

 

 

 

 その間にも色々なことがありました。今生では背の低く、線の細い父上を背負投してしまったり。

 

小学校で生まれ変わった甲斐と再会したり、中学校に居た不埒者達を甲斐と共に成敗したりと、本当に色々なことがありました。

 

 

 いま、思い返してみても、一刻では思い返せない程に様々なことがこの身に起こったと自負しております。

 

 

 

 だからこそーーーーー信之様に似た殿方を発見した時は、つい机を張り倒してしまったりすることも、あったのです。

 

 

「佐奈!? アンタ、机をいきなり投げ飛ばしてどうしたの!!?」

 

「甲斐。私は夢を見ているのでしょうか? 信之様を今生で見てしまうのだなんて。こんなことって有り得るのでしょうか?」

 

「何意味の分からないこと言ってんの!? 佐奈の席が一番前だったから良かったものの、もしそれより後ろの席だったら確実に怪我人を出していたわよ!!」

 

「わ、私としたことがとんでもないことを・・・!」

 

 

 甲斐に指摘されるまで、己がしでかしたことの大きさを認識出来ませんでした。青褪めて、慌てて机を起こした私に衆目が集まるのを感じます。本田忠勝の娘として、失態を犯したことは言うまでもありません。

 

 

 甲斐は顔を俯けて、沈み込む私の肩をポンポンと軽く叩きました。甲斐はそこいらの足軽よりも逞しい女子なので、ちょっと叩かれた肩が痛いです。

 

私は、甲斐の「元気だしなよ」という声を聞きながら顔を上げました。

 

 

「誰と愛しの信之様を間違えたのかは知らないけどさ、そんなに気になるなら声を掛ければ良いじゃん」

 

 

 甲斐に私がこうまで取り乱した原因を突かれ、私はハッとした面持ちで、信之様によく似た殿方を探すべく、視線を走らせました。クラスメイトと仲良く話し込んでいたその方は、もう廊下側の窓際に姿が無く、クラスメイトも席に戻って昼食を摂っていました。不覚です。一瞬の間に、取り逃がしてしまったようです。

 

 

「もう、お姿が見えません。確かに、信之様とよく似ていらしたのに」

 

 

 また沈み込み始めた私に、甲斐が顎に指を当てて「そうねぇ」と何か考え込み見始めました。

 

 

「佐奈が見たその人って、沖野くんによく会いに来る上級生よね、絶対。だって、さっき廊下に居たのってその人しかいなかった訳だし」

 

 

「沖野くん・・・?」

 

 

「あの席で、今昼飯食べてる子」

 

 

 甲斐にピシッと指差された沖野くんは確かに、あの殿方と話し込んでいたクラスメイトに相違ありません。私が一もニもなく頷くと、甲斐は不敵な笑みを浮かべました。

 

 

「よっしゃぁ! じゃあ、話は早いわね! あの子を絞り上げれば済むことなんだし」

 

 

「夢花。流石に絞り上げるのはどうかと思います」

 

 

「良いのよ良いのよ。とにかくその真田兄似の男のことを聞ければ良いんでしょ?」

 

 

 甲斐の見も蓋もない発言に、私は首肯する他ありませんでした。

 

じわじわと首が熱くなってくるのを感じます。

 

父上に殿、信之様を夢に見ることは、恥ずかしながらよくあることでした。父上と共に鍛錬したことや、殿を守るべく戦線に身を置いたこと、信之様と結婚をしたことまで。

 

私はあの乱世で身に起きたことを夢に見ました。

 

 

 それが、私の本音だと分かっております。私は、この平和な世で安穏として生きることよりも、愛した者達がいたあの世でまた戦場に弓引きながら、過ごしていたかったのです。

 

 

 稲は、平和な世でも、父上も殿もーーーーー信之様も居ないこの世界で、生きとうないのです。

 

 

 

 けれども、そんな私を神が気遣ってくれたのか、この日とうとう私は信之様とよく似た殿方を発見したのです。私と甲斐はその一週間後に、沖野くんにあの殿方について話を聞きました。

 

 

 

 

 *

 

 

「か、甲斐! 貴女があんなことを言うからそれ以上沖野くんから長行様の話が聞けなかったです!」

 

 

「アタシのせいじゃないわよ。アンタが勝手に逃げ出したんだから。にしても、沖野くんってあんな堅苦しい口調だったっけ? なんてゆーか、彼奴のことを思い出しちゃうのよねーあの沖野くん見てるとさ」

 

 

 私は不埒な甲斐の発言に取り乱して、沖野くんからは長之様というお名前だけを聞くことしか出来ませんでした。

 

信之様とお名前もよく似ている長之様。

 

私は、益々あの殿方のことが気になって仕方ありませんでした。

 

 

 そんな私の隣で、甲斐が椅子に座ります。甲斐の席ではありませんが、隣人は今留守にしておりました。彼が帰ってくるまでは、甲斐がそこに座っていても良いと思われます。

 

 

 甲斐は沖野くんが気に掛かってるのか、後ろ髪を引かれるように、何度も何度も彼に視線を向けています。甲斐がこの手の行動をする時の意味を、私はこの十六年でしっかりと学んでいたので、コホンと甲斐の気を引くために咳払いを一つしました。

 

 

「沖野くんならば、私も反対しません」

 

「何の話よ!? べ、別に気になってなんか無いわよ。ただ、すこーしある人と被って見えるからそれで気に掛かるとゆーか」

 

 

 まだ、私は自分の意志しか伝えていないのに、甲斐は面白い程に狼狽えています。

 

甲斐はとても真っ直ぐで分かりやすい人です。だからこそ、私もーーー豊臣秀吉の側室になった彼女とは、付き合いがあったのです。

 

 

「甲斐の言いたいことは分かります。彼、幸村に似ています」

 

「んぐぐぐぐ。アタシがどうにかこうにか有耶無耶にしようとしているとこをアンタはガッツリ言ってくれるのねぇ」

 

「あら、甲斐はそう思わなかったのですか?」

 

「思ってるわよ! すっごぉぉおおく思ってるわよ!! 彼奴を思い出したらもう胸の中がグッチャグチャになっちゃうの!!」

 

 

 甲斐はうがぁぁああっ!と吠えると他人の机に顔をぶつけて、またうがぁぁああっ!と吠えています。

この様な奇声を上げるからくのいちに熊姫等と揶揄されるのです。何度かそう提言しましたが、彼女にとってくのいちは天敵のようで、名前を出しただけでも過剰な反応を取るのです。

 

一体、あの子も甲斐にそう言われるような何を仕出かしたのでしょうか。

 

 

「幸村に似た沖野君が信之様に似た長之様を慕っているのですね」

 

 

「なんだかゴチャゴチャするような話ねー」

 

 

 甲斐が不貞腐れているのか、気の抜けた声を出しています。私は甲斐に構わず続けました。

 

 

「もし、本当に似ているのではなく、彼等だったら。平成の世ではもう戦わずに済みます。あの二人はまた、隣り合って日々を過ごせます」

 

 

 甲斐が目を丸くして頬を机につけた格好で私を見ています。口をポッカリと開いている様が、甲斐らしい驚き方です。

 

 

「そんな幸せなことがあったら稲は嬉しいです。また、彼等兄弟の縁が繋がれるのであればこれ程喜ばしいことはないです」

 

 

 甲斐が何か物言いたげな顔をしています。今度は、ポッカリと開いていた口をパクパクと開閉して、けども、言葉にならないのか結局は重たく閉ざしてしまいました。

 

 私が言ったもしも、は。

 

 

 この平成と言う理想郷以上に有り得ないもしもです。私と甲斐が時を超えて巡り会えただけでも、奇跡なのに、これ以上の奇跡はきっと起きないでしょう。

 

 

 だけども、願うことは自由ですから。

 

 

 またもう一度、あの兄弟が共にあれる日々を私は夢見るのです。

 

 

 

 

 




稲姫と甲斐姫ってみててポヤポヤします

くのいちが稲姫の子供を抱いているシーンも大好きですが、今ならそこに甲斐姫も加わるんだろうなー

いつか見てみたいものです


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真田幸村の章 平成の世で、拳を振るう

 この平成の世には、牢人も野武士も、乞食に落ちた農民もいない。しかし、人々を害する人物が居ないと言うこともないのだ。

 

 

 今の世でも、人が人を害することはあり得ることで御座った。

 

 

 長之兄上が怪我をして我が家に来た時は、家中大騒ぎになりもうした。

 

 

「長之君!? どうしたの! その怪我!? 父さーん、赤チン!赤チン持ってきて!! あ、それと絆創膏!! 早く持ってきてー!!」

 

 

 長之兄上が我が家を訪ねられたのは夕飯時であった。いつもならば、呼鈴が鳴ればこの時間帯は私が客の対応をする。

 

 何故、私がその様に玄関を見張っているからかというと、最近は長之兄上がよく来られるので、私はそうするようにしていたのだ。

 

 しかし、その日に限って父上の帰宅時間がずれこみ、私は夕餉を突いている頃合いであった。

 

 呼鈴が鳴った際には、私が行こうと腰を上げたのが、母上の鋭い眼光を浴びて、結局は渋々玄関に向かうことを諦めたのだ。雪也の母君の一睨みは、私の父上のものと同じくらいに鋭く、あの目で睥睨されると、心臓が縮こまるような思いをする。

 

 母上が私の代わりに客の対応に向かったかと思えば、次いでそんな母上のひっくり返った声が玄関から聞こえてきた。

 

 

 

 私は急いで米を平らげ、母上の下へと馳せ参じた。そこには、頬にか擦り傷を付けた長之兄上の姿もあった。

 

 

「長之兄上!? そのお姿は如何なされたのですか!!?」

 

 

「ちょっと騒ぎに巻き込まれただけだ。そう大事にはならないから心配ない」

 

 まさか長之兄上が傷を拵えて我が家を訪ねて来られるとは思わず、私は取り乱してしまった。母上も私と同様に乱心しているようで、長之兄上の顔をペタペタと触っては「勿体無い!」と声を荒らげる。

 

 

「折角の男前がこれじゃあ台無しだよ! 父さん! 赤チンまだ!?」

 

 

「母さん、あんなとこに置いてあるから取るに手間取ったよーーーーーああ、本当だ。長之君、大丈夫かい?結構な傷になってるけども」

 

 

 漸く、救急箱を持って玄関に現れた父上は、長之兄上の傷付いた顔を見て眉を八の字にしていた。父上から救急箱を受け取った母上が労りながら、長之兄上に手当を施していく。

 

 

「ったく、どこのどいつだい! 長之君の折角の顔に傷をつけてくれちゃって! おばさん、今から仇討ちにでも行こうかね!!」

 

 

「大丈夫ですよ、叔母さん。そんなに大きな傷じゃないですし、向こうは私よりも大きな怪我を負っていますから」

 

 

「あら!? 長之君がやり返したいのかい?」

 

 

「いえ。たまたま通行人の方に助けて頂いたのです」

 

 

 私にそんな気概はありませんよと長之兄上は手を振って、母上の疑問に答えた。

 

 長之兄上が言うように、確かに傷は大したことがなく、一週間も経たずに塞ぐだろうと思われるものばかりだ。母上は血が滲んで大層に見えた傷が、猫の引っかき傷よりも浅いものだと知って少し安堵したようであった。

 

 

 

「長之兄上、誰にやられたのですか?」

 

 母上に治療された長之兄上は、我が両親の心配を手を振って宥め、私の部屋にまで足を運ばれた。

 

 長之兄上との勉強会は、私の部屋で行うことになっているので、私も彼に追従して己の部屋へと入る。

 

 長之兄上は肩から提げていた教科書類で膨らんだ鞄を隅へと置き、折りたたみ式の机の前に腰を下ろされた。私も長之兄上の側に寄って座り、隣りにある絆創膏を貼られた顔を眺めてついそんな質問をしてしまった。

 

 

「そう案じるな。たまたま帰り道で不良に因縁をつけられただけだ。相手も虫の居所でも悪かったのだろうな。一人でいたところを狙われてしまったのだ」

 

 

「不良で御座るか」

 

 

 

 平穏なこの日本には、呼称が変わっているが未だに傾奇者がいるらしい。不良という、秩序や規則を破ることを好み、人を害することに悦びを覚える者達が日本にはまだ存在するのだ。私は沖野雪也の記憶から引っ張ってきた不良とやらの実態を改め、渋い顔を長之兄上に見せてしまう。

 

 長之兄上は私の渋面に苦笑なさり、「雪也も注意するのだ」と今度は私が気を遣われてしまった。

 

 

「最近、この近辺では不良による被害が相次いで引き起こされていると聞く。まだ、この付近では聞くことのなかった話だからと私も油断していたが、情けないことに私自身が一例となってしまった。雪也は部活に入っていないから遅くに帰宅しないとは思うが、気をつけておくことに越したことは無いからな」

 

 

 長之兄上の忠告に私はしっかりと頷いた。後で、母上と父上にもこの話をお教えせねば。

 

 今はひ弱になってしまったこの身だが、一人か二人くらいであれば私一人でも対処できるで御座ろう。ただ、母上と父上は武道に縁もなかった方達だ。十分に注意してもらうことに越したことはない。

 

 

「よし、じゃあ雪也。早速だが、今日は英語をしようか。宿題が出ているのであれば一緒にしよう」

 

 

「はい、長之兄上。和訳の宿題が出されてるゆえお願いします」

 

 

「うん。心得た」

 

 

 長之兄上は相変わらず物を教えるのがお上手だ。沖野雪也の記憶があるとは言え、初めて触れる異国の言葉に戸惑いばかりを覚えていた私は長之兄上のお陰で、どうにかシャーペンをノートに走らせることが出来た。私が嘗て、身に付けた勉学があまり役に立たないことが正直申して驚きであったが、これはこれで面白いとは、思う。

 

 

 数学も物理も、英語であっても戦ならば役に立つであろう。数学は水位を測ったり、兵糧などを数えたりする際に役に立つだろうし、物理も新しい仕掛けが作れそうだ。英語は暗号の際に使うことが出来る。

 

 やはり、勉学の先に戦を当てはめてしまう私は、この平穏な日本で生きていくには些か物騒すぎるのではないだろうか。

 

 

 

 もし、この時間に兄上が居られたら、兄上はこの日本をどう見られるのだろう?

 

 

 兄上の慧眼ならば、この日本の世界を正しく見渡すことが出来るのでは無いだろうか?

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 三国高校の春の定期テストは五月の下旬に行われる。既に葉桜が枝に芽吹く頃、私は学生生活で己を忙しくさせていた。

 

 

 日付の変わらない内に床に入り、目覚し時計のけたたましい音で朝を迎える。玄関で待つ明依殿と共に学校へ行き、目を回しながら授業を受け、三輝殿と兼人殿と帰宅する。

 

 

 太陽が天に昇るのと同時に鍛錬をするために、外へと這い出たあの頃とは全く生活習慣が違うが、私は順応性があるのか、日々の生活を苦にしていなかった。

 

 

「あ、今週に早川先輩の『本好きの集まり』があるみたいよ!」

 

「あれ月一しかないもんね。逃したら先輩と話す機会が無くなっちゃう」

 

 

「図書館に行ったら何時でも会えるけど、貸出の時の営業スマイルじゃなくて、ガチのスマイルが見たいのよねぇ。あの人の笑顔ってなんかほっこりするっていうか」

 

 

「分かる分かる! もしアイドルだったら『百万円のスマイル』とかって売り出し文句付けられそうだよね」

 

 

 座っている席の近くで女子達が賑やかに一枚の紙を見ながら会話をしていた。私は、無意識に彼女達の見ている紙を見ようと目を細めていたようで、その紙の上に印刷されていた文字を目で追っていた。

 

『五月の図書館便り。今月の本好きの会は第三水曜日、放課後に行います。もし、お薦めの本や雑誌等が御座いましたらご持参ください。図書委員会』

 

 

 本、で御座るか。

 

 兵法書は頁がよれる程読み込んだが、この時代の本はあまり存じない。沖野雪也も本とは無縁の生活を送っていたようで、精々記憶にあるのはゲームの攻略本とやらくらいだ。少々、心惹かれる催し物であるが今の私が赴いた所で何か出来ることも無いだろう。

 

 私はその紙から視線を外す。

 

 最近癖になりつつある頬杖を机の上につくと、直ぐに思考の海へと潜ることができた。

 

 

 

 真田幸村としての意識が覚醒してもう二週間。学校にも慣れてきつつある私は、武士として情けないことにこの状況に恐れを抱きつつあった。武士としてしか生きられない私はこの平成の世で、どう生きれば良いのか。この世で生きている少ない時間で私は何度も問答した。

 

 

 戦もない、武士もいない、敵もいないこの平和な平成の世で、私は己の存在意義を見失っていたのだ。

 

 

 小県で生を受け、物心つかない頃より兄上を支え、真田家を次世代に繋ぐよう父上や周りの者達に言われて育った。兄上も私に二人で真田家を盛り立てようと告げた。武田が滅んでしまったあの時も、一緒に生き残る道を探そうと兄上は仰った。真田家が二つに分かれてからも兄上は、私に真田家を残すのだと語った。

 

 戦で勝ち、負けても真田の血だけは残すために這い這いになって逃げ残った私は最期、戦で己の意地を貫き通すため殉死した。

 

 そんな私が、この時代で果たして生きていけるだろうか。戦のない、この世界で武を振るうことも、策略を立てるために頭を使うこともせずに、安穏と自らが掴みとった平和では無く、誰かが齎した平和の下で。

 

 

 

 時代に乗れない過去の私はーーーどう考えても相応しくない。私は頬杖をついたまま、チャイムが鳴るまで目を瞑って動じなかった。

 

 

 

 

 ***

 

 

 

「悪い、雪也! 今日は担任の仕事を手伝うゆえ一緒には帰れないのだ」

 

「俺もだ、雪也。今日は委員会があって雪也とは帰れない。昨日、言っておけば良かったのだが俺も担任に言われるまで忘れていたのだよ」

 

 

 

 いつも通りに、玄関口で三輝殿と兼人殿の二人を待っていると、二人は何か言い合いながら私の下へとやって来て、それから同時に頭を垂れたのである。私は二人の致し方ない事情に顔の前で手を振る。

 

 

「それならば仕方ありませんね。また、明日から一緒に帰ってくださると嬉しいです」

 

 

「本当にすまぬな、雪也。明日は必ず予定を入れないゆえ一緒に帰ろうぞ!!」

 

 

「俺も明日は何もない」

 

 

 お二人方はどうも必要以上に悔恨しているようで、それが私にとっては恐れ多い。私などと帰途を共にするよりも、担任の仕事を手伝ったりする兼人殿やクラスの委員長を担っている三輝殿の用時のほうがよっぽど大事なことで御座る。

 

 

「では、明日は共に帰りましょう。お二人方共、頑張ってくださいね」

 

 

「あいわかった! 雪也の声援もあるのだ。私は精一杯務めを果たそう!!」

 

 

「雪也・・・お前は本当に純粋だな」

 

 

 力強く頷いて朗らかに笑っている兼人殿隣で何故か三輝殿が私を目を細めて見詰めてくる。窓から差し込む夕日が眩しいのでござろうか。

 

 

 

 お二人方と生徒玄関で別れて、私は校門を潜って家路を急ぐ訳でもなく散歩をするような歩調で歩く。学校から一人で帰ることは初めてのことであった。いつも両隣にいる三輝殿や兼人殿がいない帰り道は、なんとも不思議な気分に陥る。いつもは話しながら帰るため、家路まである建物の景観を私は具に眺めたことがなかった。

 

 

 そう言えば、朝は明依殿と来るゆえ、そもそも私が一人で学校に行き帰りすること自体が初めてのことだ。高貴な姫君の身分でも無いのに、行き帰りは必ず人と共にということが信じられないような話である。

 

 

 

 嗚呼、でも、村を一人で出たことも無かったで御座るな。小県を出て、京や大阪に赴く時も、大阪から小県に帰る時も私は誰かと共にあった。その誰かはくのいちであったり、父上であったり。私はいつも身内の誰かと共にあった。

 

 

 あの最後の時くらいではないだろうか。兄上に真田家を託して、家康殿の下へと参ったあの時だけが私一人であった。私は、本当に沢山の人に支えられて生きてきたのだな。だが、もうこの時代には誰も居ない。私だけが、この時代で目覚めてしまった。

 

 

 

 田圃や畑が何処にも無く、人が住む住居だけが居並ぶ。その住居も無機質な造りをしており、マンションならば首を痛めなければ、その全貌を見ることが叶わない。歩いている道とてそうだ。砂利の音が一つもしないアスファルトは運動靴では足音一つ立たない。自然の息吹は、人が思い出した程度に植えた街路樹や住宅の一角に植わっている花壇でしか感じられない。住宅の群の向こうへと消えていく夕日も、何故かあの時代に見た夕日の何分の一にしか見えないのだ。

 

 

 足元から生えている影が濃くなったように見えた。細く伸びている影が私を嘲笑うように揺れたような気がした。

 

 

「私は、何故この時代に居るのだろうか」

 

 

 

 ポツリと飛び出た独白はしかし、前方から聞こえた誰かの争う声によって掻き消された。いつの間にか俯いて歩いていたらしく、私はその賑に促されて顔を上げる。目前には一人の女子と二人の男子がいた。女子は私と同じ三国高校の制服を着用している。二人の男子は見たことがない制服を着ていた。

 

 女子は顔を顰めて、肩から提げている鞄を頼りにするよう握りしめ、荒げた声を出す。

 

 

 

「行かないって言ってるじゃないですか! 私は、知らない人にはついていかないよう父上に言われています」

 

 

「ありゃー。こりゃ、またえらい箱入り娘を捕まえちまっったなぁ俺達。今時、パパの言いつけを守るだなんて小学生だってやらんぜ」

 

 

「つっても俺達も面子があるんだな、これが。ここですごすご引き下がったら他の連中に笑われるんだわ。『お前、パパに負けたんかよ! ギャハハっ』って感じで」

 

 

 

「そりゃあ、嫌な恥だなぁ。弟よ」

 

 

「おうよ。そんな恥はかきたかないね」

 

 

 

 三人の会話を聞いて、私はこの三人の諍いの原因を察した。どうやら、女子一人に男子二人が野暮を働こうとしているようだ。男子の方に人の心が無いようで、私は口の端が下がるのが分かった。

 

 

「何をしているのだ!?」

 

 

 私は駈け出して、女子と男子達に体を割り込ませる。女子が「沖野君!?」と私の名を呼んだ。もしかしたら、私の知り合いであろうか。確認したい気持ちがないわけではないが、一先ずはこの目前にいる男子達だ。

 

 男子達は私の割り込むをやはり心良く思っていないようで、眉間に皺を刻んでいる。しかも、この男子達。よくよく見れば、髪を茶や金で染色しておれば、開襟シャツの下に派手なTシャツを来ていたりとだらしのない格好をしている。この者たちは不良であったのだ。

 

 

 男子達のうち一人が、顎を引いて私を上目遣いに見た。私より五センチ背が低いのだ。そうなっても仕方あるまい。

 

 

「なんだぁ、お前? このご時世にヒーロー気取りか? 絡まれてる女の子助けるだなんて優しいねぇ」

 

 

「マジそれな。俺等『平安高校』だぜ? お前、それ分かってんの?」

 

 

 

 私を上目遣いで凝視している男子の隣で、呑気にポケットに手を突っ込んでいる男子が手を叩いて私を優しいと褒めそやす。上目遣いをしている男子は脅しなのか、己が通っている高校名を出して私の顔色を伺っていた。

 

 

 

「平安高校・・・」

 

 

 

 確か、三国高校の近くにあるあまり評判の良くない高校だ。もし、沖野雪也が三国高校を受験して落ち、もう一つの候補であった『室町高校』も落ちていたら入学する予定になった高校でもある。長之兄上が決死の顔で沖野雪也に忠告する場面も記憶に紐付いていたのか思い出した。

 

 

『雪也。平安高校に行くくらいならば、少し遠いが私立に行きなさい。おばさんとおじさんが難しいと言うのであったら私のお年玉をあげるから。大学の資金にあてるつもりだったのだが、雪也があの様な輩とつるむよりは断然マシだ』

 

 

 沖野雪也よ。私は、今日初めてそなたに感動した。沖野雪也が必死に勉学に勤しみ、無事三国高校に入学したことにより、長之兄上が私達のために銭を使わなくて済んだのだ。勿論、雪也も長之兄上から銭を受け取るつもりはなかったようだ。そもそも、長之兄上の話を冗談だと思っていたらしい。

 

 しかし、私は分かっているのだ。あの真剣な目は正に兄上と同じ眼差し。兄上は一度決めれば意見を取り下げないところが御座った。長之兄上は本気で私のために多くの銭を使うつもりであったのだ。

 

 

 

 長之兄上の心意気にはこの幸村、感無量で御座るが長之兄上のお手を雪也の頃より煩わせていたのかと思えば、気が滅入って来そうで御座るな。

 

 

 

「なぁお前、返事くらいしたらどうなの?」

 

 

「・・・そっか、そう言えば今は不良で絡まれたんだっけ」

 

 

「お前、マジムカつくなぁ」

 

 

 

 不良に対しては沖野雪也の言葉になるらしい。沖野雪也は少々軟弱な言葉を使い、上の者にも礼節を欠いた物言いをするのだ。私はいつもそのことに萎縮してしまうのだが、このことについてはどうかならないのであろうか。

 

 

 そうこう考え事をしている間にも、事態は急変している。私を上目遣いに凝視していた男子はこめかみに青筋を立てて私に殴りかかってきたのだ。私は何拍か反応が遅れてしまったが、鼻先を拳が掠めることなく躱すことが出来た。

 

 

 

 思っていたように、この身は動かし慣れていない。どう動かせば一番効率よく動くのかこの身は、まだ知らないのだ。

 

 

 

「お! お前、これ躱すんのな!! おもしれぇ、こうなりゃ一発やり合おうじゃねぇか」

 

 

 

 男子の二撃目が今度は私の鳩尾に沈み込もうとしている。それを後ずさることでまた躱し、私はやり慣れていないながらも反撃せねばと拳を握って今度は私が男子の鳩尾を狙う。遅い。こんなにゆっくりでは相手に躱されてしまう。私はあまり体術は得意としていないのだ。紅牙飛燕が欲しい。この手にいつも握っていたあの私の得物が今、切実に欲しい。

 

 

 だが、私の憂いは杞憂に終わった。私の拳はしっかりと男子の鳩尾に入った。しかし、威力は見込みがなかったようで、男子は鳩尾に手をやり一歩下がっただけだ。そう体力は削れなかったに違いない。

 

 

「くそ・・・ってぇな。こいつ、なかなかやんぞ、兄貴」

 

「なに三高に負けてんの、おめぇ。俺等天下の藤原四兄弟だぜ。マジそれ以上ダセェことやんな」

 歯を食いしばって私を見詰めるだけで、それ以上の追撃をしてこない男子は、傍らで勝負の行方を見守っている男子にそんな可笑しなことを告げた。

 

 だが、兄貴と呼ばれた男子は彼の嫌味をよく聞きもせず、私と男子を見てせせら笑っている。

 

 

 私としても納得がいかない評価だ。こんな欠片しか体力の削れない拳で、なかなか出来ると言われても困惑する他ない。そして、そんな私を他所に今度は兄貴と呼ばれた男が私の正面に立った。

 

 

「不肖な弟を持つ兄ってぇのは辛いねぇ。よし、んじゃ行くぞ!」

 

 

 正面に立った兄貴は掛け声を出して、私に大振りの拳を見舞ってきた。私は、それを見切ってまた後ろに下がることで躱す。あの拳を流して、一撃を食らわせるくらいはせねばならぬが、流石にこの身ではそれも出来ないだろう。私は相手の目が完全にまだ拳の着地点である私の顔に縫い付けられていることを確認して、兄貴の口元を殴り飛ばした。

 

 

 前歯は折れたかと思ったが、この頼りない拳では折ることも出来なかったようで、兄貴は血さえ流さなかった。しかし、少しは体力も削れたようで兄貴の動きが鈍る。上目遣いの男子のように痛みに攻撃を妨げられることもなく、兄貴は血走った目で蹴りを放ってきた。

 

 

 私の腹にまで上げたかったのだろうが、上手いこといかずに膝に着地しようとした蹴りをやはり躱して、相手の喉を容赦なく突いた。

 

 

 急所を付かれて兄貴もそれ以上の攻撃が出来なくなったらしい。喉元を抑えて、生理的に浮かんだ涙の膜を目に浮かべるや私を睨み上げてくる。背後にいる男子が青褪めた表情で兄貴の側に寄った。

 

 

「あ、兄貴! 大丈夫か!?」

 

 

「う・・・る、い。い、ぞ」

 

 

 

 兄貴は私を射抜かんばかりに睨み上げるも、それ以上の争いは不利と悟ったのか私に背を向けると男子を連れて引き下がっていった。私はどうにか、男子達をこの不甲斐ない身で追い払えたと安堵の息を吐く。予想以上に頼りない拳しか繰り出せなかったが、相手も私と同等の実力で助かった。

 

 

 

「沖野君! 大丈夫ですか? 何処か怪我をしていたりとかしませんか?」

 

 

 背後から聞こえたのは私を心配する声であった。いきなり視界に現れたのは頭頂部で高く一つに結った黒髪だ。真っ直ぐに背へと流れている髪を目で追っていると見覚えのある大きな瞳に行き着く。

 

「おお! 貴女でしたか、天野殿」

 

 

 あの男子達に絡まれていたのは、私とクラスメイトである天野殿であった。一度、長之兄上のことについて聞かれて以来、言葉を交わしたことがなかったが、まさかこのような出来事でまた顔を合わせることになるとは露にも思わなかった。

 

 

 天野殿は私に名を呼ばれてたじろいだ。提げている鞄の取っ手を何度か握り直し、それから腰を深く折る。

 

 

 

「有難う御座います! 私としたことが、まさかあの様な不埒者を一人で対処出来ないだなんて不覚です。もっと精進しなければなりません」

 

 

「そう思い詰めることは御座いません。この時代に、そう物騒に巻き込まれることもあまり無いでしょう。しかし、精進することは良いことです。私も、今回で思い知らされ申した。己の身がなんと軟弱なことか・・・」

 

 

 

「そんなことないです! 沖野君はしっかりと戦えていました」

 

 

 

 天野殿はそう言って私を励ましてくれるようだが、私はその天野殿の言葉を素直に受け入れられなかった。あの男子二人が一人ずつ私の相手をしたお陰で私は勝つことが出来た。もし、二人同時に相手をしていても勝てたと余裕ぶることは出来ない。勝てる見込みは半分も無いだろう。

 

 

 指の関節がまだ痛みを訴えてくることに奥歯を噛んでいると、天野殿が明るく振る舞ってこの場に蔓延る私の陰気を蹴散らす。

 

 

「さぁ、そろそろ帰りましょうか。沖野君も帰る途中でしたよね? こんな所で燻っていても仕方ありません」

 

 

 笑みを浮かべて、私の顔を覗き込む天野殿が「帰りましょう」とまた告げるので、私はなんとか頷いた。

 

 

「・・・送ります、天野殿。またこの様なことが無いとは言えません」

 

 

 せめて、天野殿の身は守ろうと私が拳から視線を外すと、彼女はまた首を赤くしてたじろいでいた。しかし、私の言に一理あると思っておられるようで暫くしてから小さく「お願いします」と言って頭を下げられるので、私も「おまかせ下さい」と漸く笑みを見せることが出来た。

 

 

 

 




幸村と稲姫の義姉弟は癒やされます。

天然×天然なので、周囲の人間にとったらとんでもなく冷や冷やする二人なんでしょうけど、私はこの二人のふわふわ感が好きです


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真田幸村の章 本好きの会へのご招待

 

 

 

 とうとう定期テストとやらが一週間後に控えるこの頃、私は二人の友人達と机に座って顔を合わせていた。

 

 

「雪也、ここのHelpは助けるではない。困難を切り抜けるだぞ」

 

「ここのYの解答は間違っている。ただの計算間違いのようだから直ぐに解けるだろう」

 

「むむっ! 雪也! イニシアチブをとるの意味を間違っているぞ!」

 

「これは応用だな。公式の選択まではあってるが、そこからの捻りで躓いている」

 

 

 窓辺の向こうから野球部の元気な掛け声が聞こえてくるだけの静かな空間の中で、私の目前から三輝殿と兼人殿の容赦ない間違いの指摘が飛んでくる。机一杯に広げた各教科の教科書やノートを見比べながら、私はテスト前に配られたそれぞれのテスト対策プリントに向かい合っていた。

 

 

 

 そもそもの発端は、昨日の帰り道のことであった。

 

 

「此度のテスト、私は良い点が取れるでしょうか?」

 

「何時になく弱気だな。雪也がそうも気落ちするのは珍しい」

 

 

 長之兄上に勉学を教わっているとはいえ、私は今最低限の知識だけを詰め込んでいる状態だということは授業で何度も思い知らされた。不意に教師が出してくる応用問題になると、途端にシャーペンが動かなくなる私は、これではテストの点も満足には取れないのではないかと思い悩んだのだ。これでは、折角長之兄上に面倒を見てもらっているのに申し訳が立たない。

 

 

 

 私は長之兄上とする勉強会以外でも教科書を開くことにした。休み時間にも開いているものだから、雪也の友達がからかってきたり、心配してきたりするが、私はそのどれもに曖昧な返事を返してテスト勉強に掛かりっきりになった。集中力だけは誰にも負けないだろうと兄上や兼続殿に言われる私は、日を追うごとにテスト勉強に熱を入れていった。

 

 

 

 流石にこれは不味いだろうと雪也の友は思ったらしい。特段として、昼餉を抜くほど私もテスト勉強に入れ込んだつもりはないが、彼らから見て休み時間も黙々と教科書に向き合っている私は異様に見えたようなのだ。

 

 

『雪也、確かにお前は前に自分で三国高校にはギリギリで入ったっつてたけどな、流石に初っ端のテストがヤバかったくらいで留年はしねぇぞ?』

 

『そんなに根を詰めてたら鬱になるさー。な、雪也。ちょっとは体動かそうぜ』

 

『そうそう。世の中程々が大事なのよ。程々にやってれば案外なんとかなるもんだ』

 

 

 机に置いていた教科書を取り上げられ、友達に促されて中庭へといつの間にやらつれ去られた。そこでバレーをしたり、ドッヂボールをしたりしている内にすっかり私は友人達が計画した息抜きのドツボにはまっており、休憩時間中にテスト勉強をすることを忘れてしまうようになった。

 

 

 私が、兄上や兼続殿に褒められた集中力の半分を乱世に忘れてきたのか、それとも沖野雪也が元来飽きやすい質で御座ろうか。私はその原因究明もままならない様で、テスト一週間前を迎えてしまったのだ。

 

 なので、そんな折にこんな愚痴めいたことを零してしまった。愚痴など吐いてしまうとは、己の弱い精神が情けない。知らず知らずに漏れる嘆息が己の虚弱さを主張しているようで嫌になる。

 

 

 

 三輝殿と兼人殿はお互いに顔を見合わせて、次いで二人揃って私に顔を向けた。

 

 

「そこまで雪也が追い詰められているとは思わなかった・・・そうだ、明日に勉強会をしないか? まだ明日は水曜であるし、テストまで時間があるだろう」

 

 

「おお! 名案だな! 三輝!! 私も勿論参加するぞ!!」

 

 

「三輝殿、兼人殿・・・」

 

 

 

 私はいつもこの二人に助けられてばかりだ。二人が私に注いでくれる友愛に私は何度感謝してもし足りぬ。せめて、暗い顔は見せまいと笑顔を取り繕ったが二人は何故か顔を顰めて、顔を横に振った。

 

 

 

「これは重症なのだよ。雪也が表情を取り繕い始めるだなんてあり得ぬ」

 

 

「うーむ。これは気を引き締めてやらねばな!」

 

 

 

 こうして、翌日に友二人から勉強会を開いてもらったのだが、私はそのかいあって二人から指導を頂いていた。「気合が入るぞ!」と兼人殿から『必勝!』と書かれた鉢巻を頂いたので、それを額に巻き私は改めて気合を入れなおした。その姿勢で、各教科に挑んだのだが、勉学というのは鍛錬と違い、気合でどうにかなる部分があまりに少な過ぎた。

 

 

 

「確かに雪也は昔から勉強が苦手であったが、どうにも釈然としないのだよ。長之さんを追って三国高校に入るって言った時もこの様に苦労していたが、今の雪也とはその仕方も違うーーーーーそうだ、この躓き方はまるで何年も勉学に身を置いていなかった中高年のよなのだよ」

 

 

 

 半分以上的を得ている三輝殿の言に内心で冷や汗をかいた。私は短くとも九度山に入った時期からはあまり勉学をしなかった。そして、この時代の知識をまだ持て余していることもある。

 

 

 三輝殿の隣に腰掛けている兼人殿がポンと会得したように拳で掌を叩いた。

 

 

「確かにそうだな! 曾祖母が鶴の降り方を忘れたと言って教えた際と被るような気もする」

 

 

「ああ、あの御年百歳を超えられる元気な方だな。人間五十年と詠った信長も驚くだろう。まさか、人間が百歳も生きるとはな」

 

 

「私も曾祖母を見習って百を超えることを目標としているのだ!! そして、ギネスブックにこの浅越兼人の名を刻むのだ!!」

 

 

「こんな暑苦しいご老人は俺としては願い下げだが、ま、頑張るんだな」

 

 

 

 私の耳は最早、機能することをよすことにしたのか三輝殿と兼人殿の会話さえ取り込まなくなっていた。二人に指摘された間違いを脳を捻りながら必死に直していき、机の上に大量の消しカスが生まれていく。何度も何度も書きなおしているせいか、紙も若干薄汚れてきているが私は構わず解答をその上から書き続けた。

 

 

 

 私達が勉強会を始めて、一時間が経つだろうか。漸く、英語、国語、物理が片され私も始まる前よりかは幾分か気持ちが楽になっていた。大きく伸びをしている私の前で三輝殿が口の端を引き攣らせ、兼人殿が感心したような顔つきで正答に辿り着いた紙を手にとり眺めている。

 

 

 

「俺達の声が聞こえなくなるまで集中するとは、な。しかも、一度した間違いは絶対にやらぬ。似たような応用ならば、閃きで正答に辿り着ける・・・」

 

 

「流石だな、雪也! しっかりと私達の教えを覚えられているようだ。この調子ならば、テストもそう悪い点は取ることはないだろう」

 

 

「真で御座るか!?」

 

 

 つい兼人殿の太鼓判に食らいついてしまった。しかし、私のいきなりの問いかけに兼人殿は鷹揚に頷いて、躊躇いなくそのまま太鼓判を押してくださった。

 

 

 

「中学の時ときと比べてやはりかなり違いがあるなーーーーーどうにも被る。やはり、雪也はーーーーー」

 

 

 盛り上がる私と兼人殿の傍で三輝殿は何やら考え事に耽っているようだ。顎に指を置いて、ぶつぶつと頭を整理するように独白を何度も行っている。私は三輝殿の邪魔をしては悪いと思い、その独白の意味を問うような野暮はしなかった。暫く休憩にしようと言う兼人殿に頷いて、茶を飲むためにこの部屋を後にしようと席を立った所で、同時に部屋の戸が開く。

 

 

 未だに考え事をしている三輝殿は戸が開いたことに気が付かなかったようだが、いざ外に出ようとしていた私と兼人殿はそれに気付いた。戸は遠慮がちに小さく開いて、外からひょこりと男子の顔が出てきた。

 

 

 

 天然パーマというものであるのか、特徴的な癖毛を持つその男子は、私達の姿を確認して顔を綻ばせた。

 

 

 

「まだ居られましたね。学習室に入ってから一時間も経つので、もう帰られたのかとも思いましたが、居られたようで良かったです」

 

 

 

 柔らかな笑みが似合うその男子は戸を完全に開ききって、部屋の中へと入ってきた。その男子に兼人殿の誰何が飛ぶ。誰何と言ってもそう険しいものではない。

 

 

「貴方は、どなただろうか?」

 

 

 不思議そうな顔つきで入ってきた男子に名を問う兼人に、男子はしまったと口に手を当てて慌てた調子で自分の名を告げた。

 

 

「私は早川悠です。二年生で、図書委員を務めています」

 

 

「ああ、図書委員の方でしたか。もしや、学習室で用が御座いましたかな? 今日は私達以外誰も居らず貸し切りでしてな、机はかなり余っておりますぞ」

 

 

 

 男子は悠殿と名乗り、この学習室が併設されている図書室の管理を任された図書委員の人間であるようだ。上級生と知って、兼人殿が悠殿に言葉を改めた。

 

 

「いえ、そういう用事では無いのです。実は、今図書委員会が企画した『本好きの会』を開催していまして。皆さんが学習室に入られて一時間の時が経ちますから良ければ息抜きに少しだけ参加されないかと誘いに来たのです。もし、勉強の邪魔をしたのであれば申し訳ないことをしました」

 

 私はこの前の女子達の会話を想起して、その様な会があったことを今しがた思い出した。私はこの時代の本には疎いゆえ参加を断念したのであったが、そう言えば今日行うとあの紙には書いてあったのだ。この悠殿の誘いに歓喜したのは兼人殿であった。

 

 

「おお! その様な催し物があったのか。なかなかに有意義な会であるようだな」

 

 

「ええ。とても面白い会ですよ。本であるのならば基本何を持ち込んでも咎められない気楽な催し物です。漫画でも雑誌でも、兎に角紙に文字の列が並んでおり、それを複数枚で綴じた物であれば良いのです。文も冗長であろうが、短文であろうが構いません」

 

 

 

「正に本好きが集まる会・・・という訳なのだな」

 

 

 

 悠殿に本好きの会について説明を受けていると、三輝殿が漸く物思いを止めて我々の会話に加わられた。三輝殿も本は嫌いではないだろうから興味深い話なのだろう。悠殿は三輝殿の確認に更に柔和な笑みを深めて「はい」と頷く。

 

 

「本好きに悪い人は居ません。いえ、本を語っている最中の人に悪い人は居ないと言うべきでしたね。何事も自分の好きなことについて語っている最中であれば、人は鷹揚になれるものです。その最中に癇癪を起こす人などそういません」

 

 

「己の話さえ遮られないのであればな」

 

 

「ああ、確かに自分が感想を話している最中に割って入られるのは嫌ですね。つい、水を飛ばしてしまうかもしれません」

 

 

 悠殿の冗談に兼人殿も「その気持ちはよく分かるな」と同調していた。私はあまり、好物について語ることはないので今一会得出来る話ではなかった。うむむと私なりにその話についての落とし所を探っていると三輝殿が悠殿に顔の前で手を振っていた。

 

 

「悪いのですが、今回の会は控えさせて頂きたい。雪也もまだ不安が残っているようですし、我々も彼の面倒を見ると言った手前、その様な催し物にうつつを抜かしたくはないのです」

 

「かなり心惹かれる催し物ですが、三輝の言うとおりですな。もし、また開催されるようでしたらその際に伺いたいものです」

 

 

 

「お二人方、私に遠慮は入りませぬが・・・」

 

 

 話の流れからして、お二人方は本好きの会に参加されると思っていれば、お二人方は私の世話を見るために参加されないと仰られた。私にとって、その気遣いは嬉しいところだがそうまで己のことで負担を掛けたくない。

 

 

 しかし、三輝殿も兼人殿も否と言って前言を撤回しないのであった。

 

 

「何を言っている。別に雪也に遠慮等していない。俺はお前の面倒を放課後見ると言ったのだ。約束は違えぬのだよ」

 

 

 

「そうだぞ、雪也! 愛と義の戦士が約束を違えるなど不義なことはせん!!」

 

 

 

 お二人方は私との約束を守ると言ってこの場に居続けてくれるつもりだ。私は感極まってお二人方の誠意に頭を深く下げた。私もこのように立派でありたいものだ。

 

 

 

「どうやら私は余計なことをしてしまったようですね」

 

 

「いえ、そうのようなことは御座らん! 私もまた本を読み始めたらこの会に参加しとう御座います!! その際は、無骨者の私ですが歓迎してくれましょうか」

 

 

 大阪ではこ田舎の粗忽者と言われていた私だ。この様な文化人の集まりに参加しても良いものかと今更であるが一抹の不安を抱いた。しかし、悠殿はきっぱりと来ても良いと断言してくださったのだ。

 

 

 

「勿論です。この会には貴賎はありませんし、参加するにあたって必要な素性は三国高校に在籍しているという点だけです。私としては、学外からも募集したいのですが、警備上それは難しいとのことで・・・。まだ見ぬ本と巡りあうことこそがこの会の趣旨なのです。なので、どうか気負わずに参加してください」

 

 

 悠殿の懐の深さに私は感服いたした。口元が緩んでいくのを止められず、私は誘ってくださった悠殿にも頭を下げた。

 

 

 次の本好きの会には必ず参加しとう御座るな。テストが終われば、書店にて何点か購入しようとこの時決めて、私は兼人殿とその後予定通りに茶を飲みに廊下に出た。学習室に出る際に悠殿とも一緒に出たのだが、その折に悠殿に「貴方はまるで武士のようですね」と笑い混じりに言われたことには少々肝を冷やすことになった。

 

 






そう言えば、オロチ3を買おうか買わないかで悩んでたんですが、このままだとその悩みを抱えたまま年を越しそうです


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小早川隆景の章 未来に足を向ける

 

 

 

『私は他人に、時間とは何かと問われなければ時間がなにものであるかを知っている。しかし、他人に時間とは何かと問われれば途端にして正体を見失ってしまう』

 

 ーーー先日、読んだ書にその様なことが書いてありましたが、私としても身に覚えのある話でした。

 

 

 ああ、申し遅れましたね。私は現代では中国地方で幅を利かせていたと言われている毛利元就の三男坊にあたる小早川隆景と申します。流石、父上と言うべきか四百年経った今でもその名は日本中に轟いているようで、息子としては鼻が高い限りです。

 

 

 流石に四百年も経っているので意識はともかく、小早川隆景としての体は既に朽ちています。今は早川悠という『楽市楽座通り』にある『早川文具店』の小倅です。今回は長男として産まれて、頼りになる兄弟もいない一人っ子という身の上。賑やかだった兄上達がいないのは少々寂しいことです。

 

 

 

 今生でも活字中毒を患っている私は、やはり本が手放せず齢三つにして本の虫の二つ名を家族から頂くことになりました。あの頃は私もどうかしていたのです。まだ文字が読めるはずもない、赤子に毛が生えたような時分から本を読むことが、どれほど異常だったのかを客観視出来ませんでした。

 

 

 しかし、私は三年も本から遠ざかっていました。毛利の家族であれば、私を労ってくれたでしょう。『よく三年も耐えたな』と。

 

 けれども、今生の家族は下町にあるうらびれた文具店の一族です。戦前からあると言う歴史しか取り柄のない文具店の店主の父上と母上は、私のこの読書行為を少々気味悪がりました。

 

 

 隠居した祖父だけは私を分かってくださり、本を定期的に与えてくれたのですが、私は久々に孔子が読みたくなってそれを所望するとひっくり返られてしまいました。

 

 ーーー確かに、まだ七つにもならない童が孔子を所望するのは少し可笑しかったのかもしれません。

 

 

 毛利家であれば、父上が大手を振って与えてくださったのですが・・・私の書庫もですが、父上の書庫も大層立派でした。

 

 今生の父上はあまり書を嗜むことがなく、テレビでの野球観戦と昼寝だけを趣味としている方で、そのためか私との距離のとり方を未だに迷っておられるのです。

 

 母上はもう私のこの活字中毒っぷりを認めて、放っておいてくれるのですが。まさか、今生では親子関係に確執が出来るとは思いませんでした。

 

 

 私達毛利家は、あの乱世では珍しいくらい仲が良かったのです。父上も我々兄弟を三本の矢に例えて下さって、いつの間にやらその三本の矢が私達兄弟の二つ名になっていた時は驚きましたけど。

 

 

「ハァ。毛利のことを考えていると父上の冗長な伝記が恋しくなってきました。今生でも物書きな父上が欲しかったと言えば贅沢になるのでしょうか」

 

 

「元就公は物書きでは無かろう。あの方は安芸の大名であった筈だ」

 

 

「確かにそうでしたね。でも、父上は川に流されながらも筆を離そうとはしませんでしたから」

 

 

 つい愚痴のようなものが口から飛び出ると返信がありました。本好きの会が、完全下校の七時までに終わり、私は主催者として椅子を片付けたり、図書室の戸締まりをしていました。そして、図書室の鍵を職員室に返還したところで、私の話し相手となってくれる英語教諭と鉢合わせたのです。

 

 

 

「あ、彼処の和菓子屋は中にイートインスペースがあるんですよ。良かったら団子でも食べて行きませんか?」

 

 

「駄目だ。駐車場がないゆえ駐車出来ない」

 

「ああ、それは仕方ないですね。母さんの夕飯もあることですし、今日は諦めます」

 

 

 私が座っている助手席の隣りにある運転席でハンドルを握っているのは表立っては言いませんが、顔色の良くない青年です。この青年は、職員室で鉢合わせた英語教諭です。春夏秋冬、祝休日でもダークスーツを着込んでいるので何時も厳格な雰囲気を彼は漂わせています。

 

 

 

「それにしても、まさかあの両兵衛の黒田官兵衛殿から英語を学ぶことになるとは・・・生きていると何があるか分からないですね」

 

 

「同意だ。まさか、私も卿にものを教えることになるとは思わなんだ」

 

 

「キリスト教の洗礼を受けていることもあって、官兵衛殿の和訳はとても美しいです。私は貴方の授業が好きですよ」

 

 

「それは結構」

 

 

 

 生徒と教諭が二人だけで車内にいるこの状況、もし私達の性別が違っていたら、軽く警察沙汰になっていたでしょうね。人間というのは何時の時代も変わらないものです。

 

 

 私と官兵衛殿はただの生徒と教諭という関係ではありません。

 

 前世では、何度か戦場で智を競うことになり、雌雄を決することもあった好敵手という関係でもあるのです。

 

 彼の前世は黒田官兵衛。秀吉様の下で竹中半兵衛殿と共に知勇を奮っていた偉大な軍師です。彼等はその知勇を畏れられて、両兵衛と日本中から呼ばれていたんですよ。

 

 

 

 私が亡くなった際はその官兵衛殿が惜しんでくれたという逸話が残っているんです。前にそのことについて聞いてみたのですが、真顔で「事実を言ったまでだ」と言われました。彼にそうまで褒められるとは、私も男を上げたものです。

 

 

 

 官兵衛殿が運転する車が赤信号で止まりました。道案内しなくとも、私の家まで車を走らせてくれる官兵衛殿に、今日で送られるのは何度目かなと少し考えました。

 

 

 彼の存在を知ったのは高校に入学して一年目の秋でした。図書委員として真面目に働いていたおりに、たまたま前を通り過ぎた英語準備室で孔子の暗唱が聞こえたものですから、つい気分が昂ぶって突撃してしまったんですよね。

 

 そしたら、その人物が官兵衛殿だったのです。何故か英語の教材を片手に孔子を諳んじていた官兵衛殿でしたが、私を見て目を丸くするや一つ。

 

 

「卿は、小早川隆景か」

 

 

 

 後から聞いたのですが、今の私の姿と前世の私の姿はよく似ているそうです。そして、その日はまだ読んでいる途中の人間失格を持っていたものですから、直ぐに宛がついたようです。

 

 もし、その片方の手に剣を持っていれば、戦場で会ったのかと錯覚しそうになったと言っていました。

 

 

 私達は直ぐ様お互いの状況を報告し合いました。官兵衛殿も至って普通の中流家庭に生まれついたものの、なんの運命の悪戯か黒田官兵衛の魂のまま生まれてしまったと途方に暮れていました。

 

 しかし、彼は切り替え早く仕方がないと早々に自分の状態の整理を行ったようです。現代と乱世の理の違いに戸惑うことはあったようですが、どうにか就職も終え、あとはどう余生を過ごそうかと考えている最中とのこと。

 

 

 まだ三十にもなっていないのに、些か老後に思いを馳せるには早すぎるような気がしますが、よくよく考えれば彼と半兵衛殿は乱世の間もずっと隠居したがっていた覚えがあります。

 

 

 

 赤信号が青に変わり、車が発信します。アスファルトによって整備された広い車道を、今でもたまに奇怪に思ってしまうことがあります。官兵衛殿は私よりもこの平成の世を長く生きていますが、一体どういう心境にあるのでしょうか。

 

 

 二十を過ぎ、三十近くになっても私はまだ平成の世に不慣れなのでしょうか。

 乱世をまだこうやって具に眺めているのでしょうか。

 

 

 嗚呼、疑問がとめどめなく沸いて出てきます。

 

 

 

 その質問を官兵衛殿にすることは酷なような気がして、私は窓からすっかり帳の降りた東京を眺めました。闇夜の濃度も違うこの東京で、四百年の時の長さを感じます。この日本は私達が戦に明け暮れていた日本とは別物です。

 

 この日本は私の知らない日本。

 

 そのことが時に・・・胸に虚空を抱いたような心地になります。

 

 

「官兵衛殿、私は国会図書館の司書を目指そうと思います。日本で一番本に近い場所だと思うのですが、なかなか良い将来設計だと思いませんか」

 

 

 

 官兵衛殿はフロントガラスの先から視線を逸らさないまま言葉を発します。私の弾んだ声音に影響されない、どんな時も抑揚のない声音は自然と私の揺れる心内を宥めているようでした。

 

 

 

「卿らしくて良いのではないか」

 

 

 半ば予測していた官兵衛殿の返答に笑みを深くして、私は流れ移ろう車外の景色を車が止まるまで眺めていました。

 







山口県民は吉田松陰先生を大切にしていますが、毛利家も誇りにしています

安芸大名や長州藩といった曲者を産み育てたかの地にはいつか行ってみたいものです



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真田幸村の章 信之兄上の危機?


今年こそ、長野に行きたかった・・・。



 初めて挑んだテストはなかなかに強敵で御座ったが、私には心強い味方がいたために、初陣は華々しく飾れることが出来たと思う。

 

 長之兄上や三輝殿、兼人殿が世話を焼いてくれたゆえ、シャーペンを止めることなく書き進められた。あとは、泰然としてテストの返却を待つのみで御座る。

 

 テストという難題を超え、少し私の気も緩んでいたある日のこと、事は起きた。

 

 

「雪也! あの人混みの向こうに私が言うものがある!!」

 

 

 上擦り声の兼人殿を追い越して、私は人が山となっている場所へと潜り込んだ。人と人の間を縫い歩いて、どうにか最前列に出てこれた。

 

 私の前にあるのは主に生徒連絡や学校行事のスケジュールが書かれた紙を貼る掲示板だ。部活もこの掲示板を使用しているようで、所々に彼等の予定が書かれた紙も見受けられる。

 

 だが、今日私がこの人混みを分け入ってまでやってきたのはこの様な紙を見るためでは御座らん。

 

「長之、兄上……」

 

 掲示板の真ん中に、目立つように貼られた一枚の紙切れ。

 

『沖野長之と伊勢谷慶斗にツグ。明後日の夜八時、上田公園に来い。来なければ、お前達の身内に悲劇が降りかかるだろう』

 

 新聞を切り抜いて文の体裁を繕っているその紙切れは、長之兄上と慶斗殿に向けられた手紙であった。慶斗殿は、直接話したことはないが依然に一度だけ姿を拝見したことがある。

 

 大柄な金髪の御仁の慶斗殿は、昔の戦友である慶次殿と似ているような気がする。

 

 そんな慶斗殿と長之兄上が揃って、誰かから呼び出しを食らったのだ。

 

 自然と険しくなる眉間を放って、私は人混みを飛びだした。

 

 

「雪也っ!!」

 

 背に兼人殿の呼ぶ声が掛けられるが、私にはそれに応える余裕がなかった。兼人殿がそれ以上私を追跡しないことを良いことに、私は二年生の教室が並ぶ三階へと向かう。

 

 

 

 

 事の始めは、兼人殿が昼休みなのに私のクラスを訪れたことであった。平和なこの時代に似つかわしくない決死の顔で、私のクラスに顔を出した兼人殿は「大変だ! 雪也」と仰った。

 

 普段通り、雪也の友人に囲まれて昼餉を摂っていた私は兼人殿の尋常ならざるご様子にエビフライを齧ることを止めて、兼人殿の話を聞こうと席を立った。

 

 私が教室の戸までやってくると兼人殿は、いきなり私の腕を掴んでずんずんと廊下を歩き始めたのには驚きが勝った。

 

「ど、どうされたのですか? 兼人殿」

 

「雪也、心して聞いてくれ。長之さんが妙なことに巻き込まれたようなのだ。私もまだ状況の一端すら伺えないでいる」

 

「長之兄上がですか!?」

 

 兼人殿が神妙な顔をして頷く。

 

 私は事態の深刻さを瞬時に察して、兼人殿に引っ張られるがままについていく姿勢から隣同士で歩く姿勢に変えた。

 

 常人よりも足が早い兼人殿の早歩きはついていくのもやっとだったが、掲示板の前に出来ている人の群れを見つけた私は、いつの間にやら兼人殿の拘束も振り払って人の群れに飛び込んでいたのである。

 

 

 長之兄上が何故、あのような不審な手紙に呼ばれなければならないのか。

 

 絡みつく嫌な予感を持て余して私は階段を駆け上る。

 一分と経たずに階段を上り切ると私は息も整えないままに、長之兄上のクラスの開いている窓から長之兄上を探した。

 

 私の突然の登場に気付いた上級生達は、私に不思議そうな視線を向けてくる。あまり私のクラスと変わらない昼の情景に感慨を抱く暇もなく、私は長之兄上の姿を探す。

 

「雪也? こんな時間に私のクラスにまで来てどうしたんだ?」

 

「長之兄上……!」

 

 私が見つけるよりも早く、長之兄上が私の存在に気づきお声を掛けて下さった。長之兄上も友達に囲まれて昼餉を摂っている最中であったらしい。

 

 口に含んでいる分を嚥下すると長之兄上はいつもと変わりないご様子で私の下へと寄ってきて下さる。

 

「長之兄上! 一階の掲示板はご覧になりましたか!?」

 

「一階の掲示板……? いや、今日はまだ見てないが」

 

 不思議そうな口振りの長之兄上に、私はそれを口にするべきか此処にきて逡巡する。

 

 長之兄上の心の安寧を、あんな紙切れ一枚で乱して良いのだろうか。

 今なら、教えずに秘密裏に処理することも───と考えが至るが、今の私はただの“沖野雪也”出会ったことを思い出し、下唇を噛む。

 

 そんな私の様子を見かねて、長之兄上が「雪也?」と私の名を呼んだ。

 

 ───兎にも角にも、話してみないことには始まらない。

 

 私は覚悟を決めた。

 

「実は一階の掲示板に長之兄上と慶斗殿宛に書かれた紙が貼られているのです。差出人は不明で、ただ上田公園に明後日の夜八時に参られるよう記されたもので──ー」

 

 私の話を聞いて長之兄上は顔を歪ませた。

 

 それから、心当たりを探すように顎の下で指を組む。宙を彷徨う視線が何かを思い出すように右往左往するが、分も掛からない内に決断を終えて教室の外へと出て来られた。

 

「分かった。私も一度見ておこう、その私宛の紙とやらを」

 

「長之兄上、もし呼び出しに応えるのであれば私もお供いたします」

 

「先走り過ぎだ、雪也。それに仮に私が応えたとしても、雪也は連れて行かない」

 

「何故です!? 長之兄上!!?」

 

 まさか長之兄上に私の同行が阻まれるとは思わず、抗議めいた目を向けてしまう。例え、長之兄上と言えども、あの様な不審な呼び出しに一人で向かうなど無謀で御座る。

 

 私一人だけがお供したところで、そう兵力が増えるわけでもないが、一人よりからはずっと良いに決まっている。

 

「案ずるな。慶斗というのは伊勢谷のことだろう? 彼も一緒に呼ばれているのなら、そう大したことにはならないだろう」

 

 私は長之兄上の真意を知れずに小首を傾げた。

 

 何故、慶斗殿が一緒であれば大丈夫だと長之兄上は仰るのだろうか?

 

 長之兄上は私の口に出さない疑問を察して、噤むことなく教えてくださった。

 

「この界隈で伊勢谷に武で勝てるものは居ない。あの男は昔から武神に愛された男なのだ。今回のことも喧嘩する口実が出来たと喜んでいるところだろう」

 

 長之兄上は私を安心させるために嘘を吐いているということもないようだ。慶斗殿のことを本当にそう思っているようで、長之兄上は苦笑めいた思い出し笑いをする。

 

「この平和な世で窮屈な思いをしているらしい。だから、今度のことも私が何かをする前にあの男一人で片をつけてしまうだろう」

 

 長之兄上にそうまで言われる慶斗殿に私は少しばかり羨望を抱いた。この時代で武神に愛されたという慶斗殿と、今や一人相手にするのも苦心する私との対比が浮き彫りになって、胸が苦しくなる。

 

 満足に刀すら振れなさそうなこの体でも、またもう一度鍛錬すれば以前の力を取り戻せるだろうか。こんな大事に私はついそんな願いを抱いてしまうのであった。

 

 

 

 *

 

 

 長之兄上と共にあの掲示板まで戻ってくると、人混みは更に二周りほど膨れ上がっていた。皆が皆、近くにいる者達と顔を近づけあってひそひそと会話を交わしている。

 

 そんな秘めやかな会合があちらこちらで行われている中、人混みの最前列の方から豪快な笑い声が聞こえてきた。

 

「ハッハッハッハ!! こりゃあいい。なかなか奴さん達も粋なことをしてくれるじゃねぇか」

 

 腹から出ていると思われる通りの良いどら声に、人混みから声が失われる。人混みを前に足を止めた長之兄上に判断を伺うよう顔を向けると、長之兄上は先程の思い出し笑いと同じものを顔に広げていた。

 

 人混みに一筋の道が割れるように出来ると、その道を躊躇いなく闊歩してやって来る大柄な男が一人。

 

 正面から見ると獅子のような顔をしているその御仁は、一度だけ拝見したことがある慶斗殿だ。不敵な笑みを閃かせて、人の道を闊歩する御仁は私と長之兄上の姿を認めて不意に足を止める。

 

「よぉ、長之。お前さんもあれを見に来たのかい?」

 

 親しげに片手を上げて長之兄上に声を掛ける慶斗殿に、長之兄上も首肯して「ああ」と返す。

 

「大体何処からのものなのか検討はついている。どうやら、私は巻き込まれ事故のようだな」

 

「そう言いなさんな。アンタの喧嘩もなかなか華があったぜ。今回もまた一つ舞っていこうじゃねぇか」

 

「私は貴方と違って、普通の暮らしを穏やかに送りたい────ーこれを最後にするつもりだ」

 

「つれないねぇ」

 

 

 残念そうな口振りの慶斗殿であるが、呵呵と笑っているせいかそう落ち込んでいるようには見えない。一通り話した後、長之兄上との会話も終えたからか慶斗殿は廊下の奥へと姿を消していった。

 

「なかなか肝が座った御仁ですね」

 

 大きな慶斗殿の背を見送りながら簡単な感想を口にすると、長之兄上が「ああ、困った男だ」と苦笑混じりに答える。

 

「あの男と一緒に行くから案ずることは何も無い。ただ、私は黙って奴の戦いぶりを見ているだけだ」

 

 そして、まだ私が付いてくると思っているらしい長之兄上が、私を安心させるようなことを続ける。

 

 ───こうなったら、恐らく長之兄上は私の同行を決して許しはしないだろう。

 

 その弟思いな頑固さが、どうしても嘗ての兄上と被ってしょうがない。

 

 信之兄上のお供は諦めるしかないが、だからといって、援軍に駆けつけないという選択肢は選びたくない。

 

 私は、二人宛ての手紙を盗み見して、それら全てを頭に叩き込んだ。

 

 ついていけないのであれば、先回りするれば良い話だ。

 二人が駆け付ける前に、全てを終わらせておけば万事解決するだろう。

 

 幸い、一人であるが罠を作ったり、仕掛けたりする時間はまだありそうであった。

 

 

 





真田と言えば、武もそうですが、何より戦略戦が有名ですからね。
頭を使い、どうやって信之兄上を助けようかと考え込んじゃっています。テスト終わってからで、本当に良かったね。

そして、やっと慶斗が登場。
まだまだ先は長いですが、彼が出てくると序盤は終わりだなぁという気になります。


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石田三成の章 屋上で眠っていたサボり魔の正体

 

 授業後のホームルームも終わり、鞄の中に教科書等を詰めていた頃に奴は喧しくやってきた。

 

「三輝! 三輝! 大変だ! 大変なことになったぞ!!」

 

 只でさえ地声が人よりも数倍大きいというのに、無駄に大声を出して俺のクラスにズカズカと他クラスでありながら入り込んできた兼人に、俺は至極面倒くさそうに言う。

 

「喧しいのだよ。そう喚かずとも貴様の声は聞こえている」

 

「おお……そうなのか、我々の絆が成した妙だな」

 

 別にそんな故がある訳がないが、この男にツッコんでも時間の無駄だ。その手の二の舞いはもう踏まぬと決めている。

 

 俺は詰め終わった鞄を手にしたまま、兼人がそうまで喚く理由を聞くために「それで?」と促してやった。

 

 兼人は俺の促しにまた姦しく騒ぎ立てそうになったが、ピシャリと宥めてやると元越後の執事なこともあって、理路整然とした物言いで長之さんが呼び出しを受けたことを話した。

 

「……貴様、何故そのことを雪也に真っ先に伝えた? こうなることは分かっていただろう?」

 

「不覚を取った。まさか、雪也があの様な行動を取るとは思わなかったのだ。雪也の義心を見誤るとは不甲斐ない……!!」

 

 下唇を食んで本気で悔恨している兼人が俺の目から逃れるように俯く。いつもは呆れ返るほどに前向きな男であるのに今回に至ってはその質も作用しないらしい。

 

 俺はよく兼人の脳天気具合に苛立つことが多いが、兼人が素直に落ち込むさまはそれ以上に苛立つ。

 

 この男程、我を省みることが似合わない者もいないだろう。我ながら馬鹿なことを言っている自覚があるが、やはり俺にはいつもの兼人が性に合っているのだ。

 

「こうなれば仕方あるまい。よく考えれば、雪也があの様になってまだそう時間も経っていないのだ。我々が雪也を測り間違えることがあっても致し方無いのだろう」

 

「だが、私は雪也も幸村も知っているのだ。それなのに、この様なことになってしまった……!」

 

 兼人の口から飛び出た『幸村』の名に心の蔵が不穏な音を鳴らす。

 それはさながら警鐘の音にも聞こえた。

 

 ついには、顔を片手で覆ってしまった兼人に俺は言葉を言い淀む。

 

「兼人……本当に──ー」

 

「そう思うのか」と続けようとして、それが口から飛びでないうちに押し潰す。もし、その問に兼人が肯定したとして、俺は一体なんと言えばよいのかまだ心を決めていない。

 

 俺は兼人のように幸村がこの平成の世に息づくことを素直に喜べないのだ。

 

 勿論、友としてまた幸村と時を重ねられることは嬉しい。

 この上なく喜ばしいことだ。

 

 しかし、武士として生を全うした幸村にとってこの時代はどうなのだろうか。そんな疑問が雪也と幸村を重ねるようになってから、常にこの身に付き纏うようになった。

 

 武士として生まれ、育ち、生き、死んでいった幸村は、俺や兼人のようにこの世に順応出来るのだろうか。

 

 この俺や兼人でさえ、時にはこの世の倣いに馴染めないこともあるのに、真の武士である幸村であれば、俺達以上の当惑があるだろう。

 

 俺はもうこれ以上の当惑は受け入れられない。

 

 煩わしさばかりになった平成の世を厭うてしまうことは、目に見えている。

 

「こうなってしまえばあの方を頼る他ないかもしれぬな」

 

 二人して表情を曇らせていると、いつのまにやら僅かに復活していた兼人が顎に指をかけて宙を睨んでいた。

 

 兼人の言う『あの方』が気になった俺は勿論、その人物について尋ねる。

 

「なんの話をしてる?」

 

「……ん? ああ、三成か。いや、最後の頼みとなる人物に参詣しようかと思っていたところなのだ」

 

 また俺の昔の名を呼ぶ鶏頭にツッコんでいては話も進まないので、俺は敢えて無視をすることにした。

 

 若干こめかみ辺りが痛いが、それも無視して兼人の話に続きに耳を傾ける。

 

「あの方であれば、例の紙の差出人に心当たりがあるやもしれん。よし! 善は急げだ! 三成!! 行くぞ! 我らの絆のために!!」

 

 生気を取り戻した兼人の目が天へと注ぎ、指もそちらへと突きつけて大声を出すせいぇ、俺達に全クラスメイトの視線が向く。

 

 従って、俺は問答無用で兼人の頭を叩き、「この馬鹿っ!」と罵ったのは言うまでもないことだ。

 

 此処に鉄扇がないことが本当に何よりも悔やまれる。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 あの兼人の騒動から暫くして、俺達は今只管に階段を上っていた。

 

 戦乱の世でもないので、俺達は今はもう鍛錬はしておらず、運動部に入ってもいないので、体力がついているとは言い難いのが現状だ。

 

 中学の時分は俺も兼人も校則として必ず部活に入らねばならなかったので、運動部にそれぞれ所属していたが、三国高校にそのような校則は無い。

 

 よって、今や本当に運動不足に陥っていると言っても過言ではない俺達なのだが、何故か兼人は息切れもせず階段を早足で上っていくのだ。

 

 少し息切れの兆候が出ている俺だが、流石にこの無様な様を友には晒したくない。

 

 俺は努めて息を吐きすぎないようにして、兼人が率先として上っていく後ろ姿に、一体いつになれば目的地に着くのだろうかと考えた。

 

 兼人の目的地は屋上であった。

 

 三国高校の屋上は常に扉に南京錠が掛かっている故、入ることが出来ないのだと風の噂で聞いたことがあったのだが、今の屋上の扉にその南京錠の姿は見られない。

 

 僅かに隙間が開き、外の陽気が漏れる屋上に兼人が「やはり、今日も居られたか」と一人納得顔をしている。

 

 

「何故、屋上が開いているのだ? 確か此処は禁足地でもあると聞いていたのだが?」

 

 俺の詰問に近い問いかけに対して、兼人は「うむ」と一つ首を縦に振る。

 

 

「そうなのだが、あの方はどうも此処を気に入っているようでな。この屋上に入り浸っておられるのだ」

 

 兼人が頼みとする人物なのだから、少々普通ではないとしても可笑しくはない。

 

 兼人が過去、薫陶を授かっていたことがある女性も普通ではなかったのだ。

 

 もしかしたら、この先にいる人物もあの女性のように気性の荒く、腹の中に一物の一つや二つは抱えている輩かもしれない。

 

 俺は、過去に友が女性から傷めつけられて喜んでいた姿を頭の隅から抹消して、ゴクリと生唾を飲み干した。

 

 確か、この忌々しい記憶は当時に見て直ぐ抹消した筈なのだが、未だこの頭にこびりついていたとは……未来永劫思い出しくないものだ。

 

 俺の葛藤を露知らず、兼人は躊躇なく屋上の扉を押し開いた。まだ『あの方』に会う心の用意が出来てはいなかったのだが、こうなれば思い悩んでいても仕方ない。

 

 兼人が開いた扉の向こう側から、夏の日差しに近くなった陽射しが俺達に降りかかった。

 

 思わずその眩さに目を眇めていると、次いでサッカーコート程はありそうな広大な屋上の全貌が視界に映った。

 

 横に並んでいた兼人がまたさっさと屋上へと踏み入り、給水塔の方へと迷いない足取りで近寄っていく。

 

 俺も兼人を追って給水塔へと寄って行き、段々と近づいてくる五メートルはありそうな給水塔の上に人の姿を見つけた。

 

 その給水塔の頂点には、猫じゃらしを口に咥えて寝っ転がっている小柄な人物が一人、初夏の太陽光を浴びて気まぐれそうに伸びをしている所であった。

 

 兼人は給水塔のすぐ側までやってくると「おーい! 猫殿!!」と訳のわからない名を叫び呼んだ。

 

「なんだ、そのふざけた名前は」と俺が聞くよりも早く、給水塔の上から気の抜けた「はあい」と兼人の呼びかけに応える声が降ってくる。

 

「なあに、浅越君。俺、今昼寝の真っ只中なんだけどー。この至福の時間を潰してまでの俺への用ってことで良いんだよね?」

 

 しかも、その人物はたかだか昼寝如きで大層な物言いをしている。

 

 俺の脳裏でとある人物の顔がぼんやりと浮かび上がったが、同時にどうとも言い表せない感情が湧いてき、慌ててそれに蓋をした。

 

 秀吉様が全幅の信頼を寄せ、その才を欲しいと言わせた過日の軍師の姿は、今も俺には強過ぎる。

 

「うむ、そうなのだ。実は今回も猫殿のお力を拝借したい。私の友とその従兄弟が大変な事態の渦中にあるのだ。私はなんとしても、友とその従兄弟を助けたい! 猫殿、今一度、私に力を貸してはくれまいか!?」

 

「まぁ、君が持ってくる案件なんだから厄介事だよねえ。んー、分かった。俺もちょうど君に聞きたいことがあるし、それに答えてくれるなら手伝ってあげるよ」

 

「おお! 左様か、猫殿!! かたじけない!!」

 

 兼人が大仰に両手を掲げて、感涙せんばかりにその猫殿とやらに礼を告げていると、給水塔で寝っ転がっていた人物が不意に立ち上がって、給水塔に掛かっている梯子を使わずに飛び降りてきた。

 

 五メートルはあると思われる給水塔の頂点から身軽く飛び降りてきた猫殿に、流石の俺や兼人も目を白黒させる。

 

 あの時代であれば、日常茶飯事の光景であったがこの世でこんなことをする人物が未だにいるとは思わなかった。

 

 猫殿はそう呼ばれるだけあって、まるで本物の猫のようになんてことない様子で着地したが、後から痺れがやってきたらしく「うわ! ビリビリが来た!!」と叫ぶやいなや、ピョンピョンその場を今度は飛び跳ね始めた。何とも落ち着きがない男だ。

 

 俺の目が段々と半目になっていくのも気にせず、俺達と同じ制服に身を包んだ小柄な男は、若干涙目になって早速聞きたいこととやらを聞いてきた。

 

 

 ───まさか、それが俺達の正体を迫ることとは思わず、俺達は完全にこの男の呆れた動向に気を緩めていたのだ。

 

 

「えっとじゃあ、早速だけど浅越君。君の隣りにいる狐みたいな顔した子は豊田三輝かな?」

 

「うむ。この男は三輝で間違いない」

 

 驚いたことにこの男がした最初の質問は俺のことであった。

 

 何故、俺のことを知っているのかが分からず、自分の視線に険が篭っていくのが分かる。男も俺が不審に思っていることを敏感に察知したようで、にへらとこれまた気の抜けそうな笑みを浮かべる。

 

「そんなに身構えないでよ。俺、まだ名前合ってるかどうか聞いただけだよ。あ、何で知ってるかとか、野暮なこと聞かないでよね。豊田君は隣のクラスの委員長なんだし、俺が知ってても可笑しくないでしょ」

 

 話の詰め方が手馴れている。人を言葉で繰ることに長けていると見て間違いないな。

 

 体の芯が伸びていくのが手に取るように分かる。最近はあまりこの様な駆け引きはやっていなかったが、それは同時に俺も平和ボケしていたことを示している。

 

 つい昔の癖で腕を組む。面白い、久しぶりの舌戦だ。時には頭を使っていなければ鈍ってしまうからな。

 

 俺の態度で向こうも思うことがあったようだ。あからさまに面倒くさそうなため息を吐いて背を曲げる。

 

「なんかやる気になってるみたいだけど、俺、別に君と戦うつもりとか全くないから。というか、寧ろ仲間なんだろうから仲良くやっていくべきだよ、俺達」

 

「なんの話だ? 俺には全く話が見えてこないのだが?」

 

「そりゃあねえ。俺と君の間には決定的な齟齬があるし。俺が知りたいのはその齟齬なんだよね」

 

「齟齬……?」

 

 

 俺の疑問に男は「うん」と素直に首肯する。

 

 そして、今度はニッコリと人好きしそうな笑みを、まだ幼少の名残がある幼い顔に閃かせて腰に両手を当てた。

 

 

「まあ、先ずは俺から手札を見せるべきか。俺は竹田玲。浅越君と同じクラスだよ───そして、此処からが一番聞いてほしい所。俺、実は前世の記憶ってのがあるんだよね」

 

 

 竹田と名乗る男の言葉を最後まで聞き終わらないうちに俺と兼人は顔を見合わせた。兼人も竹田のカミングアウトには驚愕しているようで、目を極限まで見開いている。

 

 その兼人の目には、やはり引きつり顔の己の顔が映っていた。

 

 俺達の異様な行動に竹田は更に笑みを深めて、言葉を止めずにあっさりと吐き出す。

 

 

「前世では俺、竹中半兵衛って奴だったんだ。ねえ、君達。俺のこと知ってるよね? 越後の直江殿と秀吉様の子飼いである三成殿」

 

 ニンマリとそう言って笑う武田の顔は、確かにあのいけ好かない、しかし秀吉様が生涯惜しんだ天才軍師の面影があった。

 





岐阜に行った際に、半兵衛の菩提寺にも参詣して来ました。

彼の館跡地と菩提寺がある一帯は、かなり交通の便が悪い所でしたが、長閑で忙しない毎日から離れるには丁度いい所でもありました。

半兵衛といい、郭嘉といい、やはり才能を持った人間は早死し、主君に惜しまれる美談がワンセットだよなぁと思いつつ、そういう美談大好きだと言いながら、執筆する私です。

でも、董卓や久秀みたいな人も大好き。
絶対いつか、書いてやるからな二人共。



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