莫名灯火 (しラぬイ)
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Chapter 01 涼州
File№01


香風可愛いのに主役小説無いのでカッとなって書いた。

後悔はしていない。

ライト()で短め()な小説目指して頑張っていくスタイル。


「………………」

 

一目でこれは夢だ、と判断が付いた。

周囲は見覚えのある風景だが、陽炎が如く周囲はゆらめいていた。

 

その場所に立っているハズなのに立っている感覚がない。

その場所に居るハズなのに肌に何も感覚が伝わってこない。

足はその場から一歩も動かず、首を曲げる事も叶わないどころか声すら出ない。

 

唯一の自由は思考だけで、それ以外は一切の自由が許されない。

こうなれば後は夢の中で夢から覚める様に頭の中で叫ぶことだ。

 

(起きろ─────)

 

同時に体を動かそうとするのだが、体は動かない。

現実世界ではただベッドの上で眠っているのだから。

 

そうして周囲の状況は一転する。

 

見覚えのあった景色は失われ周囲は暗闇一帯。

目が覚めた訳ではないのは感覚で分かる。金縛り状態なのは継続しているのだから。

ただ一点、先ほどの明確な違いがあるとすれば。

 

『      』

 

目の前の光から声をかけられた気がした。

声は聞こえない。口も見えないからしゃべっているかどうかも分からない。

 

けど。

それでもその光が此方に向かってしゃべりかけている気がした。

 

『      ?』

 

理解できない。

何をしゃべっているのか理解できない。

理解出来ないのに、理解できた(・・・・・)

 

矛盾している。

意識では相手が何を言っているか把握も理解もできてないのに、自分の体は理解を示していた。

とは言ってもここは夢の中の世界。深くは考えない。考えたところでそこに意味はない。

 

(………お)

 

体が動く感覚が伝わった。

夢の中の意思が現実世界の体を動かした、その証明。

ならばもう間もなく目が覚める。

きっとこの夢も起きて数分もすれば綺麗すっぱり忘れる事だろう。

 

『  どうやらうまく情報伝達が出来なかった様だ。まあ(・・)いい(・・)。伝達方法の確立も出来た  』

『  喜ぶがいい。神の、試金石になれたモノ。対価は(・・・)後払い(・・・)だ。その対価がどの様なモノになるかはキミ次第  』

『  神は、キミに何も望まない。期待しない。取り立てもしない  』

 

『  ─────キミの役割は、既に全うされた─────  』

 

 

 

 

「………はぁ」

 

目が覚めた。古ぼけた木の板が視界に入ってくる。

軋む音を立てて起き上がればそこは変わらない我が家。

 

ただし、少なくとも現代日本の家と比較すればお粗末極まりない作りの天井や壁。

 

「慣れたもんだな」

 

─────生まれてから過ごすこと十余年。

古代中国「漢」の時代で、今日も元気に転生ライフ、頑張っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気が付いたら転生していた。

神様に会った記憶もなければ転生特典を貰った記憶もない。

そもそもそんなものは2次元だけの世界と考えていたため、『転生』という出来事が身に起こっただけでも衝撃的すぎた。

 

これなら宝くじ一等を当ててくれよと思ったくらいには。

 

そしてここは漢の時代。

現代日本で生きてきた平成生まれの人間にとっては、文化レベルに絶望していた。

衣・食・住すべてにおいて予想の遥か下。当たり前ではあるが。

 

 

─────そうおもっていた時期が、私にもありました。

 

まず、家。

確かに現代日本と比べればその作りは粗末と言っても過言ではない。

が、ちょっと人の多い都なんかに出て見れば、どうやって建設したのか、と問いたくなるような建築物がちらほら。

無論現代建築と比較すれば下回るのは確実だが、それでも『ここ何の時代だっけ』と確認したくなる。

 

次に、食。

歴史に詳しくない身からして、この「漢」の時代の食文化が一体どれほどのものだったのか、と言うのは不明。

だが少なくとも現代日本人が食事をして、問題なく食べれる、と評価するくらいの美味しさはあった。

ここについては余り気にしなかった。

というより次の分野の衝撃が凄まじすぎた。

 

そう、衣。

都から離れた農村ではそれなりの、まあ衣類だった。

『だった』。

 

最近この家に食事をしに来る少女を見るまでは。

 

あと都なんかは普通にヤバイ。

女性専用の店なんか、普通に現代日本のランジェリーショップのそれだ。

パンツからブラまで現代日本に会っても違和感がないレベルと言ったら、その異様さが分かるだろう。

 

そしてこの世界が決定的に違うとわかったモノがある。

 

阿蘇阿蘇。

 

そう、阿蘇阿蘇である。

 

「あっ、これ恋姫ですか」

 

思わず敬語になってしまうくらいの、全ての疑問が氷解した瞬間だった。

こんな時代に女子向けファッション誌なんてあるわけないだろう!と。

思いっきり内心突っ込みを入れざるを得なかったくらいの印象があったので、直ぐに思い出せた。

 

その時、もし鏡が目の前にあれば俺の眼は死んだ魚の眼の様にハイライトが消えていただろう。

誰も二次元世界に転生した、なんて事実直ぐに受け入れられるハズがないのだから。

 

気が付いた時には両親はいなかった。賊に村が襲われたと、後になって教えてもらった。

顔も覚えていない両親に黙祷を捧げ、これからどうしようかと迷っていた。

 

恋姫と言ったってキャラクターは好きだし理解しているが、三国志の歴史に詳しい訳じゃない。

間違っても天下を取りに行く、なんて真似はしない。というかそんな度胸もない。

 

農民?

この時代で農民とか、絶対無理だ。

賊が湧く上に現代日本の農業と比べるとその全てが圧倒的に苦しい。

 

商人?

俺の一番やりたくない仕事は営業マンだ。

 

となればもうあとは役人しか残っていない。他にも道はあるかもしれないが、お金の事を考えた時、これが一番良い。

幸い現代日本で大学まで進学した身だ。

この時代の漢の文字を習得する必要はあるが、それをマスターできれば後はどうとでもできる。

どこかの私塾に通った後に試験受ければいけるハズ。

 

そんな軽い考えで見事役人になれた、というのが今の現状。

私塾時代に「天才」だの「神童」だのと言われたが、そりゃあ少なくともこの身体年齢に対して精神年齢は既に大人の域だからね。

多少天狗になりかけた事はあったが、前世での天狗になったときの痛いしっぺ返しを経験しているのでそこは自重できた。

恐らくそんな前評判もあったことで見事役人になれたんだろう。

 

都のしがない文官である。

無論賊にあっけなくやられない為にも体は鍛えているが、自身が文官寄りであるというのは認識している。

 

「賊………ですか」

 

「そうだ。各将に伝えておけ」

 

「………わかりました」

 

そう指示を出して去って行く後ろ姿が見えなくなったところで溜息。

 

上は俺の事を重宝しているのは感じている。

まあ現代社会の知識を小出しで提案しているのだ。この時代の人物では思いつかない、目から鱗のような内容も多々ある。

その事もあってか他の人と比べると出世は早く、給金もよいものを貰っている。

 

ただ出世が早いからと言って、何百人の部下が一晩で手に入る訳ではない。

所謂中間管理職で一番危険な役職である。

命の危険は(比較的少)ないが、上と下との板挟みに合う的な意味で。

 

少なくとも今ここで働いている現体制にはうんざりしている。

何かあれば賄賂賄賂。上は賄賂が送られてくるのは当然であるという考えだし、下は下で賄賂をするのが当然であるという考え。

そして賄賂が多い方が勝つ。

上が受け取った賄賂のいくつかが自身の給金に繋がっていると考えるとなんとも言えない気持ちになる。

 

先ほどの会話だって、言葉はなかったが『賄賂を受け取るのを忘れるな』というニュアンスが含まれているのは理解していた。

 

この役職になるまで、俺は賄賂を受け取った事は一度もない。

過去に個人的に俺に対して『お願い』と一緒に何度か賄賂を渡そうとしてきた人物がいたが、全て断った。

断ったら断ったで、『金額が足りなかったんですか!?』とか『いくらならいいでしょうか!?』など絶望したような合わせた表情で詰めよってくる。

『お金を用意しなくてもちゃんと聞きますよ』と回答すると面食らった様な顔した後にお礼を言われる。

 

現代日本に生きた身としては賄賂にいい思いは無いが故の回答である。というか給金だけで事足りてるのに賄賂とか貰う必要もないのだ。

この世界にパソコンやらスマホやらガチャやらがあれば別だが、そんなものはない以上、寝床と食事、たまに衣類があればそれで充分である。

なお、あくどい事を考えている輩は今のところ一度も来ていない。こればかりは運が良かった。

 

「さて、どうしようか」

 

巷では聖人と呼ばれる人物がいるらしい。

はて、そんな人物がこの都に居たか、と思考を巡らせるが思いつかない。

まあ根本的に知識の時代が違うから、此方の知識内の聖人と巷の聖人とでは差があるんだろう、と納得させる。

ついでに俺も助けてくれないかな、と淡い願望を抱いていると。

 

「………あ、あの」

 

「ん?」

 

視界の隅に入ってきた人物に目を向けると、小さな女の子がいた。

というか見覚えがありすぎた。

 

「先ほどの賊の討伐の御話について、なんですが。それ、シャン………じゃない、わたくしにお任せいただいてもよろしいでしょうか」

 

「─────」

 

その姿に思わず固まっていると、少し困惑した様な顔で見つめ返してくる。

 

「あ、あの………」

 

「はっ!いやいや、すまない。えーっと、先ず名前を伺ってもよろしいですか?」

 

名前は嫌という程知っているが、ここでは初対面な上相手はまだ名を馳せていない。

この質問に問題はないハズだ、と無駄に思考を回転させながら問う。

 

「あ、えーっと。………わたくしは、姓は徐、名を晃、字を公明と申します」

 

後に真名を交換し合う、徐公明と初めて邂逅した瞬間だった。

 

 

 

 

賊退治は無事完遂された。

思っていた以上の賊の数だったためそれなりの時間は要したが、それが徐公明という名を馳せるのを後押しした。

無論街を歩けないほどの超有名人というわけではないが、耳が良い人物なら遠方に居ようと届くぐらいには。

 

その後その実力も相まって、次々と賊を討伐。

気が付けば騎都尉という役職にまで昇進していた。

俺が昇進するのにかかった時間よりも圧倒的に早いあたり、やっぱり今の世は武がモノをいう時代だなあ、とぼんやり考えていた。

 

その間、此方の昇進は無し。

知識は欲しいが、これ以上昇進されるのは目の上のなんとやら、というらしく、ものの見事に飼われている状態。

………別に反乱とか革命とか考えてないんだけどね?なんでそんな警戒するのやら。

そもそも現代社会の社蓄を経験していた身とすればこういう状態に抵抗は無い。

 

「へぇ。それでこの長安に」

 

「うん。目新しい政策を打ち出しているって」

 

徐公明もとい香風と午後昼下がり。

彼女がここに仕官した理由を聞いてみたら、俺が上に進言し実施された政策を聞きつけて来たらしい。

 

「けど、実際仕えてみてわかった」

 

「わかったって………何が?」

 

「ここの人も同じだった、ということ。………噂は間違ってなかった」

 

あ、この話の流れはあかん奴。

現代日本に生きた身としては不穏な場の空気の流れを読むくらい、造作もないのだ。

 

「まあその噂が何なのかは聞かないでおくよ。さて、それじゃ遅くなったけど香風の昇進祝いってことで食事に行こう?」

 

「………お兄ちゃんがいいのなら。うん、行こう」

 

別に何か目的があって役人になった訳ではない。

しいて言うなら恋姫達の誰か一人くらいとは仲良くしてみたいなあ、という願望があった程度。

 

時の流れのままに、うろ覚えな歴史の流れを頼りに今日ものんびり生きて行く。

そんな転生ライフである。

 

 

 

 

 

私塾始まっての天才現る。

 

その知識は遥か未来を先取りしていると言われた。

誰も、それこそ教える側の人間ですら考えつかなかった兵法を、政策を私塾で見せつけた。

 

私塾始まっての神童現る。

 

その武は決して苛烈では無いが、その体捌きは流水の如く。

折れそうなほど細長い武器は、しかして折れる事無く、風が戦ぐが如く。

そうして相手を一刀の名の元に斬り伏せる。

 

それが私塾に入る前に、曹孟徳が聞いた噂だった。

 

興味を持たないハズがなかった。

自分よりも先に私塾に入り、天才、神童と呼ばれた男。

 

だが時の運とはうまくいかないもの。

私塾に入った時にはちょうどその男はその私塾を卒業し、同じ場所に通う事はなかった。

無論それ以前に会おうと思い探してみたが、霞が如く捕まえられない。

後ろ髪を引かれる思いで私塾に入ったものだ。

 

私塾においても曹孟徳の名は伊達では無かった。その才能を十二分に発揮していく。

 

本来ならばその才能が故に周囲から敬遠されるところだ。

 

だが、ここではそうはならなかった。

同期となる生徒達からは一部を除いて遠巻きな視線を感じる事はあった。

だがそれは少数だ。

そして何よりも教師陣からは、何というか形容し難い視線を受けていた。

不快になるようなものではないのだが、何とも言えない視線。

 

それもそのハズ。

教師達は曹孟徳というチート的存在の前に、転生者というバグの存在を見ていたのだ。

彼女の才能も優秀なものである、というのは教師陣全員の認識は一致している。

ただ比較対象が過去に存在したために、なかなか優秀な子という評価に落ち着いていた。

 

「秋蘭、その後の足取りは?」

 

「はっ。どうやら長安にて仕えているという情報を」

 

「長安………最近だと徐公明という人物が賊退治で名を挙げた、というのを耳にしたわね。なるほど、そこにあの男が」

 

「その様です。どうやら長安では陰で『聖人』と民からは呼ばれているらしく」

 

「『聖人』、ね。最近長安あたりの治安が少しばかり向上した、という噂に絡んでいるのかしら?」

 

「かもしれません。ですが一方で不確かではありますが………」

 

「何?」

 

「その男、先ほどの徐公明と共に長安から暇を貰って姿を消した、という情報が」

 

「………何ですって?」

 

こんなやりとりが陳留で行われている事は知る由もなかった。

 

 

 

 

徐公明こと香風にとって、『彼』と出会えた事は正に幸運だった、と言えるだろう。

 

始めは長安にて凄い領主がいる、という噂を頼りにやってきた。

実際やってきてその街を見てみると、なるほど今まで見てきた街と比べるとどことなく『上向き』になっている事は感じ取れた。

少し目をやれば暗い所が多々見受けられるが、香風にとって『改善しようとしている』と見て取れるのは大きなプラス要因。

 

早速仕官したものの、いざ内部に入ってみると、落胆を禁じ得なかった。

賄賂、賄賂、賄賂。

そこそこ昇進するも、次は兵達の兵糧を賄う為に賄賂、賄賂、賄賂。

この繰り返しである。

 

この街で見た『上向き』の雰囲気はなんだったのだろうか、或いは思い違いだったのだろうか、と思い込んでいた時に耳にした。

 

賄賂を一切受け取らず昇進した文官。

聞いてみればここの領主が行った政策は、全てその文官が進言し、それを領主が然も自分が考え付いた様な振る舞いで行っていたこと。

しかしそれに文句の一つを言う事も無く、与えられた給金だけで満足しているということ。

 

最初はさぞ地位の高い人物なんだろうと思ったが聞いてみれば言うほど地位は高くない。

明らかに高位の地位にあってもおかしくないような働きをしているのに、である。

 

香風は興味を持った。

一体どんな人物だろう、と。

まだここに来て日が浅い香風はもう少しだけ情報収集をする事にした。

 

曰く、賄賂を受け取らず、その知識だけで今の地位に上り詰めた。

曰く、文官なのに常に腰に武器を帯刀している。

曰く、無償で街の清掃や治安維持に貢献している。

曰く、無償で街の子供達に私塾紛いの教養を施している。

曰く、お腹を空かせてどうしようもない人たちに『たきだし』なるものを行っている(しかも美味しい)。

曰く、その事もあって今の地位から上に行けない。

曰く、曰く………。

 

調べてみれば、立場が上の者には『重宝されてはいるが、上に来られると自分達にとって都合が悪い』というのが手に取るようにわかった。

逆に民や『彼』より下の地位の者達の評価は真逆で好評価なものばかり。

 

それは、単に現在社会の知識を小出しした結果であり。

それは、余った時間に賊に殺されない為にいつでも素振りが出来る様にと所持している(加えて盗難防止)結果であり。

それは、仕事以外にやる事があまりにもなさすぎるが故の活動(あと単純に自分の武の鍛錬を含めた)結果であり。

それは、仕事以外でやる事があまりにも(ry。

それは、衣・住に頓着しないが故に余ったお金をボランティア活動と評した(ついでに経済を回して活性化)結果であり。

それは、別に高官になろうとも思っていないが故の結果である、のだがここは割愛する。

社蓄だった人間が休日になって『休日、何しよう? やること無くない?』となる現象と同じである。

 

特に何もない日は料理をとことん突き詰めて調理するか無心に鍛錬に励むしかやる事がないほどには、やることがなかった。

そのため料理の腕がそこら辺の店よりも遥かに上なのだが、それを当人が知るのはもう少し先である。

先進文化に触れた記憶があるが故の出来事であった。

 

こうなってくると香風の興味は領主ではなく、その文官へ移る。

香風が感じた『街の上向き』の雰囲気は決して間違いではなく、さりとて領主が何かをしたわけではない。

政策は関与しているだろうが、それをしようとしたのは領主ではない。

その文官が直接的、あるいは間接的に月日をかけて少しずつ改善していったが故の結果であり、経過だったと気づいた。

 

『賊………ですか』

 

ふと視線の先にはその文官と領主が居た。

思わず隠れてしまったが、その話声は届く。

 

『そうだ。各将に伝えておけ』

 

『………わかりました』

 

話が終わったのを確認して覗いてみると溜息をついている一人の男。

香風が聞いていた通り腰には武器を帯刀しており、その顔立ちも知っているソレだった。

 

「さて、どうしようか………」

 

ここに来て日がまだそれほど経過していないとはいえ、香風もまた先ほどの領主の言葉に含まれていたニュアンスには気付いていた。

そして同時に思いつく。『彼』は上から疎まれている、だが賄賂を受け取れば上もそれを出汁にしてくる、と。その考えに至ったとき。

 

「………あ、あの。先ほどの賊の討伐の御話について、なんですが。それ、シャン………じゃない、わたくしにお任せいただいてもよろしいでしょうか」

 

これがファーストコンタクト。

香風と『彼』こと 灯火 が初めて会話をした時だった。

 

 

 

 

彼女の性格も相まって真名を交換し合った二人は共に仕事をしたり、食事をしたり、昼寝をしたりした。

何より香風自身、灯火に興味を持っていたこともあり、すぐさま仲良くなった。

灯火自身も香風に関する前世の記憶は持っていたので邪険には扱わず、むしろ仲良くなろうと意識していたくらいである。

 

一度読んだ書簡は忘れないという完全記憶染みた能力を発揮して見せた香風に、定期的に行っている私塾(但し無料)の助手をお願いし子供達への教養を。

今まで素振りがメインだった鍛錬は香風と鍛錬をするようになった。

 

たまに彼女の家に行ってみればゴミ屋敷かと見間違う程の光景に絶句し、無心無表情で家の大掃除をしたこともあった。

何度やっても結果ゴミ屋敷になっていたため、最終的に自身の家に香風を泊まらせるという行為まで仕出かした。

現代日本みたく医療が発展しているわけじゃないし、衛生面を考えてもこのままはヤバイと本気で考えていたので、同棲するしかないと至った次第である。

 

食事は外で食べたり、灯火が作ったりしていたが後の香風が言うには、『外で食べるよりもお兄ちゃんのご飯の方がおいしい』とのこと。

『香風ゴミ屋敷事件(命名:灯火)』をきっかけに同棲し始めた灯火がこれを聞き、料理の腕を更に向上させていくのは余談である。

 

そして─────

 

「さて、それじゃあ………忘れ物はないか?」

 

「うん、大丈夫」

 

仕官して稼いだ路銀と、食糧。武器は勿論忘れずに街の入口に二人はいた。

香風が暇を貰い、それに追従する形で彼もまた暇を貰った。

 

香風も灯火もいくらお互いが同じ職場に居るからと言って、職場自体に不満がないわけではなかった。

賄賂・賄賂な毎日だったし、面倒な事務作業や賊討伐等々。

日に日に仕事量が増してくる二人は満足に空を眺める余裕もなかった。

 

漸く取れた久方ぶりの休暇でふと香風が口にした言葉。

 

『鳥の様に自由に空を飛びたい』

 

ああ、そういえば。と、前世の記憶からそんな話もあったな、と思い返す。

 

『空を飛びたいのか?』

 

『うん。鳥はどこまでも自由に空を飛べる。………そう考えたら、今のシャンは何してるんだろう………って』

 

心当たりがありすぎる言葉である。

現代社会で生きていた時でもそういう感覚に陥った事は多々あったものだ。

 

『あ、でも』

 

『?』

 

『シャンは飛びたいけど、一人じゃ寂しい。………飛ぶならお兄ちゃんと一緒に飛びたい、かなーって』

 

不意打ちの言葉に思わず香風の顔を見てしまう。

ほんわりと笑う香風の頬は僅かに赤くなっている様にも見えた。

 

『………なら、飛んでみるか?』

 

『飛べるの?』

 

きょとんとする顔に笑いながら前世の記憶を漁っていく。

流石にヘリコプターや飛行機等と言ったオーバーテクノロジーは除外だ。

 

『飛べるとも。んー………最終目標は気球、かな』

 

気球も十分オーバーテクノロジーだが、まあ先の2つよりかはまだ試しやすい。

 

『ききゅう?』

 

『お楽しみってことで。手短にやるなら竹とんぼで遊んでみようか』

 

『竹とんぼ?』

 

実演してみたときの香風の瞳は、それはもう眩しいくらいに輝いていた。

その後自分の斧で同じことをしてみようとした時は慌てて止めに入ったが。

 

「まあ置き土産も置いてきたし………」

 

手土産に現代知識の一部分だけを書き写した書物を残したので、この先少しだけなら政策を続けられるだろう。

暇を貰っても、後任が仕事をしやすい様に資料を作っているあたり、現代社会の感覚が未だ残っていた。

 

その後はここの領主の腕次第である。

 

 

「お兄ちゃん」

 

「うん?」

 

 

 

「これからもよろしく」

 

「………ああ。よろしく、香風」

 

笑う香風の頭を撫で、手を握って街の外へ歩いていく。

 

不安が無いとは言わない。

だがそれ以上に彼女と共に旅する事の方が、好奇心が勝った。

 

 

 

 

─────これはそんな転生者の物語である。

 

 

(………あれ?そういえばあの三人組とはいつ出会うんだ?)

 

 

─────これはそんな転生者の物語である!

 

 

 

 




俺達の戦いはこれからだ! ~完~


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File№02

なんか続いた。


「賊?」

 

「うん。ここからかなり離れてるけど、涼州の領地であることには変わりないの」

 

「はー。要するにウチ等が怖いからなるべく離れた場所にある村で盗み働いてるっちゅうことか」

 

軍議にてそんな話が出てきた。

この涼州を治める者にとって賊退治は必須。

 

「で、誰が行くのか、って話だけど」

 

「その賊っちゅうのは規模はどれくらいなんや?」

 

「いつも村に来るのは三人って話ね。裏にどれくらいいるのかは知らないけど」

 

「三人? 村の連中だけでどうにかならないのか?」

 

賊討伐が出来る、と内心喜んでいた一人がその規模を聞いて落胆する。

三人程度では慰めにもならない。

大体領地の端でコソコソと盗む連中のバックに大規模な賊が潜んでいるというのは考えにくかった。

 

「どうにか出来ないからわざわざここまで連絡が来たんでしょ。で、華雄? アンタが行ってくれるの?」

 

「いやいい。その規模なら距離を考えても足の速い霞が適任だろう」

 

「………アンタ、賊討伐の規模があんまりにも小さいからってウチに振ったやろ」

 

少し前だが賊討伐によって名を馳せた長安の何某というのが居たな、と思い出すのだがすぐに忘れる。

顔も知らない人物の活躍話ほど興味が無いモノは無い。

 

「ま、確かにその規模なら軍を動かす必要も無いし、ウチの足なら日帰りできるか。小規模とは言え月のお膝元で狼藉働いてる奴を見過ごす訳にもいかへんからな」

 

「ならこの件は霞に任せるって事で………」

 

 

「─────待って」

 

 

村への派遣が決まりかけた軍議に、静かな声が渡る。

話し合っていた三人が視線をやれば、のんびりとした表情の少女が珍しく起きていた。

 

「どうしたのです、恋殿?」

 

「………その討伐、恋が行っていい?」

 

そんな言葉に一同呆気に取られる。

無論必要とあれば彼女だって出撃するが、自ら志願して、というのは非常に珍しい。

というより過去にあっただろうか。

しかもこの規模の賊に対してである。

 

「何だ? もしやこの賊はそこまでの強敵なのか?」

 

一度は興味を無くした華雄と呼ばれた女性が改めて興味を示す。

規模は三人だが、目の前のいる少女が志願する様な手練れの賊であるというのであれば話は別である。

 

「どうなん、詠?」

 

「そんな情報は一つも無い。少なくとも恋が出張らないと行けない様な相手ではないハズよ」

 

「あの、恋さん。………よければ志願された理由を伺ってもよろしいですか?」

 

「………………」

 

どこか遠くを見る様な視線を宙にさ迷わせた。

それは言いたくない、というよりはどう言えばいいかを迷っている様にも見える。

 

「最近恋殿の機嫌がいいのと、何か関係があるのです?」

 

「………恋、機嫌がいいように、見えた?」

 

「そりゃあな。付き合い短い奴なら分からへんやったろうけど、なんちゅうか、こう雰囲気がワクワクしてるっちゅうか………」

 

「………それで? 結局どうしたの?」

 

 

「─────灯火がこっちに戻って来るって」

 

 

その場にいた陳宮と呂布以外の全員が、頭に疑問符を付けた事は無理の無い話だった。

 

 

 

 

「じゃーねー」

 

街の中へ駆けていく子供を見送りながら、この長安に来て収集した情報を精査する。

始めはこの長安に仕官するつもりで来たのだが、食事処のとある老人に声をかけられたのが切っ掛けだ。

 

曰く、徐晃将軍と同じ、と。

 

徐晃将軍と文官がこの店によく食事に来ていたらしく、その最初期から知っていたとのこと。

その中で徐晃将軍の話が耳に入ってきた内容と、この店で三人が話していた内容が似ていたので声をかけたとか。

詳しく話を聞いて、仕官する前に徐晃将軍とその文官についての情報収集をする事になった。

 

その結果。

 

「ふむ。仕官は見送る、という事でいいですかな」

 

「ええ。『聖人』と呼ばれた文官の部下の方と接触出来たのが幸いでした。内情も聞けましたし、ここで行われた政策の事もいくつか聞けたのは大きいです」

 

宿にて趙雲、戯志才、程立の三人が結論を出した。

 

当初の予定では都に仕官し、自分達の力で変えていこう、とも考えていた。

その際、最近になってちらほらと良い噂を耳にする長安に、ということでここまでやってきたのだ。

 

「ふぅむ、しかしその『聖人』とやらに一度会ってみたくはある」

 

「? 星が、ですか? 確かその『聖人』は文官、という話でしたが」

 

「うむ。聞けばその『聖人』、武にも通じているらしい。過去都に現れた賊を一瞬で斬り伏せたそうだ」

 

「………文官なのに、ですかー?」

 

「無論助けられた側の誇張もあるやもしれん。が、その者が言うには腰の得物に手をかけたかと思えば風切り音がしただけで相手が倒れたと言うではないか。武人として気になっても仕方あるまい?」

 

「けど、その人はもうこの長安には居ないんですよねー?」

 

「だから惜しいと言っている。聞けば昨日ここを発ったと言う。あと一日早ければ─────」

 

「途中寄った洛陽で美味い酒が手に入ったと言って酔いつぶれたのはどこの誰でしたか」

 

「………………」

 

「『流石都というだけはあるな♪』とか言って明日の分と称して購入したお酒まで飲んでましたねー」

 

「………………」

 

暗に一日遅れたのはお前の所為だぞ、という二人の言葉が突き刺さる。

明後日の方向に視線を逸らし我関せずの姿勢を貫く趙雲。

それをジト目で見ながら今後の議題に入る。

 

「私も風も、そして星も仕官するつもりはない。ということで明日にでもここを発つ訳ですが、次はどちらへ向かいましょうか」

 

「因みに噂の『聖人』と徐晃将軍は涼州方面の街道へ向かったと言ってましたよー」

 

「涼州、か。私は構わないが二人はどうなのだ?」

 

「私も問題ありません。元々特定の場所を目指しての旅ではありませんし」

 

「風も同じですねー。他に気になる所もあることにはありますが、当面は涼州へ向かう、という事でいいのでは?」

 

「では決まりだな。明日の朝には出立しよう」

 

 

 

 

『しかしよかったのか、香風? 言っちゃなんだが涼州は田舎だぞ?』

 

『うん。お兄ちゃんがいた所を見て見たかったから』

 

そんな会話をしたのが数日前。

そして現在。

 

「………」

 

「………ぽけー」

 

「………………」

 

「………………ぽけー」

 

大雨による足止めを余儀なくされていた。

多少の雨なら構わず進んでいただろうが、こうなってしまっては進むのは危険。

現代日本の様に塗装された道でもなければ街灯がある訳でもない。

 

ましてや賊がいる情勢である。

いくら二人が強いからとは言え、わざわざ危険を冒してまで進む必要もなかった。

もっとも、そこら辺の賊が香風相手にどうこう出来る訳がないのだが。

 

「ねえお兄ちゃん」

 

「うん?」

 

「街まで、あとどのくらいで着く?」

 

「………今日みたいな足止めがなければあと一日もあれば着くよ」

 

胡坐をかいた上に香風を乗せ、二人して空を眺めていた。

 

昨日の夕暮れから既に雲行きが怪しく、一雨来ると悟った灯火は香風と共に道中の村に入った。

いる間だけ用心棒を請け負うという形で、『この村で一番豪華な家』に雨宿りさせて貰っている。

因みに長安にいたころから二人は既に同棲していた為、今更家一つに二人が避難する事に対して何か思うところなどなかった。

 

「けど」

 

「うん?」

 

「この雨だと、賊がやってきそう」

 

「………だな。狼藉を働いても軍がやってくる確率は限りなく低いし、自分達はこの雨に乗じて逃げ切れる」

 

無論この家は空き家ではない。

ここの家主は別の家に避難して貰っていた。

 

「………お兄ちゃんの言う通りになる?」

 

「村長に聞く限りだとここ最近連続して襲われているって事だったし、まあ間違いなく。さらに言えばこの家に来る事は間違いない」

 

「でも明かりをつけてたら、避けそうな気もする」

 

「コソ泥だったらな。けど相手はもう何度もこの村から搾取していっている。どこに何があるかなんて把握しているだろうし、何よりこの村に自分達に対抗できるほどの人はいないということも、な」

 

だからこそ、と灯火は続ける。

 

「もしこの悪天候の中で盗みを働くのであれば、“確実に当たりがある家”を目指す事は明確だ。いくら賊にとって恵みの雨とはいえ、相手も人間。こんな雨の中で大荷物を持って帰るなんて手間以外の何物でもないし、かさばる食糧なんて持って帰ったって雨に濡れていずれ腐る」

 

「だからもし今日、盗みがあるとすればそれは食糧を狙った盗みじゃなく、金品となりそうなモノを狙ってくる、ということ、だね」

 

「その通り。よくできました」

 

「………ムフー」

 

頭をなでなでしながらしかし耳は外へと傾ける。

万が一他の家に盗みが入った時は、この家に誘導するように伝えている。

実際各家にある、賊が欲しがりそうなものは最低限を残しこの家に集めていた。

 

賊討伐で名をあげた香風とその後処理含めた事務作業を行ってきた灯火。

賊が何を求め、どのように行動するのか、というのは簡単に推測できた。

 

そもそもこの世界の賊は灯火が持っている前世での所謂「強盗」とは考慮のレベルが違う。

教養が行き届いた現代での盗みと教養が行き届いていない貧しい国での盗み。

どちらがより狡猾に盗みを行えるか、と問われれば考える必要もない。

 

「………お兄ちゃん」

 

「ん」

 

香風が僅かな違和感を感じ取り、灯火も応じる。

思った事は一つ。

 

(………こんな雑な考察でも引っかかるんだよなあ)

 

「へっへっへ………女一人と男一人か。おい、動くんじゃねぇぞ?」

 

相手はこの村に何度も盗みを働いている相手。

対して二人は昨日来た旅人。賊からすれば見覚えの無い相手で、警戒して然るべき。

が、その片方が小さな女の子、となればどうだろうか。

さらに男の方も屈強な見た目ではなく、所謂優男の部類であったなら?

 

「へっ!こんなにため込んでやがる。オイ!入ってこい!出来る限りもって帰るぞ!」

 

更に入口から二人の男が入ってきた。

合計三人。さも賊に怯えた様に灯火が尋ねた。

 

「………全員で三人、ですか?」

 

「そうだが、それがどうした?」

 

こういう所で教養の差が出てくる。わざわざ相手に襲撃人数をばらす賊などいない。

思わずため息が出てしまう。

 

「………あんたら、ちょっと慢心が過ぎるぞ」

 

「あ?何を言っ─────……ぐへぇ!?」

 

鈍い音を立てて一人が床へ倒れた。

驚いた二人が見ればただの女子供と思っていた相手が殴り落としている。

 

「ひとりめ」

 

呟くと同時に次のターゲットを確認し、軽い足取りで床を蹴る。

反応も出来ないまま無防備な姿を晒しているところへ、二人目の腹を肘鉄で打ち抜いた。

 

「ふたりめ」

 

「テメ………がはっ!?」

 

「さんにんめ」

 

正に瞬殺とはこの事を言うのだろう。

リーダー格の男が持っていた剣を振り上げたとき、既に香風は男の懐に入り込み容赦なく鉄槌を下していた。

 

「グッジョブ」

 

「………?ぐっじょぶ?」

 

「頑張った、という意味だよ。お疲れ様、香風。後は適当に縄で縛って放置だ」

 

「うん。─────疲れた」

 

気絶した三人を柱に括り付け部屋の隅に放置する。

加減しているとはいえ香風の攻撃をもろに食らったのだ。

しばらくは目覚めないだろう。

 

そうして雨が止んだあと、村に賊が侵入した事、その賊を討伐した事を村長に知らせた。

どうやら村長は既に被害が出ている事を上に伝えているらしい。

 

「涼州は確か、董卓………殿だったか」

 

「はい。あなた方がこの村へ来られる前に遣いを出したので、もしかすると今此方に向かって来ているかもしれません」

 

北東の幽州・公孫瓚、北の冀州・袁紹、都のすぐ東の苑州・曹操、南の荊州・袁術、そして西の涼州・董卓。

噂もさることながら、灯火は都の文官でもあった為、書簡でも恋姫達の名前は何度か見ていた。

都に出てくるまで一緒に過ごしていたとある少女を思い出し、そしてこの名前を見てこの世界は本当に恋姫なんだなあと実感したものである。

 

流石に直接見る事が叶うほどの地位では無かったので、実際目にした事は無い。

 

「んー………」

 

「どうしたの、お兄ちゃん?」

 

「いや、何でもない」

 

この賊の件が董卓に伝わっているなら、もしかしたら彼女が来るかもしれない、と一瞬考えもしたが。

よくよく考えればあの天下の飛将軍がたった三人の賊の為にやってくるわけない。

 

「それじゃ俺達はこれで」

 

「はい、ありがとうございました。しかし………本当に良かったのですか?」

 

「ええ。泊めていただいた駄賃ということで。気にしないでください。あの賊は来るだろう遣いの人に引き渡せば大丈夫です」

 

「分かりました。重ね重ねありがとうございました」

 

 

 

 

 

「お兄ちゃん、飛将軍と知り合いなの?」

 

少し驚いた顔で香風が尋ねてきた。

天下に名を轟かせる飛将軍こと呂奉先。

 

「知り合いというか、気が付いた時には横にいたというか………」

 

対する灯火の回答である。

灯火からしてみれば自我(すなわち自身の前世の記憶)を持ち始めた時、既に赤毛の女の子がいた。

最初は幼馴染か何かかとも思ったがよくよく顔を見てみると呂布であった。

 

『………なんで?』

 

『………?』

 

自我を意識する前の俺は一体何をしたのだろうかと本気で悩んだのだが、そこは現代社会で社蓄として流される様に生きていた人間。

まあ強いし可愛いし別にいいかと思い、周囲の村人達に流されるまま幼少期を過ごしたものである。

 

因みに灯火が役人になろうとした決意した理由は給金なのだが、その切っ掛けが彼女の食費であるということは伝えていない。

あと彼女の食事するときの顔が可愛いので自炊スキル向上を目指した結果、料亭開けるレベルまでいく切っ掛けにもなってたりする。

 

彼女よりも少しだけ年齢が上だった灯火はお金稼ぎの為に都へ役人に。

最初のころは給金も少なく、工面して彼女の食費として稼いでいたのだが。

 

『軍に入った』

 

という簡潔極まりない手紙によって送らなくなった。

自分で稼げるようになったから大丈夫、という意味である。

それに伴い涼州に里帰りした時は彼女の家に泊まる事になる。

 

武官を集める為に開かれた武芸大会の商品である食糧に目が眩んで参加した結果、軽く優勝してしまい、食糧を貰ったと同時に武官にスカウトされたという話を聞いた時は、流石の灯火も何も言えず乾いた笑いしか出なかった。

 

『流石、天下の呂布。軽く優勝とかマジパない』

 

『………?まじぱない』

 

ちなみに工面していたお金がほとんどそのままボランティア活動へ行ってしまうので、彼の巷の『聖人』は実は呂布のおかげだったりする。

ついでにもう一つ言っておくと幼少期に呂布が灯火の横にいたのは、お腹が減った呂布に自分のご飯を全部上げた事による餌付けが原因だったりする。

呂布さん、それでいいんですか。

思い出補正がかかって今でも仲良く、というか灯火の自炊スキルの所為で余計に餌付けされてたりする。

思い出補正って大事。

 

たまに涼州に帰ってくる時は事前に手紙を送る為、運が悪かった涼州の一部の人は赤毛の女の子が男の腕を組み、同じ家に入っていくという光景を目にすることになる。

貴重な砂糖が人の口から生産されるという珍事件勃発である。

 

「でもそれならお兄ちゃんが強いのも納得できる」

 

「いや、強くはないだろ?実際香風なんかこんな大斧を振り回している訳だし」

 

「シャンは体が小さいから身を守る為にも大きな武器を使う必要があったから」

 

長安にいる時に香風は灯火と共に鍛錬をしていた。

 

力は氣を張り巡らした香風に遠く及ばない。

だが………速いのだ。

武器を振るう速度が凄まじく速い。

少なくとも過去香風が対峙してきた誰よりも速かった。

 

「………まあ、あの頃はチートあるんじゃねぇのとか思ってひたすら体動かしまくったり、恋………呂布と戦ったりしてたから」

 

「………ちーと?」

 

「気にするな」

 

最初の方は呂布にも勝利を納めていた。彼女もまた人の子だったという訳だ。

調子に乗って呂布相手に武術特訓指導してたよ、この転生者。

 

だがしばらくしてくると天賦の才なのか力負けし始めるようになり、力じゃ勝てないと悟った灯火が日本の侍みたく速さで対抗する。

が、それも吸収した呂布によって最後には完全敗北を喫し、『やっぱり呂布には勝てなかったよ』とチートなんてなかったと諦める。

ナチュラルに転生者の心を折っていく、流石天下の呂布。

因みに前世と比べたら明らかに身体能力は上なのだが比べる相手が悪かったね。

 

あと幼少期からそんな灯火と鍛錬をしていた呂布が、原作と同じ程度の武力で収まる筈がない。

おめでとう。力任せに高速で武器を振るうだけだった自然災害な呂布から、洗練された技も身に着けた呂布へと進化したよ。

そのうち多重次元屈折現象とか引き起こせるんじゃないですかね。

 

 

「見えてきた」

 

賊討伐した村を出発してから数刻。

途中何度か賊やら熊やらが出てきたので都度退治し、休憩を挟みながら歩いてみると前方に街が見えてきた。

 

「香風、起きろー」

 

「ふみゅ………おいしい………」

 

抱きかかえた香風を起こそうとするも寝言を発するだけで起きそうになかった。

背中には彼女の武器である大斧を括りつけて歩いている。

 

「………これだけ大きい武器を振り回してたら疲労も溜まるか」

 

というより香風の場合、この武器を持つために氣を使っているという。

ということはこれを持ち運んで移動するということはその間は常に氣を使い続けているという事になる。

 

「まあ、着いてからでいいか」

 

背中にずっしりと来る斧を背負いながら街の城門へと近づいていく。

流石に都ほどの規模ではないが、この涼州最大の街。

防壁もしっかりしているし見張りもちゃんと立っていた。

 

「………」

 

近づくにつれて城門が大きくなっていく。

同時にその傍にいる見張りらしき人の輪郭もはっきりしてくるのだが………

 

「………別に外に出る必要はないだろうに」

 

それが見覚えのあるシルエットだった為思わず苦笑い。

相手もこちらを視認できたのか駆け足でやってきた。

 

「うにゅ………?」

 

「おはよう、香風。ほら、もう着くぞ」

 

「んー………おはよー………?」

 

視線に釣られ、香風もそちらへ顔を向けるともうすぐそこに門は迫っていた。

 

「眠たいのは分かるが少し起きてくれ」

 

「………わかったー」

 

香風を地面に下ろし、此方へやってくる赤毛の女の子を見た。

 

「よっ」

 

「………よ」

 

右手を軽く上げ一言の挨拶をすると、やってきた女の子も真似する形で手を上げた。

ほんわりと笑う女の子が、灯火の隣に立つ香風へと目を向ける。

 

「………」

 

「………」

 

両者、何も語らず。

何か会話が始まるものかと思っていた灯火は内心ズッコケである。

 

「あー………香風。此方がさっき話してた呂奉先だ。それで恋、此方が手紙で伝えた徐公明」

 

「………恋は、恋。………よろしく」

 

「………シャンは、シャンだよ? よろしく」

 

「………………」

 

二人の初会話を聞いて、息を吐いた灯火は静かに瞼を閉じた。

 

 

(………真名ってなんだっけ)

 

 

なおこの当人も真名について執着していない。(現代人だからね)

 

どこか何となく似た者同士三人がそろった瞬間であった。

 

 

 

 

 




香風も可愛いけど恋も可愛いよね。



つづけ。


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File№03

File№02を投稿して、
    数時間後のワイ「お、見てくれてる人いるなあ。ありがたや、ありがたや」

この時点ではまだお気に入り50ちょっとだったと思う。


木曜日の夕方のワイ「真恋天下(DMMゲーム)で関羽オルタ来たやんけ!引かなきゃ! → 今回もダメだったよ」

その後のワイ「そういえば小説どうなったやろ?」
    → 日間ランキング1位! お気に入り1000超え! 評価8オーバー!


「………ファッ!?」






始まります。


 

神速と謳われたその足は有言実行とばかりに一日で往復し、帰ってきた。

三人の賊など一捻り、そう思って村に向かってみれば。

 

「もう討伐された後だった?」

 

「せや。結局ウチがやったんはその後始末。………賊討伐ならまだしも、後始末だけなら新兵でも十分やっちゅうねん………」

 

やれやれと溜息。

張遼が直々に向かったのは賊討伐、それとその後ろに他の賊がいるかという確認のため。

本当に三人だけの賊ならば正規兵だけでも十分だったが、背後関係の調査も含めるとなると責任者が同行した方が早い。

いざとなればそのまま戦闘にもなるのだから。

 

「つまりその三人の後ろには何もなかった訳ね?」

 

「あの賊を捕まえた旅人が確認して村長に伝えたって言うし、実際賊に問いただしても同じ答え。念のため塒としてるとこ見たけど大規模な跡も無し。村から奪われたっちゅう物品も見つかったし裏はないやろ」

 

「賊から問いただしたって………、その賊まだ生きてたの?」

 

「家の太い柱に雁字搦めで縛られとった。聞けばちっこい女に殴られたーとか。………そのちっこい女に一撃で沈められてる己らはなんやねんっちゅう話やけど」

 

因みにその小さい女とは香風、つまり賊討伐のプロである徐晃将軍。

三人の賊程度がどうにかなる相手ではない。

 

「とは言え武器持った男三人に素手で挑んで一瞬で倒すあたり、只者やあらへんけどな。ウチとしたら………まあ楽できた、と思うわ」

 

「そう。まあ賊が生きてた事で背後関係の確認も簡単に出来たことだし、良かったじゃない」

 

闇雲に周囲を捜索する手間が省けた張遼と、その報告を聞けた董卓軍軍師・賈駆。

 

賈駆としては、この件はこれで終わりと一安心。

軍師として何より董卓の親友として、この涼州の火種は少ないに越した事は無い。

こうして一抹の不安も残らない仕事の終わりは他の仕事に集中できるので嬉しいこと。

 

そこは灯火の過去の賊討伐時の経験が生きてたりする。

というより灯火からしてみれば『なんでコイツ等背後関係確認せずに討伐すんの?妖怪首おいてけなの?』という至極当たり前な考えだった。

都の賊討伐が遅々として進まなかった原因である。

 

まあ腐敗しきった官僚なんてそんなものか、と諦めてた。

なお香風と知り合って協力関係になったことで、都付近の賊は一掃、香風の名を馳せる大成功を収めたので結果オーライ。

 

現代人で文官なので思考が軍師寄りなのは間違いない。

 

「ところでねねと恋の姿が見えへんけど、どっか行ったんか?」

 

「ああ、あの二人ならもう帰った。恋が『今日、来る』とか言ってさっさと出てっちゃって─────」

 

「それをねねが追いかけていった、っちゅうわけか」

 

「………まあ最低限の仕事はしてくれたから、私は何も言わないわ」

 

恋は一騎当千の武将なので平時はそれほど忙しくもないが、“ねね”こと陳宮は軍師なのだから少しくらいは賈駆の手伝いをすべきである。

まあ灯火からそう諭された結果、最近になってマシになってきてるのだがそんなすぐには変わらない。

恋を引き合いに出して論理武装を整えて分かりやすく重要性を伝えてあげれば彼女だって出来る子なんです。

 

「けど、ウチもちっとばかり興味あんなあ。なんたって恋に武を教えたんやろ?」

 

「恋の言葉をそのまま受け取るならそうなるわね」

 

「“あの”飛将軍の師かぁ………。一体どんな強面なんやろか。ねねが言うには恋より弱いってこっちゃけど」

 

何度か鍛錬ということで恋と戦った事がある張遼。

何を考えているかわからない無表情のまま、気が付いたら眼前まで刃が迫っていた。

 

それなんてホラー。

 

「………別に“今の”恋より強いとは限らないじゃない。過去の恋の師、っていう事じゃないの」

 

「まあせやろなぁ。ウチですら一遍も勝てた試しないんやし。………せやけどそんな傑物がおんなら、もっと早うその武の噂が聞こえてきてもええハズなんやけど」

 

常勝無敗。何人たりとも傷をつける事能わず。

その力は地を割り、その速さは風を斬る。

見る者を魅せる武の舞いは戦場に咲く華であり、触れようものならその技によって命を散らす。

相対した者は何をされたかも分からぬまま絶命する。

 

活躍に活躍を重ねた恋の噂で、畏怖も込められた『飛将軍』である。

そしてそこまで育て上げた『師』。

武人として気にならない訳がない。

 

「そういや華雄はどこ行ったんや?」

 

「………私は見かけてない………」

 

軍議の場には華雄も居たし、恋の言葉も聞いている。

自制の利く張遼ですら興味をそそられる内容なのに、あの武に一直線な猪が黙っているだろうか。

 

「………あかん、なんや嫌な予感する」

 

「………霞、恋の家に向かってくれる? 出来る事なら取り越し苦労になってほしいと願ってるんだけど」

 

「わかったわ!」

 

慌てて出ていく張遼を見送ると同時、その扉から董卓が入ってきた。

張遼の走る後ろ姿を見た様で驚いた表情をしている。

 

「詠ちゃん、霞さんが慌ててたけど、何かあったの?」

 

「何でもないわ。………“まだ”ね」

 

「?」

 

 

 

 

 

香風と共に恋の家に到着した三人。

家で恋が帰ってくるのを待っていた動物達と陳宮こと音々音が出迎えた。

 

そこで香風と音々音が自己紹介。

共に居たのが徐晃将軍と知り驚くと共に、恋が既に真名を渡していた事にも更に驚き。

恋殿が教えているのなら、という事で音々音も真名を交換した。

 

『音々音とは呼びづらいでしょうし、“ねね”でいいのです』

 

そんな会話を横から聞いていた灯火。

『普通はやっぱり真名っていきなり預けないよなあ』としみじみ思っていた。

その子いきなり陳宮キックかましてくるよ。

 

『………陳宮きっく?』

 

『な………!そ、そんな事しないのです!するのは灯火だけです!』

 

『いや、それはそれでどうなの』

 

なお恋の速度と比べれば子供のソレの為、視認できる限りは回避している。

その所為で最近は死角からの陳宮キックがねねの中で流行っていたり。

まあ灯火自身も彼女のコミュニケーションの一環だと認識してるのでそこまでとやかく言うつもりはない。

 

なお、お互いが恋を通じて出会った初対面時はコミュニケーションツールではなく、ガチで蹴りに来ていたのだが彼女の名誉の為にも伏せておく。

 

そんなやりとりも恋の腹の虫によってお開きとなり、食事の準備が始まった。

多少香風の手伝いが入るものの、給仕係は灯火。

 

長安にいたころは役人仕事を終えてから、家の掃除、二人分の洗濯、食事の準備、家計簿、家の補修。

完全に主夫である。

 

やることないんだから仕方ないよね。

 

 

 

もし仮に大食い大会なんてものがあったなら優勝どころか世界制覇間違いなし。

そんな説明文が付きそうなくらい、恋は食べるのが好きだった。

 

が。

 

「…………」

 

そんな彼女は机の前に座り、腹の虫が泣いているにも関わらず置かれている食事に手を出さず『待て』の状態。

これを張遼達が見たら驚きのあまり医者を探してしまうだろう。

 

「…………」

 

対面に座る香風もそれに倣ってまだ手を出していない。

腹の虫が泣いているのは同じである。

 

「遅いのですぞ!」

 

「………先に食べてていいのに」

 

最後の料理の皿を持ってきた灯火。

机に料理を並べ、香風の隣に座った。

 

「灯火と食べる時は一緒に食べる」

 

「お兄ちゃんはいつもシャンが帰ってくるまで待っててくれた」

 

「恋殿が待つと言ったので、ねねも待ったのです!」

 

「………じゃあ“ありがとう”って言った方がいいな」

 

「「「「いただきます」」」」

 

ちなみにこの言葉は灯火が三人に教えたものである。

 

大盛に盛り付けられた料理。

灯火と香風だけならば食べきれない量だが恋がいるなら話は別。

口いっぱいに頬張り美味しそうに食べている。

 

「どうだ、美味しいか?」

 

「うん。お兄ちゃんの料理はお店では出ないものばかり」

 

笑顔で答える香風と口いっぱいに含みながら首を縦に振る恋。

この時代で食べられている料理は勿論、前世の記憶を生かした料理も作っている。

塩や醤油・味噌といった日本で使っていた調味料が揃っているのは灯火にとってプラスだった。

 

「ねねは?」

 

「美味しいのです。特にこのお汁は飲んでほっと一息つきたくなるような美味しさなのです」

 

「お吸い物だな。結構作るの大変なんだぞ、それ。涼州じゃ手に入りにくい昆布とか使ってるんだから。商人が偶然持ってきたのを見たときは思わずガッツポーズしたなあ………。価値を見いだせてなかったから比較的安く買えたけど。流石都、長安」

 

「がっつ………またワケの分からない言葉を。………前々から思ってるのですが、灯火はどうやってこの料理を編み出したのです?」

 

「あー、それはまた今度な」

 

それについては答えられないのでお茶を濁す。

ねね自身もあまり深く気にしている訳ではないので、目の前の料理を頬張る事に集中する。

 

「恋。ねね。いるか?」

 

と、家の玄関から聞きなれない声が届いた。

首を傾げる灯火と香風、そして聞こえているのか分からないまま目の前の料理を食べ続ける恋。

これ、聞こえてませんね。

 

「ねね、誰か来たみたいだけど」

 

「あー………何をしにきやがったのです、アイツは。─────ちょっと出てくるのです」

 

口の中身を呑み込んで若干不機嫌になりながら声の元へ向かっていった。

不機嫌になった理由はほんの少しでも灯火が作った料理の前から席を外したくなかったが故である。

 

「ごちそうさま」

 

「ん、お粗末様。………頬っぺたについてる、香風」

 

「あ………んむ。ありがとう」

 

ほんわりと笑う香風を見てつい頭を撫でてると─────

 

「…………」

 

口いっぱいになった恋と目が合った。

 

「………………」

 

「………どうした?」

 

ゴクンと呑み込むと一言。

 

「………………………………恋も」

 

僅かに頭を下げてきて、意味を悟る。

 

「…………」

 

とりあえず開いている右手で撫でておく。

その時灯火は─────

 

(恋が犬で香風は猫で、後は雉は………ねねなのか? 鬼退治に行くのか。黍団子は俺の料理か)

 

無意味で意味不明な事を考えてた。

おい、桃太郎の動物で猫はいないぞ。

 

バタバタとやってくる足音を聞いて手を引っ込めた。

別にねねに見られたからどうという訳ではないが、余計な労力をかける必要もない。

 

「ねね、遅かったけど一体誰─────………」

 

振り向いた先にいたのは見覚えのない人物。

否、灯火は知識で知っている。

 

「お前か? 飛将軍『呂奉先』の師と言うのは」

 

「………はい?」

 

董卓軍武将・華雄がそこにいた。

 

「まったく!食事中だと言ったではないですか!聞いているのです!?」

 

「ああ、聞いている。だがそれは恋の話だろう。私が会いに来たのはそこの男だ」

 

ぷりぷりと怒ったねねが後ろから出てきた。

 

「いや確かに俺は食べ終わってたけど………まずはどちら様?」

 

「私は華雄という。董卓軍の将に就いている。そういうお前の名は?」

 

「………莫、とお呼び下さい。将軍殿」

 

相手が将軍と名乗った以上、相応の態度で対処する。

灯火自身は現在役人でも何でもないのだから。

 

 

「さっそく一つ聞きたいのだが。恋の武の師というのは本当か?」

 

「………………………………………………恋、なんて説明したの?」

 

「………………………………、恋に武を教えてくれた」

 

確かに教えた。

“あの呂布”に勝てて調子に乗ってた時代である。

 

「どうなのだ?」

 

「いや、確かにそんなこともしてましたけどそれは─────」

 

「お兄ちゃんってやっぱり凄かったんだ」

 

「うっ」

 

香風の純粋な眼差しが転生者の心に突き刺さった。

その眩い瞳が灯火の心に罪悪感を生む。

 

(なんかすっごく胸が痛む………!)

 

天狗になったしっぺ返しだよ。

 

「………お前は?」

 

「シャンは………っと、姓は徐、名を晃、字を公明と申します」

 

一応灯火も香風も現在は野に下っている。

相手の方が地位は上なのだから礼儀正しくしておくことに損はない。

こうしておけば余計な衝突は避けられる。

都で生き抜いてきた知恵である。

 

「徐公明………。ん? どこかで聞き覚えがあるような、ないような」

 

「徐晃将軍!長安にて都とその周囲に巣食う賊を一掃した人物なのですぞ!一時我らの耳にも入ってきたのに忘れたですか!」

 

「………おお、思い出した! いや何、顔も知らぬ奴の武勇話と思って聞いていたのでな」

 

「………これだから“猪”と言われるのですよ………」

 

やれやれと頭を押さえるねね。

この場に賈駆が居れば「五十歩百歩」ときっと言うよ。

その五十歩差はねねの改善されてきている分である。

 

「なるほど、将軍を連れ歩いているのか。ふむ………莫と、言ったな。さっそく一つ─────」

 

「イヤイヤ言いそびれたんですが、俺………じゃない、私と恋との武は恋の方が圧倒的ですよ。恋には勝てません」

 

「そんなことは百も承知だ。というより恋に今戦って勝てるのであれば貴様はとっくに名を馳せていただろう」

 

「………………? はぁ」

 

恋に武を教えた師、つまり恋より強いと思われている。

相手は華雄。なら本当に恋より強いのか確かめさせてもらう!的なノリで戦いを要求してくる。

そう考えていた灯火だったが華雄の言葉に肩透かしを食らった。

 

「では、一体?」

 

「私と戦え」

 

「……………………」

 

訂正。

想像通りだった。

 

「………一応確認いたしますが、何故です?」

 

「かの飛将軍、呂奉先は空前絶後の武将だ。霞………張遼はおろか、私ですら数合持たない。だが、そんな飛将軍とて最初からそうであった訳がない。そこに至るまでの道のりがあったハズだ。………となれば恋が言った『師』に興味が出るのは当然だろう。今までその様な話すら聞かなかったのだから」

 

「………あっ」

 

目の前にいる華雄の言う事も理解できる。というか一理ある。

 

灯火からしてみれば恋、すなわち呂奉先とは『後漢時代における最強の武将』という存在。

つまり『最強になる存在』というのを最初から知っていた。

なので灯火の中では『目指せ恋(呂布)超え』だったのである。その後結局“恋”という壁に敗北を喫することになるのだが。

 

だが、何も知らないこの時代に生きる人間からしてみれば、『灯火と武の鍛錬を積んだことによって呂奉先という人物は大陸最強の武将となった』と映る。

恋本人ですらそう思っている。

 

(─────あぁー)

 

その結論が瞬時に頭の中で導き出され、華雄に対する反論が出来なくなり、機能停止した。

 

多分今の灯火は『ぬ』と『ね』の区別がつかなそうな顔をしている。

 

猪武将・華雄。転生者を論破する。

どうなってんのこれ。明日世界滅びるんですかね。

 

なお華雄本人は微塵もそんなつもりはなかった。

 

こうなってしまうともう『かつての恋の武の師匠』という立場を呑むしかない。

少なくとも『私は転生者です』という荒唐無稽な言葉よりはよほど現実的だ。

 

「………おい、顔が歪んでるが大丈夫か」

 

「えぇ、はい。大丈夫です。いや実際何も大丈夫じゃないというかもう混乱の極致なんですけど」

 

「どっちなんだ」

 

こうなれば回避策としては『恋の武の師匠』という噂話を流させないだけだ。

流れてしまったら最後、バトルジャンキーな武将達に片っ端から挑まれる立場になってしまう。

例えそれが死を伴わない模擬戦であったとしても十二分に戦々恐々モノだ。

 

(………幸い董卓軍内だけの話のハズだ。拡散されないようにお願いしよう)

 

 

とある武に秀でた旅人に出合う事で広まってしまうんだけどね。

 

 

「恋ー!ねねー!おるかー!?」

 

「この声は霞殿ですな。恋殿はそのまま食べててください」

 

「…………………うん」

 

若干呆然自失になっている灯火に首を傾げながらも食べる事は止めない恋。

恋は悪くない。事実を言っているのだから。

 

「お兄ちゃん、どうしたの?」

 

「………………常識って大事だなって」

 

「?」

 

目の前で疑問符を浮かべている香風の頭を撫でる。

一種の精神安定剤の効果を発揮していた。

 

「おった。やーっぱりここに来とったか、華雄!」

 

「霞か。お前も気になって来たのか?」

 

「ちゃうわ!お前が変な事しとらへんか確認しにきたんや」

 

「随分と失礼だな。私は何もしてないぞ」

 

「そない言うなら………ああ、もうええわ。─────そんで、こっちの二人は?」

 

華雄に言う事を諦め、見覚えのない男女へと視線を移す。

 

「女の子の方が徐公明、男の方が莫というのですぞ」

 

「よろしくー」

 

「………よろしく」

 

「ふーん………。ウチは張遼っちゅうモンや。よろしゅう」

 

布をマントみたく羽織っているが胸はさらしを巻いているだけ、腰から太ももにかけても露出がある服装。

露出過多この上ない。

男なら目を奪われる様な恰好をしている。

 

のだが。

 

「………ちなみに張遼殿は、どういったご用件で?」

 

自失状態の灯火には効果はいまひとつだった。

 

「………なんやえらい覇気無いけど、華雄に何かされたんか?」

 

「いえ、何も。しいて言うならこの世を憂いていたくらいなので、お気になさらず」

 

「お、おう………?」

 

想定していない回答が返ってきたので思わず身を引いてしまった。

食事中にこの漢の情勢について考えていたのか、と。

 

ソイツそんな事言ってるけど、ただ無気力になってるだけですよ。

 

「霞、今朝恋が言っていただろう。その男がそうだ」

 

「! へえ、そうなんや。へぇ………」

 

上から下まで見定める様な視線を受ける灯火だったが、もはやヤケクソでどうでもよく、ひたすら香風を撫でていた。

華雄に知られているならこの人も知ってて当然なのである。

 

「………いや」

 

「?」

 

ぴたり、と手が止まる。

 

せっかく涼州に来て、想定してはいなかったがこうして董卓軍の将達と出会った。

であれば、これはチャンスなのではないか。

 

「それで一度戦ってくれ、と頼んだ。恋の強さの秘訣を知る事が出来るかもしれないと思ったのでな」

 

「まあ言わんとしてる事はわかるんやけど。何なん? もうそれ決まったことなん?」

 

「いやまだ返事を貰っていない。聞く前に霞が来たからな」

 

「そ。まあウチとしては気ぃあるし、見れるっちゅうなら見させてもらうだけやけど」

 

灯火がこれからどうしていくか、を考えている間に張遼と華雄の間でも話が進んでいた。

張遼や賈駆が危惧していた程、不味い状況になっていた訳でもなかったので一安心である。

例えば戦えと強制して無理矢理襲ってたとか。

 

あり得そうだと思えるのはきっと間違えではない。

 

「莫。先ほどの返事なのだが」

 

華雄と張遼の顔を見て答える。

 

「そうですね。それでは─────」

 

 

 

 

 

「灯火の気球講座ー」

 

「こうざー」

 

「……………?」

 

「何を一人盛り上がってるのです」

 

華雄と張遼が帰った後、食事の後片付けをして現在に至る。

灯火の中でくみ上げた今後のプランの為にも、やっておいた方がいいかと考えてこうして席を設けた次第。

なお場所は青空教室(真っ暗だけどね)の庭であり、足元には水をいっぱい入れた桶が一つ。

後は竹で底部を形成した紙袋と蝋燭、油があった。

 

『気球について説明するよ』

 

という言葉を聞いた香風が普段見せない様な勢いで

 

『聞きたい!』

 

と言われたからには、期待には応えなければならないモノ。

恋は気球が何かわからなかったが、灯火が何かするということなので自然参加。

恋が参加する以上はねねも参加、という形である。

 

「さて、そもそも俺と香風は、都での仕事に見切りをつけたという理由で出てきた訳だが、当然それだけじゃない。香風の『空を飛びたい』という夢を叶える為でもある」

 

「………………空を?」

 

「そ。恋の場合は、きっと見た後に興味を持ってくれると思う」

 

「空を飛びたいなんて………そんな事出来るのです?」

 

「難しい話ではあるが、出来なくはない。ただ、それをするにも先ずはどういうものかを知らなきゃどうしようもないからな。こうして講義の席を設けた」

 

「お願いします、せんせー」

 

「よろしい、香風くん」

 

この転生者ノリノリである。あと香風もノリノリである。

きっとこんな調子で呂布に武術指導してたんだろうね。

香風は空へ飛ぶという事を教えてくれる、ということなので少しテンションが上がっている。

 

「まず、そもそも気球とは一体何なのか。それはざっくり説明すると、空気より軽い気体を袋の中に詰め、それを浮力として浮き上がる物のことだ」

 

「………気体?」

 

「今こうして俺達が呼吸している、その空気のことを気体、という認識でいいよ」

 

首を傾げる香風に笑いかけながら答える。

まだ『気体』という言葉はないのだろう。

 

「空気よりも軽い………?空気に重い軽いってあるのです?」

 

「あるよ。まあその説明をし出すと本格的に路線がズレて、はるか未来の講義になるから今は止そう」

 

曲がりなりにも恋の軍師という立場のねね。

香風や恋と比べれば灯火の言葉に対して疑問を持ちやすかった。

 

「その気球を使って人を浮かす。それが当面の目標になるかな………って、恋。寝るなよー」

 

「………………うん」

 

「まあ言葉だけじゃ分からないだろうし、実演してみようか」

 

周囲は既に夜。

教材の準備をしていたらこんな時間になってしまった。

だがこれからの実験では好都合。

 

「まず用意するのはちょっと細工を施したこの大きな紙袋と、油………に浸した飛ぶために必要となる紙」

 

「紙を使うのですか。贅沢なのです」

 

「まあ重要な事じゃないと普段は竹だからね。そう感じるだろうけど。─────で、この油に浸した紙を竹で形作った紙袋の中間部分に設置」

 

チラリと眠たそうにしている恋に視線をやる。

 

「?」

 

「恋、この紙袋を持ってくれないか?」

 

「………わかった」

 

紙の端を持ち、上へと伸ばす。

それを確認した灯火が、油を浸した紙に火をつけた。

 

「な、何をしているのです!? そんな事したら恋殿が燃えてしまうのですぞ!」

 

「いやいや、燃えないし仮に燃えそうになったら俺が全力で水ぶっかけるから」

 

「そのための水桶だったんだ」

 

「そうゆうこと」

 

紙袋の中心部分で燃え盛る炎。

大きめの紙袋を通して周囲を淡く照らしている。

 

しばらくして。

 

「………………!」

 

自分の手にかかる感覚に違和感を覚えた恋が僅かに反応した。

 

「ん、そろそろか。恋、手を離していいぞ。俺が下を持つ」

 

「………わかった………」

 

「な………恋殿が手を離したら紙が落ちて─────」

 

「こないんだよな、これが」

 

恋が手を離したにも関わらず、紙袋の上部は重力に逆らって直立していた。

 

思わず言葉が出なくなるねね。

少なくとも平時ならば今目の前にあるような光景にはならない。

 

「凄い、お兄ちゃん」

 

「まだまだ。こうやってゆっくり持ち上げてみると─────」

 

「………浮いてる………」

 

明らかに地面から離れているにも関わらず、その形状のまま香風達の目の前まで浮き上がった。

恋の眠気も吹き飛び、目の前の光景に釘付け状態。

香風もねねもその光景に見入っている。

 

 

「さて、最後の問いだ。三人とも」

 

 

 

ニヤリ、と少しばかり意地悪く笑う。

 

もったいぶるように、けれど何も知らない子供達にでも分かるように。

そして好奇心を刺激するように、ゆっくりと問いかける。

 

「………俺が手を離したら、この紙袋はどうなると思う?」

 

ここまでされたら香風も恋もねねも理解できた。

 

 

 

 

「「「浮く(のです)!」」」

 

 

 

 

「─────正解!!」

 

 

 

 

─────手を離した直後だった。

 

それまでそこに留まっていた紙袋がどんどん上昇し、あっという間に手の届かない高さ。

屋根の高さを超え、どんどん小さくなっていく。

 

「………す、凄いのです………」

 

「……………………きれい」

 

「………………………」

 

三人とも顔を空に向け、光を目で追っていく。

一言二言の言葉しか出てこない。それほどまでに彼女達三人にとっては幻想的で、驚きのモノ。

 

「『天』に昇る『灯』と書いて『天灯』。………あれは人を浮かすほどの事はできないけど─────」

 

視線を空から三人へと戻す。

ねねと恋はまだ空を見上げていたが、香風は灯火を見ていた。

 

「─────あれをもっと大きくして、人が乗れるようになったものを………『気球』と呼ぶ」

 

ちゃんと言うなら『熱気球』だけど、と笑う。

 

「さて、これにて講義は終わり。気球の事はわかっ─────」

 

 

 

 

「てん………とう………」

 

誰にも聞こえない程小さな言葉で香風は呟いた。

 

きっとこの光景は一生忘れないだろう。

 

 

─────空を飛びたいと思った。

鳥みたいに、自由に色んな所に行ってみたいと。

そう思った。

 

きっと都の頃に、周囲にいた人がそれを聞けば笑ったかもしれない。

 

けれど、今こうして空へ飛んで行ったのを見届けた。

あれには人は乗れないけど、と言っていたけれど。

 

あれをもっと大きくした『ききゅう』なら、あの天灯(ひかり)の様に飛ぶことが出来る。

 

飛びたいと思っていたことが、ただの絵空事じゃなくて。

 

 

 

─────自分が空を飛んでいる姿が、明確に、見えた

 

 

 

 

 

 

「─────っと………」

 

香風が灯火に抱きついた。

何も言わず、顔は灯火の体に押し当てたまま。

 

「………香風?」

 

 

 

「お兄ちゃん」

 

 

 

 

 

 

「  ─────ありがとう─────  」

 

 

 

 

 

 

 

………どういたしまして

 

 

 

 

その時見た彼女の笑顔は、過去のどの、誰の笑顔よりも。

 

輝いて見えた。

 

 

 

 

 





届けこの可愛さ。


香風を知らない人はぜひ「真・恋姫夢想-革命- 蒼天の覇王」をプレイしてみてね。

多分最後は心が浄化されるから。
あと感想は見てます。
続け感想多くて嬉しかったです。


香風メインの小説なので必然的にベースは「蒼天の覇王」になります。


というかこの話で完結みたいな雰囲気出してるけど、
これまだ黄巾の乱すら勃発してないんだぜ?




多分続く。


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File№04(前編)

※注意※
 この話は前編になります。
 後編を合わせてお読みください。



違うんです。
書きたい事書いてたら文字数が多くなったから削って削って。
そうしたら次内容が薄くなって納得いかなくなったから書き足したら増えすぎたので分けちゃったんです。
そんなことしてたら一週間経ってたんです。
これも全部スマブラSPが悪い。






はい。
前編始まります。


一言で気球とは言っても、実現するのは容易ではない。

 

そういった製造業に携わっていたのならば別だろうが、生憎と知っているのは原理だけ。

細かい部分はトライ&エラーの繰り返しになる。

繰り返しになるという事はそれだけ資金が必要になるという事だし、もし実際実行に移すとなれば人手だって必要になる。

 

それが昨日、香風と確認し合った内容。

彼女もそれに理解を示していたし、その為に必要な手段も理解していた。

 

「お待たせ致しました」

 

だからこそ、今こうして灯火と香風はこの街にある城の謁見の間に来ていた。

隣にはここまで案内してくれた恋とねねがいる。

 

(あれが………)

 

昨夜出会った華雄、張遼、そして今初めて会う董卓と賈駆。

知識と寸分たがわぬ姿だった。

 

「お初にお目にかかります。この度はこの様な場を設けていただき、ありがとうございます」

 

心のスイッチを切り替える。

現代の記憶を持っている身からすればこの程度は造作もない。

流石に国家のトップ達の相手をした記憶はないが、自分よりも上の人間に対する所作は弁えている。

 

そしてその知識から董卓という少女が一体どういう人柄かというのは理解しているが、“現実”がそうであるとは限らない。

シミュレーション仮説に生きるつもりはない。

例えその記憶がゲームのモノだとしても、今隣にいる少女達も、目の前にいる少女も自分と同じ人間。

見下すことなく、驕ることなく、自分は人であり、相手も人である。

その心を忘れず、礼を逸せずに─────

 

「………灯火、似合わない」

 

そうして─────灯火の通称“役人モード”は、天下の飛将軍である恋に斬り捨てられた。

 

場が静寂で満たされる。

それが微妙に沈痛であるのは、恐らく灯火だけである。

 

「恋? 似合わないとは言うけどね、初見なのだからこうして礼を尽くすのは必然だろう」

 

「………でも月、灯火の普段の話し方でも怒らない」

 

「恋は“私”を知っているし、董卓殿の事も知ってるから、そう言えるのだろうけど─────」

 

「あの………私は大丈夫ですよ? 霞さんやねねさん、華雄さんから貴方の事は聞きましたし」

 

困ったように笑う董卓と少し呆れている賈駆。

傍に控えている張遼や華雄の顔を見ても何やってるんだと言わんばかりの顔だった。

 

「………すみません。では改め、莫と申します」

 

「徐公明ともうします」

 

こうなってしまったら続けても意味はないだろう。

普通に知らない人に自己紹介をするような雰囲気で名を名乗る。

 

「私は董仲穎と言います」

 

「賈文和よ。………それにしても徐晃将軍が一緒にいるって聞いた時は驚いたわ」

 

「? シャン?」

 

「都の賊を討伐した徐公明。朝廷でもその話は出てたわよ。例の如く上の連中は対して興味を持ってなかったみたいだけど」

 

ふーん、と対して興味も無さそうに返事をする。

香風からしてみれば汚職塗れの上層部に覚えて貰おう等と微塵も考えていない。

 

「で。恋から聞いた時は半信半疑だったけど、その恋の師匠がまさか貴方だったなんてね、『聖人』サマ?」

 

「………『聖人』?」

 

話を振られた灯火だが、その内容に首を傾げる。

賈駆はそんな反応に察しがつき、横にいた香風は思い出した様な声を出した。

 

「お兄ちゃん、都に居た頃『聖人』って影で呼ばれてた。………お兄ちゃん、全然それに興味なかったから」

 

「………もしかしなくとも、あの『聖人』って俺の事だったのか」

 

うんうんと首を縦に振る香風を見て、だがやはりというか他人事のようにへー、と流す。

灯火としてはそんなつもりは一切なかったため、今になってその呼び名が自分だったと言われてもその程度の感覚である。

 

「徐晃将軍の話もですが、実はちょっぴり莫さんとお話したいと思ってたんです」

 

「………俺と?」

 

「はい。“長安に扱いづらい文官がいる”という噂話が最初でした。賂を受ける事なく、賂を要求することも無く、民に施しを与える役人………そう聞き及びました」

 

董卓のそんな言葉を聞いた灯火は思わず顰めっ面になった。

 

「………モノは言いようか。施しって………」

 

「戦時後であればともかく、平時で困窮している人たちに食を提供したり、私塾に通えない子達に教養を施したりされていた、というのは。ましてやそれが都の役人となると。朝廷でも噂は流れてきていましたよ」

 

「間違ってはいませんが、董卓殿が思われている様な高貴な人間ではありませんよ、俺は」

 

そう答えるも灯火の顔を見た董卓はくすくすと小さく笑っていた。

感謝の意を伝えられた事はあれど、こうして称賛された経験は少ないのだろう、と。

つまるところ『褒められ慣れていない』ということ。

 

董卓と隣にいた賈駆も、彼の言葉と表情からそう結論付けた。

仮にも上に立つ者とその軍師。その程度の看破は出来るものだ。

 

董卓自身賄賂を拒んでいる身。

その所為でいろいろと風当たりの強い状況が続いていた中で耳にした自分と同じ様な状況の文官。

最初はそんな人物がいる程度の認識だったが、『知だけで昇進を果たした』『無償で私塾を開いている』『無償で食事を配給している』などの噂を聞けば気に掛けるのは必然だった。

 

賈駆としては特に『魑魅魍魎の都で知だけで昇進を果たした』というのは少なからず驚きを覚えたものだ。

賂を数える事を生業としているのかと思いたくなるような連中が、その知を認めて昇進させたという事なのだから。

 

「そんな都でそれなりに噂になった二人が客将に、って二人から聞いた時は驚いたわ」

 

「………お伺いしますが、なぜ涼州に? お二人ならば涼州ではなくとも、他にも先はあったかと思われますが」

 

目の前にいる少女と男性。

二人の能力を考えれば田舎の涼州と言わず、都のすぐ東の苑州などいくつでも仕官先はあるだろう。

 

「いろいろあります。恋が董卓殿に付いている、ということもありますし、偶然とはいえ華雄殿や張遼殿とも出会った。此方側の考えもあったりと、そういう事が重なったため、こうしてここに」

 

「つまり必ずしもここに仕官したいワケじゃない?」

 

都を出たときはいずれどこかに仕官しないとなーという程度の考えしか持ってなかった。

だが本格的に香風の夢を叶えようとするのであれば、もう少しまとまったお金と人手が欲しい。

 

「気を悪くされたならば謝ります。ただ、どこでもいいという訳でもありません。俺も香風も、都の様な場所はゴメン被るということで出てきた訳ですから」

 

結果董卓の元で客将という立場ではあるが仕官しようとなった。

勿論董卓という人物が都の役人達と同じような人物ならこうはならなかっただろう。

 

「それじゃ少なくとも都で役人として働いていた二人から見て、この街は合格ってコト?」

 

「有体で言えば。まあ仮にそんな愚君だったら恋を引っ張ってでもこの街からおさらばしてましたよ」

 

肩をすくめて冗談染みた様にそう告げた。

まあ灯火にしてみればそんなことはないだろうと分かっていたので実際に行動するつもりは皆無だったが。

 

「……………恋、引っ張られる?」

 

くいくい、と隣で静かになっていた恋が灯火の袖を引っ張ってきた。

 

「仮定の話だよ。─────実際恋と綱引きしたら一瞬で負けるだろうけどさ」

 

「……………負けない」

 

「いやいや、やらないよ? 実際やったら俺が怪我するから」

 

「大丈夫…………灯火が怪我しそうになったら、受け止めるから」

 

「恋、さてはついさっきまで寝てたな? 難しい話してるとか思って寝てたな?」

 

「……………寝てない」

 

「俺の眼を見て言いなさい」

 

恋からすれば灯火が董卓軍に属する事は決定事項。

董卓なら問題なく了承の意を出すだろうというのは分かり切っているので、途中の細かい話は(恋にとって)不要なのである。

 

始まった恋と灯火のやり取り。

くすくすと笑う董卓と呆れながらも笑う賈駆。

 

「それで、月、詠。あの二人は結局どうするんや?」

 

笑う二人を見て結果を察した張遼が確認する。

董卓と賈駆も、これまでの会話や恋の灯火に対する態度を見て悪人ではないというのはわかった。

 

「賊討伐で名を馳せた徐公明、都の役人も務めた莫。私としては問題ないわよ。十分戦力になってくれるだろうし。月は?」

 

「私も詠ちゃんと同じだよ。恋さんともあれだけ仲がいいみたいだし、私ももう少しお話してみたい」

 

「なら、決まりね。─────月」

 

「うん。………徐公明さん、莫さん。貴方達二人を客将として迎えます。お二人のお力、どうかお貸しください」

 

この後董卓と賈駆、張遼と真名を交換し合った。

初めは驚いたものの理由と尋ねてみれば恋がそれほど慕っている人なら信用できるとのこと。

無論彼女達は彼女達でちゃんと見定めた上での事だったので、灯火も素直に受け入れて交換した。

 

 

─────そして。

 

 

「漸くこの時が来たな!」

 

闘気を纏った華雄が修練場に立っていた。

対面するは灯火。

 

「なんや偉い気合入っとんな、華雄」

 

「当たり前だ。武人として恋の師というのは無視できん!」

 

ああ、そういえばそれもあったなあと遠い目をする灯火。

この戦いが終わった後にでも吹聴しないようにお願いしなければいけない。

 

「ほんじゃ確認や。武器はそれぞれ持ってる武器。ただし華雄の方は念のため刃に布被せて誤って斬らん様に施してる。灯火はその腰の棒みたいなのでええな?」

 

「ああ」

 

「相手が行動不能になるか降参したらそこで終わり。また相手に致命傷を負わす事も当然無しや。わかってんな、華雄?」

 

「それくらい理解している。私とて武人なのだからな」

 

そんなやりとりを少し離れたところで観戦する香風達一行。

 

「ねえ、恋。実際灯火ってどれくらい強いの?」

 

前々から気になっていた事を尋ねる詠。

言っては悪いが灯火に霞や華雄、恋ほどの実力がある様には感じない。

無論詠は武人ではないため詳しい事はわからないが、少なくともあの棒みたいな武器では華雄の攻撃を受け続けるのは至難ではないだろうか、と。

 

仮にも董卓軍の武将である。

その猪っぷりには頭を痛めるが、武ならばそこら辺の賊程度はワケはない。

 

「……………灯火、かたな抜いてない」

 

「かたな? それって灯火の持ってる武器の事ですか? 恋さん」

 

「………うん」

 

視線は中央に立つ二人へ。

もう間もなく始まろうとしていた。

 

「じゃ、一本勝負。立ち合いはウチや。両者準備はええな?」

 

「ああ!」

 

華雄の力強い言葉と灯火の小さな頷き。

 

「始め!」

 

確認した霞の号令と同時に武器を携えて華雄は駆けた。

普通なら初めて相対する敵なのだから様子見をするという手もあるはずなのだが、この猪武将にそんな選択肢は無い。

 

そもそも華雄が昨日の灯火の問いに答えたのだって“今の恋に自分は敵わない”、“そんな恋より強い師などいたら、自分よりも強いということになる”、“そんなものは認めない”という三段階思考により『当たり前だ』という回答が出てきた。

それくらいの猪武者であり、負けず嫌いである。

 

斜に構えた大戦斧の有効範囲内に入った時点で武器を振り上げた。

対する相手は腰の武器の柄に手を添えたまま構えてもいない。

 

(この程度か!)

 

一番最初は何もできずにただ華雄にふっとばされる調練中の新兵を思い出した。

このまま振り下ろせばそれで終わり。

呆気ないものだと思って─────

 

「──────────あ?」

 

気が付いた時には、茶色の光景が広がっていた。

それは華雄が俯せで倒れたことによる景色なのだが、彼女自身がそれに気付くのに時間を要した。

 

「………審判。宣言」

 

「え、あ、ああ………。勝負、灯火の勝ち………」

 

何も呆然となっていたのは華雄だけではない。

恋を除く全員が今の光景に言葉を失っていた。

 

「………やっぱり、こうなった」

 

目の前の光景を見てなおいつも通りなのは恋だけである。

霞の宣言を聞いた灯火は倒れた華雄に手を差し伸べた。

 

「おい、大丈夫か。立てるか?」

 

「う………あ、ああ………」

 

ぐらついていた視界が収まり、灯火の手を取るも上手く足に力が入らない。

上体を起こすだけにとどまった。

見物していた恋や香風達も試合が終わったのを確認し駆け寄ってくる。

 

「ちょっと灯火。一瞬で華雄を倒しちゃったけど、何したの?」

 

「華雄の顎先に鞘の先を掠めた」

 

「掠めたって………それだけ?」

 

「それだけ」

 

やったことはそれだけである。

この説明を現代人が聞けば察する事ができるが、生憎とこの場では説明不足。

 

「それだけで華雄を倒したんか?」

 

霞自身、こう武器同士のぶつかり合いからお互いの力量を確認するものだと思っていた。

実際そんな光景は一度も無く、それどころか一瞬で華雄が地面に倒れてしまった。

 

「顎先に一撃を貰うと、その反動から人の脳が揺れるんだよ。それを“脳震盪”って言って、軽い眩暈やバランス………平衡感覚の麻痺を発生させる」

 

「………それは知らんかったわ。じゃああの一瞬でそれを華雄にやったっちゅう訳か」

 

さらりと言ってのける灯火に、内心震えが止まらなかった。

 

(ウチもまだまだや。恋の師っちゅうのは伊達じゃない、か。………世の中広いなあ!)

 

霞の眼を以てしても何をしたのかがはっきり捕えられなかった。

ましてや油断して大振りになった華雄では文字通り何が起きたかもわからなかっただろう。

 

「………やっぱり、やった」

 

「? 恋は見えたんか?」

 

「………うん。恋も、前にそれを受けた事ある」

 

「さよか………」

 

自分では捉えきれなかった攻撃を、目の前の少女は表情一つ変える事無く“見えた”と答えた。

それだけで力量の差というものが分かる。

 

「あの、灯火さんって文官………でしたよね?」

 

華雄を一瞬で倒してしまう光景をみた月が困惑気味に尋ねるが、灯火自身は遠い目をするしかない。

 

「ええ、文官です。………そもそもこの速さだって恋に追いつけ追い越せ精神で体得したものだったんですけどね」

 

実際迫ってくる華雄を見ても、灯火にしてみれば『見てからの攻撃余裕でした』状態だった。

 

前世と比べると信じられないくらいの身体能力の向上で、つい『俺ってこんなに頑張ったんだよ!』となるものである。

が、大陸最強がすぐ傍にいて日に日に攻撃速度を上げて鍛錬をしてくるのだから、灯火からしてみればトラウマ以外の何物でもない。

その所為で油断している華雄を一瞬で昏倒させれるぐらいの武はあるにも関わらず、一切誇示せず文官として過ごしていた次第だ。

 

「よし!次はウチと試合うで!華雄の様にはイカンからな!」

 

いくら速い攻撃と言えど、来ることがわかっているなら防ぐのは可能だ。

先ほどの華雄は初見と灯火の構え無しの様子からの油断、それらが重なって倒れた。

 

「ああ、まあ………そんな気はしてた」

 

「わかってるっちゅうなら話は早いな!構え!」

 

「………見間違いでなければ、本物に見えるんですが?」

 

「直前で止めるくらいウチは出来る。華雄はそこんところが心配やったから念のために布被せたけどな」

 

そもそも霞の武器の代わりとなる武器などない。これ一本で戦場を駆け抜けてきた。

ましてや自分の武と相手の武を比べる場において慣れていない武器を使うというのは考えにない。

 

「じゃ、詠!頼むわ!」

 

「まったく………、両者準備はいい?─────始め!」

 

詠の合図と共に両者戦闘態勢。

だがどちらもその場から動かず、霞は武器を構え、灯火は腰に手を添えたまま。

 

「どうした? そっちから来てええんやで?」

 

「─────」

 

霞の声に反応せず、腰を僅かに落とした灯火はその場から動かない。

見据えるは目の前に立つ女性の姿のみ。

余計な情報は全てシャットアウトし、自分の“世界”に入り込む。

 

(無反応かいな。………けど)

 

相も変わらず目の前に構える男から殺気というものは感じない。

華雄の様な荒々しい雰囲気も一切無い。

 

大よそ強者の様子(・・・・・)を見せていない。

 

果たしてそれは霞が感じ取る事が出来ない程弱いからか。

否、神速と謳われる霞こと張文遠が弱いハズは無く。

では相手が感じる事が出来ない程の弱者かと言えば、それも否。

弱者がいくら油断していたとはいえ、武将の華雄を一撃で倒す事は無い。

ならば残るは相手が自身の気を隠している事に他ならない。

 

(─────ええなあ。手合わせとは言え、ここまでゾクゾクするのは恋と試合うた時以来や)

 

口角が上がるのを自覚した。

華雄と比べれば自制が効くとはいえ、彼女もまた生粋の武人。

強者との立ち合いは望むところ。

 

自身の背丈よりも大きい偃月刀を構え、掛け声と共に地を蹴った。

 

「てえぇぇぇやあぁぁぁぁ!!!」

 

華雄とは違い、横に薙ぎ払う。

その得物の特性上、灯火の扱う武器よりもリーチは長く、このままでは霞の一方的な攻撃距離。

 

これには一溜りもないと咄嗟に身を屈め、薙ぎ払いを回避。

屈んだ灯火に追撃のチャンスと返す腕でもう一度─────

 

「─────っ!」

 

霞の腕も足もピタリと動きを止めていた。

いや、止まるしかなかった。

 

「………なんや、ただの木の棒や無かったんか。隠し武器とはようやるわ」

 

木刀と思っていたその内側から、銀色に輝く刃が霞の首横に添えられていた。

対する自分の腕はまだ振り抜いた腕を返した直後。

もしこのまま続けていたら霞が灯火を叩き潰すよりも早く首、ないし腕が切られているだろう。

 

「俺の勝ち………って事でいいか?」

 

「あー、せやな。今回はウチの負けや」

 

武器を下ろした霞と武器を引き、鞘へと戻す灯火。

今回の手合わせは灯火の勝ちということで収まった。

 

 

 

 

その頃、灯火達がいるこの街に三人の女性がやってきていた。

 

「着きましたね」

 

「ああ。長安からここまでは長かった」

 

「流石の風もヘトヘトです」

 

 

北西に位置するこの涼州。

五胡と呼ばれる蛮族達との争いが絶えない土地は、都が『田舎者』と呼ぶくらいには遠い。

 

「それで、どうしますか?」

 

「風は一旦宿に戻っておやすみしたいですねー」

 

「そうか。ならば稟、一緒に行くといい。私は本当にここに噂の『聖人』が来たのか、軽く調べてみよう」

 

「わかりました。では一旦分かれて行動しましょう。街中ですし、董卓軍もいる。賊に襲われる事もないでしょう」

 

ここに来る道中の村で徐晃将軍と『聖人』と思われる人物が立ち寄った事は聞いた。

その際この街に行くとも聞いた次第で、こうしてやってきた。

 

『聖人』が何の目的で都から涼州へ来たのかは不明だが、涼州となれば董卓軍がいるこの街か馬騰が盟主である西涼の方のどちらかだろう。

これがどこぞの辺境の村が目的地だったのであれば諦めるしかなかったが。

 

「さて、まずは酒屋にでも行くか。メンマもあればいいが」

 

無論情報収集はするのだろうが、早速横道にずれた趙雲であった。

 

 

 




沢山のコメント、お気に入り登録、評価ありがとうございます。

いくつかピックアップをば。

>蒼天買ってきます。
 私は革命シリーズからの新参者なので楽しめました。
 古くからプレイしている方も、新キャラ含めたシナリオとか新キャラとのやり取りとか楽しめていただければ、嬉しいですね。

>香風可愛い&恋可愛い
 恋姫に興味を持ったきっかけが恋。プレイして一番愛着が湧いたのが香風。
 つまり可愛いは大正義。
 この小説は2枚看板で運営していきます。



>自分は愛紗オルタゲットです(^o^)v


 (無言の課金一万円→愛紗オルタ2枚抜き)
    ( ・´ー・`)





次話に続きます。


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File№04(後編)

※注意※
 この話は後編になります。
 前編を合わせてお読みください。


前書きに何か書こうとしたのに、何書こうとしたか忘れたんです。

夜更かしダメ、絶対。






始まります。


 

 

「そもそもこれは唯の鞘だ。滅多に刃は抜かないし、鞘ごと木刀として使えるように都の職人に高いお金払ったからね」

 

今の所恋の食費を除いたら一番お金をかけた物、と言って抜いた刃を鞘へ戻した。

 

幼少期、元々居合術を目的として鍛錬している訳ではなかった。

最初はチート能力探し、次に恋に負けない様にと鍛錬を積んでいた頃のこと。

その時は居合術なんてそもそも考えもしていなかった。

 

そんなある日の事、恋に自身の知識を座学として教えている最中、身を寄せていた村に賊が押し入ってきた事があった。

その当時は空前絶後の武将と呼ばれる程、恋もまだ成長していなかった。

 

灯火も恋も傍に得物は無い無防備状態。

咄嗟に恋の腕を引き自身の後ろに逃がし、離れた場所に置いていた武器を何とか手に取り撃退をしたというエピソードがあった。

 

「………そういうことも、あった。あの時はまだ、灯火に勝ったり負けたりしてた。恋も………」

 

結果二人は無事生き残ったが身を寄せていた村は壊滅状態。

農作物は荒らされ、僅かばかり生き残った住民もその傷から病へ倒れ、或いは村を捨て、一人、また一人と数を減らしていった。

 

このままでは滅びの道以外に無いと悟った灯火。

恋と共に別の村へ移住しようとするも、少なからず愛着があった村を捨てきれなかった恋と対立。

 

後にも先にも灯火が文字通り本気で武力に訴えて、恋に勝利したのはこの時だけである。

だが強くなり始めていた恋に勝利したにも関わらず、自分の胸に飛来したのは虚無感だけだった。

 

気を失った恋を背負い、国境を越えて涼州に。

その頃には恋も目が覚めてお互いに謝罪して共に生きようと決意した。

 

「………その時に華雄が受けた攻撃を、恋も受けた」

 

もっともあの頃はまだそれを狙ってやれるだけの技量は灯火にもなく、半ば偶然によって恋が倒れたという次第。

 

「その後からかな、恋が急激に伸びたのは。あっという間に俺の技術を吸収して。仮にあの時と同じ様に本気でやりあったら、俺死んでるね」

 

Ahahahaha、と爽やかに笑いながら優雅に茶を飲む。

そこに一種の自虐が含まれている事は見て取れた。

 

あと国境を越えるにあたり食糧もほぼ無かったので、恋に多大な空腹を味合わせてしまった。

対立といい飢餓といい、恋に無茶させまくったと自認してる灯火はその後お腹いっぱいになるまで恋の為に食糧調達から調理までするようになったという。

都に出稼ぎした遠因である。

 

「まあ、そんな後悔があったから居合術に手を出した。居合術は座している状態に襲われた時の反撃、強襲が主な目的の術でね。極めた人なら納刀状態から抜刀まで視認出来ないくらいの速度で刀を抜ける。で、居合術っていうのは抜刀と同時に相手を斬りつける術。─────つまり」

 

「………視認できないほど速い斬撃を繰り出す、というわけか」

 

「加えて相手は『座している隙だらけの相手に攻撃する』っていう考えの“隙”が出来るから、余計に不可視の攻撃に見える、ということ」

 

むう、と唸ってしまう華雄と少し不満顔な霞。

 

華雄は単純に初見だったのと油断、霞は相手が“しゃがむ”という動作を隙とみて追撃してしまったこと。

それが先ほどの手合わせの敗因であると締めくくった。

 

「いやいやいや。膝をついた状態が本来の武術って言われたって、そんなん普通思わんやん!隙あり言うて追撃かけてまうやろ!」

 

「戦場で膝などつけばあっという間に矢の的だ。そうでなくとも囲まれる」

 

華雄と霞がそんな力説をしているが、灯火が一言。

 

「いや、だから俺は武将じゃないって」

 

「「………余計納得いかん(わ)!!」」

 

現在は昼下がり。

昼食を済ませた後、香風と恋とねねの4人で待ったりしているところに他の4人が集まった次第。

 

「私としては恋とアンタの間にそんな事があったなんて知らなかったんだけど」

 

「恋さん………」

 

二人の昔話を聞いて目を白黒させている月と詠。

なおその当人二人は終わった事として処理してる。

 

「恋殿ぉ………どうぞいっぱい食べてくだされぇ~」

 

ねね、昔話を聞いて食後のデザートと言わんばかりに追加で食事を用意させていた。

それデザートじゃなくて食事だから。一日二食じゃなくて三食通り越して四食扱いになるから。

 

「そんな事があったんだ」

 

「うん。だから香風の家見たときは、ね………」

 

「………うん。ごめんなさい」

 

どんどん寂れていく村。住んでいた人はもういなく、家というのは手入れがされなければ劣化していく。

この時代なら尚更だ。人の血で汚れ、壁は剥がれ落ち、僅かな食料は腐り、虫や鼠等が湧き、新たな病気の原因にもなる。

人が住んでいるとはいえ、ゴミ屋敷では放置すれば衛生環境はそう変わらない。

半ば強制的に香風を自身の家に住まわせた理由が体験談だったことを知った香風は改めて謝罪した。

 

「さて、恋はまだ食べてる………というかまた食べ始めたから置いておくとして。二人にはとりあえず仕事をしてもらうわ。香風は霞、灯火はボクが面倒みる。最初は軽いモノを任せるつもりだから」

 

「ん、わかった」

 

客将として正式に働き始める。

香風は武官として、灯火は文官としてそれぞれ霞と詠が担当。

約二名から灯火も武官としてという抗議が上がっているが、詠自身文官の増強をしたかったので却下である。

 

 

 

 

 

 

小さな女の子と青年男性の二人組を見た覚えはあるか。

そんな問いかけで得た情報があった。

 

「城に入っていった?」

 

「ああ。今朝、かの飛将軍と共に街を見回っていたらしい。多くの人が目撃している。そしてその後城に入って行ったと」

 

「………聞く限りじゃ、董仲穎殿に仕官した様に聞こえますねー。稟ちゃんはどう思いますか?」

 

「………。十中八九そうではないでしょうか」

 

「おおっ!かの有名な飛将軍が街の案内をしていたとなると、かなりの待遇ですねー」

 

飛将軍・呂奉先。

その名は武人である趙雲は勿論、程立や戯志才も知っている。

董卓軍の武将にして大陸最強とも言われる武の持ち主。

かつて五胡の軍勢を一人で撤退に追いやったとすら噂されるほど。

真偽は定かではないが、常人ならば一目で『嘘』と分かる内容が『噂』のまま燻り続けている時点で、その実力は相当なものだと分かる。

 

「しかし都を出立した日と、この街に着くまでに要した日数を考えれば早くても昨日です。その日のうちに董仲穎殿の元へ赴き仕官を申し出たとして、呂奉先が出てくるほどの待遇になるものでしょうか」

 

呂奉先は言ってみれば単騎最高戦力。

その最高戦力を伴っての街の視察というのはつまり、『最高戦力を護衛としてつけるだけの価値がある』という意味である。

これが例えば護衛される側が天子様だというのであれば戯志才とて納得はする。

だが星の確認内容が間違っていなければ、その護衛対象は『聖人』と徐晃将軍と思われる。

 

「存外、ここも人材不足やもしれんぞ?」

 

「………人材不足で飛将軍を街の案内役にしますか、普通。それこそ案内なら新兵にでも出来るでしょう」

 

「あるいは個人的な繋がりがあった、と言うことも考えられますねー」

 

くつくつと笑う趙雲の言葉と程立の言葉を耳にしつつこれからの事を考える。

とは言っても。

 

「今のままでは路銀も心元ないですし、どのみちいずれかの方法で稼ぐ必要はあるでしょう」

 

「………そうですね。となれば、ここに来た目的も含めて─────」

 

「客将として己を売り込む、ということか」

 

涼州から別の場所へ行こうにも道中に稼げるところは限られている。

趙雲の武ならまだ用心棒で商人達の護衛で役に立つだろうが、残り二人は武に関しては全く貢献できない。

彼女達が稼ぐのであれば、その頭脳を活かせる場所でなければならない。

 

「おや。星ちゃんは嬉しそうですね」

 

「無論。『聖人』に会えるかもしれない、というのもあるが何よりここには呂奉先がいる。仮に先の人物が見当違いだとしてとも、利を逸せずに済むのだ」

 

「では明日、城に赴いてみましょう。幸いこの涼州は五胡との闘争が止まない地。無碍に帰されるということは無いでしょう」

 

 

 

 

「………ありません」

 

城内一室。

賈文和こと詠にあてがわれた一室にて、詠と灯火は盤を挟み、対面していた。

 

「………ボクの、勝ちね」

 

「ああ。流石は軍師様、だな。現役軍師の思考には追い付けなかった」

 

長時間に及ぶ対戦は詠の勝利で幕を閉じた。

横で対局を見守っていた月がお茶を出してくれた。

 

「あ、月。ありがとう」

 

「ありがとうございます」

 

「ううん、私もいいものが見れたから」

 

茶を啜りながら対局の途中からずっと思っていた事を灯火に尋ねた。

 

「ねぇ、灯火。アンタ本当に打つの初めて?」

 

「ん? 都に居る時はこうして盤を持つ事もなかったからなあ。相手もいなかったし」

 

都の誰かと打つなんてことは無かった。

そんな事する相手もいないし、そんなことをするのであれば賄賂の為の金策を考えている連中ばかりだったから。

 

かといって時折帰ってきた時で居るのは恋とねねだけ。

相手になるとすればねねだが、そもそも盤を持ってないので打つこともできない。

都で香風と出会った後であれば、対戦相手にもなったのだろうが、生憎と碁を打つという発想はなかった。

 

ちなみに。

灯火は生前とある漫画の影響から碁を嗜んでいたこともあった為、実は初心者ではない。

この世界においては初心者なので初心者と名乗ってはいるが。

 

あと知識の碁と詠と行った碁はルールが異なっている。

間違えた手を打ったり考慮外の行動が可能だったりしたこともあって敗北した訳である。

 

(………コイツ、ちょっと説明しただけでこれだけ打てるっていうの? というか初心者に打ち負けたら軍師失格じゃない!)

 

なお、前世の記憶云々は言えない為黙っている。

その所為で詠の中での灯火の評価が若干凄いことになっているのだが、知る由は無い。

 

「まあ、いいわ。灯火が来てくれたおかげで今日中の仕事が終わったし。こうして打てるだけの時間の猶予も出来た訳だし」

 

「それはよかった。ま、伊達に都で役人してた訳じゃないからな」

 

「香風さんも役人でしたよね? 彼女も文官のお仕事は出来たりするのでしょうか」

 

「出来ますよ。けど香風はあまり好きじゃないので、こういうの」

 

都で机に向かって書簡と戦っている香風の顔を思い出した。

まあ確かに好きじゃないというのもあるが、内容が上奏文だったりした。

そんなのばかりだったら、好きになる筈が無い。

 

「おーい、恋。終わったぞ、起きろー」

 

「…………ん。終わり…?」

 

椅子の上で膝を抱えるように丸まって眠っていた恋を起こした。

なお恋の部隊についてはねねが霞の部隊と合同で訓練に付いている。

 

「恋さんとは本当に仲がいいんですね、灯火さん」

 

「まあ気が付いたら既に横にいたくらいだから。………そうだな、月と詠に似たような関係だと思うよ、きっと」

 

「………恋一人でボクの部屋に来て椅子に丸まって眠るなんてしたこと無かったくらいだし」

 

盤を戻し、茶も飲み終えた三人。

明日からは本格的な仕事が待っている。

 

「流石に客将扱いだから詳しい内部情報の仕事は回せないけど、それ以外はバンバン振っていくから」

 

「………お手柔らかにお願いします」

 

「あはは………。あ、灯火さん、何か必要なモノはありますか?」

 

「必要なモノ、ですか?………それなら─────」

 

 

 

 

武将に必要なものは数あれど、まずは己の武である。

時には先陣に立って兵を率いていく以上、武将が弱くては話にならない。

 

「はぁぁぁあああ!!!」

 

「くぅっ─────!!」

 

大斧同士がぶつかり合い、火花が散った。

 

灯火との闘いとは違い、力と力のぶつかり合い。

両者その気迫は戦場と変わりない。

 

状況は華雄が劣勢。

力だけで言えば互い譲らないが技術面で香風が勝る。

 

そもそも都に居た頃は“速さお化け”こと灯火と鍛錬をしていた。

華雄ほどの力はないが、速度や技術の高さは全員周知の上。

だからこそ、力で互角なら負けるわけにはいかない。

 

「なめ、るなぁあ!!」

 

だが体の体躯では華雄が有利だ。

いくら香風が氣で力を補おうと、体格差は埋められない。

 

「っ………!」

 

押し返され、後方へ跳ぶ。

互いに距離が開き、再び武器を構える。

息が上がっている華雄と、まだ余裕が残る香風。

 

力に大差が無いなら、体格で押し込むか、速さと技術で押し込むか、そのどちらか。

 

「そこまで!」

 

霞の号令で両者武器を地面に下ろした。

これはあくまでも模擬戦。だがもしここが戦場で敵同士だったならば、華雄は苦戦を免れなかっただろう。

 

「ま、香風の力は分かったな。華雄、満足したか?」

 

「むぅ………先ほどに比べれば、な」

 

先ほどの内容は無論灯火のと戦いの事である。

相手の武を確かめるという点においては、まあ確認はできたわけだが華雄本人としては不完全燃焼であった。

 

「お疲れ様、三人とも」

 

修練場に灯火がやってきた。

後ろには恋もいる。

 

「おう、灯火。詠のはどうやった?」

 

「仕事の内容は役人の延長だから。やっていけると思う。………香風の方は、見た感じ大丈夫?」

 

「せやな。まあ都で賊退治したっちゅうくらいやから、最初からそない心配してはなかった。武も用兵も文句無しや。むしろ華雄の方がいろいろ問題見えてきてなあ………」

 

「ぐっ………!今日はたまたま調子が悪かっただけだ!」

 

「はいはい、分かった分かった。とりあえず華雄はもう一回兵法書を読まんとな」

 

「それはまあ………」

 

知識では籠城すべきところを突撃してしまうような人物である。

入ったばかりなので強くは言えないが、もう一度そこら辺は自制が効くようにすべきだろうなあと考えていた。

 

「恋殿~。………ここに居られましたか。こっちは既に終わったのですぞ。あと、霞と華雄は今日の報告だけするようにと詠から言伝を貰ったのです」

 

「了~解。そんじゃ、ウチらは先にあがるわ。いくで、華雄。さっさと報告済ませて酒や!」

 

城内に戻っていく二人を見送って、手に持っていた布を香風に手渡した。

 

「お疲れ、香風。これで汗拭いて、帰ろうか」

 

「うん、ありがとう」

 

 

 

 

ご飯大盛り(いつも通り)の夕食を食べ、灯火は縁側で夜空を眺めていた。

今日は恋の自宅の一角に作り上げた風呂の日である。

 

豪族でもない限り自宅に風呂なんて持てないこのご時世。

んなこと知るか俺は日本人だ風呂が無いなら作ってやるわあ な暴走状態に陥った過去の灯火がノリと勢いと情熱だけで時間をかけて作り上げた。

檜風呂なんて立派なモノではなく、近場にあった森林から(恋の力で)木を伐採し、(恋の力で)木材をカットし、(恋の力で)材料を持ち運び組み立てた。

 

設計図?

そんなものありません。

 

おかげで組み立てたはいいが、少しずつ水が漏れてたり。

水に強くない木を使ったせいで気が付いたら一部が腐り始めてたり。

水を焚こうとして浴槽が燃えたりと散々な状態だった。

 

その度にガックシと肩を落としていた灯火の後ろで、それでも恋がどこか楽しそうに笑っていたのは恋以外誰も知らない。

 

そんな紆余曲折を経て完成したお風呂は木と石を使った風呂である。

ほぼ全て恋の力である。コイツ呂布の使い方間違ってるぞ。

 

作りは簡単。

少しだけ高い場所に作った巨大鍋(というかもうドラム缶である)に綺麗な水をため、石竈にて焚き木する。

いい感じに水が温まってきたら貯めていた巨大鍋の下部分の栓を外し、そのまま水の通り道を通って木桶風呂に湯が溜まるという仕組みである。

その都合上温度調節が出来なかったり再加熱するにはもう一度水をためて其方から湯を足すという処理をしなければならない。

流石に豪族の様に使用人を召し抱えて湯の準備なんていうのは出来ないので最初の頃は湯が冷めないうちに間髪入れずに交代で入っていた。

 

そのうち一緒に入った方がいいという恋の行動により、ねねが家にやってくるまでは一緒に入っていたりした。

流石にねねが来てからはその回数は減った………ワケはなく、陳宮キックが飛んできて、恋がねねを叱って結局一緒に入るのだが。

 

ちなみに今は香風、ねね、恋が入っている。

流石に4人同時に入れるほどの大きさは無い。

 

 

 

特に何をするでもなく、ぼーっと月夜を眺めていた。

 

「………灯火」

 

風呂から出てきた恋が隣に座った。

髪はしっとりと濡れていた。

 

「髪乾かさないと風邪ひくぞ」

 

「………うん」

 

恋の家は広い。

それは別に恋がお金の使い方を間違えて広い家を手に入れたとか、そういう訳ではない。

この家には恋が拾ってきた犬やら猫やらの動物がいる。

住む人間は今で4人だが、動物を含めれば結構大所帯だ。

 

「………どうした?」

 

そんな動物達も夜は基本静かだ。

というか恋の天然調教により恋の言葉を的確に理解しているかの如く言う事を聞いている。

灯火が犬のセキトをもふっている内に眠った時、セキトに『どいて』と言えばそそくさと場所を明け渡し、そこで恋が眠ったりする。

 

それくらい恋に従順なペット達である。

 

「…………何でもない…」

 

頭を灯火の肩に乗せ、もたれかかる。

それに何を言うもなく、ただ静かに時を過ごす。

 

「ああ、そうだ」

 

「…………?」

 

懐にしまっておいた紙を取り出し、徐にその紙を折っていく。

この時代、紙はまだまだ高級品。

よっぽど重要な内容でない限り竹が使われる時世である。

それを惜しげもなく消費していく。

 

「灯火殿~、お風呂空いたのですぞー」

 

「………お兄ちゃん、何してるの?」

 

「ま、見てて」

 

香風は空いている灯火の横に、ねねは恋の横に座り、灯火の手元を見た。

 

「………紙?」

 

「また何かするのです? ………昨日もそうですが、紙は貴重品なのですぞ」

 

「いいんだよ。費用は俺が払ったんだから。─────できた」

 

作ったのは誰でも一度は作った事のある紙飛行機。

現代人なら記憶のどこかで一度は作ったことはあるだろう。

 

だが。

 

「…………??」

 

「お兄ちゃん、それなに?」

 

「紙飛行機」

 

この通りこの時代の紙はまだまだ貴重品。

大量消費国日本のように掃いて捨てるほど、生産されているわけじゃない。

であれば当然、『紙飛行機』なんて代物は普及しない。

 

「昨日見た“天灯”の様にはいかないけど、その分遊ぶにはお手軽。………こんな風に」

 

軽く宙に向かって投げれば、後は空気抵抗によってふわふわと飛んでいく。

 

「「「……………」」」

 

「………あれ。お気に召さなかった?」

 

なんの前触れもなく唐突に、何でもない様にさらっとやってのける光景に三人は口を閉ざした。

そうこうしている内に庭先に紙飛行機が着陸し、それを回収して戻ってくる。

 

「はい、香風にあげる。さっきみたいに投げれば飛んでいくから。お風呂入ってくるよ」

 

「うん。ありがとう、お兄ちゃん」

 

廊下を風呂場に向かって歩く。

肩越しに後ろを見てみれば、先ほど灯火がしたように庭先に向かって紙飛行機を飛ばす香風がいて。

どこか楽しそうに見えた。

 

 

 

「あー………」

 

幸い沸かしてからそれほど時間は経過していなかったため、現在ゆっくりと風呂に浸かっていた。

当たり前だがシャワーなんていう便利グッズは無いため、幾分かは減ってはいるが。

 

「都にいたころは井戸水やら川での水洗いが限度だからなあ………」

 

上流階級ともなれば入れたのだろうが、残念ながらその恩恵に授かった記憶はない。

こういう至極の一時になると、あの時苦労して風呂を作った甲斐があったなあと過去の自分に感謝するのである。

勿論全面協力してくれた恋にも。

 

「……………」

 

「ん?」

 

風呂場の戸が開く音がし、其方へ目をやる。

勿論だが脱衣場と風呂場は別々で分かれている。

 

その風呂場の戸が開かれたという事は当然入ってくる人もその場に相応しい恰好をしているわけで。

一瞬だけ視界に入れた灯火は何も言わず体を横に向け、視界から外した。

 

「恋、お風呂は入ったんじゃなかったのか?」

 

「…………もう一回、入る」

 

相も変わらずな調子で灯火の隣に入った。

お互い無言の時間が過ぎる。

 

「恋、何かあったのか?」

 

沈黙戦に敗北した灯火が尋ねた。

これまで様々な事を二人で経験してきたが、二回もお風呂に入るというのは記憶違いでない限り今回が初めて。

 

「…………灯火、恋とずっと一緒って言った」

 

ポツリ、と零した言葉を聞いて一瞬で記憶を洗い出す。

幸い少し前に月達に昔話をしたのですぐに思い出せた。

 

………“あの時”の言葉。

 

決して鈍い系男子ではない。

今の言葉から大体の恋の言いたい事、考えている事を推測する。

 

「………寂しかったか?」

 

こくり、と頷いた。

恋も食べ物を食べるにはお金が必要という事はわかっている。

だから灯火が恋の食費を、恋が拾ってきた動物達の食費を稼ぐために給金が良い都の役人になる必要性は理解していた。

だが。

 

 

─────どれだけ理屈を並べ、それを理解していても─────

    ─────心がそれを受け入れられるかは、別である─────

 

 

「ごめん」

 

湯舟の中で抱きしめた。

いずれ飛将軍と呼ばれる、英雄となる前に見た少女にしたのと同じように。

 

都に居る時に一度、賊の犯行現場と出くわした事があった。

 

その灯火の生い立ちから、賊に対してよい感情は何一つ抱いていない。

だが賊もまたこの重税に耐えかねた者の末路であるというのは理解していた。

 

 

していた、その賊が。

 

まだ年端もいかない少女を。

 

■■うとしている光景を見て。

 

 

 

気が付いたら─────賊の首が無くなっていた。

 

 

 

後になって思えば自分もまた頭で理屈を理解していても、感情までは制御できていなかった。

その時は某有名なロボットアニメの台詞を思い出したものだ。

 

「………恋、灯火の言葉、信じる」

 

都に出た後も、往復に数日を要するが定期的に帰省していた。

恋が軍に入って今の街に家が移った後も、ねねがこの家に住み始めた後も。

恋ならきっと大丈夫だろうと思っていた。動物達もいる、ねねもいる。

 

それでも。

 

 

「………一人で入るお風呂、寂しかった」

 

 

恋が灯火を抱き寄せた。

今まで足りなかった分を取り戻す様に。

 

「大丈夫」

 

恋が軍に入ったと言った時点で、涼州に戻っていればこうはならなかったかもしれない。

けれど、そうすればきっと夢を持った女の子(シャンフー)とは出会わなかっただろう。

それは“たられば”の話。

 

 

「恋。─────絶対、離さないから」

 

 

明日から、今から。それを取り返していけばいい。

生きている限り、それは出来るのだから。

 

 

 

 

 

「よし、それじゃ寝るぞー」

 

四人一つの部屋に川の字になって眠る。

城にあるような天蓋付きのベッドなんて、豪族でもない限り自宅には無い。

 

「…………」

 

「? 恋、どうしたの?」

 

香風の顔をじっと見つめていた恋。

 

「恋殿?」

 

既に布団に入ったねねも同様に見つめて。

 

「ねね、こっち」

 

「? こっちで寝ろということです?」

 

「しゃんふーは………そこ」

 

「?」

 

「灯火は………ここ」

 

「あ、ああ………。恋は?」

 

「恋は、そこ」

 

突然始まった恋による寝る場所指定。

端から香風、灯火、ねね、恋 という順。

 

よくわからないまま明かりを消し、横になった。

 

「れ、恋殿!?」

 

「こうして………くっつけば、胸があったかい」

 

ねねを軽く抱えた恋が灯火の横にすり寄ってきた。

 

「しゃんふーも、くっつく」

 

「………。なるほど」

 

恋の突然の行動に目を丸くした香風だったが、恋の真似をして灯火にくっついた。

 

「─────なんだこれ」

 

「………こうすれば、みんなあったかくて、幸せ」

 

「お兄ちゃん、あったかーい………………」

 

すうすうと寝息を立てる香風。

ねねはねねで驚きはあったものの、特に何も言うことなく瞼を閉じてもうすぐ夢の彼方へ。

 

「─────灯火、おやすみ」

 

「………ああ、おやすみ」

 

そういって瞼を閉じた恋も、しばらくすると規則正しい寝息が聞こえてくる。

 

(………問題は、この身動きできない状態で眠れるかどうかなんだけど)

 

幸い今日は体を動かしたし、頭も働かせた。

瞼を閉じれば、気が付いた時には眠っているだろう。

 

 

「おやすみ、三人とも」

 

 

 

 

 

 





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File№05

真恋天下の香風(覚醒)。
アクティブスキルを使うと、斧をぐるぐる回すんですよ。
その時僅かですけど空を飛ぶんですよ。

見たときはね、なんというかね。
感動した。嬉しかった。運営神様って思った。


ワイ「さて、今日もデイリーこなしますか~」
運営「聖夜コスのキャラ追加したよ!」 → 香風(聖夜)


( ゚д゚)

(゚д゚)






始まります。(すんません、今話は恋も香風も出ないです)


やせい の 趙雲 が あらわれた!

 

「おや、莫殿。そこはかとなく馬鹿にされた様な気がしたのだが、私の気のせいだろうか」

 

「イエ、ナンデモアリマセン」

 

目の前で武器を構える趙雲に対して、ただ遠い目で空を眺める。

 

どうしてこうなった。

 

 

 

今朝も変わらず朝食を作り、香風や恋、ねねと共に美味しく頂き、普通に城にやってきた四名。

朝の評定を終えて各自持ち場にてそれぞれの実務を行っていた所、仕官者がやってきたとの一報が。

今日一日は詠の執務室で彼女の補佐をしながらの業務予定だったが、仕官者が来たとなれば軍師である詠が動かない訳にはいかない。

 

主だった将のほとんどが外に出ているタイミングでの出来事。

仕官者というのは偽りでどこかの刺客と言うのも考えられたので、武術にも心得のある灯火に同行をお願いした。

 

「詠、もし怪しいと思ったら俺の後ろに。力量次第だけど兵が囲むくらいの時間は稼ぐから」

 

「わかった。昨日の今日でいきなり文官の枠から外れちゃったけど、お願いするわ」

 

「仕方ない。みーんな、外に行っちゃってるんだからさ」

 

今日は模擬戦ということで主だった武将とつい先日客将として入った香風は外に出ている。

月もまたその視察も兼ねて恋を護衛に同行している。

となれば詠からすれば灯火に護衛を兼ねて同行させるのは当然だった。

 

「賈文和様。仕官者三名、連れてまいりました」

 

「よし、謁見の間に通しなさい」

 

「はっ!」

 

この時灯火は完全に気を抜いていた。勿論詠を守る気が無いという意味ではない。

仕官者三人は自身の知らぬ者だろうと思い込んでいたのだ。

 

前世の記憶も明確に覚えている訳ではない。

史実の三国志などほぼ忘れていると言っていい。

そして恋姫の記憶でも董卓軍に名のある者というのは、現在外で演習をしている将達しか知らない。

つまりこれから現れる者が例え前世の史実において名のある将校であったとしても、灯火には反応のしようがない。

 

「…………は?」

 

そう思っていたからこそ、謁見の間に入ってきた者達を見たときは、詠の隣に待機していた事も忘れ、思わず言葉を発してしまった。

そしてそれを聞き逃す詠でもない。

 

が、今は入ってきた三名の身元を確認するのが先だ。

 

「三名とも面を上げなさい」

 

「「「はっ」」」

 

玉座の椅子の隣に立つ詠が三名の顔を見降ろした。

その斜め後ろで気を取り直した灯火が無言で顔を確認する。

 

(………なんでいるんだ?)

 

「まずは名を名乗りなさい。………そちらの貴女から」

 

灯火の内心を他所に指名された青髪の女性が一歩前に出る。

 

「姓は趙、名は雲、字を子龍と申します」

 

「趙子龍………、分かったわ。では次」

 

一礼した趙雲が下がり、隣の眼鏡をかけた女性が一歩前へ。

 

「私は戯志才と申します。訳あって今はこの名を名乗っております故、お許し下さい」

 

「ふぅん………、まあいいわ。最後の人」

 

戯志才の名乗りに少し眉を顰めたものの、何も言わず最後の少女へ。

 

「私は姓を程、名を立、字を仲徳と申します。お見知りおきを」

 

どこか間延びした語調で一礼した。

一通りの自己紹介を終え、改めて三名に確認する。

 

「それで三人とも。兵からは客将として仕官したいと聞いたのだけれど、まずはその理由から問いましょうか」

 

「では僭越ながら私から」

 

三名のうち青髪の女性、趙雲が一歩前に出て経緯を語った。

 

「我らは現在どこにも仕官せず旅を続けております。隣二人は見分を広める為、私もまた似た様な理由です。その為この大陸を渡り歩いているのですが、ただ放浪しているだけではいずれ金は無くなります。金が無くなれば食は買えず、宿を取る事もできますまい。多少の不便ならまだしも、我ら三人とて女子。いつまでも野宿というのは頂けない。その為自身の才を元手にこうして客将として仕官し、金を承りたいと考えた次第」

 

「なるほど、路銀目的ね。その路銀は旅の為、と。………単に路銀を稼ぐのであれば別に仕官する必要は無いハズ。貴殿らはなぜここへ仕官しようと思った?」

 

「二つございます。一つは見分を広めると同時、仕官先を探してもおります。実際仕える者の人を見、知を見、徳を見る。ここの主、董仲穎殿がこの街で善政を敷いているのは見て取れた。ですがそれだけでは分からない。故にこうして客将の身として仕官し、ここの主、延いてはここの将達を見極めさせていただくべく」

 

趙雲の物言いに眉が細まる詠。

自分達に相応しい主ならば正式に仕えるが、そうでなければ路銀だけ貰ってさっさと出ていくと言っているのと同じ。

 

客将として仕官したいと申し出てくるのであれば相応の実力者なのだろう。

だがそれに対して三人の名前に聞き覚えはない。

先日仕官した香風と後ろに控える灯火は詠も聞き覚えがあった。実績もあった。身内の知り合いでもあった。

故に仕官させるのに抵抗はなかった。

 

目の前の三人は違う。知らず、聞かず、何もない。

そんな者が此方を見極めると大言するのだから、流石の詠も気付く。

つまるところ、趙雲の言い方に対する反応すらも相手は見ているという事だ。

 

(現代社会だと失礼とか言ってそのまま落とされそうだ)

 

灯火もまたその意図を理解していた。

何ともまあ凄い言葉だと思い、納得する。

 

詠と灯火に違いがあるとすれば。

それは相手を知っているか知らないかの違いである。

 

「それで、もう一つは?」

 

「都で噂になった『聖人』を探しに」

 

「「…………は?」」

 

簡潔に終わった趙雲の言葉。

これには詠と灯火も同じ反応だった。

ここへ仕官した理由が灯火であるというのだから当然だ。

 

「我らは元々都・長安へ仕官するつもりでした。ここ最近少しではありますが長安にて良い政策をしていると噂がありました故。恐らくは朝廷のある洛陽以上に。我らの才を以てすればその後押しになるかと思い長安へ上京した次第。………が、いざ長安に着き情報を集めてみればその政策は『聖人』と呼ばれた役人が大元と言うではありませんか。しかもその『聖人』は我らが長安に着いたその前日に『涼州』へ出立したという。賊討伐で名を馳せた徐晃将軍と共に」

 

「………それでこの『涼州』に?」

 

「元より我らの旅路は大陸を見て回る事にあり、宛のある旅路ではありませぬ。目的地に着いたから終わりの旅ではなく、着いた先が目的地であるかを吟味し決める旅。………長安は我らの目的地にならなかった。であれば、長安を仮の目的地と定めた理由を持つ『聖人』が向かった『涼州』を仮の目的地として訪れても不思議ではありますまい。そして先日、その『聖人』と徐晃将軍と思わしき人物がこの城にいるという事を突き止め、こうして参った次第」

 

「………なるほど」

 

二つ目の言い分には、まあ一応納得する詠。

都にこの『主を見極める』と豪語する三名の御眼鏡に合うような気性の持ち主がいるとは思わなかった。

 

言い終えた趙雲が一礼し、一歩下がる。

それを見届けた詠は口元に手を当て、思案する。

 

「莫、貴方はどう思う?」

 

“莫”という言葉を聞いた三名がピクリと反応し、檀上に立つ女性の後ろに控える男を見据えた。

腰には武器らしきものを携えた黒髪の男。

 

「どう思うとは?」

 

「仮にも貴方目当てにやってきた三人みたいじゃない。さっき入ってきた時も反応してたし、知り合い?」

 

その会話で下に立つ三名は理解した。

つまり今こうして名を名乗らない女性の後ろに控えている男こそ、都で『聖人』と呼ばれていた者である、と。

 

「───知り合いではないよ。そちらの三名も知らないだろうし。所感については………そうだな。雇って問題ないだろう」

 

「どうして?」

 

「………北方常山の趙子龍と言えばその槍で有名だ。漢全土を見ても武の上位に位置する事は間違いない。同様に戯志才、程立。彼女らは武ではなく智に長ける者。文和といい勝負すると思うぞ。─────そんな才気溢れる三名が客将とは言えこうして訪れたんだ。相手はこっちを見極める気満々らしいし、こっちはこっちで彼女らの武・智を以て内外の戦力増強の糧にすればいい」

 

趙雲・戯志才・程立の名は知っている。

特に趙雲については“恋姫”だけでなく前世の史実知識においても有名な将である。

『曹操』『劉備』『孫権』以外で名を上げろと言われればすぐに出てくるレベルだ。

 

「私はそんな噂聞いたことがないけれど。何、この三人そんなに凄いの?」

 

自身といい勝負する、と信の置ける灯火から言われ、一つ目の理由の時に感じた不遜を保留にする。

 

「俺も実際目にした訳じゃない。あくまで俺の知っている『趙雲』『戯志才』『程立』は、という話だ。………登用試験はするんだろ? 少なくとも門前払いをする相手じゃない。実力はそこで測ればいいと提案する」

 

「………ふぅん」

 

詠も門前払いをする事は考えていない。

自身の考えと灯火の評価、提案を合わせ、この後どうしていくかを考える。

 

が、下に立つ三人は疑念だらけだ。

 

(あれが『聖人』、ですか。聞き及んだ通り腰に武器を携えている。………にしても)

 

(ああ、私の事ならまだしも稟や風の事まで知っている様だ。二人を武ではなく智に長ける者と評した事から、確実だな)

 

(星ちゃんも知られるほど名は広まっていないハズですけどねー。常山あたりに知り合いでもいたのでしょうか。それに風達にいたってはどうやって知ったのかまるで見当がつきません)

 

三人六眼の視線が灯火へ突き刺さる。

そのうちの趙雲と視線があった灯火は何も言わずに瞼を閉じた。

護衛が眼を閉じるなど普通ならあり得ないが、灯火からしてみればこの三人が詠を謀る事はないと確信したため。

必要な情報は伝えたし、後は軍師である詠が決めることだ。

 

「………いいわ。莫の評価も高いみたいだし、先ずは登用に足るものかを見させて貰う。貴女達三人はどの役を望み?」

 

「私は武官、戯志才と程立については文官を所望する」

 

趙雲の発言に頷いた詠に、灯火が問いを投げる。

今、この城の現状についてである。

 

「………仲穎殿に確認は取らなくていいのか?」

 

「確認はするわよ。ただ帰ってくるまで何もしない訳にもいかないでしょ」

 

「そうか。………登用試験の相手は? 文官は文和が試せばいいんだろうけど、武官は対応できる将は外じゃないか? 警備隊から誰か連れてくるのか?」

 

「そんな訳ないじゃない。というかアンタの言う事が正しいなら警備隊じゃ正しく測れないでしょ」

 

「………まあそうだけど」

 

あの趙雲が街の一警備隊員に負けるとは思わない。灯火もそんな趙雲は流石に見たくない。

むしろアッと言う間に倒してしまうだろう。

 

「じゃあ、誰が?」

 

「いるじゃない、ここに」

 

普通に、何でもない事のように、当然であるかのように。

平然と灯火の顔を見て言う詠。

 

対して灯火は黙るしかない。

眉間に皺を寄せて強めに瞼を閉じる。

 

「………そういうのって、武官の仕事じゃない?」

 

「来るときに言ったじゃない、『昨日の今日でいきなり文官の枠から外れちゃったけど、お願いする』って」

 

「これも含まれてんの!?」

 

「当たり前よ。公明と莫が入って来てくれたとは言え、人不足は人不足。今は皆外なんだから。“呂奉先の武の師”が対応しないで、誰が対応するのよ」

 

「ちょっ………!」

 

 

「ほう………?」

 

 

詠が何気なく言った言葉に慌てた灯火。

が、時すでに遅し。

 

ばっちりと下三人に聞かれてしまっていた。

特に反応を示したのが誰かは言う必要ないだろう。

 

「………?………あっ」

 

気付いた詠だが、今更である。

特別大きな溜息を吐き、ジト目で詠の顔を見つめる。

 

「………っ。な、何よ………」

 

「………いや、何も。………まあ、いいさ。とは言っても武官の登用試験なんかやり方分からないから、そこは教えてくれ。それでいいから」

 

「わ、わかったわよ。………その、………ごめん」

 

「いいよ、別に。人の口に戸は立てられないって言うし」

 

「………それじゃボクがまるでおしゃべりみたいじゃない」

 

口を尖らせて詠が呟くが灯火は何も言わない。

決して思った事は口にしない。

 

「………ごほん。それじゃまずは趙雲の登用試験をさせてもらうわ。ついて来なさい、三人とも」

 

 

 

以上、ここまでが顛末である。

 

相手が文官と油断してくれたらまだしも、目の前の趙雲を見る限り惚れ惚れする程やる気だ。

これでは華雄戦の時の様なことは起きないだろう。

 

かと言って適当にやれば『見極める』と豪語した彼女にマイナスイメージを渡すことになる。

灯火自身が他人からどう思われようとどうでもいいが、今現在灯火は董卓軍の武官として立っている。

余りに情けない戦いだと今ここに居ない月や恋、香風達に申し訳ない。

 

「ふむ。心ここにあらず、と言った様子ですが。それで果たして登用試験は上手くいきますかな」

 

「………言われずとも仕事。やるからにはしっかり致しますので、ご心配なく」

 

瞳を閉じて一つ深呼吸。

思い出すは恋との、香風との鍛錬。

二人ともが強敵。決して心乱れた状態では追いすがる事は出来ない。

 

ましてや此方は速さ命。

乱れていてはその繊細さはあっという間に失われる。

平静を保ち、余分な力を抜き、自然体。

雑音は消し、思考は水底に沈めていく。

 

「む………」

 

今までの雰囲気が変わった、と知覚する。

さらり、という音さえ聞こえてくるかの様な自然体。

目の前に佇む男にはあまりにも敵意がない。

 

「─────」

 

趙雲も今までの気を顰め、眼前を見抜き、槍を構え直す。

対してそんなモノは知らぬと、鞘から銀色の刃が姿を見せた。

 

日本刀。

否、日本刀擬きと言った方がいいだろう。

この時代に日本という国は存在せず、刀の作りも細部まで日本刀と同じという訳ではない。

あくまでこの時代この大陸の武器職人に、灯火が記憶を頼りにオーダーメイドした刀。

 

『折れず、曲がらず、よく斬れる』の三つのみを追求。

曰く『恋の食費以外で最も時間・お金をかけたもの』。

 

構えは正眼。他の全ての構えにスムーズに移行できる。

すなわち攻撃にせよ防御にせよ、状況の変化に応じて対応できる基本にして最強と称される戦いの体勢。

 

深くは考えない。

有り様は水面に立つが如く。心は

 

ただ─────

 

「………始め!」

 

─────斬るのみ。

 

「っ!!」

 

先ほどまでとのあまりの変わり様に様子見を、と迎の構えを取っていた趙雲が息を呑んだ。

 

刀を持った両腕が跳ね上がり、掲げられた刀はそれ以上の速さを以て振り降ろされていた。

 

思考よりも速く体が防ぐ。

甲高い音が場に響き、思考が追い付いた。

 

趙雲の腕にかかる重さは、それほどない。

受け止めた際の腕への負担は驚くほどに軽微だ。

 

その“軽い”と言って差し支えない重さ。

 

「─────」

 

気が付けば既に相手は“薙ぎ”の体勢に移っていた。

 

防御か回避か。

息つく暇どころか、そんな思考を回す暇もない。

 

始まった際、距離は十二分にあった。

少なくともお互いが踏み込めば先に槍の間合いだった。

だが気が付けば槍の間合いは当に詰められ、灯火の間合いに入っている。

 

趙雲とて武人。

思考が追い付かなくとも形勢の不利、状況の仕切り直し、相手の攻撃範囲。

それらを本能で理解し、一跳で間合いを離す。

 

斬撃が奔った場所に趙雲は居ない。

振り抜きは最小限。体は─────

 

「はぁぁああっ!!!」

 

最小の動き。

 

振り抜きの隙を見越して、刺突する槍を最小の足捌きで避ける。

 

「っ!はっ!やっ!てぁあああ!!」

 

渾身の初撃を避けられた。

表情は能面の様に動かず、見切っているかの如く。体は流れる水の様に。

息を呑んだ趙雲が、裂帛の気合を以て鋭い攻撃を一度二度三度と降り注ぐ。

 

切っ先が交差し、金切り声が木霊する。

時折火花が散り、その苛烈さが埒外の速さを伴っている事を証明していた。

 

 

槍の撃は稲妻。点の攻撃は遊びが無く、的確に苛烈に攻め立てる。

対し刀は疾風。しなやかな軌跡は逸らし、往なし、悉く受け流す。

 

そうして返す刃は速度を上げ、突風の如く翻ってくる。

直線的な槍に対し、剣筋は曲線。

ならばそれは趙雲が有利であるハズなのに、描く弧はその差をゼロにする。

切り返す刀に腕を引く槍が追い付かない。

ならばその刃を受け止めると、初撃の様に軽い攻撃は障害物を避けるか如く無防備な側面へと軌跡を変える。

 

「ふっ─────!」

 

繰り返す事数合のち、跳躍し後退した。

 

なるほど、と趙雲は考察する。

呂布の武勇に戦場の華という言の葉を聞いた覚えがある。

 

如何様なモノかと漠然と思っていたが、恐らくは目の前のそれがそうなのだと確信する。

見惚れるほど美しい剣筋は、同時に見届ける事が困難な程の速度。

目の前の男が呂布の師だというのであれば、当然その子である呂布もそれを体得している。

弧を描く剣筋と、自身が放つ点の撃の速度が同等………或いはそれ以上。

 

不可解な現象は相手の技術の高さ故か。

僅かに口角を吊り上げる。静かに、それでいて確かに、自身のボルテージが上がっていくのを感じていた。

 

静寂に包まれた場は、それを観戦していた三人まで広がっていた。

華雄と霞に勝った所を見ていた詠は、改めて灯火が武官でも十分通用する者と認識。

というより先の二人の戦いについてはどちらも一瞬で終わってしまったので、強いと分かっていても実感しにくかっただけに今更ながらに驚いていた。

 

戯志才と程立は、共に旅をしていた趙雲と同等以上に打ち合える男に驚きを隠せない。

かつて都で『聖人』にまつわる武を聞いたことがあった。

どうせ尾鰭がついたモノだと思っていたが、目の前の光景を見ては認めざるを得ない。

 

「………というより、彼は本当に文官ですか、文和殿?」

 

「ええ。あれでも文官よ」

 

「星ちゃんとあそこまで戦い合えて、文官なのですかー………」

 

互いの有効射程外で手癖の悪い子供の様に槍を回し、構える。

引いた趙雲に灯火は追いすがらず、始まりと同じ正眼の構え。

 

相手の攻撃は“軽い”。力の押し合いになれば必然の形で趙雲が押し切る。

 

確信があった。

 

そんな事は分かっている(・・・・・・・・・・・)

 

軽いが故に押し負ける。

完全に腕を止められれば、力で押し返される。

上手くそれを反動に転換できればいいが、体勢を崩されれば如何に灯火と言えど次撃は防げない。

 

故に真正面から受け止めない。

相手の防御への打ち込みは最小限に、衝撃を相手ではなく自分への反動に。

元より斬り合う等考慮していない。力で劣ると悟った時点で捨てて、全てを託した。

その全て、恋に託した。

 

だからこそ刀を取った。

力で叩き切る斧ではなく、速さと技で断ち切る刀を。

 

だが。

 

「………ふぅ」

 

張りつめていた空気を斬り捨てる様に、構えを解いた。

一呼吸置き、構えていた刀を鞘に戻すその光景は、趙雲の眉を顰めるには十分すぎた。

 

「………なぜ収めたのか」

 

「そちらの熱が上がってきているが、残念ながら此方は文官。武官の様に強者を求めて血が騒ぐ体質ではないし、目的を違えるほど盲目にもならない」

 

あくまでこれは登用試験。

どちらかが負けを認めるまで行う決闘でもなければ、相手が死ぬまで戦う死闘でも戦場でもない。

ただ相手の力量を測るためのモノ。

 

「この程度で十分でしょう。文和も趙雲殿の力量は分かったハズですし。───お疲れさまでした」

 

先ほどまでの雰囲気はどこへやら。

謁見の間で出会った時と同じ調子で趙雲に頭を下げ、すたこらさっさと観戦していた詠達の元へ戻っていく。

 

「………………むぅ」

 

始めは呆然と、次第に何か言いようのない感情が湧き始めた。

いや、確かに理屈は言う通り。どちらかが負けを認めなければならないというルールは設けていない。

そもそもこれは登用試験なのだから、自身の実力を示せればそれでいい。

 

しかし。

不完全燃焼である。

 

切っ先を下ろした星が後に続くように此方に向かってくるのを確認し、観戦していた三人も一息ついた。

 

「で? 終わりってことでいいのね?」

 

「そうだね。実力はさっき見た通り。もしまだ不安があるなら帰ってきた武将に相手して貰えばいいよ。俺の基準では合格」

 

「………まあ一応確認は取るわよ。どちらかと言えばアンタがそこまで出来るのに驚いたんだけど」

 

「頑張った」

 

というよりそもそも灯火にとって趙雲が相当の実力者であることなど戦う前から知っているのだ。

ただその根拠が武人みたく『見ただけで相手の力量が分かる』というナニソレ理論ではなく、前世の知識から来るもの。

根拠の説明になんて使えたモノじゃない。

 

「莫殿!次は登用ではなく、手合わせを願います!」

 

「えぇー。ワタクシ文官ですので、そういうのはちょっと。代わりに呂布を紹介いたしますので」

 

「………それはそれで頂きますが、私は貴方と手合わせしたい」

 

「呂布に勝てたのなら考えましょう」

 

「………いいでしょう。約束ですぞ」

 

「そちらこそ」

 

灯火、恋に丸投げ作戦。

後で恋にお願いして、勝ったらめいいっぱいお礼しようと誓う。

恋が負けることなど1ミリも考えていない。

 

「………アンタ、面倒だから恋に丸投げしたわね」

 

「あーあー、聞こえない」

 

詠も恋が負けるとは思っていないため、趙雲の約束が果たされる事はないだろうと理解していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




感想、評価、お気に入り登録ありがとうございます。
流石にこの時期は忙しいですね。
皆さまも風邪や事故にはお気を付けてよいお年をお迎えください。



ワイ「香風、香風、香風………。絶対当てる当てる当てる………」

確定ガチャ5000円 → すり抜け
貯めたガチャ22連 → あたらず
1万円課金 → すり抜け
1万円課金 → あたらず
1万円課金 → はおー様(聖夜) ごめんなさい、貴女様じゃないのです
1万円課金 → 香風(聖夜)「サンタのお仕事、行ってくる~」


  (無言の勝利宣言)

ワイの香風ガチャ成功率は100%や。




香風も恋も出ない話とか俺が許さないから続きます



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File№06

一体いつから、前話が今年最後の投稿になると錯覚していた?





始まります。


 

「そうだ、凧揚げよう」

 

「…………?」

 

「凧?」

 

「また始まったのです」

 

趙雲達が客将として訪れてからしばらく。

 

香風達は非番ということで現在恋の自宅にて何もしていなかった。

しかもこの非番。恋・ねね・香風、そして灯火が同じ日に非番になる様に調整して貰った究極の休日である。

恐らく趙雲達三人が来なければできなかった休日だった。

 

いつもなら朝早く起きて朝食の準備をする灯火も、誰も仕事をする必要がないので朝の布団でゴロゴロ。

当然両隣で寝ている香風や恋も同様にゴロゴロ。

ねねも偶さかの休日だし恋も一緒の休み、調整してくれた灯火の事もあって特に何も言わず恋の隣でゴロゴロしていた。

 

しかし流石に丸一日そんな状態であるわけにはいかない。

気のすむまでぬくぬくと布団に包まった後は遅めの朝食。

 

膝の上に乗った香風を抱きながら何をするでもなく、香風と一緒にぽけーっと空を眺めていた。

 

「で、凧とは何なのです?」

 

「糸を使って空中に飛揚させるもの。空中に浮くモノだよ」

 

「空中に?」

 

灯火の説明に香風が食いついた。

空を飛びたいと常々本気で考えている香風にとって、竹とんぼや天灯、紙飛行機など、灯火の出す知識は大いに好奇心を擽る。

 

「興味ある?」

 

「ある!」

 

目を輝かせない訳がなかった。

そんな香風の頭を撫で、立ち上がった。

 

「さて、それじゃまずは材料の調達からだ」

 

 

ところ変わって街中。

両脇に香風と恋、そしてねねを連れて服屋に来ていた。

 

この恋姫世界、服だけは灯火の現代知識と遜色ないほどに見事なバリエーションラインナップ。

となれば当然それ用の布も存在するという訳である。

 

店主と話をつけ、手頃な値段で購入できる布を入手する。

その間は当然暇な恋と香風、ねね。

少し時間がかかるから服でも見ておいで、と言われ三人とも店内散策。

 

とはいえ。

 

「…………」

「…………」

 

香風と恋、二人とも似た者同士。

どこかの曹家金庫番よろしく可愛い服大好きという訳ではない。

むしろ頓着しない部類だ。

 

そんな二人が服を見たところで購買意欲なんか─────

 

「…………」

 

ふと、恋の目にとあるものが目にかかった。

どこか見覚えがあるシルエットだったそれをぼんやりと眺めながら手に取った。

 

はて、どこで見ただろう、と首を傾げる。

 

「これは呂奉先様、いらっしゃいませ。本日は何かお探しですか?」

 

「…………」

 

そんな折にやってきたこの店の女性店員。

元より無口な恋がしゃべる事はないし、それは女性店員とて理解している。

 

その武において並ぶ者無しと言われる恋。

一歩外に出ればそれは畏怖の名である。

 

だが街中ではねねと共に肉まんを口いっぱいに頬張る姿や、机いっぱいに皿を並べた満漢全席を一人で食べる姿を見かけられており外とはまた違った意味で有名人。

ほんと食べてばかりである。

にも関わらずスタイルが全く変わらないあたり、街の若い女性の間ではその体質に羨望を持っていた。

 

「………それは」

 

恋が手に持っていたモノに気付く店員。

それはどちらかと言えばマニアックなモノ。

こんな趣味があったのだろうか、と思った時だった。

 

「これをお求めに………あら?」

 

店員の視線の奥。そこには店主と話す男性の姿があった。

一瞬誰だろうと思ったが、次には目を見開いた。

 

(あれは!呂奉先様の旦那様!!)

 

すっげー勘違いであるが、残念ながらそれを否定する者はどこにもいない。

というより以前から時折この街に姿を見せては恋に腕を引かれ家に入っていく姿を何度も目撃されている。

恋自身別に周囲の視線を気にしない人間だし、灯火も言わずもがな。

巷で天下の呂奉先に想い人がいる、という噂が出るのは当然だった。

というかこの時代まともな娯楽などないため、誰か一人が見たという事を言えばあっという間に広まった。

 

そしてつい最近。

今までは時々しか見る事の無かった呂奉先の想い人を、彼女が連れて街を巡回している姿を大勢の人が目撃している。

 

それまでは噂を噂としてしか考えていなかった者達も、あの噂は事実だったと一瞬で理解した。

 

趙雲達がこの街に来て『聖人』と思わしき人が呂奉先と共に城へ向かったという情報を得られたのはこのためである。

 

「どうでしょう、呂奉先様。一度付けて見ては如何でしょう?」

 

「………これを?」

 

「はい!きっと、というか絶対にお似合いです! 彼方の方も似合っていると喜ばれますよ!」

 

「………灯火?」

 

「はい!」

 

後ろを振り向いた先にいる灯火を見て、尋ねた恋。

テンションMAXな女店員はきっと旦那様の真名なのだろうと口には出さなかったが、力強く肯定した。

店員からしてみればお買い物デート真っ最中としか見えない。

まさかまさか自分が働く店に来てくれるとは思っても無かった事もあり、テンションは振り切っていた。

 

「あ、それとそれを付けられるのでしたら、此方のご衣装もご一緒にどうでしょう?」

 

「………それ着たら、灯火喜ぶ?」

 

「はい!それはもう!」

 

この女性店員を止める人はいなかった。

 

 

 

「ほら、ご所望のモンだ。………だが、流石に最後の“密閉性の高い”ってのはウチじゃ取り扱ってねぇな。その分丈夫な商品は取り扱ってる」

 

「そうですか、わかりました。もしかしたら今後も尋ねるかもしれません。その時はまたお願いします」

 

巻かれた布生地を貰いお金を払う。

店側の準備に時間を取ってしまったが、此方が突然訪問したのだから仕方がない。

 

「お兄ちゃん、終わった?」

 

「ん、ごめん待たせた。香風は何か欲しい服とかなかったのか?」

 

「シャンは特に無い。今ので困ってないから」

 

「そうか」

 

まあ当人が不要と言うのであれば灯火も強くは言わない。

灯火自身もあまり自分の服に頓着しない主義なので特に何かを言うつもりもなかった。

 

「ところで恋とねねはどこ行った?」

 

「さぁ。途中までシャンと一緒だったけど、気が付いたらどこかに行ってた」

 

「まあ、この店のどこかにいる─────」

 

だろう、と探し始めようとした時だった。

駆け足音と共に後ろから一人の女性店員がやってきた。

 

「旦那様!お探ししました!」

 

「…………は?」

 

恐らく初めて会う人物から探したと言う言葉を聞いたが、それ以上に今なんと自分の事を呼んだのか。

 

「えっと、旦那様って俺のこと?」

 

「はい!………あ、もうしわけございません!私の旦那という意味ではございません。失礼いたしました!」

 

「は、はぁ………?」

 

なんだこの人すげぇテンション高けぇな というのが第一印象である。

灯火の苦手な部類だった。このテンションの人について行くのはしんどいのである。

 

「えっと、それで探していたというのは?」

 

「はい!こちらで呂奉先様がお待ちですので、ついて来てください!」

 

「………はぁ」

 

女性店員から恋の名前が出たのでとりあえず大人しく後をついて行く。

店の少し奥に入っていくと、そこは試着室のコーナー。

流石にここまで来たら灯火でも理解するというもの。

 

「ああ、もしかして何か試着を?」

 

「はい!それでぜひ貴方様に!」

 

テンション可笑しいし俺に対する敬称がなんかおかしいとは思ったものの、その話をするのもパワーが必要そうな女性店員。

曖昧に笑いながら試着室の前まで来て声をかけた。

 

「恋? 何か欲しい服があったのか?」

 

恋とは長い付き合いだ。

食に関しては興味津々でよく食べるが、少なくとも服に関しては今まで何かを言った事はなかった。

恋がどんな服に興味を持ったのかというのは気になったし、もしそうなら買ってあげようとも思った。

 

「………灯火?」

 

布で仕切られた先から聞こえてきた声。

女性店員の手解きのもと、ばっちり服は着ており、呼びに行くので少し待ってて欲しいとこの場にいた恋。

そこに灯火がいるのであればこれ以上ここに居る必要はない。

仕切りの布を追い払って一歩外へ出た。

 

「………………………………………」

「………………おー」

 

灯火は完全に硬直し、香風は感嘆の声をあげた。

 

黒いハイヒールに黒網タイツ。

女性水着を思わせる服と言っていいのかかなり不安な服は胸元完全開放。

辛うじて見えてはいけない部分が隠れているギリギリの状態。

腰には大きなリボンが飾り付けられており、クルリと回る際に見えたお尻部分には白い綿の様なモノが装飾されている。

 

もはや意味をなさず完全な装飾となっている首元の蝶ネクタイ。

そして

 

「…………?? 灯火、似合う?」

 

頭には黒と白を基調としたウサギ耳がついていた。

 

上から下、下から上まで余す事なく確認した灯火は完全フリーズ。

思考の“し”の字すら頭が働いておらず、ただの映像記憶装置としてそこに佇んでいた。

 

と。

 

「………恋も、ウサギになった。………ぴょん」

 

 

「ごふっ!!!!!!!」

 

 

とどめの一撃が灯火に炸裂し、膝から崩れ去った。

確かに頭のそれはウサキだけど全体の衣装は完全なバニーガールでというか何でそんな服装着てるの恋恐ろしく似合ってて何もいえねェそもそもなんつぅコスプレ衣装売ってんだこの店!?

と、思考がぐるぐるになったが一言言うならこれはこれで全然OK。

 

「………似合わなかった?」

 

少し悲しそうな表情で見つめてくる恋に即座に再起動。

こんな格好させてその表情させたら罪悪感で死にかねない。

それに恋を見るに結構気に入っているみたいだ。

 

「いいや全然!!むしろ─────」

 

 

だいなみっく………ちんきゅ~~~─────えんとりぃぃぃぃいいいいい!!!

 

 

「ごっふぁぁぉおぉおおおおお!?」

 

説明しよう!

だいなみっく陳宮えんとりーとは、日々灯火に対して放っていた陳宮キックでは速度パワー共に灯火に有効打を与えられないと理解したねねが死角から回避が間に合わない程の速度で飛び蹴りを放つ技である!

 

「なぁにぃをやってるのですかー!!!」

 

蹴り飛ばしたねねが倒れた灯火にのしかかりマウントポジション。

理不尽な暴力が灯火を襲う。

 

「いっっでぇ………、いや俺は何もっ………!」

 

「嘘言うなです!恋殿がこんな格好をするのはねねか灯火のどちらかでしかないのです!ねねが眼を離した隙に!こんなうらやま………もといけしからんことを!」

 

ビシバシ!と頭部に掌を叩きつける。

流石に全力ではないらしくそこまでの痛みは無いが、ここは店内である。

 

「わかった、分かったからどいてくれ。このままじゃ流石に体裁が悪い」

 

「ふん!恋殿にこの様なカッコをさせてる奴が何を気にしてやがりますか………!」

 

そう言いつつも灯火の上からどいたねねがぶつぶつと恋の衣装を見ていた。

もはや何も言い返す気力を失った灯火は溜息をつくしかない。

 

「………ねねは、これ似合わない?」

 

「そんなことないのですぞ!恋殿ならば何を着ても天下一!じゅーぶんっ、似合っております!………ただ、こういう人の往来がある場所ではそのカッコは聊か控えていただきたいのです~。着るとしても家で………」

 

「そうだな、恋。正直に言って物凄く似合ってるし可愛いよ」

 

言いそびれた言葉をしっかりと伝えていく。

変に誤解されたままというのは頂けない。それが恋や香風ならなおさらだ。

 

「…………!うん、よかった」

 

ぱぁ、っと明るい表情で笑う。

彼女を知らない人間が見ても表情が変わったようには見えないだろうが、付き合いのねねと灯火には輝いて見えた。

 

「それで、その服買うのか? 恋が欲しいなら買ってあげるけど?」

 

「…………灯火が喜ぶって聞いたから。これ、家で着たら喜ぶ?」

 

「………まあ、そうだな」

 

バニーガール姿の恋が家にいるときは特に訪問とか、外にそのまま行かない様に見張っておかないと、と決心する。

同時に恋がこの格好になった経緯を悟った。

大方あの“耳”を見つけた恋が手に持ったところに店員が来て、そのまま流れで試着室で着替えたのだろう。

 

「お兄ちゃん、あの恰好が好き?」

 

「ん? ああ、いやそん─────うだな、うん。好きだな」

 

好きか嫌いかで言えば間違いなく好きなのだが、如何せんあれが家の普段着になるのは困る。

この時代はどうか知らないが、少なくとも現代であれを家着として来ている奴はいない。………よね?

いやこの時代でもいると思いたくないのだが。

 

「じゃあシャンも着た方がいい?」

 

「えっ」

 

その後。

上目遣いの涙目(天然)に無言の敗北を喫した灯火は、そのまま香風のバニーガールコスプレ衣装も購入することに。

それを見た恋がねねのもと言って持ってきた時には更に驚いて思わず陳宮キックを回避することになる。

 

なお想定よりもはるかに手持ち金が無くなったため、ひっそりと灯火分の食事量だけしばらくの間減る事になるのだが、彼女達は知らない。

 

 

 

 

なんやかんやあって現在、恋の家である。

周囲は背の高い草壁で囲っているため、周囲の道から庭や家の中が見える事は無い。

 

家でのファッションショーを終えた灯火は、当初の目的を果たすべく工作を続けていた。

その間。

 

「恋殿~。もう着替えていいのでは?」

 

「………今日は、これで灯火と過ごす」

 

「(じーっ)」

 

胡坐をかいて作業する灯火の両隣にウサギが二匹寝転がって日向ぼっこをしていた。

いろいろ言う事をやめた灯火は時折視線が合った恋や香風を撫でながら、作業に集中。

そして。

 

「よしっ、完成」

 

「おー」

 

竹の骨組みに布生地を貼り付け、糸を繋げた人の横幅よりも少し大きい凧が完成した。

しかもこの布生地は無地ではなく。

 

「これ、シャン?」

 

「そ。で、こっちは恋で、こっちはねねだな」

 

デフォルメされた香風と恋とねねが布生地の中央に縫われていた。

この時代は捨てて掃くほど物品は流通していない。

手直しできるものがあるなら例え戦場で使う防具だろうと手直しするのは当然。

であるならば、裁縫のスキルが自然と向上するのも当然だった。

 

「これをもっと大きくしたら、シャンも飛べる?」

 

凧に描かれた自分達を見た香風が尋ねた。

 

「んー………どうだろうか。巨大凧で人が飛ぶことは………ちょっとわからないな。──けど、これの派生なら飛ぶことができる」

 

「ほんと!?」

 

「嘘は言わない」

 

パラグライダー。

原型は現代における宇宙船回収用の柔軟翼。

 

これもまた風を受けて飛行する。

 

(むしろ気球よりもより“鳥の様に飛ぶ”事が出来るかもしれない)

 

現在金銭と相談しながら少しずつ気球に向けて材料の調達や設計図の創作を行っている。

が、やはりと言うべきか難航気味。

涼州はお世辞にも人々が行き交う大都市というわけではない。

流通の点を見るのであれば都洛陽や長安、そこに近い苑州や揚州の海岸線の街の方が物流はいい。

 

(こっちはパラグライダーに向いた地形も多々ある。気球よりも安価に済むし、耐えられるだけの生地も見つけやすいか………)

 

気球プランを凍結するつもりはない。

だが実現性を考えた場合、まだパラグライダーの方が比較的早く実現しやすい。

 

(プランを並行で進めよう。ただメインプランは一旦パラグライダーに変更か)

 

「お兄ちゃん、着替えてきたよー」

 

「…………戻ったら、また着る」

 

外に行く為着替えてくる様に伝えた恋と香風が戻ってきた。

流石にバニーガール姿で外を出歩く勇気は灯火にはなかった。

 

「っし。じゃあ行こう。ねね、戸締りは確認してくれた?」

 

「はい、大丈夫なのです」

 

「じゃ、取り合えず一旦外に行くか」

 

玄関を閉め戸締り。

流石に庭先で凧揚げをするほどの広さはないため、街の外に出る事にした。

 

その道中。

 

「おや、莫殿。それに………みな揃いでどこへ?」

 

「ああ、趙雲殿。街の外にちょっと凧揚げに」

 

今日は街の警邏を担当していた趙雲とばったり出会った。

 

「蛸揚げ………? はて、街の外に商人が来ているのですか? 酒のツマミを買いに?」

 

「あぁ………そっちの蛸じゃないです。というか蛸知ってるんですね」

 

「これでも大陸を旅する者。南東の呉など海に近い街に訪れた事もあります。そこで産地名産の一品を食べるのも、また醍醐味の一つよ」

 

その時の光景を思い出しているのか、うんうんと頷きながら笑う。

確かに旅の醍醐味の一つはその地で食べられる食事だろう。それは現代になっても全く同じだ。

 

「して、莫殿の言う『たこあげ』とは? 徐晃殿が大事に持っておられるモノか?」

 

「ええ。これは『凧』と言って、空に飛ばして遊ぶモノなんです」

 

「ほう、空に飛ばす………」

 

少し興味を示した様子を見せた。

彼女もまた見たことないモノだった。

 

「よかったら見に来ますか………と、言えればよかったのですが。趙雲殿は警邏途中の様ですし、またの機会ですね」

 

「そうなる。流石に客将の身で仕事をサボったとあっては路銀に響いてくる。また今度時間がある時に私にもご教示くだされ」

 

「ええ、いいですよ。………まあ上手くいけば外壁の外の空を眺めてください。今日はいい感じに風も吹いてますから、見れると思いますよ」

 

「外壁よりも高く飛ぶ、とおっしゃるか。───なるほど。それでは見える事を期待しながら待っておく事にしよう」

 

 

外壁。

街を囲うように建てられた大きな壁である。

 

「それで、どうやって飛ばすの?」

 

キラキラワクワクという擬音が聞こえてきそうな表情を見せる香風。

それに薄く笑いながら香風から凧を受け取った。

 

「香風はこっちの糸を持って。これを飛ばす方法は、風が吹く方向に向かって走ることだ」

 

「走る………それだけ?」

 

「俺が凧を持って、香風の後ろを走る。で、頃合いを見計らって手を離す。凧が風を受けて揚力得られるから、糸を伸ばしながら操作。上手くいけば糸の長さが続く限り空へ空へ飛ばせるよ」

 

「………難しそう」

 

灯火の説明を受けた香風だったが、少しイメージが付かなかったらしく不安顔。

これには灯火も苦笑するしかない。

 

「何事も経験だな。凧が壊れない限りは何度でもやり直せるから、一回やってみよう」

 

 

風は良い程度に吹いている。

周囲の足元は特に問題無し。視線が上になりがちなので、目視でもいいので確認しておく。

 

「よし。香風、準備はいいな?」

 

「うん、大丈夫」

 

「………行け、走れ!」

 

灯火の合図と共に疾走する。

風が吹いていた方向へ、正面から走り込む。

 

「行けるか?」

 

凧を持って追従していた灯火が手放した。

 

「─────っ」

 

走りながら振り向けば手放された凧は確かに宙に浮いている。

が、高さは人の背程しかなく今にも地面につきそうだ。

 

(走りが、足りないっ?)

 

「いや、香風!止まって紐を引いて風を受けろ!」

 

少し離れた場所にいた灯火が叫びながら香風の方へと駆け寄ってくる。

体を反転させて紐を握るが、『風を受ける』という感覚が分からない。

 

「紐を引いてっ………うぅ」

 

なかなか上にあがらない。

確かに浮いてはいるのだが、低い位置を漂っているだけだ。

 

「─────っはぁ、捕まえた」

 

息を切らして追い付いた灯火が、香風の手を上から優しく握った。

もう片方の手は香風よりも凧に近い位置の紐を。

 

「まあ、最初は誰だってそんなもんだ。慣れれば走る必要もない………ふっ!」

 

ぐいっと力いっぱい凧を引き寄せ─────

 

「あっ」

 

次の瞬間、香風と恋とねねが描かれた凧が、大空へと舞った。

 

少し離れた場所から見ていた恋とねねも合流する。

全員の顔が空を舞う凧へ向けられる。

 

「香風、紐から風の力は感じるか?」

 

「うん。………力強くて、不思議な感じ」

 

「なら香風。その『力強くて、不思議な感じ』は忘れないこと。今までのは一度飛ばしてそれで終わりだったからわからなかったけど、いずれ空を飛ぶのならその“風の力”をよく理解して、利用しなくちゃいけない。空を飛ぶ鳥ですら、その力を利用してるんだ。………きっと、今の香風には手ごろで一番分かりやすい教材になるはずだよ」

 

「うん………! シャン、空を飛ぶために頑張る………!」

 

 

嬉しそうに、けれど力強く頷きながら紐を巧みに操り、凧は空高く上がっていく。

 

 

 

 

 

「おや?………あれは」

 

街の喧噪の中、莫殿が出ていった方向をふと見上げてみた。

別に意図した訳ではない。

気にはかけていたが、意識して見上げた訳ではなかった。

 

一つの何かが空を漂っていた。

あれが言っていた凧なのだろう。

 

「………ふっ。彼らの顔はここからは見えんが─────」

 

 

───今、どんな顔をしているのかは手に取る様にわかるな。あれは───

 

 

 

 

 

悠然と空を漂っている。

 

 

描かれた三人の笑顔が、今の香風達を示す様に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




感想、お気に入り登録、評価ありがとうございます。

前話の反動が大きすぎて速攻次話投稿してしまいました。

反省も後悔もしていない。


バニーガール恋の元ネタは真恋天下からです。



それでは皆様、良いお年を。


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File№07

新年あけましておめでとうございます。
今年一年もよろしくお願いいたします。






ま、新年始めはね?


始まります。
(追記:誤字報告ありがとうございます)


涼州は内外から敵の対処に迫られている。

それは内側で発生した賊の討伐という意味であり、北や西から攻めてくる五胡と呼ばれる軍勢達からの防衛という意味である。

 

異民族の侵攻については董卓軍だけでなく、大陸において有名な馬騰率いる一派も対処している。

だがそんな彼女達とはいえ、この広い涼州をカバーできる訳ではないし相手も考え無しではない。

防衛がいないところを突いて侵攻、というのは往々にしてあるものだ。

 

そういう穴を防ぐのが董卓軍である。

 

今までは華雄・霞・恋という三人の武将でカバーしていた。

だが外だけでなく内側もとなればとてもじゃないが手が足りず。

そして軍師として全体指揮をとれるのが詠とねねの二人だけ。

これではいくらメインの馬騰一派が抑えているとは言っても、いずれボロが出るのは明確だった。

 

だからこそ趙雲・戯志才・程立・香風そして灯火らが客将とはいえ参戦してくれたことに大いに喜んだ。

特に内政を含めた全体指揮を実質的に取っている詠の心労はかなり抑えられたことだろう。

 

そして現在。

人数も一時的にとは言え増えた事で精神的にも身体的にも時間的にも余裕が出来た詠は、現在内政に取り掛かっていた。

なにせ人が増えたと言っても一時的なもの。いずれは客将である彼らはこの地を去る事になるのだから。

 

そんな事でつい先日、月を含む六人で内政について話し合った。

現時点で噴出している問題点や改善策、今後を見据えた内政案。

客将の三人にも入ってもらい、よい意見を貰えればと思って始めたモノだったのだが。

 

「………“学校”、ね」

 

灯火が提案した“学校”なるモノを改めて考える。

説明は聞いたし、目的も聞いた。

 

それは明日生きる為の知識を得る為の場所。

 

「月は灯火の説明を受けたとき、凄く喜んでたわね………」

 

自分の君主であり親友でもある月。

この時代において豪族として生まれ、自分にできるならとこうして街を治めるまでに至った。

その心の優しさ、そしてその芯の強さを詠はきっと誰よりも認めている。

そしてそんな彼女が今、乱れつつある漢の情勢を憂いている事も知っている。

 

だからこそ。

『賊をどう討伐するか』ではなく『そもそも賊が生まれない様にするにはどうするか』を提案してきた灯火に、月は感銘を受けた。

その提案が今までに聞いた事の無い提案だったから、自らがどうすればいいのかと悩んでいた問題の、その解決へと繋がる一つだったから。

故に月はあれだけの笑顔だったのだろう、と今になって思う。

 

民全員が必要最低限の教養だけでも受ける事ができれば、文字が読めない事で騙される事もないし。

数字が読めない事で商人に不当な金で農作物を買い取られる事もない。

伝聞頼りの農政だって個々人が書物を読めるようになればより安定した農作物を作れるだろう。

農作物が豊になるということはそれに伴い税収が増える。

税収が増えればそれだけ民の為に道路整備や建物の補修などに金を使える。

 

加えて文字が読めるようになるという事は罪を犯した際の罰則規則の文も読めるということ。

そうなればいざ邪な考えが脳裏に過ったとしても踏みとどまるかもしれない。

もっとも、悪意ある者はその限りではないが。

 

「ボクの意見もちゃんと聞いてくれてたし………」

 

けれど詠には心配があった。

それは教養を受けた者が必ずしも善人になるとは限らない事。

知識を付けた事で悪いことを考えるようになる人物はいるだろう。

その場合、その悪しき知恵が月へ向かわないか、と思った。

 

「………このボクの考えも、元は漢の腐敗が原因、か」

 

自嘲気味に笑う。

ほとほと朝廷共の腐敗っぷりには辟易していたが、自分もまた多かれ少なかれ毒されていたということだ。

 

「───ダメダメ、暗くなる暇なんてない」

 

灯火が出した案は複数あったが、どれもこれも一朝一夕で為せる事ではない。

知識を得られるには時間がかかるし、そもそもそんな金を先に用意する必要がある。

学校以外にも街の防衛計画と称して外壁の更に外側に濠を作るなんて事も案として出していた。

 

「資料だってこの時の為に作ったみたいなモノを渡してくるし」

 

現代においてプレゼンテーションなんてものは社会人であれば規模の大小こそあれど大抵の人は経験することである。

単純にそこで培った経験をそのまま流用しただけなのだが、詠がそれを知る事は無い。

 

都で役人を、しかも上から煙たがられていながらなおその地位に居座っていた、『聖人』の一端を垣間見た気がした。

本人がそれを聞けば十中八九顰めっ面になるだろう。

 

「………恋で釣ったら仕官してくれたりしないかしら」

 

 

 

 

涼州はその立地上、五胡と呼ばれる蛮族達の侵入がされやすい場所にある。

五胡の中には妖術を扱う者がいるという嘘か真か分からない噂があるが、今はまだその域から出ていない。

 

戯志才、程立、趙雲、そして香風。

隊を率いる技量を持つ二名と策を授けられる二名がいることで、五胡討伐の軍編成の自由度は格段にあがる。

度々の同じ防衛戦で戦った仲であるが故、香風自身の性格もあって四名は真名を交換していた。

 

「空を飛びたい、ですか」

 

「なかなかぶっ飛んだ夢を持ってるじゃねぇか」

 

稟に合いの手を挟んだのは(ふう)の頭の上にいる宝譿である。

宝譿がしゃべっている間、(ふう)の口が僅かにもごもごと動いているのだが、気付いていても指摘しないのがお約束。

なお、指摘したところで何事も無く流されるので、指摘するだけ無駄だったりする。

 

「うん。だから今は『凧』で鋭意、とっくんちゅう」

 

初回こそ凧揚げに手間取ったものの、流石は武人とも言うべきか数度手解きすると一人で凧を上げられるようになった香風。

今は凧から受ける風の強さを元により高く上げる事は勿論、風の許す範囲で自分の飛ばしたい方向への操作を練習している。

 

凧と聞いて三人は香風が以前見せてくれたモノを思い出した。

香風とねね、恋が簡素ではあるが布地に描かれた、糸をつないだ物体。

あれで風が吹いている時という限定ではあるが、空へ飛ばすことが出来るという。

目の前で香風が見せてくれた時は驚いた。

 

「私も凧を始めて触ったが、思いのほか『風の力』というのは強かった。………恐らく香風に見せて貰わなければ一生知る事は無かっただろう」

 

良い経験だったと話す星に、香風も同意する。

香風一人だけではその力を感じる事はできなかっただろうし、そもそも鳥の様に飛ぶには鳥と同じように手をぶんぶん振るくらいしか方法は思いつかなかった。

 

「そういえば香風は莫殿のことを“兄”と呼んでいますが、実際血が繋がっている訳ではないのでしょう? なぜ“兄”と?」

 

「義兄妹の契りを交わしたのです?」

 

以前から疑問だった呼び方について稟と(ふう)が尋ねた。

彼女らも件の男の性格は日頃の接触で把握しているため、呼び方を強要している訳ではないというのは感じていた。

 

「うーん…………さぁ?」

 

「さぁ、って………」

 

視線を逸らして恍けた香風に三人は苦笑い。

契りの様な明確な契機があったわけでも、そう強要されたわけでもなさそうだというのは彼女の顔を見てわかった。

 

「何かそれらしい理由はないのか?」

 

「理由………」

 

茶を啜りながら思い出してみる。

一番初めに出会った時は少なくとも“兄”としては呼んでいなかった。

かといって灯火が『兄と呼べ』と言ってきた訳でもない。

気が付いたら香風が『お兄ちゃん』と呼んでいた。

 

「都を出る時には既に『お兄ちゃん』と呼んでいたのであれば、都で一緒に居た時の事を並べてみてはどうでしょう」

 

(ふう)の言葉を受け、都に居た頃を思い出す。

 

一緒に役人の仕事をした時は、疲れ果てた自分を気遣ってくれた。

片づけるのが嫌になる様な役人仕事を時には手伝い、時には終わった後に労ってくれた。

遠征から帰ってきた時は『おかえり』と迎えてくれた。

一緒にご飯も食べたし偶さかの休日も共に過ごした。

最後は一緒の家で生活していた。

 

そこまで思い出して、共通している事を見つけた。

 

「お兄ちゃんと一緒にいると、心がポカポカする」

 

これが理由なのだろうか、と内心首を傾げる。

 

「都に居た頃は、自分の身は自分で守らないといけない。誰が敵で誰が味方かわからないところじゃ、自分しか信用できなかった」

 

思えば出会う前まではずっと息苦しかった。

心休まる日なんて一日も無く、隙を見せない様に常に気を張り続けた。

仕事途中のちょっとした眠気によるウトウト状態ですら許されなかった。

 

「けど、お兄ちゃんと出会ってからシャンは一人じゃなくなった。一緒に色んな事をして、見て、食べて、過ごして。お兄ちゃんが傍にいると、シャン、すごく安心できた」

 

けれど、と思う。

では安心できなくなったら『お兄ちゃん』ではなくなるのか、と。

それは違う、と心の中で否定する。

 

「うーん………お兄ちゃんって呼ぶのが、一番しっくり………」

 

分かった様な分からない様な。

香風にしてみれば元々そこまで深く考えた事は無く、考える必要性も感じなかった。

これでいいやと納得した様に茶をゆっくりとすすって自己完結した。

 

が、そのもはや独り言とも言うべき香風の言葉は、同じ卓を囲っていた三人には聞こえている訳で。

しかも香風が自己完結してしまった所為で三人は断片的な情報からしか推測できない。

 

「香風、それって───」

 

「稟、それ以上は野暮というものだ。その先は我々が口にすることではないだろう」

 

「そうですよー。まったく、稟ちゃんは妄想力だけは人一倍なのですから」

 

二人に釘を刺された稟は渋々と口を閉ざした。ついでに余計な一言を付け加えた少女を睨む。

幸い香風はそれについてさして気にしてもいない様子だったため、この話は三人だけに留まる話となった。

 

「にしても、空ですか。普通ならば飛びたいと思っても“思うだけ”で終わりそうなものですが。莫殿は香風の『夢』に対して『できる』と答えたんですよね」

 

「そう。お兄ちゃん、シャンの知らない事をいっぱい知ってて実際に見せてくれた。竹とんぼ、とか、紙ひこうき、とか。後はてんとうって言うのも」

 

「なんと。『凧』以外にもあったのか?」

 

「うん。どれも初めて見たし、どれも空を飛んでた。簡単なモノからちょっと準備がいるモノまで。それでその中には一つも鳥みたいにバタバタしてるものがなかった」

 

その言葉に驚きを隠せない三人。

普通香風の『空を飛びたい』という願いを聞いた所で、『ではどうするか』という具体的な例を示す事すら困難だ。

星は勿論、稟や(ふう)でさえ真剣に考えて方法を提供しろ、と言われたところで不可能なモノだ。

それを一つ提供するだけでもすごいことなのに、あろう事か二つも三つも香風に見せたという。

 

「ごちそうさま。それじゃ、お兄ちゃんのところに行ってくるけど、みんなはどうする?」

 

「ああ。私達はもう少しゆっくりしておく」

 

「わかったー」

 

小柄な彼女の背を見送ったあと、三人は改めて思案顔になる。

内容は勿論件の男のことだ。

 

「………香風のお兄さんは、一体どこでその知識を得たのでしょうか」

 

(ふう)の中で何かが引っかかっていた。

彼女もまた知識は豊富で様々な文献には触れてきた。だがその中に一つとして『空の飛び方』なる書物など無かった。

無論自身が知っている事全てがこの世のすべてなどと言うつもりは無い。

それを差し引いてもこの場にいる三人が全く知らないというのはあり得ない。

 

「そうですね。『人が空を飛ぶ』というのは大偉業です。もし過去に誰かがこの大陸でその偉業を為していたのであれば、それが書物に残っていないなどは考えられない」

 

「だが今の時点において私も稟も(ふう)も。誰一人としてその様な書物を見た・聞いたという話は聞かない。………となれば、その『空を飛ぶ』というのは莫殿が一人で考案したモノ、ということか?」

 

「考えられるとすれば、そうでしょう。ですがそれほどの大偉業を都の政務片手間に出来る事か、と問われれば………」

 

「否ですよ~。流石にそこまで簡単なハズがありません」

 

その言葉に星も稟も頷くしかない。

多少の手間事であればまだしも『空を飛ぶ』という偉業を片手間というわけにはいかない。

 

三人の間に沈黙が流れる。

初めて出会った時も此方の事を知っていた様に話していた。

誰も聞いたことがないようなことを知っているし、空を飛ぶ方法すら知っているらしい。

 

「案外どこからも知識を得ていなかったりするのでは?」

 

頭の中で考えた結果、ふとそんな言葉が出てきた。

 

「? どこからも知識を得ていない、というのはどういうことですか、(ふう)

 

「言葉通りなのですよ。香風のお兄さんは別にどこかで書物を読んだわけでも、自らその知識を開拓した訳でもない、ということです」

 

「では何か。莫殿は最初から『空を飛ぶ』という方法を知っていた、というのか?」

 

「現状ではそう考えるしかないですね。もしくはお兄さんが超人染みた要領の良さを持っていて、都の仕事の片手間に『空を飛ぶ』という大偉業を手掛けているかのどちらかでしょう」

 

「………まだ後者の方が考えられますね。流石に『最初から知っていた』というのは少し納得しかねます」

 

稟の呆れた言葉と共に自然解散となった。

星も一種の冗談だと思っているらしく、大して気に掛けていないようだ。

 

「……………」

 

ただ一人以外。

 

 

 

 

城の中庭に来ていた。

きょろきょろと視線を動かしてみれば長椅子に寝転がる人物を見つけた。

 

「灯火さん」

 

「ん………月か」

 

昼寝をしていたのか薄く目をあけた灯火が体を起こした。

あくびを噛み締める姿を見て少しだけ罪悪感が募った。

 

「すみません。起こしてしまいましたか?」

 

「いやいいよ。それで、何か急ぎ?」

 

「いえ、急ぎというほどではないのですが………、少しお話したくて。よろしいですか?」

 

「俺はいいけど、その前に。それは俺一人の方がいい? それとも誰か一緒でも?」

 

「え? 私は特にどちらでも大丈夫ですが………」

 

「そう」

 

そういって目線が月の後ろに向けられるのを見て合わせて振り返る。

 

香風がそこにいた。

手招きに合わせぴょこぴょことやってくる姿は小動物のよう。

 

「お兄ちゃん、今大丈夫?」

 

「大丈夫」

 

「ん、よかった」

 

灯火を挟んで月とは反対側に座った香風がそのまま体を預けてきた。

頭を撫でる様子を微笑ましく月が見つめる。

 

「ん? 月もご所望か?」

 

「へっ? えっ、あ、違います。仲がいいな、と思って………」

 

「それは残念。 あぁ、けど月の頭を撫でたら詠がすっ飛んでくるか」

 

冗談か本気でそう思っているのか、そんな灯火の言葉に小さく笑う。

一息ついたところでお互いが長椅子に座り、何事もなく庭師が丁寧に手入れした木々花々を眺めていた。

 

「灯火さん、この間はありがとうございました」

 

「この間? 何かしたっけ」

 

「はい。文官で集まった際の内政について、です」

 

内政、と聞いて思い出す。

その記憶は残っているし、そこでやたらめったら月が笑顔だったのは覚えている。

終わった後は別の予定が有りあまり話せなかったが、お礼を言われたのは覚えていた。

 

「いや、別に礼を言われるような事はしてないつもりだけど」

 

「そうかもしれません。ですが私がそう思い、感じたから。お礼を言いたいと思いました」

 

「それなら改めてどういたしましてと言っておきますよ。───して、月は大層喜んで俺の提案を肯定してくれてたけど、何がそんなに気に入った?」

 

灯火からしてみれば現代システムを可能な限りこの時代に合わせた形にマイナーダウンして提案しただけだ。

それでもこの世界の住人にしてみれば画期的に見えるあたり、時代の流れは凄いなと他人事の様に考えていた。

 

「全部です」

 

「………全部」

 

「はい」

 

きっぱりと満面の笑みで言うものだから何とも言えない。

確かにあの提案をした際に自分の考えも織り込んで伝えたのは事実。

その中には若干希望的観測も含んでいたが、決して不可能なレベルではなかったハズと今でも思っている。

頭を悩ませるとしたら初動に必要となる資金集めくらいだろう。

もっともそれもあの場で提案していないだけであり、いくつか見当はつけていたのだが。

 

「………民は農業で命を繋ぎ、税を納め、今を懸命に生きている。そんな人達が集まって出来上がったのがこの街です。活気があって、皆が生き生きとしている。勿論中には喧嘩をしたり、というのもありますが、皆笑って暮らしている」

 

瞼を閉じてみれば街中の光景が目に浮かぶ。

笑い合う顔に客寄せの為の声。それらはいつか月が夢みた光景のそれと同じだった。

 

「けれど、外に目を向ければ民は重税で日々の生活すらままならず、賊に身を落とし、他者から略奪を行っている。………元は同じ民なのに」

 

賊を討った。

民を守る為に、賊に堕ちたどこかの民を討った。

守った民には感謝され、穏やかな平穏が戻ってくる。

 

一方で討った賊は?

 

「私は豪族に生まれ、勉学し、今こうしてこの街を治めています」

 

人は言う。

賊になった奴が悪いと。

 

確かにそうだ。犯罪に手を染めていい理由はない。

他者が生きるために懸命になって耕した田畑を荒らし、人を殺し、略奪していい筈が無い。

罪には罰を。故に討たれる事は必然。

 

だが言うまでも無く、賊とは民だ。民が堕ちたものが賊だ。

 

ではなぜ民は賊へ堕ちた?

純粋な悪意を以て賊へ自ら堕ちたのなら関与はない。

だが賊の全てがそうであるのかと問われれば、月も、灯火も否である。

 

「豪族の身である私に出来る事があるなら、その思いで漢に仕えました。………決して、賂を数える為に仕官したのではありません」

 

語調は強い。

灯火や香風はほとほと辟易し都を離れ、月は強い不満を抱えながら朝廷と自らの街を行き来して政務に励んでいる。

逃げた者と留まっている者、それを糾弾したいのではない。

 

「灯火さんが提案してくれたものはどれも私が望んでいたモノです。“そもそも賊にさせない体制”作り。───灯火さんもそれを思っての提案だったのではないですか?」

 

「………まあ、否定はしない。けど、あれはあくまでこの街での話だ。都でやろうとは俺も思わない。そもそも許可される筈もないからな」

 

そもそも今の漢では難しいだろう、というのは提案時にも伝えた事だ。

目の前の彼女が治める街内でひっそりとやる分にはきっとうまくいく。

しっかり統治されているし都の民の様にこびへつらう様な顔はしていない。

 

「そうですね。───ただ、それでも思うんです。きっとそれが実現できれば、後の世に光を照らす事ができると。………私も詠ちゃんも、灯火さんの様な内政案は出せませんでした」

 

やはりというか。

どれだけ頭脳明晰であっても、大元の知識が異なれば提案とて異なるということだろう。

そういう意味では詠や戯志才、程立でも思いつかない案だ。

 

「私はこの乱れる世を何とかしたい。今はその方法は思いつかないけれど、いつか灯火さんの案を実現したいと、そう思ってます」

 

「それはこの街だけに、という意味では無くて?」

 

「はい。結局、どれだけこの街が良くなろうとも、他からの賊がやってきては意味がないですから」

 

その通りだ。

いくらこの街、ひいては涼州内の治安が改善され賊がいなくなったとしても、隣の州から賊がやってこない訳ではない。

むしろ豊かになるにつれて賊がこの街を標的にして次々やってくるかもしれない。それでは意味が失われる。

 

 

「ですから────灯火さん、そして香風さんも。………客将ではなく正式に仕官してはくれませんか」

 

 

そんな思いもよらない言葉に灯火も香風も驚く他なかった。

将とはいえ客将。恋といくら身内の関係とはいえ、まさかこの街トップの人物から直々に仕官の誘いがあるとは流石に考えなかった。

 

「………驚いた。まさか話というのが勧誘話だったとは」

 

「シャンもびっくり」

 

灯火の膝枕の上でウトウトとしながら聞いていた香風もこれには目を覚ました。

まさか彼女から直接勧誘を受けるとは香風も思っていなかった。

 

(けど………)

 

ウトウトしながらも月と灯火の話は頭に入っていた。

そこで感じていた一つのこと。

 

「けど、月さまの言う事も、分かる気がする」

 

「え?」

 

「そうなのか、香風?」

 

灯火も月も香風の言葉に目を丸めた。

 

「月さまは、今の漢の情勢を何とかしたいって言った。────けど、月さまだけじゃ、その『何とか』が分からなかった。………シャンはお兄ちゃんが出てた会議には出てないから分からないけど、お兄ちゃんが言った内容は月さまのその『何とかしたい』っていう“夢”に近づけるものだと思ったんだよね」

 

膝枕されながら、というなんとも言えない状態で話しているが、その表情は真剣だ。

その雰囲気を感じた月もまた真剣な表情で肯定する。

 

「シャンも同じ。………シャンの“夢”は『空を飛ぶ』こと。でも、シャン一人じゃ“飛びたい”と思っても、その方法も何もかもわからなかった。けどお兄ちゃんがシャンの“夢”を叶える事が出来るって言ってくれて、見せてくれて。シャン、すごくうれしかった」

 

今でもその光景は忘れない。

その感動も忘れない。

 

「だから、月さまのそういう気持ちはよくわかる。自分だけじゃどうしようも届かなくて、けどそれを助けてくれる人がいたら………きっと手を伸ばしたくなっちゃう」

 

目を瞑れば色を伴って鮮やかに思い出せる。

自然と笑みがこぼれ、穏やかな表情で灯火の顔を見上げた。

きっとどれだけ月日が経ったとしても、あの日の出来事は鮮やかなまま忘れる事はないだろう。

 

「………香風は月になら客将ではなく、仕官してもいいと、そう思ってるのか?」

 

「うん。月さまの事は見てきた。都で見てきたどの将達よりもずっときれい。………お兄ちゃんが仕官するなら、シャンも異論ない」

 

ふにゃりと笑い、そう締めくくった。

頭を撫でられながら気持ちよさそうにウトウトする、そんな香風を見て月も穏やかに笑う。

言葉で説明をされればなるほどその通りだ。

 

「勿論この件は拒否もできます。無理矢理にでも、という訳ではありませんから」

 

今の香風の言葉でもわかったが、結局それは月側の要求だ。

意訳すれば夢の為に貴方の力を貸してほしい、という意味であり決して無理強いさせたくはない。

 

「……………はぁ。まったく─────内向きなのか芯が強いのか。いや、それが月の良いところか」

 

そんな月を見て特大の溜息をつき、と思えば月の頭を優しく撫でた。

苦笑しながら視線をやれば

 

「へぅ………」

 

頭を異性に撫でられるというのは経験がないのか、頬が赤く染まっていくのを見て薄く笑い、手を引いた。

こういうのを見ると本当に内向きな性格をしていると実感する。

 

「………ここに仕官したのも、今香風が言った『空を飛ぶ』って願いを叶えるためだ。別に月の所じゃなきゃダメっていう訳じゃないけど、逆に他の所じゃなきゃダメってわけでもない。───まあ、なら。そこまで俺を求めてくれるというのであれば、答えないのは男じゃない」

 

「………!で、では」

 

「そうだな。香風と俺。客将から正式に仕官ということになる。………董仲穎様、貴女の夢が叶うよう出来る限り力添えさせて頂きます」

 

「いただきます」

 

のんびりした声が後に続く。

どちらもが柔らかく笑顔で月の想いに答えた。

 

「ありがとうございます………!」

 

自然と、月にも笑顔があふれていた。

 

 

どうにかしたい、どうにかしよう、どうすればいいのか。

 

そんなことを考えては、いつまで経っても出てこなかった答え。

その一端とは言え道筋が見えた。

 

踏み出せなかった一歩を、明確に踏み出せた気がした。

 

 

 

(………さて。どうするか)

 

本格的に寝入った香風と、手をつないだ月を感じながら、一人。

ただ遠くを見ていた。

 

今まで、それこそ前世の時から流される様に生きてきた。

結果董卓陣営の一人として本格的に参戦することになった。

 

 

なぜ客将という立場だったのか。

 

 

単純に『保険』だ。

もし今後知っている通りの『反董卓連合』が出来上がった時、自由に動ける様に、と。

打算。

 

 

一方で、そんな軍に恋が、ねねがいる。

いざと言う時に客将という立場を理由に逃げ出せたか、と問われれば。

Yesという答えを出すのは難しいだろう。

 

自嘲する。

人間とはこういう生き物だと理解する一方で、だからこそ香風や月みたいに、『本気で夢を追いかける人』というのは眩しく見えた。

 

だから追い込んだ。

いつか来るだろう心の決心を、今決めた。

 

で、あれば。

 

(出来る限り、やってみるさ)

 

 

 

 

 

─────そうして長いようで短い時間が過ぎ、世に黄巾が現れるようになる。

 

 

 

 




次話から黄巾の乱編に入りまする。

あとあくまで「香風の話を参考にするのが」蒼天の覇王という意味であり、必ずしも魏ルートになるとは限らないです。(ならないとも言っていない)

つうか今現時点でもろに魏ルートじゃないですしおすし。



お気に入り登録、感想、評価ありがとうございます。
今年一年もどうぞよろしくお願いいたします。


(追記:誤字報告ありがとうございます)


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Chapter 02 黄巾の乱
File№08


本日1つめの投稿。

2つめはこの後投稿致します。



炎蓮さん実装おめでとう!(遅)



始まります。

(誤字報告ありがとうございます!修正しました)


涼州はこの大陸の北西に位置する場所である。

 

遠いところではひたすら北西へ伸び、大よそ同じ大陸・同じ涼州とは思えない光景が広がっている。

その所為で『涼州は田舎』という呼び名が都で言われる所以の一つである。

 

また同時に陰で『涼州は流刑地』とも称されていたりする。

北東の幽州同様………いや、幽州以上に五胡の侵略行為が激しい地域だ。

そんな場所に都の役人や将達が望んで志望する事はない。

だからこそ、何かの罪に対する罰として、流刑地に選ばれる事がある。

 

そんな地で。

 

『ワインとかマジかよ。こっちは夜光杯に………なんだこの生地。ホントこの世界衣服の類だけは現代と遜色ねぇな』

 

改めて己の世界の謎の発展に愚痴を零す男がいた。

 

灯火の案を月と詠が吟味し、調整を加えたうえで実行することになった街の内政。

だが、例えば“学校”。これは豪族など資金力のある者達の子が通う私塾とは違い、お金に余裕のない農村部の人たちに読み書き計算や農学を教える施設。

それは誰か一個人のモノではなく、強いて言うならばこの街を治める月の、広域の言葉を使うなら公的施設だ。

当然私塾の様にお金を募って講義をしようとしたって農村部の住人が受けれるハズがない。

 

つまり“学校”を設立・運営するには纏まった資金が必要になる訳だが、現状そんな財源は流石に無い。

となれば当然元となる財源をどうするか、という話になり─────

 

『西側の連中と商いをすればいい』

 

という言葉が灯火から出る事になる。

元より現代ではこの今の涼州の位置は『シルクロード』と呼ばれた交易路上に存在する。

そのうちの一つ“オアシスの道”がこの涼州だ。

 

利用しない手は無かった。

 

無論当初は月や詠を始め、ねねや恋は勿論香風にすら疑われたのは言うまでもない。

彼女らからすれば今まで追い払ってきた連中と商業取引をすると言っているのだから、正気を疑うのは当然だった。

 

『なら聞くけど。俺達はいつまで五胡の連中を追い払えばいい? 相手が死ぬまでか、殺すまでか。或いはこっちが死ぬまでか?………ただでさえ昨今の内情も怪しいのに、いつまでも内外二面作戦なんて取っていられないのは詠もわかるだろ?』

 

無論相手が武器を突きつけて、或いは領地内の略奪を行う様ならば灯火とて容赦はしない。

今まで通り五胡討伐に乗り出せばいいだろう。

だが当たり前ではあるが、西域からやってくる人間全員が漢王朝の人間殺すべしと殺意全開略奪心全開の連中ばかりかと言われれば、そうでもない。

 

『………正直、かなり不安だけど。灯火の言う通りね』

 

分かりやすく交易する利点を説明し、詠は灯火を西域との交渉役に任命した。

 

だが流石に灯火一人では不安が過ぎる。

月も詠も大なり小なり関心を寄せている灯火が五胡に万が一殺されたとあっては収まりがつかなくなる。

 

『香風を護衛に付けるわ。武も申し分無いし、都で役人の仕事をしてたから、そういう取引の場もわかると思うし』

 

『うん。シャンは大丈夫。何よりお兄ちゃん一人じゃ心配だから、お手伝いする』

 

『………詠ちゃん。恋さんも連れて行った方がいいんじゃないかな』

 

『恋を? 恋まで同行させると残りを華雄と霞の二人で対応しなくちゃいけな─────』

 

月の言葉を聞いた詠が否定的な意見を出そうと恋の顔を見た。

そこにいたのは何か物凄く悲しそうな表情(見知らぬ人が見ても表情の変化はわからない)をした恋が詠を見つめていた。

 

─────詠が折れるのに時間はかからなかった。

 

そうして現在。

ねねを含めた四人は涼州最西端である敦煌にて西域の商人達と取引をしている。

商人に化けた侵略者に首を狙われたり、なかなか信用を得るのに苦労したりとあったが、護衛の二人によって今も無事生き長らえている。

侵略者に対しては凄然とした態度で討伐するが、本当に商売をするだけに来た者達とはしっかり話を聞き良い関係を構築する。

その結果今では西域の商人達の間では、商売したいのであればアイツに会え、という話が通っている。

 

なぜそうなったか。

西域の商人達は商人達で、売り出そうとしているモノの価値を理解しているからこそ売り出す。

対価として自分達の領土では手に入らない、もしくは自分達にとって希少なモノを欲しがっている訳である。

だが、そんな思惑も相手側が持ってきた物品の価値を正しく認識してくれなければ等価交換など望める訳が無い。

 

その結果がお互い粗悪なモノを売りつけようとする性悪商人ということで、より一層印象を悪くしていた。

 

しかしそれも無理の無い話だ。

なにせこの時代はテレビも無ければ電話も無い。西側から入ってきた品々の価値など分からないのが普通だ。

だからこそ、受け入れる側は疑い、西域の商人達が求める要求よりも下を提示する。

誰も見た事も聞いたことも無い物々に高い価値ある物品を交換として出すほど、漢の内情は温かくないのだから。

 

『これは………葡萄酒ですか?………かぁ~、まさかワインに出会えるとは』

 

が、ここに現代人が入ってくると若干変わってくる。

テレビによって世界の食材や品の知識は詳しくなくとも知っていたりする。

ましてや住処によって人種が違い、その違いによる体格の差など当たり前。言葉が通じないのだってそうだ。

それを知っているのが現代の“常識”である。

 

結果、西域の商人達が今まで出会ってきた者達の中で、“一番話が通じる人間”が灯火だった。

であれば商人達の間でこの男を相手に取引する、という流れが出来るのは当然だろう。

 

『お兄ちゃん、積み荷受け取り終わった。中身も確認して問題なかった』

 

『ん、わかった。─────それでは、本日はこれで。これからもお互い良い取引関係を築いていきましょう』

 

現代で培った接客をフル活用し、相手に悪い印象を与えないという技術はそのまま商人に転向してもやっていける。

というかそれを活かしてたからこそ、長安でも最悪の事態にならないように立ち回れたのである。

─────のだが、お忘れでは無いだろうか。

 

彼の嫌いなのは“接客業”である。

 

『………疲れた』

 

『お疲れ様です、灯火』

 

『……………お疲れ』

 

武だけでなく文も経験し、加えて都時代にも似た仕事を共にしてきた香風が同行してくれたのは本当にありがたかった。

残念ながら恋とねねではそういった手合いは出来ない為、香風がいなければ全部灯火一人でやる羽目になっていた。

 

商談をするのは敦煌で空き家となっていた家を購入し、改装したもの。

商人が去った後はすり減った精神をこうしてねねと恋、そして積み込み作業を終えた香風に癒して貰っている。

ある時はねねが入れた茶を啜りながら、ある時は恋の膝枕を堪能しながら、ある時は香風と一緒に何も考えずぽけーと空を眺めながら。

回復したところで月達が待つ街へ帰る、というのを定期的に行っていた。

 

が。

ある事件を切っ掛けに新たなメンバーが増える事となる。

それは─────

 

『いたぞ!五胡の連中だ!鶸、いくぞ!全軍、突撃ぃいい!!』

 

『ちょっと待て!俺は涼州の………話聞けぇえ!』

 

大雑把に言えば上記の様な事が起きた。

五胡と漢側の連中が密会を行っているという噂を聞きつけた守兵隊の馬超達が、現場取り押さえと言わんばかりに突撃してきたのである。

 

そうして始まる馬超達の電撃戦。

涼州の馬家は幼いころから馬と触れ合っており、馬術ならば誰にも負けないと豪語するだけの実力を有している。

そんな彼女達が馬に乗って電撃戦を仕掛けてきたとあれば、馬を下りて積み荷を確かめていた灯火達では即座に対応できない。

相手は馬に乗っている所為で、その騒音から停止の声も届かず接敵する事になった。

 

加えて灯火自身は本来装備している刀も恋に預けている。

ただでさえ今まで追い払っていた商人達と仲良くしようというのに、その自身が武器を携えていては話し合いもままならないだろうと配慮。

そして外敵がやってきても恋と香風がいるという油断も相まって、武器を手放していた。

 

『痛ぅ………!!』

 

咄嗟に後ろにいた西域の商人達を庇ったが、すれ違いざまに攻撃を掠めた。

 

『お兄ちゃん!』

『灯火!!』

 

騎馬隊を何とか防ぎ往なしていた香風と、恋に守られたねねが叫んだ。

 

相手は五胡を幾度となく退けてきた精強部隊。

事前準備の一つもあれば香風でも守る事が出来ただろうが、完全な不意打ちと相手の馬術、自分達は立ち止まった状況、そして思いもしなかった敵。

賊相手に百戦錬磨の香風とは言え、突撃の全てを往なしきる事はできなかった。

 

そういう意味では馬超達の作戦は完璧だった。

脳筋と言われているけれど、本当にただの脳筋なら五胡相手にずっと勝ち続けられるワケがないのだから。

ただ、その噂の真偽を確認しないまま突撃したのはやっぱり脳筋であり。

そして何よりも気付くべきだったのは─────

 

 

 

 

 

『───────────────す』

 

 

 

 

 

─────大陸最強の地雷を盛大に踏み抜いた事だった。

 

 

 

過程を語る必要はない。

恋、ねね、香風、灯火、そして西域の商人達は無事という結果が全てだ。

馬超側は“大陸最強”という名の意味を改めて知る結果となった。

 

同席していた西域の商人達の誤解は解き、そして突撃してきた馬超達の誤解も解いた。

なお、恋のその武の光景は商人達の間でも語り草となり、五胡側にまで名が知られることとなる。

 

『………ごめんなさい』

 

後日改めて馬超と馬休が城に赴き、謝罪をし和解となった。馬騰は体調が優れないらしく、文書での謝罪を月が受けた。

月や詠達も灯火や香風から報告は受けており、怪我をした本人も許しているということなので特に大きな揉め事も無かった。

 

以後五胡の討伐を含めた灯火の商談に馬超と妹の馬休も同席することとなる。

 

灯火としては“反董卓連合”の一員である馬超達が、偶然とはいえ月達と知り合う関係になったのは想定していなかった。

そもそも知識通り“反董卓連合”が組まれるかどうかは未知数だが、こうして交流を持っておくのはいいだろうと思ったのである。

それに。

 

『…………灯火』

 

『ひっ………、りょ、呂布』

 

『………? 恋は、恋でいい。灯火が真名を交換したなら、恋もそれで』

 

『あ、あはははは………そ、うだな』

 

条件反射的に灯火の後ろに隠れた馬超こと翠。

そんな一人で騎馬隊を蹂躙した(些細な)事など忘れたと言わんばかりに普通に接触する恋に、自身のトラウマになっている翠の調子は狂わされっぱなしである。

 

すれ違いざまに騎乗してた兵二人が気絶して落馬するとか、翠からしてみれば何が起きたのかすら分からないのである。

まあ通常でも一振りで十人単位の人間を吹き飛ばすからね、その子。

 

『(………翠のメンタルケアはするけど、これはこれで面白いな)』

 

空回りする翠と普段通りの恋。

その傍で妹の馬休こと鶸が苦笑いし、香風とねねは灯火の隣で商人達との仕事の取りまとめ。

 

『うん。あれはね、仕方ないよ。翠が失禁したとしても俺は笑わないから』

 

『い、言うなぁあああぁぁ!』

 

『姉さん………。いえ、灯火さん。見てた私も同じ事をされたらどうなっていたか分からないんですけど』

 

『だよな、鶸!あれは仕方ない………んだけど、うぅ~………!』

 

いつものメンツはどちらかと言えば全員静かなのだが、こういうのも悪くはないと思う灯火だった。

 

 

 

 

何もずっと涼州の最果て、敦煌に居る訳ではない。

初めの頃は交渉や打ち合わせと数日間ずっと出ずっぱりだったものの、相手側の商人と話が付く様になれば日を決めて会う事が出来る。

灯火側も西域側の商人達も、お互いずっと待ちぼうけ、というのは時間の無駄なのだから。

 

得た交易品は都を主としている商人達に売り払い、この街の財源の一部として機能し始めていた。

特に西域で作られた良質なワインこと葡萄酒や夜光杯など、如何にも上流階級が好きそうな品は少し高めに卸している。

 

そんな最中。

 

「灯火、入るわよ………って」

 

「─────」

 

書類片手に灯火の執務室に入ってきた詠。

来客対応用の長椅子に眠る灯火と、その対面席で代わりに書類仕事をする香風がいた。

始めは灯火一人で仕事をしていたが日頃の仕事と昼の陽気も相まって短時間だけ睡眠をとっていたところ、香風がやってきた次第である。

 

「…………」

 

そのすぐ後に無言で執務室の扉が開き入ってくるのは恋。

その後ろからねねも入ってきた。

 

「詠さま、恋、ねね。いらっしゃーい」

 

部屋の主が眠っているため、代わりに香風が出迎え。

ほんのりと笑って答える恋は、長椅子に横たわる灯火を見た。

 

「灯火………?」

 

「寝てる。シャンが来た時にはもう寝てた」

 

香風の言葉に頷いた恋が起こさないよう細心の注意を払い、灯火の頭を自分の膝の上に置いた。

俗に言う膝枕である。

 

「詠さまは?」

 

「ああ………ちょっとボクと月が朝廷に呼ばれてね。どうしても今日中に終わらせなきゃいけないのがあったから、お願いしに来たんだけど」

 

眠っている灯火を見た詠は少しだけ申し訳なく思う。

西域との商談成功に内政の提案に自身の補佐、“学校”に向けた準備に含まれる農政改革。

つい最近では豫洲に赴いたばかりだ。

 

「─────………ん、なら───そこの机に置いておいて。見とくから」

 

「あ、ごめん。起こしちゃったかしら」

 

「…………寧ろ職務中に惰眠を貪るなって注意しないのか。詠の声が聞こえてびっくりしたんだけど」

 

目を覚ました灯火が起き上がり詠を見る。

膝枕をしてくれた恋にお礼を言うのも忘れない。

 

「西に東に忙しいっていうのは知ってるからね。丸一日サボるなら流石に怒るけど、ちょっとした睡眠程度で怒るほど小さい器量じゃないわ」

 

「それは良かった。そういう詠は軍事方面や朝廷とのやりとりで苦労しているのは分かるけど、ちゃんと寝ているか?」

 

「寝てるわよ。何、眠そうに見える訳?」

 

「いいや。夜遅くまで詠の執務室から光が漏れているのを見るからな。夜更かしは美容の天敵だぞ?」

 

そんな言葉を聞き、僅かに眉間に皺が出来る。

この執務室の窓から詠の執務室は見えない。となれば必然目の前の彼は夜遅くに態々詠の執務室まで来ている事になる。

それがどういう意味なのか、という事はとりあえず考えないで別の話をする。

 

「………それは、ボクは綺麗じゃない、って言いたいの?」

 

「まさか。というかそんな事言うヤツが居たら、俺はソイツを指さして笑ってやるよ。お前の目は節穴だ、って」

 

その表情いつも通りで、しかしその言葉は遠回しに“詠は綺麗だ”と伝えていた。

 

「………ふんっ!褒めたって何も出ないわよ!はい、コレ!悪いけど、お願いね!」

 

手に持っていた書類を灯火の胸に押し付けた。

少し強引ではあったが、それに対して何も言わずに受け取った灯火は資料に目を通しながら伝える。

 

「詠、都連中(アイツら)の相手は大変だと思うけど何かあれば言ってくれ。手伝うから、無茶はするなよ」

 

「うん、シャンも手伝う。詠さま、もし何かあったら伝えてね。………シャンもお兄ちゃんにいろいろ相談したから、今ここにいるんだよ」

 

「………そうね。もし何かあれば、相談するわ」

 

相談してね。

その言葉が嘘でも偽りでもなく、純粋に自分を思って出た言葉だと分かる。

二人はかつて都の役人だったのだから、詠の苦労も理解できるのだろう。

 

「─────ありがと」

 

執務室から出る直前に小さな声で呟いて、そのまま部屋の戸を閉めた。

それに気付いたのか気付かなかったのか、灯火は書類に目を通すだけだ。

 

「………全く、詠殿も恥ずかしがり屋ですな」

 

香風の隣で同じように机に積まれていた書類に目を通したねねがそんな言葉を呟いた。

隣でうんうんと頷く香風も、その眼は書類に向かったままだ。

 

「ああ、それと三人とも。昨日は夕飯作れなくてごめんな」

 

「仕方ないのです。西の商人から始まり、馬超の件、東は豫洲の喜雨殿と農政談義。疲れている時は休むのですぞ。それに豫洲では灯火の美味しい料理を食べたのですから不満などある筈もないのです」

 

「………あの時食べた灯火の料理、おいしかった」

 

「確かに美味しかった。普段のお兄ちゃんの料理も美味しいけど、やっぱり食べ物が良いとより美味しくなる」

 

香風の言葉にウンウンと頷く恋とねね。

そんな会話が切っ掛けに、話は進展する。

 

「それにシャンはお兄ちゃんと色んな所に行けただけでも、じゅうぶんうれしいし、楽しかった」

 

「………恋も」

 

「ねねもですぞ。最初灯火に言われた時は驚いたのですが、いっぱい遊べたので満足です」

 

三人全員が少し前の出来事を思い出して笑い、それを見た灯火もよかったと改めて安堵する。

灯火の言った“きゃんぷ”とは何ぞや、と三人とも疑問符を浮かべていたが過ぎてみれば『いつかもう一回』と思っていた。

 

こんな賊が跋扈するご時世でキャンプ等正気を疑うのだが、そこは武力チートの恋と十二分に強い香風の二人。

結果論で言えば襲ってくる賊は居なかったが、居たとしてもすぐさま討伐されていただろう。

 

因みにお供する兵は居ない。というか要らない。

恋と香風だけで十分戦力オーバーだし、“馬超突撃事件(命名:灯火)”で反省した灯火もちゃんと武器は手元に残していた。

なおこの事件の命名をした時、当の本人である翠から少しばかり非難の声が出たのだが

 

『“アレ”よりマシだろ?』

 

という言葉に顔を赤らめて黙ってしまった。

なおこの事はあの場にいた灯火達しか知らない。西域の商人達もそこまでは確認できていなかった。

 

余計な気を使う人がいないこともあってか四人いつもの雰囲気での遠征だった。

 

お腹を空かせない様にと多めに用意した食糧。

だが約一名が大食いなため、現地調達が可能ならばしっかりとしていく。

野宿となれば四人が眠れる程度の小さな天幕を張り、付近に川があれば持ってきた竿で川釣り。

焚き木で火を起こし、灯火の料理に舌鼓を打ち、夜の星空を眺めた後に四人川の字になって天幕内で眠る。

風があれば香風の凧揚げをしたし、紙飛行機でどれだけ遠くに飛ばせるか競ったし、竹とんぼでどれだけ高く永く飛ばせるか、なんて事もやった。

 

香風達にとって天幕などちょっとした遠征でよく見かけるものだが、その大抵はどこかに攻め入る為の拠点となるところ。

こういう風に何も気負わずに、というのは中々ない。

 

今までやってそうでやっていなかったな、と思った灯火。

まあどうせ行くならこういう事してみようぜ、と画策してある程度余裕を持ったスケジュールを組み上げたのである。

 

無論この事は事前に香風達にも話していたし、月や詠にも話していた。

流石に軍の備品を使うので無断でこんなことをするわけにはいかないためだ。

が、聞いた詠は半分呆れていた。

 

『─────アンタ、豫洲に行って農業の話してくるのよね?』

 

『………いいなあ』

 

『月!?』

 

こんなやり取りがあった事を記載しておく。

 

勿論しっかり豫洲に赴き、今後の農業・農政に関する情報を集めてくるという目的は忘れていない。

 

喜雨………陳登の名前が出てきたのは香風が都時代に行っていた役人仕事の中に、農業に関する報告があったのを覚えていたからである。

農業に関して、と頭を捻った時、香風が書簡を思い出したのだ。

この時代の産業は紛れもなく農業。川や海が近ければ漁業もあるだろうが残念ながらこの地では多くは望めないため、力を入れるのは当然農政となる。

 

農民が農作物をより収穫するにはそれ用の情報を纏めた書物を読むか教わるかする必要がある。

が、教えて回るには手間も時間も人手も現状足りないし、書物を写本し配布しようも識字が低い農村部。

 

灯火発案・月が指導者となって詠とねねの四人で事前準備を進めている学校づくりが、その問題の解決策。

しかしこの学校を作る為にはお金が要り、お金を増やすには民から税を徴収するしかない。

税を増やすには農作物の改良が不可欠。その改良も識字率が低いため一村一村回る必要があり、手間も時間もお金もかかる。

以上のようなループが発生してしまう。

 

そんな事があったから灯火が西からやってくる異民族商人達と接触したり、全く以て自信がない前世の農業の知識を絞り出した次第。

特に農業に関しては前世ではほとんどノータッチ。

前世の祖母が農家だったのでその頃に見た物や教えてもらった物を朧気ながらに再現したものの、『実際どうなの』と言われると即答できない。

 

そこで出てきた恋姫農業改革者、陳登の名前。

『この時代の専門家にお墨付きを貰えばええやろ!』と、疲労の所為で若干テンションが高めになっていた灯火が月と詠の許可を貰い豫洲へ。

この言葉を聞いた霞が『ウチの真似か? 似てへんなぁ!』と笑いながら酒を飲み合っていたのは余談である。

 

同伴は香風・恋・ねね(いつもの三人)

西涼の件もあって詠も恋がついて行くのに何かを言う事もなかった。

 

『え? ボク宛てに………!?』

 

一方これに驚いたのは豫洲の陳珪と当人である陳登。

陳珪は豫洲沛国の相であり、陳登の母である。相とは言ってみれば王の代理人であり、もしかしなくてもトップクラスの人物。

 

そんな人物の元へ『娘さんと農業談義したいので今から会いに行きます(意訳)』という知らせが届いて驚かない訳がない。

まだ近場の苑州とかならわかるが、涼州からとなれば都を挟んで反対側だ。

しかも訪れる名の欄に呂奉先の名前があるではないか。

 

『今すぐ来る使者を調べなさい』

 

こう指示を出したのも無理はない。

ましてやその相手が自分ではなく娘というのだから急がせるのも必然だった。

並行して都でのコネを伝って調べてみれば『天下無双の武人・呂奉先とその専属軍師陳宮』、『賊退治の英雄・徐公明』、『長安の聖人・莫』という事が判明。

一応文官扱いの男がいるが、残り二人は完全な武人だし専属の軍師いるし、『あなたたち本当に農業談義なの?』と陳珪が訝しむのも無理はなかった。

 

なお、灯火が前世の記憶を頼りに作り出した千歯扱きや焼いて灰にして撒く刈敷など、『作ってみたけど、これ実際どう?』的な確認もしたかったのもあって会いに行った次第である。

 

『初めまして。私は董仲穎様に仕えております莫と申します。こちらは呂布とその専属軍師である陳宮、この子が徐晃です』

 

出会って話を進める中でそれらを見た陳登。

流石に刈敷についてはやってみないと分からないという事で涼州と豫洲でそれぞれやってみることになった。

千歯扱きについては…………

 

『物凄く便利。………けどこれ、脱穀を収入源にしている人達が反乱を起こしかねないよ』

 

という言葉を頂くぐらいには専門家の御眼鏡にも適っていた。

無論良かれと思った結果反乱を増長させては本末転倒のため、どうすれば農業に更に利となるか、という話し合いにまで発展することになる。

 

政治家嫌いな陳登、当初は聖人などと呼ばれていた(と聞いている)灯火を警戒していたものの、千歯扱きや刈敷という肥料など農業をより発展させる、陳登自身思いつかなかった案を持ってきた事に驚き、話を進めていくうちに自身の母親から感じる政治家像と結びつかなくなった。

気が付けば御供として同行していた三人とも仲良くなっていた。

 

一方で最早農業ではなく農政の域にまで話が進んでいるのを傍で見守っていた陳珪。

最初はそれとなく目を光らせて何か仕出かさないか見張っていたのだが、まるで見張っている此方が馬鹿馬鹿しく思えるくらい普通に農業に関する話しかしてこないのを見て、影に控えさせていた部下を元の仕事場へ戻した。

 

その過程で陳登も驚いていた千歯扱きや刈敷を見て同様に驚いたりもした。

そして同時に思う。

 

『(都での政策をいくつかまとめた書。疑っていたけど、本物かもしれないわね………)』

 

政治家という立場上、都との癒着もある分ちょっと手を入れて調べてみれば灯火が書き残したと言われている政策の書物の情報も簡単に手に入った。

結果として都の上役にとって諸手を挙げて迎える様な政策ではなかったため、日の目を見る事ないままお蔵入りしていたが。

 

『ああ、どうですか、陳珪殿。貴女もご一緒に食べられますか?』

 

思考に耽っていた時に食事の誘いを受けた。

一体どこからその話へ発展したのかと思えば、娘である陳登が作った農作物で料理をするとのこと。

護衛で一緒に来ていた恋や香風にねね、そして野菜の生産者である陳登が食事するのに、その母親だけ除け者は流石に出来ない。

ましてや沛国の相としてこうして都合をつけてくれた礼をという事もあって提案したのだった。

 

『………ええ、それではお願いしようかしら』

 

なお、その時食べた料理は政治家である陳珪を以てしても美味であると、そう絶賛するくらいには美味しかった。

 

『………態々遠路から。大変だったんじゃない?』

 

『ううん。“きゃんぷ”しながら来たから全然。………都の遠征はただ疲れるだけ。でもお兄ちゃんが考えた“きゃんぷ”は疲れるけど、楽しい』

 

香風の話の中に出てきた聞きなれない単語を尋ね、道中の事を陳登に伝える。

豫洲に向かっている間は香風も恋もねねも完全に仕事の事を忘れて遊んでいた為、長めの日程だったにも関わらずあっという間に感じたくらいである。

であれば話す内容も表情も、楽しそうに見えるのは当然だった。

 

それを聞いていた陳珪が思考の片隅で『農業談義するために来たのよね?』と改めて思うのだが、口に出す事はなかった。

 

最終的に陳登は恋や香風達と真名を交換するに至ったのである。

 

「それで、喜雨。貴女はどうする?」

 

「どうって………灯火さんの言ってた“がっこう”の講師のこと?」

 

「ええ。今はまだ体制づくりの真っただ中だから今すぐの話ではない、とは言ってたけど。………興味、あるんじゃない?」

 

「あるか無いかで言えば、あるよ。─────けど、まずは沛の農家をよくしていかないと」

 

「………照れなくてもいいのに」

 

まるで微笑ましいモノを見る様に笑う陳珪。

見られた陳登がむっと母親の顔を見るのは仕方のないこと。

 

「………なんで照れてると思ったのさ」

 

「喜雨が今まで努力してきた事が遠く離れた涼州にまで伝わって、貴女の意見を貰いにやってきた。………こんな時世、武勇で名を馳せる事は出来ても喜雨みたいに農業でとなるとそう簡単じゃないのよ? それがどういう事か、わからない貴女ではないでしょう。───それに、気が付いている?」

 

「………なにが」

 

「莫殿と農業や農政の話をしてた時の貴女の顔、随分と生き生きしてたわよ?」

 

「……………」

 

顔を母親から逸らして手元の茶を啜る。

自身の顔が生き生きしていたかどうかは別として、久しぶりに農政や農業についての話が出来たと思ったのは事実だ。

自身が農民らに農業を教える事はあっても、意見を交換してよりよくしていく、というのは滅多になかった………というか記憶にない。

もっぱら書物を元に試行錯誤を繰り返して独自で発展させてきた陳登だ。

新鮮味が有ったか無かったかと問われれば前者になる。

 

「まあ、向こうには大陸最強と名高い呂奉先殿や賊討伐の英雄と言われる徐公明殿もいらっしゃるみたいだし、そういう繋がりから見ても私は反対しないわよ?」

 

なんだかあの子達、莫殿に相当懐いているみたいだし、と付け加えた。

正直期待していなかったのだがそれを裏切る様な形で、様々な収穫があった談義。

灯火の人物像は勿論、武勇の噂ばかりが先行する呂奉先と徐公明の人物像も知れて、出会う前と今では全然印象が違っている。

 

「………母さんのそういう政治家みたいなの、ボクは考えたくない」

 

「ふふっ、ごめんなさいね。喜雨がそうであるように、私もまた政治家だから。まあ喜雨はしっかり考えておきなさい」

 

 

苑州から賊が入った………という知らせが陳珪に届くのはこの直ぐ後である。

 

 




感想・評価・お気に入り登録、ありがとうございます。



革命シリーズのキャラクター達はこれからも出てきます。
気になる方は検索してみてね。




お仕事が始まって更新速度は落ちますが、ゆっくり続けていきたい所存です。



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File№09

本日2話目。

まだ日付変わってないからセーフ。






始まります。


(誤字報告ありがとうございます!修正しました)


侵攻防衛線に賊の討伐。

加える様に西域の商人達との商談や新たな内政への準備、豫洲の喜雨との定期的な農業・農政談義。

 

非常に忙しくも都に居た頃では感じ得なかった毎日に、香風は一人心躍らせていた。

特に涼州最果ての敦煌への定期的な交易では、まるで灯火達と短い旅をしている様な感覚。(無論周囲の警戒は怠らない)

楽しくない訳が無い。

 

一時刃を向け合った西域の商人達とも今では商談を交わす仲だし、馬家の長女と次女である翠と鶸、馬家の城に赴いた際はその妹達とも出会った。

そこで出会った馬騰に何故か気に入られた結果、灯火、香風、恋の三人に三頭の馬が送られた。

どうやら五胡の一部の人間相手とは言え、商談するという提案をし、実現させた灯火の胆力や器量を認めたらしい。

 

今後も同じ涼州民として仲良くやっていこうと酒飲みをするまで至った次第だ。

 

また西域との商談は馬家だけではなく、香風自身にも思わぬ影響をもたらした。

 

『香風、ちょっと時間大丈夫か?』

 

灯火が“武もこなせる文官”と称するのであれば、香風は“文もこなせる武官”と称する事が出来る。

 

軍の再編で新設された徐晃隊の練兵が終わった後は、基本的に灯火の仕事の手伝いをしていた。

残念ながら戯志才や程立、趙雲達は既にこの地を離れており、文官は再び詠、ねね、灯火の三人に戻ってしまっている。

加えてねねはどちらかと言えばあまり喋らない恋の補佐に徹する事が多いので、実質的には詠と灯火の二人となる。

 

『うん。シャンもお兄ちゃんのところに行こうと思ってたから。何か問題?』

 

『いや、仕事の話じゃないんだ』

 

『………??』

 

香風の首を傾げる姿に薄く笑った灯火は、一言。

 

『─────空を飛ぶ。その実験をしてみないか』

 

そう言い放った。

 

それを聞いて香風が驚かない訳がない。

大きく見開いた瞳には星すら見えるほど輝いていた。

 

「~~………♪」

 

答えは勿論Yes。

これがここ数日香風の気分が最高潮な理由だ。

 

『依頼自体は西域との交易をし始めた時にしていた。向こう側の持ってくる生地を見た時に決めたんだよ』

 

どうやら西域から取り入れた布生地がかなり良質なものだったらしく、その生地と設計図を元に服屋に依頼を出していたらしい。

その服屋というのは香風達のバニーガール衣装を購入した店である。

この街では指折りの技術を持っているというのは、あの衣装からしても十分に分かる話だった。

 

『耐久実験は霞や恋にお願いして、既に何度か行ってる。幾度の実験を経て十分な確証を得られたからな。次はいよいよ、って言う所だ』

 

霞や恋が灯火にお願いされて何かをしているというのは知っていたが、それがまさか自身の夢の為の実験だったとは思わなかった。

感極まって灯火に抱き着きながらお礼を言った香風。頭の中は既にワクワクでいっぱいである。

 

『………しゃんふーと、灯火。恋も手伝うのは、あたりまえ』

 

『ええって、ええって!ウチも最初灯火から聞いた時は驚いたけどな、そんな楽しい事に関わらん方が可笑しいやろ!』

 

手伝ってくれた恋と霞にもお礼を言うのは忘れない。

 

実験名『ぱらぐらいだー』。

それが香風に聞かされた、今回の実験に使うモノである。

モノ自体は既に完成しており、灯火とねねが最終チェックをした後、香風にお披露目。

詳しい説明を受けた後に場所を街の外にある小高い丘へ移し、そこで行うらしい。

 

『本来は山の斜面から使うモノだけどね。流石に万が一の事があってはいけないから、そういう意味でも先に小高い丘で実験するんだ』

 

最終目標は山からの飛行との事。

どういうものになるのか、好奇心は止まらない。

 

そんな事もあり香風は文武共により一層やる気を出していた。

何なら灯火の仕事を代わりにやるくらいの勢いである。

 

そんな西域との交易が本格的になり始め、香風の夢もまた一歩前進し始めた矢先。

 

 

「………洛陽に?」

 

 

朝の評定に集った董卓軍の将達。

そこで告げられた詠の言葉だった。

 

「そう。『中郎将に任命する。朝廷へ赴き、天子様の下でその智武を揮え』ってね」

 

時折朝廷に呼び出される月と詠に護衛として霞や華雄がついて行く。

そういうのは過去に何度もあったが、今回のは全く違った。

 

「昇進話か。目出度い話だ、そうだろう霞」

 

純粋にその報告を聞いた華雄が称賛する。

 

その言葉に肯定するも霞は難しい表情を崩さない。

 

「中郎将、ねぇ………」

 

灯火は記憶の片隅から情報を引っ張りあげる。

 

中郎将とは皇帝が政務を行う宮殿を守る衛兵である「郎官」を率いる指揮官のこと。

つまりは皇帝直属のエリート兵士だ。

 

「普通に考えれば確かに出世おめでとう………って言うところだけど」

 

「うん。───シャンでもわかる」

 

もう一つの都、長安で働いていた灯火と香風からしてみれば『で、本音はなに?』と言うのは当然だった。

それは実際赴いた月や詠も分かっているし、その理由も分かっている。

 

「ここ最近、都付近で賊が増えて来ているんです。皇甫嵩将軍や盧植将軍達が奮起するも数が増える一方でどんどん収集がつかなくなって」

 

「戦力を増やすために僕達に声がかかった、ってワケ。ボク達は前々から朝廷にも出向いてたし、皇甫嵩将軍や盧植将軍とも面識があるからね。そういうのもあってか十常侍の一人である張譲から声をかけられたの」

 

それに、と詠が香風の顔を見る。

洛陽内で風に運ばれて聞こえてきた話を語った。

 

「都では香風を“英雄”扱いしてるみたい。もっとも、上の連中がじゃなくてそこに住まう民が、だけど」

 

「………シャンを?」

 

「ええ。………かつて長安・洛陽といった都周りに巣食う賊を一掃して、その時は確実に都に平穏を齎した。けど今は都にいる将軍達が頑張っても香風一人が討伐した頃とは雲泥の差。………そんな現状の嘆きから『あの頃はよかった』と回顧して“英雄”って噂が出回ってるみたい」

 

香風が都に居た頃は少なからず噂されることがあったが、“英雄”なんて呼ばれた事は一度もない。

故に今の都で自身が“英雄”と呼ばれているなど知る由もなかった。

 

「けど、あれはシャン一人じゃ無理だった。お兄ちゃんがいろいろ助けてくれたから出来たこと。………シャン一人の手柄にしたくない」

 

「それでも、民衆からすれば香風一人の功績なのよ。民は分かりやすい結果を享受する(・・・・・・・・・・・・・・・)。………文学を積んでいないなら、なおさらね」

 

詠の言葉に押し黙るも不満は隠せない。

あの時二人で駆け抜けた時間は彼女にとって大きな転換点だったのだから。

そして。

 

「………香風さんもお気づきと思います。都でそんな噂があるものだから、一層私に声がかかったんです」

 

月の言葉に香風は理解する。

 

今、都の治安は悪化の一途を辿っている。都に住まう上役としても流石にいい気分ではない。

 

そんな中で民が噂する“英雄”。ならそれを利用しない手はない。

彼女が賊討伐の為に再び都に赴いたとあれば、民は諸手を上げて喜ぶだろう。

民の意識の好転による不安不満の早期鎮静化、都防備の戦力増加、頭を悩ませる賊の討伐。

 

民が喜ぶのもあるが、上役も笑みを浮かべるのは間違いない。

民が欲している“英雄”を自分達の配下に置いている、と言うのは上役にとっても権威の誇示・実力の誇示が出来て手間が省ける。

 

「わかるで、香風。全然おもろない話や。民が今の都の連中じゃ無理だと悟って過去の思い出に浸かって今更勝手に英雄呼ばわり、それを利用して上の連中が香風を呼び戻すことで事態の鎮静化。したら香風を呼び戻したのは英断だったと威張れるし、もし仮にやけど失敗しても全部香風に丸投げや」

 

同じ武人として霞も眉間に皺を寄せる。

民が助けを欲しているというのは理解しているが、今になって香風を讃える噂が出始めるのは違う(・・)

そしてそれをただ利用しようとしか考えていない十常侍始めとした上役らについてはもはや話す言葉もない。

 

「ごめんなさい、香風さん。香風さんにとって決して気持ちのいい事ではないのは分かってます。ただ───」

 

「───いい。シャンも月さまが言いたい事は分かるし…………それでも、苦しんでる人を放っておくワケにはいかない」

 

視線が合う二人の目はお互い強い意思を垣間見た。

時間にすれば僅かな間だが、それでも『今の現状を放置するわけには行かない』というのはお互い共通する意見だった。

 

「話、戻すわよ。月が中郎将に任命された事でボク達は洛陽に行く必要がある。しかも今までみたいに定期的に通って、ではなくて向こうを主として、ってことになる。─────となれば必然的にボク達は洛陽に居を構える事になる」

 

「この街の軍をそのまま洛陽に、か? だとすればこの街の防備はどうなる?」

 

華雄の疑問に対し、詠もある程度は考えていたのだろう。

悩む様子なく頭の中にある回答を口にする。

 

「全兵を連れていく事はしないわ。流石に将である皆が残る訳にはいかないけれど。最低限必要な兵と文官を残して、残りは馬騰達に引き継ぐよう頼む必要がある」

 

「馬騰、か。なら、俺が行くよ。馬騰とは一度会ってるし娘の馬超達とは真名も交換してる。余計な話もなくて済むと思う」

 

「………そうね。ついでに西域の商人達との打ち合わせもしてきて頂戴。せっかく灯火達が頑張って進めてくれたのに、ここで終わってしまうのはダメだから」

 

灯火としてもここまで苦労して色々漕ぎ付けた商談。

幸いなのは商談の場に馬超と馬休も同席し始めていた事だろう。全くの初見で西域の商人達との会合になる事は無い。

 

「………流石にこの街で計画してた内政の数々を馬家に引き継がせるのは無理でしょうから、こっちはしばらく凍結ね」

 

「そうだね………。ごめんね、詠ちゃん、灯火さん、ねねちゃん。みんな頑張って色々してくれたのに」

 

「月殿の所為ではないのです。元はと言えば賊を今の都の軍だけで鎮圧できない向こうが悪いのです!」

 

「………ねねの言う通り」

 

ねねの言葉に全員が同意する。

それを踏まえた上で詠は香風を見た。

 

「向こうの連中は特に香風の帰還と活躍を期待してる。………別に思惑通り動く必要はないけど、都の民も関わってるとなると動かざるを得ない。なら─────」

 

「うん。大きく動いて突き破る。………もう煩わしいのはこりごりだから、シャンもお兄ちゃんも」

 

向こうは利用するつもりで香風を呼び戻したのであれば、それに応えよう。

ただし、向こうが想定する以上の成果を伴わさせてもらうが。

 

「となれば俺は必然的に香風の補佐になるか。………洛陽に行ってからは大立ち回りになるな、これ」

 

「お兄ちゃん、一緒にがんばろう。いざとなったら、お兄ちゃんはシャンが守る」

 

「大丈夫………恋もいる」

 

「ねねもいますぞ!」

 

自分よりも小さい身体である香風達がぐっと拳に力を入れるのを見て、顔が緩む。

 

「ああ、頼りにしてる。………ただ俺もお荷物になるつもりはないからな?」

 

「当たり前だ。初見とは言えこの私を一撃で行動不能にせしめた奴が、何を言っている。そもそも私は不意を突かれたとはいえ馬超に攻撃を掠められたのも許していないのだからな」

 

「というか、よーやく灯火も前線に立つんか。………そりゃあ内政案には驚かされるしそっちの才があるのはわかるけど、ウチらから見れば武の方もやっていけるんやで? それで荷物になるのは許さんで、灯火」

 

「………わかった。元より死ぬつもりも死なせるつもりも無いからな」

 

董卓軍屈指の武官二人にそうも言われると苦笑いしかない。

今では二人ともと酒を飲み交わすくらいには良好な関係を築けているが、やはり今でも灯火が『ただの文官』というのは腑に落ちないらしい。

 

「よし。それじゃ各人、洛陽に向かう準備を進めて頂戴。あんまり遅くなるとそれはそれで面倒この上なくなるんだから。この街に残す兵を選定した後に軍の再編を掛ける。洛陽には共に戦う事になる皇甫嵩将軍や盧植将軍達もいるから、洛陽についたらまた紹介するわ」

 

 

 

 

香風は一人城壁から街を眺めていた。

 

またあの魑魅魍魎が跋扈する魔窟へと戻る。

香風は知る由もないが、あの曹孟徳ですら好んで近寄ろうと思わない場所、と言えばその悪辣さがわかるというものだろう。

 

ここ数日の高揚気分は一気に醒めてしまった。

 

明日にはすぐさま馬騰らがいる城へ赴き、この街の警備と西域の商人達とのやりとりをしなければならない。

出会った当初こそ褒められた出会い方ではなかったが、その後は灯火も香風も良好な関係を築けている。

元より同じ涼州。断られる事はないだろう。

それ以外にもこの街に残しておく兵の選定、それに伴った全軍の部隊再編制。

 

恋の家のこともある。

今までは恋やねね、香風や灯火が帰っていたので動物達の餌や家の掃除が出来ていたが洛陽に移り住むとなれば此方の家の管理を誰かに頼む必要がある。

 

そんな慌ただしい日を過ぎればすぐさま洛陽に向けて出発。

 

とてもじゃないが、先日灯火と話した“空を飛ぶ実験”は出来そうにない。

それが何よりも香風の心を沈めていた。

 

「……………」

 

この街に来てからは楽しい時間ばかりだった。

 

灯火とは勿論、同じ家に住む恋やねねとの日常。猪突猛進な華雄や香風と同格の武を持つ霞。心優しき主の月にそれを支える詠。

同じ客将だった星達に最近では同じ涼州内にいる馬超や馬休達も知り合って、真名を交換した。

西域の商人達と商談するなど、香風では考えられなかった出来事だ。

都に居た頃は考えられない、騒がしくも穏やかな日常だったと今改めて思う。

 

「香風、ここにいたか」

 

「あ、お兄ちゃん。どうしたの?」

 

「それはこっちの科白だな。街を眺めてたのか?」

 

「………うん。この街に来てからいろいろあったな、って」

 

これも全て隣に立つ灯火が居てくれたから、と思うと自然と笑みが零れてくる。

 

城というだけあって、この城壁からは街を見下ろせる。

太陽はもう沈みかけで周囲は薄暗くなり、それに応じる様にポツポツと家の明かりが灯っていく。

こうして夜になっても家の明かりがしっかりとついていくのは、ちゃんと統治されているが故である。

 

「お城からこの光景を見てると、お兄ちゃんに見せて貰った“てんとう”を思い出して」

 

「ああ、なるほど」

 

確かに、と眺める光景を見て思う。

この時代に眩い街灯やらネオン煌めく広告に大量の光を放つ施設はない。

今広がる全ての明かりが電気ではなく蝋や焚き木から来る火の光。

夜が深まればいつか見た夜空に浮かんでいく天灯がそこにあるかのように見えるだろう。

 

「ごめんな、香風。空を飛ぶの、楽しみにしてたのに。せめてもう少し早く済ませてれば」

 

「ううん、それは仕方ないこと。お兄ちゃんはシャンの為に色々してくれた。それにお礼を言う事はあっても、お兄ちゃんを責める事は無い」

 

残念ではある。

落ち込みもした。

けれど、空を飛べなくなったワケじゃない。

ちょっと先延ばしになっただけだ。

 

ならこれ以上落ち込む必要はない。

早く都に行って賊討伐をして騒ぎが収まれば、またきっとすぐに機会はやってくる。

 

「お兄ちゃん、家に帰ろう」

 

「そうだな。今日は腕に縒りを掛けて作るから、お腹いっぱい食べてくれ。あの家で食べるご飯も最後だからな」

 

「うん。その後はシャンと一緒にお風呂に入ろう?」

 

「………香風がいいなら」

 

 

 

 

翌日。

灯火と香風は二人、馬騰治める金城の街までやって来ていた。

 

昨日の時点で今日伺うのは伝えていたのですんなりと城へ案内される。

のだが。

 

「…………?」

 

僅かな違和感を感じ取った。

どうやらそれは香風も同じらしく、首を傾げながら謁見の間に通された。

 

「よっ、灯火、香風。久しぶりだな!」

 

「ああ、前の商談の時以来だから………何日ぶりかね」

 

この場に恋がいないということもあってか、今では元通りの翠。

が、それでも。

 

「? どうした?」

 

「………翠、馬騰殿はどうした?」

 

ある程度推測した灯火と香風がアイコンタクトし、前にいる翠に尋ねた。

 

「………別に、母様は」

 

「ああ。確かに送った手紙には翠と鶸と今後の話をするために会いたいと伝えた。この場にいないのは別に問題ない。けど、翠。お前は嘘が苦手なんだから」

 

灯火の言葉に翠は難しい顔をするしかなかった。

 

「別にシャン達は外に言いふらすつもりはないよ。………体調が優れない? 前会った時はお酒とか一緒に飲んでたけど」

 

二人の言葉を聞いた翠が瞼を閉じた。

彼女の中で何を判断しているのかは分からないが、その中で出てきた言葉は─────

 

「母様が、倒れたんだ」

 

灯火が予想した通りだった。

 

「医者は?」

 

「見て貰ったさ。疲労とか過労とか言ってたけど、症状らしい症状が分からない(・・・・・・・・・・・・・)からそう言っているだけだってのはあたしでもわかる」

 

「………そうか。悪い、大変な時期に急に来てしまって」

 

「いや、いいさ。誰も母様が倒れるなんて想像してなかったんだ。灯火達が悪いわけじゃない」

 

翠とて母親が倒れて心配なのは当然。

それでも妹三人が不安がっている中で長女である自身まで落ち込んではダメだと、こうして灯火達と会っている。

 

悉くタイミングが悪いと内心愚痴を零す灯火。

商談・内政・香風との実験に馬騰の一件。

山あれば谷ありとはこういう事なのだろう。

 

その後合流した馬休こと鶸と共に今後について話し合った。

 

「街には防衛に必要な兵は残していくから、翠達はもし応援要請があれば駆けつけてほしい」

 

「ああ、いいぜ。………にしても、あの街が早々に窮地に陥るとは思えないんだけどな。なんだよあの外壁回りの大穴。落とし穴にしちゃ大きすぎるし広いし」

 

「そうですね。あれの所為で外壁と地面との差が普通よりも高くなってますから、梯子をかけようとしても高さが全然足りないでしょう」

 

かつて一度だけ訪れたことがある翠と鶸が思い出しながら灯火達に尋ねた。

人が二人ほど縦に並べて入れそうな高さ。

横幅は人が何十人と並べる程と横幅。

そんな大穴が外壁回りに出来上がりつつあった。

 

「あれは防衛計画の一環で、“堀”ってヤツだ。狙いは今鶸が言った通り、梯子をかけられて上ってくるのを防ぐため。そして敵の侵入路を一本にまとめるため」

 

「門の前以外を全部“堀”にしちゃえば、攻めてくる敵は残ってる門正面の道に行くしかない。そこに弓矢を放てば敵も絞れて大損害。………シャンも練兵の一環で穴掘りしてた」

 

翠が訪れた頃はまだ街の外周全てを囲むほど出来ていなかった。

が、日常的に仕事で従事している者達を含めた徐晃隊・張遼隊・華雄隊・呂布隊の働きによって堀は完成。

掘り出した土は治水の為に使われたり、家の建材の材料、布袋に詰めた物を積み上げて即席の修復壁や戦場での矢避け壁にするなど用途は広い。

また火矢によって延焼が発生した時はその布袋の中身をかけてやれば水入らずの消火活動にも使える。

防衛強化が出来て、掘り出した土も有効活用できる。有用性ありと詠が認め、練兵の一環として粛々と進められていたのだ。

 

「なるほど………。それに堀の高さ分を含めた梯子となれば巨大になるから掛けるまでが大変だし、掛かったとしても上ってくるのにも時間がかかる、という訳ですか」

 

「へぇ、考えてるんだな。………けどあんな大規模な“堀”、五胡の連中相手にするには大袈裟すぎやしないか?」

 

「ウチの筆頭軍師殿にも言われたよ。けど、何も五胡相手だけじゃない。この大陸情勢を考えれば防衛能力を“強化”して備えておくのは悪いことじゃないだろ? 備えあれば患いなし、ってヤツだ」

 

灯火からしてみれば万が一魏国を始めとした他国に攻め入られる、という事態を考慮してである。

流石にこれほど大規模な計画となれば一日二日で終わる作業ではない。

故にこうして先に強化しておく案を詠や月に進言した。

無論、そうならない様に立ち回るのがベストだし、そもそもそうなるかどうかすら未知数ではあるのだが。

 

「そういう事ならわかった。定期的に灯火達の街に行って様子を見ればいいんだな? で、救援要請があれば助けに行く、と」

 

「ああ、頼む。もし五胡相手に途中で物資の補給がしたいとかであれば、残る兵達には翠達の事は話しておく。翠と俺の名前を出してくれれば、城まで入って補給を受けれるように手筈は整えておくよ」

 

「本当か!?それは助かる! あたしらとしても東西南北駆け巡ってるからな。純粋に補給地が一つ増えるってのは嬉しいぞ!」

 

「───喜んでくれたのなら何より。その分しっかりと守ってくれよ?」

 

「ああ!錦馬超の名において約束するよ!」

 

分かりやすい反応に思わず笑ってしまう。

腹芸や策略といったモノは出来そうにないなと思う一方で、こういう性格は好ましくも思えた。

 

「これが商談でのやりとりですか」

 

「うん。鶸はシャン達の商談も見てたし、相手の商人も鶸の顔は知ってるから事情を説明して─────」

 

隣では香風が鶸に西域の商人達とのやりとりを説明していた。

この件に関しては香風に任せていいだろう。

西域の商人達との信頼関係はある程度構築した。

後はそれを出来る限り長く続けてお互い交易を続けることだ。

 

そうなった時、馬家姉妹の中で一番冷静(つまりはストッパー役)である鶸に任せようと判断した。

残念ながら長女である翠や妹である馬鉄こと蒼、従妹である蒲公英ではどうしても不安があったためだ。

香風の話を真剣に聞いているし、頭も恐らく姉妹の中では一番回る方。

彼女が翠と一緒に商談に同席してくれて助かったと思う灯火だった。

 

 

 

 

 

数日後。

 

城に残る兵の選定、内政の引継ぎ、防衛計画の見直しと運用。

街の住人達への説明に馬家との連携。

 

諸々の処理を終えた一行は大勢の民に見送られながら出立した。

 

朝廷の魑魅魍魎とした裏側を知らない民からしてみれば、自分達の街を守護してきた月が昇進、しかも天子様直属となる。

それでいてこの街の防衛やその後の事など考慮し対策を施し、民に説明した上で都に行く。

となれば多少の不安こそあれど大きな混乱を生むことも無く、結果多くの声援を受けて気持ちのいい門出となった。

 

「それではよろしくお願いしますね、馬孟起殿」

 

「ああ、任せてくれ董卓殿。この街を含めてこの涼州、あたしらが守るよ」

 

「ふふ、ありがとうございます。馬騰殿にもよろしくお伝えください」

 

馬騰の名代としてやってきた翠が月と挨拶を交わす。

その妹達は董卓軍の中で最も交流があった灯火や香風達の元にいた。

 

「それじゃ、鶸。西域の商人達のこと、よろしく頼んだ」

 

「もし何かあればシャン達に連絡をくれればいいよ」

 

「はい、ありがとうございます。灯火さん、香風さん。恋さんやねねさんも、お気をつけて」

 

「そっかーもう行っちゃうんだねー。蒲公英達は姉さん達と違ってあんまり一緒に居られなかったから、ちょっと不満だなー」

 

「仕方ないよ、蒲公英様。蒼達まで姉さまについて行っちゃうと誰もいなくなっちゃうよ?」

 

蒲公英こと馬岱、蒼こと馬鉄もこの場にやって来ていた。

母親の体調もまだ優れないため残るという話だったのだが、その当の本人からお前達も行けと言われれば行かない訳にはいかない。

 

「恋さん!蒲公英達が渡したあの子はどう?」

 

恋の後ろにいる馬。

それは馬騰が恋達に送った馬である。

 

「元気いっぱいすぎて大変だったから、ちょっと気になってたんだけど………随分大人しいね」

 

「………セキト、すごいいい馬。懐いてるから大丈夫」

 

「………セキト?」

 

「馬の名前ですぞ、蒲公英殿。恋殿は受け取った馬に“赤兎”と名付けたのです」

 

「へぇーそうなんだ。………でも、なんで兎? 馬なのに」

 

「…………兎の様に飛ぶからですぞ(以前街で見かけて購入したあの兎の衣装を見て付けた、なんて言えないのです)」

 

ねねの言葉を受けて納得する蒲公英と蒼。

その後に呟いたねねの言葉は耳に届かなかったようだった。

 

「に、しても姉さんはこのまま挨拶もしないのかな。全く、いくら照れてるからって」

 

「………照れてる?」

 

頭を傾げた恋が蒲公英に尋ねた。

 

「そ!母様から散々いい相手はいないのか~って言われててね。今までは本当にそんな人いなかったから母様も強くは言ってこなかったんだけど」

 

「灯火さんと出会って、母様が気に入っちゃったでしょ? 蒼もまさか西域の商人達と商談をするなんて思っても無かったから、母様が気に入るのも無理ないんだけど」

 

「で、姉さんの相手として灯火さんを~って!まあ、そうだよね~。この街の周りの“堀”とか西域との商談、内政手腕とか、蒲公英達じゃ思いつきもしないことを実現してきた有能な文官って聞いちゃえば余計にそう言うのも仕方ないよ」

 

灯火の知らない場所でそんな話が出ていた。

ニヤニヤと笑いながら姉である翠を眺めている蒲公英と蒼。

 

「………ダメ」

 

「? ダメって何が?」

 

「………灯火は恋と一緒にいる。翠には渡さない」

 

相変わらずの表情だが、しっかりとした語調で否定した。

 

以前見たときといい仲がいいのは知っていたが………。

 

蒲公英と蒼が互いの目を見た。

 

「あっちゃー。これ、姉さん勝ち目あるかなー?」

 

「姉さんはあれで奥手なところがあるから、勝てないんじゃないかな」

 

翠が聞けば全力で否定するだろうが、当の本人達はこの会話に参加することはなかった。

 

 

 

 

 

 

「あら、姉様。お疲れ様」

 

部屋に入ってきた人物を見た緑髪の女性が声をかけた。

 

「ああ。………全く、アイツらめ。揃いも揃って無能を晒しおって」

 

長い髪を乱暴に扱いながら対面の椅子に座る。

 

何進。

この漢の大将軍であり、昨今この都を騒がせている賊討伐の最高責任者である。

 

その苛立ちは将達に向けて、そして十常侍に向けてである。

特に将達への苛立ちは相当のものだった。

 

賊討伐を命じても賊を取り逃がしたり、討伐した矢先に別の場所に賊が湧いたりと終わる気配を見せない。

賊討伐など容易いだろうと楽観視していた何進は憤りを隠せないでいた。

 

「………ソレはなんだ、瑞姫。見た事ない杯だが」

 

「これ?………ふふ、“夜光杯”っていうらしいわ」

 

机に並べられた複数の杯。

形は同じだがその輝きは一つとして同じ模様を描いていない。

 

「都に来ていた商人の献上品よ。確か涼州の………莫、だったかしら。そんな名前の人から手に入れたみたい」

 

「涼州、莫………?」

 

「ええ。しかもこれ、凄いのよ。杯もさることながらそれを保管する包みも木箱で、割れない様に上質な生地で包まれてる。これほど丁寧に梱包された杯など今まであったかしら?」

 

御眼鏡に適った夜光杯を手に取りうっとりと眺める。

どうやら彼女はかなりご機嫌らしい。

 

「瑞姫が喜んでいるのであれば、私としても問題ない。………しかし、涼州か」

 

「? 何かあるの、姉様?」

 

手に包んだ夜光杯を弄びながら思案顔になる何進を見る妹、何太后。

何進は一人の小娘を思い出していた。

 

「なに、涼州に董卓なる者が居てな。………此度の賊討伐の為、軍を率いて我らに加勢することになった」

 

「ふーん………。それ、戦力になるの?」

 

「少なくとも現状の打破には繋がるだろう。董卓の下にはあの飛将軍呂奉先がいる。加えて今都の民が噂している“英雄”徐公明もいると聞いた」

 

「“英雄”、ねぇ。まあ私としても都周りがうるさいのはほとほと困っていた訳だし。一掃してくれるのであれば何だっていいわ」

 

当然だが都で賊が跋扈すればやってくる商人達の数も少なくなる。

そうなれば買い物をしようにも品が無いことになる、それは困るのだ。

 

「皇甫嵩はまだいい。盧植が………もはや限界点だな。それ以下の者どもは話にもならん」

 

「んもー。姉様ったら。憤るのは分かるけど、あまり怒鳴り散らかさないでよ? 姉様は今や大将軍なんだから、もっと品性を持って、ね」

 

「む………うむ、そうだな………」

 

そもそもその董卓を呼び寄せたのが十常侍というのも気に食わない。

報告を受けたのは呼び寄せた後だったというのも気に食わない。

だが確かに現状を容易に打破するには“董卓”という人物は好都合なカードだった。

 

武にはあの『飛将軍』呂奉先を筆頭に、『神速』張遼、そして華雄。

ここ最近になって噂される『都の英雄』徐公明がいた。

 

武・名声ともに申し分ないカードが揃っているし、何進自身董卓とは何度か会っている。

 

十常侍に説明されるまでもない。

現時点における鬼札であるというのは何進とて理解していたし、あれはこの朝廷内部においていつまでも生き続けられる様な者ではないというのは分かっていた。

自身を脅かす様な存在にはならない。

 

が。

 

「気になるのは“莫”という男の事だ」

 

「………? そういえばこの夜光杯を献上した商人もその名前を出していたわね。姉様、その人って?」

 

「ああ。瑞姫は知らんだろうが、長安にて“聖人”と噂されていた男でな。無償で民に食を与え、学を与え、民に慕われていた下っ端役人よ」

 

「その下っ端役人が気になるって………?」

 

「………下っ端だったのは何も奴が無能だったからではない。我々にとって不都合な政策を提案するくらい有能な奴(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)だったから、下っ端だったのだ」

 

「………? だったら何か適当な理由をつけて、追放すればよかったんじゃ?」

 

不都合な、という言葉を元に言う何太后。

だがそれに対して淡々と何進が答えた。

 

「言ったであろう? 有能な奴(・・・・)、と。我ら漢の名声が上がる様な政策・人物だったのだ」

 

近い人物で言えば皇甫嵩や盧植だろう。

彼女達も何進からしてみれば随分と綺麗な連中(・・・・・・・・)でありながら、将という立場にまでこの都に上り詰めるくらいには有能である。

 

「………つまり。政策そのものは実に現状の問題に対して的を得ていて、けれどその政策が私達には許容できるものじゃない、と?」

 

「ふん。真っ当に生きる人間、ということだ。学の無い民達の識字率を上げる? そんなことをすれば民が“裏側”まで知りかねない」

 

「ああ………それは、そうね」

 

「そしてそんな政策を抜きにしても、仕事が出来る人間だと聞いた。だからこその下っ端だ」

 

魑魅魍魎の蠱毒壺。

賄賂や不正、もみ消しなんて当たり前。

そこに学のついた民が気付けば暴動どころか反乱が起きる。

 

「飛将軍や“英雄”など、所詮は猪だ。人の言葉など解さんだろう。………故に私は“聖人”が気になる、という事だ」

 

「………気にし過ぎじゃない? 現に盧植将軍はどちらかと言えば文官寄りの将でしょう? その人が現状姉様の言いなりなのだから」

 

愛しの妹である何太后に言われ、頭の中の思考を止める。

莫何某がどの様な人物か詳しくは知らないが、長安から涼州へ逃げ出す程度の人物だ。

気に掛ける必要もないだろう。

 

 

「それもそうだな。─────それにいざとなれば、相手は男だ。…………誑かしようはいくらでもあるか」

 

「まあ、姉様ったら。わ・る・い・ひ・と♪」

 

 

洛陽は今日も陽が落ちていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




???「所詮は獣だ。人の言葉など解さんだろう」



言わせたかった言葉です。



新作はよ。


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File№10

感想欄を見ました。
思いのほか職業リンクスやレイヴンの方がいらっしゃってびっくりです。
早く情報欲しいですね。

そんな中で、だ。

>最後の台詞で空を飛ぶ夢が「あんなものを浮かべて喜ぶか!変態どもが!!」に変換されてしまったじゃないかどうしてくれる

はおー様が言ったら合いそうな気がしてきたんだ、どうしてくれる()


始まります。
(誤字報告ありがとうございます。修正しました)



宮中内にて円卓を囲む人物達。

その何れもが女性である。

 

「揃ったな。ではこれより軍議を始める。先ずは現状の確認だ………盧植」

 

「はい。───つい先日隣の群である弘農にて、洛陽に向かう途中の董仲穎殿の軍が大規模な賊を発見。これを討伐したとの報告を受けました。この最大規模の賊討伐により司隷内の鎮静化は時間の問題かと思われます。一方で大陸各地、賊蜂起の報告があがっております。賊は何れも黄巾を纏っている事からこれらを“黄巾党”と以降命名。それらの対処も行っていく必要がございます。今現在報告が上がっている中で冀州・荊州・豫洲・徐州・青洲。この5つから官軍の派遣要請が届いております」

 

「ご苦労」

 

官軍の将、盧植が席へ座る。

報告を受けた上座に座る青髪の女性が薄く笑いながら月を見た。

 

「流石は“都の英雄”を擁する董卓殿ですね。我ら十常侍も首を長くして待った甲斐がありました」

 

「………ありがとうございます、趙忠殿」

 

洛陽に到着した翌日。

月が率いる董卓軍はその日の疲れを癒し、現在遠征の準備を整えている。

この軍議が終わり次第、さっそく各地へ遠征となる。

 

「それに比べ官軍は………。よっぽど酷い指揮だったのですね。董卓軍が一日で討伐した賊に何度も苦戦を強いられるなど」

 

「末端の兵の弱卒を私の責任に転嫁して貰っては困るな。元より、この各地での賊の蜂起の原因は貴様ら十常侍が朝廷を腐らせた結果であろうが」

 

「あら、我らは常に漢を想い政務に取り組んでおりますよ。だからこそいつまでも解決できない何進殿を想い(・・・・・・)、こうして董仲穎殿をお呼びしたのですから」

 

「………貴様」

 

英雄の帰還。

 

その最中で噂はすぐさま広まった。

と言うよりは広められた、と言うべきだろう。

 

何せ“英雄”。しかも名ばかりではなくしっかり過去の実績を伴った“英雄”だ。

加えてこの洛陽に来るまでに既に賊………しかも司隷内最大規模の賊を一軍で討伐している。

何進率いる官軍だけでは解決できなかった問題に、十常侍が都民のために(・・・・・・)呼び寄せ、早速手柄を立てた。

そんな一文を付け加えるだけで民や兵の末端がどう思うか、というのは容易に把握できる。

 

十常侍。

中央の政権にて圧倒的な権力を誇るその十名は、地方の官職に親族を取り立て好き放題やるくらいには各地の繋がりがある。

十常侍にとって都合のいいように噂を広めるのに苦労は無く、噂はあっという間に各地の太守や州牧の耳まで届くこととなる。

ただし、その噂をどこまで信じるかは太守や州牧達次第ではあるが。

 

一方で面白くないのは何進。

確かに飛将軍を始めとした武官が増援としてやってくるのは有難い。

が、“都の英雄”が活躍すればするほどにそれを最初に登用した十常侍の評価も上がっていく。

上がっていくというよりかは上げていく、という言葉の方が正しいだろうが。

 

何せこの時代人々は迷信に対する傾倒も強く、預言書が皇帝・官僚らにも大真面目に取り扱われたりしている。

知る由も無いが噂の内容次第では事実とは異なっていたとしても連合軍が結成されるくらいなのだ。

 

故に“噂”というのは決して馬鹿にならない。

ましてや何進にとって相手はあの十常侍で政敵だ。

現代の様に選挙制度など存在はしないが、敵の良い噂が立ち、自身の悪い噂が流れるというのは以ての外だった。

 

「おやめ下さい。宮中での喧嘩口論はご法度。それに今は左様な話をしている場合では無いのでは?」

 

皇甫嵩の一言で二人とも言葉を収めるが、ピリピリとした雰囲気はより一層肌を刺激する。

元より十常侍の一人である趙忠とそれと敵対関係と言っても過言ではない何進が一つの卓にいるのだから、こういう雰囲気にもなろう。

 

「………まあ良いわ。司隷については先の董卓によりほぼ無力化されたと言っていいだろう。後は残り粕の掃除だけだ」

 

趙忠を一睨みしたが睨まれた方はどこ吹く風。

視線を切った何進は皇甫嵩へ目を向ける。

 

「皇甫嵩。貴様は如何様に考える」

 

「はっ、司隷の賊についてはもはや大規模と言える賊はいないでしょう。残りの賊を討伐しつつ、各地の黄巾党を討伐する兵を向かわせるべきかと」

 

「司隷の賊については此方で対処致します。“都の英雄”、徐公明が居れば討伐は容易でしょう」

 

皇甫嵩の説明に詠が捕捉する。

既に詠の中では各地の黄巾党の規模、どのように詰めていくかは組みあがっている。

その中で『香風と灯火に都の賊を討伐させる』というのは非常に重要な意味を持っていた。

 

「ええ、それは私も賛成です、賈駆殿。“都の英雄”の奮起によって民はより一層意気高揚となるでしょう。主上様もさぞお喜びになるかと」

 

十常侍である趙忠も詠の意見に同調した。

それに動揺する詠ではない。相手がどんな思惑を抱いているかなど把握済みだ。

だからこそ(・・・・・)、大将軍である何進に香風が都に残るように進言する。

それが何進にとって好ましくない事だとわかっていても。

 

「………いいだろう。但し、徐晃何某だけだ。他の将には北の冀州、南に荊州、東へ青洲に赴き黄巾党の討伐を行ってもらう」

 

「畏まりました」

 

詠は内心嗤う。

今の所何進も十常侍も気付いていない。

 

「向かわせる将の内訳ですが、北に呂布、南に張遼、東に華雄を提案致します。冀州の袁紹はこの大陸でも最大規模を誇る軍です。官軍の立場を明確にするためにも『飛将軍』呂奉先の武は必要。盧植殿がいれば武力知略ともに後れを取る事は無いかと」

 

「確かにな。良かろう」

 

相手に説明し了承を得る為には何よりも納得させることが第一。

分かりやすく相手の利となる部分を、しかして口には出さずに説明すること。

そうすれば相手は勝手に自分の都合のいいように納得してくれる。

また此方が口に出さない事で相手に言質を取られないというのもある。

 

「南の荊州はとにかく広域です。この河南のすぐ南の“南陽”の袁術殿、“江夏”太守の黄祖殿、他にもまだ名のある将も居ます。その中で官軍として責を果たすには『神速』と謳われる張文遠の用兵術は必須と考えます。」

 

「荊州を張遼一人に任せる気か? それは構わんが潰すなよ?」

 

何進の言う“潰す”というのは張遼の事ではなく、大将軍である何進の面子のこと。

それくらいの判断は月も詠も出来た。

何進を心の中で罵倒しながら、しかし表には一切見せずに詠は発言を続ける。

 

「いえ、流石の彼女でも一軍だけでは厳しくあります。その為官軍の中でも武勇で活躍する皇甫嵩殿と共に行軍を提案します。張遼隊で相手を攪乱し、手堅い皇甫嵩隊が居れば賊相手に苦戦することもないでしょう」

 

「なるほどな。確かに皇甫嵩は我が軍の中でも唯一戦果をあげている将だ。広い荊州と言えど二人が合わされば、という事か」

 

何進が一通りの納得を示しているのを確認する。

隣にいる趙忠は特に興味を示していなかった。

十常侍にとっては“都の英雄”がこの司隷で活躍すればそれでいいという考えなのだろう。

 

「東の青洲は北と南に比べれば黄巾党の規模・土地の規模共に大きくはありません。ですがその分州牧の力も強いとは言えず、苦戦は免れない。『猛将』華雄の武が加われば青洲の黄巾党を追い出すのは容易でしょう」

 

以上です、と一礼して席についた。

何進の反応を見る限り司隷に香風を置くと言った事以外は、不満そうな考えは持っていなかった。

 

「よかろう。良き進言であった、賈駆。皇甫嵩、早速その様に手配いたせ」

 

「はっ」

 

「(アンタに褒められたってちっとも嬉しくないわよ!)」

 

「(詠ちゃん、落ち着いて………)」

 

内心荒れ狂う詠を月が宥め、何とか自分達の想定通りに進んだと安堵する。

 

「何進殿………いずれにせよ、早く乱を鎮めてください。斯様な下らぬ事で主上様の御心を煩わせぬように」

 

「ふん、言われるまでも無いわ」

 

「くれぐれもお気をつけを。今、悠々と胡坐をかいている場所が………突然抜け落ちて怪我をする事もありますからね?」

 

そんな言葉を言い残してこの場を後にする趙忠。

後ろ姿をいっそ人を殺せる程に睨め付けた何進。

そんな光景をこの場に集まった四人は内心溜息をつきながら同じように出ていくのであった。

 

 

 

 

「霞、そっちの準備は? 足りてないのはあるか?」

 

「いや、前の賊討伐じゃ大して消費もせぇへんかったからな。ウチは大丈夫や」

 

現在、灯火は洛陽にて戦支度を進めている将達へ訪問していた。

今回彼自身も香風と共に前線に立つ事になるわけだが、本来の彼は文官。

こうして各隊の状況把握や事前準備の手回しに奔走するのが仕事である。

 

「心配やった兵站も長安の灯火の部下やった連中が工面してくれたっちゅうやん?」

 

「………まあ、洛陽行きが決まってすぐに文を送ったからな」

 

「流石は“長安の聖人”やな!」

 

「………やめてくれ」

 

バンバンと肩を叩いてくる霞の言葉に顰めっ面をしながら、細筆で手記帳に記載していく。

長安から涼州に移りかなりの日数が経過していたが、長安にいた頃の部下や民は灯火の顔を忘れてはいなかった。

 

「いやいや、褒めてんねんで? 戦準備にだって金は必要、ましてやここはウチらの街やない。そんな場所で必要分の兵站やら何やら準備するのって、上が都合してくれんと難しいんやから」

 

そう言って改めて霞は考えてみる。

洛陽の隣の旧都で物資調達が出来たのは灯火の都時代の行いの結果だ。

またそこで必要となる経費も涼州にて西域貿易で儲けた資金を用いている。

加えて───

 

「ほんと、ウチの為に馬超達に掛け合ってくれたんやから。もう感謝感謝やで!!」

 

「あーはいはい、子供か」

 

首に腕を回し、体を密着させ肩を組んでくる霞に、何度目だと思いながら手記帳から目を離さない。

馬騰から恋・香風・灯火の三名に軍馬が送られたのは霞も知っている。

そして相当羨んだのは全員の記憶に新しい。

それほど馬家の軍馬は素晴らしい馬であるということであり、“神速”と謳われる霞からすれば─────

 

『ウチも欲しい!なあ、どうにかして貰われへん!? 何なら灯火から買うから!』

 

と文官である灯火に迫るのは必然だった。

いつもは“何で灯火は文官なんや~”と言いながら酒を飲み交わしているのに、こういう時だけは文官扱いする霞である。

 

『まあ確かに文官である俺には勿体ないのもあるだろうけど、俺に送ってくれたのを勝手に誰かにあげるのもな。馬騰殿に確認してみるよ』

 

そんな事で話をしてみればもう一頭軍馬を売ってくれた。

流石に譲るという訳にはいかなかったが、灯火自身霞の馬が馬家の馬となれば単純に戦力向上に繋がるのは分かる。

軍馬一頭を買い、こうして霞の馬となったのだった。

 

『なんか霞が大きな子供に見えた』

 

とは灯火の談である。

 

「灯火、霞」

 

宮中から出てきた月と詠。

後ろには皇甫嵩と盧植の二名も居た。

 

「お疲れさん、月、詠。楼杏と風鈴は久しぶりやな!」

 

「ええ、お久しぶり、霞さん」

 

「お久しぶりです。お元気そうで何より」

 

霞の姿を見た二人が笑いながら挨拶をする一方で、その霞が肩を組んでいた男性に目を向ける。

二人は初対面であったが、こうして将軍である霞と肩組みできる男性となると一人しかいない。

 

「貴方が詠さんや月さんが言っていた莫殿かしら?」

 

「ええ。初めまして、皇甫嵩殿、盧植殿」

 

「あら、私達の名前はご存知なのね」

 

皇甫嵩の言葉に肯定する。

 

「月や詠からは聞かされていましたので。この朝廷内でも信が置ける二名だと」

 

「あら嬉しい。私達としても月さんや詠さんは頼りにさせて貰っているわ」

 

にこやかに話ながら二人と握手する。

これから共に賊討伐をする仲だ、最低限でも互いを知っていなければ話にならない。

 

「灯火、華雄や恋、香風達は?」

 

「各自自分の隊の最終確認をし終えて僅かばかりの休息中。俺は全体の兵站とかの取りまとめで霞に確認を取ってたところで、今しがたそれも終わった。─────それで?」

 

「ええ、軍議を開く。みんなを呼んで頂戴。その場で改めて二人には自己紹介をして貰うわ」

 

詠の言葉に頷いた灯火はすぐさま三人を呼びに向かう。

その背を五人は眺め、後に続くように移動を開始した。

 

「久しぶりにあの顔を見たけれど、面影は残っていたわね」

 

「? 風鈴さんは灯火さんをご存知だったのですか?」

 

「ええ、私塾時代に。………とは言っても直接会話した事は無いし、遠目で見ただけだから向こうも覚えていないでしょう」

 

盧子幹。

将として取り立てられる以前は私塾の講師をしており、門下生にはあの劉備や現在幽州で太守を務める公孫賛がいる。

その穏やかな風貌で先生として慕われるくらいには有名な人物だった。

 

そんな時代に聞こえてきた噂があった。

 

「………神童?」

 

「ええ、私塾仲間から聞いた話よ。文武共に優れた教え子が居るって。その知識量は勿論、立ち振る舞いも到底子供のそれじゃなかった、と言っていたわね」

 

思い出すのは昔に会話した内容。

伊達に講師として勉学を揮っていた訳ではなく、ちゃんと記憶の中に残っていた。

 

「最初は読み書きもできなかった………というよりは独自のクセ(・・・・・)で読み書きをしてたみたい」

 

独自のクセ(・・・・・)?」

 

「ええ。独学なのでしょうね、見たことも無い文字を用いて書物を読んでいたと聞いたわ。………そういう事が出来るくらいには智を最初から持っていた、ということなのでしょう。私の友人もいっそ恐ろしさを感じるほどに優秀だと呟いていたわ」

 

ちなみにこの時の見た事の無い文字というのはカタカナやひらがなといった文字である。

この漢にそんな文字は存在しないので大抵は子供の落書きにしか見られていなかったが、それが文字であると間接的に説明され盧植も驚いていた。

 

「それで少し前に長安で噂になった“聖人”と呼ばれた人物。その人が莫殿と知ってね。一度会いに行こうと思ったのだけれど」

 

そう言って首を振った。

その時期は既に盧植も将軍として官軍の指揮を執っていた。

中々都合があわなかったのだろう。

 

「けれど月さんや詠さんの話を聞く限りじゃ、無理をしてでも会っておくべきだったかしら。将としてもそうだけど、講師としても心惹かれるわね」

 

「ああ、あの“学校”の事ね」

 

月の街で進められていた“学校計画”。

灯火が豫洲に赴き喜雨を講師として誘う一方で、月もまた講師役になってくれそうな人物に心当たりがあった。

それがこの盧植である。

何せ太守となった公孫賛に学を与えた人物。“学校”の講師役としてこれほど適任である人物はそういないだろう。

月との仲も良いことから内密を条件に話したのだった。

 

「武も良し、文も良し、手腕も良し、性格も良し。楼杏、いい出会いじゃない?」

 

「なっ、何を言ってるのよ、風鈴………。まだ会ってすぐよ? そんな話になるワケないじゃない」

 

「けれど、月さんの話を聞いていた限りではいいと思っていたのでしょう? この前のお酒の席で零していたわよ」

 

「………覚えてないわ。そういう風鈴こそ、どうなのよ。さっき心惹かれるとか言ってたじゃない」

 

「さあ、どうなのでしょうね」

 

そっぽを向く皇甫嵩とそれを見てくすくすと笑う盧植。

月と詠はそれに曖昧に笑うだけだ。

皇甫嵩が酒の席で出会いが~出会いが~と愚痴を零しながら飲んでいるのは二人とも知っていたのである。

 

 

 

 

「「………!」」

 

「ん? どうした、恋、香風」

 

「………何でもない」

 

「うん。………変な感じがした」

 

「………まあどこに目や耳が潜んでいるか分からんからな」

 

 

 

 

「─────恋とねねは風鈴と共に北の冀州。霞は楼杏と共に南の荊州、華雄は少し遠いけど東の青洲に赴く事になった」

 

全員が集まったところで挨拶を交わし、軍議を始めた。

皇甫嵩と盧植は、月の配下である将達と真名を交換し合った。

二人とも月から話は聞いていたし、月と真名を交換しているのであれば信頼できるとの事だ。

 

「四人はその武を活かして賊の討伐をお願いするわ。………無いとは思うけど、こんな賊討伐で死ぬのは許さないから」

 

「………大丈夫」

 

「ねねと恋殿が居れば袁紹軍如きに後れなど取る訳が無いのですぞ」

 

「同感だな。私が賊如きに後れなど取るワケもない」

 

「ウチは早くあの馬で駆け巡りたいわ。弘農じゃ物足りんかったからなぁ」

 

四者四様の反応を見せた。

これから賊討伐というのに、まるで緊張した様子を見せない。

それだけで彼女らが実力者であるというのは楼杏と風鈴の二人も理解した。

それに比べると、ついこの間まで共に戦っていた将達を思い出し、内心溜息しか出ない。

自分達の指揮の悪さを棚に上げるつもりはないが、賊相手に苦戦する官軍というのは彼女達自身も情けないと思うのだ。

 

「香風と灯火はこの司隷で残りの賊の討伐。此方の予定通り(・・・・・・・)と言ったところよ」

 

「そうか、それは良かった」

 

灯火達が司隷を担当する理由は二つある。

 

一つは単純に経験の違いだ。

灯火と香風は都時代に賊討伐を行っている。

賊討伐時に間者を忍ばせ、情報を入手し、そこへ討伐を掛ける。

 

都時代から香風と灯火が使用していた常套手段。

 

密偵が忍び込んだ賊の討伐は全滅させず逃がすのもミソである。

逃がす際もあからさまではなく、“全滅させる勢いで迫っておきながら取り逃がした”を相手に感じさせる装いだ。

諦めて投降する者は別とし、そうして逃げ延びた者は他の賊の集団と合流し再起を図る。

 

なら、後はそれの繰り返しだ。

賊の中でも上の連中に逃げるよう唆せば簡単に逃げていく。

官軍が知らない、使わない様な道も逃げる中に密偵が居れば情報として降りてくる。

敵である賊やその結果を知る事となる都の民からすれば、まるで賊がどこに潜んでいるか、潜む規模はどれほどのものかを把握している様に映るだろう。

これが“都の英雄”、その賊討伐の実体である。

 

『まあ、大なり小なり志を持って軍に仕官したのに、賊に潜んで情報を流し続けるっていう地味な仕事をやる人を探す方が大変だけど』

 

この時代、首級を上げる事が一番の戦果と認識される世の中。

情報収集と言ってもせいぜい討伐した賊の何人かを尋問する程度。

そんな時代に光を浴びる事の無い、ましてや相手はただの賊に入り込みそんな仕事をする人材は貴重だろう。

 

「じゃあ俺は賊討伐を行いつつ、各地への補給の確保………だな」

 

「ええ。大々的に立ち回って頂戴。正直何進や十常侍からの支援なんて当てにしてないから。灯火と香風の名声を利用して市民や商人達を味方に引き入れて」

 

これが二つ目の理由である。

 

こと洛陽や長安といった都に限れば、“都の英雄”という名声は今や飛将軍よりも上だ。

その陰に隠れてはいるが、主に長安では“聖人”の名声もある。

何せ貧困に喘いだ民が噂を聞きつけて食を求めにくるぐらいだ。

 

「………俺としてはなんか申し訳ない気持ちもあるんだけどな」

 

ボランティアの一環として都時代に行っていたが、涼州に行った後は当然そういうことはしていない。

食を求めてやってきた民は長安から灯火が居なくなっている事は知らない。

その結果どうなるかは言うまでも無いだろう。

食べるモノに困り果てた民は賊となる。

 

この司隷に賊が多かったのはその為だ。

 

その賊を討伐し、名声を上げ、支援を募る。

ある種マッチポンプであるが、それを指摘する者はいない。

 

「灯火は悪くないわよ。大元は何進や十常侍が税ばっかり上げて改善の一つもしなかったのが悪いんだから」

 

そういう理由で賊へ堕ちた者は出来る限り保護している。

無論ただ保護するだけでは賊に襲われた民に示しがつかないためある程度の罰は科しているが。

当然だが悪意を以て賊に堕ちた人物は容赦しない。

 

「そういう意味では、この司隷にいた賊と各地で蜂起した賊とは若干毛色が違うのも事実ね」

 

少なくとも楼杏が受け取った報告の中で黄巾の文字が出てこない報告書はなかった。

 

「はい。弘農の賊は黄巾を纏っていませんでしたけど、各地の報告を聞く限りでは誰も彼も黄巾を纏っているとのことでした」

 

「黄巾党………。まだ情報は集まっていないけれど、各地の賊が偶然黄巾を纏って蜂起、なんてことはないでしょう。誰かが裏にいるのは確実よ」

 

月と詠の言葉を耳に一人思案する。

知識が正しければ相手は張角を筆頭とした旅芸人三姉妹。

が、現実がそうであるという確証は残念ながらない。

 

知識を有していても知識に振り回されてはいけない。

それは幼い頃の戒めである。

 

「月」

 

「うん。………皆さん、これから大変な毎日になります。ですが誰一人欠ける事は許しません。───必ずここにまた集まりましょう」

 

『了解!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

「くそっ!? こっちにも官軍が居やがる!」

 

「囲まれてるぞ!」

 

「どうなってんだ!なんでバレた!」

 

司隷河内群の中でも并州の州境に近い位置。

官軍に追い詰められた賊は慌てていた。

自分達の中に内通者がいるとは夢にも思わない。まさか官軍が賊に密偵を送り込むなど考えもしないのだから。

 

「………追い詰めた」

 

「!!」

 

つい後ろにいた賊の仲間の一人が倒れ、振り向けば大斧を担いだ少女がいた。

 

「くそっ………こうなったらやってやる!」

 

「ああ!相手は子供だ!全員で掛かれば切り抜けられる!」

 

剣を握りしめる。

相手が何者かは分からないが、一人でこの人数を相手取る事など出来やしない。

一人で追ってきたのであれば袋叩きにして人質にしてしまえば切り抜けられる。

そんな考えが脳裏に過った。

 

流石はここまで逃げ切り生き残った賊と言うべきだろう。

或いはこの土壇場でそこまで頭の回転力があったからこそ、ここまで生き残ったとも言うべきか。

 

「………圧倒的に力の差がある敵を相手取る時、その実力差を覆すには数に頼るのが一番」

 

こんな状況など興味がないとばかりに羅列する。

まさに今この状況。目の前には此方の倍以上の人数がいる。

数的不利は誰の目からも明らかだ。

 

「呼吸を合わせ、心体ともに氣を練り、最もそれが充実した瞬間………一斉に斬りかかる」

 

「死ねぇぇええ!!!」

 

少女の言葉が聞こえてか、或いはそんなものなど関係がなかったか。

握った剣を大きく振りかぶり、そのまま斬りかかってきた。

 

確かにその通りだ。

一人では勝てないのであれば力を合わせ一斉に襲い掛かる。

それが出来る最善の手段。

だが─────

 

「そして────………何もできないまま死んでしまう」

 

─────そんな手段を容易く蹴散らす。

それが“圧倒的差”である。

 

「なっ………」

 

少女のたった一撃で斬りかかった大人全員が吹き飛ばされた。

当たり所が良かった者は辛うじて生きているが、刃に触れた者がどうなったかなど問うまでもない。

 

「ひっ……ば、化け物め………!!」

 

「………シャン、化け物じゃない。シャンより強い人ならいる」

 

涼州での同居人の顔が思い浮かぶ。

全てにおいて圧倒的な武を持つ大切な友人に、速さという点において未だに師事する大切な人。

 

「く、くそっ!!てめぇ、一体何者だ!!」

 

逃げようにも囲まれているため逃げ場は無い。

包囲網は着実に狭まっており、捕まるのはもう時間の問題。

捕まればどうなるかなど分かる筈も無い。

ただ碌な目に合わないのは確かだろう。

そして目の前の子供のような姿をした少女にいい様にあしらわれる。

 

状況に追い詰められた賊の一人が破れかぶれに放った一言は、ただ少女の呆れを誘発するだけだった。

相手が自分達を『官軍』としてしか見ていない証拠である。

確かに少女は官軍だ。だが、今までこの賊が対峙してきた官軍とはワケが違う。

 

 

「─────董卓軍所属、第四師団師団長、徐公明」

 

 

都で“英雄”なんて呼ばれてるよ

 

それが、賊が聞いた最期の言葉だった。

 

 

 

 

風鈴が袁紹と面会し、賊の討伐を行う事となった翌日。

 

前衛に呂布・盧植軍。

後衛に袁紹軍の形で陣取っていた。

 

風鈴はその言葉の節々から此方の軍を当て馬にし、弱ったところを袁紹軍が掻っ攫うという手法を取るだろうと感じ取っていた。

無論それは同行している同じ軍師のねねにも伝えている。

 

「なんだ、そんな事ですか」

 

「なんだ、って………ねねちゃんはいいの? 戦果の横取りを狙っていると思うのだけれど」

 

「戦果の横取りなど、出来るのであればしてみれば良いのです。当て馬? いいでしょう、やってやるのです。─────ですが」

 

伝えた結果、どうでもいいと言わんばかりの反応をしたねねに心配した風鈴が説明する。

風鈴とて苦労して攻めた結果の末、何の戦果も得られないというのはいい感情を覚えない。

 

「別に、相手を全滅してしまっても構わないでしょう?」

 

そんな言葉に、風鈴はたらりと冷や汗を流した。

目の前の少女が、これから相手をする敵の戦力を把握していない訳が無い。

それを知った上でなお平然と言ってのける。

 

「そういえば風鈴殿は恋殿の戦いを見た事は無かったのですな」

 

納得納得と一人首を振る。

確かにあの飛将軍の戦いを直に目にした事は無い。

あくまでも噂である。

 

「…………ねね」

 

「おお、恋殿!」

 

「…………準備、出来た。────行く」

 

「御意!! 風鈴殿、陣の指揮は任せるのです。 ねねは恋殿と共に前線へ」

 

「………ええ、分かったわ」

 

内心の気持ちを抑えながら天幕から外に出てみれば、後衛にいるハズの袁紹とその御供の二人が居た。

そんな状況に思わず風鈴が声をあげてしまう。

 

「袁紹殿、どうしてこちらへ? これから黄巾討伐です、後衛の指揮を執らなくてよろしいのですか?」

 

「無論指揮は執りますわよ。此方に来たのは最終の確認のため。官軍如きが前衛を、とは言いましたが本当によろしくて? 何なら─────」

 

「構わないのですぞ、袁紹殿。我ら官軍、あの程度の敵など一捻りです。其方は悠々と物見をして下さいです」

 

袁紹の言葉をぶっちぎってねねが断りの言葉を入れた。

遮られた袁紹は子供のようなねねに一瞬不快を感じるが、持ち前のポジティブシンキングですぐさま立て直した。

 

「いいでしょう、そこまで言うのでしたら我々は後衛で官軍のお手並みを拝見させて頂きますわ。後で助けて下さい~などと、言われませんようにね!」

 

お約束の高笑いを決めながら自陣を後にする。

その後ろ姿を見ながら恋は『灯火が苦手そうな人だ』とぼんやり考えていた。

 

「ねねちゃん。ああ言ったけど、大丈夫?」

 

「問題無いのです。それにどうせあのまま話を続けていれば、賂を要求されるのは目に見えているのです。あんなもの、聞くだけ無駄なのですぞ、風鈴殿」

 

まるで自分達が負ける筈が無いという物言い。

確かに飛将軍は凄いのだろうが、ここまで潔いと逆に不安になる。

それは、風鈴自身は決して武に強い将ではないということも関係していた。

 

「しかもいろいろあって今の恋殿は最高潮です。三万と言わず、五万の黄巾党すら凌駕するのですぞ」

 

つい先日届いた司隷の賊鎮圧の報告。

当然ねねや恋にも届いており、灯火から二人に宛てた手紙も入っていた。

 

 

 

眼前に聳えるは古城。

廃棄されたその城は、今や冀州黄巾党の本拠地になっている。

籠城の構えのそれを前に、恋の眼光が僅かに鋭くなった。

 

「………ねね、旗を」

 

「御意!」

 

合図と共に呂布隊が一斉に深紅の呂旗を掲げ、すぐ後ろに立つねねは一際大きな旗を手に取った。

これは歴史の通過点。多くの者がそれを目にする中、ねねはこれまでにない大声で口上を叫んだ。

 

 

 

「遠からん者は音にも聞け!近くば寄って目にも見よーっ!」

 

 

「蒼天に翻るは、血で染め抜いた深紅の呂旗!!」

 

 

「天下にその名を響かせる、董卓軍が一番槍!!」

 

 

「悪鬼はひれ伏し、鬼神も逃げる、飛将軍呂奉先が旗なり!!」

 

 

 

 

「天に、月に!唾する悪党どもよ!その目でとくと仰ぎ見るが良いのです!!!」

 

 

 

ねねの口上と共に呂布隊が叫んだ。

地すら割りかねないその声は遠く離れた地まで届かせんとばかりに空間を木霊する。

籠城する城の最深部にまで届くその声量は、それだけで相手を怯ませるほどの力を持っていた。

 

「………我が使命は獣の屠殺。遠慮はしない。─────全力で殺す」

 

左腰、鞘に収まるは月が有していた宝刀七星剣。

後ろに携えるは恋専用に作り上げられた特注の弓と矢束。

右手で軽々持つのは長年愛用し、なお刃毀れの一つも起こさない方天画戟。

 

完全武装の恋である。

 

古城での籠城など意味をなさない。

そもそも古城とは“古い城”だから古城と呼ばれるのだ。

 

「─────行く」

 

故に恋にとってあのレベルの城での籠城は野戦と相違ない。

補修工事の一つもされない城など、恋の武の前では一撃だけを凌ぐ壁にしかならなかった。

 

 

 

 

「…………あれは何ですの?」

 

目が痛いほどの黄金で身を包んだ女性、袁紹が目の前の光景を見て絶句していた。

最初はねねの口上を聞き、自分もそれらしい口上を考えねば、なんて悠長な事を考えていたのだが。

 

「あれが『飛将軍』呂奉先です。………同じ人間とは思えません」

 

隣にいる軍師・田豊、そして二枚看板と謳われる文醜、顔良も同じく絶句である。

 

「………私の目が曇っていなければ、城の壁を一人で破壊してみせたように見えたのですが、真直さん」

 

「………それが麗羽さま一人の見間違いなら、どれだけよかったでしょう」

 

「ねぇ、真直ちゃん。何か爆発音が聞こえたのですが、私の気のせいでしょうか?」

 

「二枚看板である斗詩さんが聞こえたなら、それはきっと気のせいではないです」

 

眼前に広がる光景は見間違えるハズがない。

 

籠城の構えだった黄巾党はあっという間にその前提を崩され大混乱に陥った。

今や後続の軍が入りやすい様にと一部の壁は原型すらとどめていない。

 

恐れ逃げた者は悉く矢で打ち抜かれ。

立ち向かう者は方天画戟の一撃で上下が泣き別れる。

それを投げ槍の如く投擲し城の壁を貫いたと思えば、宝刀が抜刀され首が転がり落ちる。

装飾を目的にした宝刀を実用レベルで使いこなすのは恋以外にいないだろう。

 

一振りで十名以上の黄巾党が絶命し、一度の射で放つ三つの矢は三名の頭蓋に突き刺さる。

宝刀に至っては何時抜刀したのか袁紹軍の誰一人として分からない。

それだけの武装を有しながらその機動性は全く失われておらず、赤兎馬の足音だけが戦場に木霊する。

 

「………正直、この光景を見ていると軍師としての立ち回り、ほぼ不要ね」

 

ねねの後方で同じ光景を見ている風鈴も呆然としていた。

もはや袁紹軍が出る幕など微塵も無いだろう。出陣する事すら忘れて言葉足らずのまま眼前の光景を眺めている。

むしろ後詰めである盧植隊ですらその場から一歩も動いていない。

 

「誰が官軍などに!!蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし!!」

 

『おおおおおーーー!!!』

 

元より黄巾党は官軍に対して立ち上がった者達だ。

官軍に対する敵対心はより高い。

 

普通ならばこの人数とこの士気に後れを取るだろう。

少なくとも今戦う事すら忘れて観戦している袁紹軍は。

 

だが。

 

相手が致命的に悪い。

むしろこれだけされてなお士気を上げる黄巾党を称賛するほどだ。

それほどまでに、相手が悪かった。

 

「………蒼天は死なず」

 

翻る深紅の旗。

刻まれた一文字は『呂』。

古城には今や呂旗が翻り、黄巾党の拠点だった様子など微塵も視られない。

 

「しかして駆けるは羽虫にあらず」

 

あれだけの敵を薙ぎ倒しながら、顔色一つ変えず、返り血の一つも浴びない。

ただその眼光だけは敵対する者全てを圧倒するほどの鋭さを放っていた。

 

「蒼天は龍が駆け、灯が光り、月が輝く場所。………そこに羽虫の居場所は無い。だから─────」

 

 

 

 

「─────羽虫は死ね」

 

 

 

 

 

数名の黄巾党に連れられて、三人の少女が城から脱出していた。

 

「はぁっ、はぁっ、は─────」

 

命からがらとはまさにこの事だろう。

だがまだ安心できない。できるハズが無い。

少なくともこの冀州から脱出しなければ、夜すら眠れなくなる。

 

「姉さん!早く!」

 

「う、うん………!」

 

「でも、どこに逃げるの? このまま南に行ったら苑州だよ!? 苑州は─────」

 

「なら更に南の豫洲に行くしかないでしょっ!」

 

運だけは本当に良かった三姉妹。

恋が一息で城の深部までたどり着いていたらどうなっていたかわからなかった。

普段一番冷静な張梁ですら後先考えず城を抜け出してきたのだ。

 

「豫洲には同じ仲間が居ります。そこまで逃げれば、少なくともあの呂布は追ってこないでしょう」

 

「………そうだといいわね」

 

この時ばかりはこの場にいる全員の気持ちが一致した。

兎に角逃げねば。

ただそれだけである。

 

「………これからどうなっちゃうのかなあ」

 

不安げに呟いた張角の言葉に、妹である張宝と張梁は答えられなかった。

 

 

 

 

 

 

 




感想・評価・お気に入り登録ありがとうございます。


原作との変更点
香風:武が恋と灯火基準となり武力向上。また原作よりも思考の回転がいい
恋 :武力チートが更にチート化。恋姫界のオーバードウェポン。トラウマ生産人
ねね:思慮能力や部隊運用能力が向上。飛将軍専属軍師の名に相応しくなりつつある

香風も恋も可愛いけど、かっこ良くも書きたいよね
なお宝刀は三国志演技から。最終的に董卓の手に渡ったんだしいいよね、っていう(にわか)


次回:袁紹軍を除く各陣営を………書けたらいいな


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File№11(前編)

長くなったので分割。
前編となります。

恋の武力が知れ渡ったみたいです。




どんな良薬も含み過ぎれば毒となる。

 

目的の人物がいる部屋に入り、その人しかいないことを確認した香風。

ふらふらとまるで誘われるような足取りで近づいていく。

 

「お兄ちゃんー………」

 

都の英雄として活動すること幾何か。

少なくとも長安や洛陽において“英雄”徐公明の名を知らぬ者はいなかった。

 

それに伴う称賛の声。

多少は問題なかったが、それも行き過ぎれば香風にとって褒美にはならない。

身体的な疲弊は皆無だが、精神的な疲弊は香風の思考能力を確かに奪っていた。

 

更に加えるならば官軍の能力の低さと士気の低さである。

徐晃隊と官軍の一隊が同数にして戦えば勝率十割と確信できる。

これで官軍………と香風が何も言えなくなるのは必然だった。

 

「お疲れ、香風。…………官軍達はどうだった?」

 

「だめだとおもう」

 

無慈悲ノータイム完全否定。

情状酌量の余地無しで反論一切聞かず判決が下され閉廷。上訴審なんてありません。

 

一言で全てを叩き斬り、長椅子に腰掛けている灯火の膝に座った。

猫の様な身のこなしで乗った香風は、そのまますっぽりと灯火の内側に収まった。

 

「お兄ちゃん、街の様子はどうだった?」

 

「んー………。賊の脅威から解放された分いくらかマシになったけど、所詮それだけだよ」

 

洛陽を歩いていると目に入る人々の顔には元気がない。

赴任当初と比べれば少しはマシになったが、所詮その程度。

全員が全員そうではないが、割合的には多い方だろう。

 

どれだけ香風や灯火が司隷の賊を討伐したところで、民の明日の不安全てが払拭できるわけではない。

そもそも民の不安は賊だけではないのだから。

 

現在の漢王朝の腐敗の象徴と言えば十常侍を始めとした連中だろうが、漢を守る兵士たちにも腐っている輩は大勢いる。

無論、楼杏や風鈴のように腐らずに真面目に働く者も存在しているため一概に全員が悪い訳ではない。

だが現状幅を利かせているのは腐った連中である。

 

香風は内心溜息をついた。

 

権力者が腐るとどれだけ厄介かが簡単にわかる。それだけ……今の漢は危ない状況なのだと理解させられる。

これを危ないと感じないのはこんな現状で甘い蜜を啜れる一部の輩のみだ。

 

「お兄ちゃん」

 

「んー」

 

「次の予定は?」

 

「………詠が戻ってこないとなんともだけど。いよいよ豫洲じゃないかな。司隷は落ち着いたし、既存の漢の兵士たちでも流石に防衛は出来るだろう」

 

「そっか。………早く喜雨達のところに行かなくちゃ、ね」

 

「ん。それまでは休んでおこう。ここ最近走り通してきたからな」

 

「うん」

 

さらさらとした髪を撫でられ、香風は瞼を閉じた。

都会の喧騒や視線も、ここにはない。

洛陽の中でもっとも心地よいと感じるひと時に、すやすやと心地よい寝息を立てる。

 

それは、この騒がしい乱の幕間であった。

 

◆◆◆

 

 

冀州最大規模の黄巾党は、実質たった一人の将によって殲滅された。

最大拠点を失った冀州黄巾党は、急速に瓦解していくことになる。

冀州各地に散った残党は袁紹軍によって追い立てられ、黄巾党発祥の地と言われている青洲へ逃れる者達、或いは南下し苑州へ逃れる者達がいた。

 

そしてただそれを見守っているほど、苑州一の力を誇る曹操は甘くはない。

北から南へ通り抜けようとする黄巾党らは、まるでろ過装置に繋がれた水の如く、次々と討伐乃至は降伏していった。

ただ流石に散らされた蜘蛛の子全てを捕え切る事は出来なかったため、いくらかは南下を許してしまったが。

 

「………以上となります」

 

「そう、わかったわ。春蘭、秋蘭、季衣、十分に休息を取りなさい。ここ最近ずっと出撃していたでしょう」

 

「ええっ? ボクなら全然平気です!」

 

「いいえ、これは命令よ。貴女の考えていることは分かるし、その心は尊いものだけれど………それで貴女が命を投げ打っては意味がない。わかるでしょう?」

 

「そうだぞ、季衣。特にお前は最近働き過ぎだ。ここしばらく、ろくに休んでおらんだろう」

 

曹操と夏侯惇の二人にそう言われては許緒も強く反論できない。

働きすぎというのは事実なのだから。

 

「せめてもう一人兵を率いる事のできる将が居ればよかったのだけれど。無いもの強請りをしても仕方ないわね」

 

夏侯惇、夏侯淵、許緒、曹仁。

兵で言うならば曹純率いる虎豹騎も選択肢に入るが、将である曹純は貴重な文官の一人でもあるため、頻繁に外へ出していては政務に支障を来す。

人手不足というのはこの場にいる全員がひしひしと感じていた。

 

「しかしなぜ苑州にやってくる? 苑州で事を起こそうと考えているならまだしも、連中は何もしないで通り抜けようとしているではないか」

 

「当たり前よ。華琳様がこの苑州内の黄巾党討伐にどれほど力を入れたか、武官である貴女が分からないワケないでしょう」

 

「まあ姉者の言いたい事も分かる。事を起こしてほしいとは思わんが、事を起こさない所為で我らが黄巾党を捕捉しきれない。後になって黄巾党らしき者が居たと言う情報を手に入れるくらいなのだから」

 

夏侯惇の言葉に辛辣に答える荀彧。

それを取り持つ様に夏侯淵がフォローを出した。

 

「………まあウチらはまだ入って間もないから将どころかなあ」

 

「なのー」

 

「………力及ばずで申し訳ございません」

 

「あら、私は貴女達三人には期待しているのよ? なんならこの機に兵を率いてみる?」

 

主の言葉にただ曖昧に笑うしかない。

義勇兵の育成ということで練兵をしたことはあるし、曹操達と合流するまでは義勇兵の指揮を執っていたのは事実だ。

が、参入してそう時間も経っていないのにいきなり正規兵を率いろと言われて萎縮しないほうがおかしい。

元から将兵だったのならまだしも、所詮は義勇兵を纏める程度だったのだから、規模も何もかもが違う。

 

が、そんな事は曹操も理解しているし、理解した上でやらせるつもりである。

 

「けれど、ここ最近になって官軍の力が増したわね。────正直、もう限界だと思っていたのだけれど」

 

「十常侍が涼州より兵を引き抜いた様です。名は董卓。その者が引きつれていた軍がそのまま官軍を名乗り、各地へ討伐に赴いているとの情報が」

 

「董卓………。ふっ、結局“聖人”は都へ戻ってきた、というワケね」

 

前々から気に掛けていた“神童”と呼ばれた男。今だと“聖人”と言った方が伝わる。

彼が徐晃将軍と共に都を抜けたと聞き、どこへ向かったかの調査を行っていた。

結果は涼州の董卓。西ではなく東に来てくれたのであれば傘下に加えたのに、と考えたくらいだ。

無論、この眼でちゃんと確かめた後の話ではあるが。

 

「一つの軍が入っただけですよね? そんなに違うんですか?」

 

「並みの軍なら大差なかったわよ、季衣。けど、董卓軍には“飛将軍”を始めとした精強な将兵が居る」

 

荀彧は一時期冀州の袁紹に仕えていた身。

その時に作った繋がりは今も生きており、命を捧げる曹孟徳の為に有効活用している。

 

「“飛将軍”か。名は私も知っているぞ。いつか一度でいいから手合わせ願いたいものだな!」

 

「………馬鹿は気楽でいいわよね。言っとくけど、一騎打ちだといくらアンタでもお話にならないわよ?」

 

「なんだとぉ!?」

 

また始まった、と夏侯惇と荀彧を除く全員の考えが一致する。

水と油、とまではいかなくともそれくらいにはいろいろ衝突する二人だ。

 

「なら聞くけど。アンタ、たった一人で古城を占拠した黄巾党を殲滅できるの? 城の壁をぶち抜いて籠城の意味を失わせることは?」

 

「な…………何をバカな事!たったひとりで攻城戦など出来るハズがなかろう!」

 

「その馬鹿な事を平然と成し遂げたのが“飛将軍”よ。彼我の戦力も分からないままモノを言うべきじゃないわ」

 

そして口の戦いになれば夏侯惇が勝つ要素は皆無。

必ず荀彧の勝利になる。

いい加減少しは学べばいいのにと思う反面、今日の姉者も可愛いなぁと一人違う事を考えているシスコン妹が居たりする。

 

「ちょ、それってほんまかいな!? いくら“飛将軍”やからって」

 

「ええ。昔の伝手で手に入れた確実な情報よ。冀州からの黄巾党流入があったのもその所為。“飛将軍”と相対することすら恐れて逃げ回ったそうよ」

 

「………沙和も絶対同じことする。一人で攻城戦できる人相手にしたくない」

 

この場で軍師である荀彧が冗談を言うとは考えていなかったが、あまりにも現実離れした戦果に戦慄する李典と于禁。

楽進も言葉にこそ出していなかったが、その表情は絶句そのものだった。

 

「隊を率いていたらしいけど、実質“飛将軍”一人による黄巾党殲滅。共同戦線にあたっていた袁紹すら介入することを忘れて呆然としていたらしいわ」

 

「………まあ、そうなるな。こうして話を聞いているだけでも信じられないのに、それを目の前で見せつけられては」

 

「派手好きの麗羽ですら動けないのも当然か。………はぁ、納得がいったわ。袁紹軍が躍起になって冀州内の黄巾党を追い回しているのは、立てようと思っていた武功を立てる事ができなかったがため。戦場でただ眺めていた、だけじゃ流石に恩賞を賜る事はできないものね」

 

夏侯淵と曹操が溜息をついた。

追い回すのであればもう少しうまく追い回してほしいと。

………まあ曹操達も賊三人を豫洲に逃した事があるので言葉には出さなかったが。

 

「まあ今は味方なのだし、恐れる必要もないでしょう。それよりも気掛かりなのは豫洲よ。桂花」

 

「はい。冀州で袁紹が無茶な追い回しをした所為で、一部が苑州に入り込み、そのまま南下。全体規模は把握できていませんが、豫洲には相当数の黄巾党が集まっていると思われます」

 

「陳珪には半月保たせろと伝えたけれど、状況が変わった。準備を整えて豫洲沛国へ向かう。栄華、糧食の準備は?」

 

視線を横にずらし、曹洪を見た。

その隣には曹純と曹仁もいる。

 

「今からとなれば今日一日は最低でも。万全を期すならもう一日は」

 

「遅いわね………。ならば柳琳と栄華、それ以外で隊を二分する。本隊は明日豫洲へ出陣、柳琳と栄華は後方隊として物資を集めた後に出陣し合流。柳琳は栄華の護衛よ。虎豹騎を上手く使いなさい。栄華はなるべく急いで糧食や武具の調達を。費用は向こう持ちなのだし、あまり額面に拘らなくていいわ」

 

「はい、わかりましたお姉様。栄華ちゃん、よろしくね」

 

「え、ええ。………柳琳はいいんですが、虎豹騎の人達は………。護衛としての力は申し分ないのでしょうけど………」

 

曹操の指示に了解の意を示す曹純と曹洪。

若干曹洪の顔が引き攣っていたが、曹純は気付かなかった。

 

「季衣、秋蘭、春蘭、華侖は休息を取りなさい。凪、真桜、沙和は柳琳に指示を仰ぎつつ戦準備を。出陣は明日。しっかり準備して休みなさい」

 

『御意!』

 

 

◆◆◆

 

 

洛陽の中庭にて香風は灯火の膝の上に座っていた。

灯火がそれについて何かを言う事もなく、抱き込む様に机の資料を見ている。

もはや定位置と化したその状態に、対面に座る月も詠も何かを言う事は無かった。

短くない期間、この光景を見続けていればもう慣れたものだし、それくらいなら何も問題ないと許す月の優しさでもある。

 

「荊州の南陽黄巾軍は霞、楼杏の官軍と、太守である袁術の三隊で宛城を包囲。もうまもなく決着するでしょうね」

 

「袁術の兵の力量はわからないけど、まあ三隊が囲んでるならチェックメイトだな。籠城したところで援軍なんか見込めないし、そもそもただの賊が霞や楼杏さんの隊相手にいつまでもそのままでいられるワケがない」

 

「………ちぇっくめいと?」

 

「詰み、っていう意味だよ、香風」

 

こうしてたまに香風の知らない言葉を口にする灯火。

それを尋ねては脅威の記憶力を持つ頭にインプットしていく。

単純に灯火の話の中で意味が理解できない単語は無くしていきたいと考えている香風である。

 

「袁術なんて当てにしてないわよ。自分の領地内の城を黄巾党に占拠されているくらいだもの」

 

ふん、と鼻を鳴らす詠に苦笑する月。

特に目立った反応はしなかったが香風もまた内心同意である。

 

「冀州については恋がやってくれて、残党は袁紹が追いかけ回している。その所為で主に青洲の方へ残党が流れていってるから、当初の予定通り(・・・・・・・)恋とねね、風鈴らを青洲へ向かわせて、華雄と合流してもらう流れになった」

 

「また公孫賛殿から劉備………と名乗る方が義勇軍を率いて、青洲に向けて黄巾党討伐を行っていると報を受けました」

 

劉備、という言葉にぴくりと反応した灯火。

当然膝の上に乗っていた香風もその反応に気付いたが、とりあえず今は流す。

 

「兵站の方は?」

 

こっちも予定通り(・・・・・・・・)十常侍が支援に回ってくれたおかげで、今の所大丈夫。他州でも補給が受けられるように取り繕ってくれた」

 

自然な会話に灯火と詠が視線を合わせた。

一瞬だったが香風はその違和感に気付いた。

 

「残りは豫洲と徐州で、そのうち豫洲の陳珪殿からは官軍の救援要請が届いています」

 

「ん。………となれば俺と香風が向かうべきだよな」

 

「ええ。二人が司隷を離れる事については趙忠と何進から了承を得てきたわ」

 

詠の言葉に頷いた月が心配そうに言葉をつづけた。

 

「ただ冀州黄巾党壊滅の煽りで、豫洲の黄巾党の規模が受け取った報よりも増えている可能性があります。流石に灯火さんと香風さんだけでは厳しいと思って、揚州の孫堅殿と共闘して、任に当たってもらう事になりました」

 

「………孫堅? って、揚州の州牧だったっけ?」

 

孫堅と共闘とはまたなんとも大物が、と小声で零した灯火がふと尋ねた。

それに首を振ったのは詠。

 

「いいえ。揚州は刺史の劉耀よ。………けど、劉耀は揚州内で蜂起した黄巾党に敗北して揚州南部へ退散したわ」

 

「………自分の城から追い出されたのか」

 

「悲しいけど、これが現実なのよ。………何進は何進でその事を把握してなかったし。灯火はまだいいけど、大将軍であるアイツが把握してないってどうなのよ!」

 

顔も知らぬ劉耀とやらになんとも言えない気持ちになる灯火。

香風もまた灯火と同じように疲れた顔をする。

詠は先ほどまでの軍議で溜まっていたフラストレーションを発散させるかのようにぶちまけて、月に宥められていた。

 

「─────」

 

そんな様子を盗み見る影があった。

中庭という覗きやすい一方で、物陰からは距離がある所為で話す内容を聞き取りづらい。

そんな中で聞こえてきた言葉を盗み聞いた影は気付かれない様にその場を後にした。

 

「お兄ちゃん」

 

無論、それに香風が気付いていないワケがない。

香風が灯火の手の甲に掌を重ね、監視者がいなくなったことを伝えた。

 

「………ま、お疲れさん、詠。月も。とりあえず監視の目は無くなったから、ゆっくりしてくれ」

 

「─────はあ。全く、ほんとここは話すのにも苦労する場所ね」

 

やれやれと眉間を解す。

詠を労る様に気を使いながら月が尋ねた。

 

「私はどこに間者が居たのかはわかりませんでしたが………、監視者は?」

 

「まあ十中八九十常侍の手の者だろう。現状俺達はかなり十常侍側(・・・・・・・)だけど、連中はこういう事(・・・・・)に手は抜かないから」

 

「…………」

 

「大丈夫よ、月。月は何があってもボクが守るから」

 

「………うん。ありがとう、詠ちゃん」

 

そう笑う月ではあるが、どこか思いつめる様な陰があった。

それを見ているとやはりこの都はダメだと思う香風。

 

月だけじゃない。

詠も灯火もどこか疲れた様な表情が窺い知れる。

 

「お兄ちゃん」

 

「うん?」

 

「お兄ちゃんも、無理しないでね。………お兄ちゃんは、シャンが守るから」

 

そう言って視線を上げた先にいる灯火の顔を見る。

香風の言葉に虚を突かれた様な表情を見せた灯火だったが、すぐに優しい笑顔になった。

 

「ん、ありがとう、香風。けど、香風も無理はするなよ?」

 

「………うん」

 

はやくこの乱を終わらせよう、そう願う香風だった。

 

 

◆◆◆

 

 

豫洲沛国。

城の一室で喜雨は手紙を読んでいた。

差出人は以前ここにやってきた人物、灯火である。

 

一枚目は向こう側の近況報告。会えてよかったという旨の感謝の意。

董卓が中郎将になったことで向こう側で進めていた内政計画は一旦凍結。

そのお詫びの言葉が添えられていた。

 

二枚目は豫洲の黄巾党について。

母親である陳珪から救援要請を受理したので、司隷の賊を鎮圧し次第向かうのでもうしばらく耐えてほしいという内容だった。

 

「………ボクは農政しかできないけど、灯火さんや香風は軍を率いれるから。この時ばかりは羨ましいよ」

 

軽くため息をついて、手紙を大切にしまう。

農政や農業で真剣に取り合ってくれる彼らは、喜雨にとっても良い相談相手になっている。

 

「あら、ここにいたのね」

 

「………母さん」

 

部屋に入ってきた母親である陳珪は、手に持っていた書簡を喜雨に渡した。

陳珪にとっても待ち望んでいた報せが届いたのだ。

 

「莫殿と徐晃殿が兵を率いて豫洲にやってくるそうよ。ただ、流石に彼ら一軍だけじゃ戦力不足だから南の揚州から孫堅殿と共闘して当たるみたいね」

 

「………ボクは別に誰でもいいよ。賊を追い払ってくれれば」

 

「あらあら。せっかく莫殿と徐晃殿が大急ぎで司隷の賊を鎮圧したのに、喜雨がそんな態度じゃダメじゃない」

 

「…………」

 

流石に今のは、と自分も思ったのだろう。

視線を逸らすだけで何も言わなかった。

 

「────ねぇ、喜雨。少し尋ねてもいい?」

 

「…………? 何?」

 

「貴女は曹孟徳か、莫殿………というよりは董卓殿かしら。もし下につきたいのであれば、どちら?」

 

母親の言葉に、一瞬戸惑った。

様々な疑問が一瞬で浮き上がって、けれど何も言葉にできないまま同じ単語が出てきた。

 

「下につくって………どういう意味?」

 

「そのままの意味よ。もし主として仰ぐなら曹孟徳殿か、莫殿の主である董卓殿か………。参考までに聞かせてほしいの」

 

何を考えているのか、娘である喜雨はわからなかった。

それに答えた事で一体なにになるというのか。

 

「仰ぐも何も………ボクは董卓って人のことを知らない。灯火さんや香風の主ならきっといい人なのだろうけど、知らない人を主として仰ぐっていうのは出来ないんじゃないかな」

 

「───なるほど。確かにそうね。なら、質問を変えましょう。曹孟徳殿は、喜雨にとって主として相応しい御人?」

 

「………母さんが何を考えてるかは知らないけど。少なくともボクの知る限りまともな太守だと思うよ。ちゃんと農業についても視察にくるくらい、気にしているみたいだし」

 

「それを言われると、耳が痛いわね」

 

喜雨の隠された嫌味に苦笑する。

実際はちゃんと間者を使って報告は聞いているが、本人が直接見に行くということはしていなかった。

 

「ありがとう、参考にさせてもらうわ」

 

微笑みかけ、喜雨の部屋を後にする。

結局最後まで自分の母親が何を考えているかわからなかった。

変な事には使わないのだろうと思うが、何ともいえない疲労感を味わい思わずベッドへ倒れ込んだ。

 

「何を考えてるんだろう………」

 

溜息を吐かずにいられなかった。

 

 

陳珪もまた冀州での出来事は把握していた。

その影響で一部の黄巾党がこの豫洲にやって来ていることも。

 

「…………」

 

一人執務室で瞳を瞑り、考える。

その姿は見る人が見ればまるで絵画の一つのシーンであるかのように美しい。

とても一児の母であるとは思えない様相である。

 

曹孟徳。

祖父に曹騰持ち、今や苑州の陳留太守という立場。

その統治能力は州を超えて噂としてやってくるほど。この近辺では呉と同等の治安の良さ。

このことから考えても武や政治手腕は苑州一であることは明確で、今や太守という立場でありながら実質州牧の振舞いをしている。

街は厳格なる統治のもと発展を続け、陳留は大陸の中でも最上位の治安の良さを誇る。

 

「龍は老い、もはや蒼天に轟かず。ならばこの先この地を守るは大樹。………そう思っていたのだけれど」

 

董仲穎。

豪族の出で涼州にて太守を勤めていた。曹孟徳のように朝廷と繋がりがあったわけではなく、一辺境の将にすぎなかった人物。

彼女自身は曹孟徳のような覇気はなく性格は温厚で、統治していた街もそれを反映した様な街作り。

一方配下には天下一と謳われる飛将軍を始め名だたる将が居る。

“聖人”と“都の英雄”を迎え入れてからは統治していた街の防衛機能強化など軍備にも力を入れているよう。

また内政にも力を入れ始め、西域との商売、農政にも着手し、極めつけは“学校”なる、大陸全土でやろうものなら現体制が大きく変わりそうな計画。

現在は十常侍の引き抜きによって中郎将として洛陽に従事。

勢力としては十常侍側だが、大将軍と目立った衝突も無し。現状の判断材料から十常侍寄りの中立。

 

「老龍は死すとも蒼天に輝くは陽と月、舞う紅龍が翅を焼く。………呂奉先の冀州黄巾討伐は衝撃的ね」

 

陳珪には多くの繋がりがある。

大よそ外には出せない様な繋がりだが、こと情報を集めるのであればこの繋がりは非常に有用なものだ。

 

「曹孟徳………あれは英雄であるのだろうけれど、果たして大樹なりえるのか。もう少し、見極めなければならないわね…………」

 

 

 

 

 




呉ルートにおける陳珪さんって、どう思ってたんでしょうね。

そして曹操様陣営は香風がいない所為で将不足。
呉ルートでも散々将不足に悩まされてるけど、覇王様なのできっと大丈夫でしょう。
その分三羽烏にしわ寄せが行く(無責任)

袁紹殿は活躍の場を恋に奪われ、賄賂の話もないため功績無し。

その余波で豫洲の黄巾が酷いことになってる。


後編へ続く。


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File№11(後編)

後編になります。
北郷君がログインしました。


◆◆◆

 

 

揚州、建業。

 

丹陽南部で起こった黄巾党による乱は、あっという間に鎮圧された。

孫堅はこれで事実上、呉、盧光、淮南、そして丹陽群を加えた四群の支配者となった。

 

現在の本拠地、建業のある丹陽群が丸ごと手に入った事で、しばらく戦から遠ざかり統治に専念しようとしていた矢先の話。

朝廷からの使者によって、建業の城は再び戦支度で慌ただしくなっていた。

 

黄巾討伐の勅命。

場所は豫洲。

揚州から豫洲へ攻め上り、黄巾党を一網打尽にせよ、との命令だった。

 

「此度は大戦になりそうじゃな」

 

長い髪を束ねた宿将、黄蓋が戦準備を眺めながら呟いた。

その視線はこれからの戦規模を見据えたかのように鋭い。

 

「ええ。冥琳、兵站に抜かりはないわね?」

 

「まあ、どうにかな。二万もの兵を動かすのは流石に骨が折れるが」

 

「しかも、他人(ひと)の庭での戦だしねー。官軍の轍を踏まないよう、気合を入れていかないとっ」

 

冥琳と呼ばれた女性、周瑜と隣に立つ蒼い瞳の女性、孫策。

二人もまた此度の戦に参戦する身である。

 

「策殿、近頃の官軍はそう弱くもないようだぞ?」

 

「えー?」

 

「そうだな。冀州では黄巾党を殲滅し、荊州では占拠された城を取り返そうと今まさに奪還作戦中。司隷にいたってはいち早く鎮静化へ向かっている。これまでと比べれば、随分とマシになった」

 

「もー、祭も冥琳も。それ(・・)本気で言ってる(・・・・・・・)?」

 

からからと笑いながら尋ねてくる孫策に、二人は首を横に振った。

 

「じゃが官軍として各地の乱を鎮静化していっている以上、名義上は“官軍”であるぞ、策殿」

 

「そうね、確かに。けど私からしたら“官軍”って言うより、“董卓軍”って言った方が正しいんじゃないかなーって」

 

「雪蓮の言う事ももっともだな。皇甫嵩将軍や盧植将軍といった、元々官軍で活躍していた将らの名はまだ聞くが、それ以外の将はもはや形すら無い」

 

周瑜の言葉に辛辣ぅ~、と軽口を叩く孫策。

だが事実である。

 

「けど………董卓か。今回の共同作戦って、その官軍………というよりかは董卓軍の一軍と行うんだよな?」

 

戦準備を見守る人物の中で一人だけ男性が居た。

揚州にて噂される“天の御遣い”………北郷一刀である。

 

「ああ。朝廷の使者によれば共闘するのは“都の英雄”と謳われている徐晃将軍だそうだ」

 

「………“都の英雄”」

 

その言葉を聞いて再び頭を捻る一刀。

 

「なぁに、一刀。そんな頭を捻っちゃって。どうかしたの?」

 

「………いや。その“都の英雄”ってどんな人なのかなって」

 

董卓と言えば一刀の世界において、ある意味孫堅を超える有名人だ。

無論悪い意味で。

そんな人物が率いる将の中に“都の英雄”なんて呼ばれる人物が、はたして居ただろうか?

 

「(まあ、雪蓮たちが女性になっている時点で、こっちの世界の歴史なんて当てにならないだろうけど)」

 

何とか自分の中の違和感に対して納得させる。

一方で孫策達も一刀の疑問に対して話が出ていた。

 

「そうねぇ。私も名前は知ってるけど、姿形の情報は無いわね。冥琳、どんな人物か知ってる?」

 

「私も詳しくは。一説によれば男だとも言われているが、定かではない」

 

「ほう。となれば北郷にとって良い目標になるじゃろう。なにせ孫呉の重臣は女子ばかり。同性の目標であれば、道筋を立てやすいのではないか?」

 

「…………ソウデスネ」

 

くつくつと意地悪く笑う黄蓋の言葉に片言で答えてしまう。

なにせ現状主な役割が“種馬”である。

トップである孫堅の言により“天の血を孫呉に入れる”という役割だ。

男としては嬉しいのかもしれないが、反面それだけしか価値がないというのは少なくとも一刀には許容できない話である。

故にこうして文武で鍛えてもらっているのだが、一朝一夕で身に着くハズも無い。

 

「まあ何にせよ、徐晃将軍とは会うことになっている。ここで話し合う必要もないだろう」

 

「そうじゃな。儂は共闘するのが袁術軍でなくてよかったと安堵してるところじゃ」

 

「あー、それはそうね。私も祭と同意見」

 

その後如何に黄蓋と孫策が袁術を嫌っているのかを知った一刀は、内心官軍が味方でよかったと安堵したのだった。

 

 

◆◆◆

 

 

見覚えのある光景を、恋は眺めていた。

 

貧しい村に生まれた恋に今ほどの武は欠片もなく、親もどこにでもいる貧困一般人。

貧しい家に生まれた、普通の家庭だった。

 

日々生きていくために必要な食糧に貧窮し、満足に食べられない日々。

子供だった彼女は『おなかが空いた』と泣き、親に食べ物をせがんだ。

まだ自分の家庭の状況も正確に把握できなかった幼い恋が、その行動を取るのは当然だった。

 

しかし満足に食べられないのは親も同じ。

初めは満足に食べさせられない事に謝りながら宥め、どうしようもなくなった時に同じ村に住む住人から少しだけ食糧を分けてもらっていた。

近隣の住人も、子供が泣いているのは知っていたので自分達が提供できる範囲で少しだけ食糧を分けてあげていた。

困った時はお互い様、という優しい心を持った村の人々だった。

 

だが、何もこの村だけが特別貧困に喘いでいたわけではない。

この村がそうであるならば、当然他の村でも同じ状況に陥っている。

悪天候や冷害による農作物の大凶作は農村部を中心に深刻な疲弊状態。

明日食べるモノにすらどうしようもなくなった者は、匪賊となって周辺の村へ略奪行為を行う。

─────それが、恋のいる村にやってこないハズはなかった。

 

命こそ奪われなかったものの、匪賊との抗争は村に深刻なダメージを与えた。

今まで何とかやりくりしていた恋の親も、怪我を負ったり少ない食糧を奪われたりと、もはや散々な状況だった。

 

そしてこの時代で、こんな貧困の街に医者なんて居やしない。

怪我だって布切れで覆って手当する程度。

衛生環境だって都と比べれば劣悪極まりない。

そんな環境でちゃんとした治療もしなければどうなるか。

 

答えは疫病の拡大だった。

一人が発症したら瞬く間に村中に伝染していく病。

 

ぎりぎり体裁を保っていたこの村は、あっという間に死病蔓延る地獄になった。

顔も覚えていない父親を失った恋は母親に連れられ、宛ても無い荒野をさ迷うことになる。

 

 

だが─────子育てというのは大変なものだ。

 

 

何せ子供は大人の事情を把握しない。把握できない。

それは仕方がないことだからこそ、子育ては大変なのだ。

 

それを、明日食べるモノはおろか、住む場所すら無い荒野の地。

お腹を空かせ、涙を流しながら眠る子。

自分すら生きる事が絶望的な状況である母親に、もう子育てをするほどの余裕はなかった。

 

 

『…………おかあさん?』

 

 

 

 

 

─────目が覚めた。

 

「……………」

 

何の感情もなく周囲を見渡す。

手元には自身の武器が寸分変わりなく置かれている。

天幕内にはねねもいないことから、眠ってからまだそれほど時間は経ってないのだろうと予測した。

 

冀州から青洲へ向かい、既に青洲に入っていた華雄と合流し、陣を構えた。

細かい打ち合わせはねねと風鈴、華雄に任せた恋は一人天幕へ戻り、いつの間にか膝を抱えて眠っていた。

 

『───恋、おはよう』

 

嫌な夢を見たせいだろうか。すぐ傍に灯火がいないだけで心細くなった。

せめてねねがいてくれたなら、まだマシだったかもしれない。

 

灯火と出会う少し前の記憶。

悲しい記憶。

捨てられた記憶。

 

呆然と幽霊のように歩いて、空腹で動けなくなって。

その先で出会った自分よりも少しだけ年上の彼は、生きる事すら諦めた恋を救った。

 

その後は、まぎれもなく幸福だった。

いつも隣にいてくれた人。手をとって遊んでくれた人。

ご飯も食べれたし、寝る場所もあった。そして何より─────独りぼっちじゃなかった。

 

『あー………、これでも勝てないかぁ。─────まいった』

 

武の鍛錬で師匠でもあった少年に、ついに勝ち越したとき。

苦笑いしながら地面から立ち上がった。

 

『恋は強いな。俺もいろんなこと試してきたけど、全然ダメダメだったな』

 

そんな言葉に首を横に振った。

 

『………だめだめなんかじゃ、ない』

 

武を教えてもらった。学を教えてもらった。

ご飯もおいしいのを食べさせてもらった。寂しい時はいつも一緒にいてくれた。

眠る時も隣で手を繋いで寝てくれた。

 

彼もまた親を亡くして独りだったのに、自分とは違った。

 

楽しいことばかりじゃなかったし、賊に襲われた時もあった。一時は塞ぎ込んで喧嘩もした。

それでも自分の手を握って、離さないでいてくれた人。

 

人によっては武が、武勇がなければ“英雄”と呼べないなんて考えの人もいる。

こんな情勢なのだから、その論を否定することはしない。

 

武が強くなったのは自分でもわかる。結果的に恋は灯火を超えた。確かに強くなった。今戦ったとしたら全員が恋の勝利を疑わないだろう。

その論で言うならば、恋は紛れもない英雄なのだろう。

 

だが、恋はそう思わない。

自分より武が劣る彼が、“英雄”ではないとは絶対に考えない。

 

他の人にしてみれば“英雄”ではないのかもしれないけれど、そんな事、恋にとって関係がない。強さなんて関係ない。

他人なんて、他者の評価なんて関係ない。

 

 

だって─────紛れもなく恋にとって、灯火はただ一人の“英雄”なのだから。

 

 

◆◆◆

 

 

青洲北部に位置する一角に、その者達はいた。

劉備、関羽、張飛。

正史の三國志演義において主人公一派として後の世に語られる者達である。

 

幽州にて公孫賛の客将を務めていた三人は、この黄巾の乱を切っ掛けに義勇兵を募って挙兵。

公孫賛の後押しもあって実に六千の兵を率い、討伐のためにこの乱世へ乗り出した。

幽州で出会った諸葛亮・鳳統を軍師として招き入れ、決して楽ではない旅路ではあるが、それでも現在順調に荒波の中を進んでいた。

 

全員が女性であることは今更である。

 

本来六千もの義勇兵が州を越境するだけでも大変なのだが、公孫賛の助力もあり大きな問題もなく南下。

黄巾党発祥の地とすら揶揄されるほど、黄巾党の情報が多い青洲に彼女ら義勇兵達はやってきていた。

まさに公孫賛様様である。

だというのに六千もの義勇兵を集める劉備のチートによって兵士集めに苦労する公孫賛はまさしく苦労人である。

草葉の陰で泣いてそう。

 

そんなことはさておいて、劉備陣営の目的は唯一つ。

この黄巾の乱で劉玄徳の名を広め、恩賞を賜ること。

いつまでも公孫賛の元で客将として燻っていては、劉備の理想は叶えられない。

ならばこの乱を利用して独立を果たし、相応の地位を手に入れる。

そうなればもっと多くの人々を救う事ができる。

 

そう提案された劉備らはこうして州を越境して青洲へやって来ていた。

 

「愛紗ちゃん、鈴々ちゃん、お疲れ様。雛里ちゃんも指揮お疲れ様。後方で見てたけど、凄かったよ~」

 

「桃香様も無事でなによりです」

 

「ふふん、鈴々にかかればこんなものなのだ!」

 

「ありがとうございます」

 

青洲に来たのは一重にこの地が黄巾党発祥の地とすら呼ばれるほど、黄巾党の被害が多いからだ。

州が違う公孫賛宛てに救援要請が届いた時は驚いたものだ。

それを受けて劉備達がこうして赴くことになったのだが。

 

青洲黄巾党が一つの塊となっていたのであれば、六千程度の義勇兵率いる劉備達では太刀打ちできなかった。

が、現実は数こそ多いが小規模勢力が乱立しているだけという状況。

 

黄巾党討伐で名を上げようとしている劉備達にとっては、実によい“狩場”であった。

無論そんな言葉を吐き出すほど、軍師である諸葛亮や鳳統は軽い口の持ち主ではないが。

 

「ねえ朱里ちゃん。この後はどうしたらいいかな?………正直兵糧の方は心もとないんだけど………」

 

劉備の一言に諸葛亮だけでなく、全員が頭を悩ませる。

連戦連勝の劉備義勇軍も、食べるモノがなくては戦えない。

流石の諸葛亮も無から兵糧を作り出す事はできないのである。

 

「この青洲にやってきているという官軍と合流し、兵糧を分けてもらう………という手が、今の所一番でしょうか」

 

「官軍………か。公孫賛殿の元に居た頃にいくつか耳にしたが、当てになるのか?」

 

諸葛亮の言葉に疑問を呈す関羽。

彼女の聞く限り、官軍は頼りにならないという思いがあった。

洛陽から遠い幽州の地とはいえど、黄巾党討伐の命令が届いたのは一度幽州内の黄巾党を討伐したあと。

正直今頃命令が届いたのかと呆れたものだ。

 

「少なくとも“今”の官軍は持ち直してきています。十常侍が涼州から董卓軍を官軍に引き入れた後、少なくとも司隷と冀州の匪賊は討伐されたとのことです」

 

「とうたく………? 誰なのだ?」

 

「董卓って………確か星ちゃんが白蓮ちゃんに仕える前に客将として仕えてた人だよね?」

 

どこかで聞き覚えがある張飛が首を傾げた一方で、覚えていた劉備が関羽に確認する。

それに首を縦に振った。

 

「はい。董卓軍の元で武を磨いたとのこと。あの手練れである星ですら赤子扱いだったとのことですから、その者達が官軍として各地の黄巾党討伐に乗り出しているのであれば、納得です」

 

『いやはや、この私が手も足も出ないとは。武に自信はあったのだが、上には上がいるとはこの事。─────そのせいで待ち焦がれたあの者との手合わせは結局できずじまいだったが』

 

趙雲との会話を思い出した。

最後の小声の意味はよくわからないが、あの星を以てしてもそれほどの実力差があったと聞けば関羽も否応なしに記憶するというもの。

武人としてどうしても気になるのである。

 

「あとは兵糧を備蓄している黄巾党を探し出し、討伐して兵糧を鹵獲するかのどちらかかと」

 

「うーん。あまり大きい規模の相手だと私達だけの勢力じゃ万が一があるし………かといって小さい規模だとそもそも兵糧を備蓄してない事もある、か。難しいね」

 

腕を組んで頭を悩ませる。

この義勇軍のトップは劉備である以上、今後どうしていくかの最終決定は彼女が下す必要がある。

黄巾党討伐として立ち上がったはいいものの、その所為でついて来てくれた兵達を餓死させるなんて彼女の選択肢に存在しない。

だからといって規模が違う相手に無茶して相手をすれば、兵の損害は大きくなるだろう。

戦う以上無傷とはいかないと理解しているが、だからといって徒に犠牲を大きくするハイリスクハイリターンな戦法は好まない。

 

「どうされますか、桃香様」

 

「うーん………、やっぱり官軍の人たちにお願いしてみるしかないかな。同じ目標を掲げているわけだし、できれば共同戦線も。そうすればもっと大きい規模の相手も出来るし、ご飯も貰えるし、それにそれに私達の頑張りを直接見てもらえるし。─────あれ? これって結構いいことづくめ?」

 

おー、と自分が言った事に対して驚く劉備に苦笑いする関羽と張飛。

確かに此度の討伐の目標は黄巾党討伐による恩賞を賜ること。

いくら頑張ってもそれが朝廷に届かないのであれば、目的は達成されない。

そういう意味では官軍との共同戦線は決して悪いものではなかった。

 

「ただ問題は、この青洲に来ているであろう官軍の将の方が、どのような方なのか、です」

 

「………残念ながら官軍の中には好ましくない将兵の方もいらっしゃるようなので………。交渉の場を設けてくれる方であればいいのですが」

 

鳳統と諸葛亮が懸念を示す。

流石にこの青洲に来ている官軍の将が誰なのかまでは把握していなかった。

 

「そこは会ってみないとわからないね。───とにかく、先ずはこの青洲に来ているっていう官軍の人たちと合流しよう!」

 

劉備の一声で四人は頷いた。

黄巾党討伐を目標に掲げつつ、兵糧問題を解決すべく劉備率いる義勇軍は進路を変更する。

 

「ところで………官軍の人たちって、青洲のどこにいるの?」

 

諸葛亮率いる義勇軍は進路を平原へ向けたのだった。

 

 

 




恋の過去は独自。

孫呉は袁術共闘ではなくなりました。
やったね、孫策さん、黄蓋さん。

劉備は順調に手柄を積み立てている模様。


遅くなりましたが、これからもまったり更新していきます。


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File№11.9

Q.なんでこんなに遅くなったの?
A.朝起きて終電近くに帰宅してたらこうなった

Q.「賄」と「賂」って─────
A.形似ているからセーフ(修正しました)

Q.”都の英雄”って?
A.香風[英雄]来てくださいっていう願掛け(真恋天下)


始まります。
(※誤字修正しました)


空を照らしていた太陽は地平線へ沈み、白く輝く月が夜を優しく照らす。

この時代宇宙から分かるほどに強烈な光を発する現代建造物は存在しないため、夜となれば恐ろしく見通しが悪くなる。

洛陽の主要通りにはまだ灯りがくべられているが、少し外れればあっという間に闇が支配する領域。

 

出陣を明日に控えた灯火がいるのは洛陽の城の一室。

そこは自分用に宛がわれた一室である。

 

部屋の中は寝台を始め、椅子や机、本棚といった基本的な家具がある。

官軍の将に宛がわれる部屋だけあって基本的な家具も一つ一つが凝った造りになっていた。

壁には壁画が描かれており、家具を含めて俯瞰すればこの部屋そのものが一種の芸術品である。

 

もっとも、そんな場所に住むとなれば落ち着くまでに時間を要するのだが。

 

この部屋にいるのは灯火を含め三名。

 

一人は徐公明こと香風である。

彼女も彼女でちゃんと一室を宛がわれているのだが今まで使った事は一度も無く、朝おはようから夜おやすみまでこの部屋で過ごしている。

香風からしてみれば仕官する前から灯火と居住を共にしていたし、涼州に居る時も同じ屋根の下で暮らしていた。

今更別の部屋を用意されても使う気になれず、今や香風に宛がわれた一室は物置部屋になっている。

 

もう一人は賈文和こと詠だ。

明日出陣にあたり灯火と香風がいるこの部屋に訪れ、灯火の報告書を読みつつ最後の打ち合わせを行っていた。

 

「黄巾の乱もそう長くはない。後の世がどうなるかは………残念ながら俺には分からない。出来る事なら平和になってほしいけどな」

 

まあそれは望み薄だろうなと内心零した。

そこまで楽観的になれるほど、灯火は思考を放棄していない。

 

「それはボクだって同じ。………けど、そうならないのは感じ取っているでしょ」

 

詠は報告書を読みながら灯火の話を聞いていた。

日に日に何進と十常侍のいがみ合いが苛烈になってきている。

無論武器を手に取ったり流血沙汰になったりはしていないが、何ともギスギスした雰囲気であるというのは容易に感じ取れた。

 

「まあ何進も十常侍も………流石に黄巾の乱が終わるまでは口喧嘩で済ませてるんだろうさ」

 

「その口喧嘩に巻き込まれるボクと月の身にもなってほしいわね。なんで言い合いを軍議でするんだって話」

 

露骨に嫌な顔をする詠に苦笑する。

 

「十常侍と何進が面と向かって話し合う主な場が軍議なんだろう。今は黄巾党っていう共通の敵がいるから同じ舟に乗っているだけだろうけど」

 

これが所謂呉越同舟。

それが仮にも身内にいるのだから、黄巾党が終わったからといって休む暇はないだろう。

詠はそれをひしひしと感じているし、灯火は知識から面倒事が起きそうだという予測を立てている。

 

誰も得なんてしない内ゲバ話はとりあえず横に置いておき、手に持っている報告書の中身について確認する。

その中には詠も初めて知る情報があった。

 

「黄巾党内部に紛れ込んだ間者からの報告では張角・張宝・張梁の三名は、噂で出回ってるブ男ではなく女旅芸人………って書いてあるんだけど」

 

「元は歌を歌いながら各地を旅していた旅人らしい。黄巾党はその歌に熱狂し、黄巾党になった。………いやあ、世も末だな」

 

「のんびり頷いてるんじゃないわよ。なんで歌を歌っただけでここまで叛乱の規模が大きくなるのよ………」

 

「それは言わずとも分かっているだろうに」

 

「限度っていうものがあるでしょ」

 

灯火が淹れた茶を啜りながら二人はテンポのよい会話を続ける。

香風は半分夢見心地で寝台の上で横になっており、会話には参加していない。

枕を抱き枕として体に挟み込んでウトウトしているあたり、眠りにつくまでそう長くはないだろう。

 

「何にせよ三人をひっ捕らえて処刑しないと。ここまで規模が膨れ上がった黄巾党の後始末の為にも」

 

「それなんだが、その結論は待って欲しい」

 

この時代としては至極当然な考えを口にした詠に灯火がストップをかけた。

 

「何? 何かあるの?」

 

「二つある。一つは利用価値。歌だけでここまで人を熱狂させる三人だ。詠、“軍師”として考えたとき────使えると思わないか? それに人々の娯楽を満たすためにも使える」

 

灯火の言葉に僅かに眉間に皺を作った。

だがそれに対する回答は出さない。

二つあると言ったのであればもう一つも聞いてから回答を言う。

 

「もう一つは黄巾党残党。黄巾党を討伐したとしても一人残らず殲滅しきる事は出来ない。これだけの規模だ、必ずどこかに残党は残る。その時、この三人を処刑し首を晒したとする。黄巾党の連中は三姉妹に熱狂的だ。いっそ狂信者と言っても過言じゃない。そんな連中の前で晒し首にしたら………」

 

「………確実に暴徒になるか。少数が暴徒になるくらいなら鎮圧できるでしょうけど、周囲に被害を齎したら今の二の舞、ということね」

 

瞼を閉じ、思考する。

暴徒に関してはあまり脅威にはならないだろうが、突然湧いてくるものをいつまでも相手にしなければならないというのは手間だ。

いつまでも黄巾党を相手にしていられるほど詠も暇ではないのだから。

 

「言いたい事はわかったわ。確かに灯火の言う通り利用価値はある。けどじゃあこの三人は死罪にはしない? 黄巾党によって田畑や家族を失った人だっているのに?…………そんなことをしたらどうなるか、分からない灯火じゃないでしょ」

 

「被害者である民の不満が爆発する。それは分かってるよ。けど、忘れてないか? “今”の張角は“ブ男”だぞ?」

 

灯火の言わんとする事を理解する。確かにそれならば三姉妹を生かす事はできるだろう。

だが詠は訝し気に灯火を睨む。

 

「………えらく張角三姉妹を気に入ってるみたいだけど。なに、アンタ気があるの?」

 

「はっはっは。詠が派手な衣装を着て民や兵士達の娯楽を提供する歌姫になるって言うなら三姉妹の処遇は任せるけど?」

 

「バカじゃない?」

 

「ひどいな」

 

シンキングタイムゼロセコンドで返ってくる罵倒。

まあ灯火自身も彼女がそれをやるとは思っていないし、詠もまた彼が本気で言っている訳ではないというのも理解しているが故の軽口だ。

 

「まあボク個人としては三姉妹の生死に興味はない。誰かを黄巾党に殺されたわけでもないし、涼州は黄巾党の被害もないからね」

 

この大陸全ての人間を救いたい、という崇高な考えを持っている訳ではない。

無論救える者がいるなら救うし、平和のために活動は惜しまない。

だが詠の中での天秤はあくまでも月を始めとした身内が最優先だ。

月の為ならばいくらでも冷酷になりきる自信があるし、月の命が危ないとあればどんな事をしてでも救い出すし守り抜く。

 

そして目の前にいる灯火も自分と同じ考えを持っている人物であると詠は知っている。

涼州を出立する前日に二人だけで話し合った内容は、今でも強烈に脳裏に焼き付いているのだから。

 

「ただ諸侯の中にボク達と同じ結論に至っているところがあったらどうするの?」

 

「こっちが確保して処刑したのが偽物じゃないのかって言ってくる奴がいれば処刑した奴が本物だと言い切る。他の誰かが確保しているのであれば………まあ仕方がない。確保している時点で俺達と同じ結論に達している筈だろうし、その時は諦めよう」

 

こういう時の為の官軍である。

それに黄巾党内部には灯火の手の者が入り込んでいる。情報の精度としてどちらが上か、というのは言うまでもない。

そのあたりの論理武装を整えてやれば反論は封殺できるだろう。

まあもっとも手に入れた情報と真逆の事を言おうとしているのだが。

 

「………てっきり官軍権限で要求するのかと思ったけど」

 

「それはやりすぎだな………地方軍閥との関係が拗れる。そこまでする価値はないよ」

 

無論本人達が此方側に来たいというのであれば話は別である。

 

「まあいいわ。灯火も理解してるでしょうけど、その三姉妹が人物的に害にしかないならボクは反対するからね。いくら利用価値があるとしてもそんな不和の原因になりそうな人物はお断りだから」

 

「言われるまでも無い。月と詠の方が大事だからな」

 

ぴくり、と反応を示したが言葉にしたら何か負けな気がしたので何も言わずに席を立った。

手には受け取った報告書をまとめている。

 

「それじゃボクは部屋に戻る。遅くまで付き合ってもらって悪かったわね」

 

「そっちの事情の方が最優先だ。何度も言うけど一人で抱え込むなよ?」

 

「分かってる。灯火達こそ、夜遅くまで起きて明日の出陣に間に合わないなんてこと起こさないでよ」

 

「了解、おやすみ」

 

部屋を出ていく詠を見送り、部屋を改めて確認する。

人の気配が減った事で香風が半目を開けた。

 

「………ん」

 

「ああ。俺ももう眠る。灯りを消すけど、いいか?」

 

「………んー………」

 

寝ぼけた風に生返事をする香風に薄く笑い、部屋の灯りを消す。

寝台に横になるともぞもぞと香風が近寄ってきた。

 

「あったかーい………」

 

ぴたりとひっついてくる香風。

流石は与えられた洛陽の城の一室というだけあって、この寝台も最高級。

こんなものを毎日味わっていたら床で眠るのは出来なくなるかもしれない。

そう思う灯火だった。

 

 

◆◆◆

 

 

黄巾党に官軍の手の者が入り込んでいる。

 

この事実を知る者は多くない。

月や詠を始めとした董卓軍、共に行動する楼杏と風鈴だけだ。

何せ彼らは数だけは多い黄巾党を内部から攪乱する役割を担っている。

その時がくるまでは目立ってはいけないし、情報として知られても困る。

故にこの事は秘中であった。

 

だが、それを看破してみせるのが伏竜鳳雛である。

 

元より冀州黄巾党が討伐されたという情報を入手した時点で、二人は現状に対して違和感があった。

この青洲は黄巾党発祥の地とも言われるほど小規模の黄巾党が乱立する激戦区。

そこへ冀州から逃れてきた黄巾党が入ってきたのであれば、遭遇率は上がる筈である。

初めはそれを警戒して二人で今後どうしていくかを話し合った事もあったが、いざ蓋を開けてみれば遭遇率は上がるどころか下がる一方。

糧食不足に悩む義勇軍としては、遭遇率が低くなるというのは良い話ばかりでもない。

 

違和感と言えば自分達が入手した情報そのものについても違和感があった。

情報の内容ではなく、情報の入手どころの話である。

 

何せ義勇軍は言ってみれば流浪の軍。

それこそ自ら動いて情報を集めるか、意図しなくとも聞こえてくるほどに話が広まっているかのどちらかしかない。

 

そして今回の情報は後者だった。

 

冀州黄巾党の壊滅、冀州黄巾党残党の流入、官軍が撃破したという情報、“飛将軍”の活躍の報せ、追手として官軍がやってきた。

これらの情報は全て伏竜鳳雛が意図して手に入れたのではなく、補給の際に立ち寄った街々で自然と手に入れた情報だった。

 

この現状二つの違和感を抱きつつ、平原へ行軍していた時に遭遇した黄巾党。

規模は此方よりも多い約一万。真正面からぶつかり合えば消耗戦は必須である。

故に軍師である二人は周囲の地形を読み取り、此方側が有利になるように戦場を展開した。

 

結果は見事勝利。

術中に嵌った黄巾党は兵力差があるにもかかわらず義勇軍に敗北することになった。

だが─────

 

「どうしたの、朱里ちゃん、雛里ちゃん?」

 

「あ………桃香様」

 

難しい顔で話し合っている二人が気になった劉備が声をかけた。

彼女の背後には関羽と張飛もおり、劉備の性格上、黄巾党を逃がしてしまった二人を励ましていたのだろう。

そんな劉備が二人の難しい顔に反応しない訳が無かった。

 

「いえ、先ほどの黄巾党についてです」

 

諸葛亮のその言葉に眉間に皺を寄せたのは関羽だった。

 

「それは………すまない。私がもう少し踏み込んでいたら黄巾党を逃すこともなかった」

 

「鈴々も追いかけたけど上手く逃げられちゃったのだ………」

 

「あ、いえ。愛紗さん達を責めている訳ではないのです。それを言うなら私達の見通しが甘かったのが原因です。此方こそ申し訳ありません」

 

互いが謝罪する形となってしまう。

お互い至らない点があったという認識を持っていたのだからある種当然とも言える。

そんな様子に苦笑しながら劉備が仲裁に入った。

 

「愛紗ちゃんや鈴々ちゃんは敵をやっつけて、朱里ちゃんと雛里ちゃんは策を以て勝利した。だからもっと自信持っていいんだよ?………私なんて、白蓮ちゃんと別れてから何もしてないんだから」

 

はぁ、と軽い溜息をつく劉備にあわあわはわはわと慌てる軍師二人。

確かに戦闘や策を出すという事に関しては関羽や諸葛亮が主立っているが、劉備が何もしていない訳はない。

彼女にしかできない事をやっているというのに割と真剣にそう悩んでいるあたり、それに気付いていないのだろう。

そんな様子に小さく笑って、空気を入れ替える。

 

「ところで二人は難しい顔をしていたが、何か問題があったのか? 先ほどの黄巾党は確かに逃してしまったが、それではないとすると?」

 

関羽の問いに諸葛亮と鳳統が顔を見合わせ、頷いた。

 

「皆さん、ここ最近黄巾党との遭遇が少ないと思いませんか?」

 

つい先ほど黄巾党と戦ったばかりで今すぐにその実感は湧かないが、記憶を掘り返してみると確かに諸葛亮の言った通りである。

青洲にやって来た当初などあまりの黄巾党との遭遇に憤りを超えて疲労したものだ。

 

「皆さんは冀州黄巾党が官軍によって壊滅させられたのはご存知ですよね? その煽りを受けてこの青洲に黄巾党の残党がやって来ているということも」

 

続く言葉に三人は頷いた。

こうして義勇軍を率いる彼女達にすら届くほど、冀州黄巾党壊滅の話は噂されている。

だが、それは不可解な点である。

 

「………一つ目の疑問点。私や朱里ちゃんが意識的に情報を集めようとして手に入れたのであれば兎も角、特にそういうこともしていないのに風の噂で私達にまで情報が出回ってきました………」

 

「………それだけ全く関与していない街の人々まで知っている、ということか」

 

鳳統の言葉に関羽も同意する。

頭脳で言えば諸葛亮や鳳統には及ばないが、二人と出会うまでは三人組の中で一番頭脳役として働いていた彼女である。

少し考えればその事にも行き着いた。

 

「………二つ目は、その話が出回るほどだというのに、実際は黄巾党との遭遇が減っている事です。何も考えなければ私達や官軍、地方軍閥の活躍により黄巾党の数が減ったから………と考えることが出来ます。ですが………」

 

「少なくとも、さっきの黄巾党は今まで戦ってきた中で一番の数だったのだ。撤退も早かったし、鈴々でも追い付けなかったのだ………」

 

「指揮に優れた者がいる?」

 

劉備が疑問を出すが、諸葛亮はそれを否定する。

 

「いえ、もしそんな人がいるのであれば、もっと私達は苦戦していたでしょう。今回の策は賊だからこそ容易に成った策です。これをもし正規軍相手にするとなるともっと別の手を考えなければなりません」

 

「………分からないな。朱里達が疑問に思う事と先ほどの黄巾党。どう繋がるのだ?」

 

冀州から黄巾党の残党が入り込んでいるにも関わらず遭遇回数は減り、遭遇してみれば黄巾党の規模は大きく、なのに不利と見るや撤退する速度が速い。

これが先ほどの黄巾党に言えること。

 

「…………黄巾党は元々官軍に反抗する為に立ち上がった人達。それに対して官軍が黄巾党を破ったという活躍の情報が街で溢れかえっています」

 

鳳統が現状持つ情報と知識を用いて三人に説明する。

 

「………ともあれば黄巾党は大きく二分されます。官軍を恐れ黄巾党から脱却する者、憤慨し官軍打倒を目指す者。脱却する者に関してはこれ以上話に出てくる事はありません。問題は官軍打倒を目指す者です。………冀州黄巾党討伐の情報と共に“飛将軍”の活躍も聞こえてきます。逃れてきた冀州黄巾党残党達はその体験者ですから、その話が偽物か本物かというのは知っているでしょう。それは各地にいる黄巾党が確かめたい情報でもあります。各地の黄巾党は残党を招き入れるでしょう。同じ側に立つ者、必要な情報を持つ者として。そして“飛将軍”の話が“本物”だと知ったら………」

 

「………今までの様な小規模では太刀打ちできない、と判断するか。つまりこの青洲黄巾党も徒党を組んで官軍に対抗しようとしている、ということか?」

 

「ほぼ間違いなく。私達が黄巾党と遭遇しなくなったのも、各地にバラバラになっていたのが一ヵ所に集まり始めたからです。先ほどの黄巾党は恐らくその場所へ向かおうとしていた人たちだと思います………」

 

鳳統が言うには先ほどの戦は遭遇戦。

撤退が早かったのも本来は青洲黄巾党本隊と合流するのが目的だったからと言われれば納得できる。

 

だがそれが今になって話すあたり、彼女達も確信がなかったということだ。

相手は各地を転々とする黄巾党。

城を占拠していたり本拠地を構えていたりするのであればただその場所目指して行けばいいが、黄巾党はそういう集団ではない。

移動し、各地で騒ぎを起こすその性質上、一ヵ所にずっととどまっている事は無い。

遭遇しないというのは単純に義勇軍が行く道と黄巾党が行く道が被っていないだけの可能性もあったのだ。

 

「けど、官軍に対抗するために黄巾党が大きくなったら、私達だけじゃもうどうしようもないよね………」

 

「………ええ。いくら賊と言えど、巨大な規模になれば私達は無論、官軍でも容易に手を出せなくなる」

 

義勇軍の兵は六千程度。

策を用いて約一万の黄巾党に勝利したが、これ以上の規模を相手にしようと思ったらいくら何でも無理がある。

 

いくら関羽や張飛が猛者と言えど、一人で何万人も相手に出来る訳ではない。

どこまで行っても戦いは数が多い方が勝つ。

それをひっくり返すのが策だと言っても、それにも限度はあるのだから。

 

だが、伏竜鳳雛は違う。

相手はどれだけ大規模になろうとも所詮は賊である。

 

「大規模と言っても相手が賊であれば手が無い訳ではありません。例えば火計。兵糧を焼けば大規模な人数はそのまま枷になります。賊である以上正規軍の様な統率を維持できることも無いでしょう。混乱に乗じれば殲滅とは言わずとも大打撃を与える事は可能です」

 

「………ただそうなった場合、その作戦をどのように成功させるかが鍵になります。敵陣地の隅で炎が生まれても、その規模からしてすぐに消火されて終わりです。相手に混乱を生み出そうとするならばもっと相手の被害が大きいところを攻撃するのが上策。………ただ相手は正面からぶつかれば大損害を被りかねないほどの大規模。当然見張りは複数あるでしょう。それを欺きつつ内部へ奇襲をかける………というのは非常に危険です………」

 

「………確かに。よしんば奇襲に成功し、相手の兵糧を焼く事ができたとしても、周囲を囲まれている状況では生きて帰れない、か………」

 

「むー、それじゃ意味がないのだ。やっぱり戦いは数なのだ」

 

いくら関羽や張飛でも生きて帰れるイメージはつかなかった。

奇襲である以上相手に気付かれてはならない。つまりそれだけ少数で行動しなければならない。

だがそんな少数による工作が成功したとしても周囲は敵だらけ。どうあっても生き残れないだろう。

 

「………そんな作戦、私は嫌だよ。誰かが行くにせよ、捨て駒なんてしたくない」

 

劉備が断固として反対する。

自身が行っても絶対に成功しないというのはわかっているし、関羽や張飛ならば成功するとしても生きて帰れないと聞かされれば劉備の性格上実行には絶対に移さない。

 

「愛紗さん、桃香様。………“都の英雄”と呼ばれている徐公明という人はご存知でしょうか」

 

鳳統が問いかけた。

いきなり話題が切り替わった事に疑問を覚えるも、二人は記憶の中から該当する情報を思い出す。

 

「聞いた事はあるな。何でもまだ黄巾党が蜂起する前、司隷付近の賊を討伐し、一時の平穏を齎した………と聞く」

 

「あ、それ私も聞いた事ある。私じゃどう頑張ってもそんな武は無いから、凄いなあって思ってた」

 

「その“都の英雄”が、何か関係があるのか?」

 

魔女帽子がコクリと頷く。内気な性格である鳳統だが、知識欲は人一倍あった。

 

過去の様々な書物を読み漁っている中で聞こえてきた司隷の話。

当時はまだ“都の英雄”と呼ばれてはいなかったが、司隷の賊を一掃した、という噂話は鳳統の知識欲を大いに燻った。

どのような方法で賊を討伐したのだろう、と。

 

その知識に関する貪欲さをもう少し外向きに出来ないだろうかと、彼女の教師が密かに思っていた事を彼女は知らない。

 

「………先ほどの話。確かに火計が成功したとしても、内部に入った人たちは生きて帰れないです。よほどの武を持たない限り。………ですが、それを安全に、確実に成功させる手法があります。………それが“都の英雄”がかつて使った方法」

 

 

「─────“埋伏の毒”、です」

 

 

◆◆◆

 

 

明日出陣を控えているのは何も官軍だけではない。

勅命により豫洲へ赴くことになっている孫呉もまた同じである。

戦準備を整え、明日早朝に出陣を控えている。

 

ならば今日は明日に備えて早く寝よう、ということで眠っているのが灯火と香風であり。

 

 

─────明日に備えて景気付けようと酒を飲むのが孫堅である………!

 

 

「いやいやいやいや、何やってるの、炎蓮さん。明日出陣だよね?」

 

食堂にやってきた一刀。

中には当主である孫堅を始め、周瑜、孫策、黄蓋が居た。

 

「なんだぁ、一刀か。─────飲むか?」

 

「飲まないよ!?」

 

手元の杯と一刀の顔を交互に見た後、杯を突き出した孫堅に思わず大声で拒否してしまう。

いやだが考えてもみてほしい。

明日は大戦になりそうだと昼間話していて明日出陣を控えているのに、前日の夜に酒を飲むだろうか。

 

「なんだ付き合いの悪りぃ奴め。俺の酒が飲めないって言うのか?」

 

「もうすでに酔っている………うん、酔うな、それだけ飲んでいれば」

 

孫堅の足元には酒が入っていたと思われる瓶が複数転がっていた。

彼女が大変な酒豪であるというのは知っていたが、何度見ても軽く引いてしまう一刀である。

 

「というか止めなくていいの、冥琳、雪蓮? 明日出陣だよね?」

 

「確かに明日出陣ではあるが、明日戦をするわけじゃあない。二万もの軍勢となれば目的地に行くだけでも時間を要する。今日酒を飲んでも問題ないさ。………酔いを明日に残さなければな」

 

「大体、この人が止めろといって止めると思う?」

 

孫策の言葉に答えは出ない。

というか娘である孫策がそう言っている時点でそれが答えなのだ。

 

「この俺が次の日に酔いを残す事と思うか、一刀?」

 

まだ数度だけではあるが、酒を信じられない程飲んで翌日にその酔いを残している孫堅を一刀は未だに見た事がない。

今回も明日には問題なくいつも通りになっているのだろう。

 

「そういう事だ。お前も一杯ぐらいは酒に付き合え。こうして食堂に来たあたり、適当な物を欲して来たのだろう?」

 

「………まあそういうことなら」

 

喉が渇いたということで水を飲みに来たのだが、こう言われては断るのも躊躇われた。

さっきは勢いで断ってしまったが、明日出陣なだけであり戦をするわけじゃない。軍師の御言葉である。

酔いも残さなければいいわけで一杯くらいならばと手渡された杯に口を付けた。

無論一刀は孫堅ほど酒に強いわけではないので慎重に飲んでいるのだが。

 

「けど、戦力は本当に二万で大丈夫かな。確か相手は─────」

 

「はっ!面白れぇじゃねぇか。相手の軍勢は十八万。それに対して勅命に書かれていた要求兵力は二万。向こうの九分の一の兵力で良いっつうんだから、痛快だ。官軍………いや董卓軍と言った方が正しいか。どれだけの連中なのか、是非とも興味が湧いた………!」

 

「ほんっと、そういうところは相変わらずよね………」

 

「んん? 何か言ったか、雪蓮」

 

「なんでもないですよー」

 

酒を飲みながらも見せるその眼光はまさしく狂虎の名に相応しい。

情報として董卓軍の活躍は知っている。

官軍の情けなさにほとほと呆れていたのだが、こうも強気の要求となれば孫堅が興味を持つのもある種当然であった。

 

「ねぇ冥琳。あなたはどう見る?」

 

「十中八九何かしらの策があるだろう。現在官軍は荊州や青洲を始めとして多方面同時作戦中だ。この豫洲に全ての兵力を集める事は出来ない。純粋な数で言うならば我らと官軍を合わせても黄巾党が勝る。今までの官軍であれば何を考えているのか不安でしかないが、今の官軍………というより董卓軍であれば、何かしら手があるのだろうとある種期待している」

 

「過度な期待をしすぎるのも危険だと思うがのう。無論策はあるのだろうが、これだけの兵力差。如何に相手が賊であろうと生半可な策では数で押し切られてしまうのではないか?」

 

「ええ、それは十分にあり得ます。無論、私とて軍師である以上、策は考えましょう。官軍側の軍師が把握している情報も得られるのであればそれに越した事はないでしょうし」

 

「期待しているわよ、冥琳♪」

 

親友に激励を飛ばし、手に持っていた杯を勢いよく喉へ流し込んだ。

敵の数は甚大、決して楽な戦いにはならない。

それでも孫策の勘は告げていた。

 

きっとうまくいく─────と。

 

 

 

 

 

 

 




感想、評価、お気に入り登録、誤字報告ありがとうございます。


話の流れは作れてるのに、肝心の時間が取れないという状況のため更新速度は落ちますがご了承ください。


次回はいよいよ官軍と孫呉軍が合流するよ、きっと。




というか香風でいない属性って水だけだから来るとしたら水になるのか?
そうなれば恋(英雄)と同じ属性………これはもう編成で組ませるしかないな!



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File№12

誤字報告や感想、お気に入り、評価ありがとうございます。


三國志や恋姫における距離概念やらなんやらは分からない部分があったので、
まあこういうものと思ってくだされば。





始まります。


 

 

司隷洛陽。

黄河中流に位置し、南に黄河の支流となる洛水が流れていることが洛陽という名前の由来となっている。

西に函谷関、東に虎牢関、北に 邙山(ぼうざん)、南に 伏牛山(ふくぎゅうさん)があり、中岳嵩山も隣接する。

南北を山に、東西を堅牢な関によって防備されたこの地は、現時点において最も攻略し難い地の一つである。

 

渭水流域の軍事力と結びついた旧都長安と華北平原の経済力が結びついたのが洛陽であり、後の世に伝えられるシルクロードを構成する地でもあり、それ故に東西南北から多くの商人がやってくる一大物流地点でもあった。

まさしく首都と呼ぶに相応しい人・モノ・カネの集まる場所なのだが、それに胡坐をかいて貪り尽くしているのが十常侍であり、何進でもあった。

 

この時代にここまで経済において必要な要素が揃っているだけに、何と勿体ないことか、と考えてしまうのは現代の知識を持つが故だろうか。

灯火自身は名も顔も知らぬ人々全てを余すことなく救ってみせる、という気概を持った人物ではない。

だが目に見える範囲で暴力が横行していたら不快に感じるし、子供が空腹で泣いていたら手を伸ばす。

それだけの関心性は持ち合わせている。

 

「(………これからどうなることか)」

 

現代の知識を朧気ながらでも保持している身からすれば、現状の洛陽に目を覆いたくなるのは当然だ。

腐ったトップを始め、取り入ろうとする兵士に有力者。

金持ちの道楽で家に人を無理矢理連れ込んで貪り食い、それを兵士は見て見ぬふりをする。

賄賂は横行し金を積んだ者が正義であるというこの今の風潮。

 

己が主の顔を思い浮かべ、これから起こりうる可能性の一つが脳裏を過る。

同時にそれを伝えた時の彼女の親友の憤怒の顔も、だ。

 

「………やめだ。今は“董卓”の名を馳せる事を優先だ」

 

思考をシャットアウトし、周囲の最終確認へ戻る。

 

董卓軍第四師団副師団長。

自分が『師団』なんて名乗りを考えて各将達に提案したのだが、まさか自分までこの肩書を持つ事になるとは考えなかった。

元々中央では繋がりの薄い月の今後の為、大々的に名乗りを上げて地方軍閥の諸侯らの記憶に残るようにと、こうして仰々しい隊名を考案した。

これを提案した時、最初は断られるかと思ったが案外受け入れられた。

 

特に華雄に関しては大喜びであった。

まあ“飛将軍”“神速”“都の英雄”“長安の聖人”という(本人の意思は別として)自分以外の将全員が何かしらの二つ名を持っているのに、自分だけそれが無いというのは武人として悔しかったのだろう。

“猛将”という二つ名がつけられた次に“隊名”もとあれば、生粋の武人である華雄が喜ぶのは当然だった。

 

むしろ俺の二つ名要らないからあげるよ、と思った灯火だったが華雄が“聖人”はナイと即判断を下した。

あと、ねねが考案した第一師団呂奉先の名乗りは、自分よりも全然センスがあると人知れぬ敗北を味わった。

 

という経緯で今この肩書ではあるが、それでも“長安の聖人”などと呼ばれるよりは随分マシだった。

職人気質であまり表情を変えず口数も決して多くない(※恋よりはマシ)香風の補佐になるように、と注力していたら兵達からは“教官”と呼ばれる始末。

まあ元々董卓軍内では“恋の武の師”なんて噂があったくらいだったので、灯火としてももう訂正する気力もなかった。

 

「第四師団、後方!これより出陣する!前方、師団長の隊列から離れすぎるなよ!」

 

『ハッ!!教官殿!!!』

 

やっぱり呼び名変えてもらうかなぁ、と僅かばかり思考する灯火であった。

 

 

 

明朝洛陽を出陣した第四師団は一路東へ進む。

虎牢関を抜けて豫洲へ入り、潁川郡許昌へ到着する。

ここから豫洲陳国の武平を経由し、豫洲沛国の譙へ向かうスケジュール。

 

許昌から先は多少の地形の起伏や河川があるものの平野部であり、山や谷を乗り越える必要はないため行軍自体は比較的楽な部類だ。

が、豫洲沛国までは約百里(※約400Km)。

現代日本の東京京都間が約370Kmの距離がある、と言えばその遠さが理解できるだろう。

 

現代の様に移動手段で新幹線や飛行機というモノがない上、隊全員が馬を保持している訳でもない。

いくら出発に際して先遣隊が道の状況確認や近隣への根回しを行っていようと、せいぜい一日の軍行距離は約十里(※約40Km)が限界だ。

急ぎ足で行けばもう少しだけ距離は稼げるだろうが、戦をしに行くための遠征で戦が出来なくなる程疲弊してしまうというのは本末転倒。

冀州や青洲に向かった恋や華雄の様に船で黄河を行く事も出来ない以上、いくつかの中継地点を設けて休息をとりながら目的地へ向かうのは当然だった。

 

その分近隣の街や村は行軍の物珍しさを見物しようとやってくる民は多い。

特に宿泊するとなる街では総出で対応することになる。

それでもこれだけの軍勢となれば全ての兵に宿を提供する事は不可能だし、食事だって全てを賄う事はできない。

自分達が戦をするために調達した糧食を切り崩しながら行軍を続けていた。

 

「こ、これだけのお金を………本当によろしいのですか?」

 

「何を言う。行軍に際し宿と食事を提供してくれた。ならばそれだけの金は払う。当然だろう?」

 

「し、しかし………兵の皆様を賄えたわけでは─────」

 

「当たり前だ。一体此方がどれだけの軍勢で行軍していると思っている。賄おうとしてここに住む者達の食が失われてはそれこそ問題だ。故にこれには代金と感謝料と謝罪料が含まれている。これを特別と思う必要はない。街総出で出迎えてくれた、その礼だ。大人しく受け取ってくれ、主人」

 

「は、はい………!ありがとうございやす、将軍さま」

 

「………? ああ、名を名乗っていなかったか。そうだな………確かに我々は官軍だがどうせなら一つ覚えておいてくれ」

 

「? はぁ、何をでしょう?」

 

 

「─────我々は“董卓軍”。天子様に仕える『董仲穎』が率いる精強部隊、その第四師団だ。この街の発展を祈るよ、主人」

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

幕間 1/

 

 

今まさに黄巾党討伐が漢の大陸で行われようとしている最中、そんなことは他所の出来事と言わんばかりに涼州は今日も平和だった。

いつも通りに西域の商人達と取引を交わし、いつも通り物資を狙ってくる賊を蹴散らし、何言っているか分からない五胡の連中を追い払う。

黄巾党なんて知らんそんな連中五胡の連中にでも食われたんじゃないか、と言わんばかりの日常である。

 

「鶸~? 終わったか?」

 

「まだです。………というより、姉さんも手伝って欲しいんですけど」

 

涼州から洛陽に出向したことでその跡継ぎとなった馬休こと鶸と、その姉である馬超こと翠。

この西涼を我が庭と豪語する馬家が率いる騎馬隊は今日も異常なくその役割を全うしている。

 

「あたしはほら。………鶸や商人の護衛とか、五胡の連中の討伐とか、あるからさ」

 

「そう言うならちゃんと護衛してて下さい。襲ってくる敵がいなくなったワケじゃないんですから………っと、アレ?」

 

「ん? どうした、鶸?」

 

「いえ、積み荷の中に見慣れないモノが………」

 

「見慣れないモノ~?? そんなこと言ったら向こう側が持ってくる大半はあたしらに馴染み無いモノばっかりだろ」

 

「いえ、そうなんですが………。ちょっと確認してきます」

 

主に西域との交渉は鶸の担当だ。

香風と灯火から引き継いだ資料を基に出来るだけ二人と変わらない方法で継続した交流を行っている。

その中で向こう側からの提示内容に、鶸が今手に持つモノは含まれていなかった。

 

とあればこれは間違って積み荷の中に紛れ込んでいる、という可能性があった。

あくどい連中であればこっそりと懐に仕舞うのだろうが、生憎鶸にそんな感性は無い。

それにせっかく前任者たちがここまで築き上げた関係性を自分がゼロにしたくも無かった。

こういう彼女の性格もしっかり見抜いて香風と灯火が彼女主体に引継ぎをしたのだから、二人の采配はまさに的中だったと言えよう。

 

「見慣れないモノ………ねぇ。灯火はどうやって価値を把握したんだろ」

 

少なくとも自分では相手が満足するような適正価格を導くのは無理だろうな、と思う翠。

 

護衛隊隊長として任についている翠は鶸の物言いに少し気になりはしたが、あくまでも護衛が仕事だ。

完全に此方側の物品になったというならば遠慮しないが、まだ向こう側のモノとなれば護衛者がジロジロと覗くわけにもいかない。

相手には相手の文化があるから不用意な行動、不用意な言葉は慎みしっかりと考えた上で行動すること。

灯火から念押しに言われた言葉を、翠は素直に守っていた。

 

「ん………? 終わったのか?」

 

「うん。向こう側の人もそんなモノは知らない、だって」

 

「けど、向こう側の積み荷の中に入ってたんだろ? なら向こう側が持って帰らないのか?」

 

「私もそう思って言ったんだけど、いらないって」

 

「なんだそりゃ。じゃあこっちが貰っていいってことかよ」

 

「けど考えても見て、姉さん。しっかり準備して持ってきた積み荷の中に、自分達の知らない積み荷が入ってた………これって向こう側の人からすれば気味が悪いと思うよ?」

 

「うーん………そう、なのか? 蒲公英なら平気でそういう悪戯しそうだけど」

 

「…………そこは否定できない」

 

蒲公英そんなことしないよー! と、どこか遠くの場所で叫ぶ声が聞こえたような気がした。

ともあれ、相手が持って帰らないで此方側に譲渡するというのであれば、気になっていた翠が我慢する理由はない。

積み荷の中を覗き込み、妹である鶸の言っていた『見慣れないモノ』を拝見する。

 

「………んー、確かに見たことないな。宝石か? すごく綺麗な珠だけど。これ、持って帰って向こうで売れば結構いい値段すると思うんだけどなー」

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

豫洲沛国。

その中でも一番西に位置するのがこの譙県である。

 

官軍の最終中継地であり、ここを出立すれば後は孫呉軍との合流地まで一息という場所。

無論沛国である以上、そこの相を務める陳珪にも官軍がやってくるという情報は伝わっている。

 

「予定ではもう間もなく到着するでしょう。………重ね重ねお礼を、曹孟徳殿」

 

「構わないわ。軍の長として少し尋ねたい事があったし、私個人として興味もあった。陳珪の申し出は此方からしてみれば渡りに船ということよ」

 

譙県のすぐ傍に陣を構えた曹操軍。

話は陳珪のいた城が黄巾党三万の賊に包囲されていたところを救出したところから始まる。

 

冀州黄巾党崩壊をきっかけに事態は大きく動くと踏んだ曹操は、予定していた沛国への出兵を早め、陳珪と陳登が居る城へと向かっていた。

そこへ舞い込んでくる陳珪からの使者。

城が包囲されている旨を受け取った曹操は行軍を速め、陳珪の救出に成功した。

 

これだけならばそれで終わりだったが、捕えた黄巾党の一部に意外な人物を発見した。

それが董卓軍の兵であった。

 

『………なるほど。そういう事』

 

董卓軍徐晃の名を出した者は全員で三名。

この報告を受け取った曹操は官軍の考えを看破した。

 

『華琳様。あ奴らの尋問はしなくてもよろしいので?』

 

『不要よ。仮にも“都の英雄”の名を出す者。彼らの名乗りが正しいのであれば下手に尋問するわけにもいかない。逆に彼らがただその名を騙っているだけであれば、遠からず彼らの首は落ちるでしょう。────もっとも、彼らの命は既に保証された様なものだけれどね、桂花』

 

『はい』

 

即ち曹操軍側で保護している董卓軍兵の引き渡しが今回譙県までやってきた理由である。

そのまま野に放ってもよかったが万が一彼らが騙り者であった場合、敵を釈放してしまうという愚行を犯すことになる。

それは曹孟徳の望む事ではない。

故に陳珪が齎した官軍遠征の情報は曹操軍にとっても良い情報だった、ということだ。

 

「華琳様。西の方角に旗を確認しました。旗は“徐”………、間違いないでしょう」

 

「わかったわ。………さて、“都の英雄”に“長安の聖人”。どの様な者達なのか、楽しみね」

 

 

豫洲沛国の譙県に辿り着いた。

概ね予定通りの行軍速度であり、明日には孫呉との合流地へ到着するだろう。

 

隊列の先頭を指揮する香風は周囲を改めて確認する。

灯火と二人で練った予定だけあって兵達にも多少の疲れは見えているが、そこまで大きく疲弊している訳でもない。

先遣隊の働きもあって道中で襲われる事もなく、全員五体満足でこの譙県まで辿り着いた。

灯火が指揮を執る隊後方はまだ到着していないが、後半刻もすれば彼も到着するだろう。

 

「徐晃師団長。隊の確認、完了致しました」

 

「それじゃあ───工兵隊は陣の設営を。偵察隊は周囲の警戒。一刻単位で交代し、休息。他は明日に備えて休息。但し、黄巾党本隊も近いからいつでも戦闘態勢を取れる様に」

 

『はっ!』

 

淡々と配下の兵に指示を出す。

元々香風は職人気質なきらいがあり、それゆえ口数は少なく、感情もあまり表に出ない。

それは隊を率いる者としては余り好ましいモノではない。

華雄や霞であれば何も問題ないだろうが、時には大声で隊の統制を図ることも必要になる。

 

だからこそ、灯火が徐晃隊の体制改革を徹底的に行った。

それが千年後の軍隊構図をローカライズした今の徐晃隊だった。

 

師団長近衛隊から始まり、歩兵連隊、弓兵連隊、騎兵大隊、工兵大隊、偵察隊、輜重隊。

大きく七つの隊で構成されたのがこの第四師団である。

こうすることで末端兵一人一人まで指示を出す必要はなく、各隊の隊長に指示を出す事で末端まで命令や情報が行き渡る。

 

指揮系統は香風からの指揮で統一。

各隊長はあくまでも香風の指示をトップダウンで伝え、末端兵まで行動を統制管理し、下から上がってくる情報をフィルタリングして上に伝える役割である。

 

「ようこそおいで下さいました。徐晃殿」

 

「!………陳珪どの」

 

豫洲沛国の相である陳珪と、その後ろには娘である喜雨がいた。

豫洲沛国の譙県は沛国の中でも西端の場所。陳珪が本来いる街ではなかったため、ここにいた事実に少しばかり驚いた香風。

 

「あ、喜雨ー。こんばんは」

 

「こんばんは、香風。………遠いのに来たんだ」

 

「うん。………黄巾党はほっておけないし、喜雨の助けにもなりたかったから。お兄ちゃんも心配してた」

 

「そう。………うん、ありがとう」

 

娘と近い年齢である香風がこうして気に掛けてやってきてくれる。

二人のやりとりを見てほんのりと笑う顔は確かに母親の顔であった。

 

喜雨と香風、そして灯火とは良好な関係にある。

口数の多くない香風と、どうしても言葉足らずな喜雨。

どこか棘を含む形となってしまう喜雨にとって、常人が相手となればどうしても癇に障る部分が出てきてしまう。

だが、口数の少なくそれでいてしっかり頭も回る香風は、喜雨の言いたい言葉を正しく理解してくれるベストな関係だ。

灯火もまた口数が多い方の人間ではなく、言葉も正しく理解し、棘がある物言いになっても受け流してくれる。

総じて喜雨にとって香風と灯火はしゃべりやすく、気が楽になれる相手で、自然と会話も弾む。

 

それをしっかり見抜いている所は母親として流石である、というところだろう。

 

「………灯火さんは?」

 

「お兄ちゃんは隊の後方の指揮を執ってるから、まだ到着してない。………それで二人はどうしてここに? 黄巾党討伐が終わればシャン達がそっちに向かうって手紙を書いたと思うけど………」

 

「ええ、その話は届いているわ。ただ状況が少し変わって、こうして譙県まで来た………という訳なの」

 

「………状況? もしかして、黄巾党?」

 

「まあ、それも関係があるわね。………私達のいた城が一時黄巾党に包囲されてしまったの」

 

黄巾党内部に灯火の手の者が入り込んではいるが、電話や無線機の様にリアルタイムで情報が手に入る訳ではない。

その言葉に僅かに驚く香風だったが、そんな様子にくすりと笑う陳珪。

 

「けど安心して頂戴。今私達はこうしてここに無事で居る訳だし、包囲していた黄巾党も追い払ってくれたから」

 

「………追い払ってくれた(・・・・・・・・)?」

 

 

「─────ええ。同盟を組む者として、同盟者が窮地に陥っていれば助力する。当然の行為でしょう?」

 

 

視界の外。後方からその声はやってきた。

凛とした声量は決して大音量ではないが、聞き洩らす事も決してない。

香風が振り返った先に居る金髪の少女。そのすぐ後ろには二人の女性が控えている。

 

「初めまして、“都の英雄”殿。─────私の名は曹孟徳。陳留にて太守を務めている者よ」

 

曹孟徳。

その風格は香風よりも年齢は僅かに上ながら、既に覇者の風格を纏っていた。

凡人が彼女の前に立てばただそれだけで恐れ多く膝をつくだろう、その風格。

 

「初めまして。………董卓軍第四師団師団長、徐公明。此度は官軍として黄巾討伐の任に就いています」

 

だが香風とて武人であり、師団長でもある。

曹孟徳が如何な覇者であったとしても、それに畏怖する事は無い。

堂々としていることこそ、師団長に求められる風格なのだから。

 

一切の怖気も見せない香風の姿に曹操の口角が僅かにあがる。

曹操の中で比較された名前を覚えるのも無駄な官軍の将と、目の前の少女。

このやり取りだけで彼女が曹操の知る官軍の将よりも全てにおいて上であると決定づけた瞬間だった。

 

「私がこの譙県に居たのは勿論二人を迎える為というのもあったのだけれど、曹孟徳殿が話がある、と言われてね」

 

「ええ。こうして陳珪・陳登の二人を護衛するという名目も兼ねて譙県までやってきた、ということ。───にしても」

 

視線を官軍へと向ける。

ここが最終目的地ではないため陣の設営等も最低限しか行っていないが、それでも曹孟徳が知る官軍とはその動きが一つも二つも異なっていた。

 

「陣の設営、周囲の警戒、武具の点検、食事の準備。休息をとる者はしっかりと取らせ、それでいて誰一人遊んでいる人物はいない。───流石の統率力ね」

 

目に見える範囲だけで全てが見える訳ではないが、それでもそう断言する。

本来の官軍の姿を知っている身からすれば、目に見える範囲だけでも十分に評価が出来るほど差があった。

 

「シャンの部隊はお兄ちゃんも手伝ってくれてるから。シャンも随分楽になったし、隊の動きも良くなった」

 

この時代、武功を積んだものが名を馳せ、将となり兵を率いる。

それは決して間違いではないのだが、兵の数と兵を率いる将の数が釣り合わない場合、組織全体としての生産性は落ちる。

1人の管理者が管理可能な部下の数には限度があり、概ね管理可能な人数は最大でも10名程度である、という知識。

奇しくも灯火は発言すればそれが案として上司と話し合える立場だった。だからこそ、こうして今の徐晃隊がある。

 

「さて、徐晃殿。あまり其方の負担を増やすのも此方の望む所ではないし、どこかで話をしたいのだけれど」

 

「………それは、端的にどういう話?」

 

「そうね………貴女達がこれから向かう黄巾討伐。その策について、かしら」

 

曹操の言葉に、しかし香風は動揺しない。

香風は武官ではあるが、決して武しか出来ない者ではない。

その頭脳は十分文官として活躍できるレベルであるし、故に万事を想定する事は出来なくともこの話の流れからしてある程度の推測は立てられる。

 

「なら、もう少しだけ待って。お兄ちゃんが到着するから。多分、そっちの方がいい」

 

「………気になっていたのだけれど。徐晃殿に“兄”がいるのかしら。つまり兄妹で隊を率いている?」

 

「ううん」

 

曹操の言葉に首を横に振る。

 

 

「─────董卓軍第四師団副師団長。“長安の聖人”って呼ばれてる人。………曹孟徳どのなら、知ってると思うけど」

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

譙県にて陳珪、陳登、そして曹操軍と対面し、今後の話を行った灯火と香風。

結果としてプラスに働いた一日を過ぎ、官軍は豫洲沛国内の予定の地に陣を構える孫呉軍と合流する。

 

「よし、輜重隊はすぐに食事の準備に取り掛かれ!工兵隊はみなご苦労だった!しっかり休んで明日に備えよ!今後の指示は追って伝える!」

 

『はっ!』

 

隊列後方の指揮を執っていた灯火は、後方に属していた輜重隊に指示を出し、陣の設営をいち早く完了させた工兵隊に休息を指示する。

黄巾党本隊にほど近い場所故に見張りを立てない訳にはいかないし、黄巾党内部に入り込んでいる間者とのやりとりも怠る訳にはいかない。

だがそれらは隊列先頭を指揮していた香風の指示によって既に行われている。

 

「香風」

 

「あ、お兄ちゃん。おつかれさまー」

 

「香風もおつかれさま」

 

張られた天幕の一つに入ればそこに香風がいた。

一応師団長と副師団長の天幕ではあるのだが、その見た目大きさ共に他の天幕と変わりはない。

違いと言えば近衛隊が周囲を見張っている程度だろう。

 

「ちょいと休憩………」

 

流石の灯火でもこれだけの長距離行軍となれば疲弊する。

天幕である以上洛陽のモノと比較すれば随分劣悪なモノであるが、今は少しでも体の疲労を抜きたかった。

寝台へ仰向けで倒れた。

 

「………お兄ちゃん。一つ聞きたいことがあるんだけど、いい?」

 

「んー? いいよ、何?」

 

天幕寝台で一時ばかりの休息と横になっていた灯火の横に腰かける。

 

じっと灯火の顔を見つめる香風。

その視線に気が付いた灯火もまた寝台に腰かけた香風の顔を見つめ返す。

お互い無言の時間が少しの間だけ経過して─────

 

 

 

「─────お兄ちゃんって、胸が大きい人が好きだったりする?」

 

 

 

なんて、香風が言葉にした。

 

「…………………………………………………、うん?」

 

一瞬何を聞かれたのか分からなかった。

胸が大きい人と言ったのだろうか。

 

「ごめん、香風。俺の聞き間違えじゃなかったら“胸の大きい人が好きか”と聞こえたんだけど」

 

「………うん」

 

コテン、と背中から倒れてきた。

胸あたりに頭が乗った香風の頭を撫でながら、その体勢上視線が香風の体の方へと逸れていく。

香風が何を思ってその質問をしたのかは謎だし、出来る事ならば気にしなくていいのだが………

 

「胸の大小で好き嫌いの判断をするつもりはない。一緒に居たいと思える人であれば小さかろうが大きかろうが気にしない」

 

完全完璧なる模範解答だが、彼自身事実の言葉でもある。

思考に耽るとすればなぜそんな質問をしてきたのか、という方にシフトするべきだろう。

 

「(………思春期!?)」

 

時にポンコツな思考へ至る灯火だった。

 

「そう。………お兄ちゃんは気にしなくていいよ。ただシャンがそう思っただけだから」

 

「…………香風がそう言うなら」

 

香風と恋、ねねにも全幅の信頼を寄せている。

彼女が気にしなくていいと言ったのであれば気にする事はしない。

気にする事は無いが、物凄く気になった。

 

ここ最近は行軍ということもあってなかなか構ってあげられなかったのが原因だろうか、と割と本気で自分の行動を鑑みる。

そんなこと言ったら長期間離れ離れになっている恋がいろいろとマズイことになっているのだが、そこにはまだ気付かない。

 

「…………それと」

 

「うん?」

 

「さっき、孫呉の人たちがこっちに来てた。今、天幕の方で待ってもらってる」

 

「それを先に言おうな、香風」

 

 

 

 

 

 

孫堅、周瑜、孫策、黄蓋、そして北郷一刀。

官軍と地方軍閥という関係性である以上、孫堅がこうして官軍の陣に来るのは当然だった。

程普に陣の防衛を一任した孫堅達はこうして軍議用の大きめの天幕に通されて席に着いて、官軍の責任者が来るのを待っていた。

 

「けど、まさか“都の英雄”があんな女の子とは思わなかった………」

 

「ホントねー。仲謀よりも年下なんじゃないかしら」

 

一刀の声を拾った孫策がカラカラと笑う。

てっきり男性と思っていた二人は、実際出会った時の衝撃に未だ驚きを覚えていた。

 

『………工兵隊、陣の設営を始めて。最後尾の輜重隊が来るまでには完了させるよーに。偵察隊は黄巾党の状況把握急いで』

『騎兵・弓兵隊は装備の最終点検。問題があってもなくても各隊長へ報告。えーっと………それが終わったところから一次休憩。後から来る歩兵隊にも同様の指示を通達』

『輜重隊についてはおにい………じゃない、副師団長が指揮を執ってるから。工兵隊はその後副師団長の指示に従って二次休憩。一次休憩者は二次休憩時点から、この陣及び孫堅軍周囲へ各隊二小隊単位で周囲警戒態勢。半刻(※現在の約一時間)間隔で各小隊持ち回り担当。緊急の場合は騎兵隊長に一時的な指揮権限を付与し、第四師団を纏めるよーに。─────以上、行動開始』

 

怒鳴り声をあげるのでもなく、目の前に規律良く並んだ兵達に指示を出す。

孫策くらいの年齢ならばまだ何も思わなかっただろう。

だがそれよりも恐らくは年下であろう少女が大斧を軽々と担ぎながら、淡々と指示を出す姿は一刀に少なくない衝撃を与えた。

 

「あの齢で大したものだな。雪蓮よりも仕事が出来そうだ。そう思わんか、冥琳?」

 

「そうですね。必要な指示を端的に素早く、しかも緊急時における権限移譲まで指示に出していた」

 

「指示をされた兵達も誰一人遊んでいる者はおらんかったしのう。我らの兵が劣っているとは思わんが、見習わせたい働きぶりじゃった」

 

三人が冷静に分析する傍らで、件の人となった孫策はぶすっと頬を膨らませていた。

 

「………母様に冥琳、酷くない?」

 

「どうみても事実だろうが。真昼間から酒に酔って街中うろつく奴が何を言う」

 

「そう言うなら仕事を放棄して木の上で隠れて酒を飲まないで欲しいわね」

 

「うっ………」

 

「はっはっはっはっはっ!」

 

孫策の抗議の声も孫堅と周瑜の冷静な言葉で切り返され、何も言えなくなる。

そんな様子に笑う黄蓋と声に出してこそいないが苦笑する一刀。

街中で酒に酔っているところを思いっきり殴られた場面も、木の上で酒を飲んでいる所に書簡が飛んできて叩き落された場面も。

その両方を直接見た一刀はただただ苦笑するしかない、自業自得なのだから。

 

「─────失礼、します」

 

一頻り孫策を弄ったところに先ほど出会った官軍の長、徐晃が天幕に入ってきた。

先ほどまでの雰囲気は一瞬で霧散し、すぐさま軍議で見る雰囲気になる。

そのあまりの早い切り替えに一刀が動揺するが─────

 

 

「失礼」

 

 

その声に。

天幕にいる徐晃以外の全員がぴくり、と体を震わせた。

それは一刀も例外ではない。

 

「(………え?)」

 

声色からして男性。だがそれは別に珍しい事でも何でもない。

有力な武将こそ軒並み女性になっているが、男性でも兵を率いる将はいる。有名になっていないだけで。

だからこうしてこの場に官軍の男性の将が出てきたって何ら不思議ではない。

 

その声色がよく聞く声に似ていなければ、の話だが。

 

「───────────────」

 

少女の後に入ってきた男性を見て、今度こそ孫呉の全員が絶句した。

あの孫堅ですら言葉を発するのを一瞬忘れてしまったくらいの衝撃だ。

 

「…………」

 

入ってきた男性も孫呉の五名を見た直後一瞬足を止めたが、反応としてはそれだけ。

何事も無かったかのように徐晃の隣に座り僅かばかりの沈黙が天幕を支配する。

 

髪は短めの完全な黒で、雰囲気は少しだけ大人びている。

だが顔や先ほどの声からして多少の差は見受けられるものの、まさしく北郷一刀のそっくりさんといっても遜色のない人物。

そんな人物が孫呉の前に現れたのだった。

 

 

 

 

 

 

ただ、その人が遠い目をしているのはなぜだろう、と疑問を抱いたのも全員同じだった。

 

 

 




孫呉の将達を見て
灯火「(………ああ、うんなるほど)」



喜雨が真恋天下に新規参入に喜んだけど、まだ一度も当たってない事実。

あと筆者はミリオタではないので隊に変なところがあるかもしれませんが、お手柔らかにお願いします………


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File№13

恋は六位、香風は七位。
おめでとう!(真恋天下)


軍議回。
というか長くなった。
あと一刀くんアンチとかNTR要素は(今後も)ありませんのでご安心を。

というか週四日仕事の週三日休みになってくれないかな、と思うこの頃。

始まります。


 

「(納得………これじゃ徐晃ちゃんが一刀を見て固まるわけね………)」

 

孫策を含む孫呉の将ら全員がその結論に至った。

髪型や雰囲気、瞳の色など細かな部分は違うが、だからこそ余計に兄弟の様にも思える。

灯火の方が兄で、一刀が弟………と仮定すれば思わず納得するほどだ。

 

だが孫呉側の驚きは一入、なにせ一刀と瓜二つ。

即ち天の御遣いと瓜二つ(・・・・・・・・・)なのだから。

だからこそ、目の前の男が一刀とは無関係というのも理解できたわけだが。

 

「あー………。先ず始めに断っておくと、其方の人と別に血縁関係ではありません。まぁ、分かるとは思いますが」

 

なんて言葉を言おうか、そんな選ぶ雰囲気で孫呉側の人物達に断りを入れた。

言うまでもなく灯火自身もある種“天の国”からの人物だが、その場所は全く別だろう、というのは感覚で把握していた。

 

仮に一刀の居た世界を“天の国”と称するのであれば、灯火の記憶にある知識は“天上の国”とでも称することになる。

樹形図(ツリーダイアグラム)を思い浮かべれば、灯火の知識が(ルート)になる。

無論、灯火の持つ現時点での知識情報を元に即席で脳内組み立てをした図式のため、それが正しいとは限らないのだが。

 

そういう考えを密に抱きつつ(・・・・・・・・・・・・・)それを意識しないよう生きている(・・・・・・・・・・・・・・・)のが、今の灯火である。

 

「ああ、それはそうだろうな。それで、オマエの名は何という?」

 

灯火の言葉に頷きで返す孫堅が尋ねた。

無関係であるとは言え、こうも似た顔では軍議の前にはっきりとさせておくに越した事はない。

孫堅や周瑜、黄蓋と言った面子は問題無いだろうが、明らかに軍議に集中できなさそうな人物が二人ほどいる。

内一人は仕方がないとしても、もう一人は自分の跡継ぎになる可能性がある人物。

 

「(ったく、雪蓮め………。終わったら一発殴っておくか)」

 

孫策の頭にたんこぶが出来る事が確定した瞬間である。

そんな内心を知る由もない灯火は至って冷静に答えた。

 

「この董卓軍第四師団の補佐を務めています、莫と申します」

 

軽く一礼する。

その名を聞き改めて無関係と分かった孫堅が、一刀へ視線をやり顎先で指示を出した。

 

「─────俺の名は北郷一刀です」

 

何を意味するのかを理解した一刀も、灯火に倣って軽く自己紹介をして一礼した。

灯火からしてみれば『知ってた』案件ではあるが、一刀からしてみればそう簡単に収まるものでもない。

 

が、まあ。

 

「(世界には自分とそっくりな人が三人は居る、っていうからな。三國志の世界に来たらそういうこと(・・・・・・)があっても不思議じゃないか)」

 

目が覚めて起きたらタイムスリップ、しかもパラレルワールドと思わしき世界。

男性と習った筈の有名武将は皆女性で、文字は読めないのに言葉は通じ、天の国の者だと証明するためにスマホのカメラ機能で立ち回り。

最後には天の国の種馬として抱えられるという奇天烈の極みを経験している一刀。

それでも自分に限りなくそっくりな容姿の人物に驚きはしたが、こうして冷静になれば何とか受け止めるだけの思考も戻ってきた。

 

流石主人公だぜ。

 

「………!………貴方が“長安の聖人”ですか」

 

思わず一刀に話かける口調になりかけたのを直前で訂正。

周瑜の言葉に疑問符を浮かべる孫策と一刀。

それに対して─────

 

「………ええ、その人物です。ただ、その二つ名は私には少々荷が勝ちすぎていると思いますけど」

 

渋い表情を見せつつも肯定する。

その原因が灯火の中の“聖人”というイメージと今の自分、それらの乖離が凄まじいからなのだが、それを理解できる人間は一人も居ない。

逆に言えばボランティア精神を働かせただけで“聖人”なんて呼ばれるほど、今の世が危ないという証左でもあった。

 

「まあ、そういった話は後に置いておきましょう。目の前に敵を置いた状況で雑談も何もないですし」

 

「その通りだ。伯符、一刀。これから軍議だ、切り替えろ」

 

孫堅の言葉に頷いた二人。

その一言だけでどこか浮ついた雰囲気をにじみ出していた将達が居住まいを正す。

流石は孫堅、と感心しながら隣に座る香風へ視線を送る。

 

視線を合わせた香風が頷くのを確認し、一つ咳を払い、打ち合わせ通り軍議の進行を開始する。

 

「ではこれより軍議を始めます。進行役は私が担当致します。疑問点等がございましたら、一通り説明し終えた後にご質問をお願いします」

 

似た容姿を持つ一刀に対しても分け隔てなく視線を送り、この場にいる全員が軍議参加者であるという意識を浸透させる。

 

「作戦対象はこの地に屯する黄巾軍。一時十八万まで膨れ上がっておりましたが現在は十五万までその数を減らし、この先の平野部に我が物顔で陣を形成しています」

 

懐から紙媒体の地図を取り出し卓上へ広げ、その上に大小の黄色い石を置いていく。

 

「彼らは元々官軍打倒を目的に立ち上がった無辜の民でしたが、現在はその志も地に落ち、周辺の村々へ略奪行為を繰り返す賊軍へと成り下がっています。豫洲沛国の相、陳珪殿が居城する城を包囲し、乗っ取りを計画。その娘である陳登が手掛けた田畑を荒らし、作物を略奪するなど、その行為にもはや正当性は存在しません」

 

先ほどまでとは打って変わって淡々と機械的。

軍議を進める自分とそっくりな人物の口調を聞いた一刀が、そう思わず感じてしまうほどの無感情さだった。

 

「本来であれば我々官軍で対処すべき事柄ではありますが、先ほど申し上げた通り相手は十五万の賊。図体ばかり大きな(数だけは膨大な)、訓練の一つもされていない賊軍ではありますが、その数、その士気は、それなり以上の脅威です」

 

言葉を発しつつ、黄巾に見立てた石を各所に配置していく。

現状の布陣情報と同じように本隊と分隊にわけられておかれた石を見る。

その瞳に感情は見られなかった。

 

「そのため、我々は戦略単位で策を弄しています。冀州黄巾党壊滅から現在に至るまでの流れにおいて、黄巾党内に我々の手の者を入り込ませています。─────黄巾を纏えば賊ですら容易に合流できる黄巾党。………まあ、彼らなど所詮はそんなものでしょう」

 

孫呉側からすれば一刀そっくりの姿でどこか棘のある話し方に違和感を覚えないと言われれば嘘になる。

だが当主たる孫堅が一切動じずに聞き入っている以上、その臣下がヘタに反応するのも良くは無い。

そういった邪魔な思考はとりあえず排除しながら灯火の説明に聞き入る。

 

「現在この地に布陣している黄巾軍は十万の本隊と五万の分隊が存在します。正面に布陣するのが分隊、その奥に本隊が陣を形成しています」

 

地図の下側である南に赤と青、即ち孫呉軍と官軍を示す小石を置く。

この時代地図は貴重なもので、更にそれが持ち運びを考慮した紙の地図ともなればかなり貴重なものだ。

加えてこの地図は官軍、即ち中央が有する地図であるため、地方軍閥や一商人が持つどの地図よりも正確で詳細に記載がされている。

 

「分隊、本隊ともに黄巾の反徒たちは自陣を囲む様に見張りを配置しています。単純で、それ故すぐに異変に気付ける構築です」

 

これらの情報は外側から観察した情報と、内部に入り込んだ者達からの情報。

その二つの情報を重ね合わせて精度を高めたもの。

そのため現状における黄巾党の情報について、どこの地方軍閥よりもアドバンテージを有していた。

 

「ですが既に内部に此方側の人間がいる以上、この見張りに意味はありません。後方に位置する黄巾本隊には我々の行動に応じて黄巾軍陣地内に放火、内部からも損害を発生させる手筈となっています。更に黄巾本隊が位置するより東に、苑州陳留より曹操軍が密かに陣を張っております」

 

曹操、という言葉を聞いた孫堅がぴくり、と反応した。

 

「黄巾本隊は既に“詰み”一歩手前の状態です。故に此度孫呉軍および官軍が行うべきは第一作戦として正面に布陣した分隊の排除。第二作戦として黄巾本隊の壊滅となります。第二作戦については内部工作及び曹操軍の強襲もあることから、我々が如何に攪乱できるかがカギとなるでしょう。その為この軍議ではこの後、第一作戦および第二作戦の擦り合わせを行うことを予定しています」

 

指で各色の石をぶつけ、ぶつけられた黄色い大石を地図上から取り除いた。

 

「勿論、これだけの事に協力してもらう以上謝礼は用意させて頂きます。それがモノになるか名誉になるかは我々の一存では決定しかねますが、必ず相応の対価を支払う事は約束致します」

 

最後に黄色の小石を地図上から全て取り去り、灯火は改めて孫呉の将達へ視線を向けた。

 

「以上、作戦概要を終了します。何かご質問、ご指摘等ございましたら遠慮なく仰って下さい」

 

簡単な略式ではあったが、言葉だけではない説明に軍議初心者である一刀でもその内容はすんなり頭の中に収めることが出来た。

まるでゲームステージ前のブリーフィングを受けている様な印象を受けたのは、ゲームのし過ぎのせいだと思い込む事にした。

 

「曹操軍が東に陣を張っている、と言ったが、曹操軍は此度の作戦を知っている、ということに相違ないな?」

 

「はい。昨日の時点で同じ内容を向こうにも伝達しております。また伝令兵も遣わせているので緊急事態があれば伝える事も可能です」

 

「ではもう一つ。陳珪が黄巾党に包囲されていた、と言ったが、それをそのまま放置していた訳でもあるまい。曹操が陳珪を救出した、ということか?」

 

「ええ。曹操殿と陳珪殿はこの黄巾の乱にあたって同盟関係を結んでいる様です。此度の遠征もその一環とのことです」

 

灯火の言葉に頷いた孫堅は、聞きたい事は聞いたと隣に座る他の将へ視線を移す。

それに首を振る周瑜と黄蓋と孫策、そして慌てて首を横に振る一刀。

そもそも一刀は経験の為にと連れてこられた身であるため、質問などあるはずもなかった。

 

「………じゃあ、香風」

 

「うん」

 

先ほどまでの機械的な雰囲気を霧散させた灯火が香風に声をかけ、それに頷きで返答する。

 

「………先ず正面の敵についてどうするか、だけど。孫堅どのに、お願いがある」

 

「オレにお願い?」

 

「うん」

 

こくり、と小さく頷いた。

 

その様子に一刀は内心驚いていた。

何せ彼自身、最初に孫堅と出会った時などはその雰囲気に圧倒され内心ビビりまくりだったのだ。

何とか体裁は保ちこそしたし今ならば当初みたいにはならないが、あそこまでマイペース気味な雰囲気を貫ける香風に驚きを隠せなかった。

 

「(………こっちにいる(知っている)将の人の中で言えば穏がまだ近いかな? それでも俺よりも年下に見えるあの子が官軍の将だなんて………)」

 

つくづくこの世界の不思議を目の当たりにする。

因みにそれは灯火も一度は通った道であるが、灯火の場合は幼少期時代に隣にいた人物も相まって“そういうもの”と早々と割り切った事で切り抜けた。

 

「それは?」

 

「先ず正面の五万の黄巾党。………それを孫呉軍で撃退してほしい」

 

その言葉に、黄蓋と孫策の脳裏に嫌な人物の姿が過った。

何かにつけて先陣を此方に押し付けて、美味しいところだけを掻っ攫っていく、というなんとも嫌味な人物だったからだ。

もしや、と二人が思ってしまうのも仕方がない話ではある。

 

が、そんな事は想定の範囲内の反応と言わんばかりに灯火がフォローする。

 

「………捕捉すると。先ほど伝えた通り、元来黄巾党は“打倒官軍”を目的とした集団。その志が落ちたとは言え、それでも“打倒官軍”というのは黄巾党の共通の目的でもあります。無論、此方とてぶつかって負ける事は無い(・・・・・・・・・・・・・・・・)。ですが、相手は此方側の大攻勢の切っ掛けにもなった“飛将軍”の武を正しく聞き及んだ上でなお黄巾に居座った者達。ともあれば我々官軍が出ていけば相手の士気は確実に向上する。………本隊との距離がさほど無いこの状況で、それは聊かマズイ」

 

灯火が渋い表情を見せた。

 

「もしかしたら本隊の方がそれに呼応してこっちに突っ込んでくるかもしれない。………そうなったらシャン達の作戦もダメになっちゃう」

 

或いは華雄ならばそんな思慮をすることなく突撃(只管に突進)をかましていたかもしれない。

或いは恋ならばそれら含めても問題なく蹴散らすかもしれない(ねねがそれを許すかどうかは別として)。

ただここにいるのは猪武将の華雄でもなければ、大陸最強を誇る恋でもない。

 

「ただ、我々が全く参加せず後ろで見守っている………というのも申し訳ない。だから軍そのものは動かせないとしても、徐晃と私。二人が孫呉の兵として一時的に参列に加わる、という案を提案したい」

 

「です」

 

これが香風と灯火、二人の案だった。

無論不要と言われたならば大人しく後ろで待機するつもりである。

 

「………一つ、尋ねてよろしいか」

 

周瑜の言葉に頷きを以て返答する香風と灯火。

 

「そちらの言い分は理解した。だが、孫呉軍の兵力は二万。それに対して正面の黄巾は五万。それを理解した上で、官軍は動かない、と申すか?」

 

その問いに答えたのは香風ではなく、灯火だった。

 

「はい。正面の五万は第一作戦で掃討が出来ればいいと考えますが、別に無理に掃討しきる必要も無いです。本隊側に合流するのであれば、それでもいい。最終的に本隊にて我々の策が成るのですから」

 

「その兵力差である以上、此方の被害も少なからず出る。そうなった場合、動かなかった官軍として、どう考える?」

 

「官軍が加われば確実に敵の士気が上がる。そんな連中相手に官軍が動いた場合の損害と、動かなかった場合の損害。孫呉筆頭軍師殿がその天秤を計り(・・・・・・・・・・・・・・・)間違えることはしない(・・・・・・・・・・)と思っている。それに、此方に損害の補填を要求する必要(・・・・・・・・・・・・・・・)があるほどの実力しかないのであれば(・・・・・・・・・・・・)、それは“私”の把握不足。出来る限りの補填はさせていただきましょう」

 

その言葉に、少し前まで一般市民だった一刀は思わず頬が引き攣った。

灯火の言葉を額面通りに受け取る人物は孫呉の将内には居ない。

一刀ですら意味を察する事が出来るレベルなのだから、当然である。

そしてそれを良しとする者もこの場にはいない。

或いは現代ならばその言葉を利用する人物は居るだろうが、この時代の武人気質な人物はそれを利用しない。

 

この時代を一番外から俯瞰できる(眺めていられる)灯火だからこそ、確信していた事でもあった。

 

「ふ………公瑾、もういいか?」

 

「はい、申し訳ありません」

 

そう。

軍師であれば、天の御遣いであれば兎も角。

孫堅が、黄蓋が、孫策がそれで良し、と言うハズがない。

それは周瑜も一刀も理解していた。

 

「(………少なくとも、袁術の様な人物ではなさそうじゃの、策殿)」

 

「(ええ、そうみたい。………というか、あんなのが何人もいてほしくないんだけど)」

 

「其方の内容は把握した。その申し出は此方としても問題ないが、如何様にする? 今日の明日では流石に兵を率いる事はできないだろう?」

 

「シャン達は一兵士で参列に加わることでいい。そっちの隊のどこかに所属させてくれれば、大丈夫」

 

「………へぇ」

 

何でもない様子でそう答えた香風。

だがそれに驚いたのは孫呉側である。

 

「………確認しますが、徐晃殿。将としてではなく、一兵士として、でしょうか」

 

「? うん。今から急に将が増えても、そっちの兵士達は戸惑うと思う。なら、単純な増援兵として扱った方が、混乱はないと思う………」

 

その言葉も理解できる話ではある、と周瑜は考える。

軍である以上、ある程度の上意下達(じょういかたつ)ができるのは必然でなければならないし、指揮系統も統一しなければならない。

明日にでも戦闘を開始するという直前になって今日出会った者が将として参戦すれば、兵士達は少なからず混乱するだろう。

 

全く以て正当な考えであるが、目の前に座る二人は仮にも官軍を率いる将、その頂点だ。

その官軍の将が一地方軍閥の増援兵扱い。

これを官軍の将自ら提案する、この異常。

 

「………ちょっと、えっと、莫、殿? 貴方はそれでいいの?」

 

「? ええ。特段此方に不都合はないですよ、孫策殿。最前線でも遊撃隊でも、どこへでも。無論、其方に何か不都合があるのであれば仰って下されば」

 

「そ、そう………」

 

黙って聞いていた孫策が思わず灯火に声をかけたが、こちらも至極当然と言わんばかりの反応。

思わず此方の考えが可笑しいのかと思う孫策だったが、むしろこの時代にそぐわないのは灯火側である。

 

 

決行は明朝。

それに合わせて官軍は後方待機し、香風と灯火は孫呉兵として戦闘へ参加する。

流石に明日に向け各人でやることがあるため、軍議後の雑談もなく解散の流れとなった。

 

行軍からこの地へ到着し、すぐさま軍議。

孫呉との軍議を終えて戻ってきたら明日の予定を各隊の隊長へ通達、およびそれに伴う一時的な権限移譲。

漸くして自分達の天幕に戻ってきた香風も流石にヘトヘトだった。

 

「ああ………疲れた」

 

「………シャンもー」

 

寝台に倒れ込んだ灯火の隣へ同じように香風も横になった。

 

蝋燭の灯りが時折吹き入れるすきま風によってゆらりと影を揺らす。

そんな天幕の天井をぼんやりと眺めていた時、ふと香風の質問を思い出した。

 

「香風、軍議前の質問だけど────」

 

そう声を出して隣へ視線を向けた。

だが、そこにいたのは

 

「…………ふみゅ………?」

 

もう半分以上夢の世界へ旅立とうとしている香風だった。

相変わらず眠るのが早いと、思わず苦笑し香風の体を優しく抱きしめた。

 

「…………お兄ちゃん………?」

 

「いいや─────何でもない」

 

「…………?」

 

その言葉に僅かな疑問を抱きつつも、抱きしめられた感覚を受け入れて頬を胸にあてた。

耳から聞こえてくる心音が、この場所が天幕内であることすら忘れさせてくれる。

それだけで、香風は十分だった。

 

「おやすみ、お兄ちゃん………」

 

 

◆◆◆

 

 

自陣の天幕で上機嫌に孫堅は笑っていた。

 

「面白い事になった。なあ、冥琳?」

 

「ええ。やはり今までの都の警備ばかりをしていた元来の官軍とは全くの異です。此度の軍議でそれを思い知りました」

 

周瑜は軍議を思い返して、改めて董卓軍という存在に脅威を覚えていた。

例えば冀州黄巾党壊滅を利用してこの豫洲黄巾へ間者を潜り込ませた、という話。

さらっと向こう側は流す様に話していたが、そこへ至るためにどれだけ事前に手を打たなければいけないか。

それに思うように黄巾を追い出せなければこの策も成り立たない。

 

「俺はもうこの軍議でいろいろありすぎて………」

 

「あははっ、まあ一刀はそうなるわよね。私ですら最初の一刀そっくりさんで驚いちゃったのに、冥琳の言葉を軽く往なして、最後には自分達が孫呉軍の一兵士として参戦する、なんて。流石の私も頭の整理が追い付かなかったわよ」

 

ひりひりと痛む頭を撫でながら笑う。

なぜたんこぶを作っているのかはここでは触れないこととしよう。

 

「そうだな。流石のオレも一刀と同じ顔が出てきた時は多少驚いた。冥琳、あの二人について分かっている事は?」

 

「(………母様だって驚いたのに、なんで私は殴られなきゃいけないのよ………)」

 

「何か言ったか、雪蓮」

 

「なんでもありませんっ」

 

「オレの跡継ぎになるんだったら、いつまでも動揺するな。さっさと切り替えてりゃ、オレも何も言わなかった」

 

「聞こえてるんじゃないっ!」

 

頬を膨らませながらブツブツと文句を言う孫策と、そんなこと知らんと態度を崩さない孫堅。

そんな親子のやりとりに苦笑しながら、周瑜が現在持ちえる情報を改めて展開する。

 

「先ずは徐晃殿。字を公明。董卓軍の将の中で最も新参の将です。ただ、それ以前は長安で騎都尉として務めており、その頃に行った賊討伐は都周辺に一時期平和を齎したと言われる程の手腕の持ち主です」

 

「………あの子が」

 

周瑜の説明に面食らってしまう一刀。

明らかに自分よりも年下な(のように見える)のに、“平和を齎した”と言われる程の実力の持ち主だという。

一体あの小さな身体でどのように戦うというのだろうかと疑問が尽きない。

 

「もう一人の北郷似の人物は莫殿。かつては長安で文官役人として務めており、都で貧困に喘いでいた民へ不定期に食事の提供や、私塾紛いの事を行っていたと聞きます。それらを無償で行っていた事から、施しを受けた者達が“聖人”と呼び始めた事により“長安の聖人”という二つ名がついた模様です」

 

「ほう………。その割にはその名前で呼ばれた時、あんまり良い顔をしてなかったがの」

 

「そうですね。まあ彼が言っていた通り、自分には似合わないと思っているのでしょう」

 

黄蓋と周瑜が思い出すのは、その名を呼んだ時の灯火の表情である。

苦虫を潰したような表情を見て、あまり良い名と思っていないのだろうと簡単に予測はついた。

 

「というかちょっと待って、冥琳。あの人、文官なの? 文官なのに最前線でもどこでもいいって言ってたの?」

 

「ああ、文官というのは間違いではないらしい。だが此度の官軍で徐晃殿に並んで兵へ指揮する姿も確認できている。実力の程はわからないが、全く戦えないというわけではないのだろう」

 

少しばかり信じられない、という表情を見せる孫策。

一方それを聞いた程普も兵から聞いた話を思い出した。

 

「それ、私も兵から聞いたわ。なんでも一刀くん似の人が官軍の指揮を執ってるって。その時“教官”って呼ばれてたとか、なんとか」

 

「教官? 文官なのに、兵から教官と呼ばれておるのか?」

 

「………文における教官、とか?」

 

「さあ。流石にそこまでは分からないわよ」

 

黄蓋と一刀の言葉に肩をすくめた。

ほぼ同じ顔という衝撃も、これだけ一刀と差異が見受けられれば、全員既に落ち着きは取り戻していた。

そんな様子を見ながら周瑜は懐から紙を取り出した。

 

「官軍である以上、ある程度の情報は容易に入手できる。今ここに来ているのは徐晃殿率いる“董卓軍第四師団”。徐晃殿はその師団長で、莫殿は副師団長を務めている。それ以外に董卓軍には残り三つの隊があり、それぞれ“第一師団”“第二師団”“第三師団”がある。いずれも各地の黄巾党討伐に赴いていて、もはや語り草にもなっている冀州黄巾党壊滅はその内の“第一師団”、大陸最強と言われている“飛将軍”呂奉先が率いる隊だ。残りの隊も“神速”張遼、“猛将”華雄といった将達がそれぞれ隊を率いている」

 

「“飛将軍”、“神速”、“猛将”、そして“英雄”………。なに? 董卓軍の将になるには必ず二つ名が呼ばれるほどの武功が必要なの?」

 

「そういう訳ではないだろうが、そういう者達が自然と集まるのが主である董卓という人物の器なのだろう」

 

そこに文官で“聖人”と呼ばれ、兵からは“教官”と呼ばれているという自分にそっくりな人物もいる。

孫策と周瑜の話にまだ見ぬ董卓という人物像を改めて思い浮かべる一刀。

董卓という名前は一刀の世界でも悪い意味で有名で、だからこそなんか悪そうなマイナスイメージが存在する。

 

だが、そういった名だたる将が自然に集まる董卓と言われると、どうも一刀の中で持つイメージと合わない。

加えて今日出会った二人から、危なそうな印象も受けなかった。

それどころか自分そっくりの人物と、どこかほんわかのんびりとした雰囲気を醸し出す少女。

 

「(………もしかしなくても、この世界の董卓ってやっぱり女の子なのか?)」

 

むしろここまで来たらそちらの方が正しいとすら思える。

こうなってくると本格的に自分の持つ未来知識は当てにならないなあ、と黄昏てしまう。

いや主である孫堅に言うなと止められているので言うつもりもないのだが。

 

「向こうの理由は至極まともなモノだ。筋も通っている。だが、それ以外にも考えがあるのだろうよ」

 

「考え、ですか?」

 

程普の言葉に頷きで応え、周瑜へ視線を向けた。

 

「冥琳、董卓という人物について分かっている事は?」

 

「………元々小さな豪族の出で、時折朝廷での仕事にも携わっていた様です。ただ、そのほとんどが裏方で、表立った功績は今までありません」

 

「だろうさ。それに涼州と言えば馬騰だ。董卓という名前が馬騰を抑えて出てくる事はなかった。その一方で“飛将軍”やら“英雄”やらと武力は整っている。知略についてもこの戦の十五万という大敵を前に、“詰み一歩手前”と言い切るほどの手腕。ならばなぜこれだけの猛者を揃える董卓が今まで無名だった? そんな連中が中央で今まで通り生きていけるか? そんな董卓の将らが何もせずにあの蠱毒壺に踏み込むのか?」

 

孫堅の問いに一同押し黙る。

だが別に将達に答えてほしいから問うた訳ではない。

要はそこへの疑問に行きつけば、孫堅はそれでよかった。

 

「雪蓮。ここまで考えろとは言わん。だがオレの跡継ぎになるのであれば、官軍や中央の相手をする時はもう少し背景や踏み込んだ考えを抱ける様になっておけ」

 

「む………、単純に考えすぎってことは無いの?」

 

「考えすぎで済むのであれば構わんさ。─────さて、この初戦。官軍は我ら孫呉に花を持たせようとしている。何せ向こうがわざわざ御膳立て、しかもご丁寧に発破までかけてくれやがった」

 

上機嫌に笑っていた孫堅の雰囲気がゆらりと変わった。

笑っているのは変わりないが、その笑みは得物を見定めて笑う狩人の笑みだ。

 

「良いか、貴様ら!官軍が策を用意しているとはいえ、この戦いが孫呉の戦であることに違いはない!今の形勢を決定的にさせる、その初戦だ!敵前衛五万を徹底的に叩き潰す!連中に我らの強さ見せてやれっ!」

 

「「「応!」」」

 

「お、おう!」

 

孫堅の号令と共に将の全員が気合を入れ、それに倣う形で一刀も気合を入れた。

何せ一度目の戦では最終的に失神してその後数日体調を崩してしまっている。

次はそんな無様な姿を晒すまいと、震える足に力を入れた。

 

ただ─────

 

「(炎蓮さんの言った『連中』って………誰の事なんだろうな)」

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

闇深い夜が、空の端から少しずつ色を取り戻していく。

 

明け方と言うだけあって少し肌寒くも感じる。

この時間ならまだ温かい布団の中でぬくぬくと包まって眠っている。

 

─────いつもと比べたら随分な早起き

 

香風はぼんやりと空を眺めていた。

 

今日もまた一日が始まる。

今日という一日は昨日とは違う。

きっと多くの血が流れるだろう。

 

殺したくて殺すわけではなく、倒すべき敵だからこそ倒す。

この戦いはまだ見ぬ漢の人々の安寧を守り、これまでに被害に遭ってきた者達への鎮魂の為でもある。

官軍とは、すなわちそれを大陸全土で為す存在。

故にこの漢で生きる力なき民、生ける全ての命は香風達に弱さを許さない。

 

「香風」

 

暁時の静寂を壊さない様な静かな声が聞こえた。

振り返ってみればいつもとは少しだけ様子の違う灯火が立っていた。

 

「………それも?」

 

腰にはいつも使っている刀とは別に二握りの剣が携えられている。

香風や恋のメインの武器とは違い、灯火の武器は力で叩き潰す得物ではない。

故に香風の武器よりも繊細であり、例えば刃に着いた血糊を拭きとらないまま放置していると、いずれ斬れなくなって鉄の棒如きにまで劣化する。

故にこういったある程度の乱戦が予想される戦では、予備武器というものを持参しておくのが灯火の常だ。

 

「ああ。念のため、だな。俺は香風や恋みたいに“氣”とやらは使えないから」

 

香風と恋の二人は “氣”を扱える。

 

扱いを熟せば武器に纏わせて武器そのものの硬度を上げることは勿論、矢に纏わせて特注の弓で放てば虎を地面へ縫わせることもできる。

“氣”そのものを放って攻撃に転化させることすらできる、そういう代物。

それを一片たりとも使えない灯火では、武器の耐久を“氣”で補う、という超常染みた手段は使えない。

つまり、例えば鉄球を武器として飛ばしてくる敵(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)と相対したら、もれなく灯火は逃げ回るしかできない。

 

そして残念なことにその灯火の天敵とも言える人物が曹操軍に居る事は確認済みである。

 

─────“氣”って何だよ

 

そう哲学染みた討論を脳内で開催してしまうくらいに内心引き攣っていた。

あれを平気な顔で受け止めたり吹き飛ばしたりできるのが、この世界の武将である。

 

そりゃあ文官です、って言い張るのも当然だろうと灯火の中で完璧に帰結していた。

 

「─────大丈夫。お兄ちゃんはシャンが守るから」

 

「ははは………、頼りにしてる」

 

ふんす、と気合を入れる香風に苦笑しながら頭を撫でる。

ただ孫呉軍に加わる以上、ただ香風に守られているだけというのは格好がつかない。

幸い黄巾党内にそういう手合いの人物は確認できなかったという報告を受けている。

油断は禁物だが、そこまで悲観する必要もないだろうと結論を出した。

 

「それじゃ、行こうか」

 

「うん」

 

 

闇深い夜に太陽が姿を見せる。

周囲が少しずつ明るくなっていくその明け方、暁時に孫呉軍は凄然とした表情で号令を待っていた。

 

そこに眠気に襲われる兵は一人も居ない。

それだけで孫呉軍が如何に訓練された兵士達であるかがよくわかる。

 

「孫策どの、よろしくお願いします」

 

「ああ、うん。よろしくね、徐晃ちゃん」

 

「(………でかい)」

 

一刀が現れた二人へ視線を向けて、そのままその視線が香風の持つ大斧へ固定された。

その光景だけで一気に様々な疑問が頭の中に噴出する。

 

その自分の身の丈くらいはありそうな大斧は重くないのか。

そもそもその武器を扱えるのか。

なんで雪蓮はその光景に何も言わずに平然と受け入れているのか。

筋力ありそうに見えないのにどうやって持っているのか。

 

が、そんな一刀の脳内疑問に答える殊勝な輩は居なかった。

 

孫呉軍へ加わる事になった二人は孫策と周瑜、そして一刀の居る隊へ編入される。

先陣は孫堅が務め、両脇に程普と黄蓋の両隊が布陣。

その三隊全てを戦局に応じてフォローするのが孫策・周瑜隊である。

 

総大将である孫堅自らが先陣を切るという行為には若干疑問を覚えるが、他所は他所のスタンスでとやかく言わない。

そもそも成り行きで恋の“単騎攻城”を行った此方側が指摘できる様なモノでもないのだから。

 

「莫殿は何故帽子を?」

 

「誤認を防ぐため。北郷君とは無関係な立場とは言え、傍から見て似たような顔が戦場に居ては咄嗟の時に困るでしょう? 戦場で髪色や瞳の色を見ろと言われても見れるものではないですから」

 

なあ? と同意を求める様に自分ですら似ていると思う一刀へ声をかける。

 

「え、っと。そ、そうですね」

 

不意を突かれたのか一瞬挙動不審になった一刀に、流石に昨日の今日では気軽過ぎたかと反省する。

そもそも所属こそ不明ではあるが存在の可能性を考えていた灯火と、まだまだ此方の世界に慣れていない一刀とでは精神的な余裕にも差があった。

 

「では改めて。お二人には我らと共に戦場へ。役割は先陣を切る孫堅、黄蓋、程普隊の援護。我らは損害を抑えつつ五万を殲滅する勢いでこの時機に仕掛けます」

 

「………孫堅どのが、先陣を切るの?」

 

「よねー? 徐晃ちゃんもそう思うわよね? 兵を鼓舞する為だとか言って、いっつも先陣切って敵に突っ込んでいくの!」

 

香風のささやかな疑問に大層大袈裟に反応する孫策。

やっぱり自分の意見は間違っていなかったと香風の手を握る傍らで、周瑜がお前もなと思っている事には気付かない。

 

「莫殿。今回の相手の中に其方の手の者はいないのか? 我らでは判別できないのだが」

 

「そちらについてはご心配なく。昨夜のうちに本隊の方へ移動するように伝えています。間違って同士討ちをすることもないでしょう。………ところで、随分と攻撃的な布陣ですけれど。孫呉はいつもこうなのですか? 周瑜殿」

 

「我らが主の命でもあります故。………それに、我らが賊軍に手傷を負う事はない(・・・・・・・・・・・・・・・)其方も同じである以上(・・・・・・・・・・)攻撃的な布陣になることもないでしょう(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

「………なるほど」

 

周瑜と灯火のやりとりに耳を傾ける一刀。

どうしてかうすら寒い感覚が背中を駆け巡るが努めて無視することにした。

というか自分と似た顔でそんなことをされると恐れ多く感じてしまうので、やめて欲しいとちょっぴり祈る。

 

そんなやりとりに気付いていない孫策は香風に疑問になっていた事を尋ねる。

 

「そうそう。あの莫って人、文官って聞いたんだけど、ほんと?」

 

「うん、ほんとう」

 

「………こういっちゃあれだけど、戦えるの?」

 

孫呉軍には陸遜という人物がいる。

彼女は軍師で文官寄りの人間ではあるが、一応賊退治が出来る程度の武は持ち合わせている。

或いは彼もその類の人物なのだろうか、と少し期待する。

 

「うん、そこは大丈夫。時間があればシャンとかれ………呂布殿と一緒に鍛錬してるから」

 

「………“あの”呂奉先と?」

 

「うん。シャンもまだまだ教えてもらえる事いっぱい」

 

「─────へぇ」

 

香風の言葉に偽りはない。

ただ、その認識の重さが香風と孫策とで全くの同一かと問われれば否であった。

 

 

そんなやりとりが行われている遥か前方。

空が赤く滲み始めた頃に、業物“南海覇王”を握った孫堅が静かに佇んでいた。

 

余計な言葉は不要。

作戦は既に全軍へ通達済み。

右翼には黄蓋、左翼には程普、後方には孫策と周瑜という布陣。

 

後は号令一つで野を駆ける。

ならば、孫呉当主たる孫堅が発する言葉は一つのみ。

その視線は、限りなく獰猛で残忍だった。

 

 

「全軍、蹂躙せよ!!!」

 

『────ウォオオオオオオオオオオッ!!』

 

 

容赦なく躊躇なく断固と轟く孫堅の号令によって、二万対五万の戦の幕は切って落とされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




???「そちらにとっても、悪い話ではないと思いますが」


このネタが分かる人はフロム患者。
別にわからなくても問題無いです。


お気に入り、感想、評価、誤字報告ありがとうございます。

今後もゆるりと更新を続けてまいります。
というか、話のテンポ遅すぎ………?




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File№14

小説で戦闘描写は難しい。稚拙かもしれませんが伝われば嬉しい。

最近の映画や神作画と呼ばれるアニメの戦闘シーンは凄いと思う。

ところで実写ロボットCMを出すゲームの最新作はまだでしょうか。




始まります。



孫堅文台。

 

彼女はこの漢における紛うことなき武人である。

かつての太守を蹴落とし、廃退の一途を辿りつつあった呉をその腕っぷしで立て直した功績は、呉に住む人間からすれば記憶にもまだまだ新しい。

 

加えてその祖先は孫武とも言われ、血統としても他者を圧倒するに相応しい存在。

それに驕ることなく、だがそれすらも利用して己の力一つで揚州という地盤を築いたという事実が、単純なる“武”だけではなく統治者としても優れている事を示していた。

その後も勢力の拡大を続け、今では呉、淮南、盧江の三郡と丹陽郡の北部を統治下に置くその善政。

揚州において刺史の劉耀よりも勢力・影響力共に遥か上の存在となっている。

 

その一方で。

 

「うるぁあああっ!!!」

 

野獣の如き勢いで、眼前に居座る賊を蹴散らして突進していく。

その咆哮、その身のこなし、その眼光。

 

江東の狂虎。それが孫堅の二つ名であり、孫呉当主の実力でもある。

立ちはだかる敵を薙ぎ倒し、無人の荒野を疾走する。

 

「ハッハーッ! 押せ、押せ、押せぇっ!敵は崩れたっ!銅鑼を鳴らせっ、太鼓を叩けっ!!」

 

『ウォオオオオオオオオオオッ!!』

 

孫堅を打ち取ろうと武器を振り上げた時には袈裟から薙ぎへ二太刀。

瞬時に出来上がった振りあげたままの死体を側面から迫る賊へ蹴り飛ばし、逆側面の敵の首を一閃。

 

「オレに続けぇぇええっ!!」

 

倒れた敵など目もくれず、返り血すら気にも留めず、向かってくる敵を狩り飛ばしては敵陣へ突撃する。

意外にも手入れの行き届いている長髪が激しく揺らめくその姿は、孫堅の戦いの気質と相まってまるで炎を纏っているかのようにも見えた。

 

「殿に後れを取るでないっ、我らも進めぇっ!」

 

「左翼から敵を包み込めっ、一兵たりとも討ち漏らすなっ!」

 

孫呉の両翼と呼ばれる黄蓋と程普が号令と共に戦場を駆ける。

賊軍には望むべくもない統率によって動く程普隊。

素人では太刀打ちできないほどの弓術を持つ黄蓋隊。

どちら相手でも一矢報いることすらできず、相対した敵が戦場へと倒れていく。

 

「(す、すごい………相変わらず………)」

 

正に快進撃。

先陣を切る孫堅の活躍は、その立ち位置から必然的に兵達の視界に入ってくる。

それが兵達の士気を高めているのは、戦いの素人である一刀が見ても一目瞭然だった。

 

そして負けず劣らずにその側面をカバーに入る程普と黄蓋。

近づく敵は程普が処理し、距離がある敵には黄蓋隊が先制を仕掛ける。

そして狂虎と呼ばれる所以を存分に見せつける孫堅が敵陣形を瓦解させていくのを、後方から灯火は観察していた。

 

「(流石は江東の狂虎(バーサーカー)。そして孫呉の両翼。いいお手本だ(・・・・・・))」

 

総大将が先陣を切る事に対してではなく、戦いにおける役割分担や連携の話である。

戦場において個人の武が高ければ高いほど良いというのは当然であるが、他の者との連携が取れる事も戦況を有利に進める要因(ファクター)だ。

 

こと“武”において、今眼前で荒れ狂う狂虎よりも上の存在が灯火の身内に居る。

弓を持てば川の対岸の人食い虎を寸分違わずに地面へ縫い付け、鞘より放たれる剣は今や灯火を超える抜刀術。

方天画戟を振るえばそれを万事止められる者はいない。

 

正直に言うと一人だけレベルが違い過ぎて、灯火や香風といった“挑戦者”側の鍛錬はともかく。

恋自身の鍛錬になるかと言われると灯火は首を傾げざるを得ないのが現状である。

そんなこともあって、近々恋の為に柔道などの柔術を鍛錬に取り入れようと一人画策している。

そこに少しばかりの憧憬や興味、いつでも武器が手元にあるとは限らないといった理屈など、様々な思惑が内側にあったりする。

 

一方、あの“飛将軍”に対してナチュラルに鍛錬の指南(そんなこと)をする、という行為が周囲の兵からどう見られているのか。

そこに興味を持たず、ただ恋の護身能力向上を考える灯火に対する兵の評価の行きつく先はどっちだ。

 

 

閑話休題(それはともかく)

 

 

いくら個人の“武”の頂点にいたとしても、恋の体力は無尽蔵ではない。

どれだけ頑張っても恋という人物は一人しかいないし、身体も一つ。

どれだけ強くても周囲全てが敵で埋め尽くされては意味がない。

 

今自分達に必要なものは戦場における連携能力の向上。

そう自己分析した灯火が、“孫呉の両翼”の異名を持つ二人に興味を示すのはある種当然だった。

 

「(そして─────流石は北郷一刀(主人公)だよ。まったく………)」

 

もはやこの辺りの“知識”は朧気ではあるが、まだ彼はこの世界での戦に慣れていない。

だからこそ今もこうやって後方で見学に徹しているのだろう。

記憶間違いでなければこれで二度目の戦の筈で、それまでは戦はおろか目の前で人死すら見たことが無い生活を送っていたハズ。

 

思い返すのは初めて人を殺した時。

幼少期のことで、まだ恋の武も灯火より下だった時代に人を殺した。

 

 

『  ─────この人殺し─────  』

─────自衛のため、恋を守るためだ─────

『  ─────もっといい手はあったはずだ─────  』

─────こんな時代だ、珍しい事じゃない─────

 

 

そうやって自分を正当化させても不意に悪夢として見る事すらあった。

一時“知識”を持っている事を呪ったくらいには、自己嫌悪したこともあった。

 

初めての正当防衛(人殺し)は、今後も忘れる事は無いだろう。

 

後にも先にも、その時が一番精神的に不安定だった時期。

自分よりも僅かに幼い恋にその不安定な情緒をぶつけたくもなかったから、一人で何とか処理し続けた。

 

今でこそ感情の受け止め方を心得ている(時間が解決してくれた)からこうして戦場にも立てているが、後ろに控える彼はまだ二度目。

直接的に手を出したわけではない分マシなのかもしれないが、二度目にしてあそこまで気丈に振舞えるかと問われれば否定的な言葉が出てくる。

 

「官軍の使いっぱしりめ!よそ見なんかしやがって!」

 

「そんなに死にてぇのなら、てめェの首から殺ってやるよ!」

 

一瞬だけ視線を一刀の居る後方へ向けた際に武器を持った黄巾党が駆けてくる。

普通ならば戦場、しかも戦闘最中によそ見をするなど自殺行為も甚だしい。

それをするのは自殺志願者だけだろう。

 

「─────ふぅ」

 

小さく息を吐いた。

 

己が官軍の将だとバレていないのは良い報告だ。

相手が此方を格下と見縊ってくれる事はよい事だ。

こんなあからさまな隙(・・・・・・・)をご丁寧に叫びながら突いてくるなんてありがたい話だ。

 

感謝の言葉を脳内に並べるも、感謝の気持ちなど一寸たりとも存在しない。

 

向かってくる相手は二人。

この程度をどうにかできないまま、この時代を生き延びてきた訳ではない。

目を細め、僅かに刀を握る手に力を込めた灯火が手を出す。

 

その前に。

 

 

「──────────飛べ」

 

 

風切り音にしてはやけに巨大な音。

横合いから現れた発生源であるその大斧によって、黄巾の二名は跡形もなく吹き飛んだ。

 

刃部分ではなく面の部分を当てたのは単なる慈悲。

ただし頭文字に“無”が付くが。

 

とん、と軽い足取りですぐ隣に着地したのは香風。

灯火では運ぶだけで苦労するその大斧を肩に乗せて、敵を吹き飛ばした方角を眺めながら一言。

 

「お兄ちゃん、大丈夫?」

 

傍から見れば先ほどの攻撃と今の雰囲気のあまりのアンマッチに思わず瞠目してしまうが、香風はこれが通常運行である。

一方の灯火は香風でも本気になればあれくらい人は飛ばせるんだなとしみじみ思う。

しかも面で。ミート打ちであそこまで人を飛ばせるなら立派なホーマーだ。

 

「ん。いや、ありがと。ナイスホームラン」

 

ホームランという言葉に首を傾げると薄く笑いながら頭を軽く撫でてくる。

そんな灯火の手を感じながら周囲を一瞥する。

 

いきなりの事で呆然としている敵は香風と視線が合う事で顔を強張らせる。

大よそ見た目と反して生まれた事実に整理が追い付いていないのだろう。

 

「………じゃあやろうか」

 

隣にいる香風にしか聞こえない様な静かな声で、鞘から銀色の刃を抜く。

如何なる時でも手入れを怠らないその刃は、それを見る香風の顔を反射して映し出した。

 

「─────うん」

 

刃へ落ちていた視線を上に戻し、灯火の横顔を見て─────伏せる様に前へ視線を戻した。

 

 

号令は“蹂躙”。

官軍の将二人が、その命令(オーダー)を実行する。

 

 

 

 

大斧を水平に構え、相手へ駆け足。

その巨躯に違わぬ重さであるはずだが、とても香風の姿からそう見て取る事はできない。

 

「っ!びびってんじゃねぇ!相手はたった二人だ、行くぞ!」

 

自分達へ駆けてくる香風と灯火に意識を戻した黄巾党が各自武器を構え同じように立ち向かう。

多少相手が強くとも数で押して押せば倒せる。今までの官軍だってそうだったのだから。

 

「─────」

 

普段の雰囲気は息をひそめ、眉を顰めて相手を睨み─────並走していた灯火を置き去りに、一気に相手へ疾走する。

 

香風の中で明確に意識が切り替わり、身体を一気にトップギアへ引き上げる。

十五メートル(五丈)はあろう距離をたった三歩で踏破し、その変速に瞠目した賊は間に合うことなく一振りで吹き飛ばされた。

その膂力は遠心力を生み、外側へ流されるほどの勢いに任せ、独楽のように回転して側面の敵を薙ぎ払う。

 

「三」

 

三人が地に伏すこの間に一息の呼吸すらありはしない。

着地し、体勢を整え、一気に敵の懐へ入り込み、斬り上げ、跳躍し、振り下ろす。

武器同士の衝突による金切声は一瞬で、かつての官軍から奪った武器は容易く粉砕され、勢いは死なず地面にクレーターを作る。

果敢に振り下ろされる相手の攻撃を右足半歩下がる事で回避し、“氣”を漲らせた拳で敵の脇腹を打ち抜き、追撃に大斧の刃(ギロチン)が落ちる。

 

「七」

 

ここまでで十秒未満。

一連の流れでどれだけの被害が出たか、それを正しく処理把握が追い付く敵はこの場にいない。

ただ分かるのはもはや完全に香風を子供と認識する輩はどこにもなく、相手は子供の姿をした化け物ということだけだ。

 

 

───早く終わらせよう

 

 

相手の顔が恐怖で埋め尽くされるよりもなお早く、武器ごと相手を両断する。

ここが戦場ではないなら脅すだけで済ませた。

 

けれど、もうこの場はそういう次元では無い。

容赦なく、当たり前の様に、命を刈り取っていく。

 

「こんな奴がいるなんて聞いてねぇぞ!」

 

為すがままにされる賊達は悲鳴をあげる。

黄巾党にだって孫堅率いる孫呉軍の情報はあった。江東の狂虎、その娘に孫呉の両翼。

それ以外の主だった将はおらず、気を付けるべきはその四人だと聞いていた筈だった(・・・・・・・・・)

だが、では目の前の敵は一体何なのか。

 

 

そりゃあ伝えてないからな(・・・・・・・・・・・・)

 

 

それが最期に聞いた言葉だった。

 

一人の首が宙を舞うのに気付いた黄巾党が、細長い武器に付いた血を掃う灯火を見て驚いた。

既にその後ろに三人ほど物言わぬ死体が出来上がっていたのだから。

 

「こいつっ………」

 

その言葉は最後まで言われる事はなく、首目掛けて一閃されたことすら気付かぬまま絶命に至る。

 

香風の強さも見た目も派手な“武”や、恋の様な最強の“武”でもない。孫堅の様な荒々しいが兵達を鼓舞する“武”でもない。

それでもただ愚直に刀を振り続け、時には最強との鍛錬もこなし、継続を怠らなかった灯火の“武”は、決してそこいらの賊が至れる境地ではない。

 

─────戦場に事の善悪無し、ただ只管に斬るのみ

 

その瞳、その表情に大よそ感情らしいものは見当たらない。

かつては人を殺してその感覚に押し潰されもしたが、今においてそれで刃がブレることはない。

“氣”による補強など望めなくとも関係ない。あの場に香風一人にさせまいと、灯火も敵へ疾走する。

迎え撃つように振るわれた攻撃を半歩で回避し、隙だらけになった敵へ銀色の光が閃く。

 

一人。二人。三人。四人。

武器を手に取り襲い掛かってくる黄巾賊の攻撃はただ空を切るだけに終わり、舞う様な鮮やかさで殺していく。

 

香風の攻撃による風切り音が大きく低い音に対し、灯火の風切り音は小さく高い音。

 

腕を振り上げ、振り下ろす。斜に構え、振り払う。腕を引き、突き穿つ。

敵の攻撃に合わせて身体を傾け、最小の動きで攻撃を躱して最短距離で攻撃を刺し込む。

そこに小難しい動作など一切なく、激しい動作もない。

しかし一連の所作が賊の攻撃を止まって見せるほどの速度であり、香風同様ただの一度も身体は停止しない。

 

無駄は一切なく、すなわち攻撃に牽制など無い。

その一撃は確実に首を刎ねる、確実に致命傷を与える、そういう一撃。

常に命を奪いにいく。

 

「香風、右」

 

「うん」

 

最低限の会話だけを交わし、巨躯の大斧と日本刀擬きが戦場を奔る。

二人合わせると既に十倍以上の敵が物言わぬ屍となって、二人の軌跡を示していた。

 

 

 

 

「…………」

 

厳しい視線で戦場を見抜く周瑜。

戦況は悪くない。いや、賊軍にしては健闘していると、むしろ相手に称賛を送るくらいの余裕がある。

どっちにしろ、あと少しでもすれば相手は無様に潰走するだろう。

もはやそれは予測ではなく確定事項。

此方側にも目立った損害はなく、まさしく完全勝利と言える結果になると踏んでいた。

 

その上で。

 

「雪蓮。あの二人をどうみる」

 

隣に佇む孫策に声を掛けた。

生粋な武人ではない周瑜が見ても、あの二人の武が生半可のモノではないとわかった。

 

「強いわね。徐晃ちゃんのあの膂力なんて、母様が対抗できるかどうか。莫は文官と思って対峙したら一合で首を刎ねられる。そうでなくとも速さなら私よりも上かも。二人そろって詐欺よ、詐欺」

 

負けるつもりは無いけどね、と呆れる様な口調で軽口を叩く孫策。

けれど我が親友が聞きたい事はそれだけじゃないというのも分かっている。

 

「けどそれ以上に、あれだけ暴れておきながら二人とも常に冷静さを保ってるところが凄いわね。………私ならちょっと無理かな」

 

「ちょっとどころか私の言葉すら聞かんだろう、雪蓮は」

 

「むっ、ちゃんと聞いてるわよ」

 

「聞いていてなお無視しているということか? なるほど余計に質が悪い」

 

「ちょっと、辛辣すぎない?」

 

孫策が前線へ立つ孫堅を咎める様に、孫策が孫堅の立場になると孫策の立場に周瑜が立つことになる。

話が逸れたことを自覚した二人は改めて眼前の光景を見つめた。

 

「問題はあの二人が董卓軍の四隊における内の一隊の将、ということだ」

 

「………あと少なくとも三人はいる、ってこと?」

 

後ろで同じ光景を見ていた一刀が尋ねる。

 

「ああ。その内の一人は確実にあの二人よりも上のハズだ」

 

「その内の一人って………ああ、呂布か」

 

すぐさま思い出した。

何せまだ建業にいた頃に、評定で議題として取り上げられたくらいだ。

一刀の国でも呂布という存在は飛びぬけて武が強い存在としてゲームやら何やらで扱われている。

曹操、劉備と言った三國志のメインと並ぶほどには有名だ。

 

「(………目の前のあの二人でも、十分凄いのに)」

 

戦斧を軽々と振り回して相手を薙ぎ倒していく自分よりも幼く見える少女と、自分と瓜二つの姿をしながら日本刀の様な武器で相手を斬り伏せていく青年。

特に青年の方については一刀自身も剣道を嗜んでいたから、その強さは良くわかる。

戦場での剣と、どこまでいっても試合としての剣道でしかないものでは何もかもが違うだろう。

けれど、それでも。

 

迸る剣舞。

並んで振るわれる巨躯の大斧。

時には一人で、時には背中を預けて戦う“もう一人の自分”。

 

相手は自分達よりも遥かに多い。

止まればあっという間に囲まれて肉塊になるであろう黄巾の中、躊躇うことなく敵を斬り伏せていく姿。

 

その姿に一刀は目を離すことが出来なかった。

 

「あの二人で董卓軍の全てを推し量れるとは思っていないが、それでも遠からずの情報は精査できるはずだ。“武”では呂奉先を除くとしても、他の将の指標にはなるはずだ」

 

「まあ、程度くらいは測れるでしょうね。けど、冥琳。その言い方だとまるで董卓軍を“仮想敵”として見ている様にも見えるわよ?」

 

「否定はしないさ。それに炎蓮様も言われていただろう。中央の連中とやり取りをするときは、もう少し頭を使えとな」

 

孫策と周瑜が何かを言っていたが、今の一刀にそれを理解するほどの思考は残っていない。

ただ、いつの間にか足の震えだけは止まっていたのだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

戦闘開始から終わりまで終始孫呉軍のペースだった。

 

開始直後は黄巾党の士気も高かったが、切り込み隊長である孫堅がそんな彼らを鎧袖一触。

結果出端を挫かれた黄巾党と、孫堅の作った勢いに乗る孫呉軍。

最後には敵が逃げ出して戦闘は終了した。

 

「お兄ちゃんに怪我が無くてよかった」

 

終始優勢であったとは言え、二万対五万。

それだけ倒すべき敵が多くなるということであり、それだけ戦の時間も長いということ。

戦闘終了直後は流石に頬を上気させ、僅かばかり肩で息をしていた香風。

 

「おー、怪我は一つもない。香風のおかげかな、ありがとう」

 

「うん。………はー、つーかーれーた~………」

 

ふにゃふにゃ言いながら寝台に腰かける灯火の内側に香風はすっぽりと収まり座る。

とても先ほどまで戦斧を振り回していた様には見えず、只々緩い雰囲気で灯火に背中を預けてくる。

そんな姿に薄く笑いながら、ふと髪が汗で濡れているのに気付いた灯火が手拭いで汗を拭きとる。

風呂場やシャワールームといった便利部屋などあればよかったが、生憎そんなモノはどこにもない。

 

「んっ、ふふっ………くすぐったいよぅ」

 

髪と顔、そこから首元へ。

首元に手拭いが触れた事でピクッと身体を震わせた。

 

「ん? なら、自分で拭く?」

 

「……………………シャン、一歩も動けなーい」

 

「………ほぅ」

 

戦が終わったあとの出来事。

 

『お兄ちゃん。シャン、戦がんばったからおんぶしてー』

 

そんな言葉をかけてきた香風。

断る理由はそこらにあった。共同作戦中だとか、大斧も持って帰るのはしんどいだとか。

けれどそれ以上に。

 

『ああ、いいよ』

 

いつもと変わらないその姿に、どこか安堵する己が居た。

 

『ん~………』

 

顔や頭をぐりぐりと押し付けてくるのを感じながら自陣へ戻れば、その光景に困惑する人は当然いる。

 

『えっ。なんで徐晃ちゃんが背負われてるの?』

 

『………どこか怪我を?』

 

孫策と周瑜が二人の状況を見て声をかけてきた。

気になったのか一刀も後ろから覗いてくる。

 

『んーん。戦で頑張ったから、お兄ちゃんにおんぶしてもらってる』

 

『……………………………………………………………………………………………ああ、なるほど』

 

戦で頑張ったから。

お兄ちゃんに。

おんぶしてもらう。

 

周瑜は一瞬前後の脈絡に疑問符を浮かべたが、戦終わりで時折発症する孫策のとある症例の対処相手にもなっている身なので何となく理解できた。

なお周瑜が想像したソレが正しいとは限らない。というよりそこまで思考が飛躍するのは凄い。流石は軍師。

あと一刀くんは単純に兄に甘える妹、と解釈していた。

 

孫策らに次の軍議は休息後にと伝えて、官軍の天幕へ戻ってきた二人。

 

 

そんな途中経過を経て今この状態に

 

 

 

 

 

─────少しだけ、火がついた。

 

「っ!にゃあ………!く、くすぐった────」

 

おおよそ灯火が知る限り人間の擽りポイントである箇所へ手ぬぐい攻撃を開始する。

ビクン、と一際大きな反応を示した香風が灯火の魔の手から逃れようとくねくねと身体を捩る。

だがその程度では逃げる事は適わない。

 

「ほらほら、動いてたら汗を拭きとれないぞ?」

 

恍けるように香風へ声を掛けながらある程度加減をしながら攻撃を継続する。

しかし勘違いしてはいけない。

これはあくまでも汗を拭きとる為の行動であり、決して擽る為にやっているわけではない(自己弁論)。

 

元々敏感な香風は痛いのは我慢できても、擽りの我慢はめっぽう弱い。

ぞわぞわとした感覚が神経を犯してきてその反応で身体を捩るせいで髪が振り乱れる。

 

「ひにゃっ………」

 

脇腹部分に手拭いが触れてびくんと跳ねた。

 

「んみゃっ………」

 

背中にあたった手拭いからぞわぞわとした感覚が伝わってくる。

天幕であるためか外に声を漏らさないように我慢しているらしい。

 

「はい、終わり」

 

要望通りある程度の汗を拭き終え、うー、と小さく唸る香風の頭の上にポンと掌を置いた。

そのまま背中から寝台へ倒れ、灯火も自身の休憩に入る。僅かばかりの達成感があるのは内緒だ。

………それをただ眺めているほど、香風も甘くはない。

 

「………じゃあ、次はシャンの番」

 

その言葉に反応するよりも早く、脇腹に香風の手が触れたのを感じて─────

 

「くっ!? く、は………っ。こ、こら香風………って、無駄に“氣”を使ってる………!?」

 

寝転がった上にマウントポジションを取る形で跨る香風から容赦ない擽り攻撃が飛来した。

咄嗟に身体を動かそうとして、しかし全く起き上がれない状況に驚愕する。

体重は重くないはずなのに、うんともすんとも言わない自分の身体。

そりゃあ香風の拳一撃で大の大人が沈むわけだと納得する一方で、香風の攻撃が続いている。

 

「むぅ………お兄ちゃん、まだ余裕そう」

 

「その分起き上がれなっ………く、いんだけど………っ!」

 

僅かに口角をひくつかせながらも、灯火は逆転の一手を打つ。

身体は動かなくとも腕は健在。

ならば攻撃目標は香風の脇腹。

 

「っっ! ひにゃぁっ………!」

 

「やられたらやり返す、倍返しだっ」

 

「く、ぅ………!シャンも、負けないっ………」

 

 

 

いや休憩しろよ。

 

ツッコミ不在の天幕内。

外に僅かばかり二人の笑い声が聞こえてきた、というのは天幕の守兵の言質である。

 

 

 

 

「はぁ………疲れた」

 

「………シャンも」

 

とうとう“氣”で押さえつける事ができなくなった香風がこてん、と灯火に重なるように倒れ、見事灯火は香風に勝利した。

最後の部分だけみれば武人として天才の域にいる香風に勝った文官ともとれるが、その内容があまりに下らないのはご愛嬌。

 

「ん~………」

 

何も考えず、ぐりぐりと頭を動かす。

そんなぐだぐだで下らないやりとりだからこそ、香風は嬉しかった。

今自分の下にいる人は、いつも通りに戻っているから(・・・・・・・・・・・・・)

 

 

戦っている最中まで何かを言うつもりは無い。

けれどそれでも戦っている最中の灯火は、香風はあまり好かない。

 

気を抜けば香風ですら追い付けない攻撃を、寸分違わずに敵の急所へ振るう。

無駄な動きもなく、攻撃は武器が弾き出せる最短距離で敵へ到達し、絶命させていく。

大よそ攻撃の最適解を常に出し続け、敵を屠っていく。

 

そんな表情は、“(カラ)”。

 

感情を削ぎ落としたような。

それは、嫌だったから。

 

 

 

─────早く戦、無くならないかなぁ………

──────────それでお兄ちゃんと一緒に空を飛ぶ実験をして……

───────────────色んな所………行ってみたい、なぁ………

 

 

 

「香風」

 

その言葉にはっと瞼を開けた。

いつの間にか眠っていたらしい。

 

「そろそろ起きて。孫呉軍と軍議もあるから」

 

灯火の言葉は聞こえているが、イマイチ頭の中に入ってこない。

ボーっとしながら、作業を進める灯火の横顔を眺める。

 

「………ん? もしかしなくても寝ぼけているな」

 

寝つきがいいのは羨ましい、と苦笑して香風へ手を差し伸べた。

自分よりも大きい掌を見つめ、掌を重ねた。

そこから伝わる掌の温かさはいつも通りで、安心できる。

ぽかぽかと温かくなる。

 

「お兄ちゃん」

 

「うん?」

 

「おんぶして?」

 

「…………」

 

「………だめ?」

 

「…………いいよ」

 

溜息一つ吐くも嫌な雰囲気は見せず、苦笑しながら背中を向けてくれる。

自分よりも大きい背中にもたれ、温かさの中で瞳を閉じた。

 

 

 

今はただ、この温もりを感じて過ごしたい。

 

そう思う香風だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




香風「(背中で寝ちゃった………)」

周瑜「(背負われて帰って行ったと思ったら、手を繋いでやってきた。徐晃殿の顔も少し赤く見える。これはやはり………)」

作者「(R-18は多分)ないです」



お気に入り、感想、評価、誤字報告ありがとうございます。


香風を抱きしめながら布団に包まって眠りたいだけの人生だった。
戦闘描写はなかなか難しい。



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File№15(前編)

悩んだあげく、二つに分けました。
遅くなったのはこのせい。
というより書いて見直しての繰り返しである。

後編は近日中に。



前編は恋とねねサイドのお話。


 

 

 

 

無窮の空間。

見渡す限りにあらゆるものが存在しない。

知っている事しか見ることは出来ないから、この場所には何も存在しない。

 

ただ言える事は、一つだけ。

 

喜びも悲しみも、苦しみも悪心もない、永遠に実らない無垢の楽土。

 

ここはそういう場所。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

─────そんな夢を見た。

 

 

「──────────」

 

枕を抱きながら丸まって眠っていた恋は、ゆっくりと起き上がり周囲を見渡す。

 

特段代わり映えのしない天幕内の光景だが、そこに居るべき筈のねねの姿はない。

隅には丁寧にかつすぐにでも手に取れるようにと飾り付けられた三種の武器。

 

横に視線を向ければ数少ない恋の持参物である袋が置いてあり、中身は丁寧に布に包まれた木箱が一つ。

木箱の中身は既に空っぽで、綺麗に水洗いされた後のモノ。

 

『恋、ねね、これお弁当。日持ちはしないから、お腹が減った時に食べてくれ。………二人とも、無事で帰ってくるんだぞ』

 

それは洛陽出立時に手渡された灯火お手製のお弁当であった。

 

『……うん。ありがと』

 

『ふふん、だーれに言ってやがりますか。天下の恋殿にこのねねもいる状況、さらに我らの策があるこの状況で敗北するなどあり得ないのです!』

 

自信を持って胸を張るねねにそうだなと笑いながら頭を撫でる。

子ども扱いするな、と文句を言いつつもどこか喜色を含んだ声色。

そんな光景に恋も薄く笑みが零れた。

 

『恋』

 

ふわり、と体を抱きとめられる。

腕が恋の背中に回されて、その温かさが伝わってきた。

 

『……………』

 

恋もまた腕を灯火の背へ回した。

瞼を閉じて、十秒にも満たない間で、言葉はお互い一言もなかったけれど。

 

『ちゃんと帰ってこい』

 

『……うん』

 

顔を見合って二人笑顔で約束を交わし、恋とねねは洛陽を出立した。

 

活動をすればお腹が減るのは当然。

自身の為に作ってくれたお弁当を無駄にすることなどあり得ない、けれど今食べるとしばらくは灯火のごはんを食べれなくなる。

そんな葛藤が恋の中に生まれたが、同じ様にお弁当を受け取っていたねねの説得もあって美味しく頂くことに。

 

『………美味しい』

 

『です!』

 

二人してうまうま、と頬張りながら食べたそんなお弁当は─────

 

「…………………」

 

─────当然空っぽである。

 

お腹が減って思わず開けてしまうが食べた弁当が復活している事はない。

既に数回目のチャレンジも常識が覆る事はなく、少しばかり気落ちした恋は飾り付けていた方天画戟を手に取り天幕の外へと出た。

 

「! 呂将軍、どちらへ?」

 

「…………ごはん」

 

「それでしたら現在向こうで食事の準備を整えています」

 

天幕を守る守兵に頷きで返事をしてその場を後にする。

匂いを頼りに歩みを進める中で、周囲にいる兵達の様子を流し見る。

 

そこに見えるのは若干の違和感。

敵が攻めてきたというワケではないらしいが、少し落ち着きがない。

まるで何かを気にしながらとりあえず食事の準備を進めている、といった雰囲気。

 

ねねがいない事と何か関係があるのかとも思ったが、何か重大な事があれば自分にだって連絡はくる。

それがないのであれば、少なくとも今は自分が出る必要は無いのだろう。

 

「! 呂将軍が来たぞ!準備急がせろ!」

 

「おい、マジかよ夢なら覚め─────」

 

「言ってる場合か!量足りねぇぞ!もっともってこい!」

 

急に慌ただしくなったことに微かな疑問を抱きつつも近くにあった椅子に腰かけた。

念のために持ってきていた武器はすぐにでも手に持てるよう傍に置きながら食事が来るのを待つ。

 

流石呂布隊というだけあって、己の長が一体どれだけの大食らいであるかは理解している。

涼州に居た頃に満漢全席を一人で平らげた、という噂話は兵達にも流れてきているのだから。

そんな彼女と同居する“教官”こと莫殿は一体どうやって食事を用意しているのか、というのは兵達の間で噂される七不思議の一つである。

 

「呂将軍、お待たせいたしました」

 

ただの兵士であれば自分で列に並んで取りに行く。

だが、恋の場合は手ごろな場所に座ったところへ兵が食事を運んでくる。

何とも優遇されているが、恋の武がずば抜けているというのは呂布隊でなくても周知の事実。言ってみれば董卓軍の切り札。

誰も文句など言わないし、不満に思う事もない。それくらい当然だ、という兵士達の意識が自然と生まれるくらいに恋に対して敬意を払っている。

 

あとそうでもしないと恋が満足するまで食事が続くから、という理由もあったりする。

 

「おお、恋殿。此方に居ましたか!」

 

「………………」

 

もっきゅもっきゅ。もっきゅもっきゅ。もっきゅもっきゅ。

 

リスの様に口いっぱいに食べ物を含みながら無言でねねを見る。

食べながらしゃべってはいけません、という教育の賜物である。

 

「恋殿。少し話があるので食べ終わった後について来て欲しいのです」

 

「………………………ん。わかった。今じゃなくても、いい?」

 

「勿論なのです。恋殿の食事が優先ですぞ!」

 

食べ物を呑み込んだ恋が問うが、それはねねにとって至極当然の返事であった。

此方側でもある程度想定はしていたものの、この時間帯にやってくるほうが悪いと瞬時に結論を出す。

身内以外、何人たりとも恋の食事の邪魔をするものは許さない、と決意しているねねである。

 

「そう」

 

ねねがそういうなら別にいいだろう。そんな結論を出して目の前の食事を消化していく。

不味くはなく、量もあるので満足は出来る。

けれど。

 

「(………………灯火のごはん)」

 

お腹は満足してもどこか物足りなく感じる恋であった。

 

 

 

 

 

食事を終えた恋はねねに連れられ、普段軍議等で使用する天幕へと赴いていた。

恋も何かしらの軍事的な報告や今後の予定などでこの天幕にやっては来るが、逆に言えばそれ以外で来る事はない。

作戦の詳細ならねねから聞けば事足りるし、出席したところで何か発言をするわけでもなく、そこに灯火がいるわけでもない。

 

「………明日のことが、決まった?」

 

「はいなのです。それについては後程伝えるのですが、今向かっている理由はそれとは別件なのです」

 

別件、という言葉に首を傾げる。

恋が軍議用の天幕にいく理由など、そう多くない。

もしあるとすれば、それは─────

 

「…………ねね、中に誰がいる?」

 

外からでは天幕内は見えない。

だが確実に恋の知らない人物が内部にいることは感じ取れた。

ねねが普段と変わらないあたり、中にいる人物は少なくとも現時点で敵対者ではないというのは理解できる。

 

「流石は恋殿。今天幕の中には部外者が居るのです。どうも風鈴殿と旧知らしく、その者が義勇軍を率いて我らに合流したのです」

 

周囲がいつもと少し違う感覚の答えを得た。

それならば兵達がいつもと違いながらも、普段通りの振舞いをしていた事にも納得がいく。

 

「またその者達との話の内容が内容なだけに、恋殿の助力も必要かと思ったのです」

 

「…………ん。わかった」

 

ねねがそういうのであれば、自分が必要な場面があるのだろうと納得する。

恋の了承を得られたねねは目の前の天幕に入り、恋もその後に続いて入った。

 

「─────それで、白蓮ちゃんも………ん?」

 

「あら、おかえりなさい。少し時間がかかったわね、陳宮殿」

 

「呂布殿が食事をされていたのです。食事が終わるまで待つのは当然のこと」

 

中に居たのは盧植こと風鈴。

だが恋がぼんやりと見たのは四人の女性だった。

いずれも呂布隊や華雄隊、盧植隊にはいなかった人物。

 

「………! 此方の方が?」

 

「はいなのです。此方に御座すこの方こそが、“大陸最強”である“飛将軍”、呂奉先殿なのです」

 

ねねの紹介を聞いた見慣れない四人が反応を見せた。

へぇ、と言った感じの反応であったが、その内の一人だけは強い眼光を以て恋を見ていた。

顔色一つも変えず、恋はその既視感のある眼光を思い出す。

 

つまるところあの黒い長髪の人物は、霞や華雄が鍛錬で対峙した時に見せる雰囲気である、と。

 

 

 

 

黄巾党の最大の脅威点はその“流動性”にある。

何せ彼らは本拠地というモノを持たない。

必要とあらば城を占拠し、不要とあらば城を放棄する。

これは正規軍には到底出来ない荒業である。

 

また、一塊ではないというのも黄巾党が殲滅しきれない要因の一つであった。

いつの間にか領地内に黄巾党が入り込んで蜂起した、という事例も多数存在する。

孫堅がいる揚州ですらその様な事があったくらいなのだから、治安が良くない他の場所ではその頻度は推し量るべし。

 

だからこそ、義勇軍というのは有効な手立てであった。

何せ各地至る所で賊が蜂起する現状、正規軍だけでカバーしきるには無理がある。

治安が元々良くない地域なら尚更だった。

 

それこそ飛行機や自動車と言った高速移動手段や大量輸送できる手段があればまた状況は変わったのだろうが、無いモノねだりしてもしょうがない。

そんな痒い所に手が届かない状況に活躍する義勇軍という存在は、地方軍閥だけでなく官軍にとっても純粋に便利な存在だった。

 

だが、その状況も一変する。

規模の大小の差はあれど、各地に点在していた筈の黄巾党。

それが姿を消し、見られるのは規模が今までよりも数倍大きい集団ばかり。

徐々に義勇軍単体では対処に困る場面も増えつつあった現状。

 

その原因を、伏竜鳳雛の二人が気付かない筈もなかった。

 

 

「「─────黄巾党の規模が大きくなればいい(・・・・・・・・・・・・・・・)」」

 

 

兵法の基本である、『相手よりも兵力を多く用意する』という内容に真っ向から喧嘩を売る内容であった。

それを一番初めに劉備達に説明した時、三人とも納得がいかない不思議な表情を見せたのは二人の記憶に新しい。

 

「だからこそ、黄巾党相手にはただの勝利ではなく“圧倒的な勝利”が必要だった。今まで官軍相手に勝利してきた黄巾党の危機感を煽る為に」

 

“大陸最強”呂奉先による単騎攻城戦。冀州黄巾党完全壊滅。

 

「そしてその“圧倒的な勝利”という情報を確実に相手側へ伝える必要があり、それが嘘ではなく事実である、という認識を持たせる必要もあった………」

 

内部工作員の潜入。情報統制。

 

一つ一つ、自分達が今まで得てきた情報を元に官軍の戦略を読み解き、その答えを言葉に出していく。

流石にこの場において、この少女達の言葉に口を挟む者はいない。

 

「“官軍を打倒する為に民が蜂起した”という、黄巾党本来の蜂起理由を逆手に取った思考誘導。個々に活動していた黄巾党は来るであろう官軍との戦いに備えるべく、それぞれが合流して人が増え、武器を調達し、糧食を蓄え始めた。………それは自重によって足が重くなり、黄巾党が本来持っていた“流動性”が失われる事を意味します。─────この時点で官軍の目的は達成されることになり、かつ黄巾党はそれに疑問を一切抱かない。兵法としても兵力を集めるという行為は正しいのだから当然です………」

 

「“流動性”が失われた代わり、兵力差は数倍に膨れ上がりました。それを相手する官軍からすれば十分な脅威になったとも言えます。これだけの規模となれば正面突破は不可能でしょうし、外部から何かしらの策を用いようともその巨大さ故に半端な策では通じず。忍び込もうにも数が増えた分外部の見張りも増えて、内部への侵入は困難を極めます」

 

もっとも、と諸葛亮は言葉を続ける。

 

「それは“今から”仕掛ける場合の話です。既に黄巾党内に手の者が潜んでいるこの状況。官軍に対抗するべく集まりこそしたけれど、軍の様に十全な統制が取れている訳ではない黄巾党。その相手に外部から危険を冒して策を弄する必要もありません」

 

相手よりも兵を集めるのは、なるほど兵法の基本だろう。

だがそれは集めた兵を十全に扱えて初めて有用となる行為だ。

真に恐ろしいのは有能な敵ではなく無能な味方である、というのはどの時代・どの世界も同じである。

 

「ならば取れる策は数あれど、もっとも有効なのは………火計。陣を固めた大軍勢相手には非常に有効な策です………」

 

鳳統がとんがり帽子を深くかぶりなおす。

 

天候にも左右されるし、風向きを見誤れば諸刃の剣にもなる策略。

だが、これは外側から火計を行う訳ではないため、自分達の任意のタイミング、任意の場所で実行に移すことが出来る。

 

火や煙によって死ぬ者は多くは無いだろうが、確実に備蓄していた糧食は火に焼かれるだろう。

加えてこれだけ見張りを立てて、なお気取られる事無く内部が焼かれたとあっては混乱に陥ることは想像に難くない。

火への潜在的な恐怖心も相まって統率は完全に取れなくなり、もはや収拾はつかなくなる。

 

天幕内。

下座に座る諸葛亮と鳳統。その隣で静かに話を聞いていた劉備と関羽。

張飛は自陣にて防衛のため待機中である。

 

「…………」

 

腕を組んで瞼を閉じて思案するねねと、劉備の教師役である風鈴、そして話にも出てきた“大陸最強”である恋。

華雄は陣の防衛の為にこの話し合いには参加していない。

 

「………流石は伏竜と鳳雛と呼ばれる才女ね。現状における情報だけで、そこまで看破するなんて」

 

風鈴が感嘆の声をあげる。

相手は義勇軍であり、正規軍のように情報を簡単に手に入れられる様な立場ではない。

にも関わらずトップシークレットに近い作戦内容をズバリと言い当ててきた。

 

「─────なるほど、想定通りだったのです(・・・・・・・・・・)

 

しかし、肝心のねねはそう大した驚きを伴っていなかった。

 

場の空気がピリリ、と変わる。

戦場における空気とはまた違った、どこか緊張感を伴う場の空気。

 

「諸葛亮殿と鳳統殿の“知”については理解したのです。………で、それを伝えて其方側は何をしたいのです?」

 

「………一緒に戦わせてください(・・・・・・・・・・・)

 

それまで静かに事の成り行きを見ていた劉備。

ぽつり、とそう漏らした静かな語調とは裏腹に、その眼差しは何かしらの決意の色が宿っていた。

 

「今まで私達は義勇軍みんなの力で、敵をやっつけてきました。苦しいこともあったけど、それで助けられた人も大勢いました。………けど、今の状況は私達の力だけじゃこの乱を鎮める事は出来ない。私達は義勇軍だからどうしてもやれることに限界はあるし、その中でやれることをやってきたつもりです。でも、それだけじゃいつまでもこの乱は収まらない。今は一刻も早くこの乱を鎮める事が大事だと思うんです」

 

「………だから“共闘”をしたい、と?」

 

「はい」

 

彼女が率いる義勇軍。

今迄の活動実績を聞く限り、全くの無能というワケでも無い。

七千の自軍に対して一万の黄巾党を相手に勝利できるだけの“知”も“武”もあるというのは聞いた話。

少なくとも“知”については問題ないだろう。

目の前の劉備についても、自分の力を過信し驕って敗走する様な者でも無し。

 

思考する。

劉備という存在は、北の公孫賛からの報告然り、青洲刺史からの報告然りで情報は得ていた。

そこに“諸葛亮”の名は無かったが、果たしてどこで知ったのか。

ひどく曖昧ながらも、ねねが最も信を置く男性である灯火からその存在は既に知らされていた。

 

つまるところ初めからねねにとって、この接触は全くの想定外ではなかった、という事だ。

年齢的に大差ないであろう軍師が、もしかしたら自分よりも上の能力を有しているかもしれない、というのを彼の口から聞いた時は少々不機嫌になったが。

 

「あ、あと糧食もちょこっとだけ分けていただけたらなぁ………って。勿論、食べた分の働きはしてみせるので!」

 

「………分かり易い裏であれば、此方としても無駄に考えなくて済むのです」

 

あはははは………と苦笑する劉備。

 

まあそれでも。

大した“武”を持ってもいないくせに、高慢な中央の連中と比べれば全然マシである。

 

「仮に“共闘”するとして、其方は何を考えているのです?」

 

「………火計を成功させるには種火の用意、放火場所の確保、そしてそれを行う人物の安全確保が必要となります。あれだけの規模となれば、全く人目に付かずに事を為すのは難しいでしょう。多少ならば強引に推し進めて後は闇夜に紛れて逃げればいいですが、それも周囲が逃げられる状態である必要があります」

 

「必要なのは陽動。相手が全力を出さず、しかし一定の戦力を充てる程度の陽動でなければならない。陣内に兵が少なくなりすぎては相手全体に与える恐怖心は薄くなり、多すぎれば失敗するか成功しても火を総出で消され、かつそれを行った兵も脱出できない。………ですが、我ら義勇軍ならば」

 

可能です、と言い切ってみせた軍師二人。

 

ここで“もし相手が全力を投入してきたらどうする”という無意味な問いは投げかけない。

青洲黄巾党の内部に入り込んだ者からの情報は、楽観的な会話が聞こえてくるという報告があったからだ。

そういう所が所詮は烏合の衆である黄巾党の限界でもあるのだが、それを指摘する必要もない。

 

問題はそれを相手は知らないにも拘らず、そう言い切るだけの胆力があるということだ。

まあ恐らく全力で掛かってくる事はないと分かっているからなのだろうが、それを元手に強気な発言は中々出来るモノではない。

よほど自分達の“知”に自信があるのだろう。

 

此方としてのメリットも無い訳ではない。

陽動要員をそのまま本命や後詰めと言ったところへ配置できるし、単純に数が増えれば包囲もしやすくなる。

そして何より“義勇軍”という存在は相手の思考を誘導させるいい旗印(・・・・・・・・・・・・・・・)にもなる。

 

例えば義勇軍と官軍で包囲殲滅を行った時、包囲された黄巾党がどこへ向かうか。

それに気付かない目の前の二人でもあるまい。

 

つくづく計算されていると考えるねね。

彼女だって詠の後塵を拝してはいるが立派な軍師だ。

 

なんか最近文官なのに軍師みたいな役割をしている知人の男性に、ちょっとばかり言葉にし難い感情に襲われてポカポカと腹部を叩いた事はあったけど。

 

つまり今の言葉は、義勇軍は吸収しないで欲しい、ということなのだろう。

“共闘”とはつまり、そういう事だ。

ねねだから気付けた様なものを………と思うのは己惚れでも何でもない。

 

瞬時に義勇軍を加えた際の戦術を構築していく。

難易度は少々上がるが、上手くいけば単純な包囲殲滅よりも安全で、より容易に敵を撃破出来る。

そうなった場合の問題はただ一つ。

 

「我らの“餌役”を買って出るというのであればその心意気は買いますが、お帰り願うのです。呂布殿に汚名を着せる様な義勇軍であれば、いない方がマシというモノ。そうではなく“共闘”を所望と言うのであれば………」

 

自信満々に、不敵に笑う。

そこにあるのは絶対的な信頼。

 

 

「先ずはその“武”を見せてみやがれです。─────其方の名だたる“武”の持ち主、その全員で」

 

 

 

それは、香風と灯火が黄巾党と戦う数日前の事だった。

 

 

◆◆◆

 

 

場所は戻り豫洲某所。

 

日が傾き、既に周囲は夕暮れ時。

明朝より仕掛けた戦は孫呉の完勝という形で決着がつき、その事実は黄巾党側にも伝わっていた。

 

「気楽な旅芸人だったのが、あの書のせいでいつの間にかこんなことに………」

 

「ええっ、お姉ちゃんの所為にする気!? ちーちゃんだって乗り気だったし、参考にしようって言ったのはれんほーちゃんだしっ!」

 

黄巾党本隊の中でも最も堅牢な布陣が引かれている天幕内に、張三姉妹は言い合っていた。

冀州の官軍襲撃から逃げ延びてここまでやってきたのは良かったが、今ではさほど変わらない状況に陥っている。

 

「いったい誰と誰が戦ってるの?」

 

「ここにいる黄巾党と………孫………なんとかと………官軍」

 

「その官軍って、あの時の官軍?」

 

「分かんないよ。外に出ようにもあの将軍達が出してくれないし………」

 

「黄巾党の将軍にいいように利用されているからね。あの人たちは私たちの歌を使って兵士を集めて、漢王朝に乱を起こしたいだけなんだから。そんな私たちをみすみす自由の身にはしないでしょ」

 

三人寄れば文殊の知恵、という言葉があるが、今この現状を打破する知恵は思い浮かばない。

いくら元々気楽な旅芸人だったとはいえ、今の状況が如何に良くないかというのは理解している。

 

「どーしてそう落ち着いていられるのよ!相手は“あの”官軍でしょ!? ちょっと考えれば勝てるワケないって、分かるじゃない!逃げるが勝ちよ!」

 

次女である張宝が頬を膨らませながら文句を零す。

三人は冀州に居た頃に官軍の襲撃に遭っている。

幸い此方に気付いた様子はなかったため無事にここまで逃げる事が出来たのはよかったが、その時の光景は三人に小さくないトラウマを残していた。

 

「逃げるって言ったって、どこに?」

 

「うっ………く。それは、ちー達のことを知らないところに………」

 

張梁の問いかけに語尾が弱弱しくなっていく。

そもそもこの豫洲に来たのだって冀州の襲撃から逃れての事である。

西へ赴く事は官軍の膝元に近づく行為のため論外。

北は烏丸の襲撃とそれを防衛するための公孫賛が云々という事を聞き及んだ事があったので却下。

となればもう東か南しかなく、その内の南を選択した三姉妹。

 

東に行っていたらもれなくトラウマ()との再会だったよ。

 

道中通過した苑州も警備がかなり厳しく、彼女達が無事に抜ける事が出来たのだって運がよかっただけに過ぎない。

 

ようやく一息落ち着けたと思えばそこに噂となって耳に入ってくる官軍による各地黄巾党討伐の情報。

まるで自分達の首が少しずつ絞められてきている様な錯覚にも陥っていた。

 

「うう………これからどうしよう」

 

今いる陣営は三人の目から見て、到底勝てる気がしない泥船。

そして所謂軟禁状態なため、その泥船から逃げる事もできない。

どこまで行っても三人は“武”なんてもの無縁な少女であるため、武器を持った敵一人にだって勝つこともできやしない。

 

「ちー達………死んじゃうのかな」

 

「やだー!お姉ちゃん死にたくなーい!」

 

「…………」

 

どれだけ叫んだって状況は変わらない。

それを分かっているからこそ張梁はただどうするべきかをずっと考え続けている。

けれど、彼女は軍師ではない。武芸者でもなく、戦場のノウハウを持っている訳でもない。

 

結局、その場しのぎにどうにか逃げ切る方法を見つけ出そうとするのが精いっぱい。

三人の内側に悲壮感だけがゆっくりと広がっていくだけで、具体的な解決方法は見つからない。

 

だがそれは何も三人に限った話ではなく、黄巾党本隊に属する兵士達の士気も同様に下がりつつあった。

意図的な情報統制と情報の流布、それを利用した内部での離間の計。

黄巾を脱ぎ捨て、闇夜に紛れて抜け出して農民へ戻っていく者達。

 

あくまでも自然に、あくまでも秘密裏に、それでいて確実にダメージを与える様に誘導するさまはまるで毒の様。

内部工作が順調に進んでいる証拠であった。

 

そういう意味では黄巾党内部でも特別な役割を担ってしまっている三姉妹は、どれだけ不安に駆られても抜け出す事は叶わない。

或いは正式な軍であれば何かしらの手を打ち、現状を打破する為に知恵を絞って有効な一手を弾き出す者も居たかもしれない。

 

だが─────

 

「失礼します、大賢良師さま」

 

「………何?」

 

「はっ。実は大賢良師さまのお力をお借りしたく思いまして─────」

 

─────この組織における彼女達の役割こそが黄巾党が取れる最善手だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




感想、お気に入り、評価、誤字報告ありがとうございます。

気付く人は少ないだろう小ネタを少しだけ挟んでいくスタイル。
気付かなければノーカウント。別に問題ありませぬ。



家の都合上抱き枕を手に入れる事は叶わない。
なので恋と香風の抱き枕写真で満足しています。


絶対(この衣装を)いつか話に登場させてやるという意気込みを込めて後編へ。

※察しの良い人なら分かると思いますが、もし検索をかけるなら自分の周囲に人がいない事を確認してから実行しましょう



~次回予告~
なんか日常系書きたい衝動が凄まじくて執筆が思うように進まずに燃え尽きちゃう!
ここで止まったら香風との約束はどうなるの?
ガンバレ筆者、あと1~2話分で日常系に戻るから!

次回、「    」。デュエルスタンバイ!








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File№15(後編)


突如キーボードが壊れ、余計な出費が重なる。
明日も早いのにまだ起きてる不具合。
午前2時に何をしているんだい?





始まります。



 

 

 

 

─────暇。

 

そんな感想がふと浮かんだ。

 

曹操軍軍師、荀彧。

紆余曲折を経て曹操の下で軍師としての立場を確立させた彼女は、現状に言い得ぬ感情を抱いていた。

 

有り体的に言って、暇なのだ。

 

無論今とて戦いの準備を進めている。

それはそれで仕事である以上、荀彧もまたそれに奔走しているのは事実。

だが、それは軍師の仕事ではない。

 

 

─────今この現状において、軍師が出来る事は非常に限られている。

 

 

こと曹操主義である荀彧にとってこの乱は曹操の名を世に知らしめる絶好の機会だった。

事実既に苑州内の各地は自分達の太守よりも陳留太守である曹操を頼るようになっているし、定型文ではあるが苑州刺史からの感謝状も一応貰っている。

 

この乱に乗じて力をつけて、一気に飛躍する。

少し前まではこの事ばかりを考えていた。

 

「官軍………余計な事をしてくれたわね」

 

周囲に誰もいないことを確認した上で愚痴を零した。

 

今や黄巾党の数はどこもかしこも大所帯。まだマシなのは徐州くらいか。

手に入れた情報では青洲もこの豫洲も相手の規模は既に十万を超えている。

別に黄巾党が短期間で爆発的に増加したのではなく、単純に一ヵ所に集まるように裏から官軍が手を回しただけだ。

総数としてはむしろその後の策略で減っているというのだから、黄巾党が如何にあちこちで発生していたのかがよくわかる。

 

そう。

ここまで黄巾党が大規模になったのは間違いなく官軍………中央連中の怠惰から来るものだ。

まともな政策もせずに重税ばかり課していれば叛乱の一つも起きる。

それを鎮圧するどころか敗走して相手を勢いづかせるなど、もはや失笑ものだ。

 

地方軍閥が立ち上がり、義勇軍も発足した後。

官軍は見違えるような立ち回りを見せた。それこそ先の失敗を取り戻すが如く。

………アレを官軍と言っていいのかは甚だ疑問ではあるが。

 

いや、それはいい。

よくは無いが騒ぎ立てるほどの問題ではない。

問題なのは。

 

「なぜ董卓軍はこんな策を仕掛けたのか………」

 

確かに黄巾党の最大の特徴である“流動性”は脅威の一言だ。

討伐したと思ったら何時の間にか別の場所、最悪は自治領内で黄巾党が蜂起した、ということだってありえるのだから。

 

それを殺すために、董卓軍は黄巾党を肥やした。

各地散り散りになっていた連中を一ヵ所に纏める様に外と内から働きかけた。

“流動性”を消すには有効な手だが、兵法の基本を全く無視した策。

 

おかげで一地方軍閥では手に負えないほどの規模になってしまっている。

いくら何でも曹操軍だけで十万を超える黄巾党をどうにかする事はできない。

時間と策を用いれば出来なくも無いだろうが、少なくとも今官軍が行っている以上の事は出てこない。

 

加えて今の黄巾党には官軍の手の者が入り込んでいる。

曹操軍ではその見分けができない以上、下手に策略を仕掛けることは官軍の策を潰しかねないことにもなる。

それはそれで非常に面倒だ。余計な苦労事を抱え込むべきではない。ましてや主たる曹操の手間を増やすなど言語道断。

つまるところ軍師でありながら、荀彧が出来る事といえば精々この後に開かれるであろう戦の戦術を練る程度。

 

これが冒頭に繋がる『暇』である。

 

「桂花、準備はどうかしら?」

 

「! はい、華琳さま。兵站、武具。先日の陳珪救出にあたり消費したモノは全て補充できました。此方が報告書になります」

 

「そう」

 

手に持っていた報告書を曹操に渡す。

さらさらとその内容に目を通す横顔に熱視線。

 

「一日の猶予があったとは言え、ここまで回復できるのであれば上々。流石桂花ね」

 

「ありがとうございます!」

 

「………ただ、ここで考え込むのは頂けないわね。戦いはこれからなのだから、最低限周囲には気を付けなさい」

 

「え………?」

 

「桂花の独り言、聞こえていたわよ?」

 

曹操の言葉に顔が真っ赤になる。

一応周囲に人がいないことを確認したつもりだったが、荀彧程度の者が曹操の上を行く事は叶わない。

恥ずかしさをごまかす様に謝罪する荀彧に、静かに笑って応える曹操。

 

「けれど、桂花の言う事ももっともよ。なぜ董卓軍はこのような策を用いたのか」

 

こと自軍の被害を抑えるのであれば、多少手間や時間は掛ったとしても黄巾党を確固撃破していく方が被害は少なくて済む。

それをせずに一ヵ所に集めて、決戦の舞台を作り上げた意図は?

多少の被害増加を覚悟の上で、この状況を作り上げた理由は?

 

「この規模になると一つの地方軍閥では対処が困難。時間をかけて策を弄するか、或いはどこからか友軍を用意するか。どちらにせよ時間がかかる事には変わりないわね」

 

言うまでも無いことだが黄巾党を野放しにしていればしているだけ被害は拡大する。

賊に与えてやる米粒一つすらないのだ。

 

「けれど官軍という立場ならばその時間は大幅に短縮できる。事実孫呉軍は自領である揚州から北上してこの豫洲にやってきている。しかもその越境行為に対して文句を付ける者はどこにもいない」

 

曹操が苑州から豫洲に越境しても問題がないのは、豫洲側の相である陳珪がその様に図ったから。

相手の許可が必要なのが地方軍閥の限界であり、許可を求めずとも悠然と越境できるのが官軍であり、勅命の力でもある。

 

「時間をかければ我々でもやれるでしょう。けれど官軍は冀州黄巾党壊滅を初戦として多方面同時作戦を決行。荊州では“神速”が占拠されていた城を奪還し、青洲では“猛将”と後に冀州から合流した“飛将軍”により壊滅。─────そしてこの豫洲。今までと比較すればその武もさることながら事態収拾への速度も異様に早い」

 

「………つまり官軍………いえ、“董卓軍”はこの黄巾の乱の早期終結を望んでいた、と?」

 

「まあ、この乱が長期化する事を望む者はいないでしょう。けれど董卓はそれに輪をかけて早期決着を望んだ。故にこの策なのでしょう」

 

「そこまで急ぐ意味………華琳さまは何かお心当たりが?」

 

「心当たりがあるわけではないけれど、ある程度の推測は出来る」

 

漢全土に広がりつつあった黄巾党。

青洲・徐州・苑州・冀州・荊州・豫洲・揚州。

13の州があるうちの半分以上に黄巾党は確認されており、司隷にほど近い冀州と荊州に至っては城の占拠までされていた。

 

官軍に“董卓軍”という存在が加わったのはその後。

大よそ今の戦力では司隷に南北から攻め入られるかもしれない、という考えがあったのだろう。

連敗に連敗を重ねた軍では司隷すら守り通せるのか不安、というのは十常侍でなくとも抱くモノだ。

 

董卓という人物はあの魑魅魍魎が跋扈する中での良心とも言える存在。清廉潔白というのはあの場所においてむしろ異質である。

それ故に中央では疎んじられる傾向が強く、つまりは裏方に従事する傾向が強く、つまりは成果が出ないし認知もされない。

 

 

それが今回招集されたことに伴い、“中郎将”という立場まで一気に上り詰めた。

 

大抜擢。

大した戦果も挙げていない、裏方ばかりに従事していた人物がそんな地位に付けば都にいる他の役人らはどう思うか。

そんなものは考えるまでも無い。むしろそれを狙いにその地位に付けたと思ってもいいだろう。

ここでその地位を与えた十常侍に不信感が行かないあたりが“腐っている”と称される所以でもある。

 

董卓はじめその部下達もそれに気付かない筈がない。断ろうと思えば断る事も出来た筈だ。

清廉潔白であると情報が入ってくるくらいの人物であれば、十常侍に断わりを入れるくらいの強さは持っている。

それでもなぜあえて自治の街から離れ、毒の沼地へと赴いたのか。

 

─────合流することにより大量の賂を得た?

それは否だろう。少なくとも出会った董卓軍の将、二人を見る限りその様な事をするとは思えない。

将とはすなわち主を表す鏡。主が愚かであればその下にいる将もそれに倣う。

あの二人を見る限りこの可能性は考えづらい。ゼロでは無いだろうが。

 

─────裏方ばかりだった状況を変えようとしている?

正解ではないだろうが、そう遠くもないだろう。

過程はどうであれ、“中郎将”に抜擢された以上、必要最低限の表舞台には立つことになる。

裏方から脱出する、という意味であればこれだけでいい。

決して─────今の様な状況を作り出す必要はない。

 

「桂花、青洲には劉備なる者が率いる義勇軍が居た、という事は覚えているかしら」

 

「はい。青洲にて活動していた、という情報があります。ですがここ最近はその音沙汰も聞こえなくなっていましたが………」

 

もし曹操の考えが間違っていなければ、もはや今の漢の情勢から見ても義勇軍の存在する意味自体が希薄である。

何せ地方軍閥ですら単体では苦戦するというのに、義勇軍ではどうあがいても状況を覆すことは叶わない。

事実それ以外の義勇軍もちらほら決起したという話はかつて聞いていたが、今ではその影すらない。

そういう意味では現時点まで、それこそ官軍と共闘したと噂されるくらいの義勇軍が残っていた事には驚いた。

 

「ええ、その通り。だからこそ、義勇軍は官軍に共闘を申し入れるしかなかった」

 

自然消滅か、黄巾党に蹂躙されるか。

その二択しかなかった中で劉備なる者は三択目を選んだ。

 

「青洲では黄巾党によって太守が殺害され空席の状態。近年発言力が衰えている陶謙殿が劉備義勇軍を気に掛けているという噂。………義勇軍がどこまでこれらの情報を得ていたのかは分からないけれど、更なる躍進という意味では絶好の機会でもある」

 

そこへ官軍と共闘し黄巾党を撃退した、という事実があれば“今”の官軍であれば確実に“箔”が付く。

その“箔”は軍閥ではない義勇軍からしてみればあまりにも影響力があるモノだ。

青洲刺史や徐州の陶謙が今後どのように接触を計るかは曹操の知るところではないし、義勇軍としての力と統治の力は比例するわけではないが良い宣伝文句になる。

 

「しかしそれでは官軍………いえ、“董卓軍”の利点がありません。ましてや青洲にはあの“飛将軍”も居たという情報があります。単騎で城を落としたかの者が居る中で、義勇軍という不安定な戦力を欲する理由はどこにあるのでしょう?」

 

「戦力という意味では最初から当てになどしていなかったのでしょう。最低限のことが出来ればよし、と言った具合に」

 

「………? それでは官軍はただ義勇軍に対して“箔”を与えただけになります」

 

荀彧は劉備なるものを文面上、しかも業務的な観点からしか情報を持っていない。

後方支援が欲しい義勇軍と目玉になる存在が欲しいと思っている陶謙や青洲刺史。

或いはそのまま劉備は一つの街を治める地位に就く可能性すらある。

 

「逆ね。劉備は街を治める器を持った者。その切っ掛けを与える共闘を受ける事で劉備との繋がりを持つ。………こう考えればどうかしら」

 

「官軍は劉備なる人物を知っていた、ということでしょうか?」

 

「それは分からないわ。ただこれが事実である、またはそれに近しい結果であった場合、言えるのは董卓に新たな繋がりが出来たという事」

 

劉備という人物は董卓に対して悪い様には思わないだろう。

恩を恩として受け取る様な人物であれば、の話であるが。

 

「………董卓という名を広める、ですか」

 

少しだけ納得がいった。

 

今の今まで、董卓という名前は全くの無名。

涼州にて自治をしていたらしいが、涼州と聞いて出てくる名前は馬騰だ。

それほどまでに無名の存在。

 

『董卓軍第四師団師団長、徐公明です。………よろしくー』

 

つまるところ董卓にとって、己の名を広めるのは急務だったということだろう。

事実今や“董卓”という名を知らぬ者はいない。

荀彧や曹操だって少し前の自分と今の自分を比較した場合、“董卓”という名前の認知度は雲泥の差なのだから。

 

「名を広め、武を見せつけ、功績を挙げた。地方軍閥(わたしたち)にもその存在を覚えさせた。地方軍閥では最大の麗羽に対しても。少なくとも“中郎将”という立場に似あうだけの存在感は示せたと言ってもいいわ。─────問題は、“その先”」

 

名を広めた、武を示した、文句を言われない様な実績を残した。

─────本当にそれだけなのか。

 

「華琳様、此方に居られましたか」

 

「秋蘭。何かしら」

 

「はっ。先ほど官軍の遣いの者がやってきまして、この封書を渡してくれと」

 

そう言って差し出してきた書を受け取り、中身を確認する。

顔色一つ変えずに最初から最後まで読み切った後、なるほどと言って荀彧に手渡した。

 

 

「軍議を開くわ。全員を天幕へ─────!」

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

届けられた報告は、予定を繰り上げるに十分な内容だった。

元より準備は整えていたが故にすぐさま作戦行動へ移行する事が出来たが、これが間に合っていなければ恐ろしく被害は拡大していただろう。

この作戦の肝は此方が常に機先を制する事にあり、間違っても十万を超える軍勢が攻勢に出ていいモノではない。

 

「ここは死地にあらず!黄巾の賊どもに孫呉の軍勢の恐ろしさを見せよ!官軍に我らの力を見せよ!─────いざ、出陣ぞ!!」

 

南から攻め入るは孫文台。

両翼に黄蓋と程普を伴い、雄叫びをあげる。

相も変わらず総大将が前線に立っているが、誰もそれを咎める事はない。

 

「弓兵隊、敵の方が数は多いんだ!狙いを定める必要はない!─────てぇっ!」

 

北側からは官軍。

涼州から洛陽にやってきた兵達を指揮するのは灯火。

弓兵隊と歩兵隊から成る陽動部隊。

 

黄巾党相手に弓の間合いから一方的に矢の雨を降らせる。

当たり所が悪ければ致命傷、そうでなくても己の身体を傷つける凶器の雨。

防具をまともに整えられていない黄巾党を怯ませるには十分な脅威。

だが。

 

「進めー!ここが死に場所ぞ!我ら一人残らず、大賢良師さまの盾となるのだっ!」

 

『おおおおおおっっ!!』

 

まるで空から降り注ぐ矢が見えていないのか、いっそ狂気とも言える士気によってどんどん間合いを詰めてくる黄巾党。

その数は走る土埃によって本陣の影が見通せなくなるほど。

 

「敵、止まりません!突っ込んできます!」

 

「弓兵隊、もう一斉射のち後退!塹壕後ろまで後退せよ!」

 

無論灯火の声が隊の端まで声が届くわけもないため、銅鑼で後退の指示を出す。

矢を放ちつつ後退する官軍陽動部隊。

この時点における官軍側の負傷者はゼロ、黄巾党は矢の雨によって少なくない被害が出ていた。

 

「後退し始めたわね」

 

西の少し小高い丘に陣を張る周瑜、孫策、一刀、香風は後退していく兵達を確認する。

 

前哨戦で孫呉軍を主体に戦わせたのは何も敵増援を恐れただけではない。

決戦に向けて布陣する予定の場所に兵を送り、即席の塹壕準備も行っていた。

 

涼州から共に中央へやってきた兵達にしてみれば、この程度は苦にならない。

何せ涼州の治めていた街の外に空堀を作った経験がある。あの時は何十日もかけて訓練と称してひたすら土を掘り続けた。

深さも幅もあの頃と比べれば人一人分の塹壕なんて楽なもんだよ、と軽口を叩く涼州兵に、洛陽から一時的に加わった兵達は戦慄を禁じ得なかった。

 

多分、この件については洛陽の兵士達の感覚は間違っていない。

仮に兵士をやめても土木作業員として食っていけるレベルである。

 

「塹壕は足止めが目的。入り込んだ敵に対して、奥からの射の照準は完璧。………数が多くても地形を無視できるワケじゃないから」

 

「なるほどな。例え少ない時間であろうと、弓で射るには十分。加えて相手は勢いに任せて突撃してくる。すぐにでも塹壕から脱出できないと後続に圧死させられるということか」

 

香風の言葉に納得する周瑜。

的を絞るために相手の機動力を削ぐのは当然の行為。

恐ろしくはここに到着してから今の間までに塹壕を作り上げる技術。

改めて董卓軍の力を再認する。

 

「策が上手くいってるのはいいことだけど、あれじゃあ文字通り足止めにしかならないわよ。それに相手の戦力、北側に偏ってない?」

 

「そうだな。やはり連中は官軍相手の方が余計に士気は上がるらしい」

 

「………………」

 

孫策と周瑜の言葉に香風はうずうずしていた。

灯火が指揮する隊は陽動としては十二分の働きをしているが、聊か釣れた数が多い。

相手が官軍だからという理由もあるのだろうが、何より黄巾党内部での士気向上が原因だろう。

 

「………!炎が!」

 

黄巾党本陣から炎が見え、煙が夜空へ昇る。

陽動は黄巾党内に潜伏した工作員への作戦開始の合図。

炎が無事に黄巾党本陣に立ち昇れば─────

 

「よし!南北に分かれている黄巾党の横を突く!………徐晃殿、其方はよろしいか」

 

「うん。シャンは北側、孫策殿は南側から」

 

「ま、徐晃ちゃんなら何の心配もいらないわね。─────それじゃ、いくわよ!一刀、振り落とされないでよ!」

 

「お、おう!」

 

僅かばかりの緊張の混じった返事にクスッと笑うも、すぐに戦場へ赴く表情に切り替わる。

剣を掲げ、後ろに控える兵達へ号令をかけた

 

「さあ、決戦の時ぞ!この機に敵を徹底的に叩く!反撃の意思を奪い、黄巾党を東へ押し出せっ!全軍、進めぇええ!!」

 

『おおおおおおっっ!!』

 

「ここで戦いを終わらせる………!騎馬隊、黄巾党を踏み倒す………!!」

 

『おうっ!!』

 

涼州にて譲り受けた名馬を駆り、一気に丘を駆け降りる。

 

風は西風。

本来であれば風上である西へ逃げるのが普通だが、そこに全てを蹂躙せんと大量の騎馬隊が丘を駆け降りてくる。

南と北は既に戦線が張られており、逃げるには風下になる東しかない。

 

「炎蓮様!敵本陣に炎が!」

 

「西から孫策隊と徐晃隊の旗もあります!」

 

黄蓋と程普の報告。言われずとも孫堅の目と耳にもしっかりと見えているし届いている。

相手はいきなり本陣から炎が上がったのを見て明らかに動揺している。

 

戦場。これこそが戦場。

常に状況が変化する生き物。敵の士気向上が此方側の想定外であれば、あの炎は黄巾党側の想定外。

ニィ、と口角を吊り上げた。

 

「─────さぁて、チマチマ戦うのはこれで終わりだ。粋怜、左翼から戦線を上げろ!敵を火の中に押し込め!祭、右翼の敵を東へ流せ!」

 

「ハッ!程普隊、前進せよ!!」

 

「心得た!黄蓋隊、弓を構えよ!─────放てっ!!」

 

本陣南の戦線が動き出す。

右翼の黄蓋隊は東側の敵を南下させないように矢の嵐、左翼の程普隊は前線を押し上げ西側から突撃してくる孫策隊と共に敵右翼の崩壊を狙う。

ならば中央の孫堅は─────

 

「うるぁあああああああっっ!!」

 

虎の咆哮を以て敵本陣へ強襲を掛ける。

南海覇王の一振りで数人まとめて斬り伏せて、屍を踏み越えていく。

 

「孫堅め!この化け物が!!」

 

本陣は混乱の極みだが士気はまだ落ちない。

防具らしい防具はなく、武器だって剣ではなく農具だったりする。

明らかに武具として劣っている中、それでも果敢に攻め入ってくる上に数も多い。

だが─────それでも孫堅の想定通りの数ではなかった。

 

「そうさ、オレは悪鬼だ。だが何だてめぇら………この程度でオレを倒すって? えぇ?」

 

「っ………!?」

 

ゾクリ、と黄巾党らの背中が総毛立った。

先ほどまでの様な怒声とも言える大声で相手を怯ませるモノとはまた別の悪寒。

 

孫堅の前に立つ黄巾党全員が、その足を止めた。止めざるを得なかった。

孫堅の眼光は武人でもない黄巾党にすら、命の危機を明確に感じ取らせた。

己を捕食せんと虎が口を大きく開いている、その眼の前に立っている光景を幻視する。

 

「先の戦いであれほどこのオレの力を見せつけたというのに、このイナゴどもが。………そんなに北部戦線が好きなら送ってやるぞ? 南部戦線、孫文台を甘く見た事、………精々“向こう側”の連中に伝えてこい─────!!」

 

怒髪冠を衝く獣が地を蹴った。

瞬く間に彼我の距離を詰め、一振りで複数の首が飛ぶ。

それこそ瞬間移動とすら見間違えるほどであり─────眼前に刃が迫ってくる映像を脳が処理する時間すら存在しなかった。

 

 

 

 

北部戦線。

そこからも敵本陣が炎に包まれる様子は確認していた。

本来ならばそれを合図に此方も攻勢に出て、敵を炎の中へ追いやるのが作戦だ。

 

だが、実際は追い込むどころか現状維持で精いっぱい。

 

「チ─────」

 

予感はしていた。

相手は官軍に対して並々ならぬ意思を抱いている。

それは官軍駐屯地を重点的に攻撃していた経歴からも明らかである。

 

だからこそ前哨戦は孫呉に任せた。

前哨戦がそのまま決戦にならないように。決戦に向けて準備を整えるように。

孫呉軍の力を示し、敵戦力の偏りを緩和させるために。

 

─────ただ、誤算があったとすれば。

 

それは大賢良師さまと呼ばれている張三姉妹が冀州黄巾党討伐の現場に居合わせ、恋の武を直に見ていたこと。

それによって彼女らにトラウマが出来ていたこと。その状態で兵の鼓舞をすべく歌を歌ったこと。

手元に“太平要術の書”があったこと。

 

歌い手本人達が意図したことではないし、戦えと言ったわけでもないとはいえ、結果官軍へのヘイトが上がるのも当然だったと言える。

“太平要術の書”とは、即ち持ち主の望みを叶える書。

大陸一の歌い手を目指す彼女らの為に書がコトを示したように、此度もまた持ち主の不安を払拭すべく働いただけの話。

 

「報告!右翼、戦線が崩れました!」

 

右翼。

洛陽から合流した兵を中心に構成された場所。

西側から攻め入るにあたり真先に香風と合流するポイントとなる部隊。

 

兵力合わせの為に元々から官軍だった者達を連れて来ていたが、やはり香風が言う通りダメダメだったらしい。

短期間の付け焼刃では間に合わなかったと取るべきか、ここまでよく保ったとポジティブに考えるべきか。

或いは最も早く香風率いる騎馬隊が合流する地点だからこそ、崩れて攻め入られたとしても背後から強襲することが出来ると考え直す。

 

とは言え崩れたのは事実なのだから幾分かは持ちこたえなければならない。

 

「………香風が来るまであと少しか。─────接敵に備え!弓兵隊は前へ!抜けてきた所を一斉掃射!味方に当てるなよ!ここで踏ん張れば背後から騎馬隊が敵を蹂躙する!持ちこたえろっ!」

 

『おおおっ!!』

 

本来の役職は文官なのだが、今この場においては指揮官。

流石の灯火でも指揮官が慌てふためくのはよろしくない事くらい重々承知。

不安が無いと言えばウソになるが、それを表面に出す必要もない。

 

「左翼より報告!曹操軍からの援軍が到着しました!」

 

 

 

 

 

北部戦線に一気に活力が満ちる。

それまで均衡を保っていた前線は、少しずつ燃え盛る炎へと押し込まれていく。

数で押していた黄巾党も燃え盛る炎と軍閥との地力の差によって、狂気じみた士気に陰りが見え始めた。

 

「大賢良師さま万歳!」

 

「全ては大賢良師さまの為に!」

 

それでも過激派というモノは一定数居る。

その襲い掛かってくる姿は“死兵”そのもの。

相手は策を見破るほどの視野も知識も持ち合わせていないが、生半可な策を無視して突撃してくる。

 

そんな連中が相手では損害は増えるばかりだ。

何せ相手は自分を顧みない。捨て身の攻撃は此方にとっても脅威そのもの。

ただし─────

 

「はぁああっっ!!」

 

─────互いの実力に大差が無い時に限る。

 

北部戦線、左翼。

官軍の要請により曹操が選抜した部隊。

将としては二度目の出陣となる三羽烏。その内の一人、楽進。

 

無手でありながら生半可な剣を拳だけで粉砕し、槍すら届かない距離からの“氣”による攻撃。

近・中距離を漫勉なく網羅するオールラウンダー。

特に“氣”の射出、などという離れ業は曹操軍において彼女一人の専売特許。

将としての経験はまだ浅いものの、武人としては今の曹操軍において夏侯惇や夏侯淵に続く力の持ち主。

 

「進め!進め、進め!!我ら曹操軍の力を連中に見せつけろ!!」

 

そんな楽進の後ろ姿をどこか微笑ましく見るのは残りの二人。

 

「凪ちゃんってば、凄いやる気~」

 

「それもそうやろ。話しか聞いてへんけど、あの官軍の人が居るんやから」

 

「ああ、都に行った時の─────」

 

「おい、二人とも!戦闘中だぞ!今は目の前の事に集中しろ!」

 

戦場に似つかないおしゃべりな二人は于禁と李典。

所謂楽進と同期となる二人だ。

個人の“武”としては楽進に及ばないが、かつて義勇兵を率いて賊から村を守った経歴もあり、三人一緒に曹操に仕官している。

 

「了解了解っと。せっかくここまで来たのに、凪の奴にサボってましたって報告されるのは敵わんわ」

 

「なの!」

 

先端がドリルの様な武器と二本の剣。

武としては楽進の後塵を拝すが、かつては義勇兵を率いて賊と交戦した記録を持つ。

その力、経験ともにまだ発展途上だが、それ故にまだ限界は見えない。

 

「「「進めえええぇぇぇぇっ!!」」」

 

 

 

 

 

右翼が崩壊する光景は、疾走する香風からも確認できた。

香風にしては非常に珍しく、苛立ちが募った。

右翼が崩れたという事はその先は本陣、つまりは灯火が居る。

せめて自分達が到着するまでは保って欲しかったと思わずにはいられない。

 

「師団長!我らはすぐさま追い付きます!ですので─────」

 

すぐ後ろを駆ける小隊長が声をかけた。

香風が駆る馬は馬家から譲り受けた、言ってみれば特注品。

こと疾走するのであれば、後ろに居る兵達の馬を引き離せるほどには馬力がある。

 

「………わかった」

 

返事と同時に腹を蹴り、他の馬と合わせていた名馬はその全力を示す。

ぐんぐんと後続との距離を開け、すぐさま北部戦線右翼の最後尾が見えてくる。

 

「………!」

 

追い抜きざまに大斧を振り払ってそっ首を刎ね、なおも進撃を続ける。

進行方向にいる敵は馬に蹴り飛ばされ、側面にいる敵は為すすべなく大斧の餌食となる。

 

油断はしない。慢心もしない。慈悲もない。

死にたくなければ戦場に出るべきではなかった。死にたくなければ逃げるべきだった。

それを促す様に敵内部へ働きかけて、なおこの場に居るという事はつまりそういう意味である。

 

故に容赦はしない。

後方からの強襲にようやく気付いた黄巾党も、後続の騎馬隊に次々と刈り取られていく。

 

騎馬隊は止まらず進行方向の敵を蹂躙していく。

伊達に“神速”張遼との鍛錬を続けてきた訳ではない。

本業である彼女ほどではないにしろ、黄巾党相手であれば騎馬で蹂躙する事は難しくもない。

ましてや相手は陽動部隊本陣に気が向いており、背中はほぼ無防備。

この状況で負ける筈がなかった。

 

「見えた………」

 

黄巾党を背後から強襲し存分に荒らしまくった香風の視線の先、特徴的な黄巾と防具で固めた兵士。

辺り一面は矢と人の墓場になっており、その先で剣戟の音が響いてくる。

 

「沈め………!」

 

馬から飛び上がり、敵を背後から叩き潰す。

一撃で人ではなくなったモノに見向きもしないで、先ずは周囲の敵を掃討する。

 

「!?何だ!このガキッ!」

 

「コイツ、孫堅のところに居たヤツだぞ!」

 

見当違いも甚だしい。

いくら情報を渡さない様に立ち回っていたとは言え、官軍が掲げている“徐”の旗が見えていないのか。

或いは香風の姿と名前を一致させていないのか。

どちらにせよ、香風にとって関係はない。

 

 

「董卓軍第四師団師団長、徐公明。─────お前らはここでシャンに倒されろ」

 

最低限の名乗りだけ済まし、巨大な戦斧が戦場を蹂躙する。

敵の異様な士気はいっそ狂気と言っても刺し違えないソレに、香風は動じない。

雄叫びと共に斬りかかってきた敵を受け止め、鍔迫り合いにすらなることなく相手を弾き飛ばした。

 

「(前に三、左右に一、後ろに二)」

 

敵味方入り乱れ、剣戟は更なる剣戟と悲鳴に上書きされる戦場の中、自身に迫る敵を瞬時に把握する。

周囲を敵に囲まれているこの状況は絶体絶命。数秒先に死が待っている。

 

相手もそれを確信した。

如何に目の前の少女が信じられない力を持っていようと周囲からの一斉攻撃は避けられないし防げない。

故に勝ったと狂信者達は確信し、

 

 

「─────」

 

キン、という甲高い音が狂信者らの音源を断ち斬った。

 

香風が敵を屠ったのは正面の一人だけ。

左右の敵だった者が残る正面の二の敵を屠り、背後の二人は既に絶命している。

 

「報告は後で聞く。ご苦労様」

 

灯火の労いの言葉に敬礼で応えた黄巾党は、その布を解き地面へ捨てた。

 

つまり最初から香風は包囲されてなどいない。

左右の敵は味方であり、背後の敵は数舜先の未来も無かっただけである。

 

「お兄ちゃん」

 

「ん、俺は大丈夫。傷一つないよ。香風も無事で何より」

 

ひらひらと掌を軽く振りながら、その右手を香風の頭に置いた。

変わらぬその感覚に、少しだけ荒ぶっていた心の内側もすんなりと収まった。

 

「左翼は?」

 

「もう会ってきた。楽進殿、于禁殿、李典殿の三隊。向こう側も問題無し」

 

息を吐く。

軍議終了直後すぐさま曹操軍に伝令を送り、若干の作戦変更を通達したのが間に合った。

香風の到着も想定よりも随分早く、おかげで本陣の兵達の損耗はそれほど大きくもない。

 

左翼は数で劣る中均衡を保っていたが、これで一気に形勢有利。

一番手厚く守っている正面は問題無し。

崩れた右翼は背後からの強襲によって相手の戦力を削ぎ落とし、なおも騎馬隊が戦場を駆け巡っている。

 

「よし、よく耐えた!これより攻勢に移る!─────全軍抜刀、突撃!戦線を押し上げる!反撃の時だ!」

 

『おおぉぉぉぉぉーっ!!!』

 

陽動部隊本陣の長を務める灯火の飛び切りの号令。

伴い合図の銅鑼が鳴り、北部戦線の士気が高まっていく。

 

周囲に残る黄巾党。

士気は逆転し、じりじりと距離を離そうと後ろへ下がっていく。

 

だが、その行動はもう致命的なまでに遅かった。

生き残る事を優先した境界線は失われ、殲滅を目的とした最前線に切り替わったのだ。

 

「俺達も行こう、香風。境界線(ボーダーライン)はここで終わり。ここより先は最前線(フロントライン)だ」

 

「うん、任せて。─────この一撃はお兄ちゃんのため。大地でも穿ってみせる」

 

数多の傷が残る地上に、轟音が響き渡る。

反撃の開幕を告げる一撃。それは耐えてきた兵達の躍動を導く音となり─────

 

 

 

 

─────最後の形勢は覆った。

最大敵であったはずの官軍、北部戦線。

 

南も西も既に前線は崩壊し、中央は炎揺らめく地獄。

包囲殲滅される前に東へ逃げようとする者達。

それを。

 

 

「ここに来てなお逃げられると思っている、その傲慢。─────どこまで保つかしら」

 

 

凛とした声と共に風切り音。

寸分違わずに額に打ち込まれるは一本の矢。

 

「な─────」

 

逃げてきた、その全てが停止する。

日は完全に落ち、周囲は闇夜一体。

その状態で寸分違わぬ一撃は、射手の技量の高さが伺える。

 

「“曹”………!? 曹操軍だと!?」

 

「進めぇえええええーーーっ!!」

 

「「おおおーーーっ!!」」

 

夏侯惇の号令と共に、包囲殲滅と炎から逃れようと東に出てきた黄巾党の横っ腹へ突撃をかける。

 

「さあ皆さん、突撃です!」

 

夏侯惇、夏侯淵、許緒、典韋、曹洪、曹仁、曹純。

曹操軍の将総出で油断なく相手を殲滅しにかかる。

 

「破れかぶれの特攻には気を付けろ! 中央に押し込む事を念頭に!─────全軍、放て!」

 

突撃隊にあたらぬ様に矢の嵐が降り注ぐ。

 

それはある種、恵の雨でもあった。

どの道、この先に待ち受ける運命は変わらないのだから─────

 

 

◆◆◆

 

 

最後にして決定的な戦線、東部戦線。

これにて包囲は完了する。

 

行き場を無くした者は自暴自棄に死兵となり、今になって恐れを抱いた者は無意味な救援の声をあげる。

 

黄巾の陣が燃える。

火の粉が赤い星のように夜空へ舞い上がり、辺りからは断末魔が風に乗って響いてくる。

 

さながらここは地獄の窯底。

 

これが戦争。

現代であろうとそうで無かろうと、大勢の人間が死ぬ。

それが指先一つで行われないだけ、きっとこの世界の戦争は─────まだ“マシ”なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 






お気に入り、評価などなどありがとうございます。

最後駆け足。
後は後日談挟んで黄巾の乱終わり の予定。長いよ!


皆さんはGWは10連休でしょうか、或いはそうではない人もいるかもしれません。
とりあえずワーカホリック気味だったので休息チャージしてきます。
皆さまもどうか健康と事故にお気を付けて。


※灯火は文官です




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File№16





コーヒーって美味しいですよね。
普段飲まないので、仕事中に眠たくなったら飲むと効果覿面です。


やっぱりのんびりほのぼのだと筆が早い。


始まります。



 

 

 

電子化というのは偉大なモノだ。

確かにそこに情報は存在するのに、物理的なモノは一切存在しない。

まあデータベースサーバーやら電子データを読む為の端末やらが必要ではあるのだが、本を何百冊保持するのと何百冊のデータを保持するのとでは物理的空間の点から見ても圧倒的に電子化は省スペースである。

 

つまり何が言いたいのかというと。

 

「…………眠い、疲れた、多すぎ………」

 

この山の様に積まれた竹簡と書簡を前に現実逃避している訳である。

机に突っ伏した首だけを持ち上げて、何も変わらない山の前に再び額をぶつけた。

 

「電子化は夢のまた夢だとしても、竹簡はダメだ。せめて紙にしてくれ………」

 

紙も紙で貴重なモノであるため重要度の高い情報に対してしか使用されない。

今の時代はまだまだ竹簡が主流である。

 

竹簡とはすなわち竹であり、当然紙よりも分厚い。

そのくせ書き込める量に限りがある為、少し長い情報を書き込もうと思うとすぐに巻物レベルの大きさになる。

おかげで気力を削がれる様な山が目の前に広がっている。

 

加えてこの時代にボールペンなんてモノはなく、それどころか鉛筆だって存在しない。

筆と墨で文字を書いていくのが今の世の中。

当然文字を書いてすぐさま折りたたもうものなら悲惨な事になるのは目に見えている。

書き終わったものをすぐに片づける事が出来ずに乾燥待ちという状況が、この部屋の竹簡書簡の山に拍車をかけていた。

 

つい先日まで豫洲へ赴き諸侯の相手や軍の指揮などを執っていたが、あくまでも本業は“文官”。

武官は勿論、軍師でもない。

日々発生する様々な事柄の対処から始まり、戦が終わった後は武官らが持ってくる報告書の取りまとめだって仕事の内である。

軍事的な報告はそのまま筆頭軍師である詠に横流ししたとしても、発生した経費や消耗品の補充、消耗品の在庫が厳しいようならば商人とのやりとりなど、その仕事は多岐にわたる。

 

そして今回は漢全土に広がる黄巾党討伐。しかも詠の方針により多方面同時作戦。

誰一人欠ける事なく無事に帰還した事を喜ぶ一方で、戦後処理の仕事を担う文官はその後が地獄である。

その例に自分自身が漏れる事は無い。

ましてや他の文官とは違い、董卓軍の将らと直接やりとりが出来る立場で関係も良好。

 

言ってみれば董卓軍文官の筆頭。

そんな人物が豫洲討伐から帰ってきたからと言って、他の武官と同じ様に休息に入れる筈もない。

むしろいなかった期間に溜まった仕事の対処もしなければならない。

 

『長期休暇から仕事に復帰してみたら仕事が大量にあった』

 

実際は長期休暇どころか前線で戦をしていたのだが、文官という仕事を見れば休暇である。

休暇である。

大事なことなので二回言う。

 

戦場ですら見せない様な虚ろな目をしながら竹簡や書簡に目を通していく。

憂鬱な気分であるが、それも今日で終わる。何せ今日は超強力な助っ人を呼んであるのだから。

 

「とはいえ眠気が………せめてコーヒーがあればカフェイン摂取で眠気を飛ばせるのに………」

 

普段コーヒーなんぞを呑まない人物が飲めば、その効果は絶大であるというのは経験談。

無いものねだりばかりしている辺り、昼食後の時間帯というのも相まってそろそろ本気でノックダウン寸前である。

 

コンコン、と扉がノックされる。因みにノックをしてくれる人は現在一人だけ。

返事をすると一人の少女が入ってきた。

 

「お兄ちゃん、手伝いに来たよ~」

 

ふにゃり、と笑いながら天使こと香風がやってきた。

竹簡書簡との格闘の末にダウンしていた身にとって癒しそのものである。

癒しとはすなわち香風のことであり、香風とはすなわち─────

 

「お兄ちゃん?」

 

「あ、いや………ちょっとボーっとしてた。ありがとう、香風」

 

疲弊しきった脳が暴走したらしく気付けばすぐ傍まで香風が近づいていた。

戦場だったら死んでいるなと思いながら香風の頭を撫でる。

 

サラサラな髪に漂う香り。

手触りは勿論抜群であり、こうしているだけで荒んでいた心が浄化されていくような気分になる。

頭から頬へ移せばむにむにの柔らかな感触が伝わってくる。

 

「………お兄ちゃん、やっぱり疲れてる。ちゃんと休まないと、ダメ」

 

「んー…………」

 

休みたいのはやまやまだが、休むにしてもせめてキリのいいところまで終わらせたい。

帰って来てからまともな休みを取っていないので香風は勿論恋やねねとのやりとりも最低限になってしまっている。

とは言え今の状況ではもう限界であり、事実悪魔的な考えが脳裏を過った。

 

「………そうだ。香風、コッチに来て」

 

「?」

 

椅子を少し後ろに引いて香風を手招き。

最初は首を傾げていた香風も意味を理解したらしく、猫の様な軽やかさで膝の上に座った。

 

「あぁ~、香風~~」

 

「んにゃっ、くすぐったいよ………」

 

その背丈の関係上後頭部が胸元に来るので頭頂部は鼻先にある。

甘い香りが漂ってきて、思わず香風を抱きしめて髪に顔を埋める。

細身ながら肉付きある太腿や殿部。

片手はすべすべ柔らかなお腹に触れて、もう片方はサラサラいい香りの髪を撫でる。

 

もしかしなくても現代ならば即警察行きの事案であるが、今の灯火にそこまでの思考的余裕は無い。

 

「……しゃんふーはかわいいなぁー………」

 

意識が朦朧とする中で香風の温かさも相まって急速に眠気が襲ってくる。

戦場では大斧を振り回す香風であるが、体重は灯火一人で抱きかかえられる程には軽い。

程よい重さと温かさ、昼下がりの室内と昼食後の仕事、そして眠気といつも夜眠る時の香り。

これだけの条件が揃っていて眠気に打ち勝つ事など出来るハズも無い。

 

「お兄ちゃんも、あったかい………」

 

仕事を手伝いに来たということも忘れ、香風もされるがまま凭れ掛かる。

灯火のこの状況は珍しい事ではない。意識が朦朧とする眠る直前や寝起き直後はこういった事は起きる。

いつもはどちらかと言えば頼りになるお兄さんポジションを確立している灯火が、半分夢見心地とはいえ甘える様に優しく抱きしめてくる。

 

ココロが溶けるような、そんな温かさ。

甘えられていて、香風も甘えている。

 

見ず知らずの人に見せる態度ではなく、完全プライベートで一切の着飾りをしていない素の状態。

知っているのは香風とねねと恋の三人だけ。

それが特別である様な気持ちになって、少しだけ頬が緩む。

 

香風を抱きしめていた腕から力が抜ける。

指が太腿に触れてビクリ、と一瞬震えたがその指が動く事は無い。

背後から伝わる規則的な呼吸とそれに合わせて上下する胸元。

 

「………寝ちゃった」

 

顔は見えないが、ほとんど毎日感じている雰囲気を間違える筈もない。

起こさない様に慎重に振り返ってみれば椅子の背もたれに凭れて眠る灯火の姿。

 

「………」

 

どうしようかと考える。

当初の目的を遂行するのであれば、起こさない様にこの竹簡書簡の山を片付けるのがベストだろう。

けれど。

 

「………重くないかな」

 

姿勢を変えて座りなおす。

背中を預けていた姿勢から、対面の姿勢に変われば眠っている顔が正面になる。

 

「えへへ………」

 

ぽかぽかと胸が温かくなるのを感じながらゆっくりと胸元へ凭れ掛かった。

涼州に居た頃や洛陽に来てからも寝る時に同じ事をしているが、こういう状況は初めてだった。

寝台ほどぐっすり眠れるワケではないだろうけれど、昼寝くらいなら問題ない。

 

一度、二度と深呼吸。

自身を包む温かさと、上下する胸が擦れてくすぐったさを生み出している。

それも少し時間が経てば心地良さに昇華する。

 

「お兄ちゃん………」

 

返ってくる事の無い独り言を小さく呟きながら、香風も瞼を閉じた。

傍にいるだけで凄く安心できて心がぽかぽかするのに、ここまで密着すればもうそれを通り越して一種の幸福感に包まれる。

そんな香風が眠りに落ちるのに、そう時間は必要なかった。

 

 

 

◆◆

 

 

 

 

しばらくして目覚めた灯火は香風を起こして仕事を再開した。

一緒になって眠っていた香風に苦笑しながらも内側から湧いてくる愛おしさによって強く抱きしめ、それを仕事への切り替えとした。

 

眠っていた時間は四半刻程度だろうが、随分と回復したようにも感じる。

これが癒しの効果か、と内心驚きながら香風と手分けして竹簡と書簡を撃破する。

こういう時に役人仕事の経験もある香風は何よりも頼りになるのだ。

 

そして同時に自身の報告書の作成も行っていく。

 

 

黄巾の乱の終結。

最大規模を誇った豫洲黄巾党本隊は官軍、孫呉軍、曹操軍の三軍によって壊滅。

時期をほとんど同じくして青洲黄巾党の討伐、荊州黄巾党の壊滅も達成された。

漢全土に広がりを見せつつあったこの大騒動は官軍の多方面同時作戦により終結することになる。

 

だが、それだけでは不十分。

何せこの騒動は民すらも嫌という程に認識している大騒動。

口頭や触書だけでの通達ではイマイチ実感が湧かないだろう。

 

民は、何よりも分かり易い結果を求める。

それがこの時代であれば尚更。

 

黄巾党首謀者である“男性”張角の首級(しるし)が白日の下に晒された事で、本当に黄巾の乱は終結したと実感を得られたのだった。

 

日本風の知識で言うならば獄門。

刎ねた首を台に載せて見せしめとして晒しものにする公開処刑の刑罰。

この時代ならば梟首(きょうしゅ)と呼ばれる。

 

そんなモノ、少なくとも現代日本の知識が残る灯火からすれば見ようと思って見に行く気はない。気分が悪くなるだけだ。

もう数えきれないほど散々人殺しをしている身ではあるが、だからこそ切り替えというのは必要だ。

 

この精神性の切り替えこそが独りで長い時間(とき)を経て辿り着いた極致である。

もはや一種の自己暗示にまで昇華されてしまったその精神性を正しく評価する者は、灯火本人を含めて誰も居ない。

もし評価が出来る者がいるとすれば、同じ価値観を持つ“天の御遣い”のみだろう。

 

 

「次」

 

 

では三姉妹の張角はどうなったのか。

 

結論から言うと曹操の預かりとなった。

そもそもこの黄巾党の起こりを正確に把握していたのが官軍と曹操軍。

事前協議にて確認してみれば曹操もまた三姉妹に目を付けていたらしい。

兵を呼び込むのを主として考えている曹操に対して、灯火側はあくまでも歌姫………すなわち一種の娯楽として内側に取り込みたいと考えていた。

 

三姉妹は利用されていただけであり、処刑するほどの罪は無し。

ただし無罪放免というワケにもいかない為、官軍もしくは曹操軍のどちらかに属してその力を提供すること。

加えて名前を捨て、真名で今後の活動をする事で方針が決定した。

 

真名呼びに対して張宝は一時猛反対。

やはり真名とは謎文明と内心思う灯火。

 

それに対して張角と張梁はその手もあるねと賛同。

やはり真名とは謎文明と呆れる灯火であった。

 

灯火からすれば真名呼びが罰に含まれるのか甚だ疑問ではあるが、まあ当人らにとって罰だと思っているのであれば有効だろう。

 

因みに全く知らぬ者がいきなり恋やねね、香風を真名呼びしたら無表情のままゆっくりと刀を引き抜いて首目掛けて振るうつもりである。

慈悲は無い。

所謂『それはそれ、これはこれ』。

 

閑話休題(それはともかく)

 

両者の思惑を考えれば三姉妹は此方側に来るだろうと考えていた灯火。

だが実際三人が選んだのは曹操側。

理由を尋ねてみるとどうやら三姉妹は“あの”冀州黄巾党内に居たらしい。

つまりは恋の単騎攻城戦を間近、しかも自分達も討伐対象となっていた状況でモロに見ていた。

 

言ってみればPTSD(トラウマ)である。

 

『………なるほど。あの黄巾の最後の抵抗、官軍に対して一際あたりが強かったのはその所為ね』

 

頷きながらちらりと此方を見てくる曹操に対して、ただ空を仰いで視界を掌で覆うことしかできない灯火であった。

 

そんなこんなで三姉妹は陳留に滞在している。

今頃は黄巾党の爪痕が残る村々を訪問してその歌声を響かせているだろう。

 

此方側に引き込む事はできなかった。

強く、それこそ官軍権限で強制する事も可能ではあったが、そんな軋轢を生むような手法を取る必要はない。

そんなことをすれば曹操に睨まれる事になるし、三姉妹だってよい顔はしない。

それでは本末転倒もいいところだ。

 

灯火の目的はあくまでも娯楽の提供。そこに不和を持ち込む気は無い。

今後曹操と連絡を取って彼女らを洛陽に招いてコンサートを行う、くらいの事ならば出来るだろう。

三姉妹を利用した曹操とのパイプが出来て定期的に陳留に訪問する理由が出来た、と逆に考える事にする。

 

『喜雨、終わったよ』

 

曹操軍の陣内に居た喜雨と会った。

黄巾党の被害者は各地に大勢いる事は間違いないが、心を痛めていたのは彼女も同じ。

特に一時は自分が居る城を包囲されかけもした。

文字通り死ぬ思いをしたわけである。

 

『うん。ありがとう、灯火さん』

 

『………黄巾の乱の首謀者である男はもう首級(しるし)になってる。あそこにいる三姉妹は利用されていたワケだけど、それでも少なくとも幇助の罪にはあたる。喜雨、勝手ではあるけれど、被害者の代表として何か望む事はある?』

 

『望むことって………。─────ううん、戦場では曹操さまに従うって決めてたから。あの三人に何かを望む事はないよ』

 

『………そうか。立派だな』

 

文句は山ほどあるだろうし、憤りだってあるだろう。

多少乱暴になるくらいは許される。

それでも理性を働かせて冷静になっているあたり、年齢も相まってすごく立派に思えた。

 

『そうでもないよ。聞いたけどあの三人、官軍に対して過剰に怖がっていたみたいだね』

 

『………あー。まあ色々重なった結果だな』

 

『不謹慎かもしれないけど、それを聞いた時ちょっとだけ胸がスッとしたんだ。………うん。だから、ボクからは何も。灯火さんにはお礼を言わなくちゃいけないね』

 

『─────くっ、ははは。そうか。けどそれは俺じゃない、恋に伝えておくよ。喜雨が恋に感謝してたって』

 

思わず笑いが出てしまった。

それに吊られる様にほんの僅かにではあるが、喜雨からも笑みが零れた。

 

『うん、伝えておいて。………あ、望む事、っていう訳じゃないんだけど』

 

『ん? 何、遠慮しないで言っていいよ』

 

『また、農業について話がしたい、かな。今すぐはお互い落ち着かないから無理だろうけど、復興と、“今後”の事も兼ねて』

 

『ん、そうだな。やり取りしている間に洛陽に来ちゃったから色々中途半端に止まってたし。………こっちも時機を見て連絡する』

 

 

 

曹操と陳珪の関係性はこれからどうなっていくのか。

少なくとも豫洲が曹操の配下になったという連絡はどこからも来ていない。

少し気にはなりつつも、現状は静観する方針で進める。

 

 

 

「次」

 

 

劉備義勇軍について。

詠の策略によって随分と渋い状況に追い込まれていた義勇軍は、想定通り此方と接触してきた。

並みの義勇軍であれば解散による自然消滅か、或いは黄巾党に返り討ちにされるだけだっただろうに良く生き残っていたとも言える。

その後、徐州牧である陶謙と接触したらしく、把握しているところでは徐州内の黄巾の残党を排除中とのこと。

今ではもう黄巾党の規模は縮小しているし、義勇軍でも十分に戦っていけるだろう。

落ち着くのはもう間もなくのハズである。

 

その劉備については涼州出立前(・・・・・)に話題となった。

というより話題に挙げた、というべきだろう。

 

月の味方になりそうな外部協力者はいないか、という詠の問い。

 

そんなモノを問われてもそう簡単に出てくるものではないと頭を捻っていた所に思い出した劉備の名前。

彼女もまたこの漢を憂いで義勇軍を立ち上げる、或いはもう立ち上げているかもしれない人物。

 

『義勇軍って………月の協力者になりそうな人って言ってるのに、そんな人物しかいないワケ?』

 

まあ当然こうなる。わかってた。

今や主である月は中郎将という立場、それに対して相手は名前すら聞いたことが無い、義勇軍を率いる者。

立場が圧倒的に違いすぎる。

 

ならばあとは幽州の公孫賛くらいしかいない。

彼女も涼州と同じで外部からやってくる烏丸相手に戦っている太守。

通じるモノはあるだろうし何より野心的な人物ではない。(偏見)

 

『公孫賛………居たわね、そんなヤツ。時々噂くらいは聞くけど………地味ね』

 

哀れ公孫賛。

現代社会の知識がある身としては彼女こそ理想の女性だろうに、と涙を流さずにはいられない。

特筆するほどの強い個性があるわけではないが、普遍的に万能というのは灯火的に好感である。

言い方を変えれば器用貧乏でもあるのだが………同じ器用貧乏な者として同情を禁じ得ない。

 

『………分かっている範囲でその劉備とかいうヤツの事を教えなさい』

 

とは言っても灯火自身劉備と面識がある訳ではないし、“知識”がどこまで正しいかの確証も無い。

 

あくまでも確定情報ではないけれど、と前置きした上で朧げな“知識”の断片を伝えていく。

劉備には義理の妹である関羽と張飛なる者が居るらしい。

劉備には伏竜鳳雛と呼ばれる天才軍師が居るらしい。

劉備は月と同じ漢王朝の復興の為に義勇軍を立ち上げ、名をあげようとしているらしい。

 

何とも曖昧な回答に、しかし詠は視線を逸らして思考に耽っていた。

 

『………最後に一つ。その劉備は、これから大きくなると思う?』

 

今言った事に間違いがないのであればなると思う。

そう伝えると詠は椅子の背もたれに体重を預けた。

 

『なら、確認はしないと。先ずは本当に劉備義勇軍なるものが存在するのかどうか、ね』

 

話を出した此方が言うのもなんだが、今の話を信じるのか。

 

『─────はっ』

 

そんな問い掛けに鼻で笑われる。

 

『………思わずアンタの頬を打ったボクに、それでも静かに月の為といって進言してきた。こんな夜中、誰も聞かれない一対一の状況で』

 

或いは詠と初対面であればそもそもこの状況は生まれない。

 

『─────ボクは董卓軍の筆頭軍師。常に最悪を想定する(・・・・・・・・・)。そしてそれをどのように打破すべきかを考える。………アンタが言った事は思わず手が出ちゃった程に許されない事だけど、冷静になればその可能性は否定できない』

 

或いは詠とそれほどの関係性を構築できていなければ、話を挙げた時点で論外と言って切り落とされ、この会合も消え失せる。

 

『否定できない時点で、ボクはアンタを信じる。そもそもアンタが何も考え無しで言う筈も無いだろうし。だからさっきの劉備何某の話も信じるだけよ』

 

そう言い切った詠の瞳には強い意思が垣間見えた。

机の上で握る拳には力が込められている。

 

『月の為なら何だって利用する。コトが不確かなら調べればいい。後になって時間が足りないなら今からやればいい。月の夢を叶えるのが軍師であるボクの役割』

 

じっと見つめるその表情は真剣そのものであり、けれど僅かに笑う表情は─────

 

 

『そんなボクを灯火は焚きつけた。─────なら、責任とって地獄の底まで一緒に来てもらうから』

 

 

 

 

「灯火? 入るわよ」

 

そんな言葉と共に入ってきたのは詠。

別名ツンデレ軍師。

 

「……詠さま。お兄ちゃんの部屋に入るなら、ノックしないと」

 

「ノック?………ああ、そういえば言ってたわね。必要なの?」

 

「………まあしてくれた方がびっくりしなくて済むかな」

 

「ふぅん。どっちも同じようなモノだと思うけど」

 

因みに灯火が返事を待たずにノータイムで詠の部屋に入ろうものなら飛行能力のない飛翔物体が飛来することになる。

まあ女性の部屋に無断で入ろうとする輩には当然の報いとも言える。

勿論そんな愚行は今までした事はない。

 

「仕事の方はどう?」

 

「香風が来てくれたおかげでもうすぐ終わる。……そこに置いてあるのが詠に渡す分」

 

「………多いわね。これ、盛ってないでしょうね」

 

「残念ながら」

 

肩をすくめた。

これでも必要最低限にまで絞ってまとめた方である。

何せ今回は多方面同時作戦。

必然的に報告書としてまとめる量も多くなる。

 

「悪いわね。けど、今後の事を考えると(・・・・・・・・・)洛陽の仕事を網羅出来ている身内が最低でも一人は必要なの」

 

「…………最悪を想定して、か」

 

「ええ。今のところはまだ黄巾騒動が終わったばかりだからそれほどだけど、今後どうなるかは分からない」

 

あくまでも可能性の話。

そうなるという確定ではない。

それでもその可能性を馬鹿馬鹿しいと斬り捨てないのが詠である。

 

「にしても流石に疲れてきたからこれが終わったら休ませて貰うけど、いいよな?」

 

「それはそうよ。アンタに倒れられても困るんだから。………というか、仕事は任せると言ったけど、休むなとは言ってないわよ?」

 

「………自分の執務室に戻ってきてうず高く積まれていた竹簡書簡の山を見たら、休んだら働きたくなくなりそうだった」

 

「休む時は気兼ねなく休みたい、というその気持ちは汲んであげる」

 

遠い目をして魂が抜けそうな表情を見て、しかし淡々と回答する。

灯火の大変さは詠も承知しているところだが、詠自身も筆頭軍師という立場である。

洛陽に来てから誰にも悟られない様に動き回っていることもあり、灯火に負けず忙しい身だ。

 

「………ボク自身が行きつく先が地獄だったとしても、月の為ならそれも厭わない。でも、アンタはそんなボクを引っ張り上げてくれるんでしょ?」

 

「誰が好き好んで地獄に行くか。そして名も知らない人物ならともかく、どこかのツンデレが地獄に行くなんて言ったら腕を引っ張るに決まってる」

 

傍から聞いていた香風には疑問符がつく会話内容であるが、全貌を知っている二人は最低限の言葉で会話を成立させる。

 

「なら、頑張ってよね。生憎、ボクはアンタの為に止まってあげるほど優しくはないわよ。─────それと」

 

机の上に置かれていた報告書の一つを読み終えた詠は、カツカツと足音を立てて近づいてきた。

そんな詠を訝し気に見た灯火の背中にゾクリ、と悪寒が奔る。

薄っすらと笑う詠の目元から上には影がかかり、頭上に怒りマークを幻視した。

 

「ねぇ………“灯火辞典”って、知ってる?」

 

「すみませんでした」

 

この漢には存在しない語録を纏めた辞典。著者は香風。

香風はその武もさることながら、一度覚えたモノは忘れないという転生者である灯火も真っ青なチート能力を有している。

そんな彼女が暇を持て余した際につらつらと書き綴っている語録辞典。

それが灯火辞典。

正式名“お兄ちゃん辞典”(香風命名)である。

 

そこには香風との会話の中で灯火が呟いた漢のモノではない単語とその意味が書き記されている。

それ自体を灯火は咎めるつもりはない。

灯火からしてみれば何気ない会話の一部であり、言ってみれば“知識”の中の基本教養にあたるモノ。

しかし香風からしてみれば知らない単語と意味ばかり。

文官仕事をあまり好かない香風が気紛れにとは言え本を作っているのであれば、灯火が止める理由もない。

 

ただ問題はその存在を知っているのが恋やねねはともかく、詠も知っているということである。

 

「ふん………誰がツンデレか、誰が」

 

「(………そう言う所なんだけどなぁ)」

 

「何か言った?」

 

「イイエ、ナンデモアリマセン」

 

勿論日常生活においてこの辞典を読む必要性は皆無。精々が灯火との会話の中で意味不明な単語が少なくなるだけの代物。

この漢の時代で使用する事は無く、灯火との会話を不自由無くする事以外に意味がない。

そんなモノを知っているということはつまりそういうことであるのだが、言うと鉄拳が落ちるので努めて口を閉じておく。

 

「ま、いいわ。コッチのは持って行っておくから、残り分を済ませちゃいなさい。それで早く恋に構ってあげること」

 

「? 恋がどうかしたのか?」

 

「………中庭で大量の肉まんを黙々と食べてるわよ」

 

「……………」

 

紙袋いっぱいに肉まんを買ってねねの静止も空しく食べ続ける恋の姿は容易に想像できた。

 

「分かった。蔵に行くときに中庭通るから、声をかけるよ」

 

「そうしなさい」

 

両手に報告書を抱えて執務室から出ていく。

後ろ姿が扉の向こうへ消えたあと、一連の会話を聞いていた香風が申し訳なさそうに尋ねてきた。

 

「………シャンのアレで、迷惑かけちゃった………?」

 

「いいや、何も問題ない。今のは俺が不注意だっただけだから、香風は悪くない」

 

むしろツンデレと言われてそれを肯定する人物を灯火は見た事がない。

すなわち意味を知っているのであれば、詠のあの反応は至極真っ当な反応であった。

 

 

 

 

 

 

「お兄ちゃん、終わったよ」

 

「ん、ありがとう。香風」

 

凝り固まった肩と首を解しながら背筋を伸ばす。

コキコキと骨が鳴るのを聞きながら片付いた竹簡と書簡を纏める。

手元に残しておくべきものは戸棚に収納し、手元に無くてもかまわないものは蔵へ収納する。

 

「それじゃあ蔵に持っていくか」

 

「うん、わかった」

 

竹簡というのは非常に嵩張る。

ましてやここは漢の中心である洛陽。

洛陽自体で発生する数もさることながら、地方の情報も嫌という程に入ってくる。

文官の仕事が多くなるのは自明の理であり、故に保管場所も相応の大きさを有しているのは必然であった。

 

二人して両手いっぱいに竹簡や書簡を持って、中庭の奥にある蔵へと向かう。

勿論、詠の連絡にあった恋に声をかける事は忘れない。

 

「居た。おーい、恋、ねね!」

 

両手が塞がっている為に腕を振る事は叶わないが、その声に反応しない恋ではない。

聞こえてきた方角に首を向ければ、文官仕事に忙殺されていた灯火を見つけた。

 

既に残り二つとなった肉まんを紙袋に入れてすぐさま駆け寄ってきた。

 

「……お仕事、終わった?」

 

「あとはこれを蔵に持っていくだけ。香風も手伝ってくれたから早く終わったよ」

 

「頑張った」

 

むふーと少しだけ胸を張る香風の両手にも仕事の束。

武器よりも全然軽いので両手が塞がるほどの量であっても余裕の表情である。

 

「やぁっと終わったのですか。戦後の文官仕事が増えるのは知ってますが、もう少し早くならなかったのです?」

 

「そう言うならねねも手伝って欲しかったんだけど?」

 

「ねねは恋殿が寂しい思いをしないように付きっ切りで一緒に居たのです!」

 

「つまりいつも通りだな、ありがとう」

 

それはそれで問題ない。

元々は自分の仕事であり、ねねを強制させるようなことは出来ないし権利もない。

ねねが恋の相手をしてくれていたのであれば、灯火が言う事は何も無かった。

 

「………で、それが件の肉まんか。何個食べたんだ?」

 

「……十個」

 

「………ねね?」

 

「うぅ、ねねは止めたのですぞ。─────いや、これは灯火が悪いのです!仕事にかまけてばかりで恋殿とねねを放置する愚行!責任を取りやがれです!」

 

「だから今日は美味しい料理作るからゆっくり食べようなって言ったんだけど………」

 

とは言え灯火も強く言う事は出来ない。

ねねの言う事も理解できるし、灯火自身も飢えを満たすが如く香風を抱き寄せてそのまま眠ってしまったのだから。

 

「……大丈夫」

 

そして恋もまた同じであった。

戻ってきて休暇が与えられるも本来文官である灯火はそのまま仕事場へ赴き忙殺状態。

武に関して誰にも負けない自信はあっても、文官仕事で手伝えるとは流石に思っていない。

 

結果、灯火の仕事が落ち着くまではいろいろ我慢を強いられる事になるのだが、元々遠征から数日経過しただけでうずうずとしていた恋。

そんな恋がどれだけ早く帰還したいと思っていたのかを正確に理解しているのはねねだけであり、それが数日延長となれば我慢の限界というもの。

それを“最低限”で解消するために肉まん十三個を購入し、モクモクモクモクと食べ続けていた次第である。

 

因みに一つはねねのお腹に消えていった。

 

「……灯火のごはん、一粒たりとも残さない」

 

「………まあ、恋がご飯を残すなんて微塵も考えていないけどさ」

 

作れば作るほど実に美味しそうに食べてくれる恋の姿は、灯火を完全なる主夫の道へ爆走させていた。

二本のアホ毛がピコピコと動きながら黙々と頬ばる姿は灯火にとって癒しである。

食費? “飛将軍”と“英雄”が薄給なワケが無い。

 

「…これ、香風と灯火に」

 

「買ってきたの?」

 

「……一つずつ」

 

こくり、と頷いて持っていた紙袋の中身を見せた。

これから夕食ではあるが、恋が買って来てくれたモノを無碍にするわけにはいかない。

肉まん一つ程度であれば問題もないだろう。

 

「ありがと。けど今は両手塞がってるから、後で貰うよ」

 

「……………」

 

ちらりと見れば確かに両手は塞がっている。

肉まんを持てるだけの余裕はないだろう。

 

「………あーん」

 

なら、手の空いている自分が食べさせてあげればいい、という結論に至る。

一瞬どうしようか迷ったが、ここは素直に

 

「あー………んぐ。………ん。うん、肉まんだな」

 

「……肉まん」

 

モグモグと頬張りながら味わって食べる。

見た目通りの何の変哲もない肉まんである。

恋が買ってきた以上はそこに意外性なんてモノはなく、普通に美味しい。

 

「……香風も」

 

「ありがとー」

 

両手持ちだった竹簡を片手で下から支える様に持ち替えて肉まんを受け取る香風。

その力もさることながら一切バランスを崩さずに肉まんを頬張るあたり、流石は武官である。

因みに灯火が同じことをしようとすると秒で竹簡の山が崩壊する。

 

「あ~~~ん」

 

「………あー……んむ」

 

口元に出されるがまま肉まんを頬張りながら蔵へと赴く四人。

傍から見れば“英雄”に荷物持ちをさせて、“飛将軍”に肉まんを食べさせて貰っているというトンデモ光景。

内情を知らない者が見れば絶句する事間違いなし。

 

「ん、着いた。ねね、開けてくれないか?」

 

「まったく、しょうがないですな」

 

肉まんを食べ終えて蔵に到着した一行は扉を開けた。

中は竹簡や書簡、巻物がうず高く積まれている。

ここは数ある保管庫の中でも機密情報を取り扱う場所。故に滅多に人はやってこない。

 

「恋、悪いけど入口で誰か入ってこないか見張っててくれ」

 

「……わかった」

 

こんな洛陽の中でも更に内側の、数あるうちの一つの蔵をピンポイントで窃盗しにくる盗賊はいないだろうが念のためである。

それだけここに置いてある情報は見る者が見れば価値あるモノである、ということだ。

 

流石に漢の都である洛陽の保管庫はしっかり整っているらしく、乱雑に収納されてはいない。

香風と二手に分かれて分類ごとに整頓していく。

 

とは言っても所詮は蔵。

どれだけ整っていると言っても埃っぽい感じは否めないし、当然ながら薄暗い。

さっさと置いてここから出よう。

 

そう考えていたからこそ。

 

「だ、誰………!?」

 

「えっ」

 

香風以外の声が聞こえてきた。

正直この蔵に人と鉢合わせる事など考えてもみなかったため、灯火も驚きを隠せなかった。

声色からして女性、しかもかなり若い。

瞬時にそう判断して、視線を声の方へ向ける。

そこにいたのは─────

 

 

 

 

「け………献帝、さま………?」

 

 

思わず口元が歪む。

両脇に本を大量に積んで座り込んでいた、“知識”でしかまだ姿を見た事のない献帝だった。

 

 

 

 

 

 





感想、お気に入り登録、評価、誤字報告ありがとうございます。


もっと寄こせよバルバトス。
QP落とせよバルバトス。
サーバー落とすなバルバトス。

そんなことをしてたらGWが終わってた。


今後の展開に繋がるいくつかを散りばめて次回から幕間へ。





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Interlude 01
Memories 音々音 01


その日、帰り道に別の道を選んだ。
自分にしては珍しい、ほんの気紛れ。
見飽きた景色が少しでも変わればと思ってのこと。
山の中なのだから少し道を変えた程度で景色が変わる訳もないのに。

歩いているとほどなくしてアケビを見つけた。
この辺りでは珍しい、けれど知っている山菜。
甘味のある実はおやつに最適。

─────今日はツいている。
そう思いながら、村へと帰っていく。
代わり映えしない毎日に、ほんの少しだけ彩がついた一日だった。


/ 記憶 01




 

 

 

陳宮。字は公台。

真名を音々音。

 

ごく平凡な、裕福とは言えない家に彼女は生まれた。

平凡な両親、どこにでもありそうな貧しい村。朝起きて森に入り、一日の糧を村に持ち帰る。

それは彼女を取り巻く変わらぬ日常であり、山に許されて生きてきた証。

 

その中で、彼女は確かに優秀だった。

村にいる同年代の子供と比べればその才能は明らかだった。

周囲はそれを微笑ましく、そして利用できるものとして日々を暮らしていた。

 

確かな屋根と飢えない程度の食事、決して悪くはない隣人との関係。

それは、後になってありふれた幸福であったと回顧した。

 

なのにどうして、そんなことになったのか。

貧しい村だったが、誰もが平凡に生きて、静かに息を引き取れる正しさがあった。

他の村人も子供であるねねと何一つ変わらず………だからこそ、今でも悔しいと瞼を閉じる。

 

何も狂ってはいなかった。何も間違ってはいなかった。

いつも通りの行動だった。生きる為に必要な行動だった。

 

そんないつも通り山に入って糧を得る日常の儀式は、いつの間にか下賤な輩を村に案内する愚行に成り果てていた。

 

不幸中の幸い、とも言うべきか。

賊によって酷く荒らされはしたが、村の若者が農具を手に取り賊を追い返す事には成功した。

傷を負った者はいたが、死者はいなかったことに人々は安堵する。

 

けれどそれは、ねねにとって地獄の始まりであった。

 

 

 

“─────お前があの賊を連れてきた─────”

  “─────せっかく育てた作物が台無しだ─────”

 “─────村を売った不届き者め─────”

 

 

 

恐怖した。

つい先日まで普通に話しかけてきた村の人々の視線が明らかに変わっていった。

 

そしてそれ以上に疑問の方が大きかった。

 

なぜ、と。

 

どうしてそうなるのか。

どうしてそんな事になったのか。

 

賊に尾行されていたのを気付かなかったのは確か。

その所為で賊に村の存在を知られたのだろうというのも理解できる。

 

しかしそれは遅いか早いかだけの違いではないのか。

山に入る事はあっても、遠く離れた場所まで行った覚えはない。

つまりあの賊は元々この近くにいたということであり、ねねが尾行されていなかったとしてもいずれこの村の存在はバレていた筈だ。

 

ましてや村を襲い、貴重な農作物を台無しにしたのは賊であって、決してねねではない。

村人の“それ”は、ねねからしてみれば見当違いも甚だしい言いがかり。

 

その判断が出来るくらいにはねねは優秀だった。

だからこそ訴えた。

 

 

 

─────そうして気付いた時には、周りに誰も………親すら居なくなっていた。

 

村八分。

村落の中で掟や秩序を破ったものに対して課される制裁行為。

この時代においてこの単語があったかどうかは定かではないが、少なくともそれを聞いた灯火が真先に思い浮かんだ言葉でもあった。

 

それは見せしめであり、そして村の秩序を守る為の犠牲でもあった。

 

しっかりとした学者が居ればそれに否を唱える事も出来ただろうが、そんなものを貧しい村に望むなど愚の骨頂。

一度決まった事が大多数に伝播した時、それは“正義”となる。

 

集団心理というものは決して黄巾党だけの特権ではない。

少数の意見は淘汰され、大多数の意見が押し通り、被暗示性が高まり、感情性が強まっていく。

読み書きも出来ぬ者が多い村で、それは致命的な効果であった。

 

 

 

 

 

親しい関係だと思っていた隣人も、己の親すらも、ねねに言葉をかける事は無かった。

 

全てが敵に回ったねねに居場所など無い。訴える気力すらも無くなった。

─────ここに、味方は居ない。

 

殺されなかっただけ温情だったのだろう、と下らない考えが浮かんで棄却する。

 

住んでいた村から絶交され、追い出されたねねは各地を転々とすることになる。

持ち前の優秀さで幾らかはお金を稼いで飢えを凌いでいたが、それも長くは続かない。

 

手持ち金はゼロ。食糧は底をつき、雨を凌げる居場所も無い。

こんな情勢だから知らぬ土地ではそういう事もあるだろう、と少し前に考えていた状況に自分がなっていた。

 

何が悪かったのか。何を恨めばよかったのか。

疑問も、この極限に追い詰められた状況ではどうでもよかった。

 

『…………?』

 

明確に目の前に“餓死”という二文字が垣間見えた中で、一つの影と共に差し伸べられた手。

 

その主こそが、恋であった。

 

恋とねねの出会いは、灯火と恋の出会いと同じである。

まだ何の力も無かった幼少期の恋に手を差し伸べたのが灯火であるならば、路頭に迷って力尽きそうになっていたねねを助けたのが恋だ。

最初は疑心暗鬼になりながらも、命を救われ、帰るべき家を得たねねが恋を深く敬愛し、従うようになるのは当然と言えるだろう。

 

それ故に灯火とねねが初めて出会った時は、それはもう大変であった。

 

『な、な、ななななな………何奴ーーー!?』

 

『っ!? とぉぉぉおあああっぶねぇ!?』

 

何せ恋と一緒にまったりとしていた所に強烈な飛び蹴りがやってくるくらいだったのだから。

 

恋が仲介役………主にねねを宥める役で場を収めて互いに自己紹介。

幼少期からの付き合いであるということを知ったねねだったがそれで攻撃を控える事にはならず、事あるごとに灯火へ突っかかってくる。

 

だと言うのに攻撃されている灯火は苦笑しながらねねの頭を撫でて宥めようとする。

それが余計にねねの攻撃をエスカレートさせていく。

何せ敬愛する恋が灯火に付きっ切りで、しかも同じ屋根の下。

 

『(恋殿はねねが守るのです!)』

 

そう意気込み目を光らせ、恋に灯火が触れようものなら即座に陳宮キックが炸裂する。

同じ寝台で寝るなんてもってのほかだし、一緒に風呂に入るなど論外。

 

そうして恋を守るねねであったが、恋からすれば不満が溜まる。

長安と自宅を行き来する灯火は当然ながら毎日家にいる訳ではない。

会えない日がある以上、恋としては少しでも長く灯火と一緒に居たい。

 

ねねとしては恋と一緒に居たい。

けれど肝心の恋がねねを見ずに灯火ばかりを見ている。

そんな状況は、ねねにとってどこか似た心傷を覚えた。

 

『(ふぐっ…………恋殿ぉ………)』

 

家出だった。

恋と灯火の関係性は出会った時に聞いていたし、だからこそ恋が自分自身へ向けるモノとはまた別の表情になることも理解していた。

 

理解していたが、受け入れられなかった。

ねねと灯火の関係性は恋という共通人物こそいるだけであり、それ以外の接点などなかった。

恋が持つ灯火への感情と、ねねが持つ灯火への感情にはどうしても差が生まれてしまう。

 

まだ心身ともに発達途中で、薄暗い過去もある。

まるで恋が取られた様に思うようになってしまったねねは、感情のまま家を飛び出してしまった。

 

家出自体は現代にもあったことだ。

思春期特有の感情で家を飛び出す事もあれば、大喧嘩をして家を出ていくこともある。

理由は多岐にあるが、現代と大きく違うのは治安である。

 

普段ならばそういった治安の悪い場所には過去の経験から近づかない。

だが、ぐるぐると思考が回っていたねねが気が付いた時には、既に周囲に数名の男。

腰には短剣が添えられており、ねねを見る目がどこぞの野犬と同じに見えた。

刃を向けられて抵抗出来る程の武を有していないねねでは、多対一はどうしようもなかった。

 

集団のリーダーはこの辺りでは比較的有名な無法者だった。

ドロップアウトした人間の中でも一際目立ち、遊び人達のリーダーのような存在として知られている。

気の合う連中を仲間に引き入れやりたい事だけをやってきた男は、ただ単純に娯楽の一環としてねねを脅して廃屋へ放り投げた。

 

理由はあまりない。

そこら辺の奴を襲って金目のものを奪い取り、目についた女を強引に連れ込んでヤりたいようにヤる。

野蛮で、省みず、我儘で、文字も読めない頭の悪い男とその類似品である連中は、自分達の手に負える相手かどうかという判断だけはそれなりに長けていた。

故にねねを狙ったのは自分達でも容易に制圧できるという安心と、日々とは少し趣向を変えてみようという惰性的な繰り返しを打破する為だった。

幸いな事にねねの様な身体に欲情する仲間が居たのでちょうどいいとばかりに決行した。

 

口元を抑えられ、力で成人男性に及ばないねねではどうしようも出来ない。

服が破かれ素肌が露になり、身を守るモノが無くなった。

恋に貰った服が台無しにされた悲しみ、それ以上にこれから起こる事への恐怖と絶望。

涙が止まらない中で嘲笑う男ども。

 

恐怖と、絶望と、それ以上に悔しさが込み上げて。

 

 

『  クズが。 死で償え  』

 

 

─────ねねの気持ちを代弁するかのような、聞き覚えのある声がした。

 

横合いから飛来した銀色の流星が寸分違わずにねねを押し付けていた男の横首へ突き刺さり、反動で男が倒れた。

苦痛の絶叫をあげることすらなく絶命した男だが、ねねはそんな奴の姿など見向きもせず廃屋入口へ視線を向けた。

 

そこに、男が立っていた。

 

いつも恋に近づく男。

ねねのキックを簡単に避け、時には防いだり、かと思えばたまに一撃を受けてしまう男。

だと言うのに大して怒らずに苦笑しながら頭を撫でてくる男。

 

何というか、緩い、という印象を持っていたその男─────灯火の雰囲気は、ねねの知るモノと酷くかけ離れていた。

 

手には月光が照らす銀色の刃。

背後から照らされている所為で顔が見えないが、眼光だけは絶対零度の冷たさが垣間見えた。

 

『なんだてめ─────』

 

最速、最短、最適解。

近づこうとした男の言葉が続くことは無く、代わりに袈裟斬りによって鮮血が舞った。

語る言葉は何も無く、聞く言葉も何も無い。会話をする価値が無い。─────故に問答無用。

 

あまりの短時間。

一人目は死んだ当人もさることながら、それを周囲で見ていた連中すらも何が起きたか一瞬理解できなかった。

その事実を確認するよりも早く現れた部外者が、一瞬で仲間を斬り殺した。

 

どちらも一瞬。

ことここに来てようやく二人の仲間が絶命した事に気付いた連中はすぐさま得物を持って─────

 

『『死ね』』

 

前方と背後。

酷く平坦な一言だけが響いて、四人が血の海に沈んだ。

 

『恋殿………莫殿………』

 

ねねの滲んだ視界はやはりそのままだった。

恋の武はねねも知る所であり、一連の動きを見て灯火もそれに近い武を有しているのは分かった。

7人いたグループはあっという間に首謀者である男一人だけになり、数的にも形勢は逆転する。

 

『な、何だ………何なんだてめぇらは!? それ以上近づくんじゃねぇ!』

 

男が咄嗟にねねを人質に、短剣を首筋にあてる。

一瞬で6人が悲鳴をあげる事なく物言わぬ屍と化し、相手二人は全くの無表情。

長らく悪事を働いていた男………いや、例えこの男じゃなくても目の前の二人がヤバイ奴らであるというのは完全に理解できた。

 

巨大な方天画戟と細い銀刃は対照的であり、しかし振り回すには余りに狭い室内をものともしていない。

明らかに自分が立ち向かって勝てる要素は無い。

人質として咄嗟に奪ったはいいが、今やねねが己の命綱であるということは学のない男でも理解できたし、命乞いをしても助からない事も理解できた。

 

『いいか………武器を捨てろ。捨てなかったらコイツの命はねぇぞ………!』 

 

息があがる。呼吸が浅くなる。

決して短くない人生ではあったが、これほどまでに“死”が目の前にあったことは今まで無かった。

 

二つの強烈な“死”。

相手は睨んでいる訳でも怒声をあげているわけでもない。

ただただ無言で、無表情で、己を見ているその瞳は人間らしさがまるで感じられない。

 

“人を見ていない”。

 

それが、何よりも恐ろしい。

生きた心地がしない。

 

『捨てろって言ってんだよっ!!!!』

 

叫んだ。

人質を取っているというのに人間らしい反応を一切見せない、その恐ろしさ。

それを払拭する様に。

 

その男の声がようやく届いたのか。

恋がゆっくりと方天画戟を振り上げていく。

 

『っ!? な、何する気だ!?』

 

『………捨てる』

 

その言葉に僅かばかり安堵する。

兎に角武器を捨てさせなければどうしようもない。

このガキは使えると、確認した時だった。

 

恋が方天画戟の先端を地面へ向け振り下ろし──────────轟音と共に床が木端微塵に崩れた。

 

『はっ!?』

 

一切の音が死んだ世界に突如耳を突く轟音に、男は一瞬肩を震わせた。

轟音もさることながら、たった一突きで廃屋とは言え床を粉々にしてみせた。

 

視覚、聴覚、触覚。

人間が持つ五感の内の三つを一瞬で叩きつける行為。

 

それはつまりもう片方から注意が逸れた意味でもある。

 

『──────────』

 

誰も声を発する事は無い。

銀刃による“突き”は男が反応するよりも早く、首を貫いていた。

 

圧倒的。

武の心得の無いねねが抱いた言葉だった。

 

突き刺さった刃を抜くように死体となった男を蹴り飛ばし、血濡れの刃を地面へ抛り捨てる。

その音にねねが我に返り、一瞬ですぐ傍までやってきた(様に見えた)灯火の名を呼ぼうとして

 

『陳宮』

 

その灯火に抱きしめられていた。

優しく、けれど強い抱擁。

 

『無事でよかった』

 

たった一言。

この惨状を作り出した本人とは思えない穏やかな声は、少し前まで家で聞いていた声と同じだった。

 

『う…………』

 

『ねね』

 

後ろから恋が灯火と同じように抱きしめて、それが我慢の限界だった。

 

『ひぐぅっ、ぅぐっ、えぐっ…………うわああぁぁぁぁぁぁん………!』

 

恋と出会う前は悲惨な生活を過ごしていた。

明日どころか今日食べるモノも覚束ない日々に、自分の身を案じてくれる人など誰も居なかった。

 

つい先ほどまでの恐怖。怖かったという気持ち。

それ以上に自分の事を探しに来てくれて、自分の為に怒り、敵を倒してくれたこと。

前と後ろから感じる温かさが、かつて離れて失った温かさと同じだったこと。

偽物ではなく、本物であると直感で分かったこと。

 

それが何よりねねにとって涙を流す理由だった。

 

 

 

◆◆

 

 

 

久しぶりの休日。

 

洛陽に来てからは自宅というモノは無く、城の一角にある一室に住み着いている。

中郎将である月が率いる将………というだけあって、広さは十分あり内装も充実でそれなりに絢爛。

帝の居る部屋をミシュラン五つ星とするのであれば、この部屋は二つ星くらいあるのではないだろうか、なんて下らない考えが脳裏を過る。

 

最初は落ち着かなかったこの状況も、恋やねね、香風が同室で生活を共にすることですぐに慣れた。

 

つまりは一室に四人が生活しているわけであり、それを窮屈と感じさせない程度の広さがあるのは良かったと素直に思う所。

必要なモノ以外は本来彼女達に割り当てられている部屋に収納しており、灯火の部屋がモノで溢れかえっていないのも一室四名の生活空間を確保出来た要因である。

現代の収納術を舐めてはいけない。

 

そんな下らない思考の連続も穏やかな時間だからこそ。

 

他の部屋とは違う、複数人が座れる長椅子に腰かけて優雅に茶を啜る。

割り当てられたはいいが使用する気のない恋達の部屋から布団やら枕やらを拝借して作り上げた疑似的なソファは、もっぱらこの部屋のリラックスゾーン。

寝台に行くほどではないが、少しゆっくりしたい時などは非常に重宝する。

 

そんな部屋に漂う香りは、日本茶とは異なって香りを優先させたお茶。

所謂中国茶と呼ばれるソレはその香りから精神を落ち着かせる。働き詰めだった身には程よい夢心地だ。

余談だが中には正露丸の様な香りを持つ茶もあるので、好みは人によって分かれるところだろう。

 

「………………んく」

 

灯火のすぐ隣。

恋は紅い触覚(つまりはアホ毛)をピコピコと揺らしながら茶請けを食べている。

 

「美味しい?」

 

コクコク、と首を縦に振りながら次の茶請けへ手を伸ばす。

そんな恋を見て頬が緩んで、頭を撫でる。

小さく首を傾げた恋に笑いながら、閉じていた本を手に取った。

肌ざわりが良い枕をクッション代わりに膝上において、その上で読書を嗜む。

 

先日の山積みの仕事とは雲泥の差である。

 

ここにはパソコンもインターネットもスマートフォン何もないけれど、だからこそこうしたゆったりした時間は精神的にも心地がいい。

時間に追われる事の無い休日の一時。恋と二人きりの穏やかな時間。

 

膝上に置いた枕に恋が頭を預け、お互いの視線が合った。

左手で髪を撫で、されるがままに恋は瞼を閉じる。

かくいう灯火も読書中にウトウトと眠気に襲われ始め、少しばかり眠ろうかと思っていた。

 

「…………?」

 

ピクッ、と恋が瞼を開けた。

遅れて灯火も気付く。

 

部屋の外から聞こえる音。

一瞬間諜か何かかと思ったが、それにしてはどんどん音が大きくなってくる。

それが単なる足音であり、隠す気もさらさらない時点で間諜の疑惑は消し飛んだ。

 

「誰だ、廊下を走っている奴………」

 

とは言ったが思い当たる人物は一人だけだ。

灯火に割り振られた私室は廊下の突き当りにあり、この部屋に用事がない限り他人がここまでやってくる事は無い。

この部屋に来るであろう人物の為に、机の上に置いていた茶器を手に取り茶を注ぐ。

 

「灯火ぁぁあああーーー!」

 

バン! と勢いよく開かれた扉の先にいたのはやはりというかねねだった。

若干涙目なのは一体どうしたことだろう。

 

「…………うるさい」

 

「むきゅ!?」

 

そんなねねに枕を投げつけて一撃撃沈。

恋からすればせっかくいい感じでウトウトとしていたのに目が覚めてしまったのだから仕方がない行動である。

 

「お兄ちゃん、ただいまー」

 

「ん。お帰り、香風。………それは?」

 

「街で桃まんがあったから買ってきた」

 

「へぇ。それじゃ、一緒に食べようか」

 

そんな光景も見慣れたモノ。

マイペース三姉妹の一人である香風も一緒に帰ってきたので、もう一度お茶会を開く事にする。

 

 

 

 

仕事の合間の休憩時間。

息抜きにと中庭の一角で詠とねねは盤上を睨んでいた。

 

『ま、まだです…………まだ終わらないのです………!』

 

『じゃ、早く打って』

 

『くぅ………!ねねを甘くみるなですっ………ここへ、こうっ!!』

 

『………!へぇ、そう来るワケか。ま、想定の範囲内………だけどねっ』

 

盤上の駒の数、配置。

見る者が見れば一目でどちらが優勢か分かるような状況。

例え知識が無くて一体何をしているのか分からなかったとしても、二人の表情からどちらに余裕があるのかは明らかである。

 

『へぁっ!? そ、そんな切り返し方が………!? で、ですがそんなモノ、将で取ってしまえば………!』

 

『いいわよ? その瞬間、ねねの負けだけどね』

 

『な……何をでたら…………め………』

 

『“鉄門栓”。将で取れば敗北。けれど逃げる事は叶わない。ならば士で防げば炮が将を射抜く。………この勝負、ボクの勝ちよ』

 

そして最後の一手で勝敗は決した。

所謂詰みであった。

 

『息抜きにはちょうどよかったわ。所々いい手は打ってきたけど、まだまだね。悪いけど、苦戦もしなかったわよ』

 

『うううううう………』

 

『ふっ………ボクは董卓軍筆頭軍師。いわば胸を貸してあげたのよ? 然るべき対応くらいはしてくれてもいいんじゃない?』

 

『………ありがとう、ございました………。ですがっ!これで勝ったと思うななのです! 次こそは必ず詠殿をけちょんけちょんに倒すのですぅぅぅぅぅ!』

 

『あっ、こらちょっと………!』

 

 

 

「見事なまでの台詞に草も生えないぜ」

 

「………草?」

 

「気にするな、香風」

 

まるでどこかのアニメによくある悪役捨て台詞に思わず笑いかけたがそこは耐えた。

ここに来る経緯を聞いた灯火はもう一度四人分の茶器に茶を注ぎ、枕顔面直撃から復活したねねは桃まんを頬張りながら茶を啜る。

香風が買ってきた桃まんはほんのり甘く、デザートとしては申し分ない。

 

「で、特訓する為に象棋(シャンチー)を持ってきたと………」

 

少なくとも今現時点でねねと詠の能力を比較すれば、間違いなく詠に軍配が上がるだろう。

先日の黄巾党討伐作戦も半分以上詠が考案したようなモノであり、董卓軍筆頭軍師の名は伊達ではないということだ。

 

「ふぐっ………いわば軍師と軍師の戦い。恋殿の名誉をも背負って挑んでおきながらこの体たらく………」

 

茶器を両手で包む様に持ってちびちびと茶を飲むねね。

負けたのが相当応えているようだ。

 

「とは言っても相手は我らが筆頭軍師。そうそう負けて貰っても困るんだけど」

 

「灯火はどっちの味方なのです! 灯火はねねを応援してくれるのではないのですか!」

 

ぷくー、と頬を膨らませて拗ねるねね。

大層ご立腹なお嬢様だが、灯火からすれば微笑ましいモノだ。

 

「勿論しているさ。ほら、象棋(シャンチー)をやるんだろ? 俺でよければ一局打とう。ねねが更なる成長を遂げる為に、特訓開始だ」

 

ねねの中で象棋(シャンチー)を気兼ねなくやれる知り合いは灯火しかいない。

彼が涼州にて仕官した際に、一度詠と灯火で対決していることはねねも知っている。

勝負の結果は詠の勝利で終わったが、それなりに出来るという事は承知していた。

というか、見知らぬ連中と打つつもりなど毛頭ない。

 

「………ならいいのです。ではっ、そんな鋭意成長中のねねの為に今からやるのですぞ! ねねの為にっ!」

 

 

 

一局打っては反省会。

基本はその繰り返し。

 

打っていく過程でたまたま定石に嵌る事はあったとしても、基本灯火には定石というものはない。

駒の動き、ルールだけ把握し、培ってきた囲碁や将棋の“知識”を参照しながら手を打っていく。

ねねからしてみれば意味不明な手も実は裏があったり、裏があると思って応じてみたら何も無かったりと、詠と打つ時はまた違った試合模様。

 

故にどちらか一方が勝ち続けるという事は無く、圧倒的に負ける時もあれば圧倒的に勝ったり、或いは接戦になったり引き分けたりと結果が一定にならない。

 

リアルの戦場であるならばそういう訳にもいかないが、これはあくまで盤上の出来事。

自身の打ち方の模索も兼ねて様々な手を繰り出していた。

 

駒を置く音は静かな部屋に響き、互いがそれに集中していることがわかる。

香風は灯火の膝枕でお昼寝中。恋は灯火とねねの対戦をボーっと眺めている。

 

「そういえば、恋は象棋(シャンチー)は出来るんだっけ?」

 

「……………」

 

首を横に振る。

かくいう灯火も恋が象棋(シャンチー)をやっている所は見たことが無かったので、それもそうかと思いなおす。

 

「………けど、覚えた」

 

「………俺とねねの対局を見て?」

 

灯火の質問に頷きで答えた。

別に説明しながら打っていたワケではないが、何局も打っていれば大体は掴めるモノだろうか。

 

「流石は恋殿ですなっ」

 

恋完全肯定派筆頭であるねねはご満悦である。

というよりかは象棋(シャンチー)を打ち始めた頃からずっとニコニコ笑顔である。

 

幾分か集中が途切れてきた灯火はその理由を問おうと口を開けた時だった。

コンコン、というノックと共に部屋の扉が開く。

 

「灯火、居る?」

 

入ってきたのは詠だった。

手には何やら紙が数枚掴まれており、何かしらの用事があったことは見て取れる。

が、そんな詠にじとーっと視線を送る灯火。

 

「………何よ。ノックとやらはしたじゃない」

 

「返事も待たずに入ってきちゃ意味ないと思うけどな。………それで、何か用事?」

 

やっぱり良く意味がわからない、とブツブツと言いながら紙を渡す詠。

受け取ってその内容に目を通すと、明日以降の予定が記載されていた。

 

「あれ、涼州に戻っても大丈夫なのか?」

 

「黄巾党の戦後処理も落ち着いてきたからね。アンタ達の申請は受理しておいたわ。帰るついでに向こうの様子と馬家の様子も見てきて頂戴」

 

「徐州の劉備の件は? あと曹操や孫堅への褒賞の件」

 

「徐州については向こうのゴタゴタがまだ収まってないから、もう少し先ね。褒賞についてもまだよ。流石に大将軍一人で決定できることじゃないから、今頃“上”に相談してるんじゃないかしら」

 

「ふぅん………」

 

大将軍の“上”となれば霊帝になるが、話を聞いている限りはそのやりとりも形式だけのものだろう。

何の因果かその妹と遭遇してしまったが、政治に全く関心のないよりは日々勉強しながら政治に興味を持っている彼女の方に相談した方がいいのではないだろうか、なんて思ってしまう。

 

「逆にこれから先、アンタはずっと政務に出ずっぱりなる。だから先に休暇を与えるから休んでおきなさい」

 

「うへ………休暇貰ったけど気が重くなりそうな言葉だ」

 

文句言わない、と灯火の戯言をぴしゃりとシャットアウト。

それに伴い香風、ねね、恋の三人も灯火と同様に休暇に入る。

どの道彼女らには護衛役も兼ねさせるつもりなので、纏まってくれた方がありがたかった。

 

「………で、何? 象棋(シャンチー)やってるの?」

 

「そう。………そういえば、詠」

 

「? 何?」

 

「ねねと「あーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」─────ってなんだ!?」

 

ねねから聞いた内容に対して少し話をしようと思ったら、対面に座っていたねねが突然大声を出した。

当然すやすやと眠っていた香風は体を震わせて目が覚めてしまった。

バタバタと椅子を下りて灯火の腕を掴み自分の顔まで引っ張り寄せる。

 

「(詠殿には黙っていて欲しいのです)」

 

「(? なんで?)」

 

「(それはそのー………そう!密かに特訓し、強くなったねねが詠を打ち倒し、それから─────)」

 

「(ああ、うん。言わんとすることは分かった)」

 

「(分かってくれたですか! ではその様にお願いするのです)」

 

やっている場面を見られた時点で大して意味があるとは思えないが、当の本人が言うなら黙っておく。

 

「ねねが………何?」

 

「ん? いや、ねねが偶には食事でもしたいなって。な?」

 

「そ、そうです。せっかく黄巾党のいざこざも終わり、文官仕事にも片が付いたなら、一日はこうパーっと!」

 

半目で二人を見る詠だったが、特に何も言うことなく息を吐いた。

ここまであからさまであれば逆に問い詰める気力もなくなるというもの。

 

「………ま、いいわ。確かに宴はやったけど月はいなかったし、ボクもほとんど参加してなかった。中央の連中がバカ騒ぎする中入る気力もなかったし。………それはそっちもそうなんじゃない?」

 

「仕事の飲み会でのセオリーは弁えてる」

 

「意味が分かんないわよ………」

 

人間誰にだって得手不得手があるように、相性のいい人間とそうではない人間というのも存在する。

咄嗟に出た言葉だったが、董卓軍の将らだけ集まった食事会もいいのではなかろうか。

 

「別にそれはいいけど、食事は誰が作るの?」

 

「俺だな」

 

「…………なら安心か」

 

そうと決まれば先ずは食材を買いに行かなければならない。

幸いここは洛陽。

東西南北様々なところから物が運び込まれてくる物流拠点。

流石に鮮度が命である海の幸は呉郡など沿岸部に行かなければありつけないだろうが、それ以外であれば大体は揃う。

 

「じゃあ買い物だな」

 

「………恋も行く」

 

「恋殿が行くならねねも行きますぞ!」

 

「シャンも行くー」

 

少し前までは静かだったこの部屋も出かける準備のためにバタバタと騒々しくなる。

相変わらず仲がいいと思う詠。

 

「じゃあボクは月に声をかけてくるわね」

 

「了解。─────と、三人は門前で待っててくれ。茶器を洗い場に置いてくるから」

 

「「はーい(です)」」

「…………」

 

三者三様の返事(一人は頷き)を確認して、詠と共に部屋を出る。

目的地は異なるが途中までは同じ道。

 

「ところで、詠。ねねとの象棋(シャンチー)の勝敗ってどのくらいだ?」

 

何気ない質問だった。

いずれ詠を驚かせようとするのであれば、特訓するのは当然として彼我の差が一体どれだけあるのかは知っておいて損はない。

まあ知ったところで効果的に鍛えられるかと言われるとそうでもないのだが、知らないよりはマシな筈だ。

 

「勝敗?………そうね、今の所ボクの全勝よ。とは言っても数える程度しかしてないし、最後にやったのだってだいぶ前よ(・・・・・・・・・・・・・・・)

 

だというのに、詠からの解答はその思惑を吹っ飛ばす内容が含まれていた。

 

「………だいぶ前?」

 

「ええ。というか少なくともこっちに来てからは色々やってるんだから、そんな時間なかなか取れないに決まってるでしょ」

 

横顔を見る限り嘘を言っている様には見えない。

というか詠が嘘をつく理由もない。

 

「……………」

 

「? 何、どうしたの?」

 

「ん。いや、何でもない。じゃ、月に伝えといてくれ。あと見つかればでいいから霞と華雄にも連絡頼む。酒を飲みたいなら自分で持って来いってな」

 

分岐で詠と別れて茶器を洗い場に置く。

ねねと詠との証言で食い違いが起きている事が気になって、洗い場にいた女官の返事も上の空だった。

普通に考えればねねが嘘をついていることになるが、何故嘘をついたのかがわからない。

 

が、深刻な理由があるわけでもないだろう。

それに嘘をつかれたから傷ついたわけでもなく、何か損害を被った訳でもない。

深く考える事をやめた灯火はそのまま門前で待つ三人と合流を果たす。

 

「よし、行くか」

 

おー、という掛け声と共に門の外へ。

声こそ出していないが恋の顔にも喜色が混じっている。

 

この漢には衣服もさることながら、食についても随分発展している。

小麦粉や卵、油は勿論牛肉や鶏肉などの肉系、ジャガイモや人参などなど。

流石に欧米諸国の品は精々西から流れてくる程度のモノしかないが、これだけあればいくらでもレシピは思いつく。

 

餃子やワンタン、肉まん、麻婆豆腐といったいわゆる中華料理が一般的である外食に対し、灯火は主にそれ以外の料理を作る。

それは例えばコロッケだったり、オムライスであったり、親子丼だったり。

つまるところ、恋達にとって灯火の作る料理はどこに行っても食べられない絶品。

夕食時が近づくにつれて三人の胸が期待で溢れていくのも自然なことであった。

 

「お兄ちゃん、今日は何を作るの?」

 

「んー………月や詠、霞や華雄も来るだろうから皆でつつけるモノがいいか。………さて」

 

客引きの声が響く街で偶然視界に入った卵。

人数もそうだが何より恋が満足いくまで食べられる料理であるべきだし、かといって調理に追われる様なモノでは自分が食べられない。

灯火自身は別に構わないのだが、今一緒にいる三人がきっとそれを許さないだろうというのは日常の経験から簡単に推測できる。

加えて霞や華雄は酒も飲むだろうし、逆に月や詠は霞達ほど飲む事は無く、食事を楽しむタイプにも見える。

 

「─────すき焼きにしよう」

 

そんな言葉を聞いて、どんな料理かを理解できた者は誰も居なかった。

 

 

白菜、ネギ、人参、春菊、しいたけ。

豆腐、牛肉、牛脂、卵、砂糖、醤油。

それらを大量に買い込んでいく。

 

何せ此方には恋がいる。

恋をお腹いっぱい食べさせ隊の隊長である灯火がそこを自重する事は無い。

 

そうなれば必然荷物の量は多くなり、灯火一人で持ち切れる量ではなくなってしまう。

だからこそ香風と恋が荷物持ちとして同行し、ねねもまたその手伝いに参加する。

各々が今夜の食事に思いを馳せながら帰路につく中、灯火はねねに先ほどの事を尋ねてみた。

 

「ねね。詠との象棋(シャンチー)についてなんだけど」

 

「………なんです?」

 

「ここ最近で象棋(シャンチー)はやってないらしいな。部屋に来た時に言ってたあの話は何だったんだ?」

 

「う…………」

 

ばつが悪そうな表情を見せる。

その表情からやっぱり嘘だったというのはわかったが、別に糾弾したいワケではない。

その旨を伝えると、ねねはチラチラと此方を伺うように言葉を零した。

 

「その………灯火は文官で、帰って来てからもずっと仕事をしていたのです」

 

「うん、そうだな」

 

「で、今日はせっかくの休日。ゆっくりしたいと言うのも理解できるのです。ですが、その─────」

 

もごもごと言いづらそうにする。

それで、言いたい事は大体理解出来た。

 

「なるほど。つまり遊びたかったと」

 

「………そうです」

 

あの時は恋も灯火も部屋でゆっくりしていた。

そこはねねも配慮したのだろう。

結果、室内でも出来る象棋(シャンチー)を持ってきた。

しかもそれらしい理由まで添えて。

 

「馬鹿だなぁ、ねねは」

 

「なっ………馬鹿とは何です、馬鹿とは!」

 

ぷんすかと怒るねねに笑いかける。

 

「ねねは俺や恋と一緒に遊びたかったんだろ? なら、遠慮せずに『遊ぼう』って誘ってくれていいんだよ。それらしい理由も要らない。一緒に遊びたいという気持ちがあるなら、ただそれだけでいいんだ」

 

空いている右手でねねの頭を撫でた。

それを掃う事もせず、少しだけ拗ねたような表情のねね。

 

「何です。せっかくねねが灯火の為に、負担になりにくいモノを選んだと言うのに………」

 

「そこのところはありがとう。けど、別にねねが我慢する必要はない。俺も恋も、香風だって。ねねを邪険に扱ったりしないんだから」

 

な? と話を聞いていた二人に問い掛ければ頷きが返ってくる。

 

「それに舐めるなよ? 室内向け遊具なんぞ、象棋(シャンチー)以外にいくらでも作れるぞ」

 

「な、なんですと!?」

 

「トランプか? UNOか? 将棋、囲碁でも構わないぞ。人生ゲームやモノポリーでもいいだろう。少し製作時間は必要だがダーツやボーリングでもいいな。…………ふふふふふ、想像すると楽しくなってきた」

 

「聞いた事の無い名前ばっかりです。………そしてなんでそんなに気分が高揚しているのですか」

 

「娯楽が無さすぎるのが悪い」

 

無論、“知識”の中にある物と同じクオリティで作れるワケではないが、そもそもそんなモノが存在していないのであれば手製でも十分に楽しめる。

 

「─────と、まあねねが知らない楽しい事はいっぱいある。だから遠慮するな。俺もねねといっぱい遊びたいからな」

 

「………わかったのです。─────後悔するなですよ。ねねが遊びたくなったら容赦なく叩き起こしていくのです!」

 

「や。時と場所と場合は考慮してほしいかなぁ」

 

「そこは『どんと来い!』と言うところなのですっっ!!」

 

─────しかしねねのあの演技には騙されなあ

─────ふふん。ねねは恋殿の専属軍師!相手を騙せずして何が軍師ですか!

 

笑い声と共に城の中へ消えていく四人。

容姿は違えどもまるで仲のいい家族の様だった、と目撃した人々は揃って口にしたという。

 

 

 

 

 

 

 




◆後書き
お気に入り登録、評価、感想、指摘ありがとうございます。

所謂日常編。

音々音の過去についてはアニメ版の説明にあった
「元々住んでいた村を言いがかりによって追い出され」より捏造作成。


これまで読んできた読者の皆様ならばある程度感じておられると思いますが、
この作品は恋姫夢想に二種類の風味を加えております。
露骨ですね、はい。

劉旗の大望は楽しみに待っています。


あと陳珪さん、真恋天下参戦おめでとうございます。
引けなかったけどね………。







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Emotion 恋 02

始めは、どこかにごはんを探しに行ったんだと思った。


─────夜になっても帰ってこなかった─────


きっと遠くまで探しにいったんだと思った。


─────朝になっても帰ってこなかった─────


どこかで待ってるかもしれないと思った。


─────どこにもいなかった─────


見上げれば満天の星空が視界いっぱいに広がっている。
雲一つない星の輝き、無限に続く空。
手を伸ばしても届かないほど遠い輝き。


─────『       』─────


見上げていた世界が、滲んで見えた。


/ ■■ 02




 

城の台所で行われた食事会。

机と椅子を並べて鍋は二つ。

その見た事の無い料理に驚きを見せる同居人以外の将たち。

そしてまるでどこかの高級店かと思い間違えるかのような美味。

 

見た目に驚き、味に驚き、そして自然と零れる笑顔。

今まで食べてきた食事が決して悪いというわけではないが、初めて食べた料理に箸が進む。

霞と華雄が持ち寄った酒を酌み、ゲストとして月に呼ばれた楼杏と風鈴も口をつける。

 

ここに部下はおらず、余計な気遣いをする必要もない。

共に今回の遠征に出た者同士ということもあり、それぞれが思い思いに談笑する。

 

『恋さんって、普段どんな風に過ごすの?』

 

その中で出てきた、何気ない質問。

風鈴は此度の遠征で恋の武を目の当たりにしている。

自身も将ではあるが、残念ながら恋ほどの武は持ち合わせていない。

故に普段どのような生活をしているのか、という疑問は別に出てきても不思議ではなかった。

 

 

 

 

暁方。

白み始めた夜空は昨日という日に別れを告げ、今日という日を迎える。

 

朝に強くない人であればもう少しばかり二度寝する時間に、恋は確実に一度目を覚ます。

別にこれは恋が早起きという訳でも、ましてや敵意を持った人物が近くに居る事を感じ取った訳でもない。

むしろ微睡みの中でもう少しこの心地良さを感じていたい、という欲求の方が上。

それでもそこから目を覚ますのは、その心地よさ“そのもの”が明確な意思を持って動くのを敏感に感じ取るから。

 

つまるところ、純粋に隣に眠る灯火が目を覚ましたのが理由である。

隣どころかいつの間にかねねと恋の位置が逆転し、ぴったりくっついていればそうなるのも必然と言える。

 

「…………恋?」

 

他の二人が起きない様な小さな声でも、余計な生活音が存在しないこの寝室では十分耳に届く。

ましてやこの距離ならば恋が灯火の言葉を聞き洩らす事は決して無い。

 

片目を閉じて、もう片方の目は半開き。

眠気に全力で戦いながら恋を眺めている灯火。

お互い寝起き直後でまともに思考が働かない、お揃いの状況。

 

 

「………ん」

 

恋の内側に情念が燻る。

こうして隣で一緒に目が覚めただけでも、恋にとっては幸せだった。

けれど、今はそれ以上のモノが溢れ出る。

触れたい、感じたい、抱きしめられて溺れたい。

 

「灯火─────」

 

焦がれるように名を呼ぶと、腕が軽く引っ張られた。

それに抵抗する事なく体も一緒に動かせば─────

 

「…………はふ」

 

仰向けの灯火の上に恋が覆いかぶさる様な体勢。

体が密着して、背中に腕が回されて、思わず小さく声が漏れて体が震えた。

 

 

 

 

 

 

─────少し昔の記憶を思い出す。

 

 

夜、眠るのが怖かった。

隣で眠る人がいなくなっているかもしれない。

 

朝、起きるのが怖かった。

隣に眠っていた筈の人がいなくなっているかもしれない、と。

 

言葉を閉じ、感情に蓋をして。

親がいなくなったのは自分の所為だと幼いながらに考えて、“いい子”であろうとした。

 

そうすれば村の人達は“いい子だ”と褒めてくれる。

優しい顔を向けてくれる。それが何よりも安心できた。

 

 

『恋、大丈夫?』

 

 

それでも。

たった一人だけ、心配して手を握ってくれる人がいた─────

 

 

 

 

 

 

心的外傷にも似た過去は、突発的な衝動となって時折恋の心を掻き乱す。

記憶の中に留まっていた、処理し辛い気持ちを一緒になって解いていく。

それに伴う感情も温かく受け止めていく。

 

即ち治療。

事例を知らぬ見知らぬ大人ではなく、無垢で何も知らぬ子供でも無い。

親がいない(同じ境遇)であり、同じ子供であり、村の誰よりもずっと聡明であった転生者(そんざい)だから出来たコト。

 

だからこそ、恋にとって灯火は救いだった。

 

話を聞いて、手を取って。

抱きしめて、温めて。

 

そんな幼少期での行為の、その延長線上。

お互いの熱を共有して、溶け合ってゆくどうしようもないほどの心地良さ。

恋の幸福は“大切な人”が生きて傍にいてくれるという事であり、それ以外に望むモノは無い。

 

それを何度も何度も再認識する様に。

髪を撫でられ、背中を撫でられて身体の内外に伝わる心地良さに、恋は小さく微笑みながら瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

同じ部屋で眠ったのであれば絶対に行う朝の行為を経て、恋は二度目の起床を果たす。

同じ屋根の下にいて別の部屋で眠るという行為は、恋からすればあり得ないコトに該当する。

つまり遠征など物理的な距離がある場合を除き、毎日よろしくやっているという事になる。

 

『………ねぇ、風鈴。向こうでちょっとお酒を飲まない?』

 

『え、えぇ………。そ、それじゃあね、恋さん。お話ありがとう』

 

風鈴の肩を静かに叩く楼杏と、どこか困った様な顔で礼を言う風鈴。

そんな楼杏の様子にただただ首を傾げる恋。

まだ朝の出来事だけしか話していないというのに、そう言って二人は少し離れた場所に座ってしまった。

 

そのまま眺めていると、座った席でヤケ酒を決めている様にも見える。

きっと受けたダメージは戦場のモノよりも随分深いのだが、それを恋が理解する事は無いだろう。

 

『恋。お肉、出来たぞ?』

 

『………食べる』

 

まあいいか、と思考を終わらせる。

今はこの美味しい灯火の手料理を満足するまで食べるのが先である。

そう思う恋の髪はぴょこぴょこと揺れていたのであった。

 

 

◆◆◆

 

 

 

聞こえてくる鳥の囀り。

外から入り込む穏やかな朝日。

朝方の涼しい風。

包丁がまな板を叩く音。

恋のお腹を優しく刺激する朝餉の香り。

 

恋にとって幸福のワンシーン。

洛陽では残念ながら幸福の欠片である朝餉関係の要素を起床と同時に得られないからこそ、より一層改めて身に染みる。

 

即ちここは洛陽の城の一角ではなく、涼州の月が治めていた街にある恋の家。

 

しっかりと灯火が眠っていた場所を陣取って二度寝を果たした恋。

むにゅむにゅと恋に抱き着いてくるねねと、いつの間にか灯火の枕を抱き枕替わりにして眠っている香風を起こして、全員で朝食。

 

「「「「いただきます」」」」

 

無論恋の器は他よりも大きめ。

流石に朝は比較的簡単な料理で収まっているが、恋からすれば街で買う肉まんよりずっと美味である。

そこには“幸せ”という最高の調味料がある事に、恋は無意識に気付いていた。

 

「灯火。今日の予定はどうするのです?」

 

もぐもぐと口いっぱいに食べ物を含む恋。

その対面に座るねねが尋ねる。

 

昨日の夕方ごろにこの街に戻ってきたため、残念ながらまだ何も出来ていない。

まあ道中で川遊びをしたのが遅れる原因だったのだが。

 

「今日の昼過ぎに鶸と城で会う約束をしてるから、それまでは家の掃除と、時間があれば街の見回りかな」

 

「じゃーあ、シャンは見回りに行ってくる~」

 

「香風は俺と一緒に家の掃除の手伝い」

 

「………えー」

 

武において香風は恋に及ばないものの、それでも将として十二分な実力者。

一方で香風は文武両道という恋には出来ない事が出来る。

つまるところ恋から見ても香風は、非常に優秀であり頼りになる存在。

 

「えー、じゃありません。少しずつ掃除するクセを付ける様にしないとな」

 

「はーい………」

 

そんな香風が唯一苦手としているのが“掃除”である、というのはもはや恋もねねも知るところである。

 

「それではねねと恋殿で街の見回りです?」

 

「いや、見回りと言っても警邏っていう意味じゃない。詠に街の様子やら何やら確認して報告をくれ、って任務を受けてるからな。………ねねが俺の代わりに報告書を書いてくれるならいいんだけど?」

 

「それでは全員で家の掃除をして、全員で街の見回りですぞ。報告書は灯火が書くという事で!」

 

「知ってた」

 

そんな会話を聞きながら食を進める恋も、報告書は書きたくないと思うのだった。

 

 

 

 

 

 

香風はねね同行の元で掃除。

恋は動物達の餌やりと散歩。

灯火は香風らが掃除をしている所以外の掃除。

 

そんな役割分担のもと、恋は犬を連れて街中を散歩していた。

犬のセキトと他に数匹。

首輪と紐のリードでしっかりと手綱を握る。

 

「将軍、新しい肉まんが出来たんで一つ食べていきやせんか?」

「奉先様! 新しい衣装を仕入れたのでまた良かったら見に来てください!」

「わぁ、犬~。触ってもいい?」

 

“飛将軍”である恋が帰郷した事は昨日時点で伝わっている。

こうして街中を散歩すれば、その知名度も相まって必ずと言っていいほど声をかけられる。

子供はどちらかと言うと連れている犬に興味を示しているみたいだが。

 

「…………いま、散歩中だから。また、今度」

 

撫でられるセキトらを眺めながら、肉まんも衣服もやんわりと断りを入れた。

 

どこかの世界線であれば肉まんへの視線だけで店主に圧力を掛けたりしているかもしれない。

だが今の恋は朝餉で食欲は十分満たされているためお腹は空いておらず、お昼もまた手料理が振舞われる事が確定している。

しかも美味。

 

故に肉まんへの欲求なぞ今の恋には存在しなかった。

 

散歩とは言っても、それは恋の散歩では無くセキトらの為の散歩。

あまり家から離れすぎるのは恋の望むところではない。

そろそろ家への帰宅ルートを頭の中で描いていた恋の視界に、見知った後ろ姿を見つけた。

 

この街でも一番大きな書店。

決して普及しきっている訳ではない紙を本として扱う書店は、ピンからキリまであるがそこら辺の飲食店よりも売値は高い。

 

そんな書店の奥に居る後ろ姿は特徴的なポニーテール。

恋の記憶にはお昼すぎに会う約束をしていると灯火の言葉が残っていた。

 

「…………蒼」

 

「ひゃっ!?」

 

近づいて声をかけると驚いた声と共にその場から蒼が飛び退いた。

因みにセキトらは店の入り口で待つ様に命令している。

わんぱくな犬らではあるが、恋には忠実であるため問題は無い。

 

「恋さん………。なんだー、鶸ちゃんかと思ってびっくりしちゃったよ」

 

そんな蒼の様子に首を傾げる。

確かに背後からの接近だったから驚かせたかもしれないが、それにしては聊か反応が過剰だ。

ここが戦場だったならばまだ分かる話ではあるが、ここは平和な街中の書店。

 

「………………?」

 

「ああっ!そ、それは………」

 

蒼が咄嗟に飛び退いた時に床に落ちたと思われる本。

売り物なのだから本棚に戻すべきと恋が手に取ってたまたま目に入ったのは─────寝台で男同士が裸で抱き合いながら口づけをしているシーンだった。

 

「……………………」

 

「あー…………」

 

恋の趣味ではない。

何も言わずにそっと本を閉じて、蒼に手渡した。

流石にこの状況で今の反応だと、この本を蒼が手に持っていた事は恋でもわかる。

 

「バレちゃったぁ………。ね、恋さん。ここであった事は鶸ちゃん達に内緒にしててね? お願いっ!」

 

「………わかった」

 

「………うぅ、心なしか恋さんの視線が冷たく感じるよぅ」

 

そんな事は無く実際はいつも通り。

なのだが、蒼自身が若干の後ろめたさを感じていることもあり、元々口数が少なく表情もあまり変わらない恋が冷たくあしらっている様な錯覚に陥っていた。

 

「はっ………そうだ! 恋さんにはこれをあげる!」

 

そう言って手渡されたのは薄い本。

表表紙も裏表紙も黒色の紙のカバーが掛けられており、これでは何の本かが分からない。

或いはそれが目的なのかもしれない。

 

「蒼オススメの一品! 家でいっぱいやっているだろう恋さんには不要の長物かもしれないけど! では、蒼はこれで!」

 

恐らく鶸の同行として一緒にこの街にやってきたのだろうと当たりを付けた恋。

だが、当の本人は鶸の事を聞く前に逃げる様に離脱。

お会計を済ませて風の様に走り去っていく後ろ姿を呆然と眺めた恋の手には黒い本。

これをあげるから誰にも言わないでくれ、という意味なのだろうか。

 

蒼から半ば強引に受け取らされた本を適当に開いてみる。

そこに描かれていたのは─────抱き合った男女の口づけシーンだった。

 

「………………………」

 

パラパラと数ページだけ捲った後に、やっぱりそっと本を閉じた。

参考書にでもしてくれ、という意味だったのだろうか。

 

その真意は蒼のみが知る。

 

恋の頬が少しだけ紅くなっていたのは、誰も気付かなかった。

 

 

 

 

 

 

城から少しだけ離れた場所。

この辺りは民家が立ち並ぶ、いわば住宅街。

見栄っ張りな街であれば主要通りは見た目良く取り繕うが、こういう一本入った場所というのはボロボロの手つかずである事が多い。

また城の中央から離れれば離れるだけ、まるでスラムの様な街並みに変わる事もある。

 

しかしそんな事は一切無く、表通りと変わらない佇まいが続いている。

詠が主導による治安維持活動、月による貧民の救済措置。

この街には華雄や霞、恋といった武もあるため、騒動を起こす輩は大抵が余所者である。

 

また、ここまで街の治安が良いのは涼州という場所の特性もあった。

 

涼州は言わずもがな五胡と呼ばれる者達の領土と隣り合わせ。つまりはそれだけ異民族との衝突がある地域。

野蛮な情報が実しやかに噂されていて、田舎とも呼ばれていて、それでもこの地域へ移民しようと考える者は少ない。

それならば首都洛陽やすぐ隣にある治安が良い陳留、同様に豊富な海産資源が取れる呉や建業に向かうのが人の心情だ。

 

だが、逆に考える。

他所からの流入者が少ないという事はそれだけ家が足らずにスラム化する事も無いということ。

 

結果、貧民が居るとは言ってもそれはこの街における相対的な見方であり、他所の貧民と比べれば衣食住が揃っている分裕福という事だ。

街の規模や人の数は他に及ばずとも、治安の良さで言えばこの街は間違いなくトップクラスである。

 

但し、街の外に関しては評価対象外とする。

 

 

 

閑話休題(はなしをもどす)

 

 

 

そんな閑静な住宅街は、勿論この漢の時代に見合った建物が立ち並ぶ。

それも当然で家を作る者がこの時代に生きている者である以上、形や色彩が違えども建築内容が大きく変わる事は無い。

 

─────のだが。

 

つまるところ、閑静な住宅街を抜けた先にある一軒家………恋の家は、一言で言うと異質(・・)だった。

 

外との境界を明確に示す緑の生け垣は周囲からの視線を防いでプライバシー確保。

唯一外から丸見えになる入口も視線を遮る竪格子、靴を脱ぐ玄関。

縁側と軒天上が部屋と庭を一つに結び、部屋と部屋を区切るは欄間と光を通す障子。

石と木で作った風呂場と、そこへ湯を貯めるための巨大竈………つまるところ手製の薪風呂釜。

それどころか、敷地の地下に氷を保存するための氷室まである始末。

 

力仕事は全て恋が解決し街の大工にも一部手伝ってもらい、出来上がったのは外見和風の建物を増設した屋敷と呼ばれるよりかは少しだけ小さな家。

 

周囲から浮くのも当然だった。

 

元々この家は恋が灯火と住むため、そして保護した動物達の居場所を確保するために手に入れた。

恋にとって命題は動物達が動き回れるだけの庭と安全性の確保、そして二人が住む居住性があれば問題無かった。

 

そこにノリノリで乗っかった灯火がDIYよろしくリノベーション工事を開始。

興味深そうに眺めていた恋も誘われるがまま手伝いをし、いつの間にか一緒にセルフリノベーションを楽しんでいた。

 

 

「……………」

 

 

─────ふと、そんな事を思い出した。

 

庭で動物達と遊ぶ声が聞こえる。

その片隅で、お風呂に使う薪を大斧で割る音が聞こえる。

 

住人が一人増え、そしてまた一人増えた。

最初は二人きり(+動物)だったけれど、今では随分と賑やかになった。

 

「あ、おかえりー」

 

「あ、恋殿!お帰りなので─────わぷっ!? こ、こらセキト!顔を舐めるななのです!」

 

セキトらの首輪を外し、庭へ解放すると他の動物達と遊んでいたねねの元へ駆け寄っていく。

散歩も散歩で楽しいのだろうが、家族と一緒に遊ぶというのもセキトらは楽しいらしい。

 

ねねとじゃれつくセキトらを見て満足した恋は家の中へ。

手洗いとうがいを済ませ、迷うことなく恋は灯火の私室へ足を運び、部屋に入ってきた恋を見るや灯火は小さく笑う。

 

 

「おかえり、恋」

 

 

「…………ただいま」

 

 

─────そんなやりとり一つでも、恋は幸せだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ところで。

 

「…………これ、あげる」

 

「?」

 

手に持っていた黒い本を灯火に手渡す。

当然外見からでは何の本なのか全く分からない。

 

「珍しいな、恋が本を買ってくるなんて」

 

文官としての仕事がある灯火や、文官の適正も有する香風は書店に行って本を漁る事もしばしばある。

だが恋がこうして本を買ってくるのは非常に珍しい。

というよりも今まであったかどうか、というレベルだ。

 

「………恋は買ってない。蒼から貰った」

 

「貰った? 蒼から? というかもうこの街に来てたのか。はてさて、一体何の─────………」

 

パラパラと本の中身を見て、一瞬で凍り付いた。

変な表情のまま時間が停止したかのような灯火の姿を、恋はただ無言で見つめている。

 

「…………恋。この本の中身は、見た?」

 

無言で首を縦に振り、肯定。

 

「(………どうすればいいんだ、この状況)」

 

同居人の女性にR-18な本を手渡されて無言で見つめられるという空前絶後の状況に対して、流石の灯火の“知識”の中にも答えは存在していなかった。

これが元々灯火の持ち物ならばまだしも、他人から貰ったアダルトな本を男性に手渡すという謎の行為。

何も悪い事などしていないのに、まるでやましいことをした罪人の様な気持ちになっていく。

長年恋と共に過ごしてきた灯火の目を以てしても、恋が考えている内容に─────

 

「よしっ! とりあえず昼食作るか!」

 

一瞬“同居している男性に見える様にゼク〇ィを置いておく女性”という天啓が“知識”から発掘されたが、明らかなキャパシティオーバーになりそうだったので保留を提案した。

のだが─────

 

「………灯火は男の人の方が、好き?」

 

 

「ごはっ!!!!!」

 

 

戦場とは比較にならない致命的な一撃を受けた灯火が部屋に倒れ伏す。

 

同時に何となくだが恋が何を気にしていたのかをぼんやりと理解した。

いつぞやで香風に尋ねられた胸の大きさ云々とは比較にならない程の、致命的な勘違いをされてしまいかねない。

全身全霊をかけ、恋の誤解を解く灯火であった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

誤解が解かれなかったら自殺しようと割と本気で考えていた灯火だったが、何とか誤解は解けた。

恋の話を聞いて原因は複数あり、灯火自身にもその一端がある事がわかったのだが横に置いておく。

その後昼食を家で食べたのだが、恋と灯火の席の間が物理的に更に近くなった事も横に置いておく。

 

 

「あ、灯火さん。お久しぶりです」

 

「やあ、鶸。久しぶり。蒼もな」

 

「おっひさー。香風ちゃんとねねちゃんも!」

 

「おひさー」

 

城の一室で鶸と蒼に会う。

その理由は鶸と灯火、双方に存在する。

 

灯火は鶸たち………即ち馬家の現在の情報や西涼含めた涼州全体の正確な情報を得るためだ。

 

遠方とのリアルタイム通信の手段が存在しないこの時代、情報を仕入れる手段は人。

旅人や商人経由で情報を仕入れるか、或いは間諜を放ち意図的に情報を仕入れるか。

何にせよその情報を受け取る側からすれば、信頼できる人間からの情報が一番なのは事実。

 

せっかく涼州に帰るのだから街の様子や民の様子、政務、財務など含めて状況を確認して教えてくれとは詠の言。

彼女からすれば月が治めていた街が問題なく正常に統治されているかどうかは何時だって気になること。

 

休日に仕事を任された形にはなったが、現代の様な一瞬で遠方とやりとりできるような時代でも無いというは理解している。

快く引き受けて、今日か明日にでも報告書を纏める必要はあるだろう。

 

一方の鶸は、と言うと。

 

「………これが、件の?」

 

「はい」

 

机の上に置かれた四つの珠。

それは西域との交易によってもたらされた出自不明の宝石の様な珠。

 

「初めに二つ。二回目に一つ。三回目に四つ。………最初は純粋に向こうが何かの拍子に間違えて紛れ込ませてしまったのかと思ったのですが、向こうも見たことが無いと一点張りで」

 

「ふぅん………?」

 

手で持てる程度の大きさの球体。

全体的に青色であり、珠の中心には十字の模様が入っている。

 

「触っても?」

 

「どうぞ」

 

物珍し気に手にとって見る。

手触りは鉄球、或いは大きめのガラス玉で、軽く指で叩けば硬度もなかなかと分かる。

触れた瞬間に呪われる様な呪いのアイテムという訳でも無く、こうして見る分には………

 

「なるほど。綺麗な置物としては十分役割は果たせそうにも見える」

 

「はい。実際に中央からやってきた商人の方の御眼鏡にも適って、既に三つは買い取って行きました」

 

鶸の言葉に相槌を打つ。

鶸が会いたいと言っていた理由は即ちこれである。

 

此方側は勿論、相手側も出自不明。

誰が何の目的で相手側の荷駄に積み入れたのかも定かではなく、そして相手側が受け取りを拒否した理由も不明。

 

「初めはちょっと不思議に思いこそしましたけれど、特に気にしないで普通に商人に。二回目はまた入っていたと思って其方も気にすることなく。………ただ流石に三回目となるとちょっと気味が悪くなってしまって………。相手方が何か知っていればまだ良かったのですが、相手も知らないとなると」

 

「それで俺に見て欲しくて………って事か。うーん………けどなぁ」

 

正直に言って灯火も見覚えは無い。

いや、正確に言えばこの手の置物であれば“知識”の中に無数に存在する。

現代においてガラス玉の装飾品というのは決して珍しいものではない。

これもまたその中の一種である、というのであれば然したる問題は何も無い。

 

「香風は見覚えがあるか?」

 

「………ううん。シャンも見たのはこれが初めて。長安に居た頃でも見た記憶は無い」

 

「香風が見た覚えが無いって言うなら本当に無いんだろうけど………。恋とねねは?」

 

「ねねが知ってると思っているのですか?」

 

ねねの言葉に同調するように恋も首を振る。

それを一瞥し、掌の上で転がす青い球体を再度眺める。

同じ交易に携わった香風でも知らないのであれば、恐らくこの漢は存在しない外国(ソト)由来のモノ。

 

「灯火さんでも分かりませんか?」

 

「ああ、ごめん。ちょっと俺も見た事がないな。俺だって何でも知ってるって訳じゃないんだ」

 

「い、いえ! 別に灯火さんを責めてる訳じゃないですから」

 

或いはこの球体がオレンジ色で中に星のマークがあればそれは別の意味で取り乱していただろうが、残念ながらそんな代物でもない。

 

「とは言え、人の口に入ったり薬の類でも無い以上、神経質になる必要があるのです?」

 

「ねねの言う事も一理あるな。………けど、例えばこれが西域の国宝で、それが盗難されて行き着いた先がココ………なんて事も考えられなくもない」

 

「それを言いだしたらキリが無いと思う。シャン達の手元にまで来ちゃってる時点で回収は難しいんじゃないかな」

 

「と言いつつ別に国宝でも大切なモノでも何でもなくて、西域なら普通に手に入りそうな置物に蒼は一票~。鶸ちゃんと取引していた人達が要らないって言うんであれば、きっとその程度のモノだと思うんだけど」

 

灯火と鶸を中心に話し合いが進むが、その正体はどれも推測の域を出る事は無い。

その中でただ一人、話の輪に入らない恋はじっと灯火の掌の上にある球体を見つめ続けていた。

 

先ほど答えた通り、あの青い球体の事は何も知らない。

ねねや香風、ましてや灯火が知らないと言うモノを、恋が知っている訳も無い。

 

「? 恋、何か気付いた事があったか?」

 

じぃっと見つめてくる恋の視線に気づいた灯火が話を振る。

確証を持って内容を理論立てる事が出来ない以上、些細な事でも気付いたのであれば情報は欲しい。

 

「…………眠ってる」

 

「?」

 

「……………眠ってる?」

 

「ちょ、ちょ……ちょっと待ってください、恋殿。恋殿はこの球体が“生物”と言われるのですか?」

 

「…………わかんない」

 

ねねの問いに恋は首を振る。

恋自身直感的にそう思っただけであり、何か確証があった訳ではない。

ただ何となく(・・・・)そう思った

 

「お兄ちゃん。手に持ってるけど、そういう感じがする?」

 

「………流石にそれは。強いて言うなら手に馴染む、くらいか。まるで長年野球ボールを握って野球をしてきた様な。………いや、今のは忘れてくれ。例えが悪かった」

 

やきゅう? という全員の目線を受けて言葉を撤回する。

偶にぽろっとこうした事を言ってしまうのは、自分でも情けないと思うばかりである。

そのおかげで香風著書の辞書にまた一言が追記されることになるのだが。

 

「それともそれとも。実は呪われる道具だったりして………」

 

「………それは間に合ってる」

 

蒼の冗談の物言いに溜息をついた。

灯火からしてみれば“氣”という存在も十分SF要素だ。呪いのアイテムなどどこのゲームの話だと言うのか。

………太平要術の書なんて前例があるので、何とも反応に困るのだが。

その内武空術を使うヤツが出てこない事を切に願うばかりである。

 

「………鶸。この珠、近々商人とやり取りする事はあるか?」

 

「いえ、今の所は特にないです。さっき言った通りちょっと気味が悪いとも感じたので、新しく手に入ったこの四つについては今の所伏せています」

 

「そうか。じゃあもう一つ。三つは既に商人に売ったんだよな? その人の名前は控えてるよな?」

 

「ええ、それはちゃんと。灯火さんと香風さんに教えてもらった通りですね」

 

鶸の言葉に頷いた灯火は頭の中で今後の予定を組み上げる。

誰もこの球体の詳細を知らない、とあれば知っていそうな人が居る場所へ赴くのが一番だ。

 

「よし。じゃあ二つだけ俺に貸してくれないか? 知ってるかもしれない奴(・・・・・・・・)にちょっと見せてくるよ」

 

「え? 灯火さん、心当たりありそうな人を知ってるんですか?」

 

「いやいや、そう言うのじゃない。単純にこの漢の人間とは別の価値観を持っているであろう人物を一人知ってるから、ソイツに。………とは言え、解決するなんて期待はあまりしてないんだけど」

 

ちょうどいいことに灯火の頭の中に描いた人物がいるのは建業。

そこから更に東に進めば船での貿易を行っている呉郡がある。

この街とは全くの別ルートで外とのやり取りがあるあの地であれば、或いは情報の一つも手に入るかもしれない。

 

「………そこまで神経質になる必要は無いと思うのですぞ」

 

「まあアテが外れたときは俺も気にしない事にする。ねねの言う通り、別に食用でも薬の類でも何でもないんだから」

 

取り敢えずこの出自不明の球体の話はこれで終わり。

鶸も灯火の一報待ちという事で連絡があるまでは、月が治めていたこの街の城の倉庫にしまっておく事にした。

この街の防衛機能がそこら辺の街よりも優れているのが要因である。

 

 

 

その後、鶸と蒼にここ最近の涼州内での出来事や馬騰殿の体調を含めて馬家の近況などいくつか話を聞く。

この場に翠と蒲公英が居ないのは母親の部族集会の付き添いらしい。

日程が被ってしまったのは申し訳なかったが、遠方とのやりとりをする手段が限られる以上は仕方がない。

 

「部族集会っていうのは何日も続くのか?」

 

「偶にありますが、大抵は一日だけです。………今日の議題も、数日に跨る様な内容では無かったと思いますよ」

 

「そうか。………なら、ちょっと鶸………もっと言うなら馬騰殿含めた馬家の皆に、手伝ってもらいたいことがあるんだけど」

 

灯火の発言にきょとんとした表情を見せる。

ただ、ねね一人だけは漸くかと言わんばかりの溜息を吐いていたが。

 

 

 

 

「─────“人が空を飛ぶ”…………という光景、見たくないか?」

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

鶸たちとの非常に濃い話し合いが終わった。

今日話した内容を持ち帰ってもらう事もあり、鶸と蒼はさっそく自分達の街へ帰っていった。

 

「詳しい詳細は明日改めて話すけど、先ずは………試験飛行を兼ねたお試しの様なモノをやる。こっちについては鶸たちの合流は待たなくていい。所詮は試験飛行だからな。空高く飛ぶつもりもないし、地面すれすれでやるつもりだ」

 

「うん」

 

家についてから夕食。

その食事の席での灯火の話に、香風はこれ以上ないほど真剣に耳を傾けていた。

香風の記憶力ならば普段通りでも十分に覚えていられる内容なのだが、今の香風は一言一句違わずに記憶出来ているのだろう。

 

「試験飛行を経て器具及び香風の体調などに問題がなければ、その次が実際に飛ぶ。最初は短距離の低空から徐々に高度と距離を上げていく。好奇心が疼いてもっともっと、という気持ちになるかもしれないけど指示には絶対従ってくれ」

 

「わかった」

 

因みに洛陽でやろうとは思わない。

詠が月の為に色々と動き回っている中で、中央の連中に変な考えを抱かせたくないというのが一点。

“空を飛びたい”という香風の純粋な夢を政治利用されたくない、というのが一点。

 

「勿論悪天候では延期になるということは忘れずに。最優先は香風の身の安全。それが少しでもブレるのであれば飛行は中止。OK?」

 

「おっけー」

 

「ならばよし!明日に備えてご飯はしっかり食べて、お風呂に入って早く寝ること!」

 

「はーい!」

 

そんな元気な返事から、香風の気分が高まっているというのは十分伝わってくる。

本番飛行は馬家の協力が必要のため今日の明日、という訳にはいかないだろう。

一旦持ち帰る………と言ってはいたが、鶸と隣にいた蒼はかなり興味を持っている様子だった。

後は翠と蒲公英、そしてその母親次第。

霞や華雄といった協力者が洛陽に居る以上、馬家に協力を依頼するのは必然でもあった。

 

ワクワクを胸に夕食を食べ、灯火がその片付けをしている間にお風呂に入り、満腹感と久しぶりのお風呂に船をこいで夢の中へ飛んでいくというコンボ。

灯火が一息着こうとした頃には食事時に約束した通り布団で既に就寝。

夕食とお風呂を一緒にしたねねも同様に眠ってしまっていた。

 

「─────ふ」

 

そんな幸せそうな表情で眠る二人を見ていると、微笑ましく思う。

 

外は既に夜の帳が降りており、家の中を照らすのはLEDライトでも蛍光灯でもない蝋燭の灯り。

二人の眠りを妨げぬ様にと必要最低限だけ残して火を消して縁側に出た。

 

「…………いないと思ったら、お風呂にも入ってなかったか」

 

お風呂への通り道。

そこに腰かけていれば必ず出会う。

 

「……………」

 

じっ、と座る恋が見上げてくる。

言葉はないが、恋が求めている事はすぐに分かった。

恋のすぐ隣に腰を下ろし、庭先から見える夜空を眺めた。

 

「…………今日も、色々あった」

 

灯火が言葉を発するよりも先に恋が話しかけてきた。

 

「だな。昨日の川遊びから打って変わって仕事色が濃かったけど。………不満だったか?」

 

そう尋ねると、恋は首を横に振って否定した。

 

「…………恋は、一緒に居られるだけで、幸せだから」

 

「………む」

 

そう言われると灯火でも嬉しいものがある。

時折やるように恋の肩に手を置いて、自身の方へ優しく引き寄せる。

それに恋は抵抗することなく、むしろ自ら身体を密着させてきた。

 

「………香風が、空を飛ぶ?」

 

「ん? ああ、その予定。とは言っても流石にぶっつけ本番で高い場所から飛ぶ事はしないけどな」

 

見上げた空からの連想か、或いは元々抱いていたのか。

どちらであるかは定かではないが、恋もまた興味を持っているのだろうか。

 

「………灯火も、飛ぶ?」

 

「俺? 器具は一つしかないけど………香風の体重は軽いから一緒に飛べなくも無いか? けど二人で一緒に飛ぶとなると身体を固定する何かが必要になるし、その用意も無いから今回は飛ばないよ」

 

「…………そう」

 

「何か気になる事があったのか?」

 

問いかけに首を横に振って、灯火の腕に優しく抱き着いた。

気になる事、という点で恋が何かを言う事は無い。

言いたい事はもっと別のコト。

 

「………空は、“遠い”」

 

元より空を飛ぶなんて行為は恋から………否、この漢に住まう全ての人からすれば夢物語。それこそ魔法の領域。

誰も、灯火の頭の中に追いつける者は居ないだろう。

 

「“遠い”と、手が届かない。………こうして、触れられない。それは………悲しい」

 

 

─────かつて幼い頃に荒野を彷徨ったことがあった。

誰もいない荒野を、たった一人で彷徨った。

その時に見上げた光景を、恋は今も覚えている。

 

 

─────『 恋は独り 』─────

 

 

「………離れたくない。遠くに行くなら、恋も一緒。………離れずにずっと傍にいる………」

 

恋はあまり喋らない、無口なタイプ。

けれどそれは本心を言わないだとか、そういう意味ではない。

寧ろ恋の言葉はその殆どが直進的なモノばかりで、相手に良くも悪くも響く。

 

「………………………恋は、灯火のことが好き」

 

「─────」

 

Likeなのか或いはLoveなのか。

それを聞くのは野暮というものだろう。

 

いっそ惚れ惚れするほどの直球は、受け取る側を一瞬でもフリーズさせる。

 

「…………月が綺麗だな」

 

「………………?」

 

灯火の視線に釣られて恋も空を見上げてみれば。

 

「…………月?」

 

月は確かに出ているが満月より程遠い。

むしろそのほとんどが新月に近いうえに雲が掛かっており、残念ながら恋の感性を以てしても“綺麗”とは言い難い。

疑問符を浮かべる恋を見て微笑む様に笑う。

 

「恋、いい事を教えてあげる。こういう状況で“月が綺麗”って言うのはさ………」

 

恋と正面に向き合い、恋の瞳が灯火を映し出し─────

 

 

 

─────あなたを愛しています、と言うコトだよ─────

 

 

 

 

 

/ 消えない想い 02

 

 

 

 

唇が、触れる。

一秒か、十秒か、それ以上か。

正確な時間は、恋には分からなかった。

 

分かるのは今までにない程の“幸福”が胸を、身体中を駆け巡っているコト。

強く、優しく、このままお互いが混ざり合って一つになってしまうと思う程に抱きしめた。

 

夢幻の様な時間の末に、その感触が終わりを告げる。

それをどこか名残惜しく思うも、恋の胸の内には未だに灯火(ともしび)が残っている。

 

「俺はこれからお風呂に入ってくるけど、恋は?」

 

「………入る」

 

「─────じゃ、入るか」

 

お風呂場までの短い距離。

それでも二人は手を繋いで歩いていく。

 

雲の合間から顔を覗かせた月が恋の顔を薄く照らす。

 

 

見える表情は、今までで一番の笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




出自不明の青い球体:曰く宝石の様な見た目は綺麗な置物。
          中心部に十字模様が描かれている。
          現在7個が漢に存在している。7個全て同じ模様。


恋の家:恋と灯火の共同出資によって購入した家。
    灯火の手によって増改築されて、外見の一部が和風化。
    灯火がこの街に一気に馴染む様になった切っ掛け。
    街の大工のおっちゃんらとは酒を飲み合う関係。







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None 灯火 03



─────月の綺麗な夜

  伽藍洞は終わりを告げた




/       03






 

 

 

─────始まりは初夜。

 

“知識”を“記憶”と呼ぶくらいにはまだ色濃く残っていた、その一番初めの夜。

明確に“自我”を得た日。

その頃には既に彼女は隣に居た。

 

 

 

 

 

 

とある小さな村に少年と彼女は居た。

親が居ない、という共通事項。

貧しい村の者達がなけなしの慈悲を以て空き小屋を提供し、そこに住まう子供が二人。

 

一目見た時は、彼女が誰であるかなど分かる筈も無かった。

それは年齢もさることながら余りに薄汚れていたという外見的理由もあり、己の状況を全く把握できていなかったという自己的理由もある。

 

だが、貧しい村に住む者にとって少年の自己など知った事ではないし、知る由も無い。

重税に次ぐ重税、不作、ありもしない金品を狙い襲ってくる賊。

それらが積み重なれば否応でも他者に辛辣になる。

 

人間を人間たらしめる“ココロ”に余裕が生まれない。

己が命、家族の命、それだけを明日へ繋ぐために精一杯。

そこに他者、ましてや他所からやってきた難民の子供にくれてやるだけの慈悲など到底持ち合わせていないだろう。

 

混乱ここに極まれり。“記憶”との相違、その落差。

ここが現実であると改めて理解し、他者が己らに向ける慈悲もほとんど持ち合わせていないと理解した時。

少年は彼女と共に小屋に戻っていた。

 

状況を見て聞いて理解して、ならば仕方がないと諦める訳にはいかない。

諦めれば死へ一直線だ。

 

雨風を最低限凌げる程度の小屋は元々農具置き場、これが村人達にとっての出来る限りの慈悲。

拙いながらもなんとか眠れる程度の、寝台と呼ぶには見窄らしい寝床を確保した居住性最悪の小屋。

 

ネオンの光も無ければ、時を刻む時計も無い。

夜には無音、その世界に微睡む泡沫(うたかた)

閉じる戸も無い窓から世界(ソト)を眺めてみれば、月が夜空に浮かび雪が深々と舞い降りる。

何をするでもなく、寝台に腰かけてただ眺めていた。

 

飢餓、凍死、疫病、盗賊、野犬、人食い獣。

衛生も治安も頭の中の“記憶”と比べるべくも無い。

この世界、子供だけで生きるには少々過酷が過ぎた。

 

気が滅入る。

混乱し、狼狽え、そして自身が置かれた状況にただただ呆然と途方に暮れる。

きっとこの場に誰も居なければ、とっくの昔に心は折れている。

 

折れなかったのは、単純に自分よりも幼い彼女が泣き言を一つも漏らさずに後ろについて来ていたから。

 

下らないプライド、ちょっとした見得、意味のない行為。

 

それでも。

お腹を鳴らしているのに何も言わずに我慢している彼女を見て、どうして己が取り乱せようか。

 

『ぅぅ…………』

 

無音の世界に聞こえてきた小さな呻き声。

この場に居るのが二人しかいない以上、それは眠っている彼女の声に他ならない。

すぐさま近寄って寝顔を確認すれば何かに魘されている様にも見え、体が小さく震え顔が少し青ざめている。

 

『これは………』

 

見覚えがあった、というよりは経験があった。

決まってこの後は風邪になり熱が出る。

 

今日、彼女が静かだったのはなんてことも無い。

朝から体調が優れなかった、ただそれだけだ。

医者では無いが、それくらいの判断は少年でも出来た。

 

『バカ………子供が何を我慢して!』

 

彼女のやせ我慢に悪態をつくが、内心それ以上に己への罵倒が上回る。

そしてそれすらも後回し。

 

薬などある筈も無く、居ない医者に頼るというのも却下して小屋の中を見渡す。

風邪のひき始めは冷ますのではなく体を温めて免疫力の上昇を促す。

が、こんなボロ小屋を見渡して使えそうなモノは藁程度、という結論に改めて頭を抱えてしまう。

 

『ど………─────の』

 

『………なんだ?』

 

どうすべきかと悩んでいると彼女が寝言か何かを小声で呟いた。

聞き取る為に顔を近づけて─────

 

 

『─────どこにいるの………お母さん』

 

 

─────その悲しい声に、近づけたことを後悔した。

 

 

 

 

ここはどこなのか。

どうしてこんな境遇に陥っているのか。

なぜここにいるのか(・・・・・・・・・)

 

─────人には常に意味がついて回る。

 

生きる意味ではなく、此処にいる意味。

生きる意味は後から付け足されるものだが、今ここにいる意味は確実に存在する。

存在しなければならない─────そうでなければ人ではない。

 

瞼を閉じて音の世界に沈んでいく。

繰り返した問いに解答する者はどこにも居ない。

少なくとも“今ここに居る意味”を見つけなければ前へは進めない。

今の自分は信念も目的もない、ただの抜け殻だ。

 

死にたい訳じゃない。

或いは己が完全なる無垢であれば何も悩む事はなく、ただ懸命に生きようとしていただろう。

 

だが、現実はそうではない。

無垢とは対極の存在であるというのは自身が一番理解している。

であればやはり少なくとも“今ここに居る意味”を見つけなければならない。

このままでは、ただの抜け殻なのだから。

 

「………………はぁ」

 

切り替える様に小さくため息をついた。

疲労が溜まるとどうも哲学染みた思考に逃避してしまうのはなぜだろう。

明るい月が銀世界を照らす景色を、家の中から窓越しに眺めていた。

 

 

あの後。

元々の免疫力が強かったのか或いは介護あってのことか、大事にならずに彼女の容態は回復した。

 

『─────どこにいるの………お母さん』

 

放っておく事は出来なかった。

 

体温を上げる、湿度を上げる。

その二つともクリア出来る状況ではない小屋では症状も悪化の一途。

いつ治るかも分かったモノじゃない。

 

ボロ小屋にあったボロボロの衣服と、自分が着ていた服を脱いで彼女に重ね着させ、背負って雪降る夜に飛び出した。

流石に目を覚ました彼女に対して有無を言わさず寝てる様に命令し、村の家々を訪ねて回る。

 

一番早いのは“薬をくれ”だが、この時代の薬などどこまで当てになるかわかったモノじゃない。

そもそもそんな高価なモノがあるかも不明で、よしんばあったとしても譲ってくれるなどと思わない。

そんな成功確率の低い交渉をするよりかは“家の隅っこでいいので今晩だけ泊めてくれませんか”の方がまだマシだ。

出来ればその後に体を温める為の布団的な何かを一晩だけでも借りれたのであれば行幸。

 

そういう思いで家をめぐって、運よく受け入れてくれた家で一夜を過ごした。

 

風邪自体は数日ほどで完治。

完治する間は自身の労働を対価に居候させて貰った。

勿論、その間家の住人に風邪を移さないよう細心の注意を払ったのは言うまでもない。

 

その時の労働や言葉遣いが“子供らしくない”という理由から、今は村の手伝いとして酷使されている。

中々の重労働は労働基準監督署に諸々訴える事が出来るレベルだが、対価として衣食住の確保は幾分しやすくなった。

信用という名の利用をされているとは把握しているが、このご時世で労働に対する対価が得られているだけでも十分恵まれているだろう。

少なくとも“奴隷”という立場ではないと断言出来た。

 

ならば、後は己の有用性を見せつけるだけだ。

 

─────ボロ小屋の中でそこまで思い至って、ふと脳裏を過ったのが“何のためにここにいるのか”という哲学染みた先ほどの思考であった。

 

「………どうした、恋。また眠れないのか?」

 

軋む音と共に瞼を開けて振り返れば彼女………恋が居た。

年齢に差は無いみたいなので精神的な意味でも兄の様な立場になる。

 

寝台から上体を起こして同じ様に隣に座る恋。

何をするワケでも無く、やはり同じように絵画の様な窓の外を眺めている。

ほんの少しだけ間が空いているのが今の距離関係。

それでも、寝台に添えた手にそっと触れてくる………そんな関係。

 

「………あったかい」

 

そんな一言が、ポツリと聞こえた。

 

「……………」

 

呆気に取られた。

一歩間違えば凍死しかねないボロ小屋の中でまともな暖を取ることは不可能…………つまり手が温かい筈がない。

試しに空いたもう片方の掌を首筋に当ててみるが、言うまでも無く冷たかった。

 

「温かい?」

 

だと言うのに此方の問いに恋は頷きで返答してくる。

 

「いや、冷たいと思うけどな。………寒いなら火を熾そうか?」

 

身体の芯から冷えるこの世界で、受け止めて零れる掌の温かさ。

さっきまで寝台と言うには見窄らしい寝床で、ありったけの布に包まっていた恋の掌の方がよほど温かい。

それでも寒いというのであれば暖を取るしかないが、この小屋に暖炉のような高等設備などある筈もなく、煙やら火の取り扱いを十全に把握している者が最後まで面倒を見る他ない。

つまり現状恋が火の番を務める事は不可能という意味になる。

 

「………」

 

「違う?」

 

フルフルと首を横に振って否定。

そのまま視線を落とす恋に釣られてみれば、添えるくらいの優しさで繋がった手と手。

 

「………手を繋いでると、身体があったかくなる………」

 

その手を硬く握って、恋は瞼を閉じ─────

 

「…………ずっと、このまま」

 

 

 

─────ただ寒くて

意味も分からずに 泣いてしまう─────

 

 

 

何かがストンと落ちてきた。

恋が今何を思っているのかは分からない。

 

けれど─────何かが自分の中で、カチリと切り替わった。

具体的な言葉は何一つ出てこないし、はっきりともしない。

それでも今まで脳裏を過り続けていた憂鬱とした思考が、それっきり思い浮かばなくなった。

 

「………そろそろ寝よう、恋」

 

言葉に頷いた恋と共に腰かけていた寝台に横になる。

クッションなどある筈もなく、雑魚寝と大して変わらない寝台の上で横にいる恋を優しく抱き寄せた。

 

「…………?」

 

「こうすれば、寒くないだろ?」

 

「…………うん」

 

瞼を閉じた恋の背中を静かにトン、トン、と単調なリズムで叩く。

ウトウトとし始めた頃には内側で静かな寝息で眠る姿を確認して、自分も意識を手放した。

 

 

 

 

─────伽藍洞の日々は終わりを告げた。

 

女の子なのだから衣服は少しでも良いものを。

よく食べる子だから少しだけでもお腹いっぱいに。

隙間風に凍え、眠る時に涙を流す少女を安心させたくて。

 

恋が見せる笑顔を見ると、我が身の様に嬉しくなる。

時折心の中で嘯く憂鬱とした思考もすぐさま消え去っていく。

 

それは月が綺麗な夜の日。

雪が綿の様に降り、相まって幻想的な景色を作り出した日の出来事。

 

 

きっとその日に救われた。

 

 

そう思うのは─────

 

 

◆◆◆

 

 

「………」

 

鳥の囀り、僅か肌寒く感じる夜明け。

微睡みの中で極上とも言える温かさに包まれている事を感じてやたらと重い瞼を開けると、よく見知った、間違えようのない顔がどアップで映し出された。

 

「……………起きた」

 

さながら動画撮影用のカメラに対してゼロ距離で顔を映すが如くの視覚情報の暴力に、流石の灯火も朝の挨拶すら忘れて恋の瞳を眺め続けた。

何だか懐かしい夢を見ていた様な気がするのはこれが原因だろう、なんて稼働率十パーセントに満たない脳が結論を出す。

 

「……………んむ」

 

半開きの瞼に一声も上げない灯火に少しだけ首を傾げまだ眠っていると判断した恋は、躊躇う事もなく灯火の唇を舌で舐めた。

口周りや頬が濡れた感覚があるのはこれが原因か、と納得する。

 

「─────」

 

腕をまわし、後ろ頭を優しく撫でていく。

幼少期から変わらぬ行為は最早起きる為の早朝の儀式の様相を呈している。

やらなくても問題はもう無いが、今までやってきた事をやらなくなるのは違和感しかない。

恋側から敬遠される日がいつか来るのだろうか、なんて考えていた幼き日の自分に伝えるとすれば、少なくともそんな日は一度も無かったぞと伝えるだろう。

 

「ん、…………」

 

恋の頬に朱が差した。

五感のうちの四つが情報で埋め尽くされている。

胸元から衣擦れの音。耳元には微かな息遣い。

豊かな胸の膨らみの形が変わるくらいには体は密着している。

腰に手を回し優しく抱きしめれば、応える様に体を更に密着させてくる。

 

優しく背中を撫でると気持ちよさそうに鳴く恋を見て、安堵する。

幸福や興奮も感じるが、それ以上に安堵する。

お互い少しだけ抱きしめる力を強めればより密着度が上がり、それはさながら抱き枕の様な状態。

どちらも言葉を発する事は無く、全ての感覚を今この瞬間に費やしている。

 

 

─────恐らく、そんな寝起きで全感覚を目の前に集中していたのがいけなかったのだろう。

 

「お兄ちゃん」

 

抱きしめていた手が震えた。

布の擦れる音の所為で目が覚めたのか、隣で眠っていた香風が起きていたのだ。

 

「………香風も、一緒に子猫の真似をしてた」

 

「うん。こうすればお兄ちゃんが気持ちよくなるって聞いた」

 

「…………なるほど」

 

睡眠妨害をしてしまったのではなく、最初から起きていたらしい。

であれば、この両頬が湿っていると感じた理由も理解できるし、同時に舐められていた理由も察しがついた。

周囲の明るさがいつもよりも若干明るいところから、何時もより目が覚めるのが遅かった。

子猫がやって来たのは恐らくご飯の催促だったのだろう。

 

あと別に頬は性感帯ではないことを後でそれとなく伝えておく。

 

「ん?」

 

そんな方向へ思考がトリップしていると、袖を香風が引っ張ってきた。

何も言わず、少しばかり俯きながらの上目遣いで、視線はしっかりと。

 

「…………同じこと」

 

恋と香風は同じことをしていた。

で、恋には今こうしてハグしている。

ならば当然香風にもされる権利はあるわけで。

 

「……………」

 

恋も香風が言いたい事を理解して素直に横に降りた。

 

「んー、寝起き香風成分だぁ」

 

わしゃわしゃと頭を撫でながら香風を抱き寄せる。

恋よりも体が小さく、それ故に体重も軽いので簡単に抱き寄せる事が出来る。

抵抗する事もなく逆にぴったりとくっついてきたその状況は、何時ぞやの天幕内での出来事の焼き直しの様な光景。

朝っぱらから何しているんだろうか、なんて疑問も寝起きの頭と幸福やら安堵やらが入り混じった今の状況では意味も無い。

 

「えへへ」

 

背中や髪を撫でていると空いたもう片方の手を香風の手が握り締めてくる。

その温かさに、やはり安堵する。

 

「………………………」

 

「ぐぇ。恋?」

 

香風を抱き寄せて十秒くらい見守っていた恋が、再び引っ付いてきた。

 

「…………恋も」

 

見つめる瞳が灯火を射抜く。

その声に静かなる圧力を感じた。

 

「………………」

 

数秒考えて導き出した結果に思わず頬が緩む。

街中でいきなりこんな顔をすれば軽く引かれるくらいの表情にはなっているかもしれない。

 

「二人とも可愛いなぁ」

 

「わぷっ」

「…………んむ」

 

寝起きという事もあって自制心がまだ半分くらいは眠っているらしく、思わず二人を抱き寄せてしまった。

必然的に二人分の体重が左右からかかってくるのだが、もはや今の灯火には関係ない。

二人の身体から受けるあらゆる五感の情報に寝具の温もりも相まって非常に心地がよく、それが促進剤の如く頬を更に緩ませる。

 

今は眠っているねねも然り。

ここに居る三人は疑う余地もなく、今ここにいる自分を必要としてくれている。

その事実だけで心は十全に満たされ、幸福を噛み締める。

 

昔は恋から。

ある時からねねも加わって。

今では香風も居る。

 

三人が笑顔で居てくれる。

その為ならばこの身この“知識”、最愛の三人のために。

 

きっと天秤に掛けられた時、片方にどれ程の人間が居ようとも必ず三人がいる方を選ぶ。

罪悪感を抱きながらも、それでも必ず選ぶだろう。

己の進む道はもう変わらない。

 

 

さあ─────今日は大切な人の“夢”を叶えに行こう。

 

 

 





大変遅くなり申し訳ありません。

今後はもう少し投降ペースを速められると思います(推測)


今後ともご愛読のほどよろしくお願いいたします。

次回はいよいよ香風。




香風(仮装)可愛いよ(真恋天下脳)


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The Blue Bird 香風 04 (1/3)

空を見上げて、手を伸ばした。
届くハズもない空に飛ぶ鳥を掴むように。


その中で紡がれた常識を覆す言の葉は、風の音すら消してしまった。


少しだけ得意気に笑う姿。
差し伸べてくれた手を取り、一緒に見上げた蒼穹。
同じ空でも、あの時だけの一瞬の光景。


─────それは。
目を閉じれば今でも遠く胸に残っている。



◆(1)

 

 

透き通る様な青空。

青いキャンパスに描かれた白い雲。

西から東へと吹き抜けていく風。

 

穏やかと言うよりもずっと溌剌で、騒がしいよりは物静か。

そんな天気模様。

 

「………よし」

 

強風吹き荒れる天候でもなく、空に浮かぶ雲の流れも見える限りはゆっくり。

悪天候であれば中止と伝えられていただけに、今日の空はベストコンディション。

思わず拳で喜びを顕わにする。

 

「恋~、風呂掃除終わった? もうご飯出来るぞ~」

 

調子のいい包丁の音ともに、この家唯一である男性の声が耳に届く。

今朝から慌ただしいのも理由があって、それはいつも早起きな人が少し寝坊をしたから。

 

そんな人が台所から風呂掃除を任せた恋へ声を響かせる。

その間も料理の手が止まらないのは長年の積み重ねの結果なのだろう。

 

「…………水浴びもしてきた」

 

“ご飯”という単語を聞きつけて足早に戻ってきた恋。

しっとりとした髪は見るからに濡れており、十分に水気を拭き切れていない。

元々寝ぐせを直すついでに軽い風呂掃除を頼んだ、という経緯なので濡れているのは当然か。

 

「髪、濡れてる。ほら、こっちに来て」

 

「………………」

 

招かれるがままに近寄っていく恋と、調理を一旦止めて髪を拭く灯火。

香風の居る場所からだと灯火の顔は見えず、俯いて拭かれるがままの恋の顔が見える位置。

その口元が、ほんのりと笑っているのが見えた。

 

「灯火、動物達の餌やり、終わりましたぞー」

 

「ん。じゃあ布巾で机を拭いてくれ、もう出来上がるから。………はい、恋も朝から手伝いありがとう。座って待ってて」

 

「…………うん」

 

微笑む恋の表情が、何だかいつもより柔らかく見えた。

見間違えなのか、実際にそうなのか、気のせいなのか。

 

ぼんやりとそんなことを考えていると、部屋の中をほんのりと漂う朝餉の匂い。

気持ちのいい朝の、いつも通りの風景。

それを当たり前の様に噛み締めて享受する。

 

 

 

─────当たり前?─────

 

 

 

「香風。悪いけど、食器を並べてくれるか? もう出来上がるから」

 

「─────うん」

 

─────思えば。

同じ屋根の下に住み始めた、その初日からずっと似た光景を目にしていた。

一人で住んでいた頃には考えられない光景。

 

ここよりも幾分か狭い借家に居た頃から、目覚めたら必ず“おはよう”と声をかけてくれた何気ない日々。

それが“当然”と思える日和の日々。

そんな、いつも通りの朝の会話。

 

「香風、どうかした?」

 

「………ううん、欠伸をしただけ」

 

少しだけ視界が霞んだ。

気持ちのいい朝のいつも通りの風景。

それが幸福すぎて、欠伸でもしたのだろう。

 

「なら、ちゃんとご飯を食べて目を覚まさないとな」

 

「うん」

 

意味もなく足早に灯火の元へ赴く。

いつも通りの朝の景色に、名残りを惜しむコトもないのだから。

 

 

 

 

「「「「いただきます」」」」

 

時間は若干遅いものの昨日と変わらぬ朝の合掌ののち、カチャカチャと食器の音が静かな食卓に響く。

先ほどまでの慌ただしい準備から一転、小鳥の囀りさえ聞こえてくるような穏やかな食事風景。

 

涼州という土地は洛陽やそれより東と比べて高い位置にあるので、比例するように朝は薄寒い。

おかげで食卓に並ぶのは御粥を始めとした体を温める食事が中心で、食卓の中央には少し大きめの鍋に湯豆腐が鎮座する。

しかしてその実態はただの湯ではなくちゃんとダシによって薄く味付けされていたりするので、湯豆腐というよりかは豆腐だけの鍋料理とも言える。

 

そこに加えてどこか遠い未来の島国で見かける様な朝食料理も並んでいたりする。

四人で囲うには少々大きめの机にズラリと並べられた朝餉の数々は、穏やかというには少しばかり賑やかすぎる気がした。

 

「…………じー」

 

「? どうしたの、ねね?」

 

ふと隣を見ると卵焼きを美味しく食べていたねねの手が止まっている。

その視線の先には恋と灯火。

 

「なんだ、ねね。卵焼きが欲しいのか?」

 

「そうではなく………いえ、欲しくはあるのですがそうではなく。………灯火、昨日何かあったのです?」

 

「昨日? 何かって………ああ、もしかして寝坊した事か? それは悪いと思ってるけど、朝食は手を抜いてないぞ? それともどれか味付けが悪かったか?」

 

味付けを間違える様な料理を作った覚えは無いが、何せ量が量だ。

もしかしたら細部にまで味付けが行き渡っていなかった可能性もある。

 

「違う、というか朝食から離れて下さい。恋殿との距離がいつもより近い様に見えるのですが、何かあったのですかと聞いてるのです」

 

「む」

 

「………………」

 

口に運ぶ食事は止めずに隣に座る恋を見る。

恋も恋でねねの言葉を聞いて隣を見たので必然お互いの視線が重なった。

………そのまま見つめ合う事数秒。

 

「んー、言われてみればそんな気もしなくは無い。けど、誤差の範疇だと思うぞ? なあ、恋?」

 

灯火の問いかけに肯首する恋。

だが、ねねは引き下がらない。

 

「ぐぬぬ………視線だけのやりとりをしていたのは明白! さあ、言うのです。何があったのかを!」

 

他人ではそもそも恋の表情から何を考えているのかを正確に判断することすら難しい。

しかし灯火ほどの付き合いとなれば判断する事は勿論、言葉を交わさずに意思疎通が出来る。

その事実に驚愕し、その領域まで己が至っていないが故に嫉妬し、故に追及の手は止めない。

 

「………一緒にお風呂に入った」

 

口いっぱいの食べ物を呑み込んだ恋が答える。

あの後は少しだけ長めのお風呂で温まり、そのまま床に就いた。

ただそれだけである。

 

「………それだけなのです?」

 

当初この家にやってきた頃はそれだけでも“陳宮キック”案件だった。

現在そうならないのは一重にねねの身に起きた事件と、その後の短くない付き合いが故。

 

「別にねねが眠った後でこっそり美味しいお菓子を食べただとか、そんな事はしてないから」

 

探られても特に痛くは無いが面倒な追及を逃れるべく、サラリと何でもないように別の話題をあげる。

 

「前科があるのでイマイチ信用に足りない言葉、というのは認識して言ってるのですね?」

 

「あれは試作だから数に入れない。ちゃんとねねも食べただろ?」

 

苦笑しながらそう答える灯火の隣で恋も頷く。

灯火は兎も角恋にまでそう答えられてはねねとしては気のせいかと下がるしかなく、改めて食事を再開する。

 

「お菓子? お茶請けの?」

 

キョトンと首を傾げる。

お菓子と言われると時折お茶と一緒に出されるお茶請けを思い出す。

 

「いや、そっちじゃない。………そういえば香風がここに来る前だったか」

 

であれば香風が知らないのも無理はない。

 

「んー………よし。じゃあこの後、お弁当と一緒に作るから食べてみるか? 材料があればの話になるけど」

 

「うん。けど、それって何のお菓子?」

 

「焼き林檎。食べたことある?」

 

「林檎………。香りづけに使うあれ?」

 

実は林檎というのは既にこの時代に存在している。

小ぶりだが香りがよく、枕元に置いたり衣服に香りを移すなど、食用というよりも香りを楽しむために用いられる事が今の時代の常識。

無論食用として見られていないだけで食べられないモノではないが、それを思いつくところが灯火が灯火である所以である。

 

「あの小さいのを食べるの?」

 

灯火の“知識”の中にある林檎はそのほとんどが西洋の品種ばかり。

そしてもちろんこの漢の時代に西洋品種の林檎がある筈もなく、この地にあるのは和林檎の様な小さな品種だけ。

故に林檎を食用として見る人は少ないだろう。

 

「そ。ホントはもっと大きい林檎の方が食用に向いてるんだけど、それこそ西域からその種かモノそのものを輸入する必要があるからな。流石にそれは望み薄だ」

 

「へぇ~」

 

朝食を美味しく頬張りながら灯火の話に耳を傾ける香風とねね。

恋も聞いている事には聞いているが、あまりよく分からないので専ら食事に専念している。

 

「ねねとしては西に食べる事を目的とした林檎がある、というのを知っている事が不思議なのですぞ」

 

「お兄ちゃんは物知り。誰も知らない空の飛び方も知ってる」

 

「………それもそうでした。しかし香風殿は気にならないのです? 灯火がどうやって誰も知らない様な知識を得ているのか、というのを」

 

時折灯火が見せる知識はねねを以てして一体どこから手に入れているのか今でも皆目見当もついていない。

この家のどこかに隠し部屋があってそこに見た事も無い様な書物がうず高く積まれているのかと思い、徹底的に探し回った事も過去にあったくらいだ。

まあそんな隠し部屋など終ぞ見つける事は出来なかったのだが。(そもそも存在しないので当たり前である)

 

「うーん………別に」

 

目の前には恋の口元を甲斐甲斐しく拭く灯火の姿。

自分が知らないコト、想像もしないコトを教えてくれる。

何の役にも立ちそうもない事から、文字通り空を飛ぶ事まで。

 

例えば家計簿。

我が家の財産管理は専ら灯火の仕事で、几帳面に書物に収支の記録を付けていることは香風も知っている。

 

香風とて元役人。

かつては手伝いをしようと灯火の部屋の本棚にある家計簿冊子を手に取って中身を見たこともあった。

だが─────

 

『……………?』

 

読めない(・・・・)

 

役人仕事で様々な情報をその頭に叩き込んでいる筈の香風でさえ、その冊子に掛かれている文字が一つも読む事が出来ない。

 

それは決して冊子に掛かれている文字が汚すぎて読めない訳ではなく、達筆すぎて逆に読めない訳でもない。

単純に、記述されている文字がこの国に存在しない(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)が故に読む事が出来ない。

お金を扱うのであれば絶対に存在していなければならない数字すら、その冊子には存在しなかった。

 

『お兄ちゃん、これはなんて読むの?』

 

『ん? ああ、それは─────』

 

後に聞けば“ひらがな”“かたかな”“ろおまじ”“えいご”“あらびあすうじ”なる文字だとか。

どれもこれもこの漢の国の文字ではなく、一部はここから海を渡った先の文字とのこと。

 

『使う予定もないし、使う意味もないけど。それでもまあこのまま記憶の彼方に消し去るくらいなら、頭の運動も兼ねて、かな?』

 

『─────………なら、これ。暗号とかに使える?』

 

『え?』

 

これが後に出来上がる著者香風の“灯火辞典”作成の切っ掛けでもある。

 

知っても使う機会はないよと言われもした事も多々あったけれど、それでもよかった。

なぜなら─────。

 

「シャンはこうして知らない事をお兄ちゃんから教えて貰ってる時、凄く楽しいから」

 

思い出す。

 

見上げた空に手を伸ばした。

夜空へ星の様に輝きながら昇っていく灯りを見た。

届かぬ空に吹く風の力を感じ、軽く放り投げるだけで飛んでいく紙飛行機を見た。

 

 

─────そこには未知があり、夢があった。

 

 

軽く、今までの事を思い返した香風の顔には笑みが零れていた。

 

「お兄ちゃんはお兄ちゃんで、シャンの先生。一緒に居るとぽかぽかするし、教えて貰っている時はワクワクする」

 

知識の大元はどこなのか、なんて関係ない。

重要なのは“お兄ちゃん(灯火)から教えて貰えること”なのだから。

 

「………それは、ねねも否定はしないのです」

 

香風の表情を見て、ねねも考える事をやめた。

 

『実は魔法使いなんだ………って事で』

 

『何を馬鹿な事を言ってやがりますか』

 

問いただしても苦笑しながら頭の中にしかないだの、実は未来からやってきただの………荒唐無稽な言葉ではぐらかされてばかり。

そんな状況が続いたのち、気が付けばいつの間にか“灯火だし”という言葉で納得している自分がいた。

 

因みに隣で幸せそうに食事をしている恋には一度も聞いていない。

聞いたとしても自身が敬愛する恋にとっては関係ないことだと分かっているからである。

 

「で、これを食べ終わった後にお菓子作りですか。………いつもの事ではあるのですが、よくもまあこれだけの朝餉を一人で用意出来るものですな」

 

そう言いつつ慣れた手つきで自分の皿に盛りつけられた卵焼きを頬張るねね。

本人としては要求するのは少し恥ずかしいので何も言っていないが、いざ食卓に出てくると一口目に食べるくらいには好きな料理である。

そしてしっかりこの家の料理人に見抜かれている。

 

「これだけ用意出来て、質を落とさないのは凄いと思う」

 

「………美味しい」

 

「うん。そう言ってくれるなら、作る側としては嬉しい限りだな」

 

幸せそうにパクパクと食事を進めるねねと、味わう様にコクコクと食べていく香風、そして口いっぱいに頬張っていく恋。

三者三様の意見と様子を見れて満足に浸る。

 

元々たくさん食べる恋の為に(結果として)磨かれた料理の腕。

質はもちろん、その量も突き詰めていったが故の到達点である。

 

「恋殿が満足しているのであればねねも言う事はないのですぞ。………といいつつ、ねねがこの量をそのままただ食べるだけだと………しかし美味しいが故に食べ過ぎて………っこれは、もしや灯火の奸計………!?」

 

対面の席でブツブツと小声で何やら驚愕しているねねはとりあえず置いておく。

むしろいっぱい食べて運動して健やかな日々を送ってくれるのであれば灯火として本望である。

奸計に恐れおののかなければいけないくらいには成長してほしいと願う。

 

「………いっぱい、おかわり」

 

食事の時に見せる幸せそうな恋の表情を駄賃に茶碗におかわりをよそう。

灯火が一杯の茶碗を空にする間に既に三杯、山盛り。

 

「はい、どうぞ」

 

「…………♪」

 

喜々とした表情を浮かべながら茶碗を受け取り、美味しそうに頬張っていく。

そんな恋の横顔を眺めながら、ねねの先ほどの独り言から灯火の中では一つの仮説が密かに浮上していたりする。

 

すなわち、“恋は氣を使う=体のエネルギーの大量消費=エネルギー補給の為に大量の食事を要する”という説である。

仮に灯火が無理して恋と同じ量を食べたのであれば相当の運動をしなければカロリーの消費が追い付かない。

にも拘らず恋の体型は理想形を保っている、ということは相応の消費する機会があるわけだ。

しかし、ほぼ一日の大半を共に過ごす身としてそんな特別な機会を見た覚えもないわけで。

 

「………ダイエットに最適なのは“氣”の習得か………」

 

未だに習得はおろか感じる事すらも出来ない、灯火にとっては未知の存在にただ遠い目をするしかない。

仮に現代にその方法が確立されたのであれば世の中から肥満体型はいなくなることだろう。

満足するまで食事をして、“氣”を使って体を動かせば太る心配がないなどと、一部の人達からすれば夢物語である。

 

「…………?」

 

「何でもない。─────それで今日は香風のパラグライダー実験になる。食べ終わったら早速準備に取り掛かるから………ねね、悪いけど手伝ってくれるか?」

 

「む。別に構わないですが、例えば………そう。労力に対する対価の支払いとして、その卵焼きを前払いで所望するのです」

 

視線の先は皿の上の卵焼き。

一人分を三回に分けて巻いていくという手間をかけ、焦げ目の一切ない鮮やかな黄色は今となってはこの家の定番。

表面もさることながら中身も均一で鮮やかな黄色であり、味も食す三人が満足するレベル。

 

「相変わらず好きだな、卵焼き。………はい、どうぞ」

 

ねねの皿の上はとっくの昔に空っぽ。

灯火が食す分が無くなる訳だが、美味しそうに食べてくれるねねを見れるのであれば一品分など安いモノ。

第一自分が作った料理を自分が食しても三人ほどの感動は得られない。

それだったら─────

 

「んむっ♪」

 

こうして見ている此方が微笑ましく思えるほど美味しそうに食べてくれるねねにあげた方が、卵焼きも浮かばれるだろう。

 

「美味しい?」

 

「美味しいのです!」

 

「それは良かった」

 

単純にもっと卵焼きが食べたかったので卵焼きを得る手段として対価云々の話をしました、と丸わかりの反応。

そういう一面もまたねねらしいと苦笑する。

 

「恋は馬の準備を頼む」

 

「………─────ん」

 

口に食べ物を含んでいる時はしゃべってはいけませんという教えと、灯火からのお願いに対する返答。

言葉での両立が出来ないので代わりに灯火の瞳を見る。

その恋の口周りが汚れていたので布で拭きとりながら、目線に応えるように行先を伝える。

 

「西に行く。おあつらえ向きな斜面があるし、ここら辺の近くだと一番立地がいい。距離はそれほどないけど荷物はそれなりにあるから、積める様にだけ頼む。後は帰り道に水を汲んで帰るからその準備も頼んでいい?」

 

「………わかった」

 

唇に伝わる布越しの指の感触は、拭き終わると同時に離れていく。

お礼代わりにその左手を軽く握って、柔らかく優しい微笑みを輝かせた。

 

「香風、おかわりはいる?」

 

朝から仕事が入っていない限りはこうして家で朝餉を食べる、というのは香風が長安で居候していた頃からの習慣。

最初は不思議に思いながらも否定する要素もなかったため流れのままに席に着いていたが、今となってはこの光景こそが香風にとって日常。

 

だが、この習慣も周囲の他の家と比べるとそれなりに外れている。

城に住む者は城の料理人が用意した料理を食べるし、お金持ちの家であれば料理人を雇うのが一般的で、それ以外は外で軽食というのが普通。

朝食を自炊するというのは少数派だったりする。

 

外食可能な店が無い様な貧しい村は兎も角、少なくとも大勢の人が集まる場所では朝になれば店に人が並ぶ。

その方が自炊をするよりも時間と手間、そして金銭を考えても安上がりになる事が多いからだ。

 

「じゃあ、少しだけ」

 

今までの一人での生活サイクルが間違っていたとは思わないし、不自由に感じていた訳でもない。

それでも─────今この光景の方がとても温かく感じている。

そう断言できるだけの心地良さがあった。

 

そして、それと同じくらいにワクワクと香風の胸が躍っている。

 

「お兄ちゃん、シャンはどうすればいい?」

 

何せ今日一日は間違いなく素敵で最高で幸せな一日になるのは決定事項。

以前の様に途中で延期になる事も無い。

 

「そうだな…………」

 

皿によそいながら考える。

 

今日の予定は決まっている。

であれば万全を期すためにも香風にも何かを手伝ってもらう、というのは有りかもしれない。

そんな事を考えて、香風の服装に改めて気付いた。

 

「……………?」

 

じっと見つめられる香風が首を傾げるが、視線は微妙に合わない。

 

香風の服装は全体的に薄着であり、即ち太腿やお腹、背中は勿論上からのぞき込めば小さな胸の膨らみがよく見える服装。

もはや改める必要性もないが、中々な露出度である。

 

「服装をどうにかしようか、香風」

 

むしろなぜ今になって気付いたのか。

今の光景が当たり前になり過ぎてすっかり忘れていた。

慣れとは恐ろしいものである。

 

「服?」

 

香風の前によそった皿を置いて改めて視線を合わせる。

 

言葉に釣られる様に香風が自分の今の服装を見るが、特に大きな問題は見受けられない。

至って普通の着こなしであり、問題点が分からず疑問符を浮かべる。

 

「??」

 

「そりゃあパラグライダーがどんなものか知らないとそうなるか。…………ほら」

 

「ふにゃっ」

 

無防備な脇腹をちょんちょんと突くと何とも可愛らしい反応。

その仕草に思わず香風の頭を撫でた。

 

「…………朝から何やってるのですか、灯火」

 

「ん? ねねも味わってみる………うん、冗談だから。恋もステイ、ステイ。話が進まなくなる」

 

ジトリ、と擬音が付きそうな視線を送るねねと、どこか羨まし気に無言で視線を浴びせてくる恋を宥めながら手を引っ込めた。

昨夜、そして今朝の事も相まって少々ハメが外れかけていたらしいので、今一度気を引き締める。

 

「と、まあこの様に今の香風の服の防御力は皆無だ。戦いにおける防御力っていう意味じゃなくて、防寒っていう意味な。空を飛んでるときは風をモロに受ける。だから………夏場の海に泳ぎに行くんだね、ってツッコミを入れたくなるような装いはダメなのです」

 

この家の三義姉妹の中でぶっちぎりの露出度を誇る香風。

恋は正面から見るとマシに見えるが背後から見たら負けず劣らず肌を露出しており、一番まともなのがねねという現状である。

 

「先ず1つに離陸の際に木の枝にぶつかって怪我をしたり、着陸の際に転倒して怪我をしたりする可能性がある。それを少しでも軽減するために長袖長ズボンの服装にする」

 

「………暑くない?」

 

「良い質問だ、香風。けど、そこは大丈夫。今日は快晴で過ごしやすいけど地上でこの体感ならパラグライダーで空を飛んでいる時はむしろ寒い。その服装だと凍えちゃうかもしれない」

 

ほぼ水着同然の服装で空を飛ぼうという人はいないだろう。

というより飛ぼうとすれば止められる。

 

「同じような理由で靴も違うヤツの方がいいかな。ほら、香風の靴って足の指とか見える靴だろ?」

 

「うん」

 

「空から着陸する時、それなりの速度があるからこける事もあるんだ。その時に香風の靴だと足の爪とかが割れちゃうかもしれない。そういうのを防ぐためにも靴は恋やねねみたいな靴の方がいい」

 

「………なるほど」

 

この後に行うイベントの事前準備とも言える説明なだけあって、真剣に灯火の説明を聞く。

“ぱらぐらいだぁ”なるものが一体どういうモノなのか、その全貌を知り得ない以上一言一句漏らさず頭の中に叩き込んで想像を働かせる。

 

「で、本題だけど」

 

朝餉を食べ終えた灯火がゆっくりと茶を啜る。

何も無意味に無防備な香風の脇腹を擽った訳でも、教師の様に振舞ったワケでも無い。

今言った事は全てこの後に控える一大イベントに必要な事前知識。

 

であれば。

 

「今言った条件に当てはまる服及び靴、あと手袋は持ってたりするか?」

 

 

 

 

恋は出立の準備。

灯火とねねは此度のメインとなる器具の最終チェック。

そして当事者となる香風は─────

 

「…………ない」

 

─────こてん、と部屋の床に横倒れ、力尽きていた。

若干涙目になっているのは見間違いでは無いハズだ。

 

箪笥の中身をひっくり返しては周囲に散らばる服や手拭いの数々。

その凄惨な現場は激闘の末の光景である。

 

そもそも香風の記憶の限りだとこんな日差しがあって暖かい日に着るような長物を購入した覚えはない。

元より服に頓着しない香風は、戦場に出る事も相まって常に動きやすさを一番に考えていた。

 

加えて“汚部屋”から長安の頃の灯火の借り家へ引っ越すタイミングで不要分を捨てていたので、服装も最低限しか保持していなかった次第。

着た服を脱ぎ捨てて放置したらシミになってた(※オブラートな表現)、とは“汚部屋”を掃除した灯火の言である。

 

勿論今の一着だけという訳では無い。

全く同じ服だったり、同じ装いの色違いだったり、似たような服装だったり、寝間着だったりとそこはちゃんと日常生活に支障をきたさない程度に所持している。

 

だが、逆に言うと生活に支障をきたさない程度しか持っていないという意味でもある。

 

この世界には太陽照り付ける暑い日もあれば積雪を観測する寒い日だってある。

それに合わせて長物を着るかいつもの服装を着るか、という使い分けはする。

 

─────それだけである。

故にこうした非日常に適応できる様な服装は………今、この現状が物語っていた。

 

「こうなったら─────」

 

決意した表情で手に持つは現代で言うところのスウェット風の服。

普段着として外に行く用の服ではなく、戦場に赴くための服でもない。

涼州の夜は冷えるという事もあり寝間着の一つとして購入した服だ。

 

灯火が言うにはこんな日でも空を飛べば寒く感じるという。

であればきっとこの服でも問題は無いハズ、なんて思考が巡る。

 

因みにもう一着はもこもこした一枚モノの着ぐるみ風寝間着である。

 

「香風? 服は見つかっ…………」

 

「あ、お兄ちゃん」

 

点検を終えた灯火が香風の様子を見に来て、それは一目瞭然だった。

散乱する衣服の数々、香風が手に持つ服。

 

─────それで、理解が及ばない灯火ではない。

 

確かに空を飛べば風をモロに受けるため、真夏でも涼しく感じるほどの体感となる。

のだが、それは小さな山の頂上以上の高度から飛び立った時の話だ。

 

「香風? 俺の記憶が正しければ、それは寒い時に着る寝間着だった気がするけど?」

 

「………………ダメ?」

 

絶句する灯火と無自覚な上目遣いで手に持った服を見せてくる香風。

その破壊力は普段であれば灯火の思考を骨抜きにするほどの威力を持つが、だからこそ今の灯火には通じなかった。

長物を用意してくれとは伝えたが、限度はある。

 

「………ダメ。熱中症で倒れるか、脱水症状で倒れかねないから却下だ」

 

香風はパラグライダーなるものを灯火からの伝聞でしか知らない。

空を飛べば寒くすら感じる事がある、と伝えたのがまずかった。

初心者がいきなりそんな高度から飛ぶなんてことは出来ないのだ。

あと道具的にも初手でそれを行うのは怖い。

 

やるとすれば先ず精々高さ三十メートルはあるかどうかの急な下り坂、それを駆け降りながら飛行訓練を重ねる事から始めなければならない。

つまりそれは三十メートルの落差がある坂道を飛ぶ度に登らないといけない、という意味でもある。

 

許可したら汗だくになって香風が倒れる、と半ば確信があった。

 

「香風─────服を買いに行こう」

 

「………うん」

 

気落ちする香風を慰める様に優しく頭を撫でる。

 

「気にしない気にしない。どうせ今日の昼用に食材の買い出しにも行く予定だったし出かける準備をしよう、香風。善は急げ、だ」

 

その言葉に素直に頷いた香風だった。

 

 

 

 

 




次話は近日アップします


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The Blue Bird 香風 04 (2/3)

 

 

 

(2)

 

街中を歩く。

閑静な住宅が並ぶ地区から店が立ち並ぶ商業地区へ。

それだけで周囲には人々の声が溢れ、賑わいある大通りに辿り着く。

 

「………………」

 

灯火の手を握りながら香風は街並みをぼんやりと眺め見る。

 

道幅は洛陽ほどの大通りではないにしろ、活気という点では恐らく洛陽よりも上だ。

その実情はどちらかと言えば洛陽に在るべき活気が萎んでいるせいでもあったりするが、今は置いておこう。

 

そして無論、その対比評価は比較対象が落ちぶれている事だけが原因ではない。

 

葡萄美酒という今まで漢の民が知らなかった様なワインなどの飲食品。

明かりに通せば緑色や青色に光る夜光杯といった小道具の数々。

服の素材として使える生地、冬場厳しい冷え込みになる涼州において必須の分厚い毛皮、などなど。

 

灯火が始めた西域との商談は鶸に引き継がれ、今やこうして西域の品々が仕入先の店に並んでいるのだ。

ここよりも更に西ではもっと種類豊富な品が店頭を飾っている事だろう。

 

涼州は土地柄決して肥沃な土地ではなく、自前で用意できるモノは平野部と比べれば少ない。

だからこそこの地に住み着いた先祖たちが工夫を熟し農業を始め、都に降りてはモノを得て帰ってくる。

その延長線上がこの街で、今や東西を結ぶ流通拠点の一つとなっている。

 

都と比べればまだ規模は小さいかもしれない。

だが人が行き交えばモノもそこを通り、店ができ、人が集まる。

涼州を依然として“田舎”と呼ぶ都の役人達に目の前の光景を見せて、彼らは果たして同じことを言えるだろうか。

 

そして本人は欠片も主張しようともしないけれど、この光景を作り出す一端を担った人が今こうして手を握っている人なのだ。

それを少しだけ、誇らしく感じていた。

 

「?」

 

香風とは灯火を挟んで反対側、恋はこの周囲のざわつきに首を傾げる。

 

自分達の方を見ては小声で何やら話している人たち。

その話の内容までは流石に聞こえない。

 

「恋殿、どうしたのです?」

 

「………何でもない」

 

何を話しているかは分からないが、少なくとも“嫌な感じ”はしない。

であれば気にする必要もない。

そう完結させて灯火の腕を組んだ。

 

昨日よりも、今日。

目覚めてからずっと心が弾んで、触れ合っていると体が熱くなる。

それは決して不快なものじゃなく、むしろとても心地がいい。

 

ゆっくりと進む時間。

同じ道を昨日も歩いたはずなのに、今日の方が輝いてみえる。

そんな心を表現するように更に近く、歩くのを邪魔しないぎりぎりまで寄り添って歩いて行く。

 

それが周囲に砂糖を振りまいているということには気付かない恋である。

 

 

急がず、騒がず、ゆったりと歩みを進める。

 

「これから香風の服を見る訳だけど、せっかくだし恋とねねも何か服を買うか?」

 

目的地はこの街で一番大きい服屋。

ただ大きいだけではなく中身も大変充実しており、子供服から大人用、紳士服から婦人服、チャイナ服からコスプレまで何でもござれというカオスっぷり。

かくいう三人のコスプレ衣装を購入したのもこの服屋であり、服の種類・質という点において他店の追随は許さないだろう。

“阿蘇阿蘇”を執筆している著者がこの服屋を訪れた、なんて噂があったりするあたり、いずれこの服屋がファッションの流行りの起点となる日は近い。

 

「………服なら、前に買ったのがある」

 

「前のかぁ」

 

恋の言葉に苦笑するしかなかった。

 

店で購入した服、つまりはバニーガール衣装。

流石にあれを着て外出するのは許可しないし、したくない。

そこには確かにちょっとした独占欲なんてものも含まれていたりする。

 

「恋殿、“アレ”を普段着として数えるのはやめた方がいいのです」

 

家に住む人物の中で恐らく一番お洒落に近いであろうねねと同意見だ。

ねねも恋があの衣装を着て外に出ようとすれば灯火を大急ぎで呼んで考え直すよう共に説得することだろう。

 

「………」

 

灯火とねね、二人からそう言われてしまうと恋としても反論する余地は無く、視線を横に逸らして考える。

 

服を買いに出かける、と言えば二つ返事でついてきた二人。

こうしてどこかに買い物に出かけると言えば特別何かが無い限りは一緒に出掛ける。

それが例え興味のない服屋であったとしても、である。

 

「………どんな服がいい?」

 

おや? と思った。

いつもであれば特に要らないだとか間に合っているだとか興味ないだとか、まあ要するに否定的な言葉が出てくるのがほとんど。

こうして前向きな言葉が出てくる事に素直に驚いた。

 

「どんな服、か。さて、恋なら何を着ても似合うからなぁ。一番いいのは恋が着たいと思う服だけど………」

 

「あ、灯火じゃないか」

 

角を曲がった先で聞きなれた声が耳に届く。

恋に向けていた視線を前に戻すと、特徴的なポニーテール三姉妹とその従姉妹が居た。

 

「翠か、それに三人も。どうしたんだ、こんな早くに。この街に用事か?」

 

「おいおい、それはないだろ。こうして灯火が誘ってくれたから朝早くにやってきたってのに」

 

「む………。ということは協力してくれる、ということか?」

 

灯火の問いかけに翠の隣に居た鶸と蒲公英が頷く。

 

「はい。昨日灯火さんから伺った内容をそのまま姉さんや母様に伝えたところ、母様が快諾してくれました」

 

「まあ仕方がないよね。“人が空を飛ぶ”なんて前代未聞の実験、喰いつかない筈が無いんだから。なんなら母様が一番来たがってたし」

 

「? 馬騰殿は来られていないのですか?」

 

「母様は部族集会だよ~。昨日で決まり切らなかった残りの分の話し合い。母様の分までしっかり見届けてこいって言われたの」

 

ねねの質問に蒼が答える。

馬騰の軍は董卓軍とは違い、涼州の西側に拠点を持っている個々の集団の集まりであり、馬騰はその代表の立ち位置。

定期的に集会を開き互いの状況や今後の方針を話し合って決めている。

その代表が会議をほっぽりだす訳にもいかないため、ここにはやってきていない。

 

口元に手を当てて熟慮する。

昨日誘ったわけではあるが、あまりに急な話でもあったため来れない事を前提に今日のスケジュールを立てていた。

が、こうしてやって来てくれたのであればもう少し踏み込んだ実験が出来る。

 

「ありがとう、四人とも。対価は給金でいいか?」

 

「え? 給金が出るのか?」

 

灯火の言葉に驚く四人。

そんな様子に逆に驚いて溜息が出る灯火。

 

「………いや、当然だろ。急な話な上に仮にも馬家当主の娘三人とその従姉妹。ただ働きさせるつもりはないぞ? それとも給金以外のモノを所望か?」

 

董卓軍で言えば華雄や霞といった将に護衛や周囲の安全確保、実験の手伝いを頼むようなもの。

彼女らは董卓軍の身内ということで気軽に協力してくれたが、目の前の四人は馬家であり董卓軍ではない外部の人間。

いくら交流があって親しいとはいえ、無償のボランティアの様に顎先で起用する気はない。

 

「給金以外って………何があるんだ?」

 

「給金以外だと………そうだな、食事を提供とかになるか。一応現物支給も出来るけど、それをするくらいなら素直に給金を受け取って店で買った方が手間も無いだろ」

 

灯火らが涼州に居たのであれば一日ほど馬騰の下へ出向し、仕事の手伝いなども案に上がったかもしれない。

だが今は洛陽に務める身のためそこまでの時間的余裕は無い。

 

「食事ってどこかで食べるってことですか?」

 

「それでもいいし、俺が手料理を振舞うということも出来る。自慢ではないけど恋が満足するだけの腕は持ってるつもりだ。鶸が嫌じゃなければ、だけどな」

 

「………灯火のご飯は美味しい」

 

「恋殿、涎が垂れておりますぞ」

 

「朝ごはん、さっき食べたばっかり」

 

「…………。………垂れてない」

 

「………だってさ、お姉様。どうする? たんぽぽはどっちでもいいよ。正直給金とかより純粋に空を飛ぶところを見たいと思ったから来たわけだし」

 

三人のやりとりにクスリと笑い、決定権を持つ翠へ尋ねる。

こういう時の最終判断は長女である翠の役割だ。

 

「蒼も。あ、でも個人的には手作り料理っていうのは興味あるかな~」

 

「………私はどちらでも構いません。姉さんの決定に従います」

 

「とか言っちゃって、実は灯火さんの手料理に興味あるんでしょ~。鶸ちゃんも料理得意だもんね~」

 

「蒼っ!」

 

「お前らな………。………灯火、あたしらは別に給金がもらえるから来た訳じゃない。どっちかと言えば見物ついでに警備をする、ってくらいの感じだ。勿論、警備を疎かにするつもりはないけど、その対価として“人が空を飛ぶ”っていう偉業を見れると思ってる。それに加えて給金なんて貰ったら何もしないでお金を得たのと同じになっちまう」

 

だから対価としての給金はいらない、と。

そうきっぱり断りを入れた。

そんな翠の言葉になるほどと納得するのと同時、少しばかり感動も覚えた。

 

「………ってどうした?」

 

「いや、翠のそういう正直で真っ直ぐなところは正直好感が持てるなって」

 

「は!? な、何言ってんだよ!」

 

顔を赤らめ声を上げる翠に落ち着く様に掌を向ける。

 

「いや、お世辞じゃないぞ? 少なくとも長安やら洛陽やらですり寄ってくる連中は、普通に対価として給金を持っていくからな。それが、俺が言った通り“労働に対する対価”という至極真っ当な理由なら別に目くじらも立てないけど、そうじゃないコト(・・・・・・・・)もあるから。むしろそっちの方が多いまである」

 

そんな連中と過去も今もやり合いながら政務に励んでいるのだ。

角を立てない様に断って、溜息を吐き出す都の日々と比べれば、翠の言葉は実に気持ちがよく好感が持てた。

 

「………なんていうか、大変なんだな。都の方も」

 

「察してくれたなら嬉しい。………ま、翠の話は分かった。けど、それで“わかりました”と言う訳にもいかない。翠らがどう思っていようとも体外的に見た場合、俺が“依頼者”で翠らが“請負人”である事には変わりないし、“友人”としても“手伝ってくれる人”へのお礼はしたいからな。金銭は重すぎる………っていうなら、せめて感謝の気持ちを込めて手料理を振舞うから、それで手を打ってくれないか? 蒼も手料理に興味があるって言ってたし」

 

「やった! ね、こう言ってるしいいよね?」

 

「はぁ………まあ灯火がそれでいいって言うならあたしらはそれでいいさ」

 

「ん。ならこれで契約成立だ。今日一日はよろしく頼む、四人とも」

 

互いの代表である翠と灯火が握手を交わす。

一抹の不安要素であった現場の安全性確保はこれでクリアしたも同然だ。

 

「それで、四人揃ってどこに行こうとしてたの? もしかして早速出発?」

 

「ああ、いや。今日の実験で着る服を買おうと思って」

 

「………お兄ちゃんから話を聞いて持ってる服を探したけど、条件に合う服がなかった」

 

「正確に言えばある事にはあるけど、外で運動する向けの服じゃないってところかな。で、今からあの店に行く」

 

「なるほど、確かにあの服屋は色んな服を売ってますもんね。揃えるにはぴったりです」

 

指さされた店を見て納得する鶸。

灯火から引き継いだ西域との交易という役割も担っているため、馬家四人の中ではこの街に一番詳しい。

 

「ふ~ん………。………そうだ、お姉様もせっかくだし何か一着見繕おうよ!」

 

「は!? なんでだよ!」

 

「だって灯火さん達今からあの服屋に行くんでしょ? それまでどうするの?」

 

「どうするって、別にどうもしなくていいだろ。普通に待ってれば………」

 

「ダメダメ、時間は有効活用しないと!ただでさえお姉様ってばお洒落に興味持ってないんだから。こういう時にこそ一緒に行くべきだよ!今なら灯火さんの意見も貰えるわけだし!」

 

「えっ………」

 

蒲公英の言葉から予想外の名前が出てきて軽く驚く当人。

今の言葉が聞き間違えでないのであれば、灯火が翠の私服の批評をすることになるらしい。

 

「なんで灯火なんだよ………って、違う。いや今のは別に灯火に見て貰うのが嫌だって意味じゃないぞ!?」

 

「あ、ああ………それは話の流れから分かるから」

 

「大体服なんて、今あるのだけで十分なんだよ。どうせ可愛いのなんて似合いっこないんだから」

 

いくらかトーンダウンした翠が再度蒲公英をじろりと睨む。

しかし、睨まれた本人はどこ吹く風。

 

「似合うって。ね、灯火さんもそう思うでしょ?」

 

「なんでそこで俺に振るのさ………?」

 

「何でってここに居る中で男の人って灯火さんだけだし。………それで、どう思う?」

 

「あたしに可愛いのなんて似合わないって。そう思うだろ?」

 

翠と蒲公英の視線が灯火へ向き、吊られる様に残りの五人の視線も集中する。

到底逃げられる雰囲気ではなくなったので、翠には悪いが素直に答えることにする。

 

「いや、普通に似合うと思うけど。スタイル………あー、女性として理想的な体型をしてると思うし」

 

「………はっ?」

 

傍から見ても翠はスタイル抜群の女性。

特徴的な髪はしっかり手入れされているし、出ているところは出ており、引っ込んでいる所は引っ込んでいる。

現代に仮にこのようなスタイルの人がいれば、確実にどこかのモデルか何かかと思われても不思議ではない。

そうでなくとも告白する男性は数多だろう。

 

「な、何言って………」

 

「冗談で言ったワケじゃないからな。………とは言え、だ。本人が着たくないって言ってるところを無理矢理着させるのもよろしくないとは思う。けど、一方で蒲公英がいう事も理解できる。そこで提案」

 

「提案?」

 

灯火自身もどちらかと言えばお洒落に興味が薄い、蒲公英が言う翠側の人間のため、その翠を責めるのはお門違い。

かと言って翠ほど頑なではないので蒲公英のいう内容も理解できる。

 

「二つある。一つはこのまま翠を連れて行って三人が翠に似合う服を選ぶ。いくら嫌だと言ったって、妹たちが真剣に自分の為に選んでくれた服を無為にすることはしないだろ? ならそれを着てみたらいい。最初は恥ずかしいかもしれないけど、本当に三人が翠のことを思って選んでくれたならその服を笑うヤツは居ないハズだ。むしろ自信を持ってその服を着ればいい」

 

「………もう一つは?」

 

「“阿蘇阿蘇”って知ってるか? 色んな服の情報を取り扱う情報誌なんだが、先ずはそれを買ってみたらどうかな。せっかく四人いるんだし、一緒に雑誌を見てこの服は似合いそうだとか話し合って、先ずは翠がお洒落に多少なりとも興味を示すところから始める。翠も読まず嫌いをせずに一緒に、最初はどんな服があるんだろう程度に雑誌を眺めてみたらいいと思う。何事も興味が無いと始まりもしないからな。それに本なら買って見ても恥ずかしくはないだろ?」

 

一通り頭の中で纏めた意見を述べ終えた。

“阿蘇阿蘇”の購入検討は実際灯火も考えていた事なので、すらすらと案が口に出てきた。

 

「と、これ以上時間をかける訳にもいかないか。じゃあ俺達は先に服屋に行くから、翠の事はちゃんと四人で話し合って決めるように。本屋ならそこの三件となりの店。こっちが終わったら声を掛けるからこの辺りで時間を潰しておいてくれ」

 

無難に切り上げて恋の腕と香風の手を引いて店へと歩いて行く。

自然に、気負いなく、そのまま十分に距離を取ったところで一つ軽く息を吐いた。

 

「ふぅ、何とか切り抜けられた」

 

蒲公英の勢いのまま行くと、下手をすると翠の衣装の意見まで求められかねない状況だった。

長い間一緒に暮らしてきた恋やねね、香風の衣服ならともかく、翠のコーディネートに自信はない。

上手く三人………馬家内部の問題へ誘導出来たのは上出来だろう。

 

伊達に歳は取ってない。

 

「………灯火」

 

「ん?」

 

「ねねと香風が………」

 

「………ど、どうした………?」

 

恋に言われるがまま左右にいる二人に視線を移すと若干膨れ気味のねねとどこか気落ちした雰囲気を醸し出す香風の姿。

ねねは稀によくあるのでそこまでではないにしろ、香風がそう言った雰囲気を見せるのは本当に稀だ。

 

「どーせ、ねね達は理想的な体型ではないですよーだ」

 

「………やっぱりお兄ちゃんは胸が大きい方が好き?」

 

「………………」

 

さて。

何とも言えない空気と共に少しばかり頭痛が奔る。

 

想定できる普遍的な一般男性の感性を元に代表的な意見を述べただけであって、決して灯火の好みを翠に伝えた訳ではない。

訳では無いのだが、それをどう受け取るかは個々の判断による。

 

「─────よし。ねね、香風。先ずは俺の話を聞いてくれ」

 

こうして、有耶無耶にして流す事の出来ない戦いが始まるのであった。

 

 

 

 

青系の布地に白の太いラインが入った長袖長ズボン、靴は白と桃色の靴。

見た目は完全に現代で言う所の運動着。

 

「お兄ちゃん、どう?」

 

「いいんじゃないかな。………うん、良く似合ってて可愛いよ」

 

服自体に凝った装飾や珍しい刺繍が施されている訳ではない。

それでも香風ほどの背丈で運動着姿を見ると、そんな飾り気のない服も香風の可憐さを引き立てる服に早変わり。

現代であればちょっとした問題になること確実な感想だが、今は西暦が始まってまだ四百年も経ってないのでノーカウント。

 

「そう? なら、よかった」

 

ほんわかと笑う香風。

その顔で笑われるとつい頭を撫でたくなってしまう。

 

「しゃがんだり足を上げたり体を捻ったりしても問題はない? それで走り回る予定だから動いて確認してみて」

 

「………うん、大丈夫」

 

狭い試着室の中で器用にくるくると動く香風。

首元に巻いたスカーフにしては長すぎる、そしてマフラーにしてもやっぱり長すぎる布が香風の動きに合わせてひらひらと踊っている。

それはさながら天女が纏う羽衣の様に─────

 

「? お兄ちゃん、笑ってる。………おかしなところあった?」

 

「ああ、いや。香風に可笑しなところはない、凄く似合ってる。ただ、ちょっと昔話を思い出しただけだから」

 

しかも天………即ち“空”に関する昔話だ。

内容の論理的な観点は議題に挙げないとして、今からこの世初の人による飛行………滑空をしようとしている香風に変に結びついた。

そんな連想ゲームみたいなこじ付けに、自分に対して苦笑してしまったワケである。

 

「すみません、この上下服と靴を買います」

 

「ありがとうございます。お会計にされますか?」

 

「いや………他にも買いますので、それとまとめて買います」

 

「畏まりました。それではこちらは預からせて頂きます」

 

普段着に着なおした香風から、つい先ほどまで試着室で来ていた服を店員に渡す。

普通であれば竹籠に買うモノを入れておくのだが、この街では上の方の立場にいた二人。

来店と同時に接客にやってきた店員が対応にあたっているので、手を塞ぐことなく店内を散策している。

 

「さて………香風、他に着たい服とか欲しい服はある? さっきのは運動着として、普段着る服で何か一着」

 

「え? うーん………特には………」

 

女性モノの服や下着を取り扱うエリアで二人を探す。

どこかの誰かであればこういうエリアにいるだけであたふたと慌てるだろうが、灯火にそれはない。

手を繋いでいる香風が一緒にいるという事もあるが、幼少期から恋と一緒に過ごしてきた人生である。

当然女性モノの下着の洗濯も経験済みなので、今更店内で陳列されている下着を視界に入れたってどうということもない。

 

「……………」

 

「? お兄ちゃん?」

 

ピタリ、と足が止まる。

当然隣で歩いていた香風も足を止めた。

 

「香風、よかったらアレ、着てみない?」

 

「?」

 

灯火の指す方向。

あったのは腰回りに赤いリボンが結ばれている黒を基調としたオフショルダーワンピースだ。

 

「これ?」

 

「そう。あと隣のこれを、その黒い服を着た後で羽織る感じかな」

 

手に取ったのは隣に飾られていた薄桃色のシフォンボレロ。

無論ここでの名称はそういう名前では無いのだろうが、少なくとも“知識”有する灯火の目にはそれらと同じ様な服にしか見えない。

 

「うん、いいよ」

 

一通り見た感じでは香風の目から見ても問題はなかった。

ワンピース………つまりは一枚の大きな布。

それはものぐさな気質がある香風にとっても楽な部類の服だ。

何せこれ一枚着るだけで服装として成り立つ。

 

灯火から服を受け取って試着室に入り、改めて手に持った服を見る。

 

「お兄ちゃん、こういう服が好きなのかな」

 

何せこうして灯火から『この服を着てみないか?』と勧められるのは稀だった。(※そもそも服屋に行くこと自体、香風含めて多くない)

着て脱いで、また着て………というのは正直に言えば面倒ではあったが、今回は例外だ。

 

「えっと………これはこう、かな?」

 

横側にあるボタンを外して首回りから足を入れて全身を通してボタンを留める。

付属されてあった赤いリボンを腰回りに巻いて結び、最後に別で手渡された薄桃色の上着を着て姿見を見る。

 

「おぉ………」

 

実際に来た自分自身を見て声が漏れた。

 

ベースの黒、淡い桃色の上着、腰回りの赤いリボン。

いつもが青っぽい色の服を着ているので、その正反対とも言える色合いの服を着ている自分。

どうだろう? と期待半分不安半分で見た結果、想像よりも全然よく見えた。

 

「─────」

 

黒色の服がベースのせいか少し大人っぽくも見える。

あまり衣服関係に詳しくない香風では具体的な感想は思い浮かばない。

 

けれど今着ている服、そしてその服を着ている自分を見ていると自然と頬が緩んだ。

嬉しいんだと、姿見に映る自分の顔がほんのりと笑っているのを見て、自分の気持ちを理解した。

 

「香風? 着終えた?」

 

「うん」

 

「そうか。今ねねと恋も着替えた服を見せに来てくれたから、一緒にお披露目だ」

 

どうやら着替えている間に二人が合流したらしい。

ねねはお揃いの服を買いたいという要望でいったん別行動をしていたが、果たしてどんな服を着ているのか。

そしてこの姿を見て、どんな反応を見せてくれるのだろうと少しだけ胸がドキドキする。

試着室を仕切るカーテンを掃い、この服を選んでくれた灯火の前に出た。

 

「おぉ………!」

「……………」

 

着替えた香風の姿を見た恋とねねが予想外の姿に驚きを隠せない。

 

「………凄くいい。上品で綺麗に見えるよ、香風」

 

「そう………? えへへ、ありがとう」

 

ほんのりと頬を赤らめて笑う香風。

 

どちらかと言えば普段着よりもパーティ会場でワイングラスを片手に立食しているフォーマルな雰囲気が似合う衣装。

それは普段の香風とはまた違った、可愛さは残しつつも少し大人な雰囲気を見せる服。

 

「普段着という定義からは少し外れるけど、全然有りだな」

 

「うん………!ちょっと恥ずかしいけど、これ、気に入った」

 

頬を赤らめながらほんのりと笑う香風を、何ならこのままデッサンして一枚の絵として描き上げればきっと素晴らしい絵画になる。

むしろカメラがないこの時代、この可愛らしさと上品さを兼ね備えた“美”を残すには絵画にすべきではないだろうか。

今ならばきっとレオナルド・ダ・ヴィンチをも超越してみせる。(※まだ生まれていません)

そんな芸術にすら通じるほどの感動があった。

 

 

控えめに言ってちょっと何言っているか分からない精神状態の灯火である。

 

 

「二人は………」

 

「恋殿とお揃いの猫耳の服ですぞ。………とは言え、香風殿のその服を見てると………」

 

そこに居たのは猫。

桃色と黄色の猫耳パーカーをそれぞれ被り、服もその色に合わせたノースリーブタイプの服。

色こそ違えど来ている服は同じ種類。

 

「………恋はこの服好き。ねねとお揃い。似合ってる」

 

「そうそう。ねねの明るい雰囲気と恋の可愛らしさ、それを表現する黄色と桃色の猫耳パーカー。香風の着てるのが“上品”さなら、今二人が着てるのは“可愛らしさ”だ。二人とも可愛いと思うよ。な、香風?」

 

「うん。ねねも恋も、似合ってる」

 

「ぅ………ありがとうです」

 

先ほどまで自信満々で恋と一緒に見せに来たというのに、今は三人から素直に褒められて赤面するねねである。

 

そんな胸の奥がほんのり温かく感じるひと時を経て、会計を済ませに行く。

ルンルン気分で歩くねねと恋の背中を眺めながら、男性向けの服を扱うエリアを見向きもしない灯火に尋ねた。

 

「お兄ちゃん、お兄ちゃんの服は買わないの?」

 

「ん? 俺の服はいいかな。今着てる服で間に合っているし、三人のを買ったらいい値段になるだろうから」

 

「そっか………」

 

出来る事ならば選んでくれたお礼に灯火にも何か服を………とも考えていた香風だが、お金の事を言われると引き下がるしかない。

それに香風自身、服に詳しい訳でもない。

 

「じゃあお兄ちゃん」

 

「ん?」

 

「次来るときはお兄ちゃんの服を買おう? その時はシャンが選ぶから」

 

「え? ………はは。その時は是非とも香風のセンスに期待するよ」

 

「センス………ってなに?」

 

「…………なんて言えばいいのかなぁ」

 

ともあれ、一つ香風は決心する。

“次、来るまでにお兄ちゃんの服の勉強をしよう”と。

先ほどの馬家の四人との会話を思い出し、先ずは“阿蘇阿蘇”を買う事を決心する香風であった。

 

 

 

 





──おまけ(自宅・台所にて)

灯火「弁当作り手伝ってくれるのか?」
鶸「はい。私達も含めると人数が多くなりますから。ぜひお手伝いさせてください」
灯「わかった。因みに料理の経験は?」
鶸「ありますよ。姉さん達の食事を作ったこともあるくらいです」
灯「そっか、それは頼もしい」
鶸「はい、任せて下さい。それに灯火さんと食事を一緒に作る事ってなかなかない機会ですから」
灯「じゃ、遠慮なく手伝って貰おうかな。使う食材は、これ(ドンッ!)」
鶸「…………すみません、量がおかしくないですか?」
灯「おかしい? もしかして翠らってそんなに食べる?」
鶸「逆ですよ!量が多すぎはしませんかって」
灯「………そう?(感覚麻痺)」
鶸「えっ………い、いえそれにこれだけの食材だと切るだけで時間が」

灯「…………料理をしてると、振り返るとそこにいつも恋がいるんだ」
鶸「?は、はぁ………」
灯「匂いにつられて、でもつまみ食いも必死に我慢して。その恋が目を輝かせて俺に聞いてくるんだ」
灯「『どんな料理が出てくるんだろう』『どんなご馳走がでてくるんだろう』」
灯「─────ってさ。あの目は裏切れない」
灯「あの目に映る俺は、いつだって最高の料理人で最高の料理を提供する俺じゃなきゃいけないんだ」

灯「つまり、この台所は戦場だ」
鶸「……………」
灯「美味しい料理を作るのは料理人として当たり前。失敗は許されない、それは当然だ」
灯「その当然に加えて、恋が満たされるだけの量も必要」
灯「そして料理というのは出来たてが一番美味しい」
灯「故に必要なのは………“技術”と、“速さ”」



灯「鶸─────ついて来れるか」


鶸「…………(無理そう)」



多分、今の灯火なら料理漫画でも生きていける



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The Blue Bird 香風 04 (3/3)


幸せは ここにある




  / 青い鳥 04






 

(3)

 

必要な荷物と8人分のお弁当を携えて西へ進む。

 

大自然。

馬に乗って草原を駆け、林を抜け、野原一面に咲く花の中にある朽ちた廃屋を横目に通り過ぎていく。

はるか遠くに見える連なる背の高い山々、蒼穹の空と白い雲。

瞼を閉じれば聞こえてくる鳥の囀りと馬の足音、肌に感じる風が涼しく心地が良い。

 

地面の色、草花の色、水の色、雲の色、空の色。

風の音、水の音、動物の声、花の匂い、空気の匂い。

それらが雄大に目の前に広がっている。

 

「「ヒャッハー♪」」

 

そんな大自然を前に、馬を駆る蒲公英と蒼が走りださないハズもない。

こんな大草原、馬で駆け巡ってくださいと自然が言っているようなものなのだ。

逆に走らないと馬にも自然にも失礼だ。

 

「あっ、ちょっと二人とも!勝手に先に行かないでよ!」

 

鶸が先行しすぎる二人を静止させようと追いかけて、それに悪乗りする蒲公英と蒼。

その口を黙らせようと鶸が追いかけるという状況が出来上がるのに、そう時間はかからなかった。

 

「おーい! 三人とも、あんまり先に行くなよー………って、もう聞こえてないか」

 

どんどん先行していく三人の背に長女である翠が声を掛けるも、その声が届くことはない。

 

「一応三人はねね達の護衛の為に同行していると認識しているのですが、大丈夫でしょうか」

 

「………大丈夫。恋が守る」

 

「恋殿が後れを取る様な輩など居るハズがないのです。そうではなく、こう当初の目的というか立場というか………」

 

確かに名目上三人は護衛という立場であるため、ああして先行しすぎるのは頂けない。

或いは斥候と言えばまだ大丈夫なのだろうか。

どちらにせよ、恋の柔らかな体を背中いっぱいに受けて幸せを感じている今のねねが言っても気が抜けるだけである。

 

そんな二人を横目に香風は再度真正面に広がる景色を見る。

 

 

─────(こういうの)もいいかもしれない。もちろん、お兄ちゃんも一緒で

 

 

生まれも育ちも司隷である香風は比較的近場へ出かけた事はあっても、こうして完全な私的な理由でどこかへ遠出をした事はなかった。

公的なモノであれば東西南北に奔走もしたが、仕事(そんなもの)を数に数えたくはない。

将という立場上、こうして何も考えず自然を感じる心地良い空間も状況も存在はしなかったのだから。

 

「………カメラがあればな」

 

「? かめら?」

 

座る香風の背もたれの役割を(結果として)担っている灯火が零した言葉に反応する。

そりゃあこれだけの至近距離ならば聞き洩らす事も無いだろう。

因みに香風の馬には人の代わりにパラグライダーの荷物が積まれている。

 

「今見ている風景を一瞬で記憶する媒体………道具のことだよ」

 

見渡すほどの丘陵は草原で小川も見え、空は青空と白い雲。

絵に描いた様な自然は、何度見ても心に清涼を齎してくれる。

比較対象(現代)を知るが故に、カメラがあればと思わずにはいられなかった。

 

「そんなものがあるんだ」

 

「いや、そんなものはないよ」

 

「………??? ないの?」

 

「何言ってるんだ、ってなるよね。香風は正しいから、気にしなくていいよ」

 

苦笑する。

カメラなんて道具は存在しない。

今までに積み重なってきた歴史を隅から隅まで探したとしても存在しない。

文字通り現時点でこの世に存在しないもの(・・・・・・・・・・・)を、あたかも存在するような口ぶりで言った灯火が悪い。

 

気にするなと頭を撫でて、清々しいほど雄大な自然へと視線を戻した。

それに釣られる様に香風もまた視線を前へ向ける。

 

「……………」

 

此処からもっと東には黄河なんか比じゃないほどの広い海が広がって、その先には島がある。

此処からもっと西には今いる場所よりももっと高い山がいっぱいあって、その先にも世界が続いている。

北に行けば凍える様な大地が、南に行けばずっと温かい場所がある。

 

以前、涼州から豫洲へ向かう際に灯火から聞いた事を思い出した。

 

例えば目の前に広がる景色よりもずっと凄くて綺麗で素敵な景色があって。

そこで前みたいにめいっぱい四人で楽しく過ごせたなら─────それは、どんなに素敵で楽しい事だろう。

 

思わずにはいられない。

いられないが、目的地と指定された場所が近づくにつれて今まで静かだった“期待”という名の胸の高鳴りは大きくなってくる。

 

「さて、到着だな」

 

目の前には木が生えていない、急斜面の芝生。

 

今日、ここで。

 

 

 

─────シャンは、空を飛ぶ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

馬から降り、荷物を地面へ降ろしながら空を見上げる。

 

「天気は快晴………雲の動きからして上空の風もさほど強くない。風向きは西から東で、東の空に雨雲らしき影もなし、と」

 

天候に関しては問題無し。

パラグライダーは何よりも天候に左右されるため、雨が降るのは勿論、強風の時だって場合によっては中止。

何かがあれば何も出来ずに地面へ墜落する故に、環境の確認は怠らない。

 

そしてそれは何も“空”に限った話でもない。

 

「それじゃ、翠。よろしく頼む」

 

「わかった。三人とも、ここら一帯を見回るぞ。不審な奴がいればすぐに声をあげる、人喰い動物がいたら追っ払うか討伐だ」

 

「「「了解」」」

 

ここは現代と違い、まだまだ人の手が及んでいない大自然。

現代ならば猪と遭遇してしまった、という遭遇率で人喰い虎が目の前に現れたりもする。

 

安全とは言い難い状況。

加えてこの時代には動物だけでなく治安もいいとは言い難い故に、こうして馬家に警備依頼を申し込んだ。

 

長女である翠の号令と共に馬家の四名が周囲へ散っていく。

外敵の発見から討伐まで行っている彼女らであれば今回の活動範囲程度の見回りは四人だけも十分。

仮に翠でも厳しい敵が現れたとしてもこの場には“最強”が居る以上、負けは無い。

 

「ねね、悪いけど荷駄の中身を出してくれ。ここを今回の拠点の場にするから設営を頼む。恋はねねの手伝いを。香風はこっちに来て」

 

「わかったのです」

 

「………わかった」

 

設営と言ったって、軍の遠征で立てる様な立派なテントではない。

少し広めのシートを地面に敷いて、その上に昼食用のお弁当などの荷物を置いていく。

要はピクニックの場所確保のようなモノである。

 

「はい。これを被って」

 

手渡されたのは兵が被る兜そのもの。

違う所は凝った意匠などなく、丸みを帯びた、本当に頭の保護だけを目的とした形に整えられているところか。

戦場でも被らない兜をまさかここで被るとは思わなかったが、こうして手渡してくる以上必要なモノと認識して何も言わずに被る。

 

色合いは香風に合わせた明るい色に塗装しており、内側には分厚い布が敷かれていた。

被ってみれば兜特有の頭にぶつかる硬い感覚はなく、外から軽く小突いてみても分厚い布が頭への衝撃を和らげている。

 

「どう? 小さいとか頭が痛いとか、そういうのはないよな?」

 

「うん。大丈夫」

 

香風の言葉に灯火も頷き、さっそくこれからの予定を伝える。

 

「最初は今見えている坂の上で、フライト………飛ぶ練習を行う。はっきり言ってこの行為自体に危険はほとんどない」

 

灯火の視線に釣られてみればかなりの急斜面が見える。

天然の芝生の坂に木は存在しておらず、雪積もる真冬に訪れれば小さなゲレンデにもなりそうな斜面。

 

「よくこんな場所を見つけましたな。もしや西域との交易の時から場所を選定していたのです?」

 

設営を終えたねねと恋が会話に入ってきた。

 

「設営ありがと。香風が空を飛びたいっていう“夢”は涼州(こっち)に帰ってくる前に聞いていたし、良さげな場所は行き来しながら探してたんだ」

 

灯火の言葉を聞いた恋がぼんやりと納得する。

涼州西側には何回か赴いたが、毎回毎回通る道は違っていた。

恋としては別にどの道で行こうが灯火と一緒ならば問題無いと考えていたけれど、道を変えていたのはこれが理由だったらしい。

 

「香風は初心者だから、この練習で一日を掛けるつもり。これは香風の操作技術・状況対応能力とか諸々の経験を積むのと同時、このパラグライダー自体の耐久実験も兼ねてる」

 

「てっきり山の上まで行くかと思った」

 

「それは機材の損耗具合と香風の習熟度次第かな」

 

「ほんと………? なら、頑張って上達する」

 

「とは言ってもこの坂なら上の方からの練習でもちょっとした滑空は出来ると思うから、上達は二番目として先ずは楽しんでね」

 

「うん!」

 

いい笑顔で返事をする香風。

 

有史以来人が空を飛ぶという前例は存在しておらず、現時点において空想の産物状態。

もし“飛行”が実現したのであればまさしく“大偉業”。

個人的な夢の第一歩として、そんな大偉業の瞬間の当事者として、胸が躍らない訳が無い。

 

「前置きはそれくらいにして、そろそろ本命をお披露目してはどうです?」

 

「だな」

 

そしてそれはねねもまた同様だ。

香風の手前静かに見ているが、内心はこれからの事に胸を期待で膨らませている。

 

「よし。それじゃあ、お待ちかねのパラグライダーのお披露目だ」

 

荷物の一つ、大きな布袋の中からパラグライダーの本体であるキャノピーを取り出す。

ねねは灯火と共に点検をしているのでその全貌は知っているし、恋はその耐久実験を手伝ったことがあるのでやはり知っている。

ただ一人、香風だけが当日のお楽しみということで未だに知らないその姿。

 

袋の口を開けると白い生地が見えて、それをゆっくり慎重に取り出して地面に広げていく。

最初はただの白い生地で、広げていくにつれて青い線が描かれていく。

端から端まで、香風よりも何倍もの大きさの翼を広げてみると。

 

「おぉ………」

 

そこに、一羽の鳥が描かれていた。

翼を大きく広げ羽搏いている、青を基調とした鳥。

大空に舞う鳥を下から描いた姿はどこにでもある構図でありながら、羽の先に至るほど白の生地に溶け込んでいく様に丁寧に装飾された“翼”。

その全貌が明らかになった。

 

「鳥を青色で描いてるのは、何か理由があるのです? 青空を意識しているとか」

 

「確かに青空を意識したものでもあるけど………」

 

「けど?」

 

一瞬三人から視線を外して思惟したが、今更だと息を吐いた。

 

「…………“幸せの青い鳥”っていう個人的な思想も入ってる」

 

「“幸せの青い鳥”、ですか?」

 

ねねが呟くが、その声色には疑問がありありと見て取れる。

隣を見れば香風も─────

 

「“幸せ”………。今、シャンは幸せだけどこれからもっと幸せになる」

 

─────特に気にしてなかった。

というより目がキラキラと輝いてキャノピーに釘付けだった。

 

いつか見た光景が、香風の中に蘇る。

空を飛びたいと、ただ漠然と話した時に見上げた空。

その先に悠然と羽搏いていた鳥。

 

今までのことを思い出しこれからのことに思いを馳せている香風からすれば、灯火の言った“幸せの青い鳥”はまさしくその通りのこと。

それがどこからの情報だとか気にする理由などなく、例えそれが灯火が作り出した独自のモノであったとしても今の香風は素直に受け止めるだろう。

 

「ま、気になるねねの為に言っておくとそういう童話があってそこから案を拝借してきた、ってだけだから。気にしないでね」

 

「………まあ、追及するつもりもないです」

 

灯火だし、なんて小さく呟くねねであった。

 

「で………恋、そこの荷駄をこっちに」

 

「………わかった」

 

いつの間にか灯火の隣で立っていた恋に声をかけて大きめの、しかし軽い黒い大きな塊を香風の前に置いた。

よく見れば人が背負える様な作りになっているそれは、パラグライダーを構成する機具で“ハーネス”と呼ばれるもの。

 

「着陸時に安全に着陸するための緩衝材であり、空を飛ぶときの椅子にもなるもの。これを背負って実際に飛ぶことになる」

 

「おぉー………!」

 

「香風殿がさっきから同じ言葉しか言ってないのです」

 

「………目がきらきらしてる」

 

さっきの言葉に反応はしているので、灯火の声が聞こえていない訳では無いのは分かる。

ただ純粋に、この後のことを考えた時にワクワクやらドキドキやらが限界突破して一時的に言語化能力が低下しているのだろう。

 

「もう待ちきれない、って感じだな。じゃあ早速準備をしよう」

 

「うん!」

 

喜ばせるために色々と準備をしてきた灯火からすれば、想像を超える反応を見せてくれた香風がより一層可愛く見える。

その笑顔を曇らせない為にも、今日一日は付きっ切りで相手をしようと誓うのだった。

 

 

 

 

 

 

「なんだ、もう登ったのか。せっかくならその“ぱらぐらいだぁ”とやらを見てみたかったんだけど」

 

周囲の安全確認を終えた翠らが拠点へと戻ってきた。

その時には既に香風と灯火は坂の上へと移動しており、翠らはパラグライダーの全貌を知る事が出来なかった。

とは言え、それも時間の問題だ。

 

「慌てなくともすぐに見れるのです。取り敢えず座って待っていてはどうです? 灯火が用意した茶請けもありますぞ」

 

「いや、遠慮しておく。一応あたしらは警備の為に雇われたからな。何かあった時にすぐに動ける様に─────」

 

「おまえの妹は普通に茶を啜っているのですが」

 

「─────っておい、コラ! 蒼、蒲公英!何寛いでるんだよ!」

 

長女である翠の言葉を後目に拠点に座り茶を啜る蒼と蒲公英。

恋も灯火お手製の茶請けの中でも、特に好きな菓子を美味しそうに頬張っている。

 

「お姉様はお茶も茶請けも要らないの? こんなに美味しいのに? なら蒲公英が貰っちゃうけど、いい?」

 

「よくない!」

 

灯火の茶請けが美味いのは、一度恋の家に寄った時に口にしたので知っている。

自分の分までちゃんと用意されているのであれば、それをみすみす蒲公英にあげてやる道理などないのだ。

 

 

 

 

 

 

そんな会話から少し離れた場所に一式を身に纏った香風が立っていた。

頭を守る兜、自分の身体と同じくらいの大きさだけれど中身がクッションなので重くないハーネス、そしてその後ろの地面に広げられた“翼”。

まさに見た目だけで言えば文句なしの装備である。

 

「それじゃ先ずは立ち上げから。当然だけど翼が地面についてたら飛ぶ事は出来ないから、翼を上に持ち上げる事から覚えよう」

 

「わかった。どうしたらいい?」

 

はやる気持ちを落ち着かせてしっかりと耳を澄ますも、瞳の中はキラキラと輝き放っている。

香風にとって何もかもが未知であり、何もかもが初めての体験。

しかもそれが他ならぬ空を飛ぶものとあれば、無理もないだろう。

 

「胸を張って前に走る。腕は肘から先を上にして、今握ってるのは離さない。大事なのは胸を張って前へ進むこと」

 

「………それだけでいいの?」

 

「凧上げだって難しい事はしなかっただろ? パラグライダーもややこしい手順なんてないんだよ」

 

凧上げの時ほど簡単ではないし感覚も異なるが、だからと言って複雑怪奇な手順な訳もない。

灯火の言葉に頷いた香風が、言われた通り前へ駆ける。

 

………が。

 

「うっ!? す、進まないぃぃ………!」

 

駆けだして数歩………まで進んだ直後、後ろへ物凄い力で引っ張られる様な感覚が香風を襲う。

それは現在進行形で“翼”であるキャノピーに空気を送り込んでいる事で発生している抵抗によるものなのだが、当然香風はそんなことは知らない。

下手をすればそのまま後ろに倒れそうな力、前に進もうとして一歩も踏み出せなくなるという経験は今まで体験した事のない感覚だ。

 

「っ………やぁっ!」

 

「あっ」

 

だが、そこは武人たる香風。

氣を身体に巡らせ、大きく一歩前進したと同時に─────

 

「…………あれ?」

 

先ほどまであった後ろへの抵抗がなくなり、同時に視界を遮る様に白い布が香風の視界に落ちてきた。

なんてこともなく、ただ頭上に上がったキャノピーがそのまま落ちてきただけである。

 

「香風。気合を入れるのはいいけど、勢いで両腕が下に下がったぞ」

 

「あ…………」

 

氣を使えない灯火ではあまりに想定外の行動を仕出かした香風に、ただただ苦笑するしかなかった。

だが興味を持ったものであれば抜群の記憶能力を有する香風ならば、数回やるだけでコツは掴めるハズだろう。

 

 

 

 

 

 

その光景を、恋たちははっきりと見た。

 

「………“翼”、浮いてましたね」

 

鶸の言葉に一同頷く。

翠らが想像していたよりも随分と大きな“翼”が重力に逆らって香風の頭上に展開されていた。

 

灯火が聞けば驚くほどの事でもないよ、と言うだろう。

だが空気力学はおろか流体力学もない今の時代、あれほど巨大な布の翼が一時的にでも空中に浮いたというのは翠らをして驚愕に値する光景である。

 

「………これってもしかして、本当に飛んじゃう?」

 

「おい、お花。灯火がことこの件に関して嘘を言うと思うのですか?」

 

じとり、と睨む。

睡眠時間を削って服屋に入り浸り、製作図を元に“翼”の雛型を作り上げていたことをねねは知っている。

その作り上げた雛型を耐久試験に持って行って実験をして、ダメになったらまた作り直しをしていたことを恋は知っている。

政務の傍ら、気付かれない様に節約しながら浮いたお金と時間を使って、香風の夢の為に“ぱらぐらいだぁ計画”の陣頭指揮を執っていた事を二人は知っている。

そんな彼の行動が嘘である筈が無いのだ。

 

「お花って蒲公英のこと!? ………いやいや、別に悪気があったわけじゃないし、見る為に来た訳だけどさ。ちょっと現実に追いついていないというか」

 

“空を飛ぶ”。

翠らは想像すらしないことを本気で夢見た少女と、それを実現させる術を持つ人間。

夢を鼻で笑うような事はしないしするつもりもなかったが、それでも心のどこかで“人は空を飛べない”という考えはあった。

 

「言いたい事はわからなくもないのです。─────が、甘い。その“現実”をぶち壊すのが灯火なのですよ。だから間違っても“妖術”の類なんて勘違いはしないように!」

 

「………もしかして、今回人を集めなかった理由って?」

 

蒼の疑問にねねが頷く。

 

「“空を飛ぶ”というのは歴史的大偉業であることは間違いないのです。ですが、それがすんなりと受け止められるかはまた別の話。灯火が言うには最悪何も知らない人間が大騒ぎをして“ぱらぐらいだぁ”を壊してしまうかもしれないと危惧していたのです」

 

例えばモンゴルフィエ兄弟。

この兄弟が作り上げた熱気球は、制御を失って空を漂い落ちてきた。

そこに居合わせた住人が恐れをなしてその熱気球を破壊してしまったという歴史がある。

無論、今から約千五百年後の未来の出来事だ。

 

「………なんか不思議な奴だとは思ってたけど。アイツ、何が見えてるんだ?」

 

翠の疑問も至極当たり前のこと。

ライト兄弟は千九百年代、モンゴルフィエ兄弟ですら千七百八十年代。

 

千年以上先の常識を知れ、と言う方が無茶な注文だ。

仮に翠に空を飛ぶ方法を提案してくれと頼んでも、せいぜい鳥を模倣した何か程度しかないだろう。

 

馬鹿にしてはいない。

それがこの世界の常識なのだから(・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 

 

 

 

「香風が今握っているのは“フロントコード”と“ブレークコード”っていう二種類だ。その内、黒い布で束ねてる方が“フロントコード”で“翼”に空気を送って頭上に引っ張り上げるためのもの。だから完全に立ち上がった後はこのコードは手放さないといけない」

 

講義は続く。

手に握った二種類のコードの説明を真剣に聴く。

 

先ほどのは凧揚げの時に受けた風の抵抗が物凄く大きくなったモノ、という認識。

実際その通りだと褒めてくれた。

 

けれど、それを言うならば香風こそ灯火には感謝しかない。

仮に凧あげを経験しなかったら、そもそも“風の力”とはどんなものなのか、という知識も認識もなかったのだから。

 

「“翼”が立ち上がったかどうかは感覚として分からないだろうから最初は放すように指示を出す。………で、もう一つの“ブレークコード”がパラグライダーを操作する紐の束。右手に持った“ブレークコード”を下に下げればパラグライダーは右に旋回する。左手を下げれば左に、両手を下げれば減速だ。これに関してはまだ操作する必要はないから覚えておくだけ覚えてて。………ここまでで質問は?」

 

「大丈夫。覚えた」

 

力強く頷いて返事をする。

視線は前に、握る手には力が籠る。

灯火と視線を合わせると同時に前進する。

 

数歩目に襲ってくる風の抵抗。

それが“翼”………キャノピーに空気を送り込んで頭上へ展開している証左。

一度目は初めての感覚に戸惑い“氣”を使ったが、二度目にそれは不要。

腕は下げない、常に前へ進もうと姿勢を保つ。

言われた事を頭の中で再生して実践する。

 

「放して!」

 

体への負荷が軽くなり始めたところに灯火の合図。

“ふろんとこぉど”を手放して、重く進む事すら困難だったからだはまた一歩二歩と前へ進み始める。

 

これが初歩の初歩、立ち上げ。

見上げた頭上には視界いっぱいに“翼”が広がっている。

 

「─────すごい」

 

時間にすればほとんど一瞬だった。

けれど、それでも確かに自分の上で大きな“青い鳥”が空を飛んでいる姿を見る事が出来た。

 

「これが離陸への第一歩。言ってみれば鳥が空へ飛ぶために翼を広げて羽搏こうとしている様なモノ。さ、もう数回やってみよう」

 

「わかった!」

 

飛ぶための翼、描かれた“青い鳥”。

それを見るだけで、いつかの日の思い出が遠く映った。

 

 

 

 

 

 

 

 

数度同様の訓練を行い、その感覚を身に覚えさせた香風は次なるステップへと進む。

そのステップこそが大本命でもある。

 

「一つは前に足を動かし続けること、もう一つは上に跳ばないこと」

 

「? 跳んじゃダメ?」

 

「ダメ。跳ぶと逆に飛べなくなるから、ひたすら前に走り続ける。俺も香風と並走するから香風は前だけを見てて」

 

坂の下には念のために馬家の四人と恋、ねねが待機している。

ただ駆け降りるだけなので危険は無いだろうが、万が一というヤツだ。

 

 

「とにかく恋たちの所に向かって走ればいい?」

 

「そう。合図をしたら“フロントコード”を放してね」

 

「わかった」

 

灯火が離れたのを確認して前進する。数歩後の風の抵抗ももう慣れたモノ。

灯火の合図でコードを放して下り坂を駆け降りる。

 

「っ?」

 

股下に通した固定帯が香風を上に締め付ける。

それでも足を止めず坂を駆け降りていく。

駆け降りて、駆け降りて。

 

 

 

足が、地面に届かなくなった。

 

「………え?」

 

咄嗟に自分の足を見てみると、地面はすぐそこにある。

足もちゃんと前に進もうと動いている。

 

 

 

単純な話。

香風の身長よりも高い位置に香風が居れば香風の足は地面に届かない。

 

 

 

「浮いて─────」

「腕、下げて香風!」

「っ!」

 

浮いている、という事実はすぐさま把握したけれど、それに感慨深く耽る余裕は無かった。

飛んで行かないように帯を掴みながら並走している灯火の声。

腕を下げるとすぐさま足に地面がついて、気が付いた時には香風は既に坂を下りきっていた。

 

『………………』

 

それを間近で見ていた恋とねねも、そして馬家の四人も。

何よりパラグライダーを身に着けてたった今、坂を駆け降りてきた香風本人さえも、誰も言葉を発せなかった。

灯火は単純に息が上がって喋れないだけだったが。

 

高さにすれば人一人分の高さすらなかっただろう。

それこそ香風や恋が全力でジャンプした方が高いハズだ。

大よそ飛行と呼べるものではない。遠目から見たら浮いている事を視認できたかどうかも怪しいぐらいの高さしかなかった。

 

それでも。

香風は地面すれすれに宙に浮いて、宙を移動したという事実は変わらない。

 

「凄いぞ、香風! ほんの少しだけど浮いてたぞ!」

「ホントホント! ねぇねぇ、どんな感覚だった!?」

「もっと高いところからなら飛べたりする!?」

 

「え? えっと………」

 

堰を切ったように三人が香風に詰め寄ってくる。

興奮気味な翠、蒲公英、蒼。

唯一姉妹の中で一番冷静な鶸も、まるで狐に包まれたかのような表情で先ほどの光景を思い返していた。

 

「ねねさんは確かあれの製作のお手伝いをされていたんですよね?」

 

「………してはいたのですが、こうして身に着けて人が浮くというのは今回が初めて見るのです」

 

周りがお祭り状態になっても当の本人である香風は未だに現実味が無い。

何せとにかく前にがむしゃらに前に走り続けた。

そんな中で突然足が地面につかなくなった、とあれば『浮いたという事実はあっても浮いたという現実味は無い』というのはあり得る話だ。

或いはもっと高く、もっと長くその感覚があれば、きっと周囲が盛り上がっている以上の熱が香風にも訪れるのだろう。

 

けれど、残念ながら先ほどのは短すぎた。

 

「………よくわからなかった?」

 

「よくわからなかった。その…………駆け降りるのに必死で、気が付いたら少しだけ浮いてた」

 

「まあ高く行き過ぎない様に掴んでたからな。けど………うん、次はきっと大丈夫だ」

 

息を整えた灯火が会話に入ってくる。

こけない様に気を付けながら天然の坂道を全力で駆け降りるのは案外大変なのだ。

 

「恋」

 

「………?」

 

「赤兎馬であの坂は駆け降りれるか?」

 

「………平気」

 

「恋の後ろに俺が乗っても?」

 

灯火の言葉を聞いて考えを巡らす。

人二人分の重量と、あの急な坂道。

赤兎馬であれば二人分の重量でも平気だろうが、あの坂道を下るとなると灯火がしっかり恋に掴まっていないと危ないだろう。

 

「平気。………ただ、恋にちゃんと掴まってて」

 

「わかった、俺も落馬はしたくないからね。じゃあ次は一緒に上に行こう」

 

灯火の了承の言葉にほんのり笑顔になる。

頼まれたからというのもあるし、落馬しないようにという理由もある。

けれど一番の理由は掴まる事による密着、体の触れ合い。

 

─────昨夜の出来事からちょっぴり賢しくなった恋である。

 

「灯火、ねねはどうすれば?」

 

「ねねはここら辺に荷物として持ってきた古着やら古い布団やらをここらに敷き詰めておいて。目印と同時に緩衝材にする。翠たちもねねを手伝ってくれないか?」

 

「ああ、いいぜ」

 

「蒼たちのお馬さん達にも載せてた荷物ってこれに使うの?」

 

「………天気がいいからって流石にここで布団を敷いて寝るつもりはないぞ?」

 

「………えへ♪」

 

「………なんか、妹がすみません」

 

ねねと翠らに拠点付近に残ってもらい、香風・灯火・恋は急斜面を登っていく。

パラグライダーの機具を装着したままの香風一人では、“翼”であるキャノピーを地面にこすらずに持っていくのは難しいので灯火も協力して持ち上げている。

 

先ほどよりもずっと高い位置に陣取り、見下ろす。

拠点付近一帯には荷物の大半を占めていた緩衝材が敷き詰められていた。

 

「さて、香風。さっきは一瞬すぎてわからなかったかもしれないけど、この高さなら確実に“空を飛ぶ”」

 

「………!うん」

 

「操縦方法は覚えてるよな? 右手を下げれば右へ曲がり、左手を下げれば左へ曲がる。両手を下げれば減速だ」

 

「大丈夫、覚えてる」

 

灯火の言葉一つ一つを噛み締めて頷く。

その表情がいつもとは違う、戦場に赴く様な真剣な眼差しに香風もまた気持ちを引き締める。

 

「ここから目的地であるねねのいる拠点まで。ここであれば間違って大きく左右に動くこともないし、上昇気流に捕まって急上昇することもない」

 

「? じょーしょーきりゅう?」

 

「………うん、まあ言うなれば空に向かって吹きあがる風のことだよ。今いる場所よりも空高く飛ぼうとするなら、この風をうまく捉える必要があるんだ」

 

「ここより、高く………?」

 

そう言って空を見上げる。

白い雲がゆっくりと流れる青い空。

そんな空に向かって吹く風があるなんて、初めて知った。

 

「いい事だけじゃなくて怖い事もあるんだけど、それはまた今度。やり方はさっきと同じ、香風はただ前を見て走る。“翼”が立ち上がった時は声をかけるから、準備して」

 

「わかった」

 

色のついた糸が絡まない様に整えて、フロントコードとブレークコードを握り、先ほどよりも更に下になった終点を見下ろす。

逸る気持ち、胸の高鳴りを落ち着かせるように深呼吸。

 

タイミングは香風次第。

瞼を一度強く閉じ、見開いて前傾姿勢。

 

胸を張り、前を見て足を進める。

数歩だけ強制的に足踏みさせられる感覚ももう慣れた。

灯火の声を聞いてフロントコードを手放し更に前へ。

一歩、二歩と足を前に出したところで走る力とは別の、上に引き上げられる様な感覚。

 

「─────いってらっしゃい、香風」

 

それが、離陸直前に香風の耳に届いた灯火の声だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

耳に届く風切り音に、地面を蹴る音はない。

 

「────────────────────」

 

視点は上に、視線は前に、バタバタとみっともなく動かしていた足も止まる。

明らかについさっきまで見ていた景色とは異なる風景。

ほんの少し視点が上にズレるだけで、見え方がこうも違う。

 

空と呼ぶには少々低すぎて、鳥が羽搏く高さからは程遠い。

それでも。

 

「────────────────────飛んでる」

 

胸に飛び込んでくる凄まじい感情の暴力に抵抗する気も起きず、それどころか一周回って何も言えなくなった。

今は、この瞬間だけは、一秒でも永く、この感覚を身体に、記憶に焼き付ける。

そこに嬉し涙なんて要らない。必要ならそれは後で付け足せばいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「─────飛んでる!!!」

 

 

 

 

頬が緩むのが止まらない、胸に広がる感動を表す言葉が見つからない。

 

「香風~!」

「香風殿~!」

 

進行方向、視点を下にずらせば着陸地点にいるねね達が遠くからでも分かるくらいに大喜びしてるのがわかる。

見守っていた者達の歓声が耳に届いて、余計に嬉しさが増していく。

操縦桿を握っているため手を振り返すのができないことが、いっそもどかしく感じるくらいには心が躍っている。

だからせめて精一杯、今の気持ちを声で伝えよう。

 

「みんなー!! 飛んでるよー!!」

 

全身に風を受けて、足を動かさずに景色が流れていく。

落下とは違う感覚に新鮮さを感じながら、人よりも高い視点から景色を望む。

そのまま彼方まで続く蒼穹に飛んでいけそうに感じるほど、香風の心の中にまで風が駆け抜けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

着陸地点へ滑る様に着陸した香風に駆け寄るねねや翠ら。

女三人寄れば姦しいなんて言葉があるが、その倍の六人が集まってその全員が興奮気味となればもう収集が付かない。

ねねが香風の手を掴んでお互い喜びを分かち合う様に手を振り、囲う様に馬家の面々が思い思いの言葉をかけている。

香風の夢を叶えるために色々手伝っていたので、その分ねねの喜びも一入だろう。

 

飛行時間はきっと十秒もなかった。

それでも歴史上まだ誰もが成していない大偉業、“飛行”は今ここに誕生し、成功した。

 

 

それを少し離れたところで赤兎馬から降りた恋と灯火が見守っている。

万が一の時を考えて恋に指示して香風の真下に位置する様に赤兎馬を操って貰っていたが、無事何事もなくフライト出来た事に一息つく。

 

「………香風も、ねねも、笑ってる」

 

灯火の隣に立つ恋が、目の前の光景を見て呟いた。

 

「そういう恋も笑ってる」

 

「…………そう?」

 

「そう。けど、それは変でも何でもない。いいことなんだよ」

 

その言葉にきょとんとした表情になるも、またすぐに柔らかな表情に戻る。

 

「………灯火は─────」

 

 

 

 

 

「おにいちゃーん!!」

 

 

「ごふぅ!?」

 

 

…………恋が何かを言う前に、灯火の腹部に何かが突っ込んできた。

いや、何が飛び込んできたかなんて言う必要も無いくらいにははっきりしているのだが。

 

尻もちをついてそのまま背中から地面へ倒れる。

一応受け身は取ったので後頭部が地面に激突するということは免れた。

一瞬『陳宮キック』を幻想するほどの勢いは、見たことが無いほどテンションが高いのが理由なんだろう。

 

「………どうした、香風?」

 

もう香風が今まで見たことが無いくらいにハイテンションなのはもう見なくても分かる。

視界の奥で香風が抱き着いてきた事に目を輝かせている人間がいるのを見つけたが努めて意識から外す。

 

が、そんな灯火の視界制御もやる意味などなかった。

胸にくっついていた香風が顔をあげ─────

 

 

 

 

「シャン、空を飛んだっ!!」

 

 

 

 

─────咲かせた最高の笑顔、それに視線が釘付けされたのだから。

 

 

 

 

 

 

「……………灯火も、笑った」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

灯火と鶸お手製の弁当、馬家四人と恋&赤兎馬による競馬、そしてパラグライダー。

楽しい事をしていると時間の流れが早く感じるのは今も昔も、そしてきっと未来でも変わらない。

 

日は傾き、空は茜色に染まる。

 

山頂からのフライトは香風が遠慮した。

灯火からすれば今やっている坂からのフライトはあくまでも初心者の練習場の様な物で、パラグライダーの醍醐味は山の上からのフライトだ。

機材にも問題はなさそうで、香風の上達っぷりも相まって望むのであれば最後に一度だけやるかどうかを確認したが………

 

『もっと高いところは、お兄ちゃんと一緒に飛びたい』

 

香風用の機材を整えるだけで精一杯だったので、灯火用の機材が無い現状では一緒に飛ぶ事は出来ない。

香風がそういうのであれば、灯火が無理強いするわけにはいかない。

 

そもそも現代の知識を有する灯火からすれば、なるほど今日は“初心者の練習場”だったのかもしれない。

だが、そもそも歴史上未だ誰も飛行を成しえていない現在においては、人が重力に逆らって空に飛ぶ、という行為自体世紀のスクープ。

坂の上から空中へ飛び出せること自体が奇跡である。

 

「見えてきたよ、香風」

 

優しい声と共に、一日の余韻に浸っていた香風は瞼を開く。

瞳に映る空は蒼色から茜色へ変わり、黄昏へと変わっていく。

目の前に見えた帰るべき街の城壁が見え、改めて今日という一日が忘れられない一日になったと実感する。

 

翠らとは実験場となったあの場所で別れた。

香風だけでなく、警備員として呼ばれた彼女らにとっても忘れられない一日になっただろう。

それこそ翠が本当に警備以外何もしなくていいのか? と尋ねてしまうくらいには貴重な、家で待つ母親への土産話には困らないレベルの一日だったのだから。

 

 

余談だが、家に帰ってきた娘たちが思い思いに話す表情とその内容を聞いた母親である馬騰。

『婿に迎えるか嫁に行け』と、割と大真面目に発言したとかしなかったとか。

酒の勢いで言った前回とはえらい違いである。

 

さもありなん、歴史上初めて(・・・) “空を飛ぶ”という偉業を成し得た人物。

文武両道、性格良し、容姿良し(そもそも原作主人公(北郷一刀)に激似)、料理も出来て酒も飲める。

これを見逃す馬鹿はいない、少なくとも馬騰はそう考えた上での発言であった。

 

 

閑話休題(それはおいといて)

 

 

「お兄ちゃん、今日はありがとう」

 

「どういたしてまして」

 

優しく頭を撫でられ、気持ちよさそうにされるがまま。

すぐ隣、恋のふくよかな胸へ靠れ赤兎馬に揺られて幸福を感じていたねねがそんな二人を見て、その視線に気づいた恋が同じようにねねの頭を撫でていた。

 

「けど、本当によかったのか? 次となるといつになるか分からないぞ?」

 

「いい。いつになったとしても………シャンは、お兄ちゃんと一緒に飛びたい」

 

「………そっか」

 

ささやかな願い。

 

 

想像しただけで胸が弾む。

 /

   失って久しい、輝かしい温かな幻想()

 

 

「これからきっとゴタゴタしてくるだろうけど………約束だ、香風。次は、もっと高いところから一緒に空を飛ぼう」

 

「うん!」

 

「じゃ、小指を出して?」

 

「小指?」

 

「そ。こうして小指同士を組んで─────」

 

 

今こうして優しく抱きしめてくれている人、大切な人と一緒に同じ夢を見たい。

 /

   その幻想()を、幻想()のままで終わらせないためにも。

 

 

「お兄ちゃん」

「香風」

 

 

 

 

『これからもよろしくね(な)』

 

 

 

─────これからの未来に、想いを馳せる。

 

 

 

 

 

 

 






あとがき


筆者はパラグライダー未経験者。
構想当初はそのまま書き綴っていたのですが

『おまえ、香風の夢を叶える手段として採用したパラグライダーを体験しないまま書くとか、香風に対する侮辱だぞ』

という心の声が聞こえてきました。

理論的かどうかはさておき、良い機会だということで
この小説のためだけにパラグライダーを体験しに京都へ。

山の頂上からのタンデムフライトでは年甲斐もなく、
キャラでもないのに飛び立ったと同時に「おぉぉぉっ……!!」と大興奮。
語彙力も低下してました(笑)。

インストラクターの方にそれとなく尋ねたところ、
初心者でも百メートル?程度の急斜面からの練習を三十回くらいすれば、標高四百メートル程度の山頂からならば一人でもフライトできるんだとか。

実際初めての私でも三十メートル程度の高さの斜面から、
三回ほどの練習で数メートルの滑空が出来るくらいには簡単に浮きました。


あと一人でパラグライダーの体験に来る人は珍しいとも。
「二次小説のために体験しにきました」なんて言えるはずもなく笑顔で誤魔化しました。
(友人を誘ってみたのですが高所恐怖症とのことで連れていくことは叶わず)


本話はそんな筆者の体験を元に投稿致しました。
パラグライダーを嗜んでいる方々からすれば物申す点があるかもしれませんが、そこは温かい目で見逃してください。


兎にも角にも、良い経験になったかと。
お金と距離の問題もありますが、余裕が出来たらまたやってみたいと思っています。

パラグライダーを体験してみようと思い立たせてくれた香風に感謝。

そしてここまで読んでくださった読者皆様に感謝の気持ちを申し上げます。
ありがとうございます。


次話もまた読者皆様が読んでくれることを願いつつ。
今回は、この辺りで筆を置かせて頂きます。






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Chapter 03 Destination Unknown
-- 前日譚


 

鈴虫の音色が響く。

微かな風が吹く今宵は涼しいというには少しばかり寒すぎた。

雲一つない空だがそこに浮かぶハズの月はなく、俗に言う新月の夜はいつもよりも一層に闇夜を濃くしていた。

 

天空まで届くほどの明かりなど有さない今の文明は、精々が蝋や薪でくべた炎で得た明かりだけ。

良いところでは油を使っているが、ほとんどは木材による明かりだろう。

日の出と共に一日が始まり日の入りと共に一日が終わる、それは電気という文明が開化する時まで変わらない不変の事柄。

仮に今照らしている炎を吹いて消せばあっという間に闇一色。

 

そんな夜、宮中にある一室にて告げられた一つの情報。

 

─────江賊の討伐遠征に失敗した。

 

月と詠にその情報を齎したのは十常侍の一人だった。

 

「何進殿が………?」

 

「左様。これは間違いのない事実だ」

 

相手は男で、此方は女二人。

窓から差し込む明かりはなく、逆に部屋の明かりを外へ漏らさぬ様に気を配る徹底ぶり。

親友であり一番の臣下でもあると自負している詠が、この状況に対して最大限の警戒をするのも無理はなかった。

 

無論、相手が低俗低能な男ではないことは理解している。

漢王朝を腐敗させつつも長年君臨してきた十常侍の一人、軽薄な行動は取らないだろう。

 

反吐が出る様な信用の仕方だが、しかしコトが終わるまでは一瞬たりとも気を抜くつもりはない。

何かがあれば現在まで積み重ねている全てを無にしても月を守り抜くと密かに意気込む詠である。

 

「しかし、私達には討伐に関して何の連絡も………」

 

「知れたことよ。奴はな、黄巾の乱の失態を江賊討伐で補おうとしたのだ」

 

「失態………?」

 

詠の内心の決意とは裏腹に月と老齢の男との会話は続く。

月が男の言葉に眉を顰めると、相手は呵々と嗤いながら月の表情に得心がいった。

 

「黄巾の乱は間違いなく終息した。他ならぬ董仲穎、貴殿らの活躍によってな。下手な小細工なく正面から叩き潰す豪腕、それでいて多方面同時攻略。地方軍閥を協力させての鎮圧。見事と言わず是を何と言うべきか」

 

「ありがとうございます」

 

「良い。だがな忘れてはなるまい。貴殿らは以前から向こうと此方を行き来していたが、元々涼州の地を治めていた者。それを今回呼び寄せ、官軍として編入した。………その理由、原因は貴殿らも知っていよう?」

 

「………黄巾の賊との戦に敗走、でしょうか」

 

詠の言葉に頷きで返す老齢の男。

 

「仮にも主上様を御守りする軍であるにも関わらず、賊如きに敗走する。言うまでも無く軍の指揮者は大将軍である何進だ。“我ら”が其方らを呼ばなければどうなっていた事か、考えたくもない。以前から奴は能が無いとは思っていたが、ここまでとは思わなんだ」

 

「……………」

 

月と詠は押し黙る。

男の言葉の節々に見えるのは“大将軍”何進への怒り………ではなく侮蔑、そして嘲笑だった。

 

「結果として乱は終息したが、それは我らが董卓軍を官軍に擁した(軍事に口を出した)からであり、それ以前の惨事(何進の指揮による被害)は消えて無くならない。その事実が内側でどのような反応になるのか。………そこらの事には頭が回るらしい」

 

「では、今回私達に江賊討伐の声が掛からなかったのは」

 

「奴としては証明したかったのだろう。だが、実際は先ほど聞いた通りの顛末よ。江賊全てと全面衝突になった訳でもなく、気付かれた時には接敵され、将を易々と殺され、兵は無様に逃げ帰り、あろう事か楼船を拿捕されてしまった。自らの手で己の無能を証明してしまったのだ」

 

それは軍師である詠も頭を抱えざるを得ない情報だった。

楼船は言わば現代でいうところの戦艦クラスの大型船であり、頑丈な装甲と大きな矢倉を多数備えている。

 

─────それを江賊に拿捕されてしまった。

 

現代とは違いこの時代の船は木製ではあるが、だからといって軽いものでは決してない。

造船にはそれなり以上の資材、そして金を要する。

それを破壊されたならばまだしも、拿捕されたとあれば軍事的な意味でも財政的な意味でも全く以て“最悪”の一言に尽きた。

そして率いていた将は殺されてしまっている以上、この落とし前をどうするのかと何進に問いたくなるのも一軍師として理解出来る話ではある。

 

「しばらく荒れる事は容易に想像がつくが故に、二人は誼もありこの事を話した。中郎将ということで奴と会う事も多かろう。何かあれば言うがよい。先の戦果もある。ある程度は力になろうぞ」

 

「………ありがとうございます」

 

「無論、この事はこの部屋に来た事含めて他言無用だ」

 

そう言って机の上に無造作に置かれたのは麻袋。

置かれた際の音で二人はすぐにその中身が何なのかを理解した。

 

「どうした? 要らんのか?」

 

「お気持ちだけで十分です。何事においても、そういう類の物は受け取らないと決めておりますので」

 

「………物好きな奴め」

 

先ほどまで話を聞いていた時とは打って変わり、凛とした表情で断わりを入れる月。

表情だけでなく雰囲気までもが様変わりした姿に、しかして老齢の男は嗤いながら麻袋を懐へ戻した。

 

「物好きと言えば、確か仲穎殿の配下にはあの“聖人”と呼ばれる男が居たな」

 

「………!」

「………ご存知なのですか?」

 

「辺境の地であれば兎も角、長安は旧都、この洛陽のすぐ隣だ。ましてや無償で塾擬きや食の配給をしていれば話の一つくらい聞こえてくる。“都の英雄”と懇意にしている、なんて話も聞こえてきたくらいだ」

 

黄巾の乱が本格化する前、都周辺に巣食っていた賊共を一掃せしめたという事は男も知っている。

あれはあれで鬱陶しいとも感じていたので、一掃してくれたことには一定の評価は与えていた。

 

「だが、以前奴が提案してきた“がっこう”とやらの話が出てきた時には耳を疑ったぞ」

 

あくまで評価であって、関心も感心もなかった。

が、自分達の地位を脅かしかねない案を出してきた、と聞いたからには目を通さない訳にはいかない。

数年前、この洛陽から排除した“清流派”の生き残りかとも思ったからだ。

 

そうして調べてみれば………“清流派”とは全くの無縁であった。

 

「………」

 

男の言葉を、月は表情を変えずに静かに聞く。

だが、その隣で同じように聞いている詠の心中は穏やかでは無かった。

 

(よりによって……! 月、お願いだから変な事起こさないでね……)

 

つい先ほどまで自分が考えていた事を棚に上げて、心の中で親友に祈る。

灯火の言う“がっこう”という案は、月が大変気に入っていた政治計画なのだ。

短期的には効果は薄いものの中長期で見れば確実に国民の学が上がり、統治や軍略は勿論、日々の生活の質だって高められる。

解決すべき問題も多いが、国を良くしていくという点では必要不可欠なモノとすら、今の月は考えていた。

だからこそ西域との貿易で利益を出しつつ資金を貯めて“学校”の前身となる機関の準備も行っていたのだから。

 

「学問好きにとっては良いのかもしれんな。提案書にあった道理も理解でき、その効果も理解できる」

 

「………では、なぜ?」

 

「単純。民に学を与える事は危険なのだ」

 

だが。

それは視点が変われば意見も変わる。

 

「学があれば頭が回る。頭が回れば良からぬことを考える輩も増える。かつての始皇帝が行った“焚書坑儒”の様な事をするつもりはないが、何事にも限度はある。由らしむべし知らしむべからずというものだ」

 

(単純に今自分達がやっていることを知られたくないだけでしょうが!)

 

心の中で詠が目の前の男に吐き捨てる。勿論表情にはおくびにも出さない。

ここで反論しようものならどうなるかわかったものではない。

その思いが通じたのか、月もただ黙って聞いているだけだった。

 

「結局案は案のままで終わり、そうしない内に長安から消え失せた。どこに行ったのかも興味はなかったが………なるほど董仲穎殿の下に居たか。思い返せばあの男もまた賂の受け取りを拒否していたと聞く。そういう意味では物好き同士、一緒になるのも道理よな」

 

「………少なくとも彼は私が統治していた街、ひいてはこの漢を想って私に仕えてくれています。そこに間違いはありません」

 

「だろうな。宮中で見かける事があったし、実際話した奴から聞いた限りでも、邪な考えは持っていないようだ」

 

月の確固たる意思を宿す瞳を見ても、男は然したる興味もない。

目の前の少女と論を交わすつもりがないのだから。

 

「頭は回る様だが全てを見てはいない。この国の頂点は言うまでも無く主上様だが、残念ながらその主上様をよく思わない人間がいるのも事実。そういう輩に知恵が回ればどうなるか、仲穎殿も理解できよう?」

 

「………はい。それは私も理解しています」

 

「話が早くてよい。幸いなことに奴自身には何進に見られる様な野心はない。それは長安での役職歴を見る限り事実だろう。ある程度の金を給金としておけばそれで満足する輩よ。であればその使い方は董仲穎、貴殿次第ということになる。これは我らだけではない、“中郎将”たる貴殿もまた無関係ではないことだ」

 

善意で国を治めてはいない。

それは十常侍も何進も、地方最大軍閥の袁紹、洛陽から近い陳留にいる曹操、そして建業を治める孫堅すら同じ。

何かしらの欲があるからこそ、民から税を集め、民を養う。

民を守っているという虚構こそが支配者であり上流階級である。

 

“がっこう”という仕組みは少なくとも十常侍である男にとって“理想論”でしかなく、悪く働けば己らの支えを失いかねず、そうなる可能性の方が高い。

その中で“中郎将”である月だけは例外、ということにはならないのだ。

 

故の警告。

それは何進に向ける視線とはまた違った視線であった。

 

「ではな。明日からの働きにも期待している」

 

男が部屋から出ていくのを見送り、扉が閉まる。

だが二人は気を緩めることなくしばらく無言で座り続け、その後席を立った。

 

「ボク達も戻ろう。明日もあることだし」

 

「………そうだね」

 

どこに間諜が潜んでいるかも分からない状況では下手な会話は出来ない。

ましてや今回は向こう側が指定した部屋にやってきたのだ。確実にどこかに見張っている奴はいるだろうと踏んでいる。

 

前を歩く月を視界に入れつつ、先ほどの話を分析する。

 

何進については放置。むしろ予定調和でさえある。

ぐうの音すら出ないほど完璧な黄巾討伐を行った甲斐があったというものだ。

何進側もしくは十常侍側の不穏な行動を見逃さなければいい。

 

気になるのはその後の話。

流石に内密に進めていた“がっこう”に関する計画が男の耳に入ったからこの話をした、という訳ではないだろう。

ではあの状況で灯火の話を出してきたのは偏に月と詠の反応を見る為か、或いは本当にただの思いつきなのか。

どちらにせよ涼州に来る前に灯火が持ち掛けてきた密談で語られた懸念は多少なりとも的を得ていた、ということになる。

 

こうなってくると普通であれば灯火の身が多少なりとも心配になるだろうが、ことこれに関しては香風と恋がいるため全く心配していない。

本人達はそういう意識は微塵もないだろうが、周囲を含めた灯火の防衛能力は結果として主である月すら上回っているのではないだろうか。

むしろ“飛将軍”“英雄”が二人もすぐ傍にいて、それでいて防衛に不安あるなどと言ったら、ほとんどの防衛戦力が不足だと言っているようなものである。

 

 

そして聞いた話によれば………恋は敵意やら悪意やら殺意やら、そういう直感で隠れている敵が分かるらしい。

 

 

 

 

意味が分からない。

 

詠の素直な感想である。

野生の勘だとでも言うのか、真偽のほどは本人である恋にしか分からない事である。

 

と、言うより。

ここまで考えておいてなんだが、どちらかと言えば万が一灯火が何者かに怪我をさせられてしまった時の方を考えないといけない気がする。

 

─────主に、ブチ切れた恋をどう制御すればいいか、という点で。

 

「詠ちゃん? どうしたの?」

 

「えっ? ああいや、ちょっと考え事」

 

少し深く思考しすぎたらしい。

灯火・怪我 という連想から馬超こと翠との一戦まで思い出してしまったのは、流石に今回のこととは無関係が過ぎた。

 

「夜も遅いし、今日はもう早く寝ましょ。月、体拭いてあげる」

 

「え? そんな………いいよ。詠ちゃんだって今日は疲れてるんじゃ………」

 

「全然。それよりも月が綺麗になる事の方が大切。中郎将でもあり、主でもある月が汚れているのは月が良くてもボクが良くないんだから」

 

渋る月を納得させるように背中を押しながら月の自室へと入っていく。

 

当たり障りのない会話。

詠は詠で、月は月で今日話した内容についてお互いの意見の交換はしたいとは思うが、壁に耳あり。

視界も良くない夜では誰が聞き耳を立てているかわかったものではないので、今日は大人しく眠りにつく。

 

 

老齢の男の見誤りがあるとすれば二つ。

一つは自身の目の前にいた董仲穎という女性は“完全な善意”で街を統治しており、内密に進めていた計画は“がっこう”の前身となるものだったこと。

 

もう一つは。

 

(邪な考えがない、野心がない、ね。アイツはあの三人(恋・ねね・香風)第一主義だから地位に興味が無いのは事実だし、その三人も野心めいたモノを持っているわけでもないし、そうも見えるか。………けど)

 

詠は薄く笑う。

 

(節穴め。アイツはこの洛陽に来る前に話をボクに持ち掛けてきた、ボクの知る限りで最大の“共犯者”だよ?)

 

考えてすらいやしまい。

自分だってそれを聞いた時は驚きでいっぱいだった。

何せいつも通りの感覚で話があると呼び出され、いつも通りに話しだした内容がまさか─────

 

(─────あの男の反応を見る限り、ボクと灯火がやってることはバレていない。当たり前だ、月にすら秘密にしてるんだ。漏洩なんてしないしさせない。万が一しても反逆罪で裁かれるのはボクと灯火だけだ)

 

準備は着々と進んでいる。

多方面同時展開による作戦は何も黄巾の乱の早期終息のためだけに実行したわけじゃない。

官軍に小細工は不要、などという何進の戯言を律儀に守るために黄巾党内部へ兵を潜入させたことも明るみにしていない。

それどころかそれを利用して別の任を与えた兵だっている。

十常侍側で活動をしているのだって何も十常侍に召喚されたからという理由ではなく、もっと別の理由がある。

 

(どちらにせよ決行するか否かは月次第。ボクはその時になって直ぐに手を打てる様に手札を整えておく。………せいぜい油断しておいて頂戴。コッチの準備が整うまでは言いように使われてあげるんだから)

 

焦ってはならない。必要なモノはまだ揃っていない。

せっかく灯火から反則めいたモノを受け取ったのだ。

今はまだ爪を研ぎつつ隠しておく段階である。

 

詠は暗躍する。

いずれ来たる日、主であり親友である月がその決断を下す時に備えて─────。

 

 

 

(………バレて灯火が殺されそうになったら、恋が大暴れしそうな気が………いや絶対に暴れるわね………)

 

 

 

 

 

 




感想・お気に入り・評価、ありがとうございます。
今後もゆるりと続けていく所存です。

あと、アンケートにご協力よろしくお願いします。

因みに今回のは約6000字です。
作者の目安になりますので、よろしければ。


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それはいつも通りの朝

白い肌、柔和な顔立ち、優雅な物腰。

容顔美麗な顔にかかる薄白のベールが神秘さを纏わせれば、その容姿はまさしく清楚可憐という言葉を体現する。

涼州という片田舎から出てきたばかりとあってか彼女の姿をまだ見慣れぬ者達はすれ違うその容姿に思わず後ろを振り返り、その隣で筆頭軍師()という名の番犬に冷ややかな鋭い眼差しで一瞥を送られては、邪な考えを抱いた者でも籠絡を諦めて足早に去って行く。

 

主たる月とは彼女が涼州の街の長になる前からの付き合いであり、そういった視線を向ける輩も過去多く見てきた。

確かに月は詠が至上と称するだけの美しさを持つためその美貌に見惚れることは仕方がないことだが、下賤な輩が手を出すのも口を出すのも許さない。

ついでに邪な視線も許さない。

ましてやここは魑魅魍魎が跋扈する蠱毒の壺、月に要らぬ心労を掛けぬためにも詠がしっかりと親友を守り抜くのだ。

 

「詠ちゃん、どうしたの?」

 

「ん、何でも」

 

不躾な視線を送ってくる連中を退散させた詠とそれに気付かないまま首を傾げる月。

大将軍が開く評定の間から洛陽における自身の執務室へ向かうため、渡り廊下のある中庭を通り抜ける。

皇帝が普段居る後宮にある中庭と比べれば華やかさや絢爛さは劣るものの、ここも庭師が常に手入れをしているため十分壮観な中庭に仕上がっている。

そこからもう少し奥へと進めば召使いたちが仕事をする石畳の水場もあるのだが、廊下からは木々草花によって絶妙に見えなくなっていた。

 

「ん? ああ、月と詠。おはよう」

 

その見えなくなっている場所から知った顔が出てくれば思わず足が止まるのも無理はない。

 

「一応アンタも董卓軍(ボク達)の上役の一人なんだけど、なんで下女の様な事してるのかしら………」

「まぁまぁ。おはようございます、灯火さん。………もしかして、洗濯をされていたのですか?」

 

「そう。涼州から帰ってきた際の洗濯物もあったから」

 

呆れたような表情で睨んでくる詠を他所に月へほら、と見せる竹籠の中は確かに衣類が詰まっている。

そして上から見える分ではそのほとんどが女性モノだというのも分かってしまう。

 

「恋と香風が男であるアンタに下着を洗われる事に対して何も言わないのは想像できるけど、ねねから小言の一つも受けないの?」

 

「いや? そりゃあねねがウチにやってきた最初ころは手で視界を隠されたりしたこともあったけど、今はもうそんなこともないな」

 

「………ああ、そう。まあ今更よね、アンタ達にとっては。で、その洗濯物の量からするに随分前に来てたみたいだけど」

 

「仕事の開始に間に合わせるっていうのもあるけど、早めにこないと大量の衣服を持ってきた下女と鉢合わせするからな。後宮は皇帝が女性な事もあって一部例外を除き基本男子禁制だから、もたもたしてると大勢の下女と大量の女性モノの衣服に囲まれることになる」

 

「男であるアンタにとっては嬉しい事なんじゃない?」

 

意地悪く問いかけてみれば流石にムッとした表情を見せて灯火が反論する。

 

「まさか。只の衣類に欲情するほど落ちぶれたつもりはない。下女に関してもそう。“何太后様”という前例がある所為か、誰も彼も小綺麗にして仕事している。化粧して仕事に励む事に関してどうこう言うつもりはないけど、何の匂いかも分からない甘ったるい中に長居してると流石に気分が悪くなってくるぞ」

 

「詠ちゃん、それは灯火さんに言いすぎ」

 

灯火の反論と月の咎めの声に小さく両手を上げて謝罪する。

中郎将という立場である月の同行者として時折詠も後宮へは足を踏み入れることがあるが、詠でもあそこは余り好ましく思わない。

かつてその美貌によって帝に気に入られ今の地位に就いた何太后と、それを足掛かりに一気に大将軍まで上り詰めた何進。

傍から見れば彼女ら二人は間違いなく成功者であり、故に後宮という場に勤めているものの大半の仕事が雑事である下女らがより良い待遇を期待して正装するのも理に適っている。

で、それを全員がやっているので突出していなければそういう機会はなく、その内に諦める者とそうでない者の二種類が出てくる。

そして諦めない者が取る手段というのも必然限られてくる。

 

その裏側を考慮してみれば一見華やかに見える後宮を、月至上主義である詠が好ましいと感じることはない。

少なくとも、月の侍女がそんな腹積もりだったならば詠が即座に解雇していることだろう。

 

「それじゃ俺は服を干してくる。この後の評定には間に合わせる」

 

「急がなくても大丈夫ですよ?」

 

「いやいや。流石に主である月を待たせるのは心情的によろしくない」

 

「アンタが侍女を持たずに自分で雑事をしてる理由は簡単に予想が着くから何も言わないけど、それならその洗濯物はどこに干すの?」

 

「なに、ウチには優秀な番犬が二頭ほど居るんでね。部屋の窓のすぐ外で干してるよ」

 

「番犬……? ああ、恋さんとねねちゃんが飼ってる“セキト”と“張々”でしたっけ?」

 

そういうこと、と手を軽く上げて足早に去って行く。

その背中を見送って、詠と月もまた執務室へと向かった。

 

 

 

 

「これは、仲穎様。おかえりなさいませ」

 

執務室にいたのは二人の侍女。

部屋の主である月が居ない間にこの執務室の掃除をしていた者達だ。

 

「あ、掃除中でしたか? でしたら少し間を空けますけど」

 

「いえ、清掃のほどは終えておりますので大丈夫です」

 

「そうですか。涼州とは勝手が違うから大変でしょう? ここまでしてくれて、いつもありがとうございます」

 

「お気遣いありがとうございます」

「これも私共の務めですので」

 

二人の侍女は掃除道具を持って一礼し、執務室から出ていく。

 

月に宛がわれた執務室は中郎将という立場も考慮され、他の将に与えられた個室よりも一回り大きく装飾も絢爛。

本来であれば洛陽の城に仕える下女が宛がわれ定期的に部屋を掃除しに来るのだが、この瘴気蠢く澱の中で詠が知らぬ人物を月の傍に置くことなどあり得ない。

そのため態々涼州に居た頃から月に仕えていた女中を双方合意の下、侍女として洛陽にまで連れてきて身の回りの事を任せている。

もし仮に詠が筆頭軍師という立場でなかったら、きっと率先して月の身の回りの世話をしていただろう。

 

「うーっす。二人ともおはようさん」

 

「おはようございます、霞さん。華雄さんも」

 

「ああ」

 

「アンタ達は早いわね。ボク達が帰ってくるのを見てたの?」

 

「いや、道すがら竹籠を持った灯火と出会って聞いただけだ。奴は朝から駆け回っているから目につきやすい」

 

「灯火が言うには水場が部屋から遠いから大変だーとか言ってたっけかなぁ」

 

「確か涼州に居た頃は灯火さん達は自宅通い………だったよね? なら、遠くなるのも仕方ないよ」

 

「どっちにしろアイツがここに来るまでもう少しかかるってことね。なら先に二人の今日の予定を確認の意味も含めてもう一度聞いておくわ」

 

広めの執務室に囲いの様に並べられた机と椅子はこの部屋で評定するにあたり先ほどの侍女がセッティングしたもの。

それに腰かけてどちらが言うかと華雄に視線を送ったが、言えという意が帰ってきたため霞が口を開いた。

 

「ウチらは騎馬やな。黄巾討伐で南に東にと行ったけど、それは同行した楼杏や風鈴が居ったからすんなり行けただけやし。今後戦闘が無いっちゅうんなら別に問題ないやろうけど─────」

 

「ま、あり得ないわね。仮にそれが未来において確約されるなら軍師も軍隊も必要ないわよ」

 

「─────っちゅうことで、土地勘がまだ薄いウチらは騎馬と歩兵で周囲への行軍訓練。馬も見慣れん土地に慣らす必要あるし、地理把握に鍛錬と警邏含めてひとっ走りしてくるわ。地図は頭に叩き込んでるけど、現地を見たのと見てないのとじゃ差ぁあるやろうしな。因みに馬はウチ、歩兵は華雄が受け持つ予定やで」

 

「“神速”張遼のひとっ走り、ね。それは構わないけど脱落者を放置しておかないでよ」

 

「詠ちゃん、流石に霞さんもそれくらいは─────」

 

「ん~、善処するわ」

 

「善処なんですかっ!?」

 

「冗談冗談! ちゃんと回収してくるって! ほんと月はエエ反応してくれて嬉しいわぁ!」

 

目を丸くして驚く月に笑う霞。

もぅー、と頬を少し膨らませる月の顔を瞬時に脳内保管しつつ、今言った霞の言葉は割と本気の部分もある事を知っている詠。

 

何せ霞は新兵であろうと騎乗して最低でも二十里ほど騎乗できる体力を要求するスパルタであり、それが無ければ体力づくりからさせ始めるという鬼畜である。

隊全体の質の維持、更には向上を目指すのであれば当然であると言い切る霞だが、霞の全力疾走に長時間ついて来れるのは張遼隊でも中堅以上の実力者だけ。

 

新兵の鍛錬をどうすればいいかという相談を受けた灯火がどうせならばと考えた案を詠に説き、董卓軍の体力を始めとした基礎体力向上と拠点防衛能力向上を図った結果が街を囲う様に形勢された“空堀”である。

堀底には落とし穴や障害物を設け、空堀内での自由な行動を制限する工作も施している。

そのおかげで土木作業と一部の兵は工作にも長けた兵へと成長したのだが、それは置いておこう。

 

「霞が馬で華雄が歩兵ね。華雄は何かある?」

 

「何もないし、これの必要性は私も理解している」

 

そう言って華雄が見たのはポカンとした表情を見せる詠。

 

「なんだ?」

 

「………珍しい。アンタが必要性なんて言葉を使うのが」

 

「おい、どういう意味だ」

 

詠の言葉に噛みつくが咳払い一つで切り替えてそこはかとなく馬鹿にしている詠にドヤ顔で言い放つ。

 

「私達はこっちに来てからすぐに東、つまり冀州や青洲へと向かった。だからこの周囲にはあまり詳しくない。詳しくなければ突撃する時に迷いが生まれる!それでは全力で突撃することは出来ん!それは私達にとって不利なことだ!」

 

「ああ、いつもの華雄で安心したわ」

 

「どういう意味だ!」

 

ぐぬぬと納得いかない華雄を後目にねぇ、なぁ、と目線だけで会話する霞と詠。

ぶっちゃけ華雄がどや顔で言い放った内容は別に誇れるようなものでもないし、力説されなければ気付かない様な難解なものでもない。

それを自慢気に言うのだから霞と詠からすればいつも通りかとなるのは当然であった。

 

「………華雄の声が聞こえてきたんだが、何かあったのか?」

 

コンコン、という音と共に部屋へ入ってくる人物達。

ノックという作法をする輩など詠や月が知る限り一人しかおらず、そもそも集まる様にと伝えているのだから返事をする必要もないので勝手に入って来いと伝えた人物。

 

「灯火さん、おはようございます。恋さんと香風さん、ねねちゃんも」

 

「……おはよう」

 

「月さま、おはよーございます」

 

「おはようございますなのです。……灯火、イチイチ“猪”華雄が戦場でも無い場所で声をあげる事を気にしていたらキリがないのですよ」

 

「聞こえてるぞ、音々音! 私は“猛将”だ!」

 

「………朝から元気で何よりだけど、音量は下げてくれ。ねねは余計な事は言わない」

 

かみつく華雄と灯火を盾にするように後ろに隠れるねね。

ねねの言う通り気にする必要もないかと思考放棄して、げんなりとした表情で華雄へと懇願する。

そしてそれを見て微笑む主である月と、月の表情を横目に一つ息を吐く詠。

 

武将四名と軍師一名、そして文官一名が月の執務室に集合。

合計八名ともなると少々狭くも感じるが、ここは月が治める街の城ではないので仕方がない。

だが。

 

「集まったわね。それじゃあ今日の評定を始めるわよ」

 

場所は違い広さも違えど、朝の賑やかさは変わらない。

そう思う月と詠であった。

 

 

◆◆

 

 

董仲穎。

官軍が劣勢を強いられるという、あってはならない事態の中で十常侍より召喚された董卓軍の主。

僅かな準備期間を経たのち洛陽のある司隷のすぐ傍、荊州北部と冀州南部にまでやってきていた黄巾党を破竹の勢いで撃退。

司隷から遠ざける様に黄巾党を追い込み、最終決戦地である青洲と豫洲にて地方軍閥および義勇軍と協力して殲滅するという成果は誰が見ても立派な功績。

 

だが、そんな輝かしい功績も良く思わない者達がいる。

官軍として長らく仕えていたにも関わらず、自分達の昇進の椅子をいきなり横から掻っ攫われれば僻みの一つや二つは出てくる。

例えそれが自分達では黄巾党には勝てなかったという事実があったとしても、である。

 

この洛陽で純粋に月へ称賛を送れる上位役職の人物など楼杏と風鈴くらいだ。

召喚した十常侍も月を褒めてはいたが、それを出汁に対立関係にある何進への攻撃材料にしていることは明白であり、純粋さなど存在しないだろう。

先日の夜の会合では明確に言葉にこそ出さなかったものの、何進をどう引き摺り降ろそうかと画策しているのは手に取るようにわかった。

 

これが分かるくらいには月と詠は十常侍に身内判定されているのだろう、と推測する。

詠にとって予定調和なのだが、溜息が出る様な話である。

 

『黄巾党の討伐で武勲のあった諸侯に対し、天子様御自らが報奨を下賜されることになった』

 

─────そして官軍を取り仕切るのは大将軍何進であり、朝の評定には楼杏・風鈴含めた何名かの将らで行われる。

月は確かな功績こそあげたものの洛陽では現在一番の新参者で、十常侍側として現在見られている。

 

『董仲穎、貴様に任を与える。その使者の選定を行え』

 

『お待ちください、何進殿。その役割ですが、何も仲穎殿でなくてもよろしいのでは? 諸侯への伝令であれば他に─────』

 

『分かっていないな、皇甫嵩。先も言ったが此度は天子様御自ら報奨を下賜されることになる。……であるならば諸侯へ命令を出すのは余であり、その足となって各地に赴くのは相応しい人物でなくてはならない』

 

楼杏へ向けていた視線を再び月へと向ける何進。

 

『これが他愛ない只の伝令だったならばともかく………貴様の下には“余”の名代として使える使者が居るだろう?』

 

『………“飛将軍”呂奉先、のことでしょうか』

 

『その他にも数名いるだろう。余の、ひいては天子様の威厳の問題だ。あと、理由としてそれだけではない』

 

ギシリと椅子に背を預け、腕を組む。

 

『此度の黄巾の乱は我ら官軍の勝利で終えた訳だが、全くの被害ゼロで勝利した訳ではない。情けないことに天子様の期待に添えず、それどころか汚名すら雪げない連中がいた事も事実だ』

 

その言葉に風鈴の表情が少しだけ暗くなる。

彼女は他の将と比べればまだ戦えていた方ではあるのだが楼杏ほどではなく、また自身が善戦していたと考えてはいなかったため何進の言葉の槍が突き刺さった形となった。

 

『古参の将でかつては功績をあげた者だとしても、天子様はこの事に大層ご立腹だ。………そして天子様直々に“管理”せよと勅命を受けた』

 

『………!』

 

何進の言葉。

その裏を読み取った詠が顔を強張らせ……ようとしたところを寸で止めた。

 

『責任を取って死罪にさせるか或いは官位剥奪の上で流罪に処すか………いずれにせよ我が官軍に暗愚な将は不要だ』

 

自分の事を棚に上げて! と内心罵倒するが表には出さない。

静かに耳を傾けながら脳内では軍師特有の“最悪”を想定しシミュレートし続ける詠。

 

そんな詠の事など眼中にない何進は僅かに口角をあげるが、すぐさま元に戻し公然とした態度で月へ命令する。

 

『ここまで言えば流石の貴様も分かるだろう? 余に些末事に割く時間は無い。故に使者の選定および各地への派遣を貴様に命ずる。いいな?』

 

この場における頂点は紛れもなく何進であり、評定に参加しているのは楼杏や風鈴といった比較的中立な人物達を除けば、所謂“何進派”の面子ばかり。

時折十常侍の面子の誰かが参加することはあるものの毎日ではなく、故に中郎将という役職のため参加しているこの評定では月の味方になる人物は基本居ない。

楼杏と風鈴も先ほどの楼杏の様に意見を出すことがあるが、何進がそれを退けるだけの理由があれば上役の決定に口は出せない。

 

『……はい。承知いたしました』

 

同じ中郎将である月はYESと答えるほかなかった。

 

 

◆◆

 

 

西園軍(さいえんぐん)

それは激化する黄巾党に対して各地で敗走する官軍に業を煮やした何進が、現状を打破すべく霊帝に対して上奏し、設立された皇帝直属の軍隊のことである。

霊帝自らを「無上将軍」とし、「上軍校尉」「中軍校尉」「下軍校尉」「典軍校尉」「助軍左校尉」「助軍右校尉」「左校尉」「右校尉」の八つの校尉を設けて有力者を当て込み、霊帝の名の下に黄巾党を一掃せしめんとした。

その西園軍を率いる八名を総じて西園八校尉(さいえんはつこうい)と呼ぶ。

 

尤も、剣すらまともに振るえぬ霊帝が鎧を着こんで馬に跨り戦場へ出ることなど絶対にあり得ない。

実際はその横に控える何進の指示によって黄巾討伐が実施される………予定だった。

 

「実際は西園軍が設置される前にボク達が洛陽に召喚され、黄巾党を討伐しきった。だから西園軍っていう枠組みこそあれど、実体は何もない幽霊部隊になってたのよ」

 

「なるほど。私達が仮に呼ばれていなければ何進がその………西園軍、だったか? を招集していた、と。何とも間の悪いことだな」

 

「んなワケあるかい。どう考えても足の引っ張り合いやろが。………おおかた何進の手柄を良しとせん奴らが妨害兼ねてウチらを呼んだってとこやろ」

 

「各地が黄巾党によって荒れていたと言うのに、その時になっても内輪揉めに勤しんでいるとは………。ねねでもやらぬ愚行ですぞ」

 

詠の説明に能天気な理解を示した華雄にツッコミを入れつつ、推測というにはあまりにも丸わかりな嫌がらせに溜息を吐きながら答える霞。

“何進の手柄を良しとしない奴ら”というのが誰を示しているのか、というのは態々言葉に出す必要もない。

 

「…………で、その西園軍が黄巾党討伐の報奨だって?」

 

「はい。此度の黄巾党討伐に貢献した、という事で天子様自らが報奨を下賜されることになりました。それが今言った西園軍の校尉となります。………そして何進殿の命により、名代となる使者の選定を任されました」

 

「体よく押し付けられたとも言うけどね」

 

「しかし八校尉というくらいなら八人は該当者がいるのだろう? 八か所も行く必要があるとなれば私達だけでは人手が足りんぞ」

 

「八校尉だからといって必ずしも八人選出する必要はないわ。例えば今だと相国っていう役職があるけど誰もその席に座っていなかったりする。相応しい人物が居なかったら役職だけ作って空けておけばいいだけのことよ」

 

「……相国とはなんだ?」

 

「………官軍になったとはいえ、つい最近まで地方の武官じゃ知らないのも無理はないか。後で霞にでも教えて貰いなさい。今は話を本筋に戻すわよ」

 

「ウチもつい最近まで“地方の武官”やったんやけど?」

 

「華雄よりまともな家柄でしょうが」

 

霞の抗議を華麗に躱しつつ、手に持っていた竹簡を机の上に広げる。

そこには此度の任命式に呼び出す諸侯の名前が載っていた。

 

「曹操殿、孫堅殿、袁紹殿、公孫瓚殿。今回の任命式で招集をかけるのはこの四名です」

 

「なんや、八校尉っちゅう割には四人だけかいな」

 

「正確には後二人……中常侍の一人と楼杏が任命式に選ばれてるから合計六人よ」

 

中常侍。

皇帝の身の回りの事を司る侍中府の中の一つであり、皇帝の傍に侍り、様々な取次ぎを行う役職である。

その中でも特に絶大な権力を有している者達が“十常侍”と呼ばれている。

 

「詠。宦官が一人とはいえ任命されているっていうのは」

 

「ボクが何進から何か聞いてると思う? ……とは言え推測はつく。校尉を報奨とするという事を誰が言ったのかはわからないけど、校尉を報奨とすると決定したその場で宦官らが天子様に上奏したんだと思う。じゃなきゃ何進が対立相手の一人を自分が提言した西園軍に任命するハズがないからね」

 

「………だよなぁ」

 

詠の言葉に灯火も同意する。

大将軍だろうと皇帝の決定に口を出す事は出来ない。

反発しようものなら対立相手に決定的な大義名分を与えてしまう事になる以上、何進も苦虫を嚙み潰したような気持ちで了承したのだろう。

 

「ボク達が行くべき場所は兗州、揚州、冀州、幽州の四か所……のハズだったんだけど、幽州の公孫瓚については風鈴が引き受けてくれたわ」

 

「あの遠い幽州への使者を引き受けた? ………幽州と揚州とではどちらが遠いんだ?」

 

「公孫瓚殿がいるのは幽州広陽郡(こうようぐん)薊県(けいけん)、幽州の都。孫堅殿がいるのは揚州丹陽郡の建業。直線距離は大体同じ」

 

「何だ、同じなのか。青洲まで行った身としては幽州の方が遠いと思っていたのだが」

 

「それを言ったらシャン達は揚州の一つ上の豫洲沛国まで行ってるから似たようなもの」

 

「豫洲は司隷の隣じゃないか」

 

「沛国は司隷から一番遠い場所。それにそっちは青洲まで黄河を船で下ってた。シャン達は現地までずっと馬と徒歩」

 

「「……………」」

 

「何で張り合ってるのよ、アンタ達」

 

華雄の質問に答えた香風だったが、小言にまで反応して気が付けば二人の間で小さな火花が散っている。

何だかよく分からないところでバチバチと張り合っている二人を仲裁すべく、香風の脇に手を伸ばして引き寄せた。

 

「はいはーい。香風はこっちですよー」

 

「ふにゃっ」

 

触れられた際のくすぐったい感覚に声を漏らした隙をみて自分の膝上へ。

 

生まれも育ちも司隷という生粋の都育ちの香風と、月の配下として片田舎と呼ばれていた涼州で武を揮っていた華雄。

涼州に居た頃にその二人の間で何が理由か静かなる張り合いが勃発しており、度々狩猟だったりなんだったりで勝負をしている。

そんな事情を知らぬ身としてはよく分からないところでの意地の張り合いに首を傾げつつも、こういう香風も珍しくて逆に良いと思っている末期の灯火。

 

なお、華雄と香風が勝負するとなれば全力で香風を応援する次第である。

 

香風の頭を撫でながら笑顔で詠へ話の続きを催促させる。

詠としてはその隣で羨まし気に視線を送る恋を何とかしてほしいのだが、見て見ぬふりを決め込んで進行役として話を進めることにした。

 

「大将軍が許可を出した理由としては、公孫瓚はかつての教え子って言うのが一つと」

 

「………先の乱で、ご自身の戦果に思うところがあったようです。私達が知ったのは風鈴さんが既に何進殿に話を通し終えた後でした」

 

「なんやそれ。他の官軍やら袁術軍よりはマシな動きしてたと思うけどな。………共同戦線張ってた恋とねねから見て問題はあったんか?」

 

「いえ、特には。呂布隊よりは一回りも二回りも弱くはありましたが、連携が出来ていないなどの致命的な問題は無かったハズです」

 

「………膂力が足りない」

 

「恋から見ればそうだろう。それくらい私でも分かるぞ」

 

ポツリと呟いた恋の言葉に反応する華雄と同意する霞。

それに対してか恋が一つ意見を出した。

 

「………足りないなら、別で補わないとダメ」

 

「お兄ちゃんみたいに?」

 

「………そう」

 

「そうなるといよいよ俺の立つ瀬が無くなっちゃうな」

 

「灯火に勝てない程度に補ってればいい」

 

「………即答かい。相変わらずやな、恋は」

 

この場にいる全員が理解していないが、涼州はかつて“火薬庫”と呼ばれるまで戦が頻発していた地域だ。

五胡と呼ばれる非漢民族からの侵略と常に戦ってきた涼州兵と、周囲を地方軍閥によって守られていた結果激しい戦闘もなかった官軍。

風鈴の隊は官軍の中でも決して弱くはないのだが、常日頃から馬を乗り回し異民族と戦ってきた涼州兵と比べてはいけない。

 

「それよりも意義ありなのです!」

 

「………何?」

 

バンバン!と机を叩きながら広げられた竹簡を指さすねね。

その先には“袁紹”の文字があった。

 

「袁紹は古城攻めの時にただ見ていただけなのです。そんな奴が此度の報奨を賜るのはおかしいのです!」

 

恋による単騎城攻めは今回の黄巾討伐における最大の話題だ。

であれば当然袁紹は何もしていなかった、というのは自然に導かれる結論ではあるが………

 

「………城攻めのあと、領内に散らばった黄巾党を追い払ったことが今回選出された理由よ。それに袁家は三公を輩出した名家でもある。“こういうモノ”に対して袁紹の名前が入ってこないハズがないでしょ」

 

「むむむ……!であるならば恋殿こそここに名前が載って然るべきです!」

 

「ただでさえ宦官の一人が名前を連ねることが決定してるっていうのに、ボク達の中から選ばれると思ってるワケ?」

 

やれやれと首を振る詠と頬を膨らませるねね。

まあ灯火としてはねねの気持ちは理解できるし、詠の言わんとしていることも理解できるので特に口は出さない。

もしこの場を治めるのであれば、それは本人からの言葉だけだろう。

 

チラリと視線を合わせ、恋はねねを見る。

 

「……ねね。恋はそんなの要らない。恋が欲しいものは……もう、あるから」

 

「………わかりました。恋殿がそう言われるのであれば、ねねが言うのもお門違いです」

 

膨らませていた頬を元に戻したねね。

ねね以外に何か声をあげる人も出てこなかったため、咳払いを一つ挟んで進行役である詠が話を続ける。

 

「で、ボク達が行くのは袁紹のいる冀州、曹操のいる兗州、孫堅のいる揚州になる。先ずは揚州………孫堅のところへは灯火と香風に行って貰いたいのだけど、いいかしら?」

 

「シャンはだいじょーぶ」

 

詠の言葉に答える香風。

その声色はいつも通りだし表情も変わっていないが、正面に座る詠からは嬉しいんだなというのが見て取れた。

 

「まあ共同戦線張った訳だし、知らない面子が行くよりはいいのかもしれないけど……。俺でいいのか?」

 

「逆に聞くけど他に誰が居るのよ。嫌な顔するけど一応アンタもそれなりに有名な“名”を持ってるでしょ。それと“都の英雄”。この二人が行くのであれば名代として十分よ」

 

一応巷………特にお隣の長安では滞在していた頃の行いが良かったおかげか、声を掛けてくれる人は多い。

先日涼州からの帰還途中で通り道である長安に入った時も、見覚えのある人物達から声を掛けて貰ったことがあった。

感謝されることに悪い気はしないが、それでも“聖人”と呼ばれるのは気が引ける。

 

そんな灯火の内情は放置して、取り敢えずはこれで揚州行きは決定。

 

「それで冀州の袁紹のところへは恋に行っ───「や」───……ええ、分かっていたとも………!」

 

「え、詠ちゃん、落ち着いて?」

 

ならば次は、と言葉にした時点で一文字の否定がやってきた。

月の言葉を耳に、瞼を閉じて思わず息を吐く。

だからこそ灯火には恋の機嫌を取っておいて欲しかったのだが当人は気付いていないし、恋は恋で灯火に気付かれない様に振舞っているのだから質が悪い。

今は評定中だから我慢して終わったら、とでも考えているのだろうか。何なら香風にやってる分だけ後でやって貰おうとか考えているからこそ何も言わないのか。

詠は灯火ではない為恋の心情を把握などしきれないし、そもそも機嫌がよくてもこの割り振りをしたら意味ないか、と諦めた様に二度目の溜息を吐いた。

 

香風と灯火が共闘相手先へ赴くというのであれば、恋とねねが袁紹のところへ行く、という事は恋でも理解できただろうから当然と言えば当然なのだろう。

 

恋としても袁紹のいる冀州へ赴くこと、それに問題はないのだ。

問題なのは“灯火と一緒に行けない”というただ一点。

その一点こそが恋の譲れないモノであり、詠の指示を否定する決定的要素。

詠としては恋を説得できる灯火の援護が欲しいところだが─────

 

「あー、詠? 提案いいかな」

 

「ええ、ええ。この状況からアンタが言いだしてくること、更にはその内容までまるっと想定通りよ」

 

「………まだ何も言ってないのに」

 

「詠さま、すごい。流石筆頭軍師」

 

「嬉しくない称賛ありがとう、恋、香風。………本気で純粋に驚いてるんだから質悪いわよね、この二人」

 

三度目の溜息を吐いた詠であった。

そんな詠には悪いと思いつつも、決めた優先順位は変動させない灯火はその想定通りの内容を伝える。

 

「冀州へは霞に行って貰って、兗州と揚州には恋とねね含めた四人で行く………というのはダメか? 兗州については一番近いし、何なら揚州への通り道にもなるし」

 

「って言ってるけど、霞?」

 

「どうしよっかな~。 ウチぃ、兵の鍛錬とか予定入ってたりするんやけどな~♪」

 

冀州へ行くには洛陽のすぐ北を流れる黄河を渡る必要がある。

河のどこにでも対岸へ渡れる船が用意されているわけではないし、渡るにしたって現代の様にモーターで楽に移動というわけにもいかない。

多かれ少なかれそれなりの労力がかかる面倒事ではあるのだが、尋ねられた霞はというとニコニコと笑いながら悩んでいた。

………悩んでいる“フリ”をしていた。

 

今は戦時中でもないし、文官の様に己がいなければ回らない様な仕事でもない。

部下の分隊長数名に指示を出し、それを熟す様にさせておけば数日居ないくらい問題はない。

 

が、それでも無償で引き受けはしない。

灯火は“提案”と称していたが実質的には“お願い”そのものであり、それは言い出した灯火自身も分かっているハズだ。

相変わらず恋に激甘な奴やなぁと思いつつも、仕事に“プライベートのお願い”を含むのであれば相応の対価は見せて貰わねばならない。

言い出す内容によっては拳骨モノだが─────

 

「………わかった。帰ったら酒に合う肴を用意する。どの道建業まで行くんだ。持って帰って来れそうな食材は買って帰ってくるつもりだった」

 

凡そ霞にとって正解となる答えを言ってくれるのだから、最初から心配などしてなかった。

 

「よっしゃ、そう言ってくれんとな。これでいくら欲しい? とか聞いてきたらふざけてんのかって怒鳴るところやったけど、灯火の作る飯は美味いから期待してるわ!酒の肴ついでに灯火も一緒に飲も!」

 

「俺もか?」

 

「美味い肴用意してくれるのに一人で酒飲むのも味気ないやん!」

 

あとは密かに飲み比べリベンジマッチを画策していたりもするのだが、今はまだ内に秘めておく。

 

「それに恋は食べる専門やろうし、お子ちゃま二人おったら酒も満足に飲まれへんやろ?」

 

チラリと視線を送る先に座る二人。

当然、それは二人にとって機敏に反応するキーワードである。

 

「誰がお子ちゃまですか!」

 

「この前集まった時に一口含んで“美味しくない”って言うた奴が何言うとんねん」

 

「あれは霞が用意したお酒が─────むぎゅっ」

 

「……ねね。評定中は静かに」

 

ねねの言葉を遮る様に頬っぺたを突く恋。

むぅと唸るものの恋に注意されれば下がる他ない。

ナイスタイミングなのは灯火のアイコンタクトによる一瞬の指示によるものだ。

 

「…………」

 

言われたもう一方である香風はというと、霞の発言が聞こえなかったのか瞼を瞑って頭を撫でられ続けていた。

この距離で聞こえていないというのはあり得ない。

実際霞の発言の時にピクリと反応はしたのだが、その時ちょうど頬っぺたを優しく手で挟まれていたのですぐに割とどうでもよくなってしまったという経緯があった。

 

恋よりは全然マシではあるが感情の起伏を見せづらい香風がどことなく機嫌良さげに見えるのはきっと見間違いでは無いだろう。

そう言う所なんやけど、と思いつつも詠の表情を見てこれ以上口には出さない霞である。

 

例えばこれが食事中の他愛ない会話であれば止めもしないが、流石に評定の場でこれ以上路線を外れるとカオスになる。

現に進行役の詠の眉間の皺が増えていっているので、空気を読める灯火としては早々に会話をぶった切る必要があった。

 

「まあ言い訳させてもらうと、ウチの方針で酒は調理に使う事は有っても食卓に出した事は一度もないんだ。体の成長期にお酒はよろしくないからな。二人には出来るだけ健全に過ごして貰いたいと思ってる。勿論、二人が望むなら数年後には飲んでも大丈夫だろうけどね」

 

「普段から飲んでない?………さよか。取り敢えず今の言葉聞いて二つほど聞きたい事が出てきたから、コレ終わった後で尋ねてもエエか?」

 

「いくらでも」

 

「………もういい? アンタらと評定してると飽きないけど、ふとした拍子に脱線するのは何とかして欲しいわね」

 

「全くだな」

 

「華雄、アンタはどっちかって言うとそっち側でしょうが」

 

「そう? 私は見てて楽しいけど」

 

「主の月がそう言ったらダメでしょ………」

 

「踊る会議されど進まず、じゃない分だけマシだと考えよう」

 

「上手い言い回しね? ボクとしてはもうちょっと進行速度上がってもいいと思ってるんだけど」

 

確かに詠の言う通り、ダメなのかもしれない。

だが少なくとも今朝方あった官軍の評定と比べれば、月はずっとこっちの方が心地良くて好きだった。

詠にこの場で尋ねれば拗ねたような表情をしながらもきっと此方側を選ぶだろう、なんてことは簡単に想像できる。

 

「はぁ……で! 結局は霞が袁紹のところ、灯火達が曹操と孫堅のところに行くってことでいいわね?」

 

「あー、ええよ。ウチはそれで問題無い。ただまあ袁術が“アレ”やったからなあ………同門袁家やし、ちゃっちゃと終わらせた方がええやろな」

 

「“アレ”? 袁術と何かあったのですか?」

 

先ほどまでのどこか楽し気な雰囲気は鳴りを潜め、疲れた表情を覗かせる霞。

霞からの報告書で事情を知っている者ならば何となく察せられるが、知らぬ者では霞の表情の理由が分からない。

 

「………話の腰を折る事になるから聞きたかったら後で聞かせたるけど?」

 

「………その疲れた表情と滲み出てくる怒気でロクでもない事であるというのは理解できたのです」

 

「知りたかったら後で霞が書いた報告書をねねも見るか? 孫呉軍内から拾い聞いた評判と大体同じことが書かれてる。……端的に言えば“漁夫の利”或いは“横取り”だ」

 

「把握しました」

 

なお、華雄はこういうのに向いていないので大人しく留守番。

本人としても面倒だと思っていたので特に反論もなく、涼州に居た頃と変わらない様子のまま評定はお開きになった。

 

 

 

 

 




ご愛読ありがとうございます。
コロナの所為で予定していた色々がなくなった筆者です。
皆様はどうお過ごしでしょうか。

友人と気軽に飲みに行くこともできない状況は一体いつまで続くのか…。
皆様も色々不満はあるとは思いますが、健康第一に過ごしていきましょう。


次話は今回ほど遅くはならない……と思います。

あとアンケートご協力ありがとうございました。
今後も1万文字を目安に執筆していきます。


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