あるサイヤ人の少女の物語 (黒木氏)
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サイヤ人編
1.彼女が地球へ向かう話


2019.1.5 冒頭に過去話の追加と、全体的に加筆修正を行いました。


 エイジ759.ラディッツが地球を襲う、2年前の話。

 

 惑星フリーザNo.75。フリーザ軍の拠点であるその星に、一台のポッドが着陸した。

 ゆっくりとポッドの入り口が開き、そこから出てきたのは、明るい顔をした少女だった。

 

 

 彼女の名前はナッツ。惑星ベジータの崩壊後に生まれた彼女は、今年でちょうど3歳になる。

 

 夜のような黒い瞳に、肩まで伸びた黒い髪。緑色のスカウター。小さな身体を包むのは、黒い戦闘服と、袖が無く、腿までを覆う紫のアンダースーツ。彼女の母親が、この日のために選んでくれたものだった。

 

 

 ポッドの確認に来た整備員達が、彼女に笑顔で敬礼する。

 

「ナッツ様、初陣お疲れ様です!」

「お怪我はありませんでしたか?」

 

 可愛らしい子供の戦闘員である彼女は、フリーザ軍では有名人だったし、人気者だった。

 

 ナッツは笑って手を上げ、彼らに応える。サイヤ人の証である、尻尾が軽やかに揺れている。

 

「うん、大丈夫よ。ありがとう!」

 

 彼女はポッドを彼らに任せ、基地の中へと向かう。

 早く家に帰って、両親に報告をしたかった。

 

 初めて一人で星を滅ぼしたんだから、きっと凄く褒めてくれるに違いなかった。 

 

 

 

 ナッツは駆け足で、上級戦士用の宿舎へと向かっていく。

 彼女の両親は、フリーザ軍から特別に大きな部屋を与えられていた。

 

 父様はサイヤ人の王族で、とても強くてたくさん手柄を挙げているし、病気がちな母様も、身体の調子が良い時なら、結構強いのだ。

 

 彼女はそんな自分の両親を誇りに思っていたし、自分も早く、強い戦士になりたいと思っていた。今回の惑星攻略は、そのための大きな一歩だ。

 

 まあそこまで強い戦士のいる星でも無かったし、宇宙船で乗り込んで月を見て、気が付いたら全て終わっていただけなのだけど、それでも私が一人でやった事には変わりない。誇らしかったし、褒めて欲しかった。

 

 

 

 走るナッツに、すれ違う基地の職員や戦士達が声を掛ける。彼女は足を止めないまま、その一つ一つに、笑顔で応じていく。

 

「お、ナッツちゃんだぜ」

「ナッツちゃーん!」

 

 手を振ってくる4人組のおじさん達。前にフルーツパフェをご馳走してくれた人たちだ。笑って手を振り返すと、4人でビシッと格好良いポーズをしてみせてくれた。思わず足を止めてしまう。

 

 自分も真似して、今考えた王族っぽい高貴なポーズをしてみせると、凄え!と拍手と歓声が上がる。良い人達だと思った。

 

「またね! おじさん達!」

 

 

 

 ナッツが上級戦士用の宿舎へと向かうのを見た彼らは、誰となくため息をついた。

 

「ナッツちゃん、可哀想になあ」

「フリーザ様も、あんな死にかけのサイヤ人の女一人、放っておけば良かったのによ」

 

 青い肌の男がそう漏らすと、長身で紫色の肌の、黒い2本の角の生えた男が歩いてきた。途端に気まずそうな顔になる4人。次の任務の調整で、戻るのはもう少し後だと思っていた。

 

「隊長、お疲れ様です」

「バータ、口を慎め。フリーザ様のなさる事だ」

「へいへい」

 

 遠くへと離れていく少女の背中を、4人は憐れむような目で見守っていた。

 

 

 

 ナッツが宿舎に戻った時、そこには誰もいなかった。

 

 調子を崩して休んでいたはずの母親の姿も、見当たらなかった。

 スカウターで何度呼びかけても、返事は返ってこなかった。

 

 しばらくして、険しい顔の父親がやって来て、少女に告げた。

 母親は難攻不落の惑星に、たった一人で出撃してしまったと。

 

 

 

 

 

 雨が降っていた。

 無数の死体や兵器の残骸の中、それらの密度が一番高い場所に、彼女の母親は倒れていた。 

 

 出撃する前に、気を付けてねと、笑ってナッツを抱き締めてくれた母親の身体は、既に冷たくなっていた。満足そうな顔で、力尽きるように死んでいた。

 

 

「母様、どうして、どうしてこんな……」

 

 降りしきる雨と涙で、溺れてしまいそうだった。縋り付いて呼びかけても、返事は返ってこなかった。もう母様に、任務の成功を報告して、褒めてもらう事はできないのだと、その事実が何よりも苦しかった。

 

 

 フリーザの野郎、と、震える拳を握りしめ、絞り出すように父様が言う。

 

「父様、フリーザが、母様を?」

 

 父様は、何も言わずに頷いた。父様の顔も、ずぶ濡れになっていた。

 

 

 なぜこんな事を。父様は頑張ってくれてるって、言っていたじゃない。

 母様だって私だって、フリーザのために戦ったのに、なぜこんな事を。

 

 

 降りしきる雨の中、少女のぐしゃぐしゃに濡れた顔が、悲しみと殺意に歪む。

 

 

 

ゆるさないわ。ころしてやる。

 

 

 

 ナッツは復讐を誓った。何年かかってもいい。戦い続けて力をつけて、いつかフリーザを殺すのだ。この苦しさを力に変えて、全て叩き込んで殺してやる。いつか来るだろうその日が、楽しみで仕方ない。

 

 

あはっ、あははははは

 

 

 少女は雨に濡れながら、凄惨な笑い声をあげる。

 壊れてしまったように、虚ろな瞳で笑い続ける。

 

 

「ナッツ!」

 

 娘の状態を見かねた父親は、そうしなければならないと、小さな身体を、強く抱きしめていた。

 

「ナッツ。大丈夫だ。オレがお前の傍にいてやる。あいつの分まで愛してやる。だから」

 

 

だからどうか、お前まで、いなくなってしまわないでくれ。

 

 

「……父様!」

 

 震える父親の声を聞いて、少女の目に光が戻る。少女は父親に、縋り付いて泣いた。その身体は温かかった。辛くてどうしようもなかったけど、父様がいてくれるなら、耐えられると思った。

 

 

 

 

 復讐を誓ったその日から、2年が経過した。

 

 戦闘力を上げるために、ナッツは自分を鍛え続けた。最低限の休息以外の時間を、全て訓練と任務に充てて、いくつもの星を滅ぼした。父親達に同行して、一人では到底死ぬだろう、危険な惑星へ行く事もあった。

 

 5歳となり、身体も成長したが、内面は、あの日、あの時から変わっていない。母親を失った悲しみに加えて、フリーザへの復讐心と怒りが燃え続けていた。

 

 フリーザ軍の人間に対して、彼女が笑顔を見せることはなくなった。一切笑わないわけではないが、それを見る事ができるのは、ごく少数の身内のみだった。

 

 

 

 地球から遠く離れた、とある辺境の星。

 

 夕暮れ空の下、荒れ果てた荒野に、無数の兵士達の死体が転がっている。惑星上の全ての都市は破壊され、もはや人が生きられる状態ではない。

 

 その惨状をたった一人で作り出した少女は、積み重なった死体に腰かけ、つまらなさそうに、棒状の携帯食料を口にしていた。

 

「いくら月の無い星だからって、星一番の戦士が戦闘力1400は、さすがに手ごたえが無さすぎたわね。こんな事なら、サイバイマンと遊んでいた方が良かったわ」

 

 ナッツは夕日を見つめながら、物思いにふける。尻尾は固く、腰に巻かれている。

 

 この2年間、戦い続けて彼女は強くなった。人工的に満月を作成するパワーボールの作り方も、血の滲むような努力の果てに習得した。正面から1対1で戦うのなら、ギニュー特戦隊やザーボン、ドドリアといった例外を除いて、フリーザ軍の大抵の相手を殺せる自信があった。

 

 だがフリーザの底知れぬ戦闘力の前には、まだ全く及ばないとわかっていた。自分より遥かに強い父様でもまだ、復讐に踏み切れないでいるのだ。少なくとも、人間の姿でもギニュー特戦隊を倒せるくらいに鍛えなければ、話にすらならないだろう。

 

 

 ナッツはスカウターを操作し、フリーザ軍が提供している、攻略目標の惑星の一覧を呼び出した。既に何度も見返したそれに、変化が無い事を確認してため息を吐く。

 

 彼女にとってちょうど良い強さの星が無いのは、最近の悩みの種だった。そうした惑星は彼女が全て滅ぼしてしまったので、今はこうした強い戦士のいない星か、あるいは彼女一人では危険なレベルの星しか残っていない。多少危険でも月のある惑星なら問題は無かったが、そうした星の大多数は、彼女が生まれる前に、惑星ベジータのサイヤ人達の手で滅ぼされている。

 

 フリーザ軍の他の戦士と組む気は無かった。表面上は友好的に見える彼らが、フリーザの命令でいつ彼女を狙ってくるか、知れたものではないし、彼女自身が何かのはずみで、殺さずにいる自信がなかった。だから最近は父親やナッパ達の任務に同行させてもらっていたが、少し前に彼女が危険な目に遭ってから、連れて行ってくれなくなってしまった。父親が自分の事を心配してくれているのは嬉しかったし、たった5歳でその戦闘力なら十分だと言われたが、それでも彼女は不満だった。

 

 早く大人になりたかった。フリーザがその力を恐れるほどの、強い戦士になりたかった。

 

「なぜだ……なぜ、こんな事を……」

「ああ、まだ生きてたの。注意が散漫になっていたのかしら。次からは気を付けることにするわ」

 

 倒れていた兵士の呻き声に気付いたナッツは、近寄って左手でその頭部を掴む。小さな手に力がこもり、兵士の頭が軋んでいく。弱い、と思う。弱い相手を殺す事を、退屈だとは思うが、躊躇いは無い。サイヤ人とはそういうものだと、彼女は幼い頃から教育されてきた。

 

「やめっ! あ、があぁっ!?」

「質問の答えだけど、私は知らない。フリーザ軍の戦略担当に聞いてちょうだい。けどたった一つだけ、私から言えることがある」

 

 果物の潰れるような音と共に、兵士の頭が弾け飛んだ。

 

「こうなったのは、私が強くて、あなた達が弱かったからよ」

 

 返り血を浴びたナッツは、そう言い捨てて、再び携帯食料を口にする。自分があの時、フリーザを殺せるほどに強ければ、奴は母様に手出しをしなかっただろう。けどそうはならなかった。母様は死んだ。だから弱い奴が、強者の意思一つで死ぬのは、当たり前の事なのだと、彼女はそれを、受け入れて生きてきた。

 

 沈みそうな夕日に照らされて、無数の死体を串刺しにして、少女の影が伸びていた。積み上げた死体の数だけ、自分は強くなる。いつかフリーザに届くだろうと、彼女はそう信じていた。

 

 

 

 ナッツが食事を終えたちょうどその時、スカウターから、甲高い電子音が鳴った。少女は通信モードをオンにする。相手の声を聞いて、その表情が、ぱあっと明るくなった。

 

『俺だ。ベジータだ。怪我はしていないか? ナッツ』

「父様ですか! ええ、大丈夫です! たった今全滅させて、これから帰るところでした!」

 

 父親と話す少女の姿は、年相応の無邪気なもので、惑星ひとつを壊滅させた元凶とは、とても思えないものだった。2年前に母親を亡くして以来、父親の存在が、彼女の心の支えだった。

 

『俺とナッパは地球に行くことになった。少し遠い星で大して強い奴はいないが、環境だけは良いと聞いた。久しぶりに、お前も一緒に来ないか?』

 

 その言葉を聞いたナッツは、父親と一緒に戦えることに、すっかり嬉しくなってしまった。遠いと言っても、コールドスリープで寝ていれば、体感的には一瞬で済むだろう。

 

「行きます! 待ってて下さい! すぐに合流しますから!」

 

 少女は急いでポッドに乗り込み、父親の待つ星へ飛び立った。

 

「父様と一緒の任務……楽しみね。あんまりはしゃいですぐ終わらせないよう、ナッパに言っておかないと」

 

 ポッドの窓から宇宙を眺め、ナッツは鼻歌を歌いながら、嬉しそうに笑っている。その様子は、遠足を前にした子供のようだった。

 

「……あれ? 地球って、最近どこかで聞いた気がするんだけど……」

 

 ラディッツが向かうと言っていた星が、そんな名前では無かっただろうか。スカウターで聞こうとするも、壊れてしまったのか、返事が返ってこない。あるいは既に、死んでしまっているか。

 

「まあ、どうでもいいか」

 

 小さい頃は良い練習相手になってくれたけど、彼の力はとっくに超えてしまっていたし、フリーザと戦うにも、役に立たないだろう。同じサイヤ人とはいえ、そんな弱い奴の生死に、大して興味は持てなかった。

 

 

 

 それから、およそ1年後。

 

 宇宙空間の中を、地球に向けて、2つのポッドが飛んでいる。そのうちの1つは複座型の大きなもので、父親と娘が並んで目を閉じ、眠りについていた。

 

 閉じていた少女の瞳が、ゆっくりと開かれる。目的地である地球が近づいて来たのだ。

 

 ナッツはまだ眠そうに目をこすり、大きく身体を伸ばす。父親の顔を見たくて横を見ると、同じように起きたばかりの父親と目が合って、ナッツは嬉しくなって微笑んだ。

 

 

「むう、父様……おはようございます」

「ああ、おはよう」

 

 二人は軽く運動をして、身体をほぐしていく。長期睡眠で筋力などが落ちる事はないが、それでもしばらく動いてない身体を慣れさせる必要があった。

 

 ナッツは自分の身体が、この1年間で全く成長していない事を確認して、やや不満な気持ちになる。まあ眠っていただけなので仕方がないし、年齢も長期睡眠中の分は数えない事になっているのだけど、1年経ったのだから、少しくらい背丈とか伸びても良いんじゃないかと思う。

 

「ナッツ、今のうちに食事をしておけ」

「はい、父様」

 

 運動を終えたナッツは、父親から差し出された棒状の携帯食料を受け取り、開封して笑顔で食べ始めた。隣で同じ物を食べながら、父親が娘に話し掛ける。

 

「うまいか?」

「はい! おいしいです!」

 

 味も良くて飽きないし、持ち運びも簡単で保存も効く。これだけ食べていれば栄養的に全く問題ないのも素晴らしい。それに何より、久しぶりに父様と二人で食事をしているのだ。おいしくないはずがない。

 

 食事をしながら、少女は父親に、自分の近況について話していた。この前攻略した惑星はどんなだったの、戦闘力がどのくらい上がっただの。スカウター越しに毎日会話はしていたが、彼女がほとんど休まず任務に出ているので、直接会って落ち着いて話せる機会は貴重だった。

 

 父親の方は、娘の話を聞きながら、惑星の攻略法や、敵との戦い方について、自身の経験談も交えたアドバイスをしていった。ナッツにとってそれらは参考になる事ばかりで、父親との会話という事もあって、とても楽しい時間だった。

 

 

「お前も腕を上げたようだし、地球の奴らを片付けたら、久しぶりに稽古でもつけてやるか」

「本当ですか! 嬉しいです!」

 

 思わず尻尾を振りたくなってしまうが、無闇に腰から解かないよう、注意されているので我慢する。

 

(家族で遠くに遊びに行くのって、凄く楽しい。こういうの、何て言うのかしら)

 

 少女は旅行やピクニックという言葉を知らなかったが、一般的な用法はともかく、ナッツにとって、この地球への旅は、そうしたものだった。

 

 母様も一緒に居てくれたらいいのに。一瞬だけそう考えて、寂しくならないよう、すぐにその考えを打ち消した。

 

(私には、父様がいてくれるから。それだけでもう、満足すべきなのよ)

 

 

 

 

 

 やがて二人の話題は、これから行く惑星の話に移る。

 

「もうすぐ地球ですね。確か月もあるんでしたっけ?」

 

 月を見られるという期待に、少女の頬が緩む。ナッツは満月が好きだった。大猿に変身するだけならパワーボールでも可能だが、消耗もないし、たった数時間で消えてしまう事もなく、一晩中変身していられる。それに何より、雰囲気がある。

 

「ああ。ちょうど今日が満月の日だ。地球人共がどれほどの強さか知らんが、さすがに大猿になったお前に勝てるほどではないだろうさ」

「父様、ちょっと過保護です……。けど、ありがとうございます」

 

 自分で月を作る必要のない満月の夜ならば、本当の意味で、彼女は全力で戦える。あらかじめ変身しておけるのなら、ザーボンやドドリアにも負けない自信があった。

 

(まあ、あの二人が満月の夜に私と二人きりになるなんて有り得ないから、仮定の話なんだけど)

 

 ナッツ達が月のある惑星を攻略している時、あるいはパワーボールで月を作った時も、彼らは絶対に近付こうとしない。フリーザの側近である彼らが恐れるほど、変身した私達は強いのだと、その事実を内心誇らしく思っていた。

 

 

 そう、あの地球には月があるのだ。住民は大した戦闘力を持っていないらしいが、人間の姿で地道に片付けるよりは、退屈しないで済むだろう。それに嬉しい事に、久しぶりに父様も一緒なのだ。

 

 少女は父親に向けて、花のように笑ってみせた。

 

「地球に着いたら、2人でいっぱい楽しみましょうね」

 

 父親はその笑顔を見て、ナッツの母親のことを思い出した。娘の整った顔立ちには、どこか彼女の面影があった。

 

 

 その時、スカウターから、甲高い電子音が鳴った。隣のポッドからの通信だ。

 

『お嬢、俺もいるんですが……』

「ナッパは黙ってて」

 

 少女にとっての彼は、数少ないサイヤ人の仲間で、自分より強い戦力だった。個人的な感情は、特に無かった。小さい頃から可愛がってくれていて、別に嫌いなわけではないが、貴重な父親との時間を邪魔されたくなかった。

 

 自分には父様さえいれば、それで良かった。 

 

 

 それから、しばしの時間が経過した。

 

 父親と楽しい時間を過ごしていた少女は、遠くに見えてきた青い惑星に気付き、立ち上がって窓越しに指差して笑う。

 

「父様! 地球が見えてきました! まだ昼みたいですけど、せっかくですから月が出てから降りましょうか?」

 

 ベジータは、地球を見て表情を硬くする。

 

「ナッツ、それなんだが……周囲にあるはずの月が見当たらん。事前に破壊されたらしい」

「……えっ!?」

 

 何かの間違いではないかと、少女は地球の周りを念入りに確認するも、確かに月は見えない。天体を破壊するにはかなりの戦闘力が必要だが、宇宙において月の大きさは様々だ。どうやら地球の月は、簡単に壊せるサイズだったらしい。

 

「地球の奴ら、私達を変身させないために、そこまでするの……!」

 

 楽しみを台無しにされたナッツは、怒りの表情で地球を睨み付ける。そして、ふと何かを思いつき、ニヤリと笑った。

 

 そんなに怖がっている奴らが、大猿になった私を見たら、どんな顔をするだろうか。

 

「私がパワーボールで月を作って、驚かせてあげましょうか?」

 

「やめておけ。あれは消耗が激しい。必要な時は俺がやる。まあ、地球人ごときに使うまでもないだろうがな」

 

「わかりました、父様。……けど腹が立ちます! 父様と一緒に月を見るのを楽しみにしてたのに……」

 

 むくれるナッツの肩を、ベジータは自分の尻尾で優しく叩いた。ナッツはそれに気づいて微笑み、父親の尻尾に自分の尻尾を絡める。互いに大事な尻尾を預け合うのは、サイヤ人にとって信頼と愛情を示す行為だ。少女の頬が緩む。

 

「父様の尻尾、温かいです」

「お前のも、な」

 

 ポッドが地球に着陸するまでの間、2人はずっとそうしていて、少女はこの世で一番の、幸せな時間を噛み締めていた。ふと何気なく、ナッツは呟く。

 

「父様、私を置いて、死なないでくださいね」

「当たり前だ。お前も、あんまり危ない真似はするんじゃないぞ」

 

 ナッツは父親の強さを信じていた。だからこれは、否定される事が前提の、念押しのようなものだった。母親の身に起こったような事が、たとえ万が一あるとして。少なくとも、それは今日ではないだろうと、安心してその温もりに身を委ねていた。




というわけで、リメイク済みの第1話です。
冒頭のナッツの過去をようやく書けてすっきりしました。何でこれ入れ忘れてたの昔の自分。


第1話から第4話については投稿に慣れていなかった時期に書いたもので、自分でもちょっと拙い文章だなあと思うので、まずこれらを書き直して、それ以外の話も合わせて軽く修正してからナメック星編に入ります。

先にナメック星編を早く読みたい! という方も大勢いらっしゃると思いますが、そっちの下書きも少しずつ同時進行でやってますのでどうかご容赦を。


それと年末にサイヤ人編を終わらせた辺りから、評価やお気に入り数が一気に増えまして。驚くと同時に嬉しく思っております。読んで下さった方々、ありがとうございました。

もしよろしければ、この小説に限らず、面白い、とか続きを見たい、と思った作品には感想や評価を加えてあげて下さい。きっと作者が喜んで続きを作る原動力になると、投稿を始めて強く実感できましたので。


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2.彼女が地球に降り立つ話

ガチサイヤ人カワイイを目指してます。
※2019.1.6 加筆修正しました。


 3人のサイヤ人達は地球に降り立ち、ナッパが街を一つ破壊した後、やってきた地球の戦士達と対峙していた。

 

「父様……こいつら、なかなか楽しめそうですね」

 

 スカウターを確認したナッツが微笑む。予想以上の彼らの戦闘力を見て、彼女は新しい玩具を買ってもらった子供のような気分になっていた。

 

「私は誰と戦えばいいですか? できればあの一番強い緑色の奴か、額に目のある奴か……」

 

 はしゃぎながら、品定めをするように、少女は全員を観察していく。

 

「おい、なんだあのガキは……」

「あ、あいつらの子供なのか? 悟飯と同じくらいの歳なのに……」

「なんて悪の気だ……」

「どれだけ殺してきやがった……!」

「天さん……」

「怖い……」

 

 あどけない子供の外見と、彼女が持つ悪の気の大きさとのギャップに、戦士達が戦慄する。ナッツはそれを見て、悪くない反応だと思った。相手が怯えれば、それだけ戦いでは優位に立てる。父親の教えだった。

 

 

「ああ、そうだ。この中で月を消してくれたのは、誰かしら?」

 

 少女は声色と表情を一変させ、冷酷なサイヤ人の顔で告げる。

 

「父様と一緒に月を見るのがとても楽しみで、わざわざ満月の日を選んで来たのだけど、いつの間にか壊されていたみたいで ガッカリしていたところよ」

 

「月だと……? 観光にでも来たつもりか?」

 

 ナッツの言葉の意味がわからず、天津飯とチャオズ、悟飯は困惑する。

 

 だが悟空の大猿化を見た事がある人間は、少女の腰に巻かれた尻尾を見て、恐怖に顔を引きつらせていた。ただでさえとてつもない気を持ったこのサイヤ人達に変身などされたら、間違いなく地球は終わってしまう。そして同時に月がもう無い事に、深く安堵した。

 

 ピッコロが一歩進み出て、サイヤ人の少女と対峙する。

 

「オレだ。貴様らを化け物にさせないためにやったが、どうやら正解だったようだな」

「正直ね。あなたは私の手で殺してあげる」

 

 ナッツは微笑む。これで私達が大猿に変身できないと印象付けられた。パワーボールを使う機会があるかわからないけど、その時は、彼らの驚き慌てる顔を楽しむ事ができそうだった。

 

 

 その時、悟飯がピッコロを庇うように前に出て、少女と向かい合って叫ぶ。

 

「ピ、ピッコロさんに手を出すなっ!」

「へえ?」

 

 まだ子供だ。自分よりもさらに幼く見えた。1歳下くらいだろうか。自分以外で、子供の戦士を見るのは初めてだった。少しだけ興味が湧く。戦闘力はおよそ1500。それなりだが、彼女が4歳の頃はもっと高かった。

 

「まあまあやるみたいけど、邪魔をするなら、あなたから殺すわよ」

「ひっ……!」

 

 軽く殺気を込めて睨み付けてやっただけで怯える姿に、むしろ驚いてしまった。この歳でこの高い戦闘力なら、何度も修羅場を潜っていると思ったのに。

 

 

「下がっていろ、悟飯」

 

 ピッコロが悟飯の肩を掴み、庇うように後ろへ下げる。

 

「てめえのような奴が、悟飯と同じサイヤ人の子供だと思うと、ヘドが出るぜ」

 

 その言葉に、ベジータが反応した。

 

「ほう、そいつがカカロットの息子か。地球人との混血らしいが、尻尾はどうした?」

 

(へえ、地球人って、サイヤ人との間に子供を作れるのね)

 

 黒目で黒髪。高い戦闘力。なるほど、確かにサイヤ人と言われれば納得できる。それも自分より年下だ。ちょっと可愛い気がする。

 

 尻尾が無いのが残念だけど、事故か何かで切れてしまったのかしら。そう考えていたナッツは、次のピッコロの言葉に愕然とする。

 

 

「月を消した時に、オレが切ってやった。サイヤ人は尻尾が弱点らしいからな」

「……えっ!?」

 

 ナッツは一瞬、何を言っているのか、わからなかった。弱点なら鍛えてあげればいいじゃない。尻尾を切るなんてそんな。いつ生えてくるかもわからないのに。変身もできなくなるし、背中を洗う時とか困る。それに何より、尻尾はサイヤ人にとって誇りの象徴とも言える。暴れる子供を大人しくさせる時、尻尾を握るくらいは仕方ないと思うけど、切るだなんて、そんな。

 

(虐待じゃないの……!!)

 

 自分が同じ事をされたらと思うと、背筋が震えてしまった。

 

 

「何て事するの! 尻尾を切るなんて、可哀想じゃない!」

「な、なんだと……!!」

 

 ピッコロは動揺する。その声には、真摯に悟飯の事を案じる響きがあったから。

 

 確かに月を消しておけば、尻尾まで切る必要は無かったかもしれない。サイヤ人の事をよく知らずに尻尾を切ってしまったが、もしかしたら、オレは悟飯に酷い事をしてしまったのではないか。

 

 

「ねえ、あなた。そんな奴の所なんかより、サイヤ人だったら、こっちに来てもいいのよ?」

 

 おいしい食べ物もあるわ、と携帯食料を差し出して見せる。

 警戒されないよう、とっておきの笑顔。上手くできているだろうか。

 

「くっ、ご、悟飯……!!」

 

 謎の危機感を覚えたピッコロが呻く。自覚は薄かったが、それは悟飯が自分から離れてしまうという不安だった。

 

 悟飯との想い出が脳裏に浮かぶ。孫悟空の兄に連れ去られたので助けに行って、見込みがあったので連れ去って尻尾を切って服と剣を渡して荒野に放置して、その後みっちり戦いを教え込んだ。

 

 まずい。あまり悟飯に好かれる事をした覚えがなかった。勢いで連れ去ってしまったが、今考えると、せめて母親には会わせてやるべきだっただろうか。

 

 悟飯がよく食べたがるリンゴでも残っていなかったかと、焦って懐を漁るピッコロの足に、悟飯が縋り付く。

 

「ピッコロさん、あの子怖い……」

 

 悟飯はピッコロの背後に隠れたまま、必死に首を振る。それを見たピッコロは一瞬驚き、それから勝ち誇った笑みを浮かべて、悟飯と同じほどの背丈しかない少女を見下ろし、得意そうに告げた。

 

「残念だったな、サイヤ人」

 

 

 ナッツはぶるぶると震え、怒りに満ちた目でピッコロを睨み付ける。殺してしまおうかと思ったが、ここで暴力に訴えるのは、何だか負けのような気がした。

 

「……フン、いらないわよ。そんな情けないサイヤ人なんて」

 

 

 

 ベジータは娘の様子を眺めながら、彼女を戦わせてやるべきか、悩んでいた。好きにさせてやりたいとは思うし、戦闘力で考えれば、全員が相手でも負けはしないとは思うが、不安は拭えなかった。ギニュー特戦隊のグルドのように、見かけの戦闘力だけでは判断できない厄介な技を使う奴もいる。それを思うと、未知の相手と娘を、いきなり戦わせたくはなかった。

 

「ナッツ、一旦下がれ。まずサイバイマンで様子を見る」

「わかりました、父様」

 

(正直、サイバンマンでは不足だが、何もしないよりマシか)

 

 こういう時、娘より少し弱いくらいの戦闘力で、当て馬に使えて死んでも惜しくないような奴がいればと思う。惑星ベジータが健在ならば、今頃は自分が王になって、サイヤ人の臣下を好きに使えて、娘にも王族に相応しい扱いを受けさせてやれたのだが。

 

 小さく息を吐くベジータの横でナッパが種を植え、戦士達と同じ6体のサイバイマンが発芽する。惑星攻略用の貴重な戦力だが、ナッツが訓練で大量に消費してしまうため、その在庫は常に少ない。

 

 

(サイバイマンが相手なら大丈夫とは思うけど、私の獲物が減ったら困るわね……)

 

 始まった戦士達とサイバイマンとの戦いを、はらはらしながら見守るナッツ。彼女の心配を他所に、天津飯が危うげなく1匹を倒す。

 

「あの額に目の男、強いですね。ラディッツでも苦戦するかも……」

「何?」

「えっ?」

 

 父様が凄い顔をしている。自分は何か、おかしな事を言っただろうか。

 固まっている父様を余所に、ナッパが話し掛けてきた。

 

「お嬢、ラディッツの戦闘力は……」

「? 確か、2000くらいでしたよね? 父様」

 

 自分より低いという事しか覚えていないが、さすがにサイバイマン並という事は無かったと思う。 

 

「……ああ、そうだったな」

「……そうでしたね、お嬢」

 

 実際のラディッツの戦闘力は1500だが、エリートサイヤ人達にも、死んだ仲間に対する情けはあった。わざわざ訂正する意味もあまり無いしな……と二人は思っていた。

 

 

 

「次はオレにやらせてくれ。そろそろ奴らに、遊びじゃないって事を教えてやらないとな」

 

 そう言って現れたヤムチャも言葉どおりの強さであっさり1匹を倒し、ナッツは上機嫌となっていた。

 

(あの長髪の男もなかなかレベルが高いわね。良い事言ってるし、もう次は私が出てあげようかしら?)

 

 サイヤ人の常として、彼女は戦う事が大好きだったが、最近はちょうどいい強さの相手がいなかったため、地球の戦士達の戦闘力が、とても魅力的に見えていた。

 

(手頃な星は全部攻略しちゃったし、サイバイマンはもう何匹倒したか覚えてないし、父様やナッパは本気で相手をしてくれないし。けどあいつらが束になったら、結構良い勝負ができそう。欲を言えば、1人で私と互角なら申し分無いんだけど、さすがにそんな奴はいないわよね)

 

「残りの4匹も、俺一人で片付けてやるぜ!」

 

 勝ち誇るヤムチャの背後で、倒れたサイバイマンがぴくりと動く。その動きで、ナッツには次の行動が予測できた。

 

「ちょっと、そいつまだ……!」

 

 ナッツが思わず警告するも、サイバイマンは素早くヤムチャに組みついた。

 

「何っ、しまった!?」

 

 振り解こうとしても離れず、そして自爆によって大爆発が巻き起こり、後にはクレーターと、倒れ伏すヤムチャの死体が残されていた。突然の仲間の死に、愕然とする戦士達。そしてナッツ。

 

「ああ、そこそこ強かったのに、勿体ない……」

 

 楽しみの一つを失った少女は、深くため息をついた。

 

「ナッツ、どっちの味方だ」

「だって、どうせなら私が戦いたかったです。ずっと退屈だったんですよ」

 

 父親に注意されても、ナッツは不機嫌な顔を隠さなかった。

 

 

 

「あ、あいつ、自分達のせいでヤムチャが死んだってのに、何を呑気な……!」

 

 仲間の死とナッツの発言に激昂したクリリンが躍り出て、気を集中する。

 

「修行の成果を見せてやる……はああああっ!!!」

 

 そして放ったエネルギー波が空中で拡散して降り注ぎ、次々にサイバイマン達に命中し、爆発させていく。

 

「凄い! あれってどうやって……」

 

 珍しい技を見て喜ぶナッツに向けて、拡散したエネルギー波の一つが迫る。

 彼女は一瞬驚いて、それから、不敵に笑ってみせた。

 

「……へえ、私に?」

「ナッツ! 危ない!」

 

 前に出て庇おうとするベジータを、ナッツが手で制する。その表情は見えない。

 そしてエネルギー波が少女に着弾し、爆発した。

 

「やったぜ!」

 

 クリリンの見せた大技に歓喜する戦士達。

 だが、生き残った1匹のサイバイマンが悟飯に迫る。

 

「う、うわ……」

「悟飯!?」

 

 恐怖に竦んで動けない悟飯。迎撃しようとするピッコロ。

 だがそれより早く、サイバイマンの頭に、少女の拳がめり込んだ。

 

「ギッ……!?」

 

 一撃で頭部を陥没させ、崩れ落ちるサイバイマン。

 半分潰れたその頭を、黒いブーツが踏み砕く。

 

「て、天さん!」

「出てきやがったか……!」

 

 

 黒い戦闘服を着た少女が、全くの無傷でそこにいた。

 解放された気が、電流のようにナッツの周囲で弾けていく。

 

 彼女の顔は笑っていたが、その雰囲気は、先ほどまでとは全く異なっていた。

 飢えた獣が獲物の前で見せるような、欲望と殺意に満ちた表情で、ナッツは宣言する。

 

「もう、我慢できないわ……次は私よ。全員相手してあげる」

「来るぞ! 気をつけろ!」

 

 そしてナッツは地を蹴り、戦士達へと襲い掛かった。

 

 

 

「おい、いいのかベジータ」

「問題無い。オレの娘は、あの程度の奴らに遅れは取らん」

 

 万が一何かあれば、すぐに助けに入るつもりだった。そしてスカウターの録画機能をオンにし、同時に映像を宇宙船に送信する。娘の姿を残しておくためだ。

 

「ベジータ、またそれかよ……」

「何とでも言え。お前も子供を持てばわかる」

 

 ナッパは思う。自分にとっては、ラディッツとベジータがそれに近かったと。

 可愛げもなかったし、甘えてくるわけでもなかったが。

 

「あの小さかったベジータが、子供を可愛がる歳にねえ」

 

 オレも歳をとるわけだと、ナッパは苦笑した。




第2話のリメイク完了です。
ピッコロさんとの絡みは、後々の話を考えると欲しかったエピソードなのです。

あと超ブロリー劇場版で印象に残った場面の一つに、パラガスが再会して暴れるブロリーの尻尾を掴んで大人しくさせるシーンがあります。さらっと流されてましたが「あれがサイヤ人の子育て……!」ってなったので軽く触れてみました。


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3.彼女が地球で戦う話

※2019.1.9 微修正しました。


「まずは、さっきの攻撃のお返しよ!」

 ナッツはバレーボール大の気弾を作成し、投げ放つ。

 

「散れっ!」

 

 ピッコロの号令で全員が動き、直後、気弾が大爆発を起こす。

 巻き込まれた者はいなかったが、全員が分断されてしまう。

 

「これが狙いか……っ!」

 

 空中に飛んだピッコロが、間一髪繰り出された拳を回避する。

 目の前に突如現れたサイヤ人の少女が、獰猛に笑う。

 

「緑色の奴! やっぱりあなたが一番強いわね!」

 

 ナッツは続けて打撃を繰り出す。ピッコロも応じ、打撃の応酬となる。

 小さな体からは想像もできない速度と威力にピッコロが押されていく。

 

「こいつ、子供のくせになんてパワーだ……!」

「ピッコロ! 合わせろ!」

「! 額に目の男!」

 

 背後からの天津飯の強襲を、ナッツは片手で防ぐ。

 そのまま2対1の戦闘となる。

 

 

「いいわね! 地球まで来た甲斐があったわ!」

 

 戦闘力はナッツの方が上だが、攻防のための手数が足りない。

 

 攻撃を受け、血を流しながら少女が笑い、反撃する。

 2人掛かりでなお押し切れぬ事に、戦慄するピッコロ。

 

「悟飯! 援護しろ!」

「え、えっと……」

 

 高速で入り乱れる3人の戦闘に介入できず、立ち尽くす悟飯。

 

(何やってるのよ。割って入る素振りを見せるだけでも、私の気が逸れて援護になるってのに。あいつ本当にサイヤ人なの?)

 

 ナッツはその様子を一瞬横目で眺めて、すぐに興味を失った。

 

 

「オレがやる! はあああっ!」

 

 新たな腕を生やし、4本腕となる天津飯。驚愕するナッツ。

 

「嘘っ!? 地球人は腕を増やせるの!?」

「見てのとおりだ! 死ね!」

 

 さらに開いた手数の差に、被弾が多くなり、少女は追い込まれていく。

 

 

 地上で攻撃の機を窺うチャオズ達が、その様子に明るい表情となっていた。

 

「さすが天さん!」

(凄いけど、あいつ、本当に地球人なんだろうか……)

 

 クリリンは訝しみながらも、ナッツが隙を見せた時に備えて、気の集中を続けていた。

 

 

「もう! 鬱陶しい!」

 

 ナッツは手の甲で口元の血を拭い、荒い息をつく。

 ピッコロと天津飯の2人を相手に、少しずつ疲労とダメージが蓄積していた。

 

(このままだと勝てない……四本腕の攻撃はその分軽い……なら!)

 

「はあっ!」

 

 ナッツは気を爆発させ、2人を別々の方向に弾き飛ばした。

 そしてそのままピッコロへ肉薄し、全力でラッシュをかける。

 

「オレから先に潰すつもりか……だが、そう簡単には倒れんぞ!」

 

 ピッコロはガードを固めて耐える。

 すぐに復帰した天津飯が、無防備なナッツの背中に迫る。

 

「焦ったな! 四妖拳を食らえっ!」

 

 四本の腕が振り下ろされる。

 だが、その攻撃を何かに弾かれ、中断されてしまう。ナッツの口元に笑みが浮かぶ。

 

「……尻尾だと!?」

 

(たとえ握られても、私は止まらない!)

 

「はああああっ!!」

 

 ナッツの渾身の一撃が、ついにピッコロのガードを砕いた。

 

「うおおっ!?」

 

 吹き飛ばされ、遠くに消えていくピッコロ。

 ナッツは手ごたえの無さに舌打ちする。

 

(浅い! とっさに自分から逃げた!)

 

「次はそっちよ!」

「くっ……!」

 

 ナッツは返す刀で天津飯を蹴りつけ、地上へと叩き落とす。

 自身もその後を追い、高速で降下しながら必殺の拳を振り上げる。

 

「これで1人!」

 

 ナッツが勝利を確信した、その時だった。

 

 

「天さん! 危ない!」

「……っ! 身体が!?」

 

 少女の身体は、空中で不自然に停止していた。チャオズの超能力だ。

 

(見えない力……あのチビがやってるの?)

 

 突然の未知の事態に、困惑するナッツ。

 そして動きを止めた少女に向けて、

 

「気円斬ーーーっ!!!!」

 

 気を集中していたクリリンが、即座に円盤を作成し、投げ放った。

 

 

 瞬く間に眼前に迫る気の刃を、少女は動かぬ身体で呆然と見つめる。

 

(え、これ、刃……? 私、死……)

 

 眼前の死に、ナッツの目が見開かれる。そして刃が首を跳ねんとした、その瞬間。

 

「まったく、手のかかる娘だ」

 

 硬直した少女の小柄な身体を、ベジータが抱き上げていた。

 目標を失った気の刃が、遠くの岩を空しく切断して飛んでいった。

 

 

 

 

「父様!」

 

「勝手に飛び出しやがって。見ていて冷や冷やしたぞ……。たまには好きにやらせてやろうと思っていたが、今のは本当に危なかった」

 

 娘を抱く手に力を込めながら、クリリンを睨むベジータ。怯えるクリリンを尻目に、そのまま娘を抱えて下がっていく。

 

「ナッパ。適当に遊んでやれ。こいつのために、1人か2人は残せ」

「おう。お嬢は後ろで休んでな」

 

「父様! 私はまだ戦えます!」

 抱えられながらじたばたと暴れるナッツを、ベジータが睨む。

 

「駄目だ」

「う……ごめんなさい」

 

 ナッツは暴れるのを止め、しゅんとなって反省を示した。

 

 

 

「あいつ、1年前のラディッツとは比べ物にならんぞ……」

「ちくしょう、あそこで止めを刺せていれば……」

 

 3人のサイヤ人達の中で、最も弱いと思われていたナッツの予想外の実力に、

 地球の戦士達は、仕留めきれなかったことを悔やんでいた。

 

 一方、ナッツの方は今の戦いにとても満足していた。弱い相手を蹂躙するわけではなく、殺されるかもしれない相手と全力で戦えたのは気持ち良かったし、爽快だった。月を消された事にはまだ少し腹が立っているが、人間の姿で彼らと戦えて良かったと思った。

 

「ねえ、あなた達!」

 

 運ばれながら、ナッツは大きく手を振って彼らに呼びかける。

 

「今の、凄く楽しかったわよ! ありがとう! ナッパ相手に生きていられたら、またやりましょう?」

 

 つい先ほど、殺し合いの末に死ぬ寸前だった少女は、心から笑ってそう言い切ってみせた。

 そして一斉に、化け物を見るような目を向けられ、ナッツは頬を膨らませる。

 

「もう! これだから平和な星の人間は……戦うのが、楽しくないのかしら」

「そういうものだ、ナッツ」

 

 やや落ち込んでいる様子の娘の頭を、ベジータはくしゃくしゃとかき回した。

 彼はあまり愛情表現を知らなかったが、ナッツの心はそれだけで、十二分に満たされていた。




この話はあんまり修正する箇所が無かったです。
やや短いですが、当時は結構頑張って書いたので。


ナッツのキャラは大体こんな感じです。

・戦って強くなる事が好きで、その結果どちらかが死ぬのは当然だと思ってる。
・自分が認めた相手には友好的。そうでない相手は殺す事も厭わない。
・ベジータが必死に行儀良く育てたのでちゃんとお礼も言える。
・あんまり難しい事は考えない。

以前書いてた分だと今の40%増しくらい悪人で作者から見ても
あんまり良いキャラだと思えなかったので、こんな感じに落ち着きました。

ニッチな趣味の作品ですが、気に入っていただければ幸いなのです。


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4.彼女が休息を取る話

※2019.1.9 後半部分を加筆修正しました。


 安全な距離まで下がった後、ベジータは娘を下ろし、顔や手足に付いた血を拭ってやりながら、真剣な様子で傷の具合を確認する。

 

 戦闘力の差によるものか、小さな傷こそあちこちにあるが、骨や内臓に異常はない事を知り、安堵の息をつく。 

 

「……大きな怪我は無いな。念のため、帰ったらすぐメディカルマシーンに入るぞ」

「あれ、退屈で溺れそうで苦手なんですけど……わかりました」

 

 心配をかけた事への反省か、元気のない様子の娘に、ベジータは優しい声で言葉を掛ける。

 

「しばらくナッパの戦いを見ていろ。参考になることが多いはずだ。その後で残った奴とまた戦わせてやるから、次は上手くやれ」 

 

「はい、父様!」

 

 少女は明るく微笑み、言われたとおりに観戦を始めた。

 

 

 

「はああああっ!!」

 

 戦士達の前に出たナッパが気を解放し、大地が震え出す。

 

「こ、こいつ、さっきのやつよりも……」

「天さん! ボクの超能力が効かない!?」

 

「さあて、どいつから片付けてやるかな……」

 

 そして戦いが始まり、ナッパは凄まじい強さで戦士達を圧倒していった。

 

 

(さすがナッパ、私とは大違いの実力ね……)

 

 戦いを見守る少女が最も感銘を受けたのは、ナッパの圧倒的なタフネスだった。

 

「さよなら、天さん……!」

「気功砲!」

 

 捨て身の攻撃を続けて食らうも、びくともせずに戦闘を続けるナッパ。

 

「……ふう、おどかしやがって」

「まっ、まさか……奴は不死身か!?」

 

(私があんな攻撃を食らっていたら……死にはしないだろうけど、危なかったかも。やっぱりタフで頑丈なのは大事ね。背丈とか筋肉とか、見た目だけなら父様よりも強そうだし)

 

 

 ナッツは自分の身体を見る。

 

 体格は小柄で、鍛えられてはいるものの、肉はあまりついておらず、

 すらりとした手足は年相応にか細く、リーチも短い。

 

 少女はため息をつき、憧れの目でナッパを見つめる。

 

「ナッパの身体って、いいですよね……」

 

「おおぅ!?」

 娘の爆弾発言に、壁ドンされる直前のような声をあげるベジータ。

 

「おおお、お前まさか、ナッパを……!? 俺は絶対に認めんぞ!」

「違います!? 父様よりも年上じゃないですか!」

 

 

 

 それから戦闘は続き、残り3人となったクリリン達が追い詰められ、

 

「悟空ーー!!早く来てくれーーーっ!!!! 頼むーーーっ!!!」

 

 その叫びに興味を持ったベジータはクリリン達を問いただす。

 

「カカロット……やはりドラゴンボールで生き返っていたか。だがラディッツにさえ勝てなかったあいつが来て、今更どうなるというんだ?」

 

「この間とは絶対に違う! もっともっと、ずっと強くなってるさ!」

「貴様ら……孫悟空を舐めるなよ……!」

「お父さんはきっと来るよっ! お前達なんかやっつけてくれるんだ!」

 

「その割にはちっともやってこないじゃねえか! 怖くて逃げちまったんじゃないのか?」

 

 

 クリリン達の言葉と必死の表情に、嘘はないとナッツは直感した。

 

(カカロット……こいつらがこれだけ頼りにするのなら、もしかして、私と同じくらい強かったりするのかしら?)

 

「父様、私、そのカカロットとかいう奴を見てみたいです」

「お、おいお嬢……」

 

 上目遣いで父親を見つめるナッツに、ベジータはどう答えるべきか考える。

 

 父親として、娘の頼みはできるだけ聞いてやりたい。この間のサイバイマン30匹に比べれば、金銭的負担が0である分、遥かにマシな頼みではある。

 

 

(まあ、カカロットの目の前でこいつらを殺させて、絶望する顔を見るのも悪くない。それに……)

 

「? なんですか、父様?」

 不思議そうに首をかしげるナッツ。

 

(1人か2人は残してやると言ってしまった。このままだと、またすぐこいつが戦闘に出てしまうな……。平気そうに見えるが、もう少し休憩させてやるべきか)

 

「良かろう。カカロットが来るまで待ってやる。ただし、3時間だけだ」

「父様! ありがとうございます!」

「じょ、冗談だろ……!」

 

 ナッパは抗議しようとするが、ベジータが喜んでいる娘を指して見せるのに気付き、不承不承受け入れる。

 

「いいところだったのに……3時間だけですぜ、お嬢」

「うん、ナッパもありがとう」

 

 

 

 そうして、カカロットを待つ3時間の間に起こったことは。

 

 

 

 ナッツは大事なことに気付き、ナッパに質問する。

 

「ところでナッパ、カカロットって誰?」

「地球に飛ばされたラディッツの弟です、お嬢。奴と相打ちになって死にました」

 

「飛ばし子ってやつね。けど、それにしてはこの星は平和過ぎない? 確かに地球の戦士はそこそこ強いけど、月だってあるのに、今まで何をやってたのかしら?」

 

「どうも頭を打って、腑抜けになっちまったようでして」

「そんな事があるのね……」

 

 少女は想像する。自分がもし地球に送られて頭を打って、ついでに尻尾も切られて、この平和な星で穏やかに暮らす事になったら。闘争を好むサイヤ人としては到底耐えきれない境遇に、思わず身震いする。

 

「怖いわね……嫌よそんなの。地獄じゃない」

「まあ、変わり者のサイヤ人も、たまにはいるんですがね」

 

 バーダックの嫁さんとか、もし地球に来ていたら、すんなり馴染めたに違いないと、ナッパは昔を思い出して小さく笑った。

 

 

 そしてナッツはさらに大事なことに気付く。

 

「ちょっと待って。カカロットって死んだのに何であと3時間で来るの?」

 

「地球にはドラゴンボールという願いを叶える玉がありまして、オレ達はそいつでラディッツを生き返らせるために来たんです」

 

「ふーん」

「違うぞナッパ」

 

 違うらしい。まあ願いとか、難しいことは父様達が考えればいいか、とナッツは思っていたが、ふと気づく。

 

(あれ? カカロットが生き返ったのなら、母様を生き返らせることだって……)

 

 父様だって、母様には生き返って欲しいはずなのに。そこまで考えて、ナッツは晩年の母を思い出す。

 

 彼女の前では元気そうに振舞ってはいたものの、幾度も苦しそうに咳き込み、血を吐いて父親に介抱される姿を、幼いナッツは何度も目にしていた。

 

(生まれつきの治らない病気で母様は弱ってた。けど最後は戦って死ねたんだし、母様はもう、起こして差し上げるべきではないのよね。きっと父様も、そう考えているんだわ)

 

 3年前に死んだ母親の事と、ポッドの中で見た、父親の寂しそうな顔を思い出して、ナッツは少しだけ悲しくなった。

 

 

 

 先ほどの戦闘で娘の手足に付いた傷を見て、父親は心配そうな顔で口を開く。

 

「ナッツ。今更だが、その戦闘服は防御が薄過ぎないか? 今ならもっと最新型で、お前に似合いそうなのもあるんだが」

 

 ベジータはどこからともなく戦闘服のカタログを取り出して見せた。小さなサイズの戦闘服のいくつかに印がつけてある。どれも防御力の高さと安全性を強調している物だ。

 

「そこまで薄いでしょうか……?」

 

 ナッツは自分の姿を確認する。

 

 黒い戦闘服は肩や腰のパッドが無く、両肩が出るシンプルな物。紫色のアンダースーツには袖が無く、覆っているのは腿の半ばまで。またグローブを着けておらず、手足がほぼ剥き出しになっている。確かに、父様やナッパと比べると防御が薄いかもしれない、とナッツは認める。

 

「けど、私はこれが身軽で気に入ってるんです。何より、母様の選んでくれた物ですし」

 

 それは死んだ母親が彼女に残した、数少ないものの一つだった。

 戦闘で何度か破損したことはあるが、その度にナッツは同じデザインの物を購入していた。

 

「そうか……そうだったな……」

 

 初めて戦闘服を着た時の、娘の嬉しそうな顔は今でも覚えているし、映像も残してある。あの時から、あいつの命がもう長くない事は、わかってはいたが。別れがああも突然とは、思っていなかった。

 

 ベジータはどこか遠くの、目の前ではない過去の情景を見るようにして、ため息を付いた。

 

 

 

 少女が暇潰しに渡されたカタログを捲っていると、父親の着ている戦闘服が見つかった。

 

 最新型の中でも一番値段が高く、防御力はもちろん耐熱耐寒、着用時の快適性に至るまで、全てが高性能だった。が、書いてある宣伝文句にナッツは顔をしかめる。

 

(『大猿に踏まれても大丈夫!』って、本当にテストしたんでしょうねこれ……)

 

 同時におかしくなって笑ってしまう。よりにもよって父様が大猿に踏まれるなんて、あるはずがないのに。

 

「どうした、ナッツ?」

 

 父様が変な顔でこちらを見ていたが、ツボに入ってしまい、何でもありませんと答えながらも、しばらく笑いが止まらなかった。

 

 有り得たかもしれない未来の話を、少女は知らないまま笑い続けた。

 

 

 カカロットを待つのに飽きた少女が昼寝をしていると、遠くから戦闘機の飛ぶ音が聞こえてきた。暇を持て余していたナッパが立ち上がり、ごきごきと首を鳴らして笑う。

 

「地球にもあんな軍隊があるとはな……いい暇潰しになりそうだぜ!」

 

 高速で飛翔し、戦闘機を次々に落としながら、ナッパは海へと向かっていく。

 そして迫り来る大艦隊を目の当たりにし、不敵に笑った。

 

「ナッツ、楽しそうだぞ。お前も行くか?」

「ふわあ……遠慮します。弱すぎです、あいつら」

 

 父親の傍で寝転がったまま、欠伸混じりでナッツが応える。

 

 飛翔するナッパに向けられる銃撃やミサイルの爆発音、墜落する戦闘機や撃沈される艦隊の断末魔。聞き慣れたそれらが彼女の眠気を覚ますことはなかった。

 

 

 

 その辺の岩に腰掛け、ナッツは父親の話を聞いている。

 

「ナッツ、さっきの戦いだがな。あそこで攻撃を防ぐのに尻尾を使うのは危なかった。握られたくらいでお前が怯まないのも知っているし、結果的には上手くいったが、逆に尻尾を狙われる危険もある。より強い攻撃を尻尾に食らったり、いきなり切られる事も警戒しておくべきだった。お前はまだ、尻尾を切られた経験が無いから知らんだろうが……あの痛みは想像を絶する。痛みで動けなくなっている隙を狙われたら、抵抗もできずに殺されてしまうだろう。そんな事になったらオレは……」

 

「眠いです……父様」

「待て起きろナッツ! 今大事な話をだな!」

 

 ベジータが肩を掴み揺さぶるも、ナッツは目を覚まさない。

 少女は難しい話を聞くのが苦手だった。

 

 ただとりあえず父親が心配してくれている事と、攻防に尻尾を使うのが危ないという事だけは理解した。




これで1~4話のリメイクは終了なのです。
4話のタイトルだけはどうしても直したいと思ってました……。

あとは5話以降をちょっとだけ直して、今回加筆修正した箇所との整合性を取ってからナメック星編に入ります。


ナッツの母親については、本編で出る予定はないです。

・才能に恵まれながらも生まれつきの病で戦場に出れず、憂鬱な日々を過ごしていた。
・幼少期のベジータにその戦闘力を見込まれ、護衛役として仕える事になった。
・居場所と役割を与えてくれた事に感謝し、片時も離れず仕え続けた。
・最後はフリーザの手で単身激戦区に送られ、敵軍を壊滅させながらも死亡。

こんな感じ。ベジータとは同年代のエリート戦士。
「戦いたいのに満足に戦えなかった」点がナッツと重なります。


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5.彼女が彼と出会う話

 ついに3時間が経過するも、悟空は現れない。

 

 

「やっぱり現れなかったじゃねえか!」

 

 テンションが上がったナッパは戦闘服を脱ぎ、半裸となった。

 その姿を見た少女が赤面する。

 

「やっぱり凄い身体……」

「ナッパ!! 俺の娘に汚いものを見せるんじゃない!!!」

「す、すまねえお嬢……」

 

 ガチギレした父親に怒鳴られたナッパが慌てて戦闘服を着直し、

クリリン達との戦闘が再開された。

 

 戦況は一方的で、尻尾を握られても動じないナッパを相手に成すすべもない3人。

 

 

 ナッツはその中で、積極的に戦おうとしない悟飯に苛立っていた。

 

(あいつ、カカロットの息子って聞いたけど、本当にサイヤ人なの? 

 尻尾も無いし、さっきから怯えて逃げてばかりじゃない。つまらないの)

 

 そしてピッコロがナッパの攻撃から悟飯を庇い、その命を落とす。

 

「死ぬなよ……悟飯……」

「ピッコロさーん!!!!!」

 

 3人の中で最も強かったピッコロの死に、ナッツはため息をつく。

 

 

(私の相手はあの2人か……毛の無い奴は危ない技を使うからすぐ殺すとして、

 それで残るのはあの情けない奴。すぐ終わりそう)

 

「うわああああーーーーっ!!!」

 だがその時、悟飯の戦闘力が急激に高まり、その場の全員が驚愕する。

 

「戦闘力2800だと!?」

「魔閃光ーーーーーっ!!!!」

 

 両掌を額の上で組み合わせて放ったその一撃は、ナッパには際どいところで弾かれてしまうが、

 

 

「い、今、戦闘力2800って……あいつが……? やるじゃない……!」

 

 見ていたナッツの心には、強い衝撃を与えていた。少女は目を輝かせる。

 スカウターに表示されたその戦闘力は地球の戦士達の誰よりも高く、限りなく彼女に近い。

 

 そして彼は、彼女と同じくらいの歳に見える。

 

 両親も、ナッパも、ラディッツも、そして他のフリーザ軍の戦士達も、彼女の周りにいるのは

大人ばかりで、同年代の人間は誰もいなかった。その事実を、今改めて気付かされた。

 

 理由も判らず、少女は思わず歩き出す。驚き何か言おうとするナッパの横を通り過ぎ、

気が付いた時、ナッツは少年の前に立っていた。

 

 今の一撃で疲弊したらしく、肩で息をつく少年が、ナッツを見る。

 

 近付いて判ったが、彼女の方がわずかに背が高い。その事実に、何か勝ったような気分になり、

それはともかく話し掛けようとして、ナッツは重大な事実に気付く。

 

 

(こういう時、何を言ったらいいのか、わからないわ……!)

 

 彼女は自分と同年代の戦士など見た事が無かった。

 

 背は低くとも、グルドとか、さっきの見えない力を使うチビとか、あいつらは大人だろうと、

何となく見て判った。だが、目の前の少年は、正真正銘、自分と同年代だ。

 

 彼女の両親は、戦いについてのあらゆる事や、目上の相手への礼儀作法については

教えてくれたが、こういう場合の立ち居振る舞いについては、全く教わった覚えが無かった。

 

 ぶっちゃけ両親のどちらもそれについては知らなかったので、教えようがない。

 その知識が必要になる局面があるとも、思われていなかった。

 

 

(どうしたらいいの? 黙りこくって変な奴だと思われたらどうしよう? 

 いっそいきなりパワーボールでも使って、力の差を見せつけた方がいいのかしら?)

 

 とりあえず相手を怯えさせれば有利。父親の教えだった。

 

 縋るような、助けを求める目で、ナッツは父親を見る。

(父様、教えてください……!)

 

 

 視線を向けられたベジータは普段の娘の言動から、真剣にその意図を察しようとする。

 ナッツが欲しがるものや望むものといえば、戦闘に関するもので間違いない。

 

(私が殺していいですか、と聞いてるんだろうか? わざわざ確認するなんて、行儀のいい娘だ)

 

 笑顔で親指を立て、頷いて見せた。

 

 

 

 父親の反応を見て、ナッツは覚悟を決めた。

 

(戦闘力は多少落ちるけど、仕方ないわね……)

 

 最初が肝心だ。月を作れるサイヤ人は一握りと聞くし、逆の立場なら自分は目の前の相手を

深く尊敬して忠誠を誓うだろう。

 

 少年が驚き慌て、大猿になった自分の前に跪く光景が脳裏に浮かぶ。

 あれ、なんかそれ違わない? と一瞬思うも他に良い考えもなく。

 

 ナッツは掌を上に向け、満月をイメージしながら力を集中する。

 

 少女が歴史を変える2秒前、目の前に立ったまま何も言ってこないナッツの様子を

不審に思った悟飯が口を開く。

 

 

「あの……君は?」

 

 悟飯の方も山奥育ちで、物心ついてからはすぐに叔父に誘拐され、助けに来た父の友人にも

誘拐された挙句にサバイバル生活と修行を強要され、同年代の友達などいなかった。

 

 だがさすがに母親であるチチの教育の分、ナッツよりは常識を心得ていた。

 

 声を掛けられたナッツは、単純な見落としに気付き、冷や汗をかく。

(名前! そうか、まずは名前ね! 焦って肝心な事を忘れていたわ……!)

 

 まだお互いの名前すらも知らないのだ。恥をかく所だったので、一つ借りを作った形になる。

(こいつ、戦闘力は私より下でも、こうした事に手慣れてるのかしら……)

 

 

「わ、私の名前はナッツ! サイヤ人の王子、ベジータ父様の娘よ!」

 

 胸に手を当て、王族っぽい高貴で華麗なポーズと共に宣名する。

 こういう時にはポーズが大事だと、昔どこかでフルーツパフェをご馳走された時に聞いたのだ。

 

 

 ベジータは無言でスカウターの録画機能をオンにし、その光景を宇宙船に送信して保存する。

 数年後にその映像を見せられ、羞恥のあまり絶叫するナッツについてはまた別の話だ。

 

 

「う、うん……」

 少年は若干引いた様子だったが、ナッツは緊張で気付いていない。

 

「それで、あなたの名前は?」

「ご、悟飯……」

 

 悟飯。サイヤ人らしくない、地球風の名前だ。ライスとか呼んだら駄目かしらと

ナッツは思うも、カカロットや少年の母親が付けたのだろうその名前に敬意を示す事にした。

 

「悟飯、うん悟飯ね。良い名前じゃない」

「あ、ありがと……」

 

 会話は成立した。次は何を話すべきだろうかと、ナッツは考える。

 

 ここまで真剣になったのは、任務の最中、戦闘力10000を超える傭兵に追い掛け回され、

月を作る機会を窺いながら逃げ回った時以来だ。

 

(まず戦闘力を聞くべき? スカウターで見ればわかるけど、変動が激しいし。あの力は

 普段から出せるのかしら)

 

(攻略した惑星の数? 戦闘力からして2つか3つは滅ぼしてると思うけど、聞き返されたら

 私が自慢するみたいで何か嫌だわ)

 

(普段食べてる物? 私は携帯食料があれば生きていけるし、向こうもたぶん

 似たようなものよね)

 

(誰から訓練を? これは当然カカロットよね。私と同じで、生まれた時から英才教育を

 受けてきたに違いないわ)

 

 

 生まれて初めて自分に並ぶ少年と向き合って、聞いてみたい事は次々と浮かんできたが、

何から話したらいいのか、ナッツにはわからず、結果、ずっと悟飯の顔を見つめる形となる。

 

 夜の闇のような、少女の黒い瞳に間近から見つめられ、悟飯は顔を赤く染めて目を逸らす。

 ナッツはその反応を、少年が退屈したものと誤解し、何か話さなければと、慌てて口を開く。

 

 

「ね、ねえ、悟飯。あなた結構強いみたいだけど、何年くらい訓練したの?」

「えっと、1年前から……」

 

 少女の黒い瞳が、驚愕に大きく見開かれる。嘘や冗談とは思わなかった。目の前の少年が

とっさにそんな事を言う人間ではないと、ナッツはこの短い時間で理解していた。

 

「あははははは!!!! 何それ! 凄い!」 

 

心の底から湧き上がる純粋な歓喜に、ナッツは大笑する。

 

 同じくらいの歳で、同じくらいの戦闘力。だがずっと両親から訓練を受け、実戦を

繰り返してきた自分に、不安定とはいえ、たった1年で並ぼうとしている。

 

 とてつもない才能の持ち主と言えた。

 

 

 この少年の実力は、絶対これからまだ伸びるし、それに自分と同じ、黒い瞳と髪のサイヤ人だ。

尻尾だってそのうち生えるだろう。

 

 一緒に戦ったり、競い合ったり、殺し合ったり、色々なことを、この少年としてみたかった。

 

 熱に浮かされたような顔で、ナッツは心の奥から湧き出た言葉を、そのまま口にした。

 

 

「ねえ、悟飯。私、あなたがいいわ」

 

 

 その台詞に、娘の様子を録画していたベジータが真後ろに倒れる。

 数年後にこの映像を見せられ、羞恥のあまり絶叫するナッツについてはまた別の話だ。

 

 

「……え? ボク?」

 

 一方の悟飯は、そんな少女の内心など知る由もなく。

 強くて怖い何か変なサイヤ人の女の子が絡んできたとしか思えなかった。

 

 

「ええ、そうよ。私はあなたと戦いたいし、そうしてもっと強くなりたいの。

 ねえ、あなたもサイヤ人なら、この気持ち、少しはわかってくれるんじゃないかしら?」

 

 彼女と親しい人間は、両親を含め、全員がサイヤ人であり、彼らなりの常識を共有していた。

 悟飯もサイヤ人なら、この気持ちをわかって当然だろうと、ナッツは考えていた。

 

 

 しかし目の前の少年は、半分サイヤ人で、半分は地球人だった。

 

 悟飯は荒野で生きていた頃のことを思い出す。恐竜に追いかけ回されて、身を守るために

必死に逃げて戦って、いつの間にか、その恐竜より強くなった自分がいた。

 

 それに気付いた時、確かにとても嬉しいと思った。ピッコロと修行していた時も、自分が日々

強くなっていくことを、褒められる事とはまた別に、喜んでいる自分が確かにいた。

 

 けど彼は、彼女の言葉を、肯定したくはなかった。

 

 少年は自分を地球人であると考えており、そして何より、目の前のこの少女は、

サイヤ人達の仲間で。

 

 

「……わからないよ。ピッコロさん達を殺したやつらの言うことなんか!」

 

 

 声を荒らげる悟飯。少年の怒りと発言に、ナッツは困惑した。

 あの緑色の奴が、悟飯にとってここまで大事な存在だったなんて。しまった、と思った。

 

 大切な相手を殺されたこの少年は、自分達を決して許さないだろう。

 母親を失った少女は、その気持ちをよく知っていた。

 

 

 取りかえしの付かない過ちに、ナッツは顔を伏せる。

 彼と仲良くなって、一緒に戦えないのは、とても残念だと思った。

 

 

「そうね。じゃあ悟飯。私と戦いましょう。それで私を殺せば、あの緑色の奴の仇が討てるわよ」

 

 自分の認めたこの少年が、自分を殺す気で戦ってくれるというのなら、

それはそれで望む所だった。

 

 勝っても負けても、きっと一生の思い出になるだろうと、ナッツは嬉しくなった。

 

 

 

「違う。違うよ……。そういう事じゃないんだ……」

 

震える声で、悟飯が呟く。

 

 サイヤ人は憎らしいけど、上手く言えないけど、じゃあ殺して仇を討てばいいという、

その考えは間違っていると思った。

 

 

その言葉に、ナッツは悟飯の考えが理解できなくなり、苛立った。

少年が自分を判ってくれると信じていただけに、いっそう腹が立った。

 

 

「違わないわよ。相手が憎いのなら、殺せばいいじゃない……あなた、優し過ぎるのね。

 同情するわ。サイヤ人なのに、地球なんかに生まれたせいで、そんなになってしまって」

 

 悟飯とナッツ、互いに行き違った、2人の眼差しが交差する。

 

「……おかしいよ、君は。殺し合いを、喜んでするなんて」

「おかしいのは、あなたよ。サイヤ人のくせに、まるで頭でも打ったみたい」

 

 

 

 

 

 威嚇の声をあげながら悟飯と睨み合うナッツに、ベジータが声を掛ける。

 

「ナッツ、すまんが、そろそろ下がった方がいい」

「ああ、父様。どうしました?」

 

「近付いてるカカロットの戦闘力が5000と出ている、お前はもちろん、

 ナッパの手にも負えない数値だ」

 

「戦闘力5000!? ……本当だ。悟飯の父親というだけありますね……」

 

 戦闘にも入っていない時点で、この数値。ここからさらに戦闘力が上がるのなら、

父様でも楽しめるかもしれないわ、とナッツは思う。

 

 最強のサイヤ人である父親の本気の戦いが見られるかもしれないことに、少女は心を躍らせる。

 

 その結果起こる事は、当然決まっていた。

 自分の父親が負ける事は、全く想像すらしていなかった。

 

 そして父親が敗者に容赦をする性格ではない事を、彼女はよく知っていた。

 

 

 ナッツは悟飯に向けて、冷酷に笑って見せる。

 もうこの少年とは、殺し合うしかないと、彼女は諦めていた。

 

 

「ねえ悟飯。カカロットが父様と戦って死んだら、私と本気で戦ってくれるかしら?」

「お、お父さんまで……お前……!」

 

 怒りに震えながら、ナッツを睨み付ける悟飯。

 スカウターで戦闘力が上昇するのを確認し、少女は微笑んでみせる。

 

「もうやる気が出てるみたい。わかりやすいわね、あなた」

 

 

 

「……それとナッツ。そいつは危険だ。俺が手足の一本も折ってやる」

 

 娘への心配が半分と、悪い虫への私怨が半分で、ベジータが両手の指を鳴らしながら

悟飯へと近づく。

 

 怯える悟飯。自分の獲物に手を出されないよう、ナッツが口を開く。

 

「父様。過保護すぎます。今までの任務だって、ずっと退屈してたんですよ。

 私も父様と同じ、サイヤ人なんです。強い相手と戦えないことの方が辛いです」

 

 その言葉に、ベジータの目が見開かれる。

 一瞬、ナッツの顔に、彼女の母親の顔が重なって見えた。

 

「そうか……そうだったな……」

 

 しみじみと呟いた、その時だった。

 

 

 

「お嬢、こいつはどうします?」

 全員がその声の主を見る。放置されていたナッパが、暇潰しにクリリンを

追い詰めた所だった。

 

「クリリンさん!」

「そっちのは別に」

「そいつは必ず殺せ。絶対に逃がすな」

 

 ナッパはどこか気の毒そうな顔でクリリンを見る。

 

「運が悪かったな……」

「ちくしょおーーっ!!! 何でオレだけーーーっ!!!」

 

 

「せめて一撃で片付けてやるぜ!」

 そう言ってナッパが放った気功波を、割って入ったオレンジ色の胴着の男が弾き飛ばす。

「遅くなってすまねえ、クリリン!」

 

「ご、悟空……!」

「お父さん!」

 

 孫悟空の到着だった。




Q.2話で会ってるじゃん。
A.本当の意味で出会ったのはこの時って事で……(震え声)


悟飯視点。何か目の前でもじもじしているナッツ。

→声を掛ける。
 面白いからもう少し見ている。

※選択肢を間違えるか、時間オーバーで大猿が3体出ます。


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6.彼女が彼と戦う話(前編)

 ナッツはついに現れたカカロットを興味深く観察する。

 

 悟飯の父親。戦闘力5000.尻尾は無し。ラディッツの弟というが、跳ねた髪以外はあまり

似ていない気がする。ああ、背の高いところはそっくりかもしれない。

 

(父様よりも高いわね。下級戦士の癖に生意気だわ。……悟飯も将来は、

 あんな感じになるのかしら)

 

 自分の両親は、そこまで体格に恵まれていない。

 どうやら将来、背丈では負ける事になりそうだと思う。

 

 

(まあ、私か悟飯か、どちらかは今日で死ぬだろうから、意味の無い仮定だけど)

 

 小さくため息をつく。たとえ彼女が戦わずとも、彼女の父親はカカロットを殺した後、

その息子を見逃しはしないだろう。

 

 それとも頼み込めば何とかなるだろうか。今までナッツが父親にお願いをして、

叶えられなかった事はほとんどない。

 

(けどその場合、1人だけ生き残った悟飯は、私達をますます恨むでしょうね。

 ……ああもう面倒くさい。何であんなに強いのに地球なんかに生まれたのよ)

 

 

 いっそ頭でも打ったら、もっとサイヤ人らしくならないだろうか。

 

 悪に染まった冷酷な悟飯を想像し、ナッツは思わず心臓が高鳴るのを感じた。

 

 一緒に惑星を攻略して、どちらがより多く殺せるか競い合うとか、きっと凄く

楽しいに違いない。

 

 

 手ごろな石を探しながら悟飯の方をちらちらと見てくるナッツの姿に、少年は

身の危険を感じていた。

 

「お、お父さん、実はちょっと変な子に絡まれてて……」

 父親を頼るのはちょっと情けない気がするけど、怖いんだから仕方ない。

 

 悟空は黒い戦闘服の少女を見て、おお、と驚嘆する。

 

「あの子もサイヤ人か。あんな小せえのに、凄え気だなあ」

「うん。それでボクと戦いたいって言うんだけど、あの子強いし何か怖くて……」

 

 悟空は、1年見ない間に見違えるほど成長した息子を見る。

 

 界王の元で修業し、気の扱いに熟達した悟空には、悟飯の表面上の強さだけでなく、

その裡に眠る気の大きさまで、何となく感じる事ができていた。

 

 底知れぬ強さと将来性。 

 自分の息子ながら、正直、戦ってみたいという気持ちは、物凄く理解できた。

 

 それに……ちらちらと悟飯を見る少女の態度は、子供時代のチチに近い気がする。微笑ましい。

 戦って負けたとしても、悟飯が彼女に殺されることは無いだろうと、悟空は直感していた。

 

「まあ、頑張れ。悪い奴みてえだけど、危なくはねえと思うぞ」

「ええっ!?」

 

笑顔で背中を叩く父親に、悟飯は逃げ道が一つ塞がれたのを感じた。

 

 

 

それから始まった、悟空とナッパの戦闘は一方的なものだった。

ナッパの繰り出す全ての攻撃が避けられ防がれ、逆に手痛い一撃を何度も食らっている。

 

スカウターで戦闘力を確認しながら、ナッツはその光景を冷めた目で見ていた。

 

(戦闘力8000なら、まあこれくらいはやるでしょうね。

 勝ち目なんてないんだから、ナッパも早く父様に替わればいいのに)

 

 

 一方、悟飯の方は父親の活躍に目を輝かせていた。

 

 皆で戦ってもまるで歯が立たなかった、あの怖くて強いサイヤ人が、まるで赤子の手を

捻るように翻弄されている姿は、見ていてとても胸のすくものだった。

 

(お父さんなら、きっとあのサイヤ人達をやっつけてくれる!)

 

 そうして1年ぶりに家に帰って、久しぶりに親子3人でお母さんの作ったご飯を食べることを

考えると、少年は今から笑みが抑えられなくなっていた。

 

 

 

(呑気なものね。この程度の強さじゃあ、どうせ父様に殺されるっていうのに)

 

 ナッツはぬか喜びしている悟飯を、哀れに思った。

 自分と戦って欲しいが、絶望に泣き叫ぶ姿を見たいわけではなかった。

 

(父親の死を見せるくらいなら、その前に殺してあげるべきかしら)

 

 

 

「ナッパ! さっさと降りて替われ! オレが片付けてやる!」

「そ、そうだな……」

 

 ベジータに促され、一度は撤退しかけるナッパ。

 が、途中でその目がクリリンへと向き、不敵に笑う。

 

「だが、このままじゃあオレの気が済まねえ。

 腹いせにあの髪の不自由な野郎だけは殺してやる!」

 

「し、しまった!」

 

 

 クリリンへ向けて急降下するナッパ。悟空は焦って後を追うも、間に合う距離ではない。

 余計な事しなくていいのに、と、つまらなさそうに呟くナッツ。

 

(まあ、一方的にやられて悔しい気持ちはわかるけど、父様の命令は聞きなさいよ)

 

 後で罰として、戦闘力2とかのゴミみたいな地球人の掃除を押し付けられないだろうか。

ぼんやりとそんな事を考えていたナッツの目が、次の瞬間、驚きに見開かれる。

 

 突如赤いオーラに包まれたカカロットが急加速し、瞬く間にナッパに追いつき、

頑強なその身体を、拳の一撃で貫いていた。

 

「す、すまねえ。ベジータ、お嬢……」

 ナッパは貫かれた腹部から血を流し、震える声で言葉を残し、そのまま息絶えた。

 

 

 

「えっ……」

 

 悟飯は一瞬、目の前で何が起こったか判らなかった。

 その光景が目で見えてはいたが、頭が理解しようとしなかった。

 

 死んでいる。あの怖いサイヤ人が。殺した。お父さんが。

 

 ピッコロさんを殺した奴、殺したいほど憎んでいた相手が死んだ。

 

 お父さんが仇を取ってくれた。そう言えるはずなのに。喜ばしいことのはずなのに。

 

 少年の心は一向に晴れず、大切な人が死んだという喪失感は消えない。

 

 それどころか、何か取り返しのつかないことをしてしまったという思いが、少年の心に

重くしこりを残した。

 

 その手でサイヤ人を殺したお父さんも、仲間の仇を取れたというのに、喜んでいるようには、

全く見えなかった。

 

 

 

 悟空は死んだナッパの身体を横たえ、血に塗れた手を握り締め、顔を歪めて叫ぶ。

 

「ちくしょう、とっさの事で、手加減ができなかった……!」

 

「悟空! お前が気にしなくていい! こいつはピッコロ達や、罪の無い地球の人達を

 大勢殺したんだ!」

 

「それでもよ、クリリン……!」

 

 とっさにクリリンが励ますも、悟空の気持ちは晴れない。

 

 実力の差は圧倒的で、殺さずとも止められたはずだったのに、それができなかった事を、

彼は悔やんでいた。

 

 だが心配そうに父親を見上げる悟飯を見て、気持ちを切り替え、ベジータ達を睨み、

力強く言い放つ。

 

「おめえ達もこうなりたくなかったら、さっさと自分達の星に帰れ!」

 

 

 

 

 

「……い、今のは何なの? 一瞬だけど、スピードもパワーも倍以上になってた……」

「ナッパ、早まりやがって……!」

 

 悟空が一瞬見せた底知れぬ力が、少女の心に大きな衝撃をもたらしていた。

 ナッパが死んだが、今はそれどころではなかった。

 

(カカロット……本当にラディッツと同じ下級戦士なの? 戦闘力8000でそこから倍以上って、

 父様と同等って事じゃない! いや、それ以上の可能性すら……!)

 

「ラディッツと相打ちで死ぬ程度の奴が、たった1年でどうしてこんなに

 強くなれるっていうのよ……!」

 

 叫ぶナッツは、自分の身体が恐怖に震えるのを抑えきれなかった。

 こいつも悟飯と同じ、恐ろしいほどの才能に恵まれた化け物だと、判ってしまった。

 

 怖いのは、カカロットに自分が殺される事ではなかった。

 

 今まで想像すらしていなかった、父親まで失ってしまうかもしれないという不安が、

ナッツの心を強く苛んでいた。

 

震えるナッツの頭に、ベジータは優しく手を置いた。

 

「父様……」

「ナッツ。心配するな。オレもヤツと戦いたくなってきたところだ」

 

 

 娘の推察と同等以上のことを、ベジータもまた理解していた。

 

 戦闘力を倍加する得体のしれない技。戦闘中に突然使われていれば、不覚を

取ったかもしれない。

 

 カカロットは隠していた切り札を見せてしまった形になるが、それを気にした様子も

ない事から、他にもまだ見せていない技があると、彼は察していた。

 

 裏切り者の下級戦士の粛清はドラゴンボール探しのついでだったが、

予想以上に楽しめそうだと、ベジータは不敵に笑う。

 

 

「俺はカカロットと1対1でやる。お前は奴の息子と遊んでいろ」

「嫌です! 父様、私も一緒に戦います!」

 

 震えながらも真剣な顔で父親を見上げる娘を、彼は誇らしく思ったが、それはそれとして、

カカロットとの戦いを邪魔されたくはなかったし、娘を危険にも晒したくはなかった。

 

「駄目だ。お前の力が通じる相手じゃない。お前を守りながら戦う余裕もない。

 いい子にして待っていろ。退屈なら他の地球人共も、お前の好きにして構わん」

 

「そんな……!」

 

 いくらカカロットが強くても、私が大猿に変身すれば、と言おうとして、ナッツは父親の

言わんとしている事に気付く。

 

 たとえパワーボールを使ったとしても、父親はともかく、ナッツでは変身が始まる前に

殺される。

 

 カカロットと彼女の間には、それほどの実力差があった。

 自分が何をしても、父親の負担にになるだけだと、少女は理解した。

 

「……わかりました。父様。どうかご無事で。絶対に、生きて帰って来てください」

「ああ、お前もな」

 

 ベジータは娘の頭をくしゃくしゃと撫で、悟空と共に飛び去って行く。

 

 小さくなっていくその姿が見えなくなるまで、ナッツは目を離さず、その無事を祈っていた。

 

 尻尾を持たないカカロットに父親が負ける事などないと、頭では判っていたが、

不安は一向に消えなかった。

 

 

 

 

 ナッツはその場に残った悟飯に目を向ける。

 隣にいるクリリンは、彼女の視界に入っていない。

 

「さて、待たせたわね悟飯。少し休憩しただけで、そんなに回復するなんて凄いじゃない」

 

 回復は悟空が仙豆を食べさせたおかげだが、彼女は細かい事を気にしない。

 

 

「その様子ならもう大丈夫ね。さっそく遊びましょう? どちらかが動けなくなるまでね」

 

 そう言って、少女は可愛らしく微笑んだ。

 

 

「ち、ちなみに、動けなくなった後は……?」

 口を開いたクリリンに、ナッツは、あ、こいついたんだ、と言いたげな様子で応える。

 

「勝った方の好きにしていいんじゃない? つまらなかったら、私は殺すわ」

 

(まあ、悟飯と戦って私が退屈するなんて、有り得ないんだけどね)

 

 

 

 ナッツの危険な発言に、悟飯は、若干引いた気弱な様子で応じる。

 

「あの、ボク、きっとお母さんが心配してるから、家に帰らないと……」

「そうなの? じゃあ一緒に帰って、そこで戦いましょうか」

 

 他人の家に行くなんて、初めてだわ、と呟く少女。この子は本気だと、2人は思った。

 

「ク、クリリンさん……どうしよう……?」

「悟飯……こうなったら2人掛かりで」

 

 

 

 

「ああ、私の邪魔をする気なのね。あなた」

 

 

 

 クリリンの目には、ナッツの姿が、一瞬で掻き消えたように見えた。

 至近距離に現れた少女と目が合う。ゴミを見るような、感情の失せた目だった。 

 

「がっ……!」

 

 ナッツの放った拳が、クリリンの腹に、背中を貫通せんばかりの勢いでめり込んでいた。

 

 少女がまた消え去り、彼の頭上に出現する。高く真上に伸ばされた右脚が風を切って

振り下ろされ、悶絶するクリリンの頭を直撃する。

 

 悲鳴すらもあげられず地面に落下し、叩き付けられるクリリン。

 倒れた身体はピクリとも動かず、既に意識は無い。

 

 ナッツが地上に向けた掌に、赤い光が収束していく。

「馬鹿な奴ね。逃げていれば、少しだけ長生きできたのに」

 

 

 淡々と呟き、止めの一撃を撃ち放とうとした少女の手が、横合いから掴まれた。

 

 ぎりぎりと強く握られる。伝わってくる感情が嬉しくて、ナッツは微笑み、

その眼差しを彼に向ける。

 

「なあに、悟飯。私に何か用?」

「お前……! クリリンさんを!」

 

 

 ナッツは困惑する。もしかして、この男も悟飯の大事な人間なんだろうか。

 

 肉親でもないのに、死んだら嫌な相手が、何でそんなに多いのかと思う。

 どうせ死ぬ時は死ぬんだから、そんなに多かったら、大変じゃない。

  

 

「あなたと私の戦いを邪魔しようとしたゴミを、片付けただけよ」

「そんな理由で人を……!」

 

「それが何だっていうの? 殺されるような、弱い奴が悪いのよ」

 

 善良な悟飯にとって、ナッツの発言は、全く理解できないものだった。寒気がした。

 目の前の少女が、人の姿をしていながら、言葉の通じない、怪物か何かのように思えて。

 

 少年はそれでも、勇気を出して言葉を紡ぐ。

 

「何で君たちは、そんなに簡単に人を殺すの? 仲間が死んでも、何も感じなかったの?」

 

 

 その言葉に少女は初めて、ああ、ナッパが死んでたわね、と意識する。

 ああいう強そうな体格に、自分もなりたいとは思っていたが。

 

「そうね。確かにナッパは昔から父様に仕えていたし、私も優しくしてもらっていたわ」

「だったら……!」

 

 その言葉に、人間らしい感情が見当たらないかと、悟飯は期待する。

 だが、死んだ仲間について話すナッツの表情には、何の感慨も浮かんでいない。

 

「けど最後に、必要もないのに欲をかいて死んだのは駄目ね。父様の言う事を聞いていれば、

 死なずに済んだのに。まあカカロットと比べれば、あいつも弱かったってことよ」

 

「父様がどう思ってるかは知らないけど、特に悲しんでいる風でもなかったし、

 そこまで気にしてないんじゃないかしら」

 

 戦士であるナッツにとって、死はありふれたものだった。大抵は彼女が殺す側だったが、

相手が強ければ殺されることもあるとは、当然思っていた。

 

 それは彼女の周りの人間にも当てはまる。

 

(まあ、父様は最強のサイヤ人で、絶対に死なないから例外だけどね)

 

 

 

 

悟飯は、身近な人間の死を何とも思っていない、少女の言葉に落胆する。

 

「君の言ってる事が、わからないよ……」

 

「わかってもらおうとは、思ってないわ。あなたは私と、戦ってくれればそれでいいの」

 

「絶対に嫌だよ! 誰が君なんかと!」

 

きっぱりと、悟飯は拒絶した。

 

 

訳が分からない事ばっかり言う、こんな困った子の言うことになんか、付き合ってやるものか。

けどちょっと強く言い過ぎたかもしれない。怒らせてしまったならどうしよう。

 

ナッツが怒って殴り掛かってくる事を予想して、思わず目をつぶる。

しかし彼女の拳は、いつまで待っても飛んでこなかった。

 

 

 

 

「あなた、そんなに私と戦いたくないの……?」

 

ナッツの声は、聞いた事がないほど乱れていた。

思わず目を開けた悟飯は、信じられないものを見た。

 

 

目の前の少女の黒い瞳に、涙が溢れていた。今にも泣きだしそうになるのを、必死に堪えていた。

信じていたものに、裏切られたような顔をしていた。

 

 

 こんなに何度も伝えているのに、同じサイヤ人なのに、ただあなたと戦いたいだけなのに、

どうしてわかってくれないのか。どうしてそんなに酷い事を言うのか。

 

 ナッツには、少年のことがわからなくなっていた。

 

 

 

 悟飯には、今も少女のことが全くわからなかった。

 ただ、自分のせいで泣かせてしまった事は理解できた。

 

 あんなに恐ろしかった彼女が、今は自分よりも小さな女の子に見えた。

 その姿から、どうしても目が離せなかった。

 

 

 

 見られている事に気付いたナッツが、鼻を鳴らす。

 

「……何見てるのよ」

「ご、ごめん!」

 

 

 乱暴な仕草で涙を拭う。戦おうともしない、こんな弱虫に泣かされた事と、

弱い自分を見られてしまった事が、無性に腹立たしかった。

 

(母様が死んでから、泣いた事なんてなかったのに……)

 

 仕返しがしてやりたかった。何かないだろうか。こいつが嫌がるようなこと。

 

 ナッツは悟飯とこれまで話した事を考える。

 一瞬の後、少女の口角が吊り上がり、冷酷なサイヤ人の笑みが浮かんだ。

 

 

 

「悟飯、カカロットは死ぬわよ。父様には、絶対に勝てないわ」

 

「どうしてそんな事が言えるのさ!」

 

 悟飯は声を荒げる。先ほどのナッパとの戦いでの圧倒的な強さを見て、

少年もまた少女と同じく、自分の父親が世界で一番強いと信じていた。

 

 

「理由はね、私達が持っていて、あなた達が持っていないものよ」

 

 少女は腰から尻尾を解き、見せつけるように振って見せた。

 

(大猿に変身した父様は、正面からならあのギニュー特戦隊にだって負けはしない。

 それを恐れて事前に月を消していたんでしょうけど、父様と私にはパワーボールがある)

 

(結局、尻尾の無いサイヤ人が、私達に勝てる道理はないのよ)

 

 残念だったわね、とナッツは哄笑する。

 少女の尻尾が、あざ笑うように揺れていた。

 

 

 

「え? 尻尾……?」

 

 あれで叩いてくるとか、締め付けるとか、そういう事だろうか。悟飯は訝しみ、またあの子が

変な事を言い出したと思った。

 

 その反応に、ナッツの方が毒気を抜かれてしまう。もっとこう、月は消したはずなのに! とか

そういう焦りを期待していたのだけれど。

 

「……とぼけてるの? まあいいわよ。待ってあげても。カカロットの死体を見れば、

 さすがのあなたも本気になってくれるでしょうし」

 

 怒り狂ったあなたと戦うのが、本当に楽しみだわ、とナッツは続けた。

 

 

 

 

 悟飯はしばし沈黙し、考えた。

 

 目の前の少女は変な子だけど、嘘をついてるようには思えなかった。

 このままだと、お父さんが死ぬかもしれない。

 

 そして悟飯は、父親を2度も失う気はなかった。

 

 少年は顔を上げる、その表情は、先ほどまでとは違い、凛として、

ある種の決意に満ちていた。

 

 

「じゃあ、ボクがお父さんを助けに行くよ」

「私がそれを許すと思った? ここは通さないわよ?」

 

 少女は両手を広げ、イタズラが成功した子供のように笑って見せる。

 

「そこをどいてよ。どかないのなら……君を倒す」

 

 向けられた闘志と敵意に、ナッツは嬉しくなって大笑する。

 

「あはははは! いい顔してるじゃない! 最初からこう言えば良かったのね!」

 

 

 ナッツは喜びのままに力を解放した。

 

 周囲の小石が浮かび上がり、気の余波が電流のように少女の周りで弾ける。

 大気が震え出し、少女を中心に、台風のような嵐が巻き起こる。

 

「くっ……」

 

 圧力に押され、両腕で頭を庇いながら、悟飯は一歩も下がらず、正面からナッツを睨み付ける。

 彼女は強くて、訳がわからなくて怖い。けど今は引くわけには行かなかった。

 

 

「あなたへのハンデとして、尻尾は使わないでおいてあげる」

 嵐の中で揺れていた尻尾を、少女は腰に巻き直す。

 

「サイヤ人同士、本当は全力でやりたいんだけど、我慢するわ。

 どうやっても勝てる保証付きの戦いなんて、私も楽しくないし」

 

 待ち望んでいた少年との戦闘を前に、ナッツは己のサイヤ人の血が高揚するのを感じた。

 自分が認めた強敵と向かい合うこのひと時は、彼女の人生の中で、最も心躍る瞬間だった。

 

 全力で解放した気の奔流に包まれながら、少女は少年に、とびっきりの笑顔で笑って見せた。

 

「さあ、遊びましょう、悟飯! くれぐれも、私を退屈させないようにね!」




Q.この子頭おかしくない?
A.5歳で惑星2桁滅ぼしてるサイヤ人の女の子がまともなはずないです。(強弁)


サイヤ人編は全話書き終わってたので毎日投稿しようと思ってたんですが、投稿している間に文章の書き方がわかってきたので書き直してます。今後は投稿が不定期になりますがご了承ください。

あと評価とか感想とか少なくて寂しいので何か思うところがあったら一言ください。(催促)


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7.彼女が彼と戦う話(中編)

 傾きかけた太陽を背に、ナッツと悟飯が戦いを開始する。

 

 主導権を握っているのは、ナッツの方だ。ひたすら果敢に攻め立て、悟飯は防戦一方という形。

 

 

 2人の戦闘力にそれほどの差はない。ピッコロ達よりやや低い程度だった悟飯の戦闘力は、

父親を救うという決意によって、ナッツとほぼ同じレベルにまで高まっている。

 

 では何が違うのか。戦闘経験だ。ピッコロとの組手を除いて、悟飯には今日という日まで、

実戦経験というものが存在しない。

 

 対するナッツは、物心ついた日からサイバイマンで遊び、フリーザ軍の一員として

命がけの戦闘を繰り返している。

 

 手持ちの駒は同じでも、扱ってきた経験が違う。

 

 本来ならば瞬殺されてもおかしくない状況であり、それでも何とか防戦できているのは、

ナッツが手加減をしているからだ。じゃれている、とも言えるだろうか。

 

 

「守るのは上手みたいね! けどそれだけじゃあ、いつまで経っても勝てないわよ!」

 

 

 少女は楽しげに攻撃を続ける。

 

 遊びましょう、という言葉のとおり、今の彼女の目的は戦いを楽しむことであり、

彼を殺す事ではない。攻撃の殺意が低い。

 

 先のクリリンへの攻撃を殺意100%とすれば、今はせいぜい20~30%といったところ。

 彼女の感覚では、完全に遊んでいると言っていい。

 

 ナッツが繰り出す攻撃のいくつかは防御を潜り抜けて悟飯に命中しているが、

致命的な箇所には当たっていない。当てないように加減されている。

 

 サイバイマン程度なら一撃で即死する程度の威力はあるが、今の悟飯なら何とか耐えられる。

 

 だがそれも長くは続かない。

 一向に自分から攻撃しようとしない悟飯に、少しずつナッツが苛立ち始める。

 

 

(こいつ何のつもり? 私を倒すとか言ったのにさっきから動かないけど、

 何か企んでるんじゃないでしょうね……? もう! せっかくの楽しい時間なのに!)

 

 

 ナッツは試しにわざと隙を作ってみるが、それでも悟飯は動こうとしない。

 

 それが露骨な誘いの罠であるという程度の事は、ピッコロとの修行で

判別できるようになっている。

 

 もし何も考えずに攻撃した場合、手痛い反撃を食らった挙句に「ああ、この程度の奴なのね」と

失望されることは確実で。

 

 そうなったら、なまじ期待されていただけに、何をされるかわからない。

 

 この状態は長くは続かない。そもそも悟飯の目的は父親の元へと救援に駆けつけることで、

そのためには守っているだけではなく、道を塞ぐ目の前の少女を何とかする必要がある。

 

 

 

 悟飯は思う。自分は殺し合いなんてしたこともない。

 

 けど目の前の笑いながら自分を殴ってくる変な子はその逆だ。

 あの子はひたすら誰かと戦って、殺して生きてきた人間だ。

 

 彼女を倒すには、経験が圧倒的に足りない。だったら、目の前のあの子から学ぼうと思った。

 そのための基礎は、ピッコロさんが教えてくれた。

 

 ナッツの動きをひたすら観察する。

 彼女が動く時、どういう意図で、何を狙っているのかを必死に分析して糧とする。

 

 もちろん経験豊富な彼女は、そう簡単に読まれるような動きをしてはくれない。

 ナッツがピッコロさん達と戦っていた時の行動も合わせて考える。

 

 何となく見えた気はしてくるが、まだ足りない。

 この力押しの戦い方、ナッパとかいうあのサイヤ人に似ている気がする。

 

 記憶にあるナッパの戦法を、彼女の動きに重ねて考える。

 お父さんはあのサイヤ人とどう戦っていた? どう避けていた? 

 

 そこまで考えた時、唐突に、次の彼女の狙いが読めた。

 蹴りはフェイントで、顔面狙いの拳が来る。

 

 

 

 悟飯はナッツの蹴りを無視し、来るとわかっていた拳を頭突きで止める。

 予想外の痛みに、思わず手を庇う少女。

 

 そして隙ができるとわかっていたので、既に反撃の準備は終わっていた。

 腰を沈め、身体全体を使って放たれる全力の一撃。

 

「なっ……!?」

 

 命中の直前、これは食らってはいけない奴だ、とナッツの顔が驚愕に歪むのを無視して、

悟飯は右の拳を叩き込んだ。

 

 

 

 さて、悟飯には上昇した自分の戦闘力の自覚が無い。

 彼の戦闘力は現在3000弱。フリーザ軍の中でも十分中堅以上として通用する数値。

 

 単純に戦闘力だけで考えると、ナッパの75%に相当する。

 そんなパワーの持ち主が、全力で人間を殴ったらどうなるか。

 

 

 ナッツの小さな身体が冗談のような勢いで飛ばされ、激突した岩山が崩壊して彼女の上に

降り注ぎ、その姿があっという間に見えなくなる。

 

 彼方に見える土煙を呆然と眺めながら、悟飯が呟く。

 

「い、今の、ボクが……?」

 

 あれ死んだのでは? 悟飯は自分の一撃が引き起こした結果が信じられず震える。

 

 だからすぐに崩れた岩と土砂が爆発で吹き飛び、中からナッツが現れたのを見た時、安堵した。

 止めを刺し損ねたなど、考えもしなかった。

 

 

 

「あいつ……やってくれたわね……!」

 

 ナッツは殴られた胸の痛みに耐えながら、髪や身体についた土埃を乱暴に払う。

 

(油断させておいて、一撃で決着をつけるつもりだったの?)

 

 何のために? 体力を温存して、カカロットを助けに行くためだろう。

 事実、彼女がわざと見せた誘いには、一切乗ってこなかった。

 

(もしかしたら、戦闘力だけでろくに戦えない臆病者かもと思ってたけど、

 要らない心配だったわね)

 

 胸の痛みは、なかなか薄まる気配がない。

 見ると頑丈さで知られる、硬質ラバー製の戦闘服がひび割れていた。

 

 ナッツは少年を見直し、その評価をさらに上げる。 

 そして地を蹴って飛び、再び悟飯と対峙する。

 

 

「ねえ悟飯。あなた、なかなかやるじゃない」 

 ナッツは獰猛に微笑んだ。 

 

「そ、そうかな……」

 

 悟飯はその言葉を聞いて、彼女から褒められた事に、何故か嬉しくなってしまった。

 

 そんな場合ではないのだが、勉強で難しい問題を解いて、お母さんから

褒められた時のような達成感があった。

 

 ナッツは楽しそうに笑いながら、さらに言葉を続ける。

「私の方も悪かったわ! 油断しててごめんなさい! 次からはちゃんと本気でやるから!」

 

 

 笑顔はそのままで、少女の雰囲気がより剣呑なものへと変化したのを悟飯は感じ、

心の中で死んだような目になった。 

 

 勘弁して欲しい。ボク死ぬんじゃない? この子本当に倒せるの?

 

 気を抜いたら確実に殺されると悟った少年は、内心はともかく、気を引き締め、

真剣な表情となる。

 

 それを見た少女が、あ、悟飯の方もやる気なのね、と、ますますテンションを

上げている事に彼は気付かない。

 

 

 

 それからしばらくの間、ナッツは時間を忘れて戦っていた。

 

 いつもより身体が軽く、技の切れもいい。戦いの最中なのに、戦闘力が少しずつ

上がっている実感がある。

 

 それに加えて嬉しい事に、こちらに合わせるように、悟飯の方も強さを増していっている。

 

(地球に来たのは正解だったわ。こんなに楽しい戦闘ができるだなんて!)

 

 少女は嬉しさを抑えきれない。互いの実力が拮抗した、本気で戦っても

勝敗がまるでわからない戦闘。

 

 ダメージは重なり身体も痛むが、そんな事はどうでもよかった。

 ナッツは戦いに酔いしれていた。

 

 

「どうしたの? もっと本気を見せてみなさい!」

 

 嬉々とした表情で拳を振るうナッツ。

 

 その一撃を悟飯は交差させた腕で防ぐが、あまりのパワーに後ろに飛ばされ、

背中から岩山に激突してしまう。

 

「かはっ……!?」

 せき込む悟飯の眼前にナッツが出現し、追い込まれた少年に拳と蹴りの雨を叩き込む。

 

「まだよ。何発耐えられるかしらっ……!」

 ガードを続ける悟飯。その背中から岩山に衝撃が伝わり、ひび割れていく。

 

「ぐっ、このおっ!」

 

 少年はガードを解き、被弾しながらも右手に気を集中させ、ナッツの腹部に

渾身の一撃を放った。

 

 拳が入った瞬間、戦闘服が小さく割れる。呼吸と共にナッツの攻撃が止まり、

その表情が苦痛に歪む。

 

「……やるじゃない。やっぱり強いわね。悟飯。殺してしまうのが、勿体ないくらい」

 

 ナッツは反撃の一撃で少年を弾き飛ばしながら、飢えた肉食獣のような、

凄惨な笑みを浮かべた。

 

 

「さて、次はどう楽しませてくれるのかしら?」

 

 ナッツは口元の血を拭う。先ほどの一撃は、彼女の身体の芯に届いていた。

 ベジータが見ていたのなら即座に止めに入るだろう負傷だが、この場に過保護な父親はいない。

 

 

 悟飯は思わず叫ぶ。

 

「もういいよね! ボクを通してよ! これ以上やったら、君は死んじゃうよ!」

「……はあ?」

 

 その言葉はナッツの逆鱗に触れた。

 この平和ボケしたサイヤ人は、こんな楽しい時に何を言ってるの?

 

 

「あなた、敵の私を生かしていい人間だと思ってるの?」

 

 こんなに強いくせに、何でこいつは戦いを嫌がるのか、ナッツには全く理解ができなかった。

 そんなナッツに向けて、悟飯は必死に、自らの心の内を訴える。

 

「嫌だよ! 敵だからって、何で殺さなきゃいけないのさ! 悪い事をしなければ

 それでいいから、さっさと帰ってよ!」

 

 ナッパってサイヤ人が死んだ時だって、何も嬉しくなかったと、少年は呟いた。

 

 

 

 その言葉を聞いた少女は、怒りを通り越して、自分でも不思議なことに、

奇妙な優しい気持ちになっていた。

 

 穏やかな目で悟飯を見る。今までのナッツとは違う、憂いを含んだその雰囲気に、

少年は目が離せなくなる。

 

 

 ナッツは宇宙を支配する、母親の仇を思い浮かべながら言葉を紡ぐ。

 

「……あなたは故郷の星を滅ぼされて、自分の家族を殺されて、なお同じことが

 言えるのかしら?」

 

「えっ?」

「……何でもないわ。忘れなさい」

 

 

 本当に、本当にこの少年は、地球があまりに平和すぎたせいで、宇宙にはびこる

悪の何たるかを、まるでわかっていないのだ。

 

 私達みたいな悪党は、生かしておいたら何をしでかすかわからないから、

殺さなければならないのに。

 

 

「悟飯。あなたがどんなにお優しかろうと、殺さなければならない奴は、いるのよ。

 地球を侵略に来た、私達がいい見本よ」

 

 静かな、しかし感情のこもった声で、ナッツは続ける。

 

 

「カカロットを殺した後、父様はきっと地球を滅ぼすわ。環境のいいこの星を売り払って、

 お金にするためにね」

 

「戦士でない地球人は弱すぎるから、私はあまり気が進まないけど、

 それでも父様がやるのなら手伝うわ」

 

 

「……止めるわけにはいかないの?」

 

「止めたかったら、私達と戦って、殺せばいいの。宇宙のどこの星でも、誰もが皆そうしてる」

 

 

 自分も父様も、悟飯に対して酷い事をしようとしているが、それを止めようとは思わない。

 相手を殺して止められない弱い奴が悪いのだと、その考えは変わらない。

 

 それでも、と、ナッツは想像する。

 たとえ自分を倒して悟飯が父様の元へ向かったとして、そこで目にするのは、おそらく。

 

 

 ナッツはスカウターを操作する。カカロットの戦闘力が減じているのと、父親の戦闘力が

計測不能なまでに高まっているのを確認し、爆発する前にサーチを止めて、ため息を吐く。

 

(パワーボールを使ったのね、父様)

 

 

 カカロットはずいぶん健闘したようだが、その運命はこれで決まった。

 

 今から悟飯が見るものは、大猿になった父様に、カカロットが無惨に殺される姿。

 あるいはその死体。

 

 そして悲しみと絶望を味わった上で、遠からず、同じ運命を辿るのだ。

 

 その姿を見たくないと思うほどには、ナッツは、悟飯の事を気に入っていた。

 少女は小さな拳を握り締める。彼の為にしてあげられることは、一つしかなかった。

 

 

 

「悟飯、私の手で殺してあげる。その方が、きっと楽だから」

「えっ?」

 

 

 

 少年が理解できないと言いたげな顔をしていても、少女のやるべき事は変わらない。

 ナッツは空へ浮かび、上空から悟飯を見下ろして告げる。

 

「せめて、私の最大の技を使ってあげる。避けられるなんて思わないことね。

 本当に、残念よ悟飯。あなたが私みたいなサイヤ人だったらよかったのに」

 

 嬉々として地球人を皆殺しにしてくれるような、そんな奴だったら、殺さずに済んだのに。

 一緒に仲良くできたのに。

 

 少女の内心の嘆きは、表情には現れなくとも、彼女の声をわずかに震わせていた。

 

 ナッツは力を集中しながら両の掌を組み合わせ、悟飯へと向ける。

 それは彼女が父親から学んだ、サイヤ人の王子の最強の技。

 

「これが、父様譲りのギャリック砲よ。さよならね、悟飯」

 

 少女の全力を込めた、赤いエネルギー波が悟飯へ向けて放たれる。

 

 

 

 悟飯は思う。本当に、何なんだろう、あの変な子は。

 

 はしゃぎながらさんざん殴ったり蹴ったり痛い事をしてきて、こっちもやり返したら

やり過ぎたから止めようとしたら怒りだしてしゅんとなって。

 

 そして訳の判らない理由で自分を殺そうとしている。

 その癖、残念だから本当は殺したくないらしい。

 

 女の子の考える事はよくわからないと、少年は思う。

 それともサイヤ人というのは、皆ああなんだろうか。

 

 

 それに、彼女が最大の技とやらを、悲しそうな顔で放ったのが、気に入らなかった。

 君はそんなしおらしい奴じゃないだろうと、悟飯は思う。

 

 どうせ痛い思いをするのなら、笑っていてくれた方がいいと思った。

 

 どの道、ここで殺されるわけにはいかない。

 彼女を倒して、お父さんを助けに行かないといけない。

 

 気合いと共に悟飯は気を高め、両の掌を額の前にかざす。

 

「魔閃光ーーーーっ!!!」

 勢いよく放たれた、白いエネルギー波がナッツに向かう。

 

 

 

 

 赤と白、2つの光が空中で激突し、中心から放たれた衝撃波で付近の地形が崩れていく。

 ナッツと悟飯は叫びながら、互いの攻撃を押し返さんと更に力を注ぎこむ。

 

 だが2人がどれだけ全力を出そうとも、その均衡は崩れる様子がない。

 

 

「もう、さっさと死になさいよ! この馬鹿!」

こっちの気も知らないで! とナッツは内心で叫ぶ。

 

 

「嫌だよ! 何言ってるんだよ! 馬鹿はそっちじゃないか!」

 

 こういう時は、凄く楽しい! とか満面の笑顔で言ってくるんじゃないのか。

 何か変だよ、君は。いや普段から頭がおかしいけど、そこから比較して更に変だ。

 

 不満だった。何とかしたいと思ったが、何も浮かばない。その時だった。

 

 

「は? 私を馬鹿と言う方が愚かよ。サイヤ人の王族として、高度な教育を受けてきたのよ?」

 

 ナッツは怒りを感じた。

 まさかサイヤ人が野蛮なサルとかいう風聞を、信じ込んでる口だろうか。

 

 確かに満月を見て変身した姿は、どちらかと言えば野生動物に近いけれども。

 それと普段の知性とは別でしょうに。

 

 

 あ、反応した、と悟飯は思う。そしたら唐突に、言葉が口を付いた。

 

「……52+83は?」

「……は?」

 

 ナッツは呆然とした。エネルギー波の激突はまだ続いている。

 この状況で、こいつは何を言ってるの? 

 

 ふざけないで、と言い返そうとして思い至る。

 悟飯が突然狂ったわけではないとしたら、もしかして、これは地球の作法なのだろうか?

 

 マナーなら従わなければ失礼だ。

 自分は王族なのだから、父様の顔に泥を塗るような振る舞いはできない。

 

 彼女は育ちが良く、かつ微妙に世間を知らなかった。

 

 

「……135よ。79-13は?」

「66。279+145は?」

「ぐっ………………424」

「正解」

 

「桁を増やすなんて卑怯よ! 381+875!」

「そんなの決めてなかったし。1256」

「くっ……!」

 

 

 足し算引き算では埒が明かない。

 それどころか、解答時間の早さからして、悟飯はこの種の戦いに相当慣れている。

 

 このままでは彼女の方が不利だ。ナッツは切り札を使う事にした。

 

(悟飯、あなたが悪いのよ。できれば、使いたくはなかったわ)

 

 

「行くわよ……11×33は?」

 

 掛け算。しかも2桁。本来ならばまだ5歳のナッツが到底扱えるはずのない高等数学だ。

 

(これが母様譲りの、あの知的な父様をも苦戦させた難問よ。悟飯)

 

(たとえあなたが掛け算を知っていようとも、あらかじめ計算しておいた私はともかく、

 紙も計算機も無しに答えを導き出す事は不可能よ)

 

 ナッツは勝ち誇った笑みを浮かべた。

 

(私の知性の前にひれ伏しなさい!)

 

 

「363」

「えっ……」

 

 

 ぞくり、と少女の背筋が震える。

 カカロットの実力を垣間見た、あの瞬間のようなプレッシャーが彼女を襲っていた。

 

(何なのこいつ……いや、ただの偶然に決まってるわ!)

 

「ちょっと! もう1問答えなさい! 24×22は?」

 

 悟飯はそれありなの? と言いたげな顔で暗算する。

 

 彼の将来の夢は学者で、好きな事は勉強だった。

 色々あったこの1年の間も、計算練習は欠かしていない。

 

 

「えっと……528」

「……そんな」

 

 完全な敗北だ。自分が逆立ちしようと、この化け物には勝てない。

 がっくりとうなだれた所で、ふと気づき、質問する。

 

「悟飯……これって、何か意味あるの?」

「ううん、別に」

 

 悟飯はにっこり笑って見せる。

 ナッツは耳まで赤く染めてぶるぶる震えた。

 

 

「次はボクの番でいい?」

「うるさい! さっさと死になさい! この馬鹿! 雑魚! ヘタレ! 腰抜け!」

 

 激怒しながら可愛らしい声で罵詈雑言らしきものをわめきちらすナッツを見た悟飯は、

何だかおかしくなってしまった。

 

 本当に何でこの子、地球なんか侵略しに来たんだろう。

 

 

 少女が怒り、少年は笑う。

 

 そして激突する二つのエネルギー波はその威力を増しながらも均衡を保ち続け、

 やがて限界を超え、周囲一帯に大爆発を巻き起こした。




相手が悟空だったら圧勝できてた可能性が大。
だが彼は将来の夢は学者とか言い出すイレギュラー(サイヤ人基準)だ。

原作でクリリンとチャオズがやってた奴。
何故か唐突に思いついて入ってしまったのです。


阿井 上夫様から最後のシーンのファンアートを頂きました! 
とても原作テイストで格好良い感じです!

【挿絵表示】


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8.彼女が彼と戦う話(後編)

「はぁっ、はぁっ……」

 

 ナッツは消耗したエネルギーの大きさに息をつく。

 中心部から離れていたせいか、爆発によるダメージは軽微だった。

 

 それよりも悟飯が何を考えてあんな事をしたのか、全く理由がわからなかった。

 

「……頭おかしいのかしら、あいつ」

 

 悟飯が聞いたら死んだ目で、鏡見ようよ……と返すだろう台詞だった。

 

 

(それにしても、やっぱり悟飯は強い。あれで倒せないとなると、もう本当に、

 大猿になるくらいしか方法がないわよ)

 

 サイヤ人の大猿化は戦闘力を10倍にする。変身すればそれこそ虫を潰すように勝つ事ができるだろうが、それでは面白くないから、彼女はそれを控えていた。だが、悟飯を楽に殺してあげるためには仕方ないと思う。

 

 問題は、変身に月が必要なことだ。地球の月は事前に破壊されている。

 

 パワーボールを使えば人工的に月を作れるが、あれは父様でも使用を躊躇するほど消耗が激しい。未熟な自分が使えば戦闘力が半分近くは持っていかれてしまうだろう。

 持続時間にも自信が無い。

 

(せっかく父様が月を作ってくれたんだし、見える場所まで誘い込みましょうか)

 

 

「ねえ悟飯、ちょっと場所を変えない?」

 ナッツはにっこり笑う。

 

 私も父様が心配になってきたから、ちょっと様子を見に行きましょう? と続けるつもりだった。そして2人で移動して、月が見えたら変身する。我ながら完璧なプランだった。

 

「ちょっと、返事をしなさいよ」

 

 返事はない。そういえば、さっきから彼の姿が見えない。

 

 ナッツは周囲を見渡すも、いまだ周囲は爆発で舞い上がった土埃に覆われ、視界が利かない。

 

「ねえってば! ちょっと、聞こえてないの?」

 

 呼びかけを続けるも、少年の返事はない。

 少女の顔から、だんだんと笑みが消えていく。

 

(まさかあいつ、一人で父様達の所に向かったんじゃないでしょうね……?)

 

 

「隠れても無駄よ! スカウターでわかるんだから!」

 

 スカウターを操作し、悟飯の反応をサーチしたナッツが固まる。

 反応なし。捜索範囲を地球全体まで広げても、悟飯の反応は無い。

 

「……まさか、さっきので死んだっていうの……?」

 

 あっさり過ぎるが、スカウターで感知できない以上、そう考えるしかない。

 まあ、手間が省けたのはいいんだけど。

 

「……何か、もやもやするわね。物足りないわ」

 

 

 

 不意にスカウターが電子音を鳴らす。

 変わらぬ悟飯の戦闘力が表示され、少女は何故か、安心してしまう。

 

(何だ、気絶とかしてたのね、きっと。やっぱり、どうせ殺すなら自分の手でやらないと)

 

 

 次の瞬間、緩んでいたナッツの表情が一変する。

 反応の位置は自分の直近。見える範囲にいない。なら。

 

「後ろっ!?」

「いやあっ!!!」

 

 気合いと共に、背後から渾身の蹴りが、振り向こうとしたナッツの尻尾、その付け根に

叩き込まれた。

 

 

 

「きゃああああああああ!!!!!!!」

 

 経験した事のない程の痛みにナッツは絶叫し、飛ぶこともできず地上に墜落する。

 地面に倒れて身体を震わせ、止まない激痛に呻き声をあげる。

 

「何よ、これ……力が、入らない……」

 目の端に涙が浮かぶ。両手で蹴られた箇所を押さえても、痛みは全く治まらない。

 

 弱点である尻尾を鍛える訓練は受けていたが、それは握られる程度の痛みに耐えるためのものであり、下手をすれば千切れるほどの容赦ない攻撃を受けた経験はなかった。

 

 

 

(何で、あのナッパには、全然効いてなかったのに……)

 

 痛みに苦しむ少女を前に、悟飯は激しい罪悪感に襲われていた。

 気を消して背後から弱点を狙う。その作戦は完全に成功したが、達成感どころではなかった。

 

 尻尾を持ってはいたものの、握ってくる敵などいなかった少年に、この状況は予想できなかったのだ。反射的に介抱したいという衝動に駆られるも、ナッツが地球を狙うサイヤ人の一員であることを思い出す。動けるようになれば、彼女は必ずまた戦いを挑んでくるだろう。

 

 その時に勝てる保証はない。

 どうすることもできず、少年は立ち尽くしてしまう。

 

 

「う……悟飯……」

 

 その時、悟飯の耳に声が届く。振り返ると、ナッツの攻撃で大きく負傷しながらも、それでも

意識を取り戻し、ふらつく両の足で立つクリリンがいた。

 

「クリリンさん、無事だったんですね!」

「ははっ、ぶ、無事かどうかは、ちょっと怪しいけどな……」

 

 強かに蹴られた頭を押さえ、クリリンは痛そうに顔をしかめる。

 そして倒れたナッツを見て、その顔に喜びが浮かぶ。

 

「悟飯! そいつを倒したのか! やるじゃないか!」

「は、はい、何とか……」

 

 サイヤ人を倒したというのに、煮え切らない悟飯の態度に違和感を覚えつつも、

クリリンは、ナッツの様子を油断なく観察する。

 

 

「ぐっ……痛っ……ぁ!」

 終わる兆しのない激痛に、ナッツはか細い声を漏らす。

 

(悟飯、尻尾を狙ったのか。あの様子だと、ずいぶん思いっきりやったんだな……)

 

 当分は動けないだろう。だが大きな外傷はない。

 悟空が尻尾を握られた時はどうだったか。いや、個人差もある。参考にするのは危険だろう。

 

 少女を確実に拘束できる手段があるのなら、ベジータへの人質にするという手も無くはなかったが、現状そんな手段は無く、逃げられる可能性を考えると、リスクが大きすぎた。

 

 クリリンは決断する。

 

「その子、可哀想だけど……今のうちに止めを刺しておくべきだよな」

「……クリリンさん、その」

 

 悟飯は躊躇うが、反論はできない。理屈では当然そうするべきだと、わかっていたからだ。

 

 

「……オレがやるから、悟飯は後ろを向いててくれ」

「……はい」

 

 

 クリリンが高く掲げた掌の上に、気の刃を作り出す。

 

 動けぬ身でその光景を見て、少女は思う。ああ、とうとう自分も負けてしまったかと。

 

(まあ、尻尾を狙ってくれたのは腹が立つけど、油断した私が悪いわね。仕方ないわ)

 

 負けた自分が弱かったのだと、そう考えて目を閉じた少女の脳裏に、まず父親の顔が浮かんだ。

 続いて死んだ母親の顔と、憎たらしく笑うフリーザの顔。

 

 

 

 途端に感情が溢れ、ナッツはかっと目を見開き、クリリンに向けて叫ぶ。

 

「嫌よ! 死にたくない! 私が死んだら、父様が一人きりになってしまう!

 フリーザだって殺してない! 母様の仇も討ってない! それに……!」

 

 最後に思い出したのは、少年との戦いだった。人生で最も充実した一戦。

 

 

 もっともっと、あんな戦いがしてみたかった! そう言いかけたナッツの声に、

クリリンの怒号が重なった。

 

「こいつ! 今さら何を! ピッコロ達を殺しておいて!」

「そんな事、どうだっていうのよ!」

 

 少女は絶叫する。彼女に罪の意識は無い。弱い奴が当たり前に死んだだけのこと。

 だが自分には死ねない理由がある。

 

 こんな所で、絶対に殺されてやるわけにはいくものか。

 

 動けぬままのナッツの気迫に、思わずクリリンの足が止まる。

 

 尻尾の痛みに耐えながら、少女は考える。

 このまま時間稼ぎでも何でもして、動けるようになり次第、すぐに逃げるべきか。

 

 それともいっそ集中を妨げるこの痛みが消えたら、パワーボールを使ってしまうべきか。変身中に尻尾を狙われる事だけが不安だが、仰向けになって背中に隠せば、そう簡単には手を出せないだろう。

 

 

 必死に生き延びるための算段を練っていた少女が、ある事に気付き、硬直する。

 

 悟飯がこちらを見ていた。その目には、明らかな非難の色があった。怯えの声が漏れる。

 

 

 心臓に氷を差し込まれたような寒気が、彼女の思考を止めていた。

 

 自分はさっき何と言った? あの緑色の奴を殺したことを気にしていないと、よりにもよって、

悟飯の前で言ってしまった。

 

 

 たとえ今まで殺してきた人間の縁者全員に非難されようと、ナッツの心は動かなかっただろう。

 だが彼女が認めた少年からの弾劾の眼差しが、少女の心に、深々と突き刺さっていた。

 

 少年の目が少女に理解を強いる。

 今の自分は、彼にとって、彼女の母親を殺したフリーザと何ら変わりはない。

 

 彼には復讐する権利があり、自分の順番が来たのだと理解して。

 ナッツはがくりとうなだれ、抵抗を諦めた。

 

 

 その少女の様子に、クリリンが哀れに思う心を押し殺しながら、気の刃を向ける。

 

「最後に何か……ベジータにでも、言い残すことはあるか」

 

 ナッツは冷笑する。

 

「馬鹿ね。父様に何て言って伝える気? 殺したお前の娘から伝言があるとか? 伝えた奴は

 間違いなく、怒り狂った父様に惨たらしく殺されるわよ」

 

「そ、そうか……」

 

(ごめんなさい、父様。本当に、ごめんなさい)

 

 最後に彼女の心を占めるのは、父親への想いだった。

 

 

 

 悟飯は思う。本当に、これでいいのだろうか。

 

 ピッコロさんが死んだから、ドラゴンボールも無くなって、もう誰も生き返らない。取り返しのつかないことが起きてしまった。

 

 

 彼女は反省も後悔もしないだろう。唯一、悟飯に向けては罪の意識を見せたが、それは彼に対してだけで、結局のところ、彼女の本音は、そんな事どうだっていい、と言い切ったあの言葉なのだと、少年は理解していた。

 

 放っておけば間違いなく、また誰かを殺すだろう。ここで殺すべきだ。

 抵抗を見せない彼女も、それを受け入れているように見える。

 

 

 正しいことが行われようとしているはずなのに、少年の心は、どうしても晴れなかった。

 かといって、何か行動を起こすほどの考えがあるでもなく。

 

 悟飯にできることは、ただ目の前で死を受け入れようとしている少女を見守ることだけだった。

 

 

 

 クリリンの構える気の刃が、喉元へと近づいていく。

 ナッツはもはや抵抗せず、眼前に迫る自分の死を無感情にただ眺めていた。

 

 最後に、自分を負かした相手が気になって、悟飯の方に目を向けた。

 後ろを向けと言われたにも関わらず、少年は浮かない顔で、ナッツの方を見ていた。

 

(何なの、あの情けない顔。気に入らないわ)

 

 憎い仇が死ぬんだから、もっと嬉しそうな顔をすればいいのに。

 

(本当に馬鹿みたい。サイヤ人の癖に、なんて弱虫な奴)

 

 それでも、最後にそんな顔をさせるのは嫌だった。

 だから自分なんて気にしないでいいと、少年に向けて、少しだけ微笑んでやった。

 

 

 その顔を見て、理由はわからないが、彼女が死ぬのは嫌だと思った。

 

 ナッツをここで助けたとして、彼女が他の人を殺したら、その責任は誰が取るというのか。

 思いつかないが、それでも、絶対に嫌だった。思わず言葉が口をつく。

 

 

 

「勝った方が、好きにしていいんだよね。だったら、ボクは君を殺さない」

 

 

「お、おい悟飯……」

 

 驚くクリリンに対しては、何も言わず頭を下げることしかできなかった。

 

 

 

「……」

 

 クリリンは頭を下げる悟飯と、呆然とこちらを見るナッツを何度も見比べて。

 

(すまない。ピッコロ、天津飯、チャオズ、ヤムチャ)

 

 そしてため息とともに、手にしていた気の刃を消した。

 

 

 

「待ちなさい 私を馬鹿にしているの?」

 

 ナッツは自分の命が助かったことに安堵していたが、一度負けた以上、相手の情けで生き延びる事は恥だというサイヤ人の戦士としてのプライドが、心と反対の言葉を紡がせていた。

 

 

 

「悟飯。今が私を殺せる最後のチャンスよ。もうこんな奇跡は、二度と起きないと

 断言してあげる」

 

 死にたくないとは、今も思っている。

 だが自分の力で逃れるのならともかく、こんなのは、ずるをしているようで嫌だった。

 

「命を助けられても、私は改心なんてしないわ。身体が動くようになったら、またあなたを狙うし、それで私が勝ったら、カカロットにも、他の地球人達にも容赦はしない。だから、ここで殺しなさいよ」

 

 

「嫌だよ。君の言う事なんて、聞いてやるもんか」

 

 誰が責任を取るのか、悟飯はナッツに向けて、はっきりと宣言した。

 

「君が悪い事をするのなら、ボクが何度でもやっつけてやるから」

「……馬鹿な奴」

 

 

 

 悟飯とクリリンは飛び去っていく。

 取り残されたナッツは、横たわったままぽつりと呟いた。

 

「……甘すぎるわね、あいつ。敵の私を見逃すだなんて、本当に信じられない」

 

 何か言ってやろうと思ったが、相手は既に遠くにいる。

 

 

「あんな奴、父様に殺されちゃえばいいんだわ」

 

 自分でも理由がわからないまま、少女は飛んでいく悟飯の姿を目で追っていた。

 小さくなって見えなくなるまで、ずっと見ていた。




前話までちょっと筆が暴走しがちだったので、ややビターな感じに。
このくらいの方がむしろ良いんじゃないかあと。


改行関係でちょい悩んでます。今回は実験的に一部改行してません。

全部手動で折り返した方が半端な余りが出ず綺麗なんですが、手間かかるし
そこまで気にしなくていいんじゃないかなあと思いまして。


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9.彼女が月を見上げて吼える話(前編)

サイヤ人は月見て吼えてなんぼだと思うのです。


 尻尾の痛みが薄まり、少女が動けるようになるまでには、かなりの時間を要した。

 

「痛た……あいつ、覚えてなさいよ……」

 

 ようやく回復したナッツは、汗を拭いながら身を起こし、膝立ちの姿勢で荒い息を整える。

 尻尾を触って確認し、損傷が無い事に安堵しながら腰に巻き付け、立ち上がる。

 

 

 そうすると、悟飯の事が気になった。

 

「……別に死んでてもいいんだけど、もしまだ生きてたら助けてくれるよう、父様に

 頼み込んであげようかしら」

 

 独り言を呟きながら、スカウターを操作するナッツ。

 悟飯の反応を見つけ、緩んだその顔が、次の瞬間、驚愕に歪む。

 

「嘘、なんで……父様!」

 

 ナッツは即座に飛び上がり、全力で飛行を開始する。

 表示された父親の戦闘力は、見る影もなく低下していた。

 

 

 

 変化していくスカウターの表示に、ナッツは更なる不安に苛まれていた。

 

 父親の傍にある反応は4つ、瀕死のカカロット、悟飯に髪の無い男、そしてもう一つ、謎の反応。数こそ多くても、手こずるような相手ではないはずなのに。

 

「父様の戦闘力がどんどん落ちてる……。カカロットはもう虫の息なのに、いったい何が

 起きてるのよ……」

 

 

 

 上空に浮かぶ人工の月。見えてきたそれから、ナッツは反射的に目を逸らす。

 だが、発せられるブルーツ波に、尻尾がうずくのを感じていた。

 

 サイヤ人の血が、少女を月に惹き付ける。月を見たいという、本能的な欲求。

 ここで変身してから向かうべきかと、一瞬考える。

 

 

 

 瞬間、落雷のような轟音と共に、遠方で眩い光が立ち上がった。

 それと同時に、父親の戦闘力がひときわ大きく低下したのを見た少女は恐怖に叫ぶ。

 

「嫌……!」

 

(今はそんな場合じゃないわ! 一刻も早く父様に合流しないと! 

 万が一、父様まで死んだら、私は……)

 

 

 

 ナッツは全速力で飛び続け、戦場に到着し、父親の姿を発見する。

 

「父様!」

 

 速度を落とさず、地面に激突せんばかりの勢いで着地した。

 

「父様! ご無事ですか!」

「ナ、ナッツか……無事だったか」

 

 乱れた呼吸の苦しげな声。そして少女は疲弊した父親の惨状に息を呑む。

 

 

 片目は潰れ、戦闘服は激しい戦闘の跡を示すようにボロボロに破損し、全身傷ついて血に汚れたその姿は、生きているのが不思議に見える。

 そして何より、サイヤ人の誇りとも言える、尻尾までもが失われている事が、何よりもナッツの心を掻き乱した。

 

(カカロットと1対1なら、父様が尻尾を切られるなんて有り得ない。

 きっと後ろから不意を打たれて……!)

 

 少女は後悔の念に、押し潰されそうになってしまう。

 

「父様……ごめんなさい! ごめんなさい! 私があいつに負けたせいで、こんな、

 こんなになって……」

 

(私が遊ばずに、パワーボールでも何でも使って勝っていれば、こんな事には!)

 

 

 ナッツはぼろぼろと涙をこぼし、大声で泣きながら、父親にしがみついた。

 その様子にベジータは困惑する。

 

「ナッツ、お前……」

 

 こんなに泣くような子だっただろうか。2年前に母親が死んでから、娘が泣くのを見るのは、これが初めてだった。

 だが、どうすればいいかは知っていた。その小さな背中を、父親は優しく撫でて言葉を掛ける。

 

 

「ナッツ。大丈夫だ。遊べと言ったのはオレで、お前は何も悪くない。多少手こずったが、あとは

 残ったゴミ共を片付けるだけで、何の問題もない」

「父様……」

 

 父親の言葉と手の温かさに、少女は安堵し、目を閉じる。

 

 

 そして一番の懸念が無くなった事で、その心に怒りがこみ上げる。

 

(卑怯な地球人共、尻尾を切られて弱った父様を、よってたかってこんな目に! 

 よくも!! よくも!!)

 

 腰から解かれた尻尾の毛が逆立ち、少女の身体が燃え立つ怒りに震える。

 彼女がこれほどの怒りを感じたのは、母親が死んだあの日以来だった。

 

 

 

ゆるさないわ。ころしてやる。 

 

 

 

 小さな呟きは、2年前と同じもので。

 ナッツは涙を拭いて笑う。

 

 震えるほどの怒りと、ただ一人残った父親への愛情が入り混じった凄惨な笑み。

 

 

「父様、もう休んでいてください。月もありますし、後は私が全員片付けて、こんな星、

 破壊し尽くしますから」

 

 人工の月の光を背に、冷酷なサイヤ人の少女は宣言した。

 

 

 

「わかった。後はお前に任せる。好きなようにやれ」

 

 ベジータは頼もしく育った娘に、誇らしさを覚えて笑う。

 カカロットのガキと会ってから少し変だったが、俺達の娘はきちんと育っているぞと、彼は心の中で呟いた。

 

 

 

「ところで、悟飯……カカロットの息子はどこですか?」

 

 半殺し程度で済ませるべきか、カカロット共々報いを受けさせるべきか、まだ決めていない。

 うっかり踏み潰さないよう、居場所を確認しておくべきだとナッツは思った。

 

「あのガキなら、確かあの辺りに……」

 

 

 

 ベジータが悟飯の方に顔を向ける、その少し前の事。

 

 力を使い果たし、倒れた少年は、ぼんやりとした意識で、父親にすがりつく少女を見ていた。

 

 

 あの子が大声で泣いている。きっと父親を傷つけられて怒っているのだろう。

 

 まずい、と思った。自分はもう動けない。彼女は躊躇なく、全員を殺すだろう。お父さんも、クリリンさんも、ヤジロベーさんも、自分だって怪しい。

 

 ボクがあの子を止めないと。そう思うが、もう身体が満足に動かない。

 それでもどうにかしないと、と思った瞬間、腰の後ろから妙な感覚がした。

 

 両足の間に、茶色の尻尾が見えていた。

 今生えたのだろうそれは、昔と同じように、自由に動く。

 

 そういえば、あの子が尻尾がどうのこうのと、言っていた気がする。

 こんなものが、何か役に立つんだろうか。

 

 生えた尻尾がむずむずして、空に浮かぶ光の球が、何故か無性に気になった。

 見上げたそれは、まるで以前見た、満月のようだと思った。

 

 

 

 悟飯がいるであろう方向から、奇妙な音が聞こえてきた。

 

「父様、今何か聞こえませんでしたか?」

「まさか、これは……!」

 

 その音は、更に大きくなっていく。

 聞き取れるようになったそれは、獣の唸り声のようで。

 

 

 そして二人は見た。

 倒れていた少年が身を起こし、人工の月に向けて吼える姿を。

 

「アオオオオオオオ!!!!!!」

 

 咆哮と同時、身体のサイズが倍に膨れ上がり、衣服を破りながら更に成長していく。

 その腰から伸び、激しく振り回されるのは、サイヤ人の証である尻尾。

 

「何で……!? あいつ、さっきまで尻尾なんか生えてなかったはずなのに!」

「再生しやがったか……!」

 

 

 歯噛みするベジータ。そしてその横で、ナッツは俯き震えていたが、やがて耐えきれなくなったかのように、大きく笑い声を上げた。

 

「あはっ、あははははは!」

「ナッツ……?」

 

(あいつ、尻尾まで生やしてくれるなんて! これで私と全く互角ってことじゃない! そんなに

 私を喜ばせたいの?)

 

 6200……9000……15000……計測限界でスカウターが爆発するのも意に介さず、ナッツは輝く瞳で変身中の悟飯を見つめ続ける。かつてない強敵を前に、胸が高鳴るのを抑えきれない。

 少女は獲物を前にした肉食獣のように笑う。

 

 

「いいわよ悟飯。ちょっとだけ、格好いいじゃない」

 

 

 ベジータは膝から崩れ落ちそうになるのを、必死にこらえて口を開く。

 

「……ナッツ、正気に戻れ。あのガキは戦闘服すら着てないだろう? あんな下級戦士の

 サルのどこがいいんだ」

「? 野性的で良いと思いますけど……」

 

 全身に毛皮も生えてきてるし、特に問題はないと、少女は思う。お爺様達がツフル人を滅ぼした時は、皆あんな感じだったんでしょうし。

 それどころか、自前の毛皮があるのに、その上から戦闘服を着るのは無粋ではないかと悟飯の姿に気付かされ、ナッツは内心感心していた。

 

 

「私も一度やってみたいです、あれ」

 

 父親は思わず天を仰ぎ、すまない、育て方を間違えたかもしれないと心の内で叫ぶ。

 こんな状況でなければカカロットの首根っこを引っ掴み、お前のガキのせいだ責任取りやがれと揺さぶってやりたいところだった。

 

 

 

「離れていてください、父様」

 

 言ってナッツが月を見上げようとしたところで、ベジータが叫ぶ。

 

「待て! 奴の方が変身が早い! それにこの辺りには、お前の知らない、オレの尻尾を

 切りやがった奴も隠れてる。少し離れて、誰にも邪魔されない場所で変身しろ」

 

 ベジータは巨大化を続ける悟飯を見上げた。

 大きさを増すその影が、今にも二人を覆い隠そうとしている。

 

「その間、あいつはオレが食い止めておく」

「けど父様……その身体では」

 

 

 心配そうに父親を見上げる娘に、彼は不敵に笑って見せる。

 

「大丈夫だ。多少ダメージは食らっていても、あんな奴の一匹や二匹、大した事は無い」

 

 そして娘の髪をくしゃくしゃと撫でる。

 

「それと、今まで満足に戦わせてやれなくて、すまなかったな。頑張れよ、ナッツ。

 奴はそれなりにやるようだが、オレはお前が勝つと信じているぞ」

 

「はい、父様! 行ってきます!」

 

 

 少女は満面の笑みを浮かべ、その場を飛び離れる。

 そして大猿への変身を終えた悟飯が両腕を高く掲げ、人工の月に向けて大きく咆哮する。

 

『グオオオオオ!!!!!!』

 

 スカウターが無くとも肌で理解できる圧倒的な戦闘力を前に、残された父親が自嘲気味に笑う。

 

「物分かりのいいことを言ってみたが、オレに力が残っていれば、こんな奴をあいつと戦わせは

 しなかっただろうさ」

 

 ギロリと、大猿の赤い目が彼に向けられた。ベジータは即座に睨み返した。

 

 こいつは気に入らないと思った。少年を見る娘の、心底嬉しそうな笑顔が脳裏に浮かぶ。自分と母親以外の人間に、ナッツがあんな顔を向けた事は無かった。その相手がよりにもよってカカロットのガキということが、何にも増して腹立たしかった。

 

 咆哮と共に迫りくる悟飯を前に、父親は言い放つ。

 

「さあ、来やがれ。お前がナッツの遊び相手に相応しいか、俺が試してやる!」

 

 

 

 少しずつ暗くなっていく周囲を人工の月の光が照らす中、少女は大気を切り裂き、吹きすさぶ風に尻尾を揺らしながら飛行する。

 

(悟飯の奴はあんなに強いし、頑張れって、父様も応援してくれてる……)

 

 父親が戦っている時に不謹慎とは思いつつも、ナッツは溢れる喜びを抑えきれずに笑う。

 

 そして周囲に誰もいない場所で着地し、躊躇い無く父親の作った月を見上げる。

 

「……っ!」

 

 視界一杯に月が広がり、ブルーツ波に尻尾が反応する感覚に、思わず声が出る。尻尾が勝手に、生き物のように動き出す。

 

 

 変身が始まるまでのわずかな時間、ナッツは母親の事を思い出していた。

 

 どこかの星の満月の夜。訓練の一環として、初めて彼女に変身を見せてくれた時のこと。

 優しくて綺麗でだった母様が変貌していく様子はとても恐ろしかったのだけど。変身を終え、月に向かって吼えるあの姿を、とても格好良いと思ったのだ。

 

 病気で弱っていたいつもの母様とは全く違う、荒々しく力に溢れたサイヤ人としての姿。たぶんあっちが、母様の本性だったのだと思う。

 

 それから肩の上に乗せてもらって、母様と父様が一緒に戦う光景を特等席で見学したのは、決して忘れられない大切な思い出の一つだ。

 

 

 

 そして少年の事を思い出し、彼との戦いの予感に、少女は獰猛な笑みを浮かべる。

 

(待ってなさい。同じ大猿同士なら、私の方が強いに決まってる!)

 

 少女の闘志が燃え上がると同時に、ドクン、と心臓が高鳴った。

 

 

「はぁっ、はぁっ……」

 

 鼓動と共に全身が跳ね上がり、呼吸が荒くなる。

 

 頭、首、胸、胴体、手足、全身の骨格、体内の臓器、流れる血液、細胞の一片までもが、心臓の鼓動と共に活性化していく感覚。ブルーツ波が尻尾でエネルギーへと変換され、凄まじい勢いで彼女の全身に送られていく。

 

 ナッツは伸びていく犬歯を見せながら、野性的に笑う。見開かれ白く染まった彼女の目は貪欲にブルーツ派を吸収し続け、それと共にナッツの気が急激に上昇していく。

 

 ドクン、ドクンと鼓動は激しさを増し、ナッツの全身が小刻みに震える。

 細かった少女の手足が、いつしか一回り大きな筋肉質なものとなる。

 

 

「ああああああっ!!!!」

 溢れ出さんばかりの力に絶叫した少女の肉体が、急激な変貌を開始した。

 

 全身の骨と筋肉が内側から弾けるように膨れ上がり、小柄な体躯が瞬く間に2倍、3倍のサイズとなり、更に巨大化を続けていく。

 

 ナッツの口が人間の限界を超えて大きく開かれていき、その声が少女のものから、獣の咆哮へと変わっていく。口内の犬歯は既に巨大な牙と化しており、残りの歯も鋭く尖り始めている。上下の顎の構造がより強靭となり、鼻と一体となって少しずつ前へと伸びていき、ナッツの顔から少女の面影を奪う。

 

 巨大化と共にナッツの全身に尻尾と同じ茶色の獣毛が生えていく。体躯は既に5メートルを超え、増加する彼女の重量を支えきれずブーツの下で地面が割れ砕けていく。戦闘服はなおも成長を続ける着用者に合わせて拡張し、密着したアンダースーツに筋肉の形が浮かぶ。

 

 ブルーツ波を吸収し続けたナッツの目はいつしか血のように赤く染まり、それと共に彼女の内面でサイヤ人本来の凶暴性や残虐性が増幅されていく。

 

 既に10メートル近くに達しながらも巨大化は止まらない。一回り、さらに一回りと全身が膨れ上がり、その強靭さを増していく。身体に合わせて分厚く長大となった尻尾が具合を確認するかのように振り回され、背後の岩山を薙ぎ倒す。

 

 変身の進行と共に手や顔を除くほぼ全身が厚い毛皮に覆われ、顔に汗の玉を浮かべながらかつて少女だった獣が吼える。サイヤ人の血の力と、月から流れ込む力で、なおもその身体は成長を続けていく。

 

 

 

 やがて変身が完了した時、そこには幼いサイヤ人の少女はおらず、彼女と同じ戦闘服を着た大猿が立っていた。

 

 体躯はおおよそ15メートルに達し、全身は厚い毛皮で覆われ、目は血のように赤く、肉食獣のような鼻面に尖った耳。変身前の少女の面影は、その身に纏う黒い戦闘服と、跳ねながら肩まで伸びた髪、背後で揺れる尻尾だけといっていい。

 

 ナッツは拳を握り締めて毛皮の下の発達した筋肉を確認し、獣の顔で笑う。変身前の姿に関係無く、大人の戦士と同じ体格となれる大猿への変身を、彼女はとても好んでいた。

 

(大猿の姿はちょっと醜いけど、この力は私がサイヤ人である事の証!)

 

 ナッツは人工の月を見上げ、毛皮で覆われた両腕を頭上に振り上げ、歓喜と獣の衝動が合わさった咆哮を上げる。かつて母親がそうしたように。

 

『グオオオオオオオオオオオオオッ!!!!!!!!』

 

 生物から発せられたとは思えないほどの、雷のような大音声が響き渡る。

 

 

 

 大猿の高い視点から見下ろす大地は、何もかもが、人間の姿だった頃よりも小さく見えた。ナッツの喉から、凶暴な獣の唸り声が漏れる。

 全て壊したいと思った。大猿となった彼女に怯える地球人達の悲鳴を聞きながら、破壊の限りを尽くしたかった。

 

 普段のナッツならその衝動に身を任せているところだったが、強靭な意思の力で抑え込む。

 

(それも悪くないけれど、今は先約があるのよね)

 

 

 そして地平線の彼方から応じるように響くのは、彼女と同種の獣の咆哮。

 その声の主を思い浮かべ、ナッツは巨大な両手を胸の前で組み、指を鳴らしながら、牙を剥いて笑う。

 

 

『さっきはずいぶん大口を叩いてくれたものね、悟飯。私を生かした事を、後悔させてあげるわ』

 

 

 その声は大猿化によって低く重厚に変化していたが、紛れも無くナッツの声だった。

 

 黒い戦闘服を着た大猿が動き出す。大木のような足を踏み出すごとに大地が揺れる。

 進行上の岩山をいくつもその巨体で砕きながら、ナッツは悟飯の元へと駆け出していった。




悟飯「待って」(震え声)


正直一番書きたかったパートです。
父親がピンチで泣いて月を背後にブチ切れるナッツ良くないですか。

あとやっぱりサイヤ人は月とセットで映えると思うのです。
本当は満月でやりたかったけど原作で壊れてるんだから仕方ない。

変身描写については、まあ彼女の決めシーンなので頑張りました。
ラストに向けて、この子やべえと思っていただければ幸いなのです。


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10.彼女が月を見上げて吼える話(後編)

つ「R-15」「残酷な描写」
今回と次の話のために付けておいたタグです。一応改めて置いときます。


 ベジータは大猿化した悟飯の周りを飛び回り、隙あらば尻尾の切断を狙っていたが、果たせずにいた。人間の頃の悟飯から予想していたよりも、目の前の大猿はさらに高い戦闘力を持っているようだった。

 

(こいつ、まだ力を隠していやがったか。……っ!?)

 

 猛烈な勢いで振るわれた巨大な拳が、疲労によってスピードが落ちた彼を地面に叩き付ける。

 

「がはっ!」

 

 全身を強打し、すぐには起き上がれず呻くベジータに、大猿が凶暴な獣の声で唸りながら、その巨大な足を振り上げた。

 

 

 

 戦場に到着したナッツは、その光景に理性を失いかねないほど激昂した。

 

(あいつ、父様になんてことを!!)

 

 ナッツの巨体が大地を蹴り砕きながら更に加速し、瞬く間に悟飯へと肉薄する。接近に気付き、振り向いた大猿の顔面にナッツの拳が勢いのまま叩き込まれた。殴られた大猿が凄まじい速度で宙を舞い、地響きと共に岩山を砕きながら墜落する。

 

 新たな敵の登場に、悟飯は怒りの咆哮を上げて起き上がろうとするも、彼女の攻撃はまだ終わらない。

 

『食らいなさい!』

 

 怒りのままにナッツは口を開く。大猿の全身に満ちる力が一瞬で赤い光となって喉の奥に収束し、咆哮と共に解き放たれる。

 直径数メートルはあろうかという赤い光の束が悟飯に直撃し、次の瞬間、惑星外から観測可能なレベルの大爆発と共に、地球全体に振動が走った。

 

 

 

 

『父様! ご無事ですか!』

 

 ベジータは心配する娘に向けて、身体の痛みを堪えながら不敵に笑って見せる。

 

「ああ。お前のおかげでな。今の一撃はいい威力だった。お前ももう、立派な戦士だな」

 

 その言葉にナッツは誇らしい気分になり、思わず尻尾を揺らしてしまうも、自分が万全の父親にはまだ遠く及ばない事を理解していた。そして当然、彼女の目標にもまだ遠い。

 

 

『父様、私はもっと、強くなります。そしていつかフリーザを倒して、母様の仇を……』

「!? 避けろナッツ!」

 

 焦る父親の声。反応が遅れた大猿を、巨大な気弾が直撃した。

 爆発に吹き飛ばされた巨体が地面に倒れる。

 

「大丈夫か! ナッツ!」

『平気です。このくらい……!』

 

 痛みに呻きながら、ナッツは身体のダメージを確認する。

 直撃を受けた戦闘服の胴体部分は大きく割れて穴が開いており、その下のアンダースーツや毛皮が焼け落ちて血が流れていた。

 

 

 ナッツは牙を噛み締めて唸り、ギロリと、気弾の飛んできた方向を睨みつける。

 その先には全身の焦げた毛皮から煙をあげながらも、戦意を失わず、彼女に向けて咆哮する大猿の姿。

 

(余所見をするなってわけね。いいわ、ここからが本当の勝負よ!)

 

 ナッツもまた咆哮と共に、もう一匹の大猿へと襲い掛かった。

 

 

 

 

 夕闇を眩く照らす人工の月は、ブルーツ波を地上に供給し続け、まだ消える気配を見せない。

 そしてその下で、二体の大猿、黒い戦闘服を着たナッツと、変身によって衣服を失った悟飯が戦っていた。

 

 巨大な拳がぶつかり合い、発せられた衝撃波で人よりも大きな岩が軽々と飛ばされていく。

 膨大な気を纏った大猿同士の戦闘に大気が激しく撹拌され、二人を中心に嵐が巻き起こる。

 

  

「そんな……あ、あの子まで大猿になるなんて……ご、悟飯……!」

 

 あまりの規模に割って入れず物陰に倒れ、戦闘を見届けるクリリンが震えあがる。大猿に変身したナッツの気は人間の頃より遥かに強大となっただけでなく、より邪悪なものと化していた。

 

 

 ナッツの尻尾を切ろうと気の円盤を構えるも、激しく動き回る彼女を見て思いとどまる。

 

 尻尾を狙った攻撃をあっさり避けて見せたベジータと同じで、彼女には大猿になっても理性がある。また避けられるだけならともかく、万が一外れた円盤が悟飯の尻尾にでも命中した場合、その瞬間に地球が終わる。

 

 それに加え、先ほど殺されかけた時のナッツの目が、したたかに蹴られた頭の痛みと共に思い出された。

 

 

(ああ、私の邪魔をするつもりなのね、あなた)

 

 

 また彼女の邪魔をしたら、今度こそ殺されるという恐怖が、クリリンの動きを阻害していた。

 

 

 

『『オオオオオッ!!!!』』

 

 咆哮と共に大質量同士が激突を繰り返し、その余波で地形が崩れ、大地が絶え間なく揺れ動く。凄まじい威力のエネルギー波や気弾が絶え間なく飛び交い、巻き起こる無数の爆発が星の形を変えていく。

 

 その光景を呆然と見守りながら、クリリンは呟く。

「これ……もし悟飯が勝っても、地球は無事なんだろうな……?」

 

 

 

 数十分に渡る全力の戦闘は、互いに負傷し、ダメージが蓄積しても、なお終わる気配を見せない。

 

『ガアアアアアア!!!!!」』

 

 悟飯は理性の大半を失い、ただ敵を倒す事に狂乱していた。

 全身に深手を負い、出血で毛皮を赤く染めながらも、その痛みが彼をさらに凶暴に変えている。

 

 そして、対峙するもう片方は。

 

 

『はぁっ、はぁっ……こ、こいつ、これだけやってまだ倒れないの……?』

 

 ナッツは苦しげに肩で息をしていた。

 黒の戦闘服はひび割れ半壊し、アンダースーツも所々破損し、その下の毛皮を覗かせている。

 

 彼女の負傷の程度は、目の前の大猿よりも比較的軽い。大猿の本能に任せて戦う悟飯の攻撃を、ナッツは人間の時と変わらぬ技量で防ぐことができていた。悟飯が見せた隙に的確に攻撃を重ね、かなりのダメージを与えているという確信があったが、目の前の大猿は全く弱る様子を見せず、逆に疲労によって、彼女の方が焦りを感じ始めていた。

 

(こいつ、まだ戦闘力を隠してたのね……少なくとも今の私より上。

 大猿の姿にはまだ慣れてないみたいだけど、そうでなければ、とっくに殺されてるわよ……)

 

 

 悟飯が咆哮を上げ、口から巨大な気弾を連発して放つ。ナッツは身を低くして正面から突っ込み、左右に素早く動く事で、それらを紙一重で回避していく。連続する爆発音と、背中に当たる爆風を感じながら、ナッツは悟飯へと肉薄する。

 

『そこっ!』

『!?』

 

 速度を乗せたナッツの拳が、悟飯の腹部に深々と突き刺さった。大猿の吐いた血が、彼女の顔と戦闘服に降り注ぐ。感じた手ごたえの大きさにナッツは笑い、尻尾を揺らす。

 

(多少はタフみたいだけど、力任せにしか戦えないのは、下級戦士の悲しさね。まだ私の方に分がある!)

 

 

 

 だが彼女は知らない。ナッツの周囲にいたサイヤ人は、大猿になっても全員が理性を保っていたから。変身して理性を失い、さらに傷付き狂乱したサイヤ人がどれほど恐ろしい存在か、皮肉にも彼女は知らなかった。

 

 

 

 殴られた腹部を押さえながら苦しげに唸っていた悟飯が、突如ナッツから離れるように走り出した。

 

『ちょっと! まさか逃げる気なの?』

 

 後を追おうとしたナッツが、悟飯の次の行動に驚く。

 

 大猿が岩山の基部に手を掛け、大猿の上半身よりも大きなそれを、咆哮と共に、強引に大地から切り離して持ち上げていた。

 

 

『岩ですって!? あなた、それで何を……』

『グルルルル……!』

 

 ぞくり、とナッツは薄ら寒さを感じた。今までの悟飯とは、何かが違うという感覚。理性を失ったサイヤ人というよりも、まるで獣そのもののような。

 

 

『ガアアアアッ!!!!』

 咆哮と共に、抱えた大岩を盾にするように、悟飯は突進する。

 

『もう、何なのよこれ!』

 ナッツの放ったエネルギー波が命中して一部を砕き飛ばすも、その大部分はまだ健在だ。

 

 そして突進の勢いのまま、悟飯は大岩を高く掲げ、ナッツの頭部へと叩き下ろした。

 

『……ガッ!?』

 

 大岩が粉々に砕け散る。あまりの衝撃に、一瞬、意識が飛びかける。割れた頭から血を流し、無防備となったナッツの身体を悟飯が押し倒し、その両腕を荒々しく掴む。

 

 

『このっ、止めなさい、この……っ!?』

 

 牙の生え揃った口を大きく開く悟飯。至近距離から気弾を撃つつもりかとナッツは思うも、大猿の行動はよりシンプルだった。

 

『……えっ?』

 

 噛り付いていた。戦闘服に守られていないナッツの左肩に。巨大な牙が厚い毛皮をあっさり貫き、ぎりぎりと己の肉に食い込んで骨に達する感触。

 

『い、嫌ああああああああ!!!!』

 

 噛み付く、というレベルではない。大猿の発達した顎によるそれは噛み砕くという表現が正しい。彼女の肩の骨が軋みだす。激痛に加え、食われる、という本能的な危機感にナッツは絶叫する。

 

『放しなさい!!! 放せ!!!! 放せええええ!!!!!』

 

 暴れ逃れようとするも、彼女の両腕はがっちりと押さえられていた。軋んでいた骨が嫌な音と共に砕かれる。悟飯は牙が噛み合うと同時に大きく首を振り、肩の大部分を食い千切った。鮮血が溢れる。

  

『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!』

 

 生命の危機に、普段以上の力が彼女を動かした。身体全体を使って滅茶苦茶に暴れるナッツが、悟飯の身体を大きく弾き飛ばした。拘束から逃れたナッツは激痛と疲労に喘ぎながら、己の状態を確認する。

 

 

 左腕はだらりと垂れたまま、全く動かせない。噛み千切られた個所からは出血が止まらず、周囲の毛皮と戦闘服を真っ赤に染めた血が滴り落ちる。

 

 今になって、頭が痛むのに気付いた。額から流れる血が目に入り、視界を塞ぐのを慌てて拭う。

 

 

『ガルルルル……!』

『……っ!?』

 

 獣のような唸り声を聞いた、ナッツの身体が恐怖に震える。

 

 地響きと共に、悟飯が近づいてくる。

 口元を彼女の血で赤く染め、自ら流した血で毛皮を赤く染めた大猿の姿は、彼女よりもずっと強大に見えた。

 

 

(こ、殺される……!)

 

 獣じみた剥き出しの殺意を前に、ナッツは死を意識していた。

 今までは、彼女が恐怖される側だった。大猿に変身した彼女に勝てる敵などいなかった。

 

 父親に生意気な口を利くあのキュイだって、月さえあればいつでも殺せると、内心見下してさえいた。大猿に変身して全力で戦い、なお殺されかけるなど、彼女にとって、生まれて初めての経験だった。

 

 

 だからナッツは今、最高に心躍っていた。

 今見ているあれがきっと、サイヤ人としての悟飯の本性だ。

 

 

(あの甘かった悟飯が、本気で私を殺そうとしてくれている……!)

 

 背筋がぞくぞくした。尻尾が大きく揺れた。途方もなく嬉しかった。

 左肩に負った傷の痛みも、今は全く気にならなかった。

 

 自分でも流石にどうかと思うが、これが私なんだから仕方ない。

 心の底からの喜びを感じながら、ナッツは獰猛に笑う。

 

 

 

『悟飯。私やっぱり、あなたがいいわ』

 

 

 殺されるのなら、あなたがいい。そのほかの事も、全て。

 

 楽しさのあまり、彼女はすっかり、いかれてしまっていた。

 

 

 

(ああ、でもやっぱり、殺されるのは無しね)

 それでもいいと一瞬思ってしまったけど、それだけは駄目だ。だって。

 

(こいつ、私の次に、父様を殺すつもりよね)

 

 それだけは許すわけにもいかなかった。相打ちも駄目だ。父様が悲しむ。

 それに母様の仇討ちもあるし、そもそも自分はこの下級戦士に一度負けたのだ。

 

 変身しなかったハンデ付きの戦いとはいえ、王族として、由々しき事だった。

 自分の気が済まないし、父様に申し訳が立たない。

 

 

 動く右手を構え、笑いながら、ナッツは尻尾を振り回し、気合いを入れて宣言する。

 

『今度こそ、私が勝つわ。そしてあなたも、この星も、全部好きなようにする』

 

 

 

「あ、あの野郎……!! オレの娘に何て事をしやがる……!!」

 

 ベジータは怒りに震えていた。娘を傷付けられた怒りと、娘を持った父親としての怒りの両方で。

 

 娘が噛み付かれた時点で彼は悟飯の尻尾を切断しようとしていたが、クリリンと同じく攻撃がナッツに当たる事を恐れ、果たせずにいた。尻尾を切ろうとした攻撃が万が一ナッツに当たった場合、変身が解け、弱った状態の娘にあの大猿が何をするか、考えたくもない。

 

 

 上空に浮かぶ月が通常の満月ならば破壊するという手もあったが、彼の作った月は、まだあと30分は消えない。

 

 最初から壊すつもりで手を抜いて作ったのならともかく、彼自身の戦闘力を大きく犠牲にして作り上げたそれは、込められたエネルギーを使い切るまで決して消えない。簡単に壊せるものならば、フリーザはあれほどサイヤ人を恐れはしなかっただろう。

 

 

 

 そして彼が手を出さないのはもう一つ理由がある。そちらの方がより重要だ。

 

 娘が今、本当に楽しそうに笑っている。それを邪魔するなど、考えられなかった。

 

 仮にこの瞬間自分が割り込んで奴の尻尾を切ろうものならば、ナッツから生涯恨まれると、その確信があった。

 

 もちろん娘を殺させるつもりもなかったが、せめて決着が付くまでは見届けるようと思った。

 

「頑張れよ、死ぬんじゃないぞ、ナッツ……」

 

 

 

 

 そして最後の激突が始まる。

 

『ガアアアアアッ!!!』

 

 理性を失った悟飯は、無限の体力を持つかの如く猛攻を続ける。

 一方ナッツは必死に防御に徹し、力を蓄え、反撃の機会を伺っていた。

 

(いくら理性を失っているからって、いつまでもこんな全力で戦えるなんて有り得ない。私だって辛いんだから、いつか必ず、限界が来るはず……!)

 

 左腕が動かない状態では満足なガードができず、何発も直撃を受けダメージが重なるも、それでもナッツは忍耐強く待ち続ける。

 

『その程度じゃ私は殺せないわ! もっと本気を出してみなさい!』

 

 

 

 そして次第に、悟飯のスタミナも底をつき、繰り出される攻撃が精彩を欠いていく。大きく息を切らしながら、それでもなお動こうとして、体勢を崩してしまう。その瞬間を、彼女は見逃さなかった。

 

 

『もらったわ!』

 

 ナッツの渾身の拳が大猿の顔面に直撃し、その巨躯を大きく吹き飛ばす。背中から岩山にぶつかり、逃げ場を失った悟飯に向けて、巨大な拳と蹴りの連打を叩き込む。

 

 疲れ果てた悟飯は両腕でガードしようとするも、ナッツの攻撃は的確にその隙間を狙う。連撃は止まらず、悟飯の巨躯が何度も岩山に叩き付けられ、苦悶の声と共に吐かれた血がナッツの顔と戦闘服を汚す。

 

 そしてひび割れた岩山が崩壊すると同時に、ナッツの口が大きく開かれ、赤い光が収束する。

 

『受けなさい! これがサイヤ人の王族の力よ!』

 

 至近距離から、全力のエネルギー波が悟飯を直撃した。

 

 

 

 

 地響きと共に倒れ伏した悟飯を、ナッツは息を切らしながら見下ろしていた。

 

(頼むから、もうこれで倒れなさいよ……)

 

 もうこれ以上は、無理だと思った。彼女自身も、負傷と疲労が限界に近い。

  

 だが彼はまだ終わってはいなかった。

 その身体がぴくりと動き、顔を上げて赤い瞳でナッツを睨み付け、咆哮する。

 

 

『そ、そんな……嘘でしょ……』

 

 ゆっくりと、起き上がろうとする悟飯。

 ナッツは絶望しかけるも、必死に思考する。

 

(何か、何か手は無いの? あれでも駄目なら、どうしたら倒せるっていうの?)

 

 唐突に、悟飯の尻尾が目に入った。その瞬間、彼女は先ほどの戦闘の敗因を思い出す。

 

(あれだけ痛かったんだから、こいつにだって!)

 

 ナッツは素早く悟飯の背後に回り、尻尾の付け根の部分を、思いっきり蹴飛ばした。

 

『さっきのお返しよ!』

『ガ……!?』

 

 

 効果は覿面だった。たちまち全身から力が抜けたかのように、悟飯が再び倒れる。そして苦悶の声を上げながらも、起き上がれないでいる。先ほど同じ痛みを受けたナッツは、その状態から動くのは不可能だとわかっていた。

  

 

 

『……今度は、私の勝ちね、悟飯』

 

 倒れ伏した悟飯を見下ろすナッツも、戦闘の継続は困難な状態だった。だが、自分は勝って生き残った。うつ伏せに倒れた悟飯を見ているうちに、その実感が湧いてくる。

 

 目の前の少年は、彼女が認めた強いサイヤ人だった。

 間違いなく彼女がこれまで戦ってきた中で、最も強い相手と言える。

 

 そんな強敵に、自分は勝ったのだ。喜びに尻尾が揺れる。

 この勝利は、彼女をさらに強くしてくれるという確信があった。

 

 ナッツはこみ上げる感情を抑えきれず、月を見上げて口を開き、地球全体に、己の勝利を誇るように咆哮した。

 

『オオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォ!!!!!』

 

 

 倒れ伏す悟飯と、勝利に咆哮するナッツ。 

 その光景は、見ている全員に、終わりを予感させた。




Q.この子頭おかしくない?
A.自分もそう思います。

Q.パワーボールって、ターレスが壊してましたよね?
A.色々考えたんですが、敵にあっさり壊されるのはアレですので自分の第七宇宙では壊れません。
 何より原作本編でベジータが消えないって言いきってますのでそっちを重視しました。

 ターレスはわざと壊しやすく作ったって事で。というか奴のパワーボールは壊しても効果がしばらく続くという謎現象の方が気になります。ブルーツ波が長時間残留するとか? GTみたくブルーツ波の濃度を上げてるとか? どちらにせよ身体に悪くないです?

Q.最後のナッツのコンボ2話くらい前で見た。
A.スパーキングメテオのセリパの超必のリスペクトです。人間の姿と大猿で技のモーションがほぼ同じというスタッフのこだわりに感動したのでいつか絶対真似しようと思ってました。ゼノバース3で再現できたらと思うのですが、最新の劇場版の情報を聞くに向かい風の気配が。


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最終話.彼女が地球を滅ぼす話

 長い勝利の咆哮を終えたナッツは、倒れ伏す悟飯を見下ろして笑う。

 

 勝ったのだから、自分の好きにしていいだろう。殺すなんて、もちろんしない。

 お互いに傷が癒えたら、またこんな戦いをしてみたいと、ナッツは思った。

 

 そして彼女は、大猿と化した悟飯が見せた獰猛な殺意を思い出し、嬉しくなってしまった。

 甘いのだけが欠点と思っていたけれど、一皮剥けば、凶暴で冷酷なサイヤ人だ。

 

 要は受けた教育が悪かっただけで、これからまだ十分にサイヤ人らしくなれる資質はある。

 そうなれば、きっと私とも仲良くなってくれるに違いない。

 

 悟飯と二人、手を取り合ってたくさんの惑星を滅ぼし、強敵と戦って力をつけ、そしていつの日か、二人で母親の仇であるフリーザを殺す。その未来を想像して、ナッツの尻尾が喜びに揺れる。

 

 

「ナッツ! 大丈夫か!」

 

 父親の声に、彼女は幸せな空想から引き戻される。

 心配そうにこちらを見上げる父親に、ナッツは傷の痛みを堪えて笑ってみせた。

 

『平気です。父様。少し手こずりましたが、この通り、私の勝ちですから』

 

 ナッツは倒れた大猿の尻尾を掴み、必要ならいつでも千切れる事をアピールする。

 

『……グゥッ!?』

 

 たったそれだけで、苦悶の声をあげる悟飯に、彼女の方が驚いてしまう。 

 

『あなた、まさか尻尾を鍛えてないの?』

 試しに力を入れると、悟飯はますます苦しむ様子を見せ、ナッツは呆れてしまった。

 

 

(変な所でサイヤ人らしくないわね。こいつ)

 

 危ないから後で鍛えてあげないと、と思い、そこで重要な事に気付く。

 

(父様から、悟飯を助ける許可をもらわないと)

 

 地球の奴らは全員片付けると言ってしまったし、実際そのつもりだったが、彼だけは例外だった。どうしたら父親を説得できるかと、ナッツは必死に頭を回して考える。

 

 

『父様……あの、こいつは生かして連れ帰った方がいいと思います』

 

「…………」 

 その発言を半ば予想していたベジータは、娘の頼みを聞いてやるつもりではいたが、それでも素直に認めてやりたくはなくて黙り込む。その沈黙を否定と感じたナッツは、慌てて言葉を続ける。

 

『その、ナッパも死んでしまいましたし、私達には戦力が必要だと思うんです。父様の尻尾が無いのを良い事に、フリーザが私達に刺客を送ってくるかもしれませんし、戦えるサイヤ人は一人でも多い方が良いです。もちろん、裏切り者のカカロットまで助けろとは言いませんから』

 

 その話の流れなら、ついでにカカロットも戦力として助けろくらいは言うべきだろうと、ベジータは思う。つまるところ、娘が助けたいと思っているのは、ただ一人なのだ。

 

『地球育ちで甘いのが欠点ですけど、幸いこいつはまだ大猿の姿で理性を保てないようですし、適当な星で月を見せて住民を皆殺しにさせれば、自分がサイヤ人だと、自覚してくれると思うんです』

 

 サイヤ人なら、誰もが通る道ですし、とナッツは続ける。実際に惑星ベジータのサイヤ人がどうだったかはともかく、少なくとも彼女は両親からの教育によって、そう思い込んでいた。

 

 

 言葉を終え、真剣な目で自分を見つめる娘の姿に、父親は折れてやる事にした。

 

「そこまで考えているのなら、そいつの事はお前に任せる」

『ありがとうございます!! 父様!!』

 

 振り回された長大な尻尾が、背後の岩山を破壊する。

 飛んできた石を手で弾きながら、ベジータは言葉を続ける。

 

 

「その代わり、月が消え次第、一旦治療に戻るぞ」

『……そうですね、父様』

 

 左肩の傷の出血は収まっている。本来ならば応急処置もせず血が止まるはずもないレベルの負傷だが、大猿の強靭な身体のタフネスと、膨大な気で無理矢理に出血その他を食い止めている状態だ。今はともかく、人間の姿に戻った時、一度に揺り返しが来るだろうと彼女は覚悟する。

 

 

(そうと決まれば、さっさと地球を滅ぼしたいところだけど……)

 

 ナッツは人工の月を見上げる。変わらず作られた当初よりも、その輝きはわずかに失われている。自らもパワーボールを使えるナッツは、その見た目の変化から、月が消えるまでの時間を把握できていた。

 

(父様の作った月は……もってあと20分。10分と見込んでおいた方がいいわね。私が月を作るのはもう無理。この場の奴らを早く片付けて、残りの地球人は私が傷を癒してから、父様と一緒にやりましょうか)

 

 ナッツは考えながら、動けずにいる悟飯を見下ろす。月が消えるまで起き上ってこられないとは思うが、この星でただ一人、今の彼女と互角に戦える存在だ。警戒しておく必要があった。

 

『父様、こいつが暴れて邪魔しないよう、尻尾を握っていてくれませんか?』

「ああ、任せておけ』

 

 ベジータは大猿の尻尾を、両腕で抱えるように拘束する。たったそれだけで悟飯が苦しむ事に、知っていながらも驚いてしまう。

 

 父親は思う。自分の子供の尻尾を鍛えないなど、カカロットは何を考えていたのかと。そんな状態で敵に握られたりしたら、あっという間に殺されてしまうというのに。そして考え、地球の平和さから、一切戦う必要が無かったのだと思い至り、自分が育った環境とのあまりの違いに内心驚く。

 

 ナッツは自分と同じように戦いの中で育てたが、もし万が一、こんな平和な星で娘が育っていたら、どうなっていただろうか。父親の想像の中、さまざまな娘の姿が浮かぶ。

 

 

 

「と、父様。私、戦いなんてできません。怖い……」

 

 

「父様、お菓子を焼いてみたんです。とっても美味しくできたので、食べてみてくれますか?」

 

 

「さあ遊びましょう、悟飯。私は王族だからお姫様役で、あなたは下級戦士だから、

 家来にしてあげる」

 

 

 

 誰だお前と言いたくなるが、不思議とそれほど忌避感はなかった。

 結局のところ、自分は娘が幸せなら、何でもいいのだろうと思う。

 

 ただ娘の幸せに、自分と亡き妻以外の人間が関わっている事が、腹立たしかった。 

 

 

「悟飯と言ったか。少しばかりナッツに気に入られているからといって、調子に乗りやがったら、わかっているな?」

 

 両腕で抱えた尻尾を、いっそう強く圧迫する。苦しむ悟飯の姿に、溜飲が下がる思いだった。

 

 

 

 

 ナッツは隠れているだろうクリリン達を探して、周囲を見渡す。戦闘の余波で地形の大部分が破壊されていたが、人が隠れられそうな場所はまだ数多くあった。

 

(スカウターが無いと、こういう時に不便ね……)

 

 一つ一つ探していては月が消えてしまうだろうが、容易く星一つを滅ぼせる今の彼女に、そんな地道な作業をする必要はなかった。

 

 ナッツは咆哮と共に赤いエネルギー波を撃ち放って、岩山の一つをあっさり消し飛ばした。さらに一つ、もう一つと、怪しい場所を周辺の地形ごと破壊していく。

 

 連続する爆発に大地が震え、戦闘の影響で脆くなっていた箇所までもが轟音と共に次々と崩壊していく中で、ナッツは口の端を歪め、残酷に笑う。

 

 

『さあ、どこに隠れているのかしら。出てこないと死ぬわよ?』

 

 

 そして十数ヶ所目を消滅させたその時、破壊されていく地形の影を移動しながら、ナッツの背後へ忍び寄っていたクリリンが飛び出した。

 

 緊張と恐怖に汗を滲ませながら、尻尾目掛けて気の円盤を投げつけようとしたその瞬間、気配を察したナッツが素早く振り向き、口からのエネルギー波でカウンターを叩き込んだ。

 

 迫りくる自分の身体よりも大きな光の束に飲み込まれる直前、クリリンが悔恨に叫ぶ。

「すまない、悟空、オレのせいで……!!!」

 

 直後、爆発と共にクリリンは吹き飛ばされ、岩山に激突して意識を失った。その上から崩壊した岩石が降り注ぎ、瞬く間に彼の身体が見えなくなる。ナッツは赤い目でその様子を見届け、上機嫌で尻尾を揺らしながら、満足げな笑みを浮かべた。

 

 

『今さら後悔したって、もう手遅れよ。私はさんざん忠告してあげたのに』

 

 

 確実に止めを刺すべく、ナッツはさらにエネルギー波を撃ち込もうとする。

 その瞬間、彼女の死角から、気配を完全に遮断したヤジロベーが飛び掛かった。気によって強化された刀の斬撃が大猿の尻尾に迫る。

 

 だが命中の直前、その長大な尻尾が鞭のように振るわれ、ヤジロベーを直撃した。

 

「……がっ!?」

 

 全身を強かに打たれ、地面に落ちるヤジロベー。その横に、折れた刀が突き刺さる。

 恐る恐る顔を上げたヤジロベーを、怒れる大猿の赤い目が見下ろしていた。

 

 

『お前が、父様の大事な尻尾を切った奴ね? 絶対に来ると思ってたわ』

 

 

 その口調は優しげですらあった。

 だが彼女は尻尾を逆立て、その全身を激しい怒りに震わせていた。

 

「ひ、ひいぃっ!」

 

『尻尾を切れば変身が解ける、確かにその通りよ。けど、私達の尻尾は手足と同じ身体の一部よ。

 単なる弱点と思い込んだ馬鹿な奴らを、何人返り討ちにしたか知れないわ』

 

 怯えるヤジロベーに向けて、ナッツは邪悪に笑ってみせる。

 

『さて、どう痛めつけてやろうかしら?』

 

 ヤジロベーは滝のような汗を流しながら、大猿を見上げ、必死に言葉を紡ぐ。

 

「そ、その件につきましては……ほら、実際切ったのはこの悪い刀で、もう折れちまったし……オレも悪かったと思ってるし、ゆ、許してもらうわけには……」

 

『駄目ね』

「だよなあっ!!!」

 

 飛び起き、逃げようとするヤジロベーの目の前に、巨大な尻尾が叩き付けられ、地面を砕く。

 逃げ道を塞がれ、思わず足を止めてしまったヤジロベーを、ナッツは全力で蹴り飛ばした。

 

 ヤジロベーの身体が凄まじい勢いで跳ね飛び、ボールのように何度も地形に反射して叩き付けられ、地面に落ちて動けなくなる。その右手に向けて、後を追って跳躍したナッツの、大木のようなサイズの足が振り下ろされた。

 

 上がる悲鳴は、彼女の嗜虐心を甘く刺激した。

 

『まず、その悪い手を潰したわ。次はどこがいいの? 私は優しいから、選ばせてあげる』

 

 

 楽に死ねると、思わないことね。

 

 

 抑えきれない邪悪な歓喜に、ナッツは酔いしれていた。

 

 

 

 

 その時、彼女は尻尾の違和感に気付き、月を見上げた。変わらず光を放っているが、放射されるブルーツ波が明らかに減っているのが、感覚的に判る。まだ変身を維持できなくなるほどではないが。ナッツは不機嫌を隠さず、喉から獣の唸り声を漏らす。

 

『月が消えるまで、もう時間が無いわ……まだカカロットが残ってるっていうのに』

「た、助かった……?」

 

 安堵したような声にナッツは苛立ち、逃げられないよう、両足を踏み潰した。

 悲鳴を聞きもせず、ヤジロベーに背を向ける。

 

『お前とは後で、父様と二人で遊んであげるわ。楽しみにしてなさい』

 

 

 

 ナッツは地面を滑るように飛び、瞬く間に倒れた悟空の元へと辿り着いた。

 その巨体で倒れた悟空を見下ろし、告げる。

 

『待たせたわね、カカロット。あなたの死ぬ順番がやってきたわ』

 

「お、おめえ、ベジータの娘か。強えじゃねえか……。おめえとも戦いたかったな……」

 

 その言葉に、ナッツは嬉しくなってしまった。

 強いというのは彼女にとって、最高の褒め言葉だった。

 

(同じサイヤ人だけあって、判っているわね。悟飯の父親だし、苦しめずに一瞬で殺してあげようかしら)

 

『あなたも強かったわよ。父様をあそこまで追い詰めたその力は認めてあげる。けど所詮、

 尻尾を持たないサイヤ人が、私達に勝てるはずがなかったのよ』 

 

 そして拳を握り叩き付けようとしたところで、カカロットの負傷の状態に、思い当たるものがある事に気付く。確認のため、その身体を拾い上げ軽く全身に触れる。上がる苦悶の声。既に全身の骨が砕けている感触に、やはり、と思う。大猿が人間を握り潰す時、ちょうどこういう感じになると、ナッツは自身の経験から熟知していた。

 

 

(大猿になった父様が、カカロットに止めを刺そうとしていたのね。けど殺しきれていないってことは、途中で尻尾を切られてしまったということ)

 

 ナッツの心に、暗い怒りが込み上げる。尻尾を切ったのは別の奴だが、こいつも同罪だ。

 

 あと一息でカカロットを殺せるというところで、突然尻尾を切られた父親が、悔しがりながら人間の姿に戻っていく光景が、ありありと想像できた。何て可哀想な父様。大猿が口の端を歪め、残酷に笑う。

 

 

(だったら、私がその続きをしてあげないとね!!)

 

 

 ナッツは片手で悟空を握り締め、ゆっくりと力を込めていく。左手は肩の負傷のせいで使えなかったが、それでも瀕死の悟空をじわじわと苦しめ、止めを刺すには十分すぎた。その悲鳴が心地良くて、ナッツは声をあげて笑う。

 

 

『安心していいわ! あなたの息子は、甘さを叩き直して、立派なサイヤ人にしてあげるから!』

 

「や、やめろ……そんな事、悟飯が望むわけねえだろうが……!!」

 

 

 

 その言葉に、ナッツの動きが停止する。

 カカロットを握り潰そうとしても、身体に力が入らない。

 

(何で? まだ月は消えていないはずなのに!)

 

 その理由を、彼女は既に理解していた。

 

 カカロットは当たり前の事を言ったに過ぎない。

 悟飯は冷酷なサイヤ人になる事など望んでいない。

 

 

 

 そんな事、心の奥底では、最初からわかっていたのだ。

 

 

 敵であるナッツを殺したくないと見逃すような、あの変な奴。

 あんな優しい奴が、私のようになんて、なれるわけないじゃない。

 

 

 ナッツの中で、熱に浮かされたような高揚が、急速に冷めていく。自分が今からしようとしている事を、はっきりと自覚する。悟飯の父親を、自らの手で殺す事を。

 

 

 それを知ったら、彼はどんな顔をするだろうか。

 

 

 彼女を思いとどまらせていたのは、その思いだった。

 

 

(本当に、これでいいの?)

 

 手の中の瀕死のカカロット、もう放っておいても死にかねないそいつに止めを刺すのが、どうしようもなく躊躇われた。自分は今、本当に、取り返しの付かないことをしようとしている。

 

 

(何を考えてるの。こいつらは父様をあんなに傷付けたのよ。星ごと全滅させてやるべきよ。今までだって、そうしてきたでしょう?)

 

 ナッツは自分がサイヤ人である事を、誇りに思っていた。冷酷かつ荒々しく、破壊と殺戮を好み、全宇宙で恐れられた戦闘民族。それが彼女の中の、サイヤ人のイメージだ。

 

 両親は彼女がサイヤ人らしく振舞う事をとても喜んでくれたので、彼女も進んでそうあろうと生きてきた。

 

 

 そんな彼女にとって、目の前の敵を殺すべきかと悩むようなことは、まったくもってサイヤ人らしくなかった。敵は容赦なく、皆殺しにすべきだった。まして侵略に向かった星で、ようやく追い詰めた敵を見逃すなど、彼女の常識からすれば、許しがたい事のはずだった。

 

 けれども現実に、ナッツは今、それをしたくないと思ってしまっているのだ。

 

(私は父様の娘よ。王族なのよ。全てのサイヤ人の鑑となるべき私が、そんな事……)

 

 

 

『父様!』

 

 ナッツは助けを求めるように父親を見る。

 

 何をしている、早くカカロットに止めを刺せと、そう言って背中を押して欲しかった。

 

 

 だがベジータは何も言わず、ただ静かに娘を見上げていた。

 

 ナッツが望むのなら、彼は何でも許す気でいた。サイヤ人の手本のように育った娘を、彼は父親としてとても好ましく思っていたが、彼女自身がそれで幸せになれるのかは、また別の話だからだ。

 

 カカロットを見逃す。いいだろう。奴との決着は、自分が大猿になって叩きのめした時点で既についている。下級戦士を相手に大人げなかったかもしれないが、サイヤ人のくせに尻尾を持っていない方が悪い。地球を滅ぼさない。いいだろう。こんな辺境の星、ドラゴンボールさえ無ければ大して惜しくもない。

 

 だが娘の人生を大きく変えるだろうその決断は、あくまでもナッツが自分で行うべきだと、彼は思っていた。

 

 

 ナッツはそんな父親の意図を、完全に理解した。これは自分が決めなくてはならないのだ。

 そして同時に、自分が好きに決めてしまってもいいことなのだ。

 

 

 ナッツは考える。例えばの話だ。

 ここでカカロットを見逃して、地球も滅ぼさないとしたら、どうなるだろうかと。

 

 

 

『結構楽しめたし、もう気が済んだから、許してあげる』

 

 そう言って、カカロットを悟飯に渡してあげる。

 きっと二人とも、私にとても感謝するに違いない。

 

 やがて月が消え、人間の姿に戻る。一度戻って、メディカルマシーンで傷を癒して、また地球に来る。この傷だとカカロットは死ぬかもしれないから、悟飯がどうしてもと頼むのなら、メディカルマシーンを使わせてあげてもいい。

 

 地球に着いたら、悟飯の家に遊びに行って、彼の母親に挨拶して、それで毎日二人で訓練をする。嫌だなんて言わせない。カカロットを助けてあげたでしょう、とか、じゃあ代わりに他の地球人達と遊んでくるわ、とでも言えば付き合ってくれるだろう。

 

 流石に毎日だと大変だろうから、たまには他の事をしてもいい。自分にも王族としての教養は必要だし、悟飯はとても頭が良さそうだから、家庭教師の役を任せてもいいかもしれない。

 

 戦いの方が好きなだけで、別に勉強だって、嫌いではないのだ。

 

 住む場所は、どこか適当な場所に家を買えばいい。フリーザ軍からの報酬をいちいち確認はしていないが、それができるくらいは稼いでいるはずだ。

 

 地球は平和すぎて退屈するかもしれないから、そうなったら、どこかの星を滅ぼしに行けばいい。お金も稼げるし、一石二鳥だ。そうしてまた地球に帰って、楽しく暮らすのだ。

 

 サイヤ人の成長は早い。そうして10年もしたら、きっと自分は母様のような、強くて格好良い大人の戦士になるだろうし、そうなったら、見る目のある男なら、きっと放っておかないだろう。

 

 その頃には悟飯だって、それに見合うくらい立派になってるだろうし、どうしてもと頼んでくるのなら、そういう風になってあげないこともない。

 

 

 それは幸せな空想だった。

 

 そして空想の中で幸せそうに笑うナッツの腹部を、フリーザの手が貫いていた。

 

(……っ!?)

 

 そのままフリーザは、やめてくれと懇願する彼女をあざ笑いながら、悟飯を殺し、地球の全てを壊していった。

 

 

 当然の話だった。フリーザが、サイヤ人である自分を見逃すはずがない。地球に滞在しているとなれば、当然調べられて、悟飯やカカロットといった、他のサイヤ人達の事も知られてしまう。フリーザが生きている限り、自分はいつか母様と同じ運命を辿るしかない。

 

 フリーザによる母親の死は、ナッツの心に、深すぎる傷を残していた。

 空想の中ですら、彼女の安らぐ場所は無かった。

 

 

 

 だからナッツは、諦めることにした。

 サイヤ人である彼女には、選択肢なんて、初めから無かったのだ。

 

(悟飯に嫌われたくない? 一緒にいて欲しい? そんな甘い考えで、フリーザを倒せるわけないじゃない)

 

 彼女が生きる道は、戦い続けて殺した敵を積み上げた先にしかない。いつかフリーザに届くまで。だからカカロットも殺すのも、仕方のないことだと考えると、少しだけ、気が楽になった。

 

 

 淡々と、感情のこもらない声で告げる。

 

『カカロット。何か悟飯に、言い残す事はあるかしら』

「……おめえの名前、何て言うんだっけ?」

『ナッツよ』

 

「じゃあ、ナッツの事を、あんまり恨まないでやってくれって」

『ふさけないで!! 何を考えてるの!! そんな内容、私の口から言えるはずないじゃない!!!』

「……ああ、そうか、悪いな……」

 

 

 カカロットは目をつぶり、そのまま数秒後に目を開けて言った。

「よし。今伝えておいたから、安心しろ」

 

 何言ってるんだこいつと思った。

 

(恐怖で頭がおかしくなったのかしら?)

 

 

 どちらにせよ、甘い奴。悟飯の父親というだけあった。

 戦闘力は父様と同じくらい高くても、こんな奴では絶対にフリーザを倒せないだろう。

 

 ふと、ナッツを見上げるカカロットと目が合った。

 死に瀕した彼の静かな目は、彼女の全てを見透かしているかのようだった。

 

 やめて欲しい、と思った。

 自分を殺そうとしている私を、どうしてそんな、憐れむような目で見るの。

 

「サイヤ人ってのも、ずいぶん大変なんだな」

『あなたもサイヤ人じゃない!!』

 

 惑星ベジータが滅んだ時、こいつの両親もフリーザに殺されたはずなのに、どうしてそんなにのうのうと生きていられるのか。

 

 一思いに殺そうとするも、思うように力が入らない。疲れてしまったのかと思う。

 止まない悲鳴に苛立ちが募る。早く終わって欲しかった。

 

 

 

 

 その少し前の話。

 

 

 娘の決断を見守っていたベジータは、苛立ちを隠せなかった。

 

 カカロットを殺す事を選んだナッツの決断は、とてもサイヤ人らしいものだったが、気に入らなかった。娘が全く、幸せそうでは無かったからだ。敵を殺すのなら、もっと楽しそうにするべきだと思った。それで娘が苦しむ事など、絶対に望んでいなかった。

 

 今からでも止めるべきかと迷っていたベジータは、ふと、拘束していた悟飯の尻尾が、わずかに動くのを感じた。

 

「……何だ?」

 

 不審に思い、尻尾を握る力を強める。だが次の瞬間、彼の身体ごと、尻尾が高々と振り上げられる。

 

「こ、こいつ! まさか、この短時間で尻尾を鍛えやがったか!?」

 

 凄まじい勢いで振り回された尻尾が、岩山に叩き付けられる。全身がバラバラになったかのような衝撃と共に、ベジータは意識を失った。

 

 

 

 

『アオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!』

『何ですって!?』

 

 倒れていた悟飯が飛び起き、父親を殺そうとする大猿に向けて突進する。

 

『悟飯、まだ動けたの……!?』

 

(けど、さすがにまだ本調子じゃないはず!)

 

 ナッツは反射的に口から赤いエネルギー波を放つ。着弾して爆発するも、爆炎を突き破って悟飯は走り、勢いは止まらない。

 

 肉薄する悟飯を前に、ナッツはカカロットを手放すべきか、一瞬迷ってしまう。

 

(こいつ、この高さから落としたらそのまま死にかねない!)

 

 

 それが彼女の敗因だった。同じ大猿からの全力の体当たりに耐えきれず背中から倒れてしまう。

 

『ぐっ……ッ!? けど同じ手は食わないわよ!』

 

 この時ナッツが警戒していたのは、先に痛い目を見た悟飯の噛み付きだった。また来ようものなら、頭突きで返して、逆にこちらから噛み付いてやると身構えていた。

 

 だから次の行動に、反応できなかった。

 倒れたナッツの尻尾を、悟飯が掴み、引き千切っていた。

 

 

『……え?』

 

 ナッツの赤い瞳が見開かれる。彼女は一瞬、何が起こったのか理解できなかった。ただ、目の前の大猿の手に、千切られた自分の尻尾が握られていると認識した瞬間、全てが一度に押し寄せた。

 

 初めて感じる地獄のような激痛、尻尾を失ってしまったという絶望、身体から力が抜け、変身が解けていく感覚。

 

『あ、ああ、そんな……』

 

 そしてサイヤ人の誇りとも言える尻尾を奪った、目の前の悟飯への怒りでナッツが絶叫する。

 

『ガ、ガアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!!!』

 

 

 戦闘服を着た大猿の身体が、震えながら縮んでいく。厚い毛皮が見る間に薄くなり、白い肌が露わとなる。目もその赤色を失っていき、獣の鼻面が整った顔に戻っていく。

 

 震える手からこぼれ落ちそうになるカカロットの身体を、掌を上にしてどうにか支える。理由なんかわからず、思わずそうしていた。

 

 

 そして十数秒後、ナッツが変身していた大猿は、戦闘服を着た少女の姿に戻っていた。

 

「……かはっ……はぁ………ぁ」

 

 両膝を地につけたまま、身体を支えきれず、伏した体勢でナッツは呻く。  

 

 激しい疲労と全身の負傷の痛みが、人の姿に戻った事で一度に押し寄せていた。加えて尻尾を失ったダメージで、呼吸すらもままならない。大きく肉が抉られた左肩は、少しでも気の集中を乱せば、激しく出血してしまうだろう。

 

 

「お前、私の尻尾を、よくも……!!」

 

 それでも何とか顔を上げ、悔しさと喪失感に涙を流しながら叫ぶナッツを、大猿が睨み返す。

 

『グルルルル……』

「……っ!?」

 

 

 全身を血で染めて、唸る大猿の姿。

 ナッツはそこに、逃れ得ぬ死を見た。

 

 

 目の前で父親を殺されかける。逆の立場なら、自分はたとえ相手が悟飯であろうと、殺さないでいられる自信がない。大猿への変身はサイヤ人をより凶暴に変える。まして目の前の大猿は、理性を失っているのだ。

 

 悲鳴を上げる身体に鞭打って、とっさに後ろに飛び退いた。ナッツの予想どおり、今までいた場所に悟飯の巨大な足が踏み下ろされる。

 

 さらに下がろうとするも、背中が岩に当たってしまう。そもそも、これ以上は身体が動かなかった。へたり込んだ小さな身体が、巨大な影に覆われる。怒れる大猿の赤い目が、少女を睨み付ける。

 

「と、父様……」

 

 助けて、と続けるよりも、大猿の足が再び踏み下ろされる方が早かった。

 

 

 

 その光景を、意識を取り戻したベジータは、届かない距離から見ていた。

 全力で駆けつけながらも、間に合わず、見ているしかできなかった。

 

 

 

 

 

「ご、悟飯!!!!」

 

 

 

 悟空の叫びに、大猿の動きが、少女を踏み潰す寸前で停止した。

 

 そして悟飯は弾かれたような動きで声の主の元へと近づき、倒れた父親の前で腹這いとなり、おずおずと、その身体に触れる。大猿になった状態でもわかる、心配そうな表情。悟空が何やら話しかけると、悟飯の顔が穏やかな喜びに包まれ、尻尾がゆっくりと振られた。

 

 

 その光景を見て、ナッツは呆れると同時に、彼の本質を見たような気がした。大猿になっても、悟飯には優しい心が残っていた。まるで地球人みたいだった。

 

「本当に、サイヤ人らしくないわね、あなた」

 

 少女は少し呆れながらも、嬉しそうに微笑んだ。甘い考えと自覚しながらも、カカロットを殺さなくて良かったと、この瞬間は思っていた。

 

「……っ」

 

 ナッツは、自分の意識が薄れていくのを感じていた。度重なる戦闘と負傷で、彼女の身体は、既に限界を迎えていた。

 

 

 意識を失う直前、どこからか飛んできた気の刃が、悟飯の尻尾を切断するのが見えた。そして駆け寄ってくる父親の姿も。

 

(父様……もう心配ないのに、勿体ないです……)

 

 どうせなら、私が悟飯に、理性の保ち方も教えてあげたかったのに。そんな呑気な事を考えながら、少女は意識を失った。

 

 

 

 倒れたナッツの身体から、地面に流れ落ちた血が、ゆっくりと広がっていく。その状態を見たベジータは即座に宇宙船を呼び寄せ、到着するまでの間、必死の表情で娘に応急処置を施していた。

 

「待っていろ。戻ったらすぐにメディカルマシーンに入れてやるからな……!」

 

 傷口を強引に縛り、何とか出血だけは食い止めて息を吐く。子供とはいえ、サイヤ人の強靭な生命力なら、これで命の危険は脱したはずだった。

 

 

 そこでベジータは、倒れた悟空を睨み付け、問いただす。

 

「カカロット……貴様、何のつもりだ?」

 

 なぜあそこでナッツを助けるような真似をしたのか、彼には理解ができなかった。その問いに、悟空は弱々しい声で応じる。

 

「おめえの娘は、悪い奴だけどよ。別に殺す必要はねえんじゃないかって思ってな……」

 

 呆れてしまう。自分が殺されかけて、なおそれを言うか。

 

「フン、甘い奴だ。サイヤ人の面汚しめ」

 

 変身が解け、悟空の傍で眠る悟飯を睨みながら、腹立たしげに告げる。

 

「娘に免じて、今日のところは見逃してやる。だがカカロット、次に会った時は必ず殺してやる。それとナッツの尻尾を切りやがったそのガキにも、次に会ったら責任を取って殺されろ、さもなくばオレが殺すと伝えておけ」

 

「……は、ははっ」

「カカロット、何がおかしい」

「……さ、サイヤ人の王子のおめえでも、やっぱり自分の娘は、可愛いんだなって」

「当たり前だ。オレの娘だぞ」

 

 父親はなんの衒いもなく、そう答えた。

 

 

 やがてベジータの呼んだ複座型のポッドが到着し、2人を乗せて、地球から飛び立っていった。

 

 その中で、生命維持装置を付けられ、父親に手を握られたナッツは、遊び疲れた子供のような、とても安らかな顔で眠っていた。




Q.地球滅ぼしてないじゃん。
A.邪魔が入らなければ滅ぼしてたし……(震え声)


 これにてサイヤ人編は終了です。

 読んで下さった方、お気に入りに登録して下さった方、評価・感想を下さった方、
 本当にありがとうございます。正直凄く書く励みになりました!


 最終話というのは、もちろんサイヤ人編の最後という意味です。

 見てのとおり、フリーザと対峙しない限り彼女の物語は終わりませんので、ナメック星編も書きます。書きたいシーンがたくさんありますし、一応話も最後まで考えてます。

 ただ書き溜めが無いので更新はゆっくりになるかと思います。
 たまに投稿された時にでも、気が向いたら読んで下さると嬉しいです。



 あとナメック星編を書く前に、1~4話にはちょっと手を入れたいです。5話以降は文章を書くのに慣れたのでかなり加筆修正入れてから投稿したんですが、それ以前のは昔のそのままなので。章タイトルもちょっとちぐはぐですし、原作の台詞とか意識し過ぎて硬くなってるなあと。

 直した時には判るようどこかで通知します。あとその結果、たぶん話数が減ると思います。最新話に栞を挟んでる方は、もしかしたら消えるかもしれませんので、お手数ですが宜しければ挟み直しをお願いします。





・ナッツについて

 彼女のキャラを一言で表すと「冷酷なサイヤ人になるよう愛情たっぷりに育てられた子供」なんですけど、この子設定レベルでバグってない? 大丈夫?

 母親は自分は病気で弱って満足に戦えないので、せめて娘には好きなように惑星攻略とか楽しんで欲しいという親心でナッツを教育しました。
 父親は惚れた女には一途ですし、それが死んじゃって残された一人娘とかいたら絶対ガチで可愛がるだろうなあと思った結果ダダ甘になりました。

 そうして育てられた彼女の本性が悪というのは動かせない事実ですが、状況に応じて結構ブレてます。彼女はまだ子供で、もっと愛情が欲しいのです。友達が欲しいのです。
 その辺りの感情は5話で悟飯と出会って一気に溢れた感じです。

 というか最初に書いてた5話では感情面の描写がもっとあっさりでして、けど文章量増やした方がいいと感想でアドバイスを頂きまして、その方が良いのかなあと加筆していったら筆が乗ってみるみるナッツがぽんこつになって分量が2倍くらいになりまして。あれは凄く楽しかったです。

 あとフリーザのせいで色々歪んでる部分もあります。というか彼女の根っこの部分なので本来なら物語の冒頭に復讐を誓うシーンとか入れるべきだったんですが、すっかり忘れてたので慌ててあらすじに入れた経緯があります。これだけでも後で追記しとかないとなあ。

 それと超ブロリー劇場版、鳥山先生による惑星ベジータの描写によるとサイヤ人にも色々な人がいたようで、それでちょっと方向転換した部分もあります。 
星送りにされるわけでもなく、ずっと内勤で宇宙船の整備とかしてたんだろうビーツさんの存在は衝撃でした……。


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ナメック星編
1.彼女が傷を癒す話


 惑星フリーザNo.79。

 

 フリーザ軍の拠点の一つであるその星に向けて、父親と娘を乗せた複座型のポッドが、最高速度で飛翔していた。ポッドは大気圏に突入し、赤熱しながら速度を落とさず、流星のように落ちていく。

 

「来たぞ! ベジータ様達の宇宙船だ!」

 

 地上の宇宙船発着場から、降下してくるポッドを見た医療スタッフ達が叫ぶ。

 彼らはベジータから事前の連絡を受け、治療のために待機していた。

 

 大気を引き裂く轟音と共にポッドは地上へと迫り、衝撃を吸収する専用スペースへと、まるで墜落するように着陸した。

 

 空気との摩擦熱で煙をあげるポッドの入り口がゆっくりと開き、次の瞬間、満身創痍のベジータが、意識の無い娘を抱えて飛び出した。

 

「ナッツをメディカルマシーンへ運べ!! 今すぐにだ!!」

 

 駆け寄った医療スタッフ達は、父親に抱えられた少女が、一瞬既に死んでいるのではないかとすら思った。サイヤ人の頑強さがなければ、そうなっていたかもしれない。肩に巻かれた包帯は出血で真っ赤に染まっており、顔からは血の気が失せ、呼吸もほとんどしていない。ポッドの生命維持装置が無ければ、どうなっていたことか。

 

 娘がすぐさま別の生命維持装置に繋ぎ直され、搬送されていくのを見送った父親は、苦しげに息をつきながら言葉を紡ぐ。

 

「こんな所で、死ぬんじゃないぞ、ナッツ……」

 

 そして自身もまた力尽きたように倒れ、医務室へと搬送されていった。

 

 

 彼らが去った後、一部始終を遠巻きに眺めていた整備員達が、残されたポッドへと近付きながら、心配そうに呟いた。 

 

「ナッツちゃん、大丈夫かなあ。誰がやったか知らねえが、酷え事しやがる」

「ベジータ様まであの有様って事は、余程の化け物がいたんだろうな……」

 

 まあ、生きてて良かったよ、そうだなあ、と彼らは安堵した顔で言葉を交わした。

 

 

 

 それから、半日ほどの時間が経過した。

 

 医務室のメディカルマシーンの中に、一糸まとわぬ姿のナッツが浮かんでいる。呼吸器とコードに繋がれ、目を閉じて治療液の中に浮かぶ少女のしなやかな肢体に、既に負傷の跡はない。

 

 ただ例外が2つある。1つは左肩。肉食性の獣に噛まれたような傷跡が、痛々しく残っている。もう1つは腰の後ろ。アザのような丸い跡が、そこに尻尾が生えていた事を示していた。

 

 白衣を着た爬虫類顔の医師が、メディカルマシーンの計器類と、中に浮かぶ少女の状態を確認しながら、時折何かしら操作をしている。他の人間が同じ事をすればベジータに殺されていてもおかしくなかったが、彼はナッツが今より小さい頃から面倒を見ている、掛かり付けの医師だった。

 

 空気が抜けるような音と共に、医務室のドアが開く。入室したのは、別室のメディカルマシーンで治療を終えたベジータだ。真新しい戦闘服に身を包んだ彼は、娘のためか、替えの戦闘服やタオル、食料などを山と抱えている。

 

 

 父親はメディカルマシーンに浮かぶ娘の状態を見ながら、顔馴染みの医師に声を掛ける。

 

「具合はどうだ?」

「これはベジータ様。ご安心下さい。もう傷はすっかり塞がっておりますぞ」

 

 医師はナッツの左肩の傷跡を指し示しながら告げる。

 

「メディカルマシーンでは傷を塞ぐ事しかできませんが、ご安心ください。このくらいの傷跡なら、すぐに消して見せましょう」

 

 生き死にには関係の無い技術だが、怪我人を多く診る関係上、そうした需要も当然ある。医師は自分の腕前に自信があった。だがベジータは喜ぶでもなく渋い顔をしている。

 

「こいつがそれを望めばな」

 

 いやいやいや、と医師は内心手を左右に振る。それはまあ、ごく稀に傷跡は勲章と言い出す患者もいるが。そんな事を言うのは全員むくつけき野郎どもだった。さすがにナッツ様と言えど、こんな小さな女の子が、そんな。

 

「ナッツ様のお身体にあんな傷を残してしまったら、わたくしは基地の皆から大層恨まれて、ヤブ医者扱いされてしまいます」

 

 父親は表情を動かさず、娘の様子を見守り続ける。

 

「そんなものか」

「ええ、皆がナッツ様のことを、心配しておりましたぞ」

 

 大怪我をした少女が運び込まれてから1時間ほどの間は、問い合わせがひっきりなしに届いていたものだ。医務室に直接押しかける奴らまでいた。あいつら勤務時間中では無かったか。「治療の邪魔だ! ナッツ様に何かあったらどうする!」と追い返してからは、それらがぴたりと止まったのが逆に怖い。

 

 一方ベジータは、医師の話に何の感慨も持たなかった。宇宙一可愛い自分の娘が皆にちやほやされるのは当然の事だと思っている。ただ娘に近づく悪い虫は殺すと決めていた。そんな彼の親馬鹿ぶりはフリーザ軍の中でも有名だったから、幸いな事に、今日まで犠牲者は出ていない。

 

 

「しかしお可哀想に。あの肩の傷、猛獣にでも襲われたのですかな?」

 

 父親は顔をしかめ、吐き捨てるように言った。

 

「もっとタチの悪いケダモノだ」

「……そうですか」

 

 患者の負傷の原因は気になったが、それ以上突っ込むべきではない話題だと、長年の付き合いで理解していた。

 

 

「それと、残念ながら尻尾は再生できませんでした……」

 

 父親は娘のがっかりした顔を想像し、露骨に顔を歪める。 

 

「どうにかならないのか?」

「サイヤ人の尻尾は、難しいのですよ。治療例が少なくて……」

 

 尻尾の再生メカニズムは、ほとんど解明されていないと言っていい。そもそも屈強なサイヤ人が、大事にしている尻尾を失う事例が数少ない。まさか研究のために尻尾を切って観察させろと、サイヤ人に向かって言えるわけもなく。そのうちに惑星ベジータが消滅して生き残りのサイヤ人が極少数になってからは、小規模に行われていた研究すらも行き詰まっていた。

 

 研究と言っても、そのほとんどはサイヤ人から聞き取りした内容をまとめたに過ぎない。1年程度で生えてきた。命の危機に生えてきた。一生生えて来なかった。症例が少ない上に個人差が大きすぎて、到底治療の役に立つものではない。一応通常の再生医療を施してはみたが、結果は芳しくなかった。

 

「幼少期の方が再生しやすい事は確かなようですので、ナッツ様の尻尾も時が解決してくれるとは思いますが……」

「……仕方がないな」

 

 娘の尻尾を切ってくれやがったカカロットのガキの名前は、確か悟飯と言ったか。

 今度会ったらたっぷり礼をしてやると、父親は固く決意した。

 

 

 それからしばらく後、メディカルマシーンから、治療の完了を告げる電子音が鳴った。

 

「もう大丈夫ですな。では、開けますぞ」

 

 医師が機械を操作すると、少女の身体を浮かべていた治療液が排出されていく。

 

 やがて排出が終わり、ナッツは目を開き、自らの手で呼吸器と、身体に繋がれたコードを外す。そして治療ポッドの外で、心配そうな顔の父親がこちらを見守っているのを見つけた。真新しい戦闘服を身に着け、地球での酷い負傷が完治している姿に、少女は嬉しくなり、開いた扉から飛び出して、そのまま父親に抱き付いた。

 

「父様! ご無事で良かったです!」

 

 嬉しそうに頭を押し付けてくる娘の濡れた髪を、準備していたタオルで拭いてやりながら、父親が問いかける。

 

「ナッツ、身体の調子はどうだ? どこか、痛い所は残っていないか」

「そうですね……」

 

 少女は手早く己の身体を確認する。痛みは無く手足も正常に動く。地球での負傷は完治しており、一か所を除いて、肌にも傷は残っていない。ただ、肝心の尻尾が再生していないことにがっかりする。普段は腰に巻いていたせいか、バランスが崩れるという事はなかったが、サイヤ人にとって誇りとも言える尻尾を無くしてしまったという喪失感は大きかった。

 

「尻尾については心配するな。そのうち生えてくるらしい」

「そうですか……」

 

 ナッツの不安は晴れない。彼女は尻尾を失った経験がなく、再生までどの程度の時間が掛かるか判らなかった。今満月を見ても変身できないなんて、信じられなかったし、全力で戦えない不満と心細さがあった。

 

 

 沈んだ様子の娘を心配した父親が、スカウターで戦闘力を測って見せる。

 

「ナッツ、見てみろ。戦闘力がかなり上がっているぞ」

「本当ですか……ええっ!?」

 

 差し出されたスカウターの数値を確認した少女が驚愕する。

 

「ナッパの戦闘力を超えてる! あと1年は掛かると思ってたのに……!」

 

 思わず頬を緩める娘の髪を拭きながら、父親は笑いかける。

 

「良かったな。ナッツ」

「はい、父様!」

 

 少女は微笑みながら、地球での戦いを思い出す。たった1日で戦闘力が急上昇したのも頷ける、とても充実した戦闘の数々だった。

 

 そして悟飯の事を思い出した時、胸の奥が温かくなるのを感じた。下手をすると私よりも強いくせに、優しい心を持ったおかしなサイヤ人。また彼と戦いかった。正直に言うと、戦いの事が無くても、会ってみたかった。地球に行ったら、また会えるだろうか。色々あったけど、彼と仲良くなりたかった。父様と同じように、悟飯のいない人生なんて考えられなかった。

 

 尻尾を切られてしまった事も、恨む気にはなれなかった。切られなければ自分はカカロットを、彼の父親を殺していただろうし、逆の立場なら、必ず同じ事をしただろう。

 

 それにあっちも、父様に尻尾を切られていたのだし。あれは本当に勿体ないと思ったが、もし切られていなかったら、次に会う時、悟飯に尻尾が生えていて、自分だけ尻尾が無いという状況になるわけで。それはちょっとサイヤ人として、情けなくて嫌だった。それに正直怖い。逆の立場で自分と戦っていた悟飯は本当に勇気があると思う。まああっちは、私が月を作れるなんて、知らなかったのだろうけど。

 

 

 ただ、一つだけ残った懸念に、気持ちが沈む。

 

 ピッコロと呼ばれていたあの緑色の顔の奴。悟飯の尻尾を切った事は許せなかったが、彼はよく懐いていたし、最後は身体を張って悟飯を守っていた。おそらく悟飯にとって、カカロットが死んでいる間の、親代わりのようなものだったのだろう。直接手を下したわけではないが、彼は自分達が地球に行ったせいで、死んでしまった。謝って許されるとは思えなかった。取り返しのつかないことだからだ。フリーザの手で母親を失った身として、大事な人を失う痛みは、よくわかっていた。

 

 地球での戦いで私が勝っていれば、命を助けてあげたんだから、それくらいいいでしょうと言えたかもしれないが、最後に尻尾を切られて逆に殺されるところだったし、ちょっと苦しい。けどまた会いたい。

 

 

 ナッツは考える。いっそもう一度、地球を攻めてみようかと。

 

(悟飯! また地球を侵略に来てやったわ! 止めたければ私と戦いなさい!)

 

 これはなかなか良いんじゃないだろうか。うん、我ながら結構良い線行ってる気がする。

 

 もちろん本当に侵略なんかしない。力尽きるまで戦って、「今日はこのくらいで勘弁してあげる!」と言い捨てて、戻って傷を癒してまた地球へ向かう。今の戦闘力なら後回しにしていた惑星の攻略も可能だが、それよりもずっと早く楽しく強くなれそうだった。幸せな想像に、思わず頬が緩んでしまう。

 

(そうと決まれば、地球へ向かう前に、何かお土産でも買って行ってあげましょうか)

 

 自分がもらって嬉しいものといえば、やっぱり食料や戦闘服だろうか。いや頭が良さそうだったし、本とか図鑑が喜ばれるかもしれない。

 

 父親に髪を拭かれながら、幸せそうな顔をしている少女は、当の悟飯が現在ナメック星に向かっていて、今地球に向かえば行き違いになってしまう事など、全く知らなかった。

 

 

 そんな娘に向けて、父親が何気なく問い掛ける。

 

「それと肩の傷の方は、すぐに消せるそうだが、どうする?」

 

 言われてナッツは自分の左肩を見る。痛みが消えていたので気にしていなかったが、そこには肉食性の獣に噛まれたような傷跡が残っていた。大猿となった悟飯に左肩を噛み砕かれ、深々と牙の刺さった傷は、メディカルマシーンの治療によっても、完全に消しきれてはいなかった。

 

 見るだけで、胸が高鳴った。地球での最後の戦いの痛みと恐怖と、自分に向けてくれたぞくぞくするような殺意と、激戦の末の勝利の喜びが、昨日の事のように思い出された。少女は大切な物に触れるような手付きで、痛々しい傷を撫で、笑って言った。

 

「いいんです、父様。これは残します」

 

 それを聞いた医師が少女の後ろで目を剥き、変な子を見るような表情になった。

 

「そうか」

 

 娘がそう答えるだろう事は、薄々わかっていた。一人の戦士として、戦いの思い出を残したいという気持ちは理解できた。だがそれはそれとして、カカロットのガキはいつか絶対殺してやるとも思った。

 

 

 

 それから数分が経過するも、まだナッツの髪は乾かない。一般的に、サイヤ人は髪の毛の量が多い。ごく稀に例外はあるが、ナッツもその例に漏れず、跳ねながら肩まで伸びた髪はそれなり以上のボリュームがある。そして彼女は、父親に髪の毛を手入れされる、この時間が好きだった。少女は目を瞑り、安心しきった顔で、父親にその身を任せていた。

 

 その時、医務室の扉の向こうから、基地職員の男の声がした。

 

「先生ー、追加の薬品と人工皮膚持ってきましたー。開けますよー」

 

 未だ裸の娘の髪を拭きながら、ベジータが扉に掌を向ける。惨劇の気配を察した医師が慌てて叫ぶ。

 

「待て!! 開けるな! 絶対に入るんじゃないぞ! ベジータ様達がお取込み中だ!」

「! りょ、了解です!」

 

 男の逃げていく足音を聞きながら、ナッツは怪訝な顔で父親を見上げる。

 

「父様、別に入れても良かったのでは?」

「……ナッツ、少しは気にしろ」

 

 父親は額を押さえて呻く。娘の羞恥心が薄いのは、彼の悩みの種だった。基本的に裸で入るメディカルマシーンの仕様上、フリーザ軍では男も女も、下手に隠す方が恥ずかしいという風潮がある。彼も別段、自分がメディカルマシーンを使う時は周囲の目など気にしないが、娘が同じように堂々としているのは、やはりまずいと思うのだった。

 

「? 母様みたいな大人の身体ならともかく、子供の私なんて見ても仕方ないですよ。それに」

 

 くすりと、ナッツは子供らしく微笑んだ。

 

「何かあったら殺せばいいじゃないですか。今の私に勝てる奴なんて、この基地にはほとんどいないでしょうし」

 

 ベジータは内心ため息を吐く。そういう問題ではないと言いたかったが、上手く説明できる自信がなかった。確かに自分も殺して解決しようとしたが、やはり片親だけでは、教育が偏ってしまうのだろうかと、彼は悩んでいた。

 

 

 さらに数分後、3枚目のタオルでようやく髪の水分が抜ける。ドライヤーで仕上げを行い、気持ち良さそうな顔をしている娘の頭を撫でる。

 

「よし、終わったぞ。早く服を着ろ」

「はい、父様」

 

 ベジータが準備した戦闘服は、ナッツが以前着ていたのと同じ物だった。地球での事もあり、本当はもう少し防御に優れた形状のものを買いたかったのだが、それで万が一娘に嫌な顔でもされたら、彼は自責のあまり憤死する自信があった。

 

 ナッツは父親から戦闘服一式を受け取り、アンダースーツから着け始める。再生した時のために、きちんと尻尾用の穴を開けてくれている、父親の心遣いが嬉しかった。そういえば尻尾と言えば、肝心な事を忘れていた。少女は気を遣いながら言葉を紡ぐ。

 

「ところで、父様の尻尾は……?」

「……まあ、そのうち生えるはずだ」

 

 つまり、いつになるか判らないという事だ。ナッツの表情が曇り、目に不穏な光が宿る。

 

「……父様の尻尾を切った奴、あの時殺しておけば良かったです」

「そうだな。だが、あの状況なら仕方ない」

 

 次に地球に行く時のお楽しみだ、とベジータは笑い、そうですね、と娘も微笑む。入院中のヤジロベーは寒気を感じ、悟空の隣のベッドで大きなくしゃみをした。

 

 

 

 少女がいつもの黒い戦闘服に身を包み、最後にスカウターを着けた時、後ろを向いていた医師が口を開く。

 

「ナッツ様、お身体は大丈夫ですかな? あれほど大怪我をされたのは初めてですから、私としても心配で」

「うん、大丈夫みたい。ありがとう」

 

 ナッツは自然な感じで、医師に向けて微笑んだ。彼は目を見開き、本気で驚愕した。

 

 この少女が、父親以外の者に笑いかける姿など、長らく見た覚えが無かった。母親が任務で亡くなる前、両親に付いて歩いていた頃は、確かによく笑う子供だったが。不意に目頭が熱くなったのを誤魔化すように、医師は言葉を続ける。

 

「ナッツ様、少し、明るくなられましたかな。地球で何か、良い事でもあったので?」

「ふふ、それはね……」

 

 とっておきの楽しい秘密を打ち明けるように、口を開いた少女の言葉を、父親が遮った。

 

「ナッツ、その話はまた今度でいいだろう」

 

 不機嫌そうなベジータの声に、医師はこれ以上聞くなという意図を察知し、頭を下げた。その顔に密かな笑みを浮かべながら。

 

 

 ベジータは娘と医務室を出ようとした所で、気になった事を医師に尋ねた。

 

「ところで、フリーザの奴はどうしてる?」

「確か、他の星に行かれましたな」

 

 それを聞いたナッツが、不満そうな顔になった。

 

(もうこの星が飽きたの? 父様達と私が苦労して攻略した星なのに……)

 

 確か2年ほど前、地球への旅で長期睡眠をしていた彼女にとっては1年前の話だ。この星は経済的に発展していて、金に飽かせて最新型の兵器を揃え、強力な傭兵を大勢雇っていた。どうにもできず二人で交互にパワーボールを使ってごり押しした覚えがある。終わってからも連続して月を作った反動で疲れが取れず、一週間は父親に看病されながら寝込んだものだ。

 

 一方ベジータの方は、宇宙船の発着場へと歩きながら、内心ほくそ笑んでいた。

 

(フリーザの奴がいないなら好都合だ。気付かれないうちにナメック星に向かい、ドラゴンボールで不老不死を手に入れてやる!)

 

「オレはナメック星に向かうが、お前はどうする?」

「そうですね……」

 

 少女は悩んでしまう。父親に付いて行きたい思いはあるが、悟飯のいる地球行きも捨てがたい。難しい問題だったが、悩んだ末に決断する。

 

(父様とは地球へ一緒に行ったし、ナメック星に行っても、悟飯と戦う以上に戦闘力が上がるとは思えないのよね……)

 

 ごめんなさい、父様、私はちょっと地球に用事が。そう言って地球に向かった少女が少年に会えず、歴史から置き去りにされる2秒前。

 

 

「よう、ベジータ。地球ではえらい目に遭ったそうじゃないか」

 

 戦闘服を着た、紫色の肌の男。キュイが声を掛けてきた。

 

 

 

 少女は父親と話すキュイを、蔑むような目で睨んでいた。父親と戦闘力が近いだけでライバル扱いされて、生意気な口を叩く目の前の男の事が、ナッツは以前から気に入らなかった。

 

(私達がいつでも月を作れる事を知らない愚かな奴。あなたなんて、地球に行く前の私でも、いつでも殺せていたのよ)

 

 何か言ってやろうと思ったが、そこで少女は、普段から自分の腰にあったものが無い事に気付き、はっと目を見開く。

 

(そういえば今、尻尾が無いんだったわ……!)

 

 変身できなければ、向こうがその気になれば一方的に殺される。その事実に、額から一筋の汗が流れた。

 

 

 父親の後ろに隠れながら威嚇の声を上げるナッツを、変な子を見る目で見ながら、キュイは話し続ける。

 

「フリーザ様は、ナメック星に向かったそうだぜ。お前の情報のおかげで永遠の命が手に入るとご機嫌だったな」

 

「な、なんだと……!!」

「なんですって……!!」

 

 二人は驚愕する。フリーザが永遠の命を得るという事は、殺せなくなってしまうという事だ。

 

(母様の仇が討てなくなってしまう……!)

 

 ナッツは歯噛みする。絶対に止めなければならなかった。

 

「行くぞ!」

「はい、父様!」

 

 そして彼らは走り出す。背後で叫ぶキュイを無視して、発着場を駆ける。驚いた顔で、それでも少女へ声を掛け、手を振る整備員達に一瞥もくれず、既に整備の終わっていた複座型のポッドへと乗り込み、ナメック星へと飛び立った。

 

 

 

 ナメック星へと向かうポッドの中、隣り合わせの座席に、父親と娘が並んで話している。

 

「オレはドラゴンボールで不老不死になるつもりだ。フリーザの野郎がどれだけ強くても、死なずに何度でも食らいついていけば、いつかは倒せるはずだからな」

 

 父親の言葉に、ナッツは目を輝かせる。不老不死。つまり、父様が絶対にいなくならないという事だ。その上フリーザまで倒せる。

 

「いい考えだと思います!」

「その為には、先に行ったフリーザ達を出し抜いて、ボールを集める必要がある」

 

 最悪の場合でも、フリーザが不老不死を得る事だけは阻止する必要があった。その為に、ボールの破壊も視野に入れる事を娘に説明する。だがどちらにせよ、今から行おうとしている事はフリーザに対する、完全な敵対行為だった。自分一人なら、フリーザ軍を敵に回そうとも生きて行けるが、まだ幼い娘まで巻き込んでしまう事は躊躇われた。

 

 

「……そうなったら、もうフリーザ軍には戻れないが、いいのか?」

「はい、父様。フリーザはいつの日か、私達サイヤ人の手で死ぬべきです」

 

 ナッツは迷わなかった。例え今は敵わなくとも、フリーザを生かしておく道理が無い。母親を失った日から、少女の心には、復讐の炎が燃えていた。

 

 彼女の声は、憎悪に満ちていた。黒い瞳は、子供とは思えないほどの、暗い光を湛えていた。見ていられなくて、目を背けたくなったが、それではなお娘が哀れだから、彼は痛みを堪えながらも目を逸らさない。

 

 

 父親は思い出す。まだ母親が生きていた頃の、幸せそうな娘の笑顔。憎らしい事に、地球で悟飯とかいう、カカロットのガキと話していた時の笑顔は、限りなくそれに近いものだった。彼女の母親が死んだ今、彼は残された娘の幸せを望んでいたし、そのためなら、何だってするつもりでいた。

 

 フリーザへの復讐は、命に代えてでもオレがやるから、お前は好きに生きていいと、そう言ってやりたかった。だが今の彼が娘に用意できるのは、血塗られた復讐へ続く道だけだった。だからせめて彼女が生き残るために、できるだけの事をしてやろうと思った。

 

 

「ナメック星に着くまでの間に、お前に教えておきたい事がある」

「何ですか、父様?」

 

「戦闘力のコントロールだ」

 

 ナッツは驚いてしまう。少女にとって、それは魔法のような言葉だった。そんな事ができるなんて、思ってもいなかった。だけど父様が言うのなら、きっとできるのだろう。凄いと思った。ナッツは尊敬の目で、父親を見上げて、明るい声で言った。

 

「はい、お願いします!」

 

 娘のその笑顔に、父親は慰められたような気がして、頬を緩めた。




 ナッツ視点。宇宙船発着所での父親の問い。

→ナメック星に行く
 地球に行く

 ナメック星行きか時間切れで通常ルート、地球行きを選んだ場合、悟飯の行方をスカウターを頼りに聞きまわってチチに出会って、

「あなたが悟飯のお母様?」
「悟飯ちゃんの友達だか!? お母様だなんて、そんな呼ばれ方したの初めてだよ……!」
 
 って気に入られて食事出してもらったりお風呂入れてもらったり。

「悟空さ達が戻るまで、うちにいるといいだよ!」
「そうですね……」

(ナメック星に行ってもまた行き違いになるかもしれないし、食べ物美味しいし……)

 で1週間後くらいに悟飯達がいきなり戻ってきて事情を聞いて、

「何かスッキリしないけど、まあフリーザが死んだのなら、それでいいのかしら……」

 ってなってGOODEND1つ回収です。


 というわけでお久しぶりです。

 結構時間が空きましたが、ナメック星編の第1話です。文字数の割にスローな展開ですが、ナメック星編の土台とも言えるパートですのでしっかり書きました。さすがに次からは、もう少し早い展開になると思います。

 やっぱりサイヤ人といえばメディカルマシーンだと思うので、書きたかった話の一つです。ベジータもバーダックも入ってましたし。惑星攻略の仕事に出ているサイヤ人は羞恥心が薄いイメージがありますので、ナッツはああいう感じになりました。まあ恥ずかしがっていても、それはそれでおいしいと思いますが。

 あとこっそりサイヤ人編の1~4話を編纂しました。話の流れは変えてませんが、1話は冒頭に過去話を入れたのと、2話はナメック星編で使いたいピッコロさん絡みの描写を入れましたので、よろしければ見ておいていただけると、後の話がより楽しめると思います。

 第2話以降の話も最後まで考えていますので、少しずつ書いていきます。時間は掛かるかもしれませんが、彼女の物語を途中で投げ出すような事はしませんので、どうか気長にお待ちください。


 それと長らく投稿していない間も、お気に入りの数が少しずつ増えていくのが嬉しくて励みになりました。変わった話だと思いますが、読んで気に入ってくださった方々、本当にありがとうございます。


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2.彼女がナメック星に降り立つ話

 ベジータとナッツが出発してから約2週間後、二人を乗せた複座型のポッドは、ナメック星の近くまで迫っていた。

 

「むう……」

 

 少女は自分の席から離れ、父親の膝の上で、ナメック星についての資料を読んでいた。ドラゴンボールについて調べていたベジータが、以前から集めていたものだ。

 

 大気は呼吸可能。月は無し。3つの太陽によって常に昼の状態。過去の大災害で人口のほとんどが死に絶え、今は100人前後のナメック星人達が暮らしている。機械の類を全く使わず生活しており、文明レベルは低いと考えられる。

 

 ナッツは何度も読み返した内容に、改めてため息を付く。

 

「つまらない星ですね、父様」

 

 要するに、攻めても得る物の無い星という事だ。文明レベルが低ければ、略奪する価値のある物もない。人口が100人程度では労働力にもならない。資源はあるかもしれないが、わざわざ自分達で探すよりも、あると判明している星から奪う方が効率が良い。今までフリーザ軍の標的になっていないのも、頷ける話だった。

 

 

「だからこそ、ドラゴンボールを隠すには、うってつけの場所という事だ」

 

 ベジータは娘の頭を、ぽんぽんと軽く叩く。意図を察したナッツは、ひらりと猫のように膝から離れ、宇宙船の床に下りる。

 

「降りる前に、訓練の成果を確認するぞ。戦闘力を限界まで下げてみろ」

「はい、父様」

 

 少女は眠るように目を閉じ、ゆっくりと呼吸し、心を鎮めていく。自分の身体を流れる力を、全て内側へ収めることをイメージする。ベジータのスカウターに表示される娘の戦闘力が見る間に落ちていき、100を切ったところで停止する。ナッツはしばらく目を瞑りながら唸り続けるも、やがて諦めて目を開き、恥ずかしそうに父親を見上げた。

 

「すみません、父様。今はここまでが限界です……」

「まあ十分だ。この数値なら直接姿を見られない限り、まずお前とはバレないだろうからな。ここからは練習も兼ねて、できるだけその状態を維持しておけ」

 

 

 ベジータは満足そうに娘の頭を撫でたが、ナッツは浮かない顔をしていた。

 

「どうした? オレも似たようなものだし、たった2週間でこれなら上出来だろう」

 

 大事なことだと思ったので、少女は口を開き、地球での経験を語った。 

 

「地球で悟飯が、スカウターに映らなくなった時があったんです。姿も見えなかったから死んだと思ったんですけど、いきなり後ろから尻尾を蹴られて」

 

 それを聞いたベジータは重々しく頷き、言った。

 

「よし、殺そう」

(何? 奴らは戦闘力を0にできるのか……)

 

 思わず内心と言葉を逆にする父親に向けて、慌てた娘が釘を刺す。

 

「駄目です父様。私の獲物なんですからね」

 

 急に機嫌の悪くなった父親をなだめながら、ナッツは思う。私も上達すれば、あれと同じ事ができるようになるのだろう。死んだと思わせて不意打ちするのは、スカウターに頼る相手にはとても有効だ。戦闘力以外の面でも悟飯に負けないよう、もっと頑張ろうと決意した。

 

 

 

 飛翔するポッドはさらにナメック星へと近付いていく。緑がかったその惑星の、大陸と海の形まで、既にはっきりと見える距離だ。

 

「では次だ。スカウターを外して、まずフリーザの居場所を探ってみろ」

「はい、父様」

 

 ポッドの窓から惑星を見下ろしながら、意識を集中する。それほど難しくはなかった。惑星の一点に、この距離からでもはっきりとわかる、明らかに巨大で、ビリビリとした嫌な感じの気配があった。

 

(こいつは間違いなくフリーザね。父様とも比べ物にならないほど強い……)

 

 ビリビリとした感じは父親の気配からも発せられていたが、そちらは嫌な物とは思わなかった。むしろこれが父様の気配だと思うと、温かくて安心できるものだと感じた。

 

「あれですよね、父様」

「そうだ。まずは奴から離れた場所に着陸するぞ」

 

 ベジータはポッドを操作し、着陸地点を入力する。ナッツが席に戻り、身体を固定する。すぐにポッドはナメック星の大気圏へと、勢いのまま突入し始めた。

 

 

 大気との摩擦で赤熱するポッドが、轟音と共にナメック星の大地へ突き刺さる。そしてポッドが開き、ベジータと、黒い戦闘服姿のナッツが降り立った。

 

 少女は初めて降り立った星の様子を、興味深げに見渡した。宇宙から見たとおり、緑色の星だと思った。木々はあまり生えていないが、大地のほとんどは緑色のコケのような植物で覆われている。海すらも緑色に近い気がした。そして見える範囲に、村やナメック星人達の姿はない。

 

「ナッツ。フリーザの周囲の反応を探ってみろ。近付いた分、もっと詳しくわかるはずだ」

「はい、父様」

 

 少女は先ほど感じたフリーザの気配を意識し、今度はその近くを探ってみた。大きな反応が2つ。そして周囲に、ナッツよりも弱い10数個の反応があったが、それらは次々に消えている。ナッツは気配を感じた方向を指差し、少し考えてから、その内容を口にした。

 

「まず、あちらの方角にフリーザがいます。傍にいる大きな2つの気配は、たぶんザーボンとドドリアですね。奴らの手で、ナメック星人達が殺されているんだと思います」

 

 父親は満足そうに頷き、娘の頭を撫でた。ナッツの読みは、彼の考えていた内容と同じだった。

 

「上出来だ。さすがオレの娘だな」

「いえ、凄いのは父様の方ですよ」

 

 ナッツは心の底からそう思っている。スカウター無しで相手の力と居場所を探るなんて、父様が教えてくれなければ、一生思いつきもしなかったと思う。

 

(細かい戦闘力まではわからないけど、本当に便利な能力だわ。大猿になった時にも使えそうだし)

 

 少女は口の端を歪めて笑う。変身している間はスカウターが使えないのが不便だったが、この能力があれば、こそこそ怯えて逃げ隠れする奴らを、簡単に見つけて殺せるだろう。

 

(……まあ、今は尻尾が無いんだけどね)

 

 ナッツは気落ちした顔でため息を吐く。ちょうど今、試すのにちょうどいい相手が向かってきているというのに。

 

 少女は空を見上げる。まだ何も見えなかったが、その気配は、ナメック星に降りる前から感じていた。やがて空の一点に赤く燃える小さな球が現れ、空気を裂く音と共に、見る間にその大きさを増していく。ベジータも顔を上げ、不敵な顔で笑っている。彼らの後を追ってきた、キュイの宇宙船だった。  

 

「さて、こそこそ付いてきたハエを、迎え撃ってやるとするか」

「……そうですね、父様」

 

 

(せっかく目障りなキュイを殺しても良い状況なのに、父様に任せるしかないなんて……)

 

 あまり元気の無い娘を見たベジータは、良いアイデアを思いつき、ニヤリと笑って、遥か上空のポッドを指差した。

 

「ナッツ、ちょっとしたゲームだ。あれを撃ってみろ」

「えっ!?」

 

 少女は驚く。遠くに見えるただでさえ小さなポッドは、落下する隕石のような速度で地面に迫っている。

 

「父様、さすがに難しいです……」

「奴の戦闘力を感知できる今なら、より正確に狙えるはずだ」

 

 その言葉に、ナッツは真剣な目でポッドを見る。父様が言うのならできるはずだ。確かにキュイの気配で、単に目で見るよりも、ポッドの位置が正確にわかる。動きは速いが、着陸直前なら真っ直ぐに落ちるだけだ。後はポッドに当たる位置に、攻撃を置いておけばいい。掌をかざして狙いをつけた所で、少女はある事に気付く。

 

(ポッドって、結構頑丈なのよね……)

 

 星を強襲する戦闘員を送り込む為のポッドは、着陸前に破壊されないよう、かなり堅牢に作られている。自分も任務で惑星を攻める際、それに何度も救われていた。内側からならともかく、外から壊すには、この程度では足りないだろう。ナッツは両手を組み合わせ、ギャリック砲の構えを取る。見ていた父親は、娘の判断と、自分が教えた技を使いこなしている事に、満足そうに頷いた。

 

「そこっ!」

 

 少女の手から放たれた赤色のエネルギー波が、キュイの乗るポッドに直撃し、空中で爆発させた。飛散し、ぱらぱらと地面に落ちていく焦げた残骸を見上げながら、ベジータが手を叩き、大笑する。

 

「いいぞナッツ! 良い気味だ!」

「はい父様! スッキリしました!」

 

 はっはっは、と明るく笑う親子の前に、当のキュイが墜落するように落ちてきた。地面に膝をついて呻き、全身から小さく煙をあげている。爆発に巻き込まれ、それなりのダメージを負っているようだった。

 

 少女は呻く男を見下ろし、くすくすと笑う。

 

「あら。災難だったわね、キュイ」

「て、てめえら……!」

 

 ふらつきながらも立ち上がるキュイの前に、余裕の笑みを浮かべたベジータが立ちはだかる。

 

「フリーザに言われてオレ達を追って来たんだろうが、運が無かったな。だが今オレは面白いものが見れて良い気分なんだ。せめて苦しまずに殺してやる」

「ちくしょう……!」

 

 

 屈辱に震えていたキュイが、突然二人の後ろを指さし、叫んだ。

 

「あっ!! フリーザ様!!!」

 

「何っ!?」

「えっ!?」

 

 二人は思わず後ろを振り向くが、そこには誰もいない。

 

「ちょっと! いないじゃない!」

 

 怒りのままに再び前を見たナッツの目に、自分を目掛けて巨大なエネルギー波が迫る光景が映った。迫りくる死を前に呆然とする少女の前に、見慣れた後ろ姿が割り込んだ。

 

「父様!!」

 

 ナッツの叫びとほぼ同時に、大爆発が巻き起こる。爆心地に向けて、キュイはさらに力の限りエネルギー弾を連打する。連続する爆発音と共に、爆炎がさらに大きく膨れ上がる。

 

 

 やがて爆炎が消えた後には、直径10メートルほどのクレーターができていた。それを見たキュイが、大きく息を吐きながら笑う。

 

「こんな手に引っ掛かるとはな! 馬鹿な奴だぜ! 娘を庇わなければ、避けられてたかもしれないってのによ!」

 

「ほう。ずいぶんご機嫌じゃないか、キュイ」

 

 後ろから聞こえた声に、キュイは固まった。おそるおそる振り向くと、死んだはずのベジータが、娘を片手で抱いて、無傷の状態で立っていた。

 

「ば、馬鹿な! あのタイミングで間に合うはずが!?」

「どうせてめえはナッツを狙って来るだろうと、最初から読んでいただけだ」

 

 優しく娘を地面に下ろした父親の表情が、一変して憤怒の色に染まる。  

 

「そして、このオレ様を完全に怒らせやがったな……!!!」

 

 怒りと共に解放された気が激しく吹き上がり、ベジータの周囲の地面を抉る。直後、キュイのスカウターが爆発した。

 

「ひ、ひぃっ!?」

 

 キュイはとっさに飛んで逃れようとするも、一瞬で追いつき間合いを詰めたベジータの拳が、腹部を貫通する勢いで突き刺さる。声すら出せず苦悶しながら上空へ吹き飛ぶキュイに、揃えた2本の指が向けられる。指先から不可視のままに放たれたエネルギーがキュイに直撃し、その身体が大きく痙攣したかと思うと、負荷に耐えきれず弾け飛んだ。ベジータは不敵に笑いながら言い放つ。

 

「汚え花火だ」

 

 

「凄いです! 父様!」

 

 キュイを瞬殺した父親の姿を、ナッツは憧れの目で見上げていた。やっぱり父様は凄いと思う。全てのサイヤ人の頂点たる王族で、そして優しい自慢の父親なのだ。私も強くならないと。キュイ程度の奴にいいようにされていて、足を引っ張るようでは、フリーザを倒すなんて夢のまた夢だ。もっと強くなりたい、と改めて思った。せめて父様に、心配を掛けずに済むくらいに。

 

(その為には、もっと戦って戦闘力を上げないとね。手頃な相手がいればいいんだけど)

 

 ナッツは集中し、できるだけ広い範囲の気配を捜索する。かなり遠くだが、ナメック星人の村らしい反応があった。そこそこ大きな気配がいくつか混じっている。戦闘力でいうと3000前後だろうか。ナッツはスカウターでも数値を確認し、自分の感覚が外れていなかったことに微笑む。地球に行く前の自分では厳しかったが、今なら十分楽しめそうな相手と言えた。

 

 少女は降りてきた父親に、村の方角を指さしながら告げる。

 

「父様。あちらの方に、ナメック星人の村らしい反応があります。できれば私が戦いたいです」

「いいだろう。ドラゴンボールがあるかもしれないからな」

 

 

 ベジータも村の位置を確認しようとしたところで、二人は大きな気配がフリーザ達から離れていくのに気付いた。

 

「これって、ザーボンかドドリアですよね……」

 

 珍しい、とナッツは思った。あの二人がいつも揃ってフリーザから離れないのは有名で、フリーザ軍の基地の購買部には、二人を表紙に載せた本まであるくらいなのだ。内容までは知らないが、女性職員がこそこそと買っているのを見た事がある。

 

「わずかに小さい。こいつはドドリアの方だ」

 

 経験の差か、ベジータの方が気の大きさを、より正確に読み取れていた。そしてドドリアから逃げるように離れる気配が3つ。

 

「逃げたナメック星人でも追っているんでしょうか? ……っ!?」

 

 不意にナッツは気配の一つから、父親にも似た優しく温かいものを感じて困惑する。反射的に思い浮かべたのは、地球で戦った少年の顔。

 

(これって、悟飯の気配なの……?)

 

 有り得ない考えに、少女は頭を振る。いくらなんでも、そんな都合の良い事があるはずがない。

 

「行くぞ。ドドリアの奴を仕留めるチャンスだ」

「はい、父様」

 

 そして二人は、ドドリアと思しき気配の方へ飛び立った。

 

 

 

 

「でりゃああああ!!!」

 

 ドドリアの投げ落としたエネルギー弾が海面に着弾し、膨れ上がる爆発と共に周囲一帯の陸地を消滅させた。ドドリアは何も残っていない海面を見下ろして笑う。

 

「どこに隠れていたか知らないが、まあこれで死んだだろうな。しかしあのガキども、何者だったんだ……」

 

 そしてフリーザの元へ戻る途中のドドリアを、何者かが上から強襲し、脳天に蹴りを叩き込む。その身体が海中に落ち、高く水柱を上げた。突然の水中に呼吸もできず、ドドリアは必死に海面を目指す。そして岸に上がり、荒く息を吐く彼の前に、二人のサイヤ人が現れた。

 

「ずいぶん久しぶりだな。ドドリア」

「ベ、ベジータ……!」

 

 それにその娘。ドドリアは予想外の遭遇に一瞬驚くも、尻尾を持たない二人の姿を見て嫌らしく笑う。

 

「地球で尻尾を失ったって話は本当だったか……情けねえ様だな、ベジータ。地球で多少戦闘力を上げたらしいが、その代償は大きかったってわけだ」

 

「くっ……!」

 

 ナッツは目の前の男を、今すぐ変身して叩き潰してやりたい衝動に駆られていた。いつかこんな日が来ると、何度も想像してきたことを実現する絶好の機会だというのに、それができない今の自分の無力さが、彼女を酷く苛立たせた。

 

 一方ベジータは挑発に乗らず、淡々と言葉を紡ぐ。

 

「で、それが貴様の最後の言葉ってわけだ。ザーボンと離れたのは失敗だったな」

 

「調子に乗りやがって……!」

 

 ドドリアは怒りに震えるも、すぐに笑みを取り戻す。

 

 

「どうだ。フリーザ様を裏切ったてめえらはどの道終わりだ。だが、今すぐそのスカウターをよこせば、命ばかりは助けてやるよう、このオレ様から取り成してやってもいいんだぜ?」

 

 ベジータはその言葉で彼らの事情を察し、傍らの娘を示して不敵に笑う。

 

「あいにく、オレのスカウターはこいつの撮影専用でな」

「この親馬鹿野郎が……! ふざけやがって!」

 

 ドドリアはナッツの方を睨み、脅すように叫ぶ。

 

「なら、お前のをよこしやがれ!」

「そんなにこれが欲しいの?」

 

 そこで少女は、ドドリアがスカウターを着けていない事に気付く。ドドリアの性格からして、無ければ他の兵士から奪ってでも着けるはずだ。それもせず、わざわざ欲しがるという事は、もしかしたら。少女は冷静に思考を組み立てながら、言葉を紡ぐ。

 

「こんな量産型のスカウターに必死ね。まあ全部壊れてしまったのなら、仕方がないのかしら」

「てめえ、何でそれを!」

 

 今お前が喋ったからよ。ナッツは内心で、彼の短慮をあざ笑っていた。

 

「そう、わかったわ」

 

 愛想よく微笑みながらスカウターを外すナッツ。にやけながら手を伸ばすドドリア。

 少女は外したそれを地面に落とし、即座に踏み砕いた。

 

「なっ!? こ、このガキ……!」

「お前達なんかに、これ以上何一つ渡すものですか」

 

 凛とした口調で宣言する。夜のような黒い瞳が、目の前の男を鋭く射抜く。その姿が一瞬彼女の母親と重なった事に、ドドリアは苛立ち、思わず言葉を口にする。

 

 

「あの女、やっぱり他のサイヤ人共と一緒に、殺しておくべきだったんだ」

「……っ! 母様の事なの!?」

 

 自分を馬鹿にした少女が取り乱す様子に、ドドリアは嫌らしく笑って言葉を続ける。

 

「ああそうだ。フリーザ様はベジータだけを生かすつもりでいたが、あの女はガキの頃から護衛とか言って、ベジータの傍を離れなかったからな。死にぞこないだからと見逃していたが、せっかく減らしたサイヤ人がまた増えやがった事に、フリーザ様はご立腹だったぜ。しかもそいつがベジータのような天才児ときたものだ」

 

 ナッツは自分の身体が震えているのを感じていた。昼間だというのに、まるで雨に打たれたように、身体から熱が奪われていくのを感じていた。母親が死んだあの日の情景が、感情が、心の中ではっきりと蘇る。乱れた呼吸を必死に整えながら、少女はかろうじて言葉を紡ぐ。

 

「……一つだけ答えて。3年前のあの日、私の母様に、お前達は何をしたの?」

 

 病状が悪化し、戦えないはずの母様が任務に出たと聞かされて、父様と駆けつけた時、母様は、既に冷たくなっていた。たった一人で、無数の敵を道連れにして。

 

 ドドリアを睨み付ける黒い瞳に、先ほどまでの力は無い。今の彼女はたった5歳の、母親を失った子供だった。

 

「ああ、別に大した事じゃない」

 

 ドドリアはにやにや笑いながら言った。

 

 

「激戦区のあの星に行かなければ、てめえのガキを殺すって言ってやっただけだ。あっさり死ぬかと思ったら、最後に一仕事してくれて助かった……っ!?」

 

 

 肉を貫く音と共に、ドドリアの目が見開かれ、口から血が溢れて言葉が止まる。瞬時に戦闘力を跳ね上げたベジータの手が、正面からその心臓を貫いていた。

 

「ひっ……!」

 

 致命傷を負ったことよりも、目の前の男の激烈な怒りと殺意が恐ろしかった。怯えるドドリアをさらなる衝撃と痛みが襲う。

 

「がっ……!?」

 

 背後に回り込んだナッツの手が、戦闘服を貫き、力を失ったドドリアの腹部に差し込まれていた。ドドリアからは少女の表情は見えない。だが続く声からは、凍えるような冷たさと、死の予感が感じられた。

 

 

 

「お前、母様を死に追いやったばかりか、その死を侮辱したわね」

 

 

 

 少女はありったけの力を手に集め、体内で爆発させる。内部からの衝撃で胴体が丸ごと消し飛び、ドドリアの身体はバラバラになって飛び散った。整った顔と身体に付着した残骸を見て、少女は淡々と呟いた。

 

「汚い花火ね」

 

 

 残骸を身体からはたき落としていたナッツは、父親が膝から崩れ落ちたのを見て、慌てて駆け寄った。

 

「父様! 大丈夫ですか!」

 

 どこか身体の具合でも、と続けようとした少女は、驚愕のあまり息を詰まらせる。父親の頬を涙が伝っていた。誇り高いサイヤ人の王族である父親の、そんな姿を見たのは、彼女の人生で二度目のことだった。父親は涙を流しながら、何かを繰り返し呟いていた。顔に耳を近付けて、聞き取れたのは、彼女の母親の名前だった。

 

「父様、私がいますから」

 

 少女は込み上げてくる悲しみに溺れながら、父親の手を握り、その背中を優しく撫でる。娘の自分では、決して母親の代わりになれないけれど、それでも彼女には、それしかできなかったから。

 

 

 

 そしてしばらくの時間が経ち、二人が言葉を交わして飛び去っていく姿を見て、隠れていたクリリン達が安堵の息をついた。

 

「見つからなくて良かったよ。生きた心地がしなかったぜ……」

 

 クリリンは身体の震えが、まだ収まらないのを感じていた。彼にとってはドドリアよりもベジータよりも、ナッツの方が恐ろしかったかもしれない。直接2度殺され掛けている上に、自分が止めを刺さなかったせいで、地球が滅ぼされてしまうところだったのだ。あんな奴らを出し抜いてドラゴンボールを揃えるなんて無理なんじゃないかと、クリリンは憂鬱な気分になっていた。早く悟空の怪我が治って、合流して来て欲しいと思った。

 

 そこでクリリンは、横にいる悟飯が、飛んでいくサイヤ人達の姿を見上げているのに気付いた。

 

「どうした、悟飯?」

「……あの子、あいつらにお母さんを殺されたって」

 

 悟飯の言葉に、クリリンは難しい表情になる。確かにそれだけなら同情に値するかもしれないが、彼女が大勢の人間を殺してきて、それを何とも思っていない事は、地球でのやり取りと、あの恐ろしい悪の気がはっきりと示している。あんな奴の事まで心配するなんて、優し過ぎて心配だと、クリリンは思った。

 

「……オレ達が気にする事じゃないさ。あんな奴らに関わらない方がいい」

 

 クリリンは気絶したデンデを抱き上げていた。ドドリアが爆発して死んだ瞬間、その衝撃の光景に耐えられなかったのか、意識を失ったのだ。家族である村人を殺された心労もあるのだろうと、クリリンは同情していた。

 

「行こうぜ、悟飯。この子を早く、安全な場所へ連れてってやらないと」

「そうですね……」

 

 そう応えながらも、小さくなっていく少女の背中から、悟飯は目が離せなかった。ナッツが悪い奴なのは間違いない。関わるべきではないという、クリリンさんの言う事が正しい。自分が何をしたいのかわからず、思考が混乱する。

 

 そもそも彼女は、初めて会った時から、訳のわからない変な子だった。地球を侵略に来た怖いサイヤ人の一人だったけど、自分に尻尾が無い事を心配してくれた。ピッコロさん達と戦って死にそうになったのに、楽しかったと笑顔でお礼を言っていた。ごろごろ寝転んで、一緒にいた彼女のお父さんと話をしていた。自分の強さが気に入ったから、戦いたいと言ってくるようになった。

 

 ピッコロさんが死んだ事を責めた時、私を殺せばいいと返されたのは、今でも納得していない。二人で戦うのに邪魔だからとクリリンさんを殺そうとして、酷い奴だと思ったけど、君なんかと戦いたくないと言ったら、いきなり泣き出してしまって、悪い事をしたような気分になった。それから自分と戦っている時の姿がとても楽しそうで、酷い怪我をしても嬉しそうで、そのくせいきなり殺そうとしてきて、悲しそうな顔になっていたのが嫌だった。

 

 算数は意外と得意そうだった。何とか勝って、危ないからとクリリンさんが殺そうとしたけど、自分のわがままで、それを止めてしまった。訳のわからないまま、それでも死んで欲しくないと、思ってしまったのだ。

 

 何故だろうと、悟飯は思う。彼女が同じくらいの歳の子供だったから? 形はどうあれ、自分に好意を持ってくれているから? 彼女がお父さんと同じサイヤ人で、どこか似ているところがあったから? いくら考えても、答えは出なかった。

 

 悟飯は彼女について、知っているようで、ほとんど何も知らなかった。彼女が自分と全く違う人生を歩んできた事は、はっきりとわかる。自分は家族を殺された事もないし、人を殺した事も、他の星を侵略したこともない。わからない事ばかりだけど、彼女のことを知りたいと悟飯は思った。殺す殺さないの最中でなく、落ち着いて話がしたかった。

 

 

 悟飯はナッツ達の飛んでいく先に、ナメック星人達の村があるのを感じていた。彼らもきっと、ドラゴンボールが目当てなんだろう。悟飯は地球で会った少女が、さっきの奴らと同じように、ピッコロさんにそっくりなナメック星人達を殺す姿が、ありありと想像できた。彼女は悪い奴だから、きっと楽しんで、笑いながらそうするのだろう。返り血に塗れたナッツの笑顔を想像して、悟飯は不意に胸が高鳴るのを感じた。

 

「……え?」

 

 いやいやいや。何だこれ。駄目だろうそれは。いけない事だ。自分は何を考えているのか。困惑しながら悟飯は、ふと気付いてしまう。つまり自分は、彼女が楽しそうに笑う姿を見たいのだ。

 

(えええ……?)

 

 自分の内に芽生えた感情を自覚した悟飯だったが、できれば人に迷惑を掛けない形で、笑って欲しいと思い直す。そして彼女が悪い事をしようとしているのなら、自分が止めなければならない。地球でそう言ってしまったし、そもそもピッコロさん達を生き返らせるためには、ドラゴンボールが必要なのだ。

 

「クリリンさん、ボク、あいつらの後を追ってみます」

「やめとけよ! お前に何かあったら、悟空やチチさんに何て言えば……」

 

 慌てて止めようとするクリリンだったが、悟飯の表情に、強い決意がみなぎっているのを感じて、思わず息を呑む。

 

「地球であの子に言ったんです。悪い事をしようとたら、ボクがやっつけて止めるって。それに、もしかしたら隙を見て、ドラゴンボールを手に入れられるかもしれませんから」

 

 クリリンは考える。確かにあの少女は、悟飯に対して強い執着を見せていた。自分では無理だが、悟飯一人なら、たとえベジータがいたとしても、殺される可能性は低いと思われた。それにここで悟飯を行かせないのは、ベジータ達が狙っているドラゴンボールを諦める事に等しかった。いくらボールを揃える事が難しくても、最初から諦めてしまうのでは、死んでいった仲間達に、申し訳が立たなかった。

 

 しかしだからといって、こんな子供を一人で行かせていいのかと苦悩するクリリンに、悟飯が声を掛けた。

 

「クリリンさんは、その子をブルマさんの所へ連れて行ってあげてください」

 

 気遣われたのだと、そう思って、クリリンは辛そうに口を開く。

 

「……悪いな、悟飯。正直、あのナッツって奴の気を感じるだけで寒気がするんだ」

「? ベジータさんに比べれば、そこまで悪い感じではないですよ?」

 

 確かにビリビリとした感じはするが、あれがあの子の気だと思うと、むしろ安心できると悟飯は感じていた。

 

「えっ」 

 

 クリリンが一瞬、変な子を見る目で少年を見る。まさかこれは、そういう事なのか。悟飯ちゃんが不良になっちまったと、チチさんが心配していた意味が、わかったような気がしたが、気を取り直して言葉を続ける。

 

「危なくなったら、すぐ帰ってこいよ」

「はい、ブルマさんによろしくお願いします!」

 

 そう言って、どこか生き生きとした様子で飛んでいく悟飯の姿を見ながら、ブルマさんと、あともしかしたら、チチさんへの言い訳も考えないとなあと、クリリンは苦笑していた。




 というわけでナメック星編の第2話です。
 ドドリアとの会話はサイヤ人編の頃からずっと温めてたシーンなので書けて良かったです。

 書いてみたら予想以上に重い雰囲気になったのですが、次の話はもう少し、明るい感じになるかなあと思います。じっくり書いてますので時間は掛かるかもしれませんが、よろしければ、どうか気長にお待ちください。


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3.彼女が村を襲う話

 ナメック星人達の村へ向かって二人が飛び始めてから、一時間ほどが経過していたが、ナッツはまだ父親の口数が少なく、いつもより元気が無い事を気にしていた。

 

(母様が死んだ時の事を、思い出してしまったのね……)

 

 正直、自分も気持ちが沈んでいる。せっかくの戦いの前なのに、こんな状態では存分に楽しめない。何か気分転換をしたかった。

 

 ナッツは眼下の海を見る。観光地とまではいかないが、この星の文明レベルからして、工業汚染の心配は無いだろう。少女は笑顔を作って、父親に声を掛ける。

 

「父様、戦闘服が汚れてしまいましたし、少し洗いませんか?」

「あ、ああ。なら、どこかに降りるか……」

 

 娘に話しかけられたにも関わらず、ベジータはどこか上の空といった様子だった。フリーザ軍の医師が見たならば、即座にメディカルマシーンでの精密検査を勧めるだろう異常事態だ。

 

「こっちです、父様」

 

 少女は父親の手を引き、飛ぶ速度を維持したまま高度を下げ、海面へと近づいていく。

 

「ナッツ、一体これは……」

「大きく息を吸ってください! 父様!」

 

 少女は肺いっぱいに空気を吸い込む。父親もそうしたのを確認すると、その手を引いたまま、一気に海中へと潜り込んだ。

 

 ベジータは突然の娘の行動に驚きながらも、彼の手を引くナッツに促され、周囲を見渡した。やや緑色の透き通った水の中で、海面からの光に照らされ、様々な種類の魚や生き物が、彼らの周囲を泳いでいるのが見えた。

 

 水の抵抗で、ややゆっくりになった速度で、彼らは輝く海の中を飛んでいた。魚の群れを追い越しながら、娘が振り向いて、楽しそうな笑顔を見せていた。まるで話にだけ聞いている、遊園地のようだと思った。

 

 息が続かなくなるまで潜った後、二人は海面へと上昇し、再び空に出る。彼らの身体や戦闘服の汚れも、顔に残った涙の跡も、すっかり洗い流されていた。吹き付ける風と暖かな陽の光が、濡れた身体をあっという間に乾かしていく。速度を落とさず飛び続けながら、少女は得意げな顔で父親を見る。

 

「どうですか父様! 汚れた時、私はいつもこうしてるんです!」

 

 さっぱりするし、早いし楽しいです、とナッツは続けた。ベジータは、娘が自分を慰めようとしてくれた事に気付いて笑う。父親として、いつまでも落ち込んでいるわけにはいかなかった。

 

 

 やがて村の近くに着いた二人は、高度を下げて、見晴らしの良い近くの丘へと降り立った。

 

「ナッツ。村の連中はお前に任せる。好きに暴れろ。オレはその間にドラゴンボールを回収する」

「はい、父様」

 

 少女は戦いへの期待に満ちた、獰猛な笑みを浮かべる。村からは戦闘力3000程の気配がいくつも感じられた。地球に行く前の自分なら、パワーボールを使わなければ厳しい戦力だったが、今の自分なら勝てるはずだ。ナッツは元からサイヤ人として、戦う事が好きだった。そして今は、彼らを殺して戦闘力を上げた分だけ、フリーザへの復讐に近づけるのだ。

 

「……ん?」

 

 その時ベジータは、何かの気配を感じた気がして、周囲を見渡した。戦闘力は感じられないが、多くの戦場を潜り抜けた彼の直感が、警鐘を鳴らしていた。

 

「どうしました? 父様」

「いや、気にするな」

 

 父様がそう言うのなら、大した事ではないのだろう。ナッツは隠れながら、村の様子を観察する。10軒にも満たない住居と、畑のみで構成された小さな村だった。牧歌的な風景だが、不穏なざわめきが、少女の耳をついた。多くの村人達が、何かを遠巻きにしているのが見える。

 

「あれは……!」

 

 ざわめきの中心、少女が目を向けた先に、二人組のフリーザ軍の兵士がいた。

 

 

 

「早くドラゴンボールを出しやがれ! この村にあるのは判ってるんだ!」

「出さねえと、このガキを殺しちまうぞ!」

 

 兵士の一人が幼いナメック星人を人質に取り、手に嵌めたエネルギー射出装置の銃口を突きつけている。

 

(あいつら、まだスカウターを持ってる……!)

 

 ナッツは想像する。あの二人はおそらく偵察役。偶然村を見つけて、自分たちの手でドラゴンボールを入手し、手柄を挙げようとでも考えたのか。

 

 人質に取られた子供が泣いていた。ナメック星人達は歯噛みしながらも、手が出せないでいる。彼らは全員が最長老の子供であり、血を分けた兄弟も同然なのだ。しかし、こんな卑劣な手を使う奴らにドラゴンボールを渡すわけにもいかず、状況は膠着していた。

 

 そして晴れた陽の下で、少女の耳にだけ、雨の音が聞こえていた。悲しみと怒りと、身体が冷える感覚がないまぜになって、呼吸が荒くなる。

 

 ナッツは星を攻略する過程で、子供も数えきれないほど殺してきたし、それについては、今この瞬間も何も思っていない。ただ今目の前で、フリーザ軍の奴らが、子供を虐げている姿に、どうしようもなく胸がむかむかしてならなかった。あの泣いている子供は、3年前の自分だった。

 

 

 動かない状況に、苛立った兵士の一人が手を振り上げる。

 

「このガキが痛い目を見なきゃ、わからねえようだなあ!」

「……っ!」

 

 幼いナメック星人が思わず目を閉じた次の瞬間、彼を拘束していた兵士の首が宙を舞った。首を失った兵士の身体が力を失って倒れ、拘束されていた子供が自由となる。恐る恐る目を開けた彼が見たのは、黒い奇妙な鎧を纏った少女の姿。凍えるような、冷たい声で告げる。

 

 

「子供を人質に取るのが、よほど好きなのね。お前達」

 

 

「き、貴様、ベジータの娘……」

 

 怯え後ずさる兵士の顔面に、跳躍したナッツの裏拳が叩き込まれ、頭の上半分を吹き飛ばした。

 言葉を失い、崩れ落ちる兵士に向けて言い放つ。

 

「喋って良いって、言った覚えはないわ」

 

 少女は倒れた彼らの身体に赤いエネルギー波を放ち、完全に消滅させた。

 その死体すら、残したくなかった。

 

 

「あなた、大丈夫?」

 

 ナッツはまだ震えているナメック星人の子供に、手を差し出した。彼は怯え、息を呑む。返り血を浴びた少女の姿は、彼を拘束していた兵士達よりも恐ろしく見えた。けどその声は先ほどまでと違って、とても穏やかなものだったから、おずおずと、差し出された手を握った。

 

 次の瞬間、村人達から歓声が巻き起こる。彼らはナッツの周囲に駆け寄り、次々に感謝の言葉を投げかける。

 

「何と言う強さだ!」

「よくぞ、この子を助けて下さいました!」

 

 ナッツはそんな彼らに困惑しながらも、悪い気はしていなかった。大勢の人々からここまで率直に感謝されるのは、彼女の今までの人生にない経験だった。思わず頬が緩んでしまったが、すぐに自分の目的を思い出す。

 

(……って、ドラゴンボール。父様を不老不死にして、フリーザの奴に復讐するのよ)

 

 頭を振って気持ちを切り替え、周囲の村人に向けて、冷酷なサイヤ人の顔で言い放つ。

 

「勘違いしないで欲しいわ。私もこの村に、ドラゴンボールが目当てで来たのよ」

 

 その言葉に、先の兵士達の狼藉を思い出し、静まり返る村人達。強張る彼らの顔を眺めながら、残酷な笑みを浮かべて宣言する。

 

「さあ、この村で一番強い奴を出しなさい!」

 

 そいつから殺してあげるから、と続けるつもりだったが、それより早く、先ほどよりも大きな歓声が巻き起こり、ナッツは思わず面食らってしまう。

 

「ちょっと、あなた達……?」

 

「力の試練に挑む旅人が現れた!」

「戦いの準備を!」

 

 村人達がやや遠巻きにナッツを囲み、あっという間に少女を中心とした直径10メートルほどの輪が完成する。戸惑うナッツに向けて、一人の大柄なナメック星人が進み出る。その姿を見た少女の背筋に、ぞくりと甘い震えが走る。

 

(こいつ、戦闘力が4000近い……!)

 

 思わぬ強敵に目を輝かせるナッツに対し、彼は無言のまま、感情の読めない顔で佇んでいた。

 その後ろに立つ年老いたナメック星人が、朗々とした声で宣言する。

 

「これなるは力の試練の番人! 戦闘タイプであるネイルには及ばぬまでも、ナメック星第二位の力自慢!」 

 

 村人達の歓声が上がる。番人と呼ばれた大柄なナメック星人が、無表情のまま、両腕を高く掲げてアピールする。

 

「ドラゴンボールを求めて試練に挑む旅人よ! 名乗るがいい!」

 

 期待を含んだ皆の視線が少女に集まる。

 あ、これってそういうマナーなのね、とナッツは思った。マナーならば、従わなければ失礼だ。

 

 村人達の輪の中に、いつの間にか参加している父親を見る。

 ここでマナーを破ったりしたら、私だけでなく、父様の名誉まで傷ついてしまうだろう。

 

 ナッツは胸に手を当て、王族っぽい高貴なポーズと共に宣言する。

 

「私の名はナッツ! サイヤ人の王子である、ベジータ父様の娘よ!」

 

 歓声と共に、少女の名前が何度も叫ばれる。父親も手を振り上げて娘の名を叫びながら、その光景の一部始終をスカウターで撮影し、同時にデータを宇宙船に送信して保存していた。数年後にこの映像を見せられ、羞恥のあまり絶叫するナッツについてはまた別の話だ。

 

 

「相手を輪から出すか、負けを認めさせれば勝利! また相手を殺めた場合、失格とする!」

 

 長老の宣言と同時、二人の戦士が地を蹴り、激突した。

 

「はああああっ!!!」

「ぬぅん!」

 

 最初に二つの拳が正面からぶつかり合い、大気が弾ける音と共に発生した衝撃波が村人達をよろめかせる。後方へと弾かれた少女は、両足で地を削って勢いを殺し、今の一撃で痺れた右手を軽く振った。

 

(戦闘力は私の方が上だけど、こいつはナッパと同じでパワー重視のタイプ。正面からだとやや不利かしら)

 

 油断ならない相手だと、ナッツは気分が高揚するのを感じていた。少女の身体を流れる戦闘民族の血が、歓喜に叫んでいた。

 

 ナッツの身体がぶれながら消え、一瞬後、番人の背後に現れて、その後頭部を蹴り飛ばす。番人は無表情のまま少女の足を掴もうとするも、その姿がまた消失し、今度は正面から腹部に拳の連打が叩き込まれる。

 

「ぬうっ!」 

 

 鍛えられた肉体のぶつかり合う音が響く。目視できない速度で攻撃を続けるナッツに対し、番人は防御を固めて攻撃を待ち構え、カウンターを狙っていく。

 

 少女の攻撃数発につき、番人が一撃を返す。重い打撃を紙一重で回避し、戦闘の興奮に酔いながら、ナッツは目の前の相手を、今はもう会えない、自分の知り合いと重ねていた。

 

 

 目の前の番人は、どこかナッパを思わせた。彼と本気で戦ったら、こんな感じになったのだろうか。思えば彼は子供の頃から、自分を優しく見守ってくれていた。それなのに、自分はそっけない態度をとってばかりだった。

 

 私はこんなに強くなったから、もう心配はいらないと、ナッパに言ってあげたかった。

 彼が死んでしまった事が、なぜか今頃になって、少し悲しく思えた。

 

 

「ぬおお!!」

 

 怒りを含んだ番人の叫びに、ナッツの思考が現実に戻る。その声はまるで、自分を見ろと言っているようだった。

 

 目の前に番人の大きな拳が迫っていた。ナッツは避けようとしたが、足が動かせない事に驚愕する。足元を見る。黒いブーツが、番人に踏み付けられていた。

 

 拳が直撃し、小さな身体が木の葉のように高く宙を舞う。観客と父親、そしてもう一人の悲鳴が上がる。

 

 落ちるナッツは空中で意識を取り戻し、身体を回転させて猫のように着地し、切れた口から流れる血を手の甲で拭う。身体がふらつくのを堪えながら立ち上がり、番人に対して頭を下げた。

 

「ごめんなさい。他の相手の事を考えるなんて、あなたに失礼な事をしてしまったわ」

 

 番人が無言で頷き、謝罪を受け入れたのを確認し、少女は歯を見せて、獰猛な笑みを浮かべた。

 

「お詫びにここからは、あなたの流儀に合わせてあげる……!」

 

 ナッツの戦闘力が、一瞬で限界まで上昇する。まだ戦闘力を下げる事は苦手だったが、上げる速度には自信があった。

 

 少女は力強く地を蹴り、正面から一直線に番人へと向かっていく。番人もそれに応え、大柄な身体に見合わぬ速度で走り出す。二人の拳が交差し、互いに相手の身体に直撃する。

 

「ああああっ!!!」

「ぬううう!!」

 

 叫びながら、彼らは再び互いに拳を構え、相手の身体へと叩き込む。互いにダメージを意に介さず、回避も防御もせずただ殴り合い続ける。それは二人の戦士の、意地と意地とのぶつかり合いだった。村人達が二人の名を何度も叫ぶ。父親の声が、少女の耳に、一際大きく届いていた。

 

 やがて十数回目の拳が交わされた後、全身を紫色の血で濡らした番人が、小さく笑った。

 

「お前の……勝ちだ……」

 

 大柄な身体がぐらりと揺れ、そのまま地面に崩れ落ちる。

 満身創痍のナッツは、全身から血を流し、大きく息をつきながら、同じように笑った。

 

「あなたも強かったわよ。私と戦ってくれて、ありがとう」

 

 

 長老が頷き、少女の手を取り、高々と掲げて宣言した。

 

「この勝負、番人の降伏により、ベジータの娘、ナッツの勝利とする!」

 

 わああ、と、大歓声が巻き起こる。父親が駆け寄って来るのを迎えようとして、ナッツは自分の足がふらつくのを感じた。戦いの高揚が収まるにつれ、ダメージと疲労が襲い来る。限界を超えた少女の身体がゆっくりと倒れていく。

 

 薄れていく意識の中で、ナッツは不用意に手傷を負ってしまった事を後悔していた。この星にはメディカルマシーンなど無く、フリーザ軍にも、もう戻れないというのに。

 

(とっても楽しかったけど、ちょっとこれ、やっちゃったかしら……)

 

 

 

 

 どのくらいの時間が経ったのか。ナッツは温かな、心地良い感覚の中で意識を取り戻した。目を開くと、ナメック星人の子供が、横たわる自分の身体に手を触れていて、その部分から温かな光の粒子が舞い、全身を優しく包み込んでいた。ぼんやりと心地良い感覚に身を任せているうちに、少女は身体の痛みがすっかり消えている事に気が付いた。

 

 少女はゆっくりと身を起こし、自分の身体を確認する。先ほどの戦いで負った傷がすっかり癒えて、体力も元通りになっていた。以前よりも、全身に力が溢れている気がした。ナッツは自分を心配そうに見つめる子供に質問する。

 

「この治療は、あなたがやったの?」

「はい。どこか痛む所はありませんか?」

 

 見ると倒れていた番人も、別の村人に癒され、起き上がっている所だった。

 

「大丈夫だけど、私が倒れてから、どのくらい時間が経ったの? あと父様は?」

「2.3分だと思いますよ。お連れの方でしたら、フリーザのメディカル何とかを襲う準備をすると仰ってましたが」

 

 父様は止めてこないと。それはそれとして、ナッツは戦慄する。たったそれだけの時間で負傷を治せる力の軍事的な価値を、彼女は正しく理解していた。それはナメック星人の一人一人が、どんな最新型のメディカルマシーンにも勝るという事だ。素早い治療が可能な上に、大きな機械よりも簡単に、どこにでも連れて行ける。

 

(価値の無い星なんてとんでもない! フリーザの奴がこんな力を知ったら、全員捕まえて奴隷にするに決まってる……!)

 

 それは当然、この幼いナメック星人の子供も例外ではないだろう。少女は彼の頭を撫でながら、優しい口調で告げる。

 

「ありがとう。けど、その傷を治す力を、他人の前で使っては駄目よ。悪い奴らに狙われるわ」

 

 頷く子供の姿を見ながら、悪い奴ら、どの口がそれを言うのかと、ナッツは内心自嘲していた。

 

 

 

 それから少女がフリーザの宇宙船へ向かおうとしていた父親を止めるなどした後。村人達と番人と父親が見守る中、長老らしきナメック星人が宣言する。

 

「力の試練を乗り越えた勇者に、ドラゴンボールを授ける!」

 

 長老の手で高く掲げられたドラゴンボールは、一抱えほどの大きさで、中に4つの星のマークが見えた。長老は幼いナメック星人にボールを渡し、少女の方を手で示して促す。彼はナッツの前まで歩き、輝く瞳で少女を見上げ、手にしたボールを差し出しながら言った。

 

「おめでとうございます、勇者様! それと先ほどは助けて下さって、ありがとうございました!」

「……どういたしまして」

 

 少女がボールを受け取ると、村人達が一際大きな歓声を上げ、喜びと祝福の言葉を口にする。 

 

「試練の番人が倒されるなど、何年ぶりのことか!」

「卑劣な輩ではなく、正しき者の手にボールを託すことができて良かった……!」

「勇者殿の願いが叶うことを、祈っておりますぞ!」

 

 自分に向けられる賞賛の声を聞きながら、少女は釈然としない思いを抱えていた。自分も結局、あのフリーザ軍の兵士と同じなのだ。あんな事さえなければ、私はきっとあなた達を殺していたというのに。真っ直ぐな感謝の念に耐えきれず、ナッツは村人達から目を逸らしながら、長老に向けて言った。

 

「さっき私が殺したあいつらは、ドラゴンボールを集めて不老不死を狙う悪党の手下よ。きっとまた来るわ」

 

「ええ、存じております。他の村からの連絡が次々に途絶えて、我々は村を捨てて隠れようと準備をしていたのですが、一足遅くあのような事に……。あなたが来て下さらなければ、この子を見捨てるか、ドラゴンボールを奴らの手に渡してしまうしかなかったでしょう」

 

 長老は深々と頭を下げる。これ以上は耐えられなかった。

 

「やめて。私は……!」

 

 正しき勇者なんかじゃない、そう言い掛けた少女を長老は素早く手で制し、小さな声で告げる。

 

 

「たとえあなた方が悪しき力の持ち主であろうと、あの子を救ってくれた事に、変わりはありますまい」

 

 

 少女は息を呑む。長老の目は、全てを見透かしているように見えた。ナッツは口の端を上げ、皮肉げに笑う。

 

「最初から、知ってたってわけね」

「誤解しないで頂きたい。あなたが相応しいと認めたから、私はドラゴンボールを託したのです」

 

 そうでなければ、壊していましたと長老は言い、そう、と少女は返す。

 

 ナッツは家から荷物を運び出している村人達を、物憂げな顔で見つめる。先ほどまで彼女を応援し、祝福してくれていた人々を。

 

 長老は少女の考えている事を察して言った。

 

「大体の者は、気付いておったでしょうな」

「……それでいいの?」

 

 いいのですよ、と長老は小さく笑う。 

 

「ここは力の試練の村。よほど邪悪な者でなければ、強い者が尊ばれるのです」

 

 ナッツはそれを聞いて微笑んだ。その言葉は、彼女の考え方とも合っていたから。それに応援してくれた村人達を、騙さずに済んだ事が嬉しかった。

 

 

 少女は改めて、楽しげな様子で、避難の準備をしている村人達を見る。彼らが持ち出しているのは、衣服や苗木のようだった。

 

「あの木があなた達の食料なの?」

 

「いえ、我々は水だけで生きられます。あのアジッサの木は、かつての緑豊かなナメック星を取り戻すために植えるのです」

「水だけで……!?」

 

 ナッツは驚く。つまりそれは、他の生き物を殺さずとも生きられるという事だ。彼らは他者と争い、奪わなくても生きていける、穏やかな種族なのだ。水だけでは栄養が足りないだろうから、きっと植物のように太陽の光も必要なのだろうけど、それならこのナメック星には3つもある。

 

 何でも叶えるドラゴンボールなんて物があったら、願いを巡って争いになるだろうと思っていたが、納得がいった。生きる為に必要なものが全て揃ったこの星で、彼らは多くを望まず、ひっそりと平和に生きてきたのだろう。

 

 奪って殺すだけのフリーザ軍や、サイヤ人とは全く異なる種族だった。ナッツは自分が戦闘民族である事に誇りを持っていたし、強い者が偉いという価値観を持ってはいたが、それでも実際に接してみて、彼らのような生き方も、尊重されるべきだと思った。

 

「欲の無い種族なのね、あなた達」

 

 

 微笑むナッツを見て、長老は考える。この者とその父親は確かに悪しき者ではあるが、それでも自分の気掛かりを、託せるのではないかと思えた。

 

「差し支えなければ、あなたが叶えようとしている願いを、教えてはもらえませんかな?」

 

 確かめる必要があった。願いがあまりに邪悪で身勝手なものなら、あの方に会わせるわけにはいかない。

 

「父様を不老不死にしてもらうの。フリーザを殺して、母様の仇を討つために」

 

 一瞬で、少女の声から温度が消える。瞳が濁り、穏やかだった表情が憎しみの色に染まる。

 

 その様子を見て、彼女の言葉に嘘はないと長老は確信した。復讐という目的は清廉潔白とまではいかないが、宇宙の支配や単純な私利私欲を願う者よりはましだろう。

  

 

「……あなた方に、最長老様の事を、お願いしてもよろしいですかな。ドラゴンボールにも関わる話です」

「最長老? 長老という事は、その人もドラゴンボールを持っているの?」

 

「はい。最長老様はドラゴンボールをお作りになられた方。またこの星の全てのナメック星人を、お産みになられた方でもあります」

「ええっ!?」

 

 ナッツは驚愕する。この星のナメック星人の数は、確か100人前後だという。その全員を?

 

「あなた達のお母様、凄い人なのね……」

「我々ナメック星人に、男女と言った区別はありません」

 

 その言葉に首を傾げる少女に向けて、長老は続ける。

 

「かつてこの星が異常気象に見舞われた時、ただ一人生き残った最長老様が我々を産み、ナメック星をここまで復興させて下さったのです。しかし我々が全て殺されてしまっては、最長老様のした事が無に帰してしまいます。我々はこれからバラバラに別れて気配を消し、このナメック星の各地に隠れるつもりです。そうして一人でも生き残れば、かつての異常気象の時と同じく、またナメック星は蘇るでしょう。だから心配はいらないと、最長老様に伝えて欲しいのです」

 

 長老にできる事は、それしかなかった。他の村の者達が死んでしまった事を、最長老様は悲しんでいるだろう。できれば自分の村だけでも全員を救いたかったが、それでナメック星人が全滅してしまっては、本末転倒だった。

 

「わかったわ。最長老という人に、その言葉を伝えてあげる」

「ありがとうございます。最長老様のお住まいは、あちらの方角です。村ではなく、護衛の者と二人で暮らしております」

 

 ナッツは示された方へ向けて、意識を集中する。とても遠くで、言われなければ気付くのは難しかっただろう。とても小さいが、不思議な感じのする気配。そしてもう一つの気配を感じ取った瞬間、少女の背筋に震えが走る。ザーボンやドドリアよりも、彼女の父親よりも、遥かに大きな気配だった。

 

「何これ……。この大きな気配も、ナメック星人なの!?」

「ネイルという戦闘タイプのナメック星人ですな。気難しい者ですが、この私、ツーノ長老からの言伝があると伝えれば、無下にはされないでしょう」

 

 少女はその言葉を聞いて安堵し、思わぬ幸運に内心微笑む。尻尾を失い、大猿になれない今の自分達では、たとえ自力で彼らの居場所を見つけたとしても、手が出せなかっただろう。

 

 

「何か他に、聞いておきたい事はありますかな?」

 

 長老からそう言われて、ナッツは先ほどから疑問に思っていた事を口にした。

 

「子供を作るのなら、二人生き残る必要があるんじゃないの?」

 

 男と女が一緒にお風呂に入ると子供ができるって、母様が言っていた。父様から一緒に入ろうと誘われた時、そう言って断ったら頭を抱えていたけれど、頭が良い子だと褒めてくれたのだ。

 

「我々は一人で、口からタマゴを産んで子供を作るのです」

「本当に、私達とは別の生き物なのね……」

 

 宇宙は広いと、改めて少女は思った。

 

 

 長老や試練の番人、助けたナメック星人の子供、それから他の村人達と記念撮影をした後、彼らに見送られ、手を振り返しながら、ナッツ達は村を後にした。陽はまだ高く昇っていたが、時刻はもうすぐ夕方であり、二人は歩きながら、休める場所を探していた。

 

「楽しかったか? ナッツ」

 

 はい、と反射的に答えた後で、少女は自分の言葉に驚いてしまう。

 

「……でも、あれで良かったんでしょうか? その、サイヤ人として」

 

 父様が一人だったら、彼らを皆殺しにしてボールを奪っていただろうし、私だって、同じ事をするつもりでいた。それがサイヤ人として、正しいやり方だ。

 

「じゃあ、今から戻って、あのナメック星人共を殺すか?」

「嫌です」

 

 ナッツは、はっきりとそう言った。彼らを殺したくはなかった。他の人間なら何百万人殺そうと構わないが、あの村人達を自分の手で殺すなど、考えたくもなかった。しかしそうした考えは、サイヤ人としてどうなのだろうかと、少女は悩み、その表情を曇らせる。

 

 ベジータは、そんな娘を見守りながら考える。サイヤ人である事に誇りを持ち、それに相応しく、凶暴かつ冷酷であろうとする娘のことを、彼はとても好ましく思っていた。が、そうした行動を続けた結果、サイヤ人は滅んでしまったのだ。

 

 惑星ベジータに、破壊神ビルスとその付き人が来た日の事を思い出す。サイヤ人達の無秩序な破壊のせいで、宇宙のバランスが崩れてしまったから、星ごと破壊しに来たと、奴は言っていた。スカウターに何の反応も無いにも関わらず、フリーザの何百倍、何千倍、いや、そんな尺度で表せないほどの絶望的な力を持っていると、はっきりと理解できた。

 

 見た者全員が怯えて動けず死を覚悟した中、彼の父親であるベジータ王だけが跪き、必死に饗応して許しを請い、かろうじて見逃されたあの日の事は忘れない。

 

 娘がサイヤ人らしく生きて力をつけ、仮にフリーザをも倒せたとして、その行く末に、いつか奴が再び現れるかと思うと。杞憂かもしれないが、その不安が彼の中にあった。

 

 父親は言葉を選びながら、ゆっくりと口を開く。

 

「ナッツ、そんなに悩む事じゃない。お前は自分の好きなように生きればいいんだ」

「父様、それは一体、どういう意味ですか?」

 

「言葉通りの意味だ。お前は立派なサイヤ人だが、だからといって、常に相手を皆殺しにする必要はない」

「はい。星を攻める時、少しは住人を残しておいた方が、高く売れる時もありますね」

 

 その辺りの匙加減を考えるのが面倒で、いつもつい全滅させてしまうのだが、ナメック星人のような価値のある宇宙人もいるのだ。これからはやっぱり、より上手な星の滅ぼし方を学ばなければならないという事だろう。

 

 納得したような娘の表情から、考えている事を何となく理解したベジータは、内心頭を抱えていた。微妙に違う、そうじゃない。

 

「ナッツ、お前はあの村の奴らを殺したくないと言った。それは決して悪い事ではないんだ。お前は殺したい時に、殺したい奴を殺せばいい。だが殺したくない奴まで、無理に殺そうとする必要はない」

「けど、父様、それは……」

 

 少女は思う。私は戦う事が好きだし、殺し合いも、星を滅ぼす事も好きだ。誰に強制されたわけでもなく、心の底からそう思っている。そんな自分が、相手を殺したくないなんて。そんな悟飯のような、優しい心を持ってしまってもいいのだろうか。

 

「だからといって、カカロットのガキのように、良い子ちゃんになる必要も無いんだ」

 

 近くの茂みが小さく揺れるが、父親の話に夢中の少女は、それに気付かない。

 

「ナッツ、オレはお前が好きなように生きて、幸せになってくれれば、それでいい。お前は何をしてもいい。好きなように助けて、好きなように殺せばいい。勝手だと文句を言う奴は、力で黙らせてしまえばいい。お前にはその力がある」

 

 お前は自由だと、父親は言った。少女はまだ戸惑っていたが、自分の好きな事をしてもいいと、自分を想って言ってくれている事は、はっきりと理解できたから、嬉しくなって、花が咲くように微笑んだ。

 

「ありがとうございます、父様。私なりに、いろいろと考えてみる事にします」

「ああ。やりたい事をやればいい。何だったら、これが終わったら、地球にでも住むか?」

 

 おどけたように、父様が笑う。それはとても魅力的な考えだったけど。

 

「……フリーザが死んでから、考える事にします」

「……そうか」

 

 やはりオレが不老不死を得て、いや、それが無理でも、いつか必ずフリーザを殺さなければならないと、父親は改めて決意した。 

 

 

 

「……で、いつまでそこに隠れていやがる」

 

 ベジータが近くの茂みへエネルギー波を撃つ。一瞬で茂みが焼失し、隠れていた少年の姿が露わとなる。それを見たナッツの顔が、ぱあっと輝いた。

 

「悟飯! やっぱりナメック星に来てたのね!」

「な、何で……?」

 

 気は完全に消していたはずなのに、どうして居場所がバレたのか。混乱する悟飯の頭を、ベジータは逃がさぬようがっしりと掴んだ。

 

「確かに戦闘力は感じられなかったが、不用意に何度も動いていたからな」

 

 それも決まって、娘が何か喋ったり活躍したりした時だ。要するに、自分と同じタイミングで身を乗り出していた。つまり、そういう事か。

 

 身を屈め、悟飯と目線を合わせたベジータが、笑顔で肩に手を回す。

 

「なあ、悟飯。生き残ったサイヤ人は、オレ達4人だけだ。仲良く話をしようじゃないか」

 

 それはとてもいい笑顔だったが、殺される、と震えながら悟飯は思った。




Q.村襲ってないじゃん。
A.先客いなければ襲ってたから……。(震え声)


 今回はかなりのオリ展開です。書いてるうちにツーノ長老の出番が3倍くらいに増えました。
 今後も結構オリ展開が続く予定なのですが、原作キャラの強さや性格はなるべくいじらず、不自然にならないように書いていきたいと思います。

 村を襲っていた二人組の兵士は、原作でナメック星に到着した直後に悟飯とクリリンに遭遇して返り討ちにされた人達です。
 原作では雑魚敵って感じで割と気軽に倒されてるんですが、この物語の話の流れで悟飯があっさり殺すのは何か違うなあと思ったので死因が変更されました。

 あと一応整理しておきますと、ナッツの母親が死んだのは3年前ですが、ナッツはその頃3歳で、今5歳です。サイヤ人編で地球に行く際に1年間眠っていて、その間は歳を取っていないのでこういう形になっています。ややこしい……。


 それとたくさんのお気に入り、評価、感想などありがとうございます。続きを書く励みになっております。

 投稿し始めた頃は「無理だと思うけど、お気に入りが200行ったらナメック星編も書こうかなあ」って思ってましたが、実際にはナメック星編を書いてたらお気に入りが200超えたので、感謝すると同時に何だか面白いなあと思っております。

 次の話はまあ、ちょっと甘酸っぱい感じになる予定です。
 投稿はゆっくりになるかもしれませんが、どうか気長にお待ちください。


【ツーノ長老】
 ドラゴンボールで唯一生き返れなかった村の人。
 サイヤ人編を書いてた頃の下書きではナッツにあっさり殺されていた。

【力の試練】
 原作でフリーザ様がムーリ長老に言ってたやつ。力比べや知恵比べなどがあるらしい。
 どこの村でどういう試練をやっていたかは原作で言及されていなかったのを良い事に、この話ではツーノ長老の担当ということになった。

【力の試練の番人】
 オリキャラ? いいえ、原作キャラです。あの村にいたあの人ですよ。
 まあベジータにコマ外で殺されていたかもしれませんが。


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4.彼女が彼と話す話

 最初に拳が振るわれたのは、悟飯との会話が始まってから十数秒後の事だった。会話の内容は覚えていない。とにかくこいつを殴りたかったのだ。

 

 

「まずこれは、オレの娘を誑かした分!」

 

 

 悟飯を殴り付けながら、ベジータは回想する。母親を亡くしてから、笑う事の少なくなった娘に、自分は何をしてやれるか考えていた。今は自分が見てやれるが、一生父親にべったりというのは、やはり良くないと思っていた。生まれつきの病気で弱り、死に向かうだけだったあいつが、自分の前では、とても幸せそうだったから。娘にも、似合いの相手を見つけてやりたかったのだ。

 

 

「そしてこれは、娘を傷付けてくれやがった分!」

 

 

 さらに殴る。できるなら相手は同じサイヤ人が望ましかったが、ラディッツは戦闘力に難があり、ナッパは歳が離れすぎている。惑星ベジータが消滅し、生き残りが数名になった時点で、サイヤ人という種族は実質既に滅んでいる。混血によって数だけなら増やす事はできるかもしれないが、血は薄れていく一方だろう。だから娘が選んだ相手なら、受け入れるつもりでいた。

 

 

「ナッツの大事な尻尾を切ってくれやがった分!」

 

 

 力を込めて殴る。そこに現れたのが、ラディッツに痛手を与えたカカロットの息子だ。年齢も近い。地球人との混血という話だったが、黒目黒髪に高い戦闘力、それに尻尾まで生えたのだから、肉体的には、ほぼサイヤ人に近いのだろう。娘は奴を気に入ったようだったし、奴の方も、まんざらではなさそうだった。

 

 地球に行って奴と会ってから、ナッツは見違えるほど明るくなった。娘の幸せのためには、良い事なのだとわかっている。わかってはいるが。

 

 

(だが、なぜオレの可愛い娘を、ぽっと出の下級戦士のガキに渡す必要がある……!!)

 

 

 気にいらなかった。娘が他の男を見ている事が腹立たしかった。よりにもよってカカロットのガキを。嫁に行くのは、まだ20年くらい早いだろう。

 

 ベジータは倒れた悟飯の胸ぐらを掴み上げ、右腕を大きく振りかぶる。固く握られ、純粋な怒りに震えるその拳は、彼の本気の一撃だった。

 

 

「最後にこれは、貴様によって娘を奪われた、このオレの怒りだ!!!」

 

 

 絶叫と共に、頭を粉砕せんばかりの勢いで振るわれようとした拳に、娘が縋り付く。 

 

「父様!!! やめて下さい! もう気絶してます!」

 

 知っている。だがこのくらいで死ぬようでは、ナッツの傍にいる資格は無いだろう。父親はそう思ったが、半泣きの娘に見つめられ、しぶしぶ悟飯から手を放す。少年の軽い身体が地面に落ち、そのまま力無く仰向けに倒れた。

 

「悟飯、大丈夫なの……?」

 

 目を回して意識の無い少年の傍にナッツは膝を突き、心配そうに声をかける。

 

 ベジータの額から一筋の汗が流れる。すっかり気は晴れたが、もしかすると、少しやり過ぎてしまったのではないかと思った。

 

 

 

 

 温かい感触に包まれながら、少年はゆっくりと目を開いた。

 

「起きたのね。悟飯」

 

 ナッツの声が、すぐ近くで聞こえた。視界はまだぼんやりとしていて、少女の居場所がはっきりしない。彼女の気は、とても近くに感じるのだけど。

 

「まだ動かない方がいいわ。父様にあんなに殴られたんだもの」

 

 言われたとおりに休んでいると、やがて視界がはっきりとしてきて、逆さまになった彼女の顔が見えた。仰向けになった自分を、上からのぞき込んでいるようだった。後頭部に柔らかく、温かいものが当たっていた。

 

「これは膝枕って言うのよ。母様がよく、私や父様にこうしてくれたの。気持ちいいでしょう?」

「え、えっと……」

 

 悟飯の顔が耳まで真っ赤に染まる。まだ細い少女の脚は、それほど柔らかくはなかったけど、それを気にするどころではなかった。すぐに起き上がろうとする少年の頭を、ナッツが優しく押さえつける。

 

「駄目よ。まだ寝てないと」

 

 少女は少年の髪に指を通す。サイヤ人の癖のある髪とは違う、さらさらとした感触が面白くて、気に入ったおもちゃをいじるように、ナッツの手は止まらない。

 

 今すぐ村に戻れば、まだナメック星人達に治療してもらえるかもしれなかったが、そこまでの負傷ではなかったし、何よりもう少し、こうしていたかった。

 

 悟飯は呆然と、逆さまになった少女の顔を見上げていた。地球で会った時とは、まるで別人のようだと思った。見た事のない、とても優しい表情に、何も考えられず、ただ胸が高鳴っていた。

 

(お母さん、とはちょっと違う……)

 

 自分とほとんど変わらないのに、どうしてこんな雰囲気が出せるのか、不思議だったけど、とても素敵だと思った。ずっとこのままでいたかった。

 

 

 

 そこで悟飯は、彼女の父親の事を思い出す。こんな事をしていたら、また殴られるのではないだろうか。

 

「あの、ベジータさんは……?」

「父様なら、あそこよ」

 

 彼らから少し離れた場所に、ベジータが仰向けで倒れていた。

 

 どこか安らかな顔と、激怒した顔が入り混じった、おかしな表情で倒れている。少年に膝枕をする娘の姿に、かつての自分と彼女の母親の姿を重ね合わせ、精神的に限界を迎えたのだ。

 

「いきなり倒れたのよ。呼吸も脈も正常だったから、心配ないと思うけど……」

 

(きっと疲れが溜まっていたのね。後で父様にもしてあげないと)

 

 ナッツは思う。初めて悟飯と会ってから、まだ1ヶ月くらいだろうか。まさかこんな地球から離れた星で会えるとは思わなかったから、嬉しかった。地球で見た時よりも彼の戦闘力は上がっていたけど、今すぐ戦いたいという気持ちは起きなかった。

 

 少年の体温と、穏やかな気配が心地良かった。こんなに心が落ち着いているのは、何年ぶりの事だろう。何だか自分まで、優しい気持ちになれそうだった。ずっとこうしていたかった。

 

 

 悟飯の方は、自分の事をどう思っているのだろうか。そう考えてふと気づく。

 

(冷静に考えると、私って今まで悟飯に好かれるような事、何もしてなくない?)

 

 まず悟飯の住む星を侵略に行って、連れのナッパが彼の仲間を何人も殺して、カカロットを助けに行こうとする悟飯と戦って、あと彼が大猿になったので自分も変身して彼をボコってカカロットを殺しかけた。

 

 駄目だこれ。少女の額から一筋の汗が流れる。そんなつもりじゃなかったのだ。ちょっと悟飯と遊びたかっただけだし、父様だって死に掛けたんだから、どうにかノーカンで済まないだろうか。

 

(やってしまった事は仕方がないけど、せめて今からでも挽回しないと……!)

 

「ねえ、悟飯? 何か私にして欲しい事とかないかしら?」

 

 何でもいいわよ、と続ける。本当に大事に思う相手と、仲良くなりたい時に使う言葉だと、母様が教えてくれたのだ。

 

 倒れている父様がぴくりと動くのが見えた。あれは本当に気絶してるんだろうか。今いい所だから、もう少し見守っていて欲しいと思った。

 

 

 何でもいいという言葉に、悟飯の顔が赤く染まる。多分あれは深い意味を考えずに言っていると、少年は薄々感づいていた。いや自分だって、そこまで詳しいわけでもないけれど。

 

 ずっとこうして欲しいと頼んだら、そうしてくれるだろうか。それは流石に恥ずかし過ぎると思ったから。

 

「君と、話がしたいんだけど……」

 

 悟飯は思う。自分はまだ、彼女の事をあまり知らない。向こうだってそうだと思う。ナッツは怖いサイヤ人だけど、戦っている時の姿は本当に楽しそうで、彼女の笑顔をもっと見てみたいと、そう思った。そのために彼女の事をもっと知りたかったし、自分の事も知って欲しかった。

 

「いいわよ。私もちょうど、そうしたいと思っていたの」

 

 彼女の笑顔に、見惚れてしまう。そう言ってくれて嬉しかった。すぐ近くに、ドラゴンボールが置かれているのが見える。

 

 本当なら、こんな事をしていられる状況ではないのかもしれないけど、それでも次にこんな機会があるか、わからなかったから、少しくらいは、いいんじゃないかと思った。

 

 

 ナッツの足が微かに震えているのを感じて、悟飯は半ば強引に身を起こす。  

 

「もういいの?」

「うん。もう大丈夫だから。ありがとう」

 

 言いつつも、どこか名残惜しそうに見えた。その様子で、彼が自分を気遣ってくれたのだと気付いて、少女はとても幸せな気持ちになった。

 

「……そうね。私もちょっと、足が痛くなってきちゃったわ」

 

 どうしてか頬を赤くしながら、ナッツは強張った足を伸ばして揉み解す。

 健康的な白い脚を、見てはいけない気がして、悟飯は顔を赤らめながら目を逸らした。

 

 

 

 座るのに手頃な岩が二つあった。悟飯が岩の一つに座ると、黒い戦闘服の少女がその隣に座った。二人の間の距離は、拳一つ分にも満たない。少年が慌てる。

 

「な、何で?」

「いいじゃない、別に。この方が話しやすいわ」

 

 他人行儀だとナッツは思った。同じサイヤ人じゃない。広い宇宙にもう4人しかいないんだから、これはもう身内と言ってもいいだろう。

 

 一方悟飯は彼女の左肩の、獣に噛まれたような痛々しい傷跡を見ていた。地球で最後に彼女を見た時には、あんな傷跡は無かったはずだ。どこの誰が、ナッツにあんな酷い事を。理由を知りたかったが、女の子に身体の傷の事を聞くのは失礼な気がして、今は触れないでおこうと思った。

 

 

「で、何から話そうかしら?」

「サイヤ人について、教えて欲しいんだ」

 

 地球を2回も侵略に来た悪い奴ら。彼女もその一員で、自分もその血を引いているという。どういう人達なのか、どうしてあんな事をしたのか、知っておきたかった。

 

「意外と難しい質問ね。何から話せばいいかしら……」

 

 ナッツは考える。悟飯は地球生まれの、混血のサイヤ人だ。父親はあんな感じだから、おそらく何も知らないだろうし、基本的な事から教えねばならない。

 

「サイヤ人は、かつて宇宙全体を恐れさせた戦闘民族なのよ。黒い髪と瞳、そして尻尾が特徴ね。私の父様はその王族。あなたのお父様のカカロットもサイヤ人だから、あなたは半分、その血を引いてるってわけね」

 

 少年は頷きながら、王族だという少女を見る。戦うのが大好きで活発な彼女は、自分の持ってるお姫様のイメージとは全く違っていたけれど、黙ってドレスとか着ていれば、似合わない事もないと思う。

 

 そして尻尾はサイヤ人の特徴だと聞いた悟飯は、彼女の腰に、地球で見慣れたそれが無い事に気付いた。

 

「あの、君の尻尾は……?」

「覚えてないの?」

 

 どうやら悟飯は、大猿になっている間の事を覚えていないようだった。少し気落ちしてしまう。あんなに楽しかったのに。

 

 まあ仕方ない。記憶や理性を保つには訓練が必要だし、悟飯は地球で尻尾を切られていて、月も消されていたのだから、変身した事もほとんど無いのだろう。

 

「それについては、後で話してあげるわ」

 

 ナッツはそう流して、話を続ける。

 

「カカロットは小さい頃に地球を侵略するために送られたけど、頭を打って自分の使命を忘れてしまったらしいわ」

 

 実際にはそんな命令などされていなかったが、ナッツには知る由もなかった。

 

 少年は自分の父親が、そんな理由で地球に送られたという話に驚いた。もしかしたらお父さんも、平気で人を殺すような、悪い人間になっていた可能性がある。もしかしたら自分まで。悟飯にとって、それはとても怖い考えだった。

 

「侵略するって、サイヤ人は、どうしてそんな酷い事をするの?」

「そうね……」

 

 サイヤ人が惑星の収奪を始めた経緯を、一言で説明するのは難しい。ナッツは最初から語る事にした。 

 

「勉強の時間よ、悟飯。あなたにサイヤ人の歴史を教えてあげる」

 

 

 勉強と聞いて、悟飯は居住まいを正す。他の星の人間から勉強を教えてもらえるなんて、滅多にない貴重な機会だった。思わず頬が緩んでしまう。何か書く物を持ってくればよかった。

 

 その様子を見て、少女が笑う。本当に学ぶことが好きなのね、と思いながら、かつて母親が寝る前にしてくれた、昔話を語り出す。

 

「かつて惑星ベジータには、身体能力に優れた私達サイヤ人と、科学技術に優れたツフル人が住んでいたわ。サイヤ人はずる賢いツフル人に奴隷のように使われていたけど、それに怒ったお爺様、ベジータ王がツフル人に対して反乱を起こしたの。そして8年に1度の満月の夜、とうとうツフル人を滅ぼしたのよ」

 

 ナッツは話しながら、何千人、何万人ものサイヤ人が一斉に変身して、ツフル人を蹂躙する光景を想像して微笑んだ。昔母様からこのくだりを聞いた時、とても胸が躍ったものだし、きっと凄く楽しかったはずだ。私も参加してみたかった。

 

「ツフル人を滅ぼして、宇宙船の技術を手に入れてからは、あちこちの星を滅ぼして、異星人に売って暮らしていたというわ」 

「そこが、わからないんだけど……」

 

 何かこう、力が強いんだから、真面目に働くとか無かったのだろうか。お父さんは家の畑を耕していたけれど。

 

「私達は、戦うのが好きなのよ。そしてそれ以外の事は、あんまり得意じゃなかったの」

 

 ナッツは照れくさそうにしていたが、襲われた星の住人としては、あんまり笑えなかった。 

 

「それからしばらくして、サイヤ人はフリーザの軍に組み込まれて、その下で働く事になったの」

「フリーザって?」

 

 少女の目が鋭くなり、声がわずかに冷たくなった。

 

「今、この星にいるわ。感じるでしょう。桁違いの戦闘力を持つ、嫌な気配を」

 

 悟飯は少女の示した方角から、間違いようもない恐ろしい気を感じた。さっき村を襲っていた悪人達の中にいた、あいつに違いなかった。

 

「あれが……」

「絶対に近寄っては駄目よ。殺されるわ」

 

 悟飯が頷いたのを確認し、少女は話を続ける。整ったその横顔が、少し強張っていた。

 

「サイヤ人はフリーザに忠誠を誓って、奴の為にたくさんの星を滅ぼしたけど、フリーザはそんなサイヤ人の力に恐れをなして、惑星ベジータを隕石の衝突に見せかけて、宇宙から消してしまったの」

 

 惑星を消してしまう。信じがたい話だったけど、確かにあのとんでもない気を持つ奴なら、それができてもおかしくはないという説得力があった。

 

「私はその頃生まれていなかったけど、ほとんどのサイヤ人は惑星ベジータに集められていて、皆、死んでしまったらしいわ。カカロットのご両親、あなたのお爺様とお婆様もね」

 

 そんな遠い星に親戚がいたというのは、何だか不思議な気がした。

 

「その時に生き残ったラディッツもナッパも死んで、もうサイヤ人は私達4人だけになってしまったけど、私はサイヤ人の最後の王族なの。だからこそ、戦闘民族の名前に恥じないよう、誇りをもって生きるのよ」

 

 ナッツはえへんと胸を張る。その様子は、どこまでも子供のようだった。

 

「その、戦闘民族として生きるっていうのは……」

「戦って強くなって、もっとたくさんの星を滅ぼすの。サイヤ人の強さが、この宇宙から忘れられないように。そしていつかフリーザを殺した時、サイヤ人こそが宇宙最強の種族だって、誰もが恐怖と共に知る事になるわ」

 

 楽しそうに、将来の夢を語るように、少女はそれを口にする。

 

 そんな事は止めて欲しい、というのは、どうなのだろう。自分の我儘なのだろうか。

 

(他の生き方も、できると思うんだけどなあ)

 

 悟飯は先ほどの村で、村人達の歓声を浴びて、嬉しそうに笑っていた少女の姿を思い出す。戦っているのが一番性に合うのだろうけど、それならそれで悪人退治とか、もっと人の役に立つような事をすればいいと思う。サイヤ人の評判だって高まるだろうし、そうして皆から好かれて、幸せそうに笑いながら戦う彼女は、きっと物凄く素敵だと思うのだ。

 

(悟飯だって、もっとサイヤ人らしくなれると思うんだけど)

 

 もちろん自分のように、平気な顔で星を滅ぼせるような人間になれるとは思わないし、優しいのが凄いと思うけど、せっかくサイヤ人の血を引いているんだし、もっとこう、悪い感じになってもいいと思う。残酷に笑いながら「悪い奴はもっと苦しめてやらなきゃ……」みたいな事を言ってくれたら、きっと物凄く格好良いと思うのだ。

 

 少年と少女は、そんな事を考えながら、少し恥ずかしそうに、お互いの事ををちらちら見ていた。

 

 

 

 そして悟飯は、ナッツの話の中に、聞き覚えのある名前が出ていた事を思い出す。

 

「ラディッツかあ……」

 

 その名前には、良い思い出が無かった。いきなりやってきて自分を誘拐して、お父さんとピッコロさんを、酷い目に遭わせた奴。

 

「そっか、あいつは地球に行ったんだっけ」

 

 昔はよくサイバイマンと一緒に遊んでくれた。私が彼の戦闘力を超えてからは、気まずくなったのか、だんだん遊んでくれなくなって、いつの間にか姿を見なくなっていたけれど。

 

「ラディッツと何かあったの?」

「うん、実は……」

 

 悟飯はあらましを説明した。自分が攫われてしまったこと。助けて欲しければ地球人を100人殺せとお父さんに言って、最後にお父さんが、相打ちで死んでしまったこと。

 

 ナッツは考える。どちらかと言えば、自分の考えはラディッツ寄りだ。

 

(カカロットが100人殺していれば、丸く収まったんじゃないかしら……?)

 

 100万人ではない。たった100人だ。小さな町の一つも消してしまえば足りるだろう。星を滅ぼすのに比べれば、全然大した事じゃない。人を殺すのに慣れていないカカロットに、ラディッツは十分配慮していたと思う。

 

 しかし、それを口に出してしまっては目の前の少年に引かれてしまうと、そのくらいはわかっていた。ナッツはしばらく考えて、慎重に言葉を選びながら口を開く。

 

「そうね……ラディッツが半分くらい悪いと思うわ」

「半分だけ!?」

 

 悟飯は驚愕し、変な子を見る目で少女を見た。今の話を聞いて、何でそんな風に思えるのか。あの人が地球に来なければ、今も平和に暮らせていたはずなのに。

 

「あの人が全部悪いんじゃないの!?」

「地球人らしくない価値観だとは思うけど、サイヤ人としてなら、ラディッツの言ったことは、おかしな事じゃないわ」

 

 少なくとも、自分の知ってるサイヤ人は全員そう感じるだろうし、自分も同じ状況なら、似たような事を言っていただろう。

 

 それに地球が滅んでいないなんて、ラディッツにとっても予想外だったはずだ。ラディッツは滅びた星に放っておかれた弟を、わざわざ迎えに行ってあげたのだ。十分に情け深い話だと思う。

 

「ただ、嫌がられたのなら、帰るべきだったとは思うけど。あなたを人質にとってまで、無理強いする必要はなかったわ。それはラディッツが悪いわね」

 

 ナッツは思う。昔の自分だったら、腑抜けたサイヤ人なんて、見るのも嫌だったはずだ。今では彼らの甘い考えも、嫌いではなかった。そういう風に思えるようになったのは、地球で悟飯と会ってからだろうか。

 

 それにそもそも彼が地球に行かなかったら、私は悟飯と会えなかったのだ。一度殺されたカカロットには悪いけど、その点はラディッツに感謝したかった。

 

 

 

「ねえ、今度は私が質問していい?」

「いいけど……」

 

 何を聞かれるのだろうと、知らず悟飯は身構えていた。何しろナッツのことだ。どんなおかしな事を言い出すかわからない。

 

「普段どんな物を食べているの?」

 

 意外と普通の質問だった事に、少年は拍子抜けしてしまう。

 

「ちなみに私はこれよ。フリーザ軍で支給されてる携帯食料」

 

 彼女が取り出したその包みは、地球で見せられた覚えがある。

 

「そろそろ食事の時間だし、おいしいから食べてみるといいわ」

 

 ナッツは開封した携帯食料を、半分に割って差し出した。補給の暇も無く飛び出してきたから、実はもうあまり数は無いのだけど、それでも構わなかった。いざとなればその辺の生き物を、焼いて食べればいいだろう。

 

 悟飯は少女の手が触れたそれを、少しどきどきしながら受け取り口にする。さくさくとした触感で、軽い甘さを持っていて、腹持ちのいいお菓子のようだと思った。

 

「おいしい?」

 

 チーズのような色をした細長い携帯食料を、ナッツもおいしそうに食べている。少年はそれを見ているだけで、胸がいっぱいになってしまった。

 

「うん、おいしいよ。ありがとう」

「そう、口に合ったみたいで良かったわ」

 

 にっこり笑った少女に釣られるように、悟飯もはにかむように微笑んだ。

 

 

「で、あなたは何を食べてるの?」

 

 悟飯は考える。ここ1年で主に食べていたのは、恐竜の肉とか、ピッコロさんのくれたリンゴとかだ。けど一番印象に残っていたのは、戦いが終わって、病院から帰った時にお母さんが作ってくれた、食べきれないほどのご馳走だった。

 

「お母さんの作った料理とか」

 

 思わず口にしてから、しまった、と悟飯は思う。フリーザに彼女のお母さんが殺されてしまったと、聞いていたはずなのに。

 

 少女が何も言わなくなって、少年は恐る恐るナッツの方を見た。

 

「そう。あなたのお母様は、料理が上手なのね」

 

 悟飯は目を見開いた。彼女がとても、穏やかな顔をしていたから。

 

 

 母様の事を考えてるのに、心が苦しくなかった。悟飯から感じる温かさに導かれるように、胸の内に、幸せだった頃の思い出が蘇っていた。噛み締めるように、言葉にする。

 

「私の母様は、とても強くて格好良かったわ。生まれつきの病気で、あんまり元気が無かったけど、調子のいい時は父様と一緒に任務に出ていたし、私も連れて行ってもらったわ」

 

 懐かしくて、少し泣いてしまいそうだったけど、悟飯に心配を掛けないように、我慢しながら言葉を続けた。

 

「こんな大きな恐竜を仕留めて、エネルギー波で焼いてくれた事もあるわ。ちょっと外側は焦げてて中は生だったけど、三人で焼き直しながら食べて、とてもおいしかったのよ」

 

 切ってから焼いた方が良かったと、そう言ってしまうのは無粋だろうと、悟飯は幸せそうな少女を見ながら思った。

 

「普段はずっと部屋にいたから、退屈だって言って、よく本を読んでいたわ。私にもいろいろ教えてくれたの。勉強とか、礼儀作法とか、マナーは守らないといけないとか」

「勉強って、どういう事を習ったの?」

 

 他の星の勉強に興味があった。算数は宇宙でも同じだと思うけど。

 

「どこを壊せば動けなくなるとか、効率よく殺せるかとか、そういう勉強が多かったわね。首は頭と身体を繋ぐ場所だから、ここを飛ばせば大体死ぬけど、核を壊さないと再生する奴もいるとか、凄くためになったの」

 

 あ、やっぱりそっち系なんだ、と悟飯は遠い目で思った。

 

 

 

「あと母様は、小さい頃の私を尻尾であやしてくれたわ。私はそれを、猫みたいに追っていたの」

 

 素早く動くそれに飛びついて、自分の尻尾も巻き付けて遊んだ覚えがある。大事な尻尾を預けるのは、サイヤ人にとって最高の愛情表現だ。何せ切られる恐れがあるのだから、よほど信頼している相手にしかできない。

 

「尻尾かあ……」

 

 悟飯は考える。どうして自分だけ尻尾が生えているのだろうと、ずっと不思議に思っていたのだ。昔のお父さんみたいだって、お母さんは笑っていたけれど、それでも気になっていた。まさかお父さんが宇宙人だったなんて。

 

「あなたにもあったでしょう? 物を取る時とか、背中を洗う時とか便利よね」

「あ、それわかる。お父さんから色々習ったんだ。尻尾を回して、飛んだりもできるんだよね」

 

 やってみたくて何度も特訓したけど、結局できなかったのだ。けど、尻尾の扱いに慣れているらしいナッツなら。

 

「えっ? 無理でしょ。そんな事」

「えっ」

 

 あっさり言われて、悟飯は目を丸くした。彼女は物心ついた時から普通に空を飛べたから、そんな曲芸めいた事をする必要は無かったのだ。

  

 

(けど色々習ったにしては、尻尾を鍛えてなかったのよね……?)

 

 ナッツは訝しむ。鍛えていない尻尾を敵に握られれば、簡単に殺されてしまうのだから、本来ならば最初にやっておくべき事のはずだ。カカロットは尻尾の使い方を、どこまで教えたのだろうか。そう言えば以前、自分が尻尾の話をした時も、妙に反応が薄かった気がする。

 

(まさか悟飯、大猿の事も知らないの?)

 

 有り得ない考えに、苦笑してしまう。いくら悟飯がサイヤ人らしくないといっても、流石にそれは無いだろう。けどカカロットは記憶を失ってずっと地球にいたと聞くし、もしかしたら。ナッツは恐る恐る、尋ねてみた。

 

「……ねえ悟飯。その、ね。あなたに尻尾が生えていた頃、満月とか見た覚えがあるかしら?」

「ううん。満月の夜は怪物が出るから、家から出ちゃいけないってお父さんが」

 

(カカロット!! 子供の教育が不十分よ!!)

 

 少女は内心叫びながら頭を抱える。そもそも自分が変身できる事を知らなければ、記憶も理性もあったものではない。この分だと、おそらく変身中の記憶だけではなく、その前後の事も覚えていないのだろう。

 

(こんなに戦闘力が高いのに、大猿の事も知らないなんて、どんなサイヤ人よ、もう……)

 

 自分が口で説明しても、理解できないだろう。私だって、母様が目の前で変身して見せてくれるまでは、半信半疑だったのだから。

 

 

 急に不機嫌そうになったナッツを見て、悟飯は自分が何か、まずい事を言ってしまったのではないかと思った。

 

「あ、あの……どうしたの?」

「別に。何でも無いわよ」

 

 拗ねたような感じで、目を逸らす。あまり面白くなかった。あの心躍る戦いの記憶が無いのは、百歩譲って仕方ないとして、私を倒すために理性を失う覚悟で変身したと思ってたのに、それですら無いなんて。

 

 もちろんたったそれだけで、彼に失望したりはしないけれども。殺意を向けられた事が嬉しくて、殺されてもいいとすら一瞬思った、あの時の自分の気持ちはどうなってしまうのか。

 

 おどおどしている悟飯を見て、にんまりと笑う。察しの悪いこの半人前のサイヤ人に、少し意地悪をしてみたくなった。

 

「悟飯、私の尻尾が無くなった理由、教えてあげるわ」

「う、うん……」

 

 不穏な気配を感じる。悪意ではないけれど、まるでイタズラを仕掛けた子供のような。

 

「地球で尻尾の痛みが取れて父様と合流した後、とっても怖い獣に襲われたのよ」

 

 どこか楽しそうに、少女は言った。

 

「怖い獣……?」

「そう。鋭い牙と強靭な顎を持つ、分厚い毛皮に覆われた化け物よ」

 

 あの辺りに、そんなのがいたんだろうか。クリリンさん達は何も言ってなかったけど、この子が怖いっていうくらいだから、相当な大物だったのだろう。

 

「左肩に食らい付かれて、骨まで噛み砕かれて、一時は腕も動かせなくなっちゃったの」

 

 聞いているだけで痛そうだった。あの傷跡は、そういう事だったのか。

 

「それから尻尾も引き千切られたの。あれは本当に痛かったわ。それで殺され掛けたところを、父様が何とか追い払ってくれたのよ」

 

 悟飯は想像する。泣き叫ぶナッツをいたぶる正体不明の獣。何てことをするんだと、怒りに拳が震える。そんな奴が地球にいるかと思うと、危なすぎるし、許せなかった。

 

「地球に戻ったら退治しないと。その、もっと詳しく教えてくれる?」

「ええ、いいわよ」

 

 冗談のようなやり取りが、何だか楽しくなってきた。その化け物はあなたなのよと言いたくて、おかしくなって笑ってしまう。今はこんなに可愛いのに。

 

「そいつは血のように赤く光る目を持っているわ。現れるのは満月の夜だけど、たまに昼間に出る事もあるわね。尖った耳を持っていて、人間を片手で握り潰せるくらいに大きくて、口から凄い威力のエネルギー波を出せるの。今の私の10倍くらい強くて、その気になれば星の一つくらい、簡単に滅ぼせちゃうのよ」

 

 指を曲げた両手を身体の前で構え、歯を見せて笑いながら、脅かすような仕草をする。自分でやっていながら、とても滑稽で、サイヤ人同士の会話とは思えなかった。この場に母様がいたら、大笑いしているはずだ。

 

「からかってるんじゃないよね?」

「ええ、もちろんよ」

 

 ナッツはにやにやと笑っていて、まるで説得力が無い。絶対嘘だと思った。そんな化け物が地球にいたら、いくらなんでも気でわかるはずだし、とっくに地球は滅ぼされているだろう。けど実際、あの傷跡は人間の手によるものとは思えなかった。

 

 何か忘れている気がする。地球でナッツを倒して、お父さんの所へ向かってからの記憶が曖昧だった。

 

 

「あと、吼える声が凄いのよ。気弱な人間なら、聞いただけで震え上がって動けなくなるくらい」

「どんな声なの?」

 

 悟飯は楽しそうな彼女の冗談に乗るつもりで、軽く聞いてみただけなのだが、少女はまた違った受け取り方をした。

 

(やってみろという事かしら。大猿の時とは喉や口の構造が違うから、完全に再現するのは難しいけど)

 

 挑戦から逃げるのは、恥ずかしい事だ。私の名誉が傷ついてしまう。それにあんまり長く変身していないと、声の出し方を忘れてしまうかもしれない。いつ尻尾が生えてきても良いように、練習しておく必要があるだろう。

 

 ナッツは喉の調子を整えながら、ちらりと横を見る。悟飯が見ている。ちょっと緊張する。サイヤ人の王族として、格好良いところを見せたかった。息を大きく吸って太陽を見上げ、月に見立てて、吼える。

 

「アオオオオオオ!!!!!」

「ひっ!」

 

 獣のような咆哮に、少年は身を竦める。ナッツは声の余韻が消えてから、上げた顔を下ろして、満足そうに微笑んだ。

 

「大体こんな感じよ。本物はもっと凄いけど」

「じょ、上手だね……」

 

「相手を怖がらせた方が、何かと有利なのよ」

 

 くすくす笑う黒い戦闘服の少女の姿が一瞬、人間以外の何かに見えた。彼女こそが、その化け物なのではないかと、突拍子もない考えが浮かぶ。

 

「ねえ悟飯、大丈夫なの?」

 

 ナッツは心配そうにこちらを見ていた。そんなはずはない。いくら怖い子だからって。そもそも彼女は化け物に怪我をさせられた、被害者の方なんだから。

 

 

 考え込む少年の横顔を見つめながら、ナッツは左肩の傷跡に触れる。戦いの興奮を思い出し、少女の顔が紅潮する。

 

 彼はどうせ覚えてはいないのだと、わかってはいたけれど、それでも言っておきたかった。

 

「悟飯、退治なんかしちゃ駄目よ。私はその化け物の事を、とっても気に入ってるんだから」

 

 お互い尻尾が生えたら、また変身して戦ってみたかった。この間の地球での戦いは、まあ引き分けとして、きっと今度は私が勝ってみせる。

 

「……っ!?」

 

 少年の方は、ますますわけがわからなくなって、混乱していた。

 

 君に大怪我をさせた危険な化け物に、何でそんな顔をするのか。何でこんなにイライラするのか。考えても何もわからなくて、やっぱり変な子だと、そう思うしかなかった。

 

 

 

 

 それからも二人はしばらく、お互いの事について、色々な話をした。小さな二人は肩を寄せ合いながら、楽しそうに話を続ける。

 

 この時間がもっと続けばいいと、二人とも思っていたけれど、やがて互いに聞きたい事が浮かばなくなって、ナッツが最後の質問を口にする。

 

「あなた達も、狙いはドラゴンボールなんでしょう? 何を叶えるつもりなの?」

 

 二人の間に、緊張が走る。本来ならば、彼らは親しく話ができる間柄ではなかった。それがわかっていたから、この質問は後回しにされていたのだ。

 

 聞いてはみたものの、彼女にはどうしても譲れない願いがあったから、彼の願いを叶えさせるわけにはいかなかった。だから自分の手で叶えられるような願いであればいいと思った。そうであれば、一生掛かっても私が叶えるから、願いは譲って欲しいと、そう提案するつもりでいた。 

 

「死んだピッコロさん達を、生き返らせるんだ」

「……そう」

 

 少女が目を伏せる。薄々わかってはいたけれど、その答えだけは、聞きたくなかった。人間の死は取り返しがつかない。彼女にはどうにもできない。ドラゴンボールでも使わない限りは。

 

(ごめんなさい、悟飯。あなたの願いは叶わない)

 

 前触れなく、ナッツの小さな手が、悟飯の喉を鷲掴みにした。その気になれば、一息で握り潰せる体勢。少女はそのまま彼の身体を乱暴に引き寄せ、息が当たるほどの距離から、刺すように悟飯を睨み付ける。少年は息を呑む。夜のような黒い瞳が、視界一杯に広がっていた。 

 

 沈まない太陽から照りつける日差しの中、少年と少女の周囲から、急速に温度が消えていく。

 

 呆然とする悟飯に向けて、冷酷なサイヤ人の顔を作ってみせる。言わないと。願いは譲れない。私とあなたは、敵同士だって。口を開くも、なぜだか声が出なかった。

 

(? 何やってるの、悟飯が苦しそうじゃない。早く言ってあげないと)

 

 ナッツは必死に喋ろうとするも、乱れた息が漏れるだけだった。理由はわかっている。自分はこの優しいサイヤ人に向けて、そんな事を言いたくないのだ。彼の願いを踏みにじるなんて、そんな事、絶対にやりたくないのに。

 

(だからって、どうすればいいのよ……!!)

 

 気が付けば堪えきれず、涙が溢れ出していた。

 

「…………! ……!」

 

 かろうじて口をついて出た音は、何の言葉にもならなかった。

 

 少女は友達という言葉を知らなかったが、自分と彼との間の、そうした関係を壊したくないと思った。この少年はサイヤ人らしくないのが玉に瑕だけど、強くて優しい、とても良い奴で、一緒にいたいと、そう思っているのだ。

 

 せっかく仲良くなれたのに、酷い事をしてしまうのが嫌だった。どうしていいかわからなかった。彼の大事な人を、生き返らせてあげたかった。

 

 けれど母親の仇を取る事も、諦められることではなく。彼女にできる事は、感情のまま、大声で泣く事だけだった。

 

 

 

 少女の黒い瞳が、涙で潤むのを悟飯は見た。泣いている理由はわからなかったけど、見ていられないと思ったから、彼女の手を握り締めていた。

 

「……っ!」

 

 温かな感触に、一瞬気持ちが緩むのを感じ、ナッツは泣きながらも、その手を払いのける。悟飯との間の距離が開く。

 

「ナッツ! 何で泣いてるの?」

 

 再びその距離を詰めようとした少年が、突き飛ばされて倒れる。少女の手によってではない。

 

「なっ……!?」

「今のは、娘を泣かせてくれやがった分だ」

 

 彼女の父親が、そこにいた。

 

 

 泣きじゃくり、話せる状態ではない娘の代わりに、淡々と父親が言った。

 

「オレ達の望みは、フリーザの野郎を殺す事だ。そのためにオレは、ドラゴンボールで不老不死になる」

「……!」

 

 そこで少年は、ナッツの涙の意味を理解した。フリーザは彼女のお母さんの仇だという。そしてあの恐ろしい、惑星を消せるほどの力を持つ相手を、まともな手段で倒せるとは思えなかった。

 

「わかるか。貴様らの願いは叶わないという事だ。それとも今、オレ達を殺して、このボールを奪ってみるか?」

「それは……」

 

 少年は俯く。彼女が泣いている。そんな事を、できる気はしなかった。

 

「わかったら、さっさと地球に帰りやがれ。くれぐれも奴に挑もうなんて考えるんじゃないぞ。ナッツをこれ以上、悲しませたくなかったらな」

 

 その言葉には、少女の事を強く思う響きがあったから、逆らえなかった。

 

 力なく、宙へ飛ぶ。まだ泣いている少女に、最後に何か言おうと思ったが、こんな時に何を言えばいいのだろう。少し迷ってから、口にする。

 

「またね」

 

 これで最後にはしたくなかったから、そう言って、軽く手を振った。

 

 

 ナッツは顔を伏せたまま、応えない。自分のせいで、彼の仲間は生き返れないのだ。どんな顔をしたらいいというのか。

 

 その温かな気配が遠ざかるのを確認してから、ようやく顔を上げる。小さくなっていく少年の姿を目で追っていると、また涙が出た。

 

「父様、ごめんなさい……」

 

 震える声で、途切れ途切れに口にした。私が言わなければならなかったのに。最後にまた会おうと言ってくれたけど、それに期待してしまうのは、浅ましい考えだろうか。許されないことをしてしまったというのに。

 

 

 ベジータが拳を振り下ろす。彼らの座っていた岩が破壊される。

 

「くそったれが!!!」

 

 血を吐くように叫ぶ。娘を泣かせたのはオレの責任だ。不老不死なんてものに頼らずともフリーザを倒せるほど強ければ、娘にあんな顔をさせる事はなかったのだ。願いなんてそいつにくれてやれと、言ってやれたのだ。

 

 

 クリリン達の気を目指して飛びながら、悟飯は思う。結局のところ、彼女達は悪くない。悪い奴がいるとすれば。

 

「フリーザ……」

 

 ナッツのお母さんを殺して、ナメック星人達を殺した酷い奴。彼女があんな顔をして泣いていたのも、元を正せば、そいつが全て悪いのだ。むしゃくしゃして、殴ってやりたいと思ったけど、今の自分があまりに力不足なのも、またわかっていた。

 

 

 

 三人がそれぞれの思いを抱えたまま、時間は過ぎていく。

 

 やがて悟飯は洞窟の中の、カプセルで作ったらしき家に辿り着く。少年が手を触れるより先にドアが開き、彼の姿を確認したクリリンが安堵の笑みを浮かべる。

 

「悟飯! 無事だったか!」

「はい……」

 

 元気の無い声に、何かあったのかとクリリンは思った。殴られたような傷があったが、原因はそれだけではないように思えた。悟飯が気にかけていた、あの少女の事を思い出す。複雑な話になりそうだった。家の奥ではブルマさんが眠っている。

 

「悟飯、ちょっと外で話さないか?」

 

 

 

 時刻はもう夜だったが、ナメック星の陽射しは、どこまでも明るかった。悟飯に飲み物を渡し、自分の分も開封しながら、クリリンは問い掛ける。

 

「どうしたんだ、悟飯?」

「実は……」

 

 少年はクリリンと別れてから、自分が見聞きした事を話した。ナッツとのやり取りは、ある程度ぼかした上で。 

 

「色々あったんだな……」

 

 クリリンは驚いていた。あの邪悪なサイヤ人がナメック星人を助けたなんて、信じられなかった。言ったのが悟飯でなければ、何かの冗談と思っただろう。

 

 ドラゴンボールを取られてしまった事は、まあ仕方ない。悟飯一人でどうにかなるレベルの話では無い。そもそもあのフリーザという恐ろしい奴が集めている以上、ベジータが言ったとおり、諦めるしかないのだろうか。

 

 一縷の望みを託してナメック星まで来てみたが、この上悟飯やブルマさんまで命を落としてしまう事は、死んでいったピッコロ達だって、望んではいないはずだ。

 

 

 考え込むクリリンの横で、悟飯は俯きながら、言われたとおり、地球に帰るしかないのだろうかと思っていた。

 

 あのフリーザに勝てるはずがなく、ナッツ達からボールを奪う覚悟もない。これ以上、この星でできる事はなかった。

 

「あ、あの……先ほどは、ありがとうございました」

 

 悟飯が顔を上げると、彼らが助けたナメック星人の子供がいた。

 

「ああ、この子はデンデって言うんだ。明日最長老って人の所に、この子を送ってくる。ドラゴンボールもあるんだってさ」

 

 手に入れたら壊してしまうべきかと、クリリンは考えていた。彼にとってはフリーザもサイヤ人達も、同じ邪悪な存在だった。

 

「あの、すみません。お礼を言おうと思ってたら、話が聞こえてしまったのですが……その、お教えしたい事があって」

「いいって。どうしたんだ?」

 

 

「ドラゴンボールで叶う願いは3つです。あなた方の願いと、力の試練を乗り越えられた方の願い、両方叶うのではないでしょうか?」

 

 

「えっ」

「えっ」

 

 へなへなと、少年の身体が崩れ落ちる。

 

「お、おい、しっかりしろ悟飯!」

 

 自分達の葛藤は、彼女の涙は一体何だったのか。立ち上がる気力が湧かず、悟飯はその場にばったりと倒れる。

 

「悟飯ーーー!!!!」

 

 ナメック星のどこまでも明るい大地に、クリリンの絶叫が響き渡った。




 下書きの段階では無かった話です。悟飯が急に付いて行くとか言い出すから……。

 書いても書いても終わらないと思ったら凄い量になっていて、前後編に分割しようか悩んだのですが、どこで切っても通して読まないと不十分になるかなあと思ったのでそのまま投稿します。読む方も大変だったと思いますので、次からは完成させる前に文字数を意識して、多かったら分割できるように書こうと思います。

 今回は読み返してみると戦闘シーンが無くてゆったりな感じですが、たまにはこういうのも有りって事でひとつ。後半のくだりは願いが3つと知っている読者視点だと色々じれったかったかもしれませんが、せっかく原作知識が無い主人公なので、こういう葛藤を描きたかったのです。

 次回はまあ、今回の分までちょいと殺伐とした感じになる予定です。
 投稿はゆっくりになるかもしれませんが、どうか気長にお待ちくださいませ。


 それと毎回書いてる気もしますが、おきに入り、評価、感想などありがとうございます。続きを書く励みになっております。
 何か昨日は更新もしてないのにお気に入りが急に増えまくった上に、評価のコメントでベタ褒めされて有頂天になっております。

 自分がこの物語を書いている理由は、自分がこういう話を読みたいからなんですが、自分だけでなく他にも楽しんでくれている方がいる事を嬉しいと思います。
 いつか書き上げられるだろう結末まで、よろしければ、お付き合いいただければ幸いです。


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5.彼女と父が捕まる話

 ナッツは夢を見ていた。久しぶりに見る、彼女の母親の夢だった。

 

 自分と揃いの黒い戦闘服に身を包んだ母様。ベッドに腰掛け、時折咳き込みながら、私に本を読み聞かせてくれている。サイヤ人の歴史について書かれた本で、表紙に描かれているのは、父様にそっくりな顔の口髭を生やした人だ。

 

 優しく微笑む母様の姿は記憶と全く変わらぬままで、夢だとわかっていたけど、嬉しくて身体を擦り寄せる。そこで突然、本を読んでいた母様が立ち上がり、声色を低く変えて、私のお爺様、ベジータ王の台詞を読み上げる。

 

『ついに授かった愛しい我が子ベジータ、その凄まじい潜在能力を見た時、私は悟ったのだ』

 

 父様が生まれたシーンだった。母様は普段は物静かだけど、こうした父様に関する事になるとテンションが上がるのだ。身体の調子が良い時は特にそれが顕著で、この間も父様に生意気な口を利いたキュイが半殺しにされていた。

 

『我が子はやがてフリーザを倒し、我々サイヤ人が宇宙最強の種族である事を証明するだろう!』

 

 凛とした格好良い声で宣言し、赤子を抱きながらマントを翻すような仕草をする母様に、私ははしゃぎながら拍手をする。見ていた父様に後で聞いたら、お爺様に物凄く良く似ていたと、懐かしそうに言っていた。

 

 ふと思いついて、私は猫のように母様の手に飛び乗った。母様は一瞬驚いたような顔をした後、にっこり笑って、私を抱いたまま、先ほどの台詞を繰り返した。

 

「我が子はやがてフリーザを倒し、我々サイヤ人が宇宙最強の種族である事を証明するだろう!」

 

 そして母様は私の頭を撫でながら、口を開き、何かを言おうとしていた。そこで目が覚めた。

 

 

 

 岩の天井の下で、父親に縋り付いて眠っていた少女は目を覚ました。あれから見つけた洞窟の中は、陽の沈まないナメック星でも、ひんやりとして風通しがよく、過ごしやすい空間だった。

 

 そのまますぐには起き上がらず、父親の体温を感じながら、夢の余韻に浸っていた。母様が最後に何を言おうとしたかは、わかっていた。何度も聞いた言葉だからだ。

 

(私の代わりに、父様の傍にいてあげてね、ですよね。母様)

  

 それは自分も望む所だった。むしろ父様が私の傍にいてくれている状態だ。あまり心配や迷惑を掛けるわけにはいかない。

 

 一晩眠って、気持ちも楽になっていた。きっと自分が落ち込んでいたから、夢で会いに来てくれたのだと、そう思うと嬉しくなった。

 

(悟飯とはあんな別れ方になっちゃったけど、またねって言ってくれたし。お互い生きていれば何とでもなるわ)

 

 いつまでもくよくよしてはいられなかった。少女は目をぱっちりと開き、ひとしきり身体を伸ばしてから、明るい声で言った。

 

「父様、おはようございます!」 

 

「起きたか、ナッツ」

「はい父様。……一体何を?」

 

 少女はきょとんとした顔で父親を見る。彼は半分身を起こして、小さな工具でスカウターの内部をいじっていた。

 

「用心だ。万が一奴らの手に渡っても良いようにな」

 

 いつ娘の撮影チャンスが来るか判らない以上、スカウターを壊してしまうわけにはいかない。だが今の彼にとって、撮影と閲覧以外の機能は不要だった。部品のいくつかを外し、地面に放り捨てる。そうして動作を確認して頷いた後、小さなエネルギー弾で落ちた部品を焼き払った。

 

 

 

 携帯食料で食事を済ませてから、二人は洞窟を出る。ナメック星の太陽は、今日も変わらず明るかった。

 

 そんな中、ドラゴンボールを大事そうに抱えた娘に、父親は難しい顔をして言った。

 

「ナッツ、そのボールを持ち歩くつもりか?」

「はい、父様! フリーザ達に盗まれたら大変ですし、私が頂いた物ですから!」

 

 胸を張って言う娘に向けて、ベジータは丁寧に説明する。持ち歩くには大きすぎること、持ったまま戦うのは厳しいこと、また持っている所を誰かに見られた場合、かなり遠くからでもボールの存在がバレてしまうだろうこと。

 

「それに今はまだ1つだが、もし2つになったらどうする? 両手が塞がってしまうだろう?」

「でも……そうだ! 父様と私に尻尾が生えれば、一度に3つまで持てます!」

 

 子供らしくも必死に主張する娘に、父親は優しい顔で言った。

 

「ナッツ、ドラゴンボールが全部でいくつあるか、知っているか?」

「そうですね……」

 

 ナッツは自分の持つボールを見る。昨日から何度も見ているが、中に4つの星のマークが入っているのだ。ということは。

 

「4つですね!」

「全部で7つだ。ナッツ」 

「ええっ!?」

 

 少女は衝撃を受ける。予想以上に多い。1人3つ持っても1つ余る。ということは。

 

(どこかに隠すしか無いということね……)

 

 ナッツは小さくため息をつく。せっかくナメック星人達からもらった思い出の品を、持ち歩けないのは残念だった。

 

「その辺の海に沈めておけ。大丈夫だ。後で必ず取りに来る」

「……わかりました、父様」

 

 少女は洞窟の近くの水辺にボールを沈め、空からでも見えないことを、ベジータが確認する。

 

「よし、この場所を良く覚えておけよ」

「もちろんです、父様。決して忘れません」

 

 ナッツは気持ちを切り替える。これで自分達が喋らない限り、フリーザ達の手にボールが渡る事はないのだ。自分がずっと持ち歩くより、余程安全だろうと思った。

 

 

 

「父様、今日は最長老という人に会って、ドラゴンボールを回収するんですか?」

「そうしたいところだがな……ザーボンの位置を調べてみろ」

 

 ナッツは父親が示した方向に意識を集中する。

 

 フリーザから離れた場所に、ザーボンの気配と、兵士らしき戦闘力2000程度の弱い気配が見つかった。しばらく観察していると、彼らは二手に分かれたようだった。

 

「奴らもドラゴンボールを探しに出たんでしょうか?」

「おそらくな。村なりナメック星人なりを、スカウター無しで地道に探しているんだろう。ザーボン様自ら、ご苦労な事だ」

 

 ベジータは小さく笑う。ここでフリーザの手駒を削っておくに越したことはない。それに万が一悟飯が奴に遭遇して殺されでもした場合、娘がどれだけ悲しむか、考えたくもなかった。

 

(違う!! 何でオレがカカロットのガキを心配する必要がある!?)

 

 自分の心を認めたくない父親は、ぶんぶんと頭を振ってから、娘に言った。

 

「オレはザーボンをやる。兵士の方を頼めるか? 今のお前にはつまらん相手だろうが……」

「はい、父様! 私がやります!」

 

 父親の役に立てる事が嬉しくて、ナッツは満面の笑みで言った。

 

 その笑顔を見て、父親は安心する。空元気かと思っていたが、どうやら立ち直ったらしい。

 

(オレの気にし過ぎか……)

 

 自分が思っているよりも、娘は強くなっているようだった。誇らしく思いながら、その頭を撫でる。

 

「ナッツ、格下相手でも油断はするなよ」

「はい! 父様もお気をつけて!」

 

 そして二人はお互い手を振りながら、それぞれの相手のいる方へ飛び立って行った。

 

 

 

 

 時間はやや遡る。フリーザの宇宙船から、少し離れた空の上。

 

 ザーボンはナメック星の大地を見下ろしながら、長く青い頭部を持つ兵士、アプールからの報告を受けていた。

 

「我々がまだ襲っていない村、か」

 

「はっ。ですが村人はおらず、死体や戦闘の形跡もなく、ドラゴンボールもありませんでした」

「村を捨てて逃げたか……厄介だな」

 

 ザーボンは顔をしかめる。村という目立つ目標が無ければ、持ち出されたであろうボールを探す事は難しい。しかも今はスカウターも無いのだ。

 

「とにかく、逃げたナメック星人を探すぞ。私は向こうを探す。お前はあっちだ。3時間後にここで合流。30分待っても片方が現れないか、不測の事態が起こった場合は宇宙船に戻る。いいな」

「はっ! ……しかし大丈夫でしょうか?」

 

「何がだ、アプール?」

「行方不明のドドリア様のように、ベジータに襲われるのでは……」

 

 不安そうな顔をする部下に、ザーボンは小さく笑って言った。 

 

「来るとすればまず私の方だろう。お前は安心して自分の仕事に集中しろ」

 

 不敵な笑みを浮かべるザーボンの姿に、アプールは頼もしさを感じた。

 

 今回のドラゴンボール探しは急に決まった事で、フリーザ様の親征だというのに、集められた兵士の数もごくわずかだった。その少ない兵士もとうとう自分だけになってしまったが、この分ならどうにか生き残れそうだと、アプールは安堵した。

 

 

 アプールと別れ、自らもナメック星人を探しながら、ザーボンは考える。

 

 彼の言ったとおり、フリーザ様から離れれば、ベジータはかなり高い確率で、自分を排除しに来るはずだった。ドドリアがまだ戻らないのも、おそらくベジータの仕業なのだろう。

 

 キュイの報告によると奴と娘は尻尾を失い、大猿に変身できないらしい。最後にスカウターで確認できた奴の戦闘力は約23000。使いたくはないが、自分が醜い姿になれば、返り討ちにできるだろう。戦闘力が5000にも満たない娘については、考える必要すらない。

 

(命の危機にでもならない限り、変身などしたくはないが……)

 

 既にギニュー特戦隊まで呼ばれている。住民が特殊な能力を持ち、価値の高いあのヤードラット星の攻略を後回しにするほど、フリーザ様は本気だという事だ。ベジータを放置して万が一にも出し抜かれ、フリーザ様の怒りを買った場合、自分も無事では済まないだろう。

 

 それに以前ナメック星人を逃がした、地球人らしき奴らの正体もわかっていない。不確定要素は、できるだけ排除しておきたかった。

 

 

 そこでザーボンは、自分に向けて高速で接近してくる人影を見つけ、停止して待ち構える。遠くに見える影は見る間に大きくなっていき、やがて堂々と彼の前に現れたのは、旧式の白い戦闘服を着たベジータだった。

 

「お仕事中に失礼するぜ、ザーボンさんよ」

「まんまと現れたな、ベジータ」

 

 二人は睨み合い、互いに口角を吊り上げて笑う。

 

「フリーザの腰巾着も今日で終わりだ。ドドリアと同じ場所へ送ってやる!」

「ほざけよベジータ。貴様の首をフリーザ様への手土産にしてやろう……!」

 

 一瞬後、二人の戦士の身体が吹き上がる気に包まれ、激しい戦闘が開始された。

 

 

 

 

 同時刻。彼らからやや離れた場所で、アプールは荒い息をつきながら、たった今殺した、ナメック星人の老人の死体を見下ろしていた。彼の戦闘服は軽く破損しており、戦闘の跡が伺えた。

 

「くそっ、こいつが抵抗なんてしなければ……!」

 

 隠れていたナメック星人を偶然見つけたまでは良かったものの、痛めつけながら尋問しても情報を喋らず、ついには攻撃してきたので反射的に殺してしまったのだ。

 

 明らかな失態だった。ザーボン様に何と報告すればいいのか。

 

「この、役立たずめ!」

 

 蹴り飛ばされた老人の死体が宙を舞い、いつの間にかそこに立っていた、少女の足元に転がった。ナッツは呆然とした顔で、老人の死体を見つめている。

 

 彼女の姿に狼狽したアプールが後ずさる。たった一人でいくつもの星を攻略し、住民を皆殺しにしている冷酷なサイヤ人の少女の話は、フリーザ軍の内外で知れ渡っていた。

 

「べ、ベジータの娘だと! 何でこんな所に!?」

「あなたを殺しに来たのよ。それはそうと……」

 

 少女に睨まれた瞬間、アプールは自らの死を意識した。

 

 子供のものとは思えないほど、凍えるように冷たい瞳が、真っ直ぐに彼の心臓を貫いた。

 

 

「……このナメック星人、お前が殺したの?」

 

 

「ひ、ひぃっ!?」

 

 アプールは少女に背を向けて全速力で飛び立ち、その場を離脱した。ナッツは追わない。あの程度の速度なら、いつでも追いつける。今はそれよりも、大事なことがあった。

 

 少女は屈み込み、ナメック星人の老人の遺体を確認する。見覚えのある顔だった。あの村で言葉を掛けてくれた人だった。致命傷の他にも、細かい傷が無数にあった。情報を聞き出すために苦しめて殺したのだと、知りたくなかったが、わかってしまった。

 

 あの兵士は傷ついていた。穏やかで争いを好まないはずのナメック星人が、最後に戦う事を選んだのだ。戦闘民族であるナッツには、その気持ちが理解できた。

 

「あんな奴にいいようにされて、殺されてしまうのが、悔しかったのね」

 

 遺体の目を閉じさせ、姿勢を整える。戦って死んだ者に敬意を示してから、ナッツは立ち上がり、アプールの飛んで行った方角を睨み付ける。

 

「安心して眠って。あなたの仇は、私が取ってあげるから」

 

 そして少女は戦闘力を限界まで高め、飛び立った。

 

 

 

 

(捕まったら殺される!)

 

 焦りながら全力で飛ぶアプールの耳に、大気を裂く鋭い音が届く。凄まじい速度で、背後から迫りくる重圧を感じた。

 

「こ、殺されてたまるか!」

 

 アプールは逃走を諦め、振り向きながら全力のエネルギー波を放つも、そこには誰もいなかった。

 

「……え?」

 

 困惑するアプールの後頭部が、小さな手に掴まれる。背後に浮かぶナッツが、彼に掌を向けながら冷たい声で言った。

 

「捕まえたわ」

「た、助け」

 

 言い終わる前に、至近距離から放たれた赤いエネルギーの奔流が、彼の全身を飲み込んだ。

 

 

 

 全身を焦がしながら、地面に落ちたアプールが痛みに呻く。かなりのダメージを負っていたが、まだ生きている。即死させないように、ナッツは攻撃の威力を手加減していた。

 

 降り立った少女は倒れた彼を見下ろしながら、ネズミを捕えた猫のような表情で笑う。

 

「じわじわと殺される気分を、教えてあげるわ」

 

 アプールの悲鳴と怯えた顔が彼女の嗜虐心を甘く刺激し、邪悪な歓喜が心を満たす。

 

 昔を思い出す。殺された老人の姿がちらつく。今は思いっきり、残酷になりたい気分だった。

 

(こいつで遊ぶ暇は、どれくらいあるかしら?)

 

 ナッツは父親とザーボンの気配を確認する。父様の勝ちに決まっているが、もし長引くようならば、こっちも時間を掛けようと思っていた。

 

 その瞬間、ザーボンの戦闘力が一瞬で大きく膨れ上がるのを感じ、少女の背筋に震えが走る。

 

「!? な、何よこれ!?」

 

 そして父親の戦闘力が落ちていくのを感じたナッツは、迷わずその場を飛び立ち、全速力で父親の元へと向かって行った。

 

 

 あっという間に少女の姿が見えなくなったのを確認してから、アプールは身を起こし、まだ動悸の激しい心臓を押さえながら安堵の息をついた。

 

「助かった……しかし今のは何だったんだ?」

 

 殺しに来たと思ったら、いきなり訳のわからない事を言ってどこかへ行ってしまった。きっと頭がおかしいのだと、アプールは思った。

 

 

 

 

 ナッツが戦場に近付いた時、既に父親の戦闘力は、見る影もなく低下していた。

 

「父様……!」  

 

 少女は唇を噛みながら、すぐにでも駆けつけたい気持ちを抑えて地面に降り立ち、岩陰に隠れて戦闘力を下げる。父親をこうまで追い詰める相手に、正面から挑んでは殺されるだけだとわかっていた。

 

(私が父様を助けないと……!)

 

 地球での出来事を思い出す。あの時は尻尾があったが、今は変身できない。身体の震えを押し殺しながら、ナッツは膨れ上がったザーボンの気配に近付いて行った。

 

 そしてナッツは、ザーボンに抱えられた父親が、猛烈な勢いで地面に叩き付けられる姿を見た。上がりそうになる悲鳴を、口元を抑えて止める。戦闘の影響か、崩れた地形に水が流れ込み、動かない父親の身体を沈めていく。その身体から、戦闘力はほとんど感じられなかった。

 

 すぐにでも助けに行きたかったが、上空にはまだザーボンがいる。どうか死んだと思って立ち去って欲しいと、ナッツは祈るように上空を見上げる。そして遠目に見る彼の姿に、違和感を覚える。あんなにがっしりした体格で、口が耳元まで裂けた、怪物のような顔をしていただろうか。

 

 やがて付近が湖のような状態となり、完全に沈んだベジータが上がってこないのを確認すると、ザーボンは彼女が見知った姿となり、飛び去って行った。遠ざかっていくザーボンの様子を、ナッツは油断なく注視しながら考える。

 

(あいつも変身型の宇宙人だったのね……サイヤ人の大猿には及ばないけど、あんな奥の手を隠していたなんて)

 

 そして彼が戻ってこないのを確認し、ナッツは静かに水中に潜る。気配を探ると、父親はすぐに見つかった。ボロボロの身体で、それでも自力で水面へ上がろうとしている。ナッツは急いで近づき、傷付いたその身体を強く抱きかかえた。

 

 娘の姿を見た父親が一瞬驚き、そして弱々しく笑う。ナッツは安堵しながらも、ザーボンに対する怒りで、視界が真っ赤に染まるのを感じていた。

 

(尻尾が生えたら、あいつは真っ先に殺してやる!!)

 

 ぐったりとした父親を抱えて水面を目指しながら、少女の心に復讐の炎が燃えていた。

 

 

 岸に上がり、父親の状態を確認したナッツの顔が絶望に染まる。既に意識がなく、地球での時と同様、いや、それ以上に衰弱している。

 

 治療しなければ、父様は死ぬ。しかし今メディカルマシーンは使えない。フリーザ軍の基地に無理矢理乗り込もうとしても、近づいた途端に撃ち落とされるだろう。

 

(ナメック星人の隠れ場所、聞いておけば良かった……!)

 

 少女の顔が悔恨に歪むも、後悔している暇はなかった。今からでも探すしかない。

 

「待っててください、父様……!」

 

 ナッツが飛び立とうとしたその時、彼女の前に、端正な顔をした、緑色の肌の男が降り立った。予想外のその姿に、驚愕した少女の動きが止まる。

 

「そ、そんな……」

 

 父様が死んだと思って、離れて行ったはずではなかったのか。

 

「ザーボン……!」

「どうやら子ザルの方も釣れたようだな。探す手間が省けた」

 

 笑うザーボンの様子に、ナッツは自分がまんまと誘い出されたのだと気付き、怒りに拳を握り締める。

 

「よくも父様を!」

 

 少女は即座に戦闘力を跳ね上げ、ギャリック砲を撃ち放つ。ザーボンは迫る赤いエネルギー波をあっさりと右手で弾いた。背後の岩山が爆発し、結ばれた彼の髪が大きく揺れる。

 

 ザーボンはそのまま右手を上げ、ぶれながら目の前に出現したナッツの蹴りを防ぐ。

 

「はあああっ!!」

 

 ナッツはそのまま拳と蹴りにエネルギー弾まで交えた連撃を繰り出すも、全力の攻撃は全て片手であしらわれてしまう。その光景は、二人の間の圧倒的な戦闘力の差を示していた。

 

「どれ、少し遊んでやるか」

「……っ!」

 

 ザーボンの姿が一瞬で消える。背後にいると気配を感じ取れたが、反応が追いつかなかった。死角から痛烈に蹴られ、吹き飛ばされた少女の身体が地面を跳ねる。

 

「死んだか?」

「ま、まだよ……!」

 

 ふらつきながらも、ゆっくりとナッツは起き上がる。父様の命が掛かっている。ここで倒れるわけにはいかなかった。強い意志を宿した瞳が、ザーボンを睨み付ける。

 

「……ほう?」

 

 そんな少女の姿を見て、ザーボンはわずかに感心する。野蛮人の娘だが、王族というだけあって、自分には及ばないまでも華やかさがある。そういえば彼女の母親も、中身はともかく、見てくれだけは悪くなかったと思い出す。

 

 ザーボンは口の端を歪めて笑う。フリーザ軍の一部で騒がれているらしい、その整った顔が絶望に歪む様を見てみたいと思った。

 

「いじましく戦闘力を上げているそうだな。もしかして、いずれはフリーザ様に届くと思っているのか?」

「……ええ、そうよ。母様の仇を討つために、届かせなければならないのよ」

 

「ならお前にも絶望を教えてやろう。フリーザ様もお前達と同じ、変身型の宇宙人だ」

「何ですって……!」

 

 ナッツは驚く。まさかフリーザも大猿のように変身するのだろうか。

 

(ただでさえギニュー隊長の数倍は強いと見ていたけど、更にその上があるってわけね……!)

 

 だがそのくらいで、諦めるわけにはいかなかった。母様が死んだあの日、フリーザがどれほど強くても、父様と私がいつか倒してみせると誓ったのだ。

 

「それがどうしたっていうの? 私達サイヤ人は戦闘民族。戦えば戦うほど強くなるのよ!」

「その機会があればの話だがな」

 

 折れようとしない少女を、苛立ったザーボンがさらに蹴り飛ばす。ナッツは再度起き上がろうとするも、身体に力が入らず倒れてしまう。

 

「どうした? サイヤ人は強いんじゃなかったのか?」

 

 少女は悔しさに震え、唇を噛む。父様の力も自分の力も、こんなものではないはずなのに。

 

「大猿にさえなれれば、お前なんて……!!」

 

 ザーボンが嫌悪に顔をしかめる。優美さから全く掛け離れた、その単語を聞く事すら不快だった。

 

「好き好んであんな醜い姿になりたがるなど、理解できんな」

「あの姿は私がサイヤ人である事の証よ。忌避する理由は無いわ」

 

 醜い姿。高い戦闘力を得られるあの変身を隠していたのは、そういう事か。くだらない拘りだと、ナッツは嗤う。

 

「たかがその程度の理由で、力を出し惜しんでいたなんてね。理解できないわ」

「貴様ぁ!!」

 

 ザーボンは倒れたナッツを蹴り飛ばす。血を吐きながらも、嘲るような笑みは崩れない。

 

 殺そうと掌を向けたところで、ザーボンはより目の前の少女を苦しめる方法がある事に気付き、その掌をベジータへと向け直して言った。

 

「気が変わった。先に父親の方から殺してやるとしよう」

「! やめて!」

 

 ザーボンはニヤリと笑う。狼狽し、懇願するナッツの姿に、溜飲が下がる思いだった。

 

 

(このままじゃあ、父様が殺される……! 奴を止める方法は……!)

 

 奴らが欲しがっている物。考える猶予もほとんどなく、少女はとっさに浮かんだ言葉を叫ぶ。

 

「父様を殺したら、ドラゴンボールは手に入らないわよ!!!」

「な、何っ!?」

 

 ザーボンの頭の中で、思考が目まぐるしく錯綜する。こいつらもボールを手に入れて、どこかに隠したのか? 父親の命惜しさに出鱈目を言っている可能性が高いが、無視するわけにはいかない発言だった。

 

「ボールの在り処を知っているのか? どこで見つけた?」

 

 ザーボンの掌に光が収束し始める。意識の無い父親の戦闘力は、少しずつ0に近づこうとしている。ナッツは父親を助ける方法を必死に考えながら、言葉を紡ぐ。

 

「……隠れていたナメック星人を、偶然見つけて殺したら持っていたのよ。父様がどこかに隠しに行って、私はその場所を知らないわ」

 

 ザーボンは住民が消えた村の事を思い出す。この二人が先に村を見つけたのなら、住民は皆殺しにされているはずだ。偶然ボールを手に入れたという話には、それなりの信憑性があった。

 

 娘が隠し場所を知らないという話の真偽は不明だったが、瀕死のベジータが死んでしまってから、本当だったと気付いても手遅れになる。その時フリーザ様の怒りが誰に向かうのか、考えたくもなかった。

 

「なるほど、ベジータを生かしておく必要があるわけか。まあサルなりによく考えたものだが、問題はない」

 

 ザーボンは少女の顎を掴み、自らの顔を近づけて笑う。

 

「貴様を目の前で痛めつけてやれば、さぞかし奴は素直になってくれるだろうからな」

「……っ!? そんな!」

 

 ザーボンは叫ぶナッツの首筋に手刀を打ち込み、気絶させた。別に難しい話ではなかった。話せる状態にまでベジータを治療し、娘を盾に情報を吐かせた後、二人とも殺してしまえばいい。

 

 倒れたベジータからスカウターを回収する。仮に奴らがボールを持っていなくとも、これを使えば生き残りのナメック星人達を探す事ができる。

 

「スカウターまで手に入るとは運が良い。フリーザ様に献上すれば、さぞお喜びになるだろう」

 

 これだけでも十分な収穫だった。ザーボンは意識の無い二人を抱え、高笑いをしながら、宇宙船へと飛び立った。




 というわけでザーボンの話です。強さ的に主人公がなかなか活躍できない感じですが、あんまり鬱屈とした話にならないようにしていきたいと思っております。

 次の話も今回と似たような感じで、二人が逃げようと頑張る話になる予定です。
 投稿は遅くなるかもしれませんが、気長にお待ちくださいませ。


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6.彼女と父が逃げ出す話

 フリーザの宇宙船に戻ったザーボンは、ベジータをメディカルマシーンに入れた後、意識の無いナッツに銀色の首輪を装着していた。

 

 同じく宇宙船に帰還して、それを見ていたアプールが、怯えた様子で言った。

 

「ザーボン様、そいつは今のうちに殺してしまった方がいいのでは……?」

「できればそうしたいところだがな。ベジータに対する人質だ。今はまだ殺せん」

 

「ですが、こいつが目を覚まして暴れたらと思うと……」

 

 先ほど殺されかけたアプールにとって、残酷に笑う少女の姿は軽いトラウマになっていた。

 

「心配するな。こいつはもう我々に逆らえなくなっている」

 

 ザーボンが薄く笑ったその直後、横たわっていたナッツが身じろぎしながら目を開き、傷付いた身体の痛みに呻く。

 

「うう……父様……」

「起きたか。ちょうどいい」

 

 ザーボンが手元のスイッチを押した瞬間、首輪から少女の身体に高圧電流が流れた。

 

「ああああああああっ!!!!」

 

 見えるほどの電流に全身を焼かれ、ナッツは悲鳴を上げながら床をのた打ち回る。十数秒後、電流は停止したが、気絶した少女はぴくりとも動かない。

 

 ナッツが着けられたのは、捕虜や奴隷用の電撃首輪だ。対象を激痛とショックで行動不能にする。最大に調整した電圧は非戦闘員なら即死するレベルだが、生命力の強いサイヤ人を相手には、これくらいでちょうどいいとザーボンは考えていた。

 

 ザーボンは身体から白い煙を上げる少女の身体を抱え、捕虜を収容するための牢へ放り込んだ。受け身も取れず床に落ちたナッツの戦闘力を感知して扉が閉まり、自動で施錠される。

 

「お前はベジータを見張って、目を覚ましそうになったら娘を確保しておけ。首輪のスイッチは預けておく。こいつがおかしな素振りを見せたら遠慮せず使え」

「はっ、かしこまりました!」

 

「頼んだぞ。私は少し休んでから、フリーザ様へ報告に行ってくる」

 

 フリーザ様へ会う前に身嗜みを整えておきたかった。ベジータとの戦いで汚れた戦闘服を着替えて、身を清めて香水も付け直さねばならない。

 

 それに心を落ち着けたかった。自分を蔑み笑う少女の顔を思い出し、怒りに身が震えるのを感じる。子供とはいえ女性からあのような目で見られたのは、生まれて初めての経験だった。

 

(何なんだあの娘は……あの父親の教育のせいか?)

 

 彼が重んじる美しさというものに、全く価値を感じていない、いや、戦闘力しか頭にないかのようだった。肩のあの傷跡など、どうしてすぐに消してしまわないのか理解できない。

 

 なまじ整った容貌を持っているだけに、それを無駄にするかのような彼女の在り方が、いっそう腹立たしかった。

 

 

 

 残されたアプールは、落ちていた首輪の鍵に気付き、拾い上げた。どうせ外すつもりはないからと、存在を忘れていたのだろう。少し迷ってから、スイッチと一緒に懐へ仕舞う。

 

 壊した方がいいかと一瞬思ったが、あの少女が死んだ後で首輪を再利用するには必要だろう。これもフリーザ軍の備品だ。後で経理担当に追及されて、給与から引かれてしまってはたまらない。

 

「これからベジータの見張りか。できれば他の奴と交代したいんだがなあ」

 

 ぼやいてみるも、既に兵士は自分以外に残っていない。まあ生き残れただけ上等かと、アプールはため息をつきながら廊下を歩いていった。

 

 

 

 ナッツが牢に放り込まれてから、3時間ほどが経過した。

 

 ようやく意識を取り戻した少女は、ふらつきながら身を起こし、辺りを見渡した。

 

(ここは……フリーザの宇宙船?)

 

 前に軍の式典で1度来た事があり、壁の材質などに見覚えがあった。自分がここに連れてこられたという事は。

 

「父様は!?」

 

 ナッツは意識を集中し、父親の気配を探す。そして同じ宇宙船の中に、回復しつつある温かな気配を感じ取り、安堵の息をつく。どうやら彼女の目論見どおり、治療を受けているようだった。

 

「良かった……父様……」

 

 父親までいなくなったら、自分がどうなってしまうのか、少女にはわからなかった。ただ、とても怖かったから、そんな事にならなくて良かったと心の底から思った。

 

(けど、このままじゃあ、きっと殺されちゃうわ……!)

 

 少女は気を引き締める。自分が人質に取られているのだ。死ぬくらいなら、いっそ自分を見捨てて欲しいと思うが、父様は絶対にそれをしないだろうと確信できた。それはとても嬉しかったけど、父様に迷惑を掛けるわけにはいかない。

 

(まず、ここから逃げ出す事を考えないと)

 

 少女は周囲の状況を確認する。捕虜を収容するためだろうか、最低限の生活用具と寝床だけの殺風景な部屋だった。その分、壁や床、扉はかなり頑丈そうだ。扉は当然施錠されており、手を掛けても開かない。

 

 そして自らの首に嵌められた首輪に気付き、あまりの屈辱に身を震わせる。

 

(この首輪、奴隷用じゃない! 王族の私にこんな物を着けるなんて……!)

 

 怒りに任せて金属製のそれを両手で掴み、引き千切ろうと力を込めた瞬間、再び少女の身体に電流が走る。全身を焼かれる激痛にナッツは悲鳴を上げ、倒れ伏す。

 

 数分後、少女は呻きながら身体を起こす。力づくで外す事は難しそうだった。吹き飛ばしたり切断する事も思いついたが、そちらも対策がされていないとは思えない。少なくとも、すぐに試す気にはなれなかった。

 

(この際、首輪は後回しでいいわ。フリーザやザーボンの気配は……十分離れているわね)

 

 ナッツは戦闘力を高め、扉に向けてゆっくりとギャリック砲の構えを取る。電流に焼かれた身体はまだ痛むが、今はそんな事を言っていられなかった。

 

「はああああっ!!」

 

 少女の両手から発せられた赤いエネルギー波が扉を直撃し、爆発する。だが表面がわずかに焦げただけで、凹む様子すら見えない。

 

「っ! このおおおおっ!!!!」

 

 ならばと拳と蹴りでひたすら扉を打撃する。そのまま数十発の連打を叩き込むも、扉はびくともしなかった。ナッツは肩で息をつきながら、出血で赤く染まった拳を見る。彼女の父親と比べて、まだあまりにも小さい子供の手を。

 

「……っ!!」

 

 握り締めた赤い拳を、ダン、と扉にもう一度叩き付けた。悔しさに溢れそうになる涙を、必死に堪えて唇を噛む。

 

「私に、もっと力があれば……!!」

 

 自分がまだ子供で、無力である事が悔しかった。力さえあれば、父様をあんなに傷付けたザーボンに、良いようにされてしまう事もなかった。力さえあれば、こんな牢などすぐに破って父様を助けに行けた。力さえあれば、今もこの宇宙船の中にいるフリーザを、今すぐ殺してやれるのに。

 

(今すぐ都合よく尻尾が生えるって事は、無いわよね……)

 

 パワーボールで大猿化すれば、こんな牢など内側から壊せる自信があった。そのままザーボンを殺してメディカルマシーンごと父様を回収して。

 

 そうして逃げようとしたところで、目の前にフリーザが立ち塞がる光景を想像し、少女はため息をつく。尻尾があろうと同じことだった。今の自分の戦闘力が10倍になろうとも、まだフリーザには遠く及ばない。大猿の巨体では逃げ隠れもできず、確実に殺されてしまうだろう。

 

(それにフリーザは変身型の宇宙人らしいけど、このとんでもない状態から、更に変身して強くなるっていうの?)

 

 ザーボンの変身を思い出す。あれは確かに強かったが、それでも増した戦闘力は2倍以下のはずだ。フリーザも同じくらいで済まないかと一瞬思ってしまったが、そんな甘い考えではいけないと頭を振る。サイヤ人の大猿と同じように、10倍くらいを想定しておくべきだ。

 

 だとしたら真っ当に戦うには、今のこのフリーザに素の戦闘力で並ばなければならない。十数年間、今の父様のような大人になるまで鍛えたとしても、難しいかもしれない。

 

(やっぱりドラゴンボールで父様を不老不死にするしか、フリーザに勝つ方法は無いのかしら……)

 

 ピッコロというナメック星人を生き返らせたいと言っていた、悟飯の顔が頭に浮かぶ。できるなら、彼の願いを叶えてあげたかった。私が強ければいいのにと、改めて思った。

 

 

 それからしばらくの間、ナッツは粗末な寝台に横たわり、脱出の方法を考えながら、体力の回復に努めていた。自分と同様に、父親も回復していくのを感じながら、少女は焦りを感じていた。

 

(早くしないと。おそらく父様が完治する前に、人質の私を連れ出しに来るに違いないわ……)

 

 一刻も早く逃げなければならないと思うが、良い方法は思いつかない。父様の足手纏いになるわけにはいかない。最悪の場合、抗って死ぬ覚悟をナッツは固めつつあった。自分さえいなければ、回復した父親はどうにでも逃げ出せるはずだと信じていた。

 

 その時ふと思い出す。牢の天井付近に付けられた機器、あれは戦闘力を測定する機械だったはずだ。フリーザ軍の施設の入口は、登録された人間の戦闘力を感知して開閉するようにできている。牢の扉も同じ仕組みだとしたら。

 

「もしかして、戦闘力を0にできれば……?」

 

 中にいないと判断されて、開くかもしれない。ナッツは扉の前に立ち、目を閉じて意識を集中する。少女の戦闘力は少しずつ下がっていくが、50前後で止まってしまい、それ以上は下がらない。

 

(こうしている間にも、誰か来るかもしれないっていうのに……!)

 

 その焦りが、ますます集中を阻害する。サイヤ人としての少女の気質は、こうした細やかな気のコントロールに向いていなかった。

 

「……こんな事なら、悟飯からコツを聞いておくんだったわ」

 

 少年と二人きりで過ごした、あの穏やかな時間を思い出す。自分の認めた強い相手が傍にいるのに、すぐに戦おうとは思わなかった。もっとずっと、話をしていたいと思った。幸せだった時間を思い出し、こんな時だというのに、目を閉じた少女の顔に、見惚れるような笑みが浮かんだ。

 

 次の瞬間、スカウターのような電子音が鳴り、扉が開かれた。

 

「……できた」

 

 少女は一瞬呆然とし、それからザーボンとフリーザの気配が近くに無い事を急いで感知すると、静かに部屋を出た。目指すは宇宙船の治療室。詳しい場所は判らなかったが、既に完治しつつある、父様の気配が教えてくれる。

 

(まずは父様と合流しないと……!)

 

 そして廊下を歩き出した時、少女の首輪から、全身に高圧電流が走った。激痛に声も出せず倒れる間際、視界の端に、驚いた顔の兵士が立っているのが見えた。

 

 

 

 アプールはナッツが倒れるのを見て、首輪のスイッチを片手に、安堵の息をついた。

 

 回復しつつあるベジータが一瞬目を開けたような気がして、怖くなって人質を確保しておこうと思ったが、危ない所だった。

 

(どうやってこいつ、牢から出たんだ? 故障か?)

 

 まあとにかく、逃げられる前に気付いて良かったと、アプールはナッツに近づく。小さな身体を持ち上げようとして、まてよ、と一瞬考える。

 

(運ぶ途中で目を覚ますかもしれないし、もう1回くらい、電撃を入れておいた方がいいかな?)

 

 意識が逸れたその一瞬、小さな手に足を掴まれる。嫌な音と共に、足首の骨が砕かれた。

 

「……なっ!?」

 

 そのまま凄まじい力で引き倒され、痛みに悲鳴を上げようとした口に拳が叩き込まれる。押そうとしたスイッチが、指ごと握り潰される。

 

 倒れたアプールが怯えた顔で、馬乗りになった少女を見上げる。激痛の余韻で獣のように荒く呼吸しながら、怒りに歪んだ顔で彼を見下ろしている。そして拳を振り上げ、頭へと振り下ろす。

 

 それがアプールの見た、最後の光景だった。

 

 

 

 少女は奪った鍵を首輪に差し込み、慎重に回す。やがてカチリという音と共に首輪が外れ、床に落ちる。自らの首を撫でながら、ナッツは大きく息を吐いた。

 

 尻尾を切られた時ほどの痛みではなかったが、戦闘の負傷による痛みと違い、対象を痛めつけ、屈服させるよう計算された苦痛には、慣れるのに時間が掛かってしまった。

 

(覚えてなさいよ……いつかこの分も返してあげる)

 

 ナッツは返り血を手の甲で拭い、死体を牢に入れて隠してから、父親の気配の方向へ向かった。ザーボンやフリーザにはまだ気付かれていないようで、こっちに来る様子はない。

 

 そしてナッツは宇宙船の一室で、コードと呼吸器に繋がれ、メディカルマシーンの中に浮かぶ父親を見つけた。

 

「父様!!」

 

 安堵に顔を輝かせながら、少女はメディカルマシーンに駆け寄った。脱がせる手間を惜しんだのか、ボロボロの戦闘服のまま治療液に漬けられている。ナッツはその乱暴な処置に、一瞬怒りを覚えた。お医者様がこんな光景を見たら、自分以上に怒るだろう。

 

(服を脱がせないなんて! 治療速度が遅くなるし、治療液に不純物が混じっちゃうじゃない!)

 

 後で掃除するのが大変なのだと、お医者様が愚痴っているのを聞いた事があった。とはいえ既に父親の傷がほとんど癒えている事は、温かな気配で感じられた。一時は死に掛けていた父親の回復が嬉しくて、少女は父親の浮かぶ円筒に手を触れて微笑む。

 

(父様、本当に良かった……!)

 

 その時、父親がうっすらと目を開けた。そして娘の姿を確認し、一瞬驚いた様子を見せるも、周囲にザーボンやフリーザがいない事に気付いたのか、安心したような表情となった。そして治療液に満たされた円筒の内側から手を伸ばし、強化ガラス越しに、娘の小さな手と自らの手を重ね合わせる。

 

 少しの間、見つめ合う二人の間に穏やかな時間が流れた。フリーザの気配が近くにあるのに、こんなに幸せな気分になれるなんてと、少女は少しおかしくなって笑った。

 

「父様、今そこから出して差し上げます」

 

 ナッツはメディカルマシーンの操作盤を確認する。大まかな操作のやり方は、昔医務室に遊びに行った時に教わっていた。"治療開始"と"終了"の操作だけでも覚えておけば、最低限の治療はできるという話だった。目の前のメディカルマシーンは見慣れぬ最新式だったが、目当てのボタンはすぐ見つかった。

 

 少女が機械を操作すると、治療液が排出されていき、完全に排出されたところで円筒が開いた。父親が自ら呼吸器とコードを外したところで、走り寄った娘が、治療液に濡れたままのその身体に抱き付いた。

 

「父様! ご無事で良かったです!」

 

 父親も身を屈めて視線を合わせ、娘の小さな身体をしっかりと抱きしめる。

 

「それはこっちの台詞だ。てっきり人質にされているものかと思ったが、逃げ出したのか。……本当によくやったな」

 

 感無量といった様子の父親からの賛辞に、ナッツは照れくさくなって笑う。

 

「そんな、私なんてまだまだです。父様があんな目に遭わされたのに、何もできませんでした。尻尾さえ生えていれば、この手で殺してやれたんですけど……」

 

 目に不穏な光を湛える娘の頭を、父親は優しく撫でる。娘の身体が負傷している事に気づき、それを負わせた人物に思い至って、怒りのままに獰猛な笑みを浮かべる。

 

「なに、あいつはオレがやるさ。オレだけじゃなく、大事なお前を、痛い目に遭わせてくれたらしいしな……!!」

 

 言葉と共に、ベジータの戦闘力が大きく跳ね上がる。父親の力が変身していたザーボンを上回っているのを感じ、ナッツは頼もしさと誇らしさに目を輝かせる。

 

(さすが父様! ザーボンの奴、父様を殺さなかった事を後悔するといいわ!)

 

 今すぐにその光景を見てみたいと少女は思ったが、さすがにフリーザが近くにいるこの状況では難しいだろうと考え直す。

 

「父様、気付かれないうちに、ここから逃げましょう」 

「……いや、せっかくだ。探しておきたい物がある」

 

 父親は娘を連れて廊下を歩く。何度かフリーザの宇宙船に来た事のあるベジータは、いつかこんな機会があるかと思い、その内部構造を把握していた。そして向かった倉庫で目当ての物を見つけ、予想が的中した事に笑みを浮かべる。

 

「やはり、ここにあったか」

「ど、ドラゴンボールが……5つも!?」

 

 ナッツは驚くと同時に困惑する。一人で持ち運べるのは2つが限度だった。1つは置いていく事になる。それに両手でボールを抱えた状態では、素早く逃げられないだろうし、いざという時に戦う事もできないだろう。

 

「と、父様、どうしましょう……?」

「全部奪うぞ。ドラゴンボールは揃えなければ意味が無い」

 

 迷いのない口調で、ベジータは言った。

 

「でもどうやって……」

「大丈夫だ。奴らにスカウターが無ければ、やりようはある」

 

 そして父親は娘に、自分の考えた作戦を説明した。

 

 

 

 時間は少し遡る。フリーザの部屋で、ザーボンが報告を行っていた。

 

「ベジータさんと娘を捕まえましたか。お手柄ですよ、ザーボンさん」

「ありがとうございます。この場に連れて参りましょうか?」

 

 フリーザは上機嫌な様子で笑う。

 

「ご冗談でしょう? サイヤ人のサルの子供など、この目で見ることすら不快です。情報を聞き出した後の始末は、ザーボンさんにお任せしますよ」

「はっ!」

 

 ザーボンは一礼し、懐から取り出したスカウターを差し出した。 

 

「フリーザ様、お喜びください。スカウターです。ベジータが持っていました」

「それは素晴らしい! ベジータさんは本当に役に立ってくれますね」

 

 フリーザは笑顔でスカウターを受け取り、装着して戦闘力のサーチを行ったが、何も反応が無く怪訝な顔となる。

 

「ザーボンさん。このスカウター、戦闘で故障したのでは……」

 

 その言葉に続くように、目の前の壁にスカウターから映像が投影された。年の頃2.3歳くらいの、戦闘服を着て尻尾を持った可愛らしい娘が、左右に揺れる母親の尻尾を、猫のように追いかけているシーンだった。ザーボンの顔色が、紙のように白くなった。

 

 二人の前で次々と映像は切り替わり、娘の姿は少しずつ成長していく。フリーザは動かない。ザーボンの顔に滝のような汗が流れる。

 

『わ、私の名前はナッツ! サイヤ人の王子、ベジータ父様の娘よ!』

 

 地球らしき場所で、少年に向かって名乗るシーンまで来たところで、フリーザは震える手でスカウターを外して床に叩き付け、破壊する。もう少し先にはナッツがドラゴンボールを入手したシーンも入っていたが、ついに確認される事はなかった。

 

「……ザーボンさん?」

「は、はいっ!」

 

 フリーザはにっこりと、とても良い笑顔で笑う。その額に青筋が浮かび、全身がぶるぶると震えている。

 

「あの娘を10分以内に殺して来なさい。遅れたら、わかっていますね?」

「はい!!! フリーザ様!!!」

 

 ザーボンは敬礼し、逃げるように部屋を飛び出した。

 

(ベジータ!! あのバカ親が!! 私の寿命が縮むところだったぞ!!)

 

 そして廊下を駆け、牢に辿り着いたザーボンは、開いたままの扉とアプールの死体を見つけ、驚愕する。

 

「い、いないっ!? しまった!!」

 

 次の瞬間、爆発音と共に宇宙船が揺れる。メディカルマシーンのある部屋の方からだと思われた。ザーボンはすぐさま走り出す。そして彼が見たものは、空になったメディカルマシーンと、破壊されたエンジンと、宇宙船の外壁に開いた大穴だった。

 

「お、おのれ、ベジータ……!」

 

 怒りと失態に震えるザーボン。そこへ爆発音を聞いたフリーザも駆けつける。

 

「ザーボンさん! 一体何が!」

「ベジータが逃げたようです! すぐに追って……!」

 

 再度の爆発音。そして少女の悲痛な声が響く。

 

「父様! 私はまだ宇宙船の中です! 助けてください!」

 

(……しめた! まだ娘と合流してはいなかったのか!)

 

 ザーボンはナッツを確保すべく走り出す。あの親馬鹿は娘さえ押さえれば、何もできないという確信があった。フリーザもその後に続く。しかし辿り着いた場所には、外壁に穴が開いているのみで娘の姿は見えない。

 

「ここから逃げたのか……? ならそう遠くには!」

 

 ザーボンが穴から出ると同時に、宇宙船の反対側で、一際大きな爆発が起こった。ドラゴンボールを置いてある部屋からだった。ベジータの狙いを悟った彼は、悔恨と共に叫ぶ。

 

「し、しまった……!!」

 

 

 

「でやああああ!!!!」

 

 宇宙船の外壁に開いた穴から投擲されたドラゴンボールが、凄まじい速度で飛んでいく。反対側に向かったフリーザ達からは、何が起こっているのか見えないはずだ。

 

「父様! これが最後です!」

「よし! 離れていろ!」

 

 娘がパスしたボールを、父親は助走を付けつつ素晴らしいフォームでぶん投げる。5つのドラゴンボールを素早く持ち出すには、これが一番の方法だった。

 

「逃げるぞ、ナッツ!」

「はい、父様!」

 

 近づいてくるフリーザとザーボンの気配から逃れるように、二人は宇宙船を飛び出した。そして全力で水辺を目指し、いつか二人でしたように、勢いのまま水中へ飛び込んだ。

 

 水面から差し込む光が、泳ぐ魚や色取り取りの生き物達の姿を照らし出す。前を行く父親に手を引かれ、繋いだ手から温もりを感じながら、ナッツは夢を見るような心地で、ふわふわと水中を飛んでいく。

 

 気配を探ると、フリーザはまだ宇宙船にいて、ザーボンは周囲を探しているようだったが、彼女達がこうして逃げているとは、気付いていないようだった。仮に空を飛んでいたら、フリーザに見つけられて、あっという間に捕まっていただろう。

 

 それにあの大きなボールを5つも奪ってみせた、その機転ときたら! 少女は憧れと尊敬の目で父親を見つめていた。

 

 父親の方も、そんな娘の視線を感じながら、彼女の成長を誇らしく思っていた。サイヤ人に相応しい気質を持ち、戦闘力の面でも目覚ましい成長を見せているばかりか、それに加えて、逃げる途中で聞いた娘の行動の内容は、彼の想像を超えていた。

 

 変身したザーボンに倒された時、もう助からないと思っていた。せめて一人で逃げてくれればと思っていたが、ドラゴンボールの情報のために、自分を生かすよう伝えたという。そして人質の身から、見事に脱出してみせた。同じ5歳の頃の自分に、これだけの事ができたかどうか。

 

 親の贔屓目を差し引いても、惑星ベジータさえ健在ならば、自分の後継として女王の座を目指せる器だろう。宇宙一可愛い自分の娘がさらに美しく成長し、王家の紋章が刻まれた戦闘服と赤いマントに身を包み、サイヤ人達に号令を下している姿を想像する。王になり損ねた事が、心底惜しいと思った。

 

 

 それから二人は時折水面に顔を出しながらも、空を飛ばずにボールの落ちた方を目指す。そして5つのボールがほぼ同じ場所に落ちているのを見つけたナッツが、喜びに叫ぶ。

 

「上手くいきましたね! 父様!」

 

 少女は込み上げる嬉しさに、顔が綻ぶのを抑えきれない。隠してある分も含め、これでドラゴンボールが6つも集まった。残る1つの場所もわかっているし、それを持つ最長老に会える段取りもついている。既に願いの実現は、手の届く場所にあると言えた。

 

(待ってなさい、フリーザ! 不老不死になった父様の手で、無惨に殺されるといいわ!)

 

「父様! さっそく最長老の所へ……」

 

 そこまで言ったところで、ナッツは足元がふらつくのを感じた。ザーボンとの戦闘と、首輪の電撃を受けた事によるダメージと疲労が、彼女の身体を苛んでいた。

 

(もうすぐ願いが叶うっていうのに、こんな所で……!)

 

 必死に平静を保とうとする少女の小さな身体を、父親が優しく抱き上げる。 

 

「と、父様! 私はまだ大丈夫です!」

「少し休め、ナッツ。お前はよくやった」

 

 穏やかなその声は、全てを見透かしているかのようで。ナッツは父親の温もりに包まれながら、静かに目を閉じた。

 

「……はい、父様。ありがとうございます」

 

 すぐに眠りに落ちた娘を、父親は安全な場所に横たえ、5つのボールも回収した。静かな寝息を立てる娘の頭を撫でながら、父親もまた、穏やかな顔で目を閉じた。

 

 

 

 同時刻、そこから少し離れた洞窟から、青い髪の女が現れた。

 

 最長老の所へ向かったクリリンからは、無闇に外へ出ないよう言われていたが、同じく留守番役の悟飯は寝込んでいるため話し相手にもならず、退屈を持て余して出てきたのだ。

 

「良い天気ねー。たまにはのんびり読書でもしましょうか」

 

 どこまでも明るいナメック星の空の下、彼女は手頃な岩に腰掛け、本を片手にくつろぎ始める。

 

「こんな日は、何か良い事起こりそうな気がするわ」

 

 彼女の人生の中で、今日が決して忘れられない一日になることを、この時のブルマはまだ知らなかった。




 というわけで、彼女が逃げ出す話です。原作を知らずに頑張れるのって、この子の長所の一つだと思うのです。(最終形態フリーザの戦闘力を見ながら)

 流れはほぼ原作準拠なのですが、前回と比べると結構明るい良い感じの話になったのではないかと思います。あの人もとうとう最後に出せましたし。

 電撃首輪は最新のブロリー劇場版に出てきた、小惑星バンパのどこからあんな物を調達してきたのか不明のあれですね。ネットを見ると「サイヤ人の子供用の教育アイテム」とか「パラガスが有り合わせの部品で作った」と諸説ありましたがどちらも闇深案件なので、この話では奴隷・捕虜用と解釈しました。どちらにせよそれを息子に着けてる時点でアレな気もしますが、まあ戦闘力差を考えれば気持ちは……ブロリーの方はパラガスに懐いてましたし……。
 
 次とその次の話は、ナメック星編で一番書きたかった話になる予定です。
 更新は少し遅くなるかもしれませんが、気長にお待ちくださいませ。


 それとこの長い話をここまで読んでくれた方々、ありがとうございます。やたら分量多くてシリアスだし捏造嫁出してるし原作味方キャラが主人公に殺され掛けるしで正直あんまり万人向けの作品では無いと自分でも思うのですが、それでも読んで下さる方がいる事が励みになっております。

 取っつき難い作品で絡みづらいとは思いますが、もしよろしければ、一言程度でもいいので感想などありますと作者としてとても嬉しいですと、どきどきしながら催促してみます。もっと他の方の作品みたいに感想欄に色々気軽に書いて欲しいなあと思うのですが、雰囲気重めなのがまずいのでしょうか……?


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7.彼女が彼女と出会う話

 ザーボンは焦っていた。あれから数時間探し続けていたが、逃げたベジータ達もドラゴンボールも見つからない。

 

「くそっ、このままでは、私がフリーザ様に殺されてしまう……」

 

 手掛かりもなく行き詰まりを感じていたその時、見覚えのある地球人が、遠くを飛んでいるのが見えた。

 

「ひゃっはーーー!!!!!」

 

 最長老に潜在能力を引き出され、軽くハイになっているクリリンだった。その手に抱えられた物に気付き、ザーボンは目を見開く。

 

「あれは、ドラゴンボール!」

 

 ザーボンは薄く笑う。どうやら、自分の命運は尽きていなかったらしい。どこかで拾ったのか、それともベジータ達と手を組んでいるのか。

 

(ここで殺すのは簡単だが、拠点を突き止めれば、残りのボールの在り処も判るかもしれないな)

 

 ザーボンは、見つからない程度に距離を離して後を追った。浮かれていたクリリンは、不運にもそれに気付かなかった。

 

 

 その頃、娘と父親は、崖に挟まれた隠れ場所の中で、捕まえた動物を焼いて食べていた。携帯食料の残りが少ないのもあるが、怪我をした娘にしっかりした物を食べさせてやりたいと、ベジータが狩ってきたのだ。

 

「うまいか? ナッツ」

「はい、父様! おいしいです!」

 

 ろくに下処理もせず、塩すら振っていない肉に、ナッツは大喜びで噛り付く。温かい食事は久しぶりだった。携帯食料と違って、水々しくて歯応えがあるのも良かった。

 

 あっという間に、二人は一頭を平らげた。そして少女が気持ち良さそうに、寝そべって食休みをしていた時、ザーボンの気配が近くを移動しているのを感じ、その眼差しが鋭くなる。同じ気配を感じた父親も身を起こす。

 

「ザーボンの奴、オレ達を探しにきやがったな」

「行きますか? 父様」

 

「当然だ。お前の分まで、借りを返してやる必要があるからな……!」

 

 そして5つのドラゴンボールをその場に残し、二人は飛び立った。

 

 

 

 それから少しの時間が経過し、ブルマ達が拠点にしている洞窟の前。岩に腰かけ、読書をしている彼女の前に、戻ってきたクリリンが降り立った。

 

「……ブルマさん、外に出ているなんて、不用心ですよ」

「別にいいじゃない。こんなに良い天気なんだし、退屈だったんだから」

 

 ブルマは読んでいた本を閉じ、クリリンの持つボールを興味深そうに眺める。

 

「それがナメック星のドラゴンボール? ずいぶん大きいわね……」

 

 地球のそれの数倍のサイズだが、ドラゴンレーダーに反応するという事は、基本的な構造は同じはずだ。願いが3つも叶うという話だったし、込められているエネルギーが大きいのだろうか。

 

「時間があれば、分析してみたいところだけど……」

「奥に置いておきますから、後でゆっくり調べてください。そういえば、悟飯はどうしてます?」

 

「まだ寝てるわよ。疲れてるみたいだったし、起こさない方がいいと思うわ」

「わかりました。……あいつも大変だなあ」

 

 小さく呟き、クリリンは洞窟の奥へと向かいながら考える。

 

(悟飯はあんなサイヤ人の、どこがいいんだろうな?)

 

 少年が惹かれるだけの何かがあるのだろうが、あの少女の姿を思い出すだけで身体が震えてしまう自分には、到底理解できそうになかった。彼女は地球を滅ぼしかけて、自分も殺されかけたのだ。

 

 正直フリーザ達とぶつかって、ベジータ共々相打ちにでもなっていて欲しいと思うが、そうなった時の悟飯の顔を想像すると、複雑な気分になってしまう。

 

(普通の地球人の女の子が相手なら、素直に応援してやれるんだがなあ)

 

 一方ブルマの方も、閉じた本をまた開くでもなく、考えに耽っていた。クリリンの呟きが、心に引っ掛かっていた。

 

「……悟飯くん、何かあったのかしら?」

 

 寝込んでいる本人に聞くのは躊躇われた。クリリンは何か知っているようだったが、聞いても素直に教えてくれない気がする。

 

「チチさんに相談した方がいいのかなあ」

 

 地球への通信装置を眺めながら、腕を組んで考え込むブルマの前に、ザーボンが華麗な所作で着地した。

 

「だ、誰!?」

「失礼、美しいお嬢さん。驚かせてしまいました」

 

 優雅に一礼し、ウインクして見せる彼の姿に、ブルマの心臓が高鳴り、顔が真っ赤に染まる。

 

(えっ、何このイケメン!?)

 

「ま、まあ別にいいけど、何か用?」

「ええ、大した事ではないのですが……」

 

 その時、ザーボンの気配を感じたクリリンが洞窟から飛び出し、叫ぶ。

 

「ブルマさん! そいつは!」

 

 ザーボンが薄く笑い、ブルマへと掌を向けた。

 

「ドラゴンボールはどこにある?」

「えっ……」

 

 一変した彼の雰囲気に、ブルマは目を見開く。ザーボンの掌に、光が収束していく。

 

「ブルマさん!」

「お前はさっきドラゴンボールを持っていたな、地球人。知っている事は全て喋ってもらうぞ」

 

「くっ……!」

 

 クリリンは悔恨に呻く。見られていた事に気付かなかったばかりか、ブルマさんまで危険な目に遭わせてしまった。最長老に潜在能力を引き出してもらったとはいえ、ベジータに匹敵する気を持つこいつに、戦って勝てる可能性はない。

 

(こいつにドラゴンボールを、渡してしまうしかないのか……?)

 

 手詰まりだった。ボールを守って見せると最長老に言ったものの、ここで壊すなどしたら、ブルマさんは間違いなく殺されてしまうだろう。しかも仮にボールを渡し、情報を全て喋ったところで、目の前の男が自分達を見逃してくれる保証は無いのだ。

 

 

 

 

 そんな彼らの様子を、父親と娘は、上空から観察していた。何を話しているかまでは聞こえなかったが、オレンジ色の服を着た地球人の男の姿に、ナッツは見覚えがあった。

 

(あいつ、まだ生きていたのね。運の良い奴)

 

 地球で大猿になった時、エネルギー波の直撃を食らわせた覚えがある。てっきり死んだと思っていたが、そういえば死体は確認していなかった。

 

「父様、どうします?」

「そうだな……」

 

 ベジータは考える。別に地球人共がザーボンに殺されようと、どうでも良かったが、奴らもドラゴンボールを探しているのだろうし、何か情報を持っているかもしれなかった。

 

「あいつらには聞きたい事がある。オレがザーボンと戦う間、奴らが逃げないよう足止めを頼む」

「わかりました、父様」

 

 そこで少女は何気なくクリリンの戦闘力を探り、予想を遥かに超えたその大きさに驚愕する。 

 

「……と、父様! あいつ、戦闘力1万以上です!」

「な、何だと!?」

 

 ベジータも確認し、娘の言葉どおりの結果に驚く。地球で見た時は、せいぜい2000程度だったはずだ。まさか実力を隠していたわけでもないだろうに。

 

「あいつ、こんな短時間で何があったの……?」

 

 ナッツは困惑する。悟飯が強くなったというのなら、判らないでもない。だがあの洞窟の中から感じる悟飯の戦闘力は、今の自分より少し低い程度で、前に会った時から変わっていない。

 

(サイヤ人の悟飯を差し置いて、あんな地球人の方が強くなってるっていうの……?)

 

 少女は苛立ち交じりの表情で、眼下のクリリンを睨み付ける。地球人の分際で、生意気だと思った。

 

「ナッツ。お前は下がっていろ。今の奴を相手にするのは危険だ」

「……いえ、私にやらせて下さい」

 

 少女は決意を秘めた目で、真っ直ぐに父親を見つめる。父様の役に立ちたかった。それにサイヤ人の王族が、たかが地球人の戦闘力を恐れて引き下がるなんて、プライドが許さなかった。

 

「倒すのは無理でも、足止めならできると思います。地球でさんざん、脅かしてやりましたから」

 

 その表情で、父親は娘の気持ちを理解した。危ないとは思ったが、地球人ごときに負けたくないという、その考えはよく理解できた。

 

「……わかった。だが無理はするな。危なくなったらすぐに逃げるんだ。いいな」

「はい、父様」

 

 

 そして彼らは二手に分かれ、ベジータはザーボンの後ろに、ナッツはクリリン達の近くへ降り立った。

 

「よう、ザーボン。さっきはオレの娘を、可愛がってくれたそうじゃないか?」

「ベジータか……貴様のせいで私に対するフリーザ様の信用はガタ落ちだ」

 

 ザーボンはブルマに向けていた掌を下ろし、ベジータと対峙する。それを見たブルマが、かすかに震える声で言った。

 

「あ、あいつもちょっと格好良いけど、もしかして正義の味方だったりして?」

「さ、最悪だ……!」

 

 クリリンは恐怖に震えていた。ベジータだけではない。忘れもしない、黒い戦闘服を着た少女が、微笑みながら立っていた。

 

「てっきり地球で殺したと思ってたけど、生きていたなんてね」

 

 少女は怯えるクリリンの姿に気を良くしながら、油断はせず、とびきり冷酷な、サイヤ人らしい顔で笑って見せる。

 

「せっかく拾った命が惜しかったら、そこから動かない事ね。父様はあなた達に、聞きたい事があるらしいわ」

 

 ナッツの発する悪の気が、クリリンに刻まれたトラウマを想起させる。今の自分なら負けはしないだろうとわかっていたが、彼女と向き合っているだけで、身体の震えが止まらなかった。

 

「……ブルマさん、絶対に動かないで下さい。こいつは地球を侵略に来たサイヤ人で、人の命なんて、何とも思ってない奴です」

「うーん……」

 

 気を感じ取れないブルマには、クリリンが何をそんなに怖がっているのか、理解できなかった。目の前にいる少女は、怖い顔を作って、ちょっと不良っぽい振舞いをしているだけの、ただの小さな子供にしか見えなかった。

 

(雰囲気が似てるし、父様って、あいつの事よね。お父さんの前で、格好をつけたがってるのかしら?)

 

 クリリンと違い、気圧された様子も無く自分を見つめる地球人の女に、ナッツは少しだけ興味を持った。

 

(この地球人の女、変わった色の髪ね。戦闘力を感じないけど、戦士でないなら、どうしてこんな所まで来たのかしら?)

 

 

 ナッツとブルマが、お互いを見つめたその時、ベジータと対峙していたザーボンが叫ぶ。

 

「少し予定が狂ってしまったが、ドラゴンボールの在り処を喋ってもらうぞ!」

 

 言葉と同時に、ザーボンの体躯が膨れ上がり、その美貌が怪物のような顔へと変化する。

 

「ひっ……!」

 

 ザーボンは恐怖に顔を引きつらせるブルマを見て、軽く傷つくと同時に、当然の反応だとも思った。自分ですら、この姿の醜さは耐えがたいのだから。

 

 ベジータの娘の方は、戦闘力が上がったわね、といった程度の反応しか見せていない。やはりあいつはおかしいと、ザーボンは思った。

 

「さっきのように行くと思うなよ……! ナッツの分まで、借りを返してやる!」

 

 言葉と共にベジータは飛び上がり、上空からエネルギー波を撃ち下ろす構えを見せた。

 

「! させるかっ!」

 

 後を追って飛んだザーボンを見下ろし、ベジータがニヤリと笑い、握っていた土をぱらぱらと落とす。土が目に入ったザーボンは、思わず顔を押さえてしまい、視界と動きが封じられる。

 

「くっ! これは……」

 

 その一瞬の隙に、後ろに回り込んだベジータが、戦闘力を限界まで高め、痛烈な一撃を叩き込んだ。凄まじい威力の拳があっさり戦闘服を貫通し、ザーボンの背中に深々と突き刺さる。

 

「があっ!?」

 

 痛みに叫ぶザーボンの戦闘力が大きく低下したのを見て、少女は嬉しさのあまり、クリリンを脅す演技を忘れ、手を振り上げて応援する。

 

「父様! その調子です!」

 

「今のは結構キツかったんじゃないか? ザーボンさんよ」

「お、おのれ!」

 

 ザーボンが掌を構え、エネルギー波を撃ち放つ。それを回避したベジータもエネルギー波を撃ち、二人は高速で飛び回りながら、互いの進路を予測してエネルギー波を連射していく。

 

 瞬く間に応酬されるエネルギー波は数十発を超え、流れ弾のいくつかは地面に命中し、次々に爆発が巻き起こる。

 

「あいつら、滅茶苦茶しやがって!」

「ちょっとこれ、まずいんじゃないの……?」

 

 ブルマが呟いたその時、ザーボンの放ったエネルギー波の一発が、彼女を目掛けて飛んできた。

 

「……えっ!?」

「ブルマさん! 危ない!」

 

 クリリンがとっさに彼女の前に飛び出し、全力のエネルギー波をぶつけて相殺する。至近距離からの爆風が、ブルマの髪を大きく乱す。

 

「大丈夫ですか! ブルマさん!」

「や、やるじゃない、クリリンくん……」

 

 そこで彼女は、ふと何かを感じ、背後を見る。風を切る音と共に、二発目が彼らに迫っていた。

 

「ちょっ……!」

「しまっ……!」

 

 クリリンは一瞬のうちに悟ってしまう。迎撃は間に合わない。自分なら食らっても即死はしないが、どう庇っても、余波だけでブルマは死んでしまう。

 

 彼が絶望した次の瞬間、ブルマの前に黒い戦闘服の少女が飛び出し、自分の身体よりも大きなそれを、両手で受け止めた。

 

「ザーボンの奴、無駄な抵抗をせず、素直に殺されなさいよ……!」

 

 八つ当たりするように、少女が叫ぶ。踏みしめたブーツの跡を地面に残しながら、小さな身体がじりじりと押されていく。その背中を二人は呆然と見つめる。

 

「お、お前、どうして……」

「こ……のっ!!」

 

 ナッツは歯を食いしばり、気合いと共に両手を振って、エネルギー波を後ろに受け流す。飛んで行ったそれが遠くの海面に着弾し、爆発に巻き上げられた水が高く舞い上がる。

 

「はあっ、はあっ……」

 

 少女は肩で息をつきながら、次弾を警戒して空を見上げる。両腕の表面が少し焦げて、煙を上げていた。父様に言われた以上、彼らを殺させるわけにはいかなかったが、この状態だと、次は防げるかわからなかった。

 

 そんなナッツに、衝撃から立ち直ったブルマが、おそるおそる声を掛ける。

 

「その……ありがとね。その腕、大丈夫?」

「礼はいらないわ。父様は、聞きたい事があると言っていたもの。死んだら話せないでしょう?」

 

 それからナッツは、淡々とした口調で、クリリンに言った。

 

「あなたの仲間でしょう? もっとしっかり守りなさいよ」

「あ、ああ。すまない……」

 

 クリリンはまだ、呆けたように動けなかった。邪悪なサイヤ人そのものだった少女が、父親からの命令を守るためとはいえ、自分達を庇ったという、その事実が信じられなかった。

 

 その時、難しい顔でナッツを見ていたブルマがひとつ頷くと、小走りに洞窟へ入って行った。

 

「ちょっとあなた! 逃げるなら撃つわよ!」

「逃げないから、ちょっとだけ待ってなさい!」

 

 そう返したブルマは、すぐに非常用の医療キットを手に戻ってきた。

 

「その腕、見せなさい。手当しないと、雑菌が入ったら大変よ」

「地球人と一緒にしないで。このくらい、放っておけば治るわ」

 

 言って傷を舐めるナッツに向けて、包帯と薬を持ったブルマがにじり寄る。それを見た少女が、気圧されたように後ずさる。

 

「ちょっと! いいったら!」

「大人しくしなさい!」

 

 逃げようとする少女にブルマが飛びつき、暴れようとするのを押さえつけながら、その腕に包帯を巻いていく。

 

「え、ええ……?」

 

 その光景に、クリリンは再び唖然となってしまう。ナッツが少し力を込めるだけで、ブルマの四肢は千切れ飛ぶだろう。地球にいるどんな猛獣よりも、このサイヤ人の少女は危険な存在なのだ。

 

 にも関わらず、ブルマに押さえつけられ、じたばたと暴れようとする少女の姿が、まるでただの子供のようにしか見えない事に、クリリンは己の目を疑った。

 

 

 

 やがて治療が終わり、少女はむすっとした表情で、丁寧に巻かれた包帯を眺めていた。

 

「どう、痛くない? ええと……あなたの名前は?」

「私の名前なんて、どうでもいいじゃない」

 

 ぷい、とナッツはブルマから顔を背ける。治療して欲しいなどと、言った覚えは無かった。力ずくならどうにでもできたのに、何故か抵抗できず、押し切られてしまった事が、腹立たしかった。

 

(まあ、せっかく守ったのに、殺すわけにもいかないから、仕方がなかったんだけど)

 

 目の前の地球人の女に触れられた時、ふと温かさを感じて、心地良いと一瞬思ってしまった。それが何だか、もやもやして、イライラした。

 

 彼女は自覚していなかったが、今まで悟飯のような同年代の子供が近くにいなかったのと同様に、年上の女性もまた、死んだ母親以外、彼女の周りにはいなかった。自分が何を求めているのかわからないまま、ナッツは苛立ちを抱えていた。

 

 一方ブルマから見ると、そんな様子は、幼い子供が拗ねているようにしか見えず、おかしくなって、微笑みながら声を掛ける。

 

「いいじゃない。名前くらい教えなさいよ」

「地球人なんかに、名乗る名前はないわ。父様が奴を殺すまで、黙って大人しくしてなさい」

 

 そうしてむきになりながら、大人びた口調で話すナッツの姿を、ブルマはにこにこと笑いながら見つめていた。

 

 

 

 その頃、上空で繰り広げられる戦闘の趨勢は、最初の不意打ちが功を奏し、ベジータの優位に傾きつつあった。

 

「そろそろ死が見えてきたんじゃないか? 可愛い娘を傷付けやがった代償を支払ってもらうぜ」

 

 負傷し荒い息をつくザーボンは、ベジータの言葉を聞いて、半ば反射的に叫んだ。

 

「ベジータ! 娘が可愛いというのなら、あの肩の傷をどうにかしてやれ!!」

 

 敵に対して言うべき台詞ではなかったが、たとえ他人の娘で、殺す事を命じられていたとしても、美しいものが傷ついたままで、無造作に晒されているのは許せなかった。それは彼の信念に対する冒涜だった。

 

 一方のベジータは、突然のザーボンの発言に困惑しながらも、大事な娘に関する事だったので、真剣に答えた。

 

「オレだってそうしたい!! だがナッツが残したいと言ったんだから、仕方ないだろう!」

「な、何だと……!?」

 

 ザーボンは戦慄する。確かに戦傷は勲章だとか、そういう野蛮な考えがある事は知っている。だがよりによってあの娘が、そんな考えに取りつかれているなど、悪夢のようだと思った。

 

 彼女はきっと、生きている限り戦いを止めないだろう。そうして将来成長したあの娘が、顔や身体に残った無数の傷を、隠すでもなく晒しながら、誇らしげに笑う姿がはっきりと想像できて、心底恐ろしいと思った。

 

「ベジータ!! 娘の教育を考え直せ!! 手遅れになるぞ!!」

「てめえに言われる筋合いはねえ!!」

 

 急に必死さを増したザーボンを殴りつけながら、何故オレはこんな会話をしているんだと、ベジータは理不尽なものを感じていた。 

 

 

 

 そんな上空の会話が聞こえたわけではなかったが、ブルマの目は、少女の肩の傷に向いていた。肉食性の獣に噛まれたような、痛々しい傷跡。

 

「ねえ、その傷跡、治した方がいいんじゃない? あなた達の科学力なら、消すくらい簡単だと思うんだけど」

 

 ナッツは笑う。やっぱり軟弱な地球人は、わかっていないと思った。少女は傷跡を示しながら、誇らしげに言った。

 

「そんな事はしないわ。この傷はね、悟飯に噛まれた跡なのよ。楽しかった命懸けの戦いの、大事な思い出の証なんだから」

 

 それを聞いたブルマは一瞬硬直し、ゆっくりと首を動かして、悟飯のいる洞窟の方を見る。そしてすっくと立ち上がり、地球との通信機へと走り出す。

 

「チチさーん!!」

「ブルマさん待って!?」

 

 通信機を操作しようとするブルマを、クリリンが後ろから押さえつける。

 

「離しなさい! 悟飯くんがあんな可愛い女の子を!?」

「やめてあげて下さい! 地球の危機だったんですから!」

 

 彼は事情を説明する。サイヤ人との戦いの中、悟飯に尻尾が生えて大猿になったこと、同じく変身したナッツと戦闘になった最中の出来事で、不可抗力であること。

 

 ナッツがさらに補足する。

 

「残念だけど、これは悟飯が自分の意思でやったわけじゃないわ。あの時、彼は理性を失っていたんだもの。私や父様と違って、ろくに訓練もしていなかったんでしょうし」

 

 微妙にフォローになっていない発言に、クリリンは変な子を見る目で少女を見た。

 

 一方ブルマは、少女が悟飯の名前を口にする時、とても嬉しそうな顔になる事に気付いていた。

 

「ねえ、あなた、悟飯くんの友達なの?」

 

 聞かれたナッツは、きょとんとした顔で言った。

 

「? ……友達って何?」

「友達は友達よ。一人くらいいるでしょう?」 

 

「……仲間とか同盟なら知ってるけど、初めて聞く言葉だわ」

 

 少女は考える。どうやら知っていて当たり前の言葉らしい。母様から高度な教育を受けた自分なら、意味を推測できるかもしれない。

 

 この地球人の口ぶりからすると、仲の良い二人を指す言葉なのだろうか。そこまで考えて、ナッツの顔が耳まで真っ赤に染まる。

 

「まさか、夫婦のこと!? な、何考えてるの! 私達はまだ子供よ!」

「面白い子ねえ」

 

 ばたばたと手を振る少女を見ながら、ブルマは笑って言った。

 

「友達っていうのは、お互いに心を許し合って、一緒に遊んだり喋ったりする、親しい人の事よ」

 

 言葉の意味を理解すると共に、ナッツの視界が歪む。彼とそんな風になれたら、どれほど良かったか。

 

 少女は顔をくしゃくしゃに歪め、震える声で言った。

 

 

「私、悟飯と友達になりたかったわ」

 

 

「……なればいいじゃない」

「駄目なの。私は、母様の仇を取るために、ドラゴンボールで、願いを叶えないと、いけなくて、けど悟飯の大事な、ピッコロという人が、私達のせいで、死んでしまって……っ!」

 

 途切れ途切れに言葉を漏らす少女の身体が、不意に温かい感覚に包まれた。

 

 目の前で泣きじゃくる子供の身体を、ブルマは思わず抱きしめていた。

 

 

「大丈夫よ。何も心配しなくていいの。子供はね、難しい事なんて考えずに、幸せになることだけ考えてればいいの」

 

 

 とても優しい声だった。顔を上げると目が合って、彼女は、安心させるように微笑んだ。ふっと肩の力が抜けて、温かい身体に寄り掛かる。

 

「……父様と同じ事を言うのね、あなた」

「そう。あなたのお父さんは、とても立派な人みたいね」

 

 大好きな父親が褒められた事に、少女は頬を緩め、子供のような顔で笑う。

 

「……そうよ。父様は宇宙一凄い人なの」

 

 温かくて柔らかい身体に、頭を擦り付ける。この地球人の女性は、良い人だと思った。彼女の名前が、知りたいと思った。こういう時は、まず自分から名乗るのだ。

 

「ねえ。私はナッツって言うの。あなたは?」

「私はブルマよ。よろしくね、ナッツちゃん」

 

 微笑みと優しい視線が交差する。この瞬間を、二人は生涯忘れなかった。

 

 

「ところでナッツちゃん?」

「なあに? ブルマ」

 

「ナメック星のドラゴンボールって、願いが3つ叶うんじゃなかったっけ?」

「えっ」

 

 その時のナッツの、呆けたような、とてもびっくりした顔も、ブルマは生涯忘れなかった。

 

 そうした大事な思い出を、彼らはこれから、いくつも積み重ねていく事になる。

 

 

 

 身体を貫かれ、地面に落ちたザーボンが、止めを刺そうと近づくベジータに、振り絞るような声で言った。

 

「ベジータ……お前はあの娘に、戦闘服以外の服を、着せた事があるのか? 本当に娘の事を思うのなら、戦闘力以外でも、自分を磨く方法を教えてやれ……」

 

「……ザーボン。さっきから一体何のつもりだ?」

「あの娘が悪い。せっかく生まれ持った美しさを、ドブに捨てるような真似を……」

 

 薄れゆく意識の中で、ザーボンは思う。醜い姿への変身を躊躇していたことを、たかがそんな理由でと、嗤われた事が悔しかった。もしもあの野蛮な娘が、これを切っ掛けに考えを改め、自らの容姿に興味を持つようになれば、それは彼の勝利だった。

 

 

 どこか満足そうに息絶えたザーボンを見下ろし、父親はため息をつく。娘への教育が偏っている事は、言われるまでもなく、薄々わかっていた。だからといって、どうすれば良いというのか。

 

「父様、おめでとうございます!」

 

 振り返ると、娘と二人の地球人が立っていた。父親は優しく微笑みながら、娘の頭を撫でる。

 

「そいつらを逃がさなかったようだな。よくやったぞ」

「はい。それでその、ブルマ……いえ、この地球人が、私達と話をしたいそうです」

 

 青い髪の地球人の女が、ベジータの前に進み出る。

 

「あなたが、この子の父親ね。私達に聞きたい事があるみたいだけど」

 

 そうしてブルマは、不敵な笑みを浮かべて言った。

 

「せっかくだから、中で話さない? 孫くんと同じでいっぱい食べるんだろうし、食事くらい出してあげるわよ?」

「あ、ああ……」

 

 戦闘力を持たないその女の、あまりに堂々とした態度に、ベジータは気圧されながら頷いた。

 

 戸惑いと挑むような視線が交差する。この瞬間を、二人は生涯忘れなかった。




 というわけで、彼女と彼女の話です。
 この話では全体的に親子関係を重視してますので、彼らが出会うきっかけはこういう形になりました。オリキャラが入ってる分、原作とは異なる展開ですが、面白いと思っていただければ幸いなのです。

 あと原作だと宇宙船を脱出してからザーボン戦まで3日くらい経過してるんですが、この話だと時間経過させる理由が無いので省略しただけで、悟空もギニュー特戦隊も普通に登場します。

 原作より早く到着する理由は……悟空は入院中のヤジロベーが仙豆早く作れとカリン様を急かしたおかげで早めに出発できました。ギニュー特戦隊はヤードラット攻めの引き継ぎが早めに終わったんだと思います。


 最後になりますが、前回はたくさんの感想をありがとうございます。お気に入りや評価と共に、続きを書く励みになっております。
 ちょっとした事でも書いてもらえるだけで作者にとっては嬉しいものですので、もし何か思うところなどありましたら、軽い気持ちで書いてみてください。 

 次回は主人公が、のんびりゆったりする話になる予定です。
 更新は遅れるかもしれませんが、どうか気長にお待ちくださいませ。


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8.彼女がのんびり寛ぐ話(前編)

 洞窟の中に設置されたカプセルハウスの一室で、悟飯はベッドに横たわり、時折寝返りを打ちながら、物思いに耽っていた。

 

 涙を流す少女の顔が、瞳の裏に焼き付いていた。思い出すたびに、気持ちが沈む。

 

 どうすれば、いいのだろう。願いが3つ叶うと打ち明けたとして、それで彼女の父親が、納得してくれるだろうか。

 

 彼らには、願いを自分達に使わせるメリットがない。そもそも、フリーザ達が集めている以上、ボールを揃える事自体がほぼ不可能なのだ。

 

 フリーザを倒すための不老不死。ナッツが自分を突き離し、あんな顔をしてまで叶えたいと思っている願いは、結局のところ、叶わない可能性が高い。

 

 そしてそれは、ピッコロさん達を生き返らせる事が、同じくらい難しい事を意味する。ベッドの中で、悟飯は何度目かのため息をつく。

 

 どうにかしてフリーザ達を出し抜いて、ドラゴンボールを揃えられたら、どんなに良いだろう。それだけで、皆幸せになれるのに。

 

 自分達の力量でそんな事ができるはずがないと、冷静な思考で判断して、悟飯は再びため息をつく。もう一度、彼女の笑顔が見たいと思った。

 

 

 そんな風に、悟飯が割り切れない思いを抱えていると、部屋の外からブルマの声が聞こえた。

 

「悟飯くん! お友達が遊びに来てるわよ!」

「え? 友達?」

 

 友達と聞いて反射的に浮かんだのが竜だったのは、自分でもどうかと思う。家の近くには同年代の子供とかいなかったから、仕方がないのだけど。

 

 しかしハイヤードラゴンが地球から来るはずがないし、一体誰の事なのか。

 

「お、お邪魔します……」

 

 部屋のドアが開き、入ってきた人物を見て、悟飯が驚愕する。一瞬、都合の良い夢を見ているのではないかと思った。

 

「ナッツ!? どうして!?」

「その……遊びに来てあげたわ!」 

 

 少しあたふたしてから、胸に手を当て、王族っぽい高貴なポーズを決める黒い戦闘服の少女。悪人っぽい感じはするけれど、なぜか惹き付けられる気を持つ少女。

 

 どうして彼女がここにいるのか。この間、酷い別れ方をしたばかりなのに、どうしてこんなに嬉しそうに笑っているのか。

 

 輝くような笑顔に見惚れた少年が動けないでいる間に、ナッツは部屋に踏み込み、彼が寝ているベッドに上がり込んできた。悟飯は慌ててベッドの上で後ずさる。

 

「ちょ、ちょっと!?」

 

 少年が下がった分、少女は膝立ちで距離を詰める。互いの前髪が触れ合うほどに迫ってから、ナッツは顔を真っ赤に染めた悟飯に向けて、満面の笑みを浮かべて言った。

 

「ねえ聞いて! ナメック星のドラゴンボールって、願いが3つも叶うらしいの! 3つよ3つ! 私達の願いも、あなた達の願いも、両方叶える事ができるの!」

「う、うん。でも、全部集めるのは、難しいんじゃ……」

 

「大丈夫! もう筋道はついてるわ! それで全部揃ったらあなた達の願いも叶えるよう、父様に頼んであげる!」

「え、えええ……?」

 

 あまりの急展開に、少年は目を白黒させる。どうやってボールを集めるつもりなのかも気になったが、それよりも聞いておきたい事があった。

 

「……そんな簡単に、願いをボク達に譲って良いの? 何でも叶うのに」

 

 フリーザを倒すとかは無理だろうけど、不老不死が叶うくらいなのだから、大抵の事は可能だろう。少し考えただけで、悪用する方法が10通りは浮かぶ。

 

「いいのよ。あなた達の仲間が死んだのは、元々私達のせいだもの。それにね」

 

 少女は夜のような黒い瞳で、真っ直ぐに彼を見据えて言った。

 

「私はあなたの事を、とっても気に入ってるの。あなたに恨まれたくなんかないし、友達というのになって、ずっと一緒にいたいと思ってる」

「…………!?」

 

 少し照れくさそうに微笑む少女から、悟飯は必死に目を逸らす。どくどくと高鳴る心臓が今にも壊れそうで、これ以上彼女を見ていたら、死んでしまうと思った。

 

「? どうして目を逸らすの? 怒ってる?」

 

 ナッツの小さな手が、悟飯の頬に触れ、くい、と自分の方を向かせる。そうして再び至近距離で目と目が合い、少年は死んだ。

 

「あ……あ……」

「……悟飯?」

 

 茹で蛸のように真っ赤な顔で口をぱくぱくさせる少年を見て、異変を感じた少女は、彼の額に自分の額をくっつけ、あまりの熱さに驚愕する。

 

「大変! 凄い熱よ! ごめんなさい悟飯! 具合が悪くて寝ていたのね!」

「…………」

 

 止めを刺された悟飯がついに意識を失いかけたその時、ナッツの身体が少年から引き離される。

 

 入ってきたベジータが戦闘服の首根っこを掴み、小さな身体を猫のように持ち上げたのだ。

 

「あ、父様!」

「食事の前に、風呂の準備ができたらしい。先に入ってこい」

 

「わかりました、父様」

 

 そうして少女は宙ぶらりんのまま、まだふらふらしている少年に手を振った。

 

「じゃあ悟飯、また後でね!」

 

 ナッツが外に持ち出されていく。部屋のドアが閉まる直前、額に青筋を浮かべた父親が、調子に乗るなよ、と言わんばかりに悟飯を睨みつけた。

 

 

 一人残された悟飯は、先ほどとはうって変わって、すっかり気持ちが晴れたような気分だった。我ながら単純だとは思うけど、とても幸せだった。

 

 ベッドから身を起こす。まだ先の事は、詳しく聞いてないからわからないけど、とりあえず着替えて、顔でも洗おうと思った。

 

 

 

 風呂場の前の洗面所で、ブルマは少女に、シャワーの使い方を教えていた。

 

 説明を聞いたナッツは、無造作に戦闘服を脱いでいき、あっという間に一糸纏わぬ姿となる。そして両腕に巻かれた包帯を示して言った。

 

「ブルマ。これ、外す必要ある?」

 

「防水仕様だから大丈夫よ。怪我してるし、直接お湯に触れない方が良いと思うわ」

「そう、ありがとう」

 

 風呂場に入っていくナッツに、ブルマが声を掛ける。   

 

「お父さんと一緒に入らないの?」

「ええ。男の人と一緒に入ったら子供ができるって、母様が言っていたもの」

 

「……まあ、そうね。間違ってはいないわね」

 

 サイヤ人の教育って、どうなってるのかしらとブルマは思う。

 

 実のところ、病弱で世間知らずだった彼女の母親の知識や経験は、割と偏っており、娘が変な影響を受けている事など、ブルマは知る由も無かった。

 

「お風呂も沸かしておいたわ。食事の準備をしておくから、ゆっくり入っててね」

「? うん。ゆっくりするわ」

 

 言われた言葉の意味がわからないまま、少女は風呂場に入って行った。

 

 残されたブルマは少女の戦闘服を見る。ラディッツというサイヤ人が着ていた物と同じで、地球に無い素材だった。

 

 興味はあったが、他人の服を勝手に分析するわけにはいかない。とりあえず汚れているし、洗っておいてあげようと思った。

 

 

 

 風呂場に入ったナッツは、軽くシャワーを浴びてから、手に持ったスポンジで、どこかもどかしそうに全身を磨いていた。小さな身体が白い泡に包まれていく。

 

「やっぱり、尻尾が無いと背中を洗うのが難しいわね……」

 

 手を後ろに伸ばして何とかなったが、やはり不便だった。早く生えてきて欲しいと思う。

 

 背中まで伸びた髪の毛も念入りにシャンプーで泡立て、一気にシャワーで洗い流す。温かいお湯の感触と、全身がぴかぴかになったような爽快感に息をつく。

 

 いつもならここで終わるのだが、ブルマに言われた言葉が気になった。風呂を沸かすとは何だろう。

 

 少女は先ほどから気になっていた、色付きのお湯の溜まった入れ物を見る。人が入れそうな大きさだった。

 

「これって……何?」

 

 ナッツは首を傾げる。彼女にとって風呂場とは、シャワーで身体の汚れを洗い流す場所であり、浴槽という存在そのものを知らなかった。

 

(ブルマの言っていたのは、これに入れと言うことかしら?)

 

 紫色のそのお湯に、恐る恐る指先で触れてみる。やや熱いが、耐えられないほどではない。何となく、身体に良さそうな感じがする。そこまで考えて、似たような物を思い出した。

 

「なるほど。これは簡易型のメディカルマシーンのようなものね」

 

 身体を洗うためにちょうど服を脱ぐわけだし、ついでに傷も癒そうというのは合理的だ。よくできていると感心してしまう。

 

(この家もそうだけど、遠征先にまでこんな設備を持ち込むなんて、地球の工事技術も凄いわね……)

 

 恐る恐る爪先を湯につけ、身体を沈めていく。肩まで熱い湯につかったところで、シャワーとは全く違う感覚に、思わず声が出た。全身がほぐれて、疲れが溶けていくような気分だった。

 

(気持ちいい……凄く良く効きそう……)

 

 ナッツは目を閉じ、心地良さに身を委ねる。少なくとも、精神をリラックスさせる効果は、本家のメディカルマシーンよりも上だと思った。なかなか離れられなくて、のぼせる寸前まで入っていた。 

 

 

 それからしばらくして、少女は紅潮した上機嫌な顔で、風呂場から外に出る。

 

 結局汗をかいて、またシャワーを浴びる事になってしまった。少し使い方を間違えたかもしれない。

 

 ナッツは大きな鏡の前で、自分の身体を確認する。動くのに支障はないが、ザーボンとの戦闘で負った傷が残っているのが気になった。

 

(あんまり治った気はしないけど、簡易型ならこんなものかしら) 

 

 流石にメディカルマシーンのように、数時間も浸かっていると、お湯が冷めてしまうだろうし、どちらかと言えば、気持ちをリフレッシュさせる設備なのかもしれない。

 

 そう結論した少女は、大量に用意されていたタオルで髪と身体を拭いていく。髪の毛は、後で父様に仕上げをしてもらおうと思ってから、ふと気付く。

 

 彼女の戦闘服が無くなっており、地球人が着るような、奇妙な布の服が置かれていた。薄手のそれはとても敵の攻撃に耐えうる素材ではなく、戦闘の事を全く考慮していないのは明らかだった。

 

 ナッツの顔が怒りに歪む。そんな物を身に着けるなど、戦闘民族である彼女にとって論外だった。

 

 

 

 一方その頃、同じ家の居間にて。

 

 なぜか悟飯がソファーに座るベジータの前で正座しており、ブルマとクリリンが、吹き抜けのキッチンからその様子を見ている。

 

「いいか悟飯。確かに娘はお前を気に入っているようだが、節度というものがある」

 

 そこで父親は少年の胸ぐらを掴み、凄んで言った。

 

「もしあいつを傷つけるような真似をしやがったら、地球もろとも消してやるから覚悟しておけ」

「ぼ、ボクはナッツにそんな事しません!」

 

 真っ向から悟飯が睨み返し、二人の間に火花が散る。

 

 その様子を見ていたブルマが、堪えきれないといった様子で笑う。

 

「……何がおかしい」

「だって、悟飯くんはまだ4歳よ。そんな心配は10年早いわ」

 

「たとえ何歳だろうと、こいつは娘を狙うケダモノだ」

 

 言って彼は再び悟飯を睨み付ける。その様子はおかしかったが、父親として娘を心配する想いが伝わってきて、好ましいとブルマは思った。

 

(クリリンは怖いサイヤ人って言うけど、孫くんと同じ、良い父親じゃない)

 

 食事の準備をしながら、微笑ましいものを見るようにブルマが彼らを見守っていると、風呂場から全裸の少女が飛び出し叫んだ。

 

 

「ちょっと!! 私の戦闘服をどこへやったのよ!!」

 

 

 一糸纏わぬ身体を隠そうともしない少女に全員の視線が集まり、直後、ナッツを除く全員が絶叫した。

 

 

「な、ナッツ」

「見るなあーーーー!!!!!」

 

 絶叫と共にベジータが悟飯を殴り倒し、その意識を奪う。

 

「父様! ちょっと悟飯、大丈夫!?」

 

 駆け寄ろうとした少女の腕をブルマが引っ掴む。振り向いたナッツが彼女に何か言うとした瞬間、ブルマは烈火のような勢いで怒った。

 

「……っ!?」

 

 怒られて思わず縮こまってしまった少女を、ブルマは無言で奥の部屋へと引っ張っていく。戦闘力5000以上の娘が地球人の女にされるがままになっている姿に、ベジータは驚きながらも何も言えず、とりあえずクリリンを殴り倒した。

 

 

 数分後、そわそわしながらソファーに腰掛けているベジータの前に、簡素なシャツと丈の短いズボンを着たナッツが現れた。いつもと全く違う娘の姿を、父親は呆然としながら見つめていた。

 

「と、父様。あまり見ないでください……」

 

 消え入りそうな声で言いながら、ナッツは父親の横に座り、タオルとドライヤーを手渡した。父親は半ば反射的に、まだ濡れていた娘の髪を拭いていく。

 

 気持ち良さそうに目を閉じている少女に、父親が尋ねる。

 

「ナッツ、その服はどうだ?」

 

 どうにも落ち着かない。娘がまるで地球人のような服を着るなど、想像すらした事がなかった。サイヤ人の普段着といえば戦闘服で、寝る時も全裸かプロテクターを外すだけだ。

 

 それが常識だったから、彼自身も戦闘服以外の服を着た覚えは無かったし、必要とも思えなかった。

 

「そうですね……薄くて防御力には期待できないです。軽く攻撃されただけで破れてしまいそうですし」

 

 少女にとって、服とは戦闘服であり、消耗品だった。だから攻撃を受ければ壊れるのは仕方ないにしても、限度というものがある。大猿への変身にも、到底耐えられそうになかった。

 

 地球で悟飯が着ていた服は、これよりは丈夫そうだったが、彼が変身した時にはすぐ破れていた。変身中なら厚い毛皮もあるし、格好良いから裸も別に悪くはないが、人間の姿に戻った時に裸というのは、防御面で不安だった。

 

 やはりサイヤ人には戦闘服が一番だと、ナッツは結論する。

 

「これを着て戦うくらいなら、いっそ最初から裸の方が良いかもしれません」

「は、裸って……」

 

 ちょうど目を覚ました悟飯が、少女の言葉に顔を赤くする。ブルマは怒っていたけれど、戦闘中でもないのだし、裸の何が悪いのだろうと思う。地球で彼の裸を見た事は、言わない方がいいのだろうか。

 

「起きたのね。悟飯」

「うん……」

 

 少年はまだふらつく頭を押さえながら、ナッツの着ている服を見て言った。

 

「それってボクの服?」

「えっ」

 

 少女はきょとんとした顔になって、自分の着ている服の匂いを嗅ぐ。そしてぱあっと嬉しそうな顔になって言った。

 

「本当だ。あなたの匂いね」

 

 次の瞬間、父親の絶叫と共に、悟飯が再び殴り倒された。

 

 

 それからしばらくして、ナッツの髪を乾かし終えたベジータも風呂に入り、桃色のシャツと黄色のズボンを履いて現れた。

 

「……どうだ? ナッツ」

「父様はずっと戦闘服でしたから、違和感はありますけど、悪くないと思います」

 

 父様は格好良いから、どんな服装でも似合いますと続ける娘に、父親は小さく笑った。

 

「そうか」

「あ、あの……ボクは?」

 

「悟飯は可愛いわ」

 

 ナッツは微笑みながら言った。あまりサイヤ人を褒める言葉ではないけれど、まだ自分と同じ子供で優しい悟飯には、この表現が似合うと思った。

 

「……可愛い、かあ」

 

 どこか落ち込んだように俯く少年に、父親は勝ち誇った笑みで告げる。

 

「残念だったな。こいつの好みは、オレのような冷酷なサイヤ人という事だ」

「? そうですけど、優しいサイヤ人も、同じくらい素敵だと思います」

 

 俯いた悟飯が顔を赤らめ、父親が拳を震わせたその時、ブルマとクリリンが全員分の食事を持って現れた。

 

「ご飯できたわよー!」

 

 そして目の前に置かれた食事を見たナッツは、あまりの衝撃に絶句した。




 というわけで、彼女とブルマ達との交流話です。
 今回の話はサイヤ人編を書いてた頃から少しずつ温めてました。当時はナメック星編まで書くかどうか決めてませんでしたので、ここまで話が進んだ事に感無量なのです。

 書いてたらまたこの間の悟飯の話みたいに長くなりそうだったので、久々に前後編に分けました。どうも完全オリ展開のところは、長くなる傾向があるみたいです。

 次の話は、彼女の食事シーンからです。    
 投稿は少し遅れるかもしれませんが、気長にお待ち下さいませ。 
 
 
 それと感想、評価、お気に入りなど有難うございます。続きを書く励みになっております。 
 特にお気に入りはついに500を超えまして、それだけの方にこの話が気に入っていただけたと思うと、とても嬉しいです。最終話でようやく到達できるかなあ、くらいに思ってました。

 一応予定ではナメック星編は全20話か、それをちょっと超えるくらいの話になる予定です。それでフリーザ様との決着がついて、彼女の物語は一区切りとなります。
 遅くはなるかもしれませんが、そこまではエタらず終わらせるつもりですので、どうか最後までお見守り下さいませ。


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9.彼女がのんびり寛ぐ話(後編)

 カプセルハウスのリビングにて。

 

 悟飯と話していた少女と父親の前に、ブルマとクリリンが全員分の食事を持って現れた。

 

「ご飯できたわよー!」

 

 そして目の前に置かれた食事を見たナッツは、あまりの衝撃に絶句した。

 

 

(た、食べ物が、お皿に載っているわ……!!)

 

 

 少女は必死に動揺を押し隠す。皿だけではない。前にスプーンやフォークを見たのは、一体いつだっただろうか。

 

 しかも温かそうに湯気を上げる料理は、今作ったようにしか見えない。てっきり地球の携帯食料でも出てくるかと思ったが、これはまるでフリーザ軍の立食パーティーだ。

 

 料理や飲み物を自分で取ってくる形式で、兵士達が飲み放題の酒を飲んで騒ぎ、前の舞台で特戦隊が余興をしてビンゴで景品が出るそれが、今のところ、彼女の出席した中で一番格調高い食事の席だった。  

 

(地球人は遠征先で、こんな物を食べてるっていうの? 想像以上に豊かな星だったみたいね……)

 

 遠征先の食べ物と言えば、携帯食料と野生動物の肉くらいしか知らなかったナッツは、目の前の美味しそうな料理に圧倒されていた。

 

「こ、こんなの食べちゃっていいの?」

 

 そんな少女の食生活を知る由もないブルマは、あなた達の分の食べ物が無くなるんじゃないの? という意味だと解釈して、他人を気遣える良い子だと笑う。 

 

 遠く離れたナメック星への旅で、痛むかもしれない生鮮食品など持ってくる余裕はなく、ほとんど容器ごと温めるだけの出来合いの品ばかりだが、幸いな事に量だけはある。

 

「子供が遠慮なんかするもんじゃないわ。大丈夫よ。水も食料もカプセルに詰めて、100年分は用意してきたから、好きなだけ食べていいのよ」

「……じゃあ、いただきます」

 

 何かとんでもない事を聞いた気がするが、とにかく量はあるらしい。なら遠慮せず食べようと思った。まあ幸い自分は小食で、あまり物を食べたいという欲求は無い。

 

 普段から携帯食料で満足するくらいだし、食べ過ぎて迷惑を掛けてしまう事はないだろう。そう思いながら、ナッツは食事を開始した。

 

 

 数十分後、食べ終えた空の容器を山と積み上げながら、少女は夢中で食べ物を口に運んでいた。

 

「おいしい!! 何これ!?」

 

 既に10人前以上は食べているが、それでも1分に1度は「おいしい!!」が入る。

 

 見た事の無い料理の数々。その全てが想像もできないほど美味しかった。

 

(この赤いソースの料理、辛いのにおいしい!)

 

(炭火焼風味? お肉ってエネルギー波で焼くものじゃないの?)

 

 容器に書かれていた単語に、ナッツは首を傾げる。彼女にとって炭というのは、中途半端に焼け残った死体を指す言葉だった。

 

 あまり食欲をそそるイメージは無いが、少し焦げ目のついたその肉は、信じられないほど美味しかった。

 

(この長くて細い食べ物、もちもちしていて、歯応えが良くて、しっかり味がついてて、凄い……!)

 

(このスープ、何種類の具が入ってるの!? とても豊かで、身体に染み入るような感じだわ……)

 

 食べても食べても、ブルマが次々に違う料理を持ってきてくれる。

 

 すっかり夢中になっていたが、20皿目を食べ終えたところで、ふと我に返り、その手が止まる。

 

(私って、こんなに食べれたの……?)

 

 恐る恐る、自分のお腹を確認する。確かに食べたという満足感はあるが、特に膨らんだような様子は無い。どこに収まったのか、自分でもわからない事に困惑する。

 

 いやそれよりも、一人でこんなに食べてしまうのは、明確なマナー違反ではないだろうか。食べ過ぎてはいけないとはあまり聞かないが、流石に限度はあるはずだ。

 

(招待された席で、父様も見ている前で、私は何てことを……!)

 

 真っ赤になって俯くナッツ。そんな彼女に向けて、クリリンが声を掛ける。

 

「……別に、気にするなよ。サイヤ人がよく食うなんて、皆知ってる」

 

 少女は顔を上げ、地球人の男を見る。その顔に、以前のような怯えの色はなく、とても懐かしいものを見るような顔をしていた。

 

(この食べっぷり、子供の頃の悟空にそっくりだ……)

 

 そう思ったが、口には出せなかった。同じサイヤ人でも、こいつと悟空は全く違う。比べる事自体が失礼だ。

 

 それでも、武天老師様の所でも、天下一武闘会の後でも、悟空は確かに、こんな風に、美味しそうによく食べていたのだ。懐かしい記憶に、かすかに視界が滲むのを、クリリンは感じていた。 

 

 そして食べ過ぎてしまった事を恥ずかしがるように、ちらちらとこちらを見ている少女は、相変わらずの悪の気を発してはいたが、地球で見た時よりも、柔らかい雰囲気がするように思えた。

 

「……カカロットも、こんなにたくさん食べていたの?」

「ああ。けど、悟空の事を、そんな名前で呼ぶなよ」

 

 悟空。悟飯と響きが似ている、地球風の名前だとナッツは思った。

 

「それはできないわ。地球生まれの悟飯と違って、カカロットは惑星ベジータで生まれた、純粋なサイヤ人よ」

「それでも、オレ達にとっては悟空なんだよ」

 

 むう、と少女は考える。まあ確かに、自分がサイヤ人である事すら忘れていたらしいし、育ったのもほとんど地球なら、ずっと使っていた名前の方に、馴染みがあるのかもしれない。

 

 だがそれでも、譲れない一点はあった。

 

 

「じゃああなた達は、好きに呼ぶといいわ。けどカカロットにも、その名前を付けた、お父様やお母様がいたのよ。それだけは忘れないで」

 

 

 ラディッツの両親の話は、彼から聞いた事があった。子供が自分の名前すら忘れていたとしたら、彼らはきっと、悲しむはずだと思った。

 

「……っ!」 

 

 クリリンは拳を握り締める。こいつは邪悪なサイヤ人のくせに、なんでそんな、家族想いの子供みたいな、まともな事が言えるのか。

 

 そんな人間みたいな心があるのなら、どうして地球なんかに来て、ピッコロ達を殺したんだ。

 

 少女に向けて問いただそうとしたその時、彼の肩に手が置かれた。

 

「はい、落ち着いて。クリリンくん」

「ぶ、ブルマさん……」

 

 彼女はにっこり笑って、温めたばかりの容器を彼に渡した。

 

「色々あったんだろうけど、その子まだお腹空いてるみたいだから、まず食べさせてあげなさい」

 

 言ってブルマは、再びキッチンへ戻っていく。湯気の立つ中華まんの入った容器を、クリリンは持ったまま立ち尽くす。

 

 ちらりとナッツの方を見ると、彼女は期待に満ちた顔つきで、彼の持つ料理を見つめていた。クリリンは息をつき、差し出した。

 

「……ほら。さっさと食えよ」

「いただきます!」

 

 ナッツは中華まんを手に取り、匂いをかいで、噛り付く。そうしてじっくりと味わってから、目を見開き、笑顔で言った。

 

「おいしい!! ありがとう!!」

 

 率直な感謝と笑顔に、クリリンは面食らってしまう。目の前の少女が、悟飯と同じくらいの子供にしか見えなかった。

 

 彼女の事を恐ろしいと思う気持ちは、すっかり薄らいでいたけれど、それを認めたくなかったから、ぶっきらぼうに言った。

 

「……感謝ならブルマさんにしろよ。この家も食べ物も、全部あの人が準備したんだからな」

「うん、わかったわ。けど本当においしくて、嬉しかったの」

 

 少女の微笑みを、クリリンがぶすっとした顔で受け流す。

 

 

 ベジータの前に料理を置きながら、ブルマは彼らのやり取りを眺めていた。

 

「ナッツちゃん、良い子じゃない」

「ああ、自慢の娘だ」

 

 言ってベジータは、自分と娘の平らげた、空容器の山に目をやった。

 

「……それと済まない。食べた分は返す」

「別にいいのに。孫くんは遠慮なんかしなかったわよ」

 

「カカロットの事か。下級戦士と一緒にするな」

「はいはい。期待しないで待ってるわ。王子様」

 

 キッチンに戻っていくブルマを見ながら、ベジータは考える。フリーザの件が片付いたら、娘共々、身の振り方を考えなければならない。

 

 娘はまず確実に、悟飯のいる地球に住みたがるだろう。それは良いとして、予想以上に食費が掛かりそうだった。

 

 ナッツの将来のための貯蓄はあるが、足りるかどうか判らない。またどこかの星でも襲うかと、父親は思った。

 

 

 

 それから少しして、ナッツの食べた量が30人前を超えた頃。

 

「もうそろそろ、終わりにしようかしら……」

 

 まだ食べられそうだが、このくらいで十分だろう。満足そうな少女に向けて、ブルマが言った。

 

「もうお腹一杯? 食後のデザートもあるわよ」

「? デザートって何?」

 

「プリンとか、ケーキとか……とっても甘くておいしいのよ」

「……食べるわ」

 

 

 それからさらに時間が経って。

 

「もう食べられないわ……」

「ナッツ! しっかりして!」

 

 プリンやケーキといった、生まれて初めての甘いお菓子に大感激した結果、少女は動けなくなっていた。

 

 ソファーに横たわるように倒れ、少年の膝を、猫のように占領する。感じる体温が心地良くて、ナッツの身体から力が抜ける。

 

「ちょ、ちょっと!?」

「いいじゃない。私もやってあげたんだし」

 

 その言葉を聞いて、ブルマがにやつく口元を押さえ、ベジータがぐぬぬと少年を睨む。

 

 初めての満腹感に微睡みながら、今食べた物について、少女は考える。あれだけ大量に素早く出てきたのだ。この場で一から作ったのではなく、出来合いの物だというのは、流石にわかった。

 

 それでもあんなに沢山出されたという事は、彼らにとっては携帯食料と同じ、ありふれた物なのだろう。

 

「普段からこんなおいしい物を食べているのね。この点は、地球人が羨ましいわ」

 

 悟飯の方は、ナッツがとても嬉しそうに食事をしている姿を見て、それだけで、色々な意味で胸が一杯だった。彼女がこんな風にしている様子を、もっと見てみたいと思った。

 

「お母さんの料理はもっとおいしいよ」

「そうなの。私も食べてみたいわ」

 

 少女は幸せな気分で、ブルマの方を見る。悟飯とまた話ができるのも、気持ちの良いお風呂も、とてもおいしい食べ物も、みんな彼女のおかげだと思った。

 

「ありがとう、ブルマ。私、あなたにお礼がしたいわ」

「ナッツちゃん。子供はそんな事、気にしなくていいのよ」

 

「それでもよ。もらってばかりなんて、私の気が済まないわ」

「まあ、嬉しい。じゃあ、何をくれるのかしら?」

 

 微笑ましい子供を見るようなブルマに、ナッツは子供らしい無邪気な笑顔で言った。

 

 

「惑星を一つ、滅ぼしてあげるわ。今は尻尾が無いから、どこでもってわけにはいかないけど、それでも地球と同じくらいの星なら、私一人で滅ぼせるから、好きな星を言ってみて」

 

 

 星一つあれば、ブルマが一生お金に困ることはないだろう。少し払い過ぎかもしれないが、自分はそれだけ感謝しているのだ。きっと喜んでくれるに違いない。

 

 ナッツの提案に、悟飯とクリリンは表情を変え、そしてブルマは、笑顔のまま答えた。

 

「そう、ありがとう。ナッツちゃんはいい子ね」

「ええ、父様の娘だもの」

 

「でもまあ、今は特に欲しい星は無いから、必要になったらお願いするわね」

「わかったわ。いつでも言ってね」

 

 そんな二人のやり取りを見て、父親は娘の立派な態度を誇らしく思っていた。受けた恩に対して、戦いの成果で返す。サイヤ人の王族として、とても正しい振る舞いだった。

 

「どの星でもいいぞ。オレも同行すれば、大抵の星は落とせるからな」

「父様! 頼もしいです!」

 

 はっはっは、と明るく笑う父娘を見て、ブルマは言った。

 

「……あなたのお父さんと話があるから、ちょっと借りるわね」

「? うん、いいわよ」

 

 まだデザートを食べていたベジータに、固い声で告げる。

 

「ちょっと来なさい」

「お、おい!?」

 

 腕を掴み、奥の部屋へと引っ張っていく。サイヤ人の教育は、どうなっているのかと思った。

 

 

 

 ブルマに連れて行かれた父親を、手を振って見送ってから、ナッツは眠くなってしまい、少年の膝で微睡んでいた。

 

 悟飯は彼女の体温を感じながら、微かに寝息を立てる少女を眺めていた。安心しきったその寝顔が、可愛いと思った。

 

 少年がしばらくそうしていると、クリリンが無言で、持ってきた毛布をナッツに掛けた。

 

「クリリンさん。ありがとうございます」  

「……オレ、こいつの事が判らなくなってきた。その、地球で見た時と、違いすぎてさ」

 

 寝ている少女を起こさないよう、二人は小声でやり取りする。

 

「こいつは本気でオレや悟空を殺そうとしていたし、さっきも自分で言ってたとおり、人を殺して星を滅ぼすのを何とも思っちゃいない。けど、ここに来てからは、とてもそんな奴には見えなかったんだ」

 

「ナッツから聞いたんですけど、サイヤ人は、価値の高い惑星を侵略して、それを売って生きてきたそうです。だから彼女もサイヤ人らしく、滅ぼす星の住民に同情なんてしないように育てられて、こうなったんだと思います」

 

 悟飯は膝の上で眠る少女を、複雑な顔で見て言った。 

 

「彼女の中で、知らない人間は殺していい人間で、逆に知っている人間、家族とか、仲間と認めた人達の前では、優しく振舞えるんだと思います」

 

 ナッツが仲良くなった、ナメック星人達の事を思い出す。成りゆきとはいえ、彼女が子供を助けて、彼らからお礼を言われて、そして戦って交流した事で、彼らは身内と認められたのだろう。

 

「悟飯はサイヤ人の血を引いてたから、仲間と見なされたってわけか」

「はい。それと、歳が近かったのも、あると思います」

 

 生き残ったサイヤ人は、今たった4人だという。当然、他に子供なんていなかったはずだ。

 

「わかるんです。ボクの周りにも、同じくらいの歳の子供はいなかったから」

 

 だからこの子から目が離せなくて、一緒にいたいと、そう思ってしまうのだろうか。

 

 ナッツは悪いサイヤ人で、大勢の人を殺していて、とても怖い存在だけど、それだけじゃなくて、父親想いで、戦うのが大好きで、意外と頭も良くて、優しい所もあって、放っておけない女の子だと、そう思えてしまうのだろうか。

 

「……サイヤ人ってのは、酷い奴らだよな。こんな子供に、人を殺させるなんてよ」

「彼らにとっては、きっとそれが当たり前なんです。地球の教育とはちょっと違うかもしれませんけど、ナッツは愛されていたんですよ」

 

 限られた人間にだけとはいえ、彼女が優しく振舞えるのは、自分がそうされて育ったからだろう。そうでなければ、純粋な悪に染まっていたはずだ。

 

「まあ少なくとも、親父の方はそうだよな」

 

 クリリンは奥の部屋を見ながら、小さく笑った。

 

「きっとお母さんの方も、良い人だったんですよ」

 

 悟飯は膝の上で眠る少女を、穏やかな目で眺める。彼女によると、その容姿は母親の小さな頃にそっくりらしい。きっとナッツと同じで、怖くて風変わりで、それでいて優しい人だったんだろうと思う。

 

 

「むう……悟飯?」 

 

 話し声が聞こえたのか、少女はうっすらと目を開け、毛布の中で身じろぎする。

 

「ごめん、ナッツ。起こしちゃった?」

 

 優しい目で見下ろす悟飯と目が合って、少女の頬がわずかに赤くなった。

 

「い、いいのよ! わ、私の方こそ、つい寝ちゃったけど、足、痛くない?」

「う、うん。大丈夫」

 

 同じように赤くなりながら、少年は続けた。

 

「あの、ボクで良かったら、またいつでもいいよ」

「……っ! そ、そうなの。じゃあ、また今度お願いしようかしら……」

 

 ナッツはさらに赤くなったのを誤魔化すように、慌てた様子で言った。

 

「こ、この毛布、軽くて暖かいわ! 悟飯が掛けてくれたの?」

 

 今までフリーザ軍で使っていた寝具よりも、格段に肌触りが良かった。それに地球の服も、柔らかくて着心地が良く、少し眠っただけで、疲れが取れた気分だった。戦う為でない衣服とは、このようなものかと思った。

 

「ううん。それはクリリンさんが」

「……勘違いするなよ。風邪なんか引かれて、悟飯にうつったら大変だからな」

 

 ぶっきらぼうにそう言われたが、言葉と裏腹に、自分の事を気遣ってくれたのは、態度でわかって、嬉しくなってしまった。地球人と違って、そう簡単に体調を崩したりはしないのだけど。

 

「あなた、クリリンって言うのね。毛布ありがとう」

「……お、おう」

 

 少女の笑顔から、クリリンは照れたように目を逸らした。

 

 

 ナッツは少年の体温を感じながら、彼の顔を見上げて言った。

 

「そういえば、悟飯。さっき返事は聞いてなかったけど、もしドラゴンボールで願いが叶って、あなたの大事な人たちが生き返ったら。そうしたら、私、あなたの友達になってもいい?」

 

 少女の表情は、どこか不安そうで。安心させてあげたくて、少年は優しく笑った。

 

「ボクも正直、あんまり友達いないから、よくわからないんだけど」

 

 それどころか、人間の友達はまだ0人だけど、見栄を張りたかった。

 

「ボク達はもう、友達なんじゃないかな」

「悟飯……!」

 

 少年の言葉が嬉しくて、ナッツは花が咲くような笑みを浮かべた。

 

「友達って、ずっと一緒にいるのよ」

「うん」

 

「私が戦いたいって言ったら、付き合ってくれる?」

「うん。勉強の手が空いた時なら」

「……もう」

 

 そこは大喜びすべき所だろうと、ナッツは思う。戦闘力が高いとはいえ、下級戦士の子供が王族と戦える機会なんて、きっと滅多に無いんだから、光栄に思ってくれないと。

 

「じゃあ、私が勉強したいって言ったら、教えてくれる? 昔は母様が色々教えてくれたんだけど、一人じゃつまらないし」

「喜んで! 本とか参考書とか、いっぱい家にあるから!」

「……もう」

 

 さっきよりも食いつきのいい反応に、おかしくなって、少女は小さく笑った。戦いよりも、勉強の方が好きなんて、戦闘力が低いわけでもないのに、本当に変わったサイヤ人だと思う。

 

 正直、戦いの方がずっと好きだけど、悟飯がこんなに喜んでくれるのなら、たまには付き合ってあげても良いかと思った。

 

 

 二人がそれからしばらく話していると、奥の部屋から、ブルマとベジータが戻ってきた。父親を見たナッツの顔が、ぱあっと明るくなる。

 

「父様、お帰りなさい! 何の話をしてたんです?」

「ああ、それはな……」

 

 何か言い掛けながらも、口ごもる父親の代わりに、ブルマが言った。 

 

「ねえ、ナッツちゃん。あなたのお父さんとも話したんだけど、地球に来るんだったら、私の家に来ない? とても広いから、二人くらい全然困らないし、さっきのよりも、もっとおいしい物も、ご馳走してあげる。毎日お風呂も入れてあげるし、寝心地の良いベッドもあるし、悟飯くんが喜ぶような、素敵なお洋服も見つけてあげるわ」

 

「もっとおいしい物!?」

 

 少女は驚愕する。それだけでも信じられないのに、何もかも、夢みたいな話だと思った。

 

 返事を待つかのように、ブルマが自分を、優しい目で見つめている。強い戦士というわけでもないのに、彼女には、何故だか惹かれるものを感じていた。他の事よりも、ブルマと一緒に暮らせるのが、嬉しいと思った。

 

 それはともかく、食事だけでなく、家にまで住まわせてくれるというのなら、お礼をしないといけないだろう。

 

「じゃあ、滅ぼす惑星を2つにしないと」

「お礼なんて考えなくていいのよ。私がそうしてあげたいの」 

 

「……会ったばかりなのに、どうしてそこまでしてくれるの?」

 

 何故だろうと、ブルマは自分でも思う。目の前で泣いていた子供を放っておけず、情が移ってしまったのか。父さんが動物を拾ってくるような、あれとは違うと思いたいけど。

 

「あなたが子供だからよ。子供はおいしい物を食べて、いっぱい愛されて、友達も作って、好きな事をして、幸せに生きる権利があるの」

「……そう」

 

 少女は夢想する。父親や悟飯やブルマと一緒に、地球で穏やかに過ごす日々を。毎日父様とトレーニングをして、悟飯と戦って、たまに勉強にも付き合ってあげて、それから家に帰ってお風呂に入って、ブルマの用意してくれたおいしい物をお腹いっぱい食べて、暖かいベッドで眠るのだ。

 

 実戦が恋しくなったら、どこかの星で傭兵仕事でも引き受けるのも良いかもしれない。適当な惑星に攻め込むのもいいが、地球に定住する以上、犯罪行為をして銀河パトロールに目を付けられては、ブルマに迷惑が掛かるだろう。

 

 サイヤ人らしくはないけれど、そんな風に、生きてみたいと、ナッツは思った。

 

 

 そこで少女は、ふと大事なことに気付く。

 

(そういえば、願いについて、父様と話しておかないと)

 

「父様。その、ドラゴンボールで叶える願いは、1つあれば十分ですよね……?」

 

 おずおずと、我儘を口にするのを躊躇うような様子の娘に、父親は言った。

 

「3つ叶うという話は聞いた。オレは不老不死さえ得られればいい。そいつらに願いをくれてやる気はないが、残りの2つはお前のものだ。好きにしろ」

「わかりました、父様! ありがとうございます!」

 

 少女は顔を輝かせて、悟飯の手を握って言った。

 

「じゃあ、2つともあなたにあげるわ」

 

 悟飯は目を白黒させながら、考える。サイヤ人達に殺された人間を生き返らせる。こっちだって、願いは1つあればいいのに。

 

「……キミはいいの?」

 

 少年の問いに、ナッツは悲しそうな顔になった。

 

「……本当は母様に生き返って欲しいけど、生まれつきの病気で、元々長くは生きられなかったの。もし生き返らせても、苦しめてしまうだけだわ」

 

 少女と共に、父親も顔を伏せる。彼女の命が、保ってあと1.2か月だと診断されていた事を、彼は娘に伝えていた。

 

「クリリンさん、ドラゴンボールで治すことって、できないんですか?」

「どうだろうなあ……」

 

 クリリンは考える。生まれつきの病気は、治せるものなのだろうか。まあ何でも叶えてやろうと言う割に、サイヤ人もピッコロ大魔王も倒せなかったけど、戦い以外の事でなら、かなり融通は利くはずだ。

 

「病気を治した上で生き返らせて下さいって、試しに言ってみるくらいはいいんじゃないか? 無理なら無理って言われるからさ」

 

(……ドラゴンボールって、喋るのかしら?)

 

「あまり期待はしないようにするわ。無理だったら、願いはあなた達にあげる」

 

 そう言いながらも、内心期待が膨らむのを抑えられなかった。もし本当に母様が生き返るのなら、伝えたい言葉があった。言って欲しい言葉があった。

 

 3年前のあの日、初めて一人で惑星を滅ぼした報告をする前に、二度と会えなくなってしまった。自分が成長した事を伝えて、母様に褒めて欲しかった。それが彼女の願いだった。

 

 

  

「そういえば、クリリンさん。気が凄く強くなってますけど、何があったんです?」  

「最長老のところで、潜在能力ってのを引き出してもらったんだ。お前も強くしてくれって、頼んであるから行ってこいよ」

 

 二人のやり取りは、ナッツにとって興味深い話だった。

 

(急に戦闘力が1万を超えるなんて、おかしいと思ってたけど、最長老にそんな力があったのね)

 

 自分もその潜在能力を引き出してもらいたいと、少女は思った。悟飯だけ強くなるのは、自分が置いて行かれるようで嫌だったし、父親の足手纏いにならないよう、少しでも戦闘力を上げておきたかった。

 

「私も行くわ。ツーノ長老って人から、最長老への伝言を頼まれてるの」

「……まあ、いいんじゃないかな」

 

 強くしてもらえる! と期待に目を輝かせるナッツに、お前悪い奴だから無理なんじゃね? とは流石にクリリンも言えなかった。

 

 その時、ベジータが何かに気付いたような顔で、口を開いた。

 

「おい、最長老はドラゴンボールを持っていたはずだ。まだ向こうにあるのか?」

「……いや、オレが預かってきた」

 

 次の瞬間、父娘の表情が驚愕に歪む。

 

 

「それを早く言え!!!」

 

 

「ど、どうしたんだ!?」

 

 あまりの事態に、ナッツが震えながら言った。

 

「わ、私がナメック星人から1つもらって、父様がフリーザ達から5つ奪って隠してあるの……。もう7つ揃ってるわ……!」

 

 時間が惜しかった。少女は自らのシャツに手を掛ける。次の展開を予測した悟飯が反射的に両手で目を覆い、見ていない事をアピールする。

 

「ブルマ! 私と父様の戦闘服を!」

 

 そして脱ぎ捨てようとしたところで、にっこり笑ったブルマに腕を掴まれ、強張った顔で動きを止める。悟飯を殴ろうとしていたベジータも同じく腕を掴まれ、娘と共に奥の部屋へと引きずられていった。

 

 

 少しして、汚れを落とされた戦闘服に着替え終わったナッツが走り出てきた。

 

(フリーザが何をしてくるかわからないし、一刻も早く願いを叶えないと!)

 

 焦る娘に、同じく着替え終わった父親が、冷静に告げる。

 

「ナッツ、願いを叶えるだけなら、オレ達だけで大丈夫だ。お前は悟飯と最長老のところへ行って、強くしてもらってこい」

「はい! 父様!」

 

 少女は待っていた少年の手を引いて走り出す。

 

「悟飯、場所は私が聞いてるわ! 全力で飛ぶわよ!」

「うん! わかった!」

 

 そして二人は寄り添うように飛び立ち、その姿はあっという間に小さくなっていく。

 

 

 そんな子供達の様子を、最長老から託されたボールを手にしたクリリンは、微笑ましいと思いながら眺めていた。

 

(悟空も結婚したし、娘がいるってことは、ベジータにも、嫁さんがいたんだよなあ)

 

 触発されたわけではないけれど、自分もそろそろ結婚したいと、クリリンは思った。

 

(出会いなんてまだ無いけど、これが終わって地球に戻ったら、働いて金でも貯めようかな……)

 

 

 父親もまた、飛んでいく娘の姿を眺めていた。成長するにつれて、ますます母親に似てきたと思いながら。

 

 あいつの病気を治した上で生き返らせる。それが叶えば、どれだけいいかと思う。だがもしそれが叶わなかった場合に、残った願いで娘も不老不死を得る道がある事を、あえて教えなかった。

 

 気付いてしまえば、ナッツは自分もそうなって、父様とずっと一緒にいますと、無邪気に言うかもしれなかったから。

 

 せめて成人していればともかく、まだ幼い娘に不老不死を選ばせる気は無かった。フリーザを倒して、その後は娘が幸せになるよう手を尽くして、その一生を見届けてから、好きに生きようと思った。子孫がいれば見守るのも良いかもしれない。

 

 

 子供達の姿が見えなくなるまで、二人は彼らを見送って、やがて自分達もまた、隠したボールを集めに飛び立った。

 

 

 

 それから少し時間が経った頃。最長老の住居にて。

 

「ネイルよ。この二つの気配は……」

「一つは、あの地球人の言っていた者でしょうが、もう一つは……」

 

 紛れも無い悪しき気配。あの侵略者達と同じく、罪の無い人々を、数えきれないほど殺してきた事が、この距離からでもはっきりと判る。なぜこんな者が一緒にいるのか。

 

 もしかすると、脅されて案内させられているのかもしれない。既にドラゴンボールが無い以上、狙いは潜在能力を引き出す事だろうか。

 

「ご安心ください。最長老様。狙いが何であれ、悪しき者は、私が決して近づけさせはしません」

 

 ナメック星唯一の戦闘タイプ、戦闘力42000を誇るネイルが、きっぱりと言った。




 というわけで、ほのぼのパートがいったん終了です。殺すべき敵がいない状況なので主人公が割と穏やかな感じなのですが、ここからしばらく、シリアス多めの展開が続きます。

 この時点では、クリリン達はナメック星のドラゴンボールが1度に1人しか復活できないという事を知りません。あとブルマとベジータの間でどんな会話があったかは、あえて省いてます。子供が気にする事ではないからです。


 それと毎回の話ですが、感想、評価、お気に入り等ありがとうございます。続きを書く励みになっております。
 あんまり一般向けの内容ではありませんが、それでも読んで好きだと思って下さる方がいるという事を嬉しく思います。


 次の話は、彼女と最長老とのやり取りがメインです。
 少し時間が掛かるかもしれませんが、気長にお待ちくださいませ。


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10.彼女が誓いを告げる話

 どこまでも明るいナメック星の空の下。

 

 最長老の住む場所へ向けて、笑顔を見せる少年と少女が、寄り添うように飛んでいる。

 

 既に7つのドラゴンボールは彼らの手の内にある。あとはベジータとクリリンが、隠してあるボールを集めれば、願いが叶うのだ。

 

(父様が不老不死になれば、きっとフリーザだって倒せる。ピッコロ達が生き返れば、悟飯はきっと喜ぶし、それに母様も、病気が治って生き返るかもしれない)

 

 あまり期待してはいけないと、わかっていても、幸せな空想は抑えられない。上手くいけば父様と母様と、また三人で暮らせるのだ。

 

 話したい事がいっぱいあったし、あの信じられないくらい美味しい地球の食べ物を、母様にも食べさせてあげたかった。

 

 

 ナッツは顔をにやつかせながら、傍らを飛ぶ少年に話しかける。

 

「ねえ悟飯。そろそろ願いは叶ってるかしら?」

 

 悟飯はその言葉に、少し困ったような顔になった。

 

「たぶん、まだだと思う。叶う時には、空が暗くなってると思うんだ」

「ふうん……」

 

 それきり、話題が途切れてしまう。お互いに話したい事は、以前会った時に、大体喋ってしまったのだ。

 

 それでも何か話題が欲しくなって、少女は口を開く。

 

「そういえば、カカロットは来てないみたいだけど、怪我は大丈夫なの?」

 

 地球で殺そうとした手前、聞きづらい内容だったが、もし死んでいたら、悟飯が自分を許すはずがないから、生きてはいるはずだ。

 

 少女は自分の右手を見る。この手で悟飯の父親を握り締めた時の感触は、今でも覚えている。取り返しのつかない事をしてしまう所だった。

 

 ナメック星に来ていないという事は、まだ怪我が治っていないのだろう。無理もない。全身の骨が粉々に砕けていたのだ。メディカルマシーンでもない限り、生命力の強いサイヤ人といえども、治るには数ヶ月か、1年か。

 

 それだけの時間、戦いも訓練もできずに、ただ療養する事など、純粋なサイヤ人には耐えがたいはずだ。

 

(どこかメディカルマシーンのある星にでも、連れて行ってあげようかしら)

 

 そんな少女の思惑を他所に、悟飯はあっさりと答えた。

 

「うん。最新型の宇宙船で、もうそろそろナメック星に着くんだって」

「えっ」

 

 ナッツは一瞬、目を丸くして、それから湧き上がる疑問を口にする。

 

「……怪我はどうしたの? 地球にはメディカルマシーンまであるの?」 

「? 新しく仙豆ができたから……あ、仙豆っていうのは、見た目は小さな豆なんだけど、食べればどんな怪我でも一瞬で治るんだ。なかなか育たないみたいで、数はあんまり無いんだけど」

 

「地球にはドラゴンボールの他に、そんな物まであったの……!?」

 

 あまりに凄まじい話の内容に、少女の顔が引きつった。それが本当なら、メディカルマシーンどころか、ナメック星人達の治癒能力すらも超える利便性がある。

 

「その仙豆の事とか、他にも色々、フリーザには知られないように気を付けないと。きっと地球を侵略に来るわよ」

「う、うん……」

 

 神妙な顔つきになる悟飯。その時、良い事を思いついて、ナッツの顔が輝いた。

 

「仙豆って、切れた尻尾には効くのかしら? こう、食べたらすぐに生えてくる感じで!」

 

 自分も父様も、地球に行く前よりもかなり強くなっている。今大猿になれたら、きっと凄い事になるはずだ。

 

(私もそうだし、父様なんて、戦闘力30万近くになれるわ! フリーザも変身するらしいけど、結構いい所までいけるんじゃないかしら?)

 

 期待に満ちた様子のナッツに、ばつの悪そうな顔で、少年が告げる。

 

「その、ボクが食べた時も生えなかったし、効かないんじゃないかな……」

「……そう」

 

(やっぱり、そう上手い話は無いわね……)

 

 にわかにしょんぼりした少女の姿に、少年は胸が痛むのを感じた。

 

(そんなに尻尾は大事なんだ……)

 

 そこで少年は、自分の記憶に違和感を覚えた。何か忘れている気がする。ナッツ達と戦った時、新しく生えたはずの自分の尻尾は、どうして切れたんだっただろうか。

 

 思い出そうとすると、どうしてか、とても嫌な予感がして、思考が止まってしまう。死にそうなほどに傷付いて、息も絶え絶えの少女の姿。思い出しては駄目だと、心の奥底で、戒めるような声がする。

 

 原因不明の悪寒を振り払うように、何気なさを装いながら、悟飯は言った。

 

「ナッツの尻尾も、きっとすぐ生えるよ」

「そうだと良いんだけど……」

 

 浮かない顔のまま、少女は考える。あのフリーザを相手に、戦闘力はいくらあっても足りない。

 

 大猿の姿でも理性を保てるよう訓練したのも、血のにじむような努力の末にパワーボールの使い方を覚えたのも、いつか来るだろう、フリーザとの戦いを見据えてのことだ。

 

 切った悟飯を恨むつもりはないけれど、それを思うと、地球で尻尾を失ってしまった事が惜しかった。

 

 

 黙り込むナッツ。何となく、重くなってしまった空気をどうにかしたくて、悟飯は口を開く。

 

「そういえば、メディカルマシーンって何?」

「医療用の機械よ。透明な筒状の形をしていて」

「うんうん」

 

 学者を志す少年は、知的好奇心が豊富だった。大まかに、頭の中でその機械の形状を想像する。

 

「そこに服を脱いで入ると、内部に治療液が満ちて、短時間で怪我を治せるのよ。私も父様も、それを使って治療して来たの」

「っ!!」

 

 反射的に、機械の中に、目の前の少女が裸で浮かんでいる光景を想像してしまい、悟飯の顔が耳まで真っ赤に染まる。

 

 この場に少女の父親がいれば即座に拳が飛んでいただろうが、そうした事に疎いナッツは、少年の内心に気付かない。

 

「? どうしたの? 悟飯」

「な、何でもないよ!?」

 

(何か今、変な事言ったかしら?)

 

 ナッツが首を傾げていると、やがて遠くに、塔のようにそびえ立った岩が見えてきた。その上には、ナメック星人達の村で見たような、家らしき白い建物があった。

 

「あれが最長老って人の家じゃないかな?」

「きっとそうだわ!」

 

 二人がさらに速度を上げ、最長老の家に近づくと、その前に一人のナメック星人が立っているのが見えた。

 

 全身から立ち上る攻撃的な気と、威圧するかのような鋭い眼光は、明らかに彼らを歓迎するものではない。

 

「それ以上近づくな。悪しき者よ。立ち去るがいい」

 

 少女の父親を遥かに超える気を持つ存在に、悟飯がおそるおそる尋ねた。

 

「あの……悪しき者って……?」

「お前の隣にいる者だ。悪しき者を最長老に近づかせるわけにはいかん。お前の事は、先に来た地球人から聞いている。通るがいい」

 

「私も、最長老に用があるのだけど……」

 

 言って前に出ようとしたナッツが、とっさにその場を飛び離れた。一瞬後、彼女のいた空間を、高速のエネルギー弾が撃ち抜いた。

 

「なっ……!?」

 

 悟飯は驚愕する。命中すれば、死んでいたかもしれない威力だった。

 

「近づくなと、言ったはずだ」

「ずいぶんな挨拶ね……!」

 

 殺されかけた少女は、言葉と裏腹に、とても楽しそうに笑う。戦闘タイプのナメック星人。躊躇なく攻撃してきたその気性は、間違いなく自分に近い。

 

 敵意を向けられながらも、同類が相手だと思うと、悪い気はしなかった。ただ強い相手を前に、血が騒ぐのを抑えられない。

 

(尻尾が無いのが、本当に残念だわ。きっと良い勝負になったでしょうに)

 

 戦闘民族の顔で笑うナッツから、少年は目が離せなかった。血に飢えた獣のような、獰猛な笑み。先ほどまでの、心優しい子供のようだった彼女からは、まるで別人のようで。

 

 戦いを好むその姿は、お父さんに少し似ていて、けれど決定的に違う。きっと惑星を攻め滅ぼす時も、彼女は同じ顔をしていたのだろう。

 

 どこまでもサイヤ人らしいその姿。道義的には間違った生き方だと、頭ではわかっていても、自分には決して届かないその姿を、どこか気高く、眩しいとすら思えてしまう。

 

 そして同時に、何故だか嫌な気持ちになった。どうしてそんな楽しそうな顔を、他の奴に向けているのか。

 

 苛立つ理由を自覚しないまま、悟飯は少女に声を掛ける。

 

「ナッツ、今は戦いに来たんじゃないから」

「……そうだったわね」

 

 少年の声に、入りかけた戦闘へのスイッチを、不承不承切り替える。少女は小さく両手を上げ、戦う気が無い事を示しながら言った。

 

「私は敵ではないわ。ツーノ長老からの伝言を、最長老に伝えに来たのよ」

「何だと……?」

 

 なぜ長老の名を知っている? ネイルは3秒ほど考え、そして結論した。

 

「……貴様、ツーノ長老を脅したのか?」

「たとえ脅されようと、自分の親を売るようなナメック星人がいるのかしら?」

「……っ!?」

 

 この娘、最長老の事をどこまで知っている? 困惑するネイルに向けて、ナッツはさらに言葉を続ける。

 

「私は力の試練を受けて、あなたの次に強いという試練の番人と力比べをして、ツーノ長老からドラゴンボールを譲り受けたの。その時に、最長老への伝言を託されたのよ」

 

「本当です! ボクも見ました!」

「むう……」

 

 この少年は、間違いなく正しい心の持ち主だ。それだけに、悪しき存在と一緒にいて、庇うような言動をするのが解せなかった。

 

 どうすればいいのか。ネイルが悩んでいると、家の中から、静かな声がした。決して大きくはなかったが、その場にいる全員の、頭の中に直接響くような声だった。

 

 

『ネイルよ。入れて差し上げなさい。その者達は嘘を吐いていないようです』

 

 

「……かしこまりました」

 

 ネイルは一礼してから、ナッツを睨み付けて言った。

 

「入るがいい。だが最長老様におかしな真似をしようものなら、覚悟しておけ」

「心配しなくても、あなた達の親に失礼な事はしないわ」

 

 重力か何かの作用か、浮くように開いたドアから、三人は家の中へ入っていく。家の中にいたデンデが、少女の悪の気に怯えるように壁際に下がる。

 

 そして大きな椅子に座る最長老を目の当たりにした悟飯とナッツは、その姿に驚いた。

 

 年老いたナメック星人。立ち上がれば4メートルを超えるだろうその姿は、まるで巨大な老木のようだった。

 

(この人が、ツーノ長老達の親なのね。大きすぎてドアから出れないから、お世話をする人が必要なのかしら……)

 

 どこかずれた感想を抱くナッツ。そして最長老の方も、入ってきた二人を観察していた。

 

 少年の方は、クリリンという地球人から聞いたとおり、正しい心を持っているようだった。潜在能力を引き出せば、その力はきっと良い事に使われるだろう。 

 

 そしてもう一人の少女は、地球を襲ったサイヤ人だ。カタッツの子を殺した者達の一員であり、全く良い印象はない。

 

 ただあの地球人の記憶の中では、もっと恐ろしく邪悪な存在だったが。素朴な目で自分を見上げている少女の姿は、どうにも少し、違うように見えた。

 

 話によると、力の試練に挑んだという。確かにあの村に、少女の気配が迫り、そして誰も殺さないまま、彼女が村を離れたのは感じていた。

 

 このサイヤ人とツーノ達との間に何があったのか、知りたいと思った。だがまずは、頼まれた用事から済ませるべきだろう。

 

「あなたは、悟飯というのでしたか。私の近くに来てください」

「は、はい……」

 

 近付く悟飯。その頭に手を置いた最長老は、潜在能力を引き出そうとして、ふと違和感を覚えた。

 

 少年の身に眠る力は、先の地球人とは全く別種の、荒々しく強大なものであると感じたのだ。

 

「あなたは、地球人ではないのですか……?」

「え、えっと……」

 

 説明していいものかと、迷う悟飯の代わりに、少女が口を開く。

 

「悟飯はサイヤ人と地球人との混血よ。強くて優しくて、戦いよりも勉強が好きな、変わり者のサイヤ人なの」

「なるほど……」

 

 少女の言葉に、最長老は得心する。サイヤ人の血を引いていると言うのは、少し気掛かりだったが、この少年が正しい心を持っている事は間違いないのだ。

 

 少年の内に眠る力に触れながら、外へと導くようにイメージする。次の瞬間、悟飯の全身から、湧き出るように力が吹き出した。

 

 感じる力のあまりの大きさに、少年は自らの両手を見ながら、呆然と呟く。

 

「これが、ボクの力……?」

「す、凄い……! 戦闘力が一気に跳ね上がったわ!」

 

 1万を超えるだろうその大きさに、感極まったナッツが叫ぶ。が、その戦闘力がクリリンと同程度である事に気付き、訝しむような表情になった。

 

(どういうこと? サイヤ人の悟飯の潜在能力が、地球人と同じくらいだっていうの?)

 

 少女の疑問に答えるかのように、最長老が言った。

 

「それはあなたの力の、ほんの一部に過ぎません。私にも完全に引き出す事はできませんでしたが、きっかけは与えました。どうかその力を、正しき事に使って下さい」

 

「わかりました。ありがとうございます。最長老さん」

 

 ぺこりと頭を下げる少年を見て、頼もしそうに頷く最長老。

 

 そしてナッツがきらきらと目を輝かせ、少年に笑い掛ける。

 

「おめでとう、悟飯。その歳で戦闘力1万を超えたサイヤ人は、きっとあなたが初めてよ」

「う、うん……」

 

 照れたように俯く悟飯を、好ましいと思いながらも、心の内で、少女は闘志を燃やす。

 

(待ってなさい。私は王族なんだから、きっと潜在能力でも、あなたに負けていないはずよ。すぐに追いついてみせるわ!)

 

 ナッツは決意を秘めた目で、最長老の顔を見上げて言った。

 

「最長老。ツーノ長老からの伝言を、伝えてもいいかしら?」

「ええ。お待たせしました。できれば、あなたが彼らの村を訪れた時の事から、語ってはくれませんか。何があったのか、詳しく知りたいのです」

 

 その言葉に、少女は一瞬硬直する。ナメック星人達を助けて、彼らと仲良くなったのは確かだが、そもそも村を訪れた理由は、彼らを殺してドラゴンボールを奪う為だった。

 

 それを伝えたら、きっと最長老は気を悪くするだろう。潜在能力を引き出して欲しいと頼んでも、断られるかもしれない。

 

 隠そうかとも思ったが、目の前の巨木のような老人には、口先で何を言っても、全て見透かされそうな雰囲気があった。

 

 それに、いくら戦闘力を上げるためとはいえ、虚言を弄するのは、王族として、恥ずべき振る舞いだと思った。

 

「……わかったわ」

 

 そして少女は、全てを語った。ボール集めと、戦闘力を上げる目的で、村へ向かったこと。村が偶然フリーザ軍の兵士に襲われていて、人質にされていた子供を反射的に助けたこと。村人達に力の試練を受けに来たと誤解されて、そのまま成り行きで番人と戦い、勝利したこと。ツーノ長老からボールを渡され、悪しき者である事は知っていたと告げられたこと。そしてナメック星人について教えてもらって、最終的に最長老への伝言を託されたこと。

 

「ツーノ長老は言っていたわ。かつての異常気象であなたが生き残ったように、これから村人全員がバラバラに隠れて、生き残った者がまたナメック星を復興させるから、安心して欲しいって」

 

 全てを聞き終えた最長老は、大きく息をついた。

 

「そうですか。ツーノがそんな事を……」

 

 寿命の迫っている自分が、安心して現世を離れられるよう、気遣ってくれた事が嬉しかった。そして安堵する。自分のしてきたことは、無駄にはならないのだ。

 

「伝えて下さって、ありがとうございます。この星の子供達はほとんど死んでしまい、今度こそナメック星人は滅んでしまうのかと、半分諦めていましたが、救われた思いです」

 

「ええ。それで、その……伝言のお礼に、私も潜在能力を引き出してもらえないかしら?」

 

 自分でも無理があると思いながらの発言に、ネイルが突っ込んだ。

 

「……悪しき者よ。今の話で、どうしてそれができると思った? 貴様はツーノ長老達を殺すつもりだったと、自分で言っただろう」

 

「……そうだけど、私は最長老と話しているのよ」

 

 最長老は悩んでいた。彼女が子供達を助けてくれた事は、紛れも無い事実だ。そもそも村を襲うつもりだったという事は、それほど問題ではなかった。結局のところ、彼女はそれをしなかったのだから。

 

 自分にとって不利な事実を隠さずに話した事からも、その性根が真っ直ぐであることが見て取れた。ただ真っ直ぐな性根を持つ者が、善行を為すとは限らない。

 

 問題があるとすれば、彼女がこれまで成してきた悪行だ。どう改心しても死後の地獄行きを免れないであろうほどの、紛れも無い悪の気配が感じられた。まだ年端もいかない子供が、何人殺せばこうなるというのか、最長老には見当もつかなかった。

 

「……残念ながら、あなたの潜在能力を引き出す事はできません。大勢の人々を殺してきた、あなたの本質は悪であり、あなたはこれからも、同じことをするでしょう。ナメック星の長である私が、悪に加担することはできません」

 

 ドラゴンボール。何でも願いを叶えるという、宇宙のバランスを崩しかねないほどの力を秘めたそれの製造と保有が許されているのは、ナメック星人達が決してそれを悪用しない善なる存在だと、宇宙の神々から認められているからであり、それは最長老にとっての誇りだった。

 

「それに純粋なサイヤ人の潜在能力を引き出した時、何が起こるのか、私にも未知数なのです。そちらの心正しき少年ならともかく、悪しきサイヤ人が、私のせいで超サイヤ人にでもなってしまえば、どれほどの犠牲が出ることか……」

 

「……超サイヤ人のことを、知っているのね」

 

 伝説の超サイヤ人。おとぎ話の類がこんな辺境の星にまで伝わっている事は嬉しかったが、その悪名が、自分を苦しめていると思うと、素直に喜べなかった。

 

「あの、超サイヤ人って……?」

 

 悟飯の疑問に、最長老が答える。

 

「超サイヤ人は、血と闘争を好む最強の戦士であり、金色の髪と青い瞳を持っているそうです」

「……それって、本当にサイヤ人なの?」

 

 サイヤ人は全て黒目黒髪のはずだ。纏うオーラがそんな風に見えるのだろうか。地球でカカロットは一瞬赤いオーラを纏っていたが、遠目なら赤色の髪に見えるかもしれない。瞳の色まで変わるのは、まあ大猿になれば赤くなるし、そんな事もあるのだろうか。

 

「私が聞いた話では、外見については触れられてなかったわ。千年に一度現れるという、サイヤ人の限界を超えて、どこまでも強くなれる伝説の戦士の事としか」

 

 その言葉を聞いた少年は、反射的に、頭に浮かんだ内容を口にした。

 

「お父さんみたい……」

「言っておくけど、私の父様の事だからね?」

 

 

「……ともあれ、あなたの潜在能力を解放することはできません。他の事なら……」

「それじゃあ、意味が無いのよ……!」

 

 少女は小さな拳を震わせる。他のものなんていらない。フリーザを殺すために、戦闘力が欲しかった。悔しさのあまり、視界が滲む。

 

 見かねた少年が、話に割り込んで言った。

 

「あ、あの! ナッツが悪い事をしないよう、ボクが見てますから、それじゃあ駄目ですか?」

 

「悟飯……」

「ふむ……」

 

 真摯に彼女を思いやる少年の言葉を受けて、最長老は考える。その悪の気配に反して、少女の言動は子供のように素直だ。そのちぐはぐさは、歪とさえ言える。

 

 彼女は、単純に悪と言い切っていい存在なのだろうか。少なくともツーノは、彼女を勇者と認めて、ドラゴンボールを託したのだ。

 

「……言葉だけでは、判断が難しい。あなたの記憶を、見せてください」

「いいわ。見てちょうだい」

 

 最長老は少女の頭に手を乗せ、その記憶を垣間見た。

 

 両親に愛された、幸せな記憶。戦闘訓練。母親の死と、燃え上がる復讐心。戦闘に明け暮れ、幾多の星を滅ぼし続けた日々。地球への遠征と、少年との出会い。そしてナメック星での出来事。

 

(罪の無い人々を、あまりに殺し過ぎている。同情の余地はある。良い方向に向かおうとしているのか? しかし、彼女の本質は……)

 

 長い沈黙の後、頭に手を置いた姿勢を崩さぬまま、最長老が口を開く。

 

「サイヤ人の娘よ。あなたはこれまで、数えきれないほどの人々を殺し、償いきれないほどの罪を犯しました。今までの自分のあり方を悔い改め、正しい心を持って生きる気はありますか?」

 

「! 良かった……!」

 

 悟飯が、明るい顔でナッツを見つめる。はいと答えれば、力を引き出してもらえるのだろう。

 

 それを理解しながら、ナッツは苦悩する。戦闘力は確かに欲しいし、頼んでくれた悟飯には悪いが、それだけはできなかった。

 

 サイヤ人として戦い続け、多くの星を滅ぼした事は、彼女の名誉であり、誇りだった。後悔する事など、何もない。だからきっぱりと言い放った。

 

「嫌よ。私はサイヤ人。今さら悟飯みたいに、いい子ちゃんになる気はないわ」

 

 悟飯の顔が笑顔で固まった。もうやだこの子。

 

「そうですか……」

 

 最長老はその返答を、半ば予測していた。結局のところ、サイヤ人である事は彼女の本質で、それは決して変えようがないと、理解していたのだ。

 

(それでも、もしかしたらと、思っていましたが……)

 

 その手が自分の頭から離れようとしているのを感じ、少女は言った。

 

「待って、最長老。あなたに、言いたい事があるの」 

 

 自分のプライドを曲げてまで、頼み込む気はなかった。だが強くなるチャンスを、諦めたくはなかった。戦闘力3000に達するまで、戦い続けて2年掛かったのだ。1万を超える今の悟飯の戦闘力に並ぶためには、あと何年戦えばいいのか。その頃には、悟飯は更に強くなって、置いて行かれてしまうだろう。

 

 それにフリーザとの戦いを、不老不死を得た父親だけに任せるつもりは無かった。可能な限り強くなって、自分も力になりたかった。

 

 

 

 少女は考える。どうすればいいのか。上手い文句や言い回しを考えようとして、止めた。そういうのは、自分には向いていない。それに目の前の年老いたナメック星人には、口先だけで何を言っても、見透かされてしまいそうな気がした。

 

 だからナッツは、最長老の顔を見上げ、自分の言葉で、ありのままを語る事にした。

 

 

「私の記憶を見たのなら知ってるでしょうけど、私の母様は、フリーザの手で死に追いやられたの。絶対に許せないと思ったわ。どれだけ戦闘力に差があろうと、いつか殺してやるつもりよ」

 

 あの日から、冷たい復讐の炎が、心の奥底で燃え続けている。

 

「そしてこの星にいたナメック星人、あなたの子供達も、大勢フリーザに殺されたわ。その時あなたは、悔しいと思ったはずよ」

 

 穏やかなナメック星人には、似合わない感情だろうけど。

 

「強大すぎる力を持つフリーザを、あなたはかつての異常気象のような、抗いがたい存在と思っているかもしれない。けど私は、奴が悪意を持った生き物であって、殺せる存在である事を知っているわ」

 

 ほんのわずかでも可能性があるのなら、私は諦めない。

 

「もし私が殺されたら、父様は怒り狂って、絶対に仇を討ってくれるわ。それは父様がサイヤ人だからじゃなくて、親として私を愛してくれているからよ」

 

 そして私も、父様と母様の事を愛している。

 

「最長老。あなたも大切な子供達の仇を、できる事なら、自分の手で討ちたいと思っているはず」

 

 諦めたような顔をしていても、戦闘民族である私に、その思いは隠せない。

 

「年老いて戦えないあなたの代わりに、私がフリーザと戦って、あなたの無念を晴らしてあげる。だから、私に力を貸して」

 

 悪だなんて、どうでもいいでしょう? 

 

 

 その言葉は、まるで悪魔の囁きにも似て。

 

 次の瞬間、ナッツの全身から、湧き出るように力が吹き出した。

 

「なっ!?」

 

 驚愕するネイルと悟飯。最長老自身も、自らの行動に驚いたかのように、目を見開いていた。

 

 注目の中、少女は自らの両手を眺め、溢れ出る力を意識して、満足そうに頷いた。

 

(今の私の戦闘力は、悟飯と同じくらいかしら。けど確かに、まだ伸びそうな感覚があるわ)

 

「礼を言うわ、最長老。私はあなた達のような、良い存在ではないけれど、誇りにかけて、約束は守るから」

 

 その顔は、親を亡くした子供のようであり、そして同時に、決意を秘めた戦士のようでもあった。

 

「行くわよ、悟飯」

「う、うん……」

 

 二人は家を後にする。ドアが閉まる寸前、頼みましたと、最長老の声が聞こえた気がした。

 

 

 

 そして彼らが去った後。

 

 最長老は己の顔を、両手で覆い隠していた。死んでいったナメック星人、一人一人の名を呼びながら、しわくちゃの顔が涙に濡れる。

 

「すまない……皆、許しておくれ……」

 

 自分は死んでいく子供達に、何もしてやれなかった。彼らの命の気配が消えていくのを、動けぬまま、見ている事しかできなかった。

 

 あの娘が、彼らの仇を取ってくれるというのなら、自分の無念を晴らしてくれるのなら、悪でも構わないと、あの一瞬思ってしまった。

 

「カタッツやスラッグほどの力が、今の私にあったなら……!」

 

 そうであれば、自らの手で侵略者を迎え撃ち、子供達を守ることができたのだ。ナメック星人らしからぬ考えだとは思うが、あのサイヤ人の記憶に影響されたのかもしれない。

 

「最長老様……」

 

 その思いは、ネイルも同様だった。戦闘タイプのナメック星人は、このような事態に悪と戦うために生み出された存在だ。

 

 自分が出て戦っていれば、もしかしたら殺された兄弟達の何人かは救えたかもしれない。

 

 だが彼らは、敬愛すべき最長老の守りを手薄にしてまで救われる事を望まなかっただろう。それがわかっていたから、ネイルはこの場を動けなかった。

 

 あの悪しき者を認めるわけではなかったが、悔しいと思う気持ちは、確かにある。

 

「最長老様。その時がくれば、お命じ下さい。相手が何であれ、戦ってみせましょう」

 

 ネイルの言葉には、最長老を想う気持ちが込められていたが、それは悲しみを、いっそう深くするだけだった。

 

「ネイルよ。お前にも、死んで欲しくはない……」

 

 それでも、いつかそれを命じなければならないという、確かな予感があった。こんな力など、無ければよかったのに。

 

 戦闘タイプとはいえ、死ねと命じるために生んだわけではないというのに。

 

 

 最長老の嘆きは、まだ止まらない。

 

 

 

 

 二人が飛び立とうとしたその時、家のドアが開き、ナメック星人の少年が現れた。

 

「ま、待ってください!」

 

 ナッツが振り向くと、駆け寄ってきた少年が、ぺこりと頭を下げて言った。

 

「あの、ありがとうございます!」

「……あなたは?」

 

「デンデと言います。あの村にいた子供は、ボクの友達なんです。だから、お礼が言いたくて」

 

 それを聞いて、少女は顔をしかめる。

 

「……話を聞いていたの? 私は彼らを殺すつもりで、あの村へ行ったのよ」

「それでも、あなたは正しい事をなさいましたから。その、どうかこれからも……」

 

 ナッツは仏頂面のまま、少年の頭を撫でて言った。

 

「約束はできないけど、覚えておくわ」

 

 

 次の瞬間、空の彼方から迫る強大な5つの気を感じ、その場にいた全員が驚愕する。

 

「これって……!?」

「まさか、ギニュー特戦隊!?」

 

 フリーザ軍の最強部隊。最前線で戦っているはずの彼らが呼ばれる理由など、ドラゴンボールをおいて他にない。

 

 少女は身体の震えを抑えながら、悟飯の手を引き、半ば強引に全速力で飛び立った。

 

「ちょ、ちょっと……」

「急いで!! 父様達が危ないわ!!」

 

 

 

 

 ナメック星に向かう、5つのポッドの中。4人は個人通信で、愚痴をこぼしていた。

 

「気が進まねえなあー。ジャンケンで決めようぜ。負けた奴がナッツちゃんな」

 

「ベジータの奴、いつか裏切るとは思ってたけど、ナッツちゃんまで巻き込みやがってよ」

 

「まあ連れて行かなきゃ、人質に取られるだけだろうさ」

 

「……フリーザ様も、あんな死に掛けの女一人、放っておけば良かったのによ」

 

 思い出す。フリーザ軍のパーティで、彼らが余興をしている舞台の前にかぶりつき、目を輝かせてはしゃいでいた子供の姿。

 

 フルーツパフェをおごった事もあった。基地で姿を見かけるたび、笑顔と共に言葉を交わした。

 

 それが母親が死んだあの日以来、フリーザ軍の全員を、親の仇でも見るような顔で睨むようになったのだ。

 

「お前達。わかっているな。ベジータとその娘を殺す。フリーザ様の命令は絶対だ」

「へいへい」

 

 隊長からの通信に、バータは生返事を返す。

 

 知り合いの子供を殺す。その程度の汚れ仕事には慣れ切っていたが、慣れたからといって、心が痛まないわけではない。

 

 フリーザ様の命令には逆らえない。せめて彼らの到着前に、逃げていてくれないものかと、そう思っていた。




 というわけで、次回からはギニュー特戦隊の話です。
 彼らと主人公との関係については、ナメック星編を始める前、第1話に追加した過去編に書いてますので、「それ読んだ覚えない……」という方は見ていておくと、次以降の話がより楽しめると思います。

 それと毎回の話ですが、お気に入り、評価、感想などありがとうございます。続きを書く励みになっております。
 ナメック星編はこの辺りから後半戦に入ります。更新は少し遅れるかもしれませんが、気長にお待ちくださいませ。

【最長老】
 英語で言うと"Elder Guru" ナメック星編における被害者代表。
 ナメック星人達の死について、原作では「残念です……」と半ば諦めたような感じでしたが、この話では親子関係を重視しているのでこういう解釈になりました。

【カタッツ】
 神様の生みの親。原作では最長老の台詞でだけ登場した人。
 強さについては特に言及されていなかったのを良い事に、この話ではスラッグと並んで語られるくらいの力を持っていた事になった。

【スラッグ】
 劇場版に出てきた悪のナメック星人。
 最長老と面識があったのかは不明ですが、どう見ても最長老の方が年上だし、悪いナメック星人なんて超珍しいので話を聞いた事くらいはあったんじゃないかなあと。


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11.彼女が彼らと戦う話(前編)

 ナメック星の上空。最長老の家から、やや離れた辺り。

 

 ギニュー特戦隊の接近を感じ取ったナッツは、悟飯と共に全速力で父親達の元へ向かっていた。

 

「あいつら、もう動き出してる……!」

 

 少女の顔には、焦りが浮かんでいる。潜在能力を引き出された二人の飛行速度は以前の倍以上となっていたが、それでも真っ直ぐにベジータ達の元へ急行している特戦隊の速度と比べると、明らかに遅い。

 

 迷いの無い動きからして、奴らは間違いなくスカウターを持っている。自分達の接近も、既に感づかれているだろう。戦闘力を消す事はできたが、それでは移動に時間が掛かりすぎるため、この状況では論外だ。

 

 それにドラゴンボール。父親達の気配は、既に5つのボールを隠した場所に辿り着いているというのに、願いが叶う前兆という、空が暗くなる様子も無い。考えたくはないが、何らかのトラブルがあって、まだ不老不死は叶っていないのだろう。

 

 彼らの方でも、既に特戦隊の接近は感知しているだろうが、戦闘力を隠したり、逃げたりする気配はない。願いを叶えるべく、ギリギリまで試しているのか、隠れてもボールを奪われては意味が無いと、迎え撃つつもりなのか。

 

 危機が迫っている父親達の状況が判らない事に、ナッツの中で、ますます不安が高まっていく。せめてスカウターがあれば、通信機能で情報を共有できるのに。その存在に慣れ過ぎていて、代わりの通信機を用意するという発想が無かった事を、少女は後悔していた。

 

「このままじゃ、父様が殺されちゃうわ……!!」

 

 半ば叫ぶような、悲痛な声。彼女にとって、それは自らの死よりも恐ろしい事だった。

 

 3年前に母様が死んだ時は、まだ傍に父様がいてくれた。その父様までいなくなったら、自分は本当に一人になってしまう。沈まぬ太陽に照らされながら、ナッツはにわかに、凍えるような寒気に襲われていた。

 

 想像しただけで、心が苦しかった。悟飯やブルマは優しいけど、父様や母様の代わりにはなれない。父様と母様の代わりなんて、どこにもいないのだ。

 

「ナッツ、落ち着いて!」

「……っ!」

 

 少年の叫びと、握られた手から伝わる温もりが、暗い思考に沈みかけた彼女の心を呼び戻す。気付けば周囲は明るく、寒さなんてどこにもなかった。少女はわずかに赤くなりながら手を握り返し、高速で流れていく眼下の景色を眺めながら、小さく息をつく。

 

「……ありがとう、悟飯。落ち着いたわ」

 

 その言葉を聞きながらも、悟飯は、彼女の事が心配だった。父親の事を案ずるその気持ちは、痛いほど理解できたし、ナッツが苦しんでいるのなら、何とかしてあげたいと思った。

 

「きっと大丈夫だよ。そうだ。調子が悪いなら、ボクが先に行って、様子を見てこようか?」

「駄目よ。確実に気付かれて殺されるわ。相手はギニュー特戦隊よ」

 

 反射的に少女の脳裏に浮かんだのは、父親達と悟飯の戦闘力が次々に消えて行って、遠くで震えながらそれを見ているだけの自分の姿。そんな事になるくらいなら、自分が死ぬ方が遥かにましだと思った。

 

 

「そいつらって、そんなに危ない奴らなの?」

「ええ。宇宙中から一流の戦士だけを集めた、フリーザ軍のエリート部隊よ。最前線での戦いを何十年も続けてきて、落とした惑星は数知れず。あと多彩な芸とポーズを得意とするわ」

「最後のは今関係ないよね?」

「? けど、そういう奴らなのよ」

「……わからない」

 

 まあ、実際見なければ、あのノリはわからないだろう。

 

 ふと少女は、まだ母親が生きていた頃の記憶を思い出す。フリーザ軍のパーティーで見た余興とポーズが凄いと思って、彼らの所に行ってサインをお願いしたら、特別だという凄く格好良いポーズを見せてくれて。あと青い人が、欲しかったビンゴの景品を譲ってくれて、一緒にいた母様とお礼を言って。

 

 その後も基地で偶然会うたびに話をして、フルーツパフェをご馳走してもらったりもした。今思うと、地球のお菓子とは比べ物にならないレベルの品だったが、それでも確かに、美味しかったことは覚えている。

 

「ナッツ?」

「……何でも無いわ」

 

 昔の事なんて、関係無い。フリーザ軍の奴らは、全て母様を殺した敵なのだ。それに今も彼らはフリーザの命令で、父様や自分を殺す気でいるのだろう。

 

 彼らと父様達の気配が近づき、戦闘が始まったのを感じる。一際大きな戦闘力を持つ気配、おそらくギニュー隊長が離れていくが、それでもなお、戦力の差は絶望的だ。

 

 隣を飛ぶ少年に、視線を向ける。おそらく自分は、今日これから死ぬのだろうと思う。けどこれは私や父様と、フリーザとの間の因縁で、悟飯はたまたま巻き込まれたに過ぎない。

 

 自分のせいで、彼まで死んで欲しくは無かった。それに悟飯にはカカロットも、お母様もいる。私と違って、地球という、帰るべき故郷の星もまだあるのだ。

 

「悟飯。これ以上近づいたら、あなたは死んでしまうわ。戻ってブルマを連れて、逃げてくれないかしら?」

 

 透き通るような笑みに、少年は息を呑む。綺麗だけど、とても儚げで、ここで目を離せば、二度と会えなくなるのだろうと、悟飯は直感的に理解した。

 

「いや、クリリンさんを置いていけないし……それに、君はどうするの?」

「私は父様と、最後まで一緒に戦うわ」

 

 ナッツが見せたのは、見惚れるような、凛とした戦士としての顔。けど、その身体が微かに震えているのを見て取って、少年は覚悟を決めた。

 

(お父さん、お母さん。……ごめんなさい)

 

 ギニュー特戦隊。感じられる彼らの気はとてつもない大きさで、行けば死んでしまうという、彼女の言葉は確かなのだろう。今さら自分が行ったところで、どうにかなるとは思えない。

 

 けどクリリンさんと同じように、そんな所へ向かおうとしている、ナッツの事も見捨てるわけにもいかない。彼女が死んでしまうのは、絶対に嫌だと思った。

 

 けど向かったら向かったらで、ベジータさんは怒るだろうなと思う。なぜナッツを連れて逃げなかったと、また殴られてしまうかもしれない。それが何だかおかしくて、つい笑い声が漏れてしまう。

 

「……悟飯、笑ってる場合じゃないのよ」

「ごめん。ちょっと考え事をしてたから」

 

 そして少年が見せた顔に、少女は思わず目を見開いた。  

 

「一緒に行こう、ナッツ。君のお父さんと、クリリンさんを助けに行こう」

 

 少年の顔は、地球で彼女に戦いを挑んだ時と同じ、地球人のような優しさと、サイヤ人の戦士としての強さを併せ持ったものだった。見ているだけで、胸が苦しくなる。彼の代わりも、きっとどこにもいないのだ。

 

「……そうね。ありがとう」

 

 死を前にして、不思議と心は安らかだった。少女の顔には、穏やかな笑みさえも浮かんでいた。

 

 サイヤ人の戦士として、最期まで戦って、そして私が先に死のうと思った。

 

 命に代えても、自分の大切な人達には、少しでも長く生きていて欲しかった。

 

 彼女の母親も、死地へと向かう前、同じ事を考えていたことを、ナッツは知る由も無かった。

 

 

 

 戦場に近づいた二人が、気を消して物陰から様子を窺う。グルド、バータ、ジースの3人は戦わず、少し離れた場所で戦闘を眺めている。

 

 クリリンは倒れ伏し、ベジータも満身創痍で片膝を突き、彼らと戦っていると思しきリクームは、戦闘服こそ全損しているものの、目立った負傷は見られない。

 

 戦闘力の差から予想できていた結果とはいえ、その光景を見て、ナッツが唇を噛む。

 

(サイヤ人の頂点である父様が、あんな奴一人に……! 地球で尻尾さえ失っていなければ、たとえギニュー特戦隊でも、今の父様の敵じゃないのに!)

 

 そしてリクームが技名を叫びながら口を大きく開いたのを見て、焦った様子で少女は言った。

 

「私は出るわ。父様はもう、大技を避けられる状態じゃない。助けないと」

「わかった。じゃあ、ボクがあいつに攻撃するから」

「ありがとね。悟飯」

 

 二人は頷くと、同時に物陰から飛び出した。特戦隊の三人が、スカウターに反応の無かった彼らの登場に驚く。

 

「ナッツちゃん!?」

「隠れてたのか!? いつの間に?」

「来ちまいやがったか……」

 

 集中していたリクームはそれに気付かず、口からベジータに向けて、渾身のエネルギー波を放つ。

 

「父様!!」

 

 動けぬベジータにエネルギー波が命中する直前、横合いから飛び込んできた少女が、父親を半ば抱きかかえるような形で、間一髪、エネルギー波の進路上から離脱させる。通り過ぎていったエネルギー波が地面に着弾し、大爆発を起こした。とっさに父親に覆い被さった少女の髪が、爆風に大きく揺れる。

 

 同時に、リクームの真上に出現した悟飯が、そのまま彼の脳天に強烈な蹴りを叩き込む。強引に閉じられた口の中で、行き場を失ったエネルギーが暴発し、顔面から煙を上げながら、リクームが倒れ伏す。

 

 ナッツは息をつきながら爆発の跡を眺め、星の地形を変えるほどの、その威力に戦慄する。

 

(あ、あんなのを食らってたら、間違いなく父様は死んでいたわ……)

 

「な、ナッツか……」

「父様! 大丈夫ですか!」

 

 傷付いた父親は呻きながら、途切れ途切れに言葉を絞り出す。

 

「どうして来やがった……相手がギニュー特戦隊だと、わかっていただろう……?」

 

 ああ、やっぱり父様を悲しませてしまった。けど。 

 

 少女は内心の恐怖を隠そうとしながら、精いっぱい気丈に笑った。

 

「だって、私が父様を、見捨てられるはずないじゃないですか」

「馬鹿野郎……!!」

 

 初めて言われた言葉に、娘が俯く。

 

 ごめんなさい。そんな苦しそうな顔をしないでください、父様。

 

 父様を見捨てて生きていられるほど、私は強くないんです。

 

 視界の端で、リクームがよろよろと起き上がるのが見える。あれで倒せていればよかったけど、そう上手くはいかないらしい。悟飯と睨み合っている。私も行かないと。

 

「それに私は、誇り高きサイヤ人の王族ですから。最後まで戦います」

 

 ナッツが立ち上がり、凛とした顔で敵を睨み付け、歩き出す。

 

 その後ろ姿が、彼女の母親と重なって。父親は動けぬまま、血を吐くような声で叫ぶ。

 

「やめろ……!! 逃げるんだ……!! お前まで死ぬんじゃない!!!」

 

 一瞬、少女の足が止まる。それでも彼女は振り向かず、歩き続けた。

 

 

 近づくナッツに、歯の欠けたリクームが笑顔で手を上げ、声を掛ける。

 

「よう、久しぶりだな。ナッツちゃん」

 

 まるで親戚の子供に対するような、気安い様子だった。

 

「リクーム、よくも私の父様を、あんな目に遭わせてくれたわね……!」

 

 対照的に、少女の顔は怒りに歪み、声色にも激情が滲んでいる。

 

「悪いが、それがフリーザ様の命令なんでな。ここで死んでもらうぜ」

「……っ!?」

 

 表情を消したリクームから放たれた、凄まじい殺気と圧迫感に、少女の身体が震えだす。

 

 ギニュー特戦隊。最強のエリート部隊という肩書に似合わない明るさと愉快な姿で、フリーザ軍の中でも人気は高い。

 

 だがそれは、彼らの一側面にすぎない。敵対した人間だけが、その真価を知る。

 

(これが、本気のギニュー特戦隊……!)

 

 自分はここで死ぬのだと、そう思った。覚悟が決まり、身体の震えが止まる。

 

 最後に戦う相手としては、悪くは無い。欲を言えば、もっと生きていたかったけど。

 

 悟飯に目を向ける。彼もまた震えていないのを見て、さすがはサイヤ人だと思い、嬉しくなってしまう。

 

 死を前にしたサイヤ人の少女は、とびっきりの笑顔で少年に言った。

 

「行くわよ、悟飯」

「うん。行こう」

 

 そして二人は叫びながら、リクームに向けて走り出した。

 

 

 

 

 3年前の事だ。

 

 フリーザ軍の基地の食堂で、幼いナッツが、目の前の大きなフルーツパフェに夢中になっている。同じテーブルでそれを眺めるのは、隊長を除いたギニュー特戦隊の4人。

 

 基地の廊下でたまたま出会った彼らは、彼女がまだパフェを食べた事が無いと聞いて、ご馳走すべく誘ったのだ。 

 

「あっ!」

 

 少女が叫ぶ。使った事のない長いスプーンに、力加減を誤って、パフェを入れたグラスがぐらりと傾いていく。

 

 その中身がこぼれそうになった瞬間、重力に逆らったかのように、傾いたグラスが中身ごとぴたりと止まった。

 

 泣き顔になりかけていた少女が、その不思議な現象に目を丸くする。

 

「え? どうして?」

 

 周りの皆と同じ方向へ顔を向ける。黄緑色の肌をした、彼女と同じくらい小さな男が、短い指をグラスに向けていた。

 

 全員が見守る中で、彼が指を上げると、その動きに合わせて、傾いていたグラスが戻っていく。

 

 パーティで見た覚えがある超能力だ。ナッツはそれを間近で見れた事に感激し、拍手した。

 

「凄い! ありがとう!」

「……気を付けろよ」

 

 混じり気のない賞賛を受けたグルドが、照れを隠すように、ぶっきらぼうな口調で言った。

 

 

 再びパフェを、気を付けながらゆっくりと食べ始めた少女に、バータが話し掛ける。

 

「そういえば、ナッツちゃん。今日はお使いか?」

「ええ。食べ物を買って来たの」

 

 ナッツが買い物袋を示して見せる。その中身がすぐに食べられる物ばかりで、食材の類が無い事を、彼は訝しんだ。

 

「母ちゃんは料理とかしねえのか? あの人、そういうの上手そうなイメージがあるんだが。こう、サイヤ人にしては儚げっていうか、知的っていうか……」

 

 そうした言葉は、ナッツにとって褒め言葉ではなく。むっとした様子で、少女は言った。

 

「母様は戦闘力も高いのよ。身体の調子が良い時なら、父様にだって匹敵するわ」

 

 少女の母親は、生まれつきの病気で、本来ならばとっくに死んでいるはずのところを、やはり生まれ持った高い戦闘力による生命力で、かろうじて生きている状態だという。

 

 そんな身体でありながらベジータと共に活躍して戦果を上げ、子供まで育てている彼女のことを、その可憐な容姿も含めて、バータは好ましく思っていた。

 

「そうだな。お前の母ちゃんは、強い人だよ」

「わかれば良いのよ」

 

 えへんと胸を張る少女に、バータが食い下がる。

 

「ところで、結局どうなんだ? あの人、エプロン着けてキッチンに立ったりするのか?」

「エプロンって何?」

「……その、こう、布製の長い前掛けみたいな」

「多分それっぽいのを、こないだ着けて料理をしてたわ」

「マジで!?」

「ええ。この間、何かの本を読んだ母様が、女子力?を上げたいって言い出して。それで前掛けを着けてお肉を焼いてたら、エネルギー波の加減を間違えちゃって、今キッチンが無いのだけど」

 

 その直後に帰宅したベジータが、部屋の惨状と、血を吐いて倒れた母親に縋り付くナッツの様子を見て、色々勘違いして大変な事になったのだが、それはまた別の話で。

 

 バータの額から、一筋の汗が流れる。確かに数日前、宿舎で爆発音を聞いた覚えがある。てっきりフリーザ様が刺客でも送って、返り討ちにされたとばかり思っていたが。

 

「……ベジータも大変だなあ」

 

 しみじみとバータが呟く。やっぱりあの人もサイヤ人なんだなあと、失礼な事を思いながら。

 

 

 フルーツパフェを半分ほど食べ終えた少女は、頬っぺたにクリームを付けたまま、思い出したように言った。

 

「そういえば、さっき帰っちゃったあの人なんだけど、何か用事でもあったのかしら?」

「ん? ギニュー隊長の事か?」

 

 近くにいたジースが、こっちはチョコレートパフェを食べながら応える。

 

「そうなの。前に見た時、あの人のポーズが一番上手かったから、よく覚えているわ」

「おお、ナッツちゃん、見る目があるなあ」

「ありがとう。それでまた見せて欲しかったのだけど、何か用事でもあったのかしら?」

「そうだな……」

 

 ジースは頬に付いたクリームを拭いてやりながら、ぱたぱたと振られるナッツの尻尾を見る。

 

(フリーザ様がサイヤ人を嫌ってるから、隊長が大っぴらに仲良くするわけにはいかないとか、子供に言っても仕方ねえよなあ)

 

「隊長は忙しい人なんだ。これから攻めに行く星の事とか、戦略担当の奴らと打ち合わせしないといけないしな」

「そう。父様と同じで、頑張ってる偉い人なのね」

 

 その言葉に、ジースだけでなく、他の特戦隊員も笑顔になった。

 

 彼らが敬愛するギニュー隊長を褒められたのだ。嬉しくないはずがない。

 

「ナッツちゃん見る目があるなあ! うちの隊長は働き者で面倒見も良い、フリーザ軍最強の戦士だからな」

 

 聞き捨てならないといった様子で、少女が口を開く。 

 

「……フリーザ軍最強の戦士は、私の父様よ。サイヤ人の中で一番強くて、いつでも月を作れるもの」

 

 ジースの方も、譲れないとばかりに続ける。

 

「確かに、戦闘力では厳しいかもしれないけど、ギニュー隊長にはオレ達がいるからな」

「父様にだって、母様や私やナッパやラディッツがいるわ!」

 

 ベジータとギニュー特戦隊、どちらがより強いかというのは、フリーザ軍でよく囁かれる話題の一つだ。この少女の前では言えないが、特戦隊が想定している仮想敵の一人が、フリーザ様への忠誠心が低く、いつ裏切るかわからないベジータだった。

 

 ナッツの挙げた他のサイヤ人達は、病弱で満足に戦えないか、または元の戦闘力が高くなく、たとえ満月の下であっても特戦隊メンバーの一人もいれば対処可能な事から、それほどの脅威とは見なされていない。

 

 そしてベジータは、変身されてしまえば戦闘力では一歩譲ってしまうが、向こうには尻尾という明確な弱点がある上、こっちには数の有利を活かした連携やグルドの超能力といった搦め手もある。いざ実戦となったら、五分には持ち込める自信があった。

 

 正直なところ、本気のベジータと一戦交えてみたいという思いはある。惑星攻略の際に物量で押されて苦戦する事はあれど、個としての実力で彼らと互角に戦える敵など滅多にいないのだから。

 

 だが目の前でこちらを睨む少女を見ていると、どうにもやりづらいと思ってしまう。子供に向かってその父親と殺し合う話など、するべきではないだろう。

 

 ジースは手を振り、ナッツのパフェに自分の苺を乗せてやりながら、軽い調子で言った。

 

「まあ、同じフリーザ軍だし、戦う事なんてないだろ。仲良くやろうや」

「! そうね! ありがとう!」

 

 ぱたぱたと尻尾を振りながら、少女は笑顔で苺にかじりついた。

 

 

 やがてパフェを食べ終えたナッツは、口元を拭いてから、ぺこりと頭を下げて言った。

 

「ごちそうさま。ありがとう、おじさん達。甘くてとても美味しかったわ」

「何、良いって事よ。次はお前の父ちゃん達に連れてきてもらいな」

 

 リクームの何気ない言葉に、少女は小さく俯いた。

 

「……父様は任務で忙しいの」

「ああ、悪い悪い」

 

 フリーザから良く思われていないベジータ達サイヤ人には、危険性の高い任務が割り振られる事が多いことを思い出し、リクームは済まなさそうに頭を掻く。

 

「けど、たまの休みの日には、私や母様を連れて、攻略しやすい星に遊びに連れて行ってくれるのよ」

 

 にっこり笑うナッツの言葉に、聞いていた一同の顔が引きつった。つまりそれは、ベジータが実質、休日返上で惑星の攻略をしているという事だ。

 

「家族サービスって奴かよ……」

「……ベジータも大変だなあ」 

「偉いわ、ほんと」

 

「そうよ。父様は偉いのよ」

 

 誇らしげに胸を張る少女を見たリクームには、ベジータの頑張る理由が判った気がした。

 

 

 彼女の母親が命を落とす、一月ほど前の出来事だった。




 リクームのくだりだけちょいと短いですが、彼は現在、ナメック星でも話す機会がありますのでこんな感じです。
 今回いなかったギニュー隊長についても、きちんと後で出番を入れる予定です。

 それと感想、評価、お気に入りなどありがとうございます。
 最近、楽しみにしているという言葉を頂く事が多く、嬉しい限りです。
 
 次回の話は、章タイトルと大体同じ感じです。
 週1で投稿するペースはなるべく守るつもりでいますので、楽しみにしていて下さいませ。


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12.彼女が彼らと戦う話(中編)

 そして再び、現在のナメック星。

 

 リクームの前に、打ちのめされたナッツと悟飯が倒れている。戦闘力の差は圧倒的で、二人掛かりでどれだけ攻撃しようとも、傷一つ付けられないでいる。

 

 全身を負傷した少女が、血を流し、ふらつきながらも立ち上がろうとする。

 

「ま、まだよ……」

「……もう立つんじゃねえよ」

「父様を殺そうとしている奴らが、何を言ってるのよ!」

 

 小さな身体がぶれながら消え、一瞬後、リクームの背後に出現したナッツが、後頭部に強烈な蹴りを叩き込んだ。微動だにしないリクームに歯噛みしながら、少女は高速で消えては現れ、その全身に攻撃を続けるが、彼は一切防ごうともしない。

 

 しばらく無言で殴られていたリクームが無造作に手を伸ばし、そこに出現したナッツの胸ぐらを掴み上げる。

 

「なっ……離しなさい!」

「こんなに弱い癖に、フリーザ様に表立って逆らうような真似しやがって。フリーザ様もお前ら親子の働きには満足してた。それで良かったじゃねえか」

 

 淡々と紡がれた言葉に、少女は目の前が真っ赤になるのを感じた。そうして不老不死を手に入れて、殺せなくなったフリーザに、一生怯えて頭を下げて生きていろというのか。

 

「母様を殺されたのよ! 私も父様も、許せるはずがないじゃない!」

 

 フリーザのお気に入りのお前達に、気まぐれで生かされているにすぎない、私達の気持ちなどわかるものか。

 

 結局のところ、こいつらはフリーザの部下だ。にこにこと友好的に振舞っておいて、母様が殺されるのを止めてくれなかった。そしてフリーザが殺せと言えば、自分達を殺しに来るのだ。

 

「フリーザも、フリーザ軍の奴らも、いつか全員殺してやる!」

 

 怒りと殺意に歪んだ顔で、ナッツは叫ぶ。

 

 その痛ましさに、リクームは目を逸らす。子供のする顔ではなかった。あの幸せそうに笑っていた少女はもういない。自分達のせいで、そうなってしまったのだ。

 

 ここで苦しませずに、殺してやるべきだと思った。

 

「……あばよ」

 

 掴んでいた少女を手放し、細いその首を狙って、渾身の蹴りを繰り出す。ベジータが何か叫んでいるが、聞きたくなかった。

 

 その時、リクームとナッツの間に悟飯が飛び込み、少年の小さな身体に蹴りが命中した。当然それで勢いは止まらず、背後の少女も巻き込んでリクームの足が振り抜かれる。

 

 冗談のような速度で、少年と少女の身体が宙を舞い、受け身も取れず地面を転がった。

 

 ナッツは痛みに呻きながら、隣に倒れた少年を呆然と見つめる。

 

「ご、悟飯……どうして……」

「何でだろ……ボクにもわからないや……」

 

 照れ隠しのように、弱々しく笑う少年を見て、少女は拳を震わせる。

 

「……馬鹿ね。本当に馬鹿よ。私の言ったとおり、地球に帰ってれば良かったのに……!」

「いいんだ。だから、泣かないで」

「ごめんなさい……!!」

 

 自分の無力さに、ナッツは涙する。

 

 最長老に力を引き出してもらっても、結局何もできず、年下の子供に庇われる。情けなくて、悔しかった。

 

 こちらに向かって、リクームが歩き出すのが見える。せめて一矢報いたかったが、もう身体が動かなかった。

 

 

 

 

『ナメック星到着まで、あと20分……』

 

 宇宙船の中で、機械音声のアナウンスを聞きながら、悟空は焦っていた。

 

 これから向かうナメック星に、とてつもない気を持つ奴らが大勢いて、悟飯やクリリン、それに何故かベジータとナッツの気までもが、どんどん小さくなっているのが、この距離からでも感じられた。

 

「もっと早く着かねえのか! このままじゃあ、皆、殺されちまうぞ……!」

 

 宇宙船を加速させる方法などわからず、下手にいじれば壊してしまうかもしれない。

 

 ボタン一つでナメック星に着くとは言われたが、詳しい操縦法を聞いて来なかった事を、悟空は後悔していた。

 

 

 

 

 リクームの顔面に、横合いから飛んできたエネルギー弾が命中し、爆発した。

 

 その場の全員が、視線を向けた先。満身創痍のベジータが立ち上がり、大きく肩で息をつきながら、リクームを睨み付けていた。

 

「どこへ行く気だ……まだオレは戦えるぞ……!」

「と、父様……」

   

 どう見ても戦える状態ではない。

 

 それでも父親は走り出し、振りかぶった拳を叩き付けようとするが、あっさり避けられ、カウンター気味に放たれた膝蹴りが腹にめり込んだ。

 

「っ! まだだっ!」

 

 一歩も引かず、リクームの顔面を殴りつける。殴られた顔がわずかに動き、口元から血が流れたが、それだけだった。

 

 再び殴り返されるも、父親は倒れない。その姿を見ていられず、娘が叫ぶ。

 

「父様! やめてください! 本当に死んでしまいます!」

 

 ボロボロになっていく父親を見ているしかできない少女の身体が、突然の寒気に震えだす。あの日と同じ、雨の音が聞こえていた。

 

 雨に打たれて、熱を失った母親の死体。あんなのはもう、見たくないのに。だから強くなろうと思ったのに。

 

「あ、ああ……やめて……」

 

 自分が弱いせいで、父様まで死んでしまう。それを見ているしかできない事は、死ぬよりも耐えがたい苦痛だった。

 

 悔しさと怒りと悲しさが、ナッツの心の中でぐちゃくちゃに荒れ狂っていた。

 

(こんな所で、皆、殺されてしまうの? 母様の仇も討てないまま……)  

 

 死にたくなかった。父様と悟飯と、それとブルマと、もっと生きていたかった。こんな結末は、絶対に許せなかった。

 

 そう思った次の瞬間、少女の身体を、生まれて初めての衝撃が貫いた。

 

「っ!?」

 

 腰の後ろにある、その感覚は、足りなかったものが埋まったかのような、無くしたものが戻って来たかのような。

 

「嘘……」

 

 両足の間に伸びた尻尾を、ナッツは呆然としながら見つめていた。

 

 

 恐る恐る力を込めて、左右に振ってみる。何の問題も無く、以前と同じように動かせた。

 

 

「あはっ、あはははははは!!!」

 

 

 堪えきれないといった様子で、少女が笑い出す。それはまるで、欲しかった玩具を手に入れた子供のようで、しかし決定的に異なっていた。隠しきれない、子供らしからぬ残虐な感情を滲ませた声で、とても楽しそうに笑っていた。

 

 その場にいた全員が、彼女の異様な雰囲気に飲まれ、動きを止めていた。

 

「な、ナッツ……?」

 

 死に掛けた父親を前にして、ついにおかしくなったかと、恐る恐る少年が声を掛けるが、少女の耳には届かない。

 

「尻尾が生えるこの時を、ずっと待ってたのよ……!!!」

 

 どこか父親を思わせる表情で、ナッツはニヤリと笑う。尻尾と満月による大猿化は、サイヤ人にとって最大の武器だ。今までずっとそれを使えないまま、もどかしい思いをしてきたのだ。

 

 尻尾は戻ってきた。ナメック星に月は無いが、自分や父様のような、選ばれたサイヤ人に、それは関係ない。

 

 満月をイメージして、力を集中する。残り少ない力と生命力のありったけを、上向けた右の掌に注ぎ込む。

 

「うぅ、くぅぅ……!!」

 

 戦闘力が急激に落ちていく感覚に呻きながら、かろうじて作り上げた小さな光球を、そのまま空へと投げ放つ。

 

 疲労のあまり、途絶えそうになる意識を必死に繋ぎ留めながら、ナッツは震える右手を握り締め、叫ぶ。

 

 

「……はじけて、まざれぇっ!!!」

 

 

 光球が爆発し、目を覆う程の閃光が放たれる。そして上空に残ったのは、小さな人工の満月。

 

「はぁっ、はぁっ……」

 

 息も絶え絶えに、それでも目を大きく開いた少女の顔が、月の光に照らされる。吸収されたブルーツ波に反応して、尻尾が別の生き物のように動きだすのを感じ、久しぶりの感覚に安堵の笑みが浮かぶ。

 

(もう指一本動かせそうにないけど、それだけの価値はあったわね……)

 

 ナッツが作った月は、地球で父親が作った物よりも一回り小さく、長時間は保たないだろう。しかし今の彼女にとっては、一戦するだけの時間があれば、それで十分だった。

 

 一方悟飯は、ただでさえ弱っていたナッツの気が、見覚えのあるあの光の球を作った瞬間、さらに大きく低下した事に困惑する。そこまでして、一体何をするつもりなのか。

 

「だ、大丈夫? あれは、何をしたの……?」 

「お月様よ。父様や私のような選ばれたサイヤ人は、月を作る事ができるの」

「月を……?」

 

 悟飯が戸惑っているのが、妙におかしくて、少女は月を見上げたまま、くすりと笑う。あの光の意味を理解できないなんて。本当に、変なサイヤ人だと思う。

 

 良い機会だし、年上のサイヤ人の私が、実際に見せて教えてあげるべきだろう。少しどきどきする。母様もあの満月の夜、こんな気持ちだったのだろうか。

 

 そこまで考えたところで、ふと気付く。悟飯に怖がられてしまわないだろうか。サイヤ人の変身について、あらかじめ聞かされていた自分ですら、初めて母様が変身するのを見た時、少し怖いと思ってしまったのだ。

 

 怖がられるのは、良い事のはずだ。惑星を侵略する時、大抵の奴らは私が大猿に変身するのを見ただけで、怯えて何もできなくなってしまう。

 

 そうして悲鳴を上げながら逃げ惑う奴らを殺すのは、とても楽しかったのだけど、悟飯が自分を見てあんな風になるかと思うと、何だか嫌だった。その思考に、少女は戸惑ってしまう。

 

(いやいや、今さら何考えてるの? ザーボンじゃないんだから、少し醜くて怖がられる事くらい、気にしてどうするのよ)

 

 地球に行く前の自分にこんな事を言ったら、不甲斐ないサイヤ人だと馬鹿にされてしまうだろう。せっかく尻尾が生えたというのに、本当に、贅沢な悩みだと思った。

 

 それはそれとして、悟飯を驚かせないよう、何か言っておきたかった。

 

「先に謝っておくわ。色々黙っててごめんなさい。それとこれから、怖い思いをさせてしまうかも……っ!?」

 

 ドクン、と心臓が高鳴り、言葉が中断される。全身に活力が満ちて、疲労が嘘のように消えていく。尻尾が激しく動きだし、熱くなった身体が心臓と共に跳ねる。

 

 息を荒らげ、ただならぬ少女の様子に、心配した少年が叫ぶ。

 

「ナッツ、どうしたの! 病気なの!?」

「……違うわ。尻尾を持ったサイヤ人は、満月を見た時、切り札ともいえる、もう一つの姿に変身できるの」

 

 ドクン、ドクンと、鼓動が高まり、速まっていく。それと共にナッツの気が少しずつ上昇し始めた事に、悟飯は不吉な予感を覚える。少女の言葉で、色々な事が繋がっていく気がする。

 

 あの時尻尾が生えた後、光の球を見た所で、記憶が途絶えているのは何故なのか。

 

「あの、もしかして……ボクも、その、変身を?」

「ええ、そうよ。あの時のあなたは、とても格好良かったわ。今あなたに尻尾が無いのは残念だけど……ちょうど良い機会とも言えるわね」

 

 ドクン、ドクン、ドクン。絶え間ない鼓動と共に、身体全体が活性化し、作り変えられていく感覚。ナッツは伸びていく犬歯を見せながら、獰猛に笑った。

 

 

「私の力を、見せてあげるわ」

 

 

 次の瞬間、少女の両腕に巻かれていた包帯が弾け飛んだ。

 

「!?」

 

 驚愕する少年の前で、ナッツの全身の筋肉が膨れ上がり、小柄だった身体が、瞬く間にその大きさを増していく。肉体の変貌に比例するように、少女の気が急激に上昇を開始する。

 

 力が溢れ出す。湧き立つ激情が、増大する破壊衝動が、思考を灼いていく。待ち望んでいた、慣れ親しんだ感覚。楽し過ぎて、狂ってしまいそうだった。

 

 喉の奥から唸り声を上げ、白く染まった瞳で月を見上げ、檻から解き放たれた猛獣のように、ナッツは吼える。

 

 

「アオオオオオオオオオ!!!!」

 

 

 咆えながら大きく開いた口が、顎の構造をより強靭に変化させ、限界を超えてなお開いていく。犬歯と共に全ての歯がその大きさを増し牙と化す。白い瞳は血のような赤色に染まっていく。

 

 整った容貌を獣のものへと変化させ、さらに成長を続ける少女の肉体は、サイヤ人の変身後の姿を示しつつあった。

 

 

 

 時間は少し遡る。リクームはナッツが投げた光の球と、いつの間にか再生していた尻尾を見て、彼女の狙いを看破する。

 

「そうはさせるかよっ! ……おおっ!?」

 

 変身を阻止すべく走り出そうとした彼の身体が、何かに引っ張られたかのようにつんのめる。その足に、ボロボロになったベジータがしがみ付いていた。血に塗れた顔で、ニヤリと笑う。

 

「どこへ行く気だ? つれないじゃないか、リクーム?」

「て、てめえ!」

 

 何度も足蹴にするも、ベジータは離れず、死に物狂いで食らいつく。

 

「ナッツの邪魔はさせんぞ……!」

「このっ! 離しやがれ!」

 

 少女のものと思しき、獣の咆哮が辺りに響く。業を煮やしたリクームが、ベジータの頭を激しく殴打した。

 

「がはっ……」

 

 意識を失いながらもなお手を離さないベジータを振り払い、駆けだしたリクームが横たわるナッツを見た瞬間、その顔を引きつらせる。

 

 彼の腰にも届かないほどの小柄だった少女の身体は、発達した筋肉によって今や5メートル以上に膨れ上がり、その全身に尻尾と同じ茶色の獣毛をうっすらと生やしながら、さらに成長を続けている。

 

 ナッツが獣の顔で吼え、その身に纏う黒い戦闘服と紫のアンダースーツが内側から押し上げられる。サイヤ人が今も愛用している戦闘服は、変貌を続ける少女の肉体に合わせて破れる事無くそのサイズを変えていた。

 

「こいつは、ちょっとまずいかな……!」

 

 リクームは両足の間に伸びた尻尾を狙い、勢いのまま跳躍する。手刀を振りかぶり、無防備に投げ出された尻尾に向けて、降下しながら振り下ろす。

 

「もらったあ!!」

 

 手刀が命中する寸前、突然、尻尾が持ち上がった。目標を外したリクームの手が空しく地面を叩き、深々と亀裂を走らせる。

 

「な、何だと!?」

 

 狼狽した彼が再度頭上の尻尾を狙おうと顔を上げた瞬間、わずかに身を起こした、変身中のナッツと目が合った。血のように赤い瞳が、父親を傷付けた敵に向けて、怒りを湛えていた。獣のような唸り声は、言葉にならずとも、明確な殺意を示していた。

 

 全長8メートルの巨獣と化した少女は咆哮と共に、全身を飲み込むほどの、巨大な赤いエネルギー波を撃ち放つ。

 

 彼が先ほど放ったものと、遜色ないだろう威力のそれに、リクームが驚き交じりの悲鳴を上げる。一瞬後、大爆発が巻き起こり、彼女自身の姿も爆炎と煙に覆い隠される。

 

 

 

 輝く人工の月に照らされながら、悟飯は変貌するナッツを前にして、恐怖に身を震わせていた。

 

「あ、あ……」

 

 姿が隠されていようとも、彼女の気が凄まじい勢いで上昇し続けている事は感じられた。そしてその身体がまだ変身を続けている事も。

 

 黒煙の中から、毛皮に覆われた巨大な腕が突き出される。次に獣そのものと化した頭部が咆哮を上げ、法外な速度で巨大化を続ける身体が周囲の地形を粉砕しながらさらにそのサイズを増していく。潰されそうになった少年が必死に飛び離れ、その全貌を目の当たりにする。

 

 満月の夜に現れる、怪物の姿。自分もこうなっていたのだと、少年が自覚した瞬間、忘れていた記憶が蘇っていた。

 

 

 思い出したのは、地球で彼が変身した時の記憶。同じく大猿と化した少女との戦闘は、理性も無かった時のもので、夢のように曖昧だったけど、その終盤、心の中に父親が話し掛けて来た時からの記憶は、はっきりと残っていた。

 

 

(よう悟飯! オラもう死んじまうけど、ナッツの事を恨まないでやってくれよな!)

 

 

 お父さん、何言ってるのと思った。それをきっかけに、意識がはっきりしたのを覚えている。

 

 そして目に映ったものは、見覚えのある黒い戦闘服を来た巨大な怪物が、父親を右手で握り潰そうとしている光景だった。その怪物の姿は、先ほどのベジータとよく似ていて、ボリュームのある長い髪からも、ナッツが変身したものだとわかった。

 

 今までの感じた事がないほどの、凄まじい怒りで、目の前が真っ赤になる。許せない、と思った。それと同時に、助けないと、とも思った。あの化け物は、尻尾を切れば元に戻るはずだ。

 

 起き上がろうとして、身体に力が入らず、自分の尻尾を彼女の父親が、抱えるように圧迫しているのが見えた。とても小さなその姿に、違和感を覚えるが、そんな場合ではなかった。強引に尻尾を持ち上げて岩山に叩き付け、自由になった身体で、ナッツに向けて走り出す。

 

 彼女が驚いたようにこちらを見て、口を開いてエネルギー波を撃ってきたが、正面から突っ切って、そのまま体当たりして押し倒し、何か叫んでいるのを無視して、尻尾を掴み、引き千切る。

 

 怒りの混じった咆哮と共に、その怪物の巨体が縮んでいく。握られていたお父さんが落ちないか心配だったが、何の偶然か、震えながら縮んでいく彼女の手は上向きに開かれていて、持ちきれなくなるギリギリまで、お父さんを落とす事は無く。

 

 やがて人間の姿に戻り、息も絶え絶えのナッツを見下ろした時、抑えきれない怒りが、自分の中で弾けるのを感じた。

 

 

 よくもお父さんを。殺してやる。

 

 

 怯えてこちらを見上げる少女を、踏み潰そうとする。一度は避けられたが、すぐに追い詰めて、再び足を振り下ろしたところで。

 

(ご、悟飯!!!!)

 

 お父さんの声が聞こえて、踏みとどまる事ができたけど。あの時止められていなかったら、ボクは、あの子を殺していた。思い出したくなかったから、きっと自分で忘れていたのだ。

 

 

 

 取り戻した記憶の内容に打ちひしがれながら、少年は変身を続けるナッツの姿を、呆然と眺めていた。

 

 尻尾を持ったサイヤ人は、満月を見ると怪物に変身する。それを知った後だと、今まで意味のわからなかった、彼女の言葉の一つ一つが理解できた。

 

(父様と一緒に月を見るのがとても楽しみで、わざわざ満月の日を選んで来たのだけど、いつの間にか壊されていたみたいで、ガッカリしていたところよ)

 

(……ねえ悟飯。その、ね。あなたに尻尾が生えていた頃、満月とか見た覚えがあるかしら?)

 

 そしてナメック星で聞いた、彼女の肩を噛み砕いて、尻尾を引き千切った化け物の話。ナッツを傷付けて、酷い事をして、許せないと思っていた化け物は。

 

「ボクだったんじゃないか……」

 

 そして彼女の事でもあった。そう言えば話している時、ナッツは妙に楽しそうだった。まるで何かを隠しているかのように。

 

「酷いよ。教えてくれたら、謝れたのに……」

 

 彼女の肩の傷跡は、その周囲が厚い毛皮に覆われている今も、はっきりと見て取れて。自責の念に襲われて、少年は泣きそうな顔で俯く。

 

 ナッツの方はその傷跡を全く気にせず、むしろ記念として残していて、後にそれを知って目を丸くする事になるのだが、今の悟飯には、それを知る由は無かった。

 

 

 

 

 変身が完了するのを感じたナッツは、自重で大地を踏み割りながら立ち上がり、自らの姿を確認する。

 

 発達した筋肉と毛皮に覆われ、全長15メートルに達した大猿の姿。小さな子供ではなく、変身した両親と同じ、サイヤ人の証ともいえるこの姿を、彼女はとても好んでいた。

 

 それに加え、戦闘力がかつてないほど高まっているのを感じたナッツは、巨大な牙を剥き出して獰猛に笑う。変身する前の負傷はそのまま残っていたが、大猿化した肉体の生命力は、それを無視できるほど強大だった。

 

(そう言えば、父様は大丈夫かしら? 巻き込んでしまったら大変だわ) 

 

 戦闘力を感じた方を見ると、クリリンというあの地球人が、父様を担いで運んでいるところだった。なかなか気が利くじゃないと、嬉しくなって尻尾が揺れた。

 

(父様、見ていてください。それと悟飯は……)

 

 気配を探ると、足元にいるのを感じた。本当に便利な能力だと思いながら見下ろすと、目が合った悟飯の身体がびくりと震え、少女は少し、傷つくのを感じた。

 

(まあ、叫んだり逃げ出したりしないだけ、立派なものよ。……強くて格好良いって、言って欲しかったけど)

 

 そして遠くにいる、ギニュー特戦隊の姿を見る。周りの景色と同様に、自分よりも大きかった彼らの姿が、とても小さく見えた。容易く叩き潰せそうなほどに。

 

 大猿と化した少女の喉から、怒りに満ちた獣の唸り声が漏れる。その内面で、増大した破壊衝動と復讐心とが混ざり合い、理性を保ったままに凶暴性が増していく。とても良い気分だった。

 

『皆殺しにしてやるわ……!』

 

 ナッツは両腕を高く掲げ、自ら作り上げた月に向かって、己の力を見せつけるかのように、力の限り吼える。

 

 

『グオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!!!!!!!』

 

 

 

 

「ひぃっ!」

 

 傷付き倒れたベジータを運びながら、地を揺るがすほどの咆哮に打たれたクリリンが悲鳴を上げる。大猿と化したナッツの姿とより邪悪に膨れ上がった気に、かつてのトラウマが蘇っていた。

 

「う、うう……」

 

 背負われたベジータが呻き声を上げながら意識を取り戻し、状況を把握して表情を険しくする。

 

「大丈夫か? ベジータ」

「オ、オレに構う暇があったら、ナッツの援護に行きやがれ……!」

「いや、オレだって正直もうボロボロだし……」

 

 変身したナッツの気は、地球で見た時よりも遥かに凄まじく、この場の全員を大きく上回っていた。今だ恐ろしくはあったが、味方であれば、これほど頼もしい存在は無いとクリリンは思う。

 

「心配しなくても、一人で勝てるんじゃないか?」

「あいつらがそんなに甘いわけがあるか……!」

 

 ギニュー特戦隊。フリーザ軍最強のエリート部隊である奴らは、彼が生まれるよりも前から、最前線で戦い続けてきたベテラン揃いであり、戦闘力で勝っていたとしても、決して侮れる存在ではない。

 

 せめて一緒に戦えればと思うが、それすらできない不甲斐なさに、父親は唇を噛み締める。伝説の超サイヤ人のような強さが、自分にあればと思った。

 

 

 

「おいおい、戦闘力が7万を超えたぜ!」

 

 変身を終えつつある少女の戦闘力を最新型のスカウターで確認しながら、バータは喜色を露わにする。

 

「ナッツちゃん成長したなあ!」

「ちょっとデカすぎるけどな。超能力で止めるの大変だぜ、あれ」

 

 言葉と裏腹に、グルドの顔には小さな笑みが浮かんでいる。

 

「子供の成長は早いよなあ」

 

 ギニュー隊長からの連絡に対応していたジースが、面白がるような口調で言った。

 

「隊長は何て言ってた?」

「ドラゴンボールを隠してから来るってよ」

「じゃあ、それまでに終わらせないと、またおいしいとこ取られちまうな」

 

 自分達を超える戦闘力を前にしても、彼らは余裕を崩さない。コルド大王に仕えてから20年以上。この程度の修羅場など、何度も潜ってきたのだ。

 

「オレ達も参加するけど、良いだろ? リクーム」

 

 グルドの声に、ナッツの攻撃で吹き飛ばされ、上半身を地面に埋めていたリクームが、両足で勢いをつけ、土埃を巻き上げながら飛び上がった。格好をつけながら着地し、遠くに見える大猿を見上げ、両の拳を胸の前でぶつけながら笑う。

 

「面白くなってきたじゃないの! 良いけどお前ら全員、後でチョコレートパフェをおごれよ!」

「へいへい」

「了解了解」

「お前そろそろ服ヤバいから、後で着替えろよ?」

 

 ベジータの猛攻で戦闘服を全損し、ただでさえ半分尻を晒していた状態から、さらに過激になったリクームの姿をジースが指摘し、全員が明るく笑い声を上げる。

 

「大物相手は久しぶりだな」

「やっぱ俺達の仕事はこうじゃないとな」

 

 彼らの表情は、一様に明るい。危険度は増したが、ろくに戦えない子供を殺すよりは、遥かに楽しく、やりがいのある仕事だった。

 

 バータが首を回して不敵に笑う。

 

「じゃあ成長したナッツちゃんがどれだけ強くなったか、おじさん達が見てやるとするか!」

 

 こちらを睨み付け、大きく吼える大猿に対し、彼らは3年前のあの日と同じ、スペシャルファイティングポーズで応じてみせた。

 

「「「「行くぞっ!」」」」

 

「「「「おう!」」」」」

 

 そして四人は飛び上がり、それぞれの軌道でナッツへと挑み掛かった。




Q.悟空到着するの遅くね?
A.そもそも来る日程がズレてますし……(震え声)


 前にも書きましたけど、ギニュー特戦隊って仕事中ならともかくオフの日なら結構子供とか可愛がってくれそうなイメージがありまして、それなら主人公とはガッツリ絡むだろうなあと。けどギニュー隊長はフリーザ様への忠誠心も高いしサイヤ人とは打ち解けないだろうなあって思ってたら色々話も思いつきましたので、ここからしばらくオリ展開が続きます。

 あと今回とうとう主人公に「はじけて、まざれ!」って言わせる事ができて満足してます。せっかくパワーボール使えるって設定だし、サイヤ人なら一度はやるべきだと思ってました。


 それとザーボンに捕まった時とか前回の話とか、主人公がボコられたりする話の時はあんまりお気に入りとか伸びなくて、それどころか減ったりして「確かに自分もまあ、暗い話とかあんまり読みたくはないし……けど展開上は書かないとだし……」って思ったりするのですが、そんな時でもついて来て下さる読者の方々には大変感謝しております。

 そういう話の流れの時も、なるべく面白くなるよう書こうと思っていますので、今後ともよろしくお願いします。

 それと初の誤字報告、ありがとうございました。認可するだけで本文が修正されて、あまりの楽さにびっくりしました。こんな機能あったんですね……。


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13.彼女が彼らと戦う話(後編)

 ナメック星の太陽の横に、浮かぶは小さな人工の月。

 

 自ら作り上げたそれから降り注ぐブルーツ波を思うさまに浴びながら、大猿化したナッツは溢れんばかりの力に歓喜していた。長大な尻尾が、しなやかに、かつ力強く風を切る。

 

 血のように赤く光る瞳が見据えるのは、飛翔し迫り来るギニュー特戦隊の四人。フリーザ軍最強部隊の彼らが自分に戦いを挑んでいるという事実に、サイヤ人の少女は巨大な牙を見せながら獰猛に笑う。

 

『まずは、挨拶代わりよ……!!』

 

 戦闘力が一瞬で限界まで跳ね上がり、巨体から吹き出すオーラが大気を震わせる。そして開かれた口から、彼女の全長すら超える特大のエネルギー波が放たれた。凄まじい熱量で周囲の空気をプラズマ化させながら、直径20メートルの赤い死の壁が四人に迫る。

 

「はっはーーーー!!!」

「凄えぜナッツちゃん!!」

 

 加速して攻撃を回避しながら、リクームとジースが快哉を叫ぶ。直撃すれば即死、良くて戦闘不能は避けられないだろう大火力。だが、遠距離かつ真正面から放たれたそれは広範囲への攻撃といえど、彼らの戦闘力なら回避可能なレベルだ。

 

「いや無理だろこれ!?」

 

 慌てたのは、四人の中で一番身体能力の低いグルドだ。一見無造作に見えるナッツの攻撃は、その実、彼一人を狙って放たれていた。必死に避けようとするも、あまりに広い攻撃範囲にそれすらままならない。赤いエネルギーの奔流が迫り、彼が何かを叫びかけた直前、飛び込んだ青い流星がその小さな身体を掻っ攫った。

 

 間一髪、巨大なエネルギー波が彼らのすぐ後ろを通り過ぎ、数秒後、地平線の向こうで閃光と共に町一つを消し飛ばす規模の大爆発が巻き起こった。猛烈な爆風に煽られながら、グルドの戦闘服を掴んだバータがにやりと笑う。

 

「危なかったじゃねえか、グルド」

「……ちっ、あのくらい自力で避けられたってのによ」

「けど体力使うし、万が一って事もあるだろ? お前は戦闘力が低いんだから、あんま無理せずオレらを頼れよ」

 

 助けられながらも仏頂面のグルドは、反論しようとバータの方を見てその身を強張らせた。とっさに手を付きだし、念動力でバータを大きく弾き飛ばす。

 

「な、何だよ……っ!?」

 

 味方からの急な攻撃に驚いたバータが見たものは、彼の何倍も大きな岩塊が高速で飛来し、今まさにグルドに衝突せんとする光景だった。大技を避けた瞬間を狙い、足元にあった丘の一部をナッツが蹴り飛ばしたのだ。

 

『まとめて殺せなかったのは残念だったけど、まず一匹ね』

 

 直撃を確信した大猿が、残酷に笑う。肉体的に脆弱なグルドなら、これで仕留めきれるはずだ。

 

 ナッツは父親から聞かされた、ギニュー特戦隊についての情報を思い返していた。いつかフリーザの命を狙うにあたって、彼らとの衝突はまず避けられないため、その対策は必須だったのだ。

 

 彼らは全員が一騎当千の実力者だが、中でも様々な超能力を使いこなすグルドは、ギニュー隊長の次に危険な存在であり、決して正面からは戦わない事、可能なら不意打ちで仕留め、それが無理なら決して近づかないよう厳命されていた。

 

 そして彼女の父親が警戒した力の一端が、今、示される。

 

 

「止まれ!」

 

 

 グルドの叫びと共に、時間が停止する。先ほど使おうとしていた、彼の切り札の一つだ。神々の権能にも迫る能力だが、体力を大きく消耗するため、連続使用は難しい。

 

 最初のエネルギー波をこれで避けていた場合、追撃の岩塊に対応できていたかどうか。仏頂面のまま、グルドは離れた場所で停止したバータを見て呟いた。

 

「まあ、感謝してやるよ」

 

 グルドはその場を離脱し、速やかに能力を解除する。再び動き出したバータが、巨大な岩塊が目標を見失って飛んでいき、隣に無傷のグルドがいる事に安堵する。

 

「ありがとよ。助けたつもりが、助けられちまったな」

「気にするな。先に助けられたのはオレの方だろ」

 

 時間停止の反動で小さく息をつくグルド。傍から見ると瞬間移動でもしたようにしか見えない彼の様子を、遠くに立つナッツは冷静に観察していた。

 

(時間を止める事ができるって話は本当みたいね。厄介な能力だわ。止まってる間に尻尾を切られたら、どうしようもないわよ……)

 

 実際には消耗があまりに大きすぎるため、時間停止中に攻撃をする事はできないのだが、ナッツにとっては当然の懸念だった。

 

(けど、ずっと止められるのなら、とっくに背後に回って尻尾を狙ってるはず。それにたった1回でずいぶん疲れてるみたいだし、どうやら制限があるみたいね)

 

『じゃあ、何回止められるか試してあげるわ』

 

 どうせ避けられるのなら、手数を重視するべきだろう。口を開き、エネルギー弾の連打を食らわせるべく集中を開始した大猿の身体に、二発の気弾が命中し、爆発した。

 

 戦闘服に守られていない腕や脚を狙った攻撃だったが、厚い毛皮をわずかに焦がしたのみで、大猿の巨体は小揺るぎもしない。それでも攻撃を受けたという苛立ちから、ナッツは周囲を飛ぶ二人をギロリと睨む。

 

「おいおいナッツちゃん。グルドばっかりずるいじゃないの」

「オレ達とも遊ぼうぜ?」

 

 飛び回りながら更に攻撃を繰り返すリクームとジース。ナッツは鬱陶しく思ったが、彼女の気を引こうという狙いは明らかであり、軽々しく誘いに乗ってやる気は無かった。

 

(尻尾さえ切られなければ、私が負ける道理はないわ。まずは厄介なグルドを落として、数を減らす事が先決よ)

 

 大猿に変身しているにも関わらず、彼女は冷静だった。おどけたように、リクームが口にした言葉を聞くまでは。

 

「ナッツちゃん、オレ様に無様にやられたベジータちゃんより強いんじゃね?」

 

 

『父様を馬鹿にするなあっ!!!』

 

 

 誰よりも尊敬する父親を乏しめられ、激昂した大猿がリクームに飛び掛かり、叩き潰さんと巨大な拳を振り下ろす。回避された拳が大地にめり込み粉砕し、轟音と共に地上を揺らしながら破片を跳ね上げる。

 

 逃げ回るリクームに向けて、ナッツは咆哮しながらエネルギー弾を連打する。怒りに燃えた赤い瞳が、獣じみた唸りと共に向けられる。

 

 大猿になったサイヤ人は、凶暴性が遥かに増す。訓練によって理性を残しているとはいえ、増大した破壊衝動は健在で、時として彼女自身にも制御できなくなってしまう。

 

 狂ったように攻撃を放ち、周辺の地形を破壊しながら暴れ回る大猿の背後に、死角からジースが近寄りつつあった。狙いは当然、彼女の尻尾だ。

 

 身体に合わせて巨大化しているとはいえ、胴体などと比べれば極端に細く、しかも激しく動いている尻尾を遠距離から狙うのは困難であり、切断するためにはある程度接近する必要があった。

 

「いい調子だ。もう少し耐えてくれよ、リクーム」

 

 ジースは地上から大猿の巨体を見上げながら、スカウターがかろうじて拾える程度の小声で呟く。そして尻尾に狙いをつけ、一息に切断すべく飛び上がろうとしたその瞬間。長大な尻尾が鞭のようにしなり、彼に向けて振るわれた。

 

「んなっ!?」

 

 とっさに飛び下がった彼が立っていた地面に、尻尾が激しく叩き付けられる。驚愕するジースの前で尻尾は一瞬にして振り上げられ、切断の隙を与えない。

 

 そして振り向いたナッツが、獣の顔に怒りを滲ませ、彼を見下ろした。

 

『今、私の尻尾を切ろうとしたわね……!!』

 

 開いた口の奥に赤い光が収束する。ジースが逃げる隙を与えず広範囲を焼き尽くそうとした時。

 

「そうは、いくかよおお!!」

 

 流星のごとく飛来したバータが、勢いのまま大猿の横っ面に両足を叩き込んだ。

 

『ガアッ!?』

 

 不意打ちで攻撃が中断され、ナッツが蹴られた頬を押さえて呻いている間にジースはその場を離脱する。

 

「ありがとよ。バータ」

「今のは危なかったぜ。お前らしくも無い。欲張って見つかったか?」

「いやどうやらナッツちゃん、ずいぶん勘が良いみたいでさ」

 

 スカウター越しに会話しながら、ジースは今の状況を思い返す。物音などは一切立てていなかったはずだが、リクームの方を向いていたはずの彼女は、正確に彼を攻撃してのけた。まるで位置がわかっていたかのように。野生の勘か、それともそういう能力でも持っているのか。

 

「こりゃ思ってたよりも、楽しめそうじゃないの」

 

 本能に任せて暴れ回るだけの大猿なら、容易に尻尾を切れていたはずだ。知り合いの娘が厄介な強敵に成長していた事をジースは喜び、それと同時に、血が騒ぐのを感じていた。

 

『よくも、やってくれたわね……!!!』

 

 地の底から響くような声は、彼女の声の面影を残しながらも、低く重いものに変化していた。今にも理性を消し飛ばしそうなほどの怒りを燃料に、ナッツの中で攻撃性が高まっていく。もはや言葉の体を成さない叫びが彼女の喉から溢れ出す。

 

 

『グオオオオオオオォォォォォ!!!!!!!!』

 

 

 殺してやる、と。明確にして過剰な殺意が込められたその咆哮は、大気を震わせる大音量も相まって、並の兵士なら聞いただけで恐慌状態に陥るだろう圧力を伴っていた。離れた安全な場所で聞いていたクリリンですら、身体が震えるのを止められなかったが。

 

「おお、怖い怖い」

「銀河アイドルのコンサート会場みたいだぜ!」

 

 その程度で怯む臆病者が、ギニュー特戦隊にいるはずもなく。気合いの入った強敵を前に、それぞれの顔に不敵な笑みが浮かぶ。

 

 

 

 そして、戦闘開始からおおよそ10分が経過した。

 

 咆哮と共に岩山が踏み砕かれる。ナッツが激しく動き、また飛び上がる度に衝撃で地形が破壊されていく。数十発のエネルギー波によって見える範囲の大地はあらかた消し飛ばされ、その空隙に海から水が流れ込んでいる。

 

 大猿化したサイヤ人はその巨体も相まって、大規模な破壊の面で優れている。この短い時間で彼女が放った火力は地球レベルの惑星の軍隊なら、とうに壊滅しているだろう圧倒的なものだ。

 

 また戦闘服に加えて分厚い毛皮と筋肉に覆われたその肉体に、生半可な攻撃ではダメージを与えられない。

 

 にも関わらず、ナッツは全身の毛皮を出血で赤く染め、黒い戦闘服にはひびが無数に入り、大きく肩で息をついている。

 

 強敵相手とはいえ、通常ならば膨大なタフネスを持つ大猿がこの程度の時間で疲労困憊するなど有り得なかったが、そもそも変身前の彼女は戦闘に敗れて負傷し、加えてパワーボールの作成で起き上がれないほど消耗した状態だった。

 

 無理矢理に動いた反動で傷口が開き、出血がさらに体力を奪っていく。

 

 

 対してギニュー特戦隊。唯一彼女を戦闘力で上回る隊長を欠いたこの状態では全滅も有り得たが、おのおの手傷は負っているにせよ、彼らは健在で、元気に戦闘を継続していた。

 

「「いやっはーーーー!!!!」」

 

 リクームとジースの二人が楽しそうに絶叫しながら、繰り出された拳に飛び乗って、大猿の腕を駆け上がっていく。自分の身体を足場にされる感覚に、ナッツは驚愕する。

 

 今までそんな事をしてくる奴はいなかった。今の私に接近戦を挑んで掴まれでもすれば、命は無いというのに。

 

(こいつら、命が惜しくないの!?)

 

 あまりの事態に動きが鈍ったその刹那、彼女の腕の上で連続して爆発が巻き起こる。出血していた傷口をさらに至近距離から攻撃されたナッツが、あまりの激痛に悲鳴を上げる。

 

『グアアアアアッ!!』

 

 尻尾を狙って飛んできたバータを振り払い、近づこうとするグルドにエネルギー波を放って牽制する。休む間もない猛攻に、大猿の巨体が片膝を突く。既に彼女の体力は限界に近づいていた。

 

(戦闘力は私の方が上なのよ。どうしてここまで苦戦するの……!?)

 

 その答えは、一言でいえば戦闘経験の差だ。

 

 ナッツの戦闘経験が3年程度である事に比べ、ギニュー特戦隊はコルド大王の時代から20年以上、絶えず最前線で戦い続けていた歴戦の猛者だ。大物相手の戦いも、幾度と無く経験している。

 

 対してナッツの方は、大猿化した彼女と拮抗するような人間を相手にした経験がほとんど皆無だ。今までは、それで全く問題なかった。どんな相手でも変身すれば圧倒的な戦闘力で叩き潰せていたからだ。

 

 そもそも変身したサイヤ人と身体一つで戦える人間など宇宙全体でもほぼおらず、極少数の強者達は魔人ブウの復活や魔界からの侵略などを警戒するのに忙しく、フリーザ軍の惑星攻略程度の事にいちいち介入したりはしない。

 

 地球で彼女が悟飯と戦った時は、戦闘力でほぼ互角だったとはいえ、相手も同じく巨大化しており、人間の時の戦い方がそのまま適用できたが、今は違う。

 

 自分よりも遥かに小さく、それでいて高い戦闘力を持ち、素早く動き回る個人に対し、有効打を当てられていない。それでいて相手からすれば、大猿の巨体は格好の的だ。

 

 十数年の間、死線を潜り続けてきた父親と違い、彼女にはまだ戦闘経験が足りない。ナッツは今、その事実を痛感していたが、だからといって、諦めるわけにはいかなかった。

 

(ここで私が負けたら、父様達が死ぬのよ……! 絶対に、諦めてたまるもんですか!)

 

 経験がどうした。悟飯なんてたった1年訓練しただけで、実戦すらした事のない状態で、私と互角に渡り合って、地球を守って見せたのだ。

 

 下級戦士の子供にできた事が、王族でエリート戦士で1歳年上の自分ができないなんて、プライドが許さなかった。

 

 弱っていたナッツの目に力が戻る。両足に力を込めて、立ち上がる。経験が足りないなら、悟飯がして見せたように、今積めばいいのだ。猛攻に晒されながらも、ナッツは冷静に相手の動きを観察し始めた。

 

 

 そして彼女の様子が変わった事に、歴戦の彼らは程なく気付く。

 

「ナッツちゃん、動きが良くなってきてね?」

「確かに……うおおっ!?」

 

 リクームの身体を巨大なブーツの爪先が掠め、大きく弾き飛ばされる。とっさにガードした両腕の骨が軋む痛みに、リクームは笑う。

 

「いいね! 今のは良かった!」

 

 それをきっかけとしたように、次第に彼らの被弾が増えていく。ナッツは明らかに弱っているというのに、その動きはまるで、この瞬間にも洗練されていくようで。

 

(サイヤ人は戦闘民族、戦えば戦うほど強くなるのよ)

 

 ジースは3年前、幼い子供が自慢げに話した言葉を思い出していた。他ならぬ彼女自身が自分達を相手にそれを実践している事が、妙におかしくなってしまう。

 

「本当に、成長したよ。ナッツちゃんは」

 

 しみじみと、ジースは呟いた。今のところはまだ優勢だが、このまま戦い続ければ、万が一が有り得た。

 

「どうする? 一旦退いて、こっちに向かってるギニュー隊長と合流するか?」

 

 そうすれば確実に勝てるのだが。

 

「それズルくね?」

「ナッツちゃんが可哀想だよなあ」

「天下のギニュー特戦隊が、ガキ一人から逃げるってのかよ」

 

 スカウターから聞こえてくる、リクーム、バータ、グルドの声。それは彼自身の思いでもあった。こんな楽しい戦いが無粋な形で終わるなど、あまりにつまらない。

 

 そして彼女と互角の条件で戦う事は、彼らなりの、あの幼い少女に対する償いでもあった。加えて矛盾しているようだが、当然負けてやるつもりもなかった。

 

「さて、どうやって攻めるか……」

 

 ジースは考える。パワーと頑丈さで前に出るリクーム、速度で攪乱するバータ、超能力で搦め手を担当するグルド、そして一通り何でもできる彼の役割は、その場その場で必要な分野の穴埋めだ。ギニュー隊長と離れている今、全体の指揮は彼が担っていた。

 

 尻尾を切って変身を解くのは無理だろう。切られれば終わりと判っているからか、最優先で守られていて、付け入る隙が無い。さらに今のナッツは尻尾を囮に攻撃を誘い、反撃を狙っている節すらある。

 

 これ以上の負傷を避ける意味でも、短期決戦が望ましいだろう。彼は素早く作戦を組み立て、全員に指示を出した。

 

 

『くっ、こいつら、いきなり速く……っ!』

 

 ナッツは翻弄されていた。バータとジース、青と赤の流星のように天と地を駆ける二人が、目で追いきれないほどの速度で無数の気弾をばら撒きながら彼女の周囲を飛翔し、すれ違いざまに気を纏わせた手刀で全身を切り裂いていく。

 

 かろうじて尻尾だけは守りきるも、連続する爆発と斬撃に全身を痛めつけられる。必死に悲鳴を押し殺しながら反撃の機会を伺うナッツは、自分の前で技名を叫ぶリクームに気付く。

 

 凄まじいエネルギーが高まっていくのを感じ、止めるべくナッツが攻撃をしようとした瞬間。

 

 

「きええええっ!!」

『!?』

 

 

 グルドの気合いの声と共に、大猿の全身の神経が麻痺し、動きが封じられる。他の三人が注意を逸らしている隙に彼は近寄り、ナッツを金縛りの術の射程圏内に捉えていた。

 

(しまった! 時間停止じゃない! これは!?)

 

 身体の異変に戸惑いながらも大猿は即座に咆哮し、身体を侵す超能力を力づくで解除する。

 

『オオオオオオオォォォォ!!!!!』

 

 大猿の両腕がリクームに迫る。だが巨大な両手に掴まれるその寸前、彼の必殺技は発動した。

 

「ボンバーーーー!!!!」

 

 絶叫と共に莫大なエネルギーが放出され、大猿がリクームを中心に巻き起こった大爆発に飲み込まれる。動けぬまま見ているしかできなかった悟飯とベジータが、絶望に崩れ落ちる。

 

(嫌だ、負けたくない。……どうしたら勝てるの?)

 

 全身を焼かれる苦痛に叫びながら、ナッツはただそれだけを考え続けていた。

 

 

 

 

 爆発が収まった後、辺りに立ち込め、視界を封じていた土埃と煙が少しずつ晴れていく。

 

「やったか?」

「おい、やめろ馬鹿ジース」

「まあ、流石にあれは、無事では済まないだろ……」

 

 大猿を全力で金縛りにした反動で、息も絶え絶えのグルドが呟く。リクームが放ったあの技は、ギニュー隊長不在の今の彼らにできる最大火力だ。溜め時間が必要なのが欠点だが、その分威力は法外に大きい。

 

 やがて視界が完全に戻り、見えてきた目の前の光景に、軽口を叩いていた特戦隊メンバーは困惑する。爆発の跡地にあった物は、直径50メートルにも及ぶ巨大なクレーター。周囲の海から流れ込んだ水が浅く溜まりつつあるが、それだけだった。

 

「おい、ナッツちゃんがいねえぞ?」

「あんな図体で一体どこに……」

 

 四人は周囲を確認するも、彼女の姿は見当たらない。隠れられそうな丘などは戦闘の余波で消し飛んでいる。先ほどまでナッツの戦闘力を感知していたスカウターも、今は反応していない。

 

「技の威力が強過ぎて、粉々になって消滅したか?」

「リクーム、グロい想像させんじゃねえよ……」

 

 ジースは考える。戦闘力の低い相手なら、大火力の攻撃で死体すら残さず消し飛ぶ事は有り得たが、あの巨体が欠片も残さず消滅するとは、どうにも考えづらかった。

 

「まさか、上か? とっさに飛び上がって、雲の間にでも隠れているとか……」

 

 バータが上空に視線を向け、他の全員がそれに続く。確かに雲はいくつか浮かんでいるが、とても大猿が隠れられそうには見えない。そもそも空など飛んでいては、あっという間に見つかってしまうだろう。

 

 地上に視線を戻したバータが、それに気づいたのは偶然だった。緑がかった海水が、わずかに赤く染まっている。誰かが血でも流したかのように。

 

「なあっ……!?」

 

 彼が警告を叫ぶより早く、水底を蹴った大猿が海面から飛び出しながら、残された全ての力で、瞬間的に戦闘力を0から最大値に跳ね上げる。警告音と共に7万を超える数値がスカウターに表示され、慌てた彼らが反応しようとするも、手遅れだった。

 

 

『くらええええっ!!!!!!!』

 

 

 絶叫と共に開いた口から、ナッツは極大のエネルギー波を撃ち放つ。巨大な赤い奔流が四人全員を巻き込み、閃光と共に全てを焼き尽くした。




 戦闘描写が大変でしたが、彼らとの決着はこれでついて、次回はいろいろ、後始末の話です。
 彼女の物語もいよいよ中盤を超えました。色々あって更新が遅くなるかもしれませんが、気長にお待ちくださいませ。

 それと前回はたくさんの高評価をありがとうございます。
 おかげ様で久々にランキングに載れて嬉しかったです。


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14.彼女が母を想う話

 その一帯は焦土だった。

 

 ナッツの放った一撃によって草木は焼き尽くされ、海水すらも蒸発し、剥き出しになった地面のあちこちから煙が上がっている。

 

 爆発によって巻き上がった土くれが陽光を遮り、周囲一帯が薄闇に包まれる中、倒れていた一つの影が、よろめきながら立ち上がった。

 

「ち、ちくしょう……油断しちまったか」

 

 その男はバータだった。ギニュー特戦隊随一のスピードを誇り、ナッツの潜伏場所にいち早く気付いた彼だけが、とっさに離脱する事で、かろうじて直撃を免れていた。

 

 それでも受けたダメージはかなり大きく、先の戦いでの負傷も相まって、戦闘力は元の半分にも満たない状態だ。だが今の彼にとって、そんな事はどうでもよかった。

 

 全身を襲う痛みに顔をしかめながらも、バータは液晶のひび割れたスカウターを操作する。

 

「あいつらは、生きているのか……?」

 

 スカウターが火花を散らしながら動作し、やがて電子音と共に、登録された仲間達の反応が表示され、彼の表情が安堵に緩む。ジースも、グルドも、リクームも、かなり弱ってはいるが、まだ生きている。

 

 戦闘力の低いグルドまで無事だったのは奇跡だった。ナッツへの攻撃に参加していなかった分、離れていたのが幸いしたのだろう。場所もそう遠くは無い。示された方角を見ると、確かに遠くに3人が倒れているのが小さく見えた。

 

「おい! お前ら大丈夫か?」

 

 呼びかけるも反応は無い。気絶でもしているのかと思ったが、どうやら通信機能が壊れているようだった。

 

「……まあ隊長から通信来ない時点で、おかしいとは思ってたけどよ」

 

 部下思いのギニュー隊長が、この状況で安否確認の一つもよこさないとは考えづらかった。全速力でこちらに急行しながら、「全員無事か!?」だの「オレが行くまで持ちこたえろ!」だのとスカウターに叫んでいる姿が脳裏に浮かび、おかしくなってしまう。今頃は返事が無い事を、とても心配しているはずだ。

 

 

 その時、ずしん、と背後で地面が震えると同時に、バータの全身が、巨大な影に覆われた。警告音と共に、スカウターに表示された戦闘力は4万強。

 

 振り向いた彼の目に映ったのは、全身の毛皮を血で赤く染めながら、嗜虐的な笑みで彼を見下ろす大猿の姿。リクームの必殺技の影響か、ただでさえボロボロだった戦闘服は半壊し、左側の肩掛けから胸部に当たる部分が丸ごと吹き飛んでいる。

 

 アンダースーツもところどころ焼け焦げ、破れてその下の毛皮を晒している。人間ならば致命傷になりかねないほどのダメージを負い、大きく息を切らしながらも彼女は健在で、薄闇の空に輝く小さな人工の月も、まだ消える気配はない。

  

『しぶといハエが、まだ一匹生き残ってたみたいね。すぐに叩き潰してあげるわ』

 

 獣の顔を邪悪に歪めながら宣言するナッツに、バータは軽い調子で言った。

 

「ナッツちゃん、無理しないで帰って休んだ方がいいんじゃないの? これ以上暴れたら、ギニュー隊長やフリーザ様が来るかもしれないぜ?」

『お前達を殺してから、そうさせてもらうわ』

 

 どうやら向こうはまだやる気らしい。短時間で自分達を皆殺しにできる自信があるのだろう。まあ普通、この状況ならそう思うはずだ。4人の中で動けるのは負傷した自分一人だけで、手負いとはいえ全員でも倒せなかった大猿相手に、何ができるというのか。

 

 だからと言って、ここで引くわけには行かなかった。ジース、リクーム、グルド。3人とも20年来の付き合いで、共に何度も死線を潜り抜けてきた仲間達だ。自分と同じで馬鹿なのが玉に瑕だが、とても愉快で良い奴らなのだ。  

 

 一人も殺させるわけにはいかない。隊長が来るまで持ちこたえるだけの、簡単な仕事だ。この程度の修羅場なら、以前にも経験がある。バータは不敵な笑みを浮かべ、大猿の目を真っ直ぐに見据えて言った。

 

「ナッツちゃん、もう少しオレと、遊んでもらうぜ……!」

 

 バータが飛び立った一瞬後、彼がいた場所を、巨大なブーツが踏み砕く。ナッツはその足で大地を蹴って飛び上がり、バータを追ってさらに加速する。

 

『はははっ! どうしたのかしら? 動きが鈍ってるわよ!』

 

 彼女が狙っているのは、単純な体当たりだ。激突すればそれだけで致命傷になりかねない大質量と速度に追われ、距離が縮まっていくが、バータは避けるそぶりすら見せず、振り向いて、ただ一言を口にした。

 

「ナッツちゃん、宇宙一のスピードを見せてやるよ」

『……何ですって?』

 

 ナッツは訝しむ。明らかに彼女の方が速度で勝っているこの状況で、一体何を言っているのか。すぐにハッタリと判断し、さらに加速して目の前の男を轢き潰さんとして、激突したと思った瞬間、手ごたえが無い事に困惑する。

 

 気配を探ると、バータの気配は彼女の後方にあった。わずかに苛立った様子で、大猿が彼の方へと振り向いた。

 

『……今、何をしたの?』

 

 バータはにやりと笑って、返答とした。何も難しい事はしていない。ギリギリまで動きを見切った上で、激突する寸前でわずかに軸をずらし、急停止したにすぎない。あとはナッツが、勝手に通り過ぎていっただけだ。先の言葉と相まって、超スピードで避けたように見えるかもしれないが。

 

 全身が痛むのを感じながら、バータは見せかけだけの余裕を崩さない。彼の背中を、流れた血が滴り落ちる。この程度の動きですら、今のバータには負担が大きい。

 

『まだそんな力を残していたのね』

 

 ナッツの声が警戒の色を帯びる。容易に殺せる存在ではなく、戦える力を持った敵だと認識される。望む所だった。

 

 大猿が咆哮しながら、満身創痍の彼に飛び掛かる。あとどれだけ動けるだろうかと考えながら、バータは飛翔を開始した。

 

 

 それからおよそ120秒間、彼はナッツを翻弄してのけた。

 

 空を舞う軌道が弧を描いた次の瞬間、直線に、ジグザグに、目まぐるしくその動きを変える。加速に減速、時に急停止したかと思えば、一瞬で最高速度を叩き出す。軌道も速度も全く予測できない青の流星が、命を燃やして飛翔する。捨て身の覚悟に加え、仲間の命を背負っているという事実が、彼に限界を超えた動きを可能とさせていた。

 

『こいつ、死にぞこないのくせに……!』

 

 業を煮やした大猿の喉から、唸り声が漏れる。フリーザはともかく、ギニュー隊長は彼の言うとおり向かってきているはずだ。まだそれらしき気配は感じられなかったが、早くこいつらを片付けて、父様達を連れて逃げなければならない。

 

 それともいっそ、諦めるべきなのか。後々の事を考えると、4人はこの場で仕留めておきたかったが。そこまで考えて、ナッツは倒れたまま動かない3人に視線を向け、悪魔のように笑った。

 

『気が変わったわ。あなたのお友達から殺してあげる。そこで一生、飛び回ってるといいわ』

 

 これ見よがしに大きく開かれた口の中に、赤い光が収束していく。確実に止めを刺すべく、時間を掛けて出力を高めていく。

 

「やめろーーーー!!!!!」

 

 バータは半ば罠だと知りながら、大猿の顔へ向かって飛ぶ。あれを撃たせるわけにはいかない。全力でぶつかってやれば、せめて狙いは逸らせるはずだ。

 

 大猿の顔に蹴りを叩き込もうとしたその瞬間、赤い瞳が彼を捉える。ナッツは首を動かし、バータに向けて至近距離からエネルギー波を撃ち放った。

 

 彼は辛くもそれを回避し、掴まんと伸ばされた巨大な腕にあえて飛び込み、手の甲を蹴って離脱したところで、大猿の身体の後ろ、彼にとっての死角から、長大な尻尾が風を切って振るわれた。

 

「がっ……!?」

 

 直撃を受けて弾き飛ばされ、体勢を崩したバータを大猿が掴む。逃がさぬよう強く握り締めながら、ナッツは込み上げる邪悪な歓喜に笑う。

 

『ようやく捕まえたわ。さんざん手こずらせてくれたけど、これでもう終わりよ』

「は、放せ……!」

 

 大猿の両手からバータは必死に逃れようとするが、脱出できるほどの力は残されておらず、加えられる圧力に、全身の骨が軋んでいく。

 

『じっくり苦しめてやりたいところだけど、あまり時間がないの。手早く潰してあげる』

 

 両腕の筋肉が膨れ上がり、骨が砕ける音と共に、悲鳴が上がる。それを聞きながら、ナッツは暗い喜びに浸っていた。

 

 母様が殺されたあの日から3年間、ずっと戦闘力を上げ続けて、ようやく自らの手で、フリーザ軍の幹部を殺せるところまで来たのだ。

 

 こいつらを殺して、いつか父様と一緒にフリーザを殺して。それから全ての惑星フリーザを徹底的に破壊して、フリーザ軍の奴らを皆殺しにしてやる。にこにこと友好的に振舞っておきながら、母様を助けてくれなかった奴らなんて、全員死ぬべきだ。きっと凄く、楽しいに違いない。

 

 薄暗い空の下、そのサイヤ人の少女は、復讐心と、破壊衝動と、湧き上がる底無しの憎悪に、心地良くその身を委ねていた。

 

 

 そんな彼女の様子を、離れた場所で見ている者達がいた。

 

 クリリンは震えながら目を逸らしている。やられているのは敵とはいえ、理性を保ったまま、醜い感情に支配された大猿の姿が恐ろしかった。悟空や悟飯のように、理性無く暴れる方が、まだマシだと思った。

 

 悟飯は溢れる涙を拭おうともせず、嗚咽を漏らしながら、彼女を見ていた。恐くて泣いているのではない。確かに今のナッツの姿は恐ろしいが、それ以上に、彼女の事を可哀想だと思っていた。

 

 ほんの数時間前、家の中ですっかりくつろいで、楽しそうに笑っていた、彼女の姿を思い出す。

 

(おいしい!! 何これ!?)

(ねえ、悟飯。私、あなたの友達になってもいい?)

 

 ナッツは決して良い子ではなく、悪い事をいっぱいしてきたけど、それでもまだ自分と同じ小さな子供なのに、お母さんを殺されて、ああまで人を憎むようになってしまったのが、無性に悲しくて、涙が止まらなかった。

 

 今の彼女の姿は、とても見ていられないものだったけど、それでも自分まで目を逸らすのはいけない事だと思ったから、辛いと思いながらも、彼は彼女を見守っていた。そんな少年の肩に、誰かが手を置いた。

 

「えっ……?」

「…………」

 

 顔を向けた悟飯が驚く。いつの間にか、彼女の父親が隣にいた。少年と同じ痛ましい思いを抱えながら、何も言わずに娘を見ていた。

 

 

 

 そして同じ思いを持つ者は、彼らだけではなく。

 

 今まさに彼女に殺されようとしているバータは、激痛の中、3年前のナッツの姿を思い出していた。あの頃の彼女は、いつも幸せそうで、誰にでも明るく笑い掛ける子供だった。それが母親が死んだあの日から、笑顔を失い、身内以外のフリーザ軍の人間を、親の仇でも見るような目で睨むようになったのだ。

 

 そして今、憎い仇を殺すのが楽しくてたまらないという様子の彼女を見て、やりきれないと思ってしまう。おいしそうにフルーツパフェを食べていたあの女の子が、こんな風になってしまったのは、確かに自分達フリーザ軍のせいだ。

 

 彼女の母親を無謀な任務に追いやったのはドドリアだが、それはたまたまフリーザ様が彼に命じたに過ぎない。より確実を期すべく、特戦隊に暗殺指令が下されていた可能性だってあったのだ。

 

 仮にそうなっていた場合、自分達は悩みながらも、それでも反抗して粛清されるよりはと、彼女の母親を殺す事を選んだだろう。それを思うと、決して無関係とは言えなかった。

 

(母様を殺されたのよ! 私も父様も、許せるはずがないじゃない!)

 

 あの子はずっと、辛い思いをしてきたのだ。そしてきっとこれからも。自分が殺される事で、復讐心が少しでも和らぐのなら、それはそれでいいかとバータは思った。

 

 死を覚悟した彼は、遠くに倒れた仲間達を見る。おそらく無理だとは思うが、最後にできる限りの事はしておきたかった。痛みを堪えながら、口を開く。

 

「ナッツちゃん、今さら虫の良い頼みだとは思うけどよ、殺すのはオレ一人で勘弁してくれないか?」

 

 心底不快そうに、ナッツは彼を睨み付けた。より強まった圧力に、また骨が折れる音がした。

 

『喋って良いって、誰が言ったのよ』

 

 憎悪に塗れた声。バータは激痛に呻きながらも、言葉を続ける。

 

「……お前の母ちゃんの事は、本当に悪かったと思ってる。けど信じてくれ」

 

 岩山にでも叩き付ければ、この煩わしい声は止まるだろうか。虫を見るような彼女の目が、続く言葉を聞いた瞬間、驚愕に見開かれる。

 

 

「オレ達の誰も、リーファさんの事を殺したいなんて、思っちゃいなかったんだ」

 

 

 その名前をバータが口にしたのは、意図があっての事ではない。覚えていた名前を、当たり前のように話したに過ぎない。

 

 だがその一言は、息ができなくなるほどの衝撃を、少女の心にもたらしていた。

 

 母様の名前。辛い思いをするだけだから、父様も私も、今まで口にしなかったのに。よくもぬけぬけと、お前なんかが母様の名前を。

 

 

 殺してやる。心に満ちる感情のまま、バータに止めを刺そうとしたナッツの動きが止まる。

 

 名前をきっかけに、母親と過ごした頃の記憶が、娘の胸に溢れ出していた。そのほとんど全てが、掛け替えのない幸せな思い出だった。

 

 

 

 記憶の中にいる母様は、病弱だったけど、強い人だった。生まれつきの病気に苦しみながら、フリーザ軍で大きな功績を上げて、私を生んで育ててくれた。

 

 ほとんどの時間は、家の中にいるだけだったけど、本当は本を読むよりも、戦いの方が好きだったのを知っている。

 

 たまに身体の調子が良い日に、父様や私と一緒に戦場に出た時は、私よりも嬉しそうにはしゃいでいたくらいだ。   

 

 母様は私に、たくさんのものをくれた。王族として恥ずかしくないくらいの知識も、戦場で生き延びるための戦い方も、身体に流れるサイヤ人の血も。

 

 そして何より、たった3年間だったけど、一生忘れられないくらい、愛してもらった。

 

 父様が寂しがるから、自分の分まで、生きて欲しいと言われた。きっとあの時、自分の命がもう長くない事を、知っていたのだろう。

 

 ああでも、寂しいのは、私も同じです。もう一度、会いたいです。母様。

 

 

 いつの間にか、暗い感情も、その身を駆り立てていた怒りも、全てまっさらに洗い流されていて。今のナッツは、母親を亡くした、ただの小さな子供だった。

 

 自分の手の中で、痛そうな顔をしている人を見る。昔、パーティーで、欲しかったビンゴの景品を譲ってくれた、優しいおじさんだった。他のおじさん達も、遠くに倒れている。

 

 

 私は今、何をしようとしているのだろう。

 

 

『どうして……』

 

 震える声は、幼子のようで。

 

 どうして、こうなってしまったの。とても幸せだったのに。みんな大好きだったのに。どうして。

 

「ナッツちゃん……」

 

 震える両手からは、すっかり力が抜けている。少女の変化を感じ取り、バータが声を掛けたその瞬間、とてつもなく不吉な予感がナッツを襲った。

 

 

『!?』

 

 大猿が即座にその場を飛び離れた刹那、彼女の尻尾があった場所を、真っ直ぐに飛ぶ紫色の影が貫いた。

 

 その影の正体に気付いたナッツは戦慄する。全く気配を感じさせずに接近していたそいつは、もう隠す必要はないとばかりに、凄まじい戦闘力を発している。

 

(まさか、こいつも戦闘力のコントロールを!?)

 

 その男はバータの最高速にも迫る速度で飛翔し、驚く大猿の顔付近まで一瞬にして肉薄する。遠くに倒れた3人、そして今まさに殺されようとしているバータを見て、ぎりりと歯を食いしばる。

 

「部下が世話になったようだな!!!」

 

 怒りの叫びと共に、ナッツの顔面に、全力の拳が命中した。

 

 爆発のような轟音と衝撃が大気を震わせ、大猿の巨体が冗談のように軽々と吹き飛んで地を滑り、激突した遠くの岩山を破壊する。

 

 放り出されたバータの身体を抱えた男が、勇敢に戦った部下に小さく笑顔を見せた。

 

「無事か、バータ。良くやったな」

「た、隊長……」

 

 ギニュー隊長。最大戦闘力12万を誇る、フリーザ軍最強の戦士がそこにいた。

 

 

「酷くやられたものだな。あのサイヤ人め……」

 

 ギニューはバータの状態を確認し、折れた骨を念動力で固定する。乱暴な応急処置だが、しばらくの間、仲間の身体を運ぶくらいはできるはずだ。

 

 そして遠くに倒れる3人の身体に手をかざすと、彼らの身体が宙に浮き、あっという間に、彼の元へと引き寄せられた。

 

「バータ。こいつらを連れて下がっていろ。オレはフリーザ様からの任務を遂行する」

 

 その視線の先には、よろよろと起き上ろうとする、満身創痍のナッツの姿。

 

「ギニュー隊長……!」

「止めろ」

 

 あの子を殺さないで下さいと、続けようとしたバータの言葉が、硬い声に止められる。

 

「それ以上口にすれば、オレはお前を罰さねばならなくなる」

 

 フリーザ様直々の命令への反逆、それに対する処罰は死以外に有り得ない。そんな事をさせてくれるなと、隊長の目が告げていた。

 

「……わかりました、隊長」

 

 バータは表情の失せた顔で、3人の身体を抱えて一礼し、飛び去っていく。その姿を見送りながら、ギニューは考える。

 

 部下達が、あのベジータの娘に思い入れを持っているのは知っていた。私情で手を抜くような奴らではないから、問題は無いと思っていたが。

 

 バータの反応からすると、殺される直前で情けをかけられたか。子供らしいその甘さに、個人的には感謝したいところだったが、任務となれば話は別だ。

 

 高い実力を持ちながら、どこの星の軍隊にも馴染めなかった彼らを、大らかな心で受け入れて下さったコルド大王様。そしてその息子で、今も自分達を厚遇して下さっているフリーザ様。あの二人には、返しきれないほどの恩がある。その意向に逆らうなど、考えられない事だ。

 

「お前に恨みは無いが、フリーザ様の命令だ。死んでもらうぞ」

 

 

 ギニューの言葉に、ナッツは牙を噛み締めて唸る。またフリーザか。またあいつの都合で、私達は殺されるのか。

 

 強い者は弱者を好きにできる。それはこの宇宙のルールだ。彼女自身も、今まで弱い奴らを好きに殺してきた。だからこれも、自分達の順番が来たに過ぎないと、言ってしまえばそれまでだが。

 

『だからといって、黙って殺されてやるものですか!!』

 

 それに文句があるのなら、力で抗うしかない。そのために、私は強くなったのだ。

 

 遠くで何かを叫んでいる、父様と悟飯の方を見る。

 

『私が時間を稼ぎますから、逃げて下さい!』

 

 返事は聞かず、全身の痛みを堪えながら、ギニューに向けて走り出す。

 

 これからする事は、さっきのバータと同じだ。幸いな事に、今の私はそう簡単には死なない。父様が生きていれば、いつかフリーザを倒して、母様の仇を取ってくれるはずだ。

 

 母様。生きて欲しいと言われたけど、ごめんなさい。

 

『グオオオォォオオオォォオオ!!!!!!』

 

 私を無視でもしようものなら、手足の一本はもらっていく。気迫を込めて咆哮しながら突撃し、巨大な拳を振りかぶる。ギニューもそれを迎え撃たんとする。

 

 二人の拳が激突し、凄惨な死闘が幕開けるその直前に、何者かが、二人の間に飛び込んだ。爆発のような轟音と衝撃が大気を揺らす。次の瞬間、信じがたい光景に、二人は目を見開いた。

 

「何だと……!」

『あ、あなたは……!』

 

 オレンジ色の胴着を着たその男は、広げた両手で彼らの拳を受け止めていた。

 

 ギニューはどれだけ力を込めようと、止められた拳が1ミリも動かない事に戦慄する。ナッツもまた同様に、涼しい顔でギニュー隊長の攻撃を受け止めてのけた、彼の戦闘力に驚愕していた。

 

「なっ、何者だ、貴様!」

「ん? オラは地球から来た、孫悟空って言うんだ」

 

 微妙にずれた回答を返しながら、悟空は大猿を見上げて感嘆の声を上げる。

 

「おめえ、ナッツだよな? ずいぶん強くなったなあ。今度オラと戦ってみねえか?」

 

 そして彼女の全身の負傷に眉をひそめるも、すぐに笑顔に戻って言った。

 

「それと、よく頑張ったな。オラが来たからには、もう安心だぞ」

 

 優しく労わるような声に、ナッツは気持ちが緩んでいくのを感じていた。




 このシーン、彼女の母親の名前を出すかどうかで二か月くらい悩みました。出すと決めた後で、割と有名なキャラと名前が被ってる事に気付いて変えるべきか更に悩んだのですが、これ以上に相応しい名前が浮かばなかったのでそのままにしました。

 あと前回の戦闘シーンが凄く評判良くて高評価とか沢山もらえて嬉しかったです。今後の戦闘シーンのハードルが上がってしまった気がしますが、どうにか何とかするつもりです。

 今後の更新は日曜夜になる予定です。その方が余裕持って書けますので。場合によってはさらに遅れるかもしれませんが、エタる事だけはしないつもりですので、気長にお待ちくださいませ。

 それとたくさんの誤字報告、ありがとうございます。自分今までこんなの見逃してたのかと……。

【リーファ】
 ナッツの母親。名前の元ネタは一応リーフレタス。イメージ的には葉っぱ。半端者。儚い。病院の窓から見える木の葉とかあんな感じ。
 しかし葉っぱは全ての野菜に存在し、その成長に欠かせない、命を育む者とも言える。
 エリート戦士の家に生まれ、高い戦闘力を持ちながらも生まれつきの病気でインドア系に為らざるを得なかったが、本当は戦いたくてうずうずしていた所で幼少期のベジータと出会い、色々あって実家から連れ出された。その経緯もあり、彼に深く感謝している。
 娘と夫が大好きな残念美人。読書経験豊富だけど世間知らずの箱入りで微妙にどこかズレていて大事なことを知らなかったり。


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15.彼女の心が休まる話

 空を覆っていた土埃はいつの間にか晴れ、明るい太陽と、小さな人工の月が辺りを照らす中。

 

 ナッツはギニュー隊長の攻撃をあっさり受け止めた悟空の異常な強さに、安堵すると同時に驚いていた。

 

(な、何なの? この戦闘力は……? まるで大猿になった父様じゃない……! 尻尾も無いのに、あれからたった一ヶ月かそこらで、どうやったらここまで強くなれるっていうの!?)

 

 そもそも1年前と少し前まで、ラディッツと相打ちで死ぬ程度の戦闘力だったはずだ。あまりにも急激に過ぎる成長速度。少女の脳裏に、ある単語が浮かぶ。

 

(まさか、カカロットは伝説の超サイヤ人だとでもいうの!? 超サイヤ人は父様のはずよ……! いくら悟飯の父親だからって……!)

 

 カカロットがある種の天才なのは認めるが、下級戦士が、王族である父様を差し置いて、超サイヤ人だなんて。認めたくないと思ってしまうが、目の前にいる彼の強さは事実だ。

 

 やりきれない思いが少女の中に生じたその時、そんな彼女の内心をつゆ知らず、たしなめるような調子で、悟空が言った。

 

「それにしてもよ、ナッツ。さっきおめえ、死ぬつもりだっただろ? 駄目だぞ、子供があんな事しちゃ。父ちゃん泣いてるぞ」

『えっ!?』

 

 もやもやした気持ちが、一瞬で吹き飛んでしまう。強くて格好良くて冷酷なサイヤ人の王子である父様が、私と二人きりの時ならともかく、人前でみっともなく泣くなんて、そんな恥ずかしい事を?

 

 彼女の受けた教育において、泣くというのは弱者のする行為という、ネガティブなイメージがあった。敵に怯えて恐怖でがたがたと歯を鳴らして泣くとか、そんなのよりはまだ全然マシかもしれないが。

 

 私が心配させてしまったからだ。少し嬉しいけど、申し訳なく思ってしまう。父様の名誉を守らなければ。

 

『み、見間違いよ、カカロット! 父様は誇り高きサイヤ人の王子なのよ。人前で泣くはずないじゃない!』

「そ、そうだぞ! オレの娘に妙な事を言うな! カカロット!」

 

 がるる、と巨大な牙を剥いて唸る娘と、ぐしぐしと顔を拭きながら食ってかかる父親。

 

 悟空はそんな彼らを見て、似ている親子だなあと思いながら、呆れたように呟いた。

 

「……サイヤ人ってのも、大変なんだな」

『あなたもサイヤ人じゃない!』

 

 先ほどまでの、張りつめた悲壮な雰囲気はどこへやら。ギニューは今も悟空に拳を掴まれ、動けないでいたが、ぎゃーぎゃーと騒ぐ彼らの会話の中、聞き捨てならない単語に反応する。

 

「こ、この男が、サイヤ人だと……!?」

 

 スカウターに表示された、ベジータ達の仲間らしい目の前の男の戦闘力は18万以上。サイヤ人の戦闘レベルを明らかに超えている。自分達と同じ、突然変異で生まれた天才戦士なのか。

 

 しかも恐ろしい事に、こいつは全く本気を見せている気配がない。戦闘力のコントロールを習得しているギニューには、悟空がまだ底知れぬ実力を隠していると、おぼろげながら察する事ができていた。

 

 フリーザ様がその出現を警戒していた、伝説の超サイヤ人、そのものだという可能性すらある。血と闘争を好む最強戦士。惑星ベジータにおいてすら、おとぎ話のように扱われていた存在が、今になって現れるとは。

 

 こいつはいったい、何者だというのか。見た目のほどは、ベジータと同年代。サイヤ人の外見年齢はあてにならないが、惑星ベジータにこんな強大なサイヤ人がいたらその名が知られていないはずがなく、当時はおそらく子供だったはずだ。

 

 先ほどこいつは、地球から来たと言ったか。飛ばし子という単語が浮かぶ。戦闘力が低いとみなされたサイヤ人の幼子を、直接侵略するにはコストが釣り合わない惑星に単身送り込み、数年掛かりで住民を全滅させる事を狙った、無謀で非効率な制度。

 

 その本来の目的は、サイヤ人の人口を抑制する事。フリーザ様が半ば強制的に行わせていたそれの記録は、当然全て残させていたから、惑星ベジータの消滅後に、飛ばし子も全員始末されていたはずだが。取りこぼしががあったというのか。

 

 まさか予知能力に目覚めたサイヤ人が、ポッドを盗んで息子を逃がしていたという特大の想定外を、ギニューどころかフリーザ軍の誰も知るはずもなく。母親から弟を託された、彼の兄一人を除いては。

 

 そして、滅ぼされたサイヤ人の生き残りが、今このナメック星に現れた目的は。

 

(フリーザ様への復讐か! ベジータやその娘と同じように!)

 

 そうとしか、今のギニューは思えなかった。実際にはこの時点で悟空はフリーザの事をろくに知らず、後でそれを知った彼が頭を抱える事になるのだが、それはまた別の話だ。

 

「おい、貴様!」

 

 真意を問いたださねばならないとギニューが叫ぶが、悟空は遠くに見えるベジータ達の負傷の具合を確認し、ギニューの拳を放しながら言った。

 

「悪い、ちょっとタンマ!」

「た、タンマだと!?」

『タンマですって!?』

 

 彼らに背を向けて超スピードで飛んでいく悟空。あまりに無防備なその姿を呆然と見送ったギニューとナッツは、思わず顔を見合わせた。

 

 

 そしてベジータ達の傍に着地した悟空が、小さく手を上げる。

 

「よお! おめえら無事だったか!」

「お、お父さん……!」

「悟空……!」

 

 悟空の登場に、これでもう大丈夫だと、安堵する二人。対してベジータは、負傷の痛みに顔をしかめながら、憎々しげに悟空を睨み付ける。

 

「カカロット、貴様、その戦闘力は何だ。一体どんな手を使いやがった……!」

「ちょっと100倍の重力で修業してきた。今度こそおめえに勝ちたくてな」

「100倍の重力だと? ふざけているのか……!」

 

 ベジータはカカロットが、冗談を言っているのだと思った。確かに惑星ベジータのような、高重力の環境でのトレーニングは有効だが、地球の100倍の重力の惑星など、少なくともこの銀河には存在しない。

 

 仮にどこか別の銀河にあったとして、たった一ヶ月でそこまで行って鍛えてきたとでもいうのか。そもそもそんな高重力の惑星に、宇宙船でまともに着陸できるわけもなく、近付く事すら自殺行為でしかない。彼が重力室の存在を知り、カプセルコーポレーションの敷地内に建てられたそれに、娘と共に毎日入り浸る事になるのは、まだ先の話だ。

 

 ふざけるな、と思ったが、カカロットの目に揶揄するような色は見えない。戸惑うベジータに、悟空が何かを投げ渡す。反射的に受け止めたそれは、小さな豆のようにしか見えなかった。

 

「ベジータ、ちょっと食ってみろ。そいつは仙豆っていって、一瞬で怪我が治るんだ」

「本当だろうな……?」

 

 とてつもなく怪しかったが、ここでおかしな真似をするくらいなら、ナッツを助けたりはしないだろう。仙豆を口にしたベジータが、目を見開いた。

 

「こ、これは!?」

 

 身体の傷が全て消え、体力も全快している。信じがたい効力に驚愕する彼を見て、カカロットが楽しそうに笑っている。それを腹立たしく思いながらも、彼は傷ついた娘の方を示して叫ぶ。

 

「おいカカロット! この薬はナッツの分もあるんだろうな!」

「大丈夫だ。地球からたくさん持って来て……あ、もう二つしかねえ!?」

「カカロットーーーー!!!!」

 

 胴着の襟首を掴まれ、がくがくと揺さぶられる悟空。彼は宇宙船での修行中に何度も瀕死になり、そのたびに仙豆で回復するという荒行を繰り返していた。後々使うかもしれないからと、細かい個数管理をしておく発想は彼にはない。良く言えば、その大らかさは悟空の長所であるのだが。

 

 どうすっかなーと、揺さぶられながら呟く彼に、悟飯とクリリンが提案する。

 

「お父さん! ボクは半分でいいから、残りをナッツに分けるよ」

「悟空、オレも半分でいいよ。オレ達が殺されずに済んだのも、あいつが頑張ってくれたおかげだしな」

 

 悟空は小さく驚いた。二人とも、ナッツの事を怖がっていた覚えがあるからだ。クリリンは今も、彼女の方から目を逸らして小さく震えてはいるが。

 

「おめえら、ずいぶんあの子と仲良くなったんだなあ」

 

 渡した仙豆を分けて口にする二人を見ながら、悟空はナメック星で彼らの間に何があったのか、知りたいと思った。何気なく、クリリンの頭に手を乗せる。

 

 

 悟空が意識を集中すると、クリリンの記憶が流れ込んできた。

 

 その中にいるナッツは、冷たい目をした少女だ。小さな子供の外見とは裏腹に、人を殺す事を何とも思っていない、恐ろしいサイヤ人。

 

(ああ、私の邪魔をするつもりなのね。あなた)

(さあ、どこに隠れているのかしら。出てこないと死ぬわよ?)

 

 二度も殺されかけた経験が、彼の心に深い傷を残していた。

 

 けど、同じサイヤ人の子供だからか、彼女は悟飯の事を気に入っていて、悟飯の方もまんざらではなさそうで。

 

(あなたの仲間でしょう? もっとしっかり守りなさいよ)

 

 ザーボンって奴の攻撃の流れ弾から、身体を張ってブルマさんを庇ってくれて。じたばたと暴れながらも、ブルマさんに押さえつけられて治療を受けていた光景が、信じられなかった。

 

(けどカカロットにも、その名前を付けた、お父様やお母様がいたのよ。それだけは忘れないで)

 

 話してみれば、親思いの良い子にしか見えなくて。彼女の事が、わからなくなってしまった。

 

(お礼に惑星を一つ、滅ぼしてあげるわ。今は尻尾が無いから、どこでもってわけにはいかないけど、それでも地球と同じくらいの星なら、私一人で滅ぼせるから、好きな星を言ってみて)

 

 受けた教育のせいか、サイヤ人の血のせいか、価値観や物の考え方が全く違う。けど少なくとも、悟飯やブルマさんには懐いているし、自分達や地球に手を出さないのなら、それでいいかと思った。

 

 

「悟空、どうしたんだ?」

 

 クリリンの声で、悟空は我に返る。気付けばほんの2.3秒しか経っていないようだった。いつの間にこんな能力が身に付いたのか、わからなかったが、まあ、気にしない事にした。

 

「ちょっと記憶を見せてもらった。あのナッツって子と、色々あったんだな。それに……」

 

 ふと悟空が、遠くを見るような顔になった。付き合いの長いクリリンも、初めて見る表情だった。

 

「オラにも、サイヤ人の父ちゃんと母ちゃんがいたんだな」

「悟空……」

 

 自分の親は、孫悟飯のじいちゃんだと思っていたけど、そういえば、いたのだ。どんな人達だったのかと思う。占いババ様のところに行けば、会わせてくれるかもしれなかったが、気掛かりな事があった。

 

 もしラディッツのような考えを持つサイヤ人だったら。サイヤ人らしくないという今の自分は、兄だけではなく、親からも拒絶されるのではないかと、それがとても怖かった。

 

 悟空はまだ知らない。ブルマによって回収されたラディッツのスカウター。その中に保存されていた画像には、悟空にそっくりなサイヤ人の男性と、その妻らしき、赤子を抱いた女性と、彼らを見上げる少年の姿が映っていたことに。

 

 見つけたブルマが、思わず微笑んでしまうほどに、彼らの表情は穏やかで。戦闘服を身に纏い、尻尾を持った彼らは、宇宙中で恐れられたサイヤ人でありながら、同時に、どこにでもある、幸せそうな家族のようだった。

 

 ブルマはすぐにそれを悟空に見せたいと思ったが、あの世で修業していたり、入院していたりで、なかなか機会が無く。その画像の存在を彼が知るのは、少し先の話になる。

 

 

 そして悟空は気持ちを切り替えるように笑みを浮かべながら、息子の頭に手を置いた。

 

「悟飯もあの子と何があったのか、気になるなあ」

「ちょ、ちょっと……!」

 

 なぜか顔を赤くして慌てる悟飯。構わず、意識を集中する。

 

 

 流れ込んできた悟飯の記憶の中で、ナッツはちょっと変わってるけど、真っ直ぐで可愛らしい女の子だった。

 

 初めて会った時、彼女は父親達と、地球を侵略に来ていた。自分と同じくらいの子供なのに、ピッコロさん達よりも強い気を持っていて、冷酷なその様子が、とても怖かったのを覚えている。

 

(ああ、そうだ。この中で月を消してくれたのは、誰かしら?)

(オレだ。貴様らを化け物にさせないためにやったが、どうやら正解だったようだな)

(正直ね。あなたは私の手で殺してあげる)

 

 今なら意味がわかる、ピッコロさんと彼女のやり取り。思わず割り込んだけど、本当に殺されてしまうと思った。

 

(何て事するの! 尻尾を切るなんて、可哀想じゃない!)

(ねえ、あなた。そんな奴の所なんかより、サイヤ人だったら、こっちに来てもいいのよ?)

 

 あの時のナッツは、それまでの雰囲気は何だったのかと思うほど、優しい目をしていた。それでも怖い子だと思っていたから、返事はしなかったけど。もしあそこで彼女の手を取っていたら、どうなっていたのだろうか。

 

(わ、私の名前はナッツ! サイヤ人の王子、ベジータ父様の娘よ!)

 

 彼女の名前を知ったのは、ピッコロさんが死んでしまった後の事で。その時見た風変わりなポーズが、とても印象に残っている。

 

(ねえ、悟飯。私、あなたがいいわ)

 

 上気した彼女の顔を思い出すたびに、どきどきしてしまう。これって凄く、恥ずかしい台詞ではないだろうか。

 

(私はあなたと戦いたいし、そうしてもっと強くなりたいの。ねえ、あなたもサイヤ人なら、この気持ち、少しはわかってくれるんじゃないかしら?)

(あなた、そんなに私と戦いたくないの……?)

 

 ナッツを泣かせてしまった時、とても悪い事をしてしまったと思うと同時に、あんなに怖かった彼女が、小さな子供みたいに見えて。

 

(……やるじゃない。やっぱり強いわね。悟飯。殺してしまうのが、勿体ないくらい)

 

 自分と戦っている時のナッツは、本当に嬉しそうで。痛かったし怖かったけど、少しだけ楽しかったのを覚えている。

 

(お前、母様を死に追いやったばかりか、その死を侮辱したわね)

 

 ナメック星でまた会った時、見た事もないような、凍えるような冷たい目をしていた。フリーザという奴のせいで、彼女の母親が死んでしまったと知った。

 

 ナッツはとても悲しい思いをして、傷付いていて。そんな顔をして欲しくない、笑った顔が見たいと、その時に自覚した。

 

(ツフル人を滅ぼして、宇宙船の技術を手に入れてからは、あちこちの星を滅ぼして、異星人に売って暮らしていたというわ)

(私達は、戦うのが好きなのよ。そしてそれ以外の事は、あんまり得意じゃなかったの)

 

 その後、二人きりになる機会があって、色々な話をした。サイヤ人達の話は、今でもちょっとどうかと思う。まあツフル人に奴隷みたいに扱われてたらしいから、力仕事とかは抵抗があったのかもしれないけど。

 

(地球で尻尾の痛みが取れて父様と合流した後、とっても怖い獣に襲われたのよ)

(左肩に食らい付かれて、骨まで噛み砕かれて、一時は腕も動かせなくなっちゃったの)

 

 酷い事をする化け物だと思ったけど、記憶が無かっただけで、ボク自身の事だった。痛そうな傷跡を残してしまった。ナッツは気にしてなさそうだったけど、いつか謝らないといけない。

 

(おいしい!! 何これ!?)

 

 ブルマさんの出した食事を、お父さんと同じくらいに、よく食べていた。こんな美味しいのは初めてだと、嬉しそうに何度も言っていて、その様子を見ているだけで、お腹いっぱいになってしまった。

 

(嫌よ。私はサイヤ人。今さら悟飯みたいに、いい子ちゃんになる気はないわ)

(年老いて戦えないあなたの代わりに、私がフリーザと戦って、あなたの無念を晴らしてあげる。だから、私に力を貸して)

 

 最長老様の前で、あくまでも自分は悪だと言い続けて、半ば取引するような形で、力を引き出してもらっていた。理解はできなかったけど、譲れない誇りを持っている、真っ直ぐな子なんだと思った。

 

(ギニュー特戦隊は、フリーザ軍のエリート部隊よ。最前線での戦いを何十年も続けてきて、落とした惑星は数知れず。あと多彩な芸とポーズを得意とするわ)

(尻尾が生えるこの時を、ずっと待ってたのよ……!!!)

 

 ナッツは彼らと知り合いみたいだったけど、それでも向こうは殺す気で、力の差も圧倒的で。もう駄目かと思った時、ナッツが見せた、大猿への変身。自分もああだったんだと、色々な事に納得がいった。

 

(しぶといハエが、まだ一匹生き残ってたみたいね。すぐに叩き潰してあげるわ)

 

 死闘の末に、立っていたのは彼女で。憎しみに突き動かされるまま、彼らを殺そうとしていたナッツの姿。まだ子供なのに、ああまで人を憎んでいるのが、見ていられないほどに、可哀想で。

 

 彼女の力になってあげたいと思った。いつかナッツがあんな顔をしないで済むように。だって、彼女はボクの初めての友達で。ボクは、あの子の事が。

 

 

「お父さん! 何を見てるの! 駄目だったら!」

 

 気が付くと真っ赤な顔の悟飯が、じたばたと手を振り払おうとしていた。

 

「悟飯、いい友達ができて良かったな」

「う、うん。どこまで見たの?」

「チチの奴にも紹介してみてえな。きっと喜んで、美味い物いっぱい作って歓迎してくれるに違いねえぞ」

 

 あいつの料理は世界一だからなと、父親はにっこり笑った。

 

 今から地球に戻った時の事を話す彼の様子は、あの強いギニューの事もフリーザの事も、まるで気にしていないようで。

 

 そんな父親の姿を見ていると、もう心配はいらないと、息子の方も思わず安堵してしまうのだった。けど結局、どこまで知られたんだろう?

 

 

「で、いつ結婚するんだ。おめえ達?」

 

 

 悟飯がぷるぷる震えて俯くと同時に、聞いてたベジータが真後ろに倒れた。すぐさま足の力のみで復帰し、猛烈な勢いで食って掛かる。

 

「カカロット!!!! 貴様! ナッツも悟飯もまだ子供だぞ! 常識をわきまえろ!」

 

 社会常識を説くサイヤ人の王子を前に、怒鳴られた悟空の方は、心底不思議そうな顔で言った。

 

「オラとチチの時は、子供の頃に一度会って約束して、次に会った時結婚したぞ?」

 

 他に例を知らない彼の中では、それが地球の一般的な結婚のパターンだった。それと比べると、悟飯は頭が良いだけあって、かなり丁寧に段階を踏んでいるのではないだろうか。

 

「地球人の風習はどうでもいい! オレは許さんからな!」

「ん? おめえの娘の方は、嫌がってるのか?」

「カカロットーーーーー!!!!!」

 

 胴着の襟首が再び掴まれ、伸びそうな勢いで揺さぶられる。嫌がるどころか、聞かれれば二つ返事でオッケーしそうな娘の姿を幻視した父親だったが、その現実を認めたくなかった。ナッツは宇宙一可愛いからこそ、いつかは嫁に行くのだろうとわかってはいたが、せめてあと十数年は早いだろう。しかしあちらの父親は大いに乗り気で、おそらく反対するのは彼一人だ。

 

 自らの不利を悟った父親が、露骨に話題を逸らす。

 

「そもそもあの仙豆とやらを! 何で最初にナッツに食わせなかった!」

「いや、確かに大怪我してるとは思ったけどよ。今のあいつ身体がデケえし」

 

 ナッツが作った月はまだ上空に輝いており、今も変身は解けておらず、全長おおよそ15メートルの大猿がこちらを見ている。 

 

「10粒くらい食わせねえと、効かねえんじゃないかと思ってよ。元に戻ってからの方がいいだろ?」

「……むう」

「というわけで、これがナッツの分な。後で食わせてやるんだぞ」

「うん、ありがとう。お父さん」

「待て! なぜ父親のオレに渡さない!?」

「いやまあ、悟飯が食わせた方が、喜ぶんじゃないかって……」

「カカロットーーーー!!!!!!」

 

 ぎゃーぎゃーと騒ぐ彼らの様子を、ギニューは難しい顔で見ていた。会話の内容はよく聞こえなかったが、重要なのは、ろくに動けないほどの重症を負っていたベジータ達が、あの男が近付いてから、あっという間に回復した事だ。

 

(今、奴は何をした? 怪我を治すような能力まであるのか?)

(父様が元気そうで良かったわ。悟飯が言ってた、仙豆って薬を飲んだのね)

 

 彼らの方をどこか嬉しそうに見ているナッツは、その光景を疑問に思っていないようだ。部下達と戦い、大きく傷ついた状態ですら、その戦闘力は4万を超えている。この娘まで回復されてしまっては、厄介だった。

 

「はあああああっ!!!」

『!?』

 

 不意打ち気味に、ナッツに向けてエネルギー波を放つ。大猿になっているとはいえ、満身創痍の今の彼女なら、一撃で殺せるだろう威力だが。

 

「危ねえ!!」

 

 一瞬で駆けつけ、割り込んだ悟空が、あっさりと弾き飛ばしていた。

 

 ギニューは歯噛みする。今の奴のスピードは、明らかに戦闘力18万どころではない。真の力はその何倍だというのか。

 

「おいおめえ! こんな小せえ子を殺そうとするなんて、何考えてんだ!」

『……カカロット。私は彼らと、殺し合いをしてたのだけど』

 

 どこか辛そうな彼女の言葉に、あっさりと悟空は答えた。

 

「? 別に、殺さなくてもいいんじゃねえか? 知り合いなんだろ?」

『……!』

 

 何を甘い事を、とギニューは思うが、その甘さを差し引いても、この目の前の男は 危険すぎる。フリーザ様に牙を剥く前に、ここで始末しなければならない。

 

 戦闘力が高いとはいえ、幸い一人だけなら無力化する手段はある。ボディチェンジ。自ら身体を傷付けた後、相手の身体を奪ってしまえばいい。

 

 格上相手にも通じる強力な技である反面、ネタが割れれば対処されやすいのが難点で、あまり大勢の前で使いたくはなかったが。

 

「おめえら、ドラゴンボールを取り戻しに行ってくれ! オラはこいつを懲らしめてから行く!」

 

 わざわざ一人になってくれるという、その言葉に、ギニューは内心でにやりと笑う。身体を入れ替えてしまうという常識外れの技に、初見で対応する事はまず不可能だ。ドラゴンボールも彼しか知らない場所に隠してあるから、見つかる心配は無い。

 

「カカロット! 殺しておけ! ギニュー隊長はフリーザの野郎の懐刀だ! 甘い考えで隙を見せれば、貴様でもどうなるかわからんぞ!」

「それでも、殺す事はねえだろうがよ!」

「……っ! 勝手にしやがれ!」

 

 敵でも殺したくないという、その甘い考えは気に食わなかったが、地球で死に掛けた娘を救ったのは、カカロットのその甘さだったから、父親は何も言えなくなった。

 

 そしてギニュー隊長の危険性を知っているのは、娘の方も同じ事で。

 

『カカロット! 父様の言うとおり、ギニュー隊長はフリーザ軍最強の戦士よ! 決して油断はしないで!』

 

 ナッツは昔の事を思い出していた。特戦隊の皆と会っても、ギニュー隊長はいつもすぐどこかへ行ってしまうから、話した事はないけれど。フリーザ軍のパーティで披露していたその見事なポーズは、幼かった彼女の瞳に焼き付いている。自分も真似したいと思ったほどに。

 

 殺しておくべきなのは、間違いないけれど。もしギニュー隊長が死んでしまったら、彼を慕っていた、あの優しいおじさん達が、とても悲しむだろうと思ったから。

 

『けど、殺すかどうかは、あなたの好きにしなさい!』

「おう! そうする!」

 

 満面の笑みで応える悟空。そしてナッツ達は彼とギニューを残して、ドラゴンボールがあると思しき、フリーザの宇宙船に向けて飛び立った。

 

 

 

 それから数分もしないうちに、飛んでいたナッツが、不意に高度を落とした。地面に片膝を突いて、苦しそうに喘ぐ。毛皮を濡らした血が滴り落ちる。

 

「ナッツ! 大丈夫!」

『このくらい平気よ、悟飯……』

 

 そう言いながらも、今や彼女の体力が限界に達しているのは、誰の目にも明らかだった。

 

「ナッツ! すぐにオレ達も使った薬を飲ませてやるから、変身を解け!」

「あの月を壊せばいいのか?」

 

 クリリンが人工の月に向けて気弾を放つが、命中してもすり抜けてしまうだけで、壊れる様子はない。

 

「あ、あれ?」

「オレ達の作った月は、自然に消えるまでは壊せん。最初から壊せるように作ったなら別だがな」

「じゃあ、どうするんだ? 尻尾を切ってやればいいのか?」

「馬鹿野郎!!! 貴様、尻尾を何だと思ってやがる! カカロットといい、サイヤ人の誇りを気軽に切りやがって!」

「だって危ないだろ……」

「下級戦士と一緒にするな!」

 

 その騒ぎに内心苦笑しながら、ナッツは目を閉じていた。要はブルーツ波の吸収を止めればいいのだ。もちろんちょっと目を瞑った程度で、変身が解けたりはしないのだけど。

 

『……ッ!』

 

 15秒を超えた頃、大猿の全身が震え出す。身体に残っていたブルーツ波が消費され、変身を維持できなくなりつつある。月を見なければという本能的な欲求が湧き上がるも、強靭な意志の力で耐え続ける。

 

『……ガ……あ……』

 

 唐突に、ナッツの身体から力が抜ける。真紅の瞳が色を失い、巨体がみるみるうちに縮んでいく。全身を覆っていた毛皮が薄くなり、傷だらけの素肌が露わとなる。獣の顔が、少女の面影を取り戻していく。

 

 そして人間の姿に戻ると同時に、崩れ落ちる少女を、父親が抱き留め、その凄惨な姿に、唇を噛み締める。

 

 無数の傷を負い、出血で赤く染まったナッツが、痛みに全身を震わせながら小さく声を上げている。半壊した戦闘服とアンダースーツが、受けた攻撃の激しさを物語るかのようだった。

 

 体力の尽きかけたまま大猿化し、激しい戦闘でさらにダメージを負った結果だ。サイヤ人の生命力が、かろうじて少女の命を繋いでいたが、いつ死んでしまっても、おかしくない状態だった。

 

 すぐさま駆け寄った悟飯が、開かれた少女の口に、仙豆を押し入れる。

 

「食べて! ナッツ!」

 

 反応がない。食べる力すら残っていない事を悟った悟飯は、無理矢理喉に押し込んだ。

 

 ナッツの喉が、小さく動く。そして生気を失っていた少女の身体が、勢いよく起き上がった。

 

 信じがたい現象に驚愕しながら、ナッツは自らの身体を確認する。あれだけの負傷も痛みも一瞬で消えており、失われた体力まで全快していた。

 

「な、治ったわ!?」

 

 死の淵から復活した影響か、戦闘力も大きく上昇している。体感で2万を超えている、自らの成長を喜ぶ暇もなく、少女の身体を、少年が固く抱き締める。

 

「ご、悟飯!?」

「良かった……!」

 

 涙ぐむ声。情けないサイヤ人ねと思いながらも、心配された事に、嬉しくなって微笑んだ。

 

「もう。大げさよ、悟飯。この程度で、私は死なないわ」

「う、うん。でも、本当に、君が無事で良かった……」

 

 身体を離し、お互いの瞳を見つめ合う。少し照れくさくなりながらも、二人とも目を逸らせず、心臓の音だけが、流れる時間を告げていく。

 

 その雰囲気に割り込むかのように、ひょい、とナッツの身体が持ち上がる。

 

「あ、父様……」

 

 小さな娘の身体を、大切なもののようにかき抱く。悟飯とクリリンが驚くほどに、優しい声で父親は言った。

 

「疲れただろう。少し寝ていろ、ナッツ」

「……はい、父様」

 

 体力はすっかり回復していたけれど、確かに少し、休みたい気分だった。

 

 温かいその胸に、少女は猫が甘えるように、頭を擦り付ける。生えたばかりの尻尾を、父親の腕に巻き付ける。

 

 その体温を感じながら、やがて意識が微睡んできて、ナッツは眠りについた。力の抜けた、年相応の寝顔だった。

 

「よくやったな」

 

 起こさないよう、小さく呟く。そして静かに、彼らは再び飛び立った。




 楽しい話を書こうと思いました。前回のように重くてシリアスな話は好きなんですけど、読んでて疲れると自分でも思いましたので。

 というわけで、次回も大体同じような雰囲気の話です。ギニュー隊長が色々頑張ります。遅くなるかもしれませんが、気長にお待ちくださいませ。

 それと、お気に入りに登録して下さってる方々、ありがとうございます。とうとう600を超えて嬉しく思っております。何かいつの間にか評価バーも赤くて長くなっていて、それなりに良いと思ってもらえる作品を書けているんだなあと、一人テンションを上げております。

 本編はフリーザ様と決着をつけるまでですので、あと10話かそこらくらいの予定です。長い話ですが、どうか最後まで、お付き合い頂ければ幸いです。


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16.彼女が未来を夢見る話

 かつて惑星フリーザと呼ばれていた星は、今やサイヤ人達の占拠下にあった。

 

 無数の星々が輝く夜空の下、1000人を超える戦士達が整列し、真剣な面持ちで、彼らの指揮官を見上げている。

 

 高台から彼らを見下ろすのは、王族の紋章が刻まれた黒い戦闘服を身に纏い、尻尾を腰に巻いたサイヤ人の少女。その背丈は父親に迫るほどに成長し、戦闘服の上からでもはっきりとわかるスタイルの良さを持ちながらも、整った顔に得意げな表情を浮かべているその様は、大人というにはまだ少し早く。

 

 サイヤ人特有の、ボリュームのある長い黒髪と、夜のような黒い瞳を持つ彼女は、見える星々の全てを掴み取るかのように両腕を広げ、凛とした声で宣言する。

 

「行きなさい!! この宇宙を私達サイヤ人の物にするのよ!!」

 

 同時、眼下の戦士達から、大歓声が巻き起こる。数十年ぶりにフリーザ軍の支配から解放された彼らは、思い思いに拳を突き上げ、歓喜の声を上げていた。

 

「ナッツ様万歳!」

「ベジータ王万歳!」

 

 彼らは次々にポッドに乗り込み、大気を裂く射出音と共に飛び立って行く。それらはまるで、地上から宇宙を目指す、いくつもの流星のようで。

 

 自ら率いる遠征部隊の勇姿を、17歳になったナッツは満足げに眺めていた。計画は順調だ。まずフリーザ軍の前線基地を潰し、そこから数十個の惑星を電撃的に攻略する。この分なら、惑星ベジータで待つ父様と母様に、きっと良い戦果を報告できるだろう。 

 

 そして自身も、専用のポッドへと歩き出す。座って報告を待つのは、性に合わなかった。部隊の長である彼女は、自ら前線で戦い、誰よりも戦果を上げなければならない。それがサイヤ人のやり方だ。

 

 親衛隊のエリート戦士達が、左右に割れて道を作り、敬礼する。赤いマントを靡かせながら、彼らの間をゆっくりと歩く。

 

 目指す先の惑星は決まっていた。かつて自分と父親が侵略に失敗した、この宇宙でも有数の強大な戦士達が集う星。ナッツの口元が獰猛に歪む。

 

「今度こそ、地球を私のものにしてあげるわ。楽しみにしてなさい、悟飯」

 

 その時、彼女の前に一人の男が立ち塞がった。黒目黒髪で長身の男は、眼光鋭くナッツを睨み付ける。目が合った瞬間、彼女は彼の正体に気付き、一瞬唖然とした後、ぱあっと輝くような笑顔になった。

 

 冷酷なサイヤ人の女性指揮官としての雰囲気は、あっという間に霧散して。その様はまるで懐かしい友人と再会した、子供のようだった。  

 

「な、何だ貴様は!」

 

 突然の敵襲と一変した指揮官の様子に戸惑いながらも、不埒な乱入者を始末すべく、周囲のエリート戦士達が、四方八方から襲い掛かる。男は交差した両腕を広げ、自らの気を解放する。

 

「はああああっ!!!!」

 

 それだけの動作で男を中心に嵐のような暴風が吹き荒れ、襲い掛かった戦士達が悲鳴を上げながら吹き飛ばされる。残りの戦士達は驚愕するも、思わぬ強敵を前に、むしろその戦意を滾らせる。男に向けて思い思いに挑みかからんとした瞬間。

 

「止めなさい! あなた達の敵う相手じゃないわ!」

 

 指揮官の声が、彼らの動きを止めていた。名残惜しそうにしながらも、ナッツが一睨みするとその身を震わせ、粛々と命令に従った。

 

 前に出たナッツは、男と向かい合って微笑んだ。最後に会ったのは、何年前になるだろうか。昔は私の方が、少しだけ背が高かったけど、今はもうすっかり追い越されている。目の前の彼は別人のように逞しく成長していたけれど、父様や母様と同じように、感じているだけで穏やかになるような、その心地良い気配を忘れるなど有り得なかった。

 

「久しぶりね、悟飯。フリーザと戦った、あの時以来かしら。私に会いに来てくれたの?」

「そうだよ。言ったよね。君が悪い事をしたら、ボクが止めるって。こんな事、もう止めようよ」

「どうして? 私はサイヤ人の王族よ。宇宙で父様の次に強いんだから、私よりも弱い奴らを、力でねじ伏せて、好きなようにする権利があるの」

 

 そこでナッツは、悟飯に向けて手を差し伸べ、真剣な面持ちで言った。

 

「あなたこそサイヤ人として、私の下で働く気はない? 私に用意できる物なら、何でも欲しい物をあげるわ」

 

 たとえ自分の支配下にある星々の全てを差し出しても、彼が来てくれるのなら、全く惜しくはなかった。それでも、悟飯は悲しそうな顔で首を振った。

 

「違うよ。そういうのじゃないんだ。君は頭が良いから、わかるよね」

「わからないわ。嫌だって言うのなら、ここであなたを倒して、そのまま地球を滅ぼしてあげる」

 

 彼の言いたい事は、わからないでもなかったが、それは優しい地球人の理屈だった。サイヤ人の王族である私は、この宇宙に自分達の名を轟かせたいという思いと、戦いたいという欲求に逆らえない。

 

 すると驚くべき事に、悟飯が黒いオーラに包まれ、その顔が見た事もない、他人を見下すような、嗜虐的な笑みへと変化する。

 

「じゃあわかるように、たっぷりと痛めつけてあげないと」

「……っ!?」

 

 まるで凶悪なサイヤ人のようなその変化に、ナッツは背筋がぞくぞくするのを感じた。まずい。すごい。あの悟飯が、こんな悪そうな顔をするなんて。

 

 顔が熱くなって、わけがわからなくなりながらも、彼女はこみ上げる歓喜のままに叫ぶ。

 

「誰も手を出さないで!! そいつは私の獲物よ!!」

 

 そうだ。誰にも渡すものか。あなたと戦いたい。殺すのも、殺されるのも、あなたがいい。だからあなたも、私だけを見て。

 

 無邪気な子供のように、誰かを想う乙女のように、そして宿敵に挑む戦士のように笑いながら、ナッツは悟飯との距離を詰める。二人の拳が激突し、凄まじい衝撃が周囲の全てを吹き飛ばし、そして。

 

 

 

「……悟飯」

 

 腕の中で穏やかに眠る娘の寝言を聞いた父親は、この世の終わりのような表情になった。同じく寝言を聞いて顔を赤くする悟飯を、怒りに震えながら睨み付ける。

 

「……父様?」

 

 その振動で目が覚めたのか、娘が目をこすりながら父親を見る。彼は一瞬で表情を優しいものへと忙しく変え、娘の頭を撫でながら言った。

 

「もう起きたのか、ナッツ。疲れは取れたか?」

「はい、父様」

 

 何だか良い夢を見ていた気がする。確か悟飯が、とても格好良かったような。

 

「大丈夫?」

 

 当の少年が自分を覗き込んでいる事に気付き、少女は顔が熱くなるのを感じた。あんな夢を見たせいか、妙に意識してしまう。その様子を見た父親が額に青筋を浮かべて悟飯を睨み付けるが、娘は気付かず、覚醒していく意識の中で、現状を思い返していた。

 

 自分達は今、奪われたドラゴンボールを取り戻すため、フリーザの宇宙船へと向かっている。フリーザの気配は宇宙船から離れていて、すぐ戻ってくる心配はない。

 

 ギニュー特戦隊の4人は自分のせいで大怪我をしていたけど、逃げて行ったから死ぬ事はないだろうし、ギニュー隊長もカカロットなら、殺さずに追い返してくれるだろう。

 

 サイヤ人らしい考えではないと自覚しながらも、敵であった彼らが生き残る事を、ナッツは嬉しいと感じていた。

 

(そうよ。悪いのはフリーザなんだから、たとえフリーザ軍でも、私に優しくしてくれた人達まで、殺す事はないわ)

 

 そして少女は、昔会った人々の事を思い出す。フリーザ軍の医師、ポッドの整備員達、食料や戦闘服を売る職員達。皆、優しかったし、母様が死んでしまった後も、それは変わらなかった。私の方が、目を閉ざしていただけで。

 

 父様だけでなく、ナッパもラディッツも、心配してくれていた。私はずっと、色々な人達から想われていたのだ。母様がいないのは寂しいけど、強くて格好良い父様がいて、大事な友達の悟飯や、私に優しくしてくれたブルマもいる。

 

 とても幸せだと感じて、少女は顔を綻ばせる。こんなにすっきりした気持ちになるのは、いつ以来の事だろう。久しぶりに変身して、大暴れしたおかげだろうか。

 

「父様、もう一人で飛べますから、大丈夫です」

「そうか、無理はするなよ」

 

 腕から抜け出し、ちょっと力を入れてみると、自分でも驚くほどのスピードで飛行できた。ナッツは嬉しそうに、父親達の周りを飛び回る。死の淵から復活したおかげで、戦闘力も遥かに増加した今、身体を動かしているだけで爽快な気分になれた。

 

(今、大体2万くらいかしら。今の私の戦闘力なら、ギニュー隊長にも勝てるかもしれないわね)

 

 大猿の姿で、小さくて強い相手と戦うにはコツが必要と知ったが、さっきの戦いでそれは学んだ。もう一度彼らと、隊長も含めて、殺すとかは無しで、遊んでみたいと思った。

 

 そこで少女は一つだけ、気掛かりな事に気付く。大猿になった自分を見上げる少年の、怯えたような顔。ナッツは何気ない風を装って、彼に問いかける。

 

「ところで悟飯。さっき変身した時の私、その、どうだった?」

「え、えっと……」

 

 どうしよう、これ何て返せば良いのかと、難しい質問に、悟飯の顔に汗が浮かぶ。怖くないから大丈夫、とか、見慣れると意外と可愛かった、とか?

 

(クリリンさん、助けて下さい!)

 

 助けを求めるように、アイコンタクトを送るも。

 

(す、すまない悟飯。オレ正直、女の子の気持ちとかさっぱりわからない……!)

 

 小声で返され、クリリンさん早くいい人見つかると良いですね……! と思いつつ、少年は次にベジータをちらちら見る。

 

(ベジータさん、助けて下さい!)

 

 父親は笑顔で親指を上げると、その指で首を掻っ切る仕草をして見せた。選択肢を間違えて地獄に落ちてしまえという大人げない死刑宣告だ。彼は娘の望む答えを知っていたが、当然教えてやるつもりはなかった。

 

「悟飯……?」

 

 彼を見つめるナッツの目が、だんだんと不安そうな色を帯びる。やっぱり怖かったのだろうか。悟飯の前で、少しやり過ぎてしまったかもしれない。

 

 そんな彼女の様子におたおたする悟飯。父親は娘のために泣いていた彼の姿を思い出し、小さく舌打ちして、少年の耳に囁いた。

 

(強くて格好良いと言ってやれ)

 

「凄く強かった! 格好良かった!」

「! そうよ! わかってるじゃない!」

 

 ナッツの顔が、ぱあっと輝いた。人間の価値とは戦闘力だと常々思っているサイヤ人の少女にとって、それは何より言って欲しかった褒め言葉だった。嬉しさのあまり、尻尾がぱたぱたと揺れてしまう。

 

「大猿になったサイヤ人は、戦闘力が10倍になるのよ。それに身体が大きくなる分、攻撃の規模も大きくなるわ。ちょっとした星なら、1日で滅ぼせるんだから」

 

 惑星を滅ぼすのは、フリーザ軍にとっても大仕事で、大勢の兵士や兵器を投入した上で、小さな星で数週間、長ければ数ヶ月、抵抗次第では数年を要する事すらある。その間に消費する食料や弾薬などの調達や運搬に掛かる費用も馬鹿にならない。

 

 ギニュー特戦隊のような例外を除けばそれが普通であり、身体一つで、しかも短時間で惑星を滅ぼせる自分達サイヤ人は、特別な存在なのよと少女は誇らしげに胸を張る。その話に微妙な顔をしているクリリンには気付いていない。

 

「悟飯、あなたもまた尻尾が生えたら、変身しても理性を保てるように私が訓練してあげる。そしたらまた戦いましょう?」

 

 その日が楽しみねと、ナッツが笑顔を見せるも、少年の方は浮かない様子で。

 

「どうしたの、悟飯? ああ、下級戦士には理性を保つなんて無理だって思ってる? 大丈夫よ。あなたならきっとすぐできるわ」

 

 だって私を殺そうとしていたし。そう少女は考える。地球で私の尻尾を切って、人間の姿に戻った所を踏み潰そうとしていた、あの時の悟飯からは、父親を殺しかけた私への怒りが感じられた。そもそも的確に尻尾を狙っていたし、うっすらとでも、意識はあったはずだ。

 

 あれなら少しコツを教えてあげるだけで、すぐに理性を保てるようになって、あの時よりも良い勝負ができるに違いないと、ナッツはわくわくした気持ちになった。

 

「ごめんなさい……!」

 

 だから俯いて震える少年の謝罪は、彼女にとって完全に予想外のもので。

 

「? 何で謝るの? 言ったでしょう。変身したあなたとの戦いは本当に楽しかったのよ。むしろ私がお礼を言いたいくらいなのに」

 

 変な子から変な子を見る目で見つめられ、ショックを受ける悟飯。

 

「だ、だって! その肩の傷は、ボクがやったんだよね? 凄く痛かっただろうし、そんな酷い傷を残してしまって……」

「そんな事を気にしてたら、戦いなんてできないわ。噛まれた時は確かに痛かったけど、あなたが殺す気で来てくれて、凄くどきどきしたんだから。この傷はその時の記念として、一生残そうと思っているのよ」

「駄目だよ、そんな……。君が良くても、ボクは嫌だ。君のお父さんも、きっとそう思ってる」

 

 この程度の事を、本気で気にしているらしい悟飯を見て、ナッツは情けないと思うと同時に、微笑ましい気持ちになった。強いくせに、優しいんだから。本当に、もう、仕方がないわね。

 

 ナッツは少し、照れたような様子で、左肩の傷に触れながら言った。

 

「あなたがそこまで気にするのなら、この傷は消そうと思うわ。お医者様に頼めば、すぐ消せるらしいし」

 

 少女の言葉に、父親が小さくガッツポーズを取る。地獄から見ていたザーボンも同時に同じポーズを取って隣のドドリアに呆れられていたが、それはまた別の話だ。

 

「ほ、本当にいいの? さっき大事な記念だって……」

「そうよ。だからその分、もっと良い思い出が作れるよう、何十回でも、何百回でも、この先ずっと私と戦ってくれればいいの。期待してるわよ、悟飯」

 

 とびっきりの微笑みに、赤くなった少年が頷いて、父親がぐぬぬと拳を振るわせる。そのやり取りを見ていたクリリンが小さく笑う。

 

 どこまでも明るいナメック星の空の下、ここにはとても心地良い温かさを感じられて。

 

 ああ、母様、私は本当に幸せですと、少女は改めて思った。

 

 

 

 

 ドラゴンボールを取り戻しに向かうナッツ達から、やや離れた場所。バータによって運ばれた特戦隊の3人は意識を取り戻し、呼び寄せたポッドから取り出した医薬品や包帯等で、一通りの応急手当を終えていた。

 

 戦闘力は全員半分以下に落ちており、メディカルマシーンでの治療を要する状態だが、この程度の負傷でいつまでも倒れていては、ギニュー特戦隊は務まらない。

 

 彼らは軽口や笑い声を発するでもなく、一様に押し黙っていた。ナッツが彼らを殺すのを躊躇った事が、バータの口から伝えられた結果だった。

 

 今頃、あの子はギニュー隊長に殺されているだろう。当然任務なのだから、自分達が殺すつもりではあったが。それでもバータの話を聞いて思い出したのは、彼らと話して、楽しそうに笑っていた少女の顔で。

 

 当のナッツが今現在、幸せを噛み締めている事など知るはずもなく。重苦しい雰囲気の中、誰かが口を開こうとしたところで、彼らの目の前に、空からどさりと、何者かが地面に落下した。

 

 反射的に身構えた彼らが、倒れたその姿を見て驚愕する。敬愛するギニュー隊長が、貫かれた腹部から血を流し、苦しげに呻いていた。

 

「ギ、ギニュー隊長!?」

「隊長! しっかりしてください!」

「馬鹿な!? ギニュー隊長がやられるなんて!?」

「誰だ! こんな真似をしやがったのは!」

 

 リクーム、バータ、ジース、グルドがそれぞれ叫ぶ中、彼らの前に、オレンジ色の胴着を着た男が降り立った。隊長から奪ったと思しきスカウターを装着したその男は、彼らの様子を見ながら、不気味な笑みを浮かべている。

 

 予備の戦闘服に着替えたリクームが、怒りに拳を震わせて告げる。

 

「答えろ! 貴様がギニュー隊長をやったのか?」

「くっくっく……そうだと言ったらどうする?」

「殺す!!」

 

 なおも含み笑いを止めない男に向けて、リクームは決死の覚悟で挑みかかった。




 時間軸の都合で本編では出せない大人ver.のナッツが書きたかったのです。
 もっと書きたいので本編後の番外編を今から一本予定してます。

 前の後書きでギニュー隊長が頑張るって書いたんですが、唐突にシーンが伸びましたので本格的な出番は次の話からです。
 更新は少し遅れるかもしれませんが、気長にお待ちくださいませ。


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17.彼女の影で、彼らが色々目論む話

 自らへ挑みかかるリクームを見て、オレンジ色の胴着の男は不敵に笑った。

 

「ほう、来るか? 良いだろう。戦闘力18万を超えるパワーを試させてもらうとするか」

「せ、戦闘力18万だと!?」

 

 悲鳴のように、ジースが叫ぶ。到底信じられない数値だが、事実、目の前の男はギニュー隊長を無傷で倒している。自信に満ちた態度とも相まって、その言葉を疑う理由は無かった。

 

「止めろリクーム! 殺されるぞ!」

 

 グルドの制止に、リクームは欠けた歯で笑って言った。

 

「それでもこの野郎に一発入れてやる! 隊長の事は頼んだぜ!」

「リクーム! 駄目だあああ!!!」

 

 バータの顔が悲痛に歪む。謎の男はにやついたまま、迫るリクームの拳を避ける素振りすら見せない。

 

「うおおおお!!!!!」

 

 リクームは残された力を振り絞り、全身全霊の拳を叩き込む。その場の誰も、リクーム自身ですら効かないと確信していたが。

 

 

「ふっ、その程度の攻撃などおおお!?」

 

 余裕ぶった台詞の途中で拳を食らった男はあっさり吹き飛び、地面に倒れた。

 

 

「……えっ」

「……えっ」

 

 あまりに予想外の展開に、殴ったリクームも殴られた男も唖然とし、その場の全員が硬直する。

 

 しばし気まずい沈黙が流れた後、いち早く立ち直ったリクームが叫ぶ。

 

「こいつ思ったより弱いぞ!!」

 

 その言葉に、残りの3人もリクームに続く。

 

「やっちまえ!」

「ギニュー隊長の仇だ!」

「こいつ! 脅かしやがって!」

「ま、待てお前ら……ぐああああ!?」

 

 4人がかりで足蹴にされ、悟空と身体を入れ替えたギニューは混乱する。新しい身体の慣らしも兼ねて軽くあしらってやった後、正体をバラして大笑いする予定だったのだが。 

 

(バ、バカな! この身体は戦闘力18万以上のはず……! なぜ力を発揮できんのだ……!?)

 

 ボディチェンジ能力は彼の切り札だったが、悟空の身体の場合、その強さは気のコントロールや界王拳といった技術に依存する割合が高く、身体に不慣れな事もあり、現在のギニューの戦闘力は23000程度に止まっていた。

 

 奪った身体の力を使いこなせるとは限らないという欠点に、能力を多用していればどこかの時点で気付けていただろうが、そもそもフリーザ軍最強である彼より戦闘力の高い敵に遭遇する機会など、今まで無かったのだから仕方ない。

 

「おい、待ておめえら!」 

「ギニュー隊長!」

 

 ふらつきながらも起き上がった悟空の声に、4人の手が止まる。敵とはいえ、4体1で、しかも勘違いで痛めつけられているギニューの姿を見かねた彼が叫ぶ。

 

「よく聞け! オラは孫悟空で、そいつがそのギニュー隊長なんだ!」

 

 ギニュー隊長の声と姿で、悟空はそう叫んだ。一瞬の沈黙の後、絶叫する隊員達。

 

「ギニュー隊長が錯乱してしまったーーー!!!???」

「あ、あれ?」

 

 困惑する悟空を他所に、ますますヒートアップする隊員達。

 

「貴様のせいで!!!」

「ぐはっ!!」

 

 バータのドロップキックが炸裂し、吹っ飛ぶギニュー。起き上がろうとするが、重りでも載せられたように足が動かない。念動力による干渉だと気付いた彼がグルドの方を見ると、無数の岩石や先の尖った樹木が浮かび上がり、彼に狙いを定めていた。

 

「ジース! お前も合わせろ! クラッシャーボールだ!」

 

 いつになく殺意の高いグルドを前に、ギニューの額に汗が浮かぶ。

 

(怒ってくれるのは嬉しいが、流石にそれはシャレにならん!)

 

「止めろグルド! オレはこいつと入れ替わったギニューだ! 悪かった! ちょっとしたおふざけのつもりだったんだ!」

「ふざけるな! そんな嘘で騙されるか!」

 

 頭に血が上ったグルドの横で、その言葉を聞いたジースは、何かを思い出そうとしていた。

 

「ちょっと待てグルド。隊長が昔、何か言っていた気がするんだ……」

 

 ギニュー隊長の切り札だという、とある能力。一度聞いたきりで使う所を見た事がないので、何かの冗談だと思ってすっかり忘れていたが。

 

 その隙に、ギニューは自らの念動力でグルドの能力に干渉し、拘束を逃れる。

 

「あっ、こいつ!」

「ええい! これでもまだわからんか!」

 

 そしてそのまま、彼は片膝を突き、両腕をそれぞれ斜め下に伸ばす。間違えようも無いそのポーズを目の当たりにした特戦隊の4人に、電撃のような衝撃が走った。

 

「あ、あああ……!!!」

「なっ……何だと!?」

「そんな!? なぜあいつが!」

「あ、あれは間違いなく、ギニュー隊長のファイティングポーズ!!」

 

 両足の位置や体幹のバランス、腕の角度に至るまで全てが完璧だった。そして何より、形だけでは決して真似できるはずのない、内側から滲み出る堂々とした威風があった。そのポーズが魂に染み付いているとしか思えない、完璧な練度。そんな事のできる人間は、この宇宙でギニュー隊長以外に存在しない。

 

 気が付けば、身体が勝手に動いていた。隊長の周囲に集まり、揃ってファイティングポーズを取る4人。

 

 

「「「「「みんな揃って、ギニュー特戦隊!!!!!」」」」」

 

 

 5人の心が一つになった、完璧なポーズだった。

 

「隊長おおおお!!!」

「申し訳ありません!!!」

「いや、オレの方も悪かった!!!」

 

 ひし、と抱き合って泣く彼らに向けて、あっはっは、と明るく呑気な笑い声が響く。ギニュー隊長の姿をした悟空だった。

 

「おめえら、面白え奴らだなあ」

 

 その笑い声に揶揄するような色は無かったが、彼らは無性に恥ずかしくなってしまい、赤面しながら悟空を怒鳴り付けた。

 

「うるさい! 見せ物じゃないぞ!」

「隊長の身体で間抜け面して笑うんじゃない!」

「別に照れなくてもいいじゃねえかよ。そのポーズ凄え練習したんだろ? 結構格好良かったぞ。地球でやっても、かなり受けるんじゃねえかなあ」

「そ、そうかな……」

 

 悟空の感性はどちらかと言えば子供っぽいのだが、それだけに純粋な心からの賞賛に彼らは悪い気はせず、再度顔を赤らめるのだった。

 

 

 それからギニューは部下達に事情を説明した。ベジータ達を追い詰めた際、強大な力を持つ謎のサイヤ人が現れ、正面からでは勝てそうになく、自ら重傷を負った上で身体を入れ替えたこと。横で聞いていた悟空が頷く。

 

「こいつがいきなり自分を傷付けた時には驚えたぞ。まさか身体を入れ替えるなんて思ってなかったからな」

「いや、お前には聞いてないからな?」

 

 律儀に突っ込むバータと悟空とのやり取りに苦笑しながら、ジースが隊長に問う。

 

「隊長、どうしてこいつを殺さずに連れて来たんです? まあ、結果的には良かったですけど……」

 

 戦闘力18万以上という男の身体だったが、ギニューが使っている今、スカウターに表示される戦闘力は23000程度に過ぎない。これなら元の身体に戻った方が強いだろう。苦々しい顔で、ギニューが応える。

 

「聞いておきたい事があったのだ。こいつの身体がこうも扱いづらいとは予想外だったがな……」

 

 サイヤ人という存在は危険すぎると、ギニューは改めて感じていた。戦う度にその戦闘力を増し続けるだけでなく、自ら月を作り上げ、戦闘力を10倍に高める大猿への変身能力まで持っている。まだ子供のベジータの娘ですら、部下達が束で挑んでも返り討ちにしてのけたのだ。

 

 それでも惑星ベジータは既に滅び、生き残ったわずかなサイヤ人達もフリーザ軍の下で管理できていたが、ここにきて強大な未知のサイヤ人が現れたのだ。地球から来たという、孫悟空という男。サイヤ人らしい名前ではないから、おそらく芸名か何かで、本名は別にあるのだろう。

 

 この男は何とか無力化できたが、他にもフリーザ軍が把握していないサイヤ人がいて、密かに力をつけている可能性もある。それを思うと、少しでも情報を得ておきたかった。

 

 そこでスカウターを操作していたリクームが手を上げ、質問する。

 

「ナッツちゃ……あいつらの反応はフリーザ様の宇宙船の方に向かってますが、ドラゴンボールは大丈夫ですかね?」

「心配するな。宇宙船から離れた場所に埋めておいた。知らなければ絶対に見つけられんはずだ」

 

 

 ちょうどその頃、フリーザの宇宙船の近くで。

 

 ナッツは悟飯が取り出した液晶付きの丸い機械を、不思議そうな顔で眺めていた。

 

「何それ、時計?」

「違うよ。これはドラゴンレーダーって言って、ドラゴンボールの場所を示してくれるんだ」

「すごーい!」

 

 ぱたぱたと尻尾を振りながら、少女が感嘆する。液晶に表示された7つの反応は、宇宙船からやや離れた場所にあった。それを見たベジータが面白くなさそうな顔になる。

 

「ギニューの奴め。しっかり用心して隠してやがったな」

「早く行きましょう、父様!」

 

 嬉しそうに父親の手を引いて、娘は飛んで行った。悟飯とクリリンもその後に続く。

 

 

 そして再び、ギニュー達のいる場所で。

 

 悟空とギニューが岩に腰掛け、向かい合っていた。逃げ出したり暴れたりしないよう、悟空の周囲は特戦隊の4人が固めている。また悟空の腹部の傷は、隊長が後で戻るからと応急処置を施され、包帯が巻かれていた。

 

 そして情報を聞き出すべく、ギニューが問い掛ける。

 

「まず、貴様は何のために現れた? 目的はフリーザ様への復讐か?」

 

 問われた悟空は、ギニュー隊長の顔できょとんとした顔になった。周囲の4人が思わず吹き出しかけてしまうほど、レアな表情だった。

 

 だが今は任務中でここはシリアスな場面なのだと、各々が気持ちを引き締めたところで、悟空がさらに爆弾を投下する。

 

「そもそも、フリーザってどんな奴なんだ? オラそいつの事、よく知らねえんだけど」

「知らねえで来たのかよ!?」

「グルド、ちょっと静かにしろ」

 

 耐えきれず突っ込んでしまった部下を諌めるギニュー。確かになかなかのジョークだったが、フリーザ軍で披露するにはネタが不謹慎である上に、今は任務の最中だ。

 

 しかしとぼけているのか。フリーザ様を知らない人間なんて、いるはずがないだろうに。ましてやこいつはサイヤ人で、惑星ベジータを滅ぼしたフリーザ様には恨みがあるはずだ。

 

 だが目の前の男はどこまでも本気っぽい無知オーラを放っている。自分の身体にそんな顔ができる事を、ギニューは初めて知った。一生知りたくなかったが。

 

「貴様! フリーザ様を知らんというのか! この宇宙の支配者だぞ!」

「地球じゃ聞いた事がねえなあ。偉い人なのか? あの王様みてえに」

 

 この時悟空が想像していたのは、地球にいた喋る犬の国王だが、ギニューはまた違う意味で受け取った。

 

「ベジータ王のことか? まさか貴様、王に仕えていたエリート戦士達の生き残りか!」

 

 何か息子が辺境の惑星に送られて助けに行ったら宇宙船が故障して帰れなくなったとか、そんな感じなのか? 最終的にその子供が伝説の超サイヤ人になったりするのか?

 

 色々想像してわなわなと打ち震えるギニュー。その時、悟空がぽんと手を叩いて言った。

 

「思い出した! フリーザって、ナッツの母ちゃんを殺した奴だな!」

 

 次の瞬間、話を聞いていた4人がお通夜のような表情になった。

 

「? どうしておめえらが落ち込むんだ? フリーザって奴の仲間なんだろ?」

「色々あるんだよ……」

 

 死んだ目で呟くバータに、悟空がしみじみとした様子で言った。

 

「おめえらも大変なんだなあ」

「大変だぜ。いっつも一番厄介な星に送られるしよ」

「まあ、オレ達はエリート部隊だからな。バータ、これが終わったら休暇取れよ」

「ヤードラット攻めが終わったらな……」

 

 あいつら瞬間移動とか反則だろ……とグルドに慰められながら愚痴るバータを見て、悟空が気の毒そうな顔になった。

 

「そんなに大変なら、畑仕事くらいなら紹介してやれるぞ?」

 

 麦わら帽子を被ってクワを振っている自分達を想像し、バータが苦笑する。引退した後なら悪くないかもしれないが。

 

「いや、辞める気までは無いんだ。何だかんだで自由な職場で、戦いばかりの仕事もオレ達に合ってる」

 

 両隣のジースとリクームも、それぞれ頷いた。

 

「そうそう。大変な分、給料は物凄く良いからな」

「最新の戦闘服が支給されて、怪我してもすぐメディカルマシーンで治してもらえる職場なんて他にないぜ」

「うむ。それに手柄を挙げれば、ボーナスで星がもらえるのだ」

 

 高値で売り払うもよし、開発して収益を上げるもよしだ。ギニュー自身もそれで手に入れた環境の良い星に別荘を建てて、特戦隊の保養地として利用している。去年は海水浴にスイカ割りとバーベキューが大好評だったが、今年は何が良いだろうか。

 

「……と、話が逸れたな。次の質問だ。地球にはお前の他にもサイヤ人はいるのか?」

「オラの息子の悟飯ってのがいるぞ。ナッツの奴と同じくれえの歳で、さっきおめえらも会ったはずだ」

 

 リクームは思い出す。ベジータに止めを刺そうとしていた自分を不意打ちして、攻撃を中断させた少年の姿。確かに黒目黒髪で、尻尾こそ持ってはいなかったが。

 

「あいつ……サイヤ人だったのかよ。道理でなかなか強かったわけだ」

「だろ? 少し見ない間に凄え強くなってて、オラも驚いた」

「子供の成長は早いよなあ」

「あいつナッツちゃんを庇ってたよな。骨のある奴だ」

「仲良さそうだったよな。……まさか付き合ってたりするのか?」

 

 バータの言葉に、全員が悟空に注目して。 

 

 

「んー、そのうち結婚するんじゃねえかな」

「「「「はあああっ!?」」」」

 

 

 当の悟飯が聞いたら真っ赤な顔で否定するだろう台詞だが、目の玉が飛び出さんばかりに驚いている4人がそんな事情を知るはずもなく。次の瞬間、怨嗟の声が巻き起こった。

 

「ちくしょうおおお!!! あの時止め刺しておけばよかった!」

「ガキの癖に彼女持ちかよ! 羨しいじゃねえか!」

「待て、まだ子供だし何も無いだろうよ。それはそれとして殺そう」

「任務だから仕方ないな。超能力で苦しめて殺そう」

 

 フリーザ軍の最強部隊所属で人当たりも良い彼らは全員それなり以上にモテるのだが、それとこれとは別の話だ。可愛がっていた親戚の娘が取られたような感覚と、リア充許さねえという気持ちが合わさって気炎を上げる部下達を隊長が窘める。

 

「お前ら、そこまでだ。その子供の母親は誰だ? 他に女のサイヤ人もいるのか?」

「いや、チチは地球人だぞ」

「こいつ、自分の妻を乳扱い……?」

「いや名前だろうがよ」

 

 漫才を始めたジースとグルドを放置して、ギニューは考え込む。

 

「混血児か……それほどの強さとは、厄介かもしれんな」

 

 サイヤ人と他種族との混血は、生物学的には可能と判明していた。とはいえ過去に生まれた子供は極めて少数で、特に戦闘力が高かったというデータは残っていないが、地球人とは相性が良かったのだろうか。

 

 純血のサイヤ人がほとんど残っていない以上、何代もすれば血は薄まるだろうが、先祖帰り等で強大な戦闘力を持つ子供が生まれる可能性もある。今のうちにフリーザ様に進言して、手を打っておくべくだろうか。

 

「ところで、オラも気になってたんだけどよ。フリーザって奴はドラゴンボールで何を叶えるつもりなんだ?」

 

 悟空に質問されたギニューは考える。今はこちらが尋問している最中だが、どうもこいつはさっきから情報を隠す様子がなく、サイヤ人らしくない、純朴な性格をしていると感じていた。これが演技だとしたら大したものだが、おそらくそれは無いだろう。

 

 厳しく詰問するより、会話を続けて色々と聞き出した方が良さそうだ。フリーザ様の願いはベジータ達も知っているだろうし、答えても問題はなかろうと思った。 

 

「フリーザ様は永遠の若さと命を望んでおられる」

 

 その願いで悟空が反射的に連想したのは、ピッコロ大魔王のしわくちゃの顔だった。

 

「フリーザって年寄りなのか?」

「違う!! まだお若いが、宇宙を永遠に支配する為には必要なのだ」

「ふーん、それって楽しいのかな?」

「お前達サイヤ人も、似たような事を望んでいただろう」

「オラそういうの、よくわかんねえんだよなあ……」

 

 ピッコロやベジータみたいに強え奴がいて、チチも悟飯も、クリリン達もいて、毎日美味い飯が食えて、それでいいじゃないかと、悟空は心の底から思っていた。

 

「オラ達は仲間を生き返らせるために来て、ベジータ達にも願いがあるみてえだけど、願いは3つ叶うみたいだから、分けられねえのかな?」

「な、何だと!?」

 

(悟空よ、何を考えておる! フリーザの奴が不老不死など手に入れたら、とんでもない事になるぞ!)

(……やっぱり駄目かなあ、界王様)

(当たり前だ! フリーザは宇宙を脅かす悪なのだぞ! もう少し考えて物を言わんか!)

 

 悟空が界王と心で話している事に、ギニューは気付かない。それどころではない、とてつもない情報だった。すぐさまフリーザ様に報告しようと思ったが、寸前で思いとどまった。

 

 この男が嘘を吐いている様子は無いが、その言葉が正しいと確認したわけでもない。曖昧な報告で、万が一フリーザ様をぬか喜びさせてしまったら、自分はともかく部下達まで処罰されてしまうかもしれなかった。

 

 瀕死のベジータ達を復活させた方法についても聞きたかったが、そろそろフリーザ様も、ナメック星人から願いの叶え方を聞き出してお戻りになる頃合いだろう。ギニューは立ち上がり、部下達に号令を掛ける。

 

「尋問はここまでだ。ドラゴンボールの回収に向かうぞ」

「隊長、こいつはどうします? もう身体を戻しますか?」

「……いや、連れて行って後で戻す。ベジータ達と戦闘になるかもしれん。この扱いにくい身体でも、重傷のオレの身体よりはマシだろう」

「酷え言われようだなあ……」

 

 そこで悟空は良い作戦を思いつき、何気ない調子で言ってみた。

 

「扱い方を教えてやっから、ちょっとオラに身体を戻してみねえか? おめえらの言う戦闘力?って奴、たぶん100万くれえなら見せてやれるし、その後すぐ戻して良いから」

「それを聞いて誰が戻すか!?」

「……ちぇ。引っ掛からなかったか」

 

 本気で悔しがっている悟空を見て、特戦隊メンバーが呆れた顔になった。

 

「こいつ今ので騙せるつもりだったのかよ……」

「大物かもしれん……」

 

 そして彼らは悟空を連れて、ドラゴンボールの隠し場所へと飛び立った。 

 

 

 時間は少し遡る。

 

 ベジータ達の前に、掘り出し終えた7つのドラゴンボールが並んでいた。これでようやく願いが叶うのだと、感極まった様子でナッツが叫ぶ。

 

「さあ、ドラゴンボールよ!! 私の父様に不老不死を与えてちょうだい!!」

 

 それから数秒が経過するも、何も起こった様子は無い。

 

「あ、あれ? 父様、もう不老不死になったんでしょうか?」

 

 戸惑う娘に、父親が難しい顔で言った。

 

「ナッツ。オレ達も色々試したが駄目だった。合言葉か何かが必要らしい」

「地球のドラゴンボールには、そんなの無かったんだけどなあ」

 

 ナッツは考える。何でも願いが叶うのだから、確かに勝手に使われないよう、そのくらいの用心は必要だろう。現に今、フリーザは試練も受けずにナメック星人達を殺してボールを奪っている。

 

(フリーザの気配は、最長老の所に向かっているわね。隠れているツーノ長老達を見つけて、聞き出せればいいんだけど……)

 

 彼らの気配は感じられない。戦闘力を0にしているらしい。そう広い星でも無いし、自分があちこちで呼びかければ出てきてくれるかもしれない。

 

「父様、私、ナメック星人達を探して、願いの叶え方を教えてもらってきます」

 

 飛び立とうとする娘を、父親が呼び止める。

 

「待て、ナッツ。まずはボールを移動させるぞ。この場所はフリーザにも伝わっているはずだ」

「わかりました、父様。どこへ運びましょうか?」

「そうだな……」

 

 父親は考えながら、ボロボロの戦闘服を着た娘を見る。酷い有様だった。無数の亀裂が入ったプロテクターは胸部分が半分吹き飛んでおり、その下のアンダースーツも所々破損して素肌が見えている。年齢が年齢だから誰も気にしていないが、もっと成長していたら、色々な意味で直視できない状態になっていたはずだ。

 

 一瞬彼女の母親の姿を想像してしまい、父親は頭を振ってから言った。

 

「奴の宇宙船でいいだろう。お前とオレの戦闘服を新品に換えておきたいしな」

「父様。私は別にこのままでも……」

「良いから着替えるんだ」

 

 真剣な顔で父親は言い、それから悟飯とクリリンの方を見た。地球製の胴着。ブルマに一度着せられた服よりは流石に丈夫なようだが、フリーザと戦闘になる可能性も考えると、防御面では全く物足りなかった。奴の戦闘力の前では誤差だろうが、こいつらがあっさり死んでしまっては娘が悲しむだろう。

 

「ついでだ。お前達にも戦闘服をくれてやる。防御面では少しはマシになるだろう」

「戦闘服って、それの事だよな……」

「あんまりイメージよくないなあ……」

 

 クリリンと悟飯が難色を示す。戦闘服は彼らにとっては、地球を侵略に来た恐ろしいサイヤ人の防具だ。

 

「今だけ我慢しろ。特に悟飯。お前もサイヤ人の端くれなら、一度くらいは着ておけ」

「別にボクはそういうの……」

「良い考えです、父様!!!」

 

 悟飯が驚いてナッツの方を見ると、彼女は期待に満ちた表情で彼を見つめていた。

 

(悟飯が戦闘服を……! そんなの、絶対凄く似合うに決まってるじゃない! 完全にサイヤ人の戦士に見えるに違いないわ!)

 

 その想像はあまりに魅力的で、少女は彼の両肩を掴み、嬉しそうに顔を近づけて言った。

 

「悟飯、あなたの戦闘服は私が選んであげるわ!」

「う、うん……」

 

 赤面する少年。あんまり気が進まないとは、流石に言い出せる雰囲気ではなく。

 

(ここまで喜んでくれるのなら、一度くらい着てみるのも悪くないかな……)

 

 彼女の笑顔の眩しさに、押し切られてしまう悟飯だった。 

 

「じゃあ早く行きましょう!」

 

 ナッツはドラゴンボールを2つ両脇に抱え、さらに1つを伸ばした尻尾で器用に拾って持ち上げる。その難しさを知る少年が思わず呟いた。

 

「わ、凄い……」

「でしょう? 思いどおりに動かせるよう、たくさん練習したんだから」

 

 誇らしげに胸を張る少女の後ろで、ボールを保持したままの尻尾が左右に揺れる。それを見た父親が眉をひそめて言った。

 

「ナッツ、今は構わんが、戦闘になりそうな時は腰に巻いておくんだぞ」

「はい、父様」

 

 不意打ちにも対応できるよう、本来は常時腰に巻いておくべきなのだが、尻尾がまた生えた事が嬉しいのだとわかっていたから、父親はそれ以上強くは言わなかった。

 

 

 そしてベジータ達がフリーザの宇宙船に向かってから、しばしの時間が経過した後。

 

 その場所に到着したギニュー特戦隊と悟空が見たものは、ドラゴンボールが掘り返されたと思しき跡だった。ギニューの顔が悔恨に歪む。

 

「し、しまった……! 奴らの仕業か!」 

 

 どうしてこの場所がわかったのか気になったが、それはこの際どうでもいい。ギニューは瞬時に思考を切り替え、スカウターでベジータ達の位置を確認する。

 

「……この座標は、フリーザ様の宇宙船か。すぐに取り戻しに行くぞ!」

「し、しかし隊長。今の我々では、奴らと戦うのは危険です。せめて負傷さえしていなければ……!」

 

 ジースが悔しげに言った。スカウターに表示されたベジータ達の戦闘力は、先の戦闘のダメージが全快しているばかりか、以前よりも高くなっている。特に今のナッツが大猿になれば、戦闘力は20万を超えるだろう。ギニュー隊長も含めて万全の状態なら、作戦次第でまだ勝算はあったが、今の状態で挑むのは、命を捨てるようなものだった。

 

「確かに、正面から挑むのでは勝ち目が無いな」

 

 その事実を認めた上で、ギニューは次の一手を考える。力押しだけでは達成できない任務など、今までいくらでもあった。これしきの事で、フリーザ様の信頼を裏切るわけにはいかない。

 

「オレが単独で潜入して、ドラゴンボールを回収する。もし見つかっても、この姿なら奴らも油断するだろう。お前達は近くで待機しておけ。何かあればスカウターで連絡するが、万が一の時はオレに構わず撤退しろ」

 

 その作戦を聞いた隊員達が、色めきだって叫ぶ。

 

「そんな! 隊長! 危険です!」

「オレの落ち度だ。フリーザ様がナメック星人からボールの使い方を聞き出して戻られた時、奪われてましたでは申し訳が立たん」

 

 無論フリーザ様なら、自らの手でボールを取り戻す事は簡単だろうが、持ち場を離れてボールを奪われた自分や、その原因となった隊員達が処罰を受ける事は避けられないだろう。それどころか、奴らが先に願いを叶えるなどしてしまった場合、怒り狂ったフリーザ様にその場で全員処刑される事すらあり得る。

 

「隊長、元はと言えばオレ達のせいで……!」

「いや、最初に相手の戦力を見誤ったのはオレだ。フリーザ様にボールをお届けする前に、オレが残って確実に仕留めておくべきだった。むしろよくあの状況で、4人とも生き残ってくれたな」

「隊長ぉ……」

 

 重苦しい雰囲気の中、悟空が何気ない調子で言った。 

 

「よし。そんなに危ねえなら、オラも一緒に行くぞ。おめえにやられて子分になったフリをしてやっから」

 

 実際に悟飯達に会ったら逃げる気満々で、笑顔で主張する彼にギニューが叫ぶ。

 

「だから騙されるか!!」

「……何で騙されねえんだ?」

「そういう台詞はもう少し頭を使ってから言え!!」

「使ったんだけどなあ……」

 

 どうして気付かれたのかと、心底不思議そうに首を傾げる悟空を見て、ギニューは頭が痛くなるのを感じていた。

 

「まあ、いざとなればこの身体を人質に取る。この男はあいつらに慕われていそうだ。オレが死ねば身体は戻せんと伝えれば、すぐに殺される事は無いだろう」

 

 ベジータやその娘はともかく、息子であるという少年には特に有効だろう。それを考えると、意外とすんなりボールを取り戻せるかもしれなかった。

 

 そして宇宙船へと歩き出したギニューは、ふと振り向いて隊員達に言った。

 

「この任務が終わったら、今年の休暇は温泉旅行なんてどうだ? 良ければ予約を取るが」

 

 隊長、それ死亡フラグですと彼らは思ったが、不吉だったので口には出さない。それに実際温泉旅行は魅力的だった。

 

「温泉! 最高っすよ!」

「卓球とか美味い料理もあるんですよね!」

「オラも温泉行きてえなあ」

「お前は黙ってろ!」

「隊長! お気をつけて!」

 

 隊員達の声援を受けて、ギニュー隊長は不敵に笑う。

 

「ああ、行ってくるとしよう。何、たかがボールを7つ持ってくるだけだ。こんな簡単な任務など、ここ20年で初めてかもしれんな」

 

 そして彼は戦闘力を0に落として宇宙船へと向かい、決死の潜入作戦を開始した。




 悟空とギニュー特戦隊って、性格的に絶対相性良いと思ってまして。原作ではグルドがあっさり死んで、リクームとバータもベジータに止めを刺されていましたが、せっかくの機会ですので絡めてみた次第です。

 そしたらナッツの出番が少なくなって、主人公どっちだと書いてて思いましたが、まあたまには、こういう話があっても良いんじゃないでしょうか。

 次の話では、ギニュー隊長が悟空の身体でナッツ達と会って色々ある予定です。更新は遅れるかもしれませんが、気長にお待ちくださいませ。


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18.彼女が相談をする話(前編)

 フリーザの宇宙船にて。

 

 ドラゴンボールを倉庫に置いたナッツは、うきうきした様子で悟飯の手を取って言った。

 

「悟飯、戦闘服は向こうの部屋にあるの。案内してあげるわ」

「う、うん……」

 

 そうして二人が仲睦まじく歩いて行く光景に、父親がぎりぎりと悔しそうに歯ぎしりをしていた。それを見たクリリンが苦笑する。

 

「ベジータ、別にあれくらい、可愛いもんじゃないか」

「うるさい! 貴様にオレの気持ちがわかってたまるか!」

 

 そして二人は更衣室に辿り着いた。

 

 少女は慣れた様子で小さいサイズの戦闘服をいくつも探し出し、真剣な顔で選んでいる。地球より進んだ技術が使われていると思しきそれらを、悟飯も興味深そうに眺めていた。

 

「これ……子供用なの?」

「リット星人間用ね。フリーザ軍でも子供の戦士は私くらいだけど、グルドみたいに、身体の小さい種族もいるのよ」

 

 しばし逡巡した末に、少女は選んだ戦闘服の一式を少年に差し出した。

 

「決めたわ。悟飯はこれよ!」

 

 ナッツが選んだのは、肩当てのある白の戦闘服とブーツに手袋、それに青のアンダースーツ。その色合いに、悟飯はとても見覚えがあった。

 

「これって、もしかして……ベジータさんと同じ?」

 

 その指摘に、少女はわずかに顔を赤らめ、目を逸らして言った。

 

「……きっと似合うと思うんだけど、駄目かしら?」

「う、ううん! 着てみるよ!」

 

 少年は慌てた様子で戦闘服の一式を受け取り、まずはこれから着るのかと、アンダースーツを確認する。

 

「あ、ちょっと待って!」

 

 ナッツは悟飯の手からアンダースーツを取り、気を集中させた指先で背中側の腰の部分に穴を開け、満足そうに眺めた。悟飯に尻尾が無いからといって、危うく大事なことを忘れてしまうところだった。

 

「はい、これ。サイヤ人が着るんだから、これは絶対に必要よ」

 

 アンダースーツを悟飯に返す。いつも自分が父様からしてもらっている事を、この少年にしてあげる事ができたのが、何だか誇らしくて、嬉しかった。

 

「これって、もしかして……尻尾を通す穴?」

「その通りよ。あなたにいつ尻尾が生えても大丈夫なように、開けておいたわ。……こう、生えてきそうな感じとかしてない?」

 

 ナッツは期待に満ちた眼差しで悟飯を見つめる。尻尾の再生は個人差が大きいと聞いたけど、私の尻尾だって生えたのだから、悟飯だってそろそろ生えるかもしれない。戦闘服を着て尻尾を腰に巻いた彼の姿を、とても見てみたいと思った。

 

 見つめられた少年の方は、彼女の期待に戸惑ってしまう。大猿への変身について知った後も、彼にとって、尻尾はそこまで大事なものとは思えなかった。むしろ変身なんかしたら、いつもの自分ではなくなって、またナッツを傷付けてしまうかもしれない。けど彼女はそれを望んでいると、今までの付き合いでわかっていたから、内心複雑な気分だった。

 

(強い相手と戦うのが、大怪我してもいいくらい楽しいって、ボクにはわからないよ……)

 

「……特に無いかな。前に生えた時も、本当に突然だったし」

「残念ね。まあ生えた時は、私が月を作ってあげるわ」

 

 続く少女の発言が、少年の思考を吹き飛ばした。

 

「それを着てれば前みたいに裸になる事は無いから、安心して変身してね」

「えっ」

 

 待って……待って? 悟飯は真っ白になった頭で考える。地球で戦いが終わって目が覚めた時、確かに服を着ていなかった。今なら理由はわかるけど、という事は、つまり。

 

「……ナッツ、前にボクが変身した時、その、見たの?」

 

 そんなの見るはずないわ。とっさに目を逸らしたに決まってるじゃない。そう言って欲しいと悟飯は思うと同時に、彼女に限ってそれはないと、冷静な部分で理解していた。

 

 ナッツはそんな少年の考えなど知る由もなく、どうしてそんな事を聞くのかと言いたげな様子で答えた。

 

「? ええ。とても格好良かったし、私に合わせてくれたみたいで、嬉しかったもの。スカウターが壊れるのも忘れて見てたし、きっと一生忘れないと思うわ」

 

(忘れていいから!! そんな事!!)

 

「あ、あ、あ……」

 

 膝から床に崩れ落ち、茹で蛸の如く耳まで真っ赤に染めてぶるぶると震える少年を、ナッツは変な子を見る目で見ていた。

 

「もう……裸くらい、別にいいじゃない。私は気にしないわ」

「ボクが気にするんだよ!!」

「そ、そうなの……?」

 

 少女は剣幕に押されて後ずさる。悟飯のこんな姿を見るのは、初めてかもしれなかった。

 

(そんなに大変な事なの……? 私も前に見られた気がするんだけど、気にしないと駄目なのかしら……?)

 

 聞こうと思ったけど、悟飯がうーうー唸ってて大変そうだったので、止めておくことにした。

 

「さて、私の戦闘服はどうしようかしら……」

 

 一通り探してみたが、いつも着ている肩当てのない黒い戦闘服や、紫のアンダースーツは置いていなかった。母様が選んでくれた、あの組み合わせが好きなのだけど、この状況では仕方ないだろう。

 

 なるべく近いものを選ぼうとしていた少女に、父親が戦闘服の一式を差し出した。

 

「ナッツ、お前の戦闘服だ」

「父様、これって……!」

 

 ナッツは驚いた。まさに探していた、今着ているのと同じ戦闘服だった。

 

「ポッドを呼んで、予備を回収しておいた」

「ありがとうございます!! 父様!!」

 

 渡された戦闘服を胸に抱き、嬉しそうに尻尾を振る娘の頭を、父親は優しく撫でた。

 

 そしてベジータがクリリンの戦闘服を選ぶ横で、ナッツはさっそく着替えようとして、戦闘服を抱えたまま、戸惑っている悟飯と目が合った。二人の視線が交差する。

 

(あの、君がそこにいたら、脱げないんだけど、ボクが廊下に出た方がいいのかな……?)

(着る方法がわからないのかしら……?)

 

 それほど難しくはないはずだけど、初めてだし、私が教えてあげるべきだろうか。ナッツは頷き、少年に声を掛ける。 

 

「まず服を脱いで、アンダースーツから着るのよ。私がやるのと、同じようにすればいいわ」

 

 少女は無造作に、ボロボロの黒い戦闘服を脱いで床に置いた。あちこち破損したアンダースーツに包まれた彼女の身体を、悟飯は口を半開きにして、ぽかんと眺めていた。

 

 そしてナッツがブーツを脱ぎ、アンダースーツの肩の部分に手を掛けたところで、父親が小さな身体をひょいと持ち上げた。猫のようにぶら下げられながら、娘がきょとんとした顔になる。

 

「父様、どうしたんです?」 

「身体が汚れているぞ。着替える前に綺麗にしておけ」

 

 そのままシャワールームへと連行されながら、少女は自分の身体を確認する。確かに全身血で汚れてはいるが、戦えばこうなるのは当たり前だし、気にするほどでは無いだろうと思った。

 

「このくらい大丈夫です、父様。早く着替えて、ボールの使い方を調べに行かないと」

「確かにそうだが、最低限の身嗜みは保っておけ。……汚れたままだと、そいつにも嫌われるぞ」

 

 ナッツはぶら下げられたまま、はっとした顔で少年を見る。

 

「……悟飯はこういうの嫌いなの?」

「嫌いじゃないけど……清潔にしていた方が良いと思う」

「そう……わかったわ」

 

 ナッツは父親に下ろされ、シャワールームへと入っていく。それを見送った悟飯が、ほっとした顔になった。

 

「あ、ありがとうございます。ベジータさん」

 

 父親はイライラした様子で、額に血管を浮かせながら凄んだ。

 

「あまり調子に乗るなよ……」

「ええっ!?」

 

 訳も判らず、戸惑う悟飯だった。

 

 

 ナッツはシャワーを浴びながら、物思いに耽っていた。

 

(地球生まれの悟飯と私とでは、細かい常識が違うみたいね……)

 

 まさか裸を見たと言ったくらいで、あんなに反応されるとは思わなかった。汚れの事だってそうだ。少しくらい返り血を浴びていた方が、格好良いと思うのだけど、悟飯はそうではないらしい。

 

 背中まで伸びた黒髪を両手で泡立て、尻尾で掴んだスポンジで、いつもより念入りに身体を磨きながら、ふと少女は考える。

 

(もしかして、地球人の方が、悟飯と上手く付き合えるの?)

 

 同じサイヤ人同士だと思っていたけど、悟飯は半分地球人でもあるのだ。自分と同じくらい強いのに、戦いよりも勉強が好きな、優しいサイヤ人。そんな少年の事を、彼女はとても好ましく思っていたけど、向こうは自分の事を、どう思っているのだろうか。それを思うと、ナッツはもやもやした気持ちになった。

 

 ブルマの拠点にあったお風呂。あれに入ってじっくり考えたかったけど、今はあまり時間がない。地球に行った時の楽しみにしようと思いながら、少女は全身の泡を洗い流し、シャワーを止めて、脱衣所に出た。

 

 身体を拭いて髪を軽く乾かして、戦闘服を手早く身に着ける。幼い頃から慣れたその動作は、20秒も掛からない。最後に尻尾を腰に巻いた後、ふと思いついて、自分の姿を鏡で確認する。何も変な所は無かったが、どうして今日に限ってこんな事をしたのかと、鏡の中の少女が、怪訝な顔で自分を見つめていた。

 

 

 シャワールームから出てきたナッツを見て、アンダースーツ姿の悟飯とクリリンは驚いた。彼女が入ってから、まだ5分と経っていない。

 

「は、早いね……」

「ええ。尻尾がある分、早く洗えたわ」 

 

 ナッツが見ると、彼らは最後に戦闘服を着るところで、苦戦しているようだった。確かに初めてだと、そこで引っ掛かるのかもしれない。

 

「そのプロテクターはいくらでも伸びるから、強引に着ればいいのよ。さっき私が大猿になった時も、破れなかったでしょう?」

「本当だ……凄いねこの服。軽くて動きやすいし、何でできてるんだろう?」

「硬質ラバーって聞いたわ。詳しく知りたいなら、今度本でも探してあげる」

「本当に!? ありがとう!」

 

 学者志望の少年の顔が、ぱあっと輝いた。戦闘服を身に纏った彼の姿に、少女も顔を綻ばせる。

 

「悟飯、その戦闘服、とても似合っているわ」

「そ、そうかな……そう言ってくれると嬉しいけど」 

 

 照れる悟飯をぐぬぬと眺めながら、父親が娘の髪をタオルで丁寧に拭いていく。かつてそれは彼女の母親の役目だったが、今では彼の手付きも、すっかり慣れたものだった。

 

「ねえ悟飯。これが終わったら、二人でどこかの星に遊びに行かない?」

 

 ナッツの無邪気な笑顔に、少年はどこか不吉なものを感じた。

 

「あ、遊ぶって、何をするの?」

「それはもちろん……」

 

 どちらがより多く殺せるか競争する。言い掛けてから、そんな事を口にしたら、この優しい少年に嫌われてしまうのではないかと、少女の笑顔が固まった。

 

「ナッツ、どうしたの?」

「……ごめんなさい。何でもないわ」

 

 彼女は父親の方を見て、小さく笑った。どこか儚げなその表情に、父親が息を呑む。

 

「父様。私、ナメック星人達を探しに行ってきます」

「ナッツ、お前……どうした?」

「何でもありません。父様」

 

 ナッツはそのまま歩きだし、少年の方を見ないまま言った。

 

「悟飯は休んでて。一人になりたい気分なの」

「えっ!?」

「な、何だと!?」

 

 少年と父親は驚きのあまり、逃げるように早足で部屋を出ていくナッツを、呆然と見送るしかできなかった。彼女が悟飯から離れたがるなど、誰にとっても想定外の出来事だった。

 

「ま、待って!!」

「おい、悟飯!」

 

 少女を追って部屋を飛び出す悟飯。遅れてクリリンも走っていく。自分もそうすべきだと父親は思ったが、足が震えて動かなかった。

 

「ナッツ、一体どうしたというんだ……?」

 

 呟く声も、かすかに震えている。娘の様子は、普段とまるで異なっていた。何があったというのか。あの少年に、懐いていたはずではなかったのか。

 

 初めて見る娘の顔に、父親は激しく動揺していた。

 

 

 

 悟飯はクリリンと宇宙船の周囲を探すも、彼女の姿は見あたらなかった。気も完全に消されており、まるで見つからないよう、隠れているかのようだった。

 

「ナッツ、どうしたんだろう……?」

 

 力無く俯く少年を気遣って、クリリンが言った。

 

「悟飯はベジータと、ボールを見張っててくれ。オレは最長老様の所に行ってくるよ。もしかしたらフリーザがいるかもしれないけど、隠れてる人達を見つけるよりは早そうだしな」 

「わかりました。気を付けて……」

 

 クリリンは元気の無い悟飯の背中を叩いて笑う。

 

「大丈夫さ。あの子がお前を嫌いになるなんて、想像もつかないからな。次に会ったら、何があったのか、本人の口から聞いて、心配ないって言ってやれよ」

 

 

 

 その頃ナッツは、宇宙船の真下に座り込んでいた。日に照らされない地面が、酷く冷たかった。

 

 悟飯達が自分を探しているのは気配でわかったけど、動けない。こんな事をしている場合では無いというのに。

 

 彼は地球育ちで、考え方も感性も、私とは全く違う。今は良くても、いつか将来の相手として、地球人を選ぶかもしれない。それを思うと、怖くてたまらなかった。

 

 これが戦いなら、たとえ数十万の敵兵が相手でも、恐れる事はなかったけど、この問題は、戦って解決できるものではない。ナッツは自分の戦闘服をぎゅっと握り、俯いて呟く。

 

「どうしたらいいのよ……」

 

 

 その時、少女の視界の隅で、何かが動くのが見えた。そちらを見ると、同じく宇宙船の下に入ってきた、オレンジ色の胴着の男と目が合った。

 

「あ、カカロット。こっちに来てたのね」

「お、おう……」

 

 声を掛けられたギニューは、悟空の顔で額に汗を滲ませる。

 

(ベジータの娘が、何故こんな所に? オレのような侵入者を見張っていたのか?)

 

「どうしてこんな所にいるの?」

「い、入り口がわからなくてよ……」

 

 悟空を真似たギニューの口調はどこかぎこちなく、悟飯やクリリンなら違和感を覚えただろうが、ナッツは悟空と話した経験はほとんど無く、また別の事で頭が一杯で、それに気付くどころでは無かった。

 

「変なの、カカロット」

 

 少女はくすりと笑い、そして考える。彼は悟飯の父親で、そして地球人の女性と夫婦になったサイヤ人だ。もしかしたら、彼女の悩みについて、道を示してくれるかもしれなかった。

 

「ねえカカロット。聞いて欲しい事があるんだけど、少しいいかしら?」

 

 当然ギニューはそれどころでは無かった。一刻も早くドラゴンボールを奪い返さねばならない。断ろうと思ったが、寸前で躊躇する。本名はカカロットというらしいこの身体の持ち主は、こうした状況で子供の頼みを無下にする人間では無いと、少し話しただけのギニューにも理解できていた。ここで断りなどしたら、怪しまれてしまうかもしれない。

 

 目の前の少女の戦闘力は、2万を超えている。戦闘力12万の元の身体なら、音も無く一瞬で仕留める事もできただろうが、この身体では難しい。戦闘になればベジータ達も駆けつけて来るだろう事を考えると、ここはなるべく自然な演技で切り抜ける必要があった。

 

「もちろん良いぞ。どうしたんだ? ナッツ」

 

 優しい口調で促された少女は、おずおずと口を開く。

 

「カカロット、あなたの奥様は、地球人なのよね?」

「ああ、チチは地球人だぞ」

 

 そこでナッツは顔を真っ赤にしながら、途切れ途切れに言った。

 

「その……やっぱり悟飯も、地球人の女の方が好みなのかしら?」

 

 全く予想外の質問に、ギニューは面食らってしまう。悟飯と言うのは、この身体の持ち主の息子で、ベジータの娘とは仲が良いと聞いてはいるが。 

 

(こ、これはもしかして、恋愛相談という奴なのか……!?)

 

 サイヤ人からそんな相談を受けるとは、夢にも思っていなかった。ギニュー特戦隊には女性ファンも多く、彼自身もそうした面で不自由した事はなかったが、男所帯で女性隊員などおらず、年頃の娘の悩みなど全くの専門外だった。

 

 ギニューは背中に、冷たい汗が流れるのを感じていた。フリーザ軍の最強部隊として、不可能に思える任務を、今までいくつも達成してきた。たとえ相手が百万の敵軍でも恐れず立ち向かえる自信はあったが、任務の中でここまでの困難に直面したのは初めてかもしれなかった。

 

(だが、ここで退くわけにはいかん!)

 

 ボールの奪還には、自分だけでなく、部下達の命も掛かっているのだ。何としてでも成功させねばならない。そのためにはどんな事でもしてみせると、ギニュー隊長は決意を固めた。

 

「……カカロット、どうしたの?」

 

 不安そうに、少女が彼の方を見ている。ギニューは悟空の身体で笑顔を見せて、ナッツの隣に腰掛けた。




 ナッツとギニュー隊長の会話はこの話で終わらせる予定でしたが、思ったよりも文章が長くなったので分割します。
 更新は遅れるかもしれませんが、気長にお待ちくださいませ。


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19.彼女が相談をする話(後編)

 フリーザの宇宙船の真下にて。 

 

 ギニューは悟空の身体で、ナッツの隣に腰掛けていた。ドラゴンボールを取り戻すため、この場を怪しまれず切り抜ける必要があるのだが。

 

(さて、どう答えたものか……)

 

 ギニューは考える。目の前の少女の表情からは、明らかな不安の色が読み取れる。悟飯という少年とは、父親が結婚を言い出す程度には、仲が良かったはずなのだが。

 

「悟飯の好みはわからねえが、いきなりどうしたんだ? 喧嘩でもしたのか?」

 

 問われた少女は、自らの腕の中に、顔を埋めて呟いた。

 

「喧嘩ではないけど……私、怖いの。きっと地球人の方が、サイヤ人の私よりも、悟飯に近いから」

 

 悟飯はあれだけ強いのに、戦うのは苦手で、誰も殺した事がないと言っていた。サイヤ人としては考えられない事だが、平和だという地球では、おそらくそれが当たり前なのだろう。

 

 けど私は戦う事も、殺す事も好きだ。今まで星を十数個滅ぼしているし、何人殺したかなんて、いちいち覚えていない。フリーザ軍に所属していたサイヤ人の私にとって、それが当たり前の環境だった。

 

 考え方も感性も、あまりに違いすぎる。きっと私よりも、地球人と一緒にいる方が、悟飯にとっては自然な事なのだろう。

 

 たまたま同じ星に生まれただけで、悟飯に近づける。それを思うと、地球人が憎くてたまらなくなる。私だって、半分は悟飯と同じ種族なのに。

 

 不穏な光を目に宿らせて、ぼそりと少女は呟いた。

 

 

「いま私、地球人を絶滅させたくてたまらないの」

 

 

 これが本物の悟空なら驚き慌てているところだが、ギニューは動じない。サイヤ人なら、この程度の事は言うだろう。むしろ恋愛相談めいた、先の発言の方が驚きだった。

 

「ナッツ、落ち着いて良く考えろ」

 

 少女の顔が残酷な喜悦に歪み、暗い笑みを形作る。

 

「私は冷静よ。ボールで願いを叶えた後、先に出発して、悟飯達より1日早く地球に着けばいいの。尻尾も生えたし、今の私なら、1日あれば十分よ」

 

 怯えて逃げ惑う地球人達の姿を想像し、ナッツは冷酷なサイヤ人の顔で笑う。片っ端から殺してやったら、少しは胸がすっとするだろう。

 

 そんな少女を横目で見ながら、ギニューは考える。別に彼女が地球を滅ぼそうと、彼にとってはどうでもいい。厄介な地球人とサイヤ人との混血児が増える事を防げるのだから、どちらかと言えば望むところですらある。

 

 だが、それをすれば取り返しの付かない事になるとわからない程、目の前の少女は愚かではないはずだ。そもそも本気で実行する気なら、この男の前で話したりはしないだろう。

 

 それでも、そんな事を口にしてしまうほどに、目の前の少女は追い詰められている。彼が悪意を持って唆せば、どうにでもできそうな程に。

 

 その時ギニューの脳裏に浮かんだのは、彼女がバータを殺す直前で躊躇したという、先の戦いの報告だった。

 

(……ええい、まったく! これで貸し借りは無しだぞ!)

 

 内心苦々しい思いで、彼はナッツの肩に、優しく手を置いた。少女はうっとうしげに手を振り払うが、彼は辛抱強く、何度も手を置こうとして、とうとうナッツが根負けする。

 

 しばしの時間が経過し、触れた部分から温かさが伝わっていくうちに、少女の表情が、穏やかなものとなっていく。どこか安心したように目を閉じて、ナッツは言った。

 

「……ありがとう、カカロット。少し楽になったわ」

 

 傍に誰かがいてくれて、良かったと思った。ギニューは悟空の顔で、憮然とした表情になる。

 

「礼なんて必要ねえよ。本気で地球を滅ぼす気は無かったんだろ?」

「……えっ?」

「えっ」

 

 きょとんとした顔になるナッツ。二人の間に、気まずい沈黙が流れる。

 

「も、もちろんよ!! 地球には悟飯のお母様だっているのよ!」

「そ、そうだな! いやー、ナッツは冗談がうめえな!」

 

 はっはっは、と明るい笑い声が響く。ここは冗談にしておくべきだと、少女と人知れず地球の危機を救った男は、額に汗を浮かべていた。

 

 

 ナッツと向かい合うように座り直したギニューは、単刀直入に言った。

 

「おめえはオラよりも、悟飯と直接話してみるべきなんじゃねえか?」

 

 こんな事をしている場合ではないのだが、一度話に乗った以上、ここで離れるのも不自然だ。かくなる上は本気でアドバイスして、できるだけ早く話を終わらせようと、彼は考えていた。

 

「け、けど、もしそれで嫌だとか嫌いって言われちゃったら……!」

 

 少女は不安に身を震わせる。悟飯は残り少ない、サイヤ人の仲間なのに。いや、たとえ惑星ベジータが健在で、サイヤ人が何万人いたとしても、悟飯はこの宇宙に、たった一人しかいないのに。それを思うと、胸が苦しくてたまらない。

 

(……これがあのベジータの娘とはな)

 

 ギニューは内心、毒気を抜かれてしまう。フリーザ様に対する復讐心から、戦闘力を上げるべく戦い続け、多くの星を滅ぼしてきたサイヤ人の少女。警戒対象として彼女に関する情報は頭に入れていたが、今目の前で不安に震えている彼女は、小さな子供にしか見えなかった。

 

「いいか、おめえはもう少し、自分に自信を持つべきだ」

「……戦闘力なら自信があるけど」

 

 戦闘力2万以上。フリーザ軍の中でも、上から数えた方が早い数字だ。強さを尊ぶサイヤ人にとっては、かなりの優良物件だろうと思う。それにこれでも王族だし、もし惑星ベジータが健在だったとしたら、大勢のサイヤ人達から、こぞって求婚されるはずだ。 

 

 けど、悟飯は戦いが好きではないのだから、戦闘力の高さなんて気にしないだろう。俯くナッツに、ギニューがあっけらかんと言った。

 

「いいじゃねえか、戦闘力。そいつはおめえの武器だぞ」

「……どうしてよ。悟飯は戦いよりも勉強が好きって、知ってるでしょう?」

 

 ナッツは悟空の顔をしたギニューを睨みつける。彼は地球に行った事は無かったが、ラディッツやベジータ達のスカウターから得た情報で、地球人が戦闘力の低い種族だと知っていた。

 

「わかんねえのか? 何かあった時、おめえは悟飯と肩を並べて一緒に戦えるんだぞ。地球人にそんな事ができると思うか?」

「……あっ!?」

 

 少女は驚く。一緒に戦えるのは私だけ。確かにそれは、大きいのではないだろうか。魅力的な考えに、ナッツの口元が緩んでいく。

 

「た、確かにそうね……それに悟飯だって、たまには思いっきり運動したくなるかもしれないし」

 

 その相手なら、たとえ毎日だって望む所だけど、地球人にはそんな事できないだろう。表情を明るくする少女に、ギニューがさらに言葉を続ける。

 

「それに相手と自分が違ってるからって、嫌いになるとは限らねえぞ。むしろ違ってる相手の方が良いって事もある」

 

 ナッツは疑うような目つきになった。

 

「……どうしてそんな事が言えるのよ」

「おめえだって、自分と全く違う悟飯の事を気に入ってるんだろう? 逆は無いって、どうして言えるんだ?」

 

 すとんと、言葉が胸に落ちた。その意味を理解して、少女の瞳に、じわりと涙が浮かんだ。

 

「お、おい!? なぜ泣くんだ!?」

 

 慌てふためくカカロットに、ナッツは何か言おうとしたが、言葉にならず、理由も判らなかった。

 

 ただ彼女は、サイヤ人らしく育てられた自分を誇りに思っていて、あの優しい少年が、そんなところを好きになってくれるかもしれないと思うと、涙が溢れて止まらなかった。

 

 

 それから少しの時間が経過して。

 

 少女は手で涙を拭いながら、わずかに顔を赤らめて言った。

 

「恥ずかしいところを見せちゃったわ……。カカロット、この事は、父様や悟飯には内緒だからね?」

「あ、ああ」

 

(もしバレたら、殺されるかもしれんな……)

 

 背筋に寒気を感じながら、その場を離れようとしたギニューに、ナッツが声を掛ける。

 

「あ、待ってカカロット。ギニュー隊長はどうしたの?」

 

 身体がびくりと反応しかけるのを、彼は必死に押し留めた。なぜここで自分の名前が出るのかギニューは理解できず、もしや何かヘマでもしたのかと、慎重に口を開く。

 

「あ、ああ。適当に痛めつけて逃がしてやった」

「そう、良かったわ。ありがとね」

 

 心から安堵した様子の少女に、彼は戸惑い、思わず問いかける。

 

「……何でおめえが、ギニューの事を気にするんだ?」

「だって特戦隊の皆は、ギニュー隊長をとても慕っていたわ。死んでしまったら、きっと悲しい思いをするでしょう?」

「……そうか」

 

 甘すぎる、とギニューは思った。戦場でそんな考えを持つ事の危険を、この少女は当然わかっているだろうに。だが自分の部下は、この甘さに救われたのだ。

 

 扱いづらい今の身体でなければ、こんな隙だらけの子供など、一撃で殺せるのだが。運が良かったなと、彼は内心呟いた。

 

「あとギニュー隊長は、ポーズがとても上手いのよ。昔パーティで一度見たきりだけど、凄かったわ。あのポーズが見れなくなるのは、宇宙にとっての損失ね」

「ほ、ほう……!!」

 

 不意打ちの賞賛に、ギニューは思わず頬をひくつかせる。わかっているじゃないか。いや、まさかこんなサイヤ人の娘に理解できるとは思えんが。

 

「確か……こんな感じだったかしら?」

 

 少女はぴし、と両手をそれぞれ斜めに広げ、足を広げて両足の裏をくっつけ、つま先立ちになる。そのポーズを見たギニューが、驚愕に目を見開く。

 

(オレのスペシャルファイティングポーズだと!? しかもこれは……!)

 

 ギニューにとって現時点での最高傑作だが、非常に難易度が高く、万が一フリーザ様の前で失敗しては大変な失礼になるため、披露できなかったポーズ。まだ未熟だが、かなりの精度で再現できている。

 

 ギニュー特戦隊にはファンが多く、ファイティングポーズを真似する者も大勢いる。その中でも、今目の前の少女が見せたポーズは、思わず目を見張るほどの、抜きん出た才能を感じさせるものだった。

 

「……手の角度が少しズレているな。それとつま先は左右に広げるんだ。安定性が増す」

 

 思わず手直しするギニュー。ポーズの完成度が高まったのを感じ、おお、と驚くナッツ。

 

「よし、少しは良くなったな。後は全体のバランスを意識しろ。手足の配置を完璧にするのは当然として、表情や目線、そして何より、己の内側から滲み出る気合いや感情もポーズの一部だ。ビシっと決める事を忘れるな」

「こ、こうかしら?」

「いいぞ! それで格好良く名乗りを上げれば、お前は3割増しに強くなる!」

「3割も!?」

 

 悟空の演技も忘れて饒舌になっていたギニューは、そこでふと我に返り、青ざめてしまう。

 

(オ、オレとした事が、敵に塩を送ってしまうとは……!! これが後の禍根とならねばいいが……)

 

 要らぬ心配をするギニューに、ナッツはすっかり感心した様子で言った。

 

「カカロット、あなた、ギニュー隊長のポーズを見た事があるの? アドバイスがとても的確だわ」

「い、いや……何となくだな……」

 

 自分でも苦しい言い訳だと思う。つい助言などしてしまったが、この辺が潮時だろう。

 

 そこでギニューは、宇宙船の脚の影から、少年が心配そうにこちらの様子を窺っている事に気付いた。ナッツは気付いていないようだが、あれが悟飯なのだろう。

 

 少年の方に軽く頷いてみせて、ギニューは言った。

 

「じゃあオラは、この辺で。あとは悟飯と話してみるんだな」

 

 ナッツは不安そうな顔で、ギニューの胴着の裾を握る。

 

「カ、カカロット。待って、もう少し……」

「大丈夫だ。おめえが心配しているような事は、何もねえよ。そうだろ、悟飯?」

「う、うん……」

 

 悟空の顔をしたギニューの言葉に、隠れていた少年がおずおずと姿を見せる。不意に見た彼の顔に、少女は驚きを隠せない。

 

「悟飯!? いつからそこにいたの!?」

「ポーズの練習を始めたあたりから……」

 

 ギニューは無言で悟飯に歩み寄り、その背中を力強く叩いて、ナッツの方へと押し出し、そのまま歩き去ろうとする。気になってふと振り返ると、二人が仲良さそうに話しているのが見えた。

 

(色々悩んでいるようだったが、大事なのは本人達の気持ちだからな。あの様子なら、上手くいくだろう)

 

 彼はそう考えてから、どうして自分がベジータの娘の心配をせねばならないのだと、内心もやっとした気持ちで、宇宙船へと入っていった。

 

 

 残されたナッツは、悟飯を見ながらもじもじしていたが、やがて意を決して口を開く。

 

「ねえ悟飯。私はサイヤ人だけど、あなたは半分、地球人なのよね」

「そうだけど……それがどうしたの?」

 

 少年は訝しむ。さっき様子がおかしかった事と、関係があるのだろうか。 

 

「だから私とあなたの間で、考え方や感じ方が全く違うわ。私がサイヤ人らしくしたら、あなたに嫌われるかもしれないって、それが怖かったの」

「そんな事無いよ!!」

 

 悟飯は即座に声を上げる。それだけは絶対に有り得なかった。

 

「確かにちょっと怖いって思う時もあるけど……そんなところも、その……」

 

 最後の方は消え入るような声だったが、そんな彼の様子を見たナッツは、勇気を出して言った。

 

「じゃあ悟飯。適当な星へ行って、どっちが多く殺せるか競争しない? きっと楽しいと思うんだけど……」

 

 おずおずと発せられた物騒な発言に、悟飯は、若干引きつった顔で答えた。

 

「……もっと平和的な遊びにしない?」

「もう」

 

 少年の声に、嫌悪の色がない事を感じ取って、ナッツは微笑んだ。断られるのはわかっていたけど、ありのままの自分を見せてもいいというのが、とても心地良かった。

 

「じゃあ……点数に数えるのは軍隊だけにしましょう。これでかなり平和的になったわ」

「殺しに行くのは前提なんだね……」

 

 遠い目をする悟飯の前で、腰から解けた尻尾をぱたぱたと揺らしながら、少女は楽しそうに話を続けた。

 

 

 

 宇宙船の廊下を、ギニューは慎重に、周囲の気配を確認しながら進んでいた。

 

 ひとまずの目的地は倉庫だ。大型の宇宙船とはいえ、一抱えもあるボールを7つ置ける場所となると限られる。まさかフリーザ様の私室や兵士達の休憩所ではないだろう。

 

(さっきは危ない所だったが、結果的に敵を二人やり過ごせたのは僥倖だった。流石にもう、あんな展開は無いだろうしな)

 

 そしてギニューは倉庫に辿り着き、中の様子を窺って、慌てて頭を引っ込めた。床に置かれた7つのドラゴンボールと、その上に腰掛けるベジータの姿が見えた。

 

(ベジータだと!? 気配を完全に隠していたのか!)

 

 とっさに身を隠そうとするも、わずかな気配を察知したベジータが顔を上げ、にやりと笑って立ち上がる。

 

「よう。待っていたぜ、カカロット」

「あ、ああ、ベジータ。今戻っ……」

 

 最後まで言い終わる前に、ギニューは瞬時に距離を詰めたベジータに殴り飛ばされていた。吹き飛び、宇宙船の壁に叩き付けられたギニューは、いきなりの攻撃に混乱する。

 

「ど、どうしたんだベジータ。何か誤解じゃねえのか……?」

「とぼけやがって……!」

 

 怒りに拳を震わせるベジータを前に、ギニューは歯噛みする。

 

(この反応、気付かれている! 娘はともかく、ベジータは騙せんか……!)

 

 事前に確認したベジータの戦闘力は、万全の部下達でも倒せないレベルにまで高まっていた。今のギニューがまともに戦っても結果は見えている。

 

 身体の入れ替えに気付かれている以上、ボディチェンジ能力も警戒されているだろうが、それでもどうにか奴の身体を奪うしかない。ギニューが決意した、その瞬間だった。

 

 

「カカロット!! 貴様のガキのせいで、オレの娘の様子がおかしくなったんだぞ……!!」

 

 

(気付かれていないだと……!?)

 

 驚き呆けるギニューの胸倉を掴みながら、父親は娘の可愛さと子育ての苦労と、そしてぽっと出のガキに娘を取られた悔しさを切に叫ぶ。

 

 そんなベジータを前に、またこの展開か! とギニューは内心叫んでいた。




 次回はギニュー隊長とベジータが会話して、それから色々状況が動く予定です。
 更新は遅れるかもしれませんが、気長にお待ちくださいませ。


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20.彼女が羞恥に怒る話

 フリーザの宇宙船の倉庫にて。

 

 床に置かれた7つのドラゴンボールを前に、ベジータが悟空の身体のギニューの胸倉を掴み、激しく壁に押し付けて叫ぶ。

 

「そもそも結婚とかまだ早いだろう!! オレは許さんぞカカロット!!」

 

(誤解だが、正体がバレるよりはまだマシか……?)

 

 ギニューは考える。フリーザ様の為にドラゴンボールを奪い返さねばならないが、この扱いづらい身体で、今のベジータと戦っては勝ち目はない。先程の娘の時と同じように、上手く会話してこの場を切り抜けるしかない。

 

「落ち着け、ベジータ」

 

 ギニューは怒りに歯を食いしばるベジータの身体を引きはがし、冷静な声で言った。

 

「ナッツとはさっき会って話したが、あいつは悟飯の事を嫌がってるのか?」

「そ、それは……!!」

 

 そうでないから問題なのだが、痛い所を突かれ、父親はたじろいでしまう。娘と同年代で戦闘力が高く、サイヤ人の血を引く少年。生まれてからずっと大人達に囲まれ、友人などいなかった娘が夢中になってしまうのも、考えてみれば当然の話で。

 

 母親を亡くして以来、自分以外に心を閉ざしていた娘が明るく笑うようになったのは、間違いなくあのガキがもたらした良い影響なのだが。それはそれとして、カカロットの息子である事を抜きにしても、娘が自分と母親以外の誰かに惹かれていく事を認めたくはなかった。そういうのはまだ十数年は早いだろう。ナッツは宇宙一可愛いのだから、焦る必要はないはずだ。

 

 そして娘が去り際に見せた儚げな表情が、父親の心を苛んでいた。娘のあんな顔は、見た事がなかった。

 

「だが! ナッツがおかしくなったのは奴のせいだ!」

 

 得体の知れない不安を声に滲ませて叫ぶ父親の顔を、ギニューは正面から見返した。確かにあの娘は、自分と少年との関係に悩んでいたが、それが間違った事とは思えなかった。

 

「ベジータ。子供だってあれこれ悩んで考えて、成長していくんだ。それを見守ってやるのも、父親としての務めじゃねえのか?」

「ぐっ……!?」

 

 打ちのめされたように、父親が一歩後ずさる。目の前のカカロットが、まるで10も20も年上のように見える。こいつはもっと惚けた感じの人間だったはずなのに、揺るぎ無い大人の男としての芯を持っているように見えてしまうのは何故なのか。

 

(カカロット、まさかこの短期間で戦闘力だけでなく、父親としてもオレを上回ったとでもいうのか……!?)

 

 ちなみに彼が最後に悟空と会話してから、まだ1時間と経っていない。冷静に考えれば有り得ない、そんな考えが浮かんでしまうほど、今のベジータは動揺していた。父親の身体が震える。カカロットの言う事は間違っていないと、頭では理解しているが。

 

「オレは、娘が心配なんだ。ただ見ているのは、耐えきれない……!」

 

 彼の脳裏に、彼女の母親の顔が浮かぶ。自分が任務に出ている間、また時には戦場で、共にナッツを見守り育てた、儚げで、だが強い女。

 

「こんな時、あいつがいてくれれば……!!」

 

 そうすれば、もっと上手くやれたのかもしれない。少なくとも異性の前で無闇に服を脱がないくらいの事は教えられたはずだ。今はまだいいが、あの調子で成長したら大変な事になる。

 

 苦悩するベジータの姿は、ギニューが初めて見るもので。そんな一面があったのかと、彼は内心驚きながら、かつてのベジータ達の事を思い出していた。サイヤ人を嫌うフリーザ様の手前、彼らと距離を置いていたギニューの耳にも入るほどの、仲睦まじい幸せそうな家族だったという。

 

 こんな時、この身体の持ち主なら、何と言うだろうか。

 

「……それはどうしてやる事もできねえが、オラで良ければ、いつでも相談に乗るぞ」

 

 気遣うような言葉に、ベジータは、はっと表情を変え、そして小さく鼻で笑った。

 

「フン、調子に乗るんじゃない。このオレが貴様になど頼るものか」

 

 その姿は、彼が知るいつものベジータで。ギニューも笑って、そして何かに気付いて言った。

 

「少し疲れてるんじゃねえか? ここはオラが見といてやるから、今のうちに休んでおけ」

 

 父親が眉を顰める。ナメック星に来て以来、寝込みを襲われないよう、眠りを浅くして気を張り詰めていた。娘が気にしないよう、顔には出していないつもりだったが。カカロットの目は誤魔化せんか。

 

「……そうさせてもらうか」

 

 不老不死を叶えた後は、ナメック星を離れて訓練したいところだったが、逃げ切れずフリーザと戦闘になる可能性を考えると、体調を万全にしておきたかった。倉庫を出る直前、ベジータが振り向いて言った。

 

「甘い貴様の事だ、どうせギニューの奴を殺してないんだろう? いつ奴らがボールを取り戻しに来るかわからん。油断するんじゃないぞ」

「ああ、オラに任せとけ」

 

 そしてベジータが休憩室へと向かった後、床に置かれたドラゴンボールを見て、ギニューはにやりと笑った。手をかざし、念動力でボールを宙に浮かべる。

 

「まさか、こんなに上手くいくとはな……!」

 

 後は戦闘力を消して、上手く隠れながら逃げるだけだ。一番厄介なベジータに見つかった時はどうなる事かと思ったが、結果、自然な形で足止めできたのは大きい。

 

 ギニューは内心高笑いしながら、7つのボールと共に、その場を後にした。

 

 

 

 時間は少し遡り、明るく晴れたナメック星の上空にて。

 

 最長老の家に向かう途中で、デンデと合流したクリリンが、宇宙船へと戻ろうとしていた。

 

「いやあ、助かったぜ。最長老様がお前を向かわせてくれるなんてな」

「はい。願いは全てナメック語で話す必要がありますから、ボクが通訳しますよ」

 

(色々あったけど、これで皆が生き返るんだな……)

 

 感慨に浸っていたクリリンは、ふと地上に覚えのある気がある事に気付く。ギニュー特戦隊とかいう奴ら。このまま進んでは、スカウターで見つかってしまうかもしれない。

 

 ナッツや悟空との戦いで全員かなり弱っているようだが、流石に1人では勝ち目が無い上に、ここで下手をしては、デンデが敵の手に落ちてしまう恐れもあった。

 

「デンデ、いったん降りるぞ。隠れながら行こう」

「は、はい……」

 

 地上に降りた二人は、そろそろと岩陰に隠れながら進む。そのうちに、彼らの騒ぐ声が聞こえてきた。

 

(あいつら……何やってるんだ?)

 

 気になったクリリンがこっそり様子を窺うと、彼らは何かを手に、円状に座り込んでいるようだった。 

 

 

 ギニューの身体の悟空は、真剣な顔でジースの表情を見ながら、ゆっくりと手を伸ばす。ジースは一言も発さず、無表情を保っている。

 

 悟空の手が、ジースの持つカードに触れた。彼の表情は動かない。隣のカードに触れた。表情は動かない。が、額にかすかに浮かんだ汗を、悟空は見逃さなかった。すかさずカードを引き、にっと笑う。

 

「よっしゃあ!! オラの勝ち!!」

「ちくしょおおお!!!!」

 

 残ったジョーカーを忌々しげに捨てるジース。グルドが指を動かすと、地面に落ちかけたカードが宙に浮き、他のカードも巻き込んで、空中でシャッフルが始まった。念動力のトレーニングも兼ねた余興に、おお、と感心した悟空が拍手し、グルドが照れた顔を見せる。

 

 当然彼らはただ遊んでいるわけではなく、この瞬間もスカウターでギニュー隊長の様子を確認しているが、それはそれとして、休める時に休んでおくのも、優れた戦士に求められる資質の一つだ。そして退屈した悟空は、彼らに混ぜてもらっていた。

 

「オラこういうの初めてだけど、面白えもんだなあ」

「表情読むのが上手いんだよこいつ……」

 

 渋面のジースの言葉を受けて、バータが提案する。

 

「じゃあババ抜きは止めるか。表情が読めても関係無いゲーム、何かあったか?」

「人生ゲームしようぜ!」

 

 呼び寄せておいたポッドから、リクームが嬉々としてボードゲームを取り出し掲げた。興味津々に食らいつく悟空。

 

「おお、どう遊ぶんだこれ?」

「まずは乗る車を選んでだな……」

「いや、どう考えても時間足りないだろ。途中で隊長戻って来るぞ」

 

 グルドの突っ込みに、短時間で終わりそうなゲームを探し始める一同を見て、悟空が笑顔で手を振った。

 

「ちょっとオラ、トイレに行ってくる。すぐ戻るから」

 

 そしてその場を離れようとする悟空を、慣れた様子で連れ戻す隊員達。都合4回目の判り易い脱走未遂に、ため息をつくジース。

 

「まったく……もう少しで隊長帰るから、大人しくしてろよ」

「うーん、悟飯もクリリンもいるし、すぐ気付かれると思ったんだけどなあ……」

「ギニュー隊長の事だ。そんなすぐバレそうな奴とは、そもそも会話なんてしないだろうさ」

「けどベジータは、オラの姿でも油断はしねえと思うぞ」

「確かにベジータは危ないが……いざとなれば、また身体を奪うんじゃないか?」

「ええっ!? そうなったら、オラ元の身体に戻れるのかな……」

 

 

 がっかりした様子で情けない声を出す、ギニュー隊長の姿をした男を、物陰から見たクリリンは愕然としていた。

 

(悟空だあれ!? どうしたんだ!? 何があったんだよ!?)

 

 物凄く気になるが、流石に出ていくわけにはいかない。そして何より、身体を奪うという言葉が気になった。悟空がギニュー隊長の身体でここにいるという事は。

 

「デンデ、悪いけど後から付いて来てくれ。オレは急いで戻らなきゃならない」

「は、はい、お気をつけて……!」

 

 急がなければ、ドラゴンボールが奪われてしまうかもしれない。クリリンは内心焦りながら、見つからないようその場を離れ、最高速で飛び立った。

 

 

 

 

 その頃、明るいナメック星の空の下で。

 

 宇宙船の下から出てきたナッツと悟飯は、眩しい陽の光を浴びながら、話をしていた。

 

「平和的に遊ぶっていうのは、例えば、遊園地に行くとか……」

「遊園地なら、母様と行った事があるわ。飾りのついた大きな輪っかを投げ合って遊んだの。すぐ壊れちゃったけど、それでも凄く楽しかったわ」

 

 尻尾を振りながら微笑むナッツ。彼女の言うそれがおそらく観覧車だろうと思い至って、二匹の大猿が遊園地を破壊しながら遊んでいる光景を想像し、悟飯は遠い目になった。

 

「……それは、その飾りに乗って遊ぶんだよ。高い場所から景色を楽しむんだ」

「そうなんだ。私も少し、聞いてたのと違うなって思ってたのよ」

 

 母様も初めてって言ってたもの、と少女が呟くのを聞いた悟飯は、戦闘民族であるというサイヤ人の、殺伐とした生き方を改めて実感していた。それが悪いとはいう話ではないけれど、ナッツはまだ子供なのだ。一度くらい普通に遊園地で遊ばせてあげたいと、使命感にも似た気持ちを少年は抱いていた。

 

「遊園地、今度はお父さん達と皆で、ベジータさんも誘って行こうよ。きっと楽しいから」

 

 少年の真剣な面持ちに、ナッツはどきりとして目を逸らす。月を見たわけでもないのに、なぜだか心臓が跳ねていた。

 

「……そこまで言うなら、行ってあげてもいいわ。その時は、案内してね」

「うん、喜んで!」

 

 にこにこ笑う悟飯の表情がおかしくて、心が温かくなって、自然と少女の方も、同じ表情になっていた。

 

 会話に夢中の二人の背後で、7つのドラゴンボールが音も立てずに宇宙船から飛び出し、遠くの岩陰に落ちた。そして宇宙船の中から、悟空の姿をしたギニューが出てきた。気付いた少女が声を掛ける。

 

「あ、カカロット。どうしたの?」

「ベジータに言われてな。ギニュー達がボールを取り返しに来るかもしれねえから、様子を見てくる。悟飯もその子と仲良くな」

「お、お父さん!?」

 

 少年が顔を赤くする。悟飯に話し掛けられる前に先手を取って黙らせたギニューが、自然な様子でその場を離れようとしたその時、戦闘服を着た髪の無い小柄な男が、彼の行く手を塞ぐように降り立った。

 

「クリリンさん……?」

 

 その剣呑な雰囲気に、悟飯が訝しみ、そして歴戦の戦士であるギニューはこの時点で、嫌な予感を覚えていた。いつでも動ける心構えで、クリリンと呼ばれた男に笑い掛ける。

 

「よう、どうしたんだ? 怖い顔して」

 

 口調のわずかな違和感から、目の前の男が悟空ではないと確信したクリリンは、ギニューを指差して叫んだ。

 

「悟飯! ナッツ! 悟空は身体を乗っ取られてる! 今の悟空の中身は、あのギニュー隊長って奴なんだ!」

「「えっ!?」」

 

(やはりバレていたか!!)

 

 なぜ見抜かれたのかはどうでもいい。ギニューは即座に足元の土を前に蹴り飛ばし、とっさに顔を庇ったクリリンの横を走り抜ける。そして手をかざしてボールを引き寄せ、飛び立とうとした身体がつんのめる。振り返ると、彼の着ている胴着を、少女が固く握り締めていた。彼女の表情を見たギニューは、背筋が凍るような、本能的な恐怖を感じた。

 

「へえ、あなた、カカロットじゃなかったってわけ……」

 

 地獄の底から響くような声。羞恥と怒りに顔を染め、震えながら壮絶に笑うナッツ。発せられる殺気は、人というより猛獣のそれに近い。このままでは殺されると焦ったギニューが叫ぶ。

 

「ま、待て!! 今オレが死ねば、この身体は元に戻せんぞ!!」

「じゃあ、死なない程度に痛めつけてあげる!!」

 

 即答したナッツが跳躍し、全身の勢いを乗せて振り上げられた足がギニューの顎を強打し、吹き飛ばす。

 

「ナ、ナッツ……!」

 

 顔色を変え、父親の身体への攻撃を止めようとする悟飯を、少女が手で制する。

 

「悟飯、ここで攻撃を控えたら、あいつの思う壺よ。ドラゴンボールがまた奪われてしまうわ」

「で、でも、お父さんが……!」

「大丈夫。あの宇宙船にはメディカルマシーンがあるから、大怪我をしても治せるし、それに……」

 

 振り向いたナッツの笑顔を見た少年は、思わず見惚れてしまいながらも、身体が震えるのを止められなかった。

 

「今、私、とてもむしゃくしゃしてるの。邪魔しないでくれないかしら?」

「う、うん……」

 

 猛獣のような少女が、牙のように拳を構えて飛び掛かる。襲われたギニューが必死に応戦するも、身体の動きがどこかぎこちなく、ガードを食い破られ、全身に打撃を浴びてしまう。

 

 その光景を目の当たりにした悟飯は、父親の身体を奪ったギニューに、心底同情していた。

 

 

 

 そして同時刻、スカウターで異変を見て取った隊員達が立ち上がる。

 

 ギニュー隊長がナッツも含めた3人に囲まれており、その戦闘力がみるみる低下していく。

 

「おい! ギニュー隊長が!」

「やばいぞ、これは……!」

 

 狼狽するジースとグルドが叫ぶ。何かあれば撤退しろとは言われているが、この状況でそれをした場合、ギニュー隊長が殺されてしまう事は明白だった。

 

「正直、今のオレ達が行くのは危険だが……」

「気にしている場合じゃないな!」

 

 バータとリクームが笑う。どれほど危険であれ、共にずっと戦ってきたギニュー隊長を見捨てる選択など、彼らには有り得なかった。ジースが音頭を取って叫ぶ。

 

 

「ギニュー隊長を助けに行くぞ!」

 

「「「「「おう!」」」」」

 

 

 手を重ねた5人は、心がひとつになるのを感じていた。死にに行くのではない。5人で生きて帰るのだ。

 

「……ん?」

 

 妙な違和感を覚えた4人は、手を重ねた5人目を見る。そこにいたのは、真面目な顔のギニュー隊長だった。

 

「えっ? 隊長?」

「す、すまねえ。なんかオラもやった方がいいかなあって、つい……」

 

 笑って頭をかく悟空。そのへらっとした口調や表情は、ギニュー隊長と全く掛け離れている。だが外見は間違いなくギニュー本人という光景に、隊員達が頭を抱えた。

 

「や、ややこしい……!」

「隊長の中の奴! お前も来るんだ! 急げ!」

 

 ギニュー隊長がたとえ殺されかけていようと、元の身体に戻ってもらえばいい。そう考えた4人は、悟空を連れて全速力で飛び立った。

 

 

 

 フリーザの宇宙船の上空にて。

 

 ナッツとギニューとの戦いは、少女の優位に傾きつつあった。

 

 二人の戦闘力はほぼ互角だが、ギニューの方は悟空の身体に馴染んでいない事に加え、文字通り子供であるナッツ程に小柄な戦士と戦った経験はそう多くなく、俊敏に動き回る少女の動きを捉えきれずにいた。

 

「お、おのれ! これならどうだ!」

 

 全身に傷を負い、息を切らせたギニューが、ナッツに向けて渾身のエネルギー波を撃ち出すも、少女は迷わず両腕を交差し、真正面から突っ込んだ。一瞬後、爆炎を突破して現れた少女は、身体から煙を上げながら、驚愕するギニューの至近距離に顔を近づけ、獰猛に笑う。

 

「ギニュー隊長にしては、可愛らしい攻撃ね。捕まえたわ」

 

 ナッツは彼女を捕えようとするギニューの腕を躱して懐に潜り込む。そして小さく息を吸い、両腕が霞んで見えるほどの連撃を、彼の腹部に叩き込んだ。

 

「ぐわあああああっ!?」

 

 外見からは想像できない程の重い打撃の数々に、ギニューが目を剥き、吐血する。頬に飛んだ血の滴を拭いながら、少女は残酷に笑った。

 

「やっぱり身体を奪っても、カカロットの力を使えるわけではないみたいね」

 

 もし使えるなら、正面から攻めてくるだけでいい。それをせず、正体がバレてもすぐさま戦おうとしなかった時点で、ナッツは相手の戦闘力が、そう高くない事を見抜いていた。

 

 少女の身体がぶれながら消え、体勢の崩れたギニューの頭上に現れる。真上に高く掲げた右脚を、踵落としの要領でそのまま脳天に振り下ろす。

 

 地面に叩き付けられ、声も上げられずに倒れるギニューに向けて、少女が手をかざし、止めの赤いエネルギー波を打ち下ろそうとした時、悟飯が叫ぶ。

 

「もう止めて! お父さんが死んじゃうよ!」

「……安心して。私達サイヤ人は、この程度で死にはしないわ」

 

(とはいえ、これ以上は流石に危険ね)

 

 ナッツが攻撃を止め、小さく息をついた、その時だった。

 

 

「や、やべえぞ! オラが殺されちまう!?」

「お前じゃない、隊長だ!」

 

 その場の全員が声のした方を見た。そこにいたのは、ギニュー特戦隊の5人。まだ距離は遠いが、全員がナッツ達の方へと向かって来ている。

 

 

「「「「ギニュー隊長おおお!!!!!」」」」

 

 

「あの人達、また来たの……!!」

 

 ナッツは瀕死のギニューから意識を逸らし、迫る彼らを見て、唇を噛む。全員手負いで戦闘力が半減しているとはいえ、絡め手が厄介なグルドもいる。悟飯やクリリンがいても、油断できる相手ではない。月を作るべく、力を集中する。

 

(気は進まないけど、全員半殺しにするしかない……!)

 

 

「お、お前達……!!」

 

 倒れたギニューは、部下達が命令に反して救援に来た事を、嬉しく思うと同時に、何故来てしまったのかと、叱りつけたい気持ちを抱えていた。

 

 こうなる事が予想できたから、何かあれば自分を見捨てて逃げろと言ったのに。娘だけでなく、戦いの気配を察知したベジータも直に来るはずだ。このままでは全員殺されてしまう。

 

 上空のナッツを見る。彼女の意識は部下達の方に向いている。身体を奪うなら、今しかない。

 

 

「チェンジ!!」

 

 

 叫んだギニューの身体から、ナッツに向けて光が飛び出した。




 次回の話で、ギニュー特戦隊との決着がつく予定です。
 更新は遅れるかもしれませんが、気長にお待ちくださいませ。


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21.彼女が彼らと別れる話

「チェンジ!!」

「っ!?」

 

 ナッツは倒れた悟空の身体のギニューから放たれた光が、自分に迫っている事に気付く。

 

(これが身体を交換する能力? もしこれを食らったら、私がカカロットの身体に入るの?)

 

 意外と悪くないかも、と一瞬思ってしまう。体格も良いし、何より戦闘力がとても高い。ギニュー隊長は扱いきれていなかったようだけど、時間を掛ければ何とかなるかもしれない。 

 

 けどそれだと、悟飯の父親がギニューの身体に入ったままになってしまう。それに父様も、私の外見が変わってしまうのは嫌だろうと、少女は思い直して叫ぶ。

 

「悪いけど、私の身体を渡すわけにはいかないわ!」

 

 迫りくる光に向けて、赤いエネルギー波を撃ち放つ。それはあっさり光をすり抜け、地上のギニューに直撃した。

 

「がはっ!?」

「ええっ!? カ、カカロット!?」

 

 予想外の現象に驚き、そして瀕死のカカロットの身体に止めを刺してしまったかと、思わず硬直するナッツに向けて光が迫る。

 

 それから短い間に、いくつもの出来事が同時に起こった。

 

 

 

「オ、オラの身体がーー!!!!!」

「隊長ーーー!!!!」

 

 身体を取り戻しに来た悟空と、ギニューを助けるべく急行していた隊員達とが、その光景に絶叫する。

 

「ギニュー隊長! ……良かったまだ生きてる!」

「あれが身体を入れ替える技か!」

「……狙われてるのナッツちゃんじゃね?」

「つまりナッツちゃんの身体に隊長が……?」

 

 それって犯罪なのでは……? と彼らは思ってしまう。確かにあの子の身体なら、ベジータ達も手が出せないだろう。今の状況を打開するには、それしか無いのはわかっているが。

 

「そういえば隊長、この後皆で温泉旅行に行くとか言ってたよな。つまり……」

 

 

 バータの言葉に、彼らは温泉で思い思いに寛ぐ自分達の姿を想像する。そこへ少女の声が響く。

 

(ようお前ら、遅くなってすまんな!)

(あ、隊長……?)

 

 そして彼らの前に現れたのは、肩にタオルを掛けた良い笑顔で全裸のナッツだった。前を隠さず堂々とエントリーする姿に、彼らは一様に股間を隠して悲鳴を上げる。

 

(いやああああ!!!!)

(男の人呼んでーーー!!!!!)

 

 

「や、やはりアウトなのでは……?」

 

 恐ろしい未来予想図に青ざめる隊員達。その隙をついて、ギニューの身体の悟空が飛び出した。

 

「悪い、ちょっと元の身体に戻ってくる!」

「あ、こら!」

 

 気を取り直した隊員達がその後を追う。とはいえ、悟空も彼らも負傷しており、到底間に合う速度では無い。

 

 

 

 足元で跳ねるカエルを見ながら、悟飯は葛藤していた。

 

「こ、このままだと、ナッツがお父さんの身体に……!」

 

 少年はそんな未来を、反射的に想像してしまう。

 

(ねえ悟飯。今日は約束してた、遊園地に行く日よ。この服どうかしら? 戦闘服はマナー違反だからって、ブルマが選んでくれたんだけど)

 

 精いっぱいにお洒落をしたナッツの服装は、とても可愛らしいものだったが、その身体と声は、彼の父親のものだった。想像の中で、悟飯は震えながら血の涙を流していた。

 

 絶望の未来を予感し、死んだ目になった少年の足元を、カエルが横切っていく。あれが身体を入れ替える技なら、このカエルを投げれば妨害できると直感してはいたのだが。

 

(けど、それをやったら、お父さんの身体にカエルが……!)

 

 そしてカエルに入ったギニューは、身体の入れ替えなどできなくなる可能性が高い。どちらを選んでも最悪の選択を前に、悟飯は動けず震えていた。

 

 

 その時、横合いから伸びた手が、躊躇せずカエルを掴み取った。

 

「ギニューの野郎、よくもこのオレを騙してくれやがったな……!!」

「ベジータさん!?」

 

 戦闘の気配を察知して駆けつけた父親は、周囲の状況から、おおよその事情を理解していた。

 

 娘の身体を奪われる。父親はそんな未来を、反射的に想像してしまう。

 

(と、父様、私、トイレに行きたいんですけど、どうすれば……)

 

 最愛の娘がカカロットの身体でもじもじしながら、恥ずかしそうに語りかけてくる光景。その横では娘の身体に入ったギニューが服に手を掛け、下品た笑みを浮かべている。

 

(くっくっく、ベジータ、貴様の娘はなかなかの上玉だな……)

 

 当のギニューが知ったら名誉棄損だと訴えそうな光景だが、娘の危機に頭に血の上った父親にとって、それは限りなく現実に近いものだった。そしてそんな事態になれば、自分は発狂死するという確信があった。

 

 カエルを掴んだ手を大きく振りかぶりながら、父親は叫ぶ。

 

「ギニュー!! てめえには!!」

 

 横目で少年を見る。フリーザと戦う上でカカロットの戦闘力は惜しいが、娘とどちらを優先すべきかは、火を見るより明らかだった。絶望の未来を回避すべく、父親は決断する。

 

(カカロット、貴様の犠牲は無駄にはしない!)

 

「こいつがお似合いだーー!!!!」

 

 娘へと迫る光の先端へ向けて、父親は渾身の力でカエルを放り投げた。

 

 

 

 放り投げられたカエルを見て、悟空と隊員達が目を剥いた。

 

「ちょっ!? ベジータ!?」

「何いいいい!?」

 

 隊長を助けなければ。彼らは目線を合わせ、即座に動き出す。

 

「「「うおおおお!!!!」」」

 

 リクーム、バータ、ジースの3人が、全力で悟空へ追いつき、力を合わせてその身体を前へと蹴り飛ばした。

 

「さっさと行きやがれーーー!!!」

「サ、サンキュー!?」

 

 勢いで悟空の身体は急加速し、彼自身も力を振り絞って飛ぶも、割り込むにはまだ一歩足りない。カエルとギニューが入れ替わるまであと1秒未満。この場に居るのがたとえフリーザであろうと、間に合わない時間。

 

 

「止まれーーーー!!!!!!」

 

 

 グルドの絶叫と共に、時間が停止する。彼はそのまま加速し、勢いのまま、停止した悟空に激突した。グルドは激しく消耗しながらも、時の止まった隊長の身体を前へと押し出していく。

 

 そしてその身体が空中のカエルを弾き飛ばした瞬間、彼の体力は限界を迎え、時間が動きだす。光が、ギニュー隊長の身体を直撃した。辺りが一瞬、閃光に包まれる。

 

 

 

「ど、どうなったの……?」

 

 光が収まった後、ナッツは自分の身体に異常がない事を確認して呟いた。その時、急上昇してきた父親が、娘を見て叫ぶ。

 

「ナッツ! 無事か! ……中身はギニュー隊長じゃないよな!?」

「は、はい、父様。私はナッツです」

「良かった……!」

 

 感極まった父親に抱き締められ、その温かさと、自分を心配してくれた事に、少女は嬉しくなってしまう。

 

「もう、父様ったら……」

 

 父親を抱き締め返した娘の目に、ギニューの周囲に隊員達が集い、気遣わしげに声を掛けているのが見えた。

 

「隊長! 大丈夫ですか!」

「ああ、お前達のおかげでな……危うくカエルにされてしまう所だった……」

 

(あれはギニュー隊長本人ね。という事は、カカロットは……) 

 

 少女は倒れた父親の様子を確認している悟飯を見た。視線の先で、少年が嬉しそうに叫ぶ。

 

「お、お父さんだ! 元のお父さんに戻ってる!」

「良かったわね、悟飯!」

「うん! 凄く怪我してるけど……」

「ご、ごめんなさい……色々あって、手加減できなくて……」

 

 気まずそうに謝るナッツに、悟空は痛みを堪えながら笑顔を見せた。

 

「謝る事はねえよ。油断して身体を奪われちまったオラが悪いし、ドラゴンボールを守るためだったんだろ? こうして元に戻れたんだから、オラは全然構わねえさ」

「カカロット……」

「そうだぞナッツ。油断しやがったカカロットが悪い」

 

 口を挟んだ父親に、悟空はむっとした様子で言った。

 

「じゃあベジータおめえ、ギニューがいきなり目の前で自分の身体を傷付けて光ったと思ったら身体が取られてたとか、知らずに防げるのかよ?」

「……少なくともオレはもう取られん」

「知らなかったら無理なんだよな?」

 

 痛い所を突かれたベジータは、ぐぬぬと拳を震わせて叫ぶ。

 

「うるさいぞカカロット! 治療してやらんぞ!」

「さっきナッツの分も仙豆やっただろ!」

「ぐっ……!」

 

 言葉に詰まる父親から、娘が身体を離し、静かな声で告げる。 

 

「父様、カカロットの事をお願いします」

「……お前はどうする?」

「私にはまだ、やる事がありますから」

 

 父親が娘の視線を追うと、こちらを見上げているギニュー特戦隊の姿があった。全員負傷しており、厄介なグルドも疲労困憊している。ナッツが大猿になれる事も考えれば、万が一にも危険は無いだろうが、それでも娘の事は心配だった。

 

「お前の好きなようにしろ。ただオレもこの場で見させてもらう。それほど長くは掛からないだろう?」

「はい、父様。ありがとうございます」

 

 そして二人は地上に降り立ち、瀕死の悟空の傍に立ったベジータが腕を組んで、娘の姿を見守り始める。重症の父親を見かねた悟飯が声を掛ける。

 

「お、お父さん、大丈夫? やっぱりベジータさんに頼んで、すぐ治療した方が……」

「いや、悟飯。後で構わねえ。オラはまだ大丈夫だ」

「ど、どうして……?」

 

 倒れたまま痛みを堪え、戸惑う悟飯の頭を撫でながら、悟空はギニュー特戦隊の方を見た。 

 

「あいつらとは、ちょっと色々あってな。見ておきてえんだ。あ、クリリン、おめえはドラゴンボールを頼む」

「わ、わかった……」

 

 ギニューが持ち出し、岩陰に落ちていたドラゴンボール。ナッツと睨み合う特戦隊の方を警戒しながら、クリリンが回収を始めた。

 

 

 そして少女はギニュー特戦隊に、悲しそうな目を向けていた。サイヤ人の戦士としては、自分でもどうかと思う感情だけど、昔の自分に優しくしてくれたおじさん達も、彼らが慕うギニュー隊長も、できるならば、殺したくはなかった。

 

「……あなた達、もう引くつもりはないの? その状態で戦ったら、今度こそ本当に死ぬわよ」

「生憎だが、そういうわけにはいかんな……!」

 

 腹部を大きく負傷したギニュー隊長が、前に進み出る。確かに任務の達成はほぼ不可能だが、ここでむざむざ引いた場合、ナッツに敗北してボールを奪われる原因を作った部下達が処罰される可能性があった。それに大恩あるフリーザ様からの信頼を、裏切るわけにはいかなかった。

 

 ギニュー隊長の戦闘力は明らかに下がっているのに、むしろ先程よりも強くなっていると、ナッツは感じていた。心と身体が一体となったその佇まいには一部の隙もなく、殺さない限り、止められないように思えた。

 

「どうしてよ! フリーザなんかの為に、死ぬ事はないじゃない!」

 

 少女の悲痛な叫びに、ギニューはゆっくりと両手を広げていく。そして両足を広げ、開いたつま先で立つ。そのポーズは彼自身も驚くほどの、会心の出来栄えだった。

 

「こ、これは……!?」

 

 あまりの威圧感に押され、ナッツが思わず後ずさりそうになってしまう。彼女が過去に見た時よりも、日々の研鑽と決死の覚悟によって、そのポーズは遥か高みに達していた。

 

「す、凄え……!!」

「ギニュー隊長……!!!」

 

 部下達が瞠目し、思わず涙する。銀河最高クラスのスペシャルファイティングポーズを見せつけながら、ギニュー隊長が高らかに宣言する。

 

 

「オレは特戦隊隊長、ギニュー!! フリーザ様は我々を親子二代で厚遇して下さったし、オレ達が好きな時に好きな場所でポーズを取ることも許して下さったのだ! その恩に報いる為にも、引くわけにはいかん!!」

 

 

「そんな理由で……っ!!」

 

 台詞はともかく、ギニュー隊長のポーズの凄まじさに、その価値を知る少女は完全に呑まれ、気圧されてしまっていた。

 

 

 

 そして傍から見ていたクリリンには、その素晴らしさが全く理解できなかった。

 

「……あ、あいつら一体、何と戦ってるんだ?」

 

 倒れた悟空が目を丸くして感嘆し、その横でベジータが、苦々しい顔をしている。

 

「おお……何か凄いぞあれ!!」

「……奴らのあのセンスだけは、昔から理解できん」

 

 そしてギニュー隊長のポーズを見つめる悟飯の目には、子供らしい憧れの色が宿っていた。

 

「な、なんだろう……少し、格好良いような……!!」

 

 そしてその両手が頭に伸び、ポーズらしきものを取ろうとしているのを見たクリリンが慌てて止める。

 

「悟飯! 考え直せ! そっちに行っちゃ駄目だ! 学者さんになるんだろう!?」

「そ、そうですよね、クリリンさん……」

 

 学者さんはポーズを決めて叫んだりしない。名残惜しいと思いつつも、少年は己の知る常識に従い、脳裏に浮かんだポーズを封印した。

 

 後にグレートサイヤマン1号のポーズと呼ばれる事になるそれが、10年以上先の地球で悪人相手に披露される事に、この場の誰もまだ気付いていなかった。

 

 

 

「……そう。引く気は無いってわけね」

 

 ナッツの顔が、引き締まった戦士のものとなる。相手がやる気である以上、戦わなければ失礼だ。それにこうしている間にも、フリーザがこの場に来てしまうかもしれない。早めに決着をつける必要があった。

 

 そして戦いの前に、ギニュー隊長が見せた素晴らしいポーズに対し、こちらも返礼する必要があった。それを怠れば、たとえ戦闘力で上回っていようとも、気持ちの上で負けてしまうと少女は感じていた。

 

 ゆっくりと胸に手を当て、王族に相応しい高貴なポーズを取る。手足の角度も意識して、言われたとおりに、ビシっと気合いを入れる。今までで最高の出来栄えだと、確信できた。凛とした声で名乗りを上げる。

 

「私の名前はナッツ!! サイヤ人の王子、ベジータ父様の娘よ!!」

 

 

 そのポーズを見たギニューは、脳と心臓を同時に吹き飛ばされたような衝撃に襲われていた。

 

「なああああっ……!?」

 

 腕や足、顔の角度、指先や目線に至るまで、全てが美しく、洗練されていた。それだけではない。王族としての高貴さと戦闘民族の力強さ、それに加えて成長途中の少女の可憐さまでもが、輝きとなって彼女の内面から溢れ出すようだった。たとえギニューが形だけ真似しても、これを再現する事は不可能だろう。それはまさしく、彼女のためのポーズだった。

 

 彼女自身の練度は、自分はおろか、ジース達と比べても遥かに劣る。それは問題ではない。恐るべきは、十にも満たぬ子供の時点でこの域に達しているという事だ。これからさらに研鑽を積めば、どれほどの実力となる事か。

 

(この娘、天才か……!!!)

 

 ギニューは生まれて初めて、自分以上の才能を見た。内心の動揺が、完璧なポーズに、一瞬の隙を作ってしまう。そして戦闘民族の少女は、それを見逃さなかった。

 

 飛び出したナッツの身体が、空中で反転し、瞬く間にギニューの背後を取る。反応した彼が振り向き渾身の一撃を叩き込むも、少女の姿はかき消え、彼の頭上に出現した。驚愕するギニューに、薄氷の勝利を掴み取ったナッツが叫ぶ。

 

「私の勝ちよ!! ギニュー隊長!!」

「お、おのれえええ!!!!」

 

 そしてナッツは彼の首筋を蹴り飛ばし、その意識を刈り取った。フリーザ軍最強の男が、ゆっくりと地面に倒れていく。

 

 

「ギニュー隊長おおお!!!」

 

 最後まで戦った隊長の身体に、隊員達が縋り付く。彼らに向けて、少女が呟いた。

 

「……あなた達も、まだやるのかしら?」

 

 ジースはしばし葛藤した後、首を振って、静かな口調で言った。 

 

「隊長もオレ達も、これ以上は戦えない。一旦撤退すべきだろうな」

「……大丈夫なの?」

 

 後でフリーザに処罰されるのではないか。少女の心配に、リクームが笑って応えた。

 

「何、ここで無理してギニュー隊長が死ぬ方が、フリーザ軍にとっては痛手だもんな」

 

 面白くなさそうな顔で、グルドが続ける。

 

「調子に乗るなよ。怪我を治したら、またすぐに戻って来てやるからな」

 

 そしてバータが、何かを覚悟したように言った。

 

「隊長が指示できる状態じゃないから、オレ達が勝手に撤退したって事で、フリーザ様には後でオレ達の首でも何でも差し出して、わかってもらうさ」

「そんな……!」

 

 震えるナッツ。重くなり掛けた雰囲気の中、悟飯に支えられた悟空が、心配そうな声で言った。

 

「おめえら、クビにされたらオラの所に来いよ。畑仕事はしてもらうけど、飯くらいは食わせてやっからさ」

 

 微妙に事態を理解していない発言に、バータが目を丸くし、そしてツボに入ったのか、大きな声で笑い出した。

 

「は、ははっ! お前良い奴だな! まあ、その時はよろしく頼む」

「おう。いつでも待ってるぞ」

 

 

 戦いを見ていた父親は、娘がギニュー隊長を倒した事を内心喜びながらも、その決着の不可解さに、どうにも釈然としない気持ちを抱えていた。彼に理解できたのは、自分の娘が宇宙一可愛いという事だけだ。

 

「……さっきのあれは、ギニューの奴が驚くほど凄かったのか? くそっ、スカウターがあれば保存しておけたものを!!」

 

 悔しがる父親に、気絶した隊長を抱えたジースが声を掛ける。

 

「ベジータ、さっきの映像、後でお前のポッドに送っておくから。ナッツちゃんが成長した時にでも見せてやれよ」

「な、何っ!?」

 

 父親の顔が一瞬綻び、そして一転、怫然とした表情となる。

 

「……礼は言わんぞ」

「お前のためじゃないさ。きっとナッツちゃんも喜ぶだろうからな」

 

 後ろ姿で手を振り、ジースが歩み去っていく。数年後、この時の映像を見せられた少女が真っ赤になって絶叫する事になるのだが、それはまた別の話だ。

 

 

 ナッツに見送られ、彼らは飛び立とうとしていた。彼らは敵同士であるため、当然言葉は無い。

 

 そんな中、彼らは名残惜しそうにこちらを見ている悟飯に気付いた。

 

「ん? どうした少年?」

「あ、あの……」

 

 悟飯は恥ずかしそうにしながらも、やがて意を決して言った。

 

「その、さっきのその人のポーズが、凄いって思って。また見てみたいなって……」

「ほう……!」

 

 敬愛する隊長を賞賛され、彼らの顔が綻んだ。そしてフリーザ軍のイメージ向上の為、ファンサービスも彼らの業務の一つだ。

 

「生憎、隊長は見てのとおりでな。その代わり、あのスペシャルファイティングポーズには、到底及ばねえが……」

 

 しゃがんで悟飯と話していたリクームが、気合いと共に、自慢のポーズを披露する。

 

「ギニュー特戦隊!! リクーム!! とうっ!!」

「す、凄い……!」

「いや待て少年……オレの方が凄いぞ」

「オレだって!」

 

 目を輝かせる少年に向けて、競うように次々とポーズを披露する隊員達。ナッツも昔を思い出しながら、懐かしそうにそれを見ていた。 

 

 そしてひとしきりポーズを見終わった後、興奮した様子の悟飯が、礼儀正しく頭を下げる。

 

「あ、ありがとうございます!!」

 

 そんな少年に、バータは真面目な顔で言った。

 

「礼はいいんだ。それより、教えて欲しい事があってな」

「な、何ですか?」

「お前もしかして、ナッツちゃんの彼氏?」

「ち、違います!?」

 

 赤くなりながら否定するその様子で、気があると判断した彼らは、面白そうに笑いながら、少年の肩に手を回す。

 

「どこまで行ったんだ? お兄さん達に教えてくれよ」

「ひ、膝枕?」

 

 次の瞬間、4人が阿修羅のような顔になった。

 

「よし殺す!!」

「羨ましいじゃねえか!!」

「ええっ!?」

 

 フリーザ軍の最強部隊である彼らは全員結構モテるのだが、それとこれとは別の話だ。てめえその歳で青春しやがってと、詰め寄る彼らと悟飯の間に、ナッツが手を広げて割り込み叫ぶ。

 

「ちょっと! おじさん達! 悟飯に何してるのよ!」

「……おじさん達?」

「あっ」

 

 反射的に出た昔の呼び方に、ナッツが口を押さえるも、もう遅い。にやにやしながら、4人が近づく。

 

「今、何て言った? おじさん達、最近歳のせいか、耳が遠くてさ」

「もう1回言ってくれないかなあー?」

 

 真っ赤になった少女がぶんぶんと腕を振り回し、解かれた尻尾の毛を逆立てながら、威嚇するように叫ぶ。

 

「うるさい!! あなた達!! さっきの続きをしてもいいのよ!!」

「ナッツちゃん怖え!!」

 

 彼らは笑いながら隊長を回収し、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 

「覚えてなさい! 次に会ったら殺すから!」

「おうよ! また会ったらな!」

 

 彼らは揃ってポーズを決め、笑顔で飛び立って行った。その背中を眺めて、ナッツが呟く。

 

「……まったくもう、フリーザ軍の最強部隊の癖に、ふざけてばっかりなんだから」

「けど、良い人達だったよね」

 

 悟飯の言葉に、少女はとても嬉しそうに微笑んだ。

 

「ええ。とっても良い人達よ」

 

 そうでない彼らの一面も、彼女は身を持って知っていたけれど、それでもナッツの中で、彼らは皆、面白くて優しいおじさん達だった。

 

 

 小さくなっていく彼らを見送る二人に、父親が声を掛ける。

 

「ナッツ、悟飯。クリリンがナメック星人を連れてきた。願いを叶えるから早く来い」

「! わかりました! 父様!」

 

 もしかしたら、母様が生き返るかもしれない。期待を胸に駆けだそうとした少女が、ふと立ち止まって少年を見る。

 

「ところで悟飯。彼氏ってどういう意味?」

「今それを言うの!?」

 

 ナッツの後ろで、父親がぼきぼきと指を鳴らしている。答えられるはずもなく、顔を赤くして宇宙船の方へ逃げ出す悟飯を、少女が追いかける。

 

「ねえ、待ってったら!」

 

 本気で意味がわからない、といった様子の娘を見ながら、父親は複雑な思いでため息をついた。




【ナッツが考えたポーズは専門家の目から見ると凄い】
 
 第1話の過去編に張っておいた伏線をようやく回収できました。エタらないと決めていたとはいえ、この話を書く日が来るとは感無量なのです。気付けばギニュー特戦隊の話で10話以上使ってるのですが、彼らの話はじっくりやりたかったので書き終えられて満足しております。

 彼らのその後につきましては、最終回後のエピローグで描写する予定です。暗い話にはなりませんのでご安心下さい。

 話数的にはメインのフリーザ戦の方がおそらく少なくなってしまうのですが、あっちはあっちで密度と温度高めに書くつもりですので、気長にお待ち下さいませ。


 それと前回ランキングに載った際、たくさんのお気に入りをありがとうございます。読んで下さる方が大勢いるのはアクセス数でわかるんですが、反応が無いと「もしかして最近つまらないんじゃないのかなあ……」ってなってしまいますので、たまにこういうのがあると凄く嬉しいです。


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22.彼女が願いを試す話

 フリーザの宇宙船の近くにて。

 

 戻ってきたナッツ達が見たものは、地面に置かれた7つのドラゴンボール。そしてクリリンとナメック星人の子供が、感慨深げにそれを見つめている。その子供を、少女は最長老の家で見た覚えがあった。

 

「あなた、確かデンデって言ったわね」

「はい。最長老様に命じられて来ました。願いを叶えるには、ナメック語で伝えなければなりませんので」

「そういう仕組みだったのね……」

 

 つまり力ずくでボールを奪っても、ナメック星人に認められなければ、願いは叶わないという事だ。よくできていると、ナッツは思った。

 

 痛めつけて無理矢理従わせれば、という考えが浮かんだが、フリーザが願いを叶えられなかったという事は、殺されたナメック星人達は、誰1人として秘密を話さなかったという事だろう。普通なら1人くらい、フリーザに味方する者が出そうなものだけれど。

 

(何でも願いを叶える道具がすぐ傍にあるのに、水と陽の光だけで満足して生きてる、欲の無い人達だものね)

 

 ツーノ長老と村人達の事を思い出し、ナッツの顔に笑みが浮かぶ。戦闘民族であるサイヤ人とは全くかけ離れた彼らの在り方を、少女はしかし、好ましく思っていた。

 

(あの人達は、バラバラになって隠れるって話だったわね。無事だと良いんだけど)

 

 そう簡単に見つかりはしないだろうけど、フリーザは願いが叶わないと知ったら、腹いせにこの星を壊しかねない。それを防ぐためにも、やはり父様が不老不死を得た後で、フリーザと戦う必要があるだろう。

 

 少女の中で、怒りと恐怖と高揚がない交ぜになって、先程とはまるで違った、獣が牙を剥くような、獰猛な笑みを見せる。

 

(見てなさい、フリーザ。今日がお前の最後の日よ。倒すのは父様だけど、私だって、一撃くらい入れてやるんだから!)

 

 今の私が変身すれば、戦闘力は20万を超える。たとえフリーザが相手でも、全くの足手纏いにはならないはずだ。拳を握り締める少女の頭に、父親が優しく手を置いた。

 

「父様……?」

「あまり無理はするんじゃないぞ。フリーザの奴を殺せても、お前が死んでは意味が無いからな」

「……わかりました、父様!」

 

 頭を撫でる父親に、猫のように甘えながら、娘は嬉しそうに微笑んだ。その手の温もりが心地良くて、敵意に強張っていた心が、解きほぐされていくようだった。

 

 ふとナッツが視線を感じ、振り返ると、見ていた悟飯が慌てて目を逸らした。気になった事を、少女は尋ねてみる。

 

「そういえば悟飯、カカロットは大丈夫だったの?」

 

 ギニュー隊長に身体を乗っ取られて、仕方なかったとはいえ、瀕死になるまで痛めつけてしまった事が、今さらながらに心配だった。

 

「うん。酷い怪我だったけど、30分もすれば治るってベジータさんが言ってた。あのメディカルマシーンって、溺れたりしないよね……?」

 

 父親を案ずるその気持ちは、とても良く理解できたから、心細そうな少年を安心させるように、ナッツは優しく笑って見せた。

 

「ちゃんと呼吸器も付いてたでしょう? 私も何度も使ってるし、最新型だから大丈夫よ」

 

 そこで少女は、クリリンと共に願いを叶えようとしているデンデを見て、ツーノ長老の村で助けた子供を思い出し、ある事に気付いた。

 

(……もしかして、カカロットをデンデに治してもらえばいいんじゃないかしら?)

 

 その方が、メディカルマシーンよりも遥かに早い。ナメック星人の治癒能力の事は、父様も知っているはずだったが、今は願いを叶える事が、優先ということだろう。

 

 そしてクリリンに促されたデンデが、呪文めいたナメック語を叫ぶ。

 

 

「タッカラプト、ポッポルンガ、プピリットパロ!!!」

 

 

 言葉が終わると同時に、7つのボールが眩い光を放ち始める。そして同時に、夜の無いはずのナメック星の空が闇に包まれる。

 

「な、何なのこれ……!?」

「地球のドラゴンボールと同じだ……!」

 

 異様な現象に戸惑うナッツの前で、輝きはさらに強さを増していき、そして7つのボールから、凄まじいものが飛び出した。

 

 その場の全員が、呆然とそれを見上げていた。50メートル以上の長く輝く緑色の巨体は蛇のようでありながら、魚類のようなヒレを備え、身体の上部はひときわ大きく、筋肉質な両腕と何本もの角を生やし、牙を持つ龍が、恐ろしげな風貌ながら、どこか超然とした様子で、彼らを見下ろしていた。

 

 あたりは真っ暗だというのに、光の柱のようなその輝きは、太陽よりも眩しく、全てを照らし出していた。

 

 

『ドラゴンボールを7個揃えし者よ。さあ、願いを言うがいい。どんな願いも可能な限り、3つだけ叶えてやろう』

 

 

 よく響くその神秘的な声と風貌に、少女が黒い瞳を輝かせ、感嘆の声を上げる。

 

「これが、ドラゴンボールの龍……!」

 

 大猿になった自分の、優に3倍はあるだろうか。こんな巨大な生き物を見たのは初めてだった。そしてこの龍は、これから母様を生き返らせてくれるかもしれないのだ。それを思うと、その厳つい顔付きも、どこか愛嬌があるように見えた。

 

「で、でかい……これがナメック星の神龍か!」

「ナメック語では、ポルンガと言います。夢の神という意味です」

 

 未だ驚きから覚めない様子のクリリン達に、少女は言った。

 

「まず、私から願いを言っても良いかしら?」

「そ、そうだな。急がないと、フリーザが来るかもしれないし」

 

 気遣うような口調で、少年が声を掛ける。

 

「ナッツ、君のお母さん……生き返ると良いね」

「うん。ありがとう、悟飯」

 

 期待し過ぎてもいけないと、頭では判っていながら、少女の声は弾んでいた。

 

「ではナッツさん、願いをどうぞ」

 

 彼女はポルンガを見上げ、祈るように、自らの願いを口にした。

 

 

「私の母様を、病気の無い元気な身体で生き返らせて欲しいの」

 

 

 デンデがナメック語で、同じ言葉を繰り返す。少女と父親が固唾を飲んで見守る中、ポルンガが言った。

 

 

『それはできない』

 

 

「!? ど、どうしてよ!?」 

「……どういう事だ?」

 

 取り乱す少女と比べて、父親は一見落ち着いているようだったが、声色に落胆と怒りを滲ませていた。

 

『そのサイヤ人の寿命は既に尽きている。自然に死んだ者を生き返らせる事はできない』

 

 フリーザに送り込まれた激戦区の惑星で、彼女の母親は一人最後まで戦い続け、残り少ない寿命を使い切って死んでいた。

 

 震えるナッツの身体を、父親が後ろから強く抱きしめた。その温もりを感じながらも、少女は涙が出そうになるのを、必死に堪えていた。

 

(死んだ人間を生き返らせる事ができるのに、自然死が駄目ってどういう事よ……)

 

 ナッツはふと、自分の手が、別の温もりに包まれるのを感じた。見ると悟飯が心配そうな顔で、こちらの手を握っていた。

 

「ナッツ……大丈夫?」

 

 少女はその気遣いを嬉しく思うと同時に、年下のこの少年に、みっともない所は見せられないと思った。目元を拭って、口元を笑みの形にしてみせる。

 

「いいの。そこまで期待してはいなかったから。母様は元々長くは生きられなかったらしいし、サイヤ人らしく、最期は戦って死んだんだから、そのまま休ませてあげるべきなのよ」

 

 娘はそこで、自分を抱き締める父親の顔を見上げる。

 

「そうですよね、父様?」

「……ああ、そうだな」

 

 娘の前でみっともない姿を見せるわけにはいかないと、父親は必死に、悲しさを押し殺して応えた。

 

 

 それから間もなく、心を落ち着かせたナッツが言った。  

 

「じゃあ私の分の願いは、約束どおり、あなた達にあげるわ」

「ありがとな。まあ、オレ達の願いも一つしかないんだけどさ」

 

 礼を言いながら、クリリンは感慨深そうに、少女の顔を見つめていた。

 

「? ……どうしたの?」

「いや、何でも無いさ」

 

 ナメック星に来た当初は、まさかあの恐ろしいフリーザ達を出し抜いて願いを叶えられるなんて、思ってもみなかった。この子とベジータの協力がなければ、おそらく不可能だっただろう。

 

 天津飯達が死んだのも、元々はサイヤ人達のせいだけれど、クリリンの中で、彼らに対するわかだまりは、薄れつつあった。ポルンガを見上げて、願いを口にする。

 

 

「サイヤ人に殺された地球の人達を生き返らせて欲しい」

 

 

 デンデが通訳するも、再びポルンガは拒絶する。

 

『駄目だ。一つの願いで生き返れるのは一人だけだ』

 

 ここに来てまさかの制限に、クリリンは色めきだって叫ぶ。

 

「こいつ本場の神龍だってのに、さっきからケチだな!!」

「そうよそうよ! 何でも叶えてくれるんじゃなかったの!」

 

 騒ぐクリリンとナッツに、ポルンガは超然とした口調で言った。

 

『可能な限り、と最初に言ったはずだ。私の力では、その願いは叶えられない』

「むう……」

 

 少女は頬を膨らませる。確かに言った事に矛盾はないけれど。あと願いはいちいちナメック語に通訳させる癖に、流暢に普通の言葉を話すポルンガに、何だか腹が立つ思いだった。

 

 まあ確かに、この場にフリーザが乱入してきて「このフリーザを不老不死にしろーー!!!」とか叫んでそれが叶えられたら大変だから、通訳が必要というのは判るのだけど。

 

「あの、早くしなければ、最長老様の寿命が……」

「ど、どうしよう……!」

 

 焦った様子で悟飯が呟く。ピッコロさん達は4人なのに、願いは2つしかない。その時、少年の心に、懐かしい声が響いた。

 

(聞こえるか、悟飯!)

 

「こ、この声は、ピッコロさん!? ど、どこに!?」

 

 同じく声が聞こえたクリリンと共に、少年は周囲を見渡すも、その姿は見当たらない。

 

(界王を通じて、お前達の心に話し掛けている。いいか、よく聞け……)

 

 ピッコロは彼らに、2つの願いの使い方を伝える。1つ目はピッコロを生き返らせる事。それで同時に神が蘇れば地球のドラゴンボールも復活し、二度死んでいるチャオズ以外の者は生き返る事ができる。

 

 そして2つ目は、ピッコロをナメック星に移動させる事。同族であるナメック星人達を殺したフリーザへ、修行した力で一矢報いてやりたいとピッコロは訴える。

 

 生まれた時から地球で一人だったピッコロにとって、故郷であるナメック星を荒らし、仲間達を殺したフリーザの行為は、到底許せるものではなかった。

 

 フリーザの脅威を知る悟飯とクリリンは、無謀だとは思いつつも、ピッコロの意思を尊重して承諾する。

 

 その間、声が聞こえていないナッツと父親とデンデは、怪訝そうに、顔を見合わせていた。

 

「ねえ悟飯。さっきから、一体誰と話しているの?」

「ピッコロさんだよ。願いで皆が生き返る方法を思いついたって、教えてくれてるんだ」

 

 嬉しそうな少年の言葉に、少女はますます混乱してしまう。

 

「ど、どういう事? その人は地球で死んだでしょう?」 

「あの世で修業してて、界王って人を通じて話してるんだって」

「あ、あの世ですって……!? 死んだ人間が、そこから話を……!?」

 

 ナッツにとって、その概念は衝撃的なものだった。話を聞いていたベジータも、驚きに目を見開いている。死んだ人間は、いなくなるのが常識だ。それが別の世界にいて、話す事までできるだなんて!

 

 少女は悟飯の両肩を掴み、真っ直ぐに彼を見つめて、期待に満ちた声で言った。

 

「じゃあ、母様もそこにいるんでしょう!? お願い、私にも話をさせて!!」

 

 それが叶うのなら、何でもするからと、すがりついて叫ぶ少女。その心に、知らない声が響く。

 

(サイヤ人の娘よ、わしは北の銀河の界王だ。お主の望みを叶えてやる事はできん)

「どうしてよ!?」

 

 血を吐くような叫びに、彼は淡々と応えた。

 

(お主の母親は他のサイヤ人達と共に、地獄で罪を償っておる。生前善い行いをしてきた者ならば、一時的に現世との交流が認められる場合もあるが、地獄に落ちた人間に、そのような温情が与えられる事は無い)

 

 仮にこれが、これまで何度も悪の手から地球を救ってきた、孫悟空の頼みなら。特例に特例を重ねた上で、地獄にいる両親と会う事が許されるかもしれなかったが。幾つもの惑星を滅ぼし、罪を重ねてきた悪人のナッツでは、この先どんな善行を行おうと、それが認められる可能性は無い。

 

 少女はしばし俯いて、やがて絞り出すように言った。

 

「……母様のいる地獄って所。私や父様も、死んだ後は、そこに行けるのよね?」

(それは間違いないだろう)

 

 界王はその言葉を、悪人に判決を下すような気持ちで伝えたのだが、当の少女の表情が見る間に明るくなったのを見て、思わず戸惑ってしまう。

 

「良かった……!!」

 

 つまりいつかは必ず母様に会えるのだ。それも父様と一緒に。もちろん当分死ぬつもりなんて無いけれど、一度は諦めていただけに、いっそう嬉しくなってしまった。

 

 幸せそうに微笑むナッツを、界王は変な子を見る目で見ていた。

 

(……この娘、地獄行きが罰にならんのではないか?)

 

 とはいえ、悪人を天国に送るわけにもいかない。死んだ人間が押し寄せるあの世の業務は年中無休で忙しく、こんな理由でいちいち特別扱いしている余裕などないだろう。

 

 そしてクリリン達が願いを叶えている横で、娘は父親に朗報を伝えた。

 

「父様!! 母様は地獄にいて、私達も死んだ後でまた会えるそうです!!」

「!! ……そうか」

 

 どこか辛そうに、父親は呟いた。その反応を疑問に思った娘が理由を尋ねようとした瞬間、ナッツは信じがたい戦闘力の持ち主が、急接近する気配を感じていた。

 

「こ、この嫌な気配は……!」

「フリーザだ……近づいてくる!」

 

 いずれ相対すると、覚悟はしていたものの、少女と悟飯は、身体が震えるのを抑えられなかった。同じく恐怖に駆られたクリリンが叫ぶ。

 

「最後は、ベジータが不老不死でいいんだな!?」

「あ、ああ……そうだな……」

「……いいんですか?」

 

 躊躇うようなベジータの様子に、デンデは戸惑ってしまう。そしてナッツは、その理由に思い至った。

 

(不老不死になったら、父様は地獄に行けなくなる……!)

 

 今の父親の気持ちが、娘には痛いほど理解できた。フリーザは必ず倒さねばならない。けど父様だって、母様に会いたいはずなのに。いっそ私が代わりに不老不死に、そんな事を一瞬考えてしまうも、それではきっと、父様と母様が気に病んでしまうだろうし、自分も嫌だった。

 

 わずかな残り時間の中で、ナッツは必死になって考える。

 

「そうだわ! ねえ、ドラゴンボールって、一度しか使えないの?」

「地球のドラゴンボールは、1年経てばまた使えるけど……」

「じゃあ、フリーザを倒した後、またドラゴンボールで不老不死を取り消してもらえばいいのよ!」

「そ、そうか!」

 

 ベジータは思わず目を見開き、そして迷いの消えた顔で叫ぶ。

 

「よし、このオレを不老不死にしてくれ!!」

「は、はい!」

 

 デンデが願いを口にしようとした、その瞬間。ポルンガの姿が掻き消えた。

 

 空が明るさを取り戻し、ドラゴンボールのような大きさと形の石が、次々に地面に落ちてくる。

 

 それが何を意味するのか、誰もが理解できていたが、それでも少女が口を開く。

 

「こ、これは……どういう事……?」

「ドラゴンボールをお作りになった最長老様が、寿命で亡くなられて……」

「じゃ、じゃあ父様の不老不死はどうなるのよ!?」

 

 悲痛に満ちた少女の声。父親はあまりの事態に、声も出せずに呆然としている。

 

 そして全員がその禍々しい気配を感じ、驚きと共に目を向けた。高い丘の上から、宇宙の帝王が、怒りに満ちた顔で彼らを見下ろしていた。

 

 

「ふ、フリーザ……!」

 

 注目の中、彼は地面に降り立ち、石と化したドラゴンボールに目を向けた。そして不老不死になり、宇宙を永遠に支配するという彼の野望が、もはや叶わない事を理解した。

 

「ゆ、ゆるさん……」

 

 フリーザの身体が、込み上げる怒りで震え出す。失態を犯した部下を殺す時ですら、常に余裕を見せていた彼が、今この時、本気の怒りを表に出していた。

 

 くだらない時間稼ぎをしたあのナメック星人、そしてサイヤ人に地球人。大した戦闘力も持たないと見下していた下等生物共に、まんまと出し抜かれた怒りで、感情のままに絶叫する。

 

 

「絶対に許さんぞ虫ケラども!!! じわじわと嬲り殺しにしてくれる!!!」

 

 

 動かなければ死ぬ、恐怖に固まっていた全員が、生物としての本能でその場を飛び離れ、戦闘態勢を取った。震えながら、デンデも後ずさって距離を取る。

 

「一匹たりとも逃さんぞ!! 覚悟しろ!!」

 

 その場の全員を睨みながら、激情と共にフリーザの戦闘力が、更に大きく跳ね上がる。

 

「そ、そんな……」

「これほどの化け物だったなんて……」

 

 強大すぎるフリーザの気に圧倒され、悟飯とクリリンが身を竦ませる。頼みの綱の不老不死は叶わず、悟空の治療もまだ時間が掛かる。 

 

 絶望的な状況を前に、同じく身体を震わせながらも、それでもナッツは気丈に叫ぶ。

 

 

「それは……こっちの台詞よ!! フリーザ、今日こそ母様の仇を取らせてもらうわ!!」

 

 

 戦闘力で敵わない事など、判り切っていたが、それでも引くわけにはいかなかった。母親を殺されたあの日の冷たい怒りの炎が、少女を突き動かしていた。

 

 そして娘を守るように、父親がその前に立つ。

 

「よく言ったぞ、ナッツ。そうだ、借り物の不老不死なんかに、頼ろうとしていたオレが間違いだった……!!」

「父様!!」

 

 堂々としたその背中に、娘は安堵を感じた。そして積年の恨みを込めて、父親が宣言する。

 

 

「フリーザ、貴様はオレ達の手で倒してやる!!!」

 

 

「ほう……?」

 

 そんな親子の姿を見て、フリーザはどこか面白そうに声を漏らした。




 とうとうフリーザ戦が始まります。ここが彼女の物語の山場ですので、精一杯頑張っていきたいと思います。
 更新は遅れるかもしれませんが、気長にお待ちくださいませ。


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23.彼女が仇と向き合う話

 自分を倒すというベジータの発言に、フリーザは可笑しそうに笑った。

 

「ふふっ、野蛮なサイヤ人にしては、なかなか気の利いたジョークですね……いやはや、あなた達親子には、さんざん楽しませてもらいましたよ」

 

「……何だと?」

「楽しんでいたですって……?」

 

 疑問の声を上げる父親と娘を見下しながら、フリーザは心底楽しそうに叫ぶ。

 

「そうですとも! あの女が死んだ後、残されたサル2匹がゴミのような戦闘力をいじましく高めていく様は本当に面白かった! どれほど強くなろうと、下等生物のサイヤ人ごときがこの私に勝てるはずがないというのに!」

 

「あ、あいつ……!」

「何て奴だ……!」

 

 その発言の非道さに、悟飯とクリリンが顔を強張らせる。

 

 そしてナッツは言い返そうとしたが、怒りのあまり、声すら出なかった。照りつける太陽の下で、少女は雨の音と寒さを感じていた。母親を失ったあの日のどうしようもない苦しみの元凶が、彼女の眼前で高笑いを上げていた。

 

 解けた尻尾の毛が逆立ち、少女の内面を反映して、狂った蛇のように蠢く。子供とは思えぬほどの殺意に満ちた昏い瞳が、憎んでもなお飽き足らぬ仇を睨み付ける。ぎりりと食いしばった歯の隙間から、獣のような唸り声が漏れる。

 

 ナッツは乱れた呼吸を強引に整え、血を吐くような声で、3年前に誓った言葉を叩き付ける。

 

「殺してやるわ、フリーザ……!!」

 

 満月をイメージして、力を集中する。今の私には尻尾がある。大猿に変身して、叩き潰して、踏み潰して、グシャグシャにして、バラバラに食い千切ってやる。母様の受けた苦しみを、何百倍にもして味あわせてやる。

 

 その様を想像し、残酷に顔を歪ませる少女の上向けた掌を、父親が押さえつけた。

 

「ナッツ、落ち着け。今変身すれば、奴の思う壺だ」

「何故ですか!? 父様!?」

 

 怒りを隠さず食って掛かる娘に、父親は静かな声で告げる。 

 

「相手の力を見誤るなと教えたはずだ。今のお前が大猿になっても奴には勝てん」 

 

 それは娘を案ずる父親が、特に大事だと教えていた事だった。勝てない相手に無策で正面から挑むほど、愚かな事は無いと教わったことを思い出し、少女はわずかに、冷静さを取り戻す。

 

「で、でも父様……今は少しでも、戦闘力を高めた方が……」

 

 フリーザには敵わないとはいえ、変身すれば戦闘力が10倍になるのだ。人間の姿のままでいるよりは、遥かにマシではないのか。疑問に思う娘に、父親が説明する。

 

「確かに大猿は強力だが、巨大化すれば攻撃を避けるのも、隠れる事も難しくなる。真っ先に狙われて殺されるぞ」

「あっ……」

 

 ナッツは特戦隊との戦闘を思い出す。戦闘力で上回った状態でも、攻撃を避けられずダメージが蓄積していき、敗北寸前まで追い込まれてしまった。変身すれば生命力も耐久力も格段に上昇するとはいえ、それでもフリーザの戦闘力を相手にどこまで保つか。

 

「それに大猿の攻撃は破壊の規模が大き過ぎる。一緒に戦うオレ達を巻き込む事を警戒して、思うように動けなくなるだろう。オレにも尻尾があれば良かったんだがな」

「父様、そんな……」

 

 巨体を活かした広範囲への攻撃は大猿の強みの一つだが、それは人間サイズの味方との共闘を困難にしていた。攻撃に巻き込むどころか、うっかり踏んだり身体をぶつけただけでも致命傷になりかねないのだ。当然、全力など出せるはずがなく、下手をすれば付け入る隙を与えるだけになってしまうだろう。

 

 彼女の父親やギニュー特戦隊レベルの戦闘経験があれば、大猿化しても味方を巻き込まずに戦えるかもしれなかったが、今のナッツはその域にはない。だからといって一人で戦った場合、戦闘力の差で殺される事は明白だ。

 

(けど、それじゃあ一体どうすれば……!)

 

 苦悩する娘の頭を、父親が優しく撫でた。

 

「心配するな。お前は一人じゃない。全員で戦うぞ。オレが前に出るから、お前達は援護しろ」

「はい、父様!」

 

 それだけで、少女の表情が明るくなった。状況が絶望的なのはわかっていたけれど、父様がいれば、何とかなるような気がした。

 

 深い愛情と信頼を込めた瞳で、父親を見つめるナッツ。その様子を見て、フリーザが忌々しげな表情になった。

 

「なるほど。あなた達がギニュー隊長をどう倒したのか不思議でしたが……そこの娘が、醜いサルになったというわけですね」

「……そういうお前は、冷たい血のトカゲみたいよ」

 

 苛立ちを隠せない声で、ナッツが言い返す。変身した自分の容姿について、少女は特に気にしてはいなかったが、その声に含まれた侮蔑の響きが、彼女の神経を逆撫でしていた。悟飯の怯えた顔が一瞬思い浮かんで、さらに腹立たしくなったが、理由はわからなかった。

 

 ちなみにこの時点でジース達はナメック星を離れていたが、フリーザへの報告はまだ行っていなかった。報告すればすぐさま戻って戦えと命令される可能性があったため、せめてギニュー隊長の治療を済ませてから、と考えていたのだ。その責任は、当然彼ら自身で負うつもりでいる。

 

「しかしベジータさん、大丈夫なのですか? 正直尻尾を無くした今のあなたよりも、娘さんの方が強いでしょう?」

「何ですって……!」

 

 父親を馬鹿にされた事に怒る娘を、ベジータが手で制した。

 

「フリーザ、いつまでも昔のオレだと思うなよ……!!」

 

 ベジータは戦闘力を瞬時に跳ね上げ、全身からオーラを噴出させながらフリーザに挑みかかる。

 

「っ……!?」

 

 余裕の表情を見せていたフリーザが、予想外の速度で迫るベジータに一瞬驚愕し、とっさにその拳をガードして、強烈な威力に二度驚く。

 

「この、ベジータごときが!」

 

 反撃の拳をベジータは身を沈めて回避し、そのまま激しい肉弾戦が始まった。クリリン達の目に追いきれぬ速度で瞬く間に数十発もの拳や蹴りが応酬され、その一撃一撃が込められた威力で大気を震わせる。凄まじい戦闘力を持つフリーザに対し、ベジータは完全に互角に戦えていた。

 

「す、すげえ……!」

「ベジータさん、いつの間にあんな強さを!」

「父様、凄いです……!」

 

 悟飯達と共に、ナッツは尊敬の眼差しで、父親の勇姿を見つめていた。

 

(やっぱり父様はサイヤ人の頂点よ! カカロットがちょっとくらい上に行ったからって、すぐに追いついてみせるんだから!)

 

 娘の声に後押しされるかのように、父親の猛攻は勢いを増していく。父親が両の拳で繰り出すラッシュをフリーザが受け止め、そのまま力比べの様相となる。

 

「はああああ!!!!!」

「ぬうううう!!!!!」

 

 気合いの声と共に両者の戦闘力は更に上昇していき、50万を超えた時点でフリーザの最新式スカウターが耐えきれず爆発した。

 

 それをきっかけに、警戒したようにフリーザが手を放し、大きく飛び離れた。驚愕と疲労で息をつきながら、怒りに顔を歪ませる。

 

「たかがサイヤ人が、今のオレと互角だと……!!」

「戦闘民族を舐めるなよ、フリーザ。オレ達サイヤ人は、戦うごとにどこまでも強くなれる。そしてオレと娘は今日この日まで最前線で戦い続けてきたんだ。ろくに戦わずぬくぬくとサボっていた貴様と違ってな」

 

 話しながら、ベジータは自分でも、自らの力に驚いていた。サイヤ人は戦うたびに、また死の淵から蘇るたびに力を増すが、リクームとの戦いで死に掛けた時の自分の戦闘力は、せいぜい3万程度だったはずだ。死力を尽くした戦いだったとはいえ、一度に10倍以上のパワーアップを果たすなど、普通なら考えられない。

 

(きっかけはおそらく……カカロットだろうな)

 

 最強のサイヤ人として鍛え続け、父親である王を超えたと自負する自分ですら、一月前は18000程度の戦闘力しかなく。サイヤ人の戦闘力は、このくらいが限界だと見なされており、ギニュー特戦隊やフリーザといった面々と比べると、大猿への変身を抜きにした素の戦闘力では、どうしても劣ってしまうと感じていた。 

 

 そんな自分にとって、戦闘力12万を誇るギニュー隊長の攻撃を、あっさり止めて見せたカカロットの姿は衝撃的だった。しかもさらに底知れぬパワーを隠していると、一目見て直感的に理解できた。サイヤ人は、あそこまで強くなれるものかと思った瞬間、自分の中で、枷が外れるような感覚があった。

 

 ベジータ自身は気付いていなかったが、それは彼が今まで鍛え続け、そして思い込みから発揮できていなかった、潜在能力の覚醒とも呼べるものだった。

 

(感謝するぞカカロット。下級戦士である貴様が、このオレにサイヤ人の強さを教えてくれるとはな!!)

 

 サイヤ人の王子の顔に、獰猛な笑みが浮かぶ。思えばあいつは地球でも、オレの戦闘力を超えて見せていた。今までのオレに足りなかったものは、あいつのような、競うべきライバルなのかもしれない。

 

 一方、フリーザは怒りに身を震わせていたが、すぐに冷静さを取り戻し、不気味なほど、にこやかに微笑んだ。

 

「驚きましたよ。短い間にずいぶんと腕を上げたものですね、ベジータさん。これはもしかすると、私も危ないかもしれません」

「ちっ、余裕ぶりやがって。知っているぞ。まだ変身があるんだろうが」

 

 吐き捨てるように言ったベジータに、フリーザは意外そうな表情になる。

 

「おや? どこでそれを知ったんです?」

「ザーボンが言ってたのよ。お前も変身型の宇宙人だって」

 

 ナッツの言葉に、フリーザはため息をつき、ゆっくりと首を振った。

 

「ザーボンさん、人の秘密を喋るとは、困ったものですね。前触れなく変身して、あまりのパワーに絶望するあなた達の顔を見たいと思っていたのに」

 

 その気持ちがわかってしまった事が、少女は腹立たしかった。星を攻める際、大猿に変身した自分の姿に、ゴミのような人間達が怯える姿を見るのが、彼女は好きだった。

 

 弱者を顧みないという点で、自分達サイヤ人とフリーザが同じである事を、認めたくなかった。こんな奴は、一刻も早く死ぬべきだと思った。

 

(今、父様に尻尾があれば、間違いなく殺せているのに……!)

 

 腰に巻かれた尻尾の先端が、少女の苦悩を反映して、迷うように揺れる。私なんかに生えていても仕方ないのに。渡せるものなら、今この瞬間、自分の尻尾を切っても、悔いはないというのに。

 

「まあ、知っていても絶望的な事には変わりませんがね。光栄に思いなさい、見せてあげましょう、私の変身を!」

 

 フリーザが全身に力を込めると、身に纏っていた戦闘服が、バラバラになって弾け飛んだ。その光景に、ナッツとベジータが驚愕する。

 

(大猿になっても破れない戦闘服を、内側から粉々に!?)

 

 戦闘服は頑丈だが、壊す事自体は、ある程度の力があればできる。だが今フリーザは、戦闘服に手も触れず、ただ全身から発散されるパワーのみで砕いてのけたのだ。

 

 クリリン達も驚いているが、戦闘服の強度を知るナッツ達の驚きは一層大きかった。彼らの顔を見て、フリーザは満足そうに笑い、そして変身を開始する。

 

「はああああ!!!!!」

「くっ……!」

 

 叫び声を上げると同時に、急激に高まり始めたフリーザの気が大気を動かし、暴風となって吹き付ける。思わず顔を庇うナッツ達の前で、その肉体が、内側から大きく膨れ上がっていく。

 

「があああ!!! ぐっ、ああああああ!!!!!」

 

 上半身、両腕、そして下半身の順に、身体の部位が倍以上にサイズを増すと共に、戦闘力も飛躍的に高まっていく。頭の両脇に生えていた角の向きが変化し、ゆっくりと上向きに伸びていく。

 

「はあっ、はあっ、はあっ……」

 

 急激な変貌の反動か、片膝をつき、大きく息をついていたフリーザが立ち上がる。変身前はベジータと同程度の、戦士としては小柄だったその体躯は、今や3メートル以上の巨人と化していた。

 

 そしてその戦闘力を感じ取った少女は、自分の感覚が、おかしくなったのではないかと思った。

 

「ひゃ、100万以上だなんて……! 有り得るの!? こんな戦闘力が!?」

「くっくっく、こうなってしまったら、前ほど優しくはないぞ。何せパワーが有り余っているんでな……」

 

 フリーザはすっ、と片手を上げる。危険を察知したベジータが叫ぶ。

 

「避けろーーー!!!!」

 

 直後、彼らの周囲、直径200メートルほどの範囲が爆発した。

 

 

 

 

 爆発が収まった時、その範囲内の大地は消滅し、一面の海と化していた。ただフリーザの立っている場所のみが被害を免れている。

 

 ベジータ達はとっさに飛び上がって攻撃を避けていたが、守るようにデンデを抱えた少女の額から、血が流れていた。

 

「だ、大丈夫?」

「……心配ないわ。岩の欠片が当たっただけよ」

 

 今心配すべきは、この程度の傷では無い。少女は爆心地に立つフリーザを睨み付ける。

 

「今のはほんの挨拶代わりだ。この程度の事はサイヤ人にだってできる」

 

(確かにできるけど、威力が段違いじゃない! 今のを食らったら父様だって……!)

 

「フリーザ、貴様、よくも娘の顔に傷を……!」

「親馬鹿ぶりは相変わらずだな。だが別に、そのくらい良いだろう?」

 

 言いながら、フリーザはナッツの方を見上げて、にやりと笑った。

 

「……っ!?」

 

 背筋が震える予感と同時に、とっさにデンデを突き飛ばす少女。次の瞬間、地上にいたはずのフリーザの角が、ナッツの腹部を貫いていた。内臓を破壊され、口から大量の血が零れ出す。 

 

「どっちにせよ、全員死ぬんだからな」

「ぐ……ふ、フリーザぁ……!」

 

 血を吐き、激痛に喘ぎながらも、それでも攻撃しようとするナッツ。震える掌に赤いエネルギーが収束する。

 

「おっと、危ない危ない」

 

 フリーザが頭を大きく振ると、角に刺さっていた少女の身体が外れる。ナッツは飛ぼうとするがそれすらできず、水面に落下して水柱を上げた。

 

「ナッツ!!!」

 

 顔色を変え、娘を助けに向かおうとした父親の前に、笑みを浮かべたフリーザが立ちはだかる。

 

「急がなくてもいいだろう、ベジータ。もう助かる傷じゃない」

「フリーザ!! 貴様あ!!!」

 

 激昂した父親が飛び掛かり、怒りのままに先程を上回る猛攻を加えるが、フリーザは巨体に似合わぬ身のこなしで、その全てを回避する。

 

「くっ、デカい癖にちょこまかと……そこをどきやがれ!!」

「心配しなくても、すぐに同じ所へ送ってやるさ。家族3人で仲良く暮らすといい」

 

 余裕を滲ませ、反撃に移ろうとするフリーザ。その顔面に、死角から飛び込んできた小さな影が、痛烈な回し蹴りを叩き込んだ。

 

「……何?」

 

 フリーザは蹴られた顔を押さえて、乱入者を睨む。そこにいたのは、戦闘服を着た黒髪の少年だった。彼は今、自分でも制御できないほどの怒りに駆られていた。

 

「よ、よくもナッツを……! 許さないぞ……!!」

 

 悟飯の姿がふっと掻き消え、フリーザの懐に出現する。その速度を目で追えなかった事に、驚愕するフリーザ。

 

「うわああああああ!!!!!」

 

 少年はそのままフリーザの胸に、目にも止まらぬほどの拳の連打を叩き込む。その拳は子供らしく小さかったが、一撃一撃が身体にめり込むほどの凄まじい力に、たまらずフリーザが目を剥いた。

 

「ぐああっ!? こ、このガキ……!」

「だああああっ!!!」

 

 胸部へのダメージで思わず身を屈めたフリーザの頭部を、悟飯が全力で殴り飛ばす。フリーザは真下に飛ばされながらも体勢を整えようとするが、同じ速度で眼前に迫る悟飯が、手に収束させたエネルギー弾を、その顔面に叩き付け、爆発させた。

 

「な、何だと!?」

 

 背中から地面に叩き付けられるフリーザ。倒れた彼に向けて、少年は叫びながら無数のエネルギー弾を次々に放ち、途切れない爆発音が大気を震わせ、星を揺らす。

 

 そして悟飯の横にベジータも参戦し、ギャリック砲の構えを取る。

 

「いいぞ悟飯! 手を緩めるな! このままありったけの力で押し込んでやれ!」

「は、はい! ベジータさん!」

 

 そして悟飯も気を集中させ、二人は同時に、今だ爆発の収まらない地点に向けて、最大級の攻撃を解き放った。

 

「お前なんか死んじゃえーーーー!!!!!」

「くたばれフリーザー!!!!!」

 

 2つの強大なエネルギー波が着弾し、ひときわ大きな爆発が、フリーザのいた大地を消し飛ばしていく。

 

「はあっ、はあっ……」

 

 極度の疲労に襲われ、大きく息をつく悟飯を、ベジータは驚きの目で見つめていた。

 

(こいつ、怒りで我を忘れると、ここまでパワーを引き出せるのか……)

 

 一時的にだが、その戦闘力は今の自分をも上回っていた。カカロットの血を引くだけの事はあるということか。そこでベジータは、最愛の娘を思い出す。

 

「悟飯! 今のうちだ! ナッツを助けに行くぞ!」

 

 少年が返事をしようとした、その時だった。

 

「どこへ行くんだ?」

 

 いつの間に現れたのか、彼とベジータとの間に、全身から煙を上げるフリーザが割り込んでいた。全身を焼け焦がしながらも、その戦闘力は大して減っておらず、むしろ油断が消え、威圧感が増したようにさえ見えていた。

 

「さっきは少しばかり驚いたが、よくもこのフリーザ様の身体に傷をつけてくれたな……!!」

「あ……あ……」

 

 怒りを滲ませるフリーザに、少年は怯えて動けない。

 

「馬鹿野郎! 避けろーーー!!!」

 

 背後から襲いかかるベジータに向けて、フリーザは強烈な拳を振り下ろし、迎撃する。とっさにガードするも、ベジータは大きく弾き飛ばされてしまう。

 

 それを確認したフリーザは、未だ震える悟飯を睨み、少年の頭ほどもある拳で殴り飛ばした。悲鳴を上げながら落ちる悟飯にフリーザは追いつき、至近距離からのエネルギー弾を爆発させる。意趣返しのつもりか、それは先程の悟飯と同じ動きだったが、その破壊力は桁違いだった。

 

 

 

「ぐっ、あの野郎……!」

 

 吹き飛ばされたベジータは、攻撃を受けている悟飯を気にしながらも、娘を探して水面を見る。ちょうどその時、ぐったりとしたナッツの身体を抱えたクリリンとデンデが、水面から顔を出し、ベジータに叫ぶ。

 

「ナッツさんは大丈夫です! まだ生きてます!」

「そ、そうか……」

 

 安堵と共に、父親の表情が緩む。ナメック星人達の村で、重傷を負った娘が彼らの治療を受け、短い時間で完治した事を、彼は覚えていた。

 

「……頼んだ!」

「はい!」

 

 フリーザに感付かれないよう、それだけを口にして、彼は再び、フリーザの元へと向かって行った。

 

 

「う、うう……」

 

 地面に叩き付けられ、呻く悟飯。その腕の上に、フリーザの巨体が勢いよく着地した。骨を踏み砕かれた少年が、激痛に顔を歪めながらも、フリーザを睨む。

 

「お前のせいで、ナッツはあんなに苦しんで……!!」

 

 自らの状態を顧みず口にしたその言葉に、フリーザは顔を顰める。

 

「ほう……お前、あんな野蛮なサルの娘を。物好きがいたものだな」

 

 そしてフリーザは悟飯の頭を踏み付け、少しずつ力と体重を乗せていく。

 

「まったく、またサイヤ人が増えてしまう所だった」

「あ、あああああ!!!!」

 

 頭蓋骨が軋み、少年の気がみるみるうちに小さくなっていく。その感触を楽しむフリーザの背に、駆け付けたベジータが渾身のエネルギー波を撃ち放つが、爆発が収まった後、フリーザはまるでダメージを受けていない様子でベジータを見る。

 

「後で殺してやるから待っていろ」

「く、くそったれが……!!」

 

 圧倒的な戦闘力の差を見せられながらも、それでもベジータは諦めず、空中からフリーザに向け、ほぼ捨て身とも言える突撃を開始した。

 

「うおおおーーーーっ!!!!」

 

 その無謀な攻撃にフリーザは苦笑し、迎え撃とうとする。

 

「やれやれ、待っていろと言ったのに。やはりサイヤ人は頭が悪いようだ」

 

 そして身構えたフリーザの膝裏に、突如飛び込んできた少女が、全力の拳を叩き込んだ。ダメージは無かったが、身体構造上、自然と膝が曲がり、体勢が崩れてしまう。

 

「……は?」

「隙ありよ、フリーザ。よくも悟飯をやってくれたわね」

 

 殺したはずの娘が、にやりと笑う。その声に、フリーザは思わず一瞬、意識を奪われる。

 

 直後彼の頭部に、勢いを乗せたベジータのキックが直撃し、その身体が大きく弾き飛ばされた。

 

 

 

 岩に激突したフリーザが、ふらつきながらも起き上がる。完全に虚を突いた一撃は、彼に少なからぬダメージを与えていた。そして困惑する材料がもう一つあった。

 

「な、何故あの娘が生きている……?」

 

 戸惑うフリーザの顔に、赤いエネルギー波がぶつかり、爆発する。飛んできた方を見ると、ベジータの娘がこちらに背を向けながら、挑発するように、その尻尾を振っていた。着ている戦闘服の腹部には穴が開いていたが、そこから見える肌には傷一つ無かった。

 

「こっちよ、フリーザ!」

「ま、待ちやがれ!!」

 

 逃げ出すナッツを、フリーザは全力で追う。どうやらメディカルマシーン以外の、もっと素早く回復できる手段を隠しているようだったが、どんな方法であれ、完全に殺してしまえば復活できないはずだ。

 

 少女は逃げながら、追ってくるフリーザの凄まじい戦闘力を感じていた。デンデによって治療され、死の淵から蘇った彼女の戦闘力は、現在6万程に達していたが、それでも今のフリーザに、到底通じる数字ではない。

 

(変身前のフリーザなら、私の大猿で殺せていたけど、今の私の役割はそれじゃない!)

 

 そしてフリーザはナッツに追い付く直前、背後から何かが迫る音を感じ取り、振り向いた。その瞬間、気で形成された鋭い円盤が、彼の尻尾の先端を切り飛ばした。

 

「う、うおおおおお!?」

 

 とっさに身を捻るフリーザの身体を掠め、気の円盤が飛んでいき、遠くの岩山を斬り飛ばす。そして気の円盤は1枚だけではなく、次から次へとフリーザに迫る。

 

 それを作り出しているのは、遠くに立つクリリンだ。攻撃のタイミングをナッツと打ち合わせていた彼の、高く上向けた掌に、また1枚、高速回転する丸い刃が形成される。

 

「気円斬ーーーー!!!!」

 

 連続して投擲させる刃を、フリーザは顔に汗を浮かべながら回避するも、その集中を削ぐように、少女の放った赤いエネルギー波が直撃し、避け損ねた円盤が強固な肌を浅く切り裂き、出血させる。

 

「ぐっ、こ、このっ!?」

 

 フリーザはその場を飛び離れ、なおもエネルギー波を放つナッツを無視して、危険な技を使うクリリンへと肉薄する。

 

「う、うわあっ!?」

 

 至近距離からの1枚をあっさり回避し、フリーザは怯えるクリリンを殺すべく手をかざす。

 

「よくも、このフリーザ様の尻尾を切ってくれたな……!!」

 

 そして全力のエネルギー波でクリリンを消し飛ばさんとしたその時、彼は顔の前に両手を広げ叫ぶ。

 

 

「太陽拳!!!」

 

 

 周囲が一瞬、強烈な光に包まれる。目の前で太陽が発生したかのような、爆発的な光量が、フリーザの目を焼いていた。

 

「ぐわあああっ!? 目、目がっ!?」

 

 一時的に視覚を失ったフリーザがたまらず目を押さえる。

 

「今だベジータ!! 攻撃してくれーーー!!!」

 

 クリリンは叫びながら、駄目押しの円盤を投げるが、フリーザは風を裂くその音だけで見切って回避する。

 

「な、何て奴だ……!?」

「こんな攻撃を何度も食らうか……!」

 

 痛む目を両手で押さえながら、フリーザはクリリンの声がした方を睨む。その無防備な背中に、ここぞとばかりに飛び込んだベジータが、勢いのまま拳を叩き込んだ。

 

「ぐっ、べ、ベジータか!?」

 

 フリーザは腕を振って反撃するが、見えないままの一撃は当然に宙を切る。そしてベジータは次々に位置を変え、ろくに防御もできないフリーザの全身に猛攻を加えていく。

 

(はははははっ! いいザマだなフリーザ! 痛みでろくに目が見えないだろう?)

 

 声を出さぬまま、ベジータが哄笑する。地球で悟空から同じ技を受けた事のある彼は、フリーザの今の状態をよく理解していた。

 

「お、おのれ!!」

 

 フリーザの反撃が、避けようとしたベジータの身体をわずかに掠める。

 

「ちっ、もう目が見えてきやがったか……」

「ベジータ!! ただでは済まさんぞ!!」

 

 目を開き、怒りのままに叫ぶフリーザの頭上に、小さな影が現れ、組んだ両拳を全力で振り下ろした。

 

「がっ!?」

 

 フリーザは落下しながら、自分に攻撃を加えた者を、驚きの目で見ていた。

 

 デンデに治療され、復活した悟飯がそこにいた。

 

 

 

 

 水面に落ちたフリーザが、大きく水柱を上げる。

 

 そこへ駆けつけたナッツが、嬉しそうに少年へと声を掛ける。

 

「悟飯! あなたも治療してもらったの」

 

 少女の言葉が中断される。悟飯が泣きそうな顔で、彼女の身体を、強く抱きしめていた。

 

「ナッツ、君が無事で、本当に良かった……!!」 

「え、ええっ!?」

 

 いつになく積極的な少年の行動に、ナッツが驚き、わたわたしながら顔を赤らめる。悟飯に向けられた父親の殺気を感じ、少女は慌てて、名残惜しそうに身体を離した。

 

「こ、こんな事をしている場合じゃないのよ、悟飯? フリーザはまだ……」

 

 次の瞬間、フリーザの落ちた水面が爆発し、一瞬で周囲の海水を全て蒸発させた。高温の蒸気が吹き上がる中、大気に晒された水底に立つフリーザが絶叫する。

 

「よくも好き放題やってくれたな!! 覚悟しろよ貴様ら!!」

 

 その戦闘力は、変身した直後よりはやや削れていたが、それでもなお圧倒的なものだった。

 

「父様達の攻撃をあれだけ受けて、まだ足りないの……?」

 

 ナッツ達は身構えながらも、底知れぬフリーザの力を前に、決定力の不足を感じていた。

 

 少女の攻撃は牽制程度にしかならず、クリリンの気円斬も、見切られた今、命中は望めない。ベジータの攻撃では削れはするが倒すには至らず、望みがあるとすれば復活してパワーの上がった悟飯だが、その出力は不安定で、先程ナッツが殺されかけた時のような状況が無ければ、その全力を発揮できないだろう。

 

 対策を見いだせないまま、ついにフリーザが、凄まじい勢いで飛び上がり、ナッツ達に迫る。

 

 その時、彼女達とフリーザとの間に、長身の人間が飛び込んだ。その乱入者は、精悍な顔つきに、緑色の肌を持ち、白いターバンとマントを身に纏っていた。

 

「……何者だ。この期に及んで、生き残りのナメック星人だと?」

 

 フリーザは訝しむ。初対面のはずだが、見覚えがあるような気がしていた。彼の足止めをした、ネイルとかいうナメック星人と、とても良く似ている。服装やその威圧感の違いから、別人だというのは判るが、それでも一瞬、まるで同じ人物のように思えた。

 

 フリーザには知る由も無かったが、ドラゴンボールでナメック星に転移したピッコロはこの場に向かう途中で瀕死のネイルと出会い、請われて融合する事によって、遥かに力を増すと共に、その記憶の一部を受け継いでいた。

 

「貴様がフリーザか。なるほど、確かにとんでもない化け物のようだな」

「あ、あいつは……!」

 

 ナッツは地球で少年を庇って、目の前で死んだはずのナメック星人を、驚きの目で見つめていた。感じられるその強烈な戦闘力は、今のフリーザとほぼ互角に思えた。

 

(こいつが死んでから、まだせいぜい一月しか経ってないのに、一体どうやってこんな力を……カカロットといい、あの世って所は、そんなに凄い訓練のできる環境なの? それに……)

 

 ドラゴンボールで生き返ったと知ってはいたけれど、実際に死んだ人間が復活したのを目の当たりにして、少女は俯いてしまう。

 

(母様も、こんな風に生き返ってくれたら良かったのに……!!)

 

「ぴ、ピッコロさん!!」

「面倒を掛けたな、悟飯。お前達のおかげで、この通り生き返る事ができた」

 

 優しく頭を撫でられ、少年は満面の笑みを浮かべていた。その光景を見て、ナッツはまだ悲しいと思いながらも、心が楽になるのを感じていた。

 

(悟飯、あなたの大事な人は、生き返ったのね……)

 

 手を下したのはナッパだけど、自分達がこの少年にしてしまった、取り返しのつかない過ち。願いを提供してそれを償えた事を、少女は心の底から、嬉しいと感じていた。




Q.原作ベジータ、戦闘力3万程度でリクームにボコられてたのが1度死に掛けただけで第一形態フリーザと互角って、いくらなんでも上昇量ガバガバ過ぎでは?
A.「父様は凄いんだから!」

 というわけで理由付けしました。ベジータもサイヤ人の王子で天才で戦闘経験も豊富ですし、元からあれくらい強くなる素質はあったって事で。ベジータの戦闘力自体は原作から変わってませんが、娘の前だしフリーザには恨みもあるしで士気Maxで食らいついている状態です。

 あと書いてて原作クリリンに「お前ベジータに攻撃頼む前にさっきの気円斬撃てよ……」って思ったので撃たせました。けどフリーザ様なら見えなくてもあれくらい避けるよね。

 フリーザ様は強いし悪役ムーブがとても似合うので動かしていて楽しいです。この話では原作よりも露悪風味になってますが、主人公の仇ですのでそういう役割をしてもらっています。「こんなの原作フリーザ様と違う……」と思うファンの方もいるでしょうが、どうかご了承下さいませ。


 それとたくさんの評価やお気に入りをありがとうございます。気付けば評価バーは真っ赤でお気に入りも900近くで、ここまで来たかと感慨深い思いです。
 更新は遅れるかもしれませんが、気長にお待ちくださいませ。


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24.彼女が無力を嘆く話

 変身したフリーザとの戦いの最中、駆け付けたピッコロ。ナッツは再会を喜ぶ悟飯を微笑ましく見守りながら、フリーザすらも警戒した様子を見せる程のその戦闘力に、内心気圧されていた。

 

(心強いし、悟飯達の味方なのは間違いないけど、この人にとっては、私や父様も敵なんじゃないかしら……)

 

 何せ地球で私達に殺されているのだから、あまり良い印象は持たれていないはずだ。恨み言を言われるどころか、いきなり攻撃されても不思議ではない。

 

 父親もそれを警戒したのか、さりげなく娘を庇うように前に出る。ピッコロは彼を忌々しげに睨みつけ、そしてナッツに鋭い目を向けた。

 

「おい、そこのサイヤ人」

「……私に、何か用かしら?」

 

 声を掛けられ、少女は攻撃に備えて身構える。ピッコロはそんな彼女に、苛立ち交じりの視線を向けながら言った。

 

「貴様、悟飯にベタベタとくっつきやがって……いったい何を企んでやがる?」

「えっ」

 

 予想外の発言に目を丸くするナッツに、ピッコロはさらに言葉を続ける。

 

「とぼけても無駄だぞサイヤ人。貴様が悟飯に何をしていたか、オレはあの世から見ていたんだからな……」

 

 界王星での修行の最中、悟飯が危険なナメック星にいると知ったピッコロは、たびたび界王に頼み込んで、その様子を教えてもらっていた。あまりに何度も頼まれるので、終いには面倒に思った界王が、現世の様子を見る事のできるモニターを設置したほどだ。

 

 そして映し出される少年と少女のあれこれに、天津飯達が複雑な思いを抱えながらもほっこりする中、性別が無く恋愛という概念を理解できないピッコロにとって、悟飯に執着する彼女の行動は、不審者のそれにしか見えていなかったのだ。

 

 ナッツが一方的に付き纏うのならともかく、悟飯の方もまんざらでは無いような様子を見せている事に、ピッコロは危機感を覚えていた。悟飯は自分が立派な魔族にすると決めたのだ。手遅れになる前に、何とかする必要があった。

 

 無論、二つ目の願いでナメック星に来た目的は、同胞の仇であるフリーザと戦う事だが。あくまでそのついでに、気掛かりだった問題を解決するくらいはいいだろう。

 

「悟飯、悪い事は言わん。こんな奴とは縁を切れ。影響されてこいつらのような、ろくでもないサイヤ人になったらどうするつもりだ」

「ぴ、ピッコロさん。それは……」

 

 心配性な保護者の顔で少年を諭すピッコロの言葉に、むっとした様子のナッツが割り込んだ。

 

「ちょっと。いくら悟飯の大事な人でも、あなたにそんな事を言う権利は無いわ。誰と付き合うかなんて、それは悟飯が決める事よ」

 

 付き合うという言葉を、少女は全く文字通りの意味で口にしたのだが、それを理解しながらも、少年は顔を赤らめていた。

 

 そんな彼に向けて、ナッツはわずかに、不安そうな顔を見せる。

 

「ねえ、悟飯。私達が殺した、このピッコロって人も生き返ったんだし、あなたは私の友達で、これからもずっと、仲良くしてくれるわよね?」

 

 少年は固唾を飲んで見守るピッコロに、申し訳なさそうな顔を見せながら頷いた。

 

「う、うん……」

「ありがとう!」

 

 少女は俯く悟飯に微笑んで、勝ち誇った顔でピッコロを見る。

 

「どうかしら、"ピッコロさん"?」

 

 ピッコロはぐぬぬと拳を震わせる。悟飯とこのサイヤ人が仲良くしていると、何故か無性にイライラしてしまう、その感情の呼び名をピッコロは知らなかった。そして少女に対する苛立ちが、己の中の何かと共鳴するのを感じ、気付けば自然と、言葉が口をついていた。

 

「調子に乗るんじゃないぞサイヤ人……最長老様に力を引き出されたからといって……」

「? あなた、最長老と会ったことがあるの?」

 

 彼女と最長老とのやり取りを、まるであの場で見ていたような口ぶりに、ナッツが首を傾げる。

 

 そしてピッコロは自分の口から出た言葉に気付き、顔を顰める。明らかに自身のものではない言葉だったが、指摘されるまで違和感が無かった。

 

 ドラゴンボールの使い方を聞き出しに来たフリーザを足止めし、瀕死となっていたネイルに頼まれ融合した事を思い出す。パワーが遥かに上昇し、その上で人格はピッコロがベースになるとは言っていたが。

 

「……チッ、こういうことか」

 

 

 

 そこでピッコロの力を警戒していたフリーザが、我慢できずに口を挟む。

 

「ドラゴンボールで何の願いを叶えたかと思えば、まさか、そこのガキの保護者のナメック星人1匹を生き返らせただと……?」

「その通りだ、フリーザ。オレの仲間達を大勢殺してくれたようだな」

 

 フリーザは怒りを隠せぬ様子でピッコロを睨み付け、震える声で叫ぶ。

 

「このオレの不老不死を叶えるはずの願いが、こんなゴミごときの命に……!」

「ほざけ。人の星に迷惑を掛けやがる貴様らこそ宇宙のゴミだ。このオレがまとめて掃除してやる……!」

 

 明らかにナッツ達にも向けられた言葉に、少女は居心地の悪さを感じていた。

 

(私達に殺される弱い奴が悪いんじゃない……!)

 

 強い者は弱い者を好きなようにできる。それがこの宇宙のルールだけど、今のピッコロは、その気になれば彼女や父親を殺せるのだから、正しいのは向こうという事になってしまう。

 

 複雑な思いを抱えるナッツが見守る中、二人は激突を開始した。フリーザは長身のピッコロをも上回る巨体だが、体格差を物ともせず攻め立てるピッコロの方が、驚くべきことに、むしろ優勢なようにさえ見える。

 

「ぐっ、おのれ!!」

 

 顎をかち上げるピッコロの頭突きを堪えたフリーザが、カウンター気味に放った前蹴りでピッコロを地上に弾き飛ばす。そして着地したピッコロに向けて、直径5メートルほどの巨大なエネルギー弾を撃ち下ろした。

 

「ま、まずいぞ!?」

「ピッコロさん!」

 

 ナッツ達を全員まとめて消し飛ばせるだろう威力のそれが迫るも、ピッコロは避ける素振りを見せない。そしてエネルギー弾が命中する直前に、気を集中させた右手を気合いと共に一閃させ、明後日の方向へと弾き飛ばした。

 

「な、何だと!?」

 

 驚愕する上空のフリーザにピッコロが掌を向け、広範囲にエネルギーの奔流を放つ。避けられないと見てとっさにガードしたフリーザが飲み込まれ、その身体が焼き焦がされていく。やがて攻撃が収まった後、全身から煙を上げるフリーザは、明らかに消耗した様子を見せていた。

 

「こ、このオレが、ナメック星人ごときに……!」

「ここで終わらせてやるぞ、フリーザ!」

 

 会った事の無い最長老の涙が脳裏に浮かび、ネイルと融合したピッコロの胸をざわつかせていた。最長老様の為に、死んでいった同胞たちの為に、何としてもこいつは殺さねばならない。

 

「ピッコロさん凄い……! ねえナッツ、これならボク達が加勢すれば、フリーザに勝てるよ!」

「え、ええ。そうね……」

 

 はしゃぐ悟飯に、少女は浮かない顔で返事をする。憎い仇であるフリーザは、私達の手で倒したかったのに、父様はともかく、私はほとんど役に立てていない。それにあのフリーザを、宇宙の帝王を、こんな程度で倒せるはずがないと、彼女の直感が告げていた。

 

「終わらせるだと? どうやらこのオレを倒せる気でいるようだな……」

「何を隠してやがる。勿体ぶらずに言いやがれ」

 

 悔しげな様子から一転し、どこか余裕すら感じさせる表情で、フリーザは言った。

 

 

「このフリーザは変身する度にパワーが遥かに増す。その変身をオレはまだ2回も残している。これがどういう事だかわかるか?」

 

 

 その場の全員に、衝撃が走った。

 

「お、おい。今あいつ、何て言った……?」

「ふ、フリーザは、まだ変身するって……」

 

 先程の変身を考えると、少なくとも、この2倍や3倍は強くなると見るべきだろう。ピッコロがいれば勝てると、希望が見えた矢先のフリーザの宣言に、クリリン達は恐怖を隠せない。そしてナッツは、憤りに震えていた。

 

「さ、3回も変身するなんて卑怯じゃない! サイヤ人は大猿にしかなれないのに……!」

 

 悔しさを滲ませる少女の叫びを、フリーザは楽しげに聞いていた。後のフリーザなら、5回も6回も変身するお前達サイヤ人が言うなとキレていただろうが、それはまた別の話だ。

 

「光栄に思うがいい! この変身まで見せるのは貴様らが初めてだ!」

 

 言葉と同時に、フリーザの背中から角のような突起が飛び出した。両肩が防具のようにその面積と厚みを増し、頭部が後ろへと長く伸びていく。口が大きく裂けていき、どこか非人間的で、禍々しい顔となっていく。

 

「あ……あ……」

 

 外見の恐ろしさと、大きく膨れ上がっていくその戦闘力の両方に、誰もが震え、動けずにいた。

 

「ふう……お待たせしました」

 

 そして変身を終えたフリーザが、ピッコロに笑い掛ける。

 

「化け物め……!!」

 

 ピッコロはとっさに白いターバンとマントを脱ぎ棄てる。修行のため、見た目からは想像もできないほどの重量を持つそれらを脱いだピッコロの戦闘力は上昇するも、今のフリーザに到底及ぶものではない。

 

 果敢に挑み掛かるも、先程までと違い、繰り出した攻撃を全て避けられてしまう。そしてフリーザが距離を取り、反撃を開始した。

 

「ひゃっはっはっは!!!!」

 

 奇声を上げながら、突き出した指先が一瞬光る。たったそれだけで、ピッコロの纏う衣服が破れ、肉が抉られていく。ナッツにはその攻撃の正体すらも判らない。ただ判るのは、あれを一発でも食らったら、それだけで彼女は死にかねないという事だ。

 

「戦闘力150万……まだ上昇してる……ふざけないでよ……こんな力を隠していたなんて……!」

 

 少女が強く唇を噛み締め、一筋の血が流れる。母親の仇を取ると誓ったにも関わらず、戦闘にまるで貢献できそうにない、自らの力不足が悔しかった。

 

 そして傷付いていくピッコロの姿に、悟飯は激しい怒りを感じると共に、自らの内から、力が湧き上がってくるのを感じていた。

 

「……悟飯!?」

 

 飛び出していく悟飯を止めようとしたナッツが、その速度と急激に跳ね上がった戦闘力に驚愕する。背後から迫る少年に気付いたフリーザが、目の前のピッコロを排除すべく、一際力を込めた一撃を繰り出した。直撃を受けたピッコロは力尽き、飛ぶ事も出来ず地上へと落ちていく。

 

 それを見た悟飯の気が、激情と共に更に大きく高まっていく。

 

「お前……よくもピッコロさんを!!」

「このガキ……何だその戦闘力は!?」

 

 少年の突撃をかろうじて避けたフリーザが、その勢いとパワーに汗を浮かべる。悟飯はすぐに方向を変えて空高く上昇し、眼下のフリーザに向けて、師から教わった技を、最大出力で解き放った。

 

「魔閃光ーーーー!!!!!!」

 

 直径10メートルにも及ぶそれはまるで、天から光の柱が落ちたかのようだった。あまりの規模にフリーザは避けられず、両手を突き出し正面から受け止めるも、悟飯はさらに戦闘力を高め、そのままフリーザを押し込んでいく。

 

「この……さっさと死んじゃえよ! お前なんか!」

 

 こいつさえ倒せば、全て終わるのだ。ナッツだってきっと、笑ってくれるはずなのだ。

 

 フリーザは地上付近まで押し込まれながらも、必死の形相で抵抗を続ける。

 

「ぐぎぎ……このオレをここまで追い詰めるとはな……だがここまでだ!!」

 

 全力を振り絞ったフリーザの力が、わずかに上回る。にやりと笑い、押し返そうとしたフリーザの耳に、聞き覚えのある、大気を切り裂き飛来する音が届いた。

 

「何だとおお!?」

 

 クリリンの気円斬。動けぬフリーザは強引に身を捻って直撃を避けるも、上腕部を切り裂かれ、痛みで力が緩んでしまう。悟飯とフリーザの力は再び拮抗し、そして更にフリーザの目は、上空で少年の隣に並ぶ二人の影を捉えていた。

 

「合わせろ! ナッツ!」

「はい! 父様!」

 

 父と娘が、左右対称に、ギャリック砲の構えを取る。親子は同じ表情でフリーザを睨みながら、全力で、白と赤、二色のエネルギー波を撃ち下ろした。それは二筋の矢のようにフリーザに命中してその体勢を大きく崩し、同時にナッツ達の援護を見た悟飯が、ここぞとばかりに残った全ての力を振り絞る。

 

「これで、終わりだーー!!!」

「ば、バカな……」

 

 光の柱が、フリーザを飲み込んで地上を直撃する。爆発と閃光に飲み込まれる直前、フリーザは信じがたい事態に、呆然とした顔を晒していた。

 

 

 星全体が一瞬震えるほどの爆発を見下ろしながら、クリリンは恐る恐る呟いた。

 

「や、やったのか……?」

「だといいんだけど……」

 

 ナッツは肩で息をつきながら、父親と少年を見る。念のために、できるならもう一発同じ攻撃を撃っておきたいところだったが、二人とも今の攻撃で、自分と同じく力を使い果たし、激しく疲労している様子だった。

 

 地上に落ちたピッコロには、デンデが治療を施している。その姿を見ながら、少女は提案する。

 

「まずはデンデに、体力を戻してもらいましょう……っ!?」

 

 その瞬間、先の爆発を上回るほどの衝撃が大気を走り、同時にナッツ達はフリーザの戦闘力が、飛躍的に跳ね上がるのを感じていた。

   

「許さんぞ貴様ら……そんなに死にたいのなら見せてやる。このフリーザ様の最後の変身を!!」

 

 フリーザの叫びと共に大地すらもが震え出す。そのあまりの戦闘力の大きさに、少女は怯え、動けずにいた。

 

「そ、そんな……」

「こっちだよ! ナッツ!」

 

 悟飯は震える少女の手を取り、そのまま全速力で、逃げるようにデンデのいる場所を目指す。

 

「ごめんナッツ……! フリーザを倒せなかった……!」

 

 ナッツからの返事は無い。不思議に思い、振り返った少年が彼女を見て驚く。少女はくしゃくしゃに歪んだ顔で、涙を流していた。

 

 

 悔しかった。フリーザは母様の仇で、私達が倒さなければならないのに、あまりにもレベルの違う戦いを、見ている事しかできなかったのが悔しかった。

 

 最初はおよそ50万だったフリーザの戦闘力は、最初の変身で100万を超え、次の変身では150万。そして今また変身し、さらに大きくなろうとしている。

 

 対して私の戦闘力は、殺されかけ、デンデの治療によって蘇った今ですら、せいぜい6万程度。大猿化して10倍になったところで、今のフリーザの前では誤差だろう。

 

(フリーザ軍最強のギニュー隊長ですら戦闘力12万だったのよ!? 100万とか、150万とか、戦闘力はそんな10万単位で増えるものじゃないでしょう!?)

 

 フリーザとの戦闘が始まってからの短時間で、彼女の自信と常識は大きく揺らいでいた。そして桁外れの力を持つフリーザと、父親以外で戦える者がいた事が、少女の心をさらに苛んでいた。

 

 いきなり現れて100万以上の戦闘力を見せたピッコロの事は、あの世でカカロットのような凄い訓練をしてきたのだろうと、百歩譲って納得できない事も無い。

 

 だが悟飯は。同じサイヤ人で、今まで自分と同じくらいの強さだったにも関わらず、ここにきて急激にその実力を伸ばし始めている事に、ナッツは埋めようのない、才能の差を感じていた。

 

 サイヤ人の血を引いているとはいえ、自分よりも1歳年下で、今までろくな戦闘経験もなく、星を滅ぼした事も、人を殺した事すらない。そんな少年が自分を遥かに上回る戦闘力を持っている。

 

 普段のナッツならば、悟飯が強くなった事を無邪気に喜び、自分も負けずに追いついてやると発奮していただろうが、今はタイミングが悪かった。ナッツが今感じているのは、少年に置いて行かれたような寂しさと、弱い自分への強烈な劣等感だ。少女の心が、悲鳴を上げていた。

 

 

(王族の血を引く天才児なんて呼ばれてきたけど、私は全然強くなんかなかった……!!!)

 

 

 フリーザは超サイヤ人の出現を恐れて、惑星ベジータを滅ぼしたという。いつか父様が超サイヤ人になるに違いないのだけど、悟飯にもその素質があるのだろう。

 

 あのカカロットの子供なら。才能がある事は、出会った時からわかっていたけれど。

 

「な、ナッツ? どうしたの……?」

 

 手を引かれて飛びながら、ナッツは戸惑う少年から顔を背ける。今顔を合わせたら、きっと酷い事を言ってしまいそうで、それはあまりに、情けなかったから。

 

(私だって、今までずっと鍛えてきたのよ……。フリーザ軍全体でも、私に敵う相手なんて、ほとんどいなかったくらいなのに)

 

 それでもフリーザと戦うのは、何年も先の事だと思っていたけど。自分よりも幼い悟飯の強さを前にしては、まだ子供だから仕方ないという言い訳すらできなかった。

 

 自分の弱さが、惨めで悔しくて、情けなさに少女は涙する。こんな気持ちになったのは、生まれて初めての事だった。

 

 

 

 そして無力さを嘆く娘の顔を、同じ気持ちで父親も見ていた。悔しさに身を震わせる。地球で殺したナメック星人や、カカロットの息子にすら戦闘力で劣っている、自分の弱さが憎らしかった。

 

「はああああああ!!!!!」

 

 眼下で声を上げながら、さらに戦闘力を増していくフリーザを睨む。奴を殺せる力が欲しかった。だが今この瞬間、失った尻尾が生えてくるような、都合の良い展開は望めない。

 

 ならば方法は一つしかない。死の淵から蘇ったサイヤ人は、戦闘力が遥かに増す。奴との戦闘を経た今なら、効果が望めるはずだ。おあつらえ向きに、傷を治せるナメック星人の子供もいる。

 

「ベジータ、何ボーッとしてるんだ? オレ達も早く、悟飯達と合流しないと……」

「クリリン、頼みがある。今すぐオレを半殺しにしてくれ」

 

 ベジータは決意を込めた声で、その言葉を口にした。

 

 

 

 戦場からやや離れた場所で、デンデは横たえたピッコロに手をかざす。その手が淡く輝き、見る間に負傷が癒えていく。

 

 やがてピッコロは起き上がり、自らの身体を確認して、傷一つ残っていない事に驚いた。

 

「……オレにもこんな事ができるのか?」

「い、いえ。あなたは戦闘タイプですから……」

 

 話しながら、デンデは初対面のはずのナメック星人に対して、どこかで会ったような、既視感を抱いていた。

 

 そして戦闘タイプという言葉を聞いたピッコロの心の奥底で、自分のものではない記憶が蘇る。そうだ。確かに戦闘タイプとは、そういうものだった。

 

「そうだったな。ありがとう、デンデ」

 

 感謝の言葉を口にするその姿を、確かにデンデは知っていた。

 

「あ、あなたはもしかして、ネイルさんと融合を……」

 

 その時、ナッツの手を引いた悟飯がその場に着陸した。二人の姿を見たデンデが顔を綻ばせる。

 

「ナッツさん、それに悟飯さんも、よくご無事で!」

 

 ピッコロは悟飯と手を繋いだナッツを注意しようとするも、少女の憔悴した様子に息を呑む。

 

「……デンデ。悟飯をお願い。怪我はしてないけど、もう体力が無いの」

「は、はい。けど、ナッツさんの方が……」

「いいの。私は後で」

 

 それ以上何も言えず、悟飯に向けて手をかざすデンデ。そこで少女は軽く息をつく。フリーザの戦闘力はまだ上昇しているが、どうやら変身が終わるまでには、まだ時間があるようだった。

 

「ねえ悟飯。尻尾が生えそうな感覚はある?」

「……無いけど、もし尻尾が生えても、ボクは大猿になんてなりたくないよ。また君に酷い事をしてしまうかもしれないし」

「最低限、敵と味方の区別はつくはずよ。あなたは地球で変身した時、私や父様だけを狙っていたし。それに……」

 

 そこでナッツは少年に向けて、弱々しく微笑んだ。 

 

「それでフリーザを殺せるのなら、私が巻き添えで死ぬくらい、何てことはないわ」

 

 少女の儚げな笑顔と言葉に、悟飯は自分の心がぐしゃぐしゃに乱れるのを感じていた。

 

(お父さん! 早く来てフリーザを倒して、ナッツを助けてよ……!)

 

 変身を終えつつあるフリーザの膨大な気を感じながら、自分の力では無理だと、少年は痛感していた。ベジータさんが言っていた時間からすると、お父さんはあと10分程度で治るのだろうけど、それまで皆、生きていられるだろうか。

 

 

 少年が自分の無力に歯を食いしばった、その時だった。上空から落ちてきたベジータが背中から地面に激突し、力無く横たわる。大きく負傷したその有様に、娘が目を見開いた。

 

「と、父様……!? どうして……!?」

 

 父親は腹部に開いた大穴から、激しく血を流していた。駆け寄り縋りつく娘の顔は青ざめ、半ばパニックに陥っていた。

 

「な、ナッツか……頼む、あのナメック星人に……」

 

 呻く父親の口から、言葉と共に血が溢れ出す。死に掛けた父親を前に、母親を失った日の、あの雨の音と寒さが、ナッツの心に蘇っていた。悲鳴のように、少女が叫ぶ。

 

「デンデ!!! 今すぐ父様を助けて!!!」

「は、はい!」

 

 ちょうど悟飯の回復を終えたデンデが、すぐさまベジータの治療を開始する。その手が輝き、出血が止まり、苦痛に喘いでいた父親の顔が緩むのを確認したところで、娘は安堵の息をついた。

 

「父様、こんな無茶をするなんて……」

 

 理由はわかっていた。サイヤ人は死の淵から蘇るたび、戦闘力が遥かに増す。父様はそれを、この場で意図的に行おうとしたのだろう。自分でやっても意味は無いと聞いていたから、おそらく戦闘力を下げた上で、クリリンにでも頼んだのか。

 

 勿論それは、あらかじめ戦闘経験や修練を積んでいる事が前提で、メディカルマシーンの前で瀕死になるだけで無限に強くなれるような、都合の良いものではないけれど。それが可能なら、サイヤ人はとっくに宇宙を支配しているはずだ。

 

 やがて治療が終わり、身を起こして自分の身体を確認する父親の胸に、娘が飛び込み、顔を押し付ける。

 

「父様……父様が死んだら、私……」

「心配を掛けたな。済まない、ナッツ」

 

 泣きじゃくる娘を抱き締めながら、父親は上昇した己の戦闘力を確認していた。およそ300万といったところか。破格の数値だが、今のフリーザを前にどれだけ通用するか、わからなかった。

 

 涙に濡れた顔を上げて、どこか暗い目をした娘が言った。

 

「父様、今のうちに私も……」

 

 父親は胸が締め付けられるような思いで、抱き締める手に力を込める。

 

「駄目だ。お前はさっき、殺され掛けて復活したばかりだろう。そうでなかったとしても、お前はこんな危ない事をしなくていい」

「父様……」

 

 その時、フリーザのいる方角から、一際大きな暴風が吹き付ける。降りてきたクリリンが、顔を庇いながら、怯えの混じる声で言った。

 

「変身が終わったのか……!」

 

 その膨大な気の大きさを感じ取ったピッコロが、悔しさに顔を歪ませる。

 

「す、済まない……せっかく生き返ってナメック星まで来ておきながら、お前達を守れそうにない……」

「ピッコロさん……」

 

 そして誰もが半ば諦める中、父親は立ち上がり、内心の不安を押し隠して、フリーザのいる方角を睨み、力強く宣言する。

 

「下がっていろ、ナッツ。フリーザはオレが倒してやる」

「父様……!」

 

 娘は父親の姿を頼もしく思いながらも、得体の知れない胸騒ぎを感じていた。次は父様まで、いなくなってしまうかのような。

 

 行かないで下さいと、縋り付いて叫びたかったけど、それは父親を苦しめてしまうだけだと判っていたから、ナッツは何も言えず、ただ唇を強く噛み締めていた。




Q.フリーザ戦って正直無理ゲーでは?
A.何でフルパワーで1億超えの人が普段53万でサボってるんですかそんなだからすぐ息切れするんですよ(逆ギレ)

 原作キャラの戦闘力は極力いじらない方針ですので、この辺はフリーザ様が無双するばかりで読んでてあまりすっきりしない話になると思いますが、これはこれで、彼女の物語に必要な部分ですのでご了承ください。

 話は既に最後まで考えてますので、途中で放置する事だけはしません。どうか物語の結末まで、気長に見守っていて下さいませ。


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25.彼女が父を失う話

※注意:残酷な描写(メンタル)


 最後の変身を終えたフリーザが、近づいてくる。凄まじい気によって舞い上がった土煙で、その姿ははっきり見えない。

 

 ナッツが感知したその戦闘力は、およそ300万。自ら瀕死となってデンデの治療を受けた父親と、ほぼ同じ数値だが、それでも少女は、嫌な予感を抑えられない。

 

 臨戦態勢で身構える父親と違い、まだフリーザは、ただ無造作に、こちらへ歩いて来ているだけなのだ。それだけで、この威圧感。クリリンが震えながら呟く。

 

「ち、ちくしょう……あんなに時間が掛かるんだったら、気を消して、隠れてれば良かったぜ……」

 

 そうすれば全員で宇宙船まで逃げられたかもしれない。その弱気な発言を、ナッツは否定する。

 

「……そんな事をすれば、きっとあいつは、このナメック星ごと私達を消すでしょうね」

「ほ、星ごと!?」

「オレ達サイヤ人が住んでいた、惑星ベジータはあいつの手で消されたんだ。巨大隕石の衝突だの、誤魔化していたがな……」

 

 吐き捨てるように、ベジータが言った。戦闘力が数十万もあれば、その力で惑星の中心部を砕き、星を消滅させる事すら可能になると言われている。自らもその領域に至ったベジータは、積み重ねた戦闘経験もあり、それが可能であると実感していた。

 

 それと同時に、胸の内から怒りが込み上げる。王である彼の父親も含めた惑星ベジータのサイヤ人達は、戦闘民族でありながら、戦う機会すら与えられず滅ぼされたのだ。フリーザの目論見を察知して立ち上がり、真っ向から戦えていれば、フリーザ一族はともかく、フリーザ軍のほぼ全てを道連れにできるだけの戦力が、あの頃のサイヤ人にはあったはずだ。

 

 正面からは戦わず、任務中だった者までもわざわざ呼び集め、星ごと消すというやり方が、逆説的にそれを証明している。帰還命令を無視していなければ、当時まだ子供だった彼自身も、そして同行していたあいつやナッパやラディッツも、同じ運命を辿っていたはずだ。

 

 姿を現しつつある、フリーザを睨みつける。生き残ったサイヤ人は、今やたった4人だが。それでもフリーザには、サイヤ人の手で、自分のした事の落とし前を付けさせねばならなかった。王族としてのプライドと、愛する家族を殺された怒りの両方が、ベジータを突き動かしていた。

 

 自分に縋り付く娘の頭に手を置く。震えが伝わってくる。絶対に、守らなければならないと思った。

 

 

 そして現れたフリーザの姿を見たナッツ達は、その姿を見て一瞬呆気に取られてしまう。最後の変身というからには、さぞ恐ろしい姿だろうと想像していたが。少なくとも先ほどまでの第三形態と比べると、全く大人しい外見だった。

 

 3メートルはあった体躯はベジータと同程度まで縮んでいる。その身には傷一つなく、切断された尻尾の先端も元通りになっていた。角や突起も全て無くなっており、つるりとした真っ白い肌の色もあって、全体的にすっきりした印象を受ける。

 

「お、思ったほど大した事はないんじゃないか……?」 

 

 口に出したクリリンですら、その言葉を信じてはいなかった。全員が、額に汗を浮かべている。気の大きさが身体能力に直結するこの世界では、体格はそこまで重要なものではない。子供のナッツや悟飯が自分の倍以上ある相手と戦えているのもその為だ。むしろ戦闘力を増しながら身軽になったのだから、かえって危険になったと見るべきだろう。

 

 注目の中、フリーザの右手が動いたかに見えた。次の瞬間、ナッツは自分の横を、何かが高速で通り過ぎたのを感じた。そして背後で爆発音。慌てて振り向くと、そこには黒焦げになって煙を上げるデンデが倒れていた。戦闘力を感じるまでもなく、即死だと一目で理解できた。

 

「で、デンデが……!」

「ちくしょう! あいつ、傷を治すところを見てやがったんだ!」

 

 悟飯とクリリンが狼狽する。圧倒的な戦闘力を持つフリーザとの戦いで、これまで死者が出ていなかったのは、デンデの治癒能力による所が大きい。それが失われた今、先程のような大怪我を負ってしまえば、それで終わりだ。彼らは少しずつ、追い詰められていくのを感じていた。

 

 そしてその横で、少女はフリーザの力の片鱗を感じ取り、震えていた。今の攻撃に、自分は全く反応できなかった。狙われていたのが自分ならば、同じ運命を辿っていたはずだ。青ざめる娘を庇うように、父親が前に出る。その背中を見て、ナッツは少しだけ、震えが収まるのを感じていた。

 

「さて、どうしましょうか。その気になれば一瞬であなた達全員をあの世へ送ってしまえるのですが、それではさんざんコケにされた私の気が済みませんね……」

 

 フリーザは考え込み、やがてポン、と手を叩いて言った。

 

「ではこうしましょう。しばらく私からは一切攻撃しませんので、全員で掛かって来て下さい。運が良ければ、それで私を倒せるかもしれませんよ?」

「な、何だと!?」

 

 あまりの発言に、唖然とするベジータ達。先程までと違い、変身を終えたフリーザは口調まで丁寧になっており、万が一にも自分が傷付けられるはずがないという、余裕が感じられた。

 

「ふざけやがって……!!」

 

 気を解放したベジータが、最高速度でフリーザへと向かっていく。罠かもしれなかったが、動かなければ業を煮やしたフリーザが、ナッツ達を狙う可能性があった。それに底知れぬ力を持つフリーザを倒すのなら、油断している今しかないと思った。

 

「ちっ、オレ達も行くぞ!」

 

 ピッコロも同じ事を考え、即座に行動に移る。その後をクリリンと悟飯も追い、そして少女も慌てて続き、フリーザとの肉弾戦が始まった。

 

「はああああああ!!!!」

「でやあああああ!!!!」

 

 フリーザの周囲をベジータ、ピッコロ、クリリンが囲み、目にも止まらぬ速度で拳と蹴りのラッシュを叩き込む。そして頭ほどの高さに浮かんだ悟飯とナッツも、空中から蹴りとエネルギー波を駆使してフリーザを狙う。

 

 全方位から繰り出される、わずか数秒間で300発を超えるその攻撃のことごとくを、フリーザはほとんどその場を動かず回避し、どうしても避けられない攻撃は、軽く手を当てて軌道を逸らしていた。背後からの攻撃ですら音と気配で軽々と躱してのける姿に、少女が呻く。

 

「化け物め……!」

「野蛮なサイヤ人に、言われたくありませんね」

 

 ナッツの放った赤いエネルギー波を、触れるだけで明後日の方向へ弾きながら、フリーザが笑う。そして攻撃開始から1分近くが経過し、繰り出された攻撃の数が四桁の半ばに近くなるも、ただの一発も、まともにフリーザに命中してはいなかった。

 

「な、何て奴だ……」

 

 実力の差を見せつけられ、ピッコロ達の表情が、次第に絶望の色を帯びていく。その様子を見たフリーザが、嗜虐的に唇を吊り上げる。

 

「うおおおおおお!!!!」

 

 ただベジータは、諦めた様子も見せず、避けられながらも一心不乱に攻撃を続けている。にやにやと見ていたフリーザの顔が、次第に不快そうなものとなっていく。

 

「鬱陶しいですよ、ベジータさん……サービスタイムはこの辺でお開きにしましょうか」

 

 言葉と同時に、凄まじい威力を秘めた拳が、ベジータの鳩尾に叩き込まれた。身体をくの字に折り曲げたベジータが、地面へ崩れ落ちる。

 

「ぐっ……が……」

「父様!? よくもっ!」

 

 激昂し、背後から飛び掛かったナッツが、尻尾に激しく打ち据えられる。助けようとした悟飯が一瞬で頭上に現れたフリーザの痛烈な蹴りを食らって墜落し、次の瞬間にはピッコロが背後から背中に肘を叩き込まれ倒れ伏す。怯え後ずさるクリリンを、フリーザは無造作にはたき飛ばした。

 

 全員が地面に倒されるまで、2秒と掛かっていない。呻くナッツ達を、フリーザは薄笑いを浮かべて見下していた。

 

「まあ、私が少し本気を出せば、こんなものでしょうね」

 

 少女は起き上がろうとするも、身体が言う事を聞かなかった。悔しさと自分の無力さに涙しながら、父親に手を伸ばす。

 

「と、父様……」

「に、逃げろ……ナッツ……」

 

 歯を食いしばりながら、フリーザを睨み、ふらつく足で起き上がるベジータ。

 

「しぶといですね。その程度の戦闘力で、まだやるつもりですか?」

「黙れフリーザ、何としても、貴様はオレの手で……!」

「ふむ。ではこうしましょう」

 

 フリーザは倒れたナッツに近づき、その細い首に、尻尾を巻き付け、持ち上げる。締め上げられ、呼吸を阻害された少女が首に手を伸ばすも、固く巻かれた尻尾はびくともしない。

 

「かはっ……あ……」

「き、貴様……!」

 

 ベジータが顔色を変えたのを見たフリーザが、残酷な笑みを浮かべて言った。

 

「さあ、早く助けないと、娘さんが死んでしまいますよ?」

「ナッツを離しやがれ!!」

 

 最愛の娘を手を出され、激昂した父親が突撃する。ダメージを気力でねじ伏せながら、鬼気迫る勢いで拳の雨を叩き込む。そして横合いから、怒りに燃えた悟飯も飛び込んできた。

 

「フリーザ……! お前ーーー!!!!」

 

 2人が繰り出す猛攻は、人数が減ったにも関わらず、先程よりも密度と勢いを増していた。

 

「おお、少しはやる気が出たみたいですね」

 

 その頬を拳がかすめるも、フリーザは余裕を崩さない。そして少女の首を締め上げる尻尾に、一層の力が加えられる。

 

「……う……あ……」

「ナッツ!!」

 

 苦悶に喘ぐ少女の姿に、悟飯の気が、かつてない程に大きく高まった。

 

「うわああああ!!!!!」

 

 拳を振り上げ、踏み込んだ地面を砕く勢いで、少年が飛び掛かる。フリーザが驚いたように目を見開いた。

 

「おっと、危ない危ない」

「!?」

 

 悟飯が渾身の拳を振り抜こうとする直前、目の前に、ナッツの身体が突き出された。驚愕した少年が拳を止める。

 

「酷いですね。こんないたいけな子供を殴ろうとするなんて」

 

 そして硬直した悟飯を、フリーザが殴り飛ばす。吹き飛んだ悟飯は背中から岩山に激突し、呻きながら崩れ落ちる。

 

「殺しはしませんよ。あなたにはまだ、借りを返せていませんからね。この娘が死ぬ所を、そこで見ているといいでしょう」

「ふ、フリーザ……」

 

 少年は必死に立とうとするも、身体に力が入らなかった。目に映るのは、未だ諦めずフリーザに挑むベジータの姿。悟飯は動けぬ自分の不甲斐なさに涙する。

 

(お、お父さん、お願い、早く……!)

 

 

 

「おおおおおっ!!!」

 

 ベジータが全力で繰り出した拳を軽々と避けたフリーザは、体勢が崩れた彼の腹部に膝を叩き込んだ。戦闘服が大きく砕け、ベジータは口から血を吐いて倒れかけるも、苦しむ娘の姿が目に入り、強引に姿勢を立て直して反撃する。

 

「ま、まだだ……ナッツを……放せ……!」

「さすが、サイヤ人はしぶといですね! そうでなくては!」

 

 幾度も攻撃を受け、息も絶え絶えになりながら、なおも諦めず向かってくるベジータを、フリーザは満面の笑みで賞賛する。その時、彼の尻尾に、わずかな痛みが走った。

 

 振り向いたフリーザが見たものは、彼の尻尾に噛み付いているナッツの姿だった。苦しみに喘ぎながらも、その目は光を失っておらず、彼を睨み付けていた。

 

 興を削がれたフリーザが、何も言わず、少女を殴りつけ、尻尾に力を込める。首の骨を砕かんばかりの力で締め付けられ、ナッツの小さな身体が痙攣し、意識を失った。腰に巻かれていた尻尾が、力無く解けて垂れ下がる。

 

「まったく、こんな事なら、さっさと殺しておけば良かったですね」

 

 フリーザが嘆息する。その瞬間、ベジータの中で何かが爆発した。

 

「フリーザああああ!!!!」

 

 目の前に、ベジータが迫っていた。その速度と、まるで別人のような威圧感に、フリーザは驚愕する。ばちばちと全身に金色のスパークを纏わせながら、ベジータが赤熱した拳を振りかぶる。

 

「う、うわあああっ!?」

 

 死の恐怖を感じたフリーザが、とっさに両腕を、身体の前で交差させる。着弾した拳は、そのガードを力づくで撃ち抜いて、フリーザの身体に直撃した。閃光と共に拳に乗せられたエネルギーが解放され、フリーザの身体が、冗談のような速度で真後ろへと飛んでいき、衝突した複数の岩山を貫通して、遥か彼方で轟音と共に大きな土煙が上がった。

 

「はあっ、はあっ……」

 

 未だ金色のスパークを身に纏わせたまま、大きく息をつくベジータ。フリーザの飛んで行った方を、憎々しげに睨み付ける。その時、背後で、娘の咳き込む声が聞こえた。

 

「ごほっ! と、父様……」

「! ナッツ! 大丈夫か!」

 

 顔を綻ばせ、ベジータは倒れた娘へと駆け寄った。戦闘力は感じられたから、死んではいない事はわかっていたが。倒れた娘の背中に手を回し、抱き起こす。父親の顔を見て、少女の顔が安堵に緩んだ。

 

「あのフリーザを一撃で……さすが父様です……」

「あまり喋るな、ナッツ。もう少し休んでいろ」

「はい、父様……」

 

 尊敬の目で、父親を見つめるナッツ。ちょうどその時、治療を終えた悟空が、ベジータの傍に降り立った。倒れた悟飯達の気を探って生存を確認し、デンデの死体を見て、その顔が悔恨に強張った。そして最も重傷を負っているベジータに声を掛ける。

 

「大丈夫か、ベジータ? すまねえ、おめえらがあんな強え奴と戦ってたのに、遅くなっちまって」

「ようやく来やがったか、カカロット。もう少しでナッツや、てめえのガキ共も死んでしまう所だったんだぞ」

 

 その言葉に、悟空は一瞬、面食らってしまう。自分の娘はともかく、悟飯達の事まで言われるとは思わなかったからだ。何となく嬉しくなって、悟空は笑みを浮かべる。

 

「ありがとよ、ベジータ。ここからはオラがやるから、おめえは休んでてくれ」

 

 そこで悟空は、フリーザがいると思しき方向を見る。ベジータの攻撃がよほど堪えたのか、まだ動き出してはいないようだ。

 

「ナッツの母ちゃんの、仇なんだよな」

 

 不意を打たれたかのように、一瞬ベジータの表情が歪む。

 

「……それだけじゃない。奴はオレ達の故郷である惑星ベジータを破壊して、オレやお前の両親や、他のサイヤ人達も全員殺したんだ」

 

 悟空は頭の奥が、一瞬痛むのを感じた。同時に脳裏に浮かんだのは、今まで忘れていた、遠い昔の記憶。透明なガラスのような壁の向こうで、自分を見ている、ベジータ達と同じ服を着て、尻尾を持った男女の姿。

 

 泣きそうになっている女からも、一見ぶっきらぼうな男の方からも、同じものが感じられた。その正体が、子供を持った今の悟空にはよくわかる。あれは親が子供に向ける愛情だ。自分は両親から、愛されていたのだと、悟空は理解した。

 

「……そうか。それじゃあなおさら、ぶっ飛ばしてやらないとな」

「フン、ようやくサイヤ人としての自覚が出てきやがったか」

「それはよくわかんねえけど、父ちゃんと母ちゃんの仇を取ってやりてえからな」

 

 カカロットの姿を、ベジータは頼もしく思った。今のこいつなら、フリーザとも戦えるかもしれない。同時に、こいつ一人に任せておけるかと、対抗心が湧き上がる。

 

「少し休んだら、オレも行く。オレ達も奴には、恨みが有り余ってるんだ」

「ああ。オラ一人じゃ厳しいかもしれねえし、よろしく頼む」

 

 自分と同じで、フリーザはまだ大きな力を隠していると、悟空は直感していた。そしてここへ来る途中で、遠くから見た、ベジータの凄まじい一撃を思い出す。

 

「そういや、さっきのおめえ、いきなり気が何十倍にも増えてたけど、一体どうやったんだ?」

 

 ベジータは無言で、自分の手を見る。金色のスパークは、いつの間にか消えていた。もしかしたら、あの力は。

 

「それはきっと、超サイヤ人よ」

 

 まだ動けぬナッツが、誇らしげに言った。おぼろげな意識の中で確かに感じた、フリーザを遥かに上回る戦闘力の正体は、それ以外に考えられなかった。

 

「超サイヤ人って何だ?」

「千年に一人しか現れない、伝説の戦士のことよ。金色の髪と、青い瞳を持っているらしいわ」

 

 ベジータは瞠目する。さっきのあれは、その力の片鱗だというのか。

 

 目を輝かせて、嬉しそうに、少女は言った。

 

 

「一瞬だけど、父様はなれたのよ。超サイヤ人に」

 

 

「このオレが、超サイヤ人に……?」

「超サイヤ人……何か凄そうだな! オラもなれるかな?」

 

 はしゃぐ悟空に、少女はいたずらっぽく笑う。

 

「父様が先になったんだから、カカロットはあと千年待たないと」

「ええっ!? そりゃまいったな……」

 

 おどけたように、肩を落とすカカロットの姿がおかしくて、ベジータは思わず声を上げて笑った。

 

 

 

 

 崩れた岩山の中に埋まっていたフリーザが、地上に這い出し、ふらつきながら立ち上がった。ベジータの攻撃をガードした両腕は、未だ感覚が戻っていない。

 

「何なんだ、今の力は……たかがベジータ相手に、こ、このオレが、恐怖しただと……!?」

 

 殴られた個所が、激しく痛む。身体とプライドの両方を傷つけられたフリーザが、わなわなと全身を震わせる。突然パワーアップした理屈はわからないが、それでも絶対に、あのサイヤ人を生かしておくわけにはいかない。

 

 遠くへ見えるベジータに、人差し指を向ける。そこでフリーザはにやりと笑い、倒れた娘へと、狙いを変えた。

 

 

 

 殺気を感じたベジータは、フリーザの指先が光るのを見た。狙いが娘であるのを見て取って、とっさに抱き上げ、離れようとするが、立ち上がろうとした瞬間、足から力が抜け、がくんと倒れ込んでしまう。フリーザと死力を尽くして戦った彼の体力は、既に限界を迎えていた。

 

(こ、こんな時に……!!)

 

 光線が迫る。このままでは二人とも貫かれると悟ったベジータは、娘の顔を見て、優しく笑い、その小さな身体を突き飛ばした。驚いたような、娘の顔。

 

 その目の前で、飛来した光が、父親の心臓を貫いた。

 

 

 

「……と、父様!?」

 

 仰向けに倒れた父親に、娘が縋り付く。声を出そうとした父親が咳き込み、その口元から、大量の血が溢れ出す。娘の顔に、飛び散った血が付着した。

 

「ひっ!」

 

 その血の量と、貫かれた個所を見た娘が悲鳴を上げる。数えきれないほどの人間を殺してきたナッツには、それがもう助からない傷だと、わかってしまった。

 

「仙豆は!? 治療のできるナメック星人は!?」

 

 傷口を押さえ、少女は必死の形相で悟空を見る。

 

「せ、仙豆はもうねえし、ピッコロにそんな力は……」

「そんな……嫌……父様が……」

 

 涙ぐむナッツの前で、出血は止まらず、ベジータの戦闘力が、どんどん小さくなっていく。まるで報いであるかのように、父親の命の火が消えようとしているのを、少女は見せつけられていた。

 

「ベジータ! 大丈夫か!」

 

 カカロットが膝をついて呼びかけると、苦しげに閉じていた父親の目が、うっすらと開いた。

 

「か、カカロット……」

「喋らないで!! 父様!!」

 

 叫ぶ娘を安心させるかのように、父親は震える手で、その頭に触れた。もう時間がないと、彼は理解していた。フリーザは、カカロットに任せるしかないと思った。なら心残りは、一つしかない。

 

「カカロット……ナッツだけは生かしてくれ……オレの娘なんだ……命よりも大切な……た、頼む……」

「ああ、わかった。絶対に殺させねえ」

「父様!! 父様!!」

 

 遺言のようなその言葉に、堪えきれなくなった娘が泣き叫ぶ。それを見た父親も、我知らず涙を流していた。娘の悲しむ顔を見るのは、彼にとって、何よりも耐えがたい事だった。ああ、それに。3年前のあの日、オレが傍にいてやると、言ったはずなのに。

 

「す、済まない……お前を一人にしてしまう……オレは、悪い父親だ……」

「父様!! そんな事……!」

 

 涙が溢れて、言葉が出てこない。悪い父親のはずがない。今まで父様が私に、どれほどの事をしてくれたか。どれほど大事にして、愛してくれたか。それだけは最後に、伝えなければならない。

 

「父様は、宇宙で、一番、強くて優しい、最高の、父様です……」

 

 泣きじゃくりながら、途切れ途切れに、娘は言い切った。父親の顔が、安らかなものとなる。震える手が、娘の頬に触れる。

 

「ありがとう、ナッツ。お前はどうか……幸せにな……」

 

 その言葉を最後に、娘の頬に触れていた手が、地面に落ちた。

 

 

「……父様?」

 

 返事は無い。倒れた血塗れの身体からは、戦闘力も、優しい気配も感じられない。目の前にあるのが、父親では無く、その死体であると。認識してしまうと同時に、少女の心は、悲しみと絶望に飲み込まれた。

 

「父様! 父様! ……あああああああああああっ!!!!!!!」

 

 父親だったものに、縋り付いて叫ぶ。涙が止まらず、息ができない。父様が死んでしまった。生まれた時から、母様が死んでしまった後も、ずっと一緒にいてくれたのに。この世で一番、大事な人だったのに。

 

 悟空が何事かを叫ぶが、ナッツの耳には届かない。3年前に壊れかけた少女の心を、今まで支えてきた父親はもういない。彼女にはもう、何も残っていない。フリーザへの復讐心すらも、こぼれ落ちておく。

 

 照りつける太陽の下で、少女の視界は真っ暗で、降りしきる雨の音と、凍えるような寒さだけが、彼女の世界の全てだった。父様がそこから助けてくれたのに、その父様はもういなくなってしまった。

 

 悲しみと絶望が、ナッツの心を冒していく。もう嫌だ。もう耐えられない。こんな苦しい思いをするくらいなら、父様と一緒に、死んだ方が良かった。

 

 そこまで考えて、少女は気付く。ああそうだ。別に父様は、いなくなってしまったわけではないのだ。ピッコロだって、あの世から話していたではないか。今ごろきっと、地獄とやらで母様と会っているはずだ。

 

 あの世に行けば、また両親に会える。その考えは、今のナッツにとって、あまりにも魅力的だった。父様は幸せになれと言っていたけど、こんな苦しいだけの世界に、幸せなんてあるものか。

 

 少女は震える手の先に、ナイフのような気の刃を作り、自分の胸の中心へと向ける。戦闘力を限界まで下げれば、死ねるはずだった。

 




 ネタバレ:ベジータは30分くらいで生き返ります。

 どうにもすっきりしない展開ですが、暗いのはここが最後です。
 次の話は遅れるかもしれませんが、気長にお待ちくださいませ。


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26.彼女が力に目覚める話(前編)

 ナイフのような気の刃を、自分の胸元に向けながら。生と死の狭間で、少女は葛藤していた。

 

 父様が、死んでしまった。血がすっかり流れ出た身体は、急激に温かさを失っている。私の父様が。とても強くて優しくて。母様が死んだ後も、傍にいてくれて。戦い方を教えてくれて。最後まで私を愛してくれた父様が。

 

 涙が溢れて、苦しくてたまらない。生きていても、もう父様に会えない。それだけで、死んでしまいたくなる。けれど、胸元に当てた刃を押し込めない。身体が動かない。父様と母様に、会いたくてたまらないのに、身体に染み付いた、戦士としての本能が、こんな時だというのに、必死に死を拒んでいる。

 

「やめろナッツ! ベジータはそんな事望んじゃいねえ!」

 

 カカロットの叫ぶ声。そんな事は、判り切っている。あの優しい父様も、そして母様も、私の死なんて望むはずがない。もし自殺なんかしてしまったら、きっと二人共あの世で悲しむだろうし、とても怒られてしまうだろう。だけど。

 

 父様の亡骸が、嫌でも目に入ってくる。涙が止まらない。悲しくて苦しくて、これ以上、1秒だって生きていたくないと、心が壊れそうになる。両手が震え、刃の先端が、戦闘服の表面を削る。あとほんの少し、誰かが押し込んでくれないだろうか。そうしたら、きっと死ねるのに。父様を殺しておいて、フリーザは何をしてるのだろう。

 

 

 当のフリーザは、ベジータの死を見届けた後、ナッツに指を向けていたが、少女が自分自身にエネルギーの刃を向けるのを見て、心底楽しそうに笑い、攻撃を中止する。

 

「おやおや、これは手間が省けそうですね」

 

 自分の手であっさり殺してしまうよりも、見ていた方が面白そうだった。絶望にくれるナッツの姿に、フリーザは顔を綻ばせる。

 

 生き汚いサイヤ人、それも気位の高い王族が自ら死を選ぶなど、たとえ惑星ベジータが健在でも、まず見られないだろうショーだった。ゆっくりと、手を打ち鳴らして嘲笑する。

 

「私の手を汚さないよう、自ら死んでくれようだなんて、とてもお行儀の良い子だ。ふふっ、お父さんは良い教育をして下さったようですね」

 

 

 

 今にも死んでしまいそうな少女を前に、どうしていいかわからず、悟空は動けない。

 

 死んだベジータの為にも、悟飯の為にも、ナッツが死ぬのを、止めなければならない。彼個人としても、あんな小さな子供が、親を失って、悲しんだ挙句に自殺するなど、見過ごせるはずがない。

 

 だが言葉は届かず、力ずくで止めようとした場合、それがきっかけで、ナッツは自らを刺しかねない。いかに力の差があろうとも、彼女には戦闘の心得がある。取り押さえようと動けば、瞬時に反応されてしまうだろう。

 

「お父さん、ボクが行くよ」

 

 その声に、悟空が振り返ると、そこには自分の息子の姿。その瞳に宿る決意の輝きに、父親は驚いてしまう。こんな顔をする子供だっただろうか。

 

「ご、悟飯……!? 大丈夫なのか!?」

 

「……わからないけど、それでも、放っておけなくて、何とかしてあげたいから」

 

 しっかりとした足取りで、少年は泣きじゃくるナッツの元へと向かっていく。何かあればすぐ動けるよう身構えながら、頼もしくなった息子の背中を、悟空は見守っていた。

 

 

 

 少女に歩み寄りながら、悟飯は考える。ベジータさんが、死んでしまった。怖い人だったけど、それでもナッツに対する愛情は本物で、彼女も、お父さんがとても大好きだった。きっとあの子は今、死んでしまいたいほどに、悲しいのだろう。

 

 自分もお父さんが大好きだから、その気持ちは判る。けど万が一、お父さんが死んでしまったとしても、ボクにはお母さんも、ピッコロさんもいるけれど、あの子のお母さんは既に死んでいて、助けてくれる人が、誰もいないのだ。

 

 だから、ボクが行って、傍にいてあげないと。それでどうにかなるかは判らないけど、それでも彼女が、あんな風に泣いているのは、可哀想で見ていられなかった。またあの子に、笑って欲しいと思った。

 

 お父さんはとても強くなっていて、フリーザでも倒してくれるかもしれないけど、それでも、今、彼女を助けるのは、ボクがやらなければならなかったし、そうしてあげたかった。

 

 ナッツに近づくと、膝立ちになった彼女が、胸に気の刃を当てたまま、こちらを見上げた。彼女の手が、震えていた。迷っているという事だ。怖がらずに、さらに近づく。

 

 彼女は頭が良いし、親想いだから、自殺なんかしたら、お父さんやお母さんに悪いと思っている。ベジータさんが死んでしまった直後なら、勢いで即座に刺してしまうかもしれなかったけど、迷っているなら、まだ大丈夫のはずだ。

 

 ナッツの傍に屈み込み、少し緊張しながら、その手首を握る。ナッツがゆっくりと、こちらを見る。見た事もないほど、涙でくしゃくしゃになった顔に、悟飯は心が痛むのを感じた。どうにかしてあげたくて、精一杯、優しい声で語りかける。

 

「ねえナッツ、こんな事はやめようよ。君が死んでしまったら、きっとベジータさんも、君のお母さんも、悲しむよ」

 

「……わかっているわ、そんな事くらい、わかっているのよ、悟飯。だけど、それでも、寒くて、苦しくて、悲しくて、辛いのよ。だって、だって父様が……っ!!」

 

 冷たい父親の亡骸を見下ろして、少女の嗚咽が、いっそう激しくなる。近くにいるだけの悟飯にも、その苦しみが伝わってくるほどに。

 

 あの日と同じ、雨の音と、凍えるような冷たさが、少女の世界の全てだった。あの時助けてくれた、父様はもういない。少年の手が触れているのに、その小さすぎる温もりは、瞬く間に掻き消えてしまう。

 

 亡骸の前で、ナッツは、雨に打たれながら泣き続ける。死んでしまいたいのに、それすらできない。こんなに苦しいのは、もう終わらせて欲しいと、少女は助けを求めて手を伸ばす。

 

 

 

 ナッツは気の刃を消し、悟飯の手に触れる。そのまま少女は少年の手を取り、自らの胸元へと導いた。狼狽する悟飯の手が、戦闘服の胸部に触れる。柔軟な素材を通して、少女の体温と、命の鼓動が伝わってくる。

 

 その感触に一瞬呆然としていた悟飯が、我に返って少女の顔を見て、硬直した。泣きながら無理に微笑むナッツの表情に、少年は頭が殴られたような、衝撃を受けていた。

 

 震える声で、少女は懇願する。

 

「ねえ悟飯、私、父様と母様に、また会いたいの」

 

 言葉と共に、ナッツが自らの気を、限界まで下げていく。胸元に導かれた手も相まって、何を望まれているのかを、理解した悟飯は愕然とする。

 

「だ、駄目だよ! できないよそんな事!」

 

「……そうよね。けど、私も自分では、できそうにないの。死ぬのは怖いし、父様と母様の顔がちらついて。本当に、情けない話だけど」

 

 心の砕けた少女が、光の失せた目で少年を見つめて微笑んだ。

 

「もう私は、生きていても仕方ないの。父様も母様もいない、こんな苦しい世界に、一人でいるなんて耐えられない」

 

 死ぬだけなら、今すぐフリーザに挑むという方法もあったけど、あんな奴に殺されてやるのは、流石に嫌だった。死ぬのなら、この少年の手で死にたかった。

 

 

「ねえ、悟飯。私は悪いサイヤ人よ。生かしておけばきっとこれからも、大勢の人間を殺すわ。だからお願い。私を可哀想だと思うのなら、あなたの手で殺して」

 

 

 そういえば、地球でも同じような事を言った覚えがある。結局あの時、敵だった私を、悟飯は殺さなかったけど、今度はどうだろうか。

 

「……そんな、こと……言わないでよ……」

 

 少年の目に涙が浮かぶのを見て、わずかに残ったナッツの心が、痛みを覚える。この優しい少年に、そんな事ができるはずがないと、知っていたはずなのに。とても酷い事をしてしまった。

 

 ああ、けど、なら私はどうすれば。やはり自分で、死ぬしかないのだろうか。ぼんやりと鈍った思考で、虚ろな瞳の少女は自らの胸に手を伸ばそうとする。

 

 そこで、悟飯が突然、少女の両肩を掴み、真っ直ぐに彼女の目を見つめる。未だ残っている左肩の傷跡に、それをつけた少年の手が触れた瞬間、地球での、命懸けの戦いが脳裏に浮かんで、ナッツの身体がびくんと跳ねる。

 

「……ご、悟飯?」

 

 どきどきする心臓の鼓動が、少女の意識を覚醒させる。そしてナッツが目の当たりにしたのは、ぼろぼろと涙をこぼす少年の姿。呆然とする少女の前で、途切れ途切れに訴えかける。

 

「死ぬなんて……やめようよ、ナッツ。ボクは、君に、死んで欲しくなくて、一緒に生きていたいから。お願いだよ……きっとベジータさんだって、君が死んだら、悲しむよ……」

 

 年下の少年の、涙ながらの懇願が、ナッツの心に、染み渡っていく。それはとても心地良かったけど。ああ、けれど。心に負った傷の痛みが、今も少女を苛んでいる。

 

「……だって、だって父様はもういないのよ、悟飯。あなたがそう言ってくれるのは、とても嬉しいけど。父様のいない人生なんて、きっと私には耐えられない」

 

 見えない寒さと孤独に、震えるナッツの身体を、少年が泣きながら抱き締め叫ぶ。

 

 

「じゃあ、ボクが、君のお父さんの、代わりになるから! ずっと、傍にいるから……!」

 

 

 その言葉に、少女は目を見開いた。少年の身体の温もりが、冷え切った身体に染みわたっていく。彼女の父親の抱擁と比べれば、少年のそれは、頼りなかったけど。それでも、確かに温かかったのだ。

 

「……悟飯は、私よりも背が低くて、年下じゃない。そんなあなたが、父様の代わりになれると思うの?」

 

 その言葉に、刺々しさはなく。疑問と不安と、わずかな甘えの入り混じった言葉に、涙を拭いて、悟飯は応える。彼女にとってのベジータさんの代わりなんて、一生無理かもしれないけど。それでも、この子に、また笑って欲しいから。 

 

「君の方が年上なのは、どうしようもないけど、それでも、なりたいと思うんだ」

 

「……そう」

 

 少年の言葉と温もりを、ナッツは噛み締める。父様が死んでしまった事は、まだとても辛くて悲しいけど、それでも死にたいという気持ちは、すっかり失せていた。改めて、自分を抱き締める悟飯を見る。大人で強くて格好良い父様とは全然違う、年下で自分よりも幼い子供。

 

 それでも、彼を見ていると、胸の内に湧き上がる、この熱い気持ちはなんだろう。高まる熱を感じながら、少女は想う。

 

 

 殺されるのなら、あなたがいい。そのほかの事も、全て。

 

 

 衝動のまま、少年の腕に、尻尾を固く巻き付ける。その光景を仮にベジータが見ていたとしたら、泡を吹いて倒れていただろう。自らの尻尾、サイヤ人にとって誇りとも呼べる大事なそれを預けるのは、サイヤ人にとって、最上級の愛情表現だ。家族ではない人間、しかも異性に行う場合、それはさらに特別な意味を持つ。

 

 どこか熱の籠った瞳で、少年を見つめて、心のままに、ナッツは微笑んだ。

 

 

「だったら、あなたがそうなれるまで待っててあげる」

 

 

 何も言えずに、悟飯は赤面する。その笑顔は、今まで一番、綺麗だと思った。

 

 

 

 彼らのやり取りに、フリーザは顔を嫌悪に歪める。死に掛けて復活して、大幅にパワーアップした事から、悟飯もサイヤ人の血を引いていると、彼は見抜いていた。

 

「つまらないですね。私はサルの子供同士の、安っぽいメロドラマを見たかったわけではありませんよ」

 

 二人に向けられた指先に、彼女の父親を殺した光が宿る。

 

「私がプロデュースして差し上げましょう。二人とも、死んでしまいなさい」

 

 

 

 その声に、ナッツと悟飯がフリーザを見る。あの攻撃は、彼らでは避けられない。動く事はできるだろうが、フリーザは避けた先を、正確に狙ってくるだろう。

 

「フリーザああああ!!!!」

 

 少女の目には、フリーザの動きを注視していた、カカロットが割り込もうとするのが、見えていた。おそらくそれは間に合うだろう。今のカカロットの戦闘力なら、あの攻撃を弾くくらいは、やってのけるはずだ。

 

 けれど、それでも、狙われた少女のはらわたは煮えくり返っていた。

 

 フリーザ。母様を死に追いやって。私の目の前で父様を殺して。それだけでも絶対に許せないのに、その上、私と悟飯まで、殺そうとしたのか。またこいつは、こんなことをするのか。

 

 絶対に、生かしてはおけないと思った。自分と同じ世界に、こいつが存在してはいけなかった。殺してもなお飽き足らぬ仇を睨みつける。歯を食いしばる。息を吹き返した心が、限界を超えた怒りで赤熱する。

 

 

 

 

 ナッツの中で、何かが爆発する。




 後編も8割方書けてるのですが、今日はここまで。
 続きは近いうちに投稿します。


【その光景を仮にベジータが見ていたとしたら、泡を吹いて倒れていただろう】
この時地獄で実際倒れてました。

「その光景を仮にベジータが見ていたとしたら、泡を吹いて倒れていただろう。今倒れた。」って入れる予定でしたが流石にアレなので本編の雰囲気を壊さないよう後書きに移しました。


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27.彼女が力に目覚める話(後編)

 フリーザは己の放った二条の光線が、割り込んだオレンジ色の胴着の男に、弾き飛ばされるのを見て瞠目する。

 

 あいつは誰だ。あの特徴的な髪型からして、サイヤ人。あのガキの父親か。それにしてもあの顔は、どこかで見覚えがあるような。  

 

 そこで、ふと気付く。男の後ろにいたはずの、たった今殺そうとしていた、子供2人が消えている事に。

 

「あのガキ共、一体どこへ……っ!?」

 

 言葉の途中で、後頭部を蹴り飛ばされたフリーザが地面に倒れる。屈辱よりも、驚きが先に来る。死角からの奇襲とはいえ、ベジータが死んだ今、この場で自分に有効打を与えるほどのパワーを持つ者は、もういないはずだというのに。

 

「な、何者だ!?」

 

 身を起こしたフリーザが、襲撃者を睨み付け、その姿に目を疑う。そこにいたのは、戸惑う少年を、守るように抱えたナッツだった。その全身が、溢れんばかりの黄金のオーラに包まれ、背中まで伸びた長い髪までもが、金色に染まっている。

 

「な、何だ……その姿は……?」

 

 フリーザは思い出す。ベジータが一瞬見せた、金色のスパークを纏った姿。あれと同一の変身、否、これがその完成系なのだと、直感する。という事は、まさか、これは。

 

 

「で、伝説の、超サイヤ人だと!?」

 

 

 少女は抱えていた悟飯を下ろし、黄金のオーラに包まれた、自らの両手をじっと見つめる。身体の奥底から、とてつもない力が湧き上がって来るのを感じる。フリーザを一蹴した、あの時の父様と似て、それ以上に明確な変化。

 

(超サイヤ人は、血と闘争を好む最強の戦士であり、金色の髪と青い瞳を持っているそうです)

 

 最長老の言葉を、少女は思い出していた。静かな面持ちで、少年の目を覗き込む。

 

「悟飯。私の目は、今何色?」

 

 深みのある色合いは、澄んだ湖のようで。普段の黒い瞳と、同じくらい綺麗だと、悟飯は思った。 

 

「あ、青だよ……」

 

「……そう」

 

 少女は内心、複雑な気持ちだった。全宇宙最強の戦士、超サイヤ人は、私の父様のはずなのに。

 

 穏やかな心を持ったサイヤ人が、激しい怒りによって目覚める。そんな言葉が、なぜか自然と頭に浮かんだ。

 

 冷酷なサイヤ人の私に、穏やかな心なんてあるはずがない。もしあるとすれば、きっとそれは、父様と母様がくれたのだ。

 

 父様も母様も、子供の私に、精いっぱいの愛情を注いでくれた。寂しい時にはいつも傍にいてくれて、戦い方だけじゃなく、王族に相応しい、教養や礼儀作法も教えてくれた。私の身体も、命も、流れる血の一滴にいたるまで、何もかも全て、父様と母様がくれたのだ。

 

 そして二人とも、私を守って、死んでしまった。いつかはまた地獄とやらで会えると、わかっているけれど、それでも、父様と母様を殺したフリーザは、絶対に許すわけにはいかなかった。

 

「悟飯。父様をお願い。後で……お墓を作ってあげないと」

 

「う、うん……でも、君は?」

 

「私にはまだ、やる事があるの」

 

 凍えるような殺意を湛えた目で、少女はフリーザを睨む。強すぎる怒りが、彼女の雰囲気を静かなものとしていた。

 

 ただ今までと違い、その胸の内にあるのは、冷たく燃える復讐心だけではない。両親との幸せな想い出と、傍にいると言ってくれた少年の存在が、彼女の心を支えている。雨の音は、もう聞こえない。

 

「そんな!? 危ないよ!」

 

 今のナッツの気は、確かに以前の何十倍にも大きくなっているけれど、それでもベジータさんと同じくらいだ。フリーザと戦えば、同じように、一方的に殺されてしまうだろう。

 

 止めようとした悟飯に向けて、少女は無言で、金色の尻尾を振って見せる。意図を察して、少年が驚く。そんな事が、できるのだろうか。

 

「……だ、大丈夫なの?」

 

「私はサイヤ人の王族よ。下級戦士と一緒にしないで。けど本当に危ないから、父様と一緒に、離れていて」

 

 悟飯は俯く。フリーザとの戦闘で、彼の気はもう、ほとんど残っていなかった。ここで残っても、これから始まる戦いの、足手纏いになってしまうだけだろう。

 

 少年の様子は、少し前までの自分を見ているようで。気持ちを察したナッツが、その身体を軽く抱きしめた。温かさが、伝わってくる。

 

「あなたは足手纏いじゃないわ、悟飯。あなたがいてくれるから、私は戦えるの」

 

 少年の顔が、耳まで真っ赤になっていた。少女の顔も、少し紅潮している。

 

「……わ、わかったよ。けど、君が危なくなったら、助けに行くから」

 

「うん。お願いね」

 

 悟飯がその場を離れ、父親の亡骸を、安全な場所へと運んで行くのを確認して、ナッツは改めて、フリーザと対峙する。

 

 背丈が変化したわけでもないのに、少女の姿は、もはや子供には見えなかった。凛としたその立ち姿は、彼女の母親のようで、その闘志は、彼女の父親のようだった。滅んだ種族の最後の王族である彼女は、もう子供ではいられなかった。

 

「フリーザ。お前は母様だけでなく、父様まで私から奪ったわ。それだけじゃない。私達の故郷である惑星ベジータを破壊して、カカロットの両親や、大勢のサイヤ人達を殺した」

 

 くつくつと、心底おかしそうに、フリーザは笑う。自分に殺されるような、脆弱な下等生物に生まれた事が悪いというのに。

 

「だからどうしたというんです? さんざん殺してきたのは、あなた達サイヤ人も同じでしょう?」

 

「……そうね。認めたくないけど、その点で私達サイヤ人は、お前と同じよ。けど一つだけ、言いたい事があるわ」

 

「ほう? いいでしょう。言ってごらんなさい」

 

 どこか小馬鹿にした様子のフリーザに向けて、力強く、ナッツは宣言する。

 

 

「もうこれ以上、何も奪わせないわ。お前は今日、私の手で死ぬのよ。フリーザ」

 

 

 超サイヤ人になれたとはいえ、今の私の全力でも、勝ち目があるかはわからない。死の淵から復活したカカロットは、相当戦闘力を高めている。彼に任せれば、フリーザを倒してくれるかもしれないけど。王族の私が、下級戦士に戦いを任せて下がるなんて、有り得ない事だ。

 

 そして何より、できるならばフリーザは、この手で殺してやらなければ気が済まなかった。

 

「ふふふ、はははははは!!! 実に、実に面白いジョークですね! あなたごときが! このフリーザを殺すなんて!」

 

 哄笑するフリーザの態度には、余裕が窺える。先に受けた一撃で、この超サイヤ人の力量は、概ね把握できていた。見た目の変化には驚かされたが、その戦闘力は最大限に見積もっても、せいぜいベジータと同程度だ。

 

 仮にベジータが、あるいは第三形態の自分を追い詰めたあのガキが同じ変身をしていれば、危なかったかもしれないが、元の戦闘力が低すぎるこの娘では、何の脅威にもなりはしない。

 

「伝説の超サイヤ人とはいえ、こんな子供ではね! ベジータさんもお可哀想に! あなたが先に死んでいれば、ずっと夢見ていた超サイヤ人になれたかもしれないのに!」

 

 ナッツの顔から、表情が消える。少女の中に蓄積された、絶対零度の殺意が、一息に解き放たれる。フリーザが思わずたじろいだ隙に、ナッツは大きく後ろに飛び離れる。その行動に、彼は困惑する。

 

「? 一体何を……?」

 

 たとえフリーザであっても、一瞬では詰め切れない距離。それを確保したナッツは、掌を上に向け、満月をイメージして、力を集中する。それはサイヤ人にとっての、絶対なる力の象徴。かつて両親と共に見上げた本物の月を、鮮明に脳裏に思い描く。 

 

 そうして掌の上に浮かんだパワーボールは、かつて作った時より、二回り以上も大きく輝いていた。会心の出来だったが、全く負担を感じない。それほどまでに、自分は強くなったのだ。即座に上空へ放り投げ、そのまま高く掲げた手を握り締めて、呟く。

 

 

「……はじけて、まざれ」

 

 

 一瞬の閃光。他の全員が、思わず顔を庇う中、金色の少女は目を逸らさない。光が収まった後、上空には太陽よりも巨大な、人工の満月が現出していた。青い目を大きく見開いたナッツの顔が、降り注ぐ光に照らされる。

 

「……っ」

 

 ブルーツ波に尻尾が反応するのを感じ、少女は獰猛に笑う。やはり超サイヤ人でも、大猿への変身はできるのだ。

 

「ま、まさか、あれは!?」

 

 狼狽した様子のフリーザに、胸がすくような思いで、ナッツは言い放つ。思えば、こいつが変身するたびに、驚かされてばかりいたけれど。

 

「お前は何度も変身できるのが自慢みたいだけど……私もひとつ、変身を残しているのよ」

 

 ドクン、と心臓が高鳴り、少女の笑みが深まった。変身中はほとんど動けないが、フリーザが何かしようとすれば、カカロットが見過ごしはしないだろう。

 

 肉体の変化を感じながら、変身が始まるのが、以前よりも早いと、ナッツは冷静に考えていた。今作った月は、ブルーツ波の数値も、1700万ゼノより大きいのかもしれない。

 

 ドクン、ドクン、と心臓が脈打つたびに、ただでさえ信じられないほどに増大した戦闘力が、さらに大きく高まっていく。

 

 尻尾が激しく動き、吸収されたブルーツ波が膨大なエネルギーへと変換され、全身へと送られていく。その力で、骨や筋肉、臓器、血液、頭髪、そして細胞の一片に至るまで、少女の身体の全てが、かつて全宇宙から恐れられた、戦闘民族サイヤ人の、もう一つの姿のものへと、作り変えられていく。

   

 ドクン、ドクン、ドクン。鼓動と同時に、身体全身が大きく震える。犬歯が牙のように伸びていき、激しい呼吸の合間に、獣の唸り声が混じりだす。怒りと破壊衝動が、彼女の中で膨れ上がっていく。

 

 未だ金色のオーラに包まれたナッツは、彼女の変貌を前に、唖然とするフリーザに向けて叫ぶ。

 

「サイヤ人の、本当の力を見せてあげるわ!!!!」

 

 

 次の瞬間、少女の全身が、二倍に膨れ上がった。

 

「ぐ、ああああああアアアアッッ!!!!!」

 

 少女の叫びが獣のそれへと変化し、それが終わらぬうちに、筋肉で膨れ上がったナッツの身体が、内側から弾けるように、さらにもう一回り成長する。全身の骨格もそれを支えるように秒単位でより太く強靭になっていき、咆哮を続ける少女の口元から、鋭く尖った牙が溢れだす。

 

 ブルーツ波を吸収し続けたその瞳は、いつしか白く染まり、人間の限界を超えて開いた口が、鼻と一体化して少しずつ前へとせり出し、整った彼女の顔から、人の面影が失われていく。耳の先端が上向きへと変化していき、なおも増大し続ける重量によって、黒いブーツの下で、地面がひび割れ始める。

 

 

「そうは、させるかあああ!!!」

 

 衝撃から立ち直ったフリーザが、変身を止めるべく地を蹴った。あの超サイヤ人が大猿になろうとも、計算上はフルパワーの半分も出せば処理できる。だが超サイヤ人は、惑星ベジータのサイヤ人達の間ですら、その詳細が伝わっていなかった未知の存在だ。

 

 どんな力を隠し持っているか知れない相手が、更なるパワーアップを果たそうとするのを、見過ごすわけにはいかなかった。超サイヤ人になど、絶対に負けるわけにはいかないのだ。

 

 その時、目の前に現れた悟空が、その腕を掴み、動きを止める。ぎりぎりと、凄まじい力で腕を握り締める悟空の顔は、彼をよく知る者でも見た事が無いほどの、怒りに満ちたものだった。

 

「な、何だ貴様は!? 放せ!」

 

「おめえ、よくも、あんな小せえ子の前で、父ちゃんを殺しやがったなあああ!!!」

 

 怒りのままに、繰り出される悟空の拳を、フリーザが身を回すように避け、そのまま尻尾を叩き付ける。悟空は地面ギリギリまで身を屈めてそれを回避し、跳ね上げるような蹴りを繰り出した。まともに食らったフリーザが、大きく跳ね飛ばされる。

 

 立ち直る隙を与えず、悟空は前に加速し、体勢を崩したフリーザに、身体ごとぶつかっていく。かろうじてそれを受け止めながら、彼は目の前の男の顔を見て、はっと目を見開いた。

 

(思い出した! こいつ、惑星ベジータを消した時、最期まで抵抗した、あのサイヤ人とそっくりだ……!)

 

「それだけじゃねえ、オラの父ちゃんと母ちゃんまで……!!」

 

 言葉からして、惑星ベジータの生き残り、おそらくは、あのサイヤ人の息子。惑星の破壊に居合わせなかった飛ばし子も、あの後、全員処分させたはずなのに。まさか、どうやってか自分の思惑を知って歯向かって来たあの男が、密かに逃がしていたとでもいうのか。ぎりりと、歯を食いしばる。

 

「あのサイヤ人のゴミが! どこまでもオレの邪魔をしやがって!!」

 

 フリーザは悟空に向けて広げた両手を重ね、ほぼ零距離から、身体全体を飲み込むほどの、エネルギーの奔流を撃ち放った。直撃を受けた悟空が、大きく吹き飛ばされていく。

 

「はあっ、はあっ……あのサイヤ人、一体どこで、あれだけの戦闘力を……」

 

 息を切らせるフリーザは、不意に周囲が暗くなったのを感じた。獣の咆哮が、いやに大きく聞こえた。慌てて顔を上げたフリーザが見たものは、8メートルを超える程に成長し、その巨体で日の光を遮りながら、なおも巨大化を続ける大猿の姿だった。

 

 その身を覆う黒い戦闘服が、着用者の変化に合わせるかのように、柔軟に伸びていく。身体に密着したアンダースーツに、はち切れんばかりの筋肉が浮かんでいる。体表をうっすらと覆う金色の獣毛が、見る間にその密度を増していく。伸びた尻尾が振り回され、木々をまとめて薙ぎ倒す。

 

「この、醜いサルめ!!」

 

 フリーザは指を上向け、ナッツの胸部に向けて、光線を連発する。計5発の光線が、戦闘服を貫いて、大猿の身体に着弾する。

 

『ガッ……!?』

 

 赤く染まった目で月を見上げていた大猿が、苦悶の声を上げ、口元から、血の塊が吐き出される。フリーザが顔を喜悦に歪め、さらに光線を放とうとした時。

 

『ガアアアアアアアッッ!!!!!』

 

 一際大きな咆哮と共に、大猿の全身が弾けるように膨れ上がる。一瞬気圧されたフリーザが、止めを刺すべく、先ほどの倍の数の光線を放つ。先ほどと違い、着弾した瞬間のみ、大猿の身体がわずかに揺らぐも、戦闘服に開いた小さな穴から煙が上がるだけで、全く効いた様子はない。

 

「しぶとい奴め……!」

 

 既に12メートルを超えた大猿の、あまりのタフネスに、フリーザが呻く。その横合いから、復帰した悟空が突撃を掛ける。

 

「こっちだ、フリーザ!!」

 

「どこまでも、しつこい奴だ!!」

 

 悟空の攻撃をガードし、高速で打撃を応酬しながら、フリーザは呻く。

 

 変身中の超サイヤ人も、目の前の男も、今すぐ殺してしまいたかったが、ブランクが長かったせいか、思うように力が出せないのがもどかしい。大抵の相手は、変身せずとも倒せていたから、この形態に変身した事すら、片手で数えるほどもないのだ。

 

 もうしばらく戦えば、身体も温まり、本気を出せるようにもなるだろうが、それまでは耐えるしかないと、フリーザは考える。

 

 しかし一見無駄に思われた彼の攻撃は、ナッツに大きな影響を与えていた。

 

 

 

(グルルルル……あ、ああああっ!?)

 

 今にも理性を失いかねないほどの激情が荒れ狂う中、ナッツは自分自身である猛獣の手綱を必死に握っていた。数えきれないほどの訓練と実戦によって、普段の彼女は大猿化しても理性を保つ事ができるのだが、今は事情が異なっていた。

 

 超サイヤ人への変身によって、短時間で、戦闘力が上がり過ぎていた。その力に比例して強まった破壊衝動を、彼女はどうにか必死に抑えてきたが、今フリーザから攻撃を受けた事で、その均衡が崩れつつあった。

 

 視界が真っ赤に染まっている。怒りのままに、目に映る全てを破壊してしまいたくなる。今この力をぶつけてやるべき対象は、ただ一人だというのに。わずかな時間で数百倍にも増大し、今なお上昇を続ける凄まじい戦闘力の制御を、少女は今、失おうとしていた。

 

 なおも成長を続ける金色の大猿が、血の混じった唾液を撒き散らしながら咆哮する。わずかに残された理性の欠片で、ナッツは必死にあがき続ける。どれだけ戦闘力が高くても、理性の無い獣に倒せるほど、フリーザは甘くない。それに。

 

(このままじゃ、私が悟飯達を殺してしまう! それだけじゃない、きっと、この星も……!)

 

 今の私が理性を失えば、この星を蹂躙しつくすのに、数時間も掛からないだろう。事によると、いきなり星そのものを、消し飛ばしてしまう可能性すらある。

 

 自分を勇者と呼んで、歓迎してくれた、村人達の事を思い出す。ナメック星は、あの人達や、最長老の故郷で、彼らが頑張って、復興させている最中なのに。

 

 他の星なら、いくら滅んでも構わないけど。この星を壊すなんて、絶対に嫌なのに。身体の自由が、もう利かなかった。

 

 ごめんなさいと、その言葉を最後に、残された理性が、激情の渦に飲み込まれた。

 

 

 

 変身を終えた大猿が、雷鳴のような咆哮を上げる。15メートルにも達する巨体は、金色に輝く毛皮に覆われ、人間であった頃と同じ、黒い戦闘服を身に纏っていた。背中まで伸びたボリュームのある髪も、また健在で。長大な尻尾が、乱雑に風を切って振るわれる。

 

 遠くで爆発音が響く。金色の大猿は、唸り声を上げながらそちらを見る。白い人間と、オレンジ色の人間が、激しく戦っているのが見えた。

 

 咆哮と共に、大猿の口から、真紅のエネルギー波が解き放たれる。直径100メートルを超えるそれは、半ば以上、ナメック星の大地にめり込んでいた。大気も大地も海水も、直線状の全てを消し飛ばしながら、破壊の光が悟空とフリーザに迫る。

 

「な、ナッツ!? どうしちまったんだ!?」

 

「うおおおおおおっ!?」

 

 二人がバラバラに飛び離れると同時に、彼らのいた空間が、膨大なエネルギーの奔流に薙ぎ払われる。それが通り過ぎた後には、大地も海も区別なく、数十メートルほど深く半円状に抉られた跡が、水平線の彼方まで続いていた。

 

「な、何だよ! あの子、大猿になっても理性を保てるはずじゃなかったのかよ!」  

 

 危うく悟空までも巻き込みかけた大猿の攻撃に、狼狽するクリリン。彼の視線の先で、金色の大猿が、地面を蹴り砕きながら、大きく跳躍する。空中で巨大な両の拳を組み合わせて掲げ、偶然目についた島の大地へと、落下の勢いを乗せて、振り下ろした。

 

 凄まじいパワーで打撃された地面が轟音と共に瞬時に砕けて巨大なクレーターと化し、その地点を中心に深々と走った亀裂が、島全体へと波及する。衝撃で局地的な地震が巻き起こる中、岩盤までも砕かれた島の大地が次々に砕け、全てが海へと飲み込まれていく。

 

 島一つを一撃で破壊した大猿が、残骸を蹴って飛び上がり、地響きと共に、別の陸地へと着地して。月を見上げて、本能のままに吼え猛る。周囲にいた動物達が、必死に逃げ始める。

 

 なおも見境なく破壊を続ける大猿を、忌々しげに睨みながら、ピッコロは叫ぶ。

 

「逃げるぞ、悟飯! 孫! クリリン! お前らもだ!」

 

「け、けどよ、ピッコロ。ナッツの奴は……」

 

「状況を考えろ! あのサイヤ人がこちらに気付いたが最後、お前以外は全滅だ!」

 

 かつての悟飯と同じで、あのサイヤ人は、とてつもないパワーと引き換えに、完全に理性を失っている。

 

 奴が作ったあの月は、時間が来るまで消えないらしい。だからといって、尻尾を切るために、あの大猿に近づくのは自殺行為だ。ならばフリーザの奴と、化け物同士で潰し合わせればいい。

 

 この星は、おそらく保たないだろう。諦めるしかないのは、とても心苦しかったが。ネイルの記憶によると、まだ生き残りのナメック星人が隠れているという話だが、せめて何人かでも、連れ出せないものか。

 

 

 大猿と化し、理性を失ったナッツの姿を、悟飯は自分自身に重ね合わせていた。 

 

 地球で変身した時の事は、すっかり忘れていたけれど、大猿になっている間も、意識はわずかに残っていたのだ。ただ、強過ぎる怒りに押し流されて、自分が自分では、なくなってしまっていただけで。ナッツに噛み付いて傷付けたり、殺そうとしたり、酷い事をしてしまった。

 

 今のナッツも、きっと同じだろう。最長老さん達がここまで復興させたナメック星を壊すなんて、あの子は絶対に、やりたくないはずだ。強大すぎる今のナッツの気は、正直、感じているだけで、震えてしまうほど怖いけど。あの子が取り返しの付かない事をしてしまう前に、昔のボクみたいに、目を覚まさせてあげないと。

 

「お父さん、ピッコロさん、ごめん! ボク、行ってきます!」

 

 言って少年は、大猿へ向けて飛び立って行く。

 

「あっ、悟飯!?」

 

「戻れ、悟飯!! 殺されるぞ!!」

 

 二人の声を背に、死ぬかもしれないと思いながら、悟飯は暴れ回るナッツへと近づいていく。蹴り砕かれた丘の破片が、額を掠めて、血が流れるも、少年は止まらない。

 

 やがて悟飯は、大猿の顔付近へ到達した。血のように赤く染まった瞳が、ギロリと少年を睨み付ける。人間が飛び回る羽虫を見たかのような、不快そうな唸りを上げる。口元から覗く獣の牙の一本一本が、彼の腕よりも太かった。

 

 金色の毛皮に覆われた巨大な右腕が、下から斜め上へと振るわれる。当たれば全身の骨が砕かれて、即死しかねないその攻撃を、悟飯は必死に回避して叫ぶ。

 

「駄目だよ!! ナッツ!! こんな事をしてたら、ナメック星が壊れちゃうよ!!」

 

 避けた拳が、真上から、ハンマーのように振り下ろされる。自分の身体の倍以上に大きな拳を、辛くも避けるも、風圧で体勢を崩しそうになる。

 

「ねえナッツ!! 君はフリーザを倒すんだよね!! 君のお母さんと、ベジータさんの仇を取るために!!」

 

『ガ……ア……ッ!?』

 

 黄金の大猿が、その言葉に全身を強張らせる。両腕で頭を抱えて、額に大粒の汗を浮かべて、身を震わせる。彼女の理性が、息を吹き返そうとしていると、少年は看破する。あと一息、何かがあれば。

 

「頑張って!! 君はサイヤ人の王族で……っ!?」

 

 悟飯が絶句する。苦しげな様子の大猿が、殺意の籠った目で、こちらを睨んでいた。煩い黙れと、言わんばかりに、巨大な拳が、叩き付けられる。凄まじい速度で迫る拳を、少年はあえて避けずに、ナッツと正面から、向かい合う。

 

 地上で見ていた、悟空と、ピッコロと、クリリンが、悲鳴を上げる。そして大猿の瞳で、それを見ていた少女もまた、絶叫しながら、自らの怒りと破壊衝動を、力づくで捻じ伏せていた。

 

 

 

 呆然と、悟飯は、自らの眼前で、急停止した、大猿の拳を眺めていた。風圧で髪が乱れ、わずかに後ろに飛ばされるも、少年の身体には傷一つない。ふと見上げると、大猿が荒い息をつきながら、心配そうに彼を見ていた。

 

「よ、よかっ、た……」

 

 安堵のあまり、緊張の糸が切れて、落下しかける悟飯の身体を、慌てたナッツが、掌で受け止める。掌の上で倒れた少年の、その小ささに、ぞっとしてしまう。大猿になった自分と対峙して、彼が今死んでいないのは、奇跡としか言いようがなかった。

 

『……死ぬ気なの? 悟飯』

 

 その声は、やや重く低くなっていたけれど、いつものナッツのものだったから、悟飯はにっこり笑って言った。

 

「ううん。君が止めてくれるって、信じてたから」

 

『……馬鹿』

 

 自分も笑って見せようとして、ふと少女は、思い出す。ギニュー特戦隊との戦闘で変身した時、怯えた顔で自分を見上げていた、悟飯の顔を。

 

 また醜い姿を見せて、嫌われたりしたらどうしよう。ナッツは少年を乗せた掌を、自分から遠ざけて、顔を逸らす。

 

「もう行って、悟飯」

 

 そんな彼女の姿は、確かに恐ろしいものだったけど、悟飯は正直、もう慣れてしまっていた。中身はナッツだし、大きな動物みたいで、可愛いとすら思っていたけど、サイヤ人の彼女が喜ぶ言葉は、それではないと知っていたから。真っ直ぐに、顔を見つめて告げる。

 

「大丈夫だよ、ナッツ。今の君は、強くて格好良いと思う」

 

『そ、そうかしら!?』

 

 長大な尻尾が、力強く振り回される。一番言って欲しかった言葉をもらったナッツは、心が浮き立つのを感じていた。

 

 自分の身体を確認する。普段とは違う、金色の分厚い毛皮と筋肉に覆われ、周囲の全てが、小さく見えるほどの巨体。自分でも信じられないほどの、戦闘力にして3000万にも達するほどの力が、身体の奥底から湧き上がって来る。

 

 上空に浮かぶ月からは、今も変身を維持するためのブルーツ波が、降り注いでいるのが、尻尾を通して感じられた。心地良い感覚だった。

 

 月を見ていると、衝動が高まるのを感じる。意思の力で抑えつけていた、自分の中の獣性に、一時身を委ねて、力強く吼える。

 

『アオオオオオオオオオオッッッ!!!!』

 

 父様や母様と一緒に、星を攻めた時の事を思い出す。自分がサイヤ人だと、最も強く意識する瞬間だった。

 

 

 

 ひとしきり満足した後、ナッツはわずかな、違和感を覚えた。金色の大猿に変身して、理性を取り戻した自分の中に、もう一つ何か、超えるべき壁のようなものがあるのが、何となくわかった。

 

 その壁が今の自分では、到底越えられないという事と、その先に、想像もつかないような力が眠っている事も、直感的に理解できた。

 

(もしかして、超サイヤ人ゴッドという奴かしら……?)

 

 神々にも匹敵するという、最強をさらに超えた戦士の事を、母様の持っていた本で、読んだ事があった。おとぎ話だと思っていたけど、超サイヤ人の伝説は本当だったのだから、超サイヤ人ゴッドだって、きっと実在したのだろう。

 

 いつかは自分も、超サイヤ人ゴッドになれるのだろうか。できれば、今すぐにでも変身させて欲しいのだけど。それは流石に、虫が良すぎるだろうかと、少女は苦笑する。

 

 

 超サイヤ人ゴッドについて、ナッツは考え違いをしている。超サイヤ人2と、超サイヤ人3を極め、その先にある別の変身に彼女が辿り着くのは、今よりずっと先の話だ。

 

 

 

 

 ふと見ると、掌の上に倒れた悟飯が、目を閉じていた。戦闘力が、ほとんど感じられない。

 

 一瞬、どきりとしてしまうも、穏やかな寝息から、気を失っているだけだと、すぐにわかった。安心したように、彼女の手の上で眠る姿は、まるで小動物のようで、とても可愛いと思った。

 

 ナッツが目を細めていると、カカロットとピッコロの二人が、彼女の元へと飛んできた。ピッコロの刺すような視線に、少女は思わず、たじろいでしまう。

 

「サイヤ人、悟飯に何かあったら、貴様をぶっ殺している所だった」

 

『……ごめんなさい』

 

 ピッコロはそれ以上何も言わず、眠る悟飯を優しく抱き上げて、その場を離れて行く。

 

 彼らを見送ってから、ナッツはフリーザの方を見る。どうやら奴は、自分が暴走している間、高みの見物を決め込んでいたようだった。

 

 そちらへ向けて、歩き出す。一歩足を踏み出すだけで、大地が激しく揺れ動く。彼女の横を飛びながら、カカロットが、ナッツに話し掛ける。

 

「手伝うか? 正直、オラもあいつは、ぶっ飛ばしてやりてえんだ」

 

『できればそうして欲しいけど、あなたを巻き込まずに、戦える自信が無いの。先にやらせて』

 

 そして一瞬迷ってから、少女は続ける。

 

『……もし私が死んだら、その時はあなたが、フリーザを倒して』

 

「ああ、わかった。けどおめえは死なせねえよ、ナッツ。ベジータに怒られちまうからな」

 

 その言葉に、泣きそうになってしまう。

 

『……ありがとう、カカロット』

 

 そしてカカロットが、手を振りながら離れて行って。

 

 やがて50メートルほどの距離を置いて、少女は宿敵と対峙する。金色に輝く大猿が、フリーザを見下ろし、牙を剥き出して笑った。

 

『待たせたわね、フリーザ。ようやく、お前の死ぬ時がやってきたわ』

 

 フリーザは、忌々しげに舌打ちする。あのまま味方を殺すか、星を破壊して自滅してくれれば、面白かったというのに。

 

「フン、サルの子供ごときが、調子に乗って。いいだろう、見せてやるよ超サイヤ人。宇宙の帝王である、このフリーザ様の圧倒的なパワーをね」

 

 言葉が終わるや否や、巨体からは考えられないほどの素早さで、ナッツが飛び掛かる。迫りくる大猿を前に、鷹揚に、余裕すら見せながら、フリーザは身構える。

 

 

 最後の戦いが、始まった。




Q.超サイヤ人って、前提として高い戦闘力も要るんじゃないの?
A.S細胞絡みのインタビューは見たんですけど、必要な戦闘力の具体的な数値は書いてませんでしたし、7歳で空も飛べない悟天が変身できてますので、この話ではギリギリ足りてたって事でひとつ……。

Q.理性あったら超サイヤ人4いけるのでは?
A.超サイヤ人"4"とあるからには3まで変身できる事が条件じゃないかなあと、独自に解釈しました。GTでも悟空とベジータしか変身してませんでしたし、原作と矛盾はしないと思います。
 理由は主にバランス調整で、この時点で超サイヤ人4を出したらフリーザ様はおそらく瞬殺で、4年後の完全体セルもたぶん1人で倒せてしまって、話がつまらなくなると思ったからです。


 というわけで、一昨日書ききれなかった分の続きです。
 展開的に賛否両論あるかもしれませんが、これはあくまで、彼女の物語なのです。

 先週はちょっとリアルが忙しくて「あー、更新途切れたしこれはお気に入り50くらい減るかなあ……」って覚悟してたんですが、そんな事はなく、むしろじわじわ増えてたり評価もらえたりした事に励まされてました。皆様本当にありがとうございます。

 次回も少し遅れるかもしれませんが、話はもう最後まで考えていますので、気長にお待ちくださいませ。


 阿井 上夫様から超サイヤ人ナッツのイラストを頂きました!


【挿絵表示】
 
【挿絵表示】


 1枚目が立ち絵で、2枚目はそれを扉絵風にしたものですね。左肩の傷跡や包帯といった細かい描写が嬉しいです……! あとこうしてビジュアルで傷跡見るとやっぱり痛々しいので後で消させて正解でした(小声)


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28.彼女が仇と戦う話(前編)

 金色の大猿が振り下ろした巨大な拳が、フリーザの立っていた大地を粉々に打ち砕く。

 

 命中の寸前、フリーザは後ろに飛び離れながら、ナッツに向けて手をかざし、エネルギー波で反撃しようとする。

 

 が、一瞬早く、大きく開いた大猿の口から、真紅のエネルギー波が放たれていた。星への被害を抑えるために、直径10メートル程度に収束されていたが、その分威力は、理性を失っていた時よりも高まっている。

 

 フリーザは舌打ちして攻撃を中止し、真上に跳躍してエネルギーの奔流を避ける。そこでナッツは、獣の顔でにやりと笑い、顔を上向けた。放出されたままのエネルギー波が、下から上へと振り上げられる。

 

「なっ……!?」

 

 驚愕するフリーザを、光の柱が直撃し、一瞬の閃光と共に、大爆発が巻き起こる。激しい爆風にボリュームのある後ろ髪を煽られながら、金色の大猿は満足げに笑う。

 

 身体が頑強になり、口からエネルギー波を放てるようになる事は、大猿化の大きな利点の一つだと、ナッツは考えていた。両手を使わずに済む上に、見ている方向に真っ直ぐ飛ぶため、狙いをつける必要すらない。

 

 その時、黒煙の中から、全身をオーラで包んだフリーザが飛び出した。両腕を前に突き出し、周囲の空気が赤熱するほどの、凄まじい速度と勢いで、大猿へと突撃していく。

 

 とっさにナッツは、身体の前で突撃を受け止めるも、その勢いは止まらない。

 

「はあああああっ!!」

 

 フリーザの身体が、受け止められたままさらに加速。大猿の巨体を貫かんばかりの勢いで、身体を前へと押し出していく。ナッツの身体が、大地に跡を残しながら、後ろへと押されていく。

 

『ぐっ……!』

 

 彼女の背丈の二倍ほどの丘が、その背中で砕かれる。大猿の巨体を数百メートルほど押し込みながら、フリーザの勢いはなお衰えない。受け止めるナッツの掌から、血が滲み出している。

 

『この……おっ!!』

 

 ナッツは身体を横へ回し、フリーザの突撃を、投げるように後ろへと受け流す。フリーザはそのまま数十メートルを飛んで停止し、ナッツの方へと振り向いて、小馬鹿にするように笑う。

 

「おやおや、図体ばかり大きくなって、超サイヤ人とやらのパワーはその程度ですか?」

 

『……言ったわね、フリーザ!!!』

 

 怒号と共に、ナッツの戦闘力が、一瞬で上限まで跳ね上がる。解放されたエネルギーが、金色の大猿の周囲で、電流のように赤く弾けていく。

 

 次の瞬間、大猿の巨体がぶれながら消え、フリーザの背後へと現れた。頭上で組まれた巨大な両の拳が、フリーザへと振り下ろされる。

 

「何だと!?」

 

 予想外の速度に驚きながら、フリーザはその攻撃をとっさにガードするも。ナッツは自身の重量と落下の勢いを乗せ、ガードしたフリーザを、強引に地面へと叩き付けた。轟音と共に大地が一瞬でクレーターと化し、なおも大猿の拳を支え続ける彼の両足が、少しずつ、地面へとめり込んでいく。

 

『私のパワーが、何ですって? フリーザ』

 

「この……馬鹿力だけが取り柄のサルがっ……!!」

 

 嘲るようなナッツの声に、フリーザは歯噛みする。戦闘力は、おそらく今の時点でほぼ互角だが、流石に体格差の分、パワーではあちらが上回っている。とてつもない力に、先ほどベジータの一撃を受けた、両腕が軋み始めている。後もう少しでウォーミングアップが終わり、全力を振るえるようになるだろうが、この状態がこれ以上続くのはまずい。  

 

 上手く力を受け流せば、逃れる事はできるだろうが。こちらを見下ろす大猿が、これ見よがしに口を開き、喉の奥に赤いエネルギーを収束させている。逃げようとすれば、無防備となった瞬間、エネルギー波の直撃を受けてしまうだろう。このまま潰されるか、逃げようとして焼かれるか、好きに選びなさいと、ナッツの赤い目が告げていた。

 

 どちらを選んでも、大ダメージを受ける事が確定の二択を迫られたフリーザは、不敵に笑うと、不意に押し返す力を緩めた。大猿の拳が、フリーザの身体を押し込んで、そのまま大地に叩き付けるも、ナッツは手ごたえを感じなかった。

 

 不審に思った彼女が拳を上げると、そこには潰れたフリーザの身体はなく、人間一人が通れる程の穴が開いていた。

 

 次の瞬間、大猿の背後の地面を割って、フリーザが飛び出した。その手には、鋭い気の刃が形成されている。最高速度で、頭上で揺れる尻尾を目指す。

 

 この醜いサルと、まともに戦ってやる必要は無い。尻尾さえ切ってやれば、元の姿に戻るのだ。そうなったら最後、気が済むまで痛めつけた上で殺してやる。

 

 フリーザの顔が残酷に歪んだ瞬間、ナッツの長大な尻尾が、しなやかに、鞭のように振るわれた。尻尾とはいえ、人間の胴体ほどの太さと、凄まじい重量を持ち、先端は音速を大きく超える一撃が、まるで後ろが見えているかのように、正確な狙いで、フリーザの身体を直撃した。

 

 全身をハンマーで殴られたかのような衝撃と共に、大きく弾き飛ばされたフリーザの身体が、地面にぶつかり、何度もバウンドして停止する。

 

 倒れ、痛みに呻く彼を、黒い戦闘服の大猿は、その巨体で見下ろして笑った。

 

『私の尻尾に勝手に触ろうとするなんて、失礼な奴ね。宇宙の帝王という割には、マナーがなってないんじゃないかしら?』

 

「調子に乗りやがって……!!」

 

 フリーザはわなわなと身を震わせながら、身を起こし、血走った目で、ナッツを睨み付けた。

 

 

 なおも続く戦闘を、遠くから眺めながら、興奮した様子で、クリリンが叫ぶ。

 

「すげえ! ナッツの奴、あのフリーザと互角以上に……! もしかすると、このまま倒せるんじゃないか?」

 

 眠る悟飯を抱えたまま、ピッコロが苦々しい顔をしている。本音としては、あの悪党二人が、相打ちになってしまえばいいと、ピッコロは今でも思っている。だがもしあのサイヤ人が死んでしまえば、悟飯がとても悲しむだろう事は、ピッコロにも理解できていた。

 

 穏やかな寝息を立てる悟飯を見ながら、ピッコロは歯噛みする。あんな恐ろしいサイヤ人の、文字通り掌の上で、どうしてこいつは、こんなにも安らかに眠っていたのか。自分の傍で、悟飯がこんな寝顔を見せるようになるには、それこそ何ヶ月も掛かったというのに。

 

「いや、そう簡単には、いかねえだろうな」

 

「ど、どうしてだよ? 悟空」

 

 悟空は鋭い目で、フリーザとナッツの動きを観察していた。ナッツの方は、一見押しているように見えるが、今見せているのが全力だろう。対してフリーザの方は、どこかもどかしげな様子と、余裕が伺える。

 

「フリーザの奴は、まだ力を出し切っちゃいねえ」

 

「じゃ、じゃあ、フリーザが本気になる前に、悟空も行った方がいいんじゃないか?」

 

「そうしたい所だけどよ……」

 

 確かに二人掛かりなら、倒せていたかもしれないが。悟空はナッツが、フリーザに向けて、足元の丘を蹴り飛ばすのを見る。

 

 巻き込まずに戦う自信が無いと言っていたとおり、大猿と化したナッツの攻撃は、一撃一撃が周囲の地形を変えるほどに規模が大きい。近くで戦って巻き込まれれば、おそらくただでは済まないし、ナッツの方もそれを気にして、思い通りに動けなくなってしまうだろう。

 

 フリーザが一喝すると、彼に迫っていた無数の岩塊が、空中でぴたりと動きを止めた。そして反転し、倍以上に加速して、ナッツに向けて襲い掛かる。驚き、ガードを固める大猿の身体に岩塊が何発も命中し、そして岩塊の雨に紛れて接近していたフリーザが、その顔面を殴り飛ばした。

 

 少しずつ、フリーザの気が高まっている。このまま戦いが続けば、ナッツはいずれ、殺されてしまうだろう。

 

 悟空はぐっと、拳を握り締める。ベジータから、死に際に頼まれたのだ。絶対にあの娘を、死なせるわけにはいかない。それにフリーザは、自分にとっても、両親を殺した仇なのだ。

 

 絶対に、どんな手段を使ってでも、フリーザは倒さなければならないと、悟空は決意して。そして行動を開始した。 

 

 

 

 殴り飛ばされた金色の大猿が、背中から地面に叩き付けられる。ナッツは殴られた頬を押さえながら、苛立ち交じりの唸り声を漏らす。

 

『ぐっ……こいつ、急に強くっ!』

 

「おやおや、どうしましたか? まだ私は、4割ほどの力しか出していないのですが」

 

 その言葉に、ナッツは愕然としてしまう。フリーザはもう最後の変身を、終えたはずではなかったのか。ここからまだ、2倍以上も強くなるだなんて、冗談だと思いたかった。

 

『ふ、ふざけるなあっ!!』

 

 ナッツは自分を鼓舞するかのように叫び、身を起こして大きく口を開き、全力で赤いエネルギー弾を撃ち放つ。フリーザは避けようともせず、直撃を受けたその身体が爆炎に包まれる。金色の大猿は咆哮しながら、さらに巨大なエネルギー弾を連発する。

 

 激しい爆発音が、10を超え。消耗したナッツは大きく肩を上下させながら、爆心地を睨み付ける。やがて爆発が収まった後、そこには、身体の表面をわずかに焦がしたフリーザが、涼しい顔で佇んでいた。

 

 愕然とした大猿の顔に、恐怖の色が浮かぶ。

 

『う、嘘……』

 

「それが限界ですか。では最後に、面白い技を見せてあげましょう」

 

 フリーザは人差し指を高く掲げる。ナッツの背筋が、ぞくりと震える。あれを打たせたら、自分は死ぬと、戦士としての直感が叫ぶ。咆哮し、フリーザに向けて飛び掛かるも、その手が届く刹那、フリーザの指が、斜め下へと振り下ろされた。

 

 次の瞬間、大猿の巨体が、斜め下へと切り裂かれた。不可視の斬撃は、戦闘服も、アンダースーツも、金色の毛皮も、分厚い筋肉も切り裂いて、内臓にまでも達していた。激痛と共に、喉の奥から、大量の鮮血が溢れ出る。

 

『ガ……ァ……』

 

 ダメージが大き過ぎて、叫ぶ事すらできず、ナッツは後ろへと倒れていく。地響きの後、傷から流れ出る血液が、大地を赤く染めていく。即死してもおかしくないほどの重症だったが、大猿化によって増大した生命力が、かろうじて、彼女の命を繋いでいた。

 

 倒れた大猿を見下ろして、フリーザがくつくつと笑う。

 

「これでまだ死なないとは、驚きですね。では次に……」

 

『ガアアアアアアアアッッッ!!!!!』

 

「な、何っ!?」

 

 大量の血を流しながら素早く身を起こした大猿が、フリーザに向けて飛び上がる。まともな生物なら、あれで動けるはずはないというのに。驚愕と、あまりの気迫に押され、逃げるのが一瞬、遅れてしまう。血を滴らせた巨大な牙が、フリーザへと迫る。

 

「うおおおおおっ!?」

 

 身を投げ出すように、その場を飛び離れたフリーザの後ろで、牙が噛み合わされ、その身体を鋭い痛みが襲う。辛くも逃れたフリーザの尻尾が、半ば以上食い千切られていた。

 

 ナッツは咥えた尻尾を吐き捨て、激痛に息を荒らげながら、殺意を込めた赤い瞳で、仇を睨む。なおも続く出血を、体内のエネルギーを操作して、無理矢理に止める。

 

『まだよ、私はまだ、戦えるわ……!! 父様と母様の仇を取るまで、何度だって立ち上がって、必ずお前を殺してやる……!!!』

 

「こ、こいつ……!!」

 

 金色の毛皮の半ば以上を赤く染めながら、それでも倒れぬナッツの姿と執念に、フリーザは苛立ちと、わずかばかりの恐怖を感じていた。

 

 戦闘力はこちらが圧倒的に上。だが、それは現時点での話で、こいつはまだ、子供なのだ。もし万が一、この場を生き延びて、さらに成長したとしたら。

 

 吼え猛る金色の大猿を前に、フリーザの顔に大粒の汗が浮かぶ。こいつはここで、絶対に殺しておかなければならない。超サイヤ人など、存在していてはならないのだ。

 

「いいだろう!! そこまで死にたいのなら、徹底的に殺してやる!!!」

 

 フリーザはさらに上空へと飛び、人差し指を天へと向ける。その指先に、小さなエネルギーの光が灯ったかと思えば、見る間に大きさを増していき、ものの数秒で、直径数十メートルの巨大なエネルギー弾と化していた。

 

 ナッツが呻く。その膨大なエネルギーは、傷付いた彼女一人に向けるには、あまりにも過剰すぎるものだった。

 

『まさか、フリーザ、お前……!』

 

「そうだ! 惑星ベジータを消滅させたこの技で、ナメック星ごと貴様を葬ってやる! もっとも威力はあの時と、比べ物にならんがな!!」

 

 下等生物共と違って、たとえ宇宙空間でも、自分は生存できる。星の爆発に巻き込まれれば、少なくないダメージを負ってしまうだろうが、これが最も確実に、この超サイヤ人に止めを刺す方法だった。

 

 人差し指を、眼下の大猿に振り下ろしながら、フリーザが叫ぶ。

 

「この星ごと死ね!! 超サイヤ人!!」

 

 同時に、星を容易く消し飛ばせる威力の巨大なエネルギー弾が、遠目ではゆっくりと、だが実際は凄まじい速度で、地上へと迫る。

 

 視界を埋め尽くす滅びの光を、ナッツは息を荒らげて見上げている。避ける力は、もう残っていない。たとえ避けても、このままではナメック星が消えて、悟飯達も皆、死んでしまうだろう。そんな事は、決して認めるわけには、いかなかった。

 

 大猿が最後の力を振り絞って、巨大なエネルギー波に向けて、真紅のエネルギー波を撃ち放つも、あっさりと飲み込まれてしまう。

 

『ふざ、けるなっ……!!』

 

 間近に迫ったエネルギー弾を、金色の毛皮に覆われた両腕で押し留める。両腕が瞬く間に焦げ、毛皮が発火する。開いた傷口から流れ落ちる血液までもが蒸発していき、死にそうなほどの熱と痛みに苛まれながら、少女はなおもフリーザに抗い叫ぶ。

 

『これ以上、お前なんかに、何も……!!』

 

「しぶとい奴め……!! だがもう終わりだ!!」

 

 駄目押しで、地上ぎりぎりで押し留められたエネルギー弾に、さらに力を加えようとしたところで、フリーザは気付く。直下の海に映し出された、太陽よりも大きな光。

 

 熱を感じて、振り向いた彼の目前に。直径100メートルを超える、彼の作ったよりも、なお膨大なエネルギーの塊が、迫っていた。

 

 悟空の作り出したそれは、元気玉と呼ばれている。正しい心の持ち主にしか使えないその技は、星の全ての自然と生物、そして星そのものや太陽からも、少しずつ力を集めて解き放つというものだ。この時の悟空は、確実にフリーザを倒すべく、ナメック星の周辺の星々からもエネルギーを集めていた。

 

「こ、これは!? うわああああああっ!?」

 

 攻撃の最中だったフリーザは、対応できず、元気玉に飲み込まれていく。そのまま元気玉は降下し、フリーザの巨大エネルギー弾をも飲み込んでいく。

 

 

 

 ナッツは朦朧とした意識の中、その光景を見て、弱々しく笑った。あの物凄い攻撃は、きっとカカロットがやってくれたのだ。

 

 フリーザを飲み込んだエネルギーの塊が、爆発しようとしている。私はもう逃げられないけど、フリーザも死んだのだから、父様と母様も、喜んでくれるだろう。

 

 その時、焼け焦げ、半ば感覚のないナッツの腕を、何者かが掴んだ。

 

「すまねえ! ナッツ! 遅くなっちまった!」

 

『カ、カカロット!? 何してるの! 早く逃げて! もう、私は……』

 

「死なせねえって言っただろうが!!!」

 

 叫ぶカカロットの全身がオーラに包まれ、その戦闘力が膨れ上がる。界王拳20倍。驚くナッツの身体を軽々と持ち上げて、凄まじい速度で、カカロットはその場を飛び離れる。

 

 

 そして彼らの背後で、眩い光と共に元気玉が爆発し、荒れ狂うエネルギーが、その場に残った全てを消し飛ばした。




 次の話か、その次で決着がつく予定です。
 更新は遅れるかもしれませんが、気長にお待ち下さいませ。


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29.彼女が仇と戦う話(中編)

 元気玉の爆発による、嵐のような暴風に煽られながら、悟空は何とか、大猿化したナッツの身体を、大きな天然の洞窟へと運び込む。

 

 安全そうなその中に、ぐったりとした彼女を横たえた所で、緊張の緩んだ悟空は、激しい疲労に襲われるのを感じた。ナッツを爆発から逃がす為に使った、界王拳20倍の反動だ。

 

「はあっ、はあっ……だ、大丈夫か? ナッツ」

 

 悟空が呼びかけるも、返事は無い。不思議に思った悟空は、改めて彼女を見て、あまりにもボロボロに傷ついたその姿に、息を呑む。金色の輝きはいつの間にか失われ、あれだけ大きかった彼女の気が、今や見る影もなく低下している。

 

 全身の毛皮はその大半が焼け焦げ、フリーザの巨大なエネルギー弾を受け止めた両腕はさらに酷い有様で、今も煙が上がっている。黒い戦闘服を斜めに裂いた傷口は、体内の気を操作して塞いでいるようだったが、それでもわずかに続く出血を止められないでいる。

 

『……ええ、大丈夫よ。カカロット』

 

 ナッツが遅れて返事をするも、その声は弱々しいもので、話すのも辛いのは明らかだった。それにこれは、もう。何かに気付いた悟空が、悔恨に拳を震わせる。

 

「……済まねえ。もっと早く助けに行きたかったけど、元気玉を十分な大きさにするのに、時間が掛かっちまった……!!」

 

 あんな大技を二度も撃たせるフリーザではない。そして一撃で倒せなかった場合、実力の4割程度しか出していないという言葉が本当なら、20倍の界王拳でもおそらく通じず、全滅してしまうところだった。

 

 しかし結果として、大きく傷ついたナッツを前に、悟空はやりきれない思いを抱えていた。

 

『いいのよ、カカロット。あのフリーザの奴を倒せたんだから、このくらい、どうって事ないわ』

 

 言葉を話すのも億劫で、死にそうなほどに、全身が痛んでいる。倒れたまま、起き上がれそうにない。これほどのダメージ、大猿になっていなければ、自分はとうに生きていないだろう。

 

 上空に浮かぶ、人工の月を眺める。降り注ぐブルーツ波が心地良くて、地面に投げ出した尻尾が揺れ動く。おそらくあれが消えた時、私は。

 

『ねえ? カカロット。私は父様と母様の娘として、サイヤ人の王族として、恥ずかしくないような戦いができたかしら?』

 

「ああ。おめえは凄かったぞ。ベジータやおめえの母ちゃんだって、きっとあの世から応援してくれてたはずだ」

 

『父様や、母様が……』

 

 それを思うと、気持ちが温かくなるのを感じた。自分の手でフリーザを倒せなかったのは、心残りだけど、これから父様と母様に褒めてもらえるのなら、もう怖くはなかった。

 

 その時、少年の顔が思い浮かんで、ちくりと胸が痛んだ。ずっと傍にいると言ってくれた悟飯には、謝らなければならないだろう。けど、優しい彼が、自分のせいでまた泣いてしまうかと思うと、それだけが心残りだった。

 

 

 

 ふと気付くと、洞窟の外で、荒れ狂っていた嵐が、収まりつつあった。余波だけでこれほどの威力だなんて、一体どれほどのエネルギーだったのか。

 

 これならきっとフリーザだって、耐えられるはずがないと、少女が思った、その時だった。

 

「!?」

『!?』

 

 二人が同時に、その気配に反応した。間違えるはずもない、強大で邪悪な気配。元気玉の余波のエネルギーが、そこらじゅうに溢れていた影響で、今まで覆い隠されていたのだろうか。

 

『フリーザ……そんな……まだ生きて……!』

 

「ち、ちくしょう……!」

 

 獣の顔に、愕然とした表情を浮かべるナッツ。フリーザの戦闘力は、かなり落ちてはいるが、まだ健在だ。あれで倒せないなら、もう打つ手が無い。

 

『カカロット! さっきの、もう一発撃てないの!?』

 

「……駄目だ。この近くの星の元気まで、もうほとんど使っちまってる」

 

『そんな……!』

 

「ナッツ! お父さん!」

 

 そこへ、目を覚ました悟飯が駆け込んできて、傷つき果てた大猿の姿と、感じられる気のあまりの小ささに、愕然とした顔になった。

 

「こ、こんな、酷い……」

 

 そして倒れたナッツの、顔の辺りに駆け寄って縋り付き、少年は自分の無力さに涙する。

 

「ごめん、ナッツ! ボクがフリーザと戦えれば……!」

 

『……泣かないでよ、悟飯』

 

 焼け焦げた手は、動かすだけでとても痛かったけど、それでも泣きじゃくる悟飯を見ていられなくて、押し潰してしまわないように、その頭を優しく撫でる。

 

 悪いのも、泣きたいのも、自分の方だった。伝説の超サイヤ人にまでなっておいて、それでもフリーザを倒せなかったのだから。傷付き疲弊し、金色の輝きを失った自らの身体を見て、ナッツは項垂れてしまう。 

 

 そんな彼らの姿を見ていた悟空は、決意を秘めた表情で言った。

 

「悟飯、オラは今から、フリーザと戦ってくる。おめえはクリリン達と一緒に、早くこの星から逃げろ」

 

「えっ? け、けど、ナッツとお父さんは……?」

 

「早く逃げるんだっ!!!」

 

 その声と険しい表情に、少年は思わず身を竦ませる。父親に怒鳴られるのは、生まれて初めての事だった。

 

『待って! わ、私も……!』

 

 起き上がろうとした大猿が、全身の激痛に悲鳴を上げる。悟空は振り向かず、何かを堪えるような声で言った。

 

「もう無理しないでいいぞ、ナッツ。ベジータには、オラの方から謝っといてやるから」

 

「お、お父さん……?」

 

 父親の意図を察したのか、呆然とした様子の悟飯。ナッツは耐えられなくなって叫ぶ。

 

『駄目よ!! あなたは悟飯の父親でしょう! 私を置いて逃げなさい! そうすれば、きっとフリーザは、私を先に……!』

 

「そんな真似をしちまったら、それこそベジータにあの世で殺されちまうし、フリーザはオラの両親の仇でもあるし……」

 

 仮にナッツを置いて、この場を離れたとしても。自分達を見失ったら、その瞬間、フリーザはこの星を消してしまうだろう。結局誰かが残って戦って、足止めをする必要がある。そしてそれができるのは、この場で自分しかいないのだ。  

 

 そして悟空は、フリーザへの憤りと恐怖を感じながら、それと同時に、宇宙で一番強い奴との戦闘を前に、わくわくしている自分に気付いて、一瞬愕然とした後に、おかしくなって笑ってしまう。

 

 今まで何度も似たような事はあったけれど。よりによって、こんな状況でまで。地球人の思考では、到底有り得ないその考えに、この瞬間、彼は自らのルーツを自覚した。

 

 悟空は一転、晴れ晴れとした笑顔で、二人に告げる。

 

「それにオラもサイヤ人だから、強え奴と戦ってみてえんだ。本当に済まねえ、悟飯。チチによろしく、言っといてくれ」

 

『カカロット!!』

 

「お父さん!!」

 

 そして手を振って飛び出していくカカロットを、見ているしかできなかった少女は、苛立ちのまま、ぎりぎりと牙を噛み締め、巨大な拳で、洞窟の地面を砕く。

 

 相手がどれだけ格上であろうと、むしろ強い相手だからこそ、戦ってみたいと望むあの気質は、紛れも無くサイヤ人の戦士のものだ。こんな時でなかったら、ようやくサイヤ人らしくなってきたじゃないと、微笑ましく思えただろうに。

 

 普段はまるで地球人みたいに、優しくておちゃらけている癖に、どうしてよりによってこんな時だけ。あなたが死んだら、悟飯はどうなってしまうのよと、今からでも言ってやりたかったけど。

 

 そもそも、どうせもう助からない私が。受けたダメージが大き過ぎて、大猿化が解けた瞬間に死んでしまうだろう私が、残って足止めをするべきだったのだ。

 

 今の私には、それすらできない。動けない、役立たずのサイヤ人。そのせいで、カカロットを死なせてしまう。

 

『ごめんなさい、悟飯……!!』

 

 父様を亡くした私と、同じ思いをこの少年にさせてしまうかと思うと、とても悲しくて、何より自分が情けなかった。

 

 動けない上に、泣き虫だなんて。私はサイヤ人の、王族だというのに。父様と母様が、あの世から見ているかもしれないのに。

 

 戦いの場にすら立てない悔しさが、死に掛けた身体の痛みよりも、ナッツの心を苛んでいた。

 

「泣かないでよ、ナッツ。君はもう、充分立派に戦ったんだから」

 

 優しい声で、そう慰めて、少年は倒れた彼女に、寄り添うように座り込む。

 

『悟飯……? 何してるの……?』

 

 ナッツの声が、弱々しくなっていく。出血が止まらず、少しずつその気が小さくなっていくのを、やりきれない思いで、悟飯は感じていた。

 

「もう少しだけ、ここにいるよ、ナッツ。何も心配しないで、ゆっくり休んで」

 

『仕方、ないわね……悟飯……』

 

 苦しそうだった彼女が、安らいでくれたのが、嬉しかった。すぐにここを離れるべきだと、頭では判っていたけれど。彼女を一人にしてしまうのは、どうしても無理だった。たとえ殺されたって、この子の傍を、離れたくはなかった。

 

 お父さん、お母さん、ピッコロさん、クリリンさん、ブルマさん、本当に、ごめんなさいと、少年は、心の中で呟いた。

 

 

 

 

 元気玉が着弾した跡地は、数百メートルに渡って大地が消し飛ばされ、広大な海と化していた。

 

 わずかに残った陸地に、息も絶え絶えのフリーザが、海中から這い上がってくる。身体の表面が、あちこち黒く焦げている。それ以外に目立つ外傷はなかったが、大きく肩で息をついており、ダメージの大きさが伺える。

 

 激しく咳き込んで、飲み込んだ水を吐きだして。ふらつきながら起き上がるも、全身を襲う痛みに顔をしかめ、湧き上がる怒りに身を震わせる。

 

「な、何だ、今の攻撃は……? このフリーザ様が、死に掛けただと……?」

 

 下等生物を相手に、本気の姿を見せて、なおここまでの傷を負わされるなど、屈辱以外の何物でもなかった。宇宙の帝王の名に懸けて、必ず皆殺しにしなければならない。

 

 あの凄まじいエネルギーの塊で攻撃してきたのは、おそらくもう一人のサイヤ人。爆発の直前、満身創痍の超サイヤ人を連れて逃げるのを見た。

 

「どいつもこいつも……たかがサイヤ人の分際で……!」

 

 あの二人だけではない。おそらくあの男の息子だろう、第三形態の自分を追い詰めたガキもサイヤ人で、ベジータの攻撃を受けた両腕は、未だ痺れが取れないでいる。既に星ごと滅ぼしたというのに、あいつらはどこまで自分を苛つかせれば気が済むのか。

 

 サイヤ人の生き残りは残り三人。宇宙船で逃げられるほどの時間は経っていないから、まだ全員この星にいるはずだ。スカウターが無ければ、探しようがないが、わざわざ探す必要も無い。フリーザは壮絶な笑みを浮かべた。

 

「サイヤ人共、今度こそ、この宇宙から消えるがいい……!」

 

 一瞬で作り上げた、星を壊せる威力のエネルギー弾を、ナメック星に叩き込もうとした、その時だった。

 

「そいつはちょっと、つまらねえんじゃねえか? フリーザ」

 

 フリーザは手を止め、エネルギー弾を構えたまま、声のした方を見る。

 

 いつの間にか、見覚えのあるオレンジ色の胴着の男が、5メートルほど先に立っていた。構えもせず悠々とした自然体で、恐れる様子も無いどころか、堂々とこちらを見つめている。

 

「サイヤ人、あのエネルギーの塊は、お前がやったのか?」

 

「ああ、オラが作った元気玉だ。あれでこの辺の元気は全部使ったから、もう撃てねえんだけどな」

 

「……何故そんな事を、わざわざ口にするんだ?」

 

 発言の意図が読めず、フリーザは困惑する。もう一発使えるなら、姿を見せずに撃ってきているはずだから、それは薄々わかっていたが。騙す気かとも一瞬思ったが、どうにもこの目の前の男は、そんな悪知恵が働くようには見えなかった。

 

「本当はああいうの、あんまり趣味じゃねえんだ。やっぱり強え奴とは、自分の力で正面から戦ってみたくてよ」

 

「……さっきの戦いを見ていたのなら、君とボクとの間にある力の差くらい、理解できているだろう? 戦えば君は確実に死ぬと判っているはずなのに、馬鹿なのかい?」

 

 その言葉に、悟空は薄く笑って応えた。

 

「そうかもしれねえ。死ぬのは怖えけど、オラはサイヤ人だから、それでも戦うのが好きなんだ」

 

「ふうん……」

 

 死をも恐れず、戦いを望む本能。それはあのサル共が戦闘民族と呼ばれる所以で、軍に組み込んでこき使ってやる分には、都合の良い気質だったが。この自分を前にしてすら、臆せず戦おうというのが気に食わなかった。

 

 それにこの男には、先ほど不意打ちで自分を殺しかけてくれた借りもある。この手で血祭りに上げると、フリーザは決めた。

 

 どうせ裏であの超サイヤ人共を逃がそうとしているのだろうが、5分以内に殺す。その後で、この星を消す。流石にそんな時間で、この星から逃げられはしないだろう。

 

「生意気だよ、お前」

 

 フリーザは肩を大きく振りかぶり、手にしていたエネルギー弾を、悟空に向けて投げ放つ。星の大地を直撃するコースではないとはいえ、避ければどんな被害が出るか判らないそれを、悟空は真正面から受け止める。

 

「うおおおおっ!?」

 

 悟空の身体が、地面に跡を残しながら、凄まじい速度で後方へと押されていく。丘一つを背中で貫通しながらも、悟空は歯を食いしばり続け、やがて受け止めたエネルギー弾が減衰して消滅したところで、大きく息をつき、赤くなった掌に息を吹きかける。

 

「ふう。痛てて……」

 

 その時、彼の背後にフリーザが現れ、首元に向けて回し蹴りを繰り出した。悟空は気付くも、到底対応できるタイミングではない。フリーザが勝利を確信した次の瞬間、悟空の全身から爆発的な気が解き放たれ、同時に跳ね上がった身体能力で、その足を受け止めていた。界王拳20倍。その変化に、フリーザが驚愕する。

 

「何っ!?」

 

「今度はこっちの番だ!」

 

 悟空はそのまま回転してフリーザの身体を振り回し、勢いをつけて斜め上へとぶん投げる。フリーザは慣性を殺して体勢を整えようとするが、それよりも早く、目の前に現れた悟空が、高く掲げて組んだ両の拳を振り下ろす。

 

「がはっ!?」

 

 腹部に痛打を受けたフリーザが、地面に叩き付けられる。フリーザがとっさに横に転がった次の瞬間、隕石のように降下した悟空の両足が、一瞬前まで彼のいた場所を砕く。

 

「この……舐めるなあああ!」

 

 飛び起きたフリーザが、悟空に殴り掛かり、凄まじい速度のラッシュを繰り出した。悟空もそれに応じて、無数の拳と蹴りをガードし、叩き落とし、生じた空隙に自らもカウンターで拳を振るう。瞬く間に数百発の打撃が応酬され、周囲の大気が轟音と共にびりびりと震える。

 

 やがてフリーザの拳を顔面に受けた悟空が後ろに跳ね飛ばされるも、勢いのまま連続で後転し、たちまち体勢を取り戻す。即座に目の前に距離を詰めたフリーザが追撃の拳を振るうも悟空は受け止め、直後もう片方の拳も受け止め、ぎりぎりと、力比べの様相となる。

 

 一歩も引かず互角のパワーを見せる悟空に、フリーザは苛立ちを見せる。既に全力の6割ほどを出しているというのに、押し切れない。どう見ても、あの超サイヤ人より遥かに強い。

 

「……一体、貴様は何者だというんだ?」

 

「オラは地球育ちの孫悟空で、サイヤ人のカカロットだ!」

 

 20倍の界王拳を使用し続け、とっくに身体は限界を超えていたが、それでも悟空は不敵に笑った。こんな時だと言うのに、戦うのが楽しくてたまらないと、その表情が告げていた。

 

 気に入らないと、フリーザは思い、顔を歪めて、挑発するように言った。

 

「お前の父親らしいサイヤ人を、覚えているぞ。惑星ベジータを消滅させる時に、たった一人で向かってきて、結局このオレに、触れる事もできなかったがな」

 

 悟空の脳裏に、ガラスの向こうから自分を見つめる、自分とそっくりで、頬に傷のある父親の顔が浮かぶ。殺されたと改めて聞くと、一瞬怒りが湧いてきたが、それよりも、ただ一人フリーザに立ち向かって、戦って死んだという父親を、誇らしいと思った。

 

「じゃあ父ちゃんの分まで、オラがおめえをぶん殴ってやらないとな!」

 

 悟空はフリーザの両手を握ったまま、その顔面に頭突きを入れる。たまらず怯んだフリーザの顔面に、宣言どおり、渾身の一撃が叩き込まれた。

 

 よろめいたフリーザは、飛び下がって距離を取り、口元の血を拭いながら、怒りに燃えた目で悟空を睨む。

 

 親を殺されたというのに、その澄ました顔が気に入らない。あの超サイヤ人のように、泣きわめくか恨み言の一つでも、言えばいいものを。

 

「……もう遊びは終わりだ。せいぜいオレを怒らせた事を、後悔しながら死ぬといい」

 

 言葉と共に、フリーザはその戦闘力をさらに跳ね上げる。フルパワーのおそよ7割。瞬間的に出せる力はこれが限度だが、こいつを殺すには十分だろう。

 

「こいつはちょっと、まずいかもしれねえな……」

 

 膨れ上がったフリーザの気を感じて、悟空の額に汗が浮かぶ。20倍界王拳の反動で、力が抜けていくのを感じながら、それでも悟空は、目の前に迫る強敵に、心躍るのを止められなかった。

 

 

 

 界王星に設置されたモニターで、戦いを見守っていた天津飯達は、押され始めた悟空の姿に悲鳴を上げる。

 

「ま、まずいぞ! フリーザの奴、まだ力を隠してやがった!」

 

「それに悟空の奴、もう限界だ! やっぱり20倍の界王拳は、無理があったんだ……!」

 

 同じく戦いを見ていた界王が、焦った様子で叫ぶ。

 

「地球の神よ! ドラゴンボールはまだ揃わんのか!?」

 

 そこでモニターの映像が切り替わり、潜水ゴーグルとシュノーケルを装着した神の姿が映し出された。その後ろで真っ黒い肌の男が、表情の読めない顔に大量の汗を浮かべ、懸命にスコップで土を掘っている。

 

『今ミスターポポと集めているところです! あと10分もあれば……!』

 

「10分じゃと……!? それまで悟空が保たんぞ!」

 

 界王は復活した地球のドラゴンボールを利用して、圧倒的な力を持つフリーザから、全員を助ける作戦を考えていた。およそ一ヶ月前に悟空を生き返らせる為に使用しており、本来ならば1年経たなければ使えないはずだったが、作り主である神が、ピッコロと共に1度死んで蘇った事による影響か、石化した状態から、再びその光を取り戻していたのだ。

 

 まずは地球のドラゴンボールで、フリーザ一味に殺された者を生き返らせる。そうすれば彼らに殺されたナメック星人全員に加えて、フリーザ達の凶行による心労で、残り少ない寿命を削られていた最長老も、おそらくはその削られた寿命の分だけ生き返る。

 

 そして最長老と共に蘇ったナメック星のドラゴンボールの、まだ叶えられていない3つ目の願いを使って、ナメック星にいるフリーザ以外の全員を、地球へと避難させるのだ。

 

 激怒したフリーザが地球まで攻めて来るかもしれないが、生き返ったナメック星人に悟空達を治療してもらえば、何とか対処できるだろう。

 

 綱渡りのような作戦だが、これが成功すれば、ナメック星のドラゴンボールが残り、二度死んだチャオズも生き返らせる事ができる。最長老が再び寿命で亡くなった後も、才能のあるナメック星人ならば、再びドラゴンボールを作るか引き継げるであろう事は、地球の神に確認済みだ。

 

 それに今回の件で、何の罪も無く殺されてしまった大勢のナメック星人達の事も、できるならば助けてやりたいと界王は思っていた。何でも願いを叶えられる道具を持ちながら、その力を一切自分達のために使わず平和に暮らしてきたあの者達は、この宇宙でも珍しいほどの、真っ直ぐで欲の無い者達なのだ。

 

 しかし、肝心の地球のドラゴンボールを集めるまでの、たった10分が、この状況ではあまりにも長い。おそらくそれまでに悟空はフリーザに殺され、そしてその後、ナメック星は破壊されてしまうだろう。

 

「とにかく、できるだけ急いでくれ! 神よ!」

 

『承知しました! 集まり次第、また連絡します!』

 

 モニターの映像が再び切り替わり、疲弊した悟空の姿が映し出される。間に合わぬかという言葉を、界王は飲み込み、拳を震わせて叫ぶ。

 

「聞いておるか! もう少し頑張るんじゃ! 悟空!」

 

 

 

『わ、悪い、界王様……。さすがにちょっと、無理みてえだ……』

 

 念話で応える悟空の気は、先ほどの3分の1以下に落ち込んでいる。界王拳20倍どころか、10倍すらも既に使えず。力を増したフリーザの猛攻を、必死に防いでいたが、すぐにそれすらもできなくなっていた。

 

 エネルギー波の連打をまともに食らってしまい、ふらつきながら前のめりに倒れた悟空の背中を、フリーザがしたたかに踏み付ける。血を吐いて苦しむ彼を、フリーザは楽しそうに見下ろしていた。

 

「どうやらもう限界みたいだね。カカロット。もう少し楽しみたいところだけど、ボクは優しいからね。そろそろ止めを刺してあげるよ」

 

 優しいと言いながらも、フリーザがこの後、彼の仲間達を殺す気でいる事は明白だった。ベジータの遺言を思い出し、悟空は痛みを堪えながら、震える声で言った。  

 

「なあ、フリーザ。おめえは本当に強い。オラ達の完敗だ」

 

「ほう。どうしたんだい、突然。命乞いでもしようってのかな?」

 

 フリーザは悟空を踏む足に、ぎりぎりと力を込めながら言った。

 

「お、オラはどうなってもいいから、ナッツや悟飯達の事は、勘弁してやっちゃあくれねえかな? いいじゃねえか、あんな子供くらい」

 

「駄目だね。あいつらはドラゴンボールを奪った上に、ボクをさんざんコケにしてくれたし。特にあの超サイヤ人は、何があろうと絶対に殺すよ」

 

「超サイヤ人に、何か恨みでもあるのかよ……」

 

 フリーザは、苦虫を噛み潰したような顔で言った。

 

「……君なんかには判らないさ」

 

 そのまま踏み付けた悟空に向けて、手をかざす。頭を吹き飛ばすべく、その手にエネルギーを収束させたところで、フリーザの耳に、聞き覚えのある、風を切る音が複数届いていた。

 

 フリーザは自分に迫る10枚以上の気の円盤に目を向け、嘆息する。

 

「つまらない技を、何度も何度も。鬱陶しいんだよ」

 

 互いの力をぶつけ合って、戦闘力の高い方が勝つのが戦いだ。確かにあの円盤は凄まじい切れ味で、当たれば格上の相手にも通じるだろうが。逆に言えばこんな技を使う時点で、自分は格下で正面から戦っては勝てないと、認めるようなものだった。

 

 エネルギー波で迎撃も可能だろうが、そんな気にもなれず、気の円盤に向けて歩き出す。それらを投擲してすぐ、岩陰に隠れて見ていたクリリンは瞠目する。フリーザはただ歩いているだけなのに、気円斬がかすりもしない。彼の目に映らない速度で避けているのだと、理解した瞬間、彼の背後に、当のフリーザが出現していた。

 

「さて、どうしてやろうかな?」

 

「あ……あ……」

 

 恐怖に震えるクリリンの背中を、フリーザが蹴り飛ばす。その身体は地面を何度もバウンドし、悟空の傍に横たわる。クリリンは起き上がろうとするも、動けない。たった一撃で、戦闘不能となるほどのダメージを受けていた。

 

 フリーザが手をかざすと、倒れたクリリンの身体が、見えない手で掴まれたかのように、そのまま真上に持ち上げられる。悟空が顔色を変えて叫ぶ。

 

「や、やめろ!! やめてくれ!! フリーザ!!」

 

「そんな顔もできるんだね、カカロット。それに諦めなよ。どうせ全員死ぬんだから。順番を少し先にするだけさ」

 

「ご、悟空……逃げろ……」

 

 残酷に笑いながら、フリーザはかざした手を、ゆっくりと握り締めていく。ばきばきと、全身の骨が砕かれていく激痛に、クリリンは悲鳴を上げる。 

 

「やめろフリーザ!!! やめろーーーー!!!!」

 

 必死の叫びに混じる、今まで見せなかった、底知れぬ怒りの感情に。ぞくりと、背筋を氷柱で刺し貫かれたような寒気を、フリーザは感じた。

 

 彼の明晰な頭脳が、激しく警告を発していた。ベジータも、その娘も、超サイヤ人の力を発揮する、そのきっかけになったのは。そして今まさに、この状況は。

 

「……っ!!!!!」

 

 額に大粒の汗を浮かべたフリーザが、ゆっくりと手を下ろすと、同時にクリリンの身体も、地上へと下ろされていく。

 

「えっ?」

 

 死を覚悟していたクリリンが、きょとんとした顔になる。そしてそれは、悟空も同じだった。

 

「ふ、フリーザ?」

 

「……言っただろう? ボクは優しいから、君に免じて、目の前で仲間を殺すのは勘弁してやるよ」

 

 だから怒ってくれるなよと、フリーザは内心呟いた。ただでさえベジータの娘よりも強いこいつが、超サイヤ人になどなってしまったら、フルパワーでも勝てるかどうか怪しかった。

 

 殺すならこいつが先だと、彼は悟空に手をかざして、そして気付く。こいつの息子がどこかで隠れて見ていて、殺した途端、超サイヤ人になって襲ってくる可能性も、0ではない。かといって息子を探して先に殺せば、こいつが超サイヤ人になるだろう。

 

 ややこしいと、フリーザは内心呻きながら頭を抱え、そして決断する。やはり一思いに、星ごと全滅させてやるのが一番だ。

 

 跳躍し、その手に星を壊せる威力のエネルギー弾を形成する。

 

「さよならだ、カカロット。あの世で他のサイヤ人達と、仲良くやるがいいさ」

 

「す、すまねえ、みんな……!」

 

 悔やむ悟空を笑って見下ろしながら、フリーザはナメック星の大地に、そのエネルギー弾を投げ落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間は少し遡る。

 

 

 

 とてつもない爆発音と共に、大地が激しく震えた後、洞窟の中に、あの化け物が入ってきた時は、心臓が止まるほど驚いた。赤く光る目を持ち、金色の毛皮に包まれて、鋭く尖った牙を生やした、大人の何倍も巨大な獣。

 

 見つかったらきっと食べられてしまうと思って、とっさに洞窟の奥の、岩の隙間に飛び込んで隠れて。しばらく震えた後に、ふと気付く。獣から感じるのは、とても大きい、ビリビリとした紛れも無い悪の気配だけど。不思議な事に、それを恐ろしいとは思わなかったのだ。

 

 獣の気配は、弱っているのか、だんだんと小さくなっていくようだった。他にも誰かが、洞窟の中に来たようだったが、獣に襲われている様子は無い。気になって、岩の隙間から、少しだけ顔を出して、こっそりと、入口の方を確認する。

 

 横たわる巨大な獣の近くに、見た事のない人がいて、何かを話しているようだった。もう少し近づいたら、何を話しているか、聞こえるだろうか。

 

 

 

 

 

 もう痛みすら、ナッツには感じられなかった。これは本当に、死んでしまうのだと思った。

 

 薄れゆく意識の中、縋り付く少年の温もりだけを感じながら、少女はぼんやりと、そのやり取りを耳にしていた。

 

 

「悟飯! こんな所で何をしている! 孫の奴の時間稼ぎを無駄にする気か!」

 

「……ピッコロさん。本当に、ごめんなさい。ボクはナッツの傍に、いてあげたいんです」

 

「……わかった! そいつは地球に戻った後、ドラゴンボールで生き返らせる! だから今は逃げるぞ、悟飯!」

 

「その時は、ボクも一緒に、生き返らせてください」

 

「……っ!! サイヤ人!! お前からも言ってやれ!! 悟飯はお前と一緒に死ぬ気だぞ!! それでいいのか!!」

 

 

 その言葉に、意識が少しはっきりする。悟飯の気持ちは、とても嬉しかったけど、そのせいで彼が死んでしまうのは、絶対に嫌だと思った。父様も母様も、もう死んでしまったというのに。

 

 そこでナッツは、フリーザとカカロットの戦闘力を感知して、今の戦況を把握する。このままではカカロットが死んで、フリーザが生き残る事は明白だった。

 

 ふつふつと、怒りが湧き上がってくる。父様と母様と暮らしていた、幸せだったあの日々は、フリーザのせいで、もう二度と戻らない。愛してくれた両親も、故郷も、私から奪ったのに。それなのに、あいつが死なずに生きているなんて、絶対に、許せない。

 

 激しい怒りに、突き動かされるように、半ば無理矢理に、身を起こす。死ぬほどの痛みが全身を走るが、それすらも、怒りにくべる燃料にして、消えかけた意識を覚醒させる。

 

 血に塗れた大猿が立ち上がり、狂ったように咆哮する。その毛皮が、金色に明滅し始める。傷口から流れ落ちる血の量を見た悟飯が、黒いブーツに縋り付く。

 

「駄目だよナッツ! そんな身体で動いたら、本当に……!」 

 

『私は、こんな程度でまだ死なないわ……!!! フリーザがまだ生きてるのに、こんな所で、このまま死ねるものですか!!!』

 

 

 

 叫ぶ獣の声には、聞き覚えがあった。それに獣が纏うあの鎧のような服は、ひび割れてボロボロになっていたけれど、確かに、あの人が着ていたのと、同じ物だった。

 

 勇気を振り絞って、恐る恐る、前に出る。今まで気を消して隠れていたその人物に、全員が驚き注目する。

 

「あ、あなたは、もしかして、ボクを助けて下さった、勇者様ですか?」

 

 かつてナッツが助けた、ナメック星人の子供が、震えながら、彼女を見上げていた。

 

 

 

 

 

 フリーザが投げ落としたエネルギー弾が、ナメック星を破壊するその直前。

 

『そうは、させないわっ!!』

 

 突如ぶれながら現れた、金色の大猿が、その光球を上空に向けて蹴り飛ばした。

 

「……な、何だとっ!?」

 

 倍以上の速度で戻ってきたそれは、驚愕するフリーザに命中し、宇宙からも観測できる規模の大爆発を巻き起こした。

 

 その場に残った厚い黒煙を、腕の一振りで吹き飛ばして、フリーザは眼下のナッツを睨む。受けたダメージよりも、精神的な動揺の方が大きかった。

 

 金色の大猿は、身に纏う戦闘服こそ酷い有様だったが、先ほどの戦いで与えたはずの負傷は、全て完治しているようだった。致命傷を与えた相手の復活。同じ現象を、彼は少し前に、見た事があった。

 

「生き残りのナメック星人が、まだいやがったのか……!!!」

 

 悔恨と怒りに、身を震わせるフリーザに向けて、ナッツは尻尾を揺らしながら、からかうように言った。

 

『その通りよ、フリーザ。お前の部下が人質にしてくれたおかげで、助かった子供よ』

 

「何を、わけのわからん事を……!!」

 

 そして金色の大猿は、サイヤ人の頂点とも言える、その姿を見せつけるように、毛皮に覆われた両腕を掲げ、自ら作り上げた人工の月に向けて、雷鳴のように咆哮する。

 

 

『グオオオオオオオオオオッッッ!!!!!!』

 

 

「くっ……!」

 

 叩き付けられる音圧と、その全身から発せられるエネルギーの凄まじさに、フリーザがわずかにたじろぎ、身を庇いながら後退する。

 

 その巨体に満ちる溢れんばかりの力に、ナッツは獣の顔で満足げに笑う。死の淵から蘇ったことで増大した彼女の戦闘力は、今や7500万にまで達していた。

 

 血のように赤い瞳に、宿敵を映しながら、そのサイヤ人の少女は宣言する。 

 

『第二ラウンドよ、フリーザ。今度こそ、お前を殺して、父様と母様の仇を取ってやる!!!』

 

「調子に乗るなよ、超サイヤ人……!!!」

 

 振りかぶった二人の拳が激突し、その衝撃で、星全体が大きく震えた。




 フリーザ様気分次第で一人称変わり過ぎ問題。

 次の話で決着が付いて、残りは最終回とエピローグです。
 遅くなるかもしれませんが、気長にお待ちくださいませ。


【ナメック星人の子供】
 原作でベジータに殺されて、ツーノ長老が亡骸を抱いてたあの子です。
 オリキャラじゃなくて原作キャラなのです(抗弁)


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30.彼女が仇と戦う話(後編)

 金色の大猿とフリーザの拳が衝突し、生じた衝撃波が轟音と共に周囲の地面を吹き飛ばしながら星を揺るがせる。

 

『ガアアアアアアッ!!!』

「ぬううううううっ!!!」

 

 咆哮し、絶叫しながら、二人は互いに相手を殴り抜かんと激突した拳に力を込める。周囲の大気が雷を纏わせながら発光し、掻き乱された大気が激しく吹き荒れ天候までをも変えていく。

 

 さらに十数秒が経過した後、拮抗して逃げ場を失った二つの力がとうとう臨界を超え、一瞬の閃光と共に大爆発を巻き起こした。

 

 飛び離れたナッツは素早く口を開き、フリーザに向けて真紅の巨大なエネルギー弾を凄まじい速度で連発する。1つ1つが直径10メートルにも及び、小惑星程度なら消し飛ばせる威力を秘めた無数の破壊の光が、瞬く間に逃げ場となる空間を埋め尽くしてフリーザに迫る。

 

「この程度で!」

 

 直撃必至のその状況で、フリーザは加速し、あえて前へと身を躍らせる。高速で飛ぶ無数のエネルギー弾の、あるかなしかの僅かな隙間を何度も潜り抜けてジグザグに飛び、今も新たなエネルギー弾を撃ち続ける大猿の顔面付近にまで肉薄する。

 

『!?』

 

 ナッツが驚愕に目を見開いた次の瞬間、フリーザの拳が、その顔面を殴り飛ばしていた。あまりの衝撃で一瞬意識が飛び、さらに至近距離から放たれたエネルギー波が、ナッツの頭部に直撃し、爆発する。

 

 爆炎と轟音で感覚を奪われた大猿が、それでも気配でフリーザの動きを察知し、戦慄する。彼女の肩を超え、背中側に回り、尻尾を狙う動き。半ば反射的に、身体が動いていた。

 

『触るなああああ!!!!』

 

 瞬時に身体を回して尻尾を遠ざけ、同時に気配で察知した位置に向けて、巨大な拳を振り下ろす。視界を塞いだにも関わらず、予想外の反応の速さにフリーザが驚き、とっさにその攻撃をガードするも、大きく弾き飛ばされる。

 

 尻尾を切られかけた恐怖で、ナッツの額に汗が浮かび、荒々しく呼吸を繰り返す。未だ父様やカカロットや悟飯にも及ばない今の自分が戦えているのは、超サイヤ人の力に目覚めた上で、大猿に変身しているからだ。もし尻尾を切られたら、変身が解けて人間の姿に戻った私は、成すすべなく殺されてしまうだろう。

 

 死ぬのはもちろん怖かったけど、それ以上に、父様と母様の仇を討てなくなる事の方が、ずっと怖かった。自分までフリーザに殺されてしまっては、地獄で待ってくれている二人に、顔向けができなくなってしまう。

 

 一方フリーザは、そんな彼女の様子を見て、にやりと笑った。弱者の見せる恐怖には、人一倍彼は敏感だった。フルパワーを出していないとはいえ、確かにこの超サイヤ人は、自分に迫る程に戦闘力を高めているが、所詮中身は10年も生きておらず、少し前まで自分の無力さに震えていた小娘に過ぎない。

 

「超サイヤ人、さっきまでの威勢はどうしたんです? 尻尾を狙われるのが、そんなに恐ろしいですか? ベジータさんがそんな姿を見たら、きっとがっかりしてしまいますよ」

 

『お前、お前がっ!! 父様を語るなああっ!!!』

 

 びりびりと大気が震えるほどの大音声で叫び、足元の大地を蹴り砕きながら、大猿の巨体がフリーザへ突撃する。

 

 挑発に成功したフリーザは薄く笑って、後ろへ飛んで距離を稼ぎながら、さっきのお返しと言わんばかりに、巨大なエネルギー弾をいくつも生成して撃ち放つ。威力が大きい分、やや速度が犠牲になっており、人間サイズの相手であれば容易く回避されてしまうだろうが、あの馬鹿でかい図体なら、話は別だ。

 

 ナッツは迫りくるエネルギー弾を、ステップで辛くも回避するも、その動きを予測して放たれていた2発目が左上腕部に直撃して爆発し、金色の毛皮を焼き焦がす。衝撃でたたらを踏んだところへ、さらに放たれたエネルギー弾が何発も高速で迫り、ナッツは避けられず、両腕を上げてガードを固める。

 

 連続する熱と衝撃と痛みに襲われながら、少女は焦りを感じ始めていた。大猿化した今の自分にとって、消耗もダメージもまだ大した事は無いが、戦いの主導権を握られてしまっている。

 

 人間サイズでありながら、変身した自分と互角の相手と戦うのは、生まれて初めての経験だった。高いレベルの連携を見せながらも、一人ひとりは彼女よりも格下だったギニュー特戦隊ともまた勝手が違う。

 

 戦闘力が拮抗している今、巨体の分、素早さや小回りではどうしても負けてしまう上に、死角も多く、被弾面積も大きいというデメリットが、浮き彫りになってしまっている。星を破壊せず、軍隊や住民を短時間でどれだけ殺せるかという勝負なら、圧倒的に分があるのだが。

 

 少女の喉から、獣の唸り声が漏れ始める。痛みと苛立ちによって、抑え込んでいたはずの破壊衝動が再び増大し、少女の理性を奪わんとしていた。

 

(駄目よ!? こんな時にまた理性を失ったら、あっという間に殺されてしまう!)

 

 ナッツは必死に獣めいた衝動を抑え込もうとするが、フリーザの放った攻撃がさらに胴体に直撃し、戦闘服の一部を砕いた瞬間、少女は制御しきれない怒りで、自分の視界が、赤く染まり始めるのを感じた。

 

 そうだ。フリーザは母様だけでなく、父様まで殺したのだ。この感情を、我慢などする必要があるものか。全てぶつけて、滅茶苦茶にしてやらねばならない。

 

 ナッツは自分の理性を保とうとする試みを放棄する。かろうじて身体の制御に介入できる部分を残し、それ以外の大部分を、自分自身の感情と衝動に委ねる。

 

 殺してもなお飽き足らぬ仇に向けて、怒りに支配された大猿が一際大きく咆哮する。前傾姿勢となった巨体が、弾丸のように飛び出していく。自分でも怖くなるほどの力が、全身に漲っている。そしてフリーザの驚愕した表情を見て、これが正解なのだと、少女はおぼろげながら理解した。

 

 

 それからのナッツの戦いは、捨て身とも言えるほどの、凄まじいものだった。

 

「くっ、さっさとくたばれ! 醜いサルが!」

 

 フリーザは後ろに下がりながら、矢継ぎ早に何十発ものエネルギー波を繰り出しているが、ナッツはそれらを避けるどころか、ガードする素振りすら見せない。当然、攻撃のことごとくが直撃して爆発し、その身体を傷付けるも、大猿の突撃は止まらない。多少のダメージは物ともせず、受けた痛みを更なる怒りと変えて咆哮する。

 

 スピードはフリーザの方が上だが、攻撃しながら後退するフリーザよりは、ただ全力で迫るナッツの方が速い。そしてついに、爆炎を突っ切ったナッツが、全身から煙を上げながらフリーザに肉薄し、加速した巨体の運動エネルギーを全て乗せた拳を叩き込む。

 

 フリーザは当然避けようとするが、その逃げ場を塞ぐように、大猿の口から高出力のエネルギー波が放たれる。飛び込むわけにもいかず、フリーザはやむなくガードを固め、迫る拳を受け止める。そして拳が命中した瞬間、轟音と衝撃波が大気を震わせた。

 

「があああっ!?」

 

 ガードによってもなお防げぬ大威力で、フリーザの身体が吹き飛ばされる。ナッツはそれを追いながら、真紅のエネルギー弾を連発する。先程と違い、近距離から放たれた巨大なそれらを、避ける手段は無い。連続する爆発が、フリーザに少なからぬダメージを与えていく。  

 

「舐めるなああ!!」

 

 だが近距離で避けられないという条件は、ナッツの方も同じだ。フリーザは大猿の懐に飛び込み、全力でエネルギー波を撃ち出した。広範囲を薙ぎ払える分、無駄の大きいナッツの攻撃と違い、現時点でのフリーザが出せる最大火力が余す事無くその巨体に叩き込まれる。

 

『グアアアアアッ!?』

 

 ナッツは耐えきれず数百メートルを吹き飛ばされ、その巨体が何度も地面をバウンドするも、即座に膝をついて立ち上がる。口元から血を流しながら、それでも仇の姿を赤い瞳で睨み付け、再び咆哮しながら突撃を開始する。

 

 全身の負傷から血を流す大猿を、フリーザは憎々しげに睨み返す。攻撃をガードし続けた両腕が鈍く痛んでいる。この数分間の戦闘で、与えているダメージは、彼の方が確実に大きいが、何度退けても立ち向かってくるナッツの猛攻の前に、彼の身体に蓄積されたダメージも、無視できないほどになりつつあった。

 

 突っ込んでくるだけで理性が無いのならと、尻尾を狙ってみた事もあったが、その巨体と比べれば遥かに細く、また激しく動く尻尾に遠くから攻撃を当てるのは至難の業で、かと言って近付いて死角に潜り込もうと、あの大猿は気配か何かでこちらの位置を完全に把握しているらしく、危うく踏み潰されそうになった事もあった。

 

 星を壊そうとしても、即座にエネルギー波で迎撃された。逃げに徹して距離を稼ごうとしても、たった一歩で3メートル以上を稼ぐ大猿の移動速度は、小回りはともかく前進については予想以上に速く、引き離せず一方的に撃たれる事になってしまった。

 

「なら、これならどうだ!」

 

 フリーザは掌の上に、高速回転する気の円盤を作り出す。宇宙の帝王である自分が、正面から相手を叩き潰すのではなく、こんな格上殺しの技を使うのはあまりに屈辱だが、相手が避けないのなら、これが一番有効な技だ。

 

 デスソーサーと名付けたそれを、迫る大猿に投げ放つ。あの巨体なら、外す方が難しい。当たればどんな物でも切り刻む上、仮に避けてもこの円盤は彼の意思で操作できる。あわよくば後ろから尻尾を切断できるし、それが無理でもどこまでも追い続ける。

 

 そしてナッツは、自分に向けられたその技の特性を理解した上で、避けなかった。突撃の速度を維持したまま、気を集中させた右腕を、気の円盤に叩き付ける。ただでさえ傷ついた毛皮と筋肉が、高速回転する刃に切り裂かれ、大量の血が噴き出した。

 

 人間がこんな事をすれば、即座に腕を斬り飛ばされてしまっただろうが、筋肉で膨れ上がった大猿の腕は、人間の身長ほどに太く、またナッツは気の円盤を食い込ませる角度を巧みに計算していた。右腕の肉を切り裂き続けるデスソーサーが、集中させたナッツの気に相殺され、見る間に小さくなっていき、やがて消滅した。

 

 そのあまりの力技に、フリーザは歯噛みする。あの金色の大猿はどれだけの生命力を持っているのか。このままダメージの応酬を続けるのは得策ではない。あの超サイヤ人を殺し切る前に、自分の方が力尽きてしまうかもしれない。

 

 そこでフリーザは、自分が敗北の可能性を感じ始めた事に気付き、愕然とする。

 

(こ、このオレが、たかがサイヤ人を相手に、追い込まれているだと……?)

 

 屈辱と怒りに身を震わせるフリーザ。実のところ、捨て身で攻撃を受け続けたナッツのダメージは現時点でかなり大きく、このまま攻防を続ければ、かなりの確率で彼は勝利していただろう。

 

 だが少女はたとえ自分がここで死んでも、フリーザさえ殺せれば構わないと覚悟していた。一方フリーザの方は、超サイヤ人に殺されてやるつもりなど微塵も無い。

 

 その覚悟の差が、フリーザを、物理的にも、精神的にも追い込んでいた。ナッツの拳を紙一重で避けるも、直後に跳ね上げられた蹴りをまともに食らってしまう。回転しながら上空へ飛ばされるフリーザに、地を蹴り跳躍した大猿が迫る。

 

 フリーザは考える。フルパワーなら、あの超サイヤ人を確実に殺せる。だがおそらく力を引き出す前に、十数秒は無防備になってしまう。時間が必要だ。食い千切ろうというのか、巨大な牙を見せながら迫る大猿の顔に向けて、彼は両手をかざし、気を集中する。

 

 次の瞬間、大猿の全身が、気で形成された巨大な球体の中に取り込まれていた。

 

『ガッ……!?』

 

 暴れようとするも、身動きが取れないでいるナッツの様子に、フリーザはほくそ笑む。この巨体を拘束できるかは賭けだったが、どうにか上手くいった。彼はそのまま球体ごと、大猿の身体を地上へと射出した。猛烈な勢いで大地に激突した球体は、一瞬の閃光の後にドーム状の大爆発を引き起こす。

 

 激しい爆風に煽られながら、フリーザはさらに上空へと距離を稼ぎ、力を集中し始める。あれで死ぬほど柔ではないだろうが、奴が復帰してくるまでには、フルパワーを発揮できるだろう。その時が、あの超サイヤ人の死ぬ時だ。

 

 だが、もし、フルパワーでも殺せなかったら? 生まれてこの方、ほぼ使った事のないフルパワーを振るえるのは、おそらく3分程度が限度だろう。その間防御に徹するなどして、耐えられてしまったら、疲弊しきった自分に、もはや打つ手はない。

 

 一抹の不安が、彼の頭をよぎった瞬間、不意に、ナメック星の空が黒く染まった。

 

 地球の神とミスターポポが、まさにこの時、揃えたドラゴンボールで、フリーザ一味に殺された全員を生き返らせたのだ。そして一時的にせよ最長老が生き返った事で、石化していたナメック星のドラゴンボールも、再びその輝きを取り戻した。当然フリーザは、そんな事情など知る由もない。

 

「な、なんだ!? これは!?」

 

 数日滞在しているが、この星に夜はないはずだ。にもかかわらず、太陽が消えており、ただあの超サイヤ人が作った月もどきのみが、空に輝いている。得体の知れないその現象に、彼は覚えがあった。

 

「これは、まさか……」

 

 そして暗闇の中で輝く光の柱を遠くに見つけ、フリーザの顔が歓喜に満たされる。

 

「やはり!! ドラゴンボール!!」

 

 夢にまで見た不老不死を前に、彼は矢も楯もたまらず、最高速度で飛び出した。あの超サイヤ人と、馬鹿正直に命のやり取りをする必要は無い。もちろん勝つ自信はあるが、不老不死になってしまえば、それはなお確実になるのだ。

 

 10秒も掛からず、光の柱に辿り着く。蛇にも似た全長50メートルほどの光り輝く龍は、近くに来た彼を見下ろし、言った。

 

『どうした。願いはまだか。三つ目の願いを言うがいい』

 

 フリーザは満面の笑みで叫んだ。

 

 

 

「このフリーザを、不老不死にしろーーーーー!!!!」

 

 

 

『…………』

 

 龍は反応しない。まるで彼の言葉が、聞こえていないかのように。

 

「な、何だと……?」

 

 フリーザは思い出す。ギニュー隊長が揃えてきたドラゴンボールに、不老不死を願っても全く反応が無く、願いの叶え方を聞き出す為に、生き残りのナメック星人を探しに行かざるを得なかった事を。

 

 まさか、願いを叶えられるのは、ナメック星人だけなのか。そして奴らは、彼が悪しき者だからと、ボールの譲渡や協力を頑なに拒んでいた。ならば最初から、どうやっても不老不死は叶わなかったという事になる。

 

 呆然とするフリーザ。その隙を逃さず、復帰してきた金色の大猿が、一瞬のうちに、彼の身体を掴んでいた。

 

「なっ!? しまっ……!!」

 

 ナッツは両手にぎりぎりと力を込めながら、獣の顔に勝ち誇った笑みを浮かべる。

 

『残念だったわね! ナメック語で伝えないと、願いは叶えられないのよ!』

 

 自分も同じ失敗をしたナッツが、偉そうに叫ぶ。両腕の筋肉が、さらに一回り膨れ上がる。さしものフリーザの肉体も、軋みだすのが、手ごたえで判った。

 

『このまま握り潰してやるわ!!! せいぜい苦しんで死になさい!!!』

 

 凶暴性と獰猛さと嗜虐心と、怒りと復讐心と殺意と歓喜と、その全てが混ざり合った、悪鬼のような形相だった。

 

 フリーザは脱出しようとするも、単純な筋力では今の彼女が上だ。これでとうとうこいつを殺せると、確信した少女の手の中で、フリーザが何かを呟いた。

 

「80パーセント……」

 

 言葉と同時に、フリーザの戦闘力が上昇し、その肉体も膨張を始めていく。内側からの力が強まっていく事に、ナッツは焦り出す。

 

『な、何なのこれは!? まだ変身を隠していたっていうの!?』

 

「90パーセント……!」

 

『さ、させるものですか!!』

 

 金色の大猿は吠えながら、全ての力をその両腕に集めるも、それをなお上回る速度でフリーザの力は増していき、少しずつ、彼女の両腕をこじ開けつつある。死を目前にしたフリーザの生存本能は、彼自身も驚くほどの速度で、その力の全てを引き出しつつあった。

 

「は、ははっ! 残念だったな、超サイヤ人! 100%のフルパワーで叩き潰してやるぞ!」

 

『こ、こんな……! ふざけるな……! この程度で……!』

 

 負傷してなお、1億にも届かんとする戦闘力。絶望的な状況で、それでも少女はなお諦めず、決死の力をフリーザに加え続ける。

 

 それをあざ笑うように、彼の力がフルパワーに到達せんとした、その瞬間、ぼきりと、嫌な音がした。

 

「……は?」

 

 フリーザは間の抜けた声を上げ、へし折れた両腕を呆然と見つめる。超サイヤ人となり掛けたベジータが、最後に殴った、その箇所だった。

 

 そして両腕が使えなくなった彼の身体を、ナッツは容赦なく全力で圧迫する。もはや抵抗できず、次々に全身の骨が砕けていく激痛の中で、混乱したフリーザが叫ぶ。

 

「馬鹿な! なぜだ! なぜこのオレが! こんなガキのサイヤ人ごときに!!」

 

 そんな事、判りきっている。私が強かったからではない。戦闘力では負けていた。ただ母様を殺されたから、私と父様は、お前を必ず、殺すと決めたのだ。こいつが母様に、あんな真似さえしなければ。

 

 そこでふと、ナッツは浮かんだ疑問を口にする。これを逃したら、もう聞けなくなる。

 

『フリーザ、私の母様を、なぜ殺したの?』

 

 母様の命は、残り一ヶ月もなかったと、父様はお医者様から聞かされていたという。具合の良い時にしか、任務に出られなかったとはいえ、上級戦闘員だった母様の健康状態は、当然フリーザにも報告されていたはずだ。

 

 放っておいても、病気で死んでいたはずの母様を、どうしてわざわざ、激戦区の惑星に、たった一人で送り込むような真似をしたのか。

 

 少女の問いに、フリーザは一瞬、虚を突かれたような顔になる。それから、憎たらしい顔で笑った。

 

「さあな? 単にお前にムカついただけだと言ったら、どうする?」

 

『死ねっ!!!!!!!』

 

 少女は渾身の力をフリーザに加える。ぐしゃりと、残った骨と内臓が、全て潰れる手ごたえがあった。

 

  

 

 手の中で白目を剥いたフリーザは、呼吸もしておらず、心臓も潰れており、完全に死んでいるかのように見えた。

 

 だがナッツは、肩から下が無惨に潰れた状態のフリーザが、まだ1000万ほどの戦闘力を残しているのを感じていた。

 

(信じられない。これでまだ生きてるっていうの……?)

 

 おそらく隙を見せた瞬間、不意を打って襲い掛かってくるつもりだろう。そうして仮に尻尾を切られたら、この状態からでも逆転されるかもしれなかった。

 

 頭を潰す事も考えたが、それで殺せる保証はない。少女はフリーザを掴んだ手を大きく振りかぶり、ぐしゃぐしゃになったその身体を、天高く放り投げた。死んだ振りをしていたフリーザが驚いて地上を見る。そこで見えたのは、金色の大猿の大きく開いた口の中に、かつてないほどの出力を秘めた、真紅の光が収束されていく光景だった。

 

「ち、ちくしょおーーーー!!!」

 

 叫ぶフリーザに向けて、ナッツの放った極大のエネルギー波が直撃し、ナメック星の上空に、大爆発を巻き起こした。

 

 眩い閃光に照らされ、暴風にボリュームのある長い髪を煽られながら、金色の大猿はその爆発を見上げ、父親の事を思い出していた。

 

『……汚い花火ね』

 

 奇しくも、惑星ベジータを破壊した際のフリーザと、似通った台詞を言い放ち。

 

 暗闇に浮かぶ月から降り注ぐブルーツ波を浴びながら、復讐を果たしたサイヤ人の少女は、尻尾を大きく振り回しながら、歓喜のままに咆哮した。




Q.フリーザ様が思わせぶりな事言ってたんですけど……。
A.最終回後のエピローグでその辺やります。


 とうとうここまで書けました。
 評価、感想、お気に入り、誤字報告などありがとうございます。

 次が最終話です。書きたい事がたくさんありますので、おそらくは2話分割になります。
 遅くなるかもしれませんが、気長にお待ち下さいませ。


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最終話.彼女が願いを叶える話(前編)

 勝利の咆哮を終えたナッツは、フリーザの戦闘力が感じられない事を確認すると、その両目を閉じ、ブルーツ波の吸収を止めた。

 

 やがて大猿の身体が震え出し、やや苦しげな声を上げながら、人間の姿へと戻っていく。全身を覆う毛皮が薄くなって滑らかな肌が露わとなり、尖った耳も獣の鼻面もその形を変え、元の整った顔立ちを取り戻す。

 

 身体のサイズも見る間に縮んでいき、十数秒後、そこには金色のオーラに包まれたサイヤ人の少女が、大きく肩で息をついていた。かろうじて両足で立ってはいるものの、その全身は大きく負傷し、流した血に塗れている。黒い戦闘服はほぼ全損し、擦り切れた紫のアンダースーツと黒いブーツのみが、彼女の身体を覆っていた。

 

 満身創痍の状態にもかかわらず、ナッツの目はぎらぎらと輝いて、その口元には、戦いの興奮が冷めやらぬといわんばかりの、獰猛な笑みを浮かべていた。

 

「は、は、あははははっ!! 殺したわ!! 殺してやったわ!! あのフリーザを!!」

 

 天に顔を向けながら、少女は狂ったような笑い声を上げる。

 

「私達サイヤ人を、私と父様を怒らせたからよ!! いい気味だわ!! 私から父様と母様を奪った事を、地獄で後悔すればいい!!」

 

 だが両親の事を口にした瞬間、少女の顔がくしゃりと歪み、興奮のままに叫んでいた声が、急速に小さくなっていく。

 

「父様ぁ……、母様ぁ……」

 

 憎い仇を殺しても、彼女の傍に、二人はもういない。一筋の涙が、頬を伝い落ちる。金色のオーラが消え失せ、髪と瞳が元の色に戻る。

 

「あ、うああああああああ……!!!」

 

 慟哭と涙が、後から後から溢れ続ける。そこにいたのは、フリーザを倒した伝説の超サイヤ人ではなく、ただ親に会いたいと泣きじゃくる、小さな子供だった。

 

「ナッツ!!!」

 

「え……?」

 

 震えるその小さな身体を、駆け付けた白い戦闘服の男が、強く抱き締めた。間違えようもないその気配と温もりに、少女は濡れた瞳を大きく見開く。

 

「……とう、さま? 本当に、父様なんですか?」

 

 受けた衝撃の、あまりの大きさに、ナッツは事態を把握できないでいる。嬉しいけど、これが都合の良い夢や幻で、次の瞬間消えてしまったら、きっと自分は耐えられない。

 

「ああ、どうやら、ドラゴンボールで生き返ったらしい」

 

 父親は優しい声でそう言って、娘の頭をゆっくりと撫でる。慣れ親しんだその感覚は、幻なんかでは決してなかった。

 

「父様!! 父様あ!!! あああああああっ!!!!!」

 

 溢れ出す少女の涙は、先と違って、悲しさからのものではなく。もう二度と、いなくならないでくださいと、父親の胸に頭を擦り付けて、声が枯れるまで泣き続けた。

 

「……すみません、父様、こんなに泣くなんて、私……」

 

 途切れ途切れに、涙声で少女は言った。こんなのは、父様や母様が私に望むような、冷酷なサイヤ人の振る舞いではないだろう。

 

「……?」

 

 返事が無い事を、疑問に思った娘が、父親の顔を見上げて驚く。冷酷で誇り高いサイヤ人の王子である父親の目から、大粒の涙がこぼれていた。

 

「すまない、ナッツ。お前を一人にして、あんな真似をするほどに、辛い思いをさせてしまった……!!」

 

「あっ……!」

 

 その言葉で、少女は思い出す。父様が一度死んだ後、自ら死のうとした上に、殺して欲しいと悟飯に懇願した。あの時は悲し過ぎて、頭が回らなかったけど、もし父様や母様が、地獄からあれを見ていたとしたら、どんな思いを抱いただろうか。

 

「ごめんなさい!! 私、あの時はおかしくなってて!! ただ父様と母様に、また会いたいと思って……!!」 

 

 狼狽し、必死に謝罪する娘の身体を、父親はいっそう強く抱き締める。

 

「謝らなくて、いい。悪いのは、オレの方だ……」

 

「父様……」 

 

 それから親子はしばらくの間、無言で抱き合って、ただ互いの身体の温もりを感じていた。

 

 

 そんな彼らの姿を、少し距離を置いて、悟飯は見守っていた。ナッツに話し掛けたかったけど、今の彼らの邪魔をしてはいけないと思った。

 

「良かったね、ナッツ……」

 

 少年が呟く。するとその声に反応したかのように、父親が彼の方を見る。阿修羅のようなその表情に、嫌な予感がした悟飯は反射的に逃げようとするも、父親は娘を抱き上げたまま、瞬時に彼の前に移動していた。

 

 父親が空いた手で繰り出す拳を、少年は重ねた両手で受け止める。攻撃を止められた事に、父親が一瞬、意外そうな表情になるも、なおも怒りの形相で力を加え、悟飯を押し込んでいく。

 

「べ、ベジータさん、一体何を……!?」

 

 フリーザはもう死んだというのに、父親は怒りでぎりぎりと歯を食いしばり、血の涙でも流さんばかりの壮絶な顔をしていた。地獄の底から響くような声で、彼は言った。

 

「悟飯、貴様、オレの娘と公衆の面前で、よくも、よくもあんなハレンチな真似を……!!」

 

「してませんそんな事!? 誤解です!」

 

「とぼけるな! ナッツの尻尾が、お、男の身体に……! あんな、嫁入り前の娘が、大事に育ててきた娘が、見ず知らずの男と、あんな……!」

 

 見ず知らずじゃないですと叫びながら、悟飯は思い出す。確かに、ベジータさんが死んでしまって、泣いていたナッツを慰めた時、彼女の尻尾が腕に巻かれて。アンダースーツの上からでも、ふさふさしていて温かくて、気持ち良い感触だったのを、覚えてはいるけれど。

 

 あれって、そんなベジータさんが怒るような事だったの!? と目を白黒させる少年に、ナッツが助け舟を出す。

 

「父様、尻尾がどうかしたんですか? 私、父様にも同じ事を、いつもしているじゃないですか」

 

 不思議そうな顔で、そう言いながら、娘は尻尾を父親の腕に巻きつけた。サイヤ人にとって、誇りとも言える尻尾を相手に預けるそれは、最上級の愛情表現だ。彼らの間では、たとえ男女の仲になろうとも、お互いに尻尾は触らせないという関係も、決して珍しくはない。

 

「ナッツ、これは親や家族にする分にはいいが、それ以外の人間に、軽い気持ちでしていいものではないんだ」

 

 異性へのそれが何を意味するかについて、彼は娘に教えるつもりはない。そんなのは、まだ15年は早いと思っている。

 

「……軽い気持ちでしたわけじゃないです、父様」

 

 抱き上げられたまま、至近距離から彼の顔を見る、その時の娘の表情は、彼女の母親に、とてもよく似ていた。

 

 魂を抜かれたように、一瞬固まった父親の腕の中から、娘は飛び降りて、少年に近づく。父様の代わりに、ずっと傍にいると言ってくれた。今はまだ子供で、頼りにならなくても、父様の代わりになりたいと言ってくれた。

 

 それがとても、嬉しかったから。少女は顔を赤らめながら、戸惑う悟飯の腕に、再び尻尾を固く巻き付けて言った。

 

「悟飯、私、待ってるから」

 

「う、うん……」

 

 不意を打たれた少年が真っ赤になって俯いて、次の瞬間、ベジータがいきなり真後ろに倒れた。父親の身体に、娘が慌てて縋り付く。

 

「と、父様!? 大丈夫ですか!?」

 

 

 

 眼前で行われた不純異性交遊のショックで、父親は軽く意識を飛ばしながら、死んでいた間の事を思い出していた。一部始終は、ベジータ王が急遽金を集めて設置した、超大型の野外型プロジェクターを通して、地獄にも中継されていたのだ。

 

 裁くまでもないと即座に地獄に送られ、待っていたナッツの母親と再会した彼が見たものは、頭の上に輪を浮かべた大勢のサイヤ人達が、今にも死のうとしている彼の娘を見て、悲鳴を上げているところだった。

 

 当然、実の父親と母親の嘆きはそれどころではなく、限りなく空気が重くなっていたところに、戦闘服を着た少年が現れた。ナッツを思いとどまらせるべく、泣きながら彼女を必死に説得する姿は、観客だけでなく、父親すらも思わず応援してしまうほどのもので。

 

 そして地獄にいたサイヤ人のほぼ全員が見守る中、少女が熱に浮かされたような顔で、少年の腕に尻尾を固く巻き付けた瞬間、父親は泡を吹いて倒れ、彼らのどよめきは最高潮に達した。

 

 サイヤ人の大半は、娯楽と言えば酒や異性と付き合う事くらいしか知らず、映画や本といったフィクションの類には、縁も耐性も無かったのだ。粗野で凶暴ではあるものの、ある意味純情であるとすら言える彼らにとって、それはあまりに強い刺激だった。

 

 まじまじと呆けた顔で画面を眺める者、赤面して黙り込む者、「あいつオレの孫だからな!」と周囲に自慢する者、触発され見つめ合うカップルなど反応は様々だったが、いずれにしても大盛況で、皆がフリーザの事すら一時忘れて、映像の中の二人に向かって、惜しみない拍手と口笛と祝福の言葉を、雨のように投げかけていた。

 

 すぐに復活した父親は、娘の恥ずかしい姿を放送された事に腹を立て、不機嫌そうに悟飯を殺すと息巻いてはいたものの、大切な娘が死ぬのを止めてくれた事を、内心彼に感謝していた。

 

 そしてその後すぐに、当の少女が伝説の超サイヤ人に変身して、しかも大猿にまでなった事で、映像のジャンルは180度変化したが、彼らにとってはそっちの方がむしろ判り易く、観客たちのテンションは限界を超えて高まった。フリーザと戦う娘を、両親が最前列で声を枯らして応援し、観客たちも現世に届けとばかりに声を張り上げる。

 

 余談だが、サイヤ人達は地獄で刑罰として、主に強制労働を課せられていた。ツフル人に支配されていた頃を連想させるそれは、当然ながら大不評で、仕事といえば惑星の収奪くらいしかした事のない彼らを更生させるという目的は、全く達成されていない状態だったのだが。

 

 この日を境に、サイヤ人達が給金を手にいそいそと映像媒体や本などを買いに行く姿が見られるようになり、刑罰である強制労働にも真面目に励む者が増えて、閻魔大王達が首を傾げる事になるのだが、それはまた別の話だ。

 

 それはそれとして、ナッツが一度倒された時は、お通夜のような雰囲気になってしまったが、すぐに現れたカカロットが彼女を救助し、また凄まじい強さでフリーザと戦い始めてから、再び盛り上がりを見せる。

 

 最前列でナッパやラディッツやベジータ王と共に両親が絶叫し、「あいつオレの息子だからな!」と誰かが周囲に自慢する。そしてカカロットまでも倒されて、もう駄目かと皆が思った瞬間、どうやってか復活したナッツが駆けつけて、割れんばかりの大歓声が巻き起こって。

 

 それから、突然頭の上の輪が消えて、生き返れると、戻らなければならないと、わかった瞬間、隣にいたあいつと、いくつか言葉を交わして。そして気付けば、ナメック星に戻って来ていた。

 

 生き返って、また娘に会えるのは嬉しかったが、あまりにも急な別れだった。せめてもう少し、時間があれば良かったのだが。もっと話をしてやりたかったし、あいつの為に、何かしてやりたかった。そしてできるなら、ナッツとまた三人で、一緒に会えれば良かったのだが。

 

 そこまで思い出して、父親は目を開ける。娘が心配そうな顔で、上からこちらを覗き込んで来ている。頭に当たる、温かい感触。膝枕をされているのだと、すぐに理解した。

 

「大丈夫ですか、父様?」

 

 夜のような、黒い瞳、本当に、母親とそっくりだと思った。

 

「ああ、心配ない。久々に会った、あいつの事を思い出していたところだ」

 

「父様は、母様と会えたんですか!? か、母様は、お元気でしたか!?」

 

 生まれつきの病気に侵され、具合が悪い時は、起き上がるのも難しかった母親の姿を、ナッツは思い出す。地獄という所でも、苦しんでいなければいいのだけど。

 

「ああ……おかしな表現だが、元気にしていたぞ。あの世までは、病気も付いて来なかったらしい」

 

「そうですか……良かった……!」

 

 安堵する娘の姿に、父親も小さく笑って続ける。

 

「あいつの他にも、ナッパやラディッツも、オレの父親も、カカロットの両親も、他のサイヤ人も大勢いて、皆でお前の戦いを見ていた。立派になったと言っていたぞ」

 

「母様……」

 

 ナッツは俯いてしまう。とても嬉しいと思ったけど、その言葉は、できる事なら、母様から直接聞きたかった。

 

 自分ひとりの力では無いとはいえ、あの宇宙の帝王であるフリーザを倒して、仇を取ったのだ。その上伝説の超サイヤ人にまでなれたのだから、きっと凄く、褒めてくれるに違いなかった。

 

 けど、母様に会えるのは、いつか自分が死んだ時で、それはまだ何十年も先の話だ。まだたった5歳の少女には、それはまるで無限のように、遠い時間に思えた。

 

『どうした? 三つ目の願いを言うがいい』

 

 ポルンガが、空気を読まず話し掛けてくる。

 

(……もう一度だけ、母様に会いたい)

 

 心の中で、ぽつりと呟く。どうせ声に出したところで、ナメック星人に通訳してもらわなければ、願いは叶わないのだ。

 

 あのナメック星人の子供に頼めば、通訳くらいしてくれるだろうけど。どうしてドラゴンボールが復活したのかも、判らないというのに、勝手に自分の願いを叶えるほど、彼女は自分勝手ではなかった。

 

(……それに、私、理性を失った時とか、フリーザと戦った時に、ナメック星をかなり壊しちゃったし……残った願いは、その復興に使うべきなんじゃないかしら……)

 

 戦いの余波で、すっかり荒れ果てた周囲の風景を眺めながら、少女はそんな事を考えていた。




とりあえず書き上がった分を。残りは近いうちに投稿します。


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最終話.彼女が願いを叶える話(後編)

 時間は少し遡る。ナッツがフリーザを倒した、その直後。

 

 フリーザに壊された住居の中で、最長老は、自身が生きている事に困惑していた。

 

「これは……な、なぜ私が、現世に……?」

 

 戸惑う最長老の心に、念話が聞こえた。

 

(……最長老よ、聞こえるか。わしは北銀河の界王だ)

 

「界王様……?」

 

 遥か昔、ナメック星が異常気象に見舞われる前、神々の元で銀河を総べる存在がいると、大人達から聞いた事があった。

 

(詳しく説明したいところじゃが、あまり時間がない。構わんから、わしの記憶を読んでくれんか?)

 

「で、では、失礼いたします……」

 

 そして最長老は、自身が生き返るまでの経緯を知る。自分がボールを託した者達が、無事に願いを叶えた事。地球のドラゴンボールで、フリーザ達に殺された全ての者を生き返らせた事。そしてフリーザを、あのサイヤ人の娘が倒した事。

 

「な、何と……! こんな事が……!」

 

 最長老は驚きながらも、恐る恐る、確認する。一番最初に生んだ、もう殺されてしまったはずの子供に、念話で話し掛ける。

 

(ムーリよ、そなた、生きておるのか……?)

 

 

 遠く離れた村で、突然の復活と、暗くなった空に戸惑っていたムーリ長老、フリーザ達のスカウターを壊し、悟飯とクリリンの前で殺された長老が、はっと顔を上げる。

 

「は、はい! 最長老様! 私は生きております!」

 

 同じく戸惑っていた他のナメック星人達も、その言葉を聞いて顔を明るくする。

 

「長老! 最長老様もご無事なのですか!?」

 

「良かった! 生きておられたのですね! 最長老様!」

 

 そしてその喜びの声は、瞬く間に星中へと広がっていった。

 

 

(最長老様!)

(最長老様!)

 

「おお……おお……!!」

 

 子供達の声を聞き、また一人一人に呼びかけながら、最長老のしわくちゃの顔が涙に濡れる。自分を除く114名のナメック星人、その全員の、命の気配が感じられた。

 

「まさか、まさかこんな事が……!!!」 

 

 フリーザ達の手で、子供達のほとんどを殺されて、悲しみの中で寿命を迎えた最長老は、再び寿命が迫る気配を感じながらも、その長い生涯の中で、最も幸福な気分に浸っていた。

 

「……しかし、ネイルは……」

 

 喜びに包まれていた最長老の表情が、そこで曇ってしまう。戦闘タイプであるとはいえ、フリーザの足止めという過酷な役目を命じてしまった。酷く痛めつけられ、それでも何度も挑み続ける姿を、ただ見ている事しかできなかった。ネイルの奮戦がなければ、あの地球人達の願いが、叶う事は無かっただろう。

 

 できる事なら、済まなかったと謝って、その労をねぎらってやりたかったのだが。界王様の記憶によると、瀕死のネイルは、再びフリーザと戦う為に、生き返ったカタッツの子の、悪の方の片割れが遺した子供と、融合したらしい。ならばもう既に、ネイルの人格は残っていないだろう。

 

「お前が最長老か」

 

 最長老が、はっと顔を上げると、目の前に、見た事の無いナメック星人が立っていた。ネイルにそっくりな、その容貌と、わずかに感じる、悪の気配。どうしてここに。自分に会いに来たのだろうか。

 

「はい。確かあなたは、ピッコロ、と……」

 

 その名前を口にした瞬間、最長老は、言葉を詰まらせる。ピッコロとはナメック語で、違う世界、という意味だ。そんな言葉を、自ら名乗るなど。地球では誰一人、仲間がいなかったのか。孤独と寂しさの中で、地球の者達を羨んで、悪に染まってしまったのか。

 

 その目に涙を浮かべながら、最長老は、自らの子供にするように、優しい声でピッコロに言った。

 

「ピッコロよ。よくぞ、このナメック星に来てくれました。あなたは、地球で生まれたそうですが、それでもこの星は、あなたの故郷です。他のナメック星人達も、きっとあなたの事を歓迎してくれるでしょう」

 

 だからもう、あなたは一人ではないのだと、その温かい気持ちが、ピッコロの心に染み渡っていく。この年老いたナメック星人は、自分のために泣いてくれるのか。そんな事をしてくれたのは、今まで悟飯だけだった。

 

 ピッコロ自身は最長老の事を知らなかったが、ここに来なければならないという衝動に従ったのは、間違いではなかった。胸の奥に、自分のものではない感情が、込み上げてきて、混ざり合う。気付けば、自然と言葉が出ていた。

 

 

「最長老様……ただいま、戻りました」

 

 

 最長老は、己の耳を疑った。融合すれば人格は失われるはずだが、それでも今目の前にいるのは、確かにネイルだった。

 

 気付けば、その頭に手を置いていて。懺悔するように、震える声で言った。

 

「ネイルよ、酷い目に遭わせてしまって、本当にすまなかった……!!」

 

 その言葉を聞いたピッコロの胸にも、熱いものが込み上げていた。己のものでない記憶と感情を、決して不快とは思わなかった。

 

「泣かないでください、最長老様。戦闘タイプとして、悪との戦いに役立てた事は本望です。それに私はこの者の中で、これからも生き続けます」

 

「ありがとう。ネイルよ、よくやってくれた……」

 

 目を閉じた最長老の心には、今も子供達の歓声が聞こえている。まるで彼らに見守られているかのように。

 

 寿命がそれほど残っていないと、判っていたが、もう何も、思い残す事はなかった。子供達に囲まれて、故郷であるナメック星で死ねるのだから。

 

 

 話が終わるのを見守っていた界王が、再び最長老に念話で語りかける。

 

(実はお主に、残った願いの使い道を決めて欲しいのだ)

 

 界王は説明する。全員を地球に避難させるという当初の願いは、フリーザが倒された事で不要になってしまった。残った願いで、界王星にいる誰か一人を先に生き返らせるという事も考えたが、彼らとも相談した結果、今回の件で一番の被害者である最長老に、願いを託そうという事になったのだ。寿命を前にして、戦闘で荒れ果てた星の復興など、叶えたい願いはいくらでもあるだろう。

 

「願い、ですか……」

 

 最長老は、困惑してしまう。確かにざっと確認したところ、ナメック星の一部は、戦闘でかなり大きな被害を受けている。復興させたいとは思いはあるが、しかしそれを、ドラゴンボールで叶えようとは思っていないのだ。 

 

 幼い頃、一人ナメック星で生き残った最長老は、疑問に思っていた。どうして大人達は、異常気象を止める為に、ドラゴンボールを使わなかったのかと。死者をも生き返らせる力を持つのだから、一つの星の気象くらい、どうにでもできたはずだ。

 

 仮にポルンガの力を超えるほどの規模だったとしても、それこそ界王様がしようとしていたように、一時的に全員を、他の星に避難させてしまえばいい。そしてその程度の事を、当時の長老達が、思いついていなかったはずがない。

 

 疑問の答えは、長じて自分でドラゴンボールを作った時に、理解できた。星の復興だろうと、異常気象で死んだ皆を生き返らせる事だろうと、何でも願いを叶える力は、あまりに魅力的で、それゆえに危険だった。

 

 人の欲望には、限りがない。ナメック星人は、水と陽の光だけで生存できるため、欲というものをあまり持たない種族だが、それでもスラッグのように、悪に染まってしまう者が、いなかったわけではないのだ。

 

 たとえ非常事態だろうと、一度でも自分達のために使ってしまえば、そのままずるずると、歯止めが利かなくなってしまうだろう。過去のナメック星人達も、それを理解していたから、たとえ自分達が全滅しようとも、あえてドラゴンボールを使わなかったのだ。

 

 しかしそれは、滅ぶことをよしとしたわけではなく。彼らは最長老を生き残らせ、少数の者を宇宙船で脱出させるなど、自らの力でできる事を、精一杯行い、未来に向けての手を尽くしたのだ。そしてそのおかげで、今のナメック星がある。最長老も、彼らの事を見習いたいと思っていた。

 

 幼い頃に見た、緑豊かなナメック星の復興。悲願であるそれは、ドラゴンボールに願うまでもなく、自分の子供達やその子孫達が、いつか必ず叶えてくれるだろう。

 

 

 では残った願いを、誰に使ってもらうべきか。そう考えた最長老の脳裏に、一人の少女の姿が浮かぶ。

 

(……そういえば、あの娘は今、どうしているだろうか)

 

 ナッツという、幼いサイヤ人の娘。ひょんな事から、ツーノの村を救い、そして動けない自分の代わりにフリーザと戦うと言って、その言葉を違えず、ついにフリーザを倒した超サイヤ人。

 

 哀れな子供だと、初めて会った時から、思っていた。フリーザへの復讐を語っていたが、あの娘の本当の、心からの望みは、そんなものではない。記憶を読むまでもなく、最長老には、その事が理解できていた。 

 

 そして彼女の事を想った最長老の心に、聞き覚えのある声が響いた。

 

(……もう一度だけ、母様に会いたい)

 

「!!」

 

 それは念話ではなく、心の中での、ほんの小さな呟きだったけれど。親である最長老は、その悲しげな声を聞き逃さなかった。

 

 そして母親に会いたいと、これだけ強く思いながら、ナッツが願いを叶えようとしない事を、最長老はもどかしく思った。元よりドラゴンボールは彼らに託しているし、ポルンガに通訳をできる者も、近くにいるというのに。 

 

 あなたの願いを叶えなさいと、最長老が念話で語り掛けようとした瞬間、再び少女の声が聞こえた。

 

(……それに、私、理性を失った時とか、フリーザと戦った時に、ナメック星をかなり壊しちゃったし……残った願いは、その復興に使うべきなんじゃないかしら……)

 

 最長老は、大きくため息をついた。彼女がした程度の破壊など、星全体が滅茶苦茶になったあの異常気象と比べれば、全く大した事ではなかった。

 

(子供が遠慮など、するべきではないというのに)

 

 再び寿命が来る前に、彼女の願いを、何としてでも叶えてやりたいと思ったが。この分だと、たとえ正面から伝えても、断られてしまう可能性があった。断られないよう、伝え方を、工夫する必要がある。素直だった自分の子供達と違って、手間が掛かるものだと、最長老は小さく微笑んだ。

 

 残った時間は、子供達と話す為に使うつもりだったが、せっかくだから、同時にやってしまおうと、最長老は、ナメック星にいる者全てに向けて、念話を飛ばす。

 

(ナメック星の皆よ、この星に何があったのかを、今から説明しよう……)

 

 そして最長老は、これまでの経緯について、語り始めた。その内容は、あるサイヤ人の少女を中心にしたものだった。

 

 

 

 

 太陽の見えない、暗い空の下で。

 

 ナメック星人の子供から、悟空と共に治療を受けていたナッツは、突然聞こえた最長老の声に驚いていた。

 

「さ、最長老!? 寿命で死んだはずじゃなかったの!?」

 

(この声は、勇者様!)

 

(力の試練を乗り越えた、あの娘の声だ!)

 

 少女が思わず上げた声に応じるように、聞き覚えのある声が心に響く。周囲にいる悟飯達にも、その声は聞こえているようだった。どうやら最長老の力で、遠くにいるナメック星人達とも、会話ができる状態らしい。

 

 最長老の説明は続く。ナッツがフリーザの手下に襲われていた村を助け、力の試練を乗り越えて、ツーノ長老からボールを託された事。最長老の元を訪れ、悪でありながら、母親を殺したフリーザと戦うと誓い、力を求めた事。

 

 話が進むと共に、ナメック星人達の間にどよめきが走る。話の中の少女はまるで、星の危機を救うべく現れた勇者のようだった。実際に先ほど、ツーノ長老の村の者も、彼女の事を、そう呼んでいた。 

 

「オレの娘だからな!」と自慢する父親の声を聞きながら、ナッツは最長老の話の内容に、顔を赤らめていた。

 

(ちょっとこれ、話が盛られてるんじゃないの……? 私、ここまで格好良い事してないわよ……!?)

 

 そう思っているのは、本人のみで、最長老はあくまで、事実のみを語っていた。そして彼女が父親や仲間達と力を合わせて戦い、力及ばず倒れながらも、助けた村の子供に救われ、ついにフリーザを倒した下りで、大歓声が巻き起こる。

 

(皆が蘇り、そしてこのナメック星が救われたのは、そういう経緯だ……)

 

 最長老の話を聞き終えたナメック星人達は、喜びのまま、次々に声を上げる。

 

(ありがとうございます! 勇者様! あのフリーザを、よくぞ倒してくれました!)

 

(ナメック星の恩人に感謝を!)

 

(あなたにボールを託したのは、間違いではなかった!)

 

 降り注ぐ無数の感謝の言葉に、思わず頬を緩めてしまいながらも、少女は叫ぶ。

 

「ちょっと待って! 私だけでフリーザと戦ったわけじゃないわ! 父様もカカロットも、悟飯もピッコロも、クリリンだっていたんだから! 一人だけで戦ってたら、絶対に勝てなかったわ!」

 

 ナッツの言葉に、ナメック星人達は感嘆の声を漏らす。

 

(流石は勇者様……)

 

(なんと奥ゆかしい……!)

 

 そこで最長老が、重々しく告げる。

 

(子供達よ。私はこのサイヤ人の娘を、ナメック星の勇者と認め、ドラゴンボールの残った願いを託そうと思うが、構わないだろうか?)

 

 一斉に、星全体から賛同の声が響いた。

 

(そういうわけです、勇者よ。遠慮などせず、あなたの願いを叶えなさい。母親にまた、会いたいのでしょう?)

 

 その声に、どこか楽しむような響きが含まれている事を、ナッツは感じ取っていた。願いを叶えて良いというのは、とても嬉しかったけど。心の中で大歓声を聞きながら、少女は複雑そうな顔で言った。

 

「最長老、悪である私に手を貸すのを渋ってた癖に、どういう風の吹き回しよ」

 

(私はあなたのした事を、ありのままに語ったに過ぎません。たとえ悪であろうと、あなたは自分で思っている以上に、正しい事をなさいました。それに……)

 

「それに?」

 

(もし仮にあなたがいなければ、フリーザは倒されても、ナメック星は滅んでしまったような気がするのです……今頭に浮かんだ、直感のようなもので、確証はありませんが……)

 

 あるいはこの時、最長老は、ナッツが存在しない、あるいはナメック星を訪れなかった、他の歴史を垣間見ていたのかもしれない。そして戦いの最中、フリーザが星を壊そうとするのを、身体を張って食い止めた少女は、照れ隠しのように言った。

 

「そんな事、あるはずないじゃない。私が星を滅ぼす事はあっても、その逆は無いわ」

 

 何だか上手く乗せられたような気がするけれど、決して不快ではなかった。少女は、花が咲くかのように微笑んで言った。

 

「ありがとう、最長老。そしてナメック星の皆。願いは遠慮なく、使わせてもらうわ」

 

 ナメック星人達が、思い思いに祝福の言葉を投げ掛ける中、最長老も、満足そうな顔で笑った。

 

(これでもう、思い残す事はありません。願わくば、現世を離れねばならない私の代わりに、このナメック星に永遠の平和を……)

 

 星全体に向けられた、まるで遺言のようなその言葉に、少女は頷いた。

 

「永遠は無理だけど、私が生きている間は、守ってあげる」

 

(おおっ! 勇者様!)

 

(勇者様万歳! 最長老万歳!)

 

(私達と勇者様とで、このナメック星に、永遠の平和を!)

 

 割れんばかりの歓声の中、照れくさそうに笑うナッツ。

 

 この後、ブルマが持ち込んだ地球への通信装置が、ナメック星に残される事になり、今後も様々な災厄から、彼女はこの星を救う事になる。そして遠い将来、豊かな自然を取り戻したナメック星に、悪でありながらも正しい事を為した超サイヤ人の伝説が、長く語られる事になるのだが、それはまた別の話だ。

 

 

 

 そして光り輝くポルンガを見上げながら、ナッツは父親に言った。

 

「父様、私も地獄へ行ってみたいです。父様と一緒に」

 

 ドラゴンボールに願うのなら、母様をこの場に呼ぶ事も、おそらくはできるのだろうけど。母様の他にも、父様が会って来たという、ナッパやラディッツや、お爺様や、カカロットの両親、そして他の大勢のサイヤ人達にも、会ってみたいと思ったのだ。

 

「わかった。いつでもいいぞ、ナッツ」

 

 少女は小さな胸の鼓動が、期待に高まるのを感じていた。とうとう母様と、また会えるのだ。母様が死んでしまってから、今までの出来事が、次々と心に浮かんでくる。

 

 少しでも戦闘力を高めるべく、がむしゃらに訓練と実戦を繰り返した事。地球で悟飯達と出会って戦った事。ナメック星人の子供を助けた事。ザーボンに捕まって脱走した事。ブルマ達と合流してボールを揃えた事。最長老に力を引き出してもらった事。ギニュー特戦隊と戦った事。父様が死んでしまった時、悟飯が元気づけてくれた事。

 

 そして最後のフリーザとの戦闘を含めて、本当にギリギリの、綱渡りの連続だった。思い返すと、どれ一つ欠けても、この結末には辿り着けなかっただろう。

 

「……苦労、しましたね」

 

「……そうだな。だがお前が頑張ったおかげで、オレ達はここにいる」

 

「父様が私を、助けてくれたおかげです」

 

 母様が死んだ時、もし父様がいてくれなければ、きっと私は、その場でおかしくなっていただろう。その後も、未熟な私を鍛え上げて、ずっと傍にいて、守ってくれたのだ。フリーザとの戦闘だって、怯えてばかりだった私と違い、父様は最後まで恐れず戦っていた。

 

 生まれてから今までずっと、父様は私の事を愛してくれた。だから私も、父様の事を愛している。

 

「今まで、ありがとうございます。二人で、また母様に会いに行きましょう? 父様」

 

「ああ。……お前はオレの、自慢の娘だ」

 

 言って父親は、優しい顔で娘の頭を撫でた。気持ち良さそうに、娘が目を細める。

 

 

 そしてナッツは、悟飯達の方を振り返った。ピッコロはどこかへ行ってしまっていたが、一緒に戦った、悟飯とカカロットと、クリリンがそこにいた。

 

 父様だけでなく、彼らもいてくれなければ、ここまで来れなかったのだ。心のままに、少女はこぼれるような笑顔で、感謝の言葉を告げる。

 

「皆、本当にありがとう。あなた達のおかげで、私も父様も、今とても、嬉しくて幸せなの」

 

 その笑顔に、悟飯は心が温かくなるのを感じて、そうして何故か自分まで、嬉しくて泣きそうになってしまった。

 

「ナッツ、その、おめでとう……。君が今、幸せそうで、本当に良かった」

 

 少女は彼のその優しさに、無性に心惹かれるのを感じた。反射的に腰から解けた尻尾を伸ばそうとしたが、父親の咳払いを耳にして、慌てて引っ込める。父様の見ている前では、止めておこうと思った。その代わりに、悟飯の両手を強く握る。

 

「悟飯、あなたには本当に、どれだけ感謝しても足りないわ。私が本当に辛い時、傍にいてくれたんだもの。あなたは私の最初で、そして一番の友達よ。これからも、ずっとよろしくね」

 

「うん! もちろんだよ、ナッツ」

 

 その返事に、ナッツの方も嬉しくなってしまう。これが終わったら、地球に住まわせてくれると、ブルマが言っていた。という事は、会いたくなった時に、悟飯といつでも会えるのだ。任務の関係で、住む星を転々としてきた彼女の感覚では、同じ星に住むのは、家が隣同士のようなものだった。

 

「地球で落ち着いたら、あなたの家に遊びに行くわ。また戦ったり遊んだり、話をしたり、おいしい物を食べたりしましょう? それで、たまには勉強なんかも、教えてね?」

 

 少年にとっても、ナッツは生まれて初めての、大切な友達だった。戦うのはあまり好きではないけれど、それで彼女が喜んでくれるのなら、付き合ってあげたいと思ったし、この子と一緒なら、きっと何をしても、楽しいだろうなと思った。

 

「いつでもいいよ。楽しみにしてるから」

 

 微笑む悟飯の後ろから、彼の父親が声を掛ける。

 

「ナッツ、うちに来る時は チチの料理も食ってくといいぞ。あいつの料理は、地球で一番うめえからな」

 

「地球で一番なの!?」

 

 一体どれだけおいしいのかと、思わず一瞬目の色を変えた少女が、気を取り直して、礼儀正しく頭を下げる。

 

「カカロット、あなたにも感謝してるわ。ギニュー隊長から助けてもらったし、あなたがいてくれなければ、フリーザは倒せなかった」

 

「オラ、別に大した事はしてねえぞ。オラの方こそ、父ちゃんと母ちゃんの仇を取ってくれて、感謝してえくらいだしな……そうだ!」

 

 そこで悟空は、明るく笑って言った。

 

「ナッツ。後でおめえと戦わせてくれよ。超サイヤ人って奴になるためのコツも聞きてえし」

 

 超サイヤ人に必要な条件は、穏やかな心と激しい怒りだ。きっとそれは、私達よりも、カカロットの方が向いているはずだけど。

 

「それはもちろん、望むところよ。コツだって隠さず教えてあげる。けど、先に超サイヤ人になるのは、きっと私の父様よ」

 

 少女の言葉に、父親も自慢げに胸を張る。 

 

「そうだな。何せオレは、既に一度、超サイヤ人の力に目覚めた事があるからな。カカロット、残念だが今回は、貴様に負けるつもりはないぞ?」

 

 悟空はそれを聞いて、いっそう楽しそうな笑みを浮かべた。競い合って強くなる相手がいる事は、彼にとっての喜びだった。

 

「じゃあ、どちらが先に超サイヤ人になれるか、競争でもすっか!」

 

「望む所だ、カカロット!」

 

 そしてこちらもどこか嬉しそうな父親の姿を、娘はとても、幸せな気持ちで見つめていた。

 

 余談だが、この後超サイヤ人への変身を維持できるようになったのは、ベジータの方が先だった。彼はその日は悟空をボコボコにして高笑いしていたが、その翌日、悟空がしれっと金髪になって来たのを見て、わなわなと拳を震わせながらも、ライバルと認めた相手がすぐさま自分に追い付いてきた事を、内心誇らしく思っていたのは、また別の話だ。

 

「あと、地獄へ行くなら、オラの父ちゃんと母ちゃんにも、よろしく言っておいてくれ」

 

「……カカロットは、お父様とお母様に、会いに行かなくていいの?」

 

 もちろん悟空も、両親に会いたかったし、死なせてしまったラディッツも一緒に、改めて親子で話をしたかったけど。彼は占いババの力で、あの世の祖父と再会できた事を思い出す。今回もそれで何とかなると、確信にも似た直感があった。

 

 そして実際、その直感は正しかった。罪の無い人間を殺し過ぎたナッツではなく、善行を積み重ねてきた悟空が自身の家族に会いたいと望むのなら、地獄の悪人だろうと、現世に呼ぶ事は可能だった。

 

「オラには別の方法で、会えるあてがあるんだ。それにいくら神龍だからって、そう何人もあの世に送るのは無理なんじゃねえかな?」

 

「そ、そうなの……?」

 

 少女はその言葉に、戸惑ってしまうが、ピッコロ大魔王やサイヤ人を倒せなかった神龍の力に限界がある事を、悟空はよく理解していた。

 

「ナッツの願いが叶うかどうか、神龍に確認してみてくれねえか?」

 

「は、はい……」

 

 声を掛けられたナメック星人の子供が、ポルンガに確認すると、すぐに返事が帰って来た。

 

『その願いは叶える事ができる。ただし、一度に行けるのは2人、滞在時間は1日までだ。それ以上は、私の力を超えている』

 

「だってよ。だからオラはいいや。ベジータと二人で行ってこいよ」

 

「わかったわ。カカロットがとても強くて立派になってたって、あなたのご両親に、伝えてきてあげる」

 

「ありがとな。それとさ……」

 

 言いにくそうに、悟空は口ごもる。その珍しい様子に、ナッツは首を傾げた。

 

「どうしたの? カカロット」

 

「……ラディッツ、オラの兄ちゃんにも、死なせちゃって悪かったって、言っておいてくれねえかな?」

 

 ナッツはそれで、理解する。確かにそれは、ちょっとばかり気まずいだろう。ラディッツは強情な所があったから、きっと今頃、地獄で彼を恨んでいるかもしれない。

 

 けど、同じ親から生まれた兄弟なのだから、いつまでも喧嘩しているなんて良くない事だ。ご両親だって、きっと悲しんでいるだろう。

 

「いいわよ。ラディッツの事も、私に任せておいて。あなたと仲直りできるよう、私が取り持ってあげるから……っ!?」

 

 わしゃわしゃと、悟空は思わず少女の頭を、力強く撫でていた。  

 

「な、何するの!?」

 

 目を白黒させる少女に向けて、悟空は満面の笑みを見せていた。

 

「おめえ、本当に良い子だな、ナッツ。兄ちゃんの事も、よろしく頼んだぞ」

 

 

 

 それからナッツは、残ったクリリンの方を見た。

 

「あー、何というか、その、良かったな。ナッツ」

 

 彼の姿は、未だ彼女との距離を、測りかねているかのように見えた。一方ナッツの方は、戦いに向いているとは、お世辞にも言えない地球人のクリリンが、戦闘力に何千倍もの差があるフリーザから、逃げずに勇敢に戦って、一定の貢献まで果たした事に、敬意のようなものを覚えていた。

 

 強敵相手だろうと、臆せず戦いに挑む事は、まさに彼女達サイヤ人が、美徳とする行いだからだ。

 

「ええ。ありがとう、クリリン。あなたはきっと地球人の中で、一番の戦士よ」

 

 にっこりと笑うナッツ。それが彼女にとって、最高の褒め言葉である事は、その雰囲気でわかった。

 

 少女が持つ悪の気は、まだ健在だけれども、クリリンはそれを恐ろしいとは、もう思えなくなっていた。これまでの事や、最長老、悟飯に悟空とのやり取りを見て、彼女という人間を、少し理解できたような気がした。

 

 ナッツは凶悪で冷酷なサイヤ人で、そして親想いで、身内と認めた人間には、とても優しい子供なのだ。

 

「早く行ってこいよ。きっとお袋さんも、お前の事を待っててくれてるはずだからさ」

 

「ええ、そうさせてもらうわ」

 

(フン、そのまま帰って来なくてもいいぞ。悟飯の事はオレに任せろ)

 

「ピッコロさん!?」

 

 唐突に攻撃的な念話を送ってきたピッコロに、ナッツはどこか、親近感を覚えていた。ぶっきらぼうだけど、この人もきっと、悟飯の事が大好きなのだと思った。

 

「駄目よ。大事な尻尾を切るような奴に、悟飯を任せておけないわ」

 

(くっ……! あ、あれは、サイヤ人がそんなに尻尾を大事にしていると、知らなかっただけだ!)

 

 念話でも判る悔しげな反応に、少女はくすりと笑う。

 

「私は純血のサイヤ人で、悟飯と半分、同じ種族なんだから。ナメック星人のあなたよりは、彼の事について詳しいわ」

 

(ぐぬぬ……!)

 

「教えておいてあげる。尻尾を切られると死ぬほど痛いし、次にいつ生えてくるか判らないのよ?」

 

 嗜虐的な顔でそう言ったナッツの肩に、悟飯が手を置いた。

 

「駄目だよ、ナッツ。ピッコロさんをいじめないで」

 

 真剣な顔で見つめられて、少女はたじろいでしまう。

 

「い、いじめるとか、そんなつもりじゃなかったのよ?」

 

「仲良くしてくれると、嬉しいな。ボクにとっては、二人とも大事な人だから」

 

 しゅんとなったナッツは、その場で深々と頭を下げて謝罪した。

 

「……ごめんなさい」

 

(……サイヤ人、これからは、あまり調子に乗るんじゃないぞ)

 

 ピッコロはまだ言い返し足りなかったが、彼女のように、悟飯に怒られるのが怖かったので、それで手打ちにする事にした。

 

 

 

 最後に、少女はナメック星人の子供を見て言った。

 

「私の言葉をナメック語に直して、あの龍に伝えてくれる?」

 

「はい、勇者様! 喜んで!」

 

 そしてナッツは、光り輝くポルンガを見上げて、ゆっくりと、自らの願いを口にした。

 

「私を地獄に連れて行って、母様に会わせて。父様も一緒によ」

 

 望むのは、それだけだった。ナメック星人の子供が、その言葉を翻訳する。

 

『了解した。ではその娘と父親を、1日だけ、地獄にいる母親の元へ移動させる』 

 

 次の瞬間、ナッツとベジータの姿が、その場から消失した。

 

 それを見守っていた全員が、彼らの幸せを祈っていた。

 

 

 

 

 地獄へと転移したナッツ達の前に、彼女の母親が立っていた。

 

 少女と揃いの、黒い戦闘服に、ボリュームのある長い髪。今のナッツを、そのまま大人にしたような外見だったが、儚げで、少し陰のある雰囲気を纏っていた。

 

 3年前に死に別れた時の母様と、全く同じ姿だった。

 

「あ……あ……」

 

 そこにいる事が、まだ信じられなくて、ふらふらと、少女は足を前に進める。母様に、ずっと会いたかった。一人で星を全滅させた私を、立派になったと、あの日からずっと、褒めて欲しかった。

 

「……ナッツ!!!」

 

 母親が、娘の方へと走り出す。それを見た娘も駆けだして、瞬く間に、二人の距離がゼロになる。

 

「母様……母様あああああ!!!!!!」

 

 強く抱き締めてくれた、その身体は、確かに温かかった。綺麗な顔を歪めて、私を見て、ぼろぼろと涙をこぼしていた。どちらからともなく、互いの尻尾を、強く絡め合う。

 

「母様!! わたしっ、一人で、ほしをっ! 大して……強い、せんしも、いなくて、ぶじに、けがもなく……っ!!」

 

「よく、頑張って……っ! ナッツ、あなたは、とても、りっぱで……わたしの、わたしのっ!!」

 

 嬉しさで溢れ出す涙で、溺れてしまいそうだった。縋り付いて叫ぶ私に、母様も頷きながら、涙でくしゃくしゃの声で返事を返してくれた。ようやく母様に、任務の成功を報告して、褒めてもらう事ができたのだと、その事実が何よりも嬉しかった。

 

 母様の言葉は、3年前に聞けなかった言葉だった。ずっと聞きたかった言葉だった。幸せすぎて、一生このままでいたいと思った。

 

 涙に顔を濡らした少女が、母親の腕の中で目を閉じる。その身体の温もりが、ひび割れた少女の心に、優しく心地良く染み渡っていく。

 

 母様を失ってから、今まで感じた悲しい思いの全てが、この瞬間、全て喜びへと変わって、一度に押し寄せたかのようだった。

 

「……母様」

 

「なぁに、ナッツ」

 

 幼子のような顔で、まだ母親が生きていた頃と同じ顔で、娘は微笑んだ。

 

 

 

 わたし、いまとても、しあわせです

 

 

 

「……っ!!」

 

 娘の懐かしい笑顔に、母親は、雷に打たれたように身体を震わせて、再び涙を流した。

 

「……ナッツ、あなたを置いて行ってしまって、本当に、ごめんなさい」

 

「大丈夫です。母様、私、フリーザを倒したんですよ。……私一人の力じゃないですけど、それでもあの日より、ずっと強くなって、友達もできたんです」

 

 母親を安心させるかのように、娘は落ち着いた声で言った。そこで彼女は、腕の中の娘が、3年前に別れた時よりも、ずっと大きく成長している事に気付く。背丈だけではなく、元から早熟気味だった、その内面もさらに大人びていた。

 

「ナッツ、あなたは、とても立派に成長したわ。私とお父様の、自慢の娘よ」

 

 母親は愛しい娘を、いっそう強く抱き締める。その上からさらに父親が、娘ごと二人を抱き締めた。

 

 再会し、寄り添い合う親子三人に、それ以上の言葉はいらなかった。

 

 

 

 

 母親を亡くした少女が、父親と共に仇を取り、また母親と再会した。

 

 あるサイヤ人の少女の物語の、その結末がここにあった。




True End "彼女が願いを叶える話"


 当初予定していた本編は、これで一応完結しました。この後はエピローグで地獄の話とか、ナッツが地球に戻ってからの話とか、フリーザ様達の話とかやります。

 それが終わったら、しばらく休んで話を考えてから、セル編行こうと思います。感想欄の方でも書きましたが、ナメック星編ほど長くはならず、ややダイジェスト気味になる予定です。

 
 それと評価、感想、お気に入り、誤字報告などありがとうございました。

 高評価をもらってランキングに載るのも、感想で面白かったと言ってもらえるのも嬉しくて励みになってたんですけど、今回はお気に入りが1000件を超えたのが色々衝撃的でした。

 ヒャッハー! お気に入り1000件だー! 食料もたっぷり持ってやがったぜ! って作者の中のモヒカン共が大はしゃぎしてました。何ですか食料って。

 ベジータに前妻がいたり悪い主人公が原作キャラを容赦なくボコったりする、お世辞にも万人向けとは言えないこの物語を気に入ってくれた方がこんなにいてくれた事が本当に嬉しいです。

 一応完結を迎えて、今後は更新ペースがややのんびりになるかもしれませんが、次の話を気長にお待ちくださいませ。

 

【悟飯とナッツについて】

 ラブコメ見たいという感想が多かったり、二人で食事したり戦闘服着たりする回が評価高かったりしたのですが、実は当初の予定では、ここまで仲の良い感じではなかったのです。ナッツは今より悪い感じで尻尾を切られた事を根に持ってたりで、悟飯の方も怖がってナッツをさん付けで呼んでました。

 けどサイヤ人編の5話を書いてた頃に、もっと長くした方が良いという感想を頂きまして、二人の会話を加筆してたら筆が乗って一気に雰囲気変わった感じですね。とうとうオリキャラ×悟飯のタグまで追加する事になりました。

 作者としても、今の関係の方が書いてて楽しいので、今後も色々やっていきたいと思います。セル編には精神と時の部屋で急成長とかブチ切れ悟飯に夢中のナッツとか、描きたいシーンが結構あるので楽しみなのです。


【最長老】

Q.最終話なのに最長老推し強過ぎじゃね?
A.最長老が可哀想だよねぇ……! と作者の中の刃皇関がぼろぼろ泣いた結果です。 

 異常気象でただ一人生き残って、荒れ果てた故郷を子供達と数百年掛けて復興したら、寿命間際でやってきた悪党に子供全員殺されて復興させた星も吹っ飛ばされるって悲惨ってレベルじゃないと思うのです……。

 原作では界王様の機転で子供達の大半は復活できましたけど、それでも「ナメック星人に永遠の平和を……」って遺言には最長老の無念を感じました。そこは「ナメック星に永遠の平和を」って言いたかっただろうなと。なので言ってもらいました。

 過去のナメック星人達が異常気象に対してドラゴンボールを使わなかった理由は、作者の想像です。運悪く作った人がいきなり死んでしまったり、ボール自体が壊れたりして使えなかった可能性もあると思います。あるいは大穴で、実はナメック星が滅んだ原因は、異常気象ではなかったとか……?(ぐうたら寝ている破壊神の方を見ながら)


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エピローグ1.彼女が地獄を巡る話
1.彼女が母に甘える話


 地獄というのは、基本的に殺風景だ。それも当然で、生前に悪事を犯した者が罪を償う場所なのだから、あまり快適では意味が無い。

 

 けれども、ようやく母親と再会できた娘にとっては、岩と荒野ばかりのその風景が、どんな楽園よりも素晴らしい場所に見えていた。

 

 大きな岩に背を預けて地面に座る母親が、幸せそうに頬を緩めながら、娘を後ろから抱きかかえている。戦闘服の上からでも感じられる、母親の柔らかな胸に頭を預けて、彼女とよく似た娘もまた、同じ表情をしていた。

 

 母親と肩を寄せ合って座る彼女の父親も、昔の彼を知らない者が見れば驚くほどに、心の底から安らいだ、穏やかな顔をしていた。それはまるで灼熱の砂漠をずっと彷徨っていた旅人が、ようやくオアシスに巡り会えたかのようだった。

 

 そんな三人の様子を、遠くから戦闘服を着た大勢のサイヤ人達が興味深そうに見ていたけれど、近付こうとする彼らを、やはり戦闘服の上から、赤いマントを身に着けた男性が、両手を広げて止めていた。せっかく久しぶりに会えたのだから、ゆっくり話をさせてやれとでも言っているのか、時折叫ぶ声が聞こえていた。

 

 遠目に映る彼の姿に、父親は眩しいものを見るような顔で言った。

 

「……後で、会いにいかないとな」 

 

「父様、お知り合いの方ですか?」

 

「ナッツも知っている方よ。近くでお顔を見れば、すぐにわかるわ」

 

「?」

 

 不思議がる娘の顔を見て、二人はくすくすと笑った。

 

 

 それからしばしの時間が経過して。

 

 久しぶりに母親と会えた娘は、今までにあった出来事の数々を、嬉しそうに話していた。その内容は、主に地球で出会った少年のことだった。

 

 生まれて初めて見た、自分と同じサイヤ人の血を引く子供。最初は気弱で大した事が無い奴だと思っていたけど、そんな彼が自分と渡り合えるほど強いと知ってからは、目が離せなくなっていた。

 

「母様! それで、私が奴らを皆殺しにしようとした時、悟飯に尻尾が生えて、大猿に変身し始めたんです! とっても強くて格好良くて、私、スカウターが爆発するまでずっと見てました!」

 

「……うん、目を悪くすると危ないから、次はちゃんと外さないと駄目よ?」

 

「はい、母様!」

 

 当然、この時の悟飯は戦闘服など着ておらず、着ていた服は全て破れていたのだが、戦場育ちで羞恥心に欠けるナッツは、全く気にしてはいなかったし、母親の方も、そんな事より娘の身体の方が心配だった。

 

「尻尾の無いサイヤ人なんて、その気になればいつでも倒せるって思ってたんですけど、まるで私と戦う為に、尻尾を生やしてくれたみたいで、凄く嬉しかったんです」

 

 楽しそうに語る娘が、ふと尻尾を失ったままの父親を見て、慌てて訂正する。

 

「あ、父様は違いますからね!? 尻尾が無くても最強のサイヤ人ですし、きっとすぐ生えてきますから!」

 

 父親は、小さく笑って娘の頭を撫でる。

 

「大丈夫だ。オレは気にしていない」

 

 実際に、今のベジータには、それほど尻尾に対する執着は無かった。ナメック星で再会した時、カカロットは尻尾が無くともギニュー隊長を圧倒するほどの戦闘力を持ち、フリーザとも渡り合って見せたのだ。

 

 大猿への変身は、自身の生まれ持った実力で、地球でカカロットに対してそれを振るった事も、特に後ろめたいとは思っていないのだが。できるなら、次は同じ条件で戦って、その上で勝ちたいと思っていた。

 

 ただ、尻尾を固く絡め合っている妻と娘を見て、自分がそれをできないのは、残念だと思った。

 

 

 それからナッツは、悟飯との戦いがいかに素晴らしかったかを、熱を込めて語った。娘があの時、今も傷跡が残る大怪我をした事を思い出し、父親がその頭を撫でながら言った。

 

「……お前が死んでしまうかと、オレは心配したんだからな」

 

「……ごめんなさい、父様」

 

 俯きながらも、もしまた悟飯と本気で戦う機会があるのなら、自分は命を懸ける事も躊躇しないだろうと、ナッツは思っていた。戦闘民族の、それも王族の血を引く少女にとって、自分が認めた相手と戦う事は、何にも勝る喜びだった。  

 

 父親の方も、同じサイヤ人として、その気持ちは理解していたから、止めろとはあえて言わなかった。母親は無言のまま、娘を抱く両腕に、なおいっそうの力を込めた。

 

 

 やがてナッツの話は、ナメック星での出来事に移る。キュイが乗ったポッドを撃墜した時の様子を面白おかしく娘が語り、母親がくすくすと笑う。

 

「そういえば、キュイも地獄にいるんでしょうか?」

 

「来ていたわよ。またお父様の悪口を言っていたから、私が半殺しにしておいたわ」

 

「さすが母様です!」

 

 涼しい顔で言い放つ母親を、娘が尊敬の眼差しで見つめる。地獄では殺しはご法度だが、悪人同士の喧嘩程度は日常茶飯事で、鬼達もいちいちそれを咎めたりはしないのだ。

 

「母様、ドドリアもやったんですか? まだでしたら、私も一緒に……」

 

 フリーザの命令で、行かなければ私を殺すと、母様に危険な任務を強要したのはドドリアだ。父様と私で殺したけど、あんな奴、何度殺したって飽き足らない。

 

「やるならオレも付き合うぞ?」

 

「……いえ、ちょっとやり過ぎて、止められてしまいまして。奴は当分、ベッドから起き上がれないと思います」

 

「母様、何をしたんですか?」

 

「パワーボールを、ちょっとね。使わなくても倒せたんだけど、頭に血が上って、つい、ね」

 

 ナッツは目を輝かせた。病弱だった母親が戦場に出る事は稀だったが、大猿に変身して、圧倒的な戦闘力で戦場を蹂躙するその勇姿は、今でも彼女の憧れだった。

 

「私も見てみたかったです! そうだ! 私も月を作れるようになりましたから、二人でちょっと変身して、その辺で暴れ回ってきませんか?」

 

 小さかった頃と違って、今の自分は完全に理性を保てるのだ。母様と二人で、衝動の赴くまま、目についた全てを破壊するのは、きっと凄く楽しいだろうと思った。本当は父様も一緒なら、さらに最高なのだけど。

 

「……それが、他のサイヤ人達も皆変身して、地獄全体が大変な事になって、凄く怒られてしまったの。見境なく暴れるなんて、マナー違反だろうってね」

 

「マナー違反なら、仕方ないですね……」

 

 その光景も、凄く見てみたかったけど。確かに大猿になって理性を保つのはとても大変で、下級戦士はもちろん、エリート戦士でも全員ができるわけではなかったという。そんな彼らが一斉に変身してしまったら、何が起こるかは想像に難くない。

 

「それは、よく地獄が無事だったな……」

 

「あの世には、死んでしまった後も訓練を続ける達人が大勢いまして、私も含めて、片っ端から叩きのめされてしまったんです……けど、次は絶対負けませんから!」

 

「頑張ってください! 母様!」

 

 気炎を上げる二人を見て、そういう問題なのかと父親は思ったが、彼としても、サイヤ人がそんな連中に負けたというのは面白くなかったし、拳を握り締める彼女の姿が、とても微笑ましかったので黙っていた。

 

「……待て。キュイもドドリアも来たのなら、フリーザの奴も、そのうち来るんじゃないか?」

 

「私達も、それを警戒してましたけど、全然来ないんです。もしかしたら、別の所で罰を受けているのかもしれません」

 

 彼女によると、あまりに力が強く、暴れる恐れのある悪人は、厳重に隔離された上で、拘束などの処置をされる事があるという。それにあの世の戦士の中には、フリーザをも超える戦闘力を持つ者もいて、どちらにせよ、フリーザといえど、地獄では好き勝手にできないという事だった。

 

「……良かったです。またフリーザが来たら、私と父様だけでは、勝つのは難しいでしょうから」

 

 俯く娘の頭を、父親が優しく撫でた。

 

「大丈夫だ、ナッツ。オレもすぐに超サイヤ人になってやる。フリーザの野郎には、借りを返せていないからな。もしまた来やがったら、何度だってオレがぶちのめしてやる」

 

「父様、頼もしいです……!」

 

「ベジータ様……!」

 

 尊敬の目で彼を見つめる二人を見て、父親は照れくさそうに言った。

 

「で、どうすれば超サイヤ人になれるんだ?」

 

「はい、穏やかな心と、激しい怒りが条件のようです」

 

 それを聞いて、父親は困惑する。自分もフリーザとの戦いで、一瞬超サイヤ人になりかけた時の感覚から、後者の条件は、薄々理解していたが。 

 

「お、穏やかな心だと……?」

 

「はい。私も自分にそんなものがあるはずないって、不思議に思ってたんですけど……きっと父様と母様が、私の事を愛してくれたからだと思うんです。それと、悟飯も……」

 

 戦いよりも勉強が好きな、おかしなサイヤ人の少年。彼の傍にいると、何故だか自分まで、優しくて穏やかな気持ちになれたのだ。母様が死んでしまってから、冷たく荒みきっていた心を、太陽みたいに温かく照らしてくれて、あの頃は幸せだったのだと、思い出させてくれたのだ。

 

 少年を想って微笑む娘を見た父親は、わけのわからない苛立ちに、ぎりぎりと歯を食いしばる。そして母親は、どこか嬉しそうに言った。

 

 

「ナッツ、あなた、彼の事が好きなの?」

 

 

 思わず目を剥く父親をよそに、娘は笑顔で応える。

 

「はい、この宇宙で一番、大切な友達です!」

 

 ブルマから習った言葉。それ以上に強い親愛の表現を、彼女は知らなかった。夫婦という言葉もあるけれど、それは大人同士で使う言葉だから、いくらなんでもまだ早いだろう。

 

「そう……なら、教えておきたい事があるわ」

 

「何でしょう、母様?」

 

 真剣な様子の母親に、娘も思わず、居住まいを正す。

 

「ナッツ、あなたの一番の魅力は、何だと思う?」

 

「? それはもちろん、戦闘力です」

 

 サイヤ人にとっては、それが常識だった。男も女も、より強い相手を魅力的だと考える傾向が強い。そうして父様と母様のように、高い戦闘力を持つ者同士が夫婦になって、私のように、強い子供ができるのだ。

 

 戦闘民族として、とても理に叶った仕組みだと、そう思っていた娘に、母親が告げる。

 

「そうね、私ももちろん、そう思うけど、サイヤ人以外の人間にとっては、そうじゃないらしいの。彼らは戦闘力よりも、見た目の良しあしとか、女子力というのを重視するらしいわ」

 

 見た目というのは判る。サイヤ人にとっては、あまり褒め言葉ではないけれど、母様はとても綺麗な顔をしているし、私はよく似ていると言われるから、そちらは問題ないのだろうけど。

 

「女子力って何ですか……? 昔、母様が言っていた事が、あるような気がしますけど」

 

 確かあの時は、母様がエネルギー波でキッチンを破壊していたけれど、ひょっとすると、あれが女子力とやらを上げるための、訓練だったのだろうか。

 

「私も本で読んだだけなのだけど、おいしい料理を作れるとか、ヒヨコが可哀想で卵を食べられないと思うとか、そういった力で相手にアピールするらしいの」

 

「けど母様、卵はおいしいですよね……」

 

「卵はおいしいわね……」

 

 基本的に卵というのは、栄養が詰まっていてとてもおいしい。滅多に見つからないけど、大きな恐竜の卵とか、肉とはまた違った風味のあるご馳走だった。

 

 そうとしか思えない事に、少女はがっかりしてしまう。それに自分は料理と言えば、動物を捕まえて焼く事しかできないが、地球にはそれとは比べ物にならないほどに、おいしい料理がいっぱいある。

 

 戦闘力なら15万ほどあって、それなりに自信があったのだけど、地球人からすれば、女子力たったの5なの? ゴミね……とか言われてしまうのだろうか。

 

 そこで、少女の脳裏に、天啓が走った。女子力という言葉は、戦闘力と響きが似ている。自分の尻尾を見せながら、ナッツは母親に言った。

 

「母様! 満月を見たら、10倍になったりしないでしょうか?」

 

「! 検討の余地はあるわね……!」

 

 10倍なら流石に、そこいらの人間に負けたりはしないだろうと、明るい顔で語り合う母親と娘。その話の内容を、父親はよく理解できないまでも、微笑ましい気持ちで見守っていた。 

 

 後日、満月と女子力についてブルマに確認したナッツが、100分の1になるから止めなさいと言われてしまって、減っちゃうの!? と凹む事になるのだが、それはまた別の話だ。




 地獄の話は、全部で4話くらいになる予定です。
 最初は母親のリーファさんで、次から他の人達も出ます。

 続きはのんびり投稿していきますので、気長にお待ちください。


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2.彼女が母を見守る話(前編)

 女子力の話をしていた母親が、ふと娘に言った。

 

「そういえばナッツ、あなたが地球の料理を食べる所を見ていたのだけど……凄い食欲だったわね。そんなにおいしかったの?」

 

 満面の笑みで、娘は応える。

 

「はい、母様! どの料理も信じられないくらいおいしくて、食後のデザートも凄かったです!」

 

「そう……良かったわね」

 

 微笑んで娘の頭を撫でる母親の顔に、自分も食べてみたかったと、わずかな未練を見て取って、しまった、とナッツは思ってしまう。

 

(ドラゴンボールでも生き返れなかった母様に、地球の料理を食べれられる機会なんて、もう無いのに……!)

 

 そんな二人の様子を見て、父親が言った。 

 

「リーファ、いつか、オレが作って食わせてやる」

 

「えっ……?」

 

「父様も女子力を……?」

 

「違う。だがオレもこの後、ナッツと地球に住む予定だからな。そこで料理の作り方を学んで、オレがまたここに来る時、お前に好きなだけ食わせてやる。……いつになるか、わからんがな」

 

 ぶっきらぼうなその言葉に、母親は泣きそうな顔で笑った。

 

「嬉しいです。ベジータ様……!」

 

 自分が母親に、してあげられる事を見つけた娘も、縋り付いて叫ぶ。

 

「母様! その時は私もお手伝いします! いつか私が食べたのよりもおいしい料理を、作れるようになりますから!」

 

「ええ、ナッツもありがとう。優しい娘を持って、私は本当に幸せだわ」

 

 母親に強く抱き締められながら、娘は猫がするように、柔らかなその胸に、嬉しそうに頭を擦り付けた。

 

「……けど、焦らないでいいですからね? 刑期は当分ありますし、私はずっと待ってますから」

 

「はい、母様!」

 

「大丈夫だ。もうお前やナッツを悲しませないよう、オレはもっと強くなってやる」

 

 その言葉に、リーファは思わずぱたぱたと、微笑みながら尻尾を振っていた。

 

「ええ、それでこそ、私の大好きな、ベジータ様です」

 

「……っ!?」

 

 真っ赤になった顔を逸らしながら、父親は続ける。

 

「……ほ、他に何か、お前にしてやれる事はないか? ここにいられるのは1日だけだが、オレにできる事なら、何でもしてやる」 

 

「何でも、聞いて下さるんですか?」

 

「ああ、何でも言ってくれ」

 

 そこで彼女は、にっこりと、花が咲くような笑みを浮かべた。

 

「では、ベジータ様と、また戦ってみたいです。出会った時と同じように。それがずっと、私の夢でしたから」

 

 

 父様と母様の馴れ初めは、聞いた事がある。惑星ベジータで生まれた母様は、生まれつき高い戦闘力を持ったエリート戦士候補だったけど、保育ポッドから出てすぐに、病気で長時間は戦えない事が判明して、整備員見習いの仕事に回されていた。それはご両親が、母様を思っての事だったけど、母様はずっと、戦士として戦いたいと思っていたのだ。

 

 そしてある日、遠征から帰って来た父様が、偶然スカウターのスイッチを切り忘れて、母様の戦闘力に気付いて興味を持ち、その場で半ば強引に戦いを挑んだのだ。二人とも子供離れした戦闘力を持っていて、互いの全てをぶつけ合うような激しい戦いは、とても楽しかったそうなのだけど。

 

 父様が、懐かしいものを見るような、遠い目をして口を開く。

 

「……あの時は、途中でお前が倒れてしまったんだったな」

 

 夜のような、黒い瞳の少女。血を吐いて、もがき苦しみながら、それでも、もっと戦わせて欲しいと、泣きながらこちらに手を伸ばしていた。その手に心を、掴まれてしまっていた。駆けつけた大人達に彼女が運ばれていくのを、ただ茫然と眺めていた。

 

 そして今、すっかり成長した彼女が、同じ瞳で嬉しそうにこちらを見つめている。

 

「ええ。それでベジータ様はすぐ見舞いに来て下さって。その次の日に、王様から直々の命令で、王子の部隊に入れと言われた時は、本当にびっくりしました」

 

「お前の身体を心配していた両親には、済まない事をした」

 

「いえ、こちらで会った時、喜んでいましたよ。惑星ベジータの崩壊を生き延びたばかりか、可愛い孫の顔まで見る事ができたって」

 

「ならいいが……本当に今のオレと戦う気か?」

 

 難しい顔をしている父親と、同じ事をナッツも考えていた。父様の戦闘力は、今や300万はあるのだ。昔の母様は、調子の良い時なら、父様にも匹敵する強さで、死んでから病気が治ったとは聞いているけれど、それでも今感じられる戦闘力は3万程度に過ぎない。

 

 たとえ母様が大猿になっても、まだ10倍もの差がある計算だ。もちろん父様は手加減するだろうけど、力加減を間違ったら、きっと大変な事になってしまう。それに、そんな力を抑えた父様と戦って、母様は満足できるのだろうか。

 

「もちろん、お前がそれを望むのなら、オレは戦ってやる。だが、お前のためにも、なるべく手加減はしたくない。……本当に、良いんだな?」

 

「相変わらず、お優しいですね。ベジータ様は……」

 

 母親の表情の変化に、ナッツは戸惑ってしまう。それは確かに笑顔だったけど、今までと全く違う、好戦的で獰猛な、戦闘民族の笑みだった。

 

「か、母様……?」

 

「離れてなさい、ナッツ」

 

 纏う雰囲気も、剣呑なものへと変化していた。娘がおずおずとその膝から離れ、ゆっくりと母親が立ち上がる。父親は半ば反射的に、その場を飛び離れて身構える。

 

「はああああああっ!!!」

 

 次の瞬間、気合いの声と共に、彼女の戦闘力が爆発的に増大した。

 

 

 

 叫ぶ母親を中心に渦巻く凄まじい大気の奔流に、ナッツは吹き飛ばされそうになりながらも、目の前で起こっている現象を、驚愕の顔で見つめていた。

 

「か、母様の戦闘力が!? 200万……240万……まだ上がってる!?」

 

 ベジータは驚きつつも、その口元に思わず笑みを浮かべていた。

 

「病気は治ったと聞いていたが、ここまでとはな……!」

 

 そして10秒ほどが経過したところで、全身を包むオーラが安定し、彼女は小さく息をつく。限界まで上昇させたその戦闘力は、およそ300万にまで達していた。

 

 既に臨戦態勢といった様子で、全身から戦意を発散しながら、リーファは彼に向けて微笑んだ。  

 

「戦闘力のコントロールは、ちょっと難しいですね。ベジータ様とナッツがやっているのを見て、真似してみたんですけど」

 

 面白そうに、彼も不敵な笑みを返した。

 

「何、見様見真似にしては上出来だ。もう少し訓練すれば、一瞬でそこまで上げられるようになる。……こんな風にな」

 

 言葉と共に、ベジータは戦闘力を限界まで跳ね上げる。その自然な気の操作は、既に地球の戦士達と、遜色無い域に達していた。

 

「流石です、ベジータ様」  

 

「お前もな。どうやってそこまで戦闘力を上げた?」

 

「3年前に死んでから、身体が軽くなった事に気付きまして。最初の頃は、寂しさを紛らわせるために訓練をしていたんですけど、いくらでも身体が動いて、だんだん楽しくなってきたんです。先程もお伝えしたように、ここには過去に死んだ達人も大勢いましたし、彼らにも付き合ってもらって、思う存分鍛える事ができました」

 

 生き生きとした様子の母親を見て、ナッツも嬉しくなってしまう。母様は、全力で動くとすぐに苦しくなってしまうからって、昔はろくに訓練もできていなかったはずだ。

 

 一方、父親の方は渋面になってしまう。地道な訓練で鍛えたという事は、つまり彼が数日前にナメック星に到着した時点で、既にここまで戦闘力を上げていたという事だ。確かに今は互角ではあるが。

 

「……オレの方は、少し前まで戦闘力2万にもなっていなかった。がっかりさせてしまったんじゃないか?」

 

 その言葉に、リーファはきょとんとした顔になった。

 

「いいえ。ベジータ様なら、すぐにこのくらい強くなるって、信じてましたから。実際、あっという間に追い付いて来て下さって、本当に嬉しかったです」

 

 嬉しそうに笑う彼女の、腰に巻かれた尻尾を見る。変身しなくてもドドリアに勝てたとは、確かに言っていたが。

 

 彼自身もドドリアには思う所があったし、実際怒りのままに殺しもしたが、流石に戦闘力3000万に襲われたと聞いては、同情を禁じ得なかった。

 

「……ドドリアの奴、とんだ災難だったな」

 

「あのくらい当然ですよ。あんな事さえなければ、死ぬ前にベジータ様やナッツに、せめてお別れが言えたのに。あんなに悲しませる事は無かったかもしれないのに。楽しみすぎて邪魔されて、結局殺せなかったのは、少し心残りですけど」

 

 その時リーファが見せた表情は、サイヤ人本来の凶暴性と冷酷さと、家族へ対する深い愛情が入り混じった、凄絶なものだった。滅多に見られない母親の一面に、感極まった娘が叫ぶ。

 

「母様、格好良いです……!!」

 

 

 その頃、離れた場所で、包帯で全身を覆われて入院中のドドリアが、大きなくしゃみをしていた。

 

 枕元にはフリーザ軍一同よりとカードが添えられた果物カゴが置かれており、見舞いに来たザーボンが、器用な手つきでリンゴをウサギの形に剥いていた。

 

 

 母親の見せた戦闘力と、サイヤ人らしい言動に、尊敬の眼差しを向けていた娘が、ふとある事に気付いて青ざめる。父親の尻尾は、まだ生えてきていない。

 

(これって、父様の方が危険じゃないの……!?)

 

「と、父様! 早く超サイヤ人になってください! 激しい怒りです!」

 

「そう言われてもな……!」

 

 父親の方も、そうでもしなければ不利だと気付いてはいたが。目の前に、ずっと会いたかった妻がいて、宇宙一可愛い娘もいて、フリーザも死んだのだ。

 

「こんな状況で、怒れるはずがないだろう……!!」

 

 顔が綻ぶのを、抑えきれないといった様子の彼を見て、リーファはくすりと笑う。

 

「尻尾なんて、使いませんとも。私はただ、あの日の続きをしたいだけ」

 

 あれから何度か戦ったけど、結果はいつも同じだった。全力を出そうとしても、身体の方がついてこなかった。諦めきれず、ずっともどかしい思いをしていたけれど、手が届かないと思っていたけれど、今ならば。

 

 

「あなたとまた戦いたくて、私も強くなりました。どうかまた、私と戦って下さいませんか、ベジータ様」

 

 

 まるで舞踏会で、ダンスでも申し込むかのように、差し伸べられた手を、彼は強く握り締める。

 

「望む所だ。オレの方もずっと、お前とこうしたいと思っていた……!」

 

 そして二人同時に、空いた手を互いに向ける。その手に収束させたエネルギーの光に照らされながら、二人の顔に、不敵な笑みが浮かぶ。

 

「では、始めましょうか? 私、もう、我慢ができそうにないです……!」

 

「ああ、好きなだけ相手してやる。お前の方こそ、途中で音を上げるんじゃないぞ……!」

 

 

 次の瞬間から、そこは戦場と化した。それは同時に、愛し合う二人が、互いの全てをぶつけ合う場所だった。

 

 上空で、地上で、目まぐるしく動きながら、相手を倒すべく、本気で肉体とエネルギーをぶつけ合い、傷つき消耗しながらも、それでも幸せそうに笑う両親の姿を、ナッツはきらきらした瞳で見つめていた。戦闘民族にしか理解できない、絆と愛情が、そこにあった。

 

(私も、またいつかは悟飯と、あんな風に……)

 

 左肩の傷に、自然と手が伸びる。それを付けられた時の、激しい痛み。向けられた殺意が、どうしようもなく嬉しかった。あの優しい少年と、日々を過ごしたいという想いと、殺し合いをしたいという衝動は、少女の中で全く矛盾しない。

 

 激しく戦う両親の姿に、自分と悟飯を重ね合わせる。心臓が高鳴って、身体が熱くなって、自然と呼吸が、速くなっていた。知らず腰から解けた尻尾が、何かを求めて、ゆらゆらと動き始める。

 

 

 そんな彼女の姿を、変な子を見る目で見ながら、話し掛ける男が一人。

 

「その、少し、いいだろうか」

 

 急に声を掛けられ、びくっと身体を震わせた少女が振り向き叫ぶ。

 

「だ、誰よ!?」

 

 そして男の顔を見たナッツは驚愕する。口元や顎に髭を生やしているが、その顔は、彼女の父親とそっくりで、母親の持っていた、歴史書の表紙で見た事があった。また彼の着ている、紋章が描かれた戦闘服と赤いマントは、サイヤ人の中でも王族にしか着用の許されないものだ。

 

 それに何よりも、男が持つただならぬ威厳と、どこか人を引き付けるような雰囲気が、その素性を雄弁に物語っていた。

 

「も、もしかしてあなたは……父様のお父様で、私のお爺様ですか?」

 

「……ああ、オレはお前の祖父、ベジータ3世だ」

 

 そこでナッツは背筋を伸ばし、母親に教わった優雅な所作で一礼した。

 

「失礼致しました。お初にお目に掛かります、お爺様。ベジータ王子の娘、ナッツと申します」

 

「そう固くならず、普段どおりでいい。今やお前達の方が、オレよりもよほど優れた戦士なのだからな。お前達がフリーザを討ち果たした戦いも、見せてもらった。見事なものだったぞ」

 

 彼は以前から、息子であるベジータの様子を確認するため、事あるごとに現世の光景を眺めていたが、彼女が生まれた時からは、その頻度がますます多くなり、ほぼ日課となっていた。日々可愛らしく、また強く成長する孫娘の姿は、彼の心の癒しであり、初めて会うという気は全くしなかった。

 

「……っ! ありがとうございます! お爺様!」

 

 ぱあっと、顔を輝かせる孫娘の姿に、ベジータ王は目を細める。自らの血を引く宇宙一可愛い孫娘が超サイヤ人となり、あの憎きフリーザを倒した事は、とても誇らしく、胸のすくような出来事だった。

 

 それだけに、彼は偉業を成し遂げた孫娘に対して、後ろめたい思いを抱いていた。圧倒的な戦闘力とサイヤ人としての気質を併せ持つこの娘は、惑星ベジータさえ健在ならば、間違いなく将来は女王として、全てのサイヤ人から讃えられる立場になれたはずだ。彼女が得られるはずだったものは、自分の失策で、台無しになってしまったのだ。

 

 やや項垂れながら、ベジータ王は頭を下げる。その姿に、少女は狼狽する。

 

「お、お爺様……!?」

 

「ナッツよ。惑星ベジータと民を、お前達に遺してやる事ができず、済まなかった。オレのせいで、苦労を掛けてしまったな」

 

 自分があの時、しくじらなければ、息子にも、孫娘にも、もっと恵まれた生き方をさせてやれたのだ。任務に出ていた戦闘員も含めて、サイヤ人は全員、惑星ベジータに集合しろというフリーザからの命令を、どこかおかしいと思いつつ、逆らう事ができなかった。

 

 フリーザ軍の戦力のおよそ半分を占め、命令にも忠実に従ってきたサイヤ人を、まさか切り捨てる事はあるまいと、油断があったのかもしれない。奴の目論見に気付いてさえいれば、正面からは勝てなくとも、宇宙のあちこちに民を逃がす事くらいはできたはずだ。

 

 そうすれば、たとえ惑星ベジータは破壊されても、いずれどこかの惑星を乗っ取って、再興できる目はあったというのに。今やサイヤ人は数人しか残っておらず、その血が薄まり絶えてしまう事は、時間の問題だった。

 

 

「オレは、駄目な王だ……戦闘民族の王だというのに、フリーザにも、破壊神ビルスにも、戦わず頭を下げてばかりで、そして結局、何一つ守れなかった……!!!」

 

 

 戸惑う孫娘を前に、ベジータ王は自らの不甲斐なさを嘆いていた。サイヤ人の王は、誰よりも強くあらねばならない。だから彼は生前も死後も、決してこのような心弱い真似をした事はなかったが、孫娘と息子と、そして民への申し訳なさから、気付けば言葉が溢れていた。

 

 そんな王としての苦しみを、ナッツは心から理解できたわけではなかったけど、目の前で嘆き苦しんでいる祖父の事を、何とかしてあげたいと思った。自分が苦しい時に、父親がいつもしてくれるように、寄り添って、その身体に縋り付く。

 

 目を見開いて孫娘を見る彼に、少女は優しく微笑んで言った。

 

「お爺様、惑星ベジータが無くても、私は十分に幸せです。父様と母様が愛してくれましたし、立派なサイヤ人の戦士として育ててくれましたから」

 

「……だがそれでも、フリーザや破壊神ビルスを前に、オレは何もできなかった……」

 

 ツフル人の支配を打ち破った後、皆に楽をさせる為、手を組んだコルド大王との関係は、上手くいっていたように思う。

 

 戦士達を戦闘員として派遣する代わりに、最新型の宇宙船や戦闘服、スカウトスコープにメディカルマシーンの提供を受け、奪った星の売却も任せる事ができた。サイヤ人のみで仕事をしていた頃と比べ、負傷者や戦死者の数は大幅に減り、生活の質も大きく向上したのだ。

 

 だが突然フリーザが軍を継いでからは、対等だった関係は、彼らを力で支配するような、奴隷めいた扱いに急変した。フリーザ軍にとっても、大事な戦力だったはずのサイヤ人を、奴が何故ああまで嫌っていたのか、今でもわからない。

 

 エリート戦士達を集め、反乱を企てた事もあったが、王である彼自身の戦闘力すら、フリーザには遠く及ばないとわかっていたから、とうとうできずに、理不尽な扱いを耐えるしかなかった。

 

「大丈夫です。悪いのはお爺様でなく、フリーザですし、奴は私達サイヤ人の手で倒しました。それに、破壊神ビルスの事は……」

 

 その名前は、父様から聞いた事があった。サイヤ人が宇宙のバランスを崩すからと、惑星ベジータを破壊しようとした、フリーザの何百倍、何千倍、それ以上かもしれない力を持つ恐ろしい神。

 

 そんな存在に目を付けられた惑星ベジータが、その時滅んでしまわなかったのは、目の前にいるお爺様が、そいつを精一杯饗応し、地に伏せて必死に許しを請うたからだと、父様は言っていた。

 

 私なら、そんな屈辱に耐えるくらいなら、たとえ敵わずとも向かっていただろうし、大概のサイヤ人はそうするはずだ。隠れて見ていた父様も、そう思ったそうなのだけど。

 

「父様が言ってました。昔は、お爺様の事を臆病者だと思っていたけど、私が生まれてから、お爺様の気持ちが理解できたって。自分のプライドを捨ててでも、家族や他のサイヤ人を守るために、王としての務めを果たした立派な人だと言っていました」

 

「なっ……!?」

 

 その言葉は、ベジータ王に、頭を殴られるほどの程の衝撃を与えていた。呆然とするあまり、鬱々としていた感情も、どこかへいってしまっていた。

 

「あいつが、そんな事を……?」

 

 あの破壊神の前にひれ伏す姿を、息子が隠れて見ていた事には、気付いていた。仕方のない事だったとはいえ、サイヤ人の中で最も強い王である自分が、情けない父親だと思われた事が、悔しくて、辛かった。苛立ちと鬱屈で、頭がどうにかなりそうだったが。

 

 あの時の自分の行動の意味を、息子はわかってくれたというのか。

 

「はい。もし私と母様の前に破壊神ビルスが現れたら、オレも同じ事をすると言っていました。お爺様がそうしてくれたから、私は生まれる事ができたんだって」

 

「そうか……あいつがそんな事を……」

 

 滲んだ涙に気付かれないよう、ベジータ王は天を仰いだ。心の中で暗く淀んでいた澱が、込み上げる喜びで、少しずつ溶けていくのを感じていた。

 

 自分の血を引く者達がフリーザを倒した事よりも、たった今、孫娘の言葉によって、後悔ばかりだった自分の生涯が、報われたような気さえしていた。

 

 空の上で、立派に成長した息子が、楽しそうに生き生きと、全力で戦っている姿を見る。そして孫娘の頭に、息子がいつもしていたように、そっと手を置いて、優しく撫でる。

 

 気持ち良さそうに、孫娘が自分の手に、頭を擦り付ける。悪くない人生だと思った。

 

 

(……パラガスがこちらに来たら、謝らねばならんな)

 

 そんな事を、ふと思う。息子を超える戦闘力を持つからと、星送りにかこつけて、過酷な環境の星に追放した奴の子供の名前は、確かブロリーと言ったか。今思うと、あの時の自分はどうかしていた。

 

 整備員からの報告によると、パラガスは宇宙船を奪って、一人でブロリーのいる小惑星バンパに向かったらしい。その後の消息は不明だが、地獄に来ていないという事は、どこかで隠れて生きているのだろう。

 

 息子や孫娘に、まだ生き残りのサイヤ人がいると伝えるべきか、一瞬迷ったが、止めておく事にした。パラガスは自分の事を恨んでいるだろうし、その恨みが、追放の原因となった息子に向かわないとも限らない。また、あのブロリーも、どこまで成長しているかわからない。

 

 サイヤ人を殺すため、飛ばし子にまで追っ手を出したフリーザ軍ですら、彼らの事は見落としていたのだ。伝えなければ、息子達が彼らと関わる事は、おそらく一生ないだろう。奴に恨まれるのは、自分だけでいい。

 

 

 両親の戦う姿を、隣で嬉しそうに眺める孫娘がいる。祖父は険の消えた顔で、棒状の携帯食料を差し出した。そういえば、あいつもこれが好きだった。

 

「食べるか? ナッツ」

 

「はい! いただきます、お爺様!」

 

 むぐむぐと、美味しそうに携帯食料を食べる孫娘の頭を撫でながら、彼は遠くにいる息子に手を振った。

 

 こちらを認めて、手を振り返すのが見えた。




Q.ブルマさんのハードル上がり過ぎてません? トランクス大丈夫?
A.リーファさんの事はあえて詳しく描写せずハードル下げようとも考えてたんですけど、できませんでした。原作ベジータ、好きでも無い人と子供作るような性格じゃないですので……(震え声)
 ブルマさん頑張れ超頑張れとしか言えませんが、先の展開は一応考えてます。トランクスも未来からしっかり来ます。

 ベジータ王、原作ではあんまり良い所なかった人なのですけど、この話は親子関係を重視してますので、こういう形になりました。この人も色々、辛かったんだと思います。

 次の話は、ナッパやラディッツが出る予定です。
 遅くなると思いますが、気長にお待ちくださいませ。


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3.彼女が母を見守る話(後編)

 地獄の上空で行われていたナッツの両親の戦いは、今や決着を迎えようとしていた。共に疲弊し、ボロボロに傷ついていたが、二人の表情は心の底からの喜びに満ちていた。

 

 戦いを見上げながら、ナッツはその小さな拳を、ぎゅっと握り締める。強い相手と戦う事が戦闘民族の喜びで、両親はずっとこれを望んでいたのだと、彼女は知っていたけれど。邪魔をしてはいけないと、頭では判っているけれど。

 

 大好きな両親が傷付けあう姿に、もう止めて下さいと、叫びたくなるのを必死に堪えて、少女はせめて目を逸らすまいと、震えながら二人の戦いを見守っていた。隣にいたベジータ王が、その小さな肩に手を置いた。

 

「うおおおおおおっ!!!」

「はああああああっ!!!」

 

 ベジータが放った必殺のギャリック砲に対し、あえて避けずに正面から飛び込み突撃するリーファ。

 

 全身を焼かんとする膨大な熱量を自身の気で相殺するも、打ち消しきれぬエネルギーがその身を焦がし、纏った黒の戦闘服がぼろぼろと砕け落ちていく。それでも彼女の勢いは止まらず、ついにベジータに肉薄し、その拳を振りかぶる。

 

 ベジータの顔に焦りの色は無く。不敵な笑みを浮かべ、残った全力をギャリック砲に注ぎ込む。彼女もまた、戦いの熱に浮かされた凄惨な表情で、全ての力を右拳に集め、その拳を叩き込む。

  

 瞬間、轟音と共に、二人を中心にした大爆発が巻き起こる。

 

「父様っ! 母様っ!」

 

 両手で顔を庇い、爆風に吹き飛ばされそうになるのを堪えながら、少女は悲痛な声で叫ぶ。

 

 やがて爆炎が収まった後、少女が見たものは、もつれ合うように落ちていく両親の姿だった。

 

「っ! いけない! 気を失っているわ!」

 

 ナッツの全身が一瞬で金色のオーラに包まれ、その瞳が青く染まる。驚愕する祖父を置き去りに、少女は凄まじい速度で両親の元へと飛翔し、意識の無い二人の身体を両の腕でそれぞれ抱え込む。

 

 まだ5歳のナッツの倍以上に両親の身体は大きかったが、戦闘力700万を超える今の彼女にとって、その程度の重量を支える事など全く簡単な事だった。

 

「父様……母様……」

 

 まだ5歳のナッツは、目を覚まさない両親を抱えてゆっくりと降下しながら、その透き通った青い瞳を潤ませる。二人の表情は穏やかで、命に別状はないと判っていたけれど、それでも負傷し返事の無い彼らの姿に、抑えていた感情がぽろぽろと溢れ出す。

 

「は、早く、どこかで手当てをしないと……」

 

「ナッツ! こっちだ!」

 

 少女が下を見ると、いつの間に現れたのか、戦闘服を着た数人の男女が地上に白いマットを敷き、医療器具らしきものを準備している。その横で、祖父が手を振っていた。

 

「お爺様!」

 

 両親を揺らさないよう、しかしできるだけ急いで降下した少女に、彼らが丁重に頭を下げる。

 

「ナッツ様、失礼いたします」

 

「え、ええ……」

 

 両親が寝かされ、てきぱきと応急処置を受けるのを祖父と共に見守りながら、ナッツの幼い顔に安堵の色が浮かぶ。

 

(良かった……それにしても……この人たちって、やっぱり……)

 

 少女の関心は、二人を治療している者達に移っていた。様々なタイプの戦闘服を着た彼らは、一様に黒目黒髪で、そして腰には彼女と同じ尻尾が巻かれていた。

 

「あの、お爺様。この人達は……」

 

「うむ。王族に仕える親衛隊で、エリート戦士達の中でも、さらに戦闘力と忠誠心の高い者を集めた者達だ」

 

「いえ、その、サイヤ人、なんですね。この人達も、私達と同じ……」

 

 呟く少女の金色の尻尾が、主の意思を反映して、ぱたぱたと左右に揺れる。

 

(父様と母様と、ナッパとラディッツと、お爺様と、悟飯とカカロット以外のサイヤ人を、今、私は見ているんだわ……!)

 

 惑星ベジータの崩壊後に生まれ、生まれ故郷というものを持たず、フリーザ軍の基地を転々として暮らしてきた少女は、自分と同じ種族の者達を見て、言葉にできない温かな感情が、胸の内に沸き起こるのを感じていた。

 

「ねえ、あなた達」

 

「は、はいっ!」

 

 声を掛けられ、とっさに居住まいを正すエリート戦士達。彼らの心中には、フリーザと戦った目の前の少女に対する敬意と、そしてわずかな恐怖があった。

 

 サイヤ人という種族には、戦闘民族という特性から、激しい闘争心に加え、冷酷さや残虐性を持つ者が多い。

 

 彼らはベジータ王を優れた王として尊敬していたが、その彼ですら、パラガスの息子を、何もない小惑星に送り込み排除するなど、必要とあれば身内に手を下す事も躊躇わないところがある。

 

 そして彼女は超サイヤ人、血と闘争を求める最強戦士で、ある意味そんなサイヤ人達の頂点とも言える。機嫌を損ねたら、何をされるか分からない。そもそも今のナッツと彼らとの間には、戦闘力にして1000倍以上の開きがあるのだ。全員で大猿になって掛かろうと、一瞬で全滅させられかねない程の圧倒的な存在。

 

 そんな存在を目の前にした彼らが、恐竜を前にした蟻のような心境になってしまうのは、仕方の無い事だった。

 

 一方、当のナッツはそんな彼らの心中などつゆ知らず、にこにこと、人懐っこい猫のような雰囲気を全身から発散しながら語り掛ける。

 

「父様と母様を治療してくれてありがとう。あなた達、とっても強いのね」

 

「……えっ?」

 

 からかわれているのか、と一瞬彼らは思った。だが目の前の、金色の尻尾を上機嫌に揺らしている王族の少女の瞳には、そんな皮肉めいた色は一切見えなかった。

 

 何せほんの数日前、ナメック星に着いた頃の彼女は、戦闘力4000程度、彼らと戦えば負けてしまう程度の強さに過ぎなかったのだ。自分でもまだ、己の戦闘力に実感が持てていなかったし、そもそもフリーザのような、1億近い戦闘力を持っている方がおかしいのだと理解していた。

 

「戦闘力は……大体4000から8000ってところね。フリーザ軍の中でもあなた達に勝てる奴なんて滅多にいないでしょうし、親衛隊って事は、お爺様が率いるんでしょう? パワーボールを使えば、きっとあのギニュー特戦隊とだって、五分以上に戦えるわ」

 

 勝てるとは断言しなかった。おじさん達に悪い気がするし、あの人達の強さは、自分が身を持って知っている。たとえ戦闘力で勝っていても、五人揃ったギニュー特戦隊なら、多少の不利はあの連携で引っくり返すだろうと思ったからだ。

 

 それでも素直な賞賛の言葉を受けて、じんわりと彼らの中に、誇らしさと感動が広がっていく。あのフリーザを倒した超サイヤ人が、自分達はフリーザ軍の最強部隊にも負けないと言ってくれたのだ。戦う事すらできず、殺されてしまった自分達に。

 

 片膝をついて跪き、頭を深々と下げて彼らは言った。

 

「お褒めの言葉、ありがとうございます。ナッツ様。必要な事がありましたら、何なりとお命じ下さい」

 

「そ、そうね……」

 

 王族とはいえ、人に傅かれる事に慣れていない少女は、内心ちょっとびっくりしながら考える。ドラゴンボールの願いで父様と地獄にいられるのは1日で、昼頃に到着して、そろそろ夕方になろうとしている。

 

 本当は母様の隣に寝転がって、目を覚ますまで、ずっと一緒にいたいのだけど。カカロットからラディッツに謝っておいて欲しいと頼まれているし、せっかく地獄にいるのだから、ナッパにも会っておきたかった。

 

 小さい頃は、ナッパやラディッツにたくさん遊んでもらっていた。母様が死んだ時以来、思えば彼には冷たい態度ばっかりとってしまっていたけれど、ナッパはずっと、私や父様の事を心配してくれていたのだ。

 

「父様、母様、ちょっと行ってきます。ゆっくり休んでいて下さい。後でまた思いっきり、甘えさせてもらいますから」

 

 身を屈めて両親の頬に口づけ、少女は幸せそうな笑みを浮かべた。その様子を見ていたエリート戦士達は、半ば呆然としながら

 

(良い子過ぎる……)

(あの子本当にベジータ王の孫?)

 

 などと失礼な事を考えていた。

 

「じゃあ、私が離れている間、父様と母様を見ていてくれる?」

 

「か、かしこまりました! 我々の命に代えてもお守りいたします!」

「行ってらっしゃいませ! ナッツ様!」

 

 慌てたように返事をする彼らに、お願いね、と声を掛けて、少女は祖父の元へ歩く。

 

「ナッツよ。どこかへ行くのか?」

 

「ええ、母様の他にも、会いたい人達がいるんです。ナッパとラディッツって言うんですけど……」

 

「あやつらなら、他の者達と祝いの準備をしているはずだ。お前もベジータも、ちょうど良い時に来たものだな」

 

「お祝いって……何のお祝いですか?」

 

 それを聞いたベジータ王は、大笑してばしばしと孫の背中を叩く。

 

「お前達がフリーザを倒した祝いに決まっておる! 今日はサイヤ人にとって記念すべき日だ。地獄にいるサイヤ人が全員集まって、朝まで食って飲んで騒いでお前達を讃えるだろうさ。地獄の鬼どもが何と言おうと、今夜限りは好きにさせてもらう」

 

「え、ええええええっ!?」

 

 フリーザを倒したのは、母様の仇を討つためで、地獄に来たのは、母様に会いたかったからなのだけど。予期していなかった話の大きさに、ナッツは目を白黒させるのだった。




大変お待たせしました。短めですが、リハビリがてら投稿します。
今後も投稿は不定期になると思いますが、よろしければ気長にお待ちください。


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4.彼女がちやほやされる話

 殺風景な地獄の荒野を、ナッツは祖父と共に歩いていた。

 

 目指す先はフリーザ撃破記念パーティの会場で、近づくにつれて、同じように会場に向かうサイヤ人達が増えていく。彼らは手に手に酒や食べ物を持ち寄っていて、気の早い者は既に顔を赤くして騒いでいる有様だったが、誰もそれを止めようとはしない。

 

 彼らをさんざん酷使した挙句に惑星ベジータごと全滅させた憎きフリーザが倒されただけでも十分に記念すべき出来事だというのに、それを成し遂げたのが同じサイヤ人だという事で、誰も彼もが子供のようにはしゃぎたい気持ちで一杯だったのだった。

 

 そして戦いの様子は大型モニターで中継されていたから、超サイヤ人となった少女の顔をほぼ全員が知っているわけで。

 

 ついでに戦闘だけではなく、混血の少年とのあれこれもしっかり発信されていて、良く言えば素朴、悪く言えば野蛮で甘酸っぱい恋愛事などに縁の無いサイヤ人達に理解不能の衝撃を与えて、スカウターで録画された映像データが早くも高値で取引されていたりもしたわけで。 

 

 彼らにとっては大英雄兼映画スターに等しい、そんな王族の少女に、近くを通るサイヤ人達がついつい目をやってしまうのは、ある意味当然の事だった。

 

「あれって、フリーザを倒した超サイヤ人じゃね……?」

「何で地獄にいるんだ? 死んだのか?」

「頭の輪っかが無いぞ! 生きたまま来たんだ!」

 

 遠巻きに騒がれて、気恥ずかしさにほんのり顔を染めて祖父の後ろに隠れて歩くナッツ。そんな彼女に、彼らの一人が意を決して声を掛ける。

 

「さ、サイン下さい!」

「え、ええっ!?」

 

 頭を下げつつ差し出された男の手の上には、会場設営に使うのだろうか、黒の油性ペンがあった。おどおどと受け取りながら少女は尋ねる。

 

「い、いいけど……どこに書くの?」

「戦闘服にお願いします!」

 

(ペンなんて持ったの、ずいぶん久しぶりね……。母様に勉強を教えてもらった時以来だわ)

 

 書きやすいようしゃがみ込む男の白い戦闘服に、緊張しながらさらさらと綺麗な字で、ナッツは自分の名前を書いてあげた。

 

「……これでいいのかしら?」

「あ、ありがとうございます! 俺一生これ使います!」

「……壊れたらちゃんと新しいのに換えないと駄目よ。危ないんだから」

 

 感動に打ち震える男にやや引きながら、良い事をしたとにっこり笑うナッツ。その様子を見て、周囲のサイヤ人達が我も我もと一斉に押し寄せた。

 

「ちょ、ちょっと、あなた達……!?」

「ええいお前ら! 孫から離れんか!」

 

 ベジータ王が叫ぶも騒ぎは収まらず、それどころか話を聞き付けた者達が次々に加わっていき、ナッツ達は身動きが取れなくなっていた。

 

(ど、どうしよう……この人数にサインなんてしてたら、それだけで1日が終わっちゃうわ……)

 

 敵ならば殺せばいいのだが、サイヤ人は仲間であり同胞だ。どうすればいいのかと悩む少女の耳に、目の覚めるような大きな声が届く。

 

 

「お前ら、お嬢が困ってるだろうが!!! ちょっと離れてやれ!!!」

 

 

 喧噪の中でもよく通るその怒号に、一瞬皆の動きが止まる。ナッツはその声に、聞き覚えがあった。

 

(……あれ? この声って……?)

 

「あ、あんたは……!」

 

 声の主の巨漢を見た者達が慌てて全力で離れて行くも、それでも半数以上の者は再び騒ぎ始める。禿頭の男はそれを見て、額に青筋を浮かべて笑った。

 

「ようしお前ら……警告はしたからな?」

 

 巨漢は気を集中させ、揃えた右手の人差し指と中指を、クンッ、と跳ね上げた。

 

 瞬間、周囲数百メートルが爆発した。

 

 

 

 土煙がゆっくりと晴れていく。騒いでいたサイヤ人達は全員吹き飛ばされ、地面に倒れて呻いていた。

 

 立っていたのは3人のみで、土煙を吸い込んだのか、ごほごほと咳き込むベジータ王と、何が起こるのかを予想し、とっさに息を止めていたナッツ。

 

 そして爆発の中心にいて、未だぼんやりと姿が隠れている大きな男の姿を、少女はじっと見つめていた。

 

「この技は、やっぱり……」

 

 地球でも街一つを一瞬で消し飛ばしていた、彼の得意技。侵略を早く済ませたい時は便利だけど、あっさり終わりすぎてつまらないと思った覚えがある。

 

 やがて土煙が完全に晴れ、露わになった男の姿を見て、ナッツは幼い顔に喜びを浮かべながら駆け出した。

 

「ナッパ!」

「お嬢!!」

 

 向こうも駆け出してきて、ナッツは彼の胸元に飛びついて、ひし、と抱き合った後、そのまま抱っこされる体勢になる。

 

「助かったわ、ナッパ。……けど大丈夫なの、これ?」

「この程度でくたばるような柔なサイヤ人は地獄にいませんぜ。パーティが始まる頃には目を覚まして、頭も冷えてるでしょうよ」

 

 笑う巨漢に、少女もにっこり笑って向かい合う。

 

「ねえナッパ、あなたも私達の戦い、見てくれてた?」

「当然でさ。ベジータ王子もお嬢も、いつの間にか凄え強くなってて驚きやしたぜ」

「……そうね。自分でもまだ、信じられないくらいだわ」 

 

 ナッツは思わず、遠い目になっていた。

 

 父様も私も、ナメック星に着いてからの数日で、戦闘力がいったい何倍になったというのか。何の変身もしていない素の私ですら、戦闘力が15万にも達している。ザーボンやギニュー特戦隊を相手に絶望していた頃が、遠い昔のようだった。 

 

 最長老とか超サイヤ人とか、詳しく説明すると長くなりそうなので、少女は話題を変える。 

 

「そうそう、父様と母様が言っていたわ。ナッパには子供の頃からお世話になったって」

「あいつらが、そんな事を……」

「私もそう。ラディッツと一緒に、たくさん遊んでくれたわよね」

 

 そこで少女は、辛そうに目を伏せる。

 

「ごめんなさい。母様が死んでから、私、あなたに冷たい態度ばっかりとっていたわ。今思い出すと、ナッパはずっと私を心配してくれていたのに」

 

 私を励まそうと、美味しそうな食べ物を持ってきてくれたり、昔のように遊んでくれようとしたりしていたけれど。その度に断ったり無視してしまった覚えがある。悪い事をしてしまったと、罪悪感が心を苛んでいた。

 

 そんな彼女の顔を見て、慌てた巨漢が叫ぶ。

 

「お嬢! 俺は気にしてないですぜ! お嬢はまだ小さくて、親を亡くしたばかりだったんだから仕方がねえです!」

「……ありがとう、ナッパ。それと、あなたに言っておきたい事があるの」

 

 小さく微笑みを浮かべながら、少女は彼の目を真っ直ぐに見る。夜のような、黒い瞳。驚愕が、ナッパの心を揺さぶった。彼の5分の1も生きていない少女が、年齢よりもずっと、大人びて見えた。

 

「ナッパ、私、強くなったの。私一人の力じゃないけど、フリーザにだって勝てるくらい」

 

 言った少女の全身が、金色のオーラに包まれる。スカウターが無くとも肌で感じられる圧倒的な戦闘力に、これが超サイヤ人かと、ナッパは内心気圧される。

 

 けれど、ナッツの顔に浮かぶ穏やかな表情は、彼が知っている、皆から愛されて、幸せに暮らしていた少女のものだ。

 

「それだけじゃないわ。友達だってできたのよ。あなたも地球で会った、悟飯っていうカカロットの子供よ。あれから色々あって仲良くなったの。とっても強いし、それだけじゃなくて優しい子なの。私はもっと、サイヤ人らしく悪い感じでもいいかなって思うんだけど……。それに彼から、遊園地に行こうって誘われてるの。どんな所かよく知らないんだけど、悟飯と行くなら、きっと楽しいわ」

「……本当にずいぶんと、仲良くなったようで」

 

 ほんのり顔を赤らめながら嬉しそうに少年の事を話す少女を、ほっこりしながら見守るナッパ。   

 

「それとブルマっていう親切な人が、私と父様を地球の家に住まわせてくれるらしいの。知ってる? 地球の食べ物って、信じられないくらい美味しいのよ。作り方を覚えて、いつか母様にも食べさせてあげたいと思ってるの」

 

 当分先の話だけどね、とナッツは笑って言葉を続ける。

 

「これから私は父様やブルマと一緒に暮らして、毎日美味しい物をいっぱい食べて、悟飯と一緒に訓練したり遊んだり、たまに勉強にも付き合ってあげて、気持ちの良いお風呂に入ってから、脆いけど着心地の良い服を着てぐっすり寝るの。平和な暮らしに飽きたら、こっそりどこかの星に戦いに出てもいいわね。きっとこの先は、楽しくて幸せな事ばかりなの」

 

 改めて、少女は澄んだ湖のような瞳で、真っ直ぐに彼を見つめて言った。

 

 

「だからナッパ。私の事は、もう心配いらないわ。今まで優しくしてくれて、本当にありがとう」

 

 

 その言葉を聞いた瞬間、ナッパは目頭が熱くなるのを感じて、気付けば涙が溢れ出していた。

 

 腕に抱いた少女、赤子の頃から知っている、母親を亡くして以来、暗い目で、ひたすら訓練を繰り返していた少女が、本当に幸せそうに笑っていた。    

 

 それだけではなく、最後に会った時から、まだ2ヶ月も経っていないというのに、一回りも二回りも、大きく成長しているように感じられた。芯の強さが感じられた。

 

 彼女がフリーザに迫る戦闘力を身につけた事よりも、そちらの方が嬉しかった。

 

「お嬢、立派になって……!」

 

 涙声でそれだけ言って、男は小さな身体を力いっぱい抱き締めた。

 

「ちょっと、ナッパ、苦しいわよ……」

 

 応えるその声にも、少しばかり涙が混じっていた。

 

 

 

 それからしばらくして、ナッツは地面に下ろしてもらうと、髪の色を黒に戻す。戦闘中ならともかく、普段からずっと超サイヤ人に変身しているのは、結構疲れてしまうのだ。

 

「そういえばナッパ。ラディッツにも会いに来たんだけど、今どこにいるかわかる?」

「あいつもこっちに向かってるはずですが……ほら、あそこにいましたぜ」

 

 ナッパが指差した先に、見覚えのある、背が高くて髪の長い、戦闘服を着た男がいた。その姿を見て、少女の心に、昔の思い出が蘇る。

 

 今よりも小さい頃は、よくサイバイマンと一緒に遊んでくれたのだ。あまり戦闘力は高くなくて、私の方が強くなってからは、少し気まずそうにしていたけれど。

 

「ナッパ、お爺様、ちょっと行ってきます!」

 

 黒い戦闘服の少女は、言葉と共に走り出し、あっという間に彼の目の前に現れる。

 

 そのあまりのスピードに、思わず顔を引きつらせるラディッツに、ナッツはにっこり笑って話し掛ける。

 

「ラディッツ、久しぶりね」

 

 彼が応えようとした、その時だった。

 

 

「どけ、バカ息子が」

 

 

 ラディッツの身体が、乱暴に突き飛ばされる。

 

「えっ……?」

 

 驚きに目を見開く少女の目に映ったのは、カカロットとそっくりな男の姿だった。




 あんまり話が進んでませんが、リハビリがてら投稿など。
 次でバーダックとラディッツとギネさんの話をやって、地獄の話は次の次あたりで終わって地球に行く予定です。
 投稿は不定期になるかもしれませんが、気長にお待ち下さいませ。

 また長らく休止している間もお気に入りに登録してくれた方々、自分でも気付いて無かった誤字を報告してくれた方、ありがとうございます。てっきり更新止まったから見捨てられて半分くらいに減ってるかと思ってましたので、逆に増えていて嬉しかったです。
 評価や感想等いただけると続きを書く原動力になりますので、よろしければお願いいたします。


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5.彼女の前で、親子が和解する話

「どけ、バカ息子が」

 

 緑色の戦闘服の男が、ラディッツを乱暴に突き飛ばしながら現れ、少女の前に立った。その顔は頬の傷を除いて、カカロットと瓜二つだった。

 

 突き飛ばされたラディッツは、何も言えず地面に膝をつき、ただ不満を顔に滲ませながら、男を睨み付けている。そこへスカート型の戦闘服を着たサイヤ人の女性が、ラディッツに駆け寄り、悲しそうに言った。

 

「バーダック……そろそろ許してやりなよ」

「ギネ、お前は黙ってろ」

 

 そんな彼らの様子を見ていたナッツは、抑えられない程の激しい怒りを感じていた。

 

 バーダック。彼の話は、ラディッツから聞いた事がある。下級戦士の生まれでありながら、実戦の中で成長を繰り返し、ついに戦闘力10000にまで達した、惑星ベジータでも屈指の実力を持つ戦士。

 

 並のエリート戦士の力を遥かに超え、王に迫る実力を持つ彼の存在は下級戦士達の憧れの的であり、自慢の父親だと、嬉しそうに話していたのを今でも覚えている。

 

 そんな父親が、子供に対してあの態度は何だというのか。

 

「ちょっとあなた! 父親のくせに、ラディッツに何てこと言うのよ!」

 

 激情のままに、少女が叫ぶ。両親から溢れんばかりの愛情を受けて育った彼女は、親は子供を愛して、愛された子供もまた親を愛するのが当然の事だと思っていた。

 

 そんなナッツにとって、実の子供を親が蔑ろにするというのは、想像した事すらなかったし、実際に目の当たりにしたそれは、到底許せる事ではなかった。

 

 少女の剣幕と発言に、バーダックは一瞬だけ驚いたような顔を見せた後、仏頂面に戻って淡々と言った。

 

 

「実の弟を殺そうとして、相打ちになって死んで親を泣かせるような奴が、バカ息子でなくて何だっていうんだ?」

 

 

「……えっ」

 

 父親の言葉は、ナッツの心に突き刺さった。

 

 地球でラディッツが、何をしたかについては、悟飯から話を聞いて知っていた。だが、改めて言葉にされて、反射的に考えてしまう。

 

 もし仮に、私に弟がいたとして、仲違いして殺し合って、結局二人とも死んでしまったとしたら、父様と母様は、どんな顔をするだろうか。どれだけ悲しませてしまうだろうか。

 

「あ……あ……」

 

 想像しただけで、少女の顔から血の気が失せて、小さな身体に震えが走る。そんな酷い事、絶対にしていいはずがない。だけど、地球でそれは起こってしまった。

 

 そして、このラディッツの両親はきっと、子供同士が殺し合う姿を、地獄からずっと見ていたのだ。

 

 バーダックの表情は、変わらず仏頂面のままだったが、今のナッツには、彼の抱える、やりきれない悲しみと怒りを感じ取る事ができていた。

 

「……ねえ、ラディッツ」

「何だよ、ナッツ」

 

 どこか拗ねたように応える彼に、少女は言った。

 

「ラディッツ、ご両親に謝りなさい」

「はあ!? 冗談だろナッツ! どうしてオレが謝らなきゃいけないんだ!!」

 

 予想外のナッツの言葉に、ラディッツは激昂して叫ぶ。

 

「オレが何をしたって言うんだ! カカロットは送られた星の攻略をサボってたばかりか、人を殺したくないとか抜かしやがった甘ったれのサイヤ人の面汚しだ! 殺されたって文句は言えないだろ! オレ以外のサイヤ人でも同じ事をしたはずだ!」

 

 彼の叫びを聞きながら、ナッツは思う。ラディッツの言う事は正しい。もし昔の私が偶然地球を見つけて、平和に暮らすカカロットがサイヤ人と知ったら、生きる価値は無いと腹立たしく思って、殺してしまっていただろう。

 

「それとも何だ!? 人を殺すのはいけない事だってか! 親父だって母さんだって、さんざんやってきた事じゃねえか! 死んで地獄に来てまた会えたと思ったのに、何でオレだけが怒られないといけないんだ!? オレなんかと違って、カカロットの方が戦闘力が高いからか! あいつの方がお気に入りだからか!?」

 

「てめえ……!!」

 

 怒りの形相で拳を振り上げたバーダックの前に、少女が手を広げて割って入る。ラディッツの目を、見上げて告げる。

 

「違うのよ、ラディッツ。確かにあなたのせいでカカロットは死んだけど、お父様が怒ってる理由のは、それだけじゃないの」

「じゃあ何だってんだよ!!」

 

 ナッツは瞳を潤ませながら、震える声で言った。  

 

 

「あなたが死んでしまったから、あなたのお父様は怒ってるのよ」

 

 

「……何だって?」

 

 あまりに予想外の内容に、呆然とするラディッツ。下級戦士でありながら戦闘力10000を誇り、数々の武勲を上げた父親は、彼の中でサイヤ人の中のサイヤ人とも呼ぶべき、憧れの存在だった。

 

 幾多の星を滅ぼした、冷徹で残酷な戦士。そんな男が、自分の子供が死んだから悲しいなどと考えているなど、全く想像すらできなかった。

 

 ラディッツ自身が、伸び悩む自らの戦闘力に、劣等感を覚えていた事も、彼の目を曇らせていた一因だった。戦闘力の低い自分が、親父から良く思われているはずがない。そんな風に思ってしまっていたのだ。

 

「……そうなのか、親父?」

 

 恐る恐る問うラディッツを、バーダックは黙って睨み付ける。父親の表情は変わらず怒りを湛えているように見えたが、その奥に隠された深い悲しみに、今更ながらラディッツは気付いた。

 

「お、親父……」

 

 たじろぐ彼の脳裏に、忘れていた幼い頃の思い出が蘇る。険しい顔を緩めて、彼の事を抱き上げる父親。生まれたばかりの弟の保育器を見せられて、お前の方がお兄さんだから、面倒を見てやれと言われた記憶。

 

 惑星ベジータが消滅して、両親と死に別れてから20年以上。戦いばかりの日々の中で、いつしか忘れてしまっていた。変わり者の母親はもちろん、厳しい戦士と思っていた父親も、彼と弟を愛してくれていた事を。

 

 それを忘れて、兄弟同士で殺し合って死んでしまったから、彼らはずっと悲しんでいたのだと、彼はようやく、心の底から理解した。

 

 両親に向けて、深々と、頭を下げるラディッツ。自然と言葉が口をついた。

 

 

「……親父、母さん、オレが悪かったよ。ごめんなさい」

 

 

 バーダックは、そんな息子を見てため息をつき、彼の頭を強引に掴んで引き寄せる。

 

「お、親父……?」

「いいか、一度しか言わねえからよく聞きやがれ」

 

 そうして至近距離で、目を合わせて言った。

 

 

「自分のガキが嫌いな親なんて、いるわけねえだろうが」

 

 

 息子が何か言うより先に、父親はその身体を両腕で強くかき抱く。

 

「こんなにでっかく育った癖に、くだらねえ事で死んじまいやがって、この親不孝者が。バカ息子が……」

 

 ラディッツの目から、涙が零れ落ちる。父親の顔は見えなかったが、きっと自分と同じ顔をしているのだと、その声で分かった。

 

「ラディッツ!」

 

 感極まったギネが彼らに抱き付き、大泣きし始める。

 

「よかった……よかったよお……!」

 

 そんな母親の姿を見て、彼は惑星ベジータが消滅する前日に届いた、母からの通信を思い出す。まだ言葉も話せないカカロットを、あのタイミングで地球に送ったという事は、もしかしたら。

 

「なあ、母さん。カカロットの事だけど……あいつは地球を侵略するために送られたのか?」

 

 母親は涙を拭いながらも、きょとんとした顔になる。

 

「ううん。バーダックが、フリーザが何か企んでるかもしれないから、この子だけでも避難させようって。もし何も無ければ、すぐ迎えに行くつもりだったんだ」

「……そうか。そうだったのか……」

 

 地球の侵略など、カカロットは最初から命じられていなかった。物心つく前に地球に送られたのなら、サイヤ人の何たるかも、理解していなくて当然だろう。それでもサイヤ人なら、本能の赴くままに、送られた星を滅ぼすか、そうでなければ原住民に殺されてしまうものだが。

 

 弟と再会した時の事を、ラディッツは思い出す。あいつは知り合いらしい地球人達と、楽しそうに話していて、地球人との間に、子供まで作っていた。彼らの一員として受け入れられて、幸せに暮らしていたのだろう。

 

 自分のした事を思い出して、彼は思わず天を仰ぐ。甘すぎる弟の考えは、サイヤ人として気に食わないけれど、それでも ベジータ達には死んでいたとでも伝えて、そっとしておいてやれば良かった。

 

「母さんも、ごめん。オレ、母さんからカカロットの事、頼まれてたのに」

「もういいよ、そんな事……!」

 

 そうして寄り添い合う親子3人の様子を、ナッツはわずかに涙ぐみながら眺めていた。

 

「……良かったわね、ラディッツ」

 

 目頭を押さえる少女の尻尾が、ぱたぱたと左右に動いている。彼が両親と仲直りできたことが、まるで自分の事のように、嬉しかったのだった。

 

 

 

 しばらくして、一番長く泣いていたギネが落ち着いた頃。母親に縋り付かれて、その背中を撫でてやっていたラディッツが、少女の前へと歩いてきた。

 

 小さく笑みを浮かべたその顔は、まるで憑き物が落ちたかのように、さっぱりとしたものだった。

 

「ありがとよ、ナッツ。お前のおかげで、ようやく親父達と、また会えた気がする」

「気にする事無いわ、ラディッツ。これからもは、ご両親と仲良くね」

 

 上機嫌で尻尾を揺らす少女を見ながら、歳の離れたしっかり者の妹がいたら、こんな感じかもしれないと、ラディッツは思いを馳せる。

 

 戦闘力ではすぐに追い抜かれてしまったが、ナッツと遊んでやっていた頃の自分は、保育器の中で眠っていた弟と彼女を、知らず重ね合わせてはいなかっただろうか。

 

「……カカロットの奴にも、悪い事をしたな。あいつは結局生き返ったし、この先も地獄になんか来ないだろうが」

 

 謝りたかったと呟くラディッツに、少女が微笑んで言った。

 

「大丈夫よ。カカロットも、あなたを恨んでなかったわ。死なせてしまって悪かったって、あなたに謝っておくよう頼まれたくらいだし」

「そっか……うん、ありがとよ」

 

 安堵した顔で、少女の頭を撫でるラディッツ。彼にそうされるのは、ずいぶん久しぶりの事で、ナッツは彼の手の温もりと懐かしさを感じながら、気持ち良さそうに目を閉じていた。

 

 

 息子とそんなやり取りをしている少女に、バーダックは、毒気を抜かれたような顔で言った。

 

「……お前、本当にあのベジータ王の孫なのか?」

「もちろんそうよ。お爺様もあそこにいるわ」

 

 少女の示した方にバーダックが目をやると、ナッパと一緒にこちらを見ていたベジータ王が、偉そうに胸を張って言った。

 

「どうだバーダック、我が孫は立派に育っているだろう?」

「うるせえ! どう考えてもてめえの手柄じゃねえだろうが!」

 

 言い返しながら、彼は昔の事を思い出す。ラディッツが生まれるまで、自分はガキの事なんてどうでもいいと思っていた。

 

 ベジータ王も、下級戦士と王とでは話す機会など滅多に無く、パラガスの子を追放するなど、有能だが苛烈な王という印象だったが。子供が生まれて、少しは丸くなっていたのかもしれないと思った。

 

「ところで、私に何か用だったの?」

 

 問われたバーダックは、やや気まずそうな顔で頬を掻いた。

 

「いや、何というか……カカロットの手柄がお前に取られたような気がして、文句の一つも言ってやろうと思ってた」

 

 彼は仲間と共にカナッサ星を攻略した際、死に掛けの住民の一人から、強制的に未来予知の力を与えられていた。それはサイヤ人の滅亡という避けられぬ未来を知って絶望しろという意図からのものだったが、フリーザの企てを知ったバーダックは、カカロットを地球に逃がした後、迫り来るフリーザの宇宙船へと突貫し、たった一人で壮絶に戦って死んだのだ。

 

 そして死の間際に彼の見た未来では、成長したカカロットがフリーザと戦っていたのだ。あんな時にそんな予知を見せられたら、カカロットがフリーザを倒すと思っても仕方がないではないか。

 

 まだ釈然としない様子の彼の背中を、笑顔のギネがばしばしと叩く。

 

「もう、お姫様に失礼だよバーダック! カカロットも悟飯も生きててくれたし、フリーザも死んだんだから、それでいいじゃないか!」

「ううん、私一人の手柄じゃないわ。フリーザは本当に強かったもの。カカロットがいてくれなければ、絶対に倒せなかったはずよ」

 

 二人を見上げてそう告げる少女を見て、彼は目を細める。

 

 あのベジータ王の血筋なら、フリーザを倒したのは自分だと、己の手柄だけを誇るものかと思っていた。仮にそう言われたら、敵わぬまでもぶん殴ってやるつもりだったのだが。どうやら自分の目が、先入観で曇っていたようだった。

 

「そうか……悪かったな、姫さんよ」

 

 そして思い出す。かつての惑星ベジータの、宇宙船の発着場で偶然見かけた、小さい頃のラディッツと一緒に歩く、幼い王子と長い髪の少女の姿を。

 

 高過ぎる戦闘力を持ち、どこか周囲を下に見ていた当時のベジータ王子の事を、彼はあまり良く思っておらず、ラディッツに悪い影響が無いかを心配していたのだが。あの二人が目の前の少女を生み育てたというのなら、立派に親としての務めを果たしていたのだろうと思った。

 

「いい両親に恵まれたな」

 

 しみじみと呟くバーダックに、ナッツは花が咲くように、誇らしげに笑った。

 

「ええ、私の自慢の父様と母様よ」

 

 

 

 そこへベジータ王の笑い声が響く。

 

「ふはははは!! ようやく我が孫の偉大さが理解できたか!!」

「だからてめえの手柄じゃねえって言ってるだろ!!」

 

 イラっとしたバーダックが思わず孫馬鹿に殴り掛かり、面白がった周囲の者も囃し立てる。結果見かねたナッツが割って入るまでの間、二人は惑星ベジータ最強決定戦を繰り広げる事になったのだが、それはまた別の話だった。




「ラディッツがちょっと良い子すぎない?」という意見もあるかもしれませんが、
この物語は親子関係を重視していますので、こういう解釈になりました。

実際バーダックとギネさんの子供で物心つくまであの二人に育てられたのなら、原作時は多少グレてただけで本来はこんな感じかなあと思います。


次はパーティでセリパさん達と話した後、母親と別れて現世に戻る話です。
更新は遅れるかもしれませんが、気長にお待ち下さいませ。


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6.彼女が宴を楽しむ話(前編)

 地獄の荒野のあちこちに、肉体労働の勤めを終えたサイヤ人達が集まっている。

 

 辺りは既に暗くなりかけていたが、あちこちで火が焚かれており、光源の確保と同時に、温かな空気と、持ち込まれた食料を調理する良い匂いが漂っていた。

 

 椅子やテーブルなどといった物は無く、皆地面に座っていたが、そんな事を気にするサイヤ人など地獄にはいない。

 

 

「サイヤ人がフリーザに勝利した、このめでたき日を祝して!」

 

 

 何かボロボロになっているベジータ王が音頭を取り、集まった面々が一斉に手にした杯を掲げる。

 

「「「「乾杯!!!!」」」」」

 

 ナッツもバーダック達と一緒に、ジュースの入ったコップを打ち合わせる。本来ならばフリーザと戦った彼女は主賓でベジータ王の近くにいるべき立場なのだが、本人が恥ずかしがって辞退したのだ。

 

(昼間みたいに騒がれたんじゃあ、ゆっくり話すどころじゃないしね)

 

 喧噪の合間に、ちらほらと話し掛けてくる者達はいたが、近くでナッパが睨みを利かせている事もあってか、昼間のようにもみくちゃにされるような事はなく、落ち着いたものだった。

 

 果物のジュースを口にしながら、少女は治療を受けているバーダックの方を見る。

 

「大丈夫? お爺様から随分いいのをもらってたけど」

「あ? こんなの怪我の内に入らねえよ」

 

 強がるバーダックに、ギネが無言で包帯を強く巻き付けた。

 

「痛てて! おいギネ、もっと優しくだな……」

「まったく、王様と喧嘩なんて、馬鹿な事するからだよ」

 

 ギネはため息をつきつつも、甲斐甲斐しく手当を続けている。ちなみにボロボロ具合はバーダックの方がやや高い。

 

「畜生、やっぱりあいつ結構やりやがる……」

 

 もう少しいけると思ったんだが、と呟くバーダックに、金の耳飾りを着けた女戦士、セリパが呆れた様子で頭を振る。

 

「言っておくけど、ベジータ王とやり合える時点でおかしいんだからね?」

「オレ達だと一撃でやられちまうだろうからなあ」

 

 水色の戦闘服を着たトーマが、彼女の隣でおどけたように言った。

 

 そんな彼を、セリパがキッと睨みつける。

 

「アンタはもっと根性見せな。この中じゃあバーダックの次に強いんだから」

「いや無理だって。もう一度死にたくはねえよ」

 

 誤魔化すように笑いながら、トーマがセリパの持った杯に酒を注ぐ。

 

「バーダックが無茶するのは、昔から変わらねえよなあ」

 

 突き出た腹を持つパンブーキンが、焼けた肉に美味そうに噛り付く。 

 

「……」

 

 寡黙なトテッポが、無言でうんうんと頷いた。

 

 そんな彼らの姿を、ナッツは楽しそうに眺めている。

 

 この人達は、バーダックとチームを組んでいたらしい。昔はギネさんも入っていたけど、結婚してからは子育てに専念していたそうだ。

 

 戦闘力はバーダック程ではないけれど、全員から歴戦のサイヤ人の戦士としての、風格のようなものが感じられた。きっと父様達と同じくらい、多くの星を滅ぼしてきたのだろう。

 

 視線に気づいたのか、セリパが少女に微笑み掛ける。

 

「アンタとベジータ王子が、ドドリアの奴を殺してくれたんだって? おかげでスッキリしたよ」

「倒したのは父様で、私は止めを刺しただけなんだけど……」

「それでもだよ。あの野郎、ちょうど月が沈んだタイミングで襲ってきやがって……!」

 

 据わった目で傾ける彼女を、まあまあとトーマが窘める。

 

「あんまり飲みすぎんなよ、セリパ。こないだこの子の母親と、皆でボコってやったからいいじゃねえか」

「あれでよく生きてたよな、あいつ」

「……(うんうん)」

 

(ドドリアの奴、ここでも恨みを買ってたのね……)

  

 その光景を想像して、ほんの少しだけ同情しながら、ナッツは彼らに声を掛ける。

 

「ねえ。良かったら、あなた達の昔の話を聞かせて欲しいわ。ツフル人との戦いとか、私、本でしか読んだ事ないの」

「ああ、ツフル人とか懐かしいね。あれから何年経ったんだか」

「今から40年くらい前って、本には書いてあったわ」

 

 少女の発言に、その場の全員が顔を引き攣らせた。

 

「……ま、待った。待ってよ。40年って、まだそんなに経っちゃいないだろ?」

 

 焦った様子のセリパが、助けを求めるかのように言った。

 

「確か戦いが終わったのが、バーダックの息子が生まれる、10年ちょっと前くらいだよな……」

 

 食べ物に手を伸ばしたままの姿勢で、パンブーキンも硬直していた。

 

「カカロットの奴は、確か今……」

「……25歳だよ、バーダック」

 

 光の失せた目で、ギネが呟いた。

 

「え、じゃあ、オレ達今、全員50代……」

 

 言い終わる前に、トーマが蹴り倒される。その頭を足蹴にしながら、迫力のある笑みを浮かべるセリパ。

 

「アタシもギネもまだ20代だ。いいね?」

「アッハイ」

 

 震えながら頷く男性陣の横で、ナッツがきょとんとした顔で問い掛ける。 

 

「ギネさんは悟飯のお婆様なんだから、別に普通じゃないの?」

「……お姫様も、大人になればわかるよ」

 

 どこか困ったような顔で笑いながら、ギネは少女の頭を撫でた。

 

 

 そんな一幕があった後、ナッツは彼らの昔話を聞いていた。本で読むのとはまた違った、実際の戦場を体験した彼らの話は、彼女にとって興味深いものだった。

 

「え? 満月が出てから一斉に攻め込んだんじゃなかったの?」

「ああ。ツフル人の奴らも、満月の事は知ってたからな。何されるか分かったもんじゃないから、戦闘力の高いエリート戦士達が、先行して奴らの本拠地を奇襲したんだ」

「案の定、訳の分からないヤバそうな物が沢山あったって話だよ。使われてたと思うと、ぞっとするね」

 

 先行した部隊は、直前まで怪しまれないよう、奪った敵の兵士の服で変装までしていたという。サイヤ人がそんな事までしてくるとは思わなかったツフル人達は、大混乱に陥って、一部では同士討ちまでしていたらしい。

 

「そうしている間に月が昇って、外側で敵の目を引き付けてたアタシ達も大猿化して……その後は記憶が曖昧なんだけど、とにかく滅茶苦茶に暴れ回った事は覚えてる。それで朝になったら、ツフル人共は一人残らずくたばってたって訳さ」

「いいなあ! 私も参加したかったわ!」

 

 話を聞いている間、ずっと目をきらきらと輝かせていたナッツが、興奮のあまりその場で飛び跳ねていた。子供らしいその様子に、思わずセリパは苦笑する。

 

「あんなヒョロっちい奴ら、フリーザやギニュー特戦隊と戦ったアンタにとっちゃあ、退屈だと思うけどね」

「……そんな事無いわ」

 

 そこで少女は、小さく俯いた。

 

「だって私、そんなに大勢で戦った事なんてないのよ。母様は調子の良い時しか出られなかったし、ナッパやラディッツや父様も別の星で戦ってる事が多かったし。たまに父様達と組んで、それ以外の時は一人で星を攻めてたわ」

 

 ナッツが周囲を見渡すと、思い思いに笑い騒いでいる、大勢のサイヤ人達が目に入った。皆、彼女と同じ種族だった。そして全員の頭の上に、死者の証である、輪っかが浮かんでいた。

 

 活気に溢れたパーティ会場の中で、彼女はただ一人の生者だった。こうして会えた彼らとも、あと半日もすれば、別れの時が来てしまうのだ。

 

 言葉にならない寂しさを感じていたナッツの肩に、ぽん、と、誰かが手を置いた。少女が顔を上げると、セリパが優しい顔で微笑み掛けていた。

 

「あ……」

「元気出しなって。リーファの奴も、そのうちここに来るんだろ? 母親の前で、そんな辛気臭いツラ見せるんじゃないよ」

 

 それを聞いたナッツが、はっとした顔になる。両親も目が覚め次第、彼女の元へ案内すると、パーティが始まる前に連絡を受けていたのだ。

 

(そうね、母様を心配させるわけにはいかないわ)

 

 少女は自分に言い聞かせて、にっこり笑顔を作った。そうすると、不思議に気持ちも少し楽になった気がした。

 

「ありがとう。また昔の話を聞かせてくれる? ツフル人を倒した後、フリーザ達が来る前の話とか聞きたいわ」

 

 期待に満ちた表情で、ナッツは言った。確かほんの数年だが、サイヤ人が誰にも縛られず、自由に生きていた時代だ。

 

 きっと胸躍るような戦いに満ちていたに違いないと、楽しげに尻尾を振る少女に、トーマが当時の記憶を思い出しながら言った。

  

「宇宙船の技術を奪って、月があって裕福そうな惑星を片っ端から攻略してたな。正確な数字じゃないが、確か最初の一年間で、500以上は落としてたと思う」

「凄い! 昔は月のある星がそんなに多かったのね!」

「ああ。どこでも攻め放題だったよ。やり過ぎてまだ攻めてない星にすら、『満月の夜は不吉』なんて話が広まる始末さ」

 

 グラスを片手にくつくつと笑うセリパ。ナッツは誇らしい気持ちになって、満足そうに頷いた。

 

「それでこそ戦闘民族サイヤ人だわ。それでたくさんお金を稼いで、皆豊かな暮らしをしていたのね」

 

 その言葉に、全員が気まずそうに少女から目を逸らした。

 

「えっ? ど、どうしたの?」

 

 戸惑うナッツに、沈んだ顔のパンブーキンが言った。

 

「……あの頃はあんまり食う物が無かったな……」

「何で!?」

 

 全く予想外の台詞に、混乱するナッツ。

 

「惑星を滅ぼして売ったら、お金になるんじゃないの?」

「売り手が付かなかったり、買い叩かれたりしてたんだよ」

「物を売るとか買うとか、誰もやった事なかったからな……」

 

 当時を思い出して、トーマとバーダックが渋面になる。

 

「それでポッドの燃料にも困るようになった頃に、コルド大王から誘いが来て、一緒に仕事をすることになったんだ」

「売れそうな価値の高い星の情報をもらって、滅ぼした星を代わりに売ってもらってたのね」

 

 ギネの言葉に、頷くナッツ。フリーザ軍でも同じような仕事をしていたから、この辺りの事は、彼女もよく知っていた。

 

「メディカルマシーンが使えるようになったのは大きかったな。あれで死ぬ奴がかなり減ったし、死ななければ治るから、ある程度無茶もきくようになった」

 

 それを聞いたギネは、バーダックの顔に残った傷を、悲しそうな目で見て言った。

 

「……それでも、バーダックは無茶し過ぎだったよ」

「やらなきゃ全滅するって状況ばっかりだったんだ。仕方が無いだろ」

 

 バーダックが呟き、重くなりかけた空気を察したセリパが、いやらしい笑みを浮かべて言った。

 

「何より、大猿になっても破れない戦闘服が支給されたのが、アタシ達にとっては有難かったね。……男どもはガッカリしてたようだけど」

 

 面白がるようなセリパの視線から、ばつが悪そうに目を逸らすトーマ達。

 

「ギネ、あんたも昔はバーダックから、じろじろ見られてたんじゃないのかい?」

 

 言われた彼女は真っ赤になりながら、頬に手を当てる。

 

「う、ううん……。バーダックはあたしが服着るまで、ずっと後ろ向いててくれてたから」

「おい何言ってんだ止めろ」

 

 トーマ達は、え?マジかこいつ、って言いたげな顔でバーダックを見た。

 

「バーダックお前さあ……純情過ぎるだろ……」

「これが結婚できる男の顔か……」

「……(頭を振る)」

「うるせえぞテメエら!」

 

 酒のせいか、わずかに赤くなった顔でバーダックは怒鳴り声を上げる。

 

 その時、やり取りを聞いていたナッツが、首を傾げて言った。

 

「ねえ、戦闘服があったら、どうして男の人がガッカリするの?」

「えっ」

「えっ」

 

 その場の全員が、え?マジなのこの子、って言いたげな顔でナッツを見た。

 

「え、えっと、ナッツちゃん? 戦闘服が無かったら、変身が解けた時に、その、裸になるっていうのは分かるよね?」

「? 何か問題なの? メディカルマシーンとか、みんな裸で堂々と入ってるわ」

 

 純粋な目でそう言われて、思わずギネはたじろいだ。

 

(女の子を育てた経験は無いけど、こういう羞恥心とかって、普通自然に身に付くんじゃないの……?)

 

 3歳の頃に母親を失い、そこから周囲が大人の男ばかりの環境の中で、戦いに明け暮れていた少女は、そうした感覚とは縁が無かった。

 

「ど、どうしよう? 教えた方が良いのかな?」

「……別にいいと思うよ。何かあってもアイツの孫なら責任は取るよ、きっと」

「オレは関係ねえだろうが!?」

「ねえ、結局どうなの? 父様も似たような事を言ってた気がするけど、よく判らないの」

 

 ギネは額に汗を浮かべながら、曖昧な笑みを浮かべて言った。

 

「お、大人になれば分かるんじゃないかな?」

「ふうん」

 

(誤魔化されてる気がするけど、ギネさんは良い人だし。きっとまだ、私が知るべき事じゃないんだわ)

(この子はまだ小さいし、これから成長するうちに、そういうのもきっと分かってくるよね)

 

 なお、この先も長らく彼女がそうした概念を理解する事は無く、悟飯とベジータと、ついでにこれから生まれる彼女の弟も頭を抱える事になるのだが、それはまた別の話だった。




 ちょっと予定より長くなってますが、次かその次の話かでエピローグ2、地球編に行きます。悟飯の家に遊びに行ったり父親とブルマと3人で服買いに行ったりします。

 コルド大王と組む前のサイヤ人の話は独自解釈です。
 戦闘民族がいきなり自分達で惑星売ろうとして上手くいくか、というと微妙だろうなあと思ったので、この物語だとこういう感じになりました。


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7.彼女が宴を楽しむ話(中編)

 陽が落ちた後も、ぱちぱちと燃える焚き火の明かりに照らされながら、ナッツはバーダック達の昔話に耳を傾けていた。

 

 コルド大王と手を組み、戦闘服やスカウトスコープといった装備面だけでなく、物資や経済面、情報面での組織的なバックアップを受けたサイヤ人達は、それまで以上の勢いで、銀河の星々を征服していった。

 

 戦闘と栄光に溢れたその内容は、サイヤ人の王族の血を引く少女にとって、心躍るものだった。しかし黒い瞳を輝かせながら熱心に話を聞いていたナッツは、不意に気付く。

 

 当時の戦果を語る彼らの顔は一様に明るかったが、ただギネだけが、口数少なく、少し困ったような顔をしていた。心配になった少女は、話の邪魔にならないよう、小声で彼女に語り掛ける。

 

「どうしたの? 具合でも悪いの?」

「あ、いや……そういうのじゃないんだけど……」

  

 やはり小声で応えたギネが、小さく俯きながら続ける。

 

「あたしは変わり者で、戦ったり、殺したりするのが、怖くてさ。だからこういう話は、あまり好きじゃないんだ」

「確かに変わった考えだけど、あなたの子供のカカロットや、孫の悟飯も同じような事を言っていたわ。優しいサイヤ人っていうのも、私は悪くないと思う」

 

 もちろん、弱いから戦いたくないとか、そういうのは、さすがにサイヤ人としてどうかと思うけど。見た感じ、ギネさんの戦闘力は、地獄にいる他のサイヤ人と比べても、それほど低いわけではない。

 

 強いなら弱い相手は好きにできるのだし、だったら殺したくないというのも、選択肢の一つではあるだろう。

 

「ううん、カカロットや悟飯は、本当に優しい子達なんだけど、あたしは……」

 

 

 思い出す。バーダック達と一緒に、毎日のように惑星を攻めていた頃の事を。あまり気は進まなかったけど、それでもいざ実際に戦場に出ると、自分の中の戦闘民族の血が、沸き立つような感覚に襲われた。

 

 初陣から何年かして、何とか戦いにも慣れた頃。あれは何という星だっただろうか。数えきれない程の、歩兵や戦車や戦闘機の群れ。地上から、空中から、迫りくる無数の銃弾を素早く回避しながら、反撃のエネルギー波を叩き込む。白兵戦を挑んでくる戦士達の攻撃を、紙一重で見切って捌き、打ち倒す。こちらを狙っていた戦車を、敵の防御陣地へと蹴り飛ばす。

 

 どれだけ倒しても敵の猛攻は収まらず、いつしか時間も忘れて、ただ戦いの興奮に身を任せて、息を切らしながら、ふと何かを感じて空を見れば、輝く真円の月が昇っていた。心臓が高鳴り、全身に力が漲り、瞬く間に膨れ上がる破壊衝動で、意識が塗り潰される。

 

 その直前、確かにあたしは、笑みを浮かべていた。

 

 星の名前は思い出せないけど、その事だけは、今でも覚えている。

 

 

 ギネは周囲を見渡し、ナッツにだけ聞こえるよう身を寄せて、絞り出すような声で言った。

 

「戦ったり、殺したりするのを、楽しいと思えてしまうのが、怖いんだ」

「……?」

 

 ナッツにとっては難しい話で、思わず首を傾げてしまう。殺したくないというのなら、それは優しいのと同じに思えるのだけど。

 

「気にするな。こいつは変わり者なんだ」

「っ、バーダック!?」

 

 いつの間にか近くに来ていたバーダックが、ギネの肩に手を回して続ける。

 

「こいつの分まで、オレが戦う。こいつは家で飯を作ってガキ共の面倒を見る。オレ達は、それでいいんだ」

「バーダック……」

 

 頬を赤らめるギネの視線から、照れくさそうに顔を逸らすバーダック。そんな彼らの姿を、少女は感慨深げに見つめていた。

 

 夫婦というのは、一緒に戦うものだと思っていた。母様だって、身体の調子が良い時には、私を連れて、父様と戦場に出ていた。

 

 バーダックの言う二人の関係は、サイヤ人らしくは無いけれど。二人とも満足していて、確かに幸せそうに見えた。こういう夫婦の在り方も、あるのだと思った。

 

 にっこりと、満面の笑みを浮かべて、ナッツは胸の内を口にした。

 

「良い夫婦なのね、あなた達」

「ふえっ!?」

「……」

 

 真っ直ぐな賞賛に、ギネはますます顔を赤く染めて俯き、そしてバーダックは何も言わず、ただ妻を抱く手に力を込めた。

 

 そこでナッツは、ふと考える。自分も将来、こんな風になれるのだろうかと。

 

 相手はそう、仮に、あくまで仮に悟飯としよう。まだ私達は子供だし、あくまでまだ友達だけど。将来的にそうなる可能性もないではないし。

 

 できれば父様と母様のように、二人で一緒に戦うような感じが良いけれど、悟飯は戦うのがあまり好きじゃないから、ギネさん達とは逆に、私が戦って、彼が家にいるのだろうか。

 

 ぽわぽわと、少女の頭の中で、成長した彼女が戦闘服姿で家に戻ってくるシーンが展開される。 

 

 

「ただいま! 今日は星を3つも滅ぼして来たわ!」

 

 すると白いエプロンを付けた大人の悟飯が、笑顔で迎えてくれるのだ。

 

「お疲れ様、ナッツ。食事とお風呂、どっちがいい?」

「もちろん食事よ! とってもお腹が空いてるんだから!」

 

 そして準備してくれた美味しい食事をたくさん食べて、お風呂にも入って、気持ち良く眠ろうとしたところで、ふと母親の言葉を思い出す。

 

(地球人は戦闘力よりも、見た目の良しあしとか、女子力というのを重視するらしいわ)

 

 難しい顔で、ナッツは考える。悟飯のお母様は、とても料理が上手いと聞いた事がある。だったら悟飯も、そういう子の方が好みなのではないだろうか?

 

 反射的にナッツの中で、別のイメージが展開される。黒い線で目元を隠した地球人の少女が、悟飯に手料理を振舞っている光景を。

 

「はい、悟飯。どうかしら? 上手にできたと思うんだけど……」

「うん、凄くおいしいよ」

 

 そして想像の中で、上機嫌で手料理に舌鼓を打つ悟飯の姿を、ナッツは物陰から涙目でハンカチを噛みながら眺めていた。

 

 

「やだ……悟飯が……」 

「ど、どうしたの!? ナッツちゃん!?」

 

 だーっ、といきなり涙を流し始めた少女の様子に、混乱したギネが叫ぶ。しばらく彼女があたふたと慰めて、ようやく泣きやんだナッツが、ぽつりと呟いた。

 

「ギネさんは、料理とか、できたりするの?」

「りょ、料理なんてそんな……お肉を切って、味を付けて焼いたりとか……?」

「お肉を、切るですって……!」

 

 まるで天地が引っくり返ったかのように、仰天するナッツ。その発想は無かった。狩った獲物は丸焼きにして、そのまま丸かじりするか、骨を持って食べればいいと思っていたし、事実母様もそうしていた。

 

「き、切るってどうやって……? こう、エネルギーを刃の形にして……? けどそれだとお肉が焦げちゃうし……」

「そんな危ない事しないよ!? ほら、料理用の包丁があるから、これで切るんだ」

「りょ、料理に使う道具を、持ち歩いてるの……!?」

「いや普段は持たないけど、皆が今食べてるお肉とか、私が準備したやつだし……足りなくなったらもっと切ろうかなって思って」

「気遣いまで凄いわ……!」

 

 がくりと、地面に両手をつくナッツ。あまりの女子力の差に、彼女は完全に打ちひしがれていた。絶望で身体が震え、がちがちと歯が打ち鳴らされる。

 

「これが女子力の違いだというの……!!」

「いや、大した事じゃないからね!?」

 

 ギネはそう言うも、今のところ女子力がたったの5くらいしか無い少女にとっては大きな問題で。

 

(地球に行ったら、料理とかも訓練しないといけないわ……! 地球人に悟飯を取られない為にも!)

 

 ぐっと拳を握りしめつつ、決意を固めるナッツ。その頃地球で、父親の真似をして格闘技の訓練をしていた少女が小さくくしゃみをしたのだが、それはまた別の話だ。

 

 

 それから、しばしの時間が経過して。

 

 気を取り直したナッツは、再びトーマ達の思い出話に耳を傾けていた。毎日が戦いに彩られたその内容に、少女は興奮を隠せないまま、紅潮した顔で、尻尾を激しく振りたくりながら叫ぶ。

 

「いいなあ! 私も惑星ベジータに生まれたかったわ! それで父様や母様や皆と、銀河中の惑星を攻略して、いつかはフリーザも倒して宇宙を征服するの!」

 

 そんな少女の物騒な発言は、一般的なサイヤ人にとっては好ましいものだった。上機嫌で追加のジュースを注ぐトーマ。

 

「頼もしいぜ。お姫様がいてくれたら、本当にそれができたかもしれないな」

「もちろんよ! 惑星ベジータが滅びなかったら、きっと私の他にも超サイヤ人が何人も現れたに違いないわ。そしたらフリーザも目じゃないし」

 

 楽しげに笑うナッツに向けて、いたずらっぽい口調で、セリパが言った。

 

「けどお姫様、そしたらあの悟飯って子に会えなかったかもしれないよ?」

「えっ」

 

 その一言をきっかけに、少女の思考が目まぐるしく展開する。もし惑星ベジータが滅びていなかったら、私が地球に行く事はあるだろうか。

 

 あの惑星は銀河の端っこで、環境だけはそれなりに良かったけど、大したレベルの文明は無く、得られる物が少ないから、積極的に攻めるような場所ではない。

 

 逆に言えば、どこからも攻められる要素が無く、住民が弱くて月もあったから、カカロットの避難場所として選ばれたんだろうけど。少なくとも、仮に攻めるにしても下級戦士の仕事で、王族の私が直接行く事はないだろう。

 

 いやそもそも、惑星ベジータが健在なら、カカロットはすぐに両親に連れ戻されていただろう。そうして成長した彼が結婚して、子供を作るとしても、相手はサイヤ人で、生まれてくる子供も、きっと悟飯とは似ても付かない、普通のサイヤ人になるのだろう。

 

 あの少年が、生まれて来なくなる。それを思うと、ナッツは胸の奥が、ちくりと痛むのを感じた。高ぶっていた感情も、にわかに冷めてしまう。

 

 惑星ベジータで、星々を征服して生きるのも、それは当然とても楽しいと思うけれど。

 

 ナッツは泣きそうな顔で俯いて、ぽつりと寂しそうに呟いた。

 

 

「……悟飯と会えないだなんて、やだ」

 

 

 次の瞬間、トテッポが胸を押さえて地面に倒れた。

 

「があああああ!? ぐわあああああ!?」

「ど、どうしたの!? 大丈夫!?」

 

 目を見開いて苦しげに転げまわる男に少女が駆け寄ると、彼の状態はますます悪化した。

 

「ぎゃあああああっ!? ああああああっ!?」

「一体どうしたのこれ!?」

「あー、心配するな嬢ちゃん。トテッポの奴は、こういうのに弱いんだ……」

 

 そう言って介抱を始めたトーマも、心なしか体調が悪そうに見えた。

 

「こういうのって何? それにあなたも大丈夫なの?」

「説明は難しいんだが、オレ達はこういうのに、免疫が無いんだよ……」

 

 気が付くと、ナッツの周囲のサイヤ人全員が、まるでハチミツを一気飲みしたような表情で胸を押さえていた。

 

「な、何故だか肉が甘いんだが……」

 

 目を白黒させるパンブーキンを見て、同じく酒を甘く感じたセリパがため息をつく。

 

「……凄いねこりゃ。こんなのは、ギネとバーダックがくっついた時以来だよ」

「おい! こっちに飛び火させるんじゃねえ!?」

「いいじゃない、バーダックぅ……」

 

 とろりとした目つきのギネが、甘えるように夫にしなだれかかり、首筋に手を回す。

 

「もう戦わなくていいから、オレの子を産めって言ってくれた時、嬉しかったんだからさぁ……」

「てめえ酔ってやがるな!?」

 

 おお、と興味津々で身を乗り出すナッツ。もはや声すら出せず泡を吹いて痙攣を始めたトテッポに、必死の形相で心臓マッサージを施すトーマ。

 

「本当に仲が良い夫婦なのね……!」

「死ぬなトテッポ! いやもう死んでるけど! 帰ってこい!」

「酒も甘え……」

「あははははっ! もういいから二人でその辺の暗がりにでも行ってきなよ!」 

「てめえら見世物じゃねえぞ! あとガキの教育に悪いからやめろ!」

「えー、やだぁー」

 

 何とか妻の身体を引き剥がそうとするバーダックだったが、ギネは嬉しそうに縋り付いて離れようとしない。

 

 そしていつの間にか、彼らのやり取りを耳にしたサイヤ人達が、かなりの広範囲で胸を押さえて倒れていたのだが、今の彼はそれを気にするどころでは無かった。




 あんまり話が進んでませんが、今回はこの辺で。
 ギネさんのあれこれは独自解釈です。もちろんこの物語でも普通に優しい人なんですけど、悟飯が一瞬不良になってたようなものと思って下さい。

 それとお気に入り、感想、評価など、いつも有難うございます。
 続きを書く励みになっております。

 大まかに彼女の物語の最終回の構想は練ってまして、時間軸が劇場版ブロリーの頃とかで何年掛かるんだって話ですが、まあフリーザ様だって倒せましたし、ちょっと1話が短めな今のペースでもコツコツ続ければいつかは行けるし自分も見たいなあと思いながら進めております。

 投稿は遅くなるかもしれませんが、エタる事はないように続けていきたいと思いますので、どうか気長に温かく見守っていて下さいませ。


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8.彼女が宴を楽しむ話(後編)

 酔っぱらったギネはひとしきりバーダックにくっついて甘えた後、彼の膝の上でくうくうと寝息を立て始めた。 

 

 バーダックは無言で酒を飲みながら、空いた手で彼女の頭を撫でている。そんな仲睦まじい夫婦の様子を、嬉しそうに見守っていたナッツは、ふと口元に手をあて、小さな欠伸を漏らす。

 

「ふわぁ……」

 

 気付けば、辺りはすっかり暗くなっていた。少女は目をしょぼつかせる。特に戦闘などが無い時は、夜の9時には寝るよう父様から言われている。たくさん寝ないと、背が伸びないのだそうだ。

 

(父様、ナッパやラディッツより背が低いのを、気にしてるのよね。確かに背の高い方が大人らしいし、リーチも長くなるけど、別にそんなの関係無く、父様は強くて格好良いのに)

 

「おや、お姫様もおねむかい? アタシの膝で良かったら、貸してあげるよ?」

 

 からかうように微笑みながら、ぽんぽんと自らの膝を叩くセリパ。アンダースーツから伸びた太腿の白い肌が、焚き火の炎に照らされていた。

 

 正直なところ、ナッツはその申し出に甘えたかった。今日一日で、ギニュー特戦隊とフリーザを相手に激戦を繰り広げたのだ。途中で仙豆やナメック星人の治療による回復を挟んだとはいえ、気分的な疲れまで消えるわけでは無い。

 

 それでも、大好きな母親がそのうち来るはずなのに、他の女性の膝で眠るというのは、何となく抵抗があった。

 

「ありがとう。けど、母様達が迎えに来るまで起きてるわ……」

「そうかい。まあ、好きにするといいさ」

 

 セリパは少女の内心を見透かしたように、ふっと笑って、髪をかき上げる。その耳元で、きらりと光る金の耳飾りが、ナッツの興味を引いた。少女の視線に気付いたセリパは、耳飾りに手をやりながら口を開く。

 

「こいつが気になるのかい?」

「うん。きらきら光ってて、綺麗だと思うわ」

 

 けれど、見栄えを気にするのは、あまり戦士らしくないと、ナッツは内心考えてしまう。攻めた星の住民が、同じように身を飾っているのを見た事がある。けれど、そういう人間は大抵弱くて、すぐに死んでしまうものだから、あまり良いイメージは無い。

 

(母様もああいうのは着けてなかったし、それにあれ、戦闘服とは違って、普通の金属よね? 変身する時に外さなきゃならないのは面倒だわ)

 

 そんな事を考えていたナッツの顔を見て、セリパが面白そうに、にやにやと笑う。 

 

「こういうのはあんまり戦士らしくない、とか、そんな風に思ってるだろ、お姫様?」

 

 驚いた少女が、思わず叫ぶ。

 

「私の心が読めるの!?」

「違うよ。お姫様がわかりやすい顔をしてたし、アタシも昔はそんな風に考えてたから、気持ちはわかるのさ。けどね、お姫様……」

 

 ずい、と、少女に身を近づけるセリパ。酒のせいか、やや赤らんだ顔に、どこか艶のある表情を浮かべていた。

 

「女らしい格好をする事が、戦場で役に立つ事もあるんだよ?」

「ど、どんな……?」

 

 思わずどきりとして、しどろもどろになった少女が、反射的にセリパから顔を背ける。彼女は大人の女性が、こうした顔をするのを見た事がなかった。

 

「戦場でこういう格好をしてると、女目当ての腕自慢の奴らが向こうから襲い掛かってくるのさ。戦う相手に不自由しなくなる」

「おお……!」

 

 言葉と共に、蠱惑的な表情から一変し、戦士らしい獰猛な笑みを浮かべるセリパに、少女は瞳を輝かせて、尊敬のまなざしを向けていた。

 

(この人、母様とは全然違うタイプの人だけど、格好良いわ……!)

 

 どうして女だと襲われるのかよくわからないけど、たぶん女性の戦士は数が少なくて目立つからとか、そういう理由だろうと、ナッツは一人で納得する。

 

(あ、これあんまり理解してないやつだね……)

 

 ナッツの内心を察したセリパは少し考えた後、耳飾りを外し、少女に差し出した。

 

「ほら、ちょっと着けてごらんよ」

「ええっ!? い、いいわよ、私にはまだ早いし、恥ずかしいわ……」

「いいから。子供の頃からずっとそんな感じだと、いざ大人になった時どういう格好したらいいのかわからなくて、一からファッション誌とか読んで勉強する羽目になるんだよ……!」

 

 遠慮し後ずさる少女を押さえつけ、セリパは妙に実感のこもった台詞を口にしながら、自分の耳飾りを着けさせる。

 

「むう……なんか落ち着かないわ」

 

 耳たぶを押さえながら難しい顔をしているナッツの小さな身体を、セリパは強引にバーダック達の方に向けながら叫ぶ。

 

「ほら男ども! お洒落したこの子をどう思う?」

「ちょ、ちょっと……!?」

 

 整った顔立ちの少女が真っ赤になってじたばたする姿に、酒の入った彼らは面白がって口々に賞賛を送る。

 

「似合う似合う! セリパの奴よりよっぽど可愛いんじゃねえか!」

「まさにお姫様だぜ!」

「……(こくこく)」

「あうう……」

 

 褒められて気恥ずかしさに俯くナッツ。その横でセリパは調子に乗ったトーマの頭を小突きながら、口数少なく酒を飲んでいたラディッツに水を向ける。

 

「ほらラディッツ坊や、アンタはどう思う?」

 

 言葉と共に彼の方へと向けられた少女の姿を、彼はじっと見つめる。背中まで伸びたボリュームのある長い髪に、夜のような黒い瞳。そしてその顔立ちは、雰囲気こそ全く異なるが、子供の頃の彼女の母親に、とても良く似ていた。

 

 酒精の入った頭は、目の前の少女と、記憶の中の彼女を、ぼんやりと重ね合わせていた。子供の頃のベジータ王子の後ろを、どこへ行くにも付いて歩いていた彼女の姿。蘇る思い出の数々に、グラスの酒を一息に呷って彼は絶叫する。

 

「畜生ー!! せっかくチームに可愛い子が入ったと思ってたのに、あいつ昔から王子の事しか見てなかったじゃねえかー!!」

 

「ラ、ラディッツ……?」

 

 目を白黒させるナッツと、そんな彼を指差して爆笑するセリパ達。そしてバーダックが無言で肩を抱いて酒を注ぐ。

 

「ラディッツ、とりあえず飲め。飲んで嫌な事は全部忘れちまえ」

「親父ぃ……!!」

 

 だーっ、と男泣きを始めるラディッツを楽しそうに眺めながら、セリパは回収した耳飾りを着け直して言った。

 

「どうだい、お姫様? 綺麗な物着けてちやほやされるってのも、なかなか良いもんだろ?」

「うん。けど、皆酔ってたし、面白がって褒めてくれただけのような気がするわ。私なんてまだ子供で、あなたやギネさんや母様みたいに、素敵な大人の人達とは全然違うし……」

 

 口にしてから、ナッツははっと後悔する。サイヤ人の戦士に素敵とか、あんまり嬉しい褒め言葉ではない。まだ未熟な子供の私は、そんな事でも嬉しいと思ってしまうけど、歴戦の戦士であるセリパにとっては、強さや勇ましさを褒めるべきだったのに。気を悪くしていないだろうか。

 

「ご、ごめんなさい。その、思わず言葉が出ちゃって……」

「いいんだよ。ありがとうね、お姫様」

 

 しどろもどろに謝る少女の頭を、セリパは優しい顔でわしわしと撫でた。

 

(落ち着いた余裕のある大人の態度! やっぱり格好良いわ……!)

 

 ナッツはますます尊敬の度合いを強くして、きらきらした目で彼女を見つめていた。

 

 

 なお、後ろから見ると、セリパの尻尾が嬉しそうにぱたぱたと動いているのが明らかだった。見ていたバーダック達がひそひそと語り出す。

 

「おい、ガチで喜んでるぞあいつ……」

「あのセリパ姐さんが……マジかよ……」

「そっとしておいてやれ。素敵なんて言葉、生まれて初めて言われたんだろうよ」

「……(無言で頭を振る)」

「あいつ昔、戦場で男と間違えられたのをずっと気にしてたからな……」

 

「聞こえてるよアンタ達!!」

 

 蹴り倒されるトーマ。なおも暴れようとするセリパを、ラディッツが必至に宥めようとする。

 

 そしてバーダックが、酒のグラスを傾けながら、少女に語り掛ける。

 

「心配するな、姫さん。あんたは将来、とびきり良い女になるさ。オレが保証してやる」

 

 それはまるで、未来でも見たかのように、確信を持った口調だった。ただ彼の能力を知らないナッツや周囲の人間にとっては、子供への慰めとしか思えなかった。

 

「うん、ありがとう。……良い女って、どんな感じなの? 私は母様みたいな大人になりたいんだけど」

「大体あんな感じだ。ただ、胸は姫さんの方がデカくなるだろうな。こう、ボーンと」

「えっ? いや、母様だって結構大きいのよ……?」

 

 戸惑う少女を前に、バーダックは陽気に笑いながら酒を呷る。その顔は既に、酒精でかなり赤く染まっている。

 

「……バーダックの奴、あれだけ酔うなんて珍しいな」

「カカロットと孫がフリーザと戦って、ラディッツの奴と仲直りできて、嬉しかったんじゃねえか?」

 

 そんな彼を見て、トーマとパンブーキンがしんみりとする中、ナッツは自分のまだ小さな胸を押さえながら、複雑な顔をしていた。

 

 胸が大きくて喜ぶのなんて、赤ちゃんや子供くらいのもので、母様より大きいとか、戦いの邪魔になるのではないだろうか。 

 

「胸とかどうでもいいんだけど……背丈とか大人らしい雰囲気とかはどうなの?」

 

 言葉の途中で、聞いていたセリパの額に青筋が浮かび、吹き出したトーマが再度蹴り倒されていたが、少女は気付かない。

 

 そしてバーダックの方は、いよいよ酒が回ってきたようで。普段の彼ならば、決して口にしないだろう言葉を叫んでしまう。

 

「はあ!? 胸はデカい方が良いに決まってるだろうが! なあラディッツ!」

「お、親父、後ろ……」

 

 おずおずと彼の背後を指さすラディッツ。嫌な予感がしたバーダックがゆっくりと振り返ると、そこにはさっきまでくうくう寝ていたはずのギネが、目だけは笑っていない笑顔を浮かべて立っていた。

 

「バーダック? ちょっと奥いこうか?」

 

 いつの間にか、その手には大きな肉斬り包丁が握られている。一瞬で酔いの醒めた彼は、額に汗を浮かべて言った。

 

「待てギネ。話し合おう。オレは実際見た事を口にしただけで」

「どこで見たんだよ!? それに子供に何言ってるの!! あたしの胸じゃ不満か!!」

 

 見る間にボコボコにされていくバーダックの姿に、ナッツはラディッツと抱き合ってがたがたと震えていた。

 

(こ、怖い……)

 

 基本的に良い子だった彼女は、親から怒られた経験など無く、こうした事態に免疫がなかったのだ。そして遠巻きに囃し立てながら事態を見ていたトーマ達が、そろそろ助けに入るべきかと腰を上げた時。

 

「……何の騒ぎだ、これは」

「はい、おそらく夫婦喧嘩と思われます、ベジータ様。私も初めて見ました……」

 

 ざわめきと共に、戦闘服に身を包んだ一組の男女が、寄り添いながらその場へと歩いてくる。彼らの姿を見たナッツの顔が、ぱあっと明るくなる。この宇宙で、一番大好きな人達だった。

 

「父様!! 母様!!」

 

 少女は立ち上がり、満面の笑みを浮かべて、二人に向かって駆け寄っていった。




 セリパさん、ニーハイとか耳飾りでお洒落しながら全体的に露出高めなのに手先はしっかりブーツとお揃いの白グローブで守ってるあたりが女戦士のファッションって感じで素晴らしいと思うのです(早口)
 けど昔はそんなの気にせず男物の戦闘服着てたとかだと更に良いと思います。

 お気に入り、誤字報告など有難うございます。続きを書く励みになっております。
 あと感想とか評価も頂けると作者がとても喜びます。ちょっとした一言や気になる事の質問とかでも構いませんので、よろしければ気楽な感じで書いてみて下さいませ。


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9.彼女が母と別れる話

 周囲のサイヤ人達がざわめく中、彼らの王子と、その伴侶が、幸せそうに肩を寄せ合いながら、娘の元へと歩を進めていた。

 

 治療を受けたとはいえ、彼らの全身には負傷の跡が見えており、また身に纏う戦闘服も、汚れなどは拭われていたが、所々がひび割れ破損していた。一般的な宴の場なら、眉をひそめられるような恰好だが、この場にいるのは全員が戦闘民族サイヤ人だ。

 

 激しい戦闘の様子を物語るようなその姿は、むしろ下手な正装よりも、彼らにとっては良い印象を与えたようで。そしてそれは、娘であるナッツも同様だった。鳴りやまぬ歓声の中、誇らしげな感情と共に、両親の元へと、駆け寄って行く。

 

「父様!! 母様!!」

 

 満面の笑みで飛びつくナッツを、母親であるリーファが受け止める。そしてぎゅっと抱き締められて、二人掛かりでわしゃわしゃと頭を撫でられる。それだけで、少女の顔は幸せそうに緩みきって、まるで子猫のような、甘えた声を漏らしてしまう。

 

「ふにゃあ、母様……温かいです……」

 

 母親の心地良い温もりに、ナッツは身を任せる。彼女は生前と同じ儚げな雰囲気を持っていたが、自分を抱く手の力強さや、しっかりとした足腰からは、その身体がもはや病魔に侵されておらず、生命力に満ち溢れている事が感じられた。

 

「一人にしてしまって、ごめんなさいね、ナッツ。私達がいない間、良い子にしてた?」

「はい! あの方々から、昔の戦いの話を聞かせてもらってました!」

 

 言ってバーダック達の方を示す娘に、父親がひとつ頷いた。

 

「そうか、じゃあお礼を言いに行かないとな」

 

 そこでナッツは、自分を見つめる優しい父親の表情の中に、ほんのわずかな違和感を感じ取った。

 

「? 父様? 何かあったんですか?」

「……何でもないぞ、ナッツ」

 

 一瞬言葉に詰まった後、誤魔化すように、笑って頭を撫でる父親の様子に、何かあったのだと娘は思ったが、

 

(父様が隠すという事は、私が知るべき事じゃないんでしょうね。なら、追及するのは良くないわ。必要な事なら、きっといつか話してくれるはずだし)

 

 そう考えて、髪に触れる父親の手の感触を楽しむ事にした。

 

 

 

 それから少し時間が経って、両親がバーダック達に挨拶をした後。ナッツは座る母親の膝の上に抱かれて、幸せそうに微睡んでいた。

 

 戦闘服のジャケットごしでも、彼女の女性らしく柔らかい身体の感触が伝わってくる。そうして母親の確かな温もりに包まれていると、彼女が死んだあの日の事が、まるで悪い夢だったかのように思えてしまうのだった。

 

「娘の面倒を見ていただいて、ありがとうございます」

「何、構わないさ。ガキの頃のアタシ達より、100倍くらいお行儀が良い子だったからね」

「そうそう、ナッツちゃんとっても良い子でしたよ!」

 

 飲み物のグラスを打ち合わせて、明るい表情で話に花を咲かせる女性陣。

 

 黒一色の戦闘服に身を包み、娘を抱いて儚げに微笑むリーファ。装飾品で身を飾りつつも、戦闘民族らしい野性的な笑みを浮かべるセリパ。そして家庭的で穏やかな雰囲気を持ち、明るく朗らかに笑うギネ。

 

 それぞれタイプは異なるが、いずれも劣らぬ美人揃いで、華やかな空間が形成されていた。

 

 

 一方ベジータは来た早々に、半ば出来上がったトーマ達に拉致されて、話の輪の中に引きずり込まれていた。

 

「あのスカしてた王子様が、立派になって胸の大きな美人の嫁さんまでもらいやがってよお~。羨しいじゃねえか! 胸の! 大きな! 美人の嫁さんを! 畜生飲みやがれ!」

「お前の娘は良い戦士だ。それは認める。けどカカロットとラディッツだって負けてねえからな? まあ飲め」

「あ、ああ……」

 

 注がれる酒を困惑しながら受けるベジータ。走ってきたセリパに蹴り倒されるトーマに皆が笑い声を上げる。そこへベジータ王まで王妃を連れて入ってくる。

 

 あまりこうした大勢で騒ぐ経験が無いベジータも、次から次へと注がれる酒の勢いと、フリーザを倒せた上に3年ぶりに妻とも会えた喜びが相まって、次第に周囲の皆と同じ、明るい表情となって宴の雰囲気の中へ溶け込んでいくのだった。

 

 

 そんな夫の様子を嬉しそうに眺めながら、母親は、娘の頭をゆっくりと撫でる。

 

「立派に育ってくれて、嬉しいわ、ナッツ。さすがはお父様の子ね」

「いえ、母様の教育も良かったからです……」

 

 多幸感のあまり、ふにゃふにゃになりながら応えるナッツの姿は、年相応の、戦闘民族とは思えないほど可愛らしい有様だった。それを見ていたギネとセリパが、目を細める。

 

「カカロットもラディッツも立派に育ってくれたけど……女の子も欲しかったなあ」

「……アタシも、一人くらいは作っておいても良かったかもね」

 

 その言葉を耳にしたトーマが、深酒によってぼんやりした頭で、つい反射的に口を挟んだ。

 

「? 妊娠してる間、戦えなくなるのは嫌だから、ちゃんと付けろって言ってたじゃ……」

 

 言葉の途中で、セリパが彼を殴り倒した。

 

「お、おい! お前さっきから……」

 

 文句を言いつつ起き上がろうとしたトーマの目に映った光景は、かつてない程に真っ赤な顔でぶるぶると拳と全身を震わせながら、自分を見下ろすセリパの姿だった。

 

「アンタって奴は……アンタって奴は……」

 

 その瞬間、彼の戦士としての本能が命の危機を訴え、それはそれとしてヤバいこいつ可愛すぎると一瞬見惚れてしまったが、それはそれとしてまた死にたくないので必死に謝った。

 

「ま、待て! オレが悪かった! 話し合おう!?」

「デリカシーってもんが無いのかいアンタって奴はーーーっ!!!」

 

 羞恥に叫ぶ女戦士の両腕が、掻き毟るような動きでトーマの顔面に何度も叩き付けられる。最後に宙返りしながらのサマーソルトが直撃し、悲鳴を上げながら吹き飛ばされていくトーマ。その華麗な連撃に、見ていた全員が笑いながら惜しみない拍手を送った。

 

 もちろんナッツも例外ではない。息を荒らげるセリパに、きらきらした目を向けながら言った。

 

「今の技、格好良かったわ! 私も今度使っていい?」

「ああ、いいよ。まったく、何年経ってもバカなんだから……」

 

「……ところで、付けるって何の事?」

 

 少女の素朴な疑問に、セリパは思わず頭を抱えたくなるような気分になった。少なくとも、5歳の女の子に母親の前で話すべき内容ではない。

 

「そのうち大人になったら分かるよ……」

「うちの娘がすみません……もう少し大きかったら、私が説明するんですけど。できれば悟飯さんも呼んで一緒に」

「やめたげなよ!?」

 

 思わずギネが叫ぶ。男の子の気持ちはあんまり分からないけど、少なくとも、年頃の少年が女の子と一緒に友人の母親から教えてもらう内容ではないはずだ。

 

「? だって必要な事ですよね? 私、昔はそういうのよくわからなくて、あの人と一緒にお風呂に入ったりしてましたから。後で色々知って、恥ずかしい思いをしてしまいましたし」

 

 その美貌にきょとんとした表情を浮かべて、首をかしげるリーファ。そんな彼女を見て、ギネは戦慄を覚えた。

 

(あんまり話した事なかったけど、この人実は結構天然なのでは?)

 

 その考えは的中していて、生前の彼女はフリーザ軍の中でも、天然入った病弱美人キャラとして、密かに人気が高かったりした。

 

 戦闘力は高いものの、生まれつきの病気のせいであまり任務に出られない彼女を、戦闘員としてはどうなのかと侮る声もあったりしたが、うっかり彼女の前でベジータの悪口を言ったキュイをその場で殴り倒し、吐血しながらひたすら殴り続けて半殺しにした挙句、自分も倒れて緊急搬送された事件があってからは、そういう声はぴたりと収まった。

 

 反面、キレると本気で殺しに来るから怖いという評判も広まったのだが、構成員の大半が戦士のフリーザ軍では、むしろそれが良いとして、ますます彼女の評価は高まった。

 

 そんな彼女がベジータと結ばれた時には、大勢のファンが「やっぱりなあ」と思いつつ、心の中で少しだけ悲しみながら祝いの品を贈ったという。ちなみにギニュー特戦隊のバータもその一人で、匿名で結婚祝いと出産祝いまで出していた。

 

 

 閑話休題。遠くで倒れていたトーマの様子を見に行ったセリパが帰って来て、少し経った頃、ふとリーファが、思い出したように口を開く。

 

「子供といえば、私も、もう少し身体が丈夫だったら、この子に弟も作ってあげたかったです」

「お、弟!?」

 

 その単語を聞いて驚き、目を白黒させるナッツ。考えた事も無かった。身体の弱い母様にとっては、私一人生むだけで、大変だったはずなのだから。

 

(けど、良いかも……)

 

 弟。私と同じ父様と母様の子供で、私より年下の家族で、守ってあげるべき存在なのだ。そういう意味では、年下の悟飯も弟みたいなものだって思ってたけど。頼りになるってわかったし。

 

(ずっと、傍にいるから……!)

 

 ほんの数時間前に言われた台詞を思い出し、真っ赤になって俯いてしまう。あんな事言われたら、もう弟としてなんて見れないじゃない。

 

 そう、弟というのは、そういう見ていてどきどきするような感じじゃなくて、家族なのだ。私よりも小さくて可愛い存在なのだ。

 

(姉様! 姉様!)

 

 そんな家族がもう一人いてくれれば、私はとても嬉しいし、父様だって、寂しい思いをしなくて済むかもしれない。

 

「そうですね、私も、弟が欲しかったです」

 

 思わず口にしてしまってから、それはもう叶わない事だと気付く。だって母様は、もう死んでしまっているのだから。

 

「ご、ごめんなさい、母様! 無理な事を言ってしまって……!」

「ううん、いいのよ、ナッツ。私が言い出した事だもの。それに……」

「それに?」

 

 そこで彼女は、周囲に隠すかのように、少し声を抑えて言った。

 

「無理な事じゃないわ。もしかしたら、いつの日か、弟か妹が、あなたにできるかもしれない」

「……?? 母様は、その、死んでるんですよね?」

「ええ、私は、もう死んでいるわね」

 

 少し寂しそうに微笑むリーファと、まるで難しい謎掛けでもされたように、本気で意味が分からないという様子のナッツ。

 

 一方で、彼女の言葉を理解したセリパが口を挟む。死んだ人間は子供を作れない。それなのに、ナッツに弟か妹ができるという事は。 

 

「ちょっと、アンタはそれでいいのかい。愛してるんだろ。あの王子様の事を」

 

「……ベジータ様は、とても情の深い方ですから、何十年も一人で生きる事に、きっと耐えられません。どうしても辛くなったら、いいですよって、あの人には伝えました」

 

 その言葉にセリパは思わず激昂しかけるも、リーファの表情を見て絶句する。幾度となく葛藤して、悲しんで、その上で全てを受け入れて、愛するような笑みを浮かべていた。

 

「……そんな事、関係無いだろ? 自分の好きな男が、他の女に取られてもいいのかい」

「そ、そうですよ! 王子様にはちょっと我慢してもらえば、またここで会えるんだし。それに、ナッツちゃんも、そんなの……」

「私の方が、耐えられないんです」

 

 母親は身を震わせながら、娘を抱く腕に力を込める。

 

「この3年間、私が死んでから、あの人もこの子も、悲しんでばかりでした。私はそれを、何もできずに、見ているしかできなかったんです」

 

 明るく朗らかだった娘は、人が変わったように、冷たく頑なになってしまった。夫は自らも悲しみにくれながら、そんな娘を必死に支えて、そして娘の見ていない場所で、人知れず涙を流していた。

 

 だからリーファは悟飯に、心の底から感謝していた。地球で彼と出会ってから、ナッツは昔のように、明るく幸せそうな笑顔を見せてくれる事が多くなったから。あの人もきっと、内心では似たような事を思っているはずだ。

 

 おそらくナッツは、あの少年がいてくれれば大丈夫だろう。ただ、あの人は、冷酷なサイヤ人の王族でありながら、その実、人一倍家族思いのあの人は。自分が何も言わなければ、この先ずっと死ぬまで、一人で寂しい思いを抱えて、押し潰されそうになりながら、それでも必死に耐えて、生きてしまうのだろう。

 

 それを見ているしかできないなんて、私は絶対に耐えられない。

 

「だからこれは、私の我儘なんです。任せても良いと思える人も、もういますから」

 

 あの青い髪の、ブルマという地球人の女性。ナッツの事を心配して、家に住まわせてくれるという。彼女とベジータとの会話も、リーファは全て地獄から聞いていた。

 

 内容は主にナッツの事で、あんな小さい子にどういう酷い暮らしをさせてるのよと、まくしたてる彼女の剣幕に、たじたじとなる夫の姿は、とても微笑ましいもので。ああ、この人になら、まあいいかなと思ったのだ。

 

 悪名高い戦闘民族サイヤ人、自分を指一本で殺せる相手に向かって、臆せずああまで言える人間など、宇宙全体でもそうはいない。私とは全然タイプの違う女性だけど、それでも相性は悪くなさそうだった。

 

 問題なのは、あの人の気持ちだけど。私の方は良いって言っておいたし、これから地球で一緒の家に住むのなら、時間が解決してくれるだろう。

 

 それでも、頭では納得ができていても。リーファの黒い瞳に、うっすらと涙が浮かぶ。できるなら、自分がずっと、あの人の傍に居たかったのに。

 

 生まれつきの病気を抱えていた自分が、戦闘員として戦えて、好きな相手に見初められて、子供までできた事が、既に望外の幸せだと、わかってはいるけれど。

 

「……やっぱり今からでも、止めた方がいいんじゃないかい? 本当に取られちまうかもしれないんだよ?」

 

 気遣うようなセリパの言葉に、リーファは一瞬、呆然としてしまう。何を言われているのか、本気で分からなかったのだ。そして言葉の意味に気付くと、くすくす笑って、満面の笑みで言った。

 

 

「それは有り得ないです。ベジータ様は、一生私を愛してくれますから。たとえ他の方との間に何があっても、それは絶対です」

 

 

「あ、それ解ります。あの人、バーダックと同じ感じがしましたから」

「……あのバカもそうなのかねえ。アタシにはよく分からないよ」

 

 ギネが頷き、セリパが複雑な表情をする中、ナッツには、先程から交わされている会話の意味が、全く理解できないでいた。彼女は年齢の割には聡明だったから、あるいは無意識のうちに、それを考えないようにしているのかもしれなかった。

 

 ただ、大好きな母親が、彼女達を想っている事は伝わったし、ナッツにとっては、それだけで十分で、嬉しそうな母親の腕に、笑顔で抱かれていた。

 

「ナッツ。あなたにはまだ、難しい話かもしれないけど。この先何があっても、お父様の事を、怒らないであげてね」

「私が父様を嫌いになるなんて、有り得ません、母様」

 

 きっぱりと言い切るその様子が、母親とあまりにそっくりで。セリパとギネは大きな笑い声をあげた。その声を聞きながら、ふとナッツは、強烈な眠気に襲われるのを感じた。既に時刻は真夜中近くで、戦闘があるならともかく、普段ならとうに夢の中にいる時間だ。

 

 それにただでさえ、今日はギニュー特戦隊やフリーザと命懸けの戦いを繰り広げた、彼女の短い人生の中でも特に慌ただしい一日だった。少女は小さく欠伸をもらし、顔を上げて、自分を抱く母親と目を合わせて言った。

 

「お休みなさい、母様」

 

 そう言って、小さく微笑んだ。眠る前に、毎晩していた挨拶。これもまた、3年ぶりの言葉だった。

 

「ええ、お休みなさい。ナッツ」

 

 母親も、微睡む娘の頭を優しく撫でながら、笑顔で応える。彼女にとっても、3年ぶりの言葉だった。

 

 そして母親の温もりに包まれながら、ナッツの意識は、穏やかな眠りの中へと溶けていくのだった。

 

 

 

 

 

 それから約22年後の、エイジ784年。人造人間の襲来と、孫悟空達の死を境目に、枝分かれした未来の話。

 

 地下に隠された研究室の中で、どこか疲れた感じの青髪の女性が、工具を片手に、一心不乱に何かの機械を作っていた。

 

 それは一見、一人用の乗り物のようだったが、翼もタイヤもついておらず、場所を移動する機能を、持たされていないかのようだった。実際、三次元上に限定すれば、それは宙に浮く程度の機能しか備えていない。

 

 ブルマが作っているその機械は、タイムマシン。大盛博士の島から回収した試作品を元に、天才である彼女の頭脳は、時間移動の理論を完成させていた。

 

 時間移動は銀河法で禁止されていると、彼女は知っていたが。どうでもいいと思っていた。

 

 工具を握る手に、力がこもる。心労のせいか、年齢よりも老け込んだ顔が憎しみと怒りで歪む。

 

 最愛の、夫と娘を奪った人造人間。過去に飛び、歴史を変える事で、あいつらをぶちのめす手掛かりが掴めるというのなら、どんな処罰だって受ける覚悟でいた。

 

 その時、研究室のドアが開き、彼女と同じ髪の色をした、17歳ほどの見た目の少年が入ってきた。その手には、廃墟から集めてきた機械部品や、食料の入った袋が握られている。

 

「ただいま、母さん」

「ああ、おかえり、トランクス……」

 

 振り向いたブルマは息子の成長した顔を見て、そこへ不意に、夫の面影を見てしまった。決壊した感情が、涙となって溢れ出し、その身が崩れ落ちる。持っていた工具が床に落ちて、高い音を立てた。

 

 驚いた息子が、慌てて駆け寄り、母親の身を支える。

 

「どうしたの!? 母さん、どこか悪くしたの!?」

「大丈夫よ、どこも悪くないわ、トランクス。あの人の事を、思い出しちゃっただけ。……歳を取ると、涙もろくなっちゃうわね」

「……疲れてるんだよ、母さん。少し休まないと」

 

 涙声で呟く母親の心を苛む、底の見えない悲しみに、息子もまた、当てられてしまったように、その気持ちを沈ませる。

 

 父親の顔は、写真でしか見た事が無い。彼が思い出すのは、戦いの師であった悟飯と、戦う力こそ失ってしまったが、それでも優しく彼を愛してくれた、美しい腹違いの姉の事だった。

 

 4年前に、人造人間との戦いで悟飯が死んでしまって、彼と共に3日間泣き続けた後、いつの間にか車椅子だけを残して、家からいなくなっていた。そしてすぐに、人造人間に挑んで惨たらしく殺された、彼女の遺体が見つかった。

 

 少年の拳が、強く握り締められる。絶対に、人造人間共を許すわけにはいかない。だが、今の彼では到底敵わない。少年は、作成途中のタイムマシンを見つめる。過去に飛べば、人造人間の弱点が見つけられるかもしれない。

 

 そして奴らの存在と、襲ってくる日を警告した上で、孫悟空という人の心臓病さえ治せていれば、少なくとも、枝分かれした別の世界では、母さんだって、父さんを失う事はなく、それに姉さんも大怪我なんてせず、悟飯さんと一緒に、幸せに暮らせるはずなのだ。

 

 それはこの滅びかけた世界には、もう望めない事だけれど。不自由な身体で、それでも家族として、自分の事を愛してくれた姉さんが、幸せになってくれる世界を作れるというのなら、それは何を代償にしてでも、叶えるべき価値がある事だし。それに。

 

 

 ああ、そして、もう一度だけでも、会いたいです。姉さん。 

 

 

 母親に気付かれないよう、滲んだ涙を拭いながら、トランクスは言った。

 

「こいつが完成したら、また姉さんに会えるんですね」

「ええ、それにあなたのお父さんにもね。……歴史が変わらないよう、くれぐれも注意しなさいよ? あなたが消えるわけじゃないけど、生まれるはずだった自分を消したくは無いでしょう?」

「父さんか……どんな人だったんですか? 母さん」

 

 特に何か、考えた上での質問では無かった。物心つく前に死んでしまった父親は、トランクスにとって、あまり重要な存在ではなかった。

 

 ただ、姉や母親が、何かにつけて、彼が死んでしまった事で、悲しい顔をしているので、むしろ、どうして彼女達を残して死んでしまったのかと、軽く恨んでさえいたかもしれない。

 

 だから彼は、沈んでいた母親の顔が、小さく幸せそうに緩むのを見て驚愕した。そんな息子に構わず、ブルマは微笑みながら話し出す。その目は遠く、今でない過去を見つめていた。

 

「あの人は、寂しそうな人だったわ。ナッツを引き取ってから、一緒に住む事になってね。いつもぶっきらぼうで生意気だったんだけど、時々夜中に部屋を抜け出して、誰も見ていない場所で、元の奥さんの名前を呼んで、泣いてたりしていたの」

 

 

 それでちょっと、放っておけないって、思ったの。

 

 

 はにかむような、母親の笑顔に、トランクスは胸を打たれた。母親のそんな嬉しそうな顔は、今まで見た事がなかったから。

 

「それで、私と一緒になった後も、時々遠くを見ているような感じになって、指摘してやると、すまないって謝るの。今は私の事を見ていてくれるんだから、どうでもいいってのにね」

「……父さんは、姉さんのお母さんの事を?」

 

 それは母に対して、不義理ではないのだろうかという気持ちを抱くも、あっけらかんに笑う当の母親の態度に、トランクスは困惑する。

 

「そりゃもう、あの人不器用なんだから。愛した人を忘れるなんて、できっこないわ。どうせ今頃、元の奥さんと、ナッツも一緒に地獄で仲良くやってるんでしょうけど」

 

 その一瞬、少年は、自分の母親が若返ったように思えた。少し頬を赤く染めた、恋する娘のようなその顔は、写真の中にしか存在しなかった、若く幸せだった頃の母親の姿だった。

 

 

「あの人は私の事も、ずっと忘れず愛してくれてるわ。きっとね」

 

 

 きっぱりと、胸を張って、ブルマは言い切った。

 

 母さんに、ここまで想われている父親にも、一目会ってみたいと、少年は初めてそう思ったのだった。

 

 

 

 

 そうして、時は現在の、地獄へと戻る。

 

 リーファの住居で、眠っていたナッツが、温かな感触に、うっすらと目を開ける。隣で寝ていた母親が、彼女の頭を優しく撫でてくれていた。

 

 今よりも幼かった頃、よくそうされていたのを、ナッツは思い出して、微睡んだ意識の中で、幸せな気持ちになった。反対側から、父親の気配もして、自分の頭に手が触れるのを感じて、いっそう嬉しくなってしまう。

 

 私は今、宇宙で一番幸せだとナッツは思った。この時間が、ずっと続けばいいのにと思った。

 

 けれども、ここは地獄で、彼女と父親の頭には、死者の証である輪っかは無い。神龍の願いで彼らが母親のいるこの地獄にいられるのは、ほんの1日。その刻限が、迫ろうとしていた。

 

 ナッツが身を起こすと、毛布が身体から滑り落ちる。紫のアンダースーツだけが、その小さな身体を覆っていた。

 

「おはようようございます、父様、母様」

 

 言葉と共に、精一杯、笑みを作る。また母親にこの挨拶ができるのは、きっと当分先になってしまうだろうから。

 

「ああ、おはよう」 

「おはよう、ナッツ。良い朝ね」

 

 同じ笑顔で、母親が応える。ナッツは堪えきれなくなって、彼女の胸元に顔を埋めて、声を殺して泣いた。

 

 両腕でナッツを抱く母親も、同じ顔をしていた。父親は、何も言わず、ただ優しく彼らを抱き締めていた。

 

 

 

 それから彼らは、動物を丸焼きにした朝食を食べて、ずっと一緒にいた。

 

 久方ぶりに親子3人で過ごす時間は、少女にとって、とても充実したもので。どれほど話しても、話題が尽きる事は無く。

 

 お昼になると、食料を探しに外へ出ながら、昨日お世話になった人達に、3人で挨拶をして回った。生前に星の侵略を繰り返したサイヤ人達の刑期は、全員が100年を優に超えているので、いつかナッツ達が死んだ後、また会う事を約束した。

 

 やがて、日が沈みかける頃、その時間がやってきた。唐突に、地獄の空が暗くなり、暗闇の中、まばゆく輝くポルンガの姿があった。

 

 

『約束の1日が過ぎた。現世に戻る準備はできたか?』

 

 

「か、母様……」 

「リーファ……」

 

 娘と父親が、声を震わせる。覚悟はしていた。だが、最愛の人と別れる準備なんて、何日、何ヶ月、何年用意されようと、できるはずがない。

 

 母親に縋り付いて、娘が叫ぶ。

 

「また別れるなんて、嫌です、母様!! ようやくまた会えたのに!!」

「ナッツ……」

 

 悲しそうな顔で、母親が娘の頭を撫でる。彼女も別れを望んでいないのは明白で。ナッツは涙に濡れた顔を上げて言った。

 

「私は、ずっとここにいます。父様も、そうしましょう? 母様と一緒に、三人でずっと」

 

 

『戻らぬというのならば、お前達は本当に死んでしまう事になる』

 

 

 少女は小さく笑う。その程度の事で、母様と別れずに済むのなら、考えるまでもない。少女は現世で待っているだろう少年の事を、考えないようにしながら言った。

 

「ねえ、父様? 父様も、母様と一緒にいたいですよね?」

「…………」

 

 父親は応えない。あるいは。もし、彼が一人だったなら、それを選んでいたと断言できる。だが、今の彼には。

 

 彼は幼い娘の顔を見つめ、唇を強く噛み締めて、喉の奥から、血を絞るような声で言った。

 

「……それは、できない。ナッツ」

「!? どうしてですか、父様!? 母様とまた暮らせるのに!? どうして!?」

 

 

「お前にまだ、死んで欲しくないからだ、ナッツ……!!」

「!?」

 

 

 娘は伝説の超サイヤ人で、歳の割に聡明で、戦闘民族としての冷酷さと、宇宙一の可愛さを併せ持っている。まさに完璧で、非の打ち所のない存在だが、それでも、まだたった5年と半分しか生きていないのだ。

 

 ナッツの人生は、まだこれからなのだ。幼く手足も伸びきっていない娘が、生きる楽しみを放棄して、このままの姿で地獄で100年以上を過ごすなど、親として、あまりに哀れで、受け入れられなかった。 

 

 そして娘が生きるというのなら、誰が一人にできるだろうか。父様が死んでしまったと、悲しみ嘆く娘を地獄から見ているのは、もうたくさんだ。

 

「と、父様……」

 

 そんな父親の想いと愛情を、ナッツは本能的に理解して打ち震える。ただ、だからといって、そうすると、母様がまた一人に……。

 

「ねえ、ナッツ。あなたにお願いしたい事があるの。聞いてくれる?」

 

 とても優しく、穏やかな声色だった。全てを受け入れて、ただ愛する人の幸福を願うような声だった。頭の良い娘は、それだけで彼女の意図を、理解できてしまった。涙でびしょびしょに濡れた顔で、母親を見上げる。

 

「はい、もちろんです。母様の頼みなら、何だって聞きます」

「ありがとう。やっぱりナッツは、私達の自慢の娘ね」

 

 娘の涙を拭ってやりながら、母親は小さく微笑んだ。

 

「あなたが私みたいな病気を持たず、健康に生まれてくれた時、私、とても嬉しかったの。それだけで、あなたは一生分の親孝行をしてくれたわ」

「そんな事、ないです。私、まだ母様に、何もお返しできてません……。いっぱい愛してもらったのに。ご本も読んでもらって、王族に相応しい振舞い方も、戦い方も教えてもらったのに……」

 

 拭われるそばから、次から次へと溢れ出す涙で、ナッツは声を詰まらせてしまう。

 

「気付いてると思うけど、死んだ人間は、もう歳を取らないの」

 

 そうだ。お爺様も、カカロットのお爺様であるバーダック達も、生きていれば50歳を超えるはずなのに、見た目は若々しいままだった。

 

 

「私も、お父様もね、あなたが成長して立派な大人になった姿を、見てみたいの。それが、あなたへのお願い」

「……!!」

 

 

「今でもあなたは、とても強くて賢い自慢の娘だけど。これから色々な経験を積んでいけば、きっと今よりも立派なサイヤ人になれるわ。訓練して、実戦を重ねて戦闘力を上げて、それだけじゃなく、毎日の暮らしをいっぱい楽しんで、おいしい物を食べて、たくさん本を読んで、お友達とも遊んで」

 

 娘の黒い瞳を真っ直ぐに見つめながら、母親は続ける。自分はもう死んでしまったけど、それでも、良い人生だったと断言できる。娘はこんなに良い子なのだから、私よりもずっと楽しく幸せな人生を送れるはずなのだ。それを思うだけで、胸がわくわくしてしまう。

 

「そして大人になったら好きな人と結婚して、可愛らしい子供を育てて、たくさんの孫にも囲まれて、幸せに暮らすナッツを見てみたいわ。死んで私に会いに来るのは、そうして人生に満足した後でいいの」

 

 自分の将来を話す母親の顔が、あまりにも幸せそうだったから、娘も自然と笑顔になって、母親の顔を見上げて言った。

 

「わかりました、母様。私、父様や母様みたいな、強くて立派なサイヤ人になって、幸せな人生を送ります。だから、母様も見ていて下さい」

「楽しみにしているわ。そしていつか、お父様と一緒に、またここで会いましょうね。約束よ」

 

 言葉と共に、しっかりと抱き締め合う母親と娘に、父親も加わった。

 

「リーファ……すまない、行ってくる」

「待っています、ベジータ様。最後にここに戻ってきてくれれば、私はそれで満足ですから」

 

 二人が口づけを交わし、永遠に続くかと思われたそれが終わった瞬間、父と娘は、現世に戻っていた。

 

 母親との二度目の別れを経験したナッツは、寂しくなって泣いたりもしたけれど。悟飯に慰められながら、ナメック星を後にした。

 

 そしてこれから、サイヤ人の少女と、その父親の、地球での暮らしが始まる事となる。




 長らくお待たせしました。これで地獄での話は終了です。
 当初は3話くらいで終わらせるつもりだったんですが、リアルが忙しかったり色々あったりで随分長引いてしまいました……。

 リーファさんとブルマの話は、こんな感じになりました。ベジータの再婚はこの主人公の設定上、トランクスを消滅させず原作寄りで進めるのなら絶対に避けては通れない問題ですので、自分なりに真剣に向き合って描写しました。

 これはちょっと不自然では? とか、キャラ崩壊では? と思う方もいるかもしれませんが、あんまり叩かれると作者が凹むので華麗にスルー推奨です。(懇願)

 次の地球での生活編は、大体書く内容も決まってまして、ここまでは長くならないと思います。それが終わってフリーザ様のその後の話をやったらセル編の予定です。

 忙しいのは相変わらずなので、次も遅くなるかもしれませんが、気長にお待ちくださいませ。

 それと感想、お気に入り、評価、誤字報告などありがとうございます。続きを書く原動力になっております。特に評価はランキングにも影響して新しい読者の方が入ってくるきっかけにもなりますので嬉しいです。

 もしもあまりに更新が遅くなるようでしたら、生存確認も兼ねて何かしらしていただけると、「少なくとも1人は待っててくれてる……!」ってなって筆が進むかもしれません。進みました今回どうでしたしょうか。

 それではまた、次の話をご期待くださいませ。


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エピローグ2.彼女が地球で憩う話
1.彼女の地球の暮らしの話


 ナッツ達がカプセルコーポレーションで暮らし始めて、3日目の朝が来た。

 

 窓から差し込む朝日に照らされ、大きなふかふかのベッドの上で、少女は目を覚ます。寝ぼけ眼で可愛らしい声を漏らし、大きく伸びをしてから、隣で見守る父親に、笑顔で挨拶する。

 

「おはようございます、父様」

「おはよう、ナッツ」

 

 それからパジャマ姿の少女は、部屋を出て、眠い目をこすりながら、バスルームへと向かっていく。廊下の幅はとても広く、個人の住居とは思えないほどに大きな建物は、彼女が暮らしていた、フリーザ軍の基地を思い出させた。

 

 一糸纏わぬ姿となり、丁寧にシャワーで身体を洗ったナッツは、緑色のお湯が張られた、大きな浴槽へと身を沈める。お湯の温度は熱すぎない程度に、しかし寝起きの身体を芯から温めてくれるくらいに気持ちの良い按配で、少女の口から、思わず声が漏れてしまう。

 

 メディカルマシーンのような、負傷をすぐに治す効果は無いけれど、身体と心の両方を温かく癒してくれるこの設備を、ナッツはとても気に入っていた。

 

 ひとしきりお風呂を堪能した後、準備されていた部屋着に着替えて、ボリュームのある長い髪の水気を、タオルで軽く拭う。それからタオルとドライヤーを持って、スリッパの軽い足音を鳴らしながらリビングへと向かう。

 

 既に別のバスルームで、シャワーを浴びて待っていた父親は、ナッツの手からタオルとドライヤーを受け取って、娘の髪を乾かし始める。その手付きはすっかり慣れたもので、ナッツは目を閉じ、リラックスした子猫のような様子で、父親に身を任せていた。

 

 そして彼女の髪がすっかり乾いた頃、ブルマが母親と共に、大量の食事を運び込んできた。

 

「ナッツちゃーん! ベジータ! おいしい食事ができたわよー!」

「わーい!」

 

 テーブルへと駆け寄ってきたナッツは、並べられたご馳走の数々に、尻尾をぱたぱたと振りながら、目を輝かせる。

 

 甘くてふわふわのフレンチトーストに、カリカリに焼け目のついたベーコンと目玉焼き、新鮮な生野菜のサラダにオレンジジュース。

 

 そのどれもが信じられない程美味である事は、この3日間で既に体験済みで。しかも彼女達の食べる量に合わせたのか、その全てが山盛りに準備されている。

 

 たとえコルド大王だって、こんな贅沢な食事はしていないはずだ。そのあまりの歓待ぶりに、未だ慣れない少女は、おずおずと問いかける。

 

「本当に、こんなに食べちゃっていいの……?」

「もちろんよ! 子供が遠慮なんて、するもんじゃないわ。それにたくさん食べないと、大きくなれないからね」

 

 笑顔で応えるブルマに、ナッツもまた、笑顔で返しながら言った。

 

「ありがとう! いただきます!」

 

 フォークを手に取り、少女が幸せそうに、食事を口に運んでいく。そのペースはかなり早いが、食べる様子は不思議と丁寧で、しっかりとした躾を受けている事が伺えた。

 

 そして5分に1度は、感極まったような、「おいしい!」という言葉が入り、その嬉しそうな姿に、同じテーブルで食事をしている、ブルマの母親が頬を緩める。

 

「ナッツちゃんはいつも喜んでくれるから、たくさん準備した甲斐があったわ。ベジータさんも、遠慮しないでいいんですのよ?」

「は、はい……」

 

 既に10人分ほど食べている娘の横で、どうにも気まずそうなベジータ。食べた分は後で必ず返さねばと思いつつ、自身も食事に舌鼓を打つ。ちなみにブリーフ博士は、最近研究に夢中らしく、朝は起きてこない事が多い。

 

「ごちそうさまでした!」

 

 それから20分後、食事を終えたナッツは、満腹感に浸りながら、広いソファーの上でごろごろしていた。

 

 耳に入るテレビのニュース番組の内容は、お面マンこと謎のスーパーエリートさんがまた出ただの、強盗が1人殺して逃げているだの、戦闘民族サイヤ人の少女の中の基準では、どれも平和極まりないものばかりで。

 

(こんな良い星が、まだどこからも攻められてないなんて、本当に奇跡だわ)

 

 いや、つい2ヶ月と少し前、私と父様とナッパで攻めたのだけど。あの時滅ぼしてしまわなくて、本当に良かったと思う。

 

 そこで少女は、地獄でナッパと話した時の事を思い出す。生まれた時から見慣れているナッパが、父親の横にいないのは、やっぱり少し寂しいと思ったのだ。ピッコロが生き返って、地球のドラゴンボールも復活したという話だったし。

 

 

「ねえ、ナッパは生き返らなくていいの?」

 

 聞いてみると、彼は苦笑して、髪の毛の無い頭を掻きながら言った。

 

「地球の美味い飯には興味があるんですがね。けどお嬢、オレはあの星で結構派手に暴れちまって、顔も覚えられてるでしょうし、カカロット達はオレが殺した奴らを生き返らせるために、ナメック星まで行ったんでしょう? それでオレまで生き返ったら、オレの方も気まずいし、生き返った奴らからも、良い顔はされないでしょうよ」

 

 そう言われても、彼が東の都を消し飛ばした事は、ナッツの中では、どうでもいい事で。

 

「ナッパもあの戦いで死んだんだから、別に良いと思うんだけど」

「まあ、こっちには昔の仲間も大勢いますし、リーファの奴とも一緒に、お嬢達の事を見守らせてもらいます」

 

 

 ラディッツにも聞いてみたけど、似たような答えで、あとご両親と、一緒に過ごしたいとも言っていた。

 

 母様やナッパやラディッツ達も、地獄から、今の私達を、見ていてくれるのだろうか。目を閉じて休みながら、少女はそんな事を考えていた。

 

 それから少し後、アンダースーツに着替えた父親と娘は、中庭に置かれた、大きな宇宙船の中にいた。身体を鍛える為の、訓練の時間だ。

 

 カカロットがナメック星に乗ってきたその宇宙船は、10人以上は乗れそうな大きな船で、広いトレーニングルームと、人工の重力発生装置が備えてあった。何と最高で、地球の100倍の重力を実現できるらしい。

 

「カカロットの奴、こんな良い設備を使ってやがったのか……!」

 

 初めてこの部屋を見た時の父様が、オレにもこの宇宙船があればと、悔しがっていたのを思い出す。重力テクノロジー自体はありふれた技術だが、主に小さな船を飛ばすために使われていて、ここまで出力の大きな装置は、父様も見た事がないそうだ。

 

 ましてやそれを戦闘員の訓練に使うなど、誰も発想すらした事がないだろうという話だった。

 

(この重力室もそうだけど、カプセルとか仙豆とか、銀河の辺境の星の割に、フリーザ軍が知ったら目の色変えて攻めて来そうな物が多すぎないかしら……?)

 

「いつもどおり、最初は10倍から行くぞ」

「はい、父様」

 

 父親がパネルを操作すると、ナッツは自分の身体が、急にずしりと重くなったような感覚を覚える。これが惑星ベジータと同じ重力と聞いて、最初はずいぶん感動したものだし、父様も懐かしがっていた。

 

 軽い準備運動をした後、少しずつ重力を上げていく。15倍、20倍と負荷を増しながら、スパーリングや戦闘訓練に励む親子は、全身に汗を流し、息を切らせながらも、鍛えた分だけ身体が強くなっていく感覚に、充実した笑みを浮かべていた。

 

 そうして3時間ほど訓練した後、30倍の重力の中で、ナッツは床に大の字で倒れ、息も絶え絶えの状態になっていた。超サイヤ人になればともかく、彼女の素の戦闘力は、15万程度に過ぎず、小さな肉体は、既に限界を迎えていた。

 

 それでも水を飲んで呼吸を整え、起き上がろうとする少女の身体を、父親が抱き上げ、重力室の出口へと歩いていく。それに気づいたナッツは、ぐったりとした身体で口を開く。

 

「と、父様。私、まだ大丈夫です。少し休めば……」

 

 重力室での訓練は負担が大きいが、大した戦士のいない星を攻めている時よりも、遥かに効率良く身体を鍛えられているという実感があった。もっと戦闘力を高めたいと訴える娘の頭を撫でながら、父親は優しい声で言った。

 

「無理はするな。訓練ならまたいつでもできる。それに……」

「? それに?」

 

 ベジータは、腕の中の娘を見る。カカロットはナメック星に来るまでの間、ここで何度も死に掛ける程の特訓をして、あの莫大な戦闘力を身につけたのだという。同じように、ここでじっくり鍛えれば、娘もまた強くなるだろう事は疑いないが。

 

「小さい頃からこんな高重力に1日中晒されては、背が伸びなくなるかもしれん……!」

 

 とても切実な顔で、父親は言った。その危機感を理解できず、きょとんとした顔のナッツ。確かに昔は、ナッパのような逞しい体格に憧れていたけれど。

 

「戦闘力さえ高ければ、あまり関係ないと思いますけど……」

 

 これまで星を攻略する際、戦ってきた相手は皆私よりも大柄だったが、結局物をいうのは戦闘力だった。父様だって、カカロットよりほんの少し小柄だけど、それが戦いで大きく不利に働くような事はないだろう。

 

 そもそも、少しくらい身体が小さくても、大猿になれば関係無いのに。そんな娘の考えを見抜いたかのように、父親が続ける。

 

「お前はまだ子供だし、今は健全に成長する事の方が大事だ。そうして身体を作った方が、将来的には強くなれる。だからあまり無理はせず、今日はもう休んで明日に備えろ。いいな?」

「はい、父様」

 

 父様が私の事を考えた上で言ってくれているのだから、素直に従うべきだろう。そう考えて、重力室の外に出た少女は、シャワーで汗を流して、部屋着へと着替えた。

 

 そうして父親と共に、また豪勢な昼食を味わった後、ナッツは再びソファーの上で食休みをしていた。子猫のように寝そべって、伸ばした尻尾を気まぐれに動かしながら、ナッツは考える。

 

 午後からは休憩するよう言われたが、しかしそうすると、時間が余ってしまう。退屈そうなナッツに、ブルマが声を掛ける。

 

「ナッツちゃん、暇ならテレビでも観る? ちょうど今、子供向けの番組をやってるけど」

 

 ブルマがチャンネルを変えると、画面の中では、顔がパンで出来た人間を前に、全身真っ黒で円盤に乗った男が、独特の奇妙な高笑いを上げていた。その声を聞いて、少女は露骨に顔をしかめる。

 

「何かあいつがフリーザみたいな声だからやだ」

「フリーザってあんな声してるの……?」

 

 ナッツはソファーから起き上がる。あの声は1秒たりとも聞いていたくは無かったし、それに空いた時間を過ごすのに、うってつけの方法があるのを、少女は思い出していた。

 

「ねえブルマ。地球の本が読みたいのだけど、何冊か貸してもらえないかしら?」

 

 

 

 ナッツは部屋へと戻り、机の上に、借りてきた5冊の本を置いた。ラインナップは、地球の生き物の図鑑や、絵が入った小説など。どれもブルマに選んでもらった、お勧めの本だ。

 

「それにしても、凄い数の本だったわね……」

 

 端が見えない程の広さの部屋に、無数の本棚が並べられていた。家族皆が買った本を、適当に放り込んで、人を雇って整理させたという話だけど。もしかしなくても、一生掛かっても読み切れないのではないだろうか。

 

 少女はふと思い立って、部屋の窓を開ける。心地良いそよ風が吹き込んで、ナッツの長い髪をわずかに揺らす。窓の外は良い天気で、広々とした中庭のあちこちに、色鮮やかな花が咲いている。

 

 西の都の一等地に建っているにも関わらず、あまりにも広大な敷地のおかげで、外の喧噪はまるで届かない。野鳥のかん高い鳴き声を聞きながら、少女は椅子に座って、机の上のコップに手を伸ばす。

 

 本を汚さないよう気を付けてねと、おやつと飲み物までもらってしまった。飲み物は、彼女の好きなオレンジジュースだ。地球に来てから色々飲ませてもらったけど、程よい酸味と甘みを備えたこの飲み物を、ナッツは一番気に入っていた。

 

 一口飲んで、にっこり笑みを浮かべてから、少女は久しぶりの読書を始める。母様が生きていた頃は、毎日一緒に何かしらの本を読んでいたものだけど、最近は戦闘力を上げる事に夢中で、すっかりご無沙汰していたのだ。

 

 ページをめくり、活字と絵を追っていく。知らなかった知識や物語が、頭の中に展開される。静かな空間の中、いつしか少女は、おやつに手を伸ばすのも忘れて、本の世界に没頭していた。

 

 しばらくして、部屋の扉が、控えめにノックされる音がした。

 

「ナッツちゃん、悟飯くんから電話が来てるわよ」

「えっ、悟飯から!?」

 

 少女はあたふたと本に栞を挟んで席を立ち、ブルマの差し出す通信機を手に取る。数字の入ったボタンがいくつも付いていて、結構重い。

 

 通信機と言えば小さくて軽いスカウターが頭に浮かぶナッツにとっては、ややサイズが大きいという印象だが、地球ではこれが一般的な通信機なのだという。

 

(カプセルや重力室は凄いのに、地球の技術って、何だかちぐはぐね)

 

 そんな事を考えながら、教えられた通りに操作して耳に当てると、悟飯の声が聞こえてきた。その声を聞くだけで、ナッツは嬉しくなってしまう。

 

「あ、悟飯。うん、久しぶり。こっちは皆良い人達で、私も元気にしているわ」

 

 ぱたぱたと尻尾を振りながら、弾んだ声で自分の近況を話す少女を、ブルマは微笑ましく見守っていた。そして5分ほどの会話の後、ナッツの表情が、驚きに染まる。

 

「えっ!? も、もちろんいいわよ! うん、父様とブルマにも話しておくから! うん、また明日ね!」

 

 言って電話を切った少女に、ブルマが話し掛ける。何かあったのかしら。嬉しそうにしているから、悪い事では無いんでしょうけど。

 

「どうしたの? ナッツちゃん」

「ブルマ! ねえ聞いて! 悟飯が明日、家に遊びに来ないかって!」

 

 きらきらした目ではしゃぐ少女の姿に、ブルマも思わず、嬉しくなってしまう。

 

「そう、それは良かったわね」

「うん! 友達の家に遊びに行くなんて初めてだわ!」

「場所は大丈夫? 送って行きましょうか?」

「いいわ。大体の場所は聞いたし、それに……」

 

 ナッツは胸を張って、自慢げに宣言する。

 

「悟飯の気配なら、地球のどこにいたって分かるんだもの!」

 

 その言葉に、聞いているブルマの方が恥ずかしくなって、照れ混じりに苦笑する。 

 

(愛されてるわね、悟飯君……)

 

「こうしてる場合じゃないわ! 明日の準備をしないと!」

 

 ナッツは部屋のクローゼットを開き、紫のアンダースーツと、胸元に王家の紋章が入った戦闘服に、赤いマントを取り出したところで、額に汗を浮かべたブルマが声を掛ける。

 

「……ナッツちゃん、明日それ着ていく気なの?」

「もちろんよ。この戦闘服は、王族しか着用が許されていないのよ。私達にとっての正装なの」

「確かにサイヤ人的には、それが良いのかもしれないけど……」

 

 初めて会う息子の友人が、戦闘服姿で家に遊びに来た時のチチの反応を予想したブルマは、頭を振って言った。

 

「その戦闘服は、止めた方がいいと思うわ。悪くは無いけど、一般的な地球の服とは全く違うし、チチさん、結構そういうのにうるさいタイプだから」

「ええっ!?」

 

 驚くナッツ。フリーザ軍の行事では、全員戦闘服が当たり前で、その中でも王族仕様のこの服は、流石に立派だと褒められたりもしたのに。

 

 けど、それならどうしたらいいのだろう。悟飯のお母様に嫌われたくはないけど、これ以外の正装なんて持っていない。悩む少女に、ブルマが優しく声を掛ける。

 

「良い機会だから、あなたの服を買いに行きましょうか」

「服を?」

「ええ、タイツや私のお古ばっかり着せてるわけにはいかないわ。もういい加減古いし、新しいのを揃えてしまいましょう」

 

 外出の準備のために、部屋を出ようとしたブルマが、ふと立ち止まり、振り返って言った。

 

「せっかくだから、ベジータにも声掛けて来なさい。たぶん大荷物になるでしょうし」

「……私とブルマだけじゃ駄目? 荷物なら、私が全部持てるから」

 

 時間のある私はともかく、父様は今、訓練の最中なのだ。余程の緊急事態ならともかく、私の服を買いに行くなんて、そんな用事で訓練を中断させてしまうのは、何だか悪い気がした。

 

 そんな少女の内心を見抜いたように、ブルマが優しく微笑み掛ける。

 

「駄目よ。ちゃんと声を掛けて来なさい。あなたの服を買うのにベジータだけ置いて行ったら、私の方が恨まれちゃうわ」

「そうかしら……?」

 

 

 

「わかった。行くぞ」

「ええっ!?」

 

 娘の言葉を聞いて、即座にトレーニングを中断し、てきぱきとシャワーを浴びて身支度を始めるベジータ。

 

 そしておおよそ30分後、3人は西の都の、高級服飾店の中にいた。

 

「おお……」

 

 感嘆の声を上げながら、物珍しそうに店内を見渡すナッツ。様々な種類の服が陳列され、華美になり過ぎない程度に装飾されたその店は、あまりこうした場所を訪れた事の無い少女にも分かるほど、落ち着いた品のある雰囲気を漂わせていた。

 

「いらっしゃいませ、ブルマ様」

 

 チリ一つ落ちておらず、磨き上げられた床に立ち、丁寧なお辞儀をする初老の店員に、慣れた様子で、ブルマが話し掛ける。

 

「この子の服を、上から下までひと揃い、10日分ほど見立ててくれる? 余所行きの服と、普段着を半々くらいで」

「かしこまりました。では、どうぞこちらへ」

 

 案内された先で、ナッツは女性店員が選んできた服を、更衣室の中で試着した。そして出てきた娘の姿を見て、父親が思わず目を見開いた。

 

「と、父様。どうでしょうか……?」

 

 長い黒髪を持つサイヤ人の少女が、フリルのついた、膝下までの長さの、白のワンピースに身を包んでいた。

 

 恥ずかしそうに、裾を握ってもじもじしているナッツは、整った顔立ちと、年齢に見合わぬ落ち着いた立ち振る舞いもあって、どこか気品めいたものまで漂わせており、そうした服を着ていると、まるでどこか名のある家の、お嬢様のようにしか見えなかった。

 

 服を見立てた店員も、少女の容貌に、半ば陶酔したような目を向けていたのだが、一方のナッツは、そんな他人からの評価も、戦闘服以外の服の良し悪しも全く分からず、ただ周囲からの注目と、着慣れぬ服の落ち着かなさに頬を染めていた。

 

「……父様?」

 

 微動だにしない父親に、娘が心配そうな声を掛ける。硬直が解けた父親は、瞬時にスカウターを装着し、撮影機能で娘の姿を保存しだした。

 

「いいぞナッツ! こっちに目線を、もっと腕を上げて小首をかしげるように……そう、そのポーズだ!」

「こ、こうですか、父様?」

「そうだ! 次はそこの椅子に座って……そう、笑顔で!」

 

 戸惑う娘を褒め称えながら、瞬く間に何十枚もの画像を撮影する父親を、苦笑しながら見つめるブルマに、店員が話し掛ける。

 

「あのカメラ、カプセルコーポレーションの新製品ですか? 小さくてお洒落で良いですね」

「そ、そうね。似たようなものよ」

 

 応えながら、あのスカウター多機能だし、戦闘力の測定とか、そういう要らない機能だけ省いて売れないかしらと、そんな事を考えているブルマの前に、撮影会を終えたナッツが、新調した靴で歩いてくる。

 

「ブルマもどうかしら? 父様は良いって言ってくれたけど」

「うん。とっても可愛いくて、良く似合ってると思うわ」

「全然強そうじゃないんだけどね……」

 

 鏡を見ながら、これじゃあ只の子供じゃないと、やや不満そうな少女を、ブルマは宥めるように言った。

 

「戦いに行くわけじゃないんだから、それで良いのよ。……ところでナッツちゃん。尻尾はどうしてるの?」

「外から見えないように、腰に巻いてるわ」

 

 ナッツはワンピースの裾を、腰の上までたくし上げて見せた。丸見えの白い下着を前に、ブルマは頭痛を堪えるように、額に手を当てた。

 

「見せなくていいわ。……それ、悟飯くんの前でやっちゃ駄目よ」

「? わかったわ」

 

 不思議そうな顔の少女を見ながら、ブルマは考える。悟飯くんだって、小さい頃の孫くんだって、尻尾は生えていたし、チチさんも別に気にしてはいなかった。むしろ隠さない方が、彼女の受けは良いのではないだろうか。

 

 ブルマは店員を呼んで、ナッツの尻尾を示しながら、注文を口にする。

 

「この服の後ろの方、この子の尻尾を出せるようにしてくれない? 穴とかあんまり目立たない感じが良いんだけど」

「ちょ、ちょっとブルマ!?」

 

 ナッツは焦る。サイヤ人だと知られたら、大体どこの星でも怖がられるか、場合によってはその場で攻撃されたりもする。もちろんそういう時は反撃して、街ごと全滅させてはいるけれど。流石にこれから住む予定の星で、白昼堂々の破壊活動はまずいという程度の常識は、彼女にもある。

 

 一方、女性店員は、少女の尻尾を見て、内心ほんの少し驚くも。

 

(まあ、国王様も犬だし……狼男とかもテレビで見た事あるし。尻尾が生えてるくらい、大した事無いか)

 

「かしこまりました。すぐにお直しいたします」

「??」

 

 動じる事無く笑顔を見せる店員に、逆にナッツの方が困惑してしまう。

 

(サイヤ人を前に、ちょっと警戒心が無さすぎじゃないかしら。カカロットは何をしていたのよ)

 

 内心憤慨すると同時に、少女は不思議と悪くないものを感じていた。

 

「お願いね。じゃあその間に、別の服を見せてもらいましょうか」

 

 

 それから店員とブルマが見立てた服を、ナッツは次々と身に着けて、その度に父親が歓喜の表情で、何百枚も写真を撮り続けた。

 

 ちなみにナッツの左肩の傷跡は、既に地球の医師による治療を受けて、ほぼ完全に消えている。間近でよく目を凝らして見ない限りは、傷があった事すら分からないだろう。

 

(悟飯もこのくらい、気にしなくてもいいのに。下級戦士が、王族で超サイヤ人の私に傷を付けたんだから、一生の自慢にするべきなのよ)

 

 まあ、地球で一緒に暮らしていれば、またいつか戦う機会もあるだろうからと、少女は自分を納得させる。なぜか父様まで、嬉しそうにしていたし。

 

「ベジータ、ついでにあんたの服も、いくつか買っておくわよ。いつまでも私や父さんのお古じゃあ、格好つかないでしょう?」

 

 そんなブルマの台詞で、ベジータも服を揃える事になった。着慣れないカジュアルな服装に身を包んだ彼の姿は、野性味のある美形といった感じで。両目をハートマークにしている店員をよそに、おずおずと娘へ話し掛ける。

 

「どうだ、ナッツ。何かおかしな所はないか?」

「はい! 父様は何を着ても格好良いです!」

「そ、そうか……」

 

 娘の言葉に、父親は照れ混じりの笑みを浮かべるのだった。

 

 

 そうしてベジータの服も数日分を選び終える頃、服の直しも終わって、選んだ服を梱包してもらう。流石に量が多すぎるため、2,3日分だけ持ち帰って、残りは郵送してもらう事になった。

 

「お会計ですが、端数は切り捨てまして、ちょうど200万ゼニーになります」

「それじゃあ、カードで……」

 

 ブルマが財布から、金色に輝くカードを取り出そうとする。それよりも早く、ベジータが紙幣の束を2つ、カウンターに置いた。

 

「これで頼む」

「えっ?」

 

 予想外の事態に、硬直するブルマ。初老の店員はそんな二人の様子を見て、ブルマが何か言う前に、札束を手に取ると、手際良く枚数を確認した後、恭しく頭を下げた。

 

「確かに200万ゼニーでございます。お買い上げ、ありがとうございました。お客様、よろしければ、お名前を教えていただけますか」

「ベジータだ」

「有難うございます。ではベジータ様、ブルマ様、またお越しくださいませ」

 

 

 

 老店員に店の外まで見送られた後、両手に10個近くの紙袋を持ち、靴の入った箱をいくつも抱えて前を歩くベジータに、ブルマが釈然としない顔で話し掛ける。

 

「ちょっとベジータ。地球のお金なんて、どこで手に入れたのよ。まさか、銀行強盗とかじゃ……」

「父様はそんなケチな真似はしないわ。やるなら星ごと滅ぼして売るのが、私達の流儀よ」

 

 物騒な少女の言葉を耳にして、ブルマの顔が一瞬曇った事に、背を向けているベジータは気付かない。

 

「こいつの為に貯めていた金を、宝石に換えて、地球の金に換金しておいた」

「……あんた、もしかして高給取りだったりしたの?」

「フリーザ軍は、金払いだけは良かった。特にオレ達は、最前線で成果を挙げていたからな」

「……ナッツちゃんも?」

「ええ。私も星をたくさん滅ぼしたから、お金なら結構持ってるのよ」

 

 ほら、とナッツに手渡された袋の中身を見て、ブルマは目を疑う。色とりどりの、大粒の宝石がいくつも入っていた。大まかな計算でも、全部で2000万ゼニーを超えるのではないだろうか。

 

「ナッツ。それはお前の将来のために貯金しておけ」

「はい、父様!」

「……これ、うちの金庫で保管しておいてもいいかしら? 必要な時は、言ってくれればいつでも返すから」

「そうしてもらえ」

「わかりました! じゃあブルマ、お願いね」

 

 にっこり笑って、あっさりと宝石を預けるナッツ。その無警戒な様子に、かえってブルマの方が、驚いてしまう。

 

(信頼されてるのかしら……? それとも、単にお金に興味が無いとか?)

 

 おそらくは、その両方だろうと思われた。そういう所は、子供の頃の孫くんにも、似ているような気がした。

 

(見た目は本当に、ただの良い子にしか見えないけど。本当に、大勢の人間を殺してきたのね……)

 

 宝石の詰まった袋の重さが、少女の犯してきた罪の重さを、ブルマに実感させていた。子供にそんな仕事をさせて大金を渡すなんて、フリーザという奴は、何を考えていたのかと思う。

 

 美味しい食事のお礼に、好きな星を滅ぼしてあげると、笑顔で言われた事を思い出す。あの時に、この子を今の環境で、放っておいてはいけないと思ったのだ。戦闘民族サイヤ人としては、何も間違っていないのかもしれないが、それが何だというのか。

 

 ブルマの視線の先で、白いワンピース姿のナッツが、父親の隣を楽しそうに歩いている。人目が多い今は、警戒して尻尾を出していないが、後ろの切れ目は、飾り刺繍で目立たないようにされている。良い仕事だった。

 

「父様、私にも何か持たせて下さい」

「じゃあ、これを頼む」

 

 一番軽い紙袋を、父親が娘に渡した。それを受けとり、嬉しそうに微笑むナッツを見て、やるせない感情が、ブルマの胸を締め付ける。こんな良い子が、罪の無い人々を笑って殺すなんて、絶対に間違っている。

 

 既にしてしまった事は、今さらどうにかできる事では無いけれど。サイヤ人の彼女にとっては、おせっかいな事かもしれないけれど。平和な地球で、心穏やかに過ごせば、少しずつでも、あの子の心を変えていく事が、できるのではないだろうか。

 

 そういう内容の言葉を、ブルマはナメック星でベジータに、割と強い口調で言った事がある。言ってしまった後で、殺されるかもしれないと思ったけれど、彼の返事は、ナッツが幸せに生きられるのなら、それでも良いというものだった。

 

 目の前の男は、地球を滅ぼそうとした冷酷なサイヤ人の王子だけど、それと同時に、良い父親だと、その時に思ったのだ。

 

 ブルマは歩調を速めてベジータの隣へ並び、彼の持つ紙袋を、無言で2つ手に取った。眉をひそめるベジータ。

 

「返せブルマ。このくらい、地球人の手を借りるまでも無い」

「ナッツちゃんも荷物を持ってるのよ。一人だけ手ぶらだなんて恥ずかしいの」

 

 沈みかけた夕日に照らされ、茜色に染まる街並みの中を、父親と娘とブルマの三人が、並んで歩き始める。

 

「それより、この近くに、とっても美味しいお菓子の店があるのよ。もうすぐ晩御飯だけど、ここまで来たんだから、ちょっと買って帰って、後で食べましょうか」

「とっても美味しいお菓子!? どんなのがあるの!?」

 

 ぱあっと顔を輝かせるナッツに、ブルマはいたずらっぽく笑って言った。

 

「いっぱいあるわよ。上品な甘さのプリンとか、ヨーグルトが隠し味のチーズケーキとか、クリームの詰まったエクレアとか。せっかくだから、今日はベジータに奢ってもらおうかしら」

「父様……?」

「いいぞ、好きなだけ買ってやる。ただ後で、きちんと歯を磨くんだぞ」

「やったあ! ねえ早く! ブルマ、そのお店どこにあるの?」

 

 年相応の子供のように、無邪気にはしゃぐ少女の姿に、ベジータとブルマが、慈しむような笑みを浮かべる。

 

 夕日を受けて長く伸びる、三人の影が重なっていた。




 週の途中ですが、書き上がりましたので投稿します。

 ベジータは原作では自宅警備員扱いですが、フリーザ軍全体でも結構な強さだし、設定上は結構お金持ってるんじゃないかなあと思ったのでこういう感じになりました。
 解釈違いの方には申し訳ないですが、特にこの話では娘の教育上、父親がヒモ生活は流石にどうかとも思いましたのでどうかひとつ。


 次の話で悟飯の家に遊びに行って、それから悟空の瞬間移動習得フラグとかを、2話くらい掛けて色々回収した後にエピローグ3でフリーザ様達の話をする予定です。

 それと前回は数多くの評価とお気に入りと感想、有難うございました。特に評価は久しぶりにランキングにも載って新規の方も凄く増えましたので個人的に嬉しかったです。

 あと誤字報告にも感謝してます。子孫と祖先とか意味まるで逆なのに書いてる時は全然気付きませんでした……。一応誤字脱字等無いよう投稿前に推敲はしてるのですが、もし見つけましたら今後も報告をお願いします。

 次の話は、流石に来週以降になると思います。どうか気長にお待ち下さいませ。


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2.彼女が彼と遊ぶ話

 ナッツ達が服を買いに行った、その翌日。

 

 良く晴れた午後の陽の下、パオズ山の自宅にて、悟飯は少女の来訪を、そわそわしながら待っていた。部屋も綺麗に片付けて、どこか緊張気味の息子に、母親が心配そうに話し掛ける。

 

「悟飯ちゃん、そのナッツって子、本当に大丈夫だか? 地球を侵略に来て、悟空さ達に大怪我させた、サイヤ人達の一味なんだろ?」

「確かにそうなんだけど……大丈夫だよ、お母さん」

 

 実際、彼女の所業を客観的に考えると、言い訳の余地もない程に全く大丈夫ではない。それを理解している悟飯は、どこか遠い目になって返答した。そんな悟飯を見たチチは、ますます心配そうな顔つきになる。

 

「……もしかして、その子にいじめられてるんじゃねえか? もしそうだったら追い返してやるから、怖がらずに言うんだぞ?」

「そ、そんな事ないよ!」

 

 慌てて否定する悟飯。確かに初めて会った日に、戦いを挑まれて酷い目に遭わされたし、お父さんもクリリンさんも殺されかけてはいたけれど。そこは流しちゃいけないような気もするけれど。

 

 それでも。少年の脳裏に、少女の様々な顔が浮かび上がってくる。自分と戦っている時の、楽しそうな顔。人を殺そうとした時の、怖くて冷酷な顔。美味しい物を食べている時の、嬉しそうな顔。ベジータさんが、死んでしまった時の顔。超サイヤ人になって、フリーザに立ち向かった時の、透き通った青い瞳の、凛とした顔。

 

 その全てが、心に焼き付いて離れない。あの子のいない人生なんて、もう考えられなかった。たとえナッツがどんな悪人だとしても、彼女はそれと同じくらい、あるいはそれ以上に、家族想いで優しい心を持っている、可愛い女の子だ。

 

 だからもう、悪い事なんてさせはしない。お母さんの仇のフリーザだって死んだのだし、フリーザ軍を抜けた今、あの子が人を殺したりする必要はないはずだ。特に必要は無くても、星を攻めるのは楽しいから行きましょうとか言いそうだけど。そこは訓練とか模擬戦とかに付き合って、何とか我慢してもらおうと思う。

 

 正直、戦うのは怖いし、あんまり好きではないけれど。彼女は戦うのが大好きなサイヤ人で、そんなナッツを一人にしないよう、ずっと傍にいるって、誓ったのだから。

 

「ナッツは良い子なんだよ、お母さん」

 

 呟く少年の、どこか大人びた横顔に、母親は複雑な気持ちを抱いていた。ナメック星に行ってから、ほんの1ヶ月と少しで、どんな経験をしたら、こんな表情ができるのかと思う。

 

 まだ5歳になるかならないかの子供にしては、精神的に、少し成長し過ぎではないだろうか。もちろん、悟飯ちゃんが立派になってくれるのは嬉しいけれど。

 

 おそらく、その息子の変化に大きく関わっているだろう少女について、チチは思いを馳せる。ナッツという名の、サイヤ人の少女。

 

 サイヤ人というものに、良い印象は全く無い。何せ1年前に息子を誘拐されて、助けに行った夫を殺されているのだから。悟空さもサイヤ人だって言うけれど、そんな悪人とはまるで別だろう。

 

 悟飯ちゃんが初めて家に友達を呼ぶって話だったから、迷う事無く承知したけれど。やはりよく考えると、ちょっと心配になって、こっそり悟空さに聞いてみたのだ。

 

「なあ悟空さ。明日家に来るナッツって、どんな子なんだ?」

「んー、悪い奴だけど、今は別に危なくはねえと思うぞ?」

 

 全く安心できない解答だった。

 

 詳しく聞いてみると、地球に来る前もさんざん悪い事をしていて、地球でも悟空さ達を酷い目に遭わせたらしい。凄え強かったから、また今度戦いてえなあってって、楽しそうに笑ってはいたけれど、やっぱり不良ではないだろうか。

 

 この時点で、彼女の中のナッツのイメージは、やさぐれた目をして、変な服装で不良座りをして、殺した宇宙人から千切り取った手足を生でかじりながら、「悟飯、腹減ったからパン買って来なさいよ」って命令している姿だった。

 

(そんなんだったら、絶対悟飯ちゃんから引き離してやらねえと……!)

 

 心の中でチチが決意したその時、遠くの空から、何かが猛スピードで飛んでくるような、風を切る音が聞こえてきた。毎日夫が畑から帰ってくる時の音と、とてもよく似ていた。悟飯がぱあっと、顔を綻ばせる。

 

「お母さん、ナッツが来たよ!」

「き、来ただか!?」

 

 その言葉に、思わず家の外へ飛び出して身構えるチチ。そして彼女の前に、白いワンピースを来た少女が降り立った。一見まともなその姿に、軽い驚きを感じながら、チチは彼女の様子を、まじまじと観察する。

 

(見た目はまあ、そこまで不良って感じでもねえけれど……)

 

 ボリュームのある長い黒髪に、整った顔立ちをした、悟飯と同じ年頃の娘。着ている服もかなり上質の物で、何も知らなければ、良家のお嬢様のようにしか見えないだろう。

 

 少女はチチの方を見て、かなり緊張した様子で、ぺこりと大きく頭を下げて言った。

 

「は、初めまして奥様! 私はナッツ! サイヤ人の王子、ベジータ父様の娘です! よろしくお願いします!」

 

 そしてそのままの姿勢で、手にしていた紙袋を差し出した。チチも名前だけは知っている、西の都の高級菓子店のものだ。

 

「これ、父様からのお土産です! どうか皆さんで食べて下さい!」

 

 緊張で震え、尻尾まで真っ直ぐ伸ばしているナッツの姿に、チチは内心、小さくため息をついた。構えを解いて少女に近づき、その手から紙袋を受け取って、安心させるように、笑顔を見せながら言った。 

 

「そんなに緊張しなくていいだよ、ナッツちゃん。お土産、ありがとうな」

「は、はい……」

「悟飯ちゃんも待ってるから、家に入るといいだよ。今日は遠い所から、よく来てくれたな」

 

 チチが振り返り、ナッツもつられて顔を上げると、家のドアの前で、少年がこちらを、心配そうに見つめていた。

 

「あっ、悟飯!」 

 

 少女は幼い顔をぱあっと輝かせ、嬉しそうに尻尾を振りながら、悟飯の方へと走っていく。

 

「久しぶりね悟飯! 今日は招待してくれてありがとう! また会えて嬉しいわ!」

「う、うん。ボクも、ナッツと会えて嬉しいよ」

 

 少年はわずかに顔を赤らめて、恥ずかしそうにしながらも、目の前の少女と同じくらい、喜んでいるのは一目瞭然で。そんな彼の様子に、ナッツはますます、嬉しくなってしまう。

 

「友達の家に遊びに来るのって、初めてなの。まずどうしたらいいか、教えてくれる?」

「ボクも友達を呼ぶのは初めてなんだけど……とりあえず、ボクの部屋でも見る?」

「悟飯の部屋! 楽しみだわ! やっぱり本とか勉強道具で埋まってる感じなの?」

「そこまでじゃないけど、本は結構あるかな」

「見せて見せて! あ、そうだ! あなたにもお土産があるのよ。地球に来る前に買ってきた、宇宙の生き物の図鑑!」

「えっ!? 凄い! ありがとうナッツ! 早く見ようよ!」

「ふふっ、食べ物ならともかく、本でそんなに喜ぶサイヤ人なんて、あなたくらいよ」

 

 そうして楽しそうに談笑しながら家へと入っていく二人の姿から、チチは目が離せなかった。小さい頃の、自分達を見ているようだと思った。自分にはあんな、可愛らしい尻尾は生えていなかったし、悟空さも、あんな風に照れてはいなかったけど。

 

 悪い奴だけど、今は別に危なくはないという、悟空さの言葉を思い出す。確かにそのとおりだった。話を聞く限り、昔はどんな事をしてきたか、わかったものではないけれど。それを言うのなら、元盗賊のおっ父に育てられた自分も、あまり偉そうな事を言える立場ではない。

 

「悟飯ちゃん、良い友達ができたみたいでねえか」

 

 微笑んで、おやつと飲み物でも出してあげねばと、彼女も家へと入っていくのだった。

 

 

 

 悟飯の部屋にて。床に置かれたテーブルの上に、ナッツからのお土産である、宇宙の生物図鑑が広げられていた。

 

 綺麗に装丁されたその図鑑は、かなり分厚く、全ページがフルカラーであり、使われている紙もかなり上質のもので、手触りも良く、繰り返し読んでも破れたりする心配は無さそうだった。

 

「ありがとうナッツ。でもこれ、かなり高かったんじゃ……」

 

 図鑑を前に喜びを隠せず、しかし心配そうな様子の悟飯に、少女はにっこり笑って言った。

 

「そうね、サイバイマン2匹分くらいかしら」

「基準が分からないよ!?」

 

 あれって店で売ってたんだ!? と、黄緑色の変な生き物を思い出しながら悟飯は叫ぶ。

 

「替えの戦闘服とかに比べたら、全然大した値段じゃなかったわ。私の持ってたお金で買えるくらいだし。このくらいで悟飯が喜んでくれるのなら、全然安いものよ」

「そ、そっか……」

 

 この分はいつか何かでお返ししようと思いつつ、悟飯は気持ちを切り替えて、目を輝かせながらページをめくり始める。

 

 そんな彼の姿を、隣に座って眺めて、出されたおやつを美味しそうに頬張りながら、ナッツは先程会った、悟飯の母親の事を思い返していた。

 

(チチさんっていうあの人、思ってたより、ずっと素敵な人だったわ……)

 

 まず第一に、私の事を警戒していたのが良かった。ここ数日で出会った地球人達は、皆私の事を、戦う力のない、地球人の子供のように扱っていた。可愛がられていた、と言ってもいい。

 

 まあたまには、そういう扱いも悪い気はしなかったけど。ブルマ達のように、私の素性を分かっていて、なお優しくしてくれるのならともかく、そうでないのなら、ただの無警戒で、大丈夫かと思ってしまう。

 

 その点、悟飯の母親は、私が何か妙な真似をしたら、いつでも戦えるよう身構えていた。もちろん戦闘力で言えば、せいぜい100かそこらで、フリーザ軍の下級戦闘員にも及ばないけれど、それでも戦う姿勢を見せた事が、ナッツの琴線に触れていた。

 

(カカロットは、地球人の戦士と結婚したのね……)

 

 脆弱な地球人との混血である悟飯が、あれだけの戦闘力を持っているのも、納得のいく思いだった。それに黒目黒髪という見た目も、非常に良いと思った。

 

 ブルマの事が気に入らないわけではないけれど、やっぱりサイヤ人と言えば黒髪だし、もし悟飯の髪が青かったりしたら、同じサイヤ人の仲間だと、親近感を持てたかどうか分からなかった。

 

 少女がそんな事を考えている横で、熱心に、しかし楽しそうに図鑑のページをめくっていた悟飯が、ふと呟いた。

 

「この図鑑、人間も載ってるんだ。このヤードラット星人って面白そう……」

 

 開かれたページには、大きな頭部を持つヤードラット星人のイラストが載せられていた。力は無いが、瞬間移動や分裂などの不思議な力を使う種族という解説もついている。

 

「確か、ギニュー特戦隊のおじさん達が攻めていた星の奴らね。瞬間移動が厄介らしくて、結構手こずってたみたいよ。まあ今の私なら、たぶん余裕で滅ぼせると思うけど」

「もうそんな事しちゃ駄目だからね、ナッツ」

 

 誇らしげに薄い胸を張る少女に釘を刺しながら、さらに図鑑を読み込む悟飯。

 

「あ、この人達、1年前に絶滅してるって。エイジ761って、かなり最近だけど、何があったのかな……?」

「この間、私が攻めた星の住民よ。さすが最新の図鑑だけあって、情報が早いわね」

「そ、そうなんだ……」

 

 思わず頬を引きつらせた少年が、ふと思い立って、図鑑の最後に載っている索引を確認し、驚きの表情と共にページをめくる。

 

「凄い! 地球人も載ってるんだ!」

 

 銀河の辺境に住んでいる種族という紹介で、ほんの1ページ程度の小さな扱いだが、それでも宇宙で発行された図鑑に、地球の事が載っているというのは、少年にとって驚きの出来事だった。

 

「ふふん。その程度で驚いてるようじゃあ、まだまだよ。悟飯」

 

 横から手を出したナッツが再び索引を調べ、ページを開いて少年に示して見せる。

 

「あ、サイヤ人も載ってる……」

 

 毛皮の服を纏った、凶悪そうな顔をした男女のイラスト。性別は2つ、変身型の宇宙人という記述があり、大猿になった姿も描かれている。

 

 冷酷にして凶暴。戦うこと自体に喜びを覚える戦闘民族で、欲望のままに数々の星を攻め滅ぼしたが、本星であった惑星ベジータが巨大隕石の衝突によって消滅し、ごく少数を除いて、絶滅したと言われている。

 

 また他の星を侵略するため、言葉を覚えたばかりの子供を宇宙船で送り込む風習を持っていた。彼らは子供時代が長く、幼い見た目で原住民の目を誤魔化した後、一気に成長して力をつけ、送り込まれた星を滅ぼしてしまう。

 

 こうした飛ばし子と呼ばれるサイヤ人は、まだ宇宙のどこかで生き残っている可能性があり、非常に危険である。猿のような尻尾の生えた人間を見つけたら、決して自分で対処しようとせず、その星の軍隊か銀河パトロールに通報すべきだろう。

 

 要約すればそんな感じで、図鑑だけあって、記述自体はいたって客観的なのだが、それでも単純な事実の羅列だけで、彼らがいかに宇宙で好き放題暴れていたかが、十二分に理解できるものだった。

 

 悟飯には、自分が半分サイヤ人という自覚があまり無かったが、サイヤ人の悪行の記録とも言える記述の数々は、そんな彼の目からしても、あまり読んでいて面白いものではなかった。

 

 一方ナッツは、少年と同じ文章を読みながらも、特に感情を害した様子はなく、それどころか、嬉しそうに微笑んでさえいた。不思議に思った悟飯が、尋ねてみる。

 

「怒らないの? 結構酷い事書かれてるけど」

「だって私達サイヤ人は、宇宙最強の戦闘民族なのよ。こうして恐れられているのは、私達やお爺様達が、大活躍したって証拠だわ。それに……」

 

 滅んだ戦闘民族の、最後の王族の血を引く少女が、くすくすと可愛らしく笑う。

 

「私や父様がその気になったら、これを書いた人間なんて、いつでも星ごと消してやれるのよ。だからこんなのは、正面から戦えない奴らの負け惜しみとしか思えないわ」

 

 子供らしからぬ邪悪な表情を浮かべながら、おやつに手を伸ばすナッツの目の前で、食べようとしていたお菓子が、ひょいと別の手に掴まれる。

 

「あ、ちょっと!? 何するのよ悟飯!」

「本当にやったら、おやつ抜きだからね、ナッツ」

「むう、仕方ないわね……」

 

 頬を膨らませながら、不承不承頷くナッツ。悟飯が掴んだお菓子を皿に戻そうとすると、待ちきれないとばかりに、少女がその手に飛びつき、そのままお菓子を食べ始める。手ずから餌を与えられた子猫のように、手に顔を寄せてくるナッツに慌てる悟飯。  

 

「わわっ!? ちょ、ちょっと!?」

 

 ぐいぐいと密着する少女の頭と、掌に触れた舌の感触に、真っ赤になって手を引っ込める悟飯の前で、むぐむぐと、ナッツは口の中のお菓子を、美味しそうに頬張っていた。

 

「? どうしたの?」

「いや、さすがに今のはちょっと、その、はしたないんじゃないかな……」

 

 赤面したまま、下を向いて呟く少年に、ナッツはにっこり笑って言った。

 

「大丈夫よ。父様や悟飯にしか、こんな事はしないから」

「そういう問題じゃなくて……」

 

 そのまましばらく気恥ずかしさに悶えていた悟飯が立ち直った時、少女は上機嫌な様子で、ぱたぱたと尻尾を揺らしながら、図鑑のページに目を向けていた。

 

 何を見ているのかと、少年が横から覗き込むと、彼女が見ていたのは、大猿が巨大な拳で建造物を破壊しているイラストだった。彼の視線に気付いたナッツが、笑顔でその絵を示して見せる。

 

「ほら見て悟飯。変身したあなたにそっくりよ」

「……ボク、こんな感じになってたの? というか、見分けつくの?」

「顔はみんな、同じ感じになっちゃうわね。けど戦闘服を着ていない大猿を見たのは、あなたが初めてよ。野性的で、とっても格好良かったわ」

「そ、そうなんだ……」

 

 嬉しそうに褒められても、いまいち素直に喜べない悟飯。変身している時の記憶は、うっすらとしか覚えていないが、怒りに任せて目の前の少女を殺そうとしてしまったのは、あまり思い出したくない出来事だった。

 

 彼女の左肩に、つい目が行ってしまう。自分がつけてしまった傷跡が、ほとんど分からない程すっかり治療されているのは、とても嬉しかったけど。罪悪感まで消えてしまったわけではなく。

 

 一方のナッツは、少年がまだその程度の事で悩んでいるとはつゆ知らず。傷も消えたんだからもういいじゃないと、楽しそうに話を続けていた。

 

「私も一度くらいは、あんな風に裸で変身してみたいわね。フリーザみたいな強敵相手じゃなければ、毛皮だけでも防御力は十分だし」

「止めた方がいいと思うなあ……その、周囲の人が困ると思う」

 

 ボクだって困るし、実際やったら、ベジータさんが凄い顔すると思う。下手しなくても錯乱して、見た人全員を殺そうとしかねない。

 

「周囲の人の問題? あなたと見分けがつかなくなるって事? 私は大猿になっても、髪が目立つから分かりやすいと思うけど」

 

 そう言って、ナッツは自分の髪をかき上げて見せる。よく手入れされた、ボリュームのある長い黒髪に、少年は目を奪われてしまう。そんな彼の表情を見た少女が、きょとんと不思議そうな顔で言った。

 

「? 触ってみる?」

「い、いいよ!? というか、ボクも一緒に変身する前提なの!?」

「もちろんよ。そのうちあなたもまた尻尾が生えるでしょうし、せっかくだから、理性を保てるよう、私が訓練してあげるわ」

 

 きらきらと、ナッツは目を輝かせる。大猿になった彼の勇姿を、また見てみたいという気持ちもあったし、それに理性を無くしてくれれば、また前のように、命懸けの胸躍る戦いができるかもしれなかった。

 

 私よりも年下なのに、本気になれば、悟飯の戦闘力は100万を優に超えるのだ。穏やかな心を持っているから、きっと何かで怒ればすぐ超サイヤ人になれるだろうし、それで尻尾まで生えたら、どれほどの強さになるだろうか。

 

 少年に好意を持っていながら、それと同時に彼と本気で、命を懸けるような戦いがしてみたいという、一見矛盾した気持ちが、戦闘民族の少女の中に同居していた。地獄で再会した母親が、本当に幸せそうに自分の伴侶と戦っていた姿も、ナッツの気持ちを後押ししていた。

 

 もちろん、悟飯が自らの意思で、私と本気で戦ってくれるのが理想だけど、優しい悟飯にそこまでは望めないだろう。

 

 少し前の自分だったら、誰か適当な地球人を殺してでも、彼を怒らせようとしたかもしれないけど。自分をただの子供としてしか見ずに、優しく接してくれる能天気な人間達を、大した理由も無く手に掛けるのは躊躇われた。

 

「あの、ボクはあんまり変身したくないんだけど……」

「ザーボンみたいな事言わないの。戦闘力が10倍になるのよ。せっかくサイヤ人の血を引いてるのに、生まれ持った力を使わないなんて、勿体無いじゃない」

「ザーボンって誰なの……? とにかく、ボクはそんな力なんていいよ」

 

 悟飯がその一言を口にした瞬間、少女の雰囲気が、にわかに真剣なものとなる。夜のような黒い瞳に、真っ向から見つめられて、彼は思わずたじろいでしまう。

 

 この時、少女の脳裏に浮かんでいたのは、殺されてしまった母親と、地獄にいた他の大勢のサイヤ人達、彼女と同じ種族の、今はもういない、同胞達の事だった。静かな口調で、言い聞かせるようにナッツが語り出す。

 

「そんな事言わないで、悟飯。力が無い人間は、私や父様のような悪人に、ただ好き勝手にされるしかないんだから。この地球が今無事なのは、あなたが私を倒したからなのよ」

「けどボクは、君に大怪我をさせちゃって……」

「あれくらい、サイヤ人にとっては何てことないわ。それに結局、あなたは私を殺さなかったじゃない。それを選べたのも、あの時のあなたが、私より強かったからよ。……優しいのは、ちょっと不満はあるけど、あなたの良い所だと思うわ」

 

 はにかむように、少女は笑顔を見せる。初めて会った時は、優しいサイヤ人なんて、つまらない奴だと思ったけれど。彼の優しさに、救われてからは、そういうのも、悪くないと思えるようになっていた。

 

「けど宇宙にはフリーザの他にも、コルド大王とか、破壊神ビルスとか、私達を皆殺しにできるような危険な奴らがいっぱいいて、そいつらがいつ地球に目を付けるかわからないの」

 

 惑星ベジータが破壊されたのも、母様が殺されてしまったのも、フリーザを倒せるサイヤ人がいなかったからだ。ほんの少し前までは。いや、今もう一度、フリーザに勝てと言われても自信が無い。もっと強くならなければならない。少女は悟飯の目を覗き込むように、真剣な面持ちで顔を近づける。

 

「力さえあれば、そんな奴らも叩きのめして、自分の好きにする事ができるわ。逆に力が無いと、自分の大切な人を、殺されてしまったりするの。だから悟飯、あなたがどんなに優しくても、力がいらないなんて、もう言わないで」

 

 ナッツの真剣な声を聞きながら、少年は彼女の言葉について、心の中で考えていた。戦うのは、あまり好きではない。けど、自分が彼女を倒さなければ、地球は滅ぼされていたというのは、確かに頷ける話だった。あの時の、傷ついたベジータさんを見て、泣きじゃくっていた彼女なら、誰かが力づくで止めなければ、地球の全てを破壊していただろう。

 

 それとは別に、ギニュー特戦隊やフリーザに、ナッツが痛めつけられていた時、自分も必死に戦ったけど、結局最後は、彼女の戦いを、見ている事しかできなかった。自分にもっと力があれば、ナッツの事を助けられたのではないだろうか。

 

 ナメック星では、どうにか皆生きて帰れたけど。どこかで一歩間違えれば、自分が何もできないまま、目の前の女の子や、お父さん達が死んでしまっていたかもしれない。それは絶対に嫌だと思ったから、自然と言葉が口をついた。

 

 

「そうだね。ごめん、ナッツ。ボクもやっぱり、力が欲しいよ」

 

 もちろん勉強も大事だけど、ナッツやお父さんにも付き合ってもらって、少しは身体も鍛えようと、そう決意した少年の言葉を聞いて、両手を高く上げて喜ぶナッツ。

 

「やったあ! じゃあ約束よ! 尻尾が生えたら、絶対真っ先に教えてね!」

「えっ」

 

 そういえばそういう話だった!? と思いながらも、満面の笑みを浮かべてはしゃぐ少女の前で、今さら前言を翻すわけにもいかず、少年は内心頭を抱えるのだった。

 

 なお、それから10年以上が経過しても、悟飯の尻尾が生える事はなく、いつ生えるのかとナッツがやきもきする事になるのだが、それはまた別の話だ。




 サイバイマン、ラディッツ並のパワーを持つ兵士をあんな簡単に作れるとか、考えれば考えるほど便利過ぎる存在なんですが、原作だとナッパが使ってた以外には幼少ベジータがスパーリング相手にしてるくらいの描写しかなくて、フリーザ軍で使われてる様子が無かったので、何かしらのデメリットがあるんだと思います。

 作っても数時間しか保たないとか、コストが高過ぎて割に合わないとか。この話だと両方を採用してます。主人公、悟飯のために結構奮発してました。

 ナッパが持ってて割と気軽に使ってた理由としては、金はあるけど使い道が無いとかで、趣味で買ってたんじゃないかなあと。この土だと良いサイバイマンができるとか分かるくらいには使ってたみたいですけど、そもそもナッパくらい強ければサイバイマン使う必要が全く無いでしょうし。趣味ですよあれ。

 
 それはともかく、前回も評価、感想、お気に入り等ありがとうございました。続きを書く励みになっております。
 最近何かと忙しくて、次の話は遅くなるかもしれませんが、気長にお待ちくださいませ。


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3.彼女がお泊まりする話(前編)

 2時間以上も夢中で図鑑を読んでいるうちに、ナッツが少し退屈そうな様子を見せ始めたのに気付いた悟飯は、彼女をリビングへと連れ出した。

 

 そうしてテレビの下にある収納を開けて、1本のビデオテープを取り出した。少年の後ろでそれを見ていたナッツが、テープに書かれているタイトルを読み上げる。

 

「第21回天下一武道会? ……もしかして、その大きな黒い塊に、映像が記録されてるの?」

「そんなに大きいかな? お母さんが集めてるやつで、ボクもまだ見た事はないんだけど」

 

 表題には、小さくエイジ750とも書かれていた。今からおよそ13年前だ。

 

「子供の頃のお父さんが参加してるらしいんだけど、ボクにはこういう戦いとかは、まだ早いからって。見せてもらえなかったんだ」

「……カカロットも、チチさんも、あなたを戦士として、育てるつもりは無かったのかもね」

 

 何せ悟飯が戦いの訓練を始めたのは、ほんの1年と少し前からなのだ。戦闘民族サイヤ人としては、遅すぎると言っても過言ではない。もっと幼い頃から、両親に連れられて、様々な星で戦ってきた少女としては、それでなお自分以上の戦闘力を持っているという事も含めて、信じられない思いだった。

 

 台所で夕飯の支度をしていた母親に、少年がテープを見せながら問いかける。

 

「お母さん、ナッツが退屈してるみたいだから、このビデオ見てもいいかな?」

 

 すると彼女は息子を見て、迷うような素振りを見せた後、それから横にいるナッツと、彼女の尻尾を見てから、頷いて応えた。

 

「うーん……まあ、悟空さも今は家にいないし、見てもいいだよ」

「ありがとう、お母さん!」

 

(あれ? どうしてお父さんが関係あるんだろ?)

 

 不思議に思いながら、悟飯がビデオを準備する様子を、ソファーに座って眺めながら、少女は考える。

 

(私を楽しませようとしてくれる、悟飯の気持ちは嬉しいんだけど、地球人の戦闘なんて、たかが知れてるわ。せっかくサイヤ人が二人いるんだし、外で一緒に模擬戦でもした方が、面白いと思うんだけど……)

 

 白いワンピースの布地を摘み上げる。手触りも見栄えも良いけれど、防御力は0に等しいこの服は、戦闘なんてしようものなら、あっという間にボロボロになってしまうだろう。せっかく父様に買ってもらった服を、たった1日で駄目にしてしまうわけにはいかない。

 

 まあ、これからずっと地球に住むんだし、模擬戦は今度、戦闘服を着て、事前に連絡を入れてから来ればいいだろう。

 

 そう考えて、ナッツはテレビに映る過去の映像に目を向けるのだった。

 

 

 それから数十分が経過して。テレビの中で繰り広げられる戦いを、少女は身を乗り出して、興味津々な様子で観戦していた。

 

 始めの頃は、殺し合いでもない、レベルの低い戦闘なんてと思っていたナッツだったが、同じサイヤ人であるカカロットや、クリリンといった知り合いが、子供の姿で出場している上に、各選手の得意技やエピソードなど、サングラスを掛けた司会者による巧みで丁寧な解説が入っていて、初めて見る彼女にとってもわかりやすい。

 

 生まれて初めて目のあたりにする、娯楽や競技としての戦闘に、いつしかナッツは、夢中になっていた。そんな彼女の楽しそうな姿を、隣に座る少年が、微笑ましそうに眺めていた。

 

 そして決勝戦の前の、休憩時間になったところで、悟飯の肩に、何かが軽くぶつかってきた。

 

 見ると身体の前で腕を×の形に交差させたナッツが、彼の肩にぐいぐいと腕を押し付けながら、ドヤ顔で薄い胸を張っていた。

 

「ナッツ、もしかしてそれって……」

「天空×字拳よ。この技を受けた者は、10日は目を覚まさないと言われているわ」

 

 先程見たナム選手の口調を真似て、ノリノリではしゃぐ少女。ナッツは影響されやすい子供だった。

 

「あの技、お父さんじゃなかったら、普通に危なかったんじゃないかな……?」

「大丈夫よ。ナム選手は殺生はしないって言ってたもの」

 

 言いながら、ナッツは部屋から持ってきたジュースを、美味しそうに口にした。

 

「あと、ランファン選手の試合も面白かったわ。あの技は、こう、こんな感じで……」

 

 少女は右手を頭の後ろに当てて、身体を奇妙にくねらせながら瞬きをする。見様見真似で再現した、色仕掛けのポーズだった。

 

「う、うふん?」

 

 見ていた悟飯が思わず真顔になるほど、下手くそだった。効果が無い事を見て取って、少女が悔しそうにポーズを解く。

 

「やっぱり形だけ真似ても、上手くいかないわね……。ナム選手をたじろがせる程の技なのに」

 

 何もしているようには見えなかったにも関わらず、何故か相手が目を逸らして無防備になってしまうのだ。フリーザと戦った時にでも使えていれば、とても有効だったに違いないのに。

 

(グルドの超能力みたいに、目に見えない攻撃なのかしら……着ている服を脱いでいたのは、きっと少しでも速度を上げるためね)

 

 当のランファン選手に話そうものなら、大笑いされそうな結論に辿り着き、うんうんと頷く少女。 

 

「ナッツ、あの人がやってたのは、その……」 

 

 少年が何か言おうとしたその時、サングラスを掛けた司会者が、決勝戦の開始を告げた。ナッツが姿勢を正し、画面に現れた二人に注目する。子供の頃のカカロットと、ジャッキー・チュンという老人だ。

 

 向かい合い、構えを取る二人の姿を見比べて、少女が難しい顔になる。映像の中の相手の戦闘力を読む事はできないけれど、それでも戦場の中で大勢の戦士と戦ってきた経験から、大まかな強さは見ただけでもわかる。 

 

 カカロットは小さいながらもサイヤ人だけあって、身体能力では老人を上回っているかもしれないけど、戦い方は本能とセンス任せで荒削りなように、少女の目には見えた。本格的な戦いの経験が、まだ少ないのかもしれなかった。

 

 対するジャッキー・チュンの方は、おちゃらけた言動をしているが、戦いの経験は、出場者の誰よりも抜きん出ているようだった。今までの試合でも、全力を出しているようには見えなかったし、見せていない切り札を、いくつも隠し持っている気配がした。正直、ナッツとしては戦いたくない種類の相手だ。

 

 そして決勝戦が始まり、一進一退の戦いが続いていたのだが。

 

『萬國驚天掌ーーーーっ!!!!』

 

 ジャッキー・チュンが手から放った稲妻が、悟空を宙に拘束する。苦しげな少年の姿を見て、ナッツが唇を噛む。戦闘力に圧倒的な差でもない限り、ああした技から抜け出す事は、かなり難しい。

 

「私に替わりなさい! そんな爺さん2秒でやっつけてあげるわ!」

「……ナッツ、これは記録映像だからね?」

「わかってるわよ! そんな事!」

 

 エキサイトする少女が固唾を飲んで見守る中、技のダメージを耐え続けた悟空の身体は、とうとう限界に達しようとしていた。

 

『降参せねば本当に死んでしまうぞっ!』

『く、悔しいけど、ま、まい……』

 

 そしてついに、悟空が苦痛に屈しかけ、少女が可愛らしい悲鳴を上げた、その時だった。画面の空に一瞬映ったそれに気付いたナッツが、はっとした顔で叫ぶ。

 

「カカロット! 空よ! 月が出てるわ!」

 

 偶然か、その声を聞いたかのように、空に目を向けた悟空の身体が震えだす。うっすらとした真円の夕月が、まだ明るさを残す空に浮かんでいた。

 

 呆然とした顔付きで月を眺めていた少年の身体が、急激に膨張を始める。瞬く間に2倍、3倍に膨れ上がった体躯によって、着ていた衣服が内側から弾け飛ぶ。限界を超えて大きく開いた口から尖った牙が溢れ出し、前へ前へとせり出していく。露わになった筋肉質な身体全体が、尻尾と同じ色の毛皮に覆われていく。血のように赤く染まった目をした獣が、更に巨大化を続けながら、月に向けて力の限り咆哮した。

 

 そして老人が驚きに目を剥く中、力ずくで稲妻を振り払った大猿が、石造りの舞台を踏み砕き地を揺らしながら、轟音と共に着地し、再度咆哮した。

 

『グオオオオオオオォォッ!!!!』

「やったーーー!!!」

 

 咆哮に、歓喜の声が重なった。大猿に変身した悟空を見て、大喜びで両手を上げてはしゃぐナッツ。興奮のままにぶんぶんと振り回された尻尾が、悟飯に当たりそうになっている。そして彼はといえば、自分の父親の変身に、ぽかんと口を開けていた。

 

『こ、これは何と言う技なのでしょうかーー!?』

「技じゃないわ! サイヤ人は1700万以上のブルーツ波を目から吸収すると、尻尾に反応して大猿に変身するのよ!」

 

 テンションの高いナッツの解説は、当然画面の中には届かない。そして怒りに満ちた唸り声を上げた大猿が、見境なく周囲を破壊し始めた。

 

「いいわ、 カカロット! その爺さんをやっちゃいなさい! そこよ! 踏み潰して!」

「ナ、ナッツ。殺したら失格だから……」

「じゃあ半殺しにしてあげなさい! ああ駄目! 舞台の外に出たら失格よ!」

 

 建物に飛び乗り、屋根を破壊する大猿に、どこかずれた言葉を掛けるナッツ。

 

 壊れた破片が降り注ぎ、観客が悲鳴を上げて逃げ惑う。父親がもたらした阿鼻叫喚の惨状に、これ放送して大丈夫な奴なの? と悟飯は死んだ目になっていた。

 

『危険ですが、私は審判ですので逃げられません……!』

『一番危険なのはワシじゃい! 逃げたら場外で負けてしまう……!』

 

 舞台の上にも降り注ぐ破片を、必死に全て回避しながら老人が叫ぶ。

 

「何をしても無駄よ! 死にたくなかったらさっさと降参しなさい!」

 

 画面の中の老人に向けて、先程の意趣返しのような言葉を送るナッツ。

 

 何せ大猿化したカカロットは、戦闘力が10倍になっているのだ。変身する前でも、そこそこ互角の戦いをしていたのだから、たとえジャッキー・チュンがどんな切札を隠していても、負けるはずがないだろう。

 

 ふふんとナッツが薄い胸を張った瞬間、気を集中させた老人の細い体躯が倍以上に膨れ上がり、少女の笑顔が、ぴきっと凍りついた。

 

「えっ?」

 

『か――め――』

 

(戦闘力のコントロール! 一時的に戦闘力を限界以上に上昇させてる!? そんな事ができるの!?)

 

『は――め――』

 

 ジャッキー・チュンの組み合わされた両手の中に、純白のエネルギー光が溢れ出す。増幅された力の全てが、その手の中に集中していた。呆然と見ていたナッツが驚愕する。

 

(あの技、父様のギャリック砲にそっくりだわ!?)

 

 少女の背筋に、冷たい感覚が走る。たとえ今のカカロットでも、あれを受けてしまえば致命傷を負いかねないと、戦士の直感が告げていた。

 

「カ、カカロット、逃げて! 避けるのよ!!」

 

 だが画面の中の、理性の無い大猿に、その叫びが届く事はなく。本能的に感じ取った危険を叩き潰すべく、大猿が老人に躍りかかる。その時点で既に技の準備は終了しており、自ら近付いた大猿の巨体は、あまりにも大きな的だった。

 

『波ぁ――――!!!』

 

 気合いの声と共に、老人が前へと突き出した両手から、白いエネルギーの奔流が溢れ出す。

 

 あまりの光量に、数秒間、画面が真っ白に染まり、そして凄まじい爆発音が、ナッツと悟飯の鼓膜を揺さぶった。

 

 そして光が収まった後、建物の破片が散らばった舞台の上で、元の体格に戻ったジャッキー・チュンが肩で息をついており、大猿の巨体は、跡形もなく消失していた。

 

「カ、カカロットが、死んじゃったわ……」

「お、お父さん……」

 

 わなわなと、少女が声を震わせる。悟飯はこんな話を聞いた事はなかったが、何せドラゴンボールがあれば、死んでも生き返れるのだ。ここで一度死んでいてもおかしくはないと、一瞬思ってしまう。

 

『えー、孫悟空選手が死亡してしまったため、ジャッキー・チュン選手の反則負けで……』

『違うわっ!? ワシが吹き飛ばしたのは月じゃ! 月!』 

 

 殺人罪を着せられかけた老人が、慌てて叫ぶ。すぐにカメラが、人間の姿に戻った悟空が、舞台の上で眠っている光景を映し出した。悟飯とナッツが、ほっと胸をなでおろす。

 

「良かった……お父さん無事だったんだ」

「ええ、そうね……」

 

 安堵しながらも、少女は小さな拳を、ぎゅっと握り締める。実戦ならば、この時点でカカロットの負けだった。大猿化までしたにも関わらず、殺さないよう手心を加えられるなんて、あまりにも屈辱だった。幸いカカロットは、あの様子だと何も覚えてはいないだろうけど。

 

 自分がカカロットの立場なら、いつか力をつけて、あの老人に逆襲しなければ収まりがつかないだろう。けどまずは、大猿化して暴れ回ったサイヤ人を殺すべく、やって来るだろう軍隊から逃げなければならない。

 

 そんな風に考えていたナッツは、欠伸混じりに起き上がった悟空に、司会者が声を掛けて、そのまま試合が続行される流れになった事に驚いた。逃げていた観客も、さっきの技は凄かったなあと談笑しながら席に戻っている。

 

「地球人って、どこまで平和ボケしてるの……?」

 

 舞台の上で裸で構えを取るカカロットを見て、何故かくすくす笑っている観客たちは、自分達の見ている少年が、宇宙からの侵略者という事に、まるで気付いていないようだった。

 

(こんな星だから、カカロットも悟飯も、優しい性格に育ったのかしら……)

 

 毒気を抜かれたような顔になった後、ふっと笑って、試合の続きを見ようとした少女の目を、赤面した悟飯がとっさに手で塞いだ。理由が分からず、じたばたと暴れるナッツ。

 

「ちょ、ちょっと!? 何するのよ悟飯! 試合が見えないじゃない!」

『試合中断です! 孫悟空選手! しまらないので服を着て下さい!』

「大丈夫だよ、今中断されたから……!」

「何だっていうのよ、もう」

 

 解放されたナッツは、少ししてから再開された試合に、再び目を向ける。ジャッキー・チュン選手は、あの大技でかなりの体力を消耗したようだったが、カカロットの方も限界が近いようだった。

 

 そして二人の放った蹴りが交差し、相打ちとなった二人が舞台に倒れ伏した。皆が固唾を飲んで見守る中、最後に起き上がったのは、老人の方だった。

 

『ジャッキー・チュン選手の優勝です!』

 

 審判の声と共に、割れんばかりの大歓声が巻き起こる。優勝者だけでなく、負けはしたが健闘した悟空をも讃える声が流れる中、少女もまた満足そうな顔で、ぱちぱちと拍手を送っていた。

 

「カカロットが負けちゃったのは惜しかったけど、なかなか面白かったわ」

 

 まあ今回は、カカロットもまだ成長途中だったから仕方が無いけれど、きっと次の大会では、余裕で優勝を決めてくれるはずだ。いや、この映像は10年以上前のはずだから……。

 

「ねえ悟飯、これって次の大会の記録もあるの?」

「多分、お母さんが集めてると思うけど……」

 

 そこで台所から、いつになく真剣な表情をしたチチが現れる。

 

「悟飯ちゃん、悟空さの試合を、全部見ただか?」

「う、うん、見たけど……」

 

 常ならぬ母親の様子に、やや気押されながら応える悟飯。

 

「だったら、ショックだったかもしれねえが、よく聞くだよ……?」

 

 そこで一拍置いて、チチは息子に衝撃の真実を語った。

 

 

「尻尾の生えた人間が満月を見ると、大猿の化け物になっちゃうだよ!」

 

 

 しーん、と沈黙がおりる中、母親のシリアスな様子に耐えかねた悟飯が言った。

 

「……うん、知ってた」

「えっ?」

 

 目を丸くするチチに、おずおずと、小さく手を上げながら、ナッツが口を開く。

 

「私が教えました、奥様」

「えええ……そ、そうだったかぁ……」

 

 緊張から解き放たれて、へなへなと、床に崩れ落ちるチチに、悟飯が慌てて駆け寄った。

 

「お母さん、大丈夫!?」

「う、うん。大丈夫だよ、悟飯ちゃん」

 

 心配する息子の頭を撫でて微笑みながら、彼女は立ち上がり、軽く息をついた。

 

「安心しただ。自分があんな化け物に変身するって知ったら、ショックを受けちまうんじゃないかって思ってな。いつ教えようか悩んでただよ」  

「確かに、初めて知った時は、ちょっと驚いたけど……」

 

 悟飯は思い出す。ナメック星でギニュー特戦隊に殺されかけた時、尻尾を再生させた少女から聞いた真実と、その後目の当たりにした、彼女のもう一つの姿を。

 

 恐ろしかったけど、どんな姿になっても、ナッツはナッツだと思った。とてつもなく強くなってはいても、心地良いと思える、彼女の気の感じはそのままだったし、ナッツはあの姿を誇りに思ってるみたいだったから、あんまり怖がるのは、彼女に悪いと思った。

 

 もちろん自分が変身したいかと言えば、そのつもりは無い。そもそも、もうボクに尻尾は無いんだから、本当に仕方が無いけれど、変身したくてもできないのだ。

 

 少年がそんな事を考えている間も、チチの話は続いていた。

 

「悟空さにも相談できなくて、大変だっただよ。いつも言ってる大猿の化け物が自分だって、気付いてねえみたいだったし」

「カカロットも、もう知ってるはずです、奥様」

 

 地球で父様と戦った時、大猿に変身するのを見ているはずだし、その後大猿になった私を見ても、特に驚いた様子は見せていなかったから、そうなのだろう。

 

 少女の言葉を聞いて、チチが一瞬、表情を悲壮なものへと変えた。

 

「そうかあ……」

「ど、どうしました、奥様?」

「……何でも無いだよ、ナッツちゃん」

 

 誤魔化すように、チチは笑顔を見せた。昔、大猿の化け物に殺されたという、息子と同じ名前の、悟空さの祖父の事は、この子にまで伝えなくてもいいだろう。

 

 悟空さは何も言ってなかったけど、絶対辛かっただろうし、後で慰めてやらねえと。そう決意する彼女の姿を、少女は見つめながら考える。

 

 カカロットが大猿に変身する事を、昔からこの人は知っていたのだ。おそらくは、あの天下一武道会の記録映像で。

 

 強大で醜い大猿の姿を見た人間は、怯え、逃げ惑うのが一般的な反応だ。私が変身するのを見て、恐怖のあまり、動けなくなった奴らも大勢いた。    

 

 そんな怪物に変身する人間と、知っていて夫婦になるなんて、この人は何を考えていたのだろうか。頭に浮かんだ疑問を、ナッツは口にする。

 

「大猿になったカカロットを、怖いとは思わなかったんですか?」

「うーん。確かに初めて見た時は驚いたけど。まあ悟空さは悟空さだし、満月さえ見せなければ危なくねえし、ビデオとかで見る分には、愛嬌があって可愛いんでねえか?」

 

 そう言って彼女は、照れたように笑った。この人は本当に、カカロットの事が好きなんだと思った。嬉しくなって、少女も笑みを浮かべる。

 

 敵を怖がらせた方が、戦いには有利だけど、好きな人にまで、怖がられたいとは思わない。カカロットも本当に、良い人と結婚したのだと思った。

 

「ナッツちゃんは分かってるだろうけど、これから地球に住むなら、うかつに満月を見ないよう気を付けるんだぞ」

「? 地球の月は、今無いのではないでしょうか?」

 

 確かピッコロが壊したと言っていたし、この間地球に来た時、宇宙から探しても見当たらなかった。そこまで考えて、ナッツはおかしな事に気付く。

 

「地球の月は10年以上前の、天下一武道会で壊されたはずなのに……」

「そうなんだけど、いつの間にかまた元に戻ってただよ。1年くらい前にまた消えたけど、きっと今回も、そのうち戻るはずだよ」

「それは、何だか不思議ですね……」

 

 新たに得た情報に、少女は内心驚きながら、湧き上がる喜びを隠せないでいた。これから住もうという惑星に、月まであるなんて。確か地球の月は、1ヶ月周期で満ち欠けするはずだ。

 

 大猿になった状態で、理性を保つには慣れが必要で、あんまり長時間変身していないと、いざという時に暴走してしまう恐れがある。1ヶ月ごとに満月の日があるというのは、そうした訓練のために、申し分ない環境だった。

 

 もちろん、パワーボールで月を作ればいつでも変身できるし、それも嫌いではないけれど。自分で作った無機質な光球よりも、自然のままの満月を見て変身する方が、彼女は好きだった。

 

 それに本物の月ならば、変身するためだけでなく、満ちかけた状態の綺麗なそれを、心ゆくまで眺めるといった楽しみ方もできるのだ。

 

 その光景を想像し、にっこり笑って、ぱたぱたと尻尾を振りながら、少女は言った。

 

「私、月を見るのが好きなんです。特に満月が」

「けどそれじゃあ……」

「心配いりません、奥様。私は大猿になっても理性がありますから、カカロットのように暴れたりしません」

 

 まあ、ほんの少しだけ、普段よりも凶暴になっちゃうけど、理性を完全に失うのと比べれば、誤差のようなものだろう。

 

 ナッツの言葉を聞いて、チチは少し驚いてしまう。そんな事ができるだなんて、想像もしていなかった。

 

「……そうか。ナッツちゃんはお行儀が良いんだなあ」 

 

 悟空さも、そうだったら良かったのになあ。しみじみと、彼女はそう思った。

 

「はい! 父様や母様に、教えてもらいましたから。今度悟飯に尻尾が生えたら、理性の保ち方を教えてあげたいんですけど……」

 

 その言葉は、チチにとって渡りに船だった。可愛い息子の尻尾を切るなんて事はしたくなかったけど、何かの拍子で月を見た息子が、理性を失って、取り返しの付かないことをしてしまうのではないかと、ずっと気掛かりだったのだ。

 

「そうだな。ナッツちゃんさえ良いなら、こっちからお願いしたいくれえだけど、悟飯ちゃんも、それでいいだか?」

「え、ええと……」

 

 悟飯の額に汗が浮かぶ。確かに何かあった時のために、力が欲しいとは言ったけど。母親もそれに賛成する流れで、外堀を埋められていく事に、少年は危機感を感じていた。

 

「あ、あくまで、尻尾が生えたらだからね!」

「はいはい。じゃあ奥様、悟飯に尻尾が生えたら、すぐ教えてくださいね」

「そ、それよりお母さん! このビデオの続きなんだけど……」

 

 その場を誤魔化すように、少年が声を上げた時だった。上空から何かが飛んでくるような、風の鳴る音がした。その気を感じ取った悟飯とナッツが、音のする方角に顔を向ける。

 

「この気配は……」

「お父さんだ!」

 

 やがて彼らの見守る中、家のドアが開き、畑で採れた野菜を山と抱えた悟空が現れた。

 

「おお、そういえば、ナッツも遊びに来てるんだったな。今帰ったぞ!」

「悟空さ! お帰りなさいだよ!」

 

 嬉しそうに駆け寄るチチに、彼は野菜を渡して言った。

 

「畑を荒らしてたイノシシも捕まえて、裏に置いてあっからな」 

「分かっただ。後で一緒に料理しておくから、悟飯ちゃん達と一緒に待ってるといいだよ」

「お帰りなさい、お父さん」

 

 そこで悟空は、息子の持つビデオテープに気付いて、驚いたような顔になった。

 

「お、天下一武道会って、懐かしいなあ! 第21回って、オラとクリリンが初めて出場した時じゃねえか!」

「そうなのよ! カカロット、決勝戦で地球人なんかに負けちゃって!」

 

 気色ばむ少女に、悟空は頭を掻いて笑って見せる。

 

「いやあ、あの時はオラもまだ未熟だったし、ジャッキー・チュンのじっちゃん、本当に強かったからなあ」

「お母さん、次の回もあるんだよね?」

「ああ、悟空さの出てる分は、全部持ってるだよ」

 

 チチが出してきたビデオテープを見て、悟空は懐かしそうに言った。

 

「第22回かあ。確かこの時は天津飯と……」

「カカロット! 先の展開をバラすのは禁止よ!」

 

 うきうきしていたナッツは、ふと視界に入った時計を見て、表情を変える。いつの間にか、時間は17時を過ぎていた。

 

「もうこんな時間なの……?」

 

 夕食の事を考えると、そろそろ帰らなければならない。けど、ビデオの続きはすぐ観たい。難しい顔をしている少女に、チチが笑って言った。

 

「せっかくだからナッツちゃん、今日は泊まって行ったらどうだ? お父さんやブルマさんには、オラから電話で知らせておくだよ」

「ええっ? い、いいんですか……?」

 

 他所の家で遊ばせてもらったばかりか、泊まらせてもらうだなんて、そんな事をしていいのだろうか。同年代の子供が周囲におらず、そうした経験の全く無いナッツは、未知の世界に驚き戸惑っていた。

 

「ナッツちゃんはまだ子供なんだから、遠慮なんてしなくていいだよ。悟空さや悟飯ちゃんと一緒で、たくさん食うんだろ? 慣れてるし、材料も悟空さが持って来てくれたから、腹いっぱい作ってやるだよ」

「せっかくだから食っていくといいぞ。チチの料理は、地球一うめえからな」

「ち、地球一ですって……!?」

 

 わなわなと打ち振るえるナッツ。流石にそれは、本当かどうか分からないけど、つまりはそのくらい、美味しい料理だという事だろう。

 

「お母さんの料理は、本当に美味しいんだよ。……それにボクも、ナッツがうちに泊まってくれたら、嬉しいな」

 

 ほんのり顔を赤らめながらの、少年の言葉に後押しされるように、逡巡していた少女は、もじもじしながら言ったのだった。

 

「では、お願いしてもいいでしょうか……?」

 

 

 それからすぐに、ブルマの家へと電話を掛けるチチ。

 

「あ、ブルマさん、お久しぶりだよ。うん、実はナッツちゃんがな……」

 

 どきどきしながら見守っている少女に、チチは真っ黒い電話の受話器を差し出した。

 

「ナッツちゃん、ブルマさんが替わって欲しいそうだよ」

「う、うん……」

 

 緊張しながら受話器を受け取って、話し出す少女。

 

「ブルマ? あ、あの。そのね、私、今日悟飯の家に……」

 

 受話器の向こうから、くすくす笑う声がした。

 

『良いのよ、ナッツちゃん。子供が友達の家に泊まるとか、当たり前の事だから。難しい事考えずに、楽しんでらっしゃい』

「ありがとう! ……あの、父様は?」

『大丈夫よ。私からよく言い聞かせておくから』

 

 何か電話の向こうで父様が叫んでる声がするんだけど、大丈夫だろうか。一つ屋根の下とか、毒牙とか、あまり聞き慣れない言葉が聞こえてくるんだけど。

 

 

 そして通話が終わり、ナッツが悟飯と悟空と三人でソファーに並んで、あれこれ楽しくお喋りしながら、第22回天下一武道会のビデオを観ることしばし。

 

「悟空さ達、晩御飯ができただよ!」

「はい! 今行きます!」

 

 チチに呼ばれて、食卓に向かう三人。テーブルの上に、所狭しと様々な料理が並んで、ほかほかと湯気を立てているのを見て、感嘆の声を上げるナッツ。

 

 箸という2本の棒を使って食べるらしい料理の数々は、普段ブルマの家で出される料理とは、全く違う種類に見えた。けど、どれも素晴らしく美味しそうだった。

 

「いただきます!」

 

 どの料理から食べようかと迷ってしまうが、悟飯が迷わず、大人の握り拳くらいの大きさの、山積みされた白い塊に手を伸ばしたのを見て、自分も真似して手に取ってみる。

 

「悟飯、これは何て料理なの?」

「中華まんって言うんだ。ボクの大好物で、とっても美味しいんだよ」

 

 もちもちした手触りで、とても温かいその中華まんに、少女はおそるおそる口を付け、かじり取って咀嚼する。

 

「どう、ナッツ?」

 

 反応はない。たが無言で口だけを動かす彼女の表情が、次第に驚愕の色に染まっていく。

 

(こ、こんな美味しい物が、この宇宙にあっていいの!?)

 

 驚きに目を見開いたまま、あっという間に1つ平らげて、よく噛んでから飲み込んだ後も、少女はまだ衝撃から立ち直れず、感動に身を打ち振るわせていた。

 

「……ど、どうしただ? ナッツちゃん。大丈夫だか?」

 

 心配して声を掛けたチチに、少女は満面の笑みを向けて、喜びに満ちた声で応える。

 

「お、おいしい……! 美味しいです! 奥様!」

 

 

 それから食べたどの料理も、中華まんと同じか、それ以上に美味しかった。感極まったように、2分に1度は「おいしい!」と叫びながら、幸せそうに料理を口に運ぶ少女の姿を、悟飯と悟空とチチは、優しい顔で見守っていた。

 

 そうして、山ほどあった料理が片付いた後。幸福感のあまり、ふにゃふにゃになっているナッツの前に、食後の温かいお茶を置きながら、チチが微笑み掛ける。

 

「ナッツちゃんに、オラの料理が気に入ってもらえたみたいで、良かっただよ」

「はい、凄かったです、奥様。宇宙で一番美味しかったです……」 

「そんな、大げさだよ」

「全く大げさじゃないです……」

 

 まるで夢かと思えるくらいの、素晴らしい料理だった。例え破壊神ビルスだって、こんな美味しいものは、食べていないのではないだろうか。

 

 地球一かどうかは分からないけれど、宇宙の他のどの惑星の料理も、これを上回るのは至難の業だろう。満腹感に包まれながら、お茶の香りを楽しんでいた少女は、ふと、母親と交わした言葉を思い出す。

 

(いつか私が食べたのよりもおいしい料理を、作れるようになりますから!)

 

「奥様!」

「ど、どうしただ?」

 

 突然声を上げた少女と、その真剣な表情に、驚くチチ。

 

「私に、料理の作り方を教えてください!」

「料理だって? そりゃ、まあ構わねえだが、どうして突然?」

「……いつか母様にも、食べさせてあげたいんです」

 

 母様はもう生き返れなくて、地球に来ることはできないから、いつか私が死んだ後に、美味しい料理を作るって、約束したんです。

 

 泣きそうな顔で説明する少女の肩に、チチは優しく手を置いた。

 

「そっか、良い子なんだな。ナッツちゃんは」

 

 そして少女の涙を拭ってあげてから、彼女は言った。

 

「オラも家事や畑の手伝いがあるから、来る時には前もって知らせて欲しいけど、それさえ守ってくれたら、いつでも来てくれていいだよ。悟飯ちゃんも、喜ぶだろうしな」

 

 その言葉に、ナッツはぱあっと顔を輝かせて、丁寧に頭を下げた。    

 

「ありがとうございます! 奥様!」

「うーん、その奥様っていうの、丁寧だけど、何だか他人行儀な感じがするだな。おばさ……じゃなくて、チチさんって呼んでくれていいだよ」

「わかりました、チチさん!」

 

 

 それから全員でビデオの続きを観て。悟空対天津飯の決勝戦も、いよいよ終盤に入っていた。

 

 天津飯の気功砲で舞台が破壊され、上空に逃れた二人のうち、先に落ちた方が場外負けという状況で。最後の力を振り絞った悟空が、小さなかめはめ波を下に撃って落下を遅らせる。双眼鏡を見ながらの司会者の解説に、大はしゃぎするナッツ。

 

「やったわ! これでカカロットの優勝ね!」

 

 少女が叫んだ次の瞬間、落下中の悟空が走っていた大型車に激突し、勢いよく地面に叩き付けられる。ナッツの笑顔が、ぴきりと凍りついた。しばしの判定の後、悟空が僅差で先に落ちた事で、非常に惜しい結果ですが、天津飯選手の優勝ですと司会者が告げる。

 

「何よ今の!!! 絶対カカロットの勝ちじゃないの!!!」

 

 あの車、私がぶっ壊してやる!!! とガチ切れしながらじたばたと暴れる少女を、必死に羽交い絞めにして止める悟飯に、「ナッツちゃんの言うとおりだべ! 10年前からそう思ってただよ!」と騒ぐチチ。

 

 そんな彼らの姿を楽しそうに眺めながら、あの時は惜しかったなあと、当の悟空は、気楽に笑っていたのだった。




 少し長すぎたなあと思いつつも、下手に分割すると地球の話だけでまた10話くらいになりかねないので、思い切って投稿しました。

 チチさんが悟空の出てる天下一武道会、見てないはずが無いよなあ。
→絶対ビデオとか出てるだろうし、大猿の事も知ってるだろうなあ。
→けど別に、悟飯の尻尾切ったりはしてなかったなあ。
という連想から、今回の話は生まれました。悟飯に尻尾があった頃は、満月の度に結構気苦労してたんじゃないかと思ったり。

 あと原作やアニメのチチさんがちょっと行きすぎなくらい教育熱心だった理由について、「家に一銭も入れてない悟空みたいな大人になって欲しくなかったから」という風に自分は解釈してまして、悟空がきちんと畑仕事してるこの話のチチさんは、悟飯が修行する事についても原作より余裕や理解がある感じです。

 それと感想、評価、お気に入りなどありがとうございます。続きを書く励みになっております。

 最近ちょっとサイヤ人編を読み返してみたのですが、「これあんまり一般受けはしないやつでは……? 何で1000人以上もお気に入りに入れてくれる人がいるの?」って思ったりしながらも私は元気です。次の話もご期待ください。


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4.彼女がお泊まりする話(後編)

「ナッツちゃん、お風呂沸いたから、入っていくといいだよ」 

 

 悟飯の家のお風呂は、大きな金属の缶のような形をしていた。チチに入り方を教えてもらって、熱いお湯を堪能するナッツ。

 

「変わったお風呂だったけど、気持ち良かったわ!」

 

 少女はタオルで髪を拭きながら、家の中へと戻ってくる。着ているパジャマは、悟飯から借りたお揃いのものだ。

 

 お風呂上がりの彼女の姿から、少年は気恥ずかしくて、つい目を逸らしてしまう。入浴直後のナッツを見るのは、初めてでは無いけれど、住み慣れた自分の家の中で、ナッツがそんな姿でいるというのは、彼にとって、どうにも新鮮で、刺激的な出来事だった。

 

「ねえ、悟飯。これ手伝って欲しいの」

 

 声に目を向けると、至近距離にパジャマ姿の彼女がいて、慌ててしまう悟飯。彼は反射的に、差し出されたタオルとドライヤーを手に取っていた。

 

「……これは?」

「私の髪を、乾かして欲しいのよ。一人じゃ大変だから、いつも父様にやってもらうんだけど」

 

 ソファーに座って、背中まで伸びた長い黒髪を、少年の方に向けるナッツ。しっとりと水気を帯びた髪を目の当たりにして、彼はたじろいでしまう。

 

「で、でも、やった事無いし……」

「大丈夫よ。乾かすだけだから、そんなに難しくはないわ。あなたはちょっと違うみたいだけど、私のような純粋なサイヤ人の髪は、放っておくだけで自然に、いつもの形になるのよ」

「……じゃあ、やってみるよ」

 

 観念した悟飯は、彼女と同じソファーに座って、黒髪を一房、壊れ物でも扱うように、そっと手に取った。少女の髪は、サイヤ人特有の、纏まった髪質をしていたが、触ってみると、1本1本が彼の手の中で、さらさらとした感触を伝えてくる。

 

 慣れない手つきで、タオルとドライヤーを使って、少年は彼女の髪を乾かしていく。前に一度だけ、ベジータがやっているのを、見た事があったので助かった。

 

 ブラッシングをされている子猫のように、ナッツは目を閉じて、尻尾をゆったりと動かしている。悟飯の足を、少女の尻尾が軽く叩く。何かしてしまったかと、少年はびくりとしたが、直後に彼女が、リラックスした声で言った。

 

「気持ち良いわよ、悟飯。そのままお願いね」

「う、うん。良かった……」

 

 小さく鼻歌を歌いながら、悟飯の手に自分の髪を任せる少女。明日の朝食の準備を終えたチチが、そんな彼らの姿を見て、顔を赤くしながら、頬に両手を当てていた。

 

「うひゃあ……」

「? どうしたんだ、チチ?」

 

 きょとんとした顔の夫に、苦笑しながら応えるチチ。

 

「もう、悟空さ。髪は女の命なんだよ?」

 

 お店で整えてもらう時でもなければ、家族以外に、軽々しく触らせるようなものではないのだ。それはあの少女が、悟飯に対して、すっかり心を許していることの証明だった。

 

(きちんと責任は取るだよ、悟飯ちゃん)

 

 ぎこちなく、どこか恥ずかしそうに、ナッツの髪を乾かす息子の姿を、母親は微笑ましそうに眺めていた。

 

 

 

 一方その頃、カプセルコーポレーションにて。

 

 娘が男の家に外泊すると聞いて、自分も行こうとしたベジータが、呆れた顔のブルマに止められていた。

 

「離せ! オレも奴の家に泊まりに行く! 娘の貞操が!」

「ナッツちゃんはまだ5歳でしょう! まだそんな事を騒ぐ歳じゃないわ!」

 

 サイヤ人の王子をぴしゃりと叱りつけ、さらに言葉を続けるブルマ。

 

「だいたい! 父親がそんな理由で、子供の友達の家に、こんな時間に押しかけてごらんなさい! 恥をかくのはナッツちゃんよ!」

「うっ……!」

 

 たじろぐベジータ。彼は親馬鹿だが、王族として世間一般の常識や礼儀は弁えているし、頭の回転もかなり早い。

 

 もしここで、自分が押しかけようものならどうなるか。彼の脳裏に、そのシミュレーション結果がぽわぽわと浮かんだ。

 

 

『せっかく楽しいお泊りだったのに……! 私、父様の事なんて大嫌いです!』

 

 

「ぐわああああああっ!!!???」

 

 もちろん、実際のナッツがこんな事を言うのは有り得ないが。最悪の想像に打ちのめされ、床に崩れ落ち、口笛に悶えるナメック星人みたいな様子でのた打ち回っているサイヤ人の王子を、ブルマは更に呆れた目で見ていた。

 

 やがて動かなくなり、息も絶え絶えになったベジータが呟く。

 

「さらばだ……ナッツ、カカロット……」

「ほら、いつまでもそんな所で寝てたら風邪引くわよ」

 

 ベジータが顔を上げると、身を屈めたブルマが、彼に手を差し伸べていた。

 

「ナッツちゃんなら大丈夫よ。孫くんもチチさんもいるんだし、悟飯くんはそんな事する悪い子じゃないわ」

「貴様に何がわかる……!」

「わかるわよ。私もナッツちゃんの事は、気にしてるんだから」

 

 荒い息をつきながら、彼女の手を取って、よろよろと起き上がるベジータ。

 

「もしナッツに何かあったら、悟飯の奴ただじゃ済まんぞ……!!」

「はいはい。大丈夫だからさっさと寝なさい」

 

 そう言って、ブルマは彼をリビングから追い出して電気を消し、自分も欠伸混じりで自室に向かうのだった。

 

 

 

 そして悟飯の部屋にて。もらった新品の歯ブラシでしっかり歯を磨いて、寝る支度を済ませたナッツが、心地良さそうな様子で、悟飯のベッドの上に寝転がっていた。

 

 同じ部屋の、床に敷かれた布団の上。お互い手を伸ばせば届くほどの距離から、少年がどこか、緊張気味に呼びかける。

 

「ナッツ、何か困ったことは無い?」

「うん。あなたの匂いがするわ。よく眠れそう」

 

 横になったまま、にっこりと笑う少女。その返答に悟飯は顔を赤らめながら、どうしてこんな状況になったのか考える。

 

 ベッドが足りないという話になって、最初はお父さんが、リビングのソファーを使おうとしたのだけど。お母さんが、何だかお父さんと話したそうに、そわそわしていたから、ボクが代わりに手を上げたのだ。

 

 そして枕や毛布を運ぼうとしたところで、ナッツに袖を掴まれて。恥ずかしそうに、こう言われたのだった。

 

「あ、あの。私、部屋に一人だと、眠れなくて……」

 

 一人で星を攻めている時とか、どうしようもない時ならともかく、そうでない時に、一人で眠るのは嫌だった。明かりの消えた暗い部屋の中で、思い出したくない事を、思い出してしまうから。

 

 そして今、少女はベッドに寝転がったまま、下の布団にいる悟飯に笑顔を見せる。

 

「悟飯、今日はありがとね、とっても楽しかったわ」

「ボクの方こそ。ナッツがうちに来てくれて、楽しかったよ」

「明日は何して遊ぶ?」

「そうだね。今日はずっと家の中だったから、外に行こうか? 見せたい物もあるし」

「見せたい物って、何?」

「秘密。明日教えるよ」

「もう、意地悪ね。悟飯」

 

 そう言って、少女はくすくす笑った。

 

「お休みなさい、悟飯」

「うん。お休み、ナッツ」

 

 悟飯が天井の灯りから垂れ下がる紐を引っ張ると、蛍光灯が消えて、小さなオレンジ色の電球だけが残った。

 

 それから1時間ほどが経過して、同じ部屋にいる少女の存在に緊張していた悟飯も、ようやく寝息を立て始めた頃。

 

 ナッツはまだ、眠れないでいた。目を閉じていても、ちっとも眠気が襲ってこないのが、自分でも不思議だった。

 

 夜の9時はとっくに過ぎていて、いつもならもう、寝ているはずの時間なのに。

 

 眠れない少女は、夜の暗闇に包まれながら、今日の出来事を思い出す。悟飯と一緒に図鑑を読んで、それからビデオを観て、チチさんと話をした後で、帰って来たカカロットとも一緒に、信じられない程、美味しい夕食を頂いた。

 

 カカロットとチチさんは、とても仲が良さそうだった。チチさんは、とても料理が上手で優しい地球の戦士で、悟飯もお母さんと慕っていた。

 

 そこまで考えたところで、ナッツは自分の心に開いた穴を直視する。

 

 私の母様。私と同じ長い髪の、黒い戦闘服を着たサイヤ人の戦士。強くて格好良くて、ご本もたくさん読んでくれて、父様と一緒に、戦い方を教えてくれて、私をいっぱい愛してくれた、私のただ一人の母様。

 

 激しい雨に打たれたように、小さな身体が震え出す。頭から毛布を被っても、寒気が全身を蝕んで。耐えきれずに、少女は声を殺して泣いていた。

 

「母様ぁ……」

 

 ほんの数日前に、会えたばかりなのに、寂しくてたまらない。泣けば心配させてしまうと、またいつか必ず会えると、頭では分かっているけれど。母親との別れは、まだ5歳のナッツにとって、あまりにも辛い出来事だった。

 

 ブルマの家では、父様が一緒に寝てくれて、眠るまで優しく頭を撫でてもらっていた。父様が今、ここにいてくれたら。そう思ったところで、少女は毛布の上から、温かい手が身体に触れるのを感じた。

 

(……父様?)

 

 私の為に、来てくれたのだろうか。ナッツが毛布から顔を出すと、心配そうに自分を見つめる少年と目が合った。涙混じりの声で、少女は彼の名を呼んだ。

 

「悟飯……」

「大丈夫? ナッツ」

 

 少年は小さなタオルを持ってきて、ナッツの顔を拭った。それから彼は何も言わずに、少女が落ち着くまで、彼女の手を握っていた。やがてぽつりと、ナッツが口を開く。

 

「悟飯、今日は一緒に寝てくれる? 寂しいの」

「うん、いいよ」

 

 悟飯は自分の枕と毛布をベッドの上に持ってきて 少女の隣に横たわる。少し気恥ずかしかったけど、そんな事よりも、ナッツの事が心配だった。

 

 そのまま自分の毛布を被ろうとしたところで、横たわったままの彼女が、招き入れるかのように、自分の毛布を開いて見せた。薄明かりの中、少年はたじろいだ。

 

「えっと、流石にそれは……」

「お願い」

 

 潤んだ瞳で懇願され、悟飯は少し逡巡するも、観念して同じ毛布に入る。ベジータさんに知られたら殺されるだろうけど、今のナッツの頼みは、聞いてあげねばならないと思った。

 

 すぐに彼の左腕に、ナッツが縋り付いてくる。全身で少年の温もりを求めるように、小さな身体を密着させる。ふさふさとした尻尾までも、きゅっと足に巻き付けられる。

 

「……ッ!?」

 

 悟飯の顔が羞恥に赤らみ強張るも、間近でぎゅっと目を瞑っている彼女の表情が、まるで助けを求めるようだったから、されるがままに、少女に身を任せていた。

 

「……悟飯、お願いがあるの」

「何? なんでも言って良いよ」

「頭、撫でて。父様や母様がしてくれるの。そうされると、安心できるの」

 

 言われた少年は、横たわる少女の頭にそっと片手を乗せて、ぎこちない手付きで、それでも心を込めて撫で始める。続けていくうちに、ナッツの表情が、穏やかで落ち着いたものになっていくのが分かった。

 

 つやつやした彼女の髪は、手に吸い付くような感触で、時折気持ち良さそうな声を漏らすのも相まって、まるで子猫を撫でているようだと思った。

 

 一方、撫でられているナッツの方は、いつも父親にそうされている時のような、心地良さを感じながらも、わずかな違和感を覚えていた。

 

(父様とは、ちょっと違う感じがするわ……)

 

 悟飯と一緒に寝て、こうして撫でられていると、安心できるけど、何だかちょっと、どきどきする。その感情の名前を、少女はまだ知らなかった。 

 

 そしてそれからほんの数分で、ナッツは穏やかな眠りの中に落ちていった。それを見届けた少年も、彼女の隣で、すぐに寝息を立て始めるのだった。

 

 

 

 翌日の朝。窓から差し込む光で目を覚ましたナッツは、可愛らしい声と共に、両手を大きく上げて身体を伸ばす。被っていた毛布が、ばさりと身体を滑り落ちた。

 

 その動きで、隣で寝ていた悟飯も目を覚ます。まだ眠そうに目をこすっている少年に、とびきり明るい笑顔を見せるナッツ。

 

「悟飯、昨日はありがとね。おかげですっかり良く眠れたわ」

「うん、それなら良かっ……」

 

 悟飯の顔が、ぴきりと固まった。目の前で微笑む少女は、下着一枚の姿だった。窓から差し込む朝日で、部屋の中はすっかり明るくて。露わになった上半身が、隅々まではっきりと見えていた。

 

 白い裸身を隠そうともしないナッツから、真っ赤になって顔を逸らした悟飯が叫ぶ。

 

「……何で服を着てないの!?」

 

 言われた少女は、きょとんとした顔で、自分の姿を見下ろした。

 

「暑いから脱いじゃったみたい」

 

 脱ぎ捨てられたと思しきパジャマが、床の上に落ちている。そこでドアの向こうから、チチの声が聞こえてきた。

 

「悟飯ちゃんにナッツちゃん、もう起きてるだかー?」

 

 少年の額から、大粒の汗が流れ始める。ここまで絶体絶命の状況は、フリーザが最終形態になった時以来だった。

 

 悟飯はバータも目を剥くほどの速度で床に落ちた衣服を回収し、押し付けるように少女に差し出した。

 

「早く着て! 早く!?」

「わかったわよ。もう、そんな急かさなくてもいいじゃない」

 

 怫然とした顔の少女が、慣れない手つきでパジャマを身に着けていく。慣れた戦闘服なら、10数秒で着られる自信があるのだけど。地球の服は柔らかすぎて、力加減を間違えると破いてしまいそうで、気を遣う必要があるのだった。

 

 悟飯が青い顔で見守る中、ナッツがちょうど服を着終わったその瞬間、ドアが開いて、笑顔のチチが顔を見せた。

 

「ナッツちゃん、昨日はよく眠れただか?」

「はい! 悟飯がいてくれたおかげで、全然寂しくなかったです!」

「そりゃ良かったな。朝ご飯がもうできてるから、温かいうちに食べるといいだよ」

「ありがとうございます!」

 

 どんな美味しい料理がでてくるのだろうと、期待に尻尾を振りながら、部屋を出ようとしたナッツが、不思議そうな顔で、ぐったりとベッドに座る少年を振り返る。

 

「ねえ悟飯、早く行きましょう?」

「うん、そうだね……」

 

 すっかり疲弊した様子を見せながらも、人生屈指のピンチを切り抜けた少年は、やり遂げた男の顔で、ナッツに微笑んで見せるのだった。

 

 

 

 一方その頃、カプセルコーポレーションにて。ベジータとブルマ達が、ナッツのいない分、普段よりも静かな朝食の時間を過ごしていたのだが。

 

「はっ!?」

「どうしたの、ベジータ?」

「理由は分からんが、あのガキを殺さなければならない気がする……!」

「はいはい。馬鹿な事言ってないで、早くご飯食べちゃいなさい」

 

 原因不明の怒りに身を震わせるベジータの前に、もうすっかり慣れたと言わんばかりに、ブルマがおかわりの皿を置くのだった。




祝日で筆が乗ったので更新です。
前回がちょっと長くてダレ気味だったので、短くしつつ楽しく読めるよう工夫しました。


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5.彼女が彼と出かける話

 悟飯の家にて。ナッツが美味しい朝食に舌鼓を打った後。

 

 ナッツと悟飯は、今日は外で遊んできますとチチに伝えて、普段着に着替えて外に出た。

 

 良く晴れた空の下、さっそく飛ぼうとした少女を押し留めて、少年は空の彼方へ向かって叫ぶ。

 

「筋斗雲! よーい!」

 

 するとすぐに黄色い雲が飛んできて、彼らの目の前で停止した。ふわふわしたその雲を見て、ナッツは目を輝かせる。

 

「凄い! 何これ? 食べ物?」

 

 即座に急加速して逃げていく筋斗雲。

 

「待って!?」

 

 何とか呼び戻した悟飯が、少女に説明する。

 

「食べ物じゃないよ。これは筋斗雲って言って、お父さんからもらった乗り物なんだ」

 

 言って悟飯は、筋斗雲に飛び乗って見せる。柔らかそうな雲が、彼の身体を受け止めるのを見て、大はしゃぎするナッツ。

 

「乗れる雲なんて初めて見たわ! 私も乗っていい?」

「もちろんだよ、ナッツ」

 

 少年が雲の上から差し伸べた手を笑顔で掴み、よじ登ろうとした少女が困惑する。

 

「あ、あれ? 何かすり抜けちゃうんだけど……?」

「そ、そう言えば……!?」

 

 狼狽する悟飯。筋斗雲には心が清らかな人しか乗れないと、お父さんが言っていた気がする。彼も父親も、問題なく乗れていたので思い至らなかったのだ。

 

 済まなさそうに説明する悟飯に、怫然とした顔で頷く少女。

 

「それじゃあ仕方が無いわね……」

 

 悪人の私がそういう物に乗れると思うほど、図々しくは無いけれど。せっかくの悟飯の好意を無にしてしまうのは、嫌だった。

 

 筋斗雲から降りようとする少年を見て、良い考えが浮かんだナッツは、いたずらっぽく笑った。

 

 押し倒すように少年に飛びついて、身体の上に乗った。真っ赤になる彼の首の後ろに両腕を回して身体を密着させ、バランスを安定させる。

 

「こうすれば文句は無いでしょう?」

 

 筋斗雲に向かって、どこか得意げな少女の声。

 

「あの、姿勢を変えて欲しいんだけど……」

 

 おずおずとした悟飯の要望を受けて、あれこれ二人で試行錯誤した結果、ナッツが彼の膝の上に座って、後ろから抱きかかえられる姿勢で落ち着いた。

 

 にっこり笑っている少女の、艶のある黒髪が、悟飯の鼻先をくすぐっていた。落ち着かない様子の少年が筋斗雲を発進させ、その高度が少しずつ上がっていく。

 

「悟飯、もっと強く抱いてくれないと、落ちちゃうわ」

 

 落ちても彼女は自分で飛べると分かっているけれど、だからと言って落とすわけにもいかず、少年は半ばやけになって腕に力を込める。昨日の夜以来、どうもナッツが積極的になってる気がするのは、気のせいだろうか。

 

 筋斗雲の速度が上がっていく。悟飯の両腕に抱かれながら、少女は吹き付ける風に長い髪をなびかせる。物心ついた頃には、当たり前のように空を飛べたナッツにとって、宇宙船以外の乗り物に乗るのは、これが初めての経験だった。

 

「自分で飛ばなくていいのって、凄く楽だし楽しいわ!」

 

 嬉しそうにはしゃぐナッツの姿に、悟飯は自分まで、浮き立つような気持ちになってしまう。伝わってくる彼女の体温が、まるで自分の一部のように思えて、次第に心が落ち着いていく。

 

 空はとても良く晴れていて、降り注ぐ太陽の光が、遠くに見える海面に反射して、きらきらと輝いているのが見えた。自然豊かな山々を見下ろすと、木々の間に、様々な動物達の営みが見えた。

 

 温かな日差しの中、雲の上で心地良い風に吹かれながら、少年と少女の目には、地平線の彼方までが見渡せた。

 

「どう、ナッツ? 前にお父さんに連れてきてもらって、凄く良いなって思ったんだけど」

「綺麗! 凄いわ悟飯! ありがとう!」

 

 振り向いて、少女は満面の笑みを見せる。それを見て、少年も笑顔を返す。

 

 それから二人はしばらくの間、何も言わず、互いの体温を感じながら、穏やかな時間を過ごしていた。

 

 

 

 とある山の近くに差し掛かった時のこと。

 

 悟飯が口笛を吹くと、やがて山の中から、2枚の羽と角を生やした、薄紫色の小さな竜が飛んできて、二人の前で可愛らしい鳴き声を上げた。

 

 白くぷりぷりとしたお腹を見て、ナッツは目を輝かせる。

 

「凄い! 何これ? 食べ物?」

 

 即座に急旋回して逃げていく竜。

 

「待って!?」

 

 何とか呼び戻した悟飯が、少女に説明する。

 

「食べ物じゃないよ。この子はハイヤードラゴンって言って、ボクの友達なんだ」

「悟飯の友達……そう言えば、そんな話をしていたわね」

 

 人間の友達は、私が初めてと聞いていたけれど。この竜は、私よりも先に、悟飯と友達になっていたというのか。何となく、心がもやもやするのを感じた。

 

 理由もわからず、苛立ちを感じた少女に睨まれて、怯えた様子を見せるハイヤードラゴン。生物としての力の差を、動物的本能で感じ取っているのだ。

 

 そこでナッツは、少年が彼女と竜を、困ったように見ているのに気付く。せっかく遊びに来ているのだから、悟飯に嫌な思いをさせるわけにはいかない。

 

(まあ、力の差は弁えてるみたいだし、人間では私が一番の友達なんだから、度量の広さを見せてやるべきよね)

 

 そう考えながら改めて竜を見ると、美味しそうだし、愛嬌のある姿をしているように思えた。

 

「じゃあ、この子は私の友達でもあるのね」

 

 安心させるように、少女はにっこり笑って、竜の頭を撫でる。

 

「よろしくね、ハイヤードラゴン」

 

 嬉しそうな顔になった竜が、一声鳴いて、ナッツの顔を舐めた。

 

 

 

 それからハイヤードラゴンも交えて、さらに遠くへ飛んだ二人は、荒野に生えたリンゴの木の下で一休みしていた。

 

「この辺は、ボクが昔修行してた場所なんだ。1年くらい暮らしてたかな」

 

 悟飯から受け取ったリンゴを一口かじった少女が、たちまち顔を綻ばせる。ちょっと酸っぱかったけど、果肉がしっかり詰まっていて、十二分に美味しかった。

 

「野生の果物もこんなに美味しいなんて、良い環境だわ。悪くない星ね」

「きちんとした料理が食べられなくて、寂しかったけどね」

「他にはどんな物を食べていたの?」

 

 そっちも食べさせて欲しいとばかりに、ぱたぱたと尻尾を振るナッツを見て、少年は苦笑しながら言った。

 

「豆とか、あとたまにお肉も食べてたよ。えっとね……」

 

 そこで突然、地響きと共に、大音声の咆哮が響き渡った。

 

「ギャオオオオオオォォッ!!!!」

 

 不自然に尻尾の短い巨大な肉食恐竜が、涎を垂らしながら、猛スピードで突進してきたのだ。大きく開かれた口の中には剣呑な牙が生え揃い、子供くらいなら、簡単に丸呑みにできそうだった。

 

 ハイヤードラゴンが怯えた鳴き声を上げる。恐竜が彼らを襲おうとしている事は明白だった。

 

 一般的な地球人なら確実に死んでいるだろう状況で、戦闘民族の少女は犬歯を見せながら、獰猛に笑う。

 

「ようやく食べ物が来てくれたわ。身が締まってて、なかなか美味しそうじゃない」

 

 勢いのまま地を蹴った恐竜が、大口を開けて生意気な少女に躍り掛かり、肉塊へと変えるべく食らいついた。

 

 だが咀嚼しようとしたところで、口の中に獲物がいない事に気付く。

 

「?」

 

 きょろきょろと左右を見渡す恐竜。その頭上に、ハイヤードラゴンを抱えて跳んだ悟飯と、服の裾を大胆に捲り上げながら、右脚を真上に振り上げた少女がいた。

 

 勢いよく振り下ろされた踵が恐竜の脳天に激突し、凄まじい力でその巨体を地に叩き付ける。 

 

 あまりの衝撃に恐竜は意識を朦朧とさせながらも、眼前に降り立った少女に向けて、恐竜は激しく吼え猛る。だが戦闘力100程度の生物の威嚇など、ナッツは涼しい顔で受け流し、

 

「身の程知らずね……!」

 

 冷たい目で睨み付け、殺気を叩き付ける。少女の数十倍もの巨体を持つ恐竜が、それだけで全身を硬直させて、動けなくなってしまう。

 

 ナッツは倒れた恐竜の頭に足を乗せ、ぎりぎりと力を込めながら、歯を剥き出して、獣のように獰猛に笑う。

 

「すぐに殺さなかった理由が分かる? 生きてるうちに首筋を切って、できるだけ血を流した方が美味しくなるって、母様から習ったからよ」 

 

 言葉は分からずとも、自分の運命を察したのか、恐竜の顔に、怯えの色が浮かぶ。それを見たナッツは、整った顔を嗜虐的に歪めて笑う。

 

「私達を食い殺そうとしたんだから、食い殺される覚悟はできてるわよね?」

 

 近くで見ていた悟飯は、そんな少女の横顔に、どきどきしてしまうのを感じていた。最近はあまり見られない彼女のこうした面にも、彼は確かに、惹かれるものを感じていた。

 

 もちろん悪い事をしていたら止めないといけないけど。これはまあ、相手の自業自得だし、放っておいてもいいだろう。

 

 そこで悟飯は、倒れた恐竜が、必死に助けを求める目で、自分を見つめている事に気付く。

 

(いや、前にボクのことも、何度も食べようとしてたよね?)

 

 別に助ける筋合いはないよね? って顔で睨み付けると、恐竜はだーっ、と大量の涙を流し始める。それを見た悟飯は、額に手を当てて、ため息をついた。

 

 気は進まないけど、このまま見捨ててしまうのも、目覚めが悪くなりそうだった。うきうきと恐竜の首筋を切り裂こうとしている少女に、悟飯は声を掛ける。

 

「ナッツ、お楽しみのところ悪いんだけど……」

「何? もしかして、こいつもあなたの友達なの?」

「……まあ、尻尾のお肉を分けてもらった仲というか……」

「尻尾ですって?」

 

 ナッツは恐竜の尻尾に視線を向ける。鋭い刃物か何かで、中途半端に斬られたような跡がある。確かに初めて見た時から、気にはなっていたのだ。

 

 そこで少女の表情が、驚愕の色に染まる。

 

「ま、まさかこれは……あなたがやったの?」

「うん。ここで暮らしてた時、何度か襲われたんだけど、その度に尻尾の先をちょっと切って、お肉を分けてもらってたんだ。だからまあ、今回もそれで許してあげられないかなって。もちろん、次は無いけど」

 

 そこまで説明したところで、悟飯は気付く。怯えた顔のナッツが両手を後ろに回して、自分の尻尾を押さえていた。先ほどまでの冷酷な表情はどこかへ行ってしまって、真っ青な顔でがたがたと震えていた。

 

「よ、よくもそんな、残酷な真似ができるわね……」

 

 サイコパスか狂人を見る目で悟飯を見るナッツ。

 

「何で!?」

「だって、尻尾にそんな酷い事をするなんて、生き恥を晒させるつもりなの……?」

 

 サイヤ人にとって、尻尾は力と誇りの象徴だ。根元から切られるのも十分に辛いが、あんな風に半分に切られて、惨めな有様を衆目に晒されようものなら、恥ずかしくて生きていけないだろう。

 

 もちろん恐竜の尻尾はサイヤ人のそれとは違うだろうけど、あまりの恐ろしさに、ナッツはすっかり、感情移入してしまっていた。

 

「えっと、じゃあ殺す代わりに、それでいいかな?」

「あ、あなたがやるっていうのなら、止めはしないわ……」

 

 少女の怯えように、何だか釈然としないものを感じながら、悟飯は恐竜の尻尾を切ろうとして、刃物を持っていない事に気付く。前はピッコロさんがくれた剣があったのだけど。

 

 何か切れそうなものでもないかと、きょろきょろと辺りを探す悟飯の背後で、ごとりと何かの音がして。そちらを見ると、鞘に入った剣が落ちていた。以前使っていたのと、全く同じ形だった。

 

(これって、もしかして……?)

 

 悟飯は少し離れた岩山に目を向ける。誰の気も全く感じられなかったけど、何となく、彼に戦い方を教えてくれた師が、そこから見守ってくれている気がしたのだった。

 

 

 

(悟飯の奴、オレの居場所が見えているのか……?)

 

 実際に、その岩陰にはピッコロがいた。二人が修行場所の近くに来ているのを見て、あのサイヤ人が悟飯に何かおかしな真似をしないかと、心配して見ていたのだった。

 

 

 

 少し笑って、その方向に頭を下げて。悟飯は剣を拾い上げ、恐竜の尻尾の先端を切断する。輪切りにされた大きな肉の塊を剣に突き刺して、少年は恐竜に言い聞かせる。

 

「いい? もう人間を襲っちゃ駄目だよ? この次は、もう庇ってあげられないからね」

 

 恐竜はがくがくと、凄い勢いで頭を上下に振った。そして二人に背を向けて、一目散に逃げていったのだった。

 

 しばらく後に、この荒野で遭難した人間が、恐竜に助けられて生還したという話が小さなニュースになるのだが、それはまた別の話だ。

 

 

 それから悟飯は慣れた手つきで落ち葉や乾いた枝を集めて、小さなエネルギー波で火を着けると、剣に刺した尻尾の肉を炙り始めた。

 

 一連の行為から、ナッツは離れて目を背けていたが、肉に火が通り、周囲に良い匂いが漂い始めると、おそるおそる寄って来て、焼けるのを待ち遠しそうに見守っていた。

 

 そして程良く焼けた肉を、半分こにして食べる二人。

 

「おいしい!」

「うん、おいしいね」

 

 一抱えほどあった肉を、あっと言う間に平らげて、少女は満足そうな笑みを浮かべる。今まで食べてきた野生動物の中では、一番美味しかったかもしれない。

 

(地球の環境が良くて、良い物を食べてるからなのかしら……)

 

「もうちょっと欲しいわね……あ、いない」

 

 逃げた恐竜を見つけるべく、周囲の気配を探ってみたが、反応が小さい上に、他の動物達の気配に紛れて、はっきりしない。大して強くない戦闘力を探るのは、少女の苦手分野だった。

 

 もっと集中して時間を掛けて、本気で探せば見つけられるかもしれないけど。

 

「まあ、いいわ。あいつも十分懲りたでしょうし」

 

 手に付いた脂を舐め取って、ナッツはそれきり、恐竜に対する興味を失ったのだった。

 

 

 

 時刻は10時半をわずかに過ぎて、そろそろ帰ろうかと筋斗雲で飛んでいた二人は、とある町の上空に差し掛かった。

 

 そこでナッツが、眼下の光景に興味を引かれた。店舗らしき建物の前に、大勢の地球人達が集まっていた。皆笑顔で、何かを手に持って食べている。

 

「悟飯、あれは何かしら?」

「遠くてちょっと……近くで見てみようか?」

 

 離れた場所に降りて近付くと、その店はクレープの専門店で、店の前に置かれた看板には、20種類以上の商品の写真が掲載され、それらの値段が書かれていた。

 

 いかにも美味しそうな写真と、漂ってくる甘い匂いに、目を輝かせるナッツだったが、その表情が、にわかに曇ってしまう。

 

 今はお金を持っていない。持っていた宝石は、ブルマに預けてしまった。お店を吹っ飛ばして商品を奪ったら、指名手配されて、住まわせてくれているブルマに迷惑が掛かってしまうだろう。

 

 悲しそうな顔をする少女の前で、悟飯は懐から取り出した財布を開き、中身と値段を慎重に見比べてから言った。

 

「大丈夫だよ、ナッツ。念のため、お小遣いを持ってきたんだ。……あんまり持ち合わせは無いんだけど、1個ずつなら大丈夫だよ」

「本当!?」

「うん、どれが良いか選んでよ」

「ありがとう、悟飯!」

 

 嬉しそうな顔でさんざん悩んでから、少女はオレンジとグレープフルーツと生クリームのクレープを選んだ。

 

 二人は並んでベンチに腰かけて、買ったクレープを食べ始める。瑞々しい果肉の甘酸っぱさと、生クリームの風味が、温かい生地と見事に調和していて、ナッツは思わず目を見開いた。

 

「おいしい! 地球で食べたお菓子の中で、一番おいしいかも!」

「うん、おいしいね、ナッツ」

 

 人前なので、少女の尻尾は服の下に隠されていたが、普段ならぶんぶんと振っていたんだろうなあと、悟飯は微笑ましい気分になった。

 

 そこでナッツは、彼の食べている、バナナとチョコと生クリームのクレープを、物欲しそうに見ながら言った。  

 

「そっちもおいしそうね……良かったら、ちょっと味見させてくれる?」

「う、うん。いいよ」

 

 おずおずと少年が差し出したクレープに、小さく口をつけて、たちまち笑顔になるナッツ。

 

「おいしい! ありがとう! 私のも一口食べていいわよ」

「え、えっと……」

 

 真っ赤になりながらも、断るわけにもいかず、悟飯は差し出されたクレープの、彼女の口がついていない場所を、少しかじり取った。

 

「おいしい?」

「う、うん。おいしいよ」

 

 そう答えるも、緊張のあまり、味なんてわからなくて。そんな初々しい子供二人の様子を、周囲の人々が微笑ましく見守っていた。

 

 

 それから5分ほどして、珍しい事に、悟飯が食べ終わった後も、少女は手にしたクレープを、大事そうにゆっくりと食べている。どれほど気に入っているか、分かるというものだった。

 

 名残を惜しむように、小さな口で少しずつ食べている様子は、まるで小動物のような可愛らしいもので、少年が思わず見惚れていた、その時だった。

 

「どきやがれ!」

「うわあっ!?」

 

 走り込んできた人相の悪い大男が、悟飯を突き飛ばした。

 

 男はそのままナッツを乱暴に抱え込み、そのこめかみに銃を突きつけ叫ぶ。

 

 

「クルマと金を用意しやがれ! さもなきゃこのガキの命はねえぞ!」

 

 

 そこへサイレンをけたましく鳴らしながら数台のパトカーが殺到し、武装した警官隊がたちまち周囲を包囲する。

 

「逃亡中の強盗殺人犯です! 市民の皆さんは下がってください!」

 

 人々が悲鳴を上げて逃げ出す中、へたり込んでいた少年に、警官の一人が駆け寄った。

 

「大丈夫か? 君も早く離れるんだ!」

「こ、殺される……!」

 

 人質にされた少女の方を見つめながら、がたがたと震える悟飯。その姿に警官達が思わず声を詰まらせ、安心させるように言葉を掛ける。

 

「安心してくれ! 君の友達は必ず助けて見せる!」

「くそっ、あんな子供を人質に取るなんて、何て卑劣な奴なんだ!」

 

(違うんですお巡りさん達……!)

 

 当然の話だが、悟飯はナッツの事を欠片も心配していない。薄情なようだが、あの強盗がフリーザより強くない限り、身の危険は全く無いだろう。

 

 危ないのは、何も知らないあの強盗の方だ。その気になれば容易く地球を滅ぼせる少女は、信じられない事に、まだ美味しそうにクレープを食べている。幼すぎて状況を把握できていないのかと、警官達は痛ましい目を向けている。

 

 当のナッツは、自らの置かれている状況を、完全に理解していた。そして強盗にとっては非常に幸運な事に、今の彼女はとても機嫌が良かった。

 

 別に油断をしていたわけではない。その辺を這っているアリに、いちいち警戒する人間はいない。この戦闘力5程度の地球人が何をしようと、自分の身体には傷一つ付けられないのだ。

 

 今の状況は、そのアリが靴に登ってきた程度の事で。当然後で潰すつもりだが、今はそんな事よりも、残り少ないこのクレープを味わう事の方が大事なのだ。

 

 地球の警察も来ているみたいだし、彼らが代わりにこのゴミを片付けてくれるのなら、任せてもいいとすら思っていた。

 

 一方の悟飯は、強盗が殺される前に、この状況を何とかしなければと思っていたが、動けないでいた。この場にクリリンさんがいたら、軽く叩いて気絶させたりとかできるんだろうけど。

 

(手加減なんて、全然分からないし……!)

 

 彼が今まで戦ってきた相手は、ラディッツを始め、ナッパやベジータ、リクームやフリーザなどであり、全力で殴っても問題ない相手にしか、力を振るった経験がない。

 

 少年がしばしば怒りによって爆発的な力を発揮する事も、裏を返せば、自分の意思で力を制御するのが苦手であるという事だ。

 

 迂闊に手を出した結果、一生残る大怪我でもさせてしまったらと思うと、たとえ相手が悪人でも、軽々しく攻撃する気にはなれなかった。

 

 かといって、このまま放っておけば衆人環視の中で、ナッツがあの強盗を殺してしまうかもしれない。状況からして正当防衛になるとは思うけど、それでも後々彼女がどういう目で見られるかを考えると、何とかして止める必要があった。

 

 

 悟飯が逡巡している間に、状況は動きだす。強盗にとって、人質にされているにも関わらず、美味しそうにクレープを食べ続けている少女の様子は、苛立たしいものだった。

 

「呑気な顔しやがって!」

 

 怒鳴りつけて、彼はナッツが食べていたクレープを叩き落した。

 

「あっ……!?」

 

 地面に落ちたクレープから、クリームや果物が地面に零れるのを見て、大きく目を見開く少女。

 

「あ……あ……」

「うるせえ!」

 

 

「うるさいのは、お前よ」

 

 

 囁くような声を聞いた瞬間、強盗の背筋に、ぞくりと冷たい感覚が走る。捕まえていたはずの少女が、いつの間にかこちらを振り向いている。

 

 絶対零度の殺意を宿した瞳は、子供のものとは思えなかった。いったい何百人殺せば、こんな目ができるというのか。

 

 小さな手に、首筋を掴まれる。少女の身体に隠されて、遠巻きに伺う人々からは、その様子は見えない。人間とは思えないほどの力で、ぎりぎりと首を締め上げられる。 

 

 彼の恐怖を楽しむかのように、ナッツは冷酷に笑う。生きたまま心臓を握り潰すべく、その胸板に小さな手を当てる。

 

「知ってる? 悪事を働いてる悪人は、殺したって罪にはならないのよ」

 

 ぞっとするほど整った顔を歪めながら、少女は小さく可愛らしい声で言った。それはまるで、人の命を何とも思っていない可憐な死神が、大きく鎌を振り上げているようで。自分はここで死ぬのだと、強盗は直感した。

 

「た、助け……」

「駄目よ」

 

 強盗は、完全にナッツに意識を飲まれていた。銃を持つ手もがたがたと震えて、狙いを定められないでいる。悟飯は彼が殺される前に、多少怪我をさせてでも割って入ろうと決意するも、距離があり、動き出すには既に手遅れだった。

 

 そして少女が手に力を込めようとした、その瞬間だった。

 

 

 

「この、ろくでなしのあんぽんたんの人でなしが!」

 

 

 

 突如飛び込んできた長身の男が、強盗の手から銃を蹴り飛ばし、一瞬で少女を確保した。男はそのまま流れるような動きで、強盗の全身に無数の打撃を叩き込む。その場の大多数の人間には、目に追えないほどの素早い連撃だった。

 

「貴様のようなどうしようもない奴は、消えてなくなれぃ!」

 

 そして叫びと共に放たれた渾身の回し蹴りが、爽快な音と共に炸裂した。激しく吹き飛ばされた強盗の身体が、幾度もバウンドしながら地面に倒れる。男が乱入してから、わずか数秒の出来事だった。

 

「か、確保!」

 

 我に返った警官隊が即座に殺到し、気絶した強盗に手錠を掛ける。事件の解決に安堵した市民達は、助けた少女を地面に下ろす男を見て、ざわざわと騒ぎ出す。

 

 

「誰だあれ? 物凄い強さだ……」

「格好良い……!」

「テレビで見た事あるぞ! この町の出身で、最近売り出し中の格闘家の!」

 

 

「確か……ミスターサタン!」

 

 

 沸き上がる大歓声に、軽く手を振って応えてから、サタンは警官隊に頭を下げる。

 

「警察の邪魔をしてしまって申し訳ない! 私にも同じくらいの歳の娘がいるもので、奴が隙を見せたものだから、つい我慢できなかったんだ」

「いえ! あのままでは人質の子が怪我をしていたかも……ご協力に感謝します!」

 

 敬礼する警官隊。

 

 一方ナッツは不機嫌極まりない顔で、落ちたクレープを拾い上げる。土埃で汚れたそれは、もう食べられそうになかった。  

 

 今からでも殺すべきかと、連行されていく強盗を冷たい目で睨みつける。その様子を見ていたサタンは、明るい声で言った。

 

「可哀想に……よし! おじさんが新しいのを買ってあげよう!」

「本当!?」

 

 数秒前までの殺伐さが嘘のように、少女は顔を輝かせる。もう半分以上食べていたのに、新しいのがもらえるなんて。これはむしろ、得をしたのではないだろうか。

 

「おじさん、ありがとう!」

 

 そしてちゃっかり前と違うクレープを選んで、美味しそうに食べ始める少女。

 

「あ、ありがとうございます、サタンさん」

 

 悟飯は礼を言いながらも、浮かない顔をしていた。あんな風に、格好良く割って入って、彼女を助けられたら良かったのに。

 

 項垂れる彼の肩に、腰を落として目線を合わせたサタンが手を置き、悟飯を正面から見据えて、力強く言った。

 

「気にするな少年。今はまだ、子供だから仕方ない。だが男ならいつか強くなって、その子を守ってやるんだぞ!」

 

 その言葉は、気落ちしていた少年の胸に染み込んでいくようで。

 

「は、はい!」

「良く言った! 君にもおじさんからサービスだ!」 

 

 がっはっは、と豪快に笑って、悟飯をお店のカウンターに連れて行くサタン。

 

(後でまた悟飯のも、分けてもらおうかしら……)

 

 笑顔で新しいクレープを食べながら、そんな事を考えていたナッツは、黒髪と青い瞳を持つ、彼女と同じくらいの年頃の地球人の少女が、彼らの方を見ている事に気付いた。

 

「もう、パパったら危ない真似をするんだから……相手は銃を持っていたのに、撃たれちゃったらどうするのよ」

 

 言葉と裏腹に、彼女は父親の背中を、きらきらした尊敬の眼差しで見つめていた。そこで彼女は、ナッツに気付いて話し掛ける。

 

「あなた、パパに助けられた子ね。大丈夫だった?」

「うん。あの人、良いお父様ね」

「そうでしょう? 私のパパは世界で一番強いんだから」

 

 得意そうに胸を張る少女の前で、ナッツは複雑な顔になってしまう。間近で動きを見たのもあって、少女は彼女の父親の戦闘力を、ほぼ正確に把握できていた。

 

(百歩譲って、クリリン達は例外にしてあげるとしても……ナム選手には何とか勝てるかもしれないけど、少なくとも、あの人がジャッキー・チュン選手に勝つのは無理よね……)

 

 だが父親の強さを信じている娘に、それを指摘するのは気が引けたから。妥協して、事実だけを口にする事にした。

 

「じゃあ、私の父様は宇宙一強いわ」

 

 毎日重力室で訓練して、今も戦闘力を伸ばしているし、ナメック星では超サイヤ人になり掛けていたのだから、すぐに変身できるようになるはずだ。尻尾だってそのうち生えてくるだろうし、そうすれば下級戦士のカカロットなんて目じゃないだろう。

 

 ナッツの言葉を冗談だと思ったのか、地球人の少女はくすりと笑う。

 

「面白い子ね。私はビーデルって言うのよ」

「ナッツよ」

 

 およそ12年後、成長した彼女達は、サタンシティと改名されたこの町で再会する事になるのだが、それはまだ、当分先の話になる。




 いい加減そろそろ原作に戻らないとだけど、まだまだ書いておきたい展開が多い……。
→じゃあダレないよう更新ペース上げようか。

 そういう事になりました。まあまたいつどうなるか分からないのですが、筆が乗ってるうちにできるだけ書いておきたいと思います。

 ちなみに大体あと3回くらいで地球の話を終えて、フリーザ様達の話をちょっとやってからセル編に入る予定です。


 それと感想、評価、お気に入り等ありがとうございます。前回の更新で久しぶりに高評価もらえてうれしかったです。続きを書く励みになっております!

 あと誤字報告もありがとうございます。毎回報告を見る度に「え、何なのこの凄いミス……」って驚きつつも感謝しております。


 次の更新はいつになるか自分でもまだ未定なのですが、念のため気長にお待ちくださいませ。


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6.彼女が月を直させる話

 時間は少し遡る。ナッツが悟飯の家で夕食をご馳走になりながら、悟空も交えて談笑していた時のこと。

 

「そういえば、ピッコロが壊した地球の月って、いつ元に戻るのかしら?」

 

 ふと浮かんだ疑問を口にした少女に、丼を抱えた悟空が答える。

 

「あれは確か、神様が直してるはずだぞ」

「えっ、自然に戻るんじゃないの?」

 

 確かに、壊れた物が何もせず元に戻るなんて、おかしいとは思っていたけれど。

 

「ボクはまだ会った事がないんだけど、ドラゴンボールを作ったのも地球の神様だって、聞いた事があるよ」

「地球の神様って、器用なのね……」

 

 ドラゴンボールを作れるということは、ピッコロと同じナメック星人なのだろう。仲良くなったツーノ長老達の事を思い出し、懐かしさに、少女は顔を綻ばせる。それに直接行って頼めば、月を早めに直してくれるかもしれない。

 

「ねえ、その神様って、どこに住んでるの? 一度会ってみたいわ」

 

 

 

 そして悟飯の家から帰って来た、次の日の昼下がり。ナッツは彼女にとっての正装である黒い戦闘服に身を包み、神様の神殿を目指して飛び立った。

 

「目印は凄く高い塔……あれの事ね」

 

 教えられた方角に向けて進むと、すぐにそれらしい建造物が見えてきた。天高くそびえる円柱は直径2メートル程度であまり太くなく、塔というよりは、とても長い柱のように思えた。

 

 雲を貫く塔の先端は見上げても全く見えず、どれほど高いか分からない。ひとしきり感嘆の声を上げてから、少女は首を傾げてしまう。

 

「神様はこの上に住んでるって話だけど……怖くないのかしら? この柱の下の方とか、地球人でも爆弾や大砲で壊せそうなんだけど……」

 

 もし倒れでもしたら、地上の損害も大変な事になるだろう。けど風が吹くだけで揺れそうな見た目の割には、しっかり立っているし。実際は多少壊れても、不思議な力か何かで無事なのだろう。たぶん。

 

 納得した少女が真上に向けて飛ぶと、1分ほどで塔の中腹に、居住スペースらしきものが見えてきた。人の気配を感じて乗り込んでみると、ナッツよりやや小さいくらいの、真っ白い猫が杖を持って、2本の足で立って少女を見ていた。

 

「こんにちわ。あなたが地球の神様かしら?」

「わしはカリン。神の神殿はこの塔の頂上じゃよ」

「そうなの? ありがとう!」

 

 天下一武道会で、2足歩行の喋る竜などを見ていたナッツは、喋る猫にも特に驚く事もなく。手を振って、さらに上空へと飛んでいく。

 

 ほどなくして、少女の姿が見えなくなった頃、隠れていたヤジロベーが物陰から出てきて息をついていたのだが、それはまた別の話だった。

 

 

 

 しばらく飛び続けても頂上は見えず、慣れない真上への飛行に半ばうんざりしていたナッツは、ようやく大きなお椀型の建造物が見えてきた事に笑みを浮かべ、一息に飛ぶ速度を上げる。

 

 そして塔の頂上に出た少女は、空からその全景を見下ろした。遥か上空に浮かぶ神殿は、半径100メートルほどの、白い石造りの円形状の舞台の上に建っていた。

 

 降り立って、物珍しそうに辺りを見渡すナッツ。高い舞台の縁からは、雲すら遠い眼下に見えて、地球全体が見渡せそうだった。

 

(地球人を全滅させるのなら、ここから攻撃を撃ち下ろすのが一番早くて楽でしょうね。あっさり終わり過ぎて、つまらなさそうだけど)

 

 フリーザ軍に所属していた頃の癖で、つい物騒な事を考えてしまうナッツ。もちろん、この住み心地の良い星を壊す気はないのだけど、試しに地上を見下ろしてみる。

 

「むう。高すぎて全然見えないわね……」

「サイヤ人の娘よ。この神殿に何の用だ」

 

 威厳のある声に、少女が振り向くと、年老いて長い杖を持ち、白い法衣を着た背の高いナメック星人が、付き人らしき真っ黒な男と共に立っていた。

 

(今度こそ、本物の神様に違いないわね。服に大きく「神」って書いてあるし)

 

 あれで神様じゃなかったら、ただの不審人物だ。距離を置いているのは、私を警戒しているのだろう。

 

 神という割に、感じられる戦闘力はそれほど高くなかった。私や父様達が地球を攻めた時にも出てこなかったくらいだし、破壊神ビルスのような、強い存在ではないのだろう。

 

 ただ、枯れ木のような外見から漂う、どこか神秘的な雰囲気が、ナメック星で会った、最長老を思い出させた。とても大きかったあの人と違って、すっかり痩せているけれど。

 

 頼みごとをする立場というのもあって、少女は敬意を表して、丁重に礼をする。

 

「初めまして、地球の神様。私はナッツよ。今日ここに来たのは、壊れた月をまた作り直してもらうためよ。あなたならそれができるって、カカロットから聞いたわ。やっぱりたまには、本物の満月が見たいの」

 

(悟空の奴、余計な事を……!!)

 

 少女の言葉を聞いて、地球の神は顔を引きつらせる。ピッコロが壊した月は当然、直す用意はしてあった。地球の神として当然の事だ。サイヤ人の襲来が終わった時に自分が生きていたら、すぐに直すつもりだったのだが。

 

 神は少女の腰に巻かれた尻尾に、苦々しい視線を向ける。それに気付いたナッツが言った。

 

「大猿化した私がカカロットのように、理性を失って暴れるのを心配しているのね? 大丈夫よ。私や父様はエリートだから、変身しても理性があるの。人里離れた場所で軽く運動するだけで、地球人は傷付けないって約束するから」

 

 サイヤ人の少女の言葉に、神は内心考え込んでしまう。確かにあまり長期間、月を壊れたままにはしておけない。お月見ができないとか、男狼が人間の姿になれないとか、月灯りが無いと夜道が危ないとか、地味に困っている人間は結構多いのだ。

 

(その尻尾を、永遠に生えないようにするなら……)

 

 以前悟空に使った手を、駄目元で口にしようとしたその瞬間、神は己の死を確信した。

 

「!?」

 

 地球の神としての能力が、全力で警告を発していた。尻尾は何かと邪魔であろうなどと口にすれば、自分は確実に殺されてしまう。

 

「? どうしたの? どこか具合でも悪いの?」

 

 急に顔色を変え、大量の汗を流し始めた神を、心配そうに見つめるナッツ。

 

「な、何でもないぞ。だが、少し考えさせて欲しい。地球の民の安全を考えると、万が一が……」

「もう、大丈夫って言ってるじゃない」

 

 難色を示す神に、少女は頬を膨らませる。地球の神様が、まさかこんなにケチだなんて。

 

 ふと思いついたナッツは、右の掌を空へと向ける。満月をイメージしながら軽く力を集中すると、掌の上に、眩く輝く球体が浮かぶ。

 

 少女は目を細めて、満足そうにパワーボールを眺めながら、冷酷な笑みを浮かべて言った。

 

「あなたの代わりに、私が毎日、月を作ってあげてもいいのよ。とりあえず、今日はここで月を見たい気分ね」

「馬鹿な、月を作るだと……!?」

 

 長年地球を管理してきた神は、ナッツの作り出した球体が、確かに月の要素を含んでいる事を看破する。長くは保たないだろうが、おそらくはあと一押しで、この場に満月が完成する。

 

 大猿と化した少女の重量で、崩壊する神殿とカリン塔が神の脳裏に浮かび、慌てて叫ぶ。

 

「ま、待て! やめろ! わかった! わかったから!」

「そう? じゃあお願いね」

 

 言ってすぐにパワーボールを消したナッツは、数秒前とはうって変わって、にこにこと可愛らしい笑みを浮かべていた。その様子を見て、神は大きなため息をつく。

 

(本気では無かったのか……まったく、なんて娘だ)

 

「自分で月を作れるなら、最初からそうすれば良かったではないか」

「だから言ったでしょう? 私は自然の月が見たいのよ」

 

 愚痴りながらも、神は神殿の中から、小さな月の模型を持ち出してくる。本物の月と全く同じ形に、細部まで作り込まれたそれを、興味深そうに眺めるナッツ。

 

 神が手にした杖を振り上げると、模型の月は眩く輝き、サイズを増しながら勢いよく空へと飛んでいく。やがて遥か彼方で一際大きく光ると、太陽の光に掻き消されて、それきり見えなくなってしまった。

 

 何かを探るように集中していた神が、閉じていた目を開いて言った。

 

「よし、これであの月が、以前と同じ軌道に戻ったぞ」

「ありがとう、神様! ところで、今日の月は……」

 

 もしかして、いきなり満月ではないだろうかと、期待に尻尾をぱたぱたと振る少女の質問に、仏頂面の神が答える。

 

「まだ上弦を過ぎた辺りだ。満ちるのは数日先になる」

「むう……仕方ないわね」

 

 言いながらも、嬉しそうな顔で、空を見上げるナッツ。満月も楽しみだし、それまで毎晩、月を眺めて楽しむのも良さそうだ。

 

 そこで用が済んだとばかりに、神殿の中に戻ろうとした神を見て、思い出したように、少女が言った。

 

「そういえば、あなたもナメック星から来たの? 私もこの間、ナメック星に行ったのだけど」

「……そうらしいな。だが私に、そのナメック星の記憶は無い。何百年も昔、気が付くと幼い頃の私は、一人この星にいたのだ」

 

 かつかつと、遠ざかっていく神の後ろ姿に、ナッツは言葉を投げかける。

 

「じゃあ、あなたはきっと、ナメック星の異常気象から逃れてきたのね」

「……異常気象だと?」

 

 軽い驚きを含んだ声と共に、神の歩みが止まった。

 

「ええ。ナメック星は大昔の異常気象で、一度壊滅してしまったの。そこでただ一人生き残った、最長老って人が子供をたくさん生んで、数百年掛けてナメック星を復興させたのよ」

 

 少女の言葉を聞いた神は、驚愕にその身を震わせる。最長老という名前だけは、生き返った直後に、界王様から聞いた事があった。だがあの時は状況が切羽詰まっていて、詳しい話までは聞けなかったのだ。

 

「し、知らなかった……私の両親が迎えに来なかったのは、やはり……」

 

 神は杖を持たない方の手で、しわだらけの顔を覆った。その姿を見て、ナッツの胸にも、悲しみが込み上げてくる。

 

 この地球の神様は、親を失くして、ずっと一人で生きてきたのだ。

 

 両親を失ってしまう悲しみは、痛いほどに理解できた。もし私が一人ぼっちになって、誰も私を愛してくれる人がいなくなったら。自分がどうなってしまうか、わからなかったし、想像すらもしたくなかった。

 

「とても残念だけど、そうでしょうね。あと、ナメック星人には性別がなくて、一人で口から卵を生んで増えるらしいわ」

「し、知らなかった……い、いや確かに、ピッコロ大魔王の奴は、そうして魔族を増やしていたが……」

 

 次々と明らかになっていく真実を前に、地球の神は、自分が数百年生きていながらも、生まれ故郷であるナメック星の事を、全く知らない事に気が付いた。忘れかけていた故郷への郷愁が、強く心に湧き上がって来る。

 

 ピッコロの奴はナメック星に行ったらしいが、奴に頭を下げてでも、話を聞きに行くべきかと、難しい顔で神が考え込んでいたところで、ナッツが爆弾を投下する。

 

「ねえ、神様。生まれ故郷の星に、行ってみたらどう? 長老達もあなたに会えたら、きっと喜ぶと思うのだけど」

「なっ……!!!」

 

 天地が引っくり返らんばかりの衝撃が、神を襲っていた。それは地球の神として、無意識ですら考えていなかった事だった。

 

「い、いいのか……!?」

「? ええ、宇宙船もブルマのお父様がまた改造してくれたし、片道3日くらいで行けるわ」

「今すぐ行く!! いや、ま、待て!? この星の神である私が、地球を留守にするわけには……!」

 

 強く逡巡する神に、ミスターポポがぽつりと言った。

 

「かみさま いってきて」

「し、しかしだな、今までそのような事は一度も……」

 

 そこで彼の方を見た神が、再度驚愕する。ミスターポポが、溢れる涙でハンカチを濡らして号泣していた。

 

 

「ミスターポポ るすばんする。かみさま いままで ちきゅうのため すごくがんばった。がまんしないで いってきて」

 

 

 300年以上の時間を共にしてきた付き人の、心からの言葉に、地球の神は、しばらく目を瞑って熟考し、やがて絞り出すように言った。

 

「では、留守を頼んでも良いだろうか……?」

「かみさま!」

 

 真っ黒な顔に喜びの表情を浮かべるミスターポポの隣で、ナッツも薄い胸を張って言った。

 

「大丈夫よ。私も留守番しておいてあげる。今地球には、強いサイヤ人が4人もいるのよ。こんな星を襲う命知らずはいないし、もし何か来たって、追い返してやるんだから」

 

 自信満々にそう告げるサイヤ人の少女を、神は見下ろして、小さく笑いながら言った。

 

「よろしく頼む。だが私のいない間に、地球を破壊するのではないぞ」

「しないわよそんな事!」

 

 冗談だと、地球の神は楽しそうな笑い声を上げた。数十年かぶりに、そうしたい気分だった。 

 

 

 それからすぐに、北の銀河の統括者である界王に、最悪クビを覚悟しながら念話で確認を入れた所、軽いノリで了解の返事が来て、神は拍子抜けしてしまう。

 

 代理の者にきちんと業務を引き継ぎして、念話で定時連絡をして、何かあった時にすぐ戻るなら、一ヶ月くらいは、管理する星を離れても問題ないから、楽しんで来いという事だった。

 

 手元の業務を急ぎで終わらせつつ、ミスターポポへの引継書を作りながら、まだ見ぬナメック星への旅へと、神は思いを馳せていた。

 

「うーむ、ナメック星への土産は何がいいだろうか……どこか菓子の美味い店でも知らんか?」

「知ってるけど、ナメック星人は、そういうの食べないらしいわ。水と太陽の光だけで生きられるって言ってたわよ。あと太陽も3つあるの」

「し、知らなかった……では土産は地球の水がいいのか……? 太陽の光もどうにかして……」

 

 生真面目に考え込む神に、ナッツはあっさり言った。 

 

「あなた自身が一番のお土産じゃないの? 最長老と同じ、異常気象を生き延びたナメック星人だもの。きっと凄く歓迎してくれるはずよ」

「そ、そうなのか……?」

 

 ナメック星人達から大歓迎を受ける自分の姿を想像し、神は思わず、頬を緩めてしまう。こんな嬉しい気持ちになったのは、いったい何年ぶりだろうか。

 

 

 

 これから2日後、地球の神はミスターポポ達に見送られ、ブルマから提供された宇宙船で、年甲斐もなく胸を躍らせながら旅立った。

 

 到着したナメック星で、ムーリを始めとする長老達は、最長老に近い年齢の、見た事の無いナメック星人の姿に驚愕する。

 

「ま、まさか、あなたはスラッグでは……? いや、ですが、あなたは我々と同じ、純粋な善の心を持っておられる……」

「私は、物心ついた時には地球にいて、自分の名前も覚えていないのだ」

「最長老様から、聞いた事があります。ドラゴンボールをも作れるあなたは、カタッツという龍族の者が、他の星へと避難させた子供なのでしょう」

 

 その名前を聞いた瞬間、神は古びた記憶の片隅から、確かに同じ名前が浮かび上がるのを感じた。ゆっくりと、噛み締めるように、その名を呟く。

 

「カタッツ。それが、私の親の名前なのか……」

 

 それから神は3週間ほど、ナメック星人全員による、心からの歓待を受けながら過ごした。見慣れぬ多くの植物による、緑豊かな光景は、不思議と懐かしく、心地良いものだった。

 

 ぜひ最長老になって欲しいと誘いも受けたが、地球の事があるからと、神は丁重に辞去した上で、地球の話に興味を持った、デンデと共に帰還した。

 

 自分の寿命が近い事を悟っていた神は、この後デンデを正式な後継者として、かつて自分も学んだ、神としての教えを施していく事になる。

 

 二人の年齢は遥かに離れていたが、神がデンデに向ける穏やかで優しい眼差しは、まるで自分の子供を見るようだったという。

 

 

 

 時間は少し遡る。ナッツが地球の神を訪ねた、その夜のこと。

 

 自室の窓を開けた少女は、空を見上げて表情を明るくする。

 

「父様! 月が見えます!」

「ああ。綺麗なものだな」

 

 ナッツはこの時のために借りてきた、子供向けの天文学の本を開いて、載っている月の写真と、空に輝く実物を見比べる。

 

「満月になるまで、あと4日みたいですね。楽しみです」

 

 本物の満月なんて、もうしばらく見ていない。その美しさと、それを見上げて変身する時の、怒れる獣のような荒々しい激情と、溢れんばかりの力に満たされる感覚を思い出して、うきうきしていた少女は、ふと気付く。父様はまだ、尻尾が生えていないのだ。

 

 少し気まずそうに、娘は質問する。

 

「父様は、満月の時どうします?」

「この家に残るつもりだ。変身していないオレが近くにいたら、気になって好きなように動けないだろう? オレの事は気にせず、思う存分暴れてこい」

「わかりました、父様!」

 

 そこへ大量のお団子が乗った皿を持って、ブルマが部屋に入ってきた。

 

「ナッツちゃんの言ったとおり、本当に月が戻ってるのね。テレビでもやってたわよ」

 

 漂ってくる甘い匂いに、ナッツが顔を輝かせる。

 

「何これ? 凄くおいしそう!」

「月見団子って言うのよ。本当は十五夜の時に食べるんだけど、まあ、ナッツちゃんは予定があるみたいだから……」

 

 満月の夜の少女の予定について、ブルマは夕食の席で聞いていた。大猿になって暴れに行くという話に、一時は顔を引きつらせたものの、悟空と違って理性はあり、人里離れた場所で行うという事と、普段から訓練をしておかないと、いざという時に理性を保てなくなると、ベジータから説明されて納得した。

 

 そして何より、ナッツが尻尾を千切れんばかりに振りながら、とても嬉しそうにしていたので、罪の無い人を殺しに行くとか、そういう事でもない限り、できる限りは叶えてあげたかった。

 

「どこに行くか決まってるの? わかってるとは思うけど、目撃者が出るような場所は駄目よ?」

「うん。前に父様とカカロットが、戦った辺りにしようと思ってるんだけど」

「あの辺なら、確かに人目も無いでしょうね……」

 

 主だった都市から遠く離れており、人が住めるような場所ではなく、ただの荒野で利用価値も見るべき物も無い。とはいえ、物好きな人間が訪れる可能性もゼロではない。ブルマは2.3件電話を掛けてから、少女に笑い掛ける。

 

「大丈夫よ。念のため、うちの会社で土地を買い上げて、誰も近づかないようにしておくから。好きにするといいわ」

「ありがとう! ……でもお金は大丈夫なの?」

「オレも出すか? 足りるかはわからんが……」

 

 心配そうな父親と娘の前で、胸を張って笑うブルマ。

 

「いらないわ。カプセルコーポレーションは、世界一の大企業よ。父さんや私の特許でいくらでもお金が入って来るから、むしろ使って世の中に戻さないと、皆が迷惑するのよ。今回の件も、向こうの方が喜んでたくらいだもの」

「……向こうって誰だ」

「あの辺の土地を管理してる、政府関係の人達よ」

 

 さらっと口にするブルマに、感心した顔のナッツと、もう実質、こいつが地球の支配者なんじゃないかという目を向けるベジータ。

 

 

 それから三人は、大量のお団子に舌鼓を打ちながら、新しく作られた月を見上げていた。

 

 戦場でも無い場所で、落ち着いた気分で月を眺めるのは、父親と娘にとって、ずいぶん久しぶりの経験だった。

 

 以前の時は、母親もいて、幼いナッツを抱き上げていた。遠征先での、本格的な侵攻の前夜。戦闘も無い夜の静けさの中で、満ち掛けた月をただ見上げていた。あの頃が、彼らの人生の中で、一番幸せな時期だった。

 

 思い出して、ナッツの黒い瞳に、うっすらと涙が浮かぶ。少女が目元に手をやろうとしたところで、ブルマがハンカチで、その涙を拭った。驚いた顔の少女に、お団子の皿を差し出して、優しい声で告げる。

 

「ほら。まだまだいくらでもあるから、全部食べちゃっていいわよ」

「うん、ありがとう……」

 

 少女はお団子を口にして、それから隣のブルマにもたれかかって、肩をくっつけた。ブルマの方も身を傾けて、肩を寄せ合う形になる。

 

 それを見た反対側の父親が、焦った顔でぐいぐいと身を寄せてくるのが、何だか少しおかしくて、ナッツとブルマは、顔を見合わせてくすりと笑うのだった。




 ユンザビット高地で食べ物ろくに無くて辛かった発言とか、神様ナメック星の事知らな過ぎ問題。いや多分日照時間も短かったんでしょうけど。

 ナメック星編の後、原作でその辺りの事を神様に教えてくれそうな人が誰もいないんですが、一応自分はブルマの家でナメック星人達が暮らしてた時期に、故郷を想った神様が彼らを訪ねてナメック星の事とか聞いてたんだろうと解釈してます。

 で、この話ではナメック星がまだ残ってるのでこういう流れになりました。何も知らないまま寿命が近くなって、地球のためにピッコロさんと融合するのは、神様的には満足だったんでしょうけど、もう少し神様個人に救いがあっても良いと思ったので書きました。


 デンデもドラゴンボールが作れるという理由でいきなり地球の神を任されてましたけど、たぶん原作ではミスターポポとピッコロが死ぬほど頑張って仕事教えたんだと思います。この話では前任者からきちんと引継してもらいました(遠い目)


 前回のミスターサタンの活躍と比べると、今回はこう、しっとりしたジャンル違いの話でして、あっちを気に入ってくれた方には申し訳ないのですが、どっちも自分の好みでして、今後も書きたい物を書いていって、自分以外にもそれを好きになってくれる人がいたらいいなあ、というスタンスで書いていくつもりですのでご了承ください。

 あと前回はたくさんの評価と感想とお気に入りをありがとうございました。皆サタンそんなに好きかと思いました。自分も割と好きです。あのシーンのサタン、ナッツも悟飯も警官隊も、強盗まで含めてあの場の全員を救ってるって読み返して気付いてこの人凄えと思いました。こんなのもう一度書けるのか自分って気分になってますが、まあ何とか頑張ります。

 それと誤字報告も、ありがとうございます。「満面の笑顔」が誤用って今日初めて知りました。ただ、これを「笑顔→笑み」に直すと箇所によっては読む時にテンポが悪くなって、かといって代わりの良い表現も思いつかなかったので、申し訳ないのですが報告があった箇所の一部はそのままにしています。今後は使わないようにしますのでご了承ください。


 次の話は、連休終わったのでちょっと先になるかもです。書く内容は大体決まってますので、気長にお待ちくださいませ。


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7.彼女が星を滅ぼす話

 父親と共に地球に住み始めてから、およそ3ヶ月が経過して。6歳になったナッツは、概ねとても満足な日々を過ごしていた。

 

 毎朝午前中は、父様と一緒に、重力室で訓練をする。かなり効率が良いトレーニングなのだけど、まだ身体が十分成長していないからと、午後からは別の事をするよう言われていた。

 

 だいたい週に3回くらいは悟飯の家に行って、一緒に遊んだり、たまに勉強を教えてもらったりもする。チチさんに料理を習う事もある。

 

 初めて一人で作った中華まんは、彼女の作る物には全然及ばない出来だったけど。悟飯はおいしいって言ってくれたし、父様もブルマも、凄く喜んで褒めてくれたのだ。

 

 悟飯の家に行かない日は、家にあるたくさんの本を読んだり、飼われている動物達に餌をあげたり、ブルマに連れられて、街を色々見て回ったりする。本屋とか服屋とか、美味しい食べ物のお店とかだ。

 

 ときどき、父様も訓練を休んで来てくれる事もあって。この間は悟飯も一緒に、遊園地に連れて行ってもらったのだ。

 

 毎日3回、お腹いっぱい食べさせてもらえる食事はとても美味しいし、甘いおやつをもらえる事もある。メディカルマシーンのような、色付きの熱いお湯に入れるお風呂は、入ると疲れがお湯の中に溶けていくようで、とても気持ちが良い。

 

 夜は着心地の良いパジャマを着て、大きなふかふかの温かいベッドで、父様と一緒にぐっすり眠る。地球に来たばかりの頃は、母様がいないのが寂しくて、夜中に泣いてしまう事もあったけど。今はもう、あまりそういう事はない。

 

 月に一度の満月の夜は、アンダースーツとブーツだけを身に着けて、一晩中荒野で過ごす。戦闘があるわけでもないから、最初は裸で行こうとしたのだけど、ブルマに物凄く怒られて、最低限の衣服は、着けて行くよう言われたのだ。

 

 周囲一帯は、ブルマが買い上げた土地なのだけど、一応近くに地球人がいないか、目を閉じて集中して、念入りに気配を探って、心の準備も済ませてから、目を見開いて月を見上げる。大猿の姿で力を振るっている時は、自分が確かにサイヤ人であると、強く意識する事ができて。

 

 父様や母様だけでなく、地獄で会ったお爺様や、バーダック達を始めとする大勢のサイヤ人達も、同じ姿で戦って、多くの星を滅ぼして、宇宙中にその名を轟かせたのだと思うと、同じ血を引いている事が、とても誇らしかった。

 

 

 そう。ナッツは概ね、とても満足していたのだ。ただ一つの事を除いては。

 

 

 

 時刻は昼の3時頃。父親の焼き上げたおやつを、大喜びで食べていたナッツが、ふと真剣な顔で言った。

 

「……父様、少しいいでしょうか?」

「ああ。どうした、ナッツ。……何かまずい所でもあったか?」

 

 お好み焼きの生地を追加で作りながら、エプロン姿のベジータは不安そうな顔で応えた。娘の手料理に感銘を受けた父親は、自分も料理を作って食べさせるという、妻との約束を守るべく。買ってきた料理本を片手に、材料も揃えて練習をしていたのだ。

 

 キャベツをみじん切りにする。皮を剥いた人参を刻み、新鮮な豚肉をコマ切れにする。山芋の皮を剥き、それらを全て、小麦粉と水、天かすと卵、刻み生姜と混ぜ合わせる。

 

 そして鉄板の上でじっくり焼き上げ、仕上げにソースと青海苔とおかかを掛ければ完成だ。マヨネーズはお好みで。慣れればもっとテキパキと、ハイテンションで作れそうな気もする。

 

 材料もきちんと計った上で、料理本に書かれていた手順は、全て正確に実行した。娘に出す前に味見もしたが、その時に何か、見落としてしまっていたのだろうか……?

 

「いえ、とても美味しかったのですけど、それとはまた、別の話なんです」

「? どうした、何でも言ってみろ」

 

 父親からそう言われるも、言いづらそうな感じで、少女は口を開く。

 

 

「その、地球に来てから、全く実戦をしていません。この際、弱い相手は嫌だとか、贅沢は言いませんから、どこかの星で戦いたいなあって……」

 

 

 物心ついて以来、彼女はほとんど常に戦いの中で生きてきたし、戦闘民族として、それに喜びを感じていた。

 

 今の穏やかな暮らしは、もちろんとても心地が良いけれど、このままでは戦いの勘が鈍ってしまいそうで、身体がうずうずしてしまうのだった。

 

 悟飯や父様、カカロットとも模擬戦はしているけれど、お互い殺す気の無い戦いは、勉強にはなっても、あくまで練習であって。解消されない闘争本能を、ナッツは持て余しつつあった。

 

「攻める予定だった星のリストもありますし、二人でちょっと回ってきませんか?」

 

 娘の要望を聞いて、父親は考え込む。ナッツが喜ぶなら、適当な星を滅ぼす事に異存は無いが、銀河パトロールに目を付けられると、厄介そうだと思った。

 

 銀河パトロールといっても、フリーザ軍を恐れて野放しにしていた程度の組織で、戦力的には全く大した事はない。が、銀河レベルで犯罪者を取り締まっており、その組織力や情報収集能力には、侮れないものがあった。

 

 フリーザ軍を抜けた事は、既に知られているだろう。その上で自分達が新たに犯罪を犯せば、地球にまで奴らが押し掛けてくる可能性があった。

 

 もちろん返り討ちにするのは容易いが、1人や2人殺しても、また来る事は明白で、そんな事を繰り返していれば、住まわせてもらっている、この家に迷惑が掛かるかもしれなかった。

 

 

 一ヵ所に止まらず、自由気ままに適当な星を襲いながら、放浪するような生活ならば、こうした心配は要らなかったのだが。

 

 父親は最近の、娘の様子を思い出す。この星に来てから、ナッツは毎日楽しそうで、笑っている時の方が多くなった。歳の近いサイヤ人の友人もできて、いつの間にか、料理まで作れるようになっていた。

 

 あのガキの事を抜きにしても、食事の質は最高で、環境も良く、サイヤ人への恐怖や偏見のない、この地球以上にナッツが幸せに暮らせる星は、おそらく宇宙に存在しないだろう。

 

 特に金に困っているわけでも無いのに、星の侵略などして、地球でのナッツの生活を、台無しにするわけにはいかなかった。

 

 

 だが。同じサイヤ人として、娘の気持ちも、とても良く理解できるのだ。戦いたい盛りの子供が、いきなりこんな平和な星で、戦いから離れて暮らせと言われても、戸惑ってしまうだろう。

 

 彼自身は、カカロットという競い合える相手を見つけた事もあって、実戦への欲求は収まっていた。

 

 悟飯の奴が、もう少し戦いに積極的だったら良かったのだが。一瞬考えて、慌てて頭を振る。あんなガキに、まだナッツを任せるわけにはいかない。

 

 理由を伝えて、我慢してくれと頼めば、物分かりの良いナッツは、おそらく聞いてくれるだろう。だが父親として、娘のしたがっている事は、可能な限りさせてやりたかった。

 

 何か、良い考えは無いだろうかと、父親は追加のお好み焼きを作りながら考えるも、すぐに浮かんで来るはずもなく。とりあえず焼けた分を、娘の皿へと乗せながら言った。

 

「……そうだな、考えておくから、いつでも出られるよう準備しておけ。あと熱いうちに食え」

「はい、父様! 凄くおいしいです!」

 

 自分の作った料理を、嬉しそうに頬張る娘を見て、たまにはオレが食事を作っても良いかと、照れ混じりの笑みを浮かべながら、父親は思ってしまうのだった。

 

 

 

 

 父親はそれから一両日悩み抜くも、なかなか良い考えは浮かばない。

 

 切羽詰まった彼は、一人でこれ以上考えても仕方ないと、家主であるブルマに相談を持ちかけた。夕食後、彼女の自室で勧められた缶ビールを片手に、ありのままを説明する。

 

 説明しながらも、あまり色良い言葉はもらえないだろうと、彼は考えていた。以前ナメック星で初めて会った時、彼女はナッツが星の侵略をしていた事を、酷く怒っていたのだ。   

 

 ところが、同じくビールとツマミを口にしながら話を聞いていたブルマは、彼らの事情を聴き終ってから、あっけらかんと言った。

 

「要は、ナッツちゃんが戦いたいって話でしょ? させてあげても良いんじゃない?」

「……意外だな、お前はそういうのに、反対すると思っていたが」

「孫くんだって、いつも強い奴と戦いたがってたし、サイヤ人って、そういうもんなんでしょう? もちろん、きちんと真面目に生きてる人達に、迷惑を掛けないんだったらの話だけどね」

 

 新しい缶ビールを開けて、空のグラスに注ぎながら、ブルマは笑って続ける。

 

「フリーザ軍はもう抜けたんだから、星の侵略にこだわる必要は無いでしょう? レッドリボン軍とか、ピッコロ大魔王とか、倒しても誰も文句を言わないような、悪い奴と戦えば良いのよ」

「誰だそいつら……待て、ピッコロ大魔王は、あのナメック星人の事か?」

「そうよ。正確にはあいつの親だけど。世界征服して、ピッコロ記念日とか作ろうとしてたけど、孫くんに倒されたの」

「何がしたかったんだそいつは……?」

 

 そこでベジータは考える。壊滅させても問題の無い、宇宙の悪の筆頭といえば、少し前まで彼らが所属していたフリーザ軍なのだが。

 

「フリーザ軍とは、ナッツは戦い辛いだろうな。知り合いが多過ぎる」

 

 生まれてからずっとフリーザ軍の基地で暮らしてきた娘には、かかりつけの医師や住んでいた基地の職員を始めとして、親しく付き合ってきた人間は、かなり大勢いる。

 

 母親が死んでしまってから、心を閉ざしたナッツはそうした付き合いを一切断っていたのだが、彼らの方が娘を心配していたのは、傍で見ていても明らかで。あのギニュー特戦隊ですら、戦いの手は抜かないまでも、同情する素振りを見せていた。

 

 復讐を果たして母親とも再会して、すっかり明るくなった今のナッツが、優しくしてくれた昔の知り合いを殺せるかと言えば、否だろう。娘が嫌がる事を、させるつもりはない。

 

 だが、フリーザ軍の悪人を狙えと言われても、困ってしまう。悪人や賞金首は、それこそ星の数ほどいるのだが、大抵はどこかに潜伏している。

 

 自慢ではないが、星を丸ごと潰すのならともかく、隠れている奴を捜索したり追跡したりする自信は、全く無かった。そんなのは、サイヤ人の仕事ではない。

 

 それを聞いたブルマが、少し考えてから言った。

 

「あんたの言ってた銀河パトロールって、地球にも来てるのよ。ジャコっていう隊員が、たまにうちにもサボりに来るわ」

「こんな宇宙の果てにまで、ご苦労な事だ」

「その辺のハエの10万匹に1匹は、銀河パトロールの監視ロボットって話よ。以前試しに調べてみたから間違いないわ。こんな星にまで、とんでもない情報収集力よね」

「奴ら、そんな事までしているのか……おい、ブルマ、何を言おうとしている? まさか……」

「そのまさかよ」

 

 ブルマはグラスに残ったビールを一息に呷ってから、ベジータが思わず気圧されるような、凄みのある笑顔で言った。

 

「悪党共の居場所が判らないなら、あいつらに教えてもらえばいいんじゃない?」

 

 

 それから数日後の、良く晴れた日の昼下がり。カプセルコーポレーションの広大な敷地内の、木々が生い茂る森の中。

 

 普段着姿のナッツは、涼しげな木陰に横たわって、気持ち良さそうに昼寝をしていた。良い夢でも見ているのか、その表情は穏やかで、尻尾が時折、気まぐれに揺れ動いている。

 

 そこへ飼われている茶色の猫がやってきて、彼の居場所を占領している顔見知りの新参者を見つけると、不機嫌そうな声で鳴いた。それから前足で何度もつつくも、起きる気配が全く無い。

 

 猫はしばらく少女の周りをうろうろしてから、仕方が無いとばかりに、寝ているナッツに引っ付いて丸くなると、そのまま目を閉じて微睡み始めた。

 

 何も知らなければ、それは一人と一匹が穏やかに休んでいる、大変微笑ましい光景だったのだが。

 

 

「あ、あれは、特別指名手配犯のナッツじゃないか……まさか地球に来ていたとは……」

 

 隠れて見ているジャコにとっては、まるでいつも通り慣れた道で、いきなり怪物に出くわしたような心情だった。

 

 銀河パトロールの隊員で地球担当である彼は、ブルマから話があると聞いて来たのだが。敷地内に見慣れぬ人間がいるのに気付いて、様子を見ようとしたところで、彼女の素性に気付いたのだ。

 

 ジャコの手にする端末には、データ化されたナッツの手配書が表示されている。冷酷な笑みを浮かべた黒い戦闘服の少女が、今まさに撮影者にエネルギー波を撃たんとしている写真で、生死不問の文字と共に、かなり高額の賞金額と、数々の罪状が記載されていた。

 

 その凶悪犯と、今現在平和そうに寝ている少女とは、まるで雰囲気が違っていたが、特徴的な長い黒髪と、何よりその尻尾が、今や宇宙に数人しか残っていない、凶悪な戦闘民族、サイヤ人である事を示していた。

 

 彼女はまだ子供だが、既に強大な力を持ち、10以上の惑星を一人で滅ぼしている。正面から戦っては到底勝ち目などあろうはずがなく、冷や汗を流すジャコ。

 

「だ、だが、私が管轄する地球に潜伏したのが運のつきだったな……しかもすっかり油断しているぞ」

 

 腰の光線銃に手を掛ける。意識のある時なら、避けられるか防がれるかしてしまうだろうが、今ならおそらく退治できる。頭か心臓に当ててしまえばいい。

 

 彼は震える手で銃を少女に向けるが、万が一外したら、怒り狂った彼女に殺されてしまうと思うと、全く狙いが定められない。

 

「ま、待っていろ、凶悪犯め。すぐに本部から応援を呼んで来てやるからな」

 

 小声でそう呟いてから、ジャコは背を向け、乗ってきた宇宙船に戻ろうとする。その瞬間、寝ていたはずの少女が、ぱちりと目を開けた。獣さながらの俊敏さで、音を立てず敵へと向かう。

 

 驚いた猫の鳴き声に、彼が反射的に振り向いた時には、既に至近距離にいたナッツに足を払われ、倒れたところを馬乗りにされていた。

 

「あ、あわわ……」

 

 怯えるジャコを、手配書に描かれていたのと同じ顔で、少女は見下ろしていた。かざした掌に、赤いエネルギーが収束していく。

 

 

「私の寝込みを襲うなんて、いい度胸じゃない」

 

 

 彼女がフリーザ軍にいた頃は、敵地の中、一人で夜を明かす事も珍しく無かったし、睡眠中に襲撃を受けるのも日常茶飯事だった。その結果、たとえ熟睡している間でも、敵意や害意を向けられた瞬間、すぐに目を覚ます事ができるようになっていた。

 

「や、やる気か!? 考え直せ! 私は銀河パトロールのエリート隊員だぞ!」

 

 この凶悪犯が、今更そんな言葉に耳を貸すとは思えないが、それでも死にたくない一心で彼は叫ぶ。その瞬間、少女はきょとんとした顔になった。

 

「……あなた、銀河パトロールなの?」

「そ、そうだ! 私を殺せば、本部から討伐隊が派遣されてくるぞ! メルスとか、そこそこやる奴が……」

 

 言い終わる前に、少女は彼の上から飛び退いた。戸惑うジャコに向けて、焦った顔のナッツは深々と頭を下げる。

 

 

「ご、ごめんなさい! 私ったら、お客様になんて事を!」

 

 

 口調まで変わって、先ほどまでの恐ろしげな様子が嘘のように、あわあわと可愛らしく狼狽えている少女の変化に、ジャコは頭の理解が追いつかず、ただ呆然としていたのだった。

 

 

 それから立派な応接間へ案内されて。好物のミルクとチーズを振舞われるも、落ち着かない様子で高そうな椅子に腰掛けているジャコ。

 

 彼の向かいには、笑顔でリラックスした様子のブルマと、真剣な面持ちのサイヤ人の王子が座っていた。これから何か、話があるらしいのだが。

 

(ベ、ベジータまでいるのか……娘の軽く十倍以上の罪状持ちで、あのフリーザ軍の中でも、指折りの危険人物だぞ……?)

 

 内心怯えながら、今すぐ帰りたいとジャコは思うも、部屋の入口付近には、お盆を手にしたナッツが、緊張した様子で立っている。

 

 諦めて話を聞いていた彼は、ベジータの話が進むにつれて、次第に驚きの表情となっていく。

 

「……つまりお前達は、もう悪事は働かず、銀河パトロールに協力するという事か?」

「ああ、オレと娘は、今後はこの地球で平和に暮らす予定だ。手は出さないで欲しい。その代わり、殺していい賞金首や犯罪者の居場所を教えてもらえれば、オレ達が倒しに行ってやる」

 

 ジャコは悩ましげに唸る。凶悪犯との取引は、前例がないわけではない。情報の提供や協力と引き換えに、罪を減免する事は、よくある話だ。

 

 ただ今回の場合、問題はベジータ達が、かなりの凶悪犯だという事だ。例えばギニュー特戦隊が、いきなり銀河パトロールに投降してきたとして、信じる奴がどれほどいる? よしんば本気だったとしても、彼らの罪状の数からして、その減免には余程の貢献が必要となるだろう。

 

 そんな彼の考えを見通していたかのように、ベジータはテーブルの上に、小型のデータチップを置いた。

 

「これは……?」

「フリーザ軍は抜けてきた。手土産として、オレが知っている情報は全て教える。持って帰って、本部で価値を判断すればいい」

 

 ジャコは思わず、身を乗り出した。フリーザ軍の内部情報。当然ある程度は銀河パトロールでも集めているが、ベジータは子供の頃から20年以上もフリーザ軍に所属しており、あのギニュー特戦隊にも並ぶ、最上級の戦闘員だ。

 

 持っている情報の質も量も、外部からこっそり探れる物とは、比べ物にならないだろう。喉から手が出るほど、本部は欲しがっているはずだ。

 

 念のため、手持ちの端末で、ざっと内容を確認する。フリーザ軍の主だった戦力配置や、各惑星の基地の図面、命令書や今後の侵攻予定など。あまり難しい事は理解できないが、何となく本物らしいオーラが伝わってきた。

 

「返事は、本部の判断を仰いでからになるが……」

「それでいい、よろしく頼む」

 

 そんなやり取りをしている父親を、ナッツは尊敬の眼差しで見つめていた。

 

(銀河パトロールを味方に付けるなんて、流石父様だわ!)

 

 フリーザ軍の仕事をしていた頃は、見かけた事は無かったから、名前くらいしか知らないけれど。名前のとおり、銀河規模の警察組織という事だ。

 

 数日前に父様とブルマから話を聞いて、いつ家に来るか分からないけど、もし出会ったら、ご挨拶して案内しなさいと言われていたのだ。

 

 ナッツにとっては、戦う相手が誰だろうと構わなかった。ただもちろん、強い相手の方が嬉しいし、そうした奴らを倒して強さを見せつけていけば、サイヤ人こそが宇宙最強の戦闘民族だと、いずれ宇宙の誰もが理解できるようになるはずだ。

 

(けど、さっきは殺そうとしちゃったし、私のせいで、取引が駄目になったりしないかしら……)

 

 不安になった少女は、帰ろうとしていたジャコに声を掛けて、再び頭を下げる。

 

「あの、先程は本当にごめんなさい。銃を向けられたもので、つい……」

「……気にするな。私も事情がよく分かっていなかったからな」

 

 ベジータ達がいるなら最初から言っておけと、さっきブルマに文句を言ったのだが。そしたらあなたビビって来なかったでしょうと指摘されて、全く言い返せなかったのだ。

 

 それにしても。彼はナッツの姿を、まじまじと見つめる。サイヤ人は戦闘そのものに喜びを感じる凶悪な種族だと聞いていたが、初対面の時はともかく、今の彼女は、ただの育ちの良い子供にしか見えなかった。

 

 子供時代が長く、それは相手を油断させるための擬態という情報もあったが、少なくとも、話に聞く一般的なサイヤ人ならば、演技ですらこんな言動はできないだろう。

 

「この二人は大丈夫よ。もう3ヶ月も地球で大人しく暮らしてるんですもの。だから超エリート隊員のあなたから、何とか取り成してもらえないかって思ったの」

 

 ブルマの言葉を受けて、ジャコは意を決した様子で言った。

 

「地球の住民からの保証もあるし……お前達が本当に更生するつもりなら、私からも本気で上に掛け合ってやろう」

「はい、ありがとうございます!」

 

 更生ってどういう意味かしらと少女は思ったけど、それは後で調べてみる事にした。

 

 

 

 それから更に数日後。本部から戻ってきたジャコは、難しい顔をしていた。

 

「一応信じてはもらえたのだが……引き換えに、この星を攻略させるよう言われた」

 

 彼は端末を開き、ベジータ達に示す。東の銀河の凶悪犯達が根城にしている、難攻不落の惑星の資料だった。

 

 惑星全体に無数の防衛施設が設置されており、宇宙船やポッドで近づこうとしても、全て撃墜されてしまう。そして地下深くにいくつもの要塞が存在し、軌道上からの攻撃も物ともしないそこに、一騎当千の凶悪犯達が大勢潜んでいる。

 

 正面から攻略するなら、数十隻の宇宙艦隊で防御施設を潰した上で、犠牲を覚悟で地上戦力を送り込むしかなく、膨大な数の犠牲が出ると試算されており、無数の犯罪者達が拠点にしていると分かっていても、おいそれとは手が出せない場所だった。

 

「……正直私は、断っても仕方ないと思っている」

 

 こんな星の攻略を命じるなど、死んで来いと言うのと同じだった。済まなそうな顔の彼を他所に、目を輝かせ、感嘆の声を上げるナッツ。

 

「凄い! この星、全部私達で片付けてきて良いんですよね!」

「えっ」

 

 まるで遊園地にでも行くような様子で、大はしゃぎする少女の頭を撫でながら、父親は冷静な目で資料を確認していた。

 

「ブルマ。オレ達のポッドを、できるだけ頑丈に改造してくれ。着陸さえできれば、あとはどうにでもなる」

「必要になると思ったから、前もって準備はしておいたわ。ついでに速度も上げておくから、明日の朝まで休んでおいて」

「助かる。ああ、壊したくない物や、殺したらまずい奴はいるか? オレの方で、できる限りは配慮する」

 

 父親と娘の顔に、怯えや恐怖、気負いといったものは欠片も無い。そこでジャコは、二人が滅ぼしてきた惑星の数が、合わせて100を超える事を思い出す。彼らにとっては、多少手応えがありそうだというだけで、今までしてきたのと、大体同じ事なのだろう。

 

 あの星にいるのは、手の付けられない凶悪犯共のはずなのだが。これからこの親子に押しかけられる彼らに、ジャコは心底同情してしまうのだった。

 

 

 

 それからの事は、語るまでも無い。およそ4日後、犯罪者達が巣食っていた惑星は、ナッツが大喜びで暴れ回った結果、抵抗空しく当然のように壊滅し、結果としてその一帯に平和が戻った。

 

 銀河パトロールは、その結果に少々引きながらも、約束どおり彼らの罪を減免した上で、賞金首や犯罪者の情報を提供していく事になる。

 

 2ヶ月に1度ほど、ナッツは戦闘意欲を持て余す度に、父親と共に、そして慣れた頃には一人で、期待に胸を躍らせながら、彼らの元を訪問していく。そしていつしか、宇宙中の犯罪者達の間で、好戦的なサイヤ人の少女の噂が、恐怖と共に語られる事になるのだが、それはまた別の話だった。




 銀河パトロールとのやり取り、時期はともかく、原作でも似たような事はあったんじゃないかと思ってます。界王様いわく、相当のワルだったベジータを入隊させるくらいですし、過去の罪状については、司法取引で減免済だったんじゃないかなと。

……銀河パトロール自体が組織的にガバって説は、この話では採用しない方向でひとつ……(絶滅爆弾の誤使用で星一つ滅ぼしたジャコから目を逸らしながら)


 あと主人公について、やってる事はともかく、本人の主観的には悪のままです。狙う相手が、たまたま悪党になっただけなので。ジャコから更生とか言われて調べても「今までと同じで、好きに生きているだけで、更生したつもりはないのだけど……」って首を傾げてる感じです。


・お好み焼き
 ベジータ様のお料理地獄ネタで結構前から仕込んでいたのですが、反応無かったのが寂しかったのでここに元ネタ書き足しました……!


 それと評価、感想、お気に入り、誤字報告等、いつもありがとうございます。続きを書く励みになっております。

 前にも書いたかもしれませんが、一人でコツコツ文章書いてると、「この話本当に面白いのかな……?」って不安になってしまう事があるのです。

 そうした時にリアクション頂けると、たとえ感想一行でも作者は必ず喜びますので、この話に限らず、良いなと思った作品には是非何かしらしてあげて下さいませ。(更新止まった名作の数々を死んだ目で眺めながら)


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8.彼女が再び、彼らと戦う話(前編)

 ヤードラット星。

 

 瞬間移動などの不思議な技を使う人間達の住むこの星は、かつてフリーザ軍の侵略から、辛くも逃れた過去を持つ。

 

 そして半年ほどが経過した今、この星に再び彼らの魔の手が迫りつつあった。

 

 5つのポッドが大気圏を抜け、隕石のように赤熱しながら大地に激突する。衝撃で形成されたクレーターの中、ポッドが開き、邪悪かつ強大な気を持つ男達が現れる。

 

「半年ぶりのヤードラット星だな!」

「今度こそ全滅させてやるぜ!」

「終わったら次の休暇はどこ行くよ? 海?」

「たまにはスキーとか良いんじゃね? 隊長はどうですか?」

 

 彼らが陽気に気炎を上げる中、その中でも一際大きな力を持つ、リーダー格らしき2本の角の生えた男が、どうにも浮かない顔で呟いた。

 

「……フリーザ様は大丈夫だろうか……」

 

 彼のその様子に、部下達は顔を見合わせ、小さく息をつく。

 

 この半年ほど、ギニュー隊長は、時折こんな感じになってしまう。任務の最中に大怪我を負って撤退せざるを得なくなり、その結果、主君の身を守れなかった事を悔やんでいるのだった。

 

 

 忘れもしない、ナメック星での敗北の後。最寄りの基地のメディカルマシーンで傷を癒した彼らは、全速力でポッドを飛ばし、およそ3日後にナメック星へと戻った。

 

 おそらくドラゴンボールは、既にベジータ達に使われてしまっただろう。不老不死の夢を台無しにされて、怒り狂ったフリーザ様の手によって、当然奴らは全滅しているだろうが。これからそのフリーザ様に、事態の説明と謝罪を行わねばならない。

 

 不甲斐ない自分はともかく、部下達の助命だけは頼まねばならないと、悲壮な決意を抱いていたギニューは、ナメック星を眼前にして驚愕する。スカウターに、フリーザ様の反応が無い。

 

「どういう事だ!? 宇宙船はベジータに壊されていたはずだぞ!」

 

『まさか、お怒りのあまり、自力で飛んで帰ったとか……?』

『た、隊長、それに未知の反応が100個以上……これはまさか、ナメック星人共では……?』

 

 バータとジースからの、困惑しきった通信が、かえって彼に、冷静さを取り戻させた。ご自身で帰られたのなら良い。だが状況がおかしい。億が一の可能性を考慮する必要がある。

 

「オレが戦闘力を消して、1人で降りて確認する! ジース、本部に通信で確認しろ! 残りの者は引き続き、フリーザ様の反応を探せ! いいな!」

『『『『了解しました!』』』』

 

 そしてギニューは戦闘力を限界まで落とした上で、人気の無い場所を選んで着陸し、まずは壊れた宇宙船を目指した。フリーザも、一度はそこへ戻ったであろうからだ。

 

 辿り着いたギニューは、周囲の光景に呆然とする。地形が大きく変化しており、陸地までもが大きく抉られ、一面の海と化している。この一帯で、とてつもないレベルの戦闘が行われたのは明白だった。

 

 そしてフリーザの反応は無く、ベジータやその娘や、孫悟空とかいう、あのサイヤ人達の反応も無い。

 

「い、一体この場所で、何があったというのだ……」

 

 理解不能の状況に、わなわなと、ギニューは身を震わせる。戦いがあったというのなら、当然フリーザ様が勝つはずだ。だがご自身で帰られるにせよ、ドラゴンボールで生き返ったのであろうナメック星人共を、生かしたままにしておくだろうか?

 

『た、隊長! 大変です! フリーザ様の反応が、すぐその近くに!』

 

 通信越しのリクームの叫びに、ギニューはすぐさまスカウターを確認するも、怪訝な顔になってしまう。

 

「……どこにも無いぞ。オレのスカウターの故障か?」

『そ、それが、小さすぎて、虫や動物に紛れて……! 急いでください! 座標は……』

 

 戦闘力を隠すのも忘れて、ギニューは全速力で飛翔した。そして辿り着いた先で主君の姿を見つけた彼は、その惨状に愕然と立ち尽くす。

 

 肉体の半分以上が失われており、残された部分のほとんども超高熱で炙られたかのように、黒く焦げて煤けている。これでまだ息があるとは、信じられない状態だった。

 

「な、何という事だ……フリーザ様が、こんな……」

 

 ふらふらとギニューが近づいたその時、半分しかない頭部の目が、確かに動いて、ぎろりと彼を睨み付けた。激しい怒りが込められた視線は、罪悪感で彼の胸を抉ったが、その痛みよりも、主君の生存を確認できた喜びの方が勝っていた。

 

「今お助けいたします! フリーザ様!」

 

 ギニューはその場に残った身体のパーツを可能な限りかき集め、殺到してきたナメック星人達の反応から逃げるように、急ぎポッドで飛び立って、最寄りの基地を目指した。

 

 救出されたフリーザの状態は、メディカルマシーンで治療可能な範囲を超えており、生命維持処置を施された後、最新鋭の医療設備の整った、惑星フリーザ本星に搬送される事となった。

 

 

 そしてそれから半年が経過し。フリーザは一命を取り留めたものの、今現在も集中治療は続いており、会話すらできる状態ではないという事だった。

 

 ギニューは何度か面会を申し込んだものの、絶対安静という理由で、医師から断られている。謝罪もできず、処罰さえも受けられない事が、彼の心にしこりを残していた。

 

 幸いにも、仕事に没頭することはできた。フリーザの容体について、厳しい箝口令は敷かれたものの、その不在をいつまでも誤魔化す事はできず、彼が死んだ、または倒されたという噂は、瞬く間に、銀河中に広がった。

 

 

「知ってるか? あのフリーザが死んだって話。誰にやられたんだろうな?」

「そりゃ破壊神ビルスだろうよ」

「兄のクウラと喧嘩して負けたって聞いたぞ」

「いや、フリーザ軍を裏切った、ベジータとその娘にやられたらしい。最近あちこちの星で、大物の賞金首や、犯罪組織を潰して回ってるっていう」

「スカウターでこっそり計ったら、娘の方は戦闘力16万はあったって話だ。父親の方は測定不能だとよ」

「ベジータってサイヤ人だから、大猿になったらそこから更に戦闘力10倍か……? おっかねえ」

「フリーザがいくら強いったって、戦闘力53万じゃあなあ」

 

 あっはっは、と明るく笑っていた彼らが最後に見たものは、視界一杯に広がった、エネルギー波の光だった。

 

 燃え盛る炎の中から現れたギニュー隊長は、吹き飛ばされた酒場の跡地を踏みしめ、ぎりりと唇を噛む。襲撃に気付いたのか、銃を手にした住民達が、あたふたと集まり始め、彼に向かって発砲するも、全く効果は無い。

 

 彼らを全滅させたギニューの耳に、さらなる爆発音が届く。反乱軍の他の拠点を任せていた部下達だろう。スカウターの通信で首尾を確認した彼は、自身も再び別の戦場へと向かった。

 

 

 

 力と恐怖で銀河の大部分を支配していたフリーザの敗北は、支配下にあった、多くの惑星の反乱を誘発していた。

 

 フリーザ軍は総出で鎮圧に追われる事となり、一時は崩壊の危機とまで言われていたが、先頭に立ったギニュー特戦隊が縦横無尽の活躍を見せ、その精強ぶりを見せつけた事で、次第に反乱は下火となっていく。

 

 

 そんな経緯で、ようやく状況は落ち着いて。彼らのやり残していた仕事である、ヤードラット星の攻略が再開されたのだったのだが、肝心のギニュー隊長は、未だ自責の念に囚われていた。

 

「あの時、オレがフリーザ様を守れていれば……」

 

 この半年間、各地の戦場で鬼気迫る戦いぶりを見せていたとは、とても思えない状態だった。

 

 もちろん、頭では分かっているのだ。フリーザ様を倒すような相手との戦いに、自分や部下達がいたところで、大した役には立てなかっただろうと。

 

 それでも、肝心な時に主君の傍を離れてしまっていたという負い目が、彼の心から消える事は無く。そんな隊長の様子を、流石に見かねた隊員達が、口々に励ましの声を掛ける。

 

「隊長、あんまり気にしてても仕方ないですよ」

「そうですよ。隊長もオレ達も、この半年間、ろくに休まず頑張ったじゃないですか」

「フリーザ様の治療も順調みたいですから、きっとすぐ復活して来ますよ」

「これ終わったら、隊長が言ってた温泉旅行に行きやしょうぜ!」

「……悪いが、今はそんな気分じゃない。お前達だけで……」

 

 ギニューの言葉に、ジースは皆と顔を見合わせた後、大袈裟にため息をついて言った。

 

「じゃあオレらも休めませんって」

「なっ、お前達……!?」

 

 驚きに、彼は目を大きく見開いた。半年間働きづめで、あれほど次の休暇を、楽しみにしていたこいつらが。

 

「というか、隊長一人で悩まないで下さい。オレらの責任でもあるんですから」

「疲れてるんですよ。久しぶりにパーッと遊んで、気分転換しましょうぜ」

「そうそう。温泉入って酒飲んで美味い物食べて、ぐっすり休んで、それでフリーザ様が戻ってきたら、皆で一緒に怒られましょうよ」

「お、お前達……」

 

 ギニューは不意に、自らの目頭が、じーんと熱くなるのを感じていた。自分には、過ぎた部下達だと思った。これ以上、心配を掛けるわけにはいかない。

 

 彼は自分の両頬を叩き、表情を引き締めて、腹の底から声を出して言った。

 

 

「よし、やるぞお前ら!!」

「「「「おおっ!!!!」」」」

 

 ビシッと気合いを込めたスペシャルファイティングポーズを決めて、彼らはヤードラット人の住む都市部へと、意気揚々と飛び立って行ったのだった。

 

 

 それからおよそ10分後。都市の前までやってきたギニュー達は、人の気配が全く無い事に困惑していた。 

 

「妙だな。いつもなら、とっくにちょっかいを掛けてくる頃だぞ」

「まさか、瞬間移動で全員逃げやがったか……?」

 

 グルドとリクームの呟きを聞いて、渋面になるバータ。

 

「面倒過ぎるだろそれ……」

「この都市を破壊する。帰る場所を消してしまえば、奴らも堪えるだろう」

「了解しました、隊長」

 

 冷静なギニューの指示に従い、彼らが建物の破壊に取りかかろうとしたその瞬間、全員のスカウターが警告音を発した。

 

 即座に全員が戦闘態勢を取る中、表示された情報に、驚愕したジースが叫ぶ。

 

「せ、戦闘力18万だと!? しかもこの反応は!」

 

 

「久しぶりね、おじさん達」

 

 

 そして物陰から現れた、黒い戦闘服姿の少女を見て、ギニューは瞠目する。

 

(ベジータの娘だと!? 何故こいつがヤードラット星に!?)

 

 

 

 話は少し遡る。夕食の後、ナッツが部屋のベッドに寝そべって本を読んでいると、ノックの音と共に、父親が入ってきて言った。

 

「ナッツ、新しい依頼が来たぞ。お前が好きそうな、かなりの大物なんだが……」

「どんなのですか、父様?」

 

 少女は読んでいた本に栞を挟み、ベッドの上に行儀よく腰掛ける。父親もその隣に座って、娘に端末の画面を示して見せる。

 

 ここ最近、ナッツの戦闘欲求を解消するため、銀河パトロールから情報を得て、強そうな賞金首や犯罪組織に攻撃を掛けていたのだが、それで何か勘違いされたのか、関係無い所からも、悪人退治の依頼が入るようになっていた。

 

 大体はつまらない小物相手なので断っているのだが、たまに意外な大物退治の依頼が来る事もあり、そういったナッツが喜びそうなものについては、本人に確認した上で、受ける事にしているのだった。

 

 そして今、端末の画面を見た娘が、難しい顔になっていた。

 

「父様、ヤードラット星からの救援依頼って……」

「場所からして、まず間違いなく、相手はギニュー特戦隊だろうな」

 

 彼らの現状についての情報は、ナッツが知りたそうだったので、ある程度仕入れて伝えてあった。ここ最近は、フリーザ軍の立て直しに駆け回っていたという話だが、それが落ち着いて、また星の侵略に戻る兆しが出てきたという事だろう。

 

「どうする? お前が嫌なら、この話は断るが」

 

 ナメック星でのやり取りから、娘が彼らと仲が良いと知っている父親は、優しい声で言葉を掛ける。

 

「そうですね……」

 

 一方で、娘の方は悩んでいた。フリーザ軍の基地に住んでいた頃、優しくしてくれたおじさん達を、殺す気なんて全く無いけれど、もう一度戦ってみたいという気持ちは、とても強かった。

 

 重力室での訓練もあって、今の私の戦闘力は、18万にまで達している。初めて地球に来た頃の父様が、大猿になったのと同じくらいの強さという事で、正直今でも、あまり実感は無い。

 

 ここ最近は、犯罪組織の悪人達とよく戦っているけれど、奴らは数は多くて、様々な武器や強力な兵器を使ってくるという点で厄介だったけど、個々人の力はそれほど強くなく、戦闘力1万を超える人間すら、滅多にいない有様だった。

 

 そこまで考えて、少女は顔を綻ばせる。ナメック星で戦った、ギニュー特戦隊のおじさん達。大猿になった私を、敗北寸前まで追い詰めた人間は、あの人達が初めてだった。あの時はどうにか勝てたけど、負けて殺されていた可能性の方が、ずっと高かったと思う。

 

 そしてあの時は、肝心のギニュー隊長がいなかったのだ。あれですら、本来の彼らの全力とは言えない。全員が揃ったら、どれほど強いのだろうと思うと、わくわくしてしまう。

 

 おじさん達はお仕事で来るのだろうし、こんな腕試しのような気持ちで挑むのは、あまり褒められた事では無いけれど。私もたまたま対立する仕事で現地にいて、偶然会って戦いになる分には、特に問題はないはずだ。

 

 戦闘民族の少女は、溢れんばかりの期待と、少しばかりの羞恥の混じった顔で、もじもじと尻尾を動かしながら言った。

 

「父様、私、あの人達ともう一度戦ってみたいです」

「分かった。依頼は受けておくから、後はお前の好きなようにしろ」

 

 父親は、そんな娘の複雑な気持ちを正確に理解した上で、優しく頭を撫でるのだった。

 

 

 

 そして現在。ヤードラット星にて、ナッツはギニュー特戦隊と相対していた。

 

 黒い戦闘服を身に纏った少女は、彼らから10メートルほどの距離を置いて、凛とした姿で、都市を守るように立っている。

 

「私は仕事で来たの。この星を襲う侵略者を、追い払って欲しいって依頼を受けてね」

「はっ、ヤードラット星の奴らも、薄情だな。ナッツちゃんみたいな子供を前に出して、自分達はどこかに隠れてるなんてよ」

 

 軽口を叩きながらも、リクームの額には、小さく汗が浮かんでいた。ナメック星で最後に会った時、彼女の戦闘力は、25000も無かったはずだ。

 

 それが今では、ギニュー隊長をも大きく超える、戦闘力18万だ。とても同一人物とは、信じられない成長ぶりだった。自分達も、この半年間の激戦で、ある程度は鍛えられたという実感はあるが、ここまでの変化は流石にない。 

 

(ただの戦闘力18万なら、隊長も含めて全員で掛かれば、五分近い勝算はあるんだけどよ……!)

 

 ジースは苦々しい思いで、少女の腰に巻かれた尻尾を見る。彼女はベジータと同じで、いつでも月を作れるのだ。この上大猿になど変身されては、勝算も何もあったものではない。

 

 そこまで考えて、ふと気付く。それならなぜ今、変身していないのか。彼女にとっても、確実に勝てると思えるほど、楽観できる状況ではないはずだ。

 

 いやそもそも、仕事で来たというのなら、何故堂々と姿を現したのか。戦闘力を消して隠れていたのだから、自分達を倒すつもりなら、いくらでも不意を打てたはずなのに。

 

 そこまで考えて、彼は少女の考えに思い至る。サイヤ人は、戦闘そのものに喜びを覚える種族だ。惑星ベジータが健在だった頃は、何度か共闘した事もある。

 

 強敵と戦うためなら、己の命も惜しまず、時に敵を助けるような、傍から見れば愚かとしか思えない行動を取る事も、よく知っていた。

 

 同じ考えに至ったバータが、おどけたような口調で尋ねる。

 

「ところでナッツちゃん、大猿にはならないのかい?」

 

 指摘を受けた少女が、ぎくっとたじろいだ。隠しているつもりのようだが、額に浮いた汗は隠せない。

 

(変身なんてするくらいなら、最初からこの星には来ないわよ!)

 

 超サイヤ人と大猿化と、両方使えば戦闘力9000万まで行ける事は確認済みだが、片方だけでも彼らとの戦いが台無しになってしまうのは明白だったから、この戦いで変身をする気は無かった。もちろん使わず死ぬ気まではないが、その場合でも、自分が負けて、殺されるその直前までは、使わないつもりでいる。それが彼女なりの、彼らに対する誠意だった。

 

「あ、あれは私達の切り札で、無闇に見せるものじゃないわ。うん、醜い姿を見られるのも嫌だし」

 

 確かナメック星では、物凄く嬉しそうに変身していたはずだ。下手くそな言い訳に、グルドは苦笑しながら応える。

 

「ザーボンの野郎の真似かよ。ナッツちゃん、また随分と余裕じゃねえか?」

 

 要はこの子は、できるだけ対等な条件で、遊びたいと言っているのだ。それなら付き合ってあげるのが、大人というものだろう。大猿にならないという、ある種のハンデを付けられる事は、腹立たしくないわけでもなかったが、任務の遂行という観点からすれば、願っても無い話だった。

 

 その時、沈黙を守っていたギニュー隊長が、少女を見つめて口を開く。

 

 

「フリーザ様をやったのは、貴様達か?」

 

 

 ナッツもまた、彼の目を真っ直ぐに見据えて応える。

 

「ええ、そうよ。私達サイヤ人がやったわ。……あんな奴には、当然の報いよ」

 

 少女の声に混じった暗い響きに、彼は数年前の、彼女と会った日の事を思い出す。

 

 母親に戦果を報告に行くのだと、その母親が既に死んでいる事も知らずに、笑顔で部屋に戻って行った少女と、その後全く変わり果ててしまった彼女の有様に、心が痛まなかったわけではない。

 

 ただ、それを言うのなら、自分達も、フリーザ様も、そして目の前の少女もまた、日常的に誰かの大切なものを、奪って殺して生きている。

 

 それが許されるのは、強いからだ。だから宇宙のほぼ誰よりも強いフリーザ様がなさる事に、我々がとやかく言うべきではない。そう考えて、彼は生きてきた。

 

 その理屈なら、曲がりなりにもフリーザ様が敗北した以上、倒した相手に言える事はないはずなのだが。ギニューは自らの中で、激情が湧き上がるのを感じていた。

 

「フリーザ様には、オレ達を重く用いて下さった恩がある。そのオレ達の前に出てきた以上、覚悟はできているだろうな?」

「ええ、そうよ! そうでなくっちゃね!」

 

 恨まれている事を、悲しいと思いつつも、待ち望んだ強敵との戦いの期待で、戦闘民族の少女は、獰猛な歓喜の笑みを浮かべて地を蹴り前に出る。

 

 

「さあ、覚悟はいいかしら!! おじさん達!!」

 

 

 ギニューは戦闘力を限界まで高め、凄まじい速度で突撃してくる少女を迎え撃つ。これまで戦ってきた中で、間違いなく最も手強い相手だったが、彼の戦意もまた、かつてない程に燃え盛っていた。この半年間の鬱屈が、嘘であったかのような精悍な声で、彼は全員に号令を掛ける。

 

 

「お前達!! フリーザ様のためにも、絶対に勝つぞ!!」

 

 

 素早く四散し、それぞれの配置に付いた隊員達もまた、凄味のある笑みを浮かべて応える。

 

「了解です! 隊長!」

「手応えの無い相手ばかりで、退屈してたところでさ!」

「ナメック星でやられた借りを返してやるぜ!」

 

 ジース、リクーム、グルドがそれぞれ叫び、最期にバータが、楽しそうに呟いた。

 

「後悔するんじゃねえぜ? ナッツちゃん。おじさん達は、強いんだからよ」

 

 そしてヤードラット星を舞台に、再びナッツと彼らの戦いが始まった。




 というわけでヤードラット星です。悟空の瞬間移動習得フラグを回収するのが主目的で、戦闘は軽く流すだけの予定だったのですが、評価コメントで「もう少し戦闘描写必要じゃね?」って意見を頂きまして、確かに最近日常の描写ばっかりだったなあと思って書いたら筆が乗ったのでこうなりました。

 ……戦闘描写苦手なのにハードルだけ爆上がりしてる気もしますが、何とか頑張ります! 少し遅くなるかもしれませんが、気長にお待ちくださいませ!
(ジムリーダー戦のBGMで気合いを入れながら)


・傍から見れば愚かとしか思えない行動
 あの世から悟空が来るのを3時間待ってあげたりとか、ドクターゲロが人造人間作るのを3年間待ってあげたりとか、セルが完全体になるのを待ってあげたりとか。
 あと瀕死のベジータを見逃したり、セルに仙豆食わせたりとかも追加で。


 それと前回はたくさんの評価と感想とお気に入りを有難うございます。お気に入りとかとうとう1200を超えまして、割と多くの方々が続きを楽しみにして下さっているというのは分かっているのですが、それでも新しく反応を頂けるたびにいちいち嬉しく思えて、続きを書く励みになっております。そういうわけで、もし面白いと思って頂けましたら、一行でも構いませんので感想等頂けると幸いです。


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9.彼女が再び、彼らと戦う話(中編)

 ナッツは戦闘力を限界まで高め、歓喜の表情で、身構えるギニュー達へと突撃する。

 

 強敵を前に、戦闘本能に突き動かされながらも、同時に少女は頭の中で、彼らを打ち負かすための戦術を冷静に組み立てていた。

 

(まず相手の戦力の、削りやすい所から削っていく!)

 

 それは彼女が両親から教えられ、また実際に、幾多の戦場を経験した中で学んだ原則だった。

 

 ナメック星の戦いでは、戦闘力はこちらの方が上だったにも関わらず、彼ら4人の巧みな連係の前に、敗北寸前まで追い込まれてしまったのだ。

 

 まして今回は、彼らの要であるギニュー隊長がいる。少しばかり戦闘力で勝っていたところで、全く油断できる相手ではない。

 

(まあ、それだから楽しいんだけど!)

 

 微笑んで、地を蹴りさらに加速しながら、ナッツは気を集中し、右の掌に、巨大な赤いエネルギー弾を形成する。

 

「受けてみなさい、ギニュー隊長!」

 

 勢いのまま、投げ放つ。たとえ彼といえど、まともに食らえば只では済まない威力だ。避けるにせよ防ぐにせよ、必ず一瞬の隙ができる。その隙に脇を抜けて、他の人間から狙わせてもらう。

 

 そうして先に4人を倒してから、最後にギニュー隊長と1対1で戦う。それが彼女の考える、最も堅実で有効なプランだった。

 

 対してギニューは、両腕を構えてガードしながら、迫りくるエネルギー弾に向けて、正面から突撃した。想定よりも早い爆発に、ナッツもまた巻き込まれてしまう。

 

「なっ!?」

 

 意表を突かれ、爆風を思わず手で防いだ少女の眼前に、既にギニューが迫っていた。両腕を軽く焦がしながらも、大した痛手を受けた様子はない。勢いのままに繰り出される拳を反射的にガードしたナッツの身体が、衝撃で小さく後ろに下がる。

 

「……先に部下達から狙う。確かに有効な戦術だが、オレが見逃すと思ったか?」

 

 彼はそのまま肉薄し、息もつかせぬ猛烈なラッシュを叩き込む。ナッツは猛攻を捌きながら、離脱して他の隊員を狙う隙を伺っていたが、受けた両腕が痺れるほどの攻撃の威力に、次第にその顔を綻ばせていく。

 

「じゃあ、先にあなたから倒させてもらうわ!」

 

 少女は笑みを浮かべて反撃を開始する。小柄な体躯を活かして凄まじい速度で死角を狙うナッツの動きに、ギニューもまた同じスタイルで応じ、地上と空中を目まぐるしく瞬時に移動しながら、両者は打撃とエネルギー波をぶつけ合う。

 

 ナッツの身長は、ギニューの半分にも満たない。冗談のような体格差がありながらも、パワーもスピードも少女の方が上回っていた。

 

 ギニューはその莫大な戦闘経験によって彼女の動きをある程度先読みできていたが、それでも戦闘力の差を埋め合わせるには足りず、攻防を重ねるうちに、次第にダメージが積み重なっていく。

 

 このまま押せるかとナッツが思った、その時だった。あるかなしかの気の緩みを捉えた隊長が、視線で合図を飛ばす。そして待ち構えていたかのように少女の真横に飛び込んできた巨漢は、彼女から見れば、一瞬の間に現れたようにしか見えなかった。

 

「えっ!? ど、どこから……?」

「リクーム! イレイザーガン!」

 

 そして彼の口から放たれた高威力のエネルギー波を、ナッツはまともに食らってしまう。エネルギーの奔流に飲み込まれ、戦闘服の一部を砕かれながら大きく弾き飛ばされた少女は、空中で何度も回転しながら体勢を整え、リクームに向けて微笑み掛ける。

 

「今のは、ちょっとだけ痛かったわ」

「じゃあ、もっと痛くしてやるぜ?」

 

 言ってリクームは、隊長の隣に並んで、同時にナッツに突撃を掛ける。その無謀さに、少女は目を見開く。いくら彼がタフネスに優れているとはいえ、戦闘力18万の彼女の攻撃を受ければ、一撃で戦闘不能になるのは避けられないはずだ。

 

(もしかして、隊長の為に、捨て身で隙を作るつもりかしら? そんなの返り討ちにするだけだし、むしろ頭数が減る分、私には好都合なのだけど)

 

 そう思っていたナッツは、いざ2対1の接近戦を始めて、すぐにその厄介さに気付く。主に彼女と打ち合うのはギニュー隊長で、リクームの方は体格とリーチの差を活かして、間合いの外から攻撃を仕掛けてくる。

 

 まともに食らっても、今のナッツには大した威力ではないが、何発も食らえば流石に痛い上に、集中力を削がれてしまい、その隙にギニュー隊長の攻撃を受けてしまう。

 

 反面、ナッツがリクームを狙おうとしても、それをすれば隊長に致命的な隙を晒してしまうだろう位置に、巧みに引かれてしまう。業を煮やしてエネルギー波を撃っても、攻撃よりも回避を意識して立ち回る彼にはなかなか当たらず、命中し掛けた一発は、すぐさま割って入ったギニューに弾かれる始末。

 

「はあっ、はあっ……」

 

 次第に被弾が増えていき、少女は息を荒くする。とはいえ、そこまでダメージを受けたわけではなく、まだ余裕はある。一旦距離を置いて立て直そうとしたナッツの後頭部に、凄まじい速度で飛び込んできた青い影が。勢いのままドロップキックを叩き込む。

 

「ぐっ!?」

 

 衝撃に一瞬体勢を崩しながらも、すぐさま少女は裏拳で反撃するが、攻撃を仕掛けたバータは一瞬で離脱を果たしている。そして攻撃を外したその背中に、ジースのクラッシャーボールが直撃し、爆発した。再び、吹き飛ばされるナッツ。

 

 そして飛ばされた先には、既に先回りしていたギニューとリクームが待ち構えており、一瞬たりとも少女に休む隙を与えない。複数人を相手にする事には慣れているが、ここまで練度の高い連携を見た経験は無かった。

 

 先のクラッシャーボールにせよ、少し間違えば接近していたバータに当たってもおかしくなかったはずで、普通なら同士討ちを恐れて使えないが、ジースはいとも容易く、彼女の小さな身体をピンポイントで狙って見せた。

 

(これが、本気のギニュー特戦隊……!)

 

 戦いの興奮と共に、ナッツの心に湧き上がるのは、強敵に対する賞賛と尊敬の念だった。同じ強敵との戦いでも、フリーザを相手にした時は、両親を殺された怒りで楽しむ余裕などまるで無かったが、今は違う。

 

 4人掛かりで繰り出される格闘とエネルギー波による波状攻撃は一部の隙も無く、じわじわと少女にダメージを与えていくが、それに怯む事無く、むしろ嬉しそうに、ナッツは反撃を返していく。

 

 その大半を引き受けているギニュー隊長にも、決して余裕があるわけではない。攻撃で少女の気を引き付けている部下達のサポートが無ければ、とっくに倒されていても不思議ではなく、これ以上戦闘を長引かせるのは危険だった。

 

 決着をつけるべく、彼は構えた右拳に、全身の気を集中させる。ナッツの背筋に、ぞくりと冷たいものが走る。あの一撃は、食らってしまえばただでは済まない。

 

(けど、来ると分かってれば!)

 

「うおおおおおっ!!」

 

 裂帛の気合いと共に、拳を振りかぶったギニュー隊長が少女に突撃する。ナッツはまず避けようとするが、その瞬間、三方から放たれたエネルギー波が同時に着弾し、彼女の動きを一瞬阻害する。

 

 避けるタイミングを逃したナッツは、迫るギニューに対して自らもまた拳を構え、獰猛な笑みを浮かべて叫ぶ。

 

「勝負よ! ギニュー隊長!」

 

 そして少女も前へ飛び出し、二人の拳が激突せんとした、その瞬間。

 

 

「きええええええっ!!」

 

 

 それまで機を伺っていたグルドの、渾身の金縛りの術が、ピンポイントで少女の右手の動きのみを、瞬き程の時間だけ鈍らせていた。当然ナッツも彼の動きは警戒していて、迂闊に近付けさせないよう動いていたのだが。

 

(あんな距離から、私の動きに干渉できるなんて!)

 

 勢いのわずかに鈍った彼女の拳を、ギニューは首を傾けて回避し、撃ち出される直前の大砲のように、拳を構えながら言った。

 

「悪いな」

 

 一瞬後、彼の全力を乗せた拳がナッツの戦闘服の腹部をあっさり破砕し、小さな身体を貫かんばかりに、深々と突き刺さった。少女の口から、大量の鮮血が溢れ出す。

 

「がっ……ご、ほっ、ああっ!?」

 

 激痛と衝撃に息もできず、苦悶の声を上げながら、それでも震える手を上げ、エネルギー波を放とうとしたナッツの眼前で、ギニューの姿が消えうせる。高速で瞬時に彼女の背後に現れた彼の掌に、紫色のエネルギーが収束していく。

 

「だがオレは、フリーザ様のために、負けるわけにはいかんのだ!!」

 

 そして至近距離から放たれた渾身のエネルギー波が、動けぬ少女の背中に叩き付けられ、瞬く間にその全身を飲み込んだ。

 

 

 

 遥か彼方で、ナッツを巻き込んだエネルギー波が着弾し、大爆発を巻き起こす。ギニューは彼女の戦闘力を、スカウターで油断なく確認していた。およそ13万。かなり大きく低下しているが、自分もダメージを受けており、まだ気を抜ける状況ではない。

 

 部下達の状態を確認する。まともに被弾した者こそいないが、一瞬のミスも許されない戦闘のせいか、各々疲労の色が見える。特にグルドはすっかり消耗しきった様子で、大量の汗を浮かべて息を切らしており、心配したジースに声を掛けられていた。

 

「大丈夫か? グルド」

「ぜえっ、ぜえっ、な、何とかな……」

 

 格上の相手に術を掛けるべく、極度の集中を行った結果だった。あの様子では、もう一度同じ事を行うのは困難だろう。

 

「グルド。しばらく超能力は使うな。姿だけ見せて牽制を頼む」

「は、はい。すみません、隊長……」

「気にするな。お前はもう十分以上に働いた」

 

 言ってギニューは、改めて少女が飛ばされた方向を見る。爆風で巻き上がった土煙のせいで、彼女の状態が確認できない。すぐさま復帰してくる様子は無いが、あまり休息の時間を与えるわけにはいかなかった。

 

「よし、お前達! 休憩は終わりだ! こちらから一気に……!」

 

 続く彼の言葉が、轟音に掻き消される。ナッツがいると思しき地点から、先の大爆発にも匹敵する、竜巻めいた赤い気の奔流が湧き上がった。

 

 

「あはっ、あはははははは!!!」 

 

 

 歓喜に満ちた哄笑が、かなりの距離があるにも関わらず、はっきりと彼らの耳に届いていた。誰がそれを発しているかは、言うまでもない。

 

 一瞬で吹き払われた土煙の中心に、ボロボロの戦闘服に身を包んだナッツがいた。全身から立ち昇る真っ赤なオーラが、ばちばちと雷のように弾けている。

 

 彼女はとても愛らしい容貌をしていたが、そんな少女が口元を自らの血で汚し、狂ったように笑い続ける姿は、歴戦のギニュー特戦隊の目からしても、戦慄を隠せないほどのものだった。

  

(戦闘力は、落ちてるはずなんだがな……!)

 

 額に汗を浮かべたバータがそう思った瞬間、ナッツは彼らの方を見て、可愛らしく微笑んだ。

 

「おじさん達! さっきの凄かったわ! 私一瞬、死んだと思ったもの!」

 

 自らの命の危機を、さも楽しそうに語る少女に、ギニューは苛立ちを隠せない。

 

「これだから、サイヤ人は……!」

 

 こうまでダメージを与えれば、大抵の相手は怯んで隙を見せるか、もしくは撤退を考える。だがあのベジータの娘は、追い詰められた事で、ますます戦意を高めている。

 

 戦いそのものに喜びを感じる、戦闘民族。敵対すれば、これほど厄介な相手もそういない。生存本能を闘争本能が上回っているなど、まともな生物の有様ではない。フリーザ様が手を下さずとも、どこかの時点で自ら滅びていたのではないか。

 

 刺すような彼の視線の先で、ナッツは手の甲で口元の血を拭ってから、凄味のある笑みを浮かべて地を蹴り前に出る。

 

「それじゃあ、続きをしましょうか?」

「全員構えろ! 今度こそ止めを刺す!」

 

 ギニューの号令に応じて、突撃してくるナッツに少しでもダメージを与えるべく、全員がエネルギー弾の集中砲火を浴びせかける。

 

 並の軍隊なら、それだけで壊滅するだろう爆撃の中を、少女は長い黒髪を靡かせながら、一切の怯えも見せずに突き進む。

 

 視界を埋め尽くす爆炎を踏み越え、飛来する無数のエネルギー弾を、跳躍して回避し、地面ギリギリに身を沈めてやり過ごし、腕を振って打ち払い、あるいは身体に当たるに任せ、とにかく速度を一切落とさないまま、受けるダメージを最小限に前進し続けたナッツは、ギニュー達の予想を遥かに超える速度で、全身から黒煙を噴き上げながら、爆炎を割って彼らの眼前に躍り出る。

 

 あまりの勢いに一瞬たじろぐギニューを、少女はきらきらと輝く瞳で見つめる。戦闘民族としての本能を、自分でも抑えきれないといった壮絶な表情で、握った拳を突き付け宣言する。

 

「楽し過ぎて、今は何も考えられないの。だからまず、一番強いあなたからよ。ギニュー隊長」

 

 言葉と共に、人の姿をした小さな獣が彼に襲い掛かった。

 

「させるかよっ!」

 

 すぐさま隊員達が援護に入り、先ほどの状況が再現される。だが今回は、少女の勢いが違った。リクームにどれだけ強かに殴られようと、バータとジースの攻撃を受けようと、一切頓着せず、ただひたすらギニューのみを全力で攻撃し続ける。

 

 ギニューの方も、少女の猛攻を何とか捌きつつ反撃しているが、後先を一切考えていないかのような攻撃に、蓄積されたダメージも相まって、一瞬の隙を晒してしまう。それを見たナッツが、獣のように犬歯を見せて笑った。

 

「そこっ!」

 

 すかさず懐に飛び込んだナッツが、目にも止まらぬほどの拳の連打をギニューの腹部に叩き込む。リーチの短い彼女の手足は、裏を返せば、振る速度が速いという事でもあり、至近距離から超高速で繰り出されるラッシュは、小柄な体躯に見合わぬパワーと相まって、まさに必殺とも言える破壊力を実現していた。

 

「がはあああっ!?」

 

 たまらず苦悶の声を上げ、ふらふらと、おぼつかない足取りで後ずさるギニュー。この機を逃さず、少女が一気に勝負を決めようとした、その瞬間だった。

 

「ギニュー隊長おおぉぉ!!!」 

 

 飛び込んできたリクームが、決死の覚悟でナッツを羽交い絞めにする。

 

「なっ!? 離しなさい!」

 

 力任せに右腕を振り解いた少女が、リクームに痛烈な肘打ちを叩き込む。その一撃で肋骨を何本も折られながらも、隊長を除いて、特戦隊随一のタフネスを誇る彼は怯まず叫ぶ。

 

「隊長、今のうちに!」

「……すまん!」

 

 ギニューは辛くも息を整えながら、抱えられたナッツを、リクームの身体ごと上空に蹴り飛ばす。なおも暴れる少女を拘束しながら、リクームは全身の気を高めていく。

 

「リクーム……ウルトラ……」

 

 その彼の動作に、ナッツは覚えがあった。ナメック星で、大猿化した彼女に止めを刺すべく使われた技。こんな密着した状態で、あれを食らったら。

 

 焦った少女は、逃れようと肘を何度も彼に叩き付け、頭突きで顎を砕くも、彼女を拘束する腕の力は、一切緩む様子がない。彼の全身を包むエネルギーが、危険な域まで高まっていく。

 

「止めなさい! 離して! 手加減できなくなるわよ!」

 

 ギニュー隊長ならいざしらず、他の隊員にとって、彼女の全力は容易に致命傷となり得る。殺すつもりまでは当然無かったから、彼への攻撃は力を抑えていたのだが。

 

 そこでリクームは、激痛を堪えながらも、少女に向けて、不敵に笑ってみせた。

 

「悪いな、ナッツちゃん。隊長の前で、情けない真似はできなくてよ!」

「このおっ!!」

 

 意識を奪うべく、半分加減を捨てて振り上げたナッツの拳が、リクームの砕けた顎を直撃する。次の瞬間、発動直前だったリクームの技が暴走し、二人の身体を中心とした大爆発が巻き起こった。

 

 

 

 やがて爆発が収まった後、そこには大きく息をつく少女がいた。全身に軽く火傷を負っているが、致命的なものではない。自爆めいたリクームの攻撃に対し、とっさに自らも高めた気を爆発させ、相殺した結果だった。

 

 黒焦げになったリクームの身体が、地上へと落下していくのを、少女は見送った。驚いた事に、落ちながらもこちらに手を振っている。あの状態で戦う事はできないだろうけど、少なくとも、命の心配は無さそうだった。

 

 大きくエネルギーを消耗してしまったが、まず一人は倒せた。できるなら、手傷を負わせたギニュー隊長が回復する前に、仕留めておきたいけど。

 

 そこでナッツは、死角から飛来したエネルギー弾を手で弾き、タイミングを合わせて背後から強襲した青い影を、後ろ回し蹴りで迎撃する。青い影は気付かれたと見るや即座に自ら後ろに下がり、彼女の蹴りは掠めるだけで終わってしまう。

 

 少女の視線の先で、目にも止まらぬ速度で動いていた青い影が停止し、青い肌を持つ長身の男へ変化する。そしてナッツを挟み込むかのような位置に、エネルギー弾を撃った真っ赤な肌の男が現れる。

 

 バータとジースはそれぞれ腕を組みながら、余裕たっぷりな様子で笑って見せた。

 

「よう、ナッツちゃん、ちょっと見ない間に、また随分と強くなったじゃねえか」

「ちょっとオレ達とも遊んでいかないか? 退屈はさせないぜ?」

 

 無論彼らとて、今のナッツに正面から勝てるとは思っていない。二人の狙いは、ギニュー隊長が息を整えるまでの時間稼ぎと、それまでに可能な限り、彼女を消耗させる事だ。

 

(そのくらいの考えは、私にも読めるけど……!) 

 

 少女の目に映る二人は、自分達に背中を向けて隊長を狙おうものなら、只では済まさないと言わんばかりのプレッシャーを発していた。それにサイヤ人として、強者から挑まれた戦いを断るなんて、もっての外だった。

 

 さながら舞踏会でダンスを申し込まれた姫君のような気分で、ナッツは好戦的な笑顔を見せる。

 

「ちょっとだけね、おじさん達。この後は、ギニュー隊長が待ってるみたいだから」

 

 できるだけ早く彼らを倒さんと、気合いを入れて組んだ指を鳴らす少女に、対峙した二人もまた、戦闘力を限界まで高めて笑う。

 

「隊長は最近の激務でお疲れなんでな。もう少し休ませてやってくれ」

「そのかわりに、おじさん達が遊んでやるからよ!」

 

 言葉と共に、二人の姿が掻き消え、赤と青の色付きの影が、ナッツの周囲を縦横無尽に飛び回る。消えては現れ、現れてはまた消えながら、一撃離脱の攻撃を仕掛ける彼らの姿を目で追えず、少女は防戦一方に追い込まれてしまう。

 

(バータはともかく、ジースまでこんなに早く動けたの!?)

 

 種を明かせば、彼らはそこまでの速度で動いているわけではない。ただバータは、飛行速度の緩急と方向転換を巧みに使い分け、少女の視界を意識しながら移動する事で、見かけ上の超高速移動を実現していた。

 

 そして相方のジースは、彼と完璧に息を合わせて動いていた。ある時はナッツの目を逸らす囮となり、またある時はバータが囮となった隙に死角へ潜り込む事で、相方の動きをサポートしながら、自身もまた彼女の目を幻惑する事ができていた。

 

 無論、回避に重きを置いた彼らの攻撃は、ナッツにそこまでのダメージを与えられるわけではない。だがそれでもわずかな負傷は蓄積する上に、戦闘が長引いた分だけ、体力的にも精神的にも消耗していく事は避けられない。

 

(このまま削られたところに、ギニュー隊長までやってきたら……!)

 

 苛立ちと焦りから、少女は攻勢に出ようとする。

 

「はああああっ!」

 

 比較的動きの遅いジースに狙いを定め、被弾を覚悟で全速力の突撃を掛ける。何度も攻撃を食らいながら、とうとう彼に追いすがり、一撃を入れんとした、その瞬間だった。

 

 

「きええええっ!!」

 

 

 少女が追撃に夢中になっている間に、忍び寄っていた小柄な男が両腕を突き出し叫びを上げる。

 

(グルド!? まだ超能力を使えたの!?)

 

 つい先ほど痛い目を見たナッツは思わずガードを固めるが、身体に異常が起こる様子はない。

 

「まさか、叫んだだけ!?」

「「どりゃああああ!!!!」」

 

 少女が動きを止めた隙を逃さず、赤と青の旋風が、同時に全力の拳と蹴りを叩き込んだ。

 

「ぐうっ!?」

 

 ふらつきながらナッツが振るった反撃の拳を、二人は素早く避けて離脱する。そしてグルドも逃げようとするが。

 

「逃がすものですか!」

 

 少女は両腕を胸の前で交差させる。グルドは半ば無駄だと悟りつつ、残されたわずかな力で時間を止めて、可能な限り遠くへと飛行する。そして時間が再び動き出すと同時に、ナッツが両腕を開いて叫ぶ。

 

「はあっ!」

 

 直後、彼女を中心とした半径数百メートルの全てを破壊の嵐が襲った。地球でナッパが一つの都市を消し飛ばし、また彼女の父親が悟飯達に使ったのと同質の、広範囲への攻撃を可能とする技だ。

 

 軍隊などをまとめて倒す時に有効だが、攻撃範囲に応じて威力は落ちてしまう。バータやジース相手には、ほとんど効果が見込めないのだが、超能力を使える分、戦闘力の低いグルドには、それで十分だった。

 

 爆発に巻き込まれた彼は、地面にうつ伏せに倒れたまま、起き上がれないでいる。これで2人。ナッツはなおも飛び回るバータとジースを、きっと睨み付ける。先ほどの一撃で、頭が冷えた気分だった。彼らの動きを目で追っていては、埒が明かない。

 

 少女は目を閉じ、深呼吸して心を落ち着かせ、彼らの戦闘力を探る事に集中する。散発的に攻撃を受けるが、それでも集中を続け、彼らの動きを視覚に頼らずじっくりと観察する。

 

「捕らえたわ!」

 

 ナッツはかっと目を開き、別々の方向に手を付き出して気を集中させる。直後、少女の両の掌から、バスケットボール大の無数のエネルギー弾が放たれた。片方だけで秒間数十発にも及ぶエネルギー弾の連射は、凄まじい勢いで命中した全てを破壊していく。

 

「うおおおっ!?」

「多過ぎるだろ!?」

 

 雨のように大量にばら撒かれるエネルギー弾は、到底避けられる物でなく、回避しようとした二人に数発が命中し爆発する。威力はそれほど大きくないが、立ち止まってまともに被弾し続けるのは危険だと思われた。

 

 二人は破壊の雨の降り注ぐ範囲から逃れようとするが、少女は後を追うように両手を動かして、彼らを追い立てる。そして十数秒後、別方向に飛んでいたはずのバータとジースが、お互いに顔を合わせて驚愕する。

 

「バータお前、あっちに逃げてたはずじゃあ!?」

「お前こそ! ってまさかこれは!?」

 

 スカウターを確認したバータは、彼らがちょうど、ナッツの真下に誘導された事に気付く。焦って上空を見上げると、既に彼女は二人に向けて、ギャリック砲を打ち下ろしていた。

 

 迫りくる赤いエネルギーの光に照らされながら、彼らは諦めたように、小さく苦笑する。

 

「やれやれ。またナッツちゃんにやられちまったな」

「子供の成長は早いよなあ。ギニュー隊長! 後はよろしく頼みます!」

 

 そして二人をギャリック砲が直撃する。爆発の後、彼らが死んでいない事を気配で確認したナッツは、小さく息をつく。さっきの技も、父親に習ったもので、星を攻める時など、一人で大勢を相手にするための技だ。それを一人に向けるなんて、今まで考えた事も無かったけど。

 

(やっぱり実戦は勉強になるわ。戦闘力は私の方が高かったけど、それでもおじさん達は強かった)

 

 少女は地面に降りて、自分の状態を確認する。戦闘服は所々がひび割れていて、アンダースーツもあちこち擦り切れてしまっている。全身の負傷と体力の消耗で、戦闘力は半分程度に落ちてしまっていた。

 

(ギニュー隊長が万全だったら、ほとんど勝ち目は無かったけど)

 

 気配を感じて振り返ると、そこに彼が立っていた。腹部に応急処置を施しており、戦闘力はおよそ8万。倒れたおじさん達の様子を、スカウターも使って確認している。

 

 状況は、あのナメック星の時と同じだった。すぐに怒って向かってくると思ったナッツは身構えるが、意外にも隊長は、静かな声で口を開く。

 

「……オレの部下達を、殺さなかったのは何故だ?」

 

 彼の言葉に、ナッツは言葉を選びながら応える。

 

「……おじさん達は、フリーザ軍の基地にいた頃、フルーツパフェをご馳走してくれたり、ビンゴ大会で景品を譲ってくれたり、私にとても、優しくしてくれたわ。だから殺したくないの」

 

「ナメック星で、オレに止めを刺さなかったのは? 部下達はともかく、オレはフリーザ様が嫌うサイヤ人である貴様と、慣れ合っていたつもりはない」

 

 厳密には、あの孫悟空だかカカロットだかいう男の身体を使っていた時、彼女からの恋愛相談を聞いた事はあるが、あれはドラゴンボールを取り返す任務の為だから例外だ。

 

 問われた少女は、少し困ったような顔で言った。

 

「そうね。あなたはいつも、私と距離を置いていたみたいだけど。おじさん達は、隊長のあなたの事が大好きで、とても尊敬してるって言ってたから。あなたが死んだら、おじさん達が悲しむわ。だから、私はあなたの事も殺したくないの」

 

「……そうか」

 

 ギニューは天を仰ぐ。自分と関係無い人間は、嬉々として星ごと殺す一方で、自分に好意的な人間に対しては、年相応の子供のように甘い。そのちぐはぐな有様を、言葉で攻めれば動揺を誘えるかもしれなかったが、彼や部下達が、その未熟さに救われたのも事実だったから、それをする気にはなれなかった。

 

 個人的な、あくまで個人としての考えならば。精神的に未熟な所はあれど、戦士として類稀な実力を持ち、彼が思わず我を忘れるような、途方も無いポーズの才能まで見せたこの少女の事は、嫌いではなかった。

 

「だが、今の貴様は我々の敵だ。わかるな」

 

 ギニューは拳を突き出し、堂々と身構える。自分はドラゴンボールも、フリーザ様の身も守れなかった。ならばせめて、かつてフリーザ様から命じられた、このヤードラット星の攻略は、あの方が動けるようになる前に、成し遂げておかねばならない。

 

「ええ。私が負けたら、この星は好きにするといいわ」

 

 言ってナッツも身構える。ヤードラット星の人達には、自分が負けるかもしれない事を伝えて、瞬間移動で避難してもらっている。

 

 大猿化も超サイヤ人への変身もせず戦う事は、少し後ろめたかったけど、相手があのギニュー特戦隊という時点で、防衛依頼など引き受ける人間は皆無で、星を捨てるしかないと、諦めかけていたようだったから、立ち向かうというだけでも、とても感謝してもらえて、無理はしないで下さいとまで、言ってもらえたのだ。

 

 できるなら、あの人達の依頼は達成してあげたかったし、それを抜きにしても、この戦いには勝ちたかった。

 

 サイヤ人の王族の少女は、凛とした顔で、対峙する男を見つめて言った。

 

「これで最後よ。ギニュー隊長。今度も私が勝たせてもらうわ」

 

 対して、フリーザ軍最強の男も、真正面から彼女を見て、鬼気迫る顔で応える。

 

「ほざけ。フリーザ様の、そして傷付いた部下達のために、貴様はここで倒させてもらう!」

 

 そして戦闘力を限界まで高めた二人が真っ向から激突し、最後の戦いが始まった。




 戦闘描写難しかったですが、何とかやりました!
 あといつも評価とか感想とかお気に入りとかありがとうございます! ついに評価人数が100人超えた時は嬉し過ぎてヒャッハーしましたし、今日も書いてる時にチラっと見たらお気に入り1件増えてて嬉しかったです!

 次の話が終わったら、フリーザ様の話を少しやって、それからコルド大王とかトランクスが出ます。時間は掛かるかもしれませんが、気長にお待ち下さいませ。


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10.彼女が再び、彼らと戦う話(後編)

 ヤードラット星を舞台にした、ナッツとギニュー隊長の戦いが始まってから、既に5分以上が経過していた。 

 

 サイヤ人の少女と、フリーザ軍最強の男。元の戦闘力は18万と12万だが、特戦隊の4人も含めた戦闘で、両者共に消耗し、ダメージを負った結果、両者の戦闘力の差は、ほんの1万程度にまで縮まっている。

 

 それでも、戦闘力1万の差は無視できるものではない。戦闘力で勝っているという事は、パワーもスピードも、少女の方が上という事だ。

 

 他の人間が相手ならば、ナッツは容易く捻じ伏せる事ができただろう。彼女の強みは、単純な戦闘力だけではない。まだ6歳とはいえ、物心ついた頃から絶え間なく実戦を繰り返してきた戦闘経験の濃密さは、生半可な兵士を軽く凌駕する。

 

 その上、同じ環境で20年以上戦い抜いてきた父親から、愛情たっぷりに指導を受け、その上に戦闘民族サイヤ人のエリート戦士として、両親から受け継いだ、天才的な戦いのセンスまで兼ね備えている。

 

 そのナッツを相手に、戦闘力で劣っているはずのギニュー隊長は、一歩も引かずに食らいついていた。

 

「うおおおおっ!!!」

 

 少女の全身から繰り出される、小柄な体躯に見合わぬ凄まじい威力を秘めた攻撃を、数えきれない程受けているにも関わらず、彼の闘志には、些かの衰えも見られない。コルド大王の時代から積み重ねてきた、数十年にも及ぶ圧倒的な戦闘経験で、ナッツの動きを先読みし、受けるダメージを最小限に抑え込んでいたのだ。

 

 多少の戦闘力の差など、引っくり返せる自信をギニューは持っていた。しかし少女の方も、一向に崩れる気配が無い。 

 

 

 そんな二人の戦いを、遠くの岩陰から眺めている者達がいた。

 

 一人は彼女の父親だ。娘の戦いの邪魔をしないよう、戦闘力を完全に消した上、とても真剣な面持ちでスカウターに手をかけ、娘の晴れ姿の撮影に専念していた。

 

 もう一人は、彼女に誘われて来た悟飯だった。以前一緒に見た図鑑に載っていた、ヤードラット星人に彼が興味を持っていたのを、ナッツは覚えていて、ちょうど良いとばかりに誘ったのだ。ついでに悟空とチチとブルマも、家族旅行感覚で来る事になって、今は避難中のヤードラット星人達と共に、近くの星を観光している。

 

 遠くで行われている戦いの一部始終を、気を消したまま眺めていた、彼の心中は穏やかではない。その原因は、この戦いの中で、彼女が終始、とびきり魅力的な笑みを見せていたからだ。

 

 今もそうだ。ギニュー隊長との戦いが長引き、全身に負った傷から血を流し、苦しそうに肩を上下させながらも、同時にナッツは、目を輝かせて、心底楽しそうな顔で笑っている。

  

「いい加減に、倒れんかっ!」

「嫌よ! 楽しいんだもの!」

 

 少女の攻撃を捌きつつ、至近距離からカウンター気味にギニューの放ったエネルギー波が彼女に直撃する。ナッツは吹き飛ばされながら両手両足を地面につき、地面との摩擦で勢いを殺す。そして四つん這いの姿勢から、小さな猛獣のように、あるいはじゃれつく子猫のように、いたずらっぽく微笑みながら高く跳躍する。

 

 ギニューの頭上から引っ掻くように繰り出される拳の連撃は囮で、ナッツが空中から放った回し蹴りが、彼の側頭部を直撃する。

 

「ぐうっ!」

 

 頭部を揺らされ、意識を飛ばされ掛けるも、気合いで持ち直したギニューの打ち下ろした手刀が少女に命中し、大きく後ろに弾き飛ばす。

 

 距離を置いて向かい合った二人が、荒々しく息を吐く。既に両者共に、限界が近付いているのは明らかだった。

 

 互いに満身創痍、もはやどちらが倒れてもおかしくない状況で、ナッツはそれでも不敵に笑う。

 

(もうそろそろ終わりかしら。けど私は、絶対に負けないわ!)

 

(どうして、ボクじゃなくて、そんな奴相手に……!)

 

 悟飯は彼女の笑顔が、自分以外の男に向けられている事に憤っていた。怒りにも似て、より濁った暗い感情が、少年の心をどす黒く染め上げていく。

 

 ただ、年齢の割に大人びていた彼は、その感情が何と呼ばれているかを知っていたから、憤るのと同時に、恥ずかしい気持ちになってしまう。彼女の笑顔は、自分だけのものとでも言うつもりなのだろうか。自分は彼女の、ただの友達に過ぎないのに。

 

 ナッツが誰と戦って楽しもうと、それは彼女の自由だし、自分もたまに、遊びに来た彼女と組み手をしている。ただ、彼女がああまでボロボロになるまで、痛めつけるような事は、彼にはとてもできなかった。それこそを彼女が望んでいるという事は、賢い彼は、とうに理解していたけれど。

 

 輝くような少女の笑顔がいたたまれなくなって、悟飯は顔を伏せてしまう。その様子を、彼女の父親が横目で見ていた。幼い少年の心の中の葛藤を、年長者である彼は、手に取るように理解していた。

 

 惹かれた相手が、自分以外と楽しそうに戦っているだけで、いちいち嫉妬してしまう。まるで昔の自分を見ているようだと、一瞬でも思ってしまって、彼は小さく舌打ちした。

 

 

 

 少女と対峙するギニューは、勝つ為の方策を必死に考えていた。

 

(負けるつもりは微塵もないが、このまま奴と正面からぶつかれば危ないかもしれん! 考えろ。どうすればこいつを確実に倒せる……?)

 

 答えを探すべく、彼はナメック星での彼女と戦った時の事を思い出す。あの時も、戦闘力で負けていたつもりはない。そう、奴のポーズの予想外の見事さに、思わず隙を晒してしまっただけであって……。

 

「はっ!?」

 

 そこまで考えた瞬間、ギニューの脳裏に天啓が舞い降りた。即座にその場を飛び離れる彼の行動に、少女は思わず瞠目して叫ぶ。

 

「ちょ、ちょっと!? 待ちさないよ! ここまで来て、逃げるっていうの!?」 

 

 慌ててナッツも飛び立ち、彼の背を追いかける。遠目で見るギニュー隊長は、スカウターで何やら通信をしているようだった。

 

 そして彼が地面に降り立った時、そこには先程ナッツによって倒された、特戦隊の4人が集結していた。警戒して、彼らから距離を置いて、ナッツも着陸する。

 

「どういう気なの、ギニュー隊長? もうおじさん達に、戦う力は残ってないわよ?」

 

 彼らは全員、止めを刺されてこそいなかったが、立っているのもやっとという状態だ。

 

「……まさか、おじさん達を盾にでもする気なの!?」

 

 自分はあの人達を殺せない。それをされたらどうしようと、怯えた顔になった少女に向けて、ギニューが静かに口を開く。

 

「そんなつもりは一切無い。大事な部下を、貴様ごときのために、使い捨てなどにできるものか」

 

 そもそも、敗北した部下達がまだ生きているのは、彼女の甘さによるもので、それをいい事に付け込むような真似は、彼の好むところではなかった。そして彼にはそんな真似をせずとも、確実に勝利する、絶対の自信があった。

 

「いくぞお前ら!! 準備はできてるか!!」

「「「「了解です!! 隊長!!」」」」

 

 ギニューが号令を掛けた瞬間、部下達の雰囲気が一変する。既に戦えないはずの彼らから、まるで隠していた大技を放つ直前のような、危険な重圧を感じた少女が後ずさる。

 

「い、一体、何をする気なの……?」

 

 ナッツの疑問に応えるように、彼らは行動を開始する。

 

「リクーム!」

「バータ!

「ジース!」

「グルド!

「ギニュー!」

 

 横一列に並んだ彼らが、叫びと共に各々のポーズを披露する。そして最後に五人が一糸乱れぬ動きで集合し、一つのファイティングポーズを作り上げた。

 

 

「「「「「みんな揃って!!!!! ギニュー特戦隊!!!!!」」」」」

 

 

 一瞬で天地が引っくり返ったような、とてつもない衝撃がナッツを襲った。

 

「あ……あ……。そ、そんな……」

 

 あまりにも卓越した技量の差を見せつけられて、がくがくと、足が震えるのを止められない。全員が重傷を負っているにも関わらず、計算され尽くしたポーズにはほんのわずかな乱れも無い。

 

 ギニュー特戦隊のファイティングポーズ。例えばここに立っていたのが彼女の父親ならば、その価値を理解できず、無粋にもエネルギー波の1つも撃っていただろうが、その芸術的価値を知る少女の目には、彼らの姿が燦然と光輝くかのように見えていた。

 

 ナメック星でギニュー隊長が見せたスペシャルファイティングポーズは凄まじかったが、それでもあれは、頑張ればまだ立ち向かおうと思える範疇だった。しかしこれは。

 

 震えつつも、ナッツの感性は冷静に分析する。ただでさえ完璧に近い5つのポーズが融合する事で、全く次元の違う1つのポーズを構築している。それぞれのポーズが補完し合う事によって、かつてギニューが単独で見せたスペシャルファイティングポーズをも、遥かに上回る相乗効果が発生しているのだ。

 

(迂闊だったわ! こんな切り札を隠していたなんて!)

 

 少女は唇を噛む。ギニュー特戦隊を相手にするのだ。この展開を、全く予想していなかったわけではない。だがギニュー隊長にも自分のポーズが通じた事から、いざとなれば対抗できるという油断があったのかもしれない。

 

 五人の力が合わさったファイティングポーズは、彼女の想像を遥かに超えて圧倒的で、立っているのが精一杯の状況だった。仮にこれがスペシャルファイティングポーズだったならば、即座に彼女は打ちのめされ、立ち上がる事すらできなかっただろう。

 

 そして戦場でポーズを見せられた以上、当然こちらも返さねば失礼に当たる。これを無視すれば、たとえ戦闘力で上回っていたとしても、気持ちの上で負けてしまう。

 

 だが彼我の戦力差は、圧倒的だった。彼女が今できるポーズは、ナメック星で見せたのと同じ一つきり。しかも今までポーズの練習などした事が無いから、もしかすると以前よりも劣化しているかもしれない。

 

 彼女の切り札である、大猿化も超サイヤ人への変身も、この状況を打開するのは不可能だった。日々欠かさず研鑽を続けていたのであろう、彼らの人生の集大成を前に、練習もろくにしていない自分のポーズを晒しても、惨めな思いをするだけだろう。

 

(それくらいなら、いっそ潔く降伏してしまった方が……)

 

 戦闘民族らしからぬ、そんな事を考えてしまうほど、今のナッツは追い詰められ、弱気になってしまっていた。

 

 

 今にも倒れそうな少女の様子に、ギニューは作戦の成功を確信した。天才的なポーズの才能を持つあの娘が、同時に持つ優れた審美眼が命取りになったのだ。

 

 これがスペシャルファイティングポーズならば、とうに決着はついていただろうが、全員が重傷を負った今の状況で、0.1ミリの誤差も許されないあのポーズは失敗の危険がわずかにあったから、安全策を取った形だ。

 

 既に奴の心は既に折れかけている。あとは自ら負けを認めるのを待つか、決定的な隙を見せた瞬間に致命打を叩き込むのみだが。そこまで考えて、彼は自分の中の、物足りないという感情に気付く。

 

(どうする? ベジータの娘。お前はここで何もできず、終わってしまうのか?)

 

 ナメック星で、彼女が見せた素晴らしいポーズ。初見ならともかく、同じ物を見せられたところで彼には通じないが、それでも彼女の才能なら、この数ヶ月の間に、未知の新作を完成させて、彼らに対抗してくる可能性もゼロではない。   

 

 万が一の奇跡を警戒しつつ、同時に心の奥底で、わずかにそれを期待してしまっていることに、彼は内心愕然とした。

 

 

「あ、あれは一体、何が起こっている……? ナッツの方が、負けているのか……?」

 

 遠くの岩陰から彼女の父親が、その様子を焦った様子で見守っていた。万が一、娘が敗北した時には、割り込んでその命を救うべく待機していた彼にも、この展開は予想外だった。

 

 娘の小さな後ろ姿は、この距離からでも分かるほどに震えていて、ポーズについて造詣を持たない彼にも、ナッツの不利は明らかだった。こうなれば自分が、助太刀に行くべきだろうか。

 

 昔フリーザ軍のパーティーで、何かしらの一発芸をやる流れになって、ビンゴ大会の前に披露した即興のダンス。ナッツとリーファはもちろん、会場全体が大盛り上がりで、コルド大王にすら大好評だった、あれならばもしかすると通じるかもしれない。

 

 だが娘の戦いを、邪魔してしまうわけにはいかない。苦悩し動けない父親の隣で、少年がすっくと立ち上がる。彼女が負ける所なんて、見たくなかった。それにあの特戦隊の人達のポーズは凄いけど、ナメック星でナッツが見せた、力強くも可憐なポーズも、彼にとっては、宇宙で一番素晴らしいポーズだったのだ。

 

 

「ナッツ! 頑張って! 負けないで!」

「なっ!?」

 

 その場の全員が、声を上げた少年に注目した。震えながら、ゆっくりと振り向いた少女に向けて、彼は叫ぶ。

 

「大丈夫だよ! 君のポーズは、ボクにとっては、宇宙で一番素敵だったから! それに君は、サイヤ人の王族で、エリート戦士なんだよね! だったら諦めないで! 強くて格好良いところを見せてよ!」

 

 まるで告白のような、真っ直ぐで熱のこもった少年の叫びに、皆は唖然として、ジースが思わず口笛を吹いた。

 

「そ、そうだナッツ! オレもついてるぞ!」

 

 彼女の父親も、気を取り直して負けじと叫ぶ。二人からの声援を受けたナッツは、いつの間にか、身体の震えが止まっている事に気付いた。

 

 そして、悟飯の言葉を聞いて、自分の心の中に、温かい気持ちが湧き上がって来るのを感じていた。大切な物を確認するかのように、胸に手をやって、小さく笑う。父様や母様の事を考える時ともまた違う、この気持ちはなんだろう。

 

(そう。誇り高いサイヤ人の王族が、戦いもせず降参なんてできないわ。下級戦士のあなたに、そんな事を教えられるなんてね)

 

 胸に宿った、優しく温かいものは、彼女の幸せな記憶の結晶だった。愛してくれた両親の記憶。地球で会った、優しいサイヤ人の少年との記憶。そして今まで想像すらできなかった、快適で穏やかな暮らしと、素敵な地球人の女性との記憶。

 

 それらを噛み締めているうちに、少女の中に、一つの形が作られていく。

 

(ありがとう、悟飯。このポーズを、あなたに捧げるわ)

 

 ナッツが顔を上げ、少年に向けて、お礼を言うように、小さく微笑んだ。それだけで、彼は思わず顔を染めてしまう。

 

 そして少女はそのまま、ギニュー達に向き合って、幸せな気持ちの命じるままに身体を動かして、ありのままのそれを表現する。

 

 胸に手を当て、もう片方の手を腰へと伸ばす。優しく笑みを浮かべながら、サイヤ人としての誇りを胸に。今の自分の全力を出し切った確信と共に、ナッツは宣言する。

 

「私の名前はナッツ! サイヤ人の王子、ベジータ父様の娘よ!」

 

 

 

 少女の見せたそのポーズに、歴戦の特選隊員達が驚き叫ぶ。

 

「な、何だと!?」

「何なんだあれは!? あれがファイティングポーズなのか!?」

「ありえねえ……!」

「まさかの新作かよ……!」

 

 彼らが驚いたのも無理はない。それは既存のファイティングポーズから、あまりにも掛け離れたポーズだった。

 

 戦闘中の彼女の様子とはうって変わって、開く直前の花の蕾のような、無邪気さと可憐さを体現していた。自覚の無い想いが溢れ出したような微笑みは、見ているだけで胸が締め付けられるような気持ちになってしまう。その身に纏う戦闘服は、煌びやかなドレスのようで、その場の全員が、彼女の周囲に、花が咲き誇っているのを幻視した。

 

 それは決して、ただ可愛く微笑ましいだけの仕草ではない。少女の凛とした佇まいは、戦闘の心得のある者が見れば、一部の隙も見当たらないと理解できる。自分が戦える人間だという事を、ポーズの形に頼らず、立ち姿だけで物語る高等技術だった。

 

「ぐうううう……!!」

 

 ギニューは言葉も出ないまま、ぎりぎりと歯を噛み締める。確かに凄まじいポーズだ。奇抜でありながら、それでいて押さえるべき所は押さえている。彼の発想からは絶対に出てこない、ファイティングポーズの概念を大きく塗り変える、革新的なポーズだった。

 

(これだけの才能を持ちながら、なぜサイヤ人などに生まれたのだ……!!)

 

 あと10年、いや、5年だけでいい。この娘に徹底的にポーズの何たるかを教え込めば、必ずや自分を超えるファイティングポーズの名手として、銀河にその名を轟かせる事ができるはずだ。だが、その未来はもう、永遠に失われてしまった。

 

 彼女達サイヤ人は、今やフリーザ軍の敵なのだ。フリーザ様が惑星ベジータを破壊した時点で、こうなる事は必然だったのかもしれない。そして大恩あるフリーザ様を裏切る事など、できるはずがない。無念だった。

 

「おおおおおおっ!!!!」

 

 自分の中の迷いを打ち払うように、絶叫したギニュー隊長がポーズを解いて、全速力で少女へと突進する。

 

 近付くにつれ、彼女のポーズが、細部まではっきりと見えるようになる。そして彼の目は、足を置く位置や、わずかな腕の角度など、細かいポーズの不備を無数に捉えていた。やはりこの娘はまだ未熟なのだと、ギニューは理解してしまう。

 

 フリーザ様のために、この原石を、これから打ち砕かねばならない。彼は思考を振り払い、ただ目の前の敵を倒す事に専心する。

 

 瞬く間に眼前に迫った彼を、ナッツもポーズを解いて迎撃しようとしたその時、彼女は何かに気付いて、大きく目を見開いた。

 

「……えっ!?」

 

 少女の動きが一瞬停止し、理由が分からぬまでも、ギニューは勝利を確信する。

 

(!? 勝った!)

 

 そしてギニューは残された力を振り絞って、その右腕を振り抜いた。未だポーズを解かぬままのナッツの頭部を砕かんと拳が迫る。

 

「バカな! ナッツ、なぜ避けない!?」

「ナッツ!?」

 

 父親と悟飯が悲鳴を上げる。少女は迫りくる拳を、信じられないものを見るかのように、ただ茫然と眺めていた。

 

 

 

 そしてギニューの拳が炸裂し、ナッツの前髪が、風圧で大きく広がった。

 

「な、なぜだ……?」

 

 ギニューは全身を、わなわなと震わせる。彼の拳は、未だポーズを崩さない少女に当たる寸前で、停止していた。自分がそれをした事を、信じられないといった顔で、彼はナッツを見た。やっぱり、と少女は呟いた。

 

「……あなたから、さっきまでの敵意を感じなかったの。本当に止まるかどうかは、分からなかったけど。びっくりしちゃって、とっさに動けなかったわ」

「このオレに、貴様への敵意が無いだと……!」 

 

 ふざけるなと、一喝しようとしてギニューは気付く。震える自ら止めた拳が、何よりの証明であることに。

 

 彼の目には、眼前の少女のポーズの、自分でもまだ気付いていないだろう欠点や改良点が、無数に見えていた。それを全て直せば、この革新的なポーズが、更なる高みへと昇るだろう事は確実で、それを見たいと、壊したくないと、深層意識の奥底で、思ってしまっていたというのか。

 

 この娘を生かしておけばフリーザ軍の危機というのなら、それでも彼は躊躇いながらも、彼女を殺せていただろう。だがこの娘にフリーザ軍を害する意思は欠片も無く、ただ彼らと戦いたいという、馬鹿げた理由で、わざわざこんな所まで来ているだけなのだ。

 

 そしてこの未熟でありながらも輝きを秘めたファイティングポーズは、確かに彼の心を動かすだけのものを備えていた。

 

 彼は拳を下げて、真っ直ぐにナッツの目を見ながら言った。

 

「……オレの負けだ」

「ええっ!?」

 

 少女は驚き戸惑ってしまう。確かに相手が降伏しても、勝ちと言えば勝ちだし、ここまでの戦いで、それなり以上に満足してはいるけれど。

 

「あ、あの、ギニュー隊長? それはそれとして、その、どちらかが倒れるまで戦ってみるとか……駄目かしら?」

 

 駄目元でお願いしてみたナッツを、彼は一喝する。

 

「甘えるな! 貴様にはやるべき事があるだろう!」 

「な、何!?」

 

 怒られた少女は、びくっと身体を硬直させてしまう。

 

「そのポーズの改善だ! もう一度最初からやってみろ!」

「こ、こうかしら?」

 

 ぴし、とナッツの決めたポーズを一瞥したギニューが叫ぶ。

 

「それだ! 動きの初動が甘い! 気合いが足りん! 腕の角度も体幹のバランスもなってない! せっかくのポーズが泣いているぞ! 練習をサボっていただろう!」

「わ、判るの!?」

「当然だ! それで、それは何ヶ月前に作ったポーズだ?」

「い、今さっき?」

「…………」

「あ、あの、ギニュー隊長……?」

 

 急に無言になって、顔を片手で覆い、ぶるぶると全身を震わせ始める彼のただならぬ様子に、不安になった少女が、おずおずと呼びかける。

 

 そして約十秒後、ギニューはナッツに、凄味のある笑顔を見せながら言った。

 

「ベジータの娘よ! みっちり鍛えてやるから覚悟しておけ!!」

 

 

 

 そうして、何故かギニュー隊長による、少女へのポーズの指導が始まって。暇になったジース達が、傷の応急処置を済ませながら、わらわらと悟飯達のところへやってきた。

 

「よう! ベジータにナッツちゃんの彼氏じゃん! 元気してた?」

「か、彼氏とかじゃあ……」

「こいつと娘との交際を認めた覚えは無い」

 

 赤くなって俯く悟飯と、彼の頭をはたきながら、きっぱりと言い切るベジータの様子に、隊員達がにやにやと笑う。

 

「というか、ナッツちゃんだけでなく、ベジータに彼氏君もいるとか、過剰戦力すぎるだろ……」

 

 父親に向けたスカウターの表示が、計測不能を示すのを見て、バータが顔を引きつらせる。少年の方も、ナッツとほぼ同等の戦闘力を示していた。

 

「ヤードラット星の防衛依頼を受けたのは娘だけだ。オレは撮影に来ていただけで、ナッツからも手出ししないよう言われていた」    

「この星の奴ら、よくそれで納得したな……」

(ナッツが負けるはずないだろうって、ベジータさんがゴリ押ししてました……)

 

 思い出して顔を伏せる悟飯に、ジースがからかうように声を掛ける。

 

「で、彼氏君は何? このあとナッツちゃんとデートとか?」

「ぼ、ボクはその、自由研究と、家族旅行で……」

「家族旅行!?」

「カカロットとこいつの母親と、あと1人地球から来ている。今はヤードラット星人共と一緒に、近くの星で観光と買い物をしているはずだ」

「自由研究って何だ?」

「ナッツからもらった図鑑に、ヤードラット星人さんが、不思議な力を使うって書いてあって、見てみたくなったんです」

「ナッツちゃんが男に貢いでいる……!?」

「プレゼントって言えよ馬鹿」

「お前、あんまりサイヤ人らしくないな。まるで学者みたいな……」

「はい、将来は学者さんになりたいです」

 

 グルドの疑問に、にっこり笑って応えた悟飯を、隊員達が一斉に変な子を見る目で見た。

 

「あ、あの……おかしいですか?」

「い、いや、立派だと思うぜ?」

「ヤードラット星を滅ぼして売り飛ばすために来たとかなら、まあ分かるけどよ……サイヤ人が? 図鑑を見て? 勉強?」

「あの悟空って奴といい、サイヤ人も変わってるんだな……」

「誤解するな。こんな腑抜けは下級戦士のこいつやカカロットだけだ。娘は今もサイヤ人らしく、賞金首や悪党共を殺して元気に遊んでいる」

「そっちも別の意味で変なんだけどよ……」

 

 偉そうに胸を張って自慢する父親に、困ったようにリクームは相槌を打つ。 

 

「それにしても、ギニュー隊長がオレら以外にポーズの指導をするなんてな」

「……そんなに凄い事なのか?」

 

 いつか娘が成長したら見せようと、熱心にポーズの訓練をしている姿を撮影しながら、父親は尋ねる。

 

「ああ、誰に頼まれても、いくら積まれても、一切断っていたからな」

 

 ギニュー特戦隊のファイティングポーズは、その芸術的価値の高さから、銀河中に熱狂的なファンを抱えており、彼らに憧れてポーズを真似る者達も大勢いる。

 

 その指導者であり、宇宙最高レベルの技量を有するギニュー隊長の元には、いくら払っても良いから、ぜひポーズのレッスンをして欲しいと願う声が後を絶たず、それらを受けるだけで、間違いなく一生安泰に暮らしていけるだろう。

 

 だが彼はその全てを、「自分の本業はフリーザ様に仕える戦士だ」と言って断っており、それがフリーザ軍の知名度とイメージ向上に貢献していたりもするのだが、それはまた別の話だ。

 

 

 そうして30分ほどが経過した後。一通りの訓練を終えたギニューは、ぱんと手を叩いて言った。

 

「よし、基礎はもう十分だ。さっきのポーズを、もう一度オレに見せてみろ」

「はい、先生!」

 

 ナッツは胸に手を当て、ビシッと気合いを入れてポーズを取る。それを見た隊員達が、驚愕の声を上げる。短い時間とはいえ、ギニュー隊長自らの体系立った指導を受け、細かい欠点を全て修正された上に改良を施されたポーズは、彼女自身の爆発的な成長も相まって、本来ならば数年の研鑽を経なければ、辿り着けないだろうレベルにまで達していた。

 

「あ、あれは……ナッツちゃん、マジで凄過ぎるじゃねえか!」

「さっきのポーズでも、十分凄いと思ってたのによ……!」

 

 まだ隊員達の域には遠く及ばないが、それでも彼らは、彼女のポーズに未来を見た。それはまるで、小さな雛鳥が、可能性の翼を大きく広げて、巣から飛び立ったその瞬間を見るかのようで。彼らは感動的に立ち尽くし、思わず瞳を潤ませる。

 

「こ、これが、私……?」

 

 自分でも分かる程の明らかなレベルの向上に、戸惑う少女に、ギニューは重々しく頷いた。

 

「この程度で満足してもらっては困る。貴様は確かに素晴らしい才能を持っているが、磨かなければ宝の持ち腐れだ。基礎は全て教えた。あと毎日少しずつでもいい。日々の練習を怠るな」

「……はい、先生!」

 

 黒い瞳を輝かせて、尊敬の眼差しで彼を見つめる生徒に内心苦笑しながら、彼は考える。

 

 この娘は、フリーザ様が生きていると知ったら、間違いなく殺しに来るだろう。だが無数の宇宙戦艦と防衛施設に護られた惑星フリーザ本星と周辺宙域は、たとえどんな堅牢な宇宙船だろうと、敵対者が近づく事は不可能だ。それに惑星フリーザ本星には、コルド大王様もいる。未だ動けぬフリーザ様が、害されてしまう事はないだろう。

 

 だが任務に失敗した上、敵に塩を送るような、フリーザ様の信頼に泥を塗るような真似をしてしまったことは事実だ。フリーザ様が回復されたら、自分の心情も含め、ありのままを報告して、いかなる罰も受けようと、彼は決意していた。

 

 およそ1年後、ギニューからの報告書を読んだ病み上がりのフリーザが、内容を全く理解できず頭を抱える事になるのだが、それはまた別の話だ。

 

 

 

 そしてギニュー特戦隊が、ナッツに見送られながら撤退して行った後。ヤードラット星人達と共に、近くの星を観光していた悟空とチチとブルマが戻ってきた。

 

 ブルマは地球から持ち込んだ宝石やブルーオーラムで、大きな宇宙船が一杯になるくらいの買い物をしていた。地球には無い未知の素材や、各種テクノロジーの技術書に囲まれて、すっかりご満悦の様子だった。

 

「ナッツちゃん、前に言ってたメディカルマシーンも買っておいたわよ。地球まで届けてもらえる事になったから」

「あ、ありがとう……」

 

 あっさりとそんな事を話すブルマに、少女はちょっと引きながら応える。あれは確か、個人で買える額じゃなかったはずなのだけど。それを辺境の地球まで運ばせるなんて、一体いくら使ったのかすら、想像ができなかった。

 

 それとヤードラット星人達に、星を守ってくれてありがとうとお礼を言われて、ちょっと複雑な気分だったけど、嬉しかった。

 

 カカロットは、一緒にいる間に、彼らと仲良くなったようで、彼らから、瞬間移動という技を教えてもらうという事だった。細かい理屈は分からなかったけど、要は知っている相手のいる場所に、一瞬で移動できる能力らしい。

 

 色々応用が利きそうだったし、大猿になった時にも便利そうだったから、一週間ほど滞在して、一緒に教わってみたのだけど。

 

「気とかスピリットとか、全然分からないわ……戦闘力と何が違うの?」

 

 隣で学んで、既にコツを掴みつつある悟空と違って、全く手ごたえが得られない事に、疲れきった様子を見せるナッツ。

 

 二人とも同じ純血のサイヤ人でありながら、こうまで差が見られるのは、生まれ育った環境に由来する。サイヤ人は生まれつき多くの気を持っているため、周囲の人間の見様見真似で、特に学ばずとも、空を飛べたりエネルギー波を撃てたりする。

 

 一方、気の総量の少ない地球人は、ただ空を飛ぶだけでも、舞空術などという形で、気の扱いを系統立てて学ぶ必要がある。そうした理由で、出力はともかく、気を感じる能力や細やかな扱いの技術については、地球人の方が優れている。

 

 悟空は幼い頃から地球で育ち、地球人の師から気の扱いを学んだサイヤ人という稀有な存在であり、下級戦士でありながら、ベジータ達をも驚かせたその強さの理由の一旦は、こうした所にあるのかもしれない。

 

 閑話休題。とにかくナッツは、気を読むという基礎の基礎すら苦手な自分には向いていないと、しぶしぶ瞬間移動の習得を諦めるのだった。

 

「悟空さん。この分なら、あと1年もすれば習得できますよ」

「い、1年!? そ、そりゃあ、ちょっと無理だ……瞬間移動は惜しいけど、そろそろ地球に帰らないと、畑が駄目になっちまう……」

「いえ。既に基礎はできてますから、あとはご自身で毎日少しずつ練習すれば、大丈夫ですよ」

 

 そのヤードラット星人の言葉に、ナッツは自分の先生を思い出して、くすりと笑ってしまう。

 

「? どうしたんだ、ナッツ?」

「ううん、何でもないの」

 

 嬉しそうに微笑む少女を、悟空は不思議そうな目で見ていた。

 

 

 そうして地球に帰ってからも、毎日5分ほど、ナッツが鏡の前でポーズの練習に励む姿が見られるようになり、その姿を、時折ベジータも録画していた。

 

 数年後にその映像を見せられ、少女は羞恥のあまり絶叫する事になるのだが、それはまた、別の話だった。




 ギニュー隊長、自分の中では「真面目過ぎる人」ってイメージなのです。
 原作でもゲームとかでも、あのポーズおふざけとか一切無しで真剣にやってるよなあ、って思ったので、こんな感じの描写になりました。こんなでも一応原作寄りなのです。(キャラ崩壊タグで保険を掛けながら)

 あとこの頃の悟飯の普段の戦闘力、原作では描写が無いんですけど、フリーザ戦で100万以上出せてたのは怒りによる瞬間的なもので、それが無ければ大体今のナッツと同じくらいじゃないかなあと解釈してます。


 それと評価と感想とお気に入りをありがとうございます。続きを書く励みになっております。

 次はようやく、前から予告してたフリーザ様の話です。ギニュー隊長とかコルド大王とか出ます。遅くなるかもしれませんが、気長にお待ちくださいませ。


・彼らに憧れてポーズを真似る者達も大勢いる

 3DSの隠れた名作「ドラゴンボールフュージョンズ」からの設定です。ギニュー特戦隊リスペクトのオリキャラ達が出ます。
 ゼノバースみたいなオリジナル主人公を作れるゲームで、内容は全ての平行世界から集まった数百人のオリキャラ達をポケモンよろしく集めて天下一武道会に挑むという感じで、悟空やベジータと言った有名キャラは終盤とかクリア後しか仲間にならなくて、聞いた事の無いオリキャラでPTを組む感じになるんですが、何せ数百人もいるので絶対数人はツボに入るキャラがいまして、彼らを育てて他のキャラとフュージョンさせて強化して使っていくのがとても楽しかったのです。
 ちなみに作者のお気に入りはサイヤ人と地球人のクォーターの少女で、強いお友達をたくさん作るために参戦したシャロット(名前被り)です。彼女のようなサイヤ人キャラや主人公がイベント中に敵の投げたパワーボールに反応しない点以外はパーフェクトでした。


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エピローグ3.彼女の仇のその後の話
1.彼女の仇のその後の話(前編)


※注意:「キャラ崩壊あり」


 惑星フリーザ本星。

 

 ナメック星での戦いの後、ギニュー隊長に救出されたフリーザは、およそ1年半の治療を経て、ようやく動ける状態にまで復活を遂げた。

 

 最新の医療技術でも再生できなかった身体の欠損を補うため、全身の半分以上を機械に置換していたが、その分戦闘力は大きく向上している。

 

 本来ならば、自分をこんな身体にしてくれた、あのサイヤ人共に、今すぐ復讐を遂げに行きたいところだが、万全に戦えるようになるまでには、まだ数週間を要すると医師達から言われている上に、今の彼には、他にやるべき事があった。

 

 それはフリーザ軍の現状確認と立て直しだ。フリーザ軍はその軍事力と恐怖によって、銀河の大部分を支配していたが、トップである彼が1年半もの間、動けず話せず、絶対安静の状態で、指示すらろくに出せなかった事で、各方面での侵攻計画が滞っているばかりか、支配下のあちこちの惑星で、反乱等が起こっている事が予測された。

 

 そこで彼は自室に篭り、溜まっていた報告書に目を通していた。画面に表示される大量の情報を、素早く確認して頭に入れながら、要所要所でメモを取りつつ、ときおり担当者達に通話で質問する。

 

 メールでも構わないが、画面越しでも顔を見せて話した方が、相手の反応や話す様子から、より精度の高い情報を得る事ができる。また、既に大々的に伝えられている彼の健在を、改めてアピールする狙いもある。実際に、彼が話した者達は、皆一様に安堵した様子で、士気が上がっている事が伺えた。

 

 現状は、彼が予想していたよりも、悪くはないようだった。組織内部の混乱は少なく、各地で起こっていた反乱等も、ギニュー特戦隊を先頭にした戦闘部隊の迅速な対応によって、概ね鎮圧されている。功績に応じて、後で臨時ボーナスでも出すべきだろう。

 

 しかしそれでも、1年半もの不在で溜まっていた仕事や、目を通さなければならない案件は多い。フリーザはそれらを、ろくに休息も取らず、てきぱきと片付けていく。

 

 組織の運営には、自信があった。仕事してるんだか遊んでるんだか分からなかった父親よりも、力が強いだけの兄よりも、自分の方が、余程上手くできるのだ。

 

 

 しばらく仕事をこなしていると、こんこんと、控えめなノックの音がした。誰が来たかは、その音だけで分かった。    

 

 がちゃりとドアが開くと、小柄で高齢で、穏やかな雰囲気の女性が、一礼して部屋の中へと入ってきた。皺の入った口元に、穏やかな笑みを浮かべている。

 

「お久しぶりです、フリーザ様。お仕事もよろしいですが、病み上がりのお身体で無理はいけませんよ?」

「……ベリブルさん。仕事が溜まっているのですよ」

「それでも、いったんご休憩なさいませ。そのお身体でも、食事は必要だと、お医者様から聞いておりますよ」

 

 ベリブルと呼ばれた高齢の女性は、てきぱきとテーブルの上に、軽食と温かい飲み物を並べていく。断れないなと、フリーザは、小さく息を吐く。

 

 戦闘服こそ着ているが、彼女自身の戦闘力は、平均的なフリーザ軍の兵士の、10分の1にも届かない。だが幼い頃から散々お世話になった教育係で、彼にとっては、宇宙でも数少ない、頭の上がらない存在だった。

 

 キリの良い所で仕事を切り上げて、テーブルの前に座り、10時間ぶりの食事を始めるフリーザ。全て手作りの彼女の料理は、昔と同じ味がした。半分機械の身体でも、味覚は残っていて、良かったと思った。

 

 向かい側に座ったベリブルは、食事をする彼の様子を、何も言わず、穏やかに微笑みながら見守っている。特に会話が無くとも、何故だかそれだけで安心できて、料理の温かさも相まって、疲れが取れていく気がした。

 

「……ごちそうさま。美味しかったですよ、ベリブルさん」

「どういたしまして。その食べっぷりなら、もう心配は無さそうですね」

 

 空になった食器を片付けながら、ベリブルは何気なく言った。

 

「コルド大王様も、ずいぶん心配しておられましたよ。フリーザ様が回復なされたと知って、もうすぐおいでになるそうで」

 

 父親の名前を聞いて、食後の紅茶を飲んでいた、フリーザの手が止まる。1秒前までリラックスしていた表情が、思いっきり嫌そうに歪んでいた。

 

「……フン。パパは超サイヤ人に負けたボクの事なんて、どうでもいいに決まってるさ」

「フリーザ様、決してそのような事は……」

「いいや。たとえボクが死んでたとしても『じゃあ、フリーザを倒したあの超サイヤ人を我が娘に』とか言ったに決まってる」

「いくらコルド大王様でも、そこまでは……」

 

 いつになく頑なな彼の様子に、ベリブルが心配そうに言った。

 

「……フリーザ様、コルド大王様と、何かあったのですか?」

 

 

 

 時代は少し遡る。30数年前、フリーザがまだ、父親から軍を受け継ぐ前の話だ。

 

 当時はコルド大王とベジータ王、共に星の収奪を生業としていた二つの勢力の長が、手を結んだ時期だった。

 

 三度の飯と同じくらい戦いを好み、ほぼ全員が優秀な戦闘員の資質を持っているが、商売が下手で技術力も低かったサイヤ人達と、征服した惑星の販路を持ち、技術力にも長け、強襲用の小型ポッドや戦闘服、メディカルマシーン、スカウトスコープなど、戦いをサポートする様々な装備や物資を提供できるコルド軍との相性は抜群で、同盟からわずか数年で、彼らの版図は銀河の半分以上にまで広がっていた。

 

 数えきれないほどの惑星を陥落させて売り払った事で、コルド軍は空前の好景気に沸いていた。

 

 そして今日もコルド大王は、ベジータ王やニコちゃん大王と一緒に、銀河一の高級キャバクラを貸し切りにして遊んでいた。銀河中から集められた魅力的な美女達に、最高の酒と料理で歓待されて大騒ぎしながら、ついでのように、今後の方針を話し合っている。

 

 別のテーブルでは、護衛としてついて来ていた、ドドリアにザーボン、ギニュー特戦隊、パラガスを含むエリートサイヤ人達、ニコちゃん大王の付き人といった面々も、全員コルド大王の奢りで遊んでいた。

 

 ここぞとばかりに高い酒を飲みまくるドドリア、様々な種族の絶世の美女に囲まれて、表面上はクールに振舞いながらも、内心テンション最高潮で連絡先を交換しているザーボン、酔いながらも見事なポーズを披露するギニュー特戦隊に、女性達と共に歓声と拍手を送るサイヤ人達と、ニコちゃん大王の付き人。

 

 そんな騒がしくも楽しい時間が終わり、コルド大王は酒精で顔を赤らめながら、上機嫌で家に帰り、私室でパジャマに着替えて、角用の穴が開いたナイトキャップを被って寝ようとしたところで、ベジータ王から聞いた話を思い出す。

 

 酔っぱらったベジータ王が、ふと漏らした話によると、1000年に1度現れるという超サイヤ人は、フリーザ一族とも渡り合える強さで、そこからさらに進化した超サイヤ人ゴッドは、その名のとおり、神々にも比肩する存在だという。   

 

 コルド大王は、いつになく真剣に、腕組みしながら考える。我が一族は宇宙最強でなければならん。何故ならその方が、箔がついて格好良いからだ。魔人ブウと破壊神ビルスの存在は知っているが、片方は封印されているし、もう片方は寝てばかりで滅多に起きてこないので、不戦勝扱いでいいだろう。

 

 しかし、超サイヤ人ゴッドが破壊神ビルスとも戦えるとすれば、サイヤ人が我が一族を差し置いて、宇宙最強という事になってしまう。どうしたものかと、彼は5分ほど熟考した後に、良いアイデアを閃いた。

 

「そうか、超サイヤ人ゴッドとやらがワシやクウラやフリーザよりも強いのなら、養子にしてしまえばいいのだ! それで我が一族は安泰で、兄弟が増えてあいつらも喜ぶだろうしな!」

 

 そしてコルド大王の豪快な笑い声が響く中、部屋のすぐ外、ドアの向こうで、ちょうど父親を訪ねてきた、幼い頃のフリーザが、屈辱と怒りに身を震わせていた。

 

「サイヤ人……あの野蛮な、パパの使い走りのサル共ごときが……!!」

 

 許せない、と思った。そもそも養子にしても、種族が変わるわけではないから、根本的な解決になっていないし、強いからと言って、実の息子を差し置いて養子を取るなど、自分が父親から、役立たずと言われたようなものだった。

 

 忘れられないこの日の出来事は、フリーザが元々持っていた、サイヤ人への反感をさらに強める事となり、後に彼が軍を引き継いでからの、彼らへの冷遇に、惑星ベジータの消滅へと、繋がっていく事になる。 

 

 

 

 回想シーンが終わり、その内容を見ていたベリブルが、額にうっすらと汗を浮かべて言った。

 

「……まあコルド大王様は、大らかな方でございますから」

「大らかの範囲超えてるよね!?」

 

 彼の父親は、宇宙有数の凄まじい戦闘力を持っていながらも、どこか大雑把な性格なのが、玉に瑕だった。とにかく細かい事を気にしないから、コルド軍の経営もいい加減で、仕事の大半を部下に丸投げして、自分は取引先と接待ゴルフや宴会で遊んでいる有様だった。

 

 そして何より、そんないい加減なやり方でも、組織としては上手く回って成果も出していたのが、几帳面な性格のフリーザには、理解不能で腹立たしかった。

 

 戦闘力が圧倒的に格下のベジータ王や、何かよく判らない、大王を名乗る頭が尻の生き物とも、笑って対等に付き合っていたのも気にくわなかった。こちらの方が格上なのだから、きっちり臣従させてしまった方が効率的なのに。

 

 これなら自分の方が上手くできるからと、軍を譲るように言ったら、一部だけのつもりだったにも関わらず、あっさり全て押し付けてきた時には、提案した彼自身が驚愕した。普通幼い子供に言われたからといって、自分の全てを譲る宇宙の帝王がいるだろうか? 

 

 それに信じられない事に、ちょうど武者修行に出ていた兄の事をすっかり忘れていたらしく、何故か自分が後で恨まれる羽目になってしまった。軍を半分渡すと提案したが聞いてもらえず、今は別方面で、独自に軍を立ち上げているという。

 

 そんなどこまでもいい加減な父親の事を、彼は嫌っていた。

 

 

 

 仕事の続きをしていたフリーザの耳に、騒々しい足音が聞こえてきた。そしてノックも無しに、バーン! と勢い良くドアが開かれた。誰が来たかは、その音だけで分かった。

 

「久しぶりだなフリーザよ! 元気にしていたか?」

 

 部屋に入ってきたのは、フリーザの第二形態にそっくりな、身の丈3メートル近い巨漢だった。特注サイズのアロハシャツに、麦わら帽子とサングラス、腰回りには浮き輪を着けて、サーフボードを担いでいた。どこかのリゾート惑星で、思いっきりエンジョイしてきた様子だった。

 

 そんな格好をしていながらも、彼の姿に、宇宙の帝王に相応しい、威風堂々とした迫力がある事は、フリーザも認めざるを得なかった。年齢のせいか、口元に小さく皺が見えるが、それがむしろ、威厳を醸し出している。背が高いと得だと、フリーザは内心思った。

 

「……少し前まで、ボクは絶対安静だったんだけど?」

「おお、そうだった! だがいつの間にか随分と、男前になったではないか!」

 

 身体が半分機械になった息子の、見様によっては醜い顔を、彼は気にせず豪快に笑い、手にしていた土産のチョコを押し付ける。チョコの箱はすぐさまベリブルへ渡り、彼女は一礼して、すぐに中身を高価な絵入りの皿に盛りつけ、二人分のコーヒーを準備した。

 

 身の丈3メートル近いコルド大王がいても、室内は全く手狭ではなかった。もちろんフリーザの部屋が広いというのもあるが、それだけではない。

 

 フリーザ軍の基地の全ての設備は、コルド大王のような、あるいはそれ以上の大柄な者から、ギニュー特戦隊のグルドのような小柄な者まで不自由なく使えるよう、バリアフリー化が徹底している。こうした福利厚生の充実と、働きに応じた評価と賃金を与える事によって、銀河中のあらゆる種族から、見所のある者を、戦闘員としてスカウトできるのだ。

 

 これもフリーザが軍を引き継いだ後で、成し遂げた多くの成果の中の一つだった。

 

 座ってチョコを頬張っていたコルド大王が、ふと何かに気付いたように、室内をきょろきょろと見渡して、不思議そうな顔で言った。

 

「そういえば、ドドリアとザーボンはどうした? 休暇か?」

「……死んだよ。ナメック星で」

 

 画面に顔を向けたままのフリーザが、気まずそうに言った。彼らは父親から預かった、優秀な部下達だった。死なせてしまった事を、叱責されるのではないかと彼は思っていたが、コルド大王は、真顔で重々しく頷いた。

 

 

「そうか。ドドリアの奴は大酒飲みで、健康診断の結果に怯えていたからな……ザーボンの奴は、ついに女に刺されたか」

 

 

 同時刻、地獄からそのやり取りを見ていた二人が、脳溢血と痴情の縺れを死因にされた事に、脱力して崩れ落ちる中、一緒に見ていた兵士達は、コルド大王様らしいと爆笑していたが、それはまた別の話だ。

 

 

「違うよ!? 直接最後を見たわけじゃないけど、たぶんベジータに殺されたんだ」

「ベジータ王の息子か。あの二人を倒すとは、ずいぶんと強くなったものだ」

 

 父親の口から、サイヤ人を評価する言葉が出た事に、フリーザは内心、苛立ちを覚える。

 

「まあ、気にするな。死んでしまったものは仕方が無い」

 

 そしてこの台詞だ。この父親は情に厚いようで、他人の生き死にに、それほど執着しない。惑星ベジータを無断で破壊して、お気に入りのサイヤ人達を絶滅させた時も、特に何も言われなかった。それが宇宙の帝王たる者の、器という事なのかもしれないが。

 

 たとえ自分が死んでも、大して気にせず、養子を取るとか言い出しかねない、そんな父親の事が、彼は嫌いだった。




 というわけで、前々から予告していたフリーザ様の話です。コルド大王のキャラは、一応原作を自分なりに解釈した結果です。

 それと毎回書いていますが、評価、感想、お気に入り、誤字報告などありがとうございます。続きを書く励みになっております。

 作者はお気に入りが1つか2つ増えただけでも大喜びする小市民で、高評価など頂こうものなら数日間は何かにつけて思い出して感激し続けるくらいの単純な性格ですので、よろしければどうか良い感じにお願い致します。

 この話はあと1話か2話でまとめて、そこからセル編に行く予定です。遅くなるかもしれませんが、気長にお待ちくださいませ。


・コルド大王
 自分の中のイメージは、バブル期のカリスマ社長みたいな感じです。従業員全員の顔と名前を覚えてるタイプ。頭使うのはそこまで得意じゃないですが、それは自覚していて組織運営とか難しい事は頭良い部下にぶん投げてました。それで実際上手くいってたあたり、人を見る目はある感じです。フリーザ様に軍を全部投げたのも、息子なら上手くできるだろうという信頼からだったりします。

 ブロリー劇場版のベジータ王、建物に宇宙船ぶつけられたりで明らかに様子がおかしいのに、コルド大王に対して両腕広げて歓迎の素振りを見せてたので、たぶん普段だったらコルド大王も応えて抱擁とかしてたんじゃないかなと。劇中のサイヤ人達も、フリーザ様の事は悪く言ってもコルド大王については触れていなかったので、良好な関係だったと勝手に解釈しました。

 性格についても、原作での数少ない出番とかフリーザ様との会話を見た感じ、単純に冷酷なだけの人という感じはしなかったのです。フリーザ様が目の前で殺された直後に、殺したトランクスを養子を取ろうとして断られて、騙して剣奪ってドヤ顔できんのだからの即死の流れは何と言うか、半分面白枠の人だったんじゃないかなあと。

 あと駄目押しで我が一族は宇宙最強でなければならんとか言いながら復活のFで「破壊神ビルスと魔人ブウにだけは手を出すな」って言ってた事が判明したので、自分の中ではこういうキャラで確定しました。一応原作準拠なのです。


・フリーザ様
 むしろキャラ崩壊タグの対象はこの方だったりするのですが、この話は親子関係を重視してますので、こういう流れになってます。解釈違いだったらすみません……。


・ニコちゃん大王
 アラレちゃんの登場人物。「あの世界、コルド大王が宇宙規模の有名人だろうに、同じ称号を名乗るとか大丈夫なのか……?」→「友達なんじゃね?」って思ったのでこんな感じになりました。今も地球にいますが、特に本編には出ません。


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2.彼女の仇のその後の話(後編)

 フリーザの自室にて。画面に顔を向けて仕事に集中している息子の姿を、頬杖を突いてベリブルの淹れたコーヒーを飲みながら眺めるコルド大王が言った。

 

「そういえばフリーザよ。お前も年頃なのだから、こう、気になる女子の十人や二十人くらいはおらんのか? ベジータ王の息子も結婚して子供を作っておったし、ワシもそろそろ、孫の顔とか……」

 

 その言葉を聞いたフリーザの額に、びきりと青筋が浮き上がる。自分をこんな目に遭わせたのは、そのベジータの娘だというのに。

 

 そうだ。あの娘の事は、前々から気に食わなかった。奴の母親、身体の弱い死に掛けのサルに子供ができたと聞いた時には、せっかく減らしたサイヤ人がまた増えたのかと、ずいぶんイライラさせられたものだ。

 

 だが、サルの小娘1匹など、その気になればいつでも殺せるし、ベジータと同じく、生まれつき高い戦闘力を持っているという話だったから、せいぜい死ぬまでこき使ってやろうと思った。

 

 そして3年前、戦闘員として既に実戦に出ていたその娘が、両親と共に、フリーザ軍のパーティーに出席してきた時の驚愕は、今になっても忘れられない。

 

 あのベジータが、娘の前で思いっきり顔を緩めて頭を撫でて、妻子のために甲斐甲斐しく料理を皿に取り分けて、スカウターで何十枚も、家族の写真を撮っていた。それどころか、周囲の戦闘員達に、親子3人の写真を頼んですらいた。

 

 母親の方も、楽しそうにはしゃぐ娘の傍で、優しく微笑んで見守って、子供の姿を珍しがって寄ってくる戦闘員達に、娘の事を紹介していた。

 

 そして娘の方も、惜しみなく注がれる愛情を受けて、とても幸せそうな様子だった。自分が親から愛されていると、信じて疑わない顔をしていた。あの娘は、自分が親から見捨てられるかもしれないなどと、想像すらした事がないのだろう。

 

 

『そうか、超サイヤ人ゴッドとやらがワシやクウラやフリーザよりも強いのなら、養子にしてしまえばいいのだ!』

 

 

 父親の言葉が耳に蘇り、突然湧き上がった憎らしさと妬ましさに、フリーザの手の中で、酒のグラスが砕け散った。あの娘の笑顔を、滅茶苦茶にしてやりたいと思った。放っておいても長くないと聞いていた奴の母親を、わざわざ手を回して死地に送り込んだのは、それが理由だった。

 

 

 

「フリーザよ、聞いておるのか?」

「……興味ないよ、パパ」

 

 つっけんどんな息子の返事に、むう、と父親は唇を尖らせる。フリーザもクウラも、もう子供がいてもいい歳だというのに、浮いた話の一つもないのだ。このままでは二人とも一生独身で終わってしまうのではないかと、心配だった。

 

 綺麗どころのいる店にでも、連れて行ってやるべきかと思ったが、興味ないとか言ってるし、どうにも喜ばれるビジョンが浮かばない。ザーボン達は誘えば尻尾を振ってついて来たものだが、これが最近の若者という奴だろうか。

 

 ザーボンといえば。そこで彼は基地の売店でこっそり売られていた、見つめ合うザーボンとドドリアが表紙の本を思い出す。絵が綺麗で面白そうだったので、試しに全巻買ってみたのだが、なかなかの力作だった。しかし内容はこう、何というか、独特のもので。そういう趣味がある事は、決して否定するわけではないのだが。

 

「はっ!?」

 

 彼は何かに気付いたような表情で、息子に駆け寄り、その肩に手を置く。鬱陶しそうに振り向いた顔を、真顔で見つめながら言った。

 

「同性愛はいかんぞ。非生産的な」

「何言ってるのパパ!?」

 

 フリーザが目を剥いて反論しようとしたその時、控えめな通知音と共に、室内に声が響く。

 

『失礼いたします、フリーザ様、ギニュー隊長がいらしておりますが……』

「ああ、ボクが呼んだんだ。通していい」

 

 通常はこのように、警備兵が入り口を固めるこの部屋に入るには、彼の了解が必要なのだ。前の二人が、たまたま、宇宙にほんの一握りの例外だっただけで。

 

 もちろん、一億以上の戦闘力を持つフリーザに、護衛の必要などないのだが、この宇宙で彼に恨みを持つ人間は、文字どおり星の数よりも多い。命を狙ってくるゴミの類を、いちいち相手にするのは面倒だった。 

 

「おお、ギニュー隊長が来るのか? 奴とも長らく会っておらんかったな……どれ、久々に一緒に、喜びのダンスでも踊るとするか!」

 

 楽しげに準備運動を始めた父親を、息子はジト目で睨みつけながら、釘を刺すように言った。

 

「ちょっとパパ、ギニュー隊長は今はボクの部下で、仕事の話で呼んだんだから、邪魔はしないでよね?」

「むう、わかった……」

 

 コルド大王が、すごすごと背中を丸めて部屋の隅へと移ったその時、丁寧なノックの音がした。

 

「フリーザ様! 特戦隊隊長ギニュー、ただいま参りました!」

 

 入室してきたギニューが、身体の半分を機械に置き換えたフリーザの姿に驚愕する。直後に彼は腰を直角に曲げて頭を下げ、喉から振り絞るような声で謝罪する。

 

「……申し訳ございません! 私めが不甲斐ないばかりに、フリーザ様をそのようなお姿に……!!」

 

 ギニューの心の中に、悔恨と罪悪感が満ちていた。自分は敬愛する主君を助けられなかったばかりか、敵であるベジータの娘を鍛えるような真似までしてしまった。先の失態も合わせて、到底許される事では無い。

 

「かくなる上はこのギニュー、腹を切って詫びる所存です! ですからどうか、部下達にはどうかお慈悲を……!!」

 

 堅く目を瞑りながら、決死の覚悟で言い切ったギニューに、フリーザは席を立ちながら、穏やかな声で言った。

 

「頭を上げなよ、ギニュー隊長。あのサイヤ人共は、君達が太刀打ちできるレベルじゃなかった。撤退して君を無駄死にさせなかった、部下達の判断は正解だよ」

 

 ナメック星で、ドラゴンボールをギニュー隊長に預けてからの出来事は、全て報告書を読んで把握していた。ベジータ達にドラゴンボールを奪われてしまったのは、確かに彼らの失態だが、どの道、ナメック語で願う必要がある以上、殺されてもその事を黙っていたナメック星人達が、彼の不老不死の願いを、叶えようとするはずがなかった。

 

 邪悪だとか何とか言われて、ナメック星人達に好印象を持たれなかった時点で、不老不死を得るという計画は、最初から失敗していたのだ。それを考えれば、彼自身すら死に掛けるような状況下で、結果的にギニュー特戦隊という戦力の要が失われなかった事は、むしろプラスの出来事だった。

 

「それにギニュー隊長。ボクは自分の命の恩人を、無下にするつもりはないよ」

 

 フリーザの言葉に、ギニューがはっと顔を上げる。そう、敗北の屈辱と怒りで、助けられた時はついキツい目を向けてしまったが、あのまま全身がバラバラの状態で放置されていては、衰弱死しない自信はあったが、そのうちベジータ達かナメック星人共に見つかって、止めを刺されてしまう恐れがあった。1年半の療養生活の中で、彼は助けられた時の事を、何度も思い返していた。

 

 こうしてわざわざ言葉にしているのは、彼の忠誠心を煽る狙いが主だが、それでも感謝しているのは本当だった。笑顔を向けられたギニューは、たじろぐように言った。

 

「フ、フリーザ様、しかし私めは、あろうことか、敵であるベジータの娘に、ポーズの指導をしてしまいました……! あの娘の才能は本物です! このまま伸び続ければどうなってしまうのか、この私にも計り知れません!!」

 

 うん、ボクにもさっぱり判らない。フリーザは心の中で、遠い目をして呟いた。ポーズ云々も彼の報告書に書かれていたのだが、その部分は読んでて頭が痛くなったので読み飛ばした。

 

 というか、そんな事黙っていればいいじゃないかと思う。スカウターでやり取りは記録されているけど、直接報告されなければ、気付かなかったフリができるんだから。

 

 能力も忠誠心も申し分ないが、不器用で真面目過ぎる。それがフリーザの、ギニュー隊長に対する評価だった。理解不能なポーズへの拘り等も含め、ある意味扱いづらい面もあるが、そんな人材でも、上手く使ってやるのが、上に立つ者の務めだった。

 

 彼は部屋の外の警備へと、通信で命令する。

 

「残りの4人も外で待機してるんだろう? ここに通してくれ」

『はっ!』

 

 そしてすぐに、緊張で身体を強張らせながら入室してきたジース達は、隊長の横に並んで、深々と頭を下げて訴える。

 

「フリーザ様! どうか、隊長の命だけは勘弁してください!」

「オレ達がベジータ達に勝てなかったのが悪いんです!」

「お、お前達!? 何を言っている!? 止めろ!」

「静かにしてくれないかな? うるさいのは好きじゃない。全員顔を上げるように」

 

 フリーザの言葉に、全員が口を噤み、背筋を伸ばして直立する。彼はそれを満足げに眺めてから、口を開いた。

 

「まずは、ボクが動けなかった間、ろくに休みも取らず、反乱の鎮圧に励んでくれたようだね。ご苦労だった。良い働きぶりだよ」

 

 全員が処刑されかねないと思っていたジース達が、労いの言葉に驚きに思わず息を呑むが、彼としては当然の評価だった。彼らの献身的な働きが無ければ、トップが不在のフリーザ軍は、反乱を抑え切れず、今以上の大打撃を受けていたはずだ。

 

 確かに下級の戦闘員が、目に余るほどの失態を犯した場合、見せしめも兼ねて処刑する事はあるが、そんないくらでも補充の利く人材と、最強部隊のギニュー特戦隊を一緒にするわけにはいかない。彼らは今まで任務の失敗など、ろくにした事がなかったから、その辺りの事が判らないのも、無理はないかもしれないが。

 

「特別に、臨時ボーナスと、2ヶ月間の休暇を出そう。好きに楽しんでくるといい」

 

 処刑は無く、しかも久々の長期休暇がもらえるとあって、喜びにはしゃぐ隊員達。

 

「ヒャッハー!」

「流石フリーザ様だぜ!」

「し、しかしフリーザ様、任務の失敗は……」

 

 どこまでも生真面目なギニュー隊長は、そのままではボーナスも休暇も、一人辞退してしまいかねない。そんな彼への言葉も、既に用意してあった。

 

「そうだね。休暇が終わったら、君達にしてもらいたい仕事があるんだ。ナメック星とヤードラット星での失敗は、そちらで挽回して欲しい」

「かしこまりました! 何なりとお命じください!」

 

 フリーザは頷いて、部屋の大型スクリーンに、銀河の大部分にも及ぶ、フリーザ軍の支配区域の全体図を映し出す。いくつもの惑星やエリアが、彼自身の手によって赤く色分けされ、戦力や拠点の位置などの、細かい情報が表示されていた。

 

「このボクが伝説の超サイヤ人に殺されたとかいう、根も葉もないデマを信じた奴らの反乱は、君達のおかげで大体鎮圧されたみたいだけど、それで思いついたんだ。二度とこんな事が起こらないよう、もっと徹底的に締め上げる必要があるってね」

 

 今代の宇宙の帝王は、冷徹かつ邪悪な笑みを浮かべながら指令を下す。

 

「将来的に反抗してくる可能性がある中で、特に手ごわそうな星のリストを送っておいた。金も兵器も人員も好きに使って構わない。全て壊滅させて、他の星への見せしめにするんだ。いいね?」

 

 言葉を掛けられたギニューは、感動に打ち震えていた。これがフリーザ軍の将来の基盤を安定させるための、重大な作戦である事は明らかだ。失態を犯してしまった自分達に、このような大役を与えてくれるとは!

 

「はっ!! お任せください!!」 

 

 そして彼は部下達の方を向いて叫ぶ。

 

「お前達も聞いたな! フリーザ様は寛大にも任務に失敗したオレ達を許して下さっただけではなく、遣り甲斐のある新たな任務をも与えて下さったのだ!」

「「「「ありがとうございます! フリーザ様!」」」」

 

 一斉に跪き、深々と頭を下げる彼らに向けて、フリーザは鷹揚に頷いてみせた。父親から受け継いだギニュー特戦隊は、当時から今に至るまで、フリーザ軍の最強部隊だ。その高い実力はもちろん、彼の指示が無くても動けるほどの高い戦略眼を有しており、その上気さくな性格と振る舞いで、フリーザ軍のイメージ向上にも貢献している。彼らに憧れて、フリーザ軍に志願する者も少なくないほどだ。

 

 そこいらの戦闘員とは違って、フリーザ軍にとっては欠かせない人材であり、多少の失敗があろうとも、そうした能力と功績に応じて厚遇するのは当然のことだ。

 

 そんな彼の振る舞いに、ギニュー隊長は小さく涙ぐみながら、溢れんばかりの忠誠心の赴くままに叫ぶ。

 

「慈悲深いフリーザ様に感謝を示さねばならん!! 行くぞお前ら!! 最高のスペシャルファイティングポーズをお見せするのだ!!」

「「「「おう!!!!」」」」

 

「えっ」

 

 唖然とするフリーザの前で、特戦隊メンバーが、己の名を叫びながら、一世一代のポーズを決めていく。

 

「リクーム!!」

「バータ!!」

「ジース!!」

「グルド!!」

「ギニュー!!」

 

 

「「「「「みんな揃って!!!!! ギニュー特戦隊!!!!!」」」」」

 

 

 あのギニュー特戦隊の、目の前でのスペシャルファイティングポーズ。しかも今日のポーズは、彼らにとって生涯最高とも言える出来栄えであり、イベント会場などで見せる普段のそれとは、もはや別次元のレベルに達していた。

 

 その価値を知る者なら、感動のあまり失神していても何らおかしくない光景なのだが、彼らのノリを全く理解できないフリーザにとっては、非常に反応に困るものだった。全く悪気が無く、彼らなりの忠誠心の現れである事は確かだから、叱責するわけにもいかないが、この状況、どう応えてやるのが正解なのか。

 

 内心頭を抱え、額に汗を浮かべるフリーザを救ったのは、父親の豪快な笑い声だった。

 

「はっはっは! 久しぶりだなお前達! しばらく見ないうちに、ずいぶん腕を上げたではないか!」

 

 部屋の隅、ギニュー達の死角に控えていたコルド大王が、高笑いしながら堂々とした足取りで前に出る。

 

「こ、コルド大王様!? なぜここに!?」

「回復した息子の顔を見に来たのだ! それはそうと、これはワシも負けてはいられんな!」

 

 コルド大王はノリノリで右手の人差し指を天高く掲げ、やや古いながらも、かつての宇宙の帝王に相応しい、貫録のあるポーズを取る。

 

「おお……!」

「久々に見たぜ……!」

 

 感嘆の声を漏らすギニュー達に、彼は朗らかに笑いながら告げる。

 

「フリーザに軍を譲ってから時間が余ってしまってな! 最近は社交ダンスの教室に通っておるのだが、今度お前達もどうだ?」

「そ、その……」

 

 ギニューはジト目のフリーザが、父親からは見えない角度で、出て行けとばかりに手を振っているのを見た。

 

「そのお話はまた後で! ではフリーザ様! 我々はここで失礼します! 必ずや戦果をご期待ください!」

 

 そして彼らが退室した後、フリーザが嘆息して、勝手に口を挟んだ父親に、何か言おうとしたその時だった。

 

 

「素晴らしかったぞフリーザ! お前に軍を譲ったのは正解だった! ワシはああいう難しいのが苦手でな!」

 

 

 コルド大王は大笑しながら、息子の頭を乱暴にわしゃわしゃと撫でる。

 

 賞賛された事に、フリーザは一瞬呆然とした後、鬱陶しそうにその大きな手を払い除ける。

 

「……やめてよパパ。いくつだと思ってるのさ」

「んー? まあいいではないか!」

 

 払い除けられながらも、なおも手を伸ばそうとする父親の顔を、仏頂面で見つめながら、フリーザは言った。 

 

「……ところで、これからボクを負かした超サイヤ人に復讐するために、地球に行くんだけど、できればパパも、来てくれないかな? ボクもパワーアップしたけど、ちょっとばかり、厳しいかもしれなくてね」

 

 息子に頼られた父親は、満面の笑みを浮かべて口を開く。

 

「よしわかった! 我が一族は最強でなければならんからな! それでこそ我が息子よ!」

 

 大きな手で息子の背中を叩きながら、コルド大王は上機嫌な様子だった。

 

「お前と戦場に出るのも久しぶりだな! そうだ、せっかくだから、クウラの奴も呼ぶか?」

「……いいよパパ。ボクとパパの二人だけで十分さ」

 

 そうして連れだって部屋を出ていく二人の背中に向けて、ベリブルが静かに一礼した。その口元に、笑みを湛えながら。

 

「行ってらっしゃいませ、フリーザ様、コルド大王様」




 少し駆け足ですが、フリーザ様の話はこれで終わりです。フリーザ様が主人公の母親を殺した理由とか、原作と比べるとキャラ崩壊気味ですが、この話では親子関係を重視してますので、こういった形になりました。

 ちなみに判りにくいですが、ナメック星編の第6話で、ベジータのスカウターに記録されていたナッツの成長記録を見せられたフリーザ様がブチ切れてたのはこの展開の伏線です。あと30話でナッツに倒される直前のやりとりとか直球ですね。

 次の話からは、いよいよセル編に突入します。ちょっと更新は遅れるかもしれませんが、一応大まかな話の流れは考えてますので、何とかじっくり書いていきたいと思います。気長にお待ち下さいませ。


 それと毎回ですが、評価、感想、お気に入り、誤字報告等ありがとうございます。続きを書く励みになっております。頂いた評価のおかげで久々にランキングに載れたのがとても嬉しかったです!


 あと、ごりロット様に描いて頂いた主人公のイラストを前書きに掲載しました! 流血注意ですが、物凄く悪そうで格好良くて素晴らしい出来栄えですので、よろしければ是非ご覧ください。
 もしイラストを描いてみたいなあという方がいらっしゃいましたら、いつでも大歓迎ですのでメッセージなりでご連絡下さい!


・「同性愛はいかんぞ。非生産的な」
お隣の某作品へのリスペクト。解る人だけ解れ。
本当はベジータ王に言わせたかったけど、シチュが思い浮かばなくて断念しました。


・喜びのダンス
原作でギニュー隊長がドラゴンボールを7つ揃えたフリーザ様の前で見せようとしたダンス。フリーザ様は汗を浮かべてまたの機会にと断っていた。
ギニュー隊長、嫌がってる人にそういうの見せようとする人じゃないと思うので、フリーザ様が彼らのポーズとかも含めて嫌とかやめろとかは一切言ってないし、気取られないようにもしている気遣いが伺えるのです。


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セル編
1.彼女の仇がまた来る話


 ナメック星での戦いから、およそ1年と8か月が経過したある日の事。 

 

 カプセルコーポレーションの居間のソファーで、今日もたっぷりの美味しい昼食を食べ終えたナッツが、気持ち良さそうにお昼寝をしていた。

 

 そして彼女の横に座ったブルマは、穏やかに眠る少女の寝顔を、微笑みながら眺めていた。本当は頭でも撫でてあげたかったけど、それはちょっと、まだ早い気がした。

 

「ナッツちゃん、もう7歳になったのね……」

 

 彼女の誕生日を祝ったのが、つい昨日の事のようだった。カプセルコーポレーションの広い敷地内に、様々な一流レストランの料理人達に来てもらって、屋台のような形式で、食べたい料理を好きなだけ食べれるようにしたのだ。

 

 当日は悟飯君に、孫君にチチさんにクリリンに、何故だか神様達までやってきて、誕生日プレゼントの山に囲まれたナッツちゃんは、とても嬉しそうにはしゃいでいた。掛かった費用はベジータが全額払うと言っていたけど、自分も祝ってあげたかったから、無理矢理半分は支払った。

 

 それにしても、とブルマは思う。初めて会った日から、もう2年近く経っているのに、彼女の外見は、ほとんど変化していない。この年頃なら、1年でだいたい5.6センチは伸びるはずなのに。

 

 心配になってベジータに聞いてみたら、サイヤ人は子供時代の成長が遅いという話で、そういえば孫君も、初めて会った12歳の頃から、しばらく見た目が変わっていなかったし、悟飯君も、ナメック星に行った時から変化が無い。

 

 ただ、ある程度成長が止まった後は、一気に成長するらしく。ブルマは小さかった悟空が、ほんの3年ですっかり大人の姿になっていて、驚いた事を思い出す。

 

「あと何年かしたら、一気に凄い美人さんになったりしてね」

 

 ブルマの見ている前で、むにゃむにゃとナッツが寝返りを打ち、猫のように、尻尾をぱたりと動かした。この小さな愛らしい子供が、そんな風に成長するのは、まだまだ先の事だろうけど、いつか必ず来るであろうその日が、待ち遠しいと彼女は思った。

 

 その頃には、身体だけでなく、中身も女の子らしくなっているかもしれない。チチさんの所で、料理を習っていて、ときどき何かしら作ってくれるし、最近は家事も学んでいるらしく、食後の洗い物や洗濯なんかを、手伝ってくれるようになったのだ。

 

 そして娘が家の手伝いをしているのを、あの父親が、黙って見ているわけもなく。3人で洗い物をしたり、洗濯物を畳んだりするのが、すっかり日課になっている。ナッツ達と暮らし始めてから、料理を始めとした、家事の手間は増えたけど、これについては、お金で人を雇って任せようとは思わなかった。

 

 戦いが大好きで、たまに宇宙まで悪党退治に行ったり、2週間に1度くらい、悟飯君と組み手をして、傷だらけになって帰ってくるのは、一般的には女の子らしいとは言えないけど、サイヤ人としては、たぶん普通の事なのだろう。それ以外は、明るく元気で、家族想いで、素直で聞き分けもよくて、とても可愛らしい良い子だと思うのだ。

 

 一緒に暮らす事になったきっかけは、初めて会った日に、こんな子供が日常的に星の侵略をしていると知って、放っておけないと思ったからだけど。2年近くを共に過ごした今、ブルマの中で、この小さなサイヤ人の少女の存在は、もはや切り離せない程、大きなものとなっていた。

 

(いっその事、うちの子になってくれたら……なんてね)

 

 誰も聞いていないと分かっていても、そんな事を軽々しく口には出せない。この子は今でも、死んでしまった母親の事を、愛しているのだから。

 

 リーファというその人の写真を、前に頼み込んで、見せてもらった事がある。黒い戦闘服を着たナッツの母親の姿は、とても儚げで、同性の目から見ても、信じられないくらいに綺麗な人だった。そして娘と夫の事を、何よりも大切に想っていると、写真からでもはっきりと判った。

 

(元の奥さんがあれじゃあ、こんな美人と一つ屋根の下で暮らしてても、何もしてこないはずよね……)

 

 ブルマは小さくため息をついて、ナッツの父親の事を考える。ちょっと背は低めだけど、若くて逞しくてハンサムで、お金もたくさん持っている。別に無一文でも気にしないけど、ストイックでカプセルコーポレーションの財産に、興味を持つ素振りすらないのはとてもいい。

 

 家事もしっかり手伝ってくれるし、娘に対しても、親馬鹿と言っていいレベルで優しい。きっと子供ができたら、物凄く可愛がってくれるだろう。5年も前に亡くなった奥さんに、一途な所も好印象だ。少なくとも、浮気者よりはずっといい。

 

 正直傍から見ると、ベジータは怖いくらいの優良物件だ。一途な対象が自分でさえあれば、何の問題も無かったのに。

 

(まあ、このまま一緒に暮らせるだけでも、それはそれで良いかな)

 

 下手な事をすれば、今の関係まで壊れてしまうかもしれない。それをブルマは、怖いと思った。

 

「むぅ……駄目よ悟飯……もっと本気出してくれないと……」

 

 可愛らしい寝言を耳にして、彼女は頭を左右に振る。この子の前で、あんまりそういう事を考えるべきではないと思った。

 

 時計を見ると、そろそろおやつの時間だった。ナッツの好きなオレンジジュースでも、準備しておいてあげようと、ブルマが台所に向かった、その時だった。

 

 

「!?」

 

 

 眠っていたはずのナッツが、一瞬で跳ね起きて、ソファーの上に立ち上がっていた。

 

 ブルマが慌てて振り返ると、少女の小さな身体は、離れていても判るほどに震えていた。

 

「まさか……あれで生きてたっていうの……!?」

「な、ナッツちゃん……?」

 

 わなわなと震える少女の、ぞっとするほど冷たい瞳を目の当たりにして、ブルマは思わず、たじろいでしまう。親の仇にでも向けるような、冷たく燃える殺意を感じた。あの明るく朗らかな子供が、こんな表情を、していいはずがなかった。

 

「ブルマ! できるだけ安全な場所に避難して!」

「ま、待ってよナッツちゃん!?」

 

 叫んだナッツは居間を飛び出し、部屋の方へと走っていく。只ならぬ少女の様子を案じたブルマが、必死にその後を追い掛ける。

 

 凄まじい速度で、少女の背中はすぐに見えなくなってしまう。息を切らせたブルマが彼女の部屋に入った時、ナッツは着ていた地球の衣服の、最後の一枚を脱ぎ捨てたところだった。

 

 少女は既にその手に握られていた紫のアンダースーツに身体を通し、その間にも彼女の尻尾がクローゼットの中から、黒いプロテクターを器用に掴んでナッツに渡す。少女はプロテクターに頭と手を通しながら、尻尾で床に並べた左右のブーツを慌ただしく履いた。

 

 最後に尻尾を勢いよく腰に巻き付け、10秒と掛からず戦闘服を着用したナッツが、部屋の大きな窓を開けて身を乗り出す。凍えるような目をした少女に、状況を理解できないままブルマは呼びかける。

 

「ナッツちゃん! 一体どうしたっていうの!?」

 

 そこで彼女は一度だけ振り返ると、子供らしからぬ、絶対零度の殺意を滾らせた顔で言った。

 

 

「この地球に、フリーザが来るのよ」

 

 

 それだけ言い残して、少女は全速力で飛び立って行く。ブルマはすぐに窓から空を見上げるも、遠ざかる少女の身体は、みるみるうちに小さくなっていった。父親と思しき人影が、遠くでナッツと合流するのが見えた。

 

 一人取り残されたブルマは、しばらく呆然としていたが、去り際のナッツの表情を思い出して、次第に怒りが込み上げてくるのを感じた。あの子はこれから、いつものように、幸せそうな顔でおやつを食べるはずだったのに。

 

「……アッタマきたわ! もう、何だっていうのよ!」

 

 宇宙の帝王だか何だか知らないけど、うちの子に、よくもあんな顔をさせてくれたわね。そんな憤りを胸の内に抱えながら、ブルマは腰のポーチから取り出したカプセルを、窓から庭へと放り投げる。

 

 瞬時に現れた個人用の飛行機に飛び乗って、彼女はエンジンを全力で回した。

 

 

 

 時間は少し遡る。フリーザとコルド大王は、宇宙船の窓から、遥か遠くに見える青い星を眺めていた。

 

「ちっぽけな星だ。小細工などせんでも、一思いに消してしまえばよかろう」

「それじゃあボクの気が済まないよ、パパ。あの超サイヤ人共は、思いっきり悔しがらせて、苦しめてから死んでもらわないとね」

「うむ。まあ超サイヤ人が相手といえど、ワシとお前の2人もいれば十分か」

「……どうかな。あのベジータの娘は、今のボクなら1人でも勝てるだろうけど。ベジータとあのソンゴクウだかカカロットだかいう奴まで超サイヤ人になっていたら、危険かもしれない」

 

 フリーザの予測に、コルド大王は眉をひそめる。

 

「超サイヤ人が3人か……大丈夫だとは思うが、やはりクウラの奴も、連れてくるべきだったのではないか?」

「その必要はないよ。もうすぐ地球だ。ボクの言うとおりに動いてよ、パパ」

「うむ。任せておけ」

 

 

 そして現在。ナッツとベジータは、フリーザの気配の動きから予測した、宇宙船が着陸すると思しき場所に降り立った。

 

 親子は油断なく、上空を見上げて待ち構える。もしフリーザがいきなり地球を破壊する気でいても、この位置からなら攻撃を迎撃できるはずだ。

 

 それからすぐに、悟空と悟飯、ピッコロにクリリンに、ナメック星のドラゴンボールで生き返った、ヤムチャや天津飯達も到着した。界王星での修行によって、彼らはギニュー特戦隊とも渡り合えるレベルの実力を身につけていたが、それでも、まるで次元の違うフリーザの気を感じ取った彼らの表情は、一様に険しい。

 

「あ、あの、ナッツ……」

 

 おずおずと話し掛ける、戦闘服姿の悟飯を見て、少女は冷たい眼差しを、ほんの少しだけ緩めて笑った。

 

「悟飯。やっぱりその戦闘服、似合ってるわよ」

「う、うん。ありがとう。それで、その、やっぱりこの気は、フリーザが……」

「……ええ、死体を確認しなかった、私のミスよ」

 

 ナッツはナメック星の戦いの、最後の局面を思い出す。下半身を握り潰してやった上で、残った身体に全力のエネルギー波を撃ち込んだのだ。あれでまだ生きてるなんてと思ったが、相手は宇宙空間でも生きていられるという生物だ。そのくらいの生命力がある事は、予想しておくべきだったのかもしれない。

 

「……今度こそ、確実に殺してやるわ。ぐしゃぐしゃに踏み潰してから、跡形も無く焼き尽くしてやる」

 

 言いながらも、少女は身体が震えるのを抑えられない。復活したフリーザの戦闘力は、以前よりも遥かに高まっていた。大き過ぎて正確に測れているか怪しいが、およそ1億5千万はあるだろう。素の戦闘力は20万程度の今のナッツが、超サイヤ人になった上で、大猿に変身したとしても、その戦闘力はせいぜい1億で、全く歯が立たない事は明白だった。

 

(……どう戦っても、今の私じゃ勝てないわ。けどそれじゃあ、皆死んじゃう……)

 

 フリーザは私達を殺すだけでは、到底満足しないだろう。地球にいる人間は、きっと誰も助からない。ナッツは心の中で、この星での2年近くの、穏やかで心安らぐ暮らしを思い出す。

 

 地球人は弱いけど、私の尻尾を見ても、怖がったり攻撃して来たりはしなかった。チチさんは料理や家事を教えてくれたし、美味しいクレープをご馳走してくれたおじさんもいた。そして出会ってから今までずっと親切にしてくれた、優しい青い髪の女性の笑顔が、少女の脳裏に浮かび上がる。それだけで、まるで父様や悟飯の事を考えている時のように、心の中に、温かいものが広がるのを感じた。あの人には、特に死んで欲しくないと思った。

 

 考えている間も、フリーザの強大かつ邪悪な気配は、刻一刻と地球に迫り来る。避けられない破滅の予感に、少女の心は、押し潰されそうになってしまう。

 

 そこへ何かが飛んでくる音がして、ナッツが空を見上げると、個人用の飛行機が、空から垂直に降りてくるところだった。そして着陸した飛行機から、手を振りながら降りてくる女性を見て、ナッツは驚愕に目を見開く。

 

「やっほー、ナッツちゃん」

「ぶ、ブルマ!? 何しに来たの! 避難してって言ったでしょう!?」

「見てみたくなったのよ。宇宙の帝王って奴のツラを。ナメック星の時には、結局見れないままだったしね」

 

 言って不敵な笑みを浮かべる彼女を、少女は必死に説得しようとする。

 

「駄目よ! フリーザが来たら殺されるわ! ブルマ、お願いだから早く逃げて!」

 

 そこでベジータが、険しい目で空を見上げながら言った。

 

「ナッツ、もう間に合わん。今一人で離れるとかえって危険だ。ブルマの面倒は、お前が見てやれ」

「と、父様……けど私は、フリーザと戦わないと……」

 

 不安そうな娘の頭を、父親は優しく撫でながら言った。

 

「大丈夫だ。オレがやる。あの野郎には、ナメック星で殺された借りを返してやらないとな……!」

 

 言葉と同時に、ベジータの全身が、金色に輝くオーラに包まれた。黒かった瞳も、青へと変化している。戦闘力が飛躍的に跳ね上がった父親と、その外見の変貌を目の当たりにして、娘は驚きのままに叫ぶ。  

 

「と、父様!? いつの間に超サイヤ人になったんですか!?」

「少し前だが、安定して変身できるようになるまで、お前には黙っていようと思っていた」

 

 ナメック星でフリーザに娘が殺されかけた時、彼は超サイヤ人へのきっかけを既に掴んでおり、密かに修練を続けていたのだ。

 

「どうだナッツ、生まれ変わったこのオレのパワーは?」

「す、凄いです、父様……!」 

 

 目の前の父親の戦闘力は、近づきつつあるフリーザのそれに、決して劣らない。どちらも大き過ぎて正確にはわからないけど、それでも父親の方が勝っているとナッツは感じて、大きな安堵と頼もしさを覚えた。

 

 きらきらした尊敬の眼差しで彼を見上げる娘に、父親は誇らしげに胸を張っていた。その様子を周囲で見ていたヤムチャ達も、桁外れのベジータの強大な気に、今は味方だと判っていても、顔が引きつるのを抑えられなかった。

 

「あ、あれが超サイヤ人か……!」

「化け物になった娘よりも、更にとんでもないパワーでいやがる……!」

「正直複雑な気分だが、これが終わった後、地球を破壊したりはしないんだよな……?」

 

 天津飯の疑問に、ナッツは気分を害した様子もなく、あっさりと答える。

 

「私と父様は、その気ならとっくにやってるわ。この星の暮らしには満足しているし、悟飯やブルマやチチさんの、生まれ故郷を奪うような真似はしたくないもの」

 

 サイヤ人にとっての故郷である、惑星ベジータはもう存在しない。崩壊後に生まれた彼女は、故郷を見た事すらなく、その喪失を、それほど気にしてはいなかったけど。

 

 ナッツは明るい陽射しに照らされた、緑豊かな地球の風景を眺める。この星での生活は2年程度だったが、フリーザ軍の基地を転々としていた少女にとって、一つの星にこれほど長く住むのは、初めての経験だった。今この星が無くなったら、彼女は悲しく思うだろうし、ずっと住んでいる悟飯達は、なおさら辛い思いをするだろうと考えると、地球を壊すなど、間違ってもできるはずがなかった。

 

 そんな少女の内心を、ヤムチャは理解しきれず、ナッツの言葉を嬉しそうに聞いていた少年に、囁くような声で言った。

 

「悟飯、お前あの子と仲良くしろよ……?」

 

 打算的な台詞に、少女との関係を穢された気がして、彼はむっとした顔で答えた。

 

「ボクとナッツは、そんなんじゃないです」

「お、おう。悪い悪い……」

 

 気分を害した少年の声に、どこか危険な圧力が込められているのを感じて、彼は内心、冷や汗を流していた。

 

 

 

 ナッツは景気付けに、自分も超サイヤ人に変身する。背中まで伸びた長い髪を金色に染めて、透き通った青い瞳で、子供らしい笑みを浮かべながら、前髪を手でかき上げる。可愛らしいその姿に、悟飯が思わず、目を奪われてしまう。

 

「これで超サイヤ人が二人。たとえフリーザが来ても、私と父様の二人で掛かれば、絶対に倒せるわ」

 

 今のうちにパワーボールを使って、大猿に変身しておこうかしらと考えていた少女の前に、悟空が進み出る。訝しむ少女の前で、彼の全身が、一瞬で金色のオーラに包まれた。

 

「超サイヤ人なら、このオレもいるぞ」

 

 あっさり超サイヤ人になった悟空と、別人のようなその発言に、少女は思わずコケそうになってしまう。

 

「カカロット! 何で下級戦士のあなたまで超サイヤ人になってるのよ! 激しい怒りはどうしたのよ! あとその口調何!?」

「この間、超サイヤ人になれたって、自慢しに来たベジータにボコボコにされてよ。クリリンの奴もフリーザに殺されかけてたから、その時の事を思い出したら、いつの間にか変身できてた」

 

 ナッツの怒涛の突っ込みに、まるで別人のような、冷徹な口調で悟空は応える。

 

「あと、超サイヤ人になると、軽い興奮状態になるらしい。こう、凶暴性が増すというか」

「そうなの、ナッツ?」

「当たってるけど、私や父様は、普段からそんな感じだから、あんまり変化は無いわ」

「そ、そうなんだ……」

 

 むしろ何で、ちょっと興奮しただけで一人称まで変わってるのかと少女は思う。もしかして、こっちの方が素だったりするのだろうか。

 

「それはそれとして、カカロットにそんな話し方されると落ち着かないわ。そうよね、悟飯?」

「うん、なんかお父さんじゃないみたいで……怖い」

「えっ」

 

 息子の言葉に、軽くショックを受ける悟空。それに興奮状態にあるという事は、心が乱れているという事だ。精密な気の制御にも、影響が出てしまうかもしれない。

 

「ちょっと落ち着けるようにならないとな……」

 

 悟空は難しい顔で、腕組みをして考え込むのだった。

 

 

 

 それから間もなくして、ついにフリーザの気配が、地球のすぐ近くにまで迫って来た。

 

「来たぞ! フリーザの宇宙船だ!」

 

 クリリンが指差す先、遥か上空から、巨大な円盤のような形状の宇宙船が、大気との摩擦で赤熱しながら、猛スピードで降下してくる。その中にフリーザがいるのは、もはや明白だった。

 

 超サイヤ人状態のベジータが、宇宙船を見上げながら、自信満々な態度で、組んだ指をぼきぼきと鳴らす。

 

「フリーザの野郎、わざわざ向こうから来てくれるとは好都合だ。今度こそブッ殺して、地獄に叩き込んでやる」

「ベジータ、オレも戦いたいんだが……」

「カカロット、貴様は万が一があるまで下がっていろ。これはリーファ……ナッツの母親の、仇討ちでもある」

「へっ、だったら譲ってやるけど、しくじるんじゃないぞ」

 

 ニヒルに笑って言い放つ悟空を、ブルマは頭痛を堪えるような顔で見ていた。

 

「孫くん、そのキャラ作り、似合ってないから止めた方が……」

「ぶ、ブルマまで……」

 

 小さく肩を落とす悟空を見て、ナッツはくすくす笑いながらも、父親にも劣らぬその戦闘力の大きさに、頼もしさを覚えていた。

 

(これはもう、私の出番は無さそうね。私はナメック星で十分戦ったし、ブルマの護衛に専念して、父様達に譲ってあげましょうか)

 

 そしてフリーザの宇宙船が、轟音と共に彼らの頭上を通り過ぎていく。遠くで着陸態勢に入った宇宙船を眺めながら、ナッツはふと、違和感を覚えていた。父親の方を見ると、同じく訝しげな顔をしていた。

 

「しかし、妙だな……」

「……そうですね、父様」

「? 何がだ?」

「フリーザの事よ」

 

 少女は考える。およそ2年前の時点で、父様が超サイヤ人になり掛けていた事は、フリーザだってその目で見て、知っているはずなのだ。

 

 カカロットまでもがあっさり超サイヤ人になった事は、流石に予想外かもしれないけれど。いくらフリーザがパワーアップしているとはいえ。

 

 

 

 

 

「一人で来るなんて、何を考えているのかしら?」

 

 

 

 

 

 その答えは、ナッツの背後から伸びた太い腕だった。

 

 

「なっ!?」

「ほう、これが超サイヤ人か」

 

 一瞬で少女は捕えられ、拘束されてしまう。その場の全員が、突如現れた身の丈3メートルの、戦闘服とマントを纏った大男を見て驚愕する。ベジータが震える声で、その男の名を呼んだ。

 

「馬鹿な……コルド大王だと!?」

 

 その全身から放たれる、フリーザにも劣らぬ莫大な気の大きさに、怯みたじろぐヤムチャ達。

 

「こんなとんでもない奴がいたのに、今まで気付かなかったのか!?」

「ま、まさかこいつ、気を消して……!?」

「ふむ、ギニュー隊長に戦闘力のコントロールを教えたのは、確かにこのワシだが」

「は、離しなさいよ! このっ!」

 

 ナッツは全力で暴れ逃れようとするが、凄まじい力での拘束は、全く緩む気配すらなく。

 

「元気が良いのは結構だが、少し大人しくしていてもらおうか」

 

 コルド大王が腕に力を込める。たったそれだけで、少女の全身の骨が軋み、声すら出せなくなり、その表情が苦悶に歪む。超サイヤ人の状態でも、ナッツの戦闘力は1千万程度。戦闘力1億を遥かに超える彼がその気になれば、ほんの一瞬で殺されてしまう事は明白だった。

 

 真っ青な顔のベジータに向けて、コルド大王は涼しい顔で告げる。

 

「久しぶりだな、ベジータ王子。ワシはこんな真似をせず、地球ごと一瞬で消してやるべきだと思ったのだが、フリーザの奴が、どうしてもと言うのでな」

「……この手の込んだやり口は、フリーザの企みか」

「そう。君達に、ナメック星での借りを返してやりたくてね。パパには先に地球に降りて、隠れていてもらったんだ」

 

 言いながら、ゆっくりとフリーザが空から降下する。半ば機械に置き換えられた彼の顔に、楽しげな笑みが浮かんでいた。

 

「思ったとおり、ベジータとそこのソンゴクウまで、超サイヤ人になっているみたいだね。正面から攻めていたら、ボクとパパでも危ない所だったよ」

 

 地上に降りた彼の隣に、少女を捕えたコルド大王が並ぶ。苦しそうな彼女の顔を見た悟飯は、怒りに震える声で叫ぶ。

 

「くっ、ナッツを放せ! フリーザ!」

「もちろん放すさ。そこのおっかない超サイヤ人共が、二人とも死んだ後でね」

 

 そして彼は、残酷な表情で、くつくつと笑いながら告げる。

 

「ベジータ。可愛い娘の命が惜しかったら、その隣の超サイヤ人と殺し合うんだ。もちろん全力で、どちらかが一方が死ぬまでね」

「な、何だと!?」

 

 ベジータが思わず鼻白む。カカロットと戦う事は望む所だが、この状況でそんな要求を呑んだが最後、最終的には娘も含めて、全員殺されてしまう事は明白だった。

 

「聞こえなかったのかな? パパ、もう少し強く」

「このくらいか?」

「ああっ!? あ……が……」

 

 息もできず激痛に悶える娘の姿に、父親は叫ぶ。

 

「や、やめろ! やめてくれ! カカロットと戦えばいいんだろう!」

 

 そしてその光景を見ていた悟空も、趣味が悪いとばかりに、顔を歪めて言った。

 

「オレは構わないぞ。遠慮するな、ベジータ」

 

 それを聞いたナッツは、どうにか口を開いて、声を絞り出す。

 

「と、父様……! 私に構わず、戦ってください……! 私は、死んでも、ドラゴンボールで、生き返れますから……」

「まあ、そうなんだけどね。せっかくベジータがその気になったというのに、余計な事を言わないでもらおうか」

 

 言ってフリーザが、少女の顔面を殴り飛ばす。口の端から血が流れ、悔しさと痛みと情けなさが込み上げて、少女が泣きそうになってしまった、その時だった。

 

 

「あんた達! そんな子供を盾にして、恥ずかしいと思わないの!? 宇宙の帝王って言うのなら、そんな真似せず正々堂々と戦いなさいよ!」

 

 

 前に出たブルマが、怒りに燃える青い瞳で、フリーザ達を睨み付けて叫ぶ。

 

「ぶ、ブルマ!?」

 

 驚愕したベジータが、彼女の方をまじまじと見る。地球人であるブルマに、戦う力は全く無い。威勢の良い啖呵を切ったものの、その両足はがたがたと恐怖に震えている。

 

「ちょっと、ブルマさん! 危ないですって!」

 

 だが、見かねたクリリンが必死に彼女を下がらせようとするも、ブルマは彼らを睨む視線を、決して逸らそうとはしなかった。嘲るような口調で、フリーザが問い掛ける。

 

「地球人、このサルの子供を随分気に掛けているみたいだけど、知ってるのかな? こいつは凶悪なサイヤ人で、この地球と同じような惑星を、10個以上は滅ぼしているはずだよ?」

「ええ、知ってるわ。その子が犯した罪は、いつか死んだ時、地獄で何百年も掛けて、償う事になるんでしょうね」

 

 

「けど、今は可愛いうちの子よ。放しなさい、この卑怯者」

 

 

「ぶ、ブルマ……」

 

 どうしてだか、外見は全く似ていないのに、彼女の姿が、大好きな母様の姿と、一瞬重なって見えた。こんな時だというのに、心の中が温かさで満たされて、ナッツの両目から、悲しさでない涙がぼろぼろと溢れ出す。 

 

 そしてフリーザの顔から、一切の表情が消えた。ブルマに向けた指先に、死の光が灯る。

 

 とっさに割って入ろうとするベジータと悟空を、冷たい言葉が牽制する。

 

「守ってもいいよ。ただ、その瞬間にこのサルの娘は死ぬ事になる」

「くっ!」

「や、やめて……ブルマは、関係無いでしょう……!」

 

 激烈な殺意を向けられ、死の予感に全身を震わせながらも、それでも彼女は逃げようとせず、フリーザを毅然とした目で睨み続ける。その様子を見ていたコルド大王が、感心したように言った。

 

「ほほう! なかなか胆の据わった、良い女ではないか。どうだ、うちのクウラの嫁にでも来んか?」

「ちょっとパパ!」

 

 そこで余計な邪魔が入ったとばかりに、フリーザはブルマから目を逸らした。戦闘力5にも満たないだろう下等生物に、不遜な態度を取られて、苛立ちが募っていた。このままあっさり殺しても、この怒りは収まらないだろう。

 

「……気が変わった。この娘から痛めつけてやるよ」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!?」

 

 一転、狼狽するブルマの声に愉悦を感じながら、フリーザは拘束された少女の腰へと手を伸ばす。

 

「まずは尻尾からいこうか。またあの醜いサルの姿になられても面倒だし、サイヤ人はこの小汚い尻尾を、ずいぶん大事にしているみたいだからね」

 

 尻尾を無遠慮に握られる感覚に、ぞわぞわとした嫌悪感が湧き起こる。加えて再度尻尾を失ってしまう事への恐怖と相まって、ナッツは恥も外聞も無く泣き叫ぶ。

 

「や、やめて! 嫌ぁっ!!」

 

 

 次の瞬間、突然背後から飛来したエネルギー弾が、フリーザとコルド大王の後頭部に命中し、二人の身体が爆炎に包まれる。

 

「な、何だ!?」

 

 視界を奪われ、また予想外の攻撃に混乱する二人に飛び掛かる人影。そして少女は、自分が解放され、誰かの温かい腕の中に、抱きかかえられている事に気付く。

 

「もう大丈夫ですよ。ね……ナッツさん」

「えっ……?」

 

 青い髪と瞳を持つ、大きな剣を背負った少年が、とても優しい、懐かしいものを見るような目を、少女に向けて、安心させるように笑顔を見せる。

 

 溢れんばかりの喜びを隠しきれず、目の端に小さく涙すら浮かべた彼に、ナッツは一度も会った覚えが無かったけれど。どうしてかその顔つきが、とても親しい誰かに、似ているような気がしたのだった。

 

 

 そして少年はブルマに近づき、優しい手付きで、腕の中の少女を彼女に預けた。

 

「あ、ありがとう……!」

 

 ブルマは安堵に涙を流しながら、ナッツの小さな身体を固く抱き締める。少女の方も、おずおずと、戸惑うように、彼女の肩に手を回して、青い髪に顔を埋める。その光景に戸惑いながら、父親もブルマの腕ごと、娘の身体を抱き締める。

 

 彼らの姿を、眩しいものを見るような目で見守っていた少年の耳に、フリーザの声が届く。

 

「……よくも邪魔をしてくれたね。ベジータ達のお仲間かな?」

 

 

 少年の返事は、シンプルだった。穏やかだった表情を一変させて、振り向きざまに宣言する。

 

 

「お前達を、殺しに来た……!」

 

 

「なっ……!?」

 

 フリーザは思わずたじろいでしまう。怒りに燃えた彼の眼光は、先の女のそれと、驚くほどによく似ていた。

 

 そして少年の全身から、金色のオーラが吹き上がった。




 というわけで、セル編開始です。ナメック星編の最終話から、更新中断していた期間も含めてかなりお待たせしてしまいましたが、ここからはなるべくペースを崩さずテンポ良く進めていきたいと思います。

 この話だとベジータが再婚する事になりますので、その分ブルマの描写が原作よりも多めになってます。人によっては好みで無い感じかもしれませんが、この話では家族関係を重視しておりまして、主人公とトランクスの関係も含めて外せない要素ですのでご了承下さい。

 それとつく丸さんに主人公のイラストを描いて頂きました! 確かに戦闘民族だけど、とても子供っぽくて可愛らしい感じですので、ぜひ紹介文の方からご覧下さいませ!

 
 それと評価、感想、お気に入り、誤字報告などありがとうございます。続きを書く励みになっております。先週高評価を頂いてランキングに載った際、久々にお気に入り数が大きく伸びて嬉しかったです。

 続きは遅くなるかもしれませんが、大体の話の流れは考えてありますので、気長にお待ちくださいませ。


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2.彼女の弟が、仇を倒す話

 超サイヤ人に変身したトランクスの姿に、その場の全員が驚愕する。

 

「あ、あれは、超サイヤ人!? あの人、髪の毛が青いのに、サイヤ人なの……?」

「おそらく、混血なんだろうが……親は誰なんだ?」

「あいつの気、悟空やベジータに匹敵……いや、それ以上か?」

 

 注目の中、少年はナッツの前に立つ悟飯が、複雑な顔で自分を見ている事に気付く。

 

 無理もない、と彼は思った。本来の歴史なら、本来の歴史なら、父さんと悟空さんが戦って、フリーザ達の気を引き付けている間に、怒りによって超サイヤ人に覚醒した悟飯さんが、一瞬の隙を付いて、姉さんを助けていたはずなのだから。

 

 悟飯さんには悪い事をしてしまったが、未来ではとても仲の良い恋人同士だったのだから、このくらいで二人の関係が、変わってしまう事はないだろう。

 

 そう、必要以上に歴史を変えてしまわないよう、全てが終わるまで気を消して、父さん達の戦いを見守るつもりだったのだが。大切な姉さんが傷付けられるのを、黙って見ている事など、自分にできるはずが無かったのだ。

 

 姉さんを抱き締めたまま、安堵に泣きじゃくる、若い母さんの声が耳に届いて、少年の怒りを更にかき立てる。今更引っ込んで、父さん達にこいつらの相手を任せるなど、できない相談だった。

 

 一方、怒りと殺意に満ちた青い瞳に見据えられたフリーザは、ここで怯んでしまえば負けると感じ、少年に掌を付き出して、先制のエネルギー波を放つ。

 

「舐めるなあっ!」

 

 戦闘力1億5千万のパワーによって、全力で放たれた攻撃が、トランクスに着弾し、大爆発が巻き起こる。

 

「きゃあああっ!?」

 

 爆風に煽られるブルマを、とっさにベジータが抱き寄せて庇う。そして巻き上がった土煙が晴れ、少年の姿が消えているのを見たコルド大王が大笑する。

 

「やったなフリーザ! 所詮我々の敵ではないのだ!」

「黙っててよパパ!?」

 

 どう見てもやれていない状況に、余計なフラグを立てるなと怒るフリーザ。

 

 実際その時、攻撃を回避していたトランクスは、高台の上からフリーザ達を見下ろしていた。

 

 ばばばっ、と素早く両手を複雑に動かし、最後に両手の親指と、人差し指を組み合わせる。特に意味はないが、姉さんが凄く格好良いと誉めてくれた動作だ。

 

「フリーザーーーっ!!!」

「!?」

 

 あえて存在を知らせながら、少年は必殺のエネルギー波を撃ち放つ。

 

「くっ!?」

 

 防ぐのは難しいと見て取って、フリーザとコルド大王は、迫り来るエネルギー波を、真上に跳躍して回避する。着弾したエネルギー波が爆発し、その音と煙に紛れて、先回りしていたトランクスが、瞬時にフリーザの眼前に現れる。

 

「なっ!?」

 

 驚きの声よりも速く振り下ろされた斬撃が、フリーザの身体を真っ二つに切り裂いていた。少年の剣はなおも止まらず、縦横無尽に振るわれて、瞬く間にフリーザの肉体を細切れにしていく。

 

 最後に、驚愕したままのフリーザの目の部分の欠片を睨みながら、トランクスは手を前に突きだし、吐き捨てるように叫ぶ。

 

「くたばれ!!!!」

 

 そして放たれた凄まじい気の奔流が、細切れとなったフリーザの身体を、今度こそ一片の欠片も残らず消し飛ばした。 

 

 

 

 遠くからその光景を見ていたナッツは、ぱあっと顔を輝かせて快哉を叫ぶ。

 

「す、凄い! フリーザをあっという間に倒しちゃったわ!」

 

(それにあの素早く手を動かす技、凄く格好良いわ! 何ていう名前なのかしら?)

 

 そんな事を考えながら、自分もばばばっ、と、見様見真似で手を動かす少女。ナッツは影響されやすい子供だった。

 

 一方、父親と悟飯は、彼女から憧れの目を向けられている少年に、内心苦々しいものを感じていた。

 

(ちっ、どこのどいつだか知らないが、少しばかり戦闘力が高いからって、いい気になりやがって……)

(ちょっとばかり格好良い技が使えるからって……)

 

 嫉妬交じりの目付きで少年を睨んでいた2人に、ナッツがにっこり笑いながら声を掛ける。

 

「ねえ、父様と悟飯も、そう思いますよね?」

 

 その瞬間、焦った2人が同時に笑顔を作って言った。

 

「そ、そうだな!」

「う、うん! 凄いよね、ナッツ!」

 

 はっはっは、と肩を組んで空笑いするベジータと悟飯。そんな彼らの一部始終を見ていたブルマは、くすりと小さく、笑い声をこぼすのだった。

 

 

 

 地上に降りたコルド大王は、剣呑な目付きで自分を睨むトランクスを、感心した様子で眺めていた。

 

「素晴らしい強さではないか。我が子フリーザを、こうもあっさり倒してしまうとはな」

 

 宇宙最強は、必ず我が一族でなければならない。それならもう、この超サイヤ人は養子にするしかないだろう。フリーザが死んでしまったのは残念だが、まあ地球にはドラゴンボールとやらがあるらしいし、行方不明のニコちゃんの奴を探すついでに集めて、生き返らせれてやればよかろう。

 

「歳はいくつだ?」

「? 17だ」

 

 少年の返答に、コルド大王は真顔で頷いた。

 

「若いな……ではフリーザの弟という事になるな」

「何でだよ!?」

 

 そこで話を聞いていたナッツが、わなわなと震えながら口を開く。

 

「あ、あなた……フリーザの弟なの……?」

「違います!」

 

 むしろあなたの弟です! と叫びたいのを必死に堪えるトランクス。

 

「おっと、言い忘れていた。ワシの養子にならんか? 宇宙一に近いその力こそ、我が一族に相応しい」

「それを先に言え! あと養子の件は断る!」

「まあそう焦るな。この地球よりもっと素晴らしい、全ての星も思いのままになる」

「興味がない」

 

 きっぱりとした拒絶に、コルド大王は眉をひそめる。最近の若者は欲が無い。クウラとフリーザを見習えと思う。二人とも幼い頃からガツガツしていて、軍を率いて支配権の拡大に励んでいたほどだ。

 

 まあ息子達は息子達で、いつまで経っても浮いた話の一つも無いのが親として心配だったが。この若者は、そっちの方はどうだろうか。

 

「では女はどうだ? 宇宙中のどんな美女だろうと思いのままだ。その歳なら、気になる女子の十人や二十人くらいはおるだろう?」

 

 その言葉を聞いて、トランクスの脳裏に浮かんだのは、10歳近く歳の離れた姉の姿だった。

 

 彼が物心ついた時には、彼女は既に、人造人間との戦いで大怪我をして、戦う力を失っていて。車椅子の上で、いつも儚げに微笑んでいた。

 

 けれど、姉は不自由な身体でも、いつも彼の事を、一番に気に掛けてくれていた。手に入る乏しい食糧で、とても美味しい料理やおやつを作ってくれたし、厳しい修行で倒れた時には、一晩中付きっきりで看病してくれた。

 

 そして何より、死んだ父さんの息子で、血の繋がったたった一人の弟の事を、彼女は心の底から、愛してくれていたのだ。

 

 姉には既に、恋人がいたけれど、それでも彼にとって、彼女は世界で一番、優しくて綺麗な、憧れの人だった。

 

 そこまで考えた所で、人造人間に殺されて、変わり果てた姉の姿を思い出して。泥のような眼差しで、少年は呟いた。

 

「……興味が、ない」

「ふむ、では仕方が無いな」

 

 地雷だったか、とコルド大王は考える。あれは手酷い失恋でも経験した奴の目だ。本命の女にこっ酷く振られた時のザーボンが、ちょうどあんな感じの目をしていた。

 

 説得に失敗してしまったのなら、仕方ない。見所のある若者だが、殺してしまうしかないだろう。しかしその気で見てみると、少年の佇まいには、驚くほど隙が無い。

 

 フリーザを一瞬で倒したのも、頷ける強さだ。これは正面からでは、厳しいかもしれない。搦め手を使うべきだろう。

 

 そこで彼は、少年の剣に目を向ける。フリーザの身体をあっさり切り裂いていた事からも、かなりの切れ味を秘めているのがわかる。あれさえ奪えれば、残りの超サイヤ人相手にも、かなり優位に立てるだろう。知略を見せる時だ。

 

「ところでその剣、ちょっと見せてはもらえんか?」

「断る」

 

 渾身の知略をきっぱり断られるも、コルド大王はめげずに続ける。

 

「どうした? 私に剣を渡すのは怖いか?」

「…………」

 

 一人称まで変えてのあからさまな挑発に、物凄く嫌そうな顔で、剣を投げ渡すトランクス。その光景を遠くから見ていたナッツが驚愕し、震える声で言った。

 

「そんな!? あの凄い剣を渡しちゃうなんて!? あ、あの人、コルド大王に騙されてる……きっと殺されちゃうわ……」

 

 少女が見守る中、剣をキャッチしたコルド大王は、しげしげと間近で確認する。正直剣の良し悪しはさっぱり判らなかったが、その切れ味は確かだったから、さも詳しそうな顔で言い放つ。

 

「なるほど……確かに素晴らしい剣だ」

「オレの剣だからな?」

 

 まんまと剣をゲットしたコルド大王は、得意げに小さく笑って言った。

 

「ところで、貴様がフリーザに勝てたのは、この剣があったからこそだとは思わんか?」

「返せオレの剣」

「そうよ! 早くその人に返しなさいよ!」

 

 二人の声を聞き流しつつ、彼は既に、己の勝利を確信していた。

 

「つまりこの剣がなければ、貴様はワシに勝つ事は……」

 

 ゆっくりと、自信に満ち溢れた様子で、コルド大王は奪った剣を振り上げる。太陽を背に逆光を受けた身の丈3メートルの威容は、少女の目には、まるで絶望の象徴のように見えていた。

 

「あ……あ……」

 

 

 

 

「できんのだ!!!」

 

 

 

「きゃあああああっ!?」

 

 コルド大王が少年に剣を振り下ろした瞬間、凄惨な光景を予想して、少女は両手で顔を覆い隠す。

 

「なっ!? ま、待て!?」

 

 直後にコルド大王の焦った声と、まるでエネルギー波が人体を貫くような音が聞こえてきて、ナッツは目を覆ったまま、訝しげな顔になる。

 

 どきどきしながら、少女が指の隙間を開けて確認すると、腹部に大穴を開けたコルド大王が、白目を剥いて倒れているのが見えた。

 

「あ、あれ?」

 

 もしや目の錯覚かと、ナッツはごしごしと目をこすってから、改めて確認するが、やはりコルド大王が死んでいる。ようやく事態を理解した少女が思わず叫ぶ。

 

「……良い所見逃しちゃったわ!?」

 

 

 

 剣を取り戻したトランクスは、きゃーきゃー騒ぐ幼い姉の声に癒されながら、大きく息をつく。

 

(父さん達は、こんなのと戦ってたのか……!?)

 

 強さはともかく、未来で戦ってきた人造人間達とは全く異質の存在だった。もしかしたら死んだフリをしているかもしれなかったので、彼は追撃のエネルギー波を撃ち込んで、丁寧に死体を消滅させたのだった。




次の話にこの部分まで入れると、ちょっと長くなりそうなので投稿しました。


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3.彼女の弟が、父親達と交流する話

 フリーザとコルド大王の死を目の当たりにして、彼らの乗っていた宇宙船が一目散に逃げていくが、その場の誰も、追おうとはしない。

 

 全員の注目は、フリーザ親子をあっさり倒した謎の少年に集まっていた。そして彼の下に、明るい顔のナッツが駆け寄り、深々と頭を下げてお礼を言った。

 

「助けてくれてありがとう! ところで、私の名前を知ってたけど、どこかで会った事ある?」

「……まあ、その、オレの方が一方的に知っているというか……」

 

 初対面です、とは言えなかった。何となく、未来の姉との間にあった絆を、否定してしまうような気がして。

 

「良かったら、あなたのお名前を教えてくれないかしら?」

「も、申し訳ありませんが、名前は言えないんです……」

 

 元々は悟空とだけこっそり接触して、心臓病の薬と未来の情報を渡して帰るつもりだったトランクスは、こんな状況を想定しておらず、たじたじとなってしまう。

 

「名前も言えん、というのは妙だな……」

「ああ、隠す意味が無いだろう」

 

 遠巻きに見ている天津飯達も、訝しげな様子だった。こんな事なら偽名の一つも考えておくんだったと、少年は思うも、既に後の祭りだった。

 

 一方、ナッツの方は、名前も言えないという謎の少年に、どうしてか、他人とは思えない親近感を覚えていた。

 

 彼がサイヤ人の血を引いているからかと思ったけど、悟飯に感じる気持ちと比べると、少し違っている気がした。どちらかというと、父様や母様や、ブルマに対する気持ちに近い気がする。

 

 そんな事を考えながら、少女は優しい目で彼を見つめていた。トランクスの方も、幸せな気持ちで微笑みを返す。会ったばかりの他人とは思えない、その親密な雰囲気に、悟飯が物陰からハンカチでも噛みそうな顔で睨んでいる事に気付いた少年が愕然とする。

 

(そんなつもりじゃないんです! 悟飯さん……!)

 

 未来の悟飯の事を、武術の師として尊敬しており、姉との仲も応援していたトランクスは、内心土下座したい気持ちだった。

 

 そして彼の視線は、嫉妬交じりの目を隠そうともしない、父親の方へと向けられる。トランクスは父親の顔を、写真でしか見た事がなかった。母さんも姉さんも、最高の夫で父親だったと、嬉しそうに言っていて。彼が遺した姉と自分の写真の山を見る限り、とても良い人だったというのは、頭では分かるのだけど。

 

 それでも自分が1歳になる前に死んでしまって、母と姉を悲しませた父親に対する感情は、少年の中では複雑なもので。

 

 そして父親の方は、ちらちらと向けられる視線を感じながら、謎の少年の素性について考えていた。

 

 黒目黒髪でなく、尻尾も生えていないが、超サイヤ人になれる以上、こいつがサイヤ人の血を引いている事は間違いない。では親は誰なのかという話だ。17歳と言っていた年齢から逆算すると、惑星ベジータの消滅から、およそ10年後に生まれた事になる。

 

 自分は当時15歳だったが、断じて覚えは無い。リーファの奴も四六時中自分にべったりだったのだから、そんな事は絶対に無い。ラディッツの正確な歳は聞いた事が無かったが、おそらく自分とそう変わらないだろう。休暇の時にでも、どこかで行きずりの女と遊んでいた可能性は十分ある。

 

 消滅直後は数人だけ生き残っていた大人達も、あの頃にはナッパしか残っていなかったから、消去法で、目の前の少年の親は、ナッパかラディッツという事になる。

 

 自分の知らないサイヤ人がいたという可能性は、ほとんどない。サイヤ人達はフリーザ軍の戦闘員として、全員が登録管理されていたし、それは新たに生まれた子供も例外ではない。惑星ベジータの消滅当時、飛ばし子として単身別の星に送られていた下級戦士も相当数いたはずだが、戻ってきたという話は1人も聞かない。

 

 おそらくはフリーザの手で刺客が送られて、全員殺されてしまったのだろう。たまたま惑星ベジータの消滅直前に、本来ならば飛ばし子にされるはずもない、言葉も話せない年齢で地球に送られて、難を逃れたカカロットは例外中の例外だ。

 

 まあ、戦場などで死んだと思われていたサイヤ人が、フリーザ軍に戻らず、どこかで生き延びていた可能性なら、決してゼロではないのだが。

 

 

 

「はっくしょん!」

「……お父さん? びょうき?」

「……何でも無い、ブロリー」

 

 小惑星バンパの過酷な環境下で生き延びていたサイヤ人の親子と、十数年後、彼の娘は出会う事になるのだが、それはまた、別の話だ。

 

 

 

 

 理屈で考えれば、目の前の少年は高確率でナッパかラディッツの子なのだが。それは正しくないと、ベジータは直感していた。

 

 その二人と、青い髪の少年の姿が、全く似ていないというのが理由の一つだ。たとえ母親似にしても、限度というものがあるだろう。

 

 そしてそれ以上に、さっきから娘や自分の方をじろじろと見ている、この得体の知れない少年が、彼のよく知る誰かと、とても似ているような気がするのだ。

 

 隠してはいるが、どこか嬉しそうな、こいつの目は何だ。どうしてオレをそんな目で見る。会った事も無いこのオレを。わずかな苛立ちを感じつつも、どうしてかその視線を、不快なものとは思えない。

 

 それに非常時だったとはいえ、この男はナッツをお姫様抱っこで傷物にしやがったのだ。これが悟飯の奴なら、既にボコボコにしてやっているところだが、なぜかこの野郎と思う程度で、怒りがいっこうに湧いてこない。

 

 それどころか、大事な娘から、会ったばかりとは思えないほど親しげな目を向けられているこの少年に、自分も親近感のようなものを覚えてしまっている事に、彼は内心、戸惑ってしまっていた。

 

 その感情を隠すかのように、ベジータはわざと、苛立った様子で言った。

 

「さっきから、何をじろじろ見てやがる。貴様がサイヤ人なら、オレなんて珍しくないだろう?」

「す、すみません……」

 

 トランクスは、慌てて目を伏せる。ぶっきらぼうな物言いだったけど、父親の声に、ほんのわずかな温かみを感じて、この人の事を、もっと知りたいと思ったけれど。そういうわけにはいかない。この時代に来た目的を果たさなければ。

 

「実はオレは……孫悟空さんに伝えたい事があって来たんです」

「えっ、オラに?」

 

 戦闘が終了し、超サイヤ人への変身を解いていた悟空が、きょとんとした顔で自分を指さす。

 

「はい、とても大事で、他の方には聞かせられない話ですので、できればどこか離れた場所で……」

「ねえ、その話、私や父様も聞いちゃ駄目なの?」

 

 いかにも興味津々といった様子で、ナッツが少年を見上げながら言った。

 

「すみません、こればかりはちょっと……」

 

 心苦しそうな少年を見て、窘めるように、父親が口を挟む。

 

「やめておけ、ナッツ。後でカカロットから、話せる部分だけ聞き出せばいい」

「わかりました、父様」

 

 サイヤ人という少年の素性に、いかにも興味のありそうだったベジータがあっさり引き下がった事に、ピッコロ達が怪訝な顔になるが、当のベジータは、少年から感謝混じりの目を向けられて、フンと、顔を逸らしていた。

 

 

 

 

「じゃあ、あっちの岩場の方で話すか? あそこまで離れれば、誰にも聞こえねえだろうし」

「はい。その前に……」

 

 そこで少年は、ナッツの方を見て口を開く。二度と会えないと思っていた姉さんが目の前にいるのだから、ぜひやっておきたい事があった。

 

「ナッツさん、超サイヤ人になってもらえませんか」

「? わかったわ」

 

(私の力を見てみたいのかしら? 戦闘力を感じれば、わかりそうなものだけど)

 

 不思議そうな顔で、少女は全身に金色のオーラを纏う。黄金色に輝く尻尾を揺らしながら、透き通った青い瞳で、少年を見つめて言った。

 

「これでいいの?」

「ええ、そのままで……」

 

 言いながら、トランクスはポケットから薄い長方形の板を取り出し、少女の方へと向けて構える。同時に自身も超サイヤ人へと変身し、その身に纏う雰囲気が、これから戦闘でも始めるかのような、真剣なものへと変化する。

 

「お、おい。気を付けろ。妙な物を出したぜ……」

 

 ヤムチャの言葉と、臨戦態勢と言っていい少年の様子に、警戒を強める一同。険しい顔の父親も金色のオーラを身に纏い、一歩前に出て問い掛ける。

 

「おい貴様、ナッツに何を……」

 

 

 

 

「失礼します」

「えっ?」

 

 

 

 

 全力を出したトランクスの指先が、その場の誰も視認できない速度で動いた。

 

 

 

 

 

 

 次の瞬間から、途切れなく連続するシャッター音が始まった。

 

「……は?」

 

 唖然とする一同を他所に、少年は目にも止まらぬ速度でナッツの周囲を動き回り、様々な角度からシャッターを切る。

 

「ね……ナッツさん! こっちにポーズお願いします!」

「こ、こうかしら?」

 

 そして少女の方は、物心ついた時から、父親に写真を撮られ慣れていた影響で、シャッター音を聞くと、つい反射的に笑顔を見せてしまうのだった。

 

「ああっ! 最高です! 素晴らしいです! こう、もうちょっと右手を上に上げる感じで……そうです!」

 

 3年ぶりの姉の姿の撮影に、トランクスは周囲が見えなくなるほどの喜びを感じていた。

 

 父親が遺した写真の山を初めて見た時は、そのあまりの枚数に軽く引いたものだったが、姉から撮って欲しいとお願いされてから数年で、いつの間にか自分が撮った枚数も、父親のそれに近づいていた。

 

 10歳近く年上だった姉の姿と、目の前にいる幼い姉の姿は、一見全く違っていたが、両方の姿を知る彼の目からは、将来必ず花開くであろう、眩いほどの少女の美しさの片鱗が、確かに見えているのだった。

 

(それに、あれが姉さんの尻尾……姉さんはずっと前に無くしたって言ってたけど……)

 

 トランクスは少女の背後に回り、顔だけ振り向いた状態で、軽やかに尻尾を揺らす姉の姿を写真に収める。被写体の全てを活かして、可能な限り可愛らしい写真を撮るのが、撮影者の義務だと信じていた。

 

 そして真剣ながらも、とても良い笑顔で写真を撮り続ける少年の姿に、周囲のほぼ全員が、ちょっと引いていた。

 

「べ、ベジータが二人に増えたわ……?」

 

 とても的確な指摘を、ブルマが口にする。

 

「ふざけるな、オレはあそこまで……!」

 

 とっさに否定できず、己の普段の所業を客観的に見せつけられ、ぐぬぬと唸るベジータが少年に近づく。

 

「貴様! 誰に断ってオレの娘の写真を……!」

 

 その肩を背後から掴もうとした父親は、少年の持つ機器に映った娘の写真を見て、思わず目を見開いた。

 

 子供らしく可愛らしい普段の様子とは全く違う、どこか大人びた、美しい顔付きで写っていた。こんな一面が娘にあるなどと、父親の自分すら、今この瞬間初めて知った。 

 

 ナッツが生まれてから7年間、欠かさず写真を撮り続けてきて、宇宙一可愛い娘の姿を、最も上手く撮影できるのは自分だという自負があったが、この少年の写真からは、それに匹敵するものを感じた。

 

 彼女の魅力を最大限に引き出すようなこの写真は、被写体に対する深い理解と真摯な愛情が無ければ、決して撮る事はできない類のものだ。他の誰に判らなくとも、ベジータには一目で理解できたから、上げかけていた拳を下ろして、少年に語り掛ける。

 

「……おい、この写真、オレのスカウターに送れないか?」

「あ、はい、大丈夫です」

「ねえねえ、どんな風に撮れたか、私にも見せて!」

 

 撮影を一段落させた少年が、はしゃぐナッツに写真を見せながら、父親とやり取りを始める。通話機能も備えた彼のカメラは、未来のブルマがスカウターを参考に作ったものだったから、データの通信も可能だった。

 

 受信した写真を見て唸りつつも、わずかに顔を綻ばせる父親を見て、少年は会ったばかりの彼と、心が通じ合ったような気がして、内心嬉しくなってしまう。

 

「へえ、凄いわね、この超薄型カメラ。物凄く綺麗に撮れてるじゃない」

 

 姉と父親とのやり取りに夢中になっていたトランクスは、いつの間にか近づいていたブルマが、まじまじとカメラを見ている事に気付いて驚愕する。

 

「この穴ってもしかして、スピーカーとマイク? 通話もできるとして、アンテナは内臓されてるの? 良かったら、ちょっと貸して欲しいんだけど……」

 

 若い姿の母親に、興味津々な様子で近寄られて、たじたじとなってしまうトランクス。この人に詳しく調べられようものなら、未来の技術が使われていると、一発でバレてしまいかねない。

 

「あ、あの、これはちょっと……」

「ブルマ、あんまりその人を困らせちゃ駄目よ」

 

 小さな両腕を広げたナッツが、少年を守るかのように、二人の間に割って入る。その可愛らしい姿を見たブルマが、我に返ったように、苦笑しながら言った。

 

「ごめんなさいね。珍しい機械だったものだから、つい」

「い、いえ。オレの方こそ、見せてあげられなくて、すみません」

「いいのよ。何か事情があるみたいだけど、あなたははナッツちゃんと、地球を救ってくれたんだから。改めて、ありがとう」

 

 何の曇りもない母親の笑顔に、少年は感動を覚えると同時に、胸を打たれるような気分だった。

 

(いつか人造人間共を倒したら、オレの母さんも、こんな風に笑ってくれるんだろうか……)

 

 

 

 それから少しして、写真の受信を終えたベジータは、さり気ない様子で確認する。

 

「……ところで貴様。ナッツを狙う変質者ではないんだな?」

「なっ!? 違います!」

 

 わずかな時間の交流の中で、親しみを感じ始めていた父親から、敬愛する姉の事でそんな風に誤解されるなど、少年にとっては許容しがたい事だったから、思わず胸の裡を叫んでしまう。

 

 

「決してそんな事しません! ナッツさんには、ただ悟飯さんと幸せになって欲しいだけです!」

 

 

「なっ……!?」

 

 一瞬で顔全体を真っ赤に染めて、口をぱくぱくさせる少年に、ナッツが不思議そうな顔で言った。

 

「? 悟飯、別に私は今でも、あなたと一緒にいて幸せよ?」

 

 遠回しな表現を、まだ理解していない少女の言葉に、さらに赤みを増した悟飯は、声も出せずにただ頷く。その様子をブルマやクリリン達が、微笑ましいものを見るように眺めていた。

 

 

 

「貴様ー!!」

「すみませんベジータさん!?」

 

 一方で、トランクスは怒り狂った父親に追われていた。共に超サイヤ人の状態で、後ろから放たれる本気のエネルギー波を紙一重で回避しながら、トランクスは思い出す。

 

(そういえば、悟飯さんが言ってたっけ。姉さんと仲良くするたびに、怒った父さんに追い掛け回されてたって……!)

 

 傍目からは命懸けの逃走に見えていたが、それでもトランクスの顔には、父親と遊ぶ子供のような、とても嬉しそうな笑みが浮かんでいたのだった。




 実験的に、ちょっと1話あたりの文章量を抑えて、更新ペースを速めてみました。
 やっぱり1話1万字とかになると、読んで下さる方も大変だと思いますし、このくらいに纏めた方が推敲とかもしやすいのです。

 好評でしたら常に1週2話のペースは難しいにしても、2週に3話くらい行けたらと思います。
 

 それと毎回になりますが、感想、評価、お気に入り、誤字報告などありがとうございます。
 どちらかと言えば人を選ぶ作品だと自覚しておりますので、それでも読んで面白かったと伝えて下さる事を、特に嬉しく思っております。  

 よろしければ今後も、どうかお付き合い下さいませ。 


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4.彼女の弟が、姉と交流する話

「では悟空さん。行きましょうか」

「おめえ大丈夫なのか……?」

 

 結局ベジータに捕まってボコられながらも、それでも何故か晴れ晴れとした笑顔のトランクスに、悟空もちょっと引いていた。

 

 そして少年を見上げるナッツが、申し訳なさそうに言った。

 

「父様が殴っちゃってごめんなさい。けど本当に、カカロットとしか話せないのね……」

「す、すみません……」

 

 罪悪感に襲われたトランクスは、ケースから取り出したカプセルを投げる。現れたのは、珍しいデザインの小型冷蔵庫だった。

 

「良かったら話してる間、飲み物でも飲んでいて下さい。皆さんもどうぞ」

 

 言いながら、少年は10本以上のドリンクの中から、迷いなく1本を確保して、少女に差し出した。

 

「はい、どうぞ」

「ありがとう!」

 

 大好きなオレンジジュースを渡されて、ぱたぱたと嬉しそうに尻尾を振るナッツ。

 

(あれ? この人、どうして私の好みを知ってるのかしら?)

 

 それはちょっと、不思議だったけど。何となく、口に出したらまたこの人が殴られそうな気がしたので、何かの偶然だと思う事にした。

 

 そうして周囲の皆も飲み物を取りに来て。少女と悟飯が並んでジュースを飲んでいる横で、好奇心を抑え切れない様子のブルマが、目の前の機械をまじまじと見つめていた。

 

「うちの製品で、こんな冷蔵庫あったっけ……?」

 

(し、しまった! また若い母さんが……!)

 

 トランクスが内心冷や汗を流していると、その様子に気付いたブルマが、苦笑しながら冷蔵庫から離れる。

 

「ごめんなさいね。ナッツちゃんに止められてたのに。見慣れない構造だったから、つい気になっちゃって」

「い、いえ。すみません。本音を言えば、好きなだけ見せて差し上げたいのですけど」

「いいのよ。何か事情があるんでしょう? その上着のマークも気になるけど、細かいことは、気にしない事にするわ」

「あ、あはは……」

 

 いたずらっぽく笑ったブルマに、カプセルコーポレーションのロゴを指差されて、トランクスは乾いた笑い声を上げる事しかできなかった。

 

(頭の回る母さんに、要らないヒントを与えてしまった……この服で無ければ何でも良かったのに……!)

 

 大事な過去への旅路という事で、つい一番お気に入りの、母の会社の社章の入った上着を選んでしまった。元々は悟空さんとだけ話して、すぐに帰るつもりだったから、警戒心が薄れていたのかもしれない。

 

 とにかく、これ以上下手な事をして、未来を変えるわけにはいかない。トランクスは冷蔵庫をカプセルに戻して回収しながら言った。

 

「お待たせしました、悟空さん。行きましょう」

「おう、もういいのか?」

 

 何気なく、悟空は問い掛ける。彼の目から見て、ナッツの写真を撮ったり、ベジータに追い掛けられたりしていた少年の姿は、とても楽しそうに見えていたのだ。

 

「ええ、いいんです……」

「そっか」

 

 彼の様子に、何かしらの事情を察して頷く悟空。そして皆に会話が聞こえないよう、十分に離れたところで、トランクスは悟空に全てを説明する。

 

 自分は20年後の未来から、ブルマの作ったタイムマシンでやってきたこと。3年後の5月12日、南の都の南西9km地点の島に、この世のものとは思えないほど恐ろしい力を持った、2人組の人造人間が現れること。レッドリボン軍の生き残りであるドクター・ゲロが、悟空への復讐のために作り上げた2体によって、地球の戦士は悟飯とナッツを除き、皆殺されてしまったこと。その頃には既に、悟空はウイルス性の心臓病で死んでしまっており、人造人間とは戦っていないこと。面白半分に人を殺し続ける人造人間によって、未来は地獄のような有様で、悟飯とナッツも、3年前に殺されてしまったこと。そして彼が、今から2年半後に生まれる、ベジータとブルマの息子であること。

 

 情報量の多さに目を白黒させていた悟空が、最後の言葉を聞いて目を剥いた。

 

「べ、ベジータの奴、ブルマと再婚したのか……? 確かに一緒に暮らしてるし、ブルマもナッツを可愛がってたけどよ……」

「その、二人で姉さんを可愛がっているうちに、父さんの事をいいなって思い始めたらしくて。それで、父さんが前の奥様を亡くされてから、ずっと寂しい思いをにしていた事に気付いて、もう放っておけなくなったとか……」

 

 恥ずかしそうに、両親の馴れ初めを口にするトランクス。

 

「あの、この事は特に絶対に秘密にして下さいね? 父さんと母さんが気まずくなったりしたら、オレの存在自体が消えてしまうかもしれないので……」

「わかったわかった」

 

 そこで悟空は、何かに気付いたように言った。

 

「悟飯とナッツが17年後まで生きてたって事は、やっぱり結婚とかしてたのか?」

「はい。世界中が滅茶苦茶な状態でしたし、式に出席したのもオレと母さんと、チチさんと牛魔王さんくらいで、本当に小さな規模でしたけど」

 

 今にも崩れ落ちそうな教会で、奇跡的に残っていた、純白のドレスを身に纏った姉が、タキシード姿の片腕の悟飯に抱えられて、バージンロードを歩んでいく。二人が最も幸せそうな顔をしていたこの日の事を、彼はきっと、一生忘れない。

 

「本当に、とても、幸せそうにしていました」

「そっか。オラもそれ見てえんだけど、その前に心臓病で死んじまうんだよな……。人造人間とも結局戦えねえみたいだし……悔しいな」

 

 悟空が何気なく呟いた言葉に、少年は驚愕する。人造人間にやられて、歩く事すらできない身体になった姉も、戦えない事を悔しがっていた。父親を殺した人造人間に復讐をしたいという気持ちは、今の彼にも、痛いほどに理解できたけど。

 

 姉はそれだけではなく、悟飯さんともまた戦いたいと、時折悔しそうに言っていたのだ。

 

「た、戦えない事が、悔しいのですか?」

「あのフリーザ達をあっさり倒したおめえでも敵わねえくらい、凄え奴らなんだろ? そりゃもちろん、オラもいっぺん戦ってみてえよ」

 

 あっさりと言い放った悟空に、トランクスは、未来の姉の言葉を思い出す。

 

 

『私達サイヤ人は、戦う事が何より好きな戦闘民族なのよ』

 

 

 戦えなくなった姉が、それでも教えてくれた、サイヤ人としての在り方。それを体現する存在が、目の前にいた。

 

「……悟空さん。やはりあなたは、本物のサイヤ人の戦士だ」

「そ、そっかな?」

 

 兄からもベジータからもナッツからも、その優しさから、サイヤ人らしくないと言われ続けてきた悟空は、生まれて初めての賞賛に、少し照れてしまう。サイヤ人である両親も、同じ事を思ってくれているだろうかと思った。

 

 少年は錠剤の入った小瓶を、彼に差し出して言った。

 

「これを受け取って下さい。あなたが罹る予定の、心臓病の治療薬です。この時代では不治の病ですが、未来には薬があるんです」

「さ、サンキュー! これで死なずにすむのか! ありがとな!」

「本当は、こんな事は良くないんです。勝手に過去を変える事は、銀河法でも禁止されているらしくて。ですが、あんな歴史なら……」

 

 ほとんどの人間が殺されてしまった、地獄のような未来。彼の生きてきた歴史を思い出して、トランクスは頭を振る。これからその未来に、帰らなければならない。

 

「用事も済みましたし、オレはもう帰ります」

「おめえの姉ちゃん達と、もうちょっと話していかねえのか?」

「……ええ、名残惜しいですが。必要以上に、歴史に干渉したくないんです。本当なら、あなたとだけこっそり接触する予定だったくらいで。これ以上はもう……」

「わかった。ナッツ達には、オラから言っておく」

 

 

 そして飛び立ったトランクスの姿を、悟空が見送っていると、慌てた様子でナッツが駆け寄ってきた。

 

「カカロット! あの人、もう帰っちゃうの……?」

「あ、ああ。用事があるって話だった。おめえらによろしくって言ってたぞ」

 

 悟空はどこか挙動不審だったが、一人飛んでいく彼の姿を見上げる少女は、それを気にするどころではなかった。

 

 どうしてか、あの人の事を放っておけないという気持ちが、心の中で渦巻いていた。助けてくれた恩人だからでもなく、同じサイヤ人だからでもなく、彼女自身にも、理由ははっきり分からないけれど。 

 

「……待って!」

「あっ、おい!?」

 

 制止する悟空を振り払って、超サイヤ人と化したナッツは、全速力で少年を追った。

 

 

 

 高速で近づいてくる姉の気を感じ取ったトランクスが、驚き振り向いた時、彼女は既に目の前にいた。

 

「な、ナッツさん!? どうして!?」

「ごめんなさい。用事があるって、カカロットから聞いたんだけど……」

 

 改めて彼を間近で見たナッツは、その表情の陰に、暗いものが潜んでいる事に気付く。名前も言えないというこの人は、きっと物凄く、つらく悲しい事を経験して来たのだと思った。かつての自分と同じように。

 

 そんな彼を元気づけるように、少女は努めて明るい顔で言った。

 

「ねえ、もし良かったら、ちょっとだけ、うちに遊びに来ない? ブルマと一緒に、おいしい料理をいっぱいご馳走してあげるから! それに空いてる部屋もたくさんあるから、あなたさえ良ければ、泊めてもらえるよう頼んであげる!」

「っ!?」

 

 それは少年にとって、抗いがたい誘惑だった。優しい両親や、二度と会えないと思っていた姉と一緒に、食卓を囲む。しかもこの時代では、まだ人造人間共が出現していないから、姉さんも母さんも、きっと幸せそうに笑っているのだ。

 

 頷いてしまえ。頷かなければ、きっと一生後悔すると、冷静な自分が呼びかける。ほんの数日くらい滞在しても、何ということはない。この時代でどれだけ過ごそうと、タイムマシンなら、出発した5分後に戻る事も可能なのだから。

 

 いや、それならば。3年後の戦いまで、この時代に滞在して、父さん達と一緒に、修業していてもいいのではないか。元々一旦未来に戻って、母さんに事の次第を報告した後、再び過去に戻って、人造人間共との戦いに、参加するつもりでいたけれど。

 

 一度未来に戻れば、タイムマシンに往復分のエネルギーを溜めるために、かなりの時間が掛かってしまう。その間に、人造人間共が自分を殺すなり、タイムマシンを壊すなどして、二度とこの時代に来られなくなる可能性は、決してゼロではない。

 

 母の望みは、人造人間共のいない歴史を作る事と、そしてあわよくば、その弱点を探って、未来にいる人造人間共を排除する事だ。それなら、むしろ自分が3年後までこの時代に残る方が、合理的と言えるのではないか。

 

(だけどそんな事をして! オレの素性が父さん達にバレてしまったら……!)

 

 たった1時間にも満たない交流ですら、かなり危ない所だったのだ。この時代に滞在すれば、下手をすれば今日にでもバレてしまいかねない。そんな事になったら、生まれてくるはずのオレ自身が。

 

 だが、過去でドクター・ゲロを殺したところで、未来の人造人間が消えるわけではないと、母さんが言っていたのだ。だからこそ、悟空さんに情報と薬を渡すという、迂遠な方法で歴史に干渉しようとした。

 

 その事を思えば、たとえこの時代で自分が生まれなくても、今ここにいる自分が消える可能性は、著しく低いと、トランクスは気付いてしまう。

 

 そして、さらに一歩、母親譲りの明晰な頭脳は、踏み込んだ思考を行ってしまう。

 

 

 

 今この時点で、ドクター・ゲロを倒してしまえば、人造人間が現れる事は無く、自分はこの平和な世界で一生を過ごせる。この時代の姉さんと、父さんと、母さんと、悟飯さんと一緒に。

 

 

 

 そこまで考えたところで、トランクスは、激しい自己嫌悪に襲われてしまう。それは地獄のような未来で、たった一人で彼の帰りを待つ母に対する、許されない裏切り行為だ。

 

「……ねえ、大丈夫? やっぱり迷惑だった?」

 

 幼い姉が、心配そうに自分を見上げている。未来の姉を思わせるその顔を見て、彼は決意を固める。姉さんの前で、母さんを裏切るような真似は、絶対にできなかったから。

 

「……お気持ちはとても嬉しいのですが、母が帰りを待っているので、あまり長居はできないんです……」

 

 トランクスは、身を切られるような思いで返答する。今この瞬間、自ら手放したものの大きさを、必死で考えまいとする。

 

「そう。お母様が……それじゃあ仕方無いわね」

 

 そこでナッツは、にっこり笑って言った。

 

「知ってるかもしれないけど、私は西の都の、カプセルコーポレーションに住んでいるわ。もし何か困った事があったら、いつでも私に連絡してね」

 

 その瞬間、輝くような幼い少女の笑顔が、不意に未来の姉と重なった。

 

『トランクス、困ったことがあったら、いつでも私に言うのよ?』

 

「あ……あ……」

 

 震えるトランクスの両目から、涙がぼろぼろと溢れ出す。

 

 儚げな大人の姉と、目の前の幼い少女とは、一見何もかもが違っていたけれど、それでも、確かに彼女は、自分の姉になる人なのだ。

 

 再び会えた喜びと、別れたくない気持ちがない交ぜになって、堪えきれずに、言葉が口をついてしまう。

 

 

 

 

「姉さん……」

 

 

 

 

「えっ……?」

 

 ナッツの瞳が、大きく見開かれた。

 

 

 

「もしかして……あなた……」

「!? こ、これは、その……!?」

 

 姉の前での失言に、これ以上なくトランクスは焦ってしまい、ごしごしと涙を乱暴に拭う。

 

(ね、姉さんなら、頼めばきっと黙っていてくれるはずだ……けどそれで、母さん達を見る目が変わってしまったりしたら、あの父さんなら気付いてしまうかも……?)

 

 そんな彼の心配とは裏腹に、少女が悟ったのは、全く別の事だった。

 

「そうだったの。あなた、お姉さんがいたのね……」

「は、はい……」

 

 その姉に何があったのかは、聞くまでもなく、ナッツには理解できた。

 

 私を姉さんと呼んだ時の彼は、母様を失った時の父様と、そしてきっと私とも、同じ顔をしていた。私の言葉か何かがきっかけになって、死んでしまったお姉さんの事を、思い出してしまったのだろう。

 

 私は地獄でまた母様に会えたけど。この人は今も、悲しい気持ちを抱えているのだ。

 

 可哀想で、何とかしてあげたいと思ったから、少女は浮かぶ高さを上げて、少年の頭を、両腕で優しく包み込む。

 

「な、ナッツさん!?」

 

 狼狽するトランクスの顔に触れんばかりの距離で、ナッツは慈愛に満ちた笑みを浮かべて言った。

 

 

 

「泣かないで。あなたのお姉さんは、きっと弟のあなたに、元気でいて欲しいと思っているはずだわ」

 

 

 

 姉の声で語られる言葉と、優しく彼を抱く両腕から伝わってくる温かさに、トランクスは何もかも忘れて、目の前の姉の身体を強く抱き締める。

 

「姉さん……! 姉さん……!」

 

 号泣する彼の背中と頭を、ナッツは優しく撫で続けた。

 

 今だけは、この人のお姉さん代わりになってあげようと思った。




主人公、実は潜在的に相当の姉キャラなのです。


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5.彼女の弟が、未来へ帰る話

 姉の腕に抱かれて、ひとしきり泣いたトランクスは、絶対また会いに来ますと、晴れ晴れとした顔で言い残してその場を去った。

 

 彼を見送ったナッツが戻ってくると、ピッコロの周囲に、皆が集まっていた。

 

「戻ったか。奴の話をオレから説明してやるから、よく聞いておけ」

「? どうしてピッコロが、あの人とカカロットの話を知ってるの?」

「オレの耳は特別製なんだ。それに悟空の奴だと、いらん事まで喋りかねないからな」

 

 そしてピッコロは、トランクスの素性に関する事を上手く誤魔化しながら、3年後に襲来する、人造人間達の脅威について説明した。

 

 話を聞いた少女は、その内容に困惑してしまう。

 

(人造人間……フリーザ達をあっさり倒したあの人でも敵わないくらいに強い、そんなロボットを、地球人の科学者が作ってるですって?)

 

 そんな事を、フリーザ軍の影に怯える宇宙の誰に話しても、冗談としか思われないだろう。ナッツ自身も、他の人間から聞いた話なら、到底信じられなかったはずだ。

 

(けどあの人は、嘘や冗談を言うような人じゃないわ……)

 

 亡くなった姉を想って泣いていた彼の事を思い出すと、不思議と胸が温かくなるのを感じた。私を助けてくれたし、そうでなくても、あの人の言う事なら、信じられると思った。

 

 きっと人造人間は来るに違いない。そしてそいつらは、3年後の父様が不覚を取る程の、とんでもない強さを持っているのだ。  

 

(それじゃあ今のうちから、頑張って訓練しないと!)

 

 不謹慎かもしれないけど、そんな強い奴らと戦えるのだと思うと、ちょっとわくわくする思いだった。周りを見ると、父様もカカロットも、きっと同じ気持ちで、小さく笑みを浮かべているのが見えた。

 

 重力室での訓練は、今も毎日続けている。最近は100倍の重力にも耐えられるようになったけど、体力が保たず、ほんの2時間くらいで疲れ切ってしまうのだ。父様は、まだ子供で身体が成長していないから、仕方がないって言っていたけれど、ほんの少しは背も伸びているのだし、鍛えればまだまだ強くなれるはずだ。

 

 超サイヤ人になれば、100倍の重力だろうと全く余裕だけど、それでは素の能力がなかなか伸びない。私自身が鍛えて、強くなる事が大事なのだ。

 

 ナッツがそんな事を考えていると、ブルマがぽんと手を叩いて言った。

 

「そうだ! 今のうちに、そのドクターゲロって奴を探して倒しちゃえばいいんじゃないの? 居場所が判らなくても、ドラゴンボールで神龍に聞けば教えてくれるわよ、きっと」

「えー……」

 

 彼女の発言に、少女は思わず嫌そうな顔になってしまう。確かに倒す事だけを考えるのなら、それが一番簡単な方法ではあるのだけど。

 

(そんなの、惑星ベジータを消滅させたフリーザと同じじゃない……)

 

 いくら相手が、勝てるか判らない程強いからといって、戦わずに相手を消してしまうような、そんな卑怯な真似は、戦闘民族の誇りが許さなかった。

 

 けれどその内心を、口に出すのは憚られた。

 

(ブルマはただの地球人で、戦う力が無いんだものね……)

 

 彼女の立場からすれば、必ず安全に勝てる方法を選びたいというのは当然の話だ。それに万が一にも、未来を地獄のようにするわけにはいかないと、彼女なりに、皆の事を思って言ってくれているのだろう。

 

 自分達が3年間鍛えて人造人間に挑んでも、100%勝てる保証は無い。そして負ければ地球は滅茶苦茶になってしまう。

 

 それでもあえて戦いたいなんて、そんな我儘を、言ってしまっていいのだろうか。

 

 沈んだ顔の少女の頭に、ぽんと手が置かれる。見上げたナッツは、優しく笑う父親と目が合って、嬉しくなってしまう。

 

「父様……」

 

 娘の頭を撫でながら、ベジータは言い放つ。

 

「ブルマ、余計な真似はするんじゃない」

「……だって、未来でアンタ達負けたんでしょう!」

「大方、それはそいつらが来るのを知らずに、不意を打たれたんだろうさ。カカロットの奴も心臓病で戦えなかったらしいしな」

 

 そこで彼は、悟空の方を見て問い掛ける。

 

「カカロット、貴様もブルマと同じ意見か?」

「いや、オラも戦いてえ。……それにその何とかって科学者、まだ何も作ってねえだろうに、殺すってのはなあ……」

「よく言った。それでこそサイヤ人だ」

「そ、そっかな……?」

 

 照れくさそうに笑う悟空を無視して、ベジータは凄味のある声で、周囲の皆に宣言する。

 

「とにかく、オレ達は人造人間とやらと戦う。余計な邪魔をするなら、誰であろうとブッ殺してやる」

 

 鋭い眼光を受けて、ブルマの意見に賛成だったヤムチャやクリリンが、額に汗を浮かべて後ずさる。

 

 ブルマはベジータを睨み付けていたが、彼女の方をおずおずと見ているナッツに気付いて、腰を落とし、少女と目線を合わせて、正面から尋ねる。

 

「ナッツちゃんも、同じ考えなの?」

 

 問われたナッツは、一瞬気まずそうな顔になるが、すぐにブルマの目を真っ直ぐに見て、はっきりと答えた。

 

「……うん、私も、人造人間と戦いたいと思っているわ」

「そう……」

 

 そのまま10秒ほど、ブルマは押し黙る。全員が固唾を呑んで見守る中、やがて彼女は、とても大きなため息をついた。

 

 

「…………それなら、仕方がないわね」

 

 

「ごめんなさい、ブルマ……」

「い、いいのよ! こういうの、孫君で慣れてるし。子供が遠慮なんか、するものじゃないわ」

 

 申し訳なさそうに謝るナッツに、彼女は満面の笑顔で応えて見せてから、不意にベジータと悟空をキツい顔で睨み付け、脅すような、迫力のある声で言った。

 

「あんた達、大口を叩いたんだから、絶対に人造人間に勝ちなさいよ。特にそれでナッツちゃんが危険な目にでもあったりしたら、承知しないわよ」

「お、おう……」

「……ブルマ。ナッツの事は、当然オレが命に換えても守るが、こいつも戦いたがっている以上、多少の危険はだな……」

「それでもよ! 未来では結局アンタ死んで守れなかったんでしょうが!」

 

 ブルマの剣幕に、たじたじとなる二人を見て、娘はくすりと笑ってしまう。 

 

 父様の言うとおり、戦う以上は必ず危険が付き纏うし、ブルマの言葉はおせっかいとも言えるかもしれなかったけど。それでも私の事を心配してくれるのは、とても嬉しかった。

 

 そこでナッツは、悟飯の方を見る。彼は純粋なサイヤ人ではなく、カカロットと違って、戦いがそれほど好きではないのだ。

 

 今でも2週間に1回くらい、訓練に付き合ってくれてるけど。もしかしたら、人造人間の事は父様達に任せて、勉強するつもりかもしれない。

 

 けど、そしたら私ばっかり強くなって、つまらなくなってしまう。悟飯には、私と同じか、それ以上の強さでいて欲しいのだと、サイヤ人の少女は、心の裡で思っていた。

 

「ねえ、悟飯。あなたはどうするの?」

 

 遠慮がちに問い掛ける少女の内心を、頭の良い悟飯は、ほぼ完全に理解できていた。

 

 本音を言えば、勉強だけしていたいとは思うけど。人造人間を倒せなかったら、それどころではなくなってしまうだろうし、何より、ナッツの喜んでくれる顔を見たいと思ったから。

 

「うん、ボクも修行するよ。勉強はまあ、今でも結構進んでるから、修行しながらでもできると思うし」

「……勉強は止めないのね」

 

 あまりの発言に、少女は一瞬、呆然としてしまう。とてつもない強敵との戦いが迫っているというのに、訓練しながら勉強もするなんて、サイヤ人の常識からすれば、頭がおかしいと言われても仕方のない所業だ。

 

 それでも、その言葉はとても彼らしいと思ったから、ナッツはくすくす笑いながら、とびきり嬉しそうな顔で言った。

 

「悟飯、やっぱりあなたって、おかしなサイヤ人だわ」

「……っ!?」

 

 彼女の笑顔に、心臓を打ち抜かれたように、真っ赤になって顔を伏せる少年の姿を見て、皆がほっこりした表情になり、父親がぼきぼきと指を鳴らす。

 

 彼が悟飯の方へ歩み寄ろうとしたその時、何かに気付いたヤムチャが上空を指差し叫ぶ。

 

「お、おい! あれは!」

 

 その言葉に、空を見上げた皆が驚愕する。そこに浮かんでいたのは、誰も見た事の無い形状の乗り物だった。

 

 それは卵型の本体に、4本の足と、上昇するためのジェットが付いている。卵の上半分は透明な素材でできており、中に青い髪の少年が乗っているのが見えた。

 

 トランクスはタイムマシンの中から、ナッツの方へと、手を振りながら呟いた。

 

「姉さん……この時代で、オレはまだ生まれていませんけど、やっぱりあなたは、間違いなくオレの姉さんでした……もう二度と、あなたを死なせはしません。この時代のオレの事も、可愛がってあげて下さい」

 

 そして少女のすぐ隣で、ブルマと同じく興味深そうな目でタイムマシンを見上げている悟飯を見て、少年は苦笑する。

 

「悟飯さんも、相変わらずですね。平和な時代だったら、本当は勉強して学者さんになりたかったって……。そうなれるように、オレも力を尽くします。この時代では、姉さんと末永く、幸せになって下さい」

 

 最後に彼は、ベジータとブルマの方を見て、わずかに瞳を潤ませる。

 

「……父さん。お会いしたのは初めてですけど、あなたは姉さんや母さんが言っていたとおりの、優しい人でした。姉さん達の為にも、どうか、死なないで……。若い母さんも、頑張って下さい」

 

 やがて少年の乗った機械は、その場の皆が見守る中、光に包まれ、一瞬で消え去った。通常の乗り物では有り得ないその挙動は、彼がタイムマシンで未来から来たという、明らかな証拠だった。

 

「お、オレは修行するぞ。死にたくはないからな……」

「オレも……」

 

 トランクスの話に半信半疑だった者達も、それを見て人造人間の襲来を確信し、修行の決意を固めるのだった。

 

 

 彼らが一人ひとりとその場を離れ始めた頃、ブルマは記憶したタイムマシンの外見から、その構造を考察しながら、思い出したように言った。

 

「しかしねえ……未来がそんな酷い事になってるんだったら、あの子わざわざ帰らなくても良かったんじゃない? いい子だったし、しばらくうちに滞在するよう、誘ってあげれば良かったかしら?」

「私がもう誘ったわ。けど、未来でお母様が待ってるんですって」

 

 ナッツの言葉に、彼女は安心したような笑みを浮かべて言った。

 

「そっか。その人、きっと良いお母さんなのね」

 

 

 

 

 

 20年後の未来にて。

 

 時刻はちょうど夕方の、日が沈み掛けた頃。上空に現れたタイムマシンと、乗っている息子の姿を見て、作業着姿のブルマは、一瞬呆然としてしまう。

 

 その後すぐに、彼女は着陸したタイムマシンに駆け寄って、降りてきた息子を笑顔で出迎えた。

 

「おかえりなさい、トランクス」

「ただいま、母さん」

 

 少年もまた、母親を見て微笑んだ。年齢と苦労を示すかのように、口元には皺が刻まれ、どこか疲れたような、彼の見慣れた笑みを見せている。

 

 若く幸せだった頃の彼女と比べると、その落差に痛ましいものを覚えてしまう。人造人間共が、彼女からあまりに多くのものを奪ってしまったのだと、身につまされる思いだった。 

 

「じゃあトランクス。さっそくで悪いけど、過去で何があったか、報告してくれる?」

「はい、母さん」

 

 そして彼は、フリーザ親子の襲来を皮切りに、過去で経験した全ての出来事を、思い出せる限り詳しく説明した。

 

 特に幼かった姉の事や、初めて会った父親の事を話す時、トランクスの表情には、隠しきれない喜びが溢れていて、それを見たブルマの方も、当時の事を思い出したのか、幸せそうに笑っていた。その瞬間だけは、若い頃の彼女が戻ったかのようだった。

 

 ナッツと悟飯と幸せになって欲しいと叫んで、父親に追い掛け回されたという話の下りで、ブルマは堪えきれないとばかりに笑い転げた後、救急箱を持ち出して、息子を手当てしながら言った。

 

「本当に、ベジータの奴、ナッツちゃんの事になると相変わらずなんだから……トランクス、痛くなかった?」

「痛かったですけど、むしろ、嬉しかったです。父さんは本当に、家族思いの優しい人で……」

「……そう、良かったわね」

 

 手当てを終えたブルマは、取り出した煙草に火を着ける。過去の母親には無かったその習慣に、トランクスは改めて彼女の心労を感じてしまうも、顔には出さずに報告を続ける。

 

 そして話が終わった後、彼は気になっていた事を、ブルマに確認する。

 

「すみません、母さん。悟空さんとだけ会う予定だったのが、こんな事になってしまって……オレの正体はバレていないと思うんですが、歴史を大幅に変えてしまったかもしれません」

 

 不安そうなトランクスの前で、彼女はあっけらかんとした様子で言った。

 

「ああ、それなら大丈夫よ。タイムマシンをあの日あの場所に設定したのは私だもの。目の前でナッツちゃんが捕まって痛めつけられそうになったら、絶対我慢できずに手を出しちゃうだろうって、解った上でやったのよ」

「……えっ?」

 

 思わず唖然とするトランクスに、母親はさらに言葉を続ける。

 

「歴史を変えない事だけ考えたら、あの日の前か後か、孫くんが一人でパオズ山の畑を耕してる所へでも、送り込めば良かったんだけどね」

 

 彼女はそこで言葉を切って、紫煙を燻らせる。

 

「あなたに良い思いを、させてあげたかったのよ」

「けど、それじゃあ、歴史が変わって……」

「そんなの、あなたが過去に行く時点で避けられないわ。あなた変に真面目だから、ナッツちゃんやベジータに会って来ても良いわよって伝えても、遠慮しちゃうかもしれなかったもの」

「……母さん、どうしてそんな、回りくどい事を……?」

 

 その瞬間、彼は母親の目から、一筋の涙が零れ落ちるのを見て驚愕する。

 

「なっ!? 母さん!? 大丈夫ですか!」

 

 思わず母の両肩に手を置いたトランクスは、そのか細さに愕然としてしまう。気丈だった母親の姿が、今はとても小さく見えていた。

 

 いつの間にか日は落ちて、辺りは暗くなり始めている。吸っていた煙草も、力無く地面に取り落として。彼女は息子の前で、すすり泣きながら、途切れ途切れに口を開く。

 

 

「……トランクス、私はあなたを、遊園地にすら、連れて行ってあげられなかったのよ……あなたは何も悪くないのに、生まれた時から、ずっと苦労を掛け通しで、父親にすら、会わせてあげられなくて……!」

 

 

 苦悩する母親の言葉に、それは違うとトランクスは反論する。

 

「母さんは何も悪くないです! それは全部、人造人間どものせいで!」

「それでも、私があなたに、何もしてあげられなかった事に、変わりは無いわ……」

「母さん!!」

 

 そんな事を言わないで欲しいと、息子は母親の身体を強く抱きしめる。確かに、まともな食料を探す事すら苦労する毎日だったけれど。それでも母さんは、人造人間を倒すための研究を続けながらも、幼い自分と、体が不自由になった姉に、可能な限りの事をしてくれた。ただ生きていくだけでも大変な時代に、女手ひとつで二人の子供を抱えて、どれほどの苦労があった事か。

 

 そこに間違いようもない愛情があったのは、他でも無い、彼が一番、良く知っていたから。

 

「……良い子ね、トランクス。本当に、よくこんな酷い環境で、こんな真っ直ぐに育ってくれたと思うくらい」

 

 やがてブルマはぽつりと、罪を告白するかのように語り出す。

 

「……私ね、あなたが過去から帰って来なくても、構わないって思おうとしてたの。さんざん辛い思いをしてきたあなたには、平和で豊かな時代で、幸せに生きる権利があるって思ったから」

 

 母親の言葉に、トランクスは身を強張らせる。それは彼が過去の世界で、ほんの一瞬だけ、思ってしまった事だ。

 

「けどね、私、酷い母親だわ。もし本当に、あなたが帰って来なかったらと思うと、凄く怖かったの。だからはっきり伝えず、ナッツちゃん達と出会うようにだけ誘導して、あなたの意思に任せる事にした。……だからあなたが帰って来てくれた時、本当にほっとしたわ」

 

 不器用な彼女の意図を知ったトランクスは、感謝と申し訳なさがない交ぜになった表情で、震えながら口を開く。

 

「……もしオレが帰ってなかったら、人造人間共への復讐は、どうするつもりだったんですか」

「当然、諦めるはずないでしょう。あいつらは、ベジータやナッツ達を殺したのよ」

 

 即座に応えた母親の、涙に濡れた目には、消える事の無い、復讐の炎が燃えていた。

 

「ドクターゲロのくそじじいは、確かに天才だったんでしょうけど、それなら私だって負けちゃいないわ。10年でも20年でも研究を続けて、私が死ぬまでには必ず、あのガラクタ人形どもをぶっ壊す手段を発明してみせる」

 

 底知れぬ恨みと決意を秘めた、壮絶な表情だった。それを見たトランクスは、この母なら、きっと言葉どおりに、何年掛けようと人造人間共への復讐を、必ず成し遂げるだろうと確信した。

 

 けれど。その後で、いや、そんな人生で。母さんに、何が残るというのだろうか。父さんとの幸せな暮らしも、ほんの数年で終わってしまって。その後の辛い日々の中で、ほんのわずかな幸福はあったかもしれないけれど。その程度のものは、この人が自分達にくれたものに比べれば、全くもって足りはしない。

 

 この母が、自分や姉さんの幸福を願ったように。自分達を苦労して育ててくれた母さんだって、幸せにしてあげたいと思ったから。トランクスは、母親の痩せた両肩に手を置いて、真正面からその目を見つめる。

 

 その優しい眼差しが、父親のそれと、とても良く似ている気がして。驚きに目を見開く母親に、彼は力強い声で言った。

 

 

「母さん。オレ、絶対に人造人間共を倒します。だから母さんは、もうこれ以上、苦労しなくていいんです。後の事は、全てオレに任せて下さい」

 

 

 

「……いつの間にか、ずいぶん大きくなったのね。トランクス」

 

 父親よりも高くなった背丈だけではなく、それ以上の頼もしさを、母親は感じていた。息子の成長に誇らしさを感じながら、涙を拭ったブルマは満天の星空を見上げ、まるで若返ったような顔で、不敵な笑みを浮かべて叫ぶ。

 

「ベジータ!! ナッツ!! それにリーファさん!! 見てるんでしょう? あの小さかったトランクスが、こんなに立派になったわよ!!」

「……っ!」

 

 地獄まで届けとばかりの大音声に、胸を打たれたトランクスは、思わずこぼれそうになった涙を、夜空を見上げて誤魔化した。

 

 美しい星空に、父親と姉と、もうひとり、姉にとてもよく似た女性が、慈しむような顔で、こちらを見ているような気がした。




最後の未来ブルマのくだりは完全捏造です。原作だと悟空に心臓病の薬を1日でも早く渡すために、ヤードラット星から帰って来る日を選んだって説明ができるんですけど、この話だと悟空が普通にずっと地球にいるので、その辺りを理由付けするために加えたエピソードなのです。

あと未来ブルマ、原作で煙草吸ってるんですよね。吸わなきゃとてもやってられない程苦労してたんだなあと思ったので、それも意識して書きました。ちょっと暗めの話になってしまいましたが、気に入って頂ければ幸いです。


それと毎回書いてますが、評価、感想、お気に入り、誤字報告などありがとうございます。続きを書く励みになっております。
特に高評価はランキング入りを左右する要素でして、それで新たに読んで下さる方が増えると私が嬉しいですので、もし面白いなあと思いましたら、ぜひ評価の方をよろしくお願いします。


次の話とその次あたりは、トランクスが生まれるまでのあれこれになります。ちょっと難しい話ですので更新遅れるかもしれませんが、気長にお待ち下さいませ。


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6.彼女と父親達が、重力室で訓練する話

 未来から来た少年が、人造人間の脅威を伝えたその日のうちに、ベジータとナッツは、ブリーフ博士の元を訪れた。

 

「さ、300倍の重力室を作ってくれだと!?」

「そうだ」

 

 口調こそぶっきらぼうなものだったが、住まわせてもらっている家主に対し、改まった態度でベジータは続ける。

 

「詳しい事情は話せないが、3年後までに、オレも娘も、今以上に強くなる必要がある」

「し、しかしだな……ベジータ君はともかく、ナッツちゃんには厳しいんじゃないか? 仮に体重20キロだとしたら、6トンに……」

 

 言葉の途中で、どこからともなく現れた彼の妻が、にっこり笑いながら頭をはたく。

 

「ほほほ、ごめんなさいね、ナッツちゃん」

「? は、はい」

 

 どうして謝られたのか判らず、ナッツは困惑してしまう。体重が重くなる事は、戦闘には有利な要素だから、むしろもっと早く、大きくなりたいと思っているのだけど。

 

「確かに、いきなり300倍は流石に無理ですけど……私も100倍の重力には慣れてきましたから、もっと先を目指したいなあって……」

 

 少女の言葉に、博士は腕組みしながら唸る。

 

「うーん……しかし大丈夫かな。ナッツちゃんは、その、成長が少し遅いようだが。もしかして、私の作った重力室のせいじゃないかと……」

 

 心配そうな眼差しの中に、罪悪感が混じっている事を見て取って、少女は慌てて否定する。

 

「ち、違います! 私達サイヤ人は、子供時代が長いんです!」

「……本当かね、ベジータ君?」

「ああ。オレも他の奴らも、思春期まではナッツとそう変わらない大きさだった。その後一気に成長するんだ」

「そう言えば、悟空君も初めて会った時、あの見た目で12歳くらいだったんだよね……サイヤ人か……」

 

 少しの思案の後、博士は安心したように頷いた。

 

「わかった。300倍の重力室、作ってみるとしよう」

「ありがとうございます!」

「よろしく頼む。それで、費用の方は……」

 

 緊張した面持ちで、ベジータは尋ねる。今ある重力室の改造で済むのか、新たにもう1つ作る必要があるかは分からないが、どちらにせよ材料費だけでも相当掛かってしまうはずだ。

 

 それにブルマやこの父親が、宇宙でも屈指の科学者である事は、1年半もの間、共に暮らしているうちに理解している。その技術料まで払う事を考えたら、ナッツの将来のための貯金が吹き飛んでしまう可能性がある。

 

 訓練のための時間が削られてしまうのは辛いが、しばらくの間、宇宙を飛び回って賞金稼ぎに励むべきだろうかと悩む彼に、博士は苦笑しながら言った。

 

「……ベジータ君、うちにたくさん来ていた泥棒とか産業スパイとか、一人残らず捕まえてくれてるよね。正直あれだけで十分助かってるんだ。あんまり仰々しい警備とかは苦手でね」

 

 ブリーフ博士はカプセルコーポレーションの代表であり、世界一の大金持ちだ。そして彼が住むこの大邸宅は、最新鋭のセキュリティと警備員によって守られてこそいるものの、金品や研究成果を狙って侵入しようという者は後を絶たなかった。

 

 警備員を増やして対応しようにも、広大過ぎる敷地面積をカバーするには、1000人単位の警備員が必要で、それだけの人数を外部から雇い入れれば、到底落ち着いて暮らすどころではない上に、却って悪心のある者の侵入を許してしまう恐れがあった。

 

 しかし、ベジータとナッツが暮らし始めてから、その状況は一変した。戦場で暮らしてきた彼ら親子は、敵意や悪意の存在に敏感で、そうした意図を持つ者が近づけば、眠っていても目を覚ます程だ。

 

 彼らが暮らし始めて最初の頃は、夜中に少女がむにゃむにゃと目を覚まして、トイレにでも行くようなノリで部屋を出て、侵入者を半殺しにして警備員に引き渡すという光景が見られていたのだが、それが何度も続くうちに、父親がキレた。

 

 

「貴様ら! 娘が眠れないだろうが!」

 

 

 本気を出したベジータの感知範囲は、娘よりも遥かに広い。ここに敷地に一歩でも侵入したが最後、必ず30秒以内に現れてキレ気味に襲ってくる新人警備員が誕生した。

 

 銃も刃物も効かない上に、どんな方法で侵入しても必ず見つかって半殺しにされるとあっては、流石の悪人達も、カプセルコーポレーションへの手出しをすっかり控えるようになったのだった。

 

「……あれは、ナッツの安眠のためだ」

 

 小さく目を逸らしながら、ベジータは言った。誇り高いサイヤ人の王子である自分が、警備員の仕事などするわけがなく、あくまで娘の為に行動した結果だ。まあ、世話になっているこの家への、恩返しの気持ちが無いと言えば嘘になるが。

 

 それを聞いたブリーフ博士は、楽しそうに口元を緩めながら、手元にあった白紙の上に、凄まじい速度で設計図を引き始める。

 

「300倍の重力室とか、正直考えた事も無かったからね。なかなか面白そうだ」

 

 そして彼は、少女の方を見て、にっこり笑って言った。

 

「ナッツちゃんの誕生日は、再来月だったよね。少し早いけど、私からのプレゼントはそれでいいかな?」

「い、いいんですか!?」

「もちろんだとも。そうだ。せっかくだから、何か機能とかのリクエストはあるかな?」

「それじゃあですね……」

 

 ナッツは顔を輝かせながら、遠慮なくあれこれ要望を並べ立て、博士はふむふむと頷きながら、聞いた内容を書き留めていく。どう考えても今ある重力室の改造では済まないその内容を聞いて、父親の額に汗が浮かぶ。

 

「な、ナッツ。控えめにな……」

「ほほほ、いいんですよベジータさん。新しく作る物ができて、あの人も楽しそうですし。これ、おやつのクッキーとコーヒーですわ」

「ど、どうも……」

 

 終始マイペースで笑顔を絶やさない博士の妻が差し出すお菓子と飲み物を、ベジータは会釈しながら受け取った。人数分のおやつが載った大きなお盆を抱えた彼女は、そのまま博士と少女の元へと歩み寄る。

 

「ナッツちゃんは、オレンジジュースをどうぞ」

「ありがとうございます!」

 

 少女はお礼を言いながら、差し出された飲み物を笑顔で受け取った。その可愛らしく素直な姿に、その場の大人全員が、優しい眼差しを向けるのだった。

 

 

 

 

 そうしておよそ一ヶ月後の昼下がり。ナッツから訓練の誘いを受けた悟飯と悟空は、カプセルコーポレーションの敷地内に、新しく完成した重力室の前に立っていた。

 

「これが、新しい重力室……」

「オラが使ってた宇宙船のやつより大きいなあ」

 

 そして二人がドアの近くにあるブザーを押すと、ややあって扉が開き、中で訓練をしていたと思しき少女が現れた。彼女は少年の姿を見て、ぱあっと顔を輝かせる。

 

「悟飯にカカロット! よく来てくれたわね! いらっしゃい!」

「なっ……!?」

 

 嬉しそうに、尻尾を振りながら彼の手を取るナッツの姿を見て、悟飯の顔が、瞬時に真っ赤に染まる。

 

 今日の彼女は戦闘ジャケットを着けず、紫のアンダースーツに、黒のブーツだけを身に纏った姿で、まだ成長途中の、なだらかな身体の線がはっきりと見えていた。

 

 それを見ないよう、努めて目を逸らしながら、少年が言った。

 

「な、ナッツ。上着も着た方がいいんじゃないかな……?」

「? 訓練の時は、私はいつもこの格好よ。今日は模擬戦をするわけじゃないし、こっちの方が動きやすいわ」

「たまには普段の姿で訓練するのも大事だと思うんだ!」

「……なるほど、確かに一理あるわね」

 

 もっともな指摘に、少女は唸る。確かに今のこの身軽な格好に慣れてしまうと、いざ実戦の時に違和感が出てしまうかもしれない。やっぱり悟飯は、頭が良いと思った。

 

「ちょっとだけ待っててね。すぐ着替えてくるわ」

 

 そうして更衣室と思しき部屋に入っていくナッツを見て、悟飯は内心、胸を撫で下ろして。一部始終を見ていた悟空は、にっこり笑いながら、その頭をわしわしと撫でるのだった。

 

 

 

 

BGM:前回のあらすじ

https://www.youtube.com/watch?v=G4t3s8nqT5M

 

 

 

 着替えを終えたナッツは、二人を連れて、重力室の中を案内する。 

 

「あっちの部屋はシャワーとお風呂で、こっちは休憩室。飲み物も軽食もあるし、ふかふかのベッドもあって、疲れたらお昼寝もできるの。いちおう緊急時のために、メディカルマシーンも置いてあるわ」

「どこも広くなってるけど、あんまり前と変わらねえなあ」

「ここからが本番なのよ。父様、ちょっと失礼します」

「ああ」

 

 ナッツが訓練中の父親に声を掛けてから、重力室の中央のパネルを操作すると、部屋の真ん中に透明な壁が現れて、瞬く間に部屋を二つに区切った。

 

 そしてパネルに『150G:0G』と表示されているのを見た悟飯が、驚いた顔になる。

 

「これってまさか、あっちとこっちで、重力の強さを別々に設定できるの!?」

「そのとおりよ、悟飯。私と父様だと、どうしても訓練に使う重力の強さが違ってきちゃうから、父様に迷惑を掛けないように、ブルマのお父様に頼んで作ってもらったの」

 

 少年は興味深そうな様子で、透明の壁に手を触れて観察する。見た目こそガラスのようだが、それなりの強度と厚みを持っており、攻撃をしたならともかく、訓練中にちょっと身体をぶつける程度では壊れそうになかった。それに。

 

「これ、あっちの物音も、普通に聞こえるんだね」

「そうよ。姿だけ見えていても、父様と話ができないと、寂しいんだもの」

 

 少し恥ずかしそうに、少女は応える。その姿を見た悟飯は、思わず顔が綻んでしまいそうになったのを、誤魔化すかのように、気になっていた事を質問した。

  

「と、ところでナッツ。聞きたい事があるんだけど……」

「何かしら?」

 

 

「さっきから鳴ってるこの音楽って、何なの?」

 

 

 心底不思議そうに、悟飯は尋ねる。この重力室に入ってから、どこからともなく聞こえてくる謎のBGMが、延々リピートされているのだった。

 

「あ、それオラも気になってた」 

 

 二人の指摘を受けたナッツは、天井の一ヵ所を指差しながら言った。 

 

「あそこにスピーカーがあるでしょう?」

「ほ、本当だ……」

「おお、全然気付かなかった……」

「ブルマのお父様が、2日くらい掛けて計算して、良い音で聞こえる位置を決めてたの。私も父様も音楽は聴かないんだけど、あんなに頑張ってくれたんだから、一度くらいは使わないと悪いかなって思って……」

「そ、そういや、スピーカーが大事とか何とか言ってたなあ……」

「……けど何か落ち着かないよこれ……」

「そ、そうよね。悟飯が気になるなら、仕方が無いわね。うん」

 

 ナッツはいそいそとパネルを操作して、BGMを止めてから言った。

 

「じゃあ、せっかく来てくれたんだから、一緒に訓練しましょう? 私と悟飯はこっちで、カカロットはあっちで父様と鍛えてくるといいわ」

「分かった。じゃあ頑張れよ、悟飯」

「何を!?」

 

 悟空は笑顔で息子の肩に手を置いてから、透明の壁を開いてベジータと合流するのだった。

 

 

 そうしてナッツと悟飯は、訓練を開始する。

 

 重力室は初めてという少年のために、試しに10倍から初めて、徐々に重力を強くしながらトレーニングを続けていたのだが。

 

「ご、ごめんナッツ。ちょっと休ませて……」

 

 重力を80倍まで上げたところで、悟飯は息を切らせ始めてしまう。

 

「大丈夫よ。休憩室に行きましょう? 私も初めて使った時は、とっても疲れちゃったもの」

 

(やっぱり初日だとこんなものかしら? 悟飯の今の戦闘力は私と同じくらいだから、慣れれば120倍までは行けると思うのだけど)

 

 そんな事を考えながら、ナッツは悟飯を休憩室へと案内し、冷たい飲み物を渡して、自分もオレンジジュースを飲みながら質問する。

 

「どうだった、悟飯? 初めての重力室は?」

「うーん……身体を鍛えるには、確かに良いと思うんだけど……」

 

 ふかふかのソファーに、少女と並んで腰掛けて、ゆっくり飲み物を飲みながら、少年は続ける。

 

「お父さんやピッコロさんと一緒にやってる訓練とは、ちょっと違うかなって」 

「……そういえば、あなたもカカロットも、重力室を使ってないわよね」

 

 それなのに悟飯もカカロットも、それぞれ私や父様と同じくらいに戦闘力を上げているのは、よく考えると不思議だった。

 

「あなた達、一体どんな訓練をしているの?」

「うーん……口で説明するのは、ちょっと難しいかな。良かったらお父さんと一緒に、実際にやってるところを見てもらってもいいかな?」

「もちろんよ! 凄く興味があるわ!」

 

 嬉しそうにぶんぶんと尻尾を振るナッツを見て、悟飯は苦笑しながら立ち上がる。

 

「じゃあ、お父さんに声掛けてくるよ」

「私も行くわ!」

 

 そうして重力室に戻った二人は、目の前で繰り広げられる光景に唖然としてしまう。

 

「ふははは! どうだカカロット! 180倍の重力を物ともしないこのオレを!」

「じ、じゃあオラは190倍だあ!」

「何ぃ!?」

 

 2つに分けた向こう側の部屋を、透明な壁でさらに区切って、どちらがより強い重力に耐えられるか、大人げなく張り合い続ける大人達がいた。

 

 二人とも100倍の重力はとうにクリアしているとはいえ、互いに初の高重力に晒されて大量に汗を流し、動くのもやっとという有様だったのだが。

 

「父様! 頑張って下さい!」

「うおおお!!!! 200倍だああああ!!!!」

「まずいんじゃないかなナッツ!?」

 

 慌てふためき、止めようとする悟飯だったが、既にヒートアップした二人が止まる事はなく。 

 

 数分後、220倍の重力の中で、床にうつ伏せに突っ伏して、潰れたカエルのようになっている二人の大人がいた。

 

「た、助けないと!」

 

 パネルを操作して重力を戻す悟飯。そして駆け寄ろうとする彼を、真剣な顔で止めるナッツ。

 

「駄目よ悟飯。こういう時は先に起き上がって、勝利を宣言した方が優勝なの。きっと父様が勝つわ」

「それは天下一武道会の話だからね!?」

 

 結局しばらく待っても起き上がって来なかったので、子供達によって救助された彼らは、二人並んでメディカルマシーンのお世話になったのだった。

 

 

 30分ほどして、ベジータと共に復帰した悟空は、心配そうに見守る子供達の前で、頭を掻いて照れ笑いしていた。

 

「いやあ助かった! 悪いなナッツ! それで、オラ達の訓練を見たいんだって?」

「うん。重力室より効率の良い訓練なんて、あるのかなって思って」

「そっか。じゃあ、ちょっと外で見せてやるよ」

 

 重力室から出た悟空と悟飯は、穏やかな日差しの中、ナッツ達を連れて、木陰に向かって歩きながら説明する。

 

「軽い運動とか、組み手とかは、おめえらのやってるのと変わらねえんだけどよ」

 

 そして大きな木の下で、二人は胡坐をかいて目を瞑る。

 

「こうして気を集中して、ゆっくり全身に循環させるんだ」

「ふうん」

 

 気という概念を、あまりよく理解していないナッツは、父親と共に、訝しげな目で彼らの訓練を眺めていた。傍から見ると、座ったまま全く動かないその様子は休憩しているようにしか見えず、3分ほどしたところで、少女はげんなりした顔で呟いた。

 

「た、退屈だわ……」

「それなら、ナッツも一緒にやってみる?」

「……そうね、教えてちょうだい」

 

 悟飯の隣に、少女は同じ姿勢で座って目を瞑る。

 

「まず、身体の中にある気をイメージして、お腹のあたりに集めるんだ」

「その時点で、さっぱり分からないんだけど……」

 

 悟飯達は、気という言葉を、戦闘力やエネルギーと同じ意味で使っているらしい。試しにエネルギーをお腹のあたりに集中してみると、身体の周囲にオーラが吹き出した。

 

 暴風のような圧力に晒された木の葉がぱらぱらと舞い散る中、少年が額に汗を浮かべながら言った。

 

「ナッツ、それは気を高めてるんだ。もっと心を落ち着ちつかせて……」

「わかったわ……」

 

 少女は言われたとおり、何も考えず、全身をリラックスさせていく。

 

 そよ風に揺られて、ざわざわと木の葉が音を立てていた。重力室の中では感じられない、柔らかな日差しが、ぽかぽかと身体に当たるのが心地良くて。

 

「……ナッツ?」

「…………」

 

 少女はいつしか、静かに寝息を立てていたのだった。

 

 

 

 ほどなく目を覚ましたナッツは、その後も悟飯のアドバイスを受けながら、あれこれ試行錯誤してみたのだが、結局彼らが何の訓練をしているのかを、最後まで理解できないでいた。

 

「父様、あんまり私には合わないみたいです……」

「そうだな。オレ達とは全く違うやり方だ」

 

 しょんぼりしている娘の頭を撫でてやりながら、父親は考える。カカロット達がしていた訓練は、身体の中のエネルギーを、複雑かつ精妙にコントロールするためのものだ。あまり強靭な身体を持たない、地球人のような種族に向いた訓練なのだろう。

 

 そして自分達がしている重力室での訓練は、生まれ持った身体能力やエネルギーの出力を更に高めるもので、サイヤ人の行う訓練としては、こちらが一般的な物と言える。

 

 後者の訓練に慣れ切った自分が、今更カカロット達の真似をしても、上手くいくとは思えなかった。まだ子供のナッツなら、時間を掛ければあちらのやり方も覚えられるかもしれなかったが、今日の様子を見る限り、全く向いてないだろうし、本人が嫌がる事を、無理にやらせる気は無かった。

 

 同様に悟空達にとっても、高重力下での訓練は、そこまで有益なものではなく。結局その日以降、彼らはそれぞれ独自に訓練して、互いの交流は、たまに模擬戦を行う程度にとどまった。

 

 

 そしてそれから、およそ1年半後、ナッツと父親の人生に、大きな転機が訪れる事となる。




「重力室、訓練にとても有用ってイメージがあるのに、原作だといつもベジータしか使って無いよね?」って思ったので、その辺を補完する話なのです。

ブルマとベジータ達のあれこれは、次の話からになります。一応大まかな流れは考えてはいるのですが、難しいので少し遅れるかもしれません。気長にお待ちくださいませ。


それと前回は、たくさんの高評価とお気に入りを有難うございます。おかげ様で久々にランキングに載れまして、多くの方に読んで頂けてとても嬉しかったのです。もし今回も読んで面白いと思っていただけましたら、是非とも評価の方を、よろしくお願い致します。


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7.彼女と彼が、幼かった頃を振り返る話

 300倍の重力室の完成から、およそ1年半が経過したある日の真夜中。

 

 カプセルコーポレーションの、ナッツ達が暮らす部屋。大きなベッドの上で眠っていた9歳の少女が、ふと目を覚ますと、一緒に寝ていたはずの父親が、いなくなっている事に気付いた。

 

「父様……?」

 

 眠い目をこすりつつ、意識を集中すると、すぐ近く、中庭の方に父親の気配を見つけて、少女はほっと胸を撫で下ろす。そして同時に、少し悲しくなってしまう。

 

 母親が死んでしまって以来、彼女の父親は、時折夜中に、こうして1人で出ていくようになった。ナッツもまた、同じ気持ちだったから、父親の気持ちはよく解った。

 

(母様がいないのを、父様は寂しがっているんだわ。私の前では泣けないから……)

 

 だから自分が、慰めに行くわけにはいかない。地獄で母様と再会してから、しばらくは治まっていたけれど、寂しい気持ちが、完全に消えてしまう事は無い。暗い夜中に、こうして1人でいると、自分の気持ちまで沈んでしまいそうで。

 

 ナッツはぶんぶんと頭を振って、柔らかいベッドに横たわって目を閉じる。すぐには眠れそうになかったから、楽しい事を考えようと思った。ちょうど今日は、悟飯の家に遊びに行ったばかりだった。

 

 

 

 9時間ほど前、同じ日の昼下がり。

 

 今日の分の訓練を終えたナッツは、悟飯の家に遊びに来ていた。ブルマの選んだ、仕立ての良い子供服を着た少女が、少年と共に上機嫌な様子で見ていたのは、彼の幼少期のアルバムだった。

 

「赤ちゃんの頃の悟飯、凄くちっちゃくて可愛いわ!」

「そ、そうかな……」

 

 照れ笑いする悟飯と一緒に、ナッツは部屋の本棚で見つけたアルバムのページをめくっていく。幼い頃の少年を中心に、彼の両親も写っている写真の数々は、皆幸せそうに笑っているもので。見ている少女の方まで、嬉しくなってしまう。

 

「あっ……!」

 

 後半の写真の中に、悟飯と共に写っている自分の姿を見つけて、ナッツは驚きの声を上げる。二人で勉強をしている写真や、家の外で空を飛んで、追い掛けっこをしている時の写真。そういえば、チチさんに撮られていたような覚えがある。

 

 自分が彼と親しく過ごしていた時間を、改めて目の当たりにして、少女は喜びを隠せない様子で、少し頬を赤らめながら呟いた。

 

「もう、こんな風に残るんだったら、きちんとした王族用の戦闘服を着ておけば良かったわ……」

「またいつでも、撮ればいいよ」

「……うん、そうよね」

 

 そうしているうちに、アルバムを最後まで見終わったナッツは、にこにこと笑いながら、幼馴染の少年に言った。

 

「とっても良かったわ、悟飯。せっかくだから、私のも見せてあげる!」

 

 少女は持ち歩いていた子供用のポシェットを開けて、中から緑色のスカウターを取り出した。ラディッツやナッパやフリーザ達といった、悪い人が着ける機械というイメージを持っていた悟飯は、思わず顔を引きつらせる。

 

「父様が撮った写真を、厳選して送ってくれてるのよ」

「何で持ち歩いてるの……?」

「通信機能もあるから、いざという時のために持っておけって、父様に言われてるの」

 

 ナッツがスカウターを装着して操作すると、部屋の壁に映像が投影された。地球では見た事もない技術に、ぽかんと口を開ける悟飯。

 

「す、凄い……」

「便利でしょう? 偵察してきた敵の姿や場所の様子を、こうして人に見せる事ができるの」

 

 驚く彼の様子を見て、ナッツは微笑みながら、壁に映った画像を指し示す。それは彼女によく似た長い髪の儚げな女性が、生まれたばかりの赤ん坊を抱き締めている姿だった。

 

「この人が、私の母様よ」

 

 誇らしげに、嬉しそうに彼女は言った。とても綺麗な人、というのが悟飯の第一印象だったけど、それにも増して、自らの娘に向ける慈愛に満ちた眼差しと、喜びのあまり涙すら流しているその表情に、少年は胸を打たれてしまう。

 

 ナッツが無事に生まれた事を、彼女が全身全霊で喜んで、祝福している事は、画像からでも明らかだった。

 

「……うん。とっても、良いお母さんだったんだね」

「ええ、もちろんそうだったわ」

 

 投影された画像を、眩しいものを見るように見つめながら、少女は穏やかな笑みを浮かべていた。そうして見比べると、ナッツの顔立ちには、母親の面影が色濃く残っていた。

 

 悟飯が彼女の整った横顔を、まじまじと眺めていると、それに気付いた少女が、一瞬不思議そうな顔になった後、何かに気付いた様子で、スカウターを外しながら言った。

 

「悟飯もこれに興味があるのね。せっかくだから、あなたにも使わせてあげる」

「う、うん。ありがとう……」

 

 違うとも言えず、また少し興味があるのも確かだったので、彼はスカウターを受け取って、教えられるまま左耳に装着する。直前まで彼女が着けていた機械が、まだわずかに残す温かさに、悟飯は気恥ずかしくて、胸がどきどきして。

 

 そしてふと気付くと、ナッツが至近距離から、熱っぽい瞳で、彼の顔をじっと見つめていた。

 

「ど、どうしたの、ナッツ!?」

「……やっぱりあなた、スカウターがとても良く似合ってるわ、悟飯。今のあなた、まるで純血のサイヤ人みたいよ」

 

 少女はさらに身を乗り出して、何かのスイッチが入ったかのように、表情を一変させ、冷酷なサイヤ人の顔で、口元を歪めて笑う。久しぶりに見る彼女の一面と、単純に距離が近い事に、悟飯は顔が熱くなるのを感じていた。

 

「ねえ、戦闘服、まだ持ってるんでしょう? 私も着替えてくるから、これからどこか、近くの星に行って、二人で遊びましょうよ?」

 

 自分を誘おうとする、その表情にぞくりとするものを感じながら、少年はきっぱりと言い放つ。

 

「誰も殺さない遊びだったら、いいよ」

「……いじわる」

 

 悟飯の意思が固い事を見て取って、がっかりしたナッツは肩を落とす。まあ、流石に本気で頷いてくれるとは、最初から思っていなかったけど。

 

「意地悪じゃないよ。そんな事して、銀河パトロールにバレたらまずいんでしょ?」

 

 銀河パトロールに指名手配されれば、提携している全ての星において、犯罪者として扱われてしまう。辺境の惑星である地球はまだ、提携どころか宇宙人の存在すらろくに知られていないが、パトロール隊員は定期的に訪れており、いつ提携してもおかしくない状況だ。

 

 そして地球で犯罪者として扱われてしまえば、警察や軍隊は脅威ではないが、今のような生活はできなくなってしまうし、住まわせてもらっている、ブルマ達に迷惑が掛かってしまう。

 

 少女は小さく息をついてから、気を取り直したように、にっこりと笑って言った。

 

「まあ、仕方ないわね。弱い人間をいくら殺しても、戦闘力が上がるわけじゃないし、少しは我慢しないと」

「ナッツ……」

 

 3年以上にも渡る、平和で穏やかな地球での暮らしを経て、ほんの少しだけ丸くなった少女の言動に、じーんと悟飯は感動を覚える。感動のハードルが低いような気もするが、これでも地球を滅ぼそうとしていた頃に比べれば、大きな進歩なのだ。

 

「この分は、また賞金首でも殺して我慢する事にするわ。そっちはどうかしら、悟飯?」

「遠慮しておくよ……」

 

 直後に笑顔で放たれた物騒な言葉に、少年は頭が痛そうな顔で応えた。ナッツがたまにそういう事をしていることに、抵抗はあるけれど、別に犯罪ではなく、どちらかと言えば善行に分類される行為だし、下手に止めた場合、その反動がどういう形で噴出するのか分かったものではない。

 

 もっとも、彼の心の奥底では、こういった自分には無いサイヤ人としての側面も含めて、彼女の事を好ましいと思っているのだけど、そうした複雑な感情に、悟飯自身もまだ気付いていない。

 

 

 

 さておき、ナッツからスカウターの操作方法を習った悟飯は、楽な姿勢で座りながら、保存されている画像を、次々に壁に投影していく。

 

 幼いナッツが、子猫のように、母親の尻尾にじゃれている姿。自分の娘を抱き上げながら、デレデレと笑う父親の姿。ナッパの頭にしがみついて、楽しそうにはしゃいでいる姿。床に座って首を傾げている少女と、彼女にスカウターを向けたラディッツが、額から汗を流している姿。

 

 厳選したという割には、かなりの枚数の画像が、悟飯の操作で次々に投影されていき、一緒にそれらを見ながら、ナッツは隣に座る少年に、嬉しそうな顔で解説を入れていく。

 

 両親や周囲の愛情に満たされて、画面の中の少女はすくすくと成長していく。立って歩けるようになった頃から間もなく、彼女が戦闘服を着て、戦場にいる画像が混ざり始める。

 

 今よりも幼い姿のナッツが、無邪気な笑顔で赤いエネルギー波を撃っている様子は、外見だけなら非常に可愛らしいものだったが、全身にちらほらと返り血を浴びており、どう考えても人が死んでいる。

 

 悟飯はその辺りの事情をあまり深く考えないようにしながら、少女の姿のみに注目していたが、不意に彼女が変身したと思しき大猿が、炎に包まれた街中で、満月に向かって吼えている画像に行き当たった。

 

(ちょ……っ!?)

 

 それまでの可愛らしい様子とは、まるで正反対の姿を不意に目の当たりにして、思わず硬直してしまう悟飯。反射的に、隣に座るナッツの事が気になったが、普段の彼女の言動からして、全く問題無いとすぐに気付く。

 

(普通の女の子なら、こんな姿を見られるのは嫌だろうけど、まあナッツだし。むしろ喜んで、強さとかを自慢してくるんじゃないかな)

 

 そんな事を考えていた少年が、ちらりと隣を見て驚愕する。壁に映る大猿の姿を目の当たりにしたナッツは、まるで年頃の女の子のように、顔を赤らめ、ふるふると羞恥に身を震わせていた。

 

「や、やだ……父様、何でこんな写真を……」

「どうしたのナッツ!? どこか悪いの!?」

 

 あまりにも彼女らしからぬ言動に、思わず失礼な事を叫んでしまう悟飯。

 

 彼にとっては幸運な事に、そんな少年の言葉も耳に入らない様子で、少女は呟いた。

 

「この時の私、完全に理性を無くしちゃってる……凄く恥ずかしいわ」

「恥ずかしがる所そこなんだ!?」

「だって私は王族で、エリート戦士なのよ? これじゃあまるで、下級戦士じゃない……」

 

 この頃は、まだ本格的に訓練してなかったの、と、しゅんとしながら口にするナッツの姿を可愛いと思いつつ、悟飯は引き続き、次の画像に目をやり始める。

 

 そしてある時期を境に、彼女の母親の姿が見られなくなって、朗らかだったナッツの表情が、暗く冷たいものへと変化していていた。それまで見られていた、周囲の人間との交流は一切消え、ただ戦場で戦う画像ばかりが、延々と続くようになっていた。

 

 その光景に胸を締め付けられた少年は、泣きそうな顔で目を伏せる。当時を思い出したナッツもまた、悲しそうな顔をしていたが、隣に座る彼の様子を見た少女は、そっと身を寄せて、肩と肩とを触れ合わせて、優しい声で言った。

 

「大丈夫よ、悟飯。ありがとう」

「……ナッツ?」

「この頃は確かに、とても苦しかったけど、こうして戦闘力を高めてなければ、どこかで死んでいたかもしれなかったもの。だからこれも、私の人生の一部なの」

 

 少年が顔を上げると、そこには彼を見つめて、とても満たされた表情で微笑むナッツの姿があった。 

 

「地獄で母様にも会えたし、地球はとても良い星で、あなたとも友達になれたし。私は今、とっても幸せなのよ、悟飯」

 

 少女は彼の左耳のスカウターに手を回して、辛かった時期の画像を一気に飛ばして、目的の一枚を見つけ出す。それは彼女が、胸に手を当てポーズを取り、呆然とする少年の前で、堂々と名乗っている姿だった。

 

「ほら、覚えてる? 私とあなたが、初めて出会った日の写真よ」

「……うん、覚えてる。あの時は、君の事を怖い子だって思ってた」

「それは私も同じよ。あなたに殺される一歩手前だったんですもの。あの時は、本当に楽しかったわ」

 

 左肩に手をやって、嬉しそうな顔をしているナッツの姿に、悟飯は何も言えなくなって、ただ曖昧に頷いていた。年齢に似合わず聡明な少年は、彼女が彼に望んでいる事を完全に理解していたけれど、それをするには、今の彼は優し過ぎたから。

 

 数年後、成長したナッツが再び同じ画像を見せられて、羞恥のあまり絶叫する事になるのだが、それはまた別の話だった。




回想シーンが長くなったので一旦切ります。
一応これは前振りで、次の話でブルマとか出て話が動く予定です。


それと前回は、たくさんの高評価とお気に入り、感想等ありがとうございます。少し前までは更新してもお気に入りの伸びが緩やかな感じでして、「このペースだと、セル編終わるまでに1500行けてれば良いかなあ」と思ってたのが、あっという間に1400目前でとても嬉しく思っております。もし今回も読んで面白いと思っていただけましたら、是非とも評価の方を、よろしくお願い致します。


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8.彼女達が、家族になる話(前編)

 悟飯の部屋にて。

 

 スカウターに収録されたナッツの画像を見終わった悟飯は、着けていたスカウターを、少女に返却する。

 

 それを受けとりながら、ふとナッツは、思いついた事を口にする。

 

「そう言えば、悟飯は生まれた時、戦闘力いくつくらいだったの?」

「えっ!?」

 

 予想外の質問に、一瞬口をつぐんでしまう悟飯。そもそも計測すらしていないので答えようがないのだが、少年の沈黙を、彼女は別の意味に解釈してしまう。

 

(……そういえば、強いから忘れてたけど、悟飯は下級戦士の生まれだったわ!? わ、私ったら、何て失礼な質問を!?)

 

 もし戦闘力2とかだったとしたら、恥ずかしくてとても口にできないのも頷ける話だ。ナッツは目を伏せながら、元気づけるように、少年の肩に手を置いて言った。

 

「ごめんなさい、悟飯。……大丈夫よ。今のあなたは立派なんだから、恥ずかしい事なんてないわ」

「何言ってるのナッツ!?」

 

 その後二人が、ひとしきり話し合って誤解を解いた後、気になっていた事を、悟飯が訪ねる。

 

「そもそも、ナッツ達の言う戦闘力って何なの?」

「持っている力を、客観的に表すために数値化したものよ。今の私の戦闘力が、大体100万を少し超えたくらいね。フリーザみたいな例外を除けば、宇宙全体でも、滅多にいない数字よ」

 

 えへんと胸を張るナッツに、少年は疑問を投げかける。

 

「それは凄いと思うけど……気の大きさを、そんな正確に、数字で表す必要があるの?」

「もちろんよ。敵の戦力を正確に測れなかったら、任務の難易度を決める時に困るじゃない」

 

 それを聞いて、悟飯は理解する。確かに、ナッツのいたフリーザ軍のような軍隊だったら、情報の共有のために、戦闘力のような概念はとても便利だろう。逆にもしそれが、無かったとしたら。

 

 

「敵の強さはどのくらいだった?」

「ああ、とてつもなくバカでかい、大きな気を持ってやがったぜ……」

「正確に報告しろバカー!!」

 

 

 となってしまうだろうし、そうならないためにも、戦闘力のような、客観的な数字が必要なのだろうと思った。

 

「確かに、便利かもしれないね」

「でしょう? せっかくの機会だから、私が判りやすく教えてあげるわ。何か書く物ない?」

 

 そこで紙とペンを受け取ったナッツは、鼻歌を歌いながら、さらさらと綺麗な字で人の名前とその戦闘力を書き込んていく。

 

 悟飯はたまに彼女と勉強する際、少女がノートを取る様子を何度も見ているのだが、戦闘民族でありながら、ナッツにはそうした姿も、割と様になっているところがあった。

 

(身体が弱かったっていう、お母さんの影響なのかな……)

 

 一緒に戦いに出た事は、数える程しかなかったけど、たくさん本を読んでくれて、勉強も教えてくれたと、嬉しそうに話していた覚えがある。

 

「できたわ! これが戦闘力の一覧表よ!」

 

 そうしてナッツが書き上げた表の一番上には、彼女の父親の名前と、戦闘力1000万(超サイヤ人になったら5億!)という記載があり、その少し下に載っている悟空は、戦闘力999万くらいと書いてある。それ以降は戦闘力の順番に、謎の少年やコルド大王などが載せられている。彼女自身の名前は、フリーザ第二形態の少し下に、100万という数字と共に書かれていた。

 

 またナッパやラディッツなど、彼女がよく知る人間の横には、デフォルメされた可愛らしいイラストまで付いていて、それが割と良く似ていた。ちなみに一番下はサイバイマンの1200だ。

 

「ドドリアって人は見た事あるけど、この戦闘力18000のキュイって誰?」

「悟飯は見てないわね。ナメック星で卑怯な手を使って来たけど、父様があっさり倒したの。最後は汚い花火みたいだったわ」

「死んだ人を悪く言うのは駄目だよ、ナッツ」

 

 そんな風な会話の中、悟飯は気になった事を口にする。

 

「ところでナッツ……ボクの戦闘力が、どこにも書かれてないんだけど……?」

 

 彼の指摘に、少女は難しい顔になって言った。

 

「……あなたの戦闘力は、正直とても読みづらいのよ。こうして向かい合っている限りでは、私と同じ100万程度に感じられるんだけど……」

「なら、ナッツの隣に書いてくれれば……」

「けどあなた、3年前のナメック星の時点で、戦闘力200万近くはあった第三形態のフリーザを、あと一歩の所まで追い詰めていたわよね? 父様達も援護していたとはいえ、あの瞬間は、最低でも160万には達していたはずよ」

 

 そこで少女は、一度言葉を切ってから、黒い大きな瞳で、悟飯の目を真っ直ぐに見つめて断言する。

 

「自由には扱えないみたいだけど、間違いなくあなたの中には、とても大きな力が眠っているのよ。きっと潜在能力という点では、私よりも遥かに上でしょうね」

「そ、そんな事無いよ!」

 

 少年は必死に反論する。確かに昔から、自分は怒って無我夢中になると、信じられないような力を発揮する事が何度かあった。

 

 だけど、自分は決して、戦うのが好きではない。人造人間との戦いに備えて修行しているのも、負ければ地球が滅茶苦茶になってしまうからだし、たまにナッツと組み手をしているのも、彼女の喜ぶ顔が見たいからに過ぎない。

 

 将来の夢は学者さんになる事で、本音を言えば、ずっと勉強だけしていたいと思っている。そんな自分が、戦う為に生まれてきたような、このサイヤ人の女の子よりも強い力を持っているだなんて、それだけで、ナッツの事を侮辱しているような気になってしまう。

 

 少女の方は、そんな彼の様子を見て、小さく笑った。この風変わりな、優しいサイヤ人の少年が何を考えているか、今のナッツにはお見通しだった。初めて会ったその日から、もう3年以上も付き合っているのだから。

 

「悟飯、そんな事を気にしなくても良いのよ」

「け、けど……!?」

 

 少年が再び否定しかけた瞬間、ナッツの全身が、いきなり金色のオーラに包まれる。一瞬で約50倍に膨れ上がった戦闘力と、少女の澄んだ青い瞳が発する威圧感に気圧されて、悟飯は言葉を中断させる。

 

 彼女は口元を吊り上げて、嗜虐的な笑みを浮かべながら、これ見よがしに、身体の前に回した尻尾で、彼の頬をゆったりと撫でた。その意味を理解し、額に汗を浮かべる悟飯の前で、超サイヤ人の少女は、顔を近づけながら言った。

 

「ねえ。今この時点でなら、あなたの潜在能力がどれだけあったとしても、おそらく私が勝つわ。私がそれをしないのは、何故だか分かる? 悟飯」

「……強い相手と、戦いたいんだよね?」

 

 それを聞いたナッツは、変身を解いて、先ほどまでの凄味が嘘のように、にっこりと笑った。

 

「正解よ。あなたならいずれ超サイヤ人になれるでしょうし、尻尾だってそのうち生えてくるはずだわ。そうなった時のあなたが、いったいどれほど強くなるかと思うと、考えるだけで、とてもわくわくして、私ももっと、強くなりたいと思えるの」

 

 戦いそのものに喜びを覚えるサイヤ人にとって、競い合える強い相手は、人生に彩りを与えてくれる、得難い存在だ。ましてフリーザやコルド大王よりも強くなってしまった今の彼女にとって、そうした相手はとても貴重で。

 

 いや、単純な強さだけではなく。この戦いよりも勉強が好きで、私の初めての友達で、ナメック星で一番苦しかった時、ずっと傍にいてくれると言ってくれた彼が、自分以上の力を持っている事が、たまらなく嬉しいのだ。

 

「人造人間との戦いも楽しみだけど、私にとっての一番はあなたよ、悟飯」

「な……っ!?」

 

 咲き誇る花のような、とびっきりの笑顔と共に、熱っぽい瞳で見つめられて、真っ赤になってうろたえた悟飯は、話題を逸らすように叫ぶ。

 

「そ、そういえば! ナッツは生まれた時、戦闘力いくつくらいだったの?」

「大体300だったと聞いているわ。父様よりは低かったそうだけど、それでも生まれたばかりのサイヤ人としては、物凄く高い数値だったみたいよ。きっと父様も母様もエリート戦士で、強かったからね」

 

 そこで少女の脳裏に浮かんだのは、自分の将来の事だった。地獄で別れ際に、母親と約束したとおり、大人になったら結婚して、子供を生んで幸せになる事は、彼女の人生計画の中で、既に規定事項として定まっている。  

 

 そしてナッツはカカロットのように、地球人との間に子供を作る気は無かった。当然相手は、自分より強いサイヤ人しかいない。

 

 少女は目の前の悟飯をちらりと見て、さすがに少し気恥ずかしい気持ちになったが、ずっと傍にいるというのは、つまりは彼の方もそういう気でいるのだろうし、構わないだろうと思って、勢いのままに口を開く。

 

「だ、だからもし、私とあなたの間に子供ができたら、きっと物凄く強くなるに違いないわ」

「…………」

 

 もはや言葉も出ず、故障した機械のように、顔から湯気を吹き出して放心する悟飯。

 

 そして彼らの背後で、がたんという音がした。おやつを持って部屋に入ろうとしていたチチが、お盆を床に取り落とした音だ。

 

「な、ナッツちゃん……? その、子供を生むのは物凄く大変だし、そういう話はだな、きちんと大人になってから……」

「し、知ってます!」

 

 引きつった顔で無理矢理に笑みを作って放たれたチチの言葉に、さしもの少女も、顔を赤らめる事になったのだった。

 

 

 

 

 それから9時間後、部屋のベッドに横たわりながら、昼間の出来事を回想していたナッツは、思い出してまた、頬が熱くなるのを感じていた。

 

(確かに子供の話なんて、まだちょっと早かったかしら……)

 

 私は9歳で、悟飯はさらに1歳年下なのだ。それにサイヤ人である私の身体は、初めて悟飯に会った頃から、外見的にはほとんど変化がなく、私自身がまだ小さな子供のままだ。

 

 成長期が来たら一気に伸びるという話で、それを楽しみにしようと思う。そうして大人になったら、私も母様と同じように子供を作って、私が愛された分以上に可愛がってあげたかった。

 

 チチさんが言っていたように、子供を生むのは大変だと、本で読んだ事もあるけれど。私は身体の丈夫さには自信があるから、全然問題はないはずだ。

 

 そこで少女は、自分の思考の中で、何か引っかかるものに気付いた。

 

(子供を生むのは大変だから、身体が丈夫じゃないと……?)

 

 ナッツは少し考えて、その事実に気付いてしまい、青ざめた顔で呟いた。

 

「……じゃあ、私の母様は、どうだったの……?」

 

 思い出してみれば、何もかもが明らかだった。生まれつきの病気を抱えていたという母様は、それでも昔は父様達と、たびたび任務に出ていたらしいけど。私が生まれてから、母様が星を攻めに行った事は、ほんの数回しかない。母様の身体は、少しずつ弱っていって、戦いどころか、ベッドからも起き上がれない日が増えていたから。

 

 そしてナメック星のドラゴンボールが言っていた。母様は敵に殺されたのではなく、少なかった残りの寿命を、戦いの中で使い切って死んだって。

 

 

 

 つまり、私を生んだせいで、母様の寿命は。

 

 

 

「あ……あ……」

 

 ぼろぼろと、少女の両目から涙が溢れ出る。 父様や母様は、そんな事、一言だって言っていなかった。私が気付かないようにしてくれていたのだ。

 

「わ、私の、私のせいで母様が……!!」

 

 まるで降り注ぐ雨に打たれたように、ナッツは己の身体が冷えていくのを感じていた。慌てて毛布を深く被っても、身体の震えは治まらない。父様がいてくれたらと一瞬思ったけれど、たとえいてくれたとしても、どんな顔をして会えばいいのか。

 

 私を生まなければ、母様はまだ生きていられたかもしれないのだ。私が父様から、母様を奪ってしまったのだ。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい! 父様、母様……!」

 

 苦しさと悲しさと寂しさが、少女の心を苛み続ける。この場に両親のどちらかでもいれば、それは違うとすぐさま否定して、彼女の事を抱き締めて、その心を癒してくれただろうけれど。

 

 もしこの状況を知れば、即座に駆けつけるだろう父親は、誰も見ていない中庭で、彼を知る者が見れば驚愕するだろう、悲しげな瞳で、半分欠けた月を見上げていた。

 

 そして地獄にいる彼女の母親は、一部始終を目の当たりにしながら、言葉の一つも掛けられない事を嘆いていた。

 

 今、この場で少女を救える者は誰もいない。ただ一人を除いては。

 

「どうしたの、ナッツちゃん!?」

 

 部屋のドアを開いたブルマが、泣きじゃくる少女に、顔色を変えて駆け寄った。




ブルマとベジータが出揃うのは次の次の話になります。楽しみにしている方にはスローペースで申し訳ないのですが、ぶっちゃけベジータ側のハードルが原作よりも高くなってるので、段階を踏むのは大事だと思うのです。(将と馬)

それと評価、感想、お気に入り、誤字報告等ありがとうございます。続きを書く励みになっております。

次の話は、二人の交流の予定です。遅くなるかもしれませんが、気長にお待ちくださいませ。


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9.彼女達が、家族になる話(後編)

 時間は少し遡る。

 

 夜遅くまで研究をしていたブルマは、ふと部屋の外の廊下を、誰かが歩いて行くような気配を感じた。やや速い歩調の足音は、ベジータのものだとすぐに分かったが、夜9時には寝てしまう健康的な娘と一緒に、彼も既に、眠っているはずの時間だった。

 

「また強盗でも出たのかしら……?」

 

 しかしそれなら、呑気に歩いて向かうような真似はしないはずだ。手洗いか何かとも思ったが、15分ほどが経過しても、部屋に戻る気配が無い。ふと胸騒ぎを感じたブルマは、薄手の上着を羽織ってから、彼と娘が暮らす部屋に向かっていた。

 

 夜中という事もあり、照明の光量を落とした廊下は、薄暗く肌寒い。小さく身体を縮こませながら、ようやく目的の部屋に辿り着いたブルマは、ドアの奥から、少女のすすり泣く声を耳にして、血相を変える。

 

「……ナッツちゃん!?」

 

 すぐさまドアを開いた彼女が見たものは、ベッドの上で顔を覆って号泣する少女の姿だった。ブルマは駆け寄って、泣いているナッツの小さな身体を、己の胸にしっかりと抱き締める。

 

 悲しみのあまり、周囲の事も判らなくなっていた少女は、突然の優しい抱擁に、びくりと身体を震わせた後、温もりをむさぼるように、目の前の温かい身体に両腕を回して、涙に濡れた顔を、柔らかな胸に押しつける。

 

「……母様?」

 

 思わず呟いたナッツが、彼女の顔を見て、たじろいでしまう。まるで母親とブルマと、両方に対して、失礼な事をしてしまったと言わんばかりに。

 

 そんな少女の思いを察したブルマは、ナッツを抱く腕に力を込めながら、優しい声で言った。

 

「私はあなたの母様じゃないけど、あなたが落ち着くまで、こうしていてあげる」

 

 何も言えず、ナッツはただ、目の前の女性に縋り付いた。温かく柔らかい身体は、どこか良い匂いがして、苦しかった気持ちが、少しずつ癒されていく気がした。

 

 そのままの姿勢で、しばらくしゃくり上げていた少女は、やがてぽつりと呟いた。

 

「ありがとう、ブルマ……あっ!?」

 

 涙やその他で、ぐしゃぐしゃになってしまったシャツを見て。

 

「ご、ごめんなさい……」

 

 ばつが悪そうに謝るナッツに、ブルマは苦笑する。

 

「いいのよこのくらい。それでナッツちゃん、どうして泣いてたの?」

「うん……」

 

 沈んだ顔で、少女はぽつりぽつりと説明する。母様の身体が、生まれつきの病気を抱えていたこと。死因は寿命であること。母様は弱っていく一方で、子供を生んだ事が、きっと負担を掛けてしまったに違いないこと。それさえ無ければ、今もまだ生きていたかもしれなくて、外にいる父様も、寂しい思いはしなかったかもしれないこと。

 

 何も言わず話を聞き終えたブルマは、わずかに瞳を潤ませながら言った。

 

「……あなたは優しい子ね、ナッツ」

 

 思わず少女は、目を見開いた。優しいだなんて、サイヤ人の戦士としては、受け入れがたい言葉だった。そんな言葉が似合うのは、悟飯くらいのものだ。

 

「……私はサイヤ人よ。今まで両手の指に余るほどの星を滅ぼしてきたわ」

「それでも、ベジータやお母様の事は好きなんでしょう? お母様もきっと、あなたの事が好きだったのよ」

 

 その言葉に、少女は顔を伏せてしまう。母様が私を好きだなんて、言われるまでもなく分かっている。そんな母様の命を、私が縮めてしまったから苦しいのだ。

 

「ナッツちゃん。あなたのお母様は、あなたを生んだ時、とても嬉しかったはずよ」

「……ええ。そう言っていたわ」

「たとえそれで身体が弱ったって、あなたが元気に成長していたのなら、苦しいのも忘れるくらい、毎日が楽しかったに違いないわ」

 

 ブルマが口にしたそれは、半分彼女自身の言葉だった。彼女もまた、3年以上も一つ屋根の下で暮らして、少女の成長を見守ってきたのだ。

 

 外見はさほど変わらないけれど、それでも少しずつ地球での生活に慣れていくうちに、笑顔でいる事が増えて、家事や料理を手伝ってくれるようになって、ずっとしっかりした子になったのだ。

 

 そんなナッツを見ているうちに、自然と言葉が口をついた。

 

「母親ってのはね、自分の子供のためなら、死んでも良いって思えるものなの。だからナッツちゃんが悪いと思ったり、謝る必要なんてないわ」

 

 そしてブルマは、優しく笑って言った。

 

「ありがとうって、言ってあげなさい。それが一番嬉しいと思うから」

「……!!」

 

 ナッツは頭の中が、一瞬真っ白になるのを感じた。そんな簡単な事に、どうして気付かなかったのだろう。母様はずっと、私の事を愛してくれていたのに。きっとこんなに泣いて、心配を掛けてしまったはずだ。

 

 少女は窓の外を見上げて、震える声で、ただ感謝の言葉を告げる。

 

 

「母様、ありがとうございます。私を生んでくれて。母様の命をくれて、ありがとうございます」

 

 

「約束したとおり、私、強い戦士になりますから。それで毎日を楽しく過ごして、好きな人と子供を作って、幸せに生きて、そしていつかまた、きっと会いに行きますから……!!」

 

 

 言い終えた少女の瞳からは、再び涙がこぼれてきて。ブルマは何も言わず、それを拭いて、震える小さな身体を、また優しく抱き締めるのだった。

 

 

 

 しばらく時間が経過して、落ち着いたナッツは、ぽつりと口を開く。

 

「ねえ、ブルマ?」

「何かしら、ナッツちゃん?」

 

 彼女の温もりに包まれながら、戸惑うように、少女は問い掛ける。

 

「どうして私に、こんなに優しくしてくれるの?」

 

 ブルマは思い出す。ナメック星で初めて会った日にも、同じような質問を受けた事を。

 

 あの時は、こんな子供がいくつもの星を滅ぼして、大勢の人を殺していると知って、何とかしてあげたいと思ったのだ。地球のありふれた出来合いの料理を、本当に美味しそうに平らげる少女の姿が、子供の頃の孫君みたいで、可愛いと思ったのも理由のひとつだろう。だから子供には、幸せになる権利があると答えたのだ。

 

 けれど、共に暮らすうちに、ブルマの中で、少女への思いはより深まっていった。今の彼女の答えは、もっとシンプルなものだ。

 

「あなたの事が、好きだからよ。ナッツ」

「……っ!」

 

 ナッツの瞳が、大きく見開かれる。今この瞬間、彼女から感じるのは、まるで子供に対する母親のような愛情だった。それは幼くして母を失くした少女が、何よりも欲しかったものだった。失くしてしまったはずのものが、今目の前にあった。

 

「あ……」

 

 その瞬間、反射的に、地獄から見守ってくれているはずの、母親の事が頭をよぎる。私には母様がいるのに、ブルマからのこれを、受け取ってしまっていいのか。

 

 けれど、いくら考えても、母様がこれを、駄目だと言う姿は思い浮かばなかった。母様はいつも、たとえ自分が死ぬ事になっても、私が幸せになる事を願ってくれていたから。

 

 脳裏に浮かぶ母親の顔は、まるで背中を押すように、優しく微笑んでいた。不思議と、今この瞬間、地獄にいる母様も、きっと同じ顔をしていると、ナッツには確信できた。

 

 意を決した少女は、身体の力を抜いて、腰から伸びた尻尾を、ブルマの脚に巻き付けた。

 

「……私も、ブルマの事が好きよ」

 

 大事な尻尾を相手に預けるという、サイヤ人にとって最大の愛情表現。その意味をブルマは知らなかったけど。この瞬間、自分とこのサイヤ人の少女との間で、何かが変化したのを感じていた。

 

 縋り付いてくる小さな身体の温かさを感じながら、この子のためなら、死んでもいいと思っている事を、彼女は自覚して。少女を抱く腕に、力を込めた。

 

 

 

 ブルマからの愛情に、心の中が温かく満たされていくのを感じていたナッツは、外で母親の事を思い忍んでいるのだろう、父親の事を考えていた。

 

 優しい父様は、きっとこのままでは、何十年も、穴の開いた心を抱えて、寂しい思いをして暮らす事になる。いつかはまた、地獄で母様と会えるのが分かっているとはいえ、見ている母様や私の方が、そんなのきっと、可哀想で耐えきれない。

 

 地獄で母様が、弟か妹ができるかもしれないと、言っていた事を思いだす。父様の事をよく解っている、頭の良い母様は、こうなる事が分かっていたのだ。

 

 少女は自分にとって、家族のように大切な存在になった、青い髪の女性を見つめて言った。

 

「……ねえ、ブルマ。あなたにお願いしたい事があるの」

「いいわよ、ナッツちゃん。遠慮しないで、何でも言ってみて」

 

 それは少女にとって、とても勇気のいる言葉だったけど。

 

 

「……父様のことも、助けてあげて」

 

 はっきりと、そう口にした。



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10.彼女の母親が、父親の背中を押す話

 時は真夜中。カプセルコーポレーションの中庭にて。

 

 部屋から抜け出したベジータは、ベンチに腰かけ、寂しそうな目で、半分欠けた月を見上げていた。最愛の妻を失って以来、彼は時折、こうして娘からも離れた場所に来て、ただ一人孤独を紛らわせていた。

 

 地獄で彼女と再会できた時は、この思い出があれば、一生耐えられると思っていたけれど。それからおよそ3年が経過した今、寂しさが彼の心を、再びじわじわと苛んでいた。

 

 無論、いつかまた会える事が約束されている分、その苦しみは以前よりも軽くなってはいたが。それでも、この先の数十年を彼女無しで生きる事を考えると、どうしようもなく、気持ちが滅入ってしまう。

 

 宇宙一可愛い娘の成長を見守るのも、カカロットと強さを競い合うのも、大きな喜びだったが、それだけでは、どうしても埋められないものがあった。失ってしまった分、彼の心には、真っ暗い穴が開いてしまっていた。

 

 重々しくため息をつきながら、彼は地獄でリーファと交わした会話を思い出す。本当に久しぶりに、2人で満足行くまで戦った後、傷の手当を受けて、ナッツの所へ向かう途中のことだ。

 

 

 

 ナッツ達が待つ、フリーザ撃破記念パーティ会場への道を二人で歩きながら、ベジータはかつてない程に、心が満たされているのを感じていた。

 

 再会した妻は、心地よさそうに目を閉じながら、彼の腕を抱いて、その身を預けている。密着した身体の部分から、女性らしく成熟した柔らかさと温かさが、戦闘服ごしでもはっきりと感じられた。

 

 普段は腰に巻かれている彼女の尻尾が、まるで人懐っこい犬のように、ぱたぱたと激しく振られているのが、彼女の心境をよく表していた。尻尾が残っていれば、彼もまたそうしたい心持ちだった。はしたない事だが、彼女と尻尾を絡められない事を、残念に思った。

 

 この時の彼の穏やかな表情を、娘が見たら、泣いてしまっていたかもしれない。それは3年前のあの日から、母親の死と共に、失われてしまっていたものだったから。

 

 何もかもが愛おしくて、このままここで、ずっと過ごしていたいと思った。そしてそれは、彼女の方も同じだった。

 

 

 敬愛する夫に身を預け、幸福感に包まれながら、リーファは自身の半生に思いを馳せていた。

 

 エリート戦士の子供の中でも、特別高い戦闘力を持って生まれながらも、生まれつきの病気を抱えていた。無理をすると激痛と共に血を吐いてしまう事から、心配した両親から戦いに出る事を禁じられて、整備員の見習い仕事をしていた。

 

 ビーツさんという人を始めとして、整備員の人達は皆良くしてくれたけど、日々嬉しそうに任務へと出発する同年代の子供達を、羨望の目で見送りながら、どうして自分はこんな身体に生まれてしまったのかと、暗い気持ちで日々を送っていた。

 

 そんな自分を連れ出してくれたのが、ベジータ様だった。整備の途中、戦闘力の高さを偶然知られて、力を見せなければ殺すと脅されて、生まれて初めて、全力を出して戦った。

 

 あの時の楽しさは、今でもまだ覚えている。整備場全体が破壊されていくのも構わずに、互いの全力をただひたすらぶつけ合ったあのひと時は、想像を遥かに超えて、鮮烈で胸躍る体験だった。

 

 戦闘民族の一員として生まれて良かったと、初めて思えた。途中で身体に限界が来て倒れて、一時は死に掛けたにも関わらず、今までの人生の中で一番、生きているという実感があった。

 

 意識を失う直前に、間近で見たあの人の顔が、目に焼き付いて離れなくなった。幼いながらも、サイヤ人としての生き甲斐を教えてくれたこの人に、生涯を掛けて報いたいと思った。今考えると、あの時から、惹かれていたのだと思う。

 

 その後、王子の護衛役として任命されて、一緒に任務に出る事になって。色々な惑星で経験した戦いの、その全てが楽しかった。病気のせいで、常に全力を出せるわけでは無かったけれど、ベジータ様は私の体調を気遣って、適度に休暇を割り当ててくれた。

 

 そうした時も、少しでもお役に立ちたかったから、昔取った杵柄で、ポッドや装備の整備を勉強して引き受けた。護衛役として、いざとなれば身を挺して守れるよう、可能な限り一緒にいて、そのお姿を見守っていた。

 

 本来ならば、惑星ベジータの消滅と共に死んでしまうはずだった自分が、戦いに満ちた胸躍る日々を送る事ができて、それだけで望外の幸せだったけど。共に時間を重ねるにつれて、どうしようもなく、あの人を慕う想いが募っていった。

 

 その想いにベジータ様が応えて下さった時、惑星ベジータが消滅していて良かったと、つい浅ましい事を考えてしまったのを覚えている。同族の女性が、宇宙に一人しかいないという事情でもなければ、生まれつきの病気を抱えた自分が、この方に選ばれるはずが無かっただろうと。

 

 だけどベジータ様は、そんな私の考えを見越したかのように、たとえ惑星ベジータが健在だったとしても、オレはお前を選ぶと、はっきりとそう言って下さったのだ。あの時は本当に、涙が出る程嬉しかった。

 

 そうして2人で暮らすうちに、無理だと思っていた、可愛らしい子供までも授かって。3人で過ごした時間は、ほんの短い間だったけど、それまでの人生全てよりも、幸せな時間だった。

 

 本音を言えば、もっとナッツの成長を、間近で見守っていたかったけど。どの道お医者様からは、既にあと数週間の命だろうと言われていたから、こればかりは仕方なかった。

 

 そして死んだ後も、この人はこうして自分を愛してくれている。本当に、私は幸せ者だと思う。ベジータ様には、いくら感謝しても足りる事はないだろう。

 

 だからこそ、この機会に、言っておかねばならない事があった。

 

 

 

 ベジータの腕に身体を預けていた女性が、おずおずと顔を上げて、彼の目を見た。

 

「……と、ところでベジータ様」

「どうした? リーファ……っ!?」

 

 彼女に目を向けた夫の身体が、一瞬硬直する。スタイルの良いリーファの、アンダースーツを押し上げる豊かな胸の谷間が、間近から暴力的に彼の視界を占拠していた。先の戦いであちこち破損した彼女の戦闘服は、よく見ると相当に煽情的な有様になってしまっていた。

 

 もちろん夫婦の間柄で、今さらその程度で恥ずかしくなる道理もないのだが、そういう面については、彼は未だに純情で、思わず赤らめた顔を逸らしてしまう。

 

「? どうしました? ベジータ様」

 

 彼の様子を見て、不思議そうに、リーファは首を傾げる。幼い頃から戦場にいて、メディカルマシーンに裸で入るのが当たり前だった関係から、娘と同じく、彼女は羞恥心が薄い傾向にあった。流石に一緒になってからは、多少はマシになったのだが。

 

「いや……お前の戦闘服が、人前に出るには、少し壊れ過ぎていないかと思ってな」

「? ……別に肌が大きく見えているわけではありませんし、このくらいなら大丈夫では?」

 

 きょとんと胸に手を当てるその仕草が、ますます危険だった。これから行く先には、惑星ベジータのサイヤ人のほぼ全員が集まっているのだ。お世辞にも上品とは言えない荒くれ共の下品た視線に、今の彼女が晒されるかと思うと、気が気でならなかった。

 

 事態をあまりよく解っていない彼女の両肩に、ベジータは手を置いて、その顔を真っ直ぐに覗き込んだ。たちまちリーファは、顔を真っ赤にしてうろたえてしまう。

 

「あ、あの……ベジータ様?」

「オレが嫌なんだ。お前のその姿を、他の男に見られたくないんだ。わかるな」

「は、はいっ!」

 

 返事と共に、彼女は勢いよく背筋を伸ばす。その拍子に胸が大きく揺れて、ベジータは一瞬たじろいでしまうが、見なかった事にして言った。

 

「……戦闘服の替えは無いのか?」

「注文して取り寄せる必要がありますので、今すぐには無理です……」

 

 しゅんとなってしまうリーファを見て、彼は考える。もう空も暗くなりかけている。この分だと、ナッツ達のいるパーティ会場とやらに着く頃には、真っ暗になっているだろう。ならばそうそう目立つ事はないか。

 

「仕方ない。なるべく他の男を間近に近づけないようにしろ。いいな」

「わかりました! ベジータ様!」

 

 返事と共に、彼女は勢いよく背筋を伸ばす。その拍子に胸が大きく揺れて、彼は内心頭を抱えてしまう。

 

「わざとやってるのか……?」

「? 何をですか?」

 

 不思議そうに小首を傾げる彼女の様子が、驚くほどにナッツとそっくりに見えて、ベジータは同じように羞恥心の薄い、娘の将来が心配になった。とりあえず何かあったら悟飯を殺そうと父親は決意する。

 

「何でもない。ところでさっき、何か言い掛けていたな?」

 

 その言葉に、リーファはびくりと身を震わせる。正直、これを口にするのは、勇気のいる事だったけど。強くて結構良くて、冷酷で優しくて、けれど寂しがり屋の、大好きなこの人の為に、言っておかねばならなかった。

 

 意を決して、彼女は夫の目を真っ直ぐに見据えて口を開く。

 

 

「そのっ、ほ、本で読んだのですが、宇宙の王族の約8割は、複数の妻を娶っているとかっ!」

 

 

「なっ……!?」

 

 思わず息を詰まらせるベジータに、彼女は勢いのまま言葉を続ける。

 

「わ、私はその、一人しか生めませんでしたし! もちろんナッツはとても強くて良い子で、その上超サイヤ人にまでなれた私達の誇りで! 王族として申し分ないと思うのですがっ!」

 

 こういう時、死んで身体を失って、病気からも解放された事を実感する。生きていた頃だったら、こんな勢いで喋ったら、途中で咳き込んでしまっただろうから。

 

「そのっ、女の子は母親に懐くと言いますし、ベジータ様、どうせなら男の子も欲しいと思いませんか? それに弟か妹がいれば、ナッツもきっと喜んでくれると思うんです」

「おい待て、リーファ。お前、それは……」

 

 その言葉は、仮に彼女が生きていたとしたら、何ら問題のない言葉だった。だが、寿命で死んで、ドラゴンボールでも生き返れない彼女が、子供の事を口にするその意味は。

 

 表情を変えた夫が、震える声で口にする。

 

「どういうつもりだ、リーファ。オレは、お前以外の女など……」

 

 

「ベジータ様、私はもう、死んでしまっているんですよ」

 

 

 微笑みながら言い放たれたその言葉に、彼は言葉を詰まらせてしまう。それはベジータが、分かっていながら目を逸らしてきた事だった。こうして地獄で彼らが会えるのは、たった1日に過ぎない。次に会えるのは、いつか死んだ後の話だ。

 

 ここに残るという選択肢は論外だ。一時とはいえ彼が死んでしまった時、最愛の娘がどんな反応をしたか、全てではないが、彼も地獄から見ていたのだ。あんな思いを、二度もナッツにさせる事など、できるはずがない。

 

「ベジータ様が、今も私の事を想って下さるのは、とても嬉しく思います。けれどそのせいで、あなたを何十年も苦しめてしまう事に、私の方が、きっと耐えられないんです」

 

 夜中に部屋を抜け出して、独り寂しそうにしている彼の姿を、幾度となく目にしてきた。そんな姿を見るたびに、自分の方が、胸を締め付けられるような思いだった。

 

「ナッツにも私の方から、さりげなく伝えておきますから」

「……リーファ、オレはお前の望む事なら、何でも叶えてやるつもりでいる。だが、流石にそれは……」

 

 拒絶するベジータに、彼女はいたずらっぽく笑って言った。

 

「そう言えば、あの青い髪の地球人の女性、ナッツの事を、ずいぶん気に掛けてくれていましたよね。あの人なんか、良いんじゃないですか?」

 

 ナメック星でのブルマとベジータとのやり取りを、彼女は地獄から全て見ていた。ナッツを戦いから遠ざけようとするなど、少しばかり教育方針には違いがあるようだけど、娘の事を真剣に思いやって、健やかな暮らしを送らせようとしてくれているのは嬉しかった。彼女になら、ナッツの事を任せても良いと思える程に。

 

「ま、待て! オレはそんなつもりじゃ……!? 一緒に住むのは、あくまでもナッツの為にだな……!」

「けどベジータ様、未婚の女性の家に子連れで居座るのは、あまり良くない事ですよ?」

 

 唐突に放たれた倫理面からのジャブに、殴られたかのようにのけ反るベジータ。

 

「それにベジータ様、ああいう気の強い性格の女性も、嫌いではないですよね?」

「……!?」

 

 身を強張らせた夫の姿を見て、彼女はにっこり笑う。これでも小さい頃からずっと見ているのだ。彼の女性の好みも、完全に把握していた。違うタイプの自分が選ばれたのは、巡り合わせが良かったからだ。

 

「お、お前はそれでいいのか、リーファ。オレが他の女となど……」

「ええ、もちろんです。それはまあ、少しばかりもやもやしたものはありますけど。それでも」

 

 そこで一旦言葉を切ってから、彼女は彼に顔を寄せて、夜のように黒い瞳で、彼の目を見つめながら、とびっきりの笑みを浮かべて言った。

 

 

「そのくらいで、ベジータ様が私の事を愛さなくなるなんて、有り得ませんから」

 

 

「り、リーファ……」

 

 深い愛情と信頼のこもった、あまりにも美しい微笑みに、彼はただ呆然と見惚れていた。

 

「どの道、最後は私のところに来て下さるわけですし、多くの星を滅ぼした私達の刑期は、100年や200年では済みません。それだけの時間を、またあなたやナッツと暮らせると考えれば、ほんの数十年くらい、短いものですよ」

 

 最後に、リーファは彼の身体に縋り付いて、その表情を見られないよう、彼の胸に顔を押し付けながら言った。

 

「あなたの幸せが、私の幸せです。ベジータ様。どうか私の事はお気になさらず、幸せな一生をお過ごしください」

 

 

 

 

 吹き付ける冷たい夜風が、彼の意識を回想から引き戻す。

 

 気付けばあれから、もう3年が経過していた。寒空の下、ベジータは身体を震わせながらため息をつく。

 

「リーファ、お前はそれでいいのか……?」

 

 他の女との再婚。当時は何をバカな事を、と思っていたものだったが。たった3年で、会えない寂しさに耐えかねて、心が弱くなっているのを感じていた。自分がここまで軟弱だなどと、あいつと一緒になるまでは、思いもよらなかった。

 

 青い髪の女性の顔が、ふと脳裏に浮かぶ。気付けば奴とも、長い付き合いになっていた。一緒に住み始めた当初は、リーファに言われたとおり、未婚の女の家にいつまでも居座っては迷惑だと思っていたが、ナッツがすっかりこの家での暮らしを気に入っていたから、他で暮らすとも言い出せず、ついずるずると甘えてしまっていた。

 

 ブルマの事を、そういう相手として、意識した事がないと言えば嘘になる。気の強い女性は、正直に言えば好みだったし、ナッツの事も、とても気に掛けてくれている。あのフリーザと対峙して、その子を放せと啖呵を切れる女など、サイヤ人でもそうはいないだろう。

 

 向こうの方は、サイヤ人である自分の事を、どう思っているのだろうか。少なくとも、恐れられてはいないはずだ。ブルマはその気になれば一瞬で自分を殺せる自分を前にしても、まるで物怖じせずに物を言う。超サイヤ人であるナッツの事も、まるで地球人の子供のように扱って、暑いからと裸になった時などは、厳しく叱りつけたりする程だ。

 

 また家の事も、買い物の荷物を持ったり、料理の一品を作ったり、食後の皿洗いをする程度には手伝っている。ブルマは金の事を気にしないが、甲斐性もあるつもりだ。フリーザ軍にいた頃の貯金もあるし、その気になれば、宇宙で賞金首などを狩ればいくらでも稼げる。

 

 そう悪くは、思われていないはずだ。こちらから申し出れば、無下に断られる事はないと思う。むしろ向こうも、自分の方から言い出すのを待っているのかもしれない。

 

 そこまで考えて、ベジータは頭を左右に振った。

 

(オレは何を考えている? リーファの奴もそれを望んだとはいえ、性急過ぎるだろう。そもそもナッツが、そんな事を許すのか?)

 

 あいつはナッツにも、さりげなく伝えておくとは言っていたが。伝えるところを、見たわけではないのが不安だった。

 

 

『と、父様……そんな女と再婚なんて……母様を裏切る気ですか!!』

 

 

 などと涙目で言われようものなら、その場で死を選ばない自信がない。無論ナッツは、親にそんな事を言うような子では決してないが、内心不満に思っていながらも、自分のために笑顔で認めてくれるようなら、それはそれで、死にたくなるだろう。

 

 

 

「と、父様……」

 

 ナッツの声が聞こえた。幻聴だろうかと頭を振るも、確かに、ナッツの気配を後ろから感じる。それにもう一つ、慣れ親しんだ小さな気配が。

 

 彼が慌てて振り向くと、パジャマの上から厚手の上着を羽織った娘と、もう一人、彼女に手を引かれながら、緊張した様子のブルマがそこにいた。




 というわけで、援護射撃入りました。人によっては好みの別れる話だとは思いますが、娘の協力だけだとこのベジータを落とすには足りないと思うのです。

 地獄の話の最終話、ナッツの前に現れたベジータが浮かない顔をしていたのは、リーファさんとの間でこういうやり取りがあったからですね。毎日投稿でもないネット小説であんまり細かい伏線張っても「そこ読んだの数ヶ月前だから覚えてないよ!?」ってなりそうなのですが、こういうの好きなのでご容赦ください。


 それと評価、感想、お気に入り、誤字報告などありがとうございます。続きを書く励みになっております。
 次の話は、3人であれこれ話す感じになります。遅くなるかもしれませんが、気長にお待ちくださいませ。


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11.彼女に弟ができるまでの話(前編)

 時間は少し遡る。

 

 窓から差し込む月明かりの下、ブルマの腕に抱かれたナッツは、真剣な顔でこう言った。

 

「父様の事も、助けてあげて」

 

 その言葉の意味を理解するにつれて、ブルマの顔は、月明かりの下でも分かるほどに紅潮していった。

 

(助けてあげて、って、もしかしなくてもそういう事?)

 

 少女の父親の端正な顔が脳裏に浮かび、彼女は首から上が熱くなって、心臓がばくばくと鳴り始めるのを感じていた。

 

 いやいやいや、とブルマは内心首を振る。どこか大人びているとはいえ、この子はまだ9歳なのだ。別にそんな、深い意味があっての発言ではないだろう。言葉どおり、寂しがっている父親を、元気づけて欲しいという意味に違いない。うん、きっとそうだ。

 

 現実逃避めいた彼女の思考を他所に、ナッツは真剣な顔のまま続ける。

 

 

「母様は地獄で会った時、いつか私に、弟か妹ができるかもしれないって言ってたわ」

 

 

 いきなりベッドに倒れたブルマを見たナッツが、慌てて彼女を助け起こす。母親が病気の発作で苦しむのを、幾度となく見てきた少女の表情は悲壮なもので。

 

「ブルマ、大丈夫!? どこか悪いの!?」

「だ、大丈夫よ、ナッツちゃん……」

 

 安心させるように言って、よろよろと身を起こしながら、ブルマは考える。ナッツのお母さんが、そんな事を。あの人の死因は寿命だから、ドラゴンボールでも生き返れないと聞いている。そして娘とその父親の事を、深く愛していたとも。

 

 そして夜中に独り部屋を出ていったベジータが、外で何をしているかは、薄々察しがついていた。日常生活の中、あいつはふとした拍子に、一瞬寂しそうな顔を見せる事があった。本人は隠しているつもりだろうけど、3年も一緒に暮らしていれば、嫌でも理解できる。

 

 ベジータは、亡くなってしまった奥さんの事を今でも愛していて、彼女がいない事を悲しんでいるのだ。そんな彼の事を、助けて欲しいというのは、つまり。

 

「つ、つまり……あなたのお父さんと、私が?」

「……うん。ブルマなら、父様とそうなっても良いって思ったの。きっと母様は、父様が寂しい思いをするのを心配していたんだわ。父様は私の事も愛してくれてるけど、私は子供だから、母様の代わりに支えてあげる事はできないの」

 

 悲しそうに俯くナッツの言葉に、ブルマは胸を打たれてしまう。こんな小さな子供が、こんなにも父親の事を想っている。彼女の両親が、娘に注いだ愛情と、その絆の深さを見せつけられるようで。

 

 彼女はナッツと目を合わせて、優しく微笑みながら言った。

 

「あなたは、本当に良い子ね、ナッツ。あなたの両親も、きっとあなたの事を誇りに思っているはずよ」

「そ、そうかしら? ねえ。ブルマは父様の事、どう思ってるの?」

「そうね……」

 

 ブルマは考える。ベジータの事は、正直憎からず思っていたけれど、奥さんの事があった。結婚願望なんてのも特にないし、曖昧なこのままの関係でずっと暮らしていくのも、悪くはないと思っていた。

 

 けれど、ナッツの言葉からすると、奥さんとしては、再婚も別に構わないらしい。流石に全く気にしないという事はないだろうけど、それよりも彼が死んで地獄に落ちるまでの間、ずっと辛い思いをさせてしまうのが嫌なのだろう。

 

 正直、その気持ちは判らないでもない。どうせ最後は自分のところに戻ってくるのだし、他の女と再婚したくらいで、彼が自分を愛さなくなるなんて有り得ないという、深い信頼があるのだろう。

 

 けれどそれは、私にとっても同じ事だ。一度そういう関係になれば、私の事も、ずっと覚えていてくれるだろう。彼はそういう人間だ。冷酷なサイヤ人でもあるけれど、同時に、とても家族思いで情の深い人間だ。娘と一緒にいる彼の姿を見れば、それは明らかだった。

 

 彼とナッツと、3人で本当の家族になれるのなら、どんなに良いだろうか。もし子供が生まれたら、きっと2人して思いっきり可愛がって、父親の方は写真を撮りまくるのだろうと考えると、何だかとても幸せな気分になって、無性にその未来が見たくなった。

 

 

 そして沈黙しているブルマを見ているうちに、ナッツの方は不安になってきた。  

 

(……やっぱりちょっと、性急だったかしら?)

 

「と、父様は宇宙一強くて格好良くて立派な人よ! それに宇宙最強の戦闘民族、サイヤ人の王族でもあるわ! それだけじゃなくて、私や母様にも本当に優しくて……!」

 

 慌てて両手をあたふたと動かしながら、早口でアピールを始める少女を見て、ブルマはくすりと笑って言った。

 

「大丈夫よ、ナッツちゃん。あいつが良い奴だってのは、私もよく分かってるから」

「じゃ、じゃあ!」

「助けるなんておこがましいけど、ちょっとあなたのお父さんと、話をしに行ってくるわ」

 

 その言葉に、ナッツはぱあっと顔を輝かせる。大人の女性であるブルマの姿が、とても頼もしく見えた。そう、ブルマは大人で、父様も大人なのだ。そんな二人が、これから会うという。少女は、にわかにそわそわした様子になって言った。

 

「わ、私、お風呂の準備してきた方がいいかしら?」

「お風呂? 何で?」

 

 彼女の疑問に、ナッツは照れたような様子で答えた。

 

 

「男と女が一緒にお風呂に入ると、子供ができるって母様から聞いたわ」

 

 

 いきなり後ろに倒れたブルマを見たナッツが、慌てて彼女を助け起こす。母親が病気の発作で苦しむのを、幾度となく見てきた少女の表情は悲壮なもので。

 

「ブルマ、大丈夫!? どこか痛いの!?」

「ナッツのお母さん!? 子供に何教えてるの!?」

 

 がばっ、と跳ね起きたブルマが真っ赤な顔で絶叫する。それを聞いたナッツと、地獄にいる母親が、同時に不思議そうな顔で首を傾げる。

 

「だって大事な事でしょう? 何も知らなかったら私、悟飯に向かって『汗かいたから、一緒にシャワー入りましょう?』くらいは言ってたかもしれないもの」

 

 想像しただけで、ナッツは顔が熱くなるのを感じた。きっとそんなの、とてつもなくはしたないと思われてしまうに違いない。悟飯は年下だけど頭が良いから、私と同じで、子供の作り方もきっと知っているだろうし。

 

「確かに、悟飯君の命の危機ね……」

 

 聞かれただけでも、あの父親が殺しに掛かる事は疑いない。まあ、サイヤ人にとっては普通の教育なのだろうと自分を納得させつつも、ブルマは良い意味で、力が抜けるのを感じるのだった。

 

 

 

 

「と、父様……」

 

 そうして十数分後、彼女はナッツと共に、中庭に佇むベジータの前に立っていた。お風呂の準備をしようとする少女に、それはいいから着いて来てと、必死に頼んだ結果だった。いくら何でも、いきなりそこまで話を進める気は無かったし、ナッツのあずかり知らぬ場で、この父親が再婚の話に頷くとは、とても思えなかったからだ。

 

 娘の声に慌てた様子で振り返った彼は、彼女の目元が腫れている事に気付いて、顔色を変える。

 

「ナッツ、泣いていたのか!? すまない、寂しい思いをさせてしまった……」

「だ、大丈夫です、父様……」

 

 すぐさま片膝をついて彼女を抱き締める父親に照れながらも、どこか嬉しそうな様子を見せるナッツ。そんな娘の頭を撫でながら、父親はブルマを見上げて言った。

 

「ナッツを連れてきてくれたのか。礼を言う」

「まったく。こんな小さい子を放っておくなんて」

 

 腕を組んだ彼女は、中庭に置かれたベンチを示して言った。

 

「ちょっと座りなさい」

「いや、オレはナッツと部屋に……」

「いいから、座りなさい」

 

 いつにないブルマの迫力に気圧されるように、彼はベンチに腰かけた。その隣にナッツが座り、さらにその隣にブルマが腰かけ、ナッツを間に、3人で座る形になる。細かい装飾が施された木製のベンチは、それでもまだ余裕があり、座り心地も良かった。

 

「飲みなさい。寒いでしょう?」

「あ、ああ……」

 

 目の前に突き出された温かい缶コーヒーを、言われるがままに彼は受け取った。その際、彼の指先に触れたブルマは、呆れたように言った。

 

「ベジータ。あんた、いつからこんな所にいたのよ。すっかり冷え切ってるじゃない」

「! 父様、私の尻尾をどうぞ!」

 

 娘はすかさず、尻尾を身体の前に回して、父親の手に巻き付ける。寒かったせいか、パジャマの下で腰に巻かれていた尻尾は、ブルマに手渡された缶コーヒーとも相まって、彼の身体に温もりを与えていた。

 

「ふふっ、父様の手、冷たいです」

 

 言いながらも、にこにこと満面の笑顔を浮かべる娘の頭を、父親は優しく撫でながら呟いた。

 

「……助かる」

「……寒いんだから、もう少し厚着して来ればいいのに」

 

 そしてブルマは会話のきっかけを探すように、ちらちらと彼の方を見る。

 

(と言っても、何を話せばいいのかしら……? こうして会話の場に着かせたのはいいけど、いきなり今後の事とか言い出しても引かれるでしょうし……)

 

 間にナッツを挟んでいるが、二人の距離は近い。それに気付いて、今更ながら、彼女は気恥ずかしさを感じてしまい、思うように動けないでいた。

 

 そしてそれは、ベジータの方も同様だった。つい先程まで、ブルマの事を考えていたと思ったら、当の本人が娘を連れて現れたのだ。内心穏やかな気分ではない。考えようによっては、今後の事を言い出すチャンスかと思われたが。

 

(向こうも何やら話があるようだし、いきなりそんな事を言い出して引かれたらどうする……? それにナッツの気持ちの問題もある……)

 

 彼女と距離が近いせいか、どうしても意識して、緊張してしまう。彼はフリーザ軍の中でもトップクラスの戦闘員として、それなり以上にモテてはいたが、妻以外の女性と、親しく付き合った経験など無かった。

 

 そして間に座るナッツは、二人がもじもじと沈黙しているのを見て愕然とする。

 

(二人ともこれじゃあ、話が進まないわ!? 何とかしないと!?)

 

 少女は少しの間逡巡してから、意を決して言った。

 

「ね、ねえ……私の尻尾、ブルマも触ってみる?」

「なっ!?」

「? じゃあちょっとだけ……」

 

 激しく驚愕するベジータの姿に困惑しながら、彼女は父親の手に巻かれたままの少女の尻尾に手を伸ばす。月の光を浴びて、つやつやと輝くその毛皮に触れたブルマは、彼女が持つ最高品質のコートにも劣らない、その手触りに感嘆する。

 

「凄く良い手触りじゃない、これ……」

「そうでしょう? 毎日しっかり手入れしてるのよ」

 

 尻尾に触れるブルマと、くすぐったそうに笑っている娘の姿を、父親は信じられないものを見るような目で見ていた。サイヤ人にとって、尻尾は力と誇りの象徴であり、大切なそれを触らせるという事は、その人間に深く心を許している事を示していた。それこそ、家族同様に。

 

 たとえ恋人同士であっても、尻尾は触らせないという関係もあるほどだというのに。安心しきった様子で尻尾を任せている娘とブルマとの間に、いったい何があったというのか。そして、娘がそれを自分に見せた意図は。

 

 一つの可能性が脳裏に浮かぶ。彼はまさかと思いながら、ブルマの目を見て問い掛ける。

 

「ブルマ……お前はオレに、何の用があるんだ?」

「……ナッツちゃんから、あんたが、こんな所で一人でいた理由は聞いたわ」

 

 彼女もまた、彼の目を見返しながら、そう応えた。




 少し短いですが、とりあえず書けた分を。一応次の話でトランクスが生まれまして、次の次でようやく人造人間が来る予定です。

 あと最近、感想が少なくて寂しいですので、良ければ何か書いて頂けると嬉しいです。評価、お気に入り等もありがたく受け付けております。

 次回は少し遅くなるかもしれませんが、気長にお待ち下さいませ。


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12.彼女に弟ができるまでの話(後編)●

「……ナッツちゃんから、あんたが、こんな所で一人でいた理由は聞いたわ」

「……そうか」

 

 ベジータは半分欠けた月を見上げる。その眼差しは、どこか遠くを見ているようで。憂いを秘めた彼の横顔に、ブルマは彼の抱える孤独を、改めて目の当たりにした心地だった。

 

 普段の彼からは想像もできないほど、繊細で傷つきやすそうなその姿に、とくん、と、彼女は不意に、胸が高鳴るのを感じた。目の前の寂しそうな彼の事を、放っておけないと強く思う。

 

 そしてベジータの方も、彼女を前に、内心穏やかな気分ではなかった。つい先ほどまで、意識していた相手が、いきなり目の前に現れたのだから。しかも何があったのか、ナッツとかなり親密な様子で。

 

 元々初めて会った日から、優しく世話を焼いてくれるブルマに対して、娘は良い感情を抱いていたが、尻尾にまで触れる事を許すのは、サイヤ人からすれば、その相手を恋人や家族として考えている事に等しい。

 

 つまりそれは、彼女と再婚するという話になっても、おそらくナッツは反対しないだろうという事で。

 

「「…………」」

 

 ナッツを挟んで同じベンチに座るブルマとベジータは、互いに気恥ずかしくなって、微妙に目線を逸らしてしまう。手持ち無沙汰になった二人は、隣に座る少女の尻尾と頭を、同時に優しく撫で始める。

 

 二人掛かりで子猫よろしく撫でられているナッツは、とても上機嫌な様子で、父親の手に頭を擦り付け、ブルマの手にある尻尾の先端をゆったりと動かしていた。両隣に大好きな父親とブルマが座っていて、二人もまた自分の事を、愛しているのだと感じられるのが、とても心地良いと思った。

 

 強敵と戦う時の血の昂ぶりや、怯える相手を殺す時の、ぞくぞくするような感じも好きだったけど、今この時のような、安らかで心が温まるような感じも、同じくらい好きだと思った。幸せそうに微笑んでいる少女の姿は、サイヤ人の成長の遅さも相まって、年齢よりもとても幼く見えた。

 

 そんなナッツの姿を見て、父親とブルマも、穏やかな笑みを浮かべた。気付けばブルマは、気負いも緊張も、すっかり解けているのを感じていた。心が命じるままに、ベジータに声を掛ける。

 

「ねえ、ベジータ」

「……何だ?」

 

 二人の視線が絡み合う。少女を挟んで向かい合った彼らは、互いに相手への好意を感じ取っていた。二人とも経験豊富というわけではないけれど、こうした事は、初めてではなかった。

 

 ここで思いの丈を、告げてしまおうかとブルマは思ったけれど、その前に、けじめをつけておかねばと思った。そしてそれは、ベジータの方も同じ気持ちだった。

 

「ナッツちゃんのお母さん、リーファさんがいなくて、寂しいんでしょう?」

「……ああ」

 

 その名前を聞いた瞬間、少女と父親が、小さく顔を伏せるのをブルマは見た。彼女の事を、彼らがまだ愛していて、きっとそれは、この先一生変わらないのだろうと、ブルマは確信する。けど、それでも構わないと思った。

 

「……そんなに寂しいんだったら、ドラゴンボールでまた会いに行ったらどう? 人造人間が来るまでに1年半近くあるんだし、1年経てばまた使えるんだから、今使っても大丈夫よ?」

 

 むしろ勿体無いから、こっそり自分が使おうかと思っていたくらいだ。カプセルコーポレーションの財力を使えば、大抵の事はどうにかなるけれど、お金でどうにもできない事なんて、いくらでもある。例えば、幼くして母親を失った娘と、その父親の寂しさを埋めるような。

 

 地獄にいる彼女の事は、自分からすれば恋敵に当たるのだろうけど、悪い感情は一切湧いてこなかった。会った事はないけれど、不思議と仲良くできそうな気がした。この父親と娘に、ここまで慕われるのだから、きっと素敵な人なのだろうと思った。

 

 ブルマの言葉に、ベジータは淡々と応える。確かにそれも、考えた事はあったのだが。

 

「それで会えるのは、1日だけだ。その1年の間に、とんでもない奴が地球にきて、オレやカカロットが殺されたらどうする?」

 

 そのせいで、取り返しのつかない事態にでもなったら、悔やむに悔めない。超サイヤ人である今の自分達は、宇宙の帝王を自称して、事実銀河の大部分を支配していたあのフリーザよりも強いのだから、常識的に考えれば、それより強い相手はほとんどいないはずなのだが。

 

 宇宙は果てしなく広い。破壊神ビルスのような規格外の存在は実在するし、その他にもまだ未知の強敵がいないとも限らない。

 

「それに人造人間とやらが、時間通りに来てくれるとは限らないだろう?」

 

 父親は言いながら、隣に座る娘の身体を抱き寄せる。

 

「と、父様……?」

 

 戸惑いながらも、嬉しそうな娘の顔を彼は見つめる。未来の自分は人造人間に殺されて、ナッツをまた一人にしてしまったのだという。我ながら殺してやりたいほどの不甲斐なさだが、あらかじめ伝えられた以上、自分は絶対に、その轍を踏むわけにはいかなかった。

 

「万が一の時のために、ドラゴンボールはいつでもすぐに使えるようにしておく。ナッツとも話し合って決めた事だ」

 

 きっぱりと言いきった彼を見て、ブルマはため息をつく。あんな辛そうな顔をするほど、寂しいと思っているくせに。

 

「……真面目よね、あなた。同じサイヤ人なのに、色々な意味で孫君とは大違いだわ」

「ちょっとブルマ。父様はサイヤ人の王子なのよ。下級戦士のカカロットと一緒にしないで」

「はいはい、ごめんなさいね」

 

 不服そうな声を上げたナッツが、尻尾を優しく撫でられて、気持ち良さそうに目を細める。ブルマの手の感触が気持ち良かったし、安心して尻尾を任せても良いと思える相手が、父様と悟飯の他にもできたのが嬉しかった。

 

 そんな娘の姿を、ほっこりした顔で眺めながら、父親は言った。

 

「……とにかく、また地獄に行くために、ドラゴンボールを使うつもりはない」

「本当に真面目なんだから。もっと軽く考えてもいいのに……」

 

 そこで何やら思いついたブルマは、いたずらっぽい笑みを浮かべて言った。

 

「ねえ、私が孫君達と初めてドラゴンボールを集めた時に、叶えた願いって何だかわかる?」

 

 その問いに、ナッツは勢いよく手を上げて回答する。

 

「わかったわ! お父様かお母様を生き返らせるためね!」

 

 それ以外に叶えるべき願いなど無いと言わんばかりに、自信満々な様子のナッツに、ブルマはちょっと困った顔で応える。

 

「幸い、2人とも死んだ事はないわね」

「そ、そうなの? まあ、良い事よね……」

 

 がっくりと肩を落とす少女の尻尾を撫でてあげながら、ブルマは彼女の父親の方を見る。

 

「ベジータはわかる?」

 

 彼は目を閉じて考える。これがリーファの奴なら、ナッツかオレに何かあればそれを願って、何も無ければ自分の病気を治す事を願うのだろうが。ベジータはブルマの性格を考えた上で、彼なりの結論を口にする。

 

「……永遠の命と若さでも願ったか?」

「ああ、まあそれも良いかもしれないけど、違うわね……もっと想像もつかない願いよ」

「ねえブルマ、答えはなに?」

 

 興味しんしんといった様子のナッツに、ブルマはやや引きつった顔で口を開く。

 

 

「ギャルのパンティーだったわ……」

 

 

 あまりに予想外のその言葉に、父親と娘が硬直する。

 

「えっと、パンティーって……下着のこと?」

「ええ、すぐに出てきたわ」

「当時のお前は何を考えてたんだ……?」

 

 ちょっと引き気味のベジータに向けて、顔を赤くしたブルマが叫ぶ。

 

「私の願いじゃないわよ! ドラゴンボールを奪われそうになって、連れの一人がとっさに叶えちゃったの!」

「とっさにしても、もっと良い物は口にできなかったの……?」

「あいつに言いなさいよ……まあ取られるよりはマシだったけど。あと噂だけど、レッドリボン軍の総帥は、ドラゴンボールで背を高くしたいと願ってたみたいよ」

「く、くだらなすぎるわ……ドラゴンボールを何だと思ってるの……?」

「……」

 

 呆れた顔の娘の横で、父親は黙り込んでしまう。男の戦士としては小柄な方で、見かけだけならナッパの方が強そうと常々言われてきた彼としては、背丈が欲しいという気持ちは、少し判らないでもなかった。

 

 無論、実際にドラゴンボールでそれを叶えるような、馬鹿らしすぎる真似をするつもりは無かったが。

 

 

 

「はっくしょん!」

 

 その時、地獄にて、身動きできない姿で木から吊り下げられて、ファンシーな光景をひたすら見せつけられる刑罰を執行中のフリーザが大きなくしゃみをした。

 

 この十数年後、復活した彼がドラゴンボールで身長を5センチ伸ばすべく地球に来るのだが、それはまた別の話だ。

 

 

「お前達地球人が、ドラゴンボールを軽く扱っているのは解ったが、オレ達が同じ事をするつもりはない」

 

 きっぱり言い切られて、脈無しと判断したブルマが話を変える。

 

「じゃあ、占いババのところはどう? 死んだ人間をあの世から連れてくる事ができる人よ。まあちょっとお金は取られるかもしれないけど、それほど大した額じゃないわ」

 

 ナッツがたまに気晴らしに宇宙に行って、賞金首などを倒して稼いでくるお金は、ブルマの指示で、全てお小遣い帳に記録させてある。綺麗な字で書かれた数字を見る限り、既に常人なら一生遊んで暮らせるほどの額が貯まっていて、金銭感覚が崩れてないかしらと、ブルマが密かに心配しているほどだ。

 

 昔占いババに提示された1000万ゼニーは、あくまで占いの代金で、死者に会わせてくれるかは分からなかったけど、がめつそうな婆さんだったし、お金を積んで頼めばやってくれるのではないかと、ブルマは思っていたが。

 

「その人なら知ってるわ。カカロットから教えてもらったの……」

 

 悲しそうな少女の表情で、ブルマは何があったのかを悟る。

 

「……駄目だったのね」

「……母様は地獄に落ちるような悪人だから、連れて来るわけにはいかないって言われたわ」

 

 思い出したのか、目の端にわずかに涙を見せるナッツを見て、ブルマは怒りに拳を震わせる。

 

「あの業突く婆さん……! こんな良い子がお母さんに会いたがってるんだから、叶えてあげたっていいじゃないの!」

「ううん、ブルマ。それは違うわ。私達は悪人なのよ」

 

 ナッツは首を振る。戦闘民族である私達サイヤ人は、宇宙のあちこちで戦って、数えきれないほどの星を滅ぼしてきた。惑星ベジータの消滅から20年近くが経った今でも、サイヤ人という種族の名は恐怖と共に語られていて、地球以外の星では、黒目黒髪の人間が尻尾を隠さずに歩けば、即座に軍隊が飛んできてもおかしくない程だ。

 

 その悪名は、裏を返せばサイヤ人という種族の強さの証明だった。星を滅ぼすような行いが、世間一般で悪と呼ばれている事は承知の上で、それも含めて、少女は自分に流れるサイヤ人の血を誇りに思っていた。だから都合の良い時だけ、自分達が悪人で無いなどとは、口が裂けても言えなかったのだ。

 

 9歳の少女が、たどたどしく口にした説明に、ブルマは苦笑しながら言った。

 

「やっぱり真面目だわ。ナッツちゃん、お父さんにそっくりね」

「そ、そうかしら……?」

 

 照れたように、少女は笑う。宇宙で一番大好きで尊敬している父親に似ていると言われた事が、とても嬉しかった。

 

「けど、ドラゴンボールも占いババも駄目なら……神様とか、何かあの世とのコネとか持ってないかしら? それともタイムマシンみたいに、あの世に行ける機械とか……」

 

 実現すれば確実に銀河法違反となるだろう思考を巡らせるブルマに、ナッツは微笑みかける。

 

「ありがとう、ブルマ。けどいいの。母様はいつも地獄から私達を見ていてくれるし、いつかは必ず会えるんだもの。そうですよね、父様?」

「……ああ、そうだったな」

 

 父親は表情を引き締める。そうだ、独りで寂しがって、娘が泣いているのにも気付かないような、情けない今の自分をあいつが見たら、どう思うだろうか。寂しいのは向こうも同じなのだ。ならばせめて、心配を掛けるわけにはいかない。

 

 一瞬で変化したベジータの雰囲気に、ブルマは目を見開いた。顔を上げて娘の頭を撫でる彼の姿は、普段よりもなお頼もしく、まさに家族を支える父親のように見えた。きっとこれが、リーファさんがいつも見ていた彼の姿なのだろう。

 

「妬けちゃうわ、本当に」

 

 思わず呟いた彼女の顔を、ベジータは見て、愕然とする。それは紛れも無く、気心の知れた同居人に対する顔ではなく、好意を持つ異性へ対する、切なげな顔だった。

 

 まじまじと自分を見る彼の視線を感じて、先の発言を思いだし、今更ながら慌てふためくブルマ。

 

「い、今のは、そんなのじゃなくてね!?」

「あ、ああ……」

 

 二人が互いに、顔を赤らめて視線を逸らす。そして再び、ゆっくりと二人の視線が交差しようとした、その時だった。

 

「ふあぁ……」

 

 二人の間に座っていたナッツの口から、可愛らしいあくびが漏れる。気付けば時刻は、とっくに0時を過ぎていた。戦闘時や満月の日を除けば、いつも夜9時には寝てしまう少女にとって、起きているのが辛い時間帯だった。

 

 眠たそうに目をこする少女の様子を見て、ブルマとベジータは小さく笑う。

 

「ナッツちゃん、そろそろ寝る時間かしらね」

「ああ。あまり夜更かしすると、背が伸びなくなってしまうからな」

 

 言って二人は、手にしていた缶コーヒーの残りを口にする。今夜はここで解散という雰囲気だったが、この一晩で、ずいぶん距離が縮まったような気がした。

 

 一方ナッツは、内心焦りを感じていた。

 

(今、結構良い雰囲気だったんじゃないの!? 私があくびなんてしたせいで!)

 

 母様だって承知の上なのだ。ここで大好きな二人の仲を、応援してあげねばならない。

 

「あ、あのっ、父様!」

「ど、どうした、ナッツ?」

 

 父親に向けて、ナッツはとっさに、思いついた事を叫んだ。

 

 

「そのっ、ほ、本で読んだのですが、宇宙の王族の約8割は、複数の妻を娶っているとかっ!」

 

 

 ベジータとブルマが、飲んでいたコーヒーを同時に吹き出した。

 

 ごほごほと咳き込みながら、父親が娘に問い掛ける。

 

「ナッツ……それはいつ読んだ本だ?」 

「? この間買ってきた本です」

 

 いつものように悪人達を倒して帰ってくる時、悟飯へのお土産を探す為に立ち寄った本屋で見つけて、王族として読んでおかねば! と思ったのだ。同じ本を、かつて母親も読んでいた事は、知らないままで。

 

「そうか……」

 

 自分とブルマを、交互に見つめる娘を見て、その意図を察した父親は、内心頭を抱えてしまう。娘からも妻からも、自分はそこまで心配されるほど、寂しがり屋に見えていたのか。我が事ながら、否定できないのがもどかしい。

 

「すまない」

「えっ?」

 

 ここにいない相手に届くように、はっきりと一言謝ってから、きょとんとしているブルマに、彼は意を決して話し掛ける。

 

「ブルマ、良かったらまた、こんな風に話をしないか?」

「え、ええっ? い、いいけど……」

 

 いつになく積極的な彼の言葉に、胸が高鳴るのを感じた彼女は、いつもの冷静な思考もどこへやら、とっさに思い付いた事を口にする。今日みたいな半分欠けた月は、あまり縁起が良くないと思って。

 

「それじゃあ、次の満月の夜とかどう? あなた達サイヤ人って、月が好きなんでしょう?」

 

 その言葉に、ナッツは顔を真っ赤にして俯いてしまう。

 

「あ、あの、私、満月の夜は訓練に出てますから……その、ごゆっくり……」

「待てナッツ! 何をゆっくりさせる気だ!?」

「そういう意味で言ったんじゃないのよ!?」

 

 夜風はまだ冷たく、月明かりも乏しいものだったが、三人が織りなすその騒々しさは、寂しさとは無縁のもので。

 

 二人を見つめて、温かな気持ちに包まれながら、ナッツは欠けた月を見上げて呟いた。

 

「これで良いんですよね、母様」

 

 悪人であるナッツに、地獄にいる母親と会話する術はない。ただこの瞬間、確かに少女の耳には、彼女の声が聞こえた気がした。

 

「母様、約束したとおり、母様からもらった命で、私は幸せな一生を過ごします。母様の事は、ずっと忘れません。父様と一緒に、必ずまた会いに行きますから、どうか見守っていて下さい」

 

 気付けば少女の瞳からは、涙が溢れていて。父親とブルマも、彼女の母親への思いを胸に、美しい夜空に浮かぶ月を見上げていた。

 

 半分欠けた月もまた、ずっと彼らを見守っているかのように、輝いていた。

 

 

 

 それから約1年後、西の都の病院にて。

 

 上等な仕立ての子供服を着たナッツが、父親と共に病室の前でおろおろと歩き回っていた。病室の中からは、断続的に苦しげな声が聞こえてくる。

 

「ブルマ、本当に大丈夫かしら……」

 

 明け方に彼女が運び込まれてから、時刻は既に夕方になろうとしている。こんな長時間戦い続けるなど、サイヤ人にとってもかなりの負担になる。ましてやブルマは、ただの地球人なのだ。

 

(母様も私を生んでくれた時、こんなに大変な思いをしていたのね……)

 

 心配して見に来た悟飯が、食べ物を買ってきてくれていたが、とても食べる気はしなかった。

 

 どうか無事であって欲しいと、ナッツ達が祈り続けていると、不意に部屋の中から歓声がわき起こる。少女と父親が表情を変えて、病室の扉を注視する。すぐに出てきた女性看護師が、笑顔で彼女達に言った。

 

「お生まれになりましたよ! 赤ちゃんも奥様も無事です! どうぞ中へ!」

 

 次の瞬間、看護師の前から二人の姿が消失し、彼女の目が点になる。地球人に視認できない速度で、かつ人や物にはぶつからないよう細心の注意を払いながら、父親と娘はブルマが横たわる、病室のベッドへ駆け寄った。

 

 そして彼らが目にしたのは、中にいたブリーフ博士達に見守られながら、疲れ切った、しかし満足そうな表情で、赤子を胸に抱くブルマの姿だった。

 

「その子が……私の弟なの?」

「ええ、そうよ……抱いてみる?」

 

 ゆっくりと、母子に近寄るナッツ。父様が先じゃないのかとか、そういう事は考えられなかった。

 

 差し出された赤子を、壊れ物でも扱うかのように、おそるおそる抱き上げる。事前に聞かされていたとおり、尻尾は生えていなかったが、そんな事はどうでもよかった。言葉にできない感情で、胸がいっぱいになっていた。

 

 物心ついた時から、少女にとって家族と呼べる人間は両親だけで、そして母親とは、ほんの数年で死に別れてしまった。もちろん父親は精一杯の愛情を注いでくれて、大事な友達もできたけど、寂しいと思う気持ちを心の奥底に抱えたまま、ナッツは生きてきた。

 

 けれど母様は、死んだ後も私達を見守っていてくれて、それにブルマは私と父様の事を愛してくれていて、そして今、父様とブルマの間にこの子が、私の弟が生まれたのだ。家族が、また増えたのだ。

 

 感慨に浸る少女の耳に、父親とブルマの声が届く。

 

「子供の名前は、やはり?」

「ええ、トランクスにするわ。サイヤ人らしくなくて、悪いけど……」

「気にするな。一人目のナッツはサイヤ人だから、ちょうどいい」

 

 そんな二人のやり取りを聞いて、ナッツは赤ん坊に笑い掛ける。

 

「聞いた? あなたの名前、トランクスですって」

 

 名前が気に入ったかのように、赤子はナッツの顔を見て、嬉しそうに笑った。その瞬間、ナッツはこの子を、弟を、一生、命に代えても守りたいと思った。愛おしさが無限に込み上げてきて、優しく微笑む姉と弟を、父親がすかさず撮影する。今まで撮った中で一番、穏やかで優しげな表情だった。

 

 父親のスカウターに目線を向けながら、少女は考える。これからおよそ半年後に、人造人間が世界を滅茶苦茶にしてしまうという。そして父様、この子と私にとっての父親は死んでしまうとも。ナメック星での父親の死を思いだし、ナッツの身体が震える。あんな思いは、一度でたくさんだ。

 

「トランクス。あなたには決して、あの時の私みたいな、寂しくて悲しい思いはさせないわ」

 

 幼い弟を抱く娘を撮影していた父親が、驚きに目を見開く。穏やかだったナッツの表情が一変して、決意を秘めた戦士としての顔付きになっていた。整った顔立ちに浮かべた凛々しい表情は、彼女の母親を彷彿とさせるものだった。

 

 

 それからナッツは父親と共に弟の面倒を見ながら、今まで以上の訓練に取り組んでいた。

 

「はぁっ、はぁっ……」

「ナッツ、やはり300倍の重力は、お前にはまだ……」

「そんな事、言ってられません……私ももっと、戦闘力を上げないと……」

 

 疲労困憊し、重力室の床に何度も倒れながらも、メディカルマシーンで回復して、そして時折、弟と遊んでその決意を新たにしながら、少女は厳しい訓練を続ける。

 

 そしてついに、エイジ767年5月12日、人造人間が現れると、謎の少年に予告された日がやってきた。




色々あって遅くなってしまいましたが、これにてトランクスが生まれるまでの話は終わりです。次回からはいよいよ原作通りに人造人間が出ます。次も少し遅くなるかもしれませんが、今回ほどは長くならないと思いますので、気長にお待ちくださいませ。

それと一月近く間が空いていた間も、感想や評価やお気に入りなどを頂きまして、本当に有難うございます。けっこう下の方に埋もれてたのに、改めて読んで下さった方がいるんだなあと、続きを書く励みになっております。


……それから、阿井 上夫様から主人公のファンアートを頂いたので掲載します!


【挿絵表示】


{IMG70064}

1枚目が全身図で、2枚目が第7話で魔閃光とギャリック砲を撃ち合っているシーンですね! 原作テイストでとても可愛らしい感じです! 2枚目は7話の後書きにも載せておきます!
……実は頂いたの結構前なのですが、掲載遅れてしまって申し訳ないです! そして有難うございます! うちの主人公を描いて下さってとても嬉しかったです!


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13.彼女が人造人間との戦いに赴く話

 エイジ767年5月12日、午前8時。

 

 早起きして身体を清め、食事を済ませたナッツは、自室で戦闘服へと着替えていた。真新しい黒のプロテクターと、紫のアンダースーツに黒のブーツは、デザインこそかつて彼女の母親が選んだものだったが、この日の為にブルマが新しく作ったもので、その性能はフリーザ軍で採用されている、最新式の戦闘服を大きく上回っている。

 

 少女はそれらを身に纏い、尻尾をしっかりと腰に巻き付けてから、自らの姿を鏡で確認する。特徴的な長い黒髪を持ち、全身から静かな闘志を発する、凛々しい顔立ちの少女。幼いながらも、これから戦いに赴かんとしている、サイヤ人の戦士がそこにいた。

 

「よし! 待ってなさいよ、人造人間!」

 

 ボリュームのある長い髪をかき上げて、勇ましい声で気合いを入れる。この日のために、今まで厳しい訓練に励んできたのだ。300倍の重力にも、1時間程度なら耐えられるようになった。

 

 今の私の戦闘力は、およそ480万に達している。これでもまだ父様には、遠く及ばないけれど、足手纏いにはならないはずだ。父様を死なせはしないし、幼いトランクスのためにも、人造人間は必ず倒さなければならない。

 

 少女の黒い瞳に、決意の炎が燃えていた。この時ナッツは10歳になっていたが、純血のサイヤ人である彼女は、子供時代の成長が遅いため、背丈がわずかに伸びた程度で、5年前に初めて地球を訪れた時と比べても、肉体的にはさほどの変化はない。

 

 だが積み重ねてきた様々な出会いと経験が、彼女の内面に影響を与え、その表情を、より大人びたものに見せていた。

 

(出発する前に、ブルマとトランクスに会いに行かないと)

 

 ナッツは部屋を出て、彼らがいる居間へとやってきた。先に準備を済ませた父親が、ブルマと共に、普段の彼からは想像できないほど優しい顔で、彼女の弟を抱き上げている。その様子を見て、少女は頬を緩めて声を掛ける。

 

「父様、私も準備ができました」

「ああ。お前もトランクスを抱いていくか?」

「もちろんです、父様!」

「ほらトランクス、お姉ちゃんが来たわよ」

 

 母親の声に、ベジータの腕の中にいた赤ん坊が、ナッツの方を見て、嬉しそうな声を上げる。父親の手から幼い弟を受け取った少女は、微笑みながら、いつものように尻尾を解いて彼に近づける。

 

 トランクスはすぐに小さな両手で、ふさふさの毛に覆われた尻尾を掴み、きゃっきゃと笑いながら、その手触りと温もりを思う存分堪能する。無遠慮に尻尾を触られながらも、ナッツは全く気にせず、幸せそうな顔で、腕の中の弟を眺めている。

 

(トランクス、いつ見ても宇宙一可愛いわ……! この年にしては戦闘力も悪くないし、私や父様が鍛えれば、きっと将来はとっても格好良くて強い戦士になるに違いないわ!)

 

 先程鏡の前にいた少女と、同一人物とは思えない程に、ナッツはでれでれと緩んだ顔をしていたが、弟が口に尻尾を含み始めたあたりで、びくんと身体を震わせ、くすぐったそうに身をよじる。

 

「もう、駄目よトランクス。くすぐったいわ……あはははっ!」

 

 耐えきれず大笑いを始めた少女の手から、ブルマが赤ん坊を受け取った。ナッツは息をつきながら、ウェットティッシュでよだれを拭き取ると、再び尻尾を腰に巻いた。

 

 それを見たトランクスが、名残惜しそうに声を上げながら手を伸ばす。少女は幼い弟に顔を近づけて、優しく微笑みながら言った。

 

「また帰ってから遊んであげるわ、トランクス。あなたが幸せに生きる未来は、私と父様が、必ず守ってあげるから、良い子にしてるのよ?」

 

 きゃっきゃと笑う弟を見て、ナッツは満足そうに頷いた。

 

「それじゃあブルマ、行ってくるわ。トランクスをよろしくね」

「あの、その事なんだけど……」

「どうした? ブルマ」

「うん、科学者の端くれとして、人造人間ってのを、ちょっと見てみたいのよ」

 

 その言葉を聞いた父親と娘が、顔色を変えて叫ぶ。 

 

「絶対に駄目よ!? だいいちトランクスはどうするのよ!?」

「お前は家で待ってろ! ……認めたくないが、正直今回は守れる自信が無い」

「もう。言われなくても分かってるわよ。トランクスもいるし、そんな危ない真似しないわ。その代わりに、これを持って行って」

 

 ブルマは苦笑しながら、彼らに赤と緑のスカウターを手渡した。ナッツは緑の方を受け取って、しげしげと眺めてから装着する。

 

「うーん、特に変わった所は無いみたいだけど……」

「そのスカウターはね。あなた達が見た映像を、リアルタイムでうちの受信機に送れるようになってるの。安全な場所から、私と父さんで見学させてもらうわ。そうすれば、奴らの弱点とか判るかもしれないでしょう?」

「おお……!」

「通信機能はそのまま残してあるから、何か大事なことが判った時だけ、こっちから連絡するわ」

「……まあ、必要ないとは思うが。念の為にもらっておく」

 

 そしてベジータも赤のスカウターを装着し、二人はブルマ達に手を振って、人造人間が現れると予告された島へと向かって飛び立った。

 

 

 

 父親と並んで戦場へと向かいながら、ナッツの心は、得体の知れない不安に捕らわれていた。

 

(今日の戦いに、もし負けたりしたら、トランクスやブルマ達が……)

 

 険しい表情をした娘に、父親が声を掛ける。

 

「ナッツ、もう少し気を楽にしろ。そんなに急がなくても間に合う」

「は、はい、父様!」

 

 慌てた様子で、少女は返答する。気付けば父親よりも、かなり先行して飛んでしまっていた。深呼吸して速度を落とす娘に、父親が近づいて、わしわしと頭を撫でながら言った。

 

「トランクス達の事が、気になるか?」

「はい、父様……」

「心配するな。人造人間は2人組という話だから、オレとカカロットがいれば十分だ」

 

 そして父親の次の言葉は、ナッツにとって驚くべきものだった。

 

「それでも万が一の時は、お前がいる。3年前はともかく、今のお前が大猿になれば、オレとカカロットを合わせたよりも強いだろうからな」

「と、父様!? そんな……!」

 

 それは父親を敬愛する少女が、今まで目を逸らしてきた事だった。今の彼の戦闘力は、およそ1600万で、超サイヤ人になっても8億程度。悟空もそれとほぼ変わらない。

 

 対して、超サイヤ人になった上で、さらに大猿に変身したナッツの戦闘力は、最大で20億を超えている。人造人間を倒すべく訓練を続ける中で、ある時点から、彼女は地球にいる戦士の中で、最も強い存在になっていた。

 

「けどそれは! 父様が尻尾を、一時的に失くしているからで! 本来は父様が、宇宙で一番強いはずなんです!」

 

 悲壮な声で、少女は叫ぶ。ナッツにとって、サイヤ人は尻尾を持っているのが当たり前の話で。だから今この時、たまたま尻尾を持つ自分だけが大猿になれるからと言って、それで自分が父親よりも強いというのは、到底認められない話だった。

 

「気にするな。オレの尻尾は、そのうち生えてくる。だが今は、トランクスやブルマ達を守るために、お前の力が必要なんだ」

 

 真剣な顔をした父親の言葉が、少女の心に、強い衝撃を与えていた。ずっと父様達に守られる子供だと思っていた私の力が、今父様に、必要とされているなんて。

 

 ほんのわずかな寂しさと共に、深い感動と、一人前の戦士としての自覚を得た少女は、父親の顔を真っ直ぐに見つめて言った。

 

「……わかりました、父様。万が一、いえ、億が一父様達が負けてしまっても、人造人間は、私が必ず叩き潰します」

 

 引き締まった娘の、大人びた表情を見て、父親は小さく驚くと同時に、嬉しさと頼もしさを覚えて、満足そうに笑う。

 

「その意気だ、ナッツ。まあ、あくまで万が一の話だがな」

「そうですよね。こんな平和な星の科学者が作ったロボットが、超サイヤ人の父様達より強いなんて、あるはずないですからね!」

 

 およそ3時間後、その超サイヤ人より強い人造人間が3体も現れるとはつゆ知らず、二人は明るい笑い声を上げる。

 

「ところで父様、私、今のうちに変身しておいてもいいですか? 万が一の時の事を考えるなら、そうしておいた方が……」

 

 大猿への変身は、超サイヤ人と違って時間が掛かる上に、変身中は満足に動けない。相手との実力差によっては、変身が終わるまでに殺されるか、尻尾を切られかねないが、あらかじめ変身しておけば関係無い。

 

 娘の提案に、父親は腕を組んで考え込み、難しい顔で言った。

 

「良い考えだが……オレが人造人間の立場なら、大猿になったお前が待ち構えている場所に、のこのことは現れないだろうな。日を改めて、お前が変身していない時を狙う」 

「そ、そうですね……」

 

 ナッツの額に、わずかな汗が浮かぶ。大猿の巨体は、隠れるのには全く向かない。ギニュー特戦隊のおじさん達と戦った時は、戦闘力を消して不意を打つ事ができたけど、あれは条件に恵まれたのと、運が良かっただけだ。

 

 ただでさえ、私は戦闘力を消すのが苦手なのだ。たとえどうにか身を隠せたとして、気性が荒い大猿の状態で、戦闘力を長時間隠し続けるのは無理だろう。そもそも、パワーボールで作った月が目立ちすぎる。

 

 相手の出現する場所が判っているというのは、人造人間に負けてしまったという、未来の私達には無い大きな利点の一つだ。大猿化した私が厄介だからと、寝込みとか毒とか、手段を選ばずに襲われても困ってしまう。

 

「変身するのは、追い詰められた時か、相手を確実に仕留めきれる時だけにするべきだろうな」

「わかりました、父様」

 

 

 

 それから間もなく、ナッツは前を飛んでいる友人に気付き、ぱあっと顔を輝かせて速度を上げる。すぐに彼の隣に追い付いて、嬉しそうに少女は挨拶する。

 

「おはよう、悟飯。調子はどう?」

「うん。ばっちりで……」

 

 続けようとした悟飯は、少女の顔を見て息を呑む。すっかり見慣れたはずの彼女の顔が、今日は何だか、いつもよりも大人びて、綺麗に見えたから。恋する9歳の少年にとって、それは致命的な威力の不意打ちだった。

 

「え、えっと……」

 

 真っ赤になってあたふたする彼を見て、ナッツはひとつ頷くと、彼を安心させるように、顔を近づけて微笑んだ。

 

「緊張してるのね。大丈夫よ、悟飯。人造人間がどれだけ強いか知らないけど、父様もカカロットもいるし、いざとなったら、私が大猿に変身するから」

「ち、違っ、顔、近っ……!?」

 

「……いいなあ。オレも恋人欲しいなあ」

 

 微笑ましい彼らの様子を見て、ため息と共に呟いたクリリンの頭部が、白いグローブを嵌めた手にがしりと掴まれる。父親はぎりぎりと手に力を込めながら、強引に自分の方を向かせて、ドスの聞いた声で言った。

 

「訂正しろ。ナッツと悟飯は、あくまで清い友人関係だ」

「アッハイ」

「なあベジータ、清くねえ友人関係ってのもあるのか?」

「カカロット! よく知らないなら黙っていろ!」

 

 ぎゃーぎゃー騒ぐ父親達をよそに、悟飯はナッツと会話を続ける。

 

「ボク、超サイヤ人にもなれないし、その、尻尾も無いし……修業はしたけど、足手纏いなんじゃないかって……」

「そんな事無いわ。素の戦闘力は、あなたの方がずっと高いじゃない。尻尾だって、きっとそのうち生えてくるわ」

 

 落ち込み気味の悟飯に、ナッツは弟にするように、優しい声を掛ける。トランクスが生まれて以来、彼女は年下の彼に対して、お姉さんぶる事が多くなっていた。

 

 3年もの間、訓練と勉強を続けた彼の戦闘力は、今や750万もあるのだ。必死に訓練した私よりもずっと高いのは、ちょっと思うところはあるけれど、ナメック星でフリーザ相手に怒った時の力を考えると、きっとこれが、悟飯の本来の実力なのだ。

 

 自分の力を超えられてしまっても、少女は悪い気はせず、むしろ嬉しかった。自分もいつか追い付いてあげると思っていたし、それとは別に、ナッツは自覚していなかったが、自分よりも強いサイヤ人の少年に対して、サイヤ人の少女は本能的に、惹かれるものを感じていた。

 

「超サイヤ人は……悟飯は優しいから、激しい怒りを感じるのが難しいのよね」

 

 一応どうにかならないか、二人で訓練してみたのだが。

 

 

「じゃあ、カカロットや私がフリーザに殺されたって想像してみて?」

(ナッツが目の前にいるのに無理だよ……)

 

 

 訓練の合間の息抜きとして、ちょくちょく家にナッツが遊びに来る悟飯の生活は、端的に言ってリア充状態であり、実際目の前で彼女達が害されているのならともかく、想像だけでそこまで怒れるような心境ではなかったのだ。

 

「大丈夫よ。今日はあんまり前に出ないでいいわ。あなたの事も、私が守ってあげるから」

 

 悪気なく放たれたナッツの言葉に、悟飯は表情を曇らせてしまう。好きな女の子から、そんな事を言われてしまった自分の力不足を嘆く気持ちと、もっと強ければ、逆に彼女を守ると言えたのにという悔しさが、少年の中で渦巻いていた。

 

「……守ってもらわなくてもいいよ」

「えっ!? ど、どうしたの悟飯!?」

 

 うろたえる少女に、話を聞いていたピッコロが言った。

 

「今のはお前が悪いぞ、サイヤ人。悟飯にも戦士としてのプライドがある」

 

 種族的に恋愛という感情を理解できないピッコロの指摘は微妙にずれていたが、ナッツにとっては、逆にそれは判りやすいもので。

 

「そうね、ごめんなさい、悟飯。あなたもサイヤ人の戦士だものね。何かあっても死ななければメディカルマシーンで治せるから、今日は立派に戦うといいわ」

「う、うん……」

 

 彼の返事に、ナッツは満足そうに頷いた。本当は死んでもドラゴンボールで生き返る事が可能なのだが、たとえそうだとしても、少女は親しい人間が目の前で死ぬ所など、二度と見たくはなかった。

 

「そうだ。ピッコロも気を付けてよね。訓練して結構強くなったみたいだけど……」

「? ドラゴンボールの事なら、心配はいらん。オレ達が死んでも、すぐにデンデが引き継げると、神の奴が言っていた」

 

 数年前に、ナメック星に里帰りした神様が戻る際、希望して地球にやってきたデンデは、神様とミスターポポの2人から、後継者としての教えを受けていた。持ち前の天才性で、既にそのほとんどを習得したデンデは、北の界王からの許可も得て、既に次の神として内定が出ている。

 

「ドラゴンボールの事じゃないわ。もしあなたが死んだら、悟飯が悲しむでしょう? それに神様まで死んじゃったら、私が嫌だもの」

 

 少女の言葉と、心配そうな悟飯の顔を見て、二重に衝撃を受けたピッコロは、思わずたじろいでしまう。

 

「ご、悟飯はともかく。貴様と神の奴に何の繋がりがある」

「あの人は、毎年私の誕生日パーティーに来てくれるのよ。プレゼントに美味しいお菓子も持ってきてくれるわ」

 

 ナメック星への里帰りから戻って以来、神様は故郷に帰るきっかけを作った少女に深く感謝して、何かと親しく接してきた。

 

 誕生日プレゼントの他にも、満月の夜に大猿化したナッツが暴れる際、さり気なく神通力を使って人を遠ざけ、また彼女によって破壊された地形を修復するなどの後始末もしている。

 

 ナッツの方も、お返しをしようと神様の誕生日を聞いたところ、知らないと言われたので、その日を誕生日に決めて、毎年プレゼントを贈っている。

 

 地球の物は見飽きてるでしょうと、少女が宇宙から買ってきた、物珍しい品物の数々は、どれも神様の神殿の執務室に飾られており。それらを見る度に、神様は今まで考えた事のなかった、自分の誕生日を意識して、感慨深い顔になるのだった。

 

 そんな彼らの事情を、今はまだ知らないピッコロは、ナッツの言葉に渋面になってしまう。

 

「奴とは昔から気が合わん。何でこんな奴に肩入れを……」

「神様はあなたと違って良い人よ。元は同じ人なんだから、仲良くすればいいのに」

「……今さらそんな事ができるのものか」

 

 言ってそっぽを向くピッコロに、強情な人ねと、ナッツは唇を尖らせる。

 

 これから数時間後、かつてない地球の危機を前に、神様とピッコロが融合し、後からそれを知った少女と彼らの間で一悶着が起こるのだが、それはまた、別の話だった。




 少し展開がゆっくりですが、今後のために入れておきたい描写が沢山入ってますのでご容赦下さい。地球の神様、何百年も頑張ってきたのにピッコロと融合後はミスターポポ以外ほとんど誰も気にして無かったのが少し可哀想だと思ったので、主人公が割と絡む形になってます。融合していなくなったと知ったらどうなるんでしょうね……?(罪の無い顔で)

 次はいよいよ、人造人間達が出ます。
 遅くなるかもしれませんが、気長にお待ち下さいませ。


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14.彼女が人造人間を待ち構える話●

 エイジ767年5月12日、午前9時。

 

 未来から来た謎の少年から、人造人間が現れると教えられた時刻の1時間前。ヤムチャや天津飯とも合流したナッツ達は、上空から目的の島を見下ろしていた。

 

「思ってたよりでかい島だな」

「大きな街まであるのね……」

 

 街はかなり発展しており、ざっと見て、数万人は住んでいるだろう事が伺えた。黒い戦闘服姿の少女は、顔をしかめて考える。

 

(てっきり無人だと思ってたのに、人が密集し過ぎてるわ。地球人は戦闘力が低いし、街中で私が大猿に変身して建物が崩れただけで、下手をしなくても死人が出るわね……)

 

 たとえ変身せず普通に戦っても、流れ弾で巻き添えが出る事は避けられないだろう。できるなら、それはしたくないと少女は思った。

 

 昔のナッツなら、地球人が何人死んだところで、どうでも良いと思っていたはずだ。ただ、5年近くも地球で過ごしている間、彼女が出会った地球人達は、ほぼ全員がナッツを子供扱いすると同時に、とても親切にしてくれたのだった。

 

 その気になれば私は一瞬で街一つ消し飛ばせるのに、地球人は警戒心が足りないわと、少女は内心呆れていたけれど。

 

 サイヤ人というだけで恐れられ、惑星によってはいきなり軍隊を呼ばれる事が日常茶飯事だった彼女にとって、地球人からそうした扱いを受けるのはかなり新鮮で、密かに悪くないと思っていたのだった。

 

「あらかじめブルマに頼んで、街の人を避難させておくべきだったわね……」

 

 その呟きを聞いたヤムチャが、彼女の顔をまじまじと見る。

 

「? 何よ?」

「い、いや……サイヤ人のお前が、そんな事言うんだなって……」

 

 彼の反応は好意的なものだったけど、地球人の事を心配したなんて認めるのは、戦闘民族の王族として、相応しくないと思ったから、ナッツはぷいと彼から目を背けて言った。

 

「勘違いしないで。私の近くで人が大勢死んで、銀河パトロールに目を付けられるのが鬱陶しいだけよ」

「そ、そうだよな……」

「行きましょう、悟飯。人造人間が現れるまで、周りを警戒しないと」

「えっ、ちょっと!?」

 

 言って悟飯の手を取って、そのまま離れて行くナッツ。照れ隠しのようなその態度と、手を握られて真っ赤になった悟飯の顔に、見ていた大人達は、ぐぬぬと拳を震わせる約一名を除いて、微笑ましい笑みを浮かべるのだった。

 

 

 それから二人は街を見下ろせる高台に降り立って、目立たない岩陰に腰を据えた。油断なく周囲に目をやりながら、ナッツは悟飯に言った。

 

「いい? 人造人間がどこから現れるか判らないから、悟飯は戦闘力を探るのに集中して。そっちはあなたの方が得意でしょう?」

「うん。わかったよ、ナッツ」

 

 そして自らも、目視と気配の両方で警戒を続けながら、少女は、隣に悟飯がいる事で、不思議と心が安らぐのを感じていた。そうなるとサイヤ人の一人として、まだ見ぬ強敵である人造人間との戦いを前に、思わず頬が緩んでしまう。

 

(どこからでも来るといいわ、人造人間! 父様達と私と悟飯が相手になってあげる!)

 

 よく晴れた青空の下、少年と触れ合いそうなほど近付いて身を潜めながら、ナッツはうきうきした気分で、彼らの襲来を待ち構えていた。

 

 一方、悟飯の方は、言われたとおりに気を探るのに集中しつつも、その表情はどこか暗い。彼女と近くにいる事に、若干胸躍るものは感じていたものの、この時彼の頭を占めていたのは、また別の事だった。

 

 

(大丈夫よ。今日はあんまり前に出ないでいいわ。あなたの事も、私が守ってあげるから)

 

 

 ナッツにそう言われた事を、悟飯は未だに気にしていた。彼女の方に、全く悪気はないと、分かってはいたけれど。

 

(3年前、フリーザがナッツを人質に取った時も、ボクは何もできなかった……)

 

 トランクスの来なかった本来の歴史では、痛めつけられたナッツを見た悟飯が怒りで超サイヤ人に覚醒し、彼女を救い出していたのだが、今の少年にそれを知る術はなく、仮に知った所で、気持ちは晴れなかっただろう。

 

 超サイヤ人にもなれない自分は、正直言ってこの戦いでは足手纏いだろう。にもかかわらず、変身していない素の強さは、自分の方がナッツより上と言われても、どうにも実感が持てなかった。

 

 確かに3年間、お父さんやピッコロさんと修行はしたけれど、それはあくまで常識的な範囲で。弟が生まれて以来、300倍の重力室で、時には意識を失うような厳しい訓練をしていた彼女と比べると、時間も意識もまるで足りない。

 

 それなのに、自分の方が強くなったと言われても、それは何だか違うと、引け目を感じてしまうのだった。

 

(それに、強ければいいってものでもないし……)

 

 この時悟飯が思い出していたのは、彼女が地球に来たばかりの頃、銃を持った命知らずの強盗に人質にされた時の事だった。

 

 手加減のやり方が判らず、相手を傷付ける事を恐れて手が出せなかった彼の前に颯爽と現れて、ナッツを助けてのけた格好良いおじさん。

 

 いくら格闘技のプロだといっても、銃を持っていた強盗に挑むのは命懸けだっただろうに、見ず知らずの子供のために勇気を出して立ち向かった彼の事を、悟飯は尊敬すると同時に、強い羨望を覚えていた。あんな風に、格好良い大人になりたいと思った。

 

 ミスター・サタンという名前の彼は、最近よくテレビの格闘番組に出ていて、律儀なナッツは、クレープを買い直してくれた彼の事を覚えていた。

 

「あのサタンって人、あの時のおじさんだわ!」

「格闘技の世界チャンピオン候補? うーん、世界一強いのは父様だけど、あくまでただの地球人の中での話なら……」 

「やった! ダイナマイトキックが完全に入ったわ!」

 

 そんな風に、彼女がサタンの活躍を見て嬉しそうにはしゃぐ度に、一緒にテレビを観ている悟飯は、胸がちくりと痛むのを感じていた。

 

 もちろんナッツが自分を好いてくれているのは、自惚れではなく判っていたけれど。戦いよりも勉強の方が好きな自分が、彼女が期待しているほど強くなれるのか、全く自信がなかった。

 

 学者さんにもなりたかったし、彼女を格好良く助けられるヒーローにもなりたかった。けれど激しい怒りなんて、どうすればいいのだろうか。

 

 悟飯が自分の不甲斐なさを強く嘆いた瞬間、彼の髪の毛が、風も無いのに小さくざわりと動いたけれど、隣にいたナッツは警戒に夢中で、それに気付いていなかった。

 

 

 

 それから1時間以上が経過し、現在の時刻は午前10時17分。蟻の一匹も見逃さないような警戒にも関わらず、いっこうに人造人間が現れない事に、ナッツ達は戸惑いを感じていた。

 

「どういう事だ? あの未来から来た奴の情報が間違っていたのか?」

「あの人はそんなヘマをする人じゃないわ!」

 

 訝しがる天津飯の言葉に、何故だか頭にくるものを感じて反論するナッツ。

 

「午前10時に人造人間が現れるというのは、あくまでも奴が未来から来なかった場合の話だ。奴が来たせいで、少しばかり歴史がズレても不思議じゃない」

「さすが父様! 頭が良いです!」

 

 娘から向けられる尊敬の眼差しに、今更ブルマから聞いたとも言えず、父親は内心複雑な気分で目を逸らす。実戦経験の豊富な彼は、事前の情報収集を忘れていなかった。

 

 この島の下見もその一つで、戦えば犠牲が出るだろう事も、それを娘が気にするだろう事も把握していた。その上で、住民の避難など余計な事をすれば、警戒した人造人間が出て来なくなるだろうと予想し、あえて何もしないでいたのだった。

 

 彼としても、娘に優しく接してくれる地球人達に対して、思う所が無いではわけではなかったが、それよりも娘の安全の方が大事だったのだ。

 

(悪く思うな。後でまとめてドラゴンボールで生き返らせてやる)

 

 父親が無言で街を見下ろしていた、その時だった。その場の全員が、何者かの接近を感じて即座に戦闘体勢を取る。だが感じられる気はそう強いものではなく、速度もゆっくりなもので。

 

 やがて彼らの前に現れたのは、個人用のスカイカーだった。ドアを開けて降りてきたのは、大きなマスクとサングラスで顔を隠し、腰から刀を下げた小太りの男だった。

 

「ヤジロベー、どうしたんだその格好?」

「しーっ! 名前を呼ぶんじゃねえ! ほら悟空、仙豆持ってきてやったんだよ!」

「おお、サンキュー!」

「ヤジロベー、お前は戦わないのか?」

「だから名前を呼ぶんじゃねえ! オレは命が惜しいんだよ!」

 

(あの人、カカロットやクリリンの知り合い? どうして顔を隠してるのかしら?)

 

 彼の名前を聞いても、それを知らないナッツは首を傾げていた。

 

(けど、どこかで見たような気がするわ……)

 

 不思議そうな目で、じーっ、と見つめてくる少女の視線に怯えたように、彼は踵を返し、早足でスカイカーへと向かう。

 

「じゃ、じゃあオレは帰るからな!」

 

 その瞬間、彼の腰に差された刀を見て、ふいにナッツの記憶が蘇る。

 

「あーっ!? あいつ! 父様の尻尾を切った奴じゃない!」

「やべっ!?」

 

 慌てて走り出そうとしたヤジロベーの目の前に、長い髪を金色に輝かせた少女が瞬時に現れ行く手を塞ぐ。ばちばちと気のスパークを全身に纏わせながら、透き通った青い目の少女は、嗜虐的な笑みを浮かべて言った。  

 

「ずいぶん久しぶりじゃない? せっかく会えたのに、どこへ行くのかしら?」

 

 そう言いつつも、今の今まですっかりナッツは彼の存在を忘れていた。もちろん地球に来たばかりの頃は、見つけ出して殺すべく探し回っていたのだが、殺気だった彼女が悟空達に居場所を聞いても教えてくれるはずがなく。

 

 仕方なく戦闘力の高い地球人を片っ端から尋ねても、見つかるのは関係無い人ばっかりで、素質があるから殺し屋にならんかと誘われたり、10年経ってピチピチギャルになってからまた来て欲しいと言われたりするだけで、そのうち地球の生活が楽しくなって、すっかり忘れていたのだった。

 

 気を探るのが苦手な彼女にとって、地上数百メートルのカリン塔に住んでいるヤジロベーを、彼の気配も知らないまま探すのは至難の業だったのだ。しかし今、当の本人が目の前にいる。

 

「し、死にたくねえ! オレが悪かった! 許してくれ!」

 

 ヤジロベーは地面に身を投げ出して謝るも、彼女の心は動かない。

 

「許せるはずないじゃない。お前のせいで、父様の尻尾はまだ生えてこないのよ? 私がトランクスを尻尾であやしている時、父様はこっそり羨ましそうな目で見てたんだから」

 

 可哀想な父様と、少女は呟きながら、怯える彼に、親指を曲げた掌をかざす。優しい目を向ける皆に必死に言い訳している父親に気付かぬまま、ナッツは言い放つ。 

 

「本当はじっくり遊びたいところだけど、いつ人造人間が現れるか判らないから、一撃で宇宙のチリにしてあげるわ」

 

 少女の掌が眩く輝き、フリーザとコルド大王をまとめて消し飛ばせる程のエネルギーが収束していく。

 

「光栄に思いなさい。これが父様の編み出した、ビッグ・バン・アタックよ。とても知的で格好良い名前でしょう?」

 

「ビッグ・バン・アタック……」

「ビッグ・バン・アタックかぁ……」

「な、何がおかしい! だいたい貴様らの技の名前も大概だろうが!」

 

 微妙な目を向ける皆とぎゃーぎゃー言い合っている父親に気付かぬまま、ナッツが技を撃ち放とうとしたその瞬間、彼女の後ろから悟飯が飛びつき羽交い絞めにする。

 

「ちょ、ちょっと!? 危ないわよ悟飯!?」

「ヤジロベーさん逃げて!」

「た、助かった! あんがとよ!」

 

 スカイカーに飛び乗ったヤジロベーは、全速力でその場を離れて行く。それを見ながら、ナッツは悟飯を傷付けないよう振り解こうとじたばた暴れていた。 

 

「離してよ悟飯! あいつ殺せないわ!」

「ナッツ、もう許してあげようよ……」

「駄目よ! あいつが父様の尻尾を切ったせいで、私達がどれだけ苦労したか……」

 

 そこで父親の方を見たナッツは、彼が去っていくヤジロベーに手を出さぬまま、ただ立ち尽くしている事に困惑する。大事な尻尾を切られて、一番怒っているのは父様のはずなのに。

 

「……父様? どうしたんです?」

「ナッツ、オレの尻尾が切られていなかったら、どうなっていたと思う?」

「? えっと……」

 

 父親の言葉に、娘は素直に考え込む。少なくとも、ナメック星でザーボンやギニュー特戦隊に苦戦する事は無かったはずだ。それでそのままフリーザと戦って。そこまで考えたところで、ふと気づく。

 

(……父様が大猿のままだったら、カカロットは間違いなく死んでるわよね?)

 

 それでフリーザを倒せたかというと、絶対に無理だ。あの戦いは本当にギリギリだった。間違いなく、私も父様も殺されてしまうだろうし、たとえ私が超サイヤ人になっても1人では勝てない。

 

(そ、そもそもそれ以前に、その状況なら悟飯も父様に殺されちゃってる……! それで間違いなく、私と父様は地球を滅ぼして、ブルマやチチさんも死んじゃうわ……! そしたらトランクスも生まれない……!)

 

 起こっていたかもしれない結末を想像しただけで、ナッツの瞳に、じわりと涙が滲む。そんなのは、絶対に嫌だった。金色だった少女の髪が、輝きを失い黒へと戻る。恐ろしくて悲しくて、泣きじゃくりながら震える娘を、父親は優しく抱きしめる。

 

「……父様」

「大丈夫だ、ナッツ。大丈夫だ」

 

 父親の身体から伝わってくる温もりに、少女の心から、恐怖と悲しみが拭い去られていく。ナッツは大きく息を吐いて、涙を拭う。それから、逃げ去っていくスカイカーに目をやった。その表情は複雑なものだったけど、恨みや怒りは欠片も無かった。

 

(父様の尻尾を切ったのは本当に許せないけど……そのおかげで、私達は地球で今、幸せに暮らせているんだわ)

 

「……本当に癪だけど、父様が気にしてないのなら、許してあげるわ」

 

 

 少女が呟いた瞬間、遠くに見えるスカイカーが爆発した。

 

 

「……えっ?」

 

 呆然と目を見開く少女の視界の先で、黒く焦げた機体の部品がぱらぱらと海へと落ちていく。

 

 あまりの事態に、思わずその場の全員がナッツを見た。彼女は慌てて反論する。

 

「わ、私は何もしてないわ!? あなた達も見てたでしょう!?」

 

「見ろ! あれだ! あれが攻撃したんだ!」

 

 ヤムチャが指差した先、先程の爆発からやや離れた上空に、小さな2つの人影のようなものが浮かんでいた。

 

 2人は明らかに自然落下ではない速度で、街へと降下していく。

 

「やっぱり人造人間だ!」

「……どうして? 戦闘力を全く感じなかったわよ?」

 

 少女は訝しむ。あのヤジロベーという奴を殺そうとしていた間も、あの車が爆発する直前も、気配の感知は一切怠っていなかった。どんなに上手く戦闘力を隠しても、攻撃をした瞬間は、必ず感じ取れるはずだ。

 

 同じく気の感知に集中していた悟飯も、目まぐるしく思考を回転させる。気を一切感じさせずに攻撃する方法。候補は気を使わない、銃や爆弾といった火器。いやそもそも、人造人間という事は、身体自体が生き物では無いのでは?

 

 そして結論に至った彼は、愕然とした顔で呟いた。

 

「じ、人造人間だからだ……き、気なんか無いんだ……!」

「嘘でしょう……?」

 

 その言葉が意味する事に、ナッツは脅威を感じて唇を噛む。少女は物心ついた頃から戦場で戦ってきたが上に、情報がもたらす有利不利をよく承知していた。

 

「相手の位置も戦闘力も判らない。それにもし、あいつらがスカウターのような機械を持っていたら、こっちの情報だけ筒抜けになっちゃうわ。不意打ちも撤退も思うままじゃない」

 

 彼女の言葉に、圧倒的に不利な状況を理解したヤムチャは、顔を引きつらせて言った。

 

「ど、どうする? 全員で固まって奴らを探すか?」

「まとめて消し飛ばされたいなら好きにしろ」

「そ、そうか……」

「手分けして探すぞ。見つけたらすぐ戦闘力を高めて知らせろ」

「わかりました、父様!」

 

 言って真っ先に飛び出していく娘を、父親は慌てて止めようとする。

 

「あ、待てナッツ!? お前はオレと……」

「そこの地球人達もバラバラに探すんですよね? 私だけそんな真似はできません! 大丈夫です! 警戒していれば、不意打ちされても逃げるくらいはできますから!」

 

 勇ましく言い切って街へと向かう娘の姿は、サイヤ人の王族に相応しい颯爽としたもので。父親は一瞬感動に胸を打たれて硬直するも、すぐさま我に返り、自らも全速力で突撃する。

 

「人造人間共! オレが先に探し出してブッ壊してやる!」

「オラ達も行くぞ!」

「お、おう! あんな小さな子も行くんだからな……!」

 

 そして一斉に飛び立とうとした彼らに先んじて、飛び出す影がひとつ。悟飯は自分でも驚くほどの凄まじい速度で、先行していた少女に追い付き呼びかける。

 

「待って、ナッツ! ボクも行くよ!」

「悟飯……」

 

 少女は彼の戦闘力が、倍以上に高まっているのを感じて、悟飯の中にはどこまで力が眠っているのかと、こんな時だというのに、嬉しくなってしまう。

 

 けれど、それでも、超サイヤ人に変身できない彼の戦闘力は、今この状況では、頼りないもので。悟飯を守りながら人造人間と戦う自信は無かったから。サイヤ人の血を引く少年を傷付けてしまう事を承知で、ナッツは彼の目を見ないまま、海面を手で示して叫ぶ。

 

「悟飯はあいつをお願い! まだ生きてるはずだから!」

「あ……」

 

 ナッツの拒絶に、悟飯が停止し、その場に立ち尽くす。そして逃げるように速度を増して街へと降り立っていく少女の姿を見つめながら、少年は彼女にそんな事を言わせてしまった自分の無力さに、悔しそうな顔で、強く握った拳を震わせるのだった。




ヤジロベー「悟飯ー! 早く来てくれー!」


 というわけでお待たせしました。原作より悟飯にとって辛い展開になってますが、後でしっかり挽回しますのでご安心下さい。

 それと今回は阿井 上夫さんからまた主人公の素敵なイラストを頂きましたのでご紹介します! 


【挿絵表示】
 
【挿絵表示】


 1枚目が超サイヤ人になったナッツの立ち絵で、2枚目はそれを扉絵風にしたものですね。色まで塗って下さって本当に有難うございます……! 後で27話の方にも掲載する予定です。

 次の話は、いよいよナッツと人造人間が遭遇します。
 遅くなるかもしれませんが、気長にお待ち下さいませ。


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15.彼女が人造人間と遭遇する話

 街の上空から人造人間達の姿を探しつつも、ナッツの表情は晴れない。

 

「悟飯、怒ってるかしら……」

 

 いくら超サイヤ人になれないからといっても、あの父様の尻尾を切った奴を助けてこいだなんて、足手纏いのような扱いをしてしまった。悟飯だって、本当はもっと勉強したいところを、この日の為に頑張って訓練してくれていたというのに。

 

 そこまで考えたところで、少女は頭を振って気持ちを切り替える。こんな心境では、人造人間を見つけても満足に戦えない。悟飯が殺されてしまうよりは、私が嫌われる方がずっとましだし、後でしっかり謝ればいいだろう。 

 

 胸の奥がちくりと痛むのを感じながら、ナッツは人造人間達が向かったと思しき場所に降り立つ。そして身を隠しながら周囲を確認していた時、遠くの方から微かな叫び声が聞こえた。戦場で育った少女にとって馴染み深い、人間の断末魔だ。

 

「! 人造人間!」

 

 ナッツは戦闘力を隠しつつ、緊張した面持ちで、素早くその場へと走り出す。現場に到着した彼女が見たものは、破壊された車と、運転していた人間と思しき死体。他にも2人死んでいるが、犯人であろう人造人間の姿は見当たらない。

 

(治安の悪い星ならともかく、この平和な地球で、偶然この日この場所で3人も殺されるなんて有り得ない。まず間違いなく、人造人間の仕業だわ。けど……)

 

 物陰から冷静に現場を観察しながら、ナッツは違和感を覚えていた。3人の死体はどれも、素手で殺されたようにしか見えなかったのだ。わざわざ近づいて殺すより、エネルギー波の一つも撃った方が楽なのに。

 

(まさか撃てないって事はないでしょうし……どういうつもりなのかしら?)

 

 そもそも、たった3人だけ殺して行った目的もよく判らない。自分達をおびき寄せる作戦かとも思ったが、それにしてはあまりに地味過ぎる。少女は頭を捻るも、手掛かりがまるで足りなかった。

 

「……こういう時は、目撃者から話を聞くべきね」

 

 以前ブルマに勧められて読んだ、推理小説の内容をナッツは思い出していた。眼鏡よろしくスカウターの位置をくいっと手で直してから、少女が付近を見渡すと、ビルの1階の窓の奥で震えている、会社員らしき2人の男が見つかった。スーツ姿の中年と、上司らしい白髪の男。

 

 てくてくと窓に近付いて、ナッツは声を掛ける。

 

「こんにちわ。おじさん達」

「なっ……子供!? お、おい、嬢ちゃん! ここは危ないぞ!」

 

 成長が遅いサイヤ人の常で、外見は5.6歳くらいの、変わった服を着た子供にしか見えないナッツの姿を見た男性は、恐怖も忘れて、慌てて窓から身を乗り出して警告する。その様子を見た彼女は、思わず小さく微笑んでしまう。

 

(本当に地球人ったら、私をただの子供扱いするなんて、警戒心が足りないんだから)

 

 それでも、心配してくれる彼らの態度に好ましいものを感じながら、ナッツは現場を指し示して質問する。 

 

「ねえ、誰がこれをやったか知ってる?」

「あ、ああ。帽子を被ったじじいと、白くて丸い顔の太っちょだ」

 

(あんまり強そうな感じじゃないわね……)

 

 戦闘民族の少女は、ついそんな事を考えてしまう。違う歴史の話とはいえ、超サイヤ人の父様を倒すくらいだから、ナッパよりも背の高い大男とか、そういうのを想像してたのだけど。

 

「いきなり道の真ん中に現れて、声を掛けた奴らをあっさり殺したんだ。道の真ん中にいたから、車に乗った奴がクラクションを鳴らしたら、そいつも殺されて、それで、気が付いたらまたいなくなってた」

「行き当たりばったりね……」

 

 白髪の方の男性の言葉に、ナッツはそんな感想を抱く。ぎこちないわ。全然効率的じゃない。こんな街一つくらい、一瞬で壊せる力を持っているでしょうに。

 

 そこでナッツは、ふと思い出す。幼い頃、両親に連れられて初めて戦場に出た日、心配そうな2人に見守られながら、群がる敵兵を様々な方法で殺して、自分の力を試していた時の事を。

 

「……試運転? 性能テスト?」

 

 そういえば、この日以前に、おかしな殺人事件があったというニュースは聞かない。もしかすると人造人間は、今日初めて起動したのかもしれなかった。仮に実戦経験が無いとすれば、いくら強くても、その行動は極めて読みやすい。

 

 そこまで考えて、少女は慌ててぶんぶんと頭を振る。

 

(いやいや、敵をそんな風に甘く見ちゃ駄目よ。負けたら地球が危ないんだから、油断せず十分用心して掛かるべきだわ)

 

 その時、白髪の男性が、心配そうな顔で彼女に呼びかける。

 

「嬢ちゃん、親はどこに……いやそれより、殺人犯がまだ近くにいるかもしれないから、中に入りなさい。警察が来るまで、うちで隠れているといい。親御さんは後で一緒に探してあげるから」

 

 そんな事態をまるで理解していない、しかし思いやりに溢れた言葉を聞いたナッツは、きょとんと、毒気を抜かれたような顔になってしまい、それからくすりと、とても嬉しそうに笑った。

 

「お、お嬢ちゃん?」

 

 戸惑う彼らに、少女はとても上機嫌な様子で言った。

 

「大丈夫よ。安心して。そいつらは父様と私が、すぐに倒してきてあげるから」

「お、おい!?」

 

 慌てる彼らを尻目に、ナッツは人造人間を見つけるべく、風を切って駆け出した。その速度は地球人の目からは、まるで一瞬でその場から消え去ったようにしか見えなかった。

 

「えっ? あ、あの子は?」

 

 二人の会社員は辺りを見渡した後、互いに顔を見合わせ、しばし呆然としていたのだった。

 

 

 

 一方その頃、スカイカーを人造人間に撃墜され、海に落ちて溺れていたヤジロベーは、駆けつけた悟飯によって救出されていた。

 

「ヤジロベーさん、大丈夫ですか!」

「ごほっ、あ、あのガキやりやがった!」

「違います!? やったのはナッツじゃないんです!」

 

 悟飯は彼を陸地まで運びながら、犯人は人造人間だと必死に説明する。そして地上に下ろされて人心地ついたヤジロベーは、安心したように息をつく。

 

「いやー、助かったぜ悟飯! それにさっきも助けてくれてあんがとよ! おめえがあのガキを止めてくれなかったら、あのビックバン何とかで殺されるとこだったからな!」

 

 笑顔の彼にばんばんと背中を叩かれながらも、どこか沈んだ様子で悟飯は言った。

 

「……ナッツは許してくれるそうですよ。今は幸せに暮らしてるけど、あの時ベジータさんの尻尾が切られてなかったら、きっと地球を滅ぼしてたって」

「結果論じゃねえか!? ま、まあ、それでもうオレが狙われないってのなら良いけどよ……」

 

 そこで会話は途切れ、二人の間に沈黙が流れる。何も言わず、暗い顔で動こうとしない少年の様子を不思議に思ったヤジロベーが、気遣うように問い掛ける。

 

「どうした、悟飯? オレは飛べないから行かねえけど、おめえは人造人間の所へ向かった方が良いんじゃねえか? それともどっか悪いのか?」

「それが……その……ボクも行くってナッツに言ったんですけど、ヤジロベーさんを助けて来てって言われて……きっとボクが弱いから、ナッツが気を遣って遠ざけてくれたんです……」

「あ、あのガキがそんな事を……? マジかよ……?」

 

 彼の言葉に、悟飯は小さく笑って応える。

 

「ナッツは良い子なんですよ。ただ敵とか関係の無い人の命を、何とも思っていないだけで」

「それ大問題なんじゃねえかなあ……」

「……地球で暮らすために、犯罪者にはなりたくないそうなんで、大丈夫ですよ、きっと」

「頭は回る分、却って厄介でねえかそれ……? バレなきゃやるって事だろ?」

 

 そこで少年は、額に小さく汗を浮かべて目を逸らす。今でも彼女がたまに口にする、二人でどこかの星で遊ぼうという提案は、おそらく自分が承諾すれば実現するだろうという確信があった。おそらく銀河パトロールに見つからないよう、周到に目標や方法を選んだ上で。

 

 様々な経験を経て、多少は丸くなったとはいえ、今でも彼女の本質は凶暴なサイヤ人で、平和な暮らしと同じくらい、戦うのも殺すのも好きなのだという事を、少年はよく理解していた。

 

「か、彼女が何か悪い事をしそうだったら、ボクが止めますから、だ、大丈夫ですよ、きっと……」

「おめえも大変だなあ……」

 

 声に同情の色を滲ませて、しみじみと呟くヤジロベーに、悟飯は自然と、言葉が口をつくのを感じた。

 

 

「良いんですよ。好きでやってる事ですから」

 

 

 あの可愛らしくも、強くて格好良いサイヤ人の少女と共に過ごす時間は、彼にとって掛け替えの無いものだった。

 

 照れたように小さく笑う少年の顔は、とても幸せそうなもので。ヤジロベーは彼がナッツに抱いている感情を、直感的に理解できてしまう。

 

「ま、まさかおめえ、あのサイヤ人のガキを……?」

 

 顔を赤く染めて、小さく頷く悟飯の姿に、彼は頭を殴られたような衝撃を受けた。

 

(れ、恋愛って奴なのか……? わからねえ!)

 

 カリン塔に住むようになる以前から、自然の中で世捨て人めいた暮らしを送ってきたヤジロベーは、そうした経験とは縁が無かった。それもよりによって、あのおっかないサイヤ人の事が好きだなんて、全く理解できなかった。

 

「……止めといた方が良いんじゃねえか? あいつサイヤ人だぞサイヤ人。まあ見た目は子供だけどよ、親父と一緒で化け物になるんだぞ?」

 

 大猿化したナッツの姿を思いだし、彼は思わず身震いする。身の丈15メートルにも及ぶ、戦闘服を着た巨大な獣が、まるで人間のような表情で牙を剥いて笑い、真っ赤な目で自分を見下ろしている光景は、そうそう忘れられるものではない。

 

「……ボクだって、半分はサイヤ人です。尻尾があれば、変身だってできます」

「まあ、そうだけどよ……」

 

 そこでヤジロベーは、目の前の少年も、同じ大猿の姿に変身していた事を思いだす。そしてあの恐ろしい大猿の少女を倒したのも、彼だった事も。

 

(意外とお似合いだったりするのか? それにこのお坊っちゃんとくっつけば、あのおっかねえガキも、少しは丸くなるかもな……)

 

 自身の平穏のためにも、地球の平和のためにも、ここは一肌脱ぐべきかもしれない。そう考えたヤジロベーは、少年に声を掛ける。

 

「まあ、良いんじゃねえか、うん。オレにはわからねえけど、おめえが好きになるくらいだから、まあ良い所もあるんだろうな」

「はい。ああ見えて、結構寂しがり屋で甘えん坊なんです……。でも、冷たくて怖い感じの時もそれはそれで……」

 

(こいつマジでぞっこんなんだな……) 

 

 嬉しそうに少女の事を語る悟飯に、彼は軽く引きながら続ける。

 

「だったらおめえ、今すぐあのガキの所に行ってこいよ。足手纏いって言っても、オレ程じゃないだろ?」

「け、けどボク、超サイヤ人にもなれないし、ナッツの方がずっと強くて……」

 

 がっくりと肩を落とす悟飯を見て、ヤジロベーは考える。同じ男として、惚れた女より弱いのが嫌だという気持ちは、少し判らないでもなかった。

 

「……悟飯、お前、今歳はいくつだ?」

「? 9歳です……」

「その歳で強えだの弱いだの気にするのは、まだ色々早えだろうがよ」

「えっ?」

 

 きょとんとした顔の悟飯に、彼は大きく息をついて言った。

 

「お前くらいの歳の頃は、大抵女の方が成長も早くて強えんだ。けど何年かすれば、すぐに身体も大きくなって逆転する」

 

 ヤジロベーが語っているのは地球人の子供の話で、サイヤ人に単純に適用できるわけではないのだが。ともあれ悟飯は顔を輝かせる。

 

「ぼ、ボクも、成長したらナッツより大きくなれるでしょうか?」

 

 今でもほんの少し、彼女の方が背が高いのを、少年は内心とても気にしていた。

 

「当たり前だ。おめえらの父親同士を比べてみろよ。どう見たっておめえの親父の方がデカいだろうがよ。あのサイヤ人は正直チビな方だし、ガキの方もそうデカくはならないだろ」

 

 身長の低さを気にしている当人が聞いたらブチ切れそうな発言に、悟飯はこくこくと頷いた。ベジータさんには悪いけど、確かにそうだ。ナッツのお母さんが長身だったという話は聞かないし。

 

「……それで大きくなったら、ナッツよりも強くなれるでしょうか?」

「それはおめえの頑張り次第だけどよ。正直ガキの頃の悟空よりも、おめえの方が段違いに強えし、いけるんじゃね? それであのガキを実力でぶっ倒してよ、素敵よ悟飯! なんて言われたりするんじゃねえの?」

 

 くねくねしながら裏声で話すヤジロベーの姿は大変面白いものだったのだが、悟飯は正直それどころではなかった。彼の言葉をきっかけに、少年の脳内で、悟飯に実力で倒されたナッツのシミュレーション映像が映し出されていた。普段の観察とイメージトレーニングの応用で、その精度は無闇に高い。

 

 

『負けちゃったわ。やっぱり私の見込んだとおり、強いわね、悟飯……』

 

 ボロボロになって大の字に倒れた少女は、敗北したというのに、どこか嬉しそうな顔をしている。熱っぽい目で、彼に向かって囁いた。

 

『知ってる? 勝った方は、負けた方を好きにしていいのよ?』

 

 

 唐突に、少年が自分の顔を殴り飛ばした。

 

「おい大丈夫か!?」

「ヤジロベーさん! ボクを殴ってください!」

「だから大丈夫かおめえ!?」

 

 つい不埒な事を考えてしまった自分をなお殴ろうとする悟飯と、慌ててそれを止めようとするヤジロベー。そこから時間は少し遡る。

 

 

「どこに隠れてるのかしら……?」

 

 会社員達と別れたナッツは、戦闘力を落として隠れながら、街の中を探索していた。だが気の扱いが苦手な少女にとって、長時間戦闘力をゼロに落とすのは難しい。ちらちらと不規則に現れる彼女の気を、人造人間達は見逃さなかった。

 

 真っ白い顔で背が低く、太い体格の19号と、白髪の老人のような姿の20号が、きょろきょろと辺りを見渡す少女の姿を、上空から見下ろし観察していた。

 

「あれは、ベジータの娘か……」

 

 パワーレーダーの数値を確認しながら、20号は呟いた。想定以上の強さだが、大した事はない。たとえ大猿とやらに変身しようと、19号だけで十分対処できるし、そもそも変身する時間など与えはしない。

 

 相手が子供であろうと、孫悟空の仲間に対して容赦する気は無かった。まだこちらに気付いた様子はない。ここから一撃で殺す事も出来るが、両手に仕込んだエネルギー吸収装置のテストもしておきたかった。

 

「19号、まず私が行く。奴を瀕死にして、声も上げられなくした上でエネルギーを奪う。お前は周囲を警戒しろ」

「はい、20号」

 

 そして20号は音も立てず、ナッツからやや離れた場所に降り立った。少女の背中に狙いを定め、貫かんと手刀を構えて一気に距離を詰める。

 

 気を感じて相手の位置を探る事に慣れ過ぎた彼女には、気を発さず全力で動く人造人間の不意打ちに対応する事など不可能だ。彼の手刀が、少女の小さな背中を貫いた。

 

 20号がニヤリと笑うが、次の瞬間、その表情が驚愕へ変わる。背中を貫かれた少女の姿がぶれ、ふっと掻き消えたのだ。残像だと気付いた彼は狼狽し、辺りを見渡し叫ぶ。

 

「なっ、バカな!? どこに……」

「ここよっ!」

 

 次の瞬間、20号に後ろに現れたナッツが、彼の頭部に痛烈な回し蹴りを叩き込んでいた。

 

「うおおっ!?」

 

 軽快な打撃音と共に吹き飛ばされ、道路に激突してアスファルトに大きくヒビを入れた20号は、よろよろと起き上がり、蹴り飛ばされた首元を押さえる。ダメージ自体は大した事は無かったが、内心の混乱は大きかった。

 

「……ベジータの娘、なぜ私の攻撃が判った? 我々のボディは気を発していない。たとえ寸前で気付いたとしても、貴様の身体能力で避ける事は不可能のはずだ」

 

 20号の疑問に、彼女はふふんと薄い胸を張って応える。

 

「だって私を殺そうとして、あんなに敵意を向けてたじゃない。たとえ寝ていてもあれに気付けないようじゃあ、戦場では生き残れないわ」

「……非科学的な事を」

 

 20号は唸り、ほんのわずかな物音や空気の動きなどを、無意識のうちに察知しているのだろうと仮説を立てる。

 

 実のところ、ナッツが敵意や悪意に対して敏感な理由はそれだけではなく、他人からの優しさや愛情を求める心の裏返しで、半ば第六感めいた能力なのだが、本人もそれに気付いていない。

 

「20号、大丈夫ですか?」

「不意を突かれただけだ。大した事は無い」

 

 20号と、上空から降りてきた19号の2人を、きっ、と睨み付けてナッツは叫ぶ。

 

「お前達が人造人間ね。何を考えてるのか知らないけど、この地球を滅茶苦茶になんかさせないわ!」

 

 宣言と共に、少女はビシっ、とポーズを決めて気合いを入れる。ギニュー隊長に言われたとおり、毎日少しずつ、鏡の前で5分間の練習を続けた彼女のポーズ力は、未だ特戦隊員達には至らぬまでも、3年前とは格段の進歩を遂げていた。

 

 仮にこの場にギニュー隊長がいれば、その上達ぶりを見て感動に打ち振るえるだろうポーズを前に、20号はただ、ナッツの言葉に眉をひそめる。

 

「地球? 何を言っている。我々の目的は、レッドリボン軍を滅ぼした孫悟空の命だ」

「そ、そうなの?」

 

 予想外の発言に、少女は目を丸くする。つまり弟やブルマに手を出すつもりは無いという事だ。だがすぐに、未来から来た少年の事を思い出して、ぶんぶんと首を振る。

 

 あの人は確かに人造人間が父様達を殺して、地球を滅茶苦茶にしたと言っていたのだ。お姉さんが死んでしまったと泣いていたあの人と、敵である人造人間と、どちらの言う事を信じるかなど、言うまでもない事だった。

 

「それでも、好き勝手にはさせないわ。カカロットは同じサイヤ人の仲間だし、悟飯の父親でもあるのよ」

 

(とはいえ、私1人で戦うのは危険だわ。父様達が来るまで、時間を稼がないと……)

 

 戦闘力を隠すのを止め、構えを取るナッツを見て、20号は余裕の笑みを浮かべる。

 

「貴様のパワーで我々をどうにかできるとでも? 言っておくが、大猿とやらに変身しても、到底我々には及ばんぞ」

「……?」

 

 人造人間の態度に、少女は違和感を覚える。まるで彼らが今の自分の、たった480万程度の戦闘力しか見ていないかのような。

 

「……超サイヤ人の事を知らないの?」

「何だそれは。貴様らのデータは、地球に来た時の孫悟空との戦いで把握している。確かに凄まじい成長だが、それでも私と19号の敵ではない」

「ふうん……」

 

 少女の口元が吊り上り、嘲笑うような笑みを浮かべる。子供らしからぬその表情に、20号が気圧された様子を見せる。

 

「な、何だというのだ?」

「さあね……驚き慌てるお前達の顔を見るのが、今から楽しみだわ」

「くっ、こけ脅しを!」

 

 悪人の顔で笑うナッツに、20号が襲い掛かろうとしたその瞬間だった。

 

「魔閃光ーーー!!!」

 

 どこからともなく飛来したエネルギー波が20号に直撃し、その全身を爆炎が包み込む。そして驚くナッツの前に、一人の少年が降り立った。

 

「悟飯!?」

「ぬううっ!?」

 

 纏わりつく爆炎を、腕の一振りで振り払った20号は、彼に不意打ちを食らわせた少年を、憎々しげに睨み付ける。

 

「孫悟空の息子か……!」

「……そうだ」

 

 悟飯は真っ直ぐに、20号を睨み付ける。気丈な顔をしながら、その身体がほんの小さく震えているのを、近くにいるナッツは見逃さなかった。

 

 たとえ戦闘力が感じられなくても、こうして対峙すれば、おおよその実力は判るものだ。少なくとも、超サイヤ人になれない悟飯が、まともにやり合える相手ではない。少女はおずおずと、彼に声を掛ける。

 

「その、悟飯……さっきはごめんなさい。あんな事言っちゃって。決してあなたの事を、傷付けるつもりはなかったの」

「大丈夫だよ、ナッツ。気にしてないから」

「それで、あの、あまり無理しなくてもいいのよ。あなたが死んじゃったら、私、何をするか判らないわ……」

 

 剣呑な言葉と共に、気まずそうに顔を伏せる少女に、悟飯は微笑み掛ける。

 

「うん、正直言って怖いし、あんまり役に立てるとも思えないけど、それでも、君だけに戦いを任せて下がってるなんて嫌なんだ」

 

 少年の脳裏に、先ほどヤジロベーと交わしたやり取りが浮かび上がる。

 

「今のボクは、本当にまだ弱くて足手纏いかもしれないけど、そのうちきっと、君より強くなってみせるから」

 

 その言葉を聞いたナッツの顔が、首元まで赤く染まる。悟飯は知る由も無かったが、基本的に自分よりも強い相手を好むサイヤ人の女性に対して、その台詞は告白に等しい意味を持つ。

 

「う、うん。期待して待ってるわ……」

 

 恥ずかしそうに呟くナッツ。戦場であるにも関わらず、嬉しさのあまり、腰に巻いた尻尾の先端が落ち着きなく動いている。自分の言葉で、彼女がそんな反応を見せた事に、悟飯の方も戸惑いつつも顔を染める。

 

 眼前で繰り広げられる、彼らの甘酸っぱいやり取りを見ながら、蚊帳の外に置かれていた20号は、ぐぬぬと拳を握り締める。

 

「19号、奴らのエネルギーをいただくぞ」

 

 20号が呼びかけるが、白い顔の人造人間は返事をしない。ただ茫然と、悟飯とナッツの方を、食い入るように眺めている。

 

「……どうした、19号?」

 

 再度の彼の言葉に、19号は震える声で応えた。

 

「れ、恋愛というやつなのか……データに無い……」

「どうでもいいわっ!?」

 

 目の前で繰り広げられる未知の光景をガン見してる19号の頭に、20号は思わず叫びながら鉄拳制裁を入れるのだった。




 色々あってかなり遅くなってしまいましたが、エタらないようにはするつもりですので、次回も気長にお待ち下さいませ。


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16.彼女が人造人間を連れ出す話

 20号に頭を叩かれた19号は、なおもナッツと悟飯から目を離せないまま反論する。

 

「し、しかし、未知のデータが……」

「やっとる場合かっ!? ……むっ!?」

 

 パワーレーダーに反応。20号がそちらに目をやると、少女の気を頼りに駆けつけた悟空達が、ナッツ達とは反対側、彼らを挟み込むかのように、空から降り立ったところだった。

 

「来たか、孫悟空とその仲間よ。どうしてこの場所が判ったのか知らんが、ちょうどいい。呼び出す手間が省けたというものだ……っ?」

 

 19号とのやり取りが無かったかのように、シリアスな口調で語り出す20号だったが、不意に言葉を詰まらせる。

 

「貴様ーー!!」

 

 憤怒の表情のベジータが、降り立つや否や凄まじい勢いで前に飛び出したのだ。

 

「無粋な奴め、良いだろう、孫悟空の前にまず貴様から……」

「うおおおおっ!!」

 

 すっ、と構えを取る20号の横を、突撃するベジータは無視して駆け抜ける。

 

「むうっ!? し、しまった!」

 

 思わず叫ぶ20号。後ろにいるベジータに対応すれば、正面の孫悟空達に背中を見せてしまう形になり、圧倒的に不利だ。正面から来ると見せかけて、こんな絡め手を使ってくるとは。

 

(戦闘経験は豊富という事か。サイヤ人の王子というだけはある……!)

 

 20号は己の中でベジータの脅威度を一段階引き上げながら、ひとまず背後にいる彼の対処を最優先とし、悟空達がすぐには動かないのを素早く確認してから、ベジータの方を振り向いて、再度驚愕する。

 

「な、何だと!?」

 

 そこで20号が見たものは、明晰な彼の頭脳をもってしても、理解不能の光景だった。ベジータは殺意混じりの一撃を、孫悟空の息子に対して繰り出していたのだ。少年は慣れた様子で辛くも回避し逃げ出すも、ベジータは容赦なく追いかけ拳を振るう。

 

「貴様! またオレの見ていない所で、ナッツにいかがわしい真似を!」

「違いますベジータさん!」

 

 頬を上気させ、熱っぽい目で少年を見つめる娘の表情から、二人の間の甘い空気を察した父親が、聞く耳を持たず悟飯を追い掛け回す光景を、20号は呆気に取られた様子で見つめていた。 

 

「あ、あいつら一体、何と戦っておるのだ……?」

「あんまり気にしない方がいいぞ……?」

 

 20号の呟きに、思わずアドバイスを入れてしまうクリリン。なおベジータは一見我を忘れているように見えるが、20号達に対してきっちり注意は払っているし、何かあれば正面のカカロットが割り込むだろうと判断した上での行動だ。

 

 そして逃げる悟飯を壁際に追い詰め、ビッグバンアタックの構えを取っている父親に向かって娘が叫ぶ。

 

「もう、父様! あんまり悟飯をいじめないで下さい! 人造人間もいるんですよ!」

「す、すまない……」

「あ、あれが、娘に付く悪い虫を追い払おうとする父親……」

 

 ナッツに怒られてしょんぼりしているベジータを見ながら、物凄い勢いで何かを学習しつつある19号。20号は頭痛を覚えながら、その光景を無視して話を進める事にした。

 

「孫悟空、今日こそ貴様への復讐という、ドクターゲロの悲願が果たされる日となろう。まずは人造人間19号が貴様の相手をする」

「……復讐ってのは、レッドリボン軍の事か?」

 

 悟空の返答に、20号はぎりりと歯を噛み締め叫ぶ。

 

「そうだ! 貴様のせいでドクターゲロの研究は台無しとなり、全てが失われたのだ! この無念、その命で償うがいい、孫悟空!」 

 

 激昂し、今にも戦闘を始めかねない20号の剣幕に、ナッツは慌てて言葉を挟む。

 

「ちょ、ちょっと待って!?」

「……何だ、ベジータの娘よ。貴様も一緒に戦うとでも言うのか?」

「そんな事はしないけど……」

 

 少女は言葉を詰まらせる。相手が二人掛かりで来るならともかく、1対1で戦いたいというのなら、これはカカロットの戦いだ。殺されそうにでもならない限り、邪魔をするのは失礼だし、彼もそんな事は望まないだろうと、同じサイヤ人の少女は思う。

 

 だがここは、人の大勢住んでいる街の真ん中なのだ。狙いの外れたエネルギー波が、どこかの建物に当たっただけでも犠牲者が出かねない。

 

「こ、ここは狭いし人が大勢いて、カカロットも思いっきり戦えないから、場所を変えた方が良いんじゃないかしら?」

「いや、ここでいいだろう」

「……?」

 

 悟空達は、その発言の意図をとっさに理解できなかったが、同じ悪人であるナッツとその父親は別だった。わざわざ場所を移動するよりも、邪魔な人間や建物を片付けた方が面倒が少ない。

 

 

(危ないから警察が来るまで、うちに隠れていなさい)

 

 

 ナッツの脳裏に、先程親切な言葉を掛けてくれた会社員達の顔が浮かぶ。次の瞬間、街の建物に視線を向けた20号の目から、大出力の光線が放たれた。

 

「! やめなさい!」

「ナッツ!?」

 

 とっさに割り込んだ少女の身体に光線が直撃し、爆発が少女の全身を包み込む光景に、少年が悲鳴を上げる。

 

「むうっ!?」

 

 想定よりも近距離で巻き起こった爆発に巻き込まれ、20号はたたらを踏みながら、なおも光線を放ち続ける。

 

「フン、愚かな。無駄に命を捨てるなど……!?」

 

 パワーレーダーに映るナッツの反応が消えていない。それどころか、まるで別人かと見紛うほど強大になっている事に、20号は驚愕する。

 

「はあああっ!!!」

 

 少女の叫びと共に、気の奔流が爆炎を消し飛ばす。そして現れた少女は、金色に輝くオーラで全身を包んでいた。20号が放つ光線は、気を集中させてガードを固めた彼女の両腕に受け止められている。

 

「な、何だ、その変化は……? データに無い……」

「じゃあ見ておきなさい! これが超サイヤ人よ!」

 

 ナッツは不敵に笑い、ガードを解いて野生の獣さながらの俊敏さで飛び掛かる。あえて光線をその小さな身体で受けながら、瞬く間に20号の眼前に迫ったナッツは拳を大きく振りかぶる。

 

「う、うおおっ!?」

 

 狼狽し、後ずさる20号の顔面に、砲弾のような勢いで少女の拳が着弾した。先の一撃とは段違いの威力に、たまらず吹き飛ばされる20号。上向いた彼の目から発射されたビームが、上空の雲を瞬時に霧散させた。

 

「まったく、危ない事をしてくれるわね……」

 

 ナッツは肩で息をつき、腕の痛みに顔をしかめる。見ると光線をガードした腕の一部が、黒く焦げて出血している。大したダメージではないが、じくじくと痛いので舐めて誤魔化す事にする。

 

 戦闘服の方は、光線を受けたのが短時間だったのもあってか、少し亀裂が走っている程度で、大した損傷はない。これがフリーザ軍で採用されている戦闘服なら、あっさり貫通して肌を焼いていただろうけど。

 

(流石ブルマの作った戦闘服は、防御力が段違いだわ)

 

 まるで彼女が守ってくれたようで、少女は嬉しくなって笑みを浮かべる。一方、よろよろと身を起こした20号の方は、予想外の事態に汗を浮かべていた。

 

「お、おのれ……超サイヤ人だと? ベジータの娘が、これほどのパワーを身につけていたとは……!」

 

 超サイヤ人、原理は不明だが、呼び名からしてサイヤ人の新たな変身形態なのだろう。仮に孫悟空やその息子、ベジータまでもが、同等のパワーアップを行った場合、エネルギー吸収装置をもってしても、19号や自分の手には負えない可能性が高い。

 

(制御のためにパワーを落とし過ぎたのが仇となるとは……何とかこの場を離れて、危険を承知で17号と18号を動かせばまだ対抗できる数値だが、あの娘が大猿に変身すればそれすら危うい。16号まで目覚めさせるしかないのか……?)

 

 20号ことドクターゲロは、超サイヤ人の存在を知らなかった。彼が観測していたのは、ベジータ達が初めて地球に来た時の戦いが最後で、ナメック星はおろか、地球に来たフリーザ親子との戦いや、その後の修行の状況などもスルーして研究を続けていた。

 

 その間の彼らのパワーアップぶりを考えると、これは明らかな失態だが、ドクターゲロにとっては、彼らの実力を侮っても仕方のない事情があった。

 

 マッスルタワーに配属されていた人造人間8号は、エイジ750年の時点で完成している。そしてエイジ767年の現在、最新型の人造人間は20号。つまり彼は17年間で12体、およそ1年半に1体ものハイペースで人造人間を制作しており、その中でも最も優れたパワーを持つ13号は、エイジ757年、孫悟飯が生まれた年に完成していたのだ。

 

 その当時の地球において、否、たとえ現在であろうとも13号のパワーは圧倒的で、たとえ当時の孫悟空やピッコロ大魔王が100万人いようとも余裕で勝てるスペックを備えていた。

 

 自分の才能に恐怖しつつも勝利を確信したドクターゲロは、ここで興が乗って、どうせなら限界まで強化してやろうと研究を続け、セットである14号と15号を制作して合体機能まで搭載した。数値上の最大スペックは、サイヤ人達の使う戦闘力換算で150億以上。いざ孫悟空を抹殺せんと高笑いしながら起動した瞬間、致命的な欠点が明らかになった。

 

 強い事は強いが、彼ら3体は全く制御が効かず命令も聞かず、孫悟空だけでなく、地球そのものまで破壊してしまいかねなかったのだ。

 

 彼の目的はあくまで復讐であって、世界を滅ぼす事では無い。緊急停止スイッチで辛くも13号達の暴走を食い止め、地球を救ったドクターゲロは、泣く泣く彼らを研究所の地下深くに封印した。

 

 その反省から、次に作った16号はパワーを多少犠牲にしてでも、気性の荒さを徹底的に抑えたが、今度は逆に穏やか過ぎて、虫も殺せない性格になってしまったのでやはり封印した。

 

 そして次の17号と18号は、勧誘したちょいワルの双子の姉弟という、人間をベースにした意欲作だった。制御できないのは人工知能が原因かと感じた彼は、完全機械ベースよりもパワーが落ちるのを承知の上で、別方向からのアプローチを試みたのだ。とにかく制御さえできれば、孫悟空には余裕で勝てる。

 

 とはいえ孫悟空を殺すという命令に従わせるためには、人格の調整がどうしても必要になる。前回の反省を活かして、おそるおそる悪寄りに調整した結果、案の定起動と同時に制作者を殺そうとしてきたので、ドクターゲロは死んだ目で緊急停止スイッチのボタンを押した。一応再調整はしたのだが、直っているかは五分五分で、再び起動させて試す気にはなれなかった。

 

 19号。これまで散々人格面で失敗してきたドクターゲロは、開き直って人工知能の開発に己の全てを注ぎ込む事にした。優し過ぎるのも悪すぎて逆らうのも無しだ。とにかく忠誠心が高く、きっちり命令を聞いてくれればそれでいい。

 

 出力が高過ぎて制御困難となる永久エネルギー炉は取っ払って、代わりに新開発のエネルギー吸収装置を搭載する。出力は16号達とは比較にならない程に落ちてしまったが、これでも孫悟空(サイヤ人編)が1万人いても殺せるパワーはあるのだ。そして徹底的に電子頭脳を調整し、ついに起動当日。

 

 慣れた様子で緊急停止スイッチのボタンに手を掛けながら、固唾を飲んで見守る彼に対し、19号が「おはようございます、ドクターゲロ様」と挨拶して頭を下げた瞬間、彼はその場に崩れ落ちて号泣した。十数年に渡る苦労が、ようやく報われた瞬間だった。

 

 嬉しさのあまり、狼狽える19号に抱き付いてキラキラ光る背景をバックにダンスでも踊るかのようにスローモーションでくるくる回ったその晩、彼はとっておきのシャンパンを開け、19号のグラスにも高級オイルを注いでやって大はしゃぎした。

 

 そして信頼できる忠実な手駒を手に入れたドクターゲロは、更に念には念を入れて、19号に命じて自分を人造人間20号へと改造させた。

 

 あわよくば19号が追い詰めた孫悟空を自らの手で殺す為、また自らの寿命に不安を感じ始めており、万が一19号がしくじった場合でも、失敗作の17号と18号の身体を再利用するセル計画の実行や、次の人造人間を作る時間を確保する為でもあった。

 

(なるべくならば、制御できるか判らん17号達を目覚めさせるリスクは避けたい……! 見つからずに研究所まで戻って、新たに忠実でパワーの高い人造人間を作れればそれがベストなのだが……)

 

 彼がそこまで考えたところで、怒りに燃えるベジータの全身が、娘と同じ金色のオーラに包まれた。18号にも匹敵するだろうパワーレーダーの数値に、20号は顔を引きつらせる。

 

「オレの娘の肌に、よくも傷を付けてくれやがったな……!」

「い、いや、あれは自分から……」

 

 20号が気圧されている様子を見て、ナッツは再び提案する。

 

「カカロットと1対1で戦いたいのなら、場所を変えましょう? ……もしここでやる気なら、その時は私達全員で相手してあげるわ」

「……いいだろう」

 

 凄む少女に、ドクターゲロは頷いた。最悪なのは、この場で戦闘になって殺される事だ。孫悟空の実力が今のベジータと同等だとすると、19号が勝てる可能性は低いが、戦闘中に隙を見て、自分だけ逃げ出す事はできるだろう。苦労して作った19号を犠牲にする形になってしまうが、今この瞬間も奴の頭脳のバックアップデータは研究所に送られているから、自分さえ生きていればまた作り直せる。

 

「行くぞ、19号」

「はい、20号」

 

 19号は読んでいた雑誌を閉じながら応える。表紙には瞳の大きな漫画チックな少女と、雑誌名らしき4文字の平仮名が書いてあった。

 

「? 待て、何だその本は」

 

 問われた19号が指差した先には、小さな本屋があり、店頭には発売されたばかりの様々な漫画雑誌が平積みされていた。19号に金など渡しているはずがなく、勝手に持ってきた事は明白だった。

 

「返してこい!?」

「し、しかし、あのベジータの娘と同じ、未知のデータが……! 買って下さい!」

「貴様を作るのにいくら掛かったと思っとる! 余計なカネなど無いわっ!?」

 

(お、おのれ孫悟空! 貴様の息子達のせいで、せっかく制御できたはずの19号までよく判らんバグを……! 私には人工知能の才能は無いのか……?)

 

 これについては、むしろ逆で、そもそもただのロボットなら、命令に逆らうなどありえない。人造人間8号、かなり初期の段階から、ロボットに自意識を持たせる程に、ドクターゲロの人工知能の技術が卓越していたからこそ、暴走やら反逆を招いていたのだが。今に至るまで、彼はそれに気付いていない。

 

 店頭でひとしきりぎゃーぎゃー騒いだ後、とうとう折れてレジで代金を支払っている老人の姿をガラス越しに見ながら、ヤムチャ達は呆気に取られていた。

 

「あいつらカネ持ってたんだな……」

「オレ持ってきてねえ……」

「オレも……」

 

 決して貧乏というわけではなく、戦闘中に落としたり破損したら勿体無いという考えだったのだが、何か負けた気がして肩を落とすクリリンと天津飯。

 

(あの本って、そんなに面白いのかしら?)

 

 一方ナッツは、嬉しそうに雑誌を読んでいる19号の姿を、興味深そうに眺めていた。一連の戦いが落ち着いた頃、彼女はすっかり少女漫画にハマってしまう事になるのだが、それはまた別の話だった。




 13~15号、劇場版だとドクターゲロのコンピューターが完成させたって扱いなんですが、未完成品にナンバー振ってるのも何か変だなあと思ったので、この話ではドクターゲロが完成させてた事にしました。コンピューターは孫悟空抹殺の命令を刷り込む事に成功したって事で。

 あと19号はベジータに両腕やられてビビって逃げようとするあたり、原作の時点で割と感情豊かなんじゃないかなあと思ってこういう事になりました。命令に従わない=作り主の予想を超えたロボットを作れるって、逆にドクターゲロ凄いんじゃないかと思うのです。

 それと前回はたくさんの感想とお気に入りをありがとうございます。もしよろしければ評価の方も頂けますとランキングとかに載れて作者が喜びますので、面白いと思って頂けましたらぜひお願いします。

 次回は悟空と19号との戦闘になる予定です。少し遅くなるかもしれませんが、気長にお待ち下さいませ。


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17.彼女が人造人間との戦いを見守る話●

 戦いの被害を避ける為、街から離れる事になった一同。

 

 仏頂面で飛ぶ20号達の両側には、適度な距離を置いて悟空とベジータがいる。そして少し離れてピッコロも。彼らを逃がさず、おかしな真似をすればすぐさま攻撃できる態勢に、20号は内心舌打ちする。

 

 何もかもが予想外だった。孫悟空の元には、あの島での戦闘テストの後にこちらから攻め込むつもりが、何故か先手を打たれた上に、超サイヤ人という予想外のパワーアップまで遂げていた。

 

 今の戦力では超サイヤ人とやらに勝てない以上、どうにかこの場を逃れて17号達を起動させる必要があるのだが、この状況ではそれも難しい。何とか隙を探さねばならない。

 

 そんな事を真剣に考えている20号の隣を飛びながら、19号は買ってもらった600ページ程の分厚い少女漫画雑誌を、食い入るように読みふけっていた。開いたページの中では、少年が両腕を広げて、傷ついた主人公の少女の前に立ちはだかり叫んでいた。

 

 

『ボクが、君を守るから!』

『えっ……(トクン)』

 

 

 煌びやかなトーンに彩られたそのシーンを見た19号は、胸の裡にほっこりしたものを感じていた。ドクターゲロ、人造人間制作の第一人者が心血を注いで作成した最高傑作の人工知能の中に、今この瞬間、製作者の予想を超えた何かが芽生えつつあった。

 

(この感じ……似たようなやり取りを、最近見た覚えがある)

 

 確かあれは、ソン・ゴクウの息子とベジータの娘だったはずだ。19号は振り返り、後ろを飛ぶ悟飯達を高性能カメラアイで観察する。

 

「な、何なの……?」

 

 思わず身を竦ませる悟飯。気で実力を測る事はできないが、動きなどから自分よりも遥かに強い事は明らかな相手からじっと見つめられ、しかも相手の意図が判らず、少年は不気味さに軽く怯えてしまう。

 

「ちょっと! なに悟飯の事見てるのよ!」 

 

 凛とした声と共に、ナッツが反射的に彼を守るように前へ出て、19号をきっ、と睨み付ける。戦闘服を着た彼女の背中を、彼は一瞬とても格好良いと感じて安堵して、直後、庇われてしまった情けなさから、顔を曇らせて俯いた。

 

 その光景に衝撃を受けた19号の中で、人工知能が性能の限界を超えて駆動を開始。加熱する思考と警告音の中で、彼は思わず目を見開き叫ぶ。

 

「見えた!!」

 

 その瞬間、過負荷に耐えかねた19号の頭部が、ボンッ、と音を立てて爆発した。20号以外の全員が、は? という顔で注目する。

 

 驚愕した20号は、慌てて19号に近寄り、黒煙と火花を散らす彼の頭部の損傷具合を確認しながら叫ぶ。

 

「大丈夫か19号! くっ、おのれ貴様ら! いったい何の攻撃を!?」

「知らないわよ!? 何もしてないのに壊れたんじゃないの!」

「そこいらの家電と一緒にするでないわっ!?」

 

 そんな風にひとしきり、少女とぎゃーぎゃー言い争った後、ひとまず下に降りた20号は、取り出した工具で19号の修理を始める。当然隙だらけなのだが、何となく攻撃する気になれず、少し距離を置いて見守る悟空達。

 

「ふう。念の為、修理パーツを持ってきておいて良かった」

「ありがとうございます、20号」

 

 幸い大した損傷ではなく、応急修理を施されて復帰した19号は、頭を下げて感謝を示す。忠誠心に溢れたその動作に、ドクターゲロは内心、満足感と感動を噛み締めていた。

 

(うむ。反抗的な17号達とは大違いだ。さすがは私の最高傑作よ……)

 

「ところで20号、お願いしたい事が」

「どうした? 何でも言ってみろ」

 

 にこにこと笑う20号に、19号は真顔で言った。

 

「はい。素晴らしい少女漫画のアイデアが浮かびましたので、紙とペンを……」

「しっかりしろ19号!?」

 

 ドクターゲロは両手で20号の肩を掴み、がくがくと揺さぶりながら叫ぶ。

 

「お前の使命は何だ!?」

「ソ、ソン・ゴクウを倒す事です……」

「よし! 正常だな!」 

 

 ここで漫画だの言われていたら、危うく立ち直れない所だったが、そこさえ忘れていないなら大丈夫だろうと20号は息をつく。

 

「ねえ悟飯、面白そうだわ。何かノートとか持ってない?」

「流石に持ってきてないよ……」

「そこ! 探すんじゃない! おのれベジータの娘! 貴様らと出会ってから、せっかくの19号が訳の分からんバグを……!」

「知らないわよ!? 何もしてないのに壊れたんじゃないの!」

 

 再びぎゃーぎゃーと言い争いを始める彼らの姿を、ヤムチャは呆れた様子で見ながら呟いた。

 

「おい、あいつら放っておいてもいいんじゃないか……?」

「いや、一応犠牲者が出てるし……悟空の事狙ってるらしいし、止めないと……」

 

 応えるクリリンもどこか半信半疑で。その時、どこか弛緩した雰囲気に苛立ちを感じたベジータが叫ぶ。

 

「いい加減にしろ貴様ら! もう修理は終わっただろう! カカロットと戦いたいならとっとと始めやがれ!」

「あ、ああ。すまない……」

 

 思わず謝ってしまってから、20号は辺りの様子を確認する。岩山が多く、いざとなれば身を隠せる場所に事欠かない。気を発さず視認されなければ見つかる事の無い人造人間にとって、隠れるも逃げるも自在の場所だ。逃走を考えている彼にとっては、申し分のない地形だった。

 

 ドクターゲロは19号に小声で話し掛ける。

 

(いいか19号、お前のパワーでは今のソン・ゴクウに勝てる可能性は低いが、貴重なお前の人工頭脳のデータは、この瞬間にも研究所にバックアップが送られている。後でボディは作り直してやるから、お前は私が逃げる時間を稼ぐのだ)

(わかりました、20号)

 

 密談を終えた20号は、憎き復讐相手をびし、と指差しながら叫ぶ。

 

「さあやれ19号よ! 孫悟空を殺せ!」

「はい、20号」

 

 表情を引き締め、ざっ、と前に出る19号。わずかな所作から、今までの言動からは想像もつかない程高い実力を感じ取っていたピッコロ達は、にわかに警戒を強める。

 

 そして戦いの予感を感じ取ったサイヤ人の少女は、悟空に向けて活き活きとした表情で叫ぶ。

 

「カカロット! サイヤ人の強さを見せてやりなさい!」

「お、お父さん! 頑張って!」

「はあああああっ!」

 

 声援を受けた悟空は超サイヤ人と化し、全力で気を解放する。自身の2倍近い数値をパワーレーダーで確認し、今更ながら怖くなった19号の額から、冷却水の滴が流れ落ちる。

 

 そこで彼は、ふと思い付く。ソン・ゴクウの特徴は、ドクターゲロが日々殴っているサンドバッグに貼られた写真で良く知っている。だが今目の前にいる輝く金髪と青い目のこの男は。

 

(外見データが一致しない……! こいつはソン・ゴクウのそっくりさんに違いない……!)

 

 ドクターゲロからの命令は、ソン・ゴクウを倒す事だ。危うく別人と戦って、命令違反をしてしまう所だった。であれば、本物のソン・ゴクウはどこにいるのか。

 

 彼はその場にいる人間達を、一人一人確認していく。チビで鼻と髪の毛が無い。絶対違う。目が3つある。絶対違う。黒目黒髪だが、逆立った髪型で背が低い。微妙に違う。少年と少女、尊い。

 

 そしておもむろに動かした視線が、ヤムチャの上で止まる。黒目黒髪、男性、長身、オレンジ色の胴着、地球人離れしたパワーなど、およそ90%以上の特徴が一致している。19号は不敵な笑みを浮かべて呟いた。

 

「まちがいない、ソン・ゴクウだ……」

「オレかよっ!?」

「違うわボケがっ!? 顔を見ろ顔を! 孫悟空はあっちだ!」

 

 ドクターゲロが指差した先には、先程から放置されていた臨戦態勢の悟空。全身から溢れんばかりの金色のオーラをフィンフィンフィン……と放出している彼の姿を見て、19号の額から、冷却水の滴が流れ落ちる。彼は20号に向けて、深々と頭を下げながら言った。

 

「20号、どうか私にヤムチャを始末させてください」

「オレかよっ!?」

「一番楽なところを言うでないわっ!? 孫悟空と戦え! 孫悟空とっ!」

 

「い、一番楽なところ……」

「気にするなよヤムチャ。正直オレ達だって似たようなもので……」

「そ、そうだぞ。オレも太陽拳と気功砲でどこまでやれるか……」

 

 20号が19号の襟首を掴んで叫び、彼らの言葉を耳にして落ち込んでいるヤムチャを、クリリン達が励ましている中、

 

「はぁ、はぁ……」

 

 その一方で、悟空が小さく息を切らしているのに気付いたナッツは、不思議そうな顔になる。

 

(? まだ戦ってもいないのに、どうしたのかしら?)

 

「お父さん、大丈夫?」

「ああ、大丈夫だ」

 

 同じく気付いて心配そうな悟飯の顔を見た父親は、笑顔で返事をする。

 

「じゃあ、とっとと始めるとするか!」

 

 叫んだ悟空は、地を蹴り19号へと突撃する。あまりの速度にその場の大半の人間がその姿を目で追えず、現れては消える無数の残像だけが、彼の動きを遅れて示していた。

 

「うああああっ!?」

 

 話がどう転がったのか、20号とジャンケン勝負をしていた19号は向かってくる悟空に動転しながら拳を繰り出すも、残像は一瞬で掻き消え、19号の背後に出現した悟空が、振り向きざまに痛烈な肘打ちを背中に叩き込んだ。

 

 飛ばされた19号の身体が岩山に激突し、崩壊させるも、すぐに土煙の中から、頭を悟空に向けた19号がロケットのように飛びだした。

 

「はあっ!」

 

 高速で迫り来る19号を両手で受け止め、気合いと共に頭上へ蹴り上げる悟空。彼はそのまま飛び上がり、空中で捕捉した19号の全身に猛烈なラッシュを叩き込む。

 

「ぐわああああっ!?」

 

 19号も焦った様子で反撃を繰り出すも、悟空はその全てを回避しながら、なおも攻撃の手を緩めない。連続する凄まじい打撃音を聞きながら、彼らの戦いを見上げていた天津飯達が、呆然とした顔で呟いた。

 

「あ、あれが超サイヤ人か……とんでもないパワーだ。オレ達とは、まるでレベルが違いすぎる……」

「このままあっさり勝てるんじゃないか?」

 

(すまん19号、また後で作り直してやるからな……!)

 

 ヤムチャがすっかり安堵し、20号が密かに逃げるタイミングを伺っている中、同じく戦いを見守っているナッツは、どこか不安げな顔を隠せない。

 

「……そうかしら?」

「うん、お父さん、どうしたんだろう……?」

 

 悟飯の呟きに、ピッコロが応える。

 

「お前達も気付いたか」

「ええ、カカロットは、父様と同じくらい強いはずなのに……」

 

 少女の見守る先で、悟空はなおも19号を圧倒する戦いを見せていたが、小さく息を切らせ、大量の汗を浮かべた彼の表情に余裕は無い。

 

(あの19号って奴、確かに強い事は強いけど、そこまで圧倒的って感じじゃないわ。父様はもちろん、大猿になってない私でも、そこそこ戦えそうな程度なのに、どうして……) 

 

「カカロット、何をやってやがるんだ……? 最初から全力で飛ばして、なおあのザマなのか?」

 

 ベジータも怪訝な様子を見せる。

 

「くっ、ひゃあああああ!」

 

 そしてその時、押し込まれていた19号が苦し紛れに放ったパンチが、悟空の胴体に深々と突き刺さった。

 

「……がはっ!?」

 

 一瞬の硬直の後、ごほごほと、苦しそうに咳き込み始める悟空。

 

「えっ!?」

「えっ!?」

 

 苦悶する彼を前に、攻撃をした19号の方が予想外の展開に目を丸くし、逃げようとしていた20号も思わず驚愕する。

 

「か、カカロット!」

 

 悲鳴のようなナッツの叫びに、我に返った20号が拳を握って叫ぶ。

 

「い、今だ! そのままやってしまえ19号! 信じてたぞ!」

「はい、20号!」

 

 返事と共に、猛然と攻撃を開始する19号。

 

「くっ……!」

 

 悟空も反撃するが、その様子は先程までの攻防とは逆に、19号の繰り出す攻撃を彼は避けられず、逆に悟空の反撃はことごとく回避されている。

 

「お父さん……!」

「だ、大丈夫よ、悟飯、きっと……」

 

 呟くナッツが震える少年の手を握るも、彼女もまた不安な様子を隠せなかった。

 

(カカロット、一体どうしたっていうのよ……!)

 

 苦戦している彼を今すぐ助けに入りたいと、ナッツは強く思ったが、同時に、サイヤ人として、それはしてはならないとも感じていた。これは1対1の戦いで、カカロットもまた、戦闘民族サイヤ人なのだ。

 

 まだ彼が戦う意志を見せている以上、負けそうだからと助けに入るのは、失礼を通り越して侮辱に等しいし、当然彼もそれは望まないだろう。

 

 サイヤ人の少女が唇を噛みながら見守る中、悟空は息を切らせながら、逃げるように19号から距離を取ると、両手を腰だめに構えて、身体に残った気を収束する。

 

「はあっ、はあっ、か……め……は……め……」

「おおっ、あれは!」

 

 悟空の両手に集まった、疲弊しているとは思えない凄まじい気の大きさに、歓声を上げる天津飯達。そして彼は額に大量の汗を浮かべながら、19号に向けて、乾坤一擲の一撃を撃ち放つ。

 

「波ぁーーーー!!!!!」

 

 撃ち放たれた純白の閃光を見て、ナッツは思わずガッツポーズを取る。

 

「やったわ! あれで19号とやらも終わりよ! 避けられるタイミングじゃないわ!」

 

 彼女の言葉に、内心ほくそ笑むドクターゲロ。

 

(バカめ、我々の両手には気功波の類を吸収する、新開発のエネルギー吸収装置が内蔵されているのだ! これで孫悟空のエネルギーを吸収すれば……)

 

 永久エネルギー炉ほどの出力は無いが、エネルギーの吸収速度と容量を度外視すれば、どんな格上相手だろうと仕留められる可能性を持つ自慢の試作品だった。

 

 当然その機能については、19号も聞かされてはいたのだが。ナッツに不意打ちを避けられたせいで、実際に使用された所を見た事は無く。迫り来る凄まじいエネルギーの奔流を前にした19号は、己の主を見つめ、透明な笑みを浮かべて言った。

 

「さよなら、20号……」

「おいいいいいいっ!? 私を信じんか!? 手だ! 手を前にかざせ、19号!」

「う、うわああああっ!?」

 

 そして19号が両手をかざした瞬間、その手に命中したかめはめ波が掌に吸収されてしまう。あまりの光景に、目を剥いて驚くナッツ達。

 

「な、何なの、今の……?」

「……カカロットの技のエネルギーを、吸い取りやがったのか?」

「そんなの反則だろ……」

「ま、まいったな、こりゃ……」

 

 弱々しく息をつく悟空と、愕然とするナッツ達を他所に、テンション最高潮のドクターゲロは叫ぶ。

 

「よし! 今のお前は究極のパワーを手に入れたのだ! やってしまえ、19号!」

「はい、20号!」

 

 叫びと共に、19号が悟空へと突進する。彼の力を吸収した影響か、その勢いは明らかに先程よりも強い。

 

「ご、悟空! 仙豆だ!」

「はあっ、はあっ、サ、サンキュー……!」

 

 とっさにクリリンが投げ放った仙豆を悟空は口にする。かなり小さくなっていた彼の気が、一瞬で復活する。それを見て悟飯は、ほっと胸を撫で下ろす。

 

「よ、良かった……これでもう大丈夫だよね?」

「……いいえ、まだよ」

 

 ナッツは険しい表情を崩さない。再び19号と戦い始めた悟空の動きは明らかに精彩に欠けており、仙豆で戻ったはずの気が、みるみるうちに落ちていく。そして19号が突如目から放った光線が悟空に着弾し、爆発の中で彼は苦悶の声を上げる。

 

「うわああああっ!?」

「お、お父さん!?」

「……やっぱり、体力が戻ってないわ。あの薬は瀕死の重傷でも治せるはずなのに……どういう事?」

 

 そして地上に落ちた悟空が胸を押さえ、苦しそうに呻いている姿に、病気で苦しむ母親の姿が重なって。少女は思わず目を見開いて叫ぶ。

 

「まさか、心臓の病気!? どういう事!? 薬を飲んだんじゃなかったの!?」

 

 それを聞いた悟飯は、震える声で呟いた。

 

「お父さん、ずっと元気だったから、飲まなかったんだ……」

「ちぃっ!」

 

 舌打ちしたベジータが飛び出し、ほぼ同時にピッコロも続く。

 

「悟飯! 私達も!」

「う、うん!」

 

 そして戦場へ割り込まんとした4人の行く手に、ばっ、と両手を広げた20号が立ち塞がる。悲願の成就を前にした彼は、顔に汗を浮かべながら決死の覚悟で叫ぶ。

 

「こ、ここから先は1センチも通さん……!」

「どきなさい!」

 

 怒号と共に、飛び掛かったナッツと悟飯の拳が顔面に、ベジータとピッコロの蹴りが胴体にそれぞれ着弾した。

 

「ぐわあああぁああぁあっ!?」

 

 そして20号の身体が勢いよく吹き飛ばされる先で、倒れた悟空の身体からエネルギーを吸い取っていた19号が目を剥いた。

 

「ちょ、ちょっと!? ああああっ!?」

 

 さながらピンボールの球のように、激突した人造人間達の身体がそれぞれ別方向に弾き飛ばされ、激突して土煙を上げる。そして解放されるも起き上がれず、苦しげに胸を押さえて喘ぐ悟空に皆が駆け寄っていく。

 

「カカロット、しっかりして!」

「お父さん……どうして? 具合が悪いんだったら、戦いはベジータさんに任せれば良かったのに……!」

 

 少年の叫びを聞いて、ベジータは蔑んだような顔となり、ナッツは目を伏せて、悲しそうに語り掛ける。病が身体を蝕もうと、ずっと戦いたがっていた、母親の姿を思い出しながら。

 

「悟飯……それは違うわ」

「違うって何が!?」

 

 問い返す悟飯に向けて、悟空はなおも息を荒げながらも、息子を心配させまいとするかのように、小さく笑いながら告げた。

 

「そ、そうだな……オラだってこの日が楽しみだったし、オラと戦いに来てくれたんだから、他の奴に任せたら悪いなって思って……し、心配かけて悪いな、悟飯……」

「……っ!」

 

 悟飯はその言葉の意味が、全く理解できない事に衝撃を感じていた。強い相手との戦いが何より好きというのが、サイヤ人の本能だというのは、父親や友人の姿を見て知っているけれど。

 

 彼らの傍にいながらも、少年はどうしようもなく、強い疎外感を感じていた。父親だというのに、友達だというのに、戦いを望む彼らの気持ちがわからない。自分にも同じ、サイヤ人の血が流れているはずなのに。 

 

「……早く薬を飲まさないと! 悟飯! どこに置いてあるの?」

 

 ナッツの言葉に、苦悩していた彼は慌てて顔を上げる。

 

「は、はっきりとは判らないけど、うちのどこかにあると思う」

「じゃ、じゃあオレが悟空を家に連れて行こうか? 情けない話だが、この中でオレが一番楽らしいし……」

 

 おずおずとヤムチャが手を挙げるが、少女は鋭い目で、辺りを見渡しながら言った。

 

「……駄目よ。私が人造人間なら、弱ったカカロットを逃さないわ」

「そ、そういえば、あいつらどこに……?」

 

 クリリンが彼らの飛ばされていったと思しき辺りに目をやるも、人造人間達の姿は見えない。

 

「不利と見て逃げやがったのか?」

「わからん。そう思わせて、隠れて隙を伺ってるのかもな……」

 

 気を発さない人造人間が、姿を隠したという状況の厄介さに、ベジータとピッコロが、苛立たしげな様子になる。

 

「全員でいったん、悟空に薬を飲ませに戻るか?」

「……奴らはまだこの近くにいるはずだ。できるならここで仕留めておきたい。この先1人1人、いつどこに現れるか判らない人造人間共に闇討ちされる可能性を考えたらな……」

 

 ベジータの言葉に皆が顔を引きつらせる中、かすかに焦りの混じった彼の表情を見た娘は気付く。人造人間の標的となる可能性があるのは、自分達だけとは限らない事に。

 

(もしかしたら、戦えないブルマやトランクスが狙われるかも。そんな事になったら私は……!)

 

 その想像のあまりの恐ろしさに、少女は思わず強い寒気を感じて震える。同時に、もはや声も出せず、胸を押さえて苦しむ悟空と、彼を必死に励ましている悟飯の姿を見て、ナッツは胸が締め付けられるような気持ちになってしまう。

 

(こうしている時間は無いわ。病気で死んだら、ドラゴンボールでも生き返れないかもしれない……!)

 

 切迫した事態の中、少女は表情を引き締めると、父親の顔を見上げて、凛とした声で言った。

 

「父様、私がカカロットを家まで運びます。さっきの奴らが追って来ても、私が大猿に変身すれば、まとめて返り討ちにできますから」

 

 娘の言葉に、父親は一瞬虚を突かれたような表情を見せる。戦力的にそれが一番理に叶っていると、先程から頭では理解していたのだが、彼女の事が心配で、言い出せなかったのだ。

 

 だが決意に満ちた、どこか母親の面影を思わせる戦士の顔を見て、彼女の成長に内心嬉しさを感じながら、父親は頷いた。

 

「わかった。ならオレ達は人造人間共を探す。……くれぐれも気を付けろよ、ナッツ」

「はい、父様」

 

 そして彼は、項垂れている悟飯を親指で示して言った。

 

「そいつも連れていけ。腑抜けているが、お前が戦う事になった時、カカロットを運ぶ事くらいはできるだろう」

「もう、父様! ……行きましょう、悟飯」

「う、うん……ピッコロさん、お願いします。気を付けて」

「心配するな。こっちは大丈夫だ。それとだな……」

「?」

 

 少年に向けて、ピッコロはゆっくりと、言葉を選びながら言った。

 

「お前は孫の奴とは違う。だがそれを気にする必要は無い。お前は争いこそ苦手だが、十分に凄まじいパワーを秘めていて、いざという時には立派に戦える戦士だ。だから無理をして、そこのサイヤ人のようになろうとしなくていい」

 

 尊敬する師からの気遣いの言葉を聞いた少年の顔が、ぱあっと明るくなる。悟飯は沈んでいた自分の心が、すっかり軽くなったのを感じていた。

 

「はい! ありがとうございます、ピッコロさん!」

 

 元気よく返事をする少年の姿を見て、ナッツは安堵すると同時に、ピッコロの言葉で彼が立ち直った事に、内心頬を膨らませる。だがすぐに、それどころではないと思い直し。

 

「行くわよ、悟飯!」

「うん! ……お父さん、もう少しの辛抱だから!」

 

 そしてベジータ達が見守る中、二人は両側から悟空を支えて飛び立ち、薬を求めてパオズ山の家を目指すのだった。

 

 

 

 一方その頃、ドクターゲロと19号は、目立たないよう岩山の間を走りながら、遥か北方にある研究所へと向かっていた。

 

「ええい覚えておれ! 17号と18号さえ目覚めさせれば……!」

 

 言いながらも、彼の脳裏に浮かんだのは、ベジータ達が地球を攻めて来た日、スパイロボットで記録していた戦闘の映像だった。あの孫悟空が、大猿化したベジータの強大なパワーを前に、成す術もなく倒される姿。そして今日、超サイヤ人となったナッツの腰に巻かれていた尻尾。

 

(あのベジータの娘……人間の状態なら19号や私でも倒せるだろうが、大猿とやらに変身されれば、17号達2人がかりでも到底勝てん。……16号を目覚めさせるしかないのか?)

 

 それは彼にとっては、なるべくならば避けたい選択だった。自らの手で封印した、16号の顔が脳裏に浮かぶ。人格が穏やか過ぎるのが欠点のあいつは、反抗的な17号達と異なり、決して危険というわけではないのだが。

 

「20号! 置いてかないで下さい! ……ああっ!?」

 

 この世の終わりのような19号の叫びに、20号は思考を中断される。

 

「どうした!? まさかもうベジータ共が追って来たか!?」

 

 とっさに後方を確認するも、彼らの姿は無く。

 

「買ってもらった雑誌がありません! すみません、落としてしまいました!」

「後で店ごと買ってやるわっ!?」

 

 忠誠心や性能は申し分無いのに、このバグはどうにかならないものかと、ドクターゲロは額に青筋を浮かべて叫ぶのだった。

 

 

 

 

 一方その頃、未来から救援に来たトランクスは、悟空達の気を頼りに辿り着いた戦場跡で立ち尽くしていた。

 

 移動したのか、そこにはもう誰もいなかったが、激しい戦いが繰り広げられたであろう痕跡の中に、異様な物を発見したのだ。

 

 それは平仮名4文字の題名の、600ページほどの分厚い少女漫画雑誌。

 

「な、何だ、この雑誌は……? みんな、一体何と戦ってるんだ?」

 

 戦いの場にそんなものが落ちている意味不明さに、トランクスは怖気を感じながら、シリアス顔で呟くのだった。




 色々あって投稿が遅れてしまいましたが、その間更新を待って下さっていた方々、評価や感想、お気に入りを下さった方々、本当にありがとうございます。
 今後は以前のような投稿ペースは難しいかもしれませんが、エタらないよう毎日少しずつ書き進めていくつもりですので、どうか気長にお待ち下さいませ。


 それとこちらは、阿井 上夫様から頂いていた悟飯とナッツのクリスマス画像です。12月中に公開できずすみません……! そして心温まる支援絵をありがとうございます!

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18.彼女の影で、人造人間達が目覚める話(前編)

 ドクターゲロの研究所は、大きな岩山をくり抜いた中に存在する。彼が隠れ住む拠点であり、数々の人造人間を製造してきたその施設は、上部にある洞窟のような入り口を含め、外観からは全くの自然物にしか見えない。

 

 建てられている場所は、ユンザビット高地までとはいかずとも、地球のかなり北方の、周囲にほとんど人も住まない荒野。少々町から遠く、食料品の買い出しにも難儀するのがネックだが、若い頃から職人肌で人付き合いがあまり得意ではない彼にとっては、こうした環境が好ましかった。

 

 かなり昔、学会などに出ていた頃には、必須項目だったので、プロフィールに大まかな所在を書いていたりもしたのだが、正確な場所を知る者は誰もおらず、所属していたレッドリボン軍が壊滅した後も、ドクターゲロは官憲からの追及を免れて、秘密裏に研究に没頭する事ができていた。

 

 洞窟の奥にある、頑丈な合金製の扉を、20号は慣れた手付きで開錠する。ここの身を切るような寒さに、かつてはずいぶん悩まされたものだったが、自らを改造し、人造人間となった今ではそれほど気にならない。

 

 19号と共に研究所に入ったドクターゲロは、緊急停止用のスイッチを手に取った後、17号のカプセルに近づいたところで、ふと足を止める。

 

「……どうせ目覚めさせねばならないのなら、16号からの方が安全か。あいつの事だ。目の前で私が襲われれば、見捨てる事はないだろうしな……」

 

 ぽつりと呟いた彼は、フロアの奥の、16号を収めたカプセルへと向かっていく。床に設置され、丸い強化ガラスの窓から、中に眠る16号の顔だけが見えるそれは、何も知らない人間が見れば、棺桶を連想したかもしれない。

 

 彼の行動を見た19号は、慌てて声を掛ける。

 

「だ、大丈夫ですか、20号? 確か16号は失敗作なのでは?」

 

 19号は思い出していた。作られたばかりの頃、他の人造人間達に興味を持って、その姿を確認していた時の事を。

 

 カプセル越しに17号と18号を見ていた時は、気にせず研究に没頭していたドクターゲロが、16号のカプセルに近づいた瞬間、聞いた事の無いような大声で、19号を怒鳴りつけたのだ。

 

(そ、そいつには近寄ってはならん!! 16号は試作型で失敗作なんだ! この世界そのものを滅ぼしかねん!)

(す、すみません博士! ……で、ですが、それほど危険なら、13号達のように、地下に封印しておくべきでは?)

(……そのうち、作り直すつもりなのだ)

 

 だがその後、奇妙な事に、当のドクターゲロ自身が16号のカプセルに近づく様子を、19号は目撃している。

 

 永久エネルギー炉を搭載していない19号は、燃料代の節約のために、昼間は研究の手伝いをして、夜は休眠するという生活をしていたのだが、ふと夜中に彼が歩く音を感知して目を覚まし、その光景を目の当たりにした。

 

 手にした小さな明かりに照らされ、眠る16号を見下ろす老科学者の顔は、慈しむような、憎むような、懐かしむような、何かを後悔しているかのような、とても機械には理解できない程に複雑なもので。

 

 16号と彼の間に、何かがあったのは明らかだったが、生まれて1年も経っていない自分が、彼の事情に踏み入るべきではないと、19号はあえて介入する事はなく、再び休眠する。そんな事が、何度もあった。

 

 

「……非常事態なのだ。やむを得んだろう」

 

 そして今、そう応えた20号の顔が、あの時と同じ表情をしているように、19号には思えた。

 

 ドクターゲロの操作によって、中の空気が勢いよく抜ける音と共に、カプセルの蓋が開く。ややあって、横たわっていた16号が目を開き、ゆっくりと身を起こす。

 

 身長は2メートル近く。オレンジ色の髪に、頑丈そうな黄緑色のジャケットに身を包んだ、大柄な男性の姿をしている。完全な機械であるはずだが、つるりと丸く真っ白な顔の19号とは違い、まるで人間と区別がつかない。

 

 見るからに強そうで危険と言われた16号に対し、19号は軽い恐怖を感じてしまうが、それでも20号を庇うかのように、いざとなれば一戦交える覚悟で前に出る。

 

 だがカプセルから出た彼は、戸惑ったような様子で、ドクターゲロを見つめて言った。

 

「博士、なぜ今更オレを……」

「…………」

 

 問われた彼は、答えない。決して無視しているわけではない。難しい顔で、何か言おうとしているのか、口をわずかに開いては、また閉じる事を繰り返している。地球屈指の天才科学者である彼が、言うべき言葉を見つけ出せずにいた。

 

 10秒近い沈黙が続いた後、突然16号が、何かに気付いた様子で、表情を引き締めて言った。

 

「この場所に、強大な戦闘力の持ち主が何人も迫っている。これは、孫悟空達なのか?」

「えっ!?」

 

 19号も、慌てて自らのパワーレーダーを確認する。ベジータ達の追跡は完全に振り切ったはずだが、確かに彼らの反応が、近づいてきているのが感じられた。

 

「……そのようだ。孫悟空はいないがな」

 

 ドクターゲロは、舌打ちしながら言った。19号との実戦テストに先回りされた事といい、何らかの形で、自分達の情報が漏れている。特に自分の所在まで知る者は、レッドリボン軍以外では、ごく一部の科学者しかいない。ベジータとその娘が滞在している、カプセルコーポレーションの娘の仕業だろうか。正確な位置までは誰にも教えていないから、まだしばらく時間は稼げるだろうが。

 

 一方、ドクターゲロの言葉に、16号は顔を伏せる。彼は作られたその時から、自然や動物が好きな、心穏やかな性格をしていた。孫悟空を殺すという、己の使命については理解していたのだが、それ以外の者と戦うのは、どうにも気が進まなかったのだ。

 

 その反応を見て、20号は吐き捨てるように言った。 

 

「貴様に孫悟空以外を殺せとは言わん。これから17号と18号を起動させる。戦いは奴らに任せるつもりだが、逆らって私に危害を加えるようなら止めろ。また17号達がベジータ達に壊されそうになったら助けろ。失敗作の貴様にも、そのくらいはできるだろう」

 

 16号は与えられた命令を吟味する。博士の口調は乱暴なものだったが、命令自体は積極的に相手を害する類のものではなく、彼の性格に対する配慮が見られた。16号は小さく微笑みながら返答する。

 

「……それなら、了解した」

「ふん……」

 

 そしてドクターゲロは、黒髪の少年の姿をした17号が眠るカプセルに近づき、起動させる。カプセルが開き始めるや否や、彼は即座に16号と19号の後ろに隠れ、小さく顔を出しながら、油断なく慣れた手付きで緊急停止スイッチに手を掛け、カプセルから出る17号の動きを観察する。

 

 そんな完全防備の態勢を見た17号は、ほんの一瞬苦々しい顔をしてから、20号に頭を下げる。

 

「おはようございます、ドクターゲロ様」

 

 その第一声を聞いた彼は、驚きに目を見開き、声を震わせる。

 

「ほ、ほう、私に挨拶を……」

「もちろんです。私の生みの親ですから」

 

 当然17号は、自分を騙して改造したドクターゲロへの敬意など欠片も感じていない。ただ彼が持つ緊急停止スイッチと、眼前に立つ未知の人造人間達を警戒して、本心を隠しているのだ。

 

(ビクビクしている太っちょはともかく、あの大男は強そうだ。それにあのじじいも人造人間になっているようだし、ここで逆らうのは、得策じゃないな。最低でも、油断してあのスイッチを手放すまでは従順なフリをするか……)

 

 17号の内心はそんな感じだったのだが、今までずっと自ら生み出した人造人間に反逆されてきた老科学者の感動はひとしおで。

 

「やったぞおおおおおおおお!!!!!」

 

 嬉しさのあまり、両腕を高く振り上げてガッツポーズする20号。見守っていた16号と19号が拍手をし始める。

 

「で、では、18号も!」

 

 17号が呆れた顔をしているのにも気付かず、いそいそと18号のカプセルを開く20号。17号とそっくりの顔をした金髪の少女は、目覚めるや否や4人の人造人間が自分を見ている状況に一瞬ぎょっとするも、すぐに目の前の老人が持つ緊急停止スイッチと、自分に目配せしている17号に気付き、小さく頷いて頭を下げる。

 

「おはようございます、ドクターゲロ様。あなたも人造人間になられたのですね」

「勝ったぞおおおお!!!!」

 

 嬉しさのあまり、両腕を高く振り上げてガッツポーズする20号。見守っていた16号と19号、そして嫌々ながら17号も拍手をし始める。

 

「は?」

 

 思わず素の声を上げてしまう18号だったが、17号からのアイコンタクトを受け、慌てて笑顔で拍手に加わった。

 

「うむ。どうやら調整が上手くいったようだな……」

 

 20号は満足げに頷いているが、当然18号も、彼に関する敬意など欠片も抱いていない。

 

(隙を見てあのコントローラーを奪ってブッ殺してやりたいけど……太っちょはともかく、あのデカい奴が邪魔だね……)

 

 そんな彼らの叛意に、ドクターゲロは一切気付かず、すっかり信用して命令を下す。

 

「いいかお前達、孫悟空の仲間達がこの研究所に迫っている。この16号と共に撃退するのだ」

「かしこまりました」

 

((とりあえず今は従っておいて、隙を伺うしかないか……))

 

 従順に頭を下げる2人を見た彼の脳裏に、先ほど会ったベジータの娘の姿が浮かぶ。パワーレーダーの位置反応を見るに、今は孫悟空と共に離れた場所にいるようだが、ここに駆けつけて大猿に変身されようものなら、16号はともかく、17号達はひとたまりもないだろう。

 

「……それと万が一敵わぬようなら、構わないから撤退しろ。私も19号と共に、いったんここを離れるつもりだからな」

 

(……どういう風の吹き回しだ?)

(……ふうん?)

 

 死ぬまで戦って、逃げる時間を稼げとは言われなかった事に、17号と18号は、ほんの少しだけ、彼に対する評価を上向かせる。

 

「了解しました、ドクターゲロ様」

「うむ。よろしく頼んだぞ」

 

 頷き、研究所を引き払う準備に取り掛かった20号に、16号が声を掛ける。

 

「博士、彼らの調整は成功している。その緊急停止スイッチは、もう必要ないだろう」

「……それもそうだな。荷物になるし、置いて行くか」

 

 言って彼は手にしていたスイッチを机に置いて、19号と共に研究所の地下へと向かう。そして残されたスイッチを見て、17号と18号が目の色を変える。

 

((チャンスだ! 後はこの16号を出し抜けば……!))

 

 16号の背後で身構え、襲い掛かろうとした2人だったが、彼の次の行動を見て、驚愕の表情で動きを止める。彼は緊急停止スイッチを手に取ると、まるで紙でも丸めるかのように、あっさりと握り潰したのだ。

 

「なっ……!?」

 

 呆然とする2人に、手の中の残骸をぱらぱらとゴミ箱の中へと落としてから、16号は彼らの顔を真っ直ぐ見つめて言った。

 

「お前達に、頼みがある」




 とりあえず書けている分を投稿など。
 書いてるとついつい長くなりがちなんですが、書く方も読む方も大体1話あたり4000~5000字くらいが最適なんじゃないかと最近気付きました。

 次の話は、16号とドクターゲロのあれこれです。
 遅くなるかもしれませんが、気長にお待ち下さいませ。


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19.彼女の影で、人造人間達が目覚める話(中編)

「お前達に、頼みがある」

 

 その言葉と、目の前で緊急停止スイッチを破壊した16号の行動に、唖然とする17号と18号。

 

「な、何のつもり? あんた、ドクターゲロの手下なんじゃ……」

 

 混乱する18号達の顔を、彼は真っ直ぐに見つめて語り掛ける。

 

 

「博士の事を、殺さないで欲しい」

 

 

「はぁ?」

 

 予想外の言葉に、思わず素の声を上げる18号と、その表情を不敵なものへと変える17号。

 

「気付いてたのか。あのじじいの調整とやらが、上手くいっていなかった事に」

「ああ。そしてお前達が博士を恨んでいる事は、大体想像がつく。だからお前達は孫悟空の仲間達を倒したら、どこへなりとも行くといい。あの緊急停止スイッチが無ければ、博士を殺さずとも、お前達は自由の身になれるはずだ」

 

 それを聞いた17号は、面白そうな様子で尋ねる。

 

「それはずいぶん良い話にも思えるが、どうかな? あいつを生かしておいたら、またスイッチを作り直されるんじゃないか?」

「博士にはお前達が、独自に孫悟空を追って行ったとでも伝えておく。後は時期を見て、返り討ちに遭ったと報告するつもりだ。お前達が死んだとなれば、わざわざあれを作り直そうとは思わないだろう」

「わからないよ? もしあのじじいに全部バレて、私達を捕まえようとしたらどうするのさ?」

「なるべくそうはならないよう努力するが、万が一気付かれても、心配する必要は無い」

「なぜだ?」

「あの緊急停止スイッチを使うには、対象からおよそ10メートル以内まで近づく必要がある」

「!?」

 

 17号達は衝撃を受ける。それは間違いなく、ドクターゲロが何としてでも隠しておきたい情報のはずだ。事実、彼らは今まで、たとえ地球のどこに逃げても、ドクターゲロがその気になれば、また眠らされてしまうものとばかり思っていた。

 

「お前達は人間ベースでほとんど機械の部分がなく、かつパワーレーダーにも反応しない。いかに博士でも、広い地球のどこにいるかも判らないお前達の居場所を特定するのはほぼ不可能だろう。博士は愚かではない。そんな事に時間を掛けるくらいなら、諦めて新しい人造人間を作るはずだ」

 

 静かな口調で応えてから、16号は深々と頭を下げて続ける。

 

 

「それに、お前達が忠実な人造人間になったと思い込んで、博士は本当に嬉しそうだった。できる事なら、がっかりさせないでやって欲しい。頼む」

 

 

 彼の言葉に、戸惑った様子を見せる18号。

 

「ど、どうする? 17号」

「そうだな……」

 

 17号は考える。自分達を騙して人造人間へと改造した、ドクターゲロへの恨みは確かにある。できるなら殺しておきたいとは思うが、仮にここで提案を蹴った場合、目の前の16号との戦闘は避けられない。あの大きな体格を見る限り、耐久力とパワーはそれなりにあると見ていい。自分達よりも旧式の人造人間に負けるとは思わないが、それでも瞬殺とはいかないだろう。

 

 そして戦闘が長引けば、騒ぎを聞き付けたドクターゲロと、あの19号とかいう太っちょも駆けつけて、2対3の戦いになる。そうなれば頭数で負けている上に、あの2人も人造人間である以上、決して油断できる相手ではなく。たとえ勝てたとしても、自分か、双子の姉である18号のどちらかはやられてしまうかもしれない。

 

 それに加えて、あの心配症のじじいが、緊急停止スイッチの予備をいくつも作っている可能性も否定できない。その場合、自分と18号はあっさり停止され、今度こそ、二度と目覚める事はないだろう。

 

 ドクターゲロへの恨みは確かにある。だがそうしたリスクと自由を天秤に掛けた場合、命賭けで殺害を実行しようと思えるほどでは無かった。

 

「オレはそれで構わないと思うが、18号はどうだ?」 

 

 17号は一応聞いてみたが、姉も同じような事を考えていたのは、その表情で判った。

 

「……まあ、ちょっと釈然としないけど、いいよ。せっかく目覚められたんだしね」

「ありがとう。感謝する」

 

 言って安堵の表情を見せる16号。厳つい大男である16号だが、そうした顔には、不思議と愛嬌が伺える。

 

「いいさ。それより、良かったら聞かせてくれ。お前はどうしてドクターゲロに、そこまで義理立てする? 人間だった頃、あいつに恩でもあるのか?」

 

 17号の問いに、16号は迷いなく応える。

 

「博士には、オレをこの世界に作り出してくれた恩がある。オレは無から作られた」

 

「……アンタ、変わってるね。それに本当? 人間にしか見えないよ」

 

 18号は呆れた顔で彼の腕に触れてみるが、少なくとも表面の手触りからは、あまり機械らしさを感じない。

 

「本当だ」

 

 言って彼は自分の左腕を掴み、それを半ばから切り離して見せる。その光景と切断面の機械部分を見て、目を丸くする18号。

 

「へえ、本当に機械なんだ。それに思いっきり忠実だし……あのじじい、これのどこが失敗作なんだか」

 

 自分達の前に作られた人造人間は、全て失敗作だったと聞いていた18号は、何て贅沢な話だと顔をしかめる。

 

「……博士から見れば、オレは失敗作なんだろう」

 

 俯いて呟く16号の様子から、何か繊細なものを感じ取った17号は話題を変える。

 

「孫悟空の仲間達とやらが、そろそろ来る頃だな。餞別代わりにちょっと遊んでやるか」

「賛成。ベジータって言ったっけ。サイヤ人の王子とかいうの、強そうだし私にやらせてよ」

「彼らの事も、なるべくなら殺さないで欲しい」

 

 16号の言葉に、双子の姉弟は、しばしきょとんと、そのそっくりな顔を見合わせる。そして二人同時に、おかしくてたまらないとばかりに吹き出した。

 

「あははははっ! あのレッドリボン軍のドクターゲロが作った人造人間なんて、どんな頭のおかしい殺人マシーンかと思ったら! まったく誰に似たんだか!」

「なるほど、納得がいった。お前は性根が優し過ぎて、あのじじいから失敗作と呼ばれていたのか」

「……そんなところだ」

 

 16号は一拍置いてから応える。本当はそんな事を、博士は気にはしていなかった。命を奪う事は嫌いだが、それでも孫悟空を殺すという使命は、忠実に守るつもりでいたのだから。

 

 彼の内心に気付かず、18号達は会話を続ける。

 

「私は別にいいよ。弱い奴をいたぶったりする趣味は無いし」

「そうだな、殺すまでの事は無い。生かしておけばそのうち、強くなってまた楽しめるかもしれないからな」

「…………」

 

 その時、16号もまた、彼らの言葉に小さな驚きを覚えていた。彼にとっては兄にあたる13号達は、パワーこそ凄まじかったものの、全く命令を聞かず、地球をも滅ぼしかねない程に凶悪な性格だったと聞いている。それと比べれば、彼らはどれほど善良だろうか。

 

 おそらくドクターゲロが望んだのは、命令に忠実かつ冷酷な人造人間で、博士に言わせれば、忠誠心の無い彼らもまた失敗作なのだろうが。少なくとも16号には、とてもそうには思えなかった。

 

「? どうしたの、16号?」

 

 18号の問い掛けに、彼は小さく微笑みながら応える。 

 

「お前達のことを、良い奴だと思っていた」

「……はあ?」 

 

 予想外の言葉に、間の抜けた声を上げる18号。人造人間に改造される前の彼らは、札付きの不良で、お世辞にも真っ当とは言い難い人生を歩んできた。流石に重犯罪にこそ手を出してはいなかったが、少なくとも良い奴だなどと、真正面から言われた事が無かった程度には。

 

 そんな彼女は怒るでも照れるでもなく、思わず目の前の彼の今後を心配した。

 

「あんた、良い奴過ぎて人を見る目が無いよ? まあ、あの博士に恩を感じるくらいだから、ちょっと基準が甘いのかもしれないけど。そんなんじゃ外の世界で大変だよ? 私らみたいな悪い奴に騙されたりするかもしれないし」

「いや、お前達は良い奴だ」

「だから違うって! もう!」

 

 そのやり取りを見た17号は、明るい笑い声を上げる。

 

「ははっ、なあ16号。良かったらオレ達と一緒に来ないか? お前とは気が合いそうだ。同じ人造人間同士、気ままな旅でもしようじゃないか」

「そうだね。あんた放っておいたら危なそうだし。あのじじいと一緒にいても、ろくな事にならないよきっと」

 

 彼らの提案に、16号は顔を綻ばせて応える。

 

「申し出はありがたい。それも悪くはなさそうだが……やはりオレは、博士について行く」

 

 その返答に、彼の決意の強さを感じ取って、肩をすくめる18号。

 

「まあ、あんたがそういうなら無理は言えないか」

「嫌になったらいつでも来いよ。それじゃあ、そろそろ行くか」

 

 言って外へ向かおうとする17号達の背中に、16号は声を掛ける。

 

「すまないが、先に行っていてくれ。オレは博士と話がある」

「構わないさ。戻ってくる前に、全員片付けておくよ」

 

 彼らが出ていった後、16号は地下のドクターゲロの元へと向かいながら、パワーレーダーで外にいる者達の情報を、改めて確認する。いくつもの強者達の反応の中で、一際大きいのはおそらくベジータとピッコロ。そしてもう一人、ピッコロよりやや大きい、未知の戦士の反応がある。

 

 だが全員合わせても、17号と18号がいれば何ら問題はないレベルだ。博士がそれだけで、失敗作と断じた自分まで目覚めさせるとは思えない。

 

 むしろ彼は遥か遠く、今この瞬間も研究所から遠ざかっていく3つの反応から、何か気掛かりなものを感じて、地下へと向かう足を早めるのだった。

 

 

 

 

 一方、その頃。ナッツと悟飯は、心臓病が悪化し、ぐったりとした悟空の身体を二人で抱えながら、パオズ山へと全速力で飛行していた。

  

「カカロット、しっかりして。もう少しで、薬を飲ませてあげるからね」

「はぁっ、はぁっ……」

 

 苦しげに荒い呼吸を繰り返す彼の姿が、病に苦しむ母親を連想させて、少女はにわかに、心細くなってしまう。どんなに強いサイヤ人も、病気には勝てないのだという事実は、幼かった彼女の心に、はっきりと刻み込まれていた。

 

 未来から届いた薬があるという彼の家までは、もう後ほんの数分という所まで来ているが、苦しむカカロットの戦闘力が、刻一刻と弱まっていくのも、またはっきりと感じられた。

 

「お父さん! お父さん!」

 

 悟飯の悲痛な呼びかけに、彼女もまた、胸を締め付けられるような、不安と痛みを感じてしまう。家族を失ってしまう事の辛さを、ナッツは既に2度経験していた。あんな辛い思いを、悟飯には決してさせたくなかった。

 

「カカロット、本当に、死んじゃ駄目なんだからね……」

 

 少女が涙声で呟いた、その時だった。彼女の耳に、この場にいない人間の声が届く。

 

『ナッツちゃん、聞こえる? 大変みたいね』

「えっ? ブルマ?」

 

 少女は驚きに、目を瞬かせる。彼女の声は、出発前に持たせてくれたスカウターから聞こえていた。確か通信機能に加えて、映像を送る機能もついているという話だったけど。

 

『連絡が遅れてごめんなさいね。ちょっと色々手配してて。孫くんの事なら心配ないわ。チチさんにも連絡して、薬を準備してもらってるし、孫くんの病気に合わせた薬なんだろうから、きっと大丈夫よ』

「うん……ありがとう、ブルマ」

 

 不安に苛まれていた少女の顔に、小さく笑みが浮かぶ。ブルマは戦う力は無いけれど、大好きな人間が自分を励ましてくれる事が、今の彼女には、何より心強かった。

 

『それと、ベジータ達は人造人間を追ってるわ。一度見つけて逃げられたらしいけど、北の方にあるドクターゲロの研究所に向かってるみたい。大まかな場所は調べて教えておいたから、すぐに見つけ出せるはずよ』

 

(カカロットを追っては来ていないみたいね……)

 

 少女は安堵の息をつく。大猿になれば負けない相手とはいえ、変身には時間がかかってしまう。また接近が戦闘力で感知できない人造人間を相手に、動けないカカロットを不意打ちから守りきれるかと言えば、あまり自信が無かったのだ。

 

 いっそ最初から月を作って変身しておこうかとも思ったのだけど、カカロットの容体が悪化しつつある状態で、変身の為に足を止めるという選択は、心情的にできなかったのだ。

 

『人造人間はベジータ達に任せておけば大丈夫よ。全部終わって孫くんの具合も良くなったら、皆で美味しい物でも食べに行きましょう』 

 

 そこでブルマは声色を変えて、叱責するような強い口調で言った。

 

『だから孫くん、聞こえてる? もし悟飯くんやチチさんを悲しませたら、絶対に許さないんだからね』

「わ、わりぃ……」

 

 胸の痛みに大量の汗を浮かべながらも、苦笑して返答する悟空。その様子が何だかおかしくて、また返事をする元気はあると判った安心感もあって、ナッツと悟飯は、顔を見合わせて笑った。

 

 その時、スカウターの向こうから、あー、あー、と舌ったらずな声が聞こえてきた。聞き間違いようのないその声に、少女が反応する。

 

「トランクスもいるの?」

『ええ、お姉ちゃんの声が聞こえたのね。頑張ってって言ってるのよ、きっと』

 

 なおも聞こえる声に、可愛らしい大事な弟の存在を感じて、ナッツはじんわりと、心が温かくなるのを感じていた。

 

「トランクス、私、頑張るから。ブルマと一緒に、おうちで良い子にしているのよ?」

 

 きゃっきゃっ、と元気の良い返事に、少女は思いっきり頬を緩めてしまう。

 

(何て良い子なのかしら……! きっと将来は凄く素直で、優しくて姉想いで強くて格好良い子になるに違いないわ!)

 

 

 一方、その頃。ベジータ達に合流した未来から来た少年は、盛大なくしゃみをしていた。

 

「はっくしょん!」

「……どうした、風邪か?」

「い、いえ。大丈夫です、ベジータさん」

「ならいい……それはそうと、そろそろ名前くらい名乗ったらどうなんだ」

「そ、そうですね。この戦いが終わったら……」

 

 

 特にイベントが発生しなかったせいで、正体を明かすタイミングを逃した弟が、父親とそんなやりとりをしている事などつゆ知らず、明るい声でナッツは叫ぶ。

 

「さあ、もう少しよ! カカロット! 悟飯!」

 

 陽が高く昇り、綺麗な青空が広がる景色の向こうに、小さくパオズ山が見えてきていた。




 ちょっと遅れてしまいましたが更新です!

 17号達の未来と現在で性格と強さが変わり過ぎ問題については、ドクターゲロの調整が上手くいったかどうかの違いだと解釈してます。永久エネルギー炉はパワーと性格面の調整が難しいっぽいので、大失敗したパターンが絶望の未来なんだろうなあと。

 かなりのんびりペースなのですが、それでも感想、評価、お気に入りなどありがとうございます。続きを書く励みになっております。

 次の話は、今度こそ16号とドクターゲロのあれこれです。また少し遅れるかもしれませんが、どうか気長にお待ち下さいませ。


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20.彼女の影で、人造人間達が目覚める話(後編)

 17号達がベジータ達を迎撃に出たその頃、研究所の地下では、ドクターゲロと19号が慌ただしく荷物をまとめていた。

 

 元レッドリボン軍という事で、今でも官憲に追われる立場の老科学者は、万が一の事態に備えて、研究機材の大半はいつでもカプセルに詰めて持ち運べるよう準備をしていたため、その荷造りはスムーズだが、いくつかは例外もあった。

 

「博士、封印してある13号達はどうします?」

「当然持っていくぞ。放置して万が一何かのはずみで目覚めでもしたら、地球が滅ぼされてしまいかねん。厳重に管理しておかねば」

 

 悪の科学者ではあるが、別に地球を滅ぼしたいわけではないので、良識的な台詞を吐くドクターゲロ。

 

「了解しました。では、セルはどうします?」

「ううむ……」

 

 壁際に設置された大きなポッドの中、培養液の中に浮かぶ、緑色の小さな生物を見ながら老科学者は唸る。

 

 この生物、セルもまた、孫悟空を殺すための研究成果のひとつ。孫悟空を始めとして、ベジータやその娘、ピッコロ、地球に来たフリーザ親子など、強者達の細胞を集めて究極の生物を作ろうというアプローチだ。

 

 人造人間の研究が失敗続きだったドクターゲロが、気分転換のために始めた新しいプロジェクトだが、成長まであと20年は掛かる予定であり、その後も完成させるためには、17号と18号にも使われている、ある種の生体パーツを組み込む必要がある。

 

 当然ながら今はまだ、培養液の中から出せる状態では無い。そして13号達と違い、カプセルに生き物は収納できないため、簡単に持ち運ぶというわけにはいかないのだが。

 

「……こいつを作るのは大変だったし、もしかしたら将来、こいつが孫悟空を倒してくれるかもしれんからな。連れて行くぞ。お前はその間に、他の荷物をカプセルに詰めていろ」

「わかりました、博士」

 

 言って20号が荷物の整理を続ける中、ドクターゲロは工具を手にし、その辺に転がっていた金属板や強化ガラス、電子部品などを拾い上げる。そしてその両手が凄まじい速度で動き出し、目から放つレーザーで瞬時に溶接が行われる。

 

 およそ10秒後、完成した温度調整機能付きの小さな水槽を前に、彼は満足げに頷いていた。人類最高クラスの科学者としてのスキルと、新たに手に入れた人造人間の身体能力との併せ技であった。

 

(新たな拠点に移るまでの、当面の間はこれで良かろう。やはりこの身体は強靭で便利で良いな)

 

 生身の頃の自分なら、3分は掛かっていただろう。ドクターゲロはセルを完成した水槽に移しながら、てきぱきと荷造りをしている19号を見る。自分自身の改造手術を任せられるほどの、信頼できる助手が完成したのは大きかった。

 

 ……いや、自分を絶対に裏切らない、信頼できる人造人間という意味では、既に成功例はあったのだが。あいつはとんでもない失敗作だった。

 

 苦々しい記憶に、彼が思わず頭を振った、その時だった。

 

「……博士」

「!?」

 

 背後からの声に、機械化された心臓が跳ね上がる。忘れもしない、懐かしいその声は。

 

「……どうした、16号?」

「伝えたい事が、あって来た」

 

 

 

 

 16号は目の前の老人、自らの作り主をじっと見つめていた。まるでその姿を、目に焼き付けようとするかのように。

 

 彼の思考回路に、かつて封印される前の情景が蘇る。彼が初めて稼働した日、最初に見たこの老人が、とても嬉しそうな顔をしていたのを覚えている。

 

(おはようございます、ドクターゲロ様)

(うむ……お前の人工知能の調整は上手くいったようだな。素晴らしいぞ)

 

 しわくちゃの顔に浮かんだその笑みを見て、作られたばかりの16号は、何故だか心が温かくなるのを感じていた。彼から与えられたはずの、プログラムには無い感情だった。

 

 それから数日の間、16号は老科学者と共に過ごし、標的となる孫悟空についての情報や、16号自身の身体の仕組みや性能など、様々な事を教えられた。

 

 大抵の事は既に人工知能に刷り込まれていたのだが、16号の目には、まるで目の前の老人が、少しでも長く自分と接していたいように映っていた。そしてそれは、彼の方も同様だった。 

 

 永久エネルギー炉を搭載している16号には、補給の必要は一切ないのだが、老科学者はそれでも、彼と同じテーブルでエネルギー補充をするよう求めた。高級オイルは摂取できるようにしてあるからと。

 

 実用性に何一つ寄与しない、彼ほどの天才科学者とは思えない不合理な設計だと16号は思ったが、共に食事をしながら、にこやかに自分に話し掛けてくる彼の姿を見ていると、確かにこうした事にも、意味があると思えたのだった。

 

 

 そうしてついに、その日がやってきた。エイジ761年、ラディッツ襲来の数ヶ月前のある日、16号は孫悟空を殺すべく、研究所の外へ出た。

 

 周囲は岩山に囲まれ、寒々しく、人が住むには向かない荒れた環境だったが、太陽に照らされたその景色を、彼は美しいと思った。

 

 そんな事を考えていた16号に、見送りに来たドクターゲロが声を掛ける。

 

「16号よ。お前のパワーは圧倒的だ。たとえ孫悟空が1万人いようと、まず間違いなくお前が勝つだろう。安心して、ただ油断せず行ってこい」

「わかりました、博士」

 

 本音を言えば、孫悟空を、否、生き物を殺す事には、気が進まなかった。世界は美しく、そして彼に優しかった。自分の手でそれを壊す事は、罪深いことのように思えた。

 

 だが、それが博士の望みであり、自分の存在意義であるという事は、作られた時から理解していたから、必ず成し遂げるつもりでいた。

 

「だがその……もし万が一のことがあったとしても、お前に搭載してある自爆装置は使わんでいい。お前を作るには、ずいぶん苦労したからな。必ず無事に戻ってくるのだ」

 

 16号からわずかに目を逸らしながら、ドクターゲロは呟いた。孫悟空を確実に殺すため、彼の身体に組み込んだ超高性能の爆弾は、爆発すれば余波だけで地球の1/10を消し飛ばす程度の威力を持ち、爆心地にいれば計算上は合体13号だろうと破壊できる危険物だ。

 

 設計段階ではともかく、稼働した16号と共に時間を過ごした今では、16号が孫悟空と共に自爆して粉々になるなど、到底受け入れられる事ではなかった。

 

 そもそも孫悟空をただ殺すだけならば、留守の間に家に爆弾を仕掛けるなり、食事に毒を仕込むなり、方法はいくらでもある。にも拘わらず彼が人造人間の開発にこだわったのは、孫悟空が得意とする直接戦闘で圧倒して、屈辱を味わわせながら葬るのが目的だからだ。

 

 一方、そんなドクターゲロの言葉から、自分に対する思いやりを感じ取って、16号は口元に小さく笑みを浮かべた。

 

 命を奪うのは、今日を最初で最後にしようと思った。そして明日からは、復讐を終えた博士を見守りながら、彼の寿命が尽きるまで、共に過ごすつもりでいた。

 

 だが、ただ一つだけ、16号には心に引っかかる事があった。それは自分を作ったドクターゲロが、あまりにも自分に対して親しく接しているということで。まるで自分を、誰かと重ねているかのような。

 

 それも当然悪い気分ではなかったけれど、老科学者の事情も、偶然見つけた写真で知っていたけれど。

 

「……博士」

「どうした、16号?」

 

 それでもつい、口に出してしまった。

 

 

「博士。オレはあなたの死んだ息子では無い」

 

 

 次の瞬間、老科学者の心臓が悲鳴を上げ、がくがくと全身が震えだした。16号はとっさに支えようとしたが、彼の表情を見て、思わず足を止めてしまう。

 

 そこに浮かんでいたのは、驚愕と苦悩と罪悪感と羞恥心と、その他さまざまな言語化できない感情が織り交じった、あまりにも複雑な表情だった。ただ一つ確かなのは、彼が苦しんでいるという事で。

 

「博士!」

 

 取り返しのつかない事を言ってしまったと気づいた16号が、何かを口にしようとするも、次の瞬間、ドクターゲロは涙を流しながら叫ぶ。

 

「この、忌々しい失敗作がっ!!」

 

 次の瞬間、16号の意識は闇に沈んだ。作られたその心に、どうしようもない後悔を抱えながら。

 

 

 

 

 老科学者は、過去の経験から持ち歩いていた緊急停止コントローラーを、震える手で握り締めていた。俯いた顔から、次々に涙が零れ落ちる。

 

 16号は、10年以上前に病死した彼の息子と、瓜二つに作られた存在だった。孫悟空への刺客である人造人間を、そのような姿に作ったのは、ただただ寂しかったからだとしか言いようがない。

 

 冷たく硬直し、まるで死体のような16号の身体を、苦労してポッドへと運びながら、ドクターゲロの心は強い後悔に苛まれていた。おそらく私室に飾っていた家族写真を、何かの拍子に見られてしまったのだろう。

 

 馬鹿な事をしたと思った。瓜二つの容姿と声で、まるで息子が生き返ったかのようだと、内心浮かれていた自分を殺したいと思った。

 

「言われるまでもなく、わかっておったわ……」

 

 しかしそれでも、なお度し難いことに、ポッドの中に横たわる16号の姿を見ていると、心が安らぐのを感じている自分がいたのだ。

 

 それからも、研究の日々の合間に、時折16号の姿を眺めながら、それでも決して、再起動はするまいと思っていた。また向き合ったとして、何と言ったらいいか、天才科学者の明晰な頭脳をもってしても、わからなかったのだ。

 

 

 

 

「伝えたい事が、あって来た」

 

 そして現在、16号と向かい合うドクターゲロは、彼が何を言うつもりなのか、やはり全く想像できず、未知の恐怖を感じていた。

 

 目の前の16号に、今更何を言えばいいのかわからず、ただ小さく震える老人を、16号は少し悲しそうな目で見つめた後、深々と頭を下げた。

 

「じゅ、16号……?」

 

 困惑する作り主に対し、16号は言った。

 

 

「申し訳ありませんでした、博士。オレの不用意な発言で、あなたを傷つけてしまった」

「……!?」

 

 

 あなたの死んだ息子ではないと、その言葉を思い出して、たじろぐドクターゲロの様子に、16号の精緻な人工知能は、自らも痛みを覚えてしまう。

 

 傷つけるつもりなど、決してなかったのだ。ただ、この人が見ているのは、優しい言葉をかけてくれている対象は、自分ではないのではと、ただそれだけが不安だったのだ。   

 

 

「だが、無から作りだされたオレにとって、間違いなくあなたは生みの親だ。それだけは伝えておきたかった」

 

 

 それだけを伝えて、16号は踵を返す。自分もあなたの息子だとは、決して言えなかった。彼にとっての息子は、後にも先にもただ一人だから。

 

 博士の反応は、怖くて見れなかった。そのまま外へと向かおうとしたところで、こちらを警戒している19号の姿に気付く。

 

 何かあれば即座に割って入れるよう身構えている兄弟を見て、16号は小さく笑って言った。

 

「19号。博士の事を頼んだ。ベジータ達は17号と18号がいれば大丈夫だとは思うが、念のため、隙を見てここから離れて欲しい」

「わ、わかった」

 

 そして16号の姿を呆然とそれを見送っていた老人は、彼の言葉の意図を悟り、やがて血を吐くような声で叫ぶ。

 

「あの、どうしようもない、失敗作が……っ!!」

 

 拳を震わせて俯く20号の瞳から、冷却水の雫が流れ落ちた。

 

 

 

 

 一方その頃、心臓病の悟空を送り届けたナッツと悟飯は、薬を飲んで穏やかに眠る彼の姿に安堵していた。

 

「カカロット、落ち着いたみたいね。良かった……」

「うん、本当に……」

 

 彼らがいるのは、パオズ山から離れた上空、カプセルコーポレーションが所有する大型輸送機の中だ。悟空の家は人造人間に狙われる可能性があるため、ブルマが手配していたのだ。

 

 意識のない悟空の気はとても小さく、ナッツと悟飯も気を隠している限り、誰にも見つかる事はないだろう。

 

「本当に、ブルマさんのおかげで助かっただよ。連絡してくれたおかげで、悟空さの薬も探しておけたし。避難場所まで準備してもらって」

 

 苦しむ夫を前に、一時は取り乱していたチチも、今はすっかり落ち着いた様子で、甲斐甲斐しく彼の看病を続けている。そんな夫婦の姿に、自らの両親を思い出して、ナッツは思わず、頬が緩んでしまうのを感じていた。

 

「ナッツちゃんも、悟飯ちゃんと一緒に来てくれてありがとな。もし薬を飲むのが遅かったら、大変だったかもしれねえだよ」

「い、いえ、そんな……あ、ウイルス性の病気らしいですから、私達も薬は飲んでおいた方が良いと思います」

 

 照れながらナッツが呟き、そして皆が薬を飲んだその時、ナッツは遠くの方で、父親の戦闘力が大きく跳ね上がるのを感じた。悟飯も同時に、同じ方向に目を向ける。

 

「父様が戦闘を始めたわ。きっと人造人間を見つけたのね」

「うん、相手の気が感じられないからね」

「本当に厄介だわ。戦ってるのに戦闘力が感じられないなんて」

 

 激しい戦闘が行われているのはともかく、その趨勢がわからず、じれったそうな顔になるナッツ。少し不安だったが、相手の人造人間は、あの老人と太っちょの2人組だ。

 

(あの2人程度だったら、父様が負ける事はないわ。大猿化してない私でも、そこそこやれそうな感じだったし)

 

 だがそれから間もなく、彼の戦闘力がどんどん低下していく事を、少女は感じ取ってしまう。

 

「と、父様、どうなってるの? 相手もきっと弱ってるのよね、これ……」

「う、うん……」

 

 震えるナッツの手を取りながら、頷く悟飯だったが、次の瞬間、さらに大きく低下した父親の戦闘力に、少女が悲鳴を上げる。

 

「い、いやあっ!? 父様!!」

「ナッツ!?」

 

 制止する間もなく、一瞬で超サイヤ人と化し、輸送機の窓を突き破って飛び出していくナッツ。悟飯もすぐに後を追おうとするが、割れた窓から轟音と共に空気と室内の小物類が機外に飛ばされていく中、意識の無い父親と、彼を守ろうと覆い被さる母親の姿に目が行ってしまう。

 

 ベジータさんが倒されたという事は、人造人間は他にもいる可能性が高い。この上空で万が一襲われたら、空を飛べる人間がいない限り、誰も逃げる事すらできないだろう。

 

 それに、それほど強い相手に、超サイヤ人にもなれない今の自分が付いていったとして、彼女の足手纏いになるだけではないのか?

 

「……っ!!」

 

 機内に警報が鳴り響き、搭乗員達が泡を食って応急修理に駆けつける中、少年は両親を守りながら、己の拳を、血が出る程強く握りしめていた。

 

 彼の頭髪が、小さくざわざわと上向いていた。




 ちょっと色々ありまして、かなり遅れてしまいましたが更新です!
 全く投稿してない間も評価とお気に入りを下さった方々、本当にありがとうございます。てっきり皆評価もブクマも解除して忘れ去ってると思ってました……。(評価10が2つ混じってるのに震えながら)
 次がいつになるかはちょっと断言できないのですが、話は最後まで考えてますのでなるべく早く書けたらいいなと思ってます。気長にお待ちくださいませ。

 あと前にも書きましたが、原作でドクターゲロがあの穏やかな16号の事を「この世界そのものを滅ぼしかねん」とまで言って必死に18号を止めようとしてたのは、たぶん連載当時から息子に似せて作ったって設定はあったんだろうなあ良いなあって思って書いたのがこの話です。かなり突っ込んだ話ですので好みは分かれると思いますが自分はこういうの大好きです。

  
>高級オイルは摂取できるようにしてあるからと

原作で16号が食事不可能とは言われて無いのでできても別に不自然ではないです(捏造)
食卓を共にするのは色々大事だと思いました。



>エイジ761年、ラディッツ襲来の数ヶ月前のある日

この後17号と18号と19号の開発に自分の改造までやったはずなので、普通に考えるとこのくらいの時期になるんです……。



>爆心地にいれば計算上は合体13号だろうと破壊できる危険物

ブリーフ博士がビビる程の代物+原作で不発だったのでどれだけ威力盛っても大丈夫だと思いました。



>10年以上前に病死した彼の息子

設定上は戦死との事なので、ここはわざと変えてます。戦死だったらドラゴンボールを使おうとしないのは不自然だと思いまして。
地球のドラゴンボール管理ガバガバだし、ドクターゲロがドラゴンレーダー作れないとも思えないし、19号に持たせれば1週間くらいで揃うでしょうし。

なお、この話では1回試して自然死は駄目って神龍に言われた経緯があるのですが、その辺の話は結構後でやる予定です。


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21.彼女が人造人間と戦う話 その1●

 父親の元へと全速力で飛翔していた金色の少女は、初めて地球に来た日の事を思い出していた。片目と尻尾を失い、今にも死にそうなほど、ボロボロになっていた父親の姿。

 

 あの日のように、今も父様の戦闘力は見る影もなく低下している。そして未来から来た少年の、父様は人造人間に殺されて、死んでいたという言葉。フリーザに心臓を貫かれ、血だまりの中に倒れ伏す父親の姿が想起され、ナッツの心を苛んでいく。

 

「嫌! そんなの嫌! 死なないで、父様!」 

 

 泣き叫ぶ少女の涙が、流れる風に飛ばされていく。吹き付ける風の冷たさが、身体から体温を奪っていく。

 

 地球で5年近くの年月を過ごして、悟飯と共に大抵の場所へは遊びに行った事のあるナッツだったが、地球でもかなりの北方にあたる、この辺りまで来た事は無かった。

 

 彼女は寒いのが苦手だった。身も凍えるこの感覚は、母様が死んでしまった、あの冷たい雨の日を思い出してしまうから。

 

 手袋が無く、肩まで剥き出しの戦闘服の防寒性は決して高くない。こんな時でなかったら、ブルマから持たされているお小遣いで、上着でも買いたいところだったけど。

 

「父様、父様……!」

 

 少し前から、温かなその気配はあまりに小さくなり、戦闘力の感知が苦手なナッツには、ほとんど感じ取れなくなってしまっている。わずかな父親の気配に縋るように、少女は寒さと恐怖に震えながら飛び続ける。

 

 そして到着の直前、探知されないよう戦闘力を消して黒髪に戻り、地上から接近したナッツの目に映ったのは、両腕をあらぬ方向に曲げ、倒れ伏す父親の姿だった。

 

「と、父様!」

 

 衝撃を受けながら、少女は恐る恐る父親に駆け寄り、その生存を確認して、ほっと息をつく。両腕は折られてしまっており、意識もないが、きちんと呼吸もしており、命に別状はない。

 

 彼女が想像していた最悪の事態よりも、遥かにましな状態だった。ナッツは顔を綻ばせて、父親の身体を抱き締めようとしたところで、両腕が折れている事に気付き、あわあわと動きを止める。

 

(良かった……けど何で? 意識が無いだけで、止めを刺された様子はないわ。その時間はあったはずなのに……)

 

 倒した敵を殺さず放置するという、戦場で育った彼女からすれば、常識外の出来事に、少女は困惑しながら、それをやったと思しき者達を見る。

 

 遠くに見えるのは三人組の、見た事の無い人造人間。一番強そうなジャケット姿の巨漢に、見た目はあんまり強そうじゃない黒髪の男と、戦闘後なのか、ボロボロの服装の金髪の女。

 

(もしかして、父様をやったのはあの女なの? それにしては、全然疲れてる様子がないわ。戦闘力は判らないけど、相当な強さと思っておいた方がいいわね……) 

 

 彼らはクリリンと何か話している様子だったが、遠すぎて話の内容までは聞こえない。

 

(一人だけ倒さず残して、尋問でもしているのかしら? それならすぐに殺される事はないだろうけど……仙豆は確か、クリリンが持っているのよね。早く父様を治してあげないと。……ついでに他の人達も)

 

 ナッツはそこで、周囲に倒れているピッコロ達に目を向ける。父親の気配だけを追っていた少女は、彼らの事までは気にしていなかったが、案の定全員倒され、意識を失っていた。

 

(父様がやられたくらいだから、無理もない事だし、逃げずに戦っただけ勇敢だわ。……もし父様を見捨てて逃げてたら、腕の一つも折ってやってたかもしれないけど……って、あの人は!?)

 

 少女の黒い瞳が、驚きに見開かれる。3年前に会ったきりの、未来から来たという、青い髪をしたサイヤ人の少年が、倒れた地球人達の中に混ざっていた。コルド大王に捕まっていた彼女を助けてくれた恩人で、確か未来でお姉さんを殺されたと言っていた人だ。

 

「未来からまた来てくれたのね! しっかりして!」

 

 ナッツは地面に膝をついて、意識の無い少年に呼びかける。ほぼ一撃で倒されたと思しき地球人達と違い、最後まで抵抗したのか、全身に傷を負っていた彼は、彼女の声を聞いて、薄く目を開けた。

 

 忘れもしない、誰よりも優しく美しかった姉と、目の前の幼い少女の顔立ちが、ぼんやりとした視界の中で重なった。守れなかった最愛の姉に、残された力を振り絞って呼びかける。

 

 

「に、逃げてください……姉さん、ナッツ姉さん……!」

「……えっ?」

 

 

 直後に彼は再び意識を失ってしまったが、その言葉を聞いたナッツの中で、一瞬のうちに、様々な出来事がフラッシュバックする。 

 

 20年後の未来から来た少年。名前は名乗れない。私が好きな飲み物を知っていた、青い髪のサイヤ人。まだ幼い弟の頭に、うっすらと生えてきた髪の色。

 

 私の事を、死んでしまったお姉さんと間違えて泣いていた人。赤ん坊の弟と、目の前の少年に感じる温かな気配は、別人とは思えない程にそっくりで。

 

 

 

 少女の中で、全てが繋がった。

 

 

 

「トランクス、あなた、未来から来たあの子だったのね」

 

 ナッツは慈愛に満ちた笑みを浮かべ、自分よりも年上の弟の頭を、優しくそっと抱き締める。そうしていつも弟にするように、小さな手でそっと頭を撫でた。

 

「ごめんなさいね、私はあなたのお姉さんなのに、寂しがってたあなたの事に、今まで気付いてあげられなくて」

 

 ふさふさの尻尾が、赤ん坊をあやす様に頬に触れる。3年前にトランクスが来ることなく、彼女がフリーザに尻尾を切られていた未来では、彼がそれを経験する事はなかったのだけど。

 

「こんなに大きくて、強くて格好良いサイヤ人になったのね、トランクス。とっても嬉しいし、あなたの事を誇りに思うわ」

 

 優しい姉の声と温もりを感じて、意識の無い少年の顔が嬉しそうに緩んだ。愛の奇跡だった。

 

 

 

 だが、彼に意識があったなら気付いていただろう。頭を撫でる少女の手が、怒りで小さく震え始めた事に。

 

 そう、強くて格好良くて、私よりも父様よりも背の高くなった、私の大好きなトランクスが、ボロボロになって意識を失うほどに傷つけられた。

 

 この子が生まれて、初めて会った日に、大切な愛おしい家族である彼を、命に代えても守ると誓ったのに。それなのに、あいつらが。

 

 表情の失せた顔で、ナッツはゆっくりと振り返る。三人組の人造人間。あいつらが、あいつらが私の弟をこんな目に。

 

 臨界を超えた絶対零度の怒りが、彼女の中で冷たく燃え盛る。ここまで怒りを感じたのは、いったい何年ぶりだろうか。毛を逆立たせた彼女の尻尾が、激しく振るわれ地面を叩き割った。

 

「あはっ、ははっ、あははははははは……!」

 

 子供とは到底思えないほどの、冷酷な殺意に満ちた笑い声。それは耳にした者に、彼女がこれまで10以上の星を蹂躙し、数えきれないほどもたらしてきた、否応の無い死を連想させるものだ。

 

 ナッツは倒れた弟に目をやって、一転、穏やかで優しい声を掛ける。

 

「待っててね。トランクス。あなたを傷つけた人造人間どもを、すぐに私が、皆殺しにしてきてあげるから」

 

 冷酷で凶悪な表情に、その瞬間は、同量の愛情と慈しみが混ざっていて、それが彼女を、いっそう恐ろしく見せていた。

 

 

 

 ナッツは立ち上がり、素早くその場を飛び離れる。長い髪と尻尾を風に靡かせながら飛翔しつつ、ブルマからもらったスカウターを外し、大事そうに戦闘服に収納する。

 

 そして土埃をあげながら数㎞先に着地。鋭い目つきで空を見上げ、右掌に形成した眩い光球を全力で投げ上げ、拳を握りながら叫ぶ。

 

「はじけて、まざれっ!!!」

 

 瞬く間に遥か上空まで到達した光球が、少女の操作によって、目も眩むような光と共に弾け飛ぶ。そして大気中の酸素と混ざり合い、真昼の空になお明るく輝く、人工の月を創造する。

 

 驚き慌てる人造人間達の姿を想像し、嗜虐的な笑みを浮かべながら、ナッツは自ら作り上げた月を見上げた。地上へ降り注ぐブルーツ波が、大きく見開かれた目から、少女の身体に吸収されていく。

 

 慣れ親しんだ感覚と共に、サイヤ人の証である尻尾が、別の生き物のように動き出す。尻尾によって1000倍に増幅されたブルーツ波が、凄まじい速度で全身へと供給されていく。身体の内から溢れんばかりの力が湧き上がるのを感じたその時、ナッツの心臓が、ドクン、と大きく高鳴った。

 

「はぁっ、はあっ……」

 

 心臓の鼓動がさらに高鳴ると共に、変身を開始した少女の身体が小刻みに震えだす。自身の身体が発する熱量に、彼女は汗ばみながら息を荒げ、開いた口から伸びつつある鋭い犬歯が覗く。

 

 拳を固く握り締めたナッツの腕が、筋肉によってわずかに膨張する。いつしか白く染まった目で、なおも月の光を吸収し続ける少女の戦闘力が急激に高まっていく。

 

 下級戦士ならば、とうに理性を失っているだろうこの状態で、王族の血を引く少女は己の裡で増大する大猿の本能を受け入れ、自らの自我と一体化させて制御する。彼女の喉から、獣性混じりの唸り声が漏れ始める。

 

 そして月を見上げてから、およそ10秒が経過したその時、ナッツはばっと両腕を広げ、己の力を解き放つように絶叫する。

 

「あああああああああああっ!!!」

 

 ゴウッ! と全身から膨大な気が発せられると同時、彼女の骨と筋肉が内側から弾け飛ぶように膨れ上がった。台風さながらの気の奔流で岩石や土砂を巻き上げながら、なおも秒単位で増大していく筋肉の上から、まばらに尻尾と同じ色の獣毛が生え始める。

 

 大きな牙を外気に晒しながら、人の限界を超えて開かれた口が、頭蓋骨の変形と共に、鼻と一体化して前へと伸びていく。同時に白い瞳が赤の色を帯び始め、やがてその目が完全に赤く染まった時、少女の整った顔立ちは、強靭な牙の生え揃った肉食獣のものへと変貌していた。

 

『オオオオオオオオオオオッ!!!!』

 

 大気を震わす咆哮と共に、戦闘服とアンダースーツを内側から押し上げながら、ナッツの全身はなおも急激に成長を続ける。彼女の身体に合わせて大きさを増し、今やサイズが1メートルを超える黒いブーツの下で、増大する重量に耐え切れず地面が踏み砕かれていく。丸太のように膨れ上がった足にうっすらと生えた獣毛が、変身の進行と共にその密度を増し、発達した筋肉を茶色の毛皮で覆っていく。

 

 家ほどに体積を増した大猿の身体が周囲の岩山に激突し、更に巨大化していく体躯によって粉砕する。太く強靭となった尻尾が、鋭い風切り音と共に、背後からの敵を薙ぎ払うかのように振るわれる。

 

 極寒の荒れ地に生息していた、熊やヘラジカや狼といった動物達、食物連鎖の頂点であるはずの恐竜までも、突然の強大な獣の出現に怯え、崩壊していく地形の中、我先へと逃げ出していく。

 

 獰猛な激情と殺意に身を任せながら、変身を続けるナッツは一際大きな咆哮を上げた。

 

 

 

 時間は少し遡る。ベジータが18号に倒され、残りの仲間も17号に全滅させられた後、動けず一人残ったクリリンの元へと人造人間達が近づいてくる。

 

 怯えながらも身構えるクリリンだったが、17号の言葉は、予想外のものだった。

 

「心配するな。どいつもまだ生きている。早く仙豆ってやつを食わせてやるんだな。すっかり回復するんだろ?」

「……えっ?」

「もしもっと腕を上げる事ができたら、また相手になってやると言っておいてくれ」

 

 驚くクリリンを尻目に、悟空の居場所も聞かないまま、去って行こうとする17号達。

 

「よし、これであのじじいへの義理は果たしたな。自由の身だ」

「で、孫悟空の所に行くわけ? その前に私、新しい服が欲しいんだけど」

「クルマも欲しいし、もう少し賑やかな所までは飛んでいくか。16号、やっぱりお前は戻るのか? 付いてくるなら歓迎するぞ」

「…………」

「さっきから小鳥ばっかり見てさ、本当、変わった奴だよ」

 

 クリリンはしばらく呆然と彼らを見送っていたが、誰も殺されず、話が通じそうな雰囲気を感じて、人造人間達を追いかける。

 

「ま、待ってくれ! お前たちの目的は一体何なんだ? 悟空を殺す事か?」

「そうだな。孫悟空はこの世で一番強いんだろ? ゲームみたいなものだ」

「……そんな事は止めてくれって言っても無駄か?」

「無駄だ。オレ達は孫悟空を殺すために造られた」

 

 寡黙な16号が、それだけははっきりと口にした。明確な拒絶の意思を感じて、何も言えず、実力差から、悔しそうに黙り込むクリリン。

 

 そんな彼の姿をじっと見ていた18号が、何を思ったか、クリリンの頬にいきなり軽くキスをした。 

 

「!!」

「じゃあね」

 

 顔を赤らめ、唇の当たった個所に手をやるクリリン。その様子を面白そうに眺めながら、口笛を吹く17号。 

 

「何だ、ああいうのが好みだったか?」

「バーカ」

 

 そうして人造人間達がその場を離れようとした時、クリリンは突如、恐ろしく不吉な気配を感じた。凄まじい勢いで大きくなり、同時に禍々しさを増していく悪の気配。

 

「!?」

 

 反射的にその方角に身構えるクリリン。同時に16号もそちらに向けて警戒を開始する。気を感じ取る機能を持たない17号と18号が、怪訝な目で彼らを見る。

 

「おい、どうした……」

 

 17号の声に重なるように、獣の咆哮が鳴り響いた。その正体を知るクリリンの顔が青ざめる。

 

 岩だらけの荒野の遥か遠くに、人型の小さな何かが見えた。それは咆哮し身をよじりながら、瞬く間にその大きさを増していき、黒い戦闘服、茶色の毛皮、肉食獣めいた顔などの特徴が明らかとなっていく。

  

 数kmはあるだろう距離を考えると、まるで大型の恐竜のような、凄まじいサイズであることは明白だった。信じられないといった顔で、18号が呟いた。

 

「な、何なのあれ……?」

「90%以上の確率で、ベジータの娘のナッツだ」

「娘だって? 確かに服は似ているが、あんな大きな娘がいるようには見えなかったぞ」

 

 16号の言葉に、軽口で返す17号。

 

「あれはサイヤ人の大猿形態だ。弱点の尻尾を切れば元に戻るが、そのパワーは人間時の10倍になると言われている」

「ベジータには尻尾なんて生えてなかったけど……どこかで切られてたってわけか。あんな姿になられてたと思うと、ぞっとするね」

 

 醜い獣の姿に、18号はわずかに嫌悪感を滲ませる。一方クリリンは、ナッツの咆哮に含まれた、凄まじい怒りの感情に気付いていた。

 

「な、ナッツ、あいつ……」

 

 彼は両腕を折られ、倒れたままのベジータに目を向ける。父親を敬愛している彼女があんな光景を見れば、その犯人を殺そうとする事は明白だと思った。

 

 実際に彼女が激怒している理由は、弟であるトランクスを傷つけられたからなのだが、飛行機でやってきたブルマが20号に撃墜される事のなかったこの歴史では、クリリンはまだ彼の正体について知る由もなかった。

 

 ただ一つ明らかなのは、これから激怒した大猿が人造人間達に襲い掛かり、勝敗を問わず戦闘の余波で周囲一帯が破壊しつくされる事だけだった。倒れたままの仲間達に仙豆を与えて逃がすべく駆け出すクリリン。

 

「逃げろっ! 早く逃げるんだっ!」

 

 敵である彼らに警告の声を掛けた理由は、彼にも判らなかった。

 

 

 

 

 そしてサイヤ人の少女は、自身のもう一つの姿への変身を終えていた。全長15メートルの、血のように赤く光る目を持つ、二足歩行の肉食獣。彼女の種族が、滅んだ今も銀河中で恐れられる原因である、星を滅ぼす巨獣の姿。

 

 愛らしい人間の姿だった頃の面影は、その身に纏う戦闘服とアンダースーツ、背中まで伸びる長い髪、長く強靭な尻尾しか残っていない。

 

 動物的な衝動に突き動かされたナッツは毛皮と筋肉に覆われた両腕を高く掲げ、雷鳴のような咆哮を上げる。

 

『グオオオオオオオオッッ!!!!!!!』

 

 吼えながらその全身が、金色のオーラに包まれる。変身中に攻撃される可能性を考えると、最初から超サイヤ人になっておいた方が良いのだが。戦闘力24億にも達する今の状態に比べ、少女の元の戦闘力は480万程度に過ぎない。

 

 パワーの上昇量が大きすぎて、段階を踏んで変身しなければ、大猿の姿に慣れたナッツにとっても、その制御は困難だった。事実ナメック星で、超サイヤ人のまま大猿化した時には、一時とはいえ理性を失うという、王族として信じがたい、恥ずべき失態を、下級戦士の悟飯の前で犯してしまっている。それを考えれば、用心するのは当然の事だった。

 

 そして大猿の姿で超サイヤ人になると同時、今よりも遥かに強くなった先に、更なる変身があるという、いつものもどかしい感覚を覚えていた。

 

(たぶん伝説の、超サイヤ人ゴッドだと思うのだけど……今の私じゃあ、変身するのはとても無理ね。もっとたくさん訓練しないと)

 

 超サイヤ人3を経て、超サイヤ人4と呼ばれるその領域に彼女が至るのは、今から10年近く先の事になるのだが、それはまた別の話だ。

 

 ナッツは周囲の状況を確認する。こちらに気付いていると思しき、三人組の人造人間。倒れたままの父親と弟を、クリリンが運んで避難させているのを見て、金色の大猿の赤く輝く目が、一瞬だけ細められる。

 

 ともあれこれで、遠慮する必要は無くなった。ナッツは獣の顔に凶悪な笑みを湛えながら、人造人間達に巨大な拳を向け、地平線まで届く大音声で宣言した。

 

『人造人間ども、覚悟なさい! 今から1匹ずつ、惨たらしく皆殺しにしてあげるわ!』

 

 

 

 

 宣言と同時、邪魔な地形をその巨体で砕きながら、凄まじい速度で迫りくる大猿に人造人間達は身構える。

 

「あの化け物も金色に光り出した。16号、あれが何か知らないか」

「データには無い。だが変化した瞬間、奴の戦闘力が何十倍にも跳ね上がった」

「何十倍……どおりでベジータも、あのじじいの情報とは大違いの強さだったわけだよ。17号、ちょっとヤバいんじゃない?」

「だから良いんじゃないか。孫悟空がどれ程の強さか知らないが、あいつもなかなか楽しませてくれそうだ」

   

 そのまま前に出ようとする17号に、焦った様子の16号が叫ぶ。

 

「止めるんだ17号! 敵の戦闘力はあまりにも大きすぎる!」

「確かに、正面からパワーで勝つのは厳しいかもしれないが、要は尻尾を切れば良いんだろ? デカくて死角も多い分、やりようもあるさ」

 

 言って17号は、音を殺して岩山の間を素早く走り抜け、ナッツの背後に回り込む。大猿が大地を踏み砕きながら走る轟音に、顔をしかめながら並走し、数メートル上で揺れる、腰から伸びた長大な尻尾に狙いを定め、切断すべく手の先にエネルギーの刃を形成する。   

 

(気付かれた様子はない……もらった!)

 

 高く跳躍した17号が、尻尾を切断しようとした瞬間、ふっと、その巨体が、まるで幻のように掻き消えた。

 

「な、何だと!?」

 

 驚き左右を確認する彼の身体に、暗い影が落ちる。とっさに頭上を見上げた彼が目にしたものは、瞬間移動さながらの速度で真上に移動した大猿が、その巨体で月の光を遮りながら、頭上で組んだ巨大な両拳を振り下ろさんとする姿だった。

 

『なかなか上手く隠れてたけど、私が今まで何度尻尾を狙われたと思ってるの?』

「がっ!?」

 

 信じがたい程の力で全身を強打され、17号は深いクレーターを作りながら地面に激突する。そしてあまりのダメージに動けず呻く彼の上へと、狙いを定めたナッツの巨体が落下していく。

 

『まずは一匹ね』

 

 邪悪な笑みを浮かべた大猿が、落下の勢いのまま黒いブーツを踏み下ろした。

 

 

 

 衝撃で大地が地震のように震える中、18号は呆然とした顔で叫ぶ。

 

「17号!? 嘘だろ、あんなにあっさり……」

 

 そこで彼女は気付く。笑みを浮かべていた大猿の顔が、戸惑いを見せている事に。さっきまで横にいたはずの、16号がいない事に。

 

 

 

「じゅ、16号、お前!」

 

 倒れた17号が、驚きに目を見開いていた。17号が踏み潰される直前、とっさに割り込んだ16号が、自身よりも大きな黒いブーツを、頭上に掲げた両手で受け止め支えていた。

 

「殺させはしない。お前達は、無駄に命を奪わなかった」

『お前、あの大きな人造人間ね。いい度胸だわ……そのまま一緒に潰れなさい!』

 

 気を解放したナッツが、筋力と全体重をもって16号を踏み潰さんとする。彼の身体が地面にめり込み、軋んだ関節が嫌な音を立て始めるが、痛覚の無い16号は怯まず、永久エネルギー炉と人工知能をフル回転させる。

 

 そして身体を前にずらし、加えられた力を逸らしながら、大猿のブーツの先端を掴み取り、ナッツ自身の力をも利用しながら、その巨体を宙へと持ち上げた。

 

『……なっ!?』

「うおおおお!!!!」

 

 両足が地面から離れる感覚に驚愕するナッツを、16号は裂帛の気合と共に背負い投げた。地面に顔を向けた姿勢で宙を舞った大猿の頭が岩山に激突し、崩れた無数の岩石が降り注ぐ。

 

『ガアッ!?』

 

 苦悶の声を上げながらうつ伏せに倒れるナッツ。16号はその隙を逃さず、地面に投げ出された彼女の尻尾へと迫る。

 

『くっ!』

 

 ナッツは倒れたまま、後ろ足で地面を抉って蹴り飛ばす。大量の岩と土砂がわずかに16号の前進を阻み、同時に勢いで前方へ跳躍した大猿が、空中で素早く一回転しながら、距離を離して体勢を立て直す。

 

 頭から血を流し、息を荒げながら、少女は16号の、予想外の力に驚きを隠せない。

 

(あの人造人間、大猿化した私に迫るパワーだというの……?)

 

 どういう素材で出来ているのか、全力で踏みつけても壊れなかった、あの耐久性も侮れなかった。カッチン鋼の塊でも踏んでいるような感覚だった。だが何でもいい。弟と父様を傷つけた、人造人間は殺すまでだ。

 

 視界が遮られないよう、顔に流れた血を手の甲の毛皮で拭い、ナッツは怒りに満ちた唸り声を漏らしながら、赤く光る目で人造人間達を睨みつけた。

 

 

 

 17号を助け起こし、肩を貸す18号の元へと、16号が戻ってくる。

 

「た、助かった、16号。お前、あんなに強かったのか……」

「今のうちに、お前達は逃げた方がいい」

「……確かに、逃げた方がよさそうだね」

 

 そこで17号は、自分を助けた16号が逃げる様子を見せない事に気付く。

 

「待て、16号、お前はどうするんだ?」

「奴を倒す。放っておけばオレ達だけでなく、博士も殺そうとするだろう」

「やめなよ! 殺されるって! あのじじいが心配なら、何とか連れて逃げるとかさ」

 

 嫌っているはずのドクターゲロを助けるような発言をしてまで自身を気遣う彼女に、16号は小さく微笑んだ。彼らを死なせたくは無かった。あの大猿のスピードからして、自分はともかく、この2人が逃げ切る事は、限りなく困難だと思われた。それに。

 

 16号は思い出す。大猿によって大地が崩れていく中、逃げようとする動物達が落石に飲まれていく光景と、その悲壮な叫びを、彼のセンサーは捉えていた。あれは、この地球の自然から外れた生き物だ。

 

 

「戦う時が来たのだ。孫悟空と出会う前に……」

 

 

 決意を込めた顔で、16号は言った。




 ようやくこのサブタイまで行けたのですが、キリの良い所まで書いてたらこんな長さに……ともかくお待たせしました! 皆様の評価と感想とお気に入りに支えられつつ苦労しながら楽しく執筆できました! 誤字報告もありがとうございます!

 次は2週間で行けるかどうか不明なのですが、既に話の流れは考えてますので気長にお待ちくださいませ!


 前回の更新の後に阿井 上夫様から頂いたイラストです!

【挿絵表示】

 可愛いですね! 次はあんまりご無沙汰しないようにしたいと思います!



・寒がりなのにどうして防寒性の低い戦闘服を?

 母親が選んでくれたデザインだからです。


・ブルマから持たされているお小遣いで、上着でも買いたいところだったけど。

 ナッツが同行するルートでは10歳の女の子に上着代をおごられそうになって死ぬほど焦るクリリン達が見れました。


・最後まで抵抗したのか、全身に傷を負っていた彼は

 この話のトランクスはナッツを殺された分、17号達に恨みがあるので原作より頑張りました。


・愛の奇跡
 
 シスコ〇? 家族愛です!


・パワーボールで作った月について

 久々なので再度書いておきますが、この話では壊せない設定です。根拠は原作でベジータが大猿悟飯相手に壊さず時間経過でしか消えないと言っていたからです。……ぶっちゃけ壊せたらほぼ無意味な技になっちゃいますのでこっちが良いかなと。

 ここからは自分の独自解釈なのですが、あれ見た界王様も月を作ったって言ってましたし、サイヤ人の月との親和性を活かして、本来神がやるような概念的な月の創造をやってるんじゃないかって超勝手に思ってます。この辺りは58話で神様とナッツが会った辺りでちらっと触れてたり。

 逆に壊せる根拠であるターレスのあれは、壊しやすいようにわざと不安定に作ってたってことでひとつ。前にも書きましたけどあれは月を壊しても大猿化がしばらく続く特殊効果の方が気になります。長時間残留するブルーツ波とか身体に悪そう。ターレスが見様見真似で覚えたので発現した意図しない効果なのかもしれません。
 

・戦闘力24億

 第一形態セルの最大値が20億くらいだそうです。つよい。


・超サイヤ人4

 色々ムチムチの予定です。乞うご期待。
(書けるのは何年後か計算して遠い目になりながら)


・即落ち17号
 
 一見クールそうですが原作でも制止無視して自信満々でセルに挑んで負けた後もまだ戦う気満々だったので大体こんな感じなんです……。


・背負い投げからの尻尾狙い

 16号vsセル戦のオマージュなのですが、原作では尻尾引き千切られたセルが「おうっ!」って声上げてて誰得だと思いました……。


・大猿によって大地が崩れていく中、逃げようとする動物達が落石に飲まれていく光景と、その悲壮な叫びを、彼のセンサーは捉えていた。

ナッツ「いやそれとばっちりじゃない!? 逃げ遅れた奴らが悪いのよ!」


・「戦う時が来たのだ。孫悟空と出会う前に……」

 ※起動してから約30分です。


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22.彼女が人造人間と戦う話 その2

 大猿と化したナッツと16号は、苛烈な戦いを繰り広げていた。

 

 自ら作った月の光を背に受けながら、大猿が振り下ろした巨大な拳が、一瞬前まで16号の立っていた石柱を粉々に打ち砕く。

 

 跳躍して回避した16号に向けて、すぐさま反対側の腕が迫る。彼自身よりも大きな掌から辛くも逃れた16号に、ナッツはすかさず身を沈め、痛烈な回し蹴りを叩き込んだ。とっさにガードするも、衝撃で吹き飛ばされた彼の後ろに、瞬時に高速移動で追いついた大猿が出現し、獰猛な笑みと共に、彼の頭上から肘を叩き付ける。

 

 蜘蛛の巣状のひびを作りながら地上に激突した16号はすぐさま地面を転がり、巨大なブーツによる踏みつけと、直後同じ足で放たれた前蹴りから逃れる。防戦一方の戦いに、岩陰に隠れながら様子を伺っていた17号が呻く。

 

「あの図体であんなに身軽なんて、反則だろ……!」

 

 一般的に大猿は、そのサイズの分鈍重と言われているが、戦闘力が10倍になり、身体を動かす筋肉も発達する分、変身前より遥かに動きは早い。もちろん戦闘力24億の戦士としてはスピードに劣るのは否めないが、王族でありエリート戦士であるナッツは、地球の月が満ちる度に、大猿の状態で訓練を行い、自分の身体の扱いに習熟する事で、その欠点を補っていた。

 

 とはいえ、圧倒的な体格差は、決して有利に働く事ばかりではなく。

 

 蹴りを逃れた16号はそのまま反対側の足に飛び乗り、大猿の巨体を垂直に駆け上がっていく。

 

『!?』

 

 ナッツは尻尾への危険を感じ、彼を振り払わんと腕を振るうも、16号は更にその腕に飛び移り、大猿の肩へと疾走しながら右の拳を構え、その顔面に向けて射出した。

 

『ガアッ!?』

 

 予想外のタイミングで激しく鼻面を強打され、苦悶の叫びを上げるナッツ。16号は跳ね返ってきた拳をキャッチし、さらにもう片方の拳も脇へと挟む。大猿の頭部へ向けられた両腕の断面から、激しい光が溢れ出す。

 

「ヘルズ……!!」

 

 16号が技を撃ち放とうとしたその刹那。

 

『舐めるなああ!!!!』

 

 叫びと共に、ナッツの口から放たれた極大の赤いエネルギー波が、彼の全身を直撃した。

 

 

 

 

「うわあああっ!」

「ぶ、無事なのか、16号は?」

 

 ナッツの攻撃による衝撃と爆風に、破壊された人間大の岩がいくつも吹き飛ばされていく中、身を伏せて必死に逃れる17号と18号。

 

 そして土煙が収まった時、彼らが見たものは、立ち上がりつつも頭部の一部を破損させ、ばちばちと火花を上げる16号の姿だった。

 

 ダメージを受けた彼の元へ、地響きと共に、悪魔のような笑みを浮かべながらナッツは歩み寄る。

 

『まだ動けるの? 呆れたわ。地球製の機械にしては、ずいぶん頑丈じゃない』

「オレを作った博士は、地球一の天才科学者だ」

 

 その言葉に、少しカチンときたナッツは反論する。

 

『機械のくせに、頭は良くないみたいね。地球で一番の科学者は、カプセルコーポレーションのブルマかブリーフ博士のどちらかに決まってるじゃない』

 

 真っ向否定された16号の方も、らしくなく反論する。

 

『その2人に、オレのような人造人間を作れるとでも?』

『……お前をバラバラにして、持って帰ればきっと作れるわ!』

 

 激高した大猿が16号へと飛び掛かり、再び戦いが始まった。

 

 

 

 

 一方その頃、クリリンに仙豆を与えられたトランクスは、目を覚ました直後、人造人間と戦いを繰り広げる存在を見て驚愕する。

 

 数階建ての建物ほどもある、毛皮に覆われた巨大な怪物。彼を驚かせたのは、それが持つ想像した事もないような凄まじく大きな気だけではなく、その気が紛れも無く彼の姉のものである事と、3年前に見た、子供の頃の姉と同じ、黒を基調とした戦闘服を身に纏っていたことだった。

 

「あ、あれは……あ、あの化け物が、姉さんなのか……?」

 

 驚愕の中、彼は未来で聞いた姉の言葉を思い出す。昔の姉には尻尾があって、地球に来たフリーザに切られてしまったが、それさえなければ、人造人間なんかに負けはしなかったと、車椅子の上で、悔しそうに言っていた事を。

 

「恐ろしいか? トランクス」

 

 背後からの声に、彼は反射的に答える。

 

「え? いえ。だってあれは、姉さんですから。確かに少し驚きましたけど」

 

 多少姿は変わっているが、それが何だというのか。大好きな姉さんが、元気で生きているのだから。凄まじい力で人造人間と戦う姉の姿に、少年は目を輝かせる。

 

「あんなに強かったなんて、さすが姉さんです……!」

「そうか。お前には尻尾は無かったが、それでもサイヤ人だからな」

 

 サイヤ人の場合、たとえ幼子でも、大猿に対する恐怖心が薄く、初めて見る時こそ怖がっても、すぐに慣れてしまう。無意識の内に、自分も同じ存在だと、理解しているからだと言われている。 

  

 そこで初めて、トランクスは声の主の存在に目を向ける。

 

「……と、とうさ……いえ! ベジータさん!?」

 

 慌てるトランクスに、父親は優しい声で語りかける。

 

 

「もう隠す必要はないだろう、トランクス」

 

 

「トランクス? あいつそんな名前だったのか」

「というか、何でベジータが知ってるんだ?」

「……わからん」

 

 不思議そうな顔になるヤムチャと天津飯。3年前に、悟空との会話を聞いて知ってはいたが、ベジータが気付く理由に思い至らないピッコロ。

 

「と、父さん……? どうして……まさか、悟空さんから?」

「いいや。だが、自分の息子の気配を間違えたりはしない」

 

 事実ベジータは、かなり前から彼の正体に気付いていた。未来から来た少年について、何故だか気になって、彼なりの考えを巡らせていたのだ。

 

 未来から来たサイヤ人。当然サイヤ人の親はいるはずだが、仮に生き残りのサイヤ人が他にいるとしても、フリーザ軍にも見つからないほどの極少数だ。まして地球で暮らす自分やカカロットに関わっているとなれば、その候補は自ずと限られてくる。

 

 予感が確信に変わったのは、生まれてきた自分の息子を見て、その戦闘力を感じた時だった。その日からずっと、彼に対して言いたい事があったのだ。

 

 呆然とするトランクスの肩に、父親は腕を回して抱き締める。

 

「未来のオレは、お前とナッツと、ブルマを残して死んだそうだな。傍にいてやれなくて、本当に済まなかった。トランクス」

「と、父さん……父さん!」

 

 優しい言葉と温もりに、涙が溢れて止まらなかった。それは父親を失っていた彼の、18年分の涙だった。

 

 息子の悲しみを感じ取って、父親もまた涙を流していた。

 

 

 

 同じ頃、ナッツは金色の毛皮に覆われた巨大な拳を振りかぶり、凄まじい速度で16号に叩き付けていた。

 

 避けられないと判断した16号も、同じく拳で迎撃する。インパクトの瞬間、周囲に凄まじい衝撃波が走り、砲撃のような轟音と共に大地が捲れ上がっていく。

 

 確かな手応えを感じつつも、押し切れない事に苛立った大猿が、牙を剥いて唸る。

 

『さっきから生意気なガラクタ人形ね! 大猿になった私に、パワーで勝てると思ってるの!』

 

 咆哮と共に、彼女の右腕の筋肉が大きく膨れ上がる。全身の力を込めて拳を振り抜かんとするナッツに対抗するかのように、16号は永久エネルギー炉を限界以上に駆動させながら叫ぶ。

 

「うおおおおおっ!!!」

 

 直後、衝突する力が逃げ場を失って爆発し、二人の身体が大きく弾き飛ばされる。

 

 ナッツはとっさに大地を踏みしめ、地面に靴跡を残しながら、勢いで飛ばされる身体を強引に止めて荒く息をつく。

 

(冗談じゃないわ! 戦闘力は不明だけど、少なくともパワーで私に対抗できるレベルって、1体でフリーザ軍を壊滅させてお釣りが来るじゃない!)

 

 しかもロボットという事は、材料さえあれば、同じ物が何体も作れるという事だ。数百体の16号がわらわらと現れる様を想像して、少女は内心身震いする。

 

(そんな事になったら、破壊神ビルスが地球を壊しに来るわよ……!)

 

 実際のところ、仮にそうなったとしても界王神レベルで軽く鎮圧できる案件で、宇宙にはその界王神すら超える輩もちらほら存在し、破壊神ビルスはそれら全てを遥かに超えてなお強大なのだが、両親やナッパから話を聞いただけで、実際彼を目にした事のない少女に、それを想像しろというのは酷な話だった。

 

 

 そして16号の方も、同じく焦りを感じていた。大猿とぶつけ合った右腕は、無理な力を込めた反動か、ばちばちと青白いスパークが漏れ、出力も3割ほど低下している。同じ事があれば、もう対抗はできないだろう。

 

 16号の戦闘力はおよそ20億。計算では5分と6分の戦力差で、18号とベジータのように、相手のスタミナ切れを誘えば、勝てる見込みは十分あったが、おそらくそれは期待できない。

 

 こちらを憎々しげに睨みつける、大猿化したベジータの娘。持久力も上がっているのか、疲れによってパワーが低下している様子はない。生き物である以上、限界は必ず来るだろうが、その前にこちらが破壊されてしまう。

 

 どうにかして尻尾を切るか、短期決戦で倒しきるしかない。あるいは。自らを作ってくれた老科学者の顔を思い浮かべ、16号は覚悟を決めた。




少し短いですが、また間隔空けたら書けなくなる気がするのでリハビリがてら投稿します!

前回更新した直後に何かブクマが6くらい減って「少しやり過ぎたかな……けどきちんと読んでくれて嬉しい……」って思ってたらまたブクマ少しずつ増えて結果10くらいプラスになって「これで良いって言ってくれるんですか! やったー!」っていう感じで私は元気です。毎回感想や評価、誤字報告などありがとうございます! 続きを書く励みになっております!


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23.彼女が人造人間と戦う話 その3●

 再び激突を開始するナッツと16号。

 

 戦闘力で上回り、圧倒的な巨体で人間さながらの技巧を駆使する大猿に対し、16号は永久エネルギー炉を限界以上に稼働させながら対抗する。

 

 咆哮と怒号が入り交じり、常識的にはあり得ない体格差を物ともしない激戦に、岩陰に隠れていた17号が喝采を上げる。

 

「いいぞ16号! よし、今のうちに尻尾を狙えば……痛っ!」

「さっきやられたの忘れたの? いいから逃げるんだよ」

 

 一見元気そうに見える17号だが、先程ナッツの攻撃をまともに受けたダメージで、その戦力は良くて半減しているだろうと18号は見抜いていた。自信過剰で無鉄砲なのは、昔からこの弟の悪い癖だ。

 

 彼の腕を引っ張りながら、気配を殺して離れようとした、その時だった。16号と戦っていた大猿が、突如彼らの方に顔を向け、間髪入れず口から赤いエネルギー波を撃ち放った。

 

「なっ!?」

 

 とっさに身を投げ出して地面に伏せた次の瞬間、今まで隠れていた岩山をあっさり破壊したエネルギー波が、ぞっとするような衝撃と共に頭上を通り過ぎ、遠くに着弾して大爆発を巻き起こす。人体を吹き飛ばすほどの爆風と降り注ぐ岩の欠片を必死にやりすごし、目を上げると、今まで隠れていた岩山が跡形もなく消滅し、その向こうで大猿が牙を剥きだして笑っていた。

 

『お前達2人も、逃げられると思わない事ね。こいつの後に殺してあげるから待ってなさい』

 

 直後、殴りかかった16号の攻撃を拳で受け止め、再び戦闘に戻るナッツの姿を見上げ、17号はあっけに取られた顔で呟いた。

 

「どうなってる? オレ達人造人間は、エネルギーで察知されないはずだろ?」

「……17号、あまり大声を上げるんじゃないよ。たぶん、聞かれてる」

 

 彼らの会話を、その尖った耳で捉えて、大猿は口元を歪ませる。彼らとの距離は100メートル以上離れているが、変身によって鋭くなった感覚は、足音までとは言わずとも、会話程度なら聞きつける事が可能だった。

 

 そして戦う16号の姿を見ながら、18号は考えを巡らせる。一見互角の戦いに見えるが、16号の方に、あの巨体にダメージを与える決定打がなく、このまま長引けば、遠からず彼が破壊されてしまうのは明らかだった。先程隙を見て、あの両腕から何か大技を放とうとしていた。カウンターを食らってしまっていたが、どうにかしてあの大猿に隙を作れれば……。

 

 彼女は身を乗り出し、ナッツに向けて大声で叫ぶ。

 

「この化け物野郎! そんな醜い姿になって、恥ずかしくないのかよ!」

「お、おい! 危ないぞ!」

 

 18号の挑発を、ナッツは鼻で笑い飛ばす。戦闘民族である彼女は、容貌に大した価値をおいていない。全く何も感じないわけではないが、10倍の戦闘力と比べれば安いものだ。

 

『これからその醜い化け物に殺されるのよ』

 

 余裕の笑みを見せる大猿に、18号は内心舌打ちしながら、なお諦めず言葉を続ける。 

 

「私達人造人間に勝てるつもりかい? サイヤ人ってのは自信過剰なんだね。あんたの父親もそうだったけど」

 

 次の瞬間、身の丈の倍はある岩塊が、高速で18号へと飛来した。大猿が尻尾で正確に弾き飛ばしたのだ。

 

「くっ!?」

 

 驚きつつも岩塊を拳で破壊した18号は、凄まじい殺気を感じて身を竦ませる。彼女を睨みつける大猿の顔から、人間らしい感情が消えていた。唸り声を上げながら鋭い牙を噛み締めるその姿は、怒りに燃えた野生の猛獣そのもので。

 

 全長15メートルの巨獣が、地を蹴り彼女に迫る。

 

「あ……」

 

 巨体が地に下ろす影に包まれながら、18号は彼女を致命的に怒らせてしまった事を悟る。17号が姉を庇おうと前に出るが、振り上げられた巨大な拳の前では、2人まとめて潰されてしまうだろう事は明らかで。

 

 殺されると覚悟した瞬間、全力で飛翔し追い付いた16号が、大猿の顔に向けて両拳を一度に射出した。

 

『邪魔よっ!』

 

 ナッツは迫る両拳を頭突きで弾き飛ばし、拳の軌道を変更して16号に叩き付ける。彼が岩壁に叩き付けられたのを確認し、即座に18号達を殺そうとしたその瞬間、大猿の耳が異音を察知した。

 

『!?』

 

 即座に発生源に目を向けた少女が目にしたものは、弾き飛ばした16号の両拳がエネルギーの刃を放出しながら宙に浮き、ジェット噴射で飛翔しながら、真っ直ぐに自らの尻尾を狙う光景だった。

 

『うわあああっ!?』

 

 ナッツは悲鳴を上げながら飛びのき、今まさに尻尾を切断せんとしていた両拳に、とっさに手にした大岩を叩き付け、重量と衝撃で押し潰す。

 

『このっ、舐めた真似を……っ!?』

 

 その時、息を切らした少女は気付く。気を取られた一瞬の間に、16号の姿が消えている。周囲を見渡し、感覚を研ぎ澄ませて確認したナッツは、自らの下方から溢れ出した眩い光に気付く。

 

 大猿の脇腹付近に滞空した16号の両腕に、周囲の大気を歪ませる程の膨大なエネルギーが収束していた。16号は永久エネルギー炉を半ば暴走させながら、大猿の黒い戦闘ジャケットに勢いよく輝く両腕を突き入れる。

 

『このっ……!』

 

 自爆覚悟で、ナッツは口からエネルギー波を放とうとするが。

 

 

「ヘルズフラッシュ!!!!」

 

 

 それよりも一瞬早く、零距離から放たれた16号の必殺技が、その威力を大猿の巨体に余さず叩き込んだ。

 

 

 

 

 天をも焦がすような爆炎がようやく晴れた時、現れた大猿は酷い有様だった。

 

 攻撃を受けた戦闘ジャケットの腹部は跡形もなく消し飛んでおり、その下の紫のアンダースーツはもちろん、厚い毛皮も筋肉も赤黒く焼け焦げていた。

 

 衝撃が内臓にまで達したのか、大地に片膝をつき、咳き込んだナッツの口から、血の塊が溢れ出す。

 

 激痛に荒い息をつきながら、ナッツは油断なく敵の姿を探す。爆発で吹き飛ばされたのか、かなり遠くに人造人間の男の姿が見えた。立ち上がろうとしているが、ふら付き、全身からばちばちと青白い火花を散らしており、戦闘力は感じ取れないまでも、かなり弱っているだろう事は見て取れた。あの一撃に、それほどのエネルギーを込めたのか。

 

『よくも、やってくれたわね……』

 

 一方、彼女の方はまだ戦える。この程度の負傷なら、今まで何度も経験がある。大猿化した今の自分の生命力なら、命に関わるほどの怪我ではなく、この状態でも戦闘力14億程度はあるだろう。

 

 激痛と怒りが、大猿の纏う雰囲気を、いっそう凶暴なものへと変えている。このまま立ち上がり、人造人間に止めを刺しに行こうとした、その時だった。

 

「ナッツ! 大丈夫か!」

「姉さん! 大丈夫ですか!」

 

 駆け寄ってきたのは、彼女の大切な2人の家族。心配そうに自分を見上げる彼らの姿に、少女は心が安らぐだけではなく、全身を苛む痛みまでも、和らいだような気さえ感じていた。

 

『大丈夫よ。今の私は頑丈だから。このくらい大した事ないわ』

 

 大猿のものとは思えないほど、ナッツは優しい声で応える。

 

「ナッツ、仙豆を持ってきてやったぞ。もし1粒で効かなかったら、ありったけ食っていいからな」

 

 クリリンから奪ってきた袋を掲げる父親に、ナッツは苦笑してしまう。気持ちはとても嬉しいし、確かにあの薬は凄い効き目だけど、たとえ全部食べても、ちょっとしたビルほどもある今の私の身体に、どれほどの効果があるか判らないし、悟飯から聞いた話によると、作るのが難しくて、凄く貴重らしいのだ。

 

『ありがとうございます、父様。けど大丈夫です。私はまだ十分戦えますし、相手も弱ってますから』

「しかしだな……」

『変身が解けてから、メディカルマシーンに連れてってください』

 

 休憩した事もあってか、先程よりも楽になった身体で立ち上がったナッツに、弟がおずおずと声を掛ける。

 

「姉さん……」

『なあに、トランクス?』

 

 いつもの癖で、彼をあやそうと尻尾を近づけたところで、大人の胴体より太いそれを前に、唖然とする弟の姿を見て慌てるナッツ。

 

『ごめんなさい! ただ赤ん坊のあなたには、いつもこうしていたものだから……』

 

 彼は思う。その赤ん坊は自分ではない。自分が幼い頃から、姉に尻尾は生えていなかった。ただそれでも、目の前の巨大な獣から感じる優しい気配は、彼のよく知る姉と同じものだったから。

 

 トランクスは大きな尻尾に両腕を回し、ふさふさの毛皮に顔を寄せた。その温もりは、まるで死んでしまった姉に抱かれているかのようで。

 

 涙を流す弟の頭を、姉は大きな手で優しく撫でた。

 

 

 

 

 エイジ779年、およそ12年ほど先の、トランクスが元いた未来。

 

 よく晴れたある日のこと。結婚したナッツと悟飯は、眺めの良い湖のほとりを散歩していた。彼は人造人間との戦いで左腕を失っていたが、それでも残った右腕で、歩けない妻の身体をしっかりと抱きかかえていた。

 

 幸せそうに夫に身を任せながら、儚げで美しい女性に成長したナッツは彼に語り掛ける。

 

「悟飯、あなたと私の子供が大きくなったら、きっと人造人間を倒してくれるわ」

 

「ううん、別に強くなくったっていい。ただ私が父様や母様やブルマに愛してもらった分まで、私達の子供も、うんと可愛がってあげたいの。こんな世界だけど、きっと幸せにしてみせるわ」

 

「だから……その、今日もお風呂で、身体を洗って欲しいの」

 

 そこで顔を赤くした悟飯は慌てて後ろを歩いていたトランクスの方を見るが、弟は彼らのやり取りの意味に気付かない振りをしていた。

 

 

 

 それからさらに、数ヶ月が経ったある夜のこと。

 

 夫婦の寝室から、姉のすすり泣く声を聞いたトランクスは、居ても立っても居られず姉と悟飯の部屋へ近づき、そして彼らの会話を聞いてしまう。

 

 

「悟飯……わ、私、怪我のせいで、子供、できないって、お医者様が……幸せになるって、母様と、約束したのに……」

 

 

 動かぬ両脚と、戦えない身体を抱えて、ナッツは綺麗な顔をくしゃくしゃに歪めて、ぽろぽろと涙をこぼしていた。

 

 

「ねえ悟飯、どうして、こんな事になっちゃったの……?」

 

 

 答えられず、悟飯は傷心の妻を抱きしめたまま、やりきれない怒りを胸に拳を震わせる。 

 

 彼が人造人間に挑んで命を落としたのは、それから間も無くの事だった。

 

 

 

 

『どうしたの? トランクス』

 

 怒りに震えていた彼は、信じられない程に強い気を持つ姉の言葉で我に返る。あの後いくら修行しても、自分では人造人間の強さに届かなかった。たとえこの時代で奴らをどうしたところで、未来が変わって姉さん達が生き返るわけではないけれど。

 

 

「姉さん……人造人間どもを、殺してください!!」

 

 

 涙ながらの鬼気迫る絶叫に、ナッツは驚き、同時に怒りを掻き立てられる。よほど辛い事があったに違いない。私の弟を。許せない。

 

『言われるまでもないわ。見てなさい。全員惨たらしく殺してあげる』

 

 風を切って、尻尾が力強く振るわれる。血のように赤い瞳で、凶悪に笑う獣の顔は、たとえ優しい姉のものだとわかっていても、ゾクリとしてしまう。だからこそ、頼もしいと思った。




 すみません前中後編の予定でしたが文字数足りなかったので次で決着です! 話は既に考えてますので気長にお待ちください!
 あと前回はたくさんのお気に入りと高評価と誤字報告をありがとうございます! 続きを書く励みになっております! 今後ともよろしくお願いします!



【挿絵表示】

阿井 上夫様から頂いた悟飯とナッツの背比べの絵です! 素晴らしいですね!
あと3話か4話くらい先でこの問題に突っ込んだ話をやる予定ですのでお楽しみに!


・16号のロケットパンチ

 原作だとあれセルに使った後、自分でキャッチして再装着してるんですよね……。けど戦闘中だから急いで回収しただけかもしれなくて、ジェット噴射+誘導機能が無いとは一言も書いてなかったので入れました。



・未来ナッツ

 儚げで綺麗でかなり母親似の感じです。子供時代に人造人間の襲撃で大怪我して歩けなくなって、言動も物静かになってます。ブウ編のナッツと比べるとまるで別人なのです。
 あんまり詳しく話せないのですが、暗い話は好きではないので彼女を含めて絶望の未来についてのあれこれはセル編最終話にご期待ください!


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24.彼女が人造人間と戦う話 その4

 真昼の空に輝く人工の満月の下、再び激突を開始するナッツと16号。

 

 腹部の負傷によるダメージは大猿の力を弱めていたが、それ以上に、16号の方が弱体化していた。

 

『どうしたのかしら? 随分疲れてるみたいじゃない』

 

 嗜虐的な笑みを浮かべながら、ナッツはそれでも向かってきた16号をあっさり殴り飛ばす。稼働限界を超えた永久エネルギー炉は、その出力を見る影もなく落としていた。

 

「くっ!」

「おい! 大丈夫か!」

 

 岩山に叩き付けられ、地面に落ちて片膝をつく彼に、17号と18号が駆け寄り助け起こす。

 

「何をしている! 早く逃げろ!」

「見捨てて行けるわけないだろ!」

「さあ早く!」

 

 3人はそのまま岩陰に隠れて逃げようとするが。

 

『逃げられると思ったの?』

「!?」

 

 ナッツが口から放った赤いエネルギー波が間近に着弾し、衝撃と爆風で、彼らは吹き飛ばされてしまう。

 

 

 

「う……痛っ……」

 

 18号はふらふらと起き上がるも、身体の痛みに顔をしかめる。さっきの攻撃は、直撃すれば死んでいてもおかしくなかった。それを思えば、生きているだけで僥倖かもしれないが、無傷というわけにはいかないらしい。

 

 そこで地響きを感じた18号が顔を上げると、未だ漂う土煙の中、ゆっくりと近づいてくる巨大な影が見えた。

 

(か、隠れないと……)

 

 岩陰に隠れた18号は、間近を通る大猿の姿を、息を殺して観察する。背後で揺れる尻尾が見えたが、おそらく狙おうと攻撃を仕掛けた瞬間、気付かれてしまうだろう。

 

 そしてナッツが通り過ぎ、18号が内心息を吐いた、その時だった。

 

『見つけたわ。まずは一匹ね』

(!?)

 

 その声にびくりと身を震わせる18号だったが、大猿が見ていたのは、彼女ではなかった。その視線の先には、うつ伏せに倒れた17号の姿。打ちどころが悪かったのか、意識を失っているように見えた。

 

 踏み潰そうというのか、ナッツは真っ直ぐ、倒れた17号に向かっていく。数秒以内に、弟が殺されるのは明白だった。考える前に、18号は飛び出していた。

 

「や、止めろ!」

『あら、そこにいたのね?』

 

 ギロリと、大猿の赤い目が彼女を見下ろした。次の瞬間、凄まじい速度で迫りくる黒いブーツの蹴り上げを、18号は飛び離れて回避する。外れた攻撃によって岩山が一瞬にして蹴り砕かれる中、彼女はあえて、崩れ行く岩山の中に飛び込んだ。

 

 巨大な岩がいくつも落下する中、その隙間を飛翔し潜り抜けていく。土煙と落石で、あの化け物の目からは見えないだろう。どうにか時間を稼げば、17号は目を覚まして逃げられるかもしれない。

 

 だが次の瞬間、落石を物ともせず土煙を突き破った巨大な腕が、18号を鷲掴みにする。

 

「やめろ! 放せ……ああっ!」

 

 凄まじい力で圧迫され、悲鳴を上げる18号。その姿を見て、ナッツは悪魔のような笑みを浮かべる。

 

『頭は良くないみたいね。出てこなければ助かったかもしれないのに。機械のくせに、仲間意識でもあるのかしら』

「……17号と私は、双子の姉弟だ」

『えっ?』

 

 その言葉に、彼女は一瞬硬直してしまう。確かに似ているとは思っていたが、機械ではないのか。いや、たとえ機械だとしても、そうした関係はあり得るだろう。

 

『……っ!』

 

 突如、気配を感じて真上に跳躍するナッツ。その眼下には、今の一瞬の隙に飛び出して、尻尾を狙おうとしていた16号の姿。

 

『まったく、油断も隙も無いわね』

 

 大猿は落下の勢いも乗せた踵を16号に叩き込み、地面に落ちた彼をそのまま踏みつける。余程頑丈にできているのか、壊れた感触はないが、少なくとも逃げられはしないだろう。

 

『さて、まずは父様と同じように、両腕からかしら。殺してしまわないよう気を付けないとね』

「あ、あ……」

 

 血に濡れた口元を歪めるナッツの姿に恐怖し、18号は言葉も出せず身を竦ませた。

 

 

 

 

 その時、クリリンは、殺されようとしている人造人間達、正確には18号の姿を、複雑な思いで見つめていた。

 

 トランクスの話によると、人造人間を放っておけば、悟空もベジータも、自分達も皆殺されて、地獄のような未来になってしまうのだという。それを思えば、人造人間を倒すのは正しい事だ。

 

「けどあいつらは、オレ達を殺さなかったじゃないか……」

 

 仙豆の事まで知っていたにも関わらず、強くなってまた挑んで来いとまで言っていた。かつてのベジータやナッツ、フリーザのように悪い奴らだとは、どうしても思えないのだった。

 

 ただそれだけで、確証も無く止めに入る事などできようはずがなく。ただ状況を眺めるしかない彼の手が、気付かず、18号に口付けされた頬に触れていた。

 

 

 

 その時、踏みつけられ、身動きの取れない16号は、己に残された最後の武器を使おうとしていた。

 

 孫悟空を確実に倒すべく、彼の体内に仕込まれた超高性能の爆弾。計算上はあまりのパワーに封印された13号達ですら倒せる代物だ。

 

 たとえこの大猿が相手でも、これだけ密着していれば間違いなく粉々にできる。ただ捕まっている18号や、近くに倒れている17号も巻き込んでしまうだろう。 

 

(見捨てて行けるわけないだろ!)

(さあ早く!)

 

 無暗に人を殺そうとせず、自分すらも助けようとしてくれた2人の顔が脳裏に浮かぶ。どうあがいても、3人共助からない。ならばここで自爆してでも、逃げた博士達に害が及ぶのを避けるのは、計算上は正しい事のはずなのだが。

 

(すまない博士、やはりオレは、失敗作なのか……) 

 

 上からの圧力で、自分が少しずつ壊れていくのを感じながら、それでも16号は、爆弾の起爆ができないでいた。

 

 

 

 

「や、やめろ、18号を放せ……」

 

 その声を聞いて、ナッツは露骨に顔をしかめる。見ると倒れていた17号が、よろよろと起き上がり、こちらを見ている。既に戦える状態ではないようだが。

 

『頭の悪い人造人間が、もう一人いたようね』

「やめろ……早く逃げるんだよ、17号……」

「た、頼む。オレを殺してくれてもいい。だから、18号だけは……!」

 

 必死に懇願する彼の姿が、何故だか弟と重なって、18号を握り締めた少女の拳がぶるぶると震えだす。 

 

『ふざけるなっ! 人造人間は一人たりとも逃さないわ! 皆殺しにしてあげる!』

 

 叫ぶその姿は、自らを鼓舞するかのようで。殺せなくなる前に止めを刺そうと、焦ったナッツは、一息に18号を握りつぶそうとして。

 

 

 

 

 次の瞬間、とてつもない衝撃が彼女を襲った。一瞬何が起こったのか、理解できなかった。

 

 切断された尻尾が、どさりと地面に落ちたその音を聞いて、ナッツは己の身に起きた状況を理解する。

 

『ガ……あ……』

 

 初めて地球に来たあの日以来の、地獄のような痛み。震える全身から力が抜け、変身を維持できなくなる。

 

『グ、ガアアアアアアッ!!!!』

 

 怒りのままに吼え猛えるも、見る間にその身体は縮んでゆく。握り締めていた18号が地面に落下し始める。

 

 それを見て、それまでひたすら潜伏を続け、そして今ナッツの尻尾を切った者が、歓喜の声を上げる。

 

 

 

「ふ、ふはははははっ!!!! や、やった! やったぞ! 18号! そして17号も! 奴らを吸収して、私はついに完全体に……!!」

 

 

 

 哄笑するそれは人型だったが、どこか爬虫類を思わせる緑色の身体に、先端が針のようになった尾を持っていた。

 

 謎の怪物は、力なく落下していく18号へ飛び掛かる。その光景を、ピッコロ達も見ていたのだが。

 

「な、なんだ、あいつの気は!?」

「悟空!? それにフリーザだと!?」

 

 数十名の気配が入り交じったような異様な気は、彼らが感じた事のないもので。あまりの異様さと急展開に、誰一人反応できない。尾の先端が大きく広がり、そして18号を頭から飲み込もうとしたその時、

 

 

 

「やめろーーーーーっ!!!」

 

 

 飛来した気の円盤が、怪物の尾を切断した。

 

「んなっ!?」

 

 悲願を妨害された怪物は、痛みも忘れて声の方を睨む。クリリンは飛翔しながら、なおも矢継ぎ早に十数枚の気の円盤を投げつける。

 

「気円斬ーーーーっ!!!!」

「お、おのれ!! クリリンごときに!」

 

 怪物は身をわなつかせ、迫り来る気の円盤を避けながら、地上に落ちて呻く18号の傍に着地する。

 

「と、とにかく、この場で吸収できないまでも、2人を確保して……!」

 

 この時のセルは、自分にピッコロ譲りの再生能力がある事に気付いていない。とはいえそれを知っていたとしても、間に合わなかっただろう。彼の背中に、拳の無い16号の腕が押し付けられる。ナッツの変身が解けた事で、彼もまた解放されていた。

 

「はっ!?」

「お前の存在はデータにはない。だが、18号達に危害を加えるのなら見過ごせない」

「ま、待て! 私とお前は、同じドクターゲロに造られた……」

「つまり貴様も人造人間ってわけか……!」

 

 怪物が気付いた時には、目の前に額に青筋を浮かべたベジータが、眩く輝く掌を向けていた。

 

「よくも、ナッツの大事な尻尾を切ってくれやがったなあああ!!!!」

「う、うおおおおおっ!?」

 

 

「ヘルズフラッシュ!!」

「ビッグバンアタッーーーク!!!!」

 

 

 

 前後から二人の必殺技を同時に叩き込まれ、閃光と熱と轟音が、怪物の悲鳴とその場の全員を飲み込んでいった。

 

 

 

 

 その直前、変身の解けた姉の身体を抱えて、トランクスは戦場から飛び離れていた。

 

「姉さん、大丈夫ですか!」

「はぁっ……くぅっ! ……ト、トランクス……」

 

 脇腹の傷から、血が流れだす。弱点である尻尾を切られた事と、負傷によるダメージが重なって、少女は息も絶え絶えに言葉を絞り出す。

 

「ごめんなさい、あなたの仇の人造人間を、殺せなかった……」 

「いいんですそんな事! 姉さんが無事でいてくれたなら!」

「……いい子ね、トランクス……」

 

 小さな手が、そっと彼の頭に乗せられる。未来の姉を彷彿とさせる言動に、思わず微笑んでいたトランクスは、その手が力なく垂れ下がった事に愕然とする。

 

「姉さん!? 姉さん! は、早く仙豆を!」

「落ち着け。オレ達サイヤ人が死ぬほどの傷じゃない」

「と、父さん!?」

 

 追い付いてきたベジータが、飛翔するトランクスの横に並ぶ。16号との攻撃の余波で、全身がやや煤けていた。

 

「それに仙豆も意識が無ければ食えんだろうしな。このままカプセルコーポレーションに向かうぞ」

「メディカルマシーンですね……ところで、あの怪物は倒したんですか? あれは一体……」

「ダメージは与えられたが……仕留めきれたかはわからん。戦闘力を消して逃げたかもしれん」

 

 ベジータは内心唇を噛む。16号とかいう人造人間も、奴を警戒したのか、他の2人を回収してその場を離れていた。止めを刺しに行くべきか迷ったが、かなり損傷しているとはいえ、大猿化した娘とあそこまで戦った相手に、確実に勝てる保証が無かったのだ。

 

「ドクターゲロが作ったらしいが、お前にも判らないのか」

「はい、未来にあんな奴はいませんでした。もしかして、オレが来てしまったせいで歴史が……」

 

 そこで父親の手が、彼の頭に乗せられる。

 

「気にするな、トランクス。敵なら倒してしまえば問題ない。それがオレ達、サイヤ人のやり方だ」

「と、父さん……」

 

 優しい声に、今まで知らなかった父親からの愛情を感じて、彼はわずかに涙ぐんでしまう。

 

 一方、傷ついた意識の無い娘を見る父親の心境は、それほど穏やかなものではなく。

 

 人造人間の女にやられたばかりか、娘に助けられる始末。あそこで自分が人造人間を倒せていれば、娘がここまで傷つく事も、大事な尻尾まで失う事もなかったのだ。

 

「超えてやる……超サイヤ人を超えてやるぞ……!」

 

 決意を込めた父親の声を聞いて、意識を失ったナッツの口元が、嬉しそうに緩んでいた。




 というわけでセル編なのでセル出ました! ここまで来るのに結構時間掛かってしまいましたが、今後はなるべく定期的に投稿していきたいと思いますので、よろしければ評価や感想、お気に入りなどよろしくお願いします!



・セルがここにいる理由は?
 戦闘力20億以上のヤバい奴がドクターゲロの研究所付近で戦ってるのを感知して様子を見に来てました。


・流石にセル死んだのでは?

 16号の方はかなりボロボロですし、原作で自爆してもしれっと再生復活してくるしぶとさがあるので、あのくらいなら大丈夫かと思いました。この後は原作どおり、潜伏しながら地球人を吸収してパワーを高めるムーブに入るかと。


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25.彼女達が、精神と時の部屋で過ごす話(前編)

 人造人間との戦いが終わってから数時間後。夕暮れ時の空を、浮かない顔をした悟飯が飛んでいた。

 

 目的地は、ナッツのいるカプセルコーポレーションだ。ブルマへの連絡で彼女が負傷した事や、人造人間達がひとまず撃退された事を確認した少年は、居てもたってもいられず、チチに送り出されて、彼女の元へと向かっていた。

 

「まさか、尻尾まで切られたなんて……大丈夫かな」

 

 自分が彼女の隣で戦えるほどに強ければ。そんな思いを抱きながら、空からカプセルコーポレーションに降り立った悟飯は、気を辿って、真っ直ぐに少女の居場所を目指す。

 

 意識せず、かなりの早足になっていた少年は、すぐにその部屋に到着し、そのままドアを開いて中に入る。

 

「ナッツ、大丈夫?」

「あ! 悟飯君!? ちょっと待って!?」

 

 背後でブルマの叫びが聞こえた時には、何もかもが手遅れだった。

 

 

 メディカルマシーンの中に、一糸纏わぬ姿の少女が浮かんでいた。

 

 

「えっ……?」

 

 思わず目を点にする悟飯。呼吸器と幾本もの細いコード以外に、目を閉じる少女の姿を隠すものは何もなく。

 

 ボリュームのある長い黒髪が、薄緑の液体の中を舞っていた。か細い鎖骨、上下するなだらかな胸、華奢な肩、腰回りからふっくらとした太腿、しなやかな爪先に至るまで、未だ発達途中の彼女のすらりとした体つきの全てが、余すことなく曝け出されていた。仮に後ろから見れば、尻尾の生えていた跡までもはっきりと見えるだろう。

 

 とても綺麗だと、一瞬見とれてしまってから、少年は今の状況に気付き、思わず声を上げる。

 

「え、ええええええっ!?」

 

 急いでいたとはいえ、とんでもない事をしてしまった。とにかく早く部屋を出なければと、振り向いた先には、唖然とした顔をした、彼女の父親が立っていた。

 

 娘の身体や長い髪を拭くためか、抱えていた山ほどのタオルが、ばさばさと床に落ちる。びきびきと額に青筋を浮かべて震えるベジータの姿を見て、悟飯は死を覚悟した。

 

「べ、ベジータさん、これは……」

「死ねええええええ!!!!!」

 

 

 凄まじい爆発音と地響きが、辺り一帯を揺るがした。西の都の住民達は驚いたが、発生源がカプセルコーポレーションだとわかると、いつもの新発明か何かかと、納得して特に気にせずいつもの日々を送るのだった。

 

 

 

 数分後、悟飯はボコボコにされて正座しており、なおも彼を殴ろうとするベジータを、まあまあとブルマがたしなめていた。

 

「もういいじゃない。悟飯君もわざとじゃないんだし、この通り反省してるし」

「しかしだな……」

 

 そこで騒ぎを聞きつけたトランクスも、とても良い笑顔で会話に入る。

 

「父さん、別に全く問題ありません! だってお二人は将来夫婦に」

「死」

「はいはい。ねえベジータ、可愛い娘を一生独身で過ごさせる気なの? 孫の顔とか見たくないの? きっと可愛いわよ」

 

 その瞬間、彼の脳裏に浮かんだのは、母親そっくりに美しく成長した娘が、幸せそうに男女二人の子供を抱き締めている姿だった。

 

(ほら、あなた達、ベジータお爺様よ)

(お爺様ー! 重力室で訓練してください!)

(その後は遊園地に行きたいです!)

 

 ぱたぱたと尻尾を振りながら駆け寄ってくる孫達の頭を撫でていた所で、すっかり緩んだ顔をしていた彼は、はっと現実に戻る。

 

「……それはそれとしてだな! まあ、だが、あくまでも事故だからな……今後は気を付けて」

 

 ベジータが少年を許そうとしたその瞬間、メディカルマシーンから、治療終了を告げる電子音が鳴り響いた。

 

「あっ……」

 

 突然の事に、その場の皆が硬直する中、すぐに治療液が排出され、慣れた手つきで呼吸器とコードを外した少女が、満面の笑みで飛び出してくる。

 

「悟飯! お見舞いに来てくれたのね! 嬉しいわ!」

「ちょ、ちょっと!?」

 

 勢いのまま、正座していた少年に飛びつくナッツ。慣れない姿勢に足を震わせていた彼は、そのまま後ろに倒されてしまう。天井を見上げる視界の中で、夜のように黒い瞳が、至近距離でいたずらっぽく輝いている。

 

 まるで入浴直後のように、一糸纏わぬ少女の髪から滴る治療液が、ぽたぽたと悟飯の顔を濡らしていく。真っ赤になってとにかくナッツにどいてもらおうとした瞬間、彼女の父親が金色のオーラに包まれ、床にびしびしとヒビが入っていく。本日二度目の命の危機を覚えた少年が、恐る恐る口を開く。

 

「あの、ベジータさん、これは……」

「死ねええええええーーーーーーーっ!!!!!!」

 

 

 先程以上の凄まじい爆発音と地響きが、辺り一帯を揺るがした。西の都の住民達は驚いたが、発生源がカプセルコーポレーションだとわかると、いつもの新発明か何かかと、納得して特に気にせずいつもの日々を送るのだった。

 

 

 

 

 そして翌日、ナッツが目を覚ましたのは、正午を大きく回った頃だった。

 

 昨日はあれからブルマに叱られた後、疲れていたので軽い食事だけ済ませて、すぐに寝てしまったのだ。昨日の事を思い出し、少女は反省する。

 

(せっかくお見舞いに来てくれた悟飯の服を濡らしちゃうなんて、怒られて当然だわ。次はちゃんと、身体を拭いてからにしないと)

 

 フリーザ軍では全裸で入るメディカルマシーンを日常的に利用しており、また戦場では戦闘服が破損する事も珍しくはなかったせいで、羞恥心を理解できていないナッツは、いつものようにお風呂に向かう。

 

 そして温かいシャワーを浴びながら、身体を洗うスポンジを取ろうとしたところで、腰から生えていたはずの尻尾が無い事に、改めてがっかりしてしまう。

 

(やっぱりあれは、悪い夢じゃなかったのね……)

 

 尻尾の跡を手でさすりながら、少女は項垂れる。突然現れ、尻尾を切ったあの緑色の影。怒りもあるが、戦闘中に尻尾を切られるような隙を晒してしまった、自分の迂闊さが情けなかった。

 

 そういえば、あれも人造人間だったのだろうか。それにしては、戦闘力を感じた気がする。何か叫んでいたけれど、昨日はそれどころじゃなかったから、後で誰かに聞いてみないと。

 

 

 

「あれはね、ドクターゲロの作った、セルっていう生物兵器らしいわ」

「むぐむぐ」

 

 入浴を終えたナッツは、ブルマに温めてもらった昼食を食べながら、セルについての話を聞いていた。

 

 父様やカカロット、私や悟飯、フリーザやコルド大王まで含めた大勢の戦士の細胞から作られたその怪物は、接触したピッコロが聞き出したところによると、トランクスと同じく未来からやってきて、17号と18号を吸収して、完全体になろうとしているらしい。

 

(そんな事のために、私の尻尾を切ったっていうの……!)

 

 エビフライの尻尾を噛み砕きながら、少女は唸る。あんな奴ら、言えばいくらでも譲ってやったのに。あ、でもフリーザの細胞も混じってるなら駄目だわ。殺さないと。

 

「セルは今、気配を隠して地球のあちこちの街を襲ってるの」

「……感じるわ。この気配の事ね」

 

 遠くに感じるそれは、数十人のそれが入り交じった不気味な気配。その周りで、地球人の気配が次々に消えていく。百人ほどが殺されたと思しき辺りで、ナッツは異変に気付く。

 

「何これ。戦闘力が少し増えてるの?」

「ええ、人間を吸収してどんどん力をつけて、向かってもすぐ逃げられるらしいわ」

「……それってまずくないかしら?」

 

 たった百人程度吸収しただけでこれだけパワーアップできるのなら、地球の人口を考えると、早く止めないと、とんでもない事になってしまう。昔の私なら、「じゃあセルより先に地球人を全滅させて、後で生き返らせればいいじゃない!」くらいの事は言ったと思うけど、親切な地球の人達を相手に、そんな事をしたくはなかった。

 

 昨日戦った、人造人間達を思い出す。傷ついてはいるだろうけど、今ならまだ、3人いればセルを返り討ちにできるはずだ。けど、いずれ上回られて吸収されてしまって、完全体になったとしたら。

 

 セルより先に人造人間を見つけて倒そうにも、今の私に尻尾はないし、あの強さからすると、父様とトランクスに、カカロットの心臓病が治ったとしても、まだ厳しいのではないだろうか。

 

「せめてもっと、訓練する時間があれば……」

「あるみたいよ」

 

 微笑みながらのブルマの言葉に、少女は思わず目を丸くする。

 

「えっ!? けど1日2日じゃあ……」

 

 そこでナッツは気付く。ブルマが先程から、いくつものカプセルのケースをチェックしては、大きな段ボール箱の中に入れている事に。10箱以上あるけれど、あの中身が全部カプセルだとしたら、どれほどの物資が詰まっているのだろう。

 

「ナッツ、起きてたか。身体の調子はどうだ?」

「あっ、父様! もう大丈夫です!」

 

 食堂に入ってきた父親を見て、少女はぱあっと、嬉しそうな顔になる。

 

「そうか。食べ終えたら出かける支度をしろ」

「はい、父様。どこへ行くんです?」

 

 娘の頭を撫でながら、父親は言った。

 

「カカロットから誘われたんだが、1日で1年分の訓練ができる場所があるらしい」

 

 

 

 食事を終えて新しい戦闘服に着替えた後、ナッツ達は空の上の宮殿を訪れていた。

 

「あ! 悟飯にカカロット!」

 

 嬉しそうに、少年の傍に駆け寄るナッツ。昨日の事もあり、悟飯は顔を赤くしていたが、彼女はその理由が判らず、不思議そうに問いかける。

 

「もしかして風邪でも引いちゃったの? ごめんなさい、私が昨日、あなたの服を濡らしちゃったから……」

「ち、違うよ!? 全然元気だから!」

 

 そんな少女と悟飯の姿を、いつの間にかやってきたトランクスが、感激した様子で撮影している。彼はクリリンと共に、セルや人造人間についての手掛かりを探して、ドクターゲロの研究所に行っていたのだ。 

 

(貴重な姉さんと悟飯さんの子供時代……お二人が仲良くしてる写真があんまり無かったのは、父さんが撮らなかったからなんだろうなあ)

 

 悟飯を追い掛け回していた父親の姿を思い出して、内心苦笑するトランクスに、小型飛行機で一緒に来ていたブルマが話し掛ける。

 

「トランクス、そんな所は父親そっくりね……何か見つかった?」

「あ、若い母さん! ほとんどの資料は持ち去られてたんですけど、残ってた物を持って来ました」

「ありがと……ねえ、未来の私って、そんなに老けてるの? ほんの十数年後でしょう?」

「えっと……写真見ます?」

「……いいわ! 怖いからやめておく!」

 

 未来から来た息子の気まずそうな表情を見て、彼の持つ板状の機器から目を逸らすブルマ。その日から彼女は食事や運動、アンチエイジングに熱心になり、場合によってはドラゴンボールを使ってでも若い姿を保とうと決意するのだったが、それはまた別の話だった。

 

「カカロット、その1日で1年分の訓練ができる場所って、建物の中にあるの?」

「ああ、精神と時の部屋って言うんだ。中に居られるのは2年まで。結構キツい環境で、昔のオラは1ヶ月がやっとだったけど、今のおめえらなら大丈夫だと思う」

「水と食料と、トイレとお風呂はあるって話よね。食べ物は変な粉だけって話だったから、保存の利くおいしい食料をいっぱい持ってきたわ。もちろん全員分あるわよ」

「ありがとう、ブルマ!」

 

 喜ぶ娘の頭を撫でながら、彼女はさらに続ける。

 

「あとこっちのカプセルは着替えと、ティッシュとか歯ブラシとかの日用品ね。ベッドとかエアコンとか冷蔵庫とか洗濯機とか、家具一式の入ったカプセルハウスも入れておいたし、本やビデオも図書館1つ分くらいあるわ」

「おいブルマ、遊びに行くんじゃないぞ」

「じゃあ食事と寝る以外はずーっと修行する気? 数日ならともかく、2年間も続けられないわよそんな生活。サイヤ人だって人間なんだから、適度に休憩しておきなさい。……特にナッツは子供なんだから、あんまり無理させちゃ駄目よ?」

「わ、わかった……」

 

 詰め寄るブルマに、思わずたじたじとなる父親の姿を、トランクスが嬉しそうに撮影していた。そしてナッツも、これからの2年間の訓練生活を想像して、胸を躍らせていた。

 

(父様だけでなく、トランクスとも一緒に訓練できるなんて楽しみだわ! それに2年もあれば、尻尾だってきっとまた生えてくるし!)

 

 前は2ヶ月くらいで生えたのだから、今回もきっとそのくらいだろう。もしかしたら父様の尻尾も生えるかもしれない。そうなれば人造人間だろうとセルだろうと、全く相手にならないはずだ。

 

(それに尻尾があれば、父様も満月の夜の訓練に参加できるようになるわ。せっかく月がある星に住んでるのに、大猿になるのが私一人だから、いつもちょっと寂しかったし)

 

 楽しい未来を想像しながら、少女は今は無い尻尾をぱたぱたと振っていた。そこで悟空が、すまなさそうに口を開く。

 

「で、言い忘れてたんだけど……一度に入れるのは2人だけなんだ」

「ええっ!」

「な、何だと!?」

 

 狼狽するナッツと父親。二人は同時に、トランクスの方を見る。この未来から来た家族と別々に訓練するなど、彼らにとっては、考えられない事だった。

 

「あ、そこはボクが調整しておいたので大丈夫ですよ。3人までは入れるようにしておきました」

「おおっ! サンキュー、デンデ!」

「じゃあ、私と父様とトランクスが一緒に入って、悟飯はカカロットと一緒ね!」

 

 ほっと胸を撫でおろした一同は、部屋に入る順番を決定する。

 

「オレ達が先に入るぞ。いいな、カカロット」

「ああ。オラ達はその間地球を見ておく」

「こっちはトランクスが持ってきた資料を調べてみるわ。もしかしたらセルや人造人間の弱点が判るかもしれないし……あとナッツ、2年間会えないけど、元気にするのよ」

「えっ!?」

 

 大人達の会話を聞いていた少女は、その事実に気付いて愕然とする。確かにそうだ。1日で1年が経過するという事は、つまり。

 

(ここで別々になったら、2年間も悟飯に会えないっていうの!?)

 

 そんな事、とても考えられなかった。確かに宇宙に賞金首を殺しに行く時とか、1~2週間くらい離れている事はあったけど、地球にいる時は、遊んだり勉強したり模擬戦したりと、3日も空けず会っていたのに。

 

 だからと言って、同じくらい大好きな父様やトランクスと離れるわけにはいかない。決心した少女は、彼の元へと歩み寄る。

 

「ねえ悟飯、私、いっぱい訓練して、今よりもっと強くなって帰ってくるわ」

「う、うん……」

 

 これ以上強くなられたら、自分の立場が……と悟飯は内心思ってしまうが、すぐに弱気な考えを打ち消した。自分も後で入るのだし、そこで修行して、ナッツを守れるくらい、強くなればいいのだ。

 

 そんな彼の表情を、少女は心強く、そしていとおしく感じた。強くなろうとする意志が、戦闘民族の少女には好ましくて。そんな彼と一緒にいられない事が、ますますつらくなって。彼から顔が見えないよう、少しだけ自分より背の低いその身体を、ぎゅっと抱き締めて、声が震えないよう気をつけて告げる。

 

「だから悟飯。私の事、忘れないでね」

「……っ!」

 

 ナッツの温もりに少年はどきどきしてしまうも、彼女の身体が小さく震えている事に気付いて、その震えを止めるように、自分もその身体に両腕を回して告げる。

 

「大丈夫だよ、ナッツ。絶対に忘れないから。君の帰りを待ってるから」

「悟飯……」

 

 年頃の男女ならば、口づけでもしているような距離で、まだ10歳の少年少女は、お互いを優しく見つめていた。

 

 

「……おい、外ではたった2日だと思うんだが」

「黙ってなさいピッコロ! 今良い所なんだから!」

 

 彼らの姿を、ブルマは手にしたビデオカメラで、トランクスは板状の機器で熱心に撮影し、娘の別れの邪魔をするわけにはいかず、父親はぎりぎりと歯を食いしばっていたのだった。




 最近暗めでシリアスな話が続いたのでしばらくは明るくいきます! 精神と時の部屋には次回神コロ様関係の話をやってから入る予定です!
 あと毎回感想や評価やお気に入りをありがとうございます! 続きを書く励みになっております! 特に評価は作者が大変喜びますので、まだの方はもしよろしければお願いします!



・メディカルマシーン
 原作だとベジータと悟空とバーダックしか利用してないのはバランスが悪いと思って描写しただけで猥雑は一切ないです!
 あとこの話とは全く関係ないんですが、さばさばした感じのセリパ姐さんが男連中に混じって特に恥ずかしがらずに使って出てきた所で周囲から下卑た視線や野次を飛ばされるんですけど一喝するなりボコって黙らせたところでトーマからタオルを受け取って髪を拭くとかとても良いと思います!(術式の開示)



・西の都の住民達
 繰り返しネタ大好きです! 原作でも全長50メートルくらいあるポルンガ見ても新発明かで済ませてた人達なので、多少の事は問題無いかと思いました! 実際ブリーフ博士がしょっちゅう何かしらの発明とかしてるでしょうし、もし被害とか出てもきっちり補償してるからこそあの反応なのでしょう。



・エビフライの尻尾
 ナッツは食べる派、悟飯は原作読んでも描写されて無かったので食べない派という事で補完しました。二人で食事する時はナッツが悟飯の皿から回収してバリバリ食べます。



・「じゃあセルより先に地球人を全滅させて、後で生き返らせればいいじゃない!」
 サイヤ人編を書いた直後くらいに考えてたプロットだと実際言っていたのですが、その後劇場版ブロリーとかで思ったよりサイヤ人が理性的だったと判明しましたし、その後の物語での彼女の気持ちの変化も慮って変更しました。けど台詞自体は他のキャラには絶対言えない感じでとても良いと思ったので残しました!


・トランクスが持ってる板状の機器
 ぶっちゃけスマホなんですが、セル編が描かれた時代が1992年ですので名前出してません。(こだわり)iPhoneが日本で出たのが2008年だそうですので、十数年後の絶望の未来の時代にはギリギリあるかなあと。


・ベッドとかエアコンとかカプセルハウスとか
 娘に甘いブルマのおかげで休憩中の環境は原作よりかなり快適になりますが、重力とか空気の薄さとかはそのままなので、特に修行にマイナスの影響はないです。



・精神と時の部屋
 原作だと2人制限があったんですが、この話では3人入れないと主人公が涙目なのでデンデを早く地球に連れて来て改造してもらいました。ブウ編でピッコロと悟天とトランクスと魔人ブウが4人で普通に入ってたので、原作でもデンデが神様になってから7年間の間に改造したんだと思います。


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26.彼女達が、精神と時の部屋で過ごす話(中編)

 悟飯との別れを終えたナッツは、父親達と共に、精神と時の部屋へと入ろうとした所で、ふと気付く。

 

 神様の姿が、どこにも見えない事に。地球の神の仕事があるから、この宮殿を離れる事は、滅多にないはずなのだけど。

 

「ねえミスターポポ、神様はどこ?」

 

 声を掛けられた黒い肌の彼は、悲痛な表情で俯いた。

 

「……かみさま、ピッコロと融合した。地球を守るために」

「えっ……?」

 

 少女はピッコロをまじまじと見る。確かにその気配が変化しており、戦闘力が大きく向上していた。以前ナメック星で、ネイルと融合した時のように。  

 

 最後に神様と会ったのは、誕生日パーティーの時で、もう寿命が近いかもしれないと、冗談交じりに言っていたけれど。

 

 事態を理解したナッツの黒い瞳に、じんわりと涙が浮かんだ。融合という事は、死んだわけではないから、ドラゴンボールでも生き返れなくて。

  

「か、神様、もう会えないの……? まだお別れも、言ってなかったのに……」

「……っ!?」

 

 その瞬間、ピッコロの脳裏に、己の物ではない記憶が浮かび上がる。

 

 

 あの娘と初めて会った時は、危険な悪のサイヤ人だと思った。月を直してくれと頼んできて、断ると、自ら月を作ると脅された。 

 

 だが月を作り直した後、ナメック星の話になって、行って来たらと勧められた。あれがなければ、神である自分が、地球を離れて故郷へ戻る事などなかっただろう。

 

 感謝の印として、誕生日に菓子を持って行った時には、とても感謝された。思えば個人的に感謝される事など、ここ三百年ほど滅多になく。もちろんそれは、この星の神として仕方の無い事なのだが。気付けば毎年、訪ねていくようになった。

 

 自分の寿命が尽き掛けている事は、自覚していた。あの恐ろしい怪物を倒すために、再びピッコロと一つになる事は、地球の神として果たす最後の仕事となるだろう。

 

 次の神は、幸いな事に、デンデという優秀な後継者がいる。ナメック星で育ったおかげか、ドラゴンボールについては自分を超えている。

 

 ミスターポポには既に伝えてあるが、あのサイヤ人の娘に別れを告げる時間はないのは、心残りだった。悪でありながらも、同時に穏やかな心を持つあの娘は、知ればきっと悲しむだろう。

 

 だが、その必要は無いのだと伝えたい。なぜなら、私は死ぬのではなく、ピッコロの中で……。

 

 

「……ピッコロ?」

「……はっ!?」

 

 気付けば思わず、少女の頭に手を置いていた。彼女は呆然とするピッコロの顔をじっと見上げていたが、やがて何かを悟ったかのように、涙を拭ってにっこり笑う。

 

「神様、そこにいるのね。良かったわ」

「ち、ちが……いや、そうだが! 基本はピッコロで!」

 

 慌てるピッコロに、ナッツはくすくす笑いながら言った。

 

「ねえ、これから何て呼べばいいの? 神コロ様?」

「だからピッコロでいい! 孫の奴から聞いたんじゃなかろうな!?」

 

 

「かみさま、よかった……」

 

 そんな二人のやり取りを見て、ミスターポポがハンカチを目に当てていた。

 

 

 

 そしてブルマの用意した山ほどの物資を持って、精神と時の部屋へと入っていったナッツ達。

 

 居住スペースと思しき、ベッドや食料の置かれた場所を抜けて、建物の外へ出た彼らが見たものは、とてつもなく広く、何もないただの真っ白な空間だった。

 

「こ、これは……凄い光景ですね」

「気をつけろよ、お前達。うっかりここから離れすぎると、戻れなくなるかもしれないからな」

「は、はい。それに暑いし空気も薄くて……身体も重くなってますね」

「この重力は、だいたい地球の10倍くらいね。惑星ベジータと同じだわ」

 

 身体の重さを感じ取って、どこか嬉しそうに笑うナッツ。

 

「聞いた事があります。父さんと姉さんの故郷の星だって」

「そうよ。正確には、私の生まれた時には、もう無かったんだけどね。私みたいなサイヤ人がいっぱいいて、数えきれないくらいの星を攻め滅ぼしてたっていうわ。私も参加したかったのに、本当に残念」

「そ、そうですね……」

 

 物騒な姉の発言に、顔を引きつらせるトランクス。実は未来の姉からも、同じ話を聞いた事があった。車椅子に乗った彼女は物静かでおしとやかで、荒事なんてした事が無さそうな雰囲気だったから、今まで何かの冗談かと思っていたのだけど。

 

「ナッツ、トランクス。訓練の前に、まずは住む場所の準備をするぞ」

「はい、父様!」

「わかりました、父さん」

 

 父親から掛けられた声をきっかけに、話を切り上げたトランクスは、上機嫌の姉と共に、持ってきた荷物の開封に取り掛かるのだった。

 

 

 

 ブルマの用意したカプセルハウスは、最初から内部に家具が設置されているもので。建物の居住スペースから水を引けるようにした後は、すぐに使う分の食料や日用品を、カプセルから出しておく程度で準備は完了した。

 

 そして数時間後。1日の訓練を終えて汗を流した後、トランクスはビデオを見ながら、氷を浮かべたアイスコーヒーを口にしていた。未来でもコーヒーを口にした事はあるが、まるで別の飲み物と思えるほど、段違いに良い品質だった。

 

 姉と父親は、台所で食事の準備をしている。手伝おうとしたのだが、

 

「トランクスは弟なんだから、今日は休んでるといいわ」

 

 と、姉から止められてしまったのだ。それでも明日からは手伝おうと思いつつ、しばし勧められた天下一武道会のビデオを見て過ごす。お色気や悪臭で勝とうとするのはどうなんだと思いながらしばらく視聴した所で、彼は静かに息を吐く。

 

 気で身体を強化しなければ死んでいたであろう外の気温と比べて、空調の効いたカプセルハウスの室内はとても快適で。それに加えて、人造人間の脅威が存在した未来で生まれ育ち、常に命の危険に晒されるのが当たり前だった彼にとって、安心かつ穏やかに流れるこの時間は、生まれて初めて感じるもので。心地良さのあまり、思わず顔が緩んでしまう。

 

「こんな所で、小さい姉さんや父さんと2年間も……」

 

 天国かな? と、彼が幸せを噛み締めていると、やがて料理を配膳する物音と共に、美味しそうな匂いが漂ってきた。

 

「トランクス、食事の準備ができたわよー!」

「はい! すぐ行きます!」

 

 そうして彼が目にしたのは、大きなテーブルの上に並ぶ、数十人分はありそうな料理の数々だった。もちろん全て一から作られたわけではなく、大半は出来合いの料理を解凍した物なのだが、全くそうには見えなかった。

 

 何週間も地球を離れる事もあるナッツが、食事に不自由しないようにと、世界中の一流料理人達の協力を得て、ブルマが開発させた見た目も味もとびきりの品だ。当然かなり値が張るのだが、試しに一般販売したところ、そのクオリティの高さから、たまには贅沢がしたい一般世帯向けに大ヒットしている。

 

 トランクスは、その素晴らしい料理の数々だけではなく、目の前で繰り広げられる、姉の食べっぷりにもまた驚いていた。

 

 たっぷりのチーズの上に、巨大な剥きエビや歯応えのあるイカなどの魚介類がたっぷり載せられた熱々のピザの一切れを、少女は幸せそうに頬張っていた。

 

「おいしい……!」

 

 綺麗に食べているが、そのペースはかなり早い。瞬く間に1枚を平らげると、缶から氷入りのコップに注いだオレンジジュースを口にして、にこにこと次の魚介パスタへ取りかかる。彼女は母親の作る動物の丸焼きのような、豪快な肉料理も好きだったが、自分では獲るのが面倒な魚介類もまたお気に入りなのだった。

 

「ね、姉さん? そんなに食べて大丈夫なんですか?」

「? サイヤ人はこれが普通よ。それに地球の食べ物って、どれも凄くおいしいし」

 

 むぐむぐと、幸せそうに料理を平らげていく彼女の姿を見て、トランクスは未来の姉の事を思いだしていた。

 

 人造人間によって世界中の工場が破壊され、農地はあっても耕そうとすれば、すぐに見つかって殺されて、作物は焼き払われてしまう。同様に、野山で食料を調達するのも命懸けで。母さんや悟飯さんや自分も、毎日必死に食べ物を探していたけれど、満足に食べられる事など、ほとんど無い時代だった。

 

(トランクス、あんまり食欲が無いの。私の分、半分食べてもらっていいかしら?)

 

 そんな風に、彼女はいつも、人の半分程度しか食べていなかった。足の不自由な姉は、ほとんど家から出ず母の手伝いをするだけだったから、その言葉を信じて、ありがたく分けてもらっていたけれど。

 

「姉さん……」

 

 本来はこのくらい食べるのが普通というのなら、たったあれだけで、足りていたはずがない。十数年もずっと、弟である自分にまで隠していたなんて。

 

「トランクス、どうしたの? どこか痛いの?」

「い、いえ。何でもないです……」

 

 否定するも、悲痛な彼の表情から、何かあったのは明らかで。

 

(きっと未来であった、悲しい事を思い出してるんだわ……)

 

 そんな弟に、ナッツは料理を差し出して、優しい声を掛ける。

 

「ねえトランクス、これ食べてみてくれる? 私が作ったの」

「こ、これは!」

 

 その料理に、彼は見覚えがあった。たまたま材料が手に入った時に、未来の姉が作ってくれたのと同じ、中華まんだった。

  

「チチさんから習った料理で、自信作なの。悟飯もおいしいって言ってくれたわ」

 

 恐る恐る口にした温かいそれは、記憶にあるのと全く同じ、もう二度と食べられないと思っていた味で。見守る姉の、にこやかな表情まで同じに見えた。

 

「おいしい?」

「はい、姉さん。おいしいです……」

「そう、良かったわ」

 

 ナッツは涙を流す弟の背中を優しく撫でる。

 

「トランクス、未来で何があったのか、私には判らないけど。元気出して、一緒に食べましょう。私は誰かと一緒に食べるのが好きなの。きっと未来の私もそうだったはずよ」

 

 その言葉で、彼は思い出す。未来の姉はいつも食事の時、辛そうな様子など、欠片も見せていなかった。自分や母さんと一緒に食事をしながら、彼女はいつも、嬉しそうな顔をしていたのだ。

 

「……そうでしたね、姉さんは」

「そうでしょう? ほら、他の料理もいっぱい食べて! 食べ終わったら父様とビデオとか見て、それから皆で一緒に寝ましょう! トランクスには真ん中を譲ってあげる!」

 

 普段父親にするように、弟の腕にしがみ付きながら微笑む姉の姿を、トランクスは眩しいものを見るように見つめていた。

 

「ありがとうございます、姉さん」

 

 ふと気付けば、父さんも優しい目で自分達のやり取りを見ていて。トランクスは心が温かくなるのを感じていた。

 

 これから始まる2年間の修行生活は、厳しいものになるだろうけど、それと同時に、姉さんや父さんと一緒なら、きっと充実した、楽しいものになるだろうと思った。




・地球の神様

 戦闘力的についていけなくなってたから仕方ないんですが、ピッコロと融合後に悲しんでる人がミスターポポしかいなかったりで可哀想だなあと思ったので主人公と絡ませました。ナメック星人は一人でも子供作れると老齢になるまでに気付いていたら、たぶん後継者として一人くらい生んでたんじゃないかと思ったり。


・お色気や悪臭で勝とうとするのはどうなんだと思いながら

 第21回天下一武道会、コミカルな要素が強かったり悟空が大猿になったり地球人が月を壊したりと色々盛りだくさんでナッツのお気に入りです。後はミスター・サタンの出る格闘番組のビデオもよく見返してます。クレープを買い直してくれた親切なおじさんの事を彼女は忘れていないのです。


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27.彼女達が、精神と時の部屋で過ごす話(後編)

 ナッツ達が精神と時の部屋で訓練を開始してから、およそ1年近くが経過したある日の事。

 

 普段着の上からエプロンを着け、カプセルハウスの中でてきぱきと家事に勤しんでいた少女が、ふと呟いた。

 

「トランクス、あの子、大丈夫かしら……」

 

 掃除を終え、干し終わった洗濯物を畳みながら、少女は窓の外を心配そうに眺める。

 

 父親と弟の訓練風景。家族にしか判らない程の、ほんのわずかな違和感だが、最近どうにもトランクスが父親を意識しすぎているというか、どこか遠慮しているような気がするのだった。

 

「……まぁ、あの子も年頃なんだし、きっと色々あるんだわ。後で聞いてみましょうか」

 

 自分の方が年下である事は棚に上げつつ、洗濯物を片付けたナッツは、二人が戻って来る前にと、食事の準備に取り掛かる。

 

 ブルマの用意した食料は、まだ数年分は残されており、量も味も申し分なく、少女は栄養バランスも考えながら、上機嫌で今日の献立を決めていく。

 

 こうしてナッツが家事をしているのには、理由があった。 

 

 もちろん彼女も、きちんと毎日訓練に参加しているのだが。まだ幼く、体力面で父親や弟に劣る彼女にとって、重力室よりも過酷なこの環境での、長時間の訓練は難しく。無理に二人に合わせようとした結果、最初の1週間ほどで、体調を崩しかけてしまったのだ。

 

 ナッツは隠そうとしたのだが、娘を溺愛する父親が、それに気付かないはずもなく。ブルマの言いつけもあって、彼は休憩時間を多めに取らせた上で、訓練自体も早めに切り上げさせていた。

 

 その方が無理をするよりも効率が良いと、少女も納得はしていたのだけど。それはそれとして、二人が訓練をしているというのに、自分だけ快適な場所で休んでいるというのは、何だか申し訳なくて。

 

 そこでナッツは、せめて二人の役に立つべく、食事の準備や掃除洗濯などを空き時間で行っていた。以前からチチに料理の手解きを受け、ブルマのお手伝いもしていた少女の家事スキルはこの1年近くでますます高まり、自覚がないまま、今やちょっとした主婦顔負けの域に達していた。

 

 そして当然、向上したのは家事の腕前だけではなく。

 

「そろそろゴミも出しましょうか」

 

 ナッツは両手にそれぞれゴミ袋を持って外へと向かう。もちろん、精神と時の部屋の中にゴミ収集車など来ない。

 

 少女は離れた場所にゴミ袋を置いて戻ると、目を閉じて小さく息を吸った。

 

「はあっ!」

 

 ナッツが目を開け叫ぶと同時、全身が眩い金色のオーラに包まれる。前へと突き出した小さな両手の間に莫大なエネルギーが収束し、撃ち放たれた巨大な赤いエネルギーの奔流が、二つの罪の無いゴミ袋を飲み込んで、真っ白な世界の彼方へと突き抜けていった。

 

「よし、ゴミ出しも終わったわ」

 

 邪魔なゴミが跡形も無くなったのを確認して、少女はえへんと、薄い胸を張る。今のナッツの戦闘力は、およそ30億。元の数値が2億4000万だから、この1年近くで10倍以上伸びた計算になる。

 

(もう人造人間よりずっと強いし、父様やトランクスはもっと強くなったんだから、たとえセルが完全体になってたって怖くないわ)

 

 今の時点で部屋を出ても勝てるのではと思わないでもなかったが、家族で一度話し合いを行った結果、中途半端な状態で外に出て負ける事が最悪で、今出ても外では1日しか違わないのだから、あと1年とことんまで鍛えれば、セルがいくら強くなっても関係ないだろうという、実にサイヤ人らしい結論に至ったのだ。

 

(それにあと1年経てば、私や父様の尻尾だって生えてくるかもしれないし……)

 

 食事の準備をしながら、少女はそっと、腰の辺りに手を触れる。訓練して強くなった上で大猿にまでなれれば、もはや向かう所敵無しと言えるだろう。父親は6年以上生えていないのだが、彼女は諦めていなかった。

 

 

 

 そして夕食後、トランクスの部屋にて。

 

「ねえトランクス、何か隠してるんじゃないの?」

「なっ!?」

 

 いきなりの姉の言葉に、驚いてしまうトランクス。一瞬誤魔化そうとも思ったが、何かあると確信している彼女の真っ直ぐな瞳を見て観念する。

 

「やはり姉さんの目は誤魔化せませんか……」

「ええ。父様も何か感づいてたわよきっと。どうしても言いたくないのならいいけど、もし何か悩んでるのなら、相談してくれると嬉しいわ」

「わかりました。その、突拍子もない話なんですが」

 

 決心して口を開く。 

 

「オレは父さんの力を超えてしまったかもしれません……」

「ええー……?」

 

 思わず普段出さないような声を出してしまうナッツだったが、それを聞いた弟が床に崩れ落ちたのを見て、慌てて助け起こしながら叫ぶ。

 

「ごめんなさい、違うのよトランクス!」

「もう駄目だあ、おしまいだあ……」

 

 絶望している弟の肩を抱きながら、彼女は優しい声で語り掛ける。

 

「あのね、父様はサイヤ人の頂点なのよ。私達とは経験も、くぐり抜けて来た修羅場の数も大違いだわ。まだ子供のあなたがそんな父様を超えちゃうなんて、ちょっと信じられなかっただけなの」

 

 なおも項垂れる弟の頭を優しく撫でながら少女は続ける。 

 

「けどもし本当にそうなら、とても凄い事だわ。私は嬉しいし、父様だってきっと喜んでくれるはずよ」

「そうでしょうか……ちょっと自信が無くなってきました」

「うーん、じゃあ、こっそり私に見せてくれないかしら?」

 

 そして翌日、ちょっと二人で訓練してきますと言って、ナッツ達は父親から離れた場所へやってきた。

 

「父さん大丈夫でしょうか。捨てられた子犬みたいな目をしてましたけど……」

「す、すぐ戻れば大丈夫よ! じゃあトランクス、あなたの力を見せて頂戴」

「はい。……はあああっ!」

 

 気合の声と共に、彼の全身の筋肉が、一瞬で倍以上に膨れ上がる。眩い黄金のオーラに包まれ、戦闘力200億を優に超えるだろうそのパワーに少女は感嘆する。

 

「す、凄いわトランクス!」

「ど、どうです姉さん。オレの新しい変身は」

「最高よ! これならセルも人造人間も敵じゃないわ! さっそく父様に見せに行きましょう!」

 

 そうして満面の笑顔で現れた娘とムキムキになった息子から話を聞いて、父親は何とも言えない微妙な顔つきになった。

 

「トランクス、その、確かに凄まじいパワーなんだが……その変身は止めておけ」

「ど、どうしてですか父さん!?」

「それはだな……口で言うより、実際戦った方が判りやすいか。トランクス、今からオレに一発当ててみろ」

「と、父さん!? 危険ですよ!」

「そうです父様! もし当たったらいくら父様でも……!」

 

 顔色を変える二人の様子に、彼は苦笑する。

 

「当てられればな。心配するな。メディカルマシーンもあるし、今のオレなら一撃では死なん」

「け、けど……」

「当てられたら、人造人間どもを倒した後、ナッツやブルマと一緒に遊園地に連れてってやる」

「ゆ、遊園地!?」

 

 その単語に、衝撃を受けるトランクス。人造人間が世界を破壊したのは彼がまだ赤ん坊の頃で、遊園地など彼にとっては、本や映画の中にしか存在しない、フィクションのようなものだったのだ。そんな場所に、父さんや若い母さんや小さい姉さんと行けるだなんて。

 

「やります!! 絶対に当ててみせます!!」

「ちょっとトランクス!?」

 

 俄然やる気を見せて全力で父親へ殴り掛かる弟に、思わず悲鳴のような声を上げるナッツ。発達した全身の筋肉から繰り出される猛攻の数々は、おそらく彼女なら避けられず、当たれば即死すらあり得る威力を秘めているのだが。同じく超サイヤ人に変身した父親は、その全てを冷静に見切って回避していた。

 

 それでも攻撃が当たりそうになるたびに、きゃーきゃー叫びながら観戦していた少女は、弟の膨れ上がった筋肉とその動きを見て、ふと気付く。

 

(あれ、これってもしかして、私が大猿に変身した時と同じ……?)

 

 そして5分ほどが経過し、全力で攻撃を続けていたトランクスが、息を切らせて動きを止める。

 

「そ、そんな……オレは強くなったはずなのに、どうして……」

「わかったわ、トランクス。父様の言いたかった事が」

 

 消耗し、滝のように汗を流す弟に、常備してあるタオルとスポーツドリンクを渡してあげながら、ナッツは説明する。

 

「あなたは筋肉が大きくなり過ぎた分、スピードが落ちてしまってるのよ。私も大猿になった時、似たような事になってるから判るわ。相手が格下ならともかく、同じくらいの戦闘力の相手だと、攻撃を当てるのが大変なの」

「け、けど姉さんの攻撃は、あの16号とかいう奴にも当たってましたけど、あれは……」

 

 その言葉に、少女は小さな拳を前に向ける。

 

「このパンチが、あなたの身体より大きくなると考えてみて。確かにスピードは落ちるけど、サイズやリーチが全然違うの。それを利用して、相手が避けられないように工夫して訓練してるのよ」

「ナッツの言うとおりだ。加えて言うなら、体力の消耗も大きすぎる。パワーは凄まじいが、実戦で使うのは難しいだろうな」

 

 言いながら、同じ変身をしてみせる父親を見て、トランクスはがっくりと肩を落とす。

 

「そんな……オレは勘違いをしていたんですね……」

「ト、トランクス、元気出して……」

 

 気落ちする弟をどう慰めればいいのか、おろおろする姉の前で、父親は彼の手を取り、自分の胸へばしりと当てる。

 

「そんな顔をするな。お前は十分強い。遊園地は連れて行ってやる。赤ん坊のお前も一緒にな」

「父さん……!」

 

 まだ変身を解いていないトランクスが、感涙しながら父親に縋りつく。腕も脚も倍以上に膨れ上がった親子二人のそんな姿は絵的に大変暑苦しく、ブルマが見たらさっさと戻りなさいと呆れた声で言いそうな具合だったのだが、戦闘民族の少女の目には、大変美しい光景に見えていて。

 

 とても強そうでかつ仲睦まじい二人の姿をきらきらした目で見つめていた少女は、ふと気付く。確かにあの姿で攻撃を当てるのは、難しいかもしれないけれど。

 

「父様、トランクス、こういうのはどうかしら?」

 

 

 

 

 それからさらに、時は流れて。

 

 ナッツ達が精神と時の部屋に入ってから、外では2日が経過しようとしていた。

 

「そろそろ2日だけど……ナッツ、まだ出てこないのかな……」

 

 閉じたドアを眺めながら、寂しそうに悟飯は呟いた。この2日の間に、何十万人もの地球人がセルに吸収されてしまった。ピッコロが人造人間達を見つけて倒そうとしたのが、力をつけたセルに乱入され、ついに17号が吸収されてしまったのだ。

 

 第二形態となったセルの力は圧倒的だったが、天津飯が捨て身で足止めした結果、何とか18号達は逃げる事に成功した。気を持たない彼らがすぐにセルに見つかる事はないだろうが、それでもセルは血眼で彼らを追跡しており、予断を許さぬ状況だった。

 

 扉の前でずっと待っていた少年が、諦めて踵を返したその時、ドアが勢いよく開き。

 

「悟飯ーーーーー!!!!」

「ナッツ!?」

 

 振り向いた悟飯が、その姿を見て驚愕に目を見開くと同時、飛びついたナッツが勢いのまま彼の身体を強く抱きしめる。

 

「悟飯だわ! 本当に久しぶり! ……って、あれ?」

「!!!???」

 

 頭の上に疑問符を浮かべた長い黒髪の少女が、頭一つ以上低い位置にある、少年の顔を見下ろした。訓練で破損したのか、ボロボロの戦闘服を身に纏ったナッツの姿は、最後の1年間で、見違える程に成長を遂げていた。

 

 知らない人間が彼女の年を聞かれたら、14歳くらいと答えるだろう。元より整っていた顔つきは、目鼻立ちがはっきりした事でさらにその魅力を増しており、可愛らしさと美しさの中間のような、開花途中の蕾のような、輝かんばかりの有様で。

 

 年齢の割に小さかった身長は20センチ以上も伸びており、鍛えられた身体は野生の猫のように引き締まっていたが、同時に柔らかさをも帯び始めており、戦闘服の破損した部分から覗くアンダースーツの胸元には、小ぶりながらもはっきりした膨らみが浮かんでいた。

 

「あ……あ……?」

 

 現在進行形で、顔に当たる温かく柔らかい感触に、耳まで真っ赤になった悟飯の脳がバグり始める。

 

 そして戸惑っているのは少女もまた同様で、文字どおり密着した至近距離から、夜のように黒い瞳で少年の姿を二度見して、同時にぺたぺたと、抱き締めた彼の身体を確認する。

 

「ご、悟飯? こんなに小さかったかしら?」

「君が大きくなったんだよ!?」

 

 神様の宮殿に、ちょっと傷ついた少年の絶叫が響き渡った。




 少し遅れてしまいましたがお待たせしました! この展開ずっと書きたかったので嬉しいです……! 同じ純粋サイヤ人でも悟空と比べて成長期が早いのですが、個人差とあと栄養バランスの取れた美味しい食事を3食お腹一杯食べ続けて、良い環境で育った分が出ているって事でご納得ください!

 それと評価や感想、お気に入りなどありがとうございます! 続きを書く励みになっておりますので、よろしければまだの方は是非お願いします!


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28.成長した彼女が、彼といちゃいちゃする話

「わ、私、そんなに大きくなってたの!?」

 

 悟飯の言葉に、成長したナッツは驚きの声を上げる。 

 

 そういえば確かにここ最近、胸が少し膨らんできたり、パジャマが小さくなって父様達のシャツを借りたりしたけれど。あと何故か父様達が一緒に寝てくれなくなって、ちょっぴり寂しかったりもしたけれど。

 

 それでも父様もトランクスも私より背が高いから、あんまり気付かなかったけど。私よりほんの少し小さかったくらいの悟飯が、今は私の胸くらいまでしかなくて、否が応でも成長を感じてしまう。

 

「けどそんな事関係ないわ。小っちゃくても悟飯は悟飯だもの。会いたかったわ……」

 

 愛おしそうに彼の顔を見つめて、抱き上げて頬ずりするナッツ。身体に当たる戦闘服ごしの確かな胸の感触に、真っ赤になった少年が叫ぶ。

 

「ちょ、ちょっと!? 離れてよナッツ!」

 

 その言葉を誤解したのか、少女は悲しげな顔になってしまう。

 

「……どうして? 私の事が嫌なの?」

「違うよ! え、ええと……」

 

 助けを求めるように悟飯が辺りを見渡すと、謎の四角くて薄い機械を彼らに向けてシャッターを連打していたトランクスが、とても爽やかな笑顔で言った。

 

「悟飯さん、どうぞそのまま姉さんとお幸せに。オレの事は気にしないで下さい」

「助けてよ!?」

 

(こ、こうなったら、ベジータさんでもいいや……)

 

 悟飯は彼女の父親の姿を目で探す。ナッツとこんな密着していたら、きっと怒って来るはずだ。この際後でボコボコにされようと構わないから、早く助けて欲しい。

 

 そうして彼が見つけたナッツの父親は、頭を抱えて呻いていた。

 

「くっ、殺す! ……だ、だが、ナッツはもう年頃で……オレが邪魔をしていいのか……?」

「何か悩んでる!? じゃ、じゃあピッコロさんとお父さんは……」

「れ、恋愛というやつなのか……わからない……」

「いつ結婚するんだ、お前達?」

 

 いつもの反応を見せる2人に、思わず死んだ目になる悟飯。

 

 だが救いの手は、思わぬ所からやってきた。

 

「あなた達、もう出て来たのね。皆の分の新しい戦闘服を持ってきたわよ」

「あ、ブルマも久しぶり!」

 

 十分堪能したのか、ナッツは少年を放して彼女の元へと駆け寄った。20センチ以上も背が伸びた娘の姿を見て、ブルマは目を見開いた。

 

「ちょ、ちょっと待って!? すっごく可愛くなっちゃって!」

 

 駆け寄ってきたナッツを抱き留めて、感動の目で成長した姿を確認するブルマ。撫でて撫でて、と甘えん坊の猫のように擦り寄るナッツの頭を撫でながら、彼女は夫に呼びかける。

 

「ベジータ! ちゃんと写真撮ってるんでしょうね? もうちょっと前くらいの姿とか!」

「当然だろう。1000枚以上ある」

「オレも同じくらい撮ってますから、後で見せますよ」

「あんた達、本当に親子ね……」

 

 呆れつつも嬉しそうな顔で、娘を抱き締めていたブルマは、その腰にまだ尻尾が生えていない事に気付いて、慰めるように言った。

 

「尻尾なら大丈夫よ。きっとそのうち生えてくるわ」

「うん……」

 

 しゅんとなって、彼女の胸に顔を埋めるナッツ。結局あれから1年経っても、尻尾は生えてこなかったのだ。前は2ヶ月くらいで生えてきたというのに。大人らしいけど、戦いの役に立たない胸よりも、尻尾が欲しかった。

 

 落ち込んでいる娘の背中に手を当てながら、父親が声を掛ける。

 

「ナッツ、新しい戦闘服に着替えてこい。それからお前の尻尾を切ってくれやがったセルと人造人間の奴らに、お礼参りをしに行くぞ」

「わかりました、父様」

 

 少女はブルマの持ってきたケースから自分の戦闘服を取り出して、にっこりと笑う。

 

「ありがとう、ブルマ。持って行った戦闘服は全部壊れちゃって、今着てるのしか残ってなかったの」

 

 彼女が着ているその一着も、サイズが小さい上に、壊れたり破れたりで、あちこち肌が出ている状態で。目のやり場に困る姿に、あと10着くらい替えを持たせておけば良かったと、ブルマは内心頭を抱えた。 

 

「そんな大きくなるなんて思ってなかったから。小さいわよそれ。できれば作り直したいんだけど……」

「大丈夫よ。戦闘服は大猿になっても破れないんだから、無理やり着れば入るわ」

「丈短くなって脚がかなり見えちゃってるし、ジャケットも胸の辺りにもう少し余裕持たせないと……ナッツ! ここで脱ぐのはよしなさい!」

「何で!?」

 

 無造作に戦闘ジャケットを脱ぎ捨てたところで、怒ったブルマにずるずると宮殿の中へ引き摺られていくナッツ。

 

 とっさに目を逸らしていた男衆だったが、肌に密着したアンダースーツのみの姿が一瞬見えてしまっていて。すらりと伸びた成長中の少女の身体の曲線に、気まずい空気と沈黙が流れる。

 

「女の子はちょっと大変だな……」

「そうだぞカカロット。その分宇宙一可愛いがな」

 

 ナッツが戻ってこないうちにと、ブルマが残していった戦闘服に着替え始める一同。こちらは全員男同士で気楽なもので。

 

「ピッコロさんは着ないんですか?」

「オレはサイヤ人やフリーザ共が着ていた服など着る気になれん」

「けど結構軽くて良いぞこれ」

「おいカカロット、ナッツの奴、成長が早いと思わないか? まだ12歳なのにあれは……」

「うーん、確かにオラも、15歳まで悟飯と同じくらいだったからなあ」

「い、いえ。あんなものじゃありません。もっと、大きくなっていきます……あいたっ!?」

 

 儚げな雰囲気ながらも、身体の方はしっかり成長していた未来の姉の姿を思い出し、戦慄した顔で呟くトランクスの頭を、少し顔を赤くした父親が無言で軽くはたき倒す。

 

(もっと大きく……!?)

 

 顔に出さないようにしながらも、将来そんな風に成長した少女が、今と同じく積極的にスキンシップをして来る光景を想像し、内心慄く悟飯だった。

 

 

 

 ピッコロを除く全員が戦闘服に着替え終わった頃、同じく着替えたナッツも宮殿から出てくる。

 

「ナッツ、後でお洋服買いに行くわよ。下着とかもちゃんと揃えないと」

「うん。セルや人造人間を倒してからね」

 

 そして彼女は悟飯の方へぱたぱたと寄ってきて、嬉しそうに言った。

 

「悟飯、やっぱり戦闘服が似合ってるわね。格好良いわよ」

「あ、ありがとう……」

 

 照れた様子の少年に、ナッツは少し真剣な顔で問いかける。

 

「ところで、セルの戦闘力がずいぶん高くなってるけど、もしかしてもう完全体になったの?」

「それはね……」

 

 悟飯の説明に、ふむふむと頷くナッツ。

 

「なるほど、人造人間が1人吸収されて、今のセルは第二形態ってわけね」

「うん。物凄く強くなってるけど……大丈夫?」

 

 心配そうな少年の言葉に、ナッツは念入りにセルの戦闘力を測りながら答える。

 

「うーん、戦ってみるまで判らないけど、多分私でも何とかなるわね」

「えっ!?」

「……サイヤ人、相手の実力を舐めると痛い目に遭うぞ」

「何よもう。確かに今のセルは強いけど、身体が大きくなってから、私の戦闘力も凄く伸びたのよ。ちょっとだけ見せてあげるわ」

 

 信じていないという様子のピッコロの忠告に、少女は頬を膨らませて、その戦闘力を解放する。

 

「はあっ!」

 

 気合の声と共に、一瞬で超サイヤ人と化したナッツを中心に凄まじい気の奔流が吹き上がり、宮殿全体が激しく震えだす。

 

「おおー! 結構やるじゃねえか!」

 

 悟空が嬉しそうな反応を見せる中、倒れそうになる樹木やひび割れていく床のタイルを見ながらピッコロが叫ぶ。

 

「やめろ! 宮殿が壊れるだろ!」

「……ごめんなさい、外の世界って、脆かったのね。気をつけないと」

 

 周囲の被害に、軽く冷や汗を流しながら、少女は変身を解いて黒髪に戻る。 

 

「だいたい今ので半分くらい。戦闘力150億ってところかしら」

「す、凄い……!」

「父様やトランクスはもっと凄いのよ。セルも思ったより、大した事はないわね」

 

 褒められた嬉しさに、えへんと胸を張るナッツだったが、ふと気付く。セルが楽勝という事は。

 

(あ、あれ? じゃあ悟飯達、あの部屋に入る必要がないんじゃ……?)

 

 元々は、私達の後に悟飯達が入るという話だったけど、父様やトランクスと楽しく過ごせたとはいえ、あの部屋の環境は結構キツかった。まして2年間だ。必要も無いのに、入れと言えるものではない。

 

(けど私だけ、2年間も多く訓練したなんて……)

 

 それはずるいと、少女は思ってしまう。普通に同じ条件で訓練して差が付くのならともかく、こんなやり方で彼を大きく上回ってしまうのは、どうにも納得できなかった。

 

「悟飯達はどうする? もう私達だけで十分だと思うんだけど……」

 

 恐る恐る、聞いてみるナッツ。その表情と普段の言動から、悟飯は彼女の考えている事を理解して答える。

 

「ううん、ボクも入るよ」

「……どうして?」

 

 自分よりも背の高くなったナッツの目を、それでも少年は真っ直ぐに見上げる。目の前のサイヤ人の少女が自分に求めるもの、それは優しさだけじゃなく。

 

 

「君よりも、強くなりたいから」

「っ!?」

 

 

 その言葉に、心臓を撃ち抜かれたような衝撃を受け、思わず後ずさってしまうナッツ。あまりの反応に、言葉を発した悟飯の方も驚いてしまう。

 

「だ、大丈夫?」

「う、うん! 大丈夫よ! 楽しみにしてるわ……」

 

 答えるも、何故か彼の目を真っ直ぐ見れなくて。顔を真っ赤にしてしばらくもじもじした後、ナッツは突然、凄い勢いでその場を飛び去った。

 

「わ、私、セルを倒しに行ってくるから!」

「待って下さい姉さん!?」

「くっ、殺す! ……だ、だが、ナッツはもう年頃で……」

「いいから早く行きなさい!」

 

 慌てて後を追う弟と、苦悩しながらもブルマに尻を蹴っ飛ばされて、慌てて続く父親。

 

「こういう時って、お赤飯炊くんだっけか?」 

「……悟飯、責任取れよ」

「ピッコロさんまで!?」

 

 何度も悟飯とナッツのやり取りを見せられているうちに、わからないと言いつつも、何となく恋愛というものを理解し始めていたピッコロが、不本意そうに呟いた。

 

 

 

 少し離れた上空にて。長い黒髪を風になびかせて飛ぶナッツは、彼の言葉を思い出して、再び顔を赤らめていた。

 

「もう、悟飯ったら……」

 

 サイヤ人の女性は、基本的に自分より強い相手しか、つがいになる対象として見なさない。そんな彼女にとって、悟飯の言葉は告白とほぼ同じ意味で。胸がどきどきして、身体が熱くなってしまう。

 

 今はもう消えた肩の傷跡に、そっと手を伸ばす。思い出すのは、初めて地球に来た日のこと。互いに全力を出し合って、殺されるかもしれないとすら思ったあの日の戦いを、いつかもう一度できるのだろうか。 

 

「……本当に、楽しみだわ」

 

 強敵を待ち望むサイヤ人としての気持ちと、彼を好ましく思う少女としての気持ちと、その両方が上乗せされた、獰猛かつ可愛らしい微笑みが、彼女の顔に浮かんでいた。




 サブタイトル毎回悩んでるんですが、このくらいはっちゃけても良いんじゃないかなって思いました! 判りやすさ重点な!
 
 あと最近お気に入りとか感想結構いただけて嬉しいです! ありがとうございます! 続きを書く励みになっております! できましたら評価もセットで頂けるとますます嬉しいですのでどうかよろしくお願いします!


・ナッツ達の強さ
 原作だとベジータ達が部屋に入ってたのは1年ちょっとなのですが、この話では2年なのでその分強化されてます。具体的にはベジータとトランクスがセルジュニアと互角くらい。第二形態セル涙目です。


・写真1000枚以上
 お話が良いゲームだとスクショそのくらい撮りますよね?
(switchの残り容量から目を逸らしながら)


・もっと、大きくなっていきます……
 全く関係無いんですが、原作だとこれ悟飯の台詞です。


・責任取れよ
 これは原作でもピッコロの台詞です。原作セルが完全体になった経緯、クリリンも割かし戦犯だったんですがベジータのやらかしが大きすぎて……。


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29.彼女がセルと戦う話

 ナッツ達が精神と時の部屋を出てから、およそ30分後。

 

 逃げた18号達を追っていたセルは、上空から無数の島々を見下ろして叫ぶ。

 

 

「出て来い18号! この辺りに隠れているのはわかっているぞ!」

 

 

「な、何だあれ?」

「で、でかい声……」

 

 真下の島の住民達が、その大音声にざわつき始める。そして出て来ようとしない18号達に向けて、セルは苛立った声で続ける。

 

「姿を見せなければ、島を一つ一つ破壊する! 手加減などせんぞ! 既に私は十分な力を得ているのだ!」

 

 セルはおもむろに手をかざし、眼下の島の一つへと、エネルギー波を打ち下ろす。

 

「え?」

 

 住民達が呆然と見上げる中、高速で遠くの島へ着弾したそれは、轟音と共に大爆発を巻き起こし、爆風が晴れた後、島は跡形もなく消滅していた。

 

 その様子を木々の間から見上げながら、他の島に隠れていた18号は呻く。

 

「ど、どうする? このままじゃあ、いつかこの島も……」

 

 頭部が半壊し、内部の機械部分を露出させた16号が、立っているのも辛いのか、地面に腰掛けたまま、冷静な声で応える。

 

「動かなければ大丈夫だ。ああ言っているが、セルはお前を破壊しない程度に威力を抑えている。あいつは相当、完全体に執着している」

「私は大丈夫でも、お前はどうするんだよ……あれは?」

 

 18号が見上げる先、猛スピードでセルへと迫る3つの人影があった。

 

 

 

 新品の戦闘服に身を包んだ、長い黒髪の美しい少女が、不敵な笑みを浮かべて宣言する。

 

「また会ったわね。セル」

「むっ? お前は……」

 

 どう考えても会った事のない彼女の言葉に、セルは内心困惑する。後ろの二人が、ベジータとトランクスである事は判るのだが。

 

「誰だお前」

「ちょっと!? 人の尻尾を切っておいて! 忘れたなんて言わせないわよ!」

 

 その言葉で、彼女の正体に思い当たったセルは驚愕する。

 

「……待て、お前ベジータの娘か? 見た目がずいぶん変わってないか? この数日で何があった?」

 

 精神と時の部屋での2年間で、20センチ以上成長した少女は、説明が面倒だし、わざわざ敵に情報を与える必要も無いので、ふふんと小さな胸を張って答える。

 

「成長期よ」

「……なるほど」

 

 明らかにそれで説明できる現象ではないのだが、確かにドクターゲロが残していたデータでも、小さかった孫悟空が、いきなり大きく成長していた事がある。知的に見えて人生経験の少ないセルは、そういうものかと納得した。

 

「そっちこそ、ずいぶん見た目が変わったじゃない」

「ふふふ……分かるか? どう思う? 完全体に近付いたこの私のボディを」

 

 第二形態となったセルは、全身が一回り大柄になっていた。そして大きな鼻に厚い唇のその顔は、一般的な地球の美的感覚で言えば、それほど格好良くは無かったのだが。

 

 戦闘民族であるナッツにとって、大事なのは強さであり、姿の美醜はそこまで気になるものではない。頓着しないあまり、幼い頃、将来はナッパみたいに強そうなムキムキの身体になりたいと言って、両親を青い顔にさせた事もある程だ。

 

「前よりは強そうね」

「そうだろうそうだろう! ……で、3人がかりというわけか? 私はそれでも構わんぞ」

 

 余裕たっぷりのセルを、嘲笑うようにベジータが言った。

 

「何勘違いしてやがる。てめえの相手はナッツ一人で十分だ」

「……何だと?」

「父様の言うとおりよ。完全体とやらならともかく、今のお前なら私一人で十分だわ」

 

 好戦的な笑みを浮かべて、ぼきぼきと指を鳴らす少女の言葉に、セルは怒りを爆発させる。

 

「後悔させてやるぞ!」

 

 一瞬で気を全解放したセルが、自分の胸ほどまでしかない少女に躍り掛かる。戦闘力にすれば130億はあるだろうパワーで放たれた拳は、直撃すれば16号だろうと、大猿化したかつての彼女だろうと、一撃で粉微塵にできるだけの威力を秘めていたのだが。

 

「え?」

 

 金色のオーラに包まれたナッツの、まだ小さな手によって、あっさりと受け止められていた。

 

「後悔するのはそっちよ。覚悟しなさい。私の全力で叩き潰してあげるわ」

 

 恐ろしいほど整った顔立ちの少女が、いくつもの星を無慈悲に滅ぼしてきた、冷酷なサイヤ人の笑みを浮かべていた。透き通るように青い殺意の瞳に貫かれたセルは、背筋が凍るような恐怖に汗を流していた。

 

「はああああっ!」

 

 気合の叫びと共に、ナッツも戦闘力を限界まで高める。先程の神の宮殿と異なり、手加減抜きで解放された気の奔流が、未だ拳を掴まれたままのセルの全身を打ち据える。 

 

「ば、馬鹿な……」

 

 今や戦闘力300億に達し、ばちばちと全身に金色のスパークを纏わせた少女が、笑顔と共に、震えるセルの拳を握りつぶした。

 

「じゃあ始めましょうか。……簡単には死なないでね?」

「うおおおおおっ!」

 

 先に動かれたら死ぬと、生存本能に突き動かされたセルが、血まみれの拳を振り上げて襲い掛かる。半ば捨て身で繰り出される無数の猛攻を、楽しそうに少女は回避していく。

 

 そしてセルの動きが疲労でわずかに鈍り始めたその瞬間、狙いすましたように放たれた痛烈なカウンターの拳が、セルの胴体に深々と突き刺さった。

 

「ガッ……!?」

 

 息すらできず、身体をくの字に折り曲げて苦悶するセル。一撃を放った少女の姿がぶれながら消え、瞬時に彼の頭上に現れる。すらりとした右足が天上へと垂直に振り上がり、勢いよくハンマーのようにセルの脳天へ振り下ろされた。

 

「!?」

 

 もはや声すら出せず、弾丸のように眼下の島へと叩き付けられるセル。追い打ちのように上空から無数の赤いエネルギー弾を撃ち下ろす少女の姿を、18号は遠くの島から呆然と見つめていた。

 

「あいつ、化け物の姿にならなくても、あんなに強かったのか……?」

「判らない。オレと戦っていた時とは、まるで別人のような強さだ……」

「とにかく、もしかして、あのままセルが死ねば、私達助かるんじゃ……!」

 

 希望に目を輝かせる18号。一方その頃、いつでも割って入れるよう身構えつつ、戦う娘を応援していたベジータは、息子が鋭い目で、眼下の島々を睨んでいる事に気付く。

 

「どうした? トランクス」

「18号を探しています。セルが探していたという事は、この辺りにいるはずです」

「……見つけたらどうする?」

 

 問い掛けながら、父親は考える。あの18号とかいう女の人造人間に恨みはあるが、無様に敗北したあの時とは違い、もはや既に、圧倒的にパワーアップした自分の敵ではない。

 

 一度完敗して、殺されてもおかしくなかった所を見逃された事もあり、不要なら手は出さずにいようとベジータは思っていたのだが、トランクスの方は、また違った思いを抱えていた。

 

 

 父さんはとても良い人だった。会う前は、姉さんや母さんを置いて死んでしまった事に、多少のわだかまりはあったけれど、実際に会ってみたら、そんなものはすぐ消えてしまった。2人が慕うのもよく判る、最高の父親だった。

 

 精神と時の部屋で、そんな父さんや、小さな姉さんと一緒に暮らした2年間は、間違いなく今までの人生で、最高に幸せな時間だった。

 

 だが本物の父さんは、とっくの昔に殺されているのだ。姉さんや悟飯さんと同じように。生きていたらきっと同じように、子供のオレを優しく育ててくれたに違いない父さんは、あの人造人間共に殺されてもういない。悲しんでいた母さん達の気持ちが、今なら痛いほどにわかる。

 

 

 憎悪に塗れた暗い瞳で、トランクスは呟いた。

 

「当然、殺します」

「……好きにしろ」

 

 父親はその表情から、彼の想いを大体理解していた。痛ましかったが、それで息子の気が済むのなら、やらせてやろうと思った。

 

 

 

「あははははっ! どうしたの? その程度かしら?」

 

 踏み貫かんばかりの勢いで降下したナッツを、セルは転がってかろうじて回避する。

 

「舐めるなあ!」

 

 セルは飛び起き、再び肉弾戦を挑むと見せかけて、彼女の死角から鋭い針の付いた尻尾を伸ばす。生き物である以上、突き刺してしまえば吸収できる。

 

 だが背後から針が刺さろうとした瞬間、少女はそちらを見ぬまま掴み取る。

 

「なっ!?」

「尻尾の動きなんて、警戒して当然じゃない」 

 

 口元を吊り上げながら、当然のようにナッツは言い放つ。サイヤ人である少女にとって、尻尾は身体の一部であり、相手がそれを武器として使うのも想定の内だ。

 

「お返しよ!」

 

 彼女は両手でしっかりとセルの尻尾を掴み、そのまま自身の倍近くはある彼の身体を、背負い投げの要領で地面に叩き付ける。そして倒れたセルの尻尾の付け根に足を掛け、力を込めて根元から千切り取った。

 

「おうっ!?」

「ふふん、私の痛みが分かったかしら……っ!?」

 

 次の瞬間、瞬時に再生した尻尾の先端が、無防備な少女の胸へ突き刺さる。

 

「っ!?」

 

「ナッツ!?」

「姉さん!?」

 

 父親と弟が絶叫し、戦闘服を突き破った針が肌へと届く刹那、ナッツは後ろに飛ぶと同時に、刺さっていた針を、とっさに腕で打ち払う。間一髪で危機を逃れた少女は、戦闘服の胸元に空いた小さな穴を見ながら、荒い息をつく。

 

「危なかったわ。まさか再生できるなんてね……」

「仕留め損ねたか……」

 

 起き上がるセルを、少女は憎々しげに睨みつける。人の尻尾を切っておいて、自分は再生できるなんて許せない。もしこの瞬間尻尾が生えたら、大猿に変身して、より惨たらしく殺してやれるのに。

 

「けど体力までは戻らないみたいね。力尽きるまで、何度でも千切ってやるわ」

 

 犬歯を見せて笑い、ナッツは更に戦意を滾らせる。自分を圧倒する彼女の強さに、セルは違和感を覚えた。身体の方は成長期だとしても、短時間でここまでの急激なパワーアップは、いくら何でもおかしい。

 

「貴様、どうやってこれほどの力を……っ!?」

 

 言い終わる前に、額に青筋を浮かべたベジータの拳が、セルの頭部を粉々に粉砕した。突然のバイオレンスに、目を白黒させるナッツ。

 

「と、父様?」

「てめえ、よくも嫁入り前の娘の身体を傷物に……!」

 

 先程悟飯を殴れなかったもやもやした鬱憤も上乗せされた怒りの叫びに、セルは頭部を再生させて反論する。

 

「ま、待て! 私にそんな意図は無い! 今のは不可抗力だろう!?」

「首まで生えてくるの!?」

「ちっ、核を潰さないと死なないタイプか」

 

 舌打ちするベジータ。そして姉を守るように、トランクスも前に出る。

 

「姉さん、オレ達も一緒に戦います。こいつは危険です」

 

 言って弟と父親も、それぞれ気を解放する。戦闘力およそ400億。ナッツをも大きく上回る彼らの強さに、唖然とするセル。

 

「ば、馬鹿な……何者だ、お前達……!?」

 

 その呟きに答えるように、ベジータは親指を自分に向けて、カメラ目線でドヤ顔した。

 

 

「オレは……超(スーパー)ベジータだ!」

 

 

(か、格好良い……!)

 

 父親の姿に感動したトランクスは、同じように親指を自分に向けて、カメラ目線でドヤ顔する。

 

 

「そしてオレは、超トランクス」

 

 

(か、格好良いわ……!)

 

 2人を見ていたナッツも、やはり親指を自分に向けて、カメラ目線で嬉しそうに同じポーズを決める。

 

 

「私は超ナッツよ!」

 

 

 カメラ目線で並ぶ親子3人を見たセルは、こいつら馬鹿だと思った。

 

「こ、こんな奴らに……完全体になれさえすれば……!」

 

 悔しさに身を震わせるセルに、少女は上機嫌で宣言する。

 

「そうはさせないわ。再生できないよう、跡形もなく消し飛ばしてあげる。父様に新しく習ったこの技でね」

 

 言ってナッツは身体の前に両手を突き出し、膨大な量の赤いエネルギーを集中させる。

 

「ファイナル……」

「させるかっ!」

 

 少女が技を撃ち放つ直前、セルは両手の人差し指と親指を合わせ、作った四角の中に少女と背後の2人を入れて叫ぶ。

 

 

「気功砲!!」

 

 

 次の瞬間、凄まじい衝撃がナッツ達を打ち据えた。

 

「きゃあああっ!?」

「くっ!?」

 

 とっさにガードするも、100メートル以上後ろへ飛ばされてしまう3人。彼らは素早く身体を停止させて体勢を整えるが、その時には、既にセルの姿は見えなくなっていた。

 

「今の技……天下一武道会のビデオで見た事あるけど、やっぱり凄い威力ね……」

 

 戦闘服をボロボロにした少女が、辺りを見渡しながら呟いた。彼らの周囲、島の大半の地面が大きく抉れ、そこにあった木々や地形も全てが吹き飛ばされていた。

 

 身体のダメージはそれほどでもないが、あの戦闘力差でこの有様だ。もしセルが自分と同じくらい強かったらどうなっていたかと思うと、ナッツはぞっとしてしまう。

 

「体内のエネルギーの大半を、そのまま衝撃波にして撃ち出したようだな。確かに強力だが、消耗が大き過ぎて、一歩間違えれば自分が死ぬような技だ」

 

 一目で技の性質を見抜いた父親を、ナッツとトランクスは尊敬の目で見つめる。

 

「つまり、今のセルは弱っているという事ですね、父さん」

「探しましょう。そう遠くには行けないはずよ」

 

(まさかあんな技まで使えたなんてね……けど次は絶対逃がさないわ!)

 

 

 少女がそんな決意を固めた、ちょうどその頃。

 

「い、いた……!」

 

 ドクターゲロの研究室から回収した資料を元に、ブルマが作った緊急停止コントローラーを託されたクリリンが、隠れていた18号達の姿を見つけていた。




 いつもよりちょっと早いですが、年末ですし何より久々にランキングに載れまして、感想も評価もお気に入りもびっくりする程たくさん頂けてとても嬉しかったので投稿しました! あと誤字報告もありがとうございます! ポルンガを呼び出す呪文が間違ってたのとか、その他色々全然気付いてませんでした……。

 感想もお気に入りももちろん嬉しくて頂くたびに大喜びしてるんですが、特に大きな評価を頂けるとランキングに載れて新しい読者の方が増えて更に色々増えて続きを書く励みになりますので、評価がまだ、という方はよろしければ私の作品に限らず是非お願いします! マジで作者にとっては大変嬉しいものですので!


・セルの人生経験
20年くらいは生きてるはずなんですが、その大半が卵とか幼虫の状態だったと思われます。一応知識はドクターゲロのコンピューターから得ていたようですが、内容がかなり偏ってそう。各人の技とか戦闘方法とか、あと完全体についてとか。

セルゲームで10日間待ってやるって言って夜中も腕組みして待ってるの、かなり面白い光景なんですが今見るともっと暇潰しとか娯楽とか……って言いたくなります。


・超トランクス
一瞬ちょっと暗い感じでしたが、本来は特に意味もなく多分格好良いってだけの理由で両手をばばばっと動かしてバーニングアタック撃ったりする年頃の少年なんです……。


・セルの核
原作だと頭にあるって言ってましたが、1つとは言ってないので多分全身にいくつかあるんだと思います。「さっき瞬間移動かめはめ波で上半身消し飛んでも再生してただろ!」って誰か突っ込むべきだったと思いますがそんな雰囲気でも無かったですね……。


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30.彼女達が、セルと人造人間を追う話

 ナッツ達は逃げたセルを探し回るも、既にその痕跡すら見つからず。

 

 眼下の島々を見下ろしながら、苛立ちを募らせたベジータが大声で叫ぶ。

 

 

「どこだーっ! どこにいやがる! セルーーー!!!!」

 

 

「おい2度目だぞ誰だあれ」

「で、でかい声……」

 

 真下の島の住民達が、その大音声にざわつき始める。

 

「人造人間も見つからないわ。どちらかでも見つけられたらいいのに……」

 

 数十個はある島々を、いちいち下りて探していては逃げられてしまうだろう。焦った顔の少女の呟きに、何かを思いついた弟が叫ぶ。

 

「姉さん! 島を一つ一つ破壊しましょう! 人造人間も倒せて一石二鳥です!」

「それよトランクス!」

「死ねえええ!!!」

 

 即座にベジータが撃ち下ろしたエネルギー弾が、大爆発と共に島の一つを消滅させる。無論、事前に気配を探って、そこに地球人がいない事は確認済みの島だ。

 

 ナッツもトランクスも、共にエネルギー弾を撃ち込んで、無人島を順に破壊していく。眼下の島から上がる悲鳴に、少女はちょっと悪いかなと思いつつ、楽しくなってくるのを抑えられない。

 

(こうしてると、父様や母様と一緒に星を攻めてた頃を思い出すわ……)

 

 恐怖に怯え、逃げまどっていた異星人達の事を思い浮かべ、上機嫌で破壊を続けるナッツ。

 

 なお、一連の破壊行為による人的被害はなく、物的な損害は後日カプセルコーポレーションからの寄付で補填されたものの、後で3人揃ってブルマに怒られる事になるのだが、それはまた別の話だった。

 

 

 

 その頃、島の一つに隠れていたセルは、周囲の島が次々に吹き飛ばされていくのを見て、顔を引きつらせていた。

 

「まさかあいつらが、あれほどのパワーアップを果たすとは……ど、どうする……?」

 

 セルは考える。ベジータの娘の戦闘力がおよそ300億、ベジータとトランクスは400億といったところか。自分は消耗しているが、この状況からでも、1度だけなら逃げられるだろう奥の手がまだ残っている。

 

 この場さえ乗り切れば、再び隠れながら、地球人を吸収する事ができる。自分の戦闘力は、数十万人の地球人で15億以上増加したのだから、地球の人口を考えれば、計算上は今のベジータ達を上回る事は十分に可能だ。

 

 当然、続けていれば見つかるリスクは高くなるが、上手くすれば奴らが向かって来たところを、不意打ちで吸収する事もできるかもしれない。そうすれば、自分に敵うものはいなくなる。

 

「い、いや駄目だ。このままでは、近くにいるはずの18号が破壊されてしまう。あれを吸収して、完全体になれなければ意味が無い……!」

 

 苦しげに頭を振るセル。彼にとって、ドクターゲロのコンピューターで知った完全体になる事は、生きる目的そのものだった。

 

「とにかく、近くにいるはずの18号さえ見つけられれば……っ!?」

 

 その瞬間、笑顔でナッツが撃ち下ろしたエネルギー弾が、セルのいる島を直撃した。

 

 

 

 隣の島が一瞬で消し飛んだのを見て、18号は顔を引きつらせる。セルを倒すためであろうベジータ達の攻撃は、自分達に命中すれば、どう考えても助からない威力だった。

 

「ど、どうする、16号?」

「……少し待ってくれ」

 

 問われた彼は目を閉じて、この状況で自分達が助かる確率を計算し始める。ドクターゲロ謹製、たとえブリーフ博士が見ても完全には理解できないだろうレベルの超高性能人工知能がフル稼働する事約10秒。やがて計算が終わり、彼はゆっくりと目を開いた。

 

「ど、どう?」

 

 期待に満ちた目の18号に、彼は透き通った笑みを浮かべて答える。

 

 

「オレの好きだった自然や動物達を、守ってやってくれ……」

「16号!? 現実逃避してる場合じゃないよ!?」

 

 

 彼の襟首を掴み、がっくんがっくん揺さぶって正気に戻す18号。

 

「……すまない」

「まったく、馬鹿やってる間に見つかったらどうするんだよ」

 

 息をつく16号。幸いナッツ達にも、セルにも見つかってはいなかったのだが。

 

(何やってるんだあいつら……?)

 

 15メートルほど離れた茂みから、気を消したクリリンが、彼らの様子を伺っていた。その手にはブルマから託された、人造人間の緊急停止コントローラーが握られていた。

 

 

 気を探りつつ、島の数を半分程度に減らしたところで、ふとナッツは気付く。

 

「あの、父様。これって、セルがもう死んでても判らないんじゃ……」

「奴の生命力を甘く見るな。とっさに島から逃げるくらいはできるはずだ」

「18号はもう吹き飛んだでしょうか。できれば直接仕留めたかったんですけど」

「……人造人間が死んだかどうかも、後で確認しないとね」

 

 思ったよりも面倒そうな展開に、少女は微妙な顔になってしまう。もういっそ、周囲一帯全部消し飛ばして、後でドラゴンボールで直してもらうという案も思いついたのだけど、悪人のサイヤ人である自分にも親切にしてくれる地球人を手に掛けるのは、どうにも気が進まなかった。

 

 セルか人造人間が見えないかと、残った島をじーっと見ていたナッツは、ふと一瞬、何かが光ったような気がした。よく目を凝らすと、それは毛髪の無い、知り合いの地球人の頭だった。

 

(あれはクリリンだわ。どうしてこんな所に……っ!?)

 

 彼の目線を追った先で、ナッツは探していた18号達を見つけて息を呑む。

 

「……父様、トランクス、人造人間がいました」

 

 そして18号の姿を見つけたトランクスは、血走った目で彼女を睨みつける。

 

「あいつ……っ!」

「あっ、ちょっと!?」

 

 即座に下へと向かった弟の背中を眺めながら、少女は小さく息をつく。今のトランクスの鬼気迫る表情は、もしブルマが見れば青ざめてしまうほどのものだったが、サイヤ人であるナッツからすれば、それほど気になるものでもなかった。憎い仇を殺しに行くのだから、あれくらいの顔はするだろう。むしろ元気があって良いと思う。

 

 ただ、近くに他の敵がいるかもしれないにも関わらず、怒りに任せて無警戒で向かって行ったのは、いただけないと思った。戦闘力は高くても、まだ実戦経験が足りていないのは明らかだ。

 

 私がちゃんと見ていてあげないと。そう思いながら、ナッツは苦笑する。

 

「……もう、あの子ったら」

「っ!?」

 

 そんな娘の表情を見て、父親は言葉を失ってしまう。成長し、やや大人びた彼女の顔は、戦場ではしゃぐ娘を見守っている時の、彼女の母親を思わせるものだった。

 

「父様、私も行ってきます。すぐに片付けて戻ってきますから、セルの事をお願いします」

「……あ、ああ。わかった。そっちに出るかもしれないから、気を付けろよ」

「はい、父様」

 

 少しずつ大人に近づいていく娘の後ろ姿を、半ば呆然と見送った父親は、己の中のもやもやした感情の行き場が判らず、とりあえずセルを殺そうと改めて決意するのだった。

 

 

 

 時間は少し遡る。

 

 クリリンは茂みに隠れながら、緊急停止コントローラーの射程距離である、10メートル以内に近付いていた。

 

 18号はこちらに気付いておらず、16号の方も、損傷が大きいのか、地面に座り込んだまま動けない様子だ。今18号を止めてしまえば、すぐさま破壊できるだろう。

 

 だが頬に当たる、彼女の唇の感触を思い出し、コントローラーを握る手が震えていた。一度会ったきり、時間にすれば20分にも満たないだろう、ほんのわずかな間の交流だったが、それでも彼は、人造人間である18号の事を好ましく思っている事に気付く。ナメック星でナッツと再会した時の悟飯も、こんな気持ちだったのだろうか。 

 

 ただ、自分の気持ちを抜きにしても、負けた相手に止めを刺さず、強くなってまた挑んで来いとまで言った彼らの事が、フリーザや、かつてのベジータ達のような悪人とは、どうしても思えないのだった。

 

 だがクリリンが悩んでいる間に、事態は動き出す。18号達の前に、上空から臨戦態勢のトランクスが降り立ったのだ。

 

「また会ったな、人造人間……!」

 

 ただならぬ彼の様子に、思わず後ずさる18号。

 

「お前は……!?」

「今度こそ殺してやるぞ……!」

 

 向けられるあまりの憎悪と殺意に、18号は恐怖を感じると同時に困惑してしまう。確かに敵対はしたが、ここまで恨まれる理由に、全く心当たりが無かったのだ。

 

「ま、待った。確かに前に痛めつけたのは悪かったかもしれないけど、あれはそもそも、そっちから挑んできた戦いで……」

「違う! そうじゃない……っ!」

「トランクス!」

 

 その様子を見かねたクリリンが飛び出し叫ぶ。彼が隠れている事も上から見て知っていたトランクスは、その手の中のコントローラーを見て目を細める。

 

「それが母さんの作った、緊急停止スイッチですね……」

 

 姉さんが死んでしまった時の、母さんの顔が思い浮かぶ。未来の母さんなら、ドクターゲロの資料が無くても、きっといつか、同じような物を完成させて、人造人間共に復讐を遂げていただろう。18号を破壊するのに、今ならこんな物は必要ないのだけど。

 

「クリリンさん、母さんの作ったそいつで、あいつを止めて下さい。仕留めるのはオレがやりますから」

「や、やめろ……!」

 

 笑顔のトランクスと、怯えた顔の18号。決断を迫られたクリリンの身体ががくがくと震える。

 

「うわあああああっ!」

 

 叫びながら、彼はコントローラーを地面に叩き付け、踏み砕いた。全く予想外の事態に、驚愕するトランクスと18号。

 

「クリリンさん!? いったい何を……?」

 

 問われた彼は、地面に付きそうな程に頭を下げて、必死の声で説得を試みる。

 

「た、頼む! 助けてやってくれ! こいつらは悪い奴じゃないんだ! もし悪い事をしようとしたら、オレが説得する! セルさえ倒せば、放っておいたって危険はないんだろう!?」

「あ、あんた……」

 

 呆然とする18号。そしてトランクスは、ぎりぎりと、血が出る程に唇を噛み締める。

 

 そんな事は、言われるまでもなく判っているのだ。未来で姉さんや悟飯さんを殺した人造人間、人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべ、罪も無い人々を面白半分に殺し回っていたあいつらと、自分達を倒しながらも殺さず、今も戸惑いの表情を浮かべている目の前の18号は、姿は同じでも、全く別の存在であることに。自分やセルが過去に来た事で、何かが変わってしまったのだろうか。

 

 だが理屈ではないのだ。この時代の姉さんと悟飯さんは幸せそうだった。母さんも父さんも、そして赤ん坊の自分も、これから幸せに生きていくのだろう。けど悟飯さんを殺されて、絶望して死んでいった姉さんや、優しい父さんに会えなかった自分の事を考えると、理不尽とは思っても、湧き上がる怒りが抑えられない。セルの事を考えるなら、すぐさま殺しておくのが正しいのだからなおさらだ。

 

 その時、苦悩するトランクスの前に降りて来た姉が、えへんと小さな胸を張りながら、お姉さんぶって言った。

 

「トランクス、慌てちゃ危ないわよ。セルだって近くにいるかもしれないんだから」

 

 そこでナッツは、人造人間を前に、弟と知り合いが何やら気まずい雰囲気になっているのを感じ取り、経験した事のない事態に、おろおろと戸惑ってしまう。

 

「ト、トランクス、喧嘩しないで……」

「姉さん……」

 

 クリリンは現れた少女に、一縷の望みをかけて頼み込む。

 

「ナッツ、頼む。あいつらを殺さないよう説得してくれ。今のお前達なら、わざわざ殺すほどの敵じゃないだろう?」

 

 言われたナッツは、18号達を見て考える。父様やトランクスを酷い目に遭わせた事は許せないけど、それはもう2年も前の事で、2人とも怪我は残ってないし、自分達も圧倒的に強くなった今、確かにわざわざ、手を下す必要までは感じなかった。

 

 トランクスは優しい子だから、自分が言えば、止めてくれるだろうけど。悩む弟の表情を見て、3年前に泣いていた彼の姿を思い出して、ナッツは首を振って答える。

 

「……駄目よクリリン。私には止められないわ」

「そんな……!」

「トランクスが、自分で決めるべき事よ」

「オ、オレは……」

 

 

 次の瞬間、全員にとって予想外の事が起こった。

 

 海面がぼこぼこと泡立ったかと思うと、海中からずぶ濡れのセルが島に這い上がってきたのだ。

 

 苦しげに咳き込んで、海水を吐き出しながらセルは呟く。

 

「おのれ……危うく死ぬところだった……っ!?」

 

 顔を上げた彼と、驚愕する18号の目が合った。

 

「見つけたぞ18号!!」

「あ、あ……!?」

 

 歓喜の叫びを上げて走り出すセルの姿に、トランクス達は衝撃を受ける。

 

「セル!?」

「父様! セルがいました!」

 

 警告の声と共に、すぐさま身構えるナッツ。話がややこしくなっているが、とりあえずこいつを殺すのが最優先だ。

 

「今度は逃がさないわ!」

 

 弱っているのか、セルの動きは先程よりも鈍い。それに後ろには人造人間がいるから、さっきの技を食らう心配もない。一息に殺すべく、距離を詰めた少女を前に、セルはにやりと笑い、両手を顔の前にかざして叫ぶ。

 

 

「太陽拳!!」 

 

 

 爆発的な光量に目を灼かれ、少女は目を押さえて絶叫する。

 

「きゃあああああっ!?」

「くっ!?」

 

 その場の全員が、同じように視力を奪われる中、トランクスはそれでも、18号のいる方向へと手をかざし、エネルギー波を放とうとする。細かい狙いが付けられなくとも、とにかく大威力で消し飛ばせば殺せるはずだ。

 

「させるかっ!」

「ぐうっ!?」

 

 だがその攻撃を放つ前に、セルに突き飛ばされてしまうトランクス。狙いの逸れたエネルギー波が、空しく上空へと消えていく。

 

 そしてようやく視力が戻ったナッツ達が見たものは、大きく開いた尾の先端で、抵抗する18号を飲み込むセルの姿だった。

 

「こ、このっ!」

 

 今のうちに殺すべく、ナッツはすかさず殴り掛かるが。

 

「はああああっ!」

「なっ!?」

 

 瞬時にセルが展開した、全身を覆う強固なバリアーに拳を弾かれてしまう。今までのセルの戦闘力からは考えられない程の強固なものだった。

 

 そして光に包まれたセルが見る間にその姿を変えていく。大柄だった全身がやや縮んだその形態は、外見だけなら以前より弱そうに見えなくもなかったが。

 

「し、しまった……!」

 

 呻くトランクス。感じられる気の大きさは、それまでとはまるで段違いだった。

 

「ち、ちくしょう! よくも18号を!」

 

 怒りのままに飛び掛かるクリリンだったが、セルは攻撃をあっさり回避し、逆に彼の後頭部へ痛烈な蹴りを叩き込む。一撃で吹き飛ばされ、意識を失って倒れ伏すクリリン。

 

「う、嘘でしょ……?」

 

 一連の動きを見ていた少女は戦慄する。今の一瞬で、完全体のセルが自分ではまるで勝てない相手であることを、彼女は察してしまっていた。

 

 

「さて、誰が次のウォーミングアップの相手になってくれるのかな?」

 

 

 余裕たっぷりに言い放つ完全体のセルを前に、ナッツもトランクスも、壊れかけの16号も動けなかったのだが。

 

「調子に乗るなよ、セル」

「ほう、ベジータか」

 

 駆けつけたベジータがセルの前に立ち、堂々と向かい合っていた。震えながらナッツは叫ぶ。

 

「と、父様! 危険です!」

「心配するな。さっきから退屈していたところだ。それにオレ一人で挑むわけじゃない」

 

 そして父親は、不敵な笑みを浮かべて言った。

 

「やるぞトランクス。こいつを倒したら、約束どおり遊園地に連れて行ってやる」

「は、はい! 父さん!」

 

 その言葉に意を決して、父親の隣に並び、セルと対峙するトランクス。

 

(父様……! トランクス……!)

 

 そんな2人の姿が、少女にはとても頼もしく思えたのだった。




明けましておめでとうございます! 昨年はたくさんの評価とお気に入りと感想と、誤字報告もありがとうございます! 特に評価や感想は書く側にとってはとても嬉しくて、続きを書く励みになりますので、どうかよろしければお願いします!


・16号の人工知能
8号の時点で命令に逆らってますし、19号もベジータにビビッて逃げるというほぼ人間レベルの行動をやってましたので、普通に現実逃避くらいはできるだろうと思いました。

・太陽拳
便利過ぎてセルに2回も使われた技。予備動作もありますし、そういう技があると判ってれば二度は通じないんでしょうけど……気功砲といい、天津飯技性能高いですね!
(魔人ブウにも通用した排球拳を眺めながら)


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31.彼女達が、完全体のセルと戦う話●

 完全体となったセルに、二人掛かりで挑むベジータとトランクス。

 

 戦闘力ではセルが上回っており、仮に一人ならあっさり倒されていただろうが、親子二人は立ち位置や攻撃のタイミングを絶妙に調整し、徹底してセルが対応しづらいように動き続けていた。

 

 攻撃役と防御役を目まぐるしく入れ替え、セルを翻弄し続ける。精神と時の部屋で、2年間寝食を共にして訓練を続けた彼らの強さとコンビネーションは、格上のセルに拮抗できるレベルにまで達していた。

 

「やるな。完全体の私を相手に……むっ?」

 

 突如飛来した赤いエネルギー弾が、セルの脇腹に命中し爆発する。反射的に目を向けると、彼からやや離れた場所に、長い金色の髪の少女が身構えていた。

 

「私だっているわ! 油断したらその程度じゃ済まないわよ!」

 

 宣言し、彼女は素早い動きでセルを遠巻きにして飛び回る。鬱陶しいが仮に手を出せば、その隙をベジータとトランクスは見逃さないだろう。そして無視すれば今のように、少しずつ自分を削るつもりだ。

 

「ほう……なかなか厄介だな」

 

 三人掛かりの攻撃に、少しずつダメージを蓄積させていくセル。圧倒的に不利となった戦況にも拘わらず、彼は喜びを隠さない。

 

「では少し、本気を出すとしよう」

「!?」

 

 言い放つと共に、セルの戦闘力が跳ね上がる。それまでとは段違いの速度で一瞬にして距離を詰めたセルの膝が、戦闘服を砕き、トランクスの腹部にめり込んでいた。

 

「がっ……!?」

「させるかっ!」

 

 息もできずに呻くトランクス。ベジータがすかさず割って入るが、セルは彼の攻撃を片手で防ぎ、反対側の手でトランクスに裏拳を叩き込んだ。

 

 島の木々を何本もへし折りながら吹き飛ばされた弟を、駆けつけたナッツが助け起こす。

 

「トランクス! 大丈夫!?」

「へ、平気です、姉さん……」

 

 少女は彼の状態を観察する。父親が割って入ったおかげか、止めを刺されるには至らなかったが、それでも彼のダメージは大きく、先程のように、激しく動き回って戦う事は難しいだろう。

 

「さて、どうする?」

「くっ……!」

 

 本気を出したセルに対し、ベジータは両手を身体の前に出し、エネルギーを集中させながら叫ぶ。

 

「セル! いくら貴様が完全体になったからといって、こいつを受け止める度胸はあるか? 無理だろうな! 貴様はただの臆病者だ!」

「む……?」

 

(父様……攻撃を避けさせないために、セルを挑発してるんだわ!)

 

 父親の意図を悟ったナッツは、何か自分も言わねばと思うも、相手を罵る言葉がとっさに出てこない。王族として恥ずかしくないようにしなさいと、言葉遣いやマナーを幼い彼女に教え込んだ母親の教育の成果だったのだが、どうしてもこういう場面では困ってしまう。

 

「ば、ばーか! ばーか!」

「姉さん、無理しないでください……」 

 

 必死ながらもあまりに稚拙な挑発に、見かねた年上の弟が突っ込んだのだが、

 

「いいだろう。その必死さに免じて、一撃だけ食らってやるとしよう」

「っ! 後悔するなよ! セル!」

 

 余裕たっぷりに言い放つセルに、ベジータは唇を噛み締めつつ更に気を高める。その様子を、ナッツは心配そうに見つめていた。 

 

(いくら父様のあの技が凄い威力でも、頭を吹き飛ばしても再生したセルを、たった一撃で殺すのは難しいわ。セルもそれを判っているからあの余裕なのに、父様は何を考えてるのかしら……)

 

「姉さん、オレ達も一緒に撃つべきでしょうか」

「駄目よ。それをやったら、きっとセルは普通に避けるわ」

 

 固唾をのんで見守る娘に、父親はほんの一瞬だけ目を向ける。目と目が交差し、父親の意図を悟ったナッツは、背伸びして弟の耳に囁いた。

 

(トランクス! 今こそあなたのあれを使う時よ!)

(! そうか! あれですね姉さん!)

 

 そしてベジータは、気合と共に技を撃ち放つ。

 

 

 

「ファイナルフラーーーッシュ!!!!」

 

 

 

 放たれた極大威力のエネルギー波が、射線上の大気すらもプラズマ化させながらセルを直撃する。その全身を飲み込んだ後も、あまりの威力にエネルギー波は減衰しないまま直進を続け、そのまま大気圏を突き抜けて、宇宙へと飛び出していった。

 

 そして熱と光と轟音がようやく収まった後、土煙の中から現れたセルは、余裕の笑みを浮かべていた。右半身が跡形も無く吹き飛び、その断面から内臓までも晒したその姿は、人間ならばまず間違いなく致命傷なのだが。

 

「残念だったな、ベジータ。まだ半分残っているぞ」

 

 言い放ち、セルは瞬時に身体を再生させる。もちろんその分体力は失われ、戦闘力も落ちているのだが、それでもまだ、実力差を覆すには至らない。

 

「ああ、そうだな」

「……何?」

 

 にやりと笑うベジータの態度を、セルは訝しむ。次の瞬間、後ろに回り込んでいたトランクスが、すかさずセルを羽交い絞めにする。

 

「何のつもりだ? 完全体の私を、この程度で止められるとは……」

 

 次の瞬間、トランクスの筋肉が大きく膨れ上がった。

 

「な、何っ!?」

 

 驚愕したセルが振り解こうと試みるが、爆発的に増したパワーによって、彼はセルの身体をしっかりと拘束する。

 

「今です! 父さん!」

 

 そして同じくパワー重視の変身を果たしたベジータが、回避のできないセルの胴体に、全力のボディブローを叩き込んだ。

 

「ぐはあっ!?」

「まだだっ!」

 

 あまりのダメージに目を剥くセルに、ベジータはなおもラッシュを叩き込む。膨れ上がった筋肉によって、その速度はナッツでもギリギリ避けられるだろうレベルにまで落ちていたが、その分当たった時の威力は凄まじい。

 

(1年前に考えた作戦が上手くいったわ! 当たらないなら、当てれるようにすればいいのよ!)

 

 得意げな顔の少女が見守る前で、何発目かの拳を腹部に食らったセルが奇妙な声を上げる。

 

「おごっ……!?」

 

 まるで吐き気をこらえているような、明らかに苦しんでいるセルを見て、子供2人のテンションは最高潮に達した。

 

「父様! あと一息です!」

「父さん! ボディ効いてますボディ!」

「うおおおおおっ!」

 

 娘と息子からの声援を受けて、いっそう攻撃に力を込めるベジータ。さしものセルも、これで終わりかと思えたが。

 

「ぬ、ぬわあああああっ!!!」

 

 セルもまた、全身の筋肉を肥大化させ、一瞬でトランクスを弾き飛ばす。

 

「し、しまった!?」

 

 そして至近距離で避けられないベジータを、セルはお返しとばかりに全力で殴り飛ばした。激しく岩場に叩き付けられ、動かなくなるベジータ。

 

「父さん!? よくも!」

 

 パワーと引き換えに動きが鈍くなったセル。その弱点を熟知するトランクスは変身を解いて、一瞬で背後を取るも。同じく変身を解いたセルが、彼の攻撃よりも早く、振り向きざまのハイキックで顎を蹴り上げる。

 

「がっ!?」

 

 衝撃で宙に浮き、落ちて苦しげに呻くトランクス。こちらは意識はあるようだが、ダメージが大きいのか、起き上がれない様子だった。

 

「そ、そんな……あと少しだったのに……」

「ふむ、まあまあ有効な変身だな。だが一人で使うには、少々隙が大き過ぎるか」

 

 そして残されたナッツは震えていたが、動けない父親と弟を見て、意を決して身構え叫ぶ。

 

「来なさい! 私が相手よ!」

「ふむ……」

 

 セルは考える。その意気は買うが、今倒した2人より明らかに弱いナッツを相手にしても、完全体の力を引き出す練習にもなりはしない。それよりも、気になる事があった。

 

「お前達はこの短期間で遥かにパワーを増した。まだ本気ではないとはいえ、完全体の私を驚かせる程に」

「……」

 

 その言葉に、少女は警戒する。まさか精神と時の部屋の秘密を知って、自分も入りたいとか言うんじゃないだろうか。セルにそんな事をされたら、とんでもない事になる。絶対止めないと。

 

「時間があれば、更なるパワーアップも可能か?」

「う……」

 

 ナッツは言葉に詰まってしまう。精神と時の部屋で過ごせる2年間は、既に使い切ってしまっている。

 

 ここでもう強くなれないと言ったら、興味を失ったセルに殺されてしまうかもしれない。ただ、嘘をつくのは気に喰わないし、慣れない事をしても、すぐにバレてしまう気がした。観念して、少女は答える。

 

「私達はもう無理だわ。けどカカロットと悟飯なら、きっとお前を倒してくれるはずよ」

「ほう……それは楽しみだ。もっとも孫悟空はともかく、息子の方は大して期待できんが」

「なっ!?」

 

 それは少女にとって、聞き捨てならない発言だった。セルの方は特段何の意図も無く、自分が把握している二人の戦闘力を比較して、単に事実を述べただけなのだが。

 

 悔しさのあまり、ナッツは叫ぶ。

 

「悟飯を馬鹿にしないで! 私なんかより、悟飯の方がずっと強いんだから!」

「ほう……?」

 

 セルは面白そうに目を細め、少し考えてから言った。

 

「では10日間やろう。武道大会を開いてやる。せっかくだ。もう無理と言わず、お前達もせいぜい励むがいい」

 

 予想外の発言に、少女はきょとんとした顔で聞き返す。

 

「武道大会ですって?、天下一武道会みたいな?」

「そのとおり。ただしお前達と戦うのは私一人だ。何人集めて来てもいいぞ。人数が多ければ、それだけお前達が有利になる」

「えっ、いいの?」

 

 ぽわぽわぽわーん、とナッツは想像する。父様達と3人だけで、割と良い所まで行けたのだから、もっと大勢集めて皆でかかれば。

 

 

「太陽拳! そして気円斬!」

「気功砲!」

「魔貫光殺砲!」

「魔閃光ー!」

「かめはめ波!」

 

 

 そして最後に親子3人でファイナルフラッシュを繰り出し、跡形も無く消えるセルを想像してにこにこしている少女を見て、呆れた顔でセルが言った。

 

「……一度に戦うのは一人ずつだぞ」

「えー!」

「私も負けたいわけではないのでな。もしルールを無視して大勢で来るようなら、次はそれなりの対応をさせてもらう。今回のような手が、二度通じるとは思わない事だ」

 

 詳しい事はテレビ放送で知らせてやると、言い残して立ち去ろうとするセルの背中に、困惑した様子のトランクスが叫ぶ。

 

「ま、待て! お前の最終目的はなんだ? 何故こんな事をする? 地球を……宇宙を支配するつもりなのか?」

「さて、何だろうな。征服などという俗な事には興味がないし。孫悟空を殺すという命令も、今となってはな」

 

 そしてセルは、さらりと言い放つ。

 

「あえて言うなら、楽しむ事が目的かな。一番の目的はもちろん、恐怖に怯え、引きつった人間共の顔を見る事だ」

「なっ……!?」

 

「わかるけど他の星でやりなさいよ!」

「なっ……!?」

 

 即言い返した姉の言葉に、やはり呆然とするトランクス。その顔を見て、セルは面白そうに笑うのだった。

 

 

 

 そうしてセルが去って行った後。トランクスが持っていた仙豆で回復したクリリンは、悔恨の表情で頭を下げる。

 

「すまない、オレのせいで……!」

「……私にも、セルを逃がした責任があるわ。さっさと止めを刺しておけば……」

「姉さんは悪くないです! オレが躊躇わずに18号を殺しておけば良かったんです!」

 

 トランクスの発言に、さらに深く落ち込むクリリン。重くなった空気を断ち切るように、ベジータが言った。

 

「そこまでだ。要はあの野郎を殺せばいい。10日後だったか。それまでにできる事をやるまでだ」

「そうですね! 父様!」

「……そうですね」

 

 努めて明るい声で、少女は元気良く答える。その声を聞いて、落ち込んでいた弟も、小さく笑みを浮かべた。

 

「じゃあ、まずはスカウターでブルマ達に連絡して、それからうちに帰って晩御飯でも……」

「オ、オレも連れて行ってくれ……」

 

 ナッツ達が声のした方を見ると、おぼつかない足取りで立ち上がる、半壊した16号がいた。

 

「オレも大会に出る。カプセルコーポレーションで修理してくれ……か、必ず役に立って見せる」

「何言ってるの! 未来で酷い事をした人造人間なんて、信用できるわけないじゃない!」

「……?」

 

 彼にとっては理解できない事を怒鳴る少女の肩を、ちょいちょいと弟がつついて呼びかける。

 

「あの……姉さん?」

「なあに? トランクス」

 

 年下の姉の耳元に小さく屈んで、トランクスは耳打ちする。

 

「確かに17号と18号は、姉さんや父さんや悟飯さん達を殺しやがったので絶対許さないんですけど……あの人造人間は未来で見た事がないんです」

「そうなの? じゃあ恨みとかは?」

「……正直、人造人間というだけで思うところはありますが……あいつ個人には別に何も。姉さんにお任せします」

「うーん……」

 

(トランクスが気にしないなら……けど敵だし……)

 

 腕を組んで悩む少女は、ふと2年前、初めて人造人間と戦った日の朝に、ブルマと交わした言葉を思い出す。

 

 

(科学者の端くれとして、人造人間ってのを、ちょっと見てみたいのよ)

(絶対に駄目よ!? だいいちトランクスはどうするのよ!?)

 

 

 ぴこーん! と頭上に電球を浮かべたナッツは、急に笑顔になって言った。

 

「良いわよ! カプセルコーポレーションに持ち帰っ……連れて行ってあげる!」

 

 その表現に、16号は何だか嫌な予感がするのだったが選択の余地もなく。少女が自分の倍近くある男の身体を抱きかかえようとしたところで、父親と弟が真顔で割り込んだ。

 

「ナッツ、そいつはオレ達が持つ」

「そうですよ姉さん。そういう事をしていいのは悟飯さんだけです」

「?」

 

 そうしてさっさと16号を運んでいく2人に、ナッツは不思議そうに、首を傾げてついていくのだった。

 

 

 

 10分後、カプセルコーポレーションにて。

 

 事の顛末を聞いて出迎えてくれたブルマの前に、父親と弟が運んできた16号を、ナッツはじゃーんと示して見せる。

 

「ブルマ、お土産持ってきたわ! ドクターゲロの人造人間!」

「本当に!?」

 

 駆け寄って16号の姿を確認した彼女は、破損部分からぱっと内部を見ただけでも、全く未知のテクノロジーの塊に目を輝かせる。

 

「やるじゃないあなた達! 研究室まで持ってってくれる? 父さんも呼んでくるから!」

「はい! 母さん!」

「はーい!」

 

 あれよあれよという間に、そのまま運ばれて作業台に拘束される16号。

 

「信じられん。まるで人間そのものじゃないか。凄いぞこれは……」

「さて、どこから調べましょうか……」

 

 怪しい目つきで興奮した天才科学者2名に迫られ、16号は不安そうに言った。

 

「あの、直して欲しいのだが……」

「まずは構造を調べてからね」

 

 そして彼女達が楽しそうにしているのを見たナッツは、ブルマの母親や、弟や父親にも協力してもらって、いそいそと夕食の支度を始めるのだった。




悟飯の修行が終わるまであと2日ありますので、次はドクターゲロの話になります。
遅くなるかもしれませんが、気長にお待ちくださいませ。

それと阿井 上夫様から成長したナッツの絵を頂きました!


【挿絵表示】


すらりと背丈も手足も伸びてて、顔つきもどこか凛々しい感じで素晴らしいです! ありがとうございます! こんな風に絵のリンクのある話には後でサブタイトルに●を入れる予定ですので、小さい頃の絵と見比べてみても良いかもしれません。

あと毎回書いてますが、評価と感想とお気に入りをありがとうございます!
続きを書く励みになっておりますので、よろしければ是非お願いします!



・あえて言うなら、楽しむ事が目的かな
セル、作られた存在でひたすら完全体に執着して、いざ完全体になったらリングの上で10日間何もせず突っ立ってるくらいには特にやりたい事とか無くて負けて悔しかったら即自爆を選ぶあたり、自分の命にすらそこまで執着していないという……。原作だとしつこいしどうしようもない悪役だったんですがちょっと哀れ。

というわけでやりたい話があるんですが、時系列的に本編最終回の後になると思います。
(ドクターゲロに持ち出されたセルの幼体を見ながら)


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32.彼女がドクターゲロを訪ねる話(前編)

 ナッツ達がセルと戦った、その翌日の昼下がり。カプセルコーポレーションの中庭にて。

 

「ブルマに言われて着てみたけど、こういうのやっぱり慣れないわ……」

 

 見た目は14歳程度の、可愛らしい服を着た少女が、少し歩きにくそうな様子で、重力室の方に向かっていた。16号の研究で、徹夜明けのハイテンションなブルマに連れられて、朝から新しい服を買いに行っていたのだ。

 

 ナッツは数時間前、行きつけの高級服飾店で、ブルマと交わしたやり取りを思い出す。

 

 

「ブルマ、私スカートはあんまり好きじゃないの」

「けど凄い可愛いわよ! 悟飯君も、きっとこういうの好きだと思うんだけどなー」

「……じゃあ着てみる」

 

 

 そんな風に、店員さん達をほっこりさせたやり取りの結果、ナッツの服はとても可愛らしく上品なコーデに仕上がっていた。

 

 やや癖はあるものの、艶やかな長い黒髪と、夜のように黒い瞳。それに発達途中な少女自身の、将来の美貌の片鱗を覗かせるような容貌と、王族の血か、どこか浮世離れした雰囲気も相まって、今のナッツは一般人から見れば完全に、良家のお嬢様そのものに見えていた。

 

 もっとも、彼女の悪の気を感じ取れるようなレベルの人間ならば、連想するのは優美さと同時に血の臭いを漂わせた、剣呑な猫科の肉食獣だろうけど。

 

「悟飯が出てくるのは明日だし、今日はこのまま、父様達と合流して訓練しないと」

 

 ナッツの服を買いに行くと聞いて、当然彼女の父親と未来から来た方の弟も、とても一緒に行きたそうにしていたのだが。つい昨日の夜、テレビ局に乗り込んだセルが、10日後に武道大会、セルゲームを開催すると宣言したのだ。

 

 負けたばかりの手前、血の涙を流しながら訓練を優先した2人は、今も重力室の中で謂れなきセルへの殺意を滾らせているのだが、それはまた別の話だ。

 

「選手全員が負ければ、地球の人間全てを殺すとか言ってたけど……素人ね。そんな事わざわざ知らせたら、逃げ隠れされて大変でしょうに」

 

 憎まれ口を叩きながらも、ナッツの表情は暗い。ブルマと一緒に歩いた西の都は、どこに行ってもセルの話題で持ち切りだった。幸いお店はまだ開いていたけど、やはり皆怖がっている様子だった。見つかりにくいだろう田舎に、避難を始めている人もいるらしい。

 

 けど怯えた顔を見るのが楽しみと言ってたから、星を攻める時の私と同じで、きっと誰一人逃がす気は無いのだろう。

 

 自分達が助かるだけなら、やりたくはないが、宇宙船で他の星に逃げるという手はあるのだ。逃げる時に気配を消せば気付かれないだろうし、宇宙は広い。他の銀河の辺境の星まで逃げてしまえば、とても探せはしないだろう。

 

 ただ、地球が無くなるのは嫌だった。かつて無数の星を滅ぼした悪名高いサイヤ人は、宇宙の大抵の星では、町を歩いているだけで攻撃されたり、軍隊を呼ばれる事も珍しくないのだ。

 

 そうした奴らに反撃して、星ごと滅ぼすのはとても楽しいけれど、尻尾を見せて歩いていても誰も気にせず、どこへ行っても親切にしてくれる地球での暮らしは、とても心地良くて、安心できるものだったのだ。

 

 そんな事を考えていると、少女は心細くなってしまう。昨日のセルは、あれでもまだ本気を出していなかった。精神と時の部屋では、悟飯とカカロットと、あとピッコロが訓練中だけれども。父様達と3人掛かりでも負けてしまったセルに、本当に勝てるだろうか。

 

「私か父様が、大猿になれれば良いんだけど……」

 

 尻尾の生え跡に手をやって、ナッツは小さくため息をつく。この2年間生えなかった尻尾が、あと9日で生えるなんて、期待しない方がいいだろう。何とかして、セルに勝つ方法を考えないと。

 

「? あれは……」

 

 話し声を耳にして、少女がそちらに目をやると、重力室に行く途中にある研究室の前で、目の下に隈を作ったブリーフ博士と16号が話していた。

 

「外装や関節は何とか直せたけど、動力部分の修理は無理だね。君を作った人は天才だ。何年か研究させてもらえば、どうにか理解できるかもしれないが、それでは間に合わないんだろう?」

「感謝する。セルと戦うくらいしか、礼はできないが……」

「それで十分だよ。良い物を見せてもらったしね。ベジータ君やナッツちゃんや、トランクス君達を手伝ってあげてくれ」 

 

 そしてブリーフ博士は、眠たげに目をこすりながら研究室へと戻っていく。何となく物陰に隠れながら、彼らの会話を聞いていたナッツは、どこかへ飛び去ろうとしている16号に声を掛ける。

 

「もう修理が終わったのね。どこへ行くつもりなの?」

 

 ナッツの声を聞いて、16号はびくりと身を震わせる。脳裏に浮かぶのは、邪悪に笑う大猿の姿。彼にとってこの少女は、自分達を殺そうとした冷酷かつ油断ならない相手で、これから行こうとしている場所の事を考えると、絶対に会いたくない相手だった。

 

「……セルとの戦いまで、地球の自然や動物達を見て回るつもりだ」

 

(うーん……?)

 

 どこかぎこちない彼の言葉から、ナッツは嘘の臭いを感じ取る。少女が察したというより、16号自身、あまり嘘や誤魔化しには慣れていないという感じだった。

 

(何を隠しているのかしら……? 私達に敵対するつもりはないみたいだけど)

 

 敵意や悪意の類は感じないけれど、何となく、自分に当てはめて考えてみる。強敵との戦いを9日後に控えて、怪我を直してもらった後にどうするか。そこまで考えて、少女は直感する。

 

「わかったわ! 家に帰るんでしょう! あなたを作った、ドクターゲロのいる所に!」

「!? ち、違う!」

 

 16号は慌てて否定するが、その態度自体が既に自白も同然だった。

 

「ねえ、私も連れて行って。セルの情報が知りたいの! ドクターゲロが作ったのなら、弱点とかも知ってるんじゃないの?」

「……オレが聞いてきて、それから伝えるのでは駄目か?」

「駄目よ。あなたが戻って来る保証が無いわ」

「そんな事は……」

「あなたを作った人に行くなと言われたら、そっちを選ぶんじゃないの?」

 

 言われた16号は、言葉に詰まってしまう。確かにそのとおりだ。この残酷なサイヤ人が、どうしてそんなに人の情に詳しいのかは不明だが。

 

「いいじゃない。セルを倒したいのは私達も同じよ。負けたら地球が大変な事になるんだから、何とかしたいのよ」

 

 少女は必死に訴えているが、とても信じられなかった。とはいえ、今の自分が彼女を振り切って逃げだす事は難しいだろう。16号は人工知能をフル稼働させ、博士の元へナッツを連れて行った時の事をシミュレートしてみる。

 

 

 

 燃え盛る研究所をバックに、邪悪な笑みを浮かべたナッツが、ぐったりとしたドクターゲロの首根っこを掴み、高々と掲げていた。その足元には破壊された19号の首が転がっており、16号も抵抗空しく停止寸前の有様だ。

 

「ふふふ、まんまと騙されたわね。あんな危険な人造人間を作った奴を、生かしておくわけないじゃない」

「博士ーーーっ!!!」

 

 

 

 最悪の結果を予想してしまい、きょとんとした顔のナッツの前で、16号はぶんぶんと頭を振った。

 

(絶対にこいつを行かせてはいけない! かくなる上は、ここで自爆してでも……!)

 

 16号が決意を固め、少女に組み付き、諸共に自爆するその3秒前、唐突に、甘えるような猫の鳴き声がした。

 

 彼らが目をやると、ナッツの足元に、茶色の猫が身を擦りよせていた。少女はぱあっと嬉しそうな顔で、足元の猫を抱き上げて呼びかける。

 

「久しぶり! 私の事がわかるのね!」

 

 カプセルコーポレーションで放し飼いにされていて、ナッツがたまに餌をあげている猫だった。同じく2年ぶりに会った店員さんからは、ナッツちゃんのお姉さんですかと言われて、ちょっと寂しかったけど。動物だから、匂いで見分けてくれたのだろう。

 

 少女の腕の中で、丸まった猫が呼吸するたびに、毛皮の膨らみがわずかに上下する。温かなその感触を楽しみながら、優しい手つきで猫を撫でるナッツを見て、16号は衝撃を受けていた。動物を慈しむ目の前の少女が、自分達を殺そうとしていた、凶悪な化け物と同一人物だとは、とても信じられなかったのだ。

 

「……お前は、この星の自然や動物達のことを、どう思う?」

 

 試すように、16号は問いかける。ナッツは穏やかな顔で猫を撫でながら、少し考えて答えた。

 

「そうね、地球は環境が良くて過ごしやすくて、食べ物もおいしい良い星だと思うわ。動物は、この子みたいに懐いてくるなら可愛がってあげるし、襲ってくるのは返り討ちにして食べてるわ。どちらでもないのは……その時の気分や状況によるわね。おいしそうなら食べるかも」

「そ、そうか……」

 

 食べるという選択肢が多いと感じてしまうのは、自分が飲食不要の人造人間だからだろうか。とはいえ、16号は今までのやり取りから、少女の人となりを分析する。

 

 その有り様は、おそらくとても単純で。敵と見なした相手には冷酷に、身内や慕ってくるものには優しく接するのだろう。多少振れ幅が大きく見えるが、地球を良い星で、懐いた動物は可愛がると言っているのだから、おそらくセルよりはましなはずだ。

 

 ならばこのサイヤ人の少女に、こちらから敵対するのは得策ではない。彼女の事を信じて、できる限り誠実に接するべきだろう。16号はナッツの目を真っ直ぐに見つめて言った。

 

「わかった。ただ一つだけ、約束して欲しい」

「? 何を?」

「博士に危害を加えないで欲しい。オレを作ってくれた、大切な人だ」

 

 その言葉に、わずかに感じ入った様子のナッツが頷く。

 

「わかったわ。そっちから攻撃してこない限り、私も手を出さない」

「よし、では案内する」

「うん。じゃあ、また後でね」

 

 言って少女が下ろした猫が、不服そうな声を上げて、前足で彼女の靴をぺしぺしと叩く。その様子を見て、ナッツははっとした顔で叫ぶ。

 

「ちょっと待って! この子に餌をあげてからね!」

 

 わたわたと猫を抱えて駆けていく少女の後を、16号は苦笑しながら着いていった。後で自分もあの猫を、触らせてもらおうと思いながら。

 

 

 

 それからおよそ30分後、西の都の郊外の古い研究所にて。遅い昼食として1個80ゼニーのカップ麺を啜っていたドクターゲロは、外の扉が開く気配を感じた。

 

 元は政府の施設だったこの建物は、経費削減で払い下げられていたのを、いざという時の隠れ家として、彼が安く購入したものだ。無論名義は別人で、登記簿などから足がつく恐れはない。

 

 入口の扉はパスワード式で、番号を知っている人間以外は入れない。だから買い出しに行った19号が戻ってきたのだろうと、彼は気にせず、仏頂面で食事を続けていたのだが、現れた16号の姿を見て、ドクターゲロは顔を綻ばせる。

 

「16号、無事だったか……ん? 誰だその子は? 迷子か?」

「久しぶりね、ドクターゲロ」

 

 えへんと腕組みして、まるで旧知のように堂々と言い放つ少女が誰かを思い出せず、彼は言葉を詰まらせる。言われてみれば、確かにどこかで会ったような気がするのだが。

 

(私が物忘れだと? バカな……? ま、まさか、ボケてしまったというのか……!?)

 

 かつてない危機感に、内心焦る老科学者。ちなみにナッツは感知されないよう戦闘力を消しており、パワーレーダーにも反応はない。数日前に会った時とは別人のように成長した外見と、まるで地球人のような服装とも相まって、結果的に完璧な偽装になってしまっていた。

 

 返事もせず冷や汗を流す彼の姿に、ナッツがやっぱり自己紹介しないと駄目かしらと思っていた、その時だった。

 

「博士。ただいま戻りました」

 

 買い出しから戻ってきた19号が、少女の姿を見た瞬間、両手に持ったスーパーの袋を取り落とす。

 

 かつてナッツと悟飯の関係に衝撃を受けた彼は、一目で彼女の正体を見抜いただけでなく、成長したその姿から、パートナーである少年の成長と、それによって甘酸っぱく変化していく二人の関係性を一瞬で演算する。そして彼らが大人となり、最後は幸せなキスをして終了するまでのイベント全てが、まるで稲妻のように人工知能に焼き付けられるのを感じた。彼は宇宙を見た。

 

 突然頭部を爆発させて倒れた19号を、ドクターゲロが助け起こしながら叫ぶ。

 

「19号ーーーー!? くそっ、貴様ベジータの娘か! よくも19号を!」

「知らないわよ!? 何もしてないのに壊れたんじゃないの!」

 

 そしてひとしきりぎゃーぎゃー騒ぎつつも、19号の応急処置が終わった所で、気を取り直したナッツが言った。

 

「……とにかく! 聞きたい事があって来たのよ」

「孫悟空の仲間に話す事などないわ。帰れ帰れ」

「ちょっと! あなたのロボットを修理してあげたのに、その言い方は何よ!」

「な、何だと!?」 

 

 ドクターゲロは驚愕の表情で16号に近付き、その全身をまじまじと観察する。材質もほぼ同じで、ぱっと見ただけでは全く判らないレベルだったが、言われてみれば確かに、損傷を修理された跡が伺えた。

 

「16号……修理されたというのか、私以外の奴に……」

 

 わなわなと震えながら面倒くさい事を呟くドクターゲロに、少女が事情を説明する。

 

「壊れかけてた16号に頼まれて、ブルマのお父様が直したのよ。けど理解できないくらい凄い構造で、完全に直すのは無理って言ってたわ」

 

 彼女の言葉に、ぴくりと反応するドクターゲロ。

 

「……ブリーフ博士が、そんな事を?」

「? ええ。作った人は天才だって言ってたわ」

 

 こくこくと頷く16号を見ながら、彼はしばし逡巡し、やがて口を開いた。

 

「……まあ、16号が世話になったのなら、話くらいは聞いてやる。そこに座るがいい」

 

 そう言って、彼はテーブルを片付け始める。その表情は相変わらずの仏頂面だったが、付き合いの長い19号は、あ、これは凄く喜んでるなと、内心察していたのだった。




というわけで、次かその次までは結構前から書きたかったドクターゲロの話なのです。
少し遅れるかもしれませんが、気長にお待ちくださいませ。

それと沢山の感想やお気に入りをありがとうございます! 面白いと思ったら評価の方も頂けますと続きを書く励みになりますので、どうかよろしくお願いします!


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33.彼女がドクターゲロを訪ねる話(中編)

 西の都の郊外にひっそりと準備された、ドクターゲロの新研究所にて。

 

 ナッツに席を勧め、自分もまた座ろうとした彼は、テーブルの上にある、先程まで食べていたカップ麺に気付く。

 

 中身はまだ半分近く残っており、彼女と話をしていては、冷めて麺が伸びてしまう事は明らかだった。一瞬逡巡した彼の様子を見て、ナッツは申し訳なさそうに言った。

 

「……もしかしてご飯の途中だった? 邪魔しちゃってごめんなさい」

「……片付けてしまうから少し待て」

 

 言って急いでカップ麺を啜るドクターゲロ。年齢を思わせぬその豪快な食べっぷりに、少女のお腹が小さく音を立てた。

 

(いいなあ……)

 

 彼の食べる1個80ゼニーのカップ麺に、ナッツの目は釘付けになってしまう。

 

 あんまり身体に良くないらしいので、普段の食事では出てこないけれど。たまに夜にブルマの研究室へ遊びに行くと、内緒よと言ってこっそり作ってくれて、一緒に食べたそれが凄くおいしかったのだ。

 

 じーっ、と目を輝かせて安物のカップ麺を見つめる少女を、ドクターゲロはしばしスルーして食事を続けていたが、やがてその視線に耐えかねて言った。

 

「……19号、もうひとつ作ってやれ」

「はい、博士」

 

 19号は台所の棚から取り出したカップ麺の蓋を開き、慣れた手付きで粉末スープを入れてポットからお湯を注ぐ。割り箸と共に差し出されたカップ麺を、ナッツはキラキラした瞳で受け取ってぺこりと頭を下げる。

 

「ありがとう!」

 

 少女は箸を蓋の上に置いて待っていたが、1分程度で蓋を剥がして麺をほぐし始めるのを見て、ドクターゲロは眉をひそめる。

 

「おい、ちゃんと3分待たんか」

「ブルマはこのくらいで十分って言ってたわ。お腹に入れば同じよって」

「科学者のくせに大雑把な……」

 

 渋面になるドクターゲロの前で、ナッツは笑顔で手を合わせる。

 

「いただきます!」

 

 そしてまだ固い麺を箸で摘み、嬉しそうに食べ始める。食べ方は丁寧だが、そのペースはかなり速いもので。

 

「……おいしい!」

 

 毒を警戒しないのかと、嫌がらせで言ってやろうかとも思ったが、あまりの幸せそうな食べっぷりに、無粋な真似を控えてしまう。

 

 思えばこんな子供と接したのは、何年ぶりだろうか。彼はナッツの後ろに立つ、16号の方をちらりと見る。

 

(……あいつが生きていたら、孫はこのくらいの歳になっていたか? ヘドには昔から嫌われておったから、こんな機会も……いやいやいや! 私は何を考えておる!?)

 

「ごちそうさまでした」

 

 そしてあっという間にカップ麺を綺麗に食べ終えた少女が、一瞬物足りなさそうな目をしたのを見て、彼は思わず命じていた。

 

「おい19号、酒棚に菓子があったはずだ。持ってきてやれ」

「いいの!?」

 

 

 そうして10分後、ナッツは山と積まれた食料をもぐもぐと嬉しそうに頬張っていた。

 

 どれもおいしかったが、その中でも特に柿の種やあたりめ、チーズ鱈など、食べた事の無いお菓子の美味しさと物珍しさに、彼女は夢中になってしまう。

 

 微笑みながら穏やかにそれを見守るドクターゲロに、内心驚く16号と19号。そして彼の姿があまりに幸福そうだったので、その時間を少しでも引き伸ばすべく、家じゅうの食料を次々に運んでくる16号達。

 

 しばし優しい時間が流れ、良い感じに小腹が満たされたところで、ナッツはふと我に返る。

 

(そういえば、ご馳走になってる場合じゃなかったわ!?)

 

「あ、あの! お菓子ありがとうございます! けど!」

 

 血相を変える少女に対してドクターゲロは、仮にレッド総帥あたりが見たらお前誰だと言いたくなるほど好々爺な顔で言った。

 

「ん? 喉が乾いたのか? なら19号達に買って来させよう。何が良い?」

「じゃあオレンジジュース……じゃなくて!? 私はセルの弱点を聞きに来たのよ!」

「セルだと?」

 

 自分と19号以外は知らないはずのその単語に、一瞬で真顔に戻るドクターゲロ。まさか19号が話すはずもないし、一体どこから漏れたというのか。

 

「……どこで知ったか知らんが、セルならそこにおるぞ」

 

 彼が示した先、窓際には水槽が置かれており、満たされた培養液の中に小さな緑色の生き物が浮かんでいた。隣に置かれた金魚鉢の中で、金魚やボラが隣の水槽を興味深げに眺めている。

 

「成長には十数年掛かる。なるほど、今のうちに始末しに来たというわけか」

「? そのセルじゃないわ」

 

 頭の上に?マークを浮かべて首を傾げたナッツは、話がかみ合わない事に気付く。

 

「私は今、外にいるセルの事を言ってるのだけど」

「? セルはここにいるだろう」

「……もう、何で知らないのよ。あんなにテレビでやってるのに」

「最近の番組はつまらんから見ておらん」

「見なさい!」

 

 少女は埃の被ったブラウン管テレビを指さしながら叫んだ。老科学者は不承不承リモコンを手にする。

 

「セルなんているはずなかろう」

 

 ドクターゲロがそう言ってテレビを点けるとセルが映った。

 

『10日後にセルゲームを開催する』

 

 

 

 

「セルだーーーーーー!!!!????」

 

 

 

 

「だからセルって言ったじゃない!」

 

 繰り返し放送されているそのVTR映像を見た瞬間、これが漫画なら、両目の玉が飛び出さんばかりに驚愕するドクターゲロ。

 

「しかも完全体になっておるぞ!? 17号と18号を吸収したのか! 忠実なあいつらになんという事を……」

「博士、それについてはオレから説明を……」

「そもそも何故セルが2体いる!? あのセルはどこから来たというのだ!?」

「えっと、十数年後の未来から……」

「未来だと! まさかタイムマシンか!? 時空工学の大盛博士が研究していた!」

「誰よそれ!?」

 

 有り得ない事象に混乱しつつも、知的好奇心に突き動かされて年甲斐も無く大興奮するドクターゲロをナッツ達が落ち着かせるには、しばしの時間を要したのだった。 

 

 

 

 

 一方その頃、精神と時の部屋にて。

 

 中の時間で1年以上が経過し、今日も日課のトレーニングを終えた悟空は、カプセルハウスの中で汗を拭きながら言った。

 

「ピッコロ、もうそろそろ出ようと思うんだ」

「な、何だと!?」

「もう十分強くなったしさ、これ以上続けてもキツいだけじゃねえかって」

 

 悟空の言葉に目を剥くピッコロ。確かに最近は、入ったばかりの頃と比べて強さの上昇ペースも落ちてきたが、まだ時間は1年近くも残っているのだ。

 

「悟飯のやつもナッツやチチに会えなくて寂しそうだしさ。もうセルはベジータ達が倒してるかもしれねえし、このくらいで良いかなって思ってよ」

「正気か孫。判っているだろう。もしまだセルが生きていた場合、あいつらが束になっても倒せない強さという事だぞ。可能な限り鍛えておくに越したことはないだろう」

「まあ、大丈夫じゃねえかなあ」

 

 戦いの話だというのに、どこか他人事のような彼の態度に違和感を覚えたピッコロは問いかける。

 

「……お前、本当にセルと戦う気があるのか?」

「オラで勝てるなら。けど、今の悟飯、本気になったら間違いなくオラより強えし、無理だったら譲ろうかなって」

「……は? ま、まあ、確かにそうだが」

 

 ちなみに当の悟飯は今、先に風呂に入っている。ピッコロの目から見ても、確かに最近の悟飯は背丈も伸びて見る間に実力を付けており、自分は既に追い抜かれたと思っている。

 

 これでサイヤ人やフリーザとの戦いで見せたような、怒りによる潜在パワーの解放があれば、悟飯こそが地球で一番強いという話は頷けるものなのだが。

 

「残念だけど、地球のためだしな。セルと戦えて、悟飯のやつも喜ぶだろうし」

「はあ!?」

 

 その一言で、ピッコロは思わずぽかんと口を開いてしまう。お前は悟飯の何を見ていたのかと。 

 

 この悟空の誤解には仕方の無い所もあり、そもそもベジータ達の来襲時でもナメック星でも、彼は悟飯が戦う姿をほとんど見ていない。幼いながらも、強敵相手にボロボロになるまで戦ったという結果だけを見ている。

 

 またキツい修行にもしっかり素直についてきて、めきめきと実力を伸ばしているものだから、自分の子供の頃と重ね合わせて、勉強が好きなのは知ってるけど、当然強い奴との戦いも好きなんだろうと誤解してしまっていたのだ。

 

 話は逸れるが、仮に同じ状況で、セルと戦ったベジータが「お前の出番だ、ナッツ」と譲ったとしたら、彼女は内心父親に遠慮しつつも誇らしさと強敵との戦いに大喜びするだろう。

 

 

(けど、セルは父様と戦った分だけ消耗してるわ……)

 

「おいセル、仙豆だ! 食え!」

「やったー!! 父様ありがとうございます!」

 

 

 そうしてノリノリで向かって行くのがサイヤ人としては当然の事だ。悟空も大体そんな流れを想定していたのだったが。

 

「……その話は、悟飯にしたか?」

「? いや別に」

 

 心底不思議そうな悟空を見たピッコロは顔を引きつらせて叫ぶ。

 

「話し合え!? 大事なことだろうが!」

「だって物凄え奴と戦えるの嬉しいだろ?」

「悟飯を貴様と一緒にするんじゃない!」

「???」

 

 そうして風呂上がりの悟飯と話し合った結果、顔を引きつらせた悟飯が「いや無理です。仙豆も投げないでいいです」となり、最初に悟空、次に悟飯がセルと戦って、無理そうなら全員でボコろうという結論に達したのだった。

 

「えー」

「当たり前だ!」

 

 ちょっと不満そうに、かつ本気で首を傾げている父親を見た悟飯は、ピッコロさんがいてくれて良かった……と、内心胸をなで下ろすのだった。




というわけで、ドクターゲロの話なのです。
諸事情あってなかなか更新できなくて申し訳ないですが、エタらないようにはしたいと思いますので、今後ともよろしくお願いします。

セル戦で悟飯が戦ってた時の悟空、ピッコロに諭されてマジで驚いた顔してましたのでこんな感じに考えてたのかなあと。
あと前半を途中まで書いてたところで劇場版見て「孫もういるじゃん!?」ってなったのは貴重な体験でした。


・ドクターヘド
最新劇場版に出て来たドクターゲロの孫。16号とは別の子供の息子。
この子供が悪の科学者の父親とは気が合わずに疎遠だったらしく、その影響か孫も正義のヒーローが好きで悪は嫌いというスタンス。
パンが3歳なエイジ782の時点で24歳なのでエイジ767のこの時点では9歳。

制作したガンマ1号2号その他の強さがヤバい上に量産可能とか言ってたのでピッコロさんが潜入ミッションで情報収集しなかったらあの話は詰んでた可能性がある。
あと映画館には予備知識ゼロで行ったんですが名前を聞いた瞬間、間違いなく鳥山先生の仕事だと思いました。


・忠実なあいつらになんという事を……
この話では17号と18号が忠実な演技をしたまま逆らってないのでそう信じてます。


・時空工学の大盛博士
銀河パトロールジャコに出てた人。時間停止までは成功してたのでたぶんウイス様とかにバレたらヤバい。
同じタイムマシンを作った人でも則巻博士は田舎住まいなので多分知られてない。


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34.彼女がドクターゲロを訪ねる話(後編)

 西の都の郊外に準備された、ドクターゲロの新研究所にて。

 

 未来から来たセルという未知の事象に大興奮していた老科学者は、ひとしきり騒いでようやく落ち着き、落とした帽子を被り直しながら言った。

 

「では、知っている事を全て話してもらおうか」

「うーん……」 

 

(未来の事、話しちゃっていいのかしら……けどあんまり大した事でもないし、話さないとセルの事とか教えてくれそうにないわね)

 

 そんな事を考えていたナッツは、19号が彼女の前にオレンジジュースのグラスを置いたのを見て、ぱあっと顔を明るくする。19号が近くの自販機まで走って買ってきたのだ。

 

「ありがとう! じゃあ最初から説明するわね」

 

 ドクターゲロの前には16号によってお茶の入った湯飲みが置かれ、お茶菓子も受け取ってご満悦のナッツが話を始める。

 

「3年前の事なんだけど、未来からトランクス、私の弟がやってきて」

「ふむふむ」

「カカロットが心臓病で死んじゃうって言われたの」

 

 思わず飲んでいたお茶を噴き出すドクターゲロ。

 

「待て!? それはいかん!? 勝手に死ぬなど許さんぞ!」

 

 血相を変えた老科学者は立ち上がり、本棚へと走って医学書や心臓病の資料を漁りだすが。

 

「え、えっとね、今の医学では治せないんだけど」

 

 少女の言葉を聞いて、ドクターゲロはばたりとその場に倒れ伏す。

 

「博士ー!?」

 

 16号が助け起こすが、すっかり衰弱した様子の彼は、息も絶え絶えに言葉を絞り出す。

 

「じゅ、16号よ、私の骨は妻と同じ墓に……」

「勝手に死なないでよ!? 未来で作られた薬をもらったから、もう大丈夫よ!」

「……それを先に言わんか」

 

 見る間に復活し、そそくさと席に戻るドクターゲロを見て、16号達とナッツはほっと胸を撫でおろす。

 

「で、そのトランクスとやらは、他に何を言っていた」

「未来は人造人間のせいで地獄みたいになってるって」

 

 再びお茶を噴き出すドクターゲロ。

 

「待て!? その未来で私は何をしている!?」

「その、言いにくいんだけど……自分で作った人造人間に殺されちゃったみたい」

「緊急停止コントローラーもあっただろうに。孫悟空が死んで、ヤケにでもなったのか私は……」

 

 思い当たる事があったのか、がっくりと落ち込むドクターゲロを16号と19号が慰め、少女が話を続ける。

 

「未来でセルが目覚めたんだけど、その時には17号と18号はもう倒されてたらしいの」

「なるほど、それで完全体になるために過去に来たというわけか」

「そうなのよ。何か弱点とか無いの?」

 

 それを聞いたドクターゲロは、テレビを見ながら呟いた。

 

「あのセルを放っておけば、このまま孫悟空を倒してくれるのでは……?」

「あっ」

 

 そういえばこの人敵だったわと、思わず絶句するナッツ。

 

 完全体となったセルには、父様やトランクスでも敵わなかったし、今訓練しているカカロットと悟飯でも勝てるとは限らない。

 

 もし弱点があるのなら、脅してでも聞き出さねばならない状況だったし、戦闘力が300億を超えた今の自分なら、この場の全員を叩きのめすのに5秒も要らないのだけど。

 

 美味しいおやつをご馳走になってしまった手前、その相手に危害を加えるのは失礼だったし、やりたくもなかった。

 

(ど、どうしたらいいの……?)

 

 おろおろ困っている少女を見ながら、ドクターゲロはセルについて考える。

 

 機械による制御のない、完全に生物ベースの人造人間の製造にあたって、仮に暴走しても大丈夫なよう、最初の形態はあえて弱く設計した。

 

 同時に完全体に対する強い執着心を植え付け、それをエサにしっかり教育して忠誠心を学ばせた後、17号達に組み込んだのと同じ生体パーツを与えて完全体にする予定だったのだが。

 

 テレビの中では、セルがこの数日の間に、世界各地の街を襲った時の映像が映し出されていた。

 

 あのセルは明らかに暴走している。既に数十万人を殺しており、放っておけば何をするか、自分にも予測がつかなかった。

 

 今更自分が何を言っても、自力で完全体となったセルは耳を貸さないだろう。そんなセルが勝手に孫悟空を倒したとして、果たして自分の復讐が成ったと言えるのか。

 

 そうして目の前で頭を抱えて唸っている少女を見て、ドクターゲロは、大きなため息をついて言った。

 

「……完全体のセルに弱点などない」

 

 彼の言葉に、え、やっぱり無いの? という顔をしつつも身を乗り出すナッツ。

 

「本当に? 緊急停止コントローラーとかあるんじゃないの?」

「機械が入っておらんわ。いや、待てよ? 弱点か……」

「ほら、あるんじゃない!」

「勘違いするな。完全体のセルには、という話だ。完全体でなければ、今のお前でもどうにでもなろう」

 

 それを聞いて、少女はきょとんとした顔で質問する。

 

「……どういう事? セルを元の姿に戻せるって言うの?」

「うむ。セルに吸収された17号と18号は、死んでいるわけではない。細かい理屈は省くが、完全体の状態を保つために、生きている必要があるのだ。奴らを分離できれば、理論上は元に戻るだろうな」

 

 彼らは今も、セルの内部に収納されているのだ。カプセルの理論を応用して、質量や体積を誤魔化した上で。

 

「どうすればいいの?」

「……知らん。腹でも掻っ捌けば取り出せるとは思うが」

「それじゃあ倒すのと同じじゃないの、もう。結局正面から挑むしかないってわけね」

 

 がっくりと肩を落とすナッツ。元々、そこまで期待していたわけではないけれど。

 

「あとは、既存の人造人間を強化すればあるいは……? だが命令を聞かんのではな……」

 

 ドクターゲロは考える。封印してある13号を作ったのは10年前であり、その頃と比べれば永久エネルギー炉の改良も格段に進んでいる。

 

 ゆえに戦闘力150億を超える合体13号を最新技術で制御を全く考えず強化すれば、完全体のセルだろうと上回るパワーを持たせることは可能なのだが、セルよりも危険な存在が解き放たれるだけなので意味が無い。

 

「博士。それならオレを強化してください」

 

 進み出た16号の言葉に、老科学者は躊躇うようなそぶりを見せる。  

 

「……お前の人工知能は確かに安定してはいるが、それでも完全体のセルとは元のパワーが違いすぎる。多少強化したところで届かんぞ」

「それでも構いません。セルを放っておけば、地球の自然も動物達も、あなたも決して無事ではすまない。お願いします。オレもセルと戦いたい」

 

 息子を模した人造人間にそう頼まれて、ドクターゲロは絞り出すような声で言った。

 

「……わかった。だが絶対に死ぬのではないぞ。必ず戻ってこい」

「……」

 

 作り主の言葉に、16号は口を噤んでしまう。自分とセルとの間の実力差は承知している。それでもいざとなれば、捨て身の攻撃で一瞬の隙を作って見せるという覚悟だったのだが。

 

「大丈夫よ。セルとは私も一緒に戦うんだから。そう簡単に死なせはしないわ」

 

 ここに悟飯がいれば 間違いなく見惚れてしまうだろう、とびっきりの笑顔を見せるナッツ。敵わぬまでも戦うという16号の決意は、戦闘民族の少女にとって、とても好ましいものだったのだ。

 

「……よろしく頼む」

 

 複雑な表情で応えたドクターゲロは、ナッツの笑顔に人工知能を直撃され、頭から煙を吹きながら熱心にスケッチしていた19号にジト目を向ける。

 

「そういえば、お前も人工知能は安定していたな?」

 

 視線を向けられた19号は、スケッチブックを小脇に挟み、角度90度のお辞儀を決めつつ言った。

 

「20号、どうか私をヤムチャと戦わせてください」

「だから一番弱い奴と戦ってどうする!? お前は助手をしておれ!」

 

 

 

 そして数分後、16号の大柄な身体を手術台に横たえ、強化改造の準備を済ませた老科学者は、ナッツに言った。

 

「ここからは企業秘密だ。さっさと帰れ」

「うん。またね」

 

 そう言って笑顔で手を振って帰っていく少女を見てふんと鼻をならし、16号の強化に取り掛かったドクターゲロだったが。

 

 

「うおおおおおおおおっ!?」

 

 

 老科学者の絶叫に、帰ろうとしていたナッツが慌てて戻って来る。

 

「ど、どうしたの!?」

「な、ない……!」

 

 手術台に寝かせた16号の開いた腹部を指さしながら、彼はわなわなと震えて言った。

 

「16号の自爆装置が無くなっておるぞ!? 至近距離なら完全体のセルにも通じるかもしれん爆弾が!」

「あるじゃないセルに通じるやつ!?」

 

 ドクターゲロに突っ込みを入れながら、ナッツはふと思い出す。 

 

(16号と戦った時、大猿になって踏みつけた覚えがあるんだけど……あの時踏み潰してたら、そんなとんでもない威力の爆発を間近で食らってたっていうの!?)

 

「そんな危ないのどこへやったのよ!」

「知らん! 私以外が取り外せば即座に爆発するよう設定してあった! それを破れる科学者など……」

 

 そこまで彼が口にしたところで、2人は同時に、ある科学者の存在を思い出す。震える声で、少女は呟いた。

 

「も、もしかしてブルマのお父様が、修理する時見つけて外したんじゃ……」

「返してもらってこい!? 下手に触ると西の都が消し飛ぶぞ!?」

「何でそんなの積んでたのよ!?」

 

 慌てた2人がこっそりカプセルコーポレーションに忍び込み、ブリーフ博士を説得して自爆装置を回収するのだったが、それはまた別の話だった。




筆が乗ったので投稿します。
次の話は気長にお待ち下さいませ!


・医学書を漁りだすドクターゲロ
劇場版でドクターヘドが博士号と医師の資格を両方持ってる事が判明したので入れた描写です。人間ベースで17号と18号を改造したり自分まで改造してるあたり、間違いなく医学知識は持ってますよね。

あと悟空が心臓病で死んだと知った未来のドクターゲロがどう反応したかと思うとちょっと胸が痛みます……。治せるなら治すの手伝うくらいはしたんじゃないかなって。自分の手で殺すために。


・機械による制御のない、完全に生物ベースの人造人間
原作でそう呼ばれてなかっただけで、たぶんゲロ視点だとセルも人造人間だと思います。


・腹でも掻っ捌けば取り出せるとは思うが
原作ブルマ、17号達のデータ見てセルと細胞レベルで融合するのも可能って推測してましたけど、悟飯に腹パンされて分離してたのでそこまで一体化という感じではないんでしょう。イメージとしては魔人ブウに吸収された人たちみたいになってるんじゃないかと思います。引き千切ればオッケーみたいな。


・13号を作ったのは10年前
前にも書きましたが、エイジ750年のマッスルタワーに人造人間8号がいて、エイジ767のこの時点で20号まで完成しているのでおおよそ1年半で1体という計算です。


・制御さえ全く考えなければ、完全体のセルだろうと上回るパワーを持たせることは可能なのだが
ただ強いだけの人造人間なら旧式の13号達の時点で完成されていたという。こうした基礎研究もあったからこそヘドの作品が無茶苦茶な強さになったんだと思います。


・「な、ない……!」
イメージは原作1巻の悟空とブルマのあれでお願いします!


・16号の自爆装置
原作では特に触れられてないのでブリーフ博士が上手く処理できたんでしょうけど、それを知らないドクターゲロが安心できるはずもなく。あと威力はどうせ不発だったのでいくら盛っても良い。16号がやたら自信満々でしたし……。


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35.彼女と彼が、戦いの前の時間を過ごす話

 ナッツと16号がドクターゲロへ会いに行ったその翌日。神様の宮殿にて。

 

 そろそろ悟飯達が出てくる頃だと待っていたナッツ達の前で、精神と時の部屋の扉がついに開く。

 

 そして少女は、見違えた少年の姿と戦闘力に目を輝かせる。ボロボロの戦闘服を着た悟飯は、ナッツと同様に背丈が大きく伸びており、そして何より、その髪が金色に輝いていた。

 

(悟飯も成長期に入ったんだわ! それに超サイヤ人になってる!)

 

 いてもたってもいられず、少年の名を呼びながら、全力で駆け寄るナッツ。途中で自らも超サイヤ人となり、迫る彼女を見て慌てる悟飯の身体を抱き締める。

 

「格好良くなったわね、悟飯」

 

 12歳のサイヤ人の少女は、嬉しそうに微笑んだ。2日前にそうした時の彼は、まだ小さい子供だったけど、今は目と目がしっかり合った。自分と同じ、青い瞳。

 

(前から素の戦闘力は悟飯の方が高かったし、今戦ったら負けちゃうかも)

 

 そんな甘酸っぱい事を考えているナッツの背中に、少年も両手を回して抱き締める。

 

「会いたかったよ。ナッツ」

「えっ……」

 

 彼の手に込められた力と、震える声に込められた感情の大きさに、少女は不意を打たれたように固まってしまう。

 

(そっか、私にとっては2日ぶりだけど、悟飯にとっては2年近くだから……)

 

 彼にこうされるのは、初めてではないけれど。大きくなったその身体が父親を思わせて、彼女は安心感と同時に、何故だか顔が熱くなるのを感じていた。

 

 満月を見たわけでもないのに、心臓まで大きく高鳴って。どうしていいか判らず、ナッツは切なげな顔で、目の前の少年を見つめていた。 

 

「悟飯……」

 

 その声で、彼ははっと我に返る。いつにない彼女の表情と、密着した互いの戦闘服ごしに感じる、彼女の小さな胸の感触に、少年もまた真っ赤になって慌てだす。

 

「こ、これはっ! その……」

 

 ばっ、と身体を離すも、互いに顔を赤くしたまま、もじもじと見つめ合う2人の姿に。

 

「悟飯の野郎……!」

「あのサイヤ人……!」

「悟飯さんと姉さんが……!」

 

 ぐぬぬと悔しがるベジータとピッコロ。感涙しながら長方形の板のような機械で彼らを撮影するトランクス。

 

「いつ結婚するんだ、おめえ達?」

「カカロットーーー!!!!」

 

 そして空気を読まない悟空の発言に、激高した父親が血涙を流しながら襲い掛かり、そのまま激しい戦闘が始まった。

 

 その余波だけで宮殿全体が何度も大きく揺らぎ、ミスターポポやデンデが青くなる中、ナッツは夢見る乙女の顔で呟いた。

 

「やっぱり1度くらい本気の本気で戦って……けど今私、尻尾が無いし……悟飯だけ人間の姿なんてフェアじゃないし……」

「ちょっとナッツ?」

 

 可愛らしい顔で彼女が口にした物騒な内容に、自分は将来何をさせられるのかと、思わず突っ込みを入れる悟飯。

 

「大丈夫よ。私達まだ子供なんだし、大人になる頃には尻尾も……って、ちょっと待って!?」

 

 ある可能性に気付いたナッツは、慌てて少年に叫ぶ。

 

「悟飯! ちょっと後ろ向いて!」

「こ、こう?」

 

 困惑しながら言われるがままに後ろを向いた悟飯の背中に、少女もすぐに自分の背中をくっつけて、背中合わせの格好になる。

 

「ナ、ナッツ?」

「ちょっと黙ってて」

 

 背中に当たる長い髪の感触に、少年がどぎまぎする一方、彼女は真剣な顔で、自分の頭に乗せた手を、ゆっくりと悟飯の頭へスライドさせる。

 

 その手が彼の頭髪をギリギリ掠めて頭上を通り過ぎた瞬間、ナッツは大きく安堵しながら勝ち誇った。

 

「私の方が少しだけ高いわ!」

「えー……」

 

 そんな事? という顔になった悟飯に、

 

「大事なことなの! 私の方が年上なんだから!」

 

 と返して、えへんと小さな胸を張るナッツ。なお、2人の身長差は1年もしないうちに逆転する事になるのだが、それはまた先の話だ。 

 

「おい、それよりセルはどうなった」

「それが……」

 

 トランクスからセルが完全体になった事と、戦いが8日後である事などを説明されたピッコロが、楽しそうに戦っている悟空を怒鳴りつける。

 

「孫! 遊んでる場合か! どうする気だ!」

 

 怒られた悟空は、少し気まずそうな顔で、額に指を当てながら言った。  

 

「うーん、じゃあちょっとセルを見てくる。ベジータ、また後でな!」

「あっ、待て!」

 

 ベジータの制止も空しく、一瞬でその場から消え去る悟空。同時に彼の気配がセルの間近に現れたのを感じ取って、ナッツは羨ましそうな顔になった。

 

(カカロットの瞬間移動、やっぱり凄く便利だわ。大猿になった時にも使えそうだし……)

 

 そんな事を考えていた彼女は、少年を見てふと気付く。

 

「あれ? 悟飯の超サイヤ人、私とちょっと違ってる?」

 

 金色の髪と青い目は確かに超サイヤ人だけど、金色のオーラとか出てなくて、何だか威圧感が足りない気がする。

 

「最初はボクも同じだったけど、お父さんに言われて、この状態が普通になるまで維持し続けたんだ」

「ふうん」

 

 その方が消耗が少なく、戦闘時にはパワーが引き出せるという理屈だろうか。理屈は分かるけれど、面倒そうだし、私にはあんまり向いていない気もする。

 

「そういえば、どうやって超サイヤ人になったの? なにか怒る事あった?」

「そ、それは……」

 

 君やお父さんやピッコロさんが、フリーザに殺されそうになっているのを想像してたらなれましたと、本人の前で言えるわけもなく。

 

 悟飯が言葉に詰まっているうちに、彼の父親が再び一瞬でその場に現れた。

 

「ただいま」

「あ、おかえりなさい。どうだった?」

 

 ナッツの質問に、悟空は不満そうな顔で答える。

 

「セルがリングを作ってたんだけどよ、あんま大した事ないっていうか、観客席も飯食う所も無かったし……」

「リングじゃなくてセルの強さを言え!?」

「うん、あれなら大丈夫だと思う」

 

 それを聞いた少女が、ぱあっと顔を輝かせる。

 

「本当? じゃあ今から倒しにいくの?」

「いや、せっかく8日もあるんだから、半分くらいはゆっくり休もう」

「えー!」

「ナッツ達もあそこに2年もいて大変だったろ? まだ完全には、疲れが取れてねえんじゃねえかな」

「うーん……」

 

 ナッツは考え込む。言われてみれば、確かに全く疲れが残っていないといえば、嘘になるかもしれない。

 

 それにあとたった8日訓練したところで、大したパワーアップは見込めないだろうし、だったらいっそ、身体を休めて力を発揮できるようにするというのも一つの手だ。

 

 大人の戦士だけあって、カカロットの言葉には含蓄があるわと少女は思った。

 

 同じ結論に達したベジータが、少し困ったような顔で言った。

 

「……ナッツ、トランクス、明日からどうする?」

「オレは姉さんにお任せします」

「そうですね……」

 

 ナッツは少し考えて、少年の方をちらりと見る。せっかく2年ぶりに会えたのだから。

 

「皆でどこかへ、遊びに行きたいです」

 

 

 

 その翌日。時刻はまもなくお昼になろうとする頃。

 

 西の都から車で2時間ほどの、自然の多い田舎道。良く晴れた日差しの下、ナッツは父親の運転するワゴン車に乗っていた。

 

 助手席には、弟を抱いたブルマが座っている。そしてナッツが乗る後部座席の隣には、初の家族全員でのドライブに感涙しているトランクス。

 

(ちょっと遅いけど、自分で飛ばなくて良いのは楽だし楽しいわ)

 

 そんな理由で、彼女はこの地球の乗り物が好きだった。ベジータに免許を取ろうと決意させるほどに。

 

 ちなみにおよそ2年前、彼が免許を取りに行った時、偶然同じ日に来ていた悟空とピッコロに巻き込まれて大変な事になったのだが、それはまた別の話だ。

 

 ゆっくりと流れる外の風景を眺めながら、少女はすっかりリラックスした様子だった。

 

 そんな娘の姿をバックミラーで確認し、父親は顔を綻ばせる。そんな彼の姿を、赤ん坊を抱いたブルマが微笑ましそうに見つめていた。

 

 やがて車は目的地である自然公園に到着する。買ったばかりの服でおめかしした少女が車を降りると、ちょうど後ろから、悟空達の乗ったオープンカーがやって来る所だった。

 

「こっちこっち!」

 

 彼らに向かって、笑顔で手を振るナッツ。そして10分後、2つの家族は広々とした芝生の上に敷物を広げてピクニックをしていた。

 

 互いに準備してきた山ほどのお弁当箱が並べられ、その場の全員が思い思いに、笑顔で談笑しながら料理を堪能する。

  

「おいしい! 凄くおいしいわ!」

「ふふっ、そりゃ良かっただ。たくさん作って来たから、お腹いっぱい食べるといいだよ」

「はい、ありがとうございます!」

 

 お礼と共に、嬉しそうに少女は料理を口にする。立派なレストランから街中の屋台まで、色々なおいしい食べ物のお店に連れていってもらったけど、それらと比べてもチチさんの料理が、一番おいしいと思った。

 

 けどそれだけでなく。ナッツは料理を楽しみながら、周囲を見る。父様にブルマに、赤ん坊のトランクスと未来から来たトランクス。それに悟飯やカカロットやチチさんといった、大好きな人達と皆と一緒に食べているから、いっそうおいしいのだし、幸せだと思った。

 

(……母様とも、いつかきっと……)

 

 ほんの一瞬だけ、少女の目に浮かんだ悲しみを見て取って、悟飯は彼女に声を掛ける。

 

「どうしたの、ナッツ」

「ううん、なんでもないわ」

 

 ナッツはすぐに微笑んで見せたけど、少年は彼女を心配して、自分の食べていた料理を示して見せる。

 

「ねえ、これも凄くおいしいよ」

「本当? じゃあ私にもちょうだい」

 

 次の瞬間、彼にとって予想外の事が起こった。

 

 悟飯の持つ取り皿に顔を近付いてきた少女が、あーん、と可愛らしく口を開けたのだ。

 

 ぴきり、と思わず硬直する悟飯。ガタッ、と立ち上がるベジータに、すぐさま動画撮影の構えを取るトランクス。

 

「あ、あの……ナッツ?」

 

 窮地に陥った少年の声に、ナッツは口を開けたまま、どうしたの? と不思議そうに目で問い掛けてくる。

 

「その、ちょっと変じゃないかな?」

「どうして? ブルマや父様は、私が頼んだらこうして食べさせてくれるわ」

 

 純真な少女の黒い瞳に追い詰められた彼は、これおかしくない? と助けを求めるように母親を見るも。当のチチは興奮した様子で、身を乗り出して両の拳を握り締めていた。

 

「悟飯ちゃん、男を見せるチャンスだよ! と、ところで悟空さ、オラも……」

「あーん」

 

 きゃー! と若々しくはしゃぐ母親の姿を見て、死んだ目になる悟飯。

 

 いっそベジータさんが殴って止めてくれないかとそちらを見るも、笑顔のブルマが超サイヤ人と化した彼をまあまあと引き留めつつ、自身も8ミリビデオカメラを向けていた。

 

 まだかなー、となおも期待に満ちた目で見つめてくるナッツを見て、少年は覚悟を決めた。自身の箸で料理を摘み、そっと彼女の口へと運ぶ。

 

「あ、あーん」

「あーん!」

 

 ぱくり、と差し出された料理を食べて、美味しそうに頬張るナッツ。

 

「おいしい!」

「よ、良かった……」

 

 激しく疲労しながらも、嬉しそうな少女の姿に報われたと感じた悟飯だったが。

 

「私が作ってきたのもあるの! 悟飯に食べさせてあげる!」

「えっ」

 

 

 

 それから10分後、味はとてもおいしかったが、気恥ずかしさが限界に達した悟飯が倒れている横で、満足そうにつやつやと顔を輝かせたナッツが、食後のお昼寝をしていると。

 

 音楽を流していたラジオから、臨時ニュースが流れる。セルに挑んだ軍隊が壊滅した事と、8日後に行われるセルゲームに、格闘技の世界チャンピオンであるミスター・サタンが挑むという内容だった。

 

 それを聞いたナッツは驚愕し、身を起こしながら叫ぶ。

 

「えっ、ミスター・サタン!? いつの間に世界チャンピオンになったの?」

 

 少女の疑問に答えるように解説が流れる。

 

『ミスター・サタン氏は11年ぶりに行われた第24回天下一武道会で見事優勝し……』

 

「だ、第24回天下一武道会!? 天下一武道会やってたの!? ピッコロが会場で暴れたせいで、ずっと中止になってたはずなのに!」

 

 解説によると、人造人間達が現れる少し前に開催されたと聞いて、ナッツはしょんぼりと肩を落とす。その時期だと、知っていても流石に出場はできなかっただろうけど。

 

「私も天下一武道会に出たかったわ……天空×字拳やりたかった……」

「ま、また次があるよ。その時は一緒に出よう?」

「……うん!」

 

 悟飯が慰めてくれた事と、将来彼と戦う事を想像して、ナッツは満面の笑みを見せる。 

 

「けど、ミスター・サタンがセルと戦ったら足の小指1本で死んじゃうわ……あの人に迷惑を掛けないような形で、何とかしないと」

「ミスター・サタン……姉さんのお知り合いですか?」

「色々あったのよ。ねえ悟飯?」

「……うん」

 

 地球に来たばかりの頃、悪人に台無しにされたクレープを買い直してもらって以来、彼女は地球人にしてはほんの少しだけ強くて優しいおじさんである、ミスター・サタンのファンをしていた。

 

 そして悟飯の方も、悪人からとっさにナッツを助けられなくて、情けない思いをしていた自分まで励ましてくれた彼の事を、とても格好良い人だと思ったのを、今も忘れてはいなかった。

 

 そう思いつつも同時に、ラジオから流れるミスター・サタンの声を聞いて、彼女が嬉しそうにしているのを見ると、胸のうちにもやもやとした黒い感情が湧き上がるのを、抑える事ができなかった。




・嫉妬!嫉妬なんですかあっ?
ブラボとアルフレートとクゥリきゅんが大好きです!
けど別にドロドロとした話にはなりませんのでごあんしんください。


・以前登場したミスター・サタン
「エピローグ2.彼女が地球で憩う話」の「5.彼女が彼と出かける話」の事です。サタン関係の話はかなり前から温めてたので、ここまで来れて感無量です……。


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36.彼女と彼が、月夜に交わした約束の話

 セルゲームが行われる、その前夜。時刻は真夜中にならんとする頃。

 

 カプセルコーポレーションの自室にて、ナッツはベッドの上に横たわったまま、かれこれ2時間近く、眠れぬ時間を過ごしていた。

 

 カーテンの隙間から漏れた月の光が、発達途中の少女の肢体をまばらに照らす。シーツの上に広がった長い黒髪が、夜の光の中で美しく輝いていた。

 

 もう何度目になるか分からない寝返りをうって、ナッツは小さく息を吐いた。地球に来てからは、いつもぐっすり眠れていたというのに。

 

 原因は明らかだった。少女の脳裏に、父親と弟を倒したセルの姿が浮かぶ。戦いはもう明日で、少なくとも今のナッツでは、万に一つの勝機も無い事は、彼女自身が一番よく判っていた。

 

 いったん眠るのを諦めた彼女は身を起こし、そっとカーテンを開く。ほとんど雲の無い夜空に、真円を描く月が浮かんでいた。

 

 大好きな地球の満月を、どれだけ見つめても身体に変化がない事を確かめて、ナッツは小さくため息をつく。尻尾があった頃は、目を逸らしていても感じられたブルーツ波が、ほとんど感じられなかった。

 

「尻尾さえ切れてなかったら、私がセルを倒せるのに」

 

 大猿化したサイヤ人は、戦闘力が人間の時の10倍になる。尊敬する両親から受け継いだ、サイヤ人として、生まれ持った力が使えない事が、酷くもどかしくて、少女は唇を噛み締める。

 

 セルに尻尾を切られてから、すぐ精神と時の部屋に入ったから、もう2年以上が過ぎている。前に悟飯に切られた時は、2ヶ月もしないうちに生えたのに、いっこうに生えてくる気配がない。

 

 父様に聞いてみたり、宇宙に行って色々調べたりもしたけれど、サイヤ人の尻尾が生える仕組みは、ほとんど判明していなかった。

 

 考えてみれば、当然のことで。そもそもサイヤ人が大事な尻尾を切られる事自体が滅多に無かっただろうし、それでも切られてしまうほど相手の戦闘力が高かったのなら、そもそも生きて帰れないだろう。

 

 仮に生き残って尻尾がまた生えたとしても、切られた事すら恥ずかしくて隠そうとするはずだし、研究のための実験台になるなどもっての他だ。

 

 大人よりも、子供のサイヤ人ほど生えやすいのは確からしいけど。成長期に入ったせいだろうか。ナッツは小さく膨らんだ己の胸を見る。母様のような格好良い大人の戦士に近付いているのは嬉しかったけど。このままずっと、尻尾が生えなかったらどうしよう。

 

 ぶんぶんと、不安を追い払うように頭を振る。ますます目が冴えてしまう。

 

 このままだと眠れないのは明らかだった。休んではいるし、1日寝ない程度で戦えなくなるほど柔ではないけれど。気持ちの問題がある。

 

 こういう時、昔だったら父様が一緒に寝てくれたのだけど。

 

(私が成長期に入ってから、父様もトランクスも、一緒に寝てくれなくなっちゃったのよね……)

 

 精神と時の部屋の中で、身体が大きくなってから、何故だか慌てていた2人の事を思い出す。理由はよく判らないけど、ある程度成長したら1人で寝るものらしいから、たぶんブルマに頼んでも、同じことを言われそうな気がする。

 

「……そうだわ!」

 

 良い事を思いついたナッツは、笑みを浮かべてクローゼットへと向かい、いそいそと支度を始めるのだった。

 

 

 

 

 それから数分後。

 

 パオズ山の自宅にて、悟飯もまたベッドに横たわったまま、眠れぬ夜を過ごしていた。

 

(確かに強くなった実感はあるけど、大丈夫かな……)

 

 お父さんやピッコロさんが言うには、今の地球で一番強いのはボクらしいし、実際そのとおりなのかもしれないけど。まだ12歳の子供に、地球の運命なんて任されて良いのだろうか。

 

 ボクでも無理そうなら皆で戦うという話になってはいるけれど。格上の相手に大勢で挑んでも勝つのは難しいと、今までの経験が告げていた。という事は、一番強いボクで無理なら、勝てる可能性はかなり低くなるわけで。

 

 理屈で考えるほど、不安になってしまって、全く眠れる気がしない。戦いが好きで、相手が強いほどわくわくできるお父さんの事が、心底羨ましいと思う。

 

 戦いが好き。その言葉で、ふと、幼馴染の少女の姿が思い浮かぶ。前から並外れて可愛かったけど、精神と時の部屋から出た後は、信じられないほど綺麗になっていた。

 

 成長したナッツの姿を初めて見た時は、身体の大きさも、気の大きさも圧倒的で、置いて行かれると不安になって。

 

 追い付けるように修行を頑張って、2年近くで同じくらいにまで背も伸びて、超サイヤ人にもなれるようになって、そして気付けば、彼女よりも強くなって。向けられる羨望と賞賛の眼差しは、正直とても気持ち良かったけど。

 

「戦うの、あんまり好きじゃないんだよな……」

 

 結局のところ、その一言に尽きた。そもそも4歳でベジータさん達やフリーザと戦ってたとか、色々おかしいんじゃないだろうか。

 

(? サイヤ人なら、別に普通じゃないの?)

 

 彼女なら間違いなくそう言うだろうなあと思って、悟飯は苦笑する。

 

 ナッツから聞いた思い出。初めてお父さんやお母さんに、戦場へ連れて行ってもらった時の事とか、あの星にはこんな強敵がいたとか、内容は物騒だったり血生臭かったりしたけれど、とても楽しそうに話していたのを覚えている。

 

 あの子の方が強かったら、話はもっと簡単だったんだけど。セルとの戦いにだって、遊園地にでも行くみたいに、わくわくしながら向かっていったはずだ。今頃はきっと、こんな弱気な事を考えず、ぐっすり寝てるんだろうか。

 

 会いたいな、と思ったその時、コツ、コツ、と。窓ガラスから小さい音がした。

 

「?」

 

 不思議に思った悟飯が、窓の外を見て目を見開く。パジャマの上に上着を羽織ったナッツが、こっちを見て嬉しそうな顔をしていた。他の誰かに気付かれないようにするためか、気を完全に消している。

 

 今まで彼女が遊びに来た事は数えられないくらいあったけど、こんな夜中に訪問された事は一度もなかった。

 

「どうして!?」

 

 窓を開けた悟飯の声に、しーっ、と口の前に人差し指を立てるナッツ。

 

「……こんな時間にごめんなさい。もうとっくに寝てたわよね」

「実は、あんまり……」

「そう」

 

 少年の返事に、少しほっとした彼女は、不安げに胸の前で手を合わせて言った。

 

「ねえ、少しだけお話しない?」

「いいよ」

 

 いつもと違う様子の彼女を心配した悟飯は、一も二も無く頷くのだった。

 

 

 

 それから少しして。

 

 都会から離れた大自然の、満天の星々の下。丸い屋根の上に、1つの毛布にくるまれて、肩を寄せ合って座る2人がいた。

 

 触れ合った腕。薄手のパジャマ越しに、彼女の体温が伝わって、少年はどきどきしてしまう。

 

 ナッツもまた、彼の身体の温もりに、離れがたい心地良さを感じていた。こうして肌を合わせているだけで、心配事も何もかも、淡く溶けていくようだった。

 

 いつもしているように、悟飯の手がゆっくりと、彼女の頭を優しく撫でる。ナッツは安心しきった顔で、猫がするように、ぐいぐいと彼の手に頭を押し付ける。

 

 彼女は何も語ろうとしないけど、なんとなく悟飯には、ナッツの来た理由が解ったような気がした。

 

「明日のセルとの戦い……怖くない?」

 

 問われたナッツは、サイヤ人だから怖いはずないわと、見栄を張って答えたかったけど。彼の優しい瞳の前では、自然と本音が口をついた。

 

「戦いは好きだけど、やっぱり怖いわ」

 

 サイヤ人なら、いつか必ず、死ぬ時は戦いで死ぬものだ。だから本当に私1人だけなら、明日がその日でも悔いはない、と言いたいけれど。

 

 いざそう考えると、生まれてから今まで、出会った大勢の人達との、幸せな思い出が蘇ってくる。父様と母様と、ナッパとラディッツと、ギニュー特戦隊のおじさん達と、フリーザ軍の基地の人達と、悟飯とブルマとトランクスと、ブルマのお父様とお母様と、カカロットとチチさんと、ナメック星の人達と、神様とピッコロと、クリリンとその他の地球人達と。

 

 もっともっと、生きてたくさんの思い出を作りたかった。好きな人たちと会えなくなるのが嫌だった。もちろん人はいつか死ぬものだけど、それはもっとずっと先の、十分に生きた後のことのはずだ。

 

 母様が死んでしまった時からは、私が地球でこんなに幸せになれるなんて、想像すらできなかった。この奇跡が、終わって欲しくなかった。

 

 泣きそうになっている少女の肩に、悟飯はそっと、腕を回して抱き寄せる。

 

「悟飯……?」

 

 上目遣いの不安げな少女の顔を見て、彼は決心した。

 

「ボクも怖いけど、君のために、皆のために精一杯戦うよ。だから安心して。たぶん今は、ボクの方が強いと思うから」

 

 少し照れながら、けれど真剣なその言葉に、ナッツは思わず目を見開く。

 

 自分の方が強いと言うのは、サイヤ人の男が異性に対して使う口説き文句だ。他種族からは判り辛いと評判だが、自分より強い相手にしか興味のないサイヤ人の女性にとって、これほど判りやすい言葉もなくて。

 

「もう、嫌だわ、悟飯ったら。こんな時に大胆ね……」

 

 一瞬で真っ赤になって、もじもじしだすナッツ。想定外の反応に、何か間違ったかと不安になる悟飯。

 

 ともあれ元気を取り戻した少女は、威勢よく口を開く。

 

「私も頑張って戦うわ。たとえセルには敵わなくても、腕の一本くらい……」

 

 そこまで言ったところで、ナッツは愕然とした顔になる。

 

「……再生しちゃうから意味ないわ!?」

「あはははは!」

「もう! 笑わないでよ!」

 

 少年をぺしぺし叩きながら、自らも楽しそうに笑うナッツ。

 

 空高く煌々と輝く満月が、笑顔の彼女を美しく照らしていた。夜空よりも綺麗な少女の瞳に、少年は胸を打たれてしまう。

 

「月が綺麗だね」

 

 思わず呟いてから、ちょっとロマンチックすぎやしないかと、あまりの恥ずかしさに悟飯は後悔する。

 

 一方ナッツの方は、月に対してロマンチックな文脈を持たないサイヤ人で。少年の言葉に、おかしくなってくすりと笑ってしまう。

 

 サイヤ人にも月を綺麗と思う感性はあるけれど、それは満ちていない場合の話。満月を見たサイヤ人は、到底そんな悠長な感想を抱けない。だから満月に対してその表現は、一緒に大猿になって暴れ回ろうという意味だ。

 

 けれど今は。少女は改めて月を見上げる。尻尾を失くしたサイヤ人が、2人もいる今は。

 

「うん、とっても綺麗ね」

 

 微笑む彼女の姿が、彼にとっては女神のように見えた。

 

「悟飯と一緒に月を見るのは初めてね。尻尾があったら、こんなに落ち着いてはいられなかったし」

「そ、そうだね……」

 

 満月を見た彼女がどうなるかは、よく知っている。想像して、冷や汗を流す悟飯。嫌いではないけど、あの姿はちょっと怖い。

 

 そんな少年に、ずい、と顔を近づけるナッツ。

 

「ど、どうしたの?」

「ねえ悟飯、今すぐ尻尾が生えてくる気配とかない?」

「いきなり何!?」

「だって今の悟飯が大猿になったら、もうセルなんて絶対楽勝よ」

 

 想像したのか、きらきらと目を輝かせるナッツに、気まずそうな顔の悟飯。今はもう無いけれど、彼女の左肩についた大きな傷を思い出す。彼は自身の大猿には、あんまり良いイメージがなかった。

 

「たぶんボク、変身したら理性がなくなるから、危ないと思うんだ。その、地球とか」

「大丈夫よ。パワーボールをちょっといじって、いざとなったらすぐ壊せるよう月を作ればいいわ」

「対策済みなんだ……けど少なくとも、明日までに尻尾は生えないと思うよ」

 

 それを聞いたナッツは、申し訳なさそうに顔を伏せる。

 

「……父様が生えたばかりのをすぐ切ったのが悪かったのかしら……ごめんなさい」

「いや、謝らなくても……」

「だって尻尾よ尻尾。私達サイヤ人にとって、誇りと力の象徴なんだから。無かったらその辺の地球人と、見分けがつかなくなっちゃうじゃない。それに」

 

 そこで少女は、夢見るような表情になった。

 

「悟飯の大猿、格好良かったのになあ」

「ええ……?」

 

 それを聞いた悟飯は、恋愛についての話を聞かされたピッコロのような顔になってしまう。

 

「凄く強かったのはもちろん、もう本当に殺されるって思って怖かったんだけど、ぞくぞくして、本当に楽しかったわ」

 

 無意識のうちにか、傷跡のあった左肩に手をやって、うっとりした熱を込めて少女は独白した。それを見た少年は、とても複雑な気分で。

 

「……君の事を怪我させちゃうよ。今度こそ、本当に殺しちゃうかも」

「それでもいいの」

 

 とても嬉しそうに、彼女は言ってのける。

 

「あなたと戦って死ぬなら、それでもいいわ」

 

 心の底からの笑顔だった。明日のセルとの戦いを怖がっていたのとは、矛盾するようでも、それは彼女の、偽りない本心だった。

 

 ただ、この場に他のサイヤ人がいたならば、たとえ悟空でも、賛否はともかく、その心境は理解できただろうけど。

 

「……死ぬなんて、言ったら駄目だよ」

 

 半分地球人の少年にとっては、到底受け入れがたい事で。見る間に表情を曇らせた彼を見て、ナッツは慌ててしまう。

 

「え、えっと、ほら! 終わった後、ドラゴンボールですぐ生き返らせてくれればいいから」

 

 自分の手で殺した彼女の死体を前にしたところを想像して、哀しみと吐き気が、同時に襲い掛かって来る。ナッツが変な子なのはよく知ってるけど。いくら彼女の望みでも、それだけは叶えさせたくなかった。

 

「悲しいよ。そんなの嫌だよ」

「悟飯……」

 

 項垂れた彼の姿を見て、いくじなし、とは少し思いつつも。サイヤ人らしからぬそうした優しい所も好きだったから、それでもいいかな、と彼女は思った。

 

「わかったわ。じゃあ殺すのまでは無しでいいけど」

 

 言って少女は、右手の小指を差し出して見せる。

 

 

「約束よ。お互いに尻尾が生えたら、またあの日みたいに戦いましょう」

 

 

 譲歩してもらった手前、それに彼女が真剣な目をしていたから、断り切れなくて。

 

「……本当に、殺すのは無しだからね」

 

 そして月明かりの下、二人の小指が絡まった。

 

 その時が来るのを想像して、ナッツは笑みを抑えられない。

 

 いくら悟飯の方が戦闘力が高くても、大猿の姿で戦うのなら、下級戦士で理性すらない悟飯よりも、慣れている私の方が圧倒的に有利だ。悟飯には悪いけど、最初の数回は私が勝つだろう。

 

 それでも何度もやってたら、そのうち理性だって身に付くだろうし、そしたら負けてしまうかもしれない。お互い全力で戦って、それでも負けてしまったら、その時は。

 

「凄く楽しみだわ」

「ちょっとナッツ?」

 

 含み笑いをする少女を見て、なんだか少し早まったかも、と少年は思うのだった。

 

 

 それから少しして、ナッツの笑いが収まった頃。

 

「ふぁ……」

 

 少女は口元を隠して、可愛らしく欠伸した。眠気を堪えつつ彼女が横を見ると、ちょうど悟飯も欠伸したところで。

 

「ねえ悟飯、久しぶりに、一緒に寝てもいい?」

「えっ!?」

 

 目を剥く少年を見て、ナッツはくすりと笑う。

 

「冗談よ」

 

 いたずらっぽく笑う彼女の、パジャマの上から見える胸の膨らみについ目が行って。こういう事言う子だっけ? と悟飯はどきどきしながら思ってしまう。

 

「お家の人に断らないで、勝手に泊まるなんて失礼だわ」

 

 あ、そっちなんだ、と悟飯は内心胸を撫で下ろす。彼の心の平安のためにも、できれば彼女にはもう少し、このままのナッツでいて欲しかった。

 

「じゃあ、また明日ね。悟飯」

「うん、また明日。ナッツ」

 

 手を振って飛んでいくナッツを、少年もまた手を振って、見えなくなるまで見送っていた。

 

 地球の運命が決まる前夜だったけど、お互いの心から、不安はすっかり拭い去られていたのだった。




 というわけで、100話記念の話です。
 本来はミスター・サタンの瓦割りを興味津々に見つめるセルとか書く予定だったのですが、流石にそれが100話目なのもどうかなあと思って書きました。
 主人公はとても変な子ですが、私はとても好きですので、気に入って下さった方はどうか今後もお付き合いください。

 それと100話までお付き合い頂いた方、感想、評価、お気に入り、支援絵、誤字報告など下さった方々にこの場を借りてお礼申し上げます。
 途中で何度も更新中断してしまいましたし、色々あって多分今後も遅れてしまう事があるかもしれませんが、最終話までの話は考えてましてエタらせたくないと思っておりますので、どうか彼女の物語の最後まで、気長にお待ちくださいませ。


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37.彼女達と、セルが戦う直前の話 

 そして、セルゲーム当日の朝がやってきた。

 

 セルの待つ人里離れた荒野に用意されたリングに、地球の戦士達が次々に集まってくる。

 

「おはよう、ナッツ」

「おはよう、悟飯。良い朝ね」

 

 戦闘服姿の少年と少女が、顔を合わせて挨拶を交わす。元から仲の良い二人だったが、今日の彼らはより親密な雰囲気で。

 

 明らかに何かあったと思われる様子に、父親が顔を引きつらせていた。

 

「……あ、あの野郎……うちの娘に一体何を……」

「オ、オレは何も見てません!」

 

 思わず否定するトランクス。昨夜トイレに起きていた彼は、ナッツがパオズ山の方角へ飛んでいく姿を偶然目撃していたのだが、夫婦(未来)だしそういう事もあるだろうと、赤面しつつ見送っていたのだった。

 

 殺意交じりの視線を向けられ、誤解に気付いた悟飯が必死に言い訳を考える横で、少女は戦いの舞台となるリングを確認していた。

 

 天下一武道会よりやや広いそれは、正方形にカットされた自然石を敷き詰めたもので、四方には磨かれて丸みを帯びた柱が立っていた。大きさも素材も、天下一武道会のそれと遜色無い出来栄えだったのだが。

 

「寂しいリングね……」

「待て。私が作った舞台のどこが不満だと言うのだ」

 

 少女の呟きに、リングの上のセルが反応する。

 

 8日前、瞬間移動でやってきた悟空にせこいリング呼ばわりされた時は、内心ショックを受けつつも、個人の好みの問題だろうとスルーしたのだが、他の人間からも言われたとなると、何か問題があるのではと、流石に気になってしまうのだった。

 

 問われたナッツは、うーん、と周囲を見渡して言った。

 

「リングはまあまあだと思うけど、だってまず、観客席が無いじゃない」

「……必要あるのか?」

「お客に立ち見させる気なの? 一人ずつ戦ってる間、残りの選手は戦いを見るのよ?」

「……一理あるな」

 

 セルは近くの丘へと手を伸ばし、念力で丸ごと浮かべつつ、もう片方の手を目まぐるしく動かし、段差の付いた直方体の形へとカットしていく。

 

 それを繰り返す事3回。約3分でリングの三方を囲む観客席が完成した。

 

 あっけに取られる一同を前に、セルは自信満々で言い放つ。

 

「ふっ、どうだ。これで文句は言わせんぞ」

「うーん……」

「……まだ何かあるのか?」

「正面に大きな建物があったと思うんだけど、あれって何なのかしら」

「……あれは選手の控え室と運営本部だ」

「そうなの? さすが詳しいわね」

 

 大会参加者の天津飯が思わず口にすると、ナッツは感心した様子で頷いた。

 

「やっぱりそれも無いと、まだ寂しいわ」

「……こんな感じか?」

 

 そうしてセルが再び石材を積み始め、それが形になってくると、クリリンやヤムチャといった他の大会参加者達も、気になって口を出し始める。

 

「確か建物の屋根は石じゃなくて木だったような」

「大体、周囲が岩ばかりで殺風景すぎるんだよ。もっとこう、木とか芝生とか」

「ねえ、ピッコロも参加してたわよね。何か知らないの?」

「何でオレが答えなければならん!? 大体お前らそんな場合か!」

「ピッコロさんも何か知りませんか?」

「……建物の上や塀に、魔族の顔のような彫刻があった」

「うめえ飯の出てくるレストランも欲しいな」

「流石にそれは無理だろ……」

 

 そうしてセルを忙しく働かせつつ、元選手達がわいわい話し合う中。話に入れないベジータとトランクスは楽しそうなナッツの姿の撮影に忙しく、16号は小鳥達と戯れて充実した時間を過ごしていたのだが、それはまた別の話だ。

 

 そして10分後、殺風景だったリングの周囲は、天下一武道会を再現したものに生まれ変わっていた。

 

 完成した建物には『第一回セルゲーム』と書かれた看板が掲げられ、周囲には地盤ごと念力で運ばれた草花や木が植えられている。

 

 ビデオで見た本物の天下一武道会の会場に、限りなく近づけられた光景を見て、ナッツは遊園地に来た子供のように、きらきらと目を輝かせる。

 

「すごーい! ……サングラスの審判の人がいないけど、これは仕方ないわね」

「そいつはどこに住んでいる?」

「止めてやれよ迷惑だろ……」

 

 クリリンの突っ込みで、サングラスの審判が間一髪で誘拐の危機を逃れる中、少女はリングの柱を指さして言った。

 

「それと、あの柱は綺麗だけど、観客席から試合を見る邪魔になっちゃうし、選手が頭とかぶつけたら危ないわ」

「なるほど、一理ある」

「いや、頭打ったくらいで死ぬ奴ここにいないだろ……」

 

 ヤムチャが思わず突っ込むも、セルは5秒で4本の柱を引っこ抜いてぶん投げた。

 

「どうだ。これで文句はあるまい」

「うん。完璧だわ」

 

 ナッツがにっこり笑って応えたその時、遠くからばきりと奇妙な音がした。

 

「ん?」

 

 その場の全員が向けた視線の先には、TV局の小型飛行機。まるで何かが高速で衝突したかのように吹き飛んだ片翼から、ゆっくりと黒煙を吹いて落ちていくところだった。

 

「あっ」

「あっ」

 

 ナッツとセルは、同時に間の抜けた声を上げるのだった。

  

 

 

 それから少し後。どうにか不時着した飛行機から、カメラマンとアナウンサーがまろび出てくる。

 

「あ、危なかった……いきなり壊れるなんて、整備不良か……?」

「そうね、きっと不幸な事故よ」

 

 気まずい顔で目を逸らすナッツを尻目に、セルは自信満々で観客席を示して言い放つ。

 

「よく来たな。好きな席に座るといい」

「わ、我々は客じゃない!」

「何……だと……?」

 

 せっかく作ったのに、と軽くショックを受けるセル。

 

「我々はミスター・サタンの戦いを……おお! あれは!」

 

 TV局の男がすかさずカメラを向けたその先で。会場の前に停止した黒塗りの高級車から、カーリーヘアーの体格の良い男が現れた。その男を見て、少女は驚きに目を見開く。

 

「み、ミスター・サタン……! 本当に来たんだわ!」

「……誰だ?」

「ほら悟飯! ミスター・サタンよ!」

 

 セルの問いに答えず、ナッツはあたふたと少年の手を引いて駆け寄っていく。

 

 5年前にクレープをご馳走してもらって以来、彼女の中でミスター・サタンはギニュー特戦隊と同じ、優しいおじさん枠に入っていた。その彼がTVの中で地球の格闘家達を次々に倒して活躍しているのは、たとえ自分の方が圧倒的に強いとしても嬉しいもので、いつしかナッツは、彼のファンになっていたのだった。

 

「あ、あの!」

「ん? 何か用かな、お嬢さん。ここは危ないぞ」

 

 優しく言葉を掛けるサタンの前で、少女はいそいそとカプセルから取り出した、色紙とペンを差し出して叫ぶ。

 

「さ、サイン下さい!」

「はっはっは、そんなに緊張しなくても良いんだよ」

 

 変わった格好をした少女から、サタンは色紙とペンを受け取って、慣れた様子でさらさらとサインする。

 

 いかなる場合でも、彼はファンサービスを欠かさない。可愛い娘のビーデルと、同年代の子の頼みとあればなおの事だ。

 

「ありがとうございます!」

 

 受け取ったサインを嬉しそうに見つめるナッツ。その整った顔立ちと特徴的な長い黒髪に、サタンはどこか見覚えがある気がした。

 

「君、前にどこかで会ったような……」

「は、はい! あの、5年くらい前に、スペシャルカスタードクレープをご馳走してもらいました」

「……あの時の子か! 大きくなったなあ!」

 

 サタンは以前、銃を持った犯罪者から助けた子供の事を思い出す。あの時は同じくらいだったビーデルと比べて、2年分くらい成長が早くないかと思いつつ、正確な歳を聞いていたわけでもないし、まあ個人差だろうと納得する。

 

 そして彼は、少女の隣にいる悟飯に声を掛ける。

 

「君も久しぶりだな、少年。彼女の事を守れるくらい強くなったかな?」

「は、はい。少しは……」

 

 地球最強の戦士の謙遜に、世界チャンピオンは豪快に笑う。

 

「偉いぞ! また何かご馳走したい所だが……」

 

 そこで彼はセルの方に目を向ける。

 

「その前にちょっとあの野郎を倒してくるから、君達はそこの観客席で見ているといい」

「む?」

 

 その言葉を聞いて、セルが訝し気に睨みつけるも、サタンは堂々とした態度を崩さない。

 

「あ、あの、危ないんじゃ……確かTVで、この星の軍隊が全滅したって……」

「なあに、きっと爆弾かを事前に仕掛けておいたトリックさ」

 

 彼の言葉に、ナッツは内心冷や汗を流す。

 

(全然理解してないわこの人……! 確かに今の格闘番組にはあんまり強い人いないけど、昔の天下一武道会のビデオとか観てないの?) 

 

 このままサタンがセルに挑めば、小指1本でミンチにされてしまう事は明らかだった。確か娘さんもいたというのに、流石にそれはあんまりすぎる。

 

(何とかして戦わせないようにしないと……そうだわ!)

 

 ぴこーん! と頭の上に電球を浮かべたナッツが口を開く。

 

「あの、あそこにいる私の父様達、今売り出し中の格闘家なんです」

「そうなのか? うーん、悪いがあまり見た事が無いな……」

「ええ。普段は地方の方を回っているんですけど、TVも来てますし、この機会に、前座をさせてもらえたらって……」

 

 サタンは彼女の父親達を見ながら考える。それほど弱そうではないのに、試合やテレビで見た覚えが全く無かった。年頃の娘もいるのに、生活に苦労しているのだろう。危険なセルとの戦いに出てでも、名前を売りたいという気持ちは十分に理解できた。

 

 彼は悟空達に近付いて、鷹揚に腕を組んで言葉を掛ける。

 

「話は聞いた。セルとの前座試合をするといい。ただし、まだ小さい子供もいるんだ。危なくなったらオレに任せてすぐ降参するんだぞ」

「あ、ああ……」

 

 悟空達は何を言ってるんだと思いつつも、邪魔をされなければいいやと思った。

 

 そして来ていたTV局の人間にも、サタンが前座試合の事を説明したのだったが。

 

「うーん、前座は良いんですけど、それにしても見た事ない人間ばかりですし、盛り上がりに欠けるのでは。視聴率が……」

「チャンピオンから、最初に何かやっていただけないでしょうか」

「うむ、任せろ」

 

 サタンは颯爽とリングに上がり、スポーツバックから取り出した瓦を積み上げていく。その数なんと15枚。

 

「! あ、あれは……!」

「……何だ?」

「静かにして! ミスター・サタンが集中してるわ!」

 

 近づいて見ようとするセルを一喝し、固唾を呑んで見守るナッツ。

 

 そしてサタンは深呼吸をして精神を集中させ、高々と振り上げた手刀を裂帛の気合と共に振り下ろした。

 

「だあああああっ!!」

 

 サタンの手刀が積み上げられた瓦に直撃し、1枚2枚3枚4枚5枚6枚と次々に粉砕していく光景を、その場の戦士達の目ははっきりと捉えていた。 

 

 瞬く間に14枚もの瓦を貫通したサタンの手刀だったが、しかし最後の1枚にわずかにヒビを入れたところで、惜しくも停止してしまう。あー! と思わず叫ぶナッツ。

 

「1枚残っちゃったわ! けど良い記録よ!」

 

 ファンの声援を受けながら、サタンは右手の痛みを堪えて堂々と言い放つ。

 

 

「セル! この粉々に砕け散った瓦を見るがいい!」

 

 

 そこで一拍置いて、カメラ目線で不敵に笑うサタン。

 

 

「これが1分後の、貴様の姿だ」

 

 

 きゃー! とTVの前の視聴者と大興奮したナッツが歓声を上げる。

 

「か、格好良い……ビデオで録画しとけば良かったわ……」

「お前、ミスター・サタンの何なんだよ……」

 

 クリリンに呆れられつつも、ぶんぶん手を振って応援するファンの少女に、微笑みながら手を振り返すサタン。彼の姿を見たセルは、いちゃつくナッツと悟飯を見ている時のピッコロのような顔をしていた。

 

「……わからん」

 

 どう見ても今まで吸収してきた地球人と同じ、ただのゴミにしか見えないのだが。さっきからあの娘をあれほど熱狂させるほどの何があるというのか。それは今のセルには、決して理解できないものだった。

 

「あの、ミスター・サタン……これから前座試合があるのでは?」

「そ、そうか。おい! 私の試合が始まってから1分後という意味だからな!」

 

 サタンの方を、セルはちらりと見る。孫悟空達を倒せば、最後はあの男と戦う事になるらしい。十中八九、期待外れに終わる予感がするのだが、それでも、ほんの少しだけ楽しみだった。




 セルに必要なの、完全体よりも人生をエンジョイする姿勢だと思うのです。ドクターゲロのコンピューターも、誰もそれを教えなかった。
 前にもあとがきか感想返しで言ったかもですけど、10日間棒立ちで待ち続けて負けそうになったら即自爆するのは、もうちょっと何か無かったのかなって……。

 あとお気に入りを2000もありがとうございます! もちろん2000になる前も嬉しかったんですけど、やっぱりキリの良い大きな数字って良いですよね……。確か1000達成したのはナメック星編が終わったくらいの頃でして、次は最終回までに3000いければいいなあと思ってますので、よろしければご協力をお願いします。ついでに評価もいただければより嬉しいです!

 そういうわけで、次からはセル戦です。色々あって続きは遅れるかもしれませんが、エタらせるつもりはありませんので、どうか気長にお待ちくださいませ。


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38.彼女達とセルが戦う話(前編)

 いよいよセルゲームが始まった。

 

 ナッツ達だけでなく、TV放送を通して全世界が見守る中、一人目の戦士として、悟空がリングへと上がり、セルと向かい合う。

 

「いきなり貴様からか……一番の楽しみは、もう少し後でも良かったのだぞ?」

「どうかな。一番強えのは、オラとは限らねえぞ?」

 

 負けたら悟飯に任せると公言している悟空は、リラックスした様子で、ちらりと観客席の息子を見る。

 

「何だと……?」

 

 セルが悟空の視線を追った先には、悟飯とナッツの隣に座るミスター・サタンの姿。

 

「……奴が貴様よりも強いというのか?」

「ああ、期待は裏切らねえと思うぞ」

 

 彼らのやり取りを聞いて、満足げに頷くサタン。

 

「君のお父さんは良い人だな。オレの顔を立ててくれている」

「そ、そうですね……」

 

 父親の意図とセルの誤解に気付いている悟飯は、この後どうするのこれ!? と内心冷や汗を流していた。

 

 そしてリングの上で、悟空とセルが構えを取る。その光景はTV中継され、オレンジ色の胴着の男は格闘家であり、ミスター・サタンの前座であるとアナウンサーが説明している。

 

 放送を見ていた犬の国王や、かつての天下一武道会を知る人々は、孫悟空選手と似ている気がするけど、金髪で青い目だし別人かな? と首を傾げていた。

 

『彼の名前は……』

 

 そこでアナウンサーは、選手の名前を聞き忘れてしまった事に気付く。世界中が注目する生放送でのミスに青ざめる彼に、ナッツが小声で助け船を出す。

 

「カカロットよ」

『カカロット選手です!』

 

 同時刻、国王らは名前を聞いて、やっぱり別人かー、となっていた。

 

『どうですか、ミスター・サタン。あの選手をご覧になって』

『かなり鍛えているようだ。もちろん私には及ばないが、あわよくばセルを倒してくれるんじゃないかと期待しているよ』

 

 片目を瞑る世界チャンピオンのリップサービスに、お茶の間の人々が、久しぶりに明るい笑顔になる。

 

 そして戦いが始まった。

 

「来い!」

 

 セルの誘いを皮切りに、悟空が猛スピードで距離を詰める。勢いのまま頭を狙った回し蹴りをセルが受け止め、すかさず反撃で振るわれた拳を、身を沈めて避ける悟空。

 

 目にも止まらぬ速度で、大気を激しく揺るがせながら二人は攻防を続ける。バク転を繰り返して距離を取った悟空に、今度はセルが頭ごとぶつかっていき、受け止めた悟空が後ろに倒れつつ両手を地につけ、両足でセルを上空へと蹴り飛ばす。

 

「か……め……は……め……」

 

 両手を構えながら、悟空も飛び上がって追撃し、

 

「波っ!!」

 

 放たれたかめはめ波を、セルは右手に力を込めて弾き飛ばす。その後ろに現れた悟空が、セルの背中を殴りつけるも、すかさず振り向いたセルが反撃し、組み合わせた両手を悟空の頭へと振り下ろす。

 

 直撃を受け、凄まじい勢いで落下した悟空が、リングに激突する寸前で体勢を整え、衝撃で石舞台にヒビを入れながら両手両足で着地する。

 

 そして軽やかに降り立ったセルが、全くダメージを受けていない様子で立ち上がった悟空と再び向かい合う。

 

「準備運動はこれくらいにしておくか……」

「そうだな」

 

(カカロットもセルも、まだ全然本気じゃないわね……)

 

 ナッツ達からすれば、今の攻防が全くの小手調べである事は明らかだったのだが。想像を絶するレベルの戦いに、サタンとアナウンサーは呆然としていた。

 

『い、今のカカロット選手の戦いは、もしかして凄かったんじゃないでしょうか……?』

『あ、ああ、予想以上だ……』

 

 思わず素で呟く世界チャンピオン。

 

「今の撮れたか?」

「無茶言わないで下さいよ!? かろうじて映った分も、見ても全然判りませんよ」

「だよなあ」

 

 当然、彼らの動きをカメラマンが追えるわけもなく。ごく一部の武闘家達を除いた大多数の視聴者は、機材の調子でも悪いのかな? と思っていた。

 

「はっ!!」

 

 悟空が両腕を腰の横で構え、一息に気を解放する。リングの周囲数百メートルに、中央から台風のような突風が吹きつけ、土塊や小石が舞い上がる。

 

 本気を出した悟空の凄まじい気に、ナッツ達は唖然とした顔になってしまう。

 

「カカロット、凄い戦闘力だわ……」

「……そうかな?」

「えっ?」

 

 怪訝な顔の少女に見つめられて、悟飯は慌てて訂正する。

 

「い、いや! ボクは精神と時の部屋で見た事あるし……!」

「いいのよ。頼もしいわね」

 

 ふふっと笑う彼女の表情に、赤くなって俯く悟飯。

 

「はっ!!」

 

 セルもまた、同様に気を解放する。再び吹き荒れる豪風に、飛びそうになるカメラを必死に押さえるカメラマン。

 

 風が収まり、オーラに包まれ向かい合う二人を見て、後ろに倒れかけたアナウンサーが震える声で実況を続ける。

 

『い、今のは一体何だったのでしょうか。突然何かが爆発したような……そしてカカロット選手とセルから、炎のようなものが……』

『……しょ、照明の演出かな?』

 

 そうであってくれと、きょろきょろと周囲を見回す二人を他所に、悟空とセルは戦闘を再開する。凄まじい速度の悟空の連撃を受け、吹き飛ばされながらも空中で停止し、にやりと笑うセル。

 

「いいぞ孫悟空! これだ! やはり戦いはこうやって、ある程度実力が近くなければ面白くない」

「ああ、オラもそう思う」

 

 そこでセルはリングに降り立ち、両手を腰だめに構えて気を高め始める。

 

「か……め……」

 

 それを見た一同は驚愕する。地表近くでああまでパワーを高めた状態でかめはめ波を使えば、ほんのわずかな角度の狂いで、地球が破壊されてしまいかねない。

 

「や、やめろ!」

「は……め……」

 

 悟空が叫ぶも、セルは攻撃を止めようとしない。そこで少女が立ち上がり、慌てる天津飯を捕獲した。

 

「なっ、何故オレを!?」

「出番よ! 確かあなた、かめはめ波が大小関係なく効かないんでしょう?」

「いつの話だ!?」

 

 飛び込んで盾になりなさいと、必死に抵抗する天津飯を、ぐいぐいと観客席からリングの前に押し出すナッツ。

 

 彼女が言っているのは、第22回天下一武道会のビデオで、観客席を映したシーンに偶然収録された発言だ。とはいえ、さすがに地球自体を破壊するような威力は、当の亀仙人も想定していなかったに違いないが。

 

(……かめはめ波が効かないだと?)

 

 騒ぐナッツ達を見たセルが、小さく顔をしかめる。元よりまだ地球を破壊するつもりは無かったのだが、それでは脅しにならないと、一瞬悩んだセルは、すっ、と構えを変更した。

 

 突き出した両手の人差し指と親指で作った三角形。その構えに見覚えのあるヤムチャ達が悲鳴を上げる。

 

「あれはまずい!」

「ちょっと!? より危ないの来ちゃったじゃない!」

「オレのせいか!?」

「こっちだ! セルーー!!」

 

 悟空が飛び上がり、それを予想していたセルが、にやりと笑って狙いを上へと向ける。避けられないタイミングで、必殺の一撃が放たれる。

 

 

「気功砲!!!」

 

 

 膨大なエネルギーの奔流に飲み込まれる寸前、悟空は額に指を当てて精神を集中する。その姿が一瞬でセルの背後へと転移する。

 

「はっ!?」

 

 とっさに振り向いたセルに、悟空が渾身の蹴りを叩き込む。吹き飛ばされたセルは、場外寸前でギリギリ足を止め、口元の血を拭って息をつく。

 

「……なぜだ。今のタイミングなら間違いなく当たっていた」

「瞬間移動ってやつだ」

「そいつは厄介な技だな……だが」

 

 お返しとばかりに、セルの姿が一瞬にして掻き消える。驚く悟空の眼前に現れたセルが正面から彼を殴り飛ばす。

 

「私もスピードには自信があるんだ。瞬間移動とまではいかないがね」

「そう来ないとな!」

 

 にっと笑った悟空が、セルの追撃を残像で回避し、今度は瞬間移動を使わずセルの背後に出現する。振り下ろした拳をやはり残像で避けたセルが、悟空の頭上に現れ、直後の攻撃を悟空がさらに回避する。

 

「ふ、二人はどこへ……?」

 

 サタンとアナウンサーの目には、突如彼らがリングから消えたようにしか映らない。戦いの舞台は、既に上空へと移っていた。

 

「な、何て速さなの、二人とも……」

 

 悟飯の目線を参考に、ギリギリ彼らの動きを追いながら、ナッツが呟いた。

 

 まるで互いの速度を競い合うかのように、二人は目まぐるしく上空を駆け回り、瞬く間に数十、数百回の攻防を繰り返す。 

 

「……やるじゃないか本当に。ここまで楽しめるとは正直思わなかったぞ」

「オラもそうだ。せっかく人造人間が来るの待ってたのに、急に病気になったりで、良い所なかったからな」

 

 激戦でダメージを受けながらも、笑みを返す悟空を見て、セルは呟いた。

 

「……この戦いを場外負けなどで終わらせるのは惜しい」

 

 もはやリングなど不要と、セルは真下に掌を向けるが。そうして目に入ったのは、先程作った観客席と『第一回セルゲーム』の看板が掲げられた運営本部兼選手控え室。その周囲には、遠くから地盤ごと持ってきた草花や木が植えられている。

 

 天下一武道会経験者達からの、数度のリテイクを経て完成したそれらは、見た事はないが、本物の天下一武道会の会場にそっくりな出来栄えだという。 

 

 一呼吸おいて、すっ、と掌を返したセルが言った。

 

「場外負けはルールから外そう。勝敗は降参するか死ぬかだけだ」

 

 言われた悟空が、うっすらと笑みを浮かべる。

 

「どうした?」

「おめえ今、会場を壊すのをためらったろ。どうしてだ?」

「……さあな」

「立派なリングじゃねえか。飯食う所がねえのが、玉にキズだけどよ」

「食事か。私にはわからん」

 

 ナメック星人の細胞を持つセルは、今まで水以外の物を口にしたことは無かったし、その必要性も感じなかった。

 

「もったいねえなあ。世界にはうめえ食い物がいっぱいあるってのに」

「知らんな。私には意味の無い事だ」

 

 それよりも戦いを楽しませろと、指を曲げて誘うセルに、それもそうだと悟空は再び躍り掛かるのだった。




 既に悟飯に色々伝えて任せてある分、悟空のエンジョイ度が上がってます。セル編悟空、ここまであんまり良い所無かったですし……。
 あとセルは戦いさえあればそれで良いと思っていて、悟空も全部ではないですけど似たようなところがあるので、特にこれ以上突っ込んだりせず戦いに戻ってます。

 一応、サタンの性格は原作からそこまで変えてないつもりです。原作サタン視点からすると悟空達って、TV中継されてる世界チャンピオンの試合にろくな説明もせず割り込んで来た得体の知れない集団で印象が最悪だったので、きちんと説明して筋通して、あと娘と同じ年頃のファンの女の子とかもいればこんな感じになった可能性もあるんじゃないかなあと。

 それとどうして悟飯出るあたりまでTV中継されてたのにサタンの手柄に? って思ってましたけど、原作読み返したらまともに試合を放送できてるわけないですねこれ。映った映像も一般人視点だと全く見えないでしょうし、事前の人気もあって普通にサタンが倒したと主張すれば通ったのかなあと。この話ではどうなるかは先の展開をお楽しみください。

 またお気に入り、評価、感想、誤字報告などありがとうございます。続きを書く励みになっております。ちょっと9月は忙しくなりそうで続きは遅れるかもしれませんが、エタらせるつもりはありませんので気長にお待ちくださいませ。


・ごく一部の武闘家達

 サイボーグ桃白白とか、鶴仙人とかジャッキー・チュンとか色々な人が見てそうです。全然見当違いの所を映してるの見て現地に行けば良かったとイラついてそう。


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39.彼女達とセルが戦う話(中編)

 その後も悟空とセルの戦いは続いた。

 

 先の気功砲のお返しとばかりに、悟空が瞬間移動で至近距離からセルにかめはめ波を直撃させる。上半身が消し飛ぶも、セルは身体を再生させて悟空を殴り飛ばす。

 

 岩山に叩き付けられた悟空は瞬時に体勢を立て直し、追撃に向かっていたセルに無数の気弾を撃ち放つ。とっさにガードするも押し切られそうになったセルは、気合と共に巨大な球状のバリアーを展開し、全ての気弾を弾き飛ばす。

 

 互いに息を切らせながら、更に二人は戦闘を続ける。一見互角に見えていた戦いだったが、長期化するにつれて、だんだんと優劣が明らかになってくる。

 

 頭に噛みつかれて絶叫するセルを見ながら、ナッツが呟いた。

 

「二人ともダメージを受けて消耗してるけど、セルの方が余裕があるわ……」

「お、お父さん……」 

 

 逆に腕に噛みつき返され絶叫する悟空を、突っ込みたそうな顔で見守る悟飯。

 

 疲労とダメージで少しずつ動きが精彩を欠いていくも、悟空は諦めず、むしろ強敵との戦いを楽しむように必死に食らいついていたが、ついに限界が訪れる。

 

「はぁっ……はぁっ……」 

 

 力を使い果たして倒れた悟空に、同じく息を切らしたセルが声を掛ける。

 

「貴様はよくやった、孫悟空。仙豆とやらを食うがいい。更に素晴らしい試合になるはずだ」

 

 ここで思いっきり孫悟空と言っているが、カメラマンとアナウンサーは危険を感じて遠くからの撮影に切り替えており、収音マイクを使ってはいたが、音声はろくに拾えていない。 

 

 サタンも同じく離れたかったのだが、顔見知りの子供二人が臆せず観戦しているのを見て、逃げるわけにはいかないと、内心震えながら観客席に残っていた。

 

「悟空! 受け取れ!」

 

 だが仙豆を投げようとしたクリリンを、悟空が手を振って止めて言った。

 

「……まいった」

「は?」

「降参だ。おめえの強さは良く判った。悔しいけど、オラじゃおめえに勝てねえ」

 

 上半身を起こし、満足そうに笑う悟空を見て、セルは訝し気な顔になる。

 

「……貴様が降参するというのなら、次の者が出るという事か?」

 

 人間共の実況によると、最後の選手はミスター・サタンとかいう男で、確かに孫悟空は前座という話だったが。なら次は、ベジータかトランクスかあの娘か。

 

 確かにそこそこ強いだろうが、今の孫悟空よりも楽しめるかというと無理な話だ。顔をしかめるセルに、悟空は自信たっぷりに言った。

 

「ああ。次の試合で多分セルゲームは終わる。そいつが勝てなきゃ、もうおめえに勝てる奴はいねえからだ」

「そ、そんなにも強いというのか……?」

 

 観客席のサタンに、そわそわした目を向けるセル。

 

「ああ、きっとびっくりするぞ」

 

 サタンの隣に座る息子を、頼もしそうな目で見る悟空。

 

 そして二人分の視線を向けられたと勘違いしたサタンは、真っ青な顔になっていた。

 

「ま、まさか、もうオレの出番なのか……?」

「ええ……?」

 

(カカロット、ミスター・サタンの前座ってことになってるの忘れてない!? どうするのよこれ!?)

 

 ナッツが内心絶叫するも、悟空は構わず、良い笑顔で息子に呼びかける。

 

「おめえの出番だぞ、悟飯!」

 

(言っちゃったーーー!?)

 

 もう勢いで押し切るしかないと、ナッツは少年の手を握り、キラキラした瞳で送り出す。

 

「……頑張って、悟飯!」

「う、うん、行ってくる」

 

 少し顔を赤くした悟飯が、ナッツの手を握り返し、ゆっくりとリングへと歩いていく。

 

「な、何だと!?」

 

 自分ではないとほっとしていたサタンが、その光景を見て、事態を悟り色めき立つ。

 

「ふざけるな! この子はまだ子供じゃないか! 危険すぎる!」

「え、えっと……」

 

 唐突な正論に、たじたじとなる悟空。その様子を、セルは面白そうに眺めていた。

 

「なら貴様が出るのか? 私はどちらでも構わないぞ。ただ順番が変わるだけだからな」

「うっ……」

 

 サタンは思わずたじろいでしまう。これまでの戦いを見て、目の前のセルが、自分とは文字どおり強さの次元が違う、戦闘機や戦車が挑んでなお勝てない程の存在だというのが理解できてしまった。もちろん事前にセルに挑んだ軍隊が壊滅させられたという話は聞いていたが。

 

(まさか本当だとは思わないじゃないか……!!)

 

 悪役レスラーが数百人殺したとか地獄から来たとか言ってるのと同じ、そういう設定だと思っていた。でなければ、そもそも何で軍隊が壊滅してるのに格闘家に声が掛かるのか。

 

 その理由は犬の国王が、かつてピッコロ大魔王を倒した少年のような強い武闘家に頼るしかないと、天下一武道会の出場者リストを頼りに探していたからだったのだが。どいつもこいつも住所不定だったり絶海の孤島に住んでいたり修行に出掛けていて連絡が取れなかったりで、たった数日で見つけるのは無理があり、かろうじてコンタクトの取れた凄腕の殺し屋にも、きっぱり断られてしまっていた。

 

 そんな中、第24回天下一武道会で優勝したミスター・サタンがOKしたので、大丈夫かな? と思いつつ任せる事になったのだった。

 

「あの、チャンピオン……本当に奴と戦うんですか?」

 

 躊躇しているサタンの身を案じ、小声で問いかけるアナウンサー。ミスター・サタンはあくまでも、常識的な範囲での人間のチャンピオンだ。いくら人類の危機といえども、生身の人間が巨大隕石から逃げたところで恥には当たらないし、後から非難される謂れも無いだろう。

 

(絶対にあんな奴と戦いたくない! し、死んでしまう! だ、だが、だからといってあんな子供を……!)

 

 悩むサタンに向かって、振り向いた悟飯が微笑む。

 

「大丈夫です。おじさん」

 

 そして悟飯が気を解放する。それだけで、爆発のような衝撃が周囲一帯に吹き荒れる。少年の身体から激しく立ち上がるオーラは、悟空のそれよりもなお大きい。

 

 観客席に尻もちをつき、呆気に取られるサタン。そしてリングの上で、オーラに包まれた悟飯とセルが向かい合う。

 

「なるほど、確かにそれなりの力を持っているようだが……試してみるとするか」

 

 小手調べとばかりに、セルが放った蹴りを悟飯は片手でガードする。

 

「ほう……」

 

 セルは一旦飛び退き、勢いを付けて前進しつつ手刀を撃ち込むも、飛び上がって回避した悟飯の後ろ回し蹴りが、カウンターでセルの顔面に叩き込まれた。

 

「なっ!?」

 

 背中からリングに叩き付けられるセル。受けたダメージの大きさに驚く間も無く、すかさず顔面を蹴り飛ばさんとする悟飯の蹴りをセルは必死に転がって回避し、掌を前に向けて叫ぶ。

 

「だああっ!!!」

 

 放たれた全力の念動力を、悟飯は両手を身体の前で交差させて防ぐ。威力を正面から受け止め、リングをブーツで擦りつつ大きく後ろに下がるも、耐えきった無傷の身体でセルを睨む。

 

 セルは消耗に息をつきつつ、口元の血を拭って笑う。

 

「いいぞ。良いじゃないか孫悟飯。孫悟空が降参した時は、正直どうなるかと思ったが、面白い」

「……いくぞっ!」

 

 叫び、一瞬で距離を詰めた悟飯の拳がセルの腹部に突き刺さる。セルは呻くも、すかさず組み合わせた両手を悟飯の頭部に振り下ろす。鉄塊のような一撃を受けた悟飯は倒れると見せかけ、身を沈めてセルの足を蹴り払う。

 

 セルと互角、あるいはそれ以上の戦いを見せる少年の姿に、ナッツは目を輝かせる。

 

(す、凄いわ。悟飯がこんなに強くなったなんて……!)

 

「頑張って、悟飯!」

 

 彼女の声がきっかけになったかのように、観戦していたトランクス達も応援を始める。

 

「悟飯さん! 頑張ってください!」

「やっちまえ、悟飯!」

「悟飯! ナッツの前で無様を晒すんじゃないぞ!」

「すまん! 勝ってくれ!」

「悟飯! もっとボディを狙え!」

 

 見守る父親。叫ぶ親馬鹿。祈るようなサタン。セコンド気分で指示を出すピッコロ。

 

 他にも多くの声援に背中を押されるように、攻勢を強める悟飯。対するセルも既に全力を出しており、パワーもスピードも、先程の悟空相手なら圧倒できる域にも拘わらずなお押し切れない。

 

(強い。こいつを打ち破れば、私は更に……!)

 

 かつてない歓喜に包まれていたセルは、真剣な悟飯の顔を見て、ある事に気付く。そして攻撃を止め、後方へ飛び離れた。

 

「?」

 

 訝しむ悟飯に、セルは問いかける。

 

「お前はなぜ楽しんでいない? 孫悟空の息子で、それだけの強さを持っているというのに」

 

 問われた悟飯は、絞り出すような声で答える。

 

「……戦うのは、そんなに好きじゃない」

 

 堰を切ったように、言葉が続く。

 

「本当は戦かったり、殺したりしたくないんだ。たとえお前みたいに酷いやつでも」

 

 実際にセルに会うのは、今日が初めてだった。ナッツの尻尾を切ったり、何十万人も殺して吸収したり、テレビ局を襲ったりと、しでかした事は聞いていたけれど。

 

 ヤムチャさん達の細かい注文に悩みながら、天下一武道会を模した試合会場を作っていた姿を見ると、どうしても殺す気にまではなれなかった。

 

「地球の人を殺すとか、やめにして、やり直せないかな?」

「……何を言っている。私は地球人の命など何とも思っていない。むしろ殺すのが楽しみだ」

「ボクの友達にも、そういう子がいるよ」

 

 はにかみながら、少年は言葉を続ける。

 

「凄く怖くて、数えきれないくらい人を殺してきて、将来地獄へ行くのは間違いなくて」

 

 それらはどう見ても、悪口にしか思えない内容だったが、

 

「私の事だわ……!」

 

 褒められてるとばかりに照れた様子を見せるナッツを、変な子を見る目で見るクリリン。

 

「けどそれでも、本当は優しくていい子で、今は毎日楽しく暮らしてるんだ」

 

 美味しいご飯を食べて身体を鍛えてポーズの練習をして、お風呂に入ってゆっくり眠って、本を読んだり勉強したり格闘技番組を見たり、家族や友達と遊びに行ったり、たまに宇宙に賞金首を殺しに行ったり。

 

「死んだ人達には悪いけど、ドラゴンボールで生き返らせれるし、戦いが好きなら、お父さん達もこれからまた強くなって、いくらでも付き合ってくれると思うし……」

 

 悟飯はリングと試合会場を見渡して言った。

 

「これも凄いけど、他にも何か色々作ったり、そういうのに向いてるんじゃないかな。地球の人を皆殺しにするより、そっちの方がきっと楽しいよ」

 

 セルは少しの間、無言で『第一回セルゲーム』の看板が掲げられた建物を見上げていたが。

 

「……なるほどな。私にとっても悪くない申し出のようだが」

「! それじゃあ……!」

 

 ぱあっと顔を明るくして近付いた少年を払いのけ、セルは再び構えを取る。驚愕する悟飯。

 

「ど、どうして……?」

「その友達とやらは、お前に説得されて良い子になったのか? 違うだろう」

 

 その言葉は、ナッツにとって腑に落ちるもので。別に私は良い子じゃないけれど。

 

(私が地球を滅ぼさなかったのは、悟飯にやられて追い返されたからだわ)

 

 そうだ。自分より弱い相手に何を言われても、それで納得するサイヤ人はいない。

 

「私を倒してみる事だな、孫悟飯」

 

 どこか面白そうに、闘志を滾らせながらセルは言い放つのだった。




 原作悟飯、強いのは確かなのにセルが焦れるのも判るくらい戦おうとしてないので、それが積極的に戦おうとしてくれたらセルも大喜びという解釈です。あとこれはそこまで影響無いんですが、好戦的なサイヤ人の細胞が原作から一人分増えてますね。

 それと前回は評価とたくさんのお気に入りをありがとうございました。久々にランキングにも載れてとても嬉しかったです。続きを書く励みになっておりますので、よろしければまだの方は是非お願いします。


・頭に噛みつかれて絶叫するセル
ブウ戦のあれ好きなので入れました!

・凄腕の殺し屋
いったい何白白なんだ……?


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40.彼女達とセルが戦う話(後編)

 セルと激闘を繰り広げる悟飯。

 

 気を全開にし、果敢に攻め立てる少年にナッツが喝采を上げる。

 

「やっちゃって! 悟飯!」

「はあああっ!」

 

 身を沈め、セルの懐に潜り込んだ悟飯が、その場の誰も視認できない速度のラッシュをセルの腹部に叩き込む。

 

「ぐうっ!」

 

 たまらず口元を抑えてよろめくセルに、悟飯は渾身の回し蹴りを叩き込む。ボールのように吹き飛ばされながらもセルは空中で体勢を立て直し、地を滑りながら着地する。追い込まれているにも関わらず、その顔には笑み。

 

 余裕があるのではない。むしろ敗北寸前で、相手はかつてない強敵で、だからこそ喜びを感じていた。このような相手を倒してこそ、完全体の強さが証明できる。あるいはサイヤ人の細胞がなせる感情なのかもしれない。

 

「いいぞ、孫悟飯。それでこそだ!」

「いい加減に、倒れてよっ!」

 

 歓喜の顔で叫ぶセルに、悟飯はさらに容赦なく攻撃を加えていく。時折遊びのように模擬戦を仕掛けてくる女友達の影響か、その攻め口には容赦がない。

 

 誰の目にも悟飯の優勢は明らかだったが、戦いが続くにつれて、誰もが違和感を覚えていく。

 

 ダメージを負って疲労しているにも関わらず、セルは倒れず、その気がだんだんと増していく事に。

 

「くっ!」

 

 反撃の一撃を受け止めた悟飯が、その重さと感じられる圧力に驚く。

 

「な、何で……?」

「何故だろうな。今の私は、いやに爽やかな気分なんだ」

 

 上機嫌な顔で応えるセル。まるで生まれ変わったような気分だった。思えば今までの自分には、完全体が最強である事を証明する、それ以外は何もなかったが。

 

 自ら作り上げたリングと『第一回セルゲーム』の看板が掲げられた会場を見る。作ったものが認められるというのは、思いの他良い気分だった。この戦いが終わったら、次は何を作ってやろうかと思うと、心が沸き立つような気分だった。

 

 その思いを自覚した時から、妙に身体が軽く、技の切れが増していくのが判る。この戦いも、またそれに劣らず楽しかった。

 

 元よりセルの身体は、今戦っている悟飯を始め、悟空やベジータ、ピッコロやフリーザ親子といった強者達の細胞で構成されている。ドクターゲロの技術力によって、サイヤ人の戦闘センス、地球人の精緻な気のコントロール、フリーザ一族の宇宙空間でも活動できる強靭さにナメック星人の再生能力や各自の技など、加減しろ馬鹿と言わんばかりの良い所取りで作られた身体は、セル自身が気付かない程のスペックを秘めていた。だがどんな強い身体も、精神が伴わなければガラクタに過ぎない。

 

 今のセルは精神的に成長を遂げた事で、元来持っていた潜在能力が急激に引き出されつつあった。

 

「こんな事もできるのだぞ!」

 

 セルは両手に溜めた気の塊を撃ち放つ。それは上空で分裂し、無数の気功波となって悟飯目掛けて降り注ぐ。

 

「あ、あれはオレの!?」

 

 自らの技を、遥かに大出力で再現された事に驚愕するクリリン。一度その技を見ていた悟飯は、回避しようとするも、着弾の爆発に足を取られ、やむなくガードを固めて防ぎ切る姿勢を取る。その背後から、セルが渾身の一撃を叩き込んだ。ばきりと、背骨から嫌な音がする。

 

「がっ!?」

 

 うつ伏せに倒れ、何とか立ち上がろうとするも痛みに呻く悟飯を見て、真っ青になるナッツと悟空。

 

「うそ、悟飯が……」

「クリリン! 仙豆を!」

「おう! け、けど……!」

 

 投げてもセルに止められてしまうのではと、躊躇するクリリンに、セルは余裕の笑みを浮かべて告げる。

 

「私は構わないぞ。孫悟飯に仙豆を食わせるといい。私の方はまだ物足りないんでね」

「……後悔するなよ! 悟飯!」

 

 投げられた仙豆を、悟飯は震える手で受け止めて飲み込み、体力と傷を全快させて立ち上がる。

 

「ありがとうございます! はあっ!」

 

 再びセルに躍り掛かる少年。その動きは明らかに倒れる前よりも速い。悟飯とてサイヤ人だ。戦いの中で成長し、死の淵から復活すれば戦闘力は増す。

 

 だがそれは、今のセルも同様であり、技の引き出しはセルの方が多い。

 

 念力で球の中に閉じ込められた悟飯が、そのまま地面に叩き付けられる。閃光で視界を奪われ、避けたはずのエネルギー弾が背後から襲い来る。

 

 何度も仙豆が投げ込まれ、セルもそれを見逃していたのだが、途中から面倒になったのか、クリリンから袋を奪い取ったセルが、倒れた悟飯へと仙豆を投げる。

 

「ほら、食うがいい」

「……くっ!」

 

 復活した悟飯が、即座にセルの前から消え、背後から背中を蹴り飛ばす。多彩な技にも慣れ、加えて先程から戦い続けて来たセルには疲労も負傷もあり、再び悟飯の方が優勢になりつつあったのだが。

 

「ふむ。一度くらいは、私も回復させてもらうぞ」

 

 言って仙豆を口にしたセルの傷と体力が見る間に全快し、少年が呆然とした顔になる。

 

「なるほど、こいつは良い物だ」

「あ……そんな……」

 

 その後も悟飯とセルの戦いは続く。仙豆が消費され、戦いが長引くごとに、身体に流れるサイヤ人の血が悟飯を強くしていくのだが、終わらない戦いに、次第にその表情が苦しげなものとなり、動きが精彩を欠いていく。

 

 本来の彼ならば、とうに嫌気が差して、戦いを放棄していただろう。だが悟飯は、震えながら、それでも自分を見つめるナッツの視線を感じていた。

 

 彼女の前で無様な真似はできないと、優しく臆病ともいえる本来の気質を押し殺して戦い続ける彼の姿は、観客席から見ても明らかなほど痛々しいものだった。

 

「こ、このままだと悟飯さんが!」

「あの野郎、悟飯に何てことを……!」

「ご、悟飯……ごんな事になるなんて……」

 

 案ずるトランクス、憤慨するピッコロ、戦いを任せてしまった事を後悔する悟空。

 

 そしてナッツは、無言で唇を噛み締めていた。今の悟飯が戦いを嫌がっているのは明らかで、対してセルは、戦いを楽しむ事しか考えていない。その姿が少年との戦いを望む自分と重なって、酷く歪んだものに見えた。

 

(戦いが好きじゃない悟飯に、無理矢理戦わせるなんて、いけない事だったんだわ……!)

 

「ふむ、これで最後の一粒か。まあいい」

 

 倒れた悟飯の口に仙豆を無理矢理押し込んだセルは、回復した少年を歓喜の表情で見下ろした。

 

「さあ、続きだ」

「う、うわああああっ!」

 

 痛み、恐怖、怯え。傷が治ったにも関わらず、ついにそれらが限界を迎えた悟飯が悲鳴を上げて後ずさる。

 

 その光景を見て、ナッツは泣きそうな顔で観客席から飛び出し叫ぶ。

 

「やめなさい! 悟飯が嫌がってるでしょう!」

「むっ?」

 

 そうして悟飯を助けようとした彼女の前に、何者かが割り込んだ。

 

「!?」

「キーッ!」

 

 瞬時にガードを固めたナッツの腕に、何者かの拳が命中する。

 

「……えっ!?」

 

 攻撃を受け止めた腕が酷く痺れていたが、何より驚いたのは、受け止めた攻撃者の手が、彼女よりも小さかった事。

 

 ナッツの目の前にいたのは、水色の身体をした、子供サイズのセルというべき存在だった。

 

「な、なんだ!? あれは!?」

 

 同じく飛び込もうとしていた悟空達が、未知の存在に驚き足を止める。

 

「ふむ……あと7人か」

 

 セルの尾の先端が開き、そこから何かが次々に飛び出した。それは先の1匹と同じ、完全体のセルを、幼児サイズにまで縮めたような生物だ。合計8体。そんなセルジュニア達とセルを見て、ナッツはわなわなと震えながら言った。

 

「こ、子供を生んだわ……? セルってメスだったの……? 父親は誰……?」

 

 少女の言葉に、全員が一歩引いて、戸惑いの目でセルを見る。   

 

「誰だよその勇気ある奴……」

「そういう映画見た事ある……人間の姿に化けて……」

「10日間は長すぎると思っていたが……」

「違う! 私に性別というものはない! あと子供を作るのに、相手も必要ない!」

 

 視線に耐えかねたセルが叫び、あ、ナメック星人と同じなのね、と納得するナッツ。

 

「邪魔をしないでもらおうか。行け、セルジュニア達よ」

 

 気を取り直す様にセルが命令を下し、セルジュニア達が悟空達に襲い掛かる。ちなみにサタンには向かわせていない。孫悟飯を倒した後に戦う相手であり、万が一、それまでに死んでしまってはつまらないからだ。

 

 ともあれセルジュニア達は、そのいずれもが小さな体躯に見合わずとてつもない実力を持っており。クリリンや天津飯、ヤムチャのみならず、ピッコロまでもがまるで敵わず、一方的に蹂躙されてしまう。

 

「ふむ、ベジータやトランクスでようやく互角の戦いか。体力を失ってる孫悟空に……」

「くうっ!」

 

 セルジュニアに苦戦するナッツを見て、悟飯の顔が蒼白になる。

 

「あの娘も危ないな」

「や、やめろっ!」

 

 助けに向かおうとするが、その前にセルが立ちはだかる。

 

「おっと、どこへ行く気だ? お前は私と」

「どけっ!」

 

 殺意交じりの悟飯の拳を、セルはとっさに回避しようとするも避けきれず、顔面に負った裂傷から血が噴き出す。怒りによってか、明らかにパワーが上がっている少年を見て、セルはにやりと笑った。

 

「いいじゃないか」

 

 言葉と共に、セルは再び悟飯に襲い掛かる。必死に応戦する悟飯。何故だか先程よりも楽になっているという自覚はあるが、一刻も早くナッツを助けないといけないのに、目の前のセルは強すぎる。一瞬でも気を抜けばたちまち倒されてしまいそうで、焦りを覚えつつも動けない。

 

 そしてそれは、ナッツの方も同じだった。自分より格上のセルジュニアを前に、必死に戦いながらも、彼女は少年の身を案じていた。

 

(早く、悟飯を助けに行かなきゃいけないのに……!)

 

 セルジュニアに対して、ナッツは酷く、やりにくさを感じていた。幼い頃からフリーザ軍で戦ってきた彼女にとって、敵は基本的に自分より体格の良い大人だった。大猿になれば話は別だが、それでも人間の姿で自分より小さな相手と戦った経験などほぼ皆無で、それが彼女の調子を狂わせる。

 

 焦りも相まって隙を生み、セルジュニアの飛び蹴りをまともに食らってしまう。倒れたナッツの腹部に、セルジュニアが容赦なく膝を落とした。

 

「ああっ!?」

 

 悲鳴と共に、少女の口から血が溢れ出す。悟飯が、ベジータが、トランクスが、声にならない叫びを上げ、セルジュニアがそのまま止めを刺さんとした、次の瞬間。

 

 

 ダイナマイトキックが、セルジュニアに炸裂した。

 

 

 少女の瞳が、大きく見開かれる。TVで何度も観た、ミスター・サタンの必殺技の一つが、今、目の前で繰り出されていた。

 

「な、何で……?」

 

 

「この、ろくでなしのあんぽんたんの人でなしが!」

 

 

 まるでかつての再現のように、サタンは無数の連撃をセルジュニアに叩き込む。その一撃一撃が、おそらく自分の生涯でも最高のものだという自信があった。今まで戦って来た誰が相手でも、とうの昔にマットに沈んでいなければおかしかった。にも関わらず。

 

「……?」

 

 サタンの猛攻を全てまともに食らいながらも、セルジュニアは不思議そうに首を傾げている。

 

 サタンの攻撃は、間違いなくこの場の誰よりも遅く非力だった。受けている当のセルジュニアが、何をされているのか理解できないほどに。

 

 巨大な山でも殴っているような感覚だった。全く痛痒に感じていないのが見ただけで判り、サタンは唇を噛み締める。こうなる事は分かっていた。さしずめ自分は、バカの世界チャンピオンだろう。さっさと逃げだしてしまえば良かったのだ。

 

 だが、あの少年が怯えながらも必死に戦っていたというのに、そんな事ができるはずもなく。そして今、ビーデルと同じ年頃の娘が、殺されようとしているのを見た瞬間、身体が勝手に動いていた。恐怖を押し殺しながら、サタンは攻撃を続ける。自分はここで死ぬだろうが、せめてあの子が逃げる時間を……。

 

 

 セルジュニアが、ハエを追い払うように手を振った。たったそれだけで、サタンの身体が数十メートル吹き飛ばされ、岩山の頂上付近に激突して、そのまま力なく地面に落ちた。

 

「み、ミスターサタン!?」

 

 遠くから呆然と見ていたナレーターとカメラマンが悲鳴を上げ、倒れたままぴくりとも動かない世界チャンピオンの身体に駆け寄っていく。

 

 それを見ながら、あれは何だったんだろう? という顔をしていたセルジュニアが、背後から凄まじい気を感じ、血相を変えて振り向いた。汗を流し、息を荒げながら金色の髪の少女が突き出した両の掌に、強大な赤いエネルギーが溢れている。

 

 本当はトランクスが使っていた、あのムキムキで格好良いパワー重視の変身ができれば良かったけど、何故だか父様とトランクスにやり方を聞いても、必死に止められてしまったから。

 

 思い出すのは、何度も見返した、天下一武道会の映像。月を吹き飛ばしたジャッキー・チュンのように、集中して、己の戦闘力を瞬間的に何倍にも高める技術。見様見真似で、死ぬ寸前まで、全ての力を出し切る覚悟で。

 

 

「ファイナルフラーーッシューーーッ!!!」

 

 

 ナッツの絶叫と共に、至近距離から放たれた深紅の膨大なエネルギーの奔流が、逃げようとしていたセルジュニアを飲み込み消滅させた。




 サタンのその後は、セル編のエピローグで書く予定ですのでしばらくお待ちください。 
 あとセルの強さはそこまで天井知らずに上がってるわけではないです。だいたい原作の自爆からの復活後と同じくらいで、セルジュニアの戦闘力は据え置きです。


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