チトとユーリが馬鹿な魔王と話をするだけのお話です。
――死とは何だろうか。
命がなくなること。生命活動が停止すること――一般的な感性や理屈といったもので語るならば、おおよそこのような表現になるだろう。生物学的な観点で言う細胞活動の停止とかは、おおむねこれに近いと言える。
つまりは生命の”終わり”……それを死と呼ぶのだ。
一方、宗教的な観点で語るならば、新たな世界への転生だとか、あるいは新生だとか、そういった”始まり”として扱われることもある。
これはとても興味深いではないか。相反する二つの要素――終点であり始点。二律背反にも思えるこれら二つの要素は、しかし死というものを定義するうえでは全く問題なく共存する。
そう――人間だけが、こんな奇妙な死生観を持っている。いやそもそも、知性を持たぬ動物が死を想うことなどあるまい。
”正しい”のは先に述べた科学的な説明――終点としての死の方だろう。息が止まり、心臓が止まり、脳の活動が停止し、細胞が止まる。これは間違いなく死というものの実体であり、単細胞生物と言ったごく一部の例外を除いて、人間のみならず全ての生物に共通する概念である。
では、始点としての死とは何だ?
なぜ人間だけが、死の先を想像し、そしてそれを受け容れるのだ?
――答えは実に単純。”怖い”からだ。
今ここに在る己という存在の消失――それは間違いなく人間にとって最大の恐怖であり、底なしの闇に見えただろう。
だからこそ人間は理性や理屈といったものでそこに”光”を灯した。
それが即ち宗教であり、神と呼ばれる
死後の世界という暗闇を明るく照らす存在――俺が今いるこの都市で見た”
そうすることで、人は安心したいのだ。何も見えない暗闇よりも、光で照らされた世界のほうがはるかに楽で、救いがあるから。
――そして、俺はそれを悪いとは思わん。むしろ好ましく思ってさえいるのだ。
無限と無間が支配する暗闇に負けぬよう、人は光を作り出した。原始の時代、夜の闇から身を守るために火を灯したように。
その輝きの、なんと眩しいことだろう。
それは紛れもなく人類が恐怖を超越するために生み出した光であり、だからこそ俺はそれを寿いでいる。
――そう。それこそが人間だ。
例えどれほどの苦難や恐怖が立ちはだかろうとも、人間は必ずそれに立ち向かい、抗い、乗り越えることができる。
逆に言えば、乗り越えるべき荒波が存在しない世界では、人間が持つ輝きは真の意味で発揮されない。
俺はそう信じたからこそ、そう願ったからこそ、安寧という泥濘の中で澱み腐り果ててゆく人間の姿を見ていられなかった。
立ち向かうべき壁が存在しない?安寧の中では人間の美徳が失われる?
ならば結構。必要とされているのは試練である。
即ち世界が、人間が最も希求しているのは、それらを掲げ、そして授ける魔王のごとき存在。
「だから――俺は魔王として君臨した」
俺に抗い、立ち向かおうとする雄々しい者たち。その命が放つ輝きに満ちた、我が
――だが、その果てに待っていたのはこれだ。
眼下に広がるのは、無限の静寂が支配する灰色の世界。
人の営みも、生命の息吹も、何一つ存在しない死の世界。
そう遠くない未来、この星は完全に生命の営みを終えて眠りにつくと、奇妙な生物に言われた。
他ならぬ俺自身が引き金を引き、俺が最も愛したモノを滅ぼし尽くした。
取り返しのつかないところまで来てしまった。もう二度と、俺の
「く――」
自嘲の笑いは、満天の星空に吸い込まれて消えた。
ああ、かつて俺を狂人と評した我が友よ。おまえが今の俺を見たらなんと言うだろうな。
阿呆めと、そう嘲笑うか?おまえならばそうするだろうな。
それとも、らしくないと励ますか?それもまた可能性としては存在するかもしれん。
だが、それも今やかなわぬ幻想だ。
そう。世界はもう――終わったのだから。
「――ならばこそ、俺はそれを見届けよう」
引き金を引いた男として、俺は最後までこの世界を見届ける。
魔王として、俺はもう数えるほどしかいない人間たちに最後の試練を与える。
その果てに、俺もまた終わりを迎えるのだ。
俺がいる場所へとたどり着く唯一の螺旋階段から、カンカンと足音が近づいてくる。
この都市に残った、最後の人間。
そして、この世界に残った、最後の人間。
「――待っていたぞ」
これが、最後の試練だ。
暗い階段を、私とユーは一歩一歩上ってゆく。
足の感覚はだんだんなくなってゆき、私たちの間に会話はない。
全てを失って、疲れ果てて、だけどそれでも、上を目指す以外には何もないから足を動かす。
時折ユーの手が震える。いや、震えたのは私の手なのかもしれない。
けれどそんなものは、もうどうだってよかった。
真っ暗な闇の中、たった一つ残った大切な人。ユーがいてくれるという存在の証明。
繋いだ手は何もかもが冷たいこの世界で、確かな温もりを持ってそこにあった。
「あ」
それは、どちらの声だったのだろうか。
階段の先に僅かに見えた光を見て、声をあげた。
「光……」
いっそう強く、ユーの手を握る。ユーも握り返す。
わずかに足が早まる。
あの光の先にあるものは、私とユーが行くと決めた場所なのだ。
「……」
心臓の音がやけにうるさく聞こえ、胸が痛い。
「……ん」
そして、私たちの目に光が一気に飛びこんできた。
「ここが…一番上?」
思わず私は、そう呟いていた。
「きっとそうだよ」
ユーが上を見上げながら答えた。私は同じように上を見上げ、そして周囲を見渡す。
無数の星に照らされた、一面の銀世界。それが意味することは、即ち――
「だって…上に何もないし」
――この場所が、ユーの言う通り、都市の最上層の一番上。
私たちの旅の終着点だった。
「……」
知らず、私は駆けだした。
真っ白な雪原に、私の足音が響く。
――そして、それをみつけた。
少し遠い雪原の一角にある、奇妙な黒いなにか。
私とユーはそれを目指して歩いてゆき、そして気づいた。
「……ちーちゃん、誰かいるよ」
「……ああ」
黒いなにかの前に、椅子があった。そして、そこに誰かが座っているのだ。
体格からして男性だろう。私たちの着ているものよりも立派な軍服と白い外套、軍帽という出で立ちの男性は、すぐ脇に軍刀らしきものを携えている。
「……」
一方こちらはというと、ユーが持っていた銃を捨ててきたため丸腰。
緊張と警戒が私たちの間に張りつめる中、男性が顔を上げて口を開いた。
「――待っていたぞ」
その顔は笑っていたけど、なぜかとても悲しそうに見えた。
「……誰だ、あんた」
私の問いに、男性は変わらぬ表情と、どこか自嘲するような声で。
「俺はアマカスという。……この世界を滅ぼした男だよ」
そんな、でたらめにしか思えない自己紹介をしたのだった。
誰やねん!ってなった方のために簡単な説明
アマカス…馬鹿。やりすぎて人類滅ぼした。元ネタは相州戦神館學園シリーズの甘粕正彦。
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本能
「名を聞いても?」
「…私がチト。こっちはユーリ」
自己紹介を済ませながらも、私の頭の中は、先ほどアマカスが投下した
――世界を滅ぼす。
その短い言葉に込められた意味は、途方もなく巨大である。
ずっと昔、まだ私とユーが小さくて、おじいさんがいて、他にもたくさんの人間がいた頃に読んだ本には、そういったことを言っている存在を描いたものもあった。
それは”空想”だと思っていた。
そんな馬鹿げたことを本気で言葉にする人間は、本の中にしか存在しないと思っていた。
けれど今、私の目の前にいるこの人は、そんな絵空事を為したと言う。
何かのたとえ話のような表現と、そう考えるのが自然なのだろう。
だけど――なんだろう、この言葉にできない感情は。
どうして私は、この人の言葉を否定できないのだろう。
どうして私は、黙っているのだろう。
どうして――アマカスがこんなにも恐ろしく感じるのだろう。
理屈では有り得ないと結論が出ているのに、私の中の”なにか”が警告している。
ありとあらゆる理屈や常識、知識を総動員しても絶対に抑え込めないこの思いは――
(……本能?)
たしかそう、こんな言葉で表す人間の性質。
誰もが生まれついて持っている、何かの行動へと駆り立てたり、あるいは何かを止めさせたりするもの。
そう――私の”本能”は、きっとこう言いたいのだ。
――今すぐ逃げろ。さもないと取り返しのつかないことになる。
「……っ」
だけど、私の”理性”がそれを止める。
私たちではおそらく、体の出来上がったアマカスからは逃げられない。だから逃走はもとより不可能で、無駄なのだと。
そして、何よりも――その”取り返しのつかないこと”を見てみたいという欲求。
そう、これが一番の理由だった。
おそらくこれは理屈や理性ではない。ユーだって、間違いなく同じことを考えている。
それは――やはり”本能”。それもおそらく、生存や逃走のためのものとは真逆の、破滅の願望。
”終わり”とか”区切り”を求める、自壊の衝動。
己が身を滅ぼすそれは、しかし”本能”と同類ゆえに抗いがたく、怖くてたまらないのになぜかどうしようもなく惹きつけられる。
「……ちーちゃん」
気づけば私は、隣にいるユーの手を握っていた。強く握ってしまったから少し驚いたユーは、だけどしっかりと握り返してくれた。
すっかり冷えてしまった私たちの手だったけど、それでも感じられるぬくもりに、少しだけ恐怖がやわらいだ気がした。
「――教えてくれ」
だから私は――
「ここが、この都市の一番上なのか?」
アマカスは答えない。だから、もう一歩。
「ここには、あんた以外誰もいないのか?」
アマカスは、やはり答えない。だから……さらにもう一歩。
「…私たちは、これで正しかったのか?」
そう私が尋ねたときには、私たちはアマカスの目の前まで来ていた。
大人の男性としてもかなりの長身の彼を目の前にすると、自然と体が竦んでしまう。
私たちが見上げた視線の先で、アマカスが口を開いた。
「――正誤の判断など、誰にも出来ん。ゆえに俺は、あくまで事実を告げよう」
その声は、ぞっとするほどに冷たく聞こえた。
聞くな、と本能が最大の警鐘を鳴らしている。
聞きたい、と衝動がこれ以上ない欲求となってこみあげてくる。
二律背反の感情がせめぎ合い、そして共存する中で、とうとう”それ”は私たちのもとにやってきた。
「俺とお前たち以外に、この世界に人間はいない」
あくまでも淡々と、冷徹な声でアマカスは告げる。
「――そうだ。ここがこの都市の最も上にあたる場所。……これが、おまえたち二人が目指した旅の終点だ」
「……」
終末を告げるアマカスの言葉は、不思議と何の抵抗もなく私の中に入ってきた。
ああ、やっぱり――と、納得さえしてしまう自分がいた。
この場所にたどり着くまでに、私たちは何もかもを失った。
ずっと乗ってきた
ユーが肌身離さず持っていた銃。
私が好きだった本。
記憶であり記録でもあった日記。
そして――きっと今、この瞬間、私たちに残った最後の荷物が失われたのだ。
その荷物とは……多分、”希望”と呼ばれるもの。
目標とか、理由とか、いろいろ言い方はあるけど、要は今の今までずっと私たちの足を動かしていたもの。
それが失われたということは、私たちには、本当にもう何も残っていないということで。
「――そうか」
これが絶望。
これが死。
ああ、たしかにとても怖くて……そして、とても温かい。
「ちーちゃん」
ユーの手を離し、私はその場に座り込んだ。そうすると、何故かとても気が楽になった。
絶望と仲良くなる――かつてユーが使った表現だが、今の私を表すのにこれほど適した言葉はないだろう。
明確な
きっと私もユーも、とっくの前に気付いていた。その真実を、何度か告げられたこともあった。
私たちは、都市も世界も何もかもがとっくに死んでいることを分かっていた。
それでも上を目指したのは、それ以外にやることがなかったからだ。
止まっていれば死ぬ。それは嫌だ。
だから上へ。ここではないどこかへ。
ならば先に述べた”希望”なんてものは最初からなく、私たちが作り上げた虚構に過ぎなかったのだろう。
「……暗闇とは、死とは恐ろしいものだ。だからこそ人はそこに光を灯そうとした」
アマカスの言葉には、何かとても重いものがこもっていた。そして私たちは、ただ黙ってそれを聞いた。
「それが宗教――神であり、死後の世界という概念であり、人が死という最大の恐怖に抗うために作った道具だ。おまえたち二人も、旅の途中で見てきただろう?」
「…寺院」
「他にもたくさん、石像があったよね」
「そうだ。世の古今東西を問わず、神という道具は人の営みの中に存在した。そして俺は、それを生み出した人間というものが好きだったのだ。
苦難、試練、逆境――そういった壁を前にして、それを乗り越えんとする人間は、かくも美しく輝くのかと感嘆したよ。そして、そういった光を好ましいと思う心は、人間ならば誰でも持っている。おまえたちにも、覚えはあるはずだ」
「……ちーちゃん、人間って光るの?」
「馬鹿。例えだ」
アマカスの言わんとすることは分かる。私が読んだ本の中には、そういった内容のものもあった。
例えば冒険とか、何か”敵”を倒すとか、そういったもの。
「……何かをやろうと頑張っている人は、どことなく嬉しそうだったり、充実して見えるだろ」
「カナザワとか、イシイとか?」
「覚えてたのか」
意外だ。ユーのことだからもう忘れているとばかり思っていたけど、存外あの二人の印象は強いらしい。
「それこそが人間の美徳だ。だがそれは、立ち向かうべき壁がなければ、人間は生来持っているその美徳を捨ててしまうということでもある。……俺は、それが歯がゆくて仕方がなかった」
「高度に文明化された社会は、安寧という揺り籠を以て人を堕落せしめた。俺はそれを見ていられなかったのだ。だからこそ、俺は世界の敵となった。全ての人間に平等に試練と脅威を与える、魔王となったのだ」
魔王――つまり、人間にとっての脅威であり、打ち倒すべき敵。
そんなものになったのだと、アマカスは語る。
「だが」
アマカスが初めて、私たちから視線を逸らした。軍帽を目深にかぶり直したその様子は、まるで泣いているようだと思った。
「人は俺の齎した試練の中で、それに呑みこまれ消えていった。彼らが放った輝きは美しく、この上なく眩しいものだったが、それに見惚れているうちに、気づけば文明は崩壊していた」
「…は?」
あまりに信じられない内容に、私は思わず口を開けた。
だがそんな私にはお構いなしに、アマカスは訥々と言葉を紡ぐ。
「そしてその後の世界で、生き残った人間は俺という脅威から目を逸らした。
そうだ…試練を乗り越えるためにつかみ取ったはずの力を互いに向けて、彼らはさらに数を減らしていった。俺はここに至ってようやく気付いた。このままでは、人間が、俺の愛した輝きが滅ぶと」
「ゆえに俺は、人間から”夢”を――俺が誘い、彼らが手にした力を奪った。心苦しかったが、それでも全てが台無しになるよりは……とな。
だが、最早手遅れだった。”力”を失ってなお、人間は互いに争い続けた。そうする以外に、生きる道がなかったのだ。
――そうして、今ここに世界が滅びようとしている」
「その発端となったのは間違いなくこの俺だ。だからこそ俺は、最後まで人間を見届けなければならない。それが道理であり、今の俺に出来るたった一つの贖罪だからだ」
想像をはるかに超えた内容に、私もユーも言葉が出ない。アマカスが嘘を言っているようには見えないが、あまりにも現実感がなさすぎてど何を言えばいいのかわからない。
そんな私たちに、アマカスが顔を上げて再度視線を向ける。
「ゆえに――ただ一つだけ、おまえたちに問いたいのだ」
相変わらず笑っていて、それでいて泣きそうな表情だった。
「――おまえたちは、これからどうする?」
投げかけられた問いには、やはり現実感がなかった。
次で多分終わり。
甘粕を止められる人間がいない世界では、間違いなく甘粕によって人間は滅ぼされる(確信)
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