水滸伝艶義【一】梁山泊旗揚げ【終了】 (ドン・ドナシアン)
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第1話   被虐志願の少女
1   葉芍(はしゃく)、橋の下で幼馴染に犯される


 この頃世間に流行るもの……。
 賊徒 強盗 闇奴隷 賄賂(わいろ)をせびるお役人
 正直者は馬鹿をみて 権力者たちは欲の(はな)
 金、悪、毒の世の中で
 泣くのは弱い者ばかり
 悪法流行る社会から
 漏れはみ出した百八人
 梁山泊(りょうざんぱく)に集まりて
 驚天動地の活劇を
 繰り広げていく物語───。

 『水滸伝艶義(すいこでんえんぎ)』の始まりです。


葉芍(はしゃく)、しよう」

 

 揺り動かされて目が覚めた。

 葉芍は微睡みの中で、横になっている自分を見おろしている誰かに気がついた。

 

 もう夜であり、橋の下の小屋の中は真っ暗だったが、屋根代わりの板に大きな穴が開いていて、そこから月明かりが射し込んでいる。

 だから、しっかりと顔が見えた。

 

 少年だ。

 

 にこにこと屈託のない笑顔をした少年が葉芍を見おろしている。

 葉芍の幼馴染みであり、親に捨てられた者同士助け合って、ずっと一緒に生きてきた盗人仲間の張三郎(ちょうさぶろう)だ。

 

「あ、あんた、どこに行っていたの? あたしたちの金子(きんす)はどうしたのさ?」

 

 葉芍は、がばりと起きあがった。

 葉芍が城郭で“ひと仕事”を終えて戻ったときには、この橋の下の住み処に張三郎はいなかった。

 しかも、そのとき、ふたりで溜めていた金子が、隠し場所からすっからかんになくなっていたのだ。

 

「すっちゃった。ご免」

 

 張三郎は、悪びれた様子で笑って頭をかいた。

 まるで童子が親に怒られて、媚を売っているような仕草だ。

 張三郎は小柄なので十二、三にしか見えないが、実は歳は葉芍と同じ十五だ。媚を売られても可愛くない。

 

「すっちゃったってどういうことよ─? この前、ちゃんと約束したじゃないのよ? 稼いだ金子はそれぞれに半分に分ける。稼いだものの半分は自分の金子であり自由にしていい。だけど、残りの半分はふたりの金子。ふたりで話し合わないと使っちゃだめって─。それが全部ないわよ。しかも、ふたりの金子だけじゃなくて、あたしの金子もないわ。それを全部持っていったのはあんたでしょう? 返しなさいよ」

 

 葉芍は怒鳴った。

 

「返したいけど、もう、ないんだ。ご、ごめんよ。なくなっちゃたんだ。賭博で使っちゃった。ちょっとだけ使って、それで大きく増やして葉芍を驚かせようと思ったんだけどね。でも、気がついたら、全部なくなっちゃたんだ」

 

「なくなった? 博打で全部? あたしの金子まで? どういうことよ、三ちゃん」

 

 葉芍はすっかりと目が覚めて、張三郎の襟首を掴んだ。

 

「わ、わああっ、た、叩かないでよ、葉芍──。ご免よ。ちょっと借りようと思っただけなんだよ。ちょっとだけ借りて、戻せばいいと思ったんだよ。葉芍が早く家を買いたいっていうからさあ。ごめん、ごめんよう。二度としないから。誓う。誓うから。この通りだから」

 

 張三郎が両手を合わせて謝る仕草をした。

 葉芍は嘆息して、張三郎の襟首から手を離した。

 

「すっちゃった? まさか……。あたしの金子はともかく、ふたりの金子は三年がかりで貯めて、もうすぐ小さな家くらいなら借りれるくらいまで貯まっていたじゃないの。それを元手にまっとうな仕事を探そうと約束したじゃないのよ……。働くにしたって、家を持たないような子供を大人は相手をしてくれないわ。だから、まずは家だって言ったのに……」

 

 葉芍は頬を膨れさせた。

 

「家なんていいよ。僕はこの橋の下の家でいいんだ。ねえ、それよりもしようよ。させて……。いいでしょう?」

 

 張三郎が葉芍の身体に覆いかぶさってきて、葉芍を仰向けに倒した。

 そして、葉芍の下裳の下に手を差し込んでくる。

 葉芍の下掌は短く、膝上までしかない。

 だから、張三郎の手は容易に葉芍の下掌の下の股布に届いてしまう。

 

「だ、駄目よ……。お、お預けよ……。や、約束を破って……ふ、ふたりの金子を……賭博で遣い切っちゃうような悪者には……、ほ、奉仕なんかして……あげない……。ね、ねえ、さ、触らないで、三ちゃん」

 

 葉芍は怒って言った。

 だが、小柄でも男は男だ。

 葉芍は強引に張三郎に押し倒されて、動けなくなってしまった。

 張三郎の手が葉芍の下掌の中の股布に辿り着き、無遠慮に薄い布の上を這い回る。

 葉芍は、もうそれだけで脱力して、抵抗できなくなってしまった。

 

「奉仕なんていいよ。僕がするから、葉芍はただ横になっていればいいんだ。葉芍は寝ててもいいんだよ。僕が葉芍の女陰をちょっと借りて、ちょっとだけ擦って、そして、ちょっとだけ精を放ったら、解放するよ……。ねえ、いいでしょう? 僕だって、賭博で負けてがっかりしているんだ。すっきりとさせてよ──」

 

「い、いやよ──。馬鹿じゃないの──。なにが、ちょっとだけよ……。だ、だめって言っているでしょう……。はあ……、ああっ……あああっ……」

 

 だが、やっぱり、男の張三郎には、もう力ではかなわなくなっている。

 これでも、数年前までは、葉芍の方がずっと力も大きかったし、喧嘩も強かった。

 だけど、いつの間にこんなに力の差がついたのだろう。

 いま、葉芍は張三郎に押し倒されて、まったくかなう気がしない。

 

 張三郎が葉芍の股布に手を入れた。

 女の股布は腰の横の部分に結び目がある。そこを解けば股間を包んでいる薄布はただの布になるのだ。

 張三郎の右手指が器用に、股布の結び目を解いて、葉芍の股から布を取り去る。

 下裳が腰の上まで一気にまくり上げられた。 

 

「あっ……い、いやっ……さ、三ちゃん……ひ、卑怯……や、やだっ……」

 

 だが、張三郎の指が、本格的に葉芍の局部を愛撫し始めた。

 さすがに、葉芍の身体のことを知り抜いている張三郎だ。

 葉芍の全身は、あっという間に妖しげな疼きに包まれてしまった。

 たちまちにじんわりとした感覚が込みあがり、葉芍の身体から力が抜けていく……。

 

「ず、狡いよ、三ちゃん……。そ、そんなことで誤魔化そうとしたって……」

「葉芍、素敵だよ。怒った顔もいい……。僕のお母さんだ」

 

「な、なにがお母さんよ……。同じ歳じゃないのよ……。ば、ばかじゃないの……。あっ、はあっ……んふううっ……」

 

 葉芍は身体を弓なりにして、大きな声をあげてしまった。

 張三郎の指が、葉芍の肉芽をくすぐるようにくちゃくちゃと動いたのだ。

 もうだめ……。

 葉芍はもう観念した。  

 

 さらに張三郎の片手が葉芍の帯を解き、上衣の襟をはだけさせる。

 上衣の下は乳房から腹を覆う胸巻きだけだ。

 それもめくられる。

 張三郎が葉芍の乳房を吸い始めた。

 

「はああん」

 

 声が出た。

 

「……ほ、本当だよ。ここにもっとたくさんの仲間がいて、大きなお姉ちゃんたちがいたときから、僕はこっそりと葉芍のことをお母さんと呼んでいた……。お母さんって、よくはわからないけど、きっと葉芍みたいな人のことだと思っていた……」

 

 張三郎が葉芍の乳首から一瞬口を離して、そう言った。

 そして、また乳首をちゅうちゅうと音を立てて吸う仕草に戻る。

 もう、どうしていいかわからず、葉芍は悶え泣いた。

 

 ここは橋の下……。

 葉芍と張三郎は「橋の下団」と呼ばれていた子供だった。

 親がいない子供たちが、助け合い、あるいは、戦って身を守るための集団が「橋の下団」だった。

 

 いまではと葉芍と張三郎のふたりきりになってしまったこの橋の下の住み処も、かつては大勢の子供が集まって暮らしてきた場所だった。

 この場所に身寄りのない孤児が集まり、子供だけで助け合いって生き、そして、愛を交わした。

 

 橋の下団はなんでもみんなで共有する。

 盗んだ金子や食べ物や服も……。

 敵も……。

 仲間も……。

 愛も……。 

 

 ここはそういう場所だったのだ。

 

 葉芍は、まだぼんやりと両親のことを思い出すことができるが、張三郎は、まったく両親のことはわからないらしい。

 葉芍がこの橋の下の子供たちの仲間になったのは四歳頃だ。それまでの生活のことは記憶にはないが、母親のような女に、「今日からはひとりで暮らせ」と言われて、突然にこの近くに置いていかれたのは覚えている。

 つまり、葉芍は捨てられたのだ。

 それに比べて、張三郎は、本当に赤ん坊の頃から、ここで暮らしているらしい。

 自分がどこで生まれて、どうして、橋の下団に加わったのかも覚えていないようだ。物心ついたときには、すでに幼いないがらも、団の中の古株であり、張三郎の由来を知る者はいなくなっていたのだそうだ。

 張三郎の家族は、本当にここに集まっていた孤児たちがすべてなのだ。

 

 その張三郎の手が、葉芍の股間を執拗に愛撫する。

 葉芍は濡れやすい自分の身体が、もう熱くなりかけているのを知っていた。

 もう、すっかりと葉芍は張三郎を迎えられる態勢が整っている。

 

 だが、いまはこの張三郎が勝手に使った金子のことだ。

 葉芍は、張三郎の手を強引に押しのけようとした。

 

 だが、葉芍の抵抗をかわすように動かした張三郎が、隠し持っていたらしい手錠を葉芍の右手の手首にがしゃりとかけた。

 

「あっ」

 

 声をあげたときには遅かった。

 あっという間に左手首にも手錠をはめられて、さらにその手錠に縄をかけられてしまった。その縄を小屋の柱に結びつけられる。

 葉芍は両手を万歳をするように頭の方向にあげて動かせなくなった。

 

「は、離しなさいよ、これ──。あたしは怒っているのよ。あんた、なにをしたのかわかっているの? ふたりの金子を全部使ったのよ」

 

 葉芍は声をあげた。

 だが、両手を拘束されたうえに、仰向けの身体に馬乗りにされてしまっては、もうどうしようもない。あっという間に、上衣を完全に左右にはだけられて、下着の胸巻きの紐も解かれて外された。

 下裳も腰を浮かされて脱がされ、足首から抜かれる。

 

「ちょ、ちょっと、あ、あんた、狡いわよ……」

 

 葉芍は馬乗りの体勢に変えて、葉芍の腰に乗っている張三郎を下から睨みつけた。

 だが、張三郎がにんまりと微笑むと、隠し持っていたものをさっと脇から取り出した。

 

 ぎょっとした。

 鳥の羽根だ。

 

「ねえ、怒っちゃいやだよ。笑って。僕、葉芍の笑う顔が好きだな」

 

 それをすっと無防備な葉芍の乳房に近づける。

 

「んふうっ、はううっ、いやあっ」

 

 葉芍は襲い掛かったくすっぐたさに身悶えた。

 張三郎の持つ鳥の羽根が、乳首を掃くように動き始めたのだ。

 すぐに、そのくすぐったさが、猛烈な気持ちさに変化する。

 葉芍の口からは、とめどのない甘声が洩れ出てしまう。

 

 張三郎とは幼いころから、ずっとみんなと一緒に性交をやり合ってきた仲だ。

 葉芍がどんな責めをされればよがり狂うか、張三郎は知りすぎるくらいに知っている。

 こうやって縛られた方が葉芍は、普通に愛を交わすよりは感じるのだ。

 

 鳥の羽根で乳首だけでなく、首筋や横腹をくすぐられた葉芍は、すっかりと力が抜けてしまっていた。

 

「もっと、感じて、葉芍……。そして、もう怒るのやめてって」

 

「はああ……いやあ……いや……はあ……。あ、あんた、ひ、卑怯……あああっ……」

 

 葉芍は激しく身体を振って羽根を避けようとした。

 だが、張三郎の操る優しい羽根は残酷な責め苦だ。

 羽根が葉芍の身体を襲うたびに、葉芍の肌は粟立ち、口からは嬌声がはしたなく迸る。

 

「くうっ……ふうっ……はあっ……」

 

 いつしか、葉芍はすっかりと力が弛緩して、悶えることさえも難しくなった。

 

「こっちもくすぐってあげるね、葉芍」

 

 張三郎が腰に乗っていた馬乗りの位置をずらして、葉芍の脚を少し開かせ気味になるように、腿の上に乗り直した。

 鳥の羽根が葉芍の陰毛を撫ぜ始める。

 

「ふうううっ」

 

 葉芍は腰を跳ねあげるように身体をのけ反らせた。

 張三郎の操る羽根が、葉芍の敏感な突起をさわさわと動いたのだ。

 

 張三郎は最初から、葉芍を性愛で誤魔化そうと思っていたのだろう。

 だから、手錠も羽根もしっかりと準備してきたに違いない。

 口惜しいけど、気持ちよくて我慢できない。

 

「感じる葉芍は素敵だよ。僕のお母さんだ。お母さんの乳首が勃ってきた……。気持ちいいでしょう? だから、怒んないで話を聞いて……」

 

 張三郎が羽根を動かしながら言った。

 

「は、話なんて……。あふううっ」

 

「じゃあ、話を聞くまでこれをやめないよ」

 

 張三郎が再び執拗に肉芽を羽根で掃き始める。

 葉芍は堪らずに、話を聞くと絶叫した。

 

「……明日から城郭で三日間の野天市があるんだ。そこに、河清(かせい)という男が死ぬほどの金子を持って遊びに来るらしいんだ。それを狙おうよ。僕がすった金子を補ってお釣りがくるよ。ふたりの家も借りられる。ねえ、そうしようよ」

 

 張三郎が葉芍の股間を羽根でくすぐりながら言った。

 

「そ、それとこれとは話が別……」

 

「じゃあ、やめてあげない。朝までこうしていたっていいんだけどね……」

 

 張三郎は笑った。

 羽根は葉芍の肉芽を撫で、女陰の亀裂を通過して門渡りをくすぐり、後ろの穴まで到達してからまた戻ってくる。

 それを何十回も繰り返される。

 

 葉芍はもうなにがなんだかわからなくなった。

 

「わ、わかったから……。はあ……あっ、だ、だめええっ」

 

「なにがわかったの、葉芍?」

 

 張三郎が愉しそうに言った。

 それでも、まだ、羽根を葉芍の裸身の上で動かすのをやめない。

 

「わ、わかったから……。もう、してっ……。あ、あたし、もうだめ……。お、お願い。もう、あたしを犯して」

 

 葉芍は声をあげていた。

 すると張三郎がにこにこしながら、葉芍の身体からおりた。

 

 張三郎が下衣をおろす。

 股布の下の股間はすっかりと大きくなっていた。

 その股布を張三郎が取り去った。  

 露わになったのは、もう陰毛も毛深くなった大人の肉棒だ。

 

 葉芍は脚を曲げて開き、張三郎を向かえる体勢をとった。

 

「ああっ」

 

 声が出た。

 張三郎が葉芍の脚を抱えて、肉杭を打ち込んできたのだ。

 完全に濡れそぼっている葉芍の股間は、なんの抵抗もなく、張三郎の怒張を子宮近くまで受け入れた。

 

「ふううっ」

 

 葉芍は悲鳴をあげた。

 長すぎた羽根の責めが、葉芍の身体を怖ろしいほどに敏感に変えていたのだ。

 

 だが、張三郎は、葉芍が昇天するのを邪魔するように、ゆっくりと五、六回だけ葉芍の女陰を出し入れしただけで抜いてしまった。

 

「舐めて、お母さん。綺麗にしないと、やってあげないよ」

 

 張三郎が両手を上にして拘束されている葉芍の顔を跨いで、ぬめりのついた怒張を葉芍の口に突きつけた。

 

「くっ」

 

 葉芍は鼻孔を膨らませて舌を使って、自分の蜜を舐めとった。

 

「じゃあ、続き……」

 

 張三郎が葉芍の秘孔を突いて腰を激しく数度動かした。

 だが、また、すぐに抜かれて、葉芍自身の蜜を舐めさせられる。

 

 それをおそらく半刻(約三十分)以上も繰り返されたと思う。ほんの小さい頃から、この橋の下の仲間はお互いに性愛をしあっている。それが仲間の団結心を繋ぎとめる手段のひとつだし、みんなの絆を深めていたのだ。

 だから、張三郎も性愛にかけては熟練している。

 性急に自分だけが満足するような行為はしないし、ちゃんと女を導くように責めてくれる。

 じっくりと身体を責めたてられた葉芍は半狂乱になっていた。

 

 やがて、張三郎の腰の律動がやっと激しいものになった。

 

「いくうっ、いくっ、いくううっ」

 

 葉芍は吠えるように叫んで、がくがくと身体を震わせた。

 

「ぼ、僕も」

 

 張三郎も声をあげた。

 そして、葉芍の子宮めがけて、張三郎の精が弾けるのをしっかりと感じた。




【水滸伝艶義・地図】

 
【挿絵表示】


 ※地図は物語の進展に応じて修正することがあります。


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2   葉芍(はしゃく)運城(うんじょう)の野天市で財布を盗む

 運城(うんじょう)の城郭内で開かれている野天市は賑わっていた。

 葉芍(はしゃく)は人混みを縫うように進みながら、何気無い態度を装いつつ、少し前を進む六人組の若者に注意を集中している。

 河家の放蕩息子の河清(かせい)と取り巻きだ。

 

 昼間から少し酔っているらしく、赤い顔をしながら肩で風切るように人を押し避けながら歩いている。

 葉芍は、それを後ろから追っていた。

 周囲をはばからずに大きな声で馬鹿話をするのに余念がないようだ。

 まるで、隙だらけだ。

 

 ただ、前を誰かが遮ると、連中が奇声めいた大声で怒鳴るので、関わり合いになるのを恐れてみんなが避け、彼らの前には不思議な空間ができている。

 河清の懐に手を突っ込むのは簡単そうだが、いま近づくと、連中以外の者が、葉芍の不自然な動きに気づいていまうだろう。

 だから、葉芍は機会を伺っていた。

 

 狙いは、河清が懐に入れている財布だ。

 その中に死ぬほどの金が入っていることは、昨夜、張三郎が持ってきた情報だが、葉芍もそれが正しいことをすでに確認していた。

 

 いまの葉芍は、どこにでもいるような町娘のような出で立ちで、野天市で購った野菜を籠に入れて歩いていた。

 前を歩いている五人に比べれば、葉芍は完全に市の人混みに溶け込んでいると思う。

 

「おう、店の姉ちゃんよ。その串焼きよりも、あんたを売ってくれよ。銀貨五両やるぜ。その代わり五人で輪すけどな」

 

 河清が肉焼きの屋台の前で立ち止まって、肉を焼いている若い女にからかいの言葉を発した。

 

「冗談じゃないよ、兄さんたち。銀両五枚なんてやったら、あたしの股が擦り減っちまうよ。それより、肉を買っておくれ。一本につき銅銭一枚だ」

 

「二本ずつだ」

 

 河清が店の女の陽気な返しに、気を良くしたように懐から金入れを出して、銀粒ひとつと銅銭五枚を数えて渡した。

 ほかの客の人混みに彼らが混ざる。

 

 いまだ。

 

 葉芍は、河清が上衣の襟の内側に金入れを再び戻すのを確認しつつ、急ぎ足で彼らとの距離を詰めた。

 

「あっ、ごめんなさい……」

 

 葉芍は河清の前を通りすぎるとき、取り巻きのひとりの足につまずいたふりをして、身体を河清の胸に倒れさせた。

 

「おっ?」

 

 葉芍を支えるかたちになった河清が顔をあげたときには、すでに葉芍はなに食わぬ顔で彼らの前を歩き去っている。

 再び人に紛れながら、葉芍は河清から抜き取った金入れを籠に入れて野菜で隠した。

 河清の金入れはずっしりと重かった。

 これはかなりの稼ぎになったと思った。

 反対側から、紙売りの少年がやってくる。小綺麗な格好の葉芍に比べれば、汚れた服を羽織っている。

 張三郎(ちょうさぶろう)だ。

 

「紙要らんかねえ」

 

 張三郎が売り口上を叫びながらやってくる。

 売り物の紙は張三郎の担ぐ大きな背籠にある。役所などの周りを歩けば、ごみの中に書き損じの紙が捨ててあることがよくある。それを拾って伸ばし、こうやって市で売るのだ。大した金にはならないが、拾い物を売って稼ぐ仕事の中では、割りのいい商売だ。

 

「貰うわ。二枚。この果物でどう?」

 

 葉芍は他人を装って張三郎に声をかけた。

 

「だったら、三枚やるよ」

 

 張三郎が背籠をおろして、くず紙を三枚差し出しながら言った。

 葉芍は自分が持っていた籠から赤い果実を取り出して、張三郎の背籠に放り込む。もちろん、同時にさっきすり盗った金入れも一緒に移動させ、素早く紙の下側に押し込んで隠した。

 

「三ちゃん、真っ直ぐに隠れ家に来るのよ。また、賭博場に向かったら承知しないからね……」

 

 葉芍は張三郎の耳元でささやいた。

 張三郎はいつもの人懐っこい笑顔をすると、籠を担ぎ直して立ち上がり、そのまま歩き去っていく。

 

 忠告を受け入れたのか、あるいは無視するつもりか……。

 その表情だけではわからない。

 葉芍は小さな溜め息をついた。

 そのまま、反対方向に市を抜けていく。

 

 そのとき、小さな喧騒が正面から聞こえてきた。

 葉芍は視線を向けた。

 からかいと蔑むような冷やかし混じりの笑い声だ。

 それが、ふたりの少女に対して、周りの通行人によってかけられている。

 

 奴隷だ──。

 葉芍は、息を飲んだ。

 

 胸と腰の周りを布で覆っただけの、臍も腿も露出している葉芍と同じ歳くらいのふたりの少女だ。

 おそらく、姉妹なのだろう。

 顔立ちの似ているふたりの首には、奴隷の象徴である真っ赤な首輪が嵌まっていた。

 隷属の道術で身体に一体化している「奴隷の首輪」だ。

 

 ふたりの周りを大勢の男が集まっているのは、昼間から肌も露な破廉恥なその格好によるものだが、それには理由がある。

 ふたりの姉妹のうち背が高い方には腹に、低い方には腿に「奴隷の紋様」が丸く入れ墨のように刻まれている。

 首の「奴隷の首輪」とともに、奴隷化の道術をかけられるときに刻印されるものだが、奴隷はいかなる場合でも、首輪と刻印を隠してはならないと法で決まっているのだ。

 それだけでなく、衣類で隠そうとすると、刻印の部分が火傷をしたように激痛が走るのだそうだ。

 だから、彼女たちは、こうやって賑やかな場所にやって来ても、ああやってその部位を見せながら歩かなければならないというわけだ。

 奴隷になって間もないのか、見世物のようになっている自分達の姿に、ふたりは泣きそうな顔をしている。

 

 奴隷は惨めだ。

 

 首に嵌められた道術の首輪により、自分の意思に関わらず、絶対に「主人」の命令に逆らえないようにされている。

 どんなに心が拒否しても、言葉で命令されると、そのように身体が動いてしまうのだ。

 

 橋の下団で守り合って生きてこなければ、葉芍もとっくの昔に闇奴隷狩りにあって、奴隷にされていたに違いない。

 この国では、なぜか男の奴隷は認められておらず、奴隷は女に限っていた。

 だから、女は常に闇奴隷に落とし入れられる危険がある。

 あの奴隷姉妹の姿は、葉芍のような境遇の女が陥る可能性のある、明日の姿だ。

 

 葉芍は、彼女たちから目を背けるようにして、市から離れた。

 結局、河清たちは金入れをすられたことにまだ気がつかないのか、騒ぎ出す様子も、追ってくる気配もなかった。

 

 

 *

 

 

「結局、戻って来なかった、あの馬鹿……」

 

 小屋の外に出た葉芍は、白々と明けてきた朝に接して、ひとりで悪態をついた。

 橋の下の河原にある葉芍と張三郎の住み処の小屋の前だ。

 

 運城の城壁の外側にある貧民街の一角である。

 城郭の中は安全だし便利なのだが税がかかる。役人の要求する賂にも対応しなければならない。

 だから、城郭に住むことができない貧民は自然と城郭の外側に集まっていくことになる。葉芍と張三郎の小屋は、その貧民街からも少し離れた橋の下にあった。

 

 ずっと捨て子仲間とともに生きてきた……。

 親のことは、もうほとんど覚えていない……。

 薄っすらとぼんやりとした顔を思い出せるくらいだ。

 だが、張三郎はそれをとてもうらやましがる。

 両親とはどんなものなのかと、しきりに話をねだるのだ。だが、ほとんど記憶にはない葉芍は、そのたびに困惑した。

 

 いずれにしても、もう葉芍の記憶にあるのは、この小屋ですごした時間のことばかりだ。

 最初の頃には、二十人くらいの仲間がいた。親が死ぬか、捕まるか、あるいは捨てられるかして、ひとりで生きていくことを余儀なくされた子供たちだ。

 稼ぎの手段は盗みだ。

 子供が生きるのに、ほかに方法があるわけがない。

 

 葉芍が覚えているもっとも幼い記憶は、母親らしき女に「これからはひとりで生きていけ」と捨てられたことと、そのまま、そこで餓えて泣いていたことだ。

 とにかく、そうやって泣いていたら、見知らぬ歳上の男の子がここに連れてきて、飯を食べさせてくれた。

 それが始まりだ。

 

 そこにはたくさんの子供がいて、その次の日から、葉芍は歳上の子供の言いつけに従って、盗みを手伝うことになった。

 そこに集まっていた子供たちの長だったのは、当時の葉芍には大人のように思えたけど、おそらく、いまの葉芍よりも幼い年齢の男の子だったと思う。つまり、ここは親を失った子がなんとか生きていくために自然にできた盗賊をする子供団だったのだ。

 

 その首領の少年は、最初に葉芍に名を訊ね、葉芍は名を言ったらしい。

 次に年齢を訊ねられたが答えなかったそうだ。

 

 四歳くらいかなあ……。

 

 葉芍は覚えていないが、そう言ったそうだ。

 その瞬間、四歳というのが葉芍の年齢になった。

 

 とにかく、そうやって、子供盗賊としての葉芍の人生が始まった。

 やがて、その首領だった少年が死んだ。

 理由は知らない。

 葉芍が六歳のときだ。

 

 当然のように、次の年嵩の子供が首領になった。

 次の首領は少女だった。

 新しい首領の少女の得意技は「すり」であり、葉芍は手先の器用さを見込まれて、その少女からすりの技術を教えられた。

 

 葉芍が九歳のとき、首領だった少女が、運悪くひとりでいたときに奴隷狩りに捕えられていなくなった。

 ただその頃には、葉芍は一人前のすりの技術を身に着けていた。

 

 奴隷狩りというのは、奴隷商がしばしば行う子供狩りのことだ。

 本来は奴隷とは、戦争の捕虜や罪人が咎としてなるものであり、役所で公証人が認めて書類を作り、国の道術師が作った奴隷の首輪を嵌め、身体の一部に刻印を打つという手続きを経て、なるものだ。

 ほとんどの場合は、税を払えないことによって奴隷になる場合だ。

 税を払えないというのは、この国では重大な犯罪になる。

 

 いずれにしても、奴隷の首輪を嵌められた瞬間に、奴隷は人ではなく、財の一部ということになる。持ち主が決まっている場合は、奴隷の持ち主が奴隷を飼うための税を収めて、そのまま連れていくのだが、大抵は奴隷商に渡されて、その代金の一部が税として国の収入となる。

 

 売られる奴隷を飼うのは、国軍の将軍か上級役人か分限者などの富裕層だ。奴隷の首輪で奴隷を支配することの許可を受けるには、高い税が必要だからだ。

 いずれにしても、罪のない孤児を奴隷にするということは、法で許されていない。

 

 しかし、実際には抜け道がある。

 奴隷の子は奴隷という法もあるので、捕えた孤児を逃亡奴隷の子ということにして書類を作り、闇で流れている奴隷の首輪を装着してしまって、奴隷として売ってしまうのだ。

 必要な書類など、役人に賂を払えば、いくらでも好きなように作ってくれる。

 奴隷にされれば、「主人」に命令されることにより、誰かに訴えることは不可能になる。

 

 葉芍は、四歳の頃から橋の下団の仲間とともに盗みをして生きてきたが、大勢いた仲間は、いまや、死ぬか、捕まって奴隷にされるか、あるいはどこかに行ってしまうかしてしまい、この運城の城郭郊外に残っているのは、もう葉芍と張三郎の二人だけだ。

 みんな消えてしまった。

 

 葉芍よりも幼い子供が新しく一味に加わることもあったが、その弟や妹たちもいつしかいなくなった。

 死はいつも身近にあった。

 葉芍は自分が大人になるということを想像していなかった。

 しかし、葉芍は十五だ。張三郎とともに、もう大人といっていい年齢になった。

 

 また、橋の下団の特徴的な友愛手段に、性愛がある。

 

 仲間と愛を交わして快感を交換することは、橋の下団のお互いの絆を深めるためのの手段のひとつだ。

 隠れ処の小屋では、年長組の子供たちが食事をするように、お互いに愛を交わしていた。

 葉芍も幼い頃から、お互いの性器を舐めることを教わってやり合っていたし、初潮が終わって性交のできる年齢になると、歳上の少女から避妊のやり方を教わり、当然のように、年長組が交わす性愛の輪の中に入ることになった。

 

 性の相手は、男も女もある。

 お互いに気持ちのいい場所を舐め合ったり、性を交わしたりしていると、優しい気持ちになれる。それで苛立ちや、ぎすぎすした感情がなくなるのだ。性交や幼児たちの疑似性愛は、仲間の中では積極的にやらなければならないものと定められていた。

 その友愛の行為も、最後に残っていた三人のうちのひとりが死ぬと、葉芍と張三郎だけの行為になった。

 

 仲間の中の避妊の手段は「避妊丸」だ。城郭に行けば店で売っているが、必要な薬草を集めて粉にして固めれば簡単に作成することができる。それを一日に一個ずつ飲んでいれば妊娠することはない。

 葉芍も性交のできる年齢になってから、一日も欠かすことなくそれを飲み続けている。

 

 

 *

 

 

 葉芍は、朝になるのを待って、張三郎を探しに行くことにした。

 おそらく、まだ運城の城郭の内側にいるのだと思う。

 そこに賭博場が何軒かある。

 そのどこかに違いない。

 

 張三郎の博打好きは病気だ。

 歳上の子供がいなくなり、葉芍や張三郎が最年長になると、張三郎は賭博場に入り浸るようになった。

 賭博場では、少年の張三郎などいいカモだ。すぐに負けてすってんてんになるくせに、それでもまとまった金が手に入ると、賭博場に行ってしまう。

 

 昨夜もそこに行ったのは、ほぼ間違いない。

 運城(うんじょう)城門に着いた。

 まだ、夜が開けて間もないが、城門では開門を待つ大勢の人間でごった返していた。

 しばらく待っていると開門となり、葉芍は城郭の中に入った。

 張三郎の入り浸っている賭博場は見当がついている。

 

 目的の賭博場が近くなったときだ。

 葉芍は道端の人だかりを見つけた。

 そのまま通り過ぎるつもりだったが、「少年」とか「酷い死に方」とかいう単語がその人だかりから聞こえた。「賭博場で騒ぎがあった」という声もした。

 葉芍は気になって、人だかりの中に入って、そこを覗いてみることにした。

 

「離れろ──。いま、役人を呼んでいる。それまで、このままにしておくんだ」

 

 輪の中心では、町役らしき老人が、集まってくる野次馬を統制していた。

 誰かの死骸があるようだ。

 葉芍は人混みを押し割って、人だかりの中心に進み入った。

 

「ひいいっ」

 

 葉芍は、思わず悲鳴をあげた。そして、その場に座り込みそうになった。

 そこにあったのは、張三郎の死骸だった。

 しかも、惨い屍体だ。

 

 張三郎は素っ裸だった。顔面の原型が分からないほどに潰されており、肘と膝から先の手足はすべて焼け焦げていた。全身には茶色の痣がいたるところにあり、本当の肌の色がわからないくらいだ。

 前歯はすべてなくなっていた。

 しかも、股間から男性器が切断されて、口の中に入れてある。

 

 誰がこんなことを……?

 

 眼の前が暗くなるのを感じながら、葉芍がふと思ったのは、昨日、金入れをすり取った河家の放蕩息子の河清のことだ。

 もしかしたら、張三郎は葉芍が渡した金入れを持って、そのまま賭博場に行ってしまい、それで河清のその取り巻きの誰かに見咎められて、連中に捕らえられたのではないだろうか……?

 

 そうだとすれば、この張三郎の酷い状態は、拷問の痕に違いない。仲間について訊ねられたのかも……。

 とにかく、この拷問痕は、張三郎が簡単に口を割らなかった証拠だ。

 

 逃げなければ……。

 葉芍はまずそれを考えた。

 人混みを離れる。

 そのまま、再び城門に向かった。

 城郭の外に出るためだ。

 

 どこに逃げるか……?

 歩きながら考えた。

 川原の小屋ももう避けた方がいいだろう。

 張三郎が葉芍のことを喋っていれば、河清たちは城門が開くとともに、小屋に向かったに違いない。

 小屋にはもう戻れない……。

 このまま城郭を離れるしかない……。

 そう思った。

 

 もう、たくさんいた盗賊団の子供もいないのだ。

 最後のふたりだった張三郎も死んだということは、ここには誰もいないということだ。

 葉芍が運城を離れない理由は、もうなにひとつない。

 

 城門が近くなった。

 突然に背後になにかの気配を感じた。

 振り返ろうとした瞬間に、強い力で口を塞がれた。力強い腕が腰の括れに巻きついてくる。

 

「うむうっ」

 

 葉芍は大きく眼を見開いた。

 なにが起きたのかわからなかった。

 葉芍を掴んでいるはひとりではなかった。さらに葉芍を捕らえる腕が増えた。

 口を塞がれたまま、数名の男たちに身体を引き摺られるように路地に連れ込まれる。

 葉芍はもがいた。

 口を塞ぐ手に噛みつく。

 

「痛ええっ」

 

 男が悲鳴をあげた。

 やっと、葉芍を捕まえている男のひとりの顔が見えた。

 やっぱり、河清の取り巻きだ。

 昨日、金入れをすり盗ったときに、河清の周りにいた男たちの中に、この顔があったのを覚えている。

 

「こいつ」

 

 次の瞬間、強い殴打が腹にめり込んだ。

 

「ふぐうっ」

 

 身体が曲がった。

 鉛の塊りをぶち当てられた感じだ。

 息が詰まって、眼に涙が溜まる。

 全身の力が抜けた。

 今度は髪の毛が掴まれた。

 そのまま路地に連れ込まれる。

 抵抗の力はない。

 葉芍はずるずると身体を引き摺られて、路地に入ってすぐの空き家に連れ込まれた。

 空き家に入ったところで、両手首を背中に回されて、手錠をかけられる。

 腰を蹴られて、家の奥に突き飛ばされた。

 誰かが椅子に座っている。

 その足元に葉芍は倒れ込んだ。

 

「お前が葉芍か……。張三郎が言っていたとおりだな。なかなかの美人じゃねえか」

 

 顔をあげた。

 椅子に座っているのは河清だった。

 

「俺から金入れを盗んだのはお前だな、葉芍とやら?」

 

 葉芍の眼の前に、空になっている金入れの袋が投げられた。間違いなく、葉芍が昨日すり盗り、張三郎に預けたものだ。

 いつの間にか、五人ほどの若い男にも取り囲まれている。

 河清の取り巻きたちだ。

 

「し、知りません……」

 

 葉芍は懸命に首を横に振った。

 すると、髪が掴まれて上体を起こされた。

 もう一発、あの殴打が鳩尾に突き刺さった。

 

「んぐっ」

 

 葉芍は後ろ手に拘束された身体をがっくりと折った。

 

「もう一度、質問するぞ。金入れをすったのはお前だな、葉芍?」

 

「あ、あたし……は……、ち、違う……。葉芍という名じゃ……」

 

 ここは白を切り通そう……。

 それしかないと思った。

 しかし、河清の足が葉芍の右肩に当てられた。

 そのまま、仰向けに蹴り倒される。

 

「ひぐうっ」

 

 後頭部を床に思い切りぶつけたかたちになり、葉芍の眼が一瞬くらんだ。

 その葉芍の身体に取り巻きのひとりが馬乗りになった。

 服の胸元をその男の両手が掴む。

 

「いやああっ」

 

 葉芍は叫んだ。

 容赦なく服が引き破られた。

 葉芍が身に着けていたのが下まで裂かれて、胸巻きと腰布が剝き出しにされた。

 

「や、やめてっ」

 

 葉芍は叫んだ。

 頬に平手が飛んできた。

 

 右から。

 左。

 そして、右。

 それでもう、葉芍には抵抗の意思はなくなってしまった。

 

「お前の連れの張三郎は、珍棒を切断してやったときに、なにもかも白状したぞ。珍棒の代わりに、そのふたつの胸の塊りを刃物で切ってやってもいいんだぜ、葉芍。もう、一度、訊ねるぜ。お前は葉芍だな?」

 

 河清が椅子から立ちあがって、仰向けに倒れている葉芍の顔の前にやってきた。

 ぎょっとした。

 手に短剣を持っている。しかも、生々しい血の痕があり、匂いまでする。

 その刃が葉芍の顔に近づく……。

 

「いやああっ。た、助けてえっ。葉芍です。あたしは葉芍です」

 

 葉芍は絶叫した。

 すると、河清がにやりと笑って、刃先が胸巻きに移動した。

 紐の部分が切断されて、布きれが乳房の上から奪われる。

 

「結構、いい身体じゃねえか、葉芍」

 

 河清が卑猥な笑いをしながら、刃と股布に動かす。いとも簡単に、葉芍の腰から布が取られた。

 もう身体を覆っているのは、腕に残っている引き千切られた服の残骸だけだ。

 それも切断されて、葉芍は完全に素っ裸にされた。

 

「立たせろ」

 

 河清が言った。

 葉芍の身体に馬乗りになっていた男が身体から降りて、葉芍の腕を取った。

 そのまま立たされて、河清の前に連れていかれた。

 葉芍は反射的に下肢を閉じた。

 

「股は開いていろ」

 

 河清の蹴りが無防備な腹に食い込む。

 

「うぶうっ……」

 

 顔が歪むのがわかった。

 胃液のようなものが腹から込みあがったが辛うじて耐える。

 

「股を開けよ、葉芍」

 

 もう一度、腹を殴られた。

 葉芍は泣きながら脚を開いた。

 河清の手が葉芍の陰毛に伸びてくる。

 

「いやあっ」

 

 思わず、腿を捻って股間を守ろうとした。

 すると、河清にまた、腹を殴られた。

 

「脚を閉じるなと言っただろうっ。今度は顔を殴るぞ」

 

 河清が怖ろしい声で怒鳴った。

 葉芍は脚を開いた。

 河清の指が再び股間に伸びる。

 

「うう……」

 

 指が葉芍の陰唇を左右に引っ張るようにくつろげる。

 

「どうせ、お前らみたいな貧乏人には、金を弁償することなんてできねえだろう。お前の仲間の張三郎は、俺の金をきれいさっぱりと使っちまったんだぞ。仕方がねえから身体で支払いな。お前は借金の払えない罪ということで奴隷になってもらうぜ。それで金を弁償しろ」

 

 河清が葉芍の股間の中心部に人差し指を差し込んだ。

 

「そ、そんな……」

 

 葉芍は喘いだ。

 

 借金を払えないというのは罪だ。

 正規の手続きで奴隷になるのに、もっとも多い場合がそれだ。

 ほかに税を払えなくても、同じように家族の誰かを奴隷にして税を払うことにもなる。河清の家は城郭でも有数の分限者のひとつだ。必要な書類を役人に作ってもらうために払う賂などいくらでも準備できるに違いない。

 

 いやだ……。

 奴隷になんかなりたくない……。

 

「動くと、また腹を殴るからな……」

 

 河清が言った。

 そして、河清の指が葉芍の膣の中を揉みあげるようにゆっくりと抽送し始めた。

 さらに、別の男の指が横から伸びて、肉芽をこねだす。

 

 また、背後から別の男によって、乳房ががっしりと掴まれる。

 その手が、力強く葉芍の胸を揉みしだく。

 尻の穴にも別の手が……。

 

「はあ……い、いやあ……」

 

 葉芍は息を喘がせて鼻をすすった。

 全身が恐怖で凍りついている。

 しかし、股間と胸を弄られる感覚が葉芍を包んでいた。

 河清が手を離す。

 しかし、待っていたように、数本の手が一斉に股間に伸びてきた。

 

 しばらく、そうやって身体をなぶられる。

 だが、少しでも抵抗すれば殴られるので、葉芍はじっとしているしかなかった。

 

「……もちろん、奴隷にして売っ払う前に、味見をさせてもらうけどな。おい、準備しろ」

 

 河清が言った。

 それが合図であるかのように、葉芍の性器を愛撫していた手が一斉に引く。

 葉芍は崩れ落ちそうになるのに耐えて、その場に脚を開いたまま立っていた。

 

「後ろを見ろ、葉芍」

 

 河清が笑いながら、葉芍に顎をしゃくった。

 

 見た。

 男たちが一本の縄を部屋の壁と壁に渡している。

 ぴんと張られた縄は、葉芍の腰の括れの部分の高さくらいあった。

 しかも、一定の間隔ごとに、大きな縄瘤が作ってある。

 

「その縄に跨って、いいというまで往復しろ。それで、すっかりとできあがったら、みんなで犯してやるぜ」

 

 河清が大きな声で笑った。

 さすがに、葉芍は鼻白んだ

 

「お前は、奴隷にして売り飛ばす予定だから、あの小僧のように殺しはしねえが、女を酷い目に遭わせる方法はいくらもあるんだ。さっさと縄を股に挟んで歩け」

 

 河清に怒鳴られて、葉芍はすすり泣きながら、壁と壁に渡された縄に近づいていった。

 しかし、縄が高すぎて、跨ぐことができない。

 縄の前でまごまごしていると、男のひとりが笑いながら、いったん壁の金具から縄を緩めて葉芍に縄を跨がせた。

 そして、もう一度、縄をぴんと真横に張る。

 

「ああっ」

 

 葉芍は思わず悲鳴をあげた。

 荒縄が思い切り股間に食い込んだのだ。

 縄は爪先立ちの葉芍の股間を強く抉る。

 

「さあ、歩け、盗っとめ」

 

 横に立った河清の取り巻きのひとりが、ぴしゃりと葉芍の尻を叩く。

 

「ひっ」

 

 しかし、縄がしっかりと股間を抉っている。

 とてもじゃないが歩けない。

 

「おい、蝋燭を持って来い。その女すりの尻を焼いてやれ。そうすりゃあ、歩き出すだろう」

 

 椅子に座り直している河清がせせら笑った。

 廃屋の中には、照明となる燭台があったが、ひとりがそこから火のついた蝋燭を運んできて、葉芍の双臀に近づける。

 

「ひいっ、あ、熱いっ」

 

 あまりの熱さに、葉芍は悲鳴をあげてのけぞった。

 爪先立ちの脛の筋肉がさらにこわばり、葉芍は一層爪先立ちになる。

 

「さっさと歩け。ぐずぐずしてると尻の肉を本当に焼くぞ」

 

「ひいっ。あ、歩く……。歩きます」

 

 お尻を這うろうそくの炎の熱さに耐えかねて、葉芍の足は無意識のうちに前に出た。

 後手に拘束された上体を前屈みにして、炎にあぶられるたびに腰を引きながら、少しずつ進み始める。

 

 ざらざらとした荒縄が葉芍の女の最奥へ食い込む。

 すぐに、縄に陰毛が絡んで針を刺されるような痛みが走った。

 一方で荒い縄の表面に敏感な股間がこすれて、奇妙な疼きも沸き起こってくる。

 そのおぞましさに、葉芍は全身をふるわせて泣いた。

 

「ほれ、女すり、もう少しでこぶだぜ」

 

 背後から蝋燭の炎でけしかける男が笑った。

 

「あはあっ」

 

 次の瞬間、葉芍は顔をのけぞらして泣いた。

 股間を思い切り縄瘤が抉ったのだ。

 自分の体の重みの全てが食い込んでる結び目にかかっているような錯覚に陥る。

 葉芍の狂態に、河清たちが手を叩いて大笑いした。

 そうやって、部屋の端まで炎に追いたてられながら、やっとのこと壁の近くまで進んだ。

 

「今度は逆だ。後ろに向かって歩け」

 

 蝋燭の炎が、今度は胸の前の乳首に近づけられる。

 葉芍は悲鳴をあげて、今度は縄を跨いだまま、反対方向に後ずさっていった。

 

 反対側の壁に到着する頃には、すっかりと息も絶え絶えになっていた。いまや苦痛よりも、股間を縄瘤で刺激される快美感が強かった。

 そして、もう一度、反対の端まで進まされた。

 

「後ろだ」

 

 また、蝋燭で胸を煽られる。

 後ろに退がっていくときには、縄瘤のひとつひとつに、葉芍の愛液の汁がべっとりとついているのがはっきりとわかった。

 

「おい、もう、いいだろう。十分にこなれたようだ。縄からおろせ」

 

 河清が椅子から立ちあがった。

 縄が緩められて、股間から抜かれた。

 葉芍はもう立っていられずに、その場にしゃがみ込んだ。

 

「横になれ、葉芍」

 

 葉芍の前にやってきた河清が言った。

 すでに、河清の下半身は裸だ。

 河清の怒張が葉芍の前にそそり勃っている。

 葉芍は観念して横になった。

 河清が葉芍の腰を抱えて、葉芍の蜜の滲んでいる股間に怒張を突き挿してきた。

 

「ぐうっ」

 

 葉芍は激しく首を振った。

 暴力で支配されて、無理矢理に身体を犯される。

 仲間との性交とは違う……。

 それは身が切られるような屈辱だった。

 かなりの圧迫感を持つ河清の怒張が葉芍の膣にめり込んでくる。

 裂けるような痛みが走った。

 

「んん、んんああ、ああっ」

 

 しかし、すぐに痛みが痺れのようなものに変化した。

 一気に最奥に達した河清の怒張が、葉芍の子宮に近い快感の場所をぐりぐりと押してくる。

 

「はああっ」

 

 葉芍は声をあげて、全身を弓なりに反らせた。

 

「随分、感じやすい女だなあ。それに、なかなかに締まりもいいぜ」

 

 河清は葉芍の太腿を抱きかかえるようにして、ゆっくりと腰を振っている。

 

「ああっ、あくっ、いやっ、やあっ、やあっ」

 

 膣の粘膜を乱暴に抉られて、身体が揺らされる。

 胸の上の乳房が大きく揺れて、桃色の乳首が上下に踊るのが見えた。

 

「こりゃあ、なかなかの道具だぜ。奴隷に売り飛ばす前に、半月ほど、どこかに監禁して愉しむのもいいな」

 

 河清が葉芍の秘肉を愉しむように腰を振り続ける。

 

「ああっ、はっ、はああっ」

 

 襲いかかる苦痛と快感の混ぜこぜの感覚に、息を喘いでいた葉芍だったが、やがて、苦痛を快感が大きく上回りだした。

 犯されて感じている……。

 それは葉芍にとって信じられない衝撃だった。

 だが、河清の大きな亀頭の先端が葉芍の狭い膣を掻き回すたびに、甘くて大きな痺れが葉芍の全身を弛緩させていく。

 

「ああっ、いやあっ、いやよ……」

 

 葉芍は泣き声をあげた。

 犯されることよりも、それで女の悦びを得ようとしていることに、葉芍は戦慄した。

 途方もない屈辱だ。

 なんとしても達したりはすまいと思った。

 暴力で犯されてなにもできない葉芍のせめてもの抵抗だ。

 

「声が変わってきたぞ。感じてやがるのかよ、変態め」

 

 河清がせせら笑いながら、腰を動かし続ける。

 葉芍は歯を食い縛った。

 絶対にいかない……。

 それだけを考え続けた。

 

「そ、そんな……ああっ、あっ、あっ、ああっ」

 

 しかし、全身が熱くなる。

 もう、我慢できない……。

 

「おおっ、しっかりと締めつけやがるぜ」

 

 河清の腰がぶるりと震えた。

 膣の奥で熱い精が迸るのがわかった。

 葉芍はほっとした。

 とにかく、いかなくて済んだのだ。

 河清が怒張を抜く。

 

「今度は犬みたいに、後ろから犯してやるぜ。うつ伏せになって膝を立てて、尻を高くあげるんだ」

 

 別の男が髪を掴んで、葉芍の上体を引き起こした。

 

「い、いや……。も、もう、いや……」

 

 葉芍は懇願するように首を振った。

 こんな恥辱的な性交には耐えられない……。

 

「ひぎいっ」

 

 顔に衝撃が走った。

 力一杯、頬を張られたのだ。

 

「おい、まだ抵抗すんのかい。構わねえから、言うことをききたくなるように、陰毛でもむしってやれ」

 

 下半身を丸出しにしたままの河清が椅子に腰かけて言った。

 河清の言葉で、両側からふたりの男が、再び葉芍の二の腕を掴んで抱き起こした。

 股間に別の男の手が伸びる。

 

「ひぎいいいっ」

 

 股間が火で焼かれたような激痛が走った。

 葉芍の陰毛を引き抜いた男がこれ見よがしに、葉芍の目の前で陰毛をちらつかさてから捨てる。

 

「俺も抜いてやるぜ」

 

 別の男も葉芍の股間に手を伸ばす。

 

「や、やめてっ。言うことききますから──」

 

 葉芍は夢中で髪を振り乱した。

 

「尻あげの姿勢をとるんだな?」

 

 葉芍はわずかに首を縦に振った。

 

「離してやれ」

 

 河清の声で両腕が解かれる。

 葉芍は崩れ落ちた。

 

「早くしな」

 

 横腹を軽く蹴られる。

 葉芍は上体を倒して、顔を床につけて、尻だけを上にあげた。

 惨めだった。

 いつの間にか、激しい嗚咽が漏れ出ていた。

 尻たぶが押し割られ、新しい怒張が股間に押し当てられる。

 後背位から男根がねじ込まれた。

 

 律動が始まる。

 男は背後から葉芍の身体を愉しむように、男根を貫く角度を変化させながら葉芍の膣を突き続けた。

 さらに左右から別々の手が葉芍の胸を揉み始める。

 左右の胸の揉み方が違うところが葉芍の凌辱感を煽る。

 

 しばらくしてからその男はやっと達してくれた。

 すぐに別の男が押し入ってきた。

 

 三人……。

 

 四人……。

 

 五人……。

 

 葉芍は犯され続けた。

 途中からなにも考えることができなくなった。

 絶頂することはなかったが、甘い感覚の拡がりは確実に葉芍の身体を襲っていた。

 膣の中を擦られて、じんとなる疼きは、どんどん葉芍から自制心を奪う。

 息は荒くなり、口からは喘ぎ声が迸る。

 

 絶対に達しない……

 葉芍はそれだけを思い続けた。

 快感に負けそうになったら、惨めな姿で死んでいた張三郎を思い出した。

 そうすると、ちょっとだけ理性を取り戻すことができた。

 

 ふた廻り目が始まると、股だけでなく口にも性器が突っ込まれた。

 ちょっとでも、逡巡の態度を見せると、容赦なく平手や蹴りが飛んできた。

 

「誰だ?」

 

 だが、不意に河清が大声を発した。

 その声に全員が反応する。

 

 とりあえず、女陰と口中にあった男たちの性器が引き抜かれる。

 葉芍は朦朧とした視線を建物の出入り口の方向に向けた。

 戸口に誰かが立っている。

 ひとりの男だ。

 

 役人?

 

 三十くらいの男だったが、役人であることを示す紋様の描かれた上衣を着ていた。最初はその上着の色が光のためにわからなかったが、すぐに上着の色は赤だとわかった。

 

 赤は警尉官(けいいかん)の印だ。

 警尉というのは、城郭の治安を司る役職であり、犯罪の調査や取締り、あるいは刑の執行を監督する役人だ。

 女すりの葉芍にとっては、警尉官というのは天敵だ。

 葉芍は身体がすくむのがわかった。

 

「なにをしておる、お前たちは」

 

 役人の怒声が飛んだ。

 肝が縮こまるような力強いその大喝に、葉芍だけではなく、河清たちの口からも小さな悲鳴があがった。

 彼らの身体がぶるりと震えたのがわかった。

 

「おや、これは、もしかして、河家の河清殿ですか? これは失礼しました。私は、警尉役人の宋江(そうこう)という者です」

 

 役人の口調が急に穏やかなものに変わった。

 河清が少し安心したような表情になった。

 

「木っ端役人か……。お前のような下級役人には関係ない。どこかに行っていろ」

 

 河清が威張った口調で言った。

 しかし、葉芍は宋江という名に記憶があった。役人には珍しく、清廉で義侠に篤いと聞こえのある男だ。

 面倒看がよく、頼る者があれば金を惜しまずに世話をしてくれるというので、表社会だけではなく、裏社会でも評判がいい。川原に住むような女すりの葉芍には縁のない相手だが、葉芍も宋江の名声は何回となく耳にしたことがある。

 

 ただ、名は知っているが、顔を見るのは初めてだ。

 背はそれほど高くもなく、とりたてて筋肉質ということもない。

 中肉中背だ。

 だが、全身からみなぎる不思議な威圧感がある。

 顔立ちは平凡だが、ただ、眼光だけは異様に鋭かった。

 

「いやいや、そうはいきませんな……。犯罪の調べで歩き回っていたところ、なにやら女の悲鳴のようなものが聞こえましたのでな……。それでやってきたのですが、これは尋常ではない様子。本当になにをしておられるのです? この状況は私としても、納得のいく説明を求めないわけにはならないようですね」

 

 宋江の眼がぎらりと光った気がした。

 河清からたじろぎのうなものが醸し出す。

 

「こ、こいつは盗人だ。俺の金入れを盗んだのだ」

 

 河清が内心の動揺を隠すような強い口調で言った。

 

「だからなんなのですか? 若い女ひとりに男が寄ってたかって、下半身を丸出しにして、なにをしていたかを訊ねているのですよ。その女が罪人としても、それは私のような役人に突き出すべきこと……。それをせずに女を犯せば、それもまた罪です。残念ながら、私は河清殿を捕らえなければならなくなります」

 

 宋江が河清を睨んだ。

 

「なっ、なにを言っておるか? 俺を捕まえるというのか? この女は罪人だぞ」

 

「それとこれとは、関係ないと申しましたぞ、河清殿」

 

 宋江がさらに河清を睨む。

 河清から、たじろぎのようなものが見えた気がした。

 

「し、しかしだなあ、宋江……」

 

「とりあえず、服を着たらいかがですかな、河清殿」

 

 宋江が河清の言葉を遮った。

 葉芍を囲んでいた河清たちが離れる。

 それぞれに服を身につけだす。

 葉芍も身体を起こした。

 しかし、両腕はまだ背中側で手錠がかかっているので、裸身を手で隠すこともできない。

 とりあえず。葉芍は懸命に息を整えることに努めた。

 

 宋江がつかつかと廃屋の中に進み入ってきた。

 そして、床に落ちていた河清の短剣をひょいと拾った。

 最初に葉芍の下着を切断してから、そのままになっていたものだ。

 

「わずかですが、刃に新しい血の痕がありますな……。すぐそばで浮浪少年の惨い死体があったのですが、丁度こんな刃物で性器を切断したような痕がありました。傷口とこの刃物を照合してみますかなあ。ところで、この刃物は河清殿のものですか?」

 

 宋江が河清に言った。

 

「そ、宋江……。い、いや、それは……」

 

「いやいや、これは困りましたな。万が一、これが河清殿のものであれば、もしかしたら、すぐそばの惨殺死体の動かぬ証拠かも知れませんなあ……。もっとも、私の部下はまだ、外を調べておりますので、これを見つけましたのは私ひとり……。黙っていれば、ほかに知られることもないのでしょうが……」

 

 はっとした。

 宋江の物言いは、役人が賄賂を要求するときの物言いだったからだ。

 

「ま、待ってくれ、宋江……。い、いや、宋江殿……」

 

 河清が懐から金入れを取り出した。

 もちろん、葉芍が昨日すり盗ったものとは別のものだ。

 

「こ、これで……」

 

 河清が金入れから銀両を数枚取り出すのが見えた。それを宋江に差し出す。

 しかし、宋江は受け取ろうとしなかった。

 

「金惜しみをして、行動を誤らないことですな。殺人は死罪ですぞ。命に代価はつけられますまい」

 

 宋江は金入れの方に手を伸ばした。

 

「わ、わかった……」

 

 河清は取り出した銀両を金入れに戻すと、金入れごと宋江に渡した。

 宋江は無造作に金入れを受け取った。

 

「この刃物は私が預かっておきましょう。殺人の大事な証拠ですからな。ご心配なさらずとも、河清殿が大人しくしておられれば、これは表に出ることはありません。とにかく、しばらくは目立つような行動は慎んだ方がよろしいでしょうな……。ところで、この娘にかけてある手枷の鍵はどこですか?」

 

「金入れの中だ」

 

「なるほど……。ならば、もう行った方がいいでしょう」

 

 宋江は金入れから鍵を取り出しながら言った。

 河清たちは逃げるように廃屋を出ていった。

 宋江とふたりきりになった。

 

 とりあえず、助かったのだろうか……。

 もっとも、それは河清たちにもう犯されなくていいという意味であって、葉芍が奴隷にならなくて済んだという意味ではない。

 宋江は、葉芍を捕らえるだろう。

 そして、取り調べられて裁きを受け、葉芍は長いあいだの盗みの罪を問われるのだと思う。

 女囚として流刑されるか、あるいは、奴隷にされるかだ。

 いずれにしとも、明るい未来が待っているということはなさそうだ。

 

 宋江が葉芍の横にしゃがみこんだ。

 そこ視線が、ちらりと葉芍の裸身に眼をやったのがわかった。

 なぜかこれまでの人生で感じたことがないような羞恥を感じた。

 背の手枷が外される。

 葉芍は慌てて、両手で身体を隠した。

 

「お前は葉芍だな」

 

 宋江が葉芍の名を呼んだことに仰天した。

 すると、宋江が河清から取りあげた金入れを葉芍の前にそっと置いた。

 

 そして、いきなり深々と頭をさげた。

 葉芍はびっくりした。



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3   王婆(おうば)宋江(そうこう)に少女妾を仲人する

「な、なぜ、あたしの名を?」

 

 あまりにも驚いて、葉芍(はしゃく)はそれだけしか返すことができなかった。

 すると、宋江(そうこう)が微笑んだ。

 

「俺のことを見くびらんことだ。俺は警尉官だ。蛇の道のことも多少は知っている。この世にはびこっている大きな悪に比べれば、お前たちのやっていたことは小さな悪だ。貧乏人は狙わんし、すりをする相手は多少は金に余裕のある者たちばかりのようだ。それで目こぼしをしていたが、今後は盗みはやらんことだな。俺が知っていることを忘れるな」

 

 葉芍はさらに驚いてしまった。

 城郭の治安を管轄する警尉官ほどの者が、城郭の外の貧民街に住みつく虫けらのような葉芍のことを知っているということも驚きだったが、城郭にやってきては盗みを繰り返していることさえも承知していて、しかも、それを見逃してもらっていたというのは……。

 

「あ、あたしを捕らえないのですか、お役人様……」

 

「もう、盗みはやるな──。それだけだ。張三郎のことは気の毒だった。だが、河清(かせい)たちは実際のところ捕えられん。人を殺しておいて、無罪放免というのは理不尽かもしれんが、税を払わぬ城郭の外に暮らす貧民を殺したくらいでは、それなりの罰金を支払えば釈放だ。そうでなくても、裁判をする上級役人に賂を払えば、無罪になってしまうだろう。そんな無駄なことをしても意味はないし、河清を捕らえれば、仲間を殺されたお前の方が罪に問われて重罪だ。仲間を殺され、身体まで汚されて我慢ならんであろうが、俺のせめてもの詫びと思ってくれ」

 

 宋江がもう一度、河清から取りあげた金入れを葉芍に突きつける。

 

「……この金は持っていけ。張三郎の棺桶代にして、仲間を弔ってやるがいい……。町役には言ってあるから、もう屍体は引き取っていいぞ。共同墓地に運ぶのに人足が必要なら、頼めば人も出してくれるはずだ」

 

「三ちゃんの名も知っていたのですか?」

 

 葉芍は声をあげた。

 それと同時に、どっと両眼に涙が溢れた。

 誰にも顧みられず、ただ野垂れ死ぬために生まれた自分たちだ。

 こんな偉い役人が、自分や張三郎の名を知っていてくれたなど、それだけで死んだ張三郎が浮かばれる気がした。

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 葉芍は裸体を両手で隠したまま、その場で頭をさげた。

 涙はどんどん溢れた。

 

 嬉しい……。

 ただ嬉しい……。

 誰かに名を知ってもらっている。

 自分たちのことを見ている他人がいた。

 それがこんなにも嬉しいこととは知らなかった。

 

「参ったなあ……。そんなに泣かれるほど、上等なことをしているわけじゃないのだがなあ……。俺は面倒が嫌いなだけだ。捕まえれば書類を書かなければならないし、裁判にもつきあわねばならん。それでたちの悪くないもの以外は放っているだけでな……」

 

 宋江は照れたように頭を掻いた。

 

「いえ、ありがとうございます……。こ、こんな虫けらのようなあたしたちの名を知っている人がいただなんて……。それだけで、もう死んでもいいです。ありがとうございます」

 

「お前は怒ってよいのだぞ。俺はお前の仲間を殺した者を知っていて見逃したのだ。怒れ。俺をなじるがいい。お前たちには、それをする権利があると思うが……」

 

 宋江はほんの少し苛ついたような口調で言った。

 

「そ、そんな……。ただ嬉しいです……。あ、あたしたちのことを知っていてくれて、ありがとうございます……。こんな生きる価値もないようなあたしたちのことを……」

 

 葉芍は泣きながら言った。

 

「なにを言うか。生きる価値もないなどと。人は誰でも生きる価値はある。お前たちも、俺も、あの河清の馬鹿息子も、みんな同じだぞ。同じ人間なのだぞ」

 

 すると、宋江が怒ったように声をあげた。

 

「えっ?」

 

 葉芍は顔をあげた。

 

 同じ人間──?

 

 葉芍はが当惑した。

 自分たちと、役人の宋江やあの河家の河清が同じ人間などと、宋江はなにを言っているのであろうか……?

 

「同じって……?」

 

 葉芍は首を傾げた。

 助けてくれた宋江の言うことなので、一生懸命理解をしようとはするがわからない。

 葉芍や張三郎と、宋江が同じ人間などということはありえなかった。

 葉芍はきょとんとした表情をしていたと思う。

 すると、宋江が嘆息した。

 

「……まあいい……。それよりも、こうやって話をするとちゃんとした話し方もできるし、ある程度の礼儀作法も身についているようだ。親のないお前たちに誰か作法を教えてくれたのか?」

 

「さ、作法ですか……? さあ……?」

 

 作法と言われても……。

 話し方?

 礼儀作法?

 そんなものは知らない。

 だけど、最初の首領だった少年や、次の首領だった少女……。

 歴代の橋の下団の長たちは、他人に接したときの喋り方や決まり事について、葉芍ら幼い子たちにずっと厳しく教えてきた。

 そういうものだと思っていたし、葉芍も年長組になったら、年少組たちにはそうやって教えた。

 そのことを言っているのであろうか……?

 

「まあ、それもどうでもいいか……。ただ、結果的に礼儀を知っているというのはいい……。人が獣でなく、人であるという証のようなものだからな……。将来に役に立つだろう……。いずれにしても、そこで待っていろ──」

 

 宋江が廃屋を出ていった。

 葉芍はとりあえず、破かれた衣服を手元に引き寄せた。

 身体を隠すことはできそうだが、服としてはもう使えないだろう……。

 どうしよう……。

 ぼんやりと考えた。

 どうやって帰ればいいのか……?

 そもそも、どこに帰ればいいのだろう?

 とりあえず、あの橋の下の小屋に戻るしかないのだろうと思う一方で、もうあそこに戻っても仕方がないという気もしていた。

 

 待っていろと言った宋江は、なかなか戻ってこなかった。

 しかし、逃亡をしようとは思わなかった。

 宋江が待っていろと言ったから待つのだ。

 それしか考えなかった。

 身体の前には、宋江が置いていった河清の金入れがある。

 それは手をつけぬまま、その場所にあった。

 

 しばらくしたら、宋江が戻ってきた。

 ひとりの老婆と一緒だった。

 

「よく逃げなかったな、葉芍」

 

 宋江が微笑んだ。

 なぜか身体が熱くなった。

 宋江に接していると不思議に興奮する。

 心が浮き立つのだ。

 葉芍には、その理由はよくわからなかった。

 

「さっき話した葉芍という娘だ。すまんが、面倒を看てやってくれ、王婆(おうば)

 

 宋江が老婆に顔を向けて言った。

 この老婆は、王婆というらしい。

 とりあえず、葉芍は頭をさげた。

 

「また、厄介事を引き受けたのじゃな、宋江さん……。まあ、引き受けましょう。それにしても、お前も運がいいのう。施し好きのこの奇特な役人さんに当たるとはな。まあ、縁があったんじゃろうて……」

 

 王婆が手に持っていた女物の服を葉芍に差し出した。破かれた服と同じような町娘が着るような衣類だ。

 

「……とりあえず、それを着るといい。宋江の旦那もまだまだ若いからのう。いつまでも裸のままでいるのは眼の毒というものじゃ。特に、あんたみたいな美人には、旦那さんも眼がないからねえ……。清廉な役人さんだけだけど、実はなかなかの好色者じゃ。お前も気をつけるのじゃな」

 

「なにをいうか、王婆──。つまらんことを言うな」

 

 宋江が顔を赤くした。

 

「なにを照れておられるのじゃ、宋江さん。好き者というのは本当じゃろうが……。好き者すぎて、前の女房にはさっさと逃げられてしまったのじゃろう。いまは男やもめで、女にも苦労はしておるのだろう?」

 

 王婆が笑った。

 

「苦労などしておらん。娼館に行けば、金さえ払えば好きなことをさせてくれるからな──。い、いや。というか、なんの話をしておるのだ。俺のことはいい。この葉芍のことだ。とにかく、頼むぞ、王婆」

 

 宋江がまだ赤い顔をしたまま言った。

 なぜか、葉芍の心臓は早鐘のように鼓動を激しくした。

 そして、すごく落ち着かない気持ちになる。

 

 とにかく、葉芍は宋江に背を向けて、もらった服をすぐに身に着けた。

 

「葉芍、この王婆がお前の身の振り方の面倒を看てくれる。仕事も世話をしてくるし、住むところもあてがってくれるはずだ。お前の素性も話してあるから、心配するな。お前にどんな仕事ができるかは知らんが、相談をしてみるがいい。この王婆は世話好きの女だ。きっと親身になってくれるはずだ」

 

「まあ、宋江の旦那様の紹介だから、ちゃんと扱いますがのう……。世話好きなどと、宋江さんに言われては驚きますわい。こんな娘っ子の身元保証人になろうというお役人などあり得ませんよ。あんたの物好きにも呆れてしまいますわい」

 

「物は言うべし、世話はするべしだ。悪さはするなと説教をしても、働き処も紹介しないのでは、警尉官としての本当の仕事ではない。悪さをするのは、それしか生きる方法がないからだ。この娘たちの罪ではない。この世の中が悪いのだ」

 

「また、始まりましたのう。宋江さんのこの世の仕組みが悪いのだが……。まあいいじゃろう。引き受けますわい。ほかならぬ、宋江さんの頼みじゃ。あんたの保証なら、どこでも引き取ってくれると思うわい」

 

「じゃあ、そういうことだ、葉芍。とにかく、この王婆に相談してくれ。なにか問題があれば、俺のところに来るがいい」

 

 宋江は廃屋を出ていった。

 葉芍は、あまりのことに呆然としていた。

 

 やがて、あの宋江が立ち去ってしまったのだと気がついた。

 宋江が葉芍を助けてくれて、しかも、捕えることもせず、さらに世話人まで紹介してくれたのだ。

 面倒が嫌いなどとうそぶいていたが、こんな一銭の得にもならないことに骨を惜しまないなど、逆に面倒好きにも程がある。

 そんな宋江に十分な礼も言わずに行かせてしまった……。

 葉芍は後悔した。

 

「さて、どうするかのう……。あんたの名は葉芍というのじゃな? とりあえず、お前の素性は聞いておる。だから、面倒は看るが、これだけは言っておくぞ。あんたのことはあの宋江さんの紹介ということになる。おかしなことをしたら、宋江さんの名を汚すことになる。それだけは覚えておくのじゃ」

 

「宋江様には、絶対に迷惑はかけません。本当です。誓います」

 

 葉芍は慌てて言った。

 王婆が満足気に微笑んだ。

 それにしても、驚くことばかりだった。

 あの宋江という役人は何者だろう?

 なぜ、葉芍を捕らえなかったのだろう?

 どうして、葉芍の面倒を看てくれようとしてくれたのだろう?

 

「……あ、あたしの面倒を看てくれるようなことを言っていたと思いますが、本気じゃないですよねえ。あたしは橋の下の子供ですよ」

 

 すると、王婆が笑った。

 

「本気じゃなくてどうするのじゃ。あんたの世話賃は別に宋江さんからもらっておる。だから、心配することじゃないし、わしに別に感謝を示さんでもいい……。それにしても、あの河家のろくでなしどもから犯されたと聞いたが、その様子じゃあ大丈夫じゃな。心が潰れているんじゃないかと心配していたが、さすがに橋の下の子供は心が強い……。ああ、悪い意味で言っているんじゃないぞ。心が強いのはいいことじゃ」

 

「こ、こんなもの……。避妊の薬は飲んでいますから……。犯されたくらい拭けばいいことです」

 

「その意気じゃ。こんなご時世だからのう……。あんたみたいに、見てくれがいいのは、女として運のいいこともあるじゃろうか、逆に悪いこともあるかもしれん。だけど、それだけ心が強ければ、なにがあっても大丈夫のような気がするのう」

 

 王婆が笑った。

 

「……あ、あたし、見てくれがいいですか……? つ、つまり、女としてですけど」

 

 葉芍は当惑して言った。

 

「まあ、器量よしだと思うね。いまは顔が汚れているし髪も乱れているけど、磨けばなかなかのものにはなるとは思うわい。あんたが気を悪くしないなら、下手に働くよりも、どこかのすけべ爺いの妾という手もあるのう。なにもしなくても食っていけるさ。それだけの器量があれば、どこでも紹介できるぞ。どこかのじじいの性の相手をして、珍棒でも舐めておればいいだけのことじゃ……。身体を売るとは思わんことじゃ。仕事と割り切ればいい」

 

「妾ですか……」

 

「嫌か?」

 

「嫌ではないですけど、あたしみたいな娘が誰かのお妾さんになんてなれますか?」

 

「なれるのう。それだけの美人じゃ。お前にその気があるなら、わしは本当にそっちの方面で探すぞ。この王婆さんは男と女の世話をする仲人も得手じゃ。お前の場合は、橋の下の子供ということが問題じゃが、まあ、こうやって話をする限りは、喋り方もしっかりとしているし、ばれやしないさ。この王婆さんに任せておきな。いいところを紹介するぞ」

 

 その言葉で葉芍の腹は決まった。

 葉芍は思い切って、自分の望みを口にしてみることにした。

 

 

 *

 

 

 宋江は、いつも通り、役所からあてがわれている従僕をひとり連れて帰宅をしていた。

 家に近くなったところで、家の前で王婆待っているのが見えた。

 王婆だ。

 宋江が懇意にしている町の世話女であり、定期的に小遣いも渡している老婆だ。

 陽気で元気がよく、働き者であり、よく動いてくれる。

 なかなか重宝して使っている。

 

 だが、宋江が面倒を看ているのは、王婆が身寄りのない独り暮らしの年寄りであるからであり、その暮らしが立つようにという配慮でもある。

 その代償として、王婆にはさまざまなことを頼む。

 同じような者を宋江は十数人握っていた。

 

 それが警尉官としての宋江の貴重な協力者になってくれるのだ。

 無論、口にはできない宋江の裏の仕事のことでも、彼女たちのような存在は、貴重な情報源だ。

 

 その王婆の横にひとりの華人がいる。

 若い娘だ。

 見覚えはない。

 その華人が深々と頭をさげたのがわかった。

 家の前に着いた。

 

「お帰りなさい、宋江さん。今日は折り入って、この王婆がいい話をもってきましたのじゃ」

 

 王婆がにこにこして言った。

 勘のいい宋江は、それでなんの話かすぐにわかった。

 宋江は嘆息した。

 

 この王婆という老婆は、目端が利いて便利なのだが、大きな欠点がある。

 なにかにつけ、宋江に後妻や妾を紹介したがるのだ。

 この華人もまた、その目的で連れてきたに違いない。

 

 しかし、宋江にはもう妻も妾もめとるつもりはない。

 だから、王婆のこのおせっかいにだけは閉口している。

 しかも、今日は宋江に話をする前に、当の相手を連れてきてしまったようだ。

 どこのお嬢さんかわからないが、本人を前にして断わるのも角が立つというものだ。

 宋江は困ってしまった。

 とりあえず、従者を返すことにした。

 

唐牛(とうぎゅう)、荷を家の中に置いたら、今日は戻っていい」

 

 唐牛というのがこの若い従者の名だ。

 博打好きで小狡いところがあるが、宋江は自分につけられている従者なので大切にしていた。

 一応は、唐牛も宋江のことだけは慕ってもいるようであるし、命令にもちゃんと従う。

 

 それにしても、随分と可愛らしい娘だと思った。

 薄桃色の服も貝殻の髪飾りも上等なものではないが、この娘がつけると、まるで随分と高貴な物であるかのような錯覚をする。それだけではなくて、この娘の眼からは心の強さのようなものも感じる。

 単に綺麗なだけではない芯の強い娘なのだろうと思った。

 いずれにしても、ちょっとこの辺りでは珍しいほどの美少女だ。

 だが、宋江はこの娘とどこかで遭った気がした。

 しかし、このような美しい少女であれば、そうは忘れることなどあり得ないと思うのだが、どうしても、どこで出遭っていたのか思い出せない。

 

「あっ、荷は、あたしが中までお運びします」

 

 すると、その華人がさっと唐牛から荷を受け取った。

 宋江はそれを制した。

 

「いや、客人にそのようなことをさせるわけにはいかん」

 

 宋江は華人から逆に荷を取り戻そうとした。

 

「よいではないですか、宋江さん。この葉芍は、宋江さんの下女になりたいというのじゃ。従者から荷を受ける取るのは、下女の役目じゃ。葉芍、この若いのは唐牛とゆうて、役所がつけている従者じゃ。覚えておくといいぞ」

 

「よろしくね、唐牛。葉芍よ」

 

 華人がにっこりと微笑んで頭をさげた。

 

「あっ、お前、あの葉芍か?」

 

 宋江はびっくりして声をあげた。

 言われてみれば、葉芍に間違いはない。

 それにしても、身体を洗い、きちんと髪を流行りの髪型に結い直し、服や装飾具を変えれば、これほどに人は変わるものかと感嘆するほどだ。

 宋江はびっくりして、葉芍の顔をまじまじと見てしまった。

 

「あ、あたしのことお忘れだったのですか……」

 

 葉芍ががっかりとした表情になった。

 

「お前のことは忘れてはおらん。つい三日前のことではないか。だが磨けばこれどの華人に化けるなど、わかるわけがない。これは変わりすぎだ。とにかく、中に入れ」

 

 宋江は、葉芍と王婆を家の中に招き入れた。

 三人で家の中に入ろうとしたとき、従者の唐牛が葉芍に見惚れたようにじっと見ていることに気がついた。

 とりあえず、唐牛を追い返す。

 

 そして、部屋の中に入って、ふたりを客間に通した。

 葉芍が王婆に言いつけられてお茶を入れにいった。

 厨房の勝手はわからないと思ったが、事前に王婆に教えられているから、それくらい大丈夫だと葉芍は断わって、ひとりで厨房にいった。

 

「わしも試したが、意外にも家事全般にできますぞ。ほかにも、野草でも茸でも食えるものと食えないものを見分けることもできる。付き合えばわかるが、学がないから読み書きはできんが、実際には頭のいいようじゃ。まあ、使ってみてはくれませんかのう」

 

 ふたりきりになると王婆が言った。

 

「おいおい、王婆、お前には、あの葉芍が身の立つように世話を頼んだのだぞ」

 

「わかってますわい。だから、連れてきましたのじゃ……。葉芍が磨けば光る珠だというのは、わしにはすぐにわかりましたからのう。実際のところ、あれほどの美貌じゃ。それで、どこかのひひ爺の妾にでもと思うたのだが、葉芍は、宋江さんが独身で身の回りを世話をする女の影もないと聞くと、どうしても宋江さんのところで仕えたいと言い張るのでな……。まあ、あれだけ熱望するし、二日付き合って、わしはあの葉芍が確かな娘だと確信しましたしな。それで連れてきましたのじゃ」

 

「俺は妾は囲わん──。前にも言ったはずだ。俺は駄目なのだ……。お前には隠さずに教えたと思うが、俺は普通の性交はできん。性癖が特殊なので、普通の女は相手にはできんのだ。それで最初の妻も失敗した。変態だの。異常者などとさんざんになじられて、出て行かれてしまった。もう、あんな思いはたくさんだ。俺の性癖が特殊であるのは、もう自分で知っている……。だから、いい加減に俺に妾や女房をあてがおうとするのはやめよ」

 

 宋江には少年の頃から特殊な性癖があって、どうしても女を縛らないと欲情しないのだ。

 それで最初の妻とはうまくいかなかった。

 宋江も傷ついたし、出て行った女房にも悪いことをしたと思っている。

 娼館にいけば、余分な金さえ払えば、縛らせてくれる娼婦もいるし、性欲はそれで発散できる。欲を金で発散させてくれる商売だから、向こうも割り切るし、宋江も気が楽だ。

 だから、いまでは商売女で間に合っているし、妾も女房もこりごりだと考えている。

 

 自分の恥ずかしい性癖については、あまり他人には言いたくなかったのだが、王婆があまりにもしつこく後添いをすすめてくるので、仕方なく宋江は、自分の恥ずかしい性癖を王婆にだけは白状したのだ。

 それ以来、王婆は宋江に女を世話をしようとすることはなくなっていたのだが……。

 

「いや、あの葉芍は妾ではなく、下女にと連れて来たのじゃ。本人も、眼の前で汚されてしまっているのを宋江さんに見られているので、いくらなんでも自分を妾にしてくれるとは思うてはおらんようじゃ。だが、下女でもいいから、どうしても、お前さんの世話をして恩を返したいというのじゃ。宋江さんも、汚れた女は好かんじゃろうが、下女であれば置いてやってはどうじゃ。あの娘は、本当にお前さんを慕っておるぞ」

 

「なにを言うか、王婆──。俺がいつ葉芍を汚れているなどと言ったか──。女というのは、心が汚れておらねば、身体などいくら穢されても汚れはせんわ」

 

 宋江は腹がたって言った。

 

「おう、だったら、話が早いのう───。妾にしてやってくれまいか、宋江さん。実際のところ、あの娘の望みのそこにあるようじゃ──。女としては相手にはしてもらえまいと思っているから、下女にと申し出ておるがな。話をきいてみたが、随分と気の毒な境遇でもあるのじゃな……。孤児たちが助け合って生きていた橋の下の子供たちの最後の生き残りでもあるようじゃ。なんとかしてやりたいのじゃ」

 

「あの連中のことは俺も知っている。気にかけてもいた。死んだ張三郎という少年とあの葉芍が最後の生き残りのふたりということも知っている。そして、その張三郎が死んで、葉芍が真の意味で天涯孤独の身の上になったということもな……。知っていてなにもしなかった。当時の俺も若かったし、助けられることのができるくらいの立場の役人になったときには、幼い子供たちもいなくなって、生き残りはあのふたりだけになっていたのだ。あんな幼い子供たちが助け合っていたのに、大人の俺が助けてやれなかったことは口惜しく思っておる」

 

「だったら、ただひとり生き残った娘を助けてやるがいいわ。それが大人の義務というものじゃ……。それにあの娘は、すでに大人じゃぞ。まあ、それは知っておるとは思うがのう。それとも、やっぱり、他人の男の精を受けたような女は嫌なのかのう?」

 

「女としてはあれ程の華人はそうはおらんとは思う。だが、これは俺の性癖の問題だと言ったであろう、王婆」

 

 宋江は困って声をあげた。

 そのとき、扉が静かに開いた。

 宋江は慌てて口をつぐんだ。

 葉芍が茶の入った盃を盆で持って、戻ってきた。

 

「どの盃を使っていいかわからなかったので、勝手に選んで使いました。問題があれば教えてください。すぐに覚えます」

 

 葉芍が、宋江と王婆の前にお茶を並べながら言った。自分の分は持ってこなかったようだ。

 そして、自分はふたりの座る卓の横に立った。

 下女になるつもりだから、主人と一緒に座るのは不都合だと思っているのだろう。

 宋江は嘆息した。

 

「いいから座るがいい、葉芍」

 

「でも、下女が主人と同じ卓につくなど……」

 

 葉芍は首を横に振った。

 

「だったら、最初に言っておく。俺はお前を下女にはできん」

 

 宋江はきっぱりと言った。

 すると、葉芍の顔が見るからに真っ蒼になった。



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4   宋江(そうこう)葉芍(はしゃく)に調教を懇願される

「お前を下女にすることはできん」

 

 宋江(そうこう)ははっきりと言った。

 葉芍(はしゃく)の顔が真っ蒼になり、唇がぶるぶると震えたのがわかった。

 

「……は、はい……。わかりました……。申し訳ありませんでした……。橋の下の娘が、お役人様の家の下女になろうなどと大それたことを考えてすみませんでした」

 

 葉芍はしっかりと頭をさげた。

 しかし、その両眼に涙が溜まっていたのが見えて、宋江は嘆息した。

 その様子から、葉芍が本当に宋江に仕えることを熱望していたということがわかったのだ。

 だからこそ、王婆(おうば)もここまで連れてきたのだろう。

 王婆も罪作りなことをするものだ。

 いずれにしても、葉芍が橋の下の出身であると口にしたのが気になった。

 そんなことを理由に断わったのではないことだけは、説明しておかなければならない。

 

「橋の下とかそんなことはどうでもいい……。俺は男のひとり暮らしだ。お前のような若くてきれいな娘を雇うことなどできんのだ。俺も男だ。間違いがあったらどうする」

 

 葉芍は思わず言った。

 すると、王婆が横で大笑いした。

 

「間違いがあっても、なんの問題もないわい。この葉芍も本当はそれを望んでおるのじゃぞ。いずれにしても、その歳で男ひとりということの方が間違いじゃ。お役人ともなれば、それなりの甲斐性はあるじゃろう。気の毒な娘のひとりくらい囲ってやればいいじゃろうて。葉芍や、お前も、宋江さんに抱かれることについては問題ないのじゃろう……? それも期待して、あんなに愉しそうに一生懸命に化粧までしたのじゃ。お前も宋江さんに仕えたいなら、お願いせんか」

 

「は、はい」

 

 すると、葉芍が宋江に向き直って床に膝をつき、手をついて深々と頭をさげた。

 

「こ、この通りです。このあたしに、宋江様のお世話をさせてください」

 

 宋江は困ってしまった。

 

「よしわかった。まあ、この王婆に任せておくがいいわ。絶対に、お前と宋江さんを結びつけてやるからのう……。もしかしたら、妾には抵抗があるかもしれんから下女という話で持ってきたが、とにかく、葉芍を引き取ってやってくれまいか、宋江さん。これも縁だと思うがのう……」

 

 王婆が言った。

 顔をあげた葉芍は、期待するように宋を見つめて、顔を赤らめている。

 

「こ、こらっ、王婆、押しつけはよくないぞ。男と女のことはそうは簡単にいかんのだ」

 

 宋江は当惑して言った。

 女を縛らなければ欲情しないという困った性癖のために、最初の婚姻で失敗したことを王婆は知っているはずなのだ。

 それなのに、今回はいやに押しが強い。

 

「なにが押しつけじゃ。好色者のくせに、清廉なふりをするのはやめることじゃ、とにかく、この年寄り女の話だけは聞いてもらいますぞ、宋江さん。わしはこの三日間、ずっとこの娘を付き合ったのじゃ。それでこんなに健気でいい娘はおらんと結論づけた。なにも考えんでこの話を持ってきたわけじゃないわい──。いずれにしても、ちょっと待ってはくれんか……。わしも外でずっと待たされたので、ちと、もよおしてきたわい。厠を借りますぞ。ついでに、葉芍にも厠を教えておく。ちょっとついてこい、葉芍」

 

 王婆はそう言って、強引に葉芍を部屋の外に連れていった。

 宋江は嘆息した。

 ひとりになってから、この事態をどうしたものかと考えた。

 葉芍が宋江を慕ってくれているというのはなんとなくわかる。

 宋江が葉芍を助けたということを必要以上に感謝してしまっているのかもしれない。

 だが、もう宋江は特定の女と関係を結ぶ仲になるつもりはない。それどころか、どんな素人女とも寝るつもりはない。

 そう、決めている。

 

 最初の婚姻はさんざんだった……。

 

 女を縛らなければ欲情しない性質の宋江に対して、妻は侮蔑と恐怖で応じ、断固として縛られるのを嫌がった。

 だが、宋江は縛らなければ、一物がどうしても役にたたなくなるのだ。

 妻は失望したし、宋江も自分のことを嫌悪した。なんとか普通に抱こうとはしたが、試してもうまくいかなかった。

 

 妻はそんな宋江に冷淡な視線で接するようになった。

 その視線がいたたまれなくて、宋江は妻を抱こうとは思わなくなった。

 

 やがて、妻は宋江の留守中に家に間男を呼び込むようになった。

 宋江はそれを薄々感づいていたが知らぬふりをしていた。女は娼館にいけばいい。そこなら余分な料金を支払い、女にも小遣いでもやれば、女は縛ることを許してくれる。

 

 だが、あのとき宋江は失敗したのだ。

 その日は、夜勤で戻れない日ということになっていた。しかし、急に仕事が片付いて、帰宅できることになった。

 宋江はうっかり、そのまま家に戻ってしまった。

 前もってこの日に帰宅できないと、妻に伝えていたのをまったく忘れていた……。

 

 宋江が見たのは、獣のように抱き合っている妻と間男の姿だった。

 寝室で別の男と抱き合っているのを宋江に見られた妻の反応は、宋江に対する激しい怒りだった。

 間男との情事を見られた妻は完全に開き直り、宋江のことを変態で異常者だとなじった。

 宋江のお陰で、自分は不幸になったのだと怖ろしい形相でさんざんに悪態をついた。

 その通りだと宋江も思った。

 

 宋江がまともな女の抱き方ができたら、妻はいつまでも貞節な女でいられたかもしれないのだ。

 妻がを裏切ったのは、宋江のせいだ。

 翌日、妻はその間男と家中から金目になるものを抱えて駆け落ちした。

 もうあんな思いをするのも嫌だし、自分の妻や妾にさせるのも嫌だ……。

 

 そんなことを思っていたが、宋江はふたりが出て行ってから随分と時間が経っていることに気がついた。

 厠に行っているだけにしては随分と遅い。

 女が厠に行っているのを様子を見に行くのも失礼だし、どうしたものかと考えていたら客間の扉が開いた。

 

 戻ってきたのは葉芍だけだった。

 顔が真っ赤だ。

 それに随分と汗もかいているようだ。

 

「王婆はどうした?」

 

 宋江は訊ねた。

 

「あ、あのう……。戻られました……」

 

 葉芍はおずおずと答えた。

 宋江は驚いた。

 

「戻った? だったら、なぜ……」

 

 なんで王婆が戻ったのに葉芍はまだいるのだと訊ねそうになって、宋江はわざと王婆が葉芍を置いていったのだという事実に思い当たった。

 王婆は、宋江が葉芍を引き受けることに、簡単に同意することはないと思って、強引な手段をとることにしたようだ。

 

 つまりは、葉芍を置いていったのだ。

 宋江は嘆息した。

 こうなったら、葉芍に、自分の性癖のことを白状して、諦めてもらうしかない。

 宋江が女を縛らなければ一物が役にたたなくなるような変態だと知れば、葉芍は怖がってこの家を出ていくだろう。

 

「座りなさい、葉芍……。お前に言っておきたいことがある」

 

「は、はい」

 

 葉芍は大人しく、さっきまで王婆が腰掛けていた椅子に座った。

 

「実は……」

 

 しかし、宋江は自分の性癖を説明しようと思って言い淀んだ。

 きちんと髪を結い、化粧をした葉芍はびっくりするほど綺麗だった。

 しかも、まだ少女だ。

 確か、十五歳か……。

 十五歳の少女を相手に、自分は変態だと告げるのは、どう言っていいのか迷った……。

 すると、葉芍の方から口を開いた。

 

「そ、宋江様、あ、あの……。あたしを調教してくれませんか。し、縛っても構いません」

 

 言い終わった葉芍の顔はが真っ赤だ。

 さらに葉芍は、いきなり椅子からおりると、崩れ落ちるように宋江の足元に跪いた。

 宋江は驚愕した。

 そして、これは王婆の差し金だと悟った。

 

 王婆は、葉芍をただ置いていくだけではなくて、葉芍に宋江の性癖のことを暴露して、さらに因果を含めていったに違いない。

 つまり、宋江の妾になりたければ、縛られろと伝えたのだろう。

 宋江は困ってしまった。

 

「い、いや、葉芍……」

 

「か、構いません。好きなように扱っていただいていいです。どうか、お願いします。あたしをここに置いてください。なんでもします……。どんなことでもいいつけてください。掃除でも、洗濯でも、食事の支度でも全部できます。も、もちろん、せ、性のお相手も……。縛られて抱かれることはなんの問題もありません。宋江様がそれで悦んでくれるなら、それで満足です。身体に飽きたら捨ててもらっても恨みません。どうか、少しのあいだだけでも、この家で暮らして恩を返すことを許してください。あ、あたしは、こんな女ですからこんなことしかできませんが、どうか縛ってください──」

 

 葉芍は一気にまくしたてるように言った。

 そして、両手首を揃えて縄掛けを待つように宋江に差し出した。

 宋江は、こんなにびっくりしたことはなかった。

 元妻にこっぴどく罵られて愛想を尽かされて出て行かれて以来、どんな女でも縛られて性愛の相手をするのは、心の底から嫌悪するものだと思っていた。

 しかし、葉芍が縛られて抱かれてもいいというのは本気のようだ……。

 

 だったら……。

 

「お、俺は一度始めたら歯止めは効かんぞ、葉芍……。人が変わったように鬼畜になると思う……。本当に縛られて抱かれてもいいのだな? 残酷で、冷酷で、お前が泣き叫ぶようなこともやるかもしれん? 俺はそういうことでしか女を抱けない変態なのだ。そんな男の相手を本当にしてくれるのか、お前は?」

 

「は、はい……。う、嬉しいです……。こ、怖いですけど……、嬉しいです……」

 

 葉芍は両腕を差し出したまま言った。

 宋江の腹は決まった。

 これ以上の躊躇は、葉芍に対して失礼というものだ。

 それに、宋江の自制心も限界に近い。

 立ちあがった。

 

「じゃあ、縄を取ってこよう。戻って来るまでに素っ裸になっていろ。これが最後の機会だと思うといい。縄を取って戻ってきたときに、お前が裸になっていなかったら、それで終わりにしよう……。俺の女になろうなどということは考えんことだ」

 

「そ、宋江様の女──? も、もちろん、服を脱いで待っております。で、でも、立派なお役人様の女など……。そんな大それたことは……。あ、あたしは、ただ……」

 

 葉芍がびっくりしたような声をあげた。

 しかし宋江は、そのまま葉芍を置いて部屋を出た。

 娼館で娼婦を縛って抱くための縄は、ひとまとめにして箱に入れて隠して置いてある。

 縄を入れた箱は、寝室にある隠し棚だ。

 寝室にある戸棚が小さな隠し扉になっていて、その戸棚を横に動かすと、そこにかなりのものを収容できる空間が現われるのだ。

 そこには、宋江の蒐集品が、備え付けている棚に綺麗に整頓されて置かれている。縄を入れた箱はそこの一角にある。

 

 ほかにも、さまざまな嗜虐のための道具がある。

 高い金で購入した道術の淫具まである。

 さすがにこういうものまでは、相手が娼婦でも使うことはないのだが、これらは使うことを想像してひそかに愉しんでいた淫具だ。

 

 葉芍を妾にしたとすれば、彼女はこんな淫具を使うことまで本当に許してくれるだろうか……?

 宋江は、本当に葉芍が宋江の性癖を承知のうえで女になってもいいというのであれば、本気で妾にしようと思い始めていた

 そして、葉芍が宋江の性愛を怖がらずに受け入れてくれときのことを想像して興奮を感じてきていた。

 

 さっきまでは躊躇していた。

 いまは、やっぱり葉芍が宋江の抱き方を怖れて後悔し、妾になることを断られることに恐怖を感じてきた。

 宋江は、とりあえず縄だけを持って寝室を出ようと思った。

 しかし、どうしても使ってみたかったものがあり、それも縄と一緒に持った。

 小さな容器に入っているふたつの媚薬だ。

 

 媚薬などというものを使ったことはもちろん宋江はない。

 使うことで、どうなるかは知らない。

 しかし、もしかしたら、これは人生に二度とない機会かもしれないのだ。

 今日これからの行為が終わって、葉芍が宋江のもとから出ていけば、おそらくそうなるだろう。

 だったら、これは一度使ってみたい……。

 宋江は、もう一度集めてある責め具の蒐集品を見た。

 いや、だったらこれも……。

 こっちも試してみたいのだが……。

 宋江は絶対に使うことはないと思っていた嗜虐の責め具が、本当に使えるかもしれない状況がやってきたことで興奮をしていた。

 

 

 *

 

 

 葉芍が待っているはずの部屋に戻った。

 

 葉芍はさっきと同じような姿勢で、床に正座をした態勢で待っていた。

 ただ、身に着けていた服だけが、横に畳んで置いてあった。

 布片一枚さえも、葉芍は、身に着けていなかった……。

 宋江は一気に興奮した。

 葉芍は、宋江を認めると、緊張した様子ながらも、床に座ったままの体勢で、宋江に向けて両手をまた揃えて出した。

 

「違う……。俺に背を向けて腕を背中で横に合わせるようにしなさい」

 

 宋江は言った。

 

「は、はい」

 

 葉芍は言われた通りの体勢になった。

 宋江は、葉芍の重ねあわせた両手首を縄で縛ると、余りの縄尻を前に回して、葉芍の若い乳房の上下を固く締めた。

 葉芍はまったく抵抗しなかった。

 それどころか、早くも緊張と興奮に耐えられなくなったかのように甘い吐息をする。

 宋江は、それだけで全身の血を湧きたてる情感の昂ぶりを感じて、頭がぼうっとなる気がした。

 

「もうどうしようもあるまい。俺の気のすむまで抱かせてもらう……。さんざんに、忠告したはずだ。泣こうが、喚こうが、絶対に許さんぞ」

 

「ど、どうか、ご存分に……。ら、乱暴に扱って結構です。ど、どんなことでも……」

 

 葉芍の声は震えていた。

 それが裸身に縄掛けされた恐怖によるものなのか、それとも、葉芍もまた、宋江と同じように性的な興奮をしているのかはわからない。

 いずれにしても、宋江はもう後戻りをするつもりはない。

 葉芍に、縄掛けを終えた宋江は、さっき手に持ったふたつの媚薬の容器を床に置いた

 まずは赤い蓋のある瓶を出して、中にある油薬をたっぷりと指ですくう。

 

「葉芍、俺が本当に鬼畜な男だということを知ってもらうぞ。この油剤は、女の身体を敏感にする薬だ。まずはこれをお前に使わせてもらう」

 

「は、はい……」

 

 葉芍が頷いた。

 宋江は葉芍の緊縛された身体を床に横たえた。

 油剤をたっぷり乗せた指を葉芍の二本の太腿のあいだに入れる。

 葉芍は抵抗しない。

 むしろ、股を軽く開いて、宋江行動を受け入れるように身体の力を抜きさえした。

 宋江は油薬の塗ってある指で、葉芍の陰毛をかきわけ、襞を押し開くように葉芍の急所の部分に塗りたくっていく。

 

「あ、ああ……はあっ……はあっ……」

 

 葉芍の息がそれだけで荒くなった。

 そして、それよりも宋江を狂喜したのは、まだ股間にはなにもしないのに、すでに熱くてたっぷりと濡れていたことだ。

 宋江に縛られて抱かれることに対して、葉芍がまったく嫌悪感を抱いていないことがそれでわかった。

 宋江はそのことに眩暈するほどの感動を覚えていた。

 

 宋江は、粘性の油薬を何度も指に足して、葉芍の股間に執拗に塗っていった。

 知り合いの道士に高価な金を払って調合してもらった媚薬だ。

 女を愉しむためのものだと説明したときは、「案外に宋江殿も好き者なのですなあ」と、そいつは笑っていたが、まさか、宋江が本当には使う目的もなく、ただ、使うことを想像して愉しむだけに調合を頼んだとは思いもしなかっただろう。

 しかし、いま、それを本当に実際の女の身体に塗っている。

 宋江は、そのことだかで、心臓が締めつけられるような恍惚感を覚えていた。

 

「あ、熱い──。ああ……こんなの……、こ、怖い……はああっ……」

 

 だんだんと葉芍の反応が激しくなってくる。

 しかし、葉芍の顔には嫌がる様子はない。

 むしろ、さらに油薬を塗るために指が動くのをせがむように、切なそうな声をもらして、縛られた上半身をうねらせる。

 

「す、好きにしてください……。お、お願いです、宋江様……。ほ、本当に好きなようにしてください。は、葉芍の身体を好きなように……、あああっ──」

 

 葉芍が宋江の指を受け入れいる股間を突き出すようにして、悲鳴のような声を突然にあげた。

 

 宋江も興奮の頂点にあった。

 絶対に、この少女の身も心も宋江のものにするのだと決めた。

 躊躇はもうない。

 この葉芍とであれば、なにもかもうまくいくのではないか……。

 宋江の中に、そんな確信のようなものも生まれつつあった。

 もっと、徹底的にいたぶりたい……。

 さらに、苛め抜きたい。

 

「お尻の穴にも塗るぞ、葉芍」

 

 承諾をとるために口にしたのではない。

 言葉を言い終わるときには、すでに新しい油薬をすくった指は葉芍のお尻の穴に入っていた。

 

「す、好きなように……くうううっ、も、もうだめです……」

 

 葉芍が半開きの太腿をくねくねと揺らしながら呻いた。

 そして、宋江の指が秘められた菊の座に押し入ったとき、葉芍は美しい顔を引きつらせたように、激しい身悶えを示した。

 

「はうっ」

 

 反応が大きくなった葉芍に嬉しくなった宋江は、油薬の滑りを利用して葉芍のお尻の中に入ったままの指を執拗に抽送してみた。

 

「ああっ、はううう」

 

 葉芍の身体が弓なりになり、次に痙攣を起こしたように震えた。

 どうやら、葉芍はさっそく快感の極みに達してしまったようだ。

 

「ここは葉芍の性感帯のひとつのようだな……。だが、まだ始まってもいなんだぞ。いくらなんでも早すぎるだろう」

 

 宋江はからかった。

 

「も、申し訳ありません……。我慢できなくて……」

 

 眼に涙を浮かべている葉芍が息を吐きながら言った。

 その表情は本当に抱きしめたくなるくらいに可愛かった。

 宋江は、葉芍の身体を起こして唇を吸った。

 葉芍は口を開いて、宋江の舌を受け入れる。

 そうやって、しばらく舌を唾液を交換し合った。

 口を離したときには、葉芍はすっかりと呆けた顔になっていた。

 

 宋江は、一度葉芍の身体を離して床に静かに横たえる。

 自分の服を脱ぐ。

 宋江の股間は自分でも信じられなくらいに固く勃起していた。

 その自分の性器に宋江は、準備していたもうひとつの油薬を取りだした。

 

「こっちの瓶に入っている媚薬は、男の持続力を増やす薬剤だ、葉芍。お前の身体を存分に嬲り尽くさないと、もったいないからな」

 

 葉芍は、床に横たわったまま、ぼんやりと宋江の裸身を見ていたが、その言葉にごくりと緊張の唾を飲んだ。

 その顔は照れたようなはにかみで覆われていた。

 

「きょ、今日だけでも構いません……。あたしを宋江様の女に……。で、でも、できましたら、どうか末永く置いてください……」

 

 葉芍は言った。

 その葉芍の腿を両手で抱える。

 怒張を股間に埋めていく。

 

「ふううう、そ、宋江様──」

 

 葉芍の身体が震えた。

 

「俺のことは、旦那様と呼ぶがいい」

 

「旦那様──」

 

 葉芍が感極まった声で叫んだ。

 

 

 *

 

 

 始まってから、どのくらいの時間が経ったのか、葉芍は覚えていない。

 客間で始まった性交は、いまはその場所を寝室に移していた。

 葉芍は、ただただ、宋江の攻撃的な性の責めに圧倒されていた。

 

 もう息も絶え絶えだ。

 いきすぎて、何度も意識を失った。

 その度に、宋江に頬を叩かれて覚醒させられた。

 

 いまも、葉芍は寝台に後手縛りのまま組み伏せられて、激しい宋江の怒張の反復運動を受け続けている。

 葉芍の女の陰部は完全に宋江の怒張を飲み込んでいた。

 

 その宋江が腰を律動させながら、葉芍の唇を奪った。

 葉芍は、宋江の求めるままに舌を受け入れ、そして、唾液を飲んだ。宋江もまた、むさぼるように葉芍の舌を吸う。

 

 さらに、宋江は葉芍の乳房を掴み、荒々しく揉んだ。

 股間を貫かれ、唇を奪われ、乳房を蹂躙される葉芍が感じるのは、すべてを奪われているのだという確かな実感だ。

 腕を縛られた葉芍の自由は、すべて宋江に委ねられている……。

 いまここで、宋江が葉芍の首を絞めたいと思えば、葉芍は呆気なく死ぬだろう。

 宋江に首を絞められて死ぬ……。

 それを想像したたけで、葉芍はまたもや達しそうになった。

 

 葉芍のすべてを宋江に征服されている……。

 そう思うと嬉しかった……。

 こんなにも幸せな性愛があるなんて生まれて初めて知った。

 だが同時に、これほどまでに、激しくて長い交合も初めてだ。

 

 葉芍は、ひたすら宋江の荒々しすぎる責めを受け入れ、そし

て果て、また受け入れ、さらに、果てる……。

 これを繰り返していた。

 

 いや、受け入れる……ではない。

 受け入れさせられている……。

 

 葉芍は、宋江を受け入れるか、否かの選択肢は渡されていないのだ。

 この性交は宋江が飽きるまで続く。

 それが、宋江の求める性交のかたちであり、葉芍に求められたのは、宋江が性を発散するあいだ、抵抗も逆らうこともできないように縛られることだ。

 そして、葉芍はそれに応じた。

 

 縛られるということは、相手にすべてを委ねるということだ。

 実際に縛られることで、葉芍にはそれがわかった。

 宋江になにもかも委ねる。

 それがこれほどの甘美感を生むとは思いもしなかった。

 

 たが、この甘美感は、激しい苦痛の裏返しだ。

 限界を越える快感は、もはや拷問だ。

 局部が敏感になる薬剤を塗布され、怖ろしいほどに熱くなった股間を責められると、葉芍は自分でも驚くほど短い時間で次々に昇天した。

 もちろん、葉芍が一度や二度、昇天したたけでは終わらない。

 逆に、持続力の拡大する媚薬を股間に塗っている宋江の怒張はなかなか精を出してはくれなかった。

 

 簡単に達してしまうように薬剤を塗られた身体で、なかなか精を出さないように薬剤を塗った男のものを受け入れるのは、途方もなくつらい苦役でもあった。

 しかし、恋しい宋江の精を受け入れるための苦しみだ。

 どんなにつらくても、それは葉芍に全身を溶かすような幸せをもたらした。

 

 全身はとてつもなく熱い。

 両腕を縛られた不自由を感じる余裕すらない。

 それよりも、繰り返される絶頂に息も絶え絶えになり、葉芍は裸身の宋江に結合されながら、ひたすらにうねり舞い、吠え、そして昇天した。

 

 何度達したかなど記憶にない。

 気絶した回数ももうわからない。

 果てしなく繰り返し絶頂し、葉芍はいつしかほとんど自分では身体を動かせないほどに疲労した。

 

 客間で始まったときはまだ夕方であり、陽は落ちていなかったが、いつしか灯りが必要なほどに真っ暗になった。その闇の中で宋江と葉芍は愛し合った。

 

「そろそろ、いくぞ」

 

 宋江が嬉しそうに叫んで精を放ったのは、葉芍が十度目くらいの絶頂をしたときだったろうか……。

 それが、最初の失神だった。

 

 だが、それは終わりではなく始まりだった。

 そのあと、葉芍は宋江に担がれて寝台に運ばれてたようだ。

 気絶から覚めたときは、葉芍は寝室にいて、両腕は相変わらず後手に縛られていた。

 

 いつの間にか、干し肉や小さく切った果物や飲み物が準備されていた。

 葉芍が眠っているあいだに、宋江が自らそういうものを準備したのかと思うと恐縮してしまったが、宋江は気にしていないようだった。

 まずは寝台からおろされて、葉芍は床の上に座らされた。宋江は椅子だ。

 宋江が持ってきた飲み物や食べ物も卓の上にあった。

 

 最初に喉が渇いただろうと言って、口移しに水を飲まされた。

 こんなにも喉が渇いていたのかと思うくらいに水は美味しかった。

 何度か水を飲んだ後、今度は宋江の口の中で咀嚼された果物が口移しで入れられた。

 他人の唾液のついた食べ物など気持ちが悪いと思うはずなのに、葉芍が感じたのはまたしても大きな幸せだった。

 宋江の口に一度入ったものが自分に与えられる。

 それが、葉芍に大きな満足感を与えた。

 

 葉芍は、身も心も宋江のものになりかけている自分に気づいていた。

 この性交が始まる前は、たったひと晩でもいいから、宋江のものになりたいと思っていた。

 仲間以外の誰からも顧みられずに、ただいつか野垂れ死ぬために生まれたような葉芍たち……。

 それを宋江は、知っていてくれた……。

 それ葉芍の魂を揺らすほどの衝撃だった。

 

 たったのひと晩でいい。

 宋江と愛し合いたい……。

 そう思ったのだ。

 

 しかし、いまはそれは不可能だと思った。

 宋江なしで残りの人生を送ることなど考えられない。

 どんな立場でもいいから、宋江に関わって生きていたい。

 その欲望が葉芍を渦巻いている。

 そうでなければ、いっそ、宋江に殺されたいとさえ思った。

 

 この気持ちはなんだ?

 葉芍は当惑した。

 

 そして、食事が終わったら、また性交が始まった。

 再び、あの身体が敏感になる薬剤を宋江は、葉芍の局部に塗りつけた。

 それで、もう葉芍はなにも考えられなくなった。

 あとは、津波のように押し寄せる快感に絶頂を繰り返すだけだ。

 

 我慢などできるものではない。

 

 最初は正上位……。

 

 次は後背位……。

 

 しばらくしたら、騎上位……。

 

 体位を時折変えながら、ひたすらに行為は続いた。

 意識を落とすとすぐに、頬を叩かれて起こされた。

 

「……次は座っている俺の上に乗ってもらおう。これなら葉芍の身体のすべてに密着できる……」

 

 宋江が今度は寝台の上に胡坐をかいて言った。

 葉芍は膣に一物が深く挿入されたまま身体を起こされて、胡坐にかいた宋江の腰の上に乗せられるかたちにされた。

 葉芍の両脚は大きく開いて、宋江を向いて跨っている。

 その体勢で、宋江は葉芍の背中の縄を掴み、もう一方の手で葉芍の臀部を撫ぜ擦っている。

 

「ふわわあっ」

 

 一瞬でいきそうになり、辛うじて葉芍は耐えた。

 宋江は寝台の上で上下に弾むように動いて、葉芍の身体を突きあげては沈めた。

 そのたびに子宮が宋江の怒張の先で抉られて、肉が崩れるような快美感を葉芍は味わった。

 

「そ、そこは」

 

 しばらくそれが続いてから、葉芍は悲鳴をあげてしまった。

 お尻の穴の表面を触っていただけだった宋江の指が、すっと葉芍の菊の座に指を入れたのだ。

 今度はお尻に指を入れられたまま、身体を上下に揺すぶられる。

 

「だ、旦那様───葉芍は、ま、また───あああっ」

 

 葉芍は喉を仰け反らせながら喘いだ。

 

「いくらでもいくといい……。俺の女になるということは、この地獄のような性の苦しみを味わい続けるということだ。もう、お前を離さんぞ──。お前は俺の女にする──。とことん、頂上を極めていけ、葉芍」

 

 俺の女……。

 

 その言葉が繰り返し、葉芍の頭の中で繰り返した。

 気がつくと、いままでとは比べものにならないくらいに深く高く昇天していた。

 

 しかも長い……。

 葉芍は全身を震わせていた。

 涙が出ていた。

 葉芍は泣きながら昇天していた。

 

「し、幸せです……。嘘でもそんなことを言ってもらえたなんて……。は、葉芍は幸せです……。生まれてきてよかったと、初めて思いました……」

 

 葉芍は、宋江の頬に自分の頬を擦りつけながら言った。

 

「大袈裟だな……」

 

 宋江は苦笑しているようだ。

 

「ほ、本当です……。い、いっそ、この幸せのまま死にたい──」

 

 葉芍は叫んだ。

 残りの言葉は、激しい自分の喘ぎ声にかき消された。

 再び上下運動が始まったのだ。

 葉芍は自分の身体が一瞬浮きあがるような感覚を味わった。

 またもや、眼の前が真っ白になる。

 

「葉芍──」

 

 耳元で大きな声で名を呼ばれた。

 どうやら、気を失いそうになったようだ。

 

「も、申し訳ありません、旦那様……」

 

 旦那様……。

 

 宋江のことを“旦那様”と呼べる。

 なんという甘美な響きなのだろう。

 葉芍は、宋江に身体を揺すられながら思った。

 

 顔に顔を寄せる。

 自分から宋江の唇をむさぼった。

 すると、宋江が葉芍の裸身を強い力で抱擁した。

 まるで全身の骨が折られるのではないかと思うような強い力だ。

 葉芍の五体はすっかりと痺れたようになった。

 

「愛している、葉芍──」

 

 口を離した宋江が叫んだ。

 

「あ、あたしも……愛……愛して、愛しています──」

 

 葉芍は声を上ずらせて叫んだ。

 そして、昇天した。

 

「……ま、また、いきました……。あ、あたしばかり、申し訳ありません……」

 

 眼の前が揺れる。

 もう朦朧としてきた。

 自分ではなく、宋江を満足させなければ……。

 こんな自分をこれほどまでに満足させてくれた宋江に少しでも奉仕しなければ……。

 しかし、宋江の腰の動きがまた激しくなった。

 

 さらに、再び結合したまま体位を変えられる。

 今度は宋江が上だ。

 仰向けになった葉芍の身体の上で、宋江が激しい律動運動を始めた。

 葉芍はあっという間に大きく喘いで、悲鳴とともに絶頂に昇り詰めた。

 もう、この身体は際限がなくなっている。

 いくらでも連続絶頂してしまう。

 

 怖い。

 

 このまま快楽の深みにいけばどうなるのか……。

 自分は、宋江にいつか捨てられたときに生きていけるのか……。

 

 怖い……。

 

 いや、それもどうでもいい……。

 いまは、宋江が葉芍を抱くてくれているという悦びのことだけを考えよう……。

 すべてを宋江に委ねよう……。

 

 そう思うと楽になった。

 

 誰かに縋って生きる……。 

 それはなんという甘美なものなのだろう……。

 

 気持ちいい……。

 次の瞬間、宋江がいままでになく大きく腰を動かした。

 

「う、うわあああっ───いくううっ───」

 

 葉芍は悲鳴そのものの嬌声をあげた。

 すると、宋江が小さく呻いたのが聞こえた。。

 そして、葉芍の膣の中で、宋江の怒張がぶるぶると揺れるのを感じた。

 次の瞬間には、子宮に向かって、宋江の精が迸ったのがわかった。

 

「う、嬉しいです───、旦那様───旦那様───あああっ───」

 

 宋江の熱い精を全身で感じながら、葉芍はがくがくと全身を震わせた。

 何度目かの気絶に自分が陥るのをしっかりと感じながら……。

 

 

 *

 

 

「こんな素晴らしい家まで世話をしてくれるとは、ありがとうございましたなあ……。お礼申しあげます、宋江さん」

 

 王婆が頭をさげた。

 

「なんの……。こんなものでは礼は示し足りないが、まあ、せめてもの気持ちだと思ってくれ、王婆──。今回のことでは世話になった」

 

 宋江は言った。

 王婆の家だ。

 

 ……とはいっても、独り暮らしの王婆が、長く住んでいた小さな長屋ではない。たまたま空き家になっていたこじんまりとした一軒家を王婆のために借りてやったのだ。

 それなりに家具も揃えて、家具の中には着物も入れてある。また、家事をする下女も世話をした。

 もちろん、それらに必要な代金はすべて宋江の負担だ。

 

 王婆が葉芍を無理矢理に宋江の家に連れてきて、半月が経っている。

 やっと、王婆にお礼として準備した一軒家の準備ができたので、王婆にそれを引き渡しにきたのだ。

 

「まあ、ただの仲人婆に、これほどのことをしてくれるところをみると、宋江さんもお幸せなのじゃな」

 

 王婆がからかうような言葉を口にした。

 

「毎日、充実している……。王婆には感謝しても、し足りぬ気持ちだ。どうか、これからも葉芍の面倒を看てやってくれ。あれも、俺が勤務のあいだはひとりだからな。城郭には知り人もいないし、寂しいと思う」

 

 充実している……。

 

 その言葉に宋江の気持ちはすべて詰まっている。

 心の底から充実している。

 葉芍は最高の女だ。

 

 宋江の嗜虐の性交にも、嫌な顔もせず、恥ずかしがりながらも嬉しそうに相手をしてくれる。

 どんな要求をしても逆らわない。

 なによりも、宋江な極端な性癖を受け入れ、その性癖ごと宋江を愛してくれている。

 それでいて、やはり芯の強い女なのだ。

 普段の生活においても、しっかりしているのだなという感じが生活全般から滲み出る。

 まさに、宋江好みの女性だ。

 

「……それにしても立派な家じゃ。おまけに下女まで世話してくれるとはのう……。そういえば、下女といえば、宋江さんの家には下女がおらんのう。そのつもりで連れていった葉芍は、下女というよりは、宋江さんの女房のような立場になったしのう……」

 

「女房のような立場ではない。女房だ」

 

 宋江ははっきりと言った。

 王婆が微笑んだ。

 正式に手続きをして、葉芍は宋江の妻になった。

 三日前のことだ。

 素性は適当に作ったが、とにかく、宋江はすでに女房持ちだ。

 

「だったら、なおさらじゃ。立派なお役人さんの女房ということであれば、下女のひとりやふたりは必要じゃろう。よければ、それもわしが世話してやるがのう」

 

「いや、よいのだ。それも葉芍と話し合ったのだが、自分ひとりでやる方が気が楽なのだそうだ。他人に世話をしてもらうなど、一度もやったことがないのに、下女とはいえ、ものを言いつけて身の回りの世話をさせるというのは、却って息苦しいのだそうだ」

 

「まあ、そういうことなら、無理には進めんがのう」

 

 王婆が頷いた。

 宋江は出された茶をすすりながら、葉芍のことを思った。

 実際のところ、下女を置くことをやめた理由は、葉芍がそれを嫌がったということのほかに、もうひとつある。

 葉芍は、いま、宋江による調教の真っ最中だ。

 

 調教は、夜だけにとどまらず、宋江が不在している日中などに及ぶ場合もある。

 そのために、下女とはいえ、他人がそばにいては、それがやり難いのだ。

 現にいまも、家に置いてきた背面の肛門には、振動する道術の淫具をしっかりと咥えこませてきた。

 宋江には道術の力はないが、そういう者にも使えるように調整されたものだ。

 尻穴で宋江のものを受け入れるための調教は、葉芍が家にやってきてからすぐに始め、小さなものから始めてだんだんと大きくし、五日ほど前から、苦痛なしに宋江の物を受け入れることができるようになった。

 

 このところやっているのは、その肛姦の快感を増幅する調教だ。

 葉芍はもともと尻の性感が高かった。

 それを身体のどこよりも感じる部分にしてしまおうと思って、この数日は四六時中尻に快感を与え続けている。

 いまも、人間の身体に包まれると無限の振動をするという淫具を尻穴に挿入して、それが外せないようにしっかりと貞操帯をさせている。

 そして、その貞操帯の鍵は、いま宋江が持っている。

 葉芍は、いま頃は尻穴の刺激でのたうち回っていることだろう。

 

 そんなことばかりやっているのだ。

 下女など置けるわけがない……。

 いまごろ、どんな顔をしているのだろう……。

 そして、宋江が戻ったら、どんな顔をして哀願をするのだろう。

 いまから愉しみだ……。

 

「なにか幸せそうな顔をしていましたな、宋江さん」

 

 王婆が宋江に声をかけてきた。

 

「なあに、葉芍のことを考えていたのだ」

 

「おうおう、これはのろけますなあ……。あの宋江さんが変われば変わるものじゃ──。まあ、葉芍も大切にされているようじゃし、よかったわい」

 

「もちろん、大切にしている」

 

 宋江は言った。

 葉芍の貞操帯を外す鍵はここにある。

 これがなければ、葉芍は尻を刺激す続ける魔道の淫具を抜くことができない。

 今夜戻ったら、それを外す見返りに、どんなことを要求してやろう。

 あれこれと想像をしながら、いつしか自分がにやにやと微笑んでしまっていることに、宋江は気がついた。



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第2話   白巾賊の襲撃
5   晁公子(ちょうこうし)白巾賊(はくきんぞく)を率い官軍を襲う


「緊張するでないぞ。穴を緩めておらぬと、怪我をするぞ。無様な尻の穴にはなりたくないであろう? 指を入れられるときには息を吐け。忘れるでないぞ、香孫女(こうそんじょ)

 

 輸送隊の指揮官車である馬車の中で揺られながら、白道(はくどう)はこの任務に先立って奴隷商で購った童女奴隷の尻を嬲りながら言った。

 

「は、はい、ご主人様……」

 

 馬車の床に跪いて、白道に可愛らしい尻を向けている香孫女が息を吐いたのがわかった。

 白道はそれに合わせるように、潤滑油をたっぷりとのせた指をまずは菊穴の周辺に塗りこめていく。

 

「んん……くっ……」

 

 香孫女の唇の隙間からくぐもった声が押し流されてきた。

 十二歳の童女の白い尻が左右に揺れる。

 素裸にした身体からはたっぷりと汗が噴き出しており、全身は真っ赤だ。

 だが、それにも関わらず、白道が指を尻の穴に這わせ始めると粟立った肌は、その状態のままだ。

 そのとき、馬車が大きく揺れた。

 

 白道は舌打ちした。

 指揮官車の馬車の窓をわずかに開いて、外を並走している従兵に小隊長を呼ぶように伝えた。

 従兵が騎馬を駆けさせるのがわかった。

 そして、すぐに騎馬が馬車に寄って来る。

 

「お呼びですか、隊長?」

 

 窓の隙間から小隊長が声をかけてきた。奴隷童女を調教しているあいだは、馬車を開けるなと厳命している。それで窓越しに声をかけてきたのだ。

 この行軍の指揮官は白道だが、州都の高官の引きで高級将校になった白道には、本当の兵の指揮の経験は一度もない。その白道の代わりに、事実上の指揮をさせているのがこの小隊長だ。

 まだ、二十歳と将校にしては若くて経験が浅いが、白道はこの将校が気に入っていた。

 なによりも老練の実力のある将校は、高官の引きで将校になった白道のような上官を嫌う。

 それでなにかと口ごたえするから、やりにくくて仕方がない。

 その点、こいつは白道の言いなりになってくれる。

 

「馬車が揺れる。全体の速度を落とせ」

 

 白道は言った。

 

「えっ? し、しかし、いま輸送隊は、梁山湖(りょうざんこ)と呼ばれる盗賊団の巣食う湖の近傍の山間道を通過しておるのです。輸送隊を盗賊が襲撃するには恰好の場所です。ここはできるだけ急いで通過したいのです」

 

 しかし、その将校が珍しく反対した。

 白道はむっとした。

 馬車が揺れては、せっかくの肛門調教がやりにくいのだ。

 これから香孫女の肛門に肛門棒を挿し、少しずつ拡張していく調教をすることになると思う。

 それはさすがに、揺れすぎる馬車の中ではやり難い。

 

「黙れ──。口ごたえするな。梁山湖の盗賊団が政府軍を襲ったなど聞いたことはないわ。梁山湖の盗賊団は、確かに数は多いが性質は大人しい。襲うのは、せいぜい旅人か近傍の村くらいだ。百人もの騎兵で警護している軍の輸送隊は襲わん。いいから、命令に従え」

 

 白道は怒鳴った。

 この輸送隊の任務は、東平(とうへい)という城郭から収められた税収を受け取り、州都の北京まで運ぶというものだ。

 税収の大部分は銀貨であり、それが二台の輸送車に積載してある。そのための荷駄馬車と行軍のために必要な食糧などの物資を積んだを荷駄馬車を連ねて、その車両群を騎馬隊と車両に乗せた歩兵の併せた百人で警護している。

 なによりも、その行軍隊にさらに州軍の旗を掲げている。

 そんな軍を盗賊が襲うわけがない。

 

 白道は、もう一度、命令に従えと怒鳴ると、開いていた窓の隙間をぴしゃりと閉めた。

 外から将校の不満そうな声も聞こえたが放っておいた。

 

 しばらくすると、馬車の速度が落ちて、移動の速度がほとんど人が歩くくらいの速さになった。それに応じて馬車の揺れもなくなる。

 白道は満足した。

 

「さあ、待たせたな。続きをするぞ、香孫女」

 

 白道は、童女の菊座の周辺を揉みほぐす作業に戻った。

 指で潤滑油を擦り込むようにしていると、童女の菊門がひくついてきた。

 しかし、白道は思ったよりも、香孫女の肛門筋が弛緩していることに気がついた。

 肛門にはかなりの弾力があり、緊張して固く萎まっているという感じではない。

 むしろ、柔らかい。

 もしかしたら、すでに肛門の調教がなされている?

 白道は疑念に思った。

 

 この香孫女を出発先の東平の城郭の奴隷商で購ったのは、この輸送隊を出発させる直前だ。

 州都から空の輸送車を引っ張って東平の城郭に到着して、何気なく城郭を回っておるとき、奴隷商の店先で、尻を丸出しで掃除をしていたこの奴隷童女に目がいった。

 尻にあったのは、奴隷の印だ。

 奴隷は首輪と奴隷印を絶対に隠してはならないというのが法だ。

 だから、娘は下袍の後ろ側をくり貫いた特殊な服を着ていた。もちろん、下着は身につけてなかった。

 

 すると、これまで奴隷など買ったことはなかったのに、なぜか急にその奴隷童女が欲しくなったのだ。そして、行軍の最中に、この童女の肛門を調教すれば道中の退屈が紛れるだろうと考えた。

 白道はすぐに、奴隷商からその童女奴隷を買い取った。 

 それが、この香孫女だ。

 

 それにしても、白道はそのときの自分の感情がいまだによくわからない。

 確かに、この香孫女は可愛いらしい顔立ちをしており、奴隷にしては人目を引く可愛い童女だ。

 しかし、白道はこれまで、大人の女を抱いた経験しかなく、童女を抱いてみたいと思ったことはない。

 だが、なぜか、この香孫女にはひと目で虜になった。

 

 しかも、猛烈に肛門調教を施したくなったのだ。

 香孫女の肛門を犯したい……。

 童女奴隷の尻を調教したくて、したくて我慢できなくなった。

 いてもたってもいられない気持ちというのは、ああいうことを指すのだろう。

 そして、早速から始まった行軍において、香孫女の肛門調教を夢中になってやっていた。

 だが、いま、その香孫女の肛門に違和感を覚えた。

 

「香孫女、もしかしたら、お前、これまでに肛門の調教を受けた経験があるな?」

 

 白道は、香孫女の尻穴を愛撫する手を休めて訊ねた。

 すると、香孫女が急に焦ったような様子を示した。

 

「あっ……は、はい……。ま、前のご主人様に……」

 

 香孫女は小さな声で言った。

 

「前のご主人様?」

 

 白道は声をあげてしまった。

 奴隷商からは香孫女の年齢は十二歳と聞いていた。

 だから、すでに手がつけられていた可能性は考えなかった。

 そう考えると、急に香孫女に対する興味が薄くなるのを感じた。

 

「あっ、で、でも、経験は張形だけです。前のご主人様は女の方でしたので」

 

 香孫女が慌てたように言った。

 

「女?」

 

 すると、白道は急に再び心が沸き立ってきた。

 相手が女なら、別に使い古しということにはならんだろう。

 尻の調教は終わっているかもしれないが、考え方によっては、面倒な作業はすでに終わっていて、すでに愉しめる状態になっているということだ。

 

「その尻で、男を受け入れたことはないのだな、香孫女?」

 

「は、はい……。前のご主人様は、高齢の女の方でした。あたしが三歳のときに購入してくださったのです。でも、半年前に亡くなられました。それで、遺族の方に処分されて、あの奴隷商で売られていたのです」

 

「ほう、三歳からというと、お前は奴隷の娘か?」

 

 奴隷という立場になる場合のほとんどは、犯罪者だったり、あるいは、税などが払えない場合に家族が子を売り払ったりしてなるものだが、それ以外にも、奴隷の産んだ子は奴隷ということが法で定まっている。

 三歳ですでに奴隷だというのは、奴隷の子だった可能性が高い。

 

「そうです」

 

 香孫女は、こちらに尻を向けたまま言った。

 

「わかった。じゃあ、末永く可愛がってやるぞ……。だが、さっきの話であれば、もう俺の一物を尻で受け入れるな?」

 

「で、できると思います……。で、でも、本物を受け入れた経験はありません」

 

「わかった。では、挿入するときには息を吐け。息を吐けば穴が拡がる。それから、緊張しないことだ。できるだけ、気持ちを楽にしろ。まあ、難しいかもしれんが」

 

「頑張ります、ご主人様」

 

 白道は、再び香孫女の肛門に潤滑油を塗る作業を再開した。

 だが、今度は周りを弄るのではなく、油剤をまぶした指を肛門に挿入する。

 

「くっ……」

 

 香孫女の尻が跳ねた。

 結構、敏感なようだ。

 指で円を描くように、肛門の中で動かす。

 調教されていたというだけあって、やはり肛門の筋肉は柔らかい。

 ただ、やはり、まだ身体が幼いだけあって肛門の中は狭そうだ。

 それでも簡単に、白道の指を付け根まで飲み込んでみせた。

 

「んんん……い、いや……くううっ……」

 

 奥深くまで入った指を軽く動かすと、香孫女が噛み殺したような喘ぎ声を出し始めた。

 白道はほくそ笑んだ。

 

「感じているのか、香孫女?」

 

「か、感じています……。も、申し訳ありません……。あっ、ああっ……」

 

 香孫女が身体を震わせながら言った。

 十二歳の可愛らしい童女奴隷が、肛門という羞恥の器官を弄ばれ、しかも懸命に快感に耐えようとしているのはいい眺めだった。

 

 それにしても、肛門調教は経験があるということだが、それでも尻をいたぶられるのは嫌なのだろう。

 すでに快感を身体で表してきたというのに、まだ肌の粟立ちは収まってはいない。

 

「はあ……はっ、はあっ……」

 

 香孫女の喘ぎ声が心なしか大きくなった。

 白道は指の抽送を速めた。

 それでも香孫女の尻は、指を問題なく受け入れている。

 それだけではなく、また、愛蜜がぴったりと閉じている前側の合わせ目から滴り落ちてきた。

 快感を覚えているのだ……。

 すっかりと尻の調教が終わっているというのがそのことでも確かめられる。

 出発前に浣腸の洗浄も終わっているから、このまま性交も可能だ。

 白道は予定を変えて、この馬車で香孫女を犯すことにした。

「いくぞ」

 

 軍装の下袴を脱いだ。

 すでに、白道の一物はいきり勃っている。

 香孫女の上体を前に曲げさせて、尻たぶに両手を添える。

 そして、尻穴を開くようにしながら、十二歳の奴隷童女の菊座に剛張をあてがって、ゆっくりと沈めていった。

 

「はああ……はああっ……」

 

 香孫女が大袈裟なくらいに盛大に息を吐き始める。

 息を吐けと言ったのを忠実に実行しているのだろう。

 可愛いものだ。

 白道は、自分の太い肉根をわずか十二歳の童女の肛門が受けれていくのを感動するよう心地で味わっていた。

 

 本当に受け入れている……。

 香孫女は驚いていた。

 もっと苦痛に泣き叫ぶのかと思っていたのだ。

 だが、香孫女は菊門に怒張を受けることで、苦悶どころか全身で快感を示す声さえ出し始めた。

 

「はああ……ああ……ああ……」

 

 香孫女は、前の座席に頭をつけ、脚を伸ばした状態でこっちに尻を向けている。

 その尻の中心で肉が盛り拡がりながら、香孫女の肛門は、ついに白道の怒張をついに根元まで飲み込んだ。

 

「あ、ああ……ご主人様……き、気持ちいいです……。へ、変な気持ちです……あ、ああ……」

 

 香孫女が喘ぎ声を出して悶え始めた。

 だが、さすがに狭い。

 しかし、その締めつけがいい。

 白道は、ゆっくりとした律動を開始した。

 

「こ、これは病みつきになりそうだ……。上等の尻穴だ……」

 

 香孫女の桃色の菊の皺が、白道の肉根が浮き沈むたびに山を作り谷を作る。

 怒張が出ていくとき、香孫女の肛門の内肉はしっかりと白道の肉根を締めつけながら、最後の最後まで包み込もうとする。

 そして、入っていくときにはまるで内側に吸い込むかのように柔らかい肉が全周から迫ってくる。

 男根が香孫女の肛門に溶けてしまうようだ。

 しばらく、香孫女の尻肉の感触を味わっていたが、不意に香孫女の総身が揺れ始めた。

 

「あ、あああ……うくう……はあ……」

 

 香孫女の声が甲高いものに変わった。

 こいつ、十二歳のくせに、尻を犯されて一人前に感じている……。

 そう思うと、なんだかおかしかった。

 

「股間を自分の手で弄れ。気をやるまで続けろ」

 

 白道は、肛門への抽送を続けながら言った。

 

「は、はい、ご主人様……」

 

 香孫女が頭付近に置いていた右手を自分の股間にやった。まだ一本の陰毛も生えていない股間で香孫女の指が動き始める。

 

「ああ……はあ……んん……」

 

 香孫女は自分の肉芽を回すように動かしている。

 股間の前側の割れ目から、透明の蜜がどっと流れ出す。

 

「いく……いきます……」

 

 香孫女がか細い声で言った。

 

「いっていいぞ」

 

 白道は心持ち肉根の抽送を速めた。

 そろそろ精を達しそうだったのだ。

 

「はああっ……いきます……うっ、んんんっ……」

 

 香孫女がぶるぶると激しく腰を振って身体をのけ反らせた。

 どうやら、達したようだ。

 白道はそれに合わせるように、香孫女の肛門に熱い精の迸りを注ぎ込んだ。

 

「本物では初めてだったはずだろう? それなのにはしたなく達するのか? しかも、その幼い身体でなあ……。なかなかに性奴隷として素質がある。これからも可愛がってやろう……。ほら、呆けてないで、俺の股間をしゃぶってきれいにせんか」

 

 白道は、香孫女の肛門から精を放ち終わった肉棒を抜いて、馬車の座席に座り直した。

 

「あっ、は、はい……。申し訳ありません……。すぐに……」

 

 虚脱していた香孫女が慌てたように身体をこっちに向けた。

 そして、床に跪いて薄層の開いた脚のあいだに顔をうずめる。

 

「お、お掃除をします……」

 

 香孫女がたったいままで自分の尻の穴に入っていた白道の一物をぺろぺろと舐めだした。

 性奴隷として一応の教育は受けているようだ。

 安い値段ではなかったが、これは儲けものだったかもしれない。

 白道は、香孫女の舌の奉仕を受けながら思った。

 

 そのとき、馬車が急停車してぐらりと馬車が揺れた。

 

「んんっ」

 

 香孫女は、とっさに手を座席に踏ん張らせて顔を白道の股に叩きつけられるのを防いだが、逆に白道は思い切り馬車の背もたれで後頭部を打ってしまった。

 

「な、何事だ」

 

 白道は香孫女の顔を股間から離すと、窓をかすかに開いて外に向かって怒鳴った。

 

「わ、わかりません。先頭で異変があったようです」

 

 従者が慌てたような声で叫んだ。

 小隊長を呼べ。

 怒鳴ろうとした。

 

 そのとき、金属音のような音が後ろ側から一斉に起こった。

 次に、悲鳴と喚声のようなものが前側から湧くのがわかった。

 

「な、なんだ? なにをやっておる?」

 

 白道は、今度は窓をいっぱいに開いて、顔を出して叫んだ。

 

「しゅ、襲撃です。賊徒の襲撃に違いありません」

 

 従者が金切声で叫んだ。

 その従者の喉に一本の矢が突き刺さって馬から落ちた。

 白道は度肝を抜かれた。

 

「襲撃──。襲撃──。戦闘配備につけ。持ち場を離れるな」

 

 小隊長である将校の絶叫がした。

 だが、すぐにその将校の声も大きな喧噪に巻き込まれて消えていった。

 

 

 

 *

 

 

「三里(※1)まで近づいてきたわ。ただ、急に行軍の速度を落としたそうよ、公子」

 

 斥候を預けている劉唐姫(りゅうとうき)が、その斥候からの情報を伝えてきた。

 丘の上で五十人を率いて待ち伏せしている晁公子(ちょうこうし)は、顔を劉唐姫に向けた。

 

「速度を落とした? 待ち伏せに気づかれたの?」

 

 晁公子は、劉唐姫を見た。

 まだ、晁公子も劉唐姫もまだ布で顔を隠していない。

 真っ赤な髪の劉唐姫の引き締まった美貌には焦りのような色はなかった。

 どうやら、切羽詰まった状況ではないようだ。

 晁公子はほっとした。

 

「そういう感じではないようよ。行軍の隊形には変化はないらしいわ。ただ山道に入って遅くなった。それだけじゃない」

 

「山道に入ったから遅くしたですって? なぜよ? わざわざ狙われやすいように?」

 

 晁公子は軽口を言った。

 劉唐姫は首を竦めた。

 

「知らないわね。州軍の輸送隊の指揮官は白道という阿呆よ。いいところのお坊ちゃんだから、きっと馬車が揺れるのが嫌なんじゃない」

 

 劉唐姫が白い歯を見せた。

 豪胆だが情報通の劉唐姫という風来の女と知り合って五年になる。

 どこから、どうやって仕入れてくるのかわからないが、晁公子は、この女の情報は正確で頼りになるということを知っていた。

 今回も東平の城郭で集められた税を州都に運ぶ輸送隊が通過するという情報を晁公子が名主(※2)をしている東渓村(とうけいそん)に持ってきたのは劉唐姫だ。

 

 警備の兵は百人。そのうち三十騎が騎馬で、残りの歩兵も徒歩ではなく、幌のない馬車に分乗して移動する。

 荷を運ぶ荷馬車が五輌。そのうちに二輌が銀貨を分乗させている車両ということだ。

 輸送指揮官は白道という分限者の引きで高級将校になったような無能男であり、歳は三十歳。

 次級者は若く経験不足の将校──。

 

 これだけの情報を劉唐姫は、晁公子に待ってきた。

 晁公子は、白巾賊の首領として襲撃の実行を決定した。

 襲撃をするのは、晁公子以下の五十人だ。全員が東渓村の若者であり、晁公子の唱える世直しの活動に賛同した者たちだ。

 

 つまり、この腐った世の中を糺して、新しい国を作るという理想──。

 すなわち、叛乱だ。

 この国に新しい理想郷など、単なる晁公子の夢想にすぎないのだが、彼らは、その夢想に命を懸けると決めてくれている。

 腐った世を糺す──。

 民衆のための理想郷をこの世に出現させる──。

 

 これを説くと、多くの若者が面白いくらいに賛同して人が集まってきた。

 晁公子はもう三十五歳だ。もう若者といえる年齢ではないが、彼らの気持ちはわかる。

 彼らが欲しいのは「希望」だ。

 税は重く、働いても働いても暮らしは楽にならず、それでも税を払えず、娘や姉妹を奴隷として売らなければならない現実……。

 弱い者を搾取し、強い者にへつらう役人──。

 盗賊を取り締まらず、それどころか、「物資押収」という名目で盗賊同様に公然と農村を略奪する官軍──。

 賄賂を払って役人を丸めこみ、好き放題している分限者たち……。

 

 それらが横行して、息を吸うのさえ苦しいこの世の中で、晁公子が語る「叛乱」は、彼らにとって眩しい希望であり、救いの言葉なのだ。

 この世の悪を糺すのだと号し、ひとたび叛乱の旗を掲げて武器を持って立ちあがれば、必ず多数の民衆がその旗に集まってくる……。

 叛乱の仲間として集めた村の若者たちと語り、彼らの熱すぎる情熱に接している晁公子は、それを確信している。

 いまはまだ、叛乱の仲間を村人の中から慎重に選んだ百人程度に絞っているが、その気になればいくらでも増やすことができると思う。

 

 しかし、まだ早い──。

 

 いま叛乱の勢力を増やせば、必ずそれが発覚する。すると、叛徒の隠れ里のようになりつつある東渓村など、あっという間に官軍の討伐を受けて壊滅してしまうに違いない。

 そして、全員に酷い死が待っている。

 

 死んだ夫の晁蓋(ちょうがい)のように……。

 

 腐った世を糺して、理想郷を作る……。

 それは本当は晁公子の夢ではなかった。

 捕えられて処刑された夫の晁蓋の唱える夢だった。

 

 晁蓋と出逢ったのは、もう十年も前になる。晁蓋は旅人であり、ふらりと東渓村にやってきた。

 当時、晁公子は二十五であったが、すでに死んだ父親を継いで、若い女ながら、東渓村の名主をしていた。

 晁蓋とは、名の頭文字が同じということで打ち解け、親しく話すようになった。

 

 そして、晁公子は、その晁蓋と恋に落ちた。

 若気の至りというには、晁公子は少女と呼べる年齢ではなくなっていたし、女名主という地位と役割があったのだが、美男子で言葉のうまいに晁蓋に晁公子は夢中になった。

 

 生涯で一度の恋だった……。

 

 そして、誰にも公表しなかったが、晁公子は晁蓋と夫婦になった。

 寝台の上でお互いの伴侶になることを誓ったのだ。

 夫婦であることを公にしないようにしようと言ったのは、晁蓋だった。

 そのときに晁蓋が語ったのが、世直しの理想話だった。

 

 晁公子は驚愕した。

 確かに、晁公子にもいまの世に対する激しい不満と強い憤りがあった。東渓村というひとつの村を預かる立場であるからこそ、市井の者の苦しい暮らしは肌身で知っている。

 だが、だから世直しのために叛乱を起こすのだという発想にはならなかった。

 しかし、晁蓋は、晁公子にそれを説いた。

 

 心が震えた……。

 あの瞬間に、晁蓋の夢は晁公子の夢になった。

 

 叛乱は命懸けだ。

 だから、お互いが夫婦であることは隠していようと晁蓋は説明した。

 もしも、叛乱が失敗して捕えられれば、晁蓋だけでなく、晁公子も連座で処刑されるからだ。

 晁公子はそれでもいいと主張したが、晁蓋に説得されて、夫婦であることを隠すことを受け入れた。

 また、晁蓋は全国から仲間を募るために旅を続けなければならず、夫婦でありながらも、晁公子は晁蓋と生活を共にすることはできなかった。

 晁蓋が東渓村に戻ってきたときに夫婦となり、出ていくときに晁蓋に「戦い」のために仲間を集めるための資金を幾らか渡す。

 それが、晁公子と晁蓋という夫婦だった。

 

 そんな奇妙な夫婦生活は五年で終わった。

 晁蓋が捕縛されたのだ。

 

 晁蓋が捕えられたのは、東渓村からかなり東にある北州の州都の北京だ。

 晁公子がそれを知ったのは、晁蓋が捕えられてから十日ほど経ってからだったが、とにかく、晁公子は北京に向かった。

 到着したのは、晁蓋の公開処刑の日だった。

 

 晁蓋は兵に囲まれた広場の真ん中に磔にされて晒されていた。

 拷問を受けたのだろう。

 晁蓋の全身は、惨たらしい傷でいっぱいだった。

 どうすることもできなかった。

 厳重に警戒されている処刑場から晁蓋を救い出す方法はなかった。話しかけることさえできなかった。

 晁公子にできたのは、ただ茫然と晁蓋の最期を集まった民衆に混じって見ることだけだった。

 

 そして、翌日、処刑が始まった。

 最初に腰布を剥がされて、完全な素裸にされるとまずは男の性器を切り落とされた。

 次は耳。

 そして、指。

 鼻──。

 その都度、道術で止血の治療を受けながら、身体を寸刻みで切断されていったのだ。

 

 酷い処刑だった。

 身体を刻む処刑は朝から始まり、夕方になっても続いた。

 最後には、晁蓋は耳も鼻も目もない顔が手足のない胴体に繋がっているだけの状態になり、その状態でさらに治療を受け、生きながら胴体を縛られて広場に吊るされることになった。

 息をしなくなるまで、放置して晒すためにだ。

 

 晁公子はそれを民衆とともに、無言で見守り続けた。

 陽が沈み、夜になっても晁公子は、その場を離れなかった。

 その翌日も広場に作られた臨時の柵の外に立ち、晒されている晁蓋の姿を無言で見続けた。その酷い姿を脳裏に刻みつけた。

 

 その翌日も……。

 

 晁蓋が息を引き取ったのは三日目だった。

 もしかしたら、それよりも前に死んでいたのかもしれないが、そのとき、身動きも呻きもしなくなった晁蓋を検死の役人が確かめ、最後に兵に首を刎ねさせたのだ。

 

 晁蓋は死んだ。

 

 だが、晁蓋の唱えた世直しの志は、晁公子の心に残った。

 あの晁蓋の酷い死の瞬間に、晁公子は晁蓋の遺志を引き継いで、世直しの叛乱を起こすことを決意した。

 

 そのときに、あの広場で出会ったのが劉唐姫だ。

 劉唐姫もまた、晁蓋の捕縛を知り、北京にやってきていたのだ。

 同じようにいつまでも処刑場から立ち去らない女に、その北州都の北都で豪商のひとりに数えられている美玉(びぎょく)という女商人もいた。

 三人はそこで初めて出会い、ずっと処刑場から離れない女が、ほかにもいることが気になって、お互いに声をかけ合ったのだ。

 

 驚いたのは、三人が三人とも自分は晁蓋の「妻」だと名乗ったことだ。

 それがきっかけで、晁公子は改めて、晁蓋ことを調べることにした。

 同じように、劉唐姫と美玉もそれぞれ独自の調査をした。

 

 そして、半年後に、もう一度北京で三人で会い、「真実」を知ることになった。

 実は、叛乱など、晁蓋のまったくのでまかせだったのだ。

 

 晁蓋の叛乱の夢など、実態のない浮き言葉にすぎず、あの男には本当に世直しの戦いをする気などまったくなかったのだ。

 つまりは、そう女に説いて、あちこちに「妻」を作っては、それを旅をしながら渡り歩いていただけだったのだ。

 連座を避けるために妻でいることを隠しておけと言って、あちらこちらに「現地妻」と「金づる」を作っておく。

 そして、その女たちのところを回り、身体を抱いて路銀を提供させ、次の女のところに行く。

 そこでも、また、別の妻の身体を抱き、路銀をもらう。

 女との寝物語で、嘘八百の世直しの理想を語る……。

 晁蓋が繰り返していたのは、それだけだったのだ。

 

 北京の現地妻は、女豪商の美玉──。

 

 梁山湖のほとりにある東渓村の現地妻は、独身だった女名主で富豪の晁公子──。

 

 劉唐姫は旅の女であり、賭場で晁蓋と知り合って夫婦の契りをしたばかりだと言っていた。

 

 もしかしたら、調子に乗った晁蓋が、この北京で、美玉のほかに新しい女を作ろうとして、寝物語で世直しの叛乱でも説いたのかもしれない。

 とにかく、晁蓋は、この北都で叛乱を企てた者として、官軍に捕縛されて処刑されたということだ。

 やってもいない叛乱に対する見せしめとして……。

 

 叛徒の首領だと信じていた夫が、単なる女たらしにすぎなかったというのは笑いたくなるような事実だったが、その後も何度か三人で会っては、お互いの調査の結果を突き合わせたが、その結論にしか辿り着かなかった。

 

 また、これも後で調べてわかったことだが、晁蓋は叛乱の巣がどこにあるかを拷問で質問され、最後まで口を割らなかったということになっていた。

 そのことが見せしめ的な残酷な処刑にもなったのだ。

 だが、皮肉なことに、まさにそのことが、晁蓋を英雄にした。

 

 叛乱を企て、その拠点や仲間を洩らさずに処刑された叛徒の首魁……。

 

 いまでも、晁蓋の叛徒の拠点がどこかにあると信じている民衆は少なくない。

 しかし、実際には、白状したくても白状のしようがなかったのだ。叛乱などどこにもなかったのだから……。

 

 しかし、晁公子は、晁蓋の処刑をきっかけに、劉唐姫と美玉に出逢った。

 晁蓋の言葉は、都合よく女たちを操るための「嘘」だったが、晁蓋が語った夢は、三人の女たちにとって「真実」になった。

 

 晁公子は、劉唐姫、美玉とともに、晁蓋の「遺志」を受け継ぎ、世直しの戦いを始めることを誓い合った。

 晁蓋の遺した民衆や妻たちへの「嘘」は、彼が作った三人の現地妻によって「真実」になったのだ。

 

 あの女たらしの晁蓋について、晁公子にはひとつだけ誇りに思うことがある。

 あの晁蓋は、ほかの仲間を吐けという拷問に対しても、晁公子たち「妻」のことをひと事も言わなかったことだ。

 晁蓋は死んだが、晁蓋の言葉は遺った。

 それぞれの女たちの心の中に……。

 

 あれから五年──。

 

 晁蓋が死んだとき三十歳だった晁公子は三十五歳になり、治めている東渓村の近くに叛乱のための隠し里を作り、そこに選んだ村の若者を送って武器を集めて、小さいとはいえ叛乱の巣を作った。

 そして、その叛乱の女首領になった。

 

 劉唐姫の役目は、各地を放浪してさまざまな情報を集めては、晁公子に提供するというものだ。

 劉唐姫は三人の中でもっとも腕が立ち、また若い。

 真っ赤な短髪の美女であり、歳は二十五だ。

 

 北京で軍資金の調達と管理するという役目を果たしている美玉は四十歳で豊満な身体をした美女だ。

 女ながら北州でも有数の豪商に数えられており、十八の美少年を従者を兼ねた愛人にして、いつも連れ歩いている。

 だが、実際は、晁公子たちと叛乱を誓った仲間だ。

 

 この三人で始めた叛乱だ。

 そして、まだ終わっていない伝説の叛徒の首魁である晁蓋の叛乱だ。

 

 だが、晁公子には、ひとつだけ劉唐姫にも、美玉にも言ってないことがある。

 本音を言えば、晁公子は叛乱などどうでもいいと思っている。

 もしも、晁蓋が生き残り、叛乱などやめてどこかに逃亡しようと言えば、間違いなくそれに従っただろう。

 

 もしも、晁蓋が生きていて、あの陽気で優しい口調で晁公子の隣に座ってくれるなら、民衆の怨嗟の声などうでもいい……。

 あの人が生きて横にいてくれさえすれていれば……。

 

「残り二里。目標に顕著な動きなしよ、公子──」

 

 劉唐姫が再び斥候の報告を伝えてきた。

 晁公子は思念から、目の前のことに頭を切り替えた。

 

「手筈通りに──」

 

 晁公子は面体で顔を覆った。

 顔を白い布で覆って目を残して完全に顔を隠すのだ。

 劉唐姫も同じようにした。

 まわりの襲撃兵たちも顔を隠し始める。

 こういった襲撃はもう十数回も繰り返している。

 

 金子のためだ。

 

 実体のない晁蓋の「叛乱」は言葉だけでよかったが、実際に叛乱を起こして戦うとなると、信じられないくらいに多額の軍資金が必要だ。

 それを官軍を襲撃して集めるのだ。

 今回の目的も、白道という将校が運んでいる銀貨だ。

 それらを集めては、東渓村の隠し里に隠し、さらに一部を美玉に送っている。

 美玉は足がつかないように金子を洗って、そっちでも叛乱の軍資金として蓄えている。

 

 とにかく、金子だ。

 叛乱は綺麗事ではない。

 戦うには軍資金が必要なのだ。

 

 白い布で顔を隠しているので、自分たちが「白巾賊(はくきんぞく)」と呼ばれていることは知っている。

 いまのところ、繰り返し官軍を襲撃している白巾賊と、東渓村の関係が疑われたことはない。

 白巾賊は、官軍しか襲わない正体不明の「義賊」ということになっている。

 

 樹木のあいだから輸送隊が見えてきた。

 先頭付近は騎兵だ。

 

 それが真下を通る。

 続いて荷駄馬車──。

 

 五輌ある荷駄馬車の中で真ん中の二台だけが、積み荷の重みで台車部分が沈んでいる。あれが財貨の積んでいる車両だろう。

 その荷駄馬車のすぐ後ろを行軍には似つかわしくない装飾の豪華な馬車がすぎていく。

 あれは、白道という馬鹿指揮官の乗っている馬車に違いない。馬車の周りにも騎馬が左右を囲んでいる。その後ろには、幌のない荷駄馬車に乗車した歩兵だ。

 歩兵が馬車に乗ったままというのは瞬時には動けず、しかも、襲撃者の的になるようなものだ。

 何度も襲撃をしているが、ああやって馬鹿な指揮官に率いられている兵を見ると少し気の毒になる。

 

 目の前を通り過ぎようとしていた輸送隊が突然に停止した。

 おそらく、前に待ち伏せさせている者が大きな岩を落として前方の経路を塞いだのだ。

 予定通りだ。

 眼下では前に進むことができなくなった輸送隊が立ち往生している。

 

「放て──」

 

 晁公子は吠えた。

 襲撃隊の全員が持っている半分の銃が一斉に火を噴く。

 晁公子が東渓村の近くに作らせている隠し工房で量産させている「銃」だ。

 

 もちろん、ご禁制の武器だが、劉唐姫が見つけてきた湯隆(とうりゅう)という鍛冶師に数名を渡して増産させている。

 銃は官軍でも国軍などの限られた部署しか装備されていない武器であり、一般市民はそれを作るどころか所持するだけで処刑されることになっている。

 湯隆は独身の四十男であり、ずっと帝都で銃作りに携わっていて、その技術を持っていたのだ。

 銃作りについては天才的な技師なのだが、長く帝都で不当に扱われていて、嫌気がさしていたのを劉唐姫が見つけ、逐電させて東渓村に連れてきた。

 その湯隆を引き込み、晁公子が作った隠し工房と材料を渡して、銃を作らせているのだ。

 いまでは湯隆も立派な叛乱の仲間のひとりだ。

 

 まずは、二十丁の銃が一斉に火を噴き、ほぼ同じ数の歩兵が乗車していた馬車の上で倒れた。

 輸送隊は騒然となっている。

 なにが起きたのかわかっていない気配だ。

 

「続いて、放て──」

 

 晁公子は怒鳴った。

 残りの半分が一斉に射撃する。

 再び歩兵が倒れた。

 

「敵襲──」

「敵襲──」

「襲撃だ」

 

 やっと大騒ぎが始まった。

 二射目を放った半分は銃を置いて、武器を弓矢に持ち換えている。

 銃という武器の最大の長所は技術の必要のないことであり、これがあれば力のない女でも十分に戦える。訓練を受けておらず武術に縁のない民衆でも、政府軍の兵と対等に戦うことができる。

 

 しかし、欠点もある。

 強力で殺傷力が強いが、弾込めに時間がかかり、続けて撃てないのだ。

 だから、それを弓矢で補完させる。

 いまも、一射目を放った組が二発目の射撃準備をしている一方で、二射目の組は弓矢に持ち替えた。

 一射目の組はほとんどが武芸の心得がなく銃兵として鍛えた者であり、半数は女だ。

 それに比べて、得物を弓矢に替えた二射目の組はほとんどが男だ。

 弓矢が次々に放たれ出した。

 今度は騎馬を中心に狙わせる。

 まずは、指揮官車の周りにいた騎馬が集中的に標的になって倒れる。また、荷駄馬車に分乗している歩兵にも矢が集まっている。彼らは懸命に下車をしようとしているが、それを阻むように矢が落ちてくるので、かなりの者が下車を果たすことなく倒れている。

 

「襲撃──、襲撃──。戦闘配備につけ──。持ち場を離れるな──。歩兵は下車をして荷駄馬車を警護しろ。騎兵は後ろに回れ」

 

 前方から若い将校が走ってくる。

 あれが事実上の指揮官だろう。

 晁公子は自分の銃を構えた。

 

 放った──。

 

 叫んでいた将校がただの死骸に変わった。

 その瞬間に兵たちが逃げ出した。

 前方側にいた騎兵が反転しかけていたのだが、彼らも逃げていく。

 

「突撃──」

 

 晁公子は射撃を中止させて丘を駆けおりた。剣を抜いた劉唐姫が続き、ほかの襲撃隊の者も、今度は剣や槍に持ち替えて続く。

 喚声をあげて駆けおりたときには、すっかりと官軍は逃亡し終わっていた。

 

 晁公子は追撃は命じなかった。そんなことをしなくても、戻っては来なさそうだ。

 とりあえず、銀貨を積んでいる荷駄馬車だけを確保するように命じた。また、死んだ官軍の兵の武器も集めさせる。兵糧は運べるものについてのみは、それぞれの兵が好きなように持ち去ることを許した。

 

 これから一部を除き、四散してばらばらに東渓村に帰還することになる。

 歩いて運べるものしか持っていけないので、あまり運べないだろう。

 残りの物資は放逐する。

 そうすれば、近傍の農村の者たちなどが、勝手に持ち去るはずだ。

 

「劉唐姫、五人つけるわ。奪った金子を美玉のところまで運んでちょうだい。それとあらかじめ命じていた者は、わたしとともに武器を東渓村の隠し里の湯隆のところに運ぶわよ。ほかの者は解散──。各人で東渓村に帰りなさい」

 

 晁公子は指示した。

 武器のうち、銃についてだけは、ここで奪った政府軍の武器とともに、まとめて東渓村に持ち帰る。徒歩の移動ではどうしても隠せないからだ。

 

「首領──。馬車の中に人が」

 

 劉唐姫の叫び声がした。

 他人がいるので名は呼ばない。それが襲撃隊の約束事だ。

 ふと見ると、あの豪華な馬車の中から身なりのいい将校が引き摺り出されていた。

 どうやら逃げ損ねたようだ。

 白道という指揮官だろう。

 

 晁公子は、劉唐姫に捕まえられている白道に近寄っていった。

 白道は真っ青な顔で震えている。

 近づくと臭気がした。

 ふと見ると、恐怖で脱糞したようだ。

 晁公子は呆れてしまった。白道の前に進み出て、隠していた布を外した。

 それを見て、ほかの者たちも布を取り始めた。

 つまりは、もう顔を隠す必要はないという晁公子の意思表示だ。

 

「た、助けてくれ──。身代金を払う。いくらでも払う」

 

 白道が叫んだ。

 晁公子は無言で剣を抜いた。

 そして、無言で白道の心臓に剣を突き刺した。

 白道の口から血が噴き出して、その場に倒れる。

 

「公子、しまった。もうひとり人がいたわ──」

 

 馬車の中の検分をしていた劉唐姫が慌てたように叫んだ。

 劉唐姫とともに馬車から現われたのは、素裸の童女だ。

 首に奴隷の首輪がある。ふと見ると、奴隷の刻印がお尻に刻まれている。

 

 性奴隷──?

 

 晁公子は驚いた。

 この白道は行軍中の馬車の中で、こんな年端もいかない童女を性奴隷として慰みながらすごしていたのか?

 殺した白道に対する憤りが沸き起こった。

 

「もう、大丈夫よ、あんた……。とにかく、あたしたちは、あんたに乱暴はしないわ。安心してよ。この下衆に酷い目に遭わされたんでしょう? 安心して」

 

 劉唐姫が奴隷の童女に声をかけた。

 しかし、晁公子も声をかけようとしたが、奴隷の首輪に目をやって、かける言葉を失ってしまっていた。

 この童女は連れていけない。

 おそらく、殺すしかない……。

 

 奴隷の首輪には、大抵は例外なく逃亡防止の道術がかけられている。

 能力の高い道士でなければ外せないし、あれをしたままでいると道術の力でその居場所がわかるのだ。

 その気になれば、奴隷の持ち主は、道士に逃亡奴隷を遠隔で殺させることもできる。だから、奴隷は逃亡できない。

 

 つまり、この童女を連れていけば、首輪を追跡することで、東渓村の隠し里が発覚してしまう可能性があるのだ。

 奴隷の「主人」は死んだ白道だと思うが、正式に購入した奴隷であれば、購入したときに、この童女が白道の所有物になるという手続きが終わっていると思う。

 その白道が死んだことにより、この童女奴隷が死骸から離れた途端に、事前に施している道術の内容によっては、童女は首が絞まって死ぬ可能性が高い。

 そうでないとしても、官軍は死んだ白道が所有していた奴隷の行方を道術師に追わせるだろう。

 だから、童女を東渓村に連れ帰れば、白巾賊の拠点が発覚する……。

 

 連れていけない……。

 だが、放逐もできない……。

 そもそも、この童女はすでに晁公子たちの顔を見ている。

 

 殺すしかないか……。

 晁公子の背に冷たい汗が流れた。

 奴隷の首輪は、術の遣える道士でなければ外れない。

 そして、白巾賊には道士はいない……。

 

 だが、そのとき、童女が口を開いた。

 

「なにが大丈夫なんだ、赤毛? この奴隷の首輪が見えんのか? わしを連れていけば、お前たちの巣がわかるのだぞ。どうやって、わしを助けるつもりだ? 襲った官軍が置き棄てていった奴隷など、首輪が外せん限り殺すしかないであろう? それとも、お前たちの中には、首輪を外せる道士がおるのか?」

 

 童女が不機嫌そうに言った。

 

「あ、赤毛? それ、あたしのこと?」

 

 劉唐姫は童女の喋った内容よりも、その口調に驚愕したようだ。

 しかし、晁公子は、童女が正確に問題の本質を突いたことに驚いた。

 

 いったい、この童女は何者?

 いや、そもそも、本当に童女か?

 醸し出す雰囲気は、もっと老練の風格を感じさせるのだが……?

 

「それにしても、まったく余計なことをしてくれたな、お前たち──。夜になれば、兵たちの飲み水に眠り薬を仕込んで、馬車ごと金子を奪って、東渓村への土産にするつもりだったのに」

 

 素裸の童女が少し怒ったような口調で怒鳴った。

 そして、無造作に自分の首から奴隷の首輪を外した。




※1:1里=1km
※2:名主=村長


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6   劉唐姫(りゅうとうき)、道術の幻想で裸にされる

「それにしても、まったく余計なことをしてくれたな、お前たち──。夜になれば、兵たちの飲み水に眠り薬を仕込んで、馬車ごと金子を奪って、東渓村(とうけいそん)への土産にするつもりだったのに」

 

 そう言いながら、童女が無造作に首輪を外した。

 首輪を外すとき、童女の手が青い光に包まれるのが見えた。

 道術だ。

 晁公子(ちょうこうし)はびっくりした。

 この童女は道士なのだ。

 気がつくと、首輪だけじゃなく、お尻の刻印も消滅している。

 

「おい、赤毛、ちょっと、お前の上衣を脱げ。わしが着る。上だけでいい。この助平男は、わしを全裸で馬車に連れ込んだのだ。おかげで着る服がない」

 

 童女が劉唐姫(りゅうとうき)に手を伸ばした。

 

「な、なに言ってんのよ、さっきから。なんで、お前に服を与えないとならないのよ。それに、この下は胸巻きの下着よ。というよりも、それが年長者に対する言葉? どういう躾を受けたのよ」

 

 劉唐姫が怒鳴った。

 

「生憎と奴隷上がりでな。親はわしに躾をする暇もなく殺された。それに、年長者というがお前は何歳なのだ、赤毛?」

 

「あ、赤毛、赤毛って、あんたいい加減にしなさいよ」

 

「仕方あるまい。わしはお前の名など知らんのだ。それよりも、質問に答えんか。お前は何歳だ?」

 

「二十五よ」

 

「だったら、わしの方が年長だ。年長者に対する言葉を使え、赤毛」

 

 童女が言った。

 この童女が二十五歳よりも上?

 晁公子は驚いたが、すぐに、この幼い道士が劉唐姫をからかっているのだろうと思った。

 

 ちょっとだけ膨らんでいるだけの平らな胸──。

 はっきりと亀裂が見えている無毛の股間──。

 小柄な身体と幼い顔立ち──。

 目の前の童女はどう見ても十二歳前後だ。

 

「あんたが歳上? ふざけるんじゃないわよ」

 

 劉唐姫が顔を真っ赤にして声をあげた。

 

「ふん、これも道術の影響かもしれん……。なぜか、十二歳で成長が止まってそれきりなのだ」

 

 童女が寂しそうに呟いた。

 その表情が真に迫っていたので、晁公子は本当かもしれないと思った。

 能力の低い道士はそれほどでもないのだが、逆に能力の高い道士は、道術の成長とともに、人としての外観に変わった特徴が現れることがあると耳にしたことがある。

 

「道術の影響? じゃあ、自分の身体の中の道力も制御できない三流道士ということね? それで、あたしらになんの用なのよ?」

 

 劉唐姫が小馬鹿にした物言いをした。

 すると童女の姿の女が明らかに不機嫌になった。

 

「言うたなあ、赤毛──。お前などに用事などないわ。東渓村を訪ねる途中だ。お前に申し付けたのは、お前の服を脱いで、わしに寄越せということだ」

 

 童女の手が青く光って、劉唐姫に向かって伸ばされた。

 次の瞬間、劉唐姫が真っ赤になった。

 

「ひっ、ひいっ、な、なにをしたの? ひいいっ」

 

 劉唐姫が両手で服の上から胸を抱きながら悲鳴をあげた。そして、堪えられなくなったかのようにしゃがみ込んだ。

 

「ほらほら、早う脱げ、赤毛。服の内側の一面に触手が生えてお前の肌を擽るような刺激が始まったろう? 早く脱がんと、くすぐったさで手も動かんようになるぞ。ついでに、股布にも同じ刺激の錯覚を与えてやろう」

 

 童女が大笑いしながら、その手を再び青く光らせた。

 

「ひいいいっ」

 

 劉唐姫がひきつった声をあげて、両手で股間を押さえてうずくまった。

 そして、慌てたように、身につけているものを脱ぎ始める。

 あっという間に、上衣も下袴(かこ)も脱ぎ、次いで、引き千切るように胸巻きや股布まで外して素っ裸になり、その場にうずくまった。

 服を脱いだことで、やっとくすぐったさは止まったようだ。

 

 晁公子も呆気に取られてしまって、止め損なってしまった。

 我に返ったように顔をあげた劉唐姫が、真っ赤な顔で童女をにらむと、服と一緒に取り去った剣を裸のまま掴んだ。

 

「こ、このうっ……」

 

 だが、童女は劉唐姫が脱ぎ捨てた上衣を掴むと、慌てる様子もなくそれを身に着け始めている。

 

「やめなさい、劉唐姫──。あなたもやめて。劉唐姫への道術を消すのよ」

 

 我に返った晁公子は、慌ててふたりのあいだに身体を入れた。

 晁公子に怒鳴られた童女は、少しだけむっとした顔になったが、劉唐姫がとりあえず剣をおろしたのを確かめてから、例の不思議な光で劉唐姫が脱ぎ捨てた服の上に手をやった。

 それで、道術の影響は消えたのだろう。

 劉唐姫がおそるおそるという感じで、下着類に触れて、再び服を身に着けた。

 晁公子は、女兵を集めて、劉唐姫を隠す壁を作ってやった。

 

 晁公子は、劉唐姫が服を着終わるのを待ち、とりあえず、取り囲んでいるかたちだった白巾賊の仲間たちを解散させた。

 ばらばらになって東渓村に戻る者は出発させ、晁公子や劉唐姫のそれぞれに従って荷や武器類を運搬する者は、計画に従って運搬を開始するように告げて、最初の統制点で待つように指示する。

 

 晁公子と劉唐姫とその童女の道士の三人だけになったところで、晁公子は森の中にふたりを導いた。

 劉唐姫は上は胸巻きの下着姿に、下袴をはいた格好であり、童女は裸体に劉唐姫から取りあげた上衣を身につけている。

 

 無言のまま森に入ったふたりが落ち着いたのを確認してから、晁公子は口を開いた。

 

「ところで、東渓村になんの用なの? あなたの名は?」

 

 晁公子は童女に訊ねた。

 

「わしの名は香孫女(こうそんじょ)だ。見てのとおり逃亡奴隷だ。些かは道術も遣える……。それ以上は放っておいてくれ……。助けてもらった礼は言わんぞ。わしは捕らえられていたわけではないのだ。そのふりをして、あいつらから金子を奪ってやろうと思っておったのだ。そのために、城郭の奴隷商人を操り、死んだこいつに童女を調教したくなるように仕向け、そうやって苦労してこの行軍に潜りこんだのだからな」

 

 晁公子は、香孫女という名に記憶があった。

 それで合点がいった。

 数日前に、北州都である北都の美玉(美玉)から手紙が届いて、香孫女という女に会って欲しいと書いてあったのだ。

 盗まれる可能性のある手紙に詳細を記すことはないから、書いてあったのはそれだけだが、美玉がわざわざそう書いてくるのは、白巾賊の仲間にできるか判断してくれということだろう。

 

 それにしても、美玉の手紙には、香孫女が奴隷童女の姿だとは仄めかしさえもなかった。

 知らされていれば、こんなに驚くこともなかったのにと舌打ちしたくなる。

 とにかく、道士の仲間というのは確かに有益だ。

 是非とも仲間に加わって欲しいとは思うものの、性格にはひと癖もふた癖もありそうな感じだ。

 そもそも、彼女は大人びている童女なのか、あるいは、香孫女自身の言葉のとおり、童女の姿で成長の止まった大人の女なのか?

 

「質問に答えなさい、香孫女。東渓村になんの用なの?」

 

 晁公子は強い口調で言った。

 香孫女は、晁公子をむっとした表情で睨んだ。

 しかし、晁公子は、劉唐姫が晁公子の後ろでいつでも剣を抜ける状態で構えているのを知っていた。

 また、晁公子自身も剣の束にさりげなく手を置いている。

 道術をかける気配を示せば、その場で剣で斬りつけられる態勢だ。

 道術というのは、魔道具を操ったり、人の感覚や記憶を操作したり、あるいは、肉体の一部に影響を与えたりということはできるが、直接的に相手を殺すことは難しいはずだ。

 ふたりがかりなら、香孫女がいかに腕のいい道士でも殺せる。

 劉唐姫は、晁公子が武器を抜けば、香孫女を斬りかかるはずだ。そして、晁公子は香孫女がここで、術をふたりにかけるために青い光を手に帯びさせれば、瞬時に斬りかかるつもりだ。

 晁公子の緊張が伝わったのか、香孫女がごくりと唾を飲むのがわかった。

 

「名主の晁公子殿を訪ねるのだ」

 

 香孫女はそれだけを言った。

 

「えっ、お前、公子に用事なの?」

 

 声をあげたのは劉唐女だ。

 それに対して、香孫女が反応した。

 

「お前にお前呼ばわりされる筋合いはないわ。また、裸にひんむいてやるぞ。今度は下着を張りつかせてから、淫具のように振動させるぞ、赤毛。相手の性欲を操る淫靡な道術がわしの得意技でな」

 

「な、なんですって」

 

 ふたりがにらみ合った。

 

「やめなさい、香孫女。劉唐姫もよ。東渓村の女名主の晁公子というのはわたしよ……。あんたの名だけは、美玉から聞いているわ」

 

 晁公子は言った。

 香孫女の眼が大きく見開かれた。

 

「こ、これは失礼した、公子殿。改めて自己紹介する。わしは香孫女という風来の道士だ。このような姿だが大人だ。美玉殿とは以前から縁があり、恩もある。久しぶりに、その美玉殿を訪ねてみて、公子殿のことを教えられたのだ。どうか、晁公子殿たちの活動に加えて欲しい」

 

 香孫女が神妙に頭をさげた。

 

「えっ? ええっ、ええっ?」

 

 劉唐姫もびっくりしている。

 

「……まあ、美玉の紹介なら、確かなんでしょうね。それに、あんたにはわたしたちの活動を見られてしまったのだから、なんと言おうが、あなたには仲間になってもらうわ。さもなければ殺すかね……。でも、白巾賊の活動は、先に残酷な死が待っているだけの後戻りのできない戦いよ。その覚悟があるのね、香孫女?」

 

「わしの親は奴隷で、酷い主人に残酷に殺された。わしはたまたま道術の能力が備わったので、逃亡奴隷になることができたが、この国を憎むことは誰にも負けん」

 

 香孫女はきっぱりと言い、晁公子に強い視線をぶつけてきた。

 その表情には嘘もなければ迷いもない。

 晁公子は、香孫女を仲間として迎えることに決めた。

 

「わかったわ。あなたを東渓村に連れていく。ただし、ひとつだけ条件があるわ」

 

 晁公子は言った。

 

「条件? なにかを官軍から盗んでくればいいか? あの輸送隊の運んでいた財貨は本当に土産にするつもりだったのだぞ、公子殿。もしも、わしの力を試すというのであれば、なんでも言ってくれ。やり遂げてみせるから」

 

「そんなのはいいわよ。条件というのは、劉唐姫と仲直りすることよ。劉唐姫もわたしや美玉と同様に、この戦いの立ち上げの仲間よ。仲良くしてもらわないと困るわ」

 

「ああ。そんなことか……。じゃあ、仲良くしてやろう、赤毛……。どうも、わしも気が短いところがあってな。言い忘れていたが、さっきのお前たちの戦闘は見事だった。集められている武器も凄い。わしは興奮してしまったぞ」

 

 香孫女が拳を身体の前に出した。拳と拳を合わせることで、心をひとつにするという意味の動作だ。

 

「な、なんか、気に入らないけど、とりあえずあんたを受け入れてあげるわ、香孫女」

 

 劉唐姫がまだ納得がいかない表情で、香孫女の突き出した拳に自分の拳を合わせる。

 

「それよりも赤毛。仲良しついでに、よければわしの女にならんか? どうも道術の影響なのか、道士というのは淫欲の強い者が多くてな。なにを隠そう、わしもそうなのだ。さっき見たお前の裸はなかなか魅力的だった。どうだ、一度愛し合わんか? 後悔させん経験にしてやるぞ」

 

 見た目は童女の香孫女が白い歯を見せて言った。

 劉唐姫が眼を白黒させた。

 

 

 *

 

 

 青竜河と呼ばれる大きな河を遡れば、梁山湖に至る。

 

 晁公子は迎えにきた阮小ニ(げんしょうじ)の操る船の船底に、襲撃で遣った銃などの武器と官軍から奪った武器や武具などを積ませて、香孫女以外の仲間を全員解散させた。

 彼らはばらばらになって、東渓村の近くの隠し里に帰ることになっている。

 また、この船に積んだ武器は、このまま阮小ニの操船で梁山湖の手前まで運ぶ。

 そこでひそかに河畔におろして、別の者たちが受け取り、隠し里まで荷駄馬車で運ぶ手筈になっている。

 一方で、劉唐姫は数名の白巾賊の仲間とともに北都にすでに向かった。奪った銀貨の一部を北都で女豪商をしている美玉に届けるのだ。美玉は、それを軍資金として蓄えるとともに、その一部を商売でさらに財を増やすのに使うと思う。

 

 荷を積み、晁公子と香孫女が船に乗り込むと、阮小ニは小さな帆を張った。

 阮小ニの船は、河を上るときにはそうやって帆で風を受けて進む。逆に河を下るときは帆を畳み、水の流れに乗って進む。

 帆を張るというのは、海を進む船では当たり前の技術のようだが、風の安定しない河を行き来する河船では珍しいようだ。わずか二十にして、死んだ父親の船大工を継いで船大工の組長をしている阮小女(げんしょうじょ)の工夫であり、ちょっとした操作具で簡単に帆を操作できるようにしてあるらしい。

 阮小女は、いま船を操っている阮小ニの妹だ。

 船大工の阮小女は湖畔近くの家で母と住み、漁師の阮小ニは梁山湖そのものに浮かぶ船小屋にひとりで暮らしている。

 ふたりとも、二年前から白巾賊の仲間だ。

 

「今度の襲撃も大成功のようですね、公子殿。おめでとうございます」

 

 船が河の真ん中に出たところで、阮小ニが破顔して言った。

 

「ありがとう……。ところで、阮小女は元気、阮小ニ?」

 

「まあ、元気過ぎるのが、あいつの取り柄ですからね。それよりも、いつまでも、こうやって武器や奪ったに荷を船で運ぶだけの仕事なんてつまらないですよ。そろそろ、俺にも襲撃に参加させてくださいよ」

 

 阮小ニが陽気に言った。

 そのあいだも、阮小ニの手は複雑な幌の操作具を忙しなく動かしている。

 船は勢いよく河を進み続けていた。

 

「これも大事な仕事よ。襲撃そのものよりも、武器の運搬の方が重大なくらいよ」

 

 晁公子は船縁に寝そべりながら言った。

 香孫女は船そのものが珍しいのか、船から見える景色をきょろきょろと見回したり、阮小ニの操る手つきを興味深く注目したりしている。

 また、服については途中の村で購った少女らしい服装に変わっている。

 

「それはわかってますけどね。でも、船の操作だけなら阮小女でも十分ですよ。俺だって、官軍相手に暴れたいんですよ」

 

 阮小ニが手練れだというのは、晁公子も認めている。

 確かに、東渓村の者が主体の白巾賊には、ひとりひとりの武芸の猛者というのはいない。阮小ニなら斬り合いの戦闘でも頼りになるだろう。

 

「そうね……。考えておくわ」

 

「やったね。約束ですよ。ところで、このお嬢さんは誰ですか? そろそろ、紹介してくださいよ」

 

 阮小ニが言った。

 

「あたしは香孫女よ、お兄ちゃん。公子様に買われた性奴隷なの。よければ、お兄ちゃんのちんぽを舐めてあげましょうか? あたしの」

 

 香孫女がわざとらしい幼そうな声で言った。

 

「えっ、ええっ?」

 

 すると、阮小ニが真っ赤な顔になった。

 

「おうおう、これは可愛い反応だのう。このところ、わしは童女奴隷ということになっておったから、わしのところに来る男は、性欲のむき出しの者ばかりだったからのう。そんな初心な反応は久しぶりだ。わしの身体は童女で、一応はわしも処女ということになっている。たまには、童女食いも、どうじゃ? 本来は、女が好きなんだが、別に男の相手ができんわけじゃないぞ」

 

 香孫女が高笑いした。

 阮小ニが、顔をひきつらせて絶句している。

 

「ふざけるのはやめなさい、香孫女。阮小ニ、彼女は新しい仲間よ。道士の香孫女。見た目は十二歳だけど、実際はずっと歳上らしいわ」

 

 晁公子はそれぞれに、お互いを紹介するとともに、阮小ニの妹に阮小女という者もいて、女ながら腕のいい船大工であり、仲間のひとりだと説明した。

 

 やがて、前方に島が見えてきた。島というよりは陸地だ。

 「梁山泊(りょうざんぱく)」と呼ばれている島であり、島には旧王国時代の廃城があるのだが、随分以前から大きな盗賊団が棲み着くようになり、いまでは一千を超える大勢力にまでなっているようだ。近傍にある運城(うんじょう)の行政府が管轄なのだが、とても城郭軍程度では太刀打ちはできないでいる。

 

 あそこは大きな河に浮かぶ砦だ。

 つまりは湖砦だ。

 討伐には水軍も必要であり、かなり以前に大規模な討伐があったが、水に阻まれて攻めきれずに退却している。

 

 すると、梁山湖に入ったところで、阮小ニが長い竹竿の先につけた白地に黒丸の旗を出して船に掲げた。

 

「なんなの、それは?」

 

 晁公子は訊ねた。

 

「連中に税を払っているという記しですよ。これを掲げてないと、島から連中が船で出てきて、襲ってくるんですよ。それで仕方なく、ここらを進む船は連中に金子を支払って旗を買うんです。しかも、旗の記しがたびたび変わるんで、その都度、旗を買わないとならないんですよ……。だから、税なんです。湖畔街道に料理屋がありましてね。そこで頭領の愛人のひとりが料理屋をやっているんですけど、そこで買うんです」

 

 阮小ニが苦虫を潰したような顔で言った。

 しかし、晁公子は驚いてしまった。

 

「ここは天下のものでしょう。なんの権利があって、連中は周辺の漁師たちから金子なんて取り立てているのよ」

 

 晁公子は声をあげた。

 

「連中には権利なんかありはしませんよ。ただ、たくさんの盗賊が集まっているということです。だから、漁師は泣く泣く金子を払って旗を買っているんですよ……。それだけじゃないんですよ。あの梁山湖で最大の漁場は、まさに梁山泊の近くなんですけど、そこには旗の保有に関係なく漁が禁止なんですよ。近づけば岸から矢を射てくるし……。本当に迷惑な連中ですよ。役人よりもたちが悪い」

 

 阮小ニが幌を操りながら言った。船は梁山泊の反対側の陸地に沿って進んでいる。おそらく、おかしな騒動を梁山泊の連中と起こさないようにという配慮だろう。

 それにしても、長年、梁山湖の近くに住んでいたし、あの島に大きな盗賊団が巣食っていることは知っていたが、そんな風になっているとは知らなかった。

 

「なんで梁山泊に近づくのが駄目なのだ?」

 

 香孫女が訊ねた。

 

「頭領が恐ろしく猜疑心が強いからだよ、香孫女。よくわからないど、梁山泊の賊徒の頭領には占いのできる愛人もいて、そいつが頭領の座がもうすぐ替わるだろうと占ったらしい。それで、以前からも猜疑心の強い男だった頭領が輪をかけて臆病になったという噂だな」

 

「占いなどというのは迷信だ。先のことがわかるような道術はない」

 

「そうかもしれんが、その頭領は信じたのさ」

 

 阮小ニは肩をすくめた。

 

「それにしても、外で料理屋をしているのも愛人で、砦の中には占いをする愛人もいるのか? 随分と色男なのだな」

 

 香孫女が皮肉っぽく言った。

 

「頭領は女たらしという話さ。砦を乗っ取られるのが嫌なので、最近じゃあ、豪傑がやって来たら、理由をつけて追い返してしまうが、美人なら入砦を許すそうだ。頭領の愛人になるのを条件にね」

 

 阮小ニは吐き捨てるように言った。

 

「その頭領の名は?」

 

 晁公子は訊ねた。

 

王倫(おうりん)です」

 

 阮小ニの返事に晁公子は頷いた。

 

 いままで隠し里を立ちあげるのに夢中で、あまり拠点のことは考えなかったし、挙兵のときにはどこかの城郭を奪って、そこを拠点にして叛乱を拡げようとしか思っていなかったが、あの梁山泊の島はどうなのだろうか。

 政府軍の大軍が攻めあぐねたほどの要害だ。

 

 あの梁山泊によって叛乱の旗を掲げてはどうか……?

 官軍の討伐は容易ではないはずだ。

 

 そして、梁山泊に集まった叛徒が官軍に勝ち続ければ、世の人々は絶対に、この戦いに希望を見いだそうとするはずだ。

 そうすれば、この世の中に不満を持つ民衆が一斉に立ちあがり、帝国が倒れ、この国に新しい国が生まれる……。

 

 晁蓋が唱えた理想郷が……。

 

 晁公子は、海のように広い湖に浮かぶ緑の梁山泊をしばらくのあいだじっと眺め続けた。




白巾賊(はくきんぞく)

〇頭領
 晁公子(ちょうこうし):東渓村の女名主
〇幹部
 美玉(びぎょく):北都の女豪商
 劉唐姫(りゅうとうき):風来の女
 湯隆(とうりゅう):銃職人
 阮小ニ(げんしょうじ):梁山湖の漁師
 阮小女(げんしょうじょ):船大工の少女
 香孫女(こうそんじょ):道術師、元奴隷


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第3話   女体化の呪術
7   高簾(こうれん)徽宗(きそう)帝に裸体を晒す


「また、余の負けか」

 

 徽宗(きそう)帝はがっかりして、手札を卓に投げ捨てた。

 

「ほほほ、どうやら、今夜は、ひとり敗けでございますね、陛下」

 

 高簾(こうれん)が優雅な手つきで場に積みあげられていた賭け札を回収しはじめる。

 宮廷に隣接する内宮の中にある皇帝のための私的な一室だ。そこで、徽宗はこのところ熱中している札遊びに興じていた。

 相手をするのは、気心の知れた徽宗の遊び仲間三人である。

 

 すなわち、ひとりは、徽宗が若い皇太子時代に戦場をともにした老将の童貫(どうかん)、もうひとりは宰相の蔡京(さいけい)、そして、三人目が宮廷道師長である高簾だった。

 徽宗も|齢(よわい)四十となり、その治世は十年を超えた。

 ここにいる三人は、いずれも徽宗の治政を支えてくれる重鎮たちだった。

 

「もう一勝負だ、高簾。このままお開きにしたのでは、皇帝家の財がお前に根こそぎ奪われてしまう。皇帝家の財政担当者が蒼い顔をするわい」

 

「大袈裟でございますねえ。私の勝ち分は陛下からは頂きませんよ。こうやって、陛下の遊戯に呼んでいただけるという光栄のみで十分でございます。それに、この帝国の皇帝家の財が、まさか一夜の賭け札で傾くことはございますまい」

 

「なにをいうか、高簾──。勝ち負けはしっかりとしなければ、賭け札遊びの面白みがないだろう。負けた分はしっかりと払うぞ。もちろん、余が勝てばしっかりと払ってもらう。だからこそ、遊びに熱が入って面白いのだ。それとも臆したか?」

 

「ほほほ、そういうものでございますか……。もちろん、臆しはいたしません」

 

 高簾が優雅に笑った。

 思わず引きこまれるような美しい笑い顔だ。

 徽宗は思った。

 一緒に卓についている童貫や蔡京も釣られて微笑んでいる。

 

 六十になった童貫や、四十代の徽宗と蔡京に比べれば、高簾は若い。

 確かまだ二十代の半ばのはずだ。

 その歳で宮廷道師長というのは異例であり、それだけ道術の腕が素晴らしいということを示している。

 もっとも、この男の出世には運に恵まれたということもある。

 前の道師長が急逝したとき、高簾は次の道師長候補にも入っていなかった。だが、五人ほどいた候補者がなぜか次々に死ぬか、失脚してしまい、この男が候補の一番手になったのだ。

 

 女のような男───。

 

 それが高簾を最初に見た者が思う印象だろう。

 黒髪は真っ直ぐで長く、それを首の後ろでその長い髪を女物の髪飾りで束ねている。透き通るような白い肌は、徽宗の後宮にいるどの美女よりも滑らかそうだ。

 

 なによりも顔が美しい。

 男であるとわかっていなければ、いますぐにでも徽宗の後宮に迎えたいほどの美貌だ。

 

 だが、男……?

 実際のところどうなのだろうか……?

 この高簾は、実は女なのではないかという噂があるのは知っている。

 

 声も太くない。

 いつも、ゆったりとした袍着を身に着けており、身体の線は見えない。外に見える手脚はまさに女のように細く、袍着(ほうぎ)の裾からわずかに覗けるふくらはぎには、脛毛など皆無で滑らかそうな肌があるだけだ。

 身体の女のように細いというのは、手脚の細さを見ればわかるのだが、実際は女なのではないだろうか……。

 

 別段、徽宗の腹心であるためには、性別が男であろうと、女であろうとどうでもよいのだが、見れば見るほど、女に思える。

 徽宗も本気で疑いたくなってきた。

 

 実のところ、徽宗も、「諜者」と称する手の者を使って調べさせたことがある。

 その結果、紛れもなく男であるということは判明した。

 ただ、こうやって面と向かうと、どうしても女のようにしか見えない……。

 

「どうかしましたか、陛下?」

 

 札を配ろうとしていた高簾が、徽宗に微笑んだ。

 どうやら、じっと凝視しすぎていたようだ。

 

「なんでもない。じゃあ、やろう」

 

「かしこまりました」

 

 親役の高簾が優美な動作で札を切り、それぞれに五枚ずつ配った。

 

 やっている札遊びは、配られた五枚の札を使った数合わせだ。

 それぞれの札には一から十までの数が書かれており、その組み合わせで勝ち点が変わる。

 その勝ち点一点につき、いくらと決められていて、それを賭け札にして取り合って後で清算するのだ。

 手札と山札の交換は二回までであり、一回につき何枚でも交換できる。ただし、その都度、参加費を支払わなければならない。

 参加点を支払って途中でおりれば、最後の勝負も含めて、それ以上の支払いはなしとなる。

 そして、最後の勝負では互いの札を見せ合い、一番点数の高い組み合わせの五枚を集めた者が勝ちとなるのだ

 勝者はそれまでに集まった各人からの参加費と、途中でおりた者を除く勝負に参加した者の全員から組み合わせに応じた賭け札を総取りする。

 そういう遊びだ。

 

 次の勝負は、最初の時点で童貫が勝負をおり、二回目の札の交換の直前に蔡京がおりた。

 またしても、徽宗と高簾の一騎打ちになった。

 

「今度は余の勝ちに間違いないな」

 

 徽宗は手札を拡げた。

 五の四枚揃いだ。

 四枚揃い以上の役札はない。すなわち、徽宗の勝ちに間違いない。

 

「残念でございますね」

 

 高簾が笑って手札を出した。

 七の四枚揃いだ。

 同じ役の場合は数で決まる。最高は一であり、ほかは数の多い方が勝ちだ。

 

「また、負けだ。やられたわ」

 

 徽宗は両手をあげた。

 

「……さて、もう夜も更けましたのう。陛下、そろそろ、お開きにしましょうか」

 

 童貫が声をかけた。

 

「なにをいうか、童貫。これでは余のひとり負けだ。勝ち逃げは許さんぞ」

 

「これは困った。陛下が勝つまでやっておったら、何日続けねばならんのか」

 

 童貫がおどけた口調で言った。

 

「ならん、ならんぞ──。もうひと勝負だ──」

 

 徽宗は怒鳴った。

 ほかの三人が困惑した微笑みを浮かべて顔を見合わせた。

 自分が熱くなっているのは徽宗も自覚している。

 だが、ここでやめたくはないのだ。

 そのとき、高簾が口を開いた。

 

「……ならば、こうしませんか、陛下。もうひと勝負といきましょう。ただし、私と陛下の一騎打ちです──。しかし、残念ながら、この札遊びは、私と陛下では腕が違います。だから、単純な運試しの勝負にしましょう。私と陛下が単純に山札から一枚ずつ取ります。それで数が多い方が勝ちということでいかがです? 私が負ければ今夜の勝ち分は要りません。その代わり、私が勝てば、ひとつだけお願いを聞いて欲しいのです。いずれにしても、今夜の勝ち分は頂きません」

 

 高簾が言った。

 その表情には、さっきまで浮かんでいた柔和そうな笑みはない。

 

「なんだ、その願いというのは?」

 

 徽宗は首を傾げた。

 珍しくも高簾が真剣な表情をしている。

 

「私の弟のことです。高俅(こうきゅう)です。名誉を回復して欲しいのです。どうか、陛下の慈悲をもって」

 

 高簾が頭を深く下げた。

 

「高俅?」

 

 しかし、徽宗には、高簾の弟の高俅という名に記憶がなかった。

 そもそも、こいつに弟がいるのか?

 宰相の蔡京に視線を向ける。

 

「……高俅は、元は国軍の若い将校でしたが、先日、国軍の武術師範のひとりと諍いを起こして、帝都からの追放令になりました」

 

 蔡京は言った。

 

「どんな事件だ、蔡京?」

 

 すると、蔡京がちらりと高簾に視線をやってから、言葉を続けた。

 

「大した事件ではありません。武術師範と私闘をしたのです。ただ、仕掛けたのが、その高簾殿の弟の高俅殿であったために、罪は高俅殿のみということで判決がなされて、帝都追放ということになりました。高俅殿はその武術師範に訓練のときに、こっぴどくやられたのです。それで恨みを抱いたということになっております」

 

「それについては、高俅も反省をしておるのです。どうか、陛下」

 

 高簾がさらに頭をさげた。

 それにしても、この冷静な男も、さすがに肉親に可愛いらしい。こんなに必死な高簾に接するのは初めてのように思う。

 徽宗は、思わず頬に笑みがこぼれた。

 

「確かに大した罪ではございません──。そもそも、その武術師範が将校にも訓練を課すと言いだしたのが発端といえば発端なのです。王進(おうしん)という若い武術師範ですが、些か堅物でして、武術は将校も学ぶべきとか申して、若手将校の全員に武術訓練を課したのです。しかし、本来は武術師範の役割は、国軍の兵卒に対する武術指導ですからな……。高俅が頭にくるのもわからんでもないのです」

 

 童貫も言った。

 この蔡京と童貫が口を揃えて擁護するのは、なんとなく事前に高簾がなにかの工作をしている気配を感じるが、いずれにしても、それくらいのことであれば、どうということはない。

 

「そんなことか……。余の一存でどうにでもなるな。ならば、賭けに関係なく、すぐに名誉を回復してやろう。明日にでも、恩赦を与えて、軍属に復帰させろ、蔡京」

 

「承知しました……。よかったのう、高簾殿」

 

 蔡京が言った。

 

「あ、ありがとうございます、陛下──。それと口添えに感謝します、蔡京殿、童貫殿──。この高簾、お三方には犬馬の労も厭いませぬ」

 

 高簾が破顔した。

 

「これくらいのことで大袈裟であろう」

 

 徽宗は苦笑した。

 

「それにしても、これでさっきの賭けの対象がなくなってしまったな。高簾の弟の名誉回復は、賭けとは関係なく行われることにしたからな」

 

 徽宗は言った。

 

「そんなものは、もう必要ありません。今夜の勝ち分は頂くわけにはまいりません」

 

 高簾は言った。

 

「そうか──。ならば、そういうことにしようか──。ただし、お前の弟の赦免の代償として余とひと勝負せよ。そして、余が勝ったら、お前の裸を一度見せよ」

 

 徽宗はにやりと笑った。

 絶好の機会だ。

 この際、以前から膨れあがっていた好奇心を満足させてもらおう。

 この高簾が男か、女か──。

 これでわかる。

 裸を見せるのを頑なに拒否するようであれば、本当は女である可能性も強くなる。

 

「わかりました。お見せします。しかし、陛下だけにしていただきますよ。近習の者も、護衛の者もなしでございます。それでよければ、お見せします」

 

 高簾はあっさりと言った。

 徽宗は些か拍子抜けした。

 承諾したことを考えると、やっぱり男なのだろうか……。

 

 いずれにしても、賭けということになった。

 勝負は一回のみ。

 一が最高点として、後は数の多い札を取った側が勝ち。同点の場合は、もう一度やる──。

 高簾が山札を崩した。

 崩れた札の中から好きな数を選ぶのだ。

 

 まずは、徽宗が伏せたまま一枚を取った。

 それを確かめてから、高簾も札を取った。

 徽宗は自分の札をめくる。

 三──。

 失望した。これよりも下の数は、二しかない。

 高簾が自分の札をめくった。

 果たして、二だった。

 

「余の勝ちだ」

 

 徽宗は悦びの声をあげた。

 

 

 *

 

 

「では、脱ぎますね、陛下」

 

 高簾が言った。

 

「うむ」

 

 徽宗は頷いた。

 

 ここは宮廷の中でも、皇帝家の生活空間である内宮の一室だ。すぐ隣の部屋は寝室もあり、本来は本当に私的な場所なのだ。

 ただし、護衛などは人払いしてある。

 

 もともと、戦場の経験もある徽宗には護衛など必要ない。徽宗そのものが優れた武人であり、最強の護衛役だ。眼の前の高簾が徽宗に刃向うことなどあり得ないが、たとえ、そういうことがあったとしても、この細い身体だったら、徽宗の太い腕ならば、片手で高簾の首の骨くらい折れる。

 もっとも、高簾には、武術の腕はないが道術はある。

 しかし、道術の技では、魔道具と呼ばれる魔力を刻んだ道具を作ったり、幻術を見せたりすることができる程度であり、人を殺すようなことは不可能だ。

 だから、高簾とふたりきりになって問題はない。

 

 高簾は、帯を解いて、身体の線を隠す袍着を脱いだ。

 ふたりのあいだには、小さな卓があり、卓の上には酒の瓶とふたつの盃がある。

 徽宗は椅子に座って卓越しに高簾を見ていた。

 高簾は向かい側の椅子の横に立っていて、脱いだ袍着(ほうぎ)を椅子の背にかける。

 袍着の下は、同じような重ね着の内衣だ。

 高簾がそれも脱ぐ。

 

「んっ?」

 

 徽宗は思わず眼を凝らした。

 高簾は、身体の下に、女が身に着ける胸巻きをしていたのだ。胸巻きというのは、文字通りの胸に巻きつける布であり、乳房全体を包んで紐で胴体に結びつけるものだ。

 普通は男はつけない。

 また、高簾の巻いている胸巻きの内側は少しふっくらとしているように思う。

 大きくはないが、乳房に間違いないように思えるが……。

 

 もしかして、噂は真実だったか……?

 

 しかし、下半身を包んでいる股布の股間の部分には、はっきりと男の性器を思わせる膨らみがある。

 

 どちらかは本物で、どちらかは偽物だろう……。

 徽宗は、高簾の身体を凝視していた。

 

「私の裸に興味がおありですか?」

 

 高簾が微笑んだ。

 その妖艶な雰囲気に、徽宗はなぜか惹きこまれそうになった。実際のところ、徽宗は女好きだが、衆道の気もある。高簾のような細くて美しい男は徽宗の好みでもある。

 

「あるな……。お前は実は女という噂がある。男にしては美しすぎるからな。ただ、男だとしても、女だとしても、余の好みであることは間違いない」

 

 徽宗ははっきりと言った。

 

「嬉しゅうございます……」

 

 高簾はにっこりと笑った。

 どきりとするような美しさだ。

 徽宗は、自分の股間が固くなるのがわかった。

 

 男でも女でもいい……。

 抱いてみたい。

 そう思った。

 

 その考えもあるから、高簾の裸を見る部屋を寝室の隣に選んだのだ。隣の寝室とこちらの部屋とは、部屋の中にある扉で繋がっている。

 どちらからも人払いを済ませている。

 

「高簾、こっちに来て、余の横で脱げ──」

 

 徽宗は手を伸ばして、高簾の腕を取った。

 

「こ、これは……? 裸を見るだけのお約束では……?」

 

 高簾が苦笑しながらも、腕を取られて徽宗の横に移動した。

 

「ならばこうしよう……。お前の弟だが復帰しても一介の将校ではつまるまい。余の一存で近衛軍付の大将にもできるぞ──。一介の将校で戻ると、諍いがあったという武術師範との確執もあるのではないか? どうせなら、出世して戻った方が弟もやりやすかろう?」

 

 徽宗はにやりと笑った。

 この高簾が肉親に弱いというのは、さっきわかった。

 果たして、高簾の眼が見開いた。

 どうやら、やはり、この男の弱点は弟のようだ。

 

「その御恩に対して、私はなにを差し出せばよいですか?」

 

「明日の朝までここですごせ──。それで弟は大将だ」

 

 徽宗は高簾の腕を離した。

 

「ありがたき幸せ……」

 

 高簾が微笑んで、胸巻きの紐を外して取り去った。

 

「おおっ?」

 

 徽宗は声をあげた。

 胸には大きくはないが、はっきりとした乳房がある。

 紛れもなく女の身体だ。

 それにしても美しい身体だ。まるで透き通るような肌というのは、高簾の肌を称するのだろう。

 

「お、お前は女であったか」

 

 徽宗は言った。

 

「さあ……」

 

 高簾が、あの妖艶な笑みを浮かべたまま、腰布を解く。

 男でも女でも、腰布は薄い布で股間を包んで腰の横で結ぶというものだ。簡単に解けて、一枚の布になる。

 高簾は、股間から布を取り去って袍衣とともに椅子の背にかけた。

 

「な、なんだ?」

 

 徽宗はびっくりして腰を浮かせた。

 少年の一物を思わせる男の性器がそこにあった。しかし、一本の陰毛も生えていない。そして、高簾の股間には睾丸にあたるものが存在していない。

 身体の線は男らしさの欠片もなく、均整のとれた女そのものだった。

 なんとも不思議な身体だ。

 まさに美の女神そのものように美しいのだが、その股間に少年の肉棒だけをつけたような姿だ。

 

「私の正体でございます、陛下……。男でもなく、女でもなく……。それが私でございます」

 

 高簾は卓に腰を乗せると、大きく片足を開いて、垂れている肉棒を手で上に避けた。

 そこには女の股間もあった。

 

「は、半陰陽者か……」

 

 男の性器と女の性器のいずれのものも所有する半男半女の身体を持つ者をそう称する。

 徽宗もそのような者が存在し得るということは承知していていたが、実際に目の当たりにするのは初めてだった。

 

「そ、それは両方とも機能するのか……?」

 

 好奇心に耐えられずに、徽宗は訊ねた。

 

「それは、ご自分でお試しください……」

 

 裸身の高簾が徽宗の脚の上に乗って、首に両手を回してきた。

 高簾の美しい顔が徽宗の顔に近づく。

 唇が塞がれる。

 徽宗は口の中に入ってきた高簾の舌に自分の舌を絡めて唾液を吸った。

 高簾の唾液は甘い味がした。

 

「お前の唾液には味があるな……。なにか果実でも食べたか?」

 

 しばらく口づけを愉しんでからやっと口を離し、徽宗は訊ねた。

 

「……道力の影響かもしれません。私が欲情すると、私の唾液の成分に媚薬効果が混じるのです。しかも、この唾液は、相手ではなく、私にも効果を及ぼしてしまうようなのでず」

 

 高簾は赤い顔をして言った。

 ふと見ると、徽宗の膝に乗っている高簾の股間の男性器は見事に屹立している。

 

「女としての道具は反応しているか?」

 

 徽宗は片手を高簾の股間の下に潜らせた。

 

「はああ……」

 

 高簾が甘い声をあげて、徽宗にしだれかかってくる。

 その女陰の部分はしっとりと濡れていて、しっかりと愛蜜が滲んでいた。

 

「へ、陛下……」

 

 高簾がさらに徽宗に体重を預け、片手を徽宗の股間に這わせた。

 

「た、逞しいです、陛下……。それで突いてください……。そ、それと、どうか高俅のことは……」

 

 高簾が淫靡な声をあげた。

 

「まずは、口で舐めよ」

 

 徽宗は言った。

 高簾が膝からおり、徽宗の脚のあいだに跪く。

 その華奢そうな手で徽宗の着物の裾を左右に開いて股布にかかった。徽宗は腰を浮かして、高簾が徽宗から股布を取り去るのを手伝ってやった。

 

 徽宗の一物が剝き出しになった。

 しっかりと勃起して天井を向いている。

 高簾の小さな口が徽宗の股間を含んだ。

 温かい高簾の口の肉で包まれた怒張の先端が、舌で刺激され始める。

 

「おっ、こ、これは……。ううっ……」

 

 素晴らしい舌技だった。

 あっという間に追い詰められた徽宗は、両手で高簾の頭を抱えるようにして、思わず声をあげた。



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8   高俅(こうきゅう)、将軍となり王進(おうしん)を叱責する

王進(おうしん)、大変よ」

 

 |呉瑶麗|(ごようれい)が家に飛び込んできた。

 

 呉瑶麗は、王進と同じ武術指導の教官のひとりであり、武術師範組の教官の中では唯一の女性だ。

 まだ入隊して三年にしかならず、しかも、女であるため師範代格に留まっているが、武術の腕なら群を抜いている。

 そして、武術だけではなく学もあり頭もいい。

 おそらく、早晩師範になるのは間違いない。男女の違いはあるが、同じ武術家ということで、王進は親しく付き合いをしていた。

 

 その呉瑶麗が血相を変えた様子で、王進の家に飛び込んできた。

 王進の家は軍が与えてくれた小さな一軒家で、軍営のすぐ近くである。

 狭いが、妻もなく独り暮らしの王進には十分だ。

 

「おお、呉瑶麗か。十日ぶりか。国軍の将兵どもの稽古はどんな感じだ。十日も俺が休んだからな。一応、やっと病も癒えたし、明日には出仕するぞ。国軍の軟弱どもを鍛え直してやる。それにしても、お前も相変わらず、女としての警戒心がないやつだなあ。男のひとり暮らしの家に、女ひとりでやってくるなど無警戒にもほどがあるぞ」

 

 王進は笑った。

 もっとも、呉瑶麗は国軍でも有名な美貌の女剣士であり、呉瑶麗を襲おうとするような命知らずの男もいないだろう。

 実際のところ、男嫌いという噂であり、これだけの美女でありながら浮いた噂ひとつない。

 それが玉に傷だ。

 唯一の例外は王進だが、王進と呉瑶麗が男女の関係ではないことは、ほかならぬ王進自身が知っている。王進と呉瑶麗は、男女の垣根を越えた友人であり、呉瑶麗は王進の親しい飲み友達のひとりだ。

 

 もっとも、浮いた話ひとつないというのは、王進も同じだ。

 いまは、王進は女には興味がない。

 武術を教えるのが王進の生き甲斐だ。

 皇帝に直属する国軍の将兵は、この国でもっとも精強でなければならない。

 それが王進の信念だ。

 

 ところが実体は、外敵と接触して常に緊張状態にある国境軍や賊徒討伐で息もつけない各地の地方軍に比べれば、長年の平和で戦場になど滅多に出ることのない国軍の将兵は軟弱だ。

 王進にはそれが我慢ならなかった。

 だから、王進は、王進のできることをやる。

 将兵を鍛えるのは、各軍を預かるそれぞれの将軍の仕事だが、各軍を横断して兵への武術指導をするのは武術師範組の仕事だ。

 そして、王進は、若いといえども、その武術師範組の筆頭師範だ。

 国軍を強くするために、王進は、国軍の各兵に厳しい武術訓練を課すようにしていた。

 

「そんな呑気なことを言っている場合じゃないわよ。とにかく、早く着替えて出仕した方がいいわ。新しい近衛軍の大将が就任してきて、あなたを処断するって息巻いているのよ」

 

 呉瑶麗が蒼い顔して言った。

 

「なんで、俺が処断されなければならないのだ?」

 

 王進は声をあげた。

 

「今日、その新しい大将がやってきて、武術師範組の点呼をしたのよ。その大将は、武術師範組の管理を受け持つことになったらしいのよ……」

 

「新しい大将は武術はできるのか? また、武術のまったく知らない将軍が俺たちの上官になったんじゃないだろうなあ」

 

 王進は口を挟んだ。

 どの軍にも所属しない武術師範組だとはいっても、軍の組織管理上、完全にはそういうわけにもいかず、各将軍のうち近衛軍に属する将軍の誰かが、武術師範組の管理を受け持つことになっている。

 つまりは、それが王進の上官だ。

 だが、将軍の中には戦の経験もなく、家柄や高官の“引き”だけで将軍になっている者も多い。そういう存在には我慢ならない。

 ましてや、それが武術師範組の上官となるなど言語道断だ。武術を知らない将軍に限って、知りもしないくせに武術指導に口を出したがる。

 このあいだも、兵だけではなく、若い将校にも武術指導を義務付けるということを決めて、訓練をさせはじめたのだが、いろいろあって結局中止させられた。だが、兵よりも弱い将校というのが、戦場で兵を指揮できると思っているのだろうか──。

 

「いいから、最後まで聞きなさいよ、王進──。その新しい大将が点呼をして、あなたがいないということに気づいたのよ。それで、それは自分を馬鹿にしているに違いないと怒鳴り散らして、息巻いているのよ──。とにかく、着替えて釈明をした方がいいわ」

 

「なにを言っているのだ。俺はちゃんと病気届をしての休みだぞ」

 

 王進はびっくりした。

 数日間、風邪をこじらせたようで寝込んでいたのは紛れもない事実だ。

 呉瑶麗も心配して、薬を持ってきてくれたりしていた。そのおかげもあり、なんとかよくなったので、明日には出仕する予定だったのだ……。

 

「そんなことを通用しないわよ。だって、新しい大将というのは、あの高俅(こうきゅう)なのよ──。いや、もとい、高俅将軍閣下よ」

 

「高俅? い、いや、まさか、あの高俅か?」

 

 王進は声をあげた。

 

「あの高俅閣下よ」

 

 呉瑶麗はしっかりと言った。

 王進は目の前が暗くなる思いがした。

 高俅という名には覚えがある。

 

 三箇月前のことだ。

 

 王進の提案した将校に対する武術指導の取りやめのきっけにもなった事件なのだが、そのとき王進はその自分の提案により始まった若手将校に対する武術指導をしていた。

 そのときに、目立って手を抜いていた将校をこっぴどく痛めつけたことがあった。もちろん、訓練の中でのことであり、武術指導のときには階級など関係なく、教官と生徒という立場になるということは決まっている。

 ところが、その若手将校は、そのことを恨みに思ったのか、帝都の夜闇の中で徒党を組んで、突然に王進を闇討ちにしたのだ。もちろん、手もなくやっつけ、首謀者らしき男の顔面をしこたま殴りつけてやった。鼻が曲がるくらいに殴られたそいつが顔を真っ赤に腫らしていたのを覚えている。

 それが高俅だ。

 その事件で高俅は帝都追放になり、王進は自分が提案して始まった将校に対する武術教練をやめさせられた。

 いま思っても苦々しい事件だ。

 

 しかし、その高俅が、よりにもよって将軍になって戻り、王進の上官になったというのか?

 とてもじゃないが信じられる話ではなかった。

 

「信じられないという思いはわかるわ。わたしだって、そうだったもの……。だけど、事実は事実よ。その高俅将軍があなたを処断すると言って、いまでも騒いでいるの。お願いだから、早く着替えて釈明のために出仕して」

 

 王進の表情から考えていることを悟ったのか、呉瑶麗がそう言った。

 

「わ、わかった。だが、さっぱり判然としないのは、一介の若手将校で、帝都の追放処分を受けた高俅がなんで、将軍なんかになるのだ?」

 

「噂によると、高俅閣下は、あの宮廷道師長の高簾(こうれん)様の異母弟だったようよ。それで、高簾様が弟の助命のために動き、しかも、将軍格に取りたてるように陛下に直訴したということらしいわ」

 

「高簾魔道師長? あの顔の綺麗な道術遣いか……? 兄弟? 全く顔は似てないぞ──。し、しかし、たとえ、そうだとしても、そんなこと許されるか──。あの軟弱のうえに卑怯者の高俅が近衛軍の将軍だと──?」

 

「許されるのよ……。それが名門や高官というものなのよ。とにかく出仕を──」

 

 呉瑶麗に促されて、王進は急いで着替えて軍営に出仕した。

 武術師範組の詰所は大騒ぎだった。

 ほかの武術師範や武術師範代に背を押されるようにして、近衛軍の大将府に連れて行かれた。

 すぐに高俅の部屋に入れられた。

 

「王進、筆頭武術師範のくせに、俺の着任の儀に仮病を使って出仕しないとはいい根性だな。そんなに先日のことが気に食わないか?」

 

 部屋には、高俅のほかに、高俅の部下らしき四人の高級将校が高俅の両側に立っていた。

 儀礼をして高俅の卓の前に進み出ると、開口一番いきなりそう言われた。

 

「と、とんでもありません。十日ほど病に伏せておりました。届けをしての休暇であり、決して仮病などでは……」

 

「黙れ──。元気そうではないか。それに、呼びだせば、そうやって出仕したであろう。無理をすれば出仕できたのに、俺の就任式に現れぬというのは、俺への遺恨を抱いていたからに違いない」

 

「そんな、無茶な……」

 

 王進は困惑して、高俅の顔を見た。

 立派な将軍服に包まれているが、紛れもなくあの高俅だ。おまけに鼻が曲がっている。闇討ちのとき、王進が返り討ちで殴りつけてやった鼻だ。

 

「だいたい、お前には賄賂の噂もあるようだな。賄賂を渡さねば武術鍛練で酷く痛めつけ、賄賂をもらえば手抜きをしてやるということだった。三箇月前、俺は清廉な将校だったから、お前に賄賂を渡さなかった。だから、仕返しに俺に厳しくしたのであろう?」

 

 高俅がにやりと笑った。

 

「じょ、冗談じゃない──。賄賂など──。誰がそんなことを言っているのです。馬鹿にしないでいただきたい──」

 

「馬鹿だと──。それが将軍に対する言葉遣いか──。よくわかった。お前の性根は見えた。今日は俺の着任の儀の日だから許してやるが、明日からお前にかかっている嫌疑については徹底的に調べてやる。もしも賄賂の噂が本当だったら、この俺が手ずからお前の首を落としてやる」

 

 部屋を追い出された。

 近衛軍府から武術師範組の詰所に戻ると、ほかの武術師範と武術師範代が心配そうな顔をして待っていた。その中には呉瑶麗もいる。

 王進はなにも言わなかった。

 そのまま、まだ体調がすぐれないからと言い訳をして、また家に戻った。

 

 

 *

 

 

 暁から間もない時間だった。

 まだ、街道には朝霧が立ち込めていたが、特に問題もなく、帝都の外門を抜けることができて、ほっとした。

 王進は帝都から出奔すること決め、朝になるのを待ち、帝都の外門が開門するのと同時に門を出たのだ。

 

 とにかく、昨日はとんでもない日だった。

 まさか、あの高俅が近衛軍の大将になり、しかも、王進の上官になるとは夢にも想像していなかった。

 だが、事実は事実だ。

 昨日、呼びだれたとき、高俅は、王進が賄賂をもらっているに違いないと仄めかした。

 あれは脅しでも、嫌がらせでもない。絶対になにかを企んでいる。

 王進は思った。

 

 もちろん、賄賂をもらって教練の手を抜いたり、逆に賄賂を送らないからといって厳しい鍛練を課すことはありえないが、高俅は濡れ衣を作って王進を陥れ、三箇月前の恨みを晴らすつもりだろう。

 

 間違いない……。

 

 その気になれば、証拠などいくらでもでっちあげられる。派閥争いの末に、そうやって偽の証拠で粛清されていった例をいくらでも知っている。国軍というのはそういうところなのだ。上官に睨まれれば終わりだ。

 しかも、睨まれるくらいならいいが、恨まれているのだ。

 

 高俅は、近日中に王進が賄賂をもらって教練に手心を加えたという証拠をでっちあげて処断するだろう。

 そうなってしまえば、弁明の余地などない。

 よくて流刑、悪くて処刑だ。

 その気になれば、証拠などいくらでも作れる。

 王進だって、武術指導をした将校や兵から、後でなにかを貰うということはある。

 個人的な指導を頼まれることもあるし、そのときには、なにかしらのものを礼として受け取ったりもした。やましいことはないが、そういうことのすべてが証拠とされてしまうだろう。

 

 こうなれば、三十六計逃げるにしかずだ。

 どうせ、家族もない独り者だ。

 腕一本でどうとでも生きていける。

 

 北の国境に向かって国境軍に入るのもいいだろう。あそこは、いつも腕のいい将兵を募集している。名を隠して入隊すれば働きどころもあるはずだ。あるいは、どこかの地方にいき、用心棒などをするのもいいかもしれない。世の中は物騒なのだ。賊徒が横行し、強盗は茶飯時だ。武術の腕は引く手あまたのはずだ。

 

 だから、王進は、昨日、軍府から戻ると、すぐに荷物や着物をとりまとめ、金子を集め、食料や手回り品などを布袋に詰め込んで準備し、朝が開けるのを待たずに、荷のほかに棒を一本のみ持って家を出てきたのだ。

 

 それにしても深い霧だ。

 街道を進みながら王進は思った。

 まったく前が見えない。

 足元しか見えないとはこのことだ。

 しかも、だんだんと霧が深くなるような気がする。

 だが、王進が出奔したと知れば、高俅はすぐに追手をかけるだろう。少しでも前に進まなければ……。

 王進は速足で街道を進み続けた。

 

 だが、突然、ふと気がついた。

 たったいま、道の横にある大きな樹木があったが。さっきも同じ樹木を見たような気がしたのだ。

 王進はなんとなく、その樹木の根元に石を三個置いた。

 そして、そのまま、また歩きはじめた。

 

 しばらく、進んだときだ。

 また、同じような樹木があった。

 驚いたことに、その根元には、さっき王進が置いた石が三個置いてある。

 王進は恐怖した。

 

 同じ道をぐるぐると回って進んでいる……?

 しかし、そんなことはありえない。

 

 西に向かう一本道だ。

 街道に沿って道を外れなければ、同じ場所に戻るわけがない。

 王進は駆けた。

 霧はますます深くなる。

 そして、しばらく走ると、また、根元に三個石がある樹木が現われた。

 

「どういうことだ──?」

 

 王進は悲鳴をあげた。

 すると、なぜか突然に闇に包まれた。

 

 

 *

 

 

 白い光があった。

 

「目が覚めたか?」

 

 誰かの笑い声がする。

 王進は眼を開けた。

 誰かが王進を見下ろしている……。

 はっとした。

 

「こ、高俅──。いや……高俅閣下──。なぜ?」

 

 王進は声をあげた。

 見下ろしていたのは高俅だった。

 そして、王進は自分が大きな台の上に乗せられているということに気がついた。

 

 起きようとした。

 しかし、動けない。

 その代わり、手首と足首に革紐も感触があった。

 

「あっ? な、なぜ──?」

 

 王進は手足を台の上下に伸ばして四肢の手首と足首を拘束されているようだ。

 しかも、奇妙な違和感がある。

 身体の感触がおかしいのだ。

 それに、声も不自然だ。自分の声ではない気がする。

 王進がさっきから発する声は、まるで女のように高い声なのだ。

 

「兄者、これは確かに王進なのですか?」

 

「ほほほ……。間違いないわ。帝都から逃げようとしたところを私の道術で捉えて、そこまま、この屋敷の地下に連れてきた正真正銘の王進よ。私自らが連れてきたのだから確かよ。本人に訊いてごらんなさい」

 

 もうひとりの顔が上から覗いた。

 宮廷道師長の高簾だ。

 

 鬼道を操るという噂であり、その能力が抜けているというとで、異例の若さで道師長に抜擢された。最近の噂では皇帝と衆道の間柄ということだが、それも理解できるくらいの顔の美しさだ。

 それにしても、どういう状況なのだろう?

 

「おい、お前、本当に王進なのだな?」

 

 高俅が言った。

 

「お、おたわむれはやめてください。も、もしかして、これは訊問なのですか? そ、それについては弁明させてください。もしかして、俺が逃亡を図ったとかお思いなのかもしれませんが……」

 

 王進は懸命に舌を動かした。

 なにがあったのかわからないが、帝都の城門を抜けたところで捕えられたということだろうか?

 そう言えば、異常な霧だった。そして、突然に闇に包まれて意識がなくなった。

 まるで道術にかけられたような……。

 

 道術……?

 

 道術といえば、眼の前の高簾だ。

 自分は高簾に捕らえられたのだろうか……?

 

 それにしても、やはり声がおかしい。

 そして、やっと気がついたのだが、どうやら服を着ていないようだ。

 王進は確かめようとして、首を自分の身体側に曲げた。

 

「うわあっ」

 

 次の瞬間、王進は叫び声をあげた。

 王進が見たのは、自分の胸にあったふたつの乳房だ。

 

 なんで─?

 どうして?

 王進は混乱した。

 

 すると、高俅の爆笑が部屋に響き渡った。

 

「やっぱり、本当にあの憎たらしい王進なのだな。こりゃあ、いいや──。傑作だ。兄者、やっぱり、兄者の魔道は最高ですよ。こんな小気味のいいことはない」

 

 高俅は笑い続けている。

 

「ど、どういうことですか? な、なんで?」

 

 王進は声をあげた。

 すると、横で笑い転げている高俅の代わりに、高簾が口を開いた。

 

「王進、お前は出奔して姿を消したということになっているのよ。でも、もう三日前のことね。追手もかかっているけど、捕まえることはできないでしょうね。なにせ、お前は帝都から逃げたものの、すぐに私の幻術に捕らわれ、この私の屋敷に連れて来られて、ひそかに監禁されたんですもの」

 

「お、お前は、俺たちの罠にかかったのさ、王進──。いくら近衛軍の大将になったところで、評判のいい武術師範のお前を簡単には処断もできない。だから、一計を謀ってお前をわざと出奔させるように仕向け、兄者に捕らえてもらったのだ。そうやって監禁してしまえば、いくらでも好きなように仕返しできるしな」

 

 高俅が笑いながら付け加えた。

 王進は舌打ちした。

 罠にかけられたというのはわかった。

 

 高簾と高俅の兄弟は、三箇月前の私怨を返すために、王進をひそかに捕らえる機会を作ったということだ。

 そして、その罠に捕らえられた。

 この兄弟は、王進を罪に陥れて処断するだけでは飽き足らずに、自分たちの手で私的制裁する方法を選んだということのようだ。

 

「ちっ。こうなったら、覚悟は決まったよ。さっさと殺せ──」

 

 王進はふたりを睨んだ。

 だが、高俅はいまだに笑い続けている。

 なにがそんなにおかしいのか……?

 

「殺しはしないさ……。こんな可愛らしい女を殺してなるものかよ。男のお前を女として、たっぷりと犯しまくってやるぜ。なによりの仕返しだ──」

 

 高俅が言った。

 女──?

 女の俺?

 なにを言っている……?

 だが……。

 そういえば、いまも見えるふたつの乳房……。

 まさか……。

 

「……なあ、兄者、この王進は、自分の身体に絶望して、自殺したりはしないですかねえ? 簡単に死なれちゃあ面白くないですよ」

 

「ほほほ……。大丈夫よ。私の暗示が刻んであるから自死しようとすれば身体が弛緩して動かなくなるわ」

 

 高簾が女のような喋り方で言った。

 

「そうか……。それで安心しました」

 

「それだけじゃないわ……。十日に一度、男の精を受けなければ、発情して全身に淫らな疼きが走るようにもしたわ。お前の注文通りにね。定期的に犯して愉しむもよし。わざと精を与えずに女の苦しみを与えるもよし。好きなように、愉しむといいわ。ただし、このまま女の身体にしておけば、いずれは、心も女になってしまうわよ。それだけは気をつけてね。完全な女にしてしまうか、それとも、男に戻してから殺すのか考えなさい……。じゃあ、私は出仕しなければならないから行くわ、高俅」

 

「とりあえず、ここでいたぶってから、俺の屋敷に連れていくことにします、兄者。そこに檻が作ってあるんです。そこで飼うつもりです」

 

「好きにしなさい、高俅」

 

 高簾が笑った。

 そして、驚いたことに、ふたりは目の前で恋人同士のように口づけをし始めた。

 

 えっ……?

 こいつら、そんな関係?

 驚愕したが、そんなことはどうでもいい。

 王進自身のことだ。 

 

 しばらく舌を絡ませて口づけを交わしていた高簾は、そのままどこかに出ていこうとする雰囲気になった。

 

「ま、待て、俺になにをしたんだ、高簾殿──? ちょっと待ってくれ」

 

 王進は叫んだ。

 

「自分の目で確かめたらいいわ」

 

 高簾が指をぱちんと鳴らした。

 そして、部屋を出ていった。

 そのとき、天井の模様が変化して、一枚の姿見になった。

 そこには台に四肢を拘束された素裸の美女が映っていた。

 

「な、なんだあああっ」

 

 王進は悲鳴をあげた。

 やっぱり……。

 天井の姿見には、顔をあげて驚愕している美女がいる。

 

 首を曲げた。

 すると、姿見の女も、向い合せに同じ方向に首を曲げる。

 反対側に動かすと、その女も動く……。

 

 そんな……。

 そんな……。

 そんな……。

 

「うわああああっ、ああああああっ」

 

 王進は悲鳴をあげた。

 絶叫した。

 姿見の素裸の美女も恐怖の顔で声をあげてい。

 

「いまの状況がわかったかい、王進──。とびきりの美女に生まれ変わった気分はどうだ? お前を俺の性奴隷にしてやろうと思ってな。兄者に頼んで絶世の美女にしてもらったぜ。しかも、超淫乱のな……」

 

 高俅の手がすっと王進にできている女の乳房に触れた。

 

「はううっ」

 

 すると、凄まじい快感が王進に襲いかかった。



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9   王進(おうしん)、女体化の呪いをかけられる

「くわあっ、な、なにをする──やめろっ──」

 

 王進は悲鳴をあげた。

 高俅(こうきゅう)が王進の胸にできた女の乳房に触れた途端、虫酸が走るようなおかしな感覚が襲ったのだ。

 

「ははは、こりゃあ愉快だ……。それにしても、随分と兄者はお前を敏感な肌の女にしてくれたんだな。せっかくの兄者の贈り物だ。自分がどんなに女として恥ずかしい姿なのか、悶え狂いながら天井の姿見でも見物していろ。まずは徹底的に女としていたぶってやる。お前にはなによりの拷問だろうさ」

 

 胸から手を離した高俅が、今度は王進の太股を軽く手のひらで撫でるように動かしてせせら笑った。

 

「ふうっ」

 

 再びざわつく感覚が襲い、王進は呻いた。しかし、思わず見上げた天井の姿見に、変わり果てた自分の哀れな姿を認めて歯を食い縛って身体を硬くした。

 天井にあるのはとてもじゃないが、自分の姿とは思えなかった。

 

 とにかく雪のように白い肌……。

 肩よりも下に届く女の茶髪……。

 ふっくらと盛りあがった乳房……。

 腹部から腰の悩ましげな身体の曲線……。

 髪と同じ茶色の緻密そうな陰毛……。

 割り裂かれた下肢の繊細な足首から陶器を思わせる脛……。

 それが高俅の手が動くたびに、うね狂う……。

 

 男らしさの欠片もない身体に王進は絶望した。

 なんという身体にされてしまったのだ。

 弟の怨みを晴らさせるために、男を女の身体にして辱しめるなど、高簾という道術士の陰湿さに全身の血が沸騰しそうだ。

 そして、この高俅は、女の身体にした王進を徹底的に女として凌辱してなぶるつもりのようだ。

 

 死のう……。

 そう思った。

 いくらなんでも、そんな屈辱に耐えられるわけがない。

 王進は舌を噛もうと口に力を入れた……。

 

「あっ」

 

 思わず声が出た。

 舌を噛もうとした瞬間に、口の力が入らなくなったのだ。

 そして、断念したときに歯が動いた。

 王進には自殺ができないように暗示を与えたと、高簾(こうれん)が言及したことを思い出した。

 そうなると、高簾がさらに恐ろしいことを口にしたのを思い出すしかない。

 

 女になった王進の身体は恐ろしく性的に敏感になっているだけではなく、十日に一度は男の精をもらわなければ苦しい疼きに襲われるようにしたという言葉だ。

 しかも、このまま女の身体でいれば、いずれは心は女そのものになるとも……。

 

 王進は屈辱の極みにのたうった。

 

「おっ、もしかしたら、いま舌を噛んで死のうとしたか? 無駄だ、無駄だ……。兄者の道術は超一流なのだ。お前は俺に犯されるんだ。死ぬこともできずに、朝から晩までな。それで飽きたら、性奴隷として二束三文で売り飛ばしてやる。お前がいくら、自分は国軍の武術師範だった王進だと言っても、信じるのはいねえよ」

 

「うううっ……。わ、わかった。もう殺してくれ──。頼む。これだけ生き恥を晒させたなら、もう十分に満足しただろう」

 

 王進は、泣き声をあげた。

 しかし、口調こそ男だが、王進の口から発するのは甲高い女の声だ。あまりの恥辱で眼から涙がこぼれた。

 

「冗談じゃないぜ、王進。この俺に女になった股ぐらを見られたくらいで、生き恥とは生ぬるいぜ。これからもっと恥をかいてもらうというのによう……。王進、悔しかったら自殺してみろ。さもないと、この俺に犯されて、ひいひい泣くことになるぜ」

 

 高俅が指で王進の股間の蕾をぎゅっと押した。

 

「あはああっ──」

 

 王進は、その瞬間、股間に火でも押し当てられたような熱さを覚えて、吠えるような声をあげて悶えた。

 しかも、その声は女の嬌声そのものだった。

 そのことに血が逆流するかと思うような憤怒と屈辱が衝きあがった。

 なぜか、快感に頭が思考停止状態になると、自然と女の悲鳴が迸ってしまうのだ。

 

 冗談じゃない──。

 このまま女にされてしまう……。

 しかも、こんな男の慰み者に……。

 

「く、くそうっ──。さ、触るんじゃない──。承知しねえぞ──」

 

「ほう……。どう、承知しないんだ、王進? それよりも、こうなったら、女の愉しみというのを味わったらどうなんだ? 女というのは男の十倍も二十倍も快感があるというじゃねえか。身も心も女に成り下がって、快感に溺れる淫乱女になりな。この俺が手ずから調教してやるからな」

 

 高俅が哄笑しながら、両手で王進の乳房を揉み始めた。

 

「うああっ」

 

 また、あの虫酸のような疼きが王進の胸に沸き起こり、それが瞬時に愉悦となって全身に拡がる。

 

「はうっ」

 

 王進は身体を跳ねあげた。

 迸った快感はこれが快感とは信じられないものだった。

 頭の中のものがあっという間に消えてしまうような衝撃……。

 襲いかかったのはそれだった。

 

 これが女の快感……?

 

 王進は恐れおののいた。

 憎むべき卑劣な男から女として身体をいたぶられるなど、心が耐えられるわけがなく、死んでも淫情に声をあげたり身体を反応したりはすまいと決めていたのだが、とてもじゃないが我慢できるものではない。

 

 なんなんだこれは?

 王進は全身に冷や水を浴びたような衝撃を受けた。

 

「おう、早速、よがるのか? どんな気持ちなんだ? 男のお前が女として凌辱されるというのはよう?」

 

 高俅がげらげらと笑った。

 そして、乳房を揉んでいた手の一方を膝の内側に移動させ、徐々に太股側に移動させるように動かしていく……。

 

「ち、畜生──。あはあっ」

 

 憎むべき相手なのに、その愛撫は身体が溶けるかと錯覚するほど気持ちいい。

 王進はもう耐えられなくて、悲鳴をあげて全身を揺すり動かした。

 しかも、どうしても、女のような悲鳴をあげてしまう。

 

「ふうっ、はあっ、ああっ」

 

 耐えようと歯を食い縛るが、どうしても声が出てしまう。

 しかも、口から漏れ出るのは、やっぱり、まさに女の嬌声なのだ。

 それが我慢ならない。

 口惜しい……。

 

「堪らないだろう? お前は、女としても、相当の淫乱な身体にされてしまったらしいからな。どこをどう触られても、どうしてもよがってしまうのさ。それにしても、こんなに反応してくれると、愉しくなってくるな」

 

 高俅が笑った。

 そして、王進の局部や乳房に手を這わせて来る。

 王進は、首を左右に振って、なんとか快感を逃がそうともがいた。

 

「だんだんと気分が出てきたようだな。それにしても、そうやって悶えているのは女にしか見えねえぞ。へえ……。女の身体というのは、いやらしいことをされたら、女の声や仕草が表に出るようになってんだな」

 

 高俅が妙に感心したような口調で言った。

 

「ああっ、く、くうっ、た、頼む。もう、やめてくれ──。頼むから──」

 

 王進は叫んだ。

 しかし、高俅の指が王進の女の陰毛の中をくすぐりだす。

 それで、なにも考えられなくなる。

 

「うあああっ」

 

 股間の亀裂と肉芽を同時にまさぐられて、王進の頭に真っ白になるような陶酔が襲う。

 こんなにも脱力するものかと驚くくらいに、全身から力が抜ける。

 高俅が笑いながら、さらに王進の女の股間にも指を挿入して中を愛撫し始めた。

 もう王進には、まともにものを考えることもできなくなっていた。

 口から出るのは完全な女の喘ぎであり、嗚咽のような荒い息だ。

 

「これがあの武術師範の王進だったなんていうのは信じられないぜ。完全な女の反応だものなあ……。これが、女の本能というやつなんだろうな」

 

 高俅に顔を覗き込まれて、王進は懸命に顔を横に逸らせる。

 しかし、高俅はそんな仕草も女っぽいと言って、嬉しそうな声をあげる。

 

「そろそろ、本格的に責め始めてやるぜ」

 

 高俅が、王進の片側の乳首を口で含んでぺろぺろと舐め始めた。

 一方で股間に二本の指を挿し入れられとともに、肉芽も指で弾くように動かされる。

 とにかく、稲妻に打たれたかと思うような衝撃が全身のあちこちから襲いかかるのだ。

 こんなものが耐えられるわけがない。

 王進は、込みあがる得体の知れない妖しい感覚に半狂乱になった。

 全身が熱い……。

 なにがなんだかわからなくなり、王進は狂ったように縛られた四肢を暴れさせた。

 

「へへへ、すっかりと濡れちまったなあ。犯す前に、一度気をやらせてやるか」

 

 高俅が一度乳首から口を離してからかうように言い、すぐに舌の刺激を再開する。

 

「お、犯すだと……や、やめてくれ……あ、ああっ……はあっ……」

 

 しかし、しっかりと革紐で縛られた手首と足首はびくともしない。王進は、高俅の手管に煽られて、哀れな声をあげることしかできない運命を呪った。

 

 あがってはさがる……。

 さがってはあがる……。

 

 全身を貫く快感の度合いは信じられないくらいに上昇し続けていく。

 もう、誰になにをされているのかということも、知覚できなくなる。

 王進は緊縛された女の身体をただただ悶えさせた。

 

「ま、待って──。た、頼む──」

 

 とにかく王進は哀願した。

 このままでは、本当に高俅の前で死ぬような恥をさらしてしまう。

 

「なにを待つんだ?」

 

 高俅が口を離して嘲笑った。そのあいだも股間の激しい愛撫は続いている。

 

「あっ、な、なんだこれ──。ああっ、そ、そんなっ──。く、くそおっ──」

 

 異常な昂ぶりが股間から湧き起ころうとしている。

 王進は、とにかく必死になって淫情に我を忘れさせられそうな自分を叱咤した。

 だが、高俅がげらげらと笑いながら、さらに王進の乳房と股間の愛撫を激しくすると、もうそれに対処できなくなる。

 王進は女としての醜態を晒しかけている自分に気がついていた。

 女の身体にされてしまっただけでも、死ぬような屈辱であるのに、それが縛られたまま股間をなぶられて、気をやらされようとしている……。

 王進には自分の心がそれを耐えられるとは思えなかった。

 

「一度気をやれば、すぐに犯してやるぜ。そろそろ、極楽に行くか?」

 

 高俅がおかしそうに笑い、急調子で胸と股間を揉みあげにかかる。

 

「うううっ──あああっ──」

 

 身体が自然に仰け反った。

 腰から背中にかけて激しくて鋭い快感が貫き、股間が発作を起こしたようにぶるぶると震えた。

 

「ほあああっ」

 

 王進は吠えるような悲鳴を迸らせる。

 片隅に残っている理性が愕然としている。

 ついに女としての絶頂を極めたのだ。

 

 しかし、快感は一度で終らない。

 次から次へと押しかかる波が連続した暴流となって、王進をどこまでも飛翔させていく。

 やがて、その快感の頂点にやっと到達し、王進はがっくりと脱力した。

 だが、それで快感が終わるわけではない。

 まだ、煮え切らない淫情が残ったかのように、身体ではふつふつと絶頂の名残のようになものが燃え続けている。

 それもだんだんと小さくなる感覚はあるが、それでも、まだまだ身体は熱かった。

 これが女の絶頂というものなのかとも思った。

 

「ざまあみろ、王進──。思い知ったか──」

 

 高俅が大笑いしながら罵声を浴びせた。

 王進はぐっと唇を噛んで横を向いた。

 

 あまりにも口惜しくて、舌を噛み切る発作に襲われた。だが、やはり舌を噛もうと口を動かそうとすると、その一瞬だけ口の筋肉だけが弛緩したように動かなくなる。

 

「さてと……」

 

 そのとき、突然に高俅が台の上に乗ってきた。

 王進はぎょっとした。

 高俅は下半身になにも身に着けていなかった。

 しかも、怒張が高俅の腰に隆々とせりあがっている。

 その高俅が、四肢を拘束されている王進の上に膝立ちで跨った。

 

「う、うわっ、ほ、本気なのか──。お、俺は男だぞ」

 

 王進は思わず叫んだ。

 すると、高俅が大声で笑った。

 

「お前のどこか男なんだよ。そんな浅ましく女の気をやりやがってよう──。このままじゃあ、少しやり難いが、うっかりと脚の革紐を外して蹴り飛ばされたら面倒だ。このまま引導を渡してやるぜ。観念しな、王進──。お前は、これで正真正銘、俺の女に成り下がるんだ」

 

 高俅が身体を王進の身体に添うように横たえて、勃起した一物を王進の女の穴に入れようと迫ってきた。

 

「や、やめて──。た、助けて。い、嫌だあっ」

 

 王進は思わず口走った。

 

「やめて、ときたか……。だんだんと女らしくなっていくじゃねえか。後一箇月も調教したら、もう、かつては、自分が男だったなんて、お前自身が信じられなくなるだろうさ……。この後、俺の屋敷に移動してから、いよいよ本格的にいびってやるからぞ、王進──。まずは挨拶代わりの一発を受けておきな」

 

 股間の入口に高俅の肉棒の先が当たったのがわかった。

 それが、ぐいと挿入してくる。

 

「や、やめろおおっ──くはああっ──」

 

「もう少し、女らしく呻きやがれ」

 

 高俅が哄笑しながら、怒張を奥に奥にと押し入れていくる。

 嫌悪感があるのに、気をやったばかりで快感の余韻がくすぶっていて王進の身体は、高俅の一物を受け入れることで、再び一気に身体を熱く燃えあがらせてきた。

 痺れるような快感が股間から沸き起こり、刃物で突き刺されたような鋭い快感で身体が包まれる。

 

「おお、これはなかなかの味だぜ──。気持ちいいぜ、王進。女の身体になったお前は、本当に気持ちいいぜ」

 

 高俅が大声で喚いた。

 おぞましい──。

 気持ち悪い──。

 そう思うのだが、身体は気持ちいい。

 高俅が王進の膣の奥深くまで怒張を貫かせた。

 すっかりと濡れていた王進の股間は、まったく抵抗なく高俅の一物を飲み込んでしまったようだ。

 

 そして、高俅が律動を開始する。

 あっという間に疼くような快感が全身を覆い、王進は再び引きつったような女の声を洩らし始めてしまった。

 

「ああっ、はっ、はあっ──」

 

 ずんずんと腰の奥深くを強く叩かれるように突かれるたびに、王進は自分でも信じられないような甘い声をあげてしまう。

 王進は自分の感覚に戸惑っていた。

 これほど惨めで恥ずかしいことは血が噴き出るほどの憤怒であるはずなのだが、それもだんだんとどうでもいいもののように感じてきている。

 

 それよりも、気持ちいい……。

 全身の肉が痺れ、頭が恍惚とした淫情に包まれる。

 王進は、犯されているということ自体よりも、女の快感に溺れそうになっている自分に恐怖した。

 しかし、高俅から与えられる快美感は、そんなものをどこかに吹き飛ばしてしまう。

 王進は再び悦楽の頂点に昇ろうとしている自分の身体を感じてた。

 同時に、自分をこんな身体に変えた高簾への強い憎悪を覚えた。

 

 いつか、殺してやる──。

 

 快感に包まれながら、王進は、いつか、高俅と高簾の兄弟を八つ裂きにして殺すと固く心に誓った。

 

「くああっ──」

 

 また強烈な快感が王進を貫く。

 なにもかもどうでもよくなるかのような快美感だった。

 眩暈が起こり、血が逆流するかのような錯覚に包まれた。

 

「おお、締めつけやがるぜ」

 

 腰の律動を続けていた高俅が呻くように言った。

 高俅の熱い迸りを体内に受けたことを、王進ははっきりと自覚した。

 精を出した高俅は、すっかりと溜飲がさがって満足したような表情になった。

 

 高俅が台から降りると服を整え始める。

 その間、王進は股間に淫液と精を汚したままの状態で放置されていた。

 王進は呆然自失の状態に陥っていた。

 

「これでお前は俺の女に成り下がったということだ。気分を言ってみな、王進……」

 

 服を整え終わった高俅が言った。

 しかし、王進は無言で横を向いていた。

 

「まあいい……。今日の夜にでも、もう一度訊ねてやるぜ。俺の屋敷で本格的な調教をやりながらな──。女になったんだとはっきりと自覚できるような強烈な調教をやってやるから愉しみにしてな。まずは、その邪魔な陰毛剃りだ。次にたっぷりと痒み剤を身体に塗ってから、剥き出しにした肉芽を糸吊りだ。趣向はいろいろある。楽しみにしてな」

 

 高俅が大笑いした。

 王進は歯を食い縛って、その侮辱に耐え続けた。

 

「じゃあ、そろそろ、俺は(ひる)になったんで出仕するぜ。なにせ、俺は逃亡した王進を追跡する捜索隊の責任者ということになっているからな。お前は帝都と出奔して行方知れずということになってんだぜ」

 

 すると、いきなり高俅が顔側に寄ってきた。

 なにをするのかと思ったら、いきなり口の中に布を押し込まれた。

 

「んんっ──」

 

 びっくりして声をあげる。しかし、さらに口に布を噛まされて、頭の後ろ側でしっかりと結わえられた。

 猿ぐつわだ。

 

「これから、城郭の中を馬車で進むからな。いろいろと喚かれても面倒だ──。まあ、お前を見て、武術師範の王進だと気がつく者は皆無と思うが、まあ、念のためだ」

 

 そして、高俅は壁にある呼び紐を引っ張った。

 すぐに武装した男が四人ほど入ってきた。

 国軍の武装ではないので、高俅の私兵のようなものだろう。

 その男たちに犯されたばかりの裸身を取り囲まれて、王進は羞恥に動顛した。

 

「屋敷に運んでおけ。俺が戻るまで、例の地下の檻に入れておくんだ。猿ぐつわは外すな」

 

 高俅はそれだけ命じて去っていった。

 

 

 *

 

 

「へっ、いい女だな」

「うちの大将殿に犯されたのか? 気持ちよかったか?」

「どこの別嬪か知らねえが、まあ、観念するんだな」

 

 高俅が出ていくと、すぐに部下たちの表情が砕けたものになり、その顔に卑猥さが浮かびあがった。

 四人はまず、王進の足首の革紐を外して、そこに改めて歩くことに支障がない程度の余長をとって足首に縄をかけた。

 次いで、三人で身体を押さえながら、まず一方の手首に縄を結んでから革紐を外す。反対側も同じようにして拘束を台の革紐から縄に変え、そして、両手首の縄を密着して背中で結び合せた。

 

「さあ、降りろ──」

 

 台からおろされる。

 次いで、首から下を大きな黒い布ををすっぽりと包まれた。

 ひとりが後手の縄尻を掴み、ほかの三人が王進の周囲を囲む。

 王進は抵抗もせず、大人しくしていた。

 

 部屋を出る。

 すぐに階段があった。

 そのまま素足のまま階段を昇らされる。

 あがったところは、どこかの屋敷の中庭だった。

 おそらく、ここが高簾の屋敷なのだろう。

 そして、いまから連れていかれるのが、高俅の屋敷のはずだ。

 

 中庭に一台の馬車が待っていた。

 そこで、さらにひとりの男が待っていて、その男が王進を認めて相好を崩した。

 

「そいつが大将様の新しい奴隷女か? 別嬪だなあ」

 

「また、どっかから、さらってきたんじゃねえか? まあ、誰だか知らねえが運の悪い女だぜ」

 

 待っていた男が声をかけて、先頭を歩いていた男がそう応じた。

 言葉のやりとりから考えて、この連中は自分が王進だということはわからないようだ。

 それにしても、どうやら女をさらって屋敷に連れ込んで弄んでは奴隷にしてしまうということを高俅は、日常的にやっている気配だ。

 もちろん、この帝都内でそんなことをするのは御法度だし、いくら身分の高い名門でも許されるような行為ではない。

 

 なんという男だろう。

 最初から待っていた男が馭者台についた。

 王進はほかの四人に囲まれるようにして、馬車に乗り込まされる。

 馬車の中は三人掛けの椅子が向かい合っていた。その後ろ側の真ん中に、裸体を布で覆われた王進が座らされ、その両側にふたりが腰掛ける。

 向かい側の椅子に残りのふたりが座った。

 馬車の扉が閉じて、すぐに馬車が動き出す。

 馬車の窓から王進は外の景色を確かめていた。馬車が高簾の屋敷の庭を横切り、門をすぎた。

 

 すぐに、王進は行動を起こした。

 ずっと、大人しくしていたのは、この一瞬のためだ。

 後手に縛られていた縄は、かけられていた布の中で、とっくの昔に縄抜けができている。

 手を伸ばして、横の男の腰から剣を抜く。

 

「あっ、こいつ──」

 

 向かい側に座っているふたりのうちのひとりが声をあげた。

 しかし、瞬時に王進の持つ剣はその男の首を斬り裂いていた。

 そのまま、もうひとりの向かいの席の首も断ち切る。

 

「ひいっ」

「うわっ──」

 

 両側のふたりが王進を押さえつけるのも忘れて、悲鳴をあげて竦みあがった。

 しかし、肘打ち一発ずつを顔面に喰らわせると動かなくなった。

 

 裸の女が武術師範の王進だと知らなかったのが、こいつらの不幸だ。

 それを知らされていれば、もう少し頑丈な拘束にしたかもしれないが、ただの犯され女としか思っていなかったのだろうから、教えなかった高俅の罪でもあるだろう。

 王進は手で猿轡をむしりとると、足首と手首の縄を剣で切って外す。

 馬車の内側と馭者台は窓で仕切られている。

 馭者台の男は、まだ中の異変には気がついていないようだ。

 王進はまずは、肘打ちで気絶しているだけの男の首の骨を手刀で折った。

 ふたりの身体が死骸に変わる。

 次いで、小窓に近づくと馭者台の仕切りを開いた。

 

「動くなよ。動くと、ほかの四人と同じように死骸に変わるぞ」

 

 王進は背中の馭者の男の服を掴んで、服の下に剣を差し入れて、その剣先を男の背中に突きつけた。

 

「う、うわっ──。な、なんだ──?」

 

「騒ぐな──。中の四人は死んだ。お前も同じように死にたくなければ、馬車を城門に回せ。そして、そのまま、なんでもないような顔で城門を馬車で抜けて行け──。少しでもおかしな素振りをすれば殺す。城門を通り抜けられたら、お前の命だけは助けてやる」

 

 王進は剣を突きつけたまま言った。

 

「へっ?」

 

 男が振り返った。

 そして、開かれた仕切りから死んでいる四人を認めて、悲鳴をあげて震え出した。

 

「騒ぐなと言っているだろう。お前を殺してから、俺が馭者台に座って馬車で城門をすぎてもいいんだぞ」

 

 王進は言った。

 馬車は進み続けている。

 外の通行人たちからは、王進の持つ剣は馭者の男の服の下なので見えないはずだ。

 この馬車は、高俅や高簾の家の紋章の描かれている馬車だ。

 十中八九、城門の兵は馬車を素通りさせると思う。

 

「い、いうことをきく。殺さないでくれ──」

 

 馭者の男が震えながら言った。

 すぐに馬車は城門に向かう方向に角を曲がった。

 しばらく進んで、外門が見えた。

 帝都の人通りは多い。

 馬車、荷馬車、そして、歩いて門をくぐる者──。

 そういうたくさんの人手に紛れて、馬車は城門を抜けていった。

 とりあえず、ほっとした。

 

 今度こそ、時間との勝負だ。

 高俅が王進が逃げたことに気がつくには、それほどの時間はかからないだろう。

 それまでに、今度こそ追手の外に逃げてしまわなければならない。

 

 城門すぎると、王進は馬車を街道から横道に外れさせ、少し進んだところにあった林の中に入れさせた。

 馬車を停めさせる。

 仕切り窓から手を伸ばして、馭者の男の首を腕で締めて気絶させた。

 気絶させた男の身体を馬車の下に落とす。

 おそらく、一刻(約一時間)は目を覚まさないはずだ。

 

 王進は馭者台にいた男の服を脱がせて裸にした。下着から靴から全部だ。ほかの男の服は血や失禁で汚れていたからだ。

 そして、素早く脱がせたものを身につける。

 男のときの身体に比べれば、女になった王進の身体はやや小柄だ。

 裾などを折り曲げてなんとか身に着けることができた。その身体にさっきの黒い布を覆う。

 これでなんとかなるだろう……。

 

 次いで、さっきまで王進を拘束していた縄と猿轡の布を使って、気絶している男を拘束した。

 殺した方が面倒はないのだが、命はとらないという約束だから仕方がない。

 

 それから、五人の剣を調べて、一番いい剣を二本ほど選んだ。

 もちろん、金入れや水筒も全部集める。

 それらを死んだ男の服を引き裂いて作った袋に入れてまとめた。

 馬車は足が着くから持ってはいけない。

 その代わりに馬を馬車から外した。

 その馬の腹にまとめた荷と剣の一本を胴体に結わえた。

 もう一本は腰に差す。

 馬には鞍はないが、王進には問題はない。

 馬に跨る。

 

 高俅と高簾はいつか必ず殺す──。

 だが、いまはとにかく逃げよう……。

 王進は思った。

 

 林の道を抜ける。

 王進は馬を街道に戻して、いくらか馬の脚を速めさせた。

 女の身体は軽くてなんだか頼りない。

 しかも、馬に乗ると乳房が揺れて服に擦れて痛い。

 

 どこかで女の乳を包む胸巻きを手に入れなければならないな。

 馬に揺られながら、王進はそんなことを思った。



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第4話   三人の放浪者
10  林冲(りんちゅう)、酒場の納屋で朱武美(しゅぶび)を抱く


「はううっ」

 

 怒張を押し込む刺激に、朱武美(しゅぶび)が甲高い嬌声をあげながら、林冲(りんちゅう)の背中にしがみついて爪を立てた。

 

「い、いいわあっ」

 

 朱武美の強い力が、林冲の筋肉質の背中に加わる。

 感極まると朱武美は、必ず林冲の日焼けした肌に思いきり爪を立てる。

 あとで我に返ってから申し訳なさそうに謝るのだが、それもかわいい。

 

 林冲は、朱武美の股間を怒張で突きあげながら、朱武美のぴんと張りだした乳房をわし掴みにして揉みあげた。

 剣技で鍛えている朱武美の乳房はつんと上を向くように張り出している。

 林冲はその胸を思う存分蹂躙する。

 鋭い性感を持つ朱武美が声をあげて、身体を跳ねあげた。

 

「き、気持ちいい。はあ、ああっ、はああっ」

 

 朱武美が愉悦にまみれた声をあげだして、いよいよ淫情の狂いだしたような仕草になる。

 それにしても、これは声がでかすぎる。

 林冲は、さらに激しく朱武美の股間を突きあげつつ、一方で朱武美の腕を取り、口の近く持っていったやった。

 

「おい、朱武美、袖を噛め。そりゃあ、あんまり声がでかいぜ」

 

 しかし、朱武美は頭を振った。

 

「いやよう。声を出した方が気持ちいいのよ。それに、あんたとやっているのを知られても、少しも恥ずかしくないわ。そ、それで、あんたはわたしのものだって宣伝できるもの。さ、さっきも酒場の女があんたに色目を使っていたわ。ああっ、あはああっ……。り、林冲は……、林冲は、わ、わたしのものなのにいっ。はああっ」

 

 朱武美が叫びながら、また林冲の背中に爪を立てた。

 どうやら、この派手な嬌声の半ば意識的にやっているようだが、これでは、まるで雄叫びだ。

 林冲は苦笑した。

 

 奥州と呼ばれるいうこの国の僻地地帯の入り口である華陰(かいん)という城郭にある酒場の裏にある納屋だ。

 納屋にあるのは家畜の餌用に集めている飼葉の山であり、そこに一枚の毛布を敷いて、林冲は恋人の朱武美と愛し合っていた。

 

 夕食代わりの酒を交わしているうちに、林冲に抱かれたくなったという朱武美に誘われて、裏の納屋を見つけて潜り込んだのだ。

 どうやら飲んでいた酒場にいた女のひとりが、林冲に色目を使ったのが気に入らなかったらしい。

 

 まあ、いつものことだ。

 

 どの女のことを言っているのかわからないが、ここは華陰の城郭で一番大きな酒場だ。

 客を引くためにうろついている娼婦も多い。

 その中の誰かの視線が、やきもち屋の朱武美の癪に障ったのかもしれない。

 

 林冲は、怒張の先で朱武美の子宮を突きあげんばかりに押しては引き、引いては押すということを繰り返した。

 朱武美は完全に快感のうねりに巻き込まれている。

 それは林冲も同じだ。

 

 こいつは最高の女だ。

 以前、傭兵をしていたときに見つけた最高の相棒がこいつだ。

 単に美人で淫乱な身体をしているだけじゃない。

 林冲と同じように傭兵になるくらいで、女ながら剣技にすぐれた戦いの玄人だ。

 なによりも頭がよく、用兵に関しては非凡なものを持っている。

 林冲と出逢った国境軍でも、朱武美は留まって正規の女将校になることを望まれていたが、林冲が旅を再開するために軍を出ていくとき、国境軍からの誘いを断って林冲についてきた。

 

 もう五年も前の話だ。

 それから、ふたりであちこちを放浪し、一年前に北の異国において、こちらではあまり見ない武器を操る李姫(りき)という少女が旅に加わった。

 

 いまは、林冲、朱武美、李姫の三人の放浪の旅だ。

 

 林冲の武勇─。

 朱武美の知略─。

 そして、もうひとりの仲間である李姫の武器─。

 

 これがあれば、なんでもできる。

 最高の三人だ。

 

 いずれにしても、この朱武美の身体は素晴らしい。

 林冲は、一物に絡みつく朱武美の膣を味わいながら思った。

 

「あ、あはああっ」

「うっ」

 

 林冲は顔をしかめた。

 朱武美がひと際高い声をあげて身体を弓なりに反らせるともに、朱武美の膣がすごい力で、林冲の一物を締めつけたのだ。

 林冲の全身にも快感が貫く。

 その欲望の昂ぶりを朱武美の腰に叩きつけた。

 

 林冲は、ほとんど無意識に朱武美の尻を抱えていた。

 律動の速度をあげる。

 

 そのときだった。

 納屋の戸が、控え目な感じで、とんとんと叩かれたのだ。

 納屋の戸はしっかりと閉じているが、鍵がしてあるわけではない。

 この店の主人が勝手に納屋で勝手に、性交している男女を見つけて、咎めにでもきたのだろうか。

 

「ね、ねえ、林冲、朱武美……。声、漏れているよ……」

 

 申し訳なさそうな声は、李姫の声だ。

 林冲はほっとした。

 

 年齢は十五──。

 林冲と朱武美に比べれば、十歳は歳下だが大事な旅の仲間だ。

 

「うるさい、あっちに行ってろ、李姫。気が散る」

 

 林冲は、朱武美の股間を突きまくりながら叫んだ。

 

「あうううっ、はああっ」

 

 その林冲の下で、朱武美ががくがくと腰を振りだした。

 そろそろ、いくのかもしれない。

 林冲は朱武美の膣の襞に強く擦るように一物を動かした。朱武美は、これが好きなのだ。

 その刺激で朱武美の乱れがいよいよ激しくなり、朱武美はさらに吠えるような声をあげた。

 

「ね、ねえ……。あたしらに隊商の護衛の依頼をしたいっていう商人がいるんだよ。兵はいるんだけど、その兵たちの指揮のできる用兵屋を探しているんだって……。林冲と朱武美の名を出したら話をしたいってさ。ねえ、出て来てよ……」

 

 扉の向こうで李姫が言った。

 隊商の護衛の指揮であれば、朱武美ならうってつけだ。

 盗賊団が横行するご時世だ。

 商品や金子を運ぶ隊商は狙われやすい。

 

 そのため商人は護衛隊を作って商品を護らせようとする。だが護衛隊の兵は集められるが、それを動かす指揮官は準備できないという商人は多かった。なにせ、本当にあちこちに盗賊がはびこっているのだ。経験のある用兵巧者でなければ、積み荷も人も奪われて終わりだ。

 だから、その護衛隊を指揮する雇われ護衛隊長の仕事は割りのいい仕事だ。この国に戻って以来、それを繰り返していい稼ぎになっていた。

 

 なによりも、その護衛の役目を何度も成功することで、林冲たち三人の評判もできあがりつつある。

 いい評判ができると仕事も入る。

 信頼と信用のできる護衛隊長というのもなかなかいないからだ。

 それで、今回もどこかの商人が、林冲たちの名を信用して依頼しようとしているののだろう。

 

「いいから、待たせておけ」

 

 林冲は、朱武美を抱きながら怒鳴った。

 

「はあ、だめ、だめ、だめえっ」

 

 不意に朱武美の身体の悶えが速くなった。

 そして、うなじを反らして、朱武美ががくがくと膝を震わせた。

 どうやら達してしまったようだ。

 

「俺は、まだだからな……。まだまだ、終わらんぞ、朱武美」

 

 林冲は笑った。

 

「ああん、次は一緒にいってぇ」

 

 朱武美が甘えた声をあげる。

 その猫なで声に嬉しくなった林冲は、さらに律動を続けた。

 

「うううっ、そ、そんなあ──。いきすぎて死んじゃうよう、林冲。わたし、死んじゃうわあ─。はあああっ─」

 

「女がいきすぎて死ぬかい……。ましてや、お前が─」

 

 林冲は笑った。

 すると、今度はやや強く扉の戸が叩かれた。

 

「……ねえ、でも、ほかにも商人に声をかけている組もいるんだよ。あたしじゃあ、子供扱いされて相手にされないんだよ……。ねえ、出て来てよ」

 

 扉の外から李姫の声がした。

 林冲は驚いた。

 

「お、お前、まだいたのかよ? いいから、あっちに行ってろ」

 

 林冲は怒鳴った。

 

「そんなあ、林冲。でも、今度は結構、大きな仕事なんだよ。なんか、この辺でも有数の大商人の依頼でね……。千玄 (せんげん)という手代さんが酒場にいるんだけどね……」

 

「あっちに行けと言ってるだろう、李姫。気が散るんだよ」

 

 さすがに、腰の律動を中止して林冲は言った。

 

「でも……」

 

 だが、なおも、李姫が言った。

 さすがに、林冲も、そのしつこさに苛立ってきた。

 

 そのとき、林冲の身体の下の朱武美の手がなにかを探すように動いた。

 そして、たまたま、手に当たった木切れを掴む。

 次の瞬間、朱武美がものすごい勢いで、その木切れを扉に向かって投げつけた。

 

「後にしろって、言ってんでしょう──、李姫。頭、引き抜くわよ──」

 

 朱武美がものすごい剣幕で怒鳴った。

 李姫が舌打ちしながら立ち去っていく気配がした。

 

「ああ、もっとして、林冲。もっとようっ」

 

 朱武美が何事もなかったかのように、林冲の背にしがみついて甘い声をあげた。

 

 

 *

 

 

 周備(しゅうび)という商人の編成した隊商を率いて山の街道を西に向かっていた。

 もっとも、その周備は、顔も見ていない。

 朱武美たちに、隊商の護衛隊長の指図を依頼したのは、その手代の千玄という男だ。

 

 朱武美は、林冲とともに、隊商として連なる十輌ほどの荷馬車の中央付近で並んで馬を進めている。

 往路においては、奥州産の岩塩のみを満載していた荷馬車も、復路になると帝都の開封府で生産された衣類や道具、薬品や化粧品など様々なものでいっぱいになっている。

 もちろん、岩塩を売ることで儲けた代金を銀に代えて満載した馬車も一輌ある。保存のできる食品を積んだ荷馬車に見せかけているが、朱武美と林冲の前を進む荷馬車がそうだ。

 ほかの荷馬車の荷は失われても大きな問題はないが、岩塩を売った代価が替わったこの馬車だけは失われては困る。

 だから、何気ない感じで、ふたりでそばにいるのだ。

 

 ほかに二十人ほどの護衛隊の兵は、均等に十輌の荷馬車の前後を進ませている。全員が馬だ。

 ほかに荷馬車を操ったり、荷の管理をする商人の部下と人足が三十人いる。

 総勢、五十人を超える所帯だ。

 隊商の規模としては大きくはない。ただ、積んでいる荷の価値は、もっと大所帯の隊商の数倍はある。

 

 これだけの騎馬を準備できるのは、さすがは華陰を含む奥州随一と評判の豪商の周備だけある。

 岩塩を売り捌いて得た銀も、朱武美の想像を絶する額だ。

 岩塩を帝都で売るというのは、相当に儲けのある商売らしい。

 

 もっとも、商売については、朱武美も素人だ。

 岩塩を帝都で売り、復路の荷馬車が空身にならないだけの品物を仕入れ、残りを銀に買えるという仕事を整えたのは、この隊商に同行している周備の部下の千玄だ。

 いかにも、商人らしい小肥りの四十前の男だ。

 この千玄が商売で帝都を走り回るあいだ、やることのない朱武美は、林冲とあてがわれた宿屋で美味しいものを食べ、酒を飲み、そして、愛を交わすという日々をひたすら送っただけだが……。

 

 とにかく、朱武美たちが雇われた役割は、この隊商を盗賊の襲撃から守ることだ。

 それについて、朱武美は、最初から岩塩を積んでいるだけの往路より、その代価の銀を積む復路が危ないと思っていた。

 

「朱武美、大変だよ」

 

 この先の少華山の峠付近を一騎駆けで斥候をさせていた李姫が馬を駆けて戻ってきた。

 李姫の馬術は天才的だ。

 どんな駄馬でも、李姫にかかれば駿馬に早変わりする。李姫ほど速く馬を走らせられる者はおそらくほかにいないだろう。

 その李姫が馬を朱武美に寄せてきた。

 

「この先の少華山(しょうかざん)で、やっぱり賊徒が動いているよ、朱武美。峠の付近をたくさんの男たちがうろうろしていた。多分、待ち伏せて襲うつもりと思うよ」

 

 李姫が言った。

 

「人数は?」

 

「峠に集まっていたのは二十人くらい。でも、山砦はもっと人数がいて、なんだか慌ただしかった。ごめん、山砦そのものには近づけなかった。遠くから見ただけだから、よくわからないけど」

 

「すばしっこいお前が近づけないなんて、そんなに警戒がきついのか、李姫? だったら、賊徒にしては軍規がしっかりしていそうだな」

 

 林冲が横から口を挟んできた。

 朱武美もそう思った。

 人数が多くても、まとまりのない賊徒は怖くないが、しっかりと規律ができている賊徒は少人数でも怖い。

 

「ううん……。そんな感じじゃないんだよ。でも、とにかく、砦そのものが自然の要害にあるんだよ。それで正面は一本道しか近づけないようになっているの。もしかしたら、回り込めば近づけたかもしれないけど、とにかく、速く報せた方がいいと思って戻ってきたんだよ」

 

「よくやったわ、李姫」

 

 朱武美は言った。

 そして、隊商を停止させて、隊商の責任者になる千玄を呼んだ。

 やってきた千玄に、朱武美は事情を説明した。

 千玄は眼を丸くして驚いた。

 

「少華山の賊徒といえば、このところ盛んになった無法の連中です。岳竜(がくりゅう)という乱暴者が頭領で総勢三百人くらいは集まっているはずですな」

 

 さすがに一介の商人とはいっても、これだけの商売を主人から一手に任されるだけの男だ。

 千玄の動揺したような顔はすぐに影を潜めて、少華山の賊徒に関する情報を朱武美に冷静に教えてくれた。

 

「どうしますか、朱武美殿? 手筈では銀を除く荷馬車隊を先にやって、それを奪わせておいて、銀の積んだ荷馬車だけをその後、通過させるという計画でしたな」

 

 千福が言った。

 復路においては、守るべきは銀のみであり、ほかのものは惜しくはないと、雇い人の周備から繰り返して諭されていた。

 だから、朱武美は一応は、そういう策だと全員に説明してあった。

 朱武美は李姫に振り返った。

 

「ねえ、李姫、お前が見た待ち伏せは、何日もやっていた気配だった? それとも、準備してから間もないような感じだった?」

 

 朱武美は李姫に訊ねた。

 

「準備している途中だったよ──。道を塞ぐ馬車止めを道の横から投げられる支度をしていた。盾もあったね。そして、道の両脇に隠れる支度をしていた」

 

「だったら、連中にとって都合がよすぎるわね……。いつくるかわからない荷を襲うなら何日も待つはずよ。もちろん、たまたま、賊徒がそんな待ち伏せをしようと決めた日に、わたしたちの隊商が峠を通過しようとしている可能性もあるけど……」

 

 朱武美は言った。

 

「いまのは、どういう意味ですか?」

 

 すると、千玄が小首を顔を険しくした。

 

「わたしたちの動きが読まれている可能性があるということです。人足か護衛兵の誰かが、何らかの情報を賊徒に流しているかもしれません。そうであれば、さっきの手筈通りにやったとしても、他の荷には目もくれず、後から来る銀の積んだ荷馬車だけを襲うかもしれません」

 

 朱武美はきっぱりと言った。

 

「ま、まさか」

 

 千玄は、朱武美の言葉にびっくりしたようだった。

 

「試してみればわかります。予定通りに、銀を積んだ馬車を除く荷馬車を先に行かせましょう。わたしが指揮します。もしも、それを襲うようであったら、わたしが護衛隊を指揮して賊徒を蹴散らします」

 

 朱武美は言った。

 

「荷は賊徒に渡してしまって、連中がその荷に満足して引きあげた隙に、銀を積んだ荷馬車を通してしまうのではないのですか、朱武美殿?」

 

 千玄が首を傾げた。

 

「いいえ……。わたしは最初から品物のひとつだって、賊徒に渡すつもりはありませんでしたから……。でも、わたしの勘が正しければ、連中は最初に通過していく荷馬車群は通過させるはずです。襲ってしまえば、後からやって来るはずの本命の銀を積んだ荷馬車が警戒して、峠を登ってこなくなりますから。襲われるのは、後から通過をする一台の方です」

 

「わかったよ、朱武美。そっちに残って賊徒を蹴散らすのが俺の役割だな?」

 

 林冲が横から言った。

 

「よろしくお願いするわ、林冲。連中が後ろの馬車を襲ったら、すぐに護衛隊を連れて引き返してくるから……。わたしが戻ってくるまで持ちこたえるのに、何人必要?」

 

「要らんよ─。足手まといだ。それに誰が賊徒の息がかかっているかわからんのだろう? そんな連中に背中は任せられん」

 

「わかったわ、林冲……。それから、李姫も林冲と一緒に残るのよ。あんたは御者をしなさい」

 

「あい」

 

 李姫が暢気そうな返事をした。

 

「もしかしたら、三百人の賊徒がやってくるかもしれない側に、たったふたりだけしか残らないのですか?」

 

 千玄がびっくりしている。

 

「頭領の岳竜というのはどんな男かわかりますか?」

 

 朱武美は、千福の疑念には答えずに、別の質問で返した。

 

「ひと際逞しい身体をしている大男という話です。身の丈は七尺(約2.1メートル)を超えるとか」

 

「それは、わかりやすい目印ね。……だそうよ、李姫」

 

 朱武美は、李姫に視線を向けた。

 

「それが、あたしの役目?」

 

 李姫が肩を竦めた。



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11  朱姫(りき)、御禁制の銃で岳竜(がくりゅう)を屠る

 林冲(りんちゅう)は、遠い山麓方向からあがるのろしを確認した。

 朱武美(しゅぶび)とともに先発した荷駄軍が、無事に峠を通過したという印だ。

 事前に李姫が斥候として探り、少華山の盗賊団が待ち伏せをしているのはわかっているので、荷馬車群が素通りしたということは、連中の狙いが後から通過するこの一台の荷馬車にある可能性は高くなったということだ。

 やはり、少華山の山賊の狙いは、この銀荷駄馬車一台のみのようだ。

 

 つまりは、朱武美の読み通りということだ。

 まあ、朱武美の読みが当たらなかったということを林冲は知らない。

 およそ、戦いや戦闘における智謀にかけては林冲の恋人の朱武美は神がかりである。

 

「林冲、もうすぐだよ……」

 

 馭者台にいる李姫(りき)が、荷馬車の横を馬で進む林冲にささやいてきた。

 

「ああ」

 

 林冲は頷いた。

 荷馬車には幌がかかっている。

 積み荷は食料ということになっているが中身は銀だ。

 三百人程度の盗賊団であれば、十年はなにもしなくても暮らせるだけの財だ。

 

 最初に通り過ぎた荷馬車群には目もくれずに素通りさせ、その状況を確認してから、後から通過することになっているこの荷馬車に狙いを絞ったということは、やはり、朱武美が懸念したいるように、一緒にいた隊商の中に、盗賊団に通じていて、なんらかの手段で連中に情報を流していた者がいたのだろう。

 

 朱武美たちが通りすぎてからそれなりの時間が経っている。

 手筈通りであれば、無事に少華山をやりすごした朱武美は、隊商の指揮を千玄(せんげん)に任せて、護衛隊だけを指揮して戻ってきているはずだ。

 

 朱武美が連れてくるのは三十騎の騎馬だ。

 もっとも、騎馬と徒兵では、戦いのときの衝撃力が違う。

 向こうにどのくらいの騎馬があるかわからないが、三百人程度の盗賊団なら全部を連れてこないと三十騎の騎馬の護衛隊を倒せない。

 

 ただ、盗賊たちは、こちらが勢力を二手に分けることはわかっているし、待ち伏せによる罠を仕掛けて先手をとるつもりだから、人数さえ集めれば造作なく銀が奪えると思っているのだろう。

 そのとき、林冲は、しばらく進んだ場所にある草むらに強い害意を感じた。

 

「李姫、荷馬車を停めろ」

 

「あい」

 

 李姫は、荷馬車をとめると同時に、荷台側に移動して幌の中に隠れた。

 手筈の通りだ。

 

 一方で、前方の両側の茂みから当惑を感じる。

 予定ではもっと接近していから馬止めを出し、こちらが意表を突かれてところを一気に飛び出すつもりだったのかもしれない。

 そして、護衛を減らしたところで、主力が上から降りてきて包囲してしまう。

 そういう策なのだと思う。

 

 だが、盗賊団の動きよりも先に、すでに荷馬車が停止したので戸惑ったに違いない。

 それに、こっちがふたつに護衛を割ると知っていても、まさか銀を積んでいる側にたったひとりしかいないとは思わなかっただろう。

 それが草むらの中の賊徒の惑いになっている。

 

「ごろつきども、なにか用か──?」

 

 林冲は、茂みに向かって大声をあげた。

 馬の横に得意の得物の大鎌を装着している。

 柄の部分が鉄でできていて、先端が大きな鎌になっている点鋼鎌(てんこうれん)と呼んでいる林冲の得物だ。

 林冲は点鋼鎌を馬から外した。

 片手で横に構える。

 

 すると、材木で組んだ馬止めが道の脇から飛び出してきた。

 馬車は簡単には後ろには退がれない。

 前を停めてしまえば、馬車は動けなくなる。

 わらわらと賊たちが出てきた。

 二十人ほどだろう。

 得物もばらばらだし、具足もまちまちだ。

 ただ、槍を前に集めて馬の突進に備えている。騎馬との最小限の戦い方は教えられているようだ。

 

「おい、こっち側の荷馬車に残っているのは、お前ひとりのようだな。生憎だったな。荷馬車を置いていけば……」

 

 最後まで喋られせなかった。

 馬で踊りあがって、二十人の中に飛び込む。

 

「うわっ」

「ひいっ」

「ひいいい」

 

 林冲が騎馬で跳び込むと、その迫力に押されるように、束ねていた槍がまばらになった。怖がって退がる者が何人か出たのだ。

 

「ば、馬鹿──、退がるな──」

 

 喋っていた賊徒のひとりが叱咤の声をあげた。

 こいつがこの正面の指揮官のようだ。

 

 林冲は点鋼鎌を一閃させた。

 血飛沫とともに、その男の首が飛ぶ。

 さらに、返す刃で三人ほどの首を飛ばした。

 一瞬にして首のない胴体が四体ほど転がる。

 

 周りの賊徒たちが、悲鳴をあげて逃げ始めた。

 

「他愛のない……。これなら、朱武美が来るまでに片がつくか……?」

 

 林冲はひとり言を言った。

 あっという間に賊たちはいなくなり、道に馬止めだけが残る。

 余程、数を恃んだ戦いしかしたことがなかったらしい。二十人いても勝てないかもしれないと思うと、一斉に逃げ散ってしまった。

 林冲は呆れてしまった。

 

「林冲、上──」

 

 そのとき、幌の中にいる李姫から声がした。

 林冲は顔を山手側の側面に向けた。

 黒い塊が山から転げ落ちるようにやってくる。

 森林の中にある狭い数本の間道を分かれて駆けおりてきていた。

 あれが主力だろう。

 全部で三百人くらいか──?

 手筈とは違っていたと思うが、そのままこっちを襲うことに決めたようだ。

 

 林冲は点鋼鎌を構え直した。

 しかし、馬を駆け登らせるには坂が急峻すぎる。

 この駄馬では、馬が途中でばてる。

 どうせなら、その勢いのままやって来い──。

 林冲は、点鋼鎌を握る手に力を入れた。

 

 しかし、敵はある距離まで進んだところで、それ以上おりるのをやめた。

 横に展開して、木々のあいだに隠れ始めた。

 樹木に隠れながら、弓矢などを準備し始めている。

 遠くではないが、うまく樹木に隠れている。

 

「ちっ」

 

 林冲は舌打ちした。

 さっきの林冲の戦いをどこかで見ていたのだろう。

 接近をせずに、矢で射殺すつもりだ。

 すぐに矢が向かい始めた。

 点鋼鎌を振り回して、眼の前にやってくる矢だけを落とす。しかし、十本、十五本と付近の地面に矢が突き刺さり出す。

 

 どうするか……?

 飛び込むか……?

 

 躊躇していると、林冲の視線に、先頭付近の樹木の陰にいる巨漢が入った。

 背は七尺(約2.1メートル)はある。

 金箔を張った目立つ具足を身に着けている。

 首領の岳竜に間違いない。

 

「李姫、当たるか──?」

 

 林冲は、荷馬車の幌の中の李姫に叫んだ。

 返事の代わりに、周囲に金属を裂くような音が鳴り響く。

 さっきの大男の眉間に穴が開いたのが、林冲にははっきりと見えた。

 男はそのまま地面に崩れていく。

 李姫の銃から放たれた弾が命中したのだ。

 

「当たったよ──」

 

 李姫の得意気な声がした。

 さすがは、銃の名手の李姫の腕だ。

 銃はこの帝国ではあまり見かけず、国軍くらいでしか見ない武器のはずだ。

 こんな地方の賊徒では、なんで男が死んだのかもわからなかったかもしれない。

 それにしても、李姫がこの距離で的を外すわけはなかったか……。

 林冲は苦笑した。

 

 そして、いま死んだのが首領の岳竜だったのは明らかだ。

 賊徒たちがざわめきだしている。

 あれだけ飛んでいた矢も一時的に止まった。

 ちょうどそれに合わせたように、上から雄叫びが聞こえた。

 さらに賊たちが動揺し始める。

 

 林冲には、賊徒たちのいる斜面に回り込んで駆けおりてきた朱武美たち護衛隊の姿が見えた。

 馬から降りて徒士になっている。

 斜面の勢いを利用して、賊徒たちに斜面の上から雄叫びをあげて襲い掛かっている。

 首領を失い、さらに予想をしていなかった方向からの攻撃に、賊徒たちは完全に度を失って散っていく。

 

 構えもなにもない。

 一方的に斬られて、四方八方に逃げていく。

 林冲は馬を進ませた。

 ゆっくりとあがりながら、逃げてくる賊徒を斬り捨てていった。

 三人、四人と賊徒の首を飛ばしていたが、やがてやめた。

 もう完全に賊徒は戦う気もなく逃げるだけになっている。

 

「林冲、無事ね?」

 

 上からやってきた朱武美が声をかけてきた。

 朱武美の得意は剣だ。

 剣先に血のりがある。

 何人かは屠ったのだろう。

 気がつくと周りには賊徒はいない。

 逃げていく敵の姿が遠くにあるだけだ。

 

「他愛もないな……。これじゃあ、運動にもなりはしない……」

 

 林冲は笑った。

 

「本当だよ。あたしなんて、一発、撃っただけで終わったもの──」

 

 荷馬車から出てきていた李姫も肩を竦めた。

 李姫は短剣を二本持っている。

 銃は一発撃てば、弾込めに時間がかかる。

 だから、最初に銃を遣ったあとは、李姫は二本の短剣を縦横無尽に遣いながら、風のように動いて進む。

 ただ、今日はその出番もなかった。

 

 朱武美が手をあげた。

 賊徒たちと戦っていた護衛隊が集まり出す。

 朱武美は全員を荷馬車の周りに集めた。

 軽い負傷をした者はいたが、死んだ者はいない。

 それに比べれば、賊徒の屍体は、ここから見えるだけでも十以上はある。

 

「いやあ、皆さん、お強いですねえ……」

 

 そのとき、さらに山の上から千玄が、荒い息をしながらおりてきた。

 

「千玄、なんでここにいるんだ? お前は本隊の荷馬車を率いて、華陰の城郭まで進むはずだったろう」

 

 林冲は、千玄の姿を認めて言った。

 

「わたしもそう言ったんだけど、銀の積んである荷馬車こそ主力だといってね。どうしてもついてくるといってきかなかったのよ」

 

 朱武美が答えた。

 

「本隊については問題はありませんから……。少華山さえ降りてしまえば、あとは危険な場所はありませんし、華陰(かいん)の城郭は目と鼻の先です。いずれにしても、先行した荷馬車は山を降りたところで待たせています……。それにしても、あなた方はお強い。少華山の賊徒をああも簡単にやっつけてしまうとは……。いやはや、本当にお強い」

 

 千玄が興奮した様子で言った。

 

「じゃあ、華陰まで凱旋といくか。少華山をおりてしまえば、護衛を組んだ隊商を襲う賊徒はいないだろう。明後日には屋根のある場所で、寝台で寝れるな」

 

 林冲は言った。

 帝都を出発してから、隊商を連れた道中は、ずっと荷駄馬車の横で野宿だった。

 野宿は慣れたものだが、やはり寝台で横になるのは楽だ

 

「でも、簡単には寝かさないわよ、林冲」

 

 すると、朱武美が林冲の腕に、がっしりとしがみついてきた。

 そういえば、野宿のあいだは、朱武美もずっとお預けだったのだ。

 林冲は、それをふと思い出した。

 

 

 *

 

 

 陽はそろそろ中天に差し掛かろうとしていた。

 華陰の城郭を出立したのは、朝のかなり遅い時間だったから、まだいくらも進んでいないが、街道からはすっかりと建物らしきものは消え、山峰が迫る静かな風景になっている。

 

 このまま進めば、すぐに分かれ道になる。

 真っ直ぐに進めば、朱武美たちが山賊退治をした少華山であり、さらには北州の方向──。

 北に進めば、奥州深くになることになり、南に曲がれば、ずっと先は帝都の開封府だ。

 どっちに進むのかは、まだ決まっていないので、分岐点まで進めば、また林冲の気まぐれで決めるのだと思う。

 朱武美は、林冲と李姫と並んで、街道をのんびりと歩いている。

 

 今朝出てきた華陰は、少華山の麓にもっとも近い城郭だ。

 少華山の賊徒との争いについては、すでに尾ひれがついた噂話として、城郭に拡がっていた。

 雇い人の周備(しゅうび)は大喜びであり、ふんだんな料理と酒を準備して護衛隊や隊商に参加した人足たちの労をねぎらってくれた。

 

 近隣では豪商と鳴り響く寿郎丸の接待だ。

 食いしん坊の李姫が狂喜した美味しい料理がずらりと並んでいた。

 もちろん酒も……。

 李姫は酒は飲まないが、林冲は酒豪だ。

 宴会ではうまそうに酒を飲んでいた。

 

 もちろん、朱武美は、林冲が酔い潰れないように、しっかりと横で見張っていた。

 朱武美にとっても、宿屋に泊れる久しぶりの夜なのだ。

 林冲には、ちゃんと朱武美の相手をしてもらわなければ困る。

 

 周備が護衛隊長の話を持ってきたのは、その宴会の席だった。

 賊徒や盗賊の横行する世である。

 商人もそれなりに備えるということをしなければならず、寿郎丸も今回のような大きな取引きのときは、護衛のための兵を金を出して集めたりするのだそうだ。

 しかし、兵は集められるが、信用のできる指揮官を集めるのは容易ではなく、下手をすれば、護衛そのものから商品を持ち逃げされることさえあるらしい。

 だから、すでに賊徒退治で信用と信頼を証明した朱武美や林冲を正式に雇いたいというのだ。

 

 だが、林冲は、あっさりと断わった。

 風来坊の林冲が、たかが一介の商人の人足頭に収まるようなことはしないと思ったが、案の定そうだった。

 周備は残念そうだった。

 朱武美としては、別に悪くない話とは思うが、まあ、林冲についていくだけだ。

 いずれにしても、約束以上の礼金を受け取って、二日後には再び三人旅の空となった。

 

「……さて、どっちに向かうの、林冲?」

 

 いよいよ、城郭郊外の街道の分かれ道だ。

 

「帝都にもう一度言ってみるか? 隊商で行ったときは、さすがに帝都だと思ったな。珍しいものもたくさんあったし、しばらく逗留したら、青州に向かおう。青州は、こっちよりももっと賊徒が荒れているという話だ。面白そうじゃないか」

 

 林冲が言った。

 

「李姫、次は帝都だそうよ。また、おいしいものが食べれるわよ」

 

「やった──」

 

 李姫が陽気に声をあげた。

 

 そのとき、城郭の方から城郭軍の一隊が追いかけてくるのがわかった。騎馬が三騎と歩兵が八十ほどだった。

 朱武美たち三人は、街道の端でその一隊をやり過ごそうとした。

 ところが、その一隊はいきなり、朱武美たち三人をぐるりと取り巻いてしまった。

 

「周備殿のところにいた三人だな。隊商の護衛を率いて、多額の礼金をもらっただろう?」

 

 指揮官らしい将校が前に出てきて言った。

 

「お前らに関係ないだろう。それがどうした?」

 

 林冲がむっとした声で応じた。

 

「護衛隊をけしかけて、少華山の賊徒を蹴散らしたということだが、怪しい話だ。少華山の賊徒といえば、城郭軍が出張っても、なかなかに退治できずに手こずっている賊徒だ。それをたかが隊商の護衛が蹴散らしたなど、あり得ぬことだ」

 

「お前らが腑抜けなだけだろう──。なにが言いたいのか知らんが、俺たちはもう行くんだ。道を開けろよ」

 

 林冲と話しているのは、この一隊の指揮官のようだ。その将校は馬に乗ったまま、にやにやと小馬鹿にしたような笑みを浮かべている。

 その将校が数を恃んでいるのは明らかだ。

 こうやって会話をしているあいだにも、歩兵がぐるりと朱武美たちを取り囲んでいる。

 

「いや、俺の目はごまかせんぞ。お前らは実は少華山の賊徒の一味だろう。そして、賊徒退治をやったふりをして、商人の周備殿から多額の礼金をせしめたに違いない」

 

「阿呆か、お前──。そんなことをするくらいなら、銀の詰まった荷をそのまま奪った方が儲かるだろう。そんな凝ったことをする理由がどこにある──。いいからどけ。目障りだ」

 

「さっきから、誰に物を言っているつもりだ──。お前は林冲という名だな。すでに名は割れているぞ。そっちの女たちは、朱武美に李姫だろう。それにしても、美人ふたりを連れての旅とはいい身分だな。とにかく、お前たちは捕える……。それとも通行料を支払うか?」

 

 将校がにやりと笑った。

 朱武美は、やっとそれが目的なのかと悟った。

 つまりは、朱武美たちが多額の礼金を受け取ったという噂を聞きつけたこの将校が、ひと儲けしようと隊を動かして、朱武美たちが城郭の外に出たところを追いかけてきたということだ。

 城郭軍からすれば、余所者の旅人など賊徒と同じだ。守るべき対象ではないのだろう。

 それにしても、これは酷過ぎる。

 いくらなんでも、正規の城郭軍が強盗のような真似をして、旅人から金を奪うなど……。

 

「なんだ、通行料というのは──? そんなものはない──。あってもお前らに渡すか」

 

 腹を立てた林冲が、背負っていた点鋼鎌を抜いた。

 

 まずい──。

 朱武美は焦った。

 

 ここで争いになったら、捕縛されずに逃げおおせたとしても手配者だ。

 全国に手配書をばら撒かれて、街道を進むことができなくなる。この将校は朱武美たちの名を知っていた。

 顔も名もばれているのだ。

 軍に対する暴行は大罪だ。

 似顔絵の入った手配書があっという間に出回るだろう。

 

 だが、林冲は、もう激怒している。

 どうやって、なだめればいいか……。

 

「逆らうのか──? 本当に捕らえて拷問にかけるぞ──。大人しく、通行料を払えばよし。そうでなければ捕らえる……。いや、女たちは別だ。その後ろの女については、この脇の林で身体検査をする。終われば、無事に返してやる。それを拒めば、逮捕して拷問だ──。どっちにするのだ?」

 

 将校はにやついた。

 これには、朱武美もびっくりした。

 この将校は朱武美たちから金をせびろうとするだけじゃなく、朱武美や李姫たちの身体まで味わおうというのか?

 

 林冲の身体がゆらりと動いた。

 朱武美はとめなかった。

 

 林冲の点鋼鎌が一閃する。

 将校の首が笑った顔のまま宙に舞った。

 横のふたりの若い将校が悲鳴をあげる。

 だが、朱武美の横を風が通り抜けた。

 

 李姫だ。

 

 李姫は背に銃を背負っていたが、そのまま両腰の二本の短剣を抜いて将校のひとりに跳びかかった。

 まずは、李姫の短剣に喉を引き裂かれた将校が馬から落ちる。

 もうひとりの将校は、林冲から胴体を上から下にふたつに斬られた。

 しかも、林冲の点鋼鎌は、勢いのまま、さらに将校の乗っていた馬の胴体まで切断してしまった。

 林冲の怒りがそれだけ凄まじかったことがわかる。

 

 騒然となった。

 歩兵が逃げていく。

 あっという間に、取り囲んでいた歩兵がいなくなった。

 この場には、三人の将校と馬の屍体だけが残った。

 

「なんて連中だ。少華山の賊徒を退治するのがあいつらの役目なのに、それにかこつけて、俺たちから金を奪おうとするなど。ましてや、朱武美と李姫の身体を調べるだと──。調べてなにをするつもりだったんだ」

 

 林冲はまだ憤慨している。

 

「だけど、これで帝都行きはなしね──。軍の将校を三人も殺したんだもの……。すぐに手配書が出回ることは間違いないわ。顔も名も割れているし」

 

 朱武美がそう言うと、林冲がちょっと困った顔になった。

 その表情がとてもかわいくて、朱武美は思わず、林冲に抱きつきたくなった。

 

「……どうするの? また、北の国境を越えて、あたしの故郷に行く? ほとぼりが冷めるまで……」

 

 李姫が口を挟む。

 

「辿りつけないわね。多分、すぐに行く先々に手配書が回るわ。しばらく、山にでも隠れるしかないわ」

 

 朱武美は首を竦めた、

 

「だったら、少華山に行くか──。岳竜という頭領が死んだんだ。烏合の衆になり果てているだろう……。いっそのこと乗っ取ってやろう。ついでだ。さっきの城郭軍の態度にはまだ腹が立つし、賊徒の連中をけしかけて、華陰軍の施設のひとつやふたつ襲ってやるさ──」

 

「あらっ、今度は賊徒の大将になるの、林冲?」

 

 朱武美は笑った。

 

「退屈凌ぎには悪くないさ」

 

 林冲はうそぶいた。

 

「……だってよ、李姫……。賊徒になるんだって──。構わない?」

 

「おいしいものある?」

 

「山賊料理があるさ。ああいう連中は、ほかに愉しみがないからな。うまい料理のやり方を知っていると思うぞ」

 

 林冲がすかさず言った。

 

「だったら、いいよ」

 

 李姫はあっけらかんと言った。

 林冲が少華山に向かって歩き出す。

 朱武美と李姫はそれを追った。

 

 今度は賊徒の大将か──。

 それも悪くないかもしれない……。

 

「じゃあ、わたしが、また策を使って、林冲を頭領にしてあげるわね」

 

 朱武美は歩きながら林冲に言った。

 

「おう、頼むぞ、朱武美」

 

 すると、林冲が陽気な笑い声をあげた。



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第5話   女名主監禁調教
12  史春(ししゅん)、元婚約者の李吉(りきち)を足蹴にする


「力の弱い女が、力の強い男を一体一で倒す方法は簡単ではないわ。だから、どうするのか? 暗がりで暴漢に抱きつかれ、服を破られ、下着を剥がれて、身体を押さえつけられ、股ぐらに男の肉棒をねじいられそうになったら?」

 

 史春(ししゅん)は、集まっている村の女たち約二十人の前に立って語りかけた。

 村人を相手に定期的に屋敷の中庭で開いている武術教室だ。

 

 今日は女の日だ。

 女ながらも武術を極めている史春は、持っている武術を村人に広めるために、村の男女に武術を学ぶことを課していた。

 

 十日に一度の割りで半日ほど、必ず史春の屋敷で行われる武術教室に参加をする──。

 

 それが、若き女名主(村長)である史春が管理する史華村の掟だ

 教官は史春自身だ。

 幼いころから多くの師匠をつけてもらって、この屋敷で修行をした史春は、一応はこの周辺のどんな男とやっても打ち負かせることができるほどの腕になっていた。

 

 史華村の史春といえば、歳は二十の若い娘だが、喧嘩でも戦闘でも誰もかなわないというのが、この一帯の評判になっている。

 しかし、せっかく極めた武術も、ただそれだけでは、史春ひとりが強いだけでなんの役にも立たない。

 だから、史春はそれを村人たちに教えることにした。

 

 賊徒が横行する時代だ。

 近傍の城郭軍はあてにはならず、史華村(しかそん)のような農村では賊徒から襲われないようにするためには、自警団を作ることが有効だった。

 特に、史華村には、西側に少華山(しょうかざん)という山があり、そこには岳竜(がんりゅう)と名乗るいう乱暴者が三百人以上の盗賊を集めて無法を続けていた。そんな賊徒から村を守るためには、自警団を作って自らを守るしかない。

 

 史春が村人の武術を教えるとともに、自警団を編成させたのは、父がまだ生存していた一年前からのことだ。これが功を奏しているのか、少華山の賊徒は、いまだにほかの村は襲っても、史華村だけは襲わないでいる。

 賊徒としても、襲うのであれば、わざわざ自警団のいる村は襲わない。

 賊徒に襲われず、役人から無理な税を徴収されなければ、村は栄える。

 役人への対応については、父は抜かりのない名主だった。うまく役人に立ち回って、毎年の税を軽いものに抑えてもらうとともに、隠し畠などを作って税逃れもしていた。

 役人に媚びへつらう父の姿に、軽蔑を感じたこともあったが、分別のつく年齢になると、それが村人にとってどんなに大切なことかをわかるようにもなった。

 

 その父が死んで三箇月がすぎていた──。

 母のいない史春にとっては、男手ひとつで史春というひとり娘を育ててくれた父親の死は、想像以上の大きな心の痛手だった。

 自分にとって、唯一の肉親である父がどれだけ、かけがいのない存在であるかということを父の死によって思い知った。

 

 史春は、父が五十のときに、父にとってはふたりめの妻である史春の母親が産んだ娘だ。

 史春の母は、いまでもこの村で語られるほどの大変な美貌だったらしい。

 ただ、史春を産むとともに死んでしまった。父の落ち込みようは激しいものであったらしく、それは結局のところ三人目の妻をついにもらわなかったということからもわかる。

 父は、母に注ぐことのできない愛情を史春に与えてくれたのかもしれない。

 史春が望むもので手に入るものは何でも与えてくれたし、学問を学ぶことを望めば教師や書物を屋敷にたくさん集めてくれた。

 女ながらに武術を学びたいを言えば、いまの時代は、女でもそれが必要だろうと笑って応じて、高名な武術の師匠を屋敷に招いて修行をさせてくれた。

 史春には一度も手もあげたことなく、いつも笑って優しい言葉だけをかけてくれた。

 口癖は、お前は母親にそっくりの美人だという言葉だった。

 

 父の死は予定されていたものだった。

 病気だったのだ。

 歳をとっての病だ。

 医師からは治らないと告げられていたし、史春は覚悟をしていた。

 だが、実際に父を失くしてみると、それは途方もない打撃を史春に与えた。

 しかし、三箇月という喪の時間が史春を立ち直らせてくれた。

 時というのは不思議なものだ……。

 どんなにつらいことでも、いつの間にか、それを苦みのある思い出に変えてしまう。

 史春は自分が立ち直ったのを感じていた。

 

 また、父の死とともに、史春はこの史華村の名主になっていた。

 名主の地位は世襲ではなく、管轄である城郭の県令が指名してなるものだ。

 だが、現実には村全体で選んだ代表者を役所に届け、それが名主として指名される。

 名主になれば、州庁が課してくる毎年の税や必要に応じて課せられる使役を提供する義務がある。

 

 役人との付き合いのうまかった父が、その辺りに抜かりがあるわけがなく、父の死とともに、ひとり娘の史春が名主を継ぐことができるように、必要な手続きが終わっていた。

 父の死の数日後に、役人がやってきて史春を名主に任命するという証書を持ってきた。

 史春は死ぬ前に、父から教えられていたとおりに、役人に賂を渡した。

 その賂さえも父が生前に準備していたものだ。

 そうやって、史春はわずか二十歳にして史華村の女名主になった。

 

 三箇月の喪だったので、村人を相手にする武術教室も久しぶりだったが、やっぱり汗を流すと心が晴れる気もする。

 

「あんた、さあ、答えて。あなたは暗がりで男に襲われたのよ。どうやって反撃するの?」

 

 史春は、前列の真ん中にいる娘を指名した。

 今日集まっている女は、全員がほとんど史春の武術教室への参加が間もないの者ばかりだったが、その娘は正真正銘の第一回目のはずだ。

 史春の望む答えを知っている半分くらいの娘がくすくすと笑い声を発している。

 

「はい。ここで武術を学んで、暴漢を退治します」

 

 娘が元気よく答えた。

 

「そうね。でも、武術を習得するには長い時間がかかるわ。あたしが言っているのはいまのことよ。いま──。いま、あなたは襲われたの? そのときはどうする?」

 

「えっ……。う、ううん……」

 

 娘は考え込んでしまった。

 

「男の股間にぶらさがっているものがあるでしょう。睾丸よ。それを殴りつけるのよ。力の限りね。手加減をしては駄目よ。一発で悶絶させられなかったら、怒り狂った男があんたを殺すかもしれないわ。強姦されるくらいじゃすまないわね。大抵の男は女よりも力があるし、女がまともに戦っても、勝機を得るのは難しいわ。でも、すべての男にとって、睾丸は鍛えることのできない弱点なの。力の強い男に女が勝つには、素早く睾丸を潰すのが一番いいのよ。だから、今日は睾丸打ちの稽古をします。持ってきて──」

 

 史春は家人に声をかけた。

 練習用の人形が持ってこられる。

 武術教室用のために史春が作らせたものであり、革布を縫って藁を詰めて人のかたちに整えたものだ。これを相手に打撃の練習をするのだ。肉棒と睾丸にあたるものも、ちゃんと作ってある。

 これを見ると、娘たちはきゃあきゃあと笑い合った。

 

 史春は人形を立たせた状態に設置させる。

 そして、二十名の中からふたりを選んで前に出させた。

 このふたりは、ほかの者とは違う。史春が教えている者たちの中では、熟練の部類に入る女であり、こういう初心者用の武術だけじゃなくて、武器もそれなりの遣いこなす。

 女向けの武術指導のときに、史春の稽古を手伝ってもらっている二名の助手だ。

 

「見本を示しなさい」

 

 史春は告げた。

 

「きえええ──」

 

 女が奇声をあげながら人形の腰を両手で抱え込んで、力の限り膝を股間に叩きつけた。

 しかも、連続で二度三度と繰り返す。最後には手で睾丸の部分を握りつぶしさえした。

 その迫力に、ふざけ合った感じだった者たちがしんと静まり返る。

 

「次──」

 

 もうひとりも奇声をあげて人形に跳びかかった。

 両手で首を掴んで人形を前のめりに倒させて、膝で股間に睾丸がめり込むほどに膝蹴りした。三発、四発と同じように連続で叩きつけ、やっぱり、最後に睾丸を捩じり潰した。

 

「わかったかしら? こつはこれから教えるけど、一番大切なのは躊躇しないこと。一片の慈悲もかけないということよ。ちょっとでも力を抜いたら、強姦された挙句に顔を滅茶苦茶になるほどに殴られて殺されると思いなさい。やるか、やられるかよ──。いいかしら。相手を殺す気で睾丸を攻撃しなさい」

 

 史春は全員に声をかけた。

 並んでいる娘たちが元気のいい返事をした。

 

 そのとき、史春の視線に屋敷の中庭の端で、李吉(りきち)がいつもの薄笑いをしながら、稽古を眺めていることに気がついた。

 高揚していた気持ちが、一度に冷えるのがわかった。

 李吉の横にはいつものような取り巻きが三人ほどいる。

 

 臆病な男だ。

 女ひとりに会いに来るのに、怖くてひとりでは来られなかったのだろう。

 史春は、助手をまねて人形を相手に稽古をするように全員に告げ、二名の助手に後事を託して、李吉に向かって歩いていった。

 

「やあ、史春、お父さんのことは、改めてお悔み申しあげるよ……」

 

 李吉が整髪油で整えた髪を触りながら、優雅な動作で頭をさげた。

 男にしては珍しいほどの色白の美男子であり、この周辺では少し有名な色男だ。

 隣町の名主の三男坊であり、養子としてやってくることになっていた元婚約者だ。

 史春自身も一時期はこの男にのぼせたこともある。

 しかし、いまではそれを恥じている。

 

「話があるんだ……。屋敷にあげてもらえないかい……」

 

「お断りよ。あたしには話はないわ。それに婚約破棄のことなら、すでに終わったことよ。父が生前のあいだに手紙があなたのお父さんのところに手紙を書き、あなたのお父さんも了承して、すべて終わっているはずよ。いい加減につきまとううのはやめてくれないかしら」

 

 史春はきっぱりと言った。

 だが、稽古をしている女たちの視線に気がついた。

 史春は、李吉を物陰に誘導した。

 

「史春のお義父さんは、俺のことを誤解していたのだと思うよ。だけど、残念ながら誤解を解く前にお義父さんは亡くなられてしまった。それが残念で仕方がない。しかし、俺は決して……」

 

「言い訳無用よ──。あたしの父は誤解などしていなかったし、それはあたしも同じ。父だけじゃなく、あたしの気持ちも、あんたにあてて手紙で出したはずよ。たくさんの女友達と仲良くしていればいいでしょう。あたしのことは忘れて欲しいわ……。それから、承知の通り、役所はあたしの名主就任を認めたわ。生前の父が手を回していたことであり、それひとつとっても、父もまた、あんたがあたしと結婚をして史華村の名主の地位になることを望んではいなかったという証拠よ。父が最終的に望んだのは、娘のあたし自身が名主になることだったのよ」

 

「参ったなあ……。あれはちょっとした遊びじゃないか……。もちろん、本気でもないし、愛しているのは君だけだよ……。それに、名主というのは、やはり女では荷が重い。男でないと……」

 

 李吉が甘い声を出して、史春の肩に手を伸ばそうとした。

 

「触るな」

 

 静かだが史春は殺気を込めた声を発した。

 李吉が怯えるような表情をして、慌てて手を引っ込めた。

 

「あんたが誰と付き合おうが勝手だと言ったでしょう。どうぞ、自由にしたらいいわ。だけど、いい評判は効かないわね。性質の良くない男たちと付き合っているという噂だし、女を騙して誘い、妓楼に売り飛ばすのだという話も聞くわ……。もしも、あたしの村の娘に手を出したら、それこそあたしの棒が黙っていないわよ。あんたの村まで乗り込んで、その口の中に棒先を叩き込んでやるからね。覚悟なさい。それと、二度とこの村に来ないでくれる。これは最後通告よ」

 

「おい……、脅かすなよ、史春……」

 

 李吉が追従のような笑みをした。

 

「ほ、ん、き、よ───」

 

 史春はにやりと微笑んで、李吉を睨んだ。

 余程、史春は怖い顔をしていたのかもしれない。李吉が真っ蒼になった。

 だが、すぐに取り繕ったような顔になる。

 史春は、嘆息した。

 

 優しげな視線……。

 ほんの少しだけ浮かべる頬の笑み……。

 ちょっと悪ぶった雰囲気のある哀愁……。

 

 こんな薄っぺらいものにのぼせ、史春はこの男に恋をし、身体を許し、愛を語った。

 史春と結婚するということは、史華村の名主の地位を継ぐということでもある。その点、隣村の名主家の息子である李吉は最適の人材だった。

 父も認め、史春との婚約が決定した。

 だが、婚約すると同時に、たくさんの村人がひそかに李吉の悪い噂を史春に教えてくれるようになった。

 

 最初は信じなかった。

 しかし、恋にのぼせていても、史春の婚約者ということは、老いた父の後を継ぐ史華村の名主ということは理解している。おかしな男を村に呼び込んではならないという村人に対する責任もある。史春にはあまりにも多い李吉との結婚を懸念する声に自分で調べてみることにした。

 

 それは、事実だった。

 

 この男はこの界隈でも有名な女たらしであり、それだけではなく、かなりの悪事を得体の知れない男たちと結託してやっている気配があった。

 証拠はないが、多くの若い女が李吉の周りで不幸に落ちている。

 しかも、ひとりやふたりではない。

 

 この男は悪党だ。

 史春はそれを理解した。

 

 それから、父に頼んで婚約破棄をしてもらった。

 そして父は、史春の結婚相手が名主になることを断念し、次の史華村の名主に女の史春が就けられるように手続きをしてくれた。

 

 もともと病だった父の容態が急変したのは、すべての手続きが終わった直後だ。

 史春は、それが自分が男を見る眼がなかったために、いらぬ心労を父にかけてしまったためではなかったかといまでも後悔している。

 

「そ、そんなこと許されると思っているのか、史春──。か、勝手な言い分だぞ。俺はお前と結婚して、この村の名主になる予定だった。それが一方的な婚約破棄の手紙だけで婚約破棄とは酷いじゃないか。俺はお前と婚約するとわかって、それを当てにして、かなりの借金だってしているんだ。だったら、それを支払ってくれ」

 

「あんたが誰に借金しようが知ったことじゃないわ──。それに、ついに本音が出たわね。結婚しようが、するまいが、この家の資産があんたの自由になるわけないでしょう──。お前の性根はこれで知れた。もう、わかったわ。二度と屋敷にも村にも来るな」

 

 史春は、たまたま、そこにあった薪を手に取った。

 そして、李吉の肩を薪で打ってやった。

 

「ひがあっ──。な、なにするんだ──。くそっ」

 

 李吉が肩を抑えてうずくまった。

 

「なにをする、女──」

「手を出したな──」

「覚悟しろ──」

 

 ずっと背後で見守っていた李吉の取り巻きたちが一斉に腰の剣を抜いた。

 取り巻きのひとりが史春に斬り込んできた。

 

 簡単に剣をかわして、薪を剣を持つ手首に思い切り打ち込む。

 男が剣を落としてうずくまる。

 二人目がきた。

 勢いのまま、相手の喉に薪の先で突く。

 そのまま後方に吹っ飛んで、動かなくなった。

 三人目は横から払うように剣で斬りかかってきた。

 踏み込んで脚を払う。

 男の身体が宙を舞って面に落ちた。

 背中を打ったらしく、三人目も動かなくなる。

 

「今度、村にやってきたら、命はないわよ──」

 

 史春はまだ、肩を抑えている李吉の顔面に足の裏を叩きつけた。

 

 

 *

 

 

「畜生──。畜生──」

 

 李吉は何度目かの悪態をついて酒を呷った。

 打たれた肩と蹴りあげられた顔が痛んだが、それはどうということはなかった。

 だが、一時期はたらしこむことに成功して身体を味わいつくし、婚約までしておきながら、それを破棄され、しかも、復縁を迫りにいったその場で、罵倒されて足蹴にまでされたということが、李吉の自尊心を引き裂いていた。

 

 たかが女に、これほどまでに馬鹿にされたかと思うと湯気の出るほどの怒りを感じる。

 だが、相手は、外見こそ見目麗しい若い女であるものの、中身は女ながらに武芸百般に通じ、なかでも棒術にかけては男でもかなう者はいないだろうといわれる遣い手の史春だ。

 李吉の敵うような相手ではない。

 

 今日もこうなる可能性も予想して、多少は腕に覚えのある与太者仲間を三人ほど連れていった。しかし、その三人が子供扱いだ。

 三人とも急所こそ外されていたが、しばらくは動けないだろう。

 四人でなんとか、歩いて半日の距離にある豊城(ほうじょう)の城郭まで戻ってきて別れたが、李吉はどうしても口惜しくて堪らなかった。

 だから、こうやって、なけなしの金を使って安酒を呷っていた。

 

「畜生──。あいつめ──」

 

 李吉は酒をぐいと呷った。

 盃が空になった。

 

「おい、お代わりだ」

 

 李吉は卓を叩いた。

 

「前払いだよ」

 

 酒屋の主人が冷たく言った。

 

「な、なんだと──? つけでいいだろう──。今度、持ってくる」

 

「いいや、そんなのは聞こえないね、李吉さん。一時期は羽振りのよかったあんただが、親父さんの強い叱責を受けて、最近じゃあ金子の工面にも苦労しているそうじゃないか。性質のよくない連中にも借金を重ねているという噂だし、もう、あんたはつけでは駄目だ。それよりも、いままでに溜まっている分の勘定も払っとくれ」

 

「ちっ。いまはねえよ。金のあるときは、ちやほやしやがったくせに、どいつもこいつも」

 

 李吉は悪態をついて、店の外に出た。

 外はすっかりと夜だ。

 しかし、もう金子入れの中には、なにも残っていない。

 ましてや、宿屋に泊る金などあるわけもなく、今夜の寝ぐらをどうすればいいのだろう……?

 

 うまくいくときは、どこまでも順調なのに、なにかひとつ歯車が狂うと、途端に落ち目になる。

 いまの李吉がそうだ。

 半年前には、美貌の女傑で名高い隣村の名主の娘の史春との婚約も決まり、わが世の春といった感じだった。

 李吉も村長の息子だが三男坊ともなれば、回ってくる財は高が知れている。

 しかし、史春の夫ともなれば、この辺りでももっとも豊かな村で有名な史華村の名主だ。自由になる財も桁が変わってくる。

 さらに、史春の父親は病を患っていて、長く生きられないことはわかっていた。

 李吉の栄華は約束されたものだったのだ。

 

 当時から李吉は、自分の村にはあまり帰らずに、もっぱら、この豊城市の城郭で遊び歩くのを常をしていたが、史華村の史春と婚約したとなると、李吉に金を貸してもいいという者もたくさん寄ってきた。

 そうなれば派手な遊びもできる。

 女遊びもできる。

 

 怠け者で腕っぷしも弱く、度胸もない李吉だが、この持って生まれて顔だけはいいのだ。この顔でちょっとばかり、優しい言葉をかければ、大抵の女は李吉に靡くというものだ。

 遊び仲間も増えた。

 そんな仲間と賭けをして、適当な町女を騙してたらし込むということもやったことがある。言葉巧みに誘って連れ込み宿に誘い、そこで待っていた仲間と女を輪姦した挙句に、騙して奴隷契約をさせて娼館に売るのだ。

 結構、金になったし、なによりも愉しかった。

 

 だが、そのうちに、ある日突然、史春に婚約を破棄された。

 そんな李吉の女遊びを史春に耳打ちした者がいたらしい。

 しかも、史春の父親は、李吉の素行を李吉の父親に通告し、李吉は叱責されて、これまで与えられていた小遣いを取りあげられた。

 李吉は、父親の説教に腹を立てて、そのまま家を出た。

 あれから村には戻っていない。

 

 それから三箇月──。

 羽振りのいい頃に蓄えていた金はいつの間にかすっかりと無くなってしまった。それどころか、史春と結婚した後をあてにして、さんざんに重ねていた借金がたくさん残ってしまった。

 金の切れ目が縁の切れ目なのか、あれだけ集まっていた取り巻きもいつの間にかほとんどいなくなり、また、金がなければ女遊びもできないので、女を騙して金子に変えるということもできない。

 

 それで、起死回生を狙って、史春に会いに行ったのだ。

 史華村の父親だった名主が死に、いまは史春が女名主だ。

 その史春の亭主ということになれば、あの家の財は使い放題だ。その史春は、一度は史春の性の技で溺れさせてやったことさえあるのだ。

 一度、寝る機会さえあれば、絶対に復縁できると思った。

 しかし、結果は散々だった。

 殺されなかったのが、ましなくらいだ。

 

「おう、李吉」

 

 そのとき、夜道でいきなり背後から肩を掴まれた。

 

「ひいっ。あっ、天文明(てんぶんめい)の旦那。ご、ご無沙汰しています」

 

 慌てて言った。

 夜道で李吉に声をかけてきたのは、天文明という高利貸しを営んでいる男だ。

 天文明はこの男に多額の借金があって、どうにもならなくなっていた。

 また、この天文明は、ただの高利貸しではない。

 陰では闇奴隷や強盗、恐喝や人殺しまで、金になることならなんでもやるという噂であり、この男だけは怒らせてはならないということでは有名な男だ。

 その天文明だ。

 しかも、五人ほどの部下を連れている。

 李吉は、天文明たちにすっかりと捕まえられてしまった。

 

「しゃ、借金は必ず耳を揃えて……。で、ですから……」

 

 李吉は狼狽えて言った。

 借りている金はそれなりの額だった。

 返済は史春との結婚後でいいということになっていたのだが、史春との婚約が破棄されたいまとなっては、李吉にはもうどうしようもなく、できるだけ天文明に出遭わないように注意さえしていた。

 ただ、今夜、李吉が歩いていたのは、その天文明の高利貸しの店のすぐそばだったようだ。それで、李吉は、酒を飲んでいた天文明たちと偶然にも道で鉢合わせしてしまったらしい。

 すっかりと酔いも醒めてしまう。

 

「まあ、お前の話は聞いている……。ちょっと店に来いや」

 

 天文明に促された。

 殺される──。

 李吉は震えた。

 

「しゃ、借金は返します。で、ですから殺さないでください……」

 

 李吉は思わず言った。

 

「馬鹿か。お前なんか、殺したって銭一枚にもならんだろうが。お前の話は聞いていると言っただろう。金子の作り方を教えてやると言っているんだ。だから、ちょっと来い」

 

 天文明は笑いもせずに言った。

 金子の作り方──?

 李吉はびっくりした。

 

「いいから、来い」

 

 そして、強引に店に引っ張り込まれた。

 しかも、店の奥にある小さな部屋だ。

 窓もなく、燭台の小さな灯かりだけしかない。

 部屋の真ん中に椅子がある。

 そこに座らされた。

 李吉の前に天文明が立ち、ほかの部下が周りを囲む。

 生きた心地がしなかった。

 

「おい、李吉」

 

 天文明の声で名を呼ばれただけで竦みあがった。

 

「は、はい」

 

「面倒な話は抜きだ。お前にはどうあっても、あの史春という小娘と婚姻してもらう。そのために、てめえには借金をさせてやったんだ。お前の村に行って、お前の親父から取り立ててもいいが、それよりもお前が元の話の通りに、史春と結婚してくれて、あの村の名主に収まってくれた方がいい。その方が金になる……」

 

 史春は言った。

 

「は、はあ……しかし……」

 

 それは、史春はわかっている。

 しかし、それができないから弱っているのだ。

 おそらく、今度、史華村に李吉が入ったら、本当に殺されるだろう。よりを戻すどころではない。

 

「史春というのは武術の達人のようだが、所詮は若い女だろう……。女を言いなりにするには、昔からやり方は一緒だ。さらって調教しろ。わかるな?」

 

「い、いえ、さっぱり……」

 

 どうしろと言っているのかわからない。

 

「あの村の近くに俺が史春を監禁するための山小屋を準備してやった。ちょっとやそっとじゃあ見つけられないような場所だ。そこに監禁して調教しろ。その山小屋で、なんとしても、史春を陥せ。いいな。一度は、お前の女だったんだろう。どんな手を使ってもいい。強姦でもなんでもして、もう一度たらし込め」

 

「え、ええ?」

 

 李吉は声をあげた。

 あの史春を強姦して調教する?

 そして、性の技で陥して、もう一度婚約をさせる……?

 そんなことができるとは思えない。

 できるとしても、どうやって、さらっていいかわからない。

 

「そ、そんなこと無理ですよ……。そ、それに、史春をどうやってさらえばいいのか……」

 

 李吉は言った。

 すると、天文明はすりこぎのような黒い棒を李吉に手渡した。

 

「電撃棒という道術の道具だ。これを遣え。これを操作して電撃を浴びせれば、熊でも一発で気絶する」

 

 天文明はそう言って、その魔道具の操作法を李吉に教えた。

 李吉はそれを呆然と聞いていた。

 

「わかっているな、李吉。史春をさらうことができないとか、性の技でたらし込める自信がないとか言うな。失敗すれば、お前には用はねえ。この天文明に借金をして踏み倒したら、どうなるかの見せしめくらいにしか使えないから、およそ考えられる限りの残酷な方法で殺して、死骸をその辺に捨ててやる。わかったか」

 

 天文明が李吉の襟首を掴んで怒鳴った。

 

「ひ、ひいっ……」

 

 李吉は電撃棒一本を握りしめたまま泣き声をあげた。

 そんなこと、さすがに無理だ。

 すると、李吉の心を読んだのか、天文明がにっこりと笑った。

 

「心配するな……。そのために助っ人も呼んである。俺の部下も手伝うしな。おい──」

 

 李吉が声をかけた。

 すると、隣室の扉が開き、五十くらいの男が現われた。男が李吉に向かって頭をさげた。

 李吉も釣られて、頭をさげる。

 

「鬼吉という男だ。女を調教することにかけては右に出る者はいないという調教師だ」

 

「調教師?」

 

 李吉は思わず言った。

 

「そして、もうひとりだ」

 

 さらに奥からやってきた女に、李吉は驚愕した。あまりの驚きに、椅子から転げ落ちそうになった。

 やってきたのは、史春だった。

 

「う、うわあっ、史春」

 

 李吉は悲鳴をあげた。

 しかし、天文明が大笑いした。

 

「史春じゃねえ。変身の護符という道術具を使わせて、史春そっくりの顔にさせている白痴女だ。お前が史春を監禁して調教しているあいだ入れ替わる。名は蘭だ。ただし、長い時間は無理だぞ。護符の効果は一箇月だ。必ず、一箇月で史春を落とせ」

 

 天文明が言った。

 

「よろしくお願いいたします」

 

 蘭も頭をさげる。

 話せば、まったく声も口調も違う。

 黙っていれば誰も気がつかないだろうが、話せば本物の史春でないことは、誰であろうと気がつくだろう。

 だが、史春を監禁しているあいだは、病気だといって寝室にでも閉じ込めておけばいいか……。

 そのあいだに、史春を調教して、また入れ替えるのだ。

 

 もしかしたら、いけるかもしれない……。

 そう思った。

 

「とにかく、変身の護符とい道術具は目の玉が飛び出るほどの高価なものだ。ほかにも、調教師の雇い料に俺の手間賃、全部、お前の借金に追加をしておく。だが、お前が史華村の女名主の亭主になれば、簡単に払えるものだ」

 

「あ、ありがとうございます、天文明さん。絶対にやってみせます」

 

 希望を感じてきた李吉は力強く言った。



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13  李吉(りきち)、徒党を連れ史春(ししゅん)を拉致する

 史春(ししゅん)は川のほとりにいた。

 ひとりだ。

 ほぼ数日と間隔を開けずに、史春はこの村の郊外にある堰き止め湖と呼んでいる川の水を溜め込む設備にやってきている。

 

 史華村(しかそん)では、水稲を作っていた。

 水稲には水が欠かせない。

 治水は名主の重要な役割のひとつだ。

 水が不足すれば水稲が枯れてしまって村の作物は全滅するし、水が多くなったらなったで、洪水になり村に被害が出る。

 

 史華村には大きな河の支流となる川が流れ込んでいたが、史春はその川に水を堰き止めるための大きな設備を作らせて、それで水を制御するということをさせていた。

 基本的にはそこで、巨大な水がめとなる溜め湖を作って川の水をそこに引きこんで堰き止め、溜まりきった量を越えるものを流水させて、水枯れに備えるということをやっているのだが、逆に増水などで水かさが増えることがあれば、早めに堰き止め湖から水を流して、そこに水が溜められる余地を作っておくのだ。そうすれば、村そのものに入る増水を防ぐことができる。

 

 史春が十七歳のときに父に進言して、村人総出で作らせたものであり、これのお陰で昨年の日照りによる水不足もまったく問題なく乗り切れた。

 周辺の農村では、日照りによる凶作で税が支払えず、娘を売ったということをよく耳にしたが、史華村ではそのような話は皆無だ。

 堰き止め湖構築そのものは出費もあったし、人足の負担も大変だったが、いまではありがたいものだという村人の感謝の声も多い。近傍の農村でも同様の設備を作ろうという動きもあり、それについては、史春は惜しげもなく、設備の設計図などを公開していたし、望まれれば経験のある職人の派遣なども積極的に援助している。

 

 この二日豪雨が続いていた。

 それで心配でこの川のほとりの堰き止め湖にやってきたのだが、特に問題となるような増水ではないようだ。

 史春は安心した。

 馬を史華村に向かって返した。

 

「史春」

 

 史華村の入り口に差し掛かるときだ。

 男がいきなり道の陰から飛び出してきた。そして、史春の馬の道を塞ぐように、道の真ん中でがばりと土下座をした。

 李吉(りきち)だった。

 

「邪魔よ、李吉」

 

 史春は冷たく言い放って、その横を通り過ぎようとした。

 しかし、すぐにさらに五人ほどの男が李吉が現われた草の陰から姿を現したのを認めて、馬をとめた。

 史春の馬の鞍には、二匹(三メートル)ほどの一本の木の棒を括りつけている。

 史春の得物だ。

 棒を抜く。

 

「なによ、あんたら?」

 

 史春は馬上のまま凄んだ。

 

「いや、待ってくれ、史春殿。俺たちはあんたに用事があるわけじゃねえ。この男の見届け人なんだ」

 

 土下座をしている李吉の背後に並んだ男たちのひとりが言った。

 

「見届け人?」

 

 史春は眉をひそめた。

 

「た、頼む、史春。最後のお願いだ。金子を融通してくれ。後生だ。この通りだ」

 

 土下座をしている李吉が声を振り絞るようにして叫んだ。

 

「はあ? 馬鹿かい、あんた。なんで、あたしがあんたに金子をやらないといけないんだい?」

 

「わ、わかっている。俺が全部悪いのはわかっているんだ。だが、親父からは勘当され、もう金子の算段も八方塞がりなんだ。お前だけが最後の望みだ。お前に見捨てられたら、俺は後ろの連中に殺されなければならねえ。犬畜生に金子を恵んだと思って、なにとぞ金子を融通してくれ。この通りだ」

 

 李吉は地面に額を擦りつけるようにして叫んだ。

 史春は呆れてしまった。

 とにかく、馬からおりた。

 

「いいから、立ちなよ。目障りよ。それに、仮にも大の男じゃないか。それがかつての女を相手に、土下座までするのかい? どこまで成り下がってくれるんだよ。あたしは情けないよ」

 

「な、なんと言われても、お前がここで金子を融通してくれると言ってくれなければ、俺はこのまま、山で殺されることになっているんだ。なあ頼む」

 

「立てって、言ってんじゃないか」

 

 史春は怒鳴った。

 

「融通してくれるか? だったら立つ。うんと言ってくれるまで立たない」

 

「冗談じゃないと言っているだろう。あんたなんかに渡す金子なんかあるわけないだろう。婚約破棄の手切れ金はしっかりと、あんたの父親と話がついている。あんたの素行の悪さが婚約破棄の理由であり、手切れ金はなしということになったんだ。むしろ、向こうから見舞金を払いたいという話まであったんだよ。それなのに、なんであたしがあんたに金子を払うのよ」

 

 史春は激昂のまま声をあげた。

 こんな情けない男に一時は溺れて結婚を夢見たとは、自分で自分に腹が立つ。

 

「わ、わかっている。俺は犬畜生だ。女たらしの阿呆だ……。だが、阿呆けど、死にたくないんだ。なあ、お願いだよ。助けてくれ。こいつらに俺を殺させないでくれ」

 

 そして、驚いたことに、李吉はその場でわっと泣き出した。

 これには、さすがの史春も驚いてしまった。

 史春は、後ろの男たちに視線を向けた。

 

「殺すなんて、穏やかじゃないねえ。そんなことをしたら、あたしは役人に訴えるよ」

 

 史春は言った。

 

「おっと、これはあんたには関係のない俺たちの商売の話だ。うっちゃっておいてくれ。こいつは、俺たちの主人が悪名高い高利貸しだと知っておきながら、あんたとの結婚を担保に借金をした。もちろん、それはあんたには関係もないし、俺たちも関わりたいわけじゃない。ここに、こいつを連れてきたのは、最後の慈悲だから、あんたに会わせてくれと言うから連れて来ただけだ。話は終わりのようだから、これは連れていく。もう、忘れてくれ。おい──」

 

 喋った男がほかの四人を促した。

 そして、四人が地面にうずくまって号泣している李吉の肩をかつぎあげて、無理矢理に身体を起こさせた。

 

「ま、待ちなって言っているじゃないか。李吉をどうするのよ?」

 

 史春は声をあげた。

 

「あんたのは関係のないことだ。これは、俺たちのけじめだ。こいつは殺す。死骸はばらばらにして少華山に捨てて獣の餌にするが、口の中に切断した性器を咥えさせた首については城郭に晒す。それが掟だ。それくらいしなければ、これから借金を踏み倒す連中が後を絶たなくなる」

 

 男が言うと、いっそう李吉が泣きじゃくった。

 

「それは人殺しじゃないかい」

 

「関係ないと言っているだろう。言っておくが、役人に訴えても無駄だぞ。役人にはしっかりと鼻薬を効かせている。それに借金を払えないのは、もともと咎人だ。咎人をどうしようが貸主の勝手というのが法だ」

 

 それは男の言う通りだ。

 史春も多少は城郭の役人との付き合いもあるし、性質も知っている。

 借金を払えない李吉を残酷に殺したところで、役人はその犯人を捕らえようとはしないだろう。いまの世はそういうものなのだ。

 史春は嘆息した。

 

「こいつの借金はいくらなのよ?」

 

 史春は仕方なく訊ねた。

 

「おっ? 肩代わりするつもりなのか、史春? 忠告しておくが、こいつに返済の甲斐性があるとは思えないぞ。それで、うちの親分も、こいつは殺すということを決めたんだ」

 

「訊ねただけよ。とにかく、こいつが殺されないで済むには、幾ら必要なのよ」

 

 史春は言った。

 

「た、頼む、史春。一生、恩に着る。お願いだ」

 

 男たちに捕まえられている李吉が泣きながら訴えた。

 

「う、うるさいわねえ。お願いだから、黙っていてよ。あんたがそうやって情けなく泣くたびに、あたし自身が情けなくなるのよ」

 

 史春は怒鳴った。

 そして、男に視線を戻した。

 男が金額を告げた。

 大金ではあるが、いまの史春にとっては大した額ではない。逆に、たったそれだけのもので、性器を切断されて首を晒されようとしている李吉が哀れに思えた。

 それに、仮にも身体を許した仲なのだ……。

 

「わかったわ。あたしが肩代わりする。一緒に屋敷に来てくれれば払うわ。借用書はあるの?」

 

「おう、払ってくれるか。それはありがたいぜ。それで人がひとり死ななくて済む。俺たちだって、むやみやたらに人殺しがしたいわけじゃない……」

 

 男が懐から借用書と思われる紙を示した。

 

「ついてきて」

 

 史春は馬に寄っていった。

 

「おい、李吉の身体を離してやれ。この史華村の女名主がこの碌でなしの借金を肩代わりするそうだ」

 

 男がほかの男にそう言ったのが聞こえた。

 

「あ、ありがとう、史春。ありがとう」

 

 すると、身体を解放された李吉が史春に駆け寄ってきた。

 そして、身体に抱きついてきた。

 

「触るんじゃないよ──」

 

 史春は激昂した。

 そして、李吉を突き飛ばそうとした。

 だが、どんという衝撃が全身を走った。

 なにが起きたのかわからなかった。

 

 気がつくと、史春は全身を痺れさせて、地面に倒れていた。

 周りに李吉を初めとして、男たちが集まっている。

 まったく身体に力が入らない……。

 

 どうしたのだ……?

 声を出そうとした……。

 しかし、喉まで痺れていて声が出せない。

 

「史春から服を剥がせ──。(らん)、出て来い──。急いで服を着替えろ」 

 

 すると、全身を黒い布で覆って、顔を布で隠している女が、さっき李吉たちが隠れていた草むらから現われた。

 女が布を脱いだ。

 びっくりした。

 そこには、史春にそっくりの顔があったのだ。

 

「た……す……け……」

 

 史春は懸命に李吉に手を伸ばした。

 助けて……。

 そう言おうとした。

 史春の着ているものを男たちが寄ってたかって脱がそうとしている。

 李吉は、それを横で呆然と眺めているようだった。

 

「まだ、意識があるようだな……。おい、ちょっと、お前ら手を離せ。電撃に巻き込まれるぞ」

 

 李吉がにやりと笑ったように見えた。

 そして、すでに上衣を着ていない胸に、すりこぎ大の黒い棒の先端を押しつけられた。

 再び、どんという衝撃を感じて、史春の意識は消失した。

 

 

 

 

 つんという刺激を感じた。

 史春は意識を戻した。

 

「いい身体してやがるぜ。まったく、棒を持てば男でもかなわねえという鉄火娘だから、どんな身体をしているかと思えば、乳房のかたちもいいし、股ぐらもおいしそうだ。ねえ、李吉さん、おれたちにも味見をさせてくれるっていうのは、本当ですか?」

 

「俺だって半年ぶりくらいなんだ。とりあえず、俺が抱いたらな……。まあ、お前たちへのお駄賃として、史春の身体を貸してやるよ」

 

 ぼんやりとした視界が次第にはっきりとしてくる。

 併せて、周りの声も聞こえてきた。

 最初に聞こえたのは、李吉と男が会話をする声だ。

 

「おっ、眼を開けたな、史春──。気分はどうだ……? といっても、まだ、どんな状況かわからねえか……。だが、俺は気分がいいぜ。こんな嬉しい気持ちなのは半年ぶりだ。なにせ、あの史春がまた、俺の女に戻ると決まったんだからな」

 

 李吉が言った。

 なにを言っている──?

 史春は強い嫌悪感を抱いたが、周りの異様な状況に戸惑って、言葉を発せないでいた。

 どうやら、ここはどこかの山小屋のようだ。

 史春には見覚えのない場所だ。

 戸板に囲まれた壁があり、土間のような外と同じ高さの部屋と一段高くなった奥の部屋のふたつの広い部屋から成り立っているいる小屋だった。

 史春がいるのは、一段高くなった側の部屋だ。

 そこで史春は立っているようだ。

 史春の周りには、李吉をはじめとして、さっきの男たちがいる。もっとも、ここにいるのは、五人男のうちの三人だけであり、李吉を含めた四人の男がじろじろと史春を見物するように周りで腕組みをしているのだ。

 さらに史春は違和感を覚えた。

 

 動けない……?

 身体が拘束されている……?

 

 意識がなかったはずの史春が倒れないで立位姿でいられたのは、手首を縛られて天井から吊られているためのようだ。

 さらにだんだんと頭がすっきりとしてきた……。

 そして、史春は自分の置かれている状況に驚愕した。

 

「な、なによ、これ──?」

 

 驚いたことに史春は素っ裸だった。

 布切れ一枚、身体には身に着けていない。

 両手はひとつに束ねられて、天井から鎖で吊りあげられている。

 しかも、両脚には二尺(約六十センチ)ほどの長さの金属の棒に足首を挟まれて、その両端で足首を革紐で縛られていた。しかも、その棒はなんとなく長さを自在に調整できる気配だ。

 さらに、この金属の棒の中央が床に打たれている金具に固定されている。脚を振りあげることもできない。

 つまりは、史春は気を失っているあいだに、素っ裸に剥かれて、この見知らぬ山小屋らしき場所に連れて来られ、しかも、拘束されて男たちに囲まれているということだ。

 

 史春は混乱した。

 なんでこんなことになっているのか……?

 

 そして、史華村の郊外にこの李吉が借金取りとともにやってきたことと、李吉が史春に土下座にして金策を頼んだことを思い出した。

 史春が金子を融通してくれなければ、このまま殺されると泣きじゃくるので、史春は仕方なく金子を肩代わりすることを約束したのだ……。

 そのとき、なにかを李吉に身体に押しつけられて、それで意識を失くした。

 そういえば、そのときに、自分そっくりの女を見たような……。

 

 だんだんと頭が回ってくると、史春は、自分がこの李吉の得体の知れない罠にはまったという気がしてきた。

 

「り、李吉、こ、これは、あんたの仕業なの──? 承知しないわよ。これを外しなさい」

 

 史春は怒鳴りあげた。

 

「おうおう、声が大きいなあ。まあ、ここは、人里離れた三軒並びの山小屋で、この一帯には誰も住んでいねえから、いくら悲鳴をあげてもらって構わないが、それにしても本当に気が強いんだなあ、史春……。素っ裸に剥かれて、身体をそうやって吊られて立たされても、それだけの罵倒が言えるんだ」

 

 李吉が腕組みをしながら笑った。

 

「ど、どういうこと、あんた? これはなによ?」

 

 史春は叫んだ。

 

「もちろん、お前を誘拐したということさ……。お前をここで調教するためにな……。俺も、こんな手荒な真似をしたくはなかったんだが、お前がどうしても、俺になびいて、よりを戻そうとしない以上は仕方ねえ。この人たちにひと芝居打ってもらって、お前をさらわせてもらったぜ。もうすぐ、調教師もここにやってくる。これから、お前を調教して、完全に屈伏してもらう……。そして、俺が元の鞘に収まり、お前の亭主になるということさ」

 

 李吉が笑った。

 

「はあっ? 馬鹿じゃないの、あんた。そんなことが許されると思っているの。だいたい、調教とはなによ? そんなものであたしの心が変わると思っているの? つくづく、あんたの頭はおめでたくできているのねえ」

 

 史春は叫んだ。

 

「調教で心が変わるか、変わらないか、一度受けてみるんだな」

 

 李吉が哄笑した。

 史春は頭にかっと血が昇った。

 天井から吊られた身体を力の限り暴れさせた。だが、身体をよじらせることができるだけで、拘束はとてもじゃないが外れそうもない。

 

「あ、あんた、本気なの? こんなことしてただで済まないわよ。あたしがいなくなれば、村中が大騒ぎになるのよ。とにかく、いまなら見逃してあげるわ。あんたも切羽詰ってやったことだと思うし、なかったことにしてあげる。だけど、このままじゃあ、あたしじゃなくて、あんたが取り返しのつかないことになるのよ」

 

 史春は必死で言った。

 

「問題ねえよ。今頃は、お前の身代わりの女がお前の屋敷に戻っている。まあ、しばらくは大丈夫だろうさ。そのあいだに、お前は身も心も俺に屈伏して、再び俺をお前の婚約者として迎える気持ちになってしまうというわけよ。わかったか? この三箇月、よくも、俺を虚仮(こけ)にしてくれやがったな。まとめて、恨みを返してやるから覚悟しやがれ」

 

 史春は絶句した。

 李吉がすっかりと頭に血が昇ってしまい、のぼせあがっていることがわかったからだ。

 女を調教して言いなりにするなんて、正気とは思えないが、その判断ができないくらいに、頭がかっとなっているのは確かだろう。

 それに、気を失う寸前に確かに史春は自分の顔にそっくりの女を見た。

 もしかしたら、なにかの道術の道具を使っているのかもしれないが、あれだけ史春に顔がそっくりなら、多少の期間は誤魔化せるだろう。

 そのあいだ、史春はここで李吉や眼の前の男たちの玩具になってしまうのは間違いない……。

 

 こんな大それたことを李吉がひとりで仕組むとは思えない。

 これは、絶対に李吉の後ろで糸を引いている誰かがいる。

 それが誰かなのかは知りようもないが、これだけのことをするのだ。

 そいつは史春と李吉を結婚させて、骨の髄まで史華村(しかそん)をしゃぶり抜くつもりだろう。李吉の借金を回収するためだけの目的で、身代わりまで準備して、女名主をさらうなどということはあり得ない。

 

 李吉は、調教などとおめでたいことを言っているが、そんなものは大きな計画の第一段階だ。受け入れさせられるものは李吉だけで終わるわけがない。もしも、史春が屈服したら、史華村に関わるさまざまな利権などあらゆるものを剥ぎ取りにかかるだろう。

 自分の心が調教で変わるなどということはありえないが、こうなったら、李吉の背後の者たちは、どんな手段を使ってでも、史春と李吉ともう一度婚約させて、史華村の女名主の亭主として、李吉を村に送り込むつもりに違いない。

 

 名主である史春の婚姻には、役所への届けが必要だ。

 とにかく、「調教」でだめなら、史春を薬剤で廃人にしてでも、婚姻の届けを役場に出させる……。

 そして、この李吉と一緒に史華村に入り込む名目を得て、李吉を操っている者たちが村に入り込み、奪えるものを根こそぎ奪うということではないだろうか。

 史華村がこの近傍でもっとも豊かな村ということを狙った大きな陰謀の匂いを感じる。

 史春はぞっとして、背に冷たい汗が流れるのを感じた。

 

「り、李吉、考え直して──。あんたも利用されているのよ。こんな大それたことをしたら、あんたもただでいられるわけないわ。利用するだけ利用されて捨てられるわよ。さっきの話は嘘じゃないわ。あんたの借金はあたしが肩代わりしてあげる。だから、こんな馬鹿なことはやめて」

 

 史春は叫んだ。

 

「うるせい──。もう、後戻りはできないんだよ。とにかく、もう、お喋りは終わりだ。さっそく、調教を始めるぜ。まずは、その黒い茂みをつるつるに剃らせてもらう。それが奴隷調教の第一歩だ」

 

 李吉が史春の無防備な股間の茂みに手を伸ばした。

 史春はびっくりして腰を引いた。

 

「な、なにすんのよ」

 

 触ろうとする李吉の手を避けようと狂ったように史春は腰を振った。

 

「これは、簡単には茂みを剃らせそうにはないですねえ。どうします、李吉さん?」

 

 苦笑しながら口を挟んだのは、李吉を殺すと息巻いていた男だ。やっぱり完璧な芝居だったのだ。男が李吉に丁寧な言葉遣いをしている。

 

「なあに、お願いだから剃ってくれというまで、みんなで手でむしってやろうぜ。さすがに、まんこが真っ赤に腫れあがりかければ、大人しく剃らせた方がましだと覚えるさ」

 

 李吉が笑いながら史春の股間の陰毛を掴んだ。そして、力の限り陰毛を引き抜く。

 

「ぎゃあああっ」

 

 たくさんの針先を突き刺されたかと錯覚するような熱い激痛が走った。

 史春は絶叫した。

 

 史春の顔の前で手を拡げて、これ見よがしに引き千切った陰毛を捨てた李吉の指のあいだには十数本の毛が挟まれていた。

 そして、それを合図にするかのように、ほかの三人の男たちも一斉に、史春の股間に手を伸ばした。

 史春は悲鳴をあげた。



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14  史春(ししゅん)、浣腸と痒み責めに泣き狂う

「お、お願いですから、剃毛してください……」

 

 李吉(りきち)たちに寄ってたかって陰毛を手で毟られる苦しみに耐えられずに、史春(ししゅん)はついに言った。

 その瞬間、涙が込みあげてきたがじっと耐えた。

 こんな卑劣な男たちに泣き顔を見せるなど絶対に嫌だった。どんなに生恥を晒そうが、せめて泣き顔だけはすまいと心に思った。

 

「ついに、言いやがったな……。よし、みんな支度しろ」

 

 李吉が得意げに言った。

 小屋の中にいるほかの男たちが、剃刀だ、石鹸だ、刷毛だとわっと騒ぎながら準備に取りかかり始める。

 史春は、そのあいだ身も世もなく、拘束された身体を震わせ続けた。

 

 なんという男なのだろうか。

 卑怯な手で、かつての女をさらっただけでなく、こうやって両手両足を拘束して裸にし、それを仲間の男たちに晒しながら、女の毛を毟って笑い者にするとは……。

 それが、一度は婚約までした相手だと思うと、あまりの情けなさと口惜しさに史春は涙が眼からこぼれそうだ。

 そのとき、山小屋の戸ががらりと開いた。

 

「李吉さん、来ましたよ、おおっ? もう、やってんですか?」

 

 史春は声のする方向を見た。

 李吉にさらわれたときにいた五人の男のうちの残りのふたりの男がいた。そのふたりに案内されるように、五十がらみの新しい男も来た。

 声を発したのは、案内役の男のひとりだ。

 

「いや、責めを始めようとしたんだが、陰毛ひとつ大人しく剃らせやがらねえからな。仕方なく、一本一本、みんなで毟っていたところだ。ほら、ここんところ、禿げになって腫れあがっているだろう」

 

 李吉が史春の股間の一部を指で触るように指差した。

 史春は悲鳴とともに、腰を暴れさせて指を振り払った。

 

「こんな調子よ」

 

 李吉が笑った。

 

「まあ、かなりの鉄火娘という噂ですしね……。そう簡単にはいきませんて……。とはいうものの、気の強い女こそ、ぽっきりと自尊心を折ってやれば、案外あっさりと屈服するものでもありましてね。まあ、最初は、徹底的に恥をかいてもらう作業から始めますか……」

 

 口を開いたのは、男たちに案内されてやってきた中年の男だ。

 男が荷を置いて、なにかの準備を始める。

 

「な、なによ、こいつ?」

 

 史春は李吉に言った。

 

「おう、お前を調教してくれる調教師の鬼吉(おにきち)さんだ。なんだかんだ言っても、お前のような気の強い女は、俺ひとりで調教するには、手が足りないと思ってな。この人たちに手伝ってもらうことになったんだ──。挨拶しな、史春」

 

「ちょ、調教師?」

 

 史春はかっとして声をあげた。

 

「ああ、普段は叩き売られてきた娼婦や、奴隷女の躾なんかを生業にしておる。あんたのような素人の女を調教する機会は滅多にないが、眼の玉が飛び出るくらいの手当をもらったからな。腕によりをかけて、奴隷女並みの従順な女に仕上げてやるから覚悟しな」

 

 鬼吉と紹介された男が笑った。

 

「く、くそうっ──。あ、あたしがそんな風に調教なんかされるわけないよ──。いい加減にしな──」

 

 史春は喚いた。

 だが、天井から両手を吊られ、脚のあいだを棒で固定されて開かされている状態では啖呵もむなしい。

 史春の啖呵は、大の男でも震えあがるくらいの迫力があるはずなのに、小屋の中にいる男たちは、却って史春の気の強い物言いに嗜虐心を満足させて悦んでいる気配だ。

 

「さすがは、この界隈でも有名な史華村(しかそん)の若い女名主の史春さんだねえ。気が強そうだ……。まあ、とりあえず、その恰好で立ったまま糞でもひり出してもらいますか。大抵の女はそれで大人しくなるというものですからね」

 

 鬼吉が立位で拘束されている史春の裸身の前で腕組みしながら言った。

 

「はっ?」

 

 史春はたったいま鬼吉が言った言葉がうまく理解できなくて、思わず訊き返した。

 

「糞だよ、糞。う、ん、ち──。いまから、お前の尻に浣腸器という道具を使って、排便がしたくなる薬剤をたっぷりと抽入してやるということだ。だが、お前さんは縛られて動けない。その結果、どうなるかは、わかりますね、史春さん? つまり、浣腸ですよ。浣腸──」

 

 鬼吉が意地の悪い笑い方をした。

 李吉をはじめとして、周りの男たちがどっと笑う。

 ただひとりだけ、史春だけが呆気にとられていた。

 

「か、浣腸?」

 

 なにをされるのか、よく理解できなかったが、とてもじゃないが正気でいられるような仕打ちではないような気がした。

 史春は自分の顔が一気に蒼ざめるのがわかった。

 

「この綺麗な女の人でも、ひり出すものは臭いものですからね。悪いけど、我慢できない者は、小屋の外にでも行っていてもらえますか? ここにいる限りは、臭くて堪らないものを見ることにもなるし、その始末もしなければならないことになる。それが嫌なら、いまのうちの出ていってください──。あっ、ただし、李吉さんだけは別ですよ。史春さんを李吉さんに対して屈服させなければならないんだし、あんただけは我慢してもらわないと……」

 

「おう、鬼吉──。心配するな。糞でも小便でも、この史春から垂れ流すものなら汚くなくはないさ。俺が手ずから木桶で糞を受け取ってやるよ」

 

 李吉が笑った。

 ほかの男たちも、こんな綺麗な女が垂れ流すものなら、たとえ顔にかかっても文句はないと愉快そうに口々に言った。

 史春は呆気にとられていた。

 

「さて、じゃあ、さっそく、誰かこの小瓶の油剤を尻の穴に塗ってほぐしてもらえますか?」

 

 鬼吉が準備していたらしい小瓶を差し出すのが見えた。

 

 受け取ったのは李吉だ。

 小瓶を受け取った李吉が、満面の笑みを浮かべて史春の背後に回ってきた。

 

「あっ、なにすんの──? ば、馬鹿なことはやめて──」

 

 史春はお尻の亀裂の中心にある菊座に李吉の指を感じて、必死になって腰を振った。

 

「動くんじゃねえよ。やり難いだろう」

 

 李吉が左手で史春の腰に手を回して固定し、強引に史春の尻の穴に右手の指を割り入れてくる。さっきの小瓶の中身は、潤滑油の一種なのだろう。史春の尻は特に抵抗なく、すっぽりと李吉の指を受け入れてしまった。

 

「い、いやだ──。や、やめて──」

 

 史春は、さらに狂ったように身体を暴れさせた。

 お尻の入り口から奥深くにかけて、油剤を塗った李吉の指が揉みほぐしてくる。その得体の知れない感覚に史春は怖気が走った。

 

「そんなに身体を硬くするもんじゃないよ、史春さん。それに、鬼吉が準備しているもの見てみろ。あれが浣腸器だ。先端に管がついているだろう? それをあんたの尻穴にぶち込まなければならないんだ。よく尻の穴をほぐしておかないと、尻の穴が切れてしまうんだよ」

 

 鬼吉が笑って言った。

 

「い、いやだって言ってるでしょう──。あ、ああっ……。ち、畜生」

 

 さらに史春は身体を左右に振りたてた。

 

「さすがに、やり難いぜ。おい、お前ら手伝え。この史春の身体のあちこちを揉みほぐしてくれ。そうすれば、少しは大人しくなるさ」

 

 李吉の言葉に、わっと男たちが声をあげて、史春の身体に群がった。

 男たちが史春の裸身を触りはじめる。

 李吉による尻への責めに加えて、ふたつの乳房と股間に五人もの男の手による愛撫が始まった。

 史春は悲鳴をあげた。

 はらわたが煮え返るような恥辱に、史春の全身の血が沸騰しそうになる。

 

 だが、やはり、それは女体の悲しさなのか、六人がかりのしつこい責めを受けていると、やがて情念の疼くような官能が身体を支配してきた。

 身体から力が抜け、なにかの上に乗せられて、ゆらゆら浮かべられているような錯覚が起きる。

 史春はわけがわからなくなり悲鳴をあげた。

 不思議な恍惚感が生じ、史春はいまがどういう状況なのかさえ、わからなくなりそうになった。

 

「もう、そんなところで十分でしょう」

 

 鬼吉が道具を手に取った。

 先端に管がついている大きなポンプ式の筒だ。筒の中にはなにかの液体が充満している気配だ。

 

「よし、こうなったら、この俺が史春に引導を渡してやる。俺がやろう」

 

 史春の尻に油剤を塗り続けていた李吉が、やっと指を抜いて言った。一方で、史春の身体を責めている五人の男の手はまだ離れていかない。

 

「はあっ、はっ、あっ、も、もうっ……や、やめ……ああっ……」

 

 史春は、喘ぎ声をあげながら悶えた。

 口惜しいが自分の口から出る甘い声をとめることができないのだ。全身がかっと燃えあがりどうしようもなくなる。すべての抵抗力が削ぎ落されていく。

 

「ちょっと、史春を抑えておいてくれ」

 

 李吉が言った。

 やっと男たちが愛撫の手をとめた。

 その代わり、胴体と腰が男たちの手によって、がっしりと固定された。

 次の瞬間、冷たい嘴管が史春の肛門に突き刺さった。

 史春は悲鳴をあげた。

 

 生ぬるい液体が、肛門から腸に向かって注ぎ入ってくるのがわかる。

 身体を振ってなんとか管を抜こうとするが、身体を抑えている男たちの手がそれをさせない。

 そのうちに、お尻の奥から疼痛のようなものが襲ってきた。だが、李吉が注ぎ込む液剤の抽入は終わらず、どんどんと新しい液体を注ぎ入れてくる。

 史春は全身がばらばらになるような汚辱を感じながら、奥歯を噛み鳴らしつつ、首をうっと仰け反らせた。

 

「ざまあみろ、ついに、浣腸されやがった。俺を足蹴にした恨みだ。思い知ったか」

 

 やっと管を抜いた李吉が勝ち誇ったような声をあげた。

 男たちが史春の身体が手を離す。

 

「さあ、後は待つだけだが、それじゃあ、史春さんも退屈でしょうから、一気に引導を渡してしまいますか、李吉さん。一度、気をやらせましょう。それで、かなり心も挫けるはずです」

 

 鬼吉が笑いながら言った。

 

「そうだな……。じゃあ、俺は史春の股ぐらを責めてやろう。そのあいだ、誰か胸でも揉みほぐしてやってくれ」

 

 李吉が声をかけると、すぐに左右から別々の男が史春の乳房と揉みあげだす。

 史春は再び込みあがる官能の疼きに拘束された身体をのたうたせた。

 

「り、李吉、あ、あんた、こんな恥知らずなことをやって、満足なのかい。し、しかも、仮にも復縁をしようと考えている女をこんな風にほかの男にもけしかけさせるのかい?」

 

 史春は狂おしく叫んだ。

 

「お前には言ってなかったが、実は俺にはこういう趣味があるのさ……。それに、お前を婚姻して史華村に入り込もうというのは表向きのことだ。俺の妻になってからは、、ちゃんと奴隷扱いしてやるから心配するな」

 

 李吉はせせら笑った。

 そして、いきなり史春の身体の前にひざまずいた。

 なにをするのかと思ったら、驚いたことに、史春の股間に唇を触れさせて、ぺろぺろと舐め始めた。

 

「な、なにすんのよ──。やめてっ」

 

 股間に李吉の舌先を感じるや、全身におこりのような悪寒を覚えた史春は絶叫した。

 だが、李吉は史春の狂態にさらに興に乗ったように、舌を史春の股間に這わせ始める。

 一方で左右の乳房と乳首を男たちから、いいように揉まれ抜かれる。

 史春はだんだんと自分の喘ぎ声がはっきりとしたものになっていくのを知覚しないわけにはいかなかった。

 こんな卑劣な連中に、身体をいたぶり抜かれるのだと思うと、全身の毛孔から血が吹き出しそうだ。

 

「こうなったら、うんと気分を出しな、史春──。昔みたいにな」

 

 李吉が一度口を離してからかった。

 

「こ、こんなことをしてもなんの意味もないよ、李吉。あ、あたしが、こんなことで……あ、あんたの言いなりになるなんてあり得ないからね。そ、それよりも覚えておいで。後で八つ裂きにしてやるよ」

 

 史春は狂気のように首を振って喚いた。

 だが、両手をあげらさせられて無防備な乳房を包み込むように柔らかく押したり、あげたり、あるいは乳頭に指を這わせられたりするたびに、史春の口からは嬌声が迸る。

 また、太腿の内側を撫でさすりながら、舌を肉芽の周りに動かされ、史春はどうにも堪らなくなって、拘束された四肢を激しくうねらせた。

 

「李吉さん、これを使ったらいい」

 

 鬼吉が李吉の顔の前になにかを差し出した。

 ふと見ると、男の性器にそっくりなかたちの張形の幹に黒くて細い縄のようなものをびっしりと巻かれているものだ。

 

「なんだい、これは?」

 

 李吉が言った。

 

「これはずいき巻きの張形ですよ。これで女の芯を揉みほぐされると、縄の滲み汁が女の股間を刺激して、激しい痒みと疼きを湧き起こすんです。手っ取り早く女を堕とすためにはいい道具ですよ」

 

 鬼吉の説明に、李吉が大笑いして、そのずいき巻きの張形を受け取った。

 

「あふうううっ」

 

 史春は身体を仰け反らせて吠えた。

 李吉の操るずいき巻きの張形が史春の股間に突き挿さったのだ。

 すでに官能の汁をたっぷりと滲み出させていた史春の女陰は簡単にその太い張形を受け入れた。

 李吉が張形を操って抽出を繰り返す。

 じんじんと痛みのような激しい疼きを感じた史春は、全身を振りたてて悶えた。

 

 だが、一方で史春は、責められている身体とは別の苦しみが自分にやってきたのがわかった。

 それは一度始まると、全身を熱くさせている男たちの愛撫の快感など吹き飛ばすような苦しみを史春に与え出した。

 

「あ、ああ……ま、待って、厠に……。厠に連れて……はあっ……いって……。はああ……」

 

 史春は李吉たちに身体を責められながら叫んだ。

 さっき抽入された浣腸液がいよいよ本領を発揮したのだ。

 猛烈な便意の痛みが史春に襲いかかっていた。

 

「厠ですか? わかりましたよ、史春さん」

 

 少し離れた位置で見守っていた鬼吉が木桶を持って近づいてくる。

 史春はびっくりした。

 

「ば、馬鹿なことは……や、やめて……そ、そんな……ああっ」

 

「男勝りで名高い、史華村の史春さんですからね。多少のことじゃあ、参りそうにないですからねえ……。とりあえず、立ち糞というのを、やってもらいますか。どうぞ、そのまま、みんなの前で遠慮なく垂れ流してください」

 

 鬼吉が言った。

 史春はかっと頭に血が昇った。

 

「そ、そんなこと……、で、できない……。ふ、ふざけ……ないで……」

 

 立ったまま大便をさせるなど冗談ではない。ましてや、そんな木桶にするなど……。

 しかし、抗議をしようとしても、李吉たちの手がそれを邪魔するように史春を嵩にかかって責めたてる。

 

「俺たちが木桶を当ててやるぜ」

 

 見守っていただけだった男たちふたりが、鬼吉から木桶をとりあげて、史春に後ろ側にやってくる。

 

「いよいよ我慢できなくなったら、言ってくれ、史春。木桶を尻の下に置いてやるからな」

 

 そのふたりが笑った。

 

「気をやるのと、糞をひり出すのと、どっちが先だろうな?」

 

 李吉がせせら笑った。

 史春はのっぴきならない状態に追い詰められていた。

 前からは張形で股間を抉られ、胸を揉まれて、卑劣な男たちの前で嬌態を示さなければならない口惜しさ……。

 後ろは、浣腸を施され、怖ろしいほどの便意に襲われいて、いまにも糞便が破裂しそうな苦しみ……。

 それが同時に襲いかかっている。

 

 史春は死んでもそんな姿を晒したくなくて、歯を喰いしばって耐えきろうとしたが、もうどうしようもなかった。

 全身は官能の痺れで骨まで砕けるような激烈な快感が込みあがっている。

 そして、いまにも漏れそうな肛門の痛み……。

 

「は、早く、木桶を──」

 

 史春はとにかく叫んだ。

 我慢の限界だった。

 男たちが笑いながら開いている史春の股間の下に木桶を当てた。

 

「く、口惜しい」

 

 史春は叫んだ。

 次の瞬間、ついに肛門が崩壊し、まずは汚水が史春の肛門から噴き出した。

 

「はうううっ、ぐううううっ」

 

 便意の崩壊とともに、身体の内側から突きあがった官能の衝撃に史春は身体をがくがくと震わせた。

 

「こいつ、糞を垂れながら、気をやりやがったぜ」

 

 汚物が跳ね返ってくるのを顧みず、史春の股間を責め抉っていた李吉が大きな声で嘲笑った。

 

 

 *

 

 

「ああ、だ、だめええ──」

 

 史春は拘束された裸身をがくがくと震わせて、再び気をやった。

 

「ははは……。身体を拭かれながら、二度も気をやってしまうとは、とことん、いやらしくできているようだな、史春」

 

 李吉が大きな声で笑った。

 身体を布や手で擦っていた男たちがどっと笑う。

 男たちの嘲笑を浴びながら、またしても悶絶の醜態を示してしまった史春は、もう精根尽きた気持ちになり、がっくりと身体を脱力させた。

 

「これで、もう三回も昇り詰めたわけだ。しかも、こんなに大勢の男たちの前でな。まったく、恥知らずにもほどがあるぜ。これがあの男まさりの史春の姿かと思うとびっくりだ。お前がこんなに好き者だと知っていれば、婚約時代にもっと可愛がってやったのにな」

 

 李吉が笑い続けながら言った。

 史春は言いたい放題の李吉に対して、かっと血が昇った。

 

「よ、よくも、よくも……。こ、これは、あんたらが身体を拭くと言いながら、塗りたくった薬剤のせいじゃないのよ。お、女ひとりをいたぶるのに、こんな薬剤を使わないとなにもできないのかい? は、恥を知りなよ。お、犯すんなら、さっさとやればいいじゃないのよ。それで、こんなところから解放してよ。もう、それで手を打とうじゃないの」

 

 史春は叫んだ。

 しかし、抗議の声をあげながらも、史春の口からは止まらない嗚咽も続いていた。

 こんな男たちに犯されるというのは血も凍るような屈辱であるが、こうなってしまえば、身体が無事で終るとは思えない。

 それよりも、こんなことは早く終わらせたい。

 そう思ったのだ。

 

 自分をさらった男たちの前で浣腸というものをされ、立ったまま大便をさせられた。

 しかも、排便をしながら股間を責められ、糞尿をしながら気をやるという想像を絶する姿を強制的に晒されたのだ。

 

 そのあと、この男たちは、汚れた史春の身体を洗うという行為をしながら、布や手で思うままにさらに刺激を加えてきた。

 しかも、ただ布や手で愛撫をするだけではなく、五人がかりでおかしな油剤を史春の股間や胸、そして、排便の終わった肛門に塗りたくったのだ。

 その油剤が、女の身体を疼かせる媚薬であることは明らかだ。

 なにしろ、その油剤を塗られた場所は、すぐに信じられないくらいに、かっと熱くなり、恐ろしいほどに敏感になったからだ。その箇所を布で拭かれる行為をされると、史春はあっという間に大きな快感に襲われた。

 これ以上の醜態を見せたくはなくて、懸命に耐えようとしたが不可能だった。

 史春は立て続けに二度も達してしまった。

 

「糞を垂れながら気をやって、さすがの鉄火女も号泣してしおらしくなったかと思ったが、また悪態かい……。まったく、早く解放されたければ、手っ取り早く堕ちやがれ。こうなったら、そろそろ徹底的に全員で犯してやるか……。そうすれば、さすがに鼻っ柱も折れるだろうさ」

 

 李吉が言った。

 すると、李吉の指示を受けて、身体を拭くというよりは、布を使った愛撫を続けていた五人の男たちが色めき立った。

 しかし、鬼吉がそれを制した。

 

「それは駄目です。この史春さんには、まずは、みなさんとの性行為を哀願してもらいます……。心の底からです。さもなければ、男の珍棒は与えられないということを身体で憶えてもらうつもりですから……。奴隷女にとって男の珍棒はご褒美です。ご褒美はそん簡単に渡してはいけません」

 

 鬼吉がそう言うと、男たちが少しだけがっかりとした表情になった。

 

「……まあ、そんな顔をするもんじゃありませんよ。どうせ、お願いだから抱いてくれというのに、一刻(約一時間)もかからないよ思いますからね」

 

 鬼吉が意味ありげに付け加えた。

 

「ふ、ふざけるんじゃないわ……。なんで、あたしが……」

 

 史春は叫んだ。

 

「そうは言っても、あんたには、もうどうしようもなくなってしまっているんじゃないですか、史春さん? いままでにさんざんに塗られていた媚薬が随分とお気に入りのようですけど、それは女の肌を信じられないくらいに敏感にする効果だけじゃないんですよ……。実は、その媚薬は手っ取り早くあんたを色情狂にしてくれる薬剤でもありましてね……」

 

 いやな微笑みを浮かべた鬼吉に促されて、これまでずっと史春の裸身にたかっていた男たちが一斉に手を引いた。

 やっと、男たちの愛撫から解放されて、史春はほっと脱力した。

 

 しかし、すぐに史春は、鬼吉の言った言葉の意味がわかった。

 男たちの愛撫によるただれるような淫情の苦しみと入れ替わるようにして、まったく違う苦痛が史春を襲ったのだ。

 しかも、それはおよそ、人間が耐えられる限界を遥かに越えていると思った。

 

「か、痒い」

 

 史春は全身を激しく揺さぶって悲鳴をあげた。

 媚薬を塗られた場所が、異常なまでの熱い火照りとともに、強いむず痒さを感じるとは思っていたが、いま、初めて刺激をとめられたことで史春が愕然とした。

 刺激をとめられると、信じられないほどの痒さが襲いかかってきたのだ。

 

「ははは、その媚薬はただ塗られただけでも強烈だけど、少し刺激を受けてからの方が効くんですよ。じゃあ、あんたの我慢がどこまで続くか、みんなで見物させてもらいましょう。どうしても、我慢できなくなったら、李吉さんたちにお願いしてください。どうか、皆さんで、輪姦してくださいとね」

 

 鬼吉が言った。

 

「へえ、痒み責めかい。耳にはするが、見るのは初めてだ。この史春が本当にそんな言葉を発するか愉しみだな」

 

 李吉だ。

 

「女責めとしてはありふれた手なんですがね。効果があるからこそ、多用されて、陳腐な方法になるんですよ……。とにかく、放置されれば強烈な痒み……。刺激を受ければあっという間にいき狂い……。この女みたいな鉄火女を堕とすには、手っ取り早い媚薬というわけです」

 

 鬼吉が笑った。

 李吉を始め男たちも、鬼吉が史春に塗った媚薬は猛烈な掻痒作用があるものだと聞いて、大きな声で哄笑して、史春の痴態を囃し立てる。

 

 だが、史春はそれどころじゃないかった。

 どんなに身をよじっても防ぎようのない痒さが、放置されることでどんどんと強くなるのだ。

 それでも耐えようと思ったのは数瞬だけだった。

 発狂するかと思うような痒みが、史春の理性を吹っ飛ばした。

 

「さ、触って。お願い。掻いて───」

 

 史春は拘束された身体を激しく振り立てて叫んだ。

 

「おうおう、苦しそうだなあ、史春? だったら、俺に言うことがあるんじゃねえか? 俺を足蹴にした詫びをしてもらわないとな」

 

 李吉が全身を振り立てる史春に寄ってきて、乳首にふうと強い息をかけた。それだけのことで史春の乳首は爆発するような痒みが襲いかかり、史春はついに泣き声をあげた。

 

「お、お願いよ。こんなの我慢できない。謝る──。いままでのことは本当に謝るから、これだけは許して」

 

 史春は泣き叫んだ。

 

「わかった、わかった……。じゃあ、掻いてやるよ……。これでな?」

 

 李吉は含み笑いをするような顔をしていたかと思うと、後ろ手に持っていた道具をさっと史春の前にかざした。

 それは、一本の刷毛だった。

 史春はぎょっとした。

 

「ほら、これでいいか?」

 

 李吉が史春の勃起した乳首をすっとその刷毛で撫ぜた。

 

「はううっ」

 

 史春は全身を跳ねあげた。

 刷毛が乳首に触れた瞬間に、さざ波のような甘美感が史春の全身を貫いたのだ。しかし、それは刷毛が離れることによって、さらに強い痒みに変化した。

 

「ああ、こ、こんなのないわ。も、もっと強く刺激して。ああ、李吉、お願いよ」

 

 史春は悲鳴をあげた。

 さっきまでは、こんな卑劣な男に身体を蹂躙されて犯されるなど、身の毛もよだつような屈辱だと思っていた。

 しかし、いまは荒々しく揉まれたい。

 股間をなにかに貫かれたい。

 その思いで、史春は狂いそうだった。

 これ以上痒みを助長されたら、本当に発狂してしまう。

 

「さあ、みなさんで順番に刺激をしてやってください。少しでも反応があった場所があれば、さっきの薬剤を塗り足してください。そうすれば、そこが性感帯として定着します……。その快感を身体を覚え込んでしまって、次からは媚薬を塗らなくても、同じような快感を覚えるようになります」

 

 鬼吉が言った。

 すると、ほかの男たちも手に刷毛を持って、史春の周りに集まってきた。

 史春はそれを見ただけで、恐れおののいた。

 

 刷毛を持った六人の男に囲まれた。

 しかも、ひとりずつ順番に史春の性感帯を探すように、刷毛で全身のあちこちを刺激しようと言いだしたのだ。

 痒みに襲われている部分を放置されて始まりそうなほかの場所へのくすぐり責めに、史春は全身を振り立てて暴れた。

 だが、首の後ろから耳の後ろを撫ぜられると、史春は身をよじって、甘い声をあげてしまった。

 すぐにそこに油剤が塗られる。

 

「はぐっううっ」

 

 新たに媚薬を塗られた場所を改めて、刷毛でくすぐられた、史春は奇声を発して身体をのたうたせた。

 油剤を塗られた後で与えられる刷毛の刺激と、それ以前との刺激は桁違いだった。あまりの快美感に史春は吠えるような声をあげてしまったのだ。

 

 これはまずい。

 史春は本当に思った。

 この薬剤を使って責められると、そのまま色情狂のような身体にされてしまうかもしれない……。

 そう思うような強烈な快感だ。

 史春はこれ以上、媚薬を足されたくなくて、歯を喰いしばって無表情を装った。

 しかし、さすがに刷毛の刺激を耐えることはできなかった。

 次に刷毛は無防備な脇を襲った。

 

「あっ、はあああっ」

 

 身体の芯まで響くような愉悦に史春は背中を仰け反らせて大きな声をあげた。男たちが笑いながら脇に媚薬を足していく。

 それからも次々に史春の性感探しの責めが続いた。

 

 二の腕から肘、そして、腰の括れ……。

 内腿……。膝の裏……。

 

 棒で拘束されている足の指のあいだにも刷毛の責めが与えられた。

 ほんの少しでも反応すれば、すぐに媚薬を足される。

 いつしか、史春の身体は薬剤を塗っていない場所を探すことができなくらいに媚薬だらけになった。

 媚薬を塗られれば、そこが怖ろしく感じる性感帯に早変わりするだけではなく、猛烈な痒みもやってくる。

 

 史春はもうなにがなんだかわからなかった。

 とにかく、暴れ狂った。

 暴れながらも、わずかに残っている理性が史春の心を絶望に追い込んだ。史春は自分が情けなかった。こんな卑劣な男たちの手管にかかり、浅ましく反応し、裸身を振り乱して甲高い嬌声をあげているのだ。

 

 それがなによりもつらい……。

 こんな男たちに……。

 

「ふうう……ぐうっ……くっ……」

 

 史春は正面に立っている李吉を視線で殺さんばかりに睨んだ。

 

「どうしたんだ、そんな怖い顔をして……? この刺激が欲しいんじゃないのか?」

 

 李吉が嘲笑したような声を出して、刷毛で股間の尖りをくるくると回すように刺激した。

 

「ふくうううっ」

 

 史春はあられもない声を張りあげた。

 なにかがぐっと下腹部に込みあがった。

 どっくりとまとまった愛液が自分の股間から滴ったのがわかった。

 

「おう、どうした、史春、なにが腿に垂れてきたぞ?」

 

 李吉が史春の顎を掴んで、自分に向けて顔を強引に向けさせた。

 

「ひ、ひ、卑怯者……」

 

 史春はもうそれだけ言うのが精一杯だった。

 

「その卑怯者に犯されたくて堪らないんじゃなのか、史春? だったら、そう口にしろ。(まわ)してくれと頼むんだ」

 

 李吉が笑った。

 ほかの男たちもにやにやしながら史春の身体を取り巻いている。

 

「ああ……」

 

 史春は身体をくねらせた。

 どんな責めよりも、いまはなにもされないのがつらいのだ。

 妖しい媚薬を塗りたくられている史春の身体は、刺激がとまった瞬間に、たちまちに燃えるような焦燥感に包まれてしまう。

 

「も、もう駄目……。お願い……して」

 

 史春は言った。

 

「なにをしたいんだ、史春?」

 

 だが、李吉はどこまでの意地悪だった。

 

「し、したい……。も、もう、これ以上苛めないで……。お願い、やって……」

 

 史春は泣き出しそうな声で言った。

 いや、もしかしたら、泣いていたかもしれない。

 いまや、史春はもう自分の感情を制御することができなくなっていた。

 

「だから、なにがしたいんだ? はっきりと言うんだ」

 

「うう……、犯して……。もう、いい加減に犯して……。早く、(まわ)して……」

 

 なにかが史春にのり移ったかのようだった。

 史春の口からは、次々に性交をねだるはしたない言葉が飛び出した。

 

「わかった。してやる……。だが、犯すのは、剃毛が終わってからだ。犯して欲しければ、ほかの男たちに剃毛をしてくれとお願いしろ……。それが終われば、皆で犯してやる」

 

 李吉がそう言って離れていった。

 史春はさすがに黙った。

 そんなことを口にできるか──。

 

 だが、すぐに悲鳴をあげた。

 全身が掻痒感と焦燥感で狂う。

 史春の身体は欲情しきってしまって狂いそうなのだ。

 史春は恥辱で全身を震わせた。

 

「……み、皆さん……、お、お願いします……。あ、あたしの毛を剃って……。剃ってください……」

 

 史春はもう精根尽きていた。

 李吉に強要されるままに、屈辱的な言葉を口にした。

 男たちがどっと笑った。

 

 そして、石鹸で作った泡を陰毛に乗せられて、剃刀による作業が始まった。股間の毛を剃られる屈辱よりも、剃刀が肌を滑るあいだ、じっとしていることがなによりもつらかった。

 

 やがて、史春の股間は童女のように無毛にされた。

 陰毛そのものよりも、なにか大切な物を心から抉り取られた……。

 そんな気がした。

 

 とにかく、これでやっと痒みを癒してもらえると思った。

 それが、輪姦という手段であろうとも、いまは、この恐ろしい痒みから解放されたかった。

 

 だが、鬼吉の指示により、再び六人がかりの刷毛責めが始まったのだ。

 史春は号泣した。

 

 もう一度全身をくまなくくすぐられ終わるときには、もう史春は「犯して」としか喋っていなかった。

 しばらく、局部以外の場所を執拗に責められてから、やっと最初に薬剤を塗られた乳首や股間への責めが始まった。

 

 しかし、あくまでも刷毛による責めだ。

 もはや、それは史春が望むものとはまったく違っていた。

 史春はすすり泣き、うなされたように性交を求める言葉を口に出した。

 

 どれくらいの時間がすぎたのか……。

 それからも同じことを繰り返された。

 

 全身をくまなく刺激する刷毛責め……。

 その後、しばらく放置……。

 次は局所への刷毛責め……。

 

 また、放置……。

 これを繰り返されるのだ。

 史春は、もう性行為を求め狂って、悲鳴をあげ続けた。

 いつの間にか、喉が枯れるほどになった。

 

 やがて、部屋の中に油による照明が灯った。

 夜が訪れようとしているのだ。

 

 そのときだった……。

 

 不意に両手を吊っていた鎖ががらがらと音をたてて緩んだのだ。

 支えを失った史春は、そのままお尻を床に落とすようにしゃがみ込んだ。股を閉じることはできないので、膝を立てて脚を開いたような格好になる。

 

 李吉が史春を押し倒した。

 

「自由になった腕は、頭の横から動かすな。少しでも動けば中止するぞ」

 

 李吉が言った。

 いつの間にか、李吉は下半身の衣類を脱いでいた。

 史春の両手は、手首を束ねられたまま、鎖が緩んで動くようになっていたが、慌てて史春は手を頭の横に固定する。

 熱い李吉の怒張の先端が、史春の股間に擦りつけられた。

 

「あああっ」

 

 それだけで史春は吠えた。

 身体に期待感と欲情が荒れ狂っている。

 李吉の肉棒が史春の股間の狭間を押し広げるように突き入れられてくる。

 

「ふううう──ほおおお──はああああ──」

 

 史春は絶叫した。

 待ちに待った瞬間だった。

 突き抜けるような快感が史春を襲った。

 

 律動が始まると、あっという間に史春は絶頂した。

 脳髄から脚の指の先まで一気に快感が貫き、史春は拘束された身体を限界まで仰け反らせた。これまでに味わったことのないような絶頂感だ。

 

 もう、羞恥も慎みもない。

 圧倒的な快感……。

 それだけだ……。

 

「あああうっ、はうううっ、ああああっ──」

 

 史春は全身を震わせて吠えた。

 しかし、李吉の律動は始まったばかりだ。

 史春は昇り詰めてしまったが、まだまだ李吉の怒張は史春の股間を貫いて抽送を続けている。

 それにつれて、たったいま絶頂したばかりの身体が、さらなる昂ぶりに襲われだした。

 なおも欲情しようとしている自分の身体に史春は怖くなった。しかし、史春はどんどんとあがっていく快感をどうにもできない。

 

「はぐううっ」

 

 李吉の手が史春の乳房を荒々しく揉み出す。

 新たに加わった強烈な法悦に、史春はまた頭が真っ白になるような愉悦を味わった。

 

 史春は愕然とした。

 また、達した?

 

 続けざまに二度達した自分が信じられなかった……。

 一体全体、史春の身体はどうなってしまったのか……?

 とにかく、性交が気持ちいい……。

 いまはなにも考えられない……。

 

 口惜しさも、屈辱も、情けなさもない……。

 あるのは、圧倒的な快感……。

 それが支配している。

 李吉の怒張の律動が速くなった。

 

「り、李吉、き、気持ちいいの──」

 

 史春は泣き声とともに叫んでいた。

 三度目の絶頂に昇り詰める瞬間、史春の膣の奥で李吉の熱い迸りが子宮に叩きつけられるのをはっきりと感じた。



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15  朱武美(しゅぶび)史春(ししゅん)の救出に失敗する

「寝るな」

 

 髪の毛を掴まれて顔を起こされて引っぱたかれた。

 朦朧としてた意識が少し戻る。

 

「おい、また、気付け薬だ」

 

 史春(ししゅん)を背後から犯している男が大声で怒鳴った。

 刺激剤を染み込ませた布が史春の鼻に密着される。

 眠りかけていた史春の身体が強制的に覚醒した。

 

「ああ、もう……許して……。あんたたちの奴隷になる……。もう、なんでもします……。だ、だから、眠らせて───」

 

 史春は息も絶え絶えに言った。

 だが、史春のを背後から犯している男は、史春の心からの訴えを無視するように、さらに畳みかけるような律動を与えてきた。

 史春は心とは裏腹に、たちまちに包まれる淫情に泣き叫びながら、吠えるような嬌声をあげた。

 

 いま、史春の周りにいるのはふたりだ。

 ほかの男たちは横になって寝ている。

 いま史春を犯している男が終れば、もうひとり起きている男を責めを交替する……。

そして、終わった男が次の男を起こし、その起こされた次の当番の男が準備をする……。

 もう、三昼夜わたって延々と繰り返してい行為だ。

 

 この山小屋に連れ込まれてから三日……。

 史春はずっと犯され続けていた。

 身体の拘束は、いまは縄による後手縛りに変わっている。

 脚の拘束についても足首と足首を二尺(約六十センチ)ほどの縄で繋いだものに変化していた。

 初日に比べれば、拘束は緩くなったものの、もう史春には、自分に逃亡の体力も気力も残っていないことを自覚している。

 

 それよりも、眠りたい……。

 休みたい……。

 それだけを一心に願った。

 

 さらわれてから三日……。

 

 史春の身体は、欲情しっぱなしの激しい快感に襲われ続けている状態にあった。

 限界など遥かに通り越している。

 しかし、史春を「調教」しようと企てている男たちは、史春を連続絶頂地獄から解放しようとはしない。

 乾いては塗られ、そしてまた乾けば塗り足される媚薬は、常に史春を怖ろしくも敏感な状態に維持させた。そんな敏感になった身体を李吉たちは交替で犯し続けたのだ。

 

 朝も……。

 昼も……。

 夜も……。

 そして、また朝になっても……。

 

 史春はひたすらに犯され続けた。

 常に誰かに抱かれ、どこかを愛撫され、ひたすらに輪姦された。

 しかも、媚薬で全身の感度を極限までにあげられた状態でだ。

 どこをどう刺激されても、史春は感嘆に絶頂に達した。

 

 犯す場所は女陰だけとは限らない。

 口も……。

 肛門も……。

 胸も……。

 ありとあらゆる場所で精を受け入れさせられた。

 

 ひとりの男がたっぷりと史春の身体を堪能し尽くして満足すると、史春を責めている男が次の男に交替する。

 そして、次の男によるねちっこい責めが始まる……。

 男は精を出せば満足するといっても、さすがに六人もいれば、ひと回りするまでに、どの男もすっかりと回復している。

 だから、常に史春は精力の充実した男を相手に、鋭敏になった身体で立ち回らなければならない。

 

 しかも、史春はたったひとりだ。

 向こうは六人……。

 飽きることがないかのように、李吉(りきち)たちは史春を繰り返し犯した。

 どんなに絶頂で果てても、あるいは、疲労で眠たくなっても、睡眠は許されない。

 意識を失いそうになっても、頬を叩かれて起こされる。それでも眠ろうとすると、いまのように強い気付け薬を嗅がされて意識を覚醒される。

 

 そして、地獄のような快感漬け───。

 まさに性の地獄だった。

 史春は、もうまともな知覚などできずに、ただただ、快感に吠え狂った。

 

 食事もあったが、必ず犯されながらだ。

 誰かが胡坐をかき、その上に史春を跨らせて、鬼吉が口に入れるものを咀嚼させられるのだ。

 また、跨らされている男の硬く屹立したもので串刺しにされて食事をしながらも、ほかの男は史春の胸を揉み、肉芽を刺激した。

 身をよじれば、たちまちに絶頂しそうな快感に襲われる。

 とにかく、ほんの少しの刺激ですぐに達してしまうのだ。

 身体の前後から舌で刺激されて、それだけで昇天したこともある。

 

 糞尿は木桶で誰かに見られながらだ。

 それさえも、普通にすることは許されない。

 肉芽や乳首を揉まれながら、迸る嬌声とともに汚物を出させられた。

 

 もう、屈辱という気持ちはない。

 ただ、解放されたい……。

 横になりたい……。

 それだけを願った。

 

 絶頂感もこれだけ繰り返すと苦痛でしかない。

 疲労が先に立ち、快感なのに苦しい……。

 そういう状態が続いている。

 

 しかし、もっとも怖ろしいのは、それでも六人の男たちの全員が疲れてしまって、史春から離れるときだ。

 そのときには、鬼吉(おにきち)の責めが始まるのだ。

 鬼吉は男だが、史春を犯すということはない。

 

 その代わりに、史春に裸身を身動きできないように拘束し直して、痒み責めと放置責め、そして、刷毛責めをするのだ。

 いきたくてもいけない状態に、延々を陥らされて、男たちが元気になるのを待たされる。

 その苦痛は言語を絶するほどで、これだけいやな男たちの性交を待ち望むような気持ちになる。

 とにかく、史春はもう限界だ。

 

「許して───許して───あああっ───ひぐううう───」

 

 史春は背後から男の怒張を受け入れながら、身体を仰け反らせて吠えた。

 もう、現実なのか夢なのかわからなくなっている。

 

「もう、そこを触らないで───」

 

 史春は達しながら泣いた。

 長い性交で、どの男たちも、どこをどう刺激すれば史春が気持ちよくなるかを覚え尽くしている。

 ほんの少しも休まらない絶頂感に漬け込まれている史春は、もう心も身体も男たちに与えられる精液の中に自分が溶けていくような錯覚に陥っていた。

 

 気が狂う……。

 史春は達しながら思った。

 このままでは、本当に色情狂にされる。

 いや、もう、そうなっているのかもしれない……。

 史春は朦朧となった意識の中で、それをはっきりと自覚していた。

 

 

 *

 

 

 朱武美(しゅぶび)は獣の唸り声を聞いたのかと思った。

 馬の背に跨がったまま、朱武美は首を傾げた。

 

 馬の運動を兼ねて、ひとりで少華山の地形を確認するための見回りしている途中だった。

 遠くに見える猟師小屋から異様なうなり声が聞こえた気がしたのだ。

 朱武美は、念のために腰にさげた剣がすぐに抜ける状態であることを確認した。

 

 朱武美たち三人が、少華山の賊徒を制圧してから十日がすぎようとしていた。

 少崋山の賊徒といえば、岳竜(がくりゅう)という豪傑が支配していた悪名高い賊徒だった。

 勢力は三百人を超え、周辺の農村や旅人などを襲って暴れるとともに、要害に築いた山麓に立て籠り、官軍の討伐も再三跳ね返していたらしい。

 

 しかし、朱武美と林沖(りんちゅう)李姫(りき)が護衛隊をしていた隊商を襲って呆気なく返り討ちに合い、しかも、頭領だった岳竜は李姫の銃によりあっさりと射殺された。

 その後、朱武美たちは、華陰の城郭の郊外で、官軍の将校を三人も殺してしまい、国の手配を受ける立場になってしまった。

 

 それで、いっそのこと、頭領のいなくなった賊徒団を乗っ取ってやろうと思って三人で少崋山に乗り込んできたのだが、賊徒の砦にいたのは、頭領を失い、どうしていいのかわからなくて、途方に暮れた様子の賊徒たちだった。

 砦からは、岳竜がいなくなったことで勢力の四分の一近くはどこかに散り去っていたようだ。

 残っていたのは、その逃亡さえも意気地もなくてできないような者たちばかりであり、林沖が、これからは砦をこの三人が支配すると宣言すると、あっさりと全員が砦の支配を三人に譲り渡した。

 それについては、砦に残っていたかなりの者が林沖と朱武美のことを覚えていて、すでにその武勇と知略の恐ろしさに屈伏していたというのが大きかったかもしれない。

 

 とにかく、その日を持って少華山の賊徒は、朱武美と林沖の支配する砦ということになった。

 林沖は、すぐに官軍の糧食庫などを襲いたがったが、それは砦の賊徒たちをきっとりとした軍として訓練するとともに、軍規を徹底するまで待たせた。

 農村などを襲っても地方軍はなかなかに出撃しないが、軍の施設を襲えば、すぐに砦に大軍を差し向けて討伐にやってくるだろう。

 それにも備えなければならないし、第一、軍規も整っていないような軍では軍法などは無意味だ。

 幸いにも岳竜が蓄えていた食料も軍資金も豊かであり、すぐに行動を起こさなくても、数箇月は食べることはできそうだった。

 

 いまは、林沖と李姫が中心となって、これまで荒れくれた盗賊でしかなかった者たちを徹底的にしごき直している。

 朱武美は、そのあいだはすることもないので、こうやって新しく支配することになった少華山の隅々を偵察するということをしていた。

 それで南側の麓にやってきたのだが、三軒ほど並んだ猟師小屋から異様な声を耳にしたのだ。

 

 女の呻き声───?

 やがて、朱武美はそれが獣などではなく、女の苦しそうな声であることを悟った。

 朱武美は馬をおりた。

 そして、足音を忍ばせて物音のする小屋に近寄った。

 

「あっ」

 

 朱武美は壁の隙間から覗き見をして、思わず大声をあげそうになった。

 中には縄で拘束をされた若い女がいたのだ。

 苦しそうな声はその女の声だ。

 しかも、苦しみの声だとばかり思っていたのは、女の吠えるような嬌声だった。

 朱武美はびっくりした。

 しかし、部屋には五、六人の男がいる。女もいた。

 

 その男たちが縛ったひとり女を寄ってたかって輪姦をしているようだ。

 しかも、犯されている女はかなりの長い期間、この男たちに犯されている気配であり、女は常軌を逸した様子で、もう許してくれと哀願している。それを男たちにが頬を叩いたりして、無理矢理に起こして犯し続けているのだ。

 とにかく、朱武美は猟師小屋で繰り広げられていた光景に憤怒を覚えた。

 

 複数の男が集団で女をいたぶる……。

 それは、朱武美の価値観では耐えられないことだ。

 気がつくと、朱武美はかっと血が昇ったまま、剣を抜いて小屋に飛び込んでいた。

 

「なにをやってるのよ、あんたら───?」

 

 朱武美は絶叫した。

 半裸の男たちが呆然とした表情を朱武美に向けた。

 

「なんだ、お前?」

 

 やがて、男のひとりが言った。

 

「それは、こっちの言葉よ。これは、ここがわたしらの縄張りと知っての狼藉かしら?」

 

 朱武美は剣先を向けたまま凄んだ。

 だが、いま気がついたが、男たちの視線がおかしい……。

 男たちの顔はすでに人の顔をしていなかった。眼は血走り、口からは涎が垂れ流れ、色に狂ったような表情は、まるで性に植えた野獣を思わせた。

 なによりも、この部屋に立ち込めた臭気が凄まじい。

 男と女の精液と淫液と汗とが入り交じった悪臭は、ここにいるだけで気分が悪くなりそうだ。

 一体全体、どれくらいの時間、ここで性行為を続けているのか……。

 男たちは、もうまともに物を考える力がないのか、朱武美が剣を向けているのに、奇妙な薄ら笑いを浮かべるたけだ。

 朱武美は気味が悪くなった。

 とにかく、ちょっとこの小屋を出ようと思った。

 

「あんた、大丈夫?」

 

 朱武美は縛られている若い女の縄尻を掴んだ。

 この女からして、なんだか状態がおかしい。

 

「あ……な……?」

 

 女は随分と朦朧としているようであり、朱武美がまとわりついていた男を押し避けたとき、はじめて朱武美の存在に気がついたような表情をした。

 

「あ、い……。ああ、助けて……助けて……。お願い……助けて───」

 

 女が目を見開いて、必死の形相で叫びだした。

 

「わかってるわ。助けるわ。とにかく、外に出ましょう」

 

 朱武美は女の身体を掴んだ。

 

「危ない───」

 

 そのとき、女が突然、声をあげた。

 それは、なにかの先端をふくらはぎに押し付けられたのを感じたのと同時だった。

 なにか、耐え難い、不快な感覚が駆け巡った。

 電撃が全身に流されたと悟ったのは、いつの間にか、朱武美はその場にうずくまってからだ。

 

「よくやったな、李吉さん───」

 

 男たちのひとりが叫んで、朱武美が落とした剣を蹴って離した。

 それを合図にするように、男たちが襲いかかった。

 薄れかける視界の中で、朱武美は黒くて短い棒を持っている男に気がついた。

 その男の持っているその棒で身体に電撃を流された?

 

 道術具?

 

 朱武美は思った。

 そのあいだにも、首や背中などに、容赦のない蹴りや拳が降り注ぐ。

 滅茶苦茶に殴られて、朱武美は完全に動けなくなった。

 

「とにかく、手足を縛ってしまえ───。それにしても、これで犯す女がふたりになったぜ。わざわざ、襲われにくるとは、こいつはどこのどいつなんだろうな?」

 

 消える最後の意識で捉えたのは、誰かがそう嘲笑う声だった。

 

 

 *

 

 

「こ、これを解くのよ──。あんたら、大変なことになるわよ」

 

 朱武美は拘束された身体を揺すって叫んだ。

 しかし、両手はしっかりと縄で縛られて天井から吊られているし、両足は足首を縛られて、左右に引っ張られて大きく引っ張られている。

 とても解けそうにない……。

 そして、狂気の表情を浮かべている得体のしれない男たちが、薄ら笑いをしながら朱武美を取り囲んでいる。

 

 なんという迂闊……。

 朱武美は歯噛みした。

 

 ただの狂人の集団かと思って油断しすぎた。それに、自分自身の剣技にも過信していた。まさか、あんな電撃を発することができる道術具を持っているとは……。

 

「ああ、ああっ、はあっ、はあっ」

 

 そして、部屋の隅では、ここで拘束されて犯されていた女が、また男に背後から股間を貫かれて、あられもない声をあげている。

 改めて見ると、女の肌にはなにか油剤のようなものを塗られているようだ。

 それが女をおかしくさせているのだと思う。

 あまりにも女の感じ方は異常だ。

 おそらく間違いないと思う。

 

 そして、媚薬の影響は女だけではない……。

 この部屋全体にも及んでいる……。

 媚薬の成分がこの部屋にも充満しているのだ。

 

 一体全体、どれだけの長時間にわたって女の肌に薬剤を使い続けているか知らないが、女の肌から発散している媚薬の香りが、この部屋の風そのものに溶け込んでいる思う。

 この部屋にいる者たちが狂気の顔をしているのはそのためだと思った。

 つまり、この男たちも媚薬の香りの影響を受けて、酔ったような状態にあるのだ。

 だからこそ、常識では考えられない行動を起こしそうで怖い。

 世の中で狂人ほど怖いものはない。

 

 とにかく、この部屋にはその狂人のような男が五人……。

 捕らわれている女がひとり……。

 そして、朱武美は縛られている

 朱武美はどうやって、この危機を乗り切るべきか懸命に頭を巡らせた。

 時間さえすぎれば、林冲が朱武美を探して、こっちにやってきてくれる可能性はある。この山小屋は、砦から東に向かって麓に進めば、比較的見つけやすい場所にある。

 だが、林冲も李姫も、いまは砦の賊徒を一人前の兵にするための訓練中だ。

 朱武美が勝手に砦の外に出たのだと気がつくのにはしばらくはかかると思う。

 それ以前に、助けがここにやってくる可能性は低い……。

 

「しかし、なかなかの美人だなあ……。ねえ、李吉、こいつも調教してしまいましょうよ。犯す女がふたりの方が変化があって愉しいというものだし……」

 

 男のひとりが言った。

 犯すという言葉に、朱武美ははっとした。

 そんなことは許されない──。

 林冲以外の男に身体を許してしまえば、もう死ぬしかない。

 やっぱり、こいつらは朱武美にも手を出すつもりだと思った。

 

「わ、わたしに手を出したら、大変なことになると言っているでしょう、あんたら──。全員、殺されるわよ。死ぬのよ。ここは少華山の賊徒の縄張りなのよ──」

 

 朱武美は縄でがっしりと縛られている身体を身を揉んで絶叫した。

 

「わかってるよ、お嬢ちゃん……。だから、ここを俺たちは使っているんだ。頭領の岳竜殿と俺たちの頭は実は昵懇の仲だ。だから、この賊徒の縄張り内になるこの山小屋を使っているのさ。お前の言うとおり、ここは賊徒の縄張りだ。だから、周辺の住民もここには入ってこない。泣こうが喚こうが、この山小屋には絶対に人は来ねえ」

 

 男のひとりが朱武美の襟元にさっと刃物を当てた。

 そして、さっと刃物を下に落とした。

 

「いやああっ」

 

 朱武美は悲鳴をあげた。

 帯を切断されて、襟を内衣ごと左右に拡げられた。

 さらに、刃物を持っていた男が、胸巻きの中心に刃物をあてて切断する。

 乳房がこぼれ出た。

 

「や、やめてえ──。お、岳竜は死んだわ──。いまはわたしたちが頭領よ──。わたしに手を出せば、わたしの仲間があんたらを八つ裂きにするわよ」

 

 朱武美は叫んだ。

 

「えっ? あんたが賊徒の頭領?」

 

 男が驚いたような顔をした。

 さっき、ほかの男から李吉と呼ばれていた男だ。

 

「嘘に決まっているでしょう、李吉さん……」

 

 刃物を持っていた男が嘲笑った。

 そして、朱武美の下袴に刃物をあてる。

 腰の部分から切り込みを入れて、どんどんと切断していく。

 身に着けているものがどんどん布切れに変わり、身体から脱がされていく。

 朱武美は蒼くなった。

 

「ほ、本当よ──。わたしの名は朱武美──。北から流れてきた傭兵よ──。新しい頭領は林冲。点鋼鎌という大鎌を操る猛者で、わたしの恋人なのよ──。十日前にこの少華山の賊徒の頭領は入れ替わったのよ──」

 

 朱武美は必死で叫んだ。

 

「やまかしい女だなあ──。おい、誰か、鬼吉を隣の山小屋から起こして来い──。例の媚薬を持ってこさせるんだ。この女にも塗ってろうぜ」

 

 刃物を操る男が言った。

 大股開きで拘束されている朱武美は、小さな腰布だけなってしまっていた。

 それにしても、まだ、ほかにも仲間がいるのかと思った。

 

「鬼吉はいないぜ……。一度、天文明(てんぶんめい)さんに報告すると言って城郭に戻った……」

 

 李吉と呼ばれていた男が何気ない口調で言った。

 

「天文明? あんたら、天文明の手の者なの?」

 

 朱武美は思わず口走った。

 

 名は知っている。

 わずか十日だが、そのあいだに周辺の農村や城郭のことは調べあげられるだけ調べている。天文明というのは、州境を越えたすぐ南にある豊城の城郭の顔役ではないだろうか。

 

「て、てめえ、李吉──。その名を出すなと言われているだろう」

 

 すると男の形相が一変した。

 これまで丁寧な言葉使いをしていた李吉の襟首を掴むと、壁に叩きつけた。

 

「あっ、つい……」

 

「ついじゃねえよ──。だから、こんな素人と仕事をするのは気が進まなかったんだ。親分の言いつけだから下手に出てやっていたが、これも終わりだ──。結局のところ、これでこの三日の仕事が水の泡になったちまった。史春を殺さなければならなくなっただろうが」

 

 李吉の襟首を掴んで壁に押さえつけている男が言った。

 

「こ、殺す──? そ、そんなのは許さんぞ」

 

 李吉が驚いた様子で声をあげた。

 

「うるせい──。お前のせいだ──。お前が親分の名を口にしたからだ」

 

 男が李吉をぶん殴った。

 李吉が泣き声をあげて、その場にうずくまった。

 急に仲間割れを始めた男たちに対して、朱武美は呆気にとられていた。

 そして、これはただ女を連れ込んで輪姦しているという単純なものでもなかったということを悟った。

 

 それでやっとわかったが、この山小屋で連れ込まれて犯されているのは、史華村の若き女名主の史春だ。

 史華村についてはもちろん知っている。

 州境にまたがる少華山の周辺の農村の中で、もっとも豊かな農村だ。

 その女名主の史春は、二十歳そこそこだったと思うが、なによりも健全でしっかりとした村営で有名だ。

 死んだ父親を継いで名主になってから、まだ数箇月しか経っていないはずだが、それ以前からも老いた父親を支えて村の運営に力を尽くしいて、すでに村人の信望も厚いらしい。

 また、棒の遣い手としても有名であり、村民に武術を教えて自警団も作っている。賊徒が手を出してはならない村として認識されているようであり、乱暴者だった岳竜でさえも史華村には手は出したことはないという。

 

 小屋の隅であられもない声をあげて犯されているのは、その史春だ。

 顔を見るのは初めてだが、言われてみれば、耳にしてた風貌に合致する。

 

「仕方がねえ……。とりあえず、親分に報告だ……。この馬鹿が親分の名を出してしまって、史春に聞かれてしまったとな。おそらく、殺せという指示がくるだろう。親分は用心深いお方だしな」

 

 李吉を殴った男が言った。

 

「いぐうううっ───」

 

 そのとき、史春が絶頂の声を放った。

 史春を犯していた男も精を放ったような仕草をした。

 

「おい、いい加減にしろ──。お前、親分に報告して来い。それで、指示を仰いで来い」

 

 どうやら、刃物で朱武美の服を切り裂いた男がこの中にいる者の中で兄貴分だと思った。

 史春を犯し終わった男がその男の命令を受けて、外に出て行く。

 さっき名前の出た天文明に報告に向かうに違いない。

 たったいままで、李吉という男が指揮官格に感じたが、実際にはこの目の前で刃物を操っている男が、この場の実質的な指図をしているようだ。

 

「ま、待ってくれ──。や、約束が違うぞ──。し、史春は俺の嫁になるんだ。それをあんたらに頼んだんだ──」

 

 壁際にうずくまっていた李吉が、悲鳴のような声をあげた。

 

「うるせい──。そもそも、お前が名を出すからだろうが──。それに、本当は史春をここで殺してしまうことは想定の範囲だ……。身代わりが入り込んでいるからな──。お前は知らなかっただろうけど、ずっと俺たちは交代で城郭に戻って指示を仰いでいたんだ。思いのほか、蘭がうまく史春の身代わりをうまく勤めているので、無理に史春を堕とす必要はないとも言われているんだよ。史春が堕ちないようなら殺せとな」

 

 男が李吉の腹を蹴りあげた。

 李吉が呻き声をあげて壁に身体をぶつけた。

 

「いや、堕ちている──。史春はもう堕ちている。史春は、もう俺たちの言いなりだよ。あんたらも、わかるだろう?」

 

 李吉の口調は必死だ。

 

「いや、それにはそうは思えないな……。正気を失っているようで、しっかりと逃亡の機会をうかがっているようにも思える……。さっきも、この女が現れたとき、すぐに助けを求めたじゃねえか──? この女は、まだまだ、正気だよ」

 

「そ、そんな……」

 

「とにかく、こうなったら、お前の元婚約者は、このまま処分だ──。そのあいだ、好きなだけ抱いておけ──。それよりも、俺たちはこっちの新しい獲物を味見することにするさ」

 

 李吉が腰を蹴りあげられて、史春の方に押しやられた。

 一方で、ほかの男たちは、腰布一枚で磔状態で縛られている朱武美の周りに集まってきた。

 朱武美は、すっかりと衣類を切断されて、いまは乳房も剥き出しであり、身に着けているのは。股間だけを覆う股布一枚だけだ。

 結び目は横にあり、それを解けば、あっという間に、恥部は男たちの目に晒されることになる。

 

「あ、あんたら、本当に大変なことになるのよ──。わたしは、少華山の賊徒の頭領のひとりなのよ──。嘘じゃないわよ。や、やめなさい──」

 

 朱武美は金切声で叫んだ。

 大声をあげたのは、万が一近くに誰かがいれば、賊徒の砦にいる林冲に知らせてくれるかもしれない。

 望みは低いが……。

 

「だったら、自称、頭領さんよ……。ちょっとばかり、股ぐらを見物させてくれよ。そのあと、みんなで犯してやるけどな」

 

 男たちがげらげらと笑った。

 朱武美は覚悟を決めた。

 このまま犯されるのであれば、その前に死を選ぶしかない。

 

 舌を噛もう……。

 そう思った。

 

 舌を噛み切れば時間はかかるが死ねるだろう。それに、口から血を噴き出している女など、いくらなんでも犯さないと思う。

 朱武美はそのまま死ぬだろうが、身体を汚されなければ、林冲にはあの世で言い訳もできる……。

 

 仇は林冲が討ってくれるはずだ。

 林冲はわかってくれる……。

 

 男が、朱武美の腰から腰布を解くために、横の結び目に手を触れた。

 

 朱武美は舌を噛み切ろうと口に力を入れた……。



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16  史春(ししゅん)朱武美(しゅぶび)とともに大暴れする

 朱武美(しゅぶび)は舌を噛み切ろうを口に力を入れた。

 

「おっと。そうはさせんぞ」

 

 片手で刃物を朱武美の下着の側面に差し入れていた男に、もう一方の手でいきなり強く顎を掴まれた。

 

「うっ、ううっ」

 

 朱武美は激しく顔を横に振って男の手を顔から外そうとした。

 だが、さすがに女の力では、男の全力の手は払い除けられない。

 ますます顎を固定されて顔も動かせないように力を入れられる。

 

「どうしたんだ?」

 

 ほかの男がきょとんとしている。

 

「自死しようとしたんだ。舌を噛んでな」

 

 男が笑いながら言った。

 そして、股布の側面がほどかれた。朱武美の股間に包んでいた布がはらりと足のあいだに落ちた。

 

「ちょうどいいから、この股布を口に詰め込もうぜ」

 

 朱武美の口に、たったいままで股間を包んでいた布が押し込まれる。

 

「へへへ、死のうとしても、そうはいかねえぞ……。死ぬのは俺たちにまわされてからにしてもらうぜ、自称女頭領さんよ」

 

「そういうことだ……。じゃあ、どんなお道具を持っているのか御開帳だ」

 

 さらに、口の上から縄をかけられて、頭の後ろで結ばれる。

 自分の下着で猿轡をされるという仕打ちに、朱武美は全身の血が毛穴から噴き出すような恥辱を覚えた。

 

「ほう、なかなかいい身体じゃねえか……。ちょっと、毛は薄毛だなあ。まるで、少女の股ぐらみたいだぜ……」

 

「だが、ところどころに刃傷のようなものがたくさんあるなあ……。こんなに肌は白くてきれいだが惜しいものさ」

 

「まあ、それもいいというものだぜ……。それに、見た目よりも味の方が大切だぜ」

 

 ひとりがすっと朱武美の股間に指を伸ばした。

 

「んんん──」

 

 朱武美は必死になって開脚された下半身を振って、男の指を避けようとした。

 だが、両手は天井から縄で束ねて吊られ、両脚には足首に縄を掛けられて左右の壁から引っ張られている。

 ほとんど抵抗らしい抵抗もできない。

 男の手は朱武美の股間の亀裂に指をねじ入れてくる。

 

 いやだ。

 触られたくない……。

 しかし、暴れまわる朱武美の身体を押さえるように、背後の別の男が朱武美の両方の乳房を鷲づかみにされた。

 

「うっ、うっ、うっ……」

 

 拘束された股間をいじくられ、乳房を無造作に揉まれる。

 あまりの口惜しさに自分でもびっくりするくらいに涙がこぼれ落ちた。

 

 林冲(りんちゅう)──。

 胸の中で名を呼ぶ。

 

 ごめん……。

 

 いまは自死の手段も封じられた。

 死ぬことを許されるのは、完全に犯された後だろう。

 

「泣き出したぜ、ははは……」

 

「泣いている女を犯すというのもいいものさ。特に、こんな気の強そうな姉ちゃんはな」

 

 男たちが笑った。

 朱武美の裸身を四方から男たちが愛撫をはじめだす。

 いまは、李吉以外の五人全員が朱武美の周りに集まっている。十本の手が朱武美の局部や胸や肌を無遠慮に弄ぶ。

 屈辱で朱武美は大きな声でむせび泣いた。

 朱武美の慟哭に男たちが、さらに興に乗ったように笑いさざめいた。

 

 そのとき、涙に曇った朱武美の視線に、部屋の隅で忘れられたようになっている史春(ししゅん)李吉(りきち)の姿が入った。

 驚いたことに、ほかの男たちと突然にいさかいを起こして、史春の相手をしていろと押しつけられたようなかたちだった李吉が、史春の腕を後手に縛った縄を解こうとしているのだ。

 そして、もうほとんど緩んでいる。

 朱武美は目を見開いた。

 

「んっ、なんだ?」

 

 しまった……。

 

 朱武美の視線で、ほかの男たちも李吉の異変に気がついたようだ。

 朱武美を愛撫する手を止めて、一斉に全員が李吉と史春に振り向いた。

 

「あっ、こいつ、なにしていやがんだ──」

 

「捕まえろ───」

 

 五人の全員が李吉と史春に飛びかかった。

 

「さ、させん。史春は調教して俺の女房になる女だ──。犯させてはやったが、殺させはせんぞ」

 

 李吉が狂気のような声をあげて、向かっている男たちに両手を広げて体当たりした。

 狭い小屋だけに、男たちは李吉の身体を避けられずに、李吉に覆いかぶされるように全員が倒れた。

 そのあいだに、史春は必死の形相でもがいて腕の縄を取り払おうとしている。

 

「除け、李吉」

 

「なにをやっているのか、わかっているのか」

 

 李吉に押さえ込まれているかたちの男たちが大声で悪態をついてもがいている。

 

「う、うるさい。史春は俺の女だ。お前らに殺させるか」

 

 李吉が常軌を逸したような口調で叫んだ。

 次の瞬間、その李吉の悲鳴が小屋に響き渡った。

 李吉の身体が蹴飛ばされて、男たちの上から跳ね除けられる。

 壁に転がった李吉の喉は刃物で切り裂かれていた。

 切断された首の切り口から信じられないくらいの量の血が噴き出した。

 李吉の顔にはすでに生気はない。

 もう呼吸を止めていることは明らかだ。

 

「史春を縛りなおせ」

 

 最初に起きあがった男ふたりが史春に飛びかかった。

 しかし、すでに史春も腕の縄だけは取り払っていた。

 ただ、開脚して拘束されている足首の縄はまだだ。

 

「ぎゃあああ──」

「うぎゃああ──」

 

 史春に飛びかかった男ふたりが史春の裸体を掴んだと思ったら、そのふたりが突然に絶叫した。

 こちらからはよく男たちの背中で見えないが、史春の両手が向かってきた男たちの股ぐらに拳を下から叩き込んだように見えた。

 そのふたりが股を押さえたまま仰向けに倒れた。

 完全に白目を剥いている。

 

「こ、この女」

「なんてことしやがる──」

「ただじゃおかねえぞ──」

 

 ほかの三人が倒れた男たちの身体を跨いで、史春に掴みかかった。

 だが、史春も逆に三人に向かって体当たりした。

 体勢を崩したひとりが、ほかのふたりともつれるように倒れる。

 

「うわああわあっ」

 

 史春が奇声をあげて、倒れた男から短剣を奪おうと、床に手を伸ばす。

 短剣を持ったまま倒れている男の持つ手を掴んだ。

 

「離せ、雌豚が」

 

 ほかのふたりが飛び込んで、横から史春の腹と顔を殴った。

 史春はがっくりと膝を折ったが、両手で掴んでいる短剣の柄だけは離さない。そのために、刃物を持ったままふたりが床に倒れ込むような態勢になった。

 その刃先が、ぴんと張っていた朱武美の足首を結ぶ縄に触れた。

 短剣は、男の手から離れて、そのまま部屋の隅に転がっていく。

 

 しかし、朱武美の足を結んでいた縄に切り込みが入っている。

 しめた……。

 

「こなくそっ」

 

 朱武美は強引にその縄を引きちぎる。

 史春と絡み倒れた男は朱武美の足元だ。

 

「死ねえっ」

 

 朱武美は力の限り、自由になった足で、その男の顔面を踏みつけた。

 靴に顔の骨が割れる感触が伝わった。

 男はおかしな声をあげて動かなくなった。

 

「くそっ──。押さえつけろ。史春の身体には媚薬が効いている。身体を刺激されれば、抵抗ができなくなるはずだ」

 

 残っているふたりが、まだ残っている史春の足首を結ぶ縄を掴んで引っ張った。

 

「きゃああ」

 

 史春は床にあおむけに引き摺られる体勢になった。

 男たちが史春の胴体にふたりでのしかかった。それぞれの両手が史春の裸身を這いまわりだす。

 

「はあっ、ああっ、あっ……」

 

 史春の口から口惜しそうな嬌声が漏れ出した。

 あっという間に史春の身体から力が抜け出ているのがわかる。

 

「な、なにやってんのよ、あんたら──。いい加減にしなさい──」

 

 朱武美は自由になっている片足を精一杯伸ばした。

 うまくひとりの男の襟首に足先が入った。そのまま力を入れると男の態勢が崩れて、史春の身体から外れて横に倒れる。

 

「いてええっ──」

 

 横倒しにひっくり返った男が床に頭を打って悲鳴をあげた。

 

「こいつ、ただでおかねえぞ」

 

 しかし、大した強打ではない。すぐに起きあがってすごい形相で朱武美の顔面めがけて、拳を振りあげてきた。

 まだ、両手を吊っている縄はしっかりと両方の手首に食い込んでいる。顔に向かってくる拳なんて避けようもない。

 朱武美は歯を食いしばった

「ふぎゃああ」

 

 そのとき、絶叫が小屋に響き渡った。

 朱武美の視線も、朱武美を殴ろうとしていた男の視線もそっちに向かう。

 史春が男の股ぐらを下袴越しに掴んで、全力で左右に激しく動かしている。

 史春は必死の形相だ。

 そして、股ぐらを掴まれている男も凄まじい苦痛の表情を浮かべている。

 

 男が悶絶してひっくり返った。

 床に倒れた男の口からは泡のようなものが出ている。

 朱武美ももうひとりの男も呆気にとられたようになっていた。

 男の股から手を離した史春がさっと横に飛んだ。

 なにをしようとしたのが咄嗟にはわからなかったが、史春が床に転がっている短剣を掴もうとしているということはすぐにわかった。

 そして、ついに、史春が剣を掴んだ。

 

「う、うわあっ」

 

 ただひとり残っていた男が悲鳴をあげて小屋から逃げ出した。

 それを確認した史春が、その場に崩れ落ちるようにしゃがみ込んだ。

 

「は、早く、わたしの縄を切って。外に馬があるわ。それに狼煙(のろし)の道具がある。それをあげれば助けがすぐに来るわ」

 

 朱武美は大声をあげた。

 短剣を持った史春が激しい息をしながらゆっくりと立ちあがった。そして、朱武美の身体手首を吊った縄を短剣で切断した。

 

「あ、あたしは史春……」

 

 史春が辛うじて聞こえる声で言った。

 

「朱武美よ……。とりあえず、わたしの肩に……」

 

 朱武美は崩れかける史春の身体を肩に掴まらせた。

 

 

 *

 

 

「この度はありがとうございます、林冲殿、そして、朱武美殿。このご恩は生涯忘れません」

 

 李姫(りき)に付き添われて部屋に入ってきた史春がいきなり、床に正座をして床に頭を擦りつけるようにした。

 朱武美とともに史春を待っていた林冲が、その史春の態度に困惑した表情になった。

 

 すでに夜更けである。

 史春と朱武美が、林冲の救援隊によって、この少華山の砦に運ばれて、半日が経っている。

 

 ほとんど外傷のなかった朱武美に比べれば、史春は媚薬漬けにされたうえに、三日も不眠で犯され続けおり、その衰弱は激しかった。

 薬草に詳しい李姫を看護につけて休ませていたが、その李姫から、目を覚ました史春がどうしても林冲と朱武美に礼を告げにきたいと言ってきかないという連絡が入った。

 それで、ここでふたりで、この朱武美と林冲が生活している砦の家で待っていたのだ。

 

 この砦には、将校待遇の者が生活をする兵舎と兵待遇の者が生活をする兵舎がいくつかあるのだが、ここは岳竜(がくりゅう)が使っていた頭領用の家だ。

 いままで、ここを使っていたのは鬼次郎ひとりなのだが、ここには岳竜が囲っていた愛人の部屋などもあり、ふたりでも広さにもて余すほどだ。

 

 だが、ここはほかの建物とは少し離れた場所にあり、それが朱武美は気に入った。

 朱武美は、愛を交わすときの声が大きいと、林冲や李姫からいつもからかわれていて、ここなら心置きなく林冲との行為に夢中になることができるからだ。

 

 いずれにしても、史春は、まだ回復するには時間が少なすぎるとは思うが、身体については、少し休んだことでかなり元気になったように見える。

 しかし、史春は、若い女としては死よりもつらい凌辱を三日間受け続けたのだ。

 史春の心の傷はどんなものなんだろうか……?

 朱武美は少しそれが心配だ。

 

 それにしても、いま思い出してもぞっとする。

 あのとき史春の縄が解けずに、史春が暴れることで男たちを圧倒しなかったら朱武美はどうなっていたか……。

 自死を選んだとしても、それはこの身体が林冲以外の男に汚されてからのことだっただろう。

 史春は朱武美に対して、命の恩人だと頭をさげたが、朱武美にとっても史春は命の恩人だ。

 

 一時は朱武美も死を覚悟した状況だった。

 だが、李吉という男がほかの男と仲違いして、史春の縄を解いてしまったために事態は一変した。

 史春はほかの男を武辺で圧倒して、朱武美とともに自由を取り戻すことができた。

 

 朱武美と史春は、とりあえず、全裸のまま監禁されていた猟師小屋から逃げ出し、すぐに朱武美の馬にあった荷で緊急事態の狼煙を上げた。

 それはあらかじめ朱武美たちのあいだで取り決めをしていたものであり、その狼煙を見た林冲はすぐにやって来てくれて、素っ裸で物陰に隠れていた朱武美たちを見つけてくれたのだ。

 

 なにが起こったかを知った林冲は激怒した。

 気絶したままだった小屋の中の四人を拘束すると、ひとりだけ逃亡した男も部下に追いかけさせた。追跡したのは、林冲が直属の騎馬隊にしようと訓練をしていた連中であり、彼らはすぐに逃亡を図ったひとりも捕えてきた。

 

 一方で朱武美と史春は、林冲が準備した毛布に包まれて、迎えの馬車に乗って、この少華山の砦に連れてこられた。

 

 それが午前中のことだったが、いまは夜にはなっている。

 見たところ、史春の足取りもしっかりしているし、体力についてはかなり回復をしているように思える。

 

「とりあえず、椅子に座って、史春」

 

 朱武美は床に土下座をしている史春に声をかけた。

 史春は促されるように立ちあがって、朱武美と林冲が腰かけている椅子に向かい合う椅子に座りなおした。

 付き添いの李姫がその隣にちょこんと腰をおろす。

 

「まあ、なんだ……。虫にでも刺されたと思うことだな……」

 

 林冲が言った。

 

 朱武美は横で苦笑した。

 元来ぶっきらぼうな林冲としては精一杯の優しさなのだろうが、怖い顔をして言うものだから、まるで脅しているようにも見える……。

 いや、林冲は別段、怖い顔をしているのではなく、あれが地顔なのだ。

 しかし、ただでさえ、史春はあんな酷い目にあったうえに、成り行き上、賊徒の砦にたったひとりで連れ来られて緊張しているはずだ。

 怖い顔をした林冲の優しさなど理解しようもないだろう。

 これ以上、史春の心の負担を重くしないためにも、朱武美は口を挟んで緊張を和らげようと思った。

 だが、その史春の表情がふっと緩んだ。

 朱武美は開きかけていた口を閉じた。

 

「……そうですね。あたしも虫にでも刺されたと思うことにします……。お優しい言葉、ありがとうございます」

 

 史春が頭をさげた。

 朱武美は史春の心の強さに驚くとともに、林冲に対しても物怖じしない態度を意外に感じた。

 

「ならいい……。強がりでも口にできるのはいいことだ」

 

 林冲も微笑んだ。

 

「強がりではありません。本当に虫にでも刺されたと思っています。犯されたくらいでおかしくなるような女ではありませんから……。女ながらも史華村(しかそん)という一個の村を預かっております。こんなこともあるかもしれないということは覚悟をしてこの仕事をしております。もしものために、避妊丸も普段から口にするようにしていましたし、なんの問題もありません。犯された身体など拭けばいいこと……。そして、それは李姫殿があたしが休んでいるあいだにやってくれました。ところで、あたしを犯した虫どもはどうなったのでしょう。教えていただけませんか、頭領殿?」

 

 史春は言った。

 今度は朱武美は感心どころか感嘆してしまった。

 これは大した女傑だろう。

 そして、少しだけ心配になった。

 林冲は男であれ、女であれ、豪快な人間が好きだ。林冲が、史春のことを気に入ることは間違いない。

 

 そう言えば史春は美人だし、朱武美よりもずっと若い。それにしては胸が大きい。猟師小屋で史春の裸身を見たときには豊満な胸だと思ったし、いまも着ている服の胸回りが小さいのか、胸の谷間が強調されるように圧迫されている。

 

 なんだかむかむかしてきた。

 

「ね、ねえ、李姫、史春の服は小さいんじゃないの。ちゃんとした服はなかったの?」

 

 朱武美は李姫に文句を言った。

 

「だって、この砦には、若い女物の服はあたしのじゃなければ、朱武美のものしかないんだよ。それしかないんだから仕方ないじゃないか。あたしのじゃあ、小さすぎて史春さんには入らないよ」

 

 李姫はあっけらかんと言った。

 どうやら史春が身に着けているのは朱武美の服のようだ。それで史春の胸があんなに苦しそうだという事実に余計に苛ついた。

 

「……虫どもは残酷に処断している。あんたへの仕打ちに対する報復ではなく、朱武美に行ったことへの報復としてな。どうせ、連中の死に様は、すぐに周辺に知られることだから教えてもいいが、楽に殺してやってくれと言われても断る。あの連中は、それだけのことをやったのだ」

 

「口が裂けても、楽にしてやってくれなどとは申しませんから、ご安心ください……。ただ、あの連中の扱いついて、役人に突き出すなどと生半可な仕置きになっていないか心配だっただけです。あの連中には、城郭の有力者の息がかかっております。役人に突き出したところで、大した罪にはならないでしょう。それでは、あたしの肚が収まらないのです、頭領殿」

 

「なるほど……。それにしても、さっきから、頭領殿はやめろ、史春。林冲でいい。だったら教えてやる。連中は少華山を東におりる街道沿いに埋めている。頭だけで土の上に出した状態でな。喋れないように舌も切断させたし、顎も砕いた。ついでに目玉もくり抜かせた。もちろん、止血もしたし、身体を回復させる薬剤も十分に与えてから首から上だけを出して身体を埋めさせた。李吉という死骸も同じ目に遭わせたが、ほかの連中は生きたままそうしている。死ぬには、まだしばらくはかかるだろう。万が一にも連中を助けるものがいないように、立札もしているし、見張りもつけている。あんな三下を官軍が助けに来る気遣いもないし、連中は生まれてきたのを後悔しながら死んでいくだろう」

 

「そうですか……。少しは気が晴れました。感謝します、林冲殿」

 

 史春がまた頭をさげた。

 頭をさげると、自然に史春の豊満な胸の谷間が嫌でもこちらに見える。朱武美は林冲がその谷間に見とれていないか、ちらりと視線を横にやった。

 とりあえず、林冲は平然としていた。

 朱武美はほっとした。

 

「いずれにしても、今夜はここで泊めていただきたいと思います……。明日の朝には史華村に戻ります。今回のお礼については改めてさせていただきたい思います」

 

 頭をあげた史春がきっぱりと言った。

 朱武美はびっくりした。

 

「まだ、山を下りるのは無理よ。少なくとも明日丸一日は休養が必要よ」

 

 朱武美は言った。

 どんなに丈夫に身体ができているのか知らないが、史春はかなりの状態だった。それなのに、明日にはもう山をおりると言っている。それは無理だろう。

 

「……いえ、村が心配ですから、朱武美殿……。史華村にはあたしの偽者が入っているはずです。どうなっているか心配です。早く戻らないと」

 

 史春が言った。

 

「それなら大丈夫よ。実は差し出がましいと思ったけど、あなたの休んでいるうちに、この少華山の者がこっそりと、あなたの家人に手紙を事情を記した届けに行かせたわ。そして、その者によれば、史華村には、確かにあなたの偽者が入り込んでいたけど、いまのところ実害はないようよ。病と称して部屋に閉じこもっていただけだったようだし、家人たちも不自然だと考えていたようね。それでその手紙だったから、家人たちも合点がいって偽者を捕えたようだわ。変身の道術具も見つけたようよ。だから、安心していいと思うわ」

 

「それは重ね重ね感謝します。しかし、ならば、ましてやあたしは早く戻らねばなりません。今回の件は、李吉という男が、あたしへの未練のためにしでかしたことではありません。もっと、大きな陰謀の一部なのです。それに早急に手を打たないと……」

 

「そう……。だったら止めないわ。でも、李姫を連れて行って。すばしっこいし、脚も速いし、馬扱いも一流よ。きっと役に立つわ……。いいわね、李姫、明日、史春と一緒に山をおりて、史春を守るのよ」

 

「はあい」

 

 李姫が朱武美に無邪気そうに返事をした。

 

「でも、そんなにしてもらうわけには……」

 

 史春が困惑している。

 

「まあいいじゃないか、史春。俺たちとしても、あんたのような名高い名主に恩を売るのは意味のある。つまりは、実は思惑がある。あんたに恩を売って、それをかたちのあるもので返して欲しいのだ」

 

「かたちあるもの?」

 

 史春がいぶかしむ声をあげた。

 

「ああ、そうだ……。取引といこうじゃないか」

 

 林冲がにやりと笑った。



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17  史春(ししゅん)少華山(しょうかざん)の賊徒と交友を結ぶ

「取引き?」

 

 史春(しかそん)は微笑みを絶やさぬように努力しながら、小首を傾げた。

 助けてもらったという恩はある。

 だが、相手は少崋山という賊徒の頭領だ。

 その賊徒が、史華村の名主である史春に、取引きといえば、まっとうなものではないと予想がつく。

 ひとりの女としての史春には、彼らに背負いきれない音を受けたという思いはあるが、それは名主としての史春とは別の話だ。

 史春は、とりあえず、林冲(りんちゅう)の言葉に耳を傾けた。

 

 しかし、林冲はすぐには口を開かずに、なにかを測るように、じっと史春の顔を見つめてきた。

 史春はいすくめられたような気持ちになり、なぜか、かっと身体が熱くなる気がした。

 

「……ところで、あんた、この世の中をどう思う?」

 

 すると、頭領の林冲が不意に別のことを言った。

 いきなり、賊徒の頭領からそんな質問をされたことについてはびっくりしたが、その答えはすぐに史春の口から出てきた。

 

「理不尽と矛盾……。それに尽きます」

 

 史春は即答した。

 林冲の目が強い光を帯びた気がした。

 

「この世の中は理不尽か?」

 

 林冲の頬がわずかに綻んだ。

 笑うとすごく魅力的な顔になる。史春は思わず、その笑顔に惹き込まれそうになるのを感じて、慌ててその気持ちを振り払った。

 

「理不尽は世の中……。そして、矛盾はあたしです」

 

 史春は言った。

 どうして、そんなことを言ったのかわからない。

 いまの世のに対する憤り──。

 それを感じない日はなかったが、それは名主という史春の立場では口にできることではなく、誰にも語ったことはない。

 だが、ここは賊徒の巣だ。

 それが史春の口を軽くさせたのかもしれない。

 

「なぜ、世の中が理不尽なのだ、史春?」

 

 さらに林冲が訊ねたが、今度は史春は微笑むだけで黙っていた。

 これ以上の心の内などそう簡単に他人に覗かせるべきものでもない。

 しかし、林冲はすぐに史春の気持ちを見抜いてしまったようだ。

 うなづくと、自ら口を開いた。

 

「……なるほど、人に語らせるには、己がまずは語るべきというものだろうな。俺はこの国の北の代州のある城郭の生まれだ。母親は早く死に、人のいい商家の父親に育てられた。だが、俺は幼いころから無頼でな。商売のことは少しも覚えなかった。そんな俺のことを親父は苦々しく思っていたようだがな……」

 

 

 林冲が自嘲気味に笑って話し始めた。

 

 代州というのは、この帝国の地方州のひとつだだ。

 この国は「畿内」と呼ばれる帝都を中心とした地域と、その周辺の幾つかの地方州に分かれる。地方州は、「北州」、「奥州」、「南州」、「代州」にさらに分かれ、それぞれに皇帝から指名された州知事が、皇帝の名のもとに統治をしている。

 

 この少崋山一帯は、少華山を挟んで西側が「奥州」となり、東側は「北州」の端になる。史華村そのものは、北州側にあり、豊城(とうじょう)と呼ばれるの城郭にいる県令の行政区になる。

 史春は、知識としては知っているものの、この土地からほとんど離れたことはないから、ほかの州など遠い外国のように感じる。

 

 林冲の故郷だという「代州」は、この国の北側にあり、さらに北の北王国とこの国で故郷する異国に接していて、彼らからの略奪を防ぐための国境軍がいるような地域だ。

 

 また、「北州」は、帝都の開封府を中心とした皇帝領のある「畿内」の北にあり、畿内と並ぶ大きな経済区域だ。

 

 さらに、「奥州」は、いわゆる辺境地帯だ。

 北州のさらに東側であり、奥州の北は険しい山岳地帯になっていて、その向こうは険しい山岳があるだけだが、噂によれば、さらに北には、女しかいないという不思議な国があると言われている。

 もっとも、実際にはそこまで行って戻ってきたという者は知られておらず、実態はほとんど知られていない。

 

 「南州」は南だ。

 東で海に接していて、特に沿岸部は外国との貿易をする港が発達していて、独自の経済圏となっている。

 

 林冲が語り続ける。

 

「……俺が十三のときに、突然に親父が役人に捕えられた。そのときには、どうして捕えられたのかわからなかったが、それは後でわかった。当時、親父は高官の息のかかった新興の商家に商売の利権を譲るように強要されていたらしい。もちろん、親父は応じなかったが、それでありもしない無実の嫌疑をかけられて捕えられたのだ。無論、どんなに調べても罪の証拠などないのだが、十日後に親父が牢で病死したと知らされた」

 

「お悔やみを……」

 

 史春は小さく頭をさげる。

 林冲は首を横に振る。

 

「いや……。死骸を受け取りにいったときは、俺は憤怒で血が全身から噴き出すかと思った……。病気で死んだはずの親父の身体の下半身は、肌の色がわからないくらいに紫色に腫れていた。手の指の爪は全部なく、前歯も折られていた。親父が死んでから、俺はその新興商家と役人が結託して、いうことに従わない親父を罠に嵌めたのだと知った。俺は親父を直接捕えた役人をぶち殺して城郭を出奔した」

 

「そうですか……」

 

 史春はそれだけを言った。

 

 残念だが、この国ではよくある話なのだ。役人などに賄賂をうまく使わなければ何事も進まない。

 賄賂さえあれば、罪人でも咎めは与えられないし、賄賂がなければ無実の者も簡単に罪人にされる。

 そういう時代なのだ。

 

 史華村のことだってそうだ。

 

 史華村は豊かであり、役人に渡す賄賂を多く準備できる。

 だから、税を軽く抑えてもらっているが、定められた納税のほかに役人への賄賂を準備できない農村は、信じられない重税をさらに被せられている。

 豊かな側から多く取るのではなく、貧しい側から徹底的に搾取する。

 それは、村であろうと、人であろうと同じだ。

 高官や分限者は、賂をうまく使って税を逃れ、その分を貧しい者から奪う。

 税が払えなければ、その家や村の女を奴隷として売らせてまで支払わせる。

 それが、この国なのだ。

 

 そして、その理不尽さに憤りを感じながらも、史春は賄賂を役人に渡す。

 村の者を守るためだ。

 それは、史春の矛盾だ。

 

 だが、それをしなければ、史華村の者が苦しい目に遭うのだ。

 村人を守るために、そのような理不尽を飲み込んで、役人に媚びて、賄賂だって使いまくっている。

 

 この国の税は重い。

 それをそのまま受け入れていたら、史華村だって、あっという間に貧農に成り下がる。

 

「……流れ渡っていた俺は、朱武美を見つけ、さらに、故あって李姫を仲間にした……。だが、奥州で俺たちから金子を巻きあげたうえに、朱武美と李姫に手を出そうとした将校を殺して、少華山に逃れてその頭領になった……。それが、十日ほど前だ」

 

 史春は頷いた。

 横の朱武美と李姫も静かに林冲の語りに耳を傾けている様子だ。

 

「……頭領になってわかったのは、やはり、この国の民衆は虐げられた怨嗟の中にいるということだ。そして、ここにいる連中だって、生まれながらの賊徒だったわけじゃないし、なりたくて賊徒になっているわけじゃないということだ。重税で家財を奪われ、家族を取りあげられ、仕方なく賊徒になった者ばかりだ。それは、連中を一人前の兵として鍛えあげていく過程の中で、ひとりひとりと語り合ってわかった」

 

「はい」

 

 林冲は、史春に話しているというよりは、史春に話すという行為を通じて、いま思っている心の内を自分自身に語っているという感じだ。

 

 林冲が、朱武美たちとともに、鬼次郎といういままでの頭領を殺して、少華山の賊徒の頭領になった経緯は、李姫からも事前に聞いていた。

 林冲は、頭領になることで、改めて賊徒になっている者たちの話に耳を傾けることになり、なにか強く思うことがあったかもしれない。

 それを語っているようだ。

 

「……まあいい……。これは余計なことを語ったような気がするな……。話を戻そう。俺が今回の代償として要求するのは金品じゃない……。俺がいま言いたかったのは、この少華山の賊徒団を義賊に生まれ変わらせるつもりだということだ」

 

「義賊……ですか?」

 

「……そうだ。義賊だ。襲うのは民衆の敵である役所の施設であり、戦うのは官軍だ。ここは盗賊団の巣ではない。国に逆らうことを決意した者が戦うために集まる場所だ。そういう場所に生まれ変わる」

 

 史春は、林冲の言葉に驚いた。

 林冲が事も無げに語ったのは、この国へのれっきとした反乱だ。

 それを堂々と言ってのけた。

 史春は呆然とした。

 

 かつて、史春の周りには、この国の政治に憤りを語る者はいても、これほど明確に国と戦うことを語った男はいなかった。

 

 こんな男もいたのだ……。

 

 それは史春にとって嬉しい発見であり、心が震えるような体感だった。

 一瞬だが、史春の頭の中に、この林冲と並んで官軍と戦う自分の姿が浮かんだ。

 史春はそれを懸命に打ち消した。

 

「……ともかく、俺が要求するのは、あんたの村を自由に通過する権限だ。要求するのはそれだけだ。あんたの村にはなにもしないと誓う。ただ、役所の食糧庫などを襲撃するとき、少華山との経路を確保したいだけだ」

 

「無害通行権というわけですか?」

 

「そういうことだな」

 

 林冲は大きくうなづいた。

 要求の内容は理解できたが、それに対する史春の答えはすぐに決まった。

 

「お話はわかりました。でも、それはお受けできません」

 

 史春ははっきりと言った。

 

「う、受けられないだと?」

 

 林冲が声をあげた。

 どうやら断られるとは思っていなかった気配だ。

 

「林冲殿がどんな思いで賊徒をしようとしているかということはわかりました。あたしにも共感できるものはありますし、あなた方にあたしが助けられて、大きな恩義があることは確かです。この恩は命に代えても返すべきと思ってます」

 

「だったら……」

 

 林冲が口を挟みかけたが、史春はそれをさらに遮った。

 

「でも、それは、史春という個人の女の話であり、史華村の名主という公の立場の史春の話ではありません。史華村の名主としては、それは受け入れるわけにはいきません。賊徒団を黙って通過させたとあっては、役人ににらまれます。役人ににらまれては、これからの村の経営が成り立ちません。ご理解ください」

 

「迷惑をかけないと言っているだろう。お前のところの村は、俺たち少華山の義賊団に道一本を貸すだけだ。それをなんで断る? お前は役人の犬か? あの連中は賄賂を奪い、税を誤魔化し、それで泣いている者は大勢いる。そいつらの味方をするつもりか───?」

 

 林冲が声を荒げた。

 気分を害したという感じだ。

 しかし、どうしてもこれは譲るわけにはいかない。

 

「どういたしまして……。あの連中が腐っていることは、少華山にやってきたばかりの林冲殿よりも、日頃から彼らに付き合いのあるあたしの方がよく知っております。あんな連中こそ、身ぐるみ剥いでなにもかも取りあげるべき悪党だというのは間違いありません───」

 

「だったら道一本貸すくらいどうということはないだろう? あんたは、俺に恩を返すと言ったぞ」

 

「それは個人としてのあたしの話です───。個人としてのあたしであれば、どんなことでも致します。でも、林冲殿が要求されたのは、公の立場としてのあたしに関する内容のことです。これについては、あたしひとりの話というわけには参りません。なんと言われようとも、あたしには史華村で生活をする大勢の者の暮らしを守る義務があります。個人としてのあたしと、名主としてのあたしは別なのです」

 

「んっ、別だと?」

 

 林冲はよくわからないという顔をしている。

 史春は続けた。

 

「もしも、あたしが名主の娘という立場に産まれなければ、道を一本どころか、あの腐った役人たちの泡を吹かせるためだけに、この少華山に馳せ参じたかもしれませんが、生憎とあたしは名主の家に生まれ、この若さで名主となりました。名主としてのあたしは、まずは村全体のことを考えねばなりません。そのためには賄賂も使いますし、連中の腰巾着にもなってみせます。それが名主というものです」

 

 史春は一気にまくしたてた。

 林冲は、賊徒の頭領にしては善良そうで、心根の優しそうな男だとは思ったが、これだけ言えば、さすがに怒るだろう。

 史春はこれで怒らせても仕方がないと思った。

 しかし、村の者の生活を守ることは、名主としての史春がなによりも優先しなければならないことだ。

 役所の食糧庫を襲うということを知っていて、それを見逃したとなれば、村の立場が危うくなる。役所ににらまれれば、嫌疑を免れたとしても、次の納税のときに重い税を課せられるだろう。

 

「ならば、言い方を変えよう……。近いうちに俺たちは役所の食糧庫を襲う。俺たちが本格的に動くようになれば、官軍の討伐もあるから籠城もせねばならん。だが、いまのままでは兵糧が足りんのだ。兵糧を奪うとなれば、奥州側では人口も少なくて、役所にも大きな貯えもない。だから、北州側のこっちの役所の兵料庫を襲うことになる。そのときには黙って俺たちを通せ。逆らえば、お前を殺す」

 

 林冲の表情が変わった。

 卓を挟んで座る林冲から凄まじい殺気を感じる。

 史春の肌をびりびりと刺すその殺気に、さすがに物怖じしてしまう。

 これまでの史春の人生にこれほどの気を発することのできる男に出会ったことはない。

 それでも曲げられないものは曲げられない。

 

「ならば、殺してください。恩を受けてそれを返さないのですから、それに文句は言えません。殺されるだけの十分な理由があると思います」

 

 史春は死も覚悟した。

 ここで賊徒の脅しに屈するようでは、反吐の出るような思いで、いままで役人と付き合って名主をしていない。

 しかし、意外なことに、林冲は表情を和らげて嘆息した。

 史春はほっとした。

 

 それと同時に、林冲の仕草になぜか可愛さを感じてしまい、史春は自分自身の感情に当惑した。

 世の中にはこんな男もいるのだなと思う戸惑いだ。

 また、その瞬間、史春は林冲の要求に応じなかったことに、大きな失望を自分自身に感じてしまった。

 しかし、考えても結論は変わらない。

 それでも史春は、理性を無視して、林冲に要求に応じてあげたいという気持ちが沸き起こっていた。

 史春は自分自身が経験したことのない感情に困惑した。

 

「駄目だ。俺はやっぱり交渉事は苦手だ。お前が説得してくれ、朱武美」

 

 林冲が肩をすくめて、横の朱武美を見た。

 

「無駄よ、林冲……。ここは一度、諦めましょう。大きく迂回することになるけど、史華村を通過しないで役所の食糧庫を襲う手段を考えてあげるわ。とにかく、そういうことであれば、やっぱり馬ね。最初に奥州軍から馬を奪いましょう。それで少華山の機動力をあげられる。次に北州から食料よ」

 

 朱武美が笑いながら言った。そして、その朱武美が史春に視線を向けた。

 

「……いずれにしても、わたし自身もあなたに助けられたのは事実よ……。公の立場としてのあなたが、賊徒のわたしたちと交友を結べないのはわかったわ。しかし、それでも、個人としての史春とは交友を結びたいわ……。それでも駄目かしら? お互いの立場を抜きにして、あなたは素晴らしい女性だと思うし、尊敬できる人よ……。ちゃんと言っていなかったけど、あのときわたしを助けてくれてありがとう。そして、友達になって、史春」

 

 朱武美が片手を差し出した。

 

「それは喜んで……。でも、最初はあなたがあたしを助けるために、小屋に飛び込んでくれたのよ、朱武美殿」

 

 史春はその手をしっかりと握った。

 

「だったら、これからは、わたしたちを呼び捨てで呼んで。林冲のことも、李姫のことも……。それが今回の一件の代償として、わたしたちのあなたに対する唯一の要求よ」

 

 朱武美が史春の手を握ったまま言った。

 

「あ、ありがとう……、朱武美……。そして、よろしくお願いします……、林冲……、李姫……」

 

 史春ははにかみながら言った。

 

「こちらこそ、よろしくな」

 

 林冲が白い歯を見せた。

 思わずどきりとするような素晴らしい笑顔だった。

 史春はなぜか自分の心臓の鼓動が激しくなるのがわかった。

 

「明日、史華村に行ったら、ご馳走食べさせてくださいね、史春」

 

 李姫が無邪気な声をあげた。

 

 

 *

 

 

 史春は李姫とともに、客人用の宿舎に戻っていった。

 ふたりきりになると、林冲の顔が強張ったような顔になった。

 

「さて、じゃあ、もうひとつの一件について片づけるか」

 

 林冲が怖い顔をして言った。

 

「もう一件?」

 

 朱武美は、林冲の剣幕に恐れを感じながらも、小首を傾げた。

 

「うちのお転婆姫へのお仕置きだ。覚悟しろ、朱武美。たったひとりで砦の外をうろつくなど不用心にもほどがあるし、しかも、六人も男がいるところに、飛び込むなんて無鉄砲すぎる。あまつさえ、ほかの男に身体を弄られるなど許せん。折檻してやるから、その場で服を脱げ、朱武美。そして、寝室に行け」

 

 林冲が立ちあがり、両手を腰に当てて、朱武美を睨みつけた。

 

「えっ、えっ? お、怒っているの? だ、だって、もう謝ったじゃないの、林冲」

 

 朱武美は当惑して言った。

 

「ああ、謝ってもらった。だが、お仕置きをしないとは言っていない。ある程度片付くまで、折檻を待っていただけのことだ。すぐに折檻をすると、支障があると思ってな」

 

 林冲が、凄んだ声で言った。

 その顔を見て、朱武美は、林冲が本当に怒っているのだと悟った。

 考えてみれば、不可抗力とはいえ、ほかの男に朱武美の身体を触れさせたのだ。犯されなかったとはいえ、そうされてもおかしくはない状況だった。身体を汚されなかったのは、ただの偶然の話だ。林冲が怒るのも無理はないだろう。

 

「わ、わかったわよ……。お仕置きを受けるわ……。そんなに怒らないでよ……」

 

 朱武美は愛想笑いをした。

 だが、林冲に無言のまま強い視線で睨まれただけだ。

 大きく嘆息した。

 観念して寝室に向かおうと思った。

 

「待て、どこに行く、朱武美?」

 

 林冲が怒ったように言った。

 

「ど、どこって……。言われたとおりに、寝室に行って服を脱ごうと……」

 

 朱武美は歩きかけていた足を止めて言った。

 

「俺は服を脱いでから寝室に行けと言ったのだ。服はここで脱げ。これはお仕置きだ」

 

「えっ、ええっ?」

 

 朱武美は声をあげたが、今日の林冲は随分と腹を立てているようだ。

 仕方なく、その場で服を脱いで全裸になった。

 

「な、なんか、こんなの恥ずかしいね……」

 

 素足になり、下着一枚残さずに裸になった朱武美は、両手で胸と股間を隠しながら苦笑した。

 

「うるさい。俺以外の男に裸を見られただけでなく、身体を弄られやがって。両手を揃えて前に出せ」

 

「な、なんでそれを?」

 

 朱武美はびっくりした。

 拘束されて服をはぎ取られたことは言ったが、さすがに全身を触られたことは言わなかった。

 だが、林冲はそれを知っている。誰が教えたのか……?

 

 史春?

 あるいは、林冲が捕えた男たちに自白させた?

 朱武美は困惑した。

 

「ほら、両手を前に出せ」

 

 林冲が自分の懐から一本の革紐を取り出した。

 朱武美が両手を前に出すと、革紐で手首を括られた。

 

「来い」

 

 林冲がひとつにまとめた朱武美の手首を引っ張っていく。

 どうやら演技というわけではなく、林冲が本気で怒っているというのは間違いない。

 その怒りの本質が朱武美が見知らぬ男たちに身体を弄られたという嫉妬にあるというのは、少しは嬉しいのだが、朱武美はこんなに怒った林冲に接するのは初めてでもある。

 なんだが不安になってきた。

 

 寝台のある寝室は隣の部屋だ。

 寝台は前の頭領の岳竜が使っていたものであり、複数の女も同時に抱けるような広いものだ。

 そこに着くと、林冲が寝台にあがって胡坐をかいた。そして、朱武美にも寝台にあがるように命じてきた。

 寝台の上で、朱武美は寝台に座る林冲の胡坐の上に、うつ伏せに寝かせられた。

 

「な、なにするの、林冲……?」

 

「尻叩き十発だ。覚悟しろ、朱武美」

 

 林冲が左手で朱武美の背中を押さえ、右手で朱武美の尻たぶを擦りながら言った。

 

「じゅ、十発? あ、あなたの力でお尻を叩かれたら、お尻が壊れちゃうわ。許して、林冲──」

 

 朱武美は悲鳴をあげた。

 

「問答無用」

 

 次の瞬間、尻を叩かれて、激しい音が朱武美の尻から鳴り響いた。

 

「ひいいっ」

 

 朱武美はあまりの激痛にとにかく逃げようと思った。しかし、林冲の強い力がそれを阻む。

 

「数をかぞえんか、朱武美。さもないと、いつまでも続けるぞ」

 

 林冲がまた尻を叩いた。

 

「ひぎいっ……、二」

 

 朱武美はのけぞった。

 

「ちゃんと数をかぞえて一発分だ。一からかぞえなおせ」

 

 尻に大きな音と激痛が走る。

 

「い、一。お、お願い……。て、手加減して」

 

 朱武美は絶叫した。

 

「馬鹿を言うな。次だ」

 

 尻に激痛。

 

「二。ゆ、許して。もう勝手なことしないから。む、無茶しないからっ」

 

 ばしいいっん──。

 

 「三……。お、お願い、林冲」

 

 朱武美は泣き声をあげた。

 しかし、林冲の尻叩きが炸裂する。

 

「うぐうっ、四」

 

 朱武美は身体をのけぞらせた。

 あまりの痛さに全身の力が抜けて、すべての抵抗心が身体から抜け出ていく感じがした。

 

「五」

 

 襲ったお尻の激痛に、朱武美は身体を強張らせる。

 

「二度と、俺以外の男に身体を触らせるな。わかったか、朱武美」

 

「ろ、ろくうっ……。わ、わかったわ、林冲」

 

 朱武美は、激痛に歯を食い縛りながら、心の底から絶叫した。

 しかし同時に、容赦のない林冲の朱武美への尻叩きに、朱武美は不可思議な悦びを感じかけ始めていた。

 朱武美は大いに戸惑った。

 

 そして、お尻に林冲の平手が炸裂する。

 

「な、ななあ──」

 

 朱武美は叫んだ。

 自分の股間がじゅんと熱くなるのを感じた。



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第6話   近衛将軍の淫謀
18  呉瑶麗(ごようれい)高俅(こうきゅう)の誘いを拒絶する


 王進(おうしん)が出奔して、かれこれ二箇月ほどがすぎていた。

 軍人が理由もなく脱走するのは、それだけで重罪である。

 王進は罪人ということで、追っ手がかけられ、その行方に関する調査が続いていた。

 調査責任者は新しく近衛軍の大将に就任したばかりの高俅(こうきゅう)であり、呉瑶麗(ごようれい)も王進に親しかったということで、高俅の部下に連日にわたって取り調べも受けた。

 もっとも、それは最初の十日ばかりのことであり、やがて、訊問は五日に一度になり、十日に一度になった。

 

 訊ねられることはいつも同じであり、王進の縁者は誰であり、王進が頼るような相手は、どこかにいないかということだ。それについての呉瑶麗の答えも同じであり、「なにも知らない」という一点である。

 庇っているのではない。事実知らないのだ。

 

 呉瑶麗が帝都にやってきたのは三年前だ。

 出身の北州から流れてきて、たまたま開催していた武術競技会に参加し、女ながらも優勝して、国軍の将兵に武術を教える役目である武術師範代として取り立てられた。

 帝都どころか、この帝国にまったく身寄りのない天涯孤独の呉瑶麗をなにかと面倒を看てくれたのが、武術師範組の中でも筆頭師範だった王進だ。

 身寄りがないということでは王進も同じであり、王進は代々の武術師範の家に生まれた帝都出身だが、すでに親も親類もなく、呉瑶麗と同じように天涯孤独の身だった。

 王進とは上司と部下、あるいは、男と女という垣根を越えた友情を結んでいたと思っていた。

 

 しかし、その王進は新任の近衛軍の大将である高俅と浅からぬ因縁があり、身辺に危機を感じた王進は、高俅が近衛軍の大将に就任したその夜のうちに帝都から出奔してしまった。どこに行ったのか全く知らない。

 また、逃亡に先立って、呉瑶麗にそれを打ち明けたり、あるいは、別れを交わしたわけでもない。

 王進は、呉瑶麗になにも言わずにいなくなった。

 相談されても困ったであろうが、王進がなにひとつ呉瑶麗に告げなかったことを寂しくも思う。

 

 もちろん、王進にとっては、呉瑶麗は親しくしている部下というだけのことであろうから、国軍からの出奔という大事なことを呉瑶麗にいう道理もないのだが、呉瑶麗は相談して欲しかった。

 もしも、相談されていれば、身を投げ打ってでも、それに協力したであろうし、あるいは、王進の逃避行に同行さえしたのではないかと思った。

 

 だが、王進は呉瑶麗にはなにも言わずにいなくなり、呉瑶麗は国軍の兵に武術を教授する武術師範代の日常が続いている。

 それがすべてだ。

 

 いまごろ、どこでどうしているのだろか……。

 時折、ふと思うこともある。

 

 あれだけの武術の腕があれば、食べることには困らないだろう。

 世の中は物騒だ。

 盗賊は横行し、賊徒はあちらこちらに巣を作って世間を脅かしている。

 武術を習いたいという者は多いだろうし、用心棒の口にも事欠かないはずだ。

 

 どこかで生きてはいるのだろう。

 

 いまだに、定期的に王進の行方について、呉瑶麗への取り調べがあることからも、王進が逃げおおせているということが知れる。

 まあ、別に大罪を犯しての出奔ではないのだ。手配書のようなものは回っていないのではないか。

 そう思っている。

  

 軍の脱走など珍しい話でもなく、二箇月経っても、まだ調べが続いているのは、調査責任者の高俅が、恨みつらみからしつこく追い回しているだけのことだろう。

 これが王進以外の者だったら、軍の脱走など、形通りの調べをしてから書類を作って終わりの話だ。

 

 今朝、出仕すると、久しく行われていなかった王進の行方に関する訊問の呼び出しがかかっていた。

 すぐに武術師範組の詰所から近衛軍の将軍府に向かった。そこが今日の取り調べの場所なのだ。

 

「座れ」

 

 指示された部屋に入ると、待っていたのは意外にも高俅自身だった。

 これまでに繰り返し訊問は受けたが、大将直々の調べなど初めてだ。

 呉瑶麗はいささか緊張した。

 

 部屋の中には執事のような老人がひとりいるほかには高俅ひとりだ。

 高俅が椅子に座り、向かい合う位置に椅子が準備されていた。あいだに卓のようなものはない。やけに距離が狭く、座ると膝があたりそうなのが気になったが、仕方なく腰かけた。

 呉瑶麗が座ると老執事は出入り口の扉に向かって歩いていき、内鍵を閉めた。

 執事は、そのまま呉瑶麗の背後から見張るように位置した。

 

「王進とは親しかったのだな、呉瑶麗?」

 

 すぐに高俅が言った。

 これまでの訊問で、何百回も訊ねられた質問だ。

 ただ、高俅の表情は、にやにやと薄笑いを浮かべて嫌な感じだ。

 

「わたしには、帝都には頼る者がいなかったので、よく面倒を看ていただきました」

 

 呉瑶麗は応じた。

 

「面倒を看てもらったか……。それはどういう意味でだ? 王進とはどこまでの仲だったのだ?」

 

「はあ?」

 

 呉瑶麗はむっとした。

 しかし、慌てて取り繕う。

 

「……あっ、失礼しました……。でも、おっしゃっている意味が……」

 

 呉瑶麗は当惑して言った。

 

「男と女の仲だったかと訊ねているのだ。これまでの調べで、お前と王進がたびたび、ふたりだけで酒を飲みかわすような仲だったのはわかっておる。男と女───。しかも、王進もお前もまだ若い。実は男女の仲だったのではないか? 俺にはすぐにぴんときた。これまでの調べではなにも知らないということだが、もしも、お前と王進が男女の仲だとすれば話は変わってくる。王進は必ず、お前に連絡をしようとしてくるはずだ。なにか連絡のようなものはなかったか……?」

 

 高俅が舐めるような視線を呉瑶麗に向けてくる。

 その視線は気持ち悪かったが、質問の内容には思わず噴き出してしまった。

 

「な、なにがおかしい?」

 

 呉瑶麗が笑い出したことに、高俅は意表を突かれたようだった。

 

「こ、これは失礼をいたしました。でも、残念ながら王進殿は、わたしを女だとは思っていなかったのではないでしょうか。王進殿とのお付き合いは、武術師範と師範代という関係を越えるものではありませんでした」

 

 もっとも、呉瑶麗自身は、もしも王進に口説かれていたらどうしていただろうかと思うこともある。

 そのときは、もしかしたら、応じたのではないだろうか。

 呉瑶麗としては、別にそれを拒む明確なものがあるわけではない。

 ただ、王進は呉瑶麗を口説くということもなければ、女扱いすることもなかった。

 あの男は、本当に武術一辺倒の堅物だったのだ。

 

「なにもないというのか?」

 

「ありません。断言します」

 

 呉瑶麗はきっぱりと言った。

 

「ならば、お前には、ほかに決まった男はいるか?」

 

「えっ?」

 

 呉瑶麗はびっくりした。

 そんな相手はいないが、それが訊問になんの関係があるのか。

 すると、高俅が急に相好を崩した。

 

「……ならば、俺の愛人になれ、呉瑶麗。悪いようにはせん。一生遊んで暮らすだけのものをやろう。武術師範代の給与など兵と同じで微々たるものだろう……。それとは比べ物にはならぬほどの贅沢ができるぞ。あるいは、いまの仕事を望むのであれば、武術師範に取り立ててやる。そうすれば将校待遇だ。近衛軍の女将校でもいいぞ。栄達をさせてやる……。その代わり……わかるな……?」

 

 高俅の手がすっと呉瑶麗の下袴の腿に伸びそうになった。

 

「なにするんですか」

 

 呉瑶麗は思い切りその手を弾き飛ばした。

 気がつくと、椅子を弾き飛ばして立ちあがっていた。あまりのことに動転して、激しい動悸が止まらない。

 

「案外に初心な反応だな……。まさかとは思うが生娘か、呉瑶麗?」

 

 高俅がくすくすと笑った。

 

「は、話がそれだけなら任務に戻ります」

 

 呉瑶麗は高俅を睨みつけながら、それだけを言った。

 

「まあ、いまの話は考えておけ」

 

「考える余地もありません。わたしを馬鹿にしないでください。それ以上なにかを言えば、高俅閣下でも容赦しませんよ」

 

 呉瑶麗は言った。

 

「容赦はせんだと? 誰に物を言っておる。ちょっとばかり武術ができるといっても、お前は一介の武術師範代にすぎんのだぞ。それを近衛軍の将軍に向かって」

 

 高俅がむっとした表情になった。

 だが、呉瑶麗の腹は、あまりの怒りで煮えかえっている。

 

「な、なにが、将軍ですか。部下の女兵に言い寄るのが将軍のすることですか。う、訴えますよ」

 

 呉瑶麗は叫んだ。

 しかし、高俅はせせら笑った。

 

「どこに訴えるのだ? 誰に喋ってもいいが、俺が美貌の女師範代に言い寄ったというそれだけのこと……。誰も相手にはせんぞ」

 

 かっとなった。

 この場で高俅をこっぴどくやっつけてやろうという衝動が起きたが耐えた。

 そんなことをすれば、呉瑶麗の破滅であることは間違いない。

 

「に、任務に戻ります」

 

 呉瑶麗は言った。

 老執事が前を遮るように扉の前に立っていたが、それを強引に押しのけてから鍵を開けて部屋の外に出た。

 

 

 *

 

 

「とんでもないお転婆ですな、旦那様」

 

 陸謙(りくけん)は苦笑して言った。

 主人である高俅が、どうしても抱きたい女がいるというので面倒を看ることしたが、あれは、今後なにをどうしても、高俅になびくとは思えない。

 身寄りのない女だというから、高俅に囲われて贅沢をする暮らしというのは悪い話ではないと思ったのだが、武術家としての誇りもあるし、腕に覚えもあるのだろう。男の世話になって生きるような女ではないようだ。

 

「だが、どうしても、俺は呉瑶麗を抱きてえんだ……。恋焦がれている。あの美貌、あの気性、あの鍛えられた身体。なにをとっても一流の女だ。どんな高級娼婦でもかなわぬ魅力が呉瑶麗にある。陸謙、なんとかしろ。俺は呉瑶麗を抱きたい」

 

「そんなことを申しながら、また、飽きたら捨てるのですよね……。しかし、あの呉瑶麗は普通の女とは違います。強引な手段でものにしたとしても、そのあとが恐ろしいですよ。なにしろ、武術の達人です。王進が失踪したいま、もしかしたら、男女を越えて帝都で一番強いかもしれませんよ」

 

「それをなんとかしろと言っているのだ、陸謙──」

 

 高俅が言った。

 

「まあ、わかりましたが……」

 

 陸謙は溜息をついた。

 

 

 *

 

 

 訊問の最中に高俅に言い寄られたその日は、一日憤怒が収まらなかったが、翌日になると、それは不安に変わった。

 

 相手は近衛軍の大将だ。

 なにをしても許される立場だ。女武術師範代の首などどうにでもできるだろう。

 あの高俅の愛人になるなど考えられないが、断ったことで無理難題の任務を与えるのではないか……。あるいは、部署替えなどの嫌がらせがあるのではないか……。

 そんな心配をした。

 

 だが、翌日も、その翌日もなにもなかった。

 近衛軍の大将と一介の武術師範代とでは接触する機会があるわけでもなく、呉瑶麗はあの事件を忘れることにした。

 今日一日も軍営では何事もなく、いつもと同じ訓練が終わった。

 女である呉瑶麗は、国軍の兵の中でも女兵に教授をすることが多かった。女兵は男兵よりも力が弱いので、輜重隊や従兵などの直接は戦闘をしない役職の者が多い。あるいは、戦闘部隊であっても、武術の力は必要のない銃という武器を扱う銃士隊などだ。

 

 従って、武術訓練などおざなりなもので、熱心でない者が多い。

 そういう女兵に、呉瑶麗は体術を訓練させた。

 呉瑶麗は武器を遣う武術だけではなく、体術もできる。力の弱い女兵は戦場で武器を失って敗れれば、多くの場合は敵に凌辱される。その場合、体術ができれば、少しは抵抗ができる。身体を犯されなくても済むかもしれない。

 

 そうやって一日が終わり、呉瑶麗は住まいにしている長屋の近くにある酒場に向かった。

 その酒場で夕食をとるのだ。

 

 王進が帝都にいたころは、そこでよく王進とも酒を飲んだこともあったが、王進が失踪してから、呉瑶麗はいつもひとりで食事をしていた。飲むのはいつも麦酒であり、この日の食事は冷肉と野菜汁、さらに飯を頼んだ。少し量が多めだが体術を一日やれば腹も減る。

 

 呉瑶麗がいつものように、ひとりで食事をしていると、不意に卓に影が差した。ふたりの男だ。ひと目でやくざ者だとわかる。旅の男たちのようだ。

 

「武術師範代の呉瑶麗さんかい?」

 

 ひとりが言った。

 

「あんたたちは?」

 

 呉瑶麗は用心深く言った。

 念のために腰にさげた武器を確認する。

 帝都の城郭で剣をさげて歩くのも物騒だから、呉瑶麗は外出のときには、いつも剣の代わりの短剣を腰にさげていた。それはしっかりとある。

 

「呉瑶麗さんだよねえ……? 聞いていた人相と同じだから、間違いないと思うが、うっかりと人違いするわけにはいかないものでね」

 

「じゃあ、人違いよ……。わたしはあんたらを知らないわ」

 

 呉瑶麗は手で追い払う仕草をした。

 

「王進という名を知っているかい?」

 

 ひとりが声を潜めて言った。

 呉瑶麗はびっくりした。

 

「王進ですって?」

 

 呉瑶麗は顔をあげた。改めてふたりの顔を見たが、やはり知っている顔ではない。

 

「呉瑶麗さんだね?」

 

「そ、そうよ」

 

 呉瑶麗が答えると男ふたりが呉瑶麗の座る卓の席に座った。男たちは、女中を呼んでふたり分の食事と三人分の麦酒を注文した。

 

「あんたの麦酒はもう空のようだ。次の一杯は驕らせてもらうよ」

 

 男が言った。

 

「あんたらは誰よ?」

 

「申し訳ないが名乗るわけにはいかない……。俺たちは伝言を持ってきただけだ。礼金をもらってな。ついでに、あんたに驕った麦酒の代金も俺たちが出すわけじゃない。あんたは酒が好きだから、驕ってやってくれと言われて金をもらったんだ」

 

「だ、誰によ?」

 

「王進という人だ」

 

 男がささやいた。

 呉瑶麗は気が動転して、一瞬言葉を失った。

 王進の伝言を持って来た?

 一体全体、どういうことなのか……?

 呉瑶麗の頭はめまぐるしく動いたがわからない。

 そのとき、女中が三人分の麦酒を運んできた。男のひとりがそれを受け取っり、そのうちの一杯を呉瑶麗の前に押しやった。

 

「どういうことよ……? 早く、話して」

 

 呉瑶麗は声を荒げた。

 

「そんなに声をあげるな。なんでもない風を装ってくれ……。ほら、麦酒でも飲んで……。どこに耳があるかわかりゃしないんだ……」

 

 男の言葉で呉瑶麗のは自分が興奮しすぎていることを悟った。気を落ち着けるために麦酒を飲む。

 大きく息を吐いた。

 

 王進の伝言……?

 いったい、なにを……?

 それよりも、王進は本当に生きているのか……?

 元気なのか……?

 

「そ、それで、彼の伝言とはなに?」

 

「まあ、急くなって……。もう少し、麦酒を飲みな」

 

 男が笑った。

 

「麦酒なんてどうでもいいのよ。早く言いなさい」

 

 呉瑶麗は男を睨んだ。

 

「おお、怖いねえ……。でも、それも王進に頼まれたことでね。あんたに別れも告げずに帝都を去った。その詫びとして、麦酒を一杯驕ってやってくれと言われたんだよ」

 

「わ、詫びが、たった麦酒一杯ですって? 今度会うことがあったらとっちめてやるわ。わたしがどれだけ心配したことか……」

 

 呉瑶麗は怒鳴りあげようと思ったがやめた。

 それよりも、麦酒の杯を掴むと、一気に全部飲み干した。

 男たちが呆気にとられている。

 

「さあ、飲んだわ……。話してもらうわよ」

 

「驚いたな……。全部、一気に飲みやがったぜ」

 

 男が笑い出した。

 

「なにがおかしいのよ」

 

「全部、飲んだことさ。これが笑わなくてなんだというんだ。どうやって、飲ませようかと苦労して考えていたのによう……」

 

「はあ?」

 

 呉瑶麗は声をあげた。

 そのとき、身体になにか違和感を覚えた。

 なんだかおかしい……。

 全身の力が抜ける……。

 

「ほら、もう酔ったろう?」

 

 男のひとりが肩を掴んだ。

 

「は、離して」

 

 手を払おうとしたが、不意に酒場の光景が歪んだ。身体が倒れかかっている。卓を掴んで支えようとしたが、その手が滑り、卓の上の杯が床に落ちた。

 なにかがおかしい。

 

「酔っぱらったようだな。じゃあ、おいしくいただくとするか……」

 

「ああ、こんなおいしい仕事は生涯ねえかもな……。こんな美女を犯したうえに、大金がもらえるなんてな」

 

 ひっくり返りかえる呉瑶麗の身体を抱く態勢の男たちがそう言った。

 そして、抱きかかえる男の手のひとつが呉瑶麗の胸の膨らみをぐいと掴んだ。

 かっと血が頭に昇ったが、なぜか身体が動かない。

 しかも、だんだんと視界が暗くなる。

 男の臭い息が呉瑶麗の顔のすぐ近くに迫った。

 

 こんなはずはない……。

 呉瑶麗の最後の記憶は、卑猥な表情で呉瑶麗を見下ろしているふたりの男の顔だった……。

 

 

 *

 

 

 激しい頭痛に襲われた。

 なにが起こったのかわからなかった。

 

 ようやく、自分が酒場の地下倉庫の床に転がっていたのだと悟ったのは、視界がやっと薄暗さに慣れてからだった。

 まだ、力の戻らない半身を起して、呉瑶麗は乱れた自分の着衣に気がついて驚愕した。上半身は左右にはだけて肌も露わになっているし、下袴(かこ)は片足だけ膝に絡まっているだけで、ほとんど下着だけの姿である。

 

 犯されたのか? 

 とっさに股間に手をやってみたが、そんな感じではなさそうだ。

 慌てて服を整えながら、だんだんと復活してくる視界に血が拡がっている床が映った。

 

 呉瑶麗は思わず悲鳴をあげた。

 拡がった血の先に、さっきまで一緒いたふたりの男の死体が転がっている。王進の伝言を持ってきたのだと言って呉瑶麗の近寄ってきた男たちだ。

 ふたりとも喉を一掻きで斬られている。

 血のついた自分の短剣は、呉瑶麗のすぐ横に置いてあった。

 呆然と死体を眺めながら、呉瑶麗は混乱した頭で思い出そうとしたが、なにもわからない。

 おそらく、麦酒に薬を盛られたのは間違いないだろう。あのとき、女中が運んできた麦酒を呉瑶麗の前に押しやったのは、そばで死んでいる男のひとりだ。

 薬を入れられるとしたら、そのときしかない。

 

 だが、それからどうなったのか……?

 彼らに酒場の地下室に連れてこられ、犯されそうになって、半ば無意識のうちに、自分が殺したのか?

 ふたりの喉の見事な斬り口から類推すると、自分がやったのかとも考えられる。

 しかし、気を失う前に、呉瑶麗は完全に全身が弛緩した状態にあった。その自分が一刀のもとに、ふたりもの男を殺せるのか?

 

 わからない……。

 とにかく、逃げなければ……。

 

 呉瑶麗が思ったのはそれだけだ。

 

 なにかに嵌められた?

 

 そんな気もした。どういう嵌められ方かわからないが、間違いなく嵌められている。

 

 逃げる。

 まず、それだけ考えた。

 

 全身の力は、まだ元には戻っていない。

 逃げきれるのか?

 呉瑶麗は、短剣を掴んでよろめきながら立ちあがった。

 

 地下倉庫の出口に人が降りてきたことがわかったのはその時だった。

 酒場の女中が、階段を降りてきたところだった。

 それから、その女中があげるけたたましい叫び声が耳に届いた。

 

 女中が見たのは、地下倉庫に拡がる血の海とふたつの男の死骸。

 そして、血の付いた剣を持って立っている呉瑶麗だったろう。

 

「ち、違うの」

 

 呉瑶麗は、叫び続ける女中の口を押さえようとした。

 しかし、短剣をまだ持ったままだった。

 その女中は悲鳴をあげて上に逃げていった。

 

 呉瑶麗は混乱した……。

 どうしていいかわからなかった。

 

 この状態では弁明などありえない。

 犯されそうになったと主張すれば、許されるのかもしれないという気もした。

 だが、嵌められたとすれば弁明などあり得ない……。

 

 逃げるしかない……。

 それしかなかった。

 嵌められたとすれば誰が嵌めたのか……?

 思いついたのは、あの高俅の顔だった。

 

 階段の上が騒がしくなりはじめ、呉瑶麗は上りかけた階段の途中で、上から降りてくる武装した兵士たちと出くわした。

 

 対応が早すぎる──。

 

 呉瑶麗はそう思ったが、気がつくと十数名の武装兵に短剣を取り上げられて、両腕を抑えつけられていた。

 身体の痺れのようなものが残っていて、呉瑶麗はまったく抵抗もできなかった。

 

「国軍の武術師範代だ。手練れだぞ。女だからと言って油断するな」

 

 誰かが叫んだ。

 すぐに、両手首に革紐が巻きつけられた。

 

「軍営に連行しろ」

 

 そして、指揮官が怒鳴った。



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19  呉瑶麗(ごようれい)、女囚となり高俅(こうきゅう)に犯される

 呉瑶麗(ごようれい)は、軍営の女性牢で朝を迎えた。

 

 朝といっても軍営の牢は、男性房、女性房のいずれも軍営の地下にあり、陽の光が見えるわけではない。

 通路に並んでいるそれぞの独房に朝食を配る気配がしたので、そう思っただけだ。

 食事を配るのは女兵の牢番だった。

 硬い麦包を冷たい野菜汁に浸して口にしながら、呉瑶麗は、夕べ起きたことについて考え続けた。

 

 剣も服もすべての持ち物を取りあげられ、いまは女囚用の服に着替えさせられている。女囚服は、袖のない膝までの丈の貫頭衣であり、下着のたぐいはない。まったくの素肌にその女囚服一枚だけを身に着けさせられていた。

 

 自分は嵌められたのだろうか……?

 繰り返し思うのはそればかりだ。

 どう考えてもおかしい。

 

 人を殺したという感触はない。

 第一、呉瑶麗は酒に入れられた薬で昏睡状態されてしまったのだ。

 その状態でふたりもの男を殺せるわけがない。

 

 それに夕べは、気が動転していたから思いつかなかったが、呉瑶麗が身に着けていたのは教練でも使用している白い格闘服だった。

 その服は手元にはないが、それにはまったく返り血がついていなかった。

 呉瑶麗も盗賊を殺した経験があるからわかる。

 返り血がつかないように首の動脈を切断するのは難しい。

 

 だから、呉瑶麗以外の者が呉瑶麗の短剣を遣って殺し、それを呉瑶麗の手元に置いたのだと思う。

 だが、そうであるとすれば、やはり、罠に嵌められたということだ。

 しかし、嵌められたなどという言い訳が通用するだろうか……?

 それよりは、犯されそうになったから、剣を遣ったと主張した方がいい気もする……。

 めまぐるしく考えたが、まだ冷静になりきることができなくて、頭がうまくまとめられない。

 

 やがて、調べのために呉瑶麗を連行するための兵が四人やってきた。

 ふたりが武器を構え、もうふたりが呉瑶麗に拘束具を装着し始めた。

 呉瑶麗の腕なら、この四人くらいの兵は簡単に倒して武器も奪える。

 一瞬だけそれを考えないわけではなかったが、ここは数万に達する国軍が駐留する軍営の中心だ。この四人を倒したところで脱走は不可能だ。

 呉瑶麗は思い留まった。

 

 兵たちは、呉瑶麗の腕を背中側にまわして両腕が水平になるように曲げさせ、その状態で動かないように革手錠を手首と肘の下に嵌めた。また肩幅ほどの長さの鎖で繋がった革の足枷も両足首に装着した。

 

 牢を出される。

 驚いたことに、地下牢の上層にある訊問部屋のある場所を素通りして建物の外に出された。

 素足だったので地面を踏む感触をしっかりと感じる。

 

 軍営の中庭にあたる場所に一台の檻車が待っていた。

 囚人などを輸送する馬車であり、頑丈な壁で囲まれた鉄格子のある小さな窓があるだけの檻車だ。

 呉瑶麗は、檻車の前でさらに目隠しをされ、両脇を抱えられながら檻車にひとりで乗せられた。

 

 どこに連れて行かれるのか、まったくわからなかった。

 それほど長い時間は移動せず、すぐに檻車は停車して、再び両脇を抱えられておろされた。

 しばらく、目隠しをしたまま歩かされた。呉瑶麗の両脇にはふたりの兵が腕を抱えたままだし、おそらく前後を兵が歩いている。

 

 すぐに、どこかの建物に入ったと思う。やがて、再びどこかの地下におりると思われる階段を進まされた。

 部屋に入った気配がした。

 すると、急に立ち止まらされて、不意に金属の首輪が呉瑶麗の首にかけられる。

 両脇をずっと抱えていた兵が呉瑶麗から離れ、やっと目隠しが外された。

 

 呉瑶麗が立たされていたのは、壁際にびっしりと拷問具が並んでいる殺風景な一室だった。

 取調べのための部屋というよりは拷問室だ。

 正面は一段高くなっている壇になっていて、そこに、あの高俅(こうきゅう)が五人ほどの取り巻きを背にして椅子に座っていた。

 また、壇の下側の端に小さな机があった。そこに老人が座っている。

 呉瑶麗が思ったのは、なぜ、高俅がここにいるのだという疑念だ。

 

「呉瑶麗、女ながらも国軍の中で随一の剣技と称されるお前だ。なにも殺すことはなかったのではないか?」

 

 高俅がにやにやと卑猥な笑みを浮かべて立ちあがり近づいてきた。しかも、自分の顔を呉瑶麗の顔に触れんばかりに近づけてくる。呉瑶麗は思わず鎖を鳴らして後ずさった。

 しかし、呉瑶麗の首に装着された首輪は、天井から吊られた鎖が繋がっていてほとんど移動できない。しかも、両手は背中に曲げて拘束されているし、脚には足枷もある。

 近づく高俅の顔を手で押し避けることもできない。それをいいことに、高俅は異常なほど呉瑶麗の顔に自分の顔を近づけてくる。

 

「ま、待ってください。ど、どうして、近衛軍大将の高俅閣下がここにおられるのです? わ、わたしは取り調べのために連行されたのではないのですか?」

 

 呉瑶麗は懸命に高俅の顔をよけながら声をあげた。

 

「そのとおりだ……。ただ、武術師範組は、近衛軍大将である俺の管轄でもあるからな。特別に近衛軍がお前の訊問を担任することになった……。それにしても、こうやって改めて近くで見ても確かに美形だ。高級娼婦にもない凛とした美しさがあるな。お前に気を寄せる男が多いのは承知しているが、なにも酒場で言い寄られたくらいで、斬り殺すことはないだろう」

 

 高俅がそう言いながら、呉瑶麗の顔に口づけをするかのように近寄らせた。腕が拘束されていなければ、相手が近衛軍の大将であろうと、容赦なく拳を顔面に叩き込んだだろう。

 しかし、いまの呉瑶麗にはそれはできない。

 首を横に向けて高俅の顔を避けた。

 

 それにしても、なんで近衛軍が犯罪の取り調べを……?

 呉瑶麗は混乱した。

 

 それとともに、もしかしたら、このすべてが高俅の罠なのではないかと思ってきた。

 先日、愛人になれという言葉を厳しい言葉で跳ね除けたために、こんな罠に呉瑶麗を嵌めたのではないか……?

 女の近衛師範代ひとりを手籠めにするために、こんなことをするだろうかと思ったが、高俅の評判からすればありえないことはない。そうであるとすれば、これはやはり罠だということになる。

 

「わ、わたしは殺していません」

 

 呉瑶麗は叫んだ。

 すると高俅が愉快そうに笑って呉瑶麗から離れていった。

 とりあえず、この嫌な男が向こうに行ってくれたことにほっとした。

 

「お前の短剣に死んだ男たちの血糊がついていた。動かぬ証拠だ」

 

 壇上の椅子に座り直した高俅が笑った。

 

「わたしが身に着けていた服を調べてもらえばわかります。それには返り血がないはずです」

 

「服?」

 

 高俅が怪訝な表情になった。

 

「そ、そうです。わたしが殺してれば、服に返り血がつくはず。それにもかかわらず、わたしの服にはそれがありませんでした。わたしはそれを覚えています。それを調べてください」

 

「なるほど。言いたいのはそれか───。陸謙(りくけん)、持って来い」

 

 高俅がくすくすと笑いながら声をかけた。

 

「これのことですかな?」

 

 そのとき、壇の下側の小さな卓についていた老人が言葉を発した。呉瑶麗は、そのとき初めて、その老人が数日前に高俅に近衛軍府で言い寄られたとき、一緒にいた執事のような男だと気がついた。

 その老人は陸謙という名のようだ。

 

 陸謙の横には棚があり、そこに大きな盆のようなものがある。その盆を高俅の横に持っていった。

 盆の上には、呉瑶麗の短剣と服が載っているのが見えた。いずれも、夕べ軍営の地下牢に入れられる前に、取りあげられたものだ。

 

「これが証拠の短剣だ。しっかりと血がついているな……」

 

 高俅が盆から短剣を取って鞘から抜いた。確かに血糊がついている。高俅は短剣を盆に置き直して、次いで、呉瑶麗の上衣を手に取った。

 

「あっ──。そ、そんな馬鹿な──」

 

 呉瑶麗は思わず大声をあげた。

 その上衣にはべっとりと血がついていたのだ。

 だが、間違いなくそんなものは、この女囚服に着替えさせられるときにはなかった。

 

「そ、それは後からつけられたものです。だ、第一、そんなに服に血がついていたら、わたしの身体にも血の匂いがするはずです」

 

 思わず叫んでいた。

 

「そんなものはひと晩すれば消えてしまうだろう……。くくく、どうせ言い訳するなら、もっとましな言い訳をするのだな……。いや、ならば、調べてみるか……。おい、服を切り取ってみよ。肌に血の匂いがするかどうか嗅いでみるのだ」

 

 高俅が笑った。

 今度は高俅の両隣の男たちが笑みを浮かべながら呉瑶麗に近づいてきた。ふたりとも後ろの棚から取った鋏を持っている。

 冷たい汗が背にどっと流れた。

 

「いやっ。やめてっ」

 

 呉瑶麗は身をよじって悲鳴をあげた。

 しかし、両手両足を革枷で拘束されているうえに、天井から吊られた鎖と繋がった首輪までされているのだ。

 呉瑶麗の身に着けていた女囚服は、あっという間にただの布片になって足元に落ちていった。

 

「くっ……」

 

 呉瑶麗は必死になって身体を横に向けるとともに片脚を股間で隠すように引き寄せて、素肌を高俅の視線から隠そうとした。

 だが、両脇のふたりの男が後手に拘束されている呉瑶麗の二の腕をとり、高俅の座る正面を呉瑶麗に向かせる。

 

「思った以上に綺麗な肌だな。普段鍛えているだけあって、乳房も垂れることなく上を向いておるのだな。それにしてもいい身体だ」

 

「こ、こんなことあんまりよ──。わたしはこれでも武術師範代です──。こ、こんな辱めは……」

 

 呉瑶麗は怒りのままに高俅に叫んだが、あまりの羞恥と屈辱に続く言葉が出てこなかった。そんな呉瑶麗の様子に高俅が哄笑した。

 

「呉瑶麗、こんなことなら数日前に俺の愛人になることを承知しておけばよかったろう? いまさら愛人にしてくれと言われても断るがな」

 

 高俅が大きな声で笑った。

 その言葉で、やっぱりこの高俅に嵌められたのだと呉瑶麗は確信した。

 なんのつもりか知らないが、高俅は呉瑶麗を殺人犯に仕立てあげるつもりのようだ。

 おそらく、夕べのふたりの男も高俅が仕込んだものに違いない。

 だったら、呉瑶麗が殺人を犯したという証拠をちゃんと揃えているだろう。そんなものがなくても、高俅ほどのものがその気になれば、いくらでも無実の者を罪人にでっちあげられる。

 

「おい、それで、どうだ? 呉瑶麗の肌には血の匂いがするか?」

 

 高俅が壇の上から怒鳴った。

 

「そうですな。薄っすらと血の匂いがします」

 

「確かに、確かに……」

 

 両側のふたりの男が呉瑶麗の乳房に鼻を接触させんばかりに近づけて言った。血の匂いなどしない。

 だが、いつの間にか小さな卓に戻った陸謙が、それを記録に留めている。いまの言葉も証拠として採用されてしまうに違いない。

 

「……だ、だったら……。わたしは手籠めにされそうになったのです」

 

 呉瑶麗はつぶやくように言った。

 いずれにしても、こうなったら、男たちを殺さなかったと主張するのは不可能だ。

 剣と服という動かぬ証拠がある。

 襲われそうになったから仕方なく剣を遣った……。

 そう主張するしかない……。

 呉瑶麗は懸命に頭を巡らせた。

 

「証拠があるのか?」

 

 高俅がにやつきながら言った。

 

「証拠?」

 

「犯されたと主張するなら、それを調べて見るしかあるまいなあ」

 

「し、調べるですって……? ど、どうやって?」

 

 高俅の言葉に、思わず呉瑶麗はそう返した。

 

「決まっているであろう。犯されたのなら、お前の秘所に男の精が身体に残っているはずだ。それを調べるのさ。仕方がないから、俺たちが直々に調べてやる。ここにいる者も全員で検査をするぜ。それで男の精が残っていたと全員が主張すれば無罪にしてやる」

 

「ば、馬鹿な……」

 

 呉瑶麗は頭から血の気が引くのがわかった。

 

「馬鹿と言ったな……。陸謙、それも記録につけておけ。近衛軍大将に向かって悪態をついたとな」

 

 高俅が言った。

 その高俅の物言いがいつの間にか、かなり粗野なものになっている。おそらく、こっちが地なのだろう。

 

「犯されていません。犯されそうになっただけです。だから、男の精など」

 

 呉瑶麗は叫んだ。

 しかし、もう高俅は返事をしなかった。呉瑶麗を無視して、呉瑶麗の横にいるふたりの男たちに合図をする。

 すると、両側の男たちが天井の滑車に繋がった別の鎖を引っ張ってきて、呉瑶麗が必死になって股間を隠している片足の足首の枷に繋げた。

 そして、その足枷から反対の脚の足首の枷に繋がっていた鎖を外すと、呉瑶麗が立っている地面のそばにある金具に装着する。

 

 つまり、呉瑶麗は片脚を地面の金具に固定されるとともに、反対の脚は天井から垂れる鎖につなぎ直されたのだ。天井からの鎖は滑車を通じて部屋の端に垂れさがっている。

 その鎖に先端は人の高さで宙に浮いていたが、男たちがその鎖の先端に子供の頭ほどの鉄球をぶら下げた。

 

「あっ──。こ、こんなの……。くうっ──、な、なんのつもりよ……」

 

 鉄球の重さが滑車を通じて呉瑶麗の片脚に繋がれた鎖に加わった。

 強い力で片脚が頭上に引っ張られる。

 呉瑶麗は歯を食い縛って脚に力を入れた。

 

「もちろん、お前の股を大きく開かせるんだ。お前の股ぐらがさらけ出されたら、検査を開始するぞ」

 

 高俅が笑った。

 呉瑶麗は必死になって脚を上に引っ張る力に耐えた。

 素っ裸で拘束された状態で股を開いてしまったら、次にどうされるかなどわかりきっている。

 しかし、太股が、ひきつったように震える。必死に力を入れて太股を密着させているために、片脚に恐ろしい苦痛も襲ってきた。

 

「し、調べるなら医師を……。せ、せめて女兵を呼んでください……」

 

 呉瑶麗は苦痛に耐えながら叫んだ。

 

「ここは近衛軍だ。取り調べをするような軍ではないから、そんな医師はおらん。女兵はおらんことはないが、俺たちがいるから必要ない。全員で確認する。遠慮なく股を開けよ」

 

 高俅がせせら笑った。

 

「わ、わかりました……。罪を……罪を認めます……。もう、首を刎ねてください……」

 

 呉瑶麗は食い縛る口で言った。

 もう限界だ。

 これ以上は鉄球の引っ張る力に抵抗できない。

 生き恥を晒すくらいなら、処刑されようと思った。

 

「おうおう、わかった。陸謙、いまの呉瑶麗の言葉は記録しておけよ。だが、まずは秘所の検査が終わってからだ」

 

 高俅が笑いながら言った。

 

「う、うう……」

 

 呉瑶麗は呻いた。

 徐々に呉瑶麗の片脚は宙に浮びあがってきた。

 それでも、呉瑶麗は力の限り耐えた。

 

「なかなか、頑張るなあ……。さすがは武術師範代だな。そこまで耐えたのは、お前が初めてだぞ。おい、重りを増やせ」

 

 高俅が男たちに言った。

 呉瑶麗は抗議の言葉を叫んだ。

 だが、容赦なく二個目の重りがすでにかかっている重りの下に繋げられた。

 

「ああっ」

 

 呉瑶麗は泣き叫んだ。

 ついに、呉瑶麗の脚は大きく引きあげられて、足首が頭よりも高い部分まで浮きあがってしまった。

 

「ああ、こんなのあんまりよ───」

 

 呉瑶麗は吠えるように泣き声をあげた。

 

「どれどれ、じゃあ、さっそく調べるか」

 

 高俅をはじめ、残りの取り巻きたちが壇をおりてきた。

 大きく股を開いて、閉じる手段のない呉瑶麗の股に無造作に手を伸ばす。

 呉瑶麗の秘所は両側から襞を掴んで拡げられた。

 さらに燭台が近づけられて、秘部が照らされる。

 呉瑶麗は恥辱に震えた。

 

「おお、これは?」

 

 高俅が声をあげた。

 

「呉瑶麗、お前はやっぱり生娘だったのか」

 

 高俅が嬉しそうな声をあげた。

 呉瑶麗はただただ泣き叫んだ。

 

 

 *

 

 

「呉瑶麗、お前はやっぱり生娘だったのか」

 

 高俅は、呉瑶麗の股間を覗き込みながら言った。

 しかし、呉瑶麗は泣きじゃくるだけで返事をしなかった。

 一方で、いまだに滑車を通じて重りを繋げられた片脚をなんとかさげようともがいていた。

 そんな抵抗心も高俅の嗜虐心を昂ぶらせる。

 

「生娘だということは、酒場の男たちには犯されてはいないということだな。ますます、嫌疑は深まったぜ、呉瑶麗。つまりは、男たちに襲われたというお前の主張は偽りということだ」

 

 高俅は大きな声で笑った。

 だが、実際のところ、そんな証拠集めはどうでもいいのだ。

 呉瑶麗を襲おうとさせた与太者を殺させたのは陸謙だと思うが、その殺人の罪により呉瑶麗は死罪と決まっている。

 犯すだけ犯したら罪人として首を斬らせる。

 生かしていくと復讐される恐れがあるからだ。だが、死んでしまえば高俅に恨みを返すことはできない。

 

「お、お前を訴えてやるわ、高俅。わ、わたしに手を出したら、裁判のときでも、処刑台にあがったときでも、最後の最後までお前の悪事を叫びながら死んでやるわよ」

 

 呉瑶麗が強い視線で涙に濡れた顔を高俅に向けた。

 その殺気のこもった視線に、高俅は思わずたじろいだ。

 だが、すぐに、こんな素っ裸で、しかも、片脚吊りで股ぐらを曝け出したような女に怖れを感じたことに怒りが湧いた。

 

「まあ、やってみるんだな。お前の気力がどこまで続くか、見ものというものだ」

 

 高俅はせせら笑った。

 そして、五人の取り巻きのうち、ふたりに乳房を愛撫するように命じ、ひとりには前から股を、もうひとりに後ろから腰を責めるように指示した。残りのひとりは吊られている足を少し下げさせて、足の裏から指のあいだまで徹底的に舌でなめるように命じる。

 五人がそれぞれの持ち場に配置して呉瑶麗の身体を責め始めると、呉瑶麗は悲鳴をあげた。

 

「ひ、卑怯者──。け、けだもの──。あ、ああっ……」

 

 左右の乳房をふたりの男からそれぞれに揉まれ、股間を前後から指で愛撫を受け、さらに足の指を舐められるという責めを受け始めると、さすがに呉瑶麗も身体を狂ったように悶えさせだした。

 

「訴えることなどできないくらいに徹底的に辱めてやるぞ、呉瑶麗。それでも、どこかに訴えたいと思えば訴えるがいい」

 

 高俅は哄笑した。

 そして、陸謙に指示して、椅子を五人責めに悶える呉瑶麗の前に持ってこさせると、よがりまくる呉瑶麗を座って見物する態勢になった。

 足の指に加えて、乳房と下肢を四人もの男に揉まれたり、撫ぜられたり、くすぐられている呉瑶麗は、食いしばった歯のあいだから、色っぽい声をあげ、しきりに身体をくねらせ続ける。

 呉瑶麗の裸身は、あっという間に桃色に染まり、身悶えは一層激しくなった。

 

「呉瑶麗、生娘のお前の花唇が膨らんできたぞ。それに股から物欲そうな涎も垂れだしたな……。案外、お前には被虐の性があるようだ」

 

 高俅は身を乗り出して、呉瑶麗の股間からにじみ出てきた愛液を指ですくうと、呉瑶麗の頬になすりつけた。

 呉瑶麗は引きつったような声で泣きじゃくりだした。

 

「よ、よくも……こ、こんなことを……。し、死んでも……死んでも忘れないわ……。たとえ死んでも絶対に恨みを晴らしにくるわ……」

 

 それでも呉瑶麗は泣き声をあげつつ、高俅を睨みつけてきた。

 

「おう、愉しみにしているぞ。そのときは、化けて出てきたお前を徹底的にまた犯してやろう」

 

 高俅は笑った。

 そして、股間を責めていた男に鳥の羽根の刷毛を持ってくるように命じると、責めの場所を交代した。

 次に、大股開きのために筋肉が引きつったようになっている呉瑶麗の内腿あたりから股間の付け根に向かって、刷毛でくすぐりあがってやった。

 

「はあっ──ああっ──くうう──」

 

 呉瑶麗の身悶えが一層激しくなる。

 どうやら、こういうくすぐるような責めに呉瑶麗は弱いようだ。

 呉瑶麗が進退窮まったように暴れ始めるとともに、真っ赤に染まった裸身が小刻みに震えだした。高俅の操る刷毛が呉瑶麗のすっかりと膨らんでいる肉芽に触れたのだ。

 

「く、口惜しい」

 

 呉瑶麗はひと声大きく吠えるように叫んだ。

 そして、身体を弓なりにしてがくがくと全身を震わせた。

 

「ついに気をやりやがったか。じゃあ、そろそろ、引導を渡してやろう」

 

 高俅は、呉瑶麗をなぶっていた刷毛を下に置くと、下袴を緩めて怒張を露出させた。

 

「閣下、私はこれで退出します。一応は調書に必要なものは揃いましたので、整理をしてからご確認していただきたいと思います」

 

 陸謙が呉瑶麗を犯そうとしている高俅に背中から声をかけてきた。

 この男は、高俅の望みに応えて、どんな奸計も巡らすくせに、女を連れてこさせたときには、絶対に実際の凌辱に参加しない。

 望めば、いくらでも相伴させてやるのだが、なぜか手を出そうとしないのだ。

 

「わかった……。この後、呉瑶麗を屋敷に連れていく。夜になったら、屋敷に持って来い」

 

 高俅は、呉瑶麗の片脚を吊っていた重りを外させた。男たちに命じて、呉瑶麗に股を開いて宙に浮いているような体勢をさせる。怒張の先端を呉瑶麗の秘孔に突きたてた。

 呉瑶麗が怯えきった表情で暴れ出した。

 だが、五人の男で抱えているので、呉瑶麗の身体はほとんど動かない。

 

「い、いやあ──。入れないで──。いやああっ」

 

「今更、なにを言っている。先日犯した年端もいかないような少女でも、お前よりは諦めがよかったぜ」

 

 高俅は笑った。

 この前、近衛軍府で高俅に向かって悪態をついた呉瑶麗が、怯えきった様子で悲鳴をあげるのが愉しくて仕方がなかった。

 

「呉瑶麗を連れて屋敷ですと? それはどういうことですか。呉瑶麗は、殺人の嫌疑をかけられた囚人ですぞ。裁判が終わるまで軍営から出せません。近衛軍府に連れてきただけで特別の措置であって……」

 

 背後で陸謙がたしなめるような声をあげた。

 

「う、うるさい──。呉瑶麗の拘留は半月だ。その期間、屋敷で飼う──。そう手配しろ。半月、なぶりつくしたら、裁判にかけて処刑してしまえ」

 

 高俅は陸謙の言葉を遮って怒鳴った。

 陸謙の不満そうな嘆息があったが、高俅は無視した。

 陸謙が部屋を出ていく気配がした。

 

「さて、いくぞ、呉瑶麗」

 

 男たちにさらに強く呉瑶麗の身体を押さえさせる。

 高俅の怒張が呉瑶麗の膣にめり込むたびに、呉瑶麗は悲鳴とともに狂ったように身体を痙攣するように動かした。

 

「くうっ」

 

 高俅は顔をしかめた。

 呉瑶麗の膣は生娘だけあって窮屈だった。

 それだけでなく、股が高俅の一物を拒むようにはじき出そうとする。高俅は力任せに押し破った。

 

「あふううっ」

 

 呉瑶麗が激しく首を振り、呉瑶麗に嵌めさせた首輪に繋がってる鎖がじゃらじゃらと音を立てた。

 

「も、もう……入れないで……。い、痛い……。お、お願い……」

 

 呉瑶麗の弱々しい声がした。

 気の強い呉瑶麗のか細い哀訴の声は、それだけで高俅の嗜虐心を満足させた。

 高俅はさらに怒張を呉瑶麗の中に突き入れた。

 一物の先端が呉瑶麗の子宮の入り口に当たった感触がした。

 呉瑶麗が大きな呻き声をあげて、全身をのけぞらせる。

 

「呉瑶麗、わかるか……? おまえの性器に俺の肉棒が突き刺さっているのだぞ。お前の初めての男が俺というわけだ……。気分はどうだ?」

 

「うぐう……。う、恨んでやる……。お前を許さないわ……。絶対に恨みを晴らしてやる……。た、たとえ、死んでも……」

 

 呉瑶麗が悲痛な表情で叫んだ。

 

「愉しみしているぞ。今日からしばらく俺の屋敷で飼ってやるからな。その後は処刑台だ。恨みなど晴らす暇はないと思うぞ」

 

 高俅はうそぶいた。

 それにしても、こういう状態にされて、まだ抵抗心を失っていない呉瑶麗に高俅は驚いた。

 これまで近衛軍大将の権力を利用してかなりの女を凌辱したが、裸にして拘束してしまえば泣きじゃくって哀願こそすれ、敵意を向けてきた女はいなかった。

 ましてや、犯されてしまえば、大抵は諦めのようなものが女たちから観察できたものだ。

 脅迫の材料を揃えて、いたぶった女の菜かには、高俅に犯されて死を選んだ女もいた。

 だが、呉瑶麗は、自殺するどころか、犯されてなお、敵愾心を高俅にぶつけてくる。

 さすがは、女ながらも国軍の武術師範代だけある。

 

 しかし、その呉瑶麗も、これから半月も凌辱生活を送れば、すっかりと牙を抜かれて大人しくなるだろう。

 そのときが愉しみだ。

 そして、そうなってしまえば、高俅の興味も別に移るだろうから、この女が処刑されても別にいい。

 いずれにしても、現時点では高俅は、この気丈な女を哀れに犯しまくるのが愉しくて仕方がなかった。

 

「いくぞ。その膣に俺の精をぶちいれてやる。赤ん坊ができても、その子供が産まれる頃には、お前は間違いなくこの世にはおらんから安心しろ」

 

 高俅は凄まじい呉瑶麗の膣肉の締め付けに耐えて律動を開始した。

 

「いっ、がっ……」

 

 呉瑶麗が首をのけぞらせた。

 そして、断末魔のような声を発しだした。

 高俅は呉瑶麗の狭い膣を怒張で押し広げるように腰を振り、こねくり、深く、浅くと交互に突き入れる。

 

「ひがああっ」

 

 男たちに身体を抱えられている呉瑶麗が吠えるような悲鳴をあげた。

 高俅は、呉瑶麗を荒々しく犯しながら、だんだんと呉瑶麗の反応に変化が起き始めたのに気がついた。

 犯されているはずの呉瑶麗の身体が反応し始めたのだ。

 

 もしかしたら、呉瑶麗は本当の強い被虐の癖があるのではないだろうか……?

 そう思った。

 

 こうやって惨めに犯されているというのに、呉瑶麗の身体はますます熱くなり、よがり声のようなものも大きくなる。怒張で突いている膣の中はますます潤いが強くなるし、明らかに呉瑶麗からは感じている女の反応が垣間見れる。

 さすがに、生娘の最初の交合で、犯されて達するということはないだろうが、あるいは、調教して呉瑶麗の身体に潜んでいる淫らな性癖を表に出させてしまえば、この気の強い女は惨めに犯されることで激しい快感を覚える雌犬に変わってしまうのではないだろうか……?

 そんな予感がした。

 

「いやあっ──。も、もうやめて──」

 

 呉瑶麗が号泣した。

 まあいい……。

 愉しみはまだまだある……。

 高俅は次第に悩ましさと美しさを増してくる呉瑶麗につられて、一気に快感を上昇させた。

 

「出すぞ、出すぞ──」

「いやあっ──出さないで──」

 

 呉瑶麗の泣き声を愉しみながら、高俅は腰を突き立てて呉瑶麗の膣奥に精を放った。

 

「あああっ──」

 

 高俅の精が注ぎ込まれたのがわかったのか、呉瑶麗が叫んでこれまでで一番に激しい痙攣をした。

 

「じゃあ、お前ら順番に犯していいぞ……。ひと回りしたら、俺の屋敷に移動するからな。そして、続きだ……」

 

 高俅は精を放った一物を呉瑶麗の女陰から抜いた。

 放ったばかりの高俅の精が呉瑶麗の膣から押し出されるように出てくるとともに、生娘だった証である赤い滲みがそこに混ざっていた。

 

 

 *

 

 

 これが何日目になるのか、呉瑶麗にはわからなかった。

 近衛軍府の地下で、取り調べという名の凌辱を受けて、高俅をはじめとする六人の男に繰り返し犯されたのは、どのくらい前の話だったのか……?

 もう、思い出すこともできない……。

 

 最初の凌辱のあと、呉瑶麗は素っ裸のまま拘束され、檻車ではなく高俅の馬車に乗せられて、高俅自身の屋敷に移された。

 そこでさらに凌辱された。

 最初の夜の凌辱は深夜まで続き、鎖で両手を天井から吊られて、水も与えられずに朝まで放置された。

 

 次の日は、高俅が男娼四人つれてきた。高官らしい男も一緒だった。

 

「呉瑶麗、お前は惨めに犯されれば犯されるほど感じる女だ。武術師範代のお前が犯されてよがり狂うのを俺だけで見るのは惜しくてな。今日は見物人を連れてきた……。そして、こいつらは性技に長けた男娼たちだ。昨日まで生娘だったお前でも、あっという間に昇天させてくれはずだ」

 

 高俅がそう言ったのを覚えている。犯されて感じる女という蔑みの言葉に、呉瑶麗は血が沸騰するかと思うくらいに怒りを感じたからだ。

 そして、天井から吊っていた鎖が緩められて身体を床に倒され、高俅をはじめとする何人かの高官が見物する前で、四人の男娼のに襲い掛かられた。

 呉瑶麗は悲鳴をあげたと思う。

 男娼たちからの責めが始まった。

 高俅をはじめ高官たちは、呉瑶麗が男娼になぶられる光景を囲んで酒宴を始めた。

 

 最初の数刻は、犯されるのではなく、ただひたすらに身体のあちこちを愛撫される時間が続いた。

 男娼たちは執拗だった。

 呉瑶麗をすぐに犯すことなく、ひたすらに呉瑶麗を快感で喘がせることに専念していた。

 呉瑶麗は湧き起こされる快感の凄まじさにひたすら泣き叫んだ。

 そして、哀願した。

 犯されることよりも、みじめによがる姿を高俅たちに笑いながら見物されることが耐えられなかった。

 

 呉瑶麗は、初めて快感で気をやり、そして、それを何度も繰り返した。

 四人の男娼が膣を犯し始めるときには、犯されながら快感を覚えている自分を発見して戦慄した。

 それが何刻続いたのかは覚えていない。

 気がつくと、呉瑶麗の周りに男がいなくなり、再び鎖で両手を吊りあげられて放置されていただけだ。

 少しだけ水を与えられたと思うが、それは喉の渇きをさらにひどくする程度でしかなかった。

 

 翌日も凌辱は続いた。

 朝になれば、また高俅とともに四人の男娼がやってきて、呉瑶麗を交代で犯し続けた。

 それは高俅がいなくなっても続き、夜になると終わった。

 それが何日も繰り返された。

 

 三日目の夜からは、両手を拘束した手枷に繋がら鎖は天井から吊りあげることなく、床に横になることを許された。

 水と食事も与えられた。

 呉瑶麗は床に置かれている食べ物と水をむさぼるように口に入れた。

 

 四日目、五日目と同じことが繰り返された。

 糞尿も犯されながらやった。

 呉瑶麗はひたすらに犯され続けた。

 

 おそらく、六日目くらいにやっと、責めるのが男娼から高俅に変わったと思う。

 その直前に見知らぬ女たちがやってきて、呉瑶麗の身体をきれいに水で洗ってくれた気がする。

 そして、高俅に犯された。

 

 そのときの呉瑶麗の拘束は最初は、両手を後手に縄で縛られただけの緩いものだった。呉瑶麗はとっさに、高俅の喉笛に噛みつこうとした。

 もしも、そのときに、いつもの高俅の取り巻きがいなかったら、呉瑶麗の歯は高俅の喉に届いていたと思うが、残念ながらほかの男たちに取り押さえられてしまった。

 

 呉瑶麗は改めて猿轡をされるとともに、縄を胡坐縛りに拘束された。

 その状態で犯された。

 呉瑶麗にとってつらかったのは、その高俅の責めに途方もなく快感を覚えた自分の身体だった。

 高俅との情事は数刻続いたと思う。最後には呉瑶麗が完全に気絶することで、その日の責めが終わったのだ。

 

 それ以降は、毎日のように犯されるということはなくなり、高俅が気が向いたときだけ、檻のような場所から出されて高俅に犯されるということが続いた。

 

 犯すのは高俅とは限らなかった。

 

 高俅の取り巻きたちのこともあるし、高俅が連れてきた客人の場合もある。

 いつも呉瑶麗の身体の手入れをしてくれている女たちから張形で責められるということもあった。

 どんな相手に責められても、呉瑶麗は激しくよがり狂った。

 

 共通するのは、誰にどんな責めをされるときでも、高俅がそばにいたということだ。高俅が目の前にいない状態で責められたのは、最初の数日で奴隷男たちの凌辱を受けていたときだけだと思う。

 檻で休むようになってからは、高俅は自分の眼の前以外では呉瑶麗を犯させなかった。

 

 そんな日々が続いている。

 

 そして、いま、呉瑶麗は、あることに気がつかないではいられなかった。

 いまは、犯される日よりも、犯されない日の方がつらいのだ。

 

 身体が欲情を求めて疼く……。

 

 自分の身体がすっかりと淫らに作り替えられたのだということをそれで悟った。

 呉瑶麗はそれが悲しかった。

 

 この日も、いつものように檻から連れ出された。

 檻から出る前に、呉瑶麗の足首には鎖の繋がった足枷が嵌められ、両手も後手に革枷の手錠が嵌められる。そして、猿轡だ。

 

 それが高俅に犯されるときの態勢だから、今日の相手は高俅自身なのだと思った。

 高俅は、最初の頃に喉に噛みつかれそうになって以来、自分が犯すときだけは厳重な拘束を呉瑶麗に施している。

 

 呉瑶麗の世話をする女たちに、いつも呉瑶麗を犯す部屋に連れて行かれて、寝台に鎖で首輪を繋げられた。

 やはり、やってきたのは高俅自身だった。

 拘束された身体に高俅の舌が這い始めると、呉瑶麗はあっという間に嬌声をあげていた。

 そして、長い時間をかけて呉瑶麗は高俅に犯された。

 

 すっかり満足した高俅が呉瑶麗から離れていったときには、呉瑶麗は完全に脱力して寝台に横になっていた。

 そのとき、ふと部屋の外から激しく言い争う男たちの声が聞こえてきた。

 ふと見ると、部屋の外に通じる扉がかすかに開いている。

 そこから声が漏れ出ているのだ。

 声のひとりは高俅であり、もうひとりは、すぐに高俅の執事の陸謙だとわかった。

 陸謙の声を耳にするのは、最初に近衛軍府で犯されて以来だと思う。

 

「これ以上、引き延ばせません……。それよりも、呉瑶麗に同情する声が大きくなりすぎております……。裁きも終わっておらぬ女囚を私的な理由で屋敷に連れ込んで凌辱し続けるなど、それを糾弾する声が無視できないようになっているのです……」

 

「馬鹿をいうな……。あんなにおいしい女はおらんぞ。それをなんとかするのがお前の役目だろう……。俺は一年でも、二年でも、呉瑶麗の身体を愉しみたいと思っている……」

 

 ふたりは、呉瑶麗がこうやって聞き耳を立てているのにもかかわらず、言い争いを続けている。

 もしかしたら、高俅も陸謙も呉瑶麗が気を失っていると思って油断しているのかもしれない。

 

「そんなことはできません。とにかく、今日には、もう一度軍営に戻します。それにしましても、これは高俅様のせいでもありますぞ。あれほど、呉瑶麗を屋敷に移したことを内密にして欲しいとお願いしたのに、あんなにも大勢の高官に女囚を犯させたりすればいやでも噂が広まってしまいます。呉瑶麗のことは、すでに陛下の耳にも入っているという話もあります。一刻の猶予もならない状況なのです……」

 

「陛下が……?」

 

「いずれにしましても、最初の思惑とは異なりました。呉瑶麗ひとりのことはどうでもいいのですが、陛下の耳に入るほどの素行ともなりますと、政敵の利用するところともなります。これは高俅様ひとりの話に留まりませんぞ……。高俅様を推挙した高簾(こうれん)道師長の立場も危うくするでしょう。呉瑶麗は、すぐに軍営に戻します。ともかく、これからはあまりもの露骨に法を無視する非行はお慎みください」

 

 強くたしなめる口調で陸謙が言った。

 

「なに? 兄者にも迷惑が? それはいかん。わかった。お前に任せる。兄者の立場に影響を与えるとなれば一大事だ。呉瑶麗は軍営に戻していい。もう、さっさと、裁きを終わらせて処刑してしまえ」

 

 高俅の焦ったような声が聞こえた。

 

「承知しました。とにかく、この陸謙にお任せください……」

 

 陸謙が言った。

 

 呉瑶麗はその会話をぼんやりと聞いていた。

 

 処刑……。

 やっと、この境遇から解放されて、殺してもらえるのだ……。

 

 死……。

 

 それはいまの呉瑶麗にとって怖ろしいことではなかった。

 むしろ、地獄のような日々から逃げられる安らぎの響きだった。

 

 その日のうちに、呉瑶麗の身柄は、再び、軍営の牢に移された。

 最初の日に拘禁された軍営の牢ではなかった。

 さらに最下層の独房だ。

 おそらく、裁きの行われる日まで、ここですごすことになるのだろう。裁きで死罪となれば、その日のうちに帝都の広場で首を括られて殺されるはずだ。

 

 光のない独房で、呉瑶麗は与えられたむしろに身体を横たえ、すべての疲れを癒したくて、心からの眠りについた。



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第7話   少華山と女名主
20  少華山(しょうかざん)の賊徒、豊城(ほうじょう)にて大暴れする


豊城(ほうじょう)の管理する穀物庫は、どこも税として奪われた穀物でいっぱいだそうよ。一方で、今年は凶作だったから例年通りの税を徴収された近傍の村は飢えの恐怖に怯えているわ。穀物を奪うけれどもすべてを奪いきらない。苦しんでいる民衆に一部を奪わせるのよ……。事態は混乱して官軍は対応に惑うわ。そして、少華山の兵糧は潤うし、義賊としての名声はあがる。ついでに、周辺の民衆の飢えの恐怖も和らぐ……。名付けて、“一石四鳥作戦”よ」

 

 朱武美(しゅぶび)は少華山の砦にある執務室で地図を広げて、林冲(りんちゅう)李姫(りき)に策を説明した。

 

「ついでに、やっと暴れられることで俺の鬱憤も発散できる。一石五鳥だな。先日、奥州軍の軍牧から軍馬を根こそぎ奪ったときは、連中は戦わずして逃げやがったからな。今度こそちゃんと抵抗して欲しいものだ」

 

 林冲が腕組みをしながらうそぶいた。

 朱武美は微笑んだ。

 

 朱武美の描いた地図には、少華山と豊城の城郭、そして、近傍の農村の位置に主要な道路、そして、豊城市の行政府が管理する二十の穀物庫が描かれていた。

 

 秋の収穫が終わり、税として徴収したものを帝都に送るために保管するための倉庫群であるが、そのうちの半分は地方のものとなり、上から下まで賄賂と高官が私腹を肥やすために使われる。

 そのうちの十箇所に朱武美の印がついている。明日と明後日で、少華山の賊徒が連続で襲撃することになる場所だ。少華山に近いものから始まり、二日で十箇所を襲撃しながら転戦して少華山に戻る。

 そういう作戦だ。

 

 穀物庫の最大のものの四個は豊城の城郭内にあるが、それには印はない。

 城郭を襲撃する勢力は少華山にはないし、あくまでも、これはいずれ行われるであろう少華山に対する官軍の攻撃に際して、籠城に必要な兵糧を得るための行動だ。

 全部の穀物を奪わなくてもいいし、難しい場所を襲撃する必要はない。

 義賊としての名声を得るのも、そのために奪った穀物をばらまくのも、今回の策のついでのようなものだ。だから、無理をする意味はまったくない。

 

「林冲はわたしと一緒に穀物庫を襲撃する隊の指揮よ。林冲には、鍛えた騎馬隊を指揮してもらうわ」

 

「わかった」

 

 林冲が首の赤い布を巻き直しながらうなずいた。

 林冲は上から下まで黒い具足を身に着けている。林冲に限らず、林冲が“黒騎兵”と名づけた騎馬隊はすべて黒一色の軍装に統一している。

 いまのこの少華山の勢力は、五百というところだ。

 五百人の勢力のうち、もっとも屈強な五十人を林冲は騎兵として育てあげていた。

 その騎兵に与えているのが黒一色の具足だ。史華村の史春からひそかに贈られたものであり、黒色の具足は少華山の中でも精鋭であることの証であり、賊徒たちのあこがれとなっている。

 

 ただの賊徒にすぎなかった男たちをこうやって、「軍」として鍛えあげたのは林冲の力だろう。朱武美から見ても、いまや少華山の賊徒は、一人前の軍として通用する状態になっている。

 賊徒たちをここまで鍛えあげるとともに、「軍規」を引き締めるために、林冲は二十人を追い出し、十人近い者の首を斬っている。

 軍規を破って近傍の農村などで乱暴を働いた者を斬首、または、追放したのだ。

 そういう行為は、近傍の農村が少華山の評判を見直すきっかけになっているようだ。

 

 その結果、少華山の賊徒は、一箇月余りで、当初の倍の勢力に拡大した。

 つまり、少華山の賊徒については、岳竜が死んでそれなりの数の賊徒が逃げて行ったが、朱武美たちが頭領になることで逆に集まってきた者が、かなりいたということだ。

 

 それを助長したのが今年の凶作だ。

 凶作だったことにも関わらず、役人が乱暴な税の取り立てをしたために、それが新たな賊徒の発生を産んだのだ。

 岳竜がいた頃は、少華山の賊徒といえば、暴力的で乱暴な集団と知られていたから、そのような状況でも大きな勢力の増加はなかったようだが、林冲や朱武美が少華山に入ってからは、一応は“義賊”だと称している。

 近傍の農村に迷惑をかけないという宣言が、過酷な税の搾取により行き場をなくした逃散農民の受け皿に少華山がなったようだし、実際に馬をはじめ、武器を集めるために、すでに奥州側には数回出撃して大量の武器を集めている。

 奥州軍は、北州と異なり官軍の規模も小さく、まだ討伐の動きもないが、そんな実績もあるので、どんどんと賊徒も大きくなっていく。

 

「ところで、凶作というけど、史春(ししゅん)のところは問題なさそうだったね。税だって苦労せずに納めていたみたいだし、少華山に具足なんて贈る余裕もあるんだものね……。なんでそんなに違うのかなあ?」

 

 李姫が口を挟んだ。

 李姫は、史春と少華山が知り合いとなるきっかけになった猟師小屋の事件からしばらくは、史春の護衛として史華村に行っていた。それで村の事情をよく知っているのだ。

 

「史春のところは、それだけうまくやっているのさ。役人との付き合いもうまいし、米が凶作でも大丈夫なように麦も植えさせている。また、実は隠し畠もいっぱいあるようだ。ただ、いずれにしても、史華村だって例年の倍は税をとられたようだな。それでも、農民が逃散したり、税を払うために家族を奴隷に売ったりしなくて済むのは、それだけ史春が大した女なのさ」

 

 林冲が言った。

 その通りなのだが、林冲がほかの女を褒めるのは、なんとなく朱武美は愉しくない気がする。

 

 ともかく、天文明(てんぶんめい)の描いた陰謀により、元婚約者の李吉に数日間監禁された史春だったが、少華山に救出されてから、すぐに李姫とともに村に戻って事態の収拾を図ろうとした。

 無論、それは、裏で糸を引いていた天文明という侠客を糾弾することを目論んでいた。

 

 だが、それは史春の偽者として入り込んでいた蘭という女の自死というかたちで終わってしまった。

 蘭は、史春の偽者として、天文明から「変身の道術具」を渡されて史華村に入り込んでいたものであり、朱武美が送った手紙により露見して、本物の史春がさらわれていたことを知った史春の家人たちによって捕えられていた。

 史春は、彼女に自白させて裏で手を引いていたはずの天文明を糾弾するつもりだったようだが、蘭は史春が村に戻る前に毒を飲んで死んでしまったのである。

 実際のところ、蘭が本当に毒で自死したのか、あるいは、村に天文明を手引きする者が入り込んでいて、蘭に毒を飲ませたのかはわからないらしい。

 これでは、天文明とのことはうやむやにするしかないと、史春はがっかりしていた。

 

 天文明については、少華山としてもその身柄を追い回しているが、どこかに隠れてしまっていて、まだ発見することはできないでいる。

 とにかく、あの一件以来、少華山と史春の友好は続いている。

 

 朱武美たち三人が史華村を訪問することもあるし、逆に史春を少華山の砦に招待したこともあった。

 また、李姫が口にした史春が少華山に贈ったというのは、史春が助けてくれたお礼として運び込んできたものである。いま林冲が装着している黒の具足がそうであり、史春はこの黒具足一式を百組贈ってきていたのだ。

 

 だが、実は、朱武美はそれが気に入らない。

 これはただの直観にしかすぎないのだが、史春が林冲を見る目がなんとなく、女が男を見る目のような気がするのだ。

 そんなことを言うと林冲は一蹴するのだが、間違いないのではないかと思う。

 

 具足だって、三人で史華村に遊びに行ったとき、林冲の好きな色はなにかと史春が訊ねて、そうなったのだ。

 そればかりでなく、それとなく林冲に媚びを売るような振る舞いが垣間見れる。

 もちろん、朱武美に対する友情はしっかりとしたものなのだが、おそらく、史春には自覚がないのではないかと思う。

 だからこそ、問題の根は深い気がする。

 

 いずれにしても、林冲は黒一色の具足群に大喜びで、それを自分の鍛えた騎兵の具足の色にしたのだ。

 統一された軍装は、それだけで他者からも自分たちからも強そうに見える。

 強そうに見える軍は、それだけで他と一線を画すことができる。

 それは正論なので、朱武美も口答えできずに史春が贈ってよこした具足を林冲の騎兵が身に着けることを許した。

 

 ただし、具足の中には首に巻く布もあったのだが、朱武美は林冲の首巻だけは朱武美の贈った真っ赤な布に変えさせた。

 真っ赤な赤は朱武美の好きな色だ。

 林冲には、全員が黒一色だと部下が指揮官を見分けるのが困るからだと言っているが、実際のところ、すべてが史春の具足だと面白くないから赤い布をつけさせたのだ。

 

「李姫、お前の役目は歩兵を率いて、解放した穀物庫から穀物を奪い少華山に運び入れることよ。大切な任務よ。しっかり頼むわね」

 

「あい、朱武美───。ちゃんと言われたことはやるよ。余分には奪わない。どの穀物庫からも少なくとも半分は残して、近隣の農民に奪い去らせるに任せる。そして、移動には史華村は通過しない。これでいいんでしょう?」

 

「そのとおりよ。まあ、もっとも、史春もほかの村と同じ程度だったら、村を通過してもいいと言っているわ。これだけ大規模な襲撃になると、どの村も少なからず少華山が通過することになるわ。その状況でまったく少華山が史華村を回避するのも、逆に怪しいからね」

 

 朱武美は言った。

 

「史春にも、今回の策については伝えてあるのか?」

 

 林冲だ。

 

「詳しくは教えていないけどね……。一応は仁義だし。友達だし……」

 

 朱武美は白い歯を林冲に向けた。

 

「だが、そうはいっても、うまい具合に史華村を避けるような感じになっているな」

 

 林冲が朱武美が地図に書き込んだ襲撃対象の穀物庫の印を見ながら言った。襲撃をする十箇所の穀物庫を襲撃する順に線で結んでいくと、ちょうど史華村を中心に円を描いて少華山に戻るようになる。

 

「史春との約束だしね。それに、あなたにも言ったでしょう。史華村を通過しなくてすむような策を考えてあげるってね」

 

「そうだったかな? まあいいや。李姫、史華村の史春はこれからもなにかと世話になるはずだ。彼女に迷惑にならないように、うまくやってくれ」

 

「あい、林冲」

 

 李姫が元気な返事をした。

 だが、朱武美は、また林冲が史春に気を遣うような物言いをしたと思った。

 ちょっと、面白くなかった。

 

 

 *

 

 

 襲撃二日目だ。

 林冲(りんちゅう)は、休息をさせていた騎馬隊に乗馬を指示した。

 五十騎の騎馬に一斉に少華山の賊徒が騎乗する。

 

 初日に予定の十個のうち八個まで襲撃した。

 こちらに損耗はない。

 もともと、官軍の集団から離れて穀物庫の警備をするような兵など、兵として使い物にならないから回されているのだ。そんな連中が何十人いようとも脅威ではない。

 

 案の定、守備兵は黒一色に統一された賊徒の騎馬隊を見ただけで逃げ出してしまった。

 林冲と朱武美は、一個の穀物庫の襲撃が終わって警備の兵を追い払ったらすぐに次の穀物庫に向かうのだが、それから大量の穀物を穀物庫から運び出すのは李姫の指揮する歩兵の役目だ。

 税を徴収したばかりの役所の穀物庫には、うなるように穀物が入っていた。

 その半分を近隣からかき集めた荷馬車だけでなく、人が押す荷車まで使って、李姫たちが少華山に運んだ。

 それを繰り返した。

 

 近傍は、穀物庫から運び出した穀物を少華山に運ぶ車列が群をなして続いたらしい。

 李姫は朱武美の指示のとおりに、襲撃した穀物を半分以上は奪い去らず、残ったものは異変に驚いて集まった農民に持って逃げるように告げたようだ。

 

 最初は恐る恐るだった農民たちだったが、少華山に向かって堂々と列を作って進んでいく荷駄馬車の群れを見て瞬く間に噂が広がり、襲撃する穀物庫に人間が集まりだした。

 

 李姫が穀物庫から少華山に送ったのは最初の三個までであり、昨日襲った穀物庫のうち、後半の五個については、ただ襲撃するだけで、あとはすべて集まった農民に渡してしまった。

 これも朱武美の策であり、少華山から近い穀物庫の襲撃から始まり、次第に遠くなり、また少華山に近づくように円を描くように襲撃しているので、四個目以降は少華山から遠くなって穀物を運ぶのが大変になるからだ。

 

 それでも、朱武美が襲撃計画の中に、これらの穀物庫も含めたのは、それによって官軍の動きを攪乱させるためだ。

 襲撃する穀物庫から民衆が穀物を奪っていくような状況であれば、官軍の動きは翻弄される。

 農民の暴動なのか、それがあちこちの農村で結託しているのか、あるいは連鎖しているのかと複雑に考えるはずだ。

 単純に少華山の賊徒が暴れているだけだと把握するのに、一日以上の時間はかかるはずだというのが朱武美の狙いだ。

 

 とにかく、朱武美がなによりも気にしていたのは、穀物庫を襲い続けている騎馬隊に官軍がやってくることよりも、穀物を少華山に運び入れる作業をしている李姫側に官軍がやってくることだ。

 だから、襲撃隊に同行しながらも、朱武美はしきりに斥候をばら撒いて官軍の動きを追っていた。

 もしも、官軍がこっちではなく、李姫の率いる歩兵の方に向いたら、直ちに襲撃を中止して、そっちに向かうことにもなっていた。

 

 結局、朱武美の懸念は杞憂に終わり、すでに初日の襲撃だけで当初計画分の穀物は奪い終わっている。今日の襲撃は再び少華山に近いので、李姫隊も近くまでやってきて潜んでいるが、どう動くかは状況次第らしい。

 

 いずれにしても、周辺民衆を巻き込んだ朱武美の策が功を奏した感じだ。

 

 義賊、義賊と称しているが、そういう青臭いことで終わらないのが朱武美の頼りになるところだ。

 義賊の宣言も、穀物のばら撒きも計算づくのことだ。

 そして、評判があがれば人も増える。一定以上の賊徒になれば、腰抜けの官軍は及び腰になって本格的な討伐からも免れる。

 討伐できない賊徒になると、政府は「招安(しょうあん)」といって賊徒を官軍として取り込むことさえしている。それが治政に混乱を与えていることは事実だが、それが実際だ。

 

 もっとも、林冲は、招安で政府に取り込まれて、官職を与えられることを望んでいるわけではない。

 この混迷の時代に、面白おかしく生きていければ、それでいいのだ。

 

「林冲、いよいよ九箇所目よ───。本来の穀物庫の守備兵のほかに、穀物庫に近い場所に、城郭から一千の城郭軍が展開しているわ。少華山に近い穀物庫の周域に軍を展開させたということは、連中もやっとわたしたちの仕業だということに気がついたようね」

 

 城郭の軍営に軍本部が位置するから「城郭軍」と称することが多いが、つまりは、穀物庫の守備兵などとは違い、れっきしとた指揮官に指揮されている軍ということだ。

 

「まあ、遅すぎたくらいだな。とにかく、九個目は予定通りに攻撃するか」

 

「そうね……。穀物庫の位置と出動した城郭軍が展開している場所には距離があるから、どんなに早くても、やってくるのに一刻(約一時間)はかかると思うし」

 

「それだけあれば十分だ。お釣りがくる」

 

 林冲は林に隠れていた騎兵に進軍の合図をした。

 

 やがて、九箇所目の穀物庫にやってきた。

 二日目の最初の襲撃となる九箇所の穀物庫の守備兵は、昨日の穀物庫の守備兵に比べれば、少しは抵抗した。

 持ちこたえていれば援軍がくるということが知らされていたのだろう。穀物庫の前面には、急遽作ったと思われる馬避けの木柵が準備されていた。どうやら、少華山の襲撃部隊が騎兵だということを承知していたようだ。

 対応の遅い官軍としては、打つ手が早いというべきだろう。

 しかし、これは、朱武美の指示で、隠れていた李姫が歩兵に側面から襲わせて木柵を焼き払ってしまった。

 そこを騎馬隊で突破して突っ込むと、守備隊の穀物庫に留まっていられずに逃げ散った。

 

「この穀物庫は放置よ、林冲───。例の地方軍が迫っているわ。この先の丘陵に騎馬隊を移動させて」

 

「わかった」

 

 林冲は馬上でうなづいた。

 朱武美の指示により、すでに李姫には、守備隊の逃げた穀物庫を放置して、最後の穀物庫に向かっている。

 城郭軍が近接している方向からは迂回させているようだから、李姫たちが城郭軍と接触することはないはずだ。

 林冲は、すぐに騎馬隊を前進させて官軍の迫る方向に真っ直ぐに前進させた。

 そして、朱武美の指示により、官軍の接近経路上にある丘陵の上に騎馬隊を展開させた。

 

「来るわよ」

 

 さかんに斥候を出して官軍の動きを追っていた朱武美が言った。

 林冲と朱武美は、ほかの騎兵とともに丘陵の上に並んでいる。

 特に隠れてはいない。

 向こうも最初の穀物庫を林冲たちが襲撃してから、斥候だけは出し続けているだろう。

 それを出し抜くのは無理だ。

 だから、官軍としても、穀物庫を襲い続けていた少華山の騎兵がこの丘陵に集まったことを把握しているに違いない。

 

 土煙が近づき、すぐに一千の官軍が丘陵の下に展開し始めた。

 林冲は手をあげた。

 黒一色の騎兵が丘陵の麓に展開する官軍に向かってゆっくりと降り始める。

 下にくだるに従って、五十騎の騎馬がひとつにまとまっていく。

 

 いよいよ官軍との本格的な緒戦だ。

 この日のために騎兵を鍛え抜いていったといっていい。

 林冲は後ろを向いて、続ている部下の動きを図った。

 

 動きは悪くない。

 これならいける……。

 

 林冲は雄叫びをあげた。

 ばらばらに近かった黒い騎馬が一瞬にしてまとまったのがわかった。

 

 先頭は林冲だ。

 その後方に五十騎が小さくまとまって続く。

 敵から見たらたくさんいた騎兵が展開している隊の目前で、黒いひとつのひと塊になったと感じるはずだ。

 敵陣の一部に怯えが見えた。

 矢が殺到した。

 林冲は得意の武器の点鋼鎌(てんこうれん)を抜いている。

 すべてを武器で払う───。

 後ろの部下は林冲の陰になって進んでいるので矢の影響は受けない。

 

 敵陣が眼の前だ。

 当たる。

 

 瞬時に目の前の十人近い敵兵の首が飛ぶ。

 やすやすと突破した。

 その突破口を部下の騎馬隊が続く。

 

 すでに眼の前は第二陣だ。

 二陣も簡単に突破した。

 

 一気にさらに進んだ。

 敵の指揮官らしき者が見えた。

 林冲はまっしぐらにそこに向かった。

 

 後続はついてきている。

 旗が見えた。

 

「ま、守れ──。守らんか──」

 

 その旗のいる場所で、高官の子弟の青二才のような若者が引きつったような声をあげているのが聞こえた。周りに四、五騎の騎馬がいたが、こちらの勢いに押されて、恐怖の色を顔に浮かべている。

 

「そこをどけ──」

 

 大喝した。

 若者の周りから逃げるように敵の騎馬がいなくなった。

 

「ひ、ひいいっ」

 

 指揮官が背を向けて逃げ出した。

 

「遅い──」

 

 あっという間に林冲の騎馬は、敵将の騎馬を追い抜いていた。

 若い敵将の首が胴体から離れる。

 首のない指揮官の身体を載せた騎馬が黒い騎馬隊に飲み込まれた。

 

 林冲は完全に敵陣のすべてを突破したところで騎馬の前進をとめた。

 黒い具足に包まれた部下が集まってくる。

 振り向くと指揮官を失った一千の官軍が潰走している。

 

「追う必要はないわよ、林冲……。十個目の穀物庫に向かうわ。先に向かった李姫がすでに仕掛けてるはずよ」

 

 追いついてきた朱武美が朱武美の声をかけた。

 朱武美の周りには五騎の黒騎兵がいる。これは、朱武美を守るために、ほかの動きを無視して、常に朱武美から離れないように指示をしている者たちだ。

 その中の騎兵のひとりが、さっき首を落とした若い指揮官の首を槍先に刺していた。

 

「わかった……。だが、他愛もなかったな。これじゃあ、運動にもならん──。お前らも実戦の方が訓練よりも楽だったろう?」

 

 林冲は周りの部下に笑いが拡がった。

 どの兵にも興奮と高揚が顔に浮かんでいる。この戦いで死んだ者はおろか、負傷らしい負傷をした者もいない。

 少華山の賊徒を乗っ取ったとき、これからは官軍を敵にすると注げた。

 そのときには、兵たちは呆然とするとともに、その顔に恐怖が走り出したのを覚えている。

 この近傍で賊徒になるような者は、大なり小なり地方政府の役人や官軍に恨みを抱いている。しかし、その政府と戦うというのは彼らにとって恐怖でしかなかったのだ。

 恐怖は厳しい訓練と実戦による勝利でしか克服できない。

 だから、この緒戦はなにがなんでも勝利しなければならなかった。

 それも圧倒的な勝利だ。

 この新しい少華山の賊徒団の旗揚げともいえるこの戦いの勝利は大きい。

 

「いくぞ──」

 

 林冲は声をあげた。

 ごく自然に、ほかの騎兵たちが喊声をあげた。



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21  林冲(りんちゅう)郁保四(いくほし)を黒騎兵の騎手とする

 予定していた十個目の穀物庫を守備していた官軍は、地方軍の若い指揮官の生首を陣に投げ込んでやったら、それだけで戦わずして逃げ散っていった。

 朱武美(しゅぶび)は、十個目の穀物庫からは、きっちり半分を少華山に向けて運び出すように指示した。

 残ったものは、まるで待っていたかのように集まっていた農民たちが奪い去っていく。

 

 一方で、朱武美たち少華山勢力は砦まで凱旋だ。

 逃げ戻るのではなく、どうどうと隊列を組んでの街道の前進だ。隊列の中心部は、奪った兵料を荷駄馬車と荷車で運ぶ李姫(りき)の指揮する歩兵隊だが、その後方を今度は林冲(りんちゅう)の騎馬隊も一緒に進んでいる。

 

 どの少華山の兵もいい顔をしている。

 ついこの間まで、岳竜(がくりゅう)という悪党の頭領に従い、悪事三昧してきた連中だが、もともと政府の悪政に苦しめられて、農村などから逃げ出すしかなくて、仕方なく賊徒になるしかなかったような連中だ。

 政府への恨み辛みは多い。

 だが、だからといって、叛徒になって官軍と戦うなど、発想すらなかった連中たちばかりであり、だからこそ、自分たちの官軍に対する鮮やかすぎる勝利には唖然とするばかりだろうし、自分たちにもやれるのだという自信にも繋がったのではないかと思う。

 

 政府の穀物庫を襲撃して近傍の農村に一部を施したという噂は、すでに広がっているらしく、賊徒の行進だというのに、朱武美たち少華山の賊徒団が往き進む経路沿いには、少華山の賊徒を見物しようとする民衆も集まってきて、あちこちで大歓声をあげてくれている。

 その道々に集まる民衆の少華山に対する歓声は、さらに兵たちの心に誇りのようなものを与えているようだ。

 全員が少華山の行進に与えられる大歓声に、顔を上気させて興奮しているのがわかる。

 彼らは社会からはみ出して、賊徒になるような者たちばかりだ。

 これまでの人生で、ここまでもて囃される経験はなかったろう。

 それが、今日は義賊と讃える歓呼の嵐なのだ。

 全員が嬉しそうだ。

 

 途中、少華村の一部を通過した。

 自警団のしっかりしている少華村らしく、少華山の賊徒が通過するときには、しっかりと村を守る自警団が武器を持って配置していた。

 ただし、道路は解放してあった。

 道路を通過することについては邪魔をしないという少華村の意思表示だろう。

 朱武美は少華村の自警団を横目で見ながら、隊を少華山に進めさせた。

 

 すでに、ほかの村は蹂躙するように、あちこちを動いている。

 却って少華村だけ避けることの方が不自然な状況だ。

 しかも、今日の午前中の戦闘で城郭から出撃した隊でさえも撃破しているのだ。

 たかが農村の自警団がもはや少華山の賊徒に手を出さないのは自然なことだ。

 史春(ししゅん)が展開させたのも、示威行動以外のなんでもないだろう。

 

「史春がいないね……」

 

 李姫がぼそりと言った。

 いまは朱武美は、林冲と李姫とともに行軍の中にいたが、それには朱武美も気がついていた。

 史春は名主であるとともに、少華村の自警団の隊長でもある。本来は、少華村の自警団の中心にいるのが当然なのだ。

 まあ、お互いに戦わないことはわかっているから、今回は指揮をする者など必要ないといえばそうなのだが、なぜいないのか朱武美は気になった。

 やがて、その少華村も通過した。

 結局のところ、官軍によるさらなる追撃はなかった。

 

 まあ、いずれにしても、これだけのことをしたのだ。

 すぐに城郭軍の大規模な少華山への攻撃はあるだろう。

 すっかりと農村地帯もすぎて、少華山の砦は目前となった。

 すると、道端に史春が馬に乗って待っていた。

 横に巨漢の若者も一緒だった。

 

「史春、どうしたの?」

 

 朱武美は、隊全体を少華山にそのまま進ませるとともに、史春の待っていた場所に向かい声をかけた。

 林冲と李姫も一緒だ。

 馬をおりた史春が深々と頭をさげた。

 横の若者も馬を下りて頭をさげる。

 

「戦勝のお祝いにね……。林冲、以前、約束をしていた黒騎兵の旗を贈るわ。郁保四(いくほし)──」

 

 郁保四というのは、横の若者の名前らしい。

 随分と大きな身体の若者だ。背丈は七尺(約二メートル)はあるだろう。横幅もある。まるで山が動いているようだ。乗っていた馬も凄い。林冲や朱武美の乗っている馬も、奥州軍から盗みまくった馬の産地の奥州産の名馬なのだが、それが霞むほどに大きい。

 これは馬でなくて龍だと思った。

 

「おお、旗か──」

 

 林冲が嬉しそうに言った。

 郁保四と呼ばれた巨漢の若者が樹の陰に隠していた旗を出してきた。黒一色の大きな旗に金色の縁取りがある旗だ。立派な旗竿にそれが取り付けられている。

 

「……あなたの好きな黒色にさらに金縁をさせたわ、林冲。黒色は何物に混じっても色が変わらないというのと同じように、黄金はどんなものにも混じらない石なのよ。黒騎兵の旗として使ってくれないかしら?」

 

 史春が林冲を見て言った。

 

「もちろん、使わせてもらう。ありがたい──。何物にも混ざらない黄金と、混ざっても変わらぬ黒か。まさに俺に相応しい」

 

 林冲が歓びの声をあげた。

 

「えっ、旗の贈り物──? そんなの聞いていないわよ」

 

 朱武美は驚いて言った。

 いまの史春の口ぶりでは、以前から林冲と約束をしていた気配だ。

 それはいいのだが、朱武美は知らされていなかった。

 それが面白くない。

 

「えっ、朱武美に言っていなかったの、林冲?」

 

 史春が当惑した声をあげた。

 

「そうよ、言ってなかったわ。ねえ、林冲、旗は少華山の賊徒を象徴する大切なものよ。前もって相談してもらわないと困るわ」

 

「少華山の旗じゃない。俺の黒騎兵の旗だ。少華山の旗はお前に任す、朱武美。だが、黒騎兵の旗はこれだ。これから、この旗を帝国中で一番有名な旗にしてやる。暴れまくって、官軍がこの黒騎兵の黒旗を見たら、震えが走るような旗にしてやる……。うん、これは、いい旗だ」

 

 林冲は史春に贈られた黒旗に釘付けになっている。

 

「もう」

 

 朱武美は頬を膨らませた。

 

「朱武美、今回のあなた方の行動は、すでに近隣に農村で大きな噂になっているわ。少華山の賊徒は義賊。貧しい民衆の味方……。そういう声でいっぱいよ。そういう意味で、今回の勝利は大きかったと思うわ。このわたし自身も興奮したわよ。官軍の大軍を打ち払ったんですってね。今度、また、こっそりと少華村に遊びに来てね。そして、戦いの話を聞かせて。いいでしょう?」

 

 史春が赤い顔をして言った。

 どうやら、史春も興奮しているようだ。

 

「う、うん……。じゃあ、近いうちにな……」

 

「絶対よ」

 

 史春が笑った。

 

「ところで、このでかい人、誰?」

 

 李姫が口を挟んだ。

 

「ああ、紹介するわ。彼は郁保四よ。少華村の中で特にあたしが目をかけていた若者よ。歳は十八。家族はもういないわ。いままで、なにかと面倒を看ていたんだけど、義賊の旗を掲げていた少華山の賊徒団に入りたいと、以前から相談を受けていたの……。武芸はそれほどじゃないけど、力も強いし、馬術に関しては一流よ。よければ使ってくれないかしら。人物はあたしが保証するわ」

 

 史春が言った。

 

「史春の保証なら問題ない。一緒に官軍と戦うか? おそらく、近いうちに大規模な官軍の討伐がある。あれだけ派手に暴れたからな。命懸けの戦いになるだろう──。それでもいいか?」

 

 林冲が郁保四に声をかけた。

 

「あ、あ、ありがとう……ご、ございます……。た、戦わせて、く、ください」

 

 郁保四が興奮した顔を赤らめた。

 

「ちょっと、どもりなの……。喋りは得意じゃないわ」

 

 史春が横から言った。

 

戦人(いくさびと)に口はどうでもいい……。それよりに、お前、その身体なら旗を片手で持って騎馬で戦えるか?」

 

 林冲が郁保四に声をかけた。

 

「ま、任せて、く、ください」

 

 そう言うと、すぐに郁保四は旗を片手で持って、ひらりと馬に跨った。

 いきなり、馬を駆け出させた。

 左手一本で旗を持った郁保四の馬が飛ぶように駆ける。

 あっという間に道が曲がるところまで駆け抜け、今度は路外を騎馬で戻ってきた。

 小さな樹木を大きな馬で踏みつぶしながら進むともに、右手で抜いた長剣で大木の枝などを払いながら進んでいく。

 

「凄い……」

 

 朱武美は呻いた。

 両手を離して馬を駆けさせているというのに、郁保四の身体はびくともしなかった。

 なによりも馬が凄い。あの迫力なら敵の騎兵よりも馬が怖がって逃げるのではないかと思った。

 

「ど、どうで……しょ、しょうか?」

 

 郁保四が戻ってきて馬から飛び下りた。

 

「郁保四、お前は今日から俺の黒騎兵の旗手だ。どんなときでも、俺の後ろを駆けろ。それが役目だ。その黒旗は官軍を蹴散らす賊徒軍の象徴だ。その旗が揚がっている限り俺の軍は無敵だ。そして、その旗が倒れるときは俺たちが破れるときだ。その旗をお前が守るのだ。お前が俺の後ろを駆ける限り、お前は俺が守ってやる。その代わり、お前は俺に一歩、遅れることなくついてこい」

 

 林冲が真顔になって言った。

 朱武美にはわかる。

 これは、相当に郁保四に入れ込んだ。

 朱武美はちょっと郁保四に嫉妬する気持ちになった。

 

「あ、ありがとう……ご、ございます、え、林冲……様……」

 

「俺のことは隊長と呼べ」

 

「は、はい……、た、隊長」

 

 どもりながら郁保四が大きな声で叫んだ。

 郁保四は心の底から嬉しそうだった。

 朱武美はちょっと面白くなかった。

 

 

 *

 

 

 天文明(てんぶんめい)はこのところ愉快ではないことが続いていた。

 すべては、李吉という愚か者を使って、その元婚約者の史春の治める少華村の利権を奪ってやろうとしたのが発端だった。

 

 少華村といえば、この豊城の行政府に属する村ではもっとも豊かな農村であり、今年の凶作で多くの農村が苦難に瀕しているにもかかわらず、優れた村の経営でしっかりと収穫を守ったほどの村だ。

 そこに集まる富を奪うことができれば、莫大な儲けになる。

 それであの李吉をけしかけて、史春を誘拐させた。

 李吉に渡した電撃の道術具や、史春の偽者を作るために使った変身具……。

 そして、少華村の実権を奪ったあと、すぐに利権を天文明に移すために動いてもらうための役人の抱き込み……。

 

 元手はかかったが得るものは大きいはずだった。

 あの史春が李吉に調教されて、すっかりと屈伏してしまうことは考えにくかったが、精神的な痛手で使いものにならなくなるような状態になることは期待した。そうなってしまえば、第二、第三の手段でどんどんを少華村に食い込んですっかりと少華村を食い潰してやろうと思っていた。

 

 だが、失敗した。

 李吉は数日間の史春の監禁には成功したようだが、結局は李吉を含めて、史春の誘拐にかかわった者は、すべて惨い目にあって殺された。

 史春を監禁させた場所は、少華山の賊徒の縄張りともいえる場所だったのだが、少華山の賊徒はいつのまにか岳竜から、林冲、朱武美という別の頭領に代わっていたらしい。

 

 それで縄張りで勝手なことをしたということで、その賊徒たちに男たちが捕らわれ、しかも、道端に首だけ出して埋められるという殺され方をしたのだ。

 殺された五人の部下たちの損失などどうでもいいのだが、天文明の部下が少華山の賊徒に殺されたという事実が痛手だった。

 

 実は前の頭領の岳竜(がくりゅう)と天文明は昵懇の仲であり、少華山の賊徒と顔馴染みということが天文明の株をあげてもいたのだ。そのために、岳竜にはかなりの投資もしたし、女好きの岳竜に抱くための女を手配したりもした。

 しかし、その岳竜はいつの間にか死に、新しい頭領たちにとって代わられていた。

 それは天文明の知らなかったことであるし、知らなかったという事実が天文明の顔役としての評判も落としてしまったのだ。

 

 さらに、あの少華山の新しい賊徒たちは、その女頭領に天文明の部下が手を出したと言っており、天文明自身の首と天文明の主立つ部下の生首を少華山に持って来れば多額の賞金を渡すと、そこら中に触れ回っている。

 

 もちろん、違法もいいところだが、そんなことを訴えても役人や軍が動くわけがなく、おかげで天文明の部下は逃げ出すし、天文明自身もこうやって、地下のような場所にひっそりと隠れていなければならない状況なのだ。

 

 半月前に、その少華山の賊徒が地方政府の穀物庫を十箇所も襲撃して、それを民衆にばら撒いたという事件が起こった。しかも、出動した地方軍が完膚なきまでにやられたのだ。

 日頃から、横暴な役人や軍に快く思っていない民衆は拍手喝采だ。

 少華山の賊徒は義賊だという噂があっという間に拡がり、その義賊が敵とみなしている天文明の評判はいよいよ地に落ちた。

 

 あの少華山の賊徒は、天文明にとっての鬼門だ。

 少華山の賊徒どもが、天文明に賞金を懸けたりしているので、天文明は表も歩けない状況だ。

 天文明は一刻も早く、少華山の賊徒が官軍に討伐される日を待った。

 

 そして、数日前、いよいよその日が来た。

 三千の官軍による少華山への討伐がついに行われたのだ。

 これは豊城に駐留する軍の総勢力といっていい規模であり、収税したばかりの穀物庫を襲われた行政府の怒りが、それで垣間見えるというものだ。

 天文明は期待したが、結果はたった一日にして官軍の退却だ。

 少華山に大軍で入り込んだ官軍が、次々に賊徒が準備していた罠に嵌まり、進退窮まったところを黒衣の騎馬隊に蹴散らされたのだ。

 三千もの勢力で攻撃した官軍が、わずか数百の賊徒に一蹴されたのだ。

 少華山の評判はますます高くなったようだ。

 

 そのとき、天文明の隠れている地下室に誰かが近づいているという警報が鳴った。

 天文明は、この地下室に向かう場所に高価な道術具の警告具を備えさせていた。

 それが鳴ったのだ。

 天文明は緊張してその警告具に見入った。

 近づてくるのは天文明の部下たちだった。

 天文明はほっとした。

 しばらくすると、その部下が地下室に入る扉の前にやってきた。

 合言葉を確認して、天文明は扉を開いた。

 水と食料を抱えた部下ふたりが入ってきた。

 

「親分、水と食料です……」

 

「おう、そこに置いとけ……。ところで、外の様子に代わりはないか?」

 

 天文明は言った。

 

「少華山の賊徒の頭領ふたりに賞金が懸けられました」

 

 部下がその賞金額を言った。

 賞金は大した金額だったが、手を出す者はいないだろう。三千の官軍でさえ歯が立たなかったのだ。誰が賞金目当てに少華山に頭領二人の首を狙いにいくというのだ。

 天文明はがっかりした。

 

「……それともうひとつ……。実は面白い男を見つけました」

 

「面白い男?」

 

 天文明は部下を見た。

 

王四(おうし)という男なんですがね……。衣類を商う商売をやっている男です。実はうちに借金があって、それで利息を負ける代わりに情報を持ち込んだんです……。先日の少華山の討伐戦のとき、活躍した賊徒団の黒衣の騎馬隊なんですがね。それが黒旗に金縁の旗を持っていたということで、あちこちでかなりの評判になってんですが、その旗をこの前、その男が注文で作ったというんですよ」

 

 部下が言った。

 

「なんでえ、そんなもの……。賊徒だって、旗だって頼むだろう。連中の息のかかった者がこの城郭にもたくさん込んでいるのはわかっているんだ。それで、俺は表も歩けない状況なんだぞ」

 

 天文明は吐き捨てた。

 

「違うんですよ……。その王四という親爺のいうには、注文したのは、あの少華村の史春らしんで……」

 

「史春だと?」

 

 天文明は眉をひそめた。

 天文明もあの少華山の頭領と史春は裏で繋がっているのではないかと疑っていた。

 なにしろ、李吉が監禁した史春が助かったのは、そこにいた男たちが少華山の女頭領に間違って手を出してしまったのが原因だという話だ。だったら、史春と女頭領は一緒に救出されたことになる。それを機に史春が少華山と交友を結ぶのはありうる。

 

 だが、その証拠はなかった。

 しかし、史春が作らせた旗が、賊徒の旗になっているとしたら、かなり深いところで、史春と少華山は結びついているということになる。

 天文明は腕組みをした。

 もしかしたら、これが状況を打開する一手になるかもしれない。

 

「おう、お前ら、その情報を役人にたれこめ。史春は少華山と結びつているとな……。それとともに、少華村に人を送り込め。徹底的に村長の周辺を探らせるんだ。たとえば、史春宅に普段よりも多くの食材が集められるとか、見知らぬ訪問客があるとかだ……。金をばら撒け。とにかく、史春と少華山の連中の結びつきとなる情報を集めろ。官軍は少華山の賊徒にははらわたが煮えくり返っているはずだ。少華山に結びつくものにはどんなものでも飛びつくだろう」

 

 天文明はほくそ笑んだ。

 これで少華山の頭領どもと史春が一緒にいなくなってしまえば、再び天文明は晴れて表を歩くことができるというものだ。

 やっと、天文明にも逆転の目が出てきたかもしれない。



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22  史春(ししゅん)、少華山の幹部を館に招く

「よろしくお願いします、名主様」

 

 五人の少女が深々とお辞儀をした。新しく雇うことになった家人たちだ。

 この五人が少華村に到着したのは昨夜だが、史春は夜には挨拶を受けずに今朝になって彼女たちの挨拶を受けることにした。

 彼らは“客人”ではない。そのけじめを明確にするためだ。

 いまやっている挨拶についても、彼らは中庭に立っているが、史春は屋敷側の縁台にいる。

 服装も普段着だ。

 

「名主じゃないわ。あなたたちは、あたしの家の家人として働くことになったのだから、“お館様”とか“史春様”と呼ぶこと。また、わからないことは執事の陳二女(ちんじじょ)か、それとも先輩の家人に訊きなさい。言っておくけど、あたしは、あたたたちを使用人としてしか見なさいわ。そのつもりで働きなさい。もしも、ほかの者に対して驕った態度が垣間見られるようなら、容赦なく追い出すわよ。それが条件ですからね。ただ追い出されるとは思わないことね。追い出す先は奴隷商よ。それが嫌ならほかの者と仲良くしなさい。以前からの家人よりも余計に働きなさい」

 

 いずれも、十七から十二までの少女である。

 その五人が史春の厳しい物言いに顔色を変えた。

 しかし、残酷なようだが、最初にしっかりと釘を刺しておく必要がある。

 彼らが、いままでの恵まれた境遇を傘に着て史春が前から雇っている貧しい家の者たちを差別的な態度で接するようであれば、誰でもない。

 彼女たちが困るのだ。

 

 この五人は、いずれも少華村の隣村の名主の親族の娘であり、産まれたときから、彼ら自身が家人にかしずかれるような豊かな暮らしをしていた者たちだ。

 本来であれば、他人の家に家人として奉公するような家柄ではない。

 しかし、隣村は今年の凶作で税を払うために村全体で大きな借金を作ってしまい境遇が激変してしまったのだ。

 史春も個人の資産からそれを肩代わりしており、その借金の質が彼女たちだ。

 

 史春が貸した額を来年の収穫で返す──。

 それがこの五人を来年に隣村に戻す条件だ。

 彼女たちの家が借金を史春に返せなければ、彼女たちは奴隷として売り払うことになる。

 だから、全員が女なのだ。

 この国では、男の奴隷は認められていない。奴隷の首輪を装着されて、正式の奴隷として売買ができるのは女だけだ。

 だから、少女のみを借金のかたとして受け入れた。

 逆にいえば、親族の女を担保として提供のできる家だったから、史春は借金の肩替わりをしてやった。

 

 残酷なようだが仕方がない。

 すべての者を助けることができるわけでないのだ。

 すべてを助けられないのなら、現実に相対して冷酷になることもやむを得ない。

 それに、彼女たちの境遇はまだ恵まれたものだ。

 

 今年の秋の収穫は、少華村を除いて、どこの村もひどいものであり、隣村に限らず周辺のほとんどの農村は収穫だけでは税を払えず、たくさんの娘たちを奴隷商に売らなければならない状況だ。

 

 もちろん隣村も同じであり、名主は税を払えない家については、その娘や妻を奴隷商に売って金を作ることを強要したようだ。

 名主自身の家も五人いる子供の下二人の娘を奴隷商に売っている。

 だから、子供を売らされた隣村の家もなにも文句を言えないのだ。

 

 しかしながら、名主は自分の親族たち二軒については、史春にこっそりと借金を肩代わりを頼んできた。

 自分の子供は、ほかの村人の手前、奴隷に売るしかないが親族は助けたいというのだ。

 隣村の名主と父とは昵懇の仲だった。史春としては断るわけにもいかず、隣村の名主の親族二軒の家の借金だけは肩代わりした。

 そして、その担保として、この五人が史春の家で働くことになったのだ。

 

「わたしたちは奴隷になるのだと父に言われました。一年はここで働くが、その後で奴隷商に売られるだろうと……。それを覚悟しろと言われています」

 

 五人の中で最年長の花芳(かほう)という少女が言った。

 彼女だけが十七で、ほかは十五以下だ。

 花芳の口調には多少不貞腐れたような態度があった。

 

「確かにあなたたちの親が借金を払えなければ奴隷に売る……。それが約束よ。しかし、それまでは奴隷ではないわ。ちゃんとお前たちが働いた分の給金はあげる。もちろん、まだなにもできないお前たちの給金は、あたしのところで働いているほかの者に比べて最低のものだけどね。だけど、それは働きに応じてあがっていく。そして、一年の期限で万が一お前たちの親が借金を払えなくても、あたしはお前たちのひとりか、ふたりくらいはこの家に残すかもしれない……。奴隷商に売った代金を受け取るよりも、お前たちをそのまま雇った方が得だと思えばね。とにかく、頑張りなさい」

 

 史春は言った。

 

 五人がそれぞれにお辞儀をした。執事をしている陳二女という女が、家人のひとりに命じてその五人を連れ出す。

 史春のほかの家人のうち、女については、放っておけば奴隷になるしかなかったような貧農の家の出身者ばかりだ。

 奴隷に売られるよりはと、史春の父親が引き取ったのだ。

 普通以上の家に育って、きちんと学問をした者は、執事の陳二女くらいだ。

 うまくやってくれればいいが……。

 史春は思った。

 

「史春様、昨夜の夜中に少華山から手紙が届いています」

 

 執事の陳二女が言った。

 陳二女は四十すぎの女だ。

 結婚はしておらず、父の代からこの家で先代の執事とともにこの家を切り盛りしていた。

 先代の執事が、父の死に伴って渡した遺産を持って親族のいる奥州に戻ったために、史春はそれでこの陳二女を執事役とした。

 陳二女は史春と少華山との付き合いを知っている数少ない家人のひとりだ。もちろん、ほかの家人には時折訪問する少華山の三人の正体は秘密だ。

 

 史春は手紙を読んだ。

 差出人は少華山の朱武美(しゅぶび)であるが、万が一この手紙が余人に渡っても大丈夫なように、差出人は書いておらず、用件以外の内容のない簡単なものだ。

 

 手紙によれば、以前から誘っていた戦勝祝いを受けるために五日後に、この屋敷を訪問するとある。

 もう何度か訪問しているが、訪問するのは必ず陽が落ちてからだ。

 少華村に彼らがやってくることをあまり知られるのはまずい。そのあたりは林冲(りんちゅう)たちもわかっているから、必ず陽が落ちてから訪問し、その日は泊って翌朝早くに少華山に戻っていく。

 だから、村人も来客そのものをあまり知らないし、史春の家人も同様だ。

 それに、この屋敷に客が来るのは珍しいことではないので、特に違和感を覚えてはいないはずだ。

 

 とにかく、林冲たちに会えるのだ。

 史春は思わず頬がほころぶのを感じた。

 

「嬉しそうですね、史春様……。例の客人がお見えになるのですね」

 

 陳二女がからかうような口調で言った。

 

「な、なにを言っているのよ、陳二女。そんなことより、五日後よ。いつものように、ほかの家人には彼らの素性がばれないように気を配ってね。客室の準備も……。寝室二部屋の準備もよ。最上級を林冲と朱武美、もう一部屋は李姫(りき)よ。それと料理と酒の支度もお願いね。このあいだは肉料理だったら、今度は魚料理がいいかしら。そうそう。湯場の支度も忘れないでね。史春家名物の湯船をこの前味わってもらったら本当に喜んでいたから、次も入ってもらうわ……。まずは、彼らにはお湯に入ってもらい、くつろいでもらってから食事と酒を召し上がっていただくつもりよ。湯場の後で着る軽装も用意して頂戴ね。それから……」

 

「わかっております。万事、この陳二女にお任せください……。ところで、あのお三方がお休みになる部屋ですが、二部屋でよろしいのですか? 三部屋準備させましょうか?」

 

 陳二女が笑った。

 

「三部屋?」

 

「はい……。林冲様と朱武美様には、別々の部屋でお休みになっていただくのです。もしも、よろしければ、朱武美様と李姫様に眠り薬を盛ってもよろしいのですよ……。そして、史春様が夜這いでもなされば……」

 

「陳二女───」

 

 史春は陳二女の軽口を大声で叱った。

 陳二女はわざとらしく、「ひいっ」と悲鳴をあげて後ずさった。

 

「……でも、それいいわね。お願いしようかしら……」

 

 史春は言った。

 

「えっ?」

 

 今度は陳二女がびっくりしたような顔をした。

 

「馬鹿ねえ……。冗談よ───」

 

 今度は史春が笑う番だった。

 

 

 *

 

 

「二日後です」

 

 天文明の見守る前で、花芳が役人に言った。

 目の前の役人は豊城市の警尉官であり、豊城の行政府が管轄する地域の治安を担任するのが役目の男だ。

 警尉官は部下を三人連れていたが、天文明はその部下たちと一緒にいた。

 

 変装はしているが、表に出るのは久しぶりだった。

 少華山の賊徒が天文明の首に大きな賞金をかけている。

 表に出るのは危険だったが、この仕事を余人に任せるわけにはいかない。

 今度は失敗するわけにはいかないのだ。

 

 信用のできる部下はいるが、信頼のできる優秀な部下はいない。

 優秀な部下は、少華山を敵に回したかたちになっている天文明を見限ってどこかに逃げてしまった。

 だから、危険だが今回の工作を天文明自身がやるしかないのだ。

 花芳の声は震えていたし、顔は蒼ざめていた。それを警尉官に伝えることがどういうことを引き起こすのか知り抜いているのだ。

 

「間違いないか……?」

 

 警尉官が言った。

 

「は、はい……」

 

 ここは少華村の郊外と呼べる場所だ。

 そこで、天文明は役人たちとともに、史春の屋敷に潜り込ませた娘である花芳と密会していた。

 

 花芳は、史春の周辺を探らせるために、苦労して潜り込ませた天文明の間者だ。

 同じような間者として、花芳のほかに四人の少女がいる。

 この五人は天文明の工作により、自然なかたちで史春の家人として潜り込ませることに成功していた。

 今回の秋の凶作は、多くの農村の分限者にも家族を奴隷に売らなければならないくらいの打撃を与えていた。

 それにも関わらず、北州全体には、州長官の命令で特別な税を付与されていた。目的が明らかでない特別税はいつものことだが、噂によれば、州知事が宰相に誕生日の贈り物をするためだということだ。

 本当のことかどうかはわからないが、凶作の上に平年以上の税を支払わなければならない農村は、どこも大変な状況だ。

 

 税は払わなければならない。

 家族を奴隷として売ってでも税は払う。

 それが帝国の法だ。

 

 花芳たちの両親も、今回の税により、財だけでなく、家族を手放さなければならない事態に陥った。

 天文明は、少華村の隣村の名主が史春の父と昵懇だったのを利用して、史春に工作をすることを思いついた。

 つまり、役人に支払う税を天文明が分担する代わりに、今回の策に協力することを隣村の名主に強要したのだ。

 

 名主は従うしかなかったろう。

 断れば子供を奴隷にするしかないのだ。名主の下ふたりの娘を天文明の息のかかった奴隷商に預けさせている。

 今回の工作が成功すれば、名主の娘は村に戻れるが、失敗すればそのまま本当に奴隷になる。

 

 花芳たち五人の親も同じだ。いまは史春の家人として一年間の奉公ということになっていて、税を史春が肩代わりしたかたちになっているが、実際には、すでに史春の隣村の名主や親族たちはここ数年、ずっと天文明の高利貸しに借金を重ねていて、とっくに身動きできない状況なのだ。

 それを免除してやる代わりに、子供を史春の屋敷に戻り込ませろと言ったのだ。

 そして、史春の屋敷に少華山の頭領がやってくるという情報があれば、この少華村の郊外にある銀杏の樹に印をつけて伝言を残しておくように指示していた。

 

 そして、案外早く、その情報はもたらされた。

 花芳がこの銀杏の樹木に、「ここで明日の夕に会いたい」と伝言を残したのが昨日であり、いま、こうして天文明は息のかかった役人とともにやってきたという状況だ。

 

「お館様が二日後に客人が来るので、魚を準備するようにという指示をなさいました。それと、客室三部屋も……。湯場の準備もです。湯場はあたしが清掃をしました。客人は陽が落ちてからやってくるそうです……。あたしらのような行き場のない者以外は、当日は非番を命じられました」

 

「客が来るのに非番だと?」

 

 役人が眉をひそめた。

 花芳が、史春の女執事が家人たちに指示をした内容を説明した。

 

 それによれば、確かに、その夜は史春の屋敷はほとんど空っぽに近い状況になる。聞けば、この数箇月、一箇月に一度くらいはそういう日があるらしい。

 また、花芳は、客人のためにどんな支度をするのかということも説明した。

 

「準備だけをして、当日は外出を許されるのです。実家が少華村にある者は戻りますし、小遣いも渡されるので城郭に遊びにいく者もいます。残るのは、あたしたち新参者と執事の陳二女様くらいのものです」

 

「確かに不自然だな……。家人がいなくてどうやって客をもてなすのだ?」

 

 役人はさらに言った。

 

「陳二女様がされると思います。史春様自らももてなすようなことを言っていました」

 

 花芳がおどおどしながら言った。

 

「間違いないでしょう。少華山の連中がやってくるのですよ。それに合わせて、家人を追い出そうとしているのです。こいつら五人が居残ることになったのは、こいつらだけは、借金の担保なので返すわけにいかないからでしょうな。いずれにしても、好都合ですな」

 

 天文明は言った。

 役人が大きくうなづいた。

 

「二日後の夜に合わせて、捕物の兵を出す。少華村は自警団もある村だから、下手に動けば混乱になり、少華山の連中がやってこないということもあり得る。少華村の史春を捕えたところで、少華山の頭領を逃してはなんにもならない……。だから、捕り物は百人の精鋭のみでやってもらう。それを村の郊外に隠しておき、夜になって屋敷に少華山の者が入り込んだらすぐに、夜陰に紛れて屋敷だけを囲んでしまうのだ」

 

 役人が言った。

 

「それがいいでしょう。及ばずながら、この天文明もお手伝いしますよ……。おい、花芳」

 

 天文明は少女に声をかけた。

 

「は、はい、天文明様……」

 

「さっき、連中は、屋敷にやってきたら、最初に湯場に浸かるのが習慣だと言っていたな。そのとき、できればこっそりと武器を隠してしまえ。武器を持ってまで湯には入らねえだろう」

 

 湯場というのは、貴人の家などにある湯に裸で入って身体を洗うという施設だ。湯船という大きな桶に湯を沸かしその中に入って温まるのだ。

 農村などの屋敷ではあまり見かけないが、史春はそれが好きで史春の父が名主だったときに作らせた。史春の屋敷の自慢のひとつだろう。

 

 役人と花芳は、さらに、屋敷に少華山からの客がやってきたときに、郊外に隠れている捕物兵とやり取りをするための光の合図なども確認していた。

 

「すべて成功したら、お前たち五人はまた元の贅沢な暮らしに戻れる。それだけじゃない。賞金も手に入って、もっと暮らしは楽になるぞ。お前も家族もな」

 

 天文明が最後に言うと、ずっとおどおどしていた花芳が嬉しそうな顔になった。

 そして、花芳は、史春の屋敷に戻っていった。

 

「天文明、今回のお前の働きには感謝する。少華山の頭領がこれで捕えられることができれば恩賞もあるだろう。この俺自身が口をきいてやるぞ」

 

 役人が言った。

 口をきいてやるというが、そのためには賄賂を寄越せということだろう。

 ここまで協力させておいて、さらに金子を要求するのかと鼻白んだが、天文明はそれを顔には出さないようにした。

 その代りに言ったのは、そのときはよろしくという短い言葉だけだ。

 

 いずれにしても、少華山の頭領たちとともに史春が捕えられれば、少華村を代わりに治める者が必要になる。そのときに、少華村に送り込む者もすでに準備しているし、それに関わる役人の根回しも終わっている。

 こんな下っ端の警尉官などではなく、城郭の行政府の立派な上級役人をそのために囲い込んだ。

 

 史春がいなくなれば、すぐに、その史春の父親の遠縁だという男が、村に不意にやってきて、そのまま名主に指名される手筈だ。無論、遠縁などというのは嘘だが、それを証明する書類なども揃っているし、審査をする役人も天文明は買収している。

 天文明の息のかかったその男が、少華村の名主になることが手間取ることはないだろう。

 

 今回に要した経費は、そこからすべて回収する。

 こんな警尉官ごときには、少華山の頭領と史春を捕縛してもらう以外にやってもらうことはない。

 

 

 *

 

 

「悪かったわね、史春。林冲が来なくて──。だけど、それをわざわざ、告げなければならないなんて、思いもしなかったわ。林冲は来ないわよ。少華山からわたしと林冲の両方が同時にいなくなるわけにはいかないのよ。役所の穀物庫を襲う以前とは違うのよ……。それにしても、林冲がいないことが、そんなに面白くないの、史春?」

 

 朱武美が湯に浸かりながら不機嫌そうに言った。

 

「そ、そんなことを言っていないじゃないの、朱武美……。あたしは、林冲が来なくて残念だと言っただけじゃないのよ」

 

 だんだんと機嫌の悪くなる様子の朱武美に、史春は困惑して言った。

 ただ、史春はてっきり三人揃って屋敷に遊びに来てくれると思っていたから、やってきたのが朱武美と李姫のふたりだけだったのに驚いただけだ。

 もちろん、少華山がいまやただの賊徒というわけではなく、豊城の行政府が目の敵にしている叛徒だということはわかっている。林冲が少華山から離れるわけにはいかないというのも理解できる。

 

 ただ、史春はそれを残念だと言っただけだ。

 しかし、湯船に三人で浸かって、なんとなく、そう呟いたら朱武美が急にむっとした顔になって文句を言いだしたのだ。

 

 ここは、史春自慢の屋敷内にある湯場だ。

 本棟の屋敷とは少し離れているが屋敷内だ。近くの小川から水を引き込んで水を張れるように工夫しているとともに、薪を炊いて湯を沸かせるようになっている。

 

 そして、やってきた朱武美と李姫を誘って、早速三人で湯船に入ることにしたのだ。

 客と主人が一緒に裸で湯に浸かるなど礼儀に反するかもしれないが、もう、彼女たちとはそういう仲だ。

 この時間のあいだに、屋敷側で陳二女が食事と酒の支度をしているはずだ。

 湯船に浸かって、すぐに温かい食事と冷やした酒を口にするのが史春もとても好きなのだ。

 久しぶりにやってきてくれたふたりとともに、史春も今夜はとことん愉しみたい。

 

「だいたい、史春って、丸わかりよ……。あんたってわかりやすいのよね──。わたしたちが屋敷に着いてから、わずか一刻(約一時間)のあいだに、三回も林冲がいないことを残念だという言葉を口にしたら、わたしじゃなくても、あんたが林冲に気があるというのはわかるわよ」

 

 朱武美がちょっと膨れた顔で言った。

 

「き、気があるって……」

 

「本当でしょう──? 白状しなさいよ、史春──。でも、林冲は渡さないからね」

 

 朱武美が史春を睨むように言った。

 史春は苦笑した。

 史春が林冲という男に特別な感情を抱いているのを否定するつもりはないが、朱武美という女も好きだし、朱武美と争って男を取り合うつもりはない。

 それよりも、あの猟師小屋の一件以来、もう男なんてこりごりだという気持ちが強い。

 

「へえ、史春って、林冲のことが好きなの?」

 

 湯船の端で鼻歌をうたっていた李姫がこっちを向いて言った。その口調も表情も無邪気そのものだ。

 

「好きじゃないわよ──」

 

 怒鳴り返したのは朱武美だ。李姫の裸体がびくりとなった。

 しかし、すぐに眉をひそめた。

 

「な、なに言ってんのよ。たったいま、朱武美が史春にそう言ったんだよ。それなのに、自分で否定しちゃうの?」

 

「な、なに言ってんのよ──。あんたまで、わたしをからかうの、李姫?」

 

 朱武美が李姫に怒鳴った。

 李姫は、わけがわからないという表情をしている。

 

 いずれにしても、林冲に関して、朱武美は随分むきになっているようだ。

 史春は思わず吹き出してしまった。

 戦にかけては冷静な策士だと知っているが、林冲のこととなると、少し子供じみた執着心を見せるところがある

 そんな朱武美を見ていると、なんだかからかいたくなる。

 

「林冲は好きよ。大好き」

 

 史春はわざとらしく、甘い声で言った。

 朱武美が目を見開いた。驚いたことにいまにも泣きそうな顔になっている。

 

「と、友達としてよ。友達──。朱武美と李姫と同じくらいに好きよ」

 

 史春は慌てて言った。

 それとともに、嘆息した。

 酔っていなくてこれだけ絡むのだ。

 酔えばどれだけ絡んでくるのだろうか……?

 そのとき、湯船に隣接する脱衣場に人の気配を感じた。

 

「あ、あの湯加減はいかがでしょうか?」

 

 少女の声がした。

 先日から雇うことになった隣村からやってきた少女のひとりだ。

 確か、名は花芳と言ったはずだ。

 

「いい湯加減よ。ありがとう」

 

 史春は答えた。

 午前中までに、朱武美たちを出迎える準備を整えて、ほかの家人たちにはすっかりと一日の暇を出している。

 いま屋敷に居残っているのは執事の陳二女とその五人くらいだ。

 朱武美たちの訪問のことは、家人にも知らせたくはないので、できれば五人にも暇を出したいのだが、借金の担保としてやってきているこの五人を隣村に戻すわけにはいかない。

 それに、まるっきり陳二女だけというのも大変だ。

 だから屋敷に残ってもらう者としてちょうどよかった。

 史春が返事をすると、脱衣所の人の気配が消えた。

 

「ところで、李姫はどうして、ふたりの仲間になったの? あなたって、この帝国ではなくて、北王国の出身なんでしょう」

 

 史春はまだ複雑な顔をしている朱武美を見て、話題を変えようと思って言った。

 

「あたし? あたしは林冲の愛人にしてもらうためについて来たんだよ」

 

 李姫はあっけらかんとして言った。

 史春はびっくりした。

 

「そ、その話はなしだと言ったでしょう──」

 

 すると、朱武美は李姫に噛みつかんばかりに怒鳴った。

 

「別になしでもいいよ。前にも言ったじゃないか、朱武美。これはあたしの話であって、林冲にも朱武美にも関係ない。だけど、あたしは里の掟には従うよ。林冲がその気になれば、いつでも処女を渡すけどね……」

 

「そ、その気になんかならないわ──」

 

 朱武美が引きつったような顔になった。

 

「朱武美じゃなくて、林冲がその気になるかもしれなじゃないか。それに、あたしは別にそれでもいいんだよ。性交なんて面倒くさそうだしね。だけど、林冲が言えばあたしは抱いてもらって子種をもらう。それまでは、ずっと林冲についていかなければならない。それがあたしの育った里の掟なんだ。それだけのことだよ……。それに、そんなことに関係なく、あたしは朱武美も林冲も好きだしね」

 

 李姫はにこにこと笑って言った。

 

「ね、ねえ、いまの話どういうこと?」

 

 史春は驚いて訊ねた。

 

「あたしの暮らしていたのは北王国でも隠れ里と呼ばれる戦闘種族の里なんだ。あたしは村の(おさ)の娘のひとりなんだけど、里には掟があってね……。それは、長の家の娘は、自分よりも強い者と結婚をして子を作るというものなんだ……。まあ、それで、いろいろあったんだけど、つまりは、北王国を旅していた林冲と朱武美が里に立ち寄って、あたしと決闘をすることになったんだ……」

 

 李姫が言った。

 

「それで、李姫が負けたということ?」

 

「そういうことだね。だから、あたしは林冲の子種をもらわないとならないんだ。それまでは、里の掟で戻ってはならないことになっているんだよ」

 

 李姫は平然と言った。史春は呆然としてしまった。

 

「林冲は子種なんて渡さないってはっきり言ったじゃないの──。その話はなしよ」

 

「だから、それでいいって言っているじゃないか、朱武美……。あたしも、本当は子種なんてどうでもいいんだ。里に留まれば北王国のどこかの領主に雇われて、その特殊工作兵として使われるだけだしね……。それよりも、こうやって外の世界を旅ができるのが愉しいし、それでいいんだよ。林冲に処女をあげるというのは、あたしの都合であって、朱武美も林冲も気にしなくていいんだ」

 

「処女、処女って繰り返し言わないでよ」

 

 朱武美の機嫌がまた悪くなってきた。

 

「林冲も大もてね……。朱武美に李姫……。あたしも満更でもないし……」

 

 史春は言った。

 

「怒るわよ、史春──」

 

 朱武美が声をあげた。

 史春は笑った。

 そのとき、突然に湯場の外から誰かが争う気配がしたと思った。

 

「それをどこに持っていくのよ、あんたたち──」

 

 執事の陳二女の声も聞こえる。

 その口調は尋常ではない。

 

「陳二女、どうしたの?」

 

 史春は湯場の窓から外を覗いて叫んだ。しかし、外は夜の闇でありよくわからない。

 次の瞬間、断末魔のような陳二女の悲鳴がとどろいた。

 

「陳二女──」

 

 史春は叫んだ。

 すぐに湯船から飛び出したのは李姫だった。

 彼女はまるで獣のような速度で湯船から飛び出すと、隣の脱衣場に飛び込んだ。史春もすぐに湯船の外に出た。

 

「あれっ? なんにもない──。武器も服もなんにもないよ、朱武美──」

 

 しかし、李姫の驚愕した声が史春の耳に届いた。



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23  入浴中の女三人、素裸で捕縛隊と戦う

「あれっ? なんにもない──。武器も服もなんにもないよ、朱武美(しゅぶび)──」

 

 李姫(りき)の当惑した声がした。

 史春(ししゅん)と朱武美も、脱衣所に走り込んで思わず声をあげた。

 そこに置いておいた衣類一式と武器が、籠ごと忽然となくなっている。

 さすがに史春も気が動転したが、すぐに、さっき湯加減を訊ねにきた新入りの少女の仕業と思い当った。

 しかし、わからないのは、なんのためにそんなことをしたかだ。

 そのとき、湯場の外から陳二女の苦しそうな呻き声が聞こえたと思った。

 

「ちょっと待っていて、朱武美、李姫」

 

 史春は意を決して、素裸のまま湯場の外に出る戸を開けた。

 

陳二女(ちんじじょ)、どうしたの? わあっ」

 

 史春は外に出て悲鳴をあげた。

 いつの間にか、湯場の周りをすっかりと城郭兵らしき捕物たちに取り囲まれていたのだ。

 史春が出ていくと同時に、捕物兵が持つ灯かりが一斉に光を放った。

 湯場から一歩出ている史春の裸身が、灯かりに照らされるのがわかって、史春は慌てて両手で身体の前を隠した。

 それとともに、兵の輪の中に五日前に隣村からやってきた新しい家人の五人がいることと、胸を刺された陳二女が血の海の中に倒れていることを見てとった。

 

「ち、陳二女──」

 

 史春は絶叫した。

 陳二女がすでに息をしていないのは明らかだ。

 

「どうしたの……?」

「なにがあったのさ……? うわっ──」

 

 朱武美と李姫も湯場の外に出てきた。李姫は素裸のままだが、朱武美は湯場の中で使っていた手ぬぐいで前を隠している。

 ふたりが湯場の外に集まっている捕物兵の集団に驚いて声をあげた。

 

「さあ、お前ら三人、観念して出てこい。男頭領がいないようなのは残念だが、女頭領だけでも捕えられれば十分だ。そして、史春──。お前も少華山の賊徒に与する者として捕縛する。女三人、一糸まとわぬ姿で、しかも武器もないとあっては、抵抗して立ち回ることもできまい」

 

 捕物兵の指揮官らしき者が哄笑した。

 そして、その指揮官が合図をした。すると、兵の集団の後ろから旗竿のようなものが数本高く掲げられた。その竿に布切れがたくさんついている。一瞬、なにかわからなかったが、竿についているのは史春たちの衣類だとわかった。竿には胸巻きや股布まで丁寧に掲げられている。

 史春は怒りの余りぎしぎしと歯を擦った。

 

「史春、とにかく、中に戻ろう」

 

 朱武美が叫んで、史春を湯場に引き戻した。

 三人で湯場に閉じこもって戸を閉めた。

 さらに内鍵を閉める。

 

「素っ裸のうえに武器もなければ、これだけの兵に抵抗するはできんだろう。観念して捕縛されろ」

 

 湯場の外から指揮官の大きな嘲笑いの声が聞こえた。

 

「あ、あなたたちに謝るわ。どうやら、城郭兵を史華村に入れられたらしいわね。手引きしたのは新しいあたしの家人よ。あたしの失敗だわ……」

 

 史春は口惜しさに歯噛みしながら、ふたりに言った。

 

「そんなことはいいわよ……。それよりも、どうやって逃げるかね……。なんとか、山にいる林冲に異変を報せることができればいいんだけど……」

 

 朱武美が困惑した口調でつぶやいた。

 懸命に策を考えている気配だ。

 しかし、もう史春の肚は座っている。

 史華村と屋敷は捨てる──。

 それしか生き延びる道はない。

 さもなければ、史春だけでなく、朱武美と李姫まで捕らわれてしまう。

 

「屋敷の勝手口側に油を入れている小さな小屋がある。それを屋敷にかけて火をつければいいわ。屋敷が燃えあがれば、いくらなんでも少華山からの砦からすぐにわかるでしょう?」

 

 史春は言った。

 

「いいの……?」

 

 朱武美が史春の顔をじっと見た。

 

「お願い、それをして──。あたしは捕物たちと戦うわ……。その隙になんとか包囲を突破して屋敷まで辿り着いて火をかけてちょうだい」

 

 史春は短く言った。

 そして、湯場に戻って、残っていた手ぬぐいを手にした。

 湯場には少し大きめの三枚の手ぬぐいがあったのだ。

 こっち側にあるのはそれだけだ。

 そのうちの一枚で朱武美が自分の身体を隠している。

 史春は手に取ったもう一枚の手ぬぐいを李姫に放り投げた。

 

「わかったわ──。李姫、お前が行きなさい。お前はすばしっこいから、なんとか屋敷まで辿り着けるでしょう? そしたら、すぐに火をつけるのよ──」

 

「あい、朱武美」

 

 李姫が真剣な顔でうなづいた。

 その李姫は受け取った手ぬぐいの一端を結んで大きな結び瘤を作った。それを湯桶の中にどぼんと浸けた。

 どうやら、それを武器代わりにするようだ。

 一方で朱武美は、両手で覆っていた手ぬぐいを腰の周りに巻いて腰の横でしっかりと結んでいる。

 

「おい、この湯場の戸を突き破れ──。中にいる素っ裸の女三人を引き摺り出すんだ」

 

 すぐ湯場の扉の外から声がした。

 史春は手ぬぐいを胸に巻くと、急いで前側で縛った。

 乳首などは隠れてはいないが、戦うとなれば、大きな乳房が揺れると邪魔だ。

 湯場の木の戸が向こうから棍棒や槍の柄のようなもので叩かれ出した。

 

「史春、わたしもあなたと一緒に戦うわ……。李姫も最初は一緒よ。でも、隙を見つけたら、ひとりで屋敷の裏に走りなさい──」

 

 朱武美が小声で素早く言った。

 

「わかっているよ、朱武美」

 

 李姫も小声で返した。

 史春も小さくうなづく。

 轟音がして戸の上半分に大きな穴が開いた。

 戸の鍵を探る手がぬっと出てくる。

 史春はその腕を掴むと、思い切りこっち側に引き込んだ。

 

「うわっ──」

 

 引っ張られた男が悲鳴をあげた。その男ごと戸が開く。

 三人で湯場から飛び出した。

 湯場の前は兵でいっぱいだった。

 まさか、素裸で女三人が飛び出してくるとは思っていなかったのかもしれない。

 湯場の戸を突き破ろうとしていた兵たちが、肝を潰したような顔になったのがわかった。

 史春は突き飛ばした兵のひとりから槍を奪った。

 

「近寄るんじゃないよ──。史華村の史春の武勇を甘く見るな──。近づくと大けがするよ──。ほらっ」

 

 掴んだ槍を横に一閃させた。

 女ながらも物心ついたときかた鍛錬していきた武術の腕だ。

 槍の柄に弾き飛ばされた兵が三、四人吹っ飛んだ。

 さらに踏み込む。

 槍を横に振り回して届く範囲の兵たちを飛ばす。

 迫力に恐れをなしたのか、史春の前からさっと兵が退き、眼の前から兵がいなくなる。

 

 その隙にさっと周囲に目をやる。

 さっきの指揮官は兵の群れに隠れてわからなくなった。

 一方で湯場を囲んでいるのはおよそ百人というところだ。

 それが屋敷内に入り込んでいる勢力だ。

 屋敷を囲む土壁の向こうまではわからない。

 

「きゃあああ───」

 

 史春は背後に目をやった。

 素手の朱武美がふたりの兵に身体を掴みかけられている。

 さっき腰に巻いていた手ぬぐいは、すでに奪われて素裸だ。

 

 史春は朱武美を掴んでいる男のひとりの肩をぶすりと刺した。

 男が悲鳴をあげて倒れた。

 朱武美が自由になった片手で、もうひとりの男の顔面に肘打ちを叩き込んだ。

 

 朱武美に群がった男たちが倒れる。朱武美が倒れた男が手放した剣に飛びついた。

 その朱武美に、別の男三人が上から飛びかかろうとする。

 

 しかし、朱武美が剣を掴むのが早かった。

 身を屈めた朱武美が三人の脛をさっと斬り裂いた。

 男たちが倒れる。

 

 今度は史春に向かって背後から長い棒を持った兵たちが迫ったのがわかった。

 史春は振り返って、突かれる棒を槍の柄で弾いて避けた。

 しかし、柄の内側にふたりに入られた。

 槍の弱点は懐に入られることだ。

 

 史春の裸身に兵が飛びかかる。

 史春は、その兵たちの睾丸を続けざまに、力の限り蹴りあげた。

 兵ふたりが白目を剥いてその場に倒れる。

 

「距離を開けろ──。投げ物を準備しろ──」

 

 どこからか兵たちに指示をする声がした。

 すると、兵たちがさっと動いて史春と朱武美を距離を置いて囲むような態勢になった。

 

「朱武美、大丈夫──?」

 

 史春は叫んだ。

 

「史春──」

 

 剣を持っている朱武美が史春のところに寄ってきて、ぴったりと史春の裸の背中と尻を合わせるようにした。

 

「李姫は……?」

 

 史春は周りを威嚇するように槍を構えながら朱武美にささやいた。

 

「行ったわ……。多分、もうこの包囲の外と思う……」

 

 朱武美がささやき返した。

 

「網よ──」

 

 そのとき、頭上から数枚の網が降りかかるのがわかって、史春は叫んだ。

 しかし、夜闇のために気がつくのが遅れた。

 朱武美の背を突き飛ばすようにして、その場から離れるのがやっとだった。

 網は地面に落ちたが、ふたりのあいだをさっと兵たちに割り込まれた。

 もう朱武美がどうなったのかわからない。

 だが、喧噪は聞こえる。

 兵たちの悲鳴もあがるが、朱武美の悲鳴も聞こえてくる。

 

「朱武美──」

 

 史春は前に立ちはだかる兵を倒しながら進みつつ叫んだ。

 さすがに史春の前にしばらく立っていられるような兵はなく、史春はかなり屋敷の外側まで進んでいる。

 屋敷の外壁は目前だ。

 そのとき、さらに大きな朱武美の悲鳴が聞こえてきた。

 舌打ちした。

 おそらく、史春だけなら、このまま遮二無二暴れれば、これくらいの包囲なら突破できる……。

 

 しかし──。

 

 史春は正面の兵を槍先で脅して距離を開けさせると、一転して再び湯場の方向に暴れ進んだ。

 

「いまだ、囲め──」

 

 目の前に梯子が迫った。梯子の両端を持った兵たちが梯子の中心で史春の身体を押すようにしてきた。

 ふと見ると左右からも梯子が来ている。

 

「どきな──」

 

 史春は叫んで前の梯子に突っ込んだ。

 体当たりする。

 肩が痛んだがそのまま押す。

 梯子を持つひとりが手を離して、前側の梯子が地面に転がった。

 

「朱武美──」

 

 その向こうに網の中で裸身をもがかせている朱武美を見た。

 その周りに兵が群がっている。

 朱武美は剣を持ったままであり、しきりに内側から網を破ろうとしている。

 その兵たちは史春が突進してくるのを見て、丸まっている朱武美を捨てて離れた。

 

「あたしが──」

 

 史春は外側から槍先を網の中に少し入れて、力任せに網を切断しようと試みた。

 

「ぐっ」

 

 しかし、違和感があった。

 槍を引いて、網に駆け寄った。

 そして、その網がただの網ではなく、一本一本の網そのものに細い金属の糸が巻き付いているのを発見した。

 これは切断できない……。

 

 そのとき、屋敷で突然に猛火があがった。

 李姫が火を放つことに成功したようだ。

 

「朱武美、ちょっと待ってて──。いま、網から出してあげるから、ちょっと我慢して……」

 

 史春は、しゃがみ込んで朱武美を包んでいる網を朱武美ごと横に倒した。

 網が絞られている部分を見つけた。

 それを両手で強引に広げる。

 

「いまだ、かかれ──」

 

 声がした。

 しかし、史春は油断していたわけじゃない。

 すぐに身体を起こすと、正面の男の腹を横に払った。

 槍は刺すと確実に仕留められるが、肉に刃を取られて抜きにくくなる。

 だから、史春は横に払って剣のように遣っていた。

 

 正当なやり方ではないが、かつて史華村を訪問したある旅人が、武芸のたしなみのない村人に、楽に戦うやり方だといって、こうやってやれと教えていたのを横で見ていたのだ。

 面白い男で、その男自身も武芸は一流というにはほど遠かったが、教え方だけはうまい男で、史春もいろいろと勉強になった。

 なぜか、そんなことを不意に思い出した。

 

 近づいてきた兵がまたひるんだ。

 再び、史春と朱武美を遠巻きに囲む態勢に戻った。

 朱武美はさっき拡げた穴から、懸命に抜け出してこようとしている。

 しかし、まだ狭くて抜け出ることはできないようだ。

 史春はまたしゃがんでそれを手伝おうとした。

 

「なんでもいい。物を投げろ──」

 

 声がした。

 一斉に石が飛んでくる。

 

「うわっ、ぐっ──」

 

 全身に石飛礫(いしつぶて)が浴びせられた。

 とっさに顔を守ろうとして、手で顔を覆った。

 横腹や腰、そして、腿、乳房に石が食い込む。

 朱武美も石をぶつけられて悲鳴をあげている。

 

「土だ──。土をかけろ──」

 

 今度は大量の砂や石が投げられ始めた。

 前が見えない……。

 そのとき、不意に横から体当たりを食らった。

 

「きゃああ」

 

 史春は横倒しに倒れた。

 兵たちに一斉に飛びかかられた。

 四肢が押さえつけられて仰向けにされる。

 槍も奪われた。

 

「し、史春──」

 

 朱武美の声がした。

 朱武美もまた、改めて殺到した兵たちに完全に網に包み直されている。

 

「腕を縛れ──。脚もだ──」

 

 史春を押さえつけている兵が史春を裏返しにした。

 両腕を背中側に捻じ曲げられる。

 その腕に縄がかけられていく。

 

「ち、畜生──」

 

 史春は叫んだ。

 両脚の膝の上にも縄がかかった。

 ぐいと締められる。

 

「さんざんに暴れやがって──。ふたりとも大人しくしろ──」

 

 兵のひとりの勝ち誇ったような不意に声がした。

 史春が声の方向に顔をあげると、横腹にその男の革靴の先が食い込んだ。

 

「ぐあっ」

 

 史春はその衝撃で胃液のようなものが込みあがった。

 別の兵がさらにもう一発──。

 史春は一瞬目の前が暗くなるのを感じた。

 全身が脱力する。

 

 そのとき、空を引き裂くような金属音がしたと思った。

 史春にさらに蹴りを加えようとしていた兵が、眉間から血を出して後ろに倒れていった。

 周囲が騒然となった。

 

「な、なんだ?」

「どうしたんだ?」

 

 兵たちが騒ぎ出した。

 

「伏せろ──。銃だぞ──。三人目の女だ──。女たちを連れて隠れろ」

 

 かなり離れた位置から指揮官の声がした。どうやら、指揮官は捕物の中心にはいなかったようだ。

 

 銃──?

 

 史春にはそう聞こえた。

 銃というのは、火薬とともに鉛玉を筒に込めて火縄で火をつけ、鉛玉を発射するという武器だと思う。史春はそれを知識としては知っていたが、もちろん接したことはない。

 なにしろ、銃も火薬も、塩などとともに一般には扱いが禁止されている禁制品なのだ。

 特に、銃は、売買どころか所持するだけで死罪だという帝国内でもっとも厳しく取り締まられているものだ。

 地方軍もほとんど装備してはおらず、この帝国では、帝都に駐留する国軍の銃士隊くらいしか存在していないはずだ。

 

「……李姫よ……。あの娘、この屋敷のどこかに銃を隠していたのね……」

 

 網に閉じ込められている朱武美が縄掛けをされて横たわっていた史春にささやいた。

 

 李姫が銃を……?

 驚いたが、次の瞬間、二発目の銃声が鳴った。

 史春と朱武美の近くにいた兵がまた倒れた。

 一発目とは別の方角から撃ってきた気がする。

 

「銃は一発撃てば、次の射撃までに時間がかかる。そのあいだに、もうひとりを見つけて引きずり出せ」

 

 指揮官が怒鳴っているのが聞こえた。

 

「李姫のことだから、夜闇の中を動き回りながら射撃の準備をしていると思うわ……。すばっしこいから捕まりはしないわよ……。それに、こっちは明かりに照らされていて、李姫が隠れているはずの闇からは狙いうちよ。大丈夫……。少しは時間が稼げると思うわ……」

 

 朱武美がさらに低い声で言った。

 時間を稼ぐことによって、朱武美は屋敷が燃えている炎を見つけた林冲が助けにきてくれることを期待しているのだろう。

 しかし、一方で、史春はいずれにしても、そう長くはもたないとも思った。

 李姫が燃やした屋敷は、すでに濛々と炎と煙を出して燃えている。

 湯場は屋敷からやや離れているので、まだその影響は少ないが、それでも、煙と火の粉が史春を苦しめだしている。

 そのとき、いきなり縛られている身体が地面を引っ張られた。

 

「こっち来い──」

 

 寝そべったままの男ふたりが史春の身体を二本の樹木の陰に引き摺っていた。すると、そこに指揮官がいた。

 指揮官の剣の刃が史春の鼻の下に当たった。

 

「もうひとりの女、出てこい──。さもないと、この女の鼻を削ぐぞ」

 

 指揮官が声を張りあげた。

 

「あ、あんた、どこまで卑怯にできているんだい? 女の服を奪ってから襲ってきやがって──。挙句の果てには人質にするのかい──」

 

 史春は縛られたまま叫んだ。

 

「やかましい──。鼻がなくても罪人としてもお前の価値に変わりはねえ。だが、鼻がなくなったら、せっかくのお前の美貌も台無しだ。それが嫌なら、お前も、もうひとりの女に降伏を呼びかけろ──」

 

 指揮官はさらに怒鳴った。

 

「くそっ、李姫、出てくるんじゃないわよ──。あたしは心配ないよ──」

 

 史春は叫んだ。

 

「この女──。こうなったら、本当に鼻を削いでやる。まだ、耳でも、指でも、乳首でも、斬る場所はいくらでもあるからな」

 

 史春の鼻の下に剣の刃を当てている指揮官の手に殺気が籠ったのがわかった。

 史春は恐怖で目をつぶった。

 

「この卑怯もん」

 

 不意に闇の中に李姫の声が響き渡った。

 

「いたぞ」

 

 兵たちの歓声がした。

 燃えあがる屋敷の炎を背景に、李姫の裸身が浮かびあがった。

 李姫は両手を上にあげている。その両手には真っ黒い銃が握られていた。

 

「捕まえろ──」

 

 指揮官が史春から手を離して叫ぶのと、李姫に向かって十人以上の兵が一斉に飛びかかるのが同時だった。

 李姫は抵抗しなかった。

 あっという間に銃が取りあげらて、李姫は兵たちに押さえつけられた。

 

「ら、乱暴しないで──」

 

 網の中の朱武美が悲鳴をあげている。

 素裸の李姫を縄で縛ろうとしている兵たちが滅茶苦茶に李姫を蹴り飛ばしているのだ。

 

「やめなさいよ──」

 

 史春も叫んだ。

 

「全員を屋敷の外に連れ出せ──」

 

 指揮官が言った。

 すでに屋敷は手が付けられないほどに燃えている。

 史春、朱武美、李姫は兵たちに寄ってたかって身体を掴まれて、煌々と燃える屋敷の外壁の土盛りの向こうに連れ出された。

 屋敷の敷地の外に出ると、一緒に屋敷の敷地内から飛び出してきた捕物兵たちに完全に囲まれた。

 遠巻きに、この夜の騒動に驚いて家から出てきた村人たちが大勢見える。だが、史春たちの周りにいる城郭兵に怖れをなして近づいては来ない。

 

「さて……。手間かけさせたうえに、何人もの将兵を殺しやがったな。お前たち──。それに、史春──。有名な女名主のお前だって、少華山の者と同様に死罪は免れんぞ──」

 

 指揮官が睨みつけた。

 史春と李姫は兵たちに縄尻を取られて、指揮官の前に素っ裸のまま縛られた状態で立たされた。

 網に入れられていた朱武美も、網から出されて改めて縄掛けをされている。

 

「それにしても、どの女も美人じゃねえか。それに三人とも鍛えあげた見事な身体だぜ。肌も白い──。このまま軍営に連れ帰って、裁判にかけさせて処刑させるには惜しい気もするな」

 

 指揮官が裸の女たちを見ながら満足げに笑った。

 

「か、勝手なことを言ってなさいよ──。命があるうちにね」

 

 やがて、朱武美も引き立てられてきた。その朱武美が指揮官の前に立たされると、開口一番にそう言った。

 

「命があるうちだと?」

 

 指揮官が不審な表情で顔をしかめたのがわかった。

 

「女三人の裸を眼の色変えて追い回しているうちに、忘れたちゃったようね……。ここをどこだと思っているの? ここはわたしたちの縄張りである少華山の庭のような場所よ。いつまで、のんびりと捕り物なんてできると思っていたのよ?」

 

 朱武美がにやりと笑った。

 そのとき、史春にもわかった。

 地面がかすかに揺れている。

 足の下の地面から沸き起こるその振動がだんだんと大きくなっていく……。

 

「な、なにか来るぞ──」

「黒い騎兵だ──」

「少華山の騎馬隊だ──」

 

 史春たちを取り囲む兵たちの外側の兵たちが騒ぎ出した。

 そして、一斉に逃げ出し始める。

 兵の輪が消えて、史春の視線にも、闇を斬り裂いてくる騎馬の集団が小さく見えた。

 

 林冲(りんちゅう)──?

 間違いない──。

 十騎ほどだと思うが林冲を先頭にした真っ黒い騎馬が疾走してくる。

 そして、あっという間に大鎌を抱える林冲が目の前になった。

 兵たちが悲鳴をあげて逃げ惑い出す。

 

「に、逃げるな、お前たち、隊を組め──」

 

 史春たちの前に、ぽつりと残るかたちになった指揮官が金切声をあげた。

 だが、史春たちを押さえていた兵たちまで、その場から逃げ出し始める。

 

「ば、馬鹿な──。早すぎる──。なんでこんなに、すぐに連中がやってくるんだ──」

 

 指揮官が狼狽えた声をあげた、

 確かに、こんなにも早く少華山から史華村に駆けつけてこられるなど異常だ。

 

「こうなったら、またこの女たちを人質にするんだ──」

 

 史春たちの前の指揮官が慌てて叫んだ。

 だが、指揮官や史春たちの周りにはもう兵はいない。

 そして、それが指揮官の最期の言葉になった。

 次の瞬間には、もう林冲が目の前にいて、指揮官の胴体を大鎌で真っ二つにした。

 

「お前たち、無事か──? 無事なんだな──?」

 

 馬上の林冲が血相変えた口調で史春たちを見た。



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24  史春(ししゅん)、少華山の頭領を懇願される

「美女三人の縄化粧姿か。滅多にお目に掛かれない見物だな。黒騎兵の連中も目のやり場に困っているぞ」

 

 林冲(りんちゅう)は軽口を叩いたが、内心では安堵のために脱力するほどだった。

 余裕を持ってやってきたと思ったが、実際には間一髪だったのだ。

 それに、ここにやってきたのは十騎だけだ。

 勢いに押されて百名ほどの捕物兵が逃げ散ってしまったが、連中がこちらの勢力が少ないことに気がついて、戻ってくる可能性もある。

 

「美女って、あたしも入るの、林冲? 林冲がこんなのが好きなら、あたし、縛られてあげてもいいよ。そしたら、子種をくれる?」

 

「つ、つまないことを言ってんじゃないわよ、李姫(りき)──。それよりも、早く縄を切って、林冲」

 

 朱武美(しゅぶび)が拘束された裸体を縮こまらせながら喚いた。

 

「はい、はい」

 

 林冲は馬をおりた。

 そして、三名の縄を順に切っていくために短剣を抜いた。

 

「た、隊長、ふ、服です……」

 

 郁保四(いくほし)が、捕物兵の連中が置き捨てていった衣類がついた竿を集めて持ってきた。赤い顔をして、三人の裸の女の前にそれを差し出す。

 

「あ、ありがとう、郁保四」

 

 最初に縄を切断した朱武美が、自分の服がついている竿をひったくって道端の樹の陰に隠れた。

 次に李姫の縄を切る。

 すると、李姫も自分の服だけ掴むと、どこかに消えていった。

 その素早さに林冲も苦笑してしまう。まるで動物のような女だと思った。

 最後に史春の縄を切断した。

 史春だけは、腕だけでなく膝上も縛られている。

 返り血も裸身についているし、随分と抵抗したのだろう。

 

「助けられたのは二度目ね、林冲……」

 

 縄から自由になった史春が頬を綻ばせた。

 そして、いきなり裸体のまま林冲に抱きついてきた。

 

「わっ、わっ、わっ、なにやってんのよ、史春──」

 

 樹木の陰の朱武美が怒鳴った。

 

「もうだめ……。あんたがいるから心を閉ざそうと思ったけど、この人、かっこよすぎるわ。李姫じゃないけど、あたしも、林冲の愛人候補に名乗りをあげるわ。あなたが望むならいつでも抱いて、林冲──」

 

 史春が力一杯、林冲を抱きしめて顔を胸に埋めてくる。

 

「林冲はわたしのよ──。渡さないって言っているでしょう──」

 

 着衣もそこそこに樹木から飛び出してきた朱武美が史春と林冲のあいだに身体を入れて引きはがした。

 

「いいじゃないの、朱武美。素っ裸で一緒に戦った仲じゃないの──。それに、これだけの賊徒の頭領にかしずく女がたったひとりなんて変よ。愛人のふたりや三人もいてもいいと思うわ。あたしも史華村にいられなくなりそうだし、林冲の愛人にしてよ」

 

「そ、それとこれとは別よ──。とにかく、あんたも服を着てきなさいよ、史春。みんなで砦に戻るわよ──」

 

 朱武美が林冲の前で両手を広げて声をあげた。

 苦笑するしかない状況というのは、こんなときだろう。

 史春は朱武美に服を押しつけられて、朱武美が隠れていた場所で服を着始めた。

 

「ところで、林冲、随分、救援が早かったのね。どんなには早くても、一刻(約一時間)はかかると思っていたわ」

 

 朱武美が林冲にべったりと密着しながら言った。

 

「まあ、たまたまな……。別に事態を予想していたわけじゃないが、このところ十騎ほどずつ順番に夜駆けの訓練をしていたのだ。官軍がまた攻めてきたときの備えにもなるしな。それで、少華山の麓の道を駆けさせていたんだが、史華村から炎があがったときと、史華村の近くを駆けていたときが、偶然にも一致したんだ。運がよかったな」

 

「本当ね──。嬉しかったわ」

 

 今度は朱武美が林冲にしがみついてきた。

 

「ねえ、林冲、朱武美──。こっちに来てよ──。ほらっ、さっさと歩くんだよ──」

 

 すると、李姫の声がした。

 朱武美が林冲から身体を離した。

 李姫がやってきたのは、炎があがっている史春の屋敷の裏手の土壁の外側からだ。

 銃を構えて、誰かを脅して前を歩かせている。

 

「て、天文明(てんぶんめい)よ、そいつ──」

 

 服を着てきた史春が、土手から飛び出してきて怒鳴った。

 

「天文明だと──?」

 

 林冲は駆けていった。

 林冲だけでなく、朱武美や史春も走ってきた。

 ほかの黒騎兵も一緒だ。

 周りをすっかりと囲まれると、李姫に連行されてきた男は顔を蒼ざめて、腰が抜けたようになって、その場に座り込んだ。

 

「銃で応戦していたときに、林冲と朱武美が賞金をかけた男に似ている男をたまたま見つけたんだよ。とりあえず、殴って気絶させたんだけど、まだいたから連れてきたんだ」

 

 李姫が銃を男に向けたまま言った。

 顔を見るのは初めてだが、聞いていた人相と確かに同じだ。この男の部下が史春を監禁し、さらに朱武美にも手を出したことはわかっていた。だから、少華山で賞金をかけていたのだ。

 ここにいるということは、今回のことも、どうやらこいつが絵を描いていたんだろう。

 

 そのとき、だんだんと周囲が騒がしくなってきた。

 ふと見ると、史華村の連中が史春の屋敷の火を消すために集まってきているところだった。ずっと遠巻きにしていたようだったが、どうやら城郭兵が完全にいなくなったと知って、やっと集まってきたようだ。

 

「林冲、朱武美、みんなが集まったら面倒になると思う……。あたしをこのまま、少華山に連れていって……」

 

 史春が顔を伏せて言った。

 

「いいのか?」

 

 林冲は言った。

 もう史春が史華村にいられないことは、林冲にもわかる。だが、史華村は、史春の父が生存のときから、史春が能力のすべてを傾けて経営してきた場所だ。それを思うと、気の毒で仕方がない。

 

「いいのよ」

 

 史春は寂しそうにそれだけを言った。

 

「よし」

 

 林冲は持っていた点鋼鎌(てんこうれん)を構えた。天文明の首に刃を伸ばす。

 

「ひいっ──。た、助けてくれ──。お、お願いだ──。この通りだ──。た、頼む。金ならいくらでも払う──。ほ、本当だ──。嘘じゃない──。金ならあるんだ──。お願いだ──。殺さないでくれ──」

 

 天文明がその場にひれ伏して泣き声をあげた。

 

「わかったよ……。命だけは助けてやる。だから、顔をあげろ」

 

 林冲は見苦しい命乞いに閉口して、そう言った。

 

「えっ、本当か──?」

 

 天文明が破顔した顔をあげた。

 

「嘘だよ」

 

 林冲は点鋼鎌を振って、天文明の首を斬り落とした。

 

「さあ、砦にいくぞ。朱武美は俺の馬──。郁保四は史春、李姫は……」

 

 林冲は三人を乗せる騎馬を指名して出発準備をさせた。

 

「出発──」

 

 そして、準備が整ったのを確認して、林冲は叫んだ。

 

 

 *

 

 

 林冲と朱武美が困惑した表情をしている。

 しかし、史春の決心は変わらなかった。

 

 少華山の砦にある頭領用の家だ。ほかの施設とは少し離れた小高い丘にあり、林冲と朱武美のふたりは、夫婦のようにそこで一緒に暮らしているのだ。

 

 史春は、そのふたりにもう一度自分の決心を伝えた。

 

「どうしても旅に出るのか、史春……? ここで一緒に官軍どもと戦おうじゃないか。お前も、それがしたいと言っていたし、残ってくれるわけにはいかないのか? いずれにしても、まだ、あれから三日しか経っていない。もう少し、ゆっくりと考えたらどうなんだ?」

 

 林冲がまた言った。

 史春が伝えたのは、少華山を出て旅に出るということだ。

 すでに史華村には戻れないことは確かだし、だったら旅に出ようと思った。

 いままで、史華村だけのことだけを思って生きてきた。

 史華村から出たことはないし、その必要も感じなかった。

 

 だが、史華村の名主でなくなった途端に、もうどうしていいかわからなくなった。

 生きる目標を失った気持ちだ。

 そして、そのことで自分がどんなに世間知らずなのかということも痛感した。

 だから、新しいことを見つけるために旅に出たいのだ。

 しかし、史春は三日前に屋敷を自ら燃やして脱出してきたときに、すべてを置いてきてしまった。だから、旅の支度をはじめ、路銀の融通も彼らに頼らなければならない。それを頼みに来たのだ。

 

「決心は変わらないわ。あたしは旅に出たいのよ。どうか路銀を融通してちょうだい」

 

 史春は同じことをまた言った。

 

「もちろん、路銀は渡す。必要なものがあれば、なんでも準備させるし、それは約束する──。だが、俺たちはてっきり、史春が少華山に残ってくれると思っていたんだ。そのつもりで、朱武美を話し合っていたんだ」

 

 林冲が言った。

 

「そ、そうよ、史春。お願いだから、少華山に残ってよ。一緒にここで暮らしましょうよ」

 

 朱武美も言った。

 

「でも……」

 

 史春は話を濁したが、そのつもりはなかった。少華山が官軍と戦って、税の取り立てで苦しんだ農民に穀物を分け与えたなどというのは、史春の胸もすくような活躍だと思ったが、史春はやはり賊徒にはなれない。しかし、それを面を向かって言うのは、ふたりに心苦しかったので、口にしないでいた。

 

「俺たちは頭領ということになっているが、史春が残ってくれるなら、それにこだわるつもりはないんだ。あんたは、その若さで、史華村を周辺のどの農村よりも豊かな場所にしただけの名主だ。その能力を生かして、少華山の頭領になってくれないか?」

 

 林冲が言った。

 これには史春はびっくりした。

 

「あ、あなたたちに代わって、あたしが頭領? 冗談を言わないでよ、林冲」

 

 史春は言った。

 

「いえ、冗談じゃないのよ、史春。わたしたちは、あなたが残ってくれるという前提で、組織のことを話し合ったのよ。わたしたちは、頭領だから偉いとか、ただの兵だからどうでもいいとか、そういう身分のようなものがある組織にここをしたくないの。それぞれの能力に応じて役割が与えられる。そして、ひとりひとりの意思で、憎い役人や官軍と戦う──。そういう場所にしたいのよ……。そういう点では、あれだけの村の名主を務めた史春以外に、ここの頭領は考えられないわ……。そのことを今夜にでも、話し合おうと思っていたのよ。そうしたら、あなたからは思いもよらない別れの話だし……。ねえ、本当に残ってもらうわけにはいかないの?」

 

「あたしを頭領なんて本気なの、朱武美? あたしは賊徒のことなんてなにも知らないわよ」

 

「そんなもの誰も知らん。俺も知らんし、朱武美も知らん──。それに、俺たちは頭領の器じゃないしな。あんたに譲りたい」

 

 林冲が笑った。

 史春は唖然として言葉も出なかった。

 

「で、でも、仮にあたしが頭領だとしたら、あなたたちはなんなの?」

 

 史春は訊ねていた。

 

「朱武美は軍師として史春を支える。俺は軍を率いる。それが相応だ。史春は史華村を導いた手腕を少華山で発揮して欲しい。駄目か……?」

 

 林冲が言った。

 自分たちが支配していたこれだけの賊徒を惜しげもなく史春に渡すという林冲たちの器の大きさにはびっくりしたが、やはり史春の決心は変わらない。

 

 それに、話を聞いてさらに決心は固まった。

 いずれにしても、旅には出る必要がある。

 旅で見聞を広げるのだ。

 さもなければ、頭領などという大それたものはもちろん、ここに集まっている賊徒たちの頭領はできない。

 世間知らずの自分が、賊徒を導くなどということができるとは思えない。

 そう言った。

 

「わかった。もう止めんよ──。だが、俺は史春がしばらく旅に出たと思うことにするよ。旅をして、いつか戻ってくるとな」

 

 林冲が言った。

 

「ありがとう、林冲」

 

 史春はとりあえず頭を下げた。

 

「わ、わたしは納得いかないわ──。ねえ、史春、残ってよ。お願いだから一緒にやって──。友達じゃないの──」

 

 朱武美が叫ぶように声をあげた。

 そのあまりの必死な口調に史春も言葉を失った。

 

「朱武美……」

 

「あ、あれも考えるから──。本当は嫌だけど、でも、少しなら……。林冲をふたりが伴侶にする……というんじゃなくて、わたしが一番で、あんたが二番ということだったら我慢する──。ねえ、ここに残って、史春?」

 

「えっ、なにが?」

 

 史春はわけがわからずにそう言った。

 

「三日前に言っていた愛人のことよ。認める──。史春を林冲の愛人に認めてもいいから残って──。それでもだめ?」

 

 朱武美が泣きそうな顔で言った。

 林冲のことを朱武美がべた惚れなのは知っているから、そのふたり目の愛人に史春がなってもいいというのは、朱武美としては考えられないほどの妥協だろう。

 史春はそのことで、朱武美もまた、心の底から史春が残ることを願っているということがわかった。

 

「おい、朱武美……」

 

 しかし、林冲は当惑したように朱武美を見た。

 

「あ、あなたは黙って、林冲──。わたし、決めたの──。史春はここに必要な人材なのよ」

 

 朱武美が必死の口調で言った。

 

「二度と戻って来ないとは言わないわ……。でも、あたしを旅には出して、朱武美。あたしには、それが必要な気がするわ」

 

 史春はそれだけを言った。

 

「わ、わかった……。そこまで言うなら、もう止めない……」

 

 朱武美が意気消沈したように嘆息した。

 

「でも、だったらひと晩だけでも恋人を貸して欲しいわね……。旅に出る前に……。思い出作りよ。さっそく今夜、林冲を貸してくれる?」

 

 史春はにっこりと朱武美に笑いかけた。

 

「ひ、ひと晩……? えっ……、今夜……? ちょっと……、あっ……で、でも……。そ、そうね……。わ、わかった……。わたしは……ほかの部屋で泊るね……」

 

 朱武美がいまにも泣きそうな顔で立ちあがろうとした。

 史春は慌てて、それを押し留めた。

 

「ば、馬鹿ねえ──。冗談よ。冗談──」

 

 史春は手を引っ張って朱武美を座り直させた。

 もっとも、史春は本当は冗談を言ったわけじゃなかったが……。

 

 

 *

 

 

 出発の日が訪れた。

 

 前の晩は、林冲が牛一頭と豚五匹を購ってきて、砦をあげての別れの宴を催してくれた。

 酒樽もたっぷりあった。

 史春は久しぶりに痛飲した。

 

 だから、早朝の出発の予定が、(ひる)前になってしまった。

 農家の朝は早い。史華村では早起きが当たり前だった。

 史春自身は名主なので、自ら耕作することはなかったが、生活習慣はほかの村民と同じにしていた。

 朝寝など生まれて初めてかもしれない……。

 

 史春は、自分の寝坊で、もう自分が農村の名主ではないことを実感した。

 史春は苦笑してしまった。

 

 宴は愉しかった。

 林冲たちが“兵”と呼んでいる賊徒たちとも酒を交わした。

 史春は、彼らの顔を知らなかったが、かなりの者が史華村の若い女名主である史春のことを見知っていて、評判のいい名主だった史春と酒を交わしたがってくれた。

 

 兵たちは賊徒といっても、少しもすれたところがなく純粋な目をしていた。旅人や農村を襲う盗賊暮らしから、官軍と戦う義賊となったことで、彼らはみなそれに誇りを持っていた。

 そして、彼らのほとんどは根っからの悪人なのではなく、厳しい税の取り立てや、官軍の横暴などで田畠を失って生きる場所を失い、仕方なく盗賊になった者たちばかりだということもわかった。

 根っからの悪人は、すでに少華山から逃げ出すか、処断をしていると林冲は言っていた。

 

「畠と家畜のことは、さっそくやってみるよ。意見をありがとう、史春」

 

 砦の北側の麓まで見送りに来てくれた林冲が、史春と別れの握手をしながら言った。見送りには、朱武美と李姫も一緒だ。

 短い期間だったが、史春は少華山の砦で幾らかをすごした。出ていくに際して、改善した方がいいところはないかと、林冲と朱武美に訊ねられたので、史春は思ったことを言った。

 

 それが、砦の中に、作物を育てる畠と家畜を飼う牧を作ってはどうかという提案だ。

 砦だから籠城することもあるだろう。そのためには、兵糧を備蓄することも重要だが、少しは自給自足ができればさらにいいはずだ。

 そう思っての提案だ。

 

 少華山の砦のいいところは、大軍で攻められにくいような天然の要害であるというだけではなく、川や池が無数にあり、水が豊富なことだ。水のほとりは湿地帯ができる。湿地帯は特に土を作らなくても作物がよく育つ。兵には農村の出身者が多いこともわかったし、畠作りは難しくないだろう。苦労せずに育てられる野菜の数種類の候補もあげた。

 

 それとは別に、開墾して田を作ることも提案した。

 長期的には穀物を自給することが望ましいし、それには稲がいいのだ。狭い場所でも多くの穀物がとれる稲は効率がいい。稲は水稲が簡単だが、山の上でも、ここなら水が豊富なのでそれも可能だろう。それに開墾自体が戦闘のための訓練にもなるはずだ。

 林冲は乗り気のようだ。

 

 また、家畜についても飼ってはどうかと言った。

 馬を飼育する牧はあるが、ほかに飼育している家畜はいない。

 林冲と朱武美には、豚はどうかと言った。短い時間で大きくなるし、なによりも、飼うのに広い場所が必要ない。餌は残飯でいいし、これも飼育が面倒ではない。

 

 さらに提案したのは、糞尿の管理だ。

 厠は作ってはあるが、その都度、いっぱいなったら埋めているだけで不衛生、かつ、非合理的だった。

 畠を作るようになれば、人糞は貴重な肥料になるし、糞尿を無造作に扱うと伝染病の原因になりやすいのだ。肥溜めを作るとともに、その肥溜めや厠の周りを清潔に保つように意見を言った。

 林冲も朱武美も、糞尿の管理までは気が回らなかったと、感心していた。

 

「困ったことがあったら、すぐに連絡してね。わたしたちは家族よ」

 

 朱武美も史春の手を握っていった。

 朱武美は驚いたことに、少華山への連絡手段として、豊城の城郭や史華村がある東側とは反対側の奥州の飛脚屋を一軒買収してきていた。

 旅に出る史春が少華山に連絡ができるように、そこに架空の相手に手紙を送れば、少華山に連絡が来るように手配をしてきたようだ。それを数日でやってきていた。

 

「それで、どっちにいくのさ、史春?」

 

 最後に李姫と握手をした。

 

「とりあえず、青州に行こうと思うの……。賊徒が多い場所だし、かなり民衆も荒れていると聞くわ。それをこの目で見るのよ」

 

 青州とは俗称であり、北州の東地域だ。

 二竜山(にりゅうざん)桃花山(とうかざん)清風山(せいふうざん)などに賊徒が集まり、治安が悪くて人も荒れているという。

 そういう場所をこの目で見てみたい。

 ほかにも、この国の実態を自分の耳目で触れる。

 この少崋山を預かることになるとしても、その肌で実感した感覚が役に立つはずだ。

 

「ふうん」

 

 李姫は生返事のような声を出した。

 なんとなく、史春はそれがおかしかった。

 

 史春は、最後にもう一度改めて三人に別れを告げた。

 初めて旅をする史春に、昨日、三人は必要なことを教えてくれた。

 路銀についても、十分以上のものを準備してくれた。

 

 荷は背負い、得物は棒だ。

 武芸全般に得意だが、なによりも棒なら誰にも負けない自信がある。

 そこらの山賊や強盗に引けを取ることはないはずだ。

 

「じゃあ、またね」

 

 史春は言った。

 そして、街道を南に向かって進み始めた。



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第8話   二流の英雄
25  李忠(りちゅう)魯花尚(ろかしょう)を七度絶頂させる


 李忠(りちゅう)は、魯花尚(ろかしょう)とともに案内された部屋に入った。

 住居にしている下宿屋のある孟城(もうじょう)の城郭まで半日の距離にある街道沿いの宿場町だ。

 

「ね、ねえ……。お、お願い、李忠……。い、いつも、悪いと……、お、思っているから……」

 

 いつもの安宿に泊まることにした李忠と魯花尚があてがわれた部屋に入ると、すぐに魯花尚は服を脱ぎ始めた。

 本来は白い魯花尚の肌は淫情のために真っ赤になっている。

 荒い息をしていて、息をするのもけだるそうだ。

 膨れあがった全身の疼きのためか、指が震えてうまく動かないらしく、衣類の帯の結び目を苦労して解こうとしている。

 

 いつもの発作が始まったのだ。

 普段は、絶対に男を寄せ付けないと思うほど毅然としたこの女が、約十日に一度だけ狂ったように欲情することがある。

 今日がこの日だったようだ。

 

 李忠と魯花尚は、北州の孟城の城郭を拠点として、ふたりで組んで城郭の外に出る者を警護するという商売をしていた。

 今回の仕事は、隣の城郭に嫁いだ娘夫婦を頼って身を寄せることにした老夫婦を送るというものだった。

 片道二日かけた旅も終わり、いまはその帰りだ。

 つまりは、李忠たちの商売とは用心棒だ。

 もっとも、用心棒といっても大したものではない。

 城郭の者がちょっとした用事で隣の城郭まで旅をしたり、あるいは、商売人が注文のあった荷を届けたりするときに、その道中に同行するというだけのものだ。

 

 この辺りは物騒だ。

 強盗が横行し、あちこちの山に賊徒が巣を作って旅人などの荷を狙っている。それを取り締まるための城郭兵はあてにはならないし、このところの度重なる臨時の重税で逃散する市民や農民が後を断たず、盗賊は増える一方だ。

 治安の悪さは、周域の庶民を大いに困らせていた。

 

 金のある者はいい。

 ちゃんとした立派な警護を雇って、自らを防護することができるからだ。

 しかし、限られた財しかない者は立派な用心棒を雇うことなどできない。

 だから、武術に心得のある知り合いに同行を頼むことになるのだが、そのような知り合いのいない者がどうしても城郭の外を旅行しなければならないときは、運を天に任せて、盗賊に出会わないように祈りながら行くしかないのだ。

 

 それで、李忠のような者の出番になる。

 李忠が受け取るのはちょっとした小遣い程度だ。

 それと旅のあいだの宿代と食事代──。

 それだけを負担してもらう。その代償として、しっかりと武装した李忠たちが一緒について歩くのだ。

 料金は相場に比べれば破格。

 金のない庶民を相手にする商売だ。そんなに多くを取ることはできない。 

 

 だから繁盛した。

 金持ちにはなれないだろうが、晩の酒代には困らない。

 そんな生活ができるようになった。

 考えてみれば、こんなに楽な商売はない。

 人足などをして、汗水流して一日労働するよりも遥かに多い報酬を、ただ道中に同行して歩くというだけでもらえるのだ。

 

 だったら、ほかの者も真似をしそうなものだが、いまのところ、競合する商売相手はいない。

 分限者や大きな商人を相手にする警護屋はいるが、安い料金で庶民を相手にする同業者は少なかった。

 それは、本当のこの界隈が物騒だからだ。

 余程の腕がない限り、ひとりやふたりで旅の警護をするというのは危険だし、安い代金で盗賊団に襲われて命を奪われたら割に合わないと思っているのだ。

 

 しかし、実際には、李忠がこの商売を始めて半年になるが、まだ、盗賊に襲われたことはない。

 それには、ちょっとした要領があるのだ。

 盗賊に狙われやすい者と狙われにくい者がいる。

 李忠は警護の仕事を依頼されたとき、大きな盗賊団に狙われにくい見た目の客を選んで仕事を受けているのだ。

 実は李忠は、かつて、少しだけだが街道で強盗稼業をしたことがある。

 

 まだ、二十歳前のことで十年以上も前のことになる。

 だから、盗賊の心理はある程度わかる。

 盗賊にしても、わざわざ襲うのだ。

 危険に見合う報酬がある獲物を狙う。

 李忠が警護を受けるのは、大した金を持っているとは思えないような相手だけだ。しっかりと金を持っている者の仕事は受けない。

 

 だから、李忠が付いていこうと、付いていくまいと李忠が選ぶ客は、もともと大きな盗賊団には襲われにくい見た目の者なのだ。

 それでも、少人数の強盗などだと、あえて大きな獲物を避け、金目の物を持ってなさそうでも安全そうな旅人を襲撃することはある。

 

 それを排除するのは、李忠の頬の大きな傷と強面の顔だ。

 また、派手な装飾のある得意の槍である。

 李忠自身も強盗を商売にしたことはあるから、盗賊をするような連中はとても臆病だということを知っている。人数を恃まない盗賊は、襲う者を選ぶ。

 

 向こうも命懸けなのだ。

 だから、危険だと思う相手は襲わない。しっかりと武装した李忠がついていけば、それだけで小さな盗賊は寄ってこない。

 仕事は楽だし、金は稼げるし、庶民の味方だといって感謝もされる。

 今回も、金持ちの雰囲気のかけらもない老夫婦を襲う強盗などなく、無事に娘夫婦のところまで送り届けることができた。

 娘夫婦からも感謝され、決まっていた報酬の数倍の礼金までもらった。

 本当にいい商売だ。

 

「な、なにをしているのよ──。あ、あんたも、は、早く、服を脱いでよ」

 

 まだ服を着たまま、悠然と椅子に座っている李忠に気がついて、魯花尚が抗議の声をあげた。

 

 魯花尚はすでに素っ裸だった。

 淫情の発作ですっかりと欲情してしまった魯花尚の乳首は完全に勃起していたし、股間からは、自分ではどうしようもないらしい滲み汁がねらねらと亀裂を濡らしている。

 

「まあ、焦るなよ。まずは、俺の珍棒を舐めな、魯花尚。淫乱女の技巧を見せてくれよ。前回、あんまり下手糞な舌技だったから、次の発作のときまでに練習をしておけと宿題を出したが、少しはうまくなったか──?」

 

 李忠は下袴をはいたまま、前だけをはずして、すでに反り返っている怒張を外に出した。

 

「ふ、ふざけるんじゃないわよ──。お、お前はただ、わたしの股間にそれを突っ込んで、精を入れてくれるだけでいいのよ──。それで発作は収まるんだから」

 

 魯花尚が怒りを顔に浮かべて声をあげた。

 

「そして、また十日間、冷たい態度を俺に取るんだろう? 約十日を頻度に起きるお前の淫情の発作を抑えるためには、男から精を受けるしかないというのはわかっているんだ。精をやるから、まずは舐めな……。舐めなければ精はやらねえ。その狂ったような淫情を抱えて、のたうちまわりたいのかい?」

 

 李忠が嘲笑った。

 魯花尚が口惜しそうな顔をした。

 

「く、くそう……。足元を見て……。お、俺は本当は男だぞ。それなのに口で舐めてもらいたいのかい、李忠──?」

 

「下手な演技はやめるんだな。本当はもう、心が女になっていて、男の仕草や喋り方をする方が大変なんだろう? 全部、知っているぜ──。だいたい、お前のどこが男だ。どこからどう見ても女じゃねえか──。お前が道術で女にされた元男だというのは、俺はまだ信じちゃいねえよ……。まあ、仮に、真実だとしてもどうでもいい……。お前は俺にとっては、絶世の美女だし、いつもはお高く止まって俺を寄せ付けねえが、そうやって、十日に一度、淫らに腰を振りながら精をねだってくる可愛い女だ。こんな風に発作のたびに、俺に邪見にされるのは、いつも、なかなかやらせてくれねえからだよ……。いいから、舐めな。精が欲しくないのか?」

 

 李忠は自分の怒張を指でぶらぶらさせた。

 魯花尚が歯噛みしている。

 しかし、根競べをしても、李忠が勝つのはわかっている。

 よくわからないが、あの淫情の発作というのは本当に苦しいらしい。

 男の精を受けるまで欲情が身体に渦巻いて、だんだんと頭がおかしくなっていくのだそうだ。

 

「わ、わかったよ……。な、舐めるよ。その代り精をくれよ……。そ、それと、練習なんてしてないからな……。うまくはなってないよ」

 

 魯花尚が大きく息を吐いた。

 それにしても、淫情に苦しんでいる魯花尚の姿はたまらなく色っぽい。

 これが、元男というのは、どうしても信じる気にはならない。

 魯花尚が跪いて口を開けた。

 

「待て」

 

 李忠は一物を咥えようとした魯花尚の顔を手で制した。

 

「な、なに?」

 

 魯花尚が不審の視線を向けた。

 

「さっきから、わざと男言葉に戻そうとしているだろう。興醒めするんだよ。女言葉を使いな」

 

「なっ──。俺は元男だと言っているだろう」

 

 魯花尚が怒ったような表情で声をあげた。

 

「そうだとしても忠告しただろう。お前を女にした者は、お前を探しているんだろう? 男の喋り方をする美女が、北州の孟城の城郭にいると評判になったらどうするんだ? だから、普段から女の喋りや仕草に慣れておきな。それなら、人の海に隠れられる。帝都がどんなにお前のことを探しても見つかりはしねえよ」

 

「くっ……」

 

 魯花尚が李忠を睨んだ。だが、すぐに諦めたようにうなずいた。

 

「わ、わかったわ……。と、とにかく、精を頂戴……」

 

「それと、今夜はこれをしてもらう──。背中に手をまわして、自分で手錠をかけるんだ」

 

 李忠は準備していた荷から金属の手錠を魯花尚の前に放り投げた。

 

「な、なんで、こんなものを──?」

 

 魯花尚は目の前に投げられた手錠を見て、怒るというよりは唖然とした。

 

「いやならいいぜ。俺は自慰をして寝ることにする。俺は別に絶倫じゃねえならな。一度出せば、もう、一日くらいは精は出ねえぞ」

 

 李忠はわざとらしく、手で自分の一物をしごいてやった。

 

「わっ、わっ、ま、待って──。するよ。手錠をするから……」

 

 いまの魯花尚はなにを言っても命令に従うしかない。

 だが、本当は嫌なのだろう。卑猥なことを要求するたびに、いつも魯花尚の顔が恥辱で歪む。

 しかし、その顔はぞくぞくとするほど美しいと思う。

 だから、李忠はあの手この手で、いつも魯花尚が嫌がることを探して、十日に一度の発作と待ち構えている。

 今回準備したのが、この手錠だ。

 

 魯花尚は口惜しそうな表情をしつつ、一方でますます込みあがる熱い疼きに吐息をしながら、自分の両手首を背中にまわして手錠をかけた。

 両手を後ろにまわしたままの魯花尚が、李忠の性器を口で頬張った。

 

 この道術で女にされた男だと言い張る美女を李忠が助けたのは約三箇月前だ。

 孟城の城郭で行き倒れになっている魯花尚を李忠が発見して助けたのが縁だった。

 

 城郭の路地裏で倒れている魯花尚を偶然に発見したときには、最初は本当に男だと思った。

 身体の線がわからないようなゆったりとした服を着ていたし、下袴もはいていた。

 髪は長かったが無造作に後ろに束ねているだけだったし、なによりも恐ろしく不潔で汚れていたのだ。

 

 行き倒れなんかいつも放っておくが、その日は警護業でいい稼ぎがあったばかりで気分がよかった。

 なんとなく、助けてもいい気持ちになり、李忠は行き倒れ者を自分の下宿に連れ帰って介抱することにした。

 そして、身体を拭くために服を脱がせてびっくりした。

 男だと思い込んでいたそいつには、大きな乳房があったのだ。

 しかも、よく見れば絶世の美女だ。

 とにかく、李忠は薬を与えて、そのまま、李忠が寝泊まりしている下宿の部屋で女を休ませた。

 

 やがて、目を覚ました女は魯花尚と名乗った。

 なんとなく偽名だろうと思ったが、やはりそうだった。

 どうやら、この魯花尚は、人に会うたびに、違う偽名を使っていて、李忠に介護されて意識が戻ったとき、とっさに思いついたのが、魯花尚という名だったそうだ。

 こうして、そのときから、この「女」は魯花尚になった。

 

 李忠は、同じ下宿屋に住む流しの歌うたいの金翠蓮(きんすいれん)という少女に頼んで、病人が食べられる柔らかいものを作ってもらい、魯花尚に食べさせた。

 魯花尚は翌日には起きあがることができるようになった。

 どうやら、倒れた原因は疲労と飢えのためのようだった。

 いずれにしても、事情がありそうだった。

 

 単なる旅の女という感じではなかった。

 どこからか逃亡してきたという感じだ。

 逃亡といえば逃亡奴隷だが、奴隷なら首輪の痕や奴隷印があるはずだが、それはなかった。

 また、鞭で打たれていたような傷痕もどこにもなかった。

 この美女は何者だろうと思った。

 だが、魯花尚は助けてもらったことには礼を言ったが、素性については、すぐに語ろうとはしなかった。

 

 語ったのは、その夜のことだ。

 淫情の発作が起きたのだ。

 李忠は驚いてしまった。

 正直にいえば、魯花尚が意識を回復して最初に考えたのは、こんな美女と一発やりたいということだった。

 高級娼婦にも匹敵する美貌であり、すでにこっちは介護のために裸体も見ている。

 命を助けたんだから一回くらいやらせてもらってもいいと思った。

 それで、どうやって切り出したものかと考えていたら、突然、全身を震わせて苦しむような仕草をし、不意にしがみつかれて頼むから精を股に入れてくれと言われたのだ。

 

 最初は断った。

 とっさに、これはおかしな病気だと思ったのだ。

 抱きたいとは思ったものの病気女は困る。

 李忠がそう答えると、魯花尚は苦しさに呻きながら、病気などではなく淫情の発作だと説明した。

 自分は元男であり、道術で女に変えられたうえに、十日に一度男の精を女の性器に注いでもらわないと、狂ったような疼きに襲われるのだと言った。

 

 李忠は魯花尚と性交することにした。

 そのついでに、素性も聞き出した。

 勃起した珍棒をちらつかせながら、白状しないと精をやらないと言えば、魯花尚はほとんど朦朧とした状態で、帝都から逃亡してきたことや、魯花尚に道術をかけた者は、魯花尚の行方を捜しているだろうということを喋った。

 

 魯花尚というのが、偽名だというのもすぐに白状した。

 ただ、本名である別の男名は最後まで言わなかった。

 帝都でなにをしていたかということも喋らなかった。

 李忠もそれ以上深く追及はしなかった。

 

 女陰に精を注ぎ込むと、魯花尚はさっきまでの淫情が嘘のように平静に戻った。

 態度も余所余所しくなり、すぐに出て行こうとした。

 だが、結局は李忠と一緒に暮らすことになった。

 李忠が説得したのだ。

 魯花尚に行先はないと言っていたし、そのときは魯花尚は一文無しだったのだ。

 旅など続けられるわけがない。

 

 そして、李忠は、こうなったら、淫情の発作のことや魯花尚の事情をある程度わかっている男と一緒の方が楽なのではないかと諭した。

 すると、魯花尚は考え始めた。

 

 話を聞けば、魯花尚は、李忠と出会うまでも一箇月ほど放浪していらしいが、十日に一度の淫情の発作が起きるたびに、男漁りのようなことをしていたらしい。

 これだけの美女なので、性の相手を探すのは苦労はなかったようだが、問題も多かったようだ。

 

 魯花尚は、李忠の言葉に納得して、李忠の世話になることを決めた。

 李忠の警護業を手伝うことになったのはすぐだ。

 魯花尚自身が腕に覚えがあるので、警護業を手伝いたいと言ってくれたのだ。

 

 魯花尚がどのくらいの武術の腕なのかは見ていないが、剣を与えて持たせると、構えは様になっていた。

 ひとりよりも、ふたりの方が手ごわそうに見えるだろう。

 李忠は、魯花尚にも武器を持たせて、一緒に警護業をさせることにした。

 

 それに、なによりも、李忠がいない夜に、発作が起きては困るという魯花尚の切実な都合もあった。

 発作が起きる時刻は決まって夜ということは、はっきりしているのだが、頻度は平均すれば十日に一度というだけで、八日目のこともあるし、十二日目のときもある。つまり、発作と発作の間隔は一定していないのだ。

 

 いずれにしても、こうして、魯花尚は李忠の警護業の相棒となることになった。

 これに際して、李忠は、魯花尚に女の服装をするように要求したし、喋り言葉も女にさせた。

 魯花尚を探している連中は、魯花尚が元男だということを知っている。

 だから、男のような美女がいるという噂がたてば、すぐに居場所が判明してしまうからだと説得した。

 魯花尚は忠告を受け入れて、普段は女としてふるまっている。

 

 もっとも、李忠がそれを魯花尚に強要したのは、その方が愉しいからだ。

 だが、魯花尚はさっきのように興奮すると男言葉になることもある。

 しかし、それは自然に出るのではなく、実はわざとそうしているらしい。

 それも、何度目かの性交のときに白状させた。

 

 魯花尚は十日に一度の発作のたびに精を受けているうちに、だんだんと心も女のように変わっていく自分を発見したのだという。

 いまは、男言葉よりも女言葉が楽なようだ。

 女としての羞恥も生まれてきたし、女に性欲を感じなくなったとも言っていた。

 これも道術の影響に違いないと魯花尚は言っていた。

 

 つまり、魯花尚の道術の影響はまだ続いており、身体だけではなく、心までだんだんと女体化しているらしい。

 魯花尚は完全に心まで女になってしまうことを恐れている。

 それは知ってから、李忠は、さらに魯花尚に女言葉を使うことを強要している。

 このまま魯花尚が完全な女になってしまえば、李忠にとってそれ以上に素晴らしいことはない。

 いずれにしても、もう、魯花尚は李忠以外の人間がいるときには絶対に男言葉は使わない。

 

「んっ、んんっ、んふうっ」

 

 魯花尚が苦しそうに鼻孔を膨らませながら一心に李忠の性器を舌で舐め続けている。

 これだって、魯花尚の変化のひとつではないかと思う。

 三箇月前だったら、どんなに脅そうとも、魯花尚は男の性器など口には含まなかった。

 ただ、機械的に肉棒を女陰に入れ、すぐに射精をすることだけを求めた。

 だが、最近では、なんだかんだといっても、こうやって李忠の性器を咥えるし、李忠との性交を愉しんでいる気配もある。

 交合に変化をつけるための手錠なども道具も受け入れるし、さまざまな体位にも応じるようになった。

 

「ふんんっ」

 

 魯花尚が大きく鼻息をした。

 口の奉仕の技巧は下手糞だが、口いっぱいに李忠の怒張を頬張っている魯花尚の上品な顔を見おろしているだけで、李忠は充実した気分になっていた。

 いつもは凛としている魯花尚が、いまは、奴隷女のように手錠を後手にさせられて、哀れで屈辱的な奉仕を李忠にしているのだ。

 李忠の精を自分の股間に出してもらうためにだ……。

 それを考えると、興奮でいまにも精を出しそうになった。

 我慢しようと思えば、我慢できたが李忠はそうしなかった。

 李忠は、両手で魯花尚の後頭部を掴んで、魯花尚の口を李忠の股間に密着させた。 

 

「んんんっ」

 

 なにをされるかわかった魯花尚は頭を振って、李忠の手を振りほどこうとした。

 だが、李忠が魯花尚の口に中に精を放つ方が早かった。

 十日ぶりの濃い精が魯花尚の口の中に迸った。

 

「な、なにをするのよ──。もったいない──。口にするくらいだったら、わたしの女陰の中に入れてよ」

 

 李忠の股間から口を離した魯花尚が、咳き込みながら叫んだ。

 

「だからこそ、そうしたんだ──。お前との性交は一度の精を放つまでと決まっているからな。もったいなくて、すぐには出せんよ。一度出せば、俺も落ち着くから、それだけお前と長く愉しめるということだ……。とにかく、寝台にあがれよ。一度出したくらいなんともねえよ……。ちゃんと、次は股ぐらに精を出してやるよ……。お前の身体をたっぷりと愉しんだ後でな……」

 

 李忠は笑った。

 魯花尚は口惜しそうにしていたが、結局は黙って寝台にあがって寝そべった。

 後手に手錠をしているので、魯花尚の腰は少し浮きあがるようになっている。

 

「な、なにを塗っているのよ──」

 

 魯花尚が声をあげた。

 李忠はまだしっかりと勃起している怒張の側面に薬剤を塗っていたのだ。魯花尚はそれを見て目を丸くしている。

 

「城郭の商人から買った媚薬だ。男の性器に塗ると刺激が乏しくなって長持ちするらしいんだ。お前と長く愉しむためだ──。結構、高かったんだぜ。俺がどんなに十日に一度のお前との交合を愉しみにしているかなんて、お前にはわからんだろう? もったいなくて、すぐになんか終われやしないぜ」

 

 李忠はその油剤を塗りながら白い歯を魯花尚に向けた。

 

「もう、勝手にしてよ──。そういうところは真面目よねえ……。まあいいわよ……。と、とにかく、もう、して……。それと、できれば手錠を外して……。この態勢じゃ手が痛いのよ」

 

 魯花尚が嘆息しながら言った。

 

「心配するな……。お前の身体に負担にならないような体位にしてやるよ」

 

 李忠はそう言って、寝台の上で胡坐をかくと、股間の中心にせりあがっている肉棒の上に座らせるように、魯花尚の裸身を抱えあげた。

 魯花尚の股間に李忠の怒張が入り込み始めると、魯花尚はそれだけで感極まったような声をあげて、身体を弓なりに反らせた。

 

 

 *

 

 

 魯花尚は寝台の上に胡坐に座っている李忠の股間の上に向かい合うように座って、腰の上下運動を繰り返していた。両手は性交の前に装着させられた手錠で背中側で拘束されている。

 お互いの股間は完全に結合しており、向かい合っている顔を李忠の求めるままに頬ずりしたりしたり、口づけを交わし合ったりした。

 

 舌と舌を絡め合う動作も、もうそれほどの抵抗はない。

 淫情の発作が起きているあいだは、ほとんどまともに思考するなどできないのだ。

 ただ、怖ろしく熱くなる身体を持て余し、それを癒しくれる男の肉棒をむさぼる獣になるだけだ。

 

 淫中の発作が起きているときの魯花尚は、かつて、王進と名乗っていた頃の男の感情はほとんど消滅し、一匹の性に飢えた雌になる。

 そのときには、男の精を得るために、卑猥な言葉であろうと痴態であろうと躊躇なくできる。

 

 舌を舐めろと言われば舐める。

 嬌声もあげる。

 腰も振る。

 性交をする男に、媚びを振りたくて仕方がなくなるのだ。

 男としての記憶はあるが感情は消滅する。

 

 与えられる女の悦びに打ち震え、恍惚感に酔い、荒らしい快楽への欲望にどっぷりと浸かるだけだ。

 ひと度発作が起きると、もう魯花尚にはどうしようもない。

 だんだんと拡大していく男の精への渇望に悶え狂うしかできない。

 しかも、発作が起きると、時間が経つにつれて、沸騰するような全身の疼きはどんどんと大きくなり、制御ができなくなる。

 おそらく、ある一定以上の時間で男の精を受けることができなければ、そのまま、魯花尚の頭は発狂して戻らなくなるような気がする。

 

 そういう点で李忠には感謝している。

 この男に救われなければ、三箇月前に魯花尚が野垂れ死にしていたのは間違いないし、この男がたまたま好色であり、魯花尚が元男だということを知っていながら、悦んで精を注いでくれるような男でいてくれたおかげで淫情の発作の恐怖から解放されているのだ。

 

 多少意地の悪い性癖はあるものの、李忠は魯花尚が淫情の発作が起きれば、必ずすぐに魯花尚を抱いて精を注いでくれる。

 淫情の発作はいつ起きるかわからない。

 時刻としては夜だが、日にちの間隔は不明だ。

 

 いまのところ、平均すれば十日に一度というところだが、だんだんと不安定になってきている気もする。

 この発作が十日に一度と言ったのは最初に魯花尚を犯した高俅(こうきゅう)だが、もともと、女にした魯花尚を苦しめるためのものなので、次第に発作の間隔を狂わせて、魯花尚を一層苦しめるような道術の仕掛けになっている可能性もある。

 

 とにかく、発作が起きれば、誰でもいいから男の精を股間に注いでもらわなければならない。

 さもなければ、魯花尚の頭は発狂してしまう。

 

 最初の一箇月──。

 

 魯花尚は発作が起きるたびに、精をくれる男を悶え探した。

 肉体的にも、精神的にも、魯花尚は追い詰められていた。

 発作による発狂に怯え、なにもかもわからなくなって精をねだって尻を振る猿になり果てるのを恐れた。

 

 だが、死ぬことはできない。

 自死は道術で封じられている。食べ物を拒否して死のうとしてもできなかった。

 刻まれた術で自殺ができなくされているため、飢えで死のうとしても、身体が強制的に魯花尚の口に食べ物を入れるのだ。

 食べる物が手に入らなければ、人を殺してでもその肉を食らおうとすると思う。

 それは淫情の発作以上に恐怖だった。

 

 だが、いまはその苦悶はない。

 発作が起きれば李忠に頼めばいいのだ。

 精を与える代償として、この男は興味本位の体位や阿呆げた行為を要求することがあるが、それさえ応じれば、李忠は魯花尚を助けてくれる。

 そして、これは多少不本意なのだが、女としての最高の快楽を与えてもてくれる。

 女になってから何人かの男に精を放ってもらったが、この男との性交がその中で一番気持ちいいのは確かだ。

 

 それにしても、今夜の性交は長い。

 調子に乗ったこの男が、射精までの時間を長持ちさせるための薬剤を自分の性器に塗りたくったのだ。

 李忠はそれでいいだろうが、魯花尚は堪ったものじゃない。

 発作の快楽に狂いながらの長い交合は魯花尚をとことん追い詰めていた。精がもらえない時間が長くなれば長くなるほど、身体は敏感になり、頭は快楽を得ることしか考えられなくなるのだ。

 

 魯花尚は何度も女としての絶頂に達し、李忠の上に乗ったり、あるいは李忠に突きあげられたりしながら刺激の求め合いを繰り返した。

 だが、いくら続けても達するのは魯花尚ばかりであり、李忠は一度も精を放たない。

 そのために、全身の肉が崩れるような快美感に何度も襲われながらも、狂うような疼きから解放されることができず、魯花尚は、もう我を忘れたような叫び声を洩らし続けた。

 

 そして、李忠は魯花尚の快楽への昂ぶりがいよいよ激しくなると、両手で下から双臀を持ちあげて尻の亀裂に指を這わして菊座を愛撫してくる。

 それは男としての快感なのか、女としての快感なのか、あるいは、その両方なのかわからないが、菊門に指を入れられて左右に動かされると、魯花尚は現実のものとは思えないような妖しい恍惚感に全身を引きつらてしまう。

 

「そ、そこを擦らないで。き、気持ちよすぎて狂ううっ」

 

 魯花尚は感極まって叫んだ。

 

「おう、いくらでも達してくれ。そして、女としての悦びを極めてくれ、魯花尚」

 

 李忠もまた興奮している口調だった。

 

「だ、だめええっ」

 

 魯花尚はまたもや全身を震わせ、襲ってきた壮絶な絶頂感に身を委ねた。

 後ろ手錠の魯花尚は全身を震わせて口を大きく開けて吠えた。

 その口を李忠の舌が吸う。

 魯花尚はわけもわからずに、自分の舌にまとわりついてきた舌を吸い、唾液を飲んだ。

 

「お、お願い。も、もう精をちょうだい。身体が引き千切れる───」

 

 魯花尚は絶息しながら叫んだ。

 さすがにもう限界だ。

 これ以上は意識を保てない。

 

「くうっ、さすがにそんなに締めつけたら達しそうだぜ。だ、だったら、頼む、魯花尚、俺を愛していると言ってくれ」

 

「ば、馬鹿言わないでよ──。わ、わたしは……」

 

「わかっている──。嘘でいい──。嘘でも嬉しい──。嘘でも信じる──。俺はお前に惚れてる──。本当だ。男でも女でも──。俺は魯花尚に惚れているんだ」

 

 李忠が興奮した様子で叫んだ。

 

「わ、わかった……。そう言えば、精をくれるのね?」

 

「や、やる。だから……」

 

「り、李忠、愛している」

 

 もう、どうでもいい……。

 これほどの快感が与えられるなら女でもいいかも……。

 一瞬、そう思った。

 それに、魯花尚は、悪びれているこの男が、本当はとても善良な男であることを知っていた。

 そんな男に惚れていると言われれば嬉しい……。

 

「おおおっ」

 

 李忠が腰を震わせた。

 

 ついに、きた──。

 

 魯花尚の膣の中で李忠の怒張がかすかに膨張するのを感じた。

 李忠の精が弾けた。

 魯花尚の膣は李忠の精のしずくひとつも逃すまいかとするように、熱い精を放つ怒張を締めた。

 

 

 *

 

 

「へへ、何回達したか覚えているかい、魯花尚……?」

 

 寝台で魯花尚の裸身に添い寝をしている李忠が嬉しそうな声をあげた。

 激しくて長い性交が終わった……。

 やっと外してもらった手錠が床に投げ捨てられたようになっている。だが、途中から、手錠をしているという感覚もなかった。

 ただひたすらに、込みあがる淫情と与えられる快感に狂って快楽の頂点を繰り返した。

 それだけだ。

 

「はあ、はあ、はあ……し、知らない……」

 

「七回だぜ、七回……。お前もよくやるぜ」

 

 魯花尚の横の李忠が喉の奥で笑った。

 

「り、李忠のせいよ……。おかしな薬剤なんて使って……」

 

 魯花尚は愚痴っぽく言ったものの、実際はそれほど嫌な気持ちではなかった。

 凄まじい快感だった。

 いまは、灼熱の炎に焼かれていたような全身の疼きがやっと収まり、身体が静まりを取り戻そうとしている。

 だが、快感の余韻は続いている。

 まるで宙を漂っているような気持ちだ。 

 李忠から精を受け、やっとのこと淫情の発作が終わった。

 魯花尚は完全に脱力していた。

 さっきまでの身体の熱さが嘘のようだ……。

 

 李忠の精が股間の奥で弾けてしばらく経っている。

 だが、魯花尚の身体には、あの瞬間の快感が深く刻まれてしまったようだった。

 あの身体の猛りが嘘のように静まりを取り戻し、荒れ狂った嵐の海ががだんだんと凪になるように静かになっているのにかかわらず、いまだにその興奮から離れることができない。

 それでいて、このけだるさを少しも払拭する気にはなれない。

 そんな気持ちだ。

 

 少し前までは、この時間が憂鬱だった。

 発作で沸き起こった狂気が消滅し、それとともに、魯花尚の思考が冷静さを取り戻すこの時間が嫌だった。

 自分が女のようによがり狂い、男の肉棒に燃え、女の快感に吠えたことを後悔するのだ。男の感情が蘇り、深い恥辱に狂いそうになったものだった。

 だが、かつての身悶えするようなその苦しみは、だんだんと小さなものにもなっている。

 性交の後でも、あまり悔いのようなものは感じなくなっていた。

 男との性交によがり狂ってしまったという嫌悪感も生まれてこない。

 ただ、沸騰するような性への疼きから、解放された静かな安堵感に包まれるような感じだ。

 

「さっきの言葉、ありがとうな。嬉しかったぜ」

 

 李忠がぽつりと言った。

 

「さっきの言葉?」

 

「愛しているって言ったろう」

 

 李忠が笑った。

 

「そ、そんなの嘘に決まっているでしょう……。あた……俺は男だぜ……。まあ、お前に感謝していることは確かだけど……」

 

「ああ、わかった、わかった……。でも、俺は嘘でも嬉しかった……。それだけは言っておくよ……へへ……」

 

 李忠がなにか感極まったような口調で静かに言った。

 魯花尚はふと横を見た。

 李忠は嬉しそうに笑っていた。

 

 馬鹿な奴だ。

 

 こんな魯花尚との性交に、そんなに嬉しそうな顔をしやがって……。

 李忠の無邪気な表情を見ていると自然に笑みがこぼれた。

 

「あほ……」

 

 魯花尚はそれだけを言った。

 いずれにしても、身体がだるい。

 まだ、心臓の激しい動悸は続いていた。

 

「喉が乾いたな……。水を飲むかい……」

 

「飲む……。だ、だけど、動けない……」

 

 そう言った。

 本当だった。

 しばらく、指一本だって動かない。

 それくらい疲労困憊だった。

 全部こいつのせいだ。

 李忠はどうでもいいことをなんだか一生懸命に魯花尚に語り続けている。

 魯花尚は、幸せそうに喋り続ける李忠を恨めしく見た。

 李忠が水を飲むために立ちあがった。

 水差しで杯に水を入れ、喉で音を立てて水を飲んだ。

 

「……動けないなら、口移しで飲ましてやろうか……?」

 

 水を飲み終わった李忠が、寝台に横たわる魯花尚に顔を向けて、冗談っぽく言った。

 

「うん……」

 

 魯花尚は答えた。

 すると、李忠の目が驚愕で大きく開かれた。

 

「ほ、本当か? だ、だって、お前、発作じゃないときはいつも……。あんなに、いつも邪険にするくせに……」

 

 李忠は信じられないというような顔をしている。

 

「ほ、本当に動けないのよ……。責任とってよ……」

 

 魯花尚は言った。

 李忠がごくりと唾をのむ音が聞こえた。

 杯に水を入れた李忠が近づいてくる。

 その水を李忠が口に含んだ。

 そのまま唇が近づいてくる。

 魯花尚は少しだけ口を開いて、それを受け止めた。

 水は生ぬるかったが、信じられないくらいにおいしかった。



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26  李忠(りちゅう)魯花尚(ろかしょう)史春(ししゅん)と意気投合する

 孟城の城郭まで約五里(約五キロ)に迫った街道だった。

 両側に林が迫っていて、道幅は少し狭くなっていた。

 

 その目の前の林から不意に十人ほどの武装した集団が現れた。

 明らかな殺気を李忠は感じた。

 とっさに魯花尚を背中に隠した。

 

 強盗だ──。

 しかも、人数が多い。

 そう思ったときには、背後の林からも五人ほどが現れた。

 前後に十五人──。

 しまった。

 盗賊団だ……。

 背中にどっと汗が流れるのを感じた。

 

 これは逃げられない……。

 魯花尚を隠すように槍を構えながら考えたのは、なぜ盗賊団が李忠たちを襲ったのだということだ。李忠の常識では、大きな盗賊団は金目のあるものをなるべく狙う。

 もちろん、金のないときには小さな仕事を重ねて小金を集めるということもあるが、李忠と魯花尚では武装している男女ふたりだ。服装は中の下というところだ。どこからどう見ても、金持ちには見えないはずだ。

 李忠たちを襲っても危険のわりには得ることはない……。

 そのはずだった。

 

「李忠……」

 

 背中で魯花尚が心配そうな声をあげたと思った。

 

「強盗だ。落ち着け……。俺に任せろ……」

 

 李忠は言った。

 だが、魯花尚の声は思ったよりもずっと落ち着いた口調だったと思った。

 落ち着くべきは自分だ。

 普段の声よりも、ずっと上ずっていた。

 

 そう考えたら、少し落ち着いた。

 すると、見えるべきものが見えてきた。

 男たちの視線はすべて魯花尚に向いていた。

 しかしながら、殺気は李忠に向いている。

 

 なるほど……。

 李忠には連中の狙いがわかった。

 李忠たちは奪えば金になるものを持っていた。

 しかも、かなりの稼ぎになるだろう。

 それに気がついていなかったのは迂闊だった。

 李忠は苦笑した。

 

「魯花尚、俺がこの連中を引きつける……。その隙になんとか逃げろ……」

 

 李忠は背の魯花尚にささやいた。

 

「えっ……?」

 

「いいから言うことをきけ……。いくら俺でも、この人数は少しまずい……。だから、なんとか時間だけでも稼いでみる……」

 

 李忠の腕では間違いなく十五人もの賊は防げない。

 だから、もう魯花尚を逃がすことだけ考えた。

 

 この連中の狙いは魯花尚だ。

 

 この連中は強盗は強盗でも、さらった女を奴隷として売るという奴隷狩りの連中なのだ。

 魯花尚が絶世の美女だということを迂闊にも李忠は失念していた。

 考えてみれば、これだけの美貌だ。

 性奴隷として売ればかなりの大金になるはずだ。盗賊が十五人かかって襲うだけの価値はある。

 

「時間を稼ぐって……。それで、あんたはどうするのよ……?」

 

 魯花尚は不審の声をあげた。

 

「俺のことは気にするな……。まず、前に並んでいる男たちに向かって飛び込む。後ろをついて来い。そして、男たちの反対側に出るぞ……。お前は後ろを見ずに、とにかく走って逃げろ。いいな。絶対になにがあっても止まるな」

 

 李忠は言った。

 前を阻む男たちの向こう側に出たら、李忠は身体を反転させて、十五人の男たちをなんとか阻んでみるつもりだ。

 狭い道だ。

 槍で防ぎながら戦えば、少なくとも李忠が死ぬまでは、この連中も魯花尚を追いかけてはこれないはずだ。

 李忠が死ぬことは間違いないだろう。

 問題はどれだけ持ちこたえられるかだ。

 なんとか魯花尚が逃げ延びられるだけの時間を稼げればいいのだが……。

 

「……城郭に戻れたら、俺が貯めている財は自由にしていい。まあ、いくらもないがな……。それと、例の発作については、悪いが別の男を見つけてくれ」

 

「李忠?」

 

 魯花尚がつぶやいた。

 

 惚れた女を守るために死ぬ……。

 悪くない死に方だと思った。

 死など遥か先だと思っていたが、それは突然やってきた。

 まあいい……。

 大した人生ではないと思ったが、魯花尚のような絶世の美女と三箇月暮らして身体をむさぼった。

 悪くない人生だったと思う……。

 

「なんか用かい、お前ら? 人を間違っているんじゃねえか? 孟城の城郭じゃあ、ちょっとは名の売れた李忠様だぜ──。この頬の傷と自慢の槍を知らないのは、どうやら新参者の盗賊らしいが、死にたくなければ消えな。いまなら、見逃してやるよ」

 

 李忠は言った。

 

「李忠だか、ちゅうちゅうだか知らねえが……。男、お前には用はねえ、消えろ。俺たちが用があるのは女だけだ。女を置いていけ。そうすれば、お前は死ななくて済む」

 

 前を阻んでいる男が言った。

 この男が一番強い。

 それはわかった。

 李忠はその男だけに意識を集中することにした。

 いずれにしても、脅しやはったりに屈しそうにはない。

 話すだけ無駄だ。

 

「行くぞ、魯花尚。走れ」

 

 李忠は槍を構えて突進した。

 これだけの人数で囲めば抵抗するとは予想していなかったかもしれない。

 いきなり、飛び込んできた李忠に対して、盗賊たちがぎょっとした表情になった。

 

 そのとき、ふわりと風が通り過ぎた。

 

 魯花尚?

 

 後ろを走れと命じたはずの魯花尚が剣を抜いて、李忠の前に出たのだ。

 

「魯花尚?」

 

 驚いて声をあげたときには、魯花尚の剣がさっきの男の喉を斬り裂いていた。

 喋った男は退がって、ほかの男の陰に隠れるようにしたのに、魯花尚はそれでも、男たちの横をすっと通り抜けて、その男に追いつて剣をふるったのだ。

 李忠は魯花尚に気を取られて後ろを見ていた男の横腹に槍を刺した。その男が崩れ落ちる。

 そのあいだに、魯花尚は、さらにふたりの賊の腕を斬って、武器を落とさせていた。

 ほかの男たちが慌てだすのがわかった。

 

「うわっ」

「ひい」

 

 盗賊たちの悲鳴が別の場所からあがった。

 ふと見ると、棒を持った旅の女が、李忠たちの背後にいた五人に打ちかかっていた。

 女はほとんど歩いているようにしか見えないのに、あっという間に五人の男が地面に崩れ落ちている。

 李忠は呆気にとられた。

 いつの間にか、こっちの十人も立っているのが数名になっていた。すべて、魯花尚が倒してしまったのだ。

 

 賊徒たちが逃げ出し始めた。

 死んだのは、最初に魯花尚が殺した男と、李忠が槍を突いた男だけのようだ。ほかの者は負傷をしただけだったので、その賊徒たちもそれぞれに逃げ出した。

 

 魯花尚は手加減をしたようだ。

 逆に言えば、これだけの人数を相手に手加減できるということは、魯花尚の武術が段違いに強いということだろう。

 あっという間に眼の前から盗賊が消えた。

 

 死ぬのを完全に覚悟していたのに助かったのだ……。

 ほっとしたら、腰が抜けたようになった。

 李忠は、道端に座り込んでしまった。

 

「……大丈夫、李忠? さっきは嬉しかったわよ。わたしのために命を張ろうとしてくれたんでしょう?」

 

 魯花尚が李忠の前に立ち、にこにこしながら言った。

 

「お、お前、そんなに強いなら強いと言ってくれよ──。お、俺が格好悪いじゃねえかよ」

 

 李忠は声をあげた。

 

「そんなことないよ。格好良かったわよ、李忠」

 

 魯花尚がにこにこしている。

 それにしても、なんという強さだ。

 三箇月も一緒にいたが、こんなに強いとは知らなかった。李忠は度肝を抜かれていた。

 そして、そういえば、旅の女が助けてくれたことを思い出した。その女が棒で背後にいた五人を倒してしまったのだ。

 

「街道に巣食う盗賊に襲われていたようだったから、慌てて駆けてきたんだけど、これなら助太刀は必要なかったようね」

 

 その女が寄ってきて笑った。

 

「あれっ?」

「あら」

 

 李忠とその女はお互いの顔を見て、同時に声をあげてしまった。

 

「あんたは少華村の史春さんじゃねえか」

 

「李忠師匠──」

 

 お互いに大きな声をあげた。

 

 

 *

 

 

「李忠師匠ではないですか? お久しぶりです」

 

 魯花尚は声の方向に視線を向けた。

 李忠は、史華村の史春と呼んでいたが、その女が嬉しそうに声をあげて近づいてきた。

 

 荷を背に負って長い棒を持った胸の大きな美女だ。

 まだ若い。

 年齢は二十歳くらいだろう。

 盗賊たちを斬り散らしながら横目で見ていたが、棒さばきは見事なものであり、武器を持った五人の盗賊を一瞬にして倒してしまった。

 しかも、それだけのことをして、息切れもせずににこにこと笑っている。

 相当の武術の腕だ。

 だからこそ、若い女ひとりで旅をしようという気になるのだろう。

 

「助太刀をしてくれて助かったが、こんなところでなにをしているんだい、史春さん? 史華村に立ち寄ったときには、あんたの親父さんには大変世話になった。親父さんは元気かい?」

 

「父は少し前に死にました。あたしは放浪の身です。理由があって史華村を出なければならないことがあり、いまは見聞を広めるための旅を始めたところです」

 

 史春が言った。

 

「そうか。放浪の旅か。なにかわけがありそうだな……。それにしても、あの名主さんは亡くなったのかい。そりゃあ、申し訳なかったな。あんたの親父さんには本当に世話になったんだ。いつか恩を返したいと思っていたが、それを果たすことなく死なれてしまったか……。許してくれ」

 

 李忠が立ちあがって、深々と史春に一礼をした。史春が困ったように手でそれを制した。

 

「ところで、李忠師匠こそ、怪我はないですか?」

 

「おかげ様でな……。ところで、さっきから李忠師匠はやめてくれ。尻がこそばゆくて仕方がねえ。ただの李忠で結構だよ」

 

「師匠も、わたしを史春と呼び捨てで呼んでください。史華村にいた頃ならいざ知らず、いまのあたしは、ただの旅の女ですから……。でも、あたしは師匠と呼ばせてください。あたしにとっては武術の師匠です。あたしは師匠のやり方を参考にして、あの一年後に村で自警団を作ったのです」

 

「本当に尻が痒くなるんだよ。あんたのような女傑が俺のような二流の武術家に師匠だなんて言うな。もしかしたら、俺は凄いのかと勘違いしちまうぜ」

 

 李忠は笑った。

 

「李忠、紹介してくれない? この史春という女性は誰?」

 

 魯花尚は声をかけた。

 

「おう、魯花尚──。この人は、ここから西に向かったところにある豊城(とうじょう)の城郭に近い史華村の名主の娘の史春だ。二年くらい前だが、路銀がなくなって、その史華村に転がり込んだことがある。それで名主だった史春の親父さんに助けてもらったんだ。しばらく、逗留させてもらって、食わせてもらったうえに、出立のときには路銀まで融通してもらった。いつか恩返しをと思っていたが、どうやら亡くなったらしい。恩は石に刻め、仇は水に流せというが、俺はどうやら恩知らずになったようだ。俺はこの人の親父さんには本当に世話になったんだ……。その娘さんの史春だ」

 

「はじめまして、史春……。助けてくれてありがとう。わたしのことは魯花尚と呼び捨てにしてちょうだい」

 

 魯花尚は言った。

 

 李忠以外の者と話すときには、不自然にならないくらいの女言葉は自然と出てくる。

 以前は気をつけていないと、いつの間にか男言葉になっていたり、仕草が男っぽくなったりしたものだが、いまは普通に女としてふるまえる。

 女としてふるまうのことに違和感もないし、気持ち悪いとも思わなくなった。

 

「じゃあ、魯花尚、はじめまして……。でも、びっくりしたわ。やっぱり、世の中は広いわね。さっきの盗賊との戦いぶりを見ていたけど、すごく強いのね。誰かが盗賊に襲われている思ったから駆けてきたんだけど、必要はなかったようね」

 

「そんなことないわ。わたしは前の十人と戦っていたから、あなたが後ろの五人を蹴散らしてくれなければ、李忠が襲われていたと思う。ありがとう」

 

「なんでえ、魯花尚──。それじゃあ、俺が丸っきり弱くて情けねえじゃねえか。言っておくが、俺はそんなに弱くはねえぞ。お前たち、ふたりの女が強すぎるんだ」

 

 李忠が不満そうに言った。

 魯花尚はその表情に吹き出してしまった。

 

「ところで、李忠はどうして、武術の師匠なの?」

 

 魯花尚は史春に訊ねた。

 史春は若いようだが二年前なら子供ではないだろう。李忠には悪いが、史春の腕は李忠とは桁違いだ。

 李忠が武術を史春に教えられるとは思わない。

 どうでもいいことだが、なんとなく気になったのだ。

 

「李忠殿が史華村に逗留してもらっているあいだに、村の者に武術を教えてもらっていたんです。だから、みんな“師匠”と呼んでいたんです。とても、教えるのが上手なんですよ」

 

「へえ……。あんたも、いろいろなことをやってんのね、李忠? 武術の教授もやっていたのね」

 

「まあ、そういうことだ。史華村の武術の教授というのは、俺の経歴の中でも、数少ない自慢できるもののひとつだ。とはいっても、大したものじゃないんだ。もともと、あの村には、史春がいたから、武術の教授役は要り様じゃなかったんだが、史春の親父さんが一文無しの俺に気遣って、仕事を世話してくれたというだけのことでな。この史春とも、腕比べをしてみたこともあるが、完膚なきまでに負けたさ。ただの少女だと馬鹿にしていた俺だったが、史春の前で五合も立っていることはできなかったよ」

 

「そんなことはありません、師匠。武術の腕があるということと、教える能力があるということは違いますから。師匠の教え方は、村人にもとても評判が良かったですよ。あたしも感銘を受けました」

 

「師匠はやめろと言っているだろう、史春。それに、今更、気取るつもりはねえから世辞は要らねえぜ。俺はなにをやっても、二流の男よ。わかっているから気を遣うな」

 

 李忠が自嘲気味に笑った。

 

「いまは師匠はどうしてられるのですか?」

 

 史春が訊ねた。

 

「俺たちはこの街道の先にある孟城の城郭で、庶民を相手の警護業をやっていてな。魯花尚は俺の相棒だ。今日は、隣の城郭まで人を送り終わって、孟城の城郭に戻るところだったんだが、運悪く盗賊団に襲われたんだ。それにしても、この辺りも物騒になったな。北州も東の辺りは大きな賊徒だらけのようだが、こっちも少しずつ強盗どもが大きな固まりになっているような気がするなあ。あんたも、腕に覚えがあるといっても、気をつけた方がいいぞ。連中は魯花尚を奴隷狩りしようとして襲ったんだ。史春も若くて別嬪だ。旅をするのもいいが、あんた自身が獲物になりやすいということも忘れないように用心しな」

 

 李忠が真顔で言った。

 

「気をつけます」

 

 史春が言った。

 

「えっ? わたしが獲物だったの?」

 

 しかし、魯花尚はさっきの李忠の言葉に驚いてしまった。

 ただの物盗りというわけではなく、魯花尚そのものが連中の目的だったのだ。だが、それがわかっているなら、李忠は身ひとつで逃げれば命の心配などなかったはずではないだろうか……。

 それなのに、命懸けで魯花尚を助けてくれようとした……。

 そうだとすれば、魯花尚は李忠に感謝しなければならないだろう。

 魯花尚自身は、自分があんな盗賊たちなど、自分の敵ではないことがわかっていた。

 だから、盗賊に向かって斬りかかったのは勇気でもなんでもない。

 

 だが、李忠は、魯花尚がそれほどの実力であるということを知らなかったはずだ。

 魯花尚はただの一度も剣を振って見せたことはないし、自分が国軍の武術師範をしていたほどの実力であることは意図的に隠していた。

 そして、李忠は盗賊たちに自分が勝つことはないということも思っていたようだ。

 だから、死ぬ覚悟もしていた気配だった。

 しかし、李忠だけは助かる方法があったのに、魯花尚を助けるために死のうとしていたのなら、それは、本当に貴くて勇気ある行動だ。

 

「史春、孟城の城郭までは、一刻(約一時間)というところだ。一緒に行って、居酒屋で酒でも飲もうや。よければ、俺たちの下宿に泊ってくれ。部屋はひとつだが、詰めれば三人くらい寝れるさ」

 

「えっ、おふたりは一緒にお暮らしですか?」

 

 史春が意外だという顔をした。

 

「ああ、そうだ。じゃあ、行こうか」

 

 李忠が陽気に声をかけた。

 

 

 *

 

 

 三人で街道を進んで孟城の城郭に着いた。

 とりあえず、城郭で庶民を相手にする警護業をしているという李忠と魯花尚の住まいである下宿屋に行くことになった。

 そこに荷を置き、改めてどこかで食事をするのだ。

 

 城郭に入るまで、一刻(約一時間)ほどの道程だったが、史春はすっかり、李忠と魯花尚というふたりの男女に意気投合してしまった。

 

 思わぬところで再会した李忠とは二年ぶりになる。

 当時の李忠は旅の男であり、史華村にふらりとやってきて、当時、名主だった父に宿を求めたのだ。そういう客は珍しくなく、父も遠い土地の話を聞くのが好きで、よく旅人を招いては面倒を看て、その代償として酒の相手をさせたりしていた。

 

 もっとも、二年前には、もう父の病も篤いものになりかけていて、酒もあまりたしなめなくなっていたと思う。

 それでも、この李忠がいた一箇月は本当に愉しそうで、ほとんど毎晩、この李忠を酒を交わしていたのではないかと思う。

 

 史春は酒や肴を運んで、多少相伴したくらいでしかなかったが、李忠は本当にさまざまな経験をしている男であり、旅をしながらの自分の失敗談などを面白おかしく語っていたと思う。

 父が少しも偉ぶったところのない李忠の道化話を笑い続けながら聞いていたのを思い出す。

 

 路銀を使い果たして一文無しだという李忠のために、父は李忠に娘の史春に武術を教授してくれないかと言ったようだ。

 父は武術ができるという李忠の話を聞いて、李忠に武術教授の仕事を頼んで、教授料を渡そうとしたのだ。

 

 それで試しに立ち会おうということになり、史春は李忠と試合をした。

 結果では、剣でも棒でも槍でさえも史春が圧倒した。

 李忠は多少大袈裟なくらいに史春の腕を賞賛し、とてもじゃないが自分みたいな二流の腕では、一流のお嬢さんには教授することはできないと、父に笑って話していた。

 それで李忠は、史春ではなく、村人に武術を教えることになった。

 

 当時は、まだ自警団は作っておらず、武術教授を求める村人に、史春が定期的に武術指導をするというかたちだった。

 そうやって集まってきた者に対し、その一箇月間は李忠が指導に当たった。

 

 李忠の教授のやり方は実戦的だった。

 基本や基礎を重視して鍛錬のようなやり方で教えていた史春に対して、李忠は、いま盗賊と戦うとしたらどうやって身を守るかということを教えていた。

 

 弱い者は絶対に一対一で戦ってはならん。

 自分たちのような二流、三流の者は、単独では一流の相手には絶対にかなわんから、村を守るような事態になっても、必ず何人かと組んで、ひとりの相手と戦えと言って、襲ってきた敵をばらばらにする方法や、集団で囲んで前で牽制しながら後ろの者が襲うというようなことを繰り返しやらせていた。

 

 李忠は、これこそ、俺のような者が生き延びるための「弱者の戦法」だとうそぶいていたが、そばで見ていた史春は、目から鱗が落ちるようだった。

 

 一対一で相手に勝てるように強くなることばかりを教えようとしていた史春に対し、武術訓練の目的は勝つことじゃなく、負けなくすることだという李忠の言葉は強烈に心に残った。

 

 李忠の史華村の逗留は、一箇月余りの短い滞在だったが、李忠の印象は強かった。

 史春はその一年後に村で自警団を編成したが、その教授法は、あのときの李忠の教授を参考にした。

 史華村の自警団には徹底的に集団戦法や、とにかく勝つというやり方を教授していった。

 

 そして、魯花尚──。

 

 ほんの少し垣間見ただけだが、その強さには舌を巻いた。

 史春も幼い頃から武術を学んでいたので、魯花尚の武術が本物だということはわかる。

 そして、大変な美人だ。

 さらにいえば、李忠とは仕事の相棒だと言っていたが、同じ部屋に寝泊りをしているという。

 何者だろう……?

 

「おかえりなさい、李忠さん、史春さん……。お客様ですか?」

 

 城郭をしばらく歩いて、貧民街とは言わないが、普通の庶民が暮らすような狭い道に住宅が密集するような場所に着いた。

 下宿屋というのがどういうものなのかわからなかったが、どうやらひとつの建物の中にある幾つかの部屋をそれぞれに借りて暮らすというやり方になっている住まいのようだ。

 

 李忠と史春を下宿屋の入り口で出迎えたのは、十三、四歳くらいの小奇麗な少女だった。建物の入り口で炉辺をして小さい芋を焼いていた。それを十人ばかりの近所の子供たちが集まって食べている。

 

「おう、金翠蓮(きんすいれん)、こっちは史春という旅の女で、俺が昔、世話になった人の娘さんだ。そして、今日も俺たちが盗賊に襲われたのを助けてくれたんだ」

 

 李忠が言った。

 

「えっ? 盗賊に? 大丈夫だったのですか──?」

 

 金翠蓮が目を見開いた。

 

「どうということはなかったよ。俺がなんにもしなういちに、この史春と魯花尚が十人以上いた盗賊を蹴散らしてしまった。ふたりはもちろん、俺も傷ひとつ負ってねえよ」

 

「まあ、それはよかったです」

 

 金翠蓮が安堵の溜息をした。

 心根の優しい娘のようだ。

 

「史春、この娘さんは、金翠蓮と言って、同じ下宿屋で親父さんとふたりで暮らしている孝行娘だ。金翠蓮の親父は金老(きんろう)といって、はっきり言ってろくでなしだ。娘に小唄の流しで稼がせて、自分はそのあがりで安酒を食らっては博打三昧のどうしようもない男だ」

 

「史春よ。李忠師匠には、あたしこそ昔お世話になったのよ」

 

 史春が頭をさげた。

 

「ところで、金翠蓮、金老はまた博打じゃねえだろうな? この前、結構強く説教して、そのときには、今度こそ改心するといって泣いていたが、あれから、また博打に手を出していないかどうか心配でな」

 

「改心どころか、李忠さんが出立したその日から賭博場に入り浸ってますよ」

 

 金翠蓮は肩をすくめた。

 

「本当か──? ちくしょう──。だったら、この前のあいつの涙はなんだったんだよ」

 

 李忠が舌打ちした。

 

「次は、わたしが説教するわ」

 

 すると魯花尚が言った。

 

「お願いします。お父さんも美人には弱いから、案外、魯花尚さんの言うことならきくかもしれません」

 

 金翠蓮はにこにこと笑った。笑うとすごく可愛い顔になると思った。それにしても、お父さんが博打狂いという話をしているのに、少しも屈託などなく笑っている。

 陽気な少女だ。

 

「ところで、今回の仕事で、結構、余分な礼金をもらったんだ。たくさん持っていても仕方ねえから、少ないがあんたの小遣いでとっておいてくれ。くれぐれも親父に渡すんじゃねえぞ。隠しておくんだ」

 

 李忠が金子入れから何枚かの銅貨を金翠蓮に渡した。

 

「まあ、こんなにいいんですか? ありがとうございます。でも、いつもいつも恵んでもらっちゃ、あたしも申し訳なくて……」

 

「いいのよ。この人もわたしも、具合が悪いときに世話をしてもらったりして、逆に金翠蓮に世話になることも多いしね。持ちつ持たれつよ」

 

 魯花尚が言った。

 

「まあいいや。今夜も酒屋を回るんだろう? 俺たち三人は、いつもの店で飲んでいるからよければ唄いにきてくれ。いまの小遣いとは別に祝儀を弾ませてもらうからよ」

 

「いつも、ありがとうございます」

 

 金翠蓮が頭をさげた。

 

「唄を歌うの?」

 

 史春は訊ねた。

 

「はい。酒場街を回って、店の主人様たちにお願いして、客の席で唄を歌わせてもらうんです。それで唄が気に入ったら、少しのお金を恵んでもらうんです。それがあたしの商売なんです」

 

 金翠蓮は言った。

 史華村の田舎育ちの史春はそんな仕事もあるのかと感心した。だが、酒場で商売というのは少し驚いた。そんなところで働くには金翠蓮はまだ若すぎるように思ったのだ。

 

「そうそう、魯花尚さん、さっき飛脚屋から手紙を預かりました。これです」

 

 金翠蓮が前掛けから小さな手紙を魯花尚に渡した。

 魯花尚が礼を言って、それを懐にしまった。

 

「前から思ってたんだが、お前、どこから手紙を受け取っているんだ? それに、仕事の分け前も、時折、酒場で出会った見知らぬ旅人に配ったりしているな。まあ、聞いちゃあ都合が悪いことならいいが……」

 

 李忠が魯花尚を見た。

 

「都合が悪いということはないわ。そのう……。帝都の情報を集めているのよ……。帝都に向かうという者がいたら、小遣いを渡して、帝都の見聞とか事件とかを報せてもらっているの……。まあ、いろいろあってね……。恨みを返したい者もいるから情報だけはと思って……。そうね……。そろそろ、隠しておく必要もないと思うし、そのうちにちゃんと話すわ、李忠」

 

 魯花尚が少し声をひそめて李忠に言った。

 そして、荷を置いて、再びその下宿屋を出た。

 行ったのは、繁華な場所にある小さな料理屋だ。

 

「銭の心配はいらねえぞ、史春。俺のおごりだ。さっきも言ったが、仕事がうまくいって金は持ってる。そして、命を救ってもらったし、好きなだけ飲み食いしてくれ」

 

 李忠がそう言って、大きな声で女中を呼び、酒と肴を注文した。

 酒がやってくると、李忠と魯花尚は、史春が驚くような勢いで酒を口にし始めた。

 史春は少し圧倒されてしまった。

 やがて、酒の酔いも回ってきた。飲んでいるうちに史春も緊張がとれて、ふたりにあおられるように、ついつい酒を過ごした。

 一軒目の店でかなり遅くまで飲み、朝まで飲める場所に行こうということになり店を替えた。

 

 ふたりは本当に愉しい飲み相手だった。

 李忠は話していて、本当に愉しい。

 魯花尚はそれほど喋りはしないが、武術の話題を向けると、いきなり饒舌になった。武術の話は史春も嫌いではないので、李忠と三人で武術談義に花が咲いた。

 

 やがて、史春と魯花尚が、姉妹盃をしようということになった。なんでそういうことになったか、はっきりと覚えていないが、李忠があおったのだと思う。

 史春と魯花尚が李忠の仲介というかたちで姉妹ということになった。

 

 その後、さらに飲み続け、史春は自分が史華村の名主をやめたことと、手配されているというようなことを語ったと思う。

 すると、魯花尚が急に神妙な顔になり、自分も同じような境遇だと説明した。

 それから、史春は、李忠と魯花尚がどういう関係かと訊ねた気がする。

 

 李忠は笑って、男と女の関係だと言った。

 

 軽口のような言い方だったが、横の魯花尚が苦笑のような表情をしていたから本当なのだろう。

 そして、李忠は訊ねもしないのに、魯花尚が李忠に懐いたのは、性の相性がいいからだと大きな声で喚いたりした。夕べだって、魯花尚は七回達したんだぞとか言っていた。

 そのときは、魯花尚は、若い女を相手に猥談をするなと李忠に拳骨を食らわせていた。

 傍で見ていると、ふたりは信頼し合っているように見える。

 それからもしばらく飲んだと思うが、史春には途中からの記憶がない。

 

 そういえば、金翠蓮という少女は唄を歌いには来なかったな……。

 ふと、そんなことを思った。



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27  金翠蓮(きんすいれん)、娼館への身売りに応じる

「へえ、なかなかのいい器量じゃないかい、あんた。これなら、うちの店に出せば、三箇月で十分に元が取れるよ……」

 

 鎮関西(ちんかんさい)の妾のひとりである真名女(まなじょ)が、宴席に引き出されてきた金翠蓮を見て、歓声をあげて金翠蓮に寄っていった。

 

「いやいや、真名女──。実は元なんて一銭もかかっちゃいねえのさ。間抜け親父から奪い取ってきただけでな……。味見をしたら、お前に引き渡すから、お前に任せている娼館で股が擦りきれるまで稼がせろ。とにかく、万事、お前に任せる」

 

 鎮関西は言った。

 部屋にいる者たちが、鎮関西の軽口に一斉に笑い声をあげた。

 真名女が床に突っ伏して泣き崩れている金翠蓮を顎を掴んでぐいと自分の方に向かせた。

 

「さて、お前は金翠蓮(きんすいれん)だったね。じゃあ、お前の稼ぎ処はあたしのところの娼館と決まったよ。すぐに調教を開始して、店に出れるようになったら稼いでもらうからね。なあに、頑張って働けば、親父さんの作った借金もそのうち返せるさ。それだけ若くて別嬪なら、お前を繰り返し抱きたいという国定客もつく。借金なんて、あっという間さ」

 

 真名女が早速、金翠蓮に因果を含め始めた。

 鎮関西の屋敷の二階だ。

 

 まだ、朝といえる時間だが、鎮関西は今回の仕事にかかわった者たちをねぎらう意味を込め、この部屋に関係者一同を集めた宴を催していた。そこに、今回の獲物である金翠蓮が連れてこられたのだ。

 卓の上座には鎮関西がつき、左右には鎮関西の手下ともいえる十人ほどの男が並んでいる。

 金翠蓮はその座の真ん中に連れ出されて、床にしゃがみ込んでいる。それを真名女が諭すように語り始めた。

 

「……とにかく、うちの娼館は厳しい掟があるからね。ちゃんと客がつかなければ、あっという間に卑猥な芸で宴会芸をする裸芸人に格下げだ。そんな惨めなことにならないように、一生懸命に務めるんだよ」

 

 真名女が言っている。

 

「そ、そんな……。あ、あたしには、まだ、なにがなんだか、わからないんです。お願いですから、お父さんともう一度話をさせてください。いきなり、こんなところに連れてこられて、今日から娼婦をやれだなんてあんまりです──。ほ、本当にお父さんは、銀百枚なんて借金をしたんですか?」

 

 金翠蓮が泣き顔を左右に向けて声をあげた。

 

「なにを言ってるんだ、娘──。俺たちが、お前の親父を連れてお前の家に押しかけたとき、お前の親父はなんにも言わなかったろろう。それが証拠だ」

 

 部下のひとりが声をあげた。

 

 それは賭博場で借金を作った金老(きんろう)を下宿屋に連れていき、手下に命じて金翠蓮をさらってこさせた男だ。

 その他にも、この部屋には今回の仕事の功労者たちがずらりと顔を揃えている。

 賭博場で金翠蓮の父親の金老を引っ掛けて大きな賭博の勝負に引き摺りこんだ胴元や駆け師。

 金老の親父に声をかけて、賭博場で金子を貸した分限者役。

 そして、賭けに負けた金老を連れて、金翠蓮をさらってきた男たちだ。

 さらに、これから金翠蓮を働かせる娼館を経営させている妾の真名女もいる。

 全部、鎮関西の部下といえる者たちだ。

 

 怒鳴られた金翠蓮はびくりと身体を震わせたが、すぐに歯を食い縛って、自分を怒鳴った男を睨んだ。

 鎮関西は、小さく声をあげた。

 

 器量がよくて気立てがいいという評判なので、罠を仕掛けてさらったが、優しいだけではなく、気性も強いのかもしれない。

 まあ、娼婦として働くなら、それくらいの方がいい。

 人生に絶望して、あっという間に自死でもされたら困る。

 

「そ、そんなことを言われても納得できません。そ、そうだとしても、昨日負けた賭博場の借金を今日支払えなんておかしいです──。しょ、証文を見せてください。お、同じ下宿屋の人に読んでもらいますので、もう一度あたしを下宿屋に返してください」

 

 金翠蓮が強い口調で言った。

 

「いい加減にしな。なに様のつもりだい──。借金も返せない父親の娘のくせに──」

 

 真名女がいきなり、金翠蓮の頬を平手で打った。

 

「あっ」

 

 強い力で叩かれた金翠蓮は、頬を押さえて床に横倒しになった。

 

「待て、待て、真名女──。証文を見せて欲しいというなら見せてやる。だが、下宿屋に戻るというのはきけねえな。お前はすでに借金のかたなんだ。借金の支払いが終わるまで、お前はこの屋敷とも繋がっている娼館から一歩も出ることはできねえ」

 

 鎮関西は言った。

 そして、証文を後ろから出させて、金翠蓮の前に持っていかせた。

 

「それが、お前の親父が借金をしたという証文だ。借金の相手は俺ではないが、すでにこの証文を俺が買い取っている。だから、お前の親父の借金は、俺への借金ということになっている。まあ、観念するんだな」

 

 鎮関西は言った。

 

「そ、そんなことを言われても信じられません。お父さんがあたしを借金のかたにするだなんて……。しかも、返済がたった一日だなんてそんなことを……」

 

 金翠蓮は眼の前に示された証文を一瞥して、すぐに視線を鎮関西に向けた。金翠蓮は字が読めないのだろう。だから、証文を見てもなにも判断できないようだ。

 まあ、読めたとしても問題はない。

 証文は一応はしっかりとしたものだ。

 

 証文自体には、金老が銀両百枚の借金をし、それを一日で返すとなっている。借金が払えない場合は、娘の金翠蓮が借金の形になって取りあげられると、ちゃんと示されており、金翠蓮を連れてきたのも、まったく法を犯すような行為ではない。

 

 ただ、すべては金翠蓮を娼婦としてさらってしまうために、全員でぐるになって嵌めた罠だったというだけのことだ。

 金翠蓮を見かけたのは、鎮関西がの息のかかった酒場だった。

 たまたま飲んでいた卓に、唄を歌わせて欲しいと言って小唄歌いの金翠蓮がやってきたのだ。

 

 どうやら、酒を飲んでいる席を回り、客たちの前で唄を歌って、気に入ったら小金をもらう。そういう商売のようだった。

 金翠蓮の唄はちゃんとしたものであり、とてもうまかった。金翠蓮の愛くるしい顔と美しい歌声で、その店だけでも、かなり繁盛していた。鎮関西もなかなかに可愛らしい娘だと思った。

 

 普通なら、それで終わっている話だ。

 この金翠蓮を鎮関西の妾にやらせている娼館で働かせようと思ったのは、その金翠蓮の父親の金老という男が、鎮関西の縄張りの賭博場に入り浸っている博打狂いだと聞いたからだ。

 

 もともとは一介の肉屋の主人である鎮関西は、軍に肉を卸す業者になることで大きく儲けるようになり、それを元手にして、軍や役人に取り入って、彼らの利権に絡むようになり、この孟城(もうじょう)の城郭の顔役のひとりになった。

 とはいっても、ずっと順風満帆だったわけじゃなく、失敗して、城郭を逃げなければならないようなこともあった。だが、妹が県令の妾になり、子を産んだことで、運が向いてきたのだ。

 いまや、孟城の鎮関西といえば、大勢の子分の抱えた侠客であり、肉屋のみならず、賭博場や娼館など手広く商売している城郭の第一の顔役だ。

 

 金翠蓮という娘に興味を抱いて調べて見ると、父親の金老が出入りしていた賭博場が鎮関西の経営している賭博場だったことから今回の絵を描いた。

 

 金老が出入りしている賭博場でやっているのは、かるた賭博だ。

 一から十までの数字の書いたかるたを五枚配り、一回のかるた交換後に揃った手札の役で、親役である賭け師と客が競うのだ。客が賭け師に勝てば、その役と賭け金に応じて金子がもらえ、負ければ掛け金は没収される。

 

 いずれにしても、簡単な仕事だった。

 博打狂いの父親を大きな勝負に持ち込んだだけだ。

 

 かるたを配る賭け師はうまく金老への配札を調整しながら、勝ったり負けたりさせて、最後には大きな負けが残るようにさせた。そして、最後に、金老が絶対に負けることがないような高配当の役が揃った配札を渡したのだ。

 

 金老は完全に熱くなっていた。

 その配札があれば、負けを取り戻すだけではなく、大儲けできると思ったに違いない。

 

 しかし、その時点で大負けの状態にあった金老は、賭け金がほとんど残っていなかった。そのとき、客に成りすましている鎮関西の部下が、言葉巧みに金子を貸してもいいと金老にささやいたのだ。

 

 銀百枚。

 かなりの借金だ。

 

 しかし、金老は、この申し出に有頂天になって、その場で証文に署名をした。

 証文には返済期日は今日中であり、家族が借金のかたになると明記してあったが、金老はそんなものは読まなかったらしい。

 なにせ、金を借りて賭け金として場に張れば、数瞬後には、それが十倍にもなって返ってくるのだ。金老はそれしか考えていなかったに違いない。

 しかし、親役の賭け師の手は金老の手を上回る役だった。

 金老は腰を抜かしてしまったという。

 

 そして、これまで優しい口調だった鎮関西の部下が、豹変して金老に借金の返済を迫った。

 金老はそのとき初めて証文を読み、返済期限が今日中になっていることや、金翠蓮が借金の形になっているのを知ったようだ。

 

 その後、金老は、鎮関西の手下に抱えられるように住まいである下宿屋に連れていかれ、その手下たちが昨夜のうちに金老の暮らす下宿屋から金翠蓮を連れてきた。

 

 鎮関西としては元手はかかっていない。鎮関西の準備した銀両百枚は、右から左に動いただけで、すでに戻ってきている。

 しかも、金翠蓮という器量よしの娘が手に入った。

 この娘は娼館で働かせれば、いい儲けになるに違いない。

 

「信じられなくても、信じてもらうしかねえな。そこにあるのは、立派な証文だ。お前の親父が博打場で熱くなって、お前を形に大きな借金をしたという証拠だ」

 

「そ、そんな……」

 

 金翠蓮はがっくりと肩を落とした。

 

「そんなに娼婦になるのはいやか、金翠蓮?」

 

 鎮関西は声をかけた。

 

「い、いやです──」

 

 金翠蓮はさっと泣きはらした顔をあげた。

 

「だったら、戻っていいぞ」

 

「ほ、本当ですか?」

 

 金翠蓮がぱっと顔を明るくした。

 

「ああ──。ただし、俺はその足で、この証文を役人に持っていく。お前の親父が銀両十枚の借金をした動かぬ証拠だ。金を借りて期日までに支払いをしねえのは重罪だ。お前の親父の金老は、罪により首を斬られる。お前はやっぱり借金のかたになって俺のところにくる。どっちにしても、お前の運命は決まっている」

 

「ああ……」

 

 すると金翠蓮がまた泣き始めた。

 

「親父を役人に捕まらせたくないだろう……? だったら、娼婦になることを承諾するんだな」

 

「う、うう……」

 

 金翠蓮はうなだれたままでいる。

 鎮関西はわざと大きな舌打ちをした。

 

「なんという聞き分けのなさだ。もういい、小娘を返して来い──。そして、役人のところにその証文を持っていくんだ。息のかかっている役人に金老を捕えさせろ」

 

 鎮関西はわざと癇癪を起したような声をあげた。

 金翠蓮がはっとしたように顔をあげた。

 

「ま、待ってください。それはやめてください」

 

 金翠蓮が声をあげた。

 

「なにを言ってやがる。借金をするが金を払わない。借金のかたと書いているのに関わらず、それも承知しねえ。そんな料簡が世間で通用すると思っているのか」

 

 鎮関西は怒鳴った。

 

「わ、わかりました……。なります。なりますから……。娼婦になります……。ですから、お父さんだけは……」

 

 金翠蓮はすすり泣きながら言った。

 

「娼婦になる決心をしたんだな?」

 

「はい……」

 

 金翠蓮はうなづいた。

 

「おいっ」

 

 鎮関西は部屋の外に声をかけた。

 準備をして待機をしていた部下が、新しい証文と書き物を持ってやってきた。

 それを床に座り込んでいる金翠蓮の前に持っていかせる。

 

「じゃあ、新しい証文だ。お前の親父ではなく、これでお前が金子を借りたことになる。前の証文は破り捨てる。お前がかたになろうと、金子を持ってこないことにはお前の親父は罪人なんだ。だから、借金をお前に書き換えて、期日は三年にしてやる。三年以内にお前が娼館で働いて返せば、三年後にはお前も外に出れるだろう。さあ、その証文に署名をしろ。金老が借金をした証文は破り捨ててやる」

 

 鎮関西は、金老の署名のある最初の証文を持ってこさせて、その場で破り捨てた。

 

「で、でも、あたし字が……」

 

 金翠蓮は筆を持ったまま、途方に暮れている。

 

「仕方ないねえ。じゃあ、あたしが手を添えてやるよ」

 

 真名女が金翠蓮の手を持ち、金翠蓮の名を証文に書かせた。

 すぐに真名女がその新しい証文を鎮関西に持ってきた。鎮関西はにやりと笑った。

 

 金老に書かせた証文は返済が一日という無茶なものなのだ。ちゃんとした裁判になっても負けることはないと思うが、一日の期限というのは、鎮関西が金老を引っ掛けたのが明白であり、公になると世間体が悪い。

 だが、今度はちゃんとしたものだ。

 金翠蓮が鎮関西に借金をしたことになっており、その返済のために金翠蓮自身が三年の期日で娼館で働くという証文だ。

 

「じゃあ、お前はこれをもってうちの店の娼婦だ。しっかり、働きな、金翠蓮。店の経営はあたしだけど、主人はあの鎮関西様だ。改めてあいさつしな」

 

 金翠蓮の隣にいる真名女が怒鳴った。

 

「よ、よろしくお願いします……」

 

 金翠蓮が嗚咽をしながら頭を下げた。

 

「それじゃあ、さっそく、金翠蓮の身体を改めるか。真名女、金翠蓮をそこで裸にさせろ」

 

 鎮関西はにやりと笑った。

 ほかの男たちからも卑猥な笑いが起きる。

 

「えっ? こ、ここで?」

 

 金翠蓮は顔をあげた。その顔は真っ蒼だ。

 

「あたりまえだろう、金翠蓮」

 

 すると、金翠蓮の横で真名女が大きな声をあげた。

 

「娼婦になるといっても、素人のお前がすぐに店に出れるわけないよ。まずは、今日から三日間、しっかりと娼婦に出るための調教を受けてもらうよ。娼婦の仕事を舐めるんじゃないよ」

 

 真名女は大きな声をあげた。

 すると、真名女の使っている男衆が三人ほど入ってきた。あらかじめ、待たせていたのだろう。男衆たちは、調教用の道具の入った荷物箱や縄束などを持っていた。

 それを見た金翠蓮が顔に怯えを示す。

 

「この三人の男の顔を覚えておきな、金翠蓮。お前の稼ぎが悪かったり、態度がよくなかったりすると、この三人がお前を折檻するよ。今日から三日間のお前の娼婦としての調教もこの三人がする。いいね。じゃあ、裸になりな。この場でなにもかも脱いで素っ裸になるんだ」

 

 真名女は言った。

 

 金翠蓮は顔に恐怖を浮かべて、さっと両手で自分の身体を抱いた。

 

「そんなに驚くことがあるもんかね。今日からお前は売り物だ。売り物の身体を調べるのは、雇い主としては当たり前さ。ところで、お前は処女かい?」

 

 真名女は一気にここで畳みかけて、金翠蓮を完全に屈伏させるつもりだろう。

 いずれにしても、最初から金翠蓮はここで宴の慰み者にする予定だった。それに、最初に大勢の前で犯してしまえば、金翠蓮としても、娼婦として諦めもつくだろう。

 

「そ、そんなこと……」

 

 金翠蓮はびくりと身体を震わせて、顔を真名女に向けた。

 その顔に真名女がまた平手を食らわせた。

 

「ひいっ」

 

 金翠蓮が悲鳴をあげて床に倒れる。

 

「面倒をかけさせるんじゃないよ──。生娘かどうかを訊いてるんだろうが───。性技のできないような生娘を客に出すわけにはいかないんだよ。これから三日間の調教に必要なんだ。さっさと答えな」

 

 真名女が怒鳴った。

 

「……き、生娘です……」

 

 金翠蓮がか細い声で言った。

 

「わかった。生娘だね。それじゃあ、三日で性技を覚えるのは大変だろうけど、その分は激しくやるからね。とっとと、服をお脱ぎ。お前の裸を鎮関西様をはじめ皆さんに見てもらうんだ。この方々だって、お前の客になるかもしれない方々だよ。ここで晒しておきな。おいしそうな身体だと思えば、きっとお前を買ってくださるよ」

 

 真名女がそう言うと、もう金翠蓮は諦めたように立ちあがった。

 金翠蓮が服を脱ぎ始める。金翠蓮の少女の身体が露わになっていく。

 

 さすがは、まだ男の手が触れたことのない身体だ。

 傷ひとつ見えないし色も白い。

 顔も綺麗だ。

 確かに、すぐに店の看板娘になるだろう。

 

 鎮関西はそんなことを考えながら、少しずつ現れる金翠蓮の裸身を眺めていた。

 しかし、胸巻きと股布だけになったところで、金翠蓮の手がぴたりととまった。

 

「や、やっぱり、ここでは……。せ、せめて、もっと、人のいないところでお願いします」

 

 顔を伏せている金翠蓮は立ったまま、下着を隠すように身体の前に手をやっている。

 

「仕方がないねえ……。竹を持っておいで。足首にあてて縛ってしまうんだ。両手は天井から吊るしな」

 

 真名女が男衆に声をかけた。

 男衆がわっと金翠蓮に群がった。



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28  李忠(りちゅう)金翠蓮(きんすいれん)の身請け金を準備する

「なんだとっ。どこにどいつに金子を借りたのかと思ったら、あの悪党の鎮関西(ちんかんさい)に借りたのかよ。しかも、金翠蓮を借金のかたなんかにして、悪党はお前じゃねえかよ。このろくでなしが。お前なんか死んでしまえ。このくず──。あほ垂れ──。これで、金翠蓮は鎮関西の娼館で娼婦だ。さんざんに娘に食わせてもらっておきながら、そのあがりで博打を打ち、挙句の果てがその娘を博打の借金のかたにするのかよ。お前はどうしようもない駄目男だ。ここで首を吊って死ね。俺が足を引っ張ってやる」

 

 李忠はまくしたてた。

 金老(きんろう)は床に突っ伏したまま号泣している。

 

「こ、今度という今度は、俺は自分が嫌になった……。改心する……。本当に改心する……。だ、だから、なんとかしてくれ、李忠。俺は本当にあんな証文なんて知らなかったんだ。金翠蓮はだまし取られたんだ」

 

 金老は泣きながら李忠の身体に取りすがった。

 

「触るんじゃねえ。お前みたいな悪党に触れられると虫唾が走るんだよ。お前は自分がどうしようもない悪党だという自覚があるのか。お前は、賭博の賭け金のために金翠蓮を鎮関西に売り飛ばしたんだぞ。あの鎮関西に」

 

 李忠は金老を蹴飛ばした。

 一緒に話を聞いていた魯花尚(ろかしょう)史春(ししゅん)も、李忠に蹴られて壁に叩きつけられた金老を助けようとはしなかった。それどころか、李忠以上に、腹をたてた表情を金老に向けている。

 

 ここは、李忠たちが暮らしている下宿屋であり、李忠と魯花尚が寝泊りをしている部屋だ。李忠は魯花尚と史春とともに、金翠蓮が鎮関西の手の者に連れていかれた経緯を聞いていたのだ。

 嵌められたのだという感じもしないでもないが、聞けば聞くほど金老が悪い。

 博打で熱くなり、証文を読まずに署名をしたのだ。

|これでは助けようもないし、役人に届けたところでどうしようもない。

 

 まあ、こっちに分があるとしても、役人にいつも袖の下を使っている鎮関西は好き勝手ができる。

 ましてや、ちゃんとした証文が向こうにあるのだ。万が一にも勝ち目がない。

 しかも、鎮関西はこの城郭の顔役だ。

 大勢の子分を養っている侠客でもある。

 部屋の外では、開け放たれた扉の向こうから事情を立ち聞きしている下宿の住民たちが、可哀想な金翠蓮と口にしてさめざめと泣いていた。

 

 金翠蓮は本当に気立てがいい娘だ。

 李忠だけでなく、みんな金翠蓮が好きだ。

 その金翠蓮が連れていかれた。

 相手は、あの鎮関西だ。

 李忠は嘆息した。

 

「おい、お前ら、仕事に戻れ。解散しろ。ここから先の話は聞くな。絶対に知らぬ存ぜぬでいろ。関わると酷い目に遭うかもしれねえからな。魯花尚、扉を閉めてくれ」

 

 李忠は言った。

 魯花尚が立ちあがり、部屋の外の連中を追い払ってから扉を閉めた。なにか物を言いたげな者もいたが、魯花尚は全員を部屋の前から立ち退かせた。

 

「……なんとかしてやろうと思っているの、李忠?」

 

 嗚咽をして俯いている金老の周りに座っている李忠と史春の輪に加わりながら魯花尚が訊ねた。

 

「なんとかしてやりたいとは思う……。あの優しい金翠蓮のことだしな。だが、このろくでなしがやったのは、ほとんど、正規に金翠蓮を売り渡したも同じだ。どうするかなあ……。いずれにしても、金翠蓮を取り返せたとしても、もう、ここにはいられねえ。それは覚悟しなけりゃな。相手は鎮関西なんだ」

 

 おそらく、尋常な方法じゃあ、金翠蓮は取り返せないだろう。万が一、金翠蓮を取り返せたとしても、鎮関西が一度は手に入れかけた獲物を手放すわけがない。あの手この手で追ってくるだろう。

 しかも、鎮関西は役人も地方軍も味方につけられる。

 なにしろ、鎮関西の妹は、いまの県令の妾だ。

 大抵のことはできる。

 だが、なんとかしてやらないとならないだろう。

 それは、目の前で泣いている馬鹿たれではなく、金翠蓮のためだ。

 

「なかなか、頼もしいじゃないの、李忠。やっぱり、金翠蓮を助けてあげるつもりね」

 

 魯花尚がにやにやと微笑んでいる。

 だが、魯花尚の眼は真剣だ。

 魯花尚もまた金翠蓮のことは気に入っていた。こんな親父に尽くす孝行娘だと感心していたし、最初に魯花尚がこの下宿に転がり込んで来たときに、実質的に看病してくれたのは金翠蓮だ。

 魯花尚も金翠蓮には恩義を感じているはずだ。

 

「お、俺のようなろくでなしは死んでもいい。だ、だから、金翠蓮だけは助けてくれ。頼む、李忠」

 

 李忠の言葉に、金老が取りすがるように李忠の膝を掴んだ。

 

「触わんじゃねえ。お前なんか死ぬのが当たり前だ。お前が死んで金翠蓮を救う方法があるなら、すでに殺してる。だが、いまのところ、お前が死んでもどうしようもねえ。とにかく、金翠蓮を救う方法を探す。どうしようもなければ、娼館に殴り込んででも奪い返す。だが、どっちにしても、お前も金翠蓮も孟城の城郭から出なきゃならねえぞ。あの鎮関西に目をつけられて、この城郭にはいられねえ。どこかに頼れる者はいるか、金老?」

 

「遠いが北州の青州に姉がいる。頼れると思う」

 

 金老は言った。

 

「遠いのは好都合だ。鎮関西の手から逃れられる。しかし、青州といえば、賊徒が多くて乱れているところだな。旅も命懸けになるぞ。まあいい。とにかく、わかった。だったら、お前は旅の支度をしろ、金老。万が一のときには、追っ手をかけられての逃避行だぞ。とにかく、金子に変えられるものは全部変えろ。金翠蓮の支度もやれ」

 

「わ、わかった、李忠……。そうする。あ、ありがとう、李忠……。この恩は一生……」

 

「うるせい──。なんとかするとは言ってねえ。金翠蓮のために努力すると言っただけだ」

 

 李忠は声をあげた。

 できるものなら金翠蓮を助けたい。

 それにはどうしたらいいか……。

 この女ふたりを巻き込むのは不本意だが、強引に奪い返すとすれば、ふたりに頼るしかないのだが……。

 さて、どうやって、それを切り出すか……。

 第一、史春に至っては、まったく見も知らない赤の他人の娘だ。

 その娘のために、罪人になってくれと頼むには、どういえば言いのか……。

 李忠は腕組みをして考えていた。

 

「ねえ、証文には写しがあるはずよ。それを見せてくれない、金老」

 

 すると、史春が声をかけてきた。

 

「証文の写し?」

 

 金老はきょとんとしている。

 

「ないのか?」

 

 李忠は声をあげた。

 

「そ、そんなものは……。あっ、いや、そういえば、なにかの紙を連中から懐に捻じ込まれたなあ……」

 

「それだよ。そんなものがあるなら、とっと出せ──」

 

 李忠は怒鳴った。

 金老が懐に入っていた証文の写しを出した。くしゃくしゃになっているその紙を史春が拡げた。

 そして、じっと証文を覗き込み、それを李忠と魯花尚に示した。

 

「師匠、見て。返済の期日は今日までになっているわ。つまり、今日までに返済すれば、金翠蓮をかたには取られないわ」

 

「なんだって?」

 

 李忠は改めて証文を見た。

 確かにそうなっている。

 しかし、銀両百十枚だ。簡単に準備できる金子ではない。金老に準備しろと言っても、銀両一枚も出てこないだろう。

 李忠は部屋の中の隠し戸から開けた。

 仕掛けがあって、そこの床が外れるようになっていて、そこに、これまでの警備業で少しずつ貯めた金子がある。

 

「銅貨や銅粒も含めて、銀貨二十枚分というところか……。とても、足りねえなあ。これをどうやって銀両百枚にするかだな……」

 李忠は呟いた。

 

「博打で増やしたら……?」

 

 そう言った金老を李忠はとりあえずぶん殴った。

 

「あたしが出すわ」

 

 史春がそう言って、自分の荷から包みを出し、その中から金貨八枚を置いた。

 李忠はびっくりした。

 金両といえば、一枚で銀両十枚分ある。

 だが、金など滅多に流通するものではなく、実際には分限者などの贈答品に使われるのが関の山だ。李忠自身も滅多に見たことがない。

 これで、借金の支払額に到達した。

 だが……。

 

「史春、お前にとっちゃあ、金翠蓮は赤の他人だ。それなのに、こんなに出してくれるのか?」

 

 李忠は言った。

 

「師匠にとっても、金翠蓮という娘さんは他人でしょう。これもなにかの縁だろうし、ひと肌もふた肌も脱ぐわ。それから、あたしも青州を見てみたいと思っていたのよ。いずれにしても、金翠蓮を連れて逃亡させなきゃならないなら、連れていくわ」

 

「そりゃ、ありがたい……。こらっ、金老、礼を言え」

 

 李忠は怒鳴った。

 

「あ、ありがとうございます」

 

 金老がその場に土下座をした。

 

「よし、とにかく、これで金翠蓮を取り返す算段はできた。ただ、あの鎮関西のことだからな……。黙って、金翠蓮を返すかどうか……」

 

 李忠は呟いた。

 

「そのときは、三人で暴れましょう。どうせ、金翠蓮を逃げさせるなら、わたしらも城郭を逃げなきゃならないんでしょう、李忠……?」

 

 魯花尚が口を挟んだ。

 

「いいのか?」

 

 李忠はそう言いながらも、史春を顔をちらりと見た。魯花尚が最終的に強引な手段で金翠蓮を取り戻すのを覚悟しているのは信じていた。

 しかし、史春がそこまでしてくれるかどうかが気になったのだ。

 下手をすれば、お尋ね者である。

 縁のない娘のために、金貨八枚を出してくれたうえに、お尋ね者になるのを覚悟してくれというのはどうなんだろう……。

 

「いいわ。じゃあ、行きましょう」

 

 しかし、史春はあっさりと頷いてくれた。

 

 

 *

 

 

 両手を天井から吊り上げ、足首を左右に開かせて適当な長さに切断した竹の両端に結びつけてやると、金翠蓮はけたたましい悲鳴をあげた。

 真名女(まなじょ)は、そんな金翠蓮から胸と股間を隠す下着を無造作に小刀で切って、取り去ってしまった。

 あられもない裸身を男たちの前に晒されてしまった金翠蓮は、恥毛も露にした開脚の身体を悶えさせている。

 

 着痩せがするタイプなのか、服を着ているときは華奢でほっそりしているように思えたが、案外、乳房も大きく肉付きがいい。屈辱で震えている二の腕から脇、そして、胴体から腰にかけての線も十四歳とは思えない色っぽさだ。

 

 反面、恥毛はまだ薄くて股間が透けているため、まるで無毛の童女を思わせる。震えている女の秘裂も生娘らしくぴったりと閉じている。

 淫靡さと純情さが入り混じっているその身体は、とても魅力的だった。鎮関西は自分の股間がむくむくと起きるのがわかった。

 

「ふふふ、あんた、すぐにやる?」

 

 金翠蓮の前に立っている真名女が笑みを浮かべて、鎮関西に意味あり気な視線を向けた。

 長い付き合いの真名女だ。鎮関西の様子から、もう鎮関西が欲情をしたのがわかったのだろう。鎮関西は苦笑した。

 

「別に、性にうぶな青二才じゃねえんだ。最初は真名女に任せるぜ。万座の中で一度、恥をかかせてやれ。それが終われば、早速、一物で味見をさせてもらおう」

 

 鎮関西は言った。

 

「わかったよ、あんた……。じゃあ、金翠蓮、うちの人に処女を破ってもらうのは、一回、いい気持ちになってからと決まったよ。娼婦らしく、大きな声で鳴くといいよ。どんな身体なのか、あたしが調べてやるわ」

 

 真名女が金翠蓮の両方の乳房を揉み始めた。

 しばらく、金翠蓮は歯を食い縛るような仕草をしていたが、すぐに身体を真っ赤にして身体をくねらせ始めた。

 

「ああっ」

 

 しばらくすると、食い縛っているはずの金翠蓮の口から声が洩れる。

 性技に長けた真名女の責めだ。

 金翠蓮はたちまち昂った声を張りあげて、左右に割られた両足の筋肉を突っ張らせた。

 

「これは、いい乳だねえ。あんた、女のあたしもうっとりするような柔らかさだよ。女の乳にもいろいろあってね。触り心地が違うのさ。よければ、皆さん、触ってみておくれ」

 

 真名女が言うと、左右の席に座っていた男たちか一斉に色めきだった眼をして立ちあがる。そして、金翠蓮の裸身の回りに集まって乳房に手を伸ばした。

 金翠蓮は素裸で隠しようのない肌を大勢の男たちに寄ってこられて眺められる羞恥に加えて、乳房を揉まれまくる刺激に、断続的な悲鳴をあげて、身体をうねり舞わせた。

 一方で真名女は、乳房への愛撫を男たちに任せて、手を鳩尾や臍に動かすとともに、左右に割れた太股と内腿あたりを撫でるようにくすぐりだす。

 

「ふうっ、はぁ、はあっ……」

 

 金翠蓮がうなじをのけ反らせて、歯を噛み鳴らした。

 そのうちに男たちの手は乳房だけではなくなり、全身のあらゆる部分を責めるようになった。全身の性感帯という性感帯を同時に愛撫される金翠蓮は半狂乱だ。

 

 やがて、責めるのは、真名女ではなく大勢の男たちになり、真名女は横で傍観する態勢になった。

 金翠蓮の全身は脂汗でびっしょりになり、痙攣のような震えがとまらなくなった。

 

「どれ、俺にもやらせろ、真名女」

 

 鎮関西も立ちあがり、いまや、狂気なように身体を振って込みあがる快感から逃れようとしている金翠蓮への責めに加わった。

 金翠蓮の肌は確かにどこもかしこも、吸いつくようにしっとりとしていて気持ちよかった。

 

「いやあああっ」

 

 やがて、金翠蓮が泣きながらぶるぶると身体を震わせた。

 ついに気をやったようだ。

 

「よし、手の縄を緩めて、金翠蓮を寝かせろ。暴れないように、身体を押さえつけるんだ」

 

 鎮関西はそう言って、下袴(かこ)を緩め始めた。

 金翠蓮はいよいよ暴れだしたが、縛られているうえに大勢の男たちに身体を押さえられては身動きはできない。足首を縛っていた竹の棒は外されたが、両脚を左右から男たちに開かされ、股ぐらをこっちに向けさせられた。

 生娘にはつらい仕打ちに金翠蓮はむせび泣いた。

 

「旦那、ちょっと……」

 

 そのとき、屋敷の管理を任せている手下が、部屋に入ってきて、鎮関西に耳打ちした。

 

「李忠?」

 

 鎮関西はその手下にささやき返した。

 部下が鎮関西に告げたのは、金翠蓮と同じ下宿屋に暮らしている李忠という男が、借金分の金子を持って、金翠蓮を引き取りにきたという話だった。

 李忠というのは、庶民を相手に安い代金で警護業をやっている風変わりな男だというくらいしか知らない。

 しかし、その男が銀両百枚を持ってきたという。

 

 鎮関西は、最初の証文の返済期限が今日までになっていることを思い出した。あの証文に従えば、借金を払えば金翠蓮は返すのが道理だ。

 

 だが、銀両百枚もの大金を李忠はどうやって工面したのだろう?

 鎮関西は少し驚いた。

 いずれにしても、いまさら金翠蓮は返すつもりはない。鎮関西は、李忠を追い返せと指示をしようとした。

 

「ひとりか?」

 

 念のために、鎮関西は訊ねた。

 ひとりならどうでもいい。ごねるようなら、どこかに連れていって殺させてもいい。

 しかし、大勢なら多少は慎重に対応しなければ、城郭で騒ぎを起こすことになる。

 

「いえ、それが別嬪の女がふたり着いてきています……」

 

 手下が言った。

 

「女連れ?」

 

 鎮関西は声をあげた。

 そして、詳しい話をさせた。

 すると、李忠という男は金子とともに、女を連れてきたらしい。それも、とびきりの美女ふたりのようだ。

 鎮関西はほくそ笑んだ。

 

「わかった。賭博場で待たせろ」

 

 鎮関西は指示した。

 どういう了見か知らないが、飛んで火に入る夏の虫とはこのことだろう。折角なので、その女たちもさらってやろうと思った。

 そして、ここにいる賭博場を任せている胴元と賭け師を呼んで、必要な指示をした。

 ふたりが急いで出ていく。

 

「さあ、待たせたな、金翠蓮」

 

 するべきことが終わると、鎮関西は金翠蓮に向き直った。

 下袴と股布を脱ぎ、一物を露にすると、金翠蓮が恐怖の叫びをあげた。

 だが、男たちがしっかりと金翠蓮の身体を押さえて、暴れまくるのを阻止する。

 

「ところで、金翠蓮、お前の下宿屋に住む男がお前を助けに来たらしいぞ」

 

 鎮関西は言った。

 金翠蓮の眼が大きく見開いた。

 その驚く顔を見ながら、鎮関西は金翠蓮の狭い股間に怒張を強引にめり込ませた。



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29  李忠(りちゅう)魯花尚(ろかしょう)史春(ししゅん)を博打に賭ける

「いやに、待たせやがるな……」

 

 李忠は何度目かの舌打ちをした。

 

「落ち着いてよ、李忠」

 

 横に座っている魯花尚が言った。

 

「そうね……。苛々するのはよくないわね。それも向こうの手のひとつと思うわ。向こうの思惑に乗っては交渉事もうまくいかないわ、師匠」

 

 今度は反対側に座っている史春が言った。

 

 ここは、鎮関西(ちんかんさい)の息のかかった賭博場である。鎮関西の屋敷や娼館と棟続きであり、鎮関西の屋敷の一部ともいえる建物である。借金の支払いを準備して、金翠蓮(きんすいれん)を引き取りに来たところ、ここに案内されたのである。

 

 李忠たちが座っているのは、おそらく賭けかるたをするための大きな卓だろう。

 水一杯出すわけでもなく、李忠たちはずっとここで待たされ続けていた。

 

「だいたい、なんで賭博場なんだ?」

 

 李忠はまた言った。

 

 そうやって、相手のいない悪態をついても意味のないことはわかっている。

 しかし、喋っていないと怖さで押し潰されそうになるのだ。

 なにしろ、相手は孟城の顔役で百人以上の子分を抱える鎮関西だ。

 そして、いまやっているのは、その鎮関西に喧嘩を売るのと同じことだ。

 鎮関西が罠をかけて、借金の形に連れていった女を取り戻すというのは、そういうことなのだ。

 

 本当は怖い……。

 逃げ出したい……。

 相手は人を殺して、平然としているような連中だ。

 しかも、役人を買収しているので、なにをしても捕えられることはない。

 鎮関西もそれはわかっているから、必要なら李忠のような者を殺して、知らぬ顔をすることなど躊躇わないだろう。

 本当は恐怖で震えがとまらない。

 

「大丈夫よ、李忠。わたしと史春がついているわ。あんたに手出しはさせないわよ。だから、安心して交渉に臨んでよ」

 

 李忠の恐怖を見透かしたように魯花尚が小声で言った。

 魯花尚だけでなく、史春も落ち着いたものだ。その落ち着きが羨ましくもあり、妬ましくなる。

 

「俺はお前らと違って、二流の人間だからな。鎮関西を相手にするとなれば怖いのさ。喋らないと落ち着かないし、震えがとまらなくなる。情けねえがな」

 

 李忠は自嘲気味に笑った。

 

「あんたは二流の男じゃないわ、李忠。こうやって、赤の他人のために、身体を張ろうとしている。それが、二流の人間のはずがないじゃない」

 

「嬉しいこと言ってくれるじゃないか、魯花尚。そろそろ、惚れてくれたか?」

 

 李忠は軽口を言った。

 

「あ、ほ」

 

 魯花尚が笑った。

 

 そのとき、どやどやと大勢の男たちが、突然、後方の扉から部屋に入ってきた。全員が武器を持っている。全部で二十人くらいだろうか。男たちは李忠たちを囲むように壁際にずらりと並んだ。

 李忠は、思わず立ちあがりそうになったが、横から魯花尚が李忠の膝を押さえてとめた。

 

 すぐに鎮関西が、今度は前の扉からやって来た。男がふたり一緒だ。李忠は、その男たちが鎮関西の部下であり、この賭博場を任されている胴元と賭け師であることを知っていた。

 鎮関西は、卓を挟んだ李忠の真向かいにどっかと腰をおろした。同行したふたりがその横に座る。

 

「なんか俺に用事があるらしいな、李忠とやら?」

 

 鎮関西が開口一番にそう言った。

 

「金翠蓮を取り返しにきました。ここに銀両百枚分の金子があります。証文によれば、返済期限は今日のはずです。そもそも、返済期限が過ぎていないのに、借金のかたを持っていくとは乱暴でしょう? まあ、それについては、金翠蓮さえ戻れば、俺たちは文句をいうつもりはありません。とにかく、これを納めてください」

 

 李忠は準備していた言葉を口にするとともに、袋に包んでいた金子を拡げた。

 史春が提供してくれた金両八枚と李忠がいままでに蓄えた金子であり、全部で銀両百枚分だ

 

「ほう? 金両か……。銀両、銀粒、銅貨に銅粒、銭まであるな。かき集めたという感じだが、まあ、銀両百枚分の金子をわずか数刻で準備できるとは大したものだ」

 

 鎮関西は卓に乗せられた金子を一瞥して言った。

 

「余計なことは話したくないですね。金翠蓮と帰るから、すぐに連れてきてください。それと、証文も」

 

 李忠は言った。

 しかし、鎮関西は薄笑いをするだけで、なかなか動こうとしない。李忠は苛ついてきた。

 

「なに、にたにた笑ってんだい、鎮関西? 金子は返したんだよ。さっさと金翠蓮を連れてきな」

 

 すると、魯花尚が不意に怒鳴った。鎮関西よりも、横の胴元が反応した。

 

「この女、誰に口をきいているつもりだ──?」

 

 胴元が卓を叩いた。しかし、すぐに怯えたように顔色を変えた。ふと横を見ると、魯花尚と史春が胴元を睨みつけている。どうやら、ふたりの醸し出す殺気に胴元は圧されてしまったようだ。

 

「ところで、詳しい話をする前に、はっきりさせておきたいんだが、お前らは金翠蓮のなんだ? どういうわけで、金翠蓮を受け取りにきたんだ。しかも、その金子はどうやって工面したんだ?」

 

 鎮関西が言った。

 

「どう工面しようが関係ないでしょう、鎮関西さん。俺たちは金翠蓮と同じ下宿屋に住む者として、ここに来たんですよ。金老(きんろう)の代理です」

 

 李忠は応じた。

 

「だが、金子を借りたのは金老だろう。金子を返すとすれば、金老が来るべきと思うがなあ」

 

 鎮関西が言った。

 

「誰が代理人を務めようが問題はないはずだ……。とにかく、金翠蓮を返すべきなんじゃないですか、鎮関西さん? あんたも商売人の端くれのはずでしょう。商売する者が証文を無視するのはよくないですね。借金の返済は今日まで。その借金さえ期日に返せば、借金の形を持っていくことはできないはず。あたしたちが、ちゃんと筋を通した以上、金翠蓮という娘は返すべきですよ」

 

 史春が口を挟んだ。

 

「確かにそうだ。俺も確かに肉屋の商売から成り上がった男だ。証文の重さもわかる。銀両百枚を持ってきたんだから、金翠蓮を返せというお前たちの言い分はわからないでもない。だが、それはできねえ」

 

「できないだって? なんでだ──?」

 

 李忠は声をあげた。

 

「おい」

 

 鎮関西が横の賭け師に声をかけた。賭け師はずっと丸めた紙を小脇に抱えていたのだが、それを拡げて卓に出した。

 それは真新しい証文だった。

 

「あっ?」

「ええっ?」

「そんな」

 

 李忠、魯花尚、史春はそれを見て一斉に声をあげた。

 

 そこにあった証文は、金老が金貨十枚を借りたという証文ではなかった。金翠蓮が銀両三百枚と引き換えに、鎮関西の娼館に三年の奉公をするという内容であり、金翠蓮の名が署名として書かれてある。

 

「そ、そんな馬鹿な。金翠蓮が銀両三百枚を受け取ったなど、なんの冗談だ? あんた、謀ったな──?」

 

 李忠は怒鳴った。

 鎮関西に対する言葉遣いは雑なものになったが、もう李忠は気にしなかった。鎮関西もなにも言わない。

 

「人聞きが悪いな、李忠。ちゃんとした証文だ。金翠蓮も納得ずくで署名をしたんだ。親父の借金の銀両百枚。そして、娼館ですごすあいだの食事代、衣装代、娼婦としての性技の教授料などのこちらが負担する支度代、占めて銀両三百枚だ。金子そのものは、確かに金翠蓮には渡してないが、金翠蓮は納得して署名した。金翠蓮が承諾して署名をしたので、金老の証文は破り捨てた。いずれにしても、金翠蓮を返して欲しければ銀両三百枚、つまり、金両三十枚だ」

 

 鎮関西は笑った。

 李忠はそのしたり顔に腹が煮える思いだった。

 なにが、支度代だ。

 娼婦になるものが教授料を支払うなど、そんな話は聞いたことがない。

 

 そう思ってはっとした。

 金翠蓮は字の読み書きができない。

 幼い頃から、金老によって唄歌いをさせられていた金翠蓮は、読み書きを習わせてもらってないのだ。

 証文など読めるわけがない。

 

「金翠蓮は字が読めない。その金翠蓮を騙したな」

 

「騙したとは失礼だな、李忠。金翠蓮にはちゃんと証文を読ませたぞ」

 

「字の書けない金翠蓮が書いた署名なんて無効だ。こんな証文なんて役にはたたんぞ」

 

「金翠蓮という字がわからんというから、こちらで筆を握る金翠蓮の手に添えて署名するのを手伝ったが、読めんとは知らなかったな……。まあ、出るところに出てもいいぞ」

 

 鎮関西が大きな声をあげて笑った。

 李忠は歯噛みした。

 出るところに出ても、すべての役人は鎮関西の味方だろう。貧しい金老と金翠蓮の父娘に味方する役人はいない。

 李忠の心に絶望が走る。

 

「わかったら帰れ……。と、言いたいところだが、それじゃあ、折角、金両にすれば十枚もの大金を持ってきたお前たちの立つ瀬もないだろう。俺としても、正式な段取りを踏んでの証文だが、いかさまだと言われては目覚めが悪い。それで、ここはひとつ提案があるんだがどうだ?」

 

 すると、鎮関西が急に柔らかな口調で言った。李忠は眉をひそめた。

 

「提案?」

 

 李忠は訊き返した。

 

「金両三十枚、もしくは、それに匹敵するものを出せ。それで勝負といこうじゃねえか。ここにいる俺の部下とかるたの勝負をしてもらう。勝てば金翠蓮は返してやる。だが、負ければお前の賭けたものをもらい受ける」

 

 鎮関西はにやりと笑った。

 

「金両三十枚だって?」

 

 李忠は思わず言った。

 そんなものはないと言おうとして、李忠は鎮関西の視線が魯花尚と史春に向いているのに気がついてはっとした。

 鎮関西は、金翠蓮を取り返すための賭けかるたをする条件として、魯花尚と史春を賭けろと言っているのだ。

 李忠に金両三十枚など集めてこれないのを見透かしての提案だ。

 

 罠だ──。

 李忠は思った。

 馬鹿でもわかる。

 

 李忠はこの城郭で一度も賭けかるたなどやったことはない。

 だから、鎮関西は、李忠のことをかるたに関してはずぶの素人だと思っているはずだ。

 それが玄人の鎮関西のところの部下とかるたで勝負しろなど、まともな提案ではない。

 しかし、勝負に乗らなければ、金翠蓮は返さないと言うだろう。

 鎮関西には証文がある。

 金翠蓮を取り戻すためには、勝負するしかない。

 李忠は迷った。

 

「おい、金翠蓮を連れてこい」

 

 李忠が考えあぐねていると、不意に鎮関西が叫んだ。

 部屋の外が急に騒がしくなった。

 

「勘違いするんじゃねえぞ、お前ら。金翠蓮は、証文に従って、すでにうちの店の娼婦だ。返すわけじゃねえ。ただ、賭けをすることになれば、賭けの卓に乗せることになるから、連れてくるだけだ。賭けをしないのなら部屋に戻す。まだ、調教の途中だしな」

 

 鎮関西が意味ありげに笑った。

 しばらくして、正面の扉が開いた。

 

「あっ、な、なんてことを──」

 

 李忠は立ちあがって叫んだ。

 金翠蓮が三人の男とひとりの女に囲まれて部屋に入ってきたのだ。

 しかし、李忠を激昂させたのは、その金翠蓮の姿だ。

 

 なんと金翠蓮は素っ裸だった。

 しかも、縄で後手縛りにされ、口には布で猿ぐつわをされている。

 金翠蓮は生気なくうなだれていたようだったが、李忠たちの姿を見て、呻き声をあげて暴れだした。

 金翠蓮は、必死に身体を隠そうとしたが、金翠蓮を囲んでいる男たちが強引に立たせて裸身を正面に維持させる。

 

「金翠蓮に手をつけたのか──」

 

 李忠は憤怒で頭の血が沸騰しそうだった。金翠蓮の股間からは、ほんの少し前に、処女を失った証である赤色の線が内腿を伝っていたのだ。血の線は乾いていたが、間違いなく金翠蓮が犯された痕だった。

 鎮関西は金翠蓮を犯し、股間から流れた血を拭くことも許さずに、ここに連れてきたのだ。

 

「証文により、金翠蓮はうちの店のものだ。生娘だというから、まずは犯した。生娘を娼婦には出せないからな。それに文句があるか?」

 

 鎮関西がせせら笑った。

 金翠蓮は号泣を始めた。

 わざわざ、こんな哀れな姿の金翠蓮を連れてきたのは、李忠を熱くして、勝負に引き込むためだろう。しかし、李忠の忍耐も限界だ。

 

「わかった。勝負する。とにかく、金翠蓮に服を着せてくれ」

 

 李忠は叫んでいた。

 

「まったく、げすのやることね」

 

「これ以上、我慢できないわ」

 

 魯花尚と史春が立ちあがった。

 ふたりが激怒しているのは確かだ。ふたりはいまにも暴れだしそうだ。

 しかし、金翠蓮の縄尻を掴んでいる男が金翠蓮の喉元に刃物を当てた。

 

「三人とも立ちあがって、どういうつもりだ? この鎮関西に喧嘩を売るつもりなら喜んで買うぞ」

 

 鎮関西が腰をおろしたまま言った。その代わりに、李忠たちの背に立っている男たちが一斉に武器を抜いた。

 

 まずい……。

 李忠はとっさに思った。

 

「わかった。勝負を受ける。その金両十枚分に加えて、こっちの魯花尚だ。それで受けてくれ。その代わり、こっちは素人でそっちは玄人。あまりにも違いがありすぎる。だから、勝負の方法は俺に決めさせてくれ」

 

 李忠は言った。

 

「李忠?」

 

 横で魯花尚がびっくりしている。

 

「すまない、魯花尚。ここはお前の命を俺に預けてくれ。それしかないんだ」

 

 李忠は言った。

 

「わかったわ……」

 

 魯花尚は静かにうなずいた。

 

「足りねえなあ。その女は結構、年増だろう。娼婦としては、とうが立っている。そっちの女も賭けろ。そうじゃなければ、認められん」

 

「いや、魯花尚は俺の女だし、金翠蓮にはいつも世話になっているから、俺がこいつを賭けの台に乗せることも許してくれるだろう。しかし、史春は違う。ただの客だ。俺たちのことに巻き込むことはできん」

 

 李忠は首を横に振った。

 

「だが、ここにやって来たということは、金翠蓮を助けたいと思っているんだろう。だったら、命を張れ。この鎮関西と交渉するということは、命を張るということだ。中途半端な心で来るんじゃねえ──。お前らが命を張るなら、それに免じて、やらなくてもいい勝負をしてやろうと言ってるだけだ。こっちは温情で言ってやってんだ。断るなら帰れ」

 

 鎮関西が怒鳴った。

 

「わかったわ、師匠。あたしのことも賭けていい。あたしの身体も、師匠に任せるわ」

 

 史春が言った。

 

 

 *

 

 

「わかった……。女ふたりを賭ける。その代わり、俺は、かるたには素人だ。勝負の方法は俺に決めさせて欲しい」

 

 李忠は言った。

 鎮関西はほくそ笑んだ。

 どうやら、裸に剥いた金翠蓮を連れてきたのは正解だったようだ。この三人の男女は正義感に駆られて、金翠蓮を受け取りに来たのだから、金翠蓮の哀れな姿を見せれば激高すると思った。

 案の定、李忠だけでなく一緒にいた女まで血がのぼり、鎮関西との賭けに応じた。

 あとは、赤子の手を捻るようなものだ。鎮関西の横に座っている賭け師は、どんな札も自由自在に出せる。いかなる勝負の方法であろうとも、かるたでこの賭け師が負けることは考えられない。

 

「どんな勝負の方法だ?」

 

 鎮関西は訊ねた。

 

「素人と玄人が公平に勝負できる勝負の方法だよ。勝負は一回のみ。山札を崩して、双方はその中から好きなかるたを一枚ずつ選ぶ。選んだかるたの数字の大きい者が勝ちとなる。最高は一、次いで、十から二の順番だ」

 

 かるたは一から十までの数字の組み合わせが四組の全部で四十枚だ。その数字の組み合わせでなく、単純に引いた一枚のかるたの優劣だけで勝負となると、確かに運だけの勝負になる。

 

 もっとも、それは、表向きのことだけであればだ。

 だが、札を自在に出せる賭け師と、かるたをやらないはずの李忠とでは公平にはほど遠い。

 鎮関西は笑いそうなってしまった。

 

「いいだろう。ただし、この場で女たちには娼婦として身売りするという証文を書いてもらうぞ。お前が勝てば、金翠蓮の証文と三枚まとめてくれてやる。ただし、俺が勝てば、女たちは娼館で金翠蓮と同じ三年の奉公だ。名誉にかけて約束を守ると誓え、お前たち」

 

「それはこっちの台詞だ……。まあいい。俺の名誉にかけて誓う」

 

 李忠が応じた。

 

「そっちの女たちもだ」

 

「誓うわ」

 

「誓う……。だけど、あんたも誓いな」

 

「もちろん、俺も誓う──。おい、証文と筆を持って来い」

 

 鎮関西は怒鳴った。

 すぐに、真名女が証文を準備して、筆とともに女ふたりの前に置いた。女ふたりが名を書くと、鎮関西はそれをとりあげて、金翠蓮の証文とともに、丸めて真名女に託した。

 真名女はそれを受け取って、金翠蓮のところに戻る。

 金翠蓮はもう精魂つきたように、裸身を晒したままうなだれている。

 

「じゃあ、勝負といこうか」

 

 賭け師が無造作にかるたの束を取り出して切り始めた。

 

「待てよ」

 

 しかし、李忠がその手を阻んだ。

 

「んっ?」

 

 賭け師が怪訝な表情で手をとめた。

 

「やっぱり、勝負の方法を替えよう。どうも、いかさまをされる気がするんだよな。一が最高の手だが、相手が一の札のときのみには、二が勝つ。そうしようぜ? そして、かるたの半分は山札から外そう。そうすれば下手な小細工はできないさ」

 

「好きなようにしな」

 

 賭け師はかるたを卓に置くと無造作に半分にした。

 

「どっちの山を使うんだ?」

 

 賭け師は言った。

 

「こっちだ」

 

 李忠が、向かって右側の束を指さした。

 賭け師は選ばなかった側のかるたを掴んで卓端に外した。

 

 鎮関西はそのとき、賭け師が素早く使わない側の山の中に、数枚のかるたを紛れ込ませたのがわかった。表情に出さないように気をつけたが、おそらく賭け師は、李忠の新たな提案で邪魔になった二の数字のかるたを紛れ込ませたに違いない。

 

 これで使用する山札には二は混じっていない。だから、賭け師はさらに手元に隠している一の札を山から選んでとったように見せかけて出すはずだ。

 賭け師の技なら、李忠たちが気がつかないように、山札から選ぶふりをして、手元の札を出すのは造作ない。

 だから、李忠に万が一の勝ち目はない。鎮関西は満足してふたりの勝負を見守る態勢になった。

 賭け師か卓の真ん中にある半分の山札を崩し拡げる。

 

「じゃあ、選ぶぞ」

 

 賭け師が卓の上に手を伸ばす。

 

「いや、やっぱ、やめだ。こっちにしようぜ」

 

 李忠がいきなり卓に拡げていたかるたを手で押さえて、卓の下に全部捨ててしまった。

 

「なにするんだ──」

 

 賭け師が怒鳴った。

 

「うるせい──。こっちは命がかかっているんだ。なにも賭けてねえお前らが騒ぐんじゃねえよ。選ぶ山はこっちだ──。こっちから選ぶぞ──」

 

 李忠が横に置いて外していたかるたに手を伸ばして自ら拡げた。

 

「ちっ」

 

 賭け師が舌打ちしながら、李忠が新たに崩したかるたを卓にさらに拡げる。

 そのとき、賭け師の手元が微妙に動いて、数枚のかるたを自分の手元に引き寄せたのがわかった。

 おそらく、あれは最初にこちらのかるたに混ぜた二のかるただろう。

 今度は山札から抜くわけにはいかないので、その代わりに二の札をほかの数字の札から見分けられるようにしたに違いない。そこから札を取ったら、手元の一ではなく、ほかのかるたを普通に選べばいい。

 すると、李忠が手を伸ばして、賭け師が手元に集めた二のかるたから、取り札を選んで手元に引き寄せた。

 

「これだ」

 

 李忠はその一枚を自分の前に伏せたまま置いた。

 

 賭け師は無言で一枚を選んで手元に置いた。賭け師は普通に選んだようだ。

 手元に隠している一を出せば負けだが、それ以外の札であれば賭け師の勝ちだからだ。引き分けもない。賭け師はほかの二の札も把握している。

 

「同時に開こうぜ」

 

 李忠が言った。

 

「いいぞ。合図をしてくれ」

 

 賭け師が言った。

 

「よし」

 

 両者がかるたを開いた。

 

「ば、馬鹿な──」

「なに?」

 

 賭け師と鎮関西は同時に声をあげた。

 賭け師の開いたかるたの数字が八であるのに対して、李忠のかるたは十だったのだ。

 

「正義は勝つ──。ざまあみろ──」

 

 李忠が椅子から立ちあがった。金翠蓮を押さえている真名女たちから金翠蓮を取り戻すと、懐から出した小刀で縄を切った。

 

「李忠さん」

 

 裸体の金翠蓮が李忠に抱きついた。

 

「うわっ、こりゃあ……」

 

 照れた様子の李忠が慌てて上着を脱いで金翠蓮の裸身にかけた。

 

「さあ、長居は無用ね。帰りましょう」

 

「そうね……。ところで、金翠蓮から取りあげた服を返しなさいよ」

 

 ふたりの女が立ちあがって、李忠と金翠蓮に寄っていった。

 鎮関西は舌打ちした。

 

「馬鹿野郎。しくじりやがって──」

 

 鎮関西は青い顔をしている賭け師に怒鳴った。

 

「し、しかし、そんなはずは……」

 

 賭け師は信じられないという表情をしている。

 

「もういい、お前ら──。こいつらを逃がすな。李忠は殺せ。女たちには傷をつけるな」

 

 鎮関西は声をあげた。

 部屋に集まっていた三十人の部下たちが一斉に剣を抜いた。

 

「おい、そりゃあ、ないんじゃねえか? だったら、さっきの賭けはなんだったんだよ?」

 

 李忠が金翠蓮を庇いながら叫んだ。

 

「まったくだね。どうしようない連中だよ」

 

「本当よね。師匠、その娘さんを頼むわよ」

 

 すると、史春という名だった女が動いた。

 剣を抜いた男たちの中に向かって駆ける。

 

「うわっ」

「ひいっ」

「ぐあああ」

 

 なにが起きたかわからない。

 とにかく、史春が剣を抜いた男たちの中に自ら飛び込んだと思ったら、たちまちに、男たちが数名倒れたのだ。

 倒れた男たちは全員が睾丸を手で押さえて、白目を剥いている。

 どうやら史春は、飛び込んだ先の周りにいた男たちの股間を思い切り殴ぐりつけたか、蹴るかしたようだ。

 しかも、すでに史春は剣を奪っている。

 

「か、囲め──」

 

 部下たちの中から悲鳴のような声が起きた。

 しかし、剣を持つ史春という女ひとりに、三十人の男が圧倒されている。史春は部屋の壁や男たちの身体を利用して、自分の背後に人が来るのを許さない。

 

 信じられない光景だった。

 

 ひとりの女が圧倒的な人数の男たちを相手に、剣で立ち回っているのだ。

 しかも、史春が剣を動かすたびに、手や足の筋を斬られて部下がうずくまる。

 わずかなあいだに、十人ほどが床にうずくまった。その中にはまたも股間を蹴られた者もいて、史春に襲われている男たちの顔には恐怖さえも浮かんできた。

 

「い、いかん──。もういい、殺せ。女も殺して構わん」

 

 鎮関西は叫んだ。

 なんなのだ、あの女は?

 あんなのを生け捕りにするなど無理だと思った。それで殺してもいいと命じた。

 だが、状況は変わらなかった。

 部下たちは史春に圧倒されている。

 あれだけの男たちがかかって、史春に剣をかすらせることさえできない。

 

「殺せるものなら、やってごらんなさいよ」

 

 史春はばたばたと男たちを倒していく。

 

「どこ見てんのよ。あんたの相手はわたしよ」

 

 不意に目の前に影が差した。

 卓の上にもうひとりの女が立っている。

 魯花尚という女だ。

 

 その女がすっと下袍(かほう)の裾を両手で摘まみあげた。

 一瞬だけ茫然としたが、次の瞬間、魯花尚の足の裏が鎮関西の顔面に叩き込まれた。

 目の前が真っ暗になった。

 気がつくと、壁に後頭部を叩きつけていた。

 

「やっぱり、力が入らないわねえ。この身体……」

 

 魯花尚がぶつぶつと言いながら、卓から飛び降りて、鎮関西の胸ぐらを掴んだ。

 

「さあ、わたしたちを行かせなさい。さもないと、死ぬわ。ここにわたしが思い切り拳を叩き込んだら、あんたは即死よ。いやなら、部下に武器を捨てるように命じなさい」

 

 魯花尚が鎮関西の眉間に拳を向けた。

 凄まじい殺気を感じた。

 鎮関西の全身を恐怖が包む。

 

「わ、わかった……。全員やめろ。武器を捨てるんだ」

 

 鎮関西は慌てて言った。

 すると、部下たちがほっとしたように武器を捨てた。

 

「寄越せ」

 

 李忠が真名女から証文を丸めた筒を取りあげた。そして、中を確認して、それをびりびりに破いた。

 

「女、服を脱げ」

 

 李忠が真名女(まなじょ)に叫んだ。

 

「ひいっ」

 

 真名女は女ふたりの暴れ方に腰が抜けたようにしゃがみ込んでいたが、李忠に怒鳴られて悲鳴をあげた。

 

「脱ぐんだよ、服を。それとも、顔を蹴られたいか」

 

 李忠がさらに言うと、真名女はもう肝を冷やしたようになって服を脱ぎだした。李忠がそれを脱いだそばから金翠蓮に渡している。李忠は真名女から服を脱がせて、それを金翠蓮に着せて逃げるつもりのようだ。

 

 金翠蓮の支度が整ったところで四人が賭博場を出て行った。

 鎮関西はしばらく呆然としてしまい、すぐに動くことができなかった。

 

 

 *

 

 

 夕方前に到着した宿場町をそのまま通り過ぎて、さらに先の宿場町まで進んだ。

 

 魯花尚と史春のふたりの武辺で圧倒して、鎮関西を一度は屈伏させたものの、いつ気が変わって追いかけてくるかどうかわからない。あるいは、役人に手をまわして、ありもしない罪をでっちあげて、手配くらいさせるかもしれない。

 そのくらいのことはやりかねない執念深い男なのだ。

 

 だから、とりあえず北州都に向かう大陸街道を急ぎ足で歩き続け、二つ目の宿場町で宿をとることにした。

 すでに夜になっていたが、幸いにも二部屋分の宿を確保することができた。

 皆疲れていたが、特に金翠蓮はがっくりとなった。

 

 さすがに、破瓜をされたばかりの金翠蓮に強行軍すぎたかもしれない。歩いているあいだは、気を張ったようにしていたが、宿に入るとともに暗い顔をして意気消沈したようになった。

 

 無理もない。

 

 突然に鎮関西の部下に下宿屋からさらわれ、さらに、強姦されて処女を散らされたのだ。肉体的にも精神的にもつらいだろう。

 

 しかし、孟城に残るわけにはいかないという李忠の説明には、すぐに納得したし、賭博場を脱出した後は、その足で城郭を抜けるという李忠の言葉も驚きはしていたが同意した。

 そして、それこそ、しつこいくらいに、李忠たちに感謝の言葉と詫びの言葉を言った。

 

 宿につき、やっと食事をすることにした。

 だが、一階の食堂で夕食を食べるということになっても、金翠蓮はほとんど口をきかなかった。そして、時折、李忠の顔を見て涙ぐむような仕草をする。

 李忠もなんと声をかけていいかわからず、黙ったままでいた。

 

 ただ、なぜか金老ひとりが陽気そうであり、金翠蓮が戻ってきたことを本当に喜んでいた。

 そして、今度こそ、真人間になると何度も言ったりした。

 

 まあ、いずれにせよ、もう、ここまでくれば、鎮関西もこっちに手を出すことはできないだろう。

 

 これからどうするかは、深くは考えていない。

 路銀は乏しいが、まあ道中で何らかの手段で稼ぎながら進めばいい。ともかく、五人で金老と金翠蓮の落ち着き先と決めている青州まで旅をすることになると思う。北州都の北京を通過しての旅行ということになるだろうから、しばらくは旅の空だ。

 

「す、すみません。あたし、もう休みます……」

 

 金翠蓮が言って立ちあがった。金翠蓮の皿にあった肉はほとんど減っていなかった。

 李忠は食べないと身体が持たないと声をかけようとしたが、魯花尚がそれを目で制した。

 金翠蓮はひと足先に二階に部屋にあがっていった。

 

「あとで、わたしと史春で話をしてくるわ」

 

 魯花尚が言った。

 そして、従業員に頼んで、金翠蓮の遺した肉を包ませた。

 

「……ところで、師匠、あたしたちを賭けて、賭博場でかるたをしたとき、師匠はいかさまをしましたよね」

 

 史春が笑いをこらえたような顔で言った。

 

「わかったか、史春?」

 

 李忠も笑った。

 

「そうなの? わたしは気づかなかったわ」

 

 魯花尚は驚いたような声をあげた。

 

「師匠はやったのよ、魯花尚……。あの鎮関西のところの賭け師なんか比べものにならないくらいの早業だったわ。最初に崩した札を床に捨てるふりをして、師匠は数枚を自分の手元に隠したのよ。それで、一枚選んだ札をはぐるときに、それと入れ替えたのよ。ちょうど、あたしの角度だけ見えたんだけど、賭け師も鎮関西もまったく気がつかなかったようね」

 

 史春が愉しそうに話した。

 

「本当? まったく気がつかなかったわ。あんた、そんな特技もあったの?」

 

 魯花尚は感嘆の声をあげた。

 

「ま、まあな……」

 

 李忠は苦笑した。

 

 いかさま師のようなことをしたのは二十代の前半の頃だった。見え見えの手で二の数字のかるたを手元に隠したようなあの鎮関西のところの賭け師のような三流のいかさま師とは、比べものにならないくらいの腕だった。

 結局、あるとき、いかさまを見破られて、その城郭を逃げ出す羽目になったが、まだまだ、腕は鈍ってはいなかったようだ。

 

 やがて、全員の食事が終わった。

 李忠は魯花尚に促されて、先に部屋で待つことになった。

 

 二部屋の部屋割りは、ひと部屋目を金老と金翠蓮の父娘と史春、もうひと部屋を李忠と魯花尚ということになっている。

 

 しかし、金老は、女同士で話をしたいので、酒代を渡すからここで飲んでいてくれと史春に言われていた。

 金老は嬉しそうな顔をした。

 だったら、自分も飲んでいると李忠は言ったが、魯花尚から大事な話があるから部屋で待って欲しいと言われたのだ。

 仕方なく、李忠はひとりで部屋に戻った。

 魯花尚と史春は、金翠蓮のいる部屋に包ませた肉を持って入っていった。李忠はひとりで部屋に戻った。

 

 それから、しばらく経った。

 大事な話があると言った魯花尚は、なかなかやってこなかった。

 そして、やっと扉が叩かれた。

 李忠は昼間の疲れで、うとうとしかけていたところだった。

 

「遅かったな、魯花尚……。金翠蓮は……?」

 

 扉から入ってきた人の気配に、李忠はそう声をかけかけて絶句した。そこにいたのは、魯花尚ではなく、金翠蓮だったのだ。

 

「金翠蓮、どうして?」

 

 李忠は驚愕して、半分寝台に横になりかけていた身体を起こした。

 だが、その李忠に金翠蓮の身体が飛び込んできた。

 金翠蓮の身体が李忠を押し倒すように抱きついてきた。そして、いきなり唇を重ねてくる。

 当惑しながらも金翠蓮の唇をしばらく味わった李忠は、興奮した様子の金翠蓮を身体から離して、寝台の横に李忠と並ぶように座らせるようにした。

 

「き、金翠蓮、どうしたんだ? 一体全体……?」

 

 李忠は動揺して言った。

 

「あ、あたしを抱いてください。あたしを救ってくださり、そして、大事な仕事を捨ててくれた李忠さんへの感謝の気持ちです。あたしにはこんなことしかできないし……」

 

「か、感謝の気持ちって……」

 

 李忠は当惑した。

 どうして、こんなことになったのか理解不能だが、金翠蓮はただならぬ決心で、やってきたようだ。

 

「で、でも、男に犯されたばかりのあたしの身体が汚らわしいと思われるなら、そのとおり言ってください。あたしは部屋に戻ります。あたしの身体が汚れたのは事実だし……」

 

 金翠蓮は言った。すると、金翠蓮の目に涙があふれ出した。

 

「そ、そんなことあるわけないだろう……。金翠蓮のような可愛い娘のどこが汚れているんだ」

 

「いえ、汚れました……。でも、このまま汚れた思い出だけで旅をするのはいや。でも、李忠さんに抱いていただけたら……。鎮関西に犯されたあたしを李忠さんが抱いてくれるなら、あたしは慰められます。お願いします。あたしを抱いてください。あ、あたし……このままじゃあ……」

 

 金翠蓮が嗚咽をし始めた。

 李忠は嘆息して息を吐いた。

 

「金翠蓮が汚れるわけないだろう……。女は心が汚れない限り、汚れないのさ。だ、だけど、本当にいいのか……? 金翠蓮にそんなこと言われて、これ以上、我慢できるような男じゃないぜ、俺は」

 

 李忠は言った。

 これはとてもじゃないが、邪見にはできない。

 楚々として純真そうな金翠蓮に惹かれていないというのは嘘になる。魯花尚もいいが、金翠蓮もいい。

 

 それに、ここまで言われて、金翠蓮を抱かなければ、金翠蓮は立ち直れないくらいに傷つくだろう。金翠蓮は抱かなければならない。

 そう思った。

 

「が、我慢しないでください……」

 

 金翠蓮は目をつぶった。

 李忠はもう一度息をのみ、そして、金翠蓮の身体を寝台に押し倒した。金翠蓮がびくりと身体を反応させた。

 李忠は金翠蓮の下袍をまくりあげて、股布の上から股間を愛撫した。

 金翠蓮がすぐに可愛い喘ぎ声を出し始めた。

 

 

 *

 

 

「終わったら報せに来いって、あの娘に言ったのに、随分と遅いわね、魯花尚?」

 

 史春はからかうような口調で言った。

 宿にしている宿屋の一階の食堂だ。夜になれば、そのまま酒場になる。店は宿泊客というよりは、馴染み客らしい者が多くなってきた。

 史春と魯花尚は、金老が飲んでいた卓に交じって酒を飲んでいた。

 

 飲み始めてから三刻(約三時間)になる。

 すでに金老は酔いつぶれて、卓に突っ伏している。

 史春と魯花尚はふたりで酒を酌み交わすようなかたちで酒をちびちびと飲んでいた。

 

 もう、深夜といっていい時間だ。

 最初の頃は、女ふたりに声をかけてくる酔客も絶えなかったのだが、その都度、魯花尚が厳しく追い払って、いまはもう、誰も近寄ってこなくなった。

 

 食事をそこそこに、ひとりで部屋にあがっていった金翠蓮を追いかけていた史春と魯花尚が接したのは、寝台に突っ伏して号泣している金翠蓮の姿だった。

 賭博場を逃げ出し、そのまま逃避行に入った。歩いているあいだは、気を張っていたから大丈夫だったらしいが、宿に泊り、心が落ち着いてくると、一気に緩んでしまったようだ。

 金翠蓮は激しく泣きじゃくっていた。

 

 史春と魯花尚は、金翠蓮を落ちつけようといくらか話をしていたが、そのうちに、だんだんと金翠蓮の哀しみの大きな部分は、犯されたというそのものよりも、それを李忠に晒されたということが占めるということがわかった。

 

 どうやら、金翠蓮はひそかに李忠のことを男として好ましく思っていたようだ。それがこういうかたちで木端微塵に砕かされてしまったことが金翠蓮を打ちのめしていたらしい。

 すると、魯花尚が、だったら李忠に抱かれてもらってこいと金翠蓮に告げたのだ。

 

 それで不幸を忘れられるならそうして来いと……。

 史春は魯花尚の言葉にびっくりした。

 魯花尚と李忠は恋人同士だと思っていたからだ。

 

 金翠蓮も同じのようだった。

 史春も金翠蓮と話をしているうちに、これは李忠が金翠蓮を抱けば、かなり金翠蓮の心は慰められると思ったのだが、それは魯花尚が許さないだろうと思っていたのだ。

 だから、むしろ魯花尚が積極的に金翠蓮をけしかけたのは意外だった。

 

 ともかく、金翠蓮はそれで決心がついたようだった。

 ひとりで、李忠のいる部屋に向かっていった。

 そして、一階で酒を飲みながら待つと金翠蓮に告げて数刻──。

 まだ、金翠蓮は李忠の部屋から出てくる気配がない。

 

「まあいいわ。もう、金老を担いで、部屋に引きあげましょうか、史春……。金翠蓮はそのまま李忠と寝るといいわ」

 

 魯花尚が言った。

 

「だけど、あなた方は本当に人がいいのね。師匠は、赤の他人の娘のために、全財産をはたき、城郭を逃げ出さなければならないようなことをやって金翠蓮を助けてあげ、あなたはあなたで、金翠蓮の心を慰めるために、恋人を貸すなんて……」

 

 史春はさらに言った。

 

「恋人とか……。そんなんじゃないのよね……。わたしたちは……」

 

 すると魯花尚が言った。

 

「あら、違うの?」

 

「違うわ。ただ愛は交わすわ。十日に一度、わたしは李忠に抱いてもらう。それで助けてもらう。そういう関係よ。ただ、恋人というわけでもないから、おかしな束縛もしないし、その権利もない。ただ、あいつに、わたしが見放されても困るんだけど……。まあ、金翠蓮を抱いたくらいで、わたしを捨てやしないでしょう。李忠が善良なのは知っているから、それは安心しているわ」

 

 魯花尚がそう言って無表情で酒をあおった。

 

「へえ……? よくわからないけど、なんか、すごい関係ね」

 

 史春は驚いてしまった。

 

「……それよりも、相談があるんだけど……」

 

 魯花尚が真顔で言って、史春に視線を向けた。

 

「相談?」

 

「うん……。まだ、李忠には言ってはいないんだけど、わたしの知り合いが、帝都で困難に巻き込まれたみたいなのよね……。それはわたしにも責任の一端があるかもしれないの……。わたしは彼女を助けてあげたい……」

 

 魯花尚はそう言って、懐からくしゃくしゃになった手紙を取り出した。

 

 史春は、それが最初に下宿屋に史春が荷を置きにやってきたとき、魯花尚への預かりものとして、金翠蓮が魯花尚に渡した手紙であることを思い出した。



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第9話   女護送囚いじめ
30  呉瑶麗(ごようれい)、牢番の性器を舐める


「食事だ、女囚」

 

 光のない地下牢に燭台の光が差し込み、次いで牢番の声が響いた。

 呉瑶麗(ごようれい)は顔をあげた。

 

 食事が来るということは、外の世界では(ひる)すぎなのだろう。

 ここの地下牢の牢番は一日交替であり、引き継ぎは午だ。最下層の牢で勤務するのはふたりであり、勤務を引き継いだ牢番は最初にここに監禁されている囚人たち全員に食事を配る。

 食事はその一日に一回のみなので、それで呉瑶麗もこの薄暗い地下牢の中で一日がすぎたということがわかる。

 

 十五日までは数えた。

 それからは面倒になり、ここに入れられてからどのくらいなのか数えるのはやめた。

 高俅(こうきゅう)の屋敷からこの軍営の地下牢に入れられ、それから忘れられたようにずっと放置され続けている。訊問のために牢から出されることもない。

 ただ、この地下牢に入れられている日が続いているだけだ。

 おそらく一箇月というところだろうと思う。

 

 しかし、どうでもいい……。

 

 高俅から、女としての恥辱という恥辱にまみれさせられ、やっと解放されてこの国都の軍営の地下牢に収容された。

 国都の軍営の地下牢は二層になっていて、一層目はかなり広いが、二層目は狭くて深い。地上の光など絶対に差すことのないような場所だ。

 一般犯罪者を収攬するのが一層目だとすれば、さらに下の二層目は凶悪犯罪者が収攬される場所のはずだ。

 役人や囚人の出入りの多い一層目に比べれば、二層目はほとんど人は来ない。だから、それだけ脱獄の機会も少なくなるというわけだ。

 実際、呉瑶麗はここに収攬されてから、牢番以外の人間を見ることがなかった。

 

 あの酒場の事件の夜、最初に少しだけ一層目に入れられたから一層目の地下牢の状況は覚えている。

 呉瑶麗は収容者の少ない女囚房だったので独房だったが、男囚側はどれも複数の人間が入れられていたし、房の数も多かった。

 しかし、この二層目の房は十個ほどしかない。そして、すべて独房だ。

 さらにひとつひとつの房の位置が離れていて、かすかに呻き声や泣き声は聞こえてくることはあるが、話をできるような位置関係ではない。

 当然、顔を見ることもない。

 しかも、呉瑶麗のいる場所は、二層目の地下の最奥であり、ここを出ていく囚人が呉瑶麗の牢の前を通過することさえないのだ。

 いまも半分ほどの房に人がいる様子だが、もうどんな者が誰が収容されているのか呉瑶麗は知らない。

 

 ここに入れられているのは、調べも終わった裁判待ちの囚人であり、しかも、死刑になると決まっている者ばかりだということだ。

 死刑の判決が出れば、その日のうちに帝都の広場に身体を晒されて、翌朝には処刑が執行される。だから、戻ってこないのだ。

 

 別に知りたくて知ったわけではないが、毎日交代で勤務することになっている牢番が、食事を運んでくるときに、何房の男が死刑になっていなくなったとかいう話を呉瑶麗に教えるのだ。

 

 牢番たちによれば、二層目の囚人の入れ替わりは激しく、大抵は十日ほどで独房から出されて、もう戻ってこないらしい。

 いずれにしても、ここに入れられて一箇月くらいのはずだが、呉瑶麗は最古参の囚人ということになるようだ。

 

「昨日の皿と交換だ」

 

 通路と牢は鉄格子で阻まれているが、鉄格子の下には、平たい器が出し入れできるような間隙がある。

 呉瑶麗はそこから木製の皿を出した。

 

 皿は洗ってある。

 地下牢の壁は石壁だが、奥に拳ほどの深さの狭い溝があり、そこを水が流れている。

 そこで皿を洗う。

 

 水は大した量ではないが、常に流れ続けているので、皿だけでなく、身体を洗うこともできる。飲み水もそれを口にする。糞尿もそこに流す。糞尿は水ととともにどこかに流れていく。

 呉瑶麗の牢は水の流れのもっとも奥にあるので、呉瑶麗のところには、常にほかの囚人の汚物が流れてくる。それをさらに奥に流しながら、飲み水や身体を拭く水を確保する。

 そういうことも、抵抗なくできるようになった。

 

「特別性だぜ」

 

 牢番が笑いながら野菜汁の入った木皿を差し入れてきた。

 悪臭が皿から漂う。

 悪臭の原因は野菜汁にかけられた男の精液だ。続いて飯も入れられる。

 ご丁寧にも、硬い飯にも精液がなすりつけている。

 

 ふと顔をあげた。

 どうやら、新しい顔のようだ。

 それにしても、男の牢番が考える女囚への嫌がらせというのは、どうして、どいつもこいつも同じなのだろう。

 

 この最下層に入っている女囚は呉瑶麗ひとりのようだが、牢番が交代する度にやられる嫌がらせが、この食事にわざわざ自分の精液をかけるという悪戯だ。

 

 最初は衝撃も受けたが、同じことを何度もやられると、もうなにも感じなくなる。

 呉瑶麗が連中の嫌がらせに反応しないので、そのうち連中も飽きてやめるのだが、この牢番は新しいので、すっかりとほかの者が飽きた呉瑶麗への嫌がらせをしようと思ったに違いない。

 

 呉瑶麗は皿を黙って受け取った。

 そして、それを横に置く。

 こいつが新入りならば、もしかしたら付け入る隙もあるかもしれない……。

 

「……こんな嫌がらせしなくても、遠慮なくわたしを犯していいのよ……。相手をしてあげるわ。だから、鍵を開けて……」

 

 呉瑶麗は尻を床に着けたまま姿勢を変えると、牢番に向かって下袍をまくって股を大きく開いた。

 女囚の服は腿の中間までの短い下袍と裾のない上衣一枚だ。下着もない。

 下袍をめくって股を開けば、女の股間が露わになる。

 牢番が呉瑶麗の股を凝視して、ごくりと唾を飲んだのがわかった。

 

「身体はちゃんと毎日洗っているわ。水でね。そんなに汚くはないわよ。さあ、遠慮しないで……」

 

 呉瑶麗はさらに誘った。

 師範代の頃には、美貌の女剣士と称されたこともあった。

 呉瑶麗自身も自分の女としての価値は知っている。牢番の視線が呉瑶麗の股間に釘付けになっているのがわかった。

 呉瑶麗はさらに上着を脱いだ。女囚として身に着けている灰色の袖のない薄物を脱ぐと、乳房が剥き出しになった。呉瑶麗は誘うように胸を動かして乳房を揺すった。

 

「お、俺たち牢番は鍵を持ってねえ……。渡されてねえんだ……」

 

 新入りの牢番が息を飲みながら残念そうに言った。

 呉瑶麗は心の中で舌打ちした。

 同じことを何人もの牢番にやったが、いつも答えは同じだ。

 やっぱり、鍵を持っていないというのは本当のようだ。

 たとえ、囚人が死んでも、それを上に報せにいくだけであり、屍体を運び出すのさえも、ここの牢番はやらないのだと、呉瑶麗に詳しく教えた牢番もいた。

 どうやら、それは呉瑶麗を誤魔化すための嘘ではないようだ。

 呉瑶麗は薄物を着直した。

 そして、鉄格子すれすれに寄っていった。

 

「だ、だったら、小さな刃物を差し入れて……。大丈夫よ。絶対にばれないように隠しておくから……。下袍(かほう)の下に隠せるような肉を切るときのような刃物でいいのよ。それをくれたら、鉄格子越しに、あんたのあれをしゃぶるわ」

 

 呉瑶麗は言った。

 ここの地下牢に入れられたばかりのときは、すぐに死ぬことばかりを考えていた。

 

 だが、いまは違う。

 このまま死ぬのでは、あまりに口惜しくて、死んでも死にきれない……。

 絶対に復讐してやる……。

 この手で高俅の喉を斬り裂き、性器を切断して口の中に突っ込んでやる──。

 

 そのためなら、もうなんでもする──。

 

 股も開くし、男の性器もしゃぶってみせる。

 なにがなんでも生き延びる手段を探すのだ。

 

 呉瑶麗は必死だった。

 復讐をするためには脱走をしなければならない。

 こうやって牢に入れられ続けていては、いつか裁判のために呼び出され、高俅の息のかかった裁判官が、呉瑶麗に死刑の判決を下して、帝都の広場で死ぬだけだ……。

 

「ほ、本当か……?」

 

 牢番がきょろきょろと周囲を見渡すような素振りをして、低い声で言った。

 

「本当よ……。鉄格子越しに、あんたのあれをこっちに出して……。前払いでいいわ……。その代わり、あんたの次の勤務のときに、小さな刃物をこっそり食事のときに渡してよ……」

 

 呉瑶麗は鉄格子にほとんど顔をつけるくらいまで近づいて言った。

 ここの牢番自身の管理もかなり厳しいことをすでに呉瑶麗は知っていた。

 一度、勤務が開始されれば、次の交代までいかなる理由でも、牢番は詰所から上にはあがってはならない。武器なども管理されていて員数点検があるので、それを囚人に渡せば、すぐに発覚してしまう。何度も同じ話を牢番に持ちかけているから知っているのだ。

 だが、それなら最初から別に持ち込めばいい。それなら員数点検には引っ掛からない。

 

 呉瑶麗は、牢番にどういう要領で刃物を持ち込めばいいか、詳し説明した。

 牢番は頷きながら聞いていた。

 

「そ、それならできると思う……。わ、わかった。約束する……」

 

 牢番は言った。

 そして、下袴の前を開いて鉄格子のこっち側に性器を差し入れた。

 性器は半勃ちというところだろうか。

 呉瑶麗は口を開いて、先端部分を包むようにして口に含んだ。臭気を我慢して、幹を舌と唇でしごいていく。たちまちに牢番の性器が呉瑶麗の口の中でたくましくなった。

 

 こんなのは屈辱でもなんでもない……。

 生きるためだ……。

 

 呉瑶麗は自分に言い聞かせながら、懸命に肉棒への奉仕を続けた。

 男への奉仕も武道と同じだ。相手の呼吸を読み、肌の動きを観察して気を見る。

 そして、男が快感を覚えている場所に奉仕の重点を集中する……。

 呉瑶麗は顔全体を動かしながら、口全体で怒張を締めつけ、さらに舌で裏筋までねちっこく擦りあげた。

 

「い、いいぞ……。た、堪らん……」

 

 牢番が気持ちよさそうな声を出した。

 もう少しだ……。

 呉瑶麗は思った。

 口中には断続的な薄い牢番の精液が射出されている。匂いがつらいが口を離しては台無しだ。

 それに耐えて、呉瑶麗はさらに幹を擦りあげる舌と唇に力を入れた。

 

「ううっ」

 

 牢番が低くうめいて、身体をぶるぶると震わせた。

 熱い精の塊が呉瑶麗の口の中に直撃した。

 二射……三射と収縮をしながら、牢番の性器が呉瑶麗の口の中に精を発した。

 呉瑶麗は口を離して、一度後ろに向かって、水が流れる小さな溝の中に精を捨てた。そして、手で水をすくって軽くうがいをしてからすぐに戻った。

 すでに牢番は下袴(かこ)に性器をしまい満足気な顔をしている。

 

「よかったぜ……。じゃあ、次には欲しいものを渡すぜ。ほかに欲しいものがあれば、そのときに言え。口奉仕と交換で持ってきてやるぜ」

 

「とりあえず、刃物をお願い……。剃刀でもいいわ。とにかく、服の下に隠せる小さなものを……」

 

 呉瑶麗は言った。

 

 

「わかった」

 

 牢番は呉瑶麗の前から離れていった。

 今度はうまくいくだろうか……。

 呉瑶麗は横に置いていた食事を手元に寄せた。

 同じことを三人の牢番にやった。

 

 しかし、いまのところ、手に入れたい物は得ていない。

 なにしろ、ああやって呉瑶麗に口奉仕を許した牢番が再び牢番として現れることがなかったからだ。

 なぜか、呉瑶麗に刃物の差し入れを約束して口の奉仕をさせた牢番は、次の勤務交替にやってくることがないのだ。

 

 だから、結局、彼らが呉瑶麗との約束を守って、武器を差し入れることはなかった。

 そいつらがどうなったのかはわからない。

 

 呉瑶麗がここに収攬されて一箇月くらいであるが、交代でやってくる牢番の顔ぶれは同じであり、ほとんどの顔を記憶している思う。

 やってこなくなった牢番は、呉瑶麗が奉仕した牢番だけだ。

 

 地下牢に入れられている呉瑶麗をひそかに監視している者がいるのではないか……?

 

 あの新入りの牢番はなにも知らない様子だったが、ほかの牢番は、呉瑶麗に怯えのようなものを浮かべる者すらいる。

 そうだとすれば、呉瑶麗に手を出した牢番は、処断のようなことにもなっている可能性もある。

 

 まあいい……。

 とにかく、最後の最後まで生き残るための努力をするだけだ……。

 

 呉瑶麗は精液交じりの皿を手にした。

 凄まじい悪臭だが、いまの呉瑶麗は、たとえこれが動物が吐いた汚物でも生き延びるために口にできる自信がある。

 呉瑶麗は完全に冷たい野菜汁に飯を浸すと、それを口にし始めた。

 

 

 *

 

 

 孫定(そんてい)は、自分が「慈悲深い人」という評判を作っていることは知っていた。

 しかし、孫定自身は、それが自分を称する相応しい言葉だとは思っていない。

 裁判を預かる上級役人のひとりとして、罪ある者にはそれに相応する罰を与え、罪のない者は罰しないということをやっているだけだ。

 当たり前のことであり、特段にそれが賞賛に値することとは思わない。

 

 だが、その当たり前のことが帝都では珍しいということも事実だ。

 賄賂や権勢が横行し、金子と引き換えに事実は曲げられる。

 不正は常識であり、力のない者は理不尽に虐げられ、その恨みは声なき声として世間に溢れる……。

 それが帝都の実態であり、それが日常だ。

 孫定は、それが残念であるし、無念でもある。

 だが、せめて、自分の正面だけでも、当たり前のことが当たり前のことであって欲しい。

 そう思って勤務している。

 

 孫定は、出仕してすぐに、この日最初の裁判となっている罪人の調書を眺めた。

 昨日の終わりに、孫定は一箇月ほど保留しておいた裁判書類を翌日の最初に行う裁判とするように、急遽書類の手続きをしたのだ。

 

 その裁判が始まる……。

 裁かれることになっているのは、国軍の武術師範代の呉瑶麗だ。

 美貌の女剣士として有名であり、酒場でふたりの男を殺害して牢に収攬された。そういう事件だ。

 だが、これが冤罪であるということは明らかだ……。

 おそらく、誰もが知っている。

 呉瑶麗は嵌められたのだ。

 

 おそらく、真相はこうだ。

 

 近衛軍大将の高俅は、美しい女剣士の呉瑶麗に恋慕して愛人にしようとしたが断られた。

 そして、それを逆恨みした高俅が、権力を使って呉瑶麗を殺人者に仕立てて軍牢に収攬し、さらに呉瑶麗の身柄を取り調べと称して、自分の屋敷に移して凌辱の限りを尽くした。

 

 ちょっと信じられないような話であるが、それこそが真実だというのは、詳しく調べるまでもなくわかった。

 

 呉瑶麗が高俅の屋敷に長期間監禁されていたのは隠しようのない事実だし、そのあいだに、数多くの高官が呉瑶麗を犯したという裏も取れた。

 軍営の地下に収攬するはずの女囚を屋敷に連れ込んで凌辱するということ自体が大変な罪なのだが、呉瑶麗にかかっている殺人の調書にしても、おそらく出鱈目だ。

 

 呉瑶麗が殺人を犯したとされる酒場において、呉瑶麗と殺されたふたりの男が同じ卓で酒を飲んだというのは事実であるが、孫定が独自に酒場の従業員を調べてみると、呉瑶麗はそのふたりと酒を飲んで、すぐに昏倒したらしい。

 

 酔ったというよりは、まるで薬でも盛られたようだったと店の者たちは言ったようだ。

 しかし、高俅直々に調べて提出された調書には、呉瑶麗はそのふたりを脅して、酒場の地下倉庫に連れて行ったことになっている。

 それを証言したのは酒場の主人だ。

 

 それでその食い違いを質そうと思って調べてみると、その酒場の主人は、最近、急に金回りがよくなったことがわかった。

 その主人が高俅の手の者に買収されたのも明らかだ。

 だったら、その酒場の主人を締めあげれば、簡単に呉瑶麗の無実は証明できる。

 孫定はそうするつもりだった。

 

 しかし、それは果たせなかった。

 調査を進めようとすると、突然に上官の大臣に呼び出され、呉瑶麗事件の捜査をするなと命じられたのだ。

 その上官に言われたのは、速やかに裁判をしろということであり、高俅から出された出鱈目な調書を一字一句そのまま採用しろという命令だった。

 孫定は、高俅の圧力がかかったということを知るしかなかった。

 

 高俅といえば、異母兄の高簾(こうれん)が皇帝のお気に入りとなって、大変な権勢を持つようになった近衛軍の大将だ……。

 とてもじゃないが、一介の裁判官の孫定には、その権力に逆らうことは不可能だ。

 孫定は、呉瑶麗事件を再調査するのは諦めるしかなかった。

 

 その代りにやったのは、裁判そのものを保留することだ。

 上官の大臣も呉瑶麗をすぐに死刑にすることを要求していた。

 もちろん、それは孫定の裁量なのだが、呉瑶麗を裁判しようとすれば、すぐに高俅から圧力がかかることはわかっていた。

 だから、しばらく保留した。

 

 無実の者に死刑を下さなければならない裁判をすることはできない。

 しばらくすれば、高俅も一介の女囚のことなど忘れると思った。

 事実、数日も経てば、呉瑶麗事件に対する圧力のようなものは感じなくなった。

 

 そして、一箇月……。

 孫定はやっと呉瑶麗事件の裁判を明日行うことにした。

 昨日から、孫定の上官の大臣も高俅も帝都にいない。

 現在建設中の離宮の視察に赴いた皇帝に同行して帝都からいなくなったからだ。

 孫定は、この機会を待っていた。

 

 高俅たちが戻るのは三日は後だ。 

 調書に基づいて裁判をすることは厳命されているので、呉瑶麗を無実にすることはできない。

 だが、罪を減じて死罪を免れさせることくらいはできる。

 無実とわかっている者を有罪にするのは残念だが、いまの孫定にできるのはそれくらいなのだ。

 

 孫定はそろそろ時間なので、裁判を行う場所に向かうために立ちあがった。

 すでに呉瑶麗は軍営の地下牢から出されて、そこに移動しているはずだ。

 そのとき、孫定の執務室の扉を叩く音がした。

 返事をすると、行政府がつけている孫定の従者だ。

 

「孫定様、面会をしたいというお方がお見えです」

 

 従者が言った。

 

「面会? もう、裁判が始まる。それが終わるまでは時間がない」

 

 孫定は当惑して言った。

 

「そう申したのですが、緊急の用事ということで、すぐ取り次げと言ってきかないのです。仕方なく、とりあえず面会の方がお見えということだけでも、報せようと思いまして……」

 

 従者が困ったような表情になった。

 孫定はその従者の様子から、それが面倒な来客であることを悟った。

 

「誰だ?」

 

陸謙(りくけん)というお方です」

 

「陸謙?」

 

 それが何者なのかを考えようとして、すぐに思い当った。

 陸謙というのは、高俅の部下で切れ者という噂のある男だ。

 なんの用事かもわかった。

 

 呉瑶麗事件は高俅たちがいないあいだに、こっそりと片づけてしまうつもりだったが、高俅の部下の陸謙は、この事件の裁判が急に行われることになったということをなんらかの手段で知ったのだろう。

 それで、呉瑶麗を必ず死刑にせよと、賄賂でも持ってきたに違いない。

 孫定は嘆息した。

 

「わかった……。応接室に通せ──。すぐに会うと伝えよ」

 

 孫定は言った。

 従者は出て行った。

 

 孫定はその足で裁判の場所に向かった。

 別に嘘を言ったわけではない。

 陸謙という高俅の部下には、確かにすぐに会う。

 

 ただ、それは、呉瑶麗に対する罪を確定してからのことになるということだけのことだ……。

 

 

 *

 

 

「罪状認否と証拠調べについては罪が明白につき省略する……」

 

 やって来た三十歳くらいの裁判官の第一声がそれだった。

 判決を受けるために裁判場で待っていた呉瑶麗は焦った。

 

 裁判場といっても建物内ではない。

 呉瑶麗が立っているのは小さな砂石を敷き詰めた庭のような場所であり、建物から突き出した屋根の下に裁判官や記録の役人が座る卓がそれぞれにある。

 ここは裁判場の中でも、もっとも格式が下の場所であり、主に一般庶民が判決を受ける場所だ。

 裁判を傍聴するような場所もなく、衛兵と役人と罪人しかいない。

 呉瑶麗は、その砂石の上に手首と足首を革枷をつけられて両脇を衛兵に挟まれて立っていた。左右の手首と足首はそれぞれに短い鎖で繋がっていて、手は後手だった。

 

「お、お待ちください──」

 

 呉瑶麗は思わず叫んだ。

 ついにやってきた裁判のときには、せめて高俅の悪事をがなり立ててやろうと思っていた。最後の最後まで高俅を罵り、そして、死のうと思った。

 しかし、その抗弁の機会も与えられないとは考えなかった。

 だが、裁判官はその呉瑶麗の訴えなど、聞こえなかったように続けた。

 

「元国軍武術師範代、呉瑶麗を滄州(そうしゅう)の流刑場送りとする。刑期は十年──」

 

 裁判官が言った。

 

「流刑?」

 

 呉瑶麗はつぶやいた。

 てっきり死刑だと思っていた。

 流刑とはいえ、処刑を免れたのは意外だった。

 

 高俅は呉瑶麗を生かしておかないと思っていたのだ。

 呉瑶麗は高俅の悪行の生き証人でもある。

 生きているのは高俅にとっても都合が悪いはずだ。だから、高俅は裁判にも圧力をかけたはずだ。

 呉瑶麗が高俅の立場なら呉瑶麗は殺す。

 それとも、もう呉瑶麗など生かそうと殺そうと、どうでもいいと思っているのだろうか。あるいは、この裁判官が高俅の権力に逆らって、呉瑶麗を死刑から救ったのか……?

 

 呉瑶麗はもう一度、自分に流刑を告げた裁判官の顔を見ようと思った。

 だが、その若い裁判官はすでに立ちあがって、こちらに背を向けていた。

 

「来い──」

 

 衛兵に小突かれるように、裁判所の外に出された。

 

 そのまま、軍営の営庭を歩いて牢に連れて行かれた。いままで入っていたような地下牢ではない。地上に建てられた建物だ。衛兵が警備するその牢舎に入るとすぐに、鉄格子の扉があり、呉瑶麗はそこに連れて行かれた。

 鉄格子の先には頑丈そうな扉が並んでいて、呉瑶麗はそのひとつに入るように促された。

 

 入れられたのは小さな独房だ。

 分厚い木の扉の内側の囚人房には粗末だが寝台があった。そして、窓があった。鉄格子の嵌まった小さな窓だ。だが、窓があり、寝台のある場所に移ったことで、獣のような扱いから人の扱いに戻った気がした。

 しかも、内部はきちんと掃除がしてあって清潔だった。

 よく見ると、寝台の敷布も毛布も真新しい。呉瑶麗はびっくりした。糞尿をする壺もあったが不潔な感じはまったくない。

 

 すぐに、衛兵とともに、宮廷道師がやってきた。

 その道士が呉瑶麗の首に魔道のこもった真っ赤な首輪をした。

 

「これは流刑者に装着する首輪だ。流刑には護送兵ふたりが同行するが、それを振り切って逃亡することはできん。この首輪は期日までに流刑場に到着しなければ、道術の力によりお前の首を絞めてお前を殺す。いかなる手段でも、その首輪を外すことは不可能だ。流刑場においてある道術具のみが、その首輪を外すことができる。お前のその首輪は、滄州の流刑地の到着と同時に外れる」

 

 道師が厳かな口調で言った。

 呉瑶麗もその流刑者に装着する首輪のことは耳にしたことがある。

 期日までに流刑場に到着しなければ、首輪が罪人の首をねじ切ってしまうのだ。

 だから、罪人は護送兵を振り切っても逃亡することはできない。逃亡したところで、短い期間の後には酷い死が待っているだけだ。

 

 道師とともに衛兵がいなくなった。

 入れ替わるように、牢番らしき兵がやってきた。

 食事を載せた盆を持っている。

 盆にある食事は干し肉と握り飯に野菜の煮汁だ。水壺と果物もある。煮汁からは湯気まであがっていた。

 温かいものなど久しぶりだ。

 呉瑶麗はこれが自分の食事なのかと、信じられない思いで眺めていた。

 牢番の男はそれを呉瑶麗の前に置くと手枷を外した。

 

「俺はあんたに武術を教わったことがある。あんたは教えるのが上手で素晴らしい教官だった。あんたがなんでこんな目になったかの噂も聞いている。逃がすのは無理だが、食べ物なら持って来れる……。あんたは明日出発だ。ほかに食べたいものがあれば、それまでなら持ってこれると思う……」

 

 牢番が小さな声で言った。

 

「十分よ……。ありがとう……」

 

 呉瑶麗は頭をさげた。

 惨めなときの優しさは心に沁みる。呉瑶麗は涙がこぼれそうになるのを感じた。

 

「だったら酒は……? ちょっとだけなら持ってきている……」

 

「本当? 飲むわ」

 

 呉瑶麗は顔をあげて破顔した。

 

「あんたのその笑顔が、みんな大好きだったよ、教官……」

 

 にっこりと笑った牢番が、背中から出した小壺を食事を載せた盆の上に置いて出ていった。

 

 

 *

 

 

 雪葉(せつは)は、護送警吏の女兵であり、明日から呉瑶麗という女の罪人を董超《とうちょう》という男の警吏兵とともに護送して遥かに東の滄州の流刑場に連れて行くことになっていた。

 往復で二箇月に近い旅になると思う。

 営舎で旅の支度をしていると、その董超が訪ねてきた。

 

「なに、董超? なにか打ち合わせでも?」

 

 雪葉は部屋の入り口に立っている董超に声をかけた。

 ふたりとも、兵として同期だ。五年任期の兵役の二回目の三年目であり、つまり、八年目ということだ。兵としては熟練の方になる。兵役が同じというだけでなく、同郷でもあり仲がいい。歳も同じ二十九だ。同じ戦にも参加したことはある。男女の差を越えて親友だと思っている。

 

「いや、そうじゃないんだ……」

 

「だったら、なんの用事──? もしかしたら久しぶりにやる? いいわよ。同室の女は今夜は勤務でいないのよ。旅のあいだは、あたしたちと罪人にしかいないから、やるくらいしか愉しみもないと思うわ。あんたなら悦んで相手にしたいわね」

 

 雪葉は笑った。

 もうこの歳だし、普通の女のように結婚をして子を産むという夢はない。

 性交はいい汗をかける運動のようなものだ。

 避妊薬があるので妊娠の心配はないし、雪葉は性交は好きだ。いい相手を見つければこちらから求めることもあるし、求められることもある。

 たくさんの男と交わったが、この董超との性交は悪くない。

 この男なら妻になってもいいとも思うが、残念だが、この男はそういう価値観の男ではない。

 

「黙ってろよ、淫乱女──。俺たちに酒を驕りたいという男がいるらしい。料理屋の小僧がわざわざ軍営まで面会にやってきたんだ。行くぞ」

 

「あたしらに酒? 誰よ?」

 

「知らねえな。まあ行こうぜ」

 

 ふたりで連れだって、酒を驕りたいという男が待っているという料理屋に行った。

 店に入ると、あらかじめ指示されていたらしく、店の給仕が雪葉と董超を小部屋に案内した。

 

 そこでは上席に身なりのいい中年の男がすでに座っていた。

 雪葉と董超が席に着くと同時に、肉料理に魚料理、揚げ物に果物、そして、酒がすぐに運ばれてきた。

 雪葉も董超もびっくりしてしまった。

 

「あ、あの……、もしかしたら、人違いではないでしょうか。あたしらは、こんな風に歓待をされるような者ではないんです。ただの護送兵でして……」

 

 董超が狼狽えた口調で言った。

 

「わかっております。人違いではありません。とにかく、食事をどうぞ。それと酒も……。話は少し酒が進んでからにしましょう」

 

 男はにこにこと言って、雪葉と董超の杯に酒を注ぐ。

 気味が悪いが、とにかくご馳走になることにした。

 運ばれてくる料理は、すべて高級のものであり、雪葉や董超にはちょっと縁がないようなものだ。

 それに酒も上等だった。

 

「あの、失礼ですが、そちらの名は?」

 

 董超が言った。

 

「まあ、後で名乗ります。とりあえず、酒をどうぞ」

 

 男がさらに酒を差し出す。

 

 そうやって、数杯の酒を重ねた。

 すると、男がおもむろに背中から包みを出した。

 銀両だ。

 それが十枚ある。

 五枚ずつ雪葉と董超の前に置かれた。

 雪葉と董超は固まってしまった。

 かなりの財だ。

 雪葉も息をするのを忘れて、その銀両に見入っていた。

 

「こ、これは……?」

 

 やっと口を開いたのは董超だ。

 

「収めて頂きたい。これを差しあげたいのです」

 

「で、でも、あたしらとあなたは、初めて会う顔だと思いますが、どうしてこんな金子をもらえるのです?」

 

 雪葉は言った。

 

「煩わしたいことがあるのです。ところで、おふたりは、明日、北に向かうのでしょう。滄州の流刑場に……」

 

「任務で行きます。流刑人を護送します」

 

 董超が答えた。

 

「流刑人の名は?」

 

「呉瑶麗です。元国軍の武術師範代の女ですよ」

 

「そういうことだから、おふたりの手を煩わしたいのですよ、董超さん。実は、俺は近衛軍大将高俅の執事の陸謙(りくけん)と申すものです」

 

 男が名乗った。

 雪葉はびっくりした。

 

「大将閣下の執事の陸謙様とあたしらでは、対等の席では飲めません。これはとんだ失礼をしました」

 

 雪葉は声をあげた。

 

「よいのです。名乗った限りにおいては、その金子は受け取っていただかなくては困ります。承知かと思いますが、我が主人の高俅にとって、呉瑶麗という女はいささか鬼門なのです。それで、呉瑶麗には流刑の途中で死んでもらいたい。それが煩ってもらいたいことです」

 

 陸謙は声を潜めて言った。

 

「る、流刑人を途中で殺せと……? い、いや、それはできないのです。流刑人には、流刑のあいだ装着する首輪があります。それは期日までに到着しなければ、流刑人の首を絞め、殺してしまうという機能がありますが、護送役人や護送兵を見張る機能もあります。呉瑶麗を殺せば、首輪に道術の力で記録が首輪に残ります。それではあたしらが処罰をされます」

 

 雪葉は首を横に振った。

 

「わかっています。別に殺してくれと言っているわけではありません。乱暴もしなてくいい。雪葉さんが言及したように、護送が間に合わなければ、呉瑶麗は死んでしまいます」

 

 陸謙はにやりと笑った。

 

「でも、呉瑶麗は女とはいえ、国軍の武術師範代をやったほどの女です。歩くのを遅らせるのは難しいですよ。あの首輪は殺すだけではなく、傷つけても記録が残るのです。護送の途中で流刑人に罰を与えるのは、必要であれば、禁止ではありませんが、それで間に合わなかったとなれば、なぜ、乱暴をしたのか調べられます」

 

 董超も不安そうに言った。

 

「首輪の機能はわかっていると申したでしょう。暴力を振るえば記録が残ることは知っています。でも、暴力さえ振るわなければ、記録には残らないのではないですか? 護送はふたりでやるのでしょう? 誰も見ていないのです。たとえば、手足を拘束して縛りつけて歩けなくしては? そうすれば、暴力を振るっていないので記録には残りませんよ。ほかにも方法はあります。そうは思いませんか?」

 

 陸謙がにやりと笑った。

 

「つ、つまり、あたしらに呉瑶麗を流刑の途中で拘束して、流刑地に間に合わなくさせろと?」

 

 雪葉は訊ねた。

 

「ひとつの方法として提案しました。ただ、監禁という方法は都合の悪いこともある。あの首輪は、毎日の移動距離についても記録を残すのでね。しばらく前、流刑人を殺して実際には旅行はせず、護送兵が路銀を着服するという事件が多発したので、そんな面倒な記録をするようになったんですがね……。とにかく、呉瑶麗の歩みを遅くする方法を考えました。首輪の記録を出し抜くようなやり方でね……」

 

 陸謙が笑った。

 そして、また背中から荷を出した。

 今度は、肩から提げるかたちの布の鞄だった。

 陸謙は鞄を開いた。

 中からぞろぞろといろいろな物が出てきた。

 

「これは?」

 

 雪葉はひとつを手に取った。

 革の帯だ。二本ある。内側に半球のでっぱりがある。

 

「それは貞操帯ですよ。半球のある内側で股間を締めつけるようにして使います。鍵もあります。一本を腰に巻き、その中央から垂直に交わるように組み合われて股を締めつけるのです。でっぱりが股間に当たるようにね……。呉瑶麗は女ですから、そんなものをつけて歩くのはつらいでしょう。当然、歩くのは遅れるはずです……。ほかにこんなにもありますよ」

 

 陸謙は一枚の薄物を出した。

 一見普通だが、よく見ると内側に無数の鳥の羽のようなものがついている。

 

「これを肌のうえに直接着せれば、くすぐったさにのたうち回ることになります。ほかにも愉快な道具をいくつか準備しました。どうです。これで遊びながら護送しては? 毎日移動したという記録も残り、暴力の記録は皆無です。そして、呉瑶麗は到底間に合わず、俺の要望も果たすことができる。それをしてくれたら、お礼をお渡しします。さっき、渡したもののほかに、さらに銀両を十枚。どうです? さらにもうひとつ……。この護送の任務が終われば、よければ高俅の屋敷で仕事を世話しましょう。護送兵などをやるよるよりは、余程いい仕事と思いますがね」

 

 陸謙はにやりと笑った。

 雪葉は董超の顔を見た。

 断る理由は思い当たらない。

 そして、董超の表情を見て、董超も同じ考えだということがわかった。



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31  呉瑶麗(ごようれい)、護送役人にいじめられる

「ま、待って──。も、もう少し、ゆっくりと歩いて……」

 

 ついに呉瑶麗(ごようれい)は吐息とともにそう言った。

 もうどうしても、まともに歩くことができなかったのだ。

 その姿に、護送兵の董超《とうちょう》と雪葉《せつは》というふたりの男女がにやにやと笑った。

 

「どうしたの、呉瑶麗? 国軍じゃあ、師範代も務めたあんたなんでしょう? このくらいの道で音をあげていたら、とてもじゃないけど流刑地まで持たないわよ」

 

「そういうこった。期日までに辿り着かなければ、俺たちも仕置きされるが、お前は首が絞まって死んでしまうんだ。急いで進んだ方がいいんじゃないか──」

 

 ふたりがせせら笑った。

 

「ふ、ふざけるんじゃ……。だ、だったら、これを外しなさいよ……」

 

 呉瑶麗ははらわたが煮えるような気持ちを押さえながら、息も絶え絶えに声をあげた。

 

 大陸街道を北に向かう途中だ。

 流刑の罰を受けた呉瑶麗は、董超と雪葉のふたりの男女の護送兵に連れられて、遥かな北の地にある滄州(そうじょう)の流刑場に向かっていた。

 

 期限は一箇月──。

 もしも、間に合わなければ首に装着されている道術の首輪が首を絞めて呉瑶麗を殺すことになっている。

 だから、逃亡もできないし、遅れることも許されない。

 

 だが、距離はあるが、整備された大陸街道を進む旅だ。半月もあれば十分な旅のはずだ。

 しかし、いめは四日目だが、呉瑶麗は到着遅延による死の可能性を考え始めないわけにはいかなかった。

 

 流刑囚である呉瑶麗の足首には革の枷がつけられており、それは肩幅ほどの短い鎖で繋がっていて、手首には背中側で手錠をかけられていた。

 それらの拘束は歩みを妨げたが、徒歩移動の速度を落としはしなかった。

 また、足は素足であり、初日で足の裏が切れて血が出て、三日目には血は固まった。それも耐えられた。

 

 二日目の朝に装着されたおかしな下着は、呉瑶麗をどうしようもなく追い詰め、それが呉瑶麗の歩みを大きく遅らせていた

 しかし、この下着が与える下腹部への責めはどうにもならない。

 呉瑶麗は女囚用の袖のない灰色の薄物と腿の半分までの短い丈の下袍を身に着けていたが、それ以外の衣類はなく、もともと、下着はなかったのだ。

 ところが、初日の旅が終わって、二日目の朝になったところで、ふたりの護送兵のうちの女兵の雪葉がこれから物騒な地域を旅することになるので、呉瑶麗の貞操を守る必要があるとかいいながら、革帯の下着をはくように指示をされたのだ。

 

 もっとも、護送中の身である呉瑶麗は、常に後手に手錠をはめられており、食事をするのも、身体を拭くのも、着替えるのも、ひとりではなにもできない。このおかしな下着も身体を樹木に胴体を縛りつけられて、無理矢理に嵌められたのだ。

 

 そして、呉瑶麗の苦悩が始まった。

 呉瑶麗が装着された下着のことをこの護送兵のふたりは『貞操帯』と呼んだと思うが、確かにこれは下着というよりは、股間を締めつける革帯だった。

 呉瑶麗は、その貞操帯を股間に食い込むほどに強く締められたのだが、なんと、その革帯の内側に小さな半球の突起が無数についていたのだ。

 

 忌々しいことに、呉瑶麗が動くと、この貞操帯の内側の突起が微妙に動いくように細工がしてあり、その動きが呉瑶麗の敏感な場所を激しく苛んだ。

 どういう仕掛けになっているかわからないが、呉瑶麗が足を進めるたびに、股間の内側の無数の突起が右に左にうようよと跳ねるように動き、呉瑶麗の肉芽や亀裂を刺激した。

 これでは満足に歩けるわけがない。

 

「こらっ、誰に口をきいているのだ、呉瑶麗──。そんな乱暴な口をきくと折檻するぞ。もう、お前は国軍の武術師範代なのではないんだぞ──」

 

 董超が持っていた棒で呉瑶麗の腰の横を小突いた。

 

「あっ、ああ……」

 

 この貞操帯の内側の突起は、静かに動けば静かに動くが、激しく動けば激しく動く。

 小突かれて身体が激しく揺れたことで、これでもかというほどに突起が肉芽を擦りあげた。

 

「ん、んんんっ」

 

 呉瑶麗はその場に座り込んでしまった。

 

「あらあら、高俅(こうきゅう)様の屋敷で調教されたという噂だったけど、それは本当のようね。すっかりと敏感な身体になっちゃったのね。普通は、そんな貞操帯を嵌めたくらいでは、そんな風に腰が抜けたようにはならないわ。あんたの敏感な身体が悪いのよ」

 

 雪葉が笑った。

 呉瑶麗は歯噛みした。

 高俅に与えられた恥辱を思い起こさせるような貞操帯によるいじめに加えて、わざわざ高俅の名を出して辱められることに、呉瑶麗は途方もない屈辱を覚えた。

 

 怒りで全身の血が沸騰しそうになる。

 だが、呉瑶麗が口惜しいのはそれだけじゃない。

 身体が熱いのだ……。

 惨めなことをされると不思議な高揚感が身体を襲う。

 片意地の悪い性的嗜虐に、なぜか身体が欲情するのだ……。

 高俅の屋敷における一箇月間にも及ぶ凌辱の日々は、すっかりと呉瑶麗の身体を淫靡なものに変えてしまっていたのだと思う……。

 

 地下牢の生活の中ではなんとか我慢できたが、あのときでも時折、発作のように疼く身体を持て余しかけていた。

 淫靡な身体にされたのだと思った。

 それこそが、高俅の屋敷で与えられた最悪の仕打ちだと思うが、朝から晩まで犯され続けて、意に沿わぬ絶頂をさせ続けられていた時間が、完全に呉瑶麗の身体に性の快感を覚えさせえしまったのだ。

 

 あの快感を身体が求める……。

 それは身を裂きたくなるような屈辱なのだが、あれを欲しがって、身体が火照り狂う。

 しかも、呉瑶麗のが身体が求めているのは激しい恥辱の快感だ。

 いま、こうやって、雪葉と董超に嗜虐のようなことをされて、それに憤怒している自分もいるが、しっかりとそれに欲情している自分もいることは事実だ。

 

 呉瑶麗はそれが口惜しくて仕方がない。

 高俅の屋敷で受けた屈辱を求めて、呉瑶麗の身体が被虐を求めるなどということを知れば、あの高俅は大喜びするだろう。

 それを考えると、高俅だけでなく、自分自身に対する怒りで頭が沸騰しそうになる。

 呉瑶麗は立ちあがった。

 

「うっ……」

 

 動くと突起が肉芽に食い込む。

 全身に痺れが走る。

 呉瑶麗はそれに耐えて歩き始めた。

 

 

 *

 

 

「ほら、食事よ……」

 

 河原にある樹木の下で雪葉が器を呉瑶麗の前に置いた。

 器の半分ほどに汁が入っている。具などはない。

 それが呉瑶麗の一日分の食事なのだ。

 護送兵はしっかりと朝食も食べるが、呉瑶麗に与えられるのは、この夕食のみだ。

 

 それは初日からそうであり、六日目になる今日も同じだ。 

 不満を言ったが、官費で定まっている呉瑶麗の食い扶持はそれだけだと言われた。なにか食べたければ金子を支払えとも言われた。

 こういう囚人の護送のときには、囚人の身寄りが、なにかしらの賄賂を護送兵に渡すものだ。

 そういうしきたりであることは、呉瑶麗も知っていた。護送兵に渡すものを渡しておけば、囚人の待遇はよくなるのだ。

 

 この国では大抵がそうだ。

 しかし、身寄りのない呉瑶麗のために、賂を渡してくれる者などいるはずもなく、官費ではこれだけだと言われれば、呉瑶麗も黙り込むしかない。

 

 六日目の野宿だ。

 

 宿泊費を浮かせるつもりなのか、そんなものは最初から渡されていないのか、宿のような場所には泊ることはない。この六日間、ずっと野宿だ。今夜も、この街道沿いの河原で休むということになったようだ。

 

「なによ、その顔は──? 食べ物が欲しければ金子を出すのよ。それとも、なにか言いたいの?」

 

 雪葉が呉瑶麗の顔を見て怒鳴った。

 

「な、なにも……」

 

 呉瑶麗は俯いて、視線を汁の入った器にやった。

 いまさら文句をいうつもりはないのだが、もしかしたら恨めしそうな表情をしていたのだろうか……?

 今夜は河原での野宿のようだが、三人がいるのはまばらに立っている樹木の下だ。

 呉瑶麗は董超と雪葉が準備した焚き火からはやや離され、後手の手錠を鎖で樹の幹に結ばれて座っていた。

 

 ふたりが焚火で炙っている干し肉のいい香りがこっちに漂ってくる。

 もちろん、それが呉瑶麗に渡されることはない。

 目の前の粗末な汁を飲めばそれで終わりだ。 

 呉瑶麗は、頭をさげて器に口をつけた。

 

 器の縁を咥えて持ちあげ、注意深く口の中に傾けていく。

 口に流れてくる汁をむさぼるように飲む。だが、このわずかな汁のみでは、空腹が刺激されただけで終わってしまう。

 

 呉瑶麗は決心していた。

 このままでは空腹で体力がなくなり、流刑地までは辿り着けないと思う。

 なんとしても、食べ物を恵んでもらわなければ……。

 それに、もうかなり行程が遅れていることもわかっていた。

 

 六日目にして、やっと畿内から北州に入ったというところだ。本来なら三日目で到達すべき距離だ。

 ただ、股間の貞操帯は相変わらず呉瑶麗を悩ませていたが、多少は慣れてきた。

 疼きを耐えようとするから脚が進まないのだが、感じてしまうのを容認して受けれてしまえば、甘い声をあげながらでも前には進める。

 

 董超と雪葉は、呉瑶麗が股間の刺激に感じていることも隠さずに、淫靡な声や息を小さく吐きながら歩くのを呆れた調子で見ていたが、もう呉瑶麗は開き直っていた。

 

 だが、股間の疼きには慣れても、空腹には慣れない。

 自分の体力がなくなっているのもはっきりとわかるし、このままでは、流刑地に着くことなく倒れて動けなくなる。

 

「お、お願い。肉を恵んでください──。そのひと切れだけでも……。こ、この通りです」

 

 呉瑶麗は離れた場所で焚火をしているふたりに頭をさげた。

 董超と雪葉がきょとんとした顔でこっちを見た。

 しかし、雪葉がすぐに顔を険しくした。

 

「余分なものを食べたければ、金子を支払えを言ったでしょう──」

 

 雪葉が大きな声をあげた。

 

「わ、わたしを抱いていいわ──。いまはこれしかないから……。ねえ、董超さん」

 

 呉瑶麗は雪葉を無視して董超の顔を見ながら言った。

 

「お、お前、なに言ってんのよ──。馬鹿じゃないの──?」

 

 雪葉が目をも丸くした。

 

 しかし、呉瑶麗はもう雪葉は見ていない。董超だけをじっと見た。

 すると、董超が片側の頬を緩めた。

 

「国軍の武術師範代の美貌の女剣士が呆れるな。たったひと切れの肉片のために、身体をしがない護送兵に許すのか?」

 

 董超が笑った。

 

「口でも奉仕できるわ。地下牢にいるときに牢番のものをしゃぶったわ。お、お願い、肉を恵んで──。なんでもするから、董超さん」

 

 呉瑶麗はもう一度頭をさげた。

 一片の肉のために、身体を許すのかという言葉が呉瑶麗の心に突き刺さっていた。

 だが、呉瑶麗は生き抜くためだと自分に言いきかせた。高俅に恨みを返すまでは、どんなに惨めなことをしてでも生き延びるのだと……。

 

「もう、我慢ならないわ──」

 

 雪葉が棒を掴んで立ちあがった。

 

「待てよ、雪葉──。面白い──。だったら、余興をやらせてみようぜ」

 

 董超が笑った。

 

「余興?」

 

 雪葉が座り直しながら眉をひそめた。

 呉瑶麗も余興という言葉にいぶかしんだ。

 

「まあ、お前のような美人を抱くのはやぶさかでもないんだが、囚人に手を出したとあっては、俺も後でお咎めを受ける。ここには雪葉もいるしな──。だったら、そこで自慰をしてみせろ。そこに大きな岩があるだろう。そこにその貞操帯を擦りつけて自慰をしろ。見事にそれで達したら、肉をひと切れやろう」

 

 董超が小馬鹿にしたような口調で言いながら、焼いた肉を摘まむとわざとらしく大きな口を開いて食べた。

 

「それはいいわね……。名高い武術師範代の呉瑶麗様がこんな河原で自慰なんてできるのかしら?」

 

 雪葉も笑いながら肉を口にする。

 躊躇ったのは一瞬だけだ。

 呉瑶麗は立ちあがった。後手の手錠を木の幹に繋げられた鎖には余裕があるので、その岩まで近づくことはできる。

 呉瑶麗は岩の突き出たところに貞操帯の内側を当てると、腰を動かして擦りだした。

 

「ああ……あっ、ああっ──」

 

 岩に貞操帯を擦ると内側の突起が激しく動きだして、呉瑶麗はすぐに悶絶の声をあげた。

 

「おいおい、本当に始めやがったぜ」

 

「美女もあんなになれば、落ち目ねえ」

 

 董超と雪葉の揶揄の声が聞こえる。

 しかし、呉瑶麗は無視した。

 餓えて死ぬわけにはいかないのだ。

 流刑場に辿り着けなくなり、首輪に殺されるわけにはいかない……。

 

「ああん、ああっ、ああ、んんんん」

 

 呉瑶麗は声をあげた。

 絶頂の波はそこまできている。

 旅のあいだ、ずっと股間の刺激に苛まれていた呉瑶麗の身体は、ずっと中途半端な火照りが残っていた。四六時中、焦らし責めに遭いながら歩いていたようなものだった。

 呉瑶麗はその疼きを解放しようと、もう、なにもかも忘れて岩に貞操帯を押しつけて行う自慰に没頭した。

 やがて、そのときがやってきた。

 快楽の矢が呉瑶麗の全身を貫いていく。

 

「くうううっ、いくうううっ──」

 

 呉瑶麗は身体をのけ反らせて、足の先から頭の上まで突き抜けていく快感に身体を震わせた。

 

「い、いきました……。はあ、はあ、はあ……」

 

 呉瑶麗は激しく息をしながらふたりを見た。

 

「なかなか面白い余興だったぜ、呉瑶麗──。じゃあ、もう寝な」

 

 董超が言った。董超は肉を与えるような素振りは見せなかった。

 

「に、肉を──」

 

 びっくりして呉瑶麗は言った。

 こんな恥ずべきことをしたのは、ふたりが焼いていた干し肉のひと切れが欲しいからだ。だが、ふと見ると、焚火で炙っていた肉はすっかりとなくなっている。

 呉瑶麗はそれに気がついた。

 

「残念ながら、肉は食べてしまったわ。また、今度ね──」

 

 雪葉がせせら笑った。

 

「だ、騙したのね──」

 

 呉瑶麗はやっとそのことに気がついた。

 あまりのことに、それ以上の言葉が出てこなかった。

 なにも考えずに飛びかかろうとした。

 しかし、樹木に結び付けられている鎖が呉瑶麗の行く手を阻み、呉瑶麗は鎖に引き戻された。

 

「こいつ、暴れようとしたぞ──」

 

 董超が顔色を変え立ちあがった。

 雪葉も腰をあげた。

 董超の蹴りが呉瑶麗の無防備な腹に食い込む。

 

「うぐううっ──」

 

 あんなゆっくりとした蹴りは本来の呉瑶麗なら簡単に避けることができた。だが、達したばかりの余韻に包まれるとともに、空腹に目さえも眩みそうな呉瑶麗には、とっさに身体を動かすことはできなかった。

 董超の蹴りはまともに呉瑶麗の腹に当たり、呉瑶麗は木の幹にまともに背中を打ちつけた。

 呉瑶麗は息ができなくなり、その場にうずくまった。

 

「ち、ちくしょう、ちくしょう……。ゆ、許さないわよ、あんたら……」

 

 呉瑶麗は地面にうずくまりながら呻いた。

 あまりの口惜しさに涙が出てきた。

 呉瑶麗は自分の激しい呼吸が次第に嗚咽に変わっていくのがわかった。

 

「暴れようとした罰だ──。今夜は寝かせてやらん。ひと晩中、立っていろ──」

 

 董超が言った。

 なにかを鼻に入れられた。

 

「な、なに?」

 

 それがいきなり引きあげられた。

 両方の鼻の穴に鉤のようなものをかけられたのだ。それが思い切り上昇していく。

 

「ひぎいいっ」

 

 呉瑶麗は悲鳴をあげた。

 呉瑶麗の鼻に掛けられた鉤には細くて硬そうな糸が繋がっていて、それが上方の樹の枝の上を通って、糸の先が董超の手に握られていた。それを使って董超は呉瑶麗の鼻にかけた鉤を引きあげたのだ。

 

「や、やめて──。は、鼻が千切れる──」

 

 呉瑶麗は叫んだ。

 しかし、呉瑶麗の抗議もむなしく、董超は呉瑶麗の踵がわずかに浮くぐらいまで糸を引きあげた。そして、その位置で糸を固定して樹木の幹に結んだ。

 

「ひと晩中、そうして反省しろ」

 

 董超が言った。

 

「念のために首にもかけておくわね。うっかりと寝てしまえば死ぬわよ。この糸は特別なものよ。あんたの身体の重みがすべてかかっても絶対に切れないわ。あんたの首を絞めて終わりよ」

 

 雪葉も笑いながら、上を向いている呉瑶麗の首に糸を強く巻き、やはり、同じように頭上の樹の枝に引っ掛けて高さを固定して、木の幹に結んだ。

 

「猿轡もしておくか。夜中に悲鳴をあげて起こされてもかなわんからな」

 

「そうね」

 

 董超の言葉に、雪葉が荷から布を取り出してきて、呉瑶麗の口に布を突っ込み、さらにそれを口の上から布を覆って縛って頭の後ろで固定した。

 

「じゃあ、俺たちは横になるぜ」

 

 董超が笑った。

 そして、ふたりが離れていく。

 

 呉瑶麗は懸命に直立不動の身体を保ちながら、絶望に襲われていた。

 わずかに踵を浮かせておかなければ、容赦なく鼻に激痛が走り、喉に糸が食い込む。

 この状態でひと晩中放置されては、さすがの呉瑶麗も明日の朝まで生き延びる自信はない。

 脂汗とも冷や汗もとつかないものが、全身を流れ始めた。

 

 

 *

 

 

 目が覚めると、すでに夜が明けていて白々と周囲が明るくなっていた。

 雪葉は河原にある立ち木の下で董超の隣で毛布にくるまって寝ていたが、心なしか肌寒さを感じた。

 もう、秋だ。

 野宿に はそろそろ厳しい時期なのかもしれない。

 

 そんなことを考えていると、ひゅー、ひゅーという強い風が鳴るような連続音が聞こえてきた。

 それが激しい息遣いの音だとわかったのは、音の方向に、鼻鉤で鼻を引きあげられ、首に糸を巻かれて直立不動で立っている呉瑶麗姿を見つけてからだ。

 

 そういえば、昨夜は呉瑶麗に“仕掛け”をして眠りに入った。

 樹木の枝から二本の硬い糸を垂らし、ひとつを呉瑶麗の鼻に掛けた鼻鈎に繋げ、もう一本は喉に巻きつけてやった。その状態で呉瑶麗の身体を踵があがるくらい引きあげ、朝まで放置したのだ。

 

 呉瑶麗の足元にはまるで水でも浴びたような夥しい水たまりがある。どうやら、ひと晩中あの体勢で放置されたことによる汗のようだ。

 呉瑶麗は袖のない肌着と膝上の短い下袍を身につけていたが、それも汗でびしょびしょだ。

 

「雪葉、おはよう。ほう、呉瑶麗も生きているようだな……」

 

 目を覚ました董超が身体を起こして言った。

 呉瑶麗の虚ろな眼がこっちを睨む。

 憎しみの目とも、恐怖を抱いている眼ともわからない。

 とにかく、猿轡をされた意識朦朧の表情の呉瑶麗がこっちをじっと見つめていた。

 

「呉瑶麗の身体を洗ってやることにするわ……。ふふ……」

 

 雪葉は言った。

 

「おう、俺は朝食の支度をするぜ。しっかりとやれよ……。なにせ、銀両十枚の仕事だ」

 

 董超がにやりと笑った。

 雪葉が呉瑶麗の“身体を洗う”と言ったので、なにをするつもりかわかったのだ。

 呉瑶麗への嫌がらせが第二段階に入るのだ。

 とにかく、このまま弱らせていけば、呉瑶麗が一箇月の期限内に流刑地まで到達することはないだろう。

 別に呉瑶麗という女に恨みはないが、高俅という近衛軍の大将に恨みを買ったのが、この女の運の尽きだ。

 

「さあ、呉瑶麗、しっかり反省した? 自分の立場がわかったかしら?」

 

 雪葉は呉瑶麗の前にやってきて言った。

 

「ん……んん……」

 

 鼻鉤のために首を曲げられない呉瑶麗は、布を押しこめられた口で呻き声のようなものを発した。

 呉瑶麗の顔は涙と涎と鼻水で凄いことになっている。

 ふと見ると、呉瑶麗の踵はわずかに浮いているし、身体全体が小刻みに震え続けている。

 この状態でひと晩放置されるのはつらかっただろう。

 

「いいわ……。許してあげるわ」

 

 雪葉は樹木の幹に固定していた二本の糸を切断した。

 もう呉瑶麗は限界だったようだ。

 首と鼻を吊りあげる糸の圧迫感が消失すると同時に、呉瑶麗はまるで糸の切れた操り人形のように、くたくたと脱力してその場に座り込んだ。

 雪葉は、腰を下ろした呉瑶麗の後ろに回ると猿轡を外した。

 呉瑶麗の激しい息が聞こえだす。

 

「逃げないと約束すれば、水で身体を洗ってあげるわ。貞操帯も一時的に外してあげるわよ。それと、その濡れた肌着じゃあ、風邪をひくわね。別の肌着もあげるわ」

 

「や、約束する……」

 

 呉瑶麗が弱々しくうなづいた。

 ひと晩中、鼻鉤をつけられて直立不動で立たされたのは、余程に堪えたのかもしれない。すっかりと呉瑶麗も大人しくなった気配がある。

 

「抵抗できないように、念のために目隠しをするわよ。それから身体を洗うために服を脱がせるから、手の拘束を一回外すわね。だけど、逃げようとしたら折檻よ。あんたには全部は教えていなけど、あたしたち護送兵には、囚人の逃亡を防ぐ、さまざまな道具が渡されているのよ」

 

「に、逃げないわ……。も、もう暴れない……。や、約束する……」

 

 呉瑶麗は言った。

 その言葉に嘘はなさそうだ。

 雪葉は荷から囚人用の目隠し具を出した。

 布で縛るだけの目隠しではない。革帯を眼の上に巻いて後頭部で金具をつけてねじで締めるのだ。ねじの代わりに鍵を装着することもできる。いずれにしても、囚人が簡単に外すことは不可能だ。

 

 視界を取りあげれば、どんなに屈強な者でも抵抗はできなくなる。これも囚人を管理するための道具だ。

 目隠しをした呉瑶麗を立たせて川水の位置に向けて誘導した。雪葉は荷の入ったかばんを肩に提げている。

 川の水の前まで来た。

 最初に雪葉自身が服を脱ぎ全裸になった。

 次に呉瑶麗の下袍をおろして脱がし、さらに貞操帯をも外した。

 

「ふう……」

 

 貞操帯を外すとき、呉瑶麗が溜め息のような声をあげた。

 装着している限り、四六時中女の局部を刺激し続けるような淫具だ。それが外されたことで、呉瑶麗は大きな解放感を味わったに違いない。

 また、貞操帯を外すと、呉瑶麗の股からは、むっとする強い女の匂いがした。

 さらに強い尿の匂いもする。この貞操帯は嵌めたまま大便はできないが、尿はできる。だから、そのままさせていたので、その匂いも凄い。

 ただ、二日目に呉瑶麗の股間に貞操帯を装着してからは、一度も大便はさせていない。

 呉瑶麗もさせてくれとは訴えなかった。

 雪葉は外したばかりの貞操帯に視線を落とした。

 貞操帯の内側には、夥しい量の愛液が滲んでいた。

 

「こ、これは酷いものね……。旅をしながらこんなに汚したの?」

 

「い、言わないで……」

 

 呉瑶麗が恥ずかしそうに目隠しをした顔を伏せた。

 雪葉はほくそ笑みながら、川の水で貞操帯を洗って鞄の上に置いた。川の水は冷たかった。

 

「手錠を外すわ。暴れないのよ。暴れても無駄だからね」

 

 もう一度念を押してから、雪葉は手錠を外した。

 呉瑶麗は自由になっても、抵抗の素振りを見せなかった。

 

「薄物を脱いで渡しなさい」

 

 雪葉の指示で呉瑶麗は素直に上衣を脱ぐと、雪葉に渡した。すぐに雪葉は呉瑶麗の両手を背中に回させて、手錠をかけ直した。

 雪葉はほっとした。

 

「入るわよ……。冷たいからね……。足元に気をつけて……」

 

 雪葉は呉瑶麗の身体を支えながら、布一枚を持って川の中に入っていった。

 ふたりで腰の浸かる部分まで進む。

 

「出していいわよ……」

 

 雪葉は声をかけた。

 なんのことか呉瑶麗はそれでわかるはずだ。雪葉は、呉瑶麗に、川の水の中で排便をすることを許可したのだ。

 

「はい……」

 

 呉瑶麗は腰を曲げて、どぼんと肩まで水に浸かった。水の中で、踏ん張るような仕草をする。

 かすかに身体が震えたので、呉瑶麗が尿を水の中でしたのがわかった。すぐに大便も始めたようだ。川の水で流れていく呉瑶麗の便を見ていたが、ほとんど水便だった。旅が始まってからほとんど固形物を食べさせていない。

 その便の状態だけを観察しても、もうすっかりと呉瑶麗の身体が空腹で弱っているのがわかる。

 

「お、終わりました」

 

 呉瑶麗が言った。

 

「そのままでいいわ……」

 

 雪葉は呉瑶麗に腰を屈ませたまま、最初に排便が終わったばかりのお尻の穴に指を入れた。

 

「あっ……」

 

 呉瑶麗が小さな悲鳴をあげて身体をくねらせた。

 

「あらあら、感じているの、呉瑶麗? 乳首が勃ったわよ。董超を呼んできてあげましょうか? あたしが言えば、今度は遠慮なくあんたを犯すと思うわよ」

 

 雪葉はからかった。

 

「ひ、必要ないわ……」

 

 呉瑶麗は顔を赤らめて言った。

 しかし、尻に指を入れられて、尻の内側を擦られるのは感じるようだ。懸命に唇をつぐんで声を噛み殺している仕草は、同性ながら可愛らしいと思う。

 考えてみれば、国軍の武術師範代で帝都でも有名な女剣士だったとはいえ、年齢はまだ二十歳のはずだ。

 まだまだ、少女の面影の残る年齢だ。

 

 呉瑶麗の可愛らしい姿を見ていると、その呉瑶麗を殺さなければならないということに罪悪感も沸き起こってくる。

 雪葉は、慌てて、そんな惑いを振り払った。

 帝都で近衛大将の高俅に睨まれて生きていけるわけがない。呉瑶麗が流刑地に到着するのを遅延させて、道術の首輪の力で殺させるというのは既定のことだ。

 

 それに失敗すれば、今度は雪葉と董超が高俅に睨まれて、罪を鳴らされて処断されるだろう。

 呉瑶麗は高俅に目をつけられたというだけで、もう終わっているのだ。呉瑶麗を殺さなければ、逆に雪葉たちが殺される。これはやらなければならないことだ。

 雪葉は、呉瑶麗の身体を洗いながら、自分に言い聞かせた。

 

 尻の次は股間だ。

 布で呉瑶麗の身体を洗っていく。

 股間が終われば一度立たせて、片脚をあげさせて丁寧に布で拭うように脚を洗ってやった。

 足の裏は靴を履かせていないので、たくさんの傷がある。血の塊もある。それには触れないように足の指のあいだなどを洗う。

 続いて上半身を拭き、髪を洗ってから顔も洗った。顔を洗うときには、一度目隠しを外したが、洗い終わってからすぐに嵌め直した。

 

「そこで待っていて。あたしも身体を洗うから」

 

 雪葉はそういって、今度は自分の身体を洗い出した。

 髪をさっと洗ってから、布で全身を拭きあげていく。

 そのあいだに、呉瑶麗は再び腰を屈めて、口を水に浸けた。そして、一生懸命に川の水を飲み始めた。

 空腹を水で癒そうというのだろう。

 

 雪葉自身の身体を洗い終わったところで、呉瑶麗の腕をとって河原に向かわせた。

 今度は荷から乾いた布を出して、呉瑶麗の身体の水滴を取り去っていく。髪は軽く絞ってから風で乾かせるようにした。

 その後、雪葉は自分の身体を拭いて、服と具足をつけ直した。

 

「手錠を外すわ」

 

 雪葉は手錠をまた一度外した。

 そして、身体を洗う前まで身につけさせていた服とは別の服を荷から出した。

 あの陸謙(りくけん)から受け取ったものであり、服の内側に無数の羽がついている責め具の服だ。道術もこもっているらしく、これを身に着けると肌に密着して、狂うほどのくすぐったさが続くらしい。

 一種の拷問具であり、これを身に着けさせられては、もう満足に歩くことは不可能だ。

 雪葉も試しに一度着てみたのだが、あまりの刺激に、慌てて脱いだものだ。

 それを着させた。

 そして、素早く手錠を後手にかけ直した。しかも、腕を水平に重ねさせて枷と縄で固定した。これで、呉瑶麗は勝手に服を脱げない。

 

「な、なに──? へ、変よ……。ちょ、ちょっと──。こ、これは──」

 

 呉瑶麗が暴れ出した。

 雪葉は貞操帯を掴むと、本格的に悲鳴をあげる前に呉瑶麗の股間に嵌め直した。

 しかも、股間の部分にたっぷりと掻痒剤を塗りたくってから……。

 

「せ、雪葉、あんた──」

 

 呉瑶麗が腰を揺さぶって悲鳴をあげた。

 みるみるうちに呉瑶麗の顔が真っ赤になり汗が流れ始める。

 雪葉はその効き目に驚きながらも、強引に樹の幹に呉瑶麗の胴体を縛りつけてから下袍をはかせ、目隠しを外した。

 

「か、痒い──。な、なにを塗ったのよ──。ひ、酷いわ──。そ、それに、この服はなに──。ひ、ひいいいっ──。た、助けて──。お願い──助けて──」

 

 樹木に縛られた呉瑶麗がのたうち始めた。

 その悲鳴が凄まじい──。

 呉瑶麗の目つきがおかしくなっている。

 余程、苦しいのだろう──。

 

「た、助けて──助けて──お願い──これを脱がせて──服を──服を──ひいいっ──」

 

 呉瑶麗がどこまでも聞こえるような声で絶叫した。

 

「おい、朝飯にしようぜ──」

 

 董超が何事もないような声で雪葉に声をかけてきた。

 雪葉は樹木の位置で暴れ回る呉瑶麗をそのままにして、董超のところに向かった。

 

 

 *

 

 

「ご、後生です──。も、もう、苦しめないで──」

 

 呉瑶麗は恥も外聞もなく泣きながら訴えた。

 目も眩むほどの股間の痒みと上半身のくすぐったさだ。

 大陸街道を進んでいるので、行き交う旅人も多い。

 その全員が呉瑶麗に奇異の視線を向けるが、そんなことはもう気にならなかった。

 

 おそらく、股間に装着されている貞操帯の内側に掻痒剤を塗られた……。

 そして、身体を洗われた後で新たに着させられた上衣は、多分、拷問具だ。恐ろしいほどのくすぐったさを呉瑶麗に与え続けてくる。

 

 朝食が終わってから、すぐに今日の旅が始まったが、呉瑶麗はほとんどまともに歩くことすらできなかった。

 上半身を刺激されて沸き起こる欲望のうねりが、股間の痒みの焦燥感と絡み合い、呉瑶麗を狂気の苦痛に追い込む。

 それでも、一歩、そして、一歩と数えるように進んだが、もうこれ以上は歩けなかった。

 

 雪葉と董超はそんな呉瑶麗を腕を掴み、尻を蹴飛ばして歩かせたが、呉瑶麗はどうしても身体が動かない。

 朝、河原を出立して数刻がすぎ、陽もかなり高くなってきたが、まだ出発した河原が後ろに見えている。

 どんなに怒鳴られても、もう自分の意思では進めない。

 ついに呉瑶麗は道端にしゃがみ込んで号泣してしまった。

 

「これはとんだ醜態だな──」

 

「本当に……。これじゃあ、どうしようもないわね──。こんなに効き目があるなんてね……。せめて、服だけでも着替えさせる?」

 

「まあ、今日の午前中だけは着させようぜ──。だが、まだまだ、先は長いし、いま追い詰める必要はないだろう。午後は着替えさせるか」

 

 董超が笑いながら言ったのが聞こえた。

 

「い、いまよ──。いま脱がして──。お願いよ──」

 

 呉瑶麗は必死で叫んだ。

 

 狂う──。

 狂ってしまう──。

 股間の痒みも凄まじいが、とにかく、上衣から襲いかかるくすぐったさには耐えられない──。

 

「いいから、歩くのよ──」

 

 雪葉が呉瑶麗の後ろに寄ってきた。

 尻を蹴飛ばすのだと思った。

 しかし、どんなことをされても、もう歩けない。

 呉瑶麗は尻を蹴られる覚悟をした。

 

「きゃあああ──」

 

 そのとき、雪葉の悲鳴が起こった。

 

「誰だ、お前──?」

 

 董超も叫んだ。

 なにが起きたかわからない……。

 誰がいるのだろう……?

 呉瑶麗は後ろを振り返ろうとした。

 だが、風のようなものが呉瑶麗の横をすぎた。

 董超の身体が誰かに突き飛ばされて、道の外に転がった。

 ひとりの女が董超を体当たりで突き飛ばしたのだ。

 

「痛たたた……。な、なにすんのよ──。腕が抜けるよう」

 

 背後では雪葉が悲鳴をあげている。

 振り返った。

 こっちは男だ。

 頬に傷のある男が雪葉を押さえつけて、片腕を捻じ曲げている。

 いずれにしても、ふたりとも見知らぬ男女だ。

 

「呉瑶麗、無事?」

 

 その女が呉瑶麗に顔を向けて、心配そうな声をかけてきた。

 見覚えはない……。

 しかし、なんとなく、向こうは呉瑶麗をよく知っている気配がある。

 美しい顔立ちの女だ……。

 こんな美女なら記憶には絶対に残る。それくらい印象的な美しさだ。

 やはり、知らない……。

 しかし、一方で、呉瑶麗はこの女になんとなく見覚えがある気がしてならなかった。



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32  呉瑶麗(ごようれい)、旧友に危機を救われる

呉瑶麗(ごようれい)、無事?」

 

 女が言った。

 どこかで見たような気がしたが、やはり見覚えはない。

 同性の呉瑶麗でさえもはっとするほどの美女だ。

 だが、それでいてどこかで会った気もする。

 呉瑶麗は首を傾げた。

 

 しかし、思考できたのはそこまでだ。

 上半身に着せられている道術の薄物が呉瑶麗の素肌を狂おしいほどくすぐり続けている。そして、股間を締めつけている貞操帯の内側は地獄のような掻痒感だ。

 呉瑶麗は、突然にやってきたこのふたりの男女に助けを求めた。

 

「た、助けてください──。誰かわからないけど、お願いよ。これを脱がせて」

 

 呉瑶麗は泣き叫んだ。

 

「ちょっと待ってね、呉瑶麗」

 

 女がそう言うと、道端に突き飛ばした董超(とうちょう)に飛びかかった。

 董超は態勢を整え直して迎え撃つ格好になったが、呆気なく女に、もう一度、投げ飛ばされ、道の真ん中に身体を叩きつけられた。

 背中から地面に打った董超が、身体を苦しそうに震わせて絶息する。

 女が董超の身体を探ったものの、すぐに首を横に振った。

 

「こいつはなにも持ってないわ、李忠(りちゅう)。多分、そっちの女の護送兵が持っていると思う。その女から、呉瑶麗を拘束している枷の鍵を取りあげて」

 

「おう、わかった、魯花尚(ろかしょう)……。そういうわけだ、女。女囚の鍵をこっちに寄越しな」

 

 振り返った。李忠と呼ばれた男が雪葉(せつは)の腕を押さえつけている。その李忠が怒鳴った。

 

「い、痛いったら。あ、あたしたちは国軍の護送兵だよ。こんなことしてただじゃ済まないよ。痛たたた……」

 

 雪葉は、李忠によって背中側から地面に頭を押しつけるようにされていて、片腕を後ろに捻じ曲げられている。雪葉は苦しそうに悲鳴をあげた。

 

「おう威勢がいいなあ。女を痛めつける趣味はねえんだが、魯花尚の友人のためだしな」

 

 李忠は笑いながら片腕で雪葉を押えつつ、もう一方の手で雪葉の顎に手を伸ばした。

 ごんっと音がして、雪葉の口が大きく開いた。

 

「あがあっ、がああっ、があっ……」

 

 雪葉が真っ赤な顔をして悲鳴をあげる。

 李忠という男が雪葉の身体から手を離したが、雪葉は大きく開いた顎を掴んで泣き始めた。

 どうやら、李忠が雪葉の顎を外してしまったようだ。

 

「顎を入れ直して欲しければ、呉瑶麗を拘束している鍵を出しな、女」

 

 李忠が言うと、雪葉は懸命に身体を探って鍵束を放り投げた。

 それを美貌の女がすかさず拾う。

 女は何回か試して、まずは呉瑶麗の後手の手錠を外してくれた。

 

「くううっ」

 

 呉瑶麗はその場で引き破るように上衣を脱ぎ捨てた。乳房が露わになるが、そんなことに頓着してはいられない。

 そして、驚いた様子の女から鍵束をもぎ取って、貞操帯の鍵を選ぶと股間の前にある鍵穴に差し込んで鍵を外した。

 投げ捨てるように貞操帯を道の外に放り投げると、たったいま脱ぎ捨てた羽根付きの上衣で内側が股間に当たらないように腰を覆った。

 

「み、見ないで──」

 

 呉瑶麗は大声で叫んで上半身を折り曲げるようにすると、上衣の下の股間に手を差し込んだ。

 ただれるような痒みは、もう一刻の猶予もならなかったのだ。

 もう自制心など、発狂するような痒みとくすぐったさの前に氷解していた。

 

「あうっ」

 

 呉瑶麗は悲鳴のような声をあげて、痒みの中心を指で擦った。

 貞操帯の内側に塗られていた掻痒剤は、呉瑶麗の敏感な女の芯や襞にたっぷりと薬剤を塗りつけられている。

 そこを指で掻くということは、自分自身に峻烈な快美感を引き起こすことになるのだが、それでもいい──。

 いま、この瞬間だけは、恥ずべき姿だとわかっていても、この痒みを癒さなければ狂ってしまう。

 

「はああっ……ああっ、あああ……」

 

 脳が解けていくような快感が走る。

 荒い息をしながら、呉瑶麗は一気に膨れあがった絶頂のうねりに身を任せた。

 

「あっ、はあっ、はうううっ……」

 

 呉瑶麗はしゃくりあげるような声をあげて、全身を震わせた。

 痒みが消滅していく……。

 そして、芳烈な絶頂のうねりが身体に沸き起こる。

 

「ふううううっ──」

 

 呉瑶麗は道の真ん中で、大きく背中を反らせた。

 達した……。

 我に返ると、激しい羞恥が全身を襲う。

 だが、とにかく、死ぬような苦しみから解放された……。

 一転して強い快感に包まれた呉瑶麗は、荒い息をしながら、懸命に事態を把握しようとした。

 

「あっ、あっ、ああっ、また……」

 

 だが、すぐにまた痒みが襲いかかる。

 塗りつけられていた薬剤の痒みが一度や二度の絶頂で収まる訳もなく、また痒みがぶり返したのだ。

 

「ほらっ、解毒剤。こいつが持ってた」

 

 今度は男が別の薬剤の容器を渡してきた。呉瑶麗は礼も言えずに引ったくり、それを股間に塗りたくる。

 すると、嘘のように痒みが引いていく。

 呉瑶麗は脱力した。

 

 そのとき、裸身の上から布のようなものをかけられた。

 それは一枚の服だった。

 女の服だ。

 顔を振り返らせると、さっきの女がいた。女が呉瑶麗の裸身を隠すように服をかけてくれたのだ。

 

「大丈夫……か、呉瑶麗……? 帝都で……お前が捕まったという噂を耳にして……。それで慌てて、戻ろうとしたんだけど……。今度は北に流刑になったと耳にして……。それでやっと追いついたのよ……。よかった……。よくわからないけど、苦労しているようね……。でも、これで終わりよ。一緒に逃げよう、呉瑶麗」

 

 女が言った。

 

「はあ……はあ……はあ……。と、とんだ醜態を見せて恥ずかしいわ……。だ、誰だか知らないけど、あ、ありがとう……。で、でも、どうしてわたしの名を……?

 やっぱり、近くで見ても知らない女だ。

 だが、確実に向こうは呉瑶麗を知っている……。

 

「あ、ああそうか……。すっかりと、姿が変わってしまったからね……。ああ……、いまじゃあ、努力しないと、男っぽい言葉も出てきやしない……」

 

 女が舌打ちした。

 なんとなく、その特徴のある舌打ちに記憶があった。

 だが、まさか……。

 いや、そう言われてみると見覚えが……。

 

「もしかして、あなたって、王進という国軍の元武術師範を知ってますか?」

 

 呉瑶麗は訊ねた。

 さっきからどこかで顔を見たことがあるとずっと考えていて、やっとわかったのだ。

 この女は、呉瑶麗の元上司で武術師範だった王進に面影が似ている。

 おそらく、血縁者ではないだろうか。

 そうであれば、呉瑶麗のことを知っているのも理由がつく。

 呉瑶麗のことを王進に聞いていて、それで呉瑶麗に接触してくれたのではないかと思った。

 

「その王進そのものよ。こっちこそ、こんな姿を見られて恥ずかしんだけど、あの王進よ……。いまは、魯花尚と名乗っている。呉瑶麗、久しぶりね」

 

 魯花尚こと王進が、ぎこちない笑みを浮かべた。

 

「はあ?」

 

 あまりに馬鹿馬鹿しい言葉に、呉瑶麗は眉をひそめた。

 

「なんか、いいもの見ちゃったな……。ところで、取り込み中のところ悪いが、こいつらどうする? 殺すか? それとも追っ払うか?」

 

 李忠が言った。

 ふと見ると、李忠は、すでに剣を抜いている。

 いつの間にか、董超と雪葉を取り押さえていて、ふたりに剣を向けている。外した雪葉の顎の骨はすでに嵌めたようだ。

 董超も雪葉もすっかりと怯えている。

 

「お、俺たちを……こ、殺すのか? お、俺たちは国軍の兵だぞ。国軍の兵に手をかけるのは大罪だぞ」

 

 震えている董超が声をあげた。

 

「おう、それがどうした、兄ちゃん? そんなことを大きな声で言わない方がいいぞ。この辺じゃあ、官軍だの、役人だのには恨みを持つ者が多いからな……。ちなみに、俺たちもそのひとりだ。他の悪徳役人の罪の分も恨みを背負って死ね」

 

 李忠が剣をすっと振りあげた。

 董超と雪葉が悲鳴をあげた。

 

「だ、駄目──。殺してはだめよ」

 

 呉瑶麗は慌てて叫んだ。

 

 

 *

 

 

「それにしても、本当に女になっちゃたのねえ……。いまだに信じられないわ。もしも、たちの悪い冗談でわたしを騙しているなら許さないわよ。いくらなんでも、王進の名を騙るのは、わたしにとっては大変な仕打ちよ」

 

 呉瑶麗は言った。

 

「こんなこと、冗談で言えるものかよ……。ああ、久しぶりに男言葉が出た。ずっと女言葉で喋っていて、いまじゃあ、そっちの方がしっくりくるんだが、お前と会ったことで男だったころの記憶が蘇ってきたのかなあ」

 

 魯花尚が言った。

 言葉は男でも、声はしっかりと女だし、ちょっとした仕草も完全に女にしか見えない。

 魯花尚の説明によれば、道術の影響により、姿かたちだけではなく、だんだんと心まで女性化しているということだった。

 

 魯花尚の告白に、呉瑶麗はあまりのことに、しばらくなにも言えなかった。

 だが、元は王進である魯花尚の説明は辻褄は合っていたし、道術の中には人間の姿かたちどころか、性別を変化させる術もあるというのは知識で知っていた。

 

 王進が高俅(こうきゅう)に睨まれていたことは事実だし、高俅の異母兄は宮廷道術長の高簾(こうれん)だ。

 王進が道術で女に変えられたというのは、考えてみればあり得る話だ。

 信じられないが本当のようだ。

 呉瑶麗は魯花尚を見て溜息をついた。

 

 街道沿いにある小さな宿屋だった。

 董超と雪葉のふたりも一緒だ。

 そのふたりは、いまは隣の部屋にいて、この部屋にはいない。

 魯花尚たちが借りたのは、宿屋の中でも母屋とは離れた庵のような建物であり、ここに二部屋あったので、董超と雪葉のふたりは、隣室に縛って監禁して閉じ込めている。

 

 この部屋を借りるとき、李忠が宿の主人に、宿代を前払いしたうえに、余分な金子を払って、ここには近づくなと言ったらしい。

 だから、隣室に縛っているふたりが見咎められて騒がれることはない。

 第一、官軍の兵が多少酷い目に遭っても、積極的に助ける者などいない。

 いまの時代、役人や官軍は民衆の怨嗟の対象だ。

 国軍の武術師範代になる前には、旅をしていたこともある呉瑶麗はそれを十分に知っている。

 

 大陸街道で魯花尚と李忠のふたりに助けられた後、呉瑶麗はふたりに連れられて街道沿いのこの宿屋に入った。

 服は魯花尚のものを貸してもらって着替え、履き物は李忠が雪葉から取りあげて呉瑶麗にはかせてくれた。

 董超と雪葉はすっかりと、魯花尚と李忠に怯えてしまって、大人しくついてきた。

 

 魯花尚という美しい女性があの王進だというのは、にわかに信じる気にはなれなかったが、道々話をしていて信じる気になった。

 宿に到着して、この離れの一室を借りると、魯花尚はすぐに、空腹の胃に優しい軟らかい食事を宿の者に運ばせて呉瑶麗に食べさせた。

 それから魯花尚は、呉瑶麗を寝台に寝かせてくれた。

 

 もっと話さなければならないこともあったし、確認し合うこともあったのだが、昨夜は一睡もしておらず、また、これまでの旅ですっかりと疲労していた呉瑶麗は、あっという間に睡魔に襲われてしまった。

 

 この宿に到着したのは、まだ(ひる)前だったが、呉瑶麗が目が覚めたのは夕方だった。

 すでに夕食が運ばれていて、呉瑶麗と魯花尚は食事をしながら、お互いの身上を交換し合った。

 

 その結果、呉瑶麗は高俅に凌辱されたが、王進もまた同じような仕打ちに遭ったということがわかった。

 また、王進の高俅に対する恨みは、呉瑶麗と負けていなかった。

 いずれにしても、呉瑶麗は王進の無事を喜んだ。

 

 女になっていようとも……。

 魯花尚になっていようとも……。

 とにかく、なんとか無事に国都から逃亡に成功していたのだ。

 もしかしたら、高俅に殺されているのではないかとも心配していたので、呉瑶麗は心から安堵した。

 

「それにしても、その首輪が外せないなら、呉瑶麗を逃がす方法はないということか……。だが、このままじゃあ、流刑地に行くしかないぞ、呉瑶麗?」

 

 壁にもたれて床に座っている李忠が困ったような表情で言った。

 この李忠という男のことはよくわからない。

 

 魯花尚によれば、命の恩人でもあり、この李忠がいなければ、魯花尚は困るのだというようなことを言っていた。

 なんとかく、呉瑶麗は、李忠は、女としての魯花尚の恋人なのではないかと思った。

 ふたりの関係には、なんとなくそんな匂いがある。

 魯花尚によれば、このふたりは、魯花尚が李忠に助けられてから、ずっと一緒にいるらしい。

 

 少し前までは、孟城《もうじょう》の城郭にいたらしいが、知り合いの娘を助けるために、城郭で騒動を起こして城郭を逃亡したようだ。

 だが、一方で、孟城の城郭に隠れて暮らしながら、帝都の情報収集を続けていた魯花尚は、偶然、呉瑶麗が高俅によって捕らわれたという事件を知ったらしい。

 それで、救出した娘を史春という女傑に託して、李忠とふたりで呉瑶麗を助けるために帝都に戻ろうとしたようだ。

 しかし、そのうちに、呉瑶麗がすでに滄州(そうしゅう)に流刑になって移送されたという噂にも接し、逆に帝都側から呉瑶麗たちを追いかけてくれたらしい。

 

 そして、今朝、やっと追いついて、呉瑶麗は魯花尚と李忠に救出されたということだ。

 ふたりは、このまま呉瑶麗を連れて、再び逃避行を続けるつもりだったようであり、呉瑶麗が首輪の道術により、流刑地に行くしかないということを説明すると、驚愕するとともに、がっかりしていた。

 

「仕方ありません。わたしは、このまま流刑地に行きます。そして、なんとか中で脱獄の機会を作ります。そして、絶対に高俅に復讐をしてやるつもりです」

 

 呉瑶麗は李忠に言った。

 

「でも、もう一度拷問してみようか、李忠? もしかしたら、あのふたりは、呉瑶麗の首輪を外す方法を隠しているのかもしれないわ。流刑地で道術を解除するほかに、呉瑶麗の首輪にかけられている道術を解く方法があれば、呉瑶麗はこのまま逃亡できるのよ」

 

 魯花尚が憤慨した様子で言った。

 呉瑶麗が流刑者の逃亡を防ぐ首輪のために逃げられないことに、魯花尚はすごく無念がっていた。

 呉瑶麗としては、その気持ちだけでありがたかった。移送の途中で董超と雪葉に苦しめられていたときには、もしかしたら、このまま流刑地に辿り着くこともなく死ぬかもしれないと思っていたのだ。

 だが、ふたりが呉瑶麗を助けてくれたことで、とにかく、流刑地に辿り着くことはできそうだ。

 

 それはつまり、生き続けられるということだ。

 生きていれば、いつか復讐を果たせる。

 死んでしまえば、負けだ。

 どんなことをしてでも、生き抜き、そして、恨みを晴らす──。

 呉瑶麗は改めて誓った。

 

「まあ、無駄だろうな……。さっきも訊問したが、すっかりと屈伏しているよ。いまさら、隠しているなんてことねえさ。だが、連中をさらに痛めつけるという案には賛成だ。あのふたりには、まだまだ懲らしめは足りねえよ」

 

 李忠が立ちあがりながら笑った。

 魯花尚も立ったので、呉瑶麗も続いた。

 隣室に入ると、董超と雪葉のふたりが疲労困憊の表情で、こっちに救いを求めるように見た。

 

 ふたりは素っ裸だった。

 しかも、後手に手枷を嵌められ、両脚は大きく開いて竹竿に足首を縛りつけられて開いて立っている。

 

 ふたりは天井から吊られた糸で倒れることができないように、部屋の真ん中に立たされていたが、ふたりが天井から吊った糸を結ばれているのは、普通の場所ではない。

 董超は剥き出しの股間の肉棒の根元を糸で結ばれ、雪葉はふたつの乳首の根元に糸を結ばれていた。

 昨夜、呉瑶麗がやられた仕打ちと同じだ。

 

 別に呉瑶麗がやったわけじゃない。呉瑶麗がやられた拷問のことを聞いた李忠が、その仕返しとしてやったようだ。

 呉瑶麗が向こうの部屋で寝ているあいだに、このふたりは李忠と魯花尚にこの状態にされたのであり、呉瑶麗が目が覚めたときにはこうなっていたのだ。

 

「んんん……」

「んんっ……」

 

 汗をかいて涙を流しているふたりが呻き声をあげた。ふたりの口には布が突っ込んであり、それが出せないようにさらに猿轡をされている。

 

「さて、話し合いの結果、お前らには、もう一度訊問してやることになったぜ。大声あげるんじゃねえぞ。まあ、あげてもいいけどな。悲鳴があったくらいじゃあ、誰も助けにはこねえ。お前ら帝都で暮らしている人間には自覚はねえかもしれないが、特にこの北州辺りは、官軍の兵や役人は民衆の目の敵だ。宿屋の人間にも、因果を含ませているから、こっちには来ねえよ」

 

 李忠が笑いながらふたりの身体を吊っている糸を無造作に弾いた。

 猿轡の下からふたりの迸るような悲鳴がした。

 李忠は二度三度と同じことをやってふたりを泣かせてから、猿轡をとって布を口から吐き出させた。

 

「……も、もう許してくれ……。なんでも話したじゃないか……。陸謙(りくけん)という高俅の部下に命じられたんだ……。なあ、わかってくれよ……。俺たちは一介の護送兵なんだ……。近衛大将に命じられれば従うしかないんだ……」

 

「そ、そうよ……。か、堪忍してよ……。逆らえば、あたしらが罪を鳴らして殺されるのよ……。呉瑶麗に恨みはなかったのよ……。でも、仕方がなかったのよ」

 

 董超の雪葉がすぐに許しを請い始めた。

 このふたりが高俅の部下に強要されて、呉瑶麗が流刑場に到着するのを間に合わせなくするために、道中で呉瑶麗を嗜虐していていたのだと白状したのは、呉瑶麗が眠っているあいだのことだったらしい。

 呉瑶麗はそれをさっき聞かされた。

 

 そんなことだろうと思っていたので驚きはしなかったが、それを聞いて、なぜか呉瑶麗には、このふたりに対する恨みのようなものが小さくなった。

 あれだけの嫌がらせを受けて、このふたりが憎くないということはないが、考えてみれば、このふたりはただの道具だ。

 すべてはあの高俅の差し金であり、その部下の陸謙のやったことだ。

 高俅の部下だという陸謙に、呉瑶麗を殺せと言い含められれば、ふたりはそれに従うしかなかっただろう。

 

「うるせえ──。それでも、礼金に目がくらんで、呉瑶麗を陥れようとしたことは確かだろうが。それよりも、呉瑶麗の首輪の外し方を言いな。そうすれば、お前らは無罪放免で許してやるよ」

 

 李忠が手でふたりの局部と乳首を吊っている糸をまた弾いた。

 糸が食い込んでいる男性器と乳首の根元に走る激痛にふたりが泣き喚いた。

 

「さて、じゃあ、今度の拷問はつらいぞ。お前らが呉瑶麗に使った掻痒剤を塗ってやろう。痒みで暴れて、糸で根元が縛られている場所が引き千切られたら、知らないことでも思い出すかもしれんな」

 

 李忠がにやにやと笑いながら、ふたりの荷から呉瑶麗の拷問に使った掻痒剤の入った小瓶を取り出した。

 呉瑶麗はあの地獄のような痒みを思い出して、他人事ながら顔が引きつりかけた。

 

「うわああ──。し、知らん──。流刑囚の首輪を外し方なんて俺たちが知るわけないだろう──。本当だ──」

 

「そ、そうよ。もともと、その首輪には、流刑囚が不当に囚人を殺さないように監視する役目もあるのよ。だから、あたしたちも、凝った嫌がらせで、呉瑶麗の到着を遅らせようとしたんだから──。そんな方法があれば、首輪を外して、さっさと呉瑶麗を殺していたわよ──。首輪をしたままだと、あたしら護送兵が与えた苦痛が記録に残るのよ──。もしも、囚人が移送の途中で死んだら、道術で首輪に刻まれた記録を調べられるのよ──。そのためのものでもあるのだから、護送兵が首輪を外せるわけないわ」

 

 董超と雪葉が顔に恐怖を浮かべて声をあげた。

 

「ああ、それについちゃあ、俺も大して疑っていねえ。だが、念のためということもある。一応、拷問をしておこうと思ってな……。もしも、外し方を知っていればお前たちが苦しまなくて済むということだ。やっぱり、知らないなら朝まで苦しめ──。一刻(約一時間)ほどしてから、猿轡を外して訊問しにきてやる」

 

 李忠が一度小瓶を床に置いて、ふたりの口にもう一度猿轡をした。そして、小瓶を手に取る。

 

「こ、これは……。き、来たわ……」

 

 そのとき、呉瑶麗の隣で李忠がふたりに訊問するのを見守っていた魯花尚が突然うずくまった。

 

「ど、どうしたの、おうし……、いえ、魯花尚?」

 

 呉瑶麗はしゃがみ込んだ魯花尚の身体を抱えた。

 魯がの身体は信じられないくらいに熱かった。しかも、ぶるぶると震えている。

 

「くううっ──。さ、触らないで、呉瑶麗──。り、李忠……。李忠……」

 

 しかし、魯花尚は呉瑶麗が肩に触ると悲鳴のような声をあげた。そして、李忠に助けを求めるように手を伸ばした。

 

「発作か、魯花尚?」

 

 李忠が董超と雪葉をいたぶろうとしていたのをやめて、魯花尚の身体を抱くように引き寄せた。

 

「そ、そう……。ま、また、来たのよ……。お、お願い……。滅茶苦茶していいから……。だ、だから、また……」

 

「わかってるよ、魯花尚……。わかってる。心配するな……」

 

 董超がそう言って、魯花尚を抱いたまま立ちあがらせた。

 李忠は、呆気にとられている呉瑶麗に掻痒剤の小瓶を渡した。

 

「……悪いがあんたは、こっちの部屋にいてくれないか、呉瑶麗……。すぐに、なにをしているかわかるだろうが、魯花尚も昔の姿のことを知っているあんたに、この姿を見られるのは嫌だろう……。情けだと思って、今晩はこっちで休んで、向こうの部屋は見ないでやってくれ。十日に一度のことなんだ。男に抱かれないと狂ってしまう発作でな……。つまりは、道術による呪いだ……。こいつも、これには苦しんでいるんだ」

 

 李忠はそう言って、魯花尚を抱いたまま部屋を出て行った。

 呉瑶麗は茫然としていたが、すぐにふたりがなにを始めたのかわかった。

 壁一枚を隔てた向こうの部屋からは、魯花尚と李忠の男女の声がしてきたからだ。

 道術による呪いだと言っていたから、どういう経緯によるものかの想像はなんとなくついた。

 

「んん……」

「んぐう……」

 

 ふたりが出ていくと、董超と雪葉が訴えるように猿轡の下から声をかけてきた。

 呉瑶麗は荷の中から小刀を取り出すと、ふたりを吊りあげていた糸を切ってやった。

 ふたりがその場に脱力して崩れ落ちた。

 

「……言いたいことは山ほどあるけど、あんたらを許すことにするわ……。だから、ふたりとも、わたしを流刑地まで期日に間に合うように連れていくのよ。約束できる?」

 

 ふたりが激しくうなずいた。

 呉瑶麗は鍵を取り出して、ふたりの手錠を外した。

 

 友に助けられた……。

 その恩を返すためには、なんとか流刑場を脱走するしかない。

 呉瑶麗はそれを固く心に誓った。



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第10話  柴家の予言書
33  呉瑶麗(ごようれい)柴進(さいしん)の屋敷で(こう)師範と闘う


 人里がやってきて、行き交う者も多くなった。

 道の先には、滄州の流刑場に隣接する城郭である滄城(そうじょう)の城門も見えてきた。

 

 魯花尚(ろかしょう)李忠(りちゅう)、そして、董超(とうちょう)と雪葉《せつは》とともに半月以上の旅を続けてきた呉瑶麗(ごようれい)だったが、ようやく、目的地に着いたのだ。

 流刑場への到着期限は、まだ十日くらいある。

 滄州の流刑場は、滄城の城郭を越え、その郊外にあるはずであり、ここからなら半日もかからない。

 なんとか間に合ったようだ。

 

「じゃあ、俺たちは、これで行く。呉瑶麗、流刑場まで一緒にいってやりたいが、流刑場といえども軍営だ。さすがに、俺たちがこれ以上近づくのはやばい。これでお別れする。わかってくれ」

 

 李忠が言った。

 

「あんたらも、命を助けてやったうえに、心づけも渡したんだからね。呉瑶麗に、なにかをしたら承知しないわよ……どこまでも、追い詰めて殺すと思っていて。」

 

 続いて、魯花尚が董超と雪葉を睨みつけた。

 

「もう、今更、呉瑶麗をどうにもしませんよ。それにどうにもできないこともわかっています」

 

 董超が言った。

 

「そうですよ……。それに、この任務が終わったら、もう、あたしたちふたりは帝都には戻らないことに決めたわ。戻れば、あの高俅の部下の陸謙に捕まるだろうしね。だから、あんたらのことが陸謙(りくけん)高俅(こうきゅう)に伝わる気遣いはないわ。呉瑶麗が流刑地に到着したことは、帝都にも報せが届くはずだから、あたしらが陸謙に命じられた任務が失敗したことはわかるだろうけど、どうして失敗したかはわからないはずよ」

 

 雪葉も首をすくめた。

 

「別にばらしてもいいわよ。元王進(おうしん)の魯花尚が呉瑶麗を助けたと言えばいいわ。そして、そのうち、高俅の頭の皮を剥いでやるとも言っていたともね……」

 

 魯花尚が言った。

 

「勘弁してくれよ……。そんなことを伝えれば、俺たちが殺される。とにかく、俺たちは逃げる。だから、帝都には戻らねえ。もちろん、呉瑶麗はちゃんと送り届ける。俺たちを許してくれた恩も忘れてない。本当だ。信用していい」

 

 董超が言った。

 呉瑶麗も、いまさらこのふたりが自分に危害を加えるとは思わない。

 護送の途中で、魯朱と李忠に助けられてから、ずっと東に向かって旅をし続けてきた。

 最初の日に李忠に脅されたのが効いたのか、旅のあいだは、このふたりは、一転して呉瑶麗たちの従者のように、薪の準備をし、火をおこし、食事の支度などをして尽くしてくれた。

 

 呉瑶麗はほとんど拘束すらされることはなかった。

 ここまで十数日の旅だったが、街道を歩くときには枷なども外されていて、城郭を抜けるときのみ、軽い拘束を受けただけだ。

 そして、やっと、滄州の流刑場の手前の滄城の城郭にやって来た。

 

「恩は忘れないわ。いつか必ずふたりに恩は返す」

 

 呉瑶麗は頭を下げた。

 ふたりが去っていった。

 呉瑶麗はふたりの背が見えなくなるまで、そこで見送っていた。

 

「さあ、行きましょうか」

 

 呉瑶麗は、董超と雪葉に声をかけた。

 

「ああ……。じゃあ、また、拘束をするので勘弁してくれよ」

 

 董超がそう言って、呉瑶麗の足首に鎖のついた足枷をかけた。さらに、雪葉も呉瑶麗の手を身体の前で揃えさせて、手首に縄を緩く掛ける。

 

 そして、その縄尻を雪葉が掴んで、董超が後ろについていくかたちで城郭に入り、軍営に立ち寄った。

 そこで、董超と雪葉が流刑囚の移送の手続きをした。

 滄州の流刑場は、滄城の城郭の反対の城門を抜けた先の郊外にあるが、その管轄は滄城の県令の行政府なのだ。

 

 行政府ではかなり待たされたが、なんとか手続きも終わり、あとはそのまま流刑場に入るだけになった。

 すでに夕方だったが、さすがに滄城の城郭内で流刑囚が宿屋に泊ることはできない。

 そのまま流刑場に向かうことにした。

 

 しかし、城門を抜けたところで、道の先から十騎程の騎馬の集団がやってきた。

 呉瑶麗たちは道端に避けたが、その呉瑶麗たち三人を騎馬がぐるりと取り囲んだ。

 十人とも武具をつけて剣を腰にさげている屈強そうな男たちだ。槍を持っている男もいる。

 

「こ、これは?」

 

 董超が緊張した声で声をあげた。

 雪葉も董超も蒼い顔をしている。

 いきなり、武装した騎馬の集団に囲まれたのだ。

 呉瑶麗も何事かと思った。

 

「行政府から報せがあってやってきた。国軍師範代の女剣士が流刑されてきたと耳にしたのだ。お前のことか、女?」

 

 十人の中でひと際立派な白馬に跨った男が挑むように言った。

 

 

 *

 

 

「行政府から報せがあってやってきた。国軍師範代の女剣士が流刑されてきたと耳にしたのだ。お前のことか、女?」

 

 取り囲んだ十騎の騎馬のうち、真ん中にいる白馬に跨った男が言った。

 歳は三十過ぎだろう。茶色の髪が肩まで垂れているちょとした色男だ。

 それにしても身なりがいい。

 具足にしても、馬具にしても、どれも高級のものだ。

 強盗には見えない。そもそも、強盗が流刑囚を襲うわけもなく、この男たちが呉瑶麗たちを取り囲んだ理由を測りかねた。

 

 いずれにしても、いまは寸鉄も帯びておらず、拘束すらされている状況だ。

 襲われれば戦うしなかいのだが、あまりよい状況ではないことは確かだ。

 呉瑶麗は騎馬の十人の実力を測ろうと気をみなぎらせた。

 白馬の男を含めて十人はそれなりの武芸者ではあるようだ。

 

 だが、呉瑶麗の見たところ隙も多い。

 これならこの状況でも勝てないことはない。

 呉瑶麗は董超と雪葉を庇うように前に出た。

 

「確かに、わたしは元国軍の武術師範代であり、いまは滄州の流刑場送りとなって移送中の呉瑶麗よ。あなた方はなに?」

 

 呉瑶麗は言った。

 すると、白馬の男の表情が一変した。

 そして、転がるように馬から降りた。

 ほかの男たちも一斉に下馬をした。呉瑶麗はびっくりした。

 

「これは失礼した。非礼をお詫びする。実は城郭の行政府から、女ながらも国軍の武術師範代を務めたという呉瑶麗殿が流刑場送りでやってきたと報せが入ったところだった。我が家には武芸自慢の食客が大勢いるのだが、帝都で有名な女剣士の呉瑶麗殿がやってきたとあれば、素通りさせるわけにはいかない。是非とも、今夜ひと晩は我が屋敷に泊ってもらい、私のもてなしを受けてもらいたい」

 

 男がぱっと破顔して言った。

 笑うとすごく幼い表情になる。呉瑶麗はそれに思わず微笑んでしまった。

 

「流刑囚のわたしをもてなしたいというのは驚きだけど、そういうあなたは誰なの?」

 

 呉瑶麗は微笑んだまま言った。

 

「これはまだ名乗りもしていなかったか……。重ねて失礼した。私はこの滄城の郊外に領園を保有する柴家の主人にして、柴進(さいしん)というものだ。さっきも申した通り、天下の腕自慢は誰であろうと、私の屋敷で接待を受けるのがこの地の決まりだ。嫌とは言わせぬぞ──」

 

 そして、柴進が護送兵を鋭い視線で睨む。

 

「……こらっ、護送兵。よいな? この呉瑶麗殿の身柄は、今夜ひと晩、柴進が預かった。お前らふたりには迷惑料として銀両を五枚ずつやる。それで目をつぶれ」

 

 柴進が言った。

 ふたりの護送兵は、いきなり武装した十騎の騎馬に囲まれて、度肝を抜かれたようになっていたが、今度は一変して銀両をやると言われて仰天したようだ。

 無論、拒否する理由もなく、ふたり揃って激しく首を縦に振って頷いていた。

 そして、呉瑶麗もまた驚いていた。

 

 柴家といえば、皇帝家よりも古い旧王家と呼ばれる名家の末裔であり、いまは衰えて領地領民はいないが、この滄城の郊外に治外法権と免税を許された広大な屋敷と庭園を保有する名門中の名門だ。

 

 領園というのは、その柴家の保有する農地を含む土地のことであり、つまり、柴家というのは、いまは皇族のほかにはほとんどいなくなった爵位持ちの貴族の家なのだ。

 その現在の当主は、確かに柴進という変わり者の男であるというのは、呉瑶麗も耳にしたことがある。

 

 とにかく、豪傑好きであり、屋敷に武術自慢の男たちを集めて食客にしているということだ。

 呉瑶麗も武術家の端くれだから、物好きな武術家好きの貴族男の噂は知っていた。

 しかし、その旧王家の末裔ほどの大貴族の当主自ら、一介の流刑囚を出迎えにくるとは驚いた。

 

「これは、わたしこそ失礼しました。呉瑶麗です。でも、わたしは流刑の囚人です。屋敷などにあげていいのですか、柴進様?」

 

 呉瑶麗は慌てて腰をおろそうとした。

 貴人に対する儀礼は、男であれば片膝をつき、女であれば両膝を地面か床につける。

 それが作法だ。

 背後の護送兵も息をのんだ。呉瑶麗に合わせて、腰をさげようとした。

 

「うわあっ、その礼はやめてくれ。それと、その畏まった喋り方もだ。私は貴族と呼ばれる家柄だが、それは私だのせいではない。それをされると、なんだか仲間外れにされたような寂しい気持ちになるのだ。頼むからざっくばらんに話をして欲しい。儀礼もいらない。それに私は、どうも行儀よく話しかけられると、背中が異常に痒くなるのだ。頼むよ、呉瑶麗殿」

 

 柴進が腰を屈めようとした呉瑶麗を留めて笑った。

 随分と気さくな貴族殿らしい。

 呉瑶麗は、この気のいい貴族の男の様子が愉しくて、なんとなく噴き出してしまった。

 

「では、柴進殿とお呼びします。よろしくお願いします」

 

 呉瑶麗は軽く頭をさげた。

 

「ううむ……。まあ、それくらいなら許すか……。とにかく、屋敷に──。その前に……。こらっ、護送兵。呉瑶麗殿は、今夜はこの柴進の客だ。逃げる気遣いはない。足枷と縄を解け」

 

 柴進が大声でいうと、周りの男のひとりが董超と雪葉に金子を握らせた。

 ふたりは相好を崩すと、すぐに呉瑶麗の拘束を外してしまった。

 

「では、支度をするので先に戻る。案内役を置いていくので一緒に来てもらいたい」

 

 案内役の男ひとりを残して、柴進が土煙をあげて駈け去っていく。

 

「では、よろしくお願いします」

 

 残った案内人が行儀よく頭をさげる。

 館までそれほどの距離でもなかった。

 屋敷に入ると、庭園に酒宴が準備されており、。董超と雪葉のふたりは、家人がやってきてどこかに連れて行かれた。

 そのとき、まとまった金子を渡されたようだ。

 ふたりはにこにこしながら案内に従ってどこかに行ってしまった。

 

 呉瑶麗ひとりだけが庭園に準備された卓にやってきた。

 横長の卓には二十人ほどの男がすでに座っていた。

 彼らが柴進の屋敷で世話になっている食客だろう。呉瑶麗は柴進の隣に席を準備された。

 

「それにしても美人だ。しかも、若いのだな。女ながらも、帝都の武術大会で優勝し、あの国軍で武術師範代を務めたと聞いていたので、もっと男のような無骨な女を想像していた。それがこんなに美女とは……。その美しい顔を近くで見れただけで果報だ」

 

 柴進が陽気に言った。

 これには呉瑶麗も苦笑した。

 すぐに酒宴が始まった。

 最初は女の武芸者というのに慣れていないのか、周りの男たちも、どう扱っていいのかわからないようだったが、呉瑶麗の屈託のない笑顔に安心して、だんだんと話しかける男たちが多くなった。

 訊ねられるのは、国軍の武術訓練のことが多かったが、呉瑶麗は質問に丁寧に応じていた。

 

 柴進は、愉しそうに口を挟んだり、酒を進めたりして呉瑶麗の世話を焼こうとする。

 なぜか、やたらに呉瑶麗に接したがる。

 呉瑶麗は適当にあしらっていた。

 そのうちに、ほかの男たちも割り込むように呉瑶麗に話しかけてくるようになり、呉瑶麗は男たちに囲まれる態勢になっていた。

 

「俺の得意は、剣を円のように大きく回して相手をひるませ、敵が体勢を失って隙が出たところで斬るのだ。円月殺法と名付けている」

 

 呉瑶麗の向かい側の席に座った片眼の男が言った。

 

「まあ……。でも、そんなに大きく剣を動かしたりしたら、むしろこっち側に隙が出ませんか?」

 

「いや、こちらが隙を見せるからこそ、相手も隙を見せるのだ。実際に、滄城の城郭内で行われた武芸試合で勝ったのだぞ」

 

「それは、いつか拝見したいです」

 

 そんな他愛もないやり取りばかりだ。

 一方で柴進は、呉瑶麗に酒をしきりに進めては、肌がきれいだの、髪が美しいなどと歯が浮くようなことを言ってくる。

 これには閉口した。

 すぐに、陽が落ちて暗くなった。

 灯油が燃やされ、屋敷の家人たちが周囲に篝火を焚き始めた。

 すると、門の外から足音が響いてきた。

 

「おう、これは、師範」

 

 柴進が言った。

 師範と呼ばれた男は、乱暴な振舞いで酒宴の席に割り込んできた。

 

「こちらの女性は、呉瑶麗殿と申され、女性ながらも国軍の武術師範代をなされていた方です」

 

「なんだ、女か」

 

 その師範は明らかに呉瑶麗を見て失望したようだった。

 

「囚人だが、国軍の武術師範代が来ていると聞いて来てみたのだが、女とはな。それにしても、女でも囚人なら囚人らしくすべきだろう。手錠を外して、酒など飲ませていいのか?」

 

「私が外させたのですよ。事情がどうあれ熟練の武術家。師範は女性であることを強調されるようだが、国軍の武術師範代であった彼女の武術の腕ならば、実力では彼女の方が師範よりも上なのではないですか?」

 

 柴進が機嫌を悪くしたように言った。

 

「馬鹿なことを」

 

 すると、師範と呼ばれた男がむっとした顔になった。そして、ずかずかと歩いてきて呉瑶麗の横に威圧するような態度で立った。

 主人である柴進の隣の呉瑶麗が座っている場所は、この場の上席だ。

 つまり、どけということであろう。

 柴進が口を開きかけたが、そのときには呉瑶麗は腰をあげて席を譲っていた。

 柴進は、目に見えて不機嫌な顔になった。

 

 しかし、師範は気にした様子もなく、たったいままで呉瑶麗が座っていた場所に座ると、目の前にあった酒瓶を掴んで、そのまま口に当てて中身を飲み干した。

 なんという無礼な態度だろうと思った。

 

(こう)師範、今夜はこの呉瑶麗殿の来宅を歓迎する酒宴なのだ。私の隣は呉瑶麗殿と決まっている。そこをどいてもらいたい。さあ、洪師範の席を準備しろ」

 

 柴進が怒鳴った。

 すると、家人たちがやってきて、柴進の向かいの席に新たな席を準備した。

 洪師範は真っ赤になって憤怒を表したが、さすがに柴進に怒鳴るわけにもいかなかったのだろう。

 声をあげるのは自重した。だが、その代わりに皮肉な笑みを顔に浮かべた。

 

「なぜ、こんな女が上席なのだ、柴進卿? 柴進卿の庭園で行われるこの定例の宴は上下の身分など関係がない。ただ武術のみの関係で行われる宴という習わしのはずでしょう? 国軍の武術師範代とはいえ、たかが女──。この武術家の集まりの宴の上席に座るものとしては相応しくありませんぞ」

 

 洪師範は作ったような笑い声をあげた。

 

「そうですよ。国軍の武術師範代といえば、こんな田舎の城郭軍の武術師範よりは実力は上でしょう。さあ、大人しく、この呉瑶麗殿に席を譲ってください、師範」

 

 柴進が言った。

 洪師範の顔が再び怒りで真っ赤になった。

 

「こ、この俺を愚弄するつもりか、柴進卿──。いかに、柴進卿とはいえ、許さんぞ」

 

 洪師範がテーブルに拳を叩きつけた。

 その迫力に周囲がしんとなる。

 呉瑶麗はあまりの態度に呆れて嘆息した。

 

「わかったわよ。あなたの方が強いわ……。認めるから、大人しくしたらどうなのですか、師範?」

 

 呉瑶麗は自分の杯を手に取ると、酒を飲みながら口を挟んだ。

 すると、洪師範は不機嫌な表情を呉瑶麗に向けてきた。

 

「ふん。この中には、俺に勝てた者はいないだろう。その程度だから女のこいつが強いと感じるのだろうな……。柴進卿も人がいい。どうせこの女もちょっとした盗みで牢城送りにされる小者なのだろう。おい、女、お前はなんの罪で牢城に送られるのだ?」

 

「無実の罪よ」

 

 洪師範はそれを聞いて大笑いをした。

 

「じゃあ、女ながらも、武術師範代というのは、どうやってなったのだ。結構、美人だから、色仕掛けで国軍の将軍でもたらしこんだか?」

 

「おやめなさい、師範。仮にも国軍の武術師範代。並大抵の腕ではないことは確かだ。女でも男でも関係なく、武術の腕にはそれなりの敬意を示すべきです」

 

 柴進がたしなめた。

 

「俺も、滄城軍で武術を教えているのだ。こんな女が弱いことは、こうやって相対するだけでわかるのだ。この女は、柴進卿の人のよさに付け込んで、いくらかの小金をせしめようとしているだけだ。おい、女、小金がよしければ武術などを売り込むよりも、お前の身体を売った方がいいのではないか。その方が余程、よい儲けになると思うが」

 

 洪師範が下品な口調で笑った。

 呉瑶麗の中でなにかが切れた。

 

「いい加減にしてよ。わたしも気が長い方じゃないのよ。そんなに相手になりたきゃあ、なってあげてもいいのよ」

 

 洪師範がきょとんとした顔で呉瑶麗を見た。

 それは柴進も同じだった。

 しかし、すぐに洪師範が、再び馬鹿みたいに笑い出した。

 

「やめとけ、女。お前は、本当の闘いというものをしたことがないのだろう。本物の闘いというのは、お前がこれまでやったことがあるような遊びではないのだ。わかるか、女? 軍の武術師範の俺が、女のお前と闘うというのは勝っても自慢にもならんし、闘うというだけで恥なのだ。怪我をするだけだ。やめておけ」

 

「そうね、やめときましょう。わたしもあなたに勝っても自慢にもならないしね」

 

 洪師範の顔色が真っ赤になった。

 今度は、洪師範は柴進に指を突きつけた。

 

「おい、柴進卿。この女は俺と試合をしたがっているようだが、本当にいいんだな?」

 

 そう言われた柴進は、呉瑶麗の顔をちらり見た。

 しかし、余程、自分は険しい顔をしていたのだろう。柴進は横に首を振って立ちあがった。

 

「では、おふたりの試合に賞金をつけましょう。金両二十枚──。勝った方に差しあげますよ」

 

 金両二十枚と聞いて、洪師範の顔が綻んだ。

 みんなが慌ただしく動き始めた。篝火が増やされ、木剣や棒が運ばれてきた。外には月明かりもある。

 洪師範はすでに棒を執っている。

 

「女、やめるなら、いまのうちだぞ……。せっかく、きれいな顔をしているんだ。試合が始まれば俺は容赦できんからな」

 

「大丈夫よ……。わたしは手加減してあげるから」

 

 洪師範が険しい形相で準備された試合場に進み出た。

 呉瑶麗は無造作に棒を執ると、囲まれた場所に静かに進み出た。

 

「賞金を忘れるなよ、柴進卿」

 

 洪師範が棒を呉瑶麗に突き付けて叫んだ。

 

「わたしは勝っても賞金はいらないわ。その代わり、彼の治療代を払ってあげてください、柴進殿」

 

 呉瑶麗はそう言いながら棒を構えた。

 向かい合ったとき、師範の顔から笑みも怒りも消えて、血の気が引いたのがわかった。

 やっと呉瑶麗の武術の実力がわかったに違いない。

 さっき洪師範自身も言っていたが、それなりの修練を積んでいれば、そばに立っただけで、相手の身のこなしなどから武術の実力はわかるものだ。

 洪師範は呉瑶麗の実力を見抜けなかったようだが、呉瑶麗には、洪師範の実力はわかっていた。

 こんな師範など呉瑶麗の敵ではない……。

 洪師範は呉瑶麗と向かい合っただけで、居すくまれたように硬直して動けなくなった。

 

 呉瑶麗が踏み出すと、洪師範は棒の両端を使って、力任せに打ち込んできた。呉瑶麗はかわすともなくかわした。

 洪師範の手から棒が落ちる。

 呉瑶麗が棒を巻き込んで下に落としてやったのだが、なにが起きたかわからない洪師範は呆然としていた。

 

「拾ったら?」

 

 呉瑶麗は言った。

 洪師範は呉瑶麗を睨みつけながら棒を拾って構え直した。洪師範が気合とともに打ち込んでくる。

 棒が接触して、再び洪師範の棒が落ちた。

 見物の者たちは今度もなにが起きたかわからないようだった。洪師範だけが手首の痛みを必死に堪えているようだった。

 

「柴進殿、師範殿の利き手の親指が折れてしまったようです。さっきも言いましたが、わたしへの賞金の代わりに、彼に治療代をあげていただけますか?」

 

 呉瑶麗は構えを解いて言った。

 

「うおおお──」

 

 洪師範が喚きながら、構えを解いた呉瑶麗に背後から打ちかかってきた。

 柴進が外から大声でなにかを叫んだが、呉瑶麗は気がついていた。

 振り返った呉瑶麗は、踏み込んで洪師範を棒の先で足を払って倒した。

 だが、洪師範はすぐに起きあがって向かってくる。

 滅茶苦茶に棒を振り回して襲いかかってきた。

 呉瑶麗は師範の片膝を打って膝の皿を割った。

 次いで、両膝が地面に落ちた洪師範の肩を突いた。

 

 力ではない。

 技で突いている。

 だから、簡単に人の骨など砕ける。

 はっきりと骨の折れる感触が棒に伝わってきた。

 

 洪師範が仰向けに倒れた。

 呉瑶麗はさらに詰め寄った。

 

 頭の中に高俅の顔が浮かんだ。

 自分を見下ろしている……。

 彼とその取り巻きが裸の自分を眺めて嘲笑っている。

 高俅が自分に跨っている。

 拘束した呉瑶麗にさまざまな痴態を取らせては、呉瑶麗を犯して悦んでいる。

 次に呉瑶麗を犯している男が身体の大きな男娼に変化した。

 高俅の笑う声が響き渡る。

 男娼に犯されてよがる呉瑶麗をからかっている。

 

「待て、呉瑶麗殿──。殺すな──」

 

 柴進の声が聞こえた。

 はっとした。

 呉瑶麗はいま、洪師範を殺そうとしていた……?

 

 倒れた洪師範の眉間に棒を突きかけていた。

 そのまま突くだけで師範は死んだろう。

 呉瑶麗は自分がやろうとしたことに茫然とした。

 柴進の声がなかったら、呉瑶麗は間違いなく洪師範をこのまま殺していた……。

 呉瑶麗は自分の心を襲った狂気にぞっとして、背に冷たいものを感じた。

 洪師範は柴進の家人に運ばれてどこかに連れ出された。

 

 周囲は大喜びだ。

 柴進も興奮している。

 柴進をはじめとする食客たちが、わっと呉瑶麗を取り囲んだ。

 

「すごい、すごい。あんなのは初めてだ。なんという強さだ。もう、私は我慢できん。呉瑶麗殿、頼む。私と結婚してくれ──」

 

 柴進が呉瑶麗の両手を握ってきて叫んだ。

 

「はあ?」

 

 呉瑶麗は思わず声をあげてしまった。



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34  柴美貴(さいびき)柴進(さいしん)の求婚に激怒する

「結婚してくれ、呉瑶麗(ごようれい)

 

 興奮した様子の柴進(さいしん)が呉瑶麗の手を握って大声で言い放った。

 

「はあ?」

 

 さすがに呉瑶麗は呆れて声をあげてしまった。

 流刑を言い渡されて、明日には滄州の流刑場に入ることになっている女囚に、いきなり婚姻を申し込むとはどういう料簡だろう。

 しかも、この男は旧王族にして、屋敷、庭園、農地には官軍や役人といえども、自由に侵入は許されないという治外法権の権限を皇帝から与えられているほどの大貴族なのだ。

 柴進の真意を測りかねて、呉瑶麗は途方に暮れた。

 

「この柴進は呉瑶麗殿に惚れた。呉瑶麗殿の武芸に惚れこんでしまった。頼む。どうか、私の妻になってくれ。あなたこそ、夢の私の伴侶に違いない」

 

 しかし、この柴進は真剣な表情をしている。

 なんの冗談なのか解りかねたのだが、もしかして、本気なのかと思い出した。

 それくらい柴進の顔には、思いつめたような雰囲気がある。

 

 そう思うと恐ろしくなった。

 この貴人はどうやら狂人なのかと思ったのだ。

 旧王家の末裔でありながら、一介の流刑囚の女と結婚したいなどと思うのは、狂人に決まっている。

 すると、周りの食客たちが騒ぎ出した。

 

「ならば、いよいよ、柴進殿も夢に向かって進み始めるか」

 

「ついに世に打って出る日がやってきたのですな」

 

「よし、その旗揚げには我らも参加しますぞ。いよいよ、世直しの戦いだ」

 

 食客たちの様子も次第に熱気を帯びてきた。

 

「夢とか、打って出るとか……。世直しの戦いというのはなんですか? いえ、そもそも、わたしと結婚などというのは、なんの冗談を言っているのですか、柴進殿?」

 

 呉瑶麗も訊ねるしかなかった。

 

「いや、冗談などではない……。本気だ。この柴進、呉瑶麗殿と一緒になるために、この貴族の称号も領地も捨てる覚悟だ。いや、いまのいままで、その気はなかったが、あなたこそ、私の伴侶として予言された夢の女性に違いない。そして、あれはやはり、真実の予言であったのだ。やっぱり、私はこんなつまらぬ旧王家の名家の男で終わる男ではなかったのだ。世に出る男だったのだ。戦いに生きる男だったのだ」

 

 柴進はすっかりと興奮しているようだ。

 呉瑶麗はやっぱり狂人だと思った。

 とにかく、いまだに握れられていた手を慌てて振りほどいた。

 

「あ、あの……。わかるように説明を……」

 

 呉瑶麗は困って言った。

 しかし、なぜか、柴進と食客たちは完全に盛りあがっていて、呉瑶麗を見てもいない。

 予言だ、叛乱だと騒いでいる。

 呉瑶麗は茫然としていた。

 

「お兄様、(こう)師範が負傷されて屋敷に運ばれてきましたが、なにがあったのですか……。まあ、これはなんの騒ぎですの?」

 

 そのとき、突然、屋敷からひとりの若い女が現れた。

 年齢は呉瑶麗よりも若いだろう。

 男のように下袴をはいた軍装のような格好だったが、気の強さが顔に満ち満ちているような美少女だ。顔立ちは柴進に似ている。

 柴進のことを“お兄様”と呼んだので、妹だろうと思った。

 

「おう、柴美貴(さいびき)か……。洪師範を打ち負かしたのは、ここにいる呉瑶麗殿だ。絡んできたのは洪師範の方でな。呉瑶麗殿は仕方なく戦ったのだ。それにしても、お前にも見せたかったぞ。あの洪師範が子ども扱いだ。それで私は、この呉瑶麗殿と結婚することにした。この呉瑶麗殿こそ、予言の女性に違いないのだ」

 

 柴進が言った。

 

「予言の女? まさか……」

 

 柴美貴という少女が、値踏みをするように呉瑶麗を眺めた。そして、呉瑶麗が身に着けている袖のない肌着と短い下袍、そして、流刑囚であることを示す首輪を見て、顔を険しくした。

 

「流刑場の女囚……? いえ、その首輪の色はまだ収監前ね。いずれにしても、女囚の身でありながら、旧王族の末裔である名家のお兄様と結婚とはどういうことなの、女?」

 

 柴美貴が声を荒げた。

 

「ちょっと、待ってよ……。わたしにも、なにがなんだか……」

 

 呉瑶麗は困惑して言った。

 

「問答無用よ。お前は、女囚でありながら、お兄様を誘惑する奸女ね。お兄様の予言のことをどこで耳にしたかわからないけど、それを利用してお兄様に近づくなどなかなかの奸智(かんち)ね。だけど、これまでよ。わたしが退治してあげるわ」

 

 柴美貴がつかつかと大股でやってきて木剣を二本掴んだ。

さっき、洪師範と戦ったとき、試合用の武器が一式準備されていたのだ。

 

「ま、待て、柴美貴」

 

 柴進が声をかけたが、柴美貴は聞く耳を持たない様子だ。

 呉瑶麗の前にやってきて、敵愾心いっぱいの表情で、持っていた木剣の一本を突き出した。

 

「さあ、剣を取りなさい、女。化けの皮を剥いであげるわ。もしも、あんたがお兄様の予言に出てきた戦いの女神だと称するのなら、よもや、わたしに負けるわけがないわよね。さあ、戦いなさい」

 

 柴美貴が言った。

 

「はあ?」

 

 呉瑶麗はこの展開についていけなくて戸惑った。

 

「ま、待て、柴美貴、いくら、お前でも、この呉瑶麗殿にはかなわんぞ。やめんか──」

 

 柴進が声をあげた。

 

「お兄様は黙っていて。いまから、わたしがこの人がお兄様の予言の女性ではないということを証明してあげるわ。お兄様の予言にあった女は、“水のほとりの戦いの女神”──。ならば、この人がそんな女ではないということを証明してあげるわ」

 

 柴美貴がさらに呉瑶麗に木剣を押しつけようとする。

 呉瑶麗は困ってしまった。

 

「柴進殿、なんとかしてください……。妹様に怪我をさせてしまいますよ」

 

 呉瑶麗は柴進に助けを求めた。

 すると、眼の前の柴美貴の顔が逆上したように赤くなった。

 

「わ、わたしに怪我をさせるですって? さらに聞き捨てならないわね。その侮辱だけで、あなたは、絶対にわたしと立ち合いをしてもらわなければならないわ。早く木剣を取りなさい」

 

 柴美貴が金切声で怒鳴った。

 

「柴美貴、いい加減にせんか。呉瑶麗殿はなにかの企みがあって、この屋敷に来たわけではないぞ。帝都の国軍で武術師範代を務めていた名高い女剣士の呉瑶麗殿がやってきたと耳して、わざわざ出迎えて屋敷に招いたのは私の方だ。そして、私はこの呉瑶麗殿の戦いを目の当たりにして、この呉瑶麗殿こそ、私の予言にあった“戦いの女神”だと確信しただけだ」

 

「いいから、お兄様は、この件はわたしに任せてください。こんな女囚はお兄様の伴侶のわけがありません。お兄様は騙されているのです。この女は詐欺師です。女狐よ。お兄様に言い寄って、この柴家を乗っ取ろうとしているのよ。こんな女はただの淫売よ」

 

 柴美貴が柴進に怒鳴った。

 だが、その柴美貴の物言いに呉瑶麗は腹が立った。

 いくらなんでも、淫売呼ばわりされる筋合いはない。

 

「あなた、いい加減にしなさい。わたしは、あんたが旧王族の貴族娘であろうと容赦したりしないわよ。それ以上、わけのわからないことでわたしを愚弄するなら、その尻をひっぱたくからね──。いま、柴進殿が言ったとおりよ。わたしは、この屋敷に招かれてやってきただけよ」

 

 呉瑶麗は柴美貴に声をあげた。

 

「し、尻を引っぱたくですって。や、やれるものなら、やってごらんなさい」

 

 柴美貴が怒りで真っ赤な顔になった。

 すると、柴進が大きく嘆息する声が聞こえた。

 

「……こうなったら仕方がない……。すまんが、柴美貴の相手をしてやってくれ、呉瑶麗殿……。だが、その柴美貴は我が妹ながら、強すぎるくらいに強くなってしまった娘でな……。この屋敷に集まった腕自慢の食客たちでも、もう相手もできないくらいの腕だ。いまは、この世には自分に勝てる者はいないとまで増長してしまっているくらいなのだ……。そうだな……。いい機会だ。どうか妹の鼻っ柱を叩き追ってやってくれ」

 

 柴進が言った。

 呉瑶麗はびっくりした。

 

「なんてことを言うんです、柴進殿。さっきのを見たでしょう。わたしは柴美貴殿に怪我をさせますよ」

 

 呉瑶麗は言った。

 

「わたしに怪我をさせることができるなら、やってご覧なさい、呉瑶麗とやら。あんたは、どうせ流刑場に送られて、毎日、鞭に打たれながら生きていくことになるんだろうから、多少の怪我はしても同じでしょう。お兄様を誑かそうとした酬いに、わたしがあんたを懲らしめてやるわ」

 

 柴美貴が言った。

 呉瑶麗は大きく息を吐いた。

 

「わかったわ……。じゃあ、相手をしてあげるからかかってきなさい」

 

 呉瑶麗は言った。

 すると、黙って状況を見守っていた食客たちが、呉瑶麗と柴美貴の試合だと興奮した声をあげた。

 さっきの試合場の周りに再び拡がり、ふたりの闘いを観戦するかたちになる。

 

「いい度胸ね。でも、剣の技を極めたわたしに勝てるというつもり?」

 

「極めたですって? あなたは何歳なの?」

 

 呉瑶麗は噴き出してしまった。

 

「じゅ、十六歳よ──」

 

「だったら極めたというのは早いわね。このわたしだって、そんな言葉はおこがましくて遣う気にはなれないわ……。とにかく、おいで」

 

 呉瑶麗は試合場の真ん中に進み出てた。

 柴美貴から木剣を受け取る。

 試合場の真ん中で剣を構えあった。

 柴美貴はなかなかの気勢だった。さっきの洪師範のような木偶とは違う。

 しかし、まだまだだ。

 呉瑶麗は両手に持っていた剣を右手一本にした。

 

白花蛇(はくかだ)とも称されるわたしの技を見せてあげるわ」

 

「そういう、虚仮脅しを口にする者ほど、大したことないのよ」

 

 呉瑶麗は煽った。

 わざと誘うためだ。

 

「なんですってえ」

 

 案の定、激昂して隙ができた。

 それで十分だった。

 次の瞬間には呉瑶麗の打ち込みが、柴美貴が持っていた木剣を地面に叩き落としていた。

 

「あっ」

 

 柴美貴が声をあげた。

 だが、そのときには、呉瑶麗の木剣の先端は、柴美貴の眉間に突き立てられていた。

 

「い、いまのは意表を突かれたのよ。ひ、卑怯よ」

 

 柴美貴が真っ赤な顔になって言った。

 

「面白いことをいうのね……。あなたは、いま、死んだのよ。卑怯もなにもないわ……。まあいいわ。木剣を拾いなさい」

 

 呉瑶麗は柴美貴から離れた。

 柴美貴は納得がいかない顔で剣を拾って、もう一度構え直した。

 再び、柴美貴の身体に気が漲る

 今度は柴美貴から突っかかってきた。

 呉瑶麗は稲妻のようなその剣戟を紙一重でかわすと、柴美貴の懐に飛び込んだ。柴美貴の顔に恐怖が映ったのがわかった。

 呉瑶麗は腹の中心を逆さに返した木剣の柄側で突いた。

 息の止まった柴美貴が苦しそうに両膝を突く。

 呉瑶麗は柴美貴の背に回って、両肩に手をやると背中の後ろを膝でぐいと押した。止まっていた柴美貴の呼吸が復活する。

 

「次は素手で相手をしてあげるわ。怖がらずに本気でかかってきなさい」

 

 呉瑶麗は言った。

 柴美貴は無言で立ちあがると、木剣を構えた。

 今度はさっきのような驕ったような構えではなくなった。用心深く呉瑶麗の動きを見る態勢になっている。

 呉瑶麗は、柴美貴に剣を振るいとまを与えることなく、一歩で柴美貴の手元に踏み込んだ。

 脚を払われて柴美貴の頭が逆さになる。

 

「きゃああ──」

 

 柴美貴が悲鳴をあげた。

 しかし、頭を地面に打ちつける前に、呉瑶麗の手が柴美貴の襟首を掴んで引きとめた。柴美貴の身体は、頭が地面に叩きつけられる寸前で静止して、それでとまった。

 呉瑶麗は柴美貴の身体を静かに地面におろした。

 

 柴美貴の目が大きく見開いている。

 自分が完膚なきまでに負けたのが信じられないという表情だ。

 しばらく硬直したように呉瑶麗の顔を見ていたが、すぐに脱兎の如く駆け出して屋敷に走っていった。

 なんだったのだ、あれは……。

 呉瑶麗も首を傾げた。

 

「あの柴美貴嬢に勝つとは……」

 

「まさに予言の女性に違いありませんぞ、柴進殿。戦いの女神に間違いない。そうなのであろう、呉瑶麗殿?」

 

 たちまに寄ってきた食客たちに囲まれて、呉瑶麗は一斉に話しかけられた。柴進も嬉しそうな顔をしている。

 

「さ、柴進殿、柴美貴殿は……?」

 

 呉瑶麗は柴進に声をかけた。

 

「構わん。いい薬だ。これで鼻っ柱も折れて、少しは扱いやすくなるだろう。しかも、同性の呉瑶麗殿に負けたことは、夜も眠れないほどの口惜しさに違いないさ」

 

 柴進は笑った。

 それからしばらく宴を続けてから解散となった。

 呉瑶麗は屋敷内の客室に案内された。

 

 

 *

 

 

「話がしたいのだが……」

 

 客室の扉が叩かれ、柴進の声がした。

 柴進がやってくるというのは、家人から事前に声をかけられていたので、呉瑶麗は部屋で待っていた。

 

 宴の後で案内された客室だ。

 客室は二間になっていて、一方に寝台があり、着替えなどが準備されていた。もう一方にはくつろぐための椅子と机があった。

 また軽食と酒を含めた飲み物もあった。まさに、至れり尽くせりという感じだ。

 

 宴の後、すぐに家人がやってきて、呉瑶麗を湯殿に案内してくれた。

 湯殿というのは、身体を洗うための洗い場と身体を湯に浸けるため湯舟のある施設であり、つまりは身体を洗うための場所だ。

 分限者の屋敷などしかないものであり、呉瑶麗は初体感だった。湯舟は気持ちよかった。

 湯殿から出ると、脱衣場に着替え用の寝間着が置いてあったので、それを借りた。

 

 そして、もう一度客間に戻ると、柴進が部屋を訪ねてくるという知らせがあったのだ。

 呉瑶麗は着替えずに、寝間着のままで待っていた。

 なにしろ、女囚用の服よりはこっちの方が露出が少ないのだ。また、下着は身に着けていた。魯朱たちから購ってもらったものだ。

 しかし、少し緊張していた。

 夜、男が女の部屋を訊ねてくるのだ。

 呉瑶麗といえども緊張しないわけにはいかない。

 

「どうぞ……」

 

 呉瑶麗は言った。

 扉が開いた。柴進が立っていたが、驚いたことに柴美貴も一緒だった。

 呉瑶麗は意表を突かれたが、とりあえず、立ちあがってふたりを出迎えた。

 

「柴美貴があなたに謝りたいというのでな……」

 

 柴進が苦笑しながら言った。

 ふたりが部屋に入ってきた。

 すると、柴美貴がいきなり頭を下げた。

 

「先ほどは失礼なことを言って、申し訳ありませんでした、呉瑶麗さん。また、わたしに勝てる者がいないなどと、思いあがっていました。なにしろ、この辺りの武芸者では、わたしに勝つ者がいなかったのです。お兄様が集めた食客たちに勝ち、時折訊ねてくる洪師範もわたしの相手ではないことを見切っていました。でも、呉瑶麗さんに、その驕った心を叩きのめされました……。そして、自分が恥ずかしくなり、どうしても失礼をお詫びしたくて、お兄様に連れてきてもらったのです」

 

 柴美貴が頭を下げたまま言った。

 

「頭をあげて、柴美貴殿。ところで、座りませんか?」

 

 呉瑶麗は言った。

 まだ、三人は立ったままだったのだ。

 

「いえ、わたしはお兄様に連れてきてもらっただけですから……。お兄様と呉瑶麗殿が大事な話があるのはわかっております。邪魔をする気はありません」

 

 すると、柴美貴が悪戯っ子のような笑みを浮かべた。

 呉瑶麗は当惑した。

 

「そうだ、帰れ、柴美貴。だが、その前に、もうひと言、告げることがあるはずだ」

 

 柴進が上機嫌で言った。

 

「……それから、あなたがお兄様の運命の女性であることを認めます、呉瑶麗さん。確かに、あなたはお兄様の予言の女性に間違いないと思います」

 

 柴美貴がそう言って、もう一度頭を下げた。

 

「そういうことだ、呉瑶麗殿。これで私と呉瑶麗殿の婚姻を阻むものはなくなった。最大の障害はこの柴美貴だったのだからな。親類連中も、呉瑶麗殿を柴家に迎えるのではなく、柴美貴と婚姻する者に柴家を継がせ、私が出ていくというかたちなら不満は言わぬと思う。爵位はなくなるが、別に惜しいものでもないし、私としての個人財産もある。心配はいらんぞ、呉瑶麗殿」

 

 柴進がにこにこしながら言った。

 

「それらについては、すべて、お兄様に従います。もはや、反対はいたしません。予言も半分は信じてはおりませんでしたが、本当に“戦いの女神”が現れたとなっては、これも運命なのでしょう……。お兄様をよろしくお願いします。では……」

 

 そして、柴美貴は部屋を出るために、扉に向かう素振りを見せた。

 呉瑶麗は慌てて柴美貴を引きとめて、柴進とともに卓につかせた。

 

「まったく、あなた方には驚かせるのだけど、このわたしと結婚したいというのは、冗談で言っているのではないのですね?」

 

 呉瑶麗は訊ねた。

 

「冗談でそんなことを言うものか。この柴進は、そんな失礼なことはせん。柴家を継ぐ者としてこの世に生を受けたが、死ぬまでそれに縛られるつもりはない。私は世に出るはずの男なのだ。それは運命によって決まっていた。つまり予言なのだ。私と呉瑶麗殿は出会うべき運命にあり、それが私が世に出るきっかけなのだ」

 柴進が言った。

 

「さっきから、予言、予言と言っているけど、それはなんなのですか?」

 

 呉瑶麗は訊ねた。

 すると、柴美貴が目を丸くした。

 

「えっ? 呉瑶麗さんは、お兄様の予言を知って、それで、お兄様の申し出を承知なさったのではないのですか?」

 

 柴美貴が驚いた表情で言った。

 

「なにも知らないわ……。ついでに言えば、旧王族の名家にわたしが嫁ぐなど、常識外れです。到底、承服できるものではありません」

 

 呉瑶麗ははっきりと言った。

 

「いやいや、嫁ぐのではない。呉瑶麗殿は私の伴侶になるのではあるが、嫁ぐべき柴家はなくなるのだ。それが予言なのだ。いずれにしても、問題はない。柴家などなくても、私は私だ」

 

 柴進がにこにこしながら言った。

 

「まあ、お兄様、わたしはてっきり、呉瑶麗さんは承知のものと……。それなら、呉瑶麗さんがお兄様を導く“戦いの女神”だとしても、まずは呉瑶麗さんの意思というものがあるのではないのですか?」

 

「なにを言うか、柴美貴。呉瑶麗殿は、予言に示された私の伴侶だ。承諾することに決まっておる」

 

 柴進は自信たっぷりだ。呉瑶麗は溜め息をついた。

 

「……ならば言いましょう。わかっていると思いますけど、わたしは柴進殿とは結婚などできませんよ。わたしは流刑囚です。明日には、滄州の流刑場に行くでしょう。刑期は十年。生き残ることができても、外に出られるのは十年後です。おわかりですよね」

 

「それは、私がなんとかしよう。滄州の流刑場の所長とは懇意だ。女囚のひとりくらいどうにでもなる。手をまわして釈放させてしまうように手配する。衰退したとはいえ、柴家にも、それくらいの力はある。呉瑶麗殿をすぐに釈放させるように手を回す」

 

 柴進がにっこりと微笑んだ。

 

「本当ですか?」

 

 呉瑶麗も声をあげた。

 つまりは、この柴進の申し出に従えば、うまくすれば、労せずに釈放してもらえるかもしれないということだ。

 だったら、よくわからないが、結婚でもなんでも承諾してしまえばどうだろうか。

 流刑場さえ出られれば、あとはどうにでもなる。

 世間知らずのこんな貴族男との約束など反故にして、高俅(こうきゅう)への復讐に向かえばいい。

 呉瑶麗は一瞬そう思った。

 

「本気でわたしに求婚をなさるというのですか?」

 

 呉瑶麗はもう一度訊ねた。

 

「当たり前だ。あなたは、私の運命の女性に違いない。どうか、結婚して妻になってくれ」

 

 柴進は言った。

 呉瑶麗は口を開こうとした。

 

「待って、お兄様。だったら、先に呉瑶麗さんには、お兄様の予言を知ってもらうべきです。そのうえで判断をなさってもらわなければ公正でないわ」

 

 柴美貴が口を挟んだ。

 そして、呉瑶麗に真剣な表情を向ける。

 

「それは、柴家の滅びの予言と言われているものです」

 

 柴美貴が語り始めた。



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35  柴進(さいしん)柴美貴(さいびき)、柴家の予言を語る

「それは、滅びの予言と呼ばれているものです」

 

 柴美貴(さいびき)呉瑶麗(ごようれい)に語り始めた。

 

 それによれば、柴家に伝わる予言というものがあり、それは、代々の当主に巻物のかたちで受け継がれてきているらしい。

 作成されたのはおそらく二百年前であるが、詳しい経緯や予言者の名はよくわからないという。

 

 ただ、巻物の最初に、「玄女(げんじょ)という女神の神託を受けた」とあり、その内容は、柴家とこの中原の変遷について予言されたものらしい。

 

 二百年前といえば、まだ、この中原に、いまの中華帝国が成立する前であり、柴家も諸王国の王室のひとつだったはずだ。

 おそらく、当時の王家に仕えた道師が記したものではないかと柴美貴は言った。

 

「それには、代々の柴家の当主について簡単に予言されているだけではなく、この大陸の劇的な変化もことごとく予言されているのだ。諸王家の消滅、貴族制度の廃止、王や貴族に代わり役人が国を統治するようになることなど、すべてが当たっている。それゆえ、この柴家では、代々の当主が厳しく管理するものとして、それが伝えられてきたのだ。逆にいえば、この柴家では、その予言書を受け継ぐことが当主の証ということだ」

 

 柴進(さいしん)が口を挟んだ。

 

 この大地を中華帝国が統治するようになって以降、現在では、皇帝の指名を受けた官吏が部下の役人を使って行政を行うようになっているが、かつて、この柴家が王家として健在だった時代は、役人ではなく王族や貴族がこの地をそれぞれに支配していたのだ。

 当時の大陸は、諸王国と呼ばれる幾つかの国に分かれており、各王国は覇を争い、戦乱の時代が長く続いていた。それを統一して、平和を作ったのが中華王国であり、その統一王国がいまの中華帝国となった。

 

 王家はすべて廃され、各王家に属した貴族の爵位もその領地も消滅し、人臣は皇帝のもとにすべて同じということになった。

 そして、各王家が支配していた土地や城郭は、皇帝が指名した官吏が治政を行うというものに変えられた。

 百年以上も前のことであり、現在でも、この国には、建前としては貴族もなければ、いかなる貴族領も存在しない。

 

 現在の帝国の領土は、皇帝が直接に各都市や農村を支配する「畿内」、そして、「州知事」と呼ばれる最高官吏がそれぞれに支配する「北州」、「南州」、「奥州」、「代州」と行政区分されている。

 特に、北州は広さや人口が突出しており、皇帝の直接治世の畿内に匹敵した富を持つ行政区域といわれている。かつては、独立域だった「青州」、「滄州」という地域も包有しており、地域の呼び名にその名残も残っている。

 

 畿内及び各州には、都市城郭を中心とした「県」があり、県を治めるのは「県令」と呼ばれる官吏だ。

 県令は都市及び周辺の農村を治め、納税も管理する。

 その県令は州知事が指名する場合もあるし、皇帝が直接指名する場合もある。

 

 そして、それぞれの行政単位ごとに、賊の取り締まりと城郭などの治安に任じる軍がある。

 それぞれの軍は、属する行政官によって、皇帝に属する軍を「国軍」、州知事に属する軍を「州軍」、都市の県令に属する軍を「城郭軍」と呼ぶ。

 あるいは、州軍と城郭軍を合わせて、「地方軍」という呼び方もある。

 また、東の平原にいた遊牧民族の勢力が台頭し、たびたび北の国境を脅かすようになってからは、国境を守る「国境軍」も整備された。

 北の平原に接触する国境沿いの地域が代州であり、事実上の皇帝直轄地にもなっている。国境軍は皇帝直轄軍でもあるからだ。

 

 いずれにしても、この中華帝国がこの大地を征服したとき、この国は「民」が支配するものとして定められた。

 それが中華王国の建国の国是であり、だから、各地方の行政を行うのも、軍を支配するのも民の中から選ばれる。

 それは革命ともいうべき変化であり、素晴らしい国是だとも呉瑶麗は思う。

 

 呉瑶麗は、あまり人には語ったことはないが、実は武術だけではなく、古今の書物に精通していて、この国の歴史も明るい。

 だから、どんなに優れた理念であっても、国が長く続けば建国の理念は失われ、次第に腐っていくものだということも知っていた。

 この中華帝国もそうだ。

 権力を持つのは皇帝ひとりとし、皇帝の選んだ民が民を直接管理するという美しい理念は消え果て、民であるはずの行政官や役人や軍が腐敗して、多くの民を虐げている。

 それがいまの帝国の実態だ。

 柴美貴は呉瑶麗も知っている中華帝国の興隆を語り、それが柴家の予言に記されていたということを淡々と説明した。

 

「……その予言書には、そういう大陸の変化も予言されているのですが、柴家の興亡も詳しく記されています。もともと、柴家のことを予言するのが目的の予言書ですから……。例えば予言書には、百年前の中華帝国の建国に際して、当時の王家が王権を中華王国に、戦わずして譲渡することも記されていました……」

 

 柴美貴が言った。

 すべての当時の王国が征服されて、王族や貴族が廃止になったのだが、唯一の例外がこの柴家なのだ。

 諸王国と呼ばれた各王国は、ほとんどは、中華帝国の初代皇帝に軍事力で征服されたのだが、この柴家が治めていた柴王国は、国王自身が王権を中華帝国に渡し、「すべてを民に委ねる」という中華の考えに同意した。

 

 初代皇帝は、それを評価して、柴家のみについては、小さな私有地の直轄を認めて、官吏からの治外法権や免税を許した。正式の制度のものではないが、柴家の当主が、慣例として「貴族」と扱われてもいるのもそのためだ。

 そしてここが、柴家の「領園」と呼ばれる場所であり、その当主が柴進なのだ。

 

「……その予言書に諸王国の滅亡と帝国の興隆が予言されているのはわかりましたが、それと、柴進殿がわたしに求婚することとは、なんの関係が?」

 

 呉瑶麗は訊ねた。

 

「それが“滅びの予言”と呼ばれている部分になるのです。予言書は、柴家に関する予言ですので、柴家が滅亡するまでが記されているのです。その最後の当主だとされているのが、お兄様なのです」

 

 柴美貴が言った。

 呉瑶麗は少し驚いた。

 

「……予言など完全に信じているわけではなかったが、ずっと意識はあった。なにしろ、ほかのすべての予言は、ことごとく的中してきた予言だ。私の代で、柴家が消滅することだけが、外れるとは思い難い……」

 

 柴進が微笑んだ。

 その表情には、すでに達観の色がある。

 

 予言というものがどれほどのものなのかはわからないが、家の滅亡が自分の代で起きると記されていれば、悩みもしたであろう。

 だが、いまの柴進は、その悩みの向こう側にいるのだと思った。

 

「呉瑶麗さん、予言といっても、それはとても曖昧な表現で記述されているものです。なにかの喩えのようなものを多用してあってわかりにくいものです。しかし、柴家が滅びるということだけは明確に書かれています。また、予言書はお兄様の代で途切れていますし、そのことから考えても、柴家がなくなるというのが、予言の内容なのだとわたしたちは考えています」

 

「それで、どのようなことが予言されているのですか、柴美貴殿?」

 

 呉瑶麗はとりあえず、聞いてみることにした。

 

「まずは、わたしたちの両親が早世して、兄が若くして当主になること──。そして、柴家の人間はわたしたちふたりの兄妹のみという状態になること──。それは当たりました。それ以降の予言がこれから起きることを表しているのだと思われるものです。内容はこうです……」

 

 柴美貴はその予言書の部分を諳んじ始めた。

 

 

 

 “……戦いのときが来る。最後の当主は、罪を犯してやって来る水のほとりの戦いの女神に愛されるであろう。その導きにより、当主は戦いの人となり、国に巣食う罪悪と争って、すべての支配を民に取り戻す。

 その後、一族は民となり消える……。”

 

 

 

「予見書の最後は、次の言葉で終わってます。“……そして、帝国と呼ばれた存在は滅びる”と……」

 

 柴美貴はそれが重大な告白であるかのような口調で言った。

 

「それで、水のほとりの戦いの女神というのが、わたしだというのですか……? たった、それだけのことで、柴家の当主のあなたが、素性も知らぬわたしを妻にしようと?」

 

 どうやら、柴進たちが盛んに口にしていたのは、そのことだったようだ。

 しかし、なんとなくしっくりとはこない。

 

「柴家というが、それは滅びるのだ。予言には民に戻るともある。だから、格式の違いなど関係はない。もしも、呉瑶麗殿が些かでもそれを気にしているのであれば、そんなものは関係はないと言いたい。私が探していたのは“戦いの女神”に相応しい女性であり、それはあなただ。予言書にも、“罪を犯してやってくる”とあった。失礼ながら、あなたは罪人だ。予言の通りではないか」

 

 柴進は自信満々に言った。

 

「でも、わたしが多少の武芸に秀でているからといって、戦いの女神とまでは大袈裟では?」

 

 呉瑶麗は首をすくめた。

 

「冗談ではない。私は、あなたの闘いぶりを見て、あなたこそがそうであると確信した。ひらめいたのだ。まるで神託を受けたような気分だった。あれが、ほかの者であるはずはない。あなたが、私の導き手となる“戦いの女神”に違いないのだ」

 

 柴進は嬉しそうに言った。

 

「じゃあ、水のほとりというのは? わたしは、水の近くなど住んだことはありませんよ。幼少時代から少女時代までは、叔父と呼んでいた人と山で暮らしていました。そして、叔父が死んで、世に出る必要があって放浪し、帝都の武術大会で優勝して国軍の武術師範代という地位を得たのです。水とは縁のない生活だと思いますが?」

 

「ううむ……。それはそうかもな。だが、これから水のほとりに住むのかもしれない」

 

 柴進はあっさりと言った。

 なんだか気楽そうな感じだ。

 滅びの予言といっても、世間知らずの旧王家の末裔の柴進にとっては、わくわくするような愉しみなのかもしれない。

 それで世に出る日々を信じて、武芸者を食客にしたりして養ったりもしているのだろう。

 いずれにしても、その予言書の真偽はともかくとして、このふたりの旧王族の末裔の兄妹にとって、その予言書がとても権威のあるものであり、大事なものだというのもわかった。

 また、そこに記されている内容に重大な意味があると考える理由も理解した。

 

「……呉瑶麗さんがどう思うかはわかりませんが、わたしたちは、この予言書は幼いころから聞かされていたし、身近に感じていました。お兄様と一緒になるというのは、呉瑶麗さんがこの滅びと運命を共にするということにもあります。だから、この予言書のことをお聞かせしたのです。滅んで民に埋もれると予言されたこの柴家です。お兄様の求婚は、この柴家の領園に来てくれという意味にはなりません。滅びの運命を共にしてくれという意味なのです……。しかし、お兄様の求婚は不真面目なものでもありません」

 

 柴美貴が神妙な顔で言った。

 

「いや、柴美貴、呉瑶麗殿の運命もまた決まっているのだ。私と一緒になり、おそらく水のほとりで暮らすのであろう。そして、戦うのだ──」

 

 柴進がにこやかに言った。

 

「それで、あなたも信じているの、柴美貴さん? その予言を……。そして、わたしが柴進殿を導くという女性だということを?」

 

 呉瑶麗は訊ねた。

 

「信じる気になっています。戦いの女神という喩えは、まさに呉瑶麗さんにあると思います」

 

 柴美貴もきっぱりと言った。

 呉瑶麗は笑いが込みあがり、そして、吹き出してしまった。呉瑶麗が急に笑い出したので、柴進と柴美貴はきょとんとしている。

 

「本当に愉快な方々なのですね。そして、失礼ながら、おめでたい方々だと言わせてください。結婚などという大事なことを……。しかも、旧王族の末裔だという由緒ある家系の妻ですよ──。その地位に、女囚として流れてきたような見知らぬ女をあてがうのですか? そんな、何百年前に告げられたという予言を根拠に──。あまりにも馬鹿馬鹿しくて……」

 

 呉瑶麗は笑いながら言った。

 あまりにも呉瑶麗の笑い声が激しいので、さすがに柴進と柴美貴は不機嫌な表情をしている。

 呉瑶麗は顔から笑みを消した。

 

「だったら、わたしの告白を聞いてください。それを聞いてから、柴進殿こそ、わたしが妻に相応しいかを考えればいいのです……」

 

 呉瑶麗は言った。

 そして、今度は呉瑶麗が語りだした。

 呉瑶麗は、自分が帝都で高俅に受けた仕打ちを話した。

 すなわち、無実の罪をでっちあげられて、近衛軍大将の高俅(こうきゅう)に捕えられたこと……。

 取り調べと称して服を剥がされて素裸にされ、高俅の部下たちの前で処女を失ったこと……。

 屋敷に連れて行かれて、女としての尊厳も誇りもすべて奪われるような仕打ちを受けたこと……。

 

「わかった。もう、話さなくていい……。つらい経験だったのは理解した」

 

 柴進が慌てたような口調で言った。柴進の狼狽えた表情から、呉瑶麗は自分が涙を流していることに気がついた。

 それでも、呉瑶麗は話し続けた。心に溜まったものを外に出したかったのだ。

 

「いいえ。最後まで聞いてください……。おそらく一箇月間、わたしは高俅のいう“調教”というものを受け続けました。拘束された身体を高俅に犯され、高俅の連れてきた男の性奴隷に犯され、そして、高俅の友人たちに犯されました。しかし、それらのことで、わたしを不当に監禁していることが噂になり、高俅はわたしを軍牢に戻さざるを得なくなったのです……」

 

 呉瑶麗は言った。

 ふたりはなにか言いたそうだったが、言葉が出ないようだった。呉瑶麗は続けた。

 

「……軍牢に戻されたわたしは、おそらく、わたしは死刑になるだろうと思いました。だから、考えていたのは脱獄のことです。なんとか、その前に脱獄をしようとしました」

 

「そ、そんな……。なぜ、罪を犯していない呉瑶麗さんが死刑になるのです? そんなことは信じられません」

 

 柴美貴が憤慨した表情で言った。

 

「残念ながら帝都というのはそういう場所なのです、柴美貴さん。結果的に流刑で済みましたが、逃亡を考えていたわたしは牢番を買収しようとしました……。でも、わたしは身になにも持っていない虜囚の身……。そんなわたしが、なにで牢番を買収しようとしたかわかりますか?」

 

「い、いえ……」

 

 柴美貴が圧倒されたような表情で首を横に振った。

 

「牢番の性器をしゃぶったのよ……。鉄格子で阻まれていなかったら、身体も許したと思うわ……。柴美貴さん、あなたは、庭でわたしのことを“淫売”と呼んだけど、まさにその通りなのよ。わたしという女がこれほど汚れた女というのがわかりましたか、柴進殿?」

 

「もう、やめてください、呉瑶麗さん」

 

 柴美貴が、蒼い顔をして途中で話を遮った。

 

「……いいえ、まだです。さあ、柴進殿、それでも、わたしを妻にしたいと思うのであれば、どうか抱いてください。わたしは、わたしをこの境遇から救ってくれるなら、なんでもするつもりです。豚と寝ろと言われても、あなたたちの前で寝てみせます。わたしは高俅が憎い。あんな奴に権力を与えた帝国が憎い。だから、復讐してやるつもりです。でも、いまのわたしには、なんにもできない。だから、わたしを助けてください。わたしを流刑地から出して。その力があるならお願い。それをしてくれるなら、わたしはなんでもします。わたしが持っているのものであれば、なんでも提供します。この身体でも……。どうか、わたしを抱いてください。そして、わたしを助けると約束を……」

 

 呉瑶麗はいつの間にか大きな声をあげていた。

 そして、すっかりと興奮している自分に気がついて苦笑した。

 

「……申し訳ありませんでした……。少し、取り乱した気がします。柴進殿のような高貴な方が、わたしのような目に遭った女を抱くわけはありませんね……。汚れた女を……」

 

 呉瑶麗は自嘲気味に笑った。

 

「……いや、待ってくれ、呉瑶麗殿……。汚れているなど……」

 

 柴進が狼狽えた口調で言った。

 

「じゃあ、わたしを抱けますか……? 大勢の男たちに犯されて輪姦された女を妻にすることができるのですか? 帝都では、誰もがわたしが高俅に凌辱されたことを知っているのですよ。本当にそんな女を妻だと人に言えるのですか?」

 

 呉瑶麗は柴進を見た。そして、呉瑶麗は、柴進の表情にたじろぎのようなものがあるのがわかった。

 

「……わかりました……。わたしの告白は終わりです。おそらく、これで柴進殿の用件も終わったと思います。わたしが妻に相応しくないということが理解できたのであれば、お引き取りを……。この夜に感謝します。明日の朝にはわたしは流刑地に向かいます」

 

 呉瑶麗は言った。

 柴進はばつの悪そうな表情で立ちあがった。

 

「お、お兄様──?」

 

 柴美貴が咎めるような声をあげたが、柴進はそのまま部屋を出て行った。柴美貴は迷っているようだったが、結局、柴進を追っていった。

 ひとりになった呉瑶麗は、しばらくのあいだ、込みあがった涙のままに泣き続けた。

 

 

 *

 

 

 出立となった。

 屋敷の前で待っていた董超(とうちょう)雪葉(せつは)と合流して、改めて足枷を嵌め直され、前手首に縄をかけられる。

 さすがに、拘束もせずに流刑場に行くわけにはいかない。

 柴進は荷物持ちとして、ふたりの人足を手配してくれた。呉瑶麗の荷はその人足が持ってくれる。

 

 柴進と柴美貴が見送りにやってきた。

 柴進はふたりの護送兵を向こうに追いやって、最後に呉瑶麗に話を求めた。

 

「……荷には、昨夜の(こう)師範との試合の賞金の金貨二十枚を入れている。さらに三十枚も足した。流刑場では役に立つはずだ。流刑場に入るときは、金子を持って入るのと、そうでないのとでは扱いもまるで変わる。金子は流刑場の牢役人や看守兵に配るといい。それと流刑場の所長に渡す手紙も入れておいた……。それを渡せば、呉瑶麗には楽な仕事をあてがうようにしてくれるはずだ」

 

 柴進は言った。

 

「お気遣いありがとうございます」

 

 呉瑶麗は頭を下げた。

 

「……それから。私は約束は守るつもりだ……。できるだけ早く、釈放となるように手配する。この地はもうすぐ冬だ。雪も降る……。その前にはなんとか……」

 

 柴進の言葉に呉瑶麗は少し驚いた。

 そして、呉瑶麗がそれに応じようとする前に、柴進はさらに言葉を続けた。

 

「……それと、誤解しないで欲しいのだが、昨夜、あなたを抱かなかったは、あの場で私があなたを抱くと、あなたの力になることを条件に、それを強要することになると思ったからだ。もしも、私があなたの力になれたら、そのときに、もう一度、私はあなたに求婚をしようと思う……。だから、あなたもやけくそのような気持ちで私に抱かれないで欲しい……。それと、やはり、あなたは戦いの女神だと思う……。あなたの精神はとても強いのだともわかった……。それから、私はあなたを汚れているなどとは少しも思わない。汚れているのは、その高俅という帝都の将軍の心だ……」

 

 柴進は言った。

 

「柴進殿……」

 

 呉瑶麗は柴進の顔を見た。

 

「流刑場は寒いですから、すぐに暖かい服なども送ります。でも、それが役に立たなくなるようにお兄様が頑張ると思います。それと、出てきたら、わたしに剣術を教えてください──。夕べは口惜しくて堪りませんでした」

 

 柴美貴が言った。

 呉瑶麗も笑って、そのときには柴美貴に武術の教授をすると約束した。

 

「さあ、行きましょう。お願いするわ」

 

 呉瑶麗は離れて待っていた董超と雪葉に声をかけた。



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第11話  女囚の性奴隷
36  舞玲(ぶれい)、激怒して呉瑶麗(ごようれい)を拷問する


「……以上で、引き継ぎは終わりだ。じゃあ、呉瑶麗(ごようれい)、元気でな」

 

 董超(とうちょう)雪葉(せつは)がそれぞれに別れの言葉を告げた。

 

「お世話になったわ」

 

 呉瑶麗も声をかけた。

 色々とあったが、このふたりも最終的にはよくしてくれた。

 途中からは、同行していた李忠(りちゅう)魯花尚(ろかしょう)に脅されていたとはいえ、まるで従者のように呉瑶麗に尽くしてくれたし、人目のある場所以外では拘束も解いてくれたりもした。

 夕べも、柴進(さいしん)の屋敷では自由にさせてくれたし、今朝も流刑場に入る呉瑶麗のために、道々、滄州の流刑場についてのことを色々と教えてくれたりもした。

 

 例えば、滄州の流刑場の警備のことだ。

 流刑場は高い塀に囲まれた広い場所であり、塀には見張り台や監視もあって、脱走者を見張っているとのことだ。

 なによりも、いま呉瑶麗が嵌められている移送のための首輪が、囚人用の首輪に交換され、流刑場から離れれば、その首輪が締まる仕掛けになるらしい。それが囚人の脱走を阻むのだそうだ。

 

 また、流刑場内には農地もあれば、牧もあり、様々な物を生産する工房もあるらしい。

 原則として自給自足であり、食べ物や衣類はもちろん、家具でも武具だろうと、流刑場で必要なもののすべては、場内の流刑囚が作業を割り当てられて作っている。

 そして、余剰は城郭などに売って、経費に変えてもいいという法になっているため、実際には流刑場で生産されたかなりのものが売られるらしい。

 だが、そうやって売って得たものは、ほとんどが所長たちが着服してしまっているのだそうだ。だからこそ、囚人の作業割り当ては苛酷で苦しいとも言っていた。

 囚人は全部で二千人くらいらいし。

 それに対して囚人を見張る看守兵は三百人程度だそうだ。

 流刑場内は、完全に男囚側と女囚側は分離され、二千人のうちの五百人くらいが女囚らしい。

 

 朝、柴進の屋敷を出発して、高い塀で囲まれた滄州の流刑場に着いたのは、まだ、(ひる)前だった。

 

 門を抜けたところに小さな建物があり、呉瑶麗はそこで、流刑場の役人と看守兵に引き渡された。

 そこで手首の縄は外された。

 ただし、足枷はそのままだ。

 部屋には老いた道術師が待ってきて、呉瑶麗の首の首輪を別の首輪に交換した。その道術師も、董超たちと同様に、逃亡すれば首輪が締まって死ぬという説明した。

 壁を越える方法も、見張りの監視を出し抜く方法も思いつく。

 しかし、魔道のこもった首輪を外す方法は思いつかない。呉瑶麗はしっかりと首に密着している首輪に触れながら嘆息した。

 

「女囚棟まで歩け、女」

 

 その建物にいた看守兵とは別の看守兵がすぐにやってきて、呉瑶麗を連れ出そうとした。この部屋にいた看守兵は男だったが、やってきたのは女兵だ。

 おそらく、ここから男囚と女囚に分かれた場所に行くのだろう。

 呉瑶麗は、柴進の人足が置いていった荷を取ろうとした。

 

「あれっ?」

 

 しかし、荷がない。

 さっきまで、この部屋の隅に置いてあったのだ。

 

「どうした。さっさと、進め、女──」

 

 女兵は乗馬鞭を持っていたのだが、それで背中を思い切り打たれた。

 

「ひいいっ──。い、いえ、荷がないんです──。わたしの荷が……」

 

 呉瑶麗は悲鳴をあげながら、看守兵に言った。

 

「荷物? ああ、さっき、お前を護送してきたふたりの護送兵が運んでいったやつか? あれはお前の荷だったのか? 確かに、ふたりは荷を抱えて、逃げるように外門を越えていったな。だったら、諦めるんだな。しっかりと荷を見ていないお前が悪い」

 

 女兵の看守兵たちが笑い出した。

 呉瑶麗は呆気にとられた。

 一瞬、ふたりが親切心で、呉瑶麗がこれから向かう女囚棟に運んでくれているのかもしれないと考えたが、そんなわけがない。

 いま、荷を抱えて、外に出て行ったと言ったではないか。

 

 それではっとした。

 そういえば、董超と雪葉のふたりは、呉瑶麗の荷を運んでいた人足たちと談笑して、呉瑶麗が夕べ師範と試合をして賞金を得たという話を交わしていたと思う。

 盗んだのだ──。

 顔が蒼くなるのを感じた。

 金子はともかく、あの荷には柴進がしたためてくれた手紙も入っているはずだ。

 

「あ、あの荷には大事なものがあるんです。取り返して──」

 

 呉瑶麗は叫んだ。

 だが、それはふたりがかりの乗馬鞭の鞭打ちで返された。

 呉瑶麗は女囚服である袖のない肌着と短い下袍を身に着けていたが、その剥き出しの肌の部分に容赦なく鞭が当たった。

 仕方なく、呉瑶麗はなにも持たずに歩き始めた。

 

 すぐに大きな内門があった。

 そこを入ると、眼の前にもうひとつの壁と入り口があったが、そこには入らずに、二重になっている壁のあいだの通路をしばらく歩かされた。

 やがて、かなり歩いたところで、“女囚地域”と書かれている看板と入り口があった。そこから中に入った。

 

 入ったところは大きな広場になっていた。

 庭には百人ほどの老若の女囚がいて、さまざまな作業に従事していた。

 ところどころに、女の看守兵がいて、長い鞭やあるいは棒のようなもので女囚を打ったり、怒鳴りつけたりしている。

 

 呉瑶麗は、そのあいだを抜けて、眼の前の三階建ての建物の一階に入った。

 すぐに大きな部屋に通された。

 部屋には鉄格子のある窓があり、扉も金属だった。

 その中にほとんど蹴り入られるようにして放り込まれた。

 ふたりの女兵は、呉瑶麗を入れると扉に鍵をして、呉瑶麗をひとりにした。

 しばらくすると、身体の大きな女の看守兵がさっきの女兵とともに入ってきた。軍装に将校の階級がある。

 

「あたしは舞玲(ぶれい)だ。女囚棟の看守長だよ。今度やってきた流罪人は、お前かい?」

 

 舞玲と名乗った看守長が言った。

 そして、値踏みするように呉瑶麗を見た。

 

「呉瑶麗です」

 

 呉瑶麗は立ったままお辞儀をした。

 

「なにも荷はないのかい?」

 

 舞玲がさっと呉瑶麗を見て、看守兵に言った。

 

「そうですね……。手ぶらのようです、看守長」

 

 呉瑶麗を連れてきた女兵がくすくすと笑いながら答えた。呉瑶麗は、荷を護送兵に盗まれたのだと言おうとした。

 

「だったら、あたしに挨拶の品もなしにやって来たということだね、この流罪人め──。あたしに最初に目通りするのに、平伏もせず、声をかけるだけのお辞儀で済ませるとはどういう了見なんだい──。どおりで帝都で人殺しをして事件を起こしたはずだよ。自分の立場をわきまえてないようだね。帝都じゃあ、女ながらも武術師範代とやらをやって、それなりの立場もあったかもしれないけど、ここじゃあただの流刑囚なんだよ──。ここの流儀を教えてやるよ──。まずは、平伏。そこに土下座をしな。そして、あいさつだ」

 

 舞玲はいきなり真っ赤な顔をして怒り出した。

 呉瑶麗は、付け届けを渡さないので怒っているのだと思ったが、どうしようもない。

 看守や牢役人、そして、所長にも金子を渡すように教えられて、柴進から金貨をもらったのだが、それは、董超と雪葉に盗まれてしまった。

 所長宛の手紙もない。

 

 舞玲は、腰に革の鞭を丸く巻いて吊っていたが、それをさっと抜いた。

 舞玲の振った鞭が、呉瑶麗の足元の石の床を叩いて大きな音を立てた。

 呉瑶麗は慌てて、その場に跪いて頭を下げた。

 

「呉瑶麗です。よろしくお願いします」

 

 呉瑶麗は床に頭をつけて言った。

 

「頭が高いんだよ。もっと、顔を床に着けるんだ。それが、ここの囚人の挨拶だよ。頭が高い」

 

 つかつかと歩いてきた舞玲が思い切り呉瑶麗の後頭部を踏んだ。顔が床にぎゅっと押しつけられる。

 

「ご、呉瑶麗です。よ、よろしくお願いします……」

 

 呉瑶麗は唇を床に着けんばかりにして、なんとか叫んだ。

 すると、がしゃりと首になにかを巻かれた。

 じゃらじゃらと鎖の音がした。

 それとともに、いきなり呉瑶麗の身体は、首にかかった鎖によって引き上げられた。

 

 流刑囚の首輪の上から金属の鎖を巻かれて、それが天井方向に引っ張られたのだ。

 驚いて、首に巻かれた鎖を持って見上げると、首に巻かれた鎖が高い天井の滑車に繋がっており、それが引きあげられている。

 鎖は呉瑶麗を爪先立つほどに身体を真っ直ぐに引きあげて、やっと止まった。

 ふたりの看守兵のひとりが、壁にある取っ手を動かして、滑車から落ちる天井の鎖を操作したようだ。

 

「まずは、身体の点検だよ。おかしなものを隠していないか調べてやる。それが決まりでね。服を脱ぎな──」

 

 舞玲が言った。

 しかし、呉瑶麗はそれよりも絞まった鎖を両手で掴んで懸命に息を吸っていた。

 鎖で喉が絞まって苦しいのだ。爪先立ちの足を少しでも緩めると喉が絞まる。

 両手で鎖を緩めようともがくが、首の後ろで金具で素早く固定されたらしく、いくら力を入れても少しも鎖は緩まない。

 

「遅いよ」

 

 舞玲の持った鎖が風を切って、呉瑶麗の太腿を襲った。

 あまりの激痛に、呉瑶麗は首を吊られているのも忘れて、身体を屈めて腿に触ろうとした。

 ぐいと首が鎖で持ちあがった。

 

「けほっ、けほっ、けほっ……、あぐうっ」

 

 呉瑶麗は咳き込んでいたが、そこに二発目の鞭が飛んだ。

 今度は鞭が後ろに回って太腿の裏を叩いた。

 

「いぎいいっ」

 

 身体の芯まで響くような激痛だった。

 

「ぬ、脱ぎます──。脱ぐから、やめてください」

 

 呉瑶麗は抗議した。

 

「手は空いているだろう。脱ぐんだよ。脱いだら、鞭打ちをやめてやるよ」

 

 舞玲の鞭が次に次に炸裂する。

 

「ぬ、脱いでます。脱いでますから」

 

 呉瑶麗は下袍に手をかけて足元に落とす。

 

「こいつ、生意気に股布をつけてるんだね。流刑囚に股布なんかないんだよ。それも脱ぎな」

 

 呉瑶麗の手元の隙を狙うように、股布をつけた股間を鞭が襲う。呉瑶麗は悲鳴をあげて、さらに股布の結び目を解いて取る。

 

「遅いって言ってるだろう──」

 

 舞玲が笑いながら上半身に鞭を浴びせてくる。

 呉瑶麗は両袖から手を抜いたが、首の鎖が邪魔で完全には脱げない。仕方なく、首の後ろの鎖にかけるようにした。

 

「胸巻きまでしているのかい」

 

 鞭が飛んでくる。

 上半身を守るようにすれば、下半身に鞭が飛び、下を守れば上半身に鞭が飛ぶ。呉瑶麗は悲鳴を噛み殺しながら、胸当てを取るために背中に手を回した。

 

「遅い」

 

 そのとき、鞭が布越しに乳房の上を叩いた。

 

「ひぎいい」

 

 鞭に引き裂かれた胸巻きが千切れて外れた。

 あまりの激痛に意識まで飛びそうになる。

 

「は、外しました。脱ぎました」

 

 呉瑶麗は破れた胸当てを下に投げた。

 

「よし。じゃあ、手を後ろに回せ。こいつに手錠をかけろ。身体の点検だよ。ちょっとでも抵抗してみな。鞭の嵐だよ」

 

 舞玲が笑いながら、さらに呉瑶麗の裸身に鞭を打ちかけてくる。

 呉瑶麗は悲鳴をあげながら、両手を背中に回した。

 見守っていた看守兵のひとりが、その呉瑶麗の手首に手錠をかけた。

 やっと、鞭が止まった。

 呉瑶麗はほっとして、身体の力を抜いた。

 

「さて、じゃあ、身体の点検と行こうかね。女囚の中には女の穴に、得体のしれないものを隠して流刑場に持ち込む者がいるからね。まずは、股ぐらから点検してやるよ……。おい、これをこいつの穴に入れな。これが点検具だよ。これを奥まで挿し込めば、異物が入っていれば、当たるからわかるということさ」

 

 舞玲がなにかを取り出した。

 呉瑶麗ははっとした。

 それは張形だった。

 粘土を固めたような黒い色をしていたが、かたちはまぎれもなく男性器そのものだった。

 しかも、張形には根元に小枝なようなものがついている。

 高俅の屋敷であれと同じものでいたぶられたのでわかる。

 あの小枝は、丁度肉芽に当たるようになっていて、女陰と合わせて陰核も刺激するのだ。

 高俅の女たちが使ったものは道術がかかっていて動いたが、あれも動くのだろうか?

 呉瑶麗は自分の顔色が変わるのを感じた。

 その淫具が女の看守兵に渡された。

 看守兵がそれを持って、にやにやしながら近づいてくる。

 

「呉瑶麗、これはいいものだよ。これでも道術の品でね。こんな風にも動くんだよ」

 

 呉瑶麗のそばにそれを持ってやってきた女兵が、その張形の柄の部分にある突起を押した。

 すると、それが振動しながら先っぽをうねうねと動かしだした。

 呉瑶麗の心に、あの高俅の屋敷の記憶がまざまざと蘇ってくる。

 

「い、いやあ、そんなもの入れないで──」

 

 呉瑶麗は慌てて腿に力を入れて、股をしっかりと閉じ合わせた。

 しかし、根っこの近くに小枝のついた振動する張形が呉瑶麗の股間に近づいてくる。

 

「いやああ。嫌だってばあ──」

 

 呉瑶麗は太腿を力の限り締めつけた。

 

「こ、こいつ……。開けよ。なに抵抗してんのよ」

 

 看守兵が強引に股間に張形を割り込ませようとするが、呉瑶麗は必死になって、それに抵抗した。

 呉瑶麗の頭に、高俅の屋敷における自分の醜態が蘇る。

 男たちに犯されるのは屈辱だったが、なによりも呉瑶麗が堪えたのは、高俅に命じられた女たちが、寄ってたかってこういう淫具で呉瑶麗を責めたてたときだ。

 

 男が犯すときは、結局のところ男が精を放てば終わりだ。

 しかし、女は違う。

 淫具の張形は疲れることはない。

 精を放つこともなければ、満足することはない。

 ただ、ひたすらに続く。

 呉瑶麗が泣き叫ぼうと、気を失おうと、道術を込められた淫具は呉瑶麗の股間や肛門を責め続けて、その結果、呉瑶麗は完全に理性を失った。

 

 それを数日間も続けられたのだ。

 女たちは交代できるが、拘束された呉瑶麗には逃げることはできない。

 高俅の嘲笑う声を聴きながらよがり続け、最後には自分が誰で、なぜ責められているかもわからなくなった。

 愛液を垂れ流し、舌と涎を出し、涙も鼻水もすべての体液をまき散らしながら呉瑶麗は果て続けた。

 失禁はもちろん、大便まで垂れ流した。

 それでも責めは終わらず、呉瑶麗が疲れて意識を保てなくなると、薬物で覚醒させられ、局部に媚薬を塗られた。

 そして、また淫具に責められた。

 

 監禁の最後の頃にも同じような責めを受けた。そのときも、これとまったく同じ道術のこもった淫具を膣に挿入され、振動をした状態で縄で固定されて豚小屋に繋がれたと思う。

 豚の悪臭のする中で、薬物を使われた呉瑶麗も汚物を巻きながらいきまくった。挙げ句の果てには、大勢の見物人の前で、その豚とまぐわされた。

 呉瑶麗にあのときの恐怖が蘇った。

 

「いやよ。も、もう、死んでもいや。あ、あんなのもう耐えられない──。殺して──。殺して──」

 

 呉瑶麗は絶叫した。

 また、ここでもあんな屈辱を味わわされるのであれば、もう死にたい。

 呉瑶麗は腰を振って、看守兵がこじ入れようとした淫具を弾き飛ばした。

 

「こ、こいつ」

 

 看守兵が真っ赤な顔をして怒鳴った。

 

「い、陰毛をむしってやりな。聞き分けがよくなるまでね。呉瑶麗、検査だって言ってんだろう。拒否するなら懲罰だよ」

 

 舞玲が苛ついた口調で叫んだ。

 

「脚を開きな、呉瑶麗──」

 

 看守兵が呉瑶麗の陰毛を掴んだ。それが力任せに引き抜かれる。

 

「ぐううっ」

 

 股間に針の束で刺されたような激痛が走った。

 呉瑶麗の身体が痙攣して震えた。

 それでも呉瑶麗は脚を開かなかった。

 もうひとりの看守兵も寄ってきた。

 そして、呉瑶麗の股間から陰毛をむしろうとする。

 

「あがああ」

 

 呉瑶麗は吠えた。

 手で陰毛の束を引き抜かれる痛みは尋常な痛みじゃなかった。

 

「まだ、脚を開く気にならないかい」

 

 看守兵のひとりが呉瑶麗の髪を掴んで怒鳴った。

 もうひとりは、また陰毛を掴む。

 呉瑶麗は腰を振ってまた暴れた。

 

「ひぎいい」

 

 暴れたことで陰毛が引き千切られたのだ。

 呉瑶麗は痛みで涙をこぼした。

 

「離れてな、お前たち。抵抗する気が起きないように、痛めつけてやる」

 

 舞玲が叫んだ。

 呉瑶麗にまとわりついていた看守兵がさっとどく。

 舞玲の放った鞭が呉瑶麗の乳房のあいだを捉えた。

 

「ぐっ」

 

 呉瑶麗は全身をのけ反らせた。

 まるで炎そのものを肌に押しつけられたかと思うほど熱かった。

 しかし、陰毛をむしられることに比べれば、どうということはないと思った。

 呉瑶麗はなんとか悲鳴を噛み殺した。

 

「声を出さないとは生意気だね」

 

 だが、それは、舞玲を怒らせたようだ。

 苛立った声とともに、舞玲の鞭が呉瑶麗の股間を狙って飛んだのがわかった。

 呉瑶麗は辛うじて腰を捻って、鞭を太腿で受け、股間そのものが打たれるのだけは避けた。

 だが、全身が脱力するような激痛が脚に拡がるのは同じだ。

 無慈悲なほどに強烈な舞玲の鞭は、一発一発、確実に呉瑶麗の体力も気力も削ぎ取っていっていた。

 

「ちっ、あたしの鞭を避けるのかい。ふ、ふざけやがって──」

 

 腰を捻って股間を守ったのも、舞玲には気に入らなかったらしい。

 三発、四発と雨のように鞭が降ってきた。

 呉瑶麗はまともに乳首や局部を襲う鞭だけを避け、あとは打たれるままにした。

 拘束をされたこの状態では、飛んでくる鞭が見えても、完全に避けることは不可能だ。

 舞玲は余程に鞭に自信があり、呉瑶麗に見切られているのを侮辱されたかのように感じているようだが、呉瑶麗にしてみれば、舞玲の鞭など止まっているようにしか見えない。

 首を鎖で天井に吊られておらず、手や足に枷をつけられていなければ、あんな鞭など全部避けてみせる。

 

「ほ、本当に生意気な女だねえ」

 

 三十発を超えただろうか……。

 連続の鞭打ちが中断された。

 舞玲は肩で息をしている。

 それは呉瑶麗も同じだったが、だんだんと疲労が表れてきた舞玲とは反対に、呉瑶麗は不思議なほどに精神がしっかりと研ぎ済まされていく心地だった。

 これなら耐えられる。

 呉瑶麗は思った。

 淫靡で淫らな仕打ちで辱められるよりも、肉体を傷つけられる方が余程に気持ちは楽だった。

 

「生意気な眼だねえ。お願いだから、股ぐらを点検してくださいと言って、脚を開けば、そろそろ勘弁してやるよ、呉瑶麗」

 

 舞玲が荒い息をしながら言った。

 

「だ、だったら、もっと打ってよ……。脚なんか死んでも開かないわよ……」

 

 呉瑶麗は息も絶え絶えに言った。

 だが、その呉瑶麗の強気の言葉は、舞玲をびっくりさせたようだ。

 

「く、くそうっ。だったら、望みどおりにしてやるよ」

 

 舞玲が狂ったように鞭を振り始めた。

 容赦のない連続の打撃だ。

 もはや呉瑶麗のどこかを狙って痛めつけるというよりは、力の限り鞭打って、呉瑶麗の肌を引き裂こうという狙いの鞭だ。

 呉瑶麗の身体はあちこちが裂けて、全身から血が滴り落ちだした。

 呉瑶麗は最初は悲鳴をあげていたが、途中からはその悲鳴もなくなり、呻き声しか出せなくなった。

 そして、だんだんと意識が遠のいていった……。

 

「ふぐうっ」

 

 首が宙釣りになって、呉瑶麗は覚醒した。

 一瞬、気を失ってしまったために、首に巻かれている鎖が喉を締めたのだ。

 呉瑶麗は、慌てて脚に力を入れて踏ん張ったが、一度力を失った脚にももうほとんど力が残っていなかった。

 呉瑶麗の身体は首に巻かれた鎖で吊られるようなかたちになった。

 

「鎖を緩めな」

 

 舞玲の声がした。

 がらがらと音をたてて鎖が緩まった。

 呉瑶麗は身体を支えられなくなり、身体を横たえてしまった。

 

「いまさら、股を開きますと言っても遅いからね。お前のように反抗的な奴隷は、流刑場には入る必要ない。殺してやるよ」

 

 足首を繋がれた鎖になにかが乗ったのがわかった。呉瑶麗は朦朧とした目を開けた。

 舞玲だ。

 舞玲の足が鎖の上に乗っている。

 そして、身体に影が差した。

 

「な、なに?」

 

 呉瑶麗は思わず目を見開いた。

 ふたりの看守兵が呉瑶麗の両脇から鉄槌を持って振りあげている。

 それが振り下ろされた。

 

「ひぎゃあああああ」

 

 呉瑶麗は絶叫した。

 ふたつの鉄槌が呉瑶麗の膝を砕いたのがわかった。

 呉瑶麗の股間から温かい尿がじょろじょろと流れる。

 

「水桶を準備しな。もうすぐ、気絶するからね。気絶したら上半身を水に浸けるよ。死にたくなければ、意識を保ってな」

 

 舞玲が呉瑶麗の身体を裏返しにした。

 今度は胴体を踏んで、強引に呉瑶麗の両腕を頭方向に強引に捻じ曲げていく……。

 

「いやあっ──ぎゃああ──ぎゃめて──ひぎいいい──」

 

 呉瑶麗は肩の関節が逆に曲げられる激痛に全身を暴れさせようとした。

 だが、容赦のない舞玲の怪力が、呉瑶麗の両腕を間接が曲がらない方向に頭にくっつけようとする。

 ぼこりという大きな音がして両肩が外れたのがわかった。

 呉瑶麗は絶叫とともに、気絶した……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐああっ」

 

 なにが起きたのかわからなかった。

 気がついたら、水桶に頭を浸けられていたのだ。

 もがいたつもりだったが、身体は動かなかった気がする。

 息が止まって死ぬと思った瞬間に、髪の毛を掴んで顔を持ちあげられた。

 

「死にたくなければ、顔をあげろと言っただろうが」

 

 髪を掴んでいる舞玲の笑い声がした。

 そして、再び上半身を頭から大きな水桶に突っ込まれた。

 呉瑶麗はもがいた。

 だが、上半身を上にあげる力は呉瑶麗にはもうなかった。

 口から息が零れ落ちて、それは泡になって水の外に出た。

 だが、頭は完全に水没していて、息をしようとしても口や鼻に入るのは水だけだ。

 

 いやだ……。

 死にたくない……。

 呉瑶麗は叫ぼうとした。

 

 だが、自分の身体がぴくりとも動かないのがわかっただけだ。

 助けて……。

 呉瑶麗は最後の力を振り絞って、それを言おうとした。

 しかし、その最後の力は出てこなかった。

 

 どろりとした灰色の塊が呉瑶麗の意識を飲み込んでいった……。

 感じたのは、死そのものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 目を開いた。

 呉瑶麗が見たのは、どこかの小屋の天井だった。

 

 そして、呉瑶麗は自分が床に寝具を敷いて寝ていることに気がついた。

 考えたのは、ここがどこだろうか、ということだ。

 だが、記憶が断絶していて、よくわからない。

 最後の記憶は、看守長の舞玲の拷問を受けて、水桶に浸けられて意識がなくなったときだ。

 

「やっと、起きたのかい、呉瑶麗? 今度は叫んだりはしないようだね。でも、目付きもしっかりしているよ。大丈夫そうさ」

 

 声がした。

 そっちを見た。

 机があり、女が机に向かって書き物をしていた。

 女は肌の色が黒く少し太っていた。歳は四十前後だろうか。女囚のようであり、下半身は女囚用の丈の短い灰色の下袍だった。しかし、上半身はしっかりと綿の入った上着を身に着けていた。

 

「あ、あんた、誰……?」

 

 呉瑶麗はそう言って身体を起こした。

 はっとした。

 掛け布を乗せられた呉瑶麗の身体は、完全な素っ裸だったのだ。慌てて、掛け布で乳房を隠した。

 だが、それで自分の身体がしっかりと動くのを感じた。

 

 あのとき、舞玲たちは、呉瑶麗の膝の骨を砕き、肩の骨を外して、大きな水桶に呉瑶麗の身体を浸けたのだ。

 身体を動かせなかった呉瑶麗は、そのまま水桶の中で意識を失ったと思う。

 

 あのとき、呉瑶麗は自分が死んだと思った。

 しかし、そうではなかったようだ。

 生きている……。

 

 それだけでなくて腕が治っている。

 脚も骨が砕かれているような感触はない。

 そういえば、あのとき、その前に半死半生になるまで、舞玲に鞭打たれ続けたはずだ。

 なんだが、その傷もないような気がする。

 呉瑶麗は自分の裸身にかかっている布を覗き込んで、身体を見ようとした。

 

「どれ、見せてごらん」

 

 しかし、女がやってきて、いきなり呉瑶麗の身体にかかっていた掛け布を取り去ってしまった。

 

「わっ、わっ」

 

 呉瑶麗は思わず両手で身体を覆ったが、明かりに照らされた呉瑶麗の身体には、どこにも鞭痕がない。

 一体全体どうしたのだろう?

 呉瑶麗は驚いていた。

 

 また、明かりの光が燭台だということがわかった。

 どうやら治療されたような感じがあるが、それにしても、あのときの怪我は、そう簡単に癒えるような負傷ではなかったはずだ。

 しかし、実際に呉瑶麗の身体には、どこにも痛みも感じないし、むしろ、かなり身体が軽くなった気がする。

 

「どこか、違和感のある場所はあるかい、呉瑶麗?」

 

 女が呉瑶麗の膝を掴んだ。そして真剣な表情で観察するような仕草をした。そして、反対の脚を持って同じようにする。

 呉瑶麗は腰をついた姿勢で両膝を曲げ、そのあいだに女を座らせたような体勢になった。

股を閉じようにも、女の身体が邪魔で閉じられない。

 しかし、抗議をしようにも、女の目つきは真剣そのものであり、口を挟めない雰囲気がある。

 いずれにしても、同性とはいえ、こんな風に股を開いたままという格好は恥ずかしい。

 呉瑶麗はそっと手で股間を隠すように置いた。

 だが、その手を女が取り、さっと股間から除けた。

 

「返事は?」

 

 女が苛ついたように叫んだ。

 

「へ、返事?」

 

「違和感がある場所はないかと訊ねたじゃないか。違和感がある場所があれば、治療を続けなきゃならないだろう。どうなんだい?」

 

「あ、あんた医者なの?」

 

 呉瑶麗は声をあげた。

 すると、女がきょとんとした表情になった。

 

「おや、覚えてないのかい?」

 

 女は意表を突かれたようだ。

 

「お、覚えてないかって……。な、なにを?」

 

 呉瑶麗は当惑していった。

 

「驚いたねえ……。あたしだよ。安女金(あんじょきん)だよ。二日前に、あたしの医療房に担ぎ込まれたときには話をしたよ。まあ、もっとも、あんたはかなり衰弱していたし、混乱もしていたようだけどね……。だけど、昨日も話をしたじゃないか。あたしの名を覚えてないかい……?」

 

「安女金?」

 

 呉瑶麗は頭を捻った。

 懸命に思い出そうとした。

 そして、なんとなく記憶があるような気がしてきた。

 

 安女金……。

 女の医師……。

 だが、女囚のひとり……。

 ぼんやりとだが、少しずつ単語が頭に浮かぶ……。

 

「あ、あなたは安女金……。女囚のひとりで、女の医師……。ここで囚人でありながら医師の仕事をしている……。それでわたしを助けてくれた……」

 

 呉瑶麗はなんとなく浮かんだ単語を繋げてみた。

 

「そうだよ。やっと思い出したね。まあ、あんたは死にかけていたからね。身体は治療しても、記憶の混乱が起きるのは当然なんだけどね、だが、もうそれも回復したようだね」

 

 安女金がにこにこと言った。

 

「い、いや、回復してないわ、安女金……。ぼんやりと単語が出てきただけよ。全然、思い出せないわ」

 

 なんとなく馴れ馴れしそうな口調の会話が自分の口から出てくる。

 眼の前の女は呉瑶麗よりもずっと歳上であり、呉瑶麗をどうやら治療してくれた恩人のようだ。

 だが、なぜだか、呉瑶麗は、やけに親しげな言葉を安女金に使ってしまう。

 それが不思議だ。

 

「それでもいいわよ。時間が経てば、自然と記憶も戻るから……」

 

 安女金が身体を真っ直ぐに呉瑶麗に向けた。

 しかし、安女金が座っているのは、素っ裸で両膝を開いている呉瑶麗の脚のあいだだ。

 呉瑶麗は当惑してしまった。

 

「あ、あの……」

 

「とにかく、身体が治ったんだったら、本格的にやれるわね。じゃあ、約束を守ってもらおうかな」

 

 安女金がにこにこしながら、いきなり服を脱ぎだした。綿の入った服を放り投げると、袖のない女囚服もがばりと脱いだ。

 安女金の豊満な乳房が呉瑶麗の目の前に出現した。

 

「な、なに?」

 

 呉瑶麗は声をあげていた。

 だが、そのとき、ふと、呉瑶麗の頭に浮かんだ単語があった。

 この女は道術師……。

 そのあいだにも安女金は下半身の衣類も取り去っていた。

 あっという間に、安女金の裸身が出現した。

 

「あ、あんたは、医師であり、道術師の安女金……。医術に関することだけであるが、道術が遣える……」

 

 呉瑶麗はまじまじと目の前の安女金の裸を見ながら呟いた。だんだんと記憶が蘇ってきたのだ。

 確かに、呉瑶麗は、昨日も、一昨日もこの安女金と話しをしている。

 ここがどこかも思い出した。

 

 ここは、安女金と呉瑶麗の起居房だ。

 安女金は女囚でありながら、囚人の患者というだけではなく、流刑所の看守や牢役人たちの治療も無料でするという重宝な存在のために、所長の特別の計らいで、この長屋のような建物の一室を与えられているのだ。

 

 この安女金の暮らす起居房は、女囚棟の中では最高の境遇であるらしく、普段は鍵もかかっておらず自由にできる場所のようだ。

 呉瑶麗がこんな快適な場所で暮らせるようになったのは、安女金が願い出たからだ。

 安女金は、呉瑶麗はまだ治療が必要であり、安女金と一緒に暮らさなければならないと主張したのだ。

 あの舞玲という看守長は怒っていたが、昨日くらいに柴進は、改めて金子や手紙を所長たちに送ったらしく、そのために呉瑶麗の扱いが一変したのだ。

 そんなことを聞かされたのも思い出した。

 そして、さらに思い出したことがある……。

 

「そして、あんたは変態女……。女のくせに女が好き……」

 

 呉瑶麗は安女金の裸身に面しながら呟いた。

 

「へえ、言ってくれるじゃないの、呉瑶麗……。変態で悪かったね。でも、その変態女との同居に応じたのはあんただよ。それは、まだ思い出さないかい……?」

 

「い、いや……」

 

 呉瑶麗は、それも思い出していた。

 確かに応じた……。

 呉瑶麗はこの女と百合の関係になることを承知し、その代償して、この変態女医師と同居することを求めたのだ……。

 

 呉瑶麗は、自分の顔が引きつるのを感じた。



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37  呉瑶麗(ごようれい)、首輪を外せる女を見つける

「そうかい、思い出したのかい。それはよかったよ……。だったら、相手をしてもらうよ。本来であれば、あんたはほかの受刑囚と同じように、雑居房で暮らさなければならないところだったんだ。雑居房は狭いし、寒いし、汚いし、大変だよ。このあたしが願い出て、あんたを同居人として引き取ったんだから、お礼をしてもらわないとね。ついでに言えば、あんたは死にかけていた。あたしの道術の治療がなければ、もしかしたら、あの看守長に責め殺されて死んでいたかもしれない。さあ、代償を払ってもらうよ。“受け”になりな。背中に手を回して、こっちに背を向けるんだ」

 

 まくし立てた安女金(あんじょきん)がぐいと詰め寄るように、さらに呉瑶麗(ごようれい)の裸身に密着してきた。

 

「ちょ、ちょっと待って。う、“受け”ってなによ──。それに、手を後ろに回してなにをすんのよ」

 

 呉瑶麗は慌てて寝具からおりて、安女金との距離を開ける。

 手でしっかりと胸と股間を隠した。

 なによ、こいつ……?

 すると、安女金が寝台で胡坐になって、けらけらと笑った。

 

「おや? “受け”が嫌なのかい? じゃあ、あんたが“責め”でもいいけど、経験がないと“責め”はできないと思うよ。そんな初心な反応じゃあ、百合の経験はないだろう? 心配ないよ。しっかりと調教してやるから」

 

 安女金が笑いながら言った。

 

「ちょ、調教?」

 

 呉瑶麗は悲鳴のような声をあげてしまった。

 調教という言葉で、高俅(こうきゅう)の屋敷の悪夢を思い出したのだ。

 だが、安女金が笑うのやめて、すっと目を細めた。とても優しい目だ。呉瑶麗はちょっと当惑した。

 

「……ただの言葉だよ。仲良くするだけさ……。まあ、あたしは嗜虐系が好きだからね。ちょっと酷いことをするかもしれないけど、別に鞭打ったり、叩いたりはしないよ。優しくするだけだ。遊びだよ。遊び。あたしらの仲間内では、“遊戯”とか“ごっこ”ともいうけどね」

 

 安女金の口調はとても静かで落ち着いた感じだった。なんとか呉瑶麗を落ち着かせようという気持ちは伝わってくる。

 内容はとんでもない変態だけど……。

 

「ごっこ?」

 

 呉瑶麗は眉をひそめてしまった。。

 一体全体、この変態女はなにをするつもりなのだ?

 やっぱり、この女との同居など願い出るんじゃなかったかもしれない……。

 呉瑶麗は後悔してきた。

 しかし、この変態女との同居というのがどういう意味かということを承知し、それを納得したうえで、安女金に一緒に住みたいと願ったのは呉瑶麗自身だ。

 呉瑶麗は、やっとすっかりと思い出してきた。

 

 この女は道術師なのだ。

 帝都の宮廷魔導師たちのように、大きな力ではなさそうだが、その不思議な力でどんな負傷や病気でも治療できるという能力がある。

 その力で呉瑶麗の傷ついた身体は、たった二日で癒えたのだ。

 この安女金とは治療を受けながら、呉瑶麗はさまざまな話をした。

 安女金はそれこそ二日間ほとんど寝ることなしに、呉瑶麗を治療してくれたと思う。それくらい長く治療しなければならないくらいに、呉瑶麗は痛めつけられていた。

 安女金がいなければ、間違いなく死んでいただろうと思う。

 この女は命の恩人だ。

 間違いない……。

 

 そして、そのあいだに、呉瑶麗は安女金からいろいろなことを聞いた。

 それで、呉瑶麗はこの女と同居することを決心したのだ。

 この女が女好きの変態だということは、安女金自身が喋ったので承知していた。

 それでも、呉瑶麗は同居したいと安女金に言ったのだ。

 

 百合の交合の相手をするという条件を飲んで……。

 それもはっきりと思い出した。

 理由は簡単だ。

 この女の能力は、治療だけではないのだ。

 安女金は、呉瑶麗たち囚人の全員の首に装着されている首輪を道術で外せるのだ。

 それを知った瞬間、なにをおいても、この女に取り入るべきと思った。

 なにしろ、この首輪がある限り、呉瑶麗はこの流刑場から脱走などできない。

 流刑場から一歩出れば、たちまちに首が絞まって囚人を殺してしまうという道術の首輪だ。

 だが、これが自由に外せるのなら……。

 

「ま、待って、安女金。あ、あの話は本当? 首輪の話よ。あんたの能力のことよ。本当にあんたは首輪を外せるの?」

 

「ああ、これかい──?」

 

 安女金は逃げ腰で退がった呉瑶麗を追いかけるように裸身で迫っていたが、呉瑶麗の質問に笑って自分の首に手をやった。

 安女金の右手は青い光に包まれた。

 青い光は、安女金が道術の力を使うときに現れるものだ。

 

「ほら」

 

 安女金は無造作に自分の首から首輪を外した。

 そして、すぐにそれを戻した。

 

「す、すごい……」

 

 呉瑶麗は息をのんだ。

 この力があれば……。

 

「ね、ねえ、わたしの首輪を外して。お願いよ。なんでもするから──」

 

 呉瑶麗は声をあげた。

 

「ば、馬鹿。声が大きいわよ。なんてこと言うのよ」

 

 安女金が慌てたように叱咤した。

 呉瑶麗も口をつぐむ。

 このただの長屋のひと部屋のように思える場所も女囚の起居房のひとつなのだ。ほかの雑居房とは離れて、女囚の居住域の中庭に建てられているとはいえ、外にいつ巡回の看守兵がやってきているかわからない。

 呉瑶麗はそれを一瞬忘れていた。

 

「それに、そんなことしないわよ。外してどうするつもりよ? 脱走するつもりでしょう? やめなさい。刑期がどのくらいか知らないけど、諦めてここですごしなさい」

 

「十年よ。しかも、無実の罪よ」

 

 呉瑶麗は低い声で言った。

 

「無実の罪? 確かに、それで十年は長いわね……。でも、嫌。以前、同居していた“受け”に頼まれて、外してあげたことがあったわ。その結果、その同居人は外で捕らわれて、囚人たちの前で首を刎ねられた。あたしは首輪を外したことがばれて、あんたが痛めつけられた懲罰房で鞭打たれて、刑期が五年伸びたわ……。もう、そんなのこりごりよ。あたしが大切な女医でなかったら、一緒に首を刎ねられたでしょうね」

 

「わたしは大丈夫よ。安全な逃亡先があるのよ。それにあんたも連れて行くわ。一緒に逃げましょう」

 

「嫌だって言っているでしょう。あたしは、追加された刑期も含めて、残り半年で出られるのよ。今度こそ、まっとうに務めあげる。そして、出るわ。それに、あんたが逃げたら、あたしが困るわ。道術をあたしが遣うということはばれてるから、あんたが死なずに逃げれば、首輪を外したのはあたしだとすぐにわかる。そうすれば、今度は追加は五年なんかじゃ済まないわ」

 

「でも……」

 

「いいから、この話は終わり。さあ、こっちに来なさい。恥ずかしがらないでいいのよ。可愛がってあげるから」

 

 安女金が呉瑶麗に詰め寄ってきた。

 

「わっ。だ、だったら、これはどう? あんたが半年後に出所するなら、そのときに、この首輪に細工をしていってよ。首輪の力を無効にするように……。あんたは出所する。わたしはあんたが出所してから脱獄する。これならどう?」

 

 呉瑶麗は言った。

 

「ええっ? まあ、こんな低い道術の道具くらい道術の力を壊してしまうことはできると思うけど……」

 

「だったら、そうして──。すぐに逃げたりはしないわ。ちゃんとあんたが安全な場所まで去った頃合いを見計らって逃げるから」

 

「逃げるったって、ここは高い塀に囲まれて、見張りまでいる流刑場よ。簡単じゃないわよ」

 

「それは心配しないで。それくらいならいいでしょう?」

 

「じゃあ、半年後ね。でも、その半年間、あんたはあたしの“受け”よ。つまり、愛奴で。性奴隷よ。それはいいんでしょうねえ?」

 

 安女金がにやりと笑った。

 その笑みに呉瑶麗は思わず身震いした。

 だが、仕方がない……。

 半年の辛抱だ。

 柴進(さいしん)が手を打ってくれて、釈放の手配をしてくれているとは思うが、それが難しい場合はなんとか自力で脱獄できる手段を探さなければならない。

 この安女金の能力がなければ、脱獄などあり得ないのだ。

 

 それに、柴進は自分の力があれば、すぐに呉瑶麗を解放できるような口ぶりだったが、実はそんなに簡単ではないと呉瑶麗は思っていた。

 呉瑶麗はただの流刑囚ではない。

 中央で権力を握っている高俅(こうきゅう)が送り込んだ流刑囚だ。

 高俅が地方政府に圧力をかけて、呉瑶麗をしっかりと監視させるように告げれば、とてもじゃないが、旧王族の末裔という柴進の権力程度では呉瑶麗を出すことはできないに違いない。

 だから、呉瑶麗は待つのではなく、なんとか自分で脱獄の機会を探すつもりだった。

 

「わ、わかったわ……。でも、約束は守ってよ。絶対にね」

 

 呉瑶麗は言った。

 覚悟を決めた。

 

「契約成立ね。いい子よ……。じゃあ、寝台にあがりなさい」

 

 言われたとおりにする。

 大きく息を吸った。

 脱獄のためだ……。

 覚悟を決めて、寝台にあがり正座をする。

 すると、安女金は、一度寝台からおりて、部屋の隅にある治療用の道具が入っている鞄から一本の糸を取り出した。糸といっても、人の手で切断できるような細いものではなく、太い麻糸だ。

 再び、寝台にあがってくる。

 

「背中をお見せ。親指を重ねるんだ」

 

 呉瑶麗が安女金に背中を向けて両手を後ろに回した、すると、その糸で呉瑶麗の重ね合わせた親指の根元を縛ってしまった。

 

「これでもう、腕は使えないわね。じゃあ、今度はこっちを向いて、胡坐をかきなさい。ただし、足の甲を重ね合わせてね……。そう、そう、そんな感じよ……。なかなか、いやらしい格好じゃない、呉瑶麗」

 

「へ、変なこと言わないでよ」

 

 安女金に言われたとおり、胡坐をかいたように身体の前で脚を曲げ、足首を横向きに重ね合わせるような格好にすると、呉瑶麗の足の親指同士と小指同士の根元を安女金は、さっきの麻糸で重ね縛った。

 呉瑶麗はすっかりと動けなくなった。

 

「さあ、おいで、これで残りの刑期の半年間、愉しくすごせそうだよ。なにしろ、あたしの百合好きはすっかりと知れ渡ってしまって、いまじゃあ、あたしと同居しようという女囚もいないからね……。ああ、それから、言い忘れていたけど、あんたの流刑場での仕事は、あたしの医療房の助手になったからね。夜だけじゃなくて、昼間も調教してあげるよ。半年間、仲良く遊ぼうね、呉瑶麗」

 

 安女金は動けなくなった呉瑶麗の身体を抱えて、胡坐にかいた自分の膝の上に前向きに乗せた。安女金は呉瑶麗よりも大柄だ。

 呉瑶麗はまるで幼児が母親の膝の上に乗っているような体勢になった。

 すると、安女金は膝の上に乗せた呉瑶麗の横腹から脇に手を入れて、すっと撫ぜあげてきた。

 

「ひいっ。ちょ、ちょっと待ってよ。いまの話なによ? 昼間もって、そんなの承知してないわよ」

 

 呉瑶麗は込みあがった妖しい疼きに身をすくませながら言った。

 

「当然だろう。半年後にはあたしも危ない橋を渡るんだ。それなりの代償を払ってもらうよ。あたしが外に出た後で、もしも、あんたが捕まって、あたしの名を出せば、あたしは、また流刑所送りだよ。その危険を背負うんだ。あんたには、あたしの残りの刑期のあいだは、しっかりと尽くしてもらうわよ」

 

 安女金の舌が呉瑶麗の首筋をすっと後ろから舐めあげた。両手は呉瑶麗の乳房を相変わらず這い回っている。

 

「ふうっ、はあっ」

 

 呉瑶麗は思わず声をあげた。

 ものすごく愛撫がうまい。

 まるで呉瑶麗の身体を知り尽くしているかのように、ほんのひと撫ぜ、ひと撫ぜで呉瑶麗を追い詰めてくる。

 高俅の屋敷で受けたような、激しくて乱暴な愛撫ではない。とても、繊細で優しい手管だ。

 こんな愛撫を受けた経験のない呉瑶麗は、あっという間に翻弄されてきた。

 

「それにしても、いい身体だねえ。やっぱり、若いっていいねえ。それに顔がそんなに綺麗だから、男にもてたろう?」

 

「じょ、冗談じゃないわよ……。そのために、こんなところに送られてきたのよ……。わ、わたし、いっそのこと男に生まれてきたかったわ……。は、はああっ──」

 

 呉瑶麗は悲鳴をあげた。

 安女金の両手が、後ろから呉瑶麗の張りつめたふくらみに手を這わせながら軽く揉みあげ、さらに指を小刻みに動かして、呉瑶麗の乳首を上下から刺激してきたのだ。

 

「はっ、ああ……」

 

 安女金の片手がすっと呉瑶麗の無防備な股間におりた。

 呉瑶麗はぐっと歯を噛みしめた。

 

「はうっ」

 

 また大きな声が出た。安女金の指が肉芽をすっと触ったのだ。

 恥ずかしさに赤面するのがわかった。

 そのとき、呉瑶麗は思わず身体をのけ反らせたのだが、まるでそれを揶揄するかのように、安女金の指は呉瑶麗の敏感な場所からはすっと離れていく。その代わりに内腿の付け根付近をすっすっと撫でてくる。

 

「くうっ」

 

 我慢できなくて、呉瑶麗は腰を悶えさせていた。

 自分の股間からつっと蜜が垂れたようだ。

 

「濡れやすいたちのようだね。感じやすい女は好きだよ。愉しい半年になりそうだよ、呉瑶麗」

 

 安女金が呉瑶麗の裸身に指を這わせながらささやいた。

 

「い、言わないで──。は、恥ずかしいから──」

 

 呉瑶麗は安女金の身体の上で腰を捻った。

 全身の性感が沸騰するかのように熱くなる。

 安女金の優しい手が呉瑶麗の全身を這い回ってきた。

 こんな風に優しく責められたことのない呉瑶麗は、どうしていいかわからなくなった。

 安女金は呉瑶麗の反応を確かめるように、呉瑶麗の身体のあちこちにその愛撫を加えてくる。

 しかし、どの場所も執拗に責めるということはない。

 まるでその指そのものが道術であるかのように、巧みな手管で一箇所の性感を熱く刺激すると、そっと手を引いて、ほかの場所に移動する。そして、ほかの場所に責めの場所を変えたかと思うと、不意に戻ってきたりする。

 呉瑶麗は安女金の責めに翻弄された。

 そして、安女金の愛撫に、呉瑶麗はいつしか激しい快美のうねりに包まれてしまっていた。

 懸命に声を堪えようとするのだが、激しい呼吸とともに、どうしても喘ぎ声が漏れてしまう。

 

「好きなように叫んでいいよ。看守の連中もあたしの趣味は知っているからね。別に留め立てもしないだろうし、逆に声をあげてれば、興味を持って覗きにくるかもね」

 

 安女金が笑った。

 

「そ、そんな──」

 

 呉瑶麗は驚いてなにかを言おうとしたが、それは安女金の手管の前に邪魔された。

 安女金は執拗に呉瑶麗を責め続けた。

 その安女金の指が呉瑶麗の股間に侵入してきたのは、最初の愛撫が始まって、半刻(約三十分)はすぎてからだと思う……。

 完全に濡れていた呉瑶麗の膣は、二本、三本と安女金の指を受け入れていた。

 

「ぐうううっ」

 

 それはあまりにも甘美すぎる刺激だった。呉瑶麗は懸命に唇を閉じながら、安女金の膝の上で身体をのけ反らせた。

 

「……この反応は……。あんたはどうやら調教されたことがあるね? それも無理矢理だね。この反応は意に添わぬ快感を強引に引き出すようにされてしまった女の反応だよ……。感じるのが怖いかい、呉瑶麗?」

 

 安女金が指を呉瑶麗の股間に入れて内部を刺激しながら、ちょっと心配そうに耳元でささやいてきた。

 感じるのが怖い……?

 そうかもしれない……。

 快感を感じると、どうしても高俅の屋敷で受けた恥辱を思い出す。あの悪夢が走馬灯のように呉瑶麗の頭に湧いて、呉瑶麗の心を苦しめる。

 

「は、はああ……。こ、怖い……。そ、そうよ……。こ、怖いの……。感じるのが怖い……。ああ、で、でも……あ、熱い……。こ、こんなの我慢できない……あああっ……」

 

「……我慢しなくてもいいし、喋らなくてもいいよ……。でも、お前の心に刻まれた悪夢なんて、あたしの与える快感で塗り替えてあげるよ。半年も要らない……。一箇月もあれば、お前はあたしから離れられなくなる。あたしの快感から逃げられなくなるわよ。そのときには、昔のことなんて、なにも思い出せなくなるさ」

 

 安女金が優しく笑いながら、二本の指を膣の抽送を開始した。さらに、親指で呉瑶麗の肉芽を捏ねるように動かす。

 一方の手が上半身から呉瑶麗の背を通って、安女金の腰の上に乗っている双臀の亀裂に這ってきた。

 

「そ、そこは──」

 

 呉瑶麗は腰を浮かしそうになった。

 安女金の指が呉瑶麗の肛門に侵入してきたのだ。だが、股間を刺激している手がそれを阻止する。

 

「ここも調教されたのかい……。それが嫌かい……。いいじゃないか。感じる場所が増えたと思いな。快感を受け入れるんだよ……」

 

 安女金がささやいた。

 高俅の屋敷で犯されて恥辱的な快感を受けたが、この安女金の快感はそれとは違う。

 あのとき、呉瑶麗はこれ以上ないと思うほどの快感を極めさせられたが、安女金の与えるものは、まったく方向の違うものだ。

 そして、それ故に、呉瑶麗は危険なものを感じた。

 

「いっていいよ……。ただし、いくときは許可を受けるんだ。許可なく、いってはだめだ。それが調教だ」

 

 安女金が言った。

 

「そ、そんなの……」

 

 許可を求めるなど、まるで奴隷のようではないか──。

 そんなの受け入れられない。

 しかし、そんな戸惑いの余裕を与えることなく、強い法悦がやってきた。

 前後の穴を同時に刺激され、呉瑶麗は一気に愉悦を解放させてしまった。

 

「くうううっ」

 

 呉瑶麗は声をあげた。

 そして、全身をがくがくと震わせて絶頂した。

 

「いっちゃたかい?」

 

 安女金が笑いながら愛撫の手を離した。

 

「はあ、はあ、はあ……。い、いったわ……」

 

 呉瑶麗は荒い息をしながら言った。

 激しい絶頂だった。

 いまも雲の上にでもいるようだ。全身が宙に浮いたようになって、まだ戻ってこない。

 

「じゃあ、罰を与えようね。堪え性のない“受け”ちゃんにね」

 

 安女金が呉瑶麗の身体を寝具の上に前倒しにした。

 呉瑶麗は脚を横に拡げた状態で尻を高くあげたみっともない恰好で、顔を寝具に押し付けるような体勢になった。

 

「な、なにするの、安女金?」

 

 呉瑶麗は声をあげた。

 腰を振るが手足を拘束されているので、こんなふうにうつ伏せにひっくり返されて身体を押さえられると、もう動くことができない。

 

「お黙り──。達するときには許しを乞えと言ったじゃないか──。勝手に達したから罰だよ。そうやって、躾を覚えていくんだよ」

 

 口調は優しいが内容は辛辣だ。

 安女金が鞄から小瓶を取り出した。

 小瓶に入っているのは油剤のようだ。

 それを指ですくって、呉瑶麗の腰の後ろから股間や肛門に塗りたくってくる。

 

「な、なにを塗っているのよ」

 

 こんなふうに媚薬を高俅に塗られて辱められたときのことを思い出して、呉瑶麗は抗議した。

 

「罰だと言ったろう。すぐにわかるわよ」

 

 しかし、安女金はせせら笑うだけだ。

 やがて、安女金は呉瑶麗の股間にその得体の知れない油剤を塗り終わって指を引いた。

 

「さて、じゃあ、愛奴ちゃんが反省の言葉を口にするのを待つかねえ」

 

 安女金が離れていった。

 そして、驚いたことに、安女金は裸のまま机に戻り、再び書き物を開始した。

 呉瑶麗は放置された。

 

 だが、安女金が離れて直後に襲ってきた股間の違和感に、呉瑶麗は悲痛な声をあげた。

 

「か、痒い。べ、安女金、な、なんてものを塗ったのよ。か、痒いわ」

 

 呉瑶麗は叫んだ。

 

「それはそうだろうねえ。この安女金が調合した特性の掻痒剤さ。効き目抜群」

 

 机の位置から安女金が嬉しそうに笑った。

 

「そ、そんな、こ、こんなのないわよ。か、痒いわ。な、なんとかして」

 

 呉瑶麗は悲鳴をあげた。

 以前、高俅に凌辱されたときにも、同じような油剤を塗られたことがあるが、それとは比べものにならないくらいに痒い。

 

「駄目よ、呉瑶麗。こういうごっこ遊びだって、あたしにとっては真剣なものなのよ。あんたが、女主人と奴隷ごっこをちゃんとやらないからさ。あたしがいくときは、あたしの許可がなければ駄目だと言ったのに無視しただろう? そんな了見でやるから罰なんだよ」

 

 安女金はにやりと笑った。

 

「そ、そんな……。だ、だったら、あ、謝るわ……。し、真剣にやる。やるから──」

 

「まあ、いずれにしても、ちょっと待っておくれ。承知していると思うけど、あたしはここで、医療房の医師をしているのよ。そこには、毎日、女囚だけじゃなくて、男囚もくるし、老役人も看守も来る。それの全員について、毎日、書類作って報告しないとならないのよ。だけど、昼間は患者が多くて書類作っている余裕がないのさ。半刻(約三十分)もあれば済むから待っておくれよ」

 

 豊満な裸体を机に向かわせている安女金が言った。

 

「じょ、冗談じゃないわよ。そ、そんなに待てるわけないじゃないの」

 

 発狂するような痒みだ。ほんの少しも耐えれそうにない。

 呉瑶麗は腰を振り、唇を噛み締めて懇願した。とてもじゃないが、半刻(約三十分)も我慢できない。

 呉瑶麗は暴れた。

 だが、うつ伏せだった身体が横倒しになっただけで、開脚して拘束されている脚は腿を擦って痒みを慰めることもできない。

 呉瑶麗は泣き叫んだ。

 

「うるさいねえ。確かに、いくら叫んでもいいとは言ったけど限度があるよ。これでも口に入れときな」

 

 安女金がやって来て、呉瑶麗の口の中に子供の拳ほどの大きな球体を押し込んだ。さらに、それが出せないように口の上から布を噛ませて頭の後ろで縛ってしまう。

 

「んんんっ」

 

 呉瑶麗は呻いた。だが、しっかりと布を噛ませられているので、大きな声にはならない。

 

「ふふふ……。あたしは道術でこんなこともできるんだよ。人間の身体に関することなら、かなりの操りができるのさ。その力を利用して人の病や負傷を癒すんだけどね……」

 

 安女金が笑みを浮かべながら呉瑶麗の腕に手をかざした。

 その手が青い光に包まれているのがわかった。

 次の瞬間、腕の感覚がなくなった。まるで腕が存在しないかのようだ。

 指の紐は解かれたが、呉瑶麗の両手はだらりとさがったまま動かない。次いで、青く光った手を脚にかざした。すると脚の感覚も消えた。

 

「んんっ?」

 

 呉瑶麗は動揺した。

 腕に続いて脚の紐も解かれたが、今度は動くのが胴体と首だけになったのだ。

 さらに、安女金は、全身を蝕むような股間の痒みに耐えられずにもがく呉瑶麗を仰向けにして、今度は胴体をその不思議な力で弛緩させた。

 

「じゃあ、半刻(約三十分)だよ。仕事が片付いたら、勝手に達した罰を与えてあげるわね」

 

 安女金は、身動きできなくなって仰向けに寝具の上に横たわっている呉瑶麗の脚を軽く蹴って大股開きにすると、また机に戻っていった。

 呉瑶麗は狂いそうな痒みのまま、身悶えるすることもできなくされた。

 あまりの苦しさに、呉瑶麗は涙を流して、布の下から呻き声をあげた。

 

「あっ、そうそう。あんたの口にいれた球体も媚薬の飴だからね。舐めると、どんどん神経が鋭敏になって痒みが増すよ。あまり舐めすぎないようにね。まあ、それは不可能だろうけどね」

 

 安女金が思い出したようにひと言告げてから、また書類に視線を落として真剣な表情に戻った。

 

 ぞっとした。

 いまや痒みは、呉瑶麗を恐ろしい苦痛として襲いかかっている。

 それなのに、その痒みがこれ以上強くなるなど考えられなかった。

 しかし、確かに、口の中に球体を押し込められてから、身体が異常に熱くなってきたし、肌から吹き出る汗も止まらない。

 媚薬の飴だという球体は呉瑶麗の口の中にあり舌に載っているのだ。舐めないのは不可能だ。

 呉瑶麗は、どんどんと増していく耐え難い痒みに苛まれながら、いつしか童女のように慟哭していた。

 弛緩されて悶えることさえ封じられた身体は、ただ痙攣のように震えさせることができるだけだ。

 半刻(約三十分)と言われたが、放置された時間は永遠のように感じた。

 

「そろそろ、反省の心が出てきたろう、呉瑶麗?」

 

 不意に仰向けの顔の上に安女金の顔が現れた。

 

「んんんっ」

 

 呉瑶麗は朦朧とした視界に映った安女金に必死の哀願の声をあげた。

 安女金が呉瑶麗の上半身を掴んで身体を起こした。

 そして、呉瑶麗の身体を抱き締めると、口に嵌めた布と媚薬の飴を口から抜いた。

 

「ひ、ひどいわ、安女金。こんなのあんまりよ──」

 

 呉瑶麗は叫んだ。

 

「悪かったわね……。でも、これが調教というものよ。あんたは、それを受け入れることに同意してくれたんだろう? それに、この苦しさが耐えられない快楽になるのさ……。とにかく、あたしはあんたを大切にするよ。それだけは約束するさ。こんな変態女の悪趣味に同意してくれたありがたい女だからね。そして、もんなに綺麗で若い女だ。可愛いよ……。それにしても、よく頑張ったさ、呉瑶麗……。上手な口づけができたら、罰の前にちょっとだけ痒みを癒してあげるわよ」

 

 安女金が微笑みながら、呉瑶麗の唇に自分の唇を近づけた。

 

「はああっ、か、痒いのよ──。これ以上、意地悪しないで、安女金」

 

「だったら、口づけだ」

 

 安女金は笑った。

 微笑みは優しいのだが、やっていることは辛辣だ。

 この女がだんだんと怖くなる。

 いずれにしても、もう耐えられない。

 この痒み責めの洗礼の前には、呉瑶麗の理性など吹き飛んだ。

 呉瑶麗は安女金の唇に自分の唇を押し付けた。

 

 もうなにも考えられない。

 この痒みを癒してくらるならなんでもする。

 そんな気分だ。

 相変わらず全身は動かない。

 だが、顔は動く。

 上手な口づけというのがどうすればいいのかかわからなかったが、とにかく呉瑶麗は安女金の唇を一生懸命に舐めた。

 

 すると、いきなり、安女金の舌が呉瑶麗の口に入ってきた。

 その安女金の舌が呉瑶麗の舌を上から下から舐める。

 そして、口の中を安女金の舌が這い回り、口の上や舌を刺激する。安女金の唾液が呉瑶麗の口の中に送られ、それが吸われる。

 それが繰り返される。

 こんなのは始めてだった。

 口の中で快感が拡がる。

 延々と続くのかと思うほどの長い口づけだった。

 頭がぼうっとなり、なにも考えられなくなる。

 一瞬だけだが、狂いそうな痒みさえ忘れた。

 

「い、いまの……な、なに……?」

 

 安女金が唇を離したとき、呉瑶麗は思わず呟いた。

 

「いまのが口づけというものさ。お前のはただ唇を合わせただけだよ。とても、口づけとは言えないねえ……。そんなのじゃあ、ご褒美はあげられないわね」

 

 安女金が笑った。

 

「そ、そんな、安女金。も、もう、勘弁してよ。限界よ──」

 

 呉瑶麗は泣き叫んだ。

 

「まあ、いいか……。そろそろ、この安女金の洗礼も十分に体感できただろうからね」

 

 安女金が笑いながら、呉瑶麗の股間に手をやると、呉瑶麗の股間を強く擦った。

 

「うあっ、ああっ」

 

 呉瑶麗は叫んでいた。

 痒みが癒える快感が脳天まで響きわたる。

 しかし、安女金はちょっと擦っただけで、すぐに手を引っ込めてしまった。

 

「な、なにやってんのよ、安女金。もっとよ、もっと──」

 

 呉瑶麗は抗議した。

 しかし、安女金は呉瑶麗の言葉を嘲笑った。

 

「あんな口づけじゃあ、こんなものよ。もう一度、やってごらん。あたしがやったことを思い出しながらね」

 

 安女金が呉瑶麗の唇にまた唇を重ねてきた。

 呉瑶麗は夢中になって安女金の唇に舌を入れて、さっき呉瑶麗がやられたことを安女金にやった。

 つまり、舌に舌を絡め、口の中を舌で愛撫し、唾液を交換し合うのだ。

 呉瑶麗が終わると、また安女金が口づけを返してくる。

 口づけをされているあいだは、あの狂うような痒みが一時的に消えるような気さえするので不思議だ。

 

「かなりよくなったよ、呉瑶麗。だけど、もっとうまくできるようになると思うよ。じゃあ、こんなものだね……」

 

 安女金が呉瑶麗の股間を愛撫する。

 

「はああ──き、気持ちいい──」

 

 呉瑶麗は声をあげずにはいられなかった。

 骨まで沁みこんだような痒みが消えていくのは凄まじい快感だ。だが、安女金はまた手を引っ込めてしまう。

 

「も、もっと──。もっとよ、安女金──」

 

 呉瑶麗は我を忘れて叫んだ。

 

「だったら口づけの練習よ。うまくなったら、その分長く擦ってあげるわよ」

 

「だ、だったら、早く──。も、もう一度やるわ」

 

 そうやって、しばらく安女金と口づけの練習を続けた。

 呉瑶麗がやり、安女金がする。

 終われば安女金が少しだけ褒めて、次はこういう風にやれと諭す。

 そして、痒みにほぐす愛撫を呉瑶麗に与え、呉瑶麗はその甘い衝撃によがり狂う。

 だが、痒みを癒してもらえるのは束の間だ。

 安女金が責めるのをやめれば、怖ろしい痒みが復活する。

 呉瑶麗はそれを癒してもらいたくて、また口づけをねだる。

 

 躾けられている……。

 そう思わないないでもない。

 だが、もう、なにも考えられないのだ。

 

 何十回それを続けただろうか。

 安女金の強烈な口づけをそれだけ受け続けた呉瑶麗は、もう荒い息が止まらなくなり、口が弛緩してだらりと涎が垂れるのがわかった。

 

「だんだんと淫乱な顔になってきたよ、呉瑶麗。それでこそ、あたしの愛奴に相応しいわね」

 

 安女金が嬉しそうで、そして、意地悪そうな表情で言った。

 

「はあ、はあ、はあ……。わ、わたしは、あ、愛奴……?」

 

「そうよ。あたしの可愛い愛奴だよ……。ようこそ、この安女金の世界に……。一度はまったら抜けられない百合の世界だよ。とにかく、今夜ひと晩は覚悟しな。身も心も、あたしの愛奴として仕上げるからね」

 

 安女金が笑った。

 そして、安女金はあの不思議な青い光で呉瑶麗の身体を少しだけ撫ぜた。

 手足が弛緩して動かないことは変わらなかったが、少しだけ身体に力が戻った気がした。

 安女金は呉瑶麗を膝を開いて正座させる恰好にし、呉瑶麗はその状態から動けなくなった。

 安女金は部屋の隅になにかを取りにいった。

 しかし、また、強い掻痒感が襲ってくる。

 

「安女金、もう放っておかないで──。も、もっと擦って──。か、痒いのよ──」

 

 呉瑶麗は、部屋の奥の物置のような場所でなにかを探している気配の安女金の背に向かって泣き叫んだ。

 

「放っておきはしないよ。ただ、罰の準備をしているだけだから、少し待っていてよ」

 

「ば、罰ってなによ──。もう、十分に受けたじゃないのよ」

 

「なに言ってんのよ。なにも受けていないわね。ただ、口づけの練習をしただけじゃないか」

 

 安女金の笑い声がした。

 

「さあ、じゃあ、罰を始めようか、呉瑶麗」

 

 安女金が戻ってきた。

 なにか大きな薪のようなものを持っている。

 表面にたくさんの刻みが付いている丸太のような木の棒のようなものだ。長さは人の脚の半分ほどで、太さは太っている安女金の太腿よりも大きい。色は黒で表面は湿っていて、粘性のある汁が沁み出ているのがわかった。

 不思議な物体だ。

 安女金はそれを正座をしている呉瑶麗の股の下に差し込んだ。

 

「な、なによ、これ?」

 

 呉瑶麗は得体の知れない感触に声をあげた。

 股の下にあたった丸太材から、ねっとりとしたものが染み出てきて呉瑶麗の股間を濡らしたのだ。

 すると、痒みに襲われている股間がさらに痒くなった。

 呉瑶麗は、股の下にあてられたその棒に局部を乗せて座り込むような体勢になっている。

 気持ち悪さに腰を浮かそうとするが、全身が弛緩されていて、その黒い丸太棒の上からよけられない。

 だが、ほんの少しなら動く。丸太の上で前後に腰を動かすことだけはできそうだ。

 そういう風に身体を弛緩されているようだ。

 呉瑶麗はほとんど無意識に股をその丸太に強く擦りつけていた。

 

「うはああ」

 

 快美感というにはあまりにもそれは大きかった。股間が擦られて痒みが一度に消えていく。

 そして、同時に峻烈な快感も襲ってくる。

 肉が溶け出すような愉悦に呉瑶麗は震えるような吐息を発した。

 

「もっと、擦っていいよ。いくらでもね……。それは、あたしが作った痒み棒だよ」

 

 安女金は得意気に笑った。

 

「か、痒み棒──?」

 

 呉瑶麗はその得体の知れない響きに戦慄した。

 

「その丸太は硬いし、擦れば痒みが癒えるように刻みがあるだろう。いくらでも股ぐらを擦りな。ただし、股を擦れば、木材自体から大量の汁が染み出て、呉瑶麗の股間に擦りつけることにもなるからね。つまりは、痒みを癒したければ、丸太に股を擦るしかないけど、それはさらに痒みを増加させる行為でもあるということさ。今日の罰はそれだよ」

 

 安女金が笑った。

 なんという陰湿な仕掛けだと思って、顔を強張らせたが、それでも痒みが癒えるという言葉には逆らえない。

 股間を擦ればさらに痒みが増すと言われながらも、呉瑶麗はまた股間を動かしていた。

 

「うはあっ」

 

 呉瑶麗は身体をのけ反らせた。

 

「あたしの痒み棒はいいだろう、呉瑶麗? あたしは、別名“猿のせんずり棒”と呼んでいるけどね。これに乗せられると、猿のせんずりのように死ぬまで、股擦りをやめられないのさ」

 

 安女金が嬉しそうな声をあげた。

 だが、呉瑶麗にはもうなにも考えられない。

 必死になって丸太の刻みに股間を擦りつける。

 

「ふああっ──あああっ──」

 

 芳烈なうねりに襲われる。

 快感がどんどんと大きくなる。

 それがあまりにも凄まじいので、呉瑶麗は怖ろしくなって股間を動かすのをやめた。

 

「ひいいっ、痒い」

 

 呉瑶麗は叫んだ。

 だが、腰を動かすのをやめた瞬間に、考えられないような痒みが襲いかかった。

 慌てて腰を動かす。

 

「あんまり必死になって動かしていると、肌が擦り剝けて、痒み液が皮膚の中まで沁みこむよ。どこかでやめないともっと苦しむことになるからね。お前の自制心を示してごらん」

 

 安女金が哄笑している。

 それはわかっているが、それでも呉瑶麗は股間を擦るのをやめられなかった。

 痒みがどんどんと拡大する。

 同時にそれが消える快美感はそれに応じて拡大する。

 また、自ら丸太に股間を擦りつけることで局部が擦れて快感が昂ぶる。

 

「ううっ──い、いきそう──いきそうよ、安女金──。いっていい? いいでしょう?」

 

 呉瑶麗は悲鳴をあげた。

 勝手にいったら、また恐ろしい折檻をされる。そのことが不意に浮かんで、そんな恥辱的な言葉を呉瑶麗に叫ばせた。

 

「またひとつ躾を覚えたね、呉瑶麗。いってもいいよ」

 

 安女金が満足気に言った。

 

「いくううっ」

 

 呉瑶麗は悲鳴のような声をあげて、絶頂にのぼり詰めた。

 そして、がっくりと身体をうなだれたものの、呉瑶麗が絶頂の余韻に浸れたのは一瞬だった。

 絶頂するほどに股間を擦ったことで、もうすっかりと呉瑶麗の股間は丸太から染み出る汁をすっかりと刷り込んでしまっていたのだ。

 さっき以上の掻痒感が呉瑶麗に襲いかかる。

 

「ううっ──、か、痒い──耐えられない──」

 

 呉瑶麗はまた丸太に股間を擦りつけ始めた。

 

「そろそろ始まったね。これからが地獄だよ」

 

 安女金が大きな声で笑った。



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38  呉瑶麗(ごようれい)安女金(あんじょきんん)の愛奴を受け入れる

「い、いく──。また、いくの──。いってもいい、安女金──」

 

 呉瑶麗(ごようれい)は悲鳴をあげた。

 目は朦朧として、全身が砕けそうに疲労している。

 だが、呉瑶麗は股間を“痒み棒”に擦りつけるのをどうしてもやめられないでいた。

 なにしろ、腰を動かすのをやめた瞬間に、激しいな掻痒感が襲いかかるのだ。とてもじゃないが耐えられるような痒みではない。

 すぐに呉瑶麗は痒みが癒えるのを求めて、丸太の表面を局部で思い切り擦ってしまう。荒い表面の丸太材に局部を擦って得られるのは、途方もない快感だ。

 しかも、強い痒みが消えていく強烈な快美感も加わる。それで呉瑶麗は、何度も続けざまに達してしまっている。

 呉瑶麗は、もう身体も気力も限界であることがわかっていながらも、まるでなにかに憑りつかれたように、股間を擦り続けていた。

 

「いってもいいわよ、呉瑶麗。でも、もう七回目よ」

 

 そばで笑いながら見守っている安女金(あんじょきん)が言った。

 七回だろうが、八回だろうが、もう呉瑶麗にはこれを自分でやめることはできない。

 

「ぐうううっ──」

 

 強い絶頂感がやってきた。

 呉瑶麗は背をのけ反らせて身体をがくがくと震わせた。

 そして、がくりと身体を脱力させた。

 だが、すぐに強い痒みが襲いかかってくる。

 呉瑶麗はほとんど無意識のうちに、また腰を前後し始めた。

 

「あ、ああ……助けて……あ、安女金、なんとかして──。き、気持ちいいの──。気持ちよくてやめられない──。た、助けて──。こ、こんなの死んじゃうわよ──」

 

 呉瑶麗は半泣きで悲鳴をあげていた。

 自分でもなにを言っているかわからない。

 また、快感が上昇する。

 呉瑶麗はおこりのように身体を震わせた。

 しかし、次の絶頂に達する前に、股間の下の痒み棒を安女金が引き抜いた。

 

「あっ、な、なにをするのよ──。か、返して──」

 

 思わず呉瑶麗は叫んだ。

 すると、安女金が笑い出した。

 

「これ以上続けたら、本当に股間がずる剥けになってしまうわよ、呉瑶麗。それに、あんたばっかり狡いじゃないか。今度は、あんたが、あたしを責める番だよ。あたしの身体を舐めておくれ。いい気持ちにさせてくれたら、あたしも呉瑶麗をまたいい気持ちにしてあげるわ」

 

 安女金は弛緩している呉瑶麗の両手を背中に回して、どこからか取り出してきた鎖の繋がった革枷を手首にかけた。

 しかも、掻痒感に襲われている股間に革帯の下着を装着させて鍵をつけてしまった。

 

「な、なにするのよ、安女金──? か、痒いわ──。痒い──。な、なによこれ──?」

 

 呉瑶麗は泣き叫んだ。

 安女金の青く光った手が全身を舐めた。呉瑶麗の身体の弛緩がなくなったが、両手は後手に拘束され、しかも、股間は革帯で覆われてしまった。

 

「これは貞操帯というものよ、呉瑶麗。これからあんたは、あたしが望むときに、それをあたしに嵌められるのよ。これを装着していると、糞尿だって勝手にはできないわ。だけど、これを外す鍵を持っているのはあたしだけ……。つまり、あんたは、このあたしに糞尿の管理までされるということさ。もちろん、いつもあたしの前で見られながらすることになるんだろうね」

 

 安女金が貞操帯の鍵を呉瑶麗に見せてから、ぽんと無造作に投げた。鍵は安女金がさっきまで仕事をしていた机の上に飛んでいった。

 

「そ、そんな。いくらんなんでも酷いわよ。そんなのないわ」

 

 呉瑶麗は身体を揺すって抗議した。

 痒い。

 痒いのだ。

 まるで神経まで侵すような掻痒感が襲っている。もう、一瞬も耐えられない。

 

「そうよ。酷いのさ。それが調教というものだからね……。だけど、確かにここは後戻りのできない分岐点だね……。呉瑶麗、ここでお前には選ばせてやろう」

 

 安女金は鞄から真っ赤な革の首輪を取り出した。

 そして、それを呉瑶麗の前にかざした。

 呉瑶麗はびっくりして唾を飲み込んだ。

 

 首輪といえば奴隷だ。

 奴隷に落とされた人間は、誰でも道術の首輪をされて、主人の命令に逆らえないようにされる。

 奴隷の首輪とはそういうものだ。

 目の前にあるのは、その奴隷の首輪なのだろうか?

 道術の遣える安女金だったら、もしかしたら、本物の“奴隷の首輪”を準備できるのかもしれない。

 

 それを嵌めるつもりなのか……?

 呉瑶麗は恐怖で息をのんだ。

 いま、それをされたら抵抗できない。両手は封じられているし、全身はくたくただ。そして、奴隷の首輪をされて、安女金の人形に成り下がる……。

 そんなことは……。

 

「そんな顔をしないのよ、呉瑶麗。これはただの首輪よ。別に道術が刻まれているわけでもなんでもない。ただの首輪よ。犬用のね……」

 

 安女金が言った。

 とりあえず、呉瑶麗はほっとした。

 

「だけど、これは象徴だ。あたしとあんたの関係のね」

 

「しょ、象徴?」

 

「あたしは、あんたの意思に反して、ここから先の世界にあんたを連れて行くつもりはないわ……。だけど、あたしはあんたの意思で、この先の世界にやってきて欲しい。あんたとは会ったばかりだけど、あたしは人間を看る仕事をしているから、少し話しただけで、相手がどんな人間なのかは、ある程度はわかるのさ……」

 

「わ、わたしが……?」

 

 呉瑶麗は朦朧としている視界で安女金を見つめた。

 だが、痒い……。

 ほんのちょっともじっとしていられない。

 呉瑶麗の腰は暴れるように動き続けている。

 

「あたしはあんたとこの三日話した。あんたは錯乱していたけど、あたしはあんたという女が少しはわかったと思う。あんたは人を支配する人間さ。多分、間違いないね……。知性があり、持続する意思があり、強い心の耐久力があるようだ。おそらく、つらい経験をしたようだけど、それも強い心で克服しつつある……。だけど、そういう人間には、ときには支配される時間というのが必要なのさ」

 

「し、支配される時間……?」

 

「あたしは、あんたの性欲を支配してあげるわ。なにもかも忘れられるような快感を与えてあげよう……。だから、おいで──。この首輪をすることを承諾するのが分かれ道だ。これを受け入れたら、あたしはあんたを徹底的に躾ける。あたしの与える快楽には絶対に逆らえない奴隷にしてしまう。さあ、どうする?」

 

 安女金が言った。

 

「ううっ……」

 

 ここが分かれ道……。

 なんとなく、呉瑶麗には、安女金が口にしたことが正しいということがわかる。

 おそらく、そうなのだろう。

 だが、耐えがたい股間の痒みがどんどんと呉瑶麗を追い詰めている。

 呉瑶麗は正座をしていたが、ずっと激しく内腿を激しく擦り合わせていた。

 

「こ、断ったら……?」

 

 呉瑶麗は訊ねた。

 

「断ればなんにもなしさ。あたしは、あんたの拘束を解いて、その痒みを癒す薬剤をあげる。あんたは明日の朝にはここを出ていき、ほかの女囚のいる雑居房に移る。それだけさ」

 

「じゃ、じゃあ、応じたら……?」

 

「そのときは覚悟しな。あたしが出所する半年間の愛奴調教さ。その代わり、あんたが望むことは、必ず半年後にはするよ。それだけは、命をかけて約束する。あんたのために命を張ることを覚悟するよ。なにしろ、今度、女囚の脱獄に協力したとなれば、処刑だと言い渡されているしね」

 

 呉瑶麗は安女金の膝に裸身を投げ出した。

 

「ああ、もう、好きにして。ひ、卑怯よ──。こんな状態で逆らえるわけないじゃないの……。首輪を受け入れるわ。あんたの調教も仕方ないから受け入れる。だ、だけど、半年後の約束は破らないでね……。そ、そして、そんなことよりも、この痒みをなんとかして。あんたは酷い女よ」

 

 呉瑶麗は叫んだ。

 

「そうさ……。あたしは酷い女なのさ。女のくせに女が好きで、しかも、嗜虐好きの変態さ。変態が嵩じて、この女囚棟では相手をしてくれる者もいなくなった寂しい女さ……。ようこそ、百合の世界にね。そして、ありがとう。あんたは、絶対に応じてくれると思ったよ」

 

「わ、わたしは打算で応じたのよ。半年後に首輪を外してもらうためにね」

 

「そういうことにしておこうか」

 

 安女金が呉瑶麗の細い首に、愛奴の証である首輪をしてがちゃりと鍵をかけた。

 

 

 *

 

 

 呉瑶麗は、安女金の足指の一本一本を丹念にしゃぶった。

 足指と足指のあいだも舐め、足の爪の隙間についても徹底的に擦った。もちろん、足の裏も舐めあげた。

 粗雑だということで、途中で乳首に痒み剤を塗りつけられた。

 呉瑶麗は震えるような痒みに襲われながらも、一心不乱に安女金の身体を舐めた。

 

 足の指の次は脛。

 そして、太腿──。

 

 今度は手に同じように舌を這わせる。

 

「ああ、気持ちいいよ……。そこは弱いんだよ……」

 

 安女金は腋の下を舐めさせたときに、不意に感極まった声をあげた。

 次は乳房だ。

 安女金の乳房は大きくて逞しかった。

 乳首も綺麗だ。乳首を吸うように舐めると、安女金は嬉しそうに身体を震わせた。

 そのあいだも、呉瑶麗の貞操帯の下では狂うような掻痒感が襲い続けていた。

 呉瑶麗の舌舐めが満足なものであった場合は、安女金は、ご褒美と称して、手に青い光を帯びさせて、すっと呉瑶麗の貞操帯に近づけた。

 すると、それが安女金の道術の力で強く振動するのだ。

 貞操帯に内側にはでこぼこの突起物がたくさんあり、それが痒みの場所を刺激してくれた。

 その瞬間だけは、呉瑶麗は痒みを忘れて甘美な愉悦に浸るのだった。

 ただ、その快感はほんの束の間しか与えられず、呉瑶麗は貞操帯の振動を求めて、懸命に舌の奉仕を続けなければならなかった。

 そして、忘れたころに股間の振動をしてもらえる。

 そのたびに、呉瑶麗はあられのない声をあげて、自分で腰を振った。

 

「じゃ、じゃあ、今度は股だよ。どんな方法でもいいから、あたしをいかせておくれ。そしたら、今度こそ、痒みを消してあげるわ」

 

 安女金は寝具に仰向けになって膝を立てて大股を拡げた。

 

「わ、わかったわ……。で、でも、もう一度、ま、股の振動をちょうだい……。いいでしょう、安女金?」

 

 呉瑶麗は甘えた声を出した。

 

「駄目よ。もう終わり。次に痒みが癒えるのはあたしをいかせてからよ」

 

 呉瑶麗は吐息をついて、安女金の股間に舌を這わせだした。

 貞操帯の中はただれるような痒みの疼きでいっぱいだった。

 そして、一度も痒みを癒されていない乳首は、痛みのような痒みが襲っている。

 

「はああっ、気持ちいいよ、呉瑶麗」

 

 呉瑶麗が安女金の花唇を舐め始めると、安女金はあっという間に洪水のように蜜を溢れさせた。

 だが、それにも関わらず、安女金はなかなか達してはくれなかった。

 蜜はいくらでも出る。

 しかし、最後の絶頂はしないのだ。

 呉瑶麗は舌の疲労よりも、股間のむず痒さに荒い息を始めた。

 どうやったら、満足してもらえるのか……?

 刺激が不足しているのは明らかだ。

 だが、呉瑶麗の舌技程度では、やはり、安女金を最後まで気持ちよくさせてあげれないのだと思った。

 それで鼻を押しつけることを考えた。

 呉瑶麗の固い鼻を安女金の肉芽や花唇で擦るのだ。

硬い鼻と軟らかい舌で交互に刺激する。

 それならどうだろうか……?

 

「ひゃあ、ひゃあ、ああ、そんなの凄い。き、気持ちいいよ、呉瑶麗──」

 

 すると、安女金がいきなり感極まった声を出して、身体をのけ反らせた。

 呉瑶麗はさらに顔の動きを激しくした。

 安女金が気持ちよさそうな声をあげる。

 不思議にも少しだけ嬉しくなる。

 呉瑶麗は安女金の蜜を顔に浴びながら、舌を女陰深くに入れて中をかき回した。

 

「ひいいっ、あああ、も、もっと、ちょうだい──。も、もっと──」

 

 安女金が叫んだ。

 呉瑶麗はのけ反る安女金の腰を追いかけるように身体を乗り出して、さらに顔を安女金の股ぐらに押しつけた。

 

「いくうううっ──」

 

 ついに安女金が咆哮した。

 尿のようなものが安女金の股間からちょっとだけ飛び出して、呉瑶麗の顔にかかった。

 もはや、汚いという気持ちはなかった。

 お互いに相手に恥をかき合っている。

 いまさら、そんな気持ちは生まれない。

 

「あ、ありがとう……。気持ちよかったわ……。じゃあ、今度はあたしの番だね。あたしはこれで犯してあげるよ」

 

 安女金が気だるそうに起きあがった。

 

 安女金が次に取り出したのは、腰に革帯で取りつける張形だ。よくも、女囚の立場でいろいろなものを持てるものだと感心するが、安女金も女囚としては長いらしいし、医師として優遇されているようだ。いろいろと伝手があるのだろう。

 安女金は腰に革帯を巻てい、股間に張形を装着した。安女金の腰にまるで男のような怒張がそそり勃った。

 

「ほら、手を自由にしたよ。思う存分に自分の胸を揉みしだきな。身体は仰向けだよ。さっきのあたしと同じように、膝を立てて開くんだ」

 

 安女金が呉瑶麗の両手を自由にした。さらに、机に投げた鍵を持ってきて、呉瑶麗の腰から貞操帯を取り去る。

 もう、呉瑶麗には、理性も羞恥もない。

 乳首を握って、胸を自分で揉みだした。

 

「ああ、気持ちいいわ、安女金──」

 

 たちまちに沸き起こった愉悦に呉瑶麗は声を震わせた。そして、膝を立てて股を開く。

 

「もっと、開くのよ、呉瑶麗。これが欲しいと言ってごらんよ」

 

 安女金が笑いながら、股間の張形で呉瑶麗の股間をちょんと突いた。

 

「あふっ……欲しい……欲しいわ、安女金……」

 

 呉瑶麗はもうそれだけで、身体を快感を跳ねあげていた。左右の腿がほとんど水平になるほどに股を開く。

 その股間を安女金の張形の先端が上に下にとなぞる。

 

「はんっ、はん、はん」

 

 呉瑶麗は甘い鼻息を鳴らすと、痒みに耐えられなくて自ら張形に向かってぐいと腰を動かした。だが、安女金は腰を引いて張形をどけてしまう。

 

「あ、ああ……、も、もう意地悪しないでよ、安女金」

 

 呉瑶麗は泣き叫んだ。

 

「いやらしく腰を使うことも躊躇わなくなったかい? じゃあ、これが欲しいんだね……」

 

 安女金はそう言いながら、呉瑶麗の花芯を張形で押し当ててくる。

 

「はうっ」

 

 呉瑶麗は声をあげて、その張形に自ら腰を動かして淫らに擦った。

 痒みが消えていく……。

 快感が全身に拡がる……。

 

「気持ちいいだろう、呉瑶麗?」

 

「き、気持ちいいわ、安女金」

 

 呉瑶麗は夢中になって腰を動かしながら叫んだ。

 自分がどんなにはしたないことをしているかはわかる。

 だが、恥ずかしいことをしていると考えると、逆に強い興奮が身体の内側から沸き起こる気がする。

 

「入れるよ……」

 

 安女金がさらにぐいと張形を押し出した。

 

「い、入れて、入れてよ、安女金──」

 

 呉瑶麗は夢中になって言った。

 もう、いまさらなにも考えられない。

 呉瑶麗はすっかりと安女金の性の技巧の前に屈伏していた。

 

「そうだよ……。なにもかも曝け出すのよ、呉瑶麗……。あんたは淫乱さ。あたしの前ではそれをお見せ……。この淫乱で変態の安女金の前だけでは、飾らないお前を見せるんだ」

 

「わ、わかったわ……。わたしは淫乱よ。き、気持ちいいことが好き。わたしも淫乱で変態よ」

 

 呉瑶麗は言った。

 

 それが強制的に言わされている言葉なのか、それとも、呉瑶麗の本心なのか自分でもわからなかった。

 だが、自分は淫乱だと口にした途端、熱い蜜の塊が自分の股間からとろりと流れたことだけはわかった。

 

「じゃあ、入れるよ……。入れるけど、今度はあたしが許可するまで腰を動かしちゃだめだ。もしも、動かしたら痒み剤を塗り直して、貞操帯で蓋をしてしまうからね」

 

「う、うう……」

 

 呉瑶麗は仕方なくうなずいた。

 次の瞬間、安女金の腰の張形が呉瑶麗の膣の中にめり込んできた。

 

「はあうう」

 

 呉瑶麗は打ち震えた。

 張形に貫かれることで、呉瑶麗の四肢には全身溶かす愉悦と欲情が拡がった。

 痒みから解放される。それは信じられないほどの快感だった。

 

「動くな──」

 

 安女金がまるで犬を躾けるような大きな声をあげた。

 呉瑶麗は慌てて身体を静止させた。どうやら、呉瑶麗は知らぬ間に、また腰を振っていたようだ。

 

「まだだよ……。じっとしているんだ。お預けだよ……」

 

 安女金の股間と呉瑶麗の股間は張形を挟んでぴったりと接触している。しかし、安女金はそれをぴりくとも動かさなかった。

 

「そ、そんな……ううっ……」

 

 呉瑶麗は歯を喰い縛った。

 痒みの解放とそれで得られる快感を求めて、呉瑶麗は狂いそうだった。

 

「まだだよ……」

 

 呉瑶麗に向き合っている安女金の顔が意地悪に微笑んだ。

 

「くっ……」

 

 呉瑶麗は我慢した。

 だが、一方で掻痒感に疼く股間で張形を力の限り締めあげていた。まるで自分が自分ではないようだ。なにかに乗り移られたかのように、呉瑶麗は淫らに振る舞っている。

 自分でも信じられない。

 

「よし──」

 

 突然に安女金が叫んだ。

 呉瑶麗は弾かれたように腰を使いだした。

 

「ううう──はあああ──ああああ──」

 

 呉瑶麗は下から安女金の股間に叩きつけるように腰を動かす。淫靡な水音と呉瑶麗の嬌声が部屋に響き渡る。

 

「待て──」

 

 すると、安女金が大声で叫んだ。

 呉瑶麗はびっくりして腰を静止させた。

 ほとんど無意識の行動だった。

 快美感に全身が溶けて流れるような気持ちよさの中で、それを自ら中断するのは容易ではなかったが、安女金の強い言葉に呉瑶麗の身体は反応した。

 それは自分でも驚いた。

 

「よくできたね、呉瑶麗。偉いよ……。命令があるまでそのままだよ。我慢するんだ。でも、ご褒美だよ……」

 

 安女金が呉瑶麗の身体にのしかかって唇を吸い始めた。安女金の舌で口の中を愛撫されて、呉瑶麗はなにも考えられなくなる。

 うまくできればご褒美……。

 逆らえば罰……。

 そして、首輪をして、まるで犬のように躾られる。

 屈辱であるはずなのに、安女金との行為には震えるような快楽しか感じない。

 犬のように扱われていることさえも甘美だ。

 

「……ああ、わたし、あんたの口づけ好きかも……。なんにも考えられなくなるのよ……」

 

 安女金の唇が離れたとき、呉瑶麗は心からそう言った。

 すると、安女金が笑った。

 

「じゃあ、動かしていいわ」

 

 安女金が言って、呉瑶麗は再び腰を使いだした。

 快感が突き抜けていく。

 だが、また、安女金の言葉で中断を命じられる。

 それを繰り返させられた。

 

「ああ、もう、勘弁してよ、安女金。こんなの酷いわよ。最後までさせて」

 

 十回目くらいの静止の命令のときには、呉瑶麗もう感情が抑制できなくなり、泣き出してしまった。

 

「わかったわ……。だけど、そう訴えながらも、ちゃんと命令に従って、お前は腰を静止させるじゃないか。素晴らしいよ。じゃあ、ご褒美だ。今度はお前はじっとしておいで。あたしがするから」

 

 安女金の腰が動き出した。

 呉瑶麗が開いた股間を激しく突きあげてくる。

 

「ふうううっ」

 

 驚くほどの速度で絶頂がやってきた。

 呉瑶麗は自分でも信じられないほどの悲鳴を放って、一気に昇天してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

「お、お願い……。も、もう許して……」

 

 自分の声がかすれているのがわかった。

 呉瑶麗は安女金に懇願していた。

 外が夜闇から明るくなりかけているのはわかっていた。

 安女金の張形で責められ出して、どのくらいの時間が経ったのか見当もつかなかった。

 

「……だ、大丈夫だよ、呉瑶麗……。朝の点呼までは、まだ、二刻(約二時間)ある……。お前のことは、まだ具合が悪いと看守には言っておくよ。そうやって、横になっていればいいから……」

 

「そ、そういう……も、問題じゃない……。も、もう、身体が……はうううう──」

 

 呉瑶麗は呻いた。

 容赦のない絶頂がやってきたのだ。

 もう、どれくらいの回数の絶頂を重ねたのか見当もつかない。おそらく、それは数十回という数になるはずだ。

 たった一晩でそんなに絶頂するなんて、呉瑶麗には信じられない気持ちだ。

 だが、それが事実なのだ。

 呉瑶麗は、女同士の交合というものを生れてはじめて味わい、それが怖ろしいものであるということがわかった。

 男との交合なら射精で終わりだろう。

 これまで呉瑶麗を犯した連中も最終的にはそうだった。

 だが、女との性交は終わりはない。

 安女金は呉瑶麗の股間を犯し続け、やがて安女金自身が疲れると、呉瑶麗の身体を寝物語をしながら愛撫し、また、それに飽きると犯す。

 それが繰り返されるのだ。

 だから、呉瑶麗の身体は少しも休まらない。

 際限のなく昂ぶる快感だけが続く。

 そして、呉瑶麗がもうひとつ知ったのは、達すれば達するほど、自分の身体は淫らになり、敏感になるという事実だ。

 それがすべての女に当てはまるのか、それとも、呉瑶麗だけのことなのかは知らない。

 

 しかし、とにかく、いまの呉瑶麗はまるで全身が肉芽そのものになったかのようだ。敏感な場所に触れられる必要はない。脇腹を擦られて達しそうになり、乳房を揉まれれば絶頂に向かって快感が走り出す。

 頭は朦朧としている。

 なにも考えられない……。

 過去に受けた凌辱の記憶など吹っ飛んでしまった。

 ただひたすらに気持ちいい。

 魔毒のような安女金との倒錯した性交が途方もなく危険であることを悟りながら、呉瑶麗はそれを少しも逃がしたくなかった……。

 また、安女金が張形を呉瑶麗に深々と貫かせた。

 

「あ、ああ……」

 

 呉瑶麗は吠えながら悶えた。

 

「可愛いよ、呉瑶麗……。とても可愛いよ……。あたしはお前を手放さないことに決めたよ。半年経ったら、あたしはここを出ていくけど、そのときはお前はやっぱりすぐに脱走しておいで……。そして、また、あたしに可愛がられるんだ。一生、あたしの飼う愛奴にしてあげるわ」

 

 安女金がささやいた。

 

「も、もう、どうにでもして……。わたしは、あんたの奴隷……、あんたの愛奴よ……。それでいい。もう、か、完全に……屈服よ──」

 

 呉瑶麗は安女金にしがみつきながら言った。

 

「嬉しいことを言ってくれるね……」

 

 安女金が笑って、呉瑶麗の股間の律動を再開した。

 確かにこの快感を覚えてしまったら、ほかは受け入れられない……。

 呉瑶麗は自分の意識が遠くなるのを自覚しながら、また、絶頂に向かって快感を飛翔させた



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第12話  愛奴の日常
39  呉瑶麗(ごようれい)柴美貴(さいびき)の手紙を受け取る


 女囚生活、半月……。


呉瑶麗(ごようれい)、こっちにおいで」

 

 安女金(あんじょきん)の声がした。

 呉瑶麗は溜息をつきながら、安女金に指示されていた書類作りの手を休めた。

 患者が途切れたのか、隣室の診察室からは安女金以外の人の気配が消えている。

 ふたりきりになったときに、安女金が診察室の奥の部屋にいる呉瑶麗を呼び出すときの用件は碌なことではないと予想ができた。

 滅多にはないのだが、暇になると安女金は、呉瑶麗の身体で遊ぶことが常だった。

 だから、呉瑶麗は気が重くなるのを感じながら、安女金のいる診察室のあいだの扉に向かった。

 

 この滄州(さいしゅう)の流刑場の女囚棟のある場所に収容されてから、半月が経とうとしていた。

 ここは安女金が患者を診るために使っている医療房という建物であり、呉瑶麗がいたのは、その診察室の奥にある部屋だ。

 安女金のいる診察室とは薄い壁と扉で阻まれている。

 

 呉瑶麗の仕事は安女金が患者を診る医療房の助手だ。

 だが、安女金の治療に呉瑶麗が必要な場合は滅多になく、この半月の呉瑶麗の仕事は安女金が牢役人に提出するための書類を作ることだった。

 ここで安女金が患者を診て、呉瑶麗は書類を作る。

 そうやって、表向きには単調な日々が続いていた。

 

 ここで仕事をするのは安女金と呉瑶麗のふたりだが、患者は多いので滅多に二人きりになることはない。

 また、一応は医療房にも看守がつくことになっているのだが、一日に一回くらい見回りで姿を見せるくらいであり、それすらも毎日ではなかった

 医療房には、さまざまな患者がやってきた。

 この医療房は、男囚側との境界付近に建てられており、女囚のほかにも男囚がたくさんやってきたし、時には、牢役人や看守たちに呼び出されて、安女金が治療に向かうこともある。安女金はいつも忙しくしていた。

 

 だが、今日は珍しくも患者が途切れたようだ。

 やはり、診療室には患者はおらず、安女金がひとりになっていた。

 

「なに、安女金?」

 

 診察用に寝台の上にふたつの包みがある。ひとつは、麻袋に入った草の根の束のようだった。

 もうひとつはしっかりと油紙で包まれた荷物だ。

 

「配達係の女囚が、その包みをあんたに届け物だと告げて持ってきたのよ」

 

 安女金が示したのは、油紙に包まれた荷の方だった。

 

「わたしに?」

 

 外から送られたもののようだ。

 呉瑶麗は油紙に入った包みに目をやった。

 送り主は柴進(さいしん)の妹の柴美貴(さいびき)だった。

 包みは一度開いた形跡があった。囚人に送られる荷は看守が一度開いて中を確認する決まりなのだ。

 包みを開くと、中は綿の入った上着だった。それが二着入っている。

 

「あら、いいわねえ。誰から? この前、あんたに金子を送ってくれた人?」

 

 椅子に座ってくつろいでいる様子の安女金が言った。

 

「その妹よ」

 

 呉瑶麗は言った。

 柴進からまとまった金子が女囚房の中の呉瑶麗に届けられたのは、十日ほど前のことであり、呉瑶麗がここに入ってすぐのことだった。

 流刑場の中でも、金子の使い道に困ることはない。

 看守や牢役人に手心を加えてもらうためには賄賂が必要だし、金子を幾らか渡すことで、様々な特典を得ることができた。

 たとえば、この医療房だけではなく、呉瑶麗と安女金が暮らす起居房でも、暖房のために火を使うことが認められたが、それは呉瑶麗が柴進から送られた金子の一部をさっそく看守に使うことによって実現したものだ。

 また、余分な金子を支払えば、毎日の食事でよいものを食べることも可能だ。実際、呉瑶麗がやってきてからの毎日のふたりの食事には、肉や果物などが必ずある。

 ほかの女囚は粗末なものしか食べられないので、それは信じられないくらいの差なのだ。

 

 また、呉瑶麗に金子を届ける一方で、柴進は所長をはじめとする主要な牢役人と看守には、別に金子を送った気配だ。

 初日に看守長の舞玲に責め殺されかけた呉瑶麗だったが、呉瑶麗が安女金の医療房に運ばれた頃から、目に見えて呉瑶麗の待遇がよくなった。

 あの舞玲でさえも、呉瑶麗を見ると愛想笑いのような笑みを送ってくる。

 地獄の沙汰も金次第とは、このことだろう。

 

 安女金の助手という比較的楽な仕事が与えられたのも、安女金の要望があったというよりは、柴進が配った金子が効いているようだ。

 流刑場にはさまざまな仕事があり、女囚にも野外の肉体労働のような仕事は多い。それを免除されて、ただの医療助手というのは、破格の扱いに間違いない。

 

 起居をする部屋についてもそうだ。

 呉瑶麗と安女金がいるのは、この医療房の近くに建てられた長屋の一棟であり、それは相当の金子を支払わなければ入れないはずの場所らしい。

 安女金がそこに住んでいたのは、いつも牢役人や看守に無料の治療をしているからであるが、呉瑶麗については柴進の金子が効いているようだ。

 

 最初の数日にそこに預けられたのは、死にかけていた呉瑶麗を治癒する必要があるという安女金の申し出によるものに間違いはないが、その治療が終わっても呉瑶麗が、ほかの女囚のいる雑居房に入らなくて済むのは、柴進の賄賂があったからだと思う。

 さもなければ、いくら女医の安女金の申し出があっても、呉瑶麗には許されなかったのは間違いない。

 

 もっとも、安女金との共同生活は、彼女の与える百合の調教を受けなければならないという苦難もあるが、それさえ我慢すれば、やはり快適な生活といえた。

 

 いや、その安女金の調教も、毎日のように受け続けていると、それすらも苦しいことなのか愉しいことなのかわからなくなる。

 嗜虐を受けながらも、安女金の愛情は感じるし、女同士ではあるが安女金とそういう愛情をかわすというのは悪い思いだけじゃない。

 

 まあ、そう思ってしまうようになったということは、それだけ安女金に飼育されかけているということかもしれない。ただ、いまは、もう悟りきったような心境だ。

 

「でも、その上着、あったかそうでいいわね。これから冬に入るから、きっと役に立つわよ。あたしのは、すっかりとくたびれてしまって、綿がぺちゃんこになっているのよねえ……。いいわよねえ……。二枚あるのね。本当にいいわねえ」

 

 安女金が呉瑶麗が見ている綿の入った上着をしげしげと見ながら言った。

 呉瑶麗は苦笑した。

 

「一枚あげるわよ。その代わり、今夜の調教は休みにしてくれる?」

 

「ううん……。休みにするの? ええ……? まあ、いいわ──。じゃあ、夜は休みね。それでいい?」

 

 安女金は言った。

 呉瑶麗は二枚のうちの一枚を安女金に放ろうとした。

 そのとき、その上着の内側に小さな糸のほつれがあることに気がついた。

 呉瑶麗はその糸を抜いた。

 すると、上着に小さな切り込みが現れて、中から紐のように織り込んだ手紙が出てきた。

 もうひとつの上着も見た。

 それにはそんな仕掛けはないようだった。

 とりあえず、仕掛けのなかった方の上着を安女金に投げた。

 

「ありがとう、呉瑶麗。でも、その手紙はなに?」

 

 安女金が声を潜めて言った。

 

「流刑場の外にいるわたしの愛人よ。これは恋文なの」

 

 呉瑶麗はうそぶいた。

 安女金には、脱走しても牢の外に匿ってくれる者がいるとは言っているが、柴進のことは話していない。

 安女金も深くは追及しない。

 その辺りは本当にありがたい。

 

 呉瑶麗は、椅子に座ってから手紙を開いた。

 差出人は柴美貴だった。

 内容は呉瑶麗の釈放について、柴進が骨を折っているが、苦労しているということが書いてあった。

 それで少し時間がかかりそうだという趣旨であり、それが詫びてあった。

 それは呉瑶麗も予想していたことであったので失望はしなかった。

 

 旧王家の柴家の権威といっても、所詮は古い権威であり、この周辺では通用するかもしれないが、帝都の中央権力からすれば何程のものでもない。

 呉瑶麗はその帝都で力を持っている高俅(こうきゅう)の息がかかった女囚だ。

 それを地方政府の権限で釈放させることは難しいことであるはずだ。

 

 それで冬用の上着なのかと思った。

 柴進の力では、呉瑶麗を早急に出すことはできそうもない。

 だから、冬支度の品物を贈るということだろう。

 釈放が実現しそうであれば、流刑場の呉瑶麗に冬物は必要ないのだ。

 

 呉瑶麗は手紙を読み進めて眉を曇らせた。

 そこには、数日前に、滄城の城郭に帝都からの旅人がやってきており、それが高俅の執事の陸謙かもしれないというが書かれていたのだ。

 こちらでも見張るが、呉瑶麗も気をつけてくれということだった。

 

 陸謙(りくけん)……。

 

 呉瑶麗の心にふつふつと怒りが湧きたつ。

 高俅の意を受けて、呉瑶麗を無実の罪に陥れた調本人だ。

 そして、護送兵だった董超と雪葉を買収して、呉瑶麗を殺させてようとした男でもある。

 ここにやってきたということは、流刑場への移送中に呉瑶麗を殺すことに失敗したことを知り、自ら処置をするために急いでやって来たということだろう。

 

 ただ、柴進も柴美貴も、呉瑶麗が帝都のことを語ったときに名はきいてはいるが、陸謙の顔は知らないはずだ。

 帝都からやって来た者の風貌から、それが高俅の部下の陸謙であるかもしれないと判断したのは、彼らもそれなりに調べてはいるということなのだろう。

 だが、その旅人があの陸謙であり、本当に陸謙が流刑場のすぐ近くの城郭にまでやって来ている確たる証拠はない。

 それは柴美貴の手紙にもそう書いてあった。

 ただ、もしも、本当に陸謙だとしたら、その目的はひとつしかない。

 

 呉瑶麗を殺すことだ……。

 だが、気をつけるといっても、呉瑶麗は女囚の身だ。

 陸謙が何者かを流刑場に送り込むとしても、それが看守などであったら、呉瑶麗に手枷足枷を装着してから殺すだろうし、そうなれば呉瑶麗には抵抗などできない。

 

「どうしたの、呉瑶麗? 別れ話でも書いてあった?」

 

 安女金が声をかけてきた。

 ふと、顔をあげると、すでに呉瑶麗があげた綿入りの上着を羽織っている。

 

「いいえ。別れ話ではないわ。愛人と思っていたけど、それは勘違いで、やっぱり友人でありたいそうよ」

 

 この医療房では、薬を作るために必要だという名目で、火の使用が認められており、それを暖房代わりに使っていたが、その火の中に柴美貴からの手紙を入れた。紙の燃える匂いが部屋に立ち込める。

 

「よくある話よ……。ところで、これを見なさい、呉瑶麗。流刑地外活動の多い男囚側の看守に頼んで集めてもらった薬草よ」

 

 安女金が寝台の上にあったもうひとつの袋である麻袋を担いで呉瑶麗の前に置いた。

 袋の紐を開くと、確かに袋いっぱいに詰まった草が入っていた。

 指の長さほどの短い草がぎっしりと袋に詰まっていて、すべてに長い根があり、その根には泥がついている。

 

「いい、呉瑶麗、よく聞いて……。まずはその草の根だけを集めてよく洗ってから陽に三日干すのよ。上の草は必要ないから捨てていいわ。その後に、根を石臼で磨り潰して……」

 

「ちょ、ちょっと待ってよ。なんで説明しているのよ。まさか、わたしにやれと言っているんじゃないでしょうね、安女金?」

 

 呉瑶麗は言った。

 

「あんたこそ、なに言ってんのよ。あんた助手でしょう? やるのよ。その草の根は熱が出たときに効くのよ。石臼で粉にするときに、余分なものを混ぜるんじゃないわよ。少しでも異物が混じれば、それは薬にはならないんだからね」

 

「なんで、そんな面倒をかけて薬を作るのよ? あんたの不思議な青い手でかざせば、大抵の怪我も病気も治るんでしょう?」

 

 安女金は身体の治療に関してのみ魔道が遣えるという不思議な魔道士だ。

 だが、医師というだけあって薬草などにも造詣が深い。

 それは知っているが、この半月に関しては、安女金が治療に薬草などを使っているのを見たことはない。安女金に薬草が必要とは思わなかった。

 

「でも、なんでもかんでもあたしが直接診るというわけにはいかないじゃないのよ。できあがった薬は看守を通じて男囚房に渡すのよ。そして、その薬で済むような軽い病だったら、それで対応してくれることになっているわ。そして、その分、あたしの負担が軽くなるということよ」

 

「だ、だけど、男囚からもたくさん治療にきているじゃないのよ。あんた、騙されているんじゃないの? 男囚に使うとか言って薬を作らされて、実際は看守が売り捌いているんじゃないの?」

 

 呉瑶麗は言った。

 おそらく、それに間違いないと思った。

 

「いいから、根を洗いに行っておいで、呉瑶麗。外に行って桶に水を汲んで根を洗うのよ。その後で網に挟んで干す。網は外に立てかけているわ。早く行きなさい」

 

「で、でも……」

 

 呉瑶麗は気乗りしなかった。

 だから、座ったままでいた。

 

「なんで仕事を嫌うのよ? ただの薬草つくりよ。医療助手なら当たり前の仕事よ」

 

 安女金が呆れながらも、少し苛立った口調で言った。

 

「ああ、だったら、正直に言うわ。実は、わたしはそういう細かい作業が苦手なのよ。武術もできるし、書物にも精通していて古今東西の知識にも自信はあるし、書類仕事も得意よ。でも、料理のような細かい作業はだめなの──。それで子供のころから、何度叩かれたり、怒られたりしたか……」

 

 呉瑶麗にとって料理というのは、何度やっても失敗ばかりだった少女時代までの苦い思い出だ。

 呉瑶麗の育ての親である“叔父”が生きていた頃、料理作りも教えられたが、武術や学問に抜群の才能を示した呉瑶麗だったが、料理のたぐいはだめだった。

 ほかにも裁縫も苦手だ。とにかく、あれ以来、料理のようなものには絶対に手を付けないと心に誓っているのだ。

 

 呉瑶麗はそう安女金に説明した。

 だが、安女金は笑い出した。

 

「これは料理じゃないわよ。薬草作りよ」

 

 安女金は言った。

 

「お、同じことよ。きっと失敗するわ。そして、あんたは怒る。いやだってば──。自信ないのよ」

 

「い、い、か、ら、行くのよ──。どうせ、書類仕事はあんたのことだから、もうほとんど終わっているんでしょう? まったく、あたしこそ、あんたの書類仕事に接したら自信を無くすわよ。あたしが苦労して数刻かけてやっていた書類仕事を一刻(約一時間)足らずに終わらせてしまうんだから……。早く、行きなさい──。失敗しても怒らないから」

 

 安女金が強く言った。

 呉瑶麗は渋々、麻袋を担いで立ちあがった。

 

「待ちなさいよ。ただ外作業するんじゃ面白くないでしょう。気を紛らせることをしてあげるわ」

 

 安女金が手に青い光をまとわせて、呉瑶麗の下袍の前に近づけた。

 はっとしたときにはもう遅い。

 抗議する前に、すでに股間の振動が始まっていた。

 この日、呉瑶麗は安女金の命令で内側に無数のいぼいぼのある貞操帯を締めていたのだが、それが安女金の魔道で強く振動を始めたのだ。

 

「くうっ──。い、いやっ──」

 

 呉瑶麗はその場でしゃがみ込んでしまった。

 毎晩のように呉瑶麗は安女金に痒み剤を塗られて、それを淫具や安女金の指で、際限なく責められるという調教を受けている。

 そのため、呉瑶麗の身体はすっかりと敏感になってしまい、いまでは責められていないときでも、熱く火照って、やるせない疼きに苛まれるようになっていた。

 

 それでも普段はなんでもない風を装えるのだが、いまのようにひとたび刺激を受けてしまえばもうだめだ。

 呉瑶麗は息苦しいまでの全身の疼きに襲われて、安女金の与える肉欲のとりこになってしまう。

 

 我を忘れたように快感に溺れるのだ。

 それが掻痒剤に含まれている媚薬の効果と実際的な刺激によるものであるのは違いないのだが、そんな感覚的な愉悦とは別に、まるで魂そのものを安女金に支配されている心地だ。

 

 安女金には逆らえない……。

 そんな感情に陥るのだ。

 こんなふうに侮辱的に身体を弄ばれて、本当は耐えがたい屈辱であるはずなのに、安女金から与えられる嗜虐は甘美な戦慄を呉瑶麗に駆け巡らせる。

 

「きょ、今日は調教はなしって、い、言ったじゃないのよ──」

 

 呉瑶麗は麻袋を抱きしめるようにして悶えながら言った。

 貞操帯全体が呉瑶麗の股間のすべての場所を強く刺激している。

 全身に欲情の波が襲いかかる。

 

「夜はしないって言ったのよ。約束だから夜はしないわ。だけど、その分、日中のいまやらないとね。そうだわ。これもあげるわね」

 

 安女金は麻袋で股間を押さえてしゃがみ込んでいる呉瑶麗から麻袋を取りあげて強引に立たせると、下袍をめくりあげた。

 そして、下袍の裾を呉瑶麗に押さえさせて、貞操帯の前側にある小さな穴に液剤の入った筒についた管を差し入れ、筒を搾って液剤を貞操帯の内側に送り込んだ。

 貞操帯を装着したまま薬剤を呉瑶麗の股間に送り込むために安女金が施した仕掛けであり、掻痒効果のある液体が貞操帯自身の振動によって、呉瑶麗の股間全体に沁み通っていく。

 呉瑶麗は振動の刺激に加わった股の痒みの苦しさに全身を震わせた。

 

「じゃあ、薬草を洗って干してきなさい。さぼるんじゃないわよ──」

 

 呉瑶麗は再び麻袋を押しつけられて外に放り出された。



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40  呉瑶麗(ごようれい)安女金(あんじょきん)の調教に夢中になる

 女囚生活、一箇月……。


 二日間、雪が降った。

 

 流刑場にも膝ほどの雪が積もって、ほとんどの外作業は中止になり、多くの女囚が雪かき作業をさせられていた。

 だが、女囚に与えられている服は、夏であれば袖のない灰色の肌着一枚が長袖になるだけであり、下袍は膝までの丈の短いもの一枚だ。

 余分な金子を看守にでも払わなければ、多くの女囚は下着さえもない。

 靴も粗末なものだ。

 その恰好で真冬の外作業はつらい。

 

 実際に、このところ多くの感冒患者がこの医療房に運ばれてくる。

 しばらく経てば、また患者が殺到することが予想された。

 しかし、しばらくは来ないだろう。

 やって来ようにも、女囚地域の隅にあるこの医療房までの経路が雪に閉ざされている。呉瑶麗は早朝に起きて、呉瑶麗と安女金が生活をする長屋の起居房からここまでの経路の雪をかいてここまでやってきたが、それも午前中の雪でまた閉ざされてしまった。

 

 女囚地域の全域の除雪が終わるのは、夕方になるはずだ。

 そして、夜になって昼間の外作業によって具合の悪くなったと訴える者が続出するだろうと安女金は踏んでいる。

 だから、今夜はここに泊まり込みになるはずだった。

 それも問題はない。

 

 起居房だけではなく、生活に必要なものはこの奥の部屋にも持ち込んである。布団も着替えも、最小限のものは、起居房にもこの医療房にもある。

 この流刑場に入ってから一箇月以上が経っていた。

 

「ああっ、あっ、はあっ──」

 

 呉瑶麗(ごようれい)は甲高い声をあげていた。

 

「こらっ、声を出すんじゃないと言ったじゃないの。ここはいつ人が入ってくるかわからない医療房なのよ。ちょっとは慎みなさい、呉瑶麗」

 

 安女金(あんじょきん)が苦笑交じりの声でたしなめた。

 

「だ、だったら、やめればいいじゃないのよ。んんっ、んはあっ──」

 

 呉瑶麗は抗議した。

 

 だが、両手に媚薬効果のある液剤をたっぷりと浸けて、呉瑶麗のふたつの乳房を揉み続ける安女金の手はとまらない。

 それどころか、一層、揉み方が淫靡になってきている気がする。

 始めは柔らかく揉まれていた呉瑶麗の乳房への愛撫は、いまや、かなりの力を込めて全体を捏ねるようなものに変化していた。愉悦は、歯を喰いしばっている呉瑶麗を嘲笑うかのように体内に強い快美感になって迸り続ける。

 

 呉瑶麗は自分で肌着をたくし上げて、それを両手で落ちないように支え、医療房の入り口に向かって身体を向けて立たされていた。それを椅子に座った安女金が背後から呉瑶麗の乳房を揉んでいるのだ。

 

 医療房に誰かがやってくるまで、こうやって安女金の相手をすることを命じられたのだが、雪の多い今日はやはり、誰もやって来ることはなく、呉瑶麗はもう一刻(約一時間)もこうやって、安女金が弄ぶ玩具になっている。

 

 媚薬による快感の昂ぶりと、安女金の技巧にあふれた愛撫と、いつ人が入ってくるかわからない緊張感と羞恥心で呉瑶麗は頭がおかしくなりそうだった。

 自分の身体が異常なまでに敏感になっていることはもうわかっていた。

 

「それにしても、あんたもすっかりと淫乱になったよねえ……。あたしと会う前だったら、いくらなんでも胸揉みだけでこんなに興奮はしなかったろう? どうやら、もうすぐ達しそうじゃないかい」

 

「い、言わないでよ、安女金──。あ、あんたがやったんでしょう……。ふうっ、ああっ──。そ、それに、胸だけでいくはずが……はああっ──」

 

「こ、こらっ──。大きな声を出すなというのがわかんないの──? 猿轡するわよ」

 

 安女金が慌てたように言った。

 声は耐えていたつもりだったが、口を開いたことにより、ひと際大きな嬌声が迸ってしまったのだ。それに合わせて、呉瑶麗は隆起した乳房を前に突き出すように動いていた。

 

 いくらなんでも、胸揉みだけで達することはないと思う……。

 だが、こんなに長い時間、胸だけを刺激されたことはなかったし、現にいまは、ふたつの乳房がまるで火に炙られているかのように熱い。

 まるで股間を激しく犯されているときのように、峻烈な愉悦が全身を駆け巡っている。

 

「も、もう、やめて……はっ、はっ、はあっ──」

 

 呉瑶麗はか細い声をあげていた。

 本当に胸だけで達してしまう……。

 そう思ったら、呉瑶麗の身体に恐怖が走りそうになったのだ。

 こんなにも淫靡な身体になったのが怖い。

 安女金ともいつか別れなければならないとは思う。

 だが、そのときには、もう前の自分には戻れないのではないか……?

 もしかしたら、すでに安女金なしでは生きていけないような身体になってしまっているのではないか……?

 その恐怖が走る。

 

「あっ、そんなこと言っていいのかしら? じゃあ、やめるわよ……ふふふ……」

 

 安女金が笑いながら、すっと愛撫の手を緩めた。

 

「や、やっぱり、やめないで──」

 

 呉瑶麗は声をあげていた。

 そして、自ら安女金の両手に押し付けるように胸を突き出してしまった。

 たっぷりと塗られた媚薬が乳房の内側まですっかりと溶かしている。このまま終わられたら呉瑶麗はおかしくなってしまう。それがわかった。

 

「あらあら、素直ね。素直な呉瑶麗は可愛いわよ」

 

 安女金が嬉しそうに笑いながら、呉瑶麗の言葉に応えるように、いよいよ力強く胸を蹂躙する。

 快感の波が呉瑶麗の身体を荒れまわる。

 もうこれ以上、我慢するのは無理だ。

 呉瑶麗の口からはしゃくりあげるような連続の声が漏れだした。

 

「はあ、はあっ、あ、安女金──。口で……はっ、ああっ……口で肌着を噛んでいい──? お願い……はあっ、はっ……」

 

「噛みなさい。それから、いつでもいっていいわよ。だけど、胸揉みだけで達したら、あんたがどうしようもない淫乱女になったんだということを自分で認めるのよ──」

 

「も、もう認める──。認めているわ。わ、わたしは、あんたに玩具のように扱われると……はあ、ど、どうしようもなく……はああっ──」

 

 もうこれ以上は話すのは無理だ。

 呉瑶麗は慌てて肌着を噛んだ。

 身体の奥でなにかが噴き出した。

 圧倒的な快感の矢が全身を貫いた。

 

「んんん──」

 

 絶頂感が呉瑶麗を突き抜けた。

 がくりと膝を折りかけた呉瑶麗の身体を安女金が後ろから支えた。

 頭が真っ白になった……。

 

「ほら、こっちにおいで」

 

 安女金がくすくすと笑いながら、手を引っ張る。

 呉瑶麗はもうなにも考えられずに、脱力した身体を導かれるままにさせた。

 

「はあ、はあ、はあ……、あれっ?」

 

 すると、いつの間にか、呉瑶麗は脱力した身体を安女金に導かれて、今度は椅子に座る安女金の片方の太腿に跨るようにして、向かい合わせに座らせられていた。

 すぐにはっとした。

 

「だ、だめよ。あ、あんたの脚が汚れる」

 

 今日の呉瑶麗は貞操帯ではなく下着をつけていたが、触らなくてもわかるくらいに、もう下着はぐっしょりと濡れている。

 太腿なんかに座ったら、呉瑶麗の股間から染み出た愛液が安女金の腿を汚してしまう。

 

「大丈夫よ」

 

 安女金は笑って、まずは、自分の下袍大きくたくし上げた。そして、一度呉瑶麗を立ちあがらせて、呉瑶麗の股間から下着を抜き取って診察台に放り投げた。

 その状態で、安女金は呉瑶麗を剥き出しの安女金の太腿に直接に股間をつけて座るような体勢にさせた。

 

「ほら、口をいっぱいにお開け……。だんだんと素直になってきたあんたへのご褒美よ」

 

 呉瑶麗は大きく口を開いた。

 すると、安女金の舌が呉瑶麗の口に入ってきた。そして、呉瑶麗の舌にまとわりつくように絡み、そして、口の中を這い回る。

 

「んああっ、ああっ」

 

 この安女金の口づけに呉瑶麗は弱かった。最初に受けた調教のときも、この口づけで途方もない快感に襲われて、我を忘れてしまったのだ。

 自分でも信じられないほどの快感が口の中から全身を駆け巡る。頭が溶けてしまうような強烈な口づけだ。

 

「舌を出しなさい。命令するまで口を閉じたらだめよ。逆らったら折檻よ」

 

 安女金が言った。

 口調は優しいが、安女金のお仕置きはつらいということを呉瑶麗は身体に沁みつかされている。

 

 火照る身体に媚薬を塗りたくされてひと晩放置されたりするのだ。

 いまは、責められるよりも、責められないときのほうがつらい。

連続絶頂責めはむしろ甘美だが、焦らし責めには呉瑶麗はなにも考えられなくなり、安女金に許しを乞うて泣き叫ぶ。

 

 とにかく、あれはいやだ。

 呉瑶麗は口を開ける筋肉に力を込めた。

 際限なく涎が出るが、それを安女金が巧みに舐めとっていく。

 口を大きく開いただらしのない姿のまま、呉瑶麗の口は荒い息と甘い声を発し続ける。

 いつにない長い口への愛撫だった。

 強烈な甘美感が呉瑶麗の身体の内側に溢れ、弾け、荒れ狂う。

 

「今度は、あんたの番よ……。あたしを口づけでいい気持ちにさせて……」

 

 安女金が言って、口を開けた。

 呉瑶麗は一瞬の間を置くこともなしに、安女金の唇に吸い付いた。

 喉の奥から迸る自分の声を感じながら、夢中になって安女金の唇を吸う。そして、舌を差し入れて、安女金の舌をしゃぶりまくる。

 一方で安女金は、両手を呉瑶麗の腰の後ろに置き、呉瑶麗の股間を安女金の太腿に擦らせるように前後に動かした。

 

「うふううっ、ふうう──」

 

 安女金の舌を舐めていた呉瑶麗は、噴きあがる欲情に安女金と唇を重ねたまま大きく呻いた。

 それでも、呉瑶麗は夢中になって安女金の口の中に舌を這い回らせた。

 舌の側面を舐め、下側を舐め、上側を擦る。

 口の中も舐めた。

 唾液をすすり、自分の唾液と絡ませて、何度も何度もお互いの口の中を行き来させてから、自分の喉に送る込む。

 それを繰り返した。

 もう、すっかりと呉瑶麗は興奮しきっていた。

 股間が安女金の太腿で擦れる。

 

「ふあああ──」

 

 呉瑶麗は思わず安女金の口を離して、安女金にしがみついた。

 二度目の絶頂の感覚が突然に襲いかかったのだ。

 なにも備える余裕もなかった。

 あっという間にやってきて、そして、駆け去っていく──。

 呉瑶麗はびっしょりと濡れた股間を自ら擦りつけるように、腰を前後に強く動かしていた。

 

 

 *

 

 

 二度目の絶頂に達した呉瑶麗を安女金は奥の部屋に連れて行った。

 奥の部屋には、泊まり込みを予想して運び込んである布団がある。安女金はそれを拡げて、呉瑶麗の服を脱がせて横たえさせた。

 自分は下袍と下着だけを脱いで下半身だけが裸身になる。

 

「舐めて……」

 

 安女金は布団に尻もちをつくようにして身体を半身に倒して両手で支え、両脚を大きく拡げた。

 呉瑶麗は安女金の股間を舐め始めた。

 すぐに安女金は荒い息を出し始めた。

 

「はあっ、はあっ、はっ……」

 

 しばらく舐め続けていると安女金の股間からははっきりとした愉悦の汁が溢れ出し、股間が真っ赤になる。

 安女金は呉瑶麗が淫乱になったというが、それは安女金も同じだと思う。最初のころ、安女金は呉瑶麗の舌だけで達することはなく、安女金をいかせるために、鼻を使ったり、歯を当てたりと様々な工夫をしなければならなかった。だが、いまは安女金も呉瑶麗が少し舌で奉仕するだけで簡単に達してしまう。

 

 それを言うと、安女金は呉瑶麗の舌技がうまくなったからだというが、それは違う。

 安女金は確実に簡単に呉瑶麗で欲情するようになっている。

 いまも、大した愛撫ではないのに、すでに大きな欲情の兆候を安女金の股間は見せ始めている。

 

「き、気持ちいいわ、呉瑶麗……はあ、そ、そこはだめ……はああっ……」

 

 安女金が感極まった声をあげた。

 

「ここはいつ人が入ってくるかわからない医療房なのよ。声は慎んでよ」

 

 呉瑶麗は奉仕を続けながら、からかった。さっき、同じことを言われた仕返しだ。

 

「わ、わかったわよ……。ああっ、ぐううっ、股布を噛むわ。と、取って……」

 

 安女金が言うので、呉瑶麗はさっき安女金が脱いだ股布を手に取って渡した。

 安女金はそれを口に入れたようだ。

 そして、安女金の身体の震えがだんだんと大きくなる。

 安女金の股間は綺麗な股間だった。

 桃色でまるで少女のようだった。

 

 安女金に訊ねたら、男性との性経験はないと言ったので、呉瑶麗は驚愕したことがある。逆に女との性交は、少女時代からずっと経験があり、数限りない相手と遊んだと安女金は言った。

 だったら、生娘なのかという呉瑶麗の質問を安女金は笑い飛ばした。

 

 女同士の性交でも、淫具を股間に入れ合う。それを生娘と呼べるなら生娘だろうと笑い続けた。

 だが、呉瑶麗はそれだけじゃないと思っていた。

 男ではなく、女との性交でしか欲情しなくなったのは、なにか幼いころにでもきっかけがあったかと訊ねたとき、安女金の表情がそれまでに見たこともないような険しい顔になったからだ。

 

 また、北州都の出身であるという安女金に親のことを訊ねたところ、幼少のころに死んだという母親の思い出については語ったくせに、少女時代まで育ててくれた父親のことは一切喋らない。

 不思議に思って、あえて、父親のことを訊ねると、父親はろくでなしだとひと言呟いただけだった。

 それは安女金の喋りたくない部分なのだろう。呉瑶麗は、それ以上なにも訊ねていない。

 

 いずれにしても、安女金の性欲は男には発揮されないが、相手が女ということになると、少し病的なものになる。

 そもそも、この安女金が流刑場に入れられたのも、異常な百合の性癖が原因なのだ。

 北州都で女医として開業をしていた安女金は、あるとき分限者の娘を診るということがあったらしい。そして、その娘を持ち前の性欲の強さでたらしこんでしまったのだそうだ。

 しかし、それがばれて、激怒した娘の父親が、安女金を役人に捕えさせて流刑場送りにさせたのだそうだ。

 罪状は効果のない薬を売ったということになっているらしいが、実際の理由はそれだ。

 三年の刑期だったが、この女囚の中で愛人にしていた女が脱走して、それを可能にしたのが、安女金が囚人の首輪に細工をしたからだということがわかり、刑期が二年追加された。

 だが、もうすぐその追加された刑期も終わるらしい。

 

 残り五箇月──。

 安女金の長い女囚生活も終わろうとしている……。

 

「んっ、んんっ、んんっ──」

 

 安女金の身体ががくがくと震えた。

 どうやら、安女金は呉瑶麗の舌責めだけで達してしまったようだ。

 

 

 *

 

 

「はふっ、はうっ」

 

 歯を喰いしばるようしている呉瑶麗を嘲笑するかのように、峻烈な愉悦が呉瑶麗の全身を突き抜ける。

 革帯で張形を股間に装着した安女金が呉瑶麗の股間を犯している。

 

 男根そっくりの張形が濡れた膣を前後すると、すぐに呉瑶麗は理性を失ったような状態になった。

 

 三度目の絶頂も近い……。

 だが、呉瑶麗が昇天しそうな快感を溜めると、安女金は激しく律動をしていた張形のつけた股間をすっと緩めてしまう。

 呉瑶麗がもどかしく腰を振っても無視し、時間が経ってからまた律動を開始する。

 

 それが五回続いた。

 

「も、もう、意地悪しないで、安女金──」

 

 ついに呉瑶麗は怒りの声をあげてしまった。

 しかし、安女金は冷静そうな笑みを浮かべるだけだ。返事の代わりに両手で呉瑶麗の乳房を揉みあげてきた。

 

「はああっ」

 

 息を大きく吐き出しながら、顔をのけ反らせた呉瑶麗は、新しい官能のうねりに、張形に貫かれたままの身体を左右に振りたてた。

 

 気持ちいい……。

 さっき、乳房で達したときよりも、胸は数倍も鋭敏になっているかのようだ。揉まれるごとに、脳天まで突き抜けるような快感が走る。

 しかし、安女金はまたもや残酷に中途半端なところで愛撫をとめてしまう。

 呉瑶麗がもどかしさに不平を示し始めると、今度は股間の律動を開始した。

 

「あああっ」

 

 すると、身体に渦巻いていた法悦が全身を荒れ狂いだす。

 張形に股間を打ち抜かれ、安女金の股に肉芽を揉むように押し揺らされ、呉瑶麗の四肢は峻烈な甘美感が響き渡った。

 あっという間に絶頂近くに呉瑶麗の快感を押しあげる。

 

「い、いくううっ、いくわ、安女金」

 

 呉瑶麗は声をあげた。

 

「まだよ、呉瑶麗」

 

 だが、またもや安女金は腰を動かすのをやめた。

 

「ひ、ひどいわ──」

 

 呉瑶麗は悲鳴をあげた。

 

「あんたの淫乱な心を曝け出してごらん。いやらしい言葉でおねだりしてごらんなさい。そしたら、いかせてあげるかもしれないわ」

 

 安女金が笑った。

 

「わ、わかったわよ……。なんでも言うわよ……」

 

 呉瑶麗は嘆息した。

 浮き沈みの性交は性の地獄だと思う。性感がすっかりと燃えあがっているのに、ちっとも達することができないのだ。

 そして、ぎりぎりのところまで燃えあがらせられることで、どんどんとその情感の頂点が高くなる。

 しかし、達することができないのだ。

 そうなると絶頂への焦燥感で狂うほどに、新たな欲情が沸き起こる。

 

「お、おまんこして──。もっとぐちょぐちょにして──。あんたが好き──。あたしをこんなに淫乱にしてくれたあんたが大好き──。だから、もういかせて──。おまんこが好き。で、でも、あんただけ──。あんたに苛められるのだけが好きなのよ──」

 

 呉瑶麗は声をあげた。

 安女金の股間の律動が激しくなった。

 呉瑶麗の言葉に満足したのか、今度は途中で終わることはなかった。

 

 ただ、いずれにしても、呉瑶麗の言葉は本心だった。

 安女金との性交は好き……。

 なにもかも忘れさせてくれる激しい安女金との百合の性は愉しい……。

 

 夜、闇に包まれるたびに狂おしく思い出して悪夢に悩まされた高俅による凌辱の日々も、いまでは努力しなければ、あの恥辱を思い出さなくなった。

 呉瑶麗を変えてくれた安女金には感謝している……。

 

 ついに、待ち望んでいたものがやってきた。

 

 かつてない魂を揺さぶりたてるような衝撃に、呉瑶麗は大きな声をあげたと思う。

 安女金が慌てたように、呉瑶麗の口を手で押さえた。

 

「んんん──し、死ぬうう──」

 

 それでも耐えられずに、呉瑶麗は大きな声で吠えた。

 絶頂に達しながら、呉瑶麗は、自分が悶絶しながら意識を手離そうとしているのを薄っすらと感じていた。



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第13話  雪の中の脱走
41  呉瑶麗(ごようれい)、馬草の作業を命じられる


 女囚生活、


 その日の午後、呉瑶麗(ごようれい)は馬草の作業を命じられて、女囚地域の隅に向かっていた。

 

 流刑場では男囚地域で家畜を飼っており、冬のあいだに家畜に食べさせるための干し草も当然に管理している。

 その干し草は馬草とも呼ぶが、実は女囚側でも馬草を作っていた。

 女囚側の馬草は、男囚側で作っている馬草が不足するときに使うこととなっているが、ほとんどが家畜ではなく、軍営に運んで対価と交換されていた。

 

 その売りあげは、ちょっとした牢役人たちの小遣いになっているらしい。

 そんなかたちで、大なり小なり、流刑場の囚人たちは、看守や牢役人の私腹を肥やすための様々な作業をさせられていた。

 その割当ては厳しく、少しでもそれができなければ激しい懲罰が課せられる。

 懲罰では死ぬことも珍しくはない。

 流刑場では囚人の命など、鳥の羽根ほどの軽いものでしかないのだ。

 

 いずれにしても、呉瑶麗が言われたのは馬草の作業だ。

 馬草は大きな小屋に山積みになっているのだが、外にも積みあげているものもある。それの雪を払えということのようだ。

 呉瑶麗が、急遽、その命令を伝令の女囚から伝えられたとき、安女金は感冒気味の牢役人たちの治療をするために呼ばれて不在だった。

 呉瑶麗は、とりあえず、外作業をするための上着と下袴、そして、手袋を身に着けて外に出た。

 

 そういう冬物は、柴進(さいしん)が呉瑶麗に外から送ってくれたものだ。

 冬物はどんどんと送りつけられてくる。

 つまりは、呉瑶麗を釈放させるという柴進の工作は、相変わらずうまくはいっていないということだろう。

 

 今日も雪はしんしんと降っていた。

 呉瑶麗が馬草小屋に到着すると、女の看守が入り口で立っていた。

 

「遅い──。作業を命じてからすでに一刻(約一時間)は経つぞ──。お前は呉瑶麗だな。遅刻だ──」

 

 女看守が怒りを露わにして怒鳴った。

 遅刻と言われてびっくりした。

 呉瑶麗は、女囚の伝言を受けると、服を着こんでから、すぐにやってきたのだ。

 

「ち、遅刻とは心外です。わたしは、伝言を受けてすぐにやってきたのです」

 

「問答無用だ──。中に入れ──。懲罰をする。鞭打ち五回だ──」

 

 女看守は腰から乗馬鞭を抜いて、びしりと壁を叩いた。

 呉瑶麗は舌打ちをしながら、馬草小屋の中に入った。

 百人は寝れるとは思うくらいの大きな小屋には、いくつもの馬草が山になっていた。その部屋にはあちこちに柱が立っていたが、呉瑶麗はその中の一本に身体を向けて立たされた。

 呉瑶麗は、柱に両手を伸ばして、尻を突き出すようにした。それが懲罰で尻を鞭打たれるときの姿勢なのだ。

 

「下半身に着けているものを全部脱げ。尻に鞭打ちするのに邪魔だ」

 

 看守が怒鳴った。

 抵抗や抗議は無意味だ。

 呉瑶麗は下袍の留め具を外して足首まで落とすと、さらに股布を外して下におろした。

 そして、再び、手を柱に伸ばして、剥き出しになった尻を看守に突き出す。

 しかし、看守はすぐには鞭打とうとはしなかった。まずは、最初に呉瑶麗の両手を柱の前に出させて、両手首に手錠をかけた。

 

「そんなことをしなくても、暴れませんよ」

 

 呉瑶麗は苦笑しながら言った。

 

「いや、泣き叫ぶと思うね」

 

 女看守はにやりと笑うと、呉瑶麗の足首から下袍を取り去ってしまった。

 呉瑶麗は呆気にとられた。

 

「いいよ、あんた」

 

 女看守が小屋の外に声をかけた。

 呉瑶麗は首を振り向かせてびっくりした。

 そこに、雪を払いながら入ってきた男の看守がいたのだ。

 

「こいつが呉瑶麗か? 飛び切りの美女じゃねえか。それに、うまそうな尻だぜ」

 

 男の看守が卑猥な笑いをした。

 

「わっ──。こ、これはどういうことなのです?」

 

 呉瑶麗は声をあげた。

 女囚地域に男の看守が入ることは原則として禁止だ。

 しかも、いまの呉瑶麗は両手で柱を抱えるように拘束され、下半身を丸出しにした状態なのだ。

 さすがに、呉瑶麗は羞恥に襲われた。

 だが、その男の看守はにたにたしながら、女の看守に幾らかの金子を渡している。

 

「半刻(約三十分)以内にしてよ。こいつの口封じは気にしなくていいわ。訴えたところで、あたしが知らないと言えば、誰も呉瑶麗の相手はしないわ……。さて、呉瑶麗、そういうわけだから、この人にあんたの股を貸してあげてよ。その代わり、夕方までここでさぼってもいいわ。馬草の雪おろしも、今日はやらなくてもいいしね」

 

 女看守が言った。

 呉瑶麗は舌打ちした。

 どうやら、この女看守の小遣い稼ぎの道具にされるようだ。女看守には場馴れした雰囲気がある。どうやら、こんなことをいつもやっている気配だ。

 

「女囚に娼婦の真似をさせて、あんたが小遣いを稼ぐのはいいけれど、わたしはなにがもらえるのかしら?」

 

 呉瑶麗は半分、捨て鉢になり言った。

 こうなったら、もう諦めている。

 抵抗しても空しいだけだし、いまさら、守りたい貞操など持ってない。

 

「目の前に馬草の中に、酒と肉が隠してあるわ。それがお前の取り分よ。お前が望むなら、次は煙草を準備してあげるわよ」

 

「つまりは、わたしは、これからもこれをやらされるということ……?」

 

 呉瑶麗はうんざりして言った。

 

「割のいい話だとは思うけどね……。馬草の作業といえば、逆に悦ぶ女囚も多いのよ。男と性交して、それで酒や肉を手に入れられるのだからね。だけど、あたしは誰も彼もはやらせないのよ。それなりの代金を取るには、それに見合う商品を揃えないとならないしね。お前は美人だし、目をつけていたのよ……。それにねえ……。この人は、あんたをご指名なのよ。まあ、いい機会だし、これからも馬草の仲間に入ってもらうわ」

 

 女看守は笑った。

 呉瑶麗は鼻を鳴らした。

 やっぱり、この女看守は、女囚を男看守に抱かせて、金子を取るという商売をしているようだ。

 娼婦扱いだが、ここの女囚は金子を払って仕入れる必要はないし、女囚には安酒や肉の切れ端でもあてがっておけばいい。

 割のいい商売だろう。

 それに、女囚は看守には逆らうこともできない。

 売春を強要されたと訴えても、無意味なのは間違いない。

 逆に折檻を受けるのは女囚の方だ。

 

「もう、いいだろう? 代金は払ったんだ。さっそく、やらせてもらうぜ」

 

 男が呉瑶麗の後ろに立った。

 呉瑶麗は脚を開いて、男が呉瑶麗の股間を責めやすいようにした。

 

「早く済ませてよ……」

 

 呉瑶麗は言った。

 そんな言葉を吐くのが、せめてもの抵抗というのが空しい。

 しかし、男はふっと笑った気がした。

 そして、男の両手がさっと呉瑶麗の前に伸びてきた。

 

「はうっ」

 

 思わず、呉瑶麗は声をあげた。

 男の両手が呉瑶麗の上着の裾の下から入り、呉瑶麗の乳房を揉みだしたのだ。

 男は、ゆっくりとすくうように乳房を捏ねながら、呉瑶麗の乳首を上下に弾いて動かしてくる。

 

「はっ、ほっ、うっ……」

 

 たったそれだけの刺激なのに、呉瑶麗の身体はびくりびくりと震えてしまう。

 それが身悶えするほどに口惜しい。

 

「随分、感じやすい女だな……。これだけの愛撫でもう感じているのか?」

 

 男が嘲笑の声を発した。

 

「ほ、放っておいてよ……。え、演技よ」

 

 呉瑶麗は口惜し紛れに言った。だが、呼吸がどんどん苦しくなり、全身が熱くなる。

 初対面の看守に股間を晒し、身体をまさぐられるのは狂おしいほどの羞恥と屈辱はずなのに、それが乳房を揉まれることで沸き起こる愉悦で消え去っていく。

 この一箇月、毎日のように安女金に全身の性感帯を責められ続けている。

 

 だからだと思う……。

 

 この乳房も、ほんの少し揉まれるだけで、安女金に躾けられた快感が沸き起こり、甘く爛れるような甘美感に包まれてしまったのに違いなかった。

 

「はああっ──」

 

 呉瑶麗は身体を跳ねあげた。

 男が片手を胸から離して、呉瑶麗の開いた股間に手を伸ばしたのだ。

 その瞬間、稲妻に打たれたような衝撃が全身に走った。呉瑶麗は声をあげて、悲鳴のような声をあげてしまった。

 

「これは面白いくらいに敏感な身体だな」

 

 男はしばらくのあいだ、呉瑶麗の股間を遊ぶように指でくすぐり続けた。

 呉瑶麗は翻弄され、両手を縛られた前の柱に身体を預けるようにして悶え続けた。

 

「さて、前戯は十分だな。じゃあ、頂くとするか──」

 

 男が下袴を下ろすのがわかった。

 だが、すぐには呉瑶麗の股間を貫こうとはしなかった。ふと、後ろに首を曲げると、男は勃起した自分の男根になにかの油剤のようなものを塗っている。

 なにをしているのだろうと思っていると、男は油剤の入っていた缶を下に放り、まずは両手で呉瑶麗の腰を挟むようにがっしりと握った。

 そして、怒張の先端を呉瑶麗の腰に突きつける。

 

「な、なにをする気なの──。や、やめて──」

 

 呉瑶麗は男の意図を知り、びっくりして大声をあげた。男が怒張の先端を当てたのは、呉瑶麗の女陰ではなく、双臀に隠された菊座だったのだ。

 男は両脇から掴んだ腰で尻たぶを開くようにして、呉瑶麗の肛門に怒張を挿し込んでくる。

 

「そ、そこは嫌よ──。前に──前にしてよ──」

 

 呉瑶麗は腰を振って叫んだ。

 しかし、しっかりと腰を掴まれていて、逃げることができない。しかも、潤滑油を塗ってある男の怒張は、大した抵抗もなく、呉瑶麗の肛門にぐいぐいと怒張をねじ入れるように入ってくる。

 

「あぐうう──。こ、こんなの酷いわ──」

 

 呉瑶麗は身体をのけ反らせて叫んだ。

 いきなり、尻を犯される。

 その惨めさに涙が流れてくる。

 

「いやだとは言うが、ちゃんと尻で男の性器を受け入れられるように調教してあるじゃないか。帝都で仕込まれたのか……? それとも、ここの女囚で受けた百合の調教の成果か?」

 

 男が笑った。

 帝都──?

 

 高俅(こうきゅう)に受けた調教のことを言っているのだろうかと思った。安女金の百合の趣味は、すでにこの女囚でも有名のようだから、呉瑶麗と安女金の関係を知っている者は多いだろう。

 だが、帝都でのことは、いくらなんでもそれほどには広まっていないはずだ。それなにの、なぜ、この男は帝都のことを仄めかしたのだろうか?

 しかし、さらに男の怒張が呉瑶麗の肛門に貫くにつれ、妖しい快感が呉瑶麗の思考力を奪っていった。

 もう、呉瑶麗はなにも考えられなくなり、あとは悲鳴をあげて身体を強張らせるだけだった。

 

「あ、ああ……あっ、あっ、ああ──」

 

 やがて、すっかりと男の怒張が呉瑶麗の肛門を完全に貫いた。

 すると、男は呉瑶麗の抵抗を愉しむかのように、ゆっくりと抽送を繰り返したかと思うと、時折、わざと左右に荒々しく腰を振って、呉瑶麗に痛みを加えようとしたりする。

 呉瑶麗は肛門にめり込まされた男の怒張を、前に後ろに、そして、右に左に動かされて、そのたびに髪を振り乱して悲鳴をあげた。

 

 しばらく同じことをされたあと、唐突に呉瑶麗は肛門の中に精を放たれた。

 男が呉瑶麗の肛門から男根を抜いた。

 火のついたままの呉瑶麗の身体は、まだ収まってはおらず、満足感どころか達してもいなかったが、とりあえずほっとした。

 火のついた身体は安女金に癒してもらえる……。

 そう思った。

 

 それとともに、呉瑶麗は不思議な思いにも捉われていた。

 高俅の受けた一箇月間の凌辱は、呉瑶麗の身体を火のように敏感な身体に変えてしまい、誰に犯されても常軌を失ったように悶える自分に強い嫌悪感しか抱けなかった。

 確かに、股間や肛門に男の性器を挿されるたびに、呉瑶麗は途方もない快感に陥り、高俅たちの愛撫に腰を振って悦びの声をあげていた。それでいて、堪らない自己嫌悪に呉瑶麗を陥らせた。

 

 だが、いま久しぶりに生身の男性自身を受けたというのに、呉瑶麗は大した興奮を感じなかった。

 あのときほどの快感を覚えなかったのだ。

 ただ、狂おしいほどに、安女金からの責めを欲しただけだ。

 五体に悶えは続いている。

 だが、これは安女金に癒してもらいたいとしか思わなかった。

 肉欲は感じる。

 しかし、それはすべて安女金との行為にしか結びつけることができない。

 あれほど、安女金との行為のときには我を忘れるくせに、この男との性交では、快感はあるのだが狂うほどではない。それどころか、呉瑶麗のどこかに冷静な自分を保つことができている。

 生身の男根に犯され、強い快感は覚えたものの、大した興奮もせず、欲するのは安女金に愛されることだけであり、しかも、大きな屈辱感もなかった。

 それは不思議な感覚だ。

 

「いきなり、尻に挿すとは驚いたわね……。尻は追加料金よ──」

 

 女看守の声がした。

 

「いい尻だったぜ、呉瑶麗──。人生最後の性交が尻姦というのもいいだろう? 陸謙殿と高俅様にはしっかりと報告しておくぜ……。呉瑶麗は、俺の精を尻に受けてしっかりとよがったとな」

 

 男は、女看守を無視して、下袴をあげながら言った。

 

「高俅──?」

 

 高俅の名を聞くだけでかっとなった。

 男が陸謙や高俅の名を出したことに対する訝しさよりも、その名に呉瑶麗は激昂した。

 だが、内腿になにかがちくりと当たった。

 その瞬間に、呉瑶麗の身体は弛緩して、その場に砕け落ちた。

 

「なっ……?」

 

 なにが起きたかわからなかった。

 しかし、たったいま、なにか針のようなものを男に背後から内腿に刺された。その直後に、呉瑶麗の身体は弛緩して動かなくなった。

 なにをしたのだと言おうとしたが、舌までもつれて動かないことに気がついた。

 呉瑶麗は愕然とした。

 それでも、懸命に呉瑶麗は身体を動かそうとした。

 おそらく、強力な弛緩剤を打たれたのだと思う。それで呉瑶麗の身体は動かなくなったのだ。

 

「ご、呉瑶麗、どうしたの──?」

 

 女看守が血相を変えた感じで駆け寄ってきた。

 彼女からは、男は呉瑶麗になにかをしたのが見えなかったようだ。

 

「呉瑶麗の手錠を外せよ」

 

 男が女看守に静かに言った。

 女看守が駆け寄って、慌てたように呉瑶麗の手錠を外した。

 しかし、呉瑶麗の横目に男が腰の剣を抜くのが映った。女は急に倒れた呉瑶麗に驚ているだけであり、男が剣を抜いたことに気がついていない。

 

「あ……あっ──」

 

 呉瑶麗が叫ぼうとしたときには、もう遅かった。

 男の剣が、呉瑶麗の前にしゃがみ込んでいた女看守の腹に深々と突き刺さった。

 

「ひぎゃああ──」

 

 女看守が絶叫した。

 男は、仰向けにひっくり返った女看守の喉をその剣で斬り裂いた。

 血が吹き出し、それが呉瑶麗の全身に降り注ぐ。

 女看守が絶命したのは明確だ。

 

「さて、贈り物だ、呉瑶麗」

 

 すると、男が呉瑶麗の弛緩した手に、その血のついた剣を握らせた。

 呉瑶麗は愕然とした。

 男がなにを狙いとしているのかわかったからだ。

 この状況で発見されれば、呉瑶麗は間違いなく女看守殺しの下手人だ。

 発見次第、見つかって殺されるだろう。

 

 そして、これはまさに、最初に呉瑶麗が帝都で捕らえられた罠とまったく同じ手口であるということに気がついた。

 陸謙は、あのときもこうやって、呉瑶麗を殺人者に仕立てたのに違いない。

 そして、いまもまた、同じ方法で呉瑶麗を陥れようとしている。

 呉瑶麗は口惜しさに腹が煮える思いだった。

 

 男は落ち着いた感じで、殺した女看守の腰から剣を抜いて、自分の鞘に納めた。女看守を殺した剣は、全看守兵に支給されている同じものだ。男兵も女兵も変わらない。

 これで、呉瑶麗が持っている剣は、女看守のものだということになるはずだ。

 呉瑶麗と死んだ女看守がもめて、呉瑶麗が女看守から剣を奪って殺した……。

 そういう状況のできあがりだ。

 

「こ、こ、こんなこと……、ゆ、許されない……」

 

 呉瑶麗は懸命に舌を動かした。

 身体の弛緩は続いている。

 だが、なんとか口だけは動くようになってきた。

 

「まあ、お前には恨みもないし、なかなかの身体だった。できれば生かしてやりたいが、そうもいかん。陸謙殿にはたっぷりと事前の礼金をもらっているしな。そして、お前を殺せば、こんな田舎で流刑場の看守など、やっていられんくらいの報酬も貰えることになっている……。悪いが死んでもらうぞ。女看守殺しの罪でな」

 

 男が呉瑶麗に、さっき殺した女看守と入れ替えた剣を抜いた。

 呉瑶麗はぎょっとした。

 男の狙いが、呉瑶麗を女看守殺しに仕立てて、処断されるように仕向けるのではなく、この場で呉瑶麗を殺すことだと気がついたからだ。

 

 ここは、男囚地域のすぐ近くだ。

 悲鳴を耳にして女地域に入ったと男が言えば、女囚地域に男の看守が入ったことはおかしいとは言えない。

 そして、こいつは、この場で呉瑶麗を殺し、呉瑶麗が抵抗したから、やむなく殺したと証言するはずだ。

 その方が、女看守殺しに仕立てて処断させるよりも確実だし、多少の辻褄の合わない部分は、賄賂でも使えば、どうということはない。

 

 それに、考えてみれば、呉瑶麗の身体が弛緩されているままで呉瑶麗を誰かに発見させても、女看守を殺した呉瑶麗の身体が弛緩しているという不自然さが残る。

 しかし、呉瑶麗が死ねば、呉瑶麗が弛緩されていたという証拠はなくなるし、少なくとも、男が女看守を殺したと喋る気遣いもなくなる。

 

 殺される……。

 

 呉瑶麗は剣を持たされている手に力を込めようとした。だが、まったく身体は動かない。

 

「覚悟はいいな。恨むなら陸謙殿を恨め。高俅とかいう近衛軍の大将もな」

 

 男の剣が呉瑶麗の喉にすっと伸びた。

 逃げられない……。

 呉瑶麗はそれを悟った。

 

 口惜しい……。

 

 こんなところで死ぬなど……。

 結局、高俅や陸謙に陥れられ、最後には虫けらのように殺されて死ぬ……。

 そんな運命だったのか……。

 

 無念だ……。

 

 呉瑶麗は眼をしっかりと開いた。

 せめて、最後の最後まで、自分に死をもたらそうとする男の顔を見定めながら、死んでいこうと思った。

 男の剣が振りあげられる。

 そのとき、呉瑶麗が入ってきた小屋の扉がばたんと大きく開け放たれた。

 

「誰だ?」

 

 男が振り向いて叫んだ。

 しかし、そこには誰もいなかった。

 だが、明らかにたったいままで誰かがそこにいた形跡はある。

 開け放たれた扉の向こうに真新しい人の足跡がくっきりと雪の上に残っていたのだ。

 誰かが、呉瑶麗の咽に剣を向ける男の姿を見たのは確かだろう。

 

「ちっ」

 

 男は駆け出した。

 追いかけて殺すつもりだと思った。

 男の身体には殺気がみなぎっている。

 当然だろう。

 男からすれば、いまの光景を見られれば、計画が全て狂ってしまう、呉瑶麗に罪を負わせて殺すということができなくなる。

 だが、目撃者が死ねば、それはちょっとした修正で済む。

 

 いずれにしても、逃亡の機会はいましかない。

 呉瑶麗は懸命に動かない身体で這い逃げようとした。

 しかし、ほとんど進むことができない。

 そのとき、さっき、男が出ていった小屋の扉から、真っ白い雪の塊が入ってきた。

 呉瑶麗はそっちに視線を向けた。

 

「あ、安女金?」

 

 それは全身に雪をまとった安女金(あんじょきん)だった。

 真っ青な顔をして、震えながら呉瑶麗に駆け寄ってくる。

 

「あ、あたし……、あ、あんたが馬草の作業を命じら、られたと、み、耳にして、そ、それで、す、すぐにき、来たんだけど、そ、そしたら……」

 

 安女金は歯がまったく合わないほどに全身を震わせていた。その顔は恐怖でひきつっている。

 呉瑶麗の心に安堵の灯がともる。

 

 安女金は、呉瑶麗が馬草の作業に呼ばれたのをなんらかの方法で知り、それで、心配してやってきてくれたのだ。

 「馬草の作業」というのが、あの女看守がやっていた女囚を使った売春商売だというのは、女囚地域では有名なことだった気配だ。

 だから、安女金は驚いて、急いでここに駆けつけたのだろう。

 しかし、そこにあったのは予想された光景ではなく、男が女看守を殺し、その罪を呉瑶麗に着せて殺そうとしている情景だったのだと思う。

 それで、咄嗟の機転で扉を開き、誰かが目撃したのを男に知らせたに違いない。全身が雪まみれなのは、おそらく、雪の中にでも隠れていたのだろう。

 

 安女金の手の青い光が呉瑶麗の全身を舐め始める。

 途端に身体が楽になる。

 安女金の魔道の力が呉瑶麗の身体に回っていた弛緩剤の毒を癒していくのだ。全身に力が少しずつ戻っていく。

 

「誰だ、貴様──?」

 

 そのとき、男が戻ってきた。

 安女金を見て、怒りで顔を真っ赤にしている。

 剣を抜き、凄い形相で迫ってくる。

 

「呉瑶麗は治療中よ。近寄るんじゃない」

 

 すると、安女金が呉瑶麗の前に両手を拡げて立ちはだかった。

 呉瑶麗はびっくりした。

 安女金に武芸の心得の欠片もないのはわかっている。

 男の剣の前に立つなど自殺も同じだ。

 安女金を殺すのに、男は一瞬も躊躇しないだろう。

 最初から男は、呉瑶麗も目撃者も殺すつもりなのだ。

 

「安女金、どいて──」

 

 呉瑶麗は、まだ身体が完全じゃなかったが、安女金の拡げた手の下から前に転がった。

 手には男に持たされていた血のついた剣を持っている。

 

「ぐうああっ──」

 

 男が呻いた。

 呉瑶麗の持った剣は、下から上に男の胸を深々と突き刺さっている。

 男が倒れた。

 呉瑶麗は剣を離して横に転がる。

 死骸になった男の身体がどっと倒れた。

 

「ひいいいっ──」

 

 呉瑶麗が目の前で看守を殺したのを目の当たりにした安女金が悲鳴をあげた。

 

「はあ、はあ、はあ……」

 

 呉瑶麗はまだ激しい息をしていた。

 助かった……。

 いまさらであるが、恐怖が込みあがってきた。

 安女金が間一髪で助けに来てくれなかったら、間違いなく死んでいた。

 背に冷たい汗がどっと出た。

 

「あ、安女金、助かった」

 

 呉瑶麗はまだ腰を落としたままだったが、安女金ににっこりと笑いかけた。

 すると、安女金はひきつった表情のまま、へなへなとその場に崩れ落ちた。

 安女金の顔はまだ恐怖で蒼ざめている。

 しかし、それでも、安女金は命懸けで呉瑶麗を助けようとしてくれた。

 嬉しかった──。

 呉瑶麗は安女金に飛びついた。

 

「う、うわっ、あんた?」

 

 呉瑶麗にしがみつかれた安女金が眼を丸くしたが、呉瑶麗は構わなかった。

 安女金の唇を吸った。

 舌を舐め、唾液をすすり、安女金の口の中を呉瑶麗の舌で蹂躙した。

 

 生きている……。

 その実感を安女金との口づけで実感した。

 すると、安女金も口づけを返してくる。束の間、呉瑶麗は安女金と激しい口づけを交わし合った。

 そして、口を離す。

 微笑んだ安女金の顔がそこにあった。

 

「早く、残りの治療を……」

 

 呉瑶麗は言った。

 

「わ、わかった」

 

 すると、安女金は慌てたように、呉瑶麗に残っていた弛緩剤の治療をしてくれた。

 

「安女金、手伝って」

 

 身体の力が戻ると、呉瑶麗はすぐにふたりの看守の死骸を馬草の山の中に引きずっていった。

 

「なにすんの?」

 

 安女金はきょとんとしている。

 

「死体を隠すのよ。看守がふたりも死んでるのが見つかったら、大騒ぎになって、脱獄どころじゃなくなるわ。とりあえず、隠しておいて、すぐに逃げるのよ。こいつらがいないことなんか、夕方には気がつかれるわ。それまでに逃げるのよ」

 

 呉瑶麗は死体を引っ張りながら言った。

 

「逃げる?」

 

 安女金が声をあげた。

 

「当たり前でしょう、安女金。こんなことしたのが見つかれば、わたしもあんたも間違いなく、明日の朝には首を斬られるわ。殺されかけましたなんて、絶対に通用しないわよ」

 

 呉瑶麗がそう言うと、やっと安女金の表情に冷静さと生気が戻ってきた。安女金が呉瑶麗がやっている作業を手伝いだす。

 

「逃げられる、呉瑶麗?」

 

 呉瑶麗とともに死骸を馬草に隠しながら、安女金がささやいた。

 安女金も覚悟を決めてくれたようだ。

 もはや、刑期を終わって、合法的に出所する望みは安女金にはない。安女金には悪いことをしたとは思うが、こうなったら一緒に脱獄してもらうしかない。

 

「ここの警備は緩いわ。囚人の首に逃亡防止の首輪があるから、そんなに厳重な警備はしてないのよ。警備の穴はとっくに探してあるし、壁を越えるための縄と金具もこしらえて隠してある……。すぐに取ってくるわ。あんたはわたしたちの起居房で待っていてくれない。それと、できるだけ服を着込んでちょうだい。あとは任せて」

 

 呉瑶麗は言った。

 やがて、ふたりの死骸を馬草の下に隠し終わった。

 呉瑶麗は、安女金と馬草小屋の前で別れた。

 先に鉤状の金具のついた縄は、女囚地域の中にある林に隠してある。

 そこに、根元にうろのある樹があり、その中に逃亡の役に立ちそうな道具をまとめて、肩掛け鞄に入れているのだ。

 雪で埋まっていて、掘り出すのに時間がかかったが、なんとか取り出した。

 呉瑶麗は雪の中を割って進み、安女金の待っているはずの起居房に戻った。

 だが、そこに待っていたのは安女金だけではなかった。部屋の中のもうひとりの人影に、呉瑶麗は身体を硬直してしまった。

 

「待ってたわよ、呉瑶麗……。医療房は閉鎖されていたから、ここに戻ると思っていたのよね」

 

 その女がにやりと笑った。

 

「看守長……」

 

 安女金を床に正座させ、椅子に座って呉瑶麗を待っていたのは看守長の舞玲だった。

 

「あんたがここに生きて戻ってきたということは、おそらく、あんたを待っていた男の看守は、もうこの世にはいないということだと思うんだよね……。さあ、話を聞かせてもらおうかな。とにかく、あんたも、そこに正座してちょうだい」

 

 舞玲(ぶれい)が不敵に笑った。



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42  舞玲(まれい)呉瑶麗(ごようれい)に賂を要求する

「あんたがここに生きて戻ってきたということは、おそらく、あんたを待っていた男の看守は、もうこの世にはいないということだと思うんだよね……。さあ、話を聞かせてもらおうかな。とにかく、あんたも、そこに正座してちょうだい」

 

 舞玲(ぶれい)が椅子に座ったまま言った。

 呉瑶麗(ごようれい)は訝しんだ。

 馬草小屋で呉瑶麗に看守殺しの汚名を着せ、それを理由に呉瑶麗を殺そうとした男の看守は確かに呉瑶麗が殺した。

 しかし、殺された女看守は、その男が呉瑶麗を殺そうと企てているとはまったく思っていなかったようだった。

 それなのに、舞玲がそれを知っていたということは、舞玲もまた、呉瑶麗を嵌めようとした一味ということではないだろうか。

 

「な、なぜ、お前がそれを知っているの、舞玲……?」

 

 呉瑶麗は立ったまま舞玲を睨みつけた。

 しかし、舞玲の顔つきが変わった。

 顔にあった笑みが消えて、険しい表情で呉瑶麗を睨んで、腰に丸めて提げている鞭に触れる。

 舞玲の得意は鞭だ。舞玲は左腰に剣をさげ、右腰には革の鞭を丸めて吊っている。

 

「“看守長様”だよ、呉瑶麗。そう呼べと躾けてあるだろう。懲罰を受けたいのかい?」

 

「じゃあ、質問に答えなさいよ、看守長様……。お前も陸謙(りくけん)に雇われた口なの?」

 

 もはや、呉瑶麗は舞玲に跪く気も、命令に従うつもりもない。

 それに、最初にこの流刑場にやってきたとき、この女は呉瑶麗が賄賂を渡さなかったという理由だけで、半死半生の目に遭わせた。

 逃亡するなら、この女と決着をつけてから逃げたいと思っていたところだ。

 舞玲が鼻を鳴らした。

 

「ふん、まあいいさ……。それよりも、陸謙という名は知らないね──。ところで、お前を“馬草作業”をさせようとした女看守はどうしたんだい? 数刻前から行方知れずになっているんだけどね」

 

「馬草の下よ……」

 

 呉瑶麗は注意深く答えた。

 舞玲が動けば、すぐにでも飛びかかれる。その態勢だけはとっていた。

 

「馬草の下?」

 

 舞玲が怪訝な顔をした。驚いている表情だ。

 その表情には裏があるようには思えない。

 あの女看守が死んだことについて、舞玲は知らない気配だ。

 

「……言っていくけど、殺したのはわたしじゃないわ。わたしを襲おうとした男の看守が殺したの──。そして、その罪をなすりつけて、わたしを殺そうとしたのよ」

 

「死んだ……?」

 

 舞玲は目を丸くしている。

 どうやら、それも知らなかったようだ。

 しばらくして、舞玲が息を吐いた。

 

「なるほど、そういうことだったのね……。やっと全部の辻褄が合ったよ……。あたしはこれでも地獄耳でね……。あんたを巡って不穏な動きがあることは知っていたのさ。その矢先に、あんたを名指しで男の看守が“馬草作業”を注文しただろう。だから、なにかあると思っていたんだ……。そうかい。あいつ、死んだかい……。まあ、それもいいさ。売上をあたしに上納するのを拒んだりしなければ、なにか裏があると警告もしてやったんだけどね」

 

 舞玲が笑った。

 呉瑶麗は用心深く構えたままでいた。

 すると、舞玲が呉瑶麗をじろりと見た。

 

「……ところで、呉瑶麗、取引きといかないかい?」

 

「取引き?」

 

 今度は呉瑶麗が不審な表情をする番だった。

 取引とはなんだろう。

 舞玲は一枚の紙を取り出して、呉瑶麗に向かって示した。

 

「あっ、これは?」

 

 呉瑶麗はそれを見て、思わず声をあげた。

 

「わかるかい──? お前の異動命令書だ。お前が柴家(さいけ)の旧王族の名家とどういう繋がりがあるかわからないけど、再々の要求に所長が根負けしてね。お前の身柄は、この滄州(そうしゅう)の流刑場から出て、柴家で預かりということになったのさ。事実上の釈放だね……」

 

「釈放?」

 

 呉瑶麗は以外な言葉に、思わず声をあげた。

 

「ふふふ……。お前の扱いについては、所長も悩んでいたのさ。お前については、中央から厳重に見張れと指示が来ているんだけど、その一方で、日頃から多額の賄賂を受け取っている柴家の意向にも逆らい難いようでね……。それで、やっと所長がうまい具合に両方の顔を立てる方法を思いついたということさ……。釈放じゃなくて柴家に預ける。そうであれば、中央の指示に背いたことにはならないしね」

 

 舞玲が言った。

 呉瑶麗は自分の扱いについて、柴家預けという指示が来ていたということに驚いたが、呉瑶麗に対する刺客が仕掛けられたことと、この柴家預かりの命令が出た時期が重なったことは偶然ではないだろうと思った。

 この命令が出ることになったので、陸謙は呉瑶麗の暗殺の実行を急がせたのだと思う。

 

「この命令書によれば、わたしの異動は明後日なのね……」

 

 呉瑶麗は、命令書を読みながら静かに言った。

 さっきの事件がなければ、呉瑶麗は二日後にはこの流刑場を出られたのだ。

 合法的に……。

 

「そういうことだね……」

 

 舞玲は命令書をしまった。

 

「……だけど、看守を殺してしまったとあってはそうもいかないだろうさ。犯人がわかるまで、流刑囚の異動や釈放はとめられるだろうしね。ましてや、犯人そのものであったりしたら、その日のうちに、この流刑場の広場で斬首だよ」

 

 舞玲が首をすくめた。

 

「それで、条件はなによ……?」

 

 呉瑶麗は訊ねた。

 舞玲が呉瑶麗を通報するつもりも、捕えるつもりもないのはわかっている。

 その気があれば、すでにそうしているだろう。誰も連れて来ず、ひとりでここにやってきたのは、なにかの狙いがあるからだ。

 舞玲はにやりと微笑んだ。

 

「お前が柴家に縁のある女だというのはわかっているわ。今回だけじゃなくて、再三にわたって柴家からは、所長だけではなく、あたしのような者にまで金子が届くしね。余程、あんたは柴家に大切にされている人間のようなのね……」

 

「御託はいいわよ。条件を言いなさいよ」

 

 呉瑶麗は言った。

 

「……金両百枚──。柴家に手紙を書いて、明日中にあたしに届くようにしなさい。手紙を書けば、あたしがすぐに人を使って届けさせるわ。まあ、そういうことよ」

 

「馬草の死体はどうするのよ?」

 

「そいつら? まあ、適当に処置できるわ。金両百枚があたしのところに届けば、馬草小屋にいるらしい看守のふたりは、まだいなくはならない……。死骸が発見されるのは、お前が柴家に異動した後だと思うわ……。だけど、そうでなければ、死骸はすぐに出ることになる。お前の異動はなくなり、犯人はすぐに見つかり処罰される。当然の酬いね──。どうかしら? いい条件だと思うけど」

 

「わかったわ……。考える余地はなさそうね」

 

 呉瑶麗は言った。

 柴進は金両百枚なら、間違いなく呉瑶麗のために出してくれるだろう。

 その確信は呉瑶麗にあった。

 

「確かに、考える余地はないわね」

 

 舞玲が頬を綻ばせた。

 だが、その顔が一瞬にして硬直した。

 跳躍した呉瑶麗が、舞玲の腰から剣を抜いて舞玲の首に刺したのだ。

 血が吹き出し、舞玲は椅子から落ちて倒れた。

 

「ご、呉瑶麗、なんで──?」

 

 ずっと横で正座をして、呉瑶麗と舞玲の会話を見守っていた安女金(あんじょきん)が、びっくりして立ちあがった。

 

「なんでって、なによ、安女金? それよりも、行くわよ。首輪を外して」

 

 呉瑶麗は言った。

 流刑場の囚人の首には、流刑場から一歩出ると首が絞まって死ぬという道術のかかった首輪が嵌められている。

 だから、この流刑場は緩い警備でも逃亡する囚人はいないのだ。

 安女金は魔道でこれを外せる。

 

「な、なぜ、殺したのよ……? わ、悪い条件じゃなかったと思うわ……。殺さなくても、看守長は取引きに応じたと思うわ。それとも、罠だったの?」

 

 安女金は呉瑶麗が躊躇なく舞玲を殺したことが信じられないという表情だ。それでも、手に青い光が灯り、その手が呉瑶麗の首を撫ぜた。

 首輪が外れる。

 すぐに、安女金自身の首輪も外した。

 

「そうね。悪い取引きじゃなかったかもしれないわね……。でも、ただひとつ、気に入らなかったわ」

 

 呉瑶麗は安女金に視線を向けた。

 安女金が訝しむ表情になった。

 

「……舞玲の提案だと、あんたは流刑場から出られないわ……。出られるのはわたしだけよ。だから、わたしにとっては考える余地はなかったのよ。もう、あんた無しでは、わたしはこの流刑場を出て行かないわ──。さあ、覚悟しなさい。こうなったら、どこまでも一緒に行ってもらうからね、安女金」

 

 呉瑶麗はにやりと笑った。

 

「出発よ、安女金」

 

 呉瑶麗は身支度をして外に出た。

 囚人の服は脱ぎ、柴美貴から送られてきた冬物の下袍と上着だけを着ている。

 荷には肩にかけた。

 外はかなり吹雪いていた。

 夜ではないが夕方であり、かなり薄暗い。

 好都合だ。

 

 目をつけていた城壁の外に向かう。

 金具を振り回して高い壁の上に縄を掛ける。

 まずは、安女金の身体に結び、下に待たせておいてから、呉瑶麗は伸びている縄に捕まって、そのまま壁の上まであがった。

 この流刑場には見張り台の数が少ない。この付近の壁は高さはあるが、見張りの櫓からは死角になっている。

 まずは見つかる心配はない。

 

 壁の上にあがった呉瑶麗は、今度は安女金を縄で引き上げる。

 反対側におりるのは、その逆だ。

 まずは、安女金を縄で雪の中におろして縄を外させてから、次に呉瑶麗が縄を伝っておりた。

 途中までおりたところで、縄を握ったまま飛びあがる仕草をした。

 それで壁にかかっている金具が外れるのだ。

 金具が外れて、呉瑶麗は縄ごと雪の中に落下した。

 

「わたしが前に出る。あんたは着いてきて」

 

 呉瑶麗は腰近くまである雪を掻き分けて進み始めた。

 目的地は柴進の屋敷だ。

 とりあえず、そこに逃げ込むしかない。

 流刑場にやってくるときには、街道を進み半日で到着した。

 しかし、街道の道はすぐに追手がかかるだろう。

 舞玲の屍体は呉瑶麗と安女金の起居房に置きっぱなしだ。

 隠したとしても無駄だから、そのままにしてきた。

 

 男の看守がひとりと女の看守がふたりが行方不明であることは、すぐにわかるだろう。

 そうなれば、囚人の点呼がかかる。

 呉瑶麗と安女金がいないことは、そのときにわかり、最初に呉瑶麗たちの起居房が捜索されることになる。

 そうなれば、舞玲の屍体をどう隠しても、すぐに見つかる。

 だから、呉瑶麗は、隠すよりも、早く逃げることを選択したのだ。

 

 とにかく、追手がかかる前に、少しでも先に──。

 呉瑶麗は懸命に雪を掻き分けて進んだ。

 吹雪はますます強くなる。

 振り返ると、呉瑶麗が通り過ぎた足跡がすでに新しく降った雪に埋もれようとしていた。

 

 

 *

 

 

「ご、呉瑶麗……。や、休もう……。ちょっとでもさあ……」

 

 安女金が苦しそうに言った。

 滄州の流刑場を脱走して、数刻がすぎた。

 すでに夜中だが、雪のおかげで明るさはあった。しかし、吹雪がひどくて前はよく見えない。その風雪に耐えて雪の中を進んでいた。

 

 街道ではない。

 道なき道を進んでいる。

 

 かなりの重労働だった。すでに呉瑶麗の全身は汗にまみれている。

 一度だけ街道に出ようと思ったが、流刑場の方向から隊のようなものが夜の街道を移動するのに接して、すぐに街道を逸れた。

 それ以降は、ずっと主街道も脇街道も避けて林の中を進んでいる。幸いにも、雪があるので道以外のところを進むことができる。

 だが、その分だけかなりの疲労だ。

 

「う、うるさいわねえ──。また、尻を蹴飛ばすわよ。とにかく、前に行くのよ。ぼやぼやしていたら、柴進殿の屋敷の近くは兵に固められるわ。そうなったら、屋敷の中には逃げ込めなくなるのよ」

 

 呉瑶麗は進みながら言った。

 もっとも、呉瑶麗が柴進と昵懇だったというのは、流刑場の所長は掌握をしている。

 その呉瑶麗が逃げ込むとすれば、柴進の屋敷であるというのは、考えることもなしに想像もつくだろう。

 だったら、すでに柴進の領園に逃げ込む経路は押さえられている可能性が高い。

 だが、もはや、呉瑶麗もそこに逃げ込む以外には逃亡の場所はない。

 なんとか夜のうちに進んで、夜陰に紛れて柴家の屋敷に入ってしまえば、柴家の屋敷を含む領園は、許可なく軍や役人の入れない治外法権の場所だ。

 それ以上は追いかけられないはずだ。

 

「で、でも、もう、歩けないのよ」

 

 そう言って、安女金は座り込んでしまった。

 呉瑶麗は舌打ちした。

 本当は先頭で雪を掻いて進んでいる呉瑶麗こそへとへとだ。

 雪掻きをしながら、道を作って進むのはかなりの重労働だ。

 しかも、この吹雪だ。

 それが呉瑶麗の体力をどんどんと奪っている。

 呉瑶麗は仕方なく、安女金が座り込んだところまで戻って、その隣に座った。

 

「水、飲みたい……。喉がからから」

 

 安女金が呉瑶麗の顔を見て言った。安女金もまた汗びっしょりだ。

 

「そこら辺の雪でも食べなさいよ。その代わり、腹を壊しても知らないわよ」

 

「それは大丈夫よ。腹を下してもすぐに治せるわ」

 

 安女金はそう言うと、がつがつと雪を口に中にかき込み始める。呉瑶麗は放っておいた。

 

「はあ、はあ、はあ……。と、とにかく、あとどのくらいあるのよ、呉瑶麗?」

 

 喉の渇きが癒えて、少しは落ち着いたのか、安女金が訊ねた。

 

「知らないわ。わたしだって、この土地は不案内なのよ。方向は合っていると思うけどね」

 

 呉瑶麗は言った。

 流刑場に入る前に、柴進の屋敷で周辺の地図は叩き込んではいた。

 だが、さすがに街道を避けて進んだのでは、現在位置さえも、よくわからない。

 

「し、知らないってなによ、呉瑶麗。無責任よ。人をこんな吹雪きの中を連れ出しておいて──」

 

「わたしだって、必死で歩いているのよ。あんたは、わたしの掘った雪の道を着いてくるだけじゃないの。弱音を吐くんじゃないわよ──」

 

「ゆ、雪の道って、どこに道があんのよ。あんたの掻いた後ろをあたしだって、掻いて進んでるわ。ねえ、街道に戻りましょうよ、呉瑶麗。こんなの無理よ。これ以上、進めないわよ」

 

「街道に戻って、それで、あっという間に捕まえられたいの? 駄目よ。とにかく、歩きなさい」

 

「もう、歩けないわよ。雪の中を進むなんて聞いてなかったわよ」

 

「だったら、馬車で迎えにでも来いというの? ほら、休憩は終わりよ。行くわよ」

 

 呉瑶麗は立ちあがった。

 しかし、安女金は座ったままだ。

 

「……なんで、立たないのよ、安女金?」

 

「それいいじゃないのよ、呉瑶麗……。そのなんとかという旧王族のところまで行って、ここまで馬車で迎えに来てよ。ここで待っているわ」

 

 安女金がうんざりした顔で言った。

 

「冗談言ってんじゃないわよ。こんなところでじっとしてれば、あんたなんか、朝までに凍ってしまうわよ。ほら──」

 

 安女金の尻を蹴飛ばして強引に立たせる。

 呉瑶麗は、再び雪の中を進んでいった。

 安女金が荒い息をして、また遅れ始めた。

 

 

 *

 

 

 夜が白々と明けてきた。

 激しかった雪も夜明けとともになくなった。

 安女金はすっかりと口を開かなくなり、なかなか進んではくれなくなった。安女金が泣き言をいうたびに尻を蹴飛ばして歩かせてきたのだが、呉瑶麗自身の体力も限界を越えつつあった。

 

 柴進の領園はまだだろうか……?

 概ねの方向は合っているはずだ。

 そろそろ到着してもおかしくはないと思う。

 

 だが、呉瑶麗も柴進の領園を詳しく歩いたわけではないから、柴進の領園内に入っても判断はつかない。

 危険だが、一度街道に戻るか、人家のある場所で誰かに道を訊ねなければわからない。

 呉瑶麗は進路を人家の気配のある方向に変えた。

 

 そして、雪の上をかなりの人間が通過した痕跡のある道に出た。

 しばらく、そのまま進む。

 すると、五軒ほどのあばら家が並んでいる場所に着いた。

 その中の一軒の前で焚火をしている三人ほどの老人がいる。

 

「ご、呉瑶麗……?」

 

 疲労困憊の安女金が呉瑶麗に声をかけた。

 

「わ、わかっている。少し道を聞いてみるわ……」

 

 呉瑶麗は用心深く、その焚火に近づいていった。

 

「どうしたのじゃ? びしょ濡れのようじゃな。しかも、女ふたり連れで……。お前たちは、夜中にあの吹雪きの中を歩いたのか?」

 

 三人の老人は焚火を囲んで、なにかの肉を棒に差して焼いて食べているようだった。老人のひとりが、呉瑶麗たちの姿に驚いたように声をかけてきた。

 

「み、道に迷ってしまって……。火にあたらせて、服を乾かさせてもらえませんか……?」

 

 呉瑶麗はとりあえず言った。

 

「おう、あたれ、あたれ──。わしらは夜中のあいだ、交代で獣の番をしている者だ。なにも遠慮はいらん。火のそばに寄るがいい」

 

 三人の老人は呉瑶麗と安女金の雪まみれの姿にびっくりしているようだった。

 彼らは焚火の周りに石を置き、椅子代わりにしていたのだが、それを呉瑶麗と安女金に譲ってくれた。

 呉瑶麗は安女金とともに、そこに座り込んだ。

 疲れていた。

 その身体に焚火の火は優しすぎる。呉瑶麗はやっと人心地がついた気がした。

 

「随分、凍えているようじゃのう……。わしらの飲み残しでよければ、酒はどうじゃ? 肉もあるぞ」

 

 別の老人が呉瑶麗と安女金に酒の入った椀と串に刺した焼いた肉を差し出した。

 

「あ、ありがとう、頂くわ」

 

 安女金がすぐに手を出して、その肉と酒に食らいついた。

 

「ちょ、ちょっと、あんた……。あっ、銀の粒があるので代金を払います」

 

 呉瑶麗は慌てて、手提げ鞄をとった。

 そこには、柴進から送ってもらった金子を入れてあった。それを少し差し出そうと思った。

 しかし、老人たちは笑って首を横に振った。

 

「そんなものは要らんわ。それよりも、あんたも随分と身体を冷えているようじゃ。とりあえず、これを飲んで身体を温めた方がよいぞ」

 

 老人が押しつけるように呉瑶麗に酒と肉を渡した。

 

「あ、ありがとうございます」

 

 呉瑶麗は感謝の言葉を告げると、とりあえず、肉と酒を口に入れた。

 おいしかった。

 肉も酒も疲労と空腹の身体に染み入るようだった。

 やがて、睡魔が襲ってきた。

 呉瑶麗はすっと眠りに陥っていった……。

 

 

 *

 

 

「きゃあああ──、た、助けて──。助けて、呉瑶麗──」

 女の悲鳴がした。

 

 呉瑶麗は目を覚ました。

 視界に映ったのは、藁葺きの天井だった。

 続いて、再び悲鳴が呉瑶麗の耳に突き刺さった。

 

「あ、安女金?」

 

 横を見た。

 素裸にされて、後手に拘束されている安女金が老人たちに押し倒されている。

 押し倒しているのは、さっき、火を炙らせてもらったときにいた三人の老人たちだ。

 いや、老人のように見えたが、それは顔だけのようだ。老人に見えた三人は下帯だけの姿になっており、身体は逞しかった。どうやら老人に見せかけていただけのようだ。

 

 しかし、この状況はどういうことなのか……?

 この老人に扮した三人の男たちに声をかけ、火にあたらせてもらい、酒と肉をもらった。

 その直後に急に睡魔に襲われた……。

 

 もしかしたら、あの酒か肉の中に一服盛られていた?

 ここは焚火の後ろにあったあばら家の中のようだが、これはどういうことなのか?

 呉瑶麗は混乱した。

 

「あ、あんたら、なにをするのよ。安女金を離しなさい」

 

 とにかく、呉瑶麗は叫んだ。その三人はいまにも、安女金を犯さんとしているようだった。

 そして、初めて、呉瑶麗も素っ裸であることに気がついた。しかも、両手を安女金と同じように後手縛りに縄で拘束されている。また、両足首も竹の棒の両端で固く緊縛されていた。

 呉瑶麗はその恰好で床の上に仰向けにされていたのだ。

 

「おう、こっちの美女も起きたか──。じゃあ、交替でいただくとするか」

 

 三人の男たちのうち、ふたりが呉瑶麗の周りにやってきた。

 

「俺はこっちでいいぜ。俺はこういう太った女が好みなのさ」

 

 ひとりだけ安女金のところに残った男が安女金の裸体に覆いかぶさるようにしながら言った。

 安女金が恐怖で泣き叫んでいる。

 その安女金も呉瑶麗と同じように両脚を竹の棒で開脚して縛られていることに気がついた。

 そして、呉瑶麗たちが身に着けていたものは、あばら家の隅に呉瑶麗の持っていた荷とともに集めて置いてある。

 

 まだ、完全には理解できないが、やっぱり一服盛られたのは確かだ。それで、あばら家の中に引き摺り入れられて、服をはがれて拘束されたのだと思う。

 この連中がどういう者なのかわからないが、普通の人間じゃないだろう。

 裸の身体を見れば、どう見ても老人ではない。おそらく、相手を油断させるために、わざと老人に変装していたのだ。

 

「あ、あんたら、もしかして、強盗?」

 

 呉瑶麗は拘束された身体を激しく揺さぶりながら声をあげた。縄はしっかりと結んである。暴れても少しも緩まる気配はない。

 

「そういうことだ。俺たちは、この辺の街道に巣食う強盗だ……。年寄りと油断させておいて、いきなり襲いかかるのが手口なんだが、今日は運のいい日だぜ。なにしろ、隠れ処にしている廃屋の前で休んでいたら、お前たちのような獲物が二匹、のこのことやってきたのだからな。どうだ、女? 眠り薬の入った酒はうまかったか?」

 

 呉瑶麗に覆いかぶさってきた男が大きな声で笑った。

 

「ひいい。男はいやああ。嫌なのお──。後生よ。助けて。お願いよお」

 

 横で安女金が泣き叫ぶのが、また聞こえた。



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43  呉瑶麗(ごようれい)、人質を取られて強姦される

「ま、待って、安女金(あんじょきん)には手を出さないで──。わたしが相手をするわ。わたしを犯して──。お願いよ。その代わり、安女金には手を出さないで」

 

 呉瑶麗(ごようれい)は必死に言った。

 あの安女金の金切声は尋常じゃない。

 どんな過去があったのかは知らないが、安女金は男との性交に異常なほどの恐怖を持っているようだ。

 

「ああ? ひとりで三人を相手にするだと? 馬鹿なことを言うんじゃねえよ。お前は俺たちのことを本当に年寄りだと思っているのか? これでも三人とも四十を少し過ぎたばかりで、しかも、精力絶倫だ。それをひとりきりで相手にするなんざ、お前が毀れてしまうよ。それでこの年増も相手にしようと言っているんだ。俺たちは、別に穴があれば、女がどんな顔をしてようがいいのさ」

 

 三人のうちの安女金を襲おうとしている男が笑いながら言った。

 

「いいから、安女金には手を出さないでって言ってるじゃないの──。穴ならわたしにもあるわ。前でも後ろでも、口でも使いなさいよ──。その代わり、安女金には絶対に手を出さないで──」

 

 呉瑶麗は金切声で叫んだ。

 すると、三人の男が一斉に笑った。

 

「じゃあ、俺たち三人の相手をお前がやってくれるというんだな? 最後まで俺たちが満足するまで、ひとりでやり抜くということかい、女?」

 

「あ、安女金には手を出さないでね……。その代わり、わたしはいくらでも犯していいわ」

 

「面白い──。じゃあ、やってもらおうじゃねえか。それで、途中で音をあげたり、気絶したりしたら、そこの年増女を犯すということでいいか?」

 

 呉瑶麗はそれでいいと気丈に言った。

 こんな男たちに犯されるのは、言語を絶するような屈辱だが、安女金を犯させるわけにはいかない。その一心だった。

 

「ご、呉瑶麗……」

 

 すすり泣きのような声をあげていた安女金が、呉瑶麗にべそをかいた顔を見せた。

 

「……そ、そんな顔をしないで、安女金……。なにもかも終わったら、また可愛がってね……」

 

 呉瑶麗は仰向けのまま、無理に作った笑いを安女金に向けた。

 

「よし、そうと決まったら、さっそくやってもらうぜ──。おい、そっちの年増は柱にでも縛っておけよ。途中で騒がれるのも興醒めだ。猿ぐつわもしておきな」

 

 そして、呉瑶麗は三人のうちのひとりに上半身を抱き起こされた。その男が縄で後ろ手に縛りあげられている呉瑶麗の肩を抱くようにして、唇を寄せてくる。

 

「な、なによ──。い、いやよっ──」

 

 思わず呉瑶麗は、その手の中で激しく身悶えした。

 

「こらっ──。さっき三人の相手をするという覚悟のようなものを叫んだくせに、のっけからこれかい──? 嫌ならいいんだぜ。おい、やっぱり年増女から犯すか」

 

 呉瑶麗を抱いている男が言った。

 

「ま、待ってよ──。び、びっくりしただけよ……。するわ……。口づけするから……」

 

 呉瑶麗は泣きそうなのを堪えて言った。

 ちらりと安女金を見る。

 安女金は竹の棒に足首を結ばれて開脚されたまま小屋の隅の柱に後手の縄尻を密着させられている。

 口には小屋にあった汚れた布で猿轡をされていた。呉瑶麗が顔を向けると、悲しそうな顔で呉瑶麗を見て吠えた。

 

「うるせい──」

 

 三人のうちのひとりが安女金の頬を張った。

 

「んぐっ」

 

 安女金の顔が横に弾かれて悲鳴をあげた。

 

「手を出さないでって言っているでしょう──。あんたらの相手はわたしよ──」

 

 呉瑶麗は声をあげた。

 そして、顔を伸ばして、眼の前の男の唇に吸い付いた。

 すると、その男にしっかりと抱き締められて、ぴったりと唇を返される。

 口に舌が入ってくる。

 凄まじい口臭で息が止まる。

 呉瑶麗は気が遠くなりかけた。

 

「ううっ、ううっ」

 

 呉瑶麗は呻いた。

 男の舌が呉瑶麗の舌を舐め、口の中を蹂躙する。

 その男の荒々しい口づけに、呉瑶麗は自分の全身が粟立つのがわかった。

 しかし、なす術はない。

 暴れたとしても、しっかりと緊縛されている身体ではなんの抵抗もできないだろうし、この男たちは呉瑶麗が反抗すれば、その見せしめのためだけに安女金を犯すだろう。

 

「ほら、交代だ──」

 

 ひとり目の男が呉瑶麗を離した。息つく余裕もなく、二人目の男が呉瑶麗の口を吸い始める。

 それが終われば三人目……。

 呉瑶麗は必死に悪臭と戦いながら、三人の男たちと代わる代わる口づけをかわした。

 

「さて、じゃあ、準備にかかるか」

 

 やっと三人目との口づけが終わり、呉瑶麗は仰向けに戻された。

 そのとき、ひとりの男が、いつのまにか小瓶のようなものを取り出して、呉瑶麗の股間になにかの油剤を塗りつけようとしているのがわかった。

 呉瑶麗はびっくりした。

 

「な、なにをしているのよ──?」

 

 呉瑶麗は声をあげた。

 

「気にすることはねえよ……。女が早く昇天するようになる催淫剤の媚薬だ。これを使えば、どんな女でもあっという間にいっちまうという代物だ。この前、襲った色事師から取りあげたものだが、ちょうどいいから使ってやるぜ。お前が少しでも早く音をあげるようにな」

 

 その男が笑いながら、指先に掬い取った薬剤を呉瑶麗の股間に塗りつけていく。股間を指で愛撫される嫌悪感に呉瑶麗は身震いした。

 しかも、妖しげな媚薬を股間に塗って、呉瑶麗の持久力を削ごうというのだ。その卑劣さに血が沸騰しそうになった。

 

「さっき、後ろの穴もどうのこうのと、啖呵を切っていたじゃねえか。だったら、しっかりと後ろも相手をしてもらおうぜ」

 

 別の男が薬剤を今度は肛門に塗り足し始めた。

 

「もう一度訊くが、本当にいいかの? 俺たちが三人で交代で責めれば、夕方までだって続くぜ。悪いことは言わねえ。お前の大事そうな仲間の女にも手伝ってもらったらどうだ? それで、少しは楽になる」

 

 今度は三人目が媚薬を乳首にも塗り始めた。

 呉瑶麗は引きつるような表情を三人に向けた。

 

「じょ、冗談を言わないで──。夕方までだって、死んでも耐えて見せるわ。その代わり、あんたらも誓いなさいよ。わたしが夕方まであんたらの相手をしたら、安女金には手を出さないってね──。そして、わたしたちを解放しなさい。その代わりに鞄の中の金子はあげるわ」

 

 呉瑶麗は媚薬を塗られていくおぞましさに耐えながら言った。

 

「そうはいかねえよ。お前らふたりは、闇奴隷商に売り飛ばす。奪ったものは髪留めひとつも返さないのが、俺たちの流儀だ。だが、愉しむだけ愉しんだら、凌辱については、それで終わりにしてやる。俺たちを満足させれば、もうひとりの女には手を出さねえよ。それだけは約束するぜ……。もちろん、お前が俺たちの相手をやりきったらの話だがな」

 

 男たちがげらげらと笑った。

 呉瑶麗は歯噛みした。

 やっと流刑場を脱走することができたのに、こんなところで、うっかりと強盗に薬を盛られるというのはなんという迂闊さだろう。

 自分の愚かさに腹が立つ。

 

「もう一度、念を押すぜ。お前が三人の相手をする。そして、お前が音をあげたり、気を失ったりすれば、俺たちはもうひとりを犯していい。それでいいんだな?」

 

「な、なんでもしてあげるわ。その代わり……」

 

「わかった、わかった──。もうひとりには手を出すなだな。いいぜ、約束しよう──。じゃあ、まずは、しゃぶりな──。ちょっとでも歯を立てれば、もうひとりは殺すからな」

 

 呉瑶麗は男から上半身を起こされた。

 そして、ひとりが呉瑶麗を跨いで、呉瑶麗の顔の前に股間を迫らせて、下帯を解いた。

 男の醜悪な性器が目の前に出現した。

 呉瑶麗は自分の顔が硬化するのがわかった。屈辱で身体が震えてくる。

 しかし、呉瑶麗を上から見下ろす男は、にやにやと挑戦的な笑みを呉瑶麗に向けてくる。

 

「おい、一の坊、いきなり、女にしゃぶらせるのかい? 噛み切られたらどうするんだ?」

 

 別の男が心配そうな声で言った。

 

「なに、そのときは、もうひとりの女を殺してくれ、二の坊。どうせ、その年増女は奴隷商に売り飛ばしても大した金にはならねえ。殺してもどうということはねえさ」

 

 一の坊と呼ばれた男が不敵に言った。

 一の坊というのは名前ではないだろう。お互いのあだ名であり、おそらく本名を隠すためにそう呼び合っているに違いない。そうだとすれば、三人は、一の坊。二の坊、そして、三の坊だろうか……?

 

「ほら、舐めな──。なんでもすると言ったのは嘘かい?」

 

 一の坊がせせら笑った。

 

「や、やるわよ……」

 

 呉瑶麗は捨て鉢の気持ちになり、口を開けて目の前の怒張に顔を近づけた。だが、この男たちはほとんど身体を洗うというようなことはしないのだろう。凄まじい汚臭が襲いかかった。

 吐き気をもよおすような匂いだ。

 一瞬、気の遠くなるようになった呉瑶麗は、思わず顔を横に向けてしまった。

 

「おい、二の坊と三の坊、やっぱり、もうひとりを犯そうぜ。どうもこの美人は、俺の珍棒はお気に召さないようだぜ」

 

 一の坊が言った。

 

「舐める。舐めるわよ──。何度も、安女金のことを口に出さないでよ」

 

 呉瑶麗は言った。

 

「安女金か……。お前の名はなんだい?」

 

「呉瑶麗よ」

 

「そうか……。そういえば、安女金とかいう年増がそう呼んでいたな……」

 

 一の坊がつぶやくように言った。

 呉瑶麗は口を開いて、一の坊の怒張を咥えた。

 耐えられないような匂いで全身が震えた。

 しかし、それに耐えて、舌先で一の坊の性器の先端を舌で舐め始める。

 

「下手糞な舌遣いだなあ──。もっと、一生懸命にやらないかい」

 

 一の坊が呆れた声で言った。

 そして、もっと力を込めろとか、筋に沿って動かせとか、あるいは幹を横から舐めろとか指示を出してくる。呉瑶麗もやけくそのような気持ちで、言われるままに舌を口を動かし続けた。

 しばらくのあいだ、呉瑶麗は舌で一の坊の性器をひたすらしゃぶらされた。

 それこそ、玉の裏まで何度も舌を這わさせられ、恥垢をひとつ残らず口にさせられた。

 

「まあ、いいだろう……。玄人の舌じゃねえからな。素人がぎこちなく舌を使うというのをしばらく味わってもいいんだが、後もつかえているしな。一発目はさっさとやっとやってやるぜ」

 

 一の坊が言って、性器を呉瑶麗の口から抜き、呉瑶麗を床に横たえた。

 そして、一の坊が呉瑶麗の身体に身体を這わせ始めた。

 呉瑶麗は塗られた媚薬の影響で、すでに全身に火がついたようになっていた。

 口吻を強要されながらも、薬剤の影響を気取られないように耐えていたのだが、身体をまさぐられることで、それが一気に吹き出した。

 

「あはああっ、ああっ、あっ、ああっ……」

 

 呉瑶麗は口から迸る嬌声を我慢することができずに全身を震わせた。

 身の毛がよだつほど嫌なのだが、すっかりと敏感になった乳首を吸いあげられたり、くすぐられたり、あるいは、内腿を擦られたりすると、呉瑶麗はどうしようないほど、身体が淫情で痺れてくるのを感じた。

 

「ひいいっ、そ、そこは……」

 

 一の坊による呉瑶麗の身体への愛撫が続いている傍ら、誰かが竹の棒に緊縛されている呉瑶麗の足の指を舐め始めたのだ。そこから込みあがったさざ波のような疼きに呉瑶麗は声をあげた。

 

「おっ、こんなところが弱いのか? じゃあ、俺もやってやるぜ」

 

 もうひとりも面白がって、呉瑶麗のもう一歩の足にうずくまって足の指を舐め始める。

 

「いやっ、はっ、はあっ……」

 

 あっという間に呉瑶麗の身体は切羽詰ったような状態になった。全身が火柱のように燃える。一の坊が呉瑶麗の股間に指を這わせて、敏感な肉芽をくるくると指で回して刺激されたときには、呉瑶麗は腰を跳ねあげて悲鳴をあげた。

 

「こんなことじゃあ、夕方どころか、数刻ももたねえんじゃんえか?」

 

 一の坊が今度は呉瑶麗の股間に顔を寄せて、ぺろぺろと舐め始めた。

 

「ひぐうう──」

 

 呉瑶麗は強烈な甘美感にのたうった。

 媚薬の力で身体の感度を引きあげられるうえに、三人掛かりで身体を舐めたてられ、呉瑶麗は火のような戦慄に全身を悶えさせる。

 

「どれ、じゃあ、いくぜ」

 

 一の坊が大きく開脚されている呉瑶麗の股のあいだに身体を差し込んで、腰を抱えるようにした。足の指を舐めていたふたりの男が、舌を這わせる場所を呉瑶麗の両方に乳房に移動する。

 一の坊の性器の先端が呉瑶麗の女陰にぴったりとあてがわれた。

 

「ふうううう──」

 

 呉瑶麗は三人に責められながら絶息するような声をあげた。

 一の坊の性器が呉瑶麗の陰毛を割って、女陰深くに挿し込まれたのだ。

 媚薬で爛れたようになっていた股間の中を怒張で強く擦られるのは途方もなく気持ちがよかった。

 そして、一度最奥まで侵入した怒張がゆっくりと往復運動を開始すると、呉瑶麗はもうなにも考えられなくなった。

 

「ああっ、あっ、ああっ──」

 

 一の坊に股間を貫かれ、耐えようのない快感が身体に走り、呉瑶麗は声をあげた。

 一の坊は性急ではなかった。

 身体の下でうねる呉瑶麗を翻弄するように、急に動きを速めたり、あるいは緩めたりして、呉瑶麗を揺さぶり抜いてくる。快感がせりあがりながらも、巧みに呉瑶麗の絶頂をかわして、どんどんと快感の頂点を引きあげてくるのだ。

 呉瑶麗は狂乱してきた。

 

「も、もう、来て──。お願いよ──。精をちょうだい──」

 

 やがて、呉瑶麗は思考力さえも奪われるような気持ちになり絶叫した。

 快感の頂点がやってきた。

 

「いくううっ──」

 

 呉瑶麗は全身を跳ねあげた。

 そして、ひと際高い声をあげると、全身を激しく痙攣させて絶頂した。

 

「いくらでもいってもいいが、俺はまだ達してもいねえぞ。一度精を放つまでは許さねえからな。本当に最後までもつのか──?」

 

 愉悦に昇天している呉瑶麗の腰を続けて責めながら、一の坊が余裕のある声でせせら笑った。

 

 結局、一の坊が精を放つまでに、呉瑶麗は三回も達してしまった。

 そして、息を整える暇も与えられずに、すぐに二の坊が呉瑶麗に覆い被さった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 性の地獄が延々と続いていた。

 三人の男たちに輪姦され始めて、果たして、どれくらいの時間が経過したのか……?

 

 男に覆いかぶられて、股間を深々と犯されていたかと思えば、いつの間にかうつ伏せに跪いていて、いきなり後ろの穴を突かれたりする。

 そして、吠えるような泣き声をあげているうちに、抱きかかえられるように座位にされる。

 そんな状況は延々と続いている。

 

 身体は痺れきり、もはや呉瑶麗には自分の意思ではほとんど身体を自由には動かせないようになっていた。

 媚薬の影響もあって呉瑶麗の身体は弛緩したようになっていたし、激しい連続絶頂で身体全体が綿にでもなったかのようだ。

 両腕の後手縛りはそのままだが、いまでは竹の棒に縛られた脚の拘束はなくなっている。ただ、両足首には縄がかかっていて、余長をとって左右の柱に繋がっていた。だが、比較的自由になった脚で男たちを蹴りあげるようなことはとてもじゃないができない。

 

「あっ、ああっ、また、またいきそう……あっ、ああっ……」

 

 呉瑶麗はいまはひとりの男が寝ている股間に上から跨がらされて、それをもうひとりの男から後ろから乳房を掴まれ、身体全体を揺するように動かされていた。

 もう、何度絶頂を極めたのだろう……?

 いまも結合した股間を上下から揺さぶられ、宙に浮くような性の悦楽に陥っていた。

 もうすぐ、いきそうだ。

 最初は息のとまるような苦しみがまさったが、いまは男たちの愛撫に官能の芯を抉られて、うっかりすると、その快感に引きずり込まれるような朦朧とした心地に陥る。

 ともすれば、そのまま、意識まで失いそうだ。

 

 だが、気絶すれば、安女金を犯すと脅されている呉瑶麗は、懸命に自分を叱咤して意識を保ち続けた。

 そうはいっても、三人掛かりで交代で責めたてる男たちに対して、呉瑶麗はひとりであり、しかも、余程に強い媚薬を使われたらしく、怖ろしく身体は敏感になっている。

 男たちに身体を刺激されて、自分でも驚くくらいに簡単に達してしまう身体に呉瑶麗は、もはや自分を制御できなくなっていた。

 

「あっ、ああっ、あっ──」

 

 呉瑶麗は襲ってきた快感の波に、全身が痺れきって悲鳴をあげた。

 自分がまたもや絶頂しようとしていることに呉瑶麗は気がついたが、もう呉瑶麗はどうにもならなかった。

 呉瑶麗はまたもや全身をがくがくと震わせて、快感の極みに達しかけた。

 

「最初こそ、威勢のいい啖呵を切ったが、所詮は女だな……。よがりまくって、ぐいぐいと締めつけやがるぜ……」

 

 身体の下にいる男が笑った。

 そして、もうすぐ達しそうだった呉瑶麗への責めを静かなものにして、呉瑶麗の昇天を妨げるようにした。

 ほっとしたものの、それは次の地獄へ続く性の道だ。

 この男たちは、そうやって巧みに呉瑶麗の絶頂を焦らすように責めたてながら、呉瑶麗の快感が限界以上にあがりきったところで、一気に責めたてるように動きを速めて呉瑶麗を昇天させるのだ。

 

 これにより、あまりにも快感の度合いがあがりきってしまう呉瑶麗は、どうしようもない状態まで追い詰められてしまうのだが、これを男たちは、それを息つく間もなく繰り返す。

 

 どうやら、余程に女扱いに手慣れた強姦魔たちのようだ。

 とにかく、もう達するも、焦らされるのも、この男たちの思いのままだ。

 灼熱の快感で骨まで痺れきり、呉瑶麗は抜き差しならない状態になり、呉瑶麗は吠えるような嬌声をあげた。

 

「ほら、これをしゃぶりな」

 

 もうひとりの男が激しく息をしている呉瑶麗の口の中に怒張を挿し込んだ。

 呉瑶麗は訳もわからず、無我夢中で口の中のものを舐め吸う。

 

「次に達したら、俺はここを犯してやるからな。お前の尻穴も最高だぜ。いい、尻穴をしているぜ」

 

 背後から乳房を揉んでいた男が、股間で下の男の怒張を咥えて跨いでる呉瑶麗の双臀の亀裂に指を這わして、肛門の中に指を入れた。

 そして、深く挿し込んだ指でくちゅくちゅと尻の内側の襞を抉られる。

 

「ひぐうううっ──」

 

 呉瑶麗は全身をのけ反らせた。

 今度こそ、一気にやってきた絶頂感に耐えられず、がっくりと上体を前に倒れさせた。

 本当にもう身体は動かない。

 呉瑶麗は倒された体勢のまま、床に突っ伏していた。

 

「ははは……。これで終わりだな──。他愛ねえぜ。じゃあ、もうひとりの女を犯すとするか」

 

 身体の下の男が、身体を倒した呉瑶麗を自分の身体から突きおろして、ほかの男たちに声をかけた。

 その言葉を辛うじて耳に捉えることのできた呉瑶麗は、なんとか身体をよじらせて、男たちの方に裸身を這わせた。

 

「ま、まだ……よ……。だ、大丈……夫……」

 

 呉瑶麗は言った。

 実際には目がかすんで焦点が合わない。

 それくらい疲労困憊していたし、激しい快感でもう意識を保つことが難しくなっていた。

 

「こりゃあ、まだまだやる気だな。だったら、本格的にやってやるぜ──。いいだろう……。こうなったら、夕方までとは言わずに、明日の朝まで続けようじゃねえか──。おい、三の坊、お前、ちょっと外に出て、精のつくものを買って来いよ。ついでに、いつもの性奴隷商人のところに行って、売り物の奴隷があると話をつけて来い」

 

「わかったよ、一の坊──。そのついでに、こつらの服を古着屋に売ってくるぜ。それで精の出るものを購ってくるさ」

 

 三の坊と呼ばれた男が小屋の隅に固めてあった呉瑶麗と安女金の着ていた物をかき集めるのがわかった。

 だが、もう呉瑶麗はそれに抗議するような気力はもうない。それよりも、気を抜けば消えそうな自分の意識を保つことだけしか考えることができない。

 この意識を手放したら、安女金が犯されてしまう。

 考えていたのはそれだけだ。

 

「さっさと戻ってこいよ、三の坊──」

 

 すると、三の坊とやらが小屋を出ていく気配がした。

 

「じゃあ、そういうわけだ、呉瑶麗──。お前への責めは、明日の朝までと決まった。そのための俺たちの食い物も本格的に揃えて、本腰入れてやらせてもらうぜ。お前の仲間を守りたかったら、明日の朝まで頑張るんだぜ」

 

 ぱんと思い切り尻をはたかれた。

 尻に痛みが走ったが、いまの呉瑶麗にはむしろありがたい。その痛みで、少しだけ意識をはっきりとさせることができた。

 それにしても、夕方までもほとんど耐えられそうにないのに、これを明日の朝まで伸ばすという。呉瑶麗は泣きそうになった。

 

「じゃあ、一の坊、次は俺が尻穴を使わせてもらうぜ」

 

「お前も好きだなあ、二の坊」

 

 残ったふたりの男が胡坐をかいたひとりの男の腰に、呉瑶麗の尻を乗せようとした。

 一瞬、羞恥と狼狽が走ったが、もう呉瑶麗には抗いの気持ちは起きない。一の坊が手伝い、おそらく二の坊の股間の怒張に尻穴をあてられた。

 呉瑶麗の肛門は、すっと二の坊の男根を受け入れてしまった。

 痛みは最初だけだ。

 すぐに麻痺して、この世のものとは思えないような妖しい快感が襲いかかる。呉瑶麗は尻穴を犯されながらのたうった。

 

「どうだい、気分は……? なんとか言えよ──」

 

 朦朧となった視界に、一の坊の顔が見えた。

 その顔が右に左に揺れる。

 もう、呉瑶麗は自分の意思ではどうにもならない。

 ただ、男の翻弄するままに、快感の大波を漂い続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

「また、いぐうう──」

 

 呉瑶麗は吠えた。

 前で犯されて達し、後ろで犯されて達し、もう、呉瑶麗はなにがなんだかわからない。

 どちらで犯されて、そして、どんな体位で抱かれているかもわからなかったが、やがて、いまは後背位で後ろから女陰を犯されているのだとわかった。

 

「ぐうっ、こいつ──また、締めつけやがる──。どんどん、強くなるぜ」

 

 呉瑶麗を後ろから犯している男が呻くような声をあげた。

 そして、呉瑶麗の中に精を発するのがわかった。

 

「……くそっ、また、出ちまった──。三の坊が戻ってこねえから、回転がよくねえなあ。二の坊、お前まだ、回復しねえか?」

 

「さっき、出したばかりだからな……。まあ、もう少しすれば、いくらなんでも三の坊も戻るさ。そしたら、しばらく預けようぜ──」

 

「よし、呉瑶麗、半刻(約三十分)ばかり休憩だ。その代わり、もしも寝ちまったら、もうひとりと交代させるからな」

 

 おそらく、一の坊がそう言ったと思う。

 そして、呉瑶麗は床の上に投げ出された、

 呉瑶麗は絶息する息を整えようと、とにかく身体を横たえて身体を丸めた。

 一の坊と二の坊は、小屋の隅にあった壺から水を飲み始める。

 

「んんん」

 

 そのとき、顔の近くで誰かの声がした。

 最初、それが誰のものなのかわからなかったが、すぐに猿轡をされて柱に縛りつけられた安女金だとわかった。

 

 安女金は号泣していた。

 なにかを懸命に呉瑶麗に訴えている。

 

「だ、大丈夫よ……。あ、あんたはわたしが……ま、守るから……」

 

 呉瑶麗は安女金に笑いかけた。

 すると、また、安女金が激しく泣きじゃくりだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

「ひいっ、ひいっ、ひ、ひどいわ──。や、やめて──」

 

 自分の顔に降りかかる男たちの小便に呉瑶麗は悲鳴をあげた。

 休憩ののち、再び始まった一の坊と二の坊のふたり掛かりの責めで、またもや何度も果てさせられた呉瑶麗は、頼むから水を飲まして欲しいと言った。

 すると、ふたりの男が示し合わせたように立ちあがり、仰向けに横たえた呉瑶麗の顔にいきなり小便をかけ始めたのだ。

 ふたりの男の尿を顔に浴びせられた呉瑶麗は、悲鳴をあげて上体を避けようとした。だが、男たちは、その呉瑶麗の髪を左右から踏んで、呉瑶麗が顔を避けられないようにしている。

 その呉瑶麗の顔に、ふたりの小便が当たり続ける。

 

「これが水だ。たっぷりとの飲めよ──」

「口を開けな──」

 

 一の坊と二の坊は大笑いしながら呉瑶麗の顔に尿を放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 ふたりの責めが続いている。

 男たちは、次はふたり掛かりで前後の穴を同時に責めようとか言い始め、呉瑶麗は下に仰向けに横たわった二の坊の怒張を跨ぎ、その状態でうつ伏せにされ、上から肛門を犯されるというかたちにされた。

 そして、前後に男たちの律動を受けた。

 呉瑶麗は形容のできない快感に襲われ、それが身体の芯まで貫いた。

 言語の絶する責め苦に、呉瑶麗はほとんど夢うつつの中で発作のような痙攣が自分を襲うのを感じた。

 

 もう駄目だ……。

 

 呉瑶麗は自分が意識を保つのが、今度こそ難しくなっているのを知覚した。

 そのとき、小屋の戸が勢いよく開いた。

 

「おっ?」

「なんだ?」

 

 一の坊と二の坊が呆気にとられているのがわかった。

 なにか大きな石のようなものが部屋に投げ込まれたのだ。

 すると、いきなり、呉瑶麗に覆いかぶさっている男が誰かに引っ張られてどいた。

 続いて、呉瑶麗の身体が持ちあげられて、下の二の坊から離され、横に置かれる。

 

「えっ……?」

 

 呉瑶麗も視線を向けたが、眼がかすんでよくわからない。

 三の坊が戻ってきたという感じではなかった。

 誰かが剣を持って立っているように思えた。

 

「うわあっ──、さ、三の坊──」

「お前は誰だ──?」

 

 一の坊と二の坊の絶叫がした。

 呉瑶麗はふと横を見た。

 それで、やっとふたりがなにに驚いているのかわかった。

 小屋の中に三の坊の生首が転がっているのだ。

 びっくりしたが、さっき石を投げ込まれたと思ったのは、どうやら三の坊の首だったようだ。

 すると、その剣を持って立っていた誰かが、一の坊の首に剣を無言で振るのがわかった。



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44  柴進(さいしん)呉瑶麗(ごようれい)東渓村(とうけいそん)行きを勧める

 朦朧としている呉瑶麗(ごようれい)の目の前で、さらに一の坊の首が胴体から離れて血が吹き出した。

 

「ひいい──」

 

 最後に残った二の坊が恐怖の声をあげる。

 だが、その胸に突然に入ってきた剣士の剣が吸い込まれた。二の坊の身体も死骸に変わる。

 

「だ、大丈夫ですか、呉瑶麗さん──?」

 

 女の声だ。

 呉瑶麗は呆然と、剣を持っている女の顔を見た。

 やっと、頭が回りだした。

 そこに立っているのは柴家の柴美貴(さいびき)だ。

 柴進の妹であり、女剣士の柴美貴だ。

 

「さ、柴美貴殿……」

 

 呉瑶麗はそれしか口にできなかった。

 状況がうまく理解できなくて、まだ茫然としていた。

 

鄧子(とうし)孟子(もうし)、毛布を持って入ってきて。男はそのまま馬車で待機しなさい。入ってこないで──」

 

 柴美貴が小屋の外に叫んでいる。

 侍女らしき若いふたりの少女が毛布を持って小屋に駆けこんできた。

 ふたりは、小屋の中の惨劇と、呉瑶麗と安女金の姿にたじろぎのようなものを示したが、すぐに行動を起こして柴美貴を手伝い、呉瑶麗と安女金の拘束を解いてくれた。

 呉瑶麗の身体が裸身が毛布で包まれる。

 

「ご、呉瑶麗」

 

 安女金が泣きながらしがみついてきた。

 

「だ、大丈夫よ……わ、わたしは……。こ、こんなもの犬にでも噛まれたと思うわ……。ただ、無遠慮にこいつらに中出しされたから避妊の薬草を飲みたいわね……」

 

 呉瑶麗は息を整えながら言った。

 なんとか、少し落ち着いてきた。しかし、まだ、身体が火照っていて熱い。まだ媚薬の影響が身体にかなり残っていると思う。

 

「避妊丸はすぐに準備します……」

 

 柴美貴が静かに言って、呉瑶麗の前にしゃがみ込んだ。

 

「で、でも、あ、あんた……」

 

 安女金が強い力で呉瑶麗の顔と身体を抱き締めてくる。

 呉瑶麗は自分を抱く安女金の手に、自分の手を添えた。そして、呉瑶麗の前に心配そうにひざまずく柴美貴に視線を向けた。

 

「あ、ありがとう、柴美貴殿……。でも、ど、どうして、ここが……?」

 

 呉瑶麗は柴美貴を見た。

 

「その男です……」

 

 柴美貴は、最初に柴美貴が小屋に投げ込んだ三の坊の生首を顔で示した。

 

「三の坊のこと?」

 

「そいつ、三の坊というんですか? そいつが柴家の息のかかった古着屋で、呉瑶麗さんにわたしが贈った冬物の衣類を売りにきたと、店の者から報せを受けたんです。わたしは兄に指示されて、呉瑶麗さんたちを探し回っていたんですが、その報せに飛んでいき、すぐに、そいつを捕まえました。少し締めあげたら、そいつは呉瑶麗さんたちを監禁している場所を吐きました。でも、こんなことになっているなんて……」

 

 柴美貴は暗い顔をして言った。

 そういえば、三の坊が呉瑶麗と安女金の衣類を売って、その代金で食料を買い込むとか話していたのを思い出した。

 呉瑶麗の持っていた鞄には柴進(さいしん)から贈られた金子も入っていたが、こいつらはそれだけじゃ満足せずに、金子に変えられるものは、すべて金子にしようと思ったのだ。

 どうやら、そのお陰で、呉瑶麗を探してくれていた柴美貴への足がついてしまったということらしい。

 だが、柴美貴が呉瑶麗たちを探してくれていた……?

 

「で、でも、あなたがわたしたちを探していたとはどういうことなの、柴美貴殿?」

 

 呉瑶麗は訊ねた。

 

「呉瑶麗さんが流刑場を脱獄をしたというのは、昨夜のうちに柴家の屋敷にも情報が入ったのです……。だけど、いまは、流刑場の兵だけじゃなく、城郭の兵まで出動して、あなたたちを追っています。柴家の領園内そのものには兵は入ってこれませんが、その周りは完全に固められて、蟻の這い入る隙間もない状況です。それで、兄が心配して、なんとか兵よりも先に呉瑶麗さんたちを見つけて保護しろと、わたしに言いつけたのです」

 

「そんなに兵が?」

 

 呉瑶麗は少し驚いた。

 流刑場の看守兵が柴家への侵入口を押さえられることは予想の範疇だったが、まさか城郭兵まで出ているとは思わなかった。

 呉瑶麗が柴家に逃げ込むことは、ばれているとは思ったが、看守兵程度なら数が知れている。

 領園の周域のすべてを彼らが抑えることなど不可能なので、なんとか出し抜けば、柴進のところに逃げ込めるだろうと思っていた。

 しかし、城郭兵まで動員されているなら話は違っていた。うっかり、柴家にのこのこと近づけば、あっという間に捕らえられてしまい、逃げられなかったかもしれない。

 

「……だったら、こいつらに捕まって、妙な足留めを食らったのは、逆に運がよかったかもしれないわね」

 

 呉瑶麗は、小屋の中の死骸を改めて眺めてながらうそぶいた。

 

「まあ、結果的にはそうかもしれませんね……。とにかく、表に馬車があります。それに隠れていれば、屋敷の中に逃げ込めます。いくら城郭兵でも、柴家の紋章のある馬車を止めて調べることはできませんから……。行きましょう、呉瑶麗さん」

 

 柴美貴が言った。

 

「あっ……、ま、待って……。ねえ、安女金、わたし、まだ、媚薬の影響が身体に残っているのよ。先に少し治療して楽にしてくれない?」

 

 呉瑶麗は、まだ呉瑶麗を両手で抱えたままだった安女金に視線を向けた。

 

「わ、わかったわ、呉瑶麗……。だけど、驚いたわねえ。この柴美貴さんって、あの柴家の妹孃でしょう? 柴家に頼れるというのは教えてもらっていたけど、すごく親しそうじゃないのよ」

 

 安女金が青い光を手に帯びさせながら、呉瑶麗の身体の周りを毛布の上から撫でだす。

 途端に楽になってくる。

 脱力していた身体にも力が戻ってくる。

 

「まあ、この人は何者なんですか、呉瑶麗さん?」

 

 柴美貴が目を丸くしている。

 

「安女金よ。道術の力のある女医なの……。そして、流刑場内で見つけたわたしの友人であり、恋人であり、そして、生涯の伴侶よ」

 

 呉瑶麗がそう言うと、柴美貴がさらにびっくりしたような表情になった。

 

 

 *

 

 

「呉瑶麗、すまない」

 

 柴進が頭をさげた。

 呉瑶麗はびっくりした。

 

「あ、頭をあげてください、柴進殿。助けてもらい、さらに、匿っていただいているわたしが、そのあなたに頭をさげられて謝られてしまっては、どうしていいのかわからなくなります」

 

 呉瑶麗は言った。

 

 柴進の屋敷だ。

 柴美貴の乗ってきた馬車に隠れて、呉瑶麗と安女金は、なんとか柴進の屋敷内に入ることができた。

 馬車内に隠れて外を覗いていたが、本当に柴進の屋敷の周辺の辻々にはたくさんの兵が配置されていた。

 これほどの兵が、たかがふたりの女の脱走囚を捕らえるために動員されているというのは驚くばかりだ。これはとてもじゃないが、柴美貴の助けがなければ柴家に入って来られなかっただろうと思った。

 その重配備に接して、改めて呉瑶麗は安堵した。

 

 柴進の屋敷に入ると、柴進自ら、玄関まで出迎えてくれた。

 すぐに身体を洗う湯舟を提供され、安女金と柴美貴を含めた四人で夕食もした。

 そして、安女金と柴美貴は先に休むということになり、呉瑶麗と柴進はふたりだけで、柴進の私室に移動した。

 

 部屋に入ると、柴進は呉瑶麗を長椅子に腰かけさせ、自分は卓を挟んで向かい合う椅子に座った。柴進は、呉瑶麗と自分用の酒を杯に注いで卓に置いたのだが、その直後、柴進はいきなり呉瑶麗に向かって頭をさげたのだ。

 

「いや……。柴家の力を使って、あなたをすぐに釈放させると言っておきながら、力足らずでなかなかそれができなかったばかりでなく、結果的には、私が手を回したことが、あなたに帝都からの刺客を向けさせることに繋がったように思う。私の預りとすることで、呉瑶麗は事実上の釈放になる予定だったのは承知していたとは思うが、それを知った高俅(こうきゅう)の一派は、あなたに手が届かなくなる前にあなたを殺させようとしたのだ」

 

「やはり、そういうことでしたか……」

 

 呉瑶麗は言ったが、柴進の口ぶりでは、どうやら、呉瑶が牢城内で刺客に襲われたのは承知しているようだ。

 

「つまり、私が動くことで、あなたは危機に陥った。しかも、私が余計なことをしなければ、あなたは自分の力で、もっと楽に脱走もできたのたと思う。結局のところ、あなたは自分の力で流刑場を脱走してきたのだしな」

 

 柴進は頭をさげたままで言った。

 呉瑶麗は困ってしまった。

 

「お願いですよ、柴進殿。もう、やめてください。あなたと柴美貴はお世話になり、それは感謝してもしたりないし、いまのわたしには、その恩を返すこともできません。それなのに、そのあなたに謝られては、わたしはどうしていいかわからなくなります」

 

 呉瑶麗は言った。

 すると、柴進はやっと頭をあげてくれた。

 

「しかし、今回のことで改めて、中央で権力を握っている高俅という悪党の卑劣さがわかった。私が手を回して、あなたを釈放させようとしたのを阻止したのは、その高俅なのだ。高俅が城郭の県令に圧力をかけるために、あなたを厳しく監視せよと通達を出していたのだ」

 

「そうですか」

 

 予測はしていたが、一介の女囚をそれほどに怖れるのは、なんという臆病者であるのだろうと思った。

 

「また、あなたの暗殺を看守にさせるように動いたのも高俅の部下の陸謙(りくけん)だ。それも確認している。そして、あなたが脱獄して、信じられないくらいの城郭兵が動員されたのも、高俅の媚を売りたいと思った県令の指示だ……。それに対して、私はなんの有効な手だてもできなかった……。私は本当に無力だった……。それを思い知った……。また同時に、そんな権力に陥れられたあなたの苦しみもわかった。本当に申し訳ない……」

 

「もう、怒りますよ、柴進殿……。もう、謝るのは堪忍してください。わたしはこうやって、あなたに匿われているというのに……」

 

「いや、実は、謝罪はそのことについてもだ……」

 

 柴進はつらそうな顔で言った。

 

「そのこと?」

 

「あなたが脱獄してきたからには、私はなんとしてもあなたのことをここで匿うつもりだった。ここには城郭兵や役人は入ってこれないという治外法権の権力が保証されているからな……。だが、あなたを殺そうとする権力は、私の予想以上のものだった」

 

「えっ?」

 

「あなたがここに逃げ込んだということは、いずれは発覚すると思う。そうなれば、柴家に許された治外法権の権限など通用しない。それくらい高俅の力が強いのだ。あなたをここに置いていては、逆に迷惑がかかると思う……。すまない──。あなたをここに置いておけないのだ。私の力不足で申し訳ない……」

 

 柴進が再び頭をさげた。

 呉瑶麗は静かに息を吐いた。

 つまりは、柴進は、呉瑶麗たちに、ここを出ていって欲しいと言っているのだ。

 それで頭をさげているということだ。

 

 流刑場を脱走して、ここに逃げ込むことができさえすれば、もう高俅の刺客に怯える必要はないと思っていただけに、柴進の思わぬ言葉に失望しなかったといえば嘘になる。

 だが、なんの所縁のない柴進に、呉瑶麗を助けるために、高俅や高簾という中央権力と戦ってくれとはとても言えない。

 柴進が精一杯のことをしてくれているというのは理解している。

 

「わかりました、柴進殿……。わたしと安女金は、明日の朝にここを出ていきます。柴家にはご迷惑をかけないようにします。でも、今夜ひと晩だけは許してください。いずれにしても、ご好意に感謝します」

 

 呉瑶麗は頭をさげた。

 だが、ここを出てどこに行けばいいのだろうか……。

 呉瑶麗の顔が帝国全土に人相書きとともに手配されるのは間違いない。

 高俅のことだから、高額の賞金もかけるに決まっている。

 一体全体、安女金とふたりでどこに逃亡すればいいか……?

 呉瑶麗は途方にくれた。

 

「すまん、呉瑶麗……。いまのうちなら、まだ柴家の馬車に隠れて、城郭兵の配備の外に逃亡することは容易いと思う。だが、呉瑶麗たちが柴家に入ったと完全に噂になってからは、それすら難しくなる。とにかく、高俅とかいう男の呉瑶麗への執着は異常だ──。なんとしても、捕らえるか、あるいは殺そうとしているようだ」

 

 柴進は言った。

 

「わかりました。では、明日の朝、わたしたちを逃がしてください。それはお願いします。それからあとは、安女金と相談してなんとか逃亡先を考えます」

 

 呉瑶麗はきっぱりと言った。

 

「い、いや、そんな風に、あなたを見捨てるようなことはしない。あなたたちを匿ってくれる場所は紹介するつもりだ……。おそらく大丈夫と思う。私は彼女は直接知らず、死んだ夫のことはよく知っているだけなのだが、彼女は、まだそれを恩義に思ってくれていて、私の頼みなら断らないはずだ」

 

「彼女?」

 

「それに、彼女については、それがお尋ね者であろうと、保護した者は絶対に守ってくれるという仁の噂もある。あなたたちが逃げ込むには最適だと思う。なにしろ、彼女と呉瑶麗を結びつけるものはなにもないはずだ。いかに、高俅の手が広かろうと、あなたがそこに逃げたということがわかるわけがない」

 

「この国のどこかに、高俅の手の届かない場所でもあると?」

 

 呉瑶麗は半分皮肉を込めて言った。

 しかし、柴進はそれには気がつかなかったようだ。

 呉瑶麗に対して、柴進が満面の笑みを浮かべる。

 

「ここからずっと西に梁山湖という巨大な湖がある。そのほとりに東渓村(とうけいそん)という場所があるのだ。その女名主の晁公子(ちょうこうし)という女を頼るといい。すでに手紙を飛脚で送ってもいるし、あなたにも私の手紙を渡す。そこに行くといい。その晁公子なら、あなたたちふたりを匿ってくれるだろう」

 

「わかりました。なにからなにまで感謝します。そこに行きたいと思います」

 

 呉瑶麗は言った。

 すると、柴進はほっとした表情になった。

 

「……すまないな……。本当は、あなたにはこの屋敷で暮らしてもらいたかったのだ。それでなんの問題もないと思っていたのに……」

 

「そんな……。これ以上のことをしてもらうわけにはいきませんよ」

 

 呉瑶麗は微笑んだ。

 

「しかしなあ……」

 

 柴進はまだ無念そうな表情をしている。本当に呉瑶麗のことを心配してくれているのだと思った。

 それはわかった。

 

 呉瑶麗は決心した。

 そして、卓の上にある酒の入った杯をひと息で飲み干した。

 その場に立ちあがる。

 

「柴進殿……。それよりも、あなたの好意にお礼をさせてもらえませんか? こんなにたくさんの男に凌辱されたような身体で申し訳ありませんが、よければ、今夜、あなたに奉仕させてください。一生懸命やりますから……」

 

 呉瑶麗は身につけているものを脱ぎ始めた。

 柴進が驚いた表情をした。

 

 

 *

 

 

 寝台に横たわった呉瑶麗に大きく股を開かせ、その太腿の付け根に柴進は舌を這いまわらせていた。

 酔うような官能の香りが、呉瑶麗という女性からたちこめている。

 

 淫液で濡れる股間の裾野……。

 頂に張りつく陰毛……。

 引き締まった身体……。

 そして、汗で光沢に輝く肌……。

 

 女に触れた経験は多いが、こんなに淫情を感じる女性は初めてだった。

 一度舌を這わせると、身体を舐め回さずにはいられない。そんな気分になる。

 柴進が舌で愛撫をするたびに、呉瑶麗は充血した裸身をよがらせながら、助けを求めるように柴進の裸にしがみついてくる。

 

 そんな仕草も可愛くて仕方がない。

 それでいて、柴進など歯も立たないような女武術家なのだ……。

 そして、気高い心が備わった精神の強さ……。

 さらに、自然に男を惹きつけて夢中にさせてしまう美貌……。

 帝都で高俅という男が執着し、いまは殺してしまおうとまでしている女……。

 

 だが、こうやって愛を交わしていると、その高俅の愛憎が理解できる気がする。

 男を不思議に魅了してしまい、なぜか相手を虜にする……。

 それが呉瑶麗という女なのかもしれない。

 そして、そのために理不尽な不幸に遭い、そして、また追われる旅をしようとしている。

 その呉瑶麗を柴進の手で匿い、幸せを与えることはできなかった。

 それが口惜しい……。

 

「……なにを考えているのです……」

 

 身体の下の呉瑶麗が言った。

 柴進は顔をあげた。

 汗で張りついた顔に微笑みを浮かべて、柴進をじっと見つめている。

 

「なんでもない……」

 

 柴進はそれ以上考えることをやめた。

 いまはこの女体に溺れよう……。

 それが愛し合いたいと申し出てくれた呉瑶麗への礼儀のようなものだ。

 柴進は再び、呉瑶麗の股間に顔を寄せた。

 指を使うことなく、尖らせた舌を上下に這わせて、呉瑶麗の狭い亀裂に沈めていく。

 

「はあっ」

 

 呉瑶麗が身体をのけ反らせて、柴進の頭を手と膝で抱きしめた。

 構わず柴進は舌を縦横無尽に動かした。

 呉瑶麗はまるで崩れ落ちるような息を吐き、腰だけでなく太腿や乳房までを激しく揺り動かして悶えた。

 

 もう我慢できない……。

 柴進は舌で股間を愛撫していた体勢から、呉瑶麗を男根で貫く体勢に変化させた。

 若くて、誇り高く、そして、鍛え抜かれた呉瑶麗の肢体は柴進の知っているどの女体ともかけ離れていた。

 その女を犯す──。

 柴進は興奮に包まれていた。

 そして、猛りきった怒張を呉瑶麗の熱い股間に掏りつけた。

 

「あ、ああっ、はあっ」

 

 呉瑶麗の女陰に一物を打ち込んだ瞬間、呉瑶麗がひと際高い声を放って、全身を打ち震わせた。

 そして、吠えるような声を発してすごい力で柴進の背中にしがみつく。

 

「さ、柴進殿……き、気持ちいいです……ああっ、あああっ」

 

 柴進の怒張が呉瑶麗の膣の中を抉り進むにつれ、呉瑶麗はいよいよ乱れだした。

 

「う、ううっ」

 

 柴進も随喜の声を漏らしていた。

 目の前で鮮やかに身体を染めて悶える呉瑶麗の女陰は気持ちよかった。

 柴進の敏感な亀頭を滑らかに包み、豊かな潤いとともにぴったりと密着する。

 そして、しっかりと締めつける。

 

 この素晴らしい身体を前にして自制など不可能だ。

 柴進は耐えられなくて、一気に股間を呉瑶麗の膣の奥まで貫かせようとした。

 そして、本能の赴くまま、一気に呉瑶麗の股間に腰を叩き込む。

 

「ひ、ひひいっ」

 

 呉瑶麗が呻き声を発し、まるで身体に魔道の電撃でも流されているかのように全身を反り返らせた。

 

「す、すまん」

 

 柴進ははっとして身体をとめた。

 呉瑶麗が引きつるような悲鳴を発して顔をしかめたことで、柴進は、あまりにも自分が荒々しく呉瑶麗を抱いてしまったことに気がついたのだ。

 柴進は苦笑した。

 初めて女に触れた十代の少年じゃあるまいし……。

 相手の女を無視したような抱き方をするとは……。

 だが、いま、一瞬そんな気分なっていたことは確かだ。

 

「ち、違うんです……。あ、あんまり、気持ちがよくて……。も、もっと乱暴にしても……だ、大丈夫です……。ど、どうか、柴進殿の……す、好きなように……」

 

 呉瑶麗が気丈に微笑んだ。

 その瞬間、柴進は、この女を手放そうとしていることを強く後悔した。

 やはり、この女性の身の上を他人に委ねるというようなことをせず、柴家の力のすべてを使って守るべきではなかったか……。

 

 高俅や高簾(こうれん)などという中央権力などに怖れを抱かず、戦うべきはないのか……?

 それによって、呉瑶麗と一緒に滅びることになろうとも……。

 だが、柴進は思い直した。

 選んだのは、呉瑶麗にとって最適の選択だったのだ。

 この柴家に呉瑶麗を置くことは危険すぎる。

 

 必ず、呉瑶麗の行方が知れることになるし、そのときはどんな罠が仕掛けられてくるかわからない……。

 それよりも、中央権力など想像もつかない場所に隠れた方が呉瑶麗は安全なのだ……。

 柴進はその惑いを晴らすように、呉瑶麗の中で律動を開始した。

 

「はああっ」

 

 呉瑶麗が吠えた。

 身体の中の官能のすべてを発散するような鮮やかな音楽のような声だった。

 柴進は律動をしながら、呉瑶麗の股間がまた潤いを足したを感じた。

 柴進の怒張全体が呉瑶麗のたっぷりの愛液に包まれて二段三段と締めつけられる。

 柴進は顔をしかめて声を出した。

 まるで股間全体が呉瑶麗に溶かされていくような感覚だった。

 

 溺れている……。

 その感覚が襲っている。

 いつの間にか、柴進は、さっきのように腰全体をぶつけて荒々しく呉瑶麗に怒張を奥深くまで突き入れていた。

 

 腰の激しい動きが止まらない。

 もう自分でもどうにもならないのだ。

 もっとゆっくりと味わいたいと思いながらも、柴進は最後の射精に向かって一直線に突き進んでいた。

 いつもはもう少しゆっくりと落ち着きのある性交をするのが柴進の常だった。こんなにも欲情を完全に開放して、狂うような性交をした経験はない。

 だが、呉瑶麗に対してはそうはいかなかった。

 

 この身体が悪いのだ。

 柴進は呉瑶麗を犯しながらそう思った。

 呉瑶麗は意識していることではないだろうが、一打一打と股間を打ちつけるごとに、呉瑶麗の裸身は男を魅了するような喜悦に柴進を誘うのだ。

 その苦しそうで、切なそうで、それでいて、性に溺れきっている表情や仕草や嬌声が、男の欲望を刺激するのだ。

 

 柴進の歓喜の瞬間が近づいていた。

 もう、とめられない……。

 とめたくもない……。

 柴進はこの女体に心の底から酔っていた。

 仰向けになった呉瑶麗の裸身は、柴進の責めに乱れながらも、貪欲で性急な柴進の腰使いにしっかりと応じて、子宮や膣の襞を擦りつけてくる。

 

「も、もう、いきます……。い、いってもいいですか……あ、あああっ……」

 

 呉瑶麗の声が一層甲高いものになった。

 あまりにも可愛らしいその仕草に、柴進は我を忘れた。

 

「うおっ」

 

 そして、欲望の猛りを呉瑶麗の膣の奥深くにぶちまけた。

 全身を焼き尽くすような快感が包み込む。

 外に出す余裕もなかった。

 呉瑶麗もまた、精を放つ柴進の怒張を離すまいとするように強い力で締めつけていた。

 柴進は凄まじい勢いで呉瑶麗の中に、二射三射と精を発していた。

 呉瑶麗もまた、声をあげている。

 彼女が欲情の頂点に達したのは明らかだった。

 

 

 *

 

 

 呉瑶麗と安女金は、柴進の屋敷からは馬車に乗って移動した。

 人の乗る馬車ではない。

 荷物を運ぶ荷馬車だ。

 もちろん、柴家の紋章のある馬車だ。

 

 柴進は、呉瑶麗を探す検問を突破させるために、登城の城郭の要人を訪ねるという用事を作ってくれていた。

 向かうのは柴進と柴美貴、そして、柴進の指名した十名ほどの食客たちだ。呉瑶麗を三人の強盗から救ってくれたときにいた鄧子と孟子という若い侍女も混じっている。

 

 全員が騎馬であり、それが柴進が移動するときの普通の態勢だ。

 貴人である柴進と柴美貴だが、平素から馬車はあまり使わないらしい。

 それなのに、今回に限って馬車となるのは不自然になる。

 だから、人の乗る馬車は、敢えて準備しなかったのだ。

 

 だが、土産や着替えを運ぶための荷馬車はなければならない。

 呉瑶麗とべりーは、その荷馬車に積まれた大きなふたつの箱にそれぞれの身体を隠していた。

 しばらく街道を進んでいた馬車が停車した。

 おそらく、検問に差し掛かったのだろうと思った。

 

「これは、柴進様、西にご出立ですね。こちらでも聞いております。どうぞ、お通りください」

 

 外から声がする。

 おそらく、柴進と検問所の将校が話をしているのだと思う。

 

「この物々しい検問はなんのためなのだ?」

 

 柴進だ。

 

「流刑場から逃亡した呉瑶麗という女囚をなんとしても捕えよという城郭の長官の沙汰なのです。それで滄州から出る者を虱潰しに調べているところです、柴進様」

 

「それはご苦労だな──。おいっ」

 

 柴進が随行の者に声をかけた。

 おそらく、幾らかの金子を渡すのだろう。しばらくすると、嬉しそうな将校のお礼の言葉が聞こえてきた。

 

「ところで、荷馬車を調べんでよいのか? お尋ね者の呉瑶麗が隠れているかもしれんぞ」

 

「ご冗談を、柴進様……。さあ、どうぞお通りください」

 

 将校が笑った。やがて、馬車が再び進みだした。

 それから一刻(約一時間)ほど経った。

 馬車がとまり、柴美貴の声がして、呉瑶麗を隠していた箱の蓋が開けられた。

 街道から逸れた森の中のようだ。

 

 呉瑶麗は馬車に積んでいたこれからの旅の荷を持って馬車から降りた。

 いい天気だった。

 雪が降った痕跡もあるが、この辺りまでくると雪の多い登城地方からは離れているために、ほとんど歩くのに支障のない程度しかない。

 これなら、安女金も文句を言わずに歩くだろう。

 

「ここはちょうど城郭と城郭のあいだくらいの位置だ。これからの旅は、大きな城郭を避けた方がいいだろう。ここから間道に入れば、城郭を通らずに西に向かえる。地図を準備した。持っていくといい」

 

 柴進が畳まれた紙の地図を呉瑶麗に手渡した。地図など、そう簡単に手に入れられるものではない。

 貴重品だ。

 ほかにも旅で必要な物も準備してもらったし、旅の路銀も有り余るほど与えられた。もちろん、梁山湖のほとりの東渓村の女名主の晁公子という女性に向けた手紙も受け取っている。

 

「なにか要り用のものはありませんか、呉瑶麗さん」

 

 柴美貴だ。

 呉瑶麗は首を横に振った。

 

「ありません……。なにからなにまでありがとうございます。この恩は死んでも忘れません」

 

 呉瑶麗は言った。

 安女金も神妙な顔で頭をさげている。

 呉瑶麗と安女金は、このところ少しずつ世間に拡がっているという明教徒(めいきょうと)の格好をしている。明教徒の特徴は、顔をで頭巾で隠す真っ白い外套だ。

 人相書きで手配されているであろう呉瑶麗たちにはちょうどいい。

 別れの言葉を交わして呉瑶麗たちは出発した。

 柴進と柴美貴たちは、呉瑶麗たちが完全に見えなくなるまで、見送ってくれた。

 

 そして、旅の空だ──。

 

「やっと逃げのびたのかねえ……。今度は、強盗に道を訊ねるような間抜けなことはしないでよね、呉瑶麗」

 

 しばらく進むと、安女金が軽口を言った。

 

「なに言ってんのよ、安女金。あのとき差し出された酒を一目散に飲んだのはあんたじゃないの。そもそも、毒だとしても、あんたがすぐに、毒消ししてくれたらよかったのよ」

 

「まあ、そうかもね。でも、疲れてたし」

 

 安女金が笑った。

 

「冗談じゃないわよ」

 

 呉瑶麗は言い返した。

 しかし、とりあえず、やっと厳しい検問を抜けることができたという安心感が、呉瑶麗の心をなんとなく浮き立たせている。安女金に文句のような言葉を吐いた後、ぷっと吹き出してしまった。

 安女金も陽気な感じだ。

 

「ところで、これから行く東渓村の晁公子という女性はどんな人なのさ。信用できる人? 向こうに到着した途端に、また奴隷商に売られかけるということはないでしょうねえ?」

 

「柴進殿の紹介よ。そんなことはないわよ。それに、どんな人なのかなんて、行ってみなければわからないわ。でも、とりあえず、頼るのはそこしかないんだし、まあ、行くしかないわね」

 

 呉瑶麗は言った。

 少し歩くと道も狭くなり、人里の気配も消えた。

 行き交う旅人の気配もほぼ皆無だ。

 

「……ところで、呉瑶麗……。もう、しばらくは旅もそれほどの危険はないんでしょう?」

 

 安女金が言った。

 

「まあ、そうね……。当たり前の危険はあるかもしれないけどね……。でも、わたしたちは、まだ流刑場の周辺に隠れていると思われているはずよ。だから、まだ、こんなところまでは追っては来ないと思うし、帝国全土に手配書が回るのも、もう少しは時間がかかると思うわね」

 

 呉瑶麗は言った。

 すると、安女金が不意に呉瑶麗の腕を掴んで立ち止まらせた。

 

「な、なによ?」

 

 呉瑶麗は訝しむ視線を向けた。

 

「……あんた、昨夜、あの旧王族の男を愛し合ったでしょう?」

 

 安女金がにやりと笑った。

 呉瑶麗はどきりとした。

 

「な、なんで……?」

 

「わかるのよ……。腰のあたりが妙に充実している感じがするしね……。まあ、あの旧王族の男には世話になったし、それは大目に見るわ。だけど、あんたはあたしの恋人なのよ。それを思い出させてあげるわ。ちょっと股布を脱ぎなさい。そして、これを嵌めるのよ」

 

 呉瑶麗はびっくりした。

 安女金が自分の荷から取り出したのは、流刑場の中でさんざんに調教の道具にされたあの貞操帯だったのだ。

 

「あ、あんた、そんなもの持ってきていたの? それを脱獄のときに持ってきたの?」

 

 呉瑶麗は声をあげた。

 

「持ってきていたのよ。こっそりね……。ほら、下袍(かほう)から股布を取るのよ。それと、股間に痒み剤を塗ってあげるわね。男の匂いのついたあんたの身体をちゃんとあたしの匂いに変えてあげないとね」

 

 呉瑶麗は明教徒の女性らしく、膝までの下袍をはいていたが、安女金はその呉瑶麗の下袍に手を伸ばして、呉瑶麗から強引に股布を取り去った。

 抵抗しようと思っても、なぜか身体が動かない。

 そんな風に安女金に躾けられてしまったのだ。

 それに、こんなところだとはいえ、この数日いろいろなことがあった。

 安女金に可愛がってもらうことを呉瑶麗の身体が求めている。

 呉瑶麗自身が安女金のいたぶりに抵抗することを拒むのだ。

 そんな呉瑶麗の股間に安女金は、荷から取り出した小瓶から薬剤を塗り始めた。

 

「そ、そんな、安女金……。ここは外よ。こ、こんなところで……」

 

 呉瑶麗は身体を悶えさせながらも、安女金が呉瑶麗の股間に痒み剤を無遠慮に塗りつけていくのを拒むことなく許してしまっている。

 結局、呉瑶麗は、下袍を自分でまくらされ、痒み剤を塗りつけられた股間にしっかりと革の貞操帯をはかされて鍵をかけられてしまった。

 

「さあ、行こうか──。しばらく、愉しい旅になりそうだね」

 

 安女金が嬉しそうに歩き出す。

 だが、呉瑶麗は早速始まった痒みの洗礼に襲われていた。

 呉瑶麗は歯を食いしばって息を吐き、そして、腰を震わせながら懸命に足を進めた。



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第14話  青面獣と脱走囚
45  青面獣(せいめんじゅう)、梁山湖畔で呉瑶麗(ごようれい)を襲う


「危険、危険って、あんた、あたしに嘘をついたわね? 危険どころか、ほとんど人が通らないじゃないのよ。そんなに、あたしの調教受けたくないの? さあ、こんな誰も通らないような街道は羞恥調教にはもってこいよ。いたぶってあげるから、こっちに来なさいよ、呉瑶麗(ごようれい)

 

 安女金(あんじょきん)が歩きながら言った。

 梁山湖(りょうざんこ)に面する湖畔街道だ。

 街道からは湖に浮かぶ島も見える。

 切り立った崖もあるが、多くの緑にも覆われていて、ここからでも畠や田のようなものがあるのがわかる。人の営みがあるという証拠だが、あそこにいるのはただの人間ではない。

 しかし、ここからも見える湖に浮かぶ大きな島には、梁山泊(りょうざんぱく)と名乗る大盗賊団が巣食っているのだ。

 この湖畔街道は彼らの縄張りだ。

 

 だから、安女金には用心するようにという注意するとともに、湖畔街道に入れば、いつ盗賊に襲われるかわからないので、淫靡な調教は受けられないと告げたのだ。

 なにしろ、この安女金は、脱走した流刑地からここまで旅のあいだ、のべつまくなしに卑猥な調教を呉瑶麗に施そうとする。

 股間に痒み剤を塗って貞操帯で覆って苦しめたり、あるいは、人の多い場所で道術で貞操帯を不意に振動させたり、あるいは張形を股間に挿入して歩かせ、やはり突然に振動させたりするのだ。

 また、夜は人目を避けるために無人の山小屋などを見つけるか、洞窟などで野宿するのだが、そこでも安女金の責めが待っている。

 

 武芸では誰にも負けることのない自信もあるのだが、なぜか安女金には逆らえない。

 流刑場の生活ですっかりと調教されて、安女金に逆らえないように躾られてしまったということになるのだろうが、野外を歩きながらの調教も、安女金に命令されると逆らえなくなってしまうのだ。

 一度、外では嫌だと文句を言ったものの、だったら夜になっても可愛がってやらないと脅されて、結局従ってしまった。

 安女金から与えられる快感がなければ、もはや自分は激しい疼きでおかしくなってしまうという自覚はあったし、なによりも呉瑶麗の中のもう一人の存在が、そうやって安女金に愛されることを求めていたのだ。

 

 しかし、今日からは別だ。

 呉瑶麗は、今朝、またもや歩きながらちょっかいを出そうとした安女金に、今日からは湖畔街道に入るから悪戯は絶対に禁止だと明言した。

 盗賊がいつやってくるかわからない。

 だから、絶えず緊張をしていなければならない。

 もしも、淫らによがっているところを襲われたりしたら、安女金を守ることができない。

 しかし、今朝から歩いている湖畔街道では、まったく他の旅人と会わなかった。

 それで、これなら相当の淫らな責めができると安女金が言い始めたのだ。

 

「この街道に人がいないのは、まさにここが危険だからよ。この辺りは、梁山泊の盗賊団縄張りだから、それを知っている旅人はみんなここは避けるわ。だから、人通りがないだけよ」

 

「ふうん……。だったら、なんであたしたちは、そんな危険な場所を歩いているのよ? 安全な場所を進めばいいじゃない」

 

「うん、いい質問ね、安女金。教えてあげるわ……。安全な場所を進めば、城郭を通過しなければならないし、場合によっては関所もあるかもしれないわ。あんたは忘れたかもしれないけど、わたしたちは流刑場を脱走した虜囚なのよ。そろそろ手配書が回っている頃だろうから、のこのこと城郭になんて入れば、すぐに城郭兵に囲まれるでしょうね」

 

「皮肉言わないでよ、呉瑶麗。確かに、あたしが緊張感のない旅をしているのは認めるわよ。それで、目的の東渓村(とうけいそん)というところには、いつ着くのよ?」

 

 安女金が肩をすくめた。

 

「今日は誰かさんの悪戯がないから旅がはかどっているしね。このままなら夕方には到着すると思うわ」

 

 呉瑶麗は言った。

 

「そこの名主は、晁公子(ちょうこうし)という女の人だっけ? あたしたちを受け入れてくれるかしらね」

 

「さあ……。まあ、柴進(さいしん)殿の紹介だし、門前払いということはないと思うわ。少なくとも、いきなり役人に通報されて、捕らえられるということはないと信じましょうよ。だけど、ちゃんとした村で手配人を匿うというのは難しいと思うわ。わたしたちには賞金もかけられていると思うしね……。晁公子という名主が受け入れてくれても、結局は長くはいられないと思うわ。長くいすぎたら、賞金目当てに、いつか村人の誰かに通報されると思うし……」

 

 呉瑶麗は言った。

 柴進は、その東渓村の晁公子という人のところなら安全だと言っていたが、呉瑶麗はそれをほど楽観する気にはならない。

 柴進は旧王族の末裔という恵まれた境遇にある貴族だ。

 つまり、苦労知らずのお坊っちゃんだ。

 だから、世の中を少し舐めているし、人を疑う心に欠けるところがある。

 別に晁公子という人を信用できないわけじゃないが、いきなり縁のない手配人ふたりを匿えと言われても困るだろうと思う。

 そして、少なくとも、すべての村人から呉瑶麗たちを隠すなどできないはずだ。

 

「じゃあ、その東渓村にも、長くはいられないということ、呉瑶麗?」

 

「多分ね」

 

「だったら、どうするの? それから先のあてはあるの?」

 

 安女金は言った。

 だが、そんなものがあるわけがない。

 天涯孤独の呉瑶麗には頼る家族もない。

 それは安女金も同じだ。

 だが、呉瑶麗は何気無く梁山湖を眺めていて、そこに浮かぶ梁山泊に目がいった。

 

「そのときは、あの梁山泊の盗賊団に入れてもらうというのはどう、安女金? あそこなら、水に阻まれているから、役人も官兵も追いかけて来れないわ」

 

 呉瑶麗はわざと陽気に言った。もはや、盗賊にでもなるしかない。そう考えると無念でもあるが、安女金にはいつまでも無邪気でいて欲しい。

 

「あたしたち、盗賊になるの?」

 

「悪い考えじゃないとは思うわよ、安女金。あんたは、医師だからきっとあの砦でも重宝されるわ。そして、わたしには武芸がある。多分、腕を買ってくれると思うわ」

 

「まあ、あんたに任せるわ、呉瑶麗……。あたしの命はもう、あんたに預けているしね。その代わり、あんたはわたしに股を預けなさい」

 

「下品ねえ」

 

 呉瑶麗は笑った。

 そのとき、肌に刺すような気配を感じた。

 

「安女金、わたしのそばに──」

 

 呉瑶麗は叫んでいた。

 そのときには、すでに剣を抜いている。

 

「ど、どうしたの?」

 

 安女金が当惑した声をあげて駆け寄ってきた。呉瑶麗は安女金を背にして、そばの草むらに向かって構えた。

 

「誰?」

 

 そこから強い殺気を感じる。

 すると、草の中からひとりの青年が出てきた。

 白い服に革の胴巻きを着け、脚には縞模様の下袴、腰に幅の広い剣帯を巻いている。

 髪は黒でやや長く、それを首の後ろで無造作に束ねている。

 口の回りに黒ひげを蓄えているが、顔は小さく、身体も男としては小柄な方であろう。

 

 しかし、凄まじい殺気だ。

 すでに剣を抜いていて、それを呉瑶麗の胸に真っ直ぐに向けている。

 顔はちょうど逆光でよく見えない。

 ……というよりも、わざと陽を背にして待ち伏せをしていたのだと思う。太陽に向かって戦うのでは、眩しさでこちらが戦いづらい。

 

「安女金、離れて」

 

 周辺に感じる気配は目の前の男ひとりのようだ。それを確信してから、呉瑶麗は安女金に離れるように指示した。

 安女金が蒼い顔をして横に逃げていく。

 

明教徒(めいきょうと)だな? あんたらには恨みはないが、俺が梁山泊に入るために、湖畔街道を通る旅人の生首をどうしても一個持っていかねばならんのだ。ふたりの命はいらんが、ひとつのみはもらい受ける。悪く思うな」

 

 声は高かった。

 まるで少年のようだ。

 髭を蓄えているが意外に若いのであろうか……?

 呉瑶麗たちは、外套についている覆いで顔を隠すために、白い外套についている覆い付きの外套を被って巡礼をする明教徒の格好をしている。

 だから、男は呉瑶麗たちを明教徒と思ったのだろう。

 

「ひとつだろうが、ふたつだろうが、生憎、余ってないのよ。怪我したくなければ、帰りなさい……。あんた、梁山泊の盗賊?」

 

 話しかけながらも、呉瑶麗は油断なく相手の動きを制するように構えている。

 向こうもそうだ。

 なかなか襲いかかってこないのは、すでに呉瑶麗の腕を見切っているからだろう。

 相手が相当の手練れだというのは呉瑶麗にはわかる。

 

「そこに入れてもらおうとしているところだ。もはや、逃げる回るのも飽いた。だが、入山は試験があってな……。日没までに湖畔街道を通る旅人から首を一個持ってこいと言われたのだ。しかし、困ったことに、いつまで待っても人ひとり通らない。そこにやって来たのがお前らだ……。とにかく、その首をもらうぞ」

 

 男が斬りかかってきた。

 安女金が悲鳴をあげたのがわかった。

 呉瑶麗は剣で受け、素早く態勢を入れ換える。

 胴体──。

 考えるよりも先に剣が動いていた。

 呉瑶麗は剣を縦にして、斬撃を受けた。

 剣を弾き飛ばし、そのまま、真っ直ぐに相手の喉に伸ばす。

 しかし、男が消えた。

 一瞬、相手を見失った。

 下か──。

 男が身体を沈めている。

 剣が呉瑶麗の脛を払おうとしているのがわかった。

 間に合わない──。

 後ろに飛んだ。

 膝に痛みが走った。

 剣先がかすったのだ。

 だが、かすり傷だ。

 体勢を崩した呉瑶麗に男が襲いかかる。

 だが、それは呉瑶麗は読んでいた。

 下から男の顎を蹴りあげる。

 

「あぐっ」

 

 蹴りが見事に当たった。

 男が後ろに飛ぶ。

 そのとき、男の顎からなにかが飛んだ。

 髭──?

 

 どうやら、口の回りの黒ひげは付け髭だったようだ。

 とにかく、体勢を整えて、男に斬りかかろうとしたが、男もすでに立っている。

 再び、距離を取って、剣を向け合った。

 息があがっている。

 しかし、相手も同じのようだ。男の肩も上下に動いていた。

 いずれにしても、こんなに強い相手と戦うのは、あの王進との稽古以来だと思った。

 だが、これは真剣勝負だ……。

 勝てるか……?

 安女金を守りきれるだろうか……。

 

「あっ、あんた?」

 

 しかし、そのとき、呉瑶麗は叫んだ。

 髭が取れた顔が陽が当たって、はっきりと相手の顔が見えたのだ。

 顔の半分に醜い青い痣と出来物がある。その顔を呉瑶麗は知っていた。

 

徐寧(じょねい)殿?」

 

 呉瑶麗は声をあげた。

 それは、国軍で将校だった徐寧という男に違いなかった。あの醜い青痣と出来物がなによりの特徴で、そのために、徐寧は「青面獣(せいめんじゅう)」と呼ばれていた。

 直接に話したこともないし、もちろん剣を交わしたこともない。

 だが、相当の手練れだというのは噂で聞いていた。

 

 しかし、一年前に、上官といさかいを起こして、その上官をぶん殴るという事件を起こした。

 普通なら叱責で終わるところだが、その上官は宰相の蔡京(さいけい)の親類であり、罪を糾弾されて捕縛されかけた。

 だが、徐寧はそれを潔しとせずに失踪した。それ以来、行方知れずになり、手配書も回っていたはずだ。

 

「お前は呉瑶麗か? 風の便りで流刑になったと聞いたが?」

 

 しかし、向こうも驚いていた。

 戦いのあいだに、呉瑶麗の頭から外套についている覆いが外れて、徐寧も呉瑶麗の顔をやっと確認したようだ。

 

「脱走したのよ……。そんなことよりも、元軍人が辻斬り強盗? 情けなくないの?」

 

「くっ……。言うな、呉瑶麗……。仕方ないのだ。この目立つ痣では、身を隠して生きることもできず、貯えも使い果たしてしまい、いっそ、あの梁山泊の盗賊団に入れてもらおうと思ったら、一日以内に、この湖畔街道を通る旅人の生首を持ってこいという返事……。だが、通りかかる者がひとりもなく、困っていると、お前らが来たのだ……。最早、路銀もなく、あの湖砦に入れねば野垂れ死ぬしかない。悪いがその首もらうぞ」

 

 徐寧が剣を構えたまま、にじり寄ってくる。

 

「冗談言うんじゃないわよ。勝手に野垂れ死になさいよ──。それより、あそこの入山試験が首ひとつ持っていくことなら、あんたの首を土産に、わたしが入れてもらうわ。わたしだって、流刑場を脱走したばかりで、行き先には困ってるのよ」

 

 呉瑶麗も改めて構え直した。

 

「待った、待った、待った──」

 

 そのとき、安女金が大声あげて、ふたりのあいだに割り込んできた。呉瑶麗は驚愕した。

 

「な、なんで来んのよ、安女金 ──。こいつと殺し合いをしているのが見えないの──?」

 

 呉瑶麗はとにかく、安女金を庇おうと前に出た。

 しかし、徐寧もいきなり目の前に割り込んできた安女金に、意表を受かれたようだ。

 当惑した様子で硬直している。

 

「話は聞いたわ。うまい解決策があるから、あたしの話を聞きなさい、あんた」

 

 安女金が徐寧に言った。

 徐寧は呆気に取られている。

 

「安女金、引っ込んでなさいよ。こいつは、わたしたちを殺そうとしているのよ。梁山泊(りょうざんぱく)の盗賊団に入るには、誰でもいいから首ひとつ持っていかなければならないらしいわ。だから、わたしたちに斬りかかったのよ。そして、それは、別にわたしじゃなくても、あんたでもいいのよ」

 

 呉瑶麗は強引に安女金を背中に隠しながら言った。

 

「でも、それはこの人が手配されていて、生きるための行き場がないからでしょう? だから、付け髭をつけて顔を隠したりしてたんだけど、その醜い青痣のお陰で、どうしても顔が目立ってしまう……。だから、そういうことなんでしょう?」

 

 安女金が畳み掛けるように言った。

 呉瑶麗にはやっと、安女金がなにを提案しようとしているのかわかってきた。

 

「か、顔のことを言ったね……。し、しかも、醜いだって……。決めたよ。生首にするのは、その太った女にする……。呉瑶麗の言う通り、別に呉瑶麗の首じゃなくてもいいんだ……」

 

 徐寧が怒りに顔を真っ赤にして震えている。

 呉瑶麗は、この徐寧が顔の痣のことをからかわれたら異常に怒るという噂があったことを思い出した。

 そう言えば、そもそも、国軍を逃げ出す理由になった上官殴打の原因は、その上官が顔のことでからかったからのような気がする。

 

「だから、その痣を治せばいいのよ。その痣がなくなれば、手配書があっても、あんたとわかる者はいなくなるわ。治してしまいなさい」

 

 安女金が徐寧に言った。

 一瞬、徐寧は呆気にとられたようだったが、直後に大笑いした。

 

「いままで、帝都中の高名な医師に診せても、あるいは、腕のいい医師がいるからと遠方に訪ねても、もはや一生治らないと断言された痣だ。十五のときの病で抱えることになったこの醜い痣を、もしも、治してくれる医師がいれば、俺は一生その医師の奴隷になって仕えてもいい」

 

 徐寧は笑いながら言った。

 

「その言葉に二言はないわね……。じゃあ、こっちに顔を近づけなさい。その前に、その物騒なものはしまってよね」

 

 安女金が再び呉瑶麗の前に出た。

 呉瑶麗はその安女金の手が青く光り輝いていることに気がついた。

 

「な、なに、あんた───? ご、呉瑶麗、この女は何者なの?」

 

 徐寧はびっくりしている。

 

「彼女は安女金。道術を操る医師よ。それより、早く剣をしましなさいよ」

 

 呉瑶麗は言った。

 徐寧は少し迷っていたようだったが、結局、剣を鞘に収めた。

 それを確かめて、呉瑶麗も剣を収める。

 安女金が徐寧に寄っていった。

 

「あんた、約束よ。痣が治ったら、あたしに一生仕えると言ったけど、一生も必要ないわ。だけど、今夜一晩は、あたしに付き合いなさい。可愛がってあげるから……。この辺りに適当な山小屋ないかしら?」

 

「俺が夕べ寝た猟師小屋なら……。とりあえず、誰も使ってないようだったけど……」

 

 徐寧は言った。

 しかし、呉瑶麗は驚いた。

 安女金の物言いは、徐寧を性愛に誘うという意味に間違いないからだ。

 だが、安女金は男嫌いだ。男と寝たがるわけはないのだが……。

 その安女金の手が徐寧の顔を撫で始めた。

 青い光が何度も何度も徐寧の顔を撫でる。

 

「ところで、徐寧というのは本名じゃないわね。その痣があったから、女として生きることは諦めて、男として振る舞っていたの? とにかく、痣が消えたら、女の格好をしなさい。それで、あんたに気がつく者はいなくなるわ」

 

 徐寧が女?

 呉瑶麗は驚いたが、しかし、言われてみれば、そうかもしれないと思った。

 小柄で少しも男らしくない体型は、本当は女だとしても少しも違和感はない。

 

「繰り返すけど、治療の代金はあんたの身体を一晩自由にさせることよ」

 

 安女金がそう言って、徐寧の顔から手を離した。

 

「ええええっ」

 

 呉瑶麗はあまりの驚きに悲鳴をあげた。

 徐寧の顔からは痣も出来物も消滅していた。

 それだけではなく、紛れもない美貌の女性の顔がそこに出現したのだ。

 

「な、なに……? なにか変わったのか?」

 

 徐寧が顔に手をやりながら、当惑した表情になった。

 

「あ、あんた、いいから、湖に顔を映して見といで……」

 

 呉瑶麗はとにかく、それだけを言った。

 徐寧が首を傾げながら、湖水の方向に歩いていく。

 街道からおりれば、すぐに湖畔だ。そこで水に映った自分の顔を確認できるはずだ。

 

「あ、安女金、どうして、あいつが女だとわかったの? わたしも知らなかったし、おそらく、帝都時代でも、誰も徐寧が本当は女だと知らなかったはずよ」

 

「あたしは医師よ。性別くらいわかるわよ」

 

 安女金がけらけらと笑った。

 そのとき、湖水の方から徐寧の絶叫が聞こえてきた。

 そして、感極まって号泣する女の声がそれに続いた。

 

 

 *

 

 

「へえ、こうやって裸に剥けば、あんたたちびっくりするくらいに体形が似ているじゃないのよ。まあ、女としての身体は違うけどね」

 

 安女金は、山小屋の壁に縛りつけたふたりの美女の裸身を眺めながら言った。

 ふたりの手はまっすぐに天井方向に伸ばさせ、脚は肩幅ほどに開かせて、壁に手首と足首を縄で縛っている。

 山小屋の壁にはたくさんの隙間があり、それを利用して簡単に縄で磔にすることができたのだ。

 それで、ふたりに服を脱がせて素裸にして、裸身を密着するように磔にした。

 

 ここは梁山湖の対岸の山の中にある山小屋であり、いまは誰も使っていない廃小屋のようだ。そこに、約束通り、徐寧と名乗った男装の女を連れてきて、呉瑶麗と一緒に調教することになった。

 この女が長年悩んでいた醜い顔の痣を消してやった代金というわけだ。

 

 ふたりは逆らわなかった。

 この山小屋にやってきて、しばらく話をしながら陽が落ちるのを待ち、それから食事をして、やっと、安女金の時間になった。

 ふたりに素っ裸になるように命じると、お互いを意識しながらも、ふたりは文句を言わずに、その場で全裸になった。

 

 呉瑶麗がもはや安女金の言いなりなのは当たり前だが、もうひとりの女にしても、醜い顔を美しく戻してやったことによる変化は劇的なほどであり、呉瑶麗に斬りかかったほどの気の強い女が、完全に安女金に心服してしまっている。

 気の強い女を性調教するのは大好物だ。

 愉しい夜になりそうだ。

 安女金はほくそ笑んだ。

 

「男名は徐寧だけど、本名は寧女(ねいじょ)だったっけ……? でも、あんた、いつも布で乳房を締めつけていたみたいだけど、そのためにちょっとみっともなくかたちが変わっているわよ。これからはちゃんと胸巻きをしなさい。とりあえず呉瑶麗のものをあげるわ。ついでに、路銀もわけてあげるから心配しないで」

 

 安女金は寧女の乳房を品定めするように下から触れた。

 長年にわたり、この寧女は、徐寧と名乗って男の服装をしていた。乳房も小さくはないのだが、それはしっかりと布を巻き、男言葉を使いながら試験を受けて国軍に入ったようだ。

 男にしては小柄だが、醜い青痣があり、剣の達人である寧女を誰も女とは思わなかったらしい。

 

 しかし、寧女にとっては、それについては大変な葛藤があったようだ。

 寧女の顔の痣は生まれつきではなく、十五のときに患った病の痕らしい。

 それまでは、女ながら剣の達人ではあったものの、軍人の血筋の一家の中で、ちゃんと女として育ち、人並みに恋もし、婚約者もいたようだ。

 美しい顔立ちだったこともあり、縁に恵まれて、父の部下の青年と結婚をすることになっていたらしい。

 だが、顔に残る痣ができたことで人生が一変したようだ。

 婚約は破棄され、両親からは急に厄介者扱いされるようになり、美しい顔が醜くなったことで、周りの人の態度も激変した。

 

 寧女は、それでなにもかも捨てて故郷を出奔し、男の格好で旅をしたようだ。名も徐寧と名乗って、女であることを完全に隠した。

 女としては耐えられないような醜い顔になったから男になるというのは安易な逃避のような気もするが、男であれば逆に顔が醜いことは凄みにもなる。

 剣の達人であり、どちらかといえば短気の寧女を周りの者は「青面獣」と呼んで畏怖するようになったとのことだ。

 そのうちに、国軍の将校入軍試験を受ける機会があり、多くの受験者との大変な競争に勝って見事に合格して軍人になった。

 

 その辺りは、呉瑶麗と人生が似ている気もする。

 呉瑶麗も北州の山の中で叔父と二人暮らしで育ち、その叔父の死を契機に放浪の旅を始めた。

 そして、帝都でたまたま開催されていた武術競技会で優勝して国軍の武術師範代となった。だが、高俅(こうきゅう)という助平将軍に目をつけられて、無実の罪で流刑場送りにされた。

 

 呉瑶麗と寧女はよく似ている……。

 一方で、国軍の将校となった寧女は、着実に功績をあげて順調に出世していった。

 もともと、軍人の才能があったのだろう。

 女ながらも武芸に秀でるだけではなく、徐寧としての寧女は戦いの指揮についても非凡なものを示し、優秀な若手将校として台頭したようだ。

 

 その順風満帆だった軍人生活が終わったのは、一年前のことだそうだ。

 顔のことを若い上官にからかわれて、思わずかっとなってぶん殴った。

 それが宰相の蔡京の身内だったことから、宰相の激怒を買い、捕らわれて流刑送りになりかけた。

 それで寧女は逃亡した。もちろん、捕らわれたくなかったということもあるが、捕えられれば女であることがばれる。

 当時の寧女にとっては、それはなによりも耐えられないことだったのだ。

 

 だが、手配書を回されての逃避行は楽なものではなかったようだ。

 しかも、よく目立つ顔半分を覆う醜い青痣だ。寧女は人の海に隠れることもなかなかできずに、すっかりと路銀を使い果たして、辿り着いたのが梁山泊の盗賊団だったのだ。

 

 だが、徐寧の入山希望に際して、首領の王倫(おうりん)は、湖畔街道で旅人を襲って生首を持ってくるように要求したらしい。

 それについては、どうも体よく追い払われたという感もある。

 おそらく、梁山泊の首領であれば、この盗賊団の縄張りのようになっている湖畔街道を旅をする者など滅多にいないことは知っていただろう。

 しかし、寧女は、自分が生きていけるのは、もう盗賊団しかないと考えて必死に旅人を待ち、そして、たまたま通りかかった呉瑶麗に襲いかかったということだ。

 

「は、はい、先生──。そうします。これからは布はしません。ちゃんと胸当てをします」

 

 手足を壁に磔にされている寧女がしっかりとうなずいた。

 

「な、なんで、こいつに、わたしの下着をあげなきゃならないのよ、安女金? しかも、路銀も渡すの? なんでよ? 殺されかけたお礼に?」

 

 寧女の隣で磔になっている呉瑶麗が不満そうに言った。

 

「このあたしに身体を提供してくれたお礼よ──。文句あるの?」

 

 安女金は呉瑶麗の無防備な股間に指を挿し入れた。さらに、手を伸ばして、寧女の股間にも指を潜り込ませる。

 指にはいつもの痒み効果のある媚薬をたっぷりと塗っている。それが潤滑油代わりになって、すっぽりと指はふたりの女陰に入り込んだ。

 そのうちにふたりとも、痒みと疼きに全身を悶えさせるに違いない。

 

「あっ、そ、そんな、安女金──」

「ううっ、んんっ、くっ……」

 

 膣の中で指を動かすとふたりが呻き始めた。

 それにしても、体形も人生も似ているふたりだが、やはり裸身は異なる。

 呉瑶麗はすごく肌の色が白い。そして、全身から色気がにじみ出るようなしっとりとした肌つやだ。それに比べれば、寧女はやや色が褐色であり、肌つやも呉瑶麗には劣る。

 

 もっとも、女として肌が劣るということではない。もともと、呉瑶麗の肌が美しすぎるのだ。

 また、乳房の大きさは同じくらいで、ふたりともむっちりとはち切れるように膨らんでいるものの、寧女の乳房は長年、布で平らに潰していた影響か、ややいびつに曲がっている。

 それに比べて、呉瑶麗はしっかりと上を向いた形のいい乳房であり、乳首もつんと上を向く。

 そして、なによりの違いは膣だ。

 

 呉瑶麗はしっかりと安女金が調教しただけあって、短い愛撫ですでにすっかりと濡れて、膣道も緩んでいる。

 しかも、挿入している安女金の指を食い千切るかと思うくらいに締めつけてくる。

 だが、寧女の濡れはまだ不足だ。

 十五のときに婚約者との性経験があり、処女ではないようだが、処女同然に膣が狭い。

 

「はあ……はあっ、はあ……」

 

 呉瑶麗はすっかりとできあがったようだ。

 すでに全身を朱に染めて、しきりに身体をくねらせるようになった。

 安女金は呉瑶麗の膣から指を抜いた。

 

「ああっ……」

 

 指を抜くとき、呉瑶麗の股間は安女金の指を名残惜しむかのように、ぐっと吸い戻すような動きをした。

 すごい吸いつきだ。

 安女金は思わず微笑んでしまった。

 

「じゃあ、寧女から始めましょうか」

 

 安女金はそう言うと、寧女の女陰からも指を抜き、荷から張形の淫具を取り出した。見た目は男性器を型どった普通の張形だが、道術を加えれば淫らな動きで振動をするようになるのだ。

 安女金はその張形にたっぷりと掻痒剤を塗った。

 

「どう、こんなの見たことがある、寧女?」

 

 安女金は手に道術を込めて青い光を帯びさせた。すると、淫具がぶるぶると動き出す。

 寧女が眼を見開いている。男性器そのものの醜悪な造形にびっくりし、それが淫らに動くことに、少し恐怖の色を浮かべている。

 

「大丈夫よ。これは小さなものだから。まずは、これくらいからやっていってあげるわね」

 

「で、でも、十分に大きいと思いますけど……」

 

 寧女が張形を凝視しながら言った。

 安女金は片手で寧女の腰を押さえながら、反対の手で張形を押し込んだ。

 

「ああ……」

 

 寧女が切なそうに身をよじった。

 いま安女金の両手はいずれも青く光っている。寧女の身体を淫靡にほぐし、挿入の痛みを消すためだ。

 十五のときに性交をして、十年間も膣道になにも挿入したことのない寧女の膣は狭すぎるのだ。

 だから、道術で膣を少し緩めて挿入の痛みを消滅させ、逆に快感を大きく増幅させている。

 それで、寧女は、十分に調教された女のように淫らな快感を抱くことができるはずだ。

 

「はあ、ああっ、あっ」

 

 安女金はゆっくりと張形を寧女の膣に押し込んでいった。

 道術の力によって、それほどの圧迫感はない。それよりも、かなりの量の愛液が溢れてきたのがわかる。

 

「どう、痛くはない? 痛ければ、さらに道術を強くするわ」

 

 安女金は寧女を観察しながら言った。

 

「い、痛くはありません、先生……。で、でも、おかしな感じ……。な、なにこれ……ああ、はあっ、なにか変……変です……なんか変よ──ああっ……」

 

 寧女は切なげに腰を使い始めた。明らかに顔に恍惚感が出てきた。

 安女金は嬌声をあげ始めた寧女の唇を唇で塞いだ。

 

「むむ……」

 

 寧女の口の中を舌で這いまわらせる。

 同時に張形を持っていない側の手で片側の乳房を優しく包んだ。この手も青い光を放って、快感を増幅させている。

 

「んん……んん……んん……」

 

 寧女の身体が震え始める。道術で拡大された快感が全身を走り回っているのだろう。

 膣に喰い込ませた張形はすでに根元まで食い込んでいるが、まだ安女金はそれを動かしていない。

 だが、寧女が、我慢できなくなったかのように腰を振り始めた。

 

「はあ、はあ、はあ……、おかしな感じです、先生──。なんか、変です……」

 

 唇を離すと、寧女がうっとりとした視線で甘い声をあげた。

 

「変じゃないのよ……。これが女の快感というものなのよ……。あんたは誰よりも素敵な女よ。それなのに、男のふりをするのは苦しかったでしょう……? しっかりと女を感じなさい。ほら……」

 

 安女金は道術を淫具に込めた。寧女の膣深くまで潜り込んでいる張形が軽い振動を開始した。

 

「はああ──」

 

 寧女が身体を弾かせた。

 そして、あられもない声をあげてよがり始める。

 そのあいだも安女金の手は寧女の乳房を優しく揉みほぐしている。

 あっという間に、寧女は絶頂の兆しさえも身体から示し始めた。

 

「あ、ああ……、あ、安女金……、放っておかないで……。か、痒いわ……」

 

 すると、悶え続ける寧女のすぐ横に磔になっている呉瑶麗がついに切羽詰った悲鳴をあげた。

 安女金はににやりと笑った。

 そろそろ泣きが入る頃だと思っていたのだ。

 ふたりの股間にはすでに痒み剤を塗っているのだ。

 放置されれば、すぐに痒みの苦しさが襲ってくる。

 呉瑶麗は全身を真っ赤にして腰をかなり激しく揺り動かしながら、顔を歪めている。

 

「わかったわ」

 

 安女金は可愛らしい呉瑶麗のおねだりに軽く笑いながら、寧女への愛撫を中止して淫具も抜いた。

 今度は呉瑶麗の前に立つ。

 

「あっ……」

 

 不意に刺激を取りあげられた寧女がなにか言いたげな視線を安女金に向けた。

 

「どうしたの、寧女? なにか言いたいことがあるの?」

 

 安女金は顔を寧女に向けて微笑んだ。

 

「い、いえ……」

 

 だが、寧女は黙ってしまった。

 それはそうだろう。

 さすがに会ったばかりの女に、もっと身体を責めてくれとは言えないはずだ。

 

「そう、ならいいわ……。ちょっと待っていてね。この呉瑶麗がおねだりするのよ。その代わり、もっと気持ちのよくなる薬を塗ってあげるからね」

 

 安女金はにっこりと寧女に笑いかけると、足元の小瓶から掻痒剤を指に乗せて、寧女の股間に塗り足していった。

 

「はあ、はっ、はっ……せ、先生……、ああ、い、いいい──」

 

 女陰だけではなく、今度は肉芽にもたっぷりを塗り込んでやる。

 寧女は顔をのけ反らせて悲鳴のような嬌声をあげていたが、安女金が手を引っ込めると、失望したような声をあげた。

 

「あ、安女金、は、早く──。お、お願い──。もう、もうして──。それを入れて……。ま、股を……ほじって──」

 

 呉瑶麗が腰を振りながら、悲鳴をあげた。

 さすがに呉瑶麗は、もうしっかりと催促の言葉を訴えてくる。

 しかし、いつにないあからさまな言葉だ。

 いつもは、もう少し慎み深い。

 隣で別の女が責められているという異常な状態が呉瑶麗の心に火をつけたのだろう。

 それに、自分は放っておかれて、その女が安女金に責められているというのが、嫉妬のようなおかしな感情を呼んでいるのかもしれない。

 

「こう?」

 

 安女金はさっきまで寧女の股間に入っていた張形を一気に呉瑶麗の股間に挿入した。

 

「いいいい──。そんなに強く……。はああっ」

 

 呉瑶麗が身体をのけ反らせて吠えた。

 だが、振動も与えてやらないし、律動もさせない。

 深々と張形を挿し込んだまま少しのあいだじっとしておいてから、安女金は張形をすっと抜いた。

 

「い、いやあ──ああっ、い、いかないで──。も、もっとよ、安女金──」

 

 呉瑶麗は悲鳴をあげた。

 

「せ、先生、わたしも突いてください──。も、もう、痒いんです──。お願いします──さっきのをください」

 

 寧女も叫んだ。

 すでに股間の痒みが耐えられないものになったに違いない。

 塗り足しの分もある。かなりの痒みのはずだ。

 すでに全身が脂汗にまみれている。

 もちろん、それは呉瑶麗も同じだが……。

 呉瑶麗と寧女のふたりが激しく身体を動かし始めた。

もう、ほんの少しもじっとしてはいられないようだ。

 ふたりの暴れ方と苦悶の形相が切羽詰まったものになる。

 

「な、なによ、寧女──。あ、あんた、さっき、だいぶ長くしてもらったじゃないのよ──。次は、わたしよ──」

 

 呉瑶麗が寧女に噛みつかんばかりに吠えた。

 

「う、うるさいわねえ、呉瑶麗──。引っ込んでなさいよ──。ね、ねえ、先生──。それをしてください──。か、痒いんです──」

 

 寧女も必死の声で言った。

 

「あんたら、もっと仲良くしないと、ふたりともお預けにするわよ」

 

 安女金は張形を手にぶらぶらさせながら、ふたりの前に仁王立ちで立った。



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46  呉瑶麗(ごようれい)寧女(ねいじょ)、張形で愛し合う

「あ、安女金(あんじょきん)、い、いい加減にして──。お、お願いよ──」

 

「か、痒い、痒いです、先生──」

 

 股間に掻痒剤を塗り直して、しばらく奉仕しておくと、呉瑶麗(ごようれい)寧女(ねいじょ)のふたりは、髪を振り乱して激しく身体を暴れさせるようになった。

 

「あんたたち、そんなに暴れるんじゃないわよ。折角の肌に傷がつくわ」

 

 安女金は立ちあがった。そして、ふたりが暴れたために、縄で擦れて肌が破けた部分を青い光を帯びさせた手で撫ぜた。

 すると、皮膚が破れて血がにじんでいた部分が治り、美しい肌が戻る。

 しかし、このままでは、また同じように皮膚が破れてしまうだろう。

 同じ場所に繰り返し道術の治療をすると、次第に効果が低くなるのだ。

 そろそろふたりが限界ということは確かだろう。

 いずれにしても、もうふたりが正常な判断ができないくらいに、焼けつくような痒みで狂っているのは明らかだ。

 そろそろ、いいだろう。

 

「いいわ……。じゃあ、ふたりの痒みを癒す機会をあげるわね。ふたりの仲直りのしるしに、この道具を使って媾合(まぐあ)いをしなさい。完全な契りを結ぶのよ。ふたりでこの張形を使って土手を擦り合えば、きっと痒みが癒せると思うわ」

 

 安女金が取り出したのは、女同士の百合の媾合いで使う相対の張形だ。

 両端がいずれも男根の形状をしている淫具であり、これを女の股間に入れ合って性交をするという道具だ。

 

「な、なんで──?」

「そ、それは……」

 

 呉瑶麗と寧女が安女金の手にしているものを見て、揃って絶句した。

 そして、お互いの顔を見合わせて、すぐに視線を逸らせ合った。

 その様子に安女金は思わず噴き出してしまった。

 

「じゃあ、好きなだけ腰を振っているのね。朝までそのままにしていれば、股間からにじみ出る愛液や肌の汗、それから尿でもして薬剤を洗い流せば、痒みも小さくなると思うわ……。じゃあ、お休み──」

 

 安女金はわざとらしく、横になる態勢をした。

 

「わ、わかったわ──。や、やるわ──。こいつとそれで媾合いするわ、安女金──。い、いえ、させて……。ねえ、させて……。も、もう我慢できないわ──」

 

 呉瑶麗は叫んだ。

 安女金はにやりと笑った。

 

「あっ、そう……。やるのね……」

 

「や、やる」

 

 呉瑶麗は痒みでがちがちと歯を鳴らしながら、必死の形相で言った。

 

「えっ、や、やるの……?」

 

 しかし、横の寧女は引きつった顔で呉瑶麗を見た。その寧女も脂汗でびっしょりだ。全身を必死になって身悶えさせて痒みと戦っている。

 

「やるのよ──。あ、あんたは知らないだろうけど、この安女金は本当に朝まで痒みをそのままにして放置するわよ。わたしなんて、何度それをやられたか……」

 

 呉瑶麗が言った。

 安女金は声をあげて笑った。

 

「そういうことだね──。だから、寧女も観念しな。あの青痣を治してやれば、奴隷になってもいいとまで言ったじゃないか。それなのに、わたしの連れと相対責めくらいやれないのかい?」

 

 安女金は寧女の顔を覗き込むように言った。

 

「わ、わかりました……。します……。呉瑶麗とそれでやります……」

 

 寧女も観念したように息を吐いた。

 どっちにしても、もう痒みに耐えるのも限界だったはずだ。

 呉瑶麗と女同士で媾合いをするなど、高い自尊心が邪魔をしているようだが、もう耐えられる限界は越えているだろう。

 

「じゃあ、まずは、呉瑶麗が横よ」

 

 安女金はいったん相対張形を荷に戻し、呉瑶麗の壁に磔にしていた縄を解いてから床に仰向けになるように命じた。

 床には野宿をするときに使う毛布を拡げてある。

 呉瑶麗は縄を解いた途端に、腿を激しく擦り合わせる仕草をしたが、安女金が大喝すると手で股間を掻きむしるということはしなかった。

 安女金は毛布の上に横になった呉瑶麗の手首と足首を再び縄で縛って拡げさせて、小屋の隅に縄を伸ばして繋げた。

 壁に磔になった状態から、床に磔になった状態に変わったということになった。

 

「じゃあ、入れるわね、呉瑶麗」

 

 安女金は片膝をついて、相対張形の半分を呉瑶麗の女陰にゆっくりと沈めていった。

 

「ふぐうう──ああっ、いいいいっ──」

 

 呉瑶麗が拘束された身体を反り返らせて、顔を左右に激しく振った。痒みで放置された股間に張形を捻じ込まれて、その痒みが癒えるのはそれだけ強い快感なのだろう。

 呉瑶麗はあっという間に相対張形の半分を飲み込んでみせた。

 開いた呉瑶麗の股間からは、まるで男の性器が生えたかのように、張形の半分が突き出ている。

 

「さあ、呉瑶麗の支度はできあがったわよ、寧女。次はあんたが、呉瑶麗に覆いかぶさって、呉瑶麗と繋がるのよ」

 

 安女金は壁に磔になって、呉瑶麗が張形を入れられるのを痒みで呻きながら眺めていた寧女に寄っていった。

 

「や、やっぱり、怖いです、先生……。そ、それに……、そんなこと、やっぱりできない……」

 

 しかし、その寧女が恐怖の色を示し始めた。なんだかんだといっても、女であることを隠して、男の軍人として生きてきて、ほとんど性行為というものに経験のない寧女だ。

 それが、いきなり張形を使って、女同士で媾合いをしろというのは、耐えられない恥辱であり、また、恐怖かもしれない。

 

 だが、安女金はこうなったら強引にさせるつもりだ。

 

「いまさら、嫌も応もないわよ。呉瑶麗と早く繋がって、仲良く昇天しなさい。それで、わだかまりもなくなるわ」

 

 安女金はそう言うと、魔道でまず、寧女の手足を弛緩させた。

 そして、壁に縛っていた縄を解き、腕を背中に回させて後手縛りにしてから、身体の弛緩を戻す。

 

「ほらっ、行きなさい──」

 

 安女金は寧女の尻をぽんと叩いた。

 

「ひいっ」

 

 だが、寧女はすっかりと怖気づいてしまって、しゃがんだまま動こうとはしない。そのくせ、太腿については、股間の痒みを癒そうと必死になって擦り動いている。

 

「こ、こらっ、寧女──。こ、こうなったら、観念してよ──。なにも言わずに、わたしと一緒になるのよ──。それでも、元軍人なの──」

 

 呉瑶麗が腰を振りながら絶叫した。

 いまの呉瑶麗には、もう寧女が股間を合わせるしか痒みを癒す方法がない。

 呉瑶麗の顔には痒みの苦悶が拡がっている。

 

「あ、あんたみたいな淫乱と違うのよ──。わ、わかったわよ──」

 

 寧女も罵り返したが、それで覚悟ができたようだ。

 ついに、寧女も呉瑶麗の下腹部にそそり勃っている張形に股間を埋めるように腰を開いてさげた。

 

「はああ」

「ふううっ」

 

 そして、やっとふたりの下腹部が張形を挟んでぴったりと重なり合った。

 ふたりが同時に甘い声をあげた。

 

「う、動かないで──ひううっ」

 

 悲鳴をあげたのは寧女だ。

 完全に接続するまでは、結合を助けるためにじっと腰を静止させていた呉瑶麗は、いきなり腰を激しく動かしだしたのだ。

 

「じょ、冗談、言わないでよ──。が、我慢できるわけないじゃないの──。あ、あんたも同じでしょう──」

 

「だ、だって、だって、ああ、おかしくなる──そ、そんなに動かしたら──う、ううっ……」

 

「こうなったら、ふたりで恥をかき合うしかないのよ──。そ、それよりも、もっと腰を擦って──」

 

 呉瑶麗が懸命に腰を振りながら言った。

 

「こ、こう……?」

 

 寧女が結合している部分をさらに呉瑶麗の土手に擦りつけるようにした。

 

「はああっ」

「ふぐううっ」

 

 ふたりが悲鳴をあげた。

 土手と土手を密着させることで、肉芽と肉芽が擦れ合い痒みが消滅するとともに、甘美な快感がふたりの身体に走る抜いたのだろう。重なり合ったふたりの身体が真っ赤になり、がくがくと震え合った。

 それをきっかけに寧女もなにかが弾けたようになったのか、痒みを癒すために積極的に呉瑶麗に股間を押しつけるように動き出した。

 

「じょ、寧女──、ああ、はああ──」

 

「ご、呉瑶麗──こ、これなに? どうなるの? なんだか、おかしい? はあ、はあ、あああっ──」

 

 呉瑶麗と寧女はやがて、乳房と乳房を強く擦り合わせるようにもなった。

 

「もっと、乳房を擦るのよ。それから、お互いに舌を吸い合いなさい」

 

 安女金が指示すると、まるで操られているかのように、ふたりがお互いの舌を舐め合いだした。

 

「寧女、こうやって脚を絡めさせると、密着度が増すわよ」

 

 そして、安女金は寧女の片脚を強引に掴むと、呉瑶麗の拘束されている脚の片方をその脚で抱くように絡めさせた。

 

「ご、呉瑶麗」

「寧女──」

 

 ふたりが名を呼び合いながら、舌を吸い、乳房を押しつけて腰を合わせあう。

 しばらくすると、ふたりは官能の法悦の中にどっぷりと浸かり、なにもかも忘れて淫情に溶け合っているかのようなった。

 乳房を相手に喰い込ませるばかりに押しつけ合い、腹部と下腹部を密着させ、むさぼるように舌を吸い合う。

 いまや、ふたりはまるで獣のように裸身を密着させ合ってよがり狂っている。

 それをじっと見ていると、安女金まで恍惚とする気分に陥ってきた。

 

「さあ、呉瑶麗、寧女、揃って気をやってごらん──。同時に達するんだよ。できなければ、また、痒み剤を塗り足すよ」

 

 安女金はそう言って笑った。

 

「き、気をやるってなんですか──? はあっ、はっ、はっ──」

 

 寧女が嬌声混じりの声をあげた。

 やはり、この女はまだ達したことがなにかもしれない。

 十五歳当時の未熟な性では、快感を極めるというところまでいかなかっただろうし、それからは性そのものを捨てた人生だ。

 そんな寧女にとっては未知の体験に違いない。

 だが、すっかりと桃色に染まった汗まみれの寧女の裸身が、白くてしなやかな呉瑶麗の裸身に突きあげられて、凄惨なばかりに顔を密着し合い、髪を振り乱してのたうっている。

 呉瑶麗だけでなく、寧女もまた、絶頂の一歩手前であることは明らかだ。

 

「わ、わたしが合わせるわ、寧女。だ、だから、安心して──。とにかく、力いっぱいに擦って──。気持ちのいいところをしっかりと感じて──」

 

「わ、わかんない──。呉瑶麗、わからない──。だ、だけど、もう……」

 

 寧女は歯をがちがちと鳴らしながら、急に呉瑶麗に絡めた両腿を震わせ出した。おそらく、寧女は、生まれて初めて気をやろうとしている。

 あれは急速に快美感が込みあがって、切羽詰った状態になっているという兆候だ。

 

「ま、待って、少しだけ、待って──。それよりも、口を──」

 

 呉瑶麗が悲鳴をあげた。

 寧女は絶息するような呻きをあげて、唇を呉瑶麗に押し当てた。

 呉瑶麗は寧女と呼吸を合わせようと、自分の揺さぶりを強くしている。

 しかし、それは寧女の快感をさらに高めることになり、寧女は一層昂ぶった声をあげた。

 

「ご、呉瑶麗──」

「ね、寧女──」

 

 ふたつの肉の塊が埋めり舞い、汗が飛び散る。ふたりは発作でも起こしたかのように、腰を密着し合って反復を繰り返す。

 

「ぐううう──は、弾ける──はあああ──」

 

 寧女がついに絶頂した。

 

「はああっ、寧女──」

 

 続いて、呉瑶麗も悦びの戦慄を示した。

 ふたりは本当にほとんど同時に嬌態を一致させたのだ。

 そして、ふたりが身体を接し合ったまま脱力した。

 快楽の絶頂に達したふたりは、身体を密着させたまま、激しく息をしている。

 安女金は、昇天の余韻に陥っているふたりを満足感とともに見ながら拍手をした。

 

「これで、ふたりは仲良しね。もう、喧嘩するんじゃないわよ」

 

 安女金は拍手を続けながらそう言った。

 

 

 *

 

 

 呉瑶麗は夢を見ていた。

 

 無数の星が天空を回っていた。

 呉瑶麗はその中のひとつだった。やがて、大きな光が現れて、その周りをぐるぐると回り始めた。

 しばらくすると、中心の光が異様に拡大し、呉瑶麗たちはその光に飲み込まれた。

 そして、さらに無数の光の矢が弾けた。

 すると、頭が揺れた。

 

「呉瑶麗、呉瑶麗」

 

 声がする。

 頭を軽く蹴られて揺すられている。

 呉瑶麗は、朝の微睡みから目を覚ました。

 眼を開けると、古ぼけた小屋の天井が見えた。壁の隙間から陽の光が小屋に差し込んでいる。

 

「呉瑶麗」

 

 また、頭を小突かれた。

 声は安女金だ。

 

「……あ、安女金、おはよう……」

 

 呉瑶麗は身体を起こそうとした。

 そして、ぎょっとした。

 身体が動かない。

 縄で腕を胴体にぐるぐる巻きに縛られている。足首にも縄がかかっている。

 しかも、素っ裸だ。

 呉瑶麗は全裸で縛られて、小屋に横たわっていたのだ。

 

「な、なに、これ?」

 

 気が動転した呉瑶麗は、なにが起きたのか思い出そうとした。

 それで、徐寧(じょねい)と名乗っていた男装の女の寧女と性交を強要されたことを思い出した。

 安女金の調教を寧女とふたりで受け、ほとんど意識がなくなるまで、繰り返し絶頂をさせられた。

 そして、やっと許され、寧女とふたりで折り重なるように寝たと思う。

 それからどうなったのかは知らない。

 しかし、素裸では寝なかったはずだ。

 ちゃんと服を着直したのははっきりと覚えている。

 それなのに、なぜ、全裸なのか?

 

「呉瑶麗ってばあ」

 

 また、頭を安女金に蹴られた。

 

「安女金?」

 

 呉瑶麗はなんとか体勢を取り直して安女金の声の方向を向いた。

 すると、安女金もまた、縛られていた。安女金はきちんと服を着ているが、後ろ手に縄を縛られて縄尻を小屋の柱に結びつけられてた。

 それで、安女金は自由になる足を伸ばして、呉瑶麗の頭を突いていたのだ。

 

「こ、これ、どういうこと、安女金?」

 

 呉瑶麗は身体を起こして、安女金に声をかけた。

 

「あたしも、いま気がついたところよ……。ただ、どうも、あたしたちは眠り薬に縁があるようよ。今度から気をつけようね」

 

 安女金が苦笑している。

 

「眠り薬?」

 

「一服盛られたのよ。多分、眠っているあいだに水筒で薬入りの薬を飲まされたのね。多分、彼女は眠り薬をどこかに隠し持っていたのだと思うわ」

 

「薬を盛られた?」

 

 誰に盛られたのだと訊ねようとして、寧女の顔が浮かんだ。

 いま、小屋にいるのは、呉瑶麗と安女金のふたりだけだ。

 寧女はいない。

 つまり、寧女は、眠っている呉瑶麗と安女金に薬を盛って、どこかに立ち去ったということだ。

 ふたりを拘束してから……。

 しかし、なんのために……、

 

「あっ──」

 

 小屋の中を見渡して、思わず叫んでしまった。

 荷物がない。

 いや、あることはあるのだが、呉瑶麗と安女金が服の上に被っていた明教徒用の白い頭覆い付きの外套が二枚が畳んで置いてあり、その上に小刀が置いてある。

 それだけだ。

 路銀や着替えなどの荷は、鞄ごとなくなっている。

 柴進の屋敷を出るときに、かなりの価値のある名剣をもらったのだがそれもない。

 柴進が呉瑶麗にくれた貴重な地図もない。

 

「どういうこと? あいつは──、寧女はどこに行ったのよ──?」

 

 呉瑶麗は怒鳴った。

 だが、その答えはわかっている。

 あいつが昨日の腹いせとばかり、呉瑶麗と安女金に薬を盛って、荷や路銀をかっさらって逃げたのだ。

 呉瑶麗はかっとなった。

 寧女が連れ去られたりしたわけではないのは、畳んだ外套が証拠だ。

 暴漢などにやられたとしたら、丁寧に外套を畳んでいくわけがない。

 

「どうやら、昨夜はやりすぎたのかねえ? 夜のあいだは大人しく調教を受けていたけど、朝になって我に返ったら、腹がたってきたということかねえ?」

 

 安女金は気楽そうにけらけら笑っている。

 だが、呉瑶麗はそんな気分になれない。

 服から武器からすべて持っていかれたのだ。

 

 これから、どうするのか……?

 とりあえず、小刀のある場所まで這っていき、それを使ってなんとか縄を切断した。

 そして、外套だけを被って、安女金のところにいき、安女金の縄も解く。

 

「しかし、参ったよねえ……。昨日は、一生恩に着るみたいなことを言っていたくせに、夜が明けると、これとはねえ。油断も隙もないわよ」

 

 安女金は縛られていた手をさすりながら言った。

 だが、その表情には、怒った様子も困っている様子もない。なんとかなるだろうというような気楽そうな感じだ。

 

 しかし、なんとかするのは呉瑶麗なのだ。

 安女金にあの醜い青痣を治してもらい、感激に号泣していた女が、夜のあいだになにもかも奪っていったかと考えると、腹が煮えくり返る。

 

「あいつ、今度会ったら許さないわ。あの性悪女――」

 

 呉瑶麗は息巻いた。

 

「まあ、普通に抱くくらいならこんな仕返しされることもなかったかもしれないけど、女同士の性愛で抱き潰したとあっては、あいつも腹の虫に据えかねたのかねえ……。気の強い女を苛めると怖いねえ。まあ、呉瑶麗のようにはいかないか」

 

 安女金が笑った。

 

「その抱き潰した張本人のあんたが言うの?」

 

 呉瑶麗は呆れた。

 

「とにかく、どうするんだい、呉瑶麗?」

 

「どうするも、こうするも、東渓村(とうけいそん)に行くしかないわよ。幸いにも、ここまで来れば、二刻(約二時間)も歩けば着くわ。それまでは食事もなしね。それにしても、着替えから下着まで持っていくなんて許せないわ。いつか同じ目に遭わせてやる」

 

「あんたの外套だけでも残してあってよかったじゃないかい。さもないと素裸で歩かないとならないところだったね」

 

 安女金が笑った。

 まったくだが、あの寧女は呉瑶麗が身につけていた衣類をわざわざ下着まで剥がして持って逃げたのだ。

 嫌がらせ以外の何物でもないだろう。

 安女金の服を剥がさなかったのは、一応は顔痣を消してくれたことに恩義を示したつもりかもしれない。

 

 呉瑶麗は鼻を鳴らした。そして、残っていた安女金の外套を手に取って渡した。

 

「あら?」

 

 呉瑶麗は畳まれていた二枚目の外套の下に封書が置いてあることに気がついた。柴進(さいしん)から預かっている東渓村の晁公子あての手紙だ。

 呉瑶麗と安女金のふたりを匿ってもらいたいという内容のはずだ。

 これには手はつけなかったようだ。

 調べたが、封を切られた様子はない。

 呉瑶麗はそれだけはほっとした。

 

「だけど、あいつ、あたしの淫具まで持っていったんだねえ。せっかく、お前が外套一枚で歩くというのに、羞恥調教できないじゃないかい」

 

「そんなのしないわよ。くそうっ、あの性悪女――」

 

 呉瑶麗はもう一度、怒鳴った。



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第15話  白巾賊の砦
47  雷横(らいおう)、全裸の呉瑶麗(ごようれい)に縄をかける


 とにかく、呉瑶麗(ごようれい)安女金(あんじょきん)とふたりで外に出た。

 しかし、周囲には特に変わった様子もない。

 やはり、寧女(ねいじょ)は、小屋の外になにかを残すということはしてなかった。

 

 仕方なく呉瑶麗は、外套の前をしっかりと手で持って安女金とともに歩き出した。

 外套には前を留める帯のようなものはなかったので、とりあえず縄を帯び代わりにして結んでいる。

 だが、外套には袖はない。だから内側から両手で押さえていなければ、外套が左右に開いて裸体が見えてしまいそうだった。

 

 小屋からは山道を使って森を抜けることにして、湖畔街道も避けることにした。

 途中で湧水を見つけた。

 洗面して、喉の乾きを潤す。

 

「本当に、あの性悪女……」

 

 屈んだり動いたりする度に、裸体がちらちらと露出する。それを懸命に押さえながら、呉瑶麗は荷を盗んでいなくなった寧女に悪態をついた。

 

「あんた、まだ根に持ってんの?」

 

「当たり前よ。恩を仇で返すなんて、信じられない女よ」

 

 呉瑶麗は吐き捨てた。

 さらに歩くと、城郭に通じる大陸街道まで出た。

 これまで使っていたような間道ではなく、大きな軍隊も通過できるように整備された道路だ。

 さすがに人通りも多い。

 避けたいところだが、ここを通らないと、東渓村(とうけいそん)に向かう経路はないはずだ。

 

 そのまま、しばらく歩くと、街道と街道が交差する辻に出た。

 辻を真っ直ぐに進めば、運城の城郭があるはずだが、東渓村への道は左に入る小さな道だ。

 その辻に高札があった。

 なにかの紙が張ってあり、何人かの旅人が立ち止まって眺めている。

 呉瑶麗は、何気無く辻に立っている高札を眺めて、危うく声をあげそうになった。

 そこには、真新しい呉瑶麗と安女金の人相書きがあり、びっくりするくらいの賞金がかけられていたのだ。しかも、呉瑶麗だけでなく、安女金の賞金までかなりの額だ。

 

「へええ……」

 

 安女金が人相書きに眼をやって、感嘆したような声をあげている。

 

「い、行くわよ」

 

 安女金もそれを見て、眼を丸くしている。呉瑶麗は、その安女金を追いたてるように辻を離れた。

 

「見た、呉瑶麗、あの賞金?」

 

 しばらく進んで道に人の気配がなくなると、安女金がささやいた。

 

「見たわよ。なんて賞金かけるのよ──。わたしたちは天下の大悪党扱いなの? わたしは国家転覆を企てた謀叛人じゃないのよ」

 

 安女金はともかく、呉瑶麗にかかっていた賞金は尋常な額じゃなかった。

 高俅(こうきゅう)の仕業に違いないが、呉瑶麗が世に出たことを知った高俅が、呉瑶麗の復讐を怖れて、高額の賞金をかけたに違いない。

 だが、あんな賞金をかけられてしまえば、誰もが一攫千金を狙って呉瑶麗を探すだろう。

 

「なんか、あんたと一緒にいるのは危険な気がしてきたわ」

 

 安女金が笑っている。

 なかなかに絶望的な状況だが、深刻にならないのは安女金のいいところだろう。

 それだけは助かる。

 

 そのとき、馬に乗った城郭軍の将校と彼に率いられる五人ほどの歩兵が正面からやって来た。ほかに馬に乗った役人もひとりいる。

 どうやら巡邏(じゅんら)の途中のようだ。

 

「ねえ……」

 

「静かに──。慌てないで──。そのまま自然に歩いて……。動揺すると、かえって怪しまれるわ」

 

 呉瑶麗は不安そうな声をかけてきた安女金を叱咤した。道は一本道だ。横に逸れる場所はない。

 やがて、その隊がすぐ前に来た。

 呉瑶麗と安女金は、道を開けるふりをして路端に寄り、かすかに頭をさげる姿勢で止まって、やりすごそうとした。

 隊が呉瑶麗たちの前をすぎていく。

 馬に乗った将校は大変な偉丈夫だった。身の丈は七尺(約二メートル)はあるだろう。それが大きな馬に乗っているのだ。まるで、山が動いているかのようだった。

 

「待て」

 

 その将校が不意に呉瑶麗ちの前で立ち止まり、徒歩の兵たちに声をかけた。

 呉瑶麗は背に冷たい汗が流れるのを感じた。呉瑶麗と安女金は巡邏の一隊に道端に迫られて囲まれるかたちになった。

 

「お前たちは明教徒(めいきょうと)か? 明教徒がこんなところをなぜ歩いている? 明教徒の巡礼地は畿内のさらに西であろう? この先には農村があるだけだ。なぜ、明教徒が農村に向かう?」

 

 その将校が馬上のまま言った。

 

「そ、それは……」

 

 呉瑶麗は返事に窮した。

 この将校のいう通り、明教徒の巡礼地はずっと南だ。

 街道を進んで西に向かうのならともかく、街道を外れて農村に向かおうとするのは不自然だ。

 しかも、明教徒なら当然持っているはずの教典もなければ、祈りの道具もない。

 明教徒と言い張るのは無理だ。

 

「どうした? 答えられんのか?」

 

 将校が馬上から首を伸ばして、覗き込むような仕草をした。

 

「いえ、実は旅先で荷を盗まれて、難儀しております。これはとりあえず、着ているだけで、わたしらは明教徒ではありません……」

 

 呉瑶麗はとっさに言った。首を垂れる仕草をして、必死に顔を隠す。

 

「ほう、じゃあ、なぜ、そんなものを着ている? まるで顔を隠すために思えるぞ」

 

「そ、そんなことは……」

 

 呉瑶麗は困ってしまった。

 そばの安女金の不安と緊張が伝わってくる。

 

「とにかく、頭の覆いを外して顔を見せよ、女……。これも、職務でな」

 

 将校が馬を動かして、呉瑶麗たちとの距離を詰めて、持っていた長い棒を向けた。

 すると、ほかの五人の兵も一斉に棒を構えて、呉瑶麗たちの周りを囲んだ。

 

「そ、それは勘弁を……」

 

 呉瑶麗は身体の前で握っている外套の両端をしっかりと握りしめて言った。

 

「か、勘弁だと──。顔を見せられぬ理由があるのか──」

 

 馬に乗っている将校が大渇した。

 なんという大声だと思ったが、とにかく、顔を見られたら終わりだ。

 ほんのすぐそばに、呉瑶麗と安女金の人相書きが掲示してある。

 顔を見てわからないわけがない。

 

「こ、この下は裸なのです……。じ、実は、梁山泊(りょうざんぱく)の盗賊に脅されて、身ぐるみを剥がされたのです。そ、それで、この先の農村に知り人がいるので助けてもらおうと……。どうか、ご堪忍ください」

 

 呉瑶麗は必死で言った。

 

「なにを言うか──。怪しい女だ。構わん、連行しろ──」

 

 将校が怒鳴った。

 棒を構えていた兵たちが一斉に呉瑶麗と安女金に手を伸ばした。

 

「ちょ、ちょっと、あんたら……」

 

 呉瑶麗は振り払おうとしたが、外套の下になにも身に着けていないことを思い出して一瞬躊躇した。

 

「あっ」

 

 しかし、その結果、左右から身体を羽交い絞めにされて、身体を固められてしまった。

 いかに武術の腕があっても、男と女では力の強さがまったく違う。複数の男に羽交い絞めにされてしまっては、さすがの呉瑶麗も抵抗できない。

 内側から押さえている両手首を掴まれて縄をかけられた。

 さらに捕り縄を結び付けられて、それが両手首が前に引っ張られる。

 そのとき、外套から手が外れて身体の前がはだけた。

 勢いよく両手が外套の外に出されるかたちになったので、腰で止めていた縄も解けてしまった。

 

「いやああっ」

 

 呉瑶麗は悲鳴をあげてその場にうずくまった。

 外套がはだけただけではなく、勢いよく腕を前に出したために、外套を結んでいた首の紐がほどけて、地面にばさりと外套が落ちたのだ。

 

「おおっ」

「ほおお」

「本当に素っ裸か──」

 

 呉瑶麗を囲んでいる兵たちが色めきだった声をあげた。

 

「おい、立たせろよ」

 

 縄を持っている兵に、ほかの兵が面白がって声をかけた。

 すると、呉瑶麗の手首にかかっている縄を持っている兵が強引に呉瑶麗を立たせた。

 呉瑶麗は顔を下に向けたまま、必死で両脚を踏ん張ったが、手首にかけられている縄を引っ張られては、さらに前に進むしかない。

 しかも、手が前に出ていると、羞恥の部分を隠すこともできないのだ。

 呉瑶麗は乳房も恥毛も剥き出しにしたまま、道の真ん中に引っ張り出された。

 

「待て、お前たち──。しまった。本当になにも着ていなかったのか──。ちょっと待て、やめよ」

 

 狼狽えた馬上の将校が声が耳に入った。

 

「ねえっ」

 

 そのとき、安女金の強い声が聞こえた。

 見ると、安女金も縄を手首にかけられているが、その手が青く光っている。

 しかし、全員の視線が呉瑶麗の裸身に集まっているので気がつかない。

 安女金は、顎で将校の乗っている馬を素早く示した。

 

 呉瑶麗は大きくうなづいた。

 すると、安女金の青い光を帯びた手が、将校の跨っている馬の脚に触れる。

 次の瞬間、馬が大きくいななくとともに、がくりと両方の前脚を倒した。

 

「おわっ、なんだ──?」

 

 馬上の将校が前に馬体を倒した馬から転げ落ちた。

 打ち所が悪かったのか、将校はすぐには起きない……。

 しめた──。

 呉瑶麗は前に突進した。

 捕り縄を掴んでいる兵は、倒れた馬と将校に気を取られている。

 呉瑶麗は力の限り、呉瑶麗の捕り縄の縄尻を握っている兵に体当たりした。

 

「うわっ──」

 

 その兵が道の外に吹っ飛ぶ。

 呉瑶麗の縄尻を持つ者はいなくなる。

 

「し、しまった──」

「押さえろ──」

 

 兵たちがそれに気がついて叫んだが、呉瑶麗はすでに倒れた兵が離した棒を手首を拘束された両手で掴んでいる。

 素っ裸だが、それに構ってはいられない。

 呉瑶麗は、その中心を両手で掴む。

 ひとりが棒で突きかかってきた。

 それを下から棒で跳ねあげてかわして腕を打つ。

 

「あがっ」

 

 その兵がうずくまった。

 

「こ、この女、やるぞ──」

 

 ひとりが叫んだ。

 だが、呉瑶麗の方が速い。

 その男に向かって踏み込み、腹を突く──。

 その男も倒れる。

 

 残り二人──。

 呉瑶麗は打ちかけられる棒を避けながら、それぞれの脇腹に棒を叩き込んだ。そのふたりも絶息して倒れた。

 振り返る。

 最初に腕を打った男を見た。そいつ以外の兵は、もう意識がない。

 眼が合った。

 腕を握ったまま、恐怖を顔に浮かべている。

 おそらく、最初の一撃で手首の骨が折れていると思う。

 その兵は、まだ、片膝をついてしゃがんだままだが、その胸に棒を叩きつける。

 

「ぐあっ」

 

 これで五人の兵がすべて倒れた。

 そこまでに数瞬しかかかっていない。

 

「こ、こいつ──」

 

 そのとき、やっと馬ととともに地面に転がった巨漢の将校が、苦しそうに頭を振りながら立ちあがった。

 将校は憤怒で顔を真っ赤にして棒を掴んでいる。

 呉瑶麗は雄叫びをあげて飛びかかった。

 受けられた。

 棒が来る。

 今度はそれを呉瑶麗が受けた。

 

 三合──。

 四合──。

 

 激しく棒がぶつかる。

 体を入れ替えた。

 こいつは強い──。

 隙もない。

 

 呉瑶麗は叫びながら再び突進した。

 しかし、凄まじい打撃が来た。

 呉瑶麗は棒を頭の上に伸ばして受けた。

 だが、あまりもの激しい打撃に全身に痺れが走った。

 しかも、受けた位置で棒をふたつに砕かれた。

 呉瑶麗の掴んでいる棒が半分になる。

 将校がもう一度、棒を振りかざし、力任せに振り下ろしてきた。

 呉瑶麗は足元に落ちた折れた側の棒をとっさに蹴飛ばした。

 将校の脚にその棒が絡む。

 

「うっ」

 

 一瞬だけ、将校の脚がよろけた。

 だが、呉瑶麗にはそれで十分だ。

 持っていた棒で喉を全力で突く──。

 将校が後ろに仰向けに倒れた。

 動かない……。

 死んではいないが、意識を失ったようだ。

 

 これで全員──。

 呉瑶麗はほっとして脱力した。

 激しく息をした。

 気がつくと、全身から汗が噴き出している。

 

「おい、お前」

 

 はっとした。

 もうひとり残っていたことを思い出した。

 城郭軍の将兵のほかに、馬に乗った役人がひとりいたのだった。

 呉瑶麗に呼びかけたのは、その役人だ。

 身構えた──。

 しかし、呆気にとられた。

 その役人は馬から降りて、安女金の縄を解こうとしていたのだ。

 

「お前も来い……。縄を外してやろう。兵たちの意識が戻る前に逃げてしまえ。この馬を持っていくといい。俺から奪ったことにしておく」

 

 役人が安女金の縄を解いて、自分の乗っていた馬の手綱を安女金に握らせた。

 

「ど、どうも」

 

 安女金も当惑している。

 そして、呉瑶麗に寄ってきた。

 その途中で呉瑶麗から脱げ落ちてしまった外套を拾って、呉瑶麗に放った。

 

「目の毒だな。その裸を隠してくれ」

 

 役人は呉瑶麗に外套を手渡しながら苦笑した。

 

「あっ、きゃああ──」

 

 やっと呉瑶麗は完全な素裸だったのを思い出して、外套を持った両手を体の前にやって裸を隠した。

 役人が、その呉瑶麗の手首の縄をぐいと引っ張って縄を解いた。

 特別な結び方があるのだろう。

 強く縛られていたと思った手首の縄があっという間に解けて地面に落ちた。

 

「た、助けてくれるの?」

 

 呉瑶麗は自由になった手で、もう一度、外套の紐をしっかりと結び、外套を裸身に覆い直した。

 すると、役人が笑った。

 

「助けたうちに入るのかなあ……。あんたはその気になれば、俺をぶちのめして逃げられるだろう。俺は殴られたくないから逃がすだけだ。とにかく、俺の乗っていた馬に乗っていくといい──。そして、どこかに隠れて、しばらくはうろうろするな。数日間は城郭中の役人と兵がお前を探すと思え、呉瑶麗」

 

 役人が言った。

 呉瑶麗は自分の顔が引きつるのがわかった。

 

「……なぜ、そんな顔をする? あちこちに、お前の人相書きが掲示されているのは知っているのだろう? それに、手前の辻に人相書きを張ったのは俺だ。俺は警尉官でな。手配人を追うのが俺の仕事だ。知っているのは当たり前だ」

 

「警尉官──? そ、それなのに、わたしを逃がすの?」

 

 呉瑶麗はびっくりした。

 警尉官というのは、治安を司る役人であり、呉瑶麗のような罪人を捕えるのが役目の役人だ。それが逆に手配人を逃がそうというのか?

 

「さっき、言っただろう……。捕えようと思っても、雷横(らいおう)を倒してしまうような女を捕える力はないさ。しかし、素晴らしい腕だ。さすがは、元国軍の武術師範代だな」

 

 役人が笑った。

 

「雷横っって?」

 

「お前が倒した将校の名だ。あの将校は、運城の城郭軍でも、一、二を争う猛者なのだぞ。それをお前は、手を縛られたまま倒してしまったのだ。気がついたら口惜しがるだろうな。あんたを逃がすのは、雷横を殺させたくないためでもある。俺の飲み友達でな。死なせたくはないのだ」

 

 役人は笑った。

 思わず引き込まれるような屈託のない笑いだ。

 呉瑶麗は、唖然としてしまった。

 

「……とにかく、行け。雷横が目を覚ましたら、お前たちが向かった方角の逆に向かったと教えておく」

 

 役人に促されて、呉瑶麗は安女金が掴んでいる馬に駆け寄った。

 馬に跨ってから安女金を馬上に引きあげて、後ろに乗せる。

 

「鞍に小銭の入った袋が結びつけてある。それと剣もあるだろう? 好きなように処分していい。ところで、俺が言ったことを忘れるな。とにかく、しばらくは隠れていろ。隠れる場所がないなら、できるだけ急いで運城(うんじょう)の管轄から離れろ。いいな」

 

 役人が急に真顔になり言った。

 

「名前を教えてください」

 

 呉瑶麗は言った。

 

「俺は、運城の行政府に所属する宋江(そうこう)という小役人だ。あんたが受けた理不尽と不幸は少しは知っている。できれば生き延びてくれ。それがあんたを陥れた者たちへの復讐になるだろうさ」

 

 今度は、宋江と名乗った男の顔に柔和な笑みが浮かんだ。

 呉瑶麗はさらになにかを語ろうと思ったが、宋江が呉瑶麗に背を向けて、身体に泥をつけ始めた。

 なにをしているのかと訝しんだが、どうやら、身体を汚して呉瑶麗にやられたという言い訳をするための準備だと悟った。

 

「そうそう……。全部やると言ったが、馬だけは勘弁してくれ。金子は幾らもないし、剣も行政府から支給された安物でどうでもいいんだが、馬は自前なのだ。安全なところに逃げたら放してくれ。それで勝手に戻るはずだ」

 

 宋江が一度だけ振り返って言った。

 そして、再び、身体に泥をつける作業を再開した。

 大らかで不思議な人だ。

 あれでも役人なのだろうか?

 呉瑶麗は馬の肚を蹴った。

 

 

 *

 

 

「この屋敷には、三人の下男と三人の下女、それから、料理人がいるわ。この屋敷の中でなら自由にしていい。屋敷の者はあんたたちのことを密告なんかしない。それは信用して、呉瑶麗、そして、安女金。ただし、許可なく、屋敷の外には出ないで。それだけは守って」

 

 晁公子(ちょうこうし)は言った。

 夜だった。

 

 柴進(さいしん)の手紙を携えて晁公子を訊ねてきたのは、滄州(そうしゅう)の流刑場送りになっていた元国軍武術師範代の女の呉瑶麗と、道術を操る女医の安女金だった。

 その呉瑶麗と安女金が目の前に座っている。

 

 柴進からの手紙は少し前に届いていた。

 世話になった者が手紙を持って訪ねてくるので匿って欲しいと書いてあった。

 事前に送ってきた手紙には、途中で盗み読みされるのを恐れたのか、呉瑶麗の名も安女金の名もなかった。

 だが、それがこのふたりだったようだ。

 

 柴進とは会ったことはない。

 だが、どんな人物なのかは知っている。

 死んだ夫の晁蓋(ちょうがい)が随分と世話になった旧王族の末裔だということで、少しも偉ぶったことのない貴族男だということだった。

 晁蓋とは親しかったらしく、危ないところを屋敷に匿ってもらったり、路銀を融通してもらったりしたことが何度も遭ったらしい。

 生前の晁蓋は、いつかは柴進に恩を返さないとならないと言っていたが、それが実現することなく晁蓋は処刑された。

 だが、晁蓋は、誰にも語っていないと思っていた晁公子のことを柴進にだけは、隠し妻だと話していたらしい。

 晁蓋が死ぬと、柴進から悔やみの手紙と多額の香典がひそかに送られてきた。

 それをきっかけに、晁公子と柴進の手紙のやり取りは続いていた。

 その柴進の頼みなら断れない。

 

「わかりました。言いつけは守ります。それと、今回は本当にお世話になります」

 

 呉瑶麗が安女金とともに深々と頭をさげた。

 

 いま、目の前のふたりは、晁公子が提供した部屋着を着ている。

 旅で疲れた感じだったが、湯で身体を洗わせて、服を着替えさせると随分と元気になった感じだ。

 別室で食事もとらせた。 

 ふたりが晁公子の部屋にやって来たのは、かなり夜も更けた時分だった。

 もともと、ふたりが晁公子の屋敷にやって来たのが夜だったのだ。

 だから、この時間になったのだ。

 よく聞けば、このふたりが東渓村(とうけいそん)にやってきたのは、もっと明るいうちだったらしいが、晁公子に迷惑になることを考えて、夜になるのを待ってから、人目を忍ぶようにやってきたのだ。

 なかなかに思慮深い女性だということはそれだけでもわかる。

 安女金は知らないが、呉瑶麗のことは少しは知っていた。

 

 呉瑶麗は、殺人を犯して流刑場送りになったということになっているが、高俅(こうきゅう)という若い近衛軍の大将が、自分になびかなかった腹癒せに無実の罪を着せて、凌辱した挙句に流刑場送りにしたというもっぱらの噂だ。

 遠い帝都の話ではあるが、あまりに理不尽な話に、晁公子も憤りを感じていた。

 

 その呉瑶麗が流刑場で看守殺しの挙句に、脱獄をしたことも耳にしていた。

 流刑場の囚人の首には、脱走防止の首輪が嵌められる。

 だから、脱走など不可能なはずなのだが、呉瑶麗はそれをやってのけのだ。

 どうやったのだろう思っていたが、どうやら、それは不思議な術を操る安女金が外したらしい。

 

 その呉瑶麗が東渓村にやって来た。

 晁公子としては、心が浮き立つような小気味のいい出来事だ。

 呉瑶麗によれば、柴進とは流刑場に入る直前に柴進の屋敷で知り合ったらしい。

 その屋敷で呉瑶麗の武術を見せる機会があり、それで気に入られたのだという。

 

 そういえば、柴進という旧王族の末裔の男は、腕のたつ武術家が大好きで、そういう者を屋敷に集めて、食客として大勢養っているという変わり者だという話だ。

 死んだ晁蓋も同じようなことを言っていたし、武芸者の女囚を匿うというのは、いかにも柴進らしいと思った。

 

 そして、その呉瑶麗の武辺も大したものだ。

 なにしろ、武辺では運城軍の双璧といわれている雷横を手首を拘束されたまま倒してきたというのだ。

 噂以上の驚くほどの強さだ。

 

「ところで、本当にいいのですか? わたしはお尋ね者です。わたしをここに匿うと、晁公子殿だけじゃなくて、この村全部に迷惑がかかりますよ」

 

 呉瑶麗が言った。

 

「いいのよ。ここにいる以上、わたしの客よ……。それから、明日には、もう少し安全な場所に連れて行くわ。わたしの仲間にも会ってもらう。ともかく、今夜は、この屋敷でゆっくりと休むといいわ。さっきも言ったけど、この屋敷内の者は、絶対にあなたたちのことは誰にも口外しないわ」

 

「は、はい」

 

 呉瑶麗は、かすかに顔に不審な表情を浮かべてうなずいた。

 晁公子は、この呉瑶麗と安女金に白巾賊の仲間になってもらおうと思っている。

 白巾賊(はくきんぞく)の活動のための隠し村は、この東渓村からさらに入った山奥にある。

 明日にはそこに連れて行くつもりだ。

 そうすれば安全だ。

 まず、官軍は、ふたりの行方は発見できないだろう。

 そこで仲間を紹介しようと思う。

 劉唐姫(りゅうとうき)は旅に出ていないが、香孫女(こうそんじょ)湯隆(とうりゅう)、それから、阮小ニ(げんしょうじ)阮小女(げんしょうじょ)も呼ぶ。

 そこで、白巾賊の活動について打ち明けるつもりだ。

 

 呉瑶麗と安女金が拒否すれば殺さねばならないから、ここではまだ打ち明けないが、おそらく、この呉瑶麗と安女金は、仲間になることを承知してくれるはずだ。

 ほかに行き場はないはずだし、それに、呉瑶麗にはこの国を憎む十分な動機がある。

 呉瑶麗にしろ、安女金にしろ、頼もしい戦力になってくれるに違いない。

 

 それにしても、不思議な夢を見たその日に呉瑶麗と安女金という女傑がふたり揃って東渓村にやって来たというのは、ただの偶然ではない気がする。

 

 晁公子は、今朝、不思議な夢を見たのだ──。

 

 大きな星がこの屋敷に落ちて晁公子に当たり、晁公子は大きな光に包まれた。そして、気がつくと、晁公子自身が大きな光そのものになり、周りをたくさんの光が回っていた。

 

 やがて、晁公子を包む光はさらに大きくなり、周りの小さな光を飲み込んで大きく弾けた。

 光は四方八方に飛び散った──。

 

 そんな夢だった。

 あれは、なにかの予兆だったのではないだろうか──?

 いずれにしても、光が屋敷に落ちるというのが悪い兆しであるわけがない。

 次に隠し村に訪れたときに、香孫女にでも相談をしてもようかと思っていたところに、呉瑶麗たちの訪問だ。

 これは、なにか事が起きる前触れではないだろうか──。

 そんなことを思った。

 

 それにしても、呉瑶麗のことを気づきながら、わざわざ金子や馬まで与えて逃亡させたという宋江(そうこう)という運城(うんじょう)の役人のことは気になる。

 宋江という小役人のことは、直接面識があるわけではないが、評判は効いていた。

 困った者を見れば、乾季に降る雨のように必要な助けをするので、及時雨(きゅうじう)ともあだ名をされている高潔の下級役人だ。

 そのうちに近づきになりたいと思っていたが、呉瑶麗から昼間のことを聞いて、大いに興味を抱いた。

 

 近いうちに会いに行ってみるか──。

 そう思った。



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48  晁公子(ちょうこうし)呉瑶麗(ごようれい)に国を作る夢を語る

 呉瑶麗(ごようれい)が、晁公子(ちょうこうし)に案内されて、東渓村(とうけいそん)の隠し里という場所に連れてこられて十日になる。

 ここにやってきたときには驚いた。

 

 東渓村の集落から離れて奥の山中に進み、複雑な小路を延々と歩かされたと思ったら、やがていきなり、東渓村の隠し里が出現したのだ。

 晁公子が言ったのは、ここならば、まったく人目にはつかないし、役人に見つかることはないだろうということだ。

 その隠し里には、百人ほどの人間が生活をしていた。

 呉瑶麗と安女金は、その東渓村の隠し里の一員にしてもらうことになった。

 

 実は、隠し里というのは珍しいものではない。

 この国の税は高い。

 それで、ほとんどの農村は、大なり小なり、役人には届けてはいない畠や田を持っている。

 発覚すれば処罰されたうえに、さらに重税が課せられるのだが、そんなものがなければ、とてもじゃないが税を納めて、農村が経営を立ちゆかせることはできないのだ。

 そういう隠し畠や隠し田が拡大して人が住むようになれば、隠し里だ。

 だが、この東渓村の隠し里は、そんなどこにでもある隠し里とは全く違う。

 

 砦だ──。

 百人以上の者が立て籠もって戦うことができる場所が作ってあり、砦の中には井戸もあり、兵糧や武器が集められていた。

 また、砦には防壁があり、砦に接近する小路には多くの罠もあった。

 なによりも、この隠し里に向かう経路そのものが複雑な迷路になって隠されていて、簡単には発見できないようになっている。

 

 隠し里にいる百人程度の男女が生活をする家は、その砦を取り囲むように建てられており、呉瑶麗と安女金は、その中の一軒を与えられた。

 最初にここに連れてこられたとき、晁公子は、呉瑶麗になんの説明もしなかった。

 

 ただ、ここでしばらくすごして、また話をしようと言われただけだ。

 そして、何人かの人間を紹介された。

 そのひとりが、銃工房の管理をしている湯隆(とうりゅう)であり、いかにも職人という感じの陽に焼けた肌をした大きな男だった。

 驚いたことに、この隠し里には砦に隣接しておおきに銃工房が建てられていて、湯隆という男が数名の部下を指揮して銃を生産していたのだ。弾丸も作っている。

 呉瑶麗は国軍に所属していたので、国軍の銃士隊は知っているが、銃はご禁制の武器であり、所持するだけで死罪だ。ましてや、自分たちで生産するなど聞いたことがない。

 それが百丁はあり、さらに量産を目指している気配だ。

 呉瑶麗はなによりも、そのことに度肝を抜かれた。

 

 湯隆は、晁公子が銃工房に姿を見せるなり、良質の鉄が不足しているということと、石炭の質が悪いので必要な火力を得られないことに文句を言っていた。

 晁公子は、そのうちになんとかすると笑って受けていた。

 銃工房を見せてもらってから、晁公子は、湯隆は不平屋だが、おそらく、銃作りでは帝都でも湯隆を上回る技術の者はいないだろうと言った。

 

 次に会わせられたのは、香孫女(こうそんじょ)という少女だ。

 見た目は十二歳の童女なのだが、口調や態度は年齢を重ねた老女を感じさせた。

 香孫女は、安女金と同じように道術士であるのだが、安女金の道術が医術に関するものに限定されるのに比べて、もっとたくさんのことができるようだ。

 

 その初日の最後に会ったのが、阮小ニ(げんしょうじ)阮小女(げんしょうじょ)の兄妹だ。

 阮小ニは、梁山湖(りょうざんこ)で魚を獲るのを生業としている漁師であり、阮小女は少女にしか見えない風貌だが、すでに大人の人足を使って仕事をする船大工らしい。

 このふたりが、この砦にどういう関わりをしているかは、その日はなにも教えられなかった。

 呉瑶麗も聞かなかった。教えるべきときがくれば、教えてくれるのだろうと思った。

 その日は、それで終わりだった。

 

 隠し里に限り、自由にしていいと晁公子は言った。ただし、絶対に外には出ないということは約束させられた。

 呉瑶麗と安女金の東渓村の隠し里における生活が始まった。

 安女金は、医師の能力があるということで、次の日から生活のための家とは別に養生所のような場所を与えられて診療を始めた。

 安女金の養生所には、すぐに多くの者が列を作った。

 同じ道術士でも、香孫女には人の身体を治したりする能力はないらしい。安女金の存在は、この隠し里の住民にすごく喜ばれた。

 

 呉瑶麗は特にすることもなく、湯隆の銃工房を見学したり、この隠し里の住人と話をしたりした。

 隠し里には、小さいが田畠もあり、豚の牧畜も行われていた。

 ほとんどの住民はそれらの仕事に携わっていた。

 

 話をしてわかったのは、ここに住む者は、男であれ女であれ、すべてが戦う気概を持った戦士だということだ。

 しかも、戦う相手はこの帝国という国だ。

 この国の在り方に不満を持っていて、叛乱を成功させて自分たちの国を作るのだということを本気で語っていた。

 ここでなにをしているかは、砦や銃工房の存在、そして、住民の言葉で明らかになった。

 この隠し里は、叛乱の拠点なのだ──。

 呉瑶麗は呆気にとられた。

 そして、心の整理をするのに数日が必要だった。

 

 砦も見た。

 自由にしていいと言われたので、砦のあちこちも見たが、どうやら普段は砦の外で暮らして隠し里の田畠で作業している者も、いざとなれば、砦に籠ることができるようになっているようだ。

 そのための部屋もたくさんある。

 ただし、平素は使っておらず、兵糧や武器を備蓄する倉庫のように使われていた。

 呉瑶麗がもっとも多くの時間をすごしたのは、砦の中にある資料庫だった。

 そこには、かなり多くの軍学書があり、また、精密な周辺の地図があった。

 

 実は、呉瑶麗は軍学書には精通している。

 呉瑶麗は、青州の沿海州に近い山中で、「伯父」と称する不思議な人に育てられたのだが、物心つくころから、武術を学び、書物を読めるように教育を受けていた。

 その伯父の持論で、軍学というのは、物事のことわりを単純に知るにはもっともいい学問らしく、呉瑶麗に山中で世間と関わらない生活をさせている代わりに、その軍学によって世間のことを教えようとしたようだ。

 

 その伯父は呉瑶麗が十六歳のときに崖から落ちて死に、それを契機に呉瑶麗は山をおりることにし、そのとき初めて世間と接したのだが、結局のところ、世間を知るということにおいて、伯父の教えた軍学は直接的な役に立ったとは思えない。

 ただ、物事を筋道立てて考える思考を育ててくれたことについては、伯父の軍学は大いに役に立っていると思う。

 

 晁公子が再び姿を隠し里に姿を見せたのは十日目の夕方のことだ。

 劉唐姫(りゅうとうき)という赤毛の女と一緒だった。

 隠し里における晁公子の部屋は、砦の中そのもの中にある。

 呉瑶麗は、その部屋で晁公子と劉唐姫を卓を囲んで座った。

 卓の上には、酒の入った瓶と多少の肴がある。

 三人の前にある杯に酒が注がれた。

 

「あなたが呉瑶麗ね──。ざっくばらんにいきましょう。あたしのことは呼び捨てにして──。劉唐姫よ──」

 

 劉唐姫が杯を顔の前にかざして、微笑みながら言った。

 

「呉瑶麗よ」

 

 初めて会ったというのに、それを少しも感じさせない女性だった。

 呉瑶麗は思わず軽口を使ってしまった。

 

「ここをどう思った、呉瑶麗?」

 

 晁公子が酒を数口飲んだあとで言った。

 

「驚きました」

 

 呉瑶麗は正直に思ったことを言った。

 

「驚いただけ?」

 

 晁公子は頬に柔和な笑みを浮かべながら、試すような視線でじっと呉瑶麗を見つめた。

 なんと言っていいかわからなかった。

 呉瑶麗が言い淀んでいると晁公子がまた口を開いた。

 

白巾賊(はくきんぞく)という賊徒は耳にしたことがある、呉瑶麗?」

 

「白巾賊……」

 

 知っている……。

 この北州を中心に地方軍や地方政府の施設を中心に襲い続けている謎の集団だ。

 全員が白い布で顔を覆っているので、白巾賊と呼ばれていた。

 ただ、遠い北州のことなので、あまり帝都では大きな話題にはなったことはなかった。

 義賊という評判は高かったが、国軍としてはたくさんある盗賊団のひとつと評価していたし、なによりも、討伐しなければならない重要な対象だともされてはいない。

 帝都にとっては、所詮は畿内以外の地方州のことは、その程度の問題なのだ。

 

 ただ、呉瑶麗は興味を持っていた。

 狙うのが政府軍や地方政府施設ばかりだというのが、なにか思想のようなものを感じたからだ。

 それに、存在そのものが謎だとされていることにも興味をそそがれたた。

 普通、賊徒の拠点が謎などということはありえない。

 人が集まれば情報が漏れる。

 襲撃をすれば、負傷したり、捕えられたりする者が出る。

 そういう者が口を割る。

 それで、大抵のことはわかる。

 しかし、白巾賊については、何度も襲撃をするわりには、いつまでも謎のままだった。

 政府軍ばかりを狙うので、小さいといえども北州政府にとっては、ほかの大きな賊徒よりも、優先的な討伐の対象のはずなのに、白巾賊の討伐が行われたという話も知らない。

 また、呉瑶麗がひそかに興味を抱いていたのは、白巾賊の首領が女だとされていたことだ。少なくとも、襲撃の指揮は女だということは噂の中に入っていた。

 どんな集団なのだろうかと、興味を抱いたことはあるのは確かだ。

 

「わたしが白巾賊の首領の晁公子よ。そして、ここは、その拠点よ」

 

 晁公子はあっさりと言った。

 呉瑶麗は大きく目を見開いた。

 

「わたし、そして、ここにいる劉唐姫、もうひとり、北州にいる美玉(びぎょく)という女商人の三人の女が核として生まれた集団よ。わたしたちは、全員がある男の妻だったの──。五年前に北州都で処刑された晁蓋(ちょうがい)という男よ。つまりは、この叛乱は、その晁蓋の叛乱なのよ」

 

「あの晁蓋の──。い、いえ、晁蓋殿の?」

 

 呉瑶麗はびっくりして声をあげた。

 晁蓋というのは五年前に残酷に処刑された伝説の叛徒の首領だ。

 その名くらいは、さすがに呉瑶麗も知っている。

 賊徒ではなく、叛徒の首領として処刑されており、しかも、最後まで仲間や叛徒の拠点の場所を割らずに死んだという。

 

 帝国政府や地方政府に不満を持つ者は多い。

 そんな庶民にとっては、叛乱を企てて拠点を残したという晁蓋は伝説の英雄だ。

 晁蓋が最期に放った言葉は有名であり、“俺は死ぬが、俺の遺した仲間と軍がいつか民の苦しみを解放するために立ちあがるだろう”と処刑台で叫んだと言われている。

 

 それからしばらくは、盗賊団には、自分たちこそ晁蓋の叛乱の生き残りだと称するものが後を絶たなかったはずだが、晁蓋の名を出した途端に、北州軍の本格的な討伐がなされたので、いまでは晁蓋の残党を名乗る賊徒も少なくなっている。

 呉瑶麗が晁蓋が残した言葉の話をすると、晁公子と劉唐姫が大笑いした。

 

「そんなことは言わなかったわね、劉唐姫?」

 

「言わなかったよ。口なんてきける状況じゃなかったしね──。あたしらたち三人は、あの処刑の三日間、ずっと、その場所にいたのよ、呉瑶麗。だから、晁蓋がそんな立派な死に方をしたんじゃないということは受け合うわ。だけど、なんか嬉しいわね。晁蓋がそんな風に伝説になっているだなんてね」

 

 劉唐姫が笑いしながら、そっと涙をぬぐうような仕草をした。晁公子も本当に懐かしさを噛みしめるような表情になった。

 もしかしたら、彼女たちの言っていること本当かもしれない……。

 それにしても、あの晁蓋の叛乱が……?

 呉瑶麗は、そんなものは生活の苦しさに虐げられている庶民の怨嗟から生まれた幻だと思っていた。

 しかし、ここがその拠点?

 しかも、白巾賊がそれだったのだ。

 呉瑶麗は呆然とした。

 

「まあ、その話はいいわ……。とにかく、ここは白巾賊の拠点よ。その目指すのは、新しい民の国を作ることよ」

 

「国を作る……。なるほど……」

 

 呉瑶麗は言ったが、それほどの実感はなかった。

 国を作るなんていうのは絵空事だ。

 膨大な地方軍もいるし、三十万と号される帝都の国軍もある。

 国軍の強大さは、その中にいた呉瑶麗はよく知っている。

 

「どうやって、国を作るのですか?」

 

 呉瑶麗は言っていた。

 

「いまの政治は庶民にとって、ひどすぎるわ」

 

 晁公子は言った。

 

「それはそうですね。だから、賊徒が横行する……」

 

「その通りよ、呉瑶麗──。賊徒が多いから、世が乱れるのではないわ。世が乱れているから、賊徒が横行するのよ。まともに生活をすることができなくなった者が、仕方なく賊徒になるのよ──。そして、賊徒が多くなれば、さらに世が乱れる。その力を糾合して、大きな叛乱にするのよ」

 

「でも、大きな賊徒は討伐されています。小さな賊徒が見逃されているのは、少なくとも、それが中央政府にとって、痛くも痒くもないものだからです。しかし、単なる賊徒ではなく、国を作るというような叛徒になれば話は別です。大きな叛乱ということになれば、この国そのものとぶつかることになります。北州軍ではなく帝国です──。帝国には、三十万と号している国軍があります。まあ、実態は、その半分ですけど」

 

「それに勝つ──。それが、わたしたちの戦いの目的よ。不正も賄賂も役人の横暴もない。庶民のための国を作るのよ」

 

 晁公子は言った。

 しかし、呉瑶麗は大きな溜息をついた。

 話すのは晁公子と呉瑶麗だけだ。劉唐姫はにこにことしながら、ふたりの話に耳を傾ける態勢だ。

 

「あなたの反応は面白いわね、呉瑶麗……。わたしは、心あると感じた者には、わたしの夢を語るわ。わたしというよりは、死んだ晁蓋の夢をね……。そうすると、大抵は、怖気づくか、それとも、夢想に目を輝かせるかどちらかよ。でも、あなたの反応はそれとは違うようね。勝ち方を語りたがった者はおそらく、初めてと思うわ」

 

「いえ、そんな大それたことを語るつもりはありませんでした。戦いの意義には賛同します。わたしも戦いに加わらせてください。これでも、大抵の男には武術では負けません。武術を教えることもできます。きっと役に立つを思います。ここに安女金はいませんが、彼女も同じ気持ちです。どうか、わたしたちを置いてください」

 

 呉瑶麗は言った。

 いずれにしても、ここに身を置くほかの生き方はないのだ。どうせ、この帝国ではどこであろうとも、呉瑶麗が生きていける場所はない。それならば、この国と戦うと夢想を抱く者の集団の中で死ぬのがいい。

 

「安女金はあなたが加われば参加するそうよ。あっさりしたものだったわ。あなたたちは仲がいいのね」

 

 晁公子はにこにことして言った。

 

「安女金とも、叛乱の話をしたのですか?」

 

 呉瑶麗は驚いた。

 

「したわ……。さっきね──。ところで、あなたはどう思うの? あなたが叛乱に加わるという決心はいま聞いたわ。まあ、それは当然でしょうね。あなたには途方もない賞金を懸けられた。おそらく、これであなたが安全に生きていける土地はこの帝国にはなくなったわ。そうね?」

 

「まあ、そのとおりです」

 

 呉瑶麗は仕方なく答えた。

 

「政府軍に追われるというだけではなく、一攫千金を狙った賞金稼ぎも目の色を変えてあなたを追うでしょう。そんなあなたが生きていくのはここしかない。あなたがこの戦いに加わるのは、夢想ではないわ。打算よ」

 

 晁公子は呉瑶麗をじっと見た。

 呉瑶麗は軽く肩を竦めた

 

「夢想はしない性分なんです……」

 

 呉瑶麗は言った。

 

「そのようね……。ところで、叛乱といっても、いまの段階では単なる夢想よ。それはわかっているわ。ただ、わたしは国を作る夢を見た。実際には、わたしが見た夢じゃなかったけど、とにかく、わたしは夢を抱いた。この劉唐姫もそう。ここにはいない美玉もそう。そんな馬鹿げた幻を本気になって実現しようとしているただの女よ」

 

「はい」

 

「だけど、やってみないとわからないと思っている。国を作るという夢を本気で実現しようと思っているのよ」

 

「わかりました。微力ですが力を尽くします」

 

 呉瑶麗は静かに言った。

 そして、卓に置いたままだった杯を持って口をつけた。

 

「正直じゃないわね、呉瑶麗……。わたしは随分と腹を割って話をしているつもりだけど……」

 

 すると、晁公子が言った。

 呉瑶麗は晁公子に視線を戻した。

 

「えっ?」

 

「軍学を学んだことがあるんでしょう? 幼少時からずっと──。そんな人間はここにはいないわ。だから、軍学を学んだ者としての意見を欲しいわね」

 

 晁公子がじっと呉瑶麗を見つめた。

 今度こそ、呉瑶麗は驚愕した。

 呉瑶麗がずっと軍学を学んでいたなどということは、ほとんど誰も知らない事実だ。

 国軍にだって、呉瑶麗は武術を買われて入ったのであり、軍学とは関係がない。

 武芸者のくせに好んで書物を読むのは知られていたと思うけど、軍学のことは誰とも語ったことはないのだ。

 

「なぜ、それを……?」

 

「わたしにも、耳目になってくれる者がいるのよ。まあ、金子を払って情報を集める者だけどね。でも役に立つわ。そのうちに紹介するわ……。というよりは、わたしが持っている情報などはすべて、少しずつあなたに渡したいとも思っている……」

 

「はあ」

 

 耳目というのがどういうものなのかは検討もつかないが、この十日で、呉瑶麗のことを調べさせたということなのか?

 それで、呉瑶麗の幼少時の生い立ちにまで辿り着いたのであれば、それは大した情報収集能力と思う。

 

「ここでは色々なものが不足しているわ。なによりも、いまは人が不足している。戦う者はいくらでも作ることもできる。わたしもそうだし、この劉唐姫もそうよ……。戦う手段もある。それは増やすこともできると思うわ」

 

 戦う手段というのは、あの大量の銃のことだろう。

 そして、戦う者というのは、東渓村のことかもしれない。なんといっても、晁公子は東渓村の女名主だ。

 激を発して糾合すれば、全員とは言わないが、村人のかなりの勢力が晁公子の叛乱に加わるのかもしれない。

 ただ、それでもすぐに集められる勢力は、一千というところだろう。とてもじゃないが、国と戦うための勢力とはなり得ない。

 

「でも、勝ち方を考えられる者はいないわ……。あなたがそうなのであれば、あなたには、その役目を期待しているわ。それはあなた個人の武芸よりもずっと役に立つ。当面のあなたの役目は、戦い方を考えることとするわ。わたしの補佐としてね」

 

 晁公子が言った。

 呉瑶麗はびっくりした。

 

「つまり、軍師ということですか? 確かにわたしは軍学を学びました。でも、伯父に教育されただけで、ほとんど独学に近いものだし、第一、経験はありません」

 

「それでもいいわ。それに、あなたは武術師範代という立場だけど、軍というものをずっと見ていた。それも経験じゃないの? それで、正直な意見を聞かせて欲しいわね。ここをどう思った? 本音を教えて欲しいのよ」

 

 晁公子が訊ねた。

 

「本音……ですか……?」

 

 呉瑶麗は言った。

 

「そうよ、本音よ」

 

「わかりました」

 

 晁公子の言葉に呉瑶麗は息を吐いた。

 思ったことをはっきりと口に出すことを決意したのだ。

 それは、おそらく晁公子の気に入らない言葉だというのはわかっている。

 だが、思ったことを本音で言えというのだから仕方がない。

 

「ならば、言いましょう……。晁公子殿は、この叛乱をやってみなければわからないと申されました。でも、そのような戦いはするべきではありません。戦いになれば人が死にます。叛乱というのは、そういう人の命の犠牲のうえに成り立っています。それをやってみないとわからないという不確かなもので賭けさせるべきではありません」

 

 呉瑶麗はきっぱりと言った。

 

「へえ……」

 

 感心したような声をあげたのは劉唐姫だ。

 晁公子の顔の笑みはそのままだ。

 

「……続けて、呉瑶麗……」

 

「このまま、叛乱を大きくしても勝てません──。全国の叛乱を糾合するには、まずは大きな勝利が必要です。人々の度肝を抜くような勝利です。奇策や邪道ではなく、軍としての正攻法の勝利です。政府軍の大軍を堂々と打ち破るような勝利──。それがあれば、まずは人は集まります。夢や理想に集まる人は少数です。でも、勝利の手段があると信じれば、国に不満を持つ人々を糾合できます。人が集まって、それを養う手段があれば、もっと勢力は増えます。そうなれば、国を作るとういうのは夢物語ではなくなります」

 

「なるほどね……」

 

「しかし、このままでは、そうはなりません。この拠点で集められるのはどう見積もっても、数百というところです──。軍学は奇策ではありません。戦いというのは数です。銃で武装したといっても、戦いの根本は数です。勝つためには数が必要です。でも、ここではその元となる勢力を集めることができません。ここで集められる勢力でできるのは、せいぜい小さな政府軍の集団を奇襲的に襲撃することくらいです──。しかし、もっと大きな戦いをするために人を集めだせば、それはすぐに発覚します。その結果、人が集まる前に、ここが討伐を受けて負けるでしょう。それがこの白巾賊の戦いの延長上にある結末です」

 

 呉瑶麗ははっきりと言った。

 晁公子の笑みは消えなかったが、顔には驚きがにじみ出ていた。

 

「この叛乱は失敗する……。それがあなたの結論なのかい、呉瑶麗?」

 

 劉唐姫がやっと口を開いた。

 

「このままでは──とわたしは言いました」

 

 呉瑶麗は晁公子と劉唐姫を見た。

 

「どういうこと?」

 

 晁公子だ。

 

「ちょっと、待ってください」

 

 呉瑶麗は答える前に、この部屋に隣接してある資料庫に向かった。

 そこには、おそらく晁公子が集めさせたと思われる周辺一帯の地図と地形図がある。

 それを一冊持ってきた。

 呉瑶麗は、卓の上を避けて地図を広げた。

 

「ここです。ここを手に入れるのです。そうすれば、勢力を増やして拡大しようとするあいだは、政府軍の討伐を退け続けることができます」

 

 呉瑶麗は地図の一点を指さした。

 

梁山泊(りょうざんぱく)……」

 

 晁公子がぼそりと言った。

 

「そうです。ここなら数千の人間を養うことができます。資料の限りにおいては、とりまく水の流れは複雑で政府軍の討伐は難しそうです。ここを拠点にすべきです」

 

 呉瑶麗ははっきりと言った。

 

「でも、あそこには盗賊団がいるわ。しかも、勢力は一千とも二千とも……。ここを拠点にするといっても、ここはかつて北州軍が大軍で攻めたような場所よ。そのときも、あの盗賊団は軍を追い返しているわ」

 

 劉唐姫が当惑したような口調で言った。

 

「その通りです。彼らは勝ちました。そして、あそこを討伐するのは容易ではないと思われています。だから、あの盗賊団に人が集まるんです。でも、盗賊団はいりません。乗っ取るんですよ。できれば賊徒の人間ごと全員を白巾賊に変えてしまうんです。糾合するんです──。それを当面の目標にすべきです」

 

 呉瑶麗は言った。

 晁公子と劉唐姫のふたりがじっと考え込むように、しばらく地図を見つめた。

 

 

 *

 

 

 隠し里で与えられている家に戻ったのは深夜に近かったと思う。

 晁公子と劉唐姫とは、戦い方について語り合うのが主体であり、それほどの酒は飲まなかったと思った。

 それでも、いつの間にか多少は飲んだのだろう。

 呉瑶麗はほろ酔いという感じだった。

 家に戻ると、灯りがまだついていた。

 話し声もする。

 なんだろうと思ったら、安女金と香孫女がいた。

 

「おっ? 軍師殿のお帰りじゃな?」

 

 どうやら、ここでも酒を飲んでいたようだ。

 呉瑶麗と安女金の部屋は、板張りの部屋に絨毯を敷いて、そこに直接座るような生活だったが、床に酒と肴が拡げてあり、ふたりが胡坐に座って談笑していた。

 

「ぐ、軍師? そうなの、呉瑶麗?」

 

 安女金が声をあげた。

 呉瑶麗も驚いた。

 軍師になれという言葉は、さっき晁公子から言われたのだ。なぜ、それを香孫女が知っているのだろ

う。

 

「隠さんでもいいぞ、呉瑶麗。数日前に、わしは晁公子殿と会っておる。そのときに、晁公子殿がそんな話をしていたからな。今日、晁公子殿がお前を呼び出したのは、その話だったのだろう? まあ、座れ、呉瑶麗」

 

 香孫女が床を手で軽く叩いた。

 

「数日前にも、晁公子殿はこの隠し里に来たの、香孫女?」

 

 呉瑶麗は座りながら言った。

 どうも、この香孫女というのは不思議な女性だ。本人はかなりの高齢と称しているが、よくわからない。ただ、見た目は十二歳の童女であるものの、少なくとも、童女にしては、かなり世にすれているのはわかる。

 だが、ここでなにをしているのだろう?

 

「いや、報告のために、わしが出向いたのだ。呉瑶麗がここでなにをしているか、どんな話を誰としたかなどについて、事細かく報告するように求められていたのでな。まあ、悪く思うな、呉瑶麗……。東渓村でのわしは、晁公子殿の侍女ということもなっておる。だから、両方を自由に行き来しておるのだ」

 

 香孫女が言った。

 呉瑶麗は驚いた。

 ここで自分が見張られていたということをなにも気がつかなかったからだ。

 

「ねえ、呉瑶麗が軍師というのはどういうことなの、香孫女?」

 

 安女金だ。

 

「ああ、この呉瑶麗殿は、実は武芸のほかにも、ひととおりの軍学にも精通しているようなのだ。それで、最初は晁公子殿は、呉瑶麗殿を戦いの直接の戦力として期待していたようなのだが、思い直して、軍師を任せられんかと考えたのだ。なにしろ、ここには軍学を学んだなどという珍しい者は皆無だ」

 

 香孫女が言った。

 

「そうなの、呉瑶麗?」

 

 安女金が呉瑶麗の顔を見た。

 

「まあ、そうね」

 

 呉瑶麗は認めた。

 

「……それで、わたしの生い立ちを調べたのはあなたなの、香孫女?」

 

 呉瑶麗は訊ねた。

 呉瑶麗の前に杯が置かれて、その杯に酒が注がれた。

 

「いや、違う──。わしはここにいる呉瑶麗殿の行動を見張るのが役目だったからな。調べたのは、時遷(じせん)という若い男だ。金子で雇う諜報だな。なかなかの女たらしだから、呉瑶麗殿のことも気に入るはずだ。呉瑶麗殿が気に入るかどうかは知らんがな」

 

 香孫女が笑った。

 時遷……。

 呉瑶麗はその名を覚えておこうと思った。

 それにしても、自分はこの十日、ずっと見張られて、試されていたのだと知った。

 そして、その結果として、晁公子は呉瑶麗に、軍師になれという話を持ってきたようだ。

 

「ところで、呉瑶麗、これ……」

 

 安女金が突然に、犬の首輪を三人の真ん中にぽんと投げた。

 

「な、なによ、これ?」

 

 呉瑶麗は声をあげた。

 

「もちろん、あんたの首に嵌めるのよ。呉瑶麗があたしの猫だと言ったら、この香孫女と意気投合しちゃってね。それで、今夜はふたりで呉瑶麗を責めようという話になったのよ。まあ、悪く思わないでね」

 

 安女金が呉瑶麗の腕を掴んだ。

 

「今夜だけということはないぞ、安女金。これからも時々という話だったと思うがな……。安女金ばかり、こんな可愛い女を独占するのは狡い」

 

 すると反対側の腕を香孫女が取った。

 

「ちょ、ちょっと待って、なんでそんなことになるのよ──?」

 

 呉瑶麗は声をあげた。

 だが、強引に呉瑶麗を押し倒して服を脱がせるふたりに、なぜか呉瑶麗の身体は抵抗することができなかった。



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第16話  性悪女、故郷に帰る
49  寧女(ねいじょ)、故郷で元婚約者と再会する


 寧女(ねいじょ)は、ぼんやりと高唐(こうとう)の城郭の通りを歩いていた。

 主要な通りや建物は九年経っても大きな変わりはなかった。

 だが、ここは寧女の知っている高唐ではなかった。

 故郷である高唐の城郭に戻ってきたことを寧女は後悔していた。

 

 やっぱり、戻るべきではなかったのだ……。

 だが、寧女は戻りたかった。

 九年も行方知れずになっていた娘をあの厳しかった両親が迎えてくれるだろうかという心配はあったが、追い返されてもいいからひと目だけでも顔を見たいと思った。

 

 一度は捨てた郷里ではある。

 だが、懐かしくないといえば嘘になる。

 なによりも、両親に会いたい。

 そう思った……。

 寧女は、この高唐の城郭で、代々の軍人の家に生まれ育った。父親は上級将校であり、厳しい父親だったが、その代わりに望めば学問でも武術でも好きなことを習わせてくれた。

 

 寧女が好きだったのは剣技だった。

 まだ五歳くらいにすぎなかったころ、師匠についた男が寧女には天分の才能があるので、もっと名のある師匠についた方がよいだろうと告げ、父は喜んでさらに一流の師匠をあてがってくれたりもした。

 女なのに剣などに熟達しては貰い手がなくなってしまうと不満げな顔をする母を尻目に、才能と鍛錬とすぐれた師匠の三つを得た寧女の剣は腕はどんどんと伸びた。

 

 十六歳になるころには、剣に限らず、武芸と名がつくものはすべて一流の腕を持つようにもなっていた。

 女のくせに武芸をたしなめば貰い手がなくなるという母親の言葉は杞憂に終わった。

 武芸以上に、女としての美貌に恵まれた寧女に近づいてくる男には事欠かなかった。

 寧女が十六歳にもなると、寧女を嫁にしたいという男からのたくさんの申し込みが父のところに来たらしい。

 ただ、寧女には兄弟はおらず一人娘だった。

 寧女の父は寧女に婿を取って、先祖から続いている姓を残したいと考えていたようだ。

 

 (ぼく)家──。

 それが、代々受け継がれてきた寧女の先祖代々の正式姓であり、墨寧女(ぼくねいじょ)というのが、寧女の正式名だ。

 婿であろうと、他家への嫁であろうと、寧女は父親に命じられた者と結婚するつもりだったし、結婚というのはそういうものだと思っていた。

 

 やがて、寧女の結婚相手が決まった。

 父が選んだのは、阿引(あいん)という男だ。

 父親の部下の将校であり、十六歳だった寧女よりも五歳年長だった。

 最初に会ったのは、寧女の自宅であり、お互いの両親も集まっての小さな小宴のときだ。

 軍人にしては色が白くて線の細い男だった。

 ただ、なかなかの美男子であり、話上手で人当たりの良さそうな男だと思った。

 

 この男が自分の生涯の伴侶になるのか……。

 最初の印象は、そんなぼんやりとした感慨であり、それ以上でもそれ以下でもなかった。

 その最初の日に自室で阿引に迫られた。

 小宴の途中で寧女の自室を見たいという阿引を案内したときだ。

 

 そのときに求められたのだ。

 拒絶する理由もなく、寧女は阿引に抱かれた。

 それからも求められれば、寧女は応じた。

 阿引はかなり頻繁に寧女に会いに来たし、あるいは、外でも会ったりした。

 会うたびに阿引は寧女の身体を要求し、寧女も阿引との関係を愉しみはした。

 両親をはじめ周りの者も寧女と阿引の関係は承知していたが、婚約をしたふたりであるし、誰も咎める者はなかった。

 

 それが破綻したのは、寧女の犯された奇病だった。

 なんの前触れもなく高熱に犯されて何日も生死をさまよった。

 城郭のどの医師も原因を突き止めることができず、なにかの呪いではないかということだった。

 そして、半月ほどしてやっと病から快復したときには、寧女の顔には多くの吹き出物と醜い青い痣が残っていた。

 寧女はその自分の顔に打ちのめされた。

 なによりも、寧女をがっかりさせたのは、病が快復したと聞いて見舞いにやってきた阿引の態度だった。

 寧女の顔を見るなり、衝撃を受けたような顔をして逃げ帰り、それから二度と寧女に会いに来ることはなかった。

 

 寧女の両親は八方に手を尽くして、寧女の顔を治せる医師や道士を探したが、結局それは見つからなかった。

 そのうちに、阿引から婚約破棄の申し出が使者を通じてもたらされた。

 寧女の両親の落ち込みようは、寧女がいたたまれなくなるほどだった。

 

 父親は消沈のあまり酒に溺れるようになり、母と喧嘩が絶えなくなった。

 毎日のように、夫婦の罵り合いが繰り返されるようになり、父の苛立ちは寧女自身にもぶつけられた。

 婚約前に男に身体を許した恥知らずだと、父親が事あるごとに怒鳴るようになったのはその頃からだった。

 もしも、誰かに汚された身体でなければ、まだ、貰い手もあったに違いないとも言われた。

 そして、寧女がふしだらだったのはお前のせいだと母をなじった。

 

 家族だけではなく、醜い顔になった寧女に誰もが態度を豹変させた。

 いまにして思えば、それは寧女のやっかみだけのことであり、態度が変わったのは、顔が醜くなったことで心がひねくれたようになった寧女自身かもしれない。

 いずれにしても、当時の寧女には、それ以上耐えることはできなかった。

 髪を短く切断して男の身なりになり、家も故郷も、なにもかも捨てて出奔したのだ。

 

 そのとき、女であることをやめた。

 幸いにも剣の腕はあったので、女であっても食べることには困らなかった。それに、醜い青痣を持った暗い顔をした寧女を誰も女だとは思わなかった。

 

 あれから九年──。

 

 寧女は放浪の末、二十の時に運よく国軍の将校採用試験に合格して、一度は帝都の国軍に入って将校になり、一隊の指揮をするほどの立場にはなった。

 

 切断した髪はすっかりと伸びたが、寧女は自分は男だと偽り通した。

 軍人生活は充実しており、寧女は軍人であることに生き甲斐のようなものも感じていた。

 だが、つまらない喧嘩が原因でその地位を失った。

 それどころか、お尋ね者として手配される立場になった。

 なにもかも絶望して盗賊にまで身を落とそうと思っていたが、二度目の運命の変転は突然にやってきた。

 安女金(あんじょきん)という謎の女医に巡り合い、これまで診てもらったどんな医師でも道士の誰ひとりとして成し得なかった寧女の顔の痣を見事に消滅してくれたのだ。

 

 寧女は感激した。

 悦びの激情のあまり、安女金の足に口づけしたい気持ちにまでなった。

 だから、安女金の性調教を受けろという破廉恥で理不尽な命令にも応じたし、あの呉瑶麗(ごようれい)とかいう安女金の性奴隷のような変態女との嬌態も演じてみせた。

 

 だが、それは寧女の感動の余韻が続くまでのことだ。

 安女金から与えられた快感に失神を繰り返した挙句に、素っ裸であの汚い猟師小屋で翌朝に目が覚めたときに、寧女は冷静さを取り戻した。

 寧女が見たのは、馬鹿のように深く眠っている安女金と呉瑶麗の姿であり、昨夜の寧女の醜態を思い出させる散乱した縄や淫具だった。

 そして、なによりも怒りが湧いたのは、安女金と呉瑶麗がちゃんと服を着込んで寝ているのに、ただひとり、寧女だけが素裸であられもない姿で眠りこけていたことだ。

 

 なぜだかわからないが、寧女はそのことでひどく馬鹿にされた気持ちになった。

 そう思うと、昨夜の激情が嘘のように晴れた。

 確かに安女金という女医は、寧女の人生を救ってくれた恩人だ。

 だが、女同士の性交、しかも、嗜虐の玩具にされるような振る舞いを強要されるいわれはない。

 あの安女金と呉瑶麗というふたりの女が、そういう女同士の気持ちの悪い関係であることはわかったが、そんなことはふたりですればいいのであり、寧女が巻き込まれなければならなかった道理はない。

 とにかく、猛烈に腹がたった。

 

 それで、そのふたりに復讐することにしたのだ。

 まずは、寧女は自分の着ていた服の袖に縫いつけてあった小袋を引きはがした。そこには、なにかの役に立つこともあると思い、眠り薬が隠してあったのだ。

 それを水筒に混ぜてから、眠っている安女金と呉瑶麗の口に注ぎ込んだ。

 

 それから後は別段の苦労もない。

 次に、呉瑶麗の服を引きはがして、寧女はそれを着込んだ。

 そして、ふたりが持っていた荷や路銀、呉瑶麗の持っていた武器などを根こそぎ奪うために荷を作った。

 さすがに淫具は置いていこうと思ったが、これも道術の力のこもった魔道具だ。

 売り払えばかなりの金子になると考えて持って出た。

 ただ、呉瑶麗の持っていた鞄に手紙が一通入っていたので、それは残した。

 ほかにも、安女金の着ていたものは引きはがさなかったし、呉瑶麗には外套一枚だけは残すことにした。

 外套だって売れば小銭くらいにはなるのだが、素裸で街道を歩く羽目になるのも可哀想だから、せめてもの情けとして残してやった。

 

 最後に、ふたりが目が覚めても拘束を解くのに時間がかかって、すぐには追いかけて来れないように、ふたりの手足を縄で縛った。

 しかし、それを切断するための小刀は一応残してやった。

 もっとも、それ以外は縄一本余さなかった。

 

 ふたりを猟師小屋に置いて立ち去ってから、すぐに街道に出た。

 向かおうとしたのは北州都だ。

 寧女は軍人に戻ろうと思ったのだ。

 分限者や高官の引きでなければ将校になるのは困難な国軍とは異なり、賊徒が横行している北州都では、常に軍人を募集しており、能力さえあればいくらでも将校になれる機会がある。

 この青痣のすっかりと消滅した綺麗な肌の顔なら徐寧と名乗っていた寧女のことを知っている者であっても、間違いなく手配人の徐寧であることには気がつかないと思う。

 

 だから、名を変えて、北州都で将校募集試験を受けることにしようと思ったのだ。

 そのとき、男として試験を受けるか、女として試験を受けるかは、そのときに決めればいいと考えた。

 男の方が遥かに将校になりやすいが、別に女の将校も珍しいものでもない。

 

 とにかく、軍人に戻りたい。

 できれば、将校にだ。

 軍の将校という職業は寧女の性に合っていると思う。

 五年の軍人生活で寧女はそれを実感していた。

 命令と服従だけの単純な人間関係──。

 

 矢玉の飛び交う戦いに晒された肌に走るぴりぴりした緊張感──。

 男であると、女であるとか、そんなしがらみからの一切から自由になる解放感──。

 その世界に戻りたかった。

 軍人に戻れないと思ったとき、盗賊になろうと決意したのは、盗賊であれば、せめて戦いの中の緊張に少しでも身を戻せると考えたからだ。

 だが、青痣が消滅して手配書から逃れられると考えたとき、女に戻れることよりも、軍人に戻れるという望みが走った。

 いずれにしても、北州都に辿り着くまでは、女の格好で旅をしようと思い、呉瑶麗が身に着けていた膝までの下袍の筒衣に剣帯を装着して旅をすることにした。

 

 路銀は呉瑶麗たちから奪ったもので十分だったし、最初の城郭で奪った品物を売り払うとそれもかなりのものになった。

 なによりも、魔道の淫具が高く売れた。

 買い取った魔道具屋も寧女が淫具を持ち込んだことに驚いていたが、やはり道術の品物というのはそれだけで値が張るものらしい。

 持ってきてよかったと思った。

 

 手配書が回っているので、これまでずっと賑やかな場所は避けていたので、城郭のような場所は久しぶりだった。

 宿代を支払って寝台に眠り、他人が調理した食事を口にしただけで幸せな気分になれた。

 なによりも、ほんの少しばかりの慣れぬ化粧をして、女結いにした髪につける飾りを選んだりするのも愉しかった。

 寧女は生まれ変わった旅を愉しもうとしたが、それは束の間だった。

 そのうちに、女で一人旅をするということが、随分と大変なものであることがわかってきた。

 

 とにかく人が寄ってくる。

 じろじろと見る。

 理由もなく眺めまわす。

 それが煩わしい──。

 いままでは男の姿をしていたし、しかも、醜い青痣をした寧女の風貌を見ると、ほとんどの者は関わり合いを避けるように散ったものだったが、いまの寧女には逆にやたらに親しげに寄ってくる。

 しかも、それが下心丸出しなのがわかるものだから、非常にうっとうしい。

 そして、女の一人旅と見るや、よくもこんなに現れるものかというほどに、街道では強盗に出くわすし、そうでなくても怪しげに声をかけてくる者が絶えない。

 

 ただ、それでも寧女は旅を愉しんでいた。

 新しい人生だ。

 接するもののすべてがなぜか新鮮だった。

 旅でこんな浮き立つ気持ちになったのも久しぶりだ。

 そして、そうやって北州都に向かううちに、一度、故郷に戻ってみようかという気持ちがだんだんと湧いてきたのだ。

 最終的には北州都に向かおうと思っていたものの、その北州都に進む経路の途中に、故郷の高唐があったのだ。

 

 結局、寧女は一度、故郷に戻ることに決めた。

 両親に生きていることを報告しようと思った。

 もしかしたら、罵られて追い出されるかもしれないが、それでもいいと考えた。

 

 ただ、会いたい──。

 

 それだけだった。

 それに、あの醜い青い痣がなくなれば、九年前のわだかまりなどなくなって、再び、受け入れてもらえるような気がした。

 もしかしたら、わざわざ北州都までいかなくても、父の伝手で城郭軍に入れてもらえるかもしれないという魂胆もあった。

 

 だが、故郷に戻ってきた寧女を待っていたのは、つらい現実だった。

 寧女の父は、寧女が家出をしてから三年後に死んでいた。

 晩年の父はかなり酒癖が悪かったようであり、外で酒を飲んでは、誰かが屋敷に連れ帰るという毎日だったらしい。

 そして、あるとき、酒で酔い潰れて、突然に道で血を吐いて死んだ。

 そんな死に方だったようだ。

 

 父の死を知っている者を見つけて訊ねたところ、そんなことを教えられた。

 また、母も城郭にはいなかった。

 父の死後、すぐに屋敷を売って、南州にいる親戚を頼って去ったらしい。

 母が南州のどこに移ったのかを知っている者もいなかった。

 寧女自身も、母の親族が南州にいることを初めて知った。

 

 屋敷にも行ってみた。

 すでに他人の手に渡っていて、そこには見知らぬ家族が暮らしていた。

 しばらく城郭を歩いたが、見知った者とすれ違っても、十六歳のときとは外見や雰囲気が異なっているのか、二十五歳になった寧女に気がつく者はいなかった。

 寧女は余計に寂しい気持ちになった。

 戻ってくるべきではなかったと思った。

 ここで得たのは、この故郷に自分の居場所はもう完全になくなったのだという悲しい現実だ。

 とにかく寧女は、陽も暮れてきたし、宿にしている旅籠に戻ろうと思った。

 

 明日の朝早く、北州都に向けて出立しよう──。

 そう思って通りを歩いていると、路地から喧噪が聞こえてきた。

 

「この野郎──」

 

「死にやがれ──」

 

「ふざけやがって──」

 

 ここは酒場街に近い通りだ。

 だが、酔っぱらいの喧嘩という感じではなかった。

 ちらりと路地を覗くと、ひとりの男を三人くらいの男たちが寄ってかかって蹴りあげている。

 蹴られている男は頭を両手で抱えて、地面に倒れ込んで身体を丸めて悲鳴をあげて泣くばかりだ。

 

「ちょっと待ちなさいよ、あんたたち──」

 

 気がつくと、寧女は路地に飛び込んで声をかけていた。

 放っておいてもいいのだが、なんとなく倒れている男を蹴っている男たちが殺気がかっていたのだ。あのままでは、男が死ぬまで蹴り続けそうだ。

 

「ああ、なんだ?」

 

「関係のないのはすっこんでな」

 

 男たちがこっちを見た。

 

「だって、それ以上、蹴ったら死んでしまうわ。もう、やめなさいよ──」

 

 寧女は言った。

 

「おお、なんだ、なんだ──? よくわからねえが、別嬪の姉ちゃんだなあ──?」

 

「もしかして、この男の色か? だったら、身体で落とし前してもらわねえとな」

 

 男たちが馬鹿にしたような顔を寧女に向けた。

 寧女は嘆息した。

 顔に青痣があったときには、寧女が険しい口調で声をかければ、ただそれだけでこんな与太者が逃げていったりしたものだ。

 ところが、女の姿に戻った寧女に、見た目で怖れを抱く者など皆無だ。

 それどころか、好んでちょっかいを出してきたりする。

 まったく、男の格好をしていたときと、女の格好をしているときのいまと、何の違いがあるというのだろう?

 

「とにかく、帰りな、姉ちゃん──」

 

 男のひとりが寧女に掴みかかってきた。

 寧女はそれを身体を捻って避けると、腕を掴んで横の建物の壁に、そいつの頭を思い切りぶつけてやった。

 

「こ、こいつ──?」

 

「やるのか、この女──?」

 

 壁に頭をぶつけられた男はそのまま動かなくなった。残りのふたりが色めきだった態度で襲いかかってくる。

 

 こんな連中、剣を抜くまでもない──。

 男たちの殴打を簡単に避けて、寧女はふたりの脇腹に拳を叩き込んだ。

 次の瞬間には、そのふたりも打ち倒していた。

 

「ひっ、ひいっ」

 

 ふと見ると、三人の暴漢に襲われていた男が激しく動揺した表情でこっちを見ている。

 どうやら、大した怪我はないようだ。

 多少、顔に打ち身の痕があるが、まあ、これなら大丈夫だろう……。

 しかし、何気なく、その男の顔を凝視した瞬間、寧女は大声をあげた。

 

「あ、阿引(あいん)──? 阿引なの?」

 

 無精髯を生やし、髪も乱れているが、あの阿引に間違いはなかった。しかし、身なりはその辺の与太者という感じであり、まったく軍人らしくはない。

 だが、九年前に寧女と婚約したときの阿引は、少なくとも将来を嘱望された軍人だったはずだ。

 名を呼ばれた阿引は、しばらくぽかんとしていたが、やがて、眉を潜めて首を傾げた。

 

「……も、もしかして、寧女か……?」

 

 阿引は言った。

 確かに声も阿引のものだ。

 だが、この姿はどうしたのだろう──?

 

「ね、寧女なのだな? ゆ、夢ではないのだな? 俺の寧女。寧女に間違いない──。俺から逃げて行った寧女だ。俺のことがわかるか? 阿引だ。お前の婚約者の阿引だ。俺はお前のことを一日だって忘れたことはなかった。お前に捨てられた俺だが、お前のことをいまでも愛している。寧女、会いたかった」

 

 阿引の顔が不審から、驚愕になり、そして、歓喜の感激に変わった。

 

 

 *

 

 

「大丈夫、阿引?」

 

 阿引の裸の上半身に傷薬を塗りながら寧女は訊ねた。

 思ったよりも、大した傷ではなかった。口の中と外を切っているのと、腹や背に軽い打ち身があるくらいだ。調べたが骨も折れていない。

 

「少し、口の中を切っているようだが大丈夫だ……。だが、あそこで寧女が通りかからなかったら危なかったな。まあ、あの連中も殺すつもりまではなかったろうが、腕の骨くらいは折る気ではいたろうしな」

 

 阿引が苦笑した。

 

 酒場街の近くにあった阿引の家だ。

 三人の暴漢に襲われていた阿引を助けた後、近くに住まいがあるから連れて行って欲しいと阿引に頼まれて、ここにやって来たのだ。

 阿引に案内されたのは、治安のよくなさそうな貧民街だった。

 明らかに薬物中毒と思われるような男女や、暴力的な雰囲気の者がたくさん路上でうろうろしていた。その路地を通って、寧女と阿引は、このみすぼらしい小さな家にやってきた。

 家の中は、片付いているというよりは、寝台と机があるだけの殺風景な部屋だった。

 

 その寝台を椅子代わりにして阿引を座らせ、寧女もその横に腰かけて阿引の傷の治療をしていたのだ。治療に使う傷薬は、たまたまこの部屋に置いてあったものだ。

 だが、思っていたような大怪我でなく、これなら治療の必要はないくらいだ。

 寧女は治療に使っていた塗り薬を寝台の横の台に置いた。上半身裸の阿引も治療のために脱いだ上衣をぽんと台に投げた。

 

「だけど、あいつら誰なの?」

 

 寧女は言った。

 

 暴漢は随分と阿引に激昂していたし、あれは酒のうえの喧嘩でもなかったようだ。

 いま、阿引には酒は入っていないし、それは寧女が倒した三人の暴漢も同じだ。

 倒してから気づいたが、あの三人からも酒の匂いはなかった。あれは単純な酔客同士の喧嘩ではなかったのだ。

 

「あ、ああ……あれは、借金取りだ」

 

 阿引は言い難そうに口にした。

 

「借金取り?」

 

「たちのよくない高利貸しから金子を借りてしまってね……。その払いがとどこっている。それで連中の主人が見せしめに俺を襲わせたんだ」

 

 阿引は自嘲気味に笑った。

 あの阿引が高利貸しから借金?

 寧女は驚いていた。

 九年前、将来を嘱望された若い将校だった阿引が性質のよくない借金取りに関わるなどどういうことだろう……?

 察するところ、もう軍人ではないようだ。

 それに、阿引の実家はそこそこの分限者だった。その息子の阿引が、こんな場末の貧民街で暮らしているというのはどうなっているのだ?

 

「……だけど、嬉しいよ、寧女? 二度と会えないかと思っていたんだ……。できれば、もっとちゃんとしていた生活をしていたところを見せたかったんだけどね……。見ての通りこの体たらくさ……。まあ、日雇いの仕事をしながらなんとか食い繋いでいるというところでね。すっかりと情けなく変わってしまったろう? だけど、寧女はなにも変わらないね……。まるで、九年前のときのままだ。本当に変わらない……」

 

 阿引は眼に薄っすらと涙をあふれさせている。

 寧女は当惑した。

 なんと言っていいかわからなかった。

 九年前に寧女の顔が醜くなったために、寧女を見捨てて婚約を一方的に破棄した男だ。

 もう、縁のない男のつもりだったし、いまさら再会しても、寧女にはなんの感慨もない。

 

 だが、寧女は、さっき寧女の顔を見た直後に阿引の言葉が気になっていた。

 阿引が思わず叫んだという感じで口にしたのは、寧女が阿引を捨てたという言葉だ。

 あれはどういう意味なのだろう……?

 しかし、それを問い質そうという気持ちは出てこなかった。

 もう、終わったことなのだ。

 それも、九年も前にだ……。

 寧女は嘆息した。

 

「わたしは変わったわ……。いろいろなことがあったのよ……。ずっと、遠い場所で生きていたんだけど、また旅をすることになってね。それで、高唐にはたまたま近くを通ったんで立ち寄っただけよ。また、明日には出ていくわ。両親に会えるかと思ったけど、もういなかったわ……。まあ、仕方ないわね。親不孝な娘だったということを改めて自覚したところよ」

 

 寧女は肩をすくめた。

 そして、立ちあがろうとした。

 

「ま、待てよ」

 

 だが、阿引が慌てたように、寧女の肩に手を伸ばして、それを引きとめた。

 

「なによ?」

 

 寧女は阿引の手を払いのけるようにして強い視線で睨んだ。阿引がたじろいだような表情になった。

 しかし、すぐにその顔に険しい表情が浮かんだ。

 

「き、君には釈明の義務くらいあるはずだぞ、寧女。なぜ、そんな目で俺を見る。九年前、君は俺という婚約者を捨てて、この高唐から突然に去って行った。俺がどんなにそれについて苦しみ、そして、嘆いたことか。そして、俺は、寧女に捨てられた心の痛みに耐えられずに、心が荒れ、生活も荒れた。ついには、軍も首になり、親にも勘当された。その原因がみんな寧女にあるというような卑怯なことを言うつもりはないけど、なんで俺を見捨てたのか? なんで、俺になにひとつ相談してくれなかったのか? 便りのひとつもくれなかったのはなぜか? それくらい教えてくれてもいいはずだ。それなのに明日には出ていくだって? 冗談じゃない。俺がどんなに君の失踪で悩んだことか」

 

 阿引が強い口調でなじった。

 だが、寧女はその言葉に驚いた。

 

「はあ? なにを言っているの、阿引? わたしを見捨てたのはあなたでしょう。顔が醜くなったわたしをあなたは捨てた。一度顔見ただけで逃げ帰り、二度と会いには来ずに、挙句の果てに婚約を破棄した。わたしは傷ついたわ。ええ。そうよ。こんなことを言いたくなかったけど、わたしはあなたになにもかも捧げたつもりだった。だけど、あなたは、わたしを見捨てたのよ。その理由は理解できるけどね。あんな顔になった女を妻にはしたくはなかったでしょうよ。だけど、わたしは傷ついた。わたしはあのとき助けて欲しかった……。心を支えて欲しかった……。だけど、あなたは去った。あなたがわたしを捨てたのよ。わたしが一番助けを求めているときに」

 

 寧女は声をあげた。

 話しているうちにだんだんと気分が激昂してきて、それが寧女に大きな声をあげさせていた。

 あのときの悲しい感情が蘇ってきた。

 顔に痣が残り、激しい苦悩に陥っていた自分を捨てた阿引。

 いや、そのときの苦しみそのものを阿引が作ったと言っていい。

 寧女は顔が醜くなったことだけで、あんなに打ちのめされはしなかった。

 打ちのめされたのは、阿引の心変わりであり、父親の態度の豹変であり、周りの者の蔑むような憐みの視線だ。

 寧女は、それに耐えられなくて、この高唐を出奔したのだ。

 だが、阿引はきょとんとした表情になった。

 

「ちょ、ちょっと、待ってくれよ、寧女? 俺が君を捨てた? 俺が婚約を破棄した? なんのことだい? 婚約を破棄したのは君だぞ」

 

「あなたこそなにを言っているのよ。わたしが婚約を破棄するわけないじゃないのよ。顔に残った青痣を見たあなたは、慌てたように逃げ帰った。そして、しばらくしてから婚約破棄の使いを送ってきた。婚約を破棄したのはあなたよ」

 

「君こそなにを言う? そりゃあ、最初に痣を見たときに驚いたよ。逃げるように帰ったことは覚えている。だけど、そりゃあ、驚くだろう。それを怒っているのかい? もちろん、あんな態度をとるべきではないと後悔した。だが、君は俺に釈明の機会も与えてくれなかった。何度、訪問しても、会いたくないの一点張りで姿さえ見せてくれない。挙句の果てに、婚約破棄の申し出だ。傷ついたのは俺だ。俺は君が好きだった。顔の痣には驚きはしたが、それで嫌いになったりはしない。あの痣と一緒に、ちゃんと君とともに生きていくつもりだった。それを伝えたかった。それなのに。君は俺を捨てた。さらに、ついには、黙ってこの城郭からいなくなってしまった。俺がどんなに嘆き悲しんだのか、君にはわかるまいがね」

 

 阿引は叫んだ。

 寧女は呆気にとられた。

 

「あなた、なにを言っているの? あのとき、婚約破棄をしたのはあなたよ。あなたが使者を送ってきて、婚約破棄の申し出をしてきたと伝えられたわ」

 

「はあ? そんな馬鹿な。俺はそんなことはしないぞ。第一、婚約破棄を伝えに来たのは君のお父さんだ。君のお父さんが直接に俺のところにやって来て、君の意思だと伝えに来たんだ。俺になんの釈明もさせてもくれなかった。それからは、俺が君のところにいっても、君が会いたくないと言っているということで、まったく会えなかった。そうしているうちに、時間がすぎ、やがて君は出奔してしまった」

 

「わ、わたしのお父さんが? そんなはずはないわ。そんな馬鹿なこと……」

 

 寧女は声をあげた。

 そんなはずはないのだ。婚約破棄をしたのは阿引であり、阿引は一度も寧女には会いには来なかった。

 だが、そう言われれば、寧女自身が阿引からの使者に会ったというわけじゃないし、実際に婚約破棄の手紙を読んだわけじゃない。

 父親からそう伝えられただけだ。

 顔に痣ができたばかりの頃は、まったく自室に閉じこもっていたので、仮に阿引が訪問してきてもわからなかったかもしれない。

 

 阿引の言うことが本当なのであれば、寧女と阿引の婚約を強引に破棄させたのは、寧女の父親ということになる。

 一方的に阿引には、寧女の意思だと偽って婚約を破棄させ、寧女に会いに来た阿引の門前払いを続けた……。

 そして、寧女には阿引が心変わりしたと伝えた……。

 だが、なぜ、寧女の父親がそんなことをする必要があったのだ……?

 

「寧女、いまの話は本当なのか? あれは君の意思じゃなかったのか? そうなのか? そうだと言ってくれ。俺たちの愛が偽りではなかったのだと教えてくれ。お、俺は片時だって、君のことを忘れたりはしなかった。九年も経ったが、いまでも君を愛している。いや、もう、過去のことはいい。頼む。君を愛させてくれ。それとも、もう別の男の妻になったのか? いや、それすらも大切なことではない。俺は君を奪ってみせる。九年間、俺は君を思い続けた。君が人妻であろうと、俺は君に愛をささやく権利がある」

 

「わ、わたしが誰かの妻であるわけないでしょう……」

 

 寧女は戸惑いながら言った。

 

「そうなのか? ならば、君を愛させてくれ。俺の妻になってくれ。君がどこかに行くなら俺も行く。こんなに落ちぶれた俺だが、君がいれば立ち直れる。それは誓う。君のお父さんがどういう理由で俺たちの仲を裂いたのかはわからないが、そのお父さんももういない……。あのときからの時間を取り戻そう……」

 

 上半身裸体の阿引が、いきなり寧女を抱きしめた。

 

「ちょ、ちょっと、阿引……」

 

 寧女は阿引を押しのけようとしたが、一方で九年前に、本当はなにが起きていたかがわからなくなって混乱していた。

 阿引は寧女を捨てたりはせず、それだけじゃなくて、九年間も思い続けていたのだという。

 阿引の言葉が真実ならば、阿引が寧女を捨てたのではなく、寧女が阿引を捨てたということになるのだろう。

 しかも、阿引は、九年間、寧女を思い続けたのだという。

 それに比べて、寧女は一度も阿引のことなんて思い出しもしなかった。

 さっき偶然に再会しなければ、そのまま一生、思い出すこともなかっただろう。

 その後ろめたさが寧女の力を奪っていた。

 阿引が寧女の身体を寝台に押し倒した。

 下袍の裾から入ってきた阿引の手が寧女の太腿を撫でてきた。

 

「ま、待って……」

 

 寧女は阿引の手を握って、反対の手で下袍の裾を直した。

 それにしても、下袍というのはなんという無防備な服なのだろう。

 

「いや、待たない。俺は九年間、待ち続けた。何十年も待つつもりだった。俺は君以外の誰とも、もう恋も愛もささやけない。それなのに、もしかしたら、二度と会えることはないのかもしれないと思っていた……。だが、会えた。だから、もう一瞬も待てない。拒否するなら殺せ。君への愛情を捨てさせるには、君は俺を殺すしかないんだ」

 

「そ、そんな……」

 

 寧女は片手で下袍を押さえながら、片手で阿引の身体を押し避けるような仕草をしていたが、その手になんの力も入っていないのは自分でもわかっていた。

 

「もう、なにも言わないでくれ……。君が拒む言葉のひとつひとつが俺の心を刺すのだ。君に一辺の慈悲があるなら、俺の想いを察してくれ……。戻ってくるあてのない女性を待ち続けて、自暴自棄になり、なにもかも失ってしまった哀れな男を……。君がいなければ生きている価値も、生きる希望も見いだせなかった俺を……。今夜、ひと晩だけでいい……。俺の愛を受けてくれ……。それでいい。そうすれば、俺は君と再び愛し合えた悦びとともに、君のいなくなったこの部屋で自殺をしよう。もう、なんの未練もない……」

 

「ば、馬鹿なことを言わないでよ、阿引……。死ぬなどと……」

 

「だが、君は俺を殺そうとしているではないか。九年間も君のことばかりを考え続けた俺を拒むということは、俺に死の宣告をしているのも同じなのだぞ」

 

 阿引が軽く唇を重ねてきた。

 強い抵抗はしなかったが、寧女は顔を横に向けて唇を離した。

 すると、阿引の唇は寧女のうなじに這い始めた。

 一方で、寧女の手が胸の膨らみを優しく包み込んでくる。

 

「だ……」

 

 駄目だと言おうとして、阿引の一途な告白を思い出して躊躇した。

 九年間、阿引のことなど忘れ果てていたという思いが、阿引の愛を受け入れなければ悪いという感情を作っている。

 

「寧女、君が好きだ……。愛している……。九年間……。君を思わぬ日はなかった……。君を愛させてくれ。いや、もう頼みはしない。俺は君を愛する。そして、犯す。俺は君を愛している。それはたとえ、君自身であろうとも、打ち消すことなどできるものか。さっきも言ったが、拒むなら、遠慮なく俺を殺せ。ここで君に拒まれるなら、俺はまだ、君に殺される方が、豊かな気持ちになれる。もう、俺を見捨てることなど許されないはずだ。拒むなら、俺を殺せ」

 

 阿引が服の上から胸を揉みながら、耳やうなじに舌で刺激を与えてくる。

 

「はあ……」

 

 思わず甘い声が出た。

 まるで胸が別人のものになったかのように敏感になっていた。

 胸だけではない。阿引が舌を這わせる耳や首から強い性感が走る。

 愛をささやかれながら受ける愛撫は、信じられないくらいに甘美だった。

 

 阿引の唇が寧女の唇に重なってきた。

 寧女は今度は拒否しなかった。



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50  寧女(ねいじょ)阿引(あいん)のささやく愛に応じる

「はああ……」

 

 震えた声が漏れる。

 寧女(ねいじょ)は阿引の唇におずおずと唇を合わせた。

 阿引(あいん)の息を感じる

 寧女の身体が甘く蕩けだす。

 阿引は九年間も寧女のことを想い続けていてくれたのだ。

 女として嬉しくないわけがない。

 九年前のあの絶望の時間から失っていたものを取り戻せるような気がした。

 

 すべては寧女の勘違いだったのだ。

 女としての幸せを手に入れられるのだと思った。

 回り道はしたが、遅すぎてしまう前に間に合った。

 これから、阿引とともに新しい人生を……。

 そう考えるだけで、寧女の身体は痺れるような快感に包まれた。

 これでなにもかも、うまくいく……。

 そう思った。

 

 阿引の手が寧女のはいている下袍(かほう)の奥に再び臨んできた。

 寧女はやや脚を開くようにして、阿引の手が太腿の付け根に手を入れやすいようにした。

 阿引が寧女の股布に指をかける。

 布が解かれて外されていく。

 阿引の意図を悟った寧女は少し腰を浮かせるようにした。

 簡単に下着は寧女の股間から取り去られた。

 阿引の手が太腿の付け根を触りだす。

 

「はうっ」

 

 寧女の腰は無意識に跳ねあがった。

 下着をつけていない内腿に触れられることで走った快感の波は、下着をつけていたときと比べて段違いだった。

 太腿から腰全体に拡がった快美感は信じられないくらいに強烈だった。

 

「くっ、うう……はああ……」

 

 阿引の指がだんだんと股間の付け根に近づいてくる。

 繊細で丁寧な阿引の指の刺激だ。

 阿引の愛撫は九年前と少しも変わらない。

 大好きだった阿引……。

 心変わりして去ったとばかりに思い込んでいた阿引……。

 九年間も寧女を想い続けてくれた阿引……。

 寧女の感情が、初めて阿引と愛し合った九年前に急速に遡っていく。

 

「寧女……愛している……。九年間……一度も忘れたことはない……。俺のものだ……俺の……」

 

 阿引が耳元で愛をささやきながら、片手で服の上から乳房を揉み始めた。一方で指は寧女の身体で一番に敏感な女芯を撫でている。

 

「あんんっ」

 

 寧女は稲妻のように走った衝撃に耐えられずに、阿引の身体にしがみついた。

 全身の官能を揉みしだく快感の波が貫く。

 寧女の声は悲鳴に近かっただろうと思う。

 長く寧女の体内に隠されていたなにかが噴き出した気がした。

 それが堰を切って愛液というかたちで股間からどっと流れたのを感じた。

 

「ま、待って、阿引……。服を……」

 

 寧女は阿引の手を一度押さえた。

 汚れる前に服を脱ごうと思ったのだ。阿引が身体を起こした。

 そして、下袴(かこ)と股布を脱ぎ始める。

 寧女も筒衣を脱ぎ、内衣や残っていた胸巻きなどを取り去って完全な素裸になった。

 服を寝台の横の台に重ね置いていく。

 全裸の阿引が素裸の寧女を抱いた。

 

「寧女、素敵だ……」

 

 裸体になった阿引が、寧女をもう一度寝台に倒して、覆い被さってきた。

 

「はああっ、あああっ、ああっ……」

 

 阿引の指が寧女の股間全体に手を置いて揉み回すように動く。

 さらに、寧女に乳房に顔をつけると、寧女の乳首を咥えて舌で舐めだしてもきた。

 

「ああっ、阿引……。わたしもあなたのことが好き……。わたしを忘れないでくれてありがとう……はああっ」

 

 寧女は迸った快感のうねりに任せて声をあげながら、胸の上の阿引の頭をしっかりと抱きしめた。

 寧女は阿引と再び人生をともにする決心をした。

 今度こそ、道を間違うまい。

 阿引と同じ道を進むのだ……。

 失ったものはきっと取り戻せる。

 いや、寧女が取り戻す。

 寧女は確信した。

 

 股間から……乳首から……いや、全身から異様なまでの戦慄が走り抜く。

 寧女は次々に迸る快感に耐えられなくて、甘い声をあげ続けながら阿引の裸身にひたすらしがみついた。

 阿引の舌が一方の乳房から反対の乳房に移動する。

 寧女は与えられる快感に身体を躍らせた。

 

 もうなにも考えない。

 ただ、阿引から与えられるものをひとつ残らず受け入れるだけだ。

 やがて、阿引の指が寧女の股間の亀裂を静かに押し広げてきた。

 寧女の全身を妖しい戦慄が突き抜ける。

 突き抜けた快美感はこれまでに寧女が経験したことがないような衝撃だった。

 

 宙に浮かぶような感覚とともに、身体全体が溶け出すような巨大な官能に寧女は包まれた。

 股間からとめどなく熱い樹液が流れ続けている。

 寧女は自分の身体がこんなにも欲情に包まれるということに唖然とする気持ちだった。

 やがて、ついに阿引は寧女の両腿を高く持ちあげるようにした。

 体勢を変えた阿引が、寧女の女陰に自分の股間の怒張を押し当てた。

 

「んぐうっ」

 

 股間を怒張で押し広げられる痛みが走ったが、すぐにそれを体内から噴きあがった快感が打ち消した。

 

「はあ、ああっ、あんっ」

 

 阿引が両手で乳房を掴んで揉みながら、怒張の抽送を開始した。

 歓喜の昂ぶりが拡がる。

 

 九年間の苦悩や苦痛寧女の自尊心や恥じらい我が儘男として振る舞った人生。

 それが灼き尽くされていく。 

 女陰を阿引の怒張が出入りするたびに、大きな衝撃が駆け抜ける。

 頭の頂上から足の指の先まですべてが熱い炎に包まれたかのようだ。

 やがて、途方もなく巨大なものが押し寄せてきた。

 

「あ、阿引」

 

 寧女は名を大きな声で呼んでいた。

 全身を痺れさせる随喜の津波が寧女を覆い尽くした。

 快感の頂点に達した寧女は悲鳴のような声をあげて、阿引にしがみついた。

 

「うっ」

 

 阿引の声がした。寧女の膣の奥でぶるぶると阿引の股間の先端が震えて、熱い樹液が体内に迸るのがわかった。

 

 

 *

 

 

 窓から射し込む朝の陽の光を寧女は感じていた。

 一瞬、ここがどこなのかわからなかったが、昨夜、阿引と結ばれて、そのまま、裸のまま抱き合って眠ったのを思い出した。

 つまり、ここはその阿引の家のはずだ……。

 

 いや、違う。

 寧女ははっとした。

 

 夕べは寝台で阿引と一緒に寝たのだ。

 だが、いまは床の上に直接寝かされている。

 寧女は一瞬にして、まどろみの中から覚醒した。

 

「目が覚めたかい? お前、寧女っていうんだって? 阿引さんの昔の女だって話じゃないかい?」

 

「なかなかにいい身体じゃないか。奴隷として売るには、二十五というのは少し歳がいっているけど、まあ、これだけの器量なら性奴隷として、それなりの値がつくに違いないさ」

 

 声がした。

 びっくりして振り向いた。

 知らない男がふたり部屋の中にいる。

 ここは夕べ、阿引と愛し合った部屋ではなかった。

 似ているが寝台も机もなにもない。その代わり、柔らかい椅子が壁に沿って置いてあった。

 男ふたりは、その椅子に座って、部屋の真ん中で横になっていた寧女を眺めていたのだ。

 

「あ、あんたら、誰? う、うわっ」

 

 寧女は男たちに詰問としようとして、自分が素裸であることに気がついた。

 

「な、なにこれ? どういうこと?」

 

 慌てて身体を手で隠そうとして、両腕が背中側に曲げられて、しっかりと革の筒のようなものが手首から肘にかけての部分に巻きついていることに気がついた。

 それだけではなくて、左右の両足首にはそれぞれに革枷が嵌まり、それは天井から垂れている二本の鎖が接続されていた。

 顔をあげた。鎖は天井の自在に移動できるようになっているらしい滑車に繋がっている。

 天井はかなり高く、普通の家の倍くらいはあるだろう。

 

「ひいっ」

 

 寧女は慌てて身体を起こして、とりあえず両脚を身体に寄せて、脚で上半身を隠すようにした。

 だが、一体全体、これはどういうことなのか?

 それに阿引はどこだろう?

 目の前のふたりの男は誰なのだ?

 

「おい、阿引さんに獲物が起きたと教えて来いよ、伊三郎(いさぶろう)

 

「はいよ」

 

 伊三郎と呼ばれた若い男が部屋を出て行った。

 寧女は呆然とした。

 

「こ、これはどういうことなの、あんた? 阿引はどこよ? そして、ここはどこ? 答えるのよ。さもないとただじゃおかないわよ」

 

 寧女はひとり残った男に声をあげた。

 

「おうおう、怖いねえ。阿引さんの言っていた通りだな。じゃじゃ馬だから奴隷として売り飛ばすのは多少の調教が必要と言っていたしな……。まあ、いずれにしても、奴隷の首輪を定着させるには、お前の同意が必要になる。気が強そうだから、堕とすのに、二、三日くらいはかかるかもしれんな?」

 

 男が値踏みをするような視線を寧女に向けた。

 調教?

 奴隷?

 しかも、売り飛ばす?

 この男はなにを言っているのだ。

 寧女はかっとなった。

 

「さ、さっさと、質問に答えるのよ。痛い目に遭いたいの?」

 

 寧女は怒鳴りあげた。

 だが、男は大笑いするだけだ。

 

「面白いなあ、お前。これまでたくさんの女をかっさらっては、奴隷調教して売り飛ばしたが、お前のような反応は初めてだぞ。お前、自分の格好を見てみろよ。どうやって、俺を痛い目に遭わせるんだよ?」

 

 男がげらげらと笑った。

 寧女は歯噛みした。

 確かに、さっきから腕の拘束が外れないものかと、後ろ手をもがかせているが、二本の腕を束ねてしっかりと革の筒のようなものが肘から手首までを覆っていて、とても外れそうにない。

天井に繋がっている足首の鎖も、男に接近するほどの余裕はない。

 

「俺の名は有留(うる)だ。阿引さんの部下だな。さっきのは伊三郎。もうひとり温女(おんじょ)という女がいる。これは闇道士でな。阿引さんの恋人だ。まあ、この四人が阿引さんの仕事仲間というわけだ。そして、ここは俺たちの隠れ家だ。奴隷として捕まえた女を連れ込んで、奴隷の首輪を定着させるための拷問部屋でもある。お前がさっきまで寝ていた阿引さんの部屋から廊下ひとつ挟んだ向かいがここさ。俺と伊三郎で寝ているお前を運んだということさ」

 

 有留が立ちあがって、壁の隅にある操作具のようなものを動かした。

 すると、いままで有留が座っていた椅子の後ろの壁が左右に開いて、さらに奥の部屋が出現した。

 そこにはたくさんの棚があり、さまざまな道具が置いてあった。そして、棚の向こうには地下室におりる階段のようなものまである。

 寧女は驚いた。

 

 こいつらは奴隷商人なのか……?

 しかも、許可を受けた正式の奴隷商でなく、闇商人のようだ。

 どうも、そんな感じだ。

 だが、有留と名乗った男はまるで、阿引が首謀者のような物言いをする。

 これはどういうことなのか……?

 そのとき、外に通じる扉が開いて、外から誰かが入ってきた。。

 やって来たのは、黒づくめだが派手な装飾具をつけた三十がらみの女だ。

 

「おはよう、有留。呼び出しを受けて来たんだけど、阿引が偶然に捕まえた昔の女って、こいつ? まあ、結構、いい女じゃないのよ。だけど、どうやって、捕まえたのさ?」

 

「さあ……。俺たちも、さっき呼び出されて、とりあえず、阿引さんの私室から薬で眠っているこいつをこっちに運んだだけなんで……。阿引さんによれば、なんか、この前売り飛ばした女の兄貴が、仲間を連れて阿引さんを襲おうとしたのをこの女が偶然に助けてくれたとかいう話でしたけどね……。どうも、それが、たまたま阿引さんの昔の女だったそうですよ……。ちょっと優しく口説けば、ころりと騙せたと笑ってました。それで、うまく抱き潰して寝かせたところで、さらに薬で眠らせたとかいう話でしたね」

 

 有留が女に言った。

 寧女は呆気にとられていた。

 この女が、さっき有留が言及した温女という女なのだろうか? 阿引の恋人だという……。

 だが、阿引は寧女を愛していると言ったはずだ。

 九年間、忘れずに想い続けたと……。

 いま、なに起きているのか、全く理解できない。

 寧女の頭は大混乱した

 

「……まあいいわ……。手っ取り早く済ませてしまいましょう。ほら、あんた、寧女だっけ? こうなったら、もう観念して、奴隷の誓いをしてちょうだい。それで奴隷の首輪とあんたに、あんたが奴隷という印が魔道が刻まれてしまうから……」

 

 女が手に持っていたから赤い首輪を取り出して近づいてきた。

 ぎょっとした。

 あれは、奴隷の首輪だ。

 

 「奴隷の首輪」とは、いわゆる奴隷身分に落とされた人間が装着するものであり、これを嵌めることで主人から逃亡も反抗もできなくなるという道術を込めた魔道具だ。

 しかし、ただ首に嵌めるだけでは、奴隷の首輪としての効果は働かない。

 奴隷になるものが、道士の前で、自分は奴隷であるということを誓うことが必要なのだ。

 それによって、印が首輪に刻まれて首輪が外れなくなるとともに、さまざまな反抗や逃亡防止の道術が身体に走ることになる。

 

 その首輪を持って女がやってくる。

 やはり、闇奴隷商?

 

 本来は、奴隷商人というのは行政府に認められた者しかなることはできず、しかも、奴隷にしていい対象というのは、犯罪者や捕虜や奴隷の子供などに限定されており、それを厳格に守るという決まりを順守しなければならない。さらった人間を勝手に奴隷にするというのは、本当は認められないのだ。

 

 しかし、世の中にはなんでも、「闇」というものが存在する。

 闇奴隷とは、誘拐されて不当な道術で奴隷にされてしまった者たちだ。

 もちろん犯罪であるが、奴隷は高額で取り引きされるので、いくら取り締まりをしても、闇奴隷商というのは横行する。

 

 どうやら、彼らはその闇奴隷商のようだ。

 そして、この温女というのは道術を使う道士なのだろう。

 さらった人間に奴隷の首輪の魔道を刻むには、奴隷の魔道を扱える魔道士が必要だ。

 逆にいえば、道術を操る者がいなければ、闇奴隷商であろうと、正規の奴隷商であろうと、奴隷は取り扱えない。

 また、どちらの道士に奴隷の印を刻まれても、奴隷としての区別はつかない。

 だから、一度、奴隷の首輪の魔道を刻まれてしまって、売り飛ばされたら、もう、奴隷の身分から抜けることはできないのだ。

 こいつらは、寧女を闇奴隷にして売り飛ばそうとしているのだと悟った。

 

「大人しくするのよ」

 

 女が笑いながら、寧女の首に首輪を伸ばした。

 

「な、なにすんのよ」

 

 寧女は目の前の女の足を鎖のついた足で弾き飛ばした。

 

「きゃああ」

 

 女がその場にひっくり返った。

 片脚を振りあげて、思い切り女の腹に叩きつけた。

 

「ふぎいっ」

 

 女が白目を剥いた。

 

「うわっ、温女。こいつ」

 

 有留が慌てて立ちあがった。

 そして、壁の操作具に取りつく。

 がらがらと足首の鎖が動きだして、天井にあがりだした。

 女の腹を押さえていた寧女の脚が宙に浮きあがる。

 

「な、なによ。や、やめて」

 

 寧女は声をあげたが、鎖はどんどんと引きあがり、まず腰が浮かび、背中があがり、ついには頭も宙に浮いた。

 寧女の身体は頭を下にして、完全に浮きあがった。

 髪が垂れて床を這う。

 そこでやっと鎖が停止した。

 

「こ、こいつ」

 

 女が首を押さえながら、怒りの形相で立ちあがった。

 寧女の頭は、女の膝くらいの高さだ。

 その寧女の顔を女が蹴りあげた。

 

「ぐうっ」

 

 顔面に襲ってくる女の足をとっさに首をひねって後頭部で受けた。

 激痛が頭を揺らす。

 

「な、生意気に避けるんじゃないわよ」

 

 女が喚いた。

 そのとき、また扉が開いた。

 

「なんの騒ぎだ?」

 

 入ってきたのは阿引と伊三郎だ。

 

「あ、阿引。ど、どうしたも、こうしたも……。こいつが」

 

 女がもう一度、寧女の顔を蹴ろうとした。

 

「おいおい、温女、やめろ。その寧女は売り物だぞ」

 

 阿引が慌てたように声をあけた。

 伊三郎と有留が、怒りで顔を真っ赤にさせている温女を寧女から引き離していく。

 

「阿引、こ、これはどういうことよ? 説明してよ」

 

 寧女は逆さ吊りのまま怒鳴った。

 

「どうしたと言われてもなあ……」

 

 阿引は、温女をなだめるように長椅子に一緒に座って、肩を抱いたりしている。

 寧女は自分の目を疑った。

 

 騙されたのだという思いが急激に沸き起こった。

 阿引は闇奴隷商の首領……。

 この三人はその部下……。

 寧女は、その阿引に捕えられて、いま闇奴隷として売り飛ばされようとしている……。

 いまの状況を整理すると、そういうことになる。

 だが、昨夜の愛の言葉は……?

 阿引の告白は……?

 

「阿引、き、昨日の言葉は?」

 

 寧女は問い質そうとして、激昂に舌がもつれて言葉に詰まった。

 しかし、阿引はにたにた顔をこっちに向けた。

 

「昨夜の言葉か? あれは、もちろん全部演技だ。なかなかのものだろう? ああやって、言葉巧みに女を招きよせて、その挙句に、この調教部屋で奴隷の首輪を刻んで闇奴隷として売り飛ばすというのが俺の商売でな」

 

 阿引が笑った。

 

「し、信じられないわ。あんたがこんな卑劣なことをしているなんて」

 

「信じられないと言われてもなあ……。実をいえば、この商売はずっと以前からやっていて、九年前だって闇奴隷の仕事はやっていたのさ。いまは独立して、こうやって俺が首領でやっているがな。少し前にそれがばれて、軍人をやめさせられた。そのとき、一度捕えられたが、それは俺の親が賄賂を積んで流刑場送りからは救ってくれた。それでも懲りなかったんで、結局は親に勘当されたが、まあ、いい商売だし、やめられないな」

 

「だ、だったら、わたしのことを騙したのね」

 

 寧女はかっとなった。

 九年間の想いなどというのはすべて嘘だったのだ。

 悲しみや怒りより、愕然としてしまった。

 それを見抜けなかった自分にも腹がたつ。

 

「まあな。九年間、忘れなかったというのは大嘘だ。九年間、お前のことを思い出したことは一度もなかったよ。だから、昨日、暴漢から助けてもらったときは驚いたぜ。顔の痣は治ったんだな? あの痣があったら、とても売り物にはならなかったが、その顔なら高く売れる。だから、とっさに演技をしたんだ。本当にお前は単純な女だなあ」

 

 寧女は絶句した。

 女を騙して、闇奴隷として売り払う……。

 とんでもない女衒(ぜげん)だ。

 

「ね、ねえ、阿引、こいつ、あたしの腹に蹴りを叩き込んだのよ」

 

 温女が阿引に訴えた。

 

「馬鹿だなあ。この女は武芸では、その辺の男が寄ってかかってもかなわないような猛者なんだぞ。昨日だって、俺がうっかりとひとりで歩いているところをこのあいだ、売り飛ばした女の兄貴が仲間と待ち伏せをしていたんだが、そいつらを素手で叩きのめしたんだ。しかも、三人相手に一瞬だ。凄かったぞ」

 

「だって……」

 

 温女は不満顔だ。

 しかし、寧女はそれどころではない。

 信じていたものが一気に崩れて、心を打ちのめされていた。

 あまりもの心の衝撃に、うまく感情を整理できない。

 しかも、肉体的にも、逆さ吊りの体重がかかる両足首に痛みが走り出していて、かなりの苦痛が身体に走り出している。

 

「……さてと、じゃあ、調教といこうか。温女、膨れてないで仕返しをしてやりな。あのじゃじゃ馬を屈服させるんだ。奴隷の印を刻んでしまえば、お前の憂さも晴れるだろう? おい」

 

 阿引が伊三郎に声をかけた。

 伊三郎はすぐに後ろの棚から一本の瓶を持ってきて阿引に手渡した。

 阿引は瓶を持ってやってくると、寧女の前に立ち、開いている寧女の股間の上から瓶の中の液体をぼとぼとと垂らした。

 得体の知れない液体が股間から首に向かって注ぎ落ちる。

 

「な、なにをかけているのよ?」

 

 寧女は叫んだ。

 

「古臭い手だが女を屈伏させるにはこれが一番の手でな。傷も残らないから、値を落とすこともない……。まあ、どれくらい我慢できるかな」

 

 阿引はくくくと笑った。

 

「な、なにをかけたのかと訊いているのよ」

 

 寧女は絶叫した。

 

「全身を異常なほどに敏感にさせる薬剤だ。たっぷりと笑い狂ってくれ、寧女。そして、耐えられなくなったら奴隷になることを承知するんだ」

 

 そして、阿引が笑いながら離れていった。

 寧女は茫然とした。

 入れ替わるようにして、薄い革の手袋をした伊三郎と有留が寧女の前後にやってきた。

 ふたりは、寧女の身体に垂れている液体を無防備な股間の花唇から菊座、そして、乳房に伸ばし始めた。

 寧女は悲鳴をあげて、逆さ吊りの全身をのたうたせた。

 そして、そのふたりも離れていく。

 離れた位置で椅子に座った阿引、有留、伊三郎、温女の四人が逆さ吊りの寧女を見守る態勢になった。

 にやにやと四人が笑っている。

 寧女はその態度にかっとなった。

 

「なにをするつもりなのよ? ど、どんなことをしても無駄よ。わたしが屈服するわけがないでしょう」

 

 寧女は喚いた。

 たが、全身を異常な感覚が走り出している。薬剤を拡げられた場所を中心に、無数の小さな虫が這い回っているかのようだ。身体中の毛穴という毛穴から汗が噴き出す。

 

「そろそろ、準備できたんじゃねえか、お前たち」

 

 阿引が声をかけた。

 すると、ほかの三人がにやつきながら立ちあがった。

 ぎょっとした。

 いつの間にか、三人とも鳥の羽根を持っている。しかも、両手にだ。

 あわせて六本の羽根が寧女の回りを囲んだ。

 

「な、なに?」

 

「まずは、くすぐり責めだ、寧女。いままでこれに耐えれた女はいねえよ。朝から晩までくすぐり続けられてみろ。まあ、一日も持つまいよ。もしも、夕方まで耐えれば、次の責めに入ってやるがな」

 

 阿引が笑った。

 それを合図にして、六本の羽根が一斉に寧女の裸身をくすぐり始めた。



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51  寧女(ねいじょ)、女衒のくすぐり拷問に屈する

「いやあああっ、ふふふふふ、はははははは、や、やめてえっ。はははは、た、助けて、はははは、あはははは……」

 

 寧女(ねいじょ)は逆さ吊りの裸身を激しく振り立てて悲鳴をあげた。

 おかしな薬剤で感度をあげられた全身を、六本の羽根でくすぐり続けられている。

 寧女は笑い喚きながら、羽根から逃れようと懸命に全身を暴れさせた。

 

 だが、伊三郎(いさぶろう)有留(うる)温女(おんじょ)の持つ羽根は、そんな寧女の激しい身悶えを愉しむかのように、執拗に寧女の足の裏や脇や横腹を追いかけてくる。

 

「お、お願いだから、も、もう、ははははは、ゆ、許して、はははは、あはははは……」

 

 寧女は逆さになった頭を前後左右に振り立てた。

 

「おいおい、寧女、まだ、始まったばかりだぞ……。まあ、でも、こいつらはくすぐりにかけては玄人だからな。くすぐり責めで、こいつらの右に出る者はどこにもいないだろう。なにせ、この手で何人もの女に奴隷の誓いをさせてきている……」

 

 椅子に座っている阿引が優雅そうに巻き煙草を吸いながら言った。

 

「はははは、いやあああ、あ、阿引、や、やめさせて、くははへははは、はははは」

 

 寧女ははらわたが煮え返る思いをしながら、逆さ吊りの裸体を必死にもがかせながら笑い続けた。

 ただくすぐられるだけが、こんなに苦しいとも思わなかった。しかも、こんな人を馬鹿にした拷問……。

 だが、笑わせ続けさせられている口から、懸命に紡ぐ哀願の言葉を阿引は聞いている様子さえない。

 

「くすぐりなんて、古典的で陳腐な手と思うかもしれんが、くすぐり責めに耐えられる女はおらんよ。こっちはいつまでも続けていられるし、くすぐりなら傷物にして値打ちをさげることもない……。とにかく、さっさと、屈服してしまえ」

 

 阿引が煙を吐きながらせせら笑った。

 寧女は苦しい笑い声をあげなつつ、こんな卑劣な男を信じて人生をともにしようとまで考えてしまった自分を呪った。

 

「も、もうやめてえ。ははははは、あはははは……」

 

 あまりにも執拗なくすぐりに耐えられずに、寧女は懸命に絶叫を迸らせた。

 

「阿引の言うとおりね。さっさと屈服していちょうだい。まあ、でも、この感じなら、夕方まで手間取ることもなさそうよ。昼前には片がつくと思うわ、阿引」

 

 温女が寧女の首に奴隷の首輪をがちゃりと嵌めた。

 これで、あとは寧女が奴隷になるということを口走ってしまえば、それを誓いと首輪が判断して、首輪と寧女の身体に奴隷の印が刻まれる。

 そうなれば、寧女は主人に逆らえない人形になってしまうのだ。

 寧女は全身を這いまわる刷毛のくすぐったさに悶えながら、心の中で口惜しさに歯噛みした。

 

「ひゃはははは、ははははは、ぐ、ぐるじい、いいひひひひひ、ははははは……」

 

 必死に身体を暴れさせるが、気の遠くなるようなくすぐったさだ。

 なにもかもわからなくなり、寧女はいつの間にか温かいものが股間から胴体にかけて流れ落ちていることに気がついた。

 

「あらあら、おしっこしちゃったのね、寧女。こんな苦しいのなんか、いくらも我慢できるわけないでしょう。さっさと屈服してよ。奴隷になるってひと言叫べばいいのよ。それで終わり。あとは苦しいことはしないと約束するわ」

 

 温女が足の裏をくすぐりながら言った。

 

「ははははあ、あんたら、こ、殺す……、ははははは、いひひひひひ、こ、殺すから……はははは……も、もうだめえ、はははは、や、やめて、はははは……」

 

 寧女は逆さ吊りの裸身を踊らせ続けた。

 

「それにしても、この格好は眼の毒だな」

 

「奥まで見えちゃっているぜ。この女、くすぐりで感じていますよ、阿引さん。もう、股ぐらはびっしょりです。こりゃあ、小便だけじゃないですよ」

 

 わざとらしく羞恥心をかきたてる伊三郎と有留の言葉だが、寧女は両脚を閉じることもできない。その内腿に羽根が這い始める。

 そして、膝の裏を羽根が這い、臍の周りも襲う。

 足の裏は延々とまさぐられる。

 閉じている脇を羽根が差し込むようにくすぐってきて、さらに乳房を掃くように羽根が擦る。

 

「も、もう、許して、はははは、許してえ、ははははは、あはははは……」

 

 有留の羽根が臍から這い上がって、こんもり盛り上がった胸の膨らみを羽根で愛撫し、切れ切れの寧女の悲鳴にあおられるように、伊三郎の羽根がすんなり伸びた乳白色の太股を這いさがり、股間の春草を撫で回す。

 

 寧女の裸身は、いつ果てるともなく、狂ったように空中で踊り続けた。

 くすぐりによる笑いで満足に息ができない……。

 まともに息をしようと思うと、それを阻止するように羽根が全身を襲って邪魔をするのだ。

 

 苦しい……。

 死ぬ……。

 

 寧女は痙攣のような笑いを続けながら思った。

 やがて、寧女は自分の意識がすっと小さくなっていくのを感じた。

 

「あら、気絶しちゃったわ……」

 

 最後に聞いたのは、温女の馬鹿にしたような口調のその言葉だった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鼻の奥で激痛が走った。

 寧女の口は悲鳴をあげようとしたが、大量の水が口の中に入ってきた。

 わけがわからなかった。

 目を開けてもなにも見えない……。

 

 すぐに水の中だとわかった。

 逆さ吊りの首から下を水がめのようなものに浸けられている。

 寧女は頭を持ち上げて、顔を水から出そうと思ったが、また全身をくすぐりが襲った。

 力を入れることができない。

 それに、水がめの縁は狭くて、顔をあげようとしても、縁で阻止されてしまいそうだ。

 寧女は暴れた。

 

 とにかく息を求めて、全力で身体を揺する。

 しかし、そんなものはどこにもない。口から入るのは水だけだ。

 また、意識が遠くなる。

 息が……。

 しかし、水の外における敏感な肌を這い回る羽根のくすぐったさに、寧女は水の中で無理矢理に笑わせられた。

 

 水が口の中に入ってくる。

 意識がどんよりとしたものに包まれる。

 また、水が口の中に……。

 そのとき、かすかに口が水の面よりも上に出た。

 水も入ってくるが、息も入ってきた。

 おそらく、大量の水を飲んだので水面が下がり、寧女の口が水の外に出たようだ。

 

「ぷはあ。はあ、はあ……ひゃああ、ははははは、だ、だすげて……」

 

 寧女は悲鳴をあげながら笑い続けた。

 からからと鎖の音がして身体が引きあげられ、完全に顔が水がめの外に出た。

 

「勝手に気絶すると、また水がめに顔を浸けるわよ、寧女。苦しみから逃れるには、奴隷の誓いよ……。それしかないわ」

 

 温女が大笑いしている。

 そして、くずぐりを続ける。

 全身は同じようにくすぐられているのだが、窒息の苦しみがとりあえず去ったことで、またくすぐりの苦しさが拡大する。

 

「はははは、あははははだ、だめええゆ、ゆるじで、あははは……」

 

 寧女は逆さのまま笑い続けた。温女は足の裏を専門にくすぐっているようだ。

 そして、寧女がくすぐりに慣れることがないように、同じ足の裏をくすぐっていても、巧みに場所を変化させたり、強弱をつけたりもしている。

 

「随分、水を飲んだんだろうなあ……。お腹がぽっこりだぜ」

 

「遠慮なく、また小便を垂れ流してくれよ」

 

 一方で有留と伊三郎は、全身の至るところを羽根で襲ってくる。

 このふたりは、寧女が少しでも反応を激しくした場所があると、そこを集中的に襲うというやり方だ。

 寧女は狂気のように身体を振って笑い続けた。

 

「くすぐりだけじゃなくて、こういうのも効くだろう?」

 

 ひとりの羽根が、寧女の恥毛に隠れた亀裂や豆を羽根で撫でてきた。

 すると、伊三郎か有留のどちらかの羽根が背後に回って、臀部の亀裂をくすぐってきた。

 

「ひいいっ、いやあ、はははは、あはははは、そ、そこはあっ」

 

 得たいの知れない感覚が股間から沸き起こった。

 寧女は狂乱した。

 

 くすぐりの苦しさ。

 尻の穴と局部を同時に刺激される汚辱感と羞恥。

 さらに、官能の津波。

 これらが同時にやってきて、もう寧女はまともにものを考えることもできない。

 

 だが、失神もできない。

 さっきの水漬けの恐ろしさが、寧女の失神を阻止する。

 やがて、寧女は疲労で身体を暴れさせることもできなくなった。

 ただ、啼泣して激しい悲鳴を出すだけだ。

 寧女はただただ、六本の羽根に全身をひたすらに踊らせた。

 

 また、股間から尿が噴きあがり。寧女の身体を伝って、寧女の顔に流れ落ちてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どれくらい経ったのだろうか……?

 寧女は三度失神し、その都度、水がめに顔を沈められて覚醒させられた。

 

 失禁は四回した。

 身体を敏感にするという薬剤は二度塗り直された。

 液剤を塗り直されると、それ以前とは比べ物にならないくすぐったさが襲ってきた。

 もう、寧女の思考力は麻痺していた。

 

「ひっ、ひっ、ひっ」

 

 寧女の喉がおかしなかすれ音を出していた。もう大きな悲鳴は出ない。

 なにも考えられない。

 なんのために自分はこんな苦しみを味わい、誰が寧女をこんな風に拷問しているのか……。

 とにかく、六本の羽根が身体を這う。

 もう、寧女には笑う体力さえも残っていない。

 ひたすら痙攣のような全身の震えを繰り返すだけだ。

 

「奴隷の誓いをするわね?」

 

 女の声がする。

 それは駄目だ……。

 寧女の心の中の存在が言う。

 

「奴隷の誓いをするわね?」

 

 また、言われた。

 寧女は懸命に首を左右に振った。

 しかし、この苦しみから逃れられるなら……。

 そう主張する誰かもいる。

 その誰かが、なにかを呟いている。

 

「……ちょっと、待って……。なにか、言っているわ。お前、もっと、大きな声で言いなさい」

 

 寧女をくすぐっている女が叫んだ。

 執拗に身体を這っていた六本の羽根が離れたのがわかった。

 自分はなにかを言ったのだろうか……?

 寧女にはわからなかった。

 

「ち、誓う……。奴隷になる……」

 

 しかし、寧女の声が寧女自身の口でそう言った。

 頭の中で金属音が鳴った気がした。

 頭の中のなにかに鍵のようなものがしっかりとかかるような音だ。

 そして、痛みにも似た熱さが一瞬だけ寧女を包んだ。

 

「案外、手こずらなかったな……。よし、寧女を下ろせ。まずは、俺を主人として寧女の心に刻み込むんだ、温女。とりあえず、俺に逆らえないようにしろ」

 

 ひとり椅子に座って、ずっと寧女が拷問されるのを見ていた男が言った。

 からからと音がして鎖が動き、寧女の身体が床にゆっくりと下ろされた。

 

 

 *

 

 

「はあ、はあ、はあ……」

 

 全身が綿のようだった。

 だんだんと思考が正常になるに従って、取り返しのつかないことをしてしまったという絶望感が襲ってきた。

 事もあろうに、寧女は奴隷の誓いを口にしてしまったのだ。

 なにかが変化したという感じはないが、これで寧女の身体に奴隷の印が刻まれてしまったのだろうか……?

 

「ほら、阿引の顔を見るのよ……」

 

 床に下ろされた寧女の髪が温女に掴まれて、強引に椅子に腰かけている阿引に向かされた。

 あまりにも長く逆さ吊りになっていたので頭がぼんやりとしている。

 抵抗をしようという気にもならない。寧女は顔を向けられるまま、阿引をぼんやりと眺めた。

 その阿引がにやにやと笑っている。

 すると、突然、阿引に対する強い恐怖感がやって来た。

 それは、あまりにも突然であり、なんの前触れもなく、寧女の心の中から噴きあがった。

 

「ひいっ」

 

 寧女は声をあげて、思わず阿引から目を逸らせた。

 魔道を刻まれたのだとわかった。

 だが、理性でそれがわかっても、どうしようもなかった。恐怖感は寧女の知性や記憶を覆い尽くしていて、阿引を恐れる理由はなにひとつないとわかっているのに、阿引が怖くて怖くて堪らなくなってしまった。

 阿引には逆らってはならない……。

 その感情で寧女の心はいっぱいになる。

 

「寧女、逆らうな……。暴れるな……。そして、逃げるな。ここにいる者に従え。いいな」

 

「わ、わかりました……」

 

 服従の言葉が自分の口から自然に出た。寧女はびっくりした。

 

「いいようよ、阿引……。しっかりと印が刻まれたわ……。これなら、この女も売り物になるわね。じゃあ、さっそく性奴隷らしく股の毛を剃り落としましょうか」

 

 温女が事も無げに言った。

 寧女は驚愕した。

 

「なに、驚いているんだ、寧女? 性奴隷は病気になりやすいから、股の毛は剃り落とすのが一般的な慣例だ。知らなかったのか?」

 

 阿引が笑った。そして、伊三郎に準備をするように命じた。伊三郎が奥の部屋に向かう。

 寧女は、温女や阿引の言葉が冗談ではないことを悟るしかなかった。寧女はまだ足首に鎖付きの枷をつけられていて、両腕を後手に拘束された状態で尻餅をついて床に座っていたが、とっさに股を閉じて腿に力を入れた。

 

「剃りやすいように脚を開け、奴隷」

 

 阿引が笑いながら言った。

 すると、寧女の両脚はまるで他人の脚であるかのように開き、そして、閉じられなくなった。

 

「持ってきましたよ……。へへへ……。じゃあ、綺麗に剃ってやるぜ、寧女。俺に任せときな」

 

 伊三郎が盆に載せた剃刀とぬるま湯の入った容器を持ってきて、寧女の開いた脚のあいだに置いた。

 

「そ、そんな、待ってよ。そんなことしたら、承知しないわよ」

 

 寧女はかっとして叫んだ。阿引に対するような恐怖心は、伊三郎や温女に対しては湧かない。ただ、逆らうなという命令だから逆らえないだけだ。

 

「口のきき方がなってないな……。どうします、阿引さん? 調教してから売りますか? その方が高く売れるし……?」

 

 有留だ。

 

「いや、こいつは気が強いからな。奴隷の首輪で逆らえないようにするのが関の山で、完全に屈服させるのは時間がかかるだろう。そのまま、未調教で売っちまおう。これだけの美貌なら、それでも買い手には困らねえさ。奴隷商もそれなりの値はつけるさ。それに、多少買い叩かれても、今回は元手がかかってねえしな」

 

「そういえば、阿引さんに抱かれたくて、のこのこと着いてきた馬鹿女でしたね」

 

 有留と阿引が声をあげて笑った。

 そのときには、伊三郎が湯に浸した水刷毛で寧女の恥毛を撫であげ始めていた。

 寧女の全身に耐えようのない悪寒が走る。

 

「や、やめるのよ。こ、殺すわよ。あんたら、いつか皆殺しにするからね」

 

「おうおう、勇ましいなあ……。たが、元気なのはいまのうちだ、寧女。どこのどいつがお前を買うか知らねえが、そのうち、身も心も奴隷に染まり、なんにも考えられなくなるよ。心配するな」

 

 阿引が笑った。

 そのあいだにも、水刷毛で股間が撫でられ続ける。

 陰毛を剃られてしまうという恐怖と屈辱が寧女に走る。

 だが、開いていろと命じられた寧女の両脚は、膝をたてて開いたままどうしても動かない。

 これが奴隷の首輪の力なのだろうか……?

 いまの瞬間は、両脚がまるで他人のもののようだ。

 

「いくぜ……。動くと股を切るぞ」

 

 伊三郎の持つ剃刀が寧女の肌に触れた。

 まとまった量の家が剃り落とされ、寧女は思わず悲鳴をあげた。

 

「あ、あんたら……」

 

 寧女は血が出るほどに唇を噛んだ。

 あまりの羞恥と汚辱につっと涙もこぼれる。

 しかし、それを見て温女が阿引に抱きつきながら大笑いをした。

 一方で、伊三郎は、容赦なく寧女の股間からどんどんと恥毛を剃り落としていく。

 やがて、しばらく剃ったところで、剃り手は伊三郎から有留に交代した。

 

「無駄毛が残っていると、それだけで、代金をまけさせられることもあるからな。時間をかけてもいいから、しっかりと剃りあげろ」

 

 阿引が片手で温女を抱きながら愉快そうに言った。

 

「……だけど、考えてみれば、この女も憐れよねえ。阿引のことだから、昔のよりを戻して結婚しようとか、嘘の口説き文句をこの女にささやいたんでしょう? それでひと晩を共にしたんだから、この女もその気にはなったのよね。それなのに、騙されて奴隷にされることになった挙句に、知らない男たちから茂みまで剃られるんですもの」

 

 温女が阿引の胸に顔を乗せ、下品そうに手を叩いて笑った。

 その態度にむかっ腹がたつ。

 

「へへ、もう、かなりものだぜ、寧女……。可愛い割れ目ちゃんがはっきり顔を見せてきたぜ……。お豆もぷっくりとこんにちはだ……。全部剃ったら、次は毛穴を殺す道薬を塗るからな。それで終わりだ。そしたら、二度とは陰毛は生えてこねえ。性奴隷らしい身体になるということだ」

 

 有留が、愉しそうに剃刀を動かしながら言った。

 いまや寧女の股の茂みはほとんど剃り落とされ、ほんのわずかに産毛のようなものが残っているだけになっている。有留は器用に剃刀を動かして、それらを一本残らず削り取っているのだ。

 

「ううっ、くっ……」

 

 なによりも寧女にとって耐えがたいのは、剃毛をするために水刷毛が股間を這うことで、そのたびに得体の知れない感覚が走って全身を震わせる甘美感が襲うことだ。

 それでどうしても喰い縛った口から嬌声が漏れてしまう。

 しかし、有留と伊三郎が、別に寧女を感じさせるために刷毛を動かしているわけでもないのだ。そのことがさらに寧女の恥辱を拡大する。

 

 やがて、途中から剃毛を変わった有留の仕事も終わり、次は伊三郎が怪しげな小瓶を取り出してきて、たった今まで茂みのあった場所に薬剤を掏りこみはじめた。

 寧女は股間に男の指が這う感触を必死になって我慢した。

 

「さあ、終わったぜ。すっかりと綺麗になったな……。立っていいぜ」

 

 ついに伊三郎が言った。剃毛に続いて毛穴を殺すという薬剤の塗布も終わったのだ。

 その瞬間、金縛りのようになっていた脚が自由を取り戻した。剃毛のあいだは脚を閉じるなという命令だったので、それが終わったことで、命令の効力がなくなったのだ。

 寧女は慌てて脚を閉じる。

 

「どれ、仕上がりを見せてみろ、寧女。こっちに来て、脚を開いて立て」

 

 温女とともに長椅子に腰かけている阿引が言った。

 またもや、寧女の身体は自由を失い、阿引の前まで歩いて、勝手に脚を拡げた。

 

「うん、綺麗に剃っているな。これなら大丈夫だろう……。じゃあ、いつもの奴隷商に売り払いに行くぞ。おい、表に馬車を回せ、伊三郎」

 

 阿引が満足そうに言った。

 寧女は歯を食い縛った。

 いつか、この四人を殺してやろうと心に決めた。

 

「ねえ、阿引、でも、こいつの股を見てよ。お豆ちゃんがこんなに膨らんでいるし、おまんこはたっぷりと涎を流しているわね。きっと剃毛が気持ちよかったのよ。本当に変態ね……。阿引、こんな変態女と結婚しなくてよかったじゃないの」

 

 温女が寧女の股を指差しながら笑った。

 寧女はかっとなった。

 

「か、勝手なことを言ってんじゃないわよ、この売女。せいぜい、いまのうちに笑っておくのね。すぐに奴隷なんて抜け出して、恨みを返しに来るわ。そのときには、あんたこそ、奴隷にして売り払ってやる。もっとも、あんたみたいな売女なんて、二束三文にしかならないだろうけどね」

 

 寧女は感情の迸るまま叫んだ。

 

「な、なんですって。奴隷のくせに」

 

 温女が真っ赤な顔をして立ちあがった。

 平手を打ってくる。

 寧女はそれをなんなく腕で受けた。

 暴れるなという命令は受けたが、別に避けるなという命令は受けいていない。

 それで寧女の手は温女の平手を遮れたのだ。

 

「よ、避けるんじゃないわよ、奴隷」

 

 激昂した温女が声をあげた。

 その瞬間に、寧女の身体は凍りついたように動かなくなった。

 命令に従えという命令を阿引から受けている。

 それが効果を及ぼしたのだ。

 動くことのできなくなった寧女の頬を温女の平手が張った。

 大した力じゃない。

 叩かれながらも、寧女は温女を睨み返した。

 

「ま、まだ、そんな目付きをするの? き、気に入らないわね」

 

 温女がさらに寧女を叩こうとした。

 だが、その腕を阿引が握った。

 

「待てよ、温女。もういいだろう……。こいつは商品だ。怪我でもさせたら、それだけ安くなる。こいつは馴染みの奴隷商に売り払う。いま、北州都では、容姿の優れた女の性奴隷をたくさん探しているという話だ。相場よりもかなり高く買ってくれるらしい」

 

「北州都?」

 

「ああ、そうだ。よくは知らんが、知事が贈答品として集めているそうだ。だから、こいつを連れて行けば、その奴隷商は、すぐにこいつを北州都に運ぶだろうさ。そしたら、もうこいつなんて縁なしだ。どこかに売られて二度と遭うこともないだろう。そう怒るなよ」

 

 阿引が温女を宥めるように言った。

 

「ふん、だけど、正直に言えば、あんたの昔の婚約者だというのが気に入らないのよ。お高く止まっているところもね」

 

「なんだい、さっきから、いつになく感情的だと思ったら、嫉妬だったんですか、温女姐さん?」

 

 伊三郎がからかうような声をあげた。

 

「なんですって?」

 

 温女が伊三郎に怒鳴った。

 

「やめないか、温女。こいつと婚約したなんて、九年も前の話であり、お前という女と知り合う前さ。こんな男みたいな女、お前の魅力にかないやしないよ」

 

 阿引も苦笑している。

 しかし、それで少し温女も落ち着いたようだ。

 ちょっとだけ、はにかむような笑みを浮かべた。

 そして、大きく息を吐く。

 

「そうね……。ちょっと、あたしらしくなかったかな……。ところで、伊三郎、馬車はいいわよ。せっかくだから、あたしが歩いて連れて行くわ」

 

「歩いて? なに、考えてんだ?」

 

「いいことよ。阿引があたしから逃げるなと、こいつに命じてくれれば、逃げようもないし、大丈夫よ。それに、こいつの身内はもうここにはいないんでしょう? いつものように馬車に隠して奴隷商に連れ込まなくても邪魔立てする者はいないわよ。それよりも、たっぷりと奴隷の立場をわからせてから、奴隷の自覚をさせたいわ」

 

 温女がまだ動くことのできない寧女を揶揄するような口調で言った。

 

「な、なにをするつもりよ……?」

 

 嫌な予感がして、寧女は訊ねた。

 奴隷の首輪に刻まれた奴隷の印というものが、こんなに強力なものとは知らなかった。

 「主人」として刻まれた阿引の言葉に一切逆らえないのだ。

 こんな状態で外に連れて行かれ、もしも、裸で城郭の大通りを歩けと命じられても、寧女は逆らうことができないだろう。

 そう考えると、背に冷たい汗がどっと流れた。

 

「すごく愉しいことをするだけよ……。あんたみたいな生意気の女を躾けるのに、ちょうどいい道術の淫具がここにあるのよ。それを身に着けて一緒に散歩しましょうよ。ふたりでね……」

 

 温女が意地の悪い笑いをした。

 

 

 *

 

 

「くっ」

 

 股間に違和感を覚えた寧女は、それを悟られまいと必死に唇を噛んだ。

 大通りに出たところで、寧女は温女とふたりで馬車を下ろされた。

 そのとき、股間の淫具が揺れて寧女に耐えられない刺激を与えたのだ。

 それで声をあげそうになり、寧女は必死になって声を飲み込んだ。

 

「じゃあ、寧女、一切の温女の命令に逆らうなよ。そして、逃げるな。それから、いかなる状況でも助けを求めるのは禁止する」

 

 馬車の扉から顔を出している阿引が笑いながら言った。

 そして、阿引が御者台に座っている伊三郎に合図をする。

 阿引と伊三郎を乗せた馬車は、大通りに寧女と温女を残して去っていった。

 奴隷商で待っていると、温女に言っていたので、奴隷商に先に向かうのだろう。

 

 当初は、あの貧民街から馬車なしで歩いていく予定だった。

 だが、温女が寧女に強要した服装が、あまりにも破廉恥だったので、その恰好で貧民街を歩くと、寧女を押し倒して犯そうとする者がいるかもしれないということで、貧民街を出て治安のいい大通りに出るまでは、馬車で移動することになったのだ。

 

 確かに、寧女は裸でこそなかったが、寧女にとってはそれと大差ないくらいに恥ずかしい恰好だった。

 上衣は身体にぴったりとくっつく薄い布一枚であり、それは胸巻きをしていない寧女の乳首の先端をはっきりと浮き立たせていた。

 上衣は長い襟のついたもので、寧女の首にある奴隷の首輪をうまく隠していたが、それは温女の慈悲ではなく、温女が寧女にしようとしている辱めが、その方が効果的であるからのようだ。奴隷がいたぶられているのではなく、寧女という気の強い女が、こうやって人通りの多い外で性的になぶられているという構図をそのことで作りたいのだ。

 また、下袍は腿の半分の丈しかない異常に短いものだ。

 寧女はこんなにも脚を露出して外を出歩いたことなどないし、そんなことが現実にあり得るということを想像すらしたことない。

 

 だが、それは現実のことなのだ。

 しかも、阿引により、温女の言葉に従うように命じられ、すでに温女の指示が与えられているため、奴隷の首輪の力によって、寧女はその羞恥の姿を隠すこともできないし、ここから逃げることもできない。

 いずれにしても、寧女には、こんなに露出の多い服で外を歩かされるなど信じられない屈辱だった。

 

 そして、なにより耐えられないのは、異常に短い下袍の下の寧女の股間には、股間と肛門と肉芽を刺激する突起のついた貞操帯がしっかりと食い込んでいるという事実だ。

 

 それだけではなく、その張形には温女の手によって得体の知れない油剤がたっぷりと塗り足された。それがどういう効果のある薬剤であるということはすぐにわかった。

 貞操帯をはめてすぐに、猛烈な痒みが襲いかかってきたのだ。

 温女が貞操帯の内側の張形に塗ったのが、強力な掻痒剤であることは明白だ。しかも、温女はその薬剤をしっかりと寧女の両方の乳首にも塗りたくった。

 

「じゃあ、しっかりとついておいで、寧女……。ただし、おかしなものをはいているのがばれないように、気をつけてね」

 

 温女が寧女に耳打ちをして、前に歩き出した。

 貞操帯を外す行為は、「命令」で禁じられている。

 もっとも、たとえ命令がなくても、貞操帯にはしっかりと鍵があり、それがなくては寧女には外すこともできない。

 

「だ、だったら、こんなの外しなさいよ……。ば、馬鹿じゃないの。こ、こんなことして、なにが愉しいのよ、変態」

 

 寧女はささやき返した。

 

「そうよ。そんな風にずっと強気でいてよね。あっという間に屈服してしまったら愉しくないわ」

 

 温女は笑いながら大通りを前に進み始める。

 大通りは通行人でいっぱいだった。

 寧女は必死になって温女を追って歩みを進めた。

 

「ど、どこに向かうのよ……?」

 

 しばらく歩いたところで、寧女は訊ねた。

 すでに、股間の疼きのために、寧女の身体は汗だくだった。

 そのため、ただでさえ薄い寧女の着ている上衣がますます寧女の肌に貼りついて乳房を透けさせている。寧女はそのことに身震いするような羞恥を覚えていた。

 

 しかも、どこに向かうのか寧女は教えられていない。

 奴隷商の場所は知らないし、それが遠いのか、近いのか見当がつかない。

 従って、この辱しめがすぐに終わるのか、それともまだまだ続くのか、さっぱりとわからないのだ。

 それが寧女を不安にさせる。

 

 しかも、温女の歩みはゆっくりであり、曲がり角になったら、しばらく立ち止まってから、そこを折れたり、そうかと思えば、不意に引き返したりする。

 うろうろすることで、寧女を苦しめているの魂胆だとは予想がつくのだが、時間が経つにつれていよいよ股間の痒みが耐えられないものになってきた寧女は、どうしても訊ねずにはいられない気持ちになったのだ。

 

「さあね……。あんたが気にする必要なんてないのよ。それよりも、お腹が減ったでしょう。食事しない?」

 

「しょ、食事なんていいわよ。もう、どこでもいいから、さっさと連れて行きなさいよ」

 

 かっとなって怒鳴った。

 こんな状態で食堂など冗談じゃない。

 とにかく、痒いのだ。

 寧女は焦燥感と掻痒感に我慢できなくて、貞操帯の内側で必死になって張形を締めあげていた。

 しかも、寧女の露出の多い服装にたくさんの通行人が卑猥な視線を向けていく。

 寧女はいたたまれない気持ちに陥っていた。

 

「ひいっ」

 

 そのとき、突然、股間の張形が動いた。

 辛うじて、さらに声を出すのは押さえたが、張形はいつまでも振動を続けている。

 寧女は立ち止まって、がっくりと膝を曲げてしまった。

 前を見ると、少し前を歩く温女の右手が青く光っている。

 あれは道術だろう。道術の力で寧女の貞操帯の張形を振動させているのだ。

 思わず股間を下袍の上から手で押さえた寧女をすれ違った数名の男たちが首を傾げて眺めていた。

 そのあいだも、すたすたと温女は歩いていく。

 

「や、やめて……」

 

 寧女は必死に前に歩みを進めて、温女にささやいた。

 

「あらっ、やめていいの? そろそろ、苦しいんじゃないかと思って、動かしてあげたんだけどね」

 

 すると、温女が笑った。

 

「こ、殺すわよ。そんなことを頼んでないでしょう」

 

「そんなこと言って、本当はこうやって外で辱められたいでしょう、寧女?」

 

「い、い、い、か、ら……止めるのよ」

 

 寧女は強い口調で言った。

 

「あっ、そう……。後悔しても知らないわよ」

 

 温女が意味ありげに笑った。

 股間の振動が静止した。

 寧女はほっとして、身体を脱力させた。

 だが、安心したのは束の間だった。

 股間の緊張が解けてくると、張形の振動で痒みがほんの少し癒されたことで、却って凄まじい痒みが股間から襲ってきたのだ。

 さっきの突然の振動の狙いはまさにそれだったのだ。

 寧女は愕然とした。

 

「やっぱり、食事をするわ。ついてきなさい」

 

 はっきりと「命令」をされてしまえば、もう逆らえない。

 寧女の足は、温女が入っていった大衆食堂に向かっていった。

 股間には、いままでとは桁違いの痒みが沸き起こっていた。



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52  寧女(ねいじょ)、裸体に落書きをして晒される

 寧女(ねいじょ)は、温女(おんじょ)を追って大衆食堂に入ったが、すぐに立ちすくんでしまった。

 食堂の中はとても明るくて、大勢の客でごった返していた。

 そんなところに、馬鹿みたいに短い下袍(かほう)と、異常に身体の線にぴったりとした服で入るのは勇気が必要だった。

 

 こんな格好……。

 娼婦でさえも、もう少しましな姿をしているだろう……。

 客たちのすべてが寧女の剥き出しの脚や汗で浮き出ている乳房やその突起に注目している気がした。

 

「そうそう、忘れていたわ」

 

 温女は食堂の真ん中で立ち止まると、いきなり寧女の首輪に鎖を着けた。

 

「な、なにすんのよ……」

 

 寧女はびっくりして抗議した。

 その声で店の多くの者が寧女の存在に気がついた。

 客たちが一斉に奇異の視線を向けてくる。

 他人の視線を感じて、寧女は目眩さえするような羞恥を感じた。慌てて顔を俯かせようとしたが、温女の引っ張る首輪がそれを邪魔する。

 

「手は後ろよ。命令よ」

 

 さらに温女が白い歯を寧女に見せながら言った。

 奴隷の首輪の力によって、寧女の両手は背中に回ってしまった。

 すると、その手首に温女が手錠をかけた。

 

「ちょ、ちょっと……」

 

 寧女は呆然とした。

 首輪の力だけではなく、物理的にも両手の自由を奪われたのだ。

 

「抵抗するのは禁止よ……」

 

 そして、温女は背中側から寧女の短い下袍の横に手を伸ばすと、下袍の留め具を外して足元に落とした。

 

「ひいっ」

 

 あっという間の出来事であり、寧女は抗議の言葉すらあげることもできなかった。

 寧女は悲鳴をあげて、その場にしゃがみ込んでしまった。

 こんなところで下袍を脱がされて、貞操帯だけの姿にされるなど信じられない。

 寧女は想像もしたこともないような、その羞恥の格好になってしまった。

 だが、そんな寧女を温女は、強引に首輪の鎖で立ちあがらせると、さらに食堂の奥に引っ張った。

 

「あ、あんた」

 

 食堂の中を貞操帯だけの下半身で歩かされる寧女は、あまりの羞恥で舌さえももつれた。

 短い下袍を食堂の真ん中に残したまま、寧女はそのまま、店の最奥の席に向かって連れていかれた。

 もう、寧女を見ていない客はひとりもいない。

 全員が寧女に卑猥な視線と好奇と嘲笑の表情を向けている。

 

 寧女は多くの客に見られながら、一番奥の席まで引っ張っていかれた。そこにはひとつだけ空いた席がある。

 温女は自分が座ったその席の卓の脚の一番下に、寧女の首輪の鎖をしっかりと繋げた。しかも、温女は、卓の脚に結んだ鎖の長さを拳二つほどに短くしたのだ。寧女は顔をほとんど卓の足元の床にくっつけたような状態に固定されてしまった。

 

「な、なにすんのよ……。こ、これ、離してよ」

 

 寧女は狼狽えて声をあげた。

 なにしろ、寧女は鎖に首を引っ張られて、温女が食事をしている足元の横に顔をつけて、しゃがみ込むような体勢にされたのだ。

 

「奴隷が座る場所は、主人の足元と決まってるのよ。文句あるみたいね。やっぱり調教のなっていない奴隷は駄目ねえ」

 

 温女が店中に聞こえるような声で言った。

 

「なっ」

 

 寧女は絶句した。

 いきなり、奴隷だと皆に公表されるとは思わなかったのだ。

 慌てて否定をしようとしたが、その言葉は出てこなかった。無理矢理に奴隷にされたと叫ぶことは、助けを求めることになるため、首輪の力がそれを阻んだのだと思った。

 

「心配ないのよ。ここは、あたしの行きつけであり、よく奴隷調教の最中にも立ち寄るから、奴隷のあんたが来ても慣れっこなのよ」

 

 温女が笑った。

 道理でいきなり温女が寧女の下袍を脱がせても、大きく騒ぎだす者がいないと思った。

 どうやら、いま寧女が受けているような仕打ちは、ここでは日常茶飯事のようだ。

 

「おう、新しい奴隷かい、温女? 随分と別嬪だなあ。脚に触ってもいいかい?」

 

 初老の男がからかうような口調で声をかけ、温女の足元にしゃがんでいる寧女の脚に手を伸ばした。

 

「な、なに、触ろうとしてんのよ。殺すわよ。あ、あんたらも、じろじろ見るんじゃないわよ」

 

 寧女は床に顔を向けたまま叫んだ。

 初老の男が後ろでびくりと手を引っ込めたのが視界に入った。

 また、騒然としていた店も一瞬だけ静まり返る。

 だが、すぐに、どっと笑いが湧き起こった。

 

「こりゃあ、驚いた。俺も長いこと生きてるが、奴隷に怒鳴られたのは初めてだな」

 

 初老の男が言った。

 

「悪かったわね。この女奴隷は全くの未調教なのよ。金子のために奴隷になる決心はしたんだけど、どう振る舞っていいかも、まだ知らないのよ。許してね。それと、まだ売り物前だから、触らないでよ。阿引の言いつけなのよ」

 

 温女が苦笑混じりに言った。

 寧女は歯噛みした。奴隷になることなど承知していない。

 だが、助けを求めることは禁止されているので、寧女にはそれを否定することができないのだ。

 一方で触るなという温女の言葉に、いくつかの席から失望の声がした。

 阿引(あいん)はこの辺りの顔なのだろうか?

 とにかく、温女が阿引の名を出すと、騒然としかけていた店が少し落ち着いた感じになった。

 

「その代わり、たっぷりと目の保養は皆にさせてあげるわ……。さあ、罰よ、お前。あたしの食事が終わるまで、そこで立っていなさい。命令よ」

 

 温女が言った。

 寧女の身体は命令に逆らえないから、その場に脚を伸ばして立ちあがろうとした。しかし、首輪の鎖が卓の脚に短く結ばれているので、上半身をあげることができない。そのため、寧女は極端な前屈の体勢になり、貞操帯の食い込んだお尻をほかの客に見せつけるような格好になった。

 

「くっ」

 

 寧女はあまりの恥ずかしさに全身を震わせた。寧女の汚辱感も羞恥心も耐えられる限界を越えている。

 

「いらっしゃい、温女さん。あら、新入り奴隷ですか?」

 

 若い給女がやって来て、温女に声をかけた。そして、ちらりと寧女の下半身に目をやって、蔑みの鼻息をしたのが聞こえた。

 

「まあね……。食事をもらうわ。いつもの」

 

「わかりました。ところで、この奴隷も食べるんですか?」

 

「さあね。どうしたい、お前?」

 

「ふ、ふざけないでよ。いい加減にしてよ。ちょ、調子に乗ってると、ひどいわよ」

 

「どうひどいのか知りたいわね……。まあいいわ。こいつには皿だけ持ってきて」

 

 温女はせせら笑いながら、給女に声をかけた。

 

「はい。それにしても、大変な格好してるわね、あんた……。見ているこっちが恥ずかしくなるわ。やっぱり、奴隷になるような女には羞恥心も欠けているのね」

 

 給女が軽蔑の声をかけてから去っていった。

 寧女は屈辱に震えた。

 しかし、首輪の力により、この羞恥の格好を動かすことができない。

 

 しばらく、このまま、放置される気配になった。

 大衆食堂で貞操帯だけの尻たぶを晒して、前屈で立つという屈辱の時間が始まる。寧女には見えないが、いまや、すべての店の客は寧女の尻を眺めているに違いない。

 だが、このままじっとしていることすら、寧女にはできそうにない。ずっと耐えていた痒みがいよいよ本格的になってきたのだ。

 寧女の身体は前屈のまま痒みに激しく震え、全身から汗が滴りだす。

 

「この店にいるあいだ、あたしの言葉にはすべて、“はい”と答えなさい、奴隷。それ以外に喋ることを禁止するわ。命令よ」

 

 すると、不意に温女がささやいた。

 

「はい……」

 

 寧女は言った。自分の意思ではなく、首輪の力で勝手に口がそう言ったのだ。

 寧女は、首輪の力に改めて恐れおののいた。

 それにしても痒い……。

 寧女は懸命に貞操帯の中の二本の張形を締めつけたが、それは掻痒感を鎮めるのに、なんの役にも立たなかった。

 

「おう、温女、なんでこの奴隷は尻をそんなに振ってるんだ?」

 

 ひとりの客が笑いながら訊ねた。

 はっとした。

 寧女は一生懸命に痒みに耐えて、腰の震えを最小限にしているつもりだったのだ。

 だが、やっぱり見物の男たちにとっては、明白なくらいに動いていたようだ。

 

「この女は露出狂の変態なのよ。それで見られて感じているのよ。そうよね?」

 

 温女が言った。

 

「は、はい」

 

 寧女の口がそう喋った。

 歯噛みした。

 慌てて、痒み剤を塗られているのだと言い直そうとしたが、首輪の力で言葉は出てこない。

 店の中から蔑みの笑い声が湧いた。寧女は口惜しくて、後手の拳を握りしめた。

 

「なんだ、やっぱり変態か?」

 

「そうよ。これでもいいところの娘だったのよね? でも、変態が高じて、これからは性奴隷として生きていくことに決めたのよね?」

 

「は、はい」

 

 さらにどよめきが起きた。

 

「いいとこって、どこだい?」

 

 他の誰かが言った。

 

「数年前まで城郭軍の上級将校だった男の娘よ……。名は……」

 

 温女はあっさりと寧女の父の名を出した。寧女は驚愕した。まさか素性をばらしてまで辱しめられるとは思わなかったのだ。

 しかも、父の名を出すということは、寧女だけでなく死んだ父まで冒涜するということだ。寧女は怒りで気を失いそうになった。

 

「はい」

 

 だが、温女の確認の言葉に、寧女は「はい」と答えてしまう。

 そのうちに、温女の嘘はだんだんと度を越したものになり、寧女は色情狂の変態で、三日に一度は裸で歩くということを繰り返していて、人前の自慰がやめられなくて、こんな貞操帯をされているということにされた。

 さらに、九年間どこかに行っていたこともばらされ、それは十六のときに、酔った父に犯されたのが理由だということになった。

 絶対にいつか、この女を殺してやると思った。

 それにしても、もう痒みは耐えることのできないものになっていた。

 

「う、うう……」

 

 言葉は禁止されたので、寧女は呻き声で訴えた。

 大勢の見知らぬ客のいる大衆食堂などに連れ込まれたために、懸命に我慢していたのだが、さすがにもう限界だった。

 

「どうしたの、淫乱女? 股ぐらに入っている張形を動かして欲しいのかい?」

 

 すると、温女が店中に聞こえるような大きな声で言った。

 

「は、はい……」

 

 寧女は首輪の力により、そう返事をした。

 わざとらしい嫌がらせに、寧女の腹は煮え返った。しかし、いずれにしても、この痒さは耐えられる限界は越えている。女陰に食い込んだ張形をさっきみたいに、少しでいいから動かして欲しい。

 いまみたいな格好のまま張形を動かされて、その姿を晒すのは、気の遠くなるような恥辱だが、これ以上痒みを放置されたら狂ってしまう……。

 寧女を見守っていた大勢の客たちが一斉に笑った。特に、寧女が痒み剤を塗られていることを知らない

客たちが、やっぱり淫乱奴隷なのだと大きな声で揶揄をした。

 寧女は惨めさに涙が出そうになった。

 

「ほらよ」

 

 温女の手が青く光ったのがわかった。

 

「んぐうう」

 

 股間に衝撃が走った。

 寧女の両脚は、まっすぐに立てという命令を無視して、その場にしゃがみ込んでしまった。

 身体が耐えられなかったのだ。

 なにしろ、痒みの大きい女陰をゆっくりと動かされるのではなく、いきなり肉芽に当たっている部位を最大限度で振動されたのだ。

 

「ひいっ、ひいっ、ひいっ」

 

 周りの客たちの野次を浴びながら、寧女は喰い縛る歯のあいだから苦悶の悲鳴を漏らした。「はい」以外の言葉を封じられてる寧女は、懸命に首を横に振った。

 本来であれば、前屈姿勢の中断は首輪が阻むはずなのだが、寧女の腰は快感で抜けたようになってしまったために、立ちあがることができないでいた。

 

「……ごめん、ごめん、淫乱女の好きな場所はここだったわね」

 

 次の瞬間、肉芽の振動が止まり、その代わりに肛門に入っている張形がうねうねと動き出した。

 

「は、はいっ、ほおおおっ」

 

 寧女は悲鳴をあげた。

 やっとのこと寧女の脚は立ちあがったが、それは張形を動かされている尻を客たちに見せつけるような格好になっただけだった。いずれにしても、菊門についても激しい痒みに襲われていたので、痒みが癒えたのは助かった。

 だが、その代償として、脳髄まで溶かすような愉悦の槍が寧女の全身を貫く。

 寧女は快感に激しく悶える姿をたっぷりと公開させられた。

 そして、やっとすべての股間の振動がとまった。

 

「はあ……」

 

 思わず声を漏らした。

 寧女は脱力した。

 そして、我に返った。

 張形に遊ばれて惨めに快感に悶える姿を大勢の客たち見られたのだ。

 寧女は打ちひしがれた。

 

「お待ちどうさま」

 

 やがて給女が温女の卓に食事を持ってきた。

 肉と野菜と米を炒めたもののようだ。いい匂いが漂ってくる。そういえば、寧女は昨日、いろいろあったので満足な食事をしていない。そのうえ、今日も朝から食べていない。

 寧女の腹が大きな空腹の音を立てた。

 

「あら、やっぱり、お腹が減っているんじゃないのよ。奴隷を飢えさせるのは、奴隷の主人の罪になるのよ。ちゃんと言いなさいよ……。食事をするのね。いつものやつでいい?」

 

「はい」

 

 寧女の口は答えたが、いつものという意味はまったくわからなかった。

 温女はやっと寧女にしゃがんでいいという命令を与えた。恥ずかしい前屈の姿勢の強要を解放された寧女は、すぐに脚を曲げてその場に座り込んだ。

 

「お前の食事よ、奴隷」

 

 温女は自分の口に入っていた咀嚼中の食べ物を空の皿に吐き出した。寧女は、自分の目を疑った。

 

「お食べ。いつもの食事よ。これが好きなのよね。他人の食べかけの食べ物が……。さあ、命令よ。食べなさい」

 

 温女が寧女に意地の悪い口調で言った。

 

「は、はい」

 

 寧女は自分の顔が引きつるのを感じた。

 こんな食べかけの食べ物……。

 しかも、両手が背中で固定されているので、「食べろ」という命令には、犬食いで対応するしかない。

 そんなことできるわけがない。

 しかし、首輪は「命令」をことごとく寧女に無理矢理実行させる。

 寧女の心の抵抗も空しく、寧女の口は温女の唾液混じりの食べ物を犬食いし始めた。

 唾液特有の臭気のあまりの気持ち悪さに吐きそうになる。

 

「温女、俺の口の中の食い物もこいつにやってもいいか?」

 

 隣の席の男が面白がって声をかけてきた。温女が笑いながらそれを許して、寧女にその男の渡したものも口に入れろと命令をした。

 寧女はさすがに涙を流しながら首を横に振った。

 しかし、寧女の口からは「はい」という返事しか出てこない。

 結局、寧女はさらに数名の見知らぬ男たちの唾液混じりの咀嚼物を口にさせられた。

 そして、そのあいだ、温女は寧女の股間にある肉芽と女陰と肛門の突起を代わる代わる動かした。

 寧女は咀嚼物を犬食いしながら、貞操帯の振動の刺激にも悶え苦しまねばならなかった。

 

「奴隷の立場というのがだんだんとわかってきたかい、寧女?」

 

 やがて、温女が言った。

 寧女は黙っていた。

 あまりの惨めさに、口を開いたら泣き出してしまう気がしたのだ。

 やっと、食事が終わった。

 温女は、代金を卓の上に置くと、寧女の首輪から伸びていた鎖を卓の脚から外して手に持った。

 

 温女が立ちあがって、食堂の出口に向かって寧女を引っ張る。

 寧女はびっくりした。

 食堂で下袍を脱がされてそのままだ。

 しかし、抵抗も拒否の言葉も封じられている。足を踏ん張って、外に出るのを拒否することもできない。

 寧女は、下袍なしに食堂の外に出されてしまった。

 

「な、なにすんのよ。こんな格好で歩けないわ」

 

 食堂の外に出ることで、会話の自由が戻った寧女は抗議の声をあげた。

 

「歩けるわ。立派な二本の脚があるじゃない。文句言わずに歩くのよ。命令よ」

 

 温女の「命令」には逆らえない。

 寧女は今度は人通りの多い通りに、下袍なしで、両手を後手に手錠されて、さらに首輪を引かれるという格好で連れ出された。

 たくさんの通行人が奇異の視線を向ける。

 寧女はあまりの羞恥に気を失いそうになった。それだけじゃなく、それに途方もない痒みが重なるのだ。

 寧女は自分は気が狂うに違いないと思った。

 

「心配いらないわ……。もう着いたわ」

 

 だが、いくらも歩かないうちに、温女は一軒の建物の前で立ち止まった。

 

 “孫瑠(そんる)の店”。

 

 そこには、小さな看板があった。

 店らしくはなかったが、入り口の前に二本の柱があり、それを挟んで看板が掲示してあった。

 さっきの食堂からは、奴隷商は眼と鼻の先だったのだ。やはり、あの食堂は、寧女をただ辱しめられるためだけの目的で立ち寄ったのだ。

 寧女は大きな憤りを感じた。

 

「孫瑠婆さん、阿引、遅くなったね。寧女を連れてきたよ」

 

 温女が店の前で大きな声をかけた。

 すると、中から阿引と伊三郎、そして、顔がしわくちゃの老婆が現れた。

 

「おう、温女。確かに遅かったな。商談は終わったぞ。この寧女は、明日の朝にほかの奴隷と一緒に、北州都行きの荷として運ぶそうだ」

 

 阿引が嬉しそうに言った。

 この男は本当に、寧女を奴隷商に売り飛ばしたのだ。

 そう思うと、誰よりもこの阿引に対する憎しみが沸き起こった。道術の影響による大きな恐怖心はあるが、それを怒りが上回った。

 寧女は思い切り、唾を阿引の顔に飛ばした。

 

「な、なにすんのよ?」

 

 阿引は怒るというよりは、呆気にとられたようだ。

 激昂して怒鳴ったのは温女だ。

 すると笑い声がした。

 老婆だ。

 孫瑠婆さんと温女が呼んだ女だから、孫瑠というのが彼女の名なのだろう。

 

「確かに未調教のようだね。まだ首輪に刻んでいる主人のはずの阿引に、それだけのことができるというのは大した気の強さだよ。普通は恐怖心が勝って、抵抗の言葉すら発することはできないものなんだけどね……」

 

「とんでもない、お転婆でな。これでも、剣の達人だ。気をつけてくれよ」

 

 阿引が顔を拭きながら言った。

 

「そうか。まあいいさ……。いずれにしても、これだけの器量なら、十分に高く北州都の奴隷市で入りさばけるよ。なにしろ、あそこでは、北州都の知事が帝都の宰相に贈る祝い金の添え物にするとかで、器量のいい奴隷女を探しているのさ。この女なら申し分はないよ。調教については自分の手でやりたがる客もいるしね」

 

 孫瑠が言った。

 

「よかったじゃないの、寧女。北州都行きどころか、うまくいけば帝都行きよ。性奴隷としては、いきなりの大出世ね」

 

 温女がけらけらと笑った。

 

「あ、あんたらの顔と名は頭に焼きつけたからね。必ず、仕返しにくるわ」

 

 寧女は声をあげた。

 しかし、この場にいた者の全員が、面白い冗談を耳にしたように笑い声をあげた。

 

「じゃあ、まずは、わしの顔を見よ、女。北州都で別の奴隷商に売るまでは、わしがお前の主人じゃ。じっと見るんじゃ」

 

 孫瑠が言った。

 むた、孫瑠の身体が薄っすらと青く光る。

 次の瞬間、今朝、奴隷の首輪を刻まれたときに感じた恐怖心を孫瑠に感じた。

 その代わりに、たったいままで存在していた阿引への恐怖心は完全に消失した。

 

「このうっ」

 

 寧女は温女の持つ首輪の鎖を引き抜いて、阿引に体当たりした。

 阿引が吹き飛んで壁に叩きつけられた。

 両手には後手の手錠がかかったままだが足で十分だ。

 そのまま足で首の骨を折って殺そうと思った。

 転がっている阿引の顔が恐怖に包まれた。

 

「止まらんか、奴隷」

 

 孫瑠が叫んだ。寧女の身体が硬直した。

 

「なんという凶暴さだ。これは驚いたわ。主人を交代した途端に、前の主人を殺そうとするとはな」

 

 孫瑠が驚いている。

 

「なんて女よ」

「大人しくしろ」

 

 寧女の身体を温女と伊三郎が掴んだ。

 どっちにしても、寧女の身体は命令で静止させられている。もう、動かない。

 

「まかり間違って、この女奴隷が逃亡奴隷になったという噂を聞いたら、お前たちは一目散に逃亡するんじゃな」

 

 孫瑠が冗談っぽく笑った。

 殺し損ねた阿引が蒼い顔をしながら立ちあがった。

 寧女は憤怒の視線で阿引を睨んだ。

 

「それにしても、これは、大変なじゃじゃ馬だのう。このまま連れていくつもりだったが、少しは牙を抜いておかんと、道中、危ないかもしれんのう。じゃあ、立ちん坊でもしてもらうかのう。すまんが、中に入れる前に、こいつの手足を拡げて、その二本の柱に手首、足首を縛ってくれるか?」

 

 すると、孫瑠が言った。

 

 

 *

 

 

「は、離してよ……。た、建物の中に入れてよ。今度はなにをさせる気なのよ?」

 

 寧女は喚いた。

 孫瑠の店の前には看板のかかった二本の柱がある。

 ちょうど手足を大きく広げたくらいの間隔なのだが、そこに両手と両足を伸ばして、手首と足首を拘束された。

 抵抗しようにも、孫瑠から大人しくしろと命じられてしまうと、手足が動かなくなってしまうのだ。

 それで手首と足首をしっかりと柱に革紐で結ばれてしまった。

 最初は気がつかなかったが、この柱にはそうやって革ベルトを固定する金具が最初から取り付けてあったのだ。

 それに固定され、奴隷商の店の前の通りに面して立たされた。

 

「も、もう、外は許してよ。中に入れてったら」

 

 寧女は手足を揺さぶったが、とても拘束は外れそうもない。

 

「建物の中に入って、なにをしたいのよ、寧女?」

 

 伊三郎とふたりで寧女を柱に拘束した温女が笑った。

 

「か、痒いのよ……。わ、わかっているでしょう……」

 

 寧女は身体を震わせながら温女を睨みつけた。いまや、局部に塗られた掻痒剤は、怖ろしい苦痛となって寧女に襲いかかっている。

 衆人環境の中で、この痒みをそのままにして身体を拘束されるのは恐怖でしかない。

 

「痒かったらなんなの? もしかしたら、あたしたちの前であんたがせんずりするのを見せてくれるの? まあ、それも面白いけど、今回は道行く人に頼むのね。それか、痒みで狂うかね」

 

 温女は小刀を取り出すと、寧女の上半身を包んでいた汗びっしょりの上衣を切断して取り去ってしまった。寧女の乳房は剥き出しになり、ついに、張形の喰い込んだ貞操帯だけの姿にされてしまった。

 

「な、なにすんのよ」

 

 寧女はあまりの羞恥に悲鳴をあげた。すると、温女に変わって孫瑠が寧女の正面に立った。

 

「生意気な奴隷には、こうやって“立ちん坊”の罰を与えてることにしておる。見知らぬ人間に悪戯されることで、自分がどんなに惨めな存在になったかを自覚させるのじゃ。それよりも、身体をそんなに動かすな。いいと言うまで完全に静止せよ。字が書けんわ」

 

 孫瑠がなにか筆のようなものを取り出した。ただの筆ではなく魔道具のようだ。それを寧女の腹に近づける。

 

「な、なに書こうとしているのよ、糞ばばあ」

 

 寧女は声をあげた。

 だが、意思に反して、寧女の身体はぴくりとも動かなくなった。

 孫瑠に動くなと命令されたからだろう。

 

 それにしても、寧女には、やっと奴隷の首輪の仕組みというのがわかってきた。

 奴隷の首輪は、主人として刻まれた相手の命令に絶対に逆らえないようにする支配具なのだ。

 そして、それは言葉として与えられれば、奴隷自身の意思をまったく無視して、命令のまま身体が動くようになっているようだ。

 それだけでなく、主人として首輪に刻まれた対称に大きな恐怖心を抱くようにするらしい。

 たったいま、寧女は孫瑠に精一杯の悪態をついたものの、本当は震えるくらいの恐怖を孫瑠に感じている。

 

 一方で刻まれる主人が入れ替われば、それ以前の主人の命令には従わなくなるというのもわかった。

 たったいままで、首輪に刻まれていた主人は阿引であり、阿引が温女に逆らうなと命令したために、温女にも逆らえなくなった。

 だが、主人が孫瑠に入れ替わった瞬間に、温女からも阿引からも自由になった。

 おそらく、首輪に刻まれる主人は「ひとり」と定まっているのだろう。

 まあ、それがわかったところで、いまの寧女にはどうしようもないのだが……。

 

「糞ばばあは酷いのう……。わしも長くこの商売をしておるが、主人にそれだけの口をきける奴隷はおらんかったぞ。余程に気が強いのだろうのう。普通は主人には恐怖心がまさって、悪態どころか満足に口もきけんようになるものなのだがな」

 

 孫瑠はそう言いながら、寧女の白い腹に文字を書き続けている。その筆は身体に文字を書く魔道具のようだ。

 

「……さあ、もう動いてよいぞ。じゃあ、しばらくしたら様子を見に来る。行こうか」

 

 孫瑠がほかの者を建物中に促した。

 寧女は、自分の腹に書かれた文字を読んで愕然とした。

 

 

 

 “奴隷調教中。お触り自由”。

 

 

 

 孫瑠は、寧女の裸身にそう書いたのだ。

 

「お、お前ら許さないわよ。ど、どいつもこいつも、絶対に殺してやるからね。か、覚悟していなさい」

 

 寧女は叫んだ。

 憤怒で頭が血が昇って一瞬眼が眩んだ。こんなにも他人に対して殺意を覚えたことはない。いまここで自由になれば、なんの躊躇もなしに、目の前の連中を八つ裂きにできる。

 

「……待ってよ。この調子で道行く人に喚かれても迷惑よ。これを咥えさせるわ」

 

 温女がまたなにかを取り出した。

 それは赤ん坊の拳ほどの大きさの球体だった。

 ただし、球体の表面にはたくさんの穴が開いている。また、その球体には二本の革紐がついていた。

 温女は寧女の口に球体を強引に押し込むと、革紐を頭の後ろで縛った。

 どうやら嵌口具のようだ。

 

「あおっ、あっ、おあ」

 

 寧女は喚いた。

 すると、口に咥えさせられた球体の穴から寧女の唾液が飛び散った。

 だが、唾液の拭きようのない寧女の口は、垂れた唾液をそのまま裸身に垂れ流させるしかない。

 

「ならば、そろそろ痒み剤が物足りなくなった頃だと思うから、少し追加しておくかのう。温女、これを足してくれんか」

 

 孫瑠が温女に筒のようなものを渡した。筒の中になにかの液体が詰まった管のようだ。

 温女は、孫瑠からそれを受け取り、寧女の股間の前に屈んだ。

 そして、まずは、貞操帯の前後の張形を引き抜いた。貞操帯の股の部分に留め具があり、それを捻れば、貞操帯を装着したままでも、張形を股間の穴に抜き挿しできるような構造になっているのだ。

 張形を抜いた場所には穴が開いているらしく、寧女はそこに外気を感じた。

 温女は、そこから液体の入った筒の先の管を挿して、寧女の股間に液体を追加した。

 おそらく、新たな痒み液だろう。

 寧女は口惜しさに顔を歪めた。

 

「ついでよ」

 

 温女は、孫瑠が使った魔道具の筆も受け取って、寧女の片側の腿にさらさらと文字を書いた。

 

 

 

 “淫乱女です。どうぞ、犯して”。

 

 

 

 温女は、さらに文字から股間に伸ばすように腿に矢印を付け足した。

 それを読んで、阿引たちが爆笑した。

 寧女は嵌口具をぎりぎりと噛んだ。

 

「じゃあ、中で茶でも飲むか」

 

 孫瑠が阿引たちに声をかけて、建物の中に入っていった。寧女はひとり残された。

 寧女は、それを茫然と見送るしかなかった。

 ここは大通りからは外れた場所であり、どちらかといえば路地に近いので、行き交う人はまばらだった。

 それでも、すぐに、通りかかる者の中に寧女に好奇の視線を向ける男が数人現れた。だが、寧女が殺気のこもった視線を向けると、気後れしたように彼らは去っていった。

 

 だが、完全放置の時間が長くなるにつれて、次第に股間を襲う地獄のような掻痒感と焦燥感は拡大していった。そして、いつしか、寧女は、あまりの痒みの苦しさに、抜き差しならない状態に追い込まれた。

 ……かといって、道行く者に愛撫をねだるような真似ができるわけがない。

 しかし、もう片時もじっとしていられないほどの痒みなのだ。

 痒みの苦しみが股間を中心に四肢に広がり、それが寧女を追い詰める。

 

「おっ、立ちん坊か?」

 

 そのとき、後ろから声がした。

 通りではなく、軒沿いに歩いていた二人組の男たちだ。

 だから、寧女の背後側から近づくかたちになったのだ。

 

「結構、美人だなあ……。遊んでやろうか、奴隷……?」

 

 寧女は、前に回り込んできた男を睨みつけたが、この男たちは、こういう奴隷の晒しに慣れているのか、少しのたじろぎのようなものを示さなかった。それどころか寧女の顔に口を近づけて、ふっと耳に息を吹きかた。

 

「おおっ」

 

 思わず声をあげてしまった。誰かともわからぬ男に息を吹きかけられて強い侮辱を感じるとともに、ぞくぞくとするような悪寒を覚えたのだ。

 寧女はさらに強い視線で男を睨もうと思った。

 

「そんな怖い目をするなよ」

 

 そのとき、男のひとりが持っていた手ぬぐいのようなもので、不意に目隠しをされてしまった。

 寧女はなにも見えなくなった。

 

「おおっ、おおっ?」

 

 寧女はびっくりして顔を振って目隠しを振りほどこうとしたが、しっかりと頭の後ろで布を縛られてしまって外れない。

 

「ほあっ」

 

 次の瞬間、寧女は声をあげていた。

 男の手がすっと尻たぶ触れたのだ。

 それだけのことだったのに、異常な衝撃を感じた。

 目隠しされてしまったために、身体の感覚が敏感になったためだと思った。さらに、もうひとりの男が前側から寧女の太腿にも触れてきた。

 ふたりの男が前後から左右の内腿のぎりぎりのところを触ってくる。

 

「ううっ」

 

 寧女はまた声をあげた。

 嵌口具のために口が閉じられないので、声が漏れやすいというのもあるが、男たちに触られたとき、異常なまでに熱い身体のおののきが寧女を包み込んだのだ。

 認めたくはなかったが、羞恥責めと痒み責めに襲われ続けた寧女の身体は、どうやらいまのようなはっきりとした愛撫を待ち望んでいたようだ。

 寧女は好色な手つきで前後から股間に身体を這わせてくる手の刺激に、断続的な吐息を漏らし続けた。

 そのとき、前側の男がさらに寧女の身体に近づいたのがわかった。寧女の勃起した乳首の先が男の身体にすっと触れた。

 

「おぐううっ」

 

 寧女は嵌口具越しに絶叫した。大量の涎がそれとともに弾き飛ぶのがわかったが、それはもうどうでもよかった。痒み剤を塗られてずっと放置されていた乳首はおそろしいほどの敏感な場所になっていた。男の身体がそこに触れた瞬間、稲妻にでも打たれたような衝撃が寧女を襲った。

 それから先は我慢できなかった。

 寧女は痒みを癒すために、乳房を男の身体に擦りつけていた。

 

「おっ、いきなり、積極的になったなあ」

 

 前側の男が笑った。

 それでも自制できない。

 全身を痺れさせる歓喜が迸る。寧女は声をあげていた。

 我慢などできるものではなかった。擦れば擦るほど、脳天を突き抜ける愉悦が走る。

 寧女はもはや、狂ったように懸命に胸を男に擦り続けた。

 

「だったら、こっちはどうだ?」

 

 後ろの男が手のひらをぴたりと尻たぶにつけた。

 

「うぐうっ」

 

 寧女はその手にお尻の穴の部分を擦るように動かした。肛門が痒いのだ。

 貞操帯に覆われているが、そこに近い部分を擦れば少しは痒みが癒える。

 寧女は身体を震わせた。

 

「最初はお堅い奴隷なのかと思ったけど、一皮剥けば淫乱の変態奴隷か? 確かに身体に落書きされている通りだな」

 

 後ろの男が貞操帯の穴からぶすりと指を肛門に挿し込んだ。さっき、温女が張形を抜いた部分の穴が開いたまま放置されていたのだ。

 

「んんおおおっ」

 

 寧女は吠えた。

 恥も外聞も吹き飛んだ。

 もうどうでもいい。

 全身が溶ける愉悦に寧女は失神しそうになった。ふたりから与えられる喜悦は寧女の五体を蕩かしてしまうように気持ちよかった。

 

「前の穴もほじってやろう……。どうだ? おうおう、熱いなあ。しかも、喰い締めてくるぜ。この女奴隷、随分と欲しそうだなあ」

 

 今度は前側の男が、貞操帯の穴を使って、女陰に指を挿し込んだ。

 

「おおっ」

 

 あまりの気持ちよさに寧女はほとんど泣き出さんばかりだった。

 指を挿し入れられて痒みが消失していく。それはまるで魂が揺さぶられような快感だった。寧女の強い自制心で耐え抜いていたものの、痒み剤でいたぶられ続けた局部はそれだけ限界だったのだ。

 いつの間にか、寧女は自分から腰を動かしていた。

 寧女はむさぼるように、前後の穴に入れられた指を利用して股間と菊門の痒みを癒し、乳房を前側の男の身体に擦りつけた。

 視界が遮られているのが、それだけの大胆さを寧女に与えたのかもしれない。道端でこんな狂気のような痴態を晒している寧女をほかにの通行人はどんな風に眺めているのだろうという思いは頭をよぎったが、目隠しはそれを忘れさえてくれもする。

 それにしても、むず痒さが癒されて、甘美感に変化するのはなんという快感なのだろう。

 

「淫乱な奴隷だ。これをやるぜ」

 

 次の瞬間、信じられないことが起きた。

 いきなり、指が引き抜かれて、股間に怒張が貫いたのだ。

 ここは完全な屋外であり、しかも、明らかにほかにも通行人がいるような場所だ。

 そんな場所で、この男たちのひとりは寧女の股間に肉棒を貫かせたのだ。

 

「おごおおっ」

 

 もう考えることはできなかった。

 前側の男の腰が揺れ出した。

 

「じゃあ、お付き合いというか」

 

 後ろの男の苦笑交じりの声が聞こえた。

 すると、前の男の律動の揺れに合わせるように、ゆっくりと菊座にも怒張が滑り込んできた。

 

「おお、おおっ」

 

 寧女は声をあげた。

 

「そんなに吠えるなよ。ここに何人集まっていると思っているんだ?」

 

 前の男が苦笑したのがわかった。

 だが、もう寧女の理性は吹っ飛んでいた。

 

「ほおおおっ」

 

 あっという間にやってきた絶頂の迸りに、寧女は嵌口具をつけたまま悲鳴をあげて全身を震わせた。

 

「おおっ、もう達したのかい? し、しかし、こいつは凄い締めつけだ。や、やべえっ」

 

 前の男が唸った。

 慌てて肉棒を抜くような仕草を示したが、寧女の女陰がその男の怒張を股で喰い締めていたようだ。

ぶるぶると寧女の股間の中で二度三度と肉棒が震えて、精が中で迸ったのを感じた。

 

「こっちもいくぜ」

 

 前の男の律動と合わせて尻穴の律動を続けていた後ろの男が言った。そして、尻穴の中でその男が精を放つのがわかった。

 

「ちっ。俺としたことが、呆気なく搾り取られてしまったぜ。それにしても、股の締めつけも、吸い込みもすげえぞ」

 

 ふたりの男が離れた。

 寧女はほっとした。

 だが、それは束の間だった。

 明らかに別人と思われる男が、前の男と入れ替わるように、肉棒を寧女の股に挿し込んできたのだ。

 拒否しようと思ったができなかった。

 物理的に拘束されていて逃げようがないというのもあるが、股間を貫いた男の性器の気持ちよさに、目も眩むような快感が走ったのだ。

 寧女は全身を震わせて、喜悦に身体を震わせた。

 

 

 *

 

 

「おうおう、行列ができてしまっておるぞ。あれでは夕方までも解放されることはないだろうのう」

 

 孫瑠が窓の外を眺めながら愉しそうに笑った。

 阿引は外で裸身を晒させている寧女を窓越しに眺めた。

 最初こそ、なかなか寄ってこなかった通行人も、最初のふたりが前後から犯したのをきっかけとして、いまは十人くらいの順番待ちの行列ができている。

 一度射精をした男も、すぐに後ろに並んでいるようだから、しばらくは途切れることもなさそうだ。

 それどころか、だんだんと集まってくる男が多くなるような気配だ。

 

「それにしても、激しい乱れ方だなあ。あんなに淫乱な女だったか?」

 

 阿引は首を傾げた。

 寧女を久しぶりに抱いたのは夕べだったが、あれ程あからさまに快感を示すようなよがり方はしなかった。

 しかも、完全な道端だ。

 寧女は、本当に自尊心が強い女であり、公衆の場で犯されてあんなに乱れまくるような女ではないはずだ。

 

「ははは……。あんなに快感に狂うのは仕掛けがあるのじゃ。最後に温女が寧女の女陰に抽入した液剤は、ただの痒み剤ではないのじゃ。“狂い油”といって、強力な催淫剤じゃ。あれを注ぎ込まれれば、どんな女でも我を忘れて狂うというとっておきの媚薬じゃ。それをあれだけ注いだのじゃ。おそらく、息の根が止まるまで、腰を振り続けるであろうのう」

 

 孫瑠が嬉しそうに笑った。

 阿引は納得した。それであんなに壊れたように悶え狂っているのだ。

 

「しかし、いいのか? これから北州都に運んで売るつもりの奴隷だろう? あんなに大勢の男に犯させたら値打ちがさがるのではないか?」

 

 阿引は言った。

 

「構わん。処女じゃあるまいし、価値など同じじゃ。たとえ、膣が擦り剝けても道薬で癒せる。処女同様に綺麗なものにも戻せる。それよりも、あんなによがりまくれば、自分の身体には、きっと淫乱な血が流れているだのと思い込むじゃろう……。また、媚薬のためだとはいえ、一度味わってしまった快感は忘れられんものじゃ。その快感を求めて、身体が悶え狂うようになる……。自然と性奴隷として相応しい淫乱さを身に着けていくことであろうよ」

 

「成程なあ」

 

 阿引は感心した。

 

「とにかく、明日には北州都に必ず運んでよね、孫瑠。あの女の顔なんて、二度と見たくないのよ」

 

 温女が言った。

 

「やっぱり、妬いているじゃないですか、温女姐さん」

 

 伊三郎がからかいの声をあげた。

 

「そんなんじゃないと言っているでしょう」

 

 温女が怒鳴った。

 その表情がなんとなくおかしくて阿引は笑ってしまった。

 

「じゃあ、俺たちはそろそろ戻るよ、孫瑠」

 

 阿引は、温女と伊三郎に支度をするように促した。

 

「また、いい出物があったら頼むわい。それにしても、あの寧女は、性奴隷として化けるぞ。磨きあげれば超一級の性奴隷になると思うわい。まあ、北州都まで腕によりをかけて、淫乱に仕上げてやるわ……。いずれにしても、おそらく、北州都の知事が寧女を買うだろうと思う」

 

「北州の知事が宰相に贈り物をするとか言っていたか?」

 

「まあな。義理の父である帝都の宰相の誕生祝いとかで、金両を五千枚を作らせたのだそうだ。さらに、それに添える性奴隷を数名探しておるということだが、まだ眼鏡にかなう女奴隷には行き当っておらんらしい。だが、あの寧女なら滅多に出んほどの美貌だし、なによりも気品もある。間違いなく、高い値で購うじゃろうて」

 

 孫瑠は満足そうだ。

 

「気品なんかあるか?」

 

 阿引は外で見知らぬ男たちに犯されて、狂ったようによがっている寧女に目を向けながら言った。

 

「お前にはわからんだけじゃ。まあいい。とにかく、今回はよい買い物をさせてもらった。感謝するぞ」

 

 孫瑠がほくほく顔で言った。

 阿引としても満足だ。今回は元手はまったくかかっていない。

 ただ、たまたま再会したかつての婚約者を闇奴隷にしたてて売り飛ばしただけだ。

 濡れ手に粟のいい商売だ。

 

 だから、闇奴隷狩りは辞められない。

 阿引は腰をあげた。



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第17話  善良な小役人の秘密
53  李安石(りあんせき)、人妻を騙して金と身体を奪う


 いつもの家に入ると、すでに李安石(りあんせき)が待っていた。

 

 この建物は、もともとは廃屋らしく、しばらくは誰も住んでいなかったが、鈴玉|(りんぎょく)と李安石の逢瀬が重なるにつれ、金子を受け渡す場所に困るようになり、李安石が適当な手続きをして、家主から借りたもののようだ。廃屋といっても、椅子と卓があり、寝台もある。

 李安石が下女も雇っていて、次の約束の前には、その下女がこの廃屋を清潔な状態に戻すことになっているようだ。

 

「どうだ? 金子の算段はできたか、奥さん?」

 

 李安石が言った。李安石は部屋の真ん中にある寝台に腰かけていた。

 鈴玉は、自分の顔から血の気の引くのがわかった。鈴玉はこの男が嫌いだ。生理的に受け付けないといっていい。だらしなく太っていて脂ぎっている。

 だが、役人のわりには武芸に秀でていて、剣の達人なのだという。

 そして、運城(うんじょう)の裁判所の役人であり、夫の鈴義(りんぎ)の強制労働の収容場送りの文書の手続きをした男だ。

 鈴玉は、李安石を見て、思わず顔を強張らせてしまった。

 

「これだけです……。残りは必ず……。た、ただ、お話が……」

 

 鈴玉は鞄から麻袋を出した。

 この一箇月で血の滲むような思いで集めた金子が入っている。李安石はそれを受け取ると、袋を開いてさっと中身を見た。

 

「小さな銭ばかりだな。銀両もねえのか……。これを全部集めても、金両一枚分もないんじゃねえか? まあいいや。一応は金両一枚分と数えてやるよ。しかし、全部で金両十枚だ。それだけあれば、お前の愛する夫は強制労働から釈放されて、また、ふたりで暮らせる。前にもらった分と合わせて、これで金両五枚分というところだな。まだ、金両五枚分が足りねえな」

 

 李安石は麻袋を閉じると無造作に床に置いた。

 そして、鈴玉を寝台に導いて、李安石の隣に座らせた。

 

「必ず、金子は作ります。で、ですから……」

 

「ですから、なんだ……? この一箇月死ぬほど働いても、これくらいしか稼げなかったんだろう? だから、この前、俺が言っただろう。あんたほどの美貌なら、身体を売った方がいいとな。娼家以外で身体を売るのはご法度だが、まあ、その辺りは俺がなんとかしてやる」

 

「そ、そんな……」

 

「一回で銀両一枚として十人に身体を売れば、金両一枚だ。まあ、仲立ちをする俺の手間賃や客の紹介料もあるから、お前の取り分は半分だ。ざっと百人ほどに抱かれれば、夫を助けるための残りの金貨代になるさ」

 

「あ、あたしは娼婦じゃありません。あ、あたしには鈴義という夫が……」

 

「その鈴義を強制労働の収容所から出すために、俺に股を開いたんだろうが。それに、あそこは酷いところだぞ。囚人が死ぬなんていうのは日常茶飯事だ。あんたがこうやって、のうのうと城郭で生きているあいだにも、あんたの旦那は死ぬかもしれない。だったら、一番早く金子を稼ぐ方法を選んだ方がいいんじゃねえか?」

 

「ああああ」

 

 鈴玉は哭き伏して、その場にしゃがみ込んでしまった。

 しかし、その鈴玉に冷ややかに、李安石が声をかける。

 

「まあいいや……。それはあんたの勝手だしな。とにかく、俺は金両で十枚分の金子をあんたが準備できた段階で、あんたの亭主を外に出す手続きをしてやる。なあに、簡単なことだ。収容所から釈放しろという書類をちょっと細工して、あんたの亭主の名を差し込むだけのことだからな。まあ、身体で稼ぐ気になったら声をかけてくれ。次は半月後だ。じゃあ、利子の分を払ってもらうか。服を脱ぎな」

 

 李安石は荒縄を取り出した。

 鈴玉ははっとした。

 そして、嫌悪感に毛が粟立つのがわかった。

 しかし、抱かれなければならないのだ。

 

 さもなければ、愛する夫を助ける手段が消滅する……。

 この男を肉の関係になって半年が経つ。

 それはまったくの晴天の霹靂だった。

 それまで鈴玉は、鈴義という夫と二人暮らしであり、鈴玉は小間物屋で働き、革細工の職人だった。

 鈴義とは幼馴染であり、年頃になるとお互いを異性をして意識するようになり、ごく自然に夫婦になった。

 ふたりともすでに身寄りもなく、貧しい者同士だったが、一生懸命に働くことで、なんとか暮らせるだけの家を手に入れて、質素だが幸せな生活をしていた。

 

 その鈴義が突然に盗みの罪で捕らわれたのだ。

 鈴義が作業場にしている工房は、ふたりの家から歩いて少しのところにあったのだが、その途中にある家屋に侵入して、鈴義が金子を盗んだのだというのだ。

 金子が盗まれた家は留守で盗人を見た者はいなかったのだが、家の中に鈴義が仕事で使う道具が落ちていたらしい。

 それが動かぬ証拠となり、鈴義は捕えられた。

 まるでわけがわからなかった。

 

 鈴義は正直者であり、そんなことをする人間ではないことは鈴玉がよく知っている。

 鈴義も罪を否定した。

 だが、裁判の結果、鈴義は盗みの罪で、官営の炭坑における強制労働になった。

 あっという間のことであり、鈴玉は呆然としてしまった。

 

 そんなときに、突然にやって来たのが役人の李安石だった。

 李安石は、鈴義の裁判資料を整理した文書係の役人なのだそうだが、資料を読んで鈴義は無実だと確信したのだそうだ。

 それで、城郭から強制収容所に発する文書に、鈴義の釈放を指示する文書を紛れ込ませてやろうと持ちかけてきたのだ。

 

 そんなことができるのかと驚いたが、別に難しくはないらしい。

 県令の印のある釈放指示の名簿に、鈴義の名をこっそりと付け足すだけのことであり、同じようなことを何度もしたことがあると言われた。

 

 鈴玉は藁をも掴む思いで、李安石にそれを頼んだ。

 だが、それをしてもらうには金両で十枚分の金子が必要だと言われた。

 あちこに口止めをするための賄賂でもあり、それがなければ助けられないとも説明された。

 

 鈴玉はびっくりした。

 鈴義と鈴玉は、ほとんどその日暮らしをするだけの貧乏な暮らしだ。金両十枚などあり得ない額だった。

 それでも金子に変えられるものは変え、事情を説明して借金もし、やっと金両で三枚分を集めた。

 鈴義はそれは受け取ったが、不足分を待つ代償として身体を求められた。

 鈴玉はそれを受け入れるしかなかった。拒否しようとしたら、今度は逆に、鉱山の収容所から流刑場に送る名簿にに鈴義の名を混ぜると言われたのだ。

 

 流刑場にいけば、道術の首輪を装着されて、しっかりと管理されるし、場所は滄州だ。管轄が州都になるので、城郭の行政府の文書で釈放されるということはない。

 そうなれば、少なくとも十年は出られないと脅された。

 

 鈴玉は李安石に抱かれた。

 それから鈴玉は、昼の小間物屋の仕事に加えて、夜の料理屋の仕事とさらに内職を始めた。

 死ぬ思いで金子を稼ぎ、李安石が訪ねてくるたびに、貯まっていたものを少しずつ鈴義に渡した。

 そして、その都度、この李安石に抱かれたのだ。

 震えるほどの嫌悪感だったが、鈴義を助けるためだと自分に言い聞かせた。

 鈴玉には、ほかに方法もなかったし、頼れる者もいなかった。

 

「さあ、服を脱ぎな、奥さん。そして、両手を背中に回すんだ」

 

 李安石は縄をしごきながら言った。

 鈴玉は歯噛みした。

 この男は、嗜虐の癖があり、女を縛って抱くのが好きなのだ。だから、李安石に身体を提供するたびに鈴玉は縛られた。

 鈴玉は唇を震わせた。

 縛られてしまえば、どうなるかを嫌というほどに思い知っている。

 そのときの気も狂うような羞恥と、屈辱……。

 だが、そこから湧き起こる痺れるような快感……。

 今日も、それをされるのだと思うと気が遠くなる。

 

「も、もう、嫌です。勘弁してください。お、お願いですから、すでに渡したものだけで、鈴義を助けてください」

 

 鈴玉は感極まって叫んだ。

 

「それはできねえな。助けたければ、言われた金子を集めることだな。さっきも言ったろう。抱かれる男を紹介してやる。それで手っ取り早く稼げるさ。なっ、そうしろ。百人なんて、日にひとりずつでも、三箇月で稼げる額だ。三箇月間、死んだ気になって抱かれ続ければ、鈴義は生きて戻れるんだ。そうしたら、ふたりでどこか別の城郭で暮らせばいいだろう? なにもかも忘れてな」

 

 李安石が鈴玉を抱きすくめた。

 

「ま、待って、話を聞いてください。も、もうできないんです」

 

 鈴玉はもがいた。

 

「どうしたんだよ? この前は、俺に抱かれて、ひいひいと悶えまくっていたくせによ、奥さん」

 

「だ、だから、話を聞いてと……」

 

 鈴玉はさらにもがいたが、男でも力の強い李安石にはかなわない。簡単に押し倒されて、上衣の襟に手をかけられた。

 

「こ、子を宿したんです。お腹に子が」

 

 鈴玉はついにそれを叫んだ。

 身体に覆いかぶさっていた李安石が、びくりと身体を静止させた。

 

「こ、子供だと?」

 

 李安石は呆然としている。

 

「宿してしまったんです……。ああっ……。あたし、どうしたらいいんですか?」

 

 鈴玉は耐えていたものが崩壊して泣き出してしまった。

 宿してしまったのだ……。

 鈴義の種ではない子を……。

 すでに、もう下腹部が目立つほどに膨らんできている。男である李安石はこれだけ鈴玉を抱きながら、鈴玉の身体の変化には気がつかなかったようだが、鈴玉は随分前から気がついていた。心では否定をしようとしていたが、もう、自分で自分を騙すことのできない状態になった。

 それでついに李安石にそれを訴えたのだ。

 

「子って、俺の種か……?」

 

「あ、当たり前です。あたしは、どうしたらいいのでしょう?」

 

 もう取り返しがつかないという思いはある。たとえ、鈴義が収容場から出されても、妻としてはいられないだろう。

 だが、せめて鈴義を助けたい……。

 いまは、それだけの思いだった。

 

「そうか、俺の子か……。わかったよ……。悪いようにはせん。こうなったら、腹を括ったさ。鈴義のことはなんとかしよう」

 

 すると、李安石がにっこりと笑いかけてきた。

 

「ほ、本当ですか?」

 

「ああ、本当だ……。今度、収容場から釈放する名簿の文書が俺のところに回ってきたら、そこに鈴義の名を加えてやる……。約束しよう……」

 

「あ、ありがとうございます。ああ、う、嬉しいです……」

 

「ああ……。だったら、これが最後ということだな。じゃあ、これで終わりにしてやるから、さっさと服を脱ぎな」

 

 鈴玉はびっくりした。

 

「だ、抱くのですか?」

 

「当たり前だろう。それとも、無理矢理に服を破かれたいか? 俺はそれでもいいが、服を破られたら、帰るときに困るんじゃねえか」

 

 再び険しい表情になった李安石が、声を荒げて言った。

 もう、観念するしかないと鈴玉は思った。

 それに、これが最後なのだ。

 これさえ終われば、もう、この男に抱かれる必要はなくなる……。

 

「わ、わかりました……。だから、これを最後に……。そして、鈴義のことは……」

 

 鈴玉は覆いかぶさっている李安石を押しのけるようにして立ちあがった。

 もう、鈴玉は李安石の方を向いていはいない。

 どんどんと服を脱ぎ、胸巻きを外し、ついには、股布も外して椅子にかけた。

 そして、寝台に戻って、両手を背中に回して李安石に背を向ける。

 

「しかし、本当に子がいるのか? 綺麗な身体じゃねえか……。だが、そういわれてみれば、ちょっとばかり腹が膨らんでいるか?」

 

 李安石がからかうような声をかけた。そして、鈴玉の手首を縄で縛って腕に巻き、乳房の上下にも縄を回して、きつく締めあげた。

 李安石はまだ服を脱いではいない。

 鈴玉は寝台に押し倒された。

 次いで李安石は、鈴玉の両脚を大きく開かせて足首に縄をかけ、寝台の隅に結んだ。鈴玉は脚を開いたまま動かせなくなった。

 

「あ、あの……。お、お腹に赤ん坊が……」

 

 鈴玉は当惑して言った。

 

「それはさっきも聞いたぜ。心配しなくても、鞭で打ったり、殴ったりはしねえよ。ただ、蝋燭くらいは大丈夫だろう? それに、間違って流れれば、それはそれでいいんじゃねえのか? それとも、夫の子じゃなくても、やっぱり産みたいものなのか?」

 

 李安石がせせら笑った。そして、鞄から蝋燭を取り出した。ほかにも張形を準備して、それにたっぷりと潤滑油をまぶした。その潤滑油は強い媚薬採用のあるものだということを鈴玉は肌で知っている。

 李安石は、媚薬を塗った張形を右手で持ち、火をつけた蝋燭を左手で持った。

 こんな男の子を産みたいかと問われれば、冗談ではない。

 

 しかし、子を流したいかと問われれば、それは複雑だ。

 鈴義ではなく、この李安石の子を宿したと知ったとき、すぐに鈴玉は自分で腹を打って子を流すことを考えた。

 だが、できなかったのだ。

 自分の腹に宿した命だ。

 無碍に殺したくなどない。

 

「ほらっ、もう、この熱さも快感になってきただろう?」

 

 李安石が火をつけた蝋燭の蝋を鈴玉の乳房に落とし始めた。片膝で鈴玉の肩をしっかりと押さえているので、鈴玉は垂蝋から逃げることができない。

 

「あ、熱いあ、熱うっ」

 

 鈴玉は悲鳴をあげて身体を震わせた。

 

「ほら、もう乳首が勃ってきたぞ。この熱さが快感に変わってきただろう? お前の身体が反応しているのがわかるぞ……。そら、こっちはどうだ?」

 

 蝋が鈴玉の裸身にぽたぽたと落ち続ける。

 

「や、やめてください。あ、熱いいいっ」

「待ってな。いつものように、もっと、気持ちよくしてやるからな」

 

 李安石は乳房に蝋を垂らしながら、張形を鈴玉の股間に這わせた。さらにゆっくりと張形の先で揉みあげ、肉芽や女陰の入り口をこねまわしてくる。

 そうやって、蝋燭の熱さと張形の快感を同時に与えるのが李安石の好きな責めだ。鈴玉は熱さの苦しみと、張形で揉みあげられる甘美感に身体が対応できなくて悶え泣いた。

 蝋燭はだんだんと腹に近づいてくる。

 そして、臍の下に移動し、さらに腹部にも垂蝋が落ちてきた。

 

「そ、そこは堪忍してください。あ、熱い。そ、そこは駄目です」

 

 妊娠で少しだけ膨らんでいる下腹部にも、李安石は容赦なく蝋を落としてきた。

 

「そうだったな。だが、おまんこはひくひくしてきたぞ。勘弁して欲しければ、張形を自分でおねだりしてみろ。そうすれば、腹に蝋を落とすのは勘弁してやろう」

 

 李安石が笑った。

 

「い、いやあ。して、してください。お願いします」

 

 鈴玉は必死で声をあげた。

 

「もっと、ちゃんと言いな」

 

「ああ、その道具を鈴玉のおまんこに挿して。だ、だから、蝋は許して」

 

 鈴玉は言った。

 李安石は満足したように、蝋燭を卓の上の燭台に戻した。

 

「まずは、張形で気をやってもらおうか。次は俺の肉棒だ」

 

 李安石が笑いながら張形を深く女陰に押し込んできた。

 

「ひぐううっ」

 

 鈴玉は悲鳴をあげて、緊縛した身体をのけ反らせた。

 

 

 *

 

 

 すでに五刻(約五時間)はすぎた。

 明るかった外はすっかりと夜になっていた。

 いまは、卓の上にある蝋燭の火が部屋を明るく照らしている。

 李安石は呆けたように寝台に横になっている鈴玉の裸身を眺めた。

 

 すでに縄は解いているがすぐには動けないようだ。

 なにしろ、これが最後だと思ったから、つぶす勢いで抱きまくった。

 この鈴玉と最初に遭ったのは、半年よりも少し前のことだった。

 城郭で見かけて、鈴玉の美貌が気に入り、すぐに人妻であることを知った。

 だから、ちょっとした罠で夫を罪人に仕立てあげて、強制収容所送りにしてやり、鈴玉に声をかけた。

 夫を助けたい心につけこんで、身体を奪ってやったのだ。

 

 夫を収容所から出すことができると仄めかすと、鈴玉はすぐに諦めて股を開いた。

 簡単なことだった。

 そうやって半年間遊び続けた。

 なかなかのいい女だったが、そろそろ飽きてきた。

 だから、身体を売らせて、もうひと稼ぎしてから捨てるつもりだったが、李安石の子を孕んだのだという。だったら、これで終わりにしようと思った。

 なんで避妊薬を飲まなかったかは知らんが、まあ、それすらも節約したかったのだろう。馬鹿な女だ。

 

 妊娠してしまったのでは身体では稼げないし、そろそろ潮時だったのだ。

 鈴玉の裸身には、おびただしい嗜虐の痕が残っている。

 全身には李安石が口で吸って作った無数の印が残り、あちこちに白い蝋がこびりついている。開き切った股間からは李安石の白濁の液が滴っていた。

 

 考えてみれば、呼び出すたびに、なけなしの金子をむしり取っては、さらに、こうやって抱き潰して大量の精を注ぎ込んだのだ。

 孕むのも当たり前だろう。

 まったく、避妊の薬草もあるのに、少しでも早く金子を作ろうとして、避妊薬をけちったのだろうが、まあ、そういう意味では自業自得だ。

 こちらとしては、いい迷惑だ。

 

「あっ……はあ……」

 

 口から泡を噴いたような痕さえつけていた鈴玉が身体を身じろぎさせた。

 ほとんど失神状態だったが、やっと意識が戻ったようだ。

 

「……あ、あの……、どうか、鈴義のことは……」

 

 鈴玉が身体を起こしながら言った。

 李安石はすでに身支度を終わって、鈴玉を責めた淫具などを鞄に詰めていた。

 この鞄のものは、ほかの女を抱くときにも使うので、この家に置いていくつもりだ。

 麻袋に入っている金子だけは持って帰ろうと思って手に持っている。

 

「ああ、そのことだがな。あんなのは嘘だ。いくらなんでも、ただの文書役人の俺が県令の印のある文書に細工をできるわけがないだろう。そりゃあ、無理というものだ。金両が十枚どころか、百枚あっても無理だ。お前の身体が抱きたかったから騙しただけのことでな……。まあ、悪く思うな。人生の授業料だと思って、払った金子は諦めろ。それと、赤ん坊は知らねえからな。産むなり、殺すなり、好きにしてくれ。じゃあな」

 

 李安石は出口に向かいかけた。

 鈴玉は一瞬だけ唖然としていたが、慌てたように裸身のまま前に立ちはだかった。

 

「ま、待って。いまのはどういう意味なのですか? まさか、本当ではありませんよね。鈴義を助けてくれるんでしょう? 収容場からの釈放を指示する文書を偽造してくださるんでしょう? ねえ、そう約束しましたよね?」

 

 鈴玉は必死の表情だ。

 なにを言われたのか、まだ半分も理解できないだろう。

 その表情が李安石はなんだか可笑しくなった。

 

「だから、そんなことはあり得んと言っただろう。本当に俺の目的は、最初からお前の身体だけだったのだ。それ以上のことはない……。騙されたと訴えたいなら、どこにでも訴えていいぜ。役所は相手にせんし、第一、役人に賄賂を使うのは重罪だ。訴えれば、お前も罪になるがな」

 

 李安石は笑った。

 そして、鈴玉の身体を横に押しのけた。

 

「だ、騙したということ? 騙したのね? 最初から全部が嘘? そんな、そんな、そんな……」

 

 鈴玉の膝ががくりと落ちた。

 李安石は出口に向かった。もう、振り返らなかった。

 これで、鈴義を罪に落としたのも李安石の仕業だと教えたら、この鈴玉は口惜しさで発狂するかもしれない。そう思うと、無性にそれを教えたくなった。

 

 女が屈辱や口惜しさで泣く顔が李安石はなによりも好きなのだ。

 そのとき、いきなり後ろから腰を掴みかけられた。

 

「この人でなし人でなし。なにもかも嘘だっただなんて、そんなこと許されるわけないでしょう。鈴義を戻して。お願いだから、鈴義を解放して」

 

 鈴玉だった。

 すごい力で李安石の胴体にしがみついている。

 李安石は強引に鈴玉の身体を自分の身体から剥がすと、思い切り頬を引っぱたいた。

 鈴玉は横倒しに倒れた。

 

「何度も同じことを言わせるな。お前は騙されたのだ、鈴玉。それよりも、いい身体だったぞ。どうせ、亭主は戻っては来ないから、身体が疼いてどうしようもなくなれば抱かれに来い。ただで抱いてやろう。それとも、仕返しに殺してきてもいいぞ。俺はこれでも武術は極めている。俺を殺すなど無理だとは思うがな。まあ、いつでもかかってこい」

 

 李安石は大笑いしながら家を出た。

 外に出ても、家の中から鈴玉の激しい慟哭が聞こえ続けていた。



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54  宋江(そうこう)晁公子(ちょうこうし)から賄賂を受ける

 宋江(そうこう)の怒張が葉芍(はしゃく)の肛門の中にゆっくりと沈んでいくのを感じた。

 

「ほあああっ」

 

 葉芍はあられもない声を発して、縛めをされている身体をのけ反らせた。

 

「そんなに気持ちがいいのか、葉芍? すっかりと尻で欲情するようになったな。淫乱な雌犬め」

 

 宋江が嘲笑うように言った。

 葉芍は後手に縛られた身体で膝立ちをしてうつ伏せになり、尻を高くあげる姿勢をとらされている。

 その尻に宋江が肉棒を貫かせてくれているのだ。

 葉芍はあまりの快感で泣きそうだった。

 まだ律動は始まっていないが、すでに葉芍は激しく燃える欲情に巻き込まれていた。

 そして、宋江の怒張が深く肛門深くに入ってきた。

 それにつれて、全身を大きな波の愉悦が駆けあがる。

 葉芍は大きな声をあげた。

 

「ほら、すっかりと飲み込んだぞ、雌犬。いつものようにねだれ。浅ましく俺に求めてみろ」

 

 宋江が蔑むような口調で言った。

 

「ああ、葉芍はいやらしい雌犬です。どうか、雌犬の尻穴にお慈悲をお願いします、旦那様」

 

 葉芍は言った。

 すると、宋江が満足したような笑い声をあげた。

 その笑い声はまさに嗜虐に酔っていて、ぞっとするような冷酷な響きがある。

 だが、これは演技だ。宋江はこうやって、葉芍を汚く罵りながら犯すように性交するのが好きなのだ。

 葉芍も宋江が快楽に酔っているのだと思うと嬉しくなる。

 宋江が怒張を抜き始めた。律動を開始したのだ。

 

「ほら、狂え、雌犬」

 

「狂います。ほ、本当に狂ってしまいます、旦那様」

 

 葉芍はあまりもの歓喜でついに泣き叫んだ。

 体内に渦巻いていた欲情が一気に強い快感となって全身に燃え拡がる。

 脳髄からつま先まで喜悦が駆けまわる。

 なんという快楽だろうか。

 そして、なんという幸せだろうか。

 震えるような淫情に襲われながら葉芍は思った。

 

 いまは、荒々しく葉芍を扱っている宋江も、嗜虐の性交が終われば、憑き物が落ちたかのように優しくなる。

 葉芍のような女など抱き捨てて終わればいいのに、宋江はいつの間にか葉芍を正式の妻として役所に届けをしたようだ。

 嬉しかったが怖ろしくもなった。

 宋江のような立派な役人が、橋の下出身の葉芍を妻にするなど、あり得ていいことではないのだ。

 幸せすぎて怖い。

 そんな思いは生まれて初めてだった。

 もう、いつ死んでも悔いはない。

 そんな風にまで思った。

 

「はうううっ」

 

 葉芍は雄叫びをあげた。

 宋江の怒張が一度抜けかけるところから再び挿入を開始したのだ。

 怒張が抜けるときの深い快感に、挿入されることによって得られる強い快感が重なる。

 すでに葉芍は限界だった。

 まだ数回の律動を与えられただけだが、あと数瞬後には間違いなく絶頂する。それを自覚した。

 もう、なにもいらない。

 この五体を揉み抜かれる欲情。

 心から尊敬して愛している男に身体を犯してもらえる悦び。

 そして、これほどまでに全身を突き抜ける快感。

 ほかに欲しいものなどあり得ない。

 葉芍ほど運のいい女がほかにいるわけがない。

 

「はうううっぐううう」

 

 歓喜に打ち抜かれた葉芍は、絶頂の激しく身体を震わせた。

 それでも快感は止まらない。

 二度、三度と絶頂の波が襲いかかる。

 葉芍は陶然となりながら歓喜の声をあげ続けた。

 

「まだだぞ、葉芍。何度果てようと構わんが、俺が満足するまで失神は許さん」

 

 宋江が葉芍の菊門を突きながら声をあげた。

 葉芍は激しい快感に吠えながらも、宋江が満足するまで意識を保つのだということを懸命に自分に言いきかせた。

 

 

 

 

 宋江は交合の疲労で寝息をかいている葉芍の縄を解いた。

 完全な失神状態にある葉芍を眺めていると、少々やりすぎたかなという思いになる。

 なにせ、宋江が葉芍の後ろの穴と前の穴で一度ずつ精を放つあいだに、葉芍は少くとも十回は達している。

 しかし、それでも、葉芍は一生懸命に意識を保たせ続けて、宋江の激しい嗜虐の性を受け止め続けた。

 そして、宋江が二度目の精を放つと同時に、精魂尽きたように意識を手離した。

 もうとっくに限界は越えていたのだろう。

 いまは死んだように、身じろぎもしない。

 

「参ったなあ……」

 

 宋江は葉芍の腕に刻まれた縄の痕を擦りながら嘆息した。

 自分が人一倍性欲が強く、しかも、それが嗜虐の変態的な性癖であるというのは自覚している。

 それで最初の妻とはうまくいかなかったし、宋江も普通の男のように一人前に妻を持つことは諦めていた。

 宋江の特殊な性癖を受け入れてくれる女などあり得ないし、宋江自身も女を縛って抱くと、人が変わったように残酷な性質になる自分を持て余してもいた。

 

 だが、葉芍と出逢ったことですべてが変わった。

 葉芍は、宋江の変態を含めてすべてを受け入れるし、心から慕っていると言ってくれる。

 こんな女性に出逢えるとは思っていなかった。

 なによりも、葉芍は若くて美人だ。

 そんな女性が宋江のような変態を愛してくれるなど奇跡のようなものだ。

 だから、大切にしようと思うし、激しすぎる情欲は抑えなければならないとも思っている。

 しかし、一度嗜虐の性欲に火がつくと、もう自分を止められなくなる。

 葉芍をもっと残酷に、もっと冷酷に扱いたくなって、どうしようもなくなる。

 その結果、葉芍を毎夜のように抱き潰してしまうことになるのだ。

 

「ご、旦那様……」

 

 宋江は寝台の上で横になっていた葉芍の裸身を抱いていたのだが、宋江の腕の中でその葉芍が眼を開いた。

 すぐに起きあがろうとする葉芍を宋江は制した。

 

「少しこのままでいようか、葉芍」

 

「は、はい……」

 

 葉芍は嬉しそうに頷いた。

 

「すまんな……。つい、やりすぎてしまう。自分で自分を抑えられなくなるのだ。もう、少し優しく抱こうと思うのだがな……。だが、気がつくと乱暴に振る舞ってしまう」

 

 宋江は自嘲気味に笑った。

 

「そんな……。我慢しないでください……。あたしなんか好きなように扱っていただければいいのです」

 

 葉芍が驚いたような表情をした。

 

「しかしなあ……」

 

「いいえ……。本当に満足してます。あたしもすっかり変態になってしまいましたから……。旦那様との変態が大好きです」

 

 葉芍が笑った。

 

「嬉しいことを言う……」

 

 宋江は葉芍がさらに愛しくなり、ぐっと力を入れて抱いた。

 葉芍が宋江の腕の中で身悶える。

 そのとき、戸口に誰がやって来た気配を感じた。

 しかし、もう夜更けだ。

 こんな時間に訪問者だろかと首を傾げていると、外から戸が外から叩かれた。

 宋江は葉芍を離して着物で身体を包んでから、自ら戸口に進んだ。

 

「誰だ?」

 

 扉越しに叫んだ。

 

「お、俺です。唐牛(とうぎゅう)です……。こんな時間にすみません。行政府から呼び出しです。警尉官は全員集合とのことです。至急、詰所にお集まりください」

 

 唐牛が外から言った。唐牛は役人である宋江に役所がつけている従者だ。役所の近くの集合住宅に住んでいて、出仕の際にこの家まで宋江を迎えに来て、帰宅の際はここまで送ってくる。

 だから、宋江の呼び出しの伝令を命じられたのだろう。

 また、警尉官は役人の中でも治安を預かる役割だ。

 軍と連携して運城の管轄地域の防犯や罪人の捕縛をするのが仕事だか、その警尉官が緊急に呼び出しということであれば、なにか不穏なことがあったに違いない。

 

「なにかあったのか?」

 

 宋江は訊ねた。

 

「例の運城(うんじょう)が管轄している鉱山の強制収容所から流刑人が何人か逃げたという話ですが、それが城郭に入ったのがわかったそうです……。それ以上は俺には……」

 

「わかった。支度をするからそのまま待て」

 

 宋江は言った。

 そして、葉芍を振り返った。葉芍はすでに服を身につけ終わっている。

 

「お仕事ですか?」

 

 葉芍は宋江の警尉官の着物を取り出しながら言った。

 

「そのようだな……。行ってくる。戸締まりをしっかりしておけ。賊が城郭に侵入したらしい。念のために武器を近くに置いておけ」

 

「あたしは大丈夫です。旦那様こそ、気をつけてください。賊が城郭に入り込んでいるなんて危ないです。なるべく明るい道を選んで行ってください。暗い夜道では賊に遭うかもしれません」

 

 葉芍が真顔で言った。宋江は笑ってしまった。

 

「俺は警尉官だぞ。賊を取り締まるのが仕事であり、賊に出逢わないように気をつけてどうするのだ」

 

「でも、気をつけてくださいね。旦那様にもしものことがあれば、あたしは後を追いますよ」

 

 葉芍は真剣な表情だ。

 宋江は苦笑した。

 身支度をすませた宋江は、唐牛に灯かりを持たせて行政府に急いだ。

 

 行政府の警尉官の詰所はごった返していた。

 正式の警尉官は十人なのだが、応援の役人などもいて、広くはない詰所に三十人ほどが集まっていた。

 また、城郭軍の出動も始まっていて、これから城郭内の各辻に警戒の人数を配置するとのことだった。

 城郭内に逃げ込んだ逃亡の流刑人は五人ということだった。この五人については高額の懸賞がかけられている。

 それで腕に覚えのある役人が応援という名目で集まってきたようだ。

 

 事件のあらましは次のようなものだった。

 運城の城郭から少し離れた場所に運城鉱山と呼ばれる銀鉱があり、これを城郭内にある行政府で管理している。

 働かされているのは大部分が運城の管轄内で罪を犯した罪人であり、彼らが苛酷な強制労働によって銀を採掘している。

 そこから五人の囚人が脱走したのだそうだ。

 三日前のことだ。

 収容所の囚人が逃亡するのは珍しい事件ではない。だが、彼らは逃亡に際して大量の銀を奪って逃走したということだった。

 その額があまりにも多いので、激怒した県令が必ず捕らえよと命令して、高額の懸賞をかけたのだ。人相書きも作られた。

 宋江も一応それを見ている。

 

 もっとも、それだけなら、ここまでの騒ぎにはなりようもなかった。

 逃亡した囚人が逃げても、この広い帝国の人の海に紛れてしまえば、探しようもないからだ。

 しかし、様相が一変したのは、逃亡した彼らが城郭内に入ったことがわかったからだ。

 人相書きと同じ顔の人間が城郭内を走っているのが複数で目撃されている。それで急遽、治安を司る警尉官が集められたのだ。

 五人全員が城郭内を走っていたのは確認されており、少くとも一度は五人が城郭に入ったのは間違いなさそうだ。

 とにかく、城郭軍の兵が警備に出るほか、各警尉官及び応援の役人は、それぞれに動いて城郭内を捜索せよと指示があった。

 

 それで、解散になった。

 解散に際し、元々の警尉官はすでに手配書は承知しているが、応援の役人は逃亡した囚人の人相や名はまだ知らないため、改めて人相書きの控えを彼らに宋江が見せることになった。

 宋江は警尉官の中でも、特に人相書きの管理をする役割なのだ。

 

「脱走囚人が城郭内に逃げ込むとは厄介なことだが、生きて捕らえれば賞金を手に入れられるのだ。是非とも俺の前に逃げ込んで欲しいな。絶対に捕らえてやるのだがな」

 

 手配書の控えを準備していると、李安石(りあんせき)という男がにこやかに笑いながら声をかけてきた。

 警尉官ではない。

 確か裁判記録を整理する文書役人のはずだ。

 親しくはないが、罪人を捕らえる警尉官と罪人を裁く裁判所では仕事上の関係も深い。

 それで少しはこの男を見知っている。

 あまりいい話は聞かない。金に汚いという評判であり、密かに強請りのようなことをやっているという噂もある。

 ただ遣い手ではあるそうだ。

 だから、今回の事件の応援も買って出たのだろう。

 

「しかし、おかしな話だな。なんでわざわざ、顔を知る者も多い運城の城郭に戻ってきたのだろうな。顔を知る者がいたから目撃が報告されてきた。これがほかの城郭なら、余程目立つ特徴でもない限り、手配書なんかでは見つからん」

 

 宋江はなんとなく言った。

 別に李安石に質問をぶつけたということではなくて、さっき話を聞いて、それが解せないと感じたのだ。

 

「連中はもともと、運城の出身なんだろう? 確かに知っている者がいる城郭内は危険だが、逃げる場所もないから家族に匿ってもらおうとしたのではないか?」

 

「だが、銀を奪って逃走しているのだぞ。銀があれば、どこに逃げても路銀には困らんし、手配人だろうと金子を支払えば、どんな宿でも旅人を泊めるだろう。それが五人が五人とも城郭に戻ったのだ。なんの目的で戻ったのだろうな?」

 

 宋江は首を傾げた。

 

「さあな……。とにかく、手配書を見せてくれ。俺は囚人の家族の家でも張ってみよう」

 

 李安石が言った。

 宋江は五人の手配書を横の宅に置いた。

 

「おっ?」

 

 すると、李安石が急に険しい顔になった。それがあまりにも顕著だったので、宋江は気になった。

 訊ねようとしたが、ほかの応援の役人も人相書きを目にしようと、わっと集まってきた。

 

 それに対応しているうちに、いつの間にか李安石はいなくなってしまっていた。

 

 

 *

 

 

 夜から朝にかけて城郭を歩き回っていたが、逃亡囚人の手掛かりは特に見つけられず、宋江は一度家に戻ることにした。

 これだけあちこちで捜索して、見つからないということは、どこかに隠れているということだろう。

 逃亡囚人の五人についても、城郭に入ったのは目的があるはずだと思う。

 それがなにかわからないが、あのとき李安石がいったような家族に会うためというようなことではない。

 それはわかった。

 

 あれから調べてわかったが、逃亡した囚人の全員が運城には家族はいないのだ。

 五人のうち四人はもともと身寄りのない若者か、あるいは運城の出身ではない流れ者だった。

 もうひとりの男は、確かに運城に妻がいたのだが、半年ほど前に首を括って死んでいる。

 

 検視記録も見た。

 首を括って死んだ男の妻は妊娠していたということだった。

 それだけのことなのだが、男が捕縛されて収容所送りになったのは、男の妻が自殺をする半年前だ。

 女の腹の大きさから、その妻が子を宿したのが、半年前ということはありえず、赤子の種は夫以外の男ということになるようだ。

 なんとなくそれが気になる。

 

「戻ったぞ、葉芍」

 

 従者の唐牛には夕方迎えに来るように言って帰すと、宋江は家に入った。

 そのとき、宋江は家の中に客がいる気配に気がついた。

 

「客人か、葉芍?」

 

 奥から駆け寄って来た葉芍に、宋江は訊ねた。

 

「はい、先程から……。東渓村(とうけいそん)の女名主様が……。旦那様はいないし、いつ戻るかわからないと申しあげたのですが、どうしても待つとおっしゃられて……」

 

「東渓村? 晁公子(ちょうこうし)殿か?」

 

 晁公子は知っている。

 美人でやり手の女名主として近隣でも有名だ。

 それだけではなく、単に名主に留まらないこともしている気配もあるが、宋江は知らない振りをしている。

 先日も呉瑶麗(ごようれい)という帝国全土に手配されている逃亡女囚を逃がしてやったら、突然にお礼の品というのを持ってやって来た。

 

 逃亡女囚を逃がしたことで、関係のないはずの名主が礼を持ってくるのは不自然なのだが、宋江はなにも訊ねずに受け取った。

 晁公子もそれでなにかの企みに宋江を引き込むことに成功したかのような満足げな表情をした。

 ただ、それだけの仲だ。

 お互いに、心の内を見せ合ったわけではない。

 

「お待たせしましたな、晁公子殿」

 

 宋江はとりあえず客室に向かった。そこでは晁公子が待っていた。

 

「留守中にあがりこんで申し訳ありません」

 

 晁公子が頭を下げた。

 時候の挨拶が終わり、宋江はさっそく用向きを晁公子に訊ねた。

 すると、晁公子は荷物から紙を拡げた。それは、今回の事件で手配されている逃亡囚人の人相書きだった。

 

「近傍の名主たちに、この手配書を受け取りにくるように伝言があったので、やって来たのです。随分と城郭も物々しいですね。城郭のあちこちに兵がいるし、捜索の者も動き回っていました」

 

 晁公子は言った。

 

「なんとしても、捕らえよという県令の命令でしてね。逃亡の際に、かなりの銀を奪ったのです。それで、県令がかんかんになったということでして……」

 

 宋江は苦笑した。

 だが、晁公子は険しい顔をして首を横に振った。

 

「彼らはなにも盗んでいません。あれは、銀を横流ししていた官営の鉱山を管理している役人が、囚人の逃亡にかこつけて、彼らに罪を押しつけたのです。繰り返しますが、五人には、なにも奪わせていません。銀を抱えては逃亡のために走るのに邪魔になります。だから、そんなものは奪っていないのです」

 

 晁公子は静かに言った。

 宋江はびっくりした。

 銀の横流しの罪を逃亡犯に押しつけるというのは、いかにも鉱山の役人がやりそうなことだったが、驚いたのは、晁公子がまるで逃亡に関与していたような内々の事実を口にしたことだ。

 いかにも、晁公子自身が今回の彼らの脱走に関わっていて、なにかの事情を知っているような口調だ。

 

「なるほど……」

 

 しかし、宋江はそれだけを言った。

 すると、晁公子が笑い出した。

 

「やはり、あなたはおかしなお役人ですね。なんでそれを知っているのかとか、わたしが今回の囚人の逃亡にどんな関わりをしているのかと、まるで訊ねる気がないのですね?」

 

 晁公子が笑い続けながら言った。

 

「面倒が嫌いでしてね。それだけですよ」

 

 宋江はうそぶいた。

 

「だったら、そういうことにしておきましょう。とにかく、わたしの用件は、城郭に逃げ込んだ五人を東渓村に向かわせて欲しいとお願いしに来たのです。実は、彼らは真っ直ぐに東渓村にやって来るべきだったのです。その彼らが、城郭に戻ってしまったのはちょっとした手違いなのです」

 

 晁公子はそう言って、なにかの袋を出した。中を見るとかなりの額の金子が入っている。ひと財産だ。

 

「これは、なにかの賄賂なのですか? これを受け取ると、俺はなにかの陰謀に加担したことになり、あなたに飼われる役人ということになりはしませんかね」

 

 宋江は笑った。

 

「どうとでも受け取ってください。あなたがただの小役人でないことは、もう知ってます。賄賂を受け取るなどということが生易しいと思える、とんでもないことを陰でやっているということも……。わたしにも耳目になる者がいるのですよ」

 

 晁公子は言った。

 これには流石に驚いた。

 宋江は、自分の裏の顔のことを他人に仄めかされたことはいままでなかったのだ。

 

「まあ、それはいいでしょう。いつかお互いに腹を割って話をしたいですね。でも、今日はやめにします……。この金子は賄賂ではありません。あなたに対する仕事の依頼料……。そう思ってください。城郭に逃げ込んだ逃亡囚人を逃がすのに協力するだけの依頼としては、十分な額とは思うのですが?」

 

 晁公子は宋江を試すような口調で言った。



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55  宋江(しゅどう)朱仝(しゅどう)を呼び出して(はかりごと)を語る

朱仝(しゅどう)、来たか。あがれ」

 

 宋江(そうこう)は、家にやって来た朱仝に、部屋の中から声をかけた。

 朱仝は運城(うんじょう)の城郭軍に所属する軍人であり、大隊長級の上級将校だ。

 年齢は宋江よりも一歳年長の三十一。顎に蓄えた長い髭が特徴で、「美髯公(びぜんこう)」という渾名を持つ。

 

 すでに外は夜になっていた。夕方、宋江を迎えに来た従者の唐牛(とうぎゅう)に、今日は出仕はしないと告げて、軍営の朱仝隊長に伝言を届けてもらった。

 多くの兵が脱走囚人の捜索に駆り出されているはずだから、朱仝が伝言を受けるのはもっと後かもしれないと思っていたが、案外すぐにやって来た。

 朱仝は、戸口で対応していた葉芍(はしゃく)にちらりと眼をやった。

 

 どういう対応をしていいのか迷ったのだろう。

 葉芍と暮らすようになってから、朱仝を家に呼び出したことはない。

 警尉官という小役人の宋江と、城郭軍の将校である朱仝が昵懇であるとこは、あまり公にはしておらず、葉芍にも教えてなかったからだ。

 

「心配ない。葉芍には、裏の仕事のことについて、さっき全部話した。五年前の県令殺しのことも、お前とふたりで悪徳商人や役人たちを殺したこともな」

 

 宋江は言った。

 すると、朱仝はにっこりと笑った。

 

「ならば、やっとお祝いを言うことができますな。朱仝です。宋江殿の裏の仕事の仲間です」

 

「伺いました。葉芍です。これからはあたしも仲間のひとりと扱ってください」

 

 葉芍が緊張した口調で言った。

 朱仝が卓につくと、葉芍が茶を運んできた。

 

「お酒がよろしかったですか?」

 

 葉芍は言った。

 

「いや、まだ任務の最中なんで……。なんとしても城郭に入り込んだ脱走囚人を捕らえよという厳命でしてな。すぐに戻らねばなりません。宋江殿もそうでしょう?」

 

「話というのはそのことでな……」

 

 宋江は言った。

 葉芍もそのまま椅子に腰掛け、三人で卓を囲むかたちになった。

 宋江は卓の上に金子の入った袋を置いた。昼間、晁公子(ちょうこうし)が持ってきたものだ。

 

「これは?」

 

 朱仝が中身を確めて訊ねた。

 

東渓村(とうけいそん)の晁公子という女名主は知っているだろう? その女が昼間持ってきた。城郭に逃げ込んだ男たちを東渓村に逃がして欲しいそうだ。それに対する報酬だ」

 

「逃がす?」

 

 朱仝が眉をひそめた。城郭軍全体で血眼になって探している男たちだ。

 それを逃がすというのに少し驚いたようだ。

 

「それについては後だ、朱仝。それよりも、大事なことを言おう。どうやら、俺たちの裏の仕事がばれた」

 

 宋江は言った。

 

「えっ?」

 

 朱仝が声をあげた。

 

「心配するな。ばれたと言っても、いまのところ問題はない。その晁公子という女名主に、知っているぞと仄めかされただけだ。実際にはなにも知らんかもしれんし、知ったとしても、彼女がそれを公言することはないだろう……。あの女もまた、脛に傷を持つ身だ。この前、城郭の近くで姿が目撃された国軍の元武術師範代の呉瑶麗(ごようれい)……。覚えているだろう?」

 

「ああ、雷横(らいおう)が呆気なくやられたという話の……」

 

「おそらく、その呉瑶麗を村で匿っている。ほかにも、色々と不穏なことをしている気配があるようだ。だから、こっちのこともばらさんよ」

 

「そうですか……。まあ、宋江殿がそう言うのであれば……」

 

 朱仝は納得したように頷いた。

 宋江と朱仝の裏の仕事とは人殺しだ。

 しかも、ただの人殺しではない。

 世直しの人殺しだ。

 

 五年前、とんでもない男が県令として運城にやって来たことがあった。

 帝都で相当の金子を宰相に積んで、県令の地位を買ったとささやかれた高官の子弟であったのたが、その県令が実は病的な少女趣味であり、しかも、十歳以下が大好きだという変態だったのだ。

 それで、県令という権力を利用して、近隣の農村から童女をさらわせては、犯して殺すということを繰り返したのだ。

 その県令のやっていることは、周りの者は薄々知っていたものの、城郭でもっとも権力を持つ男にはなにもできず、皆は素知らぬ顔をしていた。

 

 当時の宋江はいまよりも血気盛んだった。また、軍人と役人という立場の違いはあるが、朱仝は飲み友達だった。

 それで、その県令のやっていることを知って、我慢ならなくなった宋江は、朱仝を口説き、結託してひそかにその県令を誘きだして殺したのだ。

 犯人はわからず、賊の仕業ということで片付けられたが、それが宋江と朱仝の最初の裏の仕事だ。

 

 それからも、どうしても殺さなければならないような悪党は、ふたりで暗殺を繰り返した。この国では、権力や財があれば、大抵の悪事は罪にはならない。賄賂を積めば、無罪ということになってしまうからだ。

 だから、法の裁きにかからない悪党を世直しの剣で抹殺してやった。

 そうやって殺した悪人は、両手と両足の指では数えられない。

 それが宋江と朱仝の裏の仕事であり、裏の顔だ。

 しかし、この仕事にも、最近では虚しさを感じている。

 どんなに悪人を殺しても、世の中はまるで変わらない。別の悪人が死んだ悪人に変わってはびこるだけだからだ。

 

「とにかく、脱走囚の逃亡を助けることを頼みたい。お前の指揮している隊にとりあえず警備の穴を作ってくれ。それと、もしも軍で捕らえたら、俺に下げ渡してくれ。へまをしたふりをして逃がしてしまう。もちろん、できる範囲のことで構わん。お前の隊以外が捕らえてしまえば、どうしようもないだろうしな」

 

「わかりました……。指示の通りにしましょう。脱走囚を探す任務で出動しているのは、俺の隊のほかは、雷横の奴の隊です。うまく言って、あいつの隊が捕らえても、俺のところに連れてくるようさせます。しかし、理由を訊いてもいいですか? なぜ、その女名主はその脱走囚を逃がしたいのです? そもそも、女名主はこの件にどう関わっているのですか?」

 

 朱仝は言った。

 

「晁公子という女名主は、ただ義侠心で動いているだけだ。もしかしたら、男たちがいた強制収容所からの脱獄の手助けはしたかもしれんがな……。いまから説明するのは、晁公子という女名主が俺に説明したことだ……。その晁公子殿がどうやって事情を知ったのかはわからん。逃亡した囚人たちの目的は仇討ちだそうだ。実際には、仇を討とうと思っているのは、逃げている五人のうちのひとりだがな。残りの四人はそれを手伝おうとしているだけのようだ」

 

「仇討ちですか?」

 

「妻の仇を討ちたいらしい。囚人の中に鈴義(りんぎ)という男がいるだろう。その鈴義が妻の仇を討ちたがっているようだ」

 

「確か、鈴義の妻は首を括って死んだのでは? 鈴義が収容所に入れられてから、他の男の種を宿していたという話でしたな」

 

 朱仝は言った。

 捜索隊を指揮している朱仝は、当然手配者の顔や名を知っているし、その家族に関する情報にも接している。鈴義の妻の死因に関する資料も読んでいるようだ。

 

「理由もなく首は括らん。鈴義の妻は、悪徳役人に騙されたようだ。金子を持ってくれば、夫を収容所から出してやると言われていたらしい。それであちこちから借金をしたり、蓄財を整理して、その役人に渡していたのだそうだ。身体も奪われた。鈴義の妻の腹にいたのは、その役人の種だ」

 

「酷い話です」

 

 黙って宋江と朱仝の会話に耳を傾けていた葉芍が口を開いた。

 葉芍にも、晁公子から聞いた話をするのは初めてだ。葉芍の顔には強い怒りが表れている。

 

「しかし、それは嘘だったのですな?」

 

 朱仝が言った。

 

「そうだ。その役人は鈴義の妻からはもう金子は搾り取れないと判断すると、いままでのことは嘘っぱちだとばらしたのだそうだ。鈴義の妻は事情を説明した手紙を鈴義に残して自殺した。それが半年前だ。ただ、収容所のことだから、鈴義にはすぐにそれは届かなかった。そして、半年してやっと、その手紙が鈴義に渡った。鈴義は、同情した仲間とともに脱走した。これが真相のようだ」

 

 宋江は語り終えた。

 

「よくわかりました。なんとしても、鈴義たちは助けましょう。ところで、その悪徳役人は誰です? そんな奴は裏の仕事で始末しましょうよ」

 

 朱仝は言った。

 

「その悪徳役人が誰なのは、晁公子殿も知らんようだ。妻の手紙には書いてあったらしいがな。晁公子殿は、鈴義たちを一度東渓村に入れてから、仇討ちを手伝う気だったようだ……。しかし、鈴義たちは、仇を狙うために真っ直ぐに運城の城郭に入ってしまった。そういうことなのだ」

 

 宋江は静かに言った。

 

 

 *

 

 

 一度、隊に戻った朱仝から伝言を受けたのは、夜明けに近い時間だった。

 伝言に示してあった場所は、行政府に近い空き家の元馬小屋だった。

 

「中です、宋江殿……。俺の部下も知りません。俺が発見しました。襲いかかってきたので、やむ無く押さえて武器は取りあげましたが、怪我はさせていません……。まだ、連中には、なにも話していません。ただ、大人しくしていろと言っただけです……。それと、いまからしばらくは、ここから北に向かう経路には警備はいません。また、北門の近くの一番低くなっている城壁に警護の隙があります。縄梯子もそこに捨ててあります」

 

 朱仝が馬小屋の前でささやいた。

 

「連中から取りあげた武器は?」

 

「これです」

 

 朱仝は宋江に二本の小さな刃物を渡した。武器ではなく、料理用の包丁だ。

 

「わかった。お前はもう行ってくれ、朱仝。これから先は俺ひとりでいい」

 

「大丈夫ですか?」

 

「心配ない……」

 

 宋江は頷いた。

 朱仝が去っていく。

 宋江は馬小屋の戸を開いて中に進んだ。

 

「ひっ」

「うわっ」

 

 馬小屋の隅に五人が固まってうずくまっていた。宋江が歩み寄ると、彼らのうちの何人かが声をあげた。

 男たちはまだ全員が若かった。栄養に欠けた痩せた身体をしていて、宋江を睨む視線は、長い収容生活を送った者特有の落ち着かないものだった。

 男たちは用心深く構えているが、少なくともふたりは隙があれば、宋江に飛びかかろうとしているのがわかる。宋江は少し距離を取って立った。

 そして、男たちに向かって、さっき朱仝から受けとった包丁を投げた。

 男たちが不審な表情をした。

 

「お前たちの身柄は、さっきの将校から、この警尉官の俺が引き継いだ……。お前たちはそれを持って逃げろ。真っ直ぐに北門の方向に向かえ。いますぐに行けば、警備の穴があって逃げられる。そして、東渓村に行け。そこの名主を訪ねろ。力になってくれるはずだ」

 

 宋江は朱仝から教えてもらった警備の穴のある場所を教えてやった。

 男たちは驚愕している。

 

「に、逃げろと言うのか……?」

 

 ひとりが言った。

 

「そうだ。役人は信用できないかもしれんが、ここは信用しろ。ある程度、事情は知っている。お前たちを大勢の兵や役人が血眼になって追っている。これを逃すと逃げられんぞ」

 

 宋江の言葉に男たちが顔を見合わせた。

 

「わ、わかった。あんたらは行ってくれ……。ここまで着いてきてもらって感謝している。これから先は俺ひとりでいい」

 

 そう言ったのは鈴義だ。

 人相書きと同じ顔だ。

 

「し、しかし」

 

「いや、そうしてくれ。お願いだ。なあ……」

 

 反論しようとしたほかの男に鈴義が言った。

 

「いや、お前も一緒に逃げるのだ、鈴義。繰り返すが、東渓村に行け。そこで力になってくれる。奥方の仇を討つのを助けてもくれるだろう」

 

 宋江が言うと、鈴義が眼を見開いた。

 

「な、なぜ、それを……」

 

「事情は知っていると言っただろう。とにかく、いまは逃げよ。いいな。命を粗末にするな」

 

 宋江は言った。

 

「俺の命はもう捨ててます。俺の妻を手込めにした悪党を殺すんです。それが叶えば、もうこの世に未練はありません。俺ひとりは名乗って出ます」

 

「いいから、逃げよ、鈴義。いまはそれしか考えるな。こうしてる間も惜しい。完全に夜が開ければ逃げられなくなる。もう、外にも誰もおらんぞ。嘘ではない」

 

 宋江は身体を開いて、小屋の外に出る経路を促した。

 五人が頷き合った。

 逃亡の決心をしてくれたようだ。

 

「恩に着ます。あなたの名を教えてはくれませんか?」

 

 鈴義だ。

 

「教えん。こちらもお前たちを逃がしたのがわかれば、俺にも咎めがある。だから、ここは名乗らずに別れよう……。ところで、お前の仇である卑劣な役人の名を教えてはくれんか、鈴義?」

 

「裁判所の文書役人の李安石(りあんせき)という男です」

 

 あの男かと思った。

 二日前に、鈴義の手配書を見たとき、李安石が顔色を変えたのを宋江は思い出した。

 自分が罠に嵌めた女の夫だったから驚いたに違いない。

 

「死に急ぐなよ……。北門の方向だ。間違えるな」

 

 宋江はそう言い捨てて、馬小屋を後にした。

 

 

 *

 

 

「旦那様、やりましたよ」

 

 唐牛が汗を拭きながら、家の庭にいた宋江のところに駆けてきた。

 

「なにをやったのだ?」

 

 宋江は顔をあげた。馬小屋で鈴義たちと別れてから数刻経っている。

 宋江はあれから自宅に戻って仮眠をとっていたのだが、いまは丁度起きたばかりであり、眠気覚ましに少し身体を動かしていたところだ。

 

「例の逃亡囚ですよ、旦那様。殺されました……。五人ともです。今朝のことだそうで。全員がばっさりと辻で斬られたんです」

 

「えっ?」

 

 宋江は思わず声をあげた。

 鈴義たちとは夜明け前に別れ、北に向かうように言って逃がしたばかりだ。

 驚いて詳細を訊ねた。

 やはり、斬られたのは鈴義たちに間違いないようだ。

 斬られた場所は、あの馬小屋から少し南に向かった行政府に近い辻だ。

 どうやら、北門には向かわなかったらしい。

 宋江は歯噛みした。

 

「斬ったのは、誰なのか知っているか?」

 

「李安石様だそうですが……。どうかしましたか、旦那様?」

 

 宋江は余程険しい表情をしていたのかもしれない。唐牛が困惑した表情をしている。

 

「やはり、そうか……」

 

 彼らはあれから宋江の指示には従わずに、逆の南に向かい鈴義の妻の仇である李安石を見つけて襲いかかったのだろう。

 しかし、李安石は遣い手だ。それで、五人揃って返り討ちに合ったということに違いない。

 

 宋江は葉芍に出仕すると伝えて、唐牛ともに行政府に向かった。

 行政府の警尉官の詰所の前には、殺された鈴義たちの死骸が並べられていた。

 どの死体もただのひと太刀で殺されている。大した剣技だ。

 

 その足で裁判所の李安石を訪ねた。

 しかし、夕べは徹夜で警尉官支援の見回りだったので、家に戻ったということだった。

 宋江は李安石の家に行った。下女がいて、名を告げると宋江を中に通してくれた。

 まだ独り者の李安石は、寝ていたところだと言いながら、渋い顔をして出てきた。

 

「お手柄だったようだな、李安石?」

 

 挨拶が終わったところで、宋江は言った。

 

「お手柄と言えるのかな? 盗んだ銀の隠し場所を吐かせなければならなかったのだから、生きて捕らえなければならなかったんだが、いきなり刃物で斬りつけられたために、つい殺してしまった。賞金はもらえんそうだ。残念なことをした」

 

 李安石は自嘲気味に笑った。

 

「お前の腕なら、殺さずに済んだのでないか?」

 

「とっさだったからな……」

 

「殺せば、なんでお前に斬りかかったのか自供できんしな。お前にとっても都合がよかったな」

 

「どういう意味だ、宋江?」

 

 李安石は不審な顔をした。

 

「男たちについて、調べができなくなったと言っているのだ」

 

 宋江は言った。

 李安石は不機嫌な表情をした。

 

「ところで、なんの用なのだ?」

 

「うん……。実はな……。今回の調査をしているうちに、興味ある女を保護した。女というか、乳飲み子の赤ん坊を連れている。女は子はお前の子だと言っている。ほにも、なかなか愉快なことを言っていてな。お前に金子を騙し取られたとか……。なにか、事情を知っているか?」

 

 宋江はわざとらしい笑みを顔に浮かべてやった。

 李安石が真っ蒼になった。その手がぶるぶると震えだした。

 

「なにをそんなに震えている、李安石? なにか覚えがあるのか?」

 

「ば、馬鹿な……。あの女は死んだ。首を括ったのだ……。そんなわけがあるか」

 

 李安石は声をあげた。

 

「誰のことを言っているのだ? まあいい……。面倒な駆け引きはやめだ。お前が思っている通りだ。その女はお前が殺した鈴義の妻だ。死んだと思われていたが、あれは偽の女だったようだ。あちこちに借金を作ってしまって払えんから、たまたま見つけた乞食女の死体を自分に見せかけて、実はあるところに隠れていたようだ。なかなかに頭のいい女だ。そして、いまは俺の家にいる。事情を書いた手紙も俺は受け取った。かなりの悪党だな。お前は……」

 

 李安石の身体に殺気がこもったのがわかった。

 

「おっと。俺を斬るなよ、李安石。俺を殺せば、その女の書いた手紙と女の存在そのものが証拠となって、お前を告発する手筈になっている。乱暴はせんことだ。金両で十枚。それを払え」

 

「お、俺を脅しているのか?」

 

 李安石が驚きの声をあげた。

 

「やっとわかったのか? わかったら、さっさと持ってこい。それくらいの蓄えはあるだろう? 汚いことをして稼いだんだろうからな」

 

「ほ、本当にあの鈴玉(りんぎょく)がお前のところに?」

 

「いるぞ。間違いなくな……。まあ、とにかく、払えよ。金両十枚だ。それとも牢にぶち込まれたいか?」

 

 宋江が言うと、しばらく李安石は宋江を怒りを顔に出したままじっと宋江を見ていたが、やがて立ちあがって部屋を出ていった。

 戻って来たときには、金両十枚を手に持っていた。

 

「渡す……。だが、その女を俺に引き渡せ。それが条件だ」

 

 李安石が睨んだ。

 

「馬鹿を言え。これで終わりだと思っているのか、李安石? とりあえず、すぐに出せるのは十枚程度だと思ったから、それを要求しただけだ。三日後にまた来る。そのときにも十枚だ。それから以降は十日ごとに十枚だ。わかったな、悪党? ずっと搾り取ってやるから覚悟しろ。証人を俺が握っているのを忘れるな」

 

 宋江は目の前の十枚を掴むと、その場を立ち去った。

 部屋を出る前に見たのは、はっきりとした殺意を顔に出している李安石の顔だった。



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56  李安石(りあんせき)、市井の娘を毒牙にかける

 娘は汗びっしょりの裸身を、ぐったりと死んだように寝台に沈めていた。

 身動きひとつしない。

 無理もないだろう……。

 

 ただ犯すだけではなく、強力な媚薬を使って身体の感度を限界まであげ、李安石自身の肉棒だけではなく、淫具まで使って責めたてたのだ。

 最後には白目を剥き、口からは泡まで噴いて完全に気絶した。

 

 李安石(いあんせき)は娘の股間から淫具を抜いた。

 開き切った股間から娘の蜜がどろりと流れ出た。

 それだけ娘の味わった快感が凄まじいものだったことを物語っている。

 

 李安石は、窓を少しだけ開けると、窓の外の手摺に黄色い布を結びつけた。

 それが目印なのだ。

 

 李安石が付き合っている闇奴隷の組織の者がやってくる。

 沈雲寿|(ちんうんじゅ)という男であり、女を買いとって性奴隷にして売るという商売をしている。正式の奴隷商ではなく闇の奴隷商だ。

 商売をしている場所も、城郭の中ではなくて城郭の外である。

 そこで、本来は奴隷でもなんでもない女を拷問して、奴隷の首輪の刻印をして闇奴隷として売るのだ。

 弱みを掴んで財産と身体をしゃぶりつくした女を、李安石はこの沈雲寿に売ることを常としていた。

 そんな悪行仲間だ。

 沈雲寿はすぐにやってきた。三人ほどの子分が一緒だ。

 

「この娘ですか、李安石さん? 例の小料理屋の娘というのは?」

 

 沈雲寿が娘の髪を掴んで顔をあげさせて覗き込んだ。

 娘の意識は完全にないようだ。

 この娘と知り合ったのは一箇月ほど前だ。

 まだ、十六であり、小さな料理屋で働いていて、働き者で気立てのいい娘としてその料理屋の看板娘だった。

 李安石は、言葉巧みに口説き落とし、この娘に李安石との結婚を申し込んだ。

 小役人といえども役人の女房ともなれば、小さな料理屋風情の娘としては、それなりの玉の輿だ。

 娘は承知した。

 

 李安石は、まだ初心だった娘の身体に、性の奥義を駆使して快感を覚え込ませ、完全に李安石の虜にした。

 

「半年ほど、しゃぶりつくしてから売り飛ばすと言っていなかったですか?」

 

 沈雲寿は、娘の乳房や尻のかたち、身体の肉付き、肌の状態、さらに股間や恥毛の生え具合までじっくりと点検していく。肛門まで調べていた。

 

「急に金子がいるようになったんだよ」

 

 李安石は椅子に座って、沈雲寿たちが娘の身体を調べるのを見守りながら吐き捨てた。

 金子が必要になったのは宋江(そうこう)のせいだ。

 どこから見つけ出したかわからないが、半年前にさんざんに金を貢がせた挙句に孕んでしまったので、自殺に追い込んで始末したと思っていた女を見つけ出して、十日に一度金両十枚を払わないと、李安石のやったことを告発して、捕縛すると脅してきたのだ。

 同じ役人でも、向こうは警尉官であり、告発を受理して罪人を捕えるということを専門にやっている役人だ。

 それに直接に脅されれば都合が悪い。

 知らぬ存ぜぬということはできない。

 その気になれば、向こうはいくらでも李安石の罪などでっちあげられる。

 それに李安石の悪事は、出鱈目でもなんでもなく、本当のことだ。

 調べれば、その女のことでなくても、いくらでも悪事の証拠は出てくる。

 

 李安石としては、支払いに応じないわけにはいかなかった。

 いままでに二回の支払いに応じて、金両二十枚を搾り取られた。

 さすがに、もう蓄えはない。

 だが、十日以内に帝国金両で十枚を渡さないと、告発してそのまま捕縛すると言っている。

 李安石としては、もう少し財を取りあげたうえに、闇娼婦でもさせてから売ろうと思っていたこの娘を売るくらいしか金子の作りようがなかった。

 

 それにしても、及時雨とも呼ばれている評判のいい役人である宋江に、あんな一面があるとは思わなかった。

 役人である特権を使って、相当の悪事をしている李安石に比べても相当の悪だ。

 なにせ、悪事をして金子を稼いでいる李安石の上前をさらに奪っていくのだ。

 

「金両八枚でどうです、旦那?」

 

 沈雲寿が顔をあげた。

 

「おいおい、冗談じゃないぞ。どうしても、金両がいるんだよ。それに、まだ商売をさせていない素人娘だぞ。もう少し値をあげろよ」

 

 李安石は声をあげた。

 

「だったら十枚。それが限界ですね。確かに身体はいいし、若くて建康だ。だけど、まあ、気量は十人並というところだし、そんなものですよ……」

 

「ちっ。わかったよ。じゃあ十五枚にしろ。あまり俺を相手に商売っ気出してもいいことないぜ」

 

 李安石は舌打ちした。

 沈雲寿はにやりと笑って、荷から袋を出して、金両で十五枚並べた。

 李安石はそれを数えて、自分の袋に入れて腰紐に括り付ける。

 

「ところで、この前、頼んだことはどうなった、沈雲寿?」

 

 李安石は言った。

 沈雲寿は、子分たちに指示して娘の身体に縄をかけさせていた。素裸の娘の両手を背中に回せさせて、縛らせている。

 

「宋江という小役人の家に、子連れの女がいるかどうかというですか? 一応は頼まれたから調べさせましたけど、確かにそれらしい者はいるらしいですね。顔は隠しているから、よく見えないようだけど、赤子のような包みを抱えた女はちらちらと姿を見せるらしいです」

 

 沈雲寿は肩をすくめた。

 

「おいおい、冗談じゃねえぞ。あの家に、子連れの女がいることはこっちでもわかってんだよ。お前に頼んだのは、その女を始末してくれということだ。なんでもいいから殺してくれと頼んだだろうが。その子連れの女が生きていちゃあ、俺はその宋江に骨までしゃぶられるんだ。ずっと、うまい汁を吸わせてやっただろう。こういうときこそ、手を貸しな」

 

 宋江が家に、子連れの女らしき者を隠しているのはどうやら本当のようだというのはわかっている。

 李安石自身も宋江の家にいるという鈴玉と赤ん坊を探ってみたのだ。

 

 そして、本当にいた。

 沈雲寿が言っていたように、顔を隠した女が宋江の家に確かにいる。

 赤ん坊を包んでいるような布の包みも抱えている。

 しかし、ここ数日、なぜか、軍の兵がやたらに宋江の周辺をうろうろしているのだ。

 城郭軍の朱仝とかいう将校の隊だと思うが、不自然なくらいにあの一帯にいつもいる。

 それで、李安石も手が出せないでいた。

 

「そっちこそ、冗談じゃありませんよ、旦那。役人の家に押し入って、殺しをやるなんて、そんな危ないことをできるわけないでしょう。お断りですよ」

 

 沈雲寿が首を横に振った。

 

「もちろん、ただでやってくれと言っているわけじゃねえ」

 

 李安石は荷から準備していたものを取り出した。

 それは、一枚の公文書だった。

 それを沈雲寿にかざした。

 

「なんです、それは? あっ、これは?」

 

 沈雲寿がいぶかしげな表情を向けて、李安石が持っている公文書に視線をやった。

 そして、それがなにかを理解できたらしく、驚いて声をあげた。

 さらに手を出そうとするので、李安石はそれをくるくると丸めて荷にしまってしまった。

 

「ちょ、ちょっと、しまうことないでしょう。もっと、見せてくださいよ」

 

 沈雲寿が声をあげた。

 

「よく見なくても、お前が思ったとおりのものだよ。沈雲寿という闇奴隷商人が、行政府が正式に認可した奴隷商であることを証明する公文書だ。俺のいうことを聞いくれたら、これをやる。そうすれば、お前はもう闇奴隷商人なんかじゃねえ。正式に許可を受けた奴隷商だ。城郭の中でだって商売はできるぞ。公文書があれば、信じられないくらいに儲けられるぞ。欲しくはねえか?」

 

「ちょ、ちょっと、待ってくだせえ。もう一度、見せてくだせえ」

 

 沈雲寿は完全に興奮している。

 李安石はほくそ笑んだ。

 

「待たねえな。なにしろ、これは印章だって正式のものだ。誰だって、偽物とはわからねえ。しかも、これの書類の控えを俺が行政府の書類庫に忍び入って、混ぜといてやる。そうすれば、本物ということになる。欲しくはねえか? 奴隷商の認可なんて、お前のような、ちんぴらに与えられるわけなんかないんだぞ」

 

 沈雲寿を買収しようと考えて、この男が一番欲しいものを作りあげたのだ。

 本当は大した苦労はなかった。

 文書役人である李安石には、偽者の書類を作るなど簡単な話だ。

 

「ほ、本当に、それをくれるんですか、旦那?」

 

「ああやる。だから、協力しろ。夜にこっそりと、あの屋敷に火をつけてしまえ。そして、中にいる人間を焼き殺してしまうんだ」

 

「ううん……。本当にそれをすれば、俺の名が書かれた、さっきの奴隷商認可の公文書をくれるんですね?」

 

 沈雲寿が迷っているような表情で言った。

 

「ああ、やるよ。さっきも言ったが書類庫に控えを紛れ込ませてやる。それをしないと、偽物というのはすぐにばれるが、控えさえあれば、どんな役人にも、もうでっちあげとはわかりっこねえよ」

 

「わかりました。やりましょう」

 

 沈雲寿がうなづいた。

 

「よし、だったら、さっそく今夜だ。俺は夕方になったら、居酒屋でも寄って、放火された時間には別の場所で酒を飲んでいたという証拠を作る。そのあいだに家の中の女を焼き殺すんだ。俺が宋江ともめているということを知っている者がいるかもしれないからな。万が一にも俺が疑われないためだ」

 

「なんか危ない橋ばかりこっちに渡らせて、自分は安全なところで指示するだけなんですね。ちょっと気に入りませんが、まあいいでしょう。じゃあ、今夜のうちにやりますか……。その代わり、ここを使わせてもらいますよ」

 

「好きにしな」

 

 李安石は笑った。

 

「陽が暮れるまで、ここで暇をつぶさせてもらいますね。ついでに、娘の調教を進めます。それから、その役人の家に、火をつけたら朝までここで隠れさせてもらいます。そのあいだ、旦那は居酒屋でもどこでも、人目に付きやすいところで、うろうろしていたらいいでしょう」

 

 沈雲寿が言った。

 

「そうだ、ついでだ。お前らの調教というのを少しばかり見学させてもらおうかな」

 

 李安石は言った。

 

「いいですけど……。あまり、きれいなものじゃありませんよ。浣腸ですからね。女を屈伏させるには浣腸が一番手っ取り早いんで……。まあ、気に入らなかったら、出て行ってくださいよ。臭いし、汚いですよ」

 

 沈雲寿が苦笑した。

 

「浣腸か。面白そうだな。やってくれ。口は出さねえよ」

 

 李安石は言った。

 

「う、ううん……」

 

 そのとき、娘が声をあげて身じろぎを始めた。

 

「兄貴……」

 

 沈雲寿の子分たちが沈雲寿を見た。沈雲寿が娘を寝台から床におろすように指示をする。

 娘が床に寝かされる。

 さっきまで寝台にうつ伏せにされていた娘だったが、今度は床に仰向けに転がされた。しかも、肩幅の倍ほどの棒の両端に足首を結ばれている。

 娘が本格的に身じろぎを始めた。

 沈雲寿はさらに、娘の大股開きを強要している棒の両端に縄を繋げて、その先端を天井の梁に通した。

 

「なにするんだい、沈雲寿?」

 

「まあ、見ててくださいよ、旦那」

 

 沈雲寿がくすくすと笑った。

 

「あ、う、うう……あ、あれっ……な、なに……?」

 

 虚ろな眼を開いた娘が、はっとしたように眼を見開いた。

 

「だ、誰です、あなたたちは――? きゃああああ、李安石様、こ、これはなんでた、助けて、李安石様」

 

 娘は自分を見おろしていた見知らぬ男たちを見つけて混乱に陥り、しかも素裸のまま、身体を拘束されていることに気がついて悲鳴をあげた。

 最初は激しく身体を左右に振って、縄から逃れようとしたが、それができないとわかり恐怖の表情になった。そして、やっと、部屋の隅にいた李安石を認めて、助けを求めたのだ。

 

「ははは……。悪いが、お前については、そこにいる連中に売り払ってしまったぜ。ちょっとばかり、小金が必要だったからな。もう、代金は受け取ったから、まあ諦めてくれ。それよりも、こいつらが、お前を調教するというから、ちょっとばかり見学でもさせてもらおうと思ってな。まあ、しばらくしたら、出ていくから気にするな」

 

 李安石はせせら笑った。

 娘は必死になって李安石の名を呼んで助けを求めたが、沈雲寿が平手を二、三発食らわせると静かになった。

 だが、まだ狼狽してるらしく、恐怖に震えた様子で涙をこぼした。

 おそらく、まだ、自分の身になにが起きたかも理解できないだろう。

 本当に売られたのだとわかるのは、もう少し時間が経ってからかもしれない。

 

「よし、あげろ」

 

 沈雲寿が言った。

 すると、娘の両脚を開かせている棒が天井にあがり始めた。

 当然、娘の両脚は大きく開いたまま、天井に向かって伸び始める。

 

「な、なんですか? いやああ。助けてえ。こんな格好は、いやああ」

 

 娘の両脚は完全に宙吊りになった。

 股倉も尻の穴も完全に曝け出したような格好になり、娘が強い羞恥で暴れる。

 だが、しっかりと緊縛された娘には羞恥の姿から逃げる手段はない。

 あっという間に、娘は上半身を床にうつ伏せにして両脚を天井に向けた姿に固定された。

 娘の泣き声が号泣になった。

 

「た、助けて、助けて、李安石様――。お願いです。こんなことやめさせてください」

 

 娘が狂ったように暴れるのを沈雲寿の子分たちが肩を押さえつける。

 

「李安石さんが言っただろう。お前は俺がもう買ったんだよ。あの旦那に、いくら助けを求めても無駄なことだ。悪い男に騙されたんだよ。いい加減に理解しな」

 

 沈雲寿がせせら笑いながら、娘の腰の横に胡坐に座って、いきなり肛門に指を入れ始めた。

 

「ひううう」

 

 娘が背をのけ反らせた。

 なにか油剤でも塗っていたのか、沈雲寿の指はずぶずぶと娘の肛門に喰い込んでいく。

 

「そ、そんなあひ、ひいい」

 

 娘がさらに身体をのけ反らせた。

 だが、さっきまでのように身体は暴れなくはなった。

 尻穴に指が深く入り込んでいるのだ。

 暴れたくてもできないのだろう。

 その代わりに、排泄器官である肛門を弄られて、その嫌悪と汚辱感で激しく身体を震わせている。

 李安石もこの娘の身体でさんざんに遊んだが尻穴を弄んだことはない。

 

「どうやら、まだ尻穴を犯されたことはないようだな……。まあでも、慣れれば、女陰よりも余程に気持ちよくなるから心配するな。ほら、俺の指がわかるか? これは、どうだ?」

 

 沈雲寿が娘の恥辱をあおるように指で娘の肛門を揉みほぐしていく。

 

「いやあ堪忍して……。堪忍してください……」

 

 娘は懸命に哀願した。

 だが、沈雲寿が指をしばらく動かしていると、やがて、悲鳴に嬌声が混じりだしたのがわかった。沈雲寿の巧みな尻責めに娘が反応し始めたのだ。

 開いた股間からは、はっきりとした欲情の兆しが女陰から肛門に垂れ流れてきている。

 

「じゃあ、そろそろいいかな。早速だが、浣腸をするか。おい、準備しろ」

 

 沈雲寿が言った。

 

「か、浣腸?」

 

 娘がわけのわからないという表情をした。

 だが、それを尻目に沈雲寿の部下たちが荷から大きな管のようなものを取り出して、隣で準備していた液剤を吸い込ませた。

 

「な、なにをするつもりなんです? へ、変なことはやめて」

 

 その管のようなものが股間に近づいてくると、娘が顔色を変えた。

 

「変なものじゃねえさ。まあ、一度、受けてみれば、浣腸をいうのがなにかわかるというものだ」

 

 沈雲寿が娘の肛門から指を抜くと、部下から管を受け取り、その先端をさっきまで沈雲寿の指が挿し込まれていた娘の尻穴に入れて、管を使って、液剤を娘の尻の中に注ぎ込み始めた。

 

 

 *

 

 

「や、やめてえ──。変なことをするのはやめてください。いやあ、いやなんです」

 

 娘が暴れ出した。

 だが、拘束された身体を男三人に押さえつけられては、娘も抵抗のしようがない。

 娘は悲痛な表情をした顔を左右に振って、浣腸器の先端を受け入れさせられていく。

 

「へえ、それが浣腸器というやつかい。俺も初めて見たぜ。それを使って尻の穴に薬液を注ぎ込むということかい?」

 

 部屋の隅で見物を決め込んでいる李安石が呑気そうな声をあげた。

 まあ、役人のくせに、あんな悪党もいないだろう。

 女を次々にたらしこんでは、性調教で色情狂にしてしまい、悪行の片棒を担がせて抜き差しならない立場に追い込み、やがて、辻娼婦の真似事までさせた挙句に、闇奴隷として売り飛ばすのだ。

 おそらく、それを十人は繰り返している。

 

 ほかにも、役人という特権を最大限に活用して、女を騙したり、脅したりしてして、同様の仕打ちに遭わせている。そうやって、不幸な目に追い込んだ女は数しれない。

 この李安石こそ、正真正銘の悪党だと思う。

 まあ、その片棒を担いで旨い汁を吸い続けている沈雲寿が言えることでもないが……。

 

「あ、ああ……。な、なに、なんですか……。や、やめてください。そ、そんな……」

 

 やがて、冷たい液剤が腸にだんだんと流れ込んでくる感覚がわかったのだろう。

 娘はさらに身体を暴れさせようとするが、それを部下三人掛かりでしっかりと押さえ込ませる。

 それに管の先の金属部分の嘴管がしっかりと肛門の中に抉り入っている。

 娘には液剤の流入を防ぐ手段などない。

 

「あ、あたしは、ど、どうなるのですか……? こ、怖い。な、なにがどうなるんですか? ああ……」

 

 娘は肛門を管の先の嘴管で抉られることに激しい羞恥と狼狽を感じているようだが、どうやら浣腸をいうものがどんなものなのかは知らないようだ。

 

「どうなるか教えてやるよ。この管の中に入っている液剤をお前の腹にいっぱい入れれば、液剤がやがて逆流して大量の大便を垂れ流すことになるのさ……。だが、お前は縛られて動けない。つまり、どういうことになるかわかるな? 心配しなくても、ここには便を受ける大きな桶も準備したし、尻を洗う水も紙も支度してある。つまりは、浣腸というのはそういうことさ……。これから、ここにいるみんなで、お前が尻から糞を垂れ流すのを見物して、笑いものにしようと思ってな」

 

 沈雲寿はせせら笑った。

 娘の顔が悲痛に引きつった。

 やっと、浣腸責めというのが、なにをするものなのかわかったのだろう。

 

「いやああ。そんなことしないで。なんでもします。なんでもしますから。そんな恐ろしいことやめてください」

 

 娘が号泣し始めた。

 

「本当になんでもするのか?」

 

 沈雲寿は管を尻穴に挿し込んだまま言った。

 

「なんでもします。浣腸だけは嫌です」

 

 娘が激しく顔を横に振った。

 

「だったら、張形責めに変えてやろうか? 俺たちはお前を屈伏させるのが目的だから、どっちでもいいぜ。そのおまんこを張形で責めて欲しいと言えば、そうしてやろう」

 

 沈雲寿はそう言って、準備している真っ黒い張形を娘の顔の前に示した。李安石がこの娘に使っていたものとは、二回りも太いもののはずだ。娘は顔を蒼くした。

 

「そ、そんな大きなものは……」

 

 娘が絶句した。

 

「だったら浣腸だな。糞を垂れるのをじっくりと見物してやろう」

 

「ひいい、許してか、浣腸は嫌です」

 

「だったら、張形責めに変えるか?」

 

「そ、それは……」

 

 そんなことこんなに若い娘が選べるわけがない。だが、娘がそうやって絶望に追い込まれた顔になるのが愉しいから遊んでいるだけだ。

 しかし、沈雲寿が、だったら両方だと告げて液剤の注入を再開すると、娘がやっと浣腸だけは嫌だと小さく泣きながら言った。

 

「ちゃんと言わねえと浣腸だぞ。ほらっ」

 

 沈雲寿はわざと一気にまとまった量の液剤を管で押し込んだ。娘が悲鳴をあげた。

 

「……おまんこを張形で責めてください」

 

 娘が羞恥と屈辱に震えながらそう言った。

 

「よし、希望は前の穴だそうだ。お前、責めてやれ」

 

 沈雲寿は部下のひとりに声をかけた。

 その部下が卑猥な笑みをしながら、張形を受け取って大股開きの娘の股に座り直した。

 ぶうんと音がして、張形の先が振動を始める。

 

「ひいい」

 

 娘がそれに気がついて、びっくりして声をあげた。

 

「なんだ、それは?」

 

 李安石も驚きの声をあげた。

 

「調教用の魔道の淫具ですよ、李安石さん。道術の刻みが込めてあって、好きなように振動したり、動いたりさせられるんです。これを嵌められれば、どんな堅物の女でも泣き叫びますよ」

 

「へえ、便利な物があるんだなあ。面白れえ。今度、俺も次の女に使ってみるか」

 

 李安石が感心したような声をあげた。

 

「や、やああ」

 

 娘が身体をのけ反らせて絶叫した。

 振動で動いている張形の先が娘の肉芽の上にあてられたのだ。

 娘の先が張形を弾き飛ばすかのように踊った。娘の全身がみるみると真っ赤になり、全身から脂汗が噴き出す。

 

「動き回るんじゃねえ。浣腸液を注ぎ込むぞ」

 

 沈雲寿は怒鳴った。まだ、浣腸器の先端は娘の肛門に喰い込んだままだ。

 娘が少しだけ大人しくなった。

 だがそれは、音を出して動き続ける張形の先端を肉芽でじっと受け止めるということだ。

 

 やがて、また耐えられなくなったのか、喘ぎ声とともに娘が強く暴れ出す。

 沈雲寿は娘が暴れ出すのを見計らって、動くと浣腸液を注ぐと脅してから管を押し込む。

 すると、ちょっとだけ娘が大人しくなる。

 だが、張形を当てられている股間がやがてうねりを大きくする……。

 それを繰り返して、娘を追い込むのだ。

 沈雲寿は、娘がだんだんと追い込まれていくのを愉快な気分で見ていた。

 

 やがて、すっかりと娘の膣は、匂うような蜜で濡れ濡れになった。

 沈雲寿は部下にうなづいた。

 部下が張形を振動させたまま娘の女陰に沈めだした。 

 

「ぐんと深くまで飲み込みな」

 

 部下がからかうような口調で言った。

 

「あうう……ああっ……あぐううっ……」

 

 大きな張形を挿入させられて苦しいのか、娘の顔が歪んだ。

 

「ああ、こ、怖いい、痛いうううあああ」

 

 娘が苦痛の声をあげる。

 だが、それでいて腰はしっかりと淫情を示して淫らにうねっている。娘が快感に襲われているのは明らかだ。

 やがて、ついに張形がすっかりと娘の膣を貫いた。

 沈雲寿は嘴管の挿しこまれている肛門の上部の壁を振動を続ける張形に向かって押してやった。

 

「はああああ」

 

 娘のよがり方が強くなった。

 腸壁が張形の振動で刺激されて、新たな喜悦が走ったのだろう。

 全身が大きくのけ反っている。

 娘の身体中に小さな痙攣のような震えが走り出した。

 

「ああ、も、もう、許してください」

 

「いきそうなのか? いくときは許可を求めるんだ。許可なくいけば浣腸だ」

 

 沈雲寿は大きな声で叫んだ。

 

「ああっ、そんな……いぐ……いぎます……いきそうです」

 

 娘が四肢を突っ張らせて叫んだ。

 

「まだ、駄目だ。我慢しろ。いけば、浣腸だからな」

 

 沈雲寿は笑いながら言った。

 娘が悲痛な顔で歯を食い縛った。

 

「んんん」

 

 激しく首を振っている。

 沈雲寿は肩を押さえている部下に目配せをした。部下たちが左右から娘の乳房を揉み始める。

 一方で沈雲寿は、浣腸器を持っていない側の片手を伸ばして、振動する張形の根元に肉芽を押しつけるようにした。

 

「ひ、ひいいい」

 

 娘が喉から絞り出すような声をあげた。

 そして、全身を大きく突っ張らせて、がくがくと身体を震わせた。

 ついに気をやったようだ。

 

「いいだろう。振動をとめてやれ」

 

 沈雲寿の言葉で、部下が張形を操作して、とりあえず振動をとめた。乳房を責めていた部下もその手をやめる。

 だが、張形は深々と娘の膣に入ったままだ。

 娘はぐったりとして、汗まみれの身体を波打たせている。強い絶頂の余韻で半分意識がない状態だ。

 

「はあ、はあ、はあ……」

 

 娘の胸が大きく上下している。

 沈雲寿は、その娘の尻に再びじわじわと液剤を注ぎ込んでいた。

 

「う……あ……」

 

 娘の意識が戻った。

 しかし、まだ、とりあえず、浣腸液を注ぎ込まれているということには気がついていないようだ。

 

「はあっ? ああ」

 

 そして、はっと目を見開いた。

 やっと液剤がどんどんと腸に注ぎ込まれているというのがわかったようだ。

 

「いやああ──。やめてください」

 

 娘が絶叫した。

 

「やめてくださいもないものだ。許可なくいったら浣腸すると言ったはずだぞ。約束だから浣腸しているだけだ」

 

 沈雲寿はせせら笑った。

 

「あ、あんなの卑怯です。が、我慢できるわけが……ああ、ああっ、も、もう、注ぎ込まないで……」

 

 しかし、沈雲寿がわざと浣腸器の管の先で肛門の内襞を回し擦るように動かすと、再び嬌声をあげて喉をのけ反らせた。部下がすかさず股間に喰い込んでいる張形の振動を入れる。

 娘の身体が跳ねた。

 

「へ、変になるの。や、やめて」

 

 娘が悲鳴をあげた。

 前の張形だけではなくて、沈雲寿が浣腸器を淫具のように扱って刺激をしながら液剤を注いでいる。

 前後の穴を同時に責められる娘は、もう半狂乱だ。

 

「だ、だめ……く、苦しい……お、お腹がああ、こ、こんなの……あああっか、堪忍……して……ください……」

 

 しばらくすると、娘の反応にしっかりと便意の苦しさが混じりだす。これからが娘には苦しい時間だろう。便意の苦しみと快感の同時に耐えなければならないのだ。

 やがて、娘が絶息したような息を吐いた。

 

「い、いぎます、いくううっ」

 

「おうおう、いけ。いくのを許してやる。その代わり浣腸するからな」

 

 沈雲寿は笑いながらからかいの言葉を吐いた。だが、もう娘もなにを言われているかわからないようだ。

 再び、娘の腰ががくがくと跳ねた。娘は突っ張らせた裸身を痙攣させて気をやった。

 それに合わせるように、沈雲寿は浣腸器の中にあった液剤を最後まで娘の体内に注ぎ込んだ。

 

「も、もう……ゆ、許して……あああ……」

 

 娘が悲鳴をあげた。

 膣内の張形はまだ振動を続けたままだ。

 娘はもう息も絶え絶えの状態だ。

 二度目の気をやっても、脱力する余裕さえも与えずに、まだ張形の振動で責められているのだ。

 沈雲寿は部下に空になった浣腸器に液剤を追加させた。

 排便効果のある薬液が浣腸器に充満され直す。

 沈雲寿はよがりまくる娘の肛門に嘴管を挿し込むと、再び液剤の注入を再開した。

 

「許して、許して……」

 

 娘の抵抗はもうほとんどない。

 ただ、昇りつめさせられた絶頂からおりてくることを許されずにそのまま責めたてられて、ほとんど夢の中にでもいるような状態になっている。一方で、すでに強い便意に襲われている下腹部はその痛みで苦しそうだ。

 そして、娘が三度目の気をやったところで、やっと沈雲寿は張形を抜かせた。そのとき、沈雲寿は二回目の浣腸を終わらせた。

 

「も、もう許して……。か、厠に……」

 

 娘が呻いた。

 

「あと一回だ。我慢しな」

 

 沈雲寿はさらに空になった浣腸器を充満させた。

 今度は、張形の責めなしに浣腸液だけを注いでいく。

 排便の強い痛みに襲われている肛門に、さらに大量の液剤を強引に入れらるのは本当に苦しそうだ。

 だが、大したものだ。

 結局、途中で粗相をすることなく、娘は三本目の浣腸器まで空にした。

 

「か、厠に……」

 

 娘が引きつった声で叫んだ。

 

「心配するな。俺の部下がちゃんと世話をしてくれるよ」

 

 沈雲寿は少し娘の肛門から距離を取った。

 すると木桶を抱えた部下が、いままで沈雲寿がいた場所に割り込んできて、娘の尻の下に木桶をあてがった。

 

「いやあ、そんなひどいこと狂っているわ。いやああ。いや、いやです。厠に厠に行かせてください」

 

 娘が絶叫した。

 だが、もちろん、助けようとする男はここにはいない。

 

「そろそろだな。もう、お別れだし、思い出にお前が糞を垂れるのを見物させてもらうぜ」

 

 離れて愉しそうに見物していた李安石が椅子をおりて、娘の尻の後ろに位置した。

 娘がさらに泣き叫んだ。

 限界を遥かに超える液剤を腸に注ぎ込まれた娘が、いくらも耐えられるわけがない。

 しばらくすると、必死にすぼめられていた肛門がぷっくりと膨らんだ。

 そして、次の瞬間、噴水が弾けるような水便が娘の肛門から飛び出した。

 

「み、見ないで、ひいい、見ないで」

 

 娘の悲痛な声が部屋に響き渡った。



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57  宋江(そうこう)、悪党を追い詰めて始末する

 沈雲寿(ちんうんじゅ)たちは、まだ娘を責め続けていたが、とりあえず、夕方になったので、李安石(りあんせき)は彼らを置いて外に出てきた。

 完全に夜になれば、沈雲寿たちは、李安石の依頼により、宋江の家に火をつけて、中に隠れているはずの鈴玉(ぎょくりん)と赤ん坊を家ごと焼き殺してくれる手筈になっている。

 それが行われるときには、李安石は馴染みの居酒屋でも行って、放火のときには店にいたという証人をできるだけ多く作らなければならないのだ。

 

 それにしても、なかなか愉しい調教だった。

 浣腸責めというのには初めて触れたが、昼すぎから責められだした娘は、李安石が出てくる頃には、すっかりと従順な奴隷になっていた。

 最初に、玩具でいたぶられながら三回にわたって浣腸液を腹に注がれ、腹ぼて女のような姿にされて排泄させられた後、再び浣腸をされて、沈雲寿たち四人に交代で犯された。

 そして、また排泄させられ、さらに浣腸されて、今度は玩具で達しながら排泄を強要されていた。

 

 その凌辱は徹底したものであり、すっかりと気力を砕かれた娘は、もう逆らう気持ちを失ってしまったかのように、いまは尻用の張形で尻穴を拡げる調教を受けている。

 もう少し見物していたい気もするが、いつまでも付き合うわけにはいかない。

 それに、今度獲物になる娘を調達したら、李安石自身がやってみればいい。

 

 そのとき、大きな喧噪が背後の方向から聞こえた。

 なんだろうと思って振り返ると、一隊の軍が出動しているということがわかった。

 どうやら捕物らしい。

 李安石は、何気なく野次馬たちの集まる方向に戻っていった。

 

 そして、驚愕した。

 捕物が行われているのは、たったいままで李安石がいた廃屋だ。

 そこを軍が襲ったのだ。

 どうやら朱仝の隊らしい。

 野次馬に紛れて見ていると、中から沈雲寿たちが捕縛されて出てきた。

 

 背に冷たい汗が流れた。

 沈雲寿とはたったいままで、あそこで娘をいたぶっていたのだ。

 そもそも、娘を人さらい同然に闇奴隷商である沈雲寿に売り渡したのは李安石だ。

 沈雲寿が証言すれば、李安石の悪事も明らかになり、李安石まで捕縛される。

 李安石はどうしていいかわからずに呆然としていた。

 

「あっ」

 

 李安石は、捕縛されて出てきた沈雲寿たちに続いて現れた人影に、思わず声をあげてしまった。

 最後に毛布のような大きな布で身体を包んだ娘とともに出てきたのは、宋江(そうこう)だったのだ。

 

 かっとなった。

 これは、宋江の嫌がらせの捕物に決まっている。

 すると、野次馬の中にいる李安石に宋江の視線が向いた気がした。

 李安石は慌てて人混みから脱した。

 

 歩きながら、李安石はひとりで悪態をつき続けた。

 善人の仮面を被って、自分自身も悪行の上前をはねるような悪党でありながら、他人の商売の邪魔をするというのはどういう料簡なのだろう。

 これでは、当分、娘を騙して闇奴隷に売り飛ばして儲けるという商売はできない。

 なんということだ──。

 しばらくのあいだ、茫然と歩いた。

 

 宋江が李安石のやっていることを承知で、李安石の金子の種を潰したのは明白だ。

 李安石はこれからのことを考えると途方に暮れた。

 信頼のできる闇奴隷商を見つけるのは容易じゃない。

 しばらく、女を売り飛ばす商売はできそうもない。

 

 第一、沈雲寿が李安石のことを自白すれば、李安石の悪事が露見する可能性も高い。

 まあ、調べにあたるのは宋江であるはずだから、金子を搾ろうとしている李安石を簡単に捕縛させたりはしないだろうが、これでまた李安石の弱みを掴んだ宋江がさらに金子を上乗せして要求するかもしれない。

 

「あれっ?」

 

 李安石はそのとき腰がやけに軽いことに気がついた。娘を売り払った代金を袋に入れて腰にぶら下げていたはずだ。

 

「な、なに?」

 

 李安石は道の真ん中で大声をあげた。 

 腰の袋がないのだ。

 落としたのではない──。

 腰帯には、しっかりと袋の紐は残っている。だが、鋭利な刃物で切断されたように袋の部分がなくなっている。

 

 すられた──。

 そう思った。

 さっき、野次馬に囲まれたときに違いない。

 あのとき、スリがそばにいて李安石が腰にさげていた袋を盗み取ったのだろう。

 そして、懐を探って、李安石はさらに顔を蒼くした。

 財布もない。

 綺麗になくなっている。

 

 李安石は愕然とした。

 そして、逆上した。

 頭の中のなにかが切れた気がした。まるで糸かなにかが切れるようにぷつんと切れたのだ。

 切れたら頭が回ってきた。

 なにをこんなに耐える必要があるというのだ。

 いま、宋江は、沈雲寿を捕えて捕縛していった。

 

 動いたのは、朱仝(しゅどう)の隊だ。だったら、数日前からなぜか宋江の家の周りをうろうろとしていた朱仝の隊の影も、宋江の家の近くにはないはずだ。

 だから、いま宋江の家にいるのは、匿っているはずの鈴玉とその子だけに違いない。

 だったら、いまが絶好の機会ではないか──。

 宋江に女房のようなものがいるのかどうかは知らないが、いたとしても、斬って捨ててしまえばいい。

 そうすれば、宋江にも、こっちが本気になれば、とんでもないことになるということに、やっと気がつくだろう。

 

 李安石は、きびすを返し、その足で宋江の家に向かった。

 途中で陽が暮れてきた。

 宋江の家は城郭の中でも、周りに家もまばらな静かな場所にある。建物などが途切れ、樹木や草木が茂った場所の中にぽつりと宋江の家があるのだ。

 歩いていると建物の灯火がなくなり、月明かりが頼りという感じになってきた。

 人影はない。

 

「どこに行くのだ、李安石?」

 

 不意に声をかけられた。

 どきりとして振り返ると、そこに立っていたのは宋江だった。

 

「お、お前、なんでここに?」

 

 宋江は、今頃、沈雲寿の調べのはずだ。どうして、ここにいるのだろう──?

 

「なんでということはないだろう。今日の仕事は終わったから家に戻るところだ。この先には俺の家があるのだ。知っているだろう?」

 

 宋江が言った。

 李安石はそのとき、宋江の後ろに誰かいることに気がついた。

 はっとした。

 女だ──。

 顔を覆いで隠していて、赤ん坊を包んだようなものを抱いている。

 鈴玉だ──。

 とっさに悟った。

 

 家に鈴玉を匿っているという宋江の言葉の真偽を確認しようと遠目で見た女がこの女に違いない。

 しかし、よく顔を見ようと近づいて呆気にとられた

 覆いの中に隠れていたのは鈴玉ではなかったのだ。

 似ても似つかぬ女だ。

 しかも、赤ん坊に見えたのはただの布の塊だ。ただ赤ん坊でも抱いているように見せていただけだ。

 

「そ、その女は誰だ?」

 

 思わず李安石は叫んだ。

 すると、宋江が笑った。

 

「俺の女房だ。たまたま城郭で行き合ったので一緒に戻るところだ」

 

「その包みなんだ? なんでそんなものを抱えさせているのだ──?」

 

 李安石はさらに声をあげた。

 宋江の代わりに女が口を開いた。

 

「……ほんと……。あたしにもわけがわかりません。しばらく、顔を隠して布を巻いた包みを抱いていろと言われたんですから。でも、旦那様の言いつけですから、まるで赤ん坊でも抱くようにしばらくすごしていたんですよ」

 

 女が笑った。

 李安石は頭に血が昇るのを感じた。

 やはり、鈴玉はいなかったのだ。

 宋江はそう見せかけておいて、李安石を脅して金子を奪っただけだったのだ。

 

「お、お前、鈴玉を匿っているというのは嘘だったのか──。鈴玉はどこだ──?」

 

「鈴玉は冥界だ。だが、遭いたくても遭えんだろうよ。お前が死んでも地獄にしか行かんだろうからな」

 

 宋江がせせら笑った。

 李安石は剣を抜いた。

 幸いにも人影はない。

 ここで宋江とその女房を殺しても、見ている者はいない──。

 

「やっと、剣を抜いたか、悪党──? どこまで追いつめれば、自暴自棄になって、俺を襲ってくるのかと思っていたが、案外に我慢強かったな」

 

「ほざくな──」

 

 斬り込んだ。

 宋江は、まだ剣も抜いていない。

 遣い手で知られた李安石とは異なり、剣技にかけては宋江は腑抜けのはずだ。

 この男は剣を抜くどころか、荒事ひとつやったと耳にしたことはない。

 李安石は、宋江の肩から胸を斬り落とすつもりで剣を振りおろした。

 しかし、なにかが腕に当たった気がした。

 自分の剣がなぜか横に飛んでいったのがわかった。

 なぜ……?

 と考えようとして、飛んだ剣に手首がついているのが見えた。

 

「うぎゃあああ」

 

 やっと、李安石は、剣を持ったまま右手首を斬り落とされたのがわかった。

 目の前の宋江は剣を持っている。

 だが、李安石には宋江が鞘から剣を抜いたのさえ見えなかった。

 

「お前のような悪党は、ただ殺すのはつまらんが仕方がない。息をするだけで罪悪をまき散らすような男だしな」

 

 気がつくと、宋江の剣が李安石の心臓を貫いていた。

 やはり、宋江の剣が動くのはまったく見えなかった。

 

 *

 

 

 骸になった李安石を道の溝に蹴り飛ばした。

 

「ちょどいい具合に財布も持っていないしな。金子を狙った強盗にでも遭ったということになるだろう。あるいは、軍営の牢に放り込んでいる沈雲寿と仲間割れして殺されたことにしてもいい。まあ、辻褄の合わないところはどうにでもなる」

 

 宋江はうそぶいた。

 野次馬の中で李安石から金子をすったのは葉芍(はしゃく)だ。

 この十日余り、宋江は李安石を追い詰めて、宋江を襲わせようとしていたのだ、その一連の行動の一環だ。

 

「あ、あのう……。だ、旦那様は強いんですね。大丈夫だと言われていましたが、李安石が襲ってきたときには、肝を潰しました」

 

 まだ蒼い顔をしている葉芍が言った。

 

「惚れ直したか?」

 

 宋江は笑った。

 

「はい」

 

 しかし、葉芍は真顔で大きくうなずいた。

 宋江は照れてしまった。

 

 

 *

 

 

「わざわざ来られるとは恐縮です。誰かに言付けでもしていただければ、すぐに参りましたものを……」

 

 晁公子(ちょうこうし)が言った。

 東渓村(とうけいそん)という運城の管轄内の村だ。

 目の前にいるのは、三十五歳の女名主の晁公子だ。

 美人だが一度も結婚はしたことはない。

 宋江の知る限り男の影はなく、とてもつつましく暮らしている。

 まあ、表向きだけの話ではあるが……。

 

「たまには葉芍を外に連れて行きたくてね。なにしろ、生まれてから、ほとんど、運城(うんじょう)の周りから離れたことのないような女だから……」

 

 宋江は言った。

 

「まあ、お優しいことで……。仲のよい夫婦とご評判のようですね」

 

 晁公子が微笑んだ。

 自分のことに触れられた葉芍が顔を赤くした。

 宋江は葉芍とともに東渓村の晁公子の屋敷を訪ねてきたのであり、いまは屋敷の応接室で晁公子と三人で卓を囲んでいる。

 

「……それに、一度、俺自身の眼でこの村を見ておきたかったのですよ」

 

 宋江は言った。

 

「まあ、それでなにか変ったものがありましたか?」

 

「いいや……。もっと変わったものが見れるかと思ったのですが、なにからなにまで普通の村ですね」

 

「当然でしょう──。ここは普通の村ですから」

 

 晁公子は笑った。

 そのとき、客間の外から声がかけられた。

 

「どうぞ、お役人様」

 

 十二、三歳の可愛らしい童女が温かい飲み物を運んできた。

 

「ありがとう」

 

 宋江は礼を言った。三人分の茶が卓に並べられる。

 

「こんな娘さんがいるとは知りませんでした」

 

 宋江はその童女を眺めながら言った。

 

「行儀見習いで預かっている子供です。香孫女(こうそんじょ)、もういいわ。退がっていて」

 

 晁公子が童女に言った。

 

「わたしは隅で立ってます。侍女のようになんでも言いつけてください」

 

 香孫女と呼ばれた童女がにこにことほほ笑みながら言った。

 

「大丈夫よ、香孫女……。この方は信用のできるお役人なの」

 

「信用のできるお役人? 晁公子小母さんも不思議な物言いをするのですね……。まあいいです。外に出ています。なにかあれば、叫んでください」

 

 香孫女が年齢にそぐわないような皮肉っぽい口調で応じて出て行った。

 

「役人が嫌いのようですね」

 

 宋江は苦笑した。

 

「あとで叱っておきます」

 

 晁公子が不機嫌そうに言った。

 

「いや、それには及びませんよ。役人が好かれる理由はないというのは知っていますから」

 

「それでも、わたしの客なのです。彼女は親切に振る舞うふりをしなければならなかったのです……。ところで、なにか特別な用向きがあったのですか? まあ、実はわたしも、近々、もう一度お伺いしなければならないと思っていたのですが……」

 

 晁公子は言った。

 宋江は荷から袋を出した。

 先日、晁公子が宋江の家に置いていったものだ。

 中身は金両だ。

 晁公子は当惑した顔になった。

 

「これは?」

 

「頼まれたことはできませんでした。収容所を逃亡した五人をあなたのところに送ることができず死なせてしまいました。失敗した依頼に対する報酬は必要ありません。返しに来ました」

 

「それは……。でも、もともと、できる範囲でということでお願いしたことですし……。それに、あなたがそれ以上のことをしてくれたということはわかっています。悪党を掃除してくれたのでしょう? ついでに、悪党をつるんでいた闇奴隷商の方も……」

 

「なんのことかわかりませんが、いずれにしても賂をもらうにしても、報酬に対してはもらいますが、失敗したことに対してはいりません。これも性分でしてね」

 

「掃除の代金……。そう取ってもらっても結構なのですよ、宋江殿」

 

「掃除の代金は、すでにもらっています。ごみどもから取りあげたものがあるのでね。汚い金子でも金子は金子です……。それに、あのごみを掃除するのに、こんなに金をかけてはいけませんね……。それよりも、あの五人の弔いの一部にしでもしてもらえればありがたいですね」

 

 李安石に斬られて死んだ鈴義(りんぎ)たち五人の遺体は、ひそかに晁公子の息のかかった者に下げ渡した。彼らの墓は晁公子が面倒を看てくれているはずだ。

 

「まあいいでしょう。しばらく、お預かりしておくということで……」

 

 晁公子は卓の上の袋を取って横の台に置いた。

 

「……ところで、宋江殿、いまの世をどう思われますか?」

 突然に晁公子が言った。

 

「いまの世?」

 

 宋江は不意の問いかけに面喰った。

 

「李安石という悪党……。あんなのは、あなたの言われるとおりに、ごみのようなものです。でも、この国は大なり小なりすべてがそうなのです。まともな者は生きてはいけない。利権をあさる者のみが堂々と生きて、正直者は理不尽にも踏み潰されるだけです。この国には荒療治が必要ですね」

 

 晁公子は言った。

 驚いた。

 晁公子の物言いは、謀反人の言葉そのものだ。晁公子は仮にも役人の宋江に、謀反の必要を説いているのだろうか。

 

「荒療治ですか……」

 

「そうです。あなたは、あなたの周りにいるごみを綺麗にしようとした。でも、その結果、綺麗になりましたか?」

 

 宋江は晁公子をじっと見た。

 やはり、晁公子は宋江たちがやっていることを知っているようだ。

 さっきも、宋江が李安石を殺したことを承知して、それが前提のように会話をしてきた。

 怖い女だ。

 宋江は苦笑した。

 

「そうですね……。汚いものを取り除こうとしても、また別の汚いものがやってくるだけでしたよ。なにしろ、流れている水そのものがどぶのように汚れているのです。そこからどんなに汚れているものを除いても、やはり、別の汚れものがやってくる。いまは俺はそれを痛感しています」

 

「でも、汚れたものを取り除こうとされた……。それは素晴らしいことです。だったら、いっそのこと、汚れの大元を取り除こうとは思いませんか?」

 

「汚れの大元?」

 

「この国そのものですよ、宋江殿」

 

 晁公子はにっこりと笑った。

 

 

 *

 

 

 運城に戻ってきたのは夜だった。

 城門が閉まるぎりぎりであり、もう少し遅れれば、城郭には入れないところだった。

 

 東渓村で晁公子と語り合ったことに、宋江が興奮していることは明らかだった。

 運城の城郭に入って家に戻ると、宋江は興奮が収められないように、葉芍に服を脱ぐように命じた。

 葉芍は黙って全裸になって、両手を背中に曲げた。

 宋江がすぐにその腕に縄をかけてきた。

 

 東渓村で晁公子と宋江がふたりきりで語り合ったのは、この国に対する叛乱のことだった。

 その場に葉芍はいたが、あの状況では葉芍はいないも同然だった。葉芍はただ茫然とそれを聞いていただけだ。

 

 旗を掲げ火をつければ、燎原に炎が拡がるように叛乱が大きくなるはずだ──。

 それには、大きな核となる拠点が必要──。

 城郭を奪い軍資金を得る──。

 そのための方法──。

 軍の一部を根返らせえるには──。

 

 ふたりはさまざなことを語り合っていた。

 葉芍にはその半分どころか、一部でさえも理解できなかったが、ふたりが怖ろしいことを話しているということはわかった。

 いずれにしても、宋江がすっかりと興奮しているのは横でわかった。

 葉芍は、あんなにも多弁な宋江に接するのは初めてのような気がした。

 

 ふたりが語っていたのは、それほど長い時間ではなかった。せいぜい二刻(約二時間)というところだろう。

 今日中に城郭に戻らなければならない宋江には、それ以上東渓村に滞在できなかったのだ。

 

 晁公子が宋江にもう一度東渓村に来るように告げて、宋江と葉芍は東渓村を後にした。

 そのとき、晁公子は、あの村とは別の隠し村と呼んでいる場所があるとも宋江に教えていた。

 そこを宋江に今度見せたいとも……。

 

「次には時間を作って、晁公子殿の隠し村にも行こう──。そのときはお前の一緒に来るのだ、葉芍。朱仝も連れて行かねばならんな。できれば、雷横も誘いたいところだ。まあ、人を増やすのは慎重に見極めねばならんがな」

 

 宋江が葉芍の身体に縄掛けをしながら言った。

 身体に喰い込む縄はいつもよりも強かった。葉芍は歯を食い縛って、苦痛の声が洩れないようにした。

 宋江は後手縛りをした葉芍の身体を前に倒して床の絨毯に伏せさせ、双臀を高くもたげさせた。

 

「俺は晁公子殿と話して、なにを目指すべきなのかがわかった気がする」

 

「旦那様は、あの晁公子殿のしようとしている叛乱に加わるのですか?」

 

 葉芍は尻をあげた不格好な態勢のまま訊ねた。

 宋江のやろうとしていることに反対する気持ちはないが、それだけは知って起きたかったのだ。

 あの晁公子が、叛乱を企てているということはわかった。

 晁公子はそれを隠そうともせずに、宋江に語りかけた。

 そのとき、晁公子は宋江に自分の一党に加わるように宋江を誘った。

 しかし、宋江は明確には答えなかったのだ。

 葉芍の質問に、宋江はにっこりと微笑んだ。

 

「晁公子殿の叛乱には加わらん」

 

 宋江は微笑んだままはっきりと言った。

 その言葉に葉芍は少し驚いた。

 こんなにも興奮しているのは、てっきりとそのつもりだと思ったからだ。

 晁公子もそう思ったから、なにもかも打ち明けたのだろう。

 

「……晁公子殿の叛乱に加わるつもりはない──。いまのところはな……。俺には俺の人脈がある。謀叛に近いことをしていることを知っていながら、役人としてひそかに逃がしてやった者もいるし、世直しの殺人を通じて世の理不尽をともに語り合った者たちもいる。そういう者とはいまでも手紙などで親交がある。彼らの中には叛乱を説けば、すぐにでも参加しようとする者もいると思う……。まずはそれを説いて、ひとつの糾合勢力としたい。彼らもまた、世の中に憤りを感じてそれをどうしていいかわからない者だ。彼らにも俺が感じた思いを伝えたいのだ。旗を立てよ──。声をあげよとな」

 

 宋江がしゃべり続けた。

 

「は、はあ……」

 

「葉芍、俺はおそらく、近いうちに役人をやめる。そして、全国にいる彼らに叛乱を説く仕事をしようと思う。そのときは、お前も着いてくるのだ。いいな……。すまんが、連座を覚悟してくれ。どう考えても、葉芍を手放す選択肢はない」

 

「も、もちろんです。どこにでも着いていきます」

 

 葉芍ははっきりと言った。

 この国への叛乱とか、勢力の糾合とか、難しいことは葉芍にはわからない。

 宋江とともにいられればそれでいいのだ。

 だから、嬉しかった。

 しかも、宋江が葉芍に連座と言ってくれた。

 なんの躊躇いもなく、一緒に道連れにすると口にしたのだ。

 本当に嬉しかった。

 とにかく、宋江が役人をやめたとしても、葉芍が捨てられることはないのだと知ってほっとした。

 それに、運城から出たことのない葉芍には、宋江ととともに旅をするというのは愉しみだ。

 

「……まあ、その前に晁公子殿との約束事があるからな……。それは済ませねばならんか……。梁山湖の湖畔街道にある料理屋の女を晁公子殿に紹介をせねばならんな。それは頼むぞ、葉芍」

 

「は、はい……。でも、知っているといっても、そんなに親しいわけでは……」

 

 葉芍は困惑しながら言った。

 晁公子と宋江の会話の中で、晁公子が梁山泊にある湖塞を手に入れたいという話になり、そのために晁公子は、自分の息のかかった誰かを湖塞の中の盗賊団に潜入させたいと言ったのだ。

 ただ、盗賊団の首領の王倫という男は、非常に心の狭い男であり、なかなか新参者を盗賊団には入れないのだという。

 また、その盗賊団と連絡をつけるには、湖畔街道にある料理屋を営んでいる朱貴美(しゅきび)という王倫(おうりん)の愛人を通さねばならず、晁公子がその伝手を探していると言ったのだ。

 

 葉芍は、その朱貴美を知っている。同じ橋の下の仲間ではなかったが、同じような境遇の集団のひとりだった。

 葉芍に比べれば十歳は年長だったと思う。

 いまにして思えば、まだ少女のような年齢だったと思うが、幼い葉芍からすらば、妖艶な雰囲気のある美しい大人の女だった。

 

 運城で盗賊稼業を続けた葉芍に対して、朱貴美は年頃になると、男とふたりで旅立っていった。

 それからしばらく音沙汰がなかったのだが、数年して今度は王倫の愛人として、湖畔街道で料理屋を始めだしたのだ。

 葉芍も数回会いにいったが、あのとき一緒に出て行った男の影はどこにもなかった。

 朱貴美もその話題は出さなかった。

 その朱貴美を紹介すると、晁公子に約束したのだ。

 宋江が晁公子との約束事と言ったのはそのことだ。

 

「それよりも、今夜は面白いことをしてやるぞ、葉芍──。そのまま、待っておれ」

 

 まだ興奮している様子の宋江が、一度部屋の外に消えた。戻ってきたときには、筒のようなものを持っていた。

 

「な、なんですか、それは……?」

 

 葉芍は思わず訊ねた。

 筒には液体のようなものが入っている気配だ。それをポンプで先端から押し出す感じだ。

 

「数日前に、あの沈雲寿を捕えたときに没収したものだ。ほかにもたくさんの淫具を没収したのだが、これは最初に試してみたくてな」

 

 いきなり、宋江が葉芍の肛門に指を入れた。

 油剤のようなものを塗っていて、それをまぶすように動かし始める。

 

「はあ……はっ、ああっ、はあっ、旦那様……き、気持ちいいです……」

 

 葉芍は身悶えた。

 宋江の手は葉芍にとっては魔道の手だ。どこをどう触られても感じてしまう。それが敏感な肛門を抉るのだ。たちまちに、葉芍の身体は淫情に包まれた。

 

「いやらしい身体だな。俺の女房に相応しい」

 

 宋江は笑った。

 しばらくそうやって宋江は葉芍の肛門をいたぶっていたが、すっと指が抜かれ、そこに冷たいものが挿入してきた。

 

「ひゃっ──」

 

 葉芍は悲鳴をあげた。

 挿し込まれた管を通じて、液体がじわじわとお尻の中に流入を始めたのだ。

 

「あっ、な、なんですか、旦那様。な、なにをなさっているのです? こ、怖い。怖いです」

 

「暴れるんじゃないぞ、葉芍。これは浣腸だ。たっぷりと液剤を入れてやる。そうすれば強い排便が襲うそうだ。葉芍の排便姿というのも一度見てみたいと思ってな」

 

 葉芍はびっくりした。

 

「そ、そんな、そんな恐ろしいことは堪忍してください、旦那様。それだけは嫌です」

 

 葉芍は飛びあがりそうになった。

 

「暴れるな。もう遅い。液剤はもう尻の中だ。観念しろ」

 

 宋江が大きな声で一括した。

 それでもう葉芍は反抗する気力を削がれた。

 その葉芍にさらに浣腸器で液剤が流し込まれる。

 やがて、便意が襲ってきた。

 葉芍はもうどうしていいかわからず、ただ脂汗を流しながら、宋江が嬉々として注ぎ込む液剤を受け入れいるだけだった。



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第18話  生辰綱事件
58  劉唐姫(りゅうとうき)香孫女(こうそんじょ)の術で裸踊りをする


劉唐姫(りゅうとうき)さん──、素敵ですよ──」

「たまらないよ」

「脱げ──脱げ──脱げ──」

 

 大きな男たちの歓声が聞こえてきた。

 呉瑶麗(ごようれい)はまどろみから目を覚ました。

 東渓村(とうけいそん)の隠し里と晁公子(ちょうこうし)が呼んでいる白巾賊(はくきんぞく)の砦だ。

 

 東渓村からさらに山中に進んだ場所にあり、その経路は迷路と障害によって隠されている。

 百人ほどの叛徒がここで生活をしていて、隠し里の中心に砦があり、その周りを囲むように叛徒とその家族が暮らす家や田畠、そして、工房が拡がっているのだ。

 呉瑶麗の執務室を兼ねた生活の場所は、隠し村の中心になる砦の中にある。

 

 ここで書物を読み耽っていたのだが、いつの間にか居眠りをしていたようだ。

 呉瑶麗はこのところ、この砦にある書物を朝から晩まで読み耽るという生活を続けていた。

 この砦に集められている書物は晁公子が集めたものであり、北州を中心とした地誌、経済、軍事などに関するもので主体で、その量は大きな書庫室にいっぱいになるくらいだ。

 ほとんど整理はされていないのだが、呉瑶麗はそれをひとつひとつ頭に入れながら整理する作業を続けていた。

 特に、その中で地形図に関するものはすごい。

 よくもこれだけの精緻な資料を集めることができたものだと感心するほどだ。

 おそらく、これだけの資料は、帝都にも北州都にもない気がする。

 

 これだけでも、晁公子がこの国に対する叛乱というものを大真面目に考えているということが悟れる。

 呉瑶麗がやっているのは、これだけの資料をもとに、頭の中で想定を繰り返すことだ。それは軍事に関するものだけでなく、商いに関することもあるし、人の心に関することもある。

 とにかく、呉瑶麗はこれから始める本格的な叛乱に備えて、地形図を見ながら頭の中でさまざまな想定を繰り返していた。

 なにしろ、白巾賊を作った頭領の晁公子は、帝国との本格的な叛乱に備えて、その軍師に呉瑶麗を指名したのだ。

 それは呉瑶麗がかつて軍学をかじったことがあるという理由からにすぎなかったが、呉瑶麗はそれに応えようと、懸命に資料を読み耽っている。

 

 そして、今日も同じように資料を前にすごしていたのだが、いつのまにか居眠りをしてたようだ。

 顔をあげると、いまは夕方というところだろう。

 

 それにしても、この騒ぎはなんだろうか──?

 たくさんの男たちが砦の一室で大きな声で騒いでいるようだ。

 珍しいこともあるものだと思った。なにしろ、この隠し村には、白巾賊の精鋭が百人ほどいるのだが、ほとんどはこの砦には暮らしておらず、砦を囲むように作られている隠し畠や隠し田で農作業をしながら、その周辺に作られている家で暮らしている。

 この砦は、普段は武具の倉庫のような役割しかしておらず、人間の出入りはあまりない。

 いつもはひっそりとしているのだ。

 

「劉唐姫さん──いいですよ──」

「素敵な肌です──。もっと脚を見せてくださいよ──」

 

 そんな声も聞こえる。

 

 劉唐姫?

 

 何度か遭ったことがある晁公子とともにこの白巾賊を立ちあげた女だが、普段は旅をしていて、東渓村にはいない。

 風来をしながらあちこちの土地を巡っては、官軍に関することや人材に関する情報を提供しにやってくる。

 その劉唐姫が、ここに戻って来たのだろうか?

 いずれにしても、なにが起こっているのだろう?

 声から判断すると、集まっているのは二十人ほどの男のようだ。

 いずれも、白巾賊の仲間たちのようだが、なにをしているのだろう?

 呉瑶麗は騒いでいる部屋の方向に行ってみることにした。

 

「な、なにをやってんのよ──」

 

 そして、部屋を覗き見て驚愕して大声を発した。

 上半身が胸当てだけの晁公子が部屋の真ん中の卓にあがって、艶めかしく踊っているのだ。

 それを二十人ほどの賊徒の仲間の男が取り巻いて拍手喝采して歓声をあげている。

 

「あら、呉瑶麗……。あんたも見ていってくれる? あたしの裸踊りよ。踊りがあたしの生き甲斐なのよ」

 

 呉瑶麗に気がついた劉唐姫がとろんとした目つきで言った。

 その顔は明らかに正常ではなく、まるで酒にでも酔っているかのようだ。

 だが、酒とは違う──。

 これはもっと別のものだ……。

 そして、呉瑶麗は部屋全体にたちこめているお香のようなものに気がついた。なにか甘い菓子を思わせるような匂いが部屋に充満している。

 

 呉瑶麗はとっさに手で鼻を覆った。

 おそらく、これが劉唐姫の正気をおかしくしている……。

 よく見ると、様子がおかしいのは劉唐姫だけではない。

 部屋に集まっている男たちも同様だ。

 全員がなにかに憑かれたかのようなおかしな表情をしている。

 

 一方で、卓の上に乗っている劉唐姫は、艶めかしく身体を動かしながら腰を動かしたり、下袍(かほう)をたくしあげたりして白い太腿を露出している。

 男たちは大喜びだ。

 

 やがて、劉唐姫は男たちの歓声に合せるように、腰から下袍をおろした。

 下袍の下は白い股布だった。その股布に包まれた官能的な尻が左右に揺れた。

 劉唐姫は脱いだ下袍をぽんと男たちに投げ捨てた、

 まるで、こんな裸踊りを専門にしている女であるかのような堂々とした振る舞いだ。

 そして、劉唐姫はしばらく股布姿の踊りを続けてから、赤毛をたくしあげて、背中に手を回した。胸巻きを外すようだ。

 

 男たちが一斉に嘆息した。

 胸当てを外して片手に持った劉唐姫は、両手で乳房を隠すようにして、じらすように踊ってから、さっと両手を上にあげた。

 美しい乳房が露わになった。

 劉唐姫が腕を頭の上にあげて、身体を左右にくねらせている。劉唐姫のふたつの乳房がそれにより、ぶるぶると震える。

 男たちの声は最高潮になった。

 劉唐姫は呉瑶麗よりも五歳上の二十五歳のはずだが、肌も乳房の張りも少女のようであり、しかも、乳房は量感があるのに少しも垂れることなくつんと乳首が上を向いている。

 劉唐姫の裸身を眺めている男たちは、すっかりと劉唐姫の裸身に魅了されたように歓声をあげている。

 

 劉唐姫はその歓声に挑発されるように、今度は股布に手をかけた。

 呉瑶麗ははっとした。

 見惚れている場合ではない──。

 なんであんなことをしているのか知らないが、止めなくては……。

 しかし、この香には、人を朦朧とさせる仕掛けがあるみたいだ。呉瑶麗もぼうっとしてしまっている。

 

「や、やめなさい、劉唐姫。正気に戻って──」

 

 呉瑶麗は男たちを掻き分けて、劉唐姫のいる卓まで進んだ。そして、腰の股布に手がかかっていた劉唐姫の手を股布から離させて、強引に卓から引きずりおろした。

 周囲の男たちの不満そうな声が起こった。

 

「あ、あんたらもいい加減にしなさい。解散よ。解散」

 

 呉瑶麗は声をあげた。

 

「いいではないか、呉瑶麗。これはちょっとした仕返しじゃ。この赤毛は、さっきもわしを子ども扱いをして、からかいおったから、ちょっと催眠の道術で裸踊りをさせてやっているところじゃ……」

 

「香孫女?」

 

 びっくりした。

 男たちの陰に隠れるように香孫女(こうそんじょ)がいたのだ。

 

「まあ、集まっている男たちも、お香のために正気を失っているし、これが記憶に残ることはない。だが、劉唐姫は正気に戻っても、男たちの前で裸踊りをしたという記憶が残る。まあ、それだけのことじゃ」

 

 呉瑶麗は、この騒動の原因を理解した。

 おそらく、劉唐姫はこの隠し村に、なんらかの目的で久しぶりにやってきたのだろう。

 そして、隠し村で香孫女と遭った。

 劉唐姫と香孫女はなぜか仲が悪い。

 とにかく、劉唐姫は、道術を操る年齢不詳の見た目が十二歳の香孫女が大嫌いなのだ。

 それで喧嘩になった。

 

 喧嘩の理由はおそらく他愛のないことなのだと思うが、その喧嘩の結果がこれなのだろう。

 香孫女は劉唐姫に催眠の道術とやらをかけて、裸踊りをさせているに違いない。見物人の男たちも、同じように、香孫女が操っているのだと思う。

 それにしても、こんなのはひどすぎる。

 呉瑶麗はかっとした。

 

「いい加減にしなさいよ、香孫女──。あんた、やっていいことと悪いことの区別もつかないの──」

 

 呉瑶麗はつかつかと香孫女のところに進んでいくと、思い切り頬を引っ叩いた。

 

「い、痛い。な、なにをするのじゃ?」

 

 香孫女が頬に手を当てて叫んだ。

 

「なにをするじゃないわよ。もう一発食らわされたいの? さっさと劉唐姫の魔道を解いて、男たちを解散させなさい」

 

 呉瑶麗は手を振りあげた。

 香孫女が手を顔の近くにやって避けるような仕草をしたが、呉瑶麗が打ってこないとわかると、きっと呉瑶麗を睨んだ。

 

「わ、わしに手をあげたな、呉瑶麗。お前と言えども許さんぞ」

 

 香孫女が怒鳴った。

 呉瑶麗は力任せに香孫女の頬を腕ごと叩いた。

 香孫女がその場に崩れ落ちる。

 この間、周囲の男たちはしんとして静まり返っている。

 まだ、操られ状態の劉唐姫は呆然としていているようだ。

 

「よ、ようもやったな……。し、仕返しの覚悟はいいのだろうな、呉瑶麗……。公子殿が一目置く女だから、わしも一目置いてやっていたのじゃぞ。わ、わしを怒らせるとは、よい覚悟じゃな……」

 

 叩かれた左右の頬を真っ赤にして香孫女が起きあがった。

 

「怒っているのはわたしの方よ。もう言わないわよ。解散させなさい」

 

 呉瑶麗は声を張りあげた。

 香孫女が怒った表情のまま立ちあがった。

 たったいままで甘い菓子のような匂いだったお香の匂いが変わった。つんとする刺激臭に変わったのだ。

 

「男衆は出ていけ……。ここで見たもの、聞いたものは、すべて外に出たら忘れてしまう……。なにも起こらなかったように、それ以前にやっていたことを続けよ。すべてを忘れるのだ」

 

 香孫女が抑揚のある節回しでそう言った。

 すると、劉唐姫の裸踊りを熱狂的に見ていたのが嘘のように、男たちはぞろぞろと部屋を出ていった。

 部屋の中は、呉瑶麗と香孫女と、まだぼうっとしている劉唐姫の三人だけになった。

 

「これでいいのじゃな、呉瑶麗」

 

 香孫女が挑戦的な表情を呉瑶麗に向けた。

 

「結構よ。じゃあ、劉唐姫にかけている道術を解きなさい。そして、謝るのよ」

 

 呉瑶麗は左右の腰に手をあてて、香孫女を睨んだ。

 しかし、そのとき、香孫女の頬が綻んだ。

 

「そうじゃな……。術を解くか……。だが、その前に、少しだけ遊ぼうかのう……。わしの頬を引っ叩いた生意気女に仕返しもせんとならんしのう……。なんだかんだで、もう、わしの焚いたお香をたっぷりと吸っておるじゃろう、呉瑶麗? 身体に異常はないか? なんだか身体が熱くなっておりはせんか?」

 

 香孫女が笑った。 

 残酷さを湛えた笑みだった。

 見た目が十二歳の童女だけに、大人びた笑みとの格差が呉瑶麗をぞっとさせる。

 

「ど、どういう意味よ……?」

 

 呉瑶麗は言ったが、さっきの香孫女の言葉の終わりとともに、確かに急に身体が熱くなった。身体が火照って服の下で汗が一斉に湧き出てくる。

 

「どういう意味もなにもないわ……。わしのこのお香は魔道の香じゃ。お前の心に沁み込んでいる性癖を浮びあがらせる……。そういう操りの魔香だ。劉唐姫は、それで操ったのだ……。そして、お前も同じように、もう操られているということじゃ……。さあ、ところで、お前はどういうことをされると欲情するのじゃ? お前は、それに襲われるのだ……」

 

「な、なにを……」

 

 呉瑶麗ははっとした。

 思考力が麻痺していく感覚が襲ったのだ。

 しかし、どうにもできない。

 

「どうじゃ? なにが見えてきた? お前が一番興奮する性癖はなんじゃ、呉瑶麗? お前の恥部を見せるがいい。好きな男に媾合られるのがいいか? そのときは目の前にお前好みの男の幻が現れる。あるいは、凌辱願望とかはあるのか? その場合はお前を欲望を満たしてくれる強姦者の幻が出現するぞ……。ほら、なにが見えてきた? 身体が動かんであろう? すでに、わしの魔道にかかっておるんじゃ──。もう遅い」

 

 香孫女の声が心に沁み込むのがわたる。

 もう遅い。

 完全に香孫女の道術にかけられたと自覚するしかなかった。

 

 身体が熱い……。

 自分は欲情している……。

 それがわかった。

 全身に虫が這うような疼きが走り回る。

 呉瑶麗は耐えられなくなって、がくりと膝を曲げてしまった。

 

「座るがいい……。なにが見えてきたのじゃ? 教えてくれ、呉瑶麗?」

 

 にやにやと笑う香孫女が椅子を呉瑶麗に押しやった。

 呉瑶麗はそれに倒れ込むように座り込んだ。

 

「なにが見えるのじゃ?」

 

 もう一度言われた。

 目の前に立っているのは安女金(あんじょきん)だった。

 呉瑶麗は驚愕した。

 混乱してなにも考えられなくなった。

 どうして、ここにいるのか思い出せない。

 これは安女金ではないという考えが一瞬だけ浮かんだが、それはあっという間に消失した。

 

「あ、安女金? なにをしているの?」

 

 呉瑶麗は叫んだ。

 すると、目の前の安女金が目を丸くした。

 

「安女金じゃと? ああ、なるほど、あの女医は、すっかりと呉瑶麗を飼い馴らしているというわけか。うらやましいのう……。わしも、こんな猫が欲しいわ」

 

 安女金が大笑いした。

 呉瑶麗は椅子に座ったまま首をかしげた。

 なにがなんだかわからない。

 目の前の安女金は、安女金であって安女金ではないようだ。

 

「まあいい。じゃあ、手摺りに腕を乗せよ。縛られて動かなくなるじゃろう? そういうのが好きだという話だったな……。ふふふ、忘れておったわ」

 

 安女金が笑った。

 とにかく、呉瑶麗は言われるままに両手を椅子の手摺りに載せた。

 載せた瞬間に革紐が手首と腕にかかった。呉瑶麗は両手を手摺りからおろせなくなった。

 

「両脚を椅子の脚に添えて拡げよ。同じように拘束をするぞ」

 

 安女金が言った。呉瑶麗は脚を椅子の脚の幅に拡げた。気がつくと、革紐が脚にかかった。

 呉瑶麗は椅子に座ったまま両手と両脚を動かせなくなった。

 

「な、なにするの? 怖いわよ、安女金」

 

 呉瑶麗がそう言うと、安女金がくすくすと笑った。

 

「なあに、ただのごっこ遊びだ。官軍の女間者に性的拷問するというごっこ遊びだ。呉瑶麗は、その捕らわれた女間者の役じゃ」

 

 安女金はそう言うと、視線をどこかに向けた。

 そこには劉唐姫がいた。

 びっくりした。

 安女金は、ふたりの百合の性交に、劉唐姫を関係させるつもりなのだろうか……?

 

「こらっ、赤毛。この女は官軍の手先の女間者だ。ちょっと苦しめてやれ。ただし、叩いたり、斬ったりするのはいかんぞ……。そうだ。筆責めなどいいだろう。それで苦しめてやれ……。呉瑶麗、そんなのがいいのだろう? これは性の遊戯だ。ごっこ遊びだ。調教の一環だからな」

 

 安女金が言った。

 劉唐姫が目の前にやってきた。

 

「覚悟しなさい、女間者」

 

 劉唐姫が横の安女金から小刀を渡されていた。

 そして、劉唐姫が、呉瑶麗の胸元に刃物を立てると、一気に下まで切り裂いた。

 

「いやああ──」

 

 呉瑶麗は声をあげた。

 しかし、劉唐姫はほとんど無表情で、どんどんと呉瑶麗の衣服に刃物を入れていく。

 やがて、呉瑶麗は上衣も胸当ても下袍も切り裂かれて左右に拡げられ、白い股布一枚の裸身を劉唐姫と安女金に曝け出さされた。

 

「じゃあ、これじゃ。思う存分に苦しめてやれ、劉唐姫」

 

 安女金が劉唐姫に柔らかそうな一本の筆を渡した。

 

「覚悟しなさい、間者」

 

 劉唐姫が持った筆が呉瑶麗の乳首をすっと襲ったのだ。

 

「呉瑶麗、乳首と乳房を肉芽と同じように感じる場所にしてやろう……。のたうち回れ」

 

 安女金の言葉とともに、乳房がかっと熱くなった。

 もう一度、劉唐姫の持つ筆が呉瑶麗の乳首をなぞった。

 

「ふくううう──」

 

 呉瑶麗は椅子に拘束された身体を飛び跳ねさせた。

 さっきとは桁違いの甘美感が呉瑶麗を襲ったのだ。

 

「さあ、わしも参加してやろう」

 

 劉唐姫が襲っている乳首とは反対の乳首を安女金の持つ別の筆が襲った。

 

「ひいいっ──や、やめて──許して──」

 

 呉瑶麗の身体に戦慄が走り、呉瑶麗は悲鳴をあげた。

 

「じゃあ、女間者、覚悟しなさい……。なにを探りに来たか知らないけど、うんと苦しむといいわ」

 

 劉唐姫がごっこ遊びとは思えない酷薄な笑みを浮かべて、呉瑶麗の乳首に筆を這わせてきた。

 また、安女金もそれに合わせて乳首をなぞる。

 呉瑶麗は半狂乱になった。

 さっき安女金が、“呉瑶麗の乳房が肉芽並の感度になる”という言葉を告げた途端に、ふたつの乳房の感度が桁違いにあがったのだ。

 本当に肉芽を柔らかい筆で弄られているような感じだ。

 しかも、二箇所──。

 呉瑶麗はその戦慄に怖れおののいた。

 

「や、やめて、それはやめて──」

 

 呉瑶麗は身体を揺さぶった叫んだ。

 だが、椅子にしっかりと拘束された手足は椅子から離れない。そのために、乳房を二本の筆から避ける方法がなく、呉瑶麗は悲鳴をあげて、ただなぶられるしかなかった。

 

「随分と可愛い声で泣く女間者ね。このくらいで狼狽えるんじゃないわよ。よくも、この村に入り込んだものね。なにを探っていたの? 言いなさい──」

 

 劉唐姫が真剣な顔で言った。

 その一方で筆は執拗に呉瑶麗の乳首をくすぐり続けている。

 自分の身体がこれ以上ないほどに、燃えあかり始めたことを呉瑶麗は自覚した。二本の筆が乳首を撫ぜることで脳天を締めつけるような甘美感が襲い続ける。

 いくら悶えても手足を椅子に縛りつけられては、この淫らな責めを防げない。どんどんと上昇していく快美感をただ受け入れるだけだ。

 

「はあっ、ああっ、はふうっ、ああっ……」

 

 呉瑶麗は切ない鼻息をあげて、顔を左右に振った。

 

「さあ、呉瑶麗、そろそろ乳首を舐めてやろうな。筆じゃあ、刺激が物足らんであろう……? 劉唐姫、お前もこの間者の乳首を舐めてやれ。このしぶとい間者も、達してしまえば。なにもかも白状するはずだ」

 

 安女金が言った。

 すると劉唐姫がすかさず、乳首を口で咥えてきた。

 安女金も反対の乳首を口で含む。

 

「も、もうやめて──。か、堪忍して──。そ、そんなことされたら──」

 

 呉瑶麗は身体をのけ反らせて絶叫した。

 凄まじい快感が両方の乳首から駆けあがった。

 全身が痙攣を起こしたようにぶるぶると震えだす。

 ふたりが遮二無二、呉瑶麗を昇天させようと乳首を刺激する。

 呉瑶麗は息も止まるような快感に呻き声を張りあげた。

 大きなものがやってきた。

 

「いくうう──、あ、安女金。わ、わたしいってしまうわ──。いっていい──? あああっ」

 

「ほうほう……。相変わらず、可愛らしいことを言うように躾けられておるのう。おうおう、いけいけ」

 

 一度乳首から口を離した安女金がそう言って笑った。

 そして、また乳首に刺激を送り続ける。

 

「あはああ」

 

 次の瞬間、呉瑶麗は絶頂を極めて身体から突きあげたものを一気に発散した。

 椅子に縛りつけられた身体を一度、二度と大きく震わせる。

 

「ざまあみよ。わしに手をかけるからそんなことになるのじゃ」

 

 安女金が勝ち誇ったような声をあげた。

 劉唐姫も責めるのをやめて、呉瑶麗の前に立ちはだかった。

 

「思い知った、間者?」

 

 劉唐姫が憎々しげな声で言った。

 

「な、なにをしているのよ──?」

 

 そのとき、大きな声が部屋の中に響き渡った。

 そこにいたのは、怒りの形相の晁公子だった。

 その隣には安女金がいる。

 安女金は目を丸くして驚いている。

 呉瑶麗はびっくりした。

 目の前にも安女金……。

 晁公子の隣にも安女金……。

 一体全体どうなっているのか……?

 

「香孫女、お前の悪戯ね。なにをしたの? 場合によってはただで置かないわよ。呉瑶麗に道術をかけているのね。すぐに解きなさい」

 

 晁公子が大声をあげた。

 道術──?

 呉瑶麗は呆気にとられた。

 

「呉瑶麗殿の術を解く……。で、でも、呉瑶麗殿がわしを叩いたからいけないのじゃぞ……。こんなことをする気はなかったのだ」

 

 目の前の安女金が香孫女の姿に変わった。

 それだけじゃない。

 催眠の道術が解けて我に返ることにより、すべてを思い出した。

 この香孫女の劉唐姫に対する悪ふざけに腹が立って、香孫女の頬を張った。

 その仕返しに、香孫女に催眠の道術をかけられて、呉瑶麗は痴態を晒させられたのだ。

 屈辱と憤怒と恥辱が一気に沸き起こった。

 

 ふと見ると、まったく椅子に縛られてなどいない。

 あれも幻術だったのだ。

 一瞬にして、腹が煮えあがった。

 呉瑶麗は立ちあがると、力の限り香孫女の頬を張り飛ばした。

 香孫女の身体が吹っ飛んだ。

 

「な、なにを──?」

 

 床に倒れた香孫女が目を丸くしたが、呉瑶麗が数歩前に出ると、顔を引きつらせた。

 

「ちょ、ちょっと遊んだだけではないか。そ、そこの安女金と三人で遊んだことだってあるのに、そんなに怒らんでも……。わ、わかった。わかった。謝る。すまんかった」

 

 呉瑶麗がさらに数歩進み出ると、香孫女が早口でまくしたてるように言った。

 

「ちょっと服を着てくるわ。そこにいなさい、香孫女──。話はそれからよ──」

 

 呉瑶麗は切断された衣類の前を押さえて自分の部屋に戻った。

 後ろから、劉唐姫も着替えて来いという晁公子の声が聞こえた。

 部屋に戻った呉瑶麗は、とりあえず、びりびりに破かれてしまった服を脱いで、貫頭衣をすっぽりと着こんだ。

 

 しかし、まだ、怒りは収まらない。

 香孫女に身体を悪戯されたことはいい。

 安女金には毎晩のように同じようなことをされているし、香孫女の前で恥を晒したのも一度や二度でないし、別にいまさらという思いもある。

 呉瑶麗が怒っているのは、妖しげな術で心を操られたということだ。

 身体や心を支配されるということがどうしても許せない。

 こんな侮辱はないと思うし、これほど他人の人格を馬鹿にした話はない。

 

 呉瑶麗はどうしても腹の虫が収まらないでいた。

 部屋の戸が叩かれた。

 返事をすると、入ってきたのは晁公子だった。隣に香孫女もいる。

 香孫女はすっかりとしょげている。

 

「呉瑶麗殿、反省しておる……。頬を張られて、つい、かっとなってしまって……。悪かった」

 

 香孫女がその場に両膝をつけて頭を床につけた。

 呉瑶麗は横を向いたまま返事をしないでいた。

 

「呉瑶麗、一度は受け入れた仲間だけど、許して一緒にやっていけるかどうか考えてくれない? 劉唐姫にも同じことを訊ねるつもりだけど、あんたが受け入れられないといえば、香孫女は殺すわ。白巾賊には追放ということはない。一度、仲間にして秘密を知られた者は、仲間から外す場合は殺すしかない。わたしが自ら処断するから正直なところを言って……」

 

 晁公子が腰の剣を抜いて、香孫女の首に当てた。

 

「わ、わしを殺すのか?」

 

 呉瑶麗はびっくりしたが、香孫女はもっとびっくりしている。

 そして、それ以上に驚愕したのは、晁公子の言ったことが、はったりでも嘘でもなく、ここで呉瑶麗が受け入れられないと一言でも口にすれば、本当に香孫女を殺すつもりとわかったからだ。

 晁公子の身体からは本物の殺気が漂っていた。

 

「残念だけどね。あんたの生い立ちが特別なものであるということは、実は美玉から手紙で教えられているわ。お前の不幸な生い立ちを思えば、性の箍が外れたようになるというのもわからないでもない。だけど、だからといってお前の存在ひとりのために、この組織をばらばらにするわけにはいかないのよ」

 

「ほ、本気……なのだな……、公子殿……」

 

 香孫女がごくりと唾を飲んだ。

 呉瑶麗は嘆息した。

 

「わかったわ。謝罪を受け入れるわ……。だけど、仲間を幻術や催眠の道術でからかうようなまねは二度としないで……」

 

 呉瑶麗は言った。

 晁公子はほっとした表情で剣を鞘に収めた。

 香孫女も肝を冷やしたような顔をした。

 

「ほっとするのは早いわよ、香孫女。もうひとり、謝る相手がいるでしょう。今度も誠心誠意に謝るのよ。心のない謝罪は劉唐姫は敏感に反応するわよ。その代わり、心の底から謝れば、劉唐姫も許すと思うわ」

 

「ほ、本当か、公子殿? わしは散々に劉唐姫をからかってきたからなあ……。いまさら許すだろうか?」

 

「そのときは死になさい。ほかの誰にも殺させはしないわ。このわたしがお前を処断する」

 

「も、もう、堪忍してはくれんか、公子殿?」

 

 香孫女が当惑した表情で言った。

 

「残念だけど、本気よ」

 

 晁公子が言った。

 ぞっとするほど冷たい口調だった。

 香孫女も顔色を変えている。

 

「ところで、さっきからなんの騒動かしら? 今度は砦の外が騒がしいわね……」

 

 呉瑶麗は言った。

 少し前から、砦の外側から騒動が聞こえていた。また、男たちがなにかで騒いでいるかのような声だと思う。

 

「あれ?」

 

 呉瑶麗は声をあげた。

 そのとき、歓声のようなものに混じって、“劉唐姫”という名が聞こえた気がしたのだ。

 呉瑶麗はっとした。

 

「香孫女、あんた、劉唐姫に、あのおかしな催眠の道術をかけっぱなしということはないんでしょうねえ? まさか、劉唐姫に裸躍りをさせていた暗示を解かないまま、彼女にひとりで服を着替えにいかせたわけじゃないわね?」

 

 呉瑶麗は声をあげた。

 

「えっ?」

 

 香孫女が当惑した表情で絶句した。

 どうやら図星だったようだ。

 

「ば、馬鹿──」

 

 呉瑶麗は一声叫んでから、晁公子と香孫女のあいだを駆け抜けて、砦の外の広場に向かった。

 砦の外に出る。

 

「それっ、もっと近づいていいわよ──。でも、踊り子には触らないでよ──。その代わり、穴が開くほど見てもいいから──。あっ、最初から穴は開いてるか」

 

 素っ裸の劉唐姫が股布を片手に持って振り回しながらがに股で踊っていた。

 しかも、大股を開いて、恥部をこれでもかというように晒している。そうかと思えば、くるりと反転して、お尻を男たちに突き出して尻たぶを両手で開き、肛門を見せつけたりもしている。

 見ているこっちが恥ずかしくなるような姿だ。

 

 劉唐姫が立っているのは、ちょうど土の台になったような場所であり、その前には三十人ほどの男が集まっている。しかも、その数はどんどん増えようともしている。

 呉瑶麗はびっくりした。

 

「や、やめなさい、劉唐姫」

 

 呉瑶麗は男たちを掻き分けて、台の真下にいくと裸で踊っている劉唐姫に叫んだ。

 しかし、劉唐姫は完全にまだ香孫女の催眠の道術にかかったままであり、赤い恥毛もその奥の局部もさらけ出すように拡げて踊り続けている。

 

「邪魔しないで、呉瑶麗。踊りはあたしの生き甲斐なのよ。みんな、あたしを見て。あたしの恥ずかしい姿を見て」

 

 劉唐姫が狂ったような大声をあげた。

 

「す、すまん、赤毛。術を解く。正気に戻れ」

 

 後から追いついてきた香孫女が、血相変えた口調で叫んだ。

 

 

 *

 

 

 劉唐姫が泣きじゃくっている。

 

 砦の中の作戦室の一室だ。

 そこに、呉瑶麗のほか、晁公子と安女金、そして、号泣している劉唐姫と床にひれ伏して土下座している香孫女がいる。

 

「なあ、赤毛……。い、いや、劉唐姫、わしが悪かった。お願いだから許してくれ。わしの道術では、正気の状態で見てしまった男たちからの記憶は消せんが、あれは、わしの道術のせいだとは説明だけはしてきた。すまんかった」

 

 香孫女がその場に土下座をした。

 

「う、うるさい。お前なんかの顔は見たくないわよ。二度と目の前にやってこないで。ねえ、晁公子、こんな女、美玉(びぎょく)のところに送り返してよ。それでいいわ。こんなんでも戦いの役には立つんだろうから、殺すには及ばないけど、あたしの前からは消して」

 

 劉唐姫は泣きながら訴えた。

 晁公子が溜め息をついた。

 呉瑶麗も気の毒で、劉唐姫にかける言葉も見つからない。

 

 なにしろ、劉唐姫は香孫女の道術で操られて、裸踊りが大好きな変態であるという暗示をかけられ、素裸で踊る姿をこの砦のかなりの人数の男たちに見られてしまったのだ。

 最初に砦の中でやっていた裸踊りは、香孫女も最後に男たちの記憶を消すつもりだったから、観客の男たちの記憶を消す道術をあらかじめかけていたらしいが、外でやった裸踊りはそのつもりがなかったので、しっかりと正気の頭に刻まれてしまい、もはや記憶を削除するのは不可能らしい。

 

「だ、だったら、わしも裸躍りをしようか、劉唐姫? 全員の前でな……。それで堪忍してはくれんか?」

 

「お前の裸踊りなんかどうでもいいわよ。あたしの望みは、お前があたしの前から消えることよ」

 

 劉唐姫が泣きはらした顔で香孫女を睨んで叫んだ。

 呉瑶麗はもう一度嘆息した。

 

「いいわ、香孫女……。わたしも同じような気分だし、お前にしばらくここを離れる任務を与えるわ……。それをしてきなさい。きっと、退屈しているから、こんな騒動を起こすんでしょう。その任務を果たすまで、ここに戻るには及ばないわ。それをしてきなさい」

 

 呉瑶麗は言った。

 

「任務?」

 

 香孫女が顔をあげた。香孫女だけじゃなく、晁公子も呉瑶麗を興味深そうに、呉瑶麗に顔を向けた。

 

梁山湖(りょうざんこ)の湖畔街道で梁山泊の盗賊団の愛人である朱貴美(しゅきび)という若い女が料理屋をひとりでやっているのを知っているわね? それをたらしこんできなさい。愛人の王倫(おうりん)を裏切らせて、お前のいうことをなんでもきく人形に仕立てあげるのよ。どんな手を使ってもいいわ……。そういうの得意でしょう?」

 

「そ、それは確かに、わし向きの任務のような気もするが……。だが、その女を引き込んでどうするのじゃ?」

 

 香孫女がきょとんとした表情をした。

 

「あの梁山泊(りょうざんぱく)の砦を乗っ取るのよ。その方針は晁公子殿も承知しているわ。もちろん、外からあの梁山泊を攻め落とすのは不可能……。だから、ひそかに人を送り込んで、王倫を引き入れるか、追放するかしたいのよ。場合によっては殺すこともありうるわ……」

 

「内側から乗っ取るのか?」

 

「そうよ。だけど、あの湖砦の頭領の王倫はなかなかに猜疑心が強くて、新しい入山者をなかなか受け入れないのよ……。いずれにしても、王倫との連絡役が、その朱貴美なの。だから、まずは朱貴美を引き入れたいのよ。やってくれるわね、香孫女?」

 

 呉瑶麗は言った。

 

「な、なるほど……。あの梁山泊か……。確かに、たかが盗賊にはもったいない要害だな。だが、潜入して乗っ取りの工作となれば、その任務は命懸けだな……。だったら、その役もわしにやらせてくれ、呉瑶麗。今回の罪滅ぼしに、きっとその任を果たして見せる」

 

「冗談言わないでよ。子供の姿のあんたなんか相手にしないわよ。逆に道士だと言ってもだめね。用心して、王倫は入山を受け入れないわ。潜入する役はわたしがやるわ。あんたは王倫との連絡の道を作るだけよ」

 

 呉瑶麗はきっぱりと言った。

 

「呉瑶麗、あんたが?」

 

 声をあげたのは晁公子だ。驚いている。

 

「わたし以外に適任はいませんよ、晁公子殿……。考えた末の結論です。わたしは流刑場を脱走して高額の懸賞をかけられたお尋ね者です。わたしが湖寨の庇護を求めるのは自然であり、王倫は疑わないでしょう……。それに、場合によっては、湖砦を乗っとるために、王倫を殺さなければならないかもしれません。それができるのもわたしが最適の人間です」

 

「しかし、そもそも、あなたはここに来たばかりで……」

 

 晁公子は困惑顔だ。

 だが、呉瑶麗は決めている。

 何度も繰り返して熟考した結果だ。

 これしかないと思っている。

 

「そして、わたしは女です。王倫の部下でも、愛人でも。どんな役割でもできます。そういうわけよ、香孫女……。朱貴美をたらしこんで、わたしを王倫に紹介させるのよ。わかった?」

 

「そ、それはわかったが、本当にそんな危険な任務を呉瑶麗殿がやるのか……?」

 

 香孫女がちらりと晁公子を見た。

 

「まあ、誰が潜入するかは、また話し合いましょう。とにかく、その朱貴美をこっちに引き込むのは必要ね……。香孫女、やってちょうだい。その朱貴美の知人を紹介するわ。その伝手を頼るといいわ」

 

 晁公子だ。

 

「ふん、それには及ばんわ……。要は女をひとり調教して言いなりにすればいいという仕事なんじゃろう。わしの得意な仕事じゃ。それについて、晁公子殿の手を煩わせる必要はないわ」

 

 香孫女がにやりと笑った。

 

「十日以内に報告がききたいわね、香孫女。じゃあ、もう行って。人手が必要なら、男でも女でも、誰でもここから連れていっていいわ」

 

「十日も要らん。五日で十分じゃ。そして、わしひとりでよい」

 

 香孫女が立ちあがって出ていった。

 

「あんた、本気?」

 

 香孫女がいなくなると、安女金が口を開いた。

 

「もちろんよ、安女金。わたしはあの湖砦を本気で乗っとるつもりよ。さもなければ、強大な帝国を相手に戦なんかありえないわ」

 

 呉瑶麗はきっぱりと言った。

 

「さて、じゃあ、今回、劉唐姫殿が持ってきた話を聞きましょうか……。生辰綱(せいしんこう)の話です。つまり、それが北州都の長官から帝都の宰相に贈られる賄賂金両十万枚ということなのですね? もちろん、ごっそりと奪ってしまいましょう。とにかく、話を聞かせてください、劉唐姫」

 

 呉瑶麗は言った。



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59  晁公子(ちょうこうし)、生辰綱の強奪を決心する

「金両十万枚とは、これまた途方もないものね。元はといえば、すべてが民衆に重税をかけて巻きあげたものでしょう? 呆れてしまうわね」

 

 晁公子(ちょうこうし)は言った。

 

 劉唐姫(りゅうとうき)が持ってきた話は、北州都の長官の梁世傑(りょうせいけつ)という帝国宰相蔡京(さいけい)の娘婿が、帝都の宰相の蔡京の誕生祝に金両十万枚を贈る計画があるというものだ。

 情報源は、白巾賊の一員でもある北州都の女豪商として有名な美玉(びぎょく)だ。

 だから、話には間違いない。

 

 晁公子は、東渓村(とうけいそん)の隠し村にある|白巾賊の砦の一室でそれを聞いていた。

 一緒にいるのは、晁公子と劉唐姫のほかには、呉瑶麗(ごようれい)安女金(あんじょきん)だ。

 梁世傑から蔡京への賂は毎回の有名なものであり、特に誕生祝にことよせた賂のことを民衆は、「生辰綱(せいしんこう)」と呼んで揶揄をしている。

 「生辰」というのは誕生日の意味であり、「綱」というのはその誕生祝の品物を運ぶ輸送隊が綱のような行列になるという皮肉だ。

 

 そして、実のところ、晁公子は昨年の生辰綱も白巾賊で襲撃して奪い取っていた。だが、昨年の生辰綱は金両二万枚だった。

 今年は十万枚というのは、やけに張り込んだものだ。

 しかも、今年の生辰綱は、金両だけではなく、美貌の性奴隷十人もつけるらしい。

 

「それだけの賂ということになれば、警備は厳重でしょうね。昨年も途中で奪われていることだし、しっかりとした警護の人数と人を揃えると思うわね。どのような警備かわかる、劉唐姫?」

 

 呉瑶麗が言った。

 まだ短い期間だが、この呉瑶麗がなかなかの智謀の持ち主というのは、晁公子にはわかっている。

 頭の回転は速いし、晁公子が無秩序に集めた地勢資料についてもあっという間に頭に入れて、さまざまな想定を繰り返している。

 そこから出てくる叛乱の構想については、晁公子も舌を巻くしかなかった。

 しかも、たったいまも、あの梁山泊を乗っ取る算段を具体的に持ってきた。本当に、彼女には驚くばかりだ。

 

 晁公子の頭は単純であり、行政府を襲い、叛乱の旗をあげ、人を集めて官軍に勝利するくらいの叛乱の構想しかなかったが、呉瑶麗はいかに軍資金を集め、武器を集め、人を集めるかというようなことについて、非常に緻密な案を持ってくる。

 晁公子は、呉瑶麗こそ、白巾賊にとって最大の拾い物だと思っている。

 

「警護の長は、楊蓮(ようれん)という女将校よ、呉瑶麗。警護隊は二百人。梁世傑のところの執事も同行するはずよ」

 

 劉唐姫が言った。

 

「楊蓮の名は、帝都で国軍の武術師範代をしていたときに、耳にしたことがあるわ。三十前の若い女将校のはずだけど、まだ女将軍のいない北州軍では、おそらく、最初に女将軍になるのが楊蓮と言われているわ。かなりの切れ者という噂ね。実際のところ、これまで大小の賊徒の鎮圧で一度も負けたことがないはずよ。そして、わたしの記憶では、北州軍で楊蓮隊といえば、銃士隊になるはずよ」

 

 呉瑶麗が言った。

 

「それほどの将校なの? じゃあ、今回は見送る、晁公子? 白巾賊を総動員しても、百人しかならないわ。こっちは銃で武装するとはいえ、向こうも銃で武装しているんじゃあ、武装と人数では歯が立たないわ。無理をすることもないし、見送りましょうか」

 

 劉唐姫が嘆息した。

 白巾賊は、元は国軍の鉄砲鍛冶師だった湯隆(とうりゅう)を引き入れて、銃を密造して武装しており、それで銃を装備していない地方軍と優位な立場で戦い続けている。

 地方軍が銃のような強力な武器を保有していないのは、地方軍が強くなって地方が叛乱を起こしたり、宮廷の統制に従わなくなることを宮廷が防ぐためなのであるが、例外もある。

 

 東で騎馬民族の南進を防いでいる国境軍と、宰相の娘婿が治める北州軍だ。

 この国の官軍は、帝都及び帝都周辺に駐屯する皇帝直轄の「国軍」と、各地方の治安を維持する役目の「地方軍」に分かれる。

 北の国境を守る国境軍も区分的には国軍だ。

 そして、皇帝の支配する国軍に対して、地方軍は各州の州長官が指揮する「州軍」と各州内の城郭に駐屯して、城郭の県令の指揮する「城郭軍」にさらに分かれる。

 

 いずれにしても、北州都は賊徒の多い土地だ。

 それで、北州軍のほんの一部ではあるが、帝都の宮廷は銃士隊を許している。

 それを指揮するのが楊蓮という女将校らしい。それほどの重要な隊を任されるのだから、それだけでも楊蓮が梁世傑から信頼されている優秀な女将校だというのがわかる。

 劉唐姫のいうとおり、今回は見送るべきかもしれない。

 

「硬派では生辰綱を奪うのは不可能でしょう。でも、軟派なら方法はあります」

 

 呉瑶麗が言った。

 

「軟派ってなによ、呉瑶麗?」

 

 呉瑶麗の横に座っている安女金が言った。

 すると、呉瑶麗が策の説明を始めた。

 全部を話し終わるまで、誰も口を挟まなかった。

 だが、晁公子は感心してしまった。

 やっぱり、この呉瑶麗はすごい──。

 大した智謀の持ち主に違いない。

 

「……その策なら大きな人数は要らないわね。数名でいいわ。この四人に加えて、阮小ニ(げんしょうじ)を連れていきましょうよ、晁公子。阮小ニもそろそろ白巾賊の仕事に深く関わりたがっていたし」

 

 劉唐姫が興奮した様子で言った。劉唐姫も呉瑶麗の案にすっかりとその気になったようだ。

 阮小ニというのは、梁山湖で猟師をしている二十一歳の若者であり、妹で船大工の阮小女(げんしょうじょ)とともに、やはり白巾賊の仲間だ。

 

「阮小女も必要です。直接に楊蓮の輸送隊と接するのは阮小ニを含めた五人でいいでしょうが、奪った荷を運ぶ手段が必要です。阮小ニと阮小女で二艘の船を準備してもらいます」

 

 呉瑶麗だ。

 

「なるほど、金両の輸送に船を使うのね。確かにそれだと輸送の痕跡が残らないから、荷を奪った後に追って来れないわね」

 

 劉唐姫がうなずいた。

 

「手配書で顔の割れているわたしは男装をします」

 

 呉瑶麗が言った。

 

「あたしも男装するの、呉瑶麗?」

 

「いいえ、あんたが男装しても、多分、身のこなしで女だとばれちゃうわ、安女金。わたしほどは名は売れていないし、近所の農婦の格好をすればまずわからないと思うわ」

 

「なら、いいわ」

 

 安女金はほっとしたように微笑んだ。

 

「後は、輸送隊がどの経路を通るかですね──。これだけはなんとか人を使って情報を集めなければなりません。例の時遷(じせん)という情報屋を使いましょう。また、北州都の美玉殿にも協力を頼めますか、晁公子殿?」

 

 呉瑶麗が晁公子に顔を向けた。

 

「いや、それには及ばないわ、呉瑶麗。ちゃんと調べてある。経路はこれよ」

 

 劉唐姫が懐から一枚の紙を取り出した。

 紙には簡単な手書きの経路図が描かれていて、北州都と東渓村と帝都、さらに輸送隊が通る予定の街道の道筋が記されている。

 呉瑶麗は、一度席を立って、この砦に保管してある精密な地図を持ってきて卓に拡げた。

 その地図と劉唐姫の持ってきた経路図を照らし合わせた。

 

 しばらくのあいだ、呉瑶麗は地図をにらみ続けていた。

 この砦ですごしているあいだに、呉瑶麗が晁公子が集めた地勢図や地図を頭に覚え込んだのを晁公子は知っている。

 おそらく、いま、懸命にそれを思い出しながら、輸送隊の予想経路を頭の中で追っているのだろう。

 

「ここね……。ここが生辰綱を奪う場所です」

 

 やがて、呉瑶麗は地図の一点を指差した。

 

 

 

 “黄泥岡(おうでいこう)”──。

 

 

 

 地図にはそう記されていた。

 

「あとはこの黄泥岡の近くに、拠点を探すだけです。少し支度が必要ですし、人目につく場所では都合が悪いですね」

 

 呉瑶麗の言葉に、劉唐姫が膝を叩いた。

 

「ああ、それなら、うってつけの男がいるわ。黄泥岡の麓に白勝(はくしょう)という男が宿屋をやっているのよ。まあ、遊び人だけど義理堅い男ではあるわ。以前、賭場で大事な金子をすってしまって蒼くなっているときに、金子を融通してやったことがあるわ。それが縁で、その宿屋をときどき利用するんだけど、立ち寄るたびにあたしに色目を使うのよ。ちょっとばかり、素足でも見せてやれば、喜んで協力するわよ」

 

「そんな男、大丈夫なの、劉唐姫? 信用できる?」

 

 晁公子は少し心配になった。

 

「信用はできるわ。ただし、腕っぷしはだめよ。多分、武芸の心得えのない安女金さんでも勝てると思うわ。身体が小さくて、こそこそして、まるで鼠みたいな男よ。前歯が出ているし本当に鼠に似ているわ。まあ最悪、なにかのことで、白勝が口を割ったとしても、白勝が知っているのは、流浪の女であるあたしだけよ。晁公子が東渓村の村長なんて教えなきゃいいのよ。任しておいて。本当に脚を見せれば、あの男はなんでもしてくれるわ」

 

 劉唐姫は笑った。

 

「いいでしょう。期日も迫っているし、その白勝殿の宿屋を拠点にしましょう。でも、これだけは言っておきます。金両十万枚と性奴隷十人といえば、途方もない財産です。それを奪うということになれば、その追及は厳しいものになるのは間違いありません。もしかしたら、ここはともかく、東渓村くらいは捜査の手が伸びる可能性はあります。あくまでも可能性ですが」

 

「わかっているわ、呉瑶麗。そのときには、逃げ込むのは梁山泊しかないというのでしょう? わたしも腹を括った。この生辰綱強奪を契機に、拠点を梁山泊に移したいと思う」

 

 晁公子はきっぱりと言った。

 だが、その梁山泊には、まだ王允という頭領の支配する盗賊団がいる。

 それをどうやって奪うかは、まだこれからの話なのだ。

 

 

 *

 

 

 灼熱の陽が楊蓮に照りつけている。

 まだ春だし、この連日の炎天下は楊蓮の計算違いだ。まあ、いくら楊蓮といえども、天気までは想定できない。

 

 だが、そのために、輸送隊の行程は遅れ気味だった。

 金両を積んでいる荷駄馬車を警護する輸送兵が、熱さにばてて、林を見れば木陰に入ろうとし、水辺があればそれを飲もうとするのだ。そのたびに、楊蓮は金切声をあげて怒鳴り、場合によっては兵を鞭打たねばならなかった。

 だが、宰相の誕生日の日は決まっている。それまでに荷は帝都に運ばねばならないので楊蓮としても必死だ。

 

 いま輸送隊は、北州都を出立してから五日経ち、黄泥岡と呼ばれる難所に向けて山街道を登っていた。

 すると、それに合わせたようなこの熱さに襲われ、さすがに兵たちがへばりだしてしまったのだ。

 輸送隊の中心には誕生祝を積んだ荷駄馬車が二台あり、その前後を百人ずつの銃士隊で警護させている。

 将校は馬だが銃士隊は徒歩だ。ほかに荷駄馬車が十台ある。

 その十台の側面には鉄板が張ってあるのだ。だから、場合によってはそれを並べることで、あっという間に鉄板の壁に囲まれた小さな陣地ができあがる。

 それも賊徒の襲撃に備えた楊蓮の工夫だ。

 

 昨年の誕生祝の荷も賊徒に襲われている。

 今年の誕生祝は、その昨年の分も合わせて、金両十万枚という大きな額のものだ。

 絶対に奪われるわけにはいかない。

 そのために、数ある将校の中から、わざわざ楊蓮が選ばれたのだ。

 賊徒の襲撃も撃退するし、期日にも間に合わせる。

 それは、楊蓮の絶対の信念だ──。

 

「楊蓮隊長、この熱さは堪らん。やはり、涼しい夜や早朝に移動して、昼間は休んだ方がいいのではないか? 北州都を出立してから数日はそうしたではないか。なぜ、昨日から昼間進むようにしたのです?」

 

 楊蓮の横を馬で進んでいる梁世傑の執事がうんざりした声をあげた。

 

「あなたは、なにもわかっていないのですから口を挟まないでください。この任務は、すべてわたしの責任で行われるのです。北州都の近傍は、治安も整っており道中に問題はないので、涼しい夜や早朝を選んだのです。いま進んでいるのは、いつ賊徒が襲ってもおかしくないような危険な難所です」

 

「そ、それは……」

 

 執事が言葉に詰まる。

 

「それに、昼間に急いで通りすぎてしまわなければ、夜になってしまう。第一、誕生日の期日までに間に合わせよというのはそっちの注文でしょう。昼間休んでは、それだけ遅れます」

 

 楊蓮が怒鳴ると、執事は明らかに不満そうな顔になった。執事としても、若い女である楊蓮に悪し様に罵られるのが気に入らないことはわかっている。

 だが、なにかにつけ、文句ばかりを言って指示に逆らおうとする兵にも執事には、楊蓮こそ不満だ。

 

「楊蓮隊長」

 

 前に出していた斥候が馬で戻ってきた。

 斥候の報告によれば、このままの速度であれば、二刻(約二時間)もすれば、黄泥岡に着き、そこからは緩やかな長い下りになるということだった。

 また、黄泥岡には、果実売りが商売をしていて、幾人かの旅人が木陰で喉を潤しているらしい。ともかく、いまのところ、怪しい賊徒の気配はないという報告だ。

 さらに、この一隊が休止のできる場所を探すようにも命じていたのだが、やはり、黄泥岡にある木陰しかないようだ。

 

「わかった。では、斥候を交代せよ」

 

 楊蓮は言った。

 そして、次の斥候を呼んで、峠の先の麓までの偵察をするように命じた。

 

「念のために言っておくが、果実売りから物を買うなよ」

 

 楊蓮は厳命した。

 斥候はしっかりとうなずいて出立した。

 

「楊蓮隊長、果実売りとはいいですね。兵も喜ぶでしょう。そこで小休止ということにしましょうか」

 

 執事は声をあげた。

 だが、楊蓮は舌打ちした。

 

「冗談じゃありません。小休止はしますが、物売りから果実を買うのは禁止です。道中の物売りから物を買って、痺れ薬で倒されたという豪傑の話はいくらもあるんですよ」

 

 楊蓮が大声で叱ると、執事はなにかを口の中で呟いた。楊蓮は無視した。

 

「隊長──」

 

 すると、後ろを任せている若い将校が楊蓮のところにやってきた。

 

「今度はなんだ?」

 

「後ろを歩いている性奴隷どもが遅れています。怒鳴っても、どうしようもないのです。鞭打ちの許可をもらえませんか?」

 

 将校が言った。

 行列の最後尾を性奴隷十人に歩かせている。十万枚の金両とともに渡される予定の北州都長官の梁世傑から宰相蔡京への贈り物だ。

 奴隷だが、贈り物の品の性奴隷であるために、傷をつけてはならんと思い、鞭打ちは禁止している。

 楊蓮は、将校とともに馬で最後尾に移動した。

 

 確かに隊の最後尾からもさらに遅れて、十人の女奴隷がぽつりぽつりと離れた数珠つなぎになっている。

 彼女たちは、贈り物用の性奴隷ということで、乳房の透けている薄物の上衣と、両脇が完全に切断されている股下までしかない黄金色の恐ろしく短い下袍しかはいていない。

 楊蓮がそうしたのでなく、知事から渡されたときにすでに、この破廉恥な格好だったのだ。

 

 そして、汗のために乳首がはっきりと見えるほどに布が肌に張り付いている。

 また、歩くたびに下袍から覗ける下袍の下には、一応は小さな薄地の股布も身に付けてはいるのだが、それも汗でくっつき一見なにもはいていないかのようだ。

 十人は疲労困憊の様子であり、足元もふらふらしている。

 

「こらっ。奴隷ども。ちんたら歩くことを禁止する。隊の最後尾に急いでつけ。命令だ」

 

 楊蓮は離れて遅れている性奴隷にもしっかりと聞こえるように怒鳴った。

 全員の性奴隷の首には、奴隷の首輪を装着してある。これは、主人である者の言葉に絶対に逆らえない支配具だ。

 この輸送のあいだ、十人の奴隷たちの「主人」として楊蓮を刻んでいる。だから、楊蓮の言葉は、彼女たちにとって絶対の命令であり、逃げることも、逆らうこともできない。

 だが、女奴隷たちの歩みは少しは速くなったものの、それほどは間隔は縮まらない。最後尾になっている女奴隷などまったく速度に変化がない。

 

「せ、性奴隷たちは鍛えた兵じゃないのよ。いくら命令しても、もう体力が限界で前に進めないのよ。あんたさっきも命令したでしょう? 同じ命令を与えられたのに、遅れているということは、もうそれだけ体力がなくなっているのよ。このまま歩かせると、後ろの女から死んでしまうわよ」

 

 ひとりの女奴隷が怒鳴った。

 十人のうち、ひとりだけしっかりと輸送隊の最後尾についている奴隷であり、確か寧女(ねいじょ)という女奴隷だ。

 この女奴隷だけは、むしろ兵よりもしっかりとした歩みをしている。

 

「ならば、どうせよというのだ?」

 

 楊蓮は思わず訊ねてしまった。

 

「女奴隷たちを空荷の荷駄馬車に乗せなさいよ。彼女たちに、兵と同じように歩けというのは無理よ。それなのに奴隷の首輪で強引に歩かせてしまえば、体力の限界を越えてしまって本当に死ぬわ。わたしたちは大事な贈り物なんでしょう? 死んでしまってもいいの?」

 

 寧女が言った。

 奴隷女のくせに生意気な物言いをするのは気に入らなかったが、言い分はもっともだ。確かに死んでしまっては任務を果たせない。

 

「……わかった。女奴隷たちは最後尾の荷駄馬車に乗れ」

 

 楊蓮は荷を積んでいない荷駄馬車の一両を後方に回すように指示した。

 すると、今度は兵たちが自分たちも乗せろと一斉に文句を言いだした。

 楊蓮は激昂した。

 

「護衛が馬車に乗ってしまえば、賊徒に襲われたときに、すぐに対応できないだろう。なんのために荷と一緒にいると思っているのだ」

 

 楊蓮は叫んだ。

 それで一応は静かになったが、兵の顔には憎悪のようなものまで浮かんでいる。

 もう、楊蓮は放っておいた。

 とにかく、なんとか夕方までに黄泥岡の反対側の麓まで歩かせればいいのだ。

 そこまで行けば、人家もあるから、少しは危険も去るはずだ。

 

 やがて、黄泥岡にやってきた。

 たしかに、峠は木陰に覆われており、大きな桶を三個ほど並べた物売りがいる。

 男が三人、女が三人という組み合わせであり、近傍の農夫のような恰好だ。

 桶の横には大きな台が作ってあり、そこに美味しそうな果実が並んでいる。

 

 楊蓮は、物売りとは道を挟んで反対側の林の中に入って休止することを命じた。

 十数台の荷馬車と二百人の銃士隊が次々に林の中に入っていく。

 楊蓮もそれを見届けてから馬から降りた。

 馬を離すと、馬は勝手に草を食べ始める。

 

「隊長さんはあんたですかい? これは味見で食べておくれ。麓で取れたナツメだよ。よければ、兵士さんたちに買ってくれるように薦めてもらえんですか? 魔道の石で冷やした冷たい水もあるですよ」

 

 すぐに、頬被りをした赤毛の女が、木皿に乗せたナツメを持って林の中に入ってきた。被り物をしているが二十歳すぎのまだ若い美人だ。

 女の横には手に持てるほどの小さな木桶に入った水と柄杓を抱えた男もいる。前歯の出た背の低い鼠のような男だ。

 

「おっ、ありがたい」

 

 横の執事が楊蓮が口を出す余裕も与えずに、ひょいと柄杓で水を取った。

 それをひと息で飲み干す。

 

「う、うまい。本当に冷えている。なんだこれは?」

 

 執事が声をあげた。

 

「そうでしょう。高い代金を払って旅の道士から購った魔道の石を使っているんです。それを桶に入れておけば、こんなに暑い日でも、あっという間に桶の水が冷えるのですよ。でも、味見はこれだけですからね。これ以上は、水も果実もちゃんと購ってもらいますよ。さあ、ナツメもどうぞ。ナツメもちゃんと水で冷やしてますから」

 

 赤毛の女が果物を執事に押しやった。

 執事に加えて、近くにいたほかの兵たちも、さっと水や果実に手を出し始める。

 楊蓮はかっとした。

 

「こ、こらっ。勝手なことをするな。鞭打たれたいか。毒が入っていたらどうする──? 購いは禁止だ──。手を出すな──」

 

 楊蓮は怒鳴りあげた。

 

「な、なんだって──?」

 

 すると、物売りの赤毛女の顔が怒りで真っ赤になった。

 

「だったら、喰うな。誰がお前らに売るか。毒だって? 馬鹿にするにもほどがあるわ?」

 

 赤毛女は皿に乗ったナツメを地面にぶちまけ、鼠のような小男が持っていた木桶の水をその場に捨ててしまった。



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60  楊蓮(ようれん)白巾賊(はくきんぞく)生辰綱(せいしんこう)を奪われる

 ふたりの商人が怒って林から立ち去ってしまうと、一斉に兵たちが不満を叫んで騒ぎ出した。

 しかも、あからさまに楊蓮(ようれん)の名を呼んで大きな声で悪口を言っている。

 さすがに、楊蓮子飼いの百人の銃士隊の銃兵は黙っているが、実は残りの半分の兵は今回の任務のための借り物だ。その連中が楊蓮を悪し様に罵りだしたのだ。

 

 連中が女の楊蓮を舐めていて、そして、数を恃んで指揮官に対する不平を口にしているのは明らかだ。

 楊蓮はかっとした。

 鞭打ってやろうと思って腰の剣の横に差している棒鞭を抜こうとしたがやめた。

 それよりも、主立つ者の二、三人を斬り捨ててやる。

 それで収まるだろう。

 楊蓮は剣を抜いた。

 楊家に伝わる家宝であり、剣の面に七つの星のような紋様が浮かんでいるのが特徴の人を斬れば斬るほどに斬れ味が増すという妖剣だ。

 

 人呼んで「七星剣(ななほしけん)」。

 これに物を言わせてやる。

 楊蓮は騒ぎ出した兵たちのところに歩み寄ろうとした。

 

「待った、待った、楊蓮殿。恐ろしい顔をしてなにをするつもりですか? ちょっと落ち着いてくださいよ」

 

 すると、執事が立ちはだかった。

 

「どいてください、執事殿。これは指揮の問題です。指揮官に不平をいうような兵は斬り捨てねばなりません」

 

 楊蓮は執事を押しのけようとした。

 

「待ってくださいよ、楊蓮隊長。そんなことをすれば、大騒ぎになります。この先も道中は長いのです。兵たちの気持ちもわからんでもないですよ。この峠越えに差し掛かってからは水を補う場所もないし、この暑さで参っているのです」

 

「いや、指揮官に逆らうの言葉を吐くなど言語道断の大罪です。許しておけません。そのうえで、水のことは考えます」

 

「いえいえいえ……。こうなったら、あの物売りから水だけでも購って、兵たちに暑気払いをさせてやりましょう。締めつけるのだけでは兵も暴発してしまいます。水に異常がないかどうか、毒見をしてから飲ませればいいのでは?」

 

 そのとき、がらがらと荷車の音がして、林の中に一台の荷車がやってきた。

 荷車の上には一個の大きな桶が乗っている。

 それをさっきやってきたふたりの男女と、さらにふたりの女が押している。

 兵たちがどよめいている。

 三十五歳くらいの不思議な風格のある女が、荷車を指図して楊蓮の執事の前にやってきて、桶をさっきの残りの三人に指示をして荷車からおろした。

 楊蓮は呆気にとられた。

 とにかく抜いたままだった剣を鞘に収めた。

 

「なんだ、これは?」

 

 楊蓮は女主人らしい三十五歳くらいの女に怒鳴った。

 女主人は楊蓮の前にやってきて頭を下げた。もうひとり、小太りの色黒の女も女主人の背後に寄り添っている。

 

「はい、先ほど、うちの者が将校様に大変な無礼をやったのこと……。それを聞いて、驚いて謝りに参りました。この女は気立てもいいし、働き者なのですが、短気が玉に傷……。こらっ、謝りなさい──」

 

 すると、先ほどの赤毛の女と鼠のような男が、すっかりと意気消沈した様子で頭をさげて謝罪した。

 どうやら、女主人に強く叱られたようだ。

 商い人は役人や軍には弱い。

 どんな因縁をつけられて、手酷い仕打ちを受けるかわからないからだ。

 楊蓮には、その気はなかったが、軍に悪態をつくような真似をすれば、捕えられた挙句に商品と金子を没収されてもおかしくはない。

 実際に、そんな強盗まがいのことをする隊も珍しくないのだ。それで慌てて、女主人は謝罪に来たのだろう。

 

「わかった。それはいい」

 

 とりあえず楊蓮は言った。

 

「つきましては、桶をひとつ持参いたしました。これは無料でお分けします。皆さんでお飲みください」

 

 女主人がそういうと、周りで見守っていた兵たちが歓声をあげた。

 だが、楊蓮は商売物をただで提供するなど、逆に不審を感じた。

 

「なぜ、商売物を無料で渡す? そんなことは商売人のすることではないだろう?」

 

 楊蓮の言葉に女主人は笑った。

 

「商売物といっても、この水には元手はかかっておりません。わたしらの商売はナツメ売りです。水はただ麓の泉で汲んだものを峠まで運んできて、仙石で冷やしただけのもの。もともとは果実を買ってくれた客に無料で提供していたのが、水だけを欲しがる旅人も多いので、一応の値はつけているだけのことなのです。ご心配には及びません」

 

「怪しいな──。だったら、飲んでみろ──」

 

 楊蓮は言った。

 女主人は一瞬、きょとんとした表情をしていたが、すぐに合点がいったのか、にっこりと微笑み、蓋を開いて柄杓で水をすくって飲んだ。

 

「毒など入っておりませんよ。お疑いは晴れましたか?」

 

 女主人が笑った。

 

「まだだ。少し待て──」

 

 楊蓮は水を飲んだ女主人を観察していたが、特に不自然なものはない。考えてみれば、林の外の街道でも旅人が立ち寄って、この果実売りから果実や水を購っていた。

 疑いすぎなのかもしれない……。

 

「わかった。疑って済まなかった。このところ、盗賊が出没して物騒なので警戒をしているのだ。その桶の水はもらう。ただし、代金は払う。残りの桶も買おう。持って来い──」

 

 楊蓮は執事に言って、銀で支払いをした。女主人は受け取った銀を見て、目を丸くした。

 

「これなら、水だけではなく、ナツメもお渡しします。ありがとうございます」

 

 女主人は礼を言った。

 

「お前は残れ。ほかの者で持ってくるがいい」

 

 楊蓮がそういうと、あの赤毛女と鼠男が荷車を持って引き返していった。女主人と小太りの女がこの場に残った。

 楊蓮は、周りにいた兵の中から五人を指名して水を飲ませた。兵たちは嬉しそうに水を一杯ずつ飲み、そして、水の冷たさに感嘆の声をあげた。

 やがて、さっきの荷車に残りの水桶ふたつとナツメが載せて運ばれてきた。

 楊蓮は先に水を飲んだ女主人にも、次に水を飲ませた五人の兵にも異常がないことをもう一度確かめた。

 荷車を運んできたのは、さっきのふたりに、さらにふたりの若い男を加えた四人だ。

 

 女主人も含めた六人の商人がその場に蓋のついた水桶と果実を並べ始めた。

 そのあいだに楊蓮は、新たな水桶についても、ほかのふたりずつの兵に毒見をさせた。

 しばらく待って、やはり、異常がないことを確かめた。

 

「よし、飲んでいい。後は自由にせよ」

 

 楊蓮は叫んだ。

 すると、待っていた兵がわっと三つの水桶に群がった。商人たちが水桶の蓋を外す。

 

「お待ちください。すくう物が足りませんので、申し訳ありませんが皆様は、このヤシの椀を使ってください」

 

 若い男が叫んで、十個ほどのヤシの椀を荷から出して配った。

 兵たちはヤシの椀で水をすくって飲み、その冷たさに嬉しそうな声をあげた。

 また、桶の横に作られた台の上のナツメもあっという間になくなっていく。

 

「奴隷女たちにも持っていってやれ」

 

 楊蓮は思い出して叫んだ。

 奴隷女たちは、峠の登り坂の途中で荷馬車に載せてそのままだ。

 

「あたしが持っていくわ」

 

 商人の小太りの女が一個の水桶から小さな桶に水を分け入れ、荷馬車の方に持っていった。

 

「隊長様もどうぞ」

 

 六人の商人の中のひとりの美青年がヤシの椀に入れた水を持ってきた。楊蓮は飲む気はなかったのだが、この暑さにはさすがに耐えがたいものがあり、受け取った水を飲んだ。

 水は本当に冷えていて、本当においしかった。

 たった一杯で生き返るとはこのことだ。楊蓮は大きく息を吐いた。

 

 ふと見ると、商人たちの持ってきた木桶はもうすっかりと空のようだ。

 台上のナツメもなくなっている。

 そして、商人たちもいない。

 桶と台をそのままにどこに行ったのだろうと思った。

 

 そのとき、がらがらと荷駄馬車が動く音が聞こえてきた。

 驚いて視線をそっちにやると、金両を満載した二台の荷駄馬車が動いている。

 さらに十人の性奴隷を乗せた荷駄馬車もだ。

 御者台にはさっきの商人たちがふたりずつ乗っている。

 

 驚愕した──。

 

「まっ……」

 

 待てと叫ぼうとしたが、楊蓮の舌は痺れて動かなかった。

 それだけじゃなくて、いつの間にか楊蓮は地面に尻もちをついている。

 

 なぜだと考えるよりも先に、楊蓮は周囲を見渡した。

 兵たちは座ったり、倒れたりしていて、全員が身動きできないでいるようだ。

 口から泡のようなものを吹いている者もいる。

 

 水──。

 

 とっさに思った。

 やっぱり、毒が入っていたのだ。

 楊蓮は愕然とした。

 

 だが、死ぬような感じはない。意識は比較的しっかりとしている。

 しかし、関節が動かせない。

 三台の荷駄馬車が林を悠々と出ていくのが楊蓮にははっきりと見えた。

 

 楊蓮は、なすすべなくそれを見送るしかなかった。

 

 

 *

 

 

 北州軍の輸送隊から奪った荷駄馬車で途中まで進み、河原におりるための小路に隠しておいた荷車に金両の箱を乗せ直した。

 一万枚ずつの金両が入った箱が十箱だ。

 ほかにもさまざまな贈答品が満載してあったが、今回の狙いは一万枚の金両だけなので、それは手を付ける予定はない。

 

 呉瑶麗は箱を荷駄馬車から荷車に乗せ換える作業をしながら、こぼれ落ちた金両の一枚を拾って眺めた。

 金両の表面に宰相蔡京の顔が描かれ、裏には生誕を祝う言葉が刻まれている。

 本当に下品な金両だ。

 

呉瑶麗(ごようれい)、面白い奴隷がいたわよ」

 

 十人の性奴隷を連れてきた安女金(あんじょきん)晁公子(ちょうこうし)とともにやってきた。

 安女金は荷駄馬車に乗せられたままだった性奴隷の首輪を少し離れた場所で道女子高生で外していたのだ。

 それで、首輪を外した性奴隷たちに、晁公子が選択の余地を与えたはずだ。

 つまり、このまま自分たちと行くか、わずかな路銀を与えられてひとりで逃げるかだ。

 もちろん、一緒にはいかないことを決めれば、ひとりでさっきの黄泥岡に戻って、性奴隷として囚われ直すこともできる。

 なにを選んでも自由だ。

 

 ふと見ると、乳房も露わな透けた上衣と際どく短い下袍をはいた十人の美女がぞろぞろとこっちに向かっている。どうやら、全員が東渓村(とうけいそん)に一緒に行くという選択をしたらしい。

 

 これにより、あの十人の性奴隷たちは、このまま東渓村の隠し村に連れていき、まだ妻帯をしていない白巾賊(はくきんぞく)の兵の妻としてあてがわれることになるだろう。

 晁公子がそんなことを言っていた。

 

 まあ、逃亡奴隷の末路は悲惨だ。逃げおおせることなど難しい。

 それに、性奴隷に戻ったところで、いずれは使い捨てのように処分されるだけだ。

 それよりは、貧しくても、人として生きていける方がいいに決まっている。

 あの十人が晁公子の言葉を信じて、全員が庇護を求めるのは予想していた。

 

「なによ、面白い奴隷って……? あれっ?」

 

 呉瑶麗はひとりだけ、奴隷の首輪をそのままにしてある性奴隷を見て驚きの声をあげた。

 そこにいたのは、あの寧女(ねいじょ)だ。

 梁山湖(りょうざんこ)の畔で呉瑶麗たちを襲い、それがきっかけで安女金から顔の痣を消してもらったのに、翌朝、路銀と荷を奪って逃亡するという、恩を仇で返すことを地でやった寧女だ。

 

「な、なんで、わたしだけ、首輪を外してくれないのです、安女金先生?」

 

 寧女が大きな声で喚きながら、こっちにやってくるのが見えた。

 

「まあ、あんた……。こんなところで会うなんて奇遇ねえ……」

 

 呉瑶麗は思わず声をあげた。

 

「ご、呉瑶麗? あ、あんたもここに──?」

 

 寧女が目を丸くして、顔をひきつらせている。

 たったいままで呉瑶麗は顔に髭をつけて男に扮していたのだが、ここで変装を解いたところだ。それで寧女は、やっと呉瑶麗の存在に気がついたのだろう。

 あの表情は、別れのときに呉瑶麗の服を全部剥がした挙句に、荷も金子も奪って逃げたということをしっかりと覚えているのだろう。

 

「当たり前でしょう。安女金がいるということは、わたしもいるに決まっているでしょう」

 

 呉瑶麗はにやりと笑った。

 寧女はばつの悪そうな顔をしている。

 

「ね、ねえ、あ、あのときは……。そ、その……悪かったわ──。そ、そんなに怒っていないでしょう……? ちゃんと外套を残していってあげたじゃないのよ──。ぶ、無事でなによりね……」

 

 寧女が呉瑶麗の顔を見て、顔を強張らせたまま言った。

 

「なに、あんたたち、知り合いなの?」

 

 晁公子が驚いている。

 

「ええ、一応……。ねえ、安女金、この寧女の首輪は奴隷の首輪なんでしょう? 主人をわたしに刻み直すことはできる?」

 

「お安いご用よ」

 

 安女金が笑いながら青い光をかざしながら寧女の首に触れた。寧女は恐怖を顔に浮かべている。

 

「ね、ねえ、お、お願いよ──。あ、あんたらにやったことは謝るわよ。ちょっとした冗談じゃないのよ。ねっ……。だから、わたしをあんたの奴隷にするなんて怖いこと言わないでよ、呉瑶麗」

 

 寧女が声をあげた。

 

「わかっているわ。もちろん、わたしもあんたを奴隷にするなんて、ちょっとした冗談よ……。とにかく、あんたは自由にするとなにをするかわからないからね……。この小路を降りて河原まで行きなさい。ほかの性奴隷を連れて行くのよ、寧女。命令よ」

 

 呉瑶麗が言うと、奴隷の首輪という支配霊具の影響なのか、寧女がほかの女たちを導いて小路をくだり始めた。

 一方で白勝(はくしょう)劉唐姫(りゅうとうき)阮小ニ(げんしょうじ)でやっていた金両の乗せ換え作業も終わったようだ。

 

 呉瑶麗は無人になった荷駄馬車を曳いている馬の尻を小刀で軽く刺した。

 びっくり仰天した馬が全速力で荷のなくなった荷駄馬車を曳いて駆け出した。

 同じことをほかの二台の荷駄馬車にも処置した。

 

 これでしばらくはそのまま駆けていくだろう。

 こっち側の全員は、街道を外れて、小路を使って山を流れている川の河原に向かった。

 

 河原では阮小ニの妹の阮小女(げんしょうじょ)が二艘の船を準備して待っている手筈になっている。そこから水路で青竜河まで出て、河で東渓村まで進む予定だ。

 呉瑶麗は二台の金両の詰まった箱を満載した荷車に取りつきながら、小路を下った。

 

「それにしても、呉瑶麗のいうとおりに、痺れ薬を水桶に入れるのをぎりぎりまで待たなければ危なかったわね。あんなに何度も用心深く、毒見をさせるとは思わなかったわ」

 

 呉瑶麗とともに後ろから荷車を支えている劉唐姫が笑った。

 何度も女将校の楊蓮が毒見をさせたのに、全員が事前には毒に当たらなかった理由は簡単だ。

 毒は、ぎりぎりまで水桶には入れられることなく、ヤシの椀にたっぷりと沁みこませていたのだ。また、椀の裏にも粉を塗りつけて隠してあった。

 

 それで水をすくったために、あっという間に、毒が水桶に溶け込んで水に混ぜられたというわけだ。

 強力な痺れ薬だ。

 死にはしないが、起きれるようになるまで半日はかかるはずだ。

 

「みんな──」

 

 河原だ。

 阮小女が二艘の船の前で遠くで大きく手を振ったのが見えた。

 阮小女の横には十人の性奴隷たちが所在無げにこちらを見つめていた。

 

 

 *

 

 

「ち、畜生……」

 

 まだ、身体は自由にならなかったが、楊蓮は剣を杖代わりにして、荷駄馬車の轍の痕を追った。

 轍は南に向かって進んでいた。

 楊蓮は、飲んだ水の量が少なかったので、すぐに動けるようにはなったのだが、ほかの者は見たところ、全員がまだ動くことはできそうにないようだった。苦しそうに呻くばかりで、ほとんどの者が意識を失っている。

 寧女は役立たずの兵をそのままに、逃げていった盗賊たちの後を追うことにした。

 

 なんとしても、奪い返してみせる──。

 さもなければ、死ぬしかない──。

 

 金両十万枚という財だ。それを賊徒に奪われたとなれば、その罪は処刑に相当すると思うし、よくて流罪というところだ。

 取り返さねば、楊蓮の軍人人生は終わる。

 

 そのまま数刻歩いた。

 かなりの山道を下った。

 もう、麓の村に近い場所までやってきたと思う。

 だんだんと毒薬の影響は消えてきたが、まだ本調子には程遠い。

 やがて、三台の官軍の荷駄馬車が止まっているのが見えた。

 十人ほどの男が荷駄馬車から荷をおろそうとしている。

 ひと目で山賊だとわかった。

 

「貴様たち、なにをしている──。それに触るな──」

 

 寧女は大声で叫ぶとともに、剣を抜いた。

 だが、剣を抜けば杖が失われてしまうことになり、そのまま体勢を崩して地面に倒れてしまった。

 それを見て、最初はぎょっとしていた山賊たちがげらげらと笑った。

 

「なにをしているもなにもないものだ。ここは俺たちの縄張りだ。よくわからねえが、無人の荷駄馬車がやってきて、調べれば豪華な衣類やら宝物やらがぎっしりだ。せっかくの神様の思し召しだから、ありがたくいただいていたところだ──。お前は誰だ?」

 

 山賊たちのひとりが言った。

 楊蓮が目をやると、山賊たちが奪おうしていた荷は、金両とともに入っていた贈り物の品々だ。

 宰相自身あてではないが、その関係者やあいだに入ってくれる高官たちへの贈答品だ。

 それを金両の箱とともに積載してあったのだ。それらを一台の荷駄馬車に乗せ換えている。

 

「き、金両はどうした──?」

 

 楊蓮は起きあがりながら叫んだ。

 見たところ、金両の入っていたはずの箱がひとつもない。先にどこかに運んでしまったのだろうか?

 それにしては、あの商人にやつしていた六人の男女の姿は、この中にはいないようだ。

 

「金両? そんなものはなかったな。まあいい。せっかく、のこのことやってきた獲物だ。こいつもさらっていくか。身ぐるみ剥いでやろう」

 

 山賊たちがわっと寄ってきた。

 楊蓮はびっくりした。

 慌てて剣で斬りつけようとしたが、痺れ薬の影響で立ったところでまた転んでしまった。

 そこに山賊たちのひとりに馬乗りにされた。

 ほかの山賊たちにも身体を押さえられ、あっという間に剣も奪われて、縄で身体を縛られる。

 

「な、なにをするんだ。ほ、解け。わ、わたしを誰だと思っておるのだ。北州都の州軍の将校だぞ。こんなことをしてただで済むと思っているのか」

 

「おう、やっぱり、女将校なのか。そうじゃないかと思っていたんだ。だったら、もっと都合がいい。俺たちはなによりも役人と官軍が大嫌いでな。おい、この女将校も荷駄馬車に一緒に転がしておけ。今夜は祭りだ。思わぬ品物を街道で偶然に拾ったばかりではなく、女将校まで手に入れた。官軍への恨みをたっぷりとこいつで晴らしてやろうぜ──」

 

 山賊の頭領らしき男がそういうと、わっとほかの者が歓声をあげた。

 そして、両手を両足を縄で縛られた楊蓮は、荷駄馬車に放りあげられた。

 

 

 *

 

 

 動けるようになったのは、すっかりと夜になってからだ。

 執事はしばらくのあいだ、茫然としていたが、やっと頭が回り始めて、起きあがった将兵の中からふたりの将校を呼んだ。

 

「とんだことになったな……。結局のところ、あの女将校のいうことをきかなかった俺たちが悪いのだが、事件は起きてしまって、大事な荷は奪われた。これは始末のやり方を考えねば、俺たちはとんでもないことになるぞ」

 

 執事の言葉に、まだ頭が回っていなかった感じの将校たちが、やっと事態を悟って蒼くなる。執事はさらに続けた。

 

「……盗賊に奪われたのは、知事が一年かけて準備した大切な金両と宝物だったのだ。あれを失って、おめおめと戻ったとあっては、間違いなく俺たちの首はない……。兵たちは許されるかもしれんが、将校のお前たちは間違いなく処断だ」

 

 すると、まだ若そうなふたりの将校は震えあがった。

 

「な、なにかよい思案があるのですか、執事殿?」

 

 ひとりが言った。

 

「ある……。お前たち、俺のいうことをきくか? さもなければ、北州都に報告のために戻り、そのまま処罰を受けて死ぬしかない。だが、俺の言うとおりに喋れば、うまくすれば、許されるだろう」

 

 執事が言うと、ふたりが大きくうなずいた。

 

「……いいか。もしも、ここにあの楊蓮という女将校がいれば、もう俺たちは言い訳はできないが、なぜか、あの楊蓮はいなくなってしまった。まあ、おそらく、楊蓮も事の重大さはわかっているから、早々に逃げたのだと思うがな……」

 

「そういえば、楊蓮隊長は……?」

 

 ひとりはやっと、楊蓮がいないことに気がついたようだ。

 

「」我らは、それを利用して北州都に戻って知事の梁世傑(りょうせいけつ)様にお目通りをしたときには、楊蓮は道中で我らを苛め抜いて、手も足も出せないようにした挙句に、強盗をぐるになり、痺れ薬で俺たちを盛り潰して、宝物をすっかりと持っていったと言うのだ。これなら、すべての罪はあの楊蓮だ。おそらく、知事殿は俺たちの咎めはせんさ」

 

 執事が言うと、ふたりの将校は喜んだ。

 

「なるほど、それで行きましょう。じゃあ、俺たちのひとりは、管轄の土地の陽安(ようあん)の行政府に向かい訴えをして、状況を検分してもらいましょう。執事殿ともうひとりは、夜に日を継いで北州都に馳せ帰り、知事に報告して強盗の追補をさせればいい。楊蓮隊長にも捕縛状が出されるとは思うが、俺たちの命を守るためです。仕方ありますまい」

 

 話はまとまった。

 ふたりの将校は兵に指示をするために立ち去っていった。

 幸いにも、あの盗賊たちは、食糧には手は付けなかった。

 しばらくすると、夕食の支度をする焚火があちこちからあがり始めた。



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第19話  女将校と山賊
61  楊蓮(ようれん)、山賊に囚われて輪姦される


「こりゃあ値打ちもんですよ、頭領。この剣一本で、多分、一年は遊んで暮らせますよ」

 

 山賊の部下のひとりが楊蓮からとりあげた剣を見ながら感嘆の声をあげた。

 楊蓮(ようれん)の剣は、「七星剣(ななほしけん)」という先祖伝来の妖剣だ。

 人を斬れば斬るほど斬れ味が増すという魔剣であり、楊蓮にとっては値段などつけられないほど貴重なものだ。

 それを山賊が汚い手で触るなど、それだけで虫唾が走る。

 

 街道で捕らわれて連れてこられた山中にある深い洞窟だ。

 ここがこの山賊たちの住み処らしく、楊蓮は奪われた宝物とともに、拘束されたまま洞窟に連れ込まれた。

 山賊たちは全部で十人ほどであり、頭領は仁世(じんせい)という大柄の強面の男だ。

 

 山賊としては小さなものであり、おそらく管轄の城郭軍も相手にしないような小者だ。

 そんな連中に不覚にも捕らわれたのだと思うと、口惜しさに歯ぎしりするほどだ。

 

 いま、山賊たちは奪った盗品を調べるのに夢中だ。楊蓮は洞窟の地面に打たれた太い杭に、後手縛りの縄尻を繋げられて地面に転がされていた。

 おそらく、いまは夜だろう。洞窟の中では燭台が幾つかあるので明るいのだが、洞窟の外から洩れていた陽の光はなくなったような感じだし、少しひんやりとしてきた。

 

 かなりの時間が経った証拠に、あんなに痺れていた身体もやっと力が戻ってきた感じだ。

 だが、しっかりと縄が腕と足首に喰い込んでいているので身動きはできない。痺れ薬の影響がなくなるとともに、縄抜けをしようともがいたのだが、力任せに縛っている縄はとてもじゃないが抜け出せそうもない。

 だから、楊蓮は、まだ薬剤の影響が残っているふりをすることにした。

 

 楊蓮がまだ動けいないと思って、油断して拘束を解いたところで、全身を殺してやるつもりだ。

 楊蓮の腕なら、こんな連中十人どころか、二十人いたところで、皆殺しにするのは雑作もないはずだ。

 

 ここに連れ込まれてわかったのは、やはり、輸送隊に毒を盛って生辰綱(せいしんこう)を奪ったのは、この連中ではないということだ。

 この連中が洞窟に持ち込んだ盗品には、金両は一枚もなかったし、あのときの六人はここにはいない。

 

 この連中の話によれば、宝物を積んだ荷駄馬車は、無人の状態で街道に停まっていたらしく、彼らはそれを発見して積み荷を奪っただけのようだ。

 つまりは、生辰綱を盗んだ者たちは、金両の入った箱だけをどこかでおろして積み替え、荷駄馬車は無人のまま街道をしばらく走らせたのだろう。

 楊蓮は、その荷駄馬車の轍を追いかけてしまったようだ。

 

「そ、その剣に触れるな。わたしの家宝だ。お前らのような山賊風情が触ってよいものではない。汚れる」

 

 耐えられなくなって楊蓮は言った。

 あまりにも、楊蓮の吸血妖剣をべたべたと汚い手で触りまくるからだ。

 すると、盗品の鑑定に夢中で、こちらに背を向けていた山賊たちが一斉に視線を向けた。

 

「汚れるだと。言ってくれるじゃねえか……。そうだ。この女将校の着ている服も戦利品だな。軍服は欲しがる者が多いから、結構いい値で売れるぜ。俺たちゃあ、今日一日でどれだけ稼いだんだ? とてもじゃねえが数えられねえぞ」

 

 仁世が笑った。

 

「とにかく、あまり汚れねえうちに、女から身ぐるみ剥いでしまいましょうよ、頭領」

 

「そうだな。じゃあ、お前ら、この女から服を一枚残らず脱がせて素っ裸にしろ」

 

 山賊たちは、思わぬ稼ぎに悦んで酒盛りをしている途中だったのだが、頭領の仁世が杯の酒をぐいとひと飲みして言った。

 

「お、お前たち、わたしから服を脱がそうというのか?」

 

 楊蓮は驚いて声をあげた。

 

「当たり前だろう。俺たちの本職は追剥だ。油断して歩いている旅人の身ぐるみ剥いで奪うのが商売だ。服を剥がすのは当たり前だ」

 

 仁世が言い、その命令で楊蓮の周りに五、六人が集まった。

 楊蓮は拘束された身体を竦ませたが、逆にこれは逃亡の機会だとも思った。服を脱がせるためには、縄を解かなければならない。つまり、そのとき、一瞬は自由になるときがあるということだ。

 そのときに、周りの男たちをぶちのめして脱走すればいい。

 

「ち、畜生。薬で身体が痺れてなければ、お前らのような者など、束になっても負けはしないのに……。わたしになにかをしたら、毒の痺れがなくなり次第に、お前たちを皆殺しにするからな……」

 

 楊蓮はわざと言った。

 

「痺れ薬か……。なるほど、それで街道で捕えたときに様子がおかしかったのか……。だっから都合がいいぜ……。まだ、痺れているうちに服を剥がしちまおうぜ」

 

 ひとりが言った。

 しめた──。

 服を脱がせるために、この連中が楊蓮の縄を解いた瞬間に皆殺しにしてやる。

 楊蓮は心に決めた。

 

 しかし、仁世が、楊蓮に向かおうとしたほかの子分たちに声をかけて、楊蓮を拘束している縄に触るのをやめさせた。

 そして、頭領の仁世が自ら楊蓮の身体の横に屈んだ。

 楊蓮はまだ縛られている。

 仁世がにやりと笑いかけた気がした。

 すると、仁世は、いきなり下袴の紐に手をかけて緩めると、楊蓮から下袴を脱がそうとした。

 

「な、なにをするんだ」

 

 楊蓮はかっとなって、足首を縛られたままの両足で、思い切り仁世の足を払ってひっくり返してやった。

 

「あっ、こいつ──」

「頭領になにをしやがる──」

 

 声をあげたのは蹴り飛ばされて倒れた仁世よりも、それを見守っていた子分たちだ。

 三、四人と身体にしかかられて、楊蓮はまたもや身動きできなくなった。

 

「なにが、痺れて動けねえだ──。本当に油断も隙もねえ女だな。さすがは女将校だな」

 

 仁世がにやにやと笑いながら起きあがって言った。

 どうやら、楊蓮が本当に痺れて動けないかどうかを試すために、まずは縛ったまま服を脱がせる真似をしたようだ。短気を起こして、拘束を解かれる前に暴れてしまった自分を楊蓮は後悔した。

 

「……まあ、この女の身体が痺れていて、それで俺たちに捕まったのは確かだろうが、とっくの昔に毒は抜けていたようだ……。とにかく、暴れまわられたら迷惑だ。このあいだ、旅芸人の一座から取りあげた猛獣調教用の道術具があったろう。誰か、それを持って来い」

 

 仁世がそう言うと、仁世の部下のひとりが洞窟の奥に引っ込み、すぐに短い棒杖と四本の短い革帯のようなものを持ってきた。

 男は棒杖は仁世に渡し、四本の帯を楊蓮を押さえている男たちに渡す。

 

「な、なにをするのだ。や、やめよ──」

 

 楊蓮は、魔道具だという得体の知れない物を身体に装着されることに恐怖して暴れた。だが、さすがに複数の男に縛られた身体を寄ってたかって押さえつけられてはなにもできない。

 山賊たちは、楊蓮の手首と足首にさっきの革帯を巻いた。

 楊蓮はぎょっとした。

 革帯が楊蓮の肌に巻きつくと、まるで肌に張りつくように革帯が密着したのだ。

 そして、結びもしないのに繋ぎ目が消滅して余長の部分もなくなった。

 

「よし、じゃあ、猛獣の調教といくか。確か、この部分をこんな風に擦るんだったな……」

 

 仁世が独り言のような言葉を呟きながら、さっきの棒の柄をおかしな感じで触りながら楊蓮に向けた。

 

「なにっ?」

 

 その瞬間、楊蓮の四肢は急に脱力した。手足に力が入らなくなり、筋肉が失われたような感じになったのだ。痺れるとかいうのとは全く違う。動かそうと思えば動かせるとは思うが、まるで自分の手足ではないような頼りない。

 

「その表情からすれば、道術具の効果があったようだな。それは猛獣を調教するときに使う道具で、身体の手足の力を失わせるものだそうだ。さすがは、猛獣遣いが使っていたものだな。道術師でもない俺でもちゃんと扱うことができるようだ。どうだ、女将校? いまのお前の手足は、幼児並みの筋力でしかないはずだ。これで抵抗できまい……。よし、お前ら、もういいぞ。縄を解いて身ぐるみを剥げ」

 

 仁世が満足したように言った。

 

「なにをするんだ──。や、やめよ──。こんなことして、ただで済まんぞ──」

 

 身体を押さえていた五、六人の山賊たちが楊蓮の縛めを解き始めた。

 身体の自由は得たものの、男たちに押さえられるとまったく抵抗できない。

 男のひとりがたて手足を軽く押さえるだけで、まったく動けなくなるのだ。

 これでは、さすがに男たちを打ちのめすのは不可能だ。

 それどころか、簡単に軍服の上衣を剥ぎ奪われた。

 

「や、やめてくれ──。た、頼む──。そ、そんな──。お前たちやめよ──」

 

 楊蓮は暴れながら、下袴に手がかかるのをやっとの思いで振りほどいてた。

 転げまわって逃げようとしたが、脱げかけた下袴を掴まれて、足首から引き抜かれる。

 楊蓮は、あっという間に胸巻きと腰の股布だけの姿にされた。

 

「く、くそうっ──」

 

 力を失わせているのが、手首と足首に巻かれているおかしな革帯であることはわかっている。楊蓮はそれを引き千切ろうと思った。だが、まるで皮膚の一部であるかのように外れる気配もない。

 

 やはり、道術の道具だから、手では外れないのだろう。

 おそらく、頭領が持っているあの短い棒──。

 あれが操作具になっているに違いない。

 楊蓮は手を伸ばして、それを奪おうとした。

 

「おおっと──。これに手を出すんじゃねえよ」

 

 仁世が笑いながらさっと身体を退けた。

 楊蓮は、ほかの男たちにまた押さえられる。

 

「それよりも、なかなかにいい身体をしてやがるじゃねえか──。そういえば、名はなんというんだ、将校さんよ?」

 

 下着姿のまま仰向けに身体を押さえつけられている楊蓮に、もう一度仁世が近づきながら言った。

 仁世が、楊蓮の臍の付近に棒の先端をつけてぐっと押した。

 

「お、お前たち、山賊風情に名乗る名などない──」

 

 楊蓮は叫んだ。

 

「そうかい? じゃあ、喋りたくなるようにしてやるぜ」

 

 仁世がくすくすと笑いながら、棒の柄の部分にある突起のようなものを押した。

 

「はぐううう──」

 

 次の瞬間、全身に衝撃が走った。

 激痛とは違うが、はらわたがぐちゃぐちゃに掴み抉られるような鈍痛が襲ったのだ。

 激しい吐き気のようなものがやってきたが、実際にはなにも吐くものは出てこなかった。

 得体の知れない苦しさが襲いかかり、全身から脂汗が吹き出すのがわかった。

 

「があっ、がっ、ああっ」

 

 楊蓮は余りの苦しさに転げまわることもできずに、ただ腹を抱えて小さくなったままでいた。もう楊蓮の手足を押さえているものはいなかったが、動くなどとんでもなかった。

 ただ、ひたすらに言語を絶するような苦しみがはらわたに襲い続けている。

 息もできないような苦しみの時間が続く。

 

「苦しいだろう、女将校……? これは猛獣調教用の杖だそうだ。言いつけをきかない獣をこれで苦しめて躾けるのだそうだぜ。実際には身体にはなんの損傷もないのだが、それ以上の苦しみがしばらく襲い続けるはずだ。さあ、質問に答えるんだな。名はなんだ? この杖は何度でもお前の身体に同じことができるのを忘れるな。別に言いたくなければ、黙っていればいい。ただ、言いたくなるまで、これを繰り返すだけだ」

 

 仁世は呻いてうずくまっている楊蓮の腹に、再び杖の先を突きつけた。

 

「よ、楊蓮だ……」

 

 楊蓮は慌てて言った。こんな苦痛をもう一度なんて冗談ではない。はらわたを抉るような苦しみは、まだ続いている。

 楊蓮の肌は、杖の先で腹を押されるだけで一斉に粟立った。

 

「楊蓮か……。じゃあ、楊蓮、お願いだから裸にしてくれと、俺たちに言いな。そして、ここにいる男全員の輪姦してくれと頼むんだ」

 

 仁世がそう言うと、周りの男たちがげらげらと笑った。

 

「ふ、ふざけるな……」

 

 楊蓮は汗まみれの顔を仁世に向けた。そして、とっさに腹に突きつけられている杖を奪おうとした。

 

「ぐあああ──」

 

 だが、またあの苦痛が襲いかかった。

 楊蓮はのたうった。

 

「どんなに苦しくても、気絶すらもできないぞ、楊蓮──。これはそういう調教具なのだ。この世のものとは思えない苦しみをただ味わうだけだ。鞭打ちや棒打ちよりも余程につらいだろう?」

 

 仁世が笑いながら言った。

 結局、五度まで耐えたが、それ以上受ける気力は、もう楊蓮にはなかった。

 

「……し、下着をぬ……脱がせて……。素裸に……。そ、そして……わ、わたしを……り、輪姦してくれ……」

 

 楊蓮は泣きながら言っていた。

 男たちが嘲笑いながら楊蓮から下着を剥ぎ取った。

 生まれたままの姿になった楊蓮は、身体を捩じって身体を丸めた。

 しかし、その身体を起こされて、両腕を背中に捻じ曲げられて縄掛けをされた。

 手首を腕を縛った縄が乳房の上下に喰い込む。

 一方で両脚は強引に胡坐をさせられて、足首を縄で固められた。そして、その足首に縄が足されて、首の後ろに回して、ぐいと上半身を足首を近づけられる。次いで、その縄をさっきの足首の縄に繋げられた。

 

「な、なにをするのだ──。こ、こんなのやめてくれ──」

 

 楊蓮は悲鳴をあげた。

 

「なにをするもねえもんだ。輪姦してくれというから、都合のいいように縛っているんだろうが。これは海老縛りという縛り方だ。別名、どうぞ犯してください縛りともいうのさ。ほれっ」

 

 仁世が、胡坐縛りの両足首と顔を近づけるように緊縛された楊蓮の身体をうつ伏せにひっくり返した。

 

「い、いやああ──。や、やめて──。こ、こんなのいやあ──」

 

 思いもよらなかった羞恥の姿勢に楊蓮は大きく動揺して、口から悲鳴が迸った。

 胡坐に拘束された股間部分が天井側を向くように身体を置かれたのだ。

 肛門や局部を男たちに曝け出した姿勢をなんとか崩そうと、楊蓮は地面に顔をつけた状態をもがかせた。

 だが、どんなに身体を起こそうとしても、この屈辱の姿勢を崩すことができない。

 

「おう、やっと女らしい悲鳴をあげやがったな──。さて、じゃあ、これはどうだ? もっと女らしい気持ちになるか?」

 

 仁世の指が楊蓮の無防備な股間に触れた。

 楊蓮は肉芽を揉むように刺激をし始めた仁世の指先を感じて悲鳴をあげた。

 

「や、やめて……。こ、こんなの……け、汚らわしい……」

 

 荒々しい愛撫でもするのかと思えば、予想外の優しい仁世の手管だった。しばらくは耐えていたが、だんだんと仁世の指の刺激で、股間に痺れるような疼きを感じる自分を止めることができなかった。

 次第に込みあがる甘美感を懸命に楊蓮は歯を食い縛って振り払おうとした。

 

「堅物女かと思えば、結構感じる身体をしているんだな、女将校さんよ……。誰か、もう少し将校さんが感じるように、尻の穴も弄ってやんな」

 

 仁世が楊蓮の股間を弄りながら笑った。

 いまや、山賊たちは楊蓮の裸身に密着するように近づいて囲んでいたが、男たちが争うように、楊蓮の肛門に指を入れてきた。さらに身体の下に手を差し込んで乳房を揉む者まで現れた。

 こうなってしまえば、楊蓮も女だ。どうしても情感を掻き立てられずにはいられない。たちまちに身体が熱くなり、ついには甘い声を口から洩らすようになってしまった。

 

「そろそろ、この将校さんも熟してきたようだぜ。おい、将校さんよ、聞こえるか? お前の股が恥ずかしい蜜の音をさせ始めたぞ。待ってな。じゃあ、たっぷりと精を注いでやるから悦びな。ここのところ、俺たちも溜まっていたからな。みんなで濃いやつをぶちかましてやるぜ。これだけの男がいりゃあ、ひとりくらいは孕ませられるだろう。遠慮なく、俺たち山賊の子を孕みな」

 

 仁世がせせら笑いながら、後ろから怒張の先端を楊蓮の女陰に当てたのを感じた。

 

「や、やめよ──。やめてくれ──」

 

 楊蓮は絶叫した。

 だが、愛撫で濡れた股間は仁世の肉棒を大した抵抗もなく受けれてしまった。子宮の入口まで一気にずんと押し込まれた。

 楊蓮は喘いだ。

 抉るような快感を感じてしまって、甘い声で呻きを漏らしてしまう。

 そのあいだも、乳房や肛門がほかの男から責めたてられている。

 

「ああ、いやあ、いやあ、ああ──」

 

 仁世が楊蓮の股間に貫かせた肉棒の律動を開始した。

 楊蓮は全身を揉みほぐされるような男たちからの同時責めに、肉芯が焼かれるような官能の痺れを感じていた。

 仁世の荒々しい肉棒の責めに、楊蓮の身体は悦楽の果てに追い込まれていく。

 

「いくぞ、一発目。たっぷりと子宮で飲み込みやがれ」

 

 仁世がそう言ったのは、長い時間が経ってからではなかった。楊蓮の股間で仁世の怒張がかすかに膨らんで震えた。

 次の瞬間、仁世の熱い精が楊蓮の膣深くで迸るのをはっきりと自覚した。

 楊蓮は号泣していた。

 

「よし、次は俺だ──」

 

 仁世が肉棒を抜くと同時に、次の男が楊蓮の股間に怒張を貫かせた。



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62  楊蓮(ようれん)、絶望とともに死を決意する

 横腹を蹴られた。

 楊蓮はびくりとして身体を起こした。すると、じゃらりと音がした。首に嵌められている首輪に繋がっている鎖が音を立てたのだ。

 

「ほれ、食事だぞ」

 

 うつ伏せに寝ている尻を叩かれた。

 

「ひっ」

 

 びっくりして身体を縮こまらせた。

 そばに立っていたのは、山賊でも一番若そうなひとりの男だ。

 また、鎖の音がする。

 今度は手錠の鎖だ。

 

 楊蓮(ようれん)は山賊たちに連れ込まれた洞窟の中の一番広くなっている場所の真ん中に立てられた丸太の柱に、首輪についた鎖で繋がれていた。

 また、両手には前手に手錠をされている。

 拘束はそれだけだが、手首と足首に巻かれている道術具が楊蓮の筋力を著しく低下させているので、それだけで逃亡も抵抗も不可能だった。

 

 この状態にされて、おそらく一晩以上がすぎている。

 仁世(じんせい)という男が頭領である十人の山賊たちに寄ってたかって輪姦され、その挙句にこうやって、連中のたまり場の中心に太い直柱を立てられて、犬のように拘束されたのだ。

 目の前に木製の皿とさじが置かれた。皿の中には飯と汁が混ざったものが入っている。

 楊蓮は、その犬の餌のような食事を見て、唇を震わせた。

 

「い、いらない……」

 

 楊蓮は首を振った。

 いま、ほとんどの男たちは、楊蓮を犯し疲れて寝ているようだった。

 この場所で横になっている者もいれば、洞窟のさらに奥側でいびきをかいている音もする。起きて動いているのは、いま、食事を持ってきた男くらいだろう。

 

 逃げられないか……?

 楊蓮は、改めて自分が繋がれている直柱を見た。

 首輪に繋がっている鎖には余長があり、立ったり寝たりということは、直柱のそばであればできるが、柱にはしっかりと鎖が金具で留められていて、とてもじゃないが外れそうにない。

 それは首輪も同じだ。金属の首輪にはしっかりと鍵がついていて、鍵なしに外すのは不可能だ。

 楊蓮は絶望的な気持ちになった。

 

「そんなことを言わない方がいいぜ。ひと通りまわったんで、いまはちょっと休憩というところだが、すぐにまた始まるはずだ。体力をつけておいた方がいいぞ」

 

 食事を持ってきた若い男が手を伸ばして、楊蓮を抱きしめて、乳房や下腹部などを撫ぜまわした。

 楊蓮は悲鳴をあげて振りほどこうとしたが、手首の道術具のために力が入らない。楊蓮の抵抗を愉しむかのように、男が楊蓮の身体を仰向けに裏返し、秘部を弄りだした。

 

「や、やめて──。も、もう、擦り切れて痛いんだ──」

 

 楊蓮は悲鳴をあげた。

 事実だった。

 十人もの男に、ひとりにつき、二回も三回も犯されたのだ。全身はまるで鉛の膜でもかかっているように重い。

 大量の精液を女陰と肛門に注がれ、それはまだ楊蓮の股間にべっとりと滴ったままだ。

 身体を洗いたいが、ここの男たちはそんなことを楊蓮に許しそうな気配がない。

 

 だが、その若い男は楊蓮をからかっただけで、いまは犯すつもりはなかったようだ。

 しばらく楊蓮の身体のあちこちを愛撫すると、満足したように手を離した。

 楊蓮は慌てて身体を小さくした。

 

 だが、困ったことが起こった。

 激しい尿意を覚えたのだ。

 考えてみれば、ずっと裸で放置されて、半日以上がすぎている。

 そのあいだ一度も尿をしていない。そして、いまこの若者に下腹部を刺激されたことで、急激な尿意を知覚した。

 それも、とても耐えられるようなものじゃない。

 

「た、頼む……。おしっこをさせてくれ……。こ、この鎖を解いて、少しだけ外へ……」

 

 楊蓮は哀願した。

 すると、その若い男が喜んだ。

 

「どっちだ?」

 

「ち、小さい方……」

 

「だったら、そのまましな。下は地面だ。そのうち、浸み込むさ」

 

「そ、そんな……。か、厠とは言わない……。だ、だけど、せめて、外でさせてくれ」

 

 楊蓮は驚いて大きな声をあげた。

 だが、その声があまりにも大きかったのか、眠っていた周囲の男たちが身じろぎを始めた。

 

「な、なんだ……?」

「おおっ……?」

「なんの騒ぎだ……?」

 

 目を覚ましたほかの男たちも声をあげた。そして、楊蓮の周囲に集まってくる。

 楊蓮は必死で前手錠に拘束された手と脚で裸体を隠した。

 

「……この楊蓮が小便をさせてくれというんですよ、兄貴たち」

 

 食事を持ってきて楊蓮をからかった若者が、集まってきたほかの男たちに言った。

 すると、集まった男たちが一斉に笑った。

 

「遠慮なくしな、女──。考えてみれば、女の小便姿というのは、そんなに見たこともねえな。見せてくれよ」

 

「おう。あんたみたいな別嬪だったら、糞でも汚くねえぜ。見てやるからやってくれ」

 

「嘘つけ。糞は汚ねえよ。そんなこと言うんなら、この女の糞係に任命するぞ、お前」

 

 男たちが軽口を言って笑い合っている。

 楊蓮はその中心で懸命に尿意に耐えて小さくなっていた。

 

「お、お願いだから、外でさせてくれ」

 

 だが、楊蓮はもう一度言った。いずれにしても限界だ。これ以上我慢できそうにない。

 すると、男たちがどっと笑った。

 

「とにかく、その飯を喰えよ。そうしたら、厠に案内してやる」

 

 誰かが言った。

 楊蓮はそっちに顔を向けた。

 

「ほ、本当に食べたら、厠に連れて行ってくれるのか?」

 

「それだけじゃ駄目だな。食事の後で、俺たちにまんこを見せて、これがおしっこを我慢しているまんこです。どうか見てくださいとお願いしな」

 

 次いで、ほかの誰かが言った。

 また男たちが笑った。

 だが、もう楊蓮には選択肢などなかった。

 そのあいだにも、排尿感は強烈に迫っている。

 

「ほ、本当にいうことをきいたら、厠に連れて行くのだな? 約束だぞ──」

 

 楊蓮は男たちを睨んだ。

 

「ああ、俺たちも山賊とはいえ、男だ。約束は守る。命令をきけば厠に案内する。間違いねえよ。じゃあ、とりあえず、喰いな。それから脚を開くんだ」

 

 仕方がない。

 さんざんに犯されまくられた身体だ。いまさら、恥部を見せるのを恥ずかしがっても仕方がないと覚悟した。だが、その前に皿のものを食べなければ……。

 楊蓮は手錠をつけられた手で、皿とさじをとると、一気にかき込んだ。大した量ではなかったから、皿の中のものはあっという間に空になった。

 楊蓮は、柱を背にして尻を地面につけて座り直すと、膝を曲げた脚を大きく開いた。

 

「こ、これでいいだろう──。か、厠に──」

 

「まだだ。まんこを指で開くんだ。そして、小便漏らしそうなまんこをどうか見てくださいと言わねえか」

 

 男たちがはやし立てた。

 楊蓮は歯を食いしばって、女陰の襞を掴んで左右に引っ張った。

 一度、唇を血が出るほど噛みしめる。

 そして、口を開いた。

 

「ど、どうか……わ、わたしの……お、おしっこが漏れそうな……」

 

 楊蓮は秘部を示す言葉を口走った。それは楊蓮に激しい羞恥と惨めさを与えた。

 この男たちに輪姦されたこと以上の屈辱が全身を襲った。

 本当に排尿の限界だった。

 いまこうしているうちにも、尿が漏れると思った。

 

「や、約束だ──。厠に──」

 

 楊蓮は股間を押さえながら言った。

 すると、楊蓮の前に小さな木製のスコップが放り渡された。柄の部分が手首ほどまでの長さしかない、庭師が園芸に使うような小さなものだ。

 楊蓮は唖然とした。

 

「それで穴を掘りな。それがお前の厠だ。そのショベルは大切にするんだ。糞をするときにも使うからな。それで穴を掘って、穴の中に小便でも糞でも垂れて、土で埋めるんだ。匂いがしないように糞のときは深く掘れよ──。手に届く範囲に掘る場所がなくなったら、柱を少し移動させてやるよ」

 

 ショベルを投げた男が言った。

 楊蓮はかっとなった。

 

「お、お前たち──。だ、騙したな──。か、厠に連れて行くと言ったじゃないか──」

 

 楊蓮は絶叫した。

 そして、逆上した。

 楊蓮は、手に持ったその小さなショベルで、ショベルを投げた男に襲いかかった。

 だが、首の鎖が楊蓮をぐいと引き戻す。さらに周りの男たちに押さえつけられた。

 ショベルも取りあげられる。

 

「なんの騒ぎだ──?」

 

 そのとき、洞窟の奥から仁世が半分寝ぼけ眼で現れた。

 そして、数名の男たちに身体を押さえられている楊蓮を見て、不審な表情をした。

 だが、男たちが事情を説明すると爆笑した。

 

「わかった、わかった──。まあ、とりあえず、逆らった罰だな。おい、楊蓮の手錠を一度外して、柱を抱かせて手首を縄で縛れ」

 

 仁世が言った。

 一旦手錠を外された楊蓮は、あっという間に言われたとおりに、柱に向かうように立たされ、柱の向こう側で手首を縄で縛られた。

 

「楊蓮、セミになれ──。セミの刑だ」

 

 仁世が言った。

 周囲の男たちが爆笑した。

 だが、楊蓮はなんのことだかわからなかった。

 

「セ、セミってなんだ?」

 

 楊蓮は仕方なく言った。

 それにしても、いまは下腹部が膨れるくらいに尿意が迫っている。

 下肢が小刻みに震えて脂汗まで出てきた。もうほとんど猶予がない。

 

「セミといえば、樹にとまって鳴くものだろう。いいと言うまで、手脚を使って、目の前の丸太の直柱にしがみつくんだ。それがセミの刑だ」

 

 仁世が言った。

 男たちが手を叩いて爆笑した。

 

「そ、そんなことできるわけ──」

 

 楊蓮は怒鳴ろうとしたが、仁世が腰からあの棒杖を出したの見て、言葉が止まった。自分の顔が蒼白になるのがわかった。

 

「嫌なら、これだ──。あの苦痛の一撃を今度は尻の穴に叩き込むぞ。おい──」

 

 仁世が声をかけ、数名が楊蓮の腰を押さえつけた。

 

「な、なにをするんだ。も、もう、変なことはやめてくれ──」

 

 楊蓮は暴れた。

 しかし、抵抗むなしく、仁世の持っていた杖をかなり深くまで肛門に挿し込まれてしまった。

 

「セミらしく尻尾もつけてやったぞ」

 

 仁世が満足げに笑った。

 

「だが、頭領、セミに尻尾はあったですか?」

 

「なかったか?」

 

 山賊たちがそんなことを言い合っている。

 しかし、楊蓮はあんなに凄まじい苦痛を与える杖をお尻に挿されたのが怖くて、必死になって腰を振って取ろうとしたが、とてもじゃないが抜けそうにない。

 

「まあいい……。ちょっとでも逆らえば、その杖の道術具を操作する。あの一撃を尻穴に叩き込まれれば、小便じゃあ済まねえぞ。多分、その場で糞も垂れ流すだろうな。全部、口で掃除させるからな。それが嫌なら、セミになるんだ」

 

 仁世が言った。

 楊蓮は口惜しくて涙が眼からこぼれ落ちるのがわかった。

 周囲の男たちが、セミ、セミとはやし立てる。

 躊躇していると、仁世がいまにもお尻に挿さった杖を操作するような素振りを見せた。

 楊蓮は悲鳴をあげて、柱にしがみついた。

 そして、血を吐くような思いで、目の前の柱をしっかりと腕で抱き、さらに、両脚を浮かべて柱を思い切り締めつけた。

 わっと、周りの男たちが歓声をあげた。

 

「樹にとまったらセミは鳴かねえか──。みーん、みーんだろうが──。ほらっ、尻穴に魔道を叩き込むぞ」

 

 仁世が楊蓮のお尻に挿しこんだ杖を弾いて揺らした。

 楊蓮はびっくりして、口を開いた。

 

「みーん、みーん、みーん──」

 

 楊蓮は言った。

 だが、それは込みあがった号泣にかき消された。

 楊蓮は手足で柱にしがみついたまま慟哭した。

 惨めだった──。

 ただ、惨めだった。

 ほかのことは考えられない。

 楊蓮は泣き続けた。

 

「人間の声で鳴くセミがあるものか──。じゃあ、次は、ツクツクボウシだ。ツクツクボウシと叫びながら腰を振れ──」

 

 仁世が言った。

 もう、楊蓮はなにも考えられなかった。

 

「ツ、ツクツクボウシ──ツクツクボウシ──ツクツクボウシ──」

 

 言われるまま腰を振った。動くと柱から落ちそうになるので、手足に必死で力を込めた。

 周囲は大喜びだ。

 

「よし、最後に飛べ」

 

 仁世が手を叩いて笑いながら声をあげた。

 

「ツクツク……。えっ、と、飛ぶ?」

 

 楊蓮はわけがわからずに絶句した。

 飛ぶとはなんだろう──?

 

「セミは飛ぶ前に小便するだろう──? その恰好で小便するんだよ」

 

 楊蓮のすぐ背後にいる山賊のひとりが楊蓮の局部のあたりを指で後ろからくすぐった。

 

「ひいっ、な、なにを──」

 

 楊蓮は悲鳴をあげた。

 だが、限界に達していた尿意は、刺激を受けることでついに決壊した。

 柱にしがみついたままの楊蓮の股間から真下に向かって一本のゆばりが迸った。

 

「ひいい──」

 

 楊蓮はあまりの恥辱で気が遠くなった。

 目の前が一瞬白くなった。

 

「ぎゃあああ──」

 

 不意に激痛が肛門に走った。

 気がつくと、楊蓮は柱から落ちて尻もちをついていた。強い痛みは、尻もちをついたとき、杖がお尻を抉ったようだ。

 血が出る感触と匂いもしたから、柄がどこか突き破ったのかもしれない。

 一方で、まだ楊蓮の股間からは尿が噴き出ている。

 楊蓮の下半身はまき散らされている自分の尿まみれになっている。

 

 だが、はっとした。

 ずっと弛緩されていた筋力が復活しているのだ。

 ふと見ると、手首と足首の革帯が離れて落ちている。

 

 振り返った。

 杖を突き挿されたまま尻から落ちたので、杖が折れたのだとわかった。

 それで道術具が壊れて、楊蓮にかかっていた術具の効果が無効になったのだ。

 

 山賊たちが騒然となりかけている。

 しかし、楊蓮の動きの方が速い──。

 素早く立ちあがると、とっさに脚の届く位置にいた男の股ぐらを蹴りあげた。

 呻き声をあげて前に崩れるその男の腰から剣を抜いた。

 刃を滑らせて、手首を結んでいた縄を切る。

 まずは、両手の自由を確保する。

 

「こ、こいつ──」

「危ないぞ──」

 

 男たちが叫んだ。

 楊蓮は手を伸ばして、仁世に向かって剣を一閃した。

 手応えがあった。

 仁世の喉から血が吹き出し、その身体がその場に崩れ落ちる。

 山賊たちが悲鳴をあげて散り始めた。

 

「うりゃああ──」

 

 楊蓮は雄叫びをあげて、身体を捩じりながら目の前の直柱に剣を叩き込んだ。

 剣は折れたが、直柱も繋いでいる金具の場所でふたつになる。

 首輪に繋がっている鎖が取れた。

 とりあえず、逃げ損ねていたひとりの男に飛びかかる。

 折れた剣で背後から喉を斬り裂いた。

 下敷きにした男から力が失われる。

 

 すでに、いまの場所からは山賊たちはいなくなっている。

 洞窟の外に逃げた者と奥に逃げた者がいたと思う。

 楊蓮は、洞窟の奥に向かった。

 すぐに、男たちが奪った盗品が集められている場所があった。

 そこに楊蓮の剣がある。

 

 七星剣──。

 斬れば斬るほど、斬れ味が増すという魔剣だ。

 楊蓮は、それを掴むと鞘を捨てた。

 さらに洞窟の奥に走った。

 

 突き当りだ──。

 六人ほどの山賊がそこにいた。

 恐怖の顔を浮かべている。もう逃げる場所はない。

 全身が武器を持っている。

 

 剣の者──。

 鎌を持っている者──。

 棍棒の者もいる。

 とりあえず、身近な武器を手に取ったという感じだ。

 楊蓮は魔剣を持ったまま、ものも言わずに進んだ。

 

「く、くそお──。女ひとりだ──。殺してしまえ──」

 

 ひとりが叫んで向かってきた。

 楊蓮は脚を踏ん張って、剣を上から下に振り下ろした。

 

「ぎゃああ──」

 

 向かってきた男の身体が、首の横から胴体までを切断されてふたつに分かれて落ちた。

 

「ひいい──。ゆ、許してくれ──。た、頼む──」

 

 ほかの男たちは、それを見て戦意を喪失したように、一斉に膝をついた。

 楊蓮はつかつかと歩くと、手前のひれ伏して謝っている男の首を切断した。

 

「ひぎゃああ──」

 

 悲鳴はほかの男たちだ。

 また、一閃──。

 次の男の首が落ちる。

 

「ち、畜生──」

 

 一度は地面に手をついて謝る姿勢だった残った三人の男たちが同時に飛びかかってきた。

 その三人を殺すのに、一瞬しかかからなかった。

 すぐに今度は洞窟の外に走った。

 これで仁世を含めて、七人を殺したはずだ。

 

 後は三人──。

 洞窟の外は昼間だった。

 逃げた者はすでに近くにいる気配はない。

 どっと疲れを感じた。

 楊蓮は素裸で剣を持ったまま、その場にしゃがみ込んだ。

 

 

 *

 

 

 歩いていた。

 どこかに向かっているというのではない。

 

 ただ、歩いていた。

 山賊たちの根城だった洞窟は、街道から少し離れた山中にあった。

 そこを出た楊蓮は、そのまま山中を彷徨うように歩いたのだ。

 

 首輪の鍵は最初に殺した仁世が持っていた。

 それで首輪を外して、着る服を探した。

 連中が奪ったものの中には、彼らが楊蓮から剥ぎ取った軍服もあったが、それを身に着ける気にはなれなかった。

 

 生辰綱を盗賊に奪われて、それから山賊たちに凌辱された。

 もはや、楊蓮が軍人に戻れるわけがない。

 その気もない──。

 おそらく、楊蓮は手配されることになるだろう。

 だが、そんなことはもうどうでもいい。

 なにもかも、どうでもいいのだ。

 

 いずれにしても、軍服だけは身に着ける気になれなかった。

 楊蓮は、洞窟にあった服から自分に着れそうな男物の上衣と下袴などを身に着けて、洞窟の外に出た。

 洞窟から持ち出したのは、身に着けた服と家宝の剣だ。

 それだけを持って外に出た。

 

 歩くと、少しお尻が痛んだ。

 お尻で道術具の杖を叩き折って、それで拘束から逃れることができた。

 そう思うと、おかしくなった。

 

 とにかく、ここを離れようと思った。

 ほかのことが考えなかった。

 

 だが、洞窟を出て、少し進んだところで、楊蓮は当惑した。

 どこに行けばいいのかわからなかったのだ。

 そして、向かう先など存在しないことを悟った。

 

 街道に出ることも躊躇った。

 だから、そのまま山中をただ進むことにした。

 やがて、深い谷に突き当たった。

 ふと空を見ると、夕方だった。

 谷の下には川が流れていた。

 相当に深そうだ。

 それを見て、楊蓮はやっと自分がなにをすべきかわかった。

 

 死ねばいいのだ。

 

 軍人として任務に失敗し、山賊たちの凌辱の限りを尽くされて、軍人としても女としても、これ以上ないという辱めを受けた。

 その自分がこれからおめおめと生きていけるわけがない──。

 そう思うと、なんで、このことにもっと早く思い当らなかったのか不思議だった。

 迷いはない。

 家宝の剣を服の中に差した。これだけは、失いたくなかったのだ。

 

 そして、楊蓮は谷に向かって跳躍していた。

 宙に浮かんでいる。

 

 これが死だ──。

 

 楊蓮は風を感じながら思った。

 空に浮いている──。

 そう思った。

 奇妙な感覚だった。

 谷を落下しているはずなのに、空を飛んでいるとしか思えないのだ。

 

 やがて、衝撃が楊蓮の身体を襲った。



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第20話  二流男と自殺志願の女
63  李忠(りちゅう)、川を流れてきた楊蓮を拾う


 頬を風が撫でた。

 眼を開くと、空が見えた。

 明るい空だ。

 近くに水の流れる音もした。

 

 死ななかったのか?

 

 楊蓮(ようれん)が最初に思ったのはそれだけだ。

 どうやら、河原のようだ。

 ここがどこだかはわからない。

 

 あれから川を流されて、どこかの河原に流れ着いたということだろうか?

 そうだとすれば、谷に飛び込んだのは夕方だったから、夜のあいだ、ずっと流され続けたということになるのか……?

 楊蓮はしばらくぼんやりとしていた。

 そして、自分の身体になにかがかけられているということに、やっと気がついた。

 

 毛布だ。

 身体の上に毛布が乗っている。

 いや、身体の下にもある。

 身体の上下を毛布で包まれて、河原に寝かせられているということがわかった。

 どういうことだろうと起きあがろうとしたが、脚と胸に痛みが走った。

 折れているという感じではないが、川に落下したときか、川を流されているあいだのどこかで打ったか切ったかしたのかもしれない。

 

 いずれにしても、起きあがらなくてはと考えた。

 しかし、思っただけだ。

 とても疲れていた。

 指一本動かないほどに……。

 だから、しばらく楊蓮は、そのままでいたと思う。

 だが、その身体の上に、不意に人影が差した。

 

 男──?

 

 楊蓮はまだ身動きしていなかったし、眼も薄っすらと開いただけだったのだと思うので、その男は楊蓮がまだ意識がないと思ったのかもしれない。

 そんな感じだった。

 男が無造作に楊蓮の身体の上にかかっていた毛布を剥いだ。

 ひんやりとした風を感じた。

 そのことで、やっと楊蓮は自分が全裸であることを知った。

 抗議しようとしたが、男が楊蓮の身体の下に腕を差し込んで、身体をうつ伏せにひっくり返した。

 

「へへ、なかなかのいい身体だな……。これも役得か?」

 

 男が独り言で軽口を言った。

 次の瞬間、お尻に刺激を感じた。

 

「ひっ?」

 

 楊蓮は声を出していた。男が楊蓮の肛門に突然に指を挿し込んだのだとわかったのは一瞬後だ。

 

「えっ?」

 

 だが、男は驚いたようだ。びっくりしたような声をあげて指を抜いた。

 

「な、なにをするんだ? 無礼な──」

 

 楊蓮は身体を跳ね起こした。

 全身が痛むが、動けないほどではない。

 ふと見ると、すぐそばに楊蓮の剣が置いてあった。それを掴んで鞘を抜いて、男に刃を向けた。

 

「う、うわああ。ま、待ってくれ──。お、おい、斬るなよ。は、話せばわかるよ──。お、落ち着きなよ、あんた」

 

 尻もちをついて、蒼い顔をしているのは貧相な顔をした四十男だ。

 その男が河原に腰をつけたまま、驚いたような形相で後ずさりをした。

 

「だから、薬を塗るのは、わたしがやるって言ったのよ、李忠(りちゅう)。いきなり、女の尻に指を入れれば、そりゃあ、怒るわよ」

 

 離れた場所から声がした。

 驚いてそっちに視線をやると、焚火を前にしている美女がそこにいた。

 その美女も裸だ。

 腰に小さな布だけを置いているが、そのほかは乳房もなにもかも丸出しだ。

 さらに気がつくと、焚火のすぐそばに、樹木に紐を張って服が干してある。

 それは楊蓮が身に着けていたものと、その女が着ていたもののようだ。

 

 これは一体全体、どういう状況なのだろう──?

 楊蓮は呆気にとられた。

 

「だって、まだ、気を失っていると思ったんだよ。こんな美女の裸体を前にしたんだ。触るくらいいいだろう。これは男の性分だよ、魯花尚(ろかしょう)

 

「触るんなら、わたしが幾らでも触らせてあげるわよ。偽物女の身体でよければね」

 

 魯花尚と呼ばれた女が陽気に笑った。

 

 

 *

 

 

「だって、まだ、気を失っていると思ったんだよ。こんな美女の裸体を前にしたんだ。触るくらいいいだろう。これは男の性分だよ、魯花尚」

 

 李忠は言った。

 すると、魯花尚が悪戯っぽく笑みを浮かべた。

 

「触るんなら、わたしが幾らでも触らせてあげるわよ。偽物女の身体でよければね」

 

 魯花尚が愉快そうに笑った。

 李忠は驚いてしまった。

 冗談でもそんな際どいことを口にする女ではなかったはずだ。

 だが、このところ、時折、そんな軽口を使ったりする。

 しかし、考えてみれば、魯花尚は元々そういう明るい気質だったとも考えられる。

 それが道術で女にされたという恥辱で失っていただけであり、やっと、本来の性格が戻ってきたということかもしれない。

 

 まあ、それだけ、李忠にも、また、女であることにも慣れてきたというところだろうか……。

 そういう李忠も、これだけの回数、魯花尚と身体を合わせていると、さすがに、だんだんと気心も知れ、連れ添った夫婦なような感情になったりもする。魯花尚もそうなのだろう。

 もっとも、いまだに情交は、魯花尚の「発作」に限ったときしかないが……。

 

 しかし、その発作の回数が増えていた。

 

 最初の頃は十日に一度だった魯花尚の発作は、このところ、七日から五日に一度という間隔にまで頻度があがっている。

 また、夕刻をすぎてからと決まっていた発作の時刻も、いまでは夜だけではなく、朝だったり、昼間だったりすることもある。

 魯花尚を女にした道術師は、もともと、魯花尚を苦しめるために女体化したのであり、淫情の発作も、魯花尚が備えられないように、だんだんと不規則で頻度が激しいものになるのではないかと魯花尚は予想もしていた。

 そのとおりになってきたということだ。

 しかも、十日に一度、時間は夜だけと決まっていたように思わせて、なれた頃に不規則な発作にしてしまうとは、意地悪な陰湿さだ。

 

 だが、可哀想だが、李忠にはどうしようもない。

 李忠にできるのは、魯花尚の淫情の発作を収めるために、魯花尚の女陰に精を注いでやれるだけだ。

 もちろん、そのときには、少しは意地悪をして嗜虐的な愉しみを満たさせてももらう。

 それくらいは、持ちつ持たれつということで許されるだろう。

 

 実際のところ、毎回、魯花尚の都合に応じて精を放つというのは、いかに相手が魯花尚とはいえ、難しいところもあるのだ。

 だから、李忠としても、好きな抱き方をさせてもらわなければ、精の注入には応じにくいというものだ。

 

 ……と、一応、そういうことになっている。

 

 縛らせないと精が出せないと言えば、魯花尚は応じるしかないし、李忠に奉仕しないと精をやらないと脅せば、魯花尚は渋々でも奉仕する。

 本当は、魯花尚のようないい女が相手なら簡単に精も出せるが、少しでも長引かせたいし、愉しみたい。

 発作の情交の度に、いろいろと魯花尚に要求するのは、実は、李忠がそういう抱き方が好きなだけだ。

 

 まあ、それはともかくとして、以前と違って発作の起きる時刻が予想できなくなった魯花尚は、最近は李忠にべったりだ。

 それこそ、どこに行くにも着いてくる。

 片時も離れたくはないようだ。

 まあ、それだけ、魯花尚も発作が怖いのだろう。

 こんな美女に付きまとわれるのも、悪い気もしないが……。

 

「こ、これは、どういうことなのだ?」

 

 目の前で剣先を李忠に突きつけている美女が当惑した様子で、李忠と魯花尚を交互に見た。

 

「説明してやるが、その前に剣を引っ込めて、身体を隠せよ。やらせてくれるなら別だが、そうでなけ

れば、その姿は眼の毒だぜ」

 

 李忠は笑った。

 女は険しい顔をしているが、一糸まとわぬ姿で恥毛までさらけ出して、李忠を睨んでいるのだ。

 美女ははっとしたように、毛布の中に引き返して裸身を隠した。

 

「……あんたは、その河を流れてきたのよ。気を失っていたようだけど、身体に差し込んでいた剣がうまく流木に引っ掛かってたので、溺れ死ななくて済んだようよ……。わたしたちは旅の者なんだけど、たまたま、この河原で野宿をして休んでいたら、今朝、人間が流されてきたのを見つけ、それで河から引きあげたということよ」

 

 魯花尚が言った。

 

「泳いでお前の身体を引きあげたのは、そこにいる魯花尚だがな。俺はなにもしてねえ。ただ、お前さんの服を脱がしてから、目の保養をさせてもらって、そして、治療をしてやるところだったんだ。だが、結構、しっかりと鍛えた丈夫な身体なんだな。肋骨にひびくらいはあるかもしれないが、手足の切傷も大したことねえ。それよりも、尻の穴を怪我しているみたいだから、薬を塗ってやろうとしてたのさ。そうしたら、お前さんに殺されかけたんだ」

 

 李忠は笑ったが、この女の身体の傷は大したことはなかったものの、尻に出血があり、膣には強姦されたような痕があった。なんとなく理不尽な凌辱でも受けたのではないかと李忠は思った。

 だから、なるべく深刻な雰囲気にならないように気を使っているのだ。

 女はしばらく、毛布で隠した自分の身体を確かめるように眺め、そして、李忠と魯花尚、そして、魯花尚の後ろに干している魯花尚と自分の服に視線をやった。

 

「……そうか……。すまなかったな。お前たちは、李忠と魯花尚というのか……。ふたりで助けてくれたのだな……。一応、礼を言っておく……」

 

 女はすっと立ちあがった。

 裸身のまま自分の剣だけを持った女は、全裸で李忠たちに頭をさげた。

 

「わたしは、楊蓮というものだ。せっかく助けてくれた命なのだが、実は死ぬつもりだったのだ。済まんが、死体はもう一度河に投げ込んでくれないか。それと、この剣は値打ちものだ。礼の代わりにもらってくれ」

 

 その楊蓮と名乗った女が、いきなり、剣の鞘を捨てて刃を首に当てた。

 

「う、うわっ。なんだあ──?」

 

 李忠は驚愕して楊蓮に飛びかかろうとした。

 だが、間に合わない……。

 楊蓮の手に力が入ったのがわかった……。

 こいつ、本物の狂人か……?

 とにかく、李忠は絶叫しながら駆けた。

 

「な、なにやってんのよ?」

 

 魯花尚の悲鳴もした。

 李忠の頬の横をなにかが通り過ぎた。

 

「ぐっ」

 

 楊蓮が剣を落として、その場に片膝をついた。

 魯花尚の投げた弓矢の矢が右手に刺さっている。

 さっき魯花尚が狩猟をして朝食として鳥を捕まえてくれたのだが、それをたまたまそばに置いていたのだろう。

 

「ちっ」

 

 楊蓮が舌打ちしながら、右手から矢を抜いた。

 それほど深く刺さっていたわけじゃないから、簡単に抜け、出血も大したことなさそうだ。

 

「矢を投げるなんて、無茶しやがるぜ、魯花尚……。と、とにかく、落ち着けよ、お前」

 

 李忠は楊蓮にしがみついた。

 

「な、なにをするか──?」

 

 しかし、怒りのこもった楊蓮の声がした。

 次の瞬間、天地がひっくり返った。

 なにが起きたのか一瞬理解できなかったが、李忠はものの見事に身体をひっくり返されて、背中を思い切り河原に打ち付けた。

 

「ぐあっ」

 

 李忠は声をあげた。

 

「放っておいてくれ──。もう一度言うが、この剣は値打ちものだ。わたしの遺骸を河原に放り捨てる手間賃としては破格だぞ。文句はないはずだ」

 

 楊蓮が倒れている李忠を尻目に、また剣を拾った。そして、もう一度、自分の喉を掻き斬る仕草をする。

 

「あんた、李忠になにをするのよ──?」

 

 だが、駆けてきた魯花尚が裸のまま楊蓮を掴んだ。

 今度は楊蓮が魯花尚に右腕を極められて、その場に両膝をつかされている。

 剣も魯花尚が取りあげて遠くに投げた。

 

「な、縄よ、李忠。縄かなにかを持ってきて。とにかく、物騒だから縛ってしまいましょう」

 

 魯花尚が楊蓮の身体を押さえたまま叫んだ。

 李忠はなんとか起きあがると、荷のところまでいき手錠を二個掴んだ。

 魯花尚を抱くときに拘束して李忠が愉しむための道具だ。

 

 李忠は取って返すと、魯花尚が押さえつけている楊蓮の身体に取りつき、二個の手錠のそれぞれの片側を楊蓮の左右の足首にひとつずつ嵌めた。

 そして、それぞれの手錠のもう片側に左右の手首をそれぞれに繋げる。

 しかも、右足首と左手首、左足首と右手首という組み合わせだ。

 これで身動きは不可能だ。

 

「な、なにをするのか──? 外せ、外さんか──」

 

 拘束された楊蓮が魯花尚の腕の中で暴れながら怒鳴った。

 

「随分な拘束ね……。ちょっと、趣味が入っているんじゃないの、李忠」

 

 魯花尚が苦笑しながら、楊蓮の身体を離して横にした。楊蓮は両膝を曲げて股を拡げた状態でもがいている。

 確かに、なんとも卑猥な格好だ。

 

「まあな……。ついでだ。こいつに薬を塗ってしまおう。さっきの続きだ……。背中を打ち付けられた代償に愉しませてもらう」

 

 李忠は傷薬の入った容器を拾いあげた。毛布にくるませて横にさせていた楊蓮に塗ろうとして、剣で脅されたので、そのまま地面に置きっぱなしになっていたのだ。

 

「馬鹿を言わないのよ、李忠。わたしがやるわよ──」

 

 魯花尚が李忠から塗り薬を取りあげた。

 そして、まずは魯花尚自身の投げた矢が刺さった手の甲に塗り薬を塗った。

 即効性の治癒薬で化膿止めの効果もある。

 道術の力の入った高価なものであり、あっという間に楊蓮の傷は塞がれていく。

 

「お尻にも塗るわよ、楊蓮──。ちょっと深くまで指を入れるけど、我慢しなさい」

 

 魯花尚が抵抗できない楊蓮の身体を横にした。

 そして、指に油剤を載せて、指を楊蓮のお尻の穴に挿していく。

 

「んんっ──。な、なにを……? そ、そんなところに指を……」

 

 楊蓮が真っ赤な顔をして身悶えするような仕草をした。もしかしたら、かなり感じやすい性質なのかもしれない。それにしても、裸の女がふたりで絡み合う光景は、なにか淫靡な光景に思えてくる。

 

「どこ見てんのよ、李忠──。反対を向いてなさい──」

 

 魯花尚が言った。

 

「へいへい……」

 

 李忠は言われたとおりに、ふたりに背を向けたが、よく考えれば、魯花尚は男だろう。

 まあ、いまではすっかりと女そのものであるような気持ちになっているのかもしれないが……。

 少なくとも、もう女に性欲があるという感じではない。

 そういえば、さっきも、“偽物の女”などと軽口を平気で笑いながら口にしていた。

 だが、あんな冗談も少し前なら絶対に言わなかった言葉だ。魯花尚の心が「女」として落ち着き始めた兆候ともいえるかもしれない。

 

「……前の穴にも塗るわよ。いいわね──」

 

 魯花尚の声がする。

 楊蓮の戸惑いのような呻きと、少し荒い鼻息が始まった。

 ついつい、李忠も想像力と股間を逞しくしてしまう。

 

「終わったわよ……」

 

 魯花尚の声がした。

 振り返ると、楊蓮はさっきの拘束のまま河原に直接寝かされて、その上に毛布をかけられている。魯花尚も一枚の毛布を裸身に巻きつけていた。

 

「な、なんでわたしが死ぬのを邪魔をするのだ、お前たち? 理由を言え」

 

 楊蓮が横になったまま怒鳴った。

 李忠は嘆息して、楊蓮の前に座り込んだ。

 

「冗談じゃねえよ。目の前で死なれてたまるものかよ」

 

 李忠は言った。

 

「なるほど……。だったら、お前たちのいないところで死ぬ。河を流れていたところを引きあげてくれたことには感謝する。だが、それは余計な世話だったのだ。わたしは死ぬつもりで河に身を投げたのだ。思ったよりも、自分の身体が丈夫なのは意外だったが」

 

 楊蓮が無表情のまま言った。

 李忠は盛大に息を吐いた。

 

「厄介なもの拾っちまったなあ。なんで死のうなんて思うんだ? さしずめ、強姦でもされたか? そんなものは拭えばいいだけのことだ……。そうだ。避妊薬がある。魯花尚に使わせているものだが、事前でも事後でも二、三日以内なら完全に避妊できる。官営の道術屋で購った確かなものだ」

 

 道術で女体化された魯花尚に、避妊薬が必要かどうかは知らないが、一応使わせているものだ。

 李忠はそう言うと、荷から薬剤と水筒を持ってきて、楊蓮の口に薬と水を一緒に放り込んだ。

 楊蓮は、少しだけ当惑した表情をしたが、素直に受け入れて、薬を飲み下した。

 

「ほらっ、これで問題ねえ……。あとは気持ちの問題だ。いまはつらいかもしれないが、時間が経てば忘れてしまう。そういうもんだ……。どうしても肚の煮えが収まらないのなら、場合によっては俺たちもかたき討ちに協力してやる。だから、死ぬなんてよせよ」

 

 李忠は言った。

 

「た、確かに、わたしは強姦されたが、それはいいのだ。あの連中は、わたしが叩き切った。数名は逃がしてしまったが、親玉は殺したし、お前の言うとおり、犯されて死ぬなど馬鹿馬鹿しいと思う。わたしが死ななければならない理由は、そんなことじゃないのだ」

 

「へえ、その言葉によれば、お前を犯したのは賊徒かなにかか? 大勢いたのか?」

 

「十人だ。七人までは殺した。三人は逃がした」

 

 楊蓮が言った。

 もう少し話をさせると、楊蓮が捕まったのは黄泥岡(おうでいこう)に巣食っている盗賊らしかった。

 黄泥岡といえば、ここからかなり離れている。確かに、そこから山の川に身を投げれば、流れに流れて、この青州川に辿り着くのかもしれないが、それにしても遠い。

 李忠はびっくりした。

 

 身を投げたのは昨日の夕方のようだ。

 それから、ひと晩中流され続けて、おそらく青竜河という大河に入り、そこから、また、その支流の青州川に入って、ここまで流れ着いたということになる。

 

 黄泥岡だったら陽安の城郭の管轄だと思うが、ここはすでに俗称“青州”とも呼ばれる、青城という城郭の管轄地である青城郡だ。

 青城は、その周辺の地域を含めて、通称“青州”とも呼ばれる。

 目の前の川が“青州川”というのも、その青州を流れるのが理由だ。

 青州は、いまでこそ、北州という大きな州に含まれているが、この帝国の成立以前までは、れっきとした独立王国があった場所なのだ。

 

 ともかく、この青城を中心とした青州は、二竜山(にりゅうざん)清風山(せいふうざん)、桃花山《おうかざん》という三個の山で囲まれていて、それぞれに賊徒が棲み付いて、官軍の討伐を難しくしているとともに、この地域はむかしから帝国に対する独立の気運が大きく、叛政府的だといわれている。

 

 それに対し、歴代の北州長官や青城の県令が強圧的な統治で臨んだため、この地域は、帝国内のどの地域に比しても、離散民衆が格段に多い。

 その離散民衆はそのまま賊徒になってしまうため、青州の治安は悪く、いまでは、帝国内でもっとも統治の難しい地域だとされているようだ。

 

 いずれにしても、そんなに流されて、五体満足で生きているということが信じられない。

 それは運命の女神が、この女にまだ死ぬときではないと告げたのだろう。

 李忠はそう言った。

 

「運命の女神などどうでもいい。そんなものがいれば、わたしにこんな生き恥をかかせたりしないはずだ。いいから、これを外せ。もう、お前たちの前では死なないと約束する」

 

 楊蓮が言った。

 

「じゃあ、手錠を外したら、どこかに立ち去って死ぬということ? 勘弁してよ」

 

 魯花尚も困惑した声をあげた。

 

「お前たちに関係ないだろう。いいから、もう、わたしのことは放っておけ」

 

 楊蓮が喚いた。

 

「まあ、関係ないというのは確かなんだけどねえ……」

 

 魯花尚が困ったように李忠に視線を向けた。

 李忠は肩を竦めた。

 

「……まあ、じゃあ、死ななければならない生き恥について話してみな。それで納得ができるようなら手錠を外してやるし、楽に死ぬのを手伝ってもやってもいい」

 

「本当だな──。約束だぞ──」

 

「わかった、わかった──。とにかく、話せ」

 

 李忠は言った。

 すると、楊蓮はあっさりと語りだした。

 それによれば、楊蓮は北州都に駐屯する州軍の将校のようだ。

 そして、州知事から毎年贈られる帝都宰相への誕生祝の金両十万枚の輸送隊長をしていたらしい。そして、それを黄泥岡に出現した六人組の商人に、痺れ薬を飲まされて奪われたということだ。

 

 早い話が、つまりは賊徒に大事な荷を奪われたということだけのようだ。さっきの強姦云々というのは、まだ痺れ薬から完全に快復しないまま奪われた荷を追って街道をひとりで歩くうちに、運悪く山賊に捕らわれてしまったということらしい。

 

「……というわけだ……。わかったら、拘束を解け」

 

 楊蓮は言った。

 

「えっ、終わったの?」

 

 魯花尚が声をあげたので、李忠も思わず苦笑した。

 

「いい加減しろよ。死ぬ理由がどんなものかと思えば、生辰綱(せいしんこう)を奪われたということかい。まだ、山賊たちに輪姦されたから自殺するという方がましで、納得もできる……。生辰綱といえば、賄賂だぞ。しかも、北州の知事が民衆から搾り取った重税で作ったものだ。それも、金両十万枚だと──? 呆れるぜ。それを作るためのこのところの重税だったのかよ。あれのおかげで、北州の民衆は途端の苦しみを味わったんだ。税を払えなくて、妻子を奴隷に売り飛ばさせられた者もたくさんいる……」

 

「そ、それは……」

 

 楊蓮がなにか言いかけたが、遮って李忠は続けた。

 

「まあ、税など払ったことねえ、俺が文句を言うのもなんだがな……。とにかく、そもそも、こんなにも北州に賊徒が溢れるのは、税を支払えない者が農村から逃亡して、それで食う手段がないからだ。そんなものを運ばされて恥だと思うならともかく、奪われて恥だなんて呆れ返るぜ。奪われて清々するようなものじゃねえか」

 

「な、なんだと? 生辰綱を奪うのは犯罪だぞ。悪人だ。お前は悪人の味方をするのか──?」

 

 楊蓮が怒鳴った。

 

「なにが悪人だ……。民衆の生き血を吸って作った賄賂を運ぶお前の方が悪人だ。まあ、いずれにしても、誰の仕業か知らねえが、久しぶりに愉しい話を聞いたぜ」

 

 李忠が笑った。

 

「な、なに──? く、くそう──。と、とにかく、拘束を解け──」

 

 楊蓮が身体を暴れさせた。

 

「あまり、暴れるなよ──。名誉にかけて自殺はしないと約束すれば、拘束は外してやる」

 

「そ、そんな誓いができるか。わたしは軍人として……」

 

「もう軍人じゃねえだろう。軍に戻っても、責任を取らされて処刑されるだけだ……。第一、どうせ、もう逃亡したことになってるんじゃねえか? 多分、直に手配書も出回る……。そうなれば、お前も賊徒の仲間入りだ。生辰綱を盗んだ連中と同列のな──」

 

「ど、同列だと――。なにをいうか――」

 

「いいから話を聞けよ。折角もらった命だ。もう、軍のことも、生辰綱のことも忘れて、新しい人生を探せよ。新しい生き甲斐を見つけるんだ。世の中には愉しいことはたくさんあるぞ──。州軍の軍人なんかやっているよりも、ずっとな……」

 

「わたしはずっと軍人だったのだ。いまさら、別の遣り甲斐なんか探せるか」

 

「だったら、男女の営みなんてどうだ? 妊娠の恐れのない避妊剤があるから、純粋に愉しめるぞ。気持ちのいい運動のようなものだ。俺が、情交の愉しさを教えたら、自殺を思い留まるか?」

 

 李忠が大笑いした。

 すると、楊蓮が顔を真っ赤にした。

 

「ち、畜生。お前も、わたしを馬鹿にするのか──。くそうっ──。犯すなら犯せ──。だが、それが終わったら拘束を外して、わたしを自由にしろ。だ、だいたい、さっき塗られた場所がじんじんと痺れるぞ。お、おかしな薬剤を塗ったんじゃないだろうなあ」

 

 楊蓮が喚いた。

 

「おかしな薬剤とはなんだ? 道術のこもった高級の傷薬だぞ。効き目が速すぎるから、多少は疼きのようなものが走るかもしれねえが、それで感じるようだと、相当の好き者の証らしいぞ」

 

 李忠はからかったが、実はそれは本当だ。

 この薬剤は、身体が敏感すぎる女の場合は、道術の治療の刺激が急速すぎて、媚薬のような作用をすることもあるのだ。

 ふと見ると、楊蓮はさっきから腰をしきりにもじつかせているようだ。気がつかなかったが、唇を軽く開いてつらそうな息もしている。

 これは驚いたが、この楊蓮はかなりの淫乱な資質があるようだ。

 

「こりゃあ、どうしようもねえなあ……。なあ、魯花尚、本当に色責めにしちまうか? この世で、愉しい生き甲斐がほかに見つかれば、自殺はやめるとか言っているしな」

 

 李忠は笑いながら、魯花尚に振り向いた。

 しかし、いつの間にか、魯花尚は顔を俯かせて、その場にうずくまっていた。

 毛布に包まれた身体は真っ赤で汗がみるみる流れ出ている。

 

「ど、どうした?」

 

 李忠はびっくりして声をあげた。

 

「ご、ごめん、李忠……。発作が……」

 

 魯花尚が顔をあげた。

 李忠は唖然としてしまった。

 その顔はすっかりと淫情の発作に侵されて、官能的な表情を溢れさせていたのだ。

 息は荒く、すっかりとぎりぎりまで性感を溶かされてしまっているようだ。

 

「こ、こんな朝っぱらからか……?」

 

 李忠は思わず口走ってしまった。

 

「わ、わかっているけど……。お、お願い、李忠……。お願いよ……」

 

 魯花尚が両手で李忠にすがりついてきた。

 

「わかった、わかった。俺に任せろ。だが、丁度いい。こいつに、この世の愉しさというものを教えてやろうぜ」

 

 李忠は魯花尚が身体に巻いていた毛布を取りあげて、楊蓮の目の前に拡げた。

 

「ば、馬鹿なことを言わないでよ、李忠……。この女の目の前でなんて……」

 

 素裸になってしまった魯花尚が乳房と股間を強く押さえ、腰を引くように背を屈めて言った。

 

「だったら、精をやらねえぞ……。どうせ、こんな隠れる場所なんてねえ河原で抱くんだ。どうせだったら、こいつの前でやってやろうぜ。楊蓮、見ていろ。この世には、こういう愉しみもあるんだ。死に急ぐのは早いぞ」

 

 李忠は笑いながら、魯花尚を毛布の上に引き倒した。

 しかし、魯花尚はかなりの力で抵抗してくる。

 だが、発作中の魯花尚ではさすがに李忠にはかなわない。

 身体中の感度があがっているので、ちょっと肌に触れられるだけで、腰が砕けたようになるのだ。

 結局、魯花尚は李忠に組み伏せられた態勢になった。

 

「ま、待ってよ……。こ、ここで? い、いくらなんでも……」

 

「いやいや、そういうのも刺激があっていいだろう、魯花尚? それに、まだ朝だしなあ……。こいつの前

で抱かせてくれるなら、精も出せそうだが、そうでないと難しいなあ……。嫌なら、夜まで待ってもらえるか?」

 

 李忠はうそぶいた。

 

「ひ、卑怯よ、李忠……。弱味につけ込んで……はあ、はあ、はあ……」

 

 魯花尚が声をあげたが、完全に力が失われた。

 観念したようだ。

 発作中は、魯花尚の思考力は失われたようになり、大抵のことには逆らわない。

 李忠はそれをよく知っていた。

 

「な、なんだ、お前たち? ほ、本当にわたしの前でふしだらなことをするつもりか?」

 

 拘束されて転がされている楊蓮が、焦った声をあげた。



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64  魯花尚(ろかしょう)楊蓮(ようれん)の前で李忠(りちゅう)と愛し合う

「り、李忠(りちゅう)……。や、やっぱり恥ずかしいったら……」

 

 魯花尚(ろかしょう)は、毛布に横たわった途端に、目の前に転がっている楊蓮(ようれん)の視線を感じて、狼狽えた声をあげた。

 しかし、すでに淫情の発作が、魯花尚の身体をすっかりと情欲の疼きで弛緩させ、視界は薄い膜がかかったようになっている。

 にやにやと勝ち誇った表情で、魯花尚の全身の肌を擦る李忠に逆らえない……。

 

 それでも必死で自我を食い止めようと、魯花尚は歯を喰い縛るのだが、毛布の上にしゃがんだ李忠に、楊蓮の方を向くように座らされた。

 さらに、両方の乳房を李忠に掴まれて、乳首を指で転がされながら乳房全体を揺らすように揉まれる。

 

「ふわあああっ」

 

 頭に電撃が流れたような感じになり、全身が痺れて動けなくなる。

 

「それっ、こっちに顔を向けろ、魯花尚」

 

 李忠に胸を揉まれながら耳元でささやかれた。

 魯花尚はほとんど意識することなく、首を後ろに向けて李忠の唇に自分の唇を重ねていた。

 口の中に李忠の舌が入り込み、口腔をしゃぶられる。

 みじめなくらいの脱力感と甘美感が襲いかかる。

 

 なにもかも、李忠に言いなりにされ、女のように反応してしまうのは恥ずかしくもあり、しかも、他人の前で抱かれろという理不尽な命令にも従ってしまう自分が情けないと思う。

 だが、そんな屈辱感も、羞恥心も、なぜか李忠の前では、少しも抵抗しようという気も起きないだ。

 

 それどころか、もっと苛めて欲しいという欲求が魯花尚の心を支配していく。

 妖しげな疼きに全身を支配されて、まるで身体全体が性器にでもなったように熱くなる。

 

「ああ、り、李忠……あ、熱い……熱いわ……り、李忠……」

 

 唇が離れると、魯花尚はただうっとりと自分を抱くてくれている男の名を呼んだ。

 この男のおかげで自分は生きていける。

 李忠がいなければ、魯花尚はもう死んだ方がましな人生しか送れない。

 自殺すらもできないのだ。

 だが、李忠がいれば……。

 

「お、お前たち──。ほ、本当にわたしの目の前で……。ふ、ふしだらだ──。ふしだらだぞ──」

 

 焦ったような女の声が聞こえる。

 それが楊蓮という頭のおかしな女の声だと認識するにはかなりの時間が必要だった。

 しかし、しばらく李忠の手で乳房が変形するかと思うほどに揉みつぶされていると、もう一切の雑音や視界が頭に入ってこなくなる。

 あるのは李忠の存在と李忠から与えられる快感だけだ。

 

「すっかりと、できあがっているな、魯花尚……。楊蓮にお前が快感によがっているところを見せてやれよ」

 

 李忠が笑いかけてきた。

 楊蓮……?

 魯花尚は、それが誰なのかすぐに知覚できなくて、一瞬、怪訝な感情に襲われたが、李忠の手が魯花尚の腹部を滑り降りて、下腹部に辿り着くと、また思考が吹き飛んだ。

 李忠の指が恥毛に絡み、秘肉に押し入る。

 そして、秘烈に沿って指を回すように押しつけながら、手のひら全体で股間を押し揉んでくる。

 

「はあああ──」

 

 魯花尚は大きな声をあげてのけ反った。

 誰かが目の前で小さな悲鳴をあげた気がした。

 びっしょりと濡れた女陰を擦られ続ける。

 魯花尚はひたすらに、“あん、あん”と甘え泣きながら身体を左右に激しくくねった。

 

「ほら、これが好きだよな、魯花尚……。肉芽を剥き出しにしてやるよ」

 

 李忠がくすくすと笑いながら、股間を弄っている指で肉芽を摘まんだ。

 

「ふわああっ──」

 

 魯花尚は後ろから抱きかかえられている李忠の身体に背中を押しつけるように上体をのけぞらせた。

 肉芽の皮が剥かれて、指でこりこりとしごかれる。

 

「あああっ……ああっ……あっ……はああ……」

 

 魯花尚はひたすらに悶え泣いた。

 李忠がまた魯花尚の唇を求めるように、背後から耳に向かって息を吐いた。

 魯花尚は懸命に首を後ろに向けて李忠の唇を探す。

 そして、重ねた李忠の口の中に自ら舌を差し込み、李忠の舌を舐めた。

 

「……精を与えると、お前はすぐにつれなくなるからな……。まだ、お預けだ、魯花尚」

 

 李忠が嬉しそうに笑いながら、魯花尚の股間に指を挿入してきた。

 魯花尚は李忠の膝の上に抱かれたままだ。

 そして、前を向かされて、後ろから抱きしめている李忠に責められているのだ。

 

「あっ、あああっ」

 

 二本の指が女陰に挿し込まれて、膣の中の肉を擦られる。

 全身の骨が砕けるような快美感が魯花尚に襲いかかる。

 

「あ、ああっ、あああっ──」

 

 気持ちがいい……。

 あとはなにも考えられない。

 怖ろしいほどの肉の疼きが李忠の愛撫で溶けていく。そして、魯花尚は快楽そのものになる……。

 

「ううっ、うわあ、ああっ、はあ……」

 

 李忠の指が魯花尚の膣の中で律動のような動きを始めた。

 

「い、いやああ、いく、もう、いく……。ね、ねえ、あんたのが欲しい……。い、入れて……。ゆ、指じゃなくて、あんたのを……。あんたのもので突いて──。ね、ねえっ」

 

 魯花尚は必死で言った。

 快感はあるが、指で与えられる淫情は李忠の怒張を貫かれたときとはまったく違う。

 物足りないのだ。

 もっと、奥を突いて欲しい……。

 指では届かない、もっと子宮に近い場所を……。

 

「へへへ……。俺のものが欲しいか……? 可愛いことを言うじゃねえか、魯花尚……。普段から、そんな風に可愛ければもっといいんだけどな……。まあいいや。今日は俺も我慢できねえや……」

 

 李忠が膝の上に座っている魯花尚を少し浮かせるようにして、下袴と股布を脱いだ。

 

「ほら、背面座位だ……。こいつに見せてやりな」

 

 腰の両脇に手を置かれて、魯花尚は腰をゆっくりと再び李忠の股間の上に沈められた。

 

「ふううっ──」

 

 魯花尚は身体をのけ反らせた。

 腰が李忠の腰におりるとき、李忠の怒張の先の亀頭が魯花尚の肉の亀裂に喰い込んだのだ。

 そして、ゆっくりと女陰が貫かれていく。

 

「ひううっ」

 

「き、気持ちいい……。ああ、李忠、気持ちいい……。ふわああっ、な、なにも考えられない……。す、素敵……はああ」

 

 膣の中の肉を李忠の怒張がめり込みながら擦るのが気持ちよくて仕方がない。魯花尚は自分でもなにを言っているかわからなかった。

 ただただ、与えられる快楽の激しさに狂ったように悶えた。

 

「うぐううっ、はあああっ」

 

 そして、ついに子宮の近くの強い疼きの場所に李忠の怒張が届いた。

 待ちに待っていたものだ。

 その瞬間、魯花尚の頭は一瞬にして白くなった。

 

「ふわあああっ、いぐうううう──」

 

 魯花尚は絶叫していた。

 まさに、瞬間的に絶頂してしまったのだ。

 

「おうおう、いつもよりも激しいなあ……。だが、まだ、精を送っていねえから、快感が止まらねえだろう? 一度達してからが、お前は可愛いんだよな。沸騰した快楽が戻らなくなって、狂ったようになるのがいいんだ……。俺はそういうお前が好きさ」

 

 李忠が笑った。

 そして、腰を掴まれて上下運動をさせられた。

 深く──。

 浅く──。

 魯花尚の女陰に深々と突き刺さっている李忠の怒張が荒々しく擦る。

 もう、本当になにも考えられない……。

 全身の力が抜ける……。

 膣の深くの子宮の爛れたような疼きの場所を李忠は確実に刺激してくれている。

 

 それが……。

 ひと突き……。

 また、ひと突き。

 魯花尚は卑猥にうねりながら、李忠の身体に倒れ込むようなかたちになった。

 その魯花尚を李忠がしっかりと抱きかかえて律動を与えてくる。

 背中全体に李忠の身体を感じた。

 

 抱かれている……。

 李忠に支えられている。

 それを実感できる。

 よくわからないが、それを思うとさらに全身が熱くなる。

 李忠は今日はゆっくりと魯花尚を抱いてくれている。

 決して性急になることなく、魯花尚の快感の昂ぶりをさらに深まるのを待つように腰の律動を加えてくれている。

 それがしばらく続いた。

 魯花尚は限界を遥かに超えたところまで快感を持ちあげられたような感覚になった。

 もうこれ以上は考えられなくらいに、魯花尚の身体には快感の塊りが溜まった。

 

「わ、わたしのこと好き……? ほ、本当……?」

 

 自分でもなのを口走ったかわからなかった。

 激しい快感に突き動かされながら、思わず出た言葉だ。

 

「ああ、好きさ……。嫌いな女をこんなにいつもいつも抱けるものか……。なあ、いいじゃねえか。一生、女でいろよ、魯花尚……。死ぬまで俺が抱いてやるよ」

 

 そのとき、魯花尚の心に理解できない感情が迸った。

 そして、一瞬にして快感が弾けた。

 肉欲ではなく、李忠の言葉に身体が反応した。

 

「わ、わかった……。ふわあああっ」

 

 魯花尚は激烈な快感にのけ反りながら、またもや絶頂した。

 そのとき、李忠の怒張がかすかに膨らみを増したのを感じた。

 来る──。

 魯花尚は実感した。

 そして、悲鳴のような声をあげている魯花尚の膣肉に李忠の粘液が迸った。

 魯花尚はそれを甘美な陶酔の中でしっかりと受け止めた。

 

 

 *

 

 

「はあ、はあ、はあ……。や、やっと、落ち着いたわ……。あ、ありがとう……李忠……」

 

 李忠の腰からおろされた魯花尚が四つん這いの姿勢で荒い息をしながら言った。

 楊蓮はあまりの光景に呆然としていた。

 李忠と魯花尚が夫婦か、恋人であろうというのはなんとなくわかっていたが、目の前で行われたふたりの性交は、楊蓮の知っている性交とはまったく違っていた。

 

 楊蓮にとって、男女の性交というのは男が女の身体を使って欲情を発散させるという行為であり、快楽は男にあり、女側はただそれを受け止めるだけのことだ。

 実際のところ、山賊たちに襲われたときも、多少の愉悦はあったものの楊蓮には快感を弾けさせたということはなかった。

 それ以前にも、二度ほど恋人ができたときだって、楊蓮は情交が気持ちいいとは思わなかった。

 

 しかし、たったいまの李忠と魯花尚は、どう見ても、快楽に溺れているのは女の魯花尚であり、李忠はただ魯花尚を気持ちよくさせて、最後に魯花尚に合わせるように精を出したというように思えた。

 女があんなにも快感に耽ることができるというのは、楊蓮には理解できない光景だった。

 いや、そういうこともあると話には聞いていたが、実体験したことはないし、大して信じてもいなかった。

 だが、目の前で行われた魯花尚と李忠の性交は、かなり一方的に魯花尚が快楽に酔っていた。

 李忠はむしろそれを受け止めていたという感じだ。

 

「なあに……。俺も気持ちいいんだ……。ありがとうよ……」

 

 李忠が軽く笑った。

 楊蓮は嘘だと思った。

 いまのはどう見ても、快感は女の魯花尚が大きかった。

 男の李忠の快感など、大したものとも思えなかった。

 

「さて、ちょっと洗ってくるぜ……」

 

 李忠が下半身が裸のまま立ちあがる仕草をした。

 

「ま、待って……。わ、わたしがしてあげる……」

 

 すると、魯花尚がそれを制して、精液や魯花尚自身の蜜で濡れた李忠の肉棒を口に含んだのだ。

 楊蓮は驚愕した。

 なにも言われることなく、魯花尚は自らそれをしたのだ。

 しかも、こちらか見える魯花尚の横顔には、陶酔のようなものを浮かべている。

 楊蓮ははっとした。

 魯花尚はまだ欲情をしていて、李忠の性器を口にすることで、それを発散しようともしているのだ。

 楊蓮にはそれがわかった。

 

「……お、お前、そんなことを一度も──。あ、ありがとう──。う、嬉しい──。発作が終わったはずなのに、そんなことしてくれなんて……。そ、それとも、まだ、発作が──?」

 

 すると、李忠が感極まったような声をあげた。

 

「ちょ、ちょっと、へ、変なこと言わないでよ、李忠……。お、お礼よ……。や、やなら、やめるわ」

 

 真っ赤な顔になった魯花尚が、一度口を離して照れたように言った。

 

「嫌なわけないだろう──。俺は感動しているんだ──」

 

 李忠が言った。

 すると、魯花尚が嬉しそうに、ちょっと頬を綻ばせたのがわかった。

 そして、再び、目を閉じて李忠の肉棒を口に含んで舌を使いだした。

 

 楊蓮は、さらにびっくりした。

 魯花尚は口では冷淡を装っている気配だが、その表情にも口調にもそれはない。

 まだ、興奮の途中であり、しかも、魯花尚はいま悦んで李忠の性器を舐めている。

 いまもそうだし、さっきの情交自体も、魯花尚は幸せそうだった。

 こんな男女の性交もあるのかと不思議に思った。

 

「な、なんだ、お前たちは?」

 

 楊蓮はついに声をあげた。

 

「うわっ──わ、忘れてた──。こいつ、いたんだ──」

 

 魯花尚が弾かれたように、李忠の股間から口を離した。

 その様子がおかしかったのか、李忠がげらげらと笑った。

 

「そ、その女はなんだ? おかしいのではないか?」

 

 楊蓮は叫んだ。

 どう考えても魯花尚という女の態度はおかしい。

 あの醜悪な男の性器で犯されて、あんなにも陶酔したように声をあげて腰を振り、さっきは男の怒張を自ら望んで口に咥えたりした。

 あまりの不潔さに鳥肌さえ立ちそうだ。

 だが、それなのに、一方で心臓の鼓動が激しくもある。

 喉が渇いて堪らない。

 なによりも、股間や乳房の疼きが強くなった。

 とても我慢できないほどに……。

 

「な、なんですって──? お、お前になにがわかるのよ──。わ、わたしは淫情の呪いにかけられて──。す、好きで欲情しているわけじゃあ……」

 

 楊蓮の物言いに、魯花尚が真っ赤な顔をして怒鳴った。

 だが、李忠はそれを笑いながら手で制する仕草をした。

 

「まあまあ、魯花尚……。口ではそういうがこの女将校殿は随分と欲情しておられるようだぞ。賭けてもいいが、この楊蓮の股間はびっしょりと濡れているに違いないぜ……。俺とお前が目の前で愛し合うのを見て、すっかりと熱くなってしまったようさ」

 

 李忠が笑った。

 

「ば、馬鹿げたことを言うな──。な、なんで、わたしが欲情するのだ──? お前たちの醜悪な性行為を見させられて、どうして、わたしが……」

 

 しかし、そう言われているみると、確かに股間が濡れている気がする。

 だが、これは魯花尚に塗られた薬剤のせいだと思い直した。

 

「だってそういうこともあるだろう? あんたは随分と淫乱な身体をしているようだし、それで目の前で男女の営みを見せられれば、身体はどうしても熱くなるということだ──。まあ、これもただの生理現象だ。無理するな──。さっきも言ったが、俺が相手をしてやってもいいぜ……。自殺をしないと言えばな……」

 

 李忠がからかうような物言いをした。

 楊蓮はかっとなった。

 

「ふざけるな。もう、茶番はたくさんだ。さっさと解放しろ。犯すなら犯していいと言っているだろう。どうせ、死ぬ身体だ。好きにしろ。だが、その代わり、お前が満足すればわたしを離せ──」

 

「まだ、そんなことを言っているのか……。参ったなあ……。なあ、さっきも言ったが、やっぱり、こいつを色責めにして、女の快楽というものを教え込むというのはどうだ、魯花尚──? なんか、年齢の割には経験に乏しそうだし、案外にそれで自殺を思い留まってくれるかもしれねえぞ」

 

 李忠が魯花尚に振り向いた。

 

「馬鹿じゃないの──」

 

 魯花尚はまだけだるそうに毛布の上に胡坐をかいていたが、李忠の言葉に呆れたような顔をした。

 李忠はまた声をあげて笑った。

 

「いい加減にしろ──。だいたい、女に快楽などあるか──。その女が特別なだけだ。情交など、男が女を犯して気持ちよくなるだけのものだろう? ましてや、わたしが色責めになって、その快楽で死ぬのを思い留まるだと。お前は馬鹿か──」

 

 楊蓮は言った。

 

「だが、男よりも女の快楽の方が大きいのは確かだろうが──? なあ、魯花尚?」

 

「わたしに振らないでよ、李忠──。……まあ、女の快楽が大きいというのは認めるけどね……」

 

 魯花尚が渋々という感じで返事をした。

 

「そんなことはない──。いままで、わたしは男との情交を気持ちいいと思ったことはない。あんなのは、はっきり言って時間の無駄だ」

 

 楊蓮は吐き捨てた。

 

「なに? あんた、もしかして、男と情交して気持ちよくなって昇天したことないのか?」

 

 今度は李忠が少し驚いた顔になった。

 

「昇天……? ば、馬鹿な……」

 

 だが、李忠の言葉で、なぜか山賊たちに輪姦されたときのことを思いだしてしまった。

 あのとき、大勢の男に続けざまに犯されて、そう言えば、身体が火照るような感触が襲った気がしたのだ。

 だが、楊蓮は首を横に振った。

 やっぱり、あり得ない……。

 さっきの魯花尚のような痴態を自分がすることだけはない気がする。

 

「へえ……。だったら、俺がお前を抱いて、もしも、腰が抜けるくらいに気持ちよくなったら、自殺を思い留まるか……?」

 

 李忠が言った。

 

「こ、腰が抜けるほど? あ、阿呆か」

 

 絶対ない……。

 あり得ない……。

 男と交わって、女が気持ちよくなるなど……。

 

「どうせ、死ぬと言っていたじゃないか。だったら、賭けをしようぜ。お前を気を失うほどの快楽を味あわせてやる……。その代わり、もしも、快楽にお前が負けたら死ぬのはやめろ」

 

「な、なんでそんな賭けをしなければならんのだ──?」

 

 楊蓮はなぜか大きく動揺している自分に気がついた。

 

「男女の情交で気持ちよくなることなどないんだろう? だったらいいじゃねえか。お前さんは軍人だろう? 軍人というのは計算高いものだ? 性の勝負をしたって、損するわけじゃねえだろう? お前に快感を極めさせることができなければ、お前の望みどおりにしてやる。それでどうだ?」

 

 李忠は言った。

 

「ほ、本当か? ならば、誓え。約束は守れよ。その代わり、わたしを犯していい。ただし、わたしが気持ちよくならなかったら諦めろ。この拘束を外せ。いいな」

 

「いいぜ。だったら、お前も名誉にかけて誓えよ。こりゃあ、いいや。面白いことになってきたな」

 

 李忠が笑った。

 

「ふんっ。勝手にしてよね。わたしは身体を洗ってくるわ」

 

 魯花尚が呆れたように離れていき、川の方向に向かった。

 

「よし、勝負だ」

 

 李忠が楊蓮の身体にかかっていた毛布を引きはがした。



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65  楊蓮(ようれん)、李忠に求婚し魯花尚(ろかしょう)が怒る

「じゃあ、たっぷりと愛し合おうぜ、楊蓮(ようれん)……。だが、俺との情交で満足したら、もう自殺するなんてことはやめなよ」

 

 李忠(りちゅう)は、楊蓮の身体にかかっていた薄い毛布を剥ぎ取った。

 そして、楊蓮の身体を抱えるようにして、さっきまで魯花尚(ろかしょう)と抱き合っていた毛布の上に楊蓮の身体を仰向けに乗せ直した。

 楊蓮は、李忠によって、左足首と右手首、右足首と左手首という組み合わせで手錠を装着されている。そのため、仰向けにされると、楊蓮は膝を曲げて股を大きく開脚した態勢になった。

 

 さすがにその格好は恥ずかしいのか、楊蓮は顔を赤らめて、股間を閉じ合せようとする仕草をしているが、腕が邪魔で脚を閉じることはできないでいる。

 楊蓮の股間は、やはり薬剤の影響と目の前で李忠と魯花尚の激しい情交を見てしまった興奮でびっしょりと濡れていた。

 本人に自覚はないようだが、どうやら強気の言葉とは裏腹に、身体の方はかなりの興奮状態のようだ。これなら、楊蓮を快感で凋落させるのは、大して難しいことではなさそうだ。

 李忠はほくそ笑んだ。

 

「さて、じゃあ、愉しませてもらうかな……。俺の性技で自殺を思い留まるというのだから、これも人助けだしな……」

 

 李忠はうそぶきながら、まずは身に着けたままだった上衣を脱いで、楊蓮と同様に全裸になった。

 そして、跪いて楊蓮の股間に顔を埋めると、濡れている股間に舌を伸ばした。

 

「う、うわあっ。な、なにをするのだ? や、やめてくれ──」

 

 すると、楊蓮が激しく左右に腰を振って、李忠の顔を股間の上からどかそうとした。

 

「どうした? 俺と愛し合うことに同意したのだろう? なんで、そんなに嫌がるんだ?」

 

 李忠は呆気にとられて顔をあげた。

 

「な、なんでではない。拘束を解かないか。手錠をつけたまま、わたしを抱くつもりか?」

 

「当たり前だろう。手錠を外した途端に、自殺するなどと言って、また暴れ出されちゃ、かなわんからな。それに、拘束されたまま、男に抱かれるというのもいいものだぞ……。病みつきになって、逆に拘束されなければ、興奮しないというようになるかもな……。とにかく、俺がこういうのが好きなんだよ。遠慮するな」

 

 李忠は笑った。

 

「そ、それにしても、そんなところに顔を近づけてなにをするつもりなのだ? ふ、不潔だろ」

 

 楊蓮は喚いた。

 

「案外と初心なことを言うんだな……。さっきも、快感を極めたことはないと言っていたし、お前さんがいままで付き合った男はこんなことをしてくれなかったのか?」

 

 李忠は楊蓮の両腿をしっかりと掴んで固定すると、まずは楊蓮の秘部に口づけをした。そして、柔らかい舌遣いで楊蓮の陰核を舐めあげた。

 

「んんっ、あああっ、や、やめて」

 

 楊蓮が身体を跳ねあげた。

 かなり激しい反応だ。

 やはり、随分と感度がいいようだ。

 この女自身の言葉によれば、あまり淫行にも快楽そのものにも慣れてない気配だが、こんなに敏感な身体なのに、いままで快感を極めたことがないというのは不思議だ。

 これまでに、この楊蓮の相手をした男たちというのは、余程に不甲斐ない男たちだと思った。

 女を性で満足させられない男は女を抱く資格はない。

 まあ、硬そうな女将校だから、遊び慣れているような男は寄せつけないような雰囲気があったかもしれないが……。

 

 とにかく、李忠はしばらく舌先で肉芽や秘唇を舐めあげる動作を続けた。

 小さかった陰核はあっという間に膨らんでいく。その皮を舌でめくりあげるようにして、さらにたっぷりの唾液とともに陰核を跳ねるように動かす。

 

「ああっ……あっ……はああっ……んんっ……はあっ……」

 

 やがて、楊蓮の声は完全に甲高い甘いものに変化した。すでにかなりの量の愛液が股間からあふれ出ている。

 緊張していた身体もすっかりと脱力して、腰が大きく動き出す。

 

「な、なんだ、これ……ああっ、な、なんか……へ、変だ……はああっ……ああっ……」

 

 李忠は楊蓮の膣の中に舌先をこじ入れるようにした。そして、内側を強く舌の先で擦ったやった。

 

「う、うわあっ。な、なに? な、なんだ、これ?」

 

 大きな声をあげた。

 なんか反応が大袈裟で愉しい女だ。

 李忠は面白くなって、さらに肉芽を強く吸った。

 楊蓮が悲鳴のような声をあげて、腰を揺らしだした。

 

「んあああっ、はああっ、あああっ……」

 

 李忠は膣の中にこじ入れた舌先をくねくねと動かしてやる。

 それから、入口の先の上側まで舌先を届かして、そこを強く弱くと舐めていく……。

 

「んあああっ」

 

 楊蓮はがちゃがちゃと激しく手錠の音を鳴らして、身体を痙攣させだした。

 李忠はさらに舌責めに拍車をかけた。

 

「はぐううううっ」

 

 楊蓮は、まるで電撃でも帯びたかのように、絞り出すような声をあげて、全身をがくがくを震わせた。

 さっそく達したようだ。

 

「はあ、はあ、はあ……。な、なんだ、これ……? い、いまのはなんだ……?」

 

 楊蓮が激しい息をしながら茫然自失という感じになった。

 

「面白いな、あんた? いまのが女が快感で達するということだ。つまり、“いく”という状態だな。だが、本当に初めてだったのか……?」

 

 李忠は股間に埋めていた顔を起こして、手で口を拭いた。

 

「は、初めてだ……。な、なんか……。すごかった……。お、お前はなんだ? わ、わたしになにかしたのか……? い、いまのはなんだ?」

 

 楊蓮が気の抜けたような表情を李忠に向けた。

 

「なんだと訊ねられてもなあ……。別に大したことはしてないぞ。普通の性技だ」

 

 李忠は苦笑した。

 

「ふ、普通の……?」

 

 楊蓮はまだ、自分の身体に起きたことに納得がいかない雰囲気だ。

 本当に面白い女だ。

 そして、李忠は自分の肉根に手を添えると、楊蓮の腰を引き寄せるようにして、上から覆いかぶさった。

 そして、どろどろに溶けている楊蓮の膣口に押し当てる。

 楊蓮がはっとしたような顔になった。

 

「どうしたんだ? まさか、さっきので終わったと思っていたわけじゃないだろう? それとも、初めていってしまって俺となにを賭けたか忘れたか? あんたは、俺と性交の勝負に応じたんだぜ」

 

 李忠はからかった。

 

「わ、わかっている……。さ、さっとやれ。い、言っておくが、いまのはおかしな技で変になったのだ。情交の勝負には入らないぞ」

 

 楊蓮がまだ半分呆けた顔でありながらも、李忠をきっと睨んだ。

 なんだか面白くて、李忠は笑いそうになった。

 

「息を吐け」

 

 李忠さはわざと強く言った。

 すると、楊蓮は慌てたように息を吐く。

 その様子も、なんとなく健気で可愛い……。

 李忠は、思わず自分の頬が綻んだのを感じた。

 そして、楊蓮が息を吐くことで弛んだ膣に、李忠は一気に深いところまで怒張を貫かせた。

 

「んんんっ」

 

 楊蓮が狼狽したように身体を強張らせた。

 

「いくぞ」

 

 李忠は股間の律動を開始した。

 

「ううっ、くっ、はあ……ああっ……ああ……はあ……」

 

 楊蓮の女陰には、最初はこそ、少しだけ挿入する肉棒を押し出すような抵抗感があったが、それはすぐになくなった。

 律動を開始するとすぐに、楊蓮の膣は逆に李忠の一物を吸い込むように搾りあげてくる。

 

「くっ」

 

 李忠もその強さに声をあげそうになった。

 股で肉棒を搾る力がすごく強いのだ。

 やはり、女将校だけあって、馬によく乗るから、股で馬の背を締める力が鍛えられているのだろう。

 

 さっき、魯花尚に精を放ったばかりでなかったら、この締め付けは危なかったかもしれない。

 李忠は楊蓮をよく観察しながら肉棒で責めたてた。

 そして、少しでも深く感じる責め方を探して、挿入の角度と速度と力加減を変化させていった。

 

 やがて、楊蓮が一番感じるやり方がわかったきた。

 こうなれば、そんなに難しい話ではない。

 楊蓮を翻弄させるように、さらに徹底的に責めたてた。楊蓮が甘い声を再び出し始める。

 

「へへ……、気持ちよさそうだな……?」

 

 李忠が律動を続けながら軽口を言った。

 楊蓮は少しだけ睨むような目つきをしたが、それはすぐに官能に溶かされたような声と表情に飲み込まれた。

 

「ああ、ああっ、はあっ、ああっ……」

 

 楊蓮の声がさらに甲高くなる。

 

「ここだろ? ここが感じるんだな?」

 

 李忠は亀頭の先で子宮口を押しあげるように動かしてやる。

 その刺激が楊蓮に激しい淫情を与えているのは確かだ。

 律動のたびに、そうやって最奥を強く押すように刺激を与えるのだが、その都度、楊蓮は身体をぶるぶると震わせて強い反応を示す。

 

「ああっ、いやあっ、はああ──ああっ──」

 

「感じているな、楊蓮? これが男との性交で得られる快感というものだ。なにも考えるな。気持ちよさを愉しめ──。愉しむんだ。俺は愉しいぜ。お前の膣は気持ちいいからな。素晴らしい締めつけと吸い込みだ。こんなに気持ちがいい女の性器は初めてだ」

 

 李忠は叫んだ。

 そして、李忠は下から楊蓮の腰を持ちあげて、身体をふたつに曲げるような格好にさせた。その方が肉棒の突きが深い部分まで届くからだ。

 

「ああっ、いやあ、こ、こんなの──。な、なんなの。はあああ──」

 

 楊蓮の声がさらに大きくなった。

 膣奥がかっと熱を帯び始める。

 李忠は上から押し込むように、体重をかけて亀頭で子宮口を抉った。

 

「んああああっ、もう、だめええ──。わかんない──。これはなんだ? わからない……ああっ、ああっ、はああっ──」

 

 楊蓮が嬌声をあげる。

 

「感じているんだろう。さっきと同じだ。これが快感だ。そうだろう、楊蓮」

 

 李忠はいまはかなり激しく楊蓮の膣を突いていた。

 楊蓮は身体全体で快感を表している。

 そして、いきなりがくがくと身体を震わせ始めた。

 

「はああああっ」

 

 楊蓮が吠えるような嬌声をした。ついに二度目の絶頂をしたようだ。

 そして、まるで糸が切れた操り人形であるかのように、がっくりと脱力をした。

 李忠は慌てて楊蓮の膣に限界まで肉棒を押し込みながら精を放った。

 その瞬間、李忠の身体は大きな快感ですっぽりと包まれた。

 

 しばらく、李忠は楊蓮を抱き締めたままでいた。

 一方で楊蓮は少しのあいだ、呆けたような顔でいたが、だんだんと表情が戻ってきた。

 李忠は腕の力を弛める。

 

「はあ、はあ、はあ……」

 

 楊蓮の股間から肉棒を抜いた李忠は楊蓮を見た。楊蓮は絶頂の余韻でまだ胸で荒い息をしていた。

 

「どうだ、楊蓮? 気持ちよかったろう? 認めろよ」

 

 李忠は言った。

 

「き、気持ち……よかった……と……思う……。認める……」

 

 楊蓮が半分放心した表情でそう言った。

 李忠は嬉しくて笑った。

 

「だったら、もう自殺なんて言い出さねえな? 約束だったろう?」

 

「し、しない……。や、約束する……」

 

 楊蓮はしっかりとうなづいた。

 李忠はほっとした。

 そして、楊蓮の手錠を外すために、鍵を脱いだ下袴から取り出した。

 

「それにしても素晴らしい身体だったぜ。本当に気持ちよかった……。それに、お前さんという女は、随分と可愛い女なんだな。それがわかったぜ」

 

 李忠は楊蓮の手首と足首から手錠を外しながら言った。

 

「か、可愛い……? わ、わたしを愚弄するのか──?」

 

 すると、楊蓮が顔を赤らめた。

 

「なんで、可愛いというのが愚弄の言葉になるんだ。可愛い女だから、そう言っただけだ」

 

 李忠は笑った。

 

「だ、だが、わたしはいままで可愛気がないとは言われたことはあるが、可愛いなど言われたことはないぞ」

 

「それは、お前と接した男たちに見る目がなかったのさ。お前は本当に可愛い女だぜ」

 

 李忠はさらに言った。

 すると、楊蓮は顔を伏せて押し黙ってしまった。

 

「……なんとか、落ち着いたようね。食事にしましょうよ」

 

 すでに焚火のところに戻っていた魯花尚が声をかけてきた。魯花尚はまだ裸に腰に小さな布を乗せたままの姿だった。

 その魯花尚が別の二枚の布を李忠に座ったまま差し出した。

 李忠は、魯花尚から布を受け取ると、楊蓮を起こしてふたりで汗と土と情交の痕で汚れた身体を川の水で洗いにいった。

 

 楊蓮はじっとなにかを考え込んでいるようだった。

 李忠が声をかけても、生返事のような言葉しか戻ってこない。

 仕方がないので、李忠はしばらく黙っていることにした。

 だが、ふたりで膝までの水に浸かって、身体を拭いていると、ちらちらと楊蓮が李忠を盗み見るような仕草をすることに気がついた。

 しかし、視線に気がついた李忠が、楊蓮に顔を向けると、慌てたように顔をそむける。

 

 なんなのだろう……?

 ともかく、身体を洗い終わったら食事だ。

 

 戻ると、魯花尚が朝に狩った鳥を焚火で焼いてくれていた。

 三人で手頃な石を椅子代わりにして焚火を囲む。

 李忠はさっき脱いだ服を身に着け、魯花尚と楊蓮はそれぞれに毛布を身体に巻いた。

 ふたりの服はまだ乾いていないようだ。

 

「……ひとつだけ知りたい。お前たちはどういう関係なのだ?」

 

 肉を口にしようとすると、不意に楊蓮が言った。

 

「どういう関係と言われても……」

 

 魯花尚が困惑したように李忠に視線を向けた。

 確かに、どういう関係と説明することが適切なのだろう。

 これだけ身体を重ねているのだから、少なくとも恋人とも、愛人とも呼んでいい関係のような気もするが魯花尚は否定するだろう。

 李忠も言葉に詰まった。

 

「夫婦なのか?」

 

 重ねて楊蓮が訊ねた。

 それは違うから、李忠と魯花尚は揃って否定した。

 すると、楊蓮がにっこりと笑った。

 李忠は楊蓮が微笑んだのを初めて見た気がした。

 

「ならいい……。夫婦でないなら、どういう関係であっても支障はないだろう……。なあ、李忠殿、わたしをお前の妻にしてくれないか?」

 

 楊蓮が改まった口調でそう言った。

 李忠はびっくりしてしまった。

 

「あ、あんた、なに言ってんのよ。なんで、李忠があんたと結婚するのよ。あんたは李忠とたったいま会ったばかりでしょう。そんな馬鹿げた話があるわけないでしょう」

 

 唖然として返事ができなかった李忠に代わって、噛みつかんばかりに怒鳴ったのは魯花尚だった。

 

「会ったばかりでもいいではないか。それに、わたしはお前ではなく、李忠殿にお願いしているのだ……。なあ、わたしを妻にしてくれないか? それがだめなら、愛人のひとりでもいい。わたしは死ぬつもりだったが、それはやめる。その代わり、残りの一生はお前と暮らしたい。なあ、お願いだ」

 

 楊蓮が李忠に真っ直ぐに身体を向けるとともに、にじり寄るようにした。

 

「ば、馬鹿じゃないの、あんた。たった一回抱かれて、それが気持ちがよかったくらいで色惚け? 頭おかしいんじゃないの?」

 

 魯花尚が激怒した口調で言った。

 

「うるさいなあ、お前。さっきから、なぜ、わたしが李忠殿と話すのを横から口を出すのだ。わたしは、お前ではなくて、李忠殿に妻にして欲しいとお願いしているのだ。言っておくが、わたしを妻にしたからといって、李忠殿は、ほかの女を抱いてはならんというつもりはない。お前も一緒にいてもいい」

 

「なんですって――。いてもいいって、どういうことよ」

 

 魯花尚が怒鳴る。

 

「とにかく、わたしは、もう、李忠殿にしか抱かれないつもりだ。その証として、妻になりたいと申し出ただけだ。なあ、李忠殿がわたしに添うてくれると言ってくれれば、わたしは妻でも愛人でも情婦でも、どんな立場でもいいのだ……」

 

「ふざけんじゃないわよ」

 

 また、魯花尚が怒鳴った。

 李忠は、突然の楊蓮の求婚にはびっくりしたが、いまは、魯花尚の剣幕に驚いている。

 

「うるさいなあ、おまえ……。なあ、李忠殿、考えくれないか……? 自分でいうのもなんだが、わたしは美人の方だとは思うが? 李忠殿も可愛いと言ったしな。歳はそれほど若くもないが、女としては、まだまだと思っている。武術もできる。李忠殿を守ってやれると思う」

 

「武術なら、わたしが上よ。わたしにやられたでしょう? だいたい、李忠と結婚したい理由はなによ? 犯されて気持ちよかったから? 李忠のことなんて、なにも知らないでしょう?」

 

「それがどうした。わたしと李忠殿は身体の相性がいいのだ。それがわかった。それに、わたしはもう死ぬつもりだった。それを思い留まらせたのが李忠殿だ。だったら、存在しないはずだったわたしの残りの人生に責任を持ってくれてもいいと思うが?」

 

「いい加減にしなさい、楊蓮。少し、頭を冷やしなさいよ。あんたは、ちょっとばかり、考えることが極端すぎるわよ。さっきまで自殺するとか騒いでいて、今度は結婚? はっ、馬鹿じゃないの?」

 

 魯花尚がわざとらしく鼻を鳴らした。

 

「黙れ、黙れ、黙れ──。わたしは、お前と話したいのではない、魯花尚。李忠殿と語り合いたいのだ……。なあ、李忠殿、頼む。わたしを妻にしろ──。きっと役に立ってみせる──。こいつも一緒でいいから……」

 

「な、なにが一緒でいいよ──。なんで、わたしが付け足しみたいな物言いするのよ。わたしと李忠は、ずっと一緒に旅をしてきたのよ──」

 

 魯花尚ががなり立てた。

 

「ま、まあ、落ち着けよ、魯花尚……。楊蓮もだ……。参ったなあ……。とにかく、その話はちょっと待ってくれ……。とにかくだな……。まあ、ちょっと、待とうぜ。とにかく、肉を食おう。それからだ」

 

 李忠はとりあえず言った。

 なんで、いきなりこんなことになったんだろう──?

 李忠はなぜか苛立っている様子の魯花尚と、真剣な表情でじっと李忠を見つめる楊蓮を前にして、途方に暮れてしまった。



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66  魯花尚(ろかしょう)李忠(りちゅう)を口説く楊蓮(ようれん)に嫉妬する

「旦那様、このまま進めば、夜には泰安(たいあん)の城郭に入ってしまうのではないのか? 承知していて欲しいのだが、わたしは城郭に入るのは都合が悪い。もしかしたら、手配書がまわっているかもしれないのだ。なにしろ、生辰綱(せいしんこう)を盗まれた輸送隊の指揮官でありながら、そのまま逃亡してしまったからな。そうなれば、生き残った連中が罪を逃れようと、わたしを裏切者の罪人として密告するだろう。北州軍とはそういうところなのだ」

 

 楊蓮(ようれん)が心配そうに言った。

 大陸街道と呼ばれる整備された道路だ。

 李忠(りちゅう)は、魯花尚(ろかしょう)と楊蓮という美女二人を伴って、泰安の城郭に向かうように東に進んでいた。

 とりあえずの旅の目的地が泰安の方向にあるのだ。

 

 この辺りは、北州の中でも青州と呼ばれている地域であり、泰安の城郭は、青州の中心である青城の城郭とは、二竜山、清風山、桃花山という山を挟んで反対側にある。

 いままでは、李忠たち自身もなるべく人目を避けるため、整備された大陸街道ではなく、裏街道や山間道を旅してきた。

 だが、この辺りは、二竜山、清風山、桃花山という難所にそれぞれ賊徒が巣を作っている治安の悪い地域だ。

 主街道以外を歩くのは少し危険だ。

 それで大陸街道に出てきたのだ。

 大陸街道であれば、そもそも官軍が利用するために整備された道路であり、軍の往来も多い。

 さすがに賊徒が出没することは滅多にない。

 

 だが、それは昼間だけのことだ。

 いまは昼間なので人通りの多い大陸街道も、陽が暮れれば誰も通る者はいなくなる。

 賊徒が現れるからだ。

 この一帯はそんな盗賊の出没地域なのだ。

 それをわざわざ人通りの少ない裏街道を女連れで歩くというのは危険すぎる。

 だから、主街道である大陸街道を進むしかないのだ。

 

「その“旦那様”という呼び方はやめなさいと言っているでしょう、楊蓮。李忠はあんたの旦那様じゃないのよ。だいたい、くっつきすぎよ。あんたは、後ろか前を歩きなさい、楊蓮」

 

 魯花尚が不機嫌そうに言った。

 李忠は、左脇を楊蓮、右脇を魯花尚に挟まれて三人横に並ぶように歩いていた。

 美女ふたりに挟まれて歩くというのは悪い気分ではない。

 

「李忠殿は旦那様だ。李忠殿は、わたしを妻にすると認めたのだぞ。その証拠に、この三日間、毎日してもらっている。第一、李忠殿がわたしにそう言ったとき、お前も隣にいたのではないか。今更、なにを言っているのだ」

 

「はあっ? あんた、頭に膿でも湧いているの? 李忠が言ったのは、あんたが旅に同行するのを認めるということよ。それが、なんで妻にすると言ったことになるのよ。馬鹿じゃないの?」

 

「旅の同行を認めるというのは、わたしにとっては、李忠殿を心の夫にするということを認めてくれたと同じなのだ。ならば、わたしが李忠殿をどう呼ぼうが勝手だろう」

 

「冗談じゃないわよ。李忠はあんたの夫じゃないって、言ってんのよ」

 

「だいたい、なんでいつもお前が文句を言うのだ、魯花尚? よくよく聞けば、お前は、李忠殿の妻でも、恋人ですらないらしいではないか? お前自身がそう言ったのだぞ。お前は、“淫情の呪い”とやらで、その発作が起きたときに、お前の身体に精を注いでくれる男が必要なだけのようではないか。ならば、それは認めてやる。いつでもすればいい。だから、もう、わたしが李忠殿の妻になることをとやかく言うな」

 

「ああ、なんか苛つくわねえ。なんとか言いなさいよ、李忠。あんた、本当にこんな女を妻にするつもりじゃないでしょうねえ?」

 

 魯花尚が歩きながら李忠を睨みつけた。

 

「まあ、落ち着けよ、魯花尚。この楊蓮は無一文なんだ。見捨てるわけにはいかねえだろう。二人旅が三人旅になっただけじゃねえか。仲良くしろよ」

 

 李忠は苦笑した。

 

「おう、庇ってくれて嬉しいぞ、旦那様」

 

 楊蓮が声をあげて李忠の左腕を掴んだ。

 

「くっつくなと言っているでしょう」

 

 すると、魯花尚が今度は反対側から李忠の腕を掴んだ。

 両側から美女二人に腕を掴まれる態勢になった李忠は満更でもなかったが、さすがにこれは目立つ。

 行き交う旅人が、李忠のようなさえない風貌の男が絶世の美女ふたりに腕を両側から掴まれて歩いているのを見て目を丸くしている。

 こんなところで目立つわけにはいかない。

 李忠は、ふたりの腕を振りほどいた。

 

「とにかく騒ぎながら歩くのはやめろ。俺たちは手配人だぞ。忘れるなよ、お前ら」

 

 李忠は両側のふたりに声を潜めて言った。

 この辺りは、街道を歩く旅人も李忠たち三人以外にもたくさんいる。

 魯花尚は柄にもなく、興奮していたことに気がついたのか、ちょっとだけ顔を赤らめた。

 一方で、楊蓮は怪訝な表情ながらも素直にうなずいた。

 

 しばらく、三人で黙ったまま歩いた。

 楊蓮という奇妙な元女将校を旅に同行させるようになって三日になる。

 もともと、この楊蓮が自殺をしようとして、川で流されてきたのを助けたのが縁なのだが、それから、なぜか楊蓮は李忠にべったりとくっつくようになり、いまのように李忠のことを伴侶と呼ぶようになったのだ。

 

 李忠が、それを否定もせず、肯定もせずに、そのままにさせているのは、魯花尚があからさまに嫉妬のような態度を取ってくれるので愉しいからだ。

 これだけ身体を交わしているのに、これまで魯花尚は、発作の最中を別にして、李忠を異性として意識したような態度は、垣間見せるのさえ皆無だった。

 それが、楊蓮が李忠に言い寄るような態度をとるたびに、いまのように、苛ついて嫉妬のような態度を示してくれるのだ。李忠としては、嬉しくて仕方がない。

 

 だから、そのままにしている。

 それに、三日前、楊蓮が魯花尚に実際のところ、“李忠と魯花尚はどういう関係なのか?”と訊ねたとき、魯花尚は李忠と恋人であることをきっぱりと否定した。

 

 それがなんとなく面白くなかった李忠は、その直後に楊蓮が旅に同行することを許した。

 すると、楊蓮は、旅に同行することを許すということは、伴侶とみなしてくれたも同じだと言って喜んだ。

 なぜ、そうなるかはわからないが、とにかく、それ以降、三人で旅をすることになったということだ。

 それに、李忠も、楊蓮のような美女に言い寄られて素直に嬉しい。

 

 また、楊蓮は、毎晩、李忠に身体を求めてくる。

 李忠も、それを相手にもしている。

 身体を重ねるようになれば、李忠もだんだんと楊蓮のことを愛おしくも思う。

 

 ……かといって、魯花尚のことをないがしろにするつもりはないが……。

 

 まあ、なるようになるだろう。

 しばらく歩くと、やっと街道の人通りが絶えてきた。

 楊蓮が神妙な顔を李忠と魯花尚に向けた。

 

「……ところで、さっき手配書の話をしたとき、旦那様と魯花尚も手配されているというようなことを言わなかったか? あれはどういう意味なのだ?」

 

「あんたが口にした言葉の通りよ。わたしたちは手配されているのよ……。まあ、李忠には申し訳ないことをしたと思っているわ……」

 

 魯花尚が嘆息した。

 

「別にお前の責任というわけでもないさ」

 

 李忠は明るく言った。

 李忠と魯花尚の手配書の手配書が出回るようになったのは、流刑場に向かう護送の途中で、護送人に苛め抜かれていた呉瑶麗(ごようれい)を助けたのが理由だ。

 それ以前も、鎮関西(ちんかんさい)の賭場場で暴れたことがあったから、手配に近いこともされたことがあったのだが、それはもうほとぼりも冷めたし、手配書がまわったのは結局、鎮関西の息のかかっている役人がいる孟城(もうじょう)の城郭周辺だけのことだったので、どうということはなかった。

 

 だが、いまは帝国全土、少なくとも北州のすべての城郭の城門に、李忠と魯花尚の似顔絵付きの手配書が貼られてしまい、ほとんどの城郭には出入りできなくなってしまった。

 それは、呉瑶麗の護送を担任していた董超(とうちょう)雪葉(せつは)という男女の護送兵のせいなのだ。

 

 呉瑶麗をいたぶっていたふたりの護送兵から呉瑶麗を救ったとき、李忠と魯花尚は、護送兵のふたりをこっぴどくとっちめたのだが、流刑人としての道術の首輪を嵌められていた呉瑶麗は、護送の途中で逃亡することができず、そのために董超と雪葉も生かしておく必要があった。

 ふたりも、李忠と魯花尚にやり込められて、すっかりと大人しくなったし、任務に失敗したから帝都には戻れないから、このまま逃亡するとか言っていたので、そのままにして別れた。

 ところが、そのふたりは、そのまま帝都に戻ると、近衛軍将軍の高俅(こうきゅう)の執事の陸謙(りくけん)に、李忠と魯花尚のことを訴えて謝罪したようなのだ。

 それでふたりの手配書が出回ることになってしまったというわけだ。

 これなら呉瑶麗が流刑場に入るまで見届けてから、殺しておけばよかったと思うが、いまとなっては遅い。

 

 李忠は楊蓮に説明した。

 楊蓮は険しい表情でそれを聞き入っていた。

 

「約束をたがえるとは許せないな。その護送兵にしろ、官軍というのはどこも腐っているのは同じだ」

 

 そして、説明が終わると、楊蓮は吐き捨てるようにそう言った。

 これには、李忠も驚いてしまった。

 この楊蓮こそ、ついこのあいだまで、その腐った官軍の女将校のひとりだった。

 しかも、任務を失敗したことを償おうと自殺までしようとした責任感の強い軍人だったのだ。

 

 だが、いったん軍人をやめたとなれば、こうまできっぱりと割り切るのだと思った。

 つまりは、本当に根っからの軍人気質なのだろう。

 李忠はある意味で感心した。

 

「ところで、その呉瑶麗という女囚は、流刑場を脱走したのではなかったかな? 確か女医と一緒だと思う……。北州軍にいた頃に、そう耳にしたことがある」

 

 楊蓮が思い出すような口調で言った。

 

「そうなのよ。それは安心したわ。流刑場では脱走防止の首輪を装着されるはずだし、あの高俅のことだから、呉瑶麗を逆恨みして殺すんじゃないかと心配していたんだけど、本当によかったわ。いまはどうしているかわからないけど、呉瑶麗のことだから、まあ、どこかで生きているでしょう」

 

 魯花尚がにっこりと微笑んだ。

 それからしばらく、他愛のない話をした。

 魯花尚も普通に喋るときには、楊蓮に対する苛立ったような言動はしない。三人で歩きながら穏やかに会話を愉しんだ。

 

「……それで、旦那様。じゃあ、この先の泰安の城郭には入らないとして、わたしたちは、どこに向かっているのだ?」

 

 しばらくして、思い出したように楊蓮が訊ねた。

 

「泰安の城郭の手前の宿場町で、金翠蓮(きんすいれん)という娘が父親とやっている小さな料理屋があるんだ。もともと、俺たちが孟城の城郭を脱走しなければならない事件で災難に遭った娘なんだが、史春(りしゅん)という女が店を開く金子を融通してくれて、料理屋を開かせたらしいのだ。それを訪ねて、様子を見てこようと思ってな」

 

 李忠は言った。

 

「元気にしているといいわね」

 

 魯花尚が懐かしそうな表情をした。

 孟城の城郭から金翠蓮と金老の親子の連れて逃亡した後、李忠と魯花尚は、呉瑶麗の流刑のことを知って、道中の途中で史春にふたりのことを託して別れることになった。

 

 その後、金翠蓮も金老も、史春に連れられて、親族を頼って泰安の城郭に無事に入ることができたようだ。

 そして、その親族の世話と、史春が提供してくれた金子で、すぐに城郭の近くの街道沿いに料理屋を開いたらしい。

 

 李忠は、そのことをあらかじめ決めていた城郭の飛脚屋に留め置くように手配してあった史春からの手紙で知った。

 その史春は、ふたりが店を開くことができる金子を渡すと、また、どこかに旅立ってしまったようだ。

 すぐに泰安に向かいたかったが、その後、全土に李忠と魯花尚の手配書が出回ってしまったので、迂闊に旅をすることが難しくなってしまったのだ。

 李忠は、その鎮関西との確執の内容を含めて、史春や金翠蓮たちのことを簡単に楊蓮に説明した。

 

「本当に元気だといいな。だが、俺は金老(こうろう)というろくでなしの父親が金翠蓮の足を引っ張っていないかどうかが心配だ。俺には、どう考えても、あの金老がまともに仕事をしているのが想像できねえぜ」

 

 李忠は肩を竦めた。

 

「へえ……。その史春という女の人は、見も知らずの親娘のために、街道沿いで料理屋を開くほどの金子を提供したということか?」

 

 楊蓮はそっちの方に驚いたようだ。

 

 

 *

 

 

 李忠たちが、金翠蓮と金老が経営しているはずの料理屋のある宿場町に到着したのは夕刻のことだった。

 泰安の城郭までは一刻(約一時間)足らずという距離であり、宿場町というよりは、泰安の郊外という感じだ。

 ここであれば、治安の悪い青州でも十分に城郭にいる城郭軍を頼れそうだし、かといって、城郭内ではないから、たちの悪い役人は多くはなさそうだし、重税も払わなくて済む。

 いい場所に店を開いたものだと思った。

 

 それに、夜ともなれば泰安の城郭の門が閉まるので、翌朝早くに城郭に入ろうとする旅人でも賑わいそうだ。

 実際、まだ、城郭の門が閉じる時刻ではないが、かなりの旅人が宿屋などを求めてうろうろしていた。

 

 目当ての料理屋はすぐに見つかった。

 街道沿いそのものではなく、少し奥まった場所にあった。

 店は大きくはないものの、こじんまりとしていい雰囲気だった。

 ちょっと外から覗いてみると、狭い場所に五個ほどの卓があり、そこに樽を利用した椅子がある。

 

 すでに酔客が三個の卓を埋めている。いま集まっている客は十人くらいだろうか。

 それなりに賑わっているようだ。

 店に集まっている客は通りがかりの旅人というよりは、常連客という感じだ。

 近所に住んでいて、ちょっと晩飯代わりに、この店で愉しむためにやってきたという雰囲気だ。

 李忠は安心した。

 

 旅人相手ではなく、近所の者を相手にするような店なら、それだけ面倒なことが起きる可能性が少ない。店の取り仕切りもそれだけ楽になる。

 店の外から金翠蓮の姿が見えた。

 金翠蓮は客のところに料理や酒を運んだりする小女をしていた。

 客たちとにこにこと話していて、とても幸せそうだ。

 李忠はほっとした。

 とりあえず、三人で店の中に入った。

 

「り、李忠さん。それに魯花尚さんも」

 

 店に入ると、金翠蓮が狂喜の声をあげて、李忠に抱きついてきた。

 

「おっ? 金翠蓮ちゃん、その男は誰だ? 見かけねえ顔じゃねえか?」

 

 店の右の卓にいた三十くらいの男が驚いたような声をあげた。

 男はすでに赤い顔をして酔っていたようだが、金翠蓮が李忠に抱きつくのを見て、いっぺんに酔いが醒めたような顔になった。

 

「あたしのいい人です。ふふふ……、初めての人……」

 

 金翠蓮が李忠の首を両手でぎゅっと掴んだまま悪戯っぽく笑った。

 

「な、なに?」

「まさか」

「そんな」

 

 すると、さっきの男だけじゃなく、ほかの卓からも声があがった。

 見ると、声をあげたのは、店に集まっていた客の中でも比較的若い男たちだ。

 ほかにも老人もいれば、中年の女性もいる。

 だが、この若い男たちは、どうやら、金翠蓮を目当てに店に集まってきたという感じだ。

 

「じょ、冗談だよ。冗談。金翠蓮が悪ふざけを言っているんだ」

 

 李忠は慌てて言った。

 

「まあ、冗談だなんて酷いです、李忠さん……。初めての人というのは本当でしょう?」

 

「そ、それは……」

 

 李忠は言葉に詰まった。

 確かに李忠は、鎮関西のところで暴れて逃亡したとき、最初の宿で金翠蓮を抱いた。

 だが、実際には鎮関西の屋敷に連れて行かれた金翠蓮は、そこで鎮関西に犯されて処女を散らしたのだ。

 だが、金翠蓮の中では、あれはなかったことにしたいらしい。

 だから、次に抱かれた李忠が「最初の男」ということになるのだろう。

 李忠には、そんな金翠蓮の心情がすぐにわかった。

 

「まあ、そういうことになるんだろうけどな……」

 

 金翠蓮にじっと顔を見られて、仕方なく李忠は答えた。

 すると、店の中が騒然となった。

 

「なんの騒ぎなんだ、金翠蓮……?」

 

 厨房から声がした。

 顔をあげると、それは調理人の格好をした金老(きんろう)だ。

 

「う、うわっ、李忠の旦那。それに魯花尚さん。お懐かしや。こ、こらっ、金翠蓮。なにを立たせたままなんだ。早く、座ってもらえ」

 

 金老も嬉しそうな声をあげた。やっと金翠蓮が李忠の首から手を離して、李忠たちを一番奥の卓に誘導した。

 三人で卓を囲む。

 すぐに酒が運ばれてきた。

 上等そうな羊の肉もだ。

 それを金翠蓮と金老が代わる代わる運んできたのだ。

 李忠は苦笑した。

 

「だが、俺たちは、まだ注文もしてねえぞ」

 

 李忠は金翠蓮と金老に言った。

 

「これはただですよ。ほかにも、好きな物があれば、なんでも注文してください。もちろん、お代はいりませんからね」

 

 金老が言った。

 

「ところで、お前が料理を作っているのか、金老。博打狂いのお前がそんなことができるとは知らなかったぜ」

 

 李忠は小さな声でささやいた。

 

「酷いなあ、旦那……。これでも、むかしは料理人だったこともあるんですよ。博打好きが嵩じて、身を崩してしまいましたがね。でも、あの一件以来、きっぱりと、博打からは足を洗いましたから。旦那たちがいなければ、金翠蓮も俺も、どうなっていたかわかりません。おふたりは命の恩人です」

 

 金老が言った。

 

「よせよ、金老 。まあいいや。とにかく、俺たちのことは、あまり構わなくてもいいぜ。忙しいところを迷惑もかけたくないんだ。ほかの客も待っているんじゃねえか」

 

「じゃあ、戻ります。ところで、旦那、必ず、ゆっくりしていってくださいよ。金翠蓮、絶対に逃がすんじゃねえぞ。なにがなんでも、泊まってもらえ」

 

 金老はそう言うと、厨房に戻っていった。

 あの男に料理ができるとは知らなかったが、出されたものを試しに口にしてみたら美味しかった。

 若いころからいろいろな経験があるということだったから、料理人だったことがあるというのは本当だろう。

 酒も口にしてみると、上等の酒ではないが味がいい。

 料理の材料にしても、酒にしても、質のいいものを選んで仕入れているに違いない。

 それでおいしいのだ。

 

 なんとなく、商売や流通に詳しかった史春(ししゅん)が、仕入れ先についても、しっかりと手配や助言をしてから立ち去ってくれた気がする。

 安くてうまいものを提供すれば、料理屋など自然に繁盛する。

 それが、こうやって店が賑わっている秘訣だろう。

 ほかの客に料理と酒を運んでから、また金翠蓮が卓の前にやってきた。

 

「あたしが生きていられるのは、本当に李忠さんと魯花尚さんのおかげです。それに史春さん……。ところで、もちろん泊まっていってくれますよね、李忠さん? いっぱい話したいことがあるんです。店の裏向かいにあたしたちが住む長屋があるんですけど、ここの二階でも寝泊りはできます。どうか、いつまでもいてください」

 

 金翠蓮が言った。

 

「じゃあ、しばらく厄介になるかな?」

 

 李忠は言った。

 実のところ、あちこちに手配書がまわっている李忠たちには、行き場がないのだ。

 長く滞在すると、誰かに手配人であることを気づかれて、金翠蓮たちに迷惑をがかかると思うが、できれば数日は休みたい。

 

「ありがとうございます、李忠さん」

 

 金翠蓮が嬉しそうな声をあげた。

 

「元気そうね、金翠蓮……。店も繁盛しているようだし、安心したわ」

 

 魯花尚も酒を口にしながら微笑んだ。

 

「本当に皆さんのおかげです。小さな店ですけど、お父さんとふたりでなんとか切り盛りしています。大変ですけど、いまは店が愉しいです」

 

 金翠蓮が笑った。

 

「ところで、こちらは……?」

 

 金翠蓮が難しい表情をしている楊蓮をちらりと見て、李忠に視線を向けた。

 

「わたしは楊蓮。李忠殿の伴侶だ」

 

 すると、楊蓮が言った。

 

「えええ?」

 

 金翠蓮が目を丸くした。

 

「本人がそう言っているだけよ……。李忠は認めてないわ」

 

 魯花尚が渋い表情をしながら横から口を出した。

 

「認めている。もう、三回も一緒に寝たのだぞ」

 

 楊蓮が卓越しに魯花尚を睨んだ。魯花尚は李忠の横に座り、楊蓮は向かい合うように座っていたのだ。

 

「なに言ってんのよ。この人と寝た回数ならわたしの方が多いわよ」

 

 魯花尚が楊蓮を睨み返した。

 

「ば、馬鹿か、お前ら。ここで叫ぶようなことかよ。だ、黙れ」

 

 李忠は慌てて、ふたりを制した。

 ふと見ると、店にいた者たちの全員が興味深そうにこっちに注目している。

 

「と、ともかく、楊蓮さんは、李忠さんの二号さんということですか……?」

 

 金翠蓮がおずおずと言った。

 

「二号? 情婦という意味なのか、それは?」

 

 楊蓮が金翠蓮に問い返した。

 少女時代から軍営で暮らす堅物の女軍人だった楊蓮は、あまり世間の砕けた言葉は知らないようだ。

 

「まあ、そうですね……」

 

 金翠蓮が当惑した表情でうなずいた。

 

「そういう意味であれば、わたしは二号だ。つまりは、この李忠殿の情婦だな」

 

 楊蓮がにっこりと笑った。

 

「……まあ、魯花尚さんは、それを認めているんですか?」

 

 今度は金翠蓮は魯花尚に視線を向けた。

 

「認めるもなにも、この人が何人情婦を作っても、わたしは文句を言えないし、言うつもりもないわ……。ただ、わたしを見捨てなければね」

 

「お前を捨てるわけがないだろう、魯花尚。お前が一号だよ」

 

 李忠は笑った。

 すると、魯花尚が少しだけ頬を綻ばせた。

 金翠蓮は少しだけ難しい顔をしていたが、客に呼ばれて卓の前から去っていった。

 それから、李忠たちは、卓で料理と酒を愉しんだ。

 金翠蓮には、特に相手をしなくてもいいと断った。

 そうでなくても忙しそうなのだ。

 そのうえに、李忠たちの相手もさせるのは気の毒だ。

 

 店で働く金翠蓮を観察していると、金翠蓮はとても人気があるようだ。

 李忠たちの相手をしながらも、ほかの客からひっきりなしに親しげに声をかけられたりしている。

 それを金翠蓮は慣れた対応であしらっている。

 さらに夜も更けてくると、店は料理よりも酒を愉しむ者たちばかりになった。

 

 金翠蓮が客たちにせがまれて、歌をうたった。

 相変わらず、金翠蓮の歌は素晴らしかった。

 金翠蓮の店の夜は、客たちの朗らかな声に溢れたまま更けていった。

 

 

 *

 

 

 夜、李忠が寝入りかけたときだった。

 李忠がひとりで寝具の中で横になっていた部屋に、誰かが忍び寄ってくるのがわかった。

 部屋は真っ暗だったので気配しかわからなかったが、それが女であることはわかった。

 

 楊蓮だろう。

 李忠は思った。

 まさか、魯花尚ということはないだろう。

 魯花尚は発作が起きない限り、李忠に身体を求めることはない。

 

 店が閉じられたのは深夜だった。

 結局、ずっと最後まで店にいた李忠たちは、最後の客が帰った後で、恐縮する金翠蓮と金老とともに、店の片づけを手伝った。

 積もる話は明日ということになり、今夜はこのまま寝ることになった。

 

 道路を挟んで向かいの長屋に戻る金翠蓮と金老に対して、李忠たち三人は、料理屋の二階に寝ることになった。

 金翠蓮が、二階に三人に対して三部屋の別々の部屋に寝床を支度してくれたのだ。

 二階は小さな三室の区切りで部屋が作ってあり、三人が一緒に寝るような部屋はなかった。

 このような造りになっていた理由は、この店の前の持ち主が一階で料理屋をやる傍ら、二階では代金を受け取って娼婦を抱かせるという商売をしていたからのようだ。

 つまり、女を抱くためだけの部屋だから、こんなに狭いということだ。

 もちろん、この店の持ち主が金翠蓮たちになってからは、娼館のようなことはやっていない。

 いままで魯花尚とも楊蓮とも別々には寝たことはなかったから、ふたりとも当惑していたが、結局、すでに支度が整っている部屋にひとりずつ、金翠蓮に押しこめられた。

 

 それで李忠も久しぶりのひとり寝をしようとしていたところだ。

 そこに女が入ってきた。

 李忠の寝具の前で入ってきた女が身体にかけていたものをさっと脱いだ。

 李忠の寝ている寝具の中に潜り込んでくる。

 

「李忠様……」

 

 女は素裸だった。

 それよりも驚いたのは、その女の正体だ。

 

「き、金翠蓮……」

 

 李忠は裸で抱きついてきた女の名を呼んだ。



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67  金翠蓮(きんすいれん)李忠(りちゅう)の寝所に夜這いする

「呆れたな……。この界隈で人気の小料理屋の美少女が男の珍棒をしゃぶりに、寝具に裸で潜り込んでくるとはな」

 

「ああ……、言わないでください、李忠(りちゅう)さん……」

 

 燭台に裸身を照らされている金翠蓮(きんすいれん)が一度、李忠の怒張から口を離して恥ずかしそうに言った。

 灯した行灯の明かりが、金翠蓮の頬が赤色に染まっているのを教えている。。

 美しい二重瞼が悩ましく潤んでもいた。

 いきなり、李忠の珍棒を舐めろと強要され、当惑しながらも興奮しているのだ。

 李忠にはそれがわかった。

 

 訪問した金翠蓮と金老の料理屋の二階の寝室だ。

 金翠蓮たちがやっている小さな料理屋の二階は、前の持ち主が客に娼婦を提供できるような造りにしていて、寝具しか入らないような小部屋が三つある。

 そのそれぞれに、李忠と魯花尚(ろかしょう)楊蓮(ようれん)が寝ることになったのだが、李忠が休むことになった部屋に金翠蓮が夜這いをしにきたのだ。

 

 こうなったら、李忠は金翠蓮を抱くことに決めた。

 据え膳喰わぬは男の恥だ。

 この金翠蓮は、据え膳どころか、開いた口の中に自ら入ってきた美食だ。

 それを噛んで味合わぬということはありえないだろう。

 そして、抱くとなったら、徹底的に自分好みに抱く。

 それが李忠の主義だ。

 

 李忠は開き直った。

 金翠蓮を抱くのは二度目だが、前回は鎮関西(ちんかんさい)に破瓜を散らされた直後であり、李忠は本当に優しく金翠蓮を抱いた。

 だが、今回はそういう心配りはやめた。

 金翠蓮をひとりの女として抱く。

 そう決めた。

 

 元来、李忠は好色だ。

 しかも、どちらかといえば、女は嗜虐的に抱くのが趣味だ。

 蝋燭でなぶったり、鞭で叩いたりということはまっぴらだが、拘束をして抱いたり、筆や張形でいたぶったり、あるいは、言葉責めで恥ずかしがらせるということは大好きだ。

 だから、裸で李忠の寝具に潜り込んできた金翠蓮に、李忠は自分はそういう性癖であることを告げると、嫌がる金翠蓮を無視して、燭台を煌々とつけて部屋を明るくした。

 

 そして、最初に金翠蓮に要求したのが、李忠の性器を舐めることだ。

 金翠蓮は一瞬だけ困惑したような表情をしたが、李忠があっという間に素裸になり、怒張した股間を金翠蓮の前に突きつけると、もう金翠蓮は欲情した女の顔になった。

 金翠蓮は、その可愛い口を精一杯開いて、ぱくりと李忠の一物を咥えて舌を使いだした。

 

「あのう……。あ、あたし、なんにもやり方知らないんです……。どうすればいいか言ってください、李忠さん……」

 

 金翠蓮はそう言いながら、再び李忠の股間を口で咥えた。

 

「教わるよりもやってみな、金翠蓮……。俺の顔を見るんだ。どこをどんな風に刺激すると、気持ちよさそうな顔をするか観察するんだ」

 

 李忠がそう言うと、金翠蓮が李忠の性器を咥えた状態で上目遣いに李忠を見た。

 可愛らしい金翠蓮が、李忠の股間を舐めながらじっと見つめてくる。李忠の心に、この無垢な娘を自分好みに調教しているという征服欲が沸き起こる。

 金翠蓮の唾液混じりの舌が亀頭の先にちょろちょろと這う。

 李忠の身体にぞくぞくとした快感が拡がった。

 びくりと腰が動いた。

 

「んふっ……」

 

 李忠が反応したのが嬉しかったのか、金翠蓮が小さな鼻息を鳴らした。

 そして、その先端に舌の責めを集中してくる。快感の痺れが脳天にじわじわとあがってくる。

 

「……う、うまいぜ、金翠蓮……。そこは俺の性感帯だ。お、覚えておけ……。ほかにもしゃぶってみろ。あらゆる場所を舐めてみな。珍棒の先から玉の裏まで、金翠蓮の唾液が付かない場所がないようにしてみろ。そして、ひとつひとつ確かめろ。そうやって、俺の気持ちのいい場所を覚えるんだ。まあ、実際のところ、俺自身もどこをどうされれば、気持ちいいかなんてわからんぜ。お前が見つけてくれ、金翠蓮」

 

 李忠は笑った。

 金翠蓮が李忠の一物を口にしながら、くすりと笑ったのがわかった。

 そして、金翠蓮の口が一度怒張を離して、今度は幹に添ってぺろぺろと舐め始めた。

 さらに舌が睾丸の方に移動し、玉全体を口に入れて、転がすように金翠蓮の口の中が静かに動かしたりする。

 

 一生懸命に李忠の性器全体に舌を這わせているのだ。

 また、金翠蓮は言われたとおりに、じっと李忠の顔を見続けている。少しも眼を李忠から離そうとしない。

 これについても、李忠に言われたことを忠実に守ろうとしているようだ。

 その態度は本当に健気で可愛い。

 心から金翠蓮が愛おしくなる。

 素直で従順な金翠蓮を李忠好みに染めていきながら抱くのは、魯花尚や楊蓮とは違う愉しみだ。

 

 魯花尚もいいし、楊蓮もいい……。

 だが、この金翠蓮もいい……。

 

「うっ」

 

 李忠は思わず小さな声を出した。

 金翠蓮の舌が睾丸の裏側を少し強めに撫ぜたのだ。その瞬間、背中にびりびりという刺激が走った。

 

「うふふ……。李忠さん、気持ちよさそう……。可愛い……」

 

 金翠蓮が睾丸から口を離して笑った。

 

「か、可愛いって、お前……。俺はもう四十男だぞ。金翠蓮はまだ十四だろ?」

 

「でも、可愛いんですもの……。李忠さん、あたし、李忠さんのものを舐めるの好きになりそうです……」

 

 金翠蓮がうっとりとした表情で言った。

 

「言いやがったな……。じゃあ、そんなことが言えないような恥ずかしいことを命じてやる。今度は自分の股を自慰してみせろ。気持ちがいいところを俺の前で触るんだ」

 

 李忠は金翠蓮の口から性器を離しながら言った。

 金翠蓮の眼が驚きで大きくなった。

 

「そ、そんな。そんなの恥ずかしくて死んでしまいます」

 

 金翠蓮は見るからに狼狽した。顔色を変えて首を横に振る。

 

「やるんだ」

 

 李忠は強く言った。

 すると、金翠蓮がびくりと身体を震わせた。

 だが、李忠が金翠蓮をさらに睨むと、金翠蓮の裸身がくなくなと脱力したようになった。

 そして、諦めたように大きな嘆息してから、右手をゆっくりと股間に移動していく。

 

 李忠はほくそ笑んだ。

 やっぱり、この金翠蓮は少し被虐の癖がある。

 こういう抱かれ方に欲情する娘のようだ。

 つまりは、李忠の性癖にぴったりの女ということだ。

 女といっても、まだ十四の少女だが、女は女だ。

 

「ああ……」

 

 金翠蓮が甘い声を出しながら顔を伏せた。

 

「駄目だ、金翠蓮。俺の顔を見ろ。俺の顔を見ながら自慰をするんだ」

 

「は、はい……ああっ……ああ……」

 

 金翠蓮が蕩けきったような表情の顔を李忠に向けた。

 その唇が切なげに喘ぎ、眼が淫らに呆けている。

 まだ、幼さの残る表情の少女が李忠の命令で淫情に耽る姿は、溜まらない可愛らしさだ。

 李忠もすっかりと欲情し、肉棒はさらに勃起を増した。

 

「はあ……はっ……ああっ……」

 

 金翠蓮の息が荒くなった。

 十四歳の少女の白い太腿が、燭台の灯りを受けて赤く輝いている。

 そして、白い肌の股間に薄く茂っている恥毛の縮れ毛の内側に、金翠蓮の細い指先が入り込み、漏れ出した蜜で光りだしている。なんとも艶めかしい情感だ。

 

「ああ……だ、だめ……」

 

 金翠蓮が股間をまさぐりながら片手で乳房を揉みだした。

 いよいよ欲情が昂ぶってきたようだ。

 金翠蓮の顔はすっかりと蕩けきり、口から洩れる喘ぎ声がますます高まってきた。

 

「淫らで可愛いぜ、金翠蓮……。自慰はいつもやってるようだな……? 慣れた感じだぞ……」

 

 李忠はからかった。

 

「い、いつもじゃ……ない……です……。と、時々……。も、もう駄目です……。ああっ、も、もう……」

 

 金翠蓮が焦れたような表情をし始めた。

 

「いやらしい娘だな……。自慰のときはなにを考えているんだ……?」

 

「り、李忠さんのこと……」

 

 金翠蓮が腰を悶えさせながら言った。

 李忠は思わずにやりとしてしまった。

 

「……ははは……。そんな男心をくすぐるような嘘はどこで覚えたんだ? まあ、嘘でも嬉しいぜ。ありがとうよ、金翠蓮」

 

「う、嘘じゃないです……。ほ、本当です……。あ、あたし、李忠さんに会いたかったです……。で、でも、もう会えないかもしれないと……。だ、だから、今夜再会できて、夢のようです……。ほ、本当です……」

 

 金翠蓮が感極まったような声で言った。

 李忠は心から金翠蓮が愛おしくなり、金翠蓮の正面の位置から背後に回って座り直した。

 そして、自ら揉みしだいてる金翠蓮の手を払いのけて、両手で乳房を握った。その金翠蓮の乳房をゆっくりと揉みながら、さらに乳首を指で転がしていく。

 

「ふわあっそ、そんなあ」

 

 金翠蓮が身体をのけ反らせて、李忠に背中をもたれさせるような仕草をした。

 

「自慰をやめるな……。首をこっちに向けろ」

 

 李忠は言った。

 金翠蓮が首を後ろに向けた。

 李忠は金翠蓮の唇に唇を重ねて金翠蓮の舌をねっとりと舐めあげてやった。

 金翠蓮は最初にびっくりしたように身体を震わせたが、しばらく口の中を舐めあげてやると、だんだんと遠慮がちに舌を舐め返してきた。

 そのぎこちなさも初心でいい。

 

 金翠蓮の鼻息が荒くなった。

 李忠は金翠蓮が口を閉じることができないように、ずっと舌を金翠蓮の口の中に入れたままでいた。

 とろりとろりと垂れてくる金翠蓮の涎も全部舌で舐めとっていく。

 そのあいだ、金翠蓮は命じられたまま一生懸命に自分の股間を弄り続けている。

 やがて、すっかりと金翠蓮は欲情しきった雌の顔になった。

 

 李忠は金翠蓮の身体を寝具の上に横たえた。

 金翠蓮の少女の裸身が薄っすらと汗をかいて淫情に火照っている。

 溜息が出てしまうほどのいい眺めだ。

 李忠は金翠蓮の両腿を抱えた。

 自慰でたっぷりと蜜が溢れている金翠蓮の股間が露出する。

 李忠は勃起した男根の先端を金翠蓮の股間に押し当てた。

 

「あっ……くっ……ううっ……」

 

 李忠が怒張を挿し入れると、金翠蓮が顔をしかめた。

 まだ、膣は男との情交には慣れてはいないようだ。

 少し狭い感じがする。別れる前に李忠と一度宿屋で身体を交わしてから、一度も男のものを受け入れていないのは間違いないと思う。

 処女ではないが、まだ処女に近い抵抗感がある。

 

 だが、十分に股間は濡れているし、金翠蓮の股間はすっかりと熟れて受け入れ態勢はできている。

 李忠は金翠蓮の顔を確認しながら、ゆっくりと挿入を深めていった。

 さらに、金翠蓮の身体がほぐれるように舌で乳首を刺激してやる。

 

「あっ、はああ……ああ……」

 

 硬かった金翠蓮の表情が次第に柔らかいものに変わってくるのがわかった。

 金翠蓮の身悶えが大きくなる。

 

「ああ、俺も気持ちいいぜ、金翠蓮……」

 

「はあ、はあ、はあ……ほ、本当……? 本当……ですか……? はあ、はあ……」

 

「ああ、本当だ……」

 

「う、嬉しいです……。あ、ありがとうございます……。はあっ、ああっ……り、李忠さん……き、気持ちいいです……。ゆ、夢みたいです……。あ、会いたかったです……。ほ、本当に会いたかったです……」

 

 金翠蓮が下から李忠の身体をぎゅっと抱きしめてきた。李忠は金翠蓮の身体が小刻みに震えているのがわかった。

 そのあいだに、李忠の怒張は浅いところを通り抜けて、金翠蓮の膣の深い部分にめり込んでいった。

 それにつれて、金翠蓮の股間の抵抗感は消失していく。

 いまは金翠蓮の股もぐいぐいと肉棒に食らいつくように粘膜が収縮してくる。

 金翠蓮はすでに快感に襲われて、昇り詰めようとしているようだ。

 李忠は一度最奥に辿り着いた怒張の抽送を開始した。

 

「ふわっ」

 

 金翠蓮が声をあげた。その身体が反り返り、白い喉が突き出される。

 李忠はだんだんと律動を激しくしていった。

 

「あっ、あっ、ああっ」

 

 金翠蓮の喘ぎ声が少し大きくなり、李忠の背を抱いている指に力が入った。

 

「う、嬉しい。き、気持ちがいいです……。はああっ」

 

 金翠蓮がさらに大きな声をあげた。

 李忠は一番階段に近い部屋に寝ていたが、隣りは魯花尚だったか、それとも楊蓮だったかと少し気になった。

 まあいい……。

 李忠はもう激しく律動している。

 金翠蓮の乱れがさらに激しくなる。

 

「す、好きです、り、李忠さん……。す、好きなんです。はううっ、あああ……あっ、ああっ」

 

 金翠蓮が悩ましく腰を動かしだした。

 李忠はいまやこれでもかというように、金翠蓮の膣に怒張を押しつけている。

 そのとき、急に金翠蓮の身体がぴんと伸びきった。

 

「はああ」

 

 金翠蓮が嬌声をあげた。

 

「いくときは、どうするんだ? 覚えているか?」

 

 李忠は腰を金翠蓮の股間に叩きつけながら言った。

 

「い、いくう──。いっちゃいます──。李忠さん、いぐううう──」

 

 最初に金翠蓮を抱いたとき、いくときは“いく”と口にしろと命じたのだ。

 金翠蓮はちゃんと覚えていたようだ。

 金翠蓮の指の爪が李忠の背中に喰い込んだ。

 さらに、がくがくと身体を震わせだした。

 

「いぐうう」

 

 金翠蓮は吠えるように叫んだ。

 達してしまったようだ。

 李忠もまた快感を極めていた。

 呻き声とともに、李忠は金翠蓮の股間に精を放った。

 

 

 *

 

 

「あ、あのう……。ありがとうございました、李忠さん……」

 

 寝具の中で李忠の胸を抱くように横になっている金翠蓮が、李忠にささやいてきた。

 

「四十男が自分の娘のような美少女を抱かしてもらって、さらに礼を言われるとは、男冥利につきるな」

 

 李忠は苦笑した。

 わざわざ李忠のようなさえない二流男のところに、なにを思ってか知らないが、夜這いにやってきた美少女の身体に二度も精を放ち、すっかりと満足した李忠は、情交の疲れで脱力している金翠蓮を抱いて寝具の中で横になったところだ。

 仰向けの李忠の横で金翠蓮は添い寝をしている。

 情交の最中は煌々と灯らせていた燭台は、いまは消していて部屋は真っ暗だ。

 

「で、でも、李忠さんには、魯花尚さんがいるのに……。そ、それに楊蓮さんだって……」

 

 金翠蓮がおずおずと言った。

 

「あ、あいつら?」

 

 李忠は思わず声をあげてしまった。

 あのふたりがいるから、なんだと言うのだ?

 もしかしたら、李忠のことを寝取ったとでも思っているのか?

 李忠に夜這いをして情を交わしたことを魯花尚や楊蓮が、気を悪くするとでも考えているのだろうか?

 

「俺と金翠蓮が寝たことをあいつらがなにか言うとでも? はっ、あり得んな。あいつらなら、俺が誰と寝ようとも気にはせんよ。ただし、俺があいつらから逃げたら、ただで済まないような気がするがな」

 

 李忠は笑った

 淫情の呪いで縛られている魯花尚はともかく、なぜか楊蓮は、李忠を生涯の伴侶して添い遂げたいとまで言ってくれる。

 ありがいことだ。

 ありがたいと言えば、この金翠蓮もだ。

 李忠のことを忘れないでいてくれたどころか、どうやら、ずっと想っていてくれたようだ。

 

 魯花尚、楊蓮、金翠蓮……。

 

 まったく、このところの李忠の女運のよさはどうなっているのだろうか……。

 

「じゃ、じゃあ、わたしを三号にしてくれませんか?」

 

 すると、金翠蓮が急に思いつめたような口調で言った。

 李忠はびっくりした。

 

「さ、三号?」

 

「三号でも、四号でもいいです……。あ、あたしも、李忠さんの女のひとりになれませんか? それとも、すぐにどこかに行ってしまうのですか? もう、それで二度と戻ってこなかったりしますか?」

 

 金翠蓮が李忠の胸に乗せている指に力を入れた。そして、不安そうに李忠を見あげたのがわかった。

 

「本当に俺の女のひとりになりたいのか? 金翠蓮のような可愛い娘がか?」

 

「は、はい。どうか、あたしを李忠さんの女にしてください……」

 

 金翠蓮がぎゅっと李忠の身体を抱きしめてきた。

 李忠は金翠蓮の健気さに嬉しくなり、腕を回して抱きしめた。

 それだけで、金翠蓮は感じ入ったように甘い吐息をした。

 李忠は闇の中で微笑んだ。

 

「……そうだな。実のところ、全土に手配書を回されちまって、俺たちは行くところもないのさ。ここは賊徒の多いところだしな。ここに居座って、どこかの賊徒を頼って、そこに入れてもらうしかないかもしれない……。それでもいいか?」

 

 李忠はなんとなく言った。

 実際のところ、もうそれくらいしか生きていくあてはない。

 賊徒になりたいわけではないが、手配書を回されたことで、李忠も魯花尚も、そして、おそらく楊蓮も、政府によって賊徒側に押しやられてしまったのだ。

 もう、まともなことをして生きていく道は閉ざされた。

 賊徒にでもなって、国の法の外で生きるか、あるいは捕えられて処刑されるかだ。

 それしか道はない……。

 李忠は改めて、そのことを思った。

 

「だ、だったら、あたしも賊徒になります……。なんでも覚えます」

 

 金翠蓮が声をあげた。

 

「馬鹿だな……。金翠蓮を賊徒なんかにさせるものか……。金翠蓮はここで小料理屋をやるのさ。俺は……。そうだな。魯花尚と楊蓮は、腕っぷしも武術も俺よりも遥かにましだ。あいつらにどこかの賊徒団を乗っ取らせるか。そして、俺が賊徒の頭領になるんだ。それで、俺はときどき、棲み処をおりてきて、金翠蓮を抱きに来るのさ。そんなのもいいな」

 

 李忠は笑った。

 もちろん、そんなことを現実は考えていない。

 ただ、情交の後の寝物語で戯れ事を語っているだけだ。

 

「う、嬉しいです、李忠さん。嬉しいです」

 

 だが、金翠蓮は感極まったような声をあげて、顔を李忠の頬に摺り寄せてきた。

 李忠は困ってしまった。

 その金翠蓮の様子があんまり嬉しそうだったから、いまのは、冗談だとか、ただの戯れだとか言えなくなったのだ。

 

 まあいいか……。

 どうせ、ここにしばらく滞在するのも悪くはない。

 離れなければならないことがあれば、そのときに考えればいい。

 李忠は金翠蓮の身体をぎゅっと抱き続けた。

 

「だが、俺の女になると、恥ずかしいことをたくさんさせられるぞ。俺はそういうのが好きなんだ。女を縛って抱いたりもするんだぞ」

 

「は、はい。縛ってください。どうぞ、なんでも教えてください。一生懸命に覚えます。李忠さんに気に入ってもらえるように……」

 

 金翠蓮がはにかんだように言った。

 

「いいのか、そんなこと言って? 本気で調教するぞ。珍棒を入れるのは股や口だけじゃないぞ? 尻だって使うんだぞ」

 

 李忠は金翠蓮を抱いていた手を背中から尻たぶに移動させ、金翠蓮の尻の亀裂に指をすっと這わせた。

 

「きゃん」

 

 金翠蓮がびくりと身体を跳ねさせた。

 

「お、お尻?」

 

 そして、金翠蓮が驚いた声をあげた。

 頬を寄せている金翠蓮の顔が熱くなったのがわかった。

 

「ああ、尻の穴だ。ここだって、しっかりと調教すれば、気持ちのいい場所になる。俺の女だったら、そんなこともさせるぞ」

 

 李忠は金翠蓮の尻を指で悪戯しながら言った。

 

「あ、あんっ……。魯花尚さんも、楊蓮さんも、お尻でしたことあるんですか?」

 

 すると、金翠蓮が身悶えながら言った。

 

「あいつらか? そういえば、魯花尚は尻の穴を指で悪戯することはあっても、尻そのものを犯したことはないな……。楊蓮はそれすらない……」

 

 李忠は思い出しながら言った。

 

「だ、だったら、最初にあたしを調教してください。お尻でもなんでも、李忠さんの命令ならなんでもします。で、ですから、あたしを李忠さんの女に。そ、それから、お尻の調教はあたしを一番にしてください」

 

「嬉しいことをいうやつだな」

 

 李忠は金翠蓮の顔を引き寄せると、口づけをして舌で金翠蓮の口の中を愛撫した。

 すると、金翠蓮がまた淫情に酔ったような声を出し始める。

 

 大人しくなっていた李忠の怒張が、また逞しさを取り戻したのがわかった。



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第21話  二流男の二竜山攻略
68  李忠(りちゅう)金翠蓮(きんすいれん)を青姦し魯花尚(ろかしょう)呆れる


 鼻を金翠蓮(きんすいれん)の股布の膨らみに擦りつけて、李忠(りちゅう)は息を繰り返していた。

 布を通して金翠蓮の体臭が鼻孔を刺激する。

 李忠は、わざと大きく鼻息をたてて、金翠蓮の股布を嗅ぐような動作をしてやった。

 すでに、金翠蓮の股間からは興奮と羞恥による愛液がびっしょりと染み出ているのがわかる。

 

「は、恥ずかしいです、り、李忠さん……。そ、それに、あ、あたし、あ、汗かいているし……」

 

「汗だけじゃないようだぜ、金翠蓮……。お前の股間がべっとりと濡れてきたのがわかるぜ。匂いどころか、俺の目の前で股布に丸い染みが浮かんでいるんだぞ……。汗だなんて、とぼけるんじゃねえよ」

 

 李忠は、金翠蓮の股間に顔をくっつけたまま言った。

 

「あ、ああ……、そ、そんな……。ひっ、ひっ……」

 

 すると、樹木を背にして、自ら下袍をたくしあげている金翠蓮が、あまりの羞恥のせいか、がくがくと震えだしてしまった。

 

「あ、あの、り、李忠さん……。ここじゃあ、無理です。ま、また、お部屋に行きますから……。それか、納屋とか……。そ、そのときは、どんなことをされてもいいです……。で、でも、こんなところでは……」

 

 金翠蓮が狼狽えて言った。

 だが、李忠は無視した。

 そして、顔の前にある股布に手をかけた。

 

「つべこべ、言うんじゃねえよ、金翠蓮……。いま口ごたえした罰として、この股布は没収だ……。今日は股布なしで店で仕事をするんだな。股ぐらに俺の精をたっぷりと飲み込んだままでだぞ。俺の女なら、命令には逆らうはずねえよな」

 

 李忠はそう言いながら、金翠蓮の股間から股布をおろしていった。

 

「ああ……そ、そんな……」

 

 金翠蓮は泣くような声を出したが、抵抗はしなかった。

 それどころか、背にしている樹木の幹から腰を浮かせて、李忠が股布を脱がせるのを助けるようにもした。

 金翠蓮の足首から股布を抜き取ると、李忠はそれをまるめて上衣の内側に入れる。

 

 ここは、泰安(たいあん)の城郭からしばらく進んだところにある街道沿いらの林の中だった。

 林といっても、樹木はまばらで、街道そのものからもそれほど離れてはいない。

 大きな声を出せば、街道を歩いている旅人などには、確実に聞こえるほどの距離だ。

 

 李忠は、城郭に食材と酒を仕入れにいった金翠蓮の荷駄馬車をこの街道沿いで待ち受け、戻ってきた金翠蓮に林の中に馬車を入れさせて、ここで樹木を背にして、下袍(かほう)をめくるように命令したのだ。

 

 金翠蓮は、店の二階にいるはずの李忠がこんなところまで出迎えに来たことに最初は悦んだが、その目的が路外の林の中において、金翠蓮を抱くためであることを知って蒼くなった。

 まだ陽は煌々と照っている。金翠蓮の常識からすれば、こんな明るい時間にいつ人がやってきてもおかしくない場所で、情を交わすなど考えらなかったのだろう。

 

 だが、金翠蓮が李忠に逆らえるわけがない。

 さすがに嫌がる素振りはしたものの、金翠蓮は李忠によって、強引に街道から少しだけ入ったところの林の中に連れ込まれ、自ら下袍をめくらされたというわけだ。

 店に出す食材の仕入れと酒を載せた荷駄馬車は、すぐそばに繋いでとめてある。

 李忠は、その荷駄馬車のすぐそばで金翠蓮に悪戯をしているのだ。

 

「樹に向かって両手をつけ。身体を曲げて尻をこっちに出すんだ」

 

 李忠は言った。

 

「は、恥ずかしいです……」

 

 金翠蓮の声は震えていたが、もう逆らうことはなかった。金翠蓮は樹木に顔側を向けて上体を水平にするようにし、腰を後ろに突き出すような体勢になった。

 李忠はその金翠蓮の下袍をまくりあげると、真っ白な尻たぶの下から指で股間をなぞりあげた。

 

「う、ううっ」

 

 金翠蓮が大きく身体を弾ませて声をあげた。

 

「おっと。大きな声をあげられちゃあ、さすがにまずいな。じゃあ、これを口に咥えてもらおうか」

 

 李忠はそう言いながら、さっき金翠蓮から脱がせたばかりの股布を金翠蓮の口に咥えさせた。

 そして、さらに股間を後ろから弄った。

 すでに女陰はびっしょりだ。

 これは、前戯など全く必要なさそうだ。

 

「んんんっ」

 

 金翠蓮が必死になって噛み殺す口から声が漏れる。

 李忠は股間の中に指を滑り込ませた。すると、金翠蓮の身体が大きく震えだした。

 かなりの激しい興奮だ。

 ほとんど、まだ愛撫らしい愛撫をしていないのに、これだけ濡れるというのは、やっぱり金翠蓮は根っからの被虐癖があるのだろうと思う。

 李忠は、自分の下袴(かこ)を股布ごと足首までおろすと、すでに逞しくなっている怒張を金翠蓮の白い尻の下側から女陰に突きたてた。

 

「んんっ」

 

 樹の幹に腕をつけている金翠蓮の身体が快感に耐えられないかのように身悶える。

 李忠は金翠蓮の尻に股間を叩きつけるように律動を開始した。

 金翠蓮の膣は気持ちがよかった。

 

 五日前の夜に金翠蓮が夜這いにやってきて以来、毎日抱いている。

 そのたびに金翠蓮の身体は美しく、そして、淫らに成熟していく気がする。

 金翠蓮を抱くのは、最初の夜を除けば、いまのように昼間が多かった。

 夜は、楊蓮(ようれん)の相手をすることが多いし、金翠蓮が夜這いにやってきた次の日の夜は、魯花尚(ろかしょう)の発作がやってきて、魯花尚を抱いた。

 

 だから、金翠蓮が店の支度をしている合間や李忠の部屋の掃除にやってきたときのちょっとした隙間に抱くのだ。

 李忠としては、夜は身体を空けとかないと、楊蓮あたりがうるさいからそうしたのだが、明るい時間に日常生活の途中に抱くというのは、思ったよりも興奮する行為だ。

 病みつきになり、今日は金翠蓮が城郭まで食材などの仕入れに行った帰りを待ち受けて、野外で抱くことにしたのだ。

 それに、金翠蓮自身も口では抵抗するが、こういう異常な状況で抱かれる方が興奮して欲情するということを李忠はわかっている。

 現にいまも、こうして野外で抱いているという状況だけで、金翠蓮が沸騰するような淫情に包まれ、早くも達しようとしているのがわかる。

 

「んふううっ、んんんっ」

 

 金翠蓮が自分から腰を振るように身体を動かしだした。それに応じて呻き声も大きくなる。

 どうやら、もうすぐ絶頂をする気配だ。

 

「ふん、んふっ、んふっ、んんんあああっ」

 

 そして、股布を噛んだ口からひと際甲高い声をあげると、五体を震わせて歓喜の頂点に昇りつめた様子を示した。

 

「ううっ」

 

 李忠もそれに合わせて、金翠蓮の股間に精を迸らせる。

 

「ふう……」

 

 束の間の余韻を味わってから、李忠は金翠蓮の股間から男根を抜いた。

 

「はあ、はあ、はあ……」

 

 すると、金翠蓮ががくりと膝を崩しそうになった。慌てて李忠はそれを支えた。

 

「あっ、す、すみません……。あ、あんまり気持ちがよくて……」

 

 すぐに金翠蓮は自力で立ちあがった。

 咥えていた股布は、すでに手に移動している。

 

「じゃあ、帰ろうぜ」

 

「は、はい……」

 

 とりあえず、李忠も服装を整えた。金翠蓮もたくしあがった下袍をおろすとともに、乱れた髪を直したりしている。

 

「あ、あの、これ……」

 

 そして、最後に赤い顔をして股布をおずおずと李忠に差しだした。一瞬、なんだかわからなかったが、そういえば、金翠蓮に対する羞恥責めの一環で、股布なしで店に出ろと命じたことを思い出した。

 まあ、酔客相手に股布なしというのも危険だが、店の中で見張っていれば問題はないだろう。

 李忠は思わずにやつくのを感じながら、受け取った股布を受け取った。

 

「じゃあ、帰るか、金翠蓮」

 

「はい」

 

 李忠と金翠蓮は、金翠蓮が操ってきた荷駄馬車に乗ろうとした。

 

「うわっ」

「きゃあ」

 

 だが、李忠と金翠蓮は、荷駄馬車の御者台にいつの間にか座っていた人物に驚愕して大声をあげてしまった。

 そこには、魯花尚が座っていたのだ。

 

「お、お前、いつからそこに?」

 

 思わず李忠は言った。

 

「いつからって言えば、最初からね……。あんたがどこかに行こうとしていたんで、こっそりと着いてきたのよ……。わかるでしょう……。わたしはいつ起きるかわからない発作があるのよ。お願いだから黙って消えないでくれる。その代わり、どこでなにをあんたがやろうと文句は言わないし、邪魔はしないから……」

 

 魯花尚が言った。

 

「そ、そりゃあ、悪かったな……。つ、つまり、隠れて見ていたということなのか?」

 

 李忠がばつが悪くなりそう言った。

 実は金翠蓮と男女の関係になったことは、まだ魯花尚にも楊蓮にも白状していなかったのだ。

 

「最初は、隠れて見ていたんだけど、それも、なんかなあと思って……。この数日、こそこそしているのは気がついていたけど……。まあ、金翠蓮とねえ……。案外に手が早かったのね、李忠……」

 

 魯花尚がほとんど無表情なので、怒っているのか、呆れているのか、あるいは、ほかの感情であるのかわからない。

 まあ、少なくとも悦んではいないだろう。

 

「わ、悪かったな……。まあ、俺は善人でも奥手でもねえんだ。金翠蓮のような美少女が近くにいれば抱いてみたいと思う。それは男の性分だよ」

 

「だって、あんた、楊蓮も連れにしたばかりじゃないのよ。楊蓮もほとんど毎夜抱いているんでしょう? そして、昼間から金翠蓮? まあ、結構なことで。最初は無理矢理手籠めにしているのかと思ったけど、あんたに限って、そんなことあり得ないと思ったし……。よく見れば、そうでもなさそうだし……」

 

「あ、当たり前だ。金翠蓮を手籠めなど……」

 

「まあ、ふたりが納得ずくでそういう関係になったんなら、別になにも言う権利はないのかもしれないけど……。でも、李忠、金翠蓮は、まだ十四よ。子供よ」

 

 魯花尚がじろりとにらんだ。

 李忠はやっとわかった。

 魯花尚は不機嫌だ。

 しかも、これ以上ないというほど……。

 それを能面の裏に隠しているのだ。

 いや、不機嫌というよりは、怒っている感じだ。

 やはり、金翠蓮を愛人にしたのを悟り、それで腹を立てているのだと思う

 李忠は背に冷たい汗を感じた。

 

「あ、あたしは、子供じゃありません、魯花尚さん」

 

 すると、金翠蓮が声をあげた。

 その声の強さに、李忠は当惑した。

 

「十四は子供よ、金翠蓮。別に貞操がそんなに大事とは思わないけど、まあ、これからは慎みなさい。李忠もあたしもお尋ね者よ。軍の捕縛を恐れて、あちこち逃げ回らなければならないような境遇なのよ……。まともな生活はもう望めないの……。あんたには、もっと相応しい男が現れるわよ……。こいつにのめり込むのはやめなさい」

 

 魯花尚が言った。

 そして、金翠蓮が言い返す間を与えず、李忠に鋭く視線を向ける。

 

「ねえ、李忠、あんたも、わかっているでしょう? 金翠蓮はこれからいくらでも女としての幸せを掴める娘なのよ……。それに、そろそろ潮時よ。金翠蓮たちに迷惑がかからないうちに、この土地から出ていきましょうよ……」

 

 魯花にが言った。

 しかし、李忠がなにかをいう前に、金翠蓮が怒ったように魯花尚に向かって詰め寄った。

 

「ろ、魯花尚さん、そんなの卑怯です」

 

「ひ、卑怯?」

 

 御者台の上の魯花尚がびっくりした声をあげた。

 

「そ、そりゃあ、魯花尚さんも、あたしの存在は気に入らないかもしれないけど、あたしだって、李忠さんのことが好きなんです。そ、それを嫉妬して、引き離すなんて」

 

「し、嫉妬? わたしがあんたに嫉妬しているというの?」

 

「じゃあ、なんなんですか? あ、あたし、李忠さんから離れません。李忠さんが、どこかに行くなら、あたしも行きます。李忠さんは、あたしを李忠さんの女のひとりにしてくれると約束しました……。お、お尻だって、少しずつ教えてもらっているんです。あたしは、頑張って、李忠さんにとっての三人の中の一番になってみせます。魯花尚さんや、楊蓮さんには負けません」

 

 金翠蓮が興奮したようにまくしたてた。

 

「お、お尻?」

 

 魯花尚が真っ赤になった。そして、李忠を睨んだ。

 

「あんた、この金翠蓮になにさせてんのよ、李忠」

 

 魯花尚が怒鳴った。

 

「ま、まあ、ちょっと待てよ、お前ら」

 

 李忠はだんだんと険悪な気配を帯びてきたふたりを宥めようと思った。

 

「見てください」

 

 だが、興奮状態の金翠蓮が、御者台の下に行き、いきなり両手で下袍をまくりあげて、魯花尚に股間を見せた。

 

「わっ、わっ、わっ? 金翠蓮、なにしてんのよ?」

 

 魯花尚が声をあげた。

 

「李忠さんに命じられて、あたしは今夜の店には股布なしに出ます。李忠さんの精を入れたまま、給女をしろという命令なんで、店が終わるまで股は拭きません。あ、あたしは、李忠さんの調教を受けています。あたしも李忠んさんの女のひとりなんです。お願いです。あたしも認めてください。楊蓮さんは認めたのに、あたしを認めてくれないなんてひどいです、魯花尚さん」

 

 金翠蓮はほとんど泣くような顔だ。

 

「ば、馬鹿、下袍をおろせ、金翠蓮。わかった。わかった。お前の気持ちは十分に俺には伝わったから……」

 

 李忠は金翠蓮の下袍を強引におろさせて肩を抱いた。

 すると、金翠蓮は李忠の胸に顔をつけて泣き出してしまった。

 悲しくてなくというよりは、激した感情を制御できなくて泣くという感じだ。

 

「な、泣くなよ、金翠蓮。別に魯花はもお前を悪く言っているわけじゃないじゃないか……。悪いのは俺だ。俺が悪いんだ……」

 

 李忠は号泣し続ける金翠蓮に声をかけた。

 

「い、いいえ、李忠さんは、悪くないです。悪くないです。あ、あたしがあたしが」

 

 だが、金翠蓮は泣きながら李忠の胸で顔を左右に激しく振った。

 

「な、なによ。わたしが悪者?」

 

 魯花尚もばつが悪そうな顔になった。

 

「まあ、とにかく、仲良くしようぜ、みんな」

 

 李忠は大きな声で笑った。

 もちろん、魯花尚も金翠蓮もくすりとも笑わなかったが……。

 

 

 *

 

 

「あ、あのう……。魯花尚さん、さっきは興奮してすみませんでした……。あんなこと言うべきじゃなかったです……。そ、それに、魯花尚さんも恩人なのに、あたしったら、恩知らずな口のきき方をして……」

 

 荷駄馬車の荷台に座っている金翠蓮が、御者台に座る魯花尚に声をかけてきた。

 店に向かって進む荷駄馬車だ。

 李忠と魯花尚は御者台に腰掛け、金翠蓮は仕入れ品とともに荷駄側に座っている。

 

「まあ、わたしもあなたの気持ちも考えずに悪かったわ……。それに……、子供だって言ってごめんね、金翠蓮」

 

 魯花尚も言った。

 とりあえず、落ち着いたようだ。

 李忠は馬を操りながらほっとした。

 それにしても、金翠蓮があんなに激するなんて、びっくりしてしまった。

 だが、考えてみれば、この金翠蓮も幼い頃から、金老と一緒に酒場を回って酔客相手に歌をうたって金子を稼ぐというような仕事をしてきた娘だ。

 腹の座り方も、芯の強さも一人前の大人以上なのだろう。

 この土地における料理屋だって、一人前に働いて、金老とともに料理屋を切り盛りしているのだ。

 そのとき、李忠は魯花尚が、女物の下袍をはいていることに気がついた。

 

「ところで、魯花尚、お前、珍しく女の服を着ているんだな?」

 

 李忠は言った。

 そして、珍しいどころではなく、魯花尚が女物を自ら着るなど、初めてであることを悟った。

 

「ふ、古着屋の行商が来たのよ……。そ、それでね……。ちょ、ちょうどいいのがあったから……」

 

 魯花尚がはにかんだように顔を横を向けた。

 

「へえ……。まあ、似合ってるじゃねえか……。女ぶりが増したぜ」

 

 李忠は言った。

 

「からかわないでよ、李忠」

 

 魯花尚は拗ねたような物言いをしたが、その頬は緩んでいた。

 だが、李忠も思わず喋ってから思ったのだが、“女ぶりが増した”などという言葉は、以前の魯花をなら侮辱としては受け取ることはあれ、そのことではにかんだように微笑んだりしなかったはずだ。

 

 魯花尚の心が完全に女性化してきている……?

 そんな気がした。

 そういえば、魯花尚も自分自身にかけられている呪いについて、いずれ、そうなるかもしれないと語っていたし、確かに最近、魯花尚からは、かつて男だったなんて匂いは皆無になった。

 李忠自身もその事実を知っていながら、魯花尚が男だったなんて信じられない気持ちになっている。

 まあ、李忠にとっては嬉しいことではあるが……。

 

「……ところで、李忠、金翠蓮のこと本当にどうするつもりなの? あんたもわかっているんでしょう? いずれ、わたしたちは、逃げ出さないとならないわ。ずっとここで暮らすなんてできないわ……」

 

 魯花尚が金翠蓮に聞こえないように、前を向いたままささやくように言った。

 

「……そのことなんだがな、魯花尚……」

 

 李忠は魯花尚を見た。

 

「……こうなったら、そろそろ、俺たちも腹を括ろうじゃねえか……。官軍から逃げ回るのはやめようぜ。賊徒になろう。官軍から逃げるんじゃなくて、戦うんだ」

 

「戦う?」

 

 魯花尚が怪訝な顔になった。

 

「そうだ。つまり、この青州は賊徒が多い。中でも、二竜山(にりゅうざん)清風山(せいふうざん)桃花山(とうかざん)の三個は天然の要害に依ったそれなりの勢力で、簡単には官軍も手出しはできないでいる。そのどれかにとりあえず身を寄せるというのはどうだろう? 俺とお前と楊蓮の腕があれば、どこに行っても、幹部級で扱ってくれると思うがな」

 

 李忠は言った。

 

「へえ、賊徒? まあ、わたしはあんたに従うけど……」

 

 魯花尚はあっさりと言った。

 

「おっ? 賛成してくれるのか? 俺はお前が反対すると思ったぜ」

 

「しないわよ。それで、さっき言った三個の賊徒のうち、どこに身を寄せるの?」

 

「まあ、いろいろと調べて考えているところだ……。三個の賊徒の中で一番大きいのは二竜山の賊徒だ。頭領は鄧竜(とうりゅう)と名乗っている大きな男だ。だが、ここは周辺の農村を略奪したり、旅人を殺したりと評判が悪い……」

 

「そういえば、二竜山の悪評はよく聞くわね」

 

 魯花尚は相槌を打った。

 

「清風山はそれに比べれば世直しの旗を掲げていてあまり乱暴なことはしないようだ。ただ、女賊と言われていて、基本的に女しか受け入れないらしい。頭領は義姉妹の契りをした三人の美女だ……」

 

「桃花山は?」

 

「桃花山は三個の中では弱小のようだ。これは強くて官軍を寄せつけないとうよりは、大したことをしないので官軍も放っておいているという感じだ。頭領は周通(しゅうとう)という男らしいが、まあ、あまり、ぱっとした評判はないな」

 

「へえ、よく調べたのね……。まあ、どれにするかは、あんたに任せるわ。多分、楊蓮も今更、文句は言わないでしょう。万が一、文句をいうなら、あいつが立ち去ればいいんだし」

 

 魯花尚は言った。

 

「よし。じゃあ、俺たちの基本方針は決まったな」

 

 李忠は片手で膝を大きく叩いた。

 

 すると、魯花尚がさらに李忠に身体を寄せてきた。

 

「……それはいいけど、それで、この土地に落ち着くことができたら、本当に金翠蓮を女のひとりにするつもりなのね……」

 

 魯花尚が李忠の顔をじっと見た。

 

「な、なんだよ……。お、お前、俺がどこの誰と付き合おうがいいと言ったじゃねえか……。お前のことを手放さなきゃ……」

 

 李忠は言った。だが、緊張で自分の心臓が大きく鼓動をするのがわかった。

 なんだが、浮気がばれて開き直った亭主の気分だ。

 

「……ええ、もう、反対はしないわ……。ただし、ひとつ条件があるわ……」

 

「条件?」

 

 李忠は困惑した。

 

「今夜、わたしを抱いて……」

 

 魯花、がそう言って、恥ずかしそうに俯いた。

 

「も、もちろん。悦んで」

 

 李忠は驚愕しながらも一生懸命に首を縦に振った。

 魯花尚が発作以外で李忠に情を求めるのは初めてのことだ。

 李忠は感動さえ覚えた。

 

 それからは、しばらく黙ったまま荷駄馬車を進めた。

 やがて、荷駄馬車は金翠蓮たちの料理屋の近くまでやってきた。

 店は昼前から開いているので、すでにやっている。

 だが、なんとなく喧噪の気配がするような気がする。

 店の前では野次馬のような者も十人ほど遠巻きにしていた。

 

「なにかしら?」

 

 荷駄馬車の金翠蓮が前を覗き込みながら声をあげた。

 

「ふざけるな、この泥棒ども」

 

 そのとき、女の怒鳴り声がしたかと思うと、店の中からふたりほどの男がいきなり、店の外に転がり出てきた。

 

「こ、この女。俺たちに、こんなことしていいと思ってんのか?」

 

「俺たちは二竜山の者だぞ」

 

 転がり出てきた男たちが起きあがりながら悪態をついた。

 

「なにが、二竜山だ。飲み食いした代金を払わん者は泥棒だ。ふざけるな」

 

 男たちに続いて出てきたのは、前掛けをした楊蓮だ。

 

「この女」

 

 するとふたりが激昂した様子で腰の剣をさっと抜いた。

 だが、楊蓮は丸腰だ。

 

「いかん──」

 

 李忠は慌てて、荷駄馬車から飛び降りた。



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69  李忠(りちゅう)二竜山(にりゅうざん)の狼藉に激怒する

「いかん」

 

 楊蓮(ようれん)にふたりの男が斬りかかろうとしたのを見て李忠(りちゅう)は、馬車から飛び降りた。

 

「待て、待て、待ってくれ」

 

 しかし、店から金老(きんろう)が飛び出してきて、楊蓮の前に大手を拡げて立ちはだかった。

 

「店で暴れるのはやめてくれ。店の女が済まなかった。こいつは新しく雇った女でな……。あんたらのことがわからんかったのだ……。もちろん、お代はいらん。いらないから」

 

 金老が楊蓮を宥めるように両手で押さえながら、男たちにそう叫んだ。

 すると、剣を抜いて殺気ばっていた男たちが、少し落ち着いた雰囲気になった。

 それは楊蓮も同じだ。

 

 李忠は様子を見ることにした。

 店から投げ出された気配のふたりの男は二竜山の者と名乗った気もする。

 つまりは、二竜山の賊徒の一味ということだろうか。

 李忠は、荷駄馬車の荷台に身体を寄せて、荷台に座ったままの金翠蓮(きんすいれん)に向かって口を開いた。

 

「……あのふたりの男を知ってるか、金翠蓮?」

 

「二竜山の賊徒です……。最近、時々やってきては、店を守ってやる代金とか言って、無銭飲食をしていくんです……。それに、態度も悪くて、あたしにも何度もからかわれました。やな連中なんです……。でも、邪見にすれば、店で暴れられると思うし、お父さんも仕方なく、ああやっているんです……」

 

 金翠蓮が小さな声で言った。

 その表情は険しかった。

 

「なるほどな……。つまりは、たかりか……」

 

 李忠は呟いた。

 たちの悪い男に目をつけられてしまったということだろう。

 だが、ああいう連中を痛めつけて追い払うのは簡単だが、二竜山の賊徒の者だと言っている以上、その仕返しが怖い。

 ここは、泰安(しんあん)の城郭に近いから賊徒の脅威は低いとはいえ、城壁の内側ではないのだ。

 本当に襲われたら、こんな小さな店などひとたまりもない。

 金老が男ふたり分の食事代くらいで済むなら、波風立てるよりは我慢した方がいいと考える心情はよく理解できる。

 

 だが、それにしても、どうせ因縁をつけるなら、こんな父娘がふたりでひっそりとやっているような店を選ばなくてもいいと思う。

 もっとも、もう少し大きな店なら、そういう迷惑な客に対応して用心棒くらい雇っている場合もある。

 それを嫌って、あのふたりはこの店に目をつけたのだろう。

 それくらいの小者だということだが、李忠はこのまま見過ごすべきか、それとも、いっそのことこっぴどく懲らしめた方がいいのか判断に迷った。

 

「ふん──。まあ、わかればいいさ、金老。それにしても、新しい働き手を雇うなら、ちゃんと俺たちのことは教育しておきな。俺たちはお前に雇われている用心棒だとな」

 

「済まねえ。なにしろ、日が浅いもので……。とにかく行ってくれ、なあ、あんたら……」

 

 金老が男たちに愛想笑いをしながらぺこぺこと頭を下げている。

 男たちは満足したような表情になって、やっと剣を鞘に収めた。

 楊蓮は、金老の後ろで面白くなさそうな顔をしている。

 

「……それにしても、怖い姉ちゃんだぜ。だが、今度暴れるときには、相手を見て暴れな。まあ、今回のところは、これで勘弁してやるよ」

 

 そして、男のひとりが金老の肩越しに手を伸ばして、楊蓮の乳房を服の上からぎゅっと掴んで揉むような仕草をした。

 

「な、なにをするか」

 

 楊蓮が絶叫した。

 同時に楊蓮の拳が胸を掴んだ男の顔面にめり込んだ。

 その男が鼻から血を噴き出しながら、後方に飛んでいくのがはっきりと見えた。

 

「うわっ」

 

 巻き込まれて楊蓮に突き飛ばされるかたちになった金老が尻もちをついた。

 

「こりゃあ、いかんな」

 

 李忠は苦笑した。

 

「馬鹿な連中ね。あのまま、大人しく帰れば、怪我しなくて済んだものを……」

 

 魯花尚(ろかしょう)も肩を竦めている。

 

「ふ、ふざけやがって」

 

 もうひとりの男が再び剣を抜いた。

 瞬時に、楊蓮が剣を持つ男の手首を掴む。

 そして、そのまま、捻じ曲げていた。

 

「うがああ」

 

 楊蓮によって掴まれた手首を関節の逆の方向に曲げられた男が悲鳴をあげながら地面に肩から落ちた。

 おかしな音がしたから、腕の骨のどこかが折れたのは間違いない。

 

「二度と来るな」

 

 楊蓮が叫んで、最初に楊蓮の乳房を掴んで殴られた男の股ぐらを力任せに蹴りあげたのが見えた。

 李忠は、楊蓮のあまりの暴れぶりに、思わず笑い声をあげてしまった。

 

 

 *

 

 

「な、なんか恥ずかしいね……。でも、いつもは頭がおかしくなっていているから、本当のことを言うと、あんたと抱き合っているあいだのことは、あんまり記憶にないのよ……。いまさら、あんたに抱きつくのが、こんなに照れるなんて思わなかったわ」

 

 寝台の上に座っている股布一枚の魯花尚が李忠の前で笑った。

 また、李忠もまた、腰の股布だけだった。

 ふたりで寝台の上で向かい合うように座っている。

 金老と金翠蓮が料理屋をやっている二階だ。

 金翠蓮のことを認める代わりに、自分を抱いて欲しいと言ってくれた魯花尚を抱くことになり、李忠は店が終わるのを待って、魯花尚とともに、住居代わりに貸してもらっている店の二階にふたりきりであがってきたのだ。

 

 まだ、階下では店の終わった金翠蓮と金老が楊蓮とともに片づけをしている。

 ただ、今夜については、片づけの手伝いは楊蓮に任せて、李忠と魯花尚だけ先にあがってきた。

 

「照れるお前もいいもんだぜ、魯花尚……。まるで、これからお前の処女でも奪うような気分だ」

 

「な、なにが処女よ……。馬鹿じゃないの……」

 

 魯花尚が赤い顔をしたまま言った。

 だが、李忠は、その魯花尚を引き寄せて顔を両手で押さえる。

 魯花尚がひるんだような表情をした。

 

 構わずに、李忠は強引に魯花尚の口に唇を寄せる。

 そして、舌を魯花尚の口の中に送り込んだ。

 魯花尚が考えるいとまを与えないように、魯花尚の舌を擦り、歯茎を舐め、口の内側を這いまわらせる。

 さらに唾液を送り込み、それを魯花尚の口の中で転がして、魯花尚の口の中を李忠の唾でいっぱいにする。

 

「んんっ、んっ……」

 

 魯花尚がたじろぐように顔を引いて、李忠の顔から自分の顔を離そうとした。

 だが、李忠はそれを許さなかった。

 さらに、ねっとりと魯花尚の口の中を舐めあげて、舌を吸いあげる。

 

「んああ、ああ……」

 

 すると、次第に魯花尚の身体が力が抜けたようになっていくのがわかった。

 李忠は魯花尚の口から垂れて顎に伝った涎を舌で掬い取り、さらにねちっこく口の中を舐め回してやった。

 

「だ、だめ……。な、なんか力が……ぬ、抜けちゃう……。あ、あんたって、こ、こんなに口づけがうまかったっけ……」

 

 たっぷりと魯花尚の口をむさぼってから顔を離すと、赤ら顔の魯花尚がぼうっとした表情で李忠を見つめてきた。

 そんな初心な反応が嬉しくなり、李忠はさらに畳みかけてやろうと思って、魯花尚の剥き出しの乳房に顔を近づけ、軽く片側の乳首に口づけをしてから、勃起している乳房の先端の突起を口に含んだ。

 

「あっ、そ、そんな……」

 

 魯花尚が李忠の腕の中でびくりと身体を跳ねさせた。

 まるで、初めて肌を合わせるような魯花尚の反応だ。

 もちろん、李忠と魯花尚は、初めて抱き合うわけではない。

 魯花尚の淫情の発作が起きるたびに、魯花尚を抱いては精を注いでいるから、十日に一度、最近では、さらに頻繁な間隔で、李忠は魯花尚と抱き合っている。

 

 それにもかかわらず、李忠はまるで初めて魯花尚を抱くときと同じような緊張を味わっていた。

 李忠がそんな感情に襲われるのは、魯花尚の羞恥と緊張が接触している肌を通じて伝わってくるからだろう。

 李忠にとっては初めてではない魯花尚との情交も、淫情の発作がない状態で李忠に抱かれるのは魯花尚は初めてなのだ。

 まるで、初めて性交をしようとする娘のように、魯花尚が恥ずかしそうに李忠と愛を交わそうとするのが、心の底から李忠は嬉しかった。

 李忠は、口に咥えた魯花尚の乳首を下先で転がし、さらに全体を舐めた。

 

「あ、ああ……」

 

 魯花尚の身体が小刻みに震えだして、李忠の背中を両手で掴むようにしてきた。

 李忠は魯花尚の乳房から口を離して、静かに魯花尚を寝具の上に押し倒した。

 

「なあ、魯花尚……」

 

 李忠は横たわった魯花尚の裸身に身体を添わせて、その顔を覗き込むようにした。

 

「な、なに……?」

 

「ありがとうよ、魯花尚……。一流の人間のお前が、俺みたいな二流の男を相手にしてくれてな……」

 

 魯花尚がこうやって、李忠を求めてくれたのは、女としての魯花尚が、少しは李忠と男として認めてくれたからだろう。

 魯花尚は女として大変な美女というばかりでなく、武芸において誰にも右に出ることを許さない達人だ。

 つまりは一流の人間だ。

 そんな魯花尚が、所詮は二流の男にすぎない李忠をこうやって相手をしてくれるのが本当にありがたかった。

 だが、そう言うと魯花尚は、一瞬驚いたような表情になり、すぐに頬を綻ばせた。

 

「あ、あんたは一流の男よ……。わたしこそ、あんたには感謝してもし足りないくらいに、ありがたいと思っているわ……」

 

 今度が魯花尚が李忠の首を掴んで口づけを求めてきた。

 李忠は魯花尚と口づけを交わし合いながら、魯花尚の股布の中に手を潜り込ませた。

 

「ふわあっ」

 

 魯花尚が艶めかしい声をあげて、身体を弓なりに反らせた。

 そのとき、魯花尚の嬌声に混じって、階下から悲鳴が聞こえた気がした。

 李忠は、魯花尚から素早く離れて身体を起こした。

 

「……ど、どうかしたの……?」

 

 魯花尚が呆けた顔を李忠に向けた。

 そのとき、はっきりとした悲鳴をもう一度聞いた。

 間違いない──。

 いまのは金翠蓮の悲鳴だと思う──。

 

「李忠」

 

 魯花尚も声をあげた。魯花尚は慌てて脱いだ服に手を伸ばしている。

 

「やっぱりか──」

 

 李忠は下着のまま靴もはかずに、剣を掴んで部屋を出て階段を駆けおりた。

 

「り、李忠さん、ぞ、賊が──」

 

 階段の下では金老と抱き合って蒼い顔をして抱き合っている金翠蓮がいた。

 部屋は荒れているが、店自体には賊はいない。

 ただ、入り口が壊されている。

 楊蓮の姿はない。

 

「どうした、金翠蓮?」

 

 李忠は怒鳴った。

 

「さ、三人の男が武器を持って。いきなり……。でも、すぐに逃げていきました……。よ、楊蓮さんが追っていって……」

 

 金翠蓮が震えながら言った。

 李忠は、店の外に飛び出した。

 離れた場所で楊蓮が五人くらいの賊徒に囲まれているのが見えた。

 金翠蓮は店を襲ったのは三人と言っていたので、さらに増えているようだ。

 李忠はそこに向かおうとした。

 そのとき、反対方向から闇の中で風を切る音がしたような気がした。

 李忠は地面に転がり避けた。

 たったいままで李忠がいた場所に矢が二本刺さった。

 

「李忠──」

 

 後ろから魯花尚の悲鳴がした。

 李忠は転がりながら魯花尚を確認した。

 魯花尚は店の前に立ち、自分に向かって襲ってきた矢を剣で斬り落としていた。

 素足に貫頭衣という格好だ。

 李忠にはもう矢は飛んできていない。

 

 どこにいるかわからないが、闇の中に弓矢を持った人物がどこかに潜んでいて、灯りのともった店から出てくる者を狙う射ちしているのだと思う。

 それでいまは魯花尚を攻撃したのだろう。

 また、楊蓮と戦っていた五人はすでに逃げる態勢になっていて、楊蓮が罵りながらさらに追いかけていっている。

 

「こっちは任せて──」

 

 魯花尚が楊蓮とは反対側の方向に駆けた。弓を射た別の賊の方に走ったようだ。

 

「うわああっ」

「きゃあああ」

 

 そのとき、店側から金老と金翠蓮の絶叫がした。

 李忠は慌てて店に戻った。

 店の中で炎の塊りが燃えていた。どうやら横の窓から店の中に、油を浸み込ませた布の塊りを投げ込まれたようだ。

 それが大きな炎と煙をあげて燃えている。

 だが、まだ店自体には引火していない。

 ただし、店の中では大きな炎のために黒い煙が充満している。

 

「落ち着け、近づくな」

 

 李忠は叫ぶと、布の塊りを素足のまま店の外に蹴り飛ばした。

 李忠はもう一度店の外に出た。

 そのとき、黒い影が店の裏から路地に向かって駆け去るのを見つけた。

 その人間が店に火をつけようとしたに違いない。

 

「畜生──、待ちやがれ──」

 

 李忠は追いかけた。

 だが、辻を四つくらい追ったところで見失ってしまった。

 李忠は追撃を断念した。

 

「李忠……」

 

 魯花尚の声がした。前の方から魯花尚が歩いてきた。

 

「ごめん、逃がしたわ」

 

 魯花尚は剣を抜いたままだ。

 どうやら弓を射た者を追いかけたものの、やはり逃がしてしまったようだ。

 

 李忠は、魯花尚にあれからすぐに店の中に火が投げ込まれたことを告げ、怪しい者が逃げていかなかったかどうか訊ねた。

 魯花尚は目を丸くしながら、魯花尚が追いかけた者以外に怪しい者には気がつかなかったと答えた。

 ここは街道から少し外れた小路だ。

 路地に入り、街道の方向に逃げたのだろう。

 

「昼間、楊蓮に殴られたことを根に持った二竜山の賊徒の仕業に決まっているけど、そこまでやる?」

 

 魯花尚は言った。

 

「とりあえず、店に戻ろう」

 

 李忠は言った。

 そのとき、少し距離が離れていた店の前から、複数の騎馬が駆け去るのが見えた。

 さっきまで、店の近くには、騎馬の気配などなかったから、どこかに隠れていたのだろうか……?

 李忠は焦った。

 

「ま、待て──」

 

 李忠は再び走った。

 駆け去った騎馬に跨った賊徒の中に、白いものを乗せている騎馬がいたように見えたのだ。

 その騎馬の連中は、真っ直ぐに街道に向かって消えていった。

 

「金老──」

 

 店に入ると、真っ蒼な顔で店の床に跪いている金老がいた。

 

「あっ、李忠さん……。たったいま、別の賊徒が金翠蓮をさらって……」

 

 金老が叫んだ。

 李忠は舌打ちした。

 どうやら、それが最初から連中の狙いだったようだ。

 最初に襲撃したり、あるいは店に火を放り込んだりした者は、李忠たちを店から離すための囮だったのだろう。

 そうやって、自分たちを店から離れさせて、店から金翠蓮を連れ出したのだと思った。

 だが、なんで金翠蓮を……?

 とにかく、李忠は裏の納屋に走った。

 そこに荷駄馬車を曳かせるための馬がいるのだ。

 

「あっ──」

 

 だが、納屋を見て、李忠は声をあげた。

 馬は毒かなにかを口にさせられたらしく泡を吹いて倒れていた。

 どうやら気を失っているようだ。

 仕方なく、もう一度店の前に戻った。

 

「だ、旦那様、金翠蓮が連れて行かれたって?」

 

 楊蓮がそこにいた。

 

「ああ、お前は大丈夫だったのか、楊蓮?」

 

「わたしはなんともない……。五人いたが全員を叩きのめした。そのとき、ひとりを締めあげて襲撃の理由を訪ねたら、昼間に仲間を殴った店の女を見せしめにさらっていくという囮の策だと洩らしたので、その連中は放り出して慌てて戻ってきたのだ……」

 

「囮の策?」

 

 李忠は舌打ちした。

 

「そうだ。どうやら、二竜山の頭領の指示らしい。金翠蓮が連れて行かれたのは、わたしの身代わりだと思う」

 

 楊蓮が早口で言った。

 李忠は頷くと、騎馬の駆けていった街道を走って全力で追いかけた。

 追いつくわけもないが、もしかしたらと思ったのだ。

 しかし、街道に出てみたものの、すでに駆け去っていて騎馬の気配もない。

 それでも二竜山の方向に追いかけてみた。

 

 すると、しばらく行ったところで道の真ん中になにかが落ちていた。

 駆け寄ると、金翠蓮が着ていた下袍(かほう)だった。

 茫然とそれを拾いあげると、少し先に、また布が落ちていることに気がついた。そこまで進むと、今度は金翠蓮の着ていた上衣だった。上衣は袖の部分がなく、またびりびりに破けていた。

 かっとなった。

 連中は馬に乗せた金翠蓮の服を破り捨てながら逃げていったのだ。

 李忠は、はらわたが煮え返るのを感じた。

 

「李忠──」

「旦那様──」

 

 魯花尚と楊蓮がやってきた。

 金翠蓮の着ていた服を持って立っている李忠を見て、ふたりが心配そうな声をあげた。

 

「……畜生……。連中、ただで置かねえ……。魯花尚、楊蓮、明日になったら、二竜山に乗り込むぞ……。金翠蓮を奪い返すんだ。そして、金翠蓮に手を出した二竜山の連中は、どいつこいつも斬り殺してやる……」

 

 李忠ははっきりと言った。

 

 

 *

 

 

 明け方が近くなっていた。

 二竜山の連中が楊蓮にやられた腹癒せに、夜中に料理屋を襲って金翠蓮を連れ去ってから数刻がすぎている。

 騒動に驚いて集まった近所の住民にも、やっと戻ってもらい、いまは料理屋の一階で李忠は、魯花尚、楊蓮、金老とともに一個の卓を囲んでいた。

 

「これが二竜山だ。急峻な地形に囲まれた天然の要害だな。かつて、青州が一個の国だった頃には、ここは軍の守備隊の山城があった場所でもある。帝国が青州にあった王国を潰したときに廃城になったが、二竜山に巣食った賊徒がそれを建て直したのだ」

 

 李忠は卓の上に拡げた要図を拡げて説明した。

 この数日、李忠は本気になって、二竜山をはじめとして、清風山と桃花山の三個の大きな賊徒について調べていた。

 どの賊徒が一番生き残る可能性が高く、李忠たち三人を高い評価で受け入れてくれるかどうかを見極めようしてしていたのだ。

 

 呉瑶麗(ごようれい)を目の仇にしている高俅(こうきゅう)によって、その呉瑶麗の暗殺を邪魔したということで、似顔絵付きの手配書を回されただけでなく、高額の賞金を懸けられてしまった李忠と魯花尚は、いよいよ行動に窮することになり、それでいっそのことどこかの賊徒団に身を寄せることを考えていたのだ。

 だが、賊徒に身を寄せるといっても、官軍の討伐で簡単に負けてしまいそうなところでは仕方がないし、できれば民衆に迷惑をかけないような義賊を称しているところがいい。

 だから、いろいろと調べまわったのだ。

 

 まだ調べ始めてから日が浅いために十分とはいえないが、その調査がかたちを変えて生きることになった。

 李忠は、金翠蓮をさらっていった二竜山の賊徒団に本気で殴り込みをかけるつもりだ。

 そして、金翠蓮を取り返すと決心している。

 命懸けの仕事だが勝算はある。

 そう思っている。

 

「よく調べたわね、李忠……。それで、二竜山には、どのくらいの賊徒が集まっているの?」

 

 魯花尚が肩を竦めた。

 

「およそ三百と言われているな。それだけじゃなく、武器も食糧も金子もしこたま貯め込んでいるらしい。いっそこのこと、そこを奪ってやろうじゃねえか。そして、義賊の旗を掲げるんだ。そうすりゃあ、俺たちみたいに行き場のない者が大勢集まるさ」

 

「旗を掲げる?」

 

 魯花尚が眉をひそめた。

 

「ああそうだ。俺の見立てじゃあ、二竜山はもっと人が集まれる。ただ、いまの二竜山は、非道はするわ、乱暴はするわで、身を寄せようにも、その評判を嫌って人は集まってねえ。だが、義賊の旗をあげて、民百姓に迷惑はかけねえと宣言すれば、どんどんと人は集まるはずだ。すると、さらに官軍は討伐をしにくくなる……」

 

「成る程ねえ」

 

 すると、魯花尚が考え込むような顔になった。

 李忠は、そんた戯言はただの軽口だとわかっているはずなのに、なぜか深刻に受け取った感じの魯花尚が面白いと思った。

 

「まあ、そうなれば、招安(しょうあん)という芽も出てくる。罪は許されて、またきれいな身体さ。そのまま役人でも軍人にでもなってもいいし、適当なところで逃げ出して、また三人で風来をしてもいい。どうだ? いい考えと思わねえか?」

 

 李忠はわざと陽気に言った。

 もちろん、それが夢物語を喋っているのはわかっている。

 だが、軽口でも言わなければ、たった三人で三百人の乱暴者の賊徒が集まっている山塞を襲撃するなど、恐怖で押し潰されそうなのだ。

 

 しかし、そう語った後、恐怖で緊張しているのは、李忠と金老だけだと気がついた。

 金老はがたがたと蒼い顔をして震えているが、魯花尚と楊蓮はむしろ平然としている。

 それどころか、ふたりの女はすっかりと戦う者の眼になっていて、眼の光が猛々しい。

 李忠は、このふたりの落ち着きと覚悟が羨ましくなった。

 

「招安か。なるほど、それもいいな、旦那様。さすがは旦那様だ」

 

 楊蓮が言った。

 招安とは、賊徒などまとまって罪を許され、国に仕えることだ。

 賊徒は無論、罪人だ。

 その罪を不問にして、しかも、国や地方政府に取り込んでしまうというのだから、政事としては混乱するが、討伐をするよりは楽だということで、帝国の歴史でも何度も行われている。

 実際のところ、最近では成長して巨大になった賊徒は、討伐をせずに招安で取り込んでしまうということが多発している傾向もある。

 李忠が話しているのは、満更ほら話でもないのだ。

 

「……招安でもなんでも結構だけど、捕らぬ狸の皮算用は後にしましょう。わたしたちが、金翠蓮を取り戻すために二竜山を乗っ取るには、まずは、あそこに立てこもっている三百人の賊徒を退治しなければならないのよ」

 

 魯花尚が苦笑している。

 

「そうだな。それが問題だ……。確か、北州本軍と管轄の泰安(しんあん)軍の連合軍で半年ほど前に、一千で攻めているが失敗している。これを三人でとなると、かなり大変だな」

 

 楊蓮だ。

 

「当たり前だ。一千が三千でも攻めきれねえよ、山塞にあがるまでの経路は急峻で狭い谷道が一本しかない。そこに大きな門がふたつあって、それを閉じられてしまえば、どんな大軍でも攻められねえ。それで、そのときの討伐は攻めあぐねたんだ」

 

「へえ……」

 

 魯花尚が李忠の言葉に感心するような響きを発した。

 この魯花尚ほどの女が、李忠に対してちょっと感心しているとすれば、李忠としても心がくすぐられたようで気持ちいい。

 

「それに連合軍だから駄目なんだ。城郭軍の指揮官と北州軍の指揮官がお互いに功を争って足を引っ張り合った。挙句の果てに、大軍の兵糧を近傍の農村から略奪まがいの調達をしたりして、結局、泣いたのは民衆さ。いずれにしても、まともに攻めても無駄だ」

 

 李忠は卓の上にある要図を示しながら説明した。

 だが、李忠の言葉に魯花尚が不審な表情を見せた。

 

「あんたって、やけに軍の作戦について詳しいわね、李忠。そういえば、この略図だって、ちゃんと訓練を受けた者の仕事みたいだし、もしかして、軍人だったこともあるの?」

 

「これでも経歴だけはたくさんあってな。所詮は二流の男だから、なにをやっても長続きしなかったけど、軍人だったこともあったんだぜ……。しかも、将校様だぞ。まあ、若いころの話だがな……。ただし、一年だけだ。上司の婚約者を寝取って、軍を逃げ出す羽目になっちまった」

 

 李忠は笑った。

 だが、李忠が将校だったこともあるという話に、楊蓮と魯花尚が驚いた表情になった。

 

「さて。じゃあ、策を説明するぞ。やるのは、この四人だ。四人だけで二竜山を制圧して金翠蓮を助け出す。言うまでもないが命懸けだ」

 

 李忠は真顔になった。

 

「あ、あの……。り、李忠よお……」

 

 そのとき、ずっと震えていただけだった金老が口を開いた。

 

「なんだ、金老?」

 

「そのう……。二竜山を襲撃する四人というのは、俺も入っているのか?」

 

 金老がおそるおそるという感じで言った。

 

「当たり前だろう。お前の娘だぞ、さらわれたのは……。まあ、楊蓮の身代わりになったようなものだから、俺たちに責任があるかもしれねえが、お前が頑張らなくてどうするんだ」

 

「だ、だが、俺はあんたらと違って弱いんだよ。武器だって握ったことない……。二竜山の賊徒なんかの山塞に殴り込んだりしたら、あっという間に死んでしまうよ」

 

 金老が震えながら言った。

 李忠は呆れてしまった。

 

「そのときは死ね、金老。まあ、いずれにしても、お前に武器を持って戦えなんて言いやしないよ。だが、一番、重要な役をやってしまう」

 

「お、俺が重要な役?」

 

「そうだよ。とにかく、聞け」

 

 李忠は改めて、全員を見回した。

 

「二竜山は要害だ。外から襲撃したんでは絶対に落ちねえ。ましてや、俺たちはこれだけしかいねえ。だから、策を弄する。策を弄して、内側に入ってしまう。中に入りさえすれば、俺と魯花尚と楊蓮で暴れて、鄧竜(とうりゅう)と名乗っている頭領を殺す。おそらく、頭領のほかに主立つ者を十数人も殺せれば、それで終わると思う」

 

「策を使って、内側に入るということか?」

 

 楊蓮が声をあげた。

 

「そうだ。とにかく、盗賊なんていう者は、所詮、意気地がねえからな。むしろ、度胸もねえし、根性もねえから、非道な盗賊団になんか入るんだ。だから、上が死んでしまえば、ほとんどの者はそれ以上戦おうとはしないはずだ。まあ、俺じゃあ駄目だが、魯花尚と楊蓮の武術は桁違いだ。お前らでなんとか、頭領を殺してくれ」

 

「へえ……。なるほど、中に入ってしまえば、確かに要害だろうとなんだろうと関係ないわね……。でも、どうやって中に入るの?」

 

 魯花尚が感嘆したように言った。

 

「それで金老の出番だ。金老は、俺たち三人を縄で縛って、荷駄馬車に乗せて連れていけ。俺たちのことは、実は店の二階に無理矢理に居座られて困っていたんだと説明しろ。そして、二竜山の者とも諍いを起こして、金翠蓮を連れて行かれたのに、悪びれもせずに、今度は二竜山を襲撃するとか息巻いたのだとな。だから、腹が立って、眠り薬を酒に仕込んで飲ませて、縛って連れてきたと言うんだ」

 

「俺がそれをやんのか?」

 

 金老は半分泣きべそだ。

 

「そうよ。しっかりやれよ……。とにかく、金老は、俺たち三人の身柄と引き換えに、金翠蓮を返してくれと泣いて頼め。おそらく、連中は俺たち三人を砦の内側に入れるだろう。俺たち三人が夕べ、襲撃隊と戦ったことは知っているし、連中が本当に仕返しをしたいのは、楊蓮だしな。ついでに、肉でも、酒でも、ありったけの土産を荷駄馬車に積んでいけ。金翠蓮を返すとともに、もう店を襲わないで欲しいと頼み込んだ、金老。そうすれば、十中八九、連中は荷駄馬車ごと、お前を山塞に入れるよ」

 

 李忠は言った。

 楊蓮が膝を叩いた。

 

「なるほど。だが、縛られているというのは見せかけで、本当はすぐに解けるようにしておくと言うのだな。武器は金老殿が持っていて、渡してくれればいい。いや、いざとなったら、武器などなくても奪えばいい。妙案だ、旦那様。素晴らしい」

 

 楊蓮が膝を叩いた。

 

「よせよ……。照れるじゃねえか。いずれにしても、こうしているあいだにも、金翠蓮が酷い目に遭っているかもしれねえ。早速、支度をしようぜ」

 

 李忠は言った。

 全員がうなずいた。

 

「それにしても、あんたって、本当になかなかの策士なのね……。盗賊団の性質も詳しいし、もしかして、むかし軍人だったというだけじゃなくて、盗賊団にもいたなんて言わないわよね?」

 

 魯花尚が圧倒されたような表情で言った。

 

「もちろん、いたぞ。しかも、二回だ。二回目は海賊だ。南州の海を荒らした海賊に加わってた。残念ながら、海軍に船を沈められたがな」

 

 李忠は冗談っぽく片目をつぶって見せた。

 ほかの三人が驚いた表情になった。

 そのとき、厨房の方から急に物音がした。

 

「聞いたぞ、聞いたぞ。二竜山乗っ取りの計略。こんな面白い話は初めてだ。あの無法者の集団をその四人で奪い取るなんてね。これは絶対に、ぼくも加わらせてもらいますよ。断っても一緒にいく。こんな愉快な騒動に加わらないなどあり得ない」

 

 厨房から現れたのは、ひとりの美形の若者だった。

 頭を青色の布で覆っていて、具足こそないが軍装に近い服装であり、なんとなく傭兵を思わせた。

 

 李忠は呆気にとられた。

 だが、この美青年には見覚えがある。

 李忠がここにやってきて五日のうち、三日くらいは店の客として、夜に酒を飲みにひとりでやってきていた。

 李忠も少しだけ語ったが、この辺りの者ではなく、こっちには、しばらく前から滞在しているだけだと話していたと思う。

 それ以外に覚えていることはない。

 

「あ、あんた……確か……、花瑛(かえい)さん……」

 

 金老が困惑した声をあげた。

 そういえば、そんな名だった。

 それにしても、李忠もびっくりした。

 いつから厨房に潜んでいたのか知らないが、まったく気配に気がつかなかったのだ。

 

「何者?」

 

 しかし、魯花尚はすでに腰の剣を抜いている。

 楊蓮も剣の柄に手をやって、花瑛を油断なく睨んで身構えた。

 このふたりは、花瑛には記憶はないようだ。

 

「ま、待った、待った……。待ってよ。ぼくを殺そうというの? やめときなよ。これでも腕に覚えはあるんだ。それよりも、ぼくも襲撃に加えてよ。あの二竜山の無法ぶりには腹がたっているんだ。ぼくの得意は弓さ……。ねえ、どうか、ぼくも二竜山の襲撃に参加させておくれよ」

 

「えっ、あんたを?」

 

 不審そうな声をあげたのは魯花尚だ。

 李忠は黙っている。

 

「金老の雇った人足ということにすればいい。第一、金老ひとりで、三人も捕えたなんて少し怪しいよ……。でも、ぼくもいれば、格好はつくじゃないか。金老が荷駄馬車を操って進むんなら、荷台に捕えているあんたたちの見張り役くらいいないと、いかにも不自然だよ」

 

 花瑛は言った。

 それは一理ある。

 李忠は思った。

 

 それに、この花瑛の身のこなしは、武芸の修業をきちんとした者に間違いない。

 腕に自信があるというのは本当だろう。襲撃するのは多い方がいいに決まっている。

 問題は、この花瑛が何者で、そして、信用ができるかどうかだ。

 まさかとは思うが、この花瑛が実は二竜山の息のかかった者で、ひそかに李忠たちを見張っていたとも限らないのだ。

 

「さっきのわたしの質問に答えなさい。あんたは何者なの? なんで、この店に侵入したのよ? もしかしたら、二竜山の者でわたしたちのことを見張っていたんじゃないの?」

 

 魯花尚が剣を抜いたまま言った。やはり、魯花尚も李忠と同じ疑いを抱いたようだ。

 

「ねえ、金老、説明してよ。ぼくは怪しい者じゃじないってね」

 

 花瑛が人懐っこい笑みを浮かべながら、金老に視線を向けた。

 

「……魯花尚、この人は一箇月前くらいからうちに通ってきてくれている人だ。確か青城(せいじょう)の城郭から親類の見舞いにやってきたのだそうだ。この店の向かいの宿屋で寝泊りしているらしい」 

 

 金老が言った。

 

「青城だと?」

 

 李忠は言った。

 

 青城の城郭といえば、同じ青州だが、ここから近い泰安の城郭からだと、二竜山や清風山を挟んで反対側の位置になる。

 それはともかく、一箇月前からこの店に出入りしていたのだとすれば、二竜山の手の者である可能性は低い。

 そんなに以前から二竜山がこんな小さな料理屋を見張る必要は皆無だ。

 

「なぜ、お前は厨房に潜んでいたのだ?」

 

 楊蓮が訊ねた。

 

「ここが二竜山の連中の襲撃を受けたので、心配になってやってきたんだ。すると、聞くともなく、なにやら面白そうな話をしているのが店の外から耳に入ってきたんでね。それで裏に回って、勝手口から入り込んで、立ち聞きしていたんだよ。ねえ、いいじゃないか。ぼくだって、金翠蓮のことは心配なんだ。君たちの襲撃計画に加えておくれよ」

 

 花瑛は言った。

 李忠は嘆息した。

 

「まあ、人手は欲しいところだが、なんのためについてくるんだ? 言っていくが、俺たちは命懸けで行くんだ。にこにこと物見遊山で行くわけじゃねえぞ」

 

「わかっているよ……。でも、きっとうまくいくと思うよ。李忠さんの計画は、実に面白くて、独創的な策だ……。それに、昨夜の襲撃のときに、魯花尚さんや楊蓮さんの腕は確かめさせてもらった。大した腕だよ。とても女とは思えない。ふたりが何者かは、ぼくも知らないけどね……。実は、昨夜は、あの騒動に目が覚めて、宿屋の二階から見てたんだよ」

 

「見てた?」

 

 李忠は声をあげたが、よく考えれば見ていたのは当たり前だ。あれだけの騒ぎになったのだ。気がつかずに眠っていたという方が不自然だ。

 

「うん。もしも、そのときに、君たちだけではなく、ぼくも対応していれば、金翠蓮をさらわれなくて済んだと思う。ぼくには弓もあったのにね。だから、その罪滅ぼしもしたいのさ」

 

「だったら、義侠心だけで、この二竜山襲撃に命懸けで参加するというのか?」

 

「その通りだよ、李忠さん。さあ、握手をしようよ。ぼくは命懸けで遊ぶのが好きなんだよ。もちろん、一緒に戦いたいのは義侠心だよ。まあ、報酬がいらないとは言わないけどね……。でも、それは策がうまくいってからの話にしようよ」

 

 魯花尚がまだ不審な表情ながらも剣を鞘に収めた。そして、李忠に視線を向けた。

 判断を李忠に任せるということだろう。

 

「わかった。じゃあ、あんたにも協力してもらう。だが、これだけは言っておく。戦闘になれば、俺たちはあんたに構っていられない。万が一、お前が危なくなっても助けねえ。それでもいいか?」

 

 李忠は言った。

 どうも怪しすぎるが、確かに腕に覚えがあるなら一緒に来て欲しい。なにしろ、相手は三百人だ。

 三人よりは四人がいいに決まっている。

 

「いいよ……。ぼくのことは、ぼくが守る。じゃあ、決まりだ。さっそく、準備をして出発しようよ。金翠蓮のことが心配だ」

 

 花瑛がにこにこと右手を出した。

 李忠はその手をしっかりと握った。

 

「それから、最初に遭った人のほとんどは、ぼくのことを誤解してしまうから言っておくね。ぼくは女だから」

 

 握手をする手を離した花瑛が、自分の胸に指をやって乳房の部分を服の上からなぞるように円を描いた。

 

「ええええ?」

 

 李忠だけでなく、部屋にいた四人が一斉に声をあげた。



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70  孫ニ娘(そんじじょう)金翠蓮(きんすいれん)に同情し昔話をする

「いやああ、いやあ、あああ」

 

 金翠蓮(きんすいれん)は泣き叫んだ。

 だが、男たち数人掛かりで裸の身体を押さえつけられては、金翠蓮にはどうすることもできない。

 金翠蓮は無理矢理にうつ伏せにされ、肩口を床に押さえ込まれて、尻だけを高く掲げた格好で固定された。

 

「そろそろ、準備ができたようだな」

 

 その金翠蓮の背後に、二竜山の頭領が立ったのがわかった。

 

「いやああ──。本当にいやああ──誰か、誰か助けて──。ああああ、いやあああ──」

 

 金翠蓮は絶叫した。

 二竜山の賊徒たちの山塞だった。

 大勢の襲撃者に店を襲われて、金翠蓮はこの山塞に連れ込まれた。

 最初は、どうしてこんなことになったのか、金翠蓮にはさっぱりとわからなかった。

 

 突然のことだった。

 店が終わった直後の夜中に、数名の襲撃者が金翠蓮と金老(きんろう)がやっている料理屋を襲撃したのだ。

 しかし、店の中には楊蓮(ようれん)もいたし、二階には李忠(りちゅう)魯花尚(ろかしょう)もいた。

 すぐに襲撃者は逃げていき、李忠たち三人は、それを追いかけていった。

 

 三人が襲撃者を追いかけて、それぞれに店から離れていった直後だった。

 どこかに隠れていたらしい十名くらいの別の賊徒が、金翠蓮と金老しか残っていなかった店に飛び込んできたのだ。

 そして、金翠蓮のことをさらった。

 すぐに馬に乗せられ、そのままどこかに金翠蓮は連れて行かれた。

 金翠蓮はひとりの男の操る馬に抱えられて運ばれたのだが、その男が面白がって、騎馬の上の金翠蓮から服を一枚一枚引き破って脱がせながら裸にした。

 金翠蓮は泣き叫ぶだけで、抵抗などできなかった。

 

 やがて、騎馬の一団が到着したのが二竜山だった。

 二竜山のことは知っていた。

 情け容赦のない怖ろしい賊徒であり、近傍の農村や隊商などを襲っては、略奪の挙句に殺すということを繰り返していた。半年前に官軍が討伐のために山を攻めたが、攻略することできなかった。

 それから、二竜山の悪行はさらに酷いものになっていっていた。

 頭領の名は鄧竜(とうりゅう)だ。

 その二竜山の賊徒に捕らわれた。

 それがわかっただけで、金翠蓮は震えが止まらなくなった。

 

 二竜山に到着したのはまだ夜であり、全裸のまま牢のような場所に放り込まれた。

 そして、明るくなると、数名の男が迎えにきて、この大きな木造の建物の中に連れ込まれたのだ。

 そこにいたのは、頭領の鄧竜と、その取り巻きたちだった。

 

 鄧竜は建物の外から二名の男を呼び、金翠蓮の顔を見させた。

 現れたのは、このところ時々料理屋にやってきては無銭飲食を繰り返していた男たちであり、昨日の昼間、楊蓮に手を出して殴られたふたりだ。ふたりは怪我をしていたが、金翠蓮を見て、すぐに「違う」と声をあげた。

 

 このときやっと、金翠蓮はふたりに怪我をさせた楊蓮の代わりに、自分が連れてこられたのだと悟った。

 鄧竜は舌打ちをして、その場にいた金翠蓮をさらった男たちを叱ったが、折角だから犯しておこうと言って、金翠蓮を部下に押さえつけさせたのだ。

 金翠蓮は泣き叫んだが、鄧竜の命令で尻をあげた格好でうつ伏せにされ、左右から股間を弄られた。

 泣き叫びながらも、股間を刺激されて金翠蓮の身体は、だんだんと女の反応を示しだした。

 そして、いま、おもむろに鄧竜が立ちあがって、金翠蓮の背後に立ったところだ。

 

「いやああ──。本当にいやああ──。許して、許してください──。あ、あたしには好きな人がいるんです──。いやあああ──」

 

 金翠蓮は懸命に声をあげた。

 好きな人というのは李忠のことだ。

 

「好きな人か。恋人のいる女を犯すというのはいいな。どれ。俺の珍棒とどっちが気持ちいいか味わってみよ」

 

 しかし、鄧竜は金翠蓮の抵抗にせせら笑うだけだ。

 そして、股間の亀裂に大きな亀頭を押し当てられた。

 

「いやああ」

 

 複数の男たちの刺激で濡れさせられた女陰に鄧竜の太い肉棒が打ち込まれた。

 李忠のものにしてもらった身体を今日初めて会った賊徒の頭領に無常に犯される。

 金翠蓮の眼から涙がこぼれた。

 鄧竜の肉棒は、李忠のものよりも遥かに大きくて長かった。

 

「うう……うう……うう……」

 

 律動が始まった。

 だが、抵抗しようにも、金翠蓮はぴくりともできないくらいにしっかりと左右から身体を押さえこまれている。

 

「んくうっ……はああ……」

 

 それほど時間が経たないうちに、自分の声が喘ぎ声に変わったのがわかった。

 肉棒で女陰を擦られて拡がる疼きが全身に広がっていく。

 李忠でない男に犯されて快感を覚えている。

 そのことに金翠蓮は愕然とした。

 

「いやあああ──。李忠さん、李忠さん──」

 

 金翠蓮は暴れた。

 このままでは気をやりそうだった。

 それだけは死んでも嫌だった。

 もしも、気をやれば、その場で舌を噛んで死のうと思った。

 

「いきのいい娘だ」

 

 だが、鄧竜はその金翠蓮の抵抗が愉しいようだ。

 さらに、かさにかかって金翠蓮の股間を突いていくる。

 全身に快感が拡がるのがわかった。

 

 いきたくない。

 まるで獣にでも犯されているように気持ち悪かった。

 それなのに、身体はしっかりと快感を覚えている。

 金翠蓮は泣き叫んだ。

 

「おお、締めつけやがる」

 

 そのとき、鄧竜が呻くような声をあげた。

 唐突だった。

 金翠蓮の膣の奥で鄧竜が精を放ったのがわかった。

 汚された……。

 金翠蓮の心に絶望が襲った。

 前に鎮関西(ちんかんさい)に犯されたときとは違う……。

 あのときは、まだ金翠蓮は李忠のものではなかった。

 しかし、いまは……。

 

 鄧竜が金翠蓮の股間から怒張を抜いた。

 部下たちが手を離し、金翠蓮は放り投げるように床に投げ捨てられた。

 

「さて、こいつをどうするかな……? 折角だから、ここにいる全員で輪すか?」

 

 鄧竜が値踏みをするように、金翠蓮を見ながら言った。

 金翠蓮は恐怖でがたがたと身体が震えるのがわかった。

 

「ちょいとお待ちよ、あんた。まだ、年端もいかない娘じゃないかい。だいたい、裸ん坊にして馬に乗せてきたりして、随分と身体も弱っているよ。こいつをどう扱うにしたって、ちょっと休ませなきゃ駄目さ。病気になったりしたら、売り飛ばすにしても、それだけ大損だよ。ましてや、輪姦なんてやめなよ。壊して終わりじゃないかい。精を放つ商売女は、またあたしが連れてくるよ。ここは自重しなよ」

 

 そのとき、部屋の隅から女の声がした。

 金翠蓮は顔をあげた。

 端正な顔をした女が部屋の隅に腕組みをして立っている。

 

「それもそうだな……。じゃあ、孫ニ娘(そんじじょ)、こいつを檻に入れておけ。奴隷として売るか、それともここで幹部の性便所にするか、あるいは俺専用の妾にするかは、夜にもう一度味わってから決める」

 

 鄧竜が怒鳴った。

 

「あいよ。おいで、お前」

 

 すると、孫ニ娘と呼ばれた綺麗な顔をした女が無表情で金翠蓮のそばにやってきた。

 金翠蓮はその孫ニ娘から片腕を掴まれて無理矢理に立たされた。

 裸体は孫二娘が準備していたらしい毛布に隠してもらう。

 孫ニ娘は綺麗な女性だった。

 

「……いいからおいで……。とにかく、あたしが悪いようにはしないよ……。なあに、こいつらなんて、いい加減だから、時間が経てば、すぐに忘れちまう。とにかく、数日は犯されるのは我慢しな……。後は、あたしが、なんとかするから……」

 

 孫ニ娘が金翠蓮を部屋の外に急かすように連れ出しながら、耳元でささやいた。

 そして、その孫二娘に連れられて、建物の外に出される。

 さらに、砦の広場のような場所を通り抜けて、砦の奥側の一角まで連れて行かれた。

 金翠蓮が連れて行かれたのは、周りの建物からは離れている薄暗い小屋だった。

 中に入ると幾つかの鉄格子のついた数個の檻が、中央に離れた状態で並べられていた。

 檻に入っているのは誰もいない。

 ただ、看守のような男がふたりいる。

 

「お前たち、手を出すんじゃないよ──。大事な獲物なんだからね──」

 

 孫ニ娘は、ふたりの男にそう言い残してから、どこかに立ち去ってしまった。

 

「じゃあ、大人しく入ってな」

 

 ふたりの男は、孫ニ娘が完全に立ち去るのを待ってから、一番手前の檻を開いた。

 鉄格子は高さは低く、中に入ってしまえば屈むことくらいしかできないほどだ。

 また、手足を伸ばして横になることも不可能だ。

 おそらく、これは本来は、大型の獣用の檻に違いなかった。

 

「おう、その前に手枷をつけておこうぜ」

 

「そうだな」

 

 無理矢理に押し込まれそうになった金翠蓮の両手を男たちが掴んで、強引に背中側にねじあげた。

 

「きゃあああ──。や、やめてください──。な、なんで拘束されないとならないんですか──」

 

 金翠蓮は悲鳴をあげた。

 だが、男ふたりの力にかなうわけもなく、金翠蓮は簡単に背中側で手錠を両手首にかけられてしまった。

 しかも、そのときに毛布が身体から外れて、ばさりと足元に落ちてしまったのだ。

 金翠蓮はさらに悲鳴をあげたが、後手に手錠をかけられていては、毛布を拾うこともできない。

 そして、そのまま檻の中に押し込まれた。

 入口の鍵がかけられる。

 

「ほら、水だと餌だ──。喰っておきな」

 

 金翠蓮を閉じ込めると、ふたりの看守は檻を鉄格子越しに覗き込むようにして金翠蓮の裸身を眺める態勢になった。

 そして、ひとりが檻の下にある小さな扉から、水と食べ物の入った皿をふたつ差し入れた。

 金翠蓮は、それを一瞥して首を横に振った。水は随分と汚れていて泥のようなものが少し入っていたし、食べ物の方は米と野菜屑をぐしゃぐしゃに混ぜたものであり、男たちが言うとおり、「餌」という感じだった。

 

「い、いりません……。こ、こんなのあんまりです」

 

 金翠蓮は後手に拘束された身体を小さくしながら、唇を震わせた。

 無遠慮に覗き込む男たちの視線から裸身を隠したいのだが、小さな檻の前後から張りつくように見られては、どちらに身体を向けても男たちに裸身を晒すしかない。

 金翠蓮は、それでも片膝を立てて、懸命に身体を男たちの卑猥な視線から守ろうとした。

 

 だが、そのとき、金翠蓮は新たな困惑にも襲われ始めた。

 急に尿意を覚えてきたのだ。

 さっき、孫ニ娘と一緒に歩いてきたときに頼めばよかったと後悔したが、後の祭りだ。そのときは、まだ犯されたばかりであり、気も動転していて、そんなこと考えることもできなかったのだ。

 

「おい、孫ニ娘さんから禁止されているから手は出さねえが、見るくらいはいいだろう。股ぐらをがばっと開いて、あんたの道具を見せてくれよ」

 

「ちょっとばかり、胸を揉ませてくれたら、少しは上等の食事に変えてやるぜ」

 

 すると男のひとりが鉄格子の隙間から棒を差し込んで、金翠蓮の身体の下腹部付近を狙って突いてきた。

 金翠蓮は悲鳴をあげて反対側に逃げた。すると、そこに待ち受けていたもうひとりの男が格子の外から手を差し入れて、乳房を握りしめてきた。

 

「いやああ」

 

 金翠蓮は慌ててその手を振りほどいて、反対側に逃げる。

 すると、もうひとりが鉄格子に手を入れて尻を触ってくる。

 しばらく、そうやって悪戯された。

 鉄格子の四隅のどれかに寄れば、そこにすかさず男たちのどちらかが手を入れて身体を触ってくる。だからといって、中央に逃げれば棒で突かれる。

 

 しかも、そうやって狭い檻を屈んで逃げ回るうちに、だんだんと尿意も強くなっていく。

 ついに金翠蓮は我慢できなくなって、小用をさせて欲しいと哀願した。

 男たちはげらげらと笑いだした。

 

「これにしな」

 

 水と食事を入れたのと同じような底の深い皿を放り込まれた。

 

「そ、そんな、あんまりです」

 

 金翠蓮は泣いてしまった。

 だが、そこにしないのなら、皿を引きあげると言われては従うしかなかった。

 いずれにしても、尿意はもう限界だ。

 金翠蓮は放り入れられた皿を跨いだ。

 

「お、お願いです。み、見ないで……」

 

 しかし、男たちは笑うばかりで、屈んだ金翠蓮の正面から離れようとしない。

 金翠蓮は諦めて股間を緩めた。

 ぴったりと閉じた太腿の奥から一本の尿が皿に落ちだした。

 

「ほれよ」

 

 ところが、その途中で男のひとりが棒を鉄格子に差し入れて、さっと皿を横にずらしたのだ。

 

「な、なにをするんですか──」

 

 金翠蓮は狼狽して悲鳴をあげたが、一度始まった尿は途中で止めることなどできない。

 しかも、排尿はさらに勢いを増して、奔流となって飛び散り始めているときだった。

 慌てて腰を浮かせて移動した皿の位置に腰を動かす。

 そんな金翠蓮の惨めな姿に、男たちが鉄格子の外で笑い転げている。

 

 結局、尿の半分以上は、皿の外にこぼれてしまった。

 金翠蓮は、もうなにも考えることができずにむせび泣いた。

 しかし、その金翠蓮に向かって、また男たちは棒で股間を狙って突き始める。

 金翠蓮は泣きながら檻の中を逃げ回った。

 

「なにやってるんだい、お前ら──?」

 

 そのとき、小屋の入口に孫ニ娘がやってきて、凄い形相で男たちを一喝した。

 そして、つかつかと大股でやってくると、男たちを立たせて鍵束を取りあげると、いきなりその頬に一発ずつ平手打ちをした。

 

「手を出すなと言っただろうが──。もういい。ここはあたしが見張る──。お前らは行け──」

 

 孫ニ娘が怒鳴った。

 ふたりの男たちは、すごすごと、どこかに立ち去って行った。

 とりあえず、金翠蓮はほっとした。

 

 孫ニ娘は、金翠蓮の小屋の状況を一瞥して舌打ちすると、檻の鍵を開いて金翠蓮を外に出した。

 そして、手錠を外してくれ、下に落ちていた毛布を金翠蓮に放った。

 金翠蓮は毛布で裸身を覆った。

 孫ニ娘が床の汚れた檻の隣を開いた。

 金翠蓮は促されて入った。

 鍵を閉められた。

 

「……あ、あの……。ありがとうございます……」

 

 檻の中から金翠蓮はとりあえずそう言った。

 

「礼を言われるようなことはなにもないね。あたしは、お前をさらった盗賊の一味なんだよ」

 

 孫ニ娘はそう吐き捨てると、金翠蓮の檻の前に椅子を運んできて腰かけた。

 だが、すぐに隣の檻に、汚れた水と餌のような食事を入れた皿が残されたままになっていることに気がついて、大きく舌打ちした。

 そして、小屋の隅に向かい、なにかの準備を始めた。

 

 戻ってきたときには、両手に皿を持っていた。

 そのふたつの皿が改めて檻の下から差し入れられる。

 さっきよりはましになっていた。

 水はきれいだったし、芋を柔らかく潰したものと麦餅があった。

 また干し肉が一枚あり、匙もつけられている。

 だが、いずれにしても、金翠蓮は食欲はない。

 少しだけ、水を飲んで喉を潤した。

 

「……無理でも少しは腹に入れな。夕方になれば、また連れ出されて犯されることになると思うからね。喰わなければ身体が参ってしまうよ」

 

 孫ニ娘が金翠蓮の様子を眺めて、檻の外から言った。

 

「あ、あの……。お、お願いです。逃がしてください──。あ、あたしは間違って連れてこられたんだったら……」

 

 金翠蓮は孫ニ娘のいる側の鉄格子に身体を摺り寄せて哀願の言葉を放った。

 ここに連れて来られたとき、頭領たちが、本当は金翠蓮ではなく、二竜山の賊徒を殴った楊蓮を見せしめのためにさらうつもりだったということを話していた。

 だったら……。

 

「残念だけど無理だね。あたしにできるのは、さっきのようにお前に悪戯をしようとする三下たちを追い払うくらいのものさ……。まあ、お前はおそらく、奴隷商に売り飛ばされることになるはずだ。なるべく早く、できるだけ性質のいい奴隷商に渡るように手配をしてやるよ……」

 

「そ、そんな……。奴隷だなんて……」

 

 金翠蓮は顔に手を当てて、ぼろぼろと涙がこぼれ出した眼を押さえた。

 

「その方が、ここの連中の性奴隷のようにされるよりはましだからね。奴隷商なら商売物は大事にする。少しは大切に扱ってくれるさ……。ここの連中ときたら、馬鹿だから容赦なしだからね。すぐに女を毀してしまう。それよりは、奴隷に売られた方がずっといいよ」

 

 孫ニ娘は冷たく言った。

 

「ああっ」

 

 金翠蓮は本格的に泣いてしまった。

 

「あんたには同情するけど、まあ、運が悪かったのさ……。二竜山の盗賊団といえば、極悪非道で通っている。半年前に官軍の討伐を撃退してからは、それに拍車がかかってきてねえ。なにをしても許されると思っているからね。困った連中さ」

 

 孫ニ娘は不機嫌そうに言った。

 その物言いは、二竜山の盗賊団に対する強い悪意がこもっている気がした。

 自分も盗賊団の一員のくせに、そんな言い方をする孫ニ娘に、金翠蓮は少し違和感を覚えた。

 

「あなたは、どういう立場の人なのですか、孫ニ娘さん?」

 

 金翠蓮は涙を拭いてからそう言った。

 

「ああ? あたしかい? あたしはここの頭領の愛人だよ。愛人のひとりということかねえ」

 

 孫ニ娘は面白くなさそうな口調で言った。

 

「愛人……?」

 

 確かにそんな感じだった。

 

「まあ、その愛人のあたしが言うのもなんだけど、ここの頭領の鄧竜はとんでもないろくでなしだ。情け容赦のない悪党で、弱い者をいじめて悦に入るような男だ。捕えた獲物からは根こそぎ奪い、男は殺し、女は犯す。見境なくね……。そんな男に捕らわれたんだ……。もう諦めな。犯されたときに、男の名を呼んでいたようだけど、娑婆(しゃば)のことはもう忘れるんだ。ここは官軍さえも手が出せない二竜山の盗賊団なんだからね」

 

 やはり、孫ニ娘の言葉には、ここの盗賊団や頭領に対する強い悪意がある。金翠蓮は不思議に思った。

 

「……孫ニ娘さんは、頭領の愛人だけど、頭領が好きではないのですね?」

 

 金翠蓮はそう言った。

 孫ニ娘は一瞬、驚いたような表情をしたが、すぐに大笑いした。

 

「あたしが、鄧竜を好きかだって? 面白いことを言う娘だねえ。ああ、そうかもしれないね。あの男のいいところを考えようとしても、なにも思いつかないよ。好色だから、せめて性技に堪能だとか、女を気持ちよくしてくれるとかでもあればいいけど、それすらもないからね。自分勝手に女を抱いて自分が精を出して終わりだ。お前を犯したときもそんな感じだったろう」

 

 孫ニ娘が笑いながら言った。

 

「き、嫌いならどうして、愛人なのですか? 孫ニ娘さんもさらわれてここにやってきたのですか?」

 

「いや、あたしはあいつに助けられたのさ。罠に嵌まって奴隷にされ、娼館で飼われて娼婦をしていたときに、あいつがあたしを身請けしてくれて、奴隷から解放してくれたんだ。あたしを陥れた連中への復讐も手助けしてくれた。だから、あたしはあいつの愛人になって尽くすことにしたんだ……。あんなろくでなしでもね」

 

 孫ニ娘は言った。

 

「奴隷……だったんですか?」

 

 金翠蓮は驚いてしまった。

 そして、よく見ると、孫ニ娘の首には小さな赤い染みのような痣があることに気がついた。

 あの痣は、確かに解放奴隷にできる小さな痣だ。奴隷は、奴隷の首輪をされて、それで主人から逆らえないようにされる。その首輪が食い込んでいた痕があんな風に小さな赤い痣になるのだ。

 

「わかると思うけど、あたしは堅気の娘じゃないよ。親はこの界隈じゃあ、少しは名の折れた侠客の親分さ。まあ、とんでもない親父だったね。ちょっとでも気に入らなかったり、筋に反したことがあったら、すぐに頭に血が昇っちまってねえ。それこそ、何十回と一本刀を掴んで出入りをしてたよ。呆気なく、死んじまったけどね」

 

「もしかして、殺されたんですか?」

 

 金翠蓮は訊ねた。

 言葉の流れからそう思ったのだ。

 だが、孫ニ娘が爆笑した。

 

「残念ながら病気だよ。あたしは、あの親父だけは、まともに死ぬことはないと思っていたし、本人もそう思っていた。だが、流行り病で呆気なく死んじまった。まあ、本人が一番無念だったんじゃないかい。まさか、普通の死に方をするなんざね」

 

 孫ニ娘が笑った。

 その笑いには、なんとなく昔を懐かしむ響きがある。

 

「あのう……。どうして、奴隷にされたんですか?」

 

 訊ねた。赤の他人のことだが、なんとなく、影のあるような孫ニ娘という女性のことが気になってきたのだ。

 

「んんっ、奴隷になった理由かい? まあ、普通だったら、そんなことをあたしに訊ねようものなら、その相手の顔を切り刻むところだよ」

 

「ごめんなさい」

 

 金翠蓮は蒼くなった。

 だが、孫二娘はからからと笑った。

 

「いいや。あんたには話してやるよ。なにかの慰めになるかもしれない。とにかく、闇奴隷として売られるのは諦めてもらうしかないけど、心を強く持つことさ。そうすれば、いつか解放される望みもある……。あたしのようにね……。まあ、その挙句が、ここのろくでなしの頭領の愛人じゃあ、慰めにもならないかもしれないけどね」

 

 孫ニ娘が渇いた笑いをした。

 だが、すぐに真面目な顔になる。

 金翠蓮は、その表情の厳しさに気後れのようなものを感じて、ちょっとたじろいだ。

 

「まあ、奴隷になった理由は大したことじゃない。親父の敵だった侠客の罠に嵌まったのさ。まあ、あたしの親父は侠客としては、やり手だったからね、そりゃあ、恨みも買っていた。その腹癒せというわけさ……。あたしの親父が侠客として名を売っていた時期に、ぽっくりと死んだ後さ。あたしはひとり娘でね。それで跡目を継いだのさ」

 

「孫ニ娘さんが? こんなに、お優しいのに?」

 

 気は強そうだけど、孫ニ娘自身が侠客だという雰囲気はなかった。

 侠客といえば、金翠蓮の頭にあるのは、金翠蓮を手込めにして娼婦にしようとしたあの鎮関西(ちんかんさい)だ。

 それに比べれば、孫ニ娘は金翠蓮を庇ってくれたし、孫ニ娘は優しさを感じる。

 だが、孫ニ娘が大笑いした。

 

「あたしが優しいだって? こりゃあ、参ったねえ。これでも、夜叉女(やしゃじょ)の二つ名もある女侠客だよ。親父の縄張りは残念ながら潰しちまったけど、短い時間だったけど、一家も張っていた。さっきもそうだけど、あたしをあんたの味方のように思うのはやめな。あたしは、鄧竜(とうりゅう)の言うがままに、あんたを奴隷商に引き渡そうとしている。あたしにできることは、多少は奴隷扱いのいい奴隷商に引き渡すことだけさ」

 

「どうして、お父さんの一家は、潰れたんですか?」

 

「まあ、親父の縄張りは、周りの侠客から次々に奪ってもので、親父がいたから、周りも大人しくしていた。だけど、さすがに、親父が死んだらどうしようもなかった。縄張りは取り戻される。手下は逃げる。あたしにはなすすべはなかったね。結局、一家は潰して解散し、あたしは親父の知り合いだった侠客のところを転々として、世話をしてもらったりしてた。まあ、そんな感じさ」

 

「さっき、罠に嵌まって奴隷になったって……」

 

 金翠蓮は、孫ニ娘が口にしたことを思い出して言った。

 

「ああ、そうさ。一家を解散して転々としているあいだも、頼まれれば、助っ人として出入りに参加したりはした。これでも武器の腕はあるんだ……。まあ、そんなことをしているときに、ちょっとした侠客同士の抗争に巻き込まれてね。つまりは、助っ人をした侠客の親分さんが抗争に負けたのさ。その親分さんには娘さんもいたんだけど、全員が捕らわれてしまった。いまのあんたと一緒さ。同じような檻に放り込まれたよ。素っ裸にされてね」

 

「えっ?」

 

「敵の親分をはじめとして、そりゃあ、徹底的に凌辱されたよ。そもそも、抗争に負けたのも、親分さんの幹部のひとりが裏切って寝返ったからなんだけど、そいつが特に女を泣かして悦に更けるような変態で、あたしを泣かせたいばかりに、大勢の前で糞便をさせたり、あそこに山芋を突っ込んだり、犬までけしかけてまぐ合わせたりして、とんでもない男だったよ。後で知ったんだけど、そいつは親父に一家を潰されて恨みを抱いていた男でね。まあ、あたしへの仕打ちはそれもあったんだろう」

 

「犬……。まさか……」

 

 金翠蓮は耳を疑った。

 何気無く話しているが、金翠蓮には、女を辱めるために、犬と交合させるなど想像もできない。それは本当のことなんだろうか……?

 

「本当さ、金翠蓮……。さすがに、犬と交合させられたときには、心も折れそうになったけど、それでも心を潰したら終わりだ。あんたには、心を強く持てとしかいうことができない。だから、こんな話をしてるのさ。生きることだ。なんとしてもね……。あたしは、生き延びた。結局、親分さんの娘を人質にされて、奴隷の首輪を受け入れさせられ、闇奴隷商を通じて娼館で娼婦になった」

 

「娼婦ですか……」

 

 一代の大侠客の娘……。

 跡目を継いで侠客の女親分……。

 縄張りを失い流れ者の侠客……。

 凌辱されて、闇奴隷になり、娼婦……。

 そして、いまは、賊徒の頭領の愛人……。

 なんという波乱万丈の人生なのだろう。

 だが、孫ニ娘はそんなに年齢は重ねていないはずだ。

 どう見ても、二十代前半にしか見えない。

 

「まあ、これでも見てくれは満更でもないから、場末の娼館から、一流どころの娼館に移れた。そのうちに、ここの鄧竜が偶然にも、その娼館であたしを指名してね。うまい具合に取り入って、身請けをしてもらったということさ。ついでに、あたしを売り飛ばした連中への復讐にも力を貸してもらった。まあ、そんなところさ……」

 

 孫ニ娘がまた笑った。

 そして、ちょっと大げさに肩をすくめた。

 

「……こ、こりゃあ、あたしとしたことが、うじうじとつまんないことを語っちまったじゃないかい。よく考えれば、あたしのことなんか、どうでもよかったよ。やっぱり、忘れておくれ」

 

 孫ニ娘が少し怒ったように言った。

 その孫ニ娘の顔は、なんとなく赤らんでいた。

 そのとき、小屋の戸が勢いよく外側から開いた。

 

「孫ニ娘──。大変だぜ。頭領から金翠蓮を至急連れて来いという命令だ。集会場の前の大広場まで、すぐに連れてきてくれ」

 

 入ってきた男が言った。

 金翠蓮は、その男が金翠蓮が頭領に犯されたとき、その場にいた幹部級の男のひとりだということを思い出した。

 

「なにかあったのかい?」

 

 孫ニ娘がその男に向かって顔を向けた。

 

「その娘の父親が、昨夜、その娘をさらったときに、抵抗した男と女を三人縛って連れてきたんだ。うちの三下の骨を折った女も一緒らしい。そして、娘を交換に返してくれと言っているようだ。頭領はそれに応じるつもりのようだぜ」

 

 男が言った。

 

「お父さんが?」

 

 金翠蓮はびっくりした。

 金老が縛って連れてきた三人というのは、李忠と楊蓮と魯花尚のことだろう。

 金翠蓮は唖然としてしまった。



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71  李忠(りちゅう)、二竜山を制圧し砦を乗っ取る

 荷駄馬車は、大きな門のあった場所を越えて、二竜山の山頂に向かう隘路を進んでいる。

 金老(きんろう)は、いまのところ本当にうまくやっている。

 怯えながらも、李忠(りちゅう)たち三人を引き渡すから、どうか金翠蓮(きんすいれん)を返してくれと泣きながら哀願する様子は、本当に真に迫っていた。

 

 とてもじゃないが、あんなに怖がっている金老が、実はこれから始める二竜山襲撃の一役を担っているとは誰も思わないだろう。

 もっとも、金老の怯えと震えは本物だ。

 だから、盗賊たちも信じたのだろう。

 

 最初の門でしばらく待たされてから、そのまま荷駄馬車で進むように指示があった。

 荷駄馬車はゆっくりと山道を登っていく。

 この山道の突き当りに盗賊団の本拠地の砦があるはずだ。

 李忠(りちゅう)は、魯花尚(ろかしょう)楊蓮(ようれん)とともに、手足をきつく縛られて、その縄尻を荷駄馬車の荷台に括り付けられていた。

 もっとも、それは見せかけだけだ。

 縄の端は李忠の後手にしっかりと握られていて、それを離せば、手も足も簡単に縄が解けるようになっている。

 三人を見張るように、花瑛(かえい)という得体の知れない女が荷台に乗っている。

 それにしても、この男装の女は何者だろう。

 どうして、わざわざ危険を冒して二竜山襲撃について来ようとしたのだろうか?

 

 まあいい……。

 すべては、襲撃が終わってからだ。

 この花瑛が何者なのかを探るのは、二竜山を制圧して、金翠蓮を取り戻してからで十分だ。もしも、襲撃に失敗して、ここで殺されたなら、花瑛のことを心配しても仕方がない。

 また、荷台には店にあったありったけの酒や肉を土産として積んでいる。その隙間に李忠たちの武器を隠していた。

 

 曲がりくねったり、あちこちに崖があったり、岩が突き出たりしている道をしばらく進むと、再び大きな門があった。

 まさに城門だ。

 

 城門付近にいた賊徒は、下からすでに伝言を受けいていたのか、金老の操縦する荷駄馬車が近づくと、馬車が通過できる隙間を開いた。

 呆気ないくらい簡単に、李忠たちは二竜山の塞の中に入りことができた。

 

 門の内側は大きな広場のような場所だ。

 中央に平屋の木造の建物がある。

 門を潜り抜けた金老は、その建物の前まで進むように指示されていた。

 馬車がその建物の前に到着すると、建物内から十数名の男たちがわらわらと出てきた。

 その中にひと際身体の大きな偉丈夫がいる。後ろには介添えのような若者がふたりいた。

 あれが鄧竜(とうりゅう)という頭領だろうか……?

 

「こいつらが、二竜山に逆らいやがった命知らずの三人か? ゆっくりと寸刻みに殺してやるぜ。おっ? 三人のうちのふたりは別嬪の女じゃねえか。こりゃあいい。じゃあ、殺す前に全員で愉しむとするか」

 

 偉丈夫が大きな声で笑って、建物にあがる石の階段に座った。

 ほかの男たちは、その大男のそばに立つか、あるいは、李忠たちがいる荷駄馬車を取り囲み始めた。

 金老が御者台から転げ落ちるようにおりて、その大男に向かって土下座をした。

 

「と、頭領様ですね……。ど、どうか、この通りです。二竜山に逆らおうとした三人は、これ、この通りに、酒に痺れ薬を仕込んで捕えて連れてきました。この三人は、用心棒をしてやると言って、店に居座っていた連中で、とても困っていたんです……。この三人はお渡しします。その代わり、どうか娘の金翠蓮を返してください。俺は二竜山に逆らうつもりはこれっぽっちもなかったんです点。どうか──。どうか──」

 

 金老が土に額を擦りつけながら叫んだ。

 

「おう、お前が金老か──。まあ、官軍でさえも歯が立たなかったこの鄧竜に逆らうとはとんでもない連中だから、見せしめに殺して、店にはそのうちに火でもかけてやろうかと思っていたが、そうやって従順な態度をとるなら許してやろう……。金翠蓮は返してやる。いま、連れてくるように伝えている」

 

 その大男が笑った。

 

「あ、あの、あなた様は、頭領の鄧竜様ですか?」

 

 金老が顔をあげて、石段に座っている男に訊ねた。

 

「おう、いかにも俺が鄧竜だ」

 

 その男が声をあげた。

 金老はそれを耳にするなり、素早く起きあがると荷駄馬車の下に潜り込んだ。

 鄧竜は怪訝な表情になった。

 そのときには、李忠は縄を解いて身体の自由を取り戻していた。

 

「鄧竜、そこを動くな」

 

 李忠は、槍を担ぐと荷駄馬車の荷台から石段に座っている鄧竜に向かって飛びかかった。

 眼下に鄧竜の驚いた顔がある。

 空中で槍をその胸に向かって突き出した。

 だが、それだけだった。

 気がつくと、身体が横に飛び、石段に背中を叩きつけられていた。

 

「この野郎──」

 

 身体の上を鄧竜の大きな身体が覆った。

 なにが起きたのかわからなかった。

 ふと見ると、持っていた槍が遠くに飛んでいる。

 襲いかかったときに、槍の柄を鄧竜に弾かれたに違いない。

 向かってくる槍の柄を素手で跳ね飛ばすなど、とんでもない馬鹿力と反射神経だ。

 李忠は眼を丸くした。

 鄧竜が凄い形相で大剣を李忠に向かって振りあげていた。

 

「死ねえ」

 

 剣が首に向かって叩きつけられる。

 李忠は思わず眼をつぶった。

 

「あんたこそ、死んで」

 

 いい香りの風のようなものがそばを掠めたと思った。

 眼を開けると、魯花尚がそこにいた。

 首がなくなった鄧竜の身体から血が噴き出している。

 その巨体が李忠の横に倒れて、そのまま石段の下まで落ちていった。

 

「わたしの後ろにいて、李忠。前には出ないで──」

 

 魯花尚が真剣な表情で短く言った。

 そのあいだにも、魯花尚の剣は石段にいた賊徒たちを建物の方向に圧倒しながら、ひとりふたりと賊徒を斬り倒している。

 すでに、魯花尚は石段の最上段の付近まであがっている。

 李忠は慌てて槍を拾うと魯花尚を追った。

 

「三人──。四人──」

 

 石段の下側では、楊蓮が仁王立ちになり、石段に近づく者をかったぱしから斬り殺している。

 こっちも凄まじい。

 楊蓮ひとりの前に、三合も立っていられる者もない。

 また、楊蓮は容赦なく、賊徒たちにとどめを刺している。

 石段の下には、たくさんの賊徒の屍体が並びだしている。

 

「花瑛、楊蓮、こっちは任せて。それより、新手を後ろから来させないで──」

 

 魯花尚が賊徒たちを少しずつ建物の中に追い込みながら叫んだ。

 こっちもすごい。

 二合以上も魯花尚の前に立てる者はいない。どんどんと斬り殺していっている。

 しかし、魯花尚が相手をしているのは、二竜山の幹部級の賊徒たちのはずだ。

 李忠から見ても、全員がそれなりの猛者だ。

 だが、それを魯花尚は少しずつ数を減らしながら、どんどん建物に追い詰めている。

 

 一方で、いきなり暴れ出した四人に対して、中庭にいたほかの賊徒たちも斬りかかって来ようとしているのだが、楊蓮の剣と、荷駄馬車の上から矢を射かける花瑛によって、石段に近づくこともできないでいる。

 特に、花瑛の矢が効果的だ。

 一矢一矢が確実に急所に命中するので、賊徒たちはだんだんと遠巻きに離れるようになりつつある。

 また、槍や石などを投げつけてくる者もいるようだが、そういうものはすべて楊蓮が剣で叩き落としてもいる。

 花瑛の射る矢の死角から近づこうとしても、それも確実に楊蓮が仕留めている。

 

「ちっ──」

 

 魯花尚が大きな声で舌打ちするのが聞こえた。

 振り返ると、魯花尚の剣が折れている。

 激しい魯花尚の戦いに、剣がもたなかったのだろう。

 魯花尚の前には、まだ十数人の賊徒がいる。

そのうち正面の三人が歓びの声をあげて、魯花尚に一斉に襲いかかってきた。

 

「魯花尚──」

 

 李忠は持っていた槍を投げた。

 魯花尚は賊徒たちの剣をかわしながら、それを空中で受け取り、そのまま一閃させた。

 襲いかかっていた三人があっという間に屍体に変わる。

 それを見て、魯花尚の前のほかの賊徒たちは、たじろいだように建物の中に全員が入っていった。

 魯花尚も退がっていった賊徒を追って建物の中に駆け入っていく。

 李忠は死んだ賊徒から剣を奪うと、慌ててそれを追いかけた。

 

 

 *

 

 

 建物内に入ると、すぐに横からひとりが、魯花尚に斬りかかってきた。

 しかし、それを予想していた魯花尚は、槍の柄でその男の身体を押し倒し、その横腹を突いた。

 ほかの賊徒が、その隙に乗じて魯花尚に飛びかかろうとするが、魯花尚もすぐに槍を抜いて彼らを威嚇した。

 近づこうとしていた男たちが距離を開ける。

 

 おかげで、少し間隙ができた。

 それを利用して、魯花尚は懸命に息を整えようとした。

 すでに十数人以上は殺している。

 さすがに息があがっている。

 やはり、男だった頃と同じというわけにはいかないようだ。

 すごく疲れやすいし、力もないから、その分動かなければならない……。

 とにかく、残りは十人と少し──。

 いま魯花尚の前にいる連中が、現在の二竜山を支配していた幹部級の者たちだと思う。

 それを皆殺しにすれば、もう、逆らう者は残らないだろう。

 李忠を新しい頭領として認めるはずだ。

 

「女ひとりだ──。取り囲んで、後ろから殺せ──」

 

 頭の禿げた男が叫んだ。

 その男の声で残りの十数人が秩序のようなものを取り始めた。

 

 まずい……。

 さすがの魯花尚でも、この数の差で連携のような動きを取られては危ない。

 そのとき、魯花尚の目の前を李忠が雄叫びをあげながら突っ込んだ。

 

「李忠──?」

 

 魯花尚は驚いて声をあげた。

 だが、ずっと魯花尚にしか注目していなかった賊徒も、影のようについてきているだけだった李忠のことには意識がなかったようだ。

 李忠の剣が禿げ男の腹に突き刺さった。

 魯花尚も飛び込む。

 賊徒の中に飛び込んでいった李忠を斬ろうとした賊徒たちを槍で蹴散らす。

 また、空間ができて、魯花尚と李忠に距離を開いて賊徒たちが囲むかたちになった。

 

「前に出ないでと言ったでしょう──。あんたのことを守りきれないかもしれないわ──」

 

 背中合わせになった李忠に魯花尚はささやいた。

 

「守ってもらわなくてもいいぜ──。これはもともと俺の戦いだ──」

 

「なに言ってんのよ──。守るわよ──」

 

 そのとき、四人同時に前から襲いかかってきた。

 魯花尚は迫ってきた男の胸を槍で突いた。

 しかし、二人目と三人目がもう剣を振りかかってきている。

 

 間に合わない──。

 

 魯花尚は槍を離して、その一方に組み付いた。

 組みつかれた男も驚いたようだが、その身体をとっさに盾代わりにして、もうひとりの男の剣を受けさせる。

 

「うぎゃああ」

 

 仲間の剣を背中に受けた男が絶叫した。

 魯花尚はその男を突き飛ばした。

 そのときには、すでに組み付いた男から剣を奪っている。

 仲間の身体を投げられて体勢を崩した男の喉を剣で掻き切った。

 四人目が引きつった顔をして退がっていく。

 

「李忠──」

 

 振り返った。

 李忠はふたりほどの男を斬り結んでいる。

 苦戦している。

 頬と腕に傷も負っている──。

 

 かすり傷だが、なぜか李忠が負傷しているのを見て、魯花尚はかっと頭に血が昇るのを感じた。

 李忠の前にいる男のうちのひとりに剣を投げた。

 投げた剣が首に突き刺さった男が倒れる。

 一対一になった李忠が、やっともうひとりの男を屠った。

 

「うおおお」

「いまだあ──」

 

 剣を投げた魯花尚に新しい三人が斬りかかってきた。

 魯花尚は死んだ賊徒の剣を拾おうとして断念した。

 そのまま態勢を低くして、床を転がって剣をかわす。

 しかし、男たちは追ってこない。

 

 喉に矢が刺さっている。

 花瑛──?

 視線を向けた。

 建物の入口のところに立ち、花瑛が弓で矢を次々に放っている。

 あっという間に、魯花尚を襲っていた三人全員が倒れた。

 

「李忠殿、背を低くして──」

 

 花瑛の叫びで李忠が腰を屈めた。

 矢が二本飛ぶ。

 同時に二本の矢を番えたようだ。

 李忠の向こう側にいたふたりほどが倒れた。

 魯花尚は起きあがると、再び別の剣を拾った。

 

 残りは三人──。

 

 魯花尚はひとりに飛び込んで、頭蓋骨を斬り割った。

 残りのふたりが同時にかかってきたのをかわすことなくひとりを斬り、もうひとりもその剣でそのまま斬りさげた。

 

 それで終わりだ。

 

 魯花尚は肩で息をしていたが、もう建物の中には立っている賊徒はいなくなった。

 しんとなった部屋の中で、ただ魯花尚の荒い息遣いだけが響いている。

 外から楊蓮が叫んでいるのが聞こえてきた。

 

「もう、頭領以下の主立つ者は死んだ──。これ以上、抵抗するな。武器を捨てよ──。捨てねば、わたしたちに刃向う者として殺す──」

 

 楊蓮が叫び続けている。

 ここから外は直接は見えないが、すでに争いの声はない。

 ただ、武器を投げるような音が次々としているから、残りの賊徒たちは、魯花尚たちによる乗っ取りを受け入れたのだろう。

 

 どうやら終わったのだ。

 さすがに、女の身体ではこれ以上動けない……。

 魯花尚は疲れ果ててしまい、その場にしゃがみ込んだ。

 

 

 *

 

 

「おい、魯花尚、大丈夫か……?」

 

 李忠は心配になり、魯花尚に駆け寄っていった。

 

「だ、大丈夫よ……。ただ、少しだけ座らせて……」

 

 魯花尚は言った。

 だが、その顔は真っ青だ。

 おそらく、限界以上に動いたのだろう。

 それにしても、凄まじい魯花尚の戦いぶりだった。

 たったひとりで十数人の賊徒の猛者を斬り殺したのだ。

 その身体は返り血で真っ赤だ。

 だが、見たところかすり傷ひとつ負っていないようだ。

 やはり、こいつの強さは桁外れだ。

 李忠は感嘆した。

 

「それよりも、あんた腕が切れているわよ……。頬も……」

 

 魯花尚が心配そうに、李忠を見あげて言った。

 

「それこそ、ただのかすり傷だ──。大丈夫だぜ、魯花尚」

 

 李忠は笑い飛ばした。

 そのとき、誰かが建物に駆けあがってくる気配がした。

 

「李忠さん──」

 

 金翠蓮だ。

 

「おう、金翠蓮、無事だったか──?」

 

 金翠蓮は身体に薄い毛布を巻いていて、李忠に駆け寄ってきた。

 李忠はしっかりと金翠蓮を抱いてやった。

 金翠蓮の毛布の下は素裸のようだ。

 

「り、李忠さん……。あたし……あたし……あたし……」

 

 すると、金翠蓮が李忠の腕の中で、いきなり号泣し始めた。

 李忠は金翠蓮を抱く腕に力を入れた。

 金翠蓮の涙は救出された悦びの涙という感じではなかった。

 こんな乱暴者の巣のような場所で、素っ裸で監禁されていた金翠蓮がどんな目に遭ったか想像して余りある。

 身体が無事だったということはありえないだろう。

 だから、この号泣に違いない。

 

「……へへ、泣くな、金翠蓮──。これは調教だ……。遊びだ……。驚いたろう……?」

 

「調教……?」

 

 思わぬ李忠の言葉に、金翠蓮が泣くのをやめて顔をあげた。

 李忠は自分でも馬鹿馬鹿しいとは思ったが、ほかになんと言うべきか思いつかなかったのだ。

 とりあえず、なにかを言って笑わせよう。

 そう考えて、思わず口から出てきたのがその言葉だった。

 

「ああ、調教だ……。びっくりしただろう? 金翠蓮を調教しようと思って、わざわざ試練を与えたのさ。俺の女だからな……。骨の髄まで被虐に染まってもらわないとならない。だから、賊徒にさらってもらったんだ。裸で連れ回されたりして怖かったろうが、少しは感じたか?」

 

 李忠は言った。

 

「か、感じたりしません──。李忠さんじゃない男を相手になにをされても気持ちが悪いだけです──」

 

 金翠蓮が憤慨したように言った。

 

「そうか……。そりゃあ悪かったな──。じゃあ、やっぱり調教は俺の手でやることにするよ」

 

 李忠は抱いている金翠蓮の尻を毛布越しにぎゅっと握った。

 

「きゃん」

 

 金翠蓮が悲鳴をあげた。

 

「馬鹿じゃないの……」

 

 横で座り込んでいる魯花尚が言った。

 

「り、李忠さん、魯花尚さん──。おおっ、金翠蓮?」

 

 金老が飛び込んできた。

 戦闘のあいだは、ずっと隠れていたはずだ。

 しかし、李忠が金翠蓮と抱き合っているのを見て当惑した声をあげた。

 

「お、おう、金老、こ、今回は活躍だったな。金翠蓮は無事だ。よかったな」

 

 とりあえず、李忠はそれだけを言った。

 

「は、はあ……」

 

 金老は李忠から離れようとしない金翠蓮を見て、呆けたような声をあげた。

 

「旦那様、来てくれ。全員を集合させた──。新しい頭領の言葉を待っている。声をかけてやってくれ」

 

 楊蓮がやってきた。

 

「頭領か……。いや、だがなあ……」

 

 李忠は呟いた。

 結局のところ、頭領を殺したは魯花尚だし、ほかの賊徒を制圧したのも、魯花尚、楊蓮、そして、花瑛という女たちがやったことだ。

 結局、李忠はなにもしなかった。

 なにもできなかった……。

 その李忠が頭領というのはどうなのだろう……?

 

「……なあ、頭領には、お前がなるべきじゃねえか、魯花尚……?」

 

 李忠は魯花尚に言った。

 どう考えても、二竜山の賊徒の頭領に自分がなっていいとは思わない。

 

「なに馬鹿なことを言ってんのよ。早く、いきなさいよ、頭領……。わたしがついているわよ。あんたに逆らう者は、ひとり残らず殺してあげるから心配しないで……」

 

 魯花尚がだるそうに立ちあがった。

 

「な、なんだって、魯花尚──。旦那様にはわたしがついている。わたしが支えるのだ」

 

 魯花尚の言葉が聞こえたらしい楊蓮がすかさず口を挟んだ。

 

「あっ、そう──。だけど、今夜の李忠はわたしが預かるわ。約束でしょう?」

 

 魯花尚が楊蓮に言った。

 

「な、なにを言っているか──。わたしは二十一人だぞ、魯花尚」

 

「わたしは頭領を殺したのよ──。人数だけの問題じゃないでしょう」

 

「だが、約束はたくさんの敵を屠った者としたはずだぞ」

 

「そんなことは言っていないわ。活躍した方と言ったのよ」

 

「そんな風には受け取らなかった」

 

「知らないわね──。とにかく、わたしよ」

 

 魯花尚と楊蓮が建物の入口で言い争いをし始めた。

 李忠は金翠蓮から手を離して外に出ようとしていたが、ふたりの様子に呆気にとられた。

 

「なにを言っているんだ、お前たち?」

 

 李忠は訊ねた。

 

「今日の襲撃でたくさんの賊徒を殺した方が、旦那様と夜を一緒にできると賭けをしたのだ。それなのに、この女が因縁をつけるのだ」

 

 楊蓮が憤慨したように言った。

 

「活躍した方と言ったのよ──。だいたい、昨夜だって途中だったのよ。今夜こそはわたしと一緒よ」

 

 すると魯花尚が言った。

 李忠はびっくりしてしまった。

 楊蓮はともかく、あの魯花尚があからさまに、李忠に対して好意を寄せる発言をしてくれるなど信じられない。

 しかし、魯花尚は、すっかりと開き直ったように、堂々と、ほかの者の前でも李忠に身体を求めてくれている。

 いったいどうしたのだろう……?

 李忠は嬉しくて、飛びあがりそうになった。

 

「あ、あのう……。あたしも酷い目に遭って……。あたしこそ、今夜は、り、李忠さんに慰めてもらいたいんです……」

 

 すると、金翠蓮もおずおずと口を挟んできた。

 

「あんたも、大人しそうなのに、主張するときは主張するのね」

 

 魯花尚が呆れたような声をあげた。

 

「な、なんとでも言ってください。あたしだって、李忠さんのことが好きなんです」

 

 金翠蓮が強い口調で言った。

 ふと見ると、金老が目を丸くして驚いている。

 

「い、いや、金老……。なんとなく、そういうことになってな……」

 

 李忠はとりあえず笑った。

 

「……ほおお……。この女傑たちと李忠殿がどういう関係なのかと訝しんでいたのだが、本当にそういう関係だったのか? へええ──」

 

 そばにいた花瑛が驚いたような声をあげた。

 李忠は咳払いした。

 

「とりあえず、その話は後だ──」

 

 李忠は三人の女から逃げるように外に出た。

 外には大勢の賊徒が石段を囲むように集まっていた。

 全員が不安そうな顔している。

 李忠は石段の上段に立った。

 すると、集まった者たちが李忠に一斉に視線を向けた。

 李忠は、しばらく全員を眺めてから、おもむろに口を開いた。

 

「この二竜山はたったいまから、この俺たちが乗っ取った──。いまから夕暮れまで門を解放する。それを不満に思う者はそれまでに出ていけ──。ただし、逆らう者がいれば、この場で殺す。いいか、もう二度は言わんぞ。この二竜山の支配は、これからは俺たちだ。それを受け入れられない者はただちに出ていけ」

 

 李忠は叫んだ。

 山塞はしんと静まった。集まった賊徒たちは不安そうにお互いの顔を見合わせたりしている。

 

「……いい感じよ、李忠……。続けて……」

 

 魯花尚が李忠の背中側から小声でささやいてきた。

 李忠はさらに口を開いた。

 

「これより、この二竜山は義賊となる。弱い者いじめはしねえ。民百姓には迷惑をかけない。農村の略奪はしねえ。絶対に、弱い旅人や農民を傷つけるような真似はしない。それをこの砦の掟にする。それに反した者は誰であろうと斬る。いいか。たったいまから、俺たちは義賊だ。それを受け入れられない者は、夕方までに出ていくんだ──」

 

 李忠はそれだけ言うと、建物の中に引っ込んだ。

 どっと疲れた。

 やっぱり、頭領なんて柄じゃない。

 いまこそ、それがわかった。

 

「よかったわよ、李忠──。いい頭領ぶりだったわ。わたしは、全員の顔を見ていたけど、いまは当惑しているようだけど、大部分は残ると思うわ。義賊と言われて、眼の色を輝かせている者がたくさんいたわ……。やっぱり、誰も好んで悪事はやりたくないのね。でも、いままでの頭領がひどい男だったから、無理矢理に従っていたのだと思うわ。きっと、この二竜山は生まれ変わる。間違いないわ」

 

 建物に戻ると、すかさず魯花尚が言った。

 

「そうか?」

 

「ええ、そうよ」

 

「だが、やっぱり頭領なんて、俺には気が重いぜ。こうなったら、誰かに任せるわけにはいかねえことは自覚してるが、俺みたいに弱いのが、頭領なんてよう……」

 

「それこそ、わたしがついてるわよ。楊蓮もね」

 

 魯花尚が微笑んだ。

 

「ところで、旦那様──。素朴な疑問だが、義賊とはなにをするのだ? これだけの賊徒を食わせるとなると、それなりの兵糧は必要となるぞ。その食い扶持の確保はどうするのだ?」

 

 楊蓮が口を挟んだ。

 楊蓮は北州軍の大隊長級の指揮官だったので、集団ともなれば、まずは糧食の確保が問題になるということを知り抜いている。

 だから、それが気にかかるのだろう。

 

「……まあ、これから考えるさ。それよりも、ふたりで、この砦に貯め込んでいる兵糧や金子がどのくらいあるのか数えてくれないか? どのくらいもつのか知りたいんだ」

 

 李忠は、魯花尚と楊蓮に言った。

 

「それには及ばないわ、頭領──」

 

 すると、不意に女の声がした。

 顔をあげると、端正な顔の女が入口に立っていた。

 

孫ニ娘(そんじじょう)さん」

 

 金翠蓮が声をあげた。

 

「孫ニ娘?」

 

 李忠は金翠蓮を見た。

 

「ここの頭領の愛人だった方です。捕らわれているあいだ、あたしのことを庇ってくれました」

 

 金翠蓮は言った。

 

「庇ったというほどのことはしてないけどね……。それよりも、ここの砦の物の管理は、あたしがやっていたのよ……。ここに賊徒は総勢三百五十人──。あんたらが三、四十人近く殺したし、逃げていく者もいるから残るのは三百人くらいだと思うわ。人数を増やさなければ、兵糧だけでも三箇月は食べ物には困らないわね。金子はもっと溜め込んでいるから、それを食べ物に変えたりしていけば、もっともつでしょうね。あくまでも、人数が増えなければだけど」

 

 孫ニ娘が言った。

 

「とりあえず、三箇月か……」

 

 李忠は頷いた。

 賊徒の頭領の一番の役割は、集まった賊徒たちを飢えさえないことだ。それは肌身で知っている。逆に言えば、飢えさせることさえしなければ、人は逃げないし、反抗もしない。そして、飢えないとわかれば、もっと人は集まる。

 結局のところ、賊徒になる者は、略奪を受けたり、重税で蓄財や田畠を取りあげられたりして、食べる手段がなくて賊になるのだ。

 義賊と称するのは容易い……。

 しかし、それを実際に保つのは難しい。

 問題は略奪などをせずに、どうやって食い扶持を確保するかだ。

 まあ、それを考える余裕は三箇月あるということだが……。

 

「……まあ、あたしはあんたに従うわ、頭領殿。義賊だなんて、心が震えるわね……。ねえ、あたしを部下にしなさいよ。この砦の兵糧や軍資金の管理は任せてくれないかしら。しっかりと管理してあげるわよ」

 

 孫ニ娘が言った。

 

「ほう……。お前はさっそく俺に従ってくれるというのか、孫ニ娘? だが、金翠蓮によれば、お前はあの鄧竜の愛人だったんだろう? それを俺たちは殺したんだぞ?」

 

「まあ、鄧竜はあたしを地獄から救ってくれた恩人だったし、あたしにはよくしてくれたけどね……。でも、ろくでなしよ……。あのろくでなしよりも、あんたは随分と性質がいいようだし……。それから、ちょっと金翠蓮から耳にしたんだけど、あんた、女をたくさん愛人として受け入れるんだって? だったら、あたしもどう? これでも、娼婦あがりだから、閨房術(ねいぼうじゅつ)には長けているわよ……?」

 

 孫ニ娘が下袍(かほう)をすっと付け根までめくる仕草をした。

 

「な、なにやってのよ、お前──」

 

 魯花尚が真っ赤な顔になって怒鳴った。

 

「おう、怖い──。いいじゃないのよ、あんた……。それに、あたしの閨房術は男相手の技だけじゃないのよ……。女の相手もさせられたことがあるわ。よかったら、どう?」

 

 孫ニ娘がからかうような声をあげた。

 

「あれっ? あんた、どこかで会ったと思ったら、やっぱり、あのときの娼婦じゃないか?」

 

 すると、ずっと黙っていた花瑛が声をあげた。

 

「あ、あれっ? あ、あんたは花瑛さん──。な、なんでここに──?」

 

 孫ニ娘がびっくりしている。

 

「知り人か?」

 

 李忠は言った。

 

「し、知り人かじゃないわよ。こいつは軍人よ。しかも、青城(せいしゅう)軍の将校よ。しかも、賊徒征伐で幾つもの賊徒を掃討している有名な女指揮官よ。以前、女のくせに、あたしの働いていた娼館に女を買いに来たことがあったのよ──。鄧竜を落とす前には、こいつに言い寄って身請けをさせようと思ってたんだ。あたしはとんだ恥をかいたんだ。そのあんたが、なんでここいいるのよ──?」

 

 孫ニ娘が叫んだ。

 李忠はびっくりしたが、花瑛は大笑いだ。

 青城というのは、二竜山を挟んで反対側の地域を管轄とする行政区だ。

 どうやら、花瑛は、その青城の城郭軍に属する女将校のようだ。

 

「女を買いに行ったんじゃなくて、男と思われていたから、誘われて断れなくなってね。別に女が好きなんじゃないよ。まあ、孫ニ娘と同じで女もいけるけどね……。それに、有名なんかじゃないよ。その証拠に、楊蓮さんはぼくことを知らなかったでしょう? ぼくは、途中で北州軍で有名な楊蓮殿だとわかったけどね。こんなところでなにをしてるのかは知らないけど……」

 

 花瑛が青城軍の女将校だという話に楊蓮もびっくりしている。

 官軍の種類には、大きく皇帝に属する「国軍」と、地方に属する「地方軍」に分かれ、地方軍はさらに、州知事に属する「州軍」と各都市を中心とした行政区を統治する県令に属する「城郭軍」に区分される。

 同じ官軍でも、州軍の上級将校の楊蓮は、一城郭軍の将校の花瑛よりも格上だ。

 花瑛が楊蓮を知っていて、楊蓮が知らなかったのは無理からぬことだ。

 そういう意味では、魯花尚は国軍の武術師範だったのだから、所属していた軍の格では魯花尚が上になるのだろう。

 だが、武術師範は厳密には将校ではないので、軍人時代の上下関係は微妙なところだ。

 その花瑛が急に真面目な表情になり、李忠に真っ直ぐに顔を向けてきた。

 

「なあに、二竜山の賊徒には手を焼いていて、なんとかできないかと思って、それで旅人にやつして、いろいろと調べまわっていたんだけどね……。そうしたら、あの鄧竜を退治して乗っ取ろうという面白い話に偶然に接して、これに一枚乗ることにしたのさ……」

 

「一枚乗る?」

 

 魯花尚が花瑛に訝しむ視線を向ける。

 だが、花瑛は真っ直ぐに、李忠に視線を向けてきた。

 

「ねえ、李忠殿、確かに、ぼくは軍人であり、賊徒征伐を任務にしているんだけど、それは青城軍の管轄する領域に限るのさ。よければ、持ちつ持たれつでいかないかい? あんたらは、青城軍の領域では暴れないと約束する。それをしてくれれば、ぼくは、ほかの軍の二竜山討伐などの情報に接したら、それをこっそり教えてあげるよ……。それに軍資金の話をしていたけど、青城軍の管轄で襲わなければ、別にほかの地域を襲ってもぼくは気にしない──。北州軍の輸送隊なんか、それこそ狙い目じゃないの?」

 

「ちゃんとした軍人のお前が、賊徒の俺たちと手を結ぶのか? しかも、州の輸送隊の襲撃をけしかけるのかよ?」

 

 李忠は驚くよりも呆れてしまった。

 

「そうだよ。もちろん、情報だって流してあげるよ……。また、青州には各城郭の兵糧庫だけじゃなくて、州の兵糧庫もたくさんあるけど、そんなのも襲えば? ただし、青城郡内だけは大人しくしてよ。そういうことでどう?」

 

 花瑛が言った。

 

「お前は、城郭軍の将校のくせに、盗賊団に他の城郭軍の襲撃をそそのかすのか?」

 

 楊蓮が怒ったように言った。

 

「なにを驚いてるんだい? こんなのどこの城郭軍でもやっているよ……。一個の賊徒を潰しても、すぐに別の賊徒ができあがる。そんなことを繰り返すよりも、いまある賊徒と持ちつ持たれつの関係を保つ方がずっと効率的だ。ぼくは、青城郡内の治安の維持が任務であり、それが保障されれば、腐った帝国がどうなろうとどうでもいいのさ。ぼくは名よりも実をとる方針なんだよ」

 

 花瑛は悪びれる様子もなく言った。

 李忠は唖然としてしまった。

 

「……まあ、話に乗ってもいいわね。信用できるならね」

 

 魯花尚が吐き捨てるように言った。

 

「だったら、ぼくも李忠殿と寝てもいいよ……。同じ男を相手にする愛人同士なら信用できるかい、魯花尚殿? そもそも、娘さんひとりを救うために、乱暴者の集まる山砦を命懸けで襲撃するなんて、素晴らしい勇気じゃないか。しかも、弱いのに一番にあの鄧竜に向かっていくなんてすごいよ。ぼくは、それだけでぞくぞくしちゃった。李忠殿なら、ぼくの操をあげてもいいよ」

 

 花瑛が、冗談とも真面目ともつかない顔で言った。

 魯花尚が少したじろいだ顔になった。

 

「弱いくせには余計だろう」

 

 李忠は苦笑した。

 いずれにしても、随分と女傑が集まった砦になった。

 これからどうするのか──?

 山塞のことも、女たちのことも──。

 まあ、なんとかなるだろう──。

 李忠は肩を竦めた。



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第22話  ふたりの訪問者
72  朱姫美(しゅきび)、店じまい前に二人客を迎える


 湖畔沿いでやっている料理屋である朱貴美(しゅきび)の店にやってきたふたりの男は明らかに不自然だった。

 

 ひとりは身体が大きく、上衣と靴が上等のわりには、下袴(かこ)は粗末な物であり、膝が大きく破けていた。

 逆に、もうひとりの小さい男は、そのほかのものはとても粗末だったが下袴だけは上等だった。

 ただし、その下袴は大きさが合っておらず、裾を折り曲げてはいていた。また、帯の代わりに縄で腰を縛っている。

 見かけない顔だから旅人だろう。

 それぞれに小さな袋荷を担いでいる。

 また、ふたりとも腰に剣を提げている。小さい男は胸に革の入れ物で小刀も吊っている。

 そろそろ夕暮れであり、店じまいの時刻でもある。

 朱貴美は、ふたりに肩を竦めてみせた。

 

「申し訳ありませんが、店じまいです」

 

 朱貴美は言った。

 

「ああ、店じまいだってよ、(おう)

 

「そりゃあいいな、(あん)……。じゃあ、遠慮なく店じまいをしてくれよ、姐さん……。それから、まずは俺たちには酒だ。それとこの店で一番上等な肉を焼いてくれ。別に凝った料理は必要ねえぞ」

 

 最初に喋ったのは小さい方で、それに応じたのは大きい方だ。小さい方は安で、大きい方は王というらしい。

 いずれにしても、どうやら性質の悪い客のようだ。

 ここは人里離れた湖畔街道沿いにある料理屋であり、しかも若い女である朱貴美がひとりでやっている店だ。

 それで勘違いして、こういう手合いがやって来ることがある。

 このふたりもそうだろう。

 

 なにかで、湖畔街道にある朱貴美の店のことを耳にして、女ひとりであれば簡単に襲えると思ってやってきたに違いない。

 だが、少し考える力があれば、こんな人里離れた場所で女がひとりだけで料理屋を経営することができることを不思議に思うはずだ。

 そして、警戒して、少し調べてみたりするものだ。

 そうすれば、すぐに、この店が梁山湖に浮かんでいる島にいる盗賊団に関わりのある料理屋であるという噂にはすぐに接するはずだ。

 それを知れば、まず、店を襲撃するような真似はしない。

 だが、このふたりは、そこまで考える知恵もないようだ。

 朱貴美は嘆息した。

 

「ここは酒場じゃないのよ。街道を通る旅人を相手に食事を出す料理屋だよ。朝開いて、夕方には店を閉めるのが決まりよ。酒を飲みたければ、街道を南に進んで、運城(うんじょう)の城郭に行くといいわ。今からでも急げば、城門が閉じる前に入れると思うし、城門の外でも酒を飲ませる店はたくさんあるわ」

 

 朱貴美は言った。

 

「だから、店は閉じていいと言っているだろう、姐さん。なあ、王、俺たちは店じまいをしていいと言ったよな?」

 

「確かに言ったな、安。じゃあ、酒と肉を頼むぜ、姐さん」

 

 ふたりが馬鹿にしたように笑った。

 そして、安が胸の小刀を抜いて、木製の卓に先っぽを突き刺した。

 

「酒に肉だ、姐さん。ところで、あんた、名はなんというんだ?」

 

 安がにやにやとしながら、朱貴美の身体を舐め回すような視線を向けた。

 その気持ちの悪い視線に朱貴美はうんざりした。

 

「朱貴美よ」

 

「歳は?」

 

「二十五」

 

 朱貴美は立ったまま腕組みをして言った。

 

「二十五だってよ、王。いいなあ。とてもうまそうだぜ」

 

「まったくだな、安」

 

「ところで、見たところ、男はこの店にはいねえようだな、朱貴美。しらばっくれても駄目だぜ。俺たちは、しばらく店の前をずっと観察していたのさ……。ここで働いているのはお前だけだ。そして、いま店にいるのは俺たちだけだ……。お前さんはとても綺麗な顔をしているな? その顔に醜い傷はつけたくないだろう?」

 

 安が卓に突き刺している小刀を抜いて手にかざした。

 朱貴美はもう限界だ。

 これ以上、我慢できない。

 朱貴美は、この馬鹿垂れふたりを追い払うことに決めた。

 

「あんたら、馬鹿じゃないの? ここをどこだと思っているのよ。外に出て、梁山湖に浮かぶ島を見ておいで。そこには一千を超える賊徒団がいるのよ。頭領は王倫(おうりん)。あたしは、その王倫の愛人よ。あたしに手を出せば、その一千の子分を率いている王倫が、あんたらを八つ裂きにして、魚の餌にでもしてしまうわよ」

 

 朱貴美は言った。

 すると、安と王の顔から初めてにやけ顔が消えた。

 

「おい、安……?」

 

「はったりだ。この女は、適当な出任せを言っているのさ。そんなものはいやしねよ」

 

「そうか、はったりか……」

 

 ふたりがそう言い合い、再び顔に薄ら笑いを浮かべた。

 朱貴美は怒るよりも、噴き出しそうになった。

 

「こりゃあいいわね。王倫も焼きがまわったわね。まさか、梁山湖にやってきて、王倫の賊徒団を知らない者がいるなんてね。いいから、行きなさい。いま、黙って出ていけば、王倫には知らせないでいてあげるわ。それとも、本当に梁山泊(りょうざんぱく)に報せてもらいたいの?」

 

 朱貴美は大きな声をあげた。

 

「……ふん、呼べるものなら、呼んでみな。そんなものはいやしねえ。お前ははったりを言って、俺たちを騙そうとしているだけさ」

 

「安の言うとおりだ。怪我をしたくなければ、酒と肉を持ってきた方がいいぜ」

 

「あっ、そう。じゃあ、勝手に死にな」

 

 朱貴美は店の奥に向かった。

 そのまま裏口から店の外に出て、梁山湖に向かって合図の鏑矢(かぶらや)を放てば、すぐに梁山泊から誰かがやってくる。

 あとは、その連中に任せればいいだろう。

 だが、朱貴美が彼らに背中を向けた途端に気配を感じた。

 振り返ったときには、王の大きな身体が朱貴美のすぐ後ろにいた。

 

「きゃあああ。なにすんだい」

 

 朱貴美は悲鳴をあげたが、その腹に王の拳が突き刺さった。

 

「うぐっ」

 

 一瞬、視界が白くなった。

 気がつくと、朱貴美は腹を押さえてうずくまっていた。

 その朱貴美の腰からいきなり、王が下袍(かほう)を剥ぎ取った。

 

「ひいい。な、なにするのよ」

 

 朱貴美は悲鳴をあげたが、その頬を王に張られた。朱貴美は店の床に横倒しになった。

 倒れた朱貴美の足首に、王が短い鎖で繋がった鉄の枷を左右に嵌めた。

 朱貴美はびっくりした。

 

「逃げられちゃあ、困るからな」

 

 王が朱貴美から取りあげた下袍をひらひらとかざしながら笑った。そして、その下袍を卓に座っている安に放る。

 

「じゃあ、まずは酒を持って来い、朱貴美。それから厨房に行って肉を焼いてくるんだ。食事が終われば、俺たちと一緒に二階に行くぞ。しばらく、住むからな。そのつもりでいろ」

 

 安がせせら笑いながら言った。

 朱貴美は歯噛みした。

 仕方なく立ちあがる。

 上衣の裾を力いっぱい伸ばして股布姿になった下半身を隠そうとしたが、上衣の裾は辛うじて、股間の付け根を覆ってくれただけで、太腿は全部が剥き出しだ。

 あまりの屈辱に朱貴美の腹は煮えくり返った。

 こうなったら、王倫たちの手を借りるまでもない。

 朱貴美の手で殺してやる。

 そう思った。

 

 足首につけられた足枷の鎖の長さは肩幅の半分程度だ。なんとか歩くことはできるが、確かにこの状態では逃げられない。

 鏑矢を撃つために外に出ようとすれば、その時点で捕らわれてしまうだろう。

 

 厨房に向かい、まずは、酒瓶と二個の杯を準備した。

 連中が見ていないことを確認して、酒瓶の中に致死性の毒を混ぜる。

 これを飲めば、数瞬で死ぬはずだ。

 朱貴美は鎖の音をさせながら、ふたりが座る卓に持っていった。

 酒瓶と杯を置く。

 

「飲んでいてちょうだい……。肉を焼いてくるわ」

 

 朱貴美はそれだけ言って、厨房に戻ろうとした。

 しかし、その手を安が掴んだ。

 

「な、なによ……?」

 

「まあ、待てよ……。乾杯しようぜ。最初の一杯はあんたが飲んでくれ、朱貴美」

 

 安は卓の上の小刀を掴んで、朱貴美に向けて言った。

 

「なっ?」

 

 朱貴美は思わず声をあげてしまった。

 まさか、毒見をさせられるとは思わなかったのだ。

 このふたりが、そんなところに頭がまわるとは考えていなかった。

 朱貴美はまずいことになったと思った。

 

「王、杯に酒を注げ」

 

 安の言葉で王が杯のひとつに酒をなみなみと注いだ。

 その杯を安が掴み、朱貴美に向けてきた。

 だが、その酒には猛毒が混ざっている。

 杯を顔に突きつけられた朱貴美は、自分の顔色が青くなるのがわかった。

 

「どうした? 飲めないのか、朱貴美? だったら、飲ませてやろうか……?」

 

 安が喉の奥で笑った。

 

「さ、酒を変えてくるわ……」

 

 朱貴美は言った。

 ほかになにを言っていいか思いつかない。

 

「おかしなことを言う女だ……。俺はこの酒を飲めと言っているだけだぜ。俺たちの出会いを祝って乾杯したいのさ。なあ、俺はそう言ったよな、王?」

 

「ああ、安はそう言ったさ」

 

 王も愉しそうに笑った。

 

「お、お酒を変えてこさせて……」

 

 朱貴美はまた言った。

 もう酒に毒を盛ったのは完全に安は気がついているだろう。

 朱貴美は自分の背に冷たい汗が流れるのを感じた。

 

「まあ、どうしても別の酒に交換したいのなら許してやろう。だが、その前に俺たちに舐めた真似をした落とし前をつけてもらわなければな……。そう思うだろう、王?」

 

「安の言うとおりだぜ……。こりゃあ落とし前だな。それか杯の酒を全部飲むかだ」

 

 安も笑った。

 

「お、落とし前……?」

 

「この場で裸になってもらおうか。とりあえず、腰の股布だけは許してやるぜ」

 

 安が小刀を酒の入った杯を卓におろして、再び小刀に持ち替えた。

 朱貴美は後悔した。

 最初に物知らずの与太者だと舐めてかかったのがよくなかったのだ。

 朱貴美が梁山湖に浮かぶ大きな島に巣食う盗賊団の頭領である王倫の愛人のひとりであることは真実だが、それを知らずに、ここに押し入ってくるような馬鹿たちだと舐めすぎたのだ。

 

「どうした、朱貴美? 俺は服を脱げと言ったぞ。なあ、王、俺はそう言ったよな?」

 

「言ったよ、安。確かに言ったぜ。言う通りにしないのは、俺たちのことを馬鹿にしているに違いないぜ」

 

「そうか……。馬鹿にしているのか……。俺は馬鹿にされるのが嫌いなんだ。男のくせに背が小さいと、よく馬鹿にされたものさ。そんなときは、必ず馬鹿にした奴を殺すことにしている。なあ、そうだよな、王?」

 

「ああ。安は馬鹿にされるのが嫌いなんだ。そして、この朱貴美は、きっと安を馬鹿にしているに違いないさ」

 

 王がからかうように言った。

 

「ぬ、脱ぐわよ。脱ぐ」

 

 朱貴美は、ふたりの目付きに危険なものを感じて、急いで言った。

 とにかく、朱貴美は言われたまま、腰の股布以外の身につけているものを全部脱いで、乳房を両手で隠した。

 

「別の酒を持ってこい」

 

 安が言った。

 朱貴美は股布一枚の姿のまま、厨房に戻り、別の酒瓶と杯を運んできた。

 さすがに、もう細工はしなかった。

 すると安は、その新しい酒を杯に注ぎ、いきなり酒を朱貴美の股布にぶっかけた。

 

「ひっ」

 

 思わず声をあげた。

 びっしょりと濡れた股布は、股布の中を安と王に透けて見させた。

 股間の恥毛がはっきりと浮き出る。朱貴美は慌てて、片手で股布の前を隠した。

 

「隠すなよ、朱貴美。俺は女の股布を濡らして、股布を透かして見るのが愉しいのさ」

 

 安がにやにやと笑いながら言った。

 朱貴美は仕方なく、股布を隠した手を乳房に戻した。

 

「隠すなというのは全部のことさ。なあ、王、俺は隠すなと、この女に言ったと思ったがな?」

 

「安は確かにそう言ったな。やっぱり、この女は安を馬鹿にしているのかもしれないぜ」

 

 王が笑いながら言った。

 朱貴美は腹が煮え返るのに耐えながら、両手を乳房から離して体側に垂らした。

 

「なかなか、いい身体だが、ちょっと乳房が垂れてるか、王?」

 

「そうだな、安。それから、髪の毛は赤なのに、陰毛は黒のようだぜ。そんなこともあるんだな」

 

「本当だ……。おい、朱貴美、どっちが本当の毛の色なんだ? どっちを染めてるんだ?」

 

 安が笑いながら言った。

 

「ど、どっちも地毛よ……」

 

 朱貴美は身体をしげしげと眺められる恥辱に震えながら言った。

 髪の毛と股間の毛の色が違うことは朱貴美の恥部だった。それが知られるのが嫌で、朱貴美はずっと自ら恥毛を剃っていたくらいだ。

 しかし、このところ、男に抱かれるような機会とはご無沙汰なので、すっかりと手入れも怠っていた。

 裸身そのものを見られることより、陰毛を眺められることに、朱貴美は激しい屈辱を覚えた。

 

「朱貴美さんはいらっしゃいますか?」

 

 そのとき、店の入口から誰かが入ってきた。

 驚いて顔をあげると、十二歳くらいの童女がそこにいた。

 なんで、童女がここに……?

 

「あんた、誰?」

 

 朱貴美は目を丸くした。

 だが、安が椅子から立ちあがって、すかさず童女を店の奥に押し込んで出入口を押さえた。

 

「王、店の戸締りをしてしまえ。内鍵をかけろ。勝手口も全部見て来い。すっかりと閉めてしまうんだ。それと、外を見てこい。この娘の連れがいるはずだ。探して連れてくるんだ」

 

 安が童女に小刀を向けながら叫んだ。

 王が素早く動いて、まずは店の出入口に戸板をはめて鍵を閉めた。すぐに厨房に向かっていく。

 そこには裏口がある。王が裏口から外に出る物音がした。

 安に指示に従い、少女の連れを探しにいったのだろう。

 

「なんだ、お前は? ここになにしに来たんだ? 客か?」

 

 安が童女に刃物を押しつけながら言った。

 

「わ、わたしは、香孫女(こうそんじょ)という者です……。葉芍(はしゃく)という女の人の紹介で、この店で下働きをさせてもらうためにやって来たのですが……。紹介状も持ってます。あ、あの、あなた方は?」

 

 童女が答えた。そして、朱貴美の格好を見て驚いてもいる。

 

「は、葉芍の紹介? あ、ああ……。そう言えば、そんな話が……」

 

 朱貴美は呟いた。

 確かにそんな話を葉芍にされたことはあった。

 葉芍というのは、幼馴染みである。もっとも、それほど親しかったわけじゃない。

 ふたりとも運城育ちの孤児であり、それぞれに違う集団だが子供同士で助け合って暮らす盗人集団に属していた。盗人としては、朱貴美は葉芍の大先輩格になる。

 もっとも、ずっと運城で生きていたらしい葉芍に対して、朱貴美は運城を離れていたから、朱貴美の記憶にあったのは、まだ幼い時代の葉芍だった。

 

 再会は三年前だ。

 そのときも、葉芍はまだ橋の下団という盗賊集団に属していて、朱貴美のいた集団は消滅していたが、かろうじて「橋の下団」は残っていて、あの幼児がまだ生きていたのかと感慨深く思ったものだった。

 ところが、最近なって、また葉芍が訪ねてきて、驚いたことに運城の小役人の妻になり、橋の下団は解散になったと言ってきた。

 妾じゃなく、妻なのかと、何度も問い直したものだったが、とにかく、そのときの橋の下団が解散になるので、仲間の童女の働き先を探していると相談されたのだ。

 朱貴美としても、下女のような下働きは探していたし、信頼ができる子ならと引き受けた。

 しかし、いまその子が訪ねてくるのか?

 それも、ひとりで?

 よりにもよって、いま?

 

「ほう、客じゃないのか? ひとりか、香孫女?」

 

「ひとりです」

 

「嘘をつけ。お前みたいな童女が、ひとりで街道を歩いて来ただと?」

 

「本当です」

 

 香孫女は言った。

 

「まさか……」

 

 安が訝しむ表情になった。

 そして、視線を朱貴美に向けた。

 

「どうなんだ、朱貴美?」

 

 安が朱貴美に顔を向ける。

 

「あたしは、この娘は知らないわ。だけど、そういう話があったのは確かよ。そして、その娘が言ったとおりなら、ひとりで歩いて来たのは本当かもしれないわ。多分、その香孫女は孤児よ。橋の下の子よ」

 

「孤児だと?」

 

 安が眉を潜めた。

 朱貴美は、さらに質問されたので、橋の下というのは、運城の郊外で、孤児同士が助け合って生きている子供の集団のことだと説明した。

 

「ふうん、まあいい……。とにかく、王が戻るまで待て」 

 

 安は言った。

 そして、口を開かなくなった。

 香孫女は刃物を突きつけられ、朱貴美は濡れた股布の姿で立たされたままだ。

 誰も喋らない。

 

 朱貴美は改めて、香孫女と名乗った娘を見た。

 可愛らしい顔立ちをしていると思った。だが、刃物を突きつけられているというのに、すごく落ち着いた雰囲気がある。なんとなく、相当の修羅場を潜ってきたという感じだ。

 まあ、それが、朱貴美や葉芍のような生い立ちの子供の特徴なのだが……。

 

 朱貴美も葉芍も孤児だ。

 孤児には子供時代などない。

 姿は子供でも、心は大人だ。

 さもないと、生き抜いてはいけないからだ。

 そういえば、葉芍も幼い頃から、穏やかそうな外観でありながら、強い眼をしていた。

 この目の前の香孫女のように……。

 もう、覚えてはいないが、朱貴美もこんな眼をした子供だったのだろう。

 

 朱貴美と葉芍は幼馴染とはいっても十歳は違う。朱貴美はもう二十五だから、葉芍はいまは十五だ。

 ふたりとも運城の郊外で育った。

 それぞれに盗賊などをしていた孤児集団の中で生きていた子供だった。

 朱貴美にしても、葉芍にしても、親が死んだのか、それとも単に親に捨てられたのかわからない。

 ただ運よく、それぞれに子供が集まって助け合って生きる集団に拾われることができた。

 それがなければ、間違いなく朱貴美も葉芍も野垂れ死ぬか、あるいは奴隷狩りに遭って売られていたに違いない。

 

 葉芍とは、所属する集団が違ったので、一緒に暮らしたわけではなかったが、同じような境遇の子供の集団として、葉芍の属した集団の子供とも顔見知りだった。

 ただ、朱貴美は十五のときに、運城からも、孤児集団からも離れて、一緒に暮らしていた青年とともに旅に出た。

 そのときは、葉芍はまだ五歳であり、ほとんど幼女だった。

 

 十五にして一度旅に出た朱貴美は、一緒に出た青年とともに、あちこちを点々としながら、盗賊のようなことをしながら生きた。

 朱貴美たちの手口は毒だ。言葉巧みに近づいた旅人などに、朱貴美が毒を盛って荷を奪うというのがふたりのやり方だった。

 ときには、そのまま毒で殺すこともあった。

 だが、その青年とは一年ほどで、仲違いをして別れた。

 あの青年がどうしているのかは知らない。

 

 その後、朱貴美は帝都まで流れ、器量がよかったことから、小さな料理屋の小女として雇われることになった。

 そこで朱貴美は、宮廷府の役人の試験を目指して塾に通う学生だった王倫に出会ったのだ。

 だが、王倫は試験に落ちてしまい、失望して帝都を出て旅に出ることになった。

 その頃には、朱貴美は王倫と男と女の関係になっていたこともあり、朱貴美もまた、王倫に従って帝都を出た。

 それが八年前であり、朱貴美が十七のときだ。

 

 王倫との旅は一年で終わった。

 旅の旅費を支えたのは、朱貴美だ。

 最初の旅のときのように、毒を使った追い剥ぎのようなことをして、ふたりが生きるためのものを稼いだのだ。

 そうやって風来をした王倫が辿り着いたのが、梁山湖の盗賊団だった。

 当時はそれほど大きな集団ではなく、小さな盗賊が湖にある島に住み着いている程度だった。

 王倫と朱貴美は、その盗賊の一員となった。

 

 しかし、王倫がその盗賊に加わったのは、彼らの仲間になることではなく、盗賊そのものを乗っ取ることにあった。

 あるとき、朱貴美は、王倫に命じられて、そのときの盗賊団の頭領をはじめとして、主立つ者を毒殺した。

 そうやって、王倫は梁山湖にあった盗賊団の頭領になったのだ。

 

 王倫はもともと、宮廷府の役人を目指しただけあり、頭はよかった。

 民衆がなにを求め、どうしたら人が集まるかということを知り抜いていた。

 王倫が掲げたのは、梁山湖にあるあの大きな島を新しい国にするということだった。

 そのために、島に自給自足の態勢を作り、自警団を編成して、官軍の討伐から島を守るのだと説いた。

 賊徒団を梁山泊と名付けたのも王倫だ。

 

 盗賊団にいた者も、朱貴美も、王倫の言葉に酔った。

 王倫の夢に共感した者たちが、続々と梁山泊に集まり、瞬く間に梁山泊は二千人を超える大集団になった。

 王倫は集まった者を組織化して、たった数年で梁山泊を自給自足のできる村のような場所にした。

 まさに、梁山泊は、ひとつの村であり、小さな国だ。

 田畠があり、工房があり、住居があり、そこに住む者には家族があり、子を成す者たちもいる。

 戦闘集団だけでも一千となる。

 湖に囲まれた要害ということで、官軍もなかなか手出しができない。

 みんなの夢が実現するのだと思った……。

 悪徳役人も意地悪な官軍もいない、民衆だけが生きる場所が生まれるのだと思った。

 

 あのときが、一番よかった……。

 しかし……。

 王倫は変わってしまった。

 梁山泊に富が集まり、贅沢ができるようになると、夢を語らなくなった。

 自分の周囲を親衛隊と呼ばれる護衛で守らせるとともに、贅沢な品物で身の回りを包むようなった。

 ふたりの別の美女を夫人のようにも扱いだした。

 そんな状況の中で、いつしか朱貴美は、王倫の愛人とは見なされないようになってしまっていた。

 そして、あるとき、王倫の周囲から離されるように、対岸の湖畔街道で料理屋をするように命じられたのだ。

 

 その目的は、湖畔街道を通る旅人を見張って、政府の密偵の潜入を防ぐことである。

 だから、梁山泊に入ろうとする者は、必ず朱貴美を通じてしか入ることができない。

 もしも、密偵らしき怪しい存在がいれば、料理に毒を入れて殺してしまうことも朱貴美の任務に入っていた。

 また、襲撃に見合う財を運ぶ隊商などの情報があれば、それも王倫に教えたりする。

 いつの間にか、王倫は自警団のはずだった梁山泊の軍をもって、盗賊のようなことをするようにもなっていた。

 そうやって集めた財は、王倫と取り巻きの女たちが贅沢をするために使われるのだ。

 

 いずれにしても、朱貴美が葉芍と再会したのは、朱貴美が梁山泊を出されて、湖畔街道で料理屋を営むようになってからだ。

 いまから三年前だ。

 梁山泊には入ったものの、朱貴美が属した子供の集団がもう存在しないことは聞いていたし、運城には近づいたことはなかったのだ。

 だが、あるとき葉芍がふらりと朱貴美の料理屋をやってきて、朱貴美がかつて運城郊外にいた孤児のひとりではないかと、訊ねたのだ。

 朱貴美が運城を出たとき、葉芍は幼かったはずだが、朱貴美の顔をしっかりと記憶していたようだ。

 そう言われてみると、葉芍にも当時の面影が残っていた。

 とにかく、それから時折、葉芍は朱貴美と会いに、ここまでやって来るようになった。

 

 やがて、つい先日、その葉芍は運城の小役人に見初められて妻になったといってきたのだ。

 それを報せに来たとき、葉芍が、香孫女という十二歳の童女を店で使ってくれないかと頼んだのだ。

 もともとは、橋の下の子のひとりであり、すでに身寄りがないし、橋の下の出身だと手癖が悪いという評判が立っていて、城郭には雇ってくれる者もいないから探しているということだった。

 葉芍が面倒を看たくても、夫には橋の下の子供だったことは秘密なので、相談もできないと困っていたのだ。

 子供の盗賊団のひとりだったことは、確かに役人だという夫には言えないだろう。

 朱貴美は承知した。

 だが、よりにもよって、なぜいまやって来たのだ?

 こんなときに……。

 そのとき、外に行っていた王が裏から戻ってきた。

 

「誰もいねえよ、安。本当にこの童女がひとりで歩いてきたとしか思えねえな」

 

 王が言った。

 本当にたったひとりでこんな物騒な街道を……?

 朱貴美はそれを聞いて、そう思った。

 

「よし、だったらいい……。おい、王、こいつは香孫女というんだそうだ。橋の下とやらに住む孤児のようだ。つまりは、身寄りがないということだな」

 

「へえ、そりゃあ、運がいいんじゃねえか?」

 

「お前、ここで裸になれ、香孫女。嫌だと言ったら、どうなるかわかるな?」

 

 安が香孫女に刃物を向けながら言った。

 

「は、裸?」

 

 香孫女が驚いたような声をあげた。

 

「聞こえないのか、香孫女とやら? 俺はそう言ったぜ」

 

 安が声をあげて笑った。

 

「ほう……。もしかして、あんたらは強盗?」

 

 十二歳の香孫女が眼を丸くしている。

 

「そういうことだ、お嬢ちゃん」

 

 すると、安が香孫女の首にいきなり刃物を突きつけた。朱貴美は思わず声をあげた。

 安が香孫女の服を首のところから下に向かって、二つに切り裂いたのだ。

 

「ほ、本当に強盗か? よりにもよって、いまここに?」

 

 香孫女が叫んだ。

 しかし、気のせいか、香孫女の口調は恐怖というよりは、なんとなく、好奇の響きが混じっているように、朱貴美には感じられた。

 しかし、安も王も、香孫女の表情の変化に気がつかなかったようだ。

 

「お前、いくつだ、香孫女?」

 

 安が香孫女に訊ねた。

 

「十二……」

 

「十二か……。だったら、十分に俺たちの相手はできるな、香孫女。そう思うだろう、王?」

 

「ああ、きっと、大丈夫に違いないぜ。前にもっと小さい童女を犯したこともあったと思ったな、安。あれは八歳じゃなかったか? 一緒にいた母親が、そう泣き叫んでいた気がするぜ」

 

「馬鹿野郎……。あのときは、童女が死んでしまったじゃねえか、王。八歳は犯したら死んでしまうんだ。だが、十二歳はきっと大丈夫だぜ」

 

「違うよ、安……。あのときは、犯して死んだんじゃない。あまり泣くんで、岩に頭を叩きつけたら死んだんだ。八歳だって死にはしないさ。頭を割れば死ぬがな」

 

「そうか。頭を割れば死ぬのか。だが、犯しても死なないのか……。だったら十二歳は問題ないな」

 

 安が大笑いした。

 朱貴美は心の底から怖くなった。

 こいつらは、本当に狂人だ。

 馬鹿ではなく、狂人なのだ。

 狂人には理屈は通用しない。ここが湖畔の賊徒団の一部などといくら説明しても無駄だ。

 それを理解する力がないのだ。

 朱貴美は、それを確信した。



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73  香孫女(こうそんじょ)、油断し毒酒で眼を潰される

「わ、わかったよ。と、とにかく上に……、上に行こうよ。ちゃんと相手をするから……。そ、それと、その香孫女(こうそんじょ)は解放しなよ。あ、あたしがふたりの面倒を看るよ」

 

 朱貴美(しゅきび)は卓の上に仰向けになったまま叫んだ。

 いま朱貴美は、肉を焼くあいだ装着されていた足枷は外されていたが、すぐ安によって卓に押し倒され、大きく脚を開いて卓の下に膝を曲げた状態で左右の膝と足首を縄で卓の脚に固定されていた。

 また、手首にも縄を巻かれて、頭側の卓の脚に縄尻を結ばれた。

 つまりは、朱貴美は客用の卓に仰向けにされ、四肢を四隅に拡げて拘束されているのだ。

 

「そうはいかねえよ……。いま、王が取り込み中なのは見ればわかるだろう? 王は女を犯している最中にやめさせればすごく怒るんだ……。だから、もう少し待たなきゃならねえ。とにかく、一発だけ出させれば、王ももう腹を立てたりしないはずだ……。多分、もうすぐ終わるだろうよ……。そうしたら、二階に行くさ」

 

 (あん)が笑った。安は大きく股を開かされている朱貴美の脚側の卓に肉の乗った皿を置いて、手掴みで肉を口にしていた。

 一方で、部屋の片隅では、大きな身体の(おう)が小柄な香孫女の身体を椅子に座ったまま犯していた。

 素裸の香孫女を後手縛りにして、椅子に腰かけた王に股がらせて怒張を香孫女の女陰に貫かせているのだ。

 そして、香孫女の腰を両手で掴んで、荒々しく香孫女を上下に動かして自分の怒張を擦らせ続けている。

 

 朱貴美が安に脅されて、厨房で肉を焼いて戻ったときには、あの状態であり、すでにかなりの時間が経ったと思う。

 だが、ずっとあのままで王は香孫女を犯し続けている。

 香孫女は首を大きくのけ反らせて息も絶え絶えだ。

 全身は真っ赤で汗びっしょりになっている。

 

「さて、じゃあ、そろそろ、こっちも味見といくかな……。おい、王、肉はそこに置いておくぞ」

 

 安が肉の乗った大皿を隣の卓に移動させて、王に声をかけた。

 

「お、おう……。安。この娘。い、いい、感じ、だぜ……。しっかりと、締めつけ、やがる……。俺の珍棒を……しっかりと……受け……とめる」

 

 王が香孫女の腰を掴んで激しく揺らしながら嬉しそうに言った。

 

「はあ……はっ……はあ……はっああ……」

 

 だが、王の腰の上で犯されている香孫女は白目を剥きかけている。かなり辛そうな感じだ。

 ただ、王の言葉のとおり、童女の香孫女はしっかりと王を受け入れて、しかも、女の快感に悶えてもいる。

 朱貴美は、そのことにも驚いていた。

 

 だが、そう言えば、葉芍(はしゃく)が所属していた「橋の下」の子供は、子供同士で、自慰を見せ合ったり、互いに情を交わしたりすることを通じて、仲間同士の融和を育むという奇妙な掟を持っていたことを思い出しもした。

 葉芍は、香孫女も橋の下の子供と言っていたから、まだ大人になりきらない身体をしていても、やはり経験は多いのだろうと思ったりした。

 

「じゃあ、そろそろ、御開帳といくか」

 

 朱貴美の股のあいだに皿を置き、食事をしていた安が言った。

 はっとした。

 安の右手には、横に置いていた小刀が握られている。

 その小刀がたった一枚だけ残っていた朱貴美の股間の布に差し入れられた。

 呆気なく、股布が朱貴美の腰から剥ぎ取られる。

 そして、安の唇が朱貴美の無防備になった股間に移動した。

 

「んんっ……」

 

 朱貴美は歯を喰い縛った。

 安が息を吐きながら、朱貴美の秘唇に口づけを始めたのだ。

 襞を一枚一枚口に含み、くちゅくちゅとしゃぶってくる。

 肉の油にまみれた唾液で股間が濡らされ、舌先を差し入れて、穴の中にほじりたててくる。

 安は執拗だった。

 かなりの時間、繰返し繰返し、飽きることなどないかのように、朱貴美の股間に舌を這わせ続けた。

 さすがに、だんだんと身体が熱くなってくる。

 

「んんっ……うっ……んっ……」

 

 朱貴美は懸命に口をつぐんだ。こんな男に股を舐められて、肌が粟立つように気持ち悪いのだが、一方で妖しい戦慄のようなものが込みあがってもくるのだ。

 朱貴美は必死でそれに耐えた。

 

「へへ……、気は強そうだったが身体は正直だな、姐さん……。しっかりと下の口が涎を出し始めたぞ」

 

 一度口を離した安が、そんな朱貴美にからかいの言葉を吐いてから、今度は朱貴美の股間の亀裂にぴったりと唇を密着させて、蜜を吸うような刺激を加えてきた。

 思わず、嘘だと叫びそうになったが、安の舌の刺激が、そんな朱貴美の心の抵抗を吹き飛ばす。

 

「んんんっ」

 

 朱貴美は身体を弓なりにのけ反らせた。

 その反応に畳み掛けるように、今度は肉芽が舌で跳ねあげられる。

 

「はああ」

 

 今度は大きな声が出た。

 そして、そのことに歯噛みした。

 こんな男に舌で愛撫されて、情けなくよがるなど信じられないほどの恥辱だ。

 犯されるのはもう諦めていたが、快感によがらせられることには耐えられない。

 しかし、朱貴美は、すでに自分自身の身体が淫らに溶け始めようとしているのはわかっていた。

 安の舌先で股間に舐められるたびに、膣の中がかっと熱くなり、強い疼きが全身を這いまわってくる。

 

「おおおっ」

 

 そのとき、大きな王の声がした。

 すると、安が朱貴美を責めていた舌を離して、王と香孫女の方を見た。

 

「はあ、はあ、はあ……」

 

 とりあえず、安による舌責めが中断したことにほっとして、朱貴美は脱力した。

 横を向いた朱貴美の視界に、香孫女の身体を抱きしめながら精を放つようにぶるぶると身体を震わせた王の姿が映った。

 終わったようだ。

 王が、やっと香孫女の腰を上下に動かすのをやめた。

 

「結構、いい身体だったぜ。安も後で愉しむといいぜ」

 

 満足をしたような王が香孫女の股間から肉棒を抜いて、香孫女の身体を捨てるように床に投げた。

 

「ひいっ」

 

 後手縛りのまま床に投げられた香孫女が、腰を強く打ちつけて悲鳴をあげた。

 

「安、やっぱり、十二歳は問題なかったぜ。それどころか、最高の道具だった。俺の肉棒をちゃんと受け入れて、しかもぐいぐいと絞ってきやがる。あれは童女の股じゃねえな。どこかでちゃんと訓練をされた股だ」

 

 王が安に言った。

 

「そうか、よかったな、王……。やっぱり十二は問題なかったか……。だが、調子に乗って頭を割るんじゃねえぞ。頭を割ると、十二でも死ぬんだからな」

 

「わかっているよ、安。頭は割らねえよ。死なれては困るからな。あの香孫女は最高の道具だ。なあ、王、香孫女を俺たちで連れて行ってもいいんじゃねえか……? 孤児だと言っていたしな。連れて行って、いつでも犯したいときに犯したらいい。身体は小さいから、そんなにも食わねえさ。邪魔になったら殺せばいい」

 

「まあ、それはこっちの仕事が終わってからだ、王。忘れたのか? 俺たちは、この女が毀れるまで徹底的に犯し続けなければならないんだぜ」

 

「忘れちゃいねえよ、安。俺たちは、この女が毀れるまで犯す。そう言われたんだったな」

 

 王が言った。

 朱貴美はふたりの会話になんとなく違和感を覚えた。

 このふたりは、ただ無計画に朱貴美の店を襲いにきたわけじゃない感じだ。

 なにかの目的のために、朱貴美を強姦するのだということを仄めかした気がする……。

 

「どっちにしても、王、お前はまだ、やりたりねえだろう? よければ、こっちの女も先に味わってもいいぜ。お前は早く精を出したい癖があるが、俺はねちっこく女を抱くのが好きなんだ。別に俺は後からでも構いやしねえ」

 

 安が笑った。

 

「本当か、安? 本当にこっちの女にも先に精を出していいのか?」

 

「ああ、ただし、最初は、とりあえずふたり掛かりで責めるんだ。そして、この女が完全に気が抜けたような状態になったら精を出していい。そしたら、二階に行こうぜ。いろいろと持ってきた道具で、あれをするんだ……。なんだったかな……? あれだ、あれ……」

 

「安、調教だよ。俺たちは朱貴美を毀れるまで調教する。そう言われたんだぜ」

 

「そうだった。調教だ。毀れるまで調教するんだったぜ。お前の言う通りだった、王」

 

 安がおかしな笑い声をあげた。

 だが、朱貴美は確信した。

 やっぱり、こいつらはただ朱貴美の店にやってきたわけじゃないのだ。誰かにそれを命じられてやってきたのだ。

 

「あ、あんたら、誰に頼まれてここにやってきたのよ?」

 

 朱貴美は叫んだ。

 すると、笑い合っていた安と王が驚いた表情になった。

 

「おい、なんでそれを知ってるんだ、朱貴美? 俺たちが誰かに頼まれて、ここにやってきたと言ったか? なあ、王、俺はそれを言ったか?」

 

「いや、言ってないと思うな、安……。きっと言ってない。それは喋ってはならないと、あんなに言われたからな。そんなことを言うわけがないさ」

 

「そうだな……。じゃあ、この女はまたはったりと言ったのか?」

 

「俺はそう思うぜ、安。この女ははったりを言うのが好きなんだと思うぜ」

 

 王の言葉に、安はまたほっとしたような表情になった。

 朱貴美は苛ついてきた。

 

「なにがはったりよ。言いなさい。これは誰の差し金なの。あんたら、ここが梁山泊(りょうざんぱく)の息のかかった店だということがわかってやっているの?」

 

 朱貴美は怒鳴った。

 

「安、また、女がはったりを言っているぜ」

 

「そうだな……。朱貴美ははったりと言うのが好きなようだな」

 

 安が笑った。

 朱貴美は歯噛みした。

 どこの誰かわからないが、そいつは、この頭のおかしな男ふたりを使って、朱貴美をなにかに陥れようとしているようだ。なんとなく、それがわかってきた。

 

「……それよりも、安、さっき、ふたり掛かりだと言っていたが、こいつにもやらせようぜ。俺はいい考えだと思うがな……」

 

 すると、王は床に突っ伏している状態だった香孫女の後手縛りの縄尻を掴んで、こっちに引き摺るように連れてきた。

 

「な、なに……。なんだ? なにをするのよ」

 

 香孫女が怒ったように、安と王を睨んだ。

 

「隠しても駄目だ。俺にはちゃんとわかったぜ。お前、奴隷上がりだな。しかも、ただの奴隷じゃねえ。性奴隷だ。そうだろう、香孫女?」

 

 王が言った。

 朱貴美はびっくりした。

 

「な、なんで……?」

 

 香孫女の声には当惑した感じがあったが、かなりの動揺の響きも混じっていた。

 性奴隷……?

 あの年齢で……?

 朱貴美は訝しんだ。

 

「隠してもわかるぜ。首になにかを塗って誤魔化しているが、首に奴隷の首輪を嵌められていた痣がふたつある。このふたつの痣は、奴隷の首輪をずっとされていた者が首輪を外されたときにできるものだ。そして、俺を相手にしたときの性技……。きっと、それは性奴隷だったときに仕込まれたに違いないぜ」

 

 王が言った。

 そして、香孫女の首を掴んで、安に突き出させるようにした。

 

「なるほど、痣があるな。お前の言う通りだぜ、王。確かに、こいつには奴隷だったという証拠の痣があるな。そうか、性奴隷か……。こりゃあ、かなり面白いことになってきたな、王。お前の言うとおり、性奴隷を連れ歩くというのはいい考えかもしれねえ……」

 

 安が香孫女の首を覗き込みながら声をあげた。

 

「ふ、ふん。性奴隷あがりだったら、なんだというんじゃ?」

 

 すると、いきなり香孫女の口調が変化した。

 朱貴美はびっくりした。

 

「ほう、大人のような喋り方になったな、香孫女? やっぱり性奴隷だったんだな」

 

 安が驚くというよりは嬉しそうに言った。

 

「ああ、確かに性奴隷だったこともある。随分と昔の話だがな」

 

 香孫女が言った。

 安と王は大笑いした。

 

「お前は十二歳だろうが? 昔というのは、いつのことを言っているんだ。面白い娘だな、お前」

 

 安が笑いながら言った。

 

「残念ながら、もう老婆といっていい歳でな……。童女の姿でいるのは特異体質じゃ……。もういい。お前らを使って、この女に取り入ろうとも思わんでもなかったが、わしは馬鹿は好かん。馬鹿は馬鹿同士つるんで、どこかに行け。もう、わしの前から失せよ」

 

 香孫女が言った。

 朱貴美は懸命に首をあげて、三人がいる脚の方向に視線を見ていたが、驚いたことに、縄できつく縛られていたと思った香孫女が、あっという間に縄抜けをして縄を床に落とした。

 見ると、両腕が青く光っている。

 道術師だ。

 この童女は、道術を遣うのだ。

 朱貴美は驚愕した。

 

「ひぎいい」

 

 だが、次の瞬間、香孫女の身体が吹っ飛んだ。

 王が大きな腕で、香孫女の首のあたりを横殴りにしたのだ。

 そのまま宙を飛んで香孫女が壁に激突した。

 そして、香孫女は身体を壁に叩きつけられた反動で戻ってきて、床に倒れた。

 

「こいつ、道術師だぜ、安?」

 

 王がゆっくりと香孫女に近づきながら言った。

 

「そうだな、王。童女の姿をした道術師だ。しかも、俺たちのことを馬鹿だと言った道術師だ」

 

 安も険しい顔をして香孫女に近づいた。安は隅に置いたままだった酒瓶を手に取った。

 あれは、最初に朱貴美がこのふたりに飲ませようとした猛毒の入った酒の入った瓶だ。

 朱貴美は驚いた。

 

「き、貴様ら……」

 

 口から血を流しながら香孫女がよろよろと立ちあがった。

 その香孫女の顔に向かって、安が酒瓶の酒をぶちまけた。

 

「うがああ、眼が眼がああ」

 

 香孫女が顔を押さえてひっくり返った。

 安は毒の入った酒を香孫女の眼にかけたのだ。香孫女がのたうちまわっている。

 

「道術師はみんな同じだ。道術の力を遣うのに眼を通じて霊力を集めるのさ。だから、眼をやられた道術師は道術を遣ねえ……。道術士はみんな同じだな」

 

 安がせせら笑いながら、脚で香孫女を蹴飛ばして仰向けにした。

 その香孫女に巨漢の王が馬乗りになった。

 

 眼をやられれば、道術師は道術を遣えない……?

 そう言えば、それは、朱貴美も耳にしたことがあった。

 また、道術というものは、自然を操作したり、他人に幻を見させたり、あるいは、催眠で操ったりすることはできるが、直接には道術で他人を殺せない……。

 そんなことも聞いたこともある。

 よくはわからないが、道術という不可思議な技も万能ではなく、長い歳月を通じて、そのように人の血の中で発展したものらしい。

 

 いずれにしても、このふたりは少し頭がおかしいようではあるが、戦闘能力や戦いの経験は超一流だ。

 朱貴美が毒をもっても簡単に見破ったし、普通の者は知らない道術師との戦い方もよくわかっている。

 

「王、その香孫女の眼を開かせろ。そして、眼をこじ開けさせるんだ」

 

 安が香孫女の顔の前にしゃがみんで言った。

 

「や、やめんかあ。やめるんじゃあ」

 

 香孫女が絶叫している。

 しかし、王が膝で香孫女の腕を押さえ込み、両手を香孫女の眼に伸ばして強引に目をこじ開けさせた。

 

「うぎゃああああ」

 

 香孫女の絶叫がした。

 卓の影で見えなかったが、安は毒入りの酒を香孫女の眼に直接垂れ流したようだ。

 致死量の猛毒だ。

 あれでは、香孫女の眼は潰れてしまったに違いない。

 朱貴美はぞっとした。

 

「王、念のために目隠してをして、その目隠しを縄で縛れ。腕も縛り直すんだ。そしたら、まずは気絶するまで殴れ。だが、殺すなよ。俺を馬鹿にした分を殴らないとならないからな」

 

 安が言った。

 

「ひいいた、助けて。わ、わしが悪かった……。た、助けてくれ。ひいいい。眼を……眼を洗わせてくれえ。眼が……、眼が焼ける。熱いいい」

 

 香孫女が悲鳴をあげ続けている。

 しかし、王がその香孫女に馬乗りになって、身動きできないように香孫女の身体と腕を押さえつけていた。

 次第に香孫女の悲鳴が小さくなり、すすり泣くような声に変化した。抵抗も弱くなっている。

 

「待たせたな、朱貴美」

 

 だが、安が戻ってきて朱貴美の視界を阻んだ。

 

「せっかく、みんなでお前を悦ばしてやろうと思ったが、王が忙しくなった。やっぱり、お前の相手は俺がやることにするぜ、朱貴美」

 

 安が薄ら笑いを浮かべながら、朱貴美の身体に屈みこんだ。

 最初は憎たらしかったこの男たちの薄ら笑いが、いまは怖い……。

 朱貴美は自分の顔が引きつるのを感じた。

 そして、朱貴美の仰向けの裸身に覆い被さってきた安は、今度は乳房に口を当てて、片手で揉みながら舌を乳首の周りに這わせてきた。

 また、もう一方の手で股間に指を入れて膣の中を弄り始める。

 

「んんん」

 

 朱貴美は悲鳴をあげた。

 

「んがあっ、ひぐううがあああ」

 

 一方で、部屋の隅から肉を殴る音と香孫女のうめき声が聞こえ始めた。

 王は容赦なく香孫女を殴り始めたようだ。

 朱貴美は怖ろしさに身体が竦んだ。

 

「やっぱり、あの女の言うとおりに、随分と男とはご無沙汰のようだな。ちょっとばかり膣がきついぞ……。まあいい……。すぐにほぐれてくるさ」

 

 安が指で朱貴美の股間を愛撫しながら笑った。

 あの女……?

 朱貴美は一瞬だけその言葉を訝しんだが、だんだんと込みあがる快感に思考を噛み乱されるとともに、全身を支配していく愉悦に大きく身体をくねらせて悶え震えた。

 

 そして、しばらくしたら、執拗だった愛撫が終わり、やっと安が朱貴美の上から離れた。

 脚を開いていた縄が解かれたと思った。

 しめたと思った。

 実は愛撫の時間を利用して、なんとか手首の縄は緩めることに成功していたのだ。だが、さすがに足首の縄抜けまではできない。

 どうしようかと考えていたが、安は犯しやすいすいように、脚を自由にしたのだ。

 しっかりと縄がかかっていた膝と足首の縛めがなくなったのだ。

 朱貴美はなにも考えずに、脚を跳ねあげて卓からおりようとした。

 

 外に出て、鏑矢を湖に向かって放つ。

 考えたのはそれだけだ。

 それが可能かとか、不可能かとかは考えなかった。

 やるしかない……。

 それだけしか頭になかった。

 もう夜だとは思うが、それが合図になり、梁山泊から誰かがやってくるはずだ。

 それで助かる。

 

 だが、足首が縄で引き戻された。

 解かれたのではなく、足首にしっかりと縄が残っていて縄尻が卓の左右の脚に繋がっていた。

 

「なんだ? 逃げようとしたのか?」

 

 安が笑いながら卓にあがってきた。

 はっとした。

 安は、すでに下袴を脱いで下半身を露出していて、股間には堂々とした怒張が勃起している。

 

「こんなに濡れているのに、いよいよ突っ込むとなれば、どいつもこいつも抵抗するな。女なんて、どれも同じだな」

 

 腕が横から飛んできて朱貴美の顔をはね飛ばす。

 

「んぎいっ」

 

 床に叩きつけられ、一発で朱貴美は抵抗の力を失った。その朱貴美を裏返しにして、縄で5手に縛り直された。

 そして、そのまま、仰向けに裏返される。

 安が朱貴美の股間の亀裂に肉棒の切っ先をあてがった。

 腰のくびれをつかまれて一気に貫かれる。

 

「ふうう……、うううううっ」

 

 朱貴美は首をのけ反らせて、呻き声をあげた。

 痛みのようなものが走ったが、それは一瞬だけだった。

 すぐに押し広げられた膣に快感が走り始めた。

 

「やっぱり、あの女の言うとおりだったな……。これは、かなり男とは遠ざかっていた股だぜ。王、この女は男日照りだったぞ」

 

 安が声をあげて笑った。

 まだ、律動はしていないが、それが始まってしまえば、あっという間に快楽の暴発が襲いそうな気がした。

 ただ、挿入されるだけで、すでにじわじわという快感が起き始めている。

 朱貴美は必死で漏れそうになる甘い声を止めている。

 

「そうか、あの女の言った通りか……。だったら、ちょっと股に珍棒を突っ込んでやれば、すぐに堕ちるかな? そう言われなかったか?」

 

「そう言われたが、珍棒で堕ちる女なんて、俺は出逢ったことがない。そんな演技をする女は多いが、それは逃げたいだけの演技だ。いつもそうだった。犯した女は最後は逃げようとする。俺は知っているのさ」

 

 安と王が笑い合った。

 そのことにも腹がたった。

 女を犯しながら、まるで世間話のように誰かと会話を続けられるなど、大きな侮辱だった。

 それに、さっきからこのふたりが、あからさまに仄めかしている女とは誰なのだ?

 もう、朱貴美も我慢ならなかった。

 

「だ、だから、その女というのは誰だい?」

 

 朱貴美は叫んだ。

 しかし、朱貴美の頬に火の出るような平手が炸裂した。

 

「ひぎいっ」

 

 頭がもげるような衝撃で、朱貴美は大きく呻いた。

 

「また、はったりを言ったな。お前が女のことを知っているわけがない。お前は知らないはずだ。俺たちは喋るなと言われたんだからな」

 

 朱貴美は安を見あげた。

 やはり、正常な人間の眼付きではない。

 狂人だ。

 朱貴美は怖ろしくなった。

 

「安、気をつけろよ。その朱貴美ははったりを言う……。はったりを言うのは、俺たちを馬鹿にしているに違いないぜ。この小さな道術師のようにな……」

 

 王がそう言いながら、床に倒れている香孫女の髪の毛を掴んで無理矢理に立たせている。

 そして、頬を張り飛ばした。

 

「ひぐうう」

 

 香孫女の小柄な身体が飛んで、また壁に激突した。香孫女は後手縛りのうえに、眼にしっかりと目隠しをされて、目隠しの上をさらに縄で縛られている。

 そのため、受け身もなにもできずに、頭を思い切り壁に激突させた。

 香孫女は動かなくなった。

 

 もう、何十回となく繰り返されている光景だ。

 香孫女が王にどのくらい殴られているのかわからない。

 全身は痣だらけであり、頬も真っ赤に腫れている。

 さっきまでは大きな悲鳴をあげていたが、いまはほとんど虫の息のような感じだ。

 

 いずれにしても、香孫女は童女のような外見だが、実は年齢を重ねた道術師だったようだ。

 本人がそんなことを言っていたし、道術師であることを仄めかしてからは、そんな雰囲気を醸し出したりもした。確かに、彼女は十二歳程度の童女では断じてない。

 だが、そうであれば、なぜ、葉芍はそんな道術師と知り合いなのか?

 

 まあ、それはともかく、香孫女はその道術でふたりから逃げようとし、そのときに「馬鹿」とふたりを罵った。

 それは、ふたりには言ってはならない言葉だったらしく、香孫女は安に毒の入った酒を眼にかけられて視力を潰され魔道を封じられ、縛られ直されたうえに、いまでも殴られ続けている。。

 

「王、それくらいにしておけ。それ以上やると死んでしまうぞ。お前はいつも女を殺してしまう。俺はまだ、その奴隷娘を愉しんでいないんだぞ」

 

 安が言った。

 

「大丈夫だよ、安……。俺は手加減してる。殺すつもりはないさ。だが、確かに、この娘は小さいからこれ以上殴ると死ぬかもしれないな……。そうか……。だったら、もう一度、この香孫女を犯すか。おい、お前、起きろ。また、俺の股に跨るんだ。さもないと、もっと殴るぞ」

 

 王がそう言って、香孫女を引きずり起こしている。

 

「さあ、こっちも始めるぞ、朱貴美。たっぷりとよがるんだ」

 

 安が朱貴美に視線を戻した。

 そして、とまっていた肉棒を動かし始めた。

 

「はうっ、うぐうっ」

 

 朱貴美は呻いた。

 いきなりの容赦のない激しい律動だ。

 蜜を吐き出す朱貴美の股間が淫らな水音を奏で始めた。

 

「それ、それ、それ。声を出すんだよ、朱貴美。俺は女が声を喘いでよがるのが好きなんだ」

 

 安が愉しそうに腰を動かしながら言った。

 だが、朱貴美は必死になって口をつぐんでいた。

 こんな男に犯されてよがるなど死んでも我慢できない。

 だが、犯されている股間からは逃げることのできない快感が沸き起こっている。

 一生懸命に口を閉じていても、それでも漏れ出る朱貴美の嬌声が部屋に響いている。

 すると、また平手が頬に炸裂した。

 

「ひぐうっ」

 

 激痛に朱貴美は悲鳴をあげた。

 

「声を出せと、俺は言ったぞ、朱貴美。なあ、王、俺は声を出せと、この女に言ったよな?」

 

 平手を打つために一瞬だけ止めた律動を再開しながら、安が叫んだ。

 

「お、おうっ。安はそう言ったぞ。俺にも聞こえた。言うことをきかないのは、俺たちを馬鹿にしているからだと思うぞ、安。馬鹿にしたんなら殴れ」

 

 王も叫んだ。

 いまや、王も隣の卓に香孫女を載せて、今度は上から香孫女を犯している。

 香孫女の苦しそうな息が聞こえる。

 

「そうか……。朱貴美は俺のことを馬鹿にしたのか? お前は、あの小さな道術師みたいに、俺たちのことを馬鹿にしないと思ったが、馬鹿にしたのか?」

 

 安は険しい顔になった。

 そして、また安の平手が反対の頬に炸裂した。

 

「し、してない。ば、馬鹿になんかしてない。はっ、はっ、はあっ」

 

 朱貴美は必死で言った。

 そのあいだも、安の怒張の律動は続いている。

 口を開くと、激しい息が洩れ出た。

 たが、なぜか、安がにんまりと微笑んだ。

 

「おい、王。俺は発見したぞ。叩きながら犯すと、女の股はぎゅっと締るんだな。とても、いい気持ちだぞ。そりゃ、そりゃ」

 

 安は腰を前後に激しく動かしては、一瞬だけ止まって、激しく数発平手を打ち込み、また、しばらく怒張を抜き挿ししては、すぐに左右から朱貴美の頬に平手を打ちこんでくるということを始めた。

 それが永々と繰り返される。

 

「や、やめてええ──。ひいひいいっ、ゆ、許してええ──ひぎいいっ。だ、誰か、助けてえ──」

 

 朱貴美は心の底から助けを求めた。

 犯しながら打っている平手なので力いっぱいというわけでもないのだろうが、それでも男の力で打たれては、一発一発が気が遠くなるような衝撃だ。

 そのうえに、安の言うとおりに、打たれると膣がぎゅっと締まるのだ。

 それを強く擦られるのだから、朱貴美も堪ったものじゃない。

 

「そうか、安……。殴りながら犯すと気持ちがいいのか。じゃあ、俺もやってみるよ……」

 

 王の声がした。

 隣で香孫女の頬を王が張る音と、香孫女の強い呻き声が始まる。

 

「そりゃ、そりゃ」

 

 そして、こっちでも安が面白がるように平手を繰り返しながら腰を動し続ける。

 助けて。

 朱貴美はいつの間にか涙を流していた。

 いつしか、ほとんどものを考えることができなくなった。

 しばらくすると、安は抽送に専念するように平手をやめたが、朱貴美は泣き声をとめることができなかった。

 いつ殴られるかわからないという恐怖と無理矢理に送り込まれる律動の快感が、朱貴美の感情と思考を完全に麻痺させている。

 

「あっ、ああ……はああ……あはああ……はっ……」

 

 朱貴美は声をあげていた。

 絶え間なく送り込まれる律動に、朱貴美は翻弄されていた。

 もうなにも考えることができない。

 だが、そこに送り込まれる股間の刺激は、自分でも信じられないような快感を生んでいた。

 女陰を深く抉られるたびに、震えるような快感が走るのを我慢できない。

 

「随分と気持ちよさそうだな、朱貴美? 殴られてよがる女はやっぱりいいな。それにしても、お前は変態だな。殴られた方が気持ちよさそうだ。多分、そうなんだろうな」

 

 安が頬をまた張った。

 殴られて気持ちよくなるわけがない。

 朱貴美は平手の衝撃に悲鳴をあげながら思った。

 しかし、絶頂がもうすぐ起きそうだ。

 殴られながら犯され、それで達してしまう……。

 そんな醜態を自分が晒すと思っただけで、恥辱で気が遠くなりそうだ。

 だが、いまそれは現実になろうとしている。

 

「それっ、それっ……。殴られて気持ちがいいか、変態女」

 

 安が笑いながら腰を動かすのをやめて、また平手を加えてきた。痛みで股間が自分でも信じられないくらいに収縮したのがわかった。

 すかさず、律動が再開する。

 

「いぐううう」

 

 その瞬間、急に快感の迸りが弾けた。

 頭が真っ白になるような、すごい官能の矢が朱貴美の全身を貫いた。

 ただの絶頂ではない。

 朱貴美の中のなにかが毀れるような快感――。

 それが朱貴美の五体を揺さぶり、身体の芯の部分を強く焼き焦がしたと思った。

 

「おおっ? こりゃあすごいぜ。よし、出すぞ。出してやるぞ、朱貴美」

 

 安の腰の動きが激しさを増した。

 

「おおっ、おおっ、おおっ」

 

 そして、安が気持ちよさそうな声をあげた。熱い精の塊りが子宮の底に注がれるのをしっかりと朱貴美は感じた。

 もう、朱貴美はなにも考えられなかった。

 宙に浮くような絶頂の愉悦の中で、安の抽送が続いている。

 怒張からの精の迸りも続いている。

 やがて、やっと股間が抜かれた。安が満足したように卓をおりていく。

 

「はあ……ああ……」

 

 朱貴美は脱力した。

 とにかく終わった……。

 思ったのはそれだけだ。

 惨めに強姦されて、子宮に精を注入された。

 それは恥辱だったが、いまはそれも考えられない。

 終わった……。

 ただ、それだけを思った。

 

「おい、呆けている暇はねえぞ、姐さん」

 

 びっくりした。

 王が上から被さってきている。

 

「ひいい──。やめてえそ、そんなあ──」

 

 朱貴美は心の底から恐怖の悲鳴をあげた。

 

「なにを叫んでいるんだ、朱貴美? 安はもう香孫女を犯し始めたぞ。香孫女には、俺が二発注いだ。安が一発注ぐだろう。お前はまだこれが二発目だ……。俺はちゃんと数えているんだ。なあ、安? こいつは二発目だよな?」

 

 王が隣りの卓で香孫女を犯し始めた安に叫んだ。

 香孫女は今度は身体を裏返しにされて、高く尻をあげた状態で後ろから安に突かれていた。

 しかし、さんざんに殴られている香孫女は、その姿勢を保つのがつらそうだ。

 だが、そんなことには頓着なく、安は香孫女を強姦している。

 

「ああ、その女は二発目だ。お前は間違っちゃいねえぞ、王。だが、お前はもう三発目だろう? 俺たちは、その女を毀れるまで犯さないとならないんだぞ。大丈夫なのか?」

 

 安が香孫女を犯しながら、隣で笑う声が聞こえた。

 

「王、俺は六発まではなんでもないぜ。六発すれば、二刻(約二時間)は休憩が必要になる。だが、六発は大丈夫なんだ。六発やっても、二刻(約二時間)あれば、またやれるようになる」

 

「だったらいい。存分にしな」

 

 安が言った。

 

「じゃあ、いくぜ」

 

 王が朱貴美の腰を抱えた。

 

「あぐううっ」

 

 朱貴美は喉を突きだして悲鳴をあげていた。

 王の怒張が膣を貫いた。

 

「うぐうう……はあああ」

 

 すぐに律動が始まった。

 朱貴美は大きな声をあげた。

 さっきの愉悦の快感がまだ残っていて、その残っている快感の残骸を再熱させるように王の怒張が朱貴美の股間を掻き廻しだす。

 王の怒張は安よりも、ずっと長大で太かった。それがゆっくりと動いて、膣の中の粘膜を擦り動いていく。

 

「ああっも、もう堪忍して……こ、毀れてしまう……こ、怖い」

 

 朱貴美は叫んでいた。

 王の本格的な律動が始まると、また、どんどんと身体が熱くなった。

 自分の喘ぎ声が信じられないくらいに淫らな響きを持ち出す。

 気持ちがいい。

 いま、朱貴美は犯されて、しっかりと快感を覚えている。

 さっきは、あっという間でそれを自覚する余裕もなかったが、いまはそれをしっかりと認識している。

 股間の中心に王の肉棒が一突き一突き押し入られる。

 そのたびに快感の度合いがあがり、朱貴美の身体はこれまでに経験したことがないような高みにせりあげられていく。

 

「ああやめてえ──。いぐううう──」

 

 朱貴美は絶叫していた。

 怖い。

 怖い。

 毀れる。

 なにかが朱貴美の中で崩壊する。

 それが怖い。

 

「おうおう、遠慮なく、毀れな。俺たちはお前を毀さなければならねえ。そのためにたっぷりと礼金をもらった。お前が毀れるんだ、朱貴美。俺たちが毀すからな。俺たちはいつも女を毀してきた。だから、声をかけられたんだ」

 

 王が腰を振りながら、呆けた響きの混じる声で言った。

 再び快感が弾ける予兆がやってくる。

 朱貴美は恐怖した。

 

「あああ──。だ、だめええ──、弾ける──いやああ──」

 

 朱貴美は叫んだ。

 その頬に平手が飛んできた。

 

「ひぎいいっ、叩かないで──。ああああ──」

 

「お前は叩かれて気持ちよくなるんだろう? だから、叩いてやっているんだ。そんなに力は加えてねえぞ。俺が本気で叩けば、お前も香孫女も死んでしまう。だから、手加減をしているんだ。俺は殴って、女を殺しちゃならねえ。そう言われたからな」

 

 王が腰を振りながら、反対の頬を張った。

 

「だめええ──」

 

 朱貴美は絶叫した。

 身体を大きく跳ねあげさせていた。

 わけがわからなかった。

 本当に叩かれて感じているのか……?

 そんなこと信じられないが、叩かれて意識を失うような感覚のときに注ぎ込まれる愉悦は、宙を浮びあがるような陶酔でもあった。

 朱貴美は、ただひたすらに腰をくねらせて、官能に悶え狂った。

 

「出すぞ、出すぞ。朱貴美のまんこはぎゅっと締まって気持ちがいい。もう三発目だが、出したくなった。出すぞ」

 

「ひいい──。助けて──、ああ、助けて──」

 

 朱貴美は自分でもなにを言っているかわからなかった。

 脳天を突きあげるような快感が走った。

 朱貴美は吠えるような声をあげて全身を震わせていた。

 二度目の絶頂は気が遠くなるような激しいものだった。

 殴られて強姦され、そして、続けざまに絶頂してしまった……。

 一瞬だけ、その事実が頭をよぎる。

 しかし、快楽の波動がそんな思考を弾き飛ばしてしまう。

 

「うおっ……おおっ……」

 

 朱貴美の上の王が声をあげた。

 精を出すのだ。

 そして、注がれた。

 

「おお、締めあげやがる……」

 

 王が気持ちよさそうな声をあげた。

 朱貴美は自分の股間が、朱貴美の意識とは関係なく王の精をむさぼるように収縮を繰り返していることに気がついた。

 王が満足した表情で朱貴美の股間から怒張を抜いた。

 

「お前、最後には気持ちよさそうだったな? 自分から腰を使っていたぞ。そんなによかったのか?」

 

 王が笑った。

 そんなわけがない……。

 朱貴美は、そんな蔑みの嘘を口にする王を睨みつけた。

 しかし、それが本当に出鱈目であると口にする自信は、朱貴美にはなかった。



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74  朱貴美(しゅきび)、王と安を雇った女を予想する

「んがあ、んがあ、あがあ、あがああ……」

 

 童女姿の香孫女(こうそんじょ)が横の卓で呻いている。

 目隠しをしたまま、全身を殴られて痣だらけになった香孫女は、いまは卓に身体を仰向けで乗せられて四肢を大きく広げて四隅の方向に縄で縛られていた。

 そして、口の中に王が調理場から持ち出してきた大きな漏斗を突っ込まれて、猿ぐつわのように口に縄で固定されているのだ。

 そして、その口の中に突っ込んでいる漏斗に、王が笑いながら桶の水を流し込み続けている。

 これで四杯目だ。

 十二歳の童女の身体の香孫女の腹は、もう臨月の妊婦のように膨れあがっている。

 

「今度、失禁したら股間と尻の穴に挿し込んでいる鉄の火箸の先に火をつけるからな。もちろん、水を飲むのをやめても、火をつける。なあに、簡単なことだ。俺たちの荷に中には簡単に火のつけられる道術具の火付石と松明がある。その炎の端を鉄箸の先にかざすだけだ。本当に簡単なことなのさ……。なあ、安、この前の女にも同じことをやったが、簡単なことだったよな。それであの誘拐した女は死んだんだったかな?」

 

 王が香孫女の口に大量の水を流しながら言った。

 その言葉のとおり、香孫女の股間と肛門には、王が漏斗とともに持ってきた長い火箸が無造作に突っ込んである。

 そして、外に出ている側の先は王が折り曲げて上を向いている。

 あれは、香孫女が王の言うことをきかなければ、その先端を火で炙る準備だということのようだ。

 そんなことをされれば、鉄の火箸は、たちまちに灼熱を香孫女の股間と肛門に伝えて、香孫女の股を焼け焦げにしてしまうだろう。

 朱貴美はぞっとしていた。

 

 そして、このふたりがそれを決して冗談や脅しで言っているのではなく、本当にやるつもりだということもわかっている。

 ふたりは、自分たちに「馬鹿」と言った香孫女を拷問のすえに殺してしまうことに決めたようだ。

 

 朱貴美も香孫女も、この不意にやってきた狂人にかなりの時間、犯されまくった。それこそ、股も尻の穴もふたりから入れ替わり犯されたのだ。

 それこそ、かなりの時間が続いている。

 やがて、やっと休憩ということになり、朱貴美は拘束されたまま休むことを許された。

 それがどこのくらいの時間を犯され続けてからのことなのかわからない。

 ふたりの侵入者がやってきたのは昨日の夕方だったが、もはや真夜中をすぎていることだけは間違いない。

 もしかしたら、そろそろ朝がやって来るのではないかとも思う。

 窓の外はまだ真っ暗だが、なんとなく夜明けの気配が近づいている気もするのだ。

 

 ともかく、犯され続けて、意識を保つことも難しくなった頃にやっと許された休息だ。

 朱貴美はすぐに眠りに落ちかけた。

 だが、隣の卓で始まった怖ろしい出来事によって、疲労による睡魔など吹っ飛んだ。

 香孫女については休息は許されずに、凌辱の終わりは拷問の開始になったのだ。

 厨房に向かった王が水の入った桶と漏斗と火箸を運んできて、いまのように香孫女を拷問し始めたというわけだ。

 

「いや、それは違うぞ、王。あの女はそれだけじゃあ死ななかった。股ぐらが使えなくなっただけでな。焼け焦げで膿だらけになった股をお前が使おうとして、だが、傷で穴が塞がってできなかったんで、怒ったお前が火のついた松明を直接に膣にねじ入れたんだ。それで腰に火がついてしまって焼け焦げになったんだぞ」

 

「そうだったかな、安?」

 

「そうだよ、王。だから、女を毀すためには、火箸を炙るだけじゃだめだ。火のついた松明を股に突っ込むんだ」

 

 安が笑いながら言った。

 そのあいだにも、香孫女はどんどんと桶の水を漏斗に注がれ続けている。

 小さな香孫女の身体では、おそらくあれ以上の水は入らないだろう。

 朱貴美が見ている限り、少しずつ水が逆流して口から噴き出しかけている。

 

 だが、そんなことをしようものなら、王は躊躇なくまずは火箸に炎をかざすだろう。

 だから、香孫女は泣きながら一生懸命に水を全部飲み込もうとしている。

 しかも、香孫女は最初の桶のときに二度失禁をしたのだが、今度はそれすらもするなと言う。

 その壮絶な光景に、朱貴美は恐怖の震えが止まらなくなっていた。

 

「さて、そろそろ、俺も回復してきた。待たせて済まなかったな、朱貴美……。俺は王のように続けて何度も精を出すことはできなからな。一度、出せば休まないと駄目なんだ。だから、ちょっと待ってもらわなければならなかった。そろそろ、大丈夫だと思う……。だが、やっぱり、心配だから最初は淫具を使うぞ。なにしろ、俺たちはお前を色狂いにして毀さないといけないんだからな。だから、本当にたくさんの淫具を持ってきたんだ。たとえば、こんなものとかな……」

 

 安は、やはり香孫女と同じように四肢を拡げて卓の上に全裸で拘束されている朱貴美の腹の上に、男根を模した淫具を乗せた。

 はっとした。

 道術の淫具だ。

 

 その張形は安が根元を操作すると、いきなり蠕動運動をしながらくねり始めたのだ。

 道術具には、道術師しか扱えものと、道術師があらかじめ誰でも操作できるように細工をしたものがある。

 この淫具は魔道を帯びていない人間にも操作できるようにしたものだろう。

 この安と王が道術師であるとはとても思えない。

 

 いずれにしても、朱貴美はこんな淫具の道術具など目にするのは初めてだ。

 だが、こんなものでいたぶられれば、いまの朱貴美がどんな反応を示してしまうのかわかりきっている。

 しばらく休むことができたというものの、ほとんど一晩中犯され続けた朱貴美の身体は、まだ官能の余韻でくすぶっていた。淫具でいたぶられれば、それが再び燃えあがるのにいくらもかからないに違いない。

 

「も、もう堪忍して……。あ、あたしも、香孫女も許して……。そ、それに、もうすぐ朝じゃないの……。朝になれば、ここにも客がやってくるわ……。そうすれば、彼らがあたしたちを助けるために、あんたたちを襲うわ……。だ、だから、いまのうちに逃げなさい……」

 

 朱貴美は腹の上で動き続けている淫具を眺めながら懸命に言った。

 朝になれば、早立ちの旅人も食事に立ち寄ることもあるし、なによりも、梁山湖に浮かんでいる盗賊団の者が船で数名は来るだろう。

 朱貴美の店は島内の食事の味に飽いた者たちに結構評判がいいのだ。

 そうすれば、この店の凶事が王倫に伝わる。

 王倫(おうりん)は賊徒を連れて朱貴美を助けに来てくれるに違いない。

 だが、できれば朱貴美は自分が犯されたという事実を王倫には知られたくない。

 

「おう、いいぜ……。それはわかってることだ。別にどうということはない。お前が俺たち旅の男に犯されたことを知られるだけだ……。噂になるのだろうな。なにしろ、俺たちは二階に住んで、お前が毀れるまで調教するのだからな……」

 

「そうだ。毀れるまで調教するんだ。だが、女は簡単には毀れない。あの女は簡単だと言っていったが、俺たちは馬鹿じゃないから知ってるんだ。女を本当に毀すのは時間がかかる。殺すのは簡単だが、毀すには時間がかかるんだ」

 

「そうさ。俺たちは馬鹿じゃない。女を殺すのではなく、毀すには時間がかかる。それくらいはわかっている。だから、二階に住むんだ……。すぐに、二階にお前を連れていこうと思ったが、その生意気な小さな道術師を痛めつけることになったからな。そうなると二階は狭い。だから、ここで犯したんだ……。まあ、どっちでもいいことだ。店であろうと、二階であろうと、俺たちはお前を毀すだけだ」

 

「おう、俺もどっちでもいいぞ、安。俺はどっちでもいいんだ。一階でも二階でも」

 

「誰が来ようとも、俺たちを邪魔できるわけもないしな。なあ、王? そうだよな。朝になって、誰かに見られても、俺たちは困らない。この女は男に捨てられるかもしれないが、それは俺たちには関係のないことだ。なあ、王、そういうことだよな?」

 

「さあな、安……。多分、それで合っていると思うぜ。朝になって、客が来ても俺が追い払ってやるぜ。女なら犯すかもしれないが、男は追い払うか殺す。なにしろ、毀すのは時間がかかる。安、それで合っているか?」

 

「合ってるぜ、王。お前は間違ってない。俺も間違ってない。なにしろ、俺たちは馬鹿じゃないんだ」

 

「そうだ。馬鹿じゃない。とにかく、俺たちがこの店の二階で朱貴美を毀すことは、すぐにわかるかもしれない。評判にもなるだろう。そう言われたかな。だが、俺たちは評判なんか気にしない。朱貴美は困るかもしれないがな。特に、男に知られるのはな。だが、それは関係ない。そうだったと思うぜ」

 

 朱貴美は驚いた。

 この男たちは、ただ誰かに朱貴美を犯して毀せと指示を受けているだではなく、それを評判になることを承知している?

 なにを言っているのだ、このふたりは?

 もしかしたら、この知恵足らずふたりを朱貴美にけしかけた黒幕は、朱貴美がこの狂人たちに犯されたことが評判になることを期待している?

 

「それよりも、見てくれ、安。この香孫女は小便を漏らすなと言ったのに、また小便をしたぜ。じゃあ、とりあえず、燭台の炎でいいか……。それで鉄箸の先を炙ってやる。よく考えらたら、その方がじわじわと熱くなって、愉しいかもしれねえな……」

 

「ああっ? おおっ? なんだ、この小さい道術師は、するなと命令したのに、小便をしたのか? もしかしたら、こいつは俺たちを馬鹿にしているんじゃないか? なにしろ、言いつけを守れないんだ」

 

「きっとそうだな。だから、この道術師は殺す。しかし、すぐには殺さない。だから、ゆっくり殺すのさ。なあ、そう思わねえか、安? すぐに死んでしまうやり方よりも、ゆっくりと苦しめるやり方の方が面白いよな」

 

 ふと見ると、確かに香孫女は、激しく号泣しながら、また放尿をしていた。

 だが、あんなに腹が膨れるほどに水を飲まされているのだ。小便をするなというのが無理な話だ。

 

「ああ、お前の言うとおりだぜ、王。すぐに毀して殺すよりも、ゆっくりと殺す方が面白い。お前の言うとおりだ……。案外、頭いいな、王?」

 

「そうか……? 頭がいいか……? 本当か、安……? 本当にそう思ってくれるのか?」

 

「ああ、そう思うな、王──。前にも言ったと思うが、王は俺よりも頭がいいと思っている。本当にそう思っているんだ」

 

 安がそう言うと、王が本当に嬉しそうに顔をくしゃくしゃにして笑った。

 

「じゃあ、香孫女。そういうことだ。お前の股ぐらに松明を突っ込むのは少し後だ。だが、燭台の火はかざす。それでもゆっくりと熱いのは来ると思うがな」

 

 王が部屋を照らしている燭台を持ってくると開いている香孫女の股間の前に置き、鉄串の先端が蝋燭の炎に当たるように位置を調整した。

 

「んがあああ──」

 

 漏斗を啌わえさせられている香孫女が、早速熱さを感じだしたのか、大きな声で吠えた。

 

「隣りのことは気にするな。あの小さな女が、なんでお前と一緒にいたのか忘れたが、あの女は関係ないんだ。俺たちはお前をここにいられなくするために毀すんだ……。俺たちがやってきたのはそういうことなんだ……。それよりも、淫具の先に媚薬を塗ってやるぜ。これはお前が毀れやすくなるための薬剤だそうだ。俺たちを雇った女に渡されたものだが、これを使えば簡単に仕事も終わるとか言っていた」

 

 安が小さな壺のようなものを取り出すと、中身の塗り剤をたっぷりと淫具の一面に塗りたくった。

 

「男いらずという薬剤らしいな……。だが、これを塗ると、男が欲しくてたまらなくなるようだ。男いらずだという名前なのに男が欲しくなるんなんておかしいな」

 

 安が笑った。

 そして、振動を続けている淫具を朱貴美の股間に近づけた。

 

「そ、そう……。秀白花(しゅうはくか)は、そんなことを言ったの? 男いらずなのに、男が欲しくなるなんて変ね……。あなたの言うとおりだわ、安……」

 

 朱貴美はすかさず言った。

 時折、このふたりが仄めかす彼らの雇い人については、それを訊ねるたびに殴られるので、しばらく口にしないでいたが、そろそろ、この狂人ふたりを雇ったのが誰なのか見当もついてきた。

 

 まずは、この黒幕は女だ……。

 そして、朱貴美を追い出したがっている……。

 その手段の中で、そいつは朱貴美が強姦されたことが公になることも期待している……。

 ……これだけわかれば、鈍い朱貴美でも十分だ。

 

 その雇い人の女は、余程に強くふたりに口封じをしたようだが、このふたりには、それを守る知恵が足りないようなのだ。だから、どうしても思ったことを喋ってしまう。

 その喋ったことを繋ぎ合わせれば、誰がこれを仕組んだのか推測するのは簡単だ。

 嫉妬深い王倫の愛人のひとりが、同じ愛人のひとりである朱貴美を王倫から離そうとしているのだ。

 朱貴美の愛人であり梁山泊の賊徒団の首領である王倫には、朱貴美のほかに愛人がふたりいる。

 

 ひとりは杜穂(とほ)……。

 もうひとりは秀白花(しゅうはくか)……。

 

 杜穂は予言もできるという不思議な占い師であり、愛人というよりは王倫の参謀役といった感じだ。

 朱貴美の存在について、杜穂が嫉妬するとは思えない。

 彼女はそういう性質の女ではないからだ。

 

 もうひとりの秀白花は、正真正銘の王倫の愛人であり、一番新しい女でもある。

 賊徒団の一員としての仕事はまったく持っていないし、王倫の寵愛を受けることで、梁山泊における地位を確保している女である。

 しかも、気が短い馬鹿女だ。

 空っぽの頭に、大きな乳房と豊かな腰、そして、顔の美貌だけがくっついているような女だ。

 

 朱貴美は、杜穂は好きだが、秀白花は大嫌いだ。

 前々からその秀白花が、王倫の寵愛を独占しようとしているのは知っていた。

 朱貴美が梁山泊から出されて、湖畔沿いの料理屋で、連絡係と情報収集のような仕事をやらされるようになったのも、よく考えれば、あの秀白花がやってきてからのことだ。

 

 そして、これも秀白花の差し金だとすれば、朱貴美は十分に納得できた。

 いかにも秀白花がやりそうなことであり、朱貴美のような女を梁山泊(りょうざんぱく)から引き離すことで喜ぶのは、あの女だけだと思う。

 ほかにもいろいろあるが、そう考えていくとしっかりと辻褄も合う。

 だから、かまをかけた。

 また、殴られるかもしれないが、この知恵の足りない狂人のふたりの反応で、それはわかる。

 

「ああ、秀白花はおかしな女だ。女を毀して大金をくれるなんて頼みごとをするなんて、本当におかしな話だ。この媚薬の名もおかしいぜ……。男いらずなんてな。お前もそう思うだろう、王?」

 

 安は言った。

 やっぱりだと思った。

 この料理屋への襲撃の黒幕は、秀白花か……。

 

 それにしても、安の持つ淫具は朱貴美の股間の手前で止まっている。

 股間ぎりぎりのところで振動を続ける淫具を留められるというのは嫌な感じだ。

 いずれにしても、安は否定しなかった。もしも、朱貴美の見当が間違っていれば、安はそういう反応をしただろう。朱貴美の当て推量を利用して、本当の黒幕を誤魔化すような頭が安にあるとは思えない。

 

「おっ、なにをしているんだ、王?」

 

 そのとき、安がびっくりしたような声をあげたので、朱貴美も隣の卓に視線をやった。

 そして、朱貴美もびっくりした。

 いつの間にか王が香孫女が乗せられている卓の上にのぼっていて、しかも、香孫女の口に突っ込まれている漏斗に性器をあてがっているのだ。

 

「なあに、この女が小便ばかりするから、俺も小便したくなったのさ、安。それで桶の水の代わりに、俺の小便も飲ませてやろうかと思ってな」

 

 王がそういって、漏斗に放尿し始めた。

 もうすっかりと抵抗の気を失ったような香孫女は、泣きながら流れ込んでいくる王の尿を飲み下している。

 安がそれを見て、大きな声で笑った。

 

「ああ、じゃあ、始めるか、朱貴美……。早く見物人がやってくるといいな。お前が俺たちのような男に犯されたということを、俺たちは、広く知れ渡るようにしなければならないんだ。そうしなければ、朱貴美を毀しても、朱貴美はここに残るかもしれない。俺たちは朱貴美を毀してここにいられなくしなければならないんだしな」

 

 安が言った。

 あの秀白花め……。

 朱貴美は腹が煮え返った。

 しかし、はっとした。

 安が止めていた淫具を持つ手を動かす気配を感じたのだ。

 

「ふうううっ、そ、そこは違う──。ひいいっ──」

 

 しかし、次の瞬間、朱貴美は全身をのけ反らせて悲鳴をあげた。

 安が蠕動運動を続ける張形を突き挿してきたのは女陰ではなく、その下のお尻の穴だったのだ。

 安の持つ張形が淫らな振動をしながらゆっくりと尻穴を貫き始める。

 

「や、やめてええ──。そんなものをお尻に挿してはだめえ──」

 

 朱貴美は絶叫した。

 

「いや、いいのさ……。お前は尻穴を犯されるところを人に見られるんだ。それがどこかに伝わる……。それでお前はここにはいられなくなる……。そして、毀れる。人に知られた方が早く毀れる。しかも、尻穴がいい。そんなところを犯されるのは恥ずかしい……。だから、早く毀れる。俺は間違っていない……。間違っていないぞ」

 

 安がそう言いながら、さらに張形を尻深くに突き押してきた。

 

「やめろ──。やめてよ──」

 

 朱貴美は叫んだ。

 だが、安の持つ淫具が、振動をしながら朱貴美の菊座を貫くことで言葉は掻き消され、口から迸るのはただ悲鳴だけになった。

 すでに何度も犯されて緩んでいるお尻は、特に抵抗することもなく簡単に張形のすべてを受け入れてしまった。

 朱貴美は声を絞り出していたと思う。

 しかし、その声が朱貴美の耳に届くこともなかった。

 妖しい振動と蠕動を続ける張形が肛門の内側の粘膜を擦ると、気も遠くなるような快感が朱貴美を襲った。

 もうなにも考えられなかった。

 

 おそらく、余程に強い媚薬なのだと思う。

 それが尻穴の中で巻き散り、尻穴を熱い快感でただれさせる。

 お尻が熱い──。

 脳が灼ける──。

 股間が弾ける──。

 薬剤だけでこんなにも呆気なく自分が興奮状態になるなど信じられなかった。

 

「そんなに大きな声を出すもんじゃないぜ、朱貴美。もうすぐ、夜が明ける。そうすると、店に誰かがくるかもしれねえ。俺たちは困らねえが、お前は困るんじゃねえか──。なあ、そう思うだろう、王?」

 

 安が張形を操作をしながら笑った。

 

「ああ……。だが、女が困ったとしても、俺たちは困らねえ──。だから、問題はねえ。いくらでも叫ばしてやりな、安。こっちの魔女もそろそろ悲鳴をあげたくなったらしい。股が熱いんだろうな。蝋燭の炎だって、やっぱり苦しいようだぞ、安。この小さな女は悲鳴をあげているぜ」

 

 王が言った。

 朱貴美は、横の香孫女が桶で大量の水を強引に飲ませられながら、女陰と肛門に突き挿されている鉄箸の先端を蝋燭の炎で炙られているということを思い出した。

 そう言われると、かなり激しい悲鳴を香孫女もあげているようだ。

 

 このままでは、香孫女は死んでしまうだろう。

 だが、もう朱貴美としても、香孫女のことを考える余裕はなくなった。

 あっという間に絶頂がやってきた。

 薬物で犯されながら責められる快感は、これまでに朱貴美が感じたあらゆる性交でも味わうことのなかった凄まじい快感だった。

 その快感を尻穴で味わっている。

 朱貴美はそのことに愕然とする思いだった。

 それをこんな暴漢たちから与えられる……。

 しかも、淫具によって……。

 だが、五体を灼き尽くす官能のうねりは、もう完全に朱貴美の意思を裏切っている。

 朱貴美は拘束された全身をのけ反らせて、貫いた快感のうねりのまま果てた。

 

「早速、達したな、朱貴美──。おい、王、この女は尻穴で絶頂したぞ。もしかしたら、この薬剤の名は間違っていないのかもしれないな。男なしでも、この朱貴美はとても気持ちよさそうだ。やっぱり、男いらずなのかもしれない──。なあ、朱貴美、男が欲しくなったか? 男が欲しくなったら、俺が犯してやる」

 

 安は朱貴美が達しても許すことなく、同じように振動する淫具の抽送を継続する。

 朱貴美はすぐに快感を掻きたてられて悲鳴をあげた。

 

「も、もうだめえ──。おかしくなる──」

 

「おかしくなるのか? それは構わないぜ。毀れてしまえば俺たちの仕事は終わるしな……。だが、女は簡単には毀れねえ──。俺は知っているのさ。なあ、王、そうだよな? 女というのは簡単には毀れねえよな? ましてや、いき狂いで毀れるのは時間がかかる。なあ、そうだったよな、王?」

 

 安は朱貴美の肛門に張形を抜き挿ししながら言った。

 肛門を張形が出入りするたびに、信じられないくらいの快感が襲う。

 朱貴美は半狂乱になった。

 

「お前は間違っていないと思うぜ、安。だが、こっちの小さな女はもう毀れてしまいそうだ。股ぐらから焦げるような匂いがしてきたぜ。蝋燭の炎でも股は焦げるようだな。俺は知らなかったぜ、安」

 

 横で王がそう笑いながら言うのが聞こえた。

 そのとき、予告なしに、不意に張形が肛門から抜かれた。

 安が朱貴美から離れるのがわかった。

 なにが起きたのかわからなかったが、やっと淫具の責めから解放された朱貴美は、がっくりと身体を脱力させた。

 

「……香孫女たちから離れなさい、ごろつき……」

 

 そのとき、突然、女の声がした。

 朱貴美はびっくりした。



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75  香孫女(こうそんじょ)呉瑶麗(ごようれい)に年齢を打ち明ける

「……香孫女(こうそんじょ)たちから離れなさい、ごろつき……」

 

 そのとき、突然、女の声がした。

 びっくりした。

 とにかく、朱貴美(しゅきび)は首を動かして、声の方向を視線を向けた。

 そこにいたのは、黒毛と赤毛のふたりの美女だ。

 見知らぬ顔だと思うが、黒毛の女にはなぜか見覚えがある気がする。

 ふたりとも剣を抜いている。

 その後ろの厨房には、もうひとり誰かがいる気配があった。

 

「お前たちは誰だ……? どこから入った……?」

 

 (あん)が用心深い口調で言った。

 すでに、安も(おう)も剣を抜いている気配だ。

 

「厨房よ……。朝までに戻ってこなかったら、様子を見に来てくれという伝言が残してあったんでね……。大丈夫、香孫女?」

 

 黒毛の女が言った。

 

「んあ、があ……」

 

 香孫女が呻いた。

 口に漏斗を突っ込まれて、縄で固定されている香孫女は喋ることはできないようだが、どうやらこのふたりは香孫女の知り人のようだ。

 それにしても、香孫女の腹は信じられないくらいに膨らんでいる。

 

「お前のそんな参っている姿を見るのも新鮮ね……。あたしはあんたのこと嫌いだけど、助けてあげるわよ」

 

 すると、赤毛が言った。

 

「どうやって、助けるんだ、女ども?」

 

 王が嘲笑するような声をあげた。

 

「大人しく剣を収めれば、一発か二発犯しただけで解放してやるぜ。いまは、この朱貴美を毀さなければならないんだ……。だから、あまり人数が増えても困るからな……」

 

「そうだな、安……。あまり人数が増えても困るかもしれねえな。だが、六発までなら大丈夫だぜ。俺は二刻(二時間)すれば、また六発できるんだ。だから、この女たちを解放するのは、俺が三発ずつして、安が一発ずつしてにしようぜ」

 

「構わねえよ、王……。だったら、俺は赤毛を最初に犯していいか? 俺は赤毛を犯すのが好きなんだ。特に、赤毛の女の尻穴を犯すのがいいんだ。赤毛の女は気が強いからな……。だから、その尻を犯して泣かせるのがいいんだ」

 

「いいぜ、安。俺は黒でも赤でもどうでもいい……。安が赤毛を先に犯すんなら、俺は黒が先でいい」

 

 安と王がそう言って笑い合った。

 

「ああ──? 馬鹿なの、あんたら──? なにを喋っているのよ──?」

 

 そのとき、赤毛の女が不機嫌そうな口調で言った。

 その瞬間、安と王の笑い声がぴたりと止まった。

 

「安、この赤毛、俺たちのことを馬鹿だと言ったぜ」

 

 王の酷薄そうな声がした。

 

「言ったな、王──。赤毛は殺していい。俺たちのことを馬鹿にしたやつは、殺してもいい人間だ」

 

 安が言った。

 

劉唐姫(りゅうとうき)、このふたりくらいは、わたしひとりでいいわ。香孫女と朱貴美を助けてあげて……」

 

 黒毛の女が無造作に前に出た。

 ほとんど同時に、安と王も動いた。

 

「ぐあ──」

「ひぎいい──」

 

 なにが起きたのかさっぱりとわからなかった。

 黒毛の女が、剣を挟んで安と王の前にすっと出たと思ったが、次の瞬間、安と王が剣を落としてうずくまっていたのだ。

 ふたりとも右手を掴んで呻き声をあげている。その手は血で真っ赤だ。

 朱貴美は床に切断された二本の親指が落ちていることに気がついた。

 黒毛の女が安と王の右手の親指を切断したのだ。

 だが、朱貴美には黒毛の女が剣を動かしたことさえわからなかった。

 あまりの素早い剣に朱貴美も驚いた。

 

「香孫女、しっかりしなさい……」

 

 そのあいだ、赤毛の女──つまり、劉唐姫は、まずは香孫女の股間に突っ込まれていた鉄箸を抜き、次いで、口から漏斗を外して、さらに四肢の縄を解いている。

 

「……動くんじゃないわよ、ふたりとも……。動くと今度は手首ごとなくなるわよ……。安女金(あんじょきん)、来て──」

 

 黒毛女が安と王に剣を向けながら鋭く言った。

 すると厨房に隠れていたらしい、もうひとりの人間が現れた。

 そいつも女だった。

 安女金と呼ばれた女は、慌てたように香孫女に駆け寄っていった。

 香孫女を抱くようにした安女金の腕は青く光っていた。

 

 この女も道術士だ……。

 そのとき、さっきの劉唐姫が朱貴美の縄を切断してくれた。

 自由を得た朱貴美はとりあえず卓の上に身体を起こして両手で胸を抱いた。

 よくわからないが助かった……。

 そう思うと、安と王に対する憎しみがかっと込みあがった。

 

「あ、赤毛と呉瑶麗(ごようれい)なのか……? あ、安女金もおるのか……? た、助けてくれ……。眼を……眼をやられたのだ……眼を……」

 

 香孫女が弱々しい声で、救いを求めるように、劉唐姫たちに両手を伸ばしている。

 縄掛けされた目隠しは外されているが、香孫女の両眼は毒酒を浴びて完全に潰れているようだ。

 

「香孫女、しっかりしなさい──。眼は簡単に治るわよ。あたしがいるからね。その前に、劉唐姫、香孫女を裏に連れて行って……。水を吐かせるのよ……。ここじゃあ、汚れてしまうしね」

 

 安女金が指示している。

 なんとなく、安女金は医者ではないかと思った。

 そんな感じだ。

 

「あ、安女金……。た、頼む……。お、お願いじゃ……。眼を……」

 

 香孫女が泣きながら言った。

 その香孫女を劉唐姫が両手で抱えあげる。

 

「そうね……。あんたらも裏に行きなさい──。血で店を汚してしまうわ」

 

 黒毛の女が安と王の背に剣を突きつけて言った。

 その瞬間、安がいきなり立ちあがって黒毛女に体当たりをしてきた。

 朱貴美は悲鳴をあげたが、そのときには、すでに黒毛女の持つ剣は安の胸から背中にかけて貫いていた。

 安の身体が倒れた。

 王も立ちあがっていたが、すでに、黒毛女の剣は安の身体から抜かれて、蒼い顔をしている王の喉に突きつけられていた。

 

「あ、安、安? なんてことしやがる──? なんてことだ? お、お前、安を殺したのか? 殺しやがったのか?」

 

 王が動転したような声をあげた。

 

「人殺しなんてなんとも思わないような顔をしているくせに、仲間が死ぬのはそんなに動揺するの? 死にたくなければ、女を監禁してやりたい放題するなんて無法はしないことよ。それでも無法をするんなら、殺されても文句は言わない覚悟もすることね? そうでなければ、悪党をやる資格はないわ。そうは思わない?」

 

 黒毛の美女は王に剣を突きつけたまま言った。

 

「……あなたが朱貴美ね……。わたしは呉瑶麗よ……。よくわからないけど、とんだことだったわね。もうわかったと思うけど、わたしたちは香孫女の仲間なの……。なにが起きたのか教えてくれない?」

 

 呉瑶麗が言った。

 朱貴美は呉瑶麗に事の経緯を簡単に語った。

 昨日の夕方、店に突然に、この見知らぬならず者が襲ってきたこと……。

 ふたりは安と王という名前らしく、ここが朱貴美が女ひとりでやっている料理屋であることを知っていて、朱貴美を脅して強姦したこと。

 そのとき、香孫女が不意にやってきて、巻き込まれたこと──。

 香孫女が毒酒を眼に浴びて、視力を潰され、そのために魔道を封じられたことも話した。

 

 そのあいだに、朱貴美は脱ぎ捨てられたままだった自分の服を着た。

 そして、疲労のあまり、話しながら近くの椅子に座り込んだ。

 

 朱貴美が話をしている最中、呉瑶麗は王を再び床に座らせ、ずっと剣を用心深く向け続けて、ただの一度も王から目を離さなかった。

 

「なるほど……。たまたま、香孫女があんたの店に仕掛けに行こうとしたら、このふたりのならず者の訪問にかち合ったということね……。それよりも、店が血で汚れちゃったわね……。ごめんなさい、朱貴美……」

 

 呉瑶麗が王に剣を突きつけたまま言った。

 

「……よ、汚れなんて……。そんなのいいわ……。問題ないわよ」

 

 朱貴美は言った。

 血まみれで死んでいる安の死骸を見て、すっと溜飲が下がった気がした。

 だが、いま、呉瑶麗は「仕掛け」と言った気がする。仕掛けとはなんだろう。

 いずれにしても、あの香孫女が単純に朱貴美の店で働くためにやってきたとは、もはや思えない。

 なにしろ、道術師だ。こんな小さな街道沿いの料理屋で下働きをするような道術師などいない。

 その「仕掛け」とやらには、香孫女を朱貴美に紹介した葉芍(はしゃく)も一枚噛んでいるのだろう。

 今度、とっちめればわかるとは思うが……。

 

 そして、朱貴美はこの呉瑶麗をどこで顔を見たのか思い出した。

 手配書だ。

 直接に会ったのは初めてだが、湖畔街道から城郭に向かう辻に手配書が貼ってある。

 この店にも役人が手配書を持ってきた。

 元国軍の武術師範代にして、帝都で殺人を犯し、さらに流刑場で看守を殺して逃亡中であり、その罪で多額の賞金を懸けられている呉瑶麗だ。

 その呉瑶麗がなぜここに……?

 

「そう……。汚れても構わないのね……」

 

 呉瑶麗がぽつりと言った。

 その瞬間、呉瑶麗の剣がさっと動いた気がした。

 

「うがああ──」

 

 王が呻き声をあげた。

 小さな刃物を握った王の左手が手首から離れていた。

 夥しい新たな血が床に流れ出す。

 

「毒を塗ってあるのね……。どこまでも卑怯な男なのね。あんたら……。この店が女ひとりでやっている店だから、どうにでもなると思って襲ったの? 本当に向こう見ずなのね……。ここがどんな店だかわかっているの?」

 

 呉瑶麗が王の手首が握っている小刀を拾いあげながら言った。

 

「ま、待って、殺さないで──。あたしを襲った理由を吐かせて──。誰に頼まれて、あたしを襲ったのか白状させてよ、呉瑶麗──」

 

 朱貴美は叫んでいた。

 そういえば、この王と死んだ安は、王倫の愛人である白秀香(はくしゅうか)に唆されたことを仄めかしていた。

 

「頼まれて襲った?」

 

 呉瑶麗が不審そうに顔を動かした。

 

「あらあら、派手にやったわね、呉瑶麗……。こっちは殺しちゃったの? とりあえず、あんただけでも治療してあげるわ」

 

 そのとき、安女金が再び現れた。

 安女金は、血まみれでしゃがみ込んでいる王に駆け寄ると、青い光を放つ手を傷口にかざしだした。

 すると、切断された手首や親指の傷に肉が盛りあがってが塞がり、血が止まった。

 

「手首まで復活させなくてもいいわよ、安女金──。そんなことをすれば、また、どこかで女を襲ったりすることを繰り返すと思うから」

 

「言われなくても、そんなことはできないわよ、呉瑶麗。あたしの医術の道術は、なくなった手を復活させるなんてことはできないわ……。ああ、だけど、そこにある手を繋げることくらいならできそうね……」

 

「必要ないって、言ってるでしょう──。さあ、誰に頼まれて、この店を襲ったのよ? 白状しなさい──。白状すれば、命だけは助けてあげるわ」

 

 呉瑶麗が王に剣を突きつけた。

 そのとき、安女金が立ちあがった。

 

「あたしは、ちょっと香孫女の様子を見てくるわ。いまは劉唐姫が水を吐かせているのよ……。まあ、命に別状はないけど身体はぼろぼろね……。よくも、短い時間であんなに毀されたものよ……。怪我もしているし、内臓もやられている。股も肛門も火傷をしている。眼は毒を浴びて失明……。だけど、全部、元通りになるわ──」

 

「安女金、二階を使うといいわ。休ませてあげて……。寝台でも服でも、なんでも好きなものも使って」

 

 朱貴美は叫んだ。

 安女金はうなずくと、再び裏に向かった。

 

「さあ、早く答えるのよ。誰にそそのかされたの?」

 

 安女金がいなくなると、呉瑶麗が叫んだ。

 

「……白秀香……」

 

 やっぱり……。

 朱貴美は思った。

 あの女……。

 朱貴美は梁山泊で王倫のそばにいるあの巨乳女に対する憎しみが込みあがった。

 いずれにしても、すっかりと観念した王は、もう依頼人について隠す気はないようだ。

 

「……そ、それと……王倫(おうりん)……」

 

 続いて、王が言った。

 朱貴美は驚愕した。

 

「王倫? な、なんで……?」

 

 朱貴美は叫んだ。

 白秀香ならともかく、なぜ、王倫が朱貴美を暴漢に襲わせるのだ?

 

「……お、俺にはわからん……。お、王倫という男に会ったわけじゃねえ……。だが、白秀香が言っていた……。これは王倫という男も知っていることだと……。お、王倫は朱貴美を追い出したがっている……。だ、だけど、それはできない……。朱貴美は大事な仕事をしている女……。功績もある……。落ち度もねえ……。だから、ほかの仲間の手前、簡単には追い出せねえ……。だ、だけど、自分から出ていってくれれば……って」

 

 王が淡々と語った。

 朱貴美は唖然とした。

 

「本当に……?」

 

 信じられない。

 もっとも、この王は直接に王倫に会ったわけじゃない。白秀花がこの連中を雇ったのは確かのようだが、必ずしも王倫も絡んでいたとは限らない。

 しかし、そうでないとすれば、どうしてわざわざ、王倫も知っているなどと、なぜ仄めかす必要がある……?

 

「お、俺たちは馬鹿じゃねえ……。馬鹿だと思っている者もいるけど、馬鹿じゃあねえ。ちゃんと聞くものは聞いているし、見るものは見ている……。だが、俺たちを前にしたとき、大抵の者はなにもわからないと思って、よく喋る……。だけど、俺たちにはちゃんと耳もあるし、眼もある。聞くものも聞いているし、見るものも見ているんだ……。俺たちにはわかっているんだ……」

 

 王が弱々しい声で言った。

 朱貴美は呆然とした。

 今回の出来事は、嫉妬深い白秀香が、王倫を独占しようとして朱貴美を追い出すために今回のことを企んだとばかり思い込んでいた。

 だが、真相は、もっと根は深かいのか……?

 あの王倫が……?

 王倫が朱貴美を追い出そうと今回のことを謀ったのか──?

 信じられないが辻褄も合う。

 

 おそらく、白秀香が王倫に寝物語のついでにでも、朱貴美を追い出してくれと王倫に頼んだのであろうが、王倫はそれを承知したのだ。

 だから、王倫は承知の仕事と嬉しくて口走ったのか?

 まあ、そんなことは想像でしかないが……。

 そうだとすれば……。

 

 王倫が朱貴美を裏切った……。

 あんなに尽くしてやったのに……。

 王倫が帝都を出て、あてもなく旅をしていたときには、そばにいて生活を支えた。

 梁山泊に巣食っていた盗賊団を乗っ取るために、幹部たちに毒を飲ませて始末したのは朱貴美だ。

 朱貴美がいなければ、いまの王倫はない。

 それなのに……。

 朱貴美は全身の力が抜けるのがわかった。

 

「……もういいの、朱貴美? わたしにはさっぱりとわからないけど、いまの言葉でもうわかったの?」

 

 呉瑶麗が言った。

 

「……わかったわ。その王は放逐していいわ。行きなさい、王──。二度とここには近づかないで」

 

 朱貴美は言った。

 王が顔をあげた。

 

「お、俺を逃がすのか……? お前を酷い目に遭わせた俺を逃がすのか……?」

 

 王が驚いた顔をしている。

 

「あんたは道具よ……。本当の悪党は梁山泊(りょうざんぱく)にいるわ……。例えば、刃物が誰かを殺したとしても、憎いのは刃物じゃないわ。刃物を手にしていた男よ……」

 

「いいの、朱貴美?」

 

 呉瑶麗だ。

 朱貴美はうなずいた。

 すると、呉瑶麗がやっと剣を鞘に収めた。

 王は左手首を失ったまま、荷のひとつだけを拾うと逃げるように外に出て行った。

 

「ふう……。今日は店は開けられそうにないわね……。死骸は裏にでも埋めるわ。店で出す野菜も育てているからね。肥しの足しにはなるわね」

 

 朱貴美は安の屍体を眺めて言った。

 そして、朱貴美は、さっき呉瑶麗が、なにかの目的があって香孫女がこの店にやってきたというようなことを口にしたのを思い出した。

 

「そういえば、呉瑶麗……。さっき、香孫女がこの店にやってきた目的について、なにかの“仕掛け”とか言っていたわね? どういうことなの? それは、あんたが高額の賞金を懸けられている手配犯だということに関係があるの?」

 

 朱貴美は言った。

 呉瑶麗は、肩を竦めてそばの椅子に座った。

 

「……そうね……。実は香孫女たちは、わたしたち……わたしと安女金をこの近くのある場所に匿ってくれていたのよ。そこの住民よ。わたしたちとその住民たちがどんな関係であるかなんて野暮なことは質問しないでちょうだい……」

 

 ある場所とはなんだとは思ったが、訊くなというから、とりあえず、話は聞こうと思った。

 

「それで?」

 

「だけど、あんたがさっき言及したとおり、わたしには、高額の賞金が懸けられている。すでに、わたしがこの近傍にいることは運城(うんじょう)の城郭の役人にも知られているのよ。だから、もう、香孫女たちもこれ以上は、わたしを匿えなくなったということなの……。それで、新しい逃げ場所として、梁山泊を世話してくれようとしていたのよ。あんたが梁山泊に入るための連絡役をしているのは、すでに知っているわ」

 

「なるほどね……」

 

 朱貴美はうなずいた。

 香孫女がやってきた目的は、この店で下働きをしながら朱貴美に取り入り、呉瑶麗の梁山泊入りを承諾させるつもりだったのだろう。

 とりあえずの背景はわかった。

 それで、この店にやってきて、偶然にも安と王に出くわしたということだ。

 

「質問するなというなら訊かないわ。だけど、最初に言っておくけど、王倫はとても猜疑心が強くて、小心者よ。いつも、自分の頭領の地位が誰かに奪われるのを恐れていて、強い者は梁山泊には入れたがらないし、入れたとしても、王倫の地位が脅かされると思えば、ひそかに手を回して殺したりするわ──。あそこはそういうところよ」

 

「ええ」

 

 呉瑶麗はただ頷いた。特に心を動かした感じもない。そんなことは、すでに承知だという気配だ。

 

「あんたは女とはいえ、強い──。強引に王倫に、あんたの入山を承諾させるとしても、梁山泊に入れば、王倫はあなたを殺そうとするかもしれないわ……。それでもいいの?」

 

 朱貴美は言った。

 しかし、すでに、朱貴美は決意していた。

 こんなことをいきなり呉瑶麗に告げたのは、その決意によるもののためだ。

 

「構わないわ……。もう、わたしには逃げる場所がないのよ。梁山泊という場所が心に牙を者の集団でも、受け入れてくれなければ、役人に捕らわれて処刑されるしかない。お願いよ、朱貴美。わたしを梁山泊に入れるように頼んで……」

 

 呉瑶麗が言った。

 

「わかった……。なんとかするわ……。数日、待って──。それまでは、ここの二階にでも隠れているといいわ。しばらくは安全だから。ただ、あの王倫というのは本当に臆病者でね……。なにかと難癖をつけて、入山を拒もうとするから……。とにかく、最初に、入山試験だと称し、街道で旅人を殺して首を持って来いと言うはずよ。その安の首を持っていくといいわ」

 

「あ、ありがとう──、恩に着るわ──」

 

 呉瑶麗がぱっと微笑んだ。

 笑うと思ったよりも可愛い顔になる。

 朱貴美は苦笑した。

 

「それよりも、梁山泊に入るのは、あんただけ、呉瑶麗? あの安女金も手配されているんじゃないの? ここにも役人が手配書を持ってきたわ」

 

「安女金は大丈夫よ。わたしのついでに手配されているようなものだから……。わたしが梁山泊に入れば、香孫女たちはわたしがそこに逃げ込んだということを噂にして流すわ。それで、安女金の探索の手はなくなる……。それよりも、一緒に、奴隷をひとり連れて行くわ。逃亡奴隷よ。わたしと同じで、捕らわれれば、殺されるか、あるいは、生きることがつらいような目に遭わせるだけの女よ。それも一緒よ」

 

「女奴隷──? それはあんたの入山よりも簡単よ。美人?」

 

「まあね……。性奴隷だったからね」

 

 呉瑶麗は笑った。

 なんとなく、なにか隠している気もするが、まあいい……。

 もう、朱貴美は、呉瑶麗たちを受け入れることに決めた。

 王倫が朱貴美を追い出そうとするなら、こっちにも考えがある。

 

「あんたが入山できるように全力を尽くす。どんなことをしても、王倫を説得してみせる……。ただし、その代わり、条件があるわ、呉瑶麗……」

 

「条件?」

 

「あたしに暴漢をけしかけた白秀香という女を殺して……。できれば、王倫自身も……」

 

 朱貴美は言った。

 

 

 *

 

 

「大丈夫、香孫女?」

 

 呉瑶麗は二階にあがると、香孫女が横たわっている寝台の横に腰かけた。

 かなり、衰弱しているように思えた。

 眠っていたようだったが、呉瑶麗がやってくると目を開いた。

 さっきは視力が潰されていたようだったが、それはもう治ったようだ。

 

「……ああ、呉瑶麗か……。ひとりか……?」

 

「劉唐姫は、安女金を連れて戻ったわ……。この二階に大勢の人間がいては目立つし、朱貴美も都合が悪いそうよ。劉唐姫もあんたのことを心配していたわ。眠っていたから、そのまま戻ったけど……。安女金は安静にしてれば、数日で快復すると言っていたわ……。安女金は、夜になれば、また来ると思う。朱貴美は店の片づけをしている。とにかく、あんたとしたことが酷い目に遭ったわね、香孫女」

 

 呉瑶麗は言った。

 

「ああ、あんな与太者ふたりにしくじった……。舐めてかかったのがいかんかったのだな。いきなり、眼を潰されてしまって、どうにもならんかった……。これからは、あまり自分の力を過信しないようにするわい」

 

 香孫女が自嘲気味に笑った。

 呉瑶麗は顔をその香孫女に寄せた。

 

「……ところで、うまくいったわ……。朱貴美はわたしの入山を請け負ってくれたわ。なんとかしてくれるそうよ……。しかも、王倫にとって代わることまで頼まれたわ。あんたの身体を張った策のおかげよ」

 

「わしの策? なんことじゃ? 策など仕掛ける前に破綻したわい。あの男たちに、いきなりやられたせいでな。わしは朱貴美を調教して、いいなりにするつもりであったのにな」

 

「隠さなくてもいいわ、香孫女……。なんでも背負い込むことはないわよ……。あんた、仕掛けたんでしょう? 安女金が密かにわたしに教えてくれたわ。あの王には、なにかの暗示を道術ですり込まれた気配があったそうよ……。そして、わたしの方も、このところのあんたの動きは追っていたのよ……。あの安と王……。あれを仕掛けたのはあんたね……? そうなんでしょう?」

 

「はて? なんのことか……」

 

「あんたが、あのふたりが朱貴美の店を襲撃したときにやってきたのは偶然じゃない。やられたのもね……。全部、こうなることを見越していたのね。そして、ふたりに、あれが白秀香とかいう王倫の愛人の仕掛けであることと、その裏で王倫までも糸を引いていることを仕込んでおいた道術で喋らせた……。そうなのね?」

 

 呉瑶麗は低い声で言った。

 黄泥岡(おうでいこう)生辰綱(せいしんこう)を奪って、晁公子(ちょうこうし)の隠し村に戻ったのは昨日だ。

 だか、呉瑶麗も、ひそかに直接の自分の手の者になるような人間を晁公子の隠し村の人間から選んで何人か育成している。

 その彼らに、隠し里周辺のことや、梁山泊のことについて、ずっと継続的に情報を探らせていた。

 その情報から、香孫女のここ数日のおかしな動きについても把握していた。

 おそらく、間違いないと思う。

 

 あのふたりは、王倫でも、白秀香でもなく、この香孫女に頼まれて、朱貴美の店を襲ったのだ。

 そして、さんざんに凌辱させた挙句に捕らえ、こちらに都合のよい「自白」をさせて、朱貴美に信じ込ませた。

 そうでなければ、この香孫女がまるで自分がやられるのを知っていたみたいに、朝までに戻らなければ様子を見に来てくれなどという伝言を残すわけがない。

 すると、横になっている香孫女が軽く肩を竦めて、真顔になった。

 

「頭がよくて、やな女だな、お前は……。そのことを晁公子殿や赤毛は?」

 

「知らないわ。喋るつもりもない……。わたしの腹に収めておくわ」

 

 呉瑶麗は言った。

 

「……ならいい。言っておくが、白秀香とかいう王倫の愛人が今回のことに絡んでいるのは真実だぞ、呉瑶麗。あやつが朱貴美を陥れようとして、今回のことを企んだのだ。白秀香がどうして、こんな策を思いついたかは言わんがな……。いずれにしても、どうつつかれても、わしの裏工作が露見することなどない」

 

「そうなんでしょうね。その辺りにあんたに抜かりがあるとは思ってないわ」

 

「では、その話はここまでじゃ……。ところで、赤毛がわしのことを心配していたというのは本当か? あの女、いつぞや、裸踊りをさせてから、わしと口をきこうとせんのだ……。赤毛がわしのことを心配してくれたということが本当なら、わしも身体を張った甲斐があったということじゃ」

 

「とっても心配していたわ。多分、今夜も安女金を連れてやって来ると思うわ。その弱々しい姿で、もう一度、しっかりと謝りなさい。劉唐姫は許すと思うわよ。それから、“赤毛”なんて呼ぶのはやめなさい。第一、朱貴美も赤毛じゃないの。ややこしいわ」

 

 そう言うと、香孫女が声をあげて笑った。

 ただ、その声には、やはり力がなかった。

 意図的に自分を襲わせたとしても、酷い目に遭ったのは本当なのだ。

 

「……それにしても、あいつら滅茶苦茶しやがって……。わしはここまでやれとは、暗示をした覚えはないのにな……」

 

 香孫女が言った。

 

「ところで、黙っててあげる代わりに、あんたの秘密をひとつだけ教えて、香孫女? そうすれば、わたしも、あの裸踊り騒動のときに、あんたに酷い目に遭ったことは忘れるわ」

 

「ひ、秘密?」

 

 香孫女が眉をひそめた。

 

「あんた、本当は何歳なの? 百だとか、八十だとか、とんでもない年齢をうそぶいているけど、本当はそんな年齢ではないんでしょう? まあ、わたしよりは歳上だとは思うけど……」

 

「そ、そんなこと知って、どうするんじゃ?」

 

 香孫女が困惑した表情をした。

 

「いいじゃないの、年齢くらい……。それも誰にも言わないから教えなさいよ、香孫女」

 

 すると、香孫女が嘆息した。

 

「三十一……」

 

「あら? 結構、平凡な歳なのね」

 

 呉瑶麗は笑った。

 

「だから、言いたくなかったのじゃ」

 

 香孫女がむっとして言った。

 呉瑶麗は不機嫌になった香孫女に、思わず笑い声をあげた。



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第23話  梁山泊入山
76  呉瑶麗(ごようれい)、梁山泊で王倫(おうりん)と謁見する


「見事な操船ね、阮小女(げんしょうじょ)

 

 呉瑶麗(ごようれい)は小船の縁にもたれて風を感じながら、船を操る阮小女に声をかけた。呉瑶麗は水には縁のない生活をしていたから、本当は操船の良し悪しはわからない。

 だが、その呉瑶麗から見ても、阮小女の操る船の動きは見事なものだ。少し前を朱貴美(しゅきび)の乗った小船が複雑な動きで動くのを悠々と追っている。

 

 この船に乗っているのは、阮小女と呉瑶麗と寧女(ねいじょ)の三人だけだ。

 前を進む船の操船は、鑪|()手と櫂手の三人掛かりであり、さらに案内手がいて、かなり必死で操船しているように思えるが、こっちは小柄な女である阮小女ひとりであるのに、ちょっとした艪の操作だけで軽々と進んでいる。

 むしろ、どちらかといえば、前の船を追い抜かないように、速度を落とすのに苦労しているようにも感じる。

 また、前の船に単純についていっているだけでなく、ある程度は水の流れや湖底なども読んで進路を選んでいる気配だ。

 

阮小ニ(げんしょうじ)兄なら、もっと速いよ、呉瑶麗。あたしの得意は本当は船造りなのよ。いつか、晁公子(ちょうこうし)さんのために、船造りの腕を発揮したいわ。人が百人も二百人も一度に運べるような大船を作るのがあたしの夢なんだあ」

 

 阮小女はにこにこと笑いながら言った。

 

「この梁山泊()は、水面に浮かぶ天然の要塞だもの。ここで本格的な叛乱の旗を揚げれば、官軍は水軍で梁山泊に迫るわ。だったら、こっちも水軍で対抗するしかない。すぐにその技術は必要になるわ、阮小女」

 

「本当? 嬉しい。あたし、絶対に期待に応えられるようなすごい軍船を作ってみせるよ。もう、いろいろとひらめきもあるんだ。小さな模型で試しているものもある。あたしは、時間と金と人さえ与えられれば、必ずすごい水軍のためのを作るよ」

 

「期待してるわ。もしも、晁公子殿が梁山泊に移って、白巾賊の拠点があの島になったなら、わたしはすぐに水軍の整備をさせるつもりよ。その核になるのが、あなたと阮小ニ殿よ。そのつもりでいてね、阮小女」

 

「任せて。腕っぷしだと男にかなわないから、実際の戦いではあまり役に立たないかもしれないけど、船造りなら誰にも負けないんだ」

 

 阮小女が嬉しそうに声をあげた。

 彼女はまだ二十歳の若い女だが、すでにこの近くの船大工の工房で多くの年配の職人たちを動かす組頭のひとりだ。

 晁公子によれば、阮小女の造船に関する技術は、船大工だった亡き父親を遥かに凌ぐ天才的なものであり、この界隈では、阮小女の造る船は、すでに一級品として評価されているようだ。

 兄の阮小ニは、その阮小女の造った船でこの一帯の漁師の誰よりも速く船を進ませることができる。

 そして、ふたりの兄妹揃って、晁公子の唱える新しい国造りの夢に賛同した白巾賊の一員だ。

 だから、そんな仲間内の秘密の話も問題なく口にできる。

 

 梁山泊からの出迎えの船はこの船の少し前を進み、そこには朱貴美のほかに、船を漕ぐ梁山泊の者に加えて、島に運搬する荷を満載している。

 こうやって、二艘に分かれて梁山泊に向かっているのは、朱貴美の計らいだ。

 朱貴美によれば、梁山泊を難攻不落の要害としている秘密のひとつは、梁山湖に浮かぶこの島周辺の水路の複雑さであるようだ。

 すなわち、この一帯には浅瀬や水の流れが複雑に入り組んでいて、水路を間違うと、たちまちに船が座礁したり、ひっくり返ったりするらしい。

 この梁山泊の首領の王倫(おうりん)は、その水路の秘密を知られるのを嫌って、梁山泊の島の近くには絶対に近傍の漁師を近づけさせない。

 うっかり接近しようものなら、容赦なく島から矢を射かけたりするのだ。

 

 しかし、この一帯で一番いい漁場は、まさに島から矢が届く範囲の位置に集まっているようだ。

 それで漁をすることができない阮小ニなどは、いつも不満を漏らしている。

 そうでなくても、梁山湖を通過する船に税を課したりして、王倫は近傍の漁師たちから金子を巻きあげているのだ。

 その不平不満がほかの漁師たちのあいだにも蔓延していると阮小ニも話していた。

 朱貴美が梁山泊からの迎えの船にわざわざ荷を積み、阮小女が水路を覚える機会を作っているのは、その複雑な水路を呉瑶麗たちに教えてしまうためだ。

 

 自分が梁山泊の首領の王倫に見限られたと信じている朱貴美は、すでに呉瑶麗たちが、梁山泊の主人の地位を王倫からとって代わることに承知している。

 その条件は、朱貴美を追い出そうとふたりの無法人を料理屋に送り込んだ王倫の愛人の秀白香(しゅうはくか)という女を殺すことだ。

 だが、それにより、秀白香はともかく、王倫も殺すことになるかもしれない。

 しかし、それについても、朱貴美は承諾している。

 信じて尽くした男に裏切られたと思っている朱貴美は、すっかりと王倫のことも諦めている気配だ。

 一度はすべてを捧げて愛した男なのだと思うが、いまはそれについて悔悟の気持ちしか持っていないようだ。

 

 もっとも、これについては、多分にあの香孫女(こうそんじょ)がかなりを仕組んだ気配もある。

 まあ、世の中には知らないでいた方がいいこともある。

 今回の仕掛けで香孫女が、どの程度のことを裏で仕組んだかということは、余人は知らない方がいい事実だということは認識している。

 いずれにしても、少なくとも秀白香という王倫の愛人が、朱貴美を陥れる目的で安と王という与太者をけしかけたのは事実のようだ。

 

 そのとき、船で大きな嘲笑の声がした。

 寧女だ。

 今回の梁山泊乗っ取りのために、呉瑶麗が同行させたただひとりの仲間だ。

 仲間といっても、寧女は白巾賊に加わることに一度も同意していもいないし、彼女自身それを望んでいるとは思えない。

 呉瑶麗は寧女については、なにをするかわからない女だと思っている。

 

 なにしろ、少し以前、呉瑶麗と安女金が梁山泊の湖畔街道に初めてやってきたとき、王倫の入山試験で与えられた通りかかる旅人の生首を持って来いという要求により、いきなり呉瑶麗と安女金に襲いかかってきたような女だ。

 そのときは男の格好をしていて、顔に醜い痣があり、女であることを隠していた。

 だが、安女金の道術により、顔の痣を消してもらい美しい女の顔に戻った。

 そのときの寧女の悦びようというのは凄まじいものだった。

 しかし、その恩をひと晩で忘れて、翌朝には、一緒に休んだ小屋から呉瑶麗たちの金子や衣類などを残らず盗んでいったのだ。

 本当に信じられない女だ。

 今度出逢ったときにはどうしてやろうかと思っていたが、生辰綱を官軍の輸送隊から奪ったときに、贈答品として同行させられていた性奴隷たちの中に、偶然にも寧女を見つけたのだ。

 寧女は、あれから故郷の城郭に戻り、間抜けなことに、そこで元婚約者の男に騙されて、首に『奴隷の首輪』を装着されて性奴隷にされたらしい。

 そして、生辰綱(せいしんこう)とともに帝都に送られる途中に、呉瑶麗と再会したということだ。

 

 それから、数日間、呉瑶麗たちが保護して、あの隠し里に匿っていた。

 ただ、装着されている『奴隷の首輪』はそのままだ。

 そして、「主人」として呉瑶麗を首輪に刻んでいる。

 だから、寧女は絶対に主人である呉瑶麗の言葉には逆らえない。

 それくらいしておかなければ、本当にこの女はなにをするかわからない。

 呉瑶麗は、あのとき素っ裸で小屋の中に置いて行かれて以来、これっぽっちも寧女を信じる気持ちになれない。

 

「あんたたち、本当におめでたいよね。まだ、手に入れてもいない梁山泊なのに、いまはそれを奪った後の話をしているの? それよりも、どうやって王倫とかいう首領を倒して、あの島を奪うかの話をするのが先じゃないの?」

 

 寧女が呑気そうな口調で言った。

 

「どうやって奪うかは、入ってから考えるわ。とりあえず梁山泊という場所に入れた……。次は隙を見つけて、王倫と親衛隊を処分する。それでほとんどの者は逆らうことはないと思うわ。朱貴美も王倫さえ殺してしまえば、一般の者については、そんなに面倒なことはないはずだと言っていたわ。あの王倫はそれほど、一般の賊徒たちには信望のある首領でもないようだしね」

 

「いずれにしても、どうやって、梁山泊を奪うかは、入ってから考えるのね。計画的で結構じゃない。精々、頑張るのね」

 

 寧女が小馬鹿にしたように笑う。

 しかし、呉瑶麗は無視した。

 

「ただ、問題は宋万(そんまん)という幹部よ。梁山泊第二位の地位にある男で、事実上、あそこに集まる賊徒たちを仕切っているのは彼だそうよ。宋万という幹部は逆に一般の賊徒に信望があるわ……。まあ、朱貴美からの情報だけどね」

 

「宋万という幹部はともかく、いずれにしても、王倫を殺すのだってひと騒動じゃないの、呉瑶麗? あの王倫には常に三十人以上の手練れが親衛隊をして身を守っているらしいじゃない。あっという間に連中を片付けるなんていうのは、さすがのあんたでも、ひとりでは苦しいと思うわよ」

 

「なに言ってんのよ。なんで、わたしひとりなのよ……。どうして、あんたを連れて行くかわかっていないの? わたしとあんたのふたりでやるのよ。ふたりいれば、なんとかなるわよ」

 

 呉瑶麗は言った。

 

「ああっ? わたし? 冗談でしょう。あんたらの正式の仲間ではないわたしが、なんでそんな命知らずのことをしないとならないのよ?」

 

 寧女が小馬鹿にしたように笑う。

 

「いい質問ね。それは、わたしがそう命じるからよ……」

 

 呉瑶麗は白い歯を寧女に向けた。

 

「……命令よ、寧女……。あんたはわたしと一緒に、梁山泊乗っ取りに協力するのよ。もしも、失敗して、わたしが殺されたら、その首輪に新しい主人を刻まれる前に死になさい……。これを命令しておくわね」

 

 すると、寧女の顔が引きつったようになった。

 

「な、なんてこと命じるのよ。あんたが殺されたら、わたしも死ねですって。嫌だってばあ」

 

「だって、わたしが死ねば、あんたの奴隷の首輪に王倫が主人として刻み込むかもしれないわ……。そんな不幸な目にあんたを遭わせられないわよ」

 

 呉瑶麗はうそぶいた。

 もちろん、そんなのは方便だ。

 この女はいま少し信用できないが、以前に湖畔街道で戦った武勇には一目も二目も置いている。

 国軍の元武術師範代と知られている呉瑶麗と異なり、逃亡の性奴隷という触れ込みの寧女が、実は手練れなどとは、流石に王倫は予想もしないはずだ。だから、こちらの隠し武器として、寧女は役に立つ。

 

「ご、呉瑶麗、もしかして、まだあのときのことを引きずっているの? もう、何度も謝っているじゃないのよ。いい加減にこの首輪から開放してよ、呉瑶麗」

 

 寧女が悲鳴をあげた。

 

「この乗っ取りがうまくいったら解放することを約束するわ。それどころか贈り物もしてあげる。だから、これから孤立無援の戦いをするかもしれないわたしを全力で守ってよね、寧女」

 

 呉瑶麗は荷から準備していた小刀を取り出した。それを寧女に放る。

 剣のように腰にぶら下げて装着するかたちのものであり、革鞘のついた革帯も一緒だ。

 寧女が不満そうにそれを腰に巻いた。

 

「ねえ、呉瑶麗、あたしも、なにか手伝えることはない?」

 

 操船をしながら阮小女が言った。

 呉瑶麗たちの話を横で聞いていて、少し心配そうな顔をしている。

 

「あなたは、今日覚えた水路を確実に記録して、晁公子殿に渡してちょうだい。梁山泊に近づく水路は限られているのよ。その知識はきっと後で役に立つから……」

 

「もちろん、それは覚えるけど……」

 

 阮小女がつぶやくように言った。

 そのとき、一度島から遠ざかるような方向に動いていた朱貴美の乗る船が急に方角を変化させて「梁山泊」と連中が名付けた島の方向に近づいた。

 阮小女が艪を二、三回勢いよく動かし、前と開いた距離をすぐに縮める。

 

 前にはしけが見えてきた。

 そこに十人ほどの武装した男たちがいる。

 朱貴美の乗っていた小船に次いで、呉瑶麗たちが乗ってきた船もはしけに到着した。

 はしけにいたのは矛を構えた武装兵だった。

 中央に身体の大きな色黒の男がいる。年齢は三十くらいだろう。

 呉瑶麗は、先に降りて待っていた朱貴美にもやいを投げた。朱貴美がそれを受けて、桟橋の木杭に繋ぐ。

 

「阮小女はここで帰ってもらうわ。梁山泊に部外者の船を無断で連れてきたのを知られると面倒だしね。今日は荷が在ったから特別に手伝ってもらったけど、もう大丈夫よ。後は任せて」

 

 呉瑶麗と寧女に続いて、船を降りようとした阮小女を阻むように朱貴美が言った。

 朱貴美は阮小女に言ったというよりは、周りにいるほかの賊徒に聞こえるように意図的に口に出したようだ。

 阮小女が呉瑶麗を見る。

 呉瑶麗は小さくうなずく。

 朱貴美としても、できるだけのことを呉瑶麗たちにしてくれているのはわかっている。

 阮小女に正しい水路を教え込むようにしただけでも、朱貴美としてはかなりの冒険をしたのだろう。

 

「では、呉瑶麗、行くわ。なにか、みんなに伝えることはある?」

 

 阮小女が桟橋から離したもやいを船に受け入れながら言った。みんなと表現したが、それが晁公子のことを言っているのはわかる。阮小女は晁公子の名をここで口にするのを避けただけだ。

 

「世話になったと」

 

 呉瑶麗はそれだけを言った。

 阮小女がうなずいて、船を桟橋から離れさせた。

 阮小女を乗せた船は、さっきやってきた水路を寸分間違わずに進んでいき、あっという間に小さくなった。

 

「呉瑶麗、彼は宋万よ。梁山泊の中ではあなたのことは特別に面倒を看てくれと頼んであるわ……。宋万、彼女が呉瑶麗よ。よろしく頼むわ。彼女の命を守って……。もうひとりは寧女だそうよ。呉瑶麗の奴隷の侍女ね……」

 

 朱貴美が呉瑶麗たちの前に、さっきの色黒の男を引っ張ってきて言った。ほかの武装兵は朱貴美が船に乗せた荷をはしけにおろしている。

 この梁山泊で王倫に次ぐ第二位の地位にある男である宋万のことは、朱貴美から事前に聞いて知っている。

 朱貴美によれば、この宋万は、もともと王倫以前に島に巣食っていた盗賊団の幹部だったようだ。ここに王倫が最初にやってきたとき、頭領以下の主立つ幹部に朱貴美が毒を盛って、王倫がこの島に集まる盗賊団をすぐに乗っ取ったのだが、そのときに、宋万は最初から王倫に味方して、それ以前の頭領を王倫が殺すことに積極的に協力したらしい。

 

 その功績で宋万は、この梁山泊で王倫に次ぐ地位を与えられた。

 もう七年前のことのようだ。

 また、王倫以前からこの梁山泊にいた者で、王倫に従うことにして、王倫の支配する梁山泊で重要な地位を与えられた人物がもうひとりいる。

 

 それが王倫が朱貴美の次に情婦にした杜穂(とほ)だ。

 占いのできる女であり、王倫の前のここの首領の愛人だった。

 だが、その首領が死んで王倫が新たな首領になると、王倫の求めに応じて王倫の情婦になることを承知した。

 同じ男を愛する情婦という立場だったが、朱貴美と杜穂は気が合い、うまくいっていたのだそうだ。

 それが終わったのは、王倫の三人目の情婦として、秀白香がここにやってきたからのようだ。

 秀白香は王倫の愛を独占しようとして、まずは王倫にささやき、理由をつけて朱貴美を王倫から引き離すように謀った。

 それで朱貴美は、梁山泊の外の街道で連絡係を兼ねた料理屋をすることになったのだ。

 

 まあ、それは朱貴美の言い分だから、どこまで本当なのかは不明だが……。

 とにかく、朱貴美は、王倫のもうふたりの情婦のうち、杜穂は好きだが、秀白香は大嫌いだ。

 それだけははっきりとしている。

 

「呉瑶麗か。お前のことは少し知っている……。この梁山泊も俺自身もお前のことを必ず守るだろう。朱貴美からもそれは頼まれたしな……。だから、安心してくれ」

 

 宋万が言った。

 

「よろしくお願いします、宋万殿」

 

 呉瑶麗はにっこりと微笑んだ。

 朱貴美から言われているのは、この宋万は本当に律儀な男であり、宋万が、呉瑶麗を「守る」と受け合えば、それは儀礼的な意味ではなく、言葉のままの意味だということだ。

 だが、それだけに気をつけろとも言われていた。

 宋万は王倫に忠実であり、宋万が王倫を裏切ることは、あまり考えられないとも朱貴美は言っているのだ。

 王倫も、この宋万を信頼して、梁山泊内の軍をすべて任せている。

 

 そして、王倫に敵対する者がいれば、まずはこの宋万が立ちはだかるのであり、呉瑶麗が王倫から梁山泊を乗っ取るとすれば、まず攻略しなければならないのが宋万であるべきらしい。

 確かに、もしも賊徒たちをまとめている宋万をこちらに取り込むことができれば、呉瑶麗の計画はずっと楽なものになる。

 逆に、宋万の協力が得られない状況で王倫処断に動いても、乗っ取りは成功しない可能性が高い。

 いずれにしても、律儀者とはいうが、一度は前の首領を裏切って王倫についたのだ。

 二度目の裏切りをさせる方法はなにかあるはずだ。

 

「では、行きましょう、王倫は上ね?」

 

 朱貴美が先頭で歩き出した。

 呉瑶麗も寧女も自分の荷は背中に背負っている。

 大したものはない。

 下着のほかに着替えが数枚入っているだけだ。

 また、朱貴美は、白い壺を両手で抱えていた。

 

「お前も行くのか、朱貴美?」

 

 すると、宋万が驚いた声をあげた。

 

「行くわよ。久しぶりに、あたしも王倫に会いたいしね。禁止されているわけじゃないでしょう? 別にあたしは、梁山泊を追放されたわけじゃないのよ」

 

 朱貴美が言った。

 

「それはそうだが……。そのう……。王倫殿の横には、最近は常に秀白香殿がそばにいる……。だから、朱貴美には面白くないのではないかと思ってな……」

 

 呉瑶麗は宋万に視線を向けた。

 どうやら、宋万は、王倫のもともとの愛人だった朱貴美が、秀白香からその立場を奪われたかたちになり、さらに秀白香が王倫との仲を朱貴美に見せつけるようにすることを、朱貴美が気にするのではないかと懸念しているようだ。

 

「あら? そんなことを心配してくれているの、宋万? あなたとしては意外ね。男と女の関係のことなんか、いつも興味なさそうにしているから、男女の機微などわからない根っからの堅物なのかと思ったわ」

 

 朱貴美がけらけらと笑った。

 

「お、俺は堅物などでは……」

 

 宋万が困惑したように、口の中でなにかぶつぶつと呟いた。

 しかし、すでに朱貴美はすたすたと歩きだしている。

 それを慌てたように宋万が追った。

 呉瑶麗と寧女は、さらに後ろからついていった。

 

 しばらく、坂になっている道を進んだ。

 道はよく整備されていて、まとまった隊が隊列を組んで進めるようになっているようだ。

 見張りのための(やぐら)もあちこちにあり、規律の整った百人ほどの武装兵がしっかりと警備をしている。

 盗賊団の巣というよりは、れっきとした官軍の砦といった感じだ。

 行き交う武装兵たちには、賊徒っぽい荒れた雰囲気は皆無だ。

 また、道以外の場所には畠もあるし、田もあった。牧もあるような気配だし、木立も多い。

 どこかに訓練をするような大きな練兵場もあるらしく、遠くから喚声のようなものも聞こえてくる。

 

「思ったよりも、城塞はしっかりとした造りだし、盗賊団にしては、集まっている賊徒たちに規律のようなものが整えられているのですね。少し驚きました」

 

 呉瑶麗は後ろから宋万に声をかけた。

 

「ここを単なる盗賊団にはしたくないのだ……。ここは政府の横暴から逃亡してきた者たちの集まるところであり、官軍と戦う者たちが集まる場所だ。だから、しっかりと軍規を守るように厳しくしている。この場所を官軍の討伐から守り抜くには、それが必要だからだ……。それから、呉瑶麗、俺たちは単なる盗賊ではない。義賊だ」

 

 宋万が言った。

 呉瑶麗はその物言いに少しだけびっくりした。いまの梁山泊に、白巾賊の晁公子が唱えるような志があるとは思わなかったからだ。

 

「だけど、ここは盗賊団でしょう? 近傍の農村や街道を進む旅人や隊商を平気で襲っているじゃないの? 民衆を襲って義賊だなんて、おこがましいんじゃないですか?」

 

 呉瑶麗はわざとらしくからかうように言った。

 

「それは、世を忍ぶ仮の姿だ。王倫殿もそう言われた。いつか俺たちは、義賊の名に相応しく、この国そのものとの戦いを始めることになる。それに、俺たちが襲うのは政府の役人と結託して悪事をする農村や旅人だけだ。俺たちは義賊の名が汚れるようなことはなにひとつしていない」

 

「政府と結託して悪事をする農村? なにそれ? それはどういうことなのです、宋万殿?」

 

 呉瑶麗は言った。

 農村というものは、どこでも城郭の役人たちに虐げられている存在だ。税は重く、しかも、不作などで決められた税が払えないと容赦なく家族を奴隷として売らされる。

 さらに、絶えず盗賊の脅威にさらされていて、それでいて、城郭の軍はなかなか出動してこない。

 全国のどこに行っても、農村部というものは帝国政府や州政府への怨嗟に満ちている。

 役人と結託して悪事をする農村というのはどういうことだろう?

 

「そんなことは知らん。だが、俺たちが略奪をする農村は悪い連中だから襲撃しても許されるのだ。だから、問題ない」

 

 宋万はきっぱりと言った。

 呉瑶麗は唖然としてしまった。

 どうやら、宋万は、一応は“世直し”を宣言しているこの梁山泊の賊徒が、近傍の農村を略奪するときの王倫の言い訳を素直に受けとめているようだ。

 だが、“悪い農村”などという誤魔化しなど、ほかの誰も真に受けていないだろう。

 しかし、この宋万はかなりの部分でそれを本気にしている口調だった。

 そのとき、先頭を歩いていた朱貴美がくすりと笑った。

 

「あんたは本当に正直者ね」

 

 朱貴美が笑った。

 その言葉に、朱貴美が宋万への揶揄の意味を込めたのは明らかだ。

 朱貴美は、本当は“馬鹿正直”と言いたかったに違いない。

 

「お、俺は正直か……、朱貴美?」

 

 そのとき、宋万がそう言って、照れたようにぱっと顔を赤らめた。

 まるで少年のようなその反応に、呉瑶麗は少し驚いた。

 

 それからいくつかの堅牢そうな門のある場所を通り抜けて、やがて大きな建物が建っている場所に到着した。

 その建物自体をぐるりと柵で囲んでいて、厳重そうな門には衛兵を思わせる一隊がいた。門のところには衛兵の詰所の小屋もある。

 

「な、なにこれ? いつの間にこんなことになったの?」

 

 朱貴美が驚いている。

 その言葉によれば、以前はこんな感じではなかったのだろう。

 

「最近だ……。王倫殿に、新たに入山してきた呉瑶麗を連れてきたと取り次げ」

 

 宋万が朱貴美の質問に短く応じてから、衛兵に声をかけた。

 衛兵のひとりが目と鼻の先の建物の中に走っていった。

 

「な、なによ、宋万? この聚義庁(しゅうぎちょう)に入るのに、あなたまで取り次ぎが必要なの? それに、いつからここを柵で囲って、しかも衛兵のような者に守らせるようにしたの? なんで?」

 

 朱貴美が宋万に視線を向けた。

 

「この数箇月以内だ。杜穂がある予言をして、それで王倫殿が以前に増して用心深くなったのだ。いまでは、こうやって、新たに編成した衛兵隊にここを防護をさせて、ほとんど外には出てこない」

 

 宋万が苦々しげに言った。

 

「予言って……。あの王倫が誰かに取って代わられるとかいうやつね? そんなのをまともに信じているの、あいつ? それでこの大袈裟な警戒なの?」

 

 朱貴美が苦笑した。

 その予言の噂は、呉瑶麗もすでに耳にしていた。

 呉瑶麗が教えてもらったのは、さっきここまで船で送ってもらった阮小女の兄の阮小ニからであり、王倫の愛人の杜穂が、王倫がもうすぐその地位を失うと予言したというのだ。

 そのおかげで、梁山泊に接近する漁船への警戒が強くなったと阮小ニは不平をこぼしていた。

 

「笑い事ではないのだ、朱貴美。王倫殿はその予言のおかげで、かなり参ってしまっている。最近では猜疑心も強くなり、余程のことでなければ、幹部級の集会も行われないくらいだ。王倫殿が他人と面会するのを極力避けているのでな……」

 

「へえ……」

 

 朱貴美は呆れた口調だ。

 

「だから、お前に頼まれた呉瑶麗殿の入山も実は大変だった。王倫殿は新しい入山者など、なかなか認めようとせんかった。最終的には渋々というかたちで認めたがな」

 

 宋万が言った。

 その言葉で、呉瑶麗は自分の梁山泊入りを王倫に掛け合ってくれたのは、この宋万なのだということを知った。

 

「まあ、知らなかったわ。苦労させたのね、宋万」

 

「い、いや、お前の頼みだからな……」

 

 宋万がまた顔を赤らめた。

 その様子を横から見ていて、呉瑶麗の勘だが、宋万は朱貴美に対して、特別な感情を持っているのではないかと思った。

 そのとき、建物に向かっていた衛兵が戻ってきた。

 

「頭領はお会いになられます。どうぞ、武器を置いてお進みください」

 

 衛兵の指揮官らしき男が言った。

 

「武器を?」

 

 呉瑶麗は声をあげた。

 得物を取りあげられるとは考えていなかったからだ。

 

「呉瑶麗、ここではそれが決まりでな。武器を持っていては王倫殿に面会することはできない。例外はない……」

 

 宋万が剣を腰から外しながら言った。そのまま衛兵に渡している。

 

「へえ、それもこの数箇月以内にできあがった新しい掟?」

 

 朱貴美が呆れたという口調で言った。

 呉瑶麗も仕方なく剣を腰から外して渡した。寧女も同じようにしている。

 さらに、担いでいる荷も置いていくように指示された。

 だが、朱貴美の抱えている壺だけは、これは王倫に見せるものだからと、朱貴美が手放すことを拒否した。

 

 衛兵の案内で建物の中に導かれた。

 座るように指示されたのは、入り口に近い部屋の端の床だ。

 その反対側に王倫と思われる男が椅子に座ってこっちを見ていた。

 その隣には若い美女が王倫の腕をとって、身体を傾けて半身を密着させている。

 あの女が秀白香という王倫の三人目の情婦なのだろう。

 また、王倫の背後や両側の壁に完全武装した屈強そうな男たちがずらりと並んでいる。

 これが親衛隊か……。

 呉瑶麗には、あそこにいるひとりひとりが相当の手練れであることがわかる。

 このようなかたちでしか王倫には会えないとなると、

 王倫を殺して、この梁山泊を乗っ取るというのは、そんなに単純な仕事ではなさそうだ。

 なんとか、王倫に近づけるような立場にならなければと思った。

 

「……まるで、帝の謁見ね……。なに、この距離?」

 

 呉瑶麗の後ろに腰をおろしている寧女が呉瑶麗にささやいた。

 まさにその通りだと思ったが、横の宋万にたしなめられて、呉瑶麗は返事をしようとした口を閉じた。

 

「久しぶりだな、朱貴美? 元気だったか? それがお前と宋万が是非入山させるべきだと揃って求めた呉瑶麗という女か? ほう、美形だな。後ろの奴隷もな」

 

 王倫が口を開いて、まずは朱貴美に声をかけた。

 だが、同時に好色そうな表情になったのもわかった。しかも、その視線が呉瑶麗の身体に向けられている気がする。

 そういえば、王倫は女好きだ。

 そんな評判もあることを思い出した。

 

 なるほど……。

 ふうん……。

 だったら……。

 

「そうよ、王倫……。見事な腕だったわ……。入山試験にも見事に合格したわ。これよ」

 

 そのとき、朱貴美が横に置いていた壺の蓋を開き、中に手を突っ込んで、中身を出した。

 すると、王倫の横の秀白香が金切声をあげながら、椅子から崩れ落ちた。



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77  王倫(おうりん)呉瑶麗(ごようれい)を新しい情婦にする

 秀白香(はくしゅうか)が悲鳴をあげて椅子から転げ落ちた。

 しかも、体勢を崩して前倒しになってしまい、下袍(かほう)までもまくれあがって、大きな尻が包まれた股布まで露わになった。

 そのあまりの無様な姿に、呉瑶麗(ごようれい)も思わず苦笑してしまった。

 

「あら、どうしたの、秀白香? 梁山泊首領の王倫(おうりん)の情婦でありながら、たかが生首ひとつに、そんなに怖がってちゃあ、王倫の女は務まらないわよ。それとも、知り人?」

 

 朱貴美(しゅきび)が嫌味たっぷりに言った。

 あれは、(あん)の首だ。

 この梁山泊(りょうざんぱく)では入山試験として、街道沿いの旅人の生首を持ってくるというのがあるらしい。

 だが、あれは臆病者の王倫が自分を脅かす怖れのある入山希望者を追い払うための口実をして課しているものであり、通常の入山希望者には課せられない課題とも、朱貴美から教えられていた。

 だが、それを口実に、朱貴美は安の生首を持ってきて、秀白花を脅かしたのだ。

 

 いずれにしても、裏で香孫女(こうそんじょ)が手を回した気配はあるが、朱貴美に安と(おう)をけしかけたのは秀白香だ。

 背後で香孫女が暗躍したとしても、やはり安と王という与太者を直接に雇ったのは秀白香だったのだろう。

 だから、あれだけ驚いているのだ。

 そしてまた、そのことで、あれが秀白香の仕業だったことを朱貴美も改めて認識したに違いない。

 

 一方で、首領の王倫はあまり表情を変化させなかったのでわかりにくいが、秀白香の反応に驚いているようにも思える。

 朱貴美は、王の「自白」により、あの事件は王倫も承知していたものと信じ切っているから、ここで安の首を晒したのはやけくその腹癒せだとは思う。

 しかし、呉瑶麗の見たところ、王倫の態度にも表情にも不自然なところはなかった。

 王倫は、安のことも、王のことも知らなかったのだと思う。

 ならば、そのつもりで対応する必要があるだろう。

 呉瑶麗は思った。

 

「な、なんでもない。ちょ、ちょっと、驚いただけじゃ……。で、でも、その首はどこで……?」

 

 秀白香が素知らぬ顔を装いながら、服を整えて椅子に座り直した。だが、内心の動揺は丸わかりだ。

 

「さあね……。たまたま、あたしの料理屋の近くをうろうろしているところをこの呉瑶麗が襲ったのよ。もうひとり、身体の大きな男もいたわね。なによ、秀白香。もしかして、知り合い?」

 

 朱貴美が嘲笑うように言った。

 

「し、知らん」

 

 秀白香は慌てたように首を横に振った。

 だが、秀白香は朱貴美の言葉で少しほっとしたような表情になった。

 それにより、呉瑶麗は確信した。

 安と王を朱貴美の店に押し入られたことについて、王倫は不承知だ。

 秀白香の反応は、どう見ても、それを王倫に知られることが都合が悪そうな感じだ。

 呉瑶麗はかまをかけてみることにした。

 

「そういえば、このふたりは死ぬ前に、おかしなことを口走っていたように思いますね。そのときに、“秀白香”という名を言った気もします。さっき伺ったところ、首領殿の情婦様も秀白香という名だとか……。もしかして、本当に知り人なのではないですか、秀白香殿?」

 

「な、なにを言うか、わらわに無礼であろう、呉瑶麗とやら」

 

 秀白香が真っ赤な顔になり怒鳴った。

 

「これはおかしなことを……。なぜ、いまの言葉が無礼になるのです?」

 

 呉瑶麗は言い返した。

 秀白香は言葉に詰まったような表情になった。

 

「まあいい……。それよりも、美形であるな……。呉瑶麗とやらも、その連れの奴隷もな……。国軍の武術師範代まで務めた女というから、男勝りの大女を連想しておったが、なかなかの美貌。驚いたな」

 

 王倫は嬉しそうに言った。

 その顔が卑猥に歪んだのがわかった。

 王倫はかなりの女好きという評判だ。嫉妬深い秀白香という女がいるから、決まった愛人は増やしはしないが、美しいとみれば部下でも他人の女でも次々に手を出すという噂もある。

 だが、この梁山泊においては、首領の王倫の権力は絶対だ。恋人や妻や娘を寝取られたとしても、男は泣き寝入りするしかない。しかも、抱いた後で、秀白香が王倫と寝た女に手酷い扱いをしたとしてもだ。

 ともかく、それもあり、王倫は部下の恨みを買っていたりして、あまりここでは人望もなようだ。

 

 これで宋万(そんまん)がいなければ、呉瑶麗ならずとも、とっくの昔に誰かに殺されていたかもしれない。

 しかし、呉瑶麗の横にいる宋万がしっかりと軍を握り、王倫自身も、高い金子で雇っている手練れたちに親衛隊として護衛させている。

 なかなかに隙がないのだ。

 

「恐れ入ります……。国軍の武術師範代など、大したものではありません。あんなものは、賄賂があれば手に入ります。帝都というのは、そういう場所なのです。わたしなど所詮は女です。この細い腕のわたしが、ほかの殿方を押さえて、武術師範代などというものをやっていたのがその証拠です」

 

 呉瑶麗はさらりと言った。

 王倫の虚栄心を満足させるとともに、呉瑶麗を強いと警戒されるのを防ぐためだ。

 呉瑶麗自身の武術家としての腕はもはや隠しようもないが、できる限り、油断をするように仕向けたい。

 また、この王倫が十年間の帝都における生活で、役人になる試験を受け続けては不合格になり続けたという話を朱貴美から聞いていた。

 もともとは、帝都に近い畿内州の城郭の出身であり、地元では十年に一度の英才と呼ばれて、将来を嘱望されていたらしい。

 ところが、帝都で毎年一度行われている役人登用試験には結局一度も受からなかった。

 

 それは王倫には耐えられない屈辱だったに違いない。

 その恨みと怒りが、王倫に梁山泊という大盗賊団を作ろうという動機を与えた。

 案の定、王倫は我がこと得たりと言わんばかりに、嬉しそうに膝を叩いた。

 

「そうだ。あそこは賄賂なしにはなにも実現しない場所なのだ。帝都で栄達するということと、実力があるということは別のものなのだ。俺も不当な扱いを受け続けた。帝都が実力通りに評価される場所なのであれば、俺の人生は異なったものになっていただろう」

 

 王倫が大きな声をあげた。

 つまりは、賄賂と関わりなく純粋に王倫が評価されていれば、自分が役人登用試験に落第することなどあり得ないと言いたいのだろう。

 もっとも、王倫が口にしたことは、あながち嘘ではない。

 帝都では賄賂を使わなければ、なにひとつ実現しないというのは「常識」だ。

 呉瑶麗が武術師範代になるのには、銭貨一枚も使わなかったが、それは武術師範代というのが、実入りのある仕事ではないからだ。

 また、実力もないのに、武術師範代などになっても苦労するだけというのは目に見えている。だから、なれた。

 

 しかし、役人ともなれば別だ。

 役人は、それがどんなに地位が低くても、やり方次第で巨万の富を作ることができる。

 だから、役人登用試験などと称して、表向きは一民衆でも平等に機会が与えられる制度を作ってはいるが、その裏では賄賂合戦が横行する。そして、あんなものの合否は賄賂の額により決まってしまう。

 武術師範代とはいえ、国軍という権力側から帝都を眺めてきた呉瑶麗には、それがわかる。

 

 王倫が本当に登用試験に合格できるだけの能力があったかどうかは知らない。

 だが、十年間、賄賂なしに合格を目指していたのだとすれば、とんでもない阿呆だと呉瑶麗は思う。

 あの役人試験は、賄賂なしに合格することは絶対にないと呉瑶麗は断言できる。

 

 ただ、本当に実力はあったのかもしれない。

 その証拠に、王倫は朱貴美の助けを借りて、この島に巣食っていた小さな盗賊団を乗っ取った後、たった七年間でここをこれだけのものにした。

 いまの梁山泊は、「軍」と呼ばれる戦闘要員だけで一千名を超え、さらに二千を超える彼らの家族が生活をし、そのために、この島内には田畠があり、牧があり、様々な工房があり、人家もたくさんある。

 小さいとはいえ、ちょっとした村だ。

 軍は規律も整い、軍以外の施設もしっかりと規律が行き届いている雰囲気だ。

 そして、一度は小規模だったとはいえ、官軍の討伐を撃退している。

 さらに、なんだかんだいっても、七年間、一度も首領の地位を失うことなく、絶対的な権力者として身を守っている。

 それは、「実力」なしには、絶対に成し得ないことだ。

 

「その通りです、王倫殿……。だから、わたしが武術師範代などというのは、賄賂によって成し得たものなのです。わたしの実力など大したものではないのです」

 

 呉瑶麗はもう一度言った。

 王倫は嬉しそうに頷いている。

 これでこの男は、自分の実力不足ではなく賄賂がなかったために登用試験に落ちたと自分自身を信じさせるために、呉瑶麗の武術の実力についても本当は大したものではないと信じざるを得なくなる。

 人は真実ではなく、信じたいものを信じる。

 少なくとも、幾らかの油断の材料くらいにはなってくれるはずだ。

 

「ふん。賄賂で得た武術師範代の地位? じゃあ、それを得るためになにを使ったのじゃ、呉瑶麗? 上司の武術師範に色目でも使ったか?」

 

 秀白香が馬鹿にしたような口調で言った。

 女ながら武術師範代をやっていると、判を押したように、色目を使って地位を得たかと陰口を叩かれたり、あるいは、面と向かった蔑みを言われたものだ。

 上司というのは王進だったが、呉瑶麗と王進が男女の仲だったために、王進(おうしん)は呉瑶麗を師範代として推薦したのだと裏で言われていたのも知っている。

 王進とはただの一度も男女の仲ではなかったが、飲み友達として仲がよかったのも事実だったから、その噂はまことしやかにささやかれて、呉瑶麗はいつも不愉快な思いをしていた。

 いずれにしても、実力なく、股を開くことで師範代の地位を得たと言われれば、そのたびに激昂したものだったが、いまは秀白香の揶揄の言葉がありがたい。

 どうやって、そういう方向に話を向けるべきが困っていたのだ。

 

「……まあ、そういうこともあったかもしれないわね、秀白香殿……。なにしろ、賄賂といっても、国軍の武術師範代になる前のわたしは、身寄りもないただの旅の少女。賄賂に値するようなものは、この身体しかなかったのですよ……」

 

 呉瑶麗は意味ありげに微笑んだ。

 無論、その微笑みはしっかりと王倫に向けている。

 秀白香がそれに気がついた。

 不機嫌そうだった顔が、さらに険しくて怒りに満ちたものになった。

 しかし、王倫が反応した。

 呉瑶麗に対する大きな興味が注がれるのがわかった。

 

「ほう……。ならば、こうしてはどうかな……? たとえば、お前が俺に賄賂に値するものを渡したとする……。そうすれば、お前がかつて得た地位以上のものを俺はお前に与えるかもしれん。そうだな……。その宋万の下で、武術師範というのはどうだ? 席次の順位は宋万に次ぐ者だ……。その奴隷でもいいぞ。それを俺に与えるとか……」

 

 王倫の視線は、呉瑶麗と、呉瑶麗の後ろにいる寧女(ねいじょ)の顔と身体をはっきりと値踏みするように送られていた。

 やっぱり、この男は女にだらしがない。

 一方で、呉瑶麗は、呉瑶麗ではなく寧女に話が向けられたのが意外に思った。

 さすがに、王倫も呉瑶麗ほどの手練れに対して、身体を抱かせろと要求するのは気後れしたのかもしれない。

 なんだかんだで、呉瑶麗が切断した安の首は、朱貴美がまだ容器の蓋の上に乗せたままなのだ。

 後ろで寧女が小さな悲鳴をあげた。

 

 寧女は、呉瑶麗が王倫の申し出に応じると思っているだろう。

 呉瑶麗を「主人」として刻まれている奴隷の首輪をしている寧女には、呉瑶麗の言葉に逆らうことは絶対にできない。

 

「この女はわたしの侍女です。申し訳ありませんが、差しあげるわけには参りません」

 

 呉瑶麗はきっぱりと言った。

 背後で寧女が安心したように、息を吐く音が聞こえた。

 一方で王倫は明らかにむっとした表情になった。

 

「……ですが、王倫殿が別のものを賄賂として要求されたなら、今度はわたしは、喜んで渡せるものを差しあげたいと思います。もっとも、わたしが持っているものは、わたしが三年前に帝都にやってきたときと同じです。あるのはこの身体だけです。もちろん、さっきも言いましたが、寧女は駄目です。彼女はわたしの侍女なのです」

 

 呉瑶麗は言った。

 そして、微笑んだ。

 できるだけにっこりと……。

 女が男に媚を売るような笑みに見えるように……。

 そんなことは呉瑶麗は苦手だったし、やってみて自分でもうまくいったとは思えなかった。

 

 だが、丸っきり駄目だったというわけではない。

 王倫の顔がしてやったりの表情で嬉しそうに微笑んだからだ。

 その表情には、いかにも好き者の男が獲物の女を前にしたときのような卑猥な色がしっかりと浮き出ていた。

 その横で秀白香がとても怖い顔をしていたが、それは呉瑶麗にはまったく気にはならなかった。

 

 

 *

 

 

 案内を受けて、連れて行かれたのは、王倫との「謁見」が行われた大広間の奥側の場所だった。

 そこはたくさんの扉のある部屋があり、呉瑶麗が連れて行かれたのは、その中のひとつだった。

 廊下にはたくさんの親衛隊が立っていた。

 雰囲気からすれば、ここは王倫の居住空間という感じだった。

 呉瑶麗を案内したのは、王倫が指名をした親衛隊のうちのふたりだ。

 

 朱貴美からは事前に、この建物が「聚義庁(しゅうぎちょう)」と呼ばれる建物だというのは聞かされており、梁山泊の首領はここで新入りの呉瑶麗と面談をするだろうとも言われていた。

 朱貴美の話によれば、ここは主立つ幹部が会議などをして、話し合いをする場所だということだった。

 また、首領の王倫はここで暮らしているとも言われた。

 だが、実際に、聚義庁にやってきてみると、ここは王倫の屋敷という感じであり、集会の行われるような雰囲気ではなかった。

 王倫の居住空間ではあるのだろうが、砦で第二位の地位にいるはずの宋万でさえも、ここに入るのは許可が必要だった。

 

 朱貴美の口ぶりからすれば、以前はこのような雰囲気ではなかったのだろう。

 杜穂(とほ)という王倫の二番目の情婦で、また、予言ができるという話の不思議な女性が、王倫が誰かに地位を奪われると告げたために、王倫が用心深くここに閉じこもり、しかも、建物全体を塀で封鎖して、許可なく誰も入ってこられないようにしたということのようだ。

 

 ただ、実際にどのように変化したのかという詳細については、朱貴美とは話をすることはできなかった。

 王倫の情婦になることを承知した「謁見」が終わると、宋万と朱貴美は、あの大広間から外に出され、呉瑶麗と寧女はここに残され、離れ離れになったからだ。

 朱貴美は、あのまま船で湖を渡って、料理屋に戻ったのだろう。

 この建物のこちら側に部屋に住むのは、王倫とその情婦のみということのようなので、いまは王倫のほかには、秀白香と杜穂、そして、呉瑶麗たちの住む部屋ということのはずだ。

 

 また、秀白香には侍女となるような世話女が何人かいそうな感じだった。

 杜穂はまだ会っていないので、どんな雰囲気の女性なのかや、侍女に世話をさせるような女なのかもわからない。

 たくさんいる親衛隊の男たちが、ここに住んでいるのか、それとも別の建物で暮らしているのかも知らない。

 

 ただ、いま多くの親衛隊の男たちが廊下にいるのは、万が一のために警戒しているという感じだ。

 また、幾つかある部屋の中で、どれが王倫の部屋であるのかは教えてもらえなかった。

 用心深い男だというから、もしかしたら、毎日変えるのかもしれない。

 

 いずれにしても、呉瑶麗は王倫の情婦になることを承知したので、用心深い王倫が、引きこもっているこの「聚義庁」という名の王倫の屋敷内に部屋を与えられることになった。

 初日の成果としては上出来だろう。

 呉瑶麗はこの成果に大いに満足している。

 

 次にやるのは、なんとか宋万を取り込むことだ。

 朱貴美の話によれば、この梁山泊を事実上押さえているのは宋万だ。

 宋万はなんといっても、一千に及ぶこの砦の戦闘員を統制していて、その宋万が絶対の忠誠を王倫に誓っていることで、王倫はここで権力を保っていられる。

 

 宋万さえ、こっちに取り込んでしまえば、王倫などいつ殺しても問題はない。

 そのときは、親衛隊の存在が邪魔にはなるが、情婦ともなれば、王倫にはいつでも近づけるということだ。簡単に殺すこともできるような気もする。

 

「目的を果たすためには、身体くらいいつでも犠牲するということ、呉瑶麗? 大した覚悟ね。それとも、汚される前に、すぐに実行するの?」

 

 部屋の隅の床に座った寧女が呉瑶麗に言った。

 寧女と呉瑶麗の荷は部屋の隅に固めて置いてある。

 呉瑶麗たちは、この建物に入る前に、「営門」のような場所に荷を預けていたのだが、この部屋に入ってくると、すでにその荷は置かれていた。

 寧女は、案内の男ふたりがいなくなると、すぐにその荷の横に座り込んだのだ。

 一方で呉瑶麗は、部屋にあった寝台の横の椅子に腰かけていた。

 

 部屋の中には寝台もあり、机もあり化粧台なども準備されていた。

 この部屋には扉のない小部屋も隣接していて、そこに侍女用の寝台らしい座椅子もある。

 ほかにも生活必需品は揃えられてて、一応は不自由なく生活ができるようになっている。

 

 案内の男たちは、必要な物があれば、誰でもいいから親衛隊に告げればいいと言って外に出ていった。

 部屋には鍵などなく、閉じ込められたわけでもないが、自由に出歩くと、廊下にいる「見張り」たちに咎められそうだ。

 

 まあ、まだ一日目だ。

 なにひとつ無理をする必要はない……。

 

「いまさら汚れて困るような身体じゃないわよ。それから、まだ“実行”はしないわ。いまはまだ観察するだけよ……。それから、気をつけてね。どこで誰が聞き耳をしているかわからないわよ、寧女」

 

 呉瑶麗は低い声で言った。

 

「わかっているわよ……。それにあんたが死ねば、わたしも一蓮托生だしね。気をつけるわ……。だけど、誰かが聞き耳でもしていれば気配でわかるわ。いまは大丈夫よ」

 

 寧女は諦めたような笑みを頬に浮かべた。

 奴隷の首輪で支配している寧女には、呉瑶麗が任務に失敗して、王倫に処断されたら、自殺せよと命令をしている。

 呉瑶麗の任務というのは、この梁山泊を王倫から横取りして、白巾賊(はくきんぞく)の砦にしてしまい、晁公子(ちょうこうし)をここの頭領にすることだ。

 そのためには、寧女が口に出したように、なんでもするつもりだ。

 また、呉瑶麗だけではなく、この寧女も相当の手練れだ。

 だから、王倫の暗殺についてはなんとかなると思う。

 

 いまのところ、呉瑶麗の武術の腕は話題になったが、寧女については、ほとんど存在そのものが無視されている。

 元性奴隷という触れ込みの寧女が、実は元国軍の将校で、呉瑶麗と変わらぬ武芸の持ち主というのは誰ひとり想像もしないだろう。

 

 そのとき、部屋の扉が外から叩かれた。

 返事をすると、秀白香が入ってきた。

 親衛隊の男を三人連れている。

 その三人の男は扉を閉めて、その前を塞ぐように立った。

 一方で秀白香は、相変わらずの不機嫌そうな表情で部屋を突っ切ると、呉瑶麗が座っている椅子の横の寝台に腰かけた。

 

「王倫様がお前をさっそく抱くそうじゃ。支度せよ、呉瑶麗。これからしばらくは、王倫様がお前を抱く前には、わらわが準備の世話をする。なにをどうするのかも勝手がわからないだろうしな」

 

 秀白香が呉瑶麗をむっとした顔で睨みながら言った。

 朱貴美によれば、この女はもともと立派な家柄で育った少女だったという。

 だから、呉瑶麗からしたら、おかしな喋り方に聞こえる話し方をする。

 

「準備?」

 

 呉瑶麗は問い返した。

 抱かれるのはいい……。

 すっかりとそのつもりなのだ。

 だが、なにか特別なことをしなければばらないのだろうか……?

 

「王倫様の寝室に入るときには、生まれたまんまの格好で行くのだ。許されるのは、この白い布だけだ。それを裸身で包むのじゃ。それ以外は髪飾りひとつ許されん。わらわがしっかりと点検するから、ここで脱げ」

 

 秀白香が一緒に連れてきた男が手に抱えていた白い布を受け取って、無造作に拡げて寝台の上に置いた。

 そういうことかと思った。

 用心深い男だというから、女を抱くときにも用心深いのだろう。

 しかし、その布はちょっと小さすぎると思った。なにしろ、見ると、身体を隠すといっても、その長さから考えて、乳房ぎりぎりと股間の付け根までしか隠せない気がする。

 

 また、幅も短い。どう考えても呉瑶麗の細い身体でも一周はできるかどうかのぎりぎりだ。

 こんな小さい布だけで身体を覆って、男がたくさん立っている廊下を歩けというのは、なんとなく秀白香の嫌がらせのような気もする。

 そのために、わざと小さな布を探して持ってきたのではないだろうか……。

 

 まあいい……。

 呉瑶麗は覚悟を決めた。

 

「じゃあ、あなたの前で脱ぐから、男たちを外に出してくれない、秀白香殿?」

 

 呉瑶麗は服に手をかけながら言った。

 

「なに言っておるのじゃ、呉瑶麗。お前は手練れなのであろう? そのお前とふたりきりなんて、とてもとても怖くてできん……。彼らはわらわを守っておるのだ。気にせず、早く、生まれたまんまの姿になれ。王倫様を待たせるではないぞ」

 

 秀白香が大きな声をあげて笑った。

 

「こ、こいつらの前で素っ裸になれと言っているの?」

 

 さすがに呉瑶麗はむっとした。



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78  呉瑶麗(ごようれい)王倫(おうりん)に媚薬を飲まされる

「こ、こいつらの前で素っ裸になれと言っているの?」

 

 呉瑶麗(ごようれい)は抗議した。

 

「嫌ならいい。ここを出ていけ。王倫(おうりん)様には、お前がやっぱり嫌がって逃げてしまったと伝えておく」

 

 秀白香(はくしゅうか)は扉を指さした。

 そこには、秀白香が連れてきた親衛隊の三人の男がにやにやしながら立っている。

 男たちが左右に開いて扉の前を開けた。

 呉瑶麗は歯噛みした。

 だが、ここで騒動を起こして、王倫の情婦の立場を失うわけにはいかない。

 

「わ、わかったわ……。素裸になるけど、その前に汗を拭わせて。このまま抱かれるなど、王倫殿に失礼だわ。点検はそれから、すればいいでしょう」

 

 呉瑶麗は言った。

 裸を見られるとしても、せめて全裸になっていく過程を眺められたくない。

 しかし、呉瑶麗の申し出は嘲笑で返された。

 

「不用じゃ。王倫様は、すぐにお前を抱きたいを申しておる。王倫様がすぐと言えば、すぐじゃ」

 

 秀白香は言った。

 もう観念するしかない。

 呉瑶麗は覚悟を決めた。手をかけたままだった上衣の紐を外していく。

 服を脱ぎ始めると、秀白香だけでなく三人の男からも笑い声が漏れた。

 新入りの情婦が人前で裸になるという状況を連中が面白がっているのは確かだ。

 恥ずかしがっていては、この連中の思うつぼだと思い、上衣に次いで下袴を脱ぐ。

 

「わ、わたしが……」

 

 寧女(ねいじょ)が慌てたように、呉瑶麗が脱いだ衣類を受け取っていく。

 一応、侍女という設定なので、そうしなければならないと思ったのだろう。

 下袴(かこ)とともに履物も脱いだ。

 胸巻きと股布だけの姿になる。

 

「思ったよりもいい身体じゃねえか、なあ」

 

「ああ、乳もけっこうあるんだな。服の上からはわからなかったが」

 

 扉のところで立っている護衛隊が無遠慮に下品な批評をする。

 かっと血がのぼりそうになったが懸命に耐えた。

 いずれにしても、腕は立つのかもしれないが、王倫の護衛というのは、随分とがさつで品のない連中のようだ。

 そういう人間を周囲に侍らせているというだけでも、王倫の品性がわかるというものだ。

 そして、残っている布も取り去った。

 呉瑶麗は両手で乳房と局部を隠した。

 すると、寧女が受け取った股布をさっと横から秀白香が奪った。

 そして、それを両手で大きく広げて股間の部分を男たちに見せつけるようにかざした。

 

「な、なにしてんのよ」

 

 呉瑶麗は声をあげた。

 

「うるさいのう。下着に怪しい物を隠していないかどうかを点検したのじゃ。ふん、まあいい。なにもないようじゃな。では、侍女、これを呉瑶麗につけさせろ」

 

 秀白香が護衛たちから鎖のついた革具を二個受け取って、寧女の前に放った。

 呉瑶麗は呆気にとられた。

 拘束具だ。

 それは、大きさの異なる輪が短い鎖で繋がった二組の革枷だった。枷の部分は留め具で大きさが調整できるようになっているようだ。

 

「ど、どういうことよ? まさか、それで拘束されろと言ってるんじゃないでしょうねえ?」

 

 呉瑶麗は声をあげた。

 

「さっきから、やかましい女じゃのう。王倫様の命令じゃ。お前は女とはいえ手練れ。そのような女を王倫様がふたりきりでお抱きになるのだぞ。万が一にも、お前が王倫様に手出しができんように、拘束するのは当然だ。文句があるなら、王倫様に言えばいいであろう」

 

 王倫の命令と言われれば、逆らうわけにもいかない。呉瑶麗は諦めた。どうせ抱かれるのだ。どんな抱かれ方をされようと一緒だ。

 

「ね、寧女、それでわたしを拘束しなさい」

 

 呉瑶麗は言った。

 

「は、はい」

 

 寧女は当惑した表情をしている。

 呉瑶麗の激しい気性を寧女はよく知っている。

 その呉瑶麗が、この梁山泊を乗っ取る工作のためとはいえ、盗賊団の首領の情婦風情のこんな辱めに唯々諾々と従おうとしていることにびっくりしている様子だ。

 だが、呉瑶麗は、とにかく、耐えようと心に決めた。

 三千を超える人間が巣食う盗賊団の砦を根こそぎ乗っ取るという大仕事だ。

 命を失う覚悟もしてきた……。

 だったら、多少の恥辱など、どうということはないはずだ……。

 

「大きい輪は腿に装着せよ。その腿の横に小さい方の輪で手首を拘束するのだ」

 

 秀白香が寧女に言った。

 寧女が呉瑶麗の腿に革枷を巻いて留め具を調整すると、一瞬枷が青く光り、腿にぐっと密着するとともに、留め具の部分が消滅して、そこに小さな穴が出現した。

 呉瑶麗は驚いた。

 道術の込められた霊具だ。

 

「一応、罪人用の霊具を準備させた。この鍵がなければ外せん。この鍵はこの部屋に置いていくのだ」

 

 秀白香が懐から飾りのない小さな鍵を取り出した。それを寝台の横の台に置いた。

 そのあいだに、寧女が呉瑶麗の両手首を枷で腿の横に拘束する作業を終えた。

 

「終わったか……。ならば、股を開け、呉瑶麗。股の中を点検する」

 

 秀白香が言った。

 手の自由を失った呉瑶麗は、片脚を曲げて懸命に男たちの視線から股間を隠すようにしていたが、その言葉にびっくりした。

 だが、顔をあげると、いつの間にか秀白香は潤滑油のようなものが入っている小瓶を手に持っていて、それを指にまぶしている。

 

「ふ、ふざけないでよ。そこまでの辱めを受ける筋合いはないわよ。いい加減にしなさい。王倫殿本人ならともかく、その情婦のあんたに、なんで、そんなことされないとならないのよ」

 

 呉瑶麗は激昂して怒鳴った。

 どんなことにも耐えようと思った、さっきの誓いなど怒りで吹き飛んだ。

 すると、秀白香が潤滑油の入った小瓶を横の台に力強く叩きつけた。

 

「お前という女は王倫様の情婦になる気が本当にあるのか? 王倫様の情婦になるということは、その第一の情婦であるわらわの支配に入るということだ」

 

「なっ」

 

 呉瑶麗は、秀白花のあまりの剣幕に言葉に詰まった。

 さらに、秀白花が捲し立てる。

 

「わらわがこうやって、王倫様に抱かれるお前の支度をしに来ているのも、わらわがお前の世話を命じられているからだ。そうでなければ、お前など、どうでもいい。わらわの本心は、お前なんかには王倫様を触れられたくもないし、わらわも触りなくない」

 

「はあ?」

 

 どうでもいいが、なんという腹のたつ物言いだ。

 呉瑶麗は、目の前の女を殴りたくなるのをじっと我慢した。

 

「しかし、王倫様に抱かれる前に、どんな女でも、わらわがその女の秘所と肛門に武器などを隠し持っていないかどうか点検することになっておる。それは決まりだ。不服なら出ていけ。この建物からではないぞ。この梁山泊からだ」

 

 秀白香が怒りで顔を真っ赤にする。

 呉瑶麗は嘆息した。。

 秀白香は単に呉瑶麗を辱めるためだけに、こうやってなぶっているのではないと言われれば、それ以上文句の返しようもない。

 それに、ここで秀白香を怒らせたら、確かに王倫は呉瑶麗を追い出すかもしれない。

 いずれにしても、王倫が秀白香にぞっこんであり、王倫に対して秀白香がかなりの影響力を持っていることは、繰り返し愚痴とともに朱貴美に教えられていた。

 折角、梁山泊に入山ができ、しかも、その情婦として、王倫の近くに侍るという都合のいい立場になれそうなのだ。

 その機会を放棄するわけにはいかない。

 

 それに、王倫に危害を加えることを防止するために、局部を事前に点検するというのは納得できる。

 実は、たったいままで、そのうち王倫を殺害するときには、膣の中に小さな武器を隠し持っていくことを考えていたからだ。

 

 とにかく、秀白香が呉瑶麗の身体検査をするというのは当然のことだから納得するしかない。ただ、いま続けている秀白香の行為には、呉瑶麗を調べるというよりは、新たに王倫の情婦となりそうな呉瑶麗に、自分の権威を見せつける意味合いが強いだろう。

 そのための辱しめだ。

 

 そういえば、秀白香は、自分自身のことを王倫の「第一の情婦」と称した。

 しかし、朱貴美を含んで、秀白香は順番では三番目の情婦のはずだ。

 第一情婦という言葉には、秀白香の強い権威意識が表れている気がする。

 

「す、すみませんでした……。かっとなりました……。でも、せめて、彼らには背を向けさせてもらえませんか……?」

 

 呉瑶麗は肚が煮え返るのを我慢して、秀白香に頭をさげた。

 

「ならん。連中の前で調べてやるわ。つべこべ言わずに、股を開かんか」

 

 秀白香が強引に呉瑶麗の脚のあいだに腕を突っ込んできた。

 仕方なく、呉瑶麗は脚の力を緩めて股間を少し開いた。

 すぐに秀白香の指が股間に入ってきた。

 思わず腰を引きそうになり、呉瑶麗は歯を食い縛って正面を見据えた。

 やっぱり、一瞬、目の前の女の顎を膝で砕いてやる衝動に見舞われた。

 

「ふ……くっ……う……」

 

 秀白香の指が執拗に股間を何度も出入りする。

 呉瑶麗は懸命に息を鎮めようと努力しながら、両方の拳をぐっと握った。呉瑶麗が秀白香になぶられている光景を護衛の男たちが笑って眺めているのがわかる。

 それは激しい屈辱だったが、耐えられない恥辱ではない。

 だが、身体の反応は別だ。

 呉瑶麗の身体はすぐにかっと熱くなり、身体に小刻みな震えが走ってきた。

 感じやすい身体は、安女金(あんじょきん)のせいだ。

 あの女は、ほとんど毎晩のように呉瑶麗を「調教」して、呉瑶麗の身体を快楽責めにする。

 いまや、呉瑶麗の身体は以前とは比べものにならないくらいに敏感な身体になっていた。

 

「随分と遊んだ身体なんじゃのう……。こんなもんで、そんなに感じているのか?」

 

 秀白香が嘲笑するような口調で言った。

 さらに秀白香の反対の手の指が呉瑶麗の双臀に伸び、ぐっと菊座にも食い込んだ。

 

「あくっ」

 

 思わず甘い声をあげてしまった。

 呉瑶麗は慌てて口を閉じた。

 

「反応のいい女だ。頭領はお歓びになるだろうな」

 

 そのとき、護衛のひとりがそう言って笑った。

 すると、秀白香が明らかに不満そうな顔になった。

 前後の穴に挿入されていた指がさっと抜かれた。

 

「点検は終わりじゃ。その布を巻いて着いてこい。行くぞ」

 

 秀白香が唐突に立ちあがった。

 そのまま扉に大股で歩いていく。

 

「お、お待ちを」

 

 声をあげたのは寧女だ。

 布を巻けと言われても、拘束されている呉瑶麗には自分ではできない。

 だから、侍女役の寧女が呉瑶麗の裸身を隠す布を巻く必要があるのだが、秀白香はその時間を与えようとはせずに、部屋の外の出て行ったのだ。

 寧女が呉瑶麗の身体に、秀白香が持ってきた白い布を巻いた。

 やっぱり、随分と小さくて、呉瑶麗の胴体を巻くには幅が短すぎる。

 

「横を押さえて、ついてきて……」

 

 呉瑶麗はささやいた。

 寧女が小さくうなづいた。

 そして、廊下を進み始める。

 半裸で建物の中を練り歩かされるのは、大きな羞恥だった。

 しかも、呉瑶麗の裸身を包んでいる布は呉瑶麗の乳房の半分と陰毛すれすれまでの長さしかなく、さらに布幅は小さくて、寧女が押さえていなければ布が落ちてしまうくらいなのだ。

 

 廊下のあちこちには、王倫の護衛が立っていて無遠慮な視線を向けてくるし、拘束されている呉瑶麗は、とても歩きにくいのに、秀白香が速足なので、それに追いつくには、無理に足を大きく伸ばさなければならない。

 すると、布からすぐに股間がさらけ出そうになるのだ。

 

 一方で秀白香が連れてきた三人の護衛は、全員揃って呉瑶麗の後ろから着いてきた。

 呉瑶麗は急ぎ足で歩かなければならないために、脚を前に出す度にどうしても布から尻がはみ出すのだが、その無様な姿を背後から舐め回すように眺めるために、連中が背後にいるのは明白だ。

 

 しかも、そんなに広くもないはずなのに、随分とぐるぐると廊下を歩かされた。

 同じ場所を何度も通ったりもした。

 確かにこの建物の居住地域は、複雑な迷路のようになっていたが、ここまでうろうろするのは、それも秀白香の嫌がらせだと思う。

 そして、しばらく歩いてから、やっとなんの変哲もない扉の前で秀白香が停止した。

 外からでは、ほかにある部屋の扉とは区別はつかない。

 ただし、扉の外には屈強な護衛が四人立っている。

 

 秀白香がその部屋の前の護衛のひとりに声をかけると、彼らのひとりが扉の向こうに声をかけた。

 すぐに呉瑶麗は身体の横で布を押さえている寧女とともに中に通された。

 そのとき、護衛の三人組は役目が終わったのか、どこかに立ち去っていき、呉瑶麗を囲むのが、扉の外にいた四人の護衛のうちのふたりに変わった。

 

「連れてきたぞ、王倫様……」

 

 秀白香が言った。

 部屋の中は王倫がひとりだった。

 王倫は大きな椅子に身体を沈め、横の台に葡萄酒の瓶と杯を置いている。瓶も杯もふたつずつあった。ほかに寝台やさまざまな調度品もある。

 部屋そのものは、呉瑶麗があてがわれた部屋とほとんど大差がない。やはり、王倫専用の決まった部屋というものはないのかもしれない。

 この建物にたくさんの部屋があり、廊下からの外観に特徴がないのは、王倫がどこで休むのかをわかりにくくするためだと思った。

 そして、毎夜毎夜、王倫は部屋を変化されるに違いない。

 暗殺を防ぐための用心ということだろう。

 

「ほう……。面白い恰好だな……。拘束具はともかく、布が小さすぎるな」

 

 王倫が寧女に布を支えさせている呉瑶麗を一瞥して言った。

 

「何分にも急ぎのことだったので、準備ができなかったのじゃ。ありあわせの布で対応したのじゃ」

 

 秀白香が応じた。

 

「まあいい……。次からは浴衣を渡せ。拘束はするが、俺の情婦を護衛どもの目の保養にさせるのは気に喰わん」

 

「わかりました」

 

 秀白香が不満そうな表情でうなずいた。

 

「なら、秀白香、もう戻っていい。ご苦労だったな」

 

 さらに王倫が言うと、明らかに秀白香は顔に嫉妬の怒りのようなものを浮かべた。

 だが、それ以上はなにも言わずに、大人しく部屋の外に出ていく。

 

「奴隷の侍女は戻せ……。約束だから手はつけん」

 

 王倫が呉瑶麗に言った。

 寧女が呉瑶麗に視線を向けた。

 

「出ていなさい」

 

 呉瑶麗はそれだけを言った。

 寧女が支えていた布の端をしっかりと脇で挟んだ。

 

「常に呉瑶麗様のそばにいるのがわたしの務めです。わたしは廊下で待機しております、呉瑶麗様……」

 

 寧女が侍女としての言葉遣いで言った。

 王倫は特にそれについて、なにも言わなかった。

 従女のことなど、気にも留めていないという感じだ。

 しかし、呉瑶麗は大いに満足した。

 これで呉瑶麗が王倫に抱かれるときには、常に寧女が廊下に待つということができる。

 寧女なら廊下の四人から剣を奪って全員を瞬時に倒し、そのままこの部屋に踊り込むということもできるだろう。

 非常の際に廊下にいる護衛がすぐに対応するため、この部屋に鍵がかけられていないことはさっき確認した。

 寧女とふたりの護衛も部屋を出る。

 呉瑶麗は王倫とふたりきりになった。

 

「こっちに来い」

 

 王倫が顎で自分が座っている椅子の前を差した。

 そこは床だ。

 仕方なく、呉瑶麗は布が落ちないように苦心しながら、王倫が腰かけている椅子の前に正座をした。

 だが、その布を王倫が呉瑶麗からあっという間に剥ぎ取った。

 一糸まとわぬ呉瑶麗の裸身が露わになる。

 呉瑶麗は思わず身体を竦ませた。

 

「元国軍の武術師範代を務めたほどの女傑でも、恥ずかしそうにする女の反応は可愛いものだ……。緊張することはない……。さあ、酒でも飲め」

 

 王倫が葡萄酒の瓶を空の杯に注いで、呉瑶麗の口元に持ってきた。

 だが呉瑶麗は、それまで王倫が飲んでいた瓶ではなく、もう一方の瓶の葡萄酒を呉瑶麗に飲ませる杯に注いだことに気がついた。

 飲みかけの瓶があるのに、わざわざ、そんなことをするというのは不自然だった。

 なにが入っているかわからない葡萄酒を飲むのは気が進まない。

 しかし、飲まないわけにはいかない。

 呉瑶麗は口に当てられた酒を一口だけ飲んだ。

 それは素晴らしい味だった。

 酒の味はよかったし、とても冷えていた。

 緊張で喉が乾いていたというせいもあったかもしれないが、王倫が準備したのが、とても上等な酒だということだけはわかった。

 喉から胃に向かって灼けるような熱さが拡がる。

 それとともに、微かではあるが酒以外の異物の気配を感じた。

 やはり、なにか混ざっている……。

 呉瑶麗は確信した。

 

「全部、飲むんだ」

 

 呉瑶麗が喉を鳴らして酒を飲むのを見守るようにしている王倫が言った。

 その命令を拒む選択肢は呉瑶麗にはない。

 覚悟を決めて、全部を胃に流し込んだ。

 飲み終わるころには、異常な身体の火照りを感じ始めていた。

 なにが酒に混ざってたかのかわかった。

 媚薬だ。

 王倫は呉瑶麗に飲ませた葡萄酒に媚薬を含ませたのだ。

 

「ふ、ふう……」

 

 呉瑶麗は大きく息を吐いた。

 全身に疼きが拡がる。

 みるみるうちに肌から汗が滴り落ちるのがわかった。

 かなりの強い媚薬であったことは間違いない。

 すでに、呉瑶麗は立っていられないほどの淫情に襲われている。

 王倫の指が強く勃起した呉瑶麗の乳首に触れた。

 まるで稲妻にでもあてられたかのような衝撃が、呉瑶麗の身体を貫いた。

 

「はああ」

 

 呉瑶麗は身体を震わせた。

 

「感じやすい女はいいな」

 

 王倫が愉しそうに言った。そして、呉瑶麗は乳房を握られて立たされた。

 王倫の唇が呉瑶麗の唇を塞ぐ。

 

「んっ……」

 

 呉瑶麗は声をあげていた。

 王倫の舌が呉瑶麗の口の中を這いまわると、それだけで身体が溶けそうな錯覚を覚えた。

 口の中を舌で蹂躙される。

 腰が砕けそうになる。

 なにも触れられていない股間からつっと蜜が垂れ落ちるのを感じた。

 呉瑶麗は自分自身のあまりの反応に愕然とした。

 

「感じやすい身体のようだ。薬物の力だけではここまで濡れん」

 

 やっと王倫の唇が離れた。

 口の中を舐められただけとは思えないほどの強い快感だ。

 頭がぼうっとなる。

 これは危険だ……。

 呉瑶麗は思った。

 王倫が呉瑶麗に媚薬を飲ませたのは、単に情交を愉しむためたけではないだろう。

 薬物の力で呉瑶麗の抵抗を封じるためでもあるのかもしれない。

 

 そうだとすれば、毎回、この媚薬を飲まされるだろうか……?

 こんな媚薬を飲まされるのでは暗殺などできない……。

 それに、これは気持ちよすぎる。

 なにをどうされても、狂うような快感が襲う気がする。

 自分がそういう淫情に弱いことはもう知っている。

 

 流刑地で安女金の調教を受けるうちに、本当に心まで支配されたようになってしまった……。

 それと同じことか起きたらどうしよう……。

 呉瑶麗は激しい息をしながら、その恐怖に包まれた。

 

「次はお前の番だ、呉瑶麗」

 

 王倫は左右を重ね合わせるかたちの浴衣を着ていたが、その股間が大きくをはだけられた。

 そこには屹立した王倫の性器があった。

 

「は、はい……」

 

 呉瑶麗はごくりと唾を飲んだ。

 そして、もう一度正座をすると、大きく口を開いて勃起した王倫の性器を咥えた。

 

「んふっ」

 

 思わず出てしまった鼻息に呉瑶麗は羞恥を覚えた。

 だが、自分がかなりの興奮状態にあることを呉瑶麗は自覚しないわけにはいかなかった。

 無論、それは飲まされてしまった興奮剤のためでもあるだろう。

 しかし、おそらく、それだけではない。

 多分、呉瑶麗には刷り込まれてしまった被虐の癖があるのではないかと思う。

 好きでもない男の珍棒を舐めることを余儀なくされる状況に置かれる……。

 そのこと自体が呉瑶麗を酔うような淫情に包むことも確かだ。

 

 呉瑶麗は頬張った王倫の性器を唾液でなぶしながら静かに舐めた。

 口全体で数回刺激をすると、王倫の怒張は天を向いて、裏筋をこちら側に晒すようにまでなった。

 呉瑶麗は上方を向く性器を咥え直すために膝立ちにならなければならなかった。

 

「んんっ」

 

 王倫の肉棒をしゃぶりながら、呉瑶麗は思わず声をあげた。

 膝立ちになった呉瑶麗の股間に刺激が加わったのだ。

 それは王倫の足の指だった。

 王倫は呉瑶麗に股間を舐めさせながら、足で股間を愛撫し始めたのだ。

 しかも、無遠慮に女陰にぐいと指を突き挿してきた。

 

 その侮辱的な行為に呉瑶麗はかっとなったが、同時に呻くような快感を覚えた。

 媚薬で蕩けている身体に受ける愛撫は、自分でもびっくりするような官能の衝撃を呉瑶麗にもたらした。

 なんでもない愛撫だ。

 それが途方もなく身体の芯を掻きたてるような甘美さに呉瑶麗を包み込む。

 

 そして、はっとした。

 ほんの少し上の空になってしまったようだ。

 呉瑶麗は、王倫の性器を舐めるという作業に没頭しようとした。

 だが、女陰に喰い込んでいる足の指が動きたびに、呉瑶麗は陶酔するような心地を味わう。

 それでどうしても気を取られてしまう。

 なんでこんなにも興奮するのか自分でもわからない。

 だが、呉瑶麗が異常な状態にあるのは確かのようだ。

 

「反応のいい女はいい……。それに、被虐の癖もあるようだな」

 

 王倫が呉瑶麗の心を見透かしたよう言った。

 あっという間に性癖を言い当てられたことに呉瑶麗は狼狽した。

 

「もういい。いまはあまり時間がないからな、これまでのところは合格だ」

 

 王倫が呉瑶麗の股間から足を抜くとともに、呉瑶麗が口で股間に奉仕する行為をやめさせた。

 その代わり、呉瑶麗の顔に愛液で汚れた足の指をすっと出した。

 舐めて綺麗にしろということだろう。

 強い屈辱を感じたが、この王倫に取り入るためだと我慢した。

 これまでのところは合格と王倫は言った。

 つまりは、これは試しなのだ。

 そう思った。

 

 呉瑶麗を本当に情婦にするかどうかを最初に抱いてみることで、見極めようとしているのだと思う。

 おそらく、こういう行為のひとつひとつが王倫の試験になっているのだろう。

 この男はただ、呉瑶麗を味見しているというだけではなく、じっくりと観察して呉瑶麗という女がどんな女であるかを調べようとしているのだと思った。

 そして、少しでも違和感があれば、手元には残さずに排除するに違いない。

 王倫という用心深い男のやりそうなことだ。

 

 ならば淫乱な雌になりきるのだ……。

 少しでも疑いを抱かせてはならない……。

 呉瑶麗は自分に言い聞かせた。

 それは難しいことではなかった。

 そうでなくても、呉瑶麗は王倫との逢瀬に泣くような快感を覚えていた。

 ただ、それにどっぷりと身を任せて流されればいいだけだ。

 

「膝を立てて、床にうつ伏せになれ」

 

 王倫は短く命じた。

 寝台は横にあったが、王倫はそこではなく床で呉瑶麗を抱こうとしているようだ。

 呉瑶麗は言われるままの体勢になった。

 跪いて身体を倒すと、腕が両腿の横にあるので、自然に顔を床につけて、尻を高く掲げる格好になる。

 その背後に王倫が回った。

 

「あううっ」

 

 喉の奥から声がしぼり出た。

 王倫の怒張の先端がお尻越しに女陰に擦りつけられてきた。

 そして、力強く割り込んでくる。

 足の指で弄られるくらいで、ほとんど前戯らしいこともなかったのに、呉瑶麗の股間は信じがたいほどの柔軟さと滑らかさで王倫を迎え入れた。

 

「うんんっ」

 

 鼻から大きく息を出しながら、呉瑶麗は床につけた顔をのけ反らせていた。

 愉悦が五体を襲う。

 女陰を深々と貫くなり、王倫は容赦のない抽送を送ってきた。

 呉瑶麗は身体が粉々に砕けるのではないかと錯覚するほどの快感を覚えた。

 声が我慢できない。

 あっという間に、呉瑶麗は吠えるような叫び声をあげていた。

 

 すぐに王倫が怒張を出し入れする速度があがった。

 呉瑶麗は歯が軋むほどに強く噛んだ。

 このままではあっという間に達してしまう。

 それでは王倫に失礼だと思ったのだ。

 だが、火の玉のようになった熱が全身に広がり、峻烈な間隔が五体を駆け巡る。

 子宮を荒々しく突かれるごとに、目の前に火花が飛んでいるような感覚に襲われ、鮮やかな色彩が視界に膜を作る。お尻側から王倫の腰が股間にぶつかって、あられもない水音も響くのがわかる。

 

「ああ、ああっ、も、もう……」

 

 呉瑶麗は耐えられなくなって熱っぽい声を張りあげた。

 絶頂はすぐそこだ。

 だが、王倫がまだまだ射精には程遠いことは明らかだ。

 しかし、これ以上、快感を止められない。

 

「も、もう、だめええ」

 

 呉瑶麗は大きな声で叫んで、押し寄せる喜悦に自分を解き放っていた。

 

「ご、ごめん……な……さい……。ああっ、ああ……」

 

 呉瑶麗は思わず言った。

 王倫の抽送の速度はほとんど変化がない。

呉瑶麗の状態に関係なく続いている。

 

「遠慮なく達していい……。女が先にいくのは悪いことじゃない」

 

「は、はい」

 

 少しほっとした。

 王倫は悪い感情は持たなかったようだ。

 とにかく、王倫に気に入られて、そばに侍る立場を作る。

 それが呉瑶麗がここでやらなければならない最初の仕事だ。

 そして、王倫の責めは荒々しく、かつ、淡々と続いた。

 

 二度目の絶頂もそれほど時間はかからなかった。

 だが、そのときには、王倫の息もやや荒いものになっていた。

 貫いている怒張からも熱を感じる。

 呉瑶麗は二度目の絶頂をした。

 王倫がそれに合わせるように、呉瑶麗の子宮に向けて精を注ぎ込んだ。



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79  杜穂(とほ)呉瑶麗(ごようれい)に挨拶し予言を語る

 気だるい身体を引きずるようにして、呉瑶麗(ごようれい)寧女(ねいじょ)とともに、自室へに戻る廊下を歩いていた。

 呉瑶麗の身体に精を放った王倫(おうりん)は、もう呉瑶麗には興味がなくなったかのように、すぐに呉瑶麗を離し、廊下から寧女とふたりの護衛を呼び出した。

 

 寧女は王倫に指示された戸棚から何枚かの布と全身を覆う浴衣を出していた。

 すぐに寧女は、拘束されて手が遣えない呉瑶麗の身体を拭き、それを浴衣で包んでくれた。

 王倫はその様子をただなにも言わずにじっと見守っている感じだった。

 

 そして、呉瑶麗は寧女とともに、護衛ふたりに連れられて自室に戻った。

 秀白香(はくしゅうか)に連れて行かれた往路は随分と遠く感じた廊下だったが、帰りは随分と近かった。

 あっという間に自室の前にやってきた呉瑶麗は、護衛と別れて寧女と部屋に戻った。

 

「戻ったわね」

 

 そこには寝台に腰かけている黒髪の美女がいた。

 女は煙管(きせる)を吸っていた。白い煙が女の周りを漂っている。

 

「煙管の匂いは不快? だったらやめるわ」

 

 女は言った。寝台の横の台には煙管置きがある。呉瑶麗の部屋にあったものじゃないから、この女が持ち込んだのだろう。

 

「別に気にならないわ。あなたは杜穂(とほ)さん?」

 

 呉瑶麗は訊ねた。

 この王倫の近くにいるのは、秀白香と杜穂のふたりの女だけのはずだ。

 

「杜穂とただ呼び捨てにして……。さもないと返事はしないわ」

 

 杜穂が煙管をふかしながらにっこりと微笑んだ。

 とても人懐っこくて気さくな雰囲気だ。

 呉瑶麗はほっとした。

 

「それを飲んで……。王倫のところで媚薬を飲まされたでしょう? その効果を消す薬液よ。拘束を外す鍵もそこにあるわ。あの男も随分と用心深いのね。あんたが手練れだとはいえ、女を抱くのに自室で拘束してから連れてくるように指示するんだから」

 

 杜穂が指差したのは部屋の隅にある卓だ。そこに小さな杯に入れた液体がある。

 また、秀白香がこの部屋に残した呉瑶麗の腿と手首に巻かれている枷を外す鍵もあった。

 

「不安なら毒見もしようか、呉瑶麗?」

 

 杜穂が声をかけてきた。

 

「必要ないわ」

 

 呉瑶麗は、まず浴衣の前をくつろげてもらい、寧女に鍵を使って拘束を外してもらった。

 次いで、浴衣を改めて着こなすと、自由になった手で杯の液体を飲んだ。

 杜穂の性質は、朱貴美(しゅきび)から聞いていてある程度は知っている。杜穂が呉瑶麗に害を及ぼす理由はなにもないはずだ。

 それを飲むと、気だるかった身体がすっと楽になった。脱力していた身体の筋肉も戻る。

 

「計算高さ……野心……自分の宿命への諦め……そして、熱い情熱……。王倫の情婦になるということをなにかの目的のための諦めのように思っているのね」

 

 すると、杜穂がつぶやいた。

 呉瑶麗は眉をひそめた。

 

「そっちの侍女からは、呉瑶麗に対する畏敬のようなものを感じるわね。だけど、とてもしたたか……。自分に対する愛情……自信……世間に対する不満……。そんなものも感じるわ。ちょっと利己主義な性格なのかしら」

 

 杜穂が小さく笑った。

 呉瑶麗は首をかしげた。

 

「な、なに?」

 

「わたしは予言のできる女と言われているらしいけど、それは本当ではないわ。そんな能力はわたしにはない……。まあ、完全にないわけじゃないけど、時折、啓示のようなものを見ることはあるわ。だけど、それは数年に一度くらいのもので、しかも、見ようと思って見れるものでもないわ……。わたしの本当の力は相手の感情を読めることよ。その気になれば、なぜか他人の感情をぼんやりと感じることができるの……。それがわたしの本当の力」

 

 杜穂が静かに言った。

 呉瑶麗は驚愕した。

 

「こ、心が読めるの?」

 

 思わず声をあげた。

 

「声が大きい、呉瑶麗。違うわ……。読めるのは感情だけよ。相手がなにを考えているかなんてわからないわ。ただ、相手の感情がまるで色彩のように見えるのよ。あくまでも、心を集中すればだけどね」

 

 杜穂はにっこりと笑った。

 

「……この秘密を知っているのは王倫だけ……。ほかの者は誰も知らないわ。だから、この梁山泊では、呉瑶麗と寧女が三人目ということになるはね……。王倫は、わたしの能力を利用して、自分に近づく者の中で王倫に悪意を持っているものを見つけて排除しているのよ。だから、王倫はわたしを手放さない。秀白香(はくしゅうか)がどんなに暗躍して、わたしを情婦の地位から外そうとしてもね」

 

 杜穂はなんでもないように言った。

 呉瑶麗は唖然としてしまった。

 

「言っておくけど、これは秘密の話だからね。王倫にも強く口止めされている。ほかの者はわたしをただの王倫の愛人だと思っているけど、実は違うわ。もちろん、最初はそうだったけど、もう一年近くも抱かれていないわね。王倫は、もうわたしに性的魅力を感じてはいないのだと思うわ。女に関しては飽きっぽいから……。もしも、この能力がなければ、わたしはとっくに排除されていたんでしょうね」

 

 杜穂が首をすくめた。

 呉瑶麗は当惑してしまった。

 杜穂の告白が本当かどうかわからなかったのだ。

 嘘だとすれば、そんな途方もない話をしてなんの得があるのかわからないし、真実だとすれば、感情が読めるという秘密をあっさりと初対面の女に教えるというのが合点がいかない。

 

「困惑しているわね。あなたの心に大きな疑いの感情が浮かんだわ……。そっちの侍女さんの反応は愉快ね。ただ、わたしの話を面白がっているだけのようね。あまり計算高い性格ではないのね」

 

 杜穂が言った。

 やっぱり、感情を読んでいるというのは本当なのか?

 そして、ふと横を見た。寧女が目を丸くしている。

 寧女もまた、感情について図星を突かれてびっくりしているようだ。

 

「こっちは寧女よ。わたしの侍女よ」

 

 呉瑶麗は言った。

 寧女が小さく挨拶をした。

 だが、杜穂は首を横に振った。

 

「……違うわね……。呉瑶麗の心にある寧女への感情は侍女に対する者という感じではないわね……。敵……とも違うけど、まったく油断していない……。すごく警戒している……。それでいて頼りにもしている……。そんな感じよ」

 

 呉瑶麗は今度こそ、びっくりした。

 

「本当に感情を読むことができるのね。でも、どうして、それをわたしに教えるの、杜穂」

 

 呉瑶麗は訊ねた。

 まだ、心の動揺は続いている。

 心を読むにしても、感情を読むにしても、そんな女が王倫の近くにいるなど計算外だ。

 そんな女がいるのでは、王倫を暗殺するのがきわめて困難になる。

 

「ふっ……。怖いわね……。あなたの心に急に悪意が拡がったわ。おそらく、わたしを排除すべきではないかと考えたのね」

 

 杜穂が煙管を煙草盆に置きながら言った。

 駄目だ……。

 本当に見透かされている。

 この杜穂は、本当に他人の感情が読めるのだ。

 呉瑶麗は唖然としてしまった。

 

「わたしはあなたたちの敵じゃないわ……。それを言いたくて、こうやって腹を割って話をしているのよ」

 

「敵じゃない……? どういう意味なの? わたしは、もう梁山泊(りょうざんぱく)の外には行き先がなくて、それでここに逃げ込んできた女よ。寧女とともにね。梁山泊がわたしたちの受け入れを拒否すれば、わたしたちは官警に捕らわれて処刑されるしかない。寧女に至っては逃亡奴隷として、死ぬよりも酷い目に遭わされるのでしょうね。敵どころか、わたしたちは必死で王倫殿に仕えようとしているのよ」

 

「わたしは腹を割って話をしているつもりだけどね、呉瑶麗。じゃあ、さらに言うわ。わたしには予言の才能はないと言ったけど、数年に一度は啓示を見ることがあるわ……。わたしには、あなたたちが大きな仕事を成し遂げるというのが漠然とわかる。あなたがたったひとりでここにやって来たのではないということもね……」

 

「なんのこと?」

 

 呉瑶麗は惚けたが、この杜穂は、呉瑶麗の後ろに白巾賊がいることまでわかるのかと舌を巻いた。

 だが、杜穂は呉瑶麗の反応を無視した。

 

「数箇月前、わたしは王倫が新しい者たちに取って代られるだろうと予言した。それは啓示だったわ。だけど、それを王倫に教えるべきではなかったと思っている。あの男は、わたしの啓示を聞くなり、なんの罪もない男女を五十人は抹殺したわ。自分の“勘”で逆らうのではないかと思った者を排除するためにね……。その中にはわたしがずっと使っていた侍女も含まれていた。そうやって、あの男はわたしにも警告を与えたのよ。自分に逆らうと容赦なく殺すということをね……」

 

「あなたの侍女を?」

 

 呉瑶麗は驚いた。

 そして、そんな粛清があったなら、王倫はこの杜穂ならずとも、相当に恨みを買っているのではないかと思った。

 恐れられもしてだろうが……。

 

「あの男はそういう男なのよ。常にびくびくしていて、人一倍猜疑心が強い。自分のそばにいる者には、弱みを握るとか、しっかりと脅迫をしたりしないと落ち着けないのよ。あいつは脅し続ける。試練を与え続けて、自分を本当に見限らないかどうかふるいにかける……。とにかく、わたしはもそんな生活にはうんざり……」

 

 杜穂は一気にまくしたてた。

 呉瑶麗は呆然とした。

 すると、杜穂が急には苦笑した。

 

「これはわたしとしたことが、随分と感情的になったようね……。わたしも、自分が感じた予言どおりの者がやってきたことで興奮していたのかもね」

 

「予言のどおりの者?」

 

「ふたりの女……さらに大勢の男女……大陸の幾つかの場所にあがった炎……それらがすべてこの梁山泊に集まるのが見えるわ……。その中心に立つのはひとりの女……。戦いの女神。水のほとりの女……」

 

「なにそれ?」

 

 呉瑶麗は声をあげてしまった。

 まさに、晁公子のことだと思ったのだ。

 また、「水のほとりの女」という言葉にも記憶がある。

 柴進(さいしん)のところで聞かされた「滅びの予言書」だ。

 確か、柴進が水のほとりの女と結婚して反乱を起こすという内容だったが……。

 

「それを感じた。あなたたちが最初に王倫と面談したとき、わたしは衝立の外でひそかにあなたたちを見ていたわ……。王倫に命じられてね……。でも、わたしが驚いたのは、あなたたちよりも朱貴美よ……。朱貴美の心には明確な殺意で満ちていた。朱貴美が秀白香に悪意を抱いているのはいつものことだけどそんなものではなかった。裏切りに対する憎しみ……抱いていた幻想への失望……。そんなものでいっぱいだった。わたしの勘だけど、朱貴美は王倫を見限ったようね……」

 

「さあ……」

 

 呉瑶麗はそれだけを言った。

 とにかく、杜穂が心を読むことができて、王倫を守るために重要な役目を負っているということは、もはや明確だ。

 

「……その朱貴美があなたたちを送り込んできた。朱貴美さえもついに王倫を見放した……。だったら、わたしが王倫を支えるこれっぽっちの理由もない。あの男はわたしがずっと仲良くしていた侍女を殺したのよ。なんの落ち度もないのに……。ただ、感情を読むという力を持つひとりの女を脅迫する材料にするための目的で……」

 

 杜穂は険しい表情で言った。

 それはとても演技とは思えなかった。

 杜穂とその侍女の関係がどのようなものであったかはわからない。ただ、その侍女を王倫が殺したことを相当に憤りを感じているようだ。

 

 だが、もしも本当に杜穂が無条件に呉瑶麗に味方をしてくれようというのなら……。

 第一、これが罠で杜穂という感情を読める女が、呉瑶麗を調べるつもりで王倫に派遣されて、いまのようなことを喋ったのなら、呉瑶麗にはもうどうしようもない。

 

 杜穂は無条件に受け入れる。

 それしかない。

 杜穂が敵に回れば終わりだ。

 そうであるなら、疑うだけ無駄だ。

 どうしようもないことを心配しても仕方がない。

 呉瑶麗は腹を括った。

 

「わたしのことを、どのように王倫には報告するの?」

 

 呉瑶麗はまずはそれを訊ねた。王倫のことは呼び捨てにした。

 

「そうね……。王倫の身体に溺れていると伝えるわ。王倫に抱かれて気持ちよくて、身体がそれを求めているとね」

 

 杜穂の言葉に、ずっと黙っていた寧女が大笑いした。

 

「それはいいわね……。この呉瑶麗が淫乱気質であることは確かだし……。縛られたり、いじめられたりすると欲情する変態でもあるし……。わたしも酷い目に遭ったわ……」

 

 その寧女の物言いに呉瑶麗はかっとした。

 

「酷い目に遭ったのはわたしよ。恩を仇で返すような真似をして」

 

 呉瑶麗は声をあげた。

 すると、杜穂が噴き出した。

 呉瑶麗は慌てて口をつぐんだ。

 

「いずれにしても、あなたたちのことはなにも言わない。それだけを伝えたかったのよ……。それから秀白香には気をつけなさい。あなたに対する悪意で一杯よ。王倫のことをあなたに奪われるという危機を感じているのね。あの女はあの女でなにをするかわからないわ。少なくとも、あの女の差し出したものは絶対に口にしないことよ。これは心からの忠告よ」

 

「秀白香が毒を?」

 

 呉瑶麗は言った。

 

「前にも王倫が新しい情婦を加えようとしたことが二度遭ったわ。ふたりとも不自然な死に方をした。まあ、あの女なりの処世術ね。王倫にとって一番の情婦であるということがなくなれば、その瞬間に死ぬかもしれない。だから、手段など選んではいられないと考えているようよ……」

 

「気をつけるわ」

 

 呉瑶麗は頷いた。

 杜穂が軽く肩を竦める。

 

「そう考えると、あの女は女でいろいろと可哀想でもあるんだけどね。立派な分限者の家庭で育ち、本当ならこんな盗賊団の情婦になるような女じゃないのよ。でも、王倫にさらわれて犯され、ここで生きるしか道がなくなった。秀白香も必死なのよ」

 

「必死ねえ……」

 

 呉瑶麗としては、さっきの仕打ちを思うと、とても同情的に気分にはならないが……。

 

「王倫の一番の情婦であるというのが、彼女の唯一の生きる道だもの。わたしや朱貴美とは異なり、王倫に女として気に入られているという以外になにもない……。それがわかっているから、必死になって自分の地位を守ろうとしているのよ……。あんな男を自分の守護と恃まなければならないというのは気の毒な気もするけど、まあ、だからといって、わたしらに危害を加えてくるんじゃあ、同情のしがいもないわね」

 

 杜穂は首をすくめた。

 そして、立ちあがった。

 

「とにかく、挨拶は終わったから行くわ。王倫に報告もしないとならないし……。それから、これも大事なことだけど、この部屋の外で不用意なことを言わないことね。王倫はあちこちに、自分の耳目となる者を紛れ込ませているわ。王倫への反乱を仄めかそうものなら、すぐに王倫はあなたを暗殺するわ。躊躇なくね」

 

「気をつけるわ」

 

 呉瑶麗は言った。

 

 そのとき、杜穂が寝台の横にある煙草盆を取ろうとして、ふと顔を呉瑶麗に向けた。

 

「これ、ここに置いておいていい? これからもあなたとは話をしたいわ。そのたびに持ってくるのも面倒だし……」

 

 これからも、度々来るという意思表示だ。

 とにかく、敵になれば厄介だが、味方ならこんなに頼もしい能力はない。

 王倫の周囲の者がどれくらい王倫を本気で守ろうとしているか見極められる。

 これから、やろうとしている宋万対策でも、杜穂なら宋万が王倫から心が離れたかどうかを見極められる。

 

「いいわよ。寧女が片づけるわ」

 

 呉瑶麗は言った。

 

「ありがとう」

 

 杜穂が微笑んだ。

 だが、立ち去ろうとする杜穂に、ふと呉瑶麗は思いついたことがあって口を開いた。

 

「ねえ、王倫は自分に従う者には、必ず弱みを握ったり、脅したりしないと落ち着かないと言っていたわね……?」

 

「ええ、そうよ……」

 

「だったら、砦の第二位にある宋万殿についてはどうなの? 宋万殿が王倫に逆らわないなにかはあるの?」

 

 宋万は王倫に代わって、この梁山泊のすべてを握っていると言っていいだろう。もしも、宋万をこちらに取り込めれば、呉瑶麗の仕事は成功したも同然になる。

 

「……詳しいことはわからないけど、宋万には妹がいるらしいわ。北州都にね。奴隷として売られたという話だったけど、その主人が王倫の知り人という噂ね。残念だけど、それ以上のことはわたしにもわからないわ。おそらく、それについて知っている者はここには誰もいないと思うわ」

 

「ありがとう。十分よ」

 

 宋万の妹……。

 

 これについて、早急に晁公子に伝え、晁公子が雇っている時遷(じせん)という諜報屋に調べてもらおう……。

 呉瑶麗は心に決めていた。

 

「……だけど、誰でも知っていることならあるわ」

 

「誰でも知っていること?」

 

 呉瑶麗は首をかしげた。

 

「宋万は朱貴美にぞっこんよ。知らないのは王倫と朱貴美くらいのものよ。あの男は純粋でわかりやすいしね」

 

 杜穂はけらけらと笑った。

 そして、部屋を出ていった。



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第24話  性奴隷誘拐
80  美玉(びぎょく)、白巾賊の使者の訪問を受ける


 明定(みんてい)は、付き人を外に待たせると娼館に入った。

 そして、空いている娼婦を並べ始める係の男を断って、特別棟への案内を求めた。

 

 男は明定から金子を受け取って相好を崩すと、奥の貴賓室に明定を案内していく。

 明定は部屋の長椅子に腰かけて待つ態勢になったが、実際には座ってすぐに、さっきの男が準備ができたと告げにきた。

 その男の案内でいつもの経路を通って階段をさがって娼館の地下にくだる。

 そこには石壁の道がある。

 たかが女を抱くために大袈裟だとは思うが、明定のような性癖の者には、それを隠したいと思う者が多いらしい。

 それで、この娼館ではわざと特別棟を娼館から離すとともに、娼館以外の経路からでも進めるようにしているということだった。

 明定は、もう五十男であり、結婚もしていないので、性癖を知られて困ることはない。

 だから、別にこんなに込み入った方法でなくてもいいのだが、特別棟に向かうには、この地下道を使ってしか進めないようになっているので仕方がない。

 

 しばらく進むと、特別棟への入口があった。

 受付のような小屋があり、明定はそこで決められた金子を支払うとともに、受付の男にも余分な小遣いを渡してやった。

 明定はこの北州都では成功した商人に入る。

 他人に施しの金子をばら撒くのは、力のある分限者の義務のようなものだ。

 

 扉を入ると、赤い絨毯が敷き詰められている廊下があり、その向こうには鉄格子のある牢にひとりひとり入れられた美女が並んでいる。全員が後手で拘束されて、さらに髪の毛を壁の金具に結ばれて、真っ直ぐに正面を向くように顔を固定されていた。

 身に着けているのは革製の下着だけだ。また、すべての女に首輪がついている。

 本物の『奴隷の首輪』だ。

 

 つまり、ここに並んでいるのは、この特別棟でも特殊な奉仕をするように躾られている女たちであり、全員が奴隷女だ。

 つまりは、本棟の娼館にいるのと同じ娼婦なのだ。

 ほかにも、余分なものを支払えば、望めば娼婦とは違う誘拐してきた本物の素人娘とか、女軍人、あるいは、明定と同じような分限者の妻や娘まで準備できるという噂だ。

 まあ、そういう者を無理矢理に犯すのも興味はあるが、明定もそこまでは望まない。

 

 ここにいる娼婦で十分だ。

 それに、ここの奴隷女たちには、原則としてなにをしてもいいということになっている。

 値の張る女たちについては、鞭打ちが駄目だとか、身体に傷をつける嗜虐は駄目だとかの制約がある場合も多い。

 明定は一度始めたら徹底的に女をいたぶるのが趣味だ。

 ざっと並んでいる娼婦たちを一瞥して、明定は左端の一番年の若い女を指名した。

 何度か抱いたことがあり、明定にとっては馴染みの女だ。

 そして、お気に入りの女だ。

 

 まだ、少女と言っていい年齢であり、十八だったと思う。

 宋春(そうしゅん)と名乗っていた。

 本名かどうかは知らない。

 以前に素性を語らせたとき、元軍人の兄がいると言っていたと思う。

 親は早世して、ふたりきりの兄妹だったということだった。

 ところが、軍人の兄が上役の青年と喧嘩をして殴り殺してしまい、逃亡して盗賊になったそうだ。

 それで宋春は、兄が殺した青年の親に支払う償い金を支払うために、奴隷として売られたのだと言っていた。

 よくある話であり、どこまでか本当なのかわからないが、まあ、事実なのだろう。

 

 女を指名すると、明定は係員の案内で女を抱くための部屋に入った。

 そのとき、係員に宋春にどんな格好をさせるのかの注文をした。

 無論、準備してある金子を渡すことを忘れてはいない。

 係員は最初に明定の指示により責め具を長椅子のそばに置いてから部屋を出て行った。

 特別棟の部屋が普通の娼館の部屋と異なるのは部屋が著しく広いのと、室内にたくさんの拷問具があることだ。

 

 つまりは、ここはただの娼館ではなく、女を嗜虐的に抱くための棟なのだ。

 部屋には長椅子があり、そこには酒の支度もしてある。明定は長椅子に腰かけると、自分で酒を杯に注いでそれを口に入れた。

 しばらくすると、扉が叩かれて係員とともに宋春が入ってきた。

 係員は宋春を部屋に押し込むと、自分は入らずにそのまま扉を閉めた。

 宋春はおぼつかない足取りで明定の座っている長椅子まで歩いてくる。

 注文通りの格好だ。

 明定は宋春の姿に満足した。

 

 すなわち、宋春は、さっきまでと同じで革の下着だけを身につけた半裸だったが、明定の指示により、革の下着を特別制の別のものに履き替えさせられているはずだ。

 そして、両手を背中側で組むように革の覆いで腕を重ねて拘束されている。

 さらに足取りが不安定なのが、明定が必ずはかせてくるように注文した革の靴だ。

 ただの靴ではない。

 踵に異常に高くなっている。

 それが脱げないように金具で足に固定されているのだ。

 だから、宋春は立っていることだけでつらそうに、よろけながら部屋に入ってきた。

 

「よ、よろしくお願いします、明定様」

 

 明定の前までやってきた宋春は、挨拶をするために、その場に跪こうとした。

 だが、よろけてひっくり返しそうになり、慌てて足を踏ん張って姿勢を戻すようにした。

 

「挨拶はいい。早速、始めるか──。ちょっと、運動をしてもらうぞ」

 

 明定は宋春の首輪に手を伸ばすと、首輪にぶら下げられていた操作具を手に取った。

 檻の中ではいていたのはただの革の下着だが、宋春がはいてきたのは内側にふたつの張形があり、それが女陰と菊座に喰い込むとともに、肉芽の部分にも突起のある特別性の下着のはずだ。

 しかも、この操作具で自由に責められるようになっている魔道具の淫具でもあると思う。

 それが明定の注文だ。

 

 しかも、たっぷりと媚薬を塗ってくるように指示もした。

 すでにかなりそれが効いているようだ。

 宋春はすっかりと上気した様子であり、太腿をもじつかせている。

 しかも下着の脇からは革の下着でも押さえられない宋春の蜜が滲み出ている。

 あの係員は、明定の渡した金子の分に応じようと、かなりの強力な媚薬を下着の内側に塗ったようだ。

 明定はほくそ笑んだ。

 魔道具を操作する。

 

「ひぐううっ」

 

 宋春がいきなり身体を反りかえらせて悲鳴をあげた。

 そして、そのまま体勢を崩してひっくり返った。

 明定は操作具合を確認するために、まずは手に持っていた操作具でいきなり最大強度で張形と肉芽の突起を振動させたのだ。

 

「誰が勝手に倒れていいと言ったか──。立たんか──」

 

「も、申しわけ……ああっ、お、お許しを……はっ、はあ……ああっ──」

 

 宋春は必死になって立ちあがろうとしているが、張形の責めを受けながらでは、踵の高い靴を安定させることができずに立てないでいる。

 

 その宋春がなんとか立ちあがったのは、明定が操作具の振動を一度完全に停止させてからだ。

 明定は目の前の宋春の首に鎖つきの重りを巻いた。その重り一個だけで、かなりの重量がある。それを二個ぶらさげた。

 宋春が前屈みになって呻き声をあげる。

 

「とりあえずは長椅子の周りを十周だ。少しでも止まればやり直しだからな。怠けたとみなせば、三角木馬に座らせる」

 

 明定は宣言した。

 

「そ、そんな、三角木馬だけは……」

 

 宋春は首の重りに苦しそうにしながら言った。

 

「だったら、歩け──。十周だ」

 

 明定は声をあげた。

 

「は、はい」

 

 宋春が顔を歪めて歩き出した。

 無論、宋春が明定の指示を終わらせることなどできないはずだ。

 明定は宋春が長椅子の周りを歩くのを十周で終わらせるつもりはない。“とりあえず”と言っただけだ。

 

 それが終われば、反対周りに十周をさせよう。

 しかも、途中で操作具で張形を何度も刺激してやるつもりでもいる。

 最後の一周にでもなれば、さっきのように最大振動で動かしてやるのだ。

 それでひっくり返れば、一周目からやり直しとなることになる。

 宋春が呻き声のような声をあげながらやっと一周目を終わった。

 

「もっと、早く歩かんか──」

 

 明定は横の台から乗馬鞭を手に取ると、よろめている宋春のふくらはぎを力の限り引っ叩いた。

 

 

 *

 

 

「誰が来たって?」

 

 燕青(えいせい)が来客の訪問を伝えにやってきたとき、美玉(びぎょく)は長椅子に横たわって午睡の最中だった。

 

「ですから、美玉様に面談を求めている若い男がいるんですよ。老婆も一緒です」

 

 横になっている美玉を見おろすように立っている燕青がにこにこしながら言った。

 

「そういう客を片っ端から追い返すのがお前の役割でしょう、燕青」

 

 美玉は寝そべったまま言った。

 この燕青は、美玉がこの五年のあいだ、ずっと使っている護衛を兼ねた従者だ。

 また、従者としては五年だが、美玉のところにやって来たのは十年前だ。当時の燕青は十二歳であり、ほんの子供だった。

 それから十年……。

 燕青も二十二歳になり、美玉の男娼と言われているようだ。

 美玉のような四十歳の女豪商が若い男の従者を連れていると、どうしても他人は男女の関係があると思い込むらしい。

 

 燕青が美玉の男娼だと噂が立つのは、美玉が燕青を従者にするようになってすぐだった。

 さすがに申し訳がないと考えて、なんとかしようと思ったのだが、燕青が自分の存在を使って男避けにしたらいいと言ってくれたので、いまはそうしている。

 

 美玉に言い寄ろうとする男は多い。

 なにしろ、独身でありながら北州都だけでも五軒の商家を持ち、出資している店も含めれば、両手両足では数えられないほどの商売をしている美玉だ。

 そのどれもが大きな利を産んでいる。美玉が一代で稼いだ財は、もう巨万といえた。

 美玉の商売を見る目が神がかりだと称されているのも知っている。

 

 その美玉の夫になれば、たちまちにその財が手に入るのだ。やってくる男など、大抵は門前払いをするのだが、平素から商売の関係があったり、高官や高級軍人の伝手で紹介される縁談ともなればそうもいかない。

 

 それでずっと困っていたのだが、燕青が男娼という噂が立つと、美玉に持ち込まれる縁談の数がかなり減った。

 それで、燕青の有難い申し出もあったので、美玉と燕青が男女の関係であるという噂が立つままにすることにした。

 しかし、実際は、燕青と美玉には男女の関係はない。

 あり得ないのだ。

 

 それに、この十年、美玉の心にあるのはひとりの男だけだ。

 五年前に青州で死んだ伝説の叛徒の首魁の晁蓋(ちょうがい)──。

 美玉の作った巨万の富は、その晁蓋の「夢」のために作り続けているものだ。

 

 この燕青を厄介払いするように美玉に預けたのも晁蓋だった。

 晁蓋は旅の途中で当時は子供だった燕青に付きまとわれるようになってしまい、付き合いだしたばかりの美玉に小僧として使えと置いていったのだ。

 いまとなっては、この燕青も晁蓋の忘れ形見のようなものだ。

 もっとも、その晁蓋も燕青の秘密は知らなかったようだが……。

 

「そう思ったんですけどね……。その青年の首に白い布があったのですよ」

 

 燕青がにこにことしながら言った。

 

「白い布?」

 

 美玉は身体を起こした。

 

「用件は?」

 

「頼みがあるとか……。詳しくは、美玉様の前でしか話せないということです。どうしますか? 追い返しますか?」

 

 燕青は微笑みながら言った。

 いつも、こうやって笑っているのが燕青のいいところだ。

 人はこの笑顔に燕青が無害であると油断する。

 だが、実際には途方もない体術の持ち主だ。

 

「まあいい……。通しなさい。ただし、わたしのそばを離れないように……」

 

 それだけを言った。

 指示を受けて、燕青が去っていく。

 美玉の使っている手代は多いが白い布の意味を知っているのは、美玉を除けば燕青のほかに数名しかいない。

 美玉の作っている巨額の財は、そのほとんどが白巾賊という賊徒の女首魁の晁公子(ちょうこうし)に渡っている。

 

 美玉と晁公子と劉唐姫(りゅうとうき)──。

 

 この三人は同じ晁蓋という男を夫にし、その晁蓋の「夢」を実現しようと誓った三人の同志だ。

 白い布は晁公子の白巾賊の象徴だ。

 つまりは、その老婆を連れた青年というのが、晁公子の使いということだろうか?

 燕青に離れるなと言ったのは、万が一のための用心だ。

 線の細い美男子の姿の燕青だが、実は大男を一瞬で倒すほどの猛者だ。

 

 しばらくすると、準備が整ったと燕青が報せにきた。

 その燕青とともに客室にいくと、卓の端に座る青年がいた。

 燕青にも劣らぬ美男子だ。

 しかし、燕青よりも若いだろう。

 そして、確かに首に白い布をしている。その隣には老いた女が座っていた。

 

 美玉がやってくると青年と老婆は美玉を迎えるために立ちあがりかけたが、美玉はそれを制して、ふたりに向かい合うように席に座った。

 青年が名乗ったがやはり聞かない名だ。偽名のような気がした。

 人を見る目は美玉のような商売をしているとなくてはならない能力だ。面と向かい合ってすぐに、この青年がなにかを隠しているというのはわかった。ただ、悪意は感じない。

 でも、なんとなく落ち着かない雰囲気だ。

 

「なにかわたしに頼みごとがあるという話でしたが?」

 

 美玉は青年に言った。

 

「はい……。まずは、自分たちが湖のほとりからやってきたということをお伝えします」

 

 湖のほとりというのは、梁山湖(りょうざんこ)のことだ──。

 美玉はすぐに理解した。晁公子が活動をしている白巾賊は、梁山湖の畔にある東渓村(とうけいそん)の隠し村が拠点だ。

 やはり、晁公子の使いに間違いない。

 美玉は、とりあえず話を聞くことに決めた。

 

 だが、青年はすぐに用件を切り出さなかった。

 そして、ちらりと燕青を見た。

 もしかしたら、燕青のことを気にしているのだろうか?

 燕青は注意深く美玉の横に立ったままでいる。

 

「……燕青のことなら心配は要りませんよ。そして、この燕青を人払いすることはできません。わたしの肉親も同様の者です。どんなことでも秘密を共用しています」

 

「あっ、そういうことではありません。頼みというのは、この燕青殿のことなのです。燕青殿を貸して頂きたいというか……。一緒に連れて行って欲しい場所があるというか……」

 

 青年は随分と言い難そうに喋った。それにしても、燕青を貸せという意外な申し出に美玉は面喰った。

 燕青も少しびっくりしている様子だ。

 

「貸すとは? この燕青をどこに連れていくというのです?」

 

「い、行きたいのはある店です。しかし、そこは客を選ぶことで有名で、なかなか簡単に入り込めません。しかし、美玉殿の従者で有名な燕青殿なら入ることができると思うのです。できれば美玉殿の口添えがあれば、もっと簡単に入店できると思います」

 

 青年が言った。

 だが、よく話が見えない。

 

「もう少し詳しく話をしてくれませんか?」

 

 美玉もそう言わざるを得なかった。

 

「人助けじゃ──。ある女の依頼で、その店からある奴隷女を連れ出す。奴隷女の名は宋春──。今度、その店が主催する大きな秘密の宴がある。おそらく、宋春もそこに出されるはずだ。そこで騒ぎを起こして連れ出す。なるべく、迷惑をかけないようにするつもりじゃ」

 

 ずっと黙っていた老婆がゆっくりと言った。

 

「奴隷女?」

 

 美玉は訝しんだ。

 だが、次の瞬間、目の前の青年の身体がさっと動いた気がした。

 美玉がそれに気がついたときには、すでに燕青が動いて青年に飛びかかっていた。

 

「いたたたたっ──。だ、だから、嫌だって言ったのよ──。ふたりを試すような馬鹿なことはやめようって──」

 

 燕青に倒されて、床に押しつけられた青年が悲鳴をあげた。

 右手に小さな刃物を持っている。それを燕青に取り押さえられている。

 美玉は青年の声色が変化したことにびっくりした。

 

 青年の声が男の声から女の声に変わったのだ。さらに、燕青に組み伏せられてたときに衣類の前側が破けて拡がったのだが、そこには布で巻いて隠した乳房がしっかりと存在していた。

 そして、かつらが取れた。そこには紛れもない女の長い髪が存在している。

 

「殺気を読むのは上手でも、殺気なしに襲ってくる相手を防ぐのは苦手のようだな、燕青?」

 

 気がつくと、さっきまで目の前にいた老婆がいつの間にか美玉のすぐ横にいる。

 しかも、美玉の首に青年が持っていたのと同じ刃物を突きつけていた。

 だが、その瞬間まで、美玉は老婆が動いたことさえわからなかった。

 

「あっ」

 

 青年のふりをしていた若い女を組み伏せていた燕青も驚愕の声をあげた。

 

 

 *

 

 

「いたたた……。だ、だから、嫌だったのよ……。は、離してよ、燕青」

 

 青年だと思っていたのは若い女だった。

 燕青は、体術で組み伏せた女を押さえながら、老女が小刀を美玉の喉に突きつけているのを呆気にとられて眺めていた。

 殺気を読むのも、それに反応するのにも絶対の自信が燕青にはあった。

 だからこそ、老女が燕青に悟られることなく、刃物を美玉に突きつけることができたということが信じられないでいた。

 

「その石秀女(せきしゅうじょ)を離すんだ、燕青。さもないと、女主人が死ぬぞ」

 

 老女が笑いながら言った。

 いや、老女ではない。

 声は明らかに男の声だ。

 ふと気がつけば、老女にしか見えていなかったのに、いまははっきりと男だとわかる。

 しかも、かなりの猛者だ。

 それにもかかわらず、燕青には、この若い女が化けていた青年にしか気を配っていなかった。老女など無警戒だった。

 こんなことは初めてだ。

 すると、刃物を突きられている美玉が不意に笑い出した。

 

「あなた、時遷(じせん)ね? 晁公子から手紙が届いていたわ。ただ、人を食ったような男だから気をつけろと書いてあったわね。あなたって、初対面の仲間と会うときに、いちいちそうやって、刃物を相手に突きつけたりするの?」

 

 美玉は笑いながら言った。

 燕青はさらに驚いた。

 時遷という男の名には記憶がある。

 顔を見るのは初めてだが、白巾賊の首領である晁公子が雇っている諜報屋のはずだ。

 金子を報酬として、情報を集めたり、謀略をしたりする男であるらしいが、凄腕とも耳にしていた。

 

「まあ、悪く思わないでくれ。どうしても一緒に仕事をする相手の実力は知りたかったんだ。なにしろ、あまり人の手を借りて仕事をすることもないしな。それに、俺たちの能力も見せておきたかった。申し訳ない……。こらっ、石秀女。呆気なく倒されやがって。それで、この時遷の相棒が務まるか」

 

 時遷が美玉の喉に突きつけていた刃物を収めるとともに、老婆のかつらを外しながら怒鳴った。

 現れたのは容姿端麗の三十歳ほどの男の顔だった。

 

「だ、だって、この燕青は強いわ。い、いまでも動けないの。た、助けて。わ、悪かったわよ。だけど、あたしは、時遷に命じられて、こんなことしたのよ。あたしは、普通に挨拶をしに行こうと言ったのよ」

 

 身体の下の石秀女が声をあげた。

 

「……おいおい、燕青、俺は美玉殿に突きつけていた刃物はもう収めたぜ。それとも、その女に悪戯でもするのか? まあ、お前を試すようなことをした腹癒せに、その女を犯すんなら、そうしてもいいぜ。ただ、ちょっとばかりお転婆だけどな」

 

「な、なに馬鹿言ってんのよ、時遷」

 

 女が叫んだ。

 燕青は関節を極めていた手を離した。

 女が手首を擦りながら身体を起こす。

 

「それで、どういうことなの? 正直にいえば、わたしは試されるようなことは嫌いなのよ。話によってはただでは済まないわよ」

 

 美玉は顔に微笑みを浮かべてはいたが、燕青でさえもびくりとする凄みのようなものも時遷に向けた。

 美玉も女とはいえ、一代で巨万の富を作った傑女だ。

 並大抵の男ではかなわぬ貫禄がある。気に入らない相手となれば、どこまでも残酷にもなったりする。

 ただ、その殺気のようなものは、あっという間に消滅して、柔和な相好の中に隠れていった。

 それもまた、美玉の武器だ。

 

「怖いねえ……。覚えておくよ、美玉殿……。だが、呉瑶麗(ごようれい)から最重要の任務だと指示されている。俺としても失敗はしたくないんでね。俺としても、試す必要があるんだ」

 

「呉瑶麗?」

 

 美玉がかすかに眉を動かした。

 呉瑶麗という女の名は、燕青も耳にしている。

 白巾賊の女首領である晁公子が使い始めた参謀役のはずだが、元は国軍の女武術師範代だ。

 だが、殺人の罪で流刑となり、その流刑地を脱走して逃亡中で、晁公子が自分の隠し村に匿った。

 ただ、そもそもの殺人の罪というのも、かなりの眉唾物だということも承知している。

 

「最重要の仕事というのが、さっき言っていた宋春という奴隷女が関わる秘密の宴に関係あるのかしら?」

 

「宴については、とりあえず探るだけだがな……。最終的には、その宋春を飼い主から奪うことになる。それが晁公子殿と呉瑶麗の指示だ……。だが、まずは、宋春という奴隷女が目星をつけている娼館に、確かにいるかどうかを調べる必要がある。秘密の宴に潜入するのはそれが目的だ」

 

「その宴とやらに潜入できれば、それが確かめられるの?」

 

「そこまでは調べがついた。また、その娼館がその宴の主催なんだ。宋春がその娼館で飼われていれば、宋春はの宴に姿を見せると思う。宋春がそこにいることを確かめられれば、宋春を連れ出す段取りは、別に整えることになるだろう」

 

 時遷は言った。

 すでに時遷は老婆の扮装を完全に解いている。

 石秀女もかつらを外して髪を下に垂らした。

 変装を解けば、石秀女もかなりの美女だとわかった。

 時遷と石秀女は改めて、美玉と向き合うように卓についた。燕青は美玉の背後に立つ態勢に戻る。

 

「つまりは、最終的には、宋春という奴隷女を逃亡させて連れ出すということなのね?」

 

 美玉は言った。

 

「そういうことだ。逃がしてしまえば、奴隷の首輪のことも処置できる。いまの白巾賊には首輪を外す道術が使える者もいる」

 

 時遷が言った。

 燕青は、それは先日まで美玉の手元にいた香孫女(こうそんじょ)のことだろうかと思った。

 それとも、白巾賊にはほかにも道術を遣える者がいるのだろうか。

 

「その奴隷女にはどういう価値があるの? それとも、それはわたしには教えられないこと?」

 

「いや、別に美玉殿であれば教えることは禁じられてはいない。その宋春というのは、梁山泊(りょうざんぱく)で第二位の地位にある宋万(そうまん)という男の妹だ」

 

「つまりは、梁山泊工作関係ね」

 

「ただ、宋万というのは、妹が奴隷であることは知っているが、客を取らされるような娼婦奴隷になっていることは知らない。実は、いまの梁山泊の首領の王倫(おうりん)は、宋万のせいで女奴隷になってしまった宋春を大切に保護するということで宋万に恩を売り、それで言いなりにもしているのだ。つまりは、人質だな。だから、実際には、宋春が娼婦をさせられていたということを宋万に教えて、その宋春を救い出せば、宋万はこっちの味方になる」

 

 時遷が言った。

 

「その宋春は、どういう経緯で奴隷になったの?」

 

「宋万が梁山湖の盗賊団に逃げ込む前には、この北州都で軍人だったのだ。だが、ちょっとした酒場の諍いで、高官の息子の高級将校を殺してしまった。宋万は逃亡したが、宋春は兄の行いの償いとして、女奴隷として売られた。宋万と宋春は、歳の離れた兄妹で、親もなく、詫びの財を作るにはそれしかなかったのだ」

 

 肉親が罪を犯せば、それで親兄弟が連座になることはないが、それにより相手が被った損害などは、肉親が代わりに支払わねばならない。

 それが法だ。宋万の妹の宋春は、自分を売って金子を作り、それを兄が殺した将校の親に支払ったのだろう。

 

「その宋春はいくつなの?」

 

「いまは十八だ。奴隷になったのは十歳だ」

 

「十歳で自分の身を奴隷に売ったの?」

 

 美玉は声をあげた。

 

「さあな……。実際には、子を殺された親が腹癒せに、ひとり残った妹を奴隷に叩き売ったということが真相かもしれん」

 

「なるほど……。いずれにしても、晁公子が梁山泊を乗っ取ろうとしているのは聞いているわ。さっきの呉瑶麗という女がまずは潜入に成功したようね。それで、どうしても、宋万という男を引き込みたいのね?」

 

 美玉が言った。

 美玉とともに、東渓村の近傍には何度も行ったことがあるから、梁山泊という梁山湖にある島にできた盗賊団のことは知っている。

 一応は「世直し」を掲げてはいるが、実態はただの盗賊団だ。

 ただ、巨大だ。

 梁山湖という天然の要害に守られて、一度は官軍の討伐を撃退している。

 それで人が集まり、しかも、島そのものがひとつの村といっていいほど広い。

 いまでは数千の勢力にまで膨れあがっているはずだ。

 あれを乗っ取るというのは、容易なことではないだろう。

 

「王倫はただの臆病者だし、国を相手に喧嘩をするほどの度胸はない。あの男に、あの梁山泊はもったいない。しかし、あの場所なら、白巾賊が堂々と世直しの旗を掲げても官軍は手を出せないし、人も集められる。叛乱の拠点になる。それが晁公子殿と呉瑶麗の考えだ」

 

「そのために、宋万を引き込むということね……。わかったわ。だけど、そういうことなら、わざわざ宋春という奴隷女を盗む必要はないわ。奴隷女は金子で購えるわ。わたしが買い取るわ」

 

「いや、それは難しいだろう。おそらく、飼い主は宋春を売らないと思うな」

 

 時遷が首を横に振った。

 

「どういうこと? それだけ大切に扱われているということ? ただの娼婦だと言わなかった?」

 

「娼婦だ。しかも、俺の情報が正しければ、特殊な娼館で酷い目に遭わされている……。もう少し説明すると、その娼館に売られたのは二年前だ。それまでは奴隷としては比較的、恵まれた生活をしていたようだ。以前の持ち主は、いまの梁山泊の頭領の王倫の友人で、宋春はその屋敷で働いていた。一応は、王倫はその友人に頼んで、わざわざ宋春を買い取らせて、保護をしていたんだ……」

 

「二年前……。ああ」

 

 美玉は、その商人というのが、誰が思い当たったようだ。

 

「ただ最近になり、その友人が事業に失敗して財産をいくらか手放さなければならなくなった。それで宋春もいまの娼館に売られた。美貌で若い少女の奴隷はいい値段がつくからな。ただし、その条件は、絶対に転売しないというものだったらしい。だから、娼館は売りはしない」

 

「だけど、奴隷というものは商品よ。それに見合う代金を払えば、売ると思うわ。無理矢理に売らせる方法もそれなりにあるわよ」

 

 美玉がにっこりと笑った。

 おそらく、美玉は、その商人を特定している。

 美玉がああいう笑みをするときは、怖いことを考えているときだ。

 多少は汚いことをしてでも、美玉はその娼館がその奴隷娘を売るように仕向けるつもりだろう。

 美玉にはそれだけの財力があるのだ。

 

「いずれにしても、この仕事は、北州きっての女豪商の美玉殿に動いてもらうほどのことじゃないよ。ただ、ひとりの奴隷女を逃がすだけなんだ……。それに、宋春には、俺たちに助けられたということを知らしめたい。それで、梁山泊にいる宋万は、こっちになびく」

 

「わかったわ……。じゃあ、わたしとしては、大きなことはしないわ……。だけど、燕青を貸して欲しいということだったけど?」

 

 美玉が言った。

 

「ああ……。さっきも言ったが、まずは、宋春が確かに、その娼館にいるのかどうかを確かめたい。なにしろ、思ったよりも情報が集められなくてな。絶対に信用のできる客しか入らせないようになっているんだ。誰かの紹介でなければ、宋春がいる娼館にも近づけない。普通に客を取る娼館じゃなくて、さらに地下道と繋がった秘密の地下の施設で客を取らせるという感じでな。だが、その娼館が今度客層を拡げるための秘密の見世物をやるんだ。それだったら、馴染み客の紹介状があれば、新規の客でも参加できることになっているんだ」

 

 時遷が石秀女に声をかけた。

 石秀女が一通の封筒を卓に置いた。

 

「これは?」

 

 美玉だ。

 

「ある男を締めあげて書かせた紹介状だ。燕青を店に推薦するという内容のことを書かせた。すでに、その娼館にもそれが行っている。だから、燕青と一緒なら、そのの宴に参加できる。美玉殿の従者として名が売れている燕青なら、この北州都では十分な信用もある。俺たちは、その連れということで入りたい。さすがに、得体の知れない俺たちじゃあ、紹介状があっても入れないだろうしな」

 

「なるほどね……。そういうことなら燕青を貸すわ……。でも、ただの宴に参加するだけなら、従者の燕青じゃなくて、わたしの方がいいんじゃなくて? この美玉の名なら、どんな会合であろうとも参加を断られることはないわ」

 

 美玉が言った。

 

「それはそうだと思うけど、美玉殿だと、ちょっと都合が悪いんだな。まあ、女連れでなければならないんだが、それは石秀女で十分さ。とにかく、燕青を貸して欲しい。その宴そのものでは、ただ探るだけだから、あんたらには迷惑はかけない。動くのは次だ」

 

「わかったわ……。では、協力してあげなさい、燕青」

 

 美玉が燕青に視線を向けた。

 燕青はうなずいた。

 

「わかりました……。それで、そのの宴というのはいつなのですか?」

 

 燕青は訊ねた。

 

「今夜だ」

 

 時遷がにっこりと笑った。



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81  石秀女(せきしゅうじょ)、嗜虐の性宴で見世物になる

 石秀女(せきしゅうじょ)は精一杯に着飾って準備した。

 髪を整え、きつくならない程度に化粧もした。

 胸が少し開き気味の襟の緩んだ衣装も最近の流行の型だ。

 時遷(じせん)から与えられたなけなしの小遣いで揃えたものだ。

 

 娼館主催の淫靡な宴だとは聞いているが、なんだかんだで、時遷と参加できる宴なのだ。

 石秀女はできるだけ綺麗な姿で参加したかった。

 それに、今夜については、石秀女はただの宴を愉しめばいいと時遷には言われている。

 武器のたぐいも絶対に身に着けるなとも言われたし、任務もないなら気楽なものだ。

 それが浮き立つ気分に石秀女をさせていた。

 

 燕青(えいせい)が馬車を仕立ててやってくるはずの場所に向かうと、身だしなみの整った紳士然としている時遷がすでにいた。

 時遷が石秀女の姿を眺めて、少し驚いた表情をした。

 

「お、お前、随分と着飾ったなあ……」

 

 それが時遷の第一声だった。

 

「へへ……。綺麗、時遷? 頑張ったのよ……」

 

 石秀女は片手を頭の後ろに置いて、ちょっと気取った感じで優雅に腰を振って見せた。

 

「が、頑張ったというか……。無駄なことを……」

 

 時遷がぶつぶつとなにかを言った。

 

「なに?」

 

「……い、いや……。まあいいか……。じゃあ、とにかく、これをしていけ」

 

 時遷がなにかを出して、石秀女の首に持ってきた。

 

「な、なに?」

 

 時遷が取り出したのは、黒い革の首環のようだった。前後に金具のようなものがある」

 

「な、なにそれ? 首飾り? ちょっと無骨な感じね……。この衣装に合わないわよ」

 

 石秀女は不平を言った。

 

「だが、これをしなければ、入れないんだ」

 

 時遷はそう言いながら、強引に石秀女の細い首に、その革の首環を巻いてしまった。

 嵌めると革の輪は石秀女の首にぴったりと密着した感じになる。しかも、後ろでがちゃりと音がした。

 

「な、なによ、これ? なんかまるで首輪みたいじゃないの」

 

 石秀女は首環に触りながら声をあげた。

 

「みたいじゃない。そのものだ」

 

 時遷は言った。

 

「はあ?」

 

 石秀女は思わず問い返したが、そこに四人乗りの馬車がやってきた。美玉の商家の紋様がある。馭者は美玉の家の家人のようだ。

 馬車が停まる。

 幌のついた馬車の中には、燕青がひとり座っていた。

 従者の服装ではなく、きちんとした正装の燕青は、どこからみても貴公子という感じだった。

 改めてみると大変な美男子だ。

 燕青はにこやかな表情で馬車から一度おりてくると、石秀女の手を取るようにして、馬車に案内した。

 

「随分とお綺麗ですね。見違えました」

 

 燕青が後部席に石秀女を案内しながら言った。

 

「ほら? こういう素直な感想が欲しいのよ、時遷」

 

 後から隣りに乗ってきた時遷に、石秀女は言った。

 

「素直ってなんだよ? 俺は素直な意見を述べたぜ。着飾っても無駄だとな」

 

 時遷が乗車席の背もたれに身体を沈めた。

 

「む、無駄ってなによ。それはあんまり女としても見栄えがしないということ?」

 

 石秀女は頬を膨らませた。

 

「そんなことはありません。あなたのようなお綺麗な女性は滅多にいないでしょう。きっと宴では引き立ちますよ」

 

 前の席に腰かけた燕青が振り返って笑った。

 しかし、また時遷が、首を傾げながら口の中でぶつぶつとなにかを呟いた。

 すぐに馬車が動き始めた。

 

 やがて、北州都郊外のある屋敷に到着した。

 石秀女は、時遷と燕青とともに馬車からおりて、屋敷に向かう前庭の小路を進んだ。

 確かに、厳重な警備のようだ。

 いくつかの関門のような場所があり、そのたびに身分の確認をされた。

 ただ、燕青が紹介状を出すと、比較的すぐに進むことができた。

 やがて、屋敷に入ったが、そこからは案内がつき、迷路のような廊下をしばらく進まされた。

 そして、屋敷の廊下を進むと、小さな一室があり、そこに屈強な十人ほどの警備役らしき男たちがいて、さらに地下に進む階段があった。

 

「出入口はここだけです、燕青さん……。ところで、そのお連れさんは?」

 

 警備員の長らしき男が、燕青の顔と紹介状を一瞥して、時遷と石秀女に視線を向けた。

 

「私の連れです。私だけでは寂しいので、ついてきてもらったのですよ」

 

 燕青がにこやかに言った。

 

「成程、女ひとりに男二人というのもいいですな……。それに、いい女だ……。どうぞ、お愉しみを……」

 

 男がにやついた笑みを浮かべながら、階下におりる階段の前をどいた。

 石秀女はなんとなく意味ありげな男の物言いが気になった。

 かなり長い階段を降りると、地下では、執事を思わせる老人が、多くの召使いのような男たちを従えて待っていた。一階にあがる階段については、こちら側でも入口を塞ぐように屈強の男たちが守っている。

 

「う、うわっ」

 

 石秀女はそこの光景に思わず声をあげてしまった。

 召使いの男たちのほかに、部屋の隅には奴隷を思わせる女たちがいたのだ。

 普通の格好ではない。

 全員が全裸だ。しかも、全員が革枷らしきもので後ろ手に拘束され、壁に背中をつけて繋がれいた。

 

「ようこそ、燕青様……。そちらはお連れの時遷様ですね。お待ちしてありました」

 

 執事らしき男が言った。

 ここでは紹介状は見なかったので、これまでのあいだに、すでに連絡が来ていたのだろう。

 

「では、お準備を……。会場はこの先です。この先は女連れでなければならないのですが、そこに並べている女を連れて行くこともできますよ」

 

 執事が言った。

 

「いや、俺たちは、この女でいい。この女が俺たちふたりを相手にするんだ。調教の一環でな」

 

 時遷が言った。

 調教?

 おかしな物言いで気に入らなかったが、石秀女は黙っていた。

 執事がうなずくと、燕青と時遷には、顔の上半分を覆う仮面を渡されていた。

 眼の部分だけが開いていて、鼻から上の顔に密着するようになっているようだ。

 燕青と時遷がそれを身につけた。

 ただ、石秀女には渡されなかった。

 

「ところで、この先は、女は服を着て入ることはできません。全裸、もしくはそれに近い恰好にするのが決まりです。さらに拘束は必須です」

 

「わかっている。ここで脱がせる。ただ、枷は持ってこなかったから貸してくれ。それを首輪を引っ張る鎖もな。じゃあ、石秀女、服を脱げ」

 

 時遷があっさりと言った。

 

「は、はああ?」

 

 石秀女は大きな声をあげた。

 謀られた。

 そう思った。

 

 ここがそういう場所であることを時遷は最初からわかっていたに違いない。

 そういえば、美玉の同行してもいいという申し出については、きっぱりと断っていた。

 だが、ここに潜入するためには、女連れであることが絶対条件だ。

 だから、石秀女を何も言わず連れてきたのだと思った。

 かっとなった。

 

「じょ、冗談じゃないわよ。裸になんか、なれないわ。そんな恥ずかしい恰好なんて、死んでしまうわよ」

 

「恥ずかしさで死ぬなんてあるかよ。試しにやってみな。減るもんじゃないし……」

 

「問答無用よ、時遷。あたしは帰るわ。どいて」

 

 石秀女は大股で一階にあがる階段にずかずかと歩いていった。

 門番のような屈強な男たちが、それを阻止するかのように、階段の上り口を塞ぐ。

 

「どきなさい。さもないと無理矢理に通るわ。あたしは怒ってんのよ。容赦しないわよ」

 

 石秀女はその男たちに叫んだ。

 

「時遷殿……。これは問題がありますよ。石秀女が可哀想です」

 

 燕青が困惑した声をあげた。

 

「なあに、ちょっと拗ねたふりしているだけだ。ちゃんと、わかってるよ。なあ、石秀女」

 

 時遷がなだめるように後ろから石秀女の腰に手を伸ばした。

 

「さ、触らないでよ」

 

 石秀女は声をあげた。

 次の瞬間、時遷が手と伸ばした腰がちくりとした。

 

「あっ……はっ……」

 

 その瞬間、身体が凍りついたように動くなくなった。

 それだけじゃない。身体だけじゃなく、舌まで麻痺したように動かなくなる。

 

 やられた……。

 指先に即効性の弛緩剤をまぶした針を仕込んでおいたに違いない。

 それを布の上から刺されたのだ。

 

「おっ、そうか? わかってくれたか、石秀女。おい、燕青、石秀女はやってくれるってよ」

 

 時遷が大きな声で叫んで、くるりと反転させられる。

 身体が脱力しているというよりは、自分の意思で身体を動かす意思を弛緩させられたという感じだ。

 時遷に腰を押されるように動いて、部屋の真ん中に戻される。

 

 そして、時遷の手が素早く動いて、あっという間に身に着けているもののすべての紐とぼたんが外される。

 抵抗を失った石秀女の服はぱさりと石秀女の足元に落ちていった。

 石秀女は時遷や燕青やこの店の男たちの見守る中心で下着姿になってしまった。

 悲鳴をあげようと思ったが舌が動かない。

 時遷がにやにやと笑いながら、手を伸ばして石秀女の胸巻きを外して下におとした。

 乳房が剥きだしになる。

 

 くそっ。

 絶対に後で仕返ししてやる。

 石秀女は心に誓った。

 

「ほらな、燕青。石秀女も抵抗しないだろう? 石秀女は乳首が弱いんだ。触るくらいは許してやるぜ」

 

 時遷がそう言っている。

 かっとなった。

 確かにそうかもしれないが、人前でそれを言うなど……。

 

「私には石秀女はご立腹のように見えますけどね? 大丈夫ですか、時遷殿?」

 

 燕青は苦笑している。

 

「怒ってはいないさ……。ほら、お前の好きな香水だ。これを嗅いで気分を落ちつけろ」

 

 時遷が懐から小さな布を取り出した。

 好きな香水?

 そんなものはありはしない……。

 香水など、石秀女のような稼業をしている者にとっては、絶対に身体につけてはならないものだ。

 どこかに忍び込んだり、戦闘のときに気配を消そうと思っても、香水をつけていると簡単に位置を悟られてしまう。

 いまだって、着飾ってはいたが、香りのするものはまったく身体につけてはいない。

 

「ほら」

 

 時遷が布を石秀女の鼻に押し当てた。

 強い刺激臭がして、急に頭の中が麻痺した心地になった。

 

「んんっ」

 

 頭がくらくらする。

 時遷がなにかを耳元でささやくのがわかった。

 

 次の瞬間、なにもかもわからなくなった……。

 まだ、時遷がなにかを言っている……。

 わからない……。

 頭が朦朧とする……。

 眼の前の視界が消えていく……。

 時遷が……。

 ぱちんと音がした。

 石秀女ははっとした。

 

「どうしたのです、石秀女は?」

 

 眼の前の若い美男子が心配そうな表情で石秀女を覗き込んでいる。

 誰だろう、この男は……?

 そう思った。

 だが、石秀女は自分が股布一枚の裸で立っていることに気がついた。

 周りには時遷もいたが、ほかにも大勢の男がいる。

 それに壁には裸のまま拘束されている女たちまでいる。

 ここはなんなんだ?

 悲鳴をあげようとした。

 

「あっ、がっ」

 

 だが、なぜか声が出ない。

 この状況が理解できない。

 石秀女は混乱した。

 

「……大丈夫だ。なんの問題もないだろう? ここは、そういう場所だ。石秀女も承知したんだよね。俺もいる……。心配ない……」

 

 時遷の優しい声が耳元でささやかれる。

 そうだ……。

 なんの問題もない……。

 ここはそういう場所だし、自分は承知した……。

 なあんだ……。

 時遷もいる……。

 心配ない……。

 それにしても、やはり、頭が朦朧とする。

 倒れてしまいそうだ。

 石秀女は懸命に脚を踏ん張って倒れないようにした。

 とにかく、石秀女は時遷に返事をしようとしたが、なぜか喋れないことを悟って、仕方なく大きく首を縦に振った。

 すると、腰にちくりとなにかが刺さった気がした。

 

「いっ」

 

「大丈夫だ、石秀女。それよりも、下着を脱いでくれないか? 宴に行かないと……。この宴では女は裸でないと入れないんだ。でも、石秀女には、俺が特別に下着を準備した。それを身に着けてくれ。悦んでくれるよな?」

 

 時遷の声……。

 

「あ……う、うん……」

 

 声が出る。

 

「悦ぶ……。ここの宴には裸でないと入れない……」

 

 石秀女は言った。

 

「そうだ……。じゃあ、下着を脱いでくれ……。心配するな、石秀女……」

 

 時遷がくすくすと笑っている。

 よくわからないが、なにかが愉しいのだろう。

 時遷が嬉しいなら、石秀女も嬉しい。

 石秀女は股布に両手をかけた。

 しかし、違和感がある。

 やっぱり、なにかがおかしいと思った。

 

「……まだ、足りないか……? さあ、もう一度、嗅げ」

 

 時遷が石秀女の鼻に布を押し当てた。

 つんとする匂い……。

 さらに、ぼうっとする……。

 

「……ほら、支度だよ。裸になるんだ」

 

 時遷の声……。

 それが頭に刷り込まれる。

 

 裸になる……。

 

 そうだ……。

 裸になるのだ。

 石秀女は手にかけていた股布を解いて、床に落とした。

 

「……時遷殿、さっきから、なにかを石秀女にしてますね? そのようなことには、私は賛成できませんよ……」

 

 さっきの美男子がなにかを言った。

 許せない……。

 こいつが誰かわからないが、時遷を悪く言う者は石秀女の敵だ。

 石秀女はその美男子を睨んだ。

 

「石秀女、燕青だ。今夜は、燕青と一緒だ」

 

 時遷が慌てたように言った。

 燕青……?

 そうだ、燕青だ。

 石秀女と時遷の連れだ……。

 燕青だった。

 

「そ、そう……。石秀女は……燕青と……時遷と……一緒……」

 

「だが、さすがに、素っ裸のままだと、ほかの男に犯されかねないからな……。調教用の下着をつけさせてやろう。つけたいだろう、石秀女?」

 

「つ、つける……。調教用の下着をつけたい……」

 

 なぜか、勝手に自分の口が時遷の言葉を繰り返す。

 とにかく、まだ、頭が朦朧とする。

 周りに誰がいるのか、ここがどこかも知覚できない。

 

 ええっと……。

 

 懸命に考えようとした。

 石秀女は時遷と……燕青と……宴に……。

 

「ほれ、脚を開け」

 

 時遷の声……。

 石秀女は革製の帯のようなものをどこからか取り出した。

 それが腰の括れにぐっと巻きついた。

 さらに、その腰に巻いた革帯には直交するようにもうひとつの帯があり、それが後ろ側から股間の下に通された。

 

「じ、時遷、これ……?」

 

 石秀女は一瞬、股間の下に装着されようとしている革帯の内側を見て、びっくりした。

 その革帯の内側には、大小たくさんの丸い突起がついていたのだ。

 しかも、どういう仕掛けになっているのかわからないが、その突起はなにもしないのに、微妙に右に左に、あるいは前に後ろにと不規則に揺れ動いている。

 それだけではなく、よく見れば、細かい振動をしているのではないか……?

 いくらなんでも、そんなものを直接股間に装着すれば、どんなことになるかわかっている。

 石秀女は慌てて、それを手で持って制した。

 

「ちょ、ちょっと、時遷……」

 

「大丈夫だ……。なにしろ、特別の会員制の宴でな……。こんな淫具でなければ、下着も許されないんだ。裸よりいいだろう? 我慢しろ、石秀女……。いや、これを装着して我慢したいだろう、石秀女」

 

 時遷が耳元でまたささやいた。

 朦朧としている頭に時遷の声が響きわたる。

 

「せ、石秀女はそれを装着したい……。そして、我慢したい……」

 

「いい子だ……。手を離せ……」

 

 股間の下にある革帯から手を離した。

 

「ひうっ」

 

 時遷がぐいと革帯を引きあげて締めつけた。

 股間を通った革帯はかなり短い。時遷は、それを思い切り引っ張って、腰に回っている革帯の前側の金具に繋いでしまった。

 革帯全体が股間に喰い込むとともに、敏感な股間に内側の突起があたってしまう。

 そして、次の瞬間、突起が肉芽を擦りあげた。

 

「あはあっ、いやっ」

 

 肉芽だけじゃない。

 花唇や菊座にも突起が当たり、しかも、微妙な動きと振動で刺激を与えてくる。

 石秀女は悲鳴をあげて、その場に座り込みそうになってしまった。

 

「まだだぞ……。そのままだ。いま、足枷と手枷をつけるからな……。じっとしてろよ」

 

 時遷が言った。

 そのままだ……。

 朦朧とする頭にその言葉が繰り返す。

 

 そのまま……。

 

 石秀女は懸命に脚を踏ん張った。

 足首に短い鎖のついた金属の枷が嵌められる。

 さらに両手を背中に回されて、手錠も手首に嵌められてしまった。

 

 だが、石秀女はそれどころじゃなかった。

 ちょっと、動くたびに股間から電撃でも浴びたような快感の衝撃が走るのだ。

 だからといって、じっとしていても振動が石秀女を直撃する。

 

「いくぞ……」

 

 時遷が石秀女の首環にある金具に鎖を繋いだ。

 それがぐいと引っ張られる。

 

「では、お愉しみを……」

 

 店の者らしき男が会場に入ろうとする時遷と燕青に頭をさげた。

 しかし、股間の刺激に耐えられなくて、石秀女はまともに歩くことができない。

 いまにも、しゃがみそうだ。

 

「石秀女、燕青の腕を掴むんだ。そうすれば、歩ける……。さあ、そうしたいはずだ。股間を刺激されながら頑張って歩きたいだろう?」

 

 時遷が首輪を引く手を休めて言った。

 そうだ……。

 そうしたい……。

 

 こうやって、股間を刺激されて歩きたいのだ。

 頑張りたいのだ……。

 

「え、燕青……お願い……腕を……」

 

 腕を掴む……。

 燕青の腕に捕まって……歩く……。

 股間の刺激を受けて……歩きたい……。

 燕青が心配そうに腕を出した。

 石秀女はその腕にしがみついた。

 そのとき、また股間に衝撃が走り、石秀女は甘い声とともにがくりと膝を崩した。

 

 会場に入った。

 中は薄暗かったが、そこにある光景を見るには十分だった。

 そこにいるのは、大勢の正装をした老若の男たちと、大勢の裸の女たちだった。

 下は絨毯張りであり、石秀女と同じように拘束された裸の女たちが四つん這いになったり、屈んだりしている。

 料理と飲み物は十分にあり、それを半裸の女たちが配っている。

 ただし、それを受け取るのは男だけだ。

 

 女たちには、馬のような馬具を装着されて大きな男を乗せて会場を歩かされている者もいたし、男の股間を奉仕させられている者もいる。

 さらに、あちこちで性交が行われていた。

 

 石秀女は驚愕した。

 時遷は、鎖を引っ張って、どんどんと中央に進んでいく。

 石秀女は、股間の刺激に苛まれながら、懸命に前に進まなければならなかった。

 

 中央にはせりあがった大きいな丸い台があり、そこには三組の男女がいた。

 なにかの見世物なのか、どの男も動物の面を被っていて、いずれも上半身が裸身だ。

 それに対する三人の女については、いずれも若く、ひとりの女は逆さに磔にされて、管のようなものを使って肛門からなにかを注がれている。

 もうひとりの女は、天井から両手を束ねられて宙吊りにされ、魔道具を思われる棒で、電撃のようなものを身体のあちこちに浴びせられて悲鳴をあげている。

 さらに、もうひとりは四つん這いに台に固定され、股間を数匹の犬に舐められていた。

 いずれの女も悲痛な声ををあげ続けている。

 

 なんなんだ、これ?

 頭からすっと血の気が引く。

 石秀女は一度に酔いのようなものが冷めていく気がした。

 

「いたぞ、石秀女……」

 

 時遷が立ち止まって石秀女の耳元でささやいてきた。

 しかし、なにがいたというのか、石秀女にはさっぱりわからない。

 それよりも、股間を苛む痺れが強すぎて、これ以上立ってもいられないし、座ることもできない。

 とにかく、泣きたくなるほどの刺激が走り続けてしまい、石秀女は身体を支えるように腕を持ってくれている燕青の腕をしっかりと掴み続けた。

 

 そして、石秀女の意識は埋没していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 我に返ったのは、なにかが口の中に強引に押し込まれたときだった。

 

「おぐっ? ぐおっ?」

 

 石秀女は驚いて声をあげた。

 だが、それは口の中に押し込まれている球状の物体がに阻まれた。

 それで気がついたが、その球状の口枷には革紐が繋がっていて、それが顔の後ろでしっかりと拘束されている。

 どうやら口枷をされたようだ。

 

 それだけではない。

 石秀女は天井に両手首に手枷を装着されて、それぞれに斜め上から鎖で引っ張られていた。

 さらに、二本の脚も大きく開いて床にある杭にしっかりと繋げられている。

 

 つまりは、石秀女は大きく両手両足を開いた状態で完全に拘束されているのだ。

 しかも、ここは大勢の観客たちが囲んで見物している会場に設けられた舞台の上のようだ。

 

 石秀女は混乱した。

 どうして、こうなっているのかほとんど覚えていない……。

 わかっているのは、ずっと朦朧としていた状態だったということだ。

 

 とにかく、気がついたらこうなっていた。

 さらに、舞台で拘束されている石秀女はほとんど素っ裸だ。

 身に着けているのは股間に喰い込んでいる革の貞操帯だけであり、ほかにはなにも身に着けていない。

 石秀女の両脇には、動物の覆面をした男がふたり並んで口上のようなものを喋っている。

 

 なにかの見世物だと思う。

 それに出演させられている?

 しかも、相当に破廉恥な見世物なのは間違いない。

 

 なんだ、これは?

 どうして……?

 この石秀女ともあろうものが?

 なんで……?

 石秀女は懸命に記憶を辿った。

 そして、やっと時遷の名を思い出した。

 

 時遷は……?

 石秀女は時遷を探した。

 そういえば、時遷とともに、宋春という奴隷女を探すために、ある奴隷商が企画して催した秘密の宴に潜入してきたのだった。

 

 それが頭に蘇った。

 だが、それは女はすべて裸になり、拘束されて首輪をつけられなければならないというとんでもない宴だった。

 怒った石秀女はすぐに帰ろうとした。

 

 そのはずだ。

 だが、なんでこんなことになっているのか……?

 じっと考えていたら、また思い出した。

 確か、帰ろうとしたとき、一緒にいた時遷におかしな毒針を服の上から刺されたのだ。

 それで身体の自由を失くし、さらに刺激のある匂いを嗅がされた……。

 それで意識を失ったようになった。

 

 そうだ……。

 そうだった……。

 

 いや、意識はあったのだが、まったく自分の意思を失った人形のようになってしまった……。

 そのあとのことは、記憶が戻ったいまでもぼんやりとしている。

 

 とにかく、時遷に言われるままに、人前で裸になり、さらに内側に凹凸のある貞操帯を喰いこまされて、首輪も装着された。

 そして、この会場に連れ込まれた。

 

 記憶はそこまでだ。

 気がついたら、こうやって会場の真ん中にある舞台で見世物のようにされていた。

 本当にどういうことなのか……?

 張本人の時遷は……?

 だが、時遷はどこにもいない。

 

 拘束されている石秀女を見物するために、あまりもの大勢の観客が集まっていた。

 時遷など簡単には見つけられそうにない。

 それに、石秀女のいる舞台が大きな燭台で明るい光で照らされているのに比べて、客の男たちがいる側は薄暗い。

 そのためによく見えないのだ。

 

「……それでは、たったいま、当店の新しい被虐娼婦となった女に、こんにゃく洗いの洗礼を与えることにしましょう。この奮い立つような身体をご覧ください……。実はこの女、とある事情で、本当の名は明かせませんが、れっきとした家柄の令嬢でございます。しかし、恋人となった男に騙されて、この場所に連れ込まれ、そして、売り飛ばされたのです。仮の名は石秀女といいます……。明日からは、皆さんもご存じの地下の館で被虐娼婦としてすごすことになりますが、今夜は、そのお披露目でございます」

 

 右隣の獅子の覆面の男が大きな声でそう言って客たちの歓声を誘っている。

 だが、石秀女には事態が理解できなかった。

 

 売られた?

 れっきとした家柄の令嬢?

 しかも、被虐娼婦?

 やっぱり、わからない。

 そのとき、石秀女は大勢の観客たちに混じってひとりの美男子を見つけた。

 

 燕青?

 記憶がまた繋がる。

 

 そうだ。

 ここに入るのは、誰かの紹介状がなければ入ることはできず、それで北州都でも有名な女豪商の美玉の従者である燕青を借りたのだ。

 燕青は大勢の好色そうな男たちに混じって、同情するような視線を石秀女に向けている。

 

「んごおお」

 

 石秀女は慌てて燕青の名を叫んだ。

 しかし、やはり、声は口枷に邪魔されて言葉にならない。

 球状の口枷には小さな穴がたくさんあり、そこから唾液が流れただけだ。

 

 しかも、一度出た唾液は戻すことができない。

 口枷から垂れる石秀女の唾液が、剥き出しの乳房に流れ落ちる。

 

 やはり、時遷を見つけないと……。

 石秀女は燕青のそばにいるのかもしれない時遷を探した。

 だが、それらしき者はいない……。

 しかし、これは絶対に時遷の仕業に違いない。

 

 時遷――。

 

 絶対に後でとっちめてやる。

 石秀女は沸騰する怒りを耐えた。

 

 すると、がらがらの車輪のついた台が石秀女の横に運ばされてきた。

 運んできたのは、腰の曲がったひとりの老人だ。

 その横には、可愛らしい少女がいる。

 拘束はされていないが首に奴隷の首環がある。

 性奴隷だと思った。

 身体は完全な素っ裸だ。

 全身に鞭痕のようなものが無数にある。

 さっき言っていた被虐娼婦という者のひとりだろうか……?

 

 石秀女は台に乗っている木桶を覗いた。

 たっぷりと蓄えられているのは、どうやら山芋の汁のようだ。

 それに半透明の四角いものが幾つか浮かんでいる。

 石秀女はそれがおそらく“こんにゃく”だと思った。

 

「さあ、では石秀女お嬢様の身体を皆様に疲労しましょうかねえ」

 

 老人が腰に提げていた鍵束のようなものを持って石秀女の背後に回った。

 時遷?

 しかし、石秀女には、その老人からなんとなく時遷の存在を感じた。

 

「がっ、あがあっ、んがあっ?」

 

 懸命に声をかけた。

 だが、やはり声にはならない。

 石秀女の股間に嵌められていた貞操帯が外れた。

 どよめきのようなものが起きる。

 一団低くなっている観客側からは、石秀女に付け根の恥毛に覆われた股間がはっきりと露わになっているはずだ。

 しかも、突起でずっと刺激を受け続けていたので、石秀女のそこはしっかりと愛液で濡れている。

 そんな股をこんなにも大勢の男たちに見物されるなど、血も凍るような恥辱だ。

 

「……我慢しろ、減るもんじゃなし……。それよりも、横にいるのは、宋春(そうしゅん)だ……。ついているぞ。新しい新入り被虐娼婦の教育係に宋春が指名されたようだ。明日迎えに来る。それまで耐えろ。長い時間じゃない。それと、俺が来るまで、娼館では一切のものを口にするな。絶対になにも口に入れるなよ。水も駄目だ。どんなに喉が渇いてもだ。どうしても耐えられなければ小便でも飲め。いいな」

 

 背後から横に回った例の老人がささやいた。

 やっぱり時遷だ。

 石秀女ははらわたが煮え返った。

 

「んがああ」

 

 身体の底から抗議の雄叫びをあげた。

 しかし、やっぱり、口から出るのは唾液だけだ。

 

「先程申しましたとおり、この女はたったいま売られたばかりであり、まったくの未調教です。では、その新入りが初めて味わうこんにゃく洗いの洗礼をお愉しみください。おい、宋春」

 

 獅子男が横の娘を促した。

 やはり、この娘が宋春なのだ。

 宋春は、まるで見えない鞭で打たれたかのように、びくりと身体を震わせた。

 

「ご、ごめんなさい……」

 

 宋春がほかに誰にも聞こえないような小さな声で石秀女の耳元でささやいた。

 そして、桶に入ったこんにゃくを手で掴みとり、石秀女の首から胸にかけて、山芋の汁まみれのままのこんにゃくを滑り落とした。

 

「んひいいっ、があっ、んがああ」

 

 生温かいこんにゃくのつるりとした感触に、信じらないくらいに石秀女の裸身は反応した。

 あまりの刺激の強さに全身の血が一斉に沸騰した気がした。

 それくらいの衝撃だった。

 石秀女の身体は激しく揺れて、四肢を繋いだ鎖が大きく弾ける。

 

 これまでの人生で味わったこともないような感覚だ。

 こんにゃくの触れた部分にある毛穴という毛穴から快感が迸った。

 石秀女の知らない未知の性感のすべてが呼び起こされたよう感じだ。

 その想像もできないでいたこんにゃくの責めのあまりの強烈さに石秀女は狼狽えた。

 

 また、こんにゃくが滑る。

 今度は腹だ。

 

「んごおお」

 

 石秀女は奇声をあげた。

 驚くべき効果だ。

 

 そした、こんにゃくが滑る。

 横腹から尻たぶ……。

 下腹部……。

 そうかと思えば、また、首から胸にかけて……。

 宋春の持つこんにゃくが容赦なく石秀女の身体を這い回る。

 石秀女はのたうち回った。

 おかしな醜態を晒したくなくて、懸命に口に入れられた球体を噛みしめるのだが、宋春が木桶に山芋の汁を浸しては、身体をそのこんにゃくを滑らせるたびに、石秀女の口からは悲鳴が迸ったし、乳房を擦られれば、上半身をこれでもかと思うくらいに捻らせざるを得なかった。

 そして、股間をこんにゃくでべろりと舐められれば、気も遠くなるような愉悦が股間から全身に迸る。

 

「んぐううう」

 

 石秀女は天を仰いで声をあげた。

 あっという間に昇天しそうになる。

 

 おかしい。

 確かに、こんにゃく洗いの刺激は凄まじいが、あまりにも感じすぎる。

 この感覚の異常さは、なんとなく時遷の仕業のように思った。

 おそらく、身体のつぼのようなものを押して、石秀女の身体の感覚を活性化しているに違いない。

 時遷にはそういう技もあるのだ。

 

「……なかなかに愉しそうだな、石秀女。気がついたかもしれねえが、全身の感度を五倍ほどにしておいた……。いいところのお嬢様だが、物凄く淫乱だというという触れ込みでな……。悪く思うな……」

 

 老人の姿の時遷がささやいて、喉の奥で笑った。

 やっぱ……。

 石秀女は歯噛みした。

 

「さあ、お客様の中に、この新入りをこんにゃくでなぶってみたいと思う方はありませんか? 銀貨二枚とします。まずは、三人から」

 

 獅子男の反対側にいる馬の仮面の男が喋った。

 一斉に手があがり、馬男が適当に三名の男を指名する。

 すぐに男たちが石秀女の周りに集まった。

 

 石秀女は狼狽えた。

 たったひとつのこんにゃくで、あれだけおかしくなったのだ。

 それが三倍に増える……。

 そんなことをされたら、どうなるのかわからない……。

 恐怖が沸き起こる。

 男たちと交代するかたちで宋春が後ろに退がった。

 宋春の役割は、最初の実演の展示のようなものだったのだろう。

 こんにゃくを手にした三人の男たちが石秀女を取り囲む。

 すぐにこんにゃく洗いが始まった。

 三個のこんにゃくが襲いかかる。

 

「んごおお」

 

 叫び声をあげた。

 石秀女を追い詰めるのは、別に乳房や局部である必要はない。

 ただの腕、脇の下、太腿、肚。

 どこをどう擦られても、苦悶と愉悦の声をあげなければならない快感が襲いかかる。

 それが面で襲う。

 たまらない。

 こんなの我慢できない。

 たちまちに石秀女の身体からは一切の余裕がなくなった。

 

 石秀女は翻弄された。

 三人は巧みだった。

 男たちは石秀女の快感を一気に上昇させ、それでいて、ときにははぐらかすように快感を逸らすようにし、そうかと思えば、不意に局部や乳房に刺激を集めて石秀女を追い詰めた。

 

 それが続いた。

 

 どのくらいの時間だったのかはわからない。

 あまりの快感にほとんど、思考停止に陥りかけたとき、司会の獅子男が間もなく時間だと告げたのが聞こえた。

 

 すると、身体の前後からふたりの男の持つこんにゃくが菊座と股間を同時に擦り、もうひとりの男は石秀女のふたつの乳房を激しくこんにゃくで責めたてた。

 

「んんんん」

 

 頭の中が焼き切れたと思った。

 気がつくと石秀女は、我ながら驚くくらいにがくがくと身体を震わせて、欲情の頂点に官能を飛翔させてしまっていた。

 

「さっそく、一度目の気をやってしまったようです。さあ、この新入りは何度の絶頂をするでしょうか? 二組目に交替しましょう。次の希望者はいますか? 早い者勝ちですよ」

 

 達したばかりの朦朧とした視線に、再びたくさんの男の手が挙手されるのが見えた。

 

 石秀女は、近くにいるに違いない時遷を探して、ありったけの怒声を腹から迸らせた。



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82  石秀女(せきしゅうじょ)、地下娼館で調教を受ける

「調教は昼過ぎから始める。それまでに、しっかりと休んでおくんだ。二、三日はつらいぞ。客から鞭で叩かれたり、逆さに吊るされたりした方がずっと楽だと思えるようになるまで、徹底的にしごくからな。まあ、できるだけ体力を温存しておくんだ」

 

 牢のような大きな檻に石秀女(せきしゅうじょ)を放り込んだ男たちのひとりがそう言って、格子の向こう側で大笑いした。

 男たちは十人だ。口は悪いが身なりはちゃんとしていて、仕草には粗野な雰囲気はない。

 この娼館で雇われている男衆たちだろう。

 石秀女は半裸の身体を横にして連中から裸身を隠すようにすると、顔だけ向けて、そいつらを睨みつけた。

 

 身に着けているのは、連中が石秀女に装着させた革の貞操帯だけだ。

 あのくそったれの時遷(じせん)が、あの性宴のときに、石秀女の意識を薬物で朦朧とさせてはかせたものとは違う。

 この地下の娼館に連行されてから、この店の男たちに無理矢理にはかされたものだ。

 また、両手は背中に回されて腰の部分で水平に重ねられて、しっかりと金属の枷で固定されていた。

 

 ここは得たいの知れない北州都の地下娼館であり、石秀女がいるのは、そこの監禁用の檻の中だ。

 さらに、いま、鉄格子の出入口にしっかりと錠前をかけられた。

 さすがの石秀女でも、この状況では、自力では拘束を解くことも、脱出もできない。

 

「ち、畜生。あ、あたしは騙されたって言ってんだろう。娼婦になるだなんて、承諾した覚えはないよ。ましてや、被虐娼婦なんて冗談じゃないよ。離しておくれ」

 

 石秀女は叫んだ。

 しかし、鉄格子の向こうの男たちは大きな声で笑った。

 

「お前に覚えがあろうと、なかろうと知らねえよ。お前をこの店に売った男がお前を騙したのかも知らんが、俺たちには関係ねえ。俺たちは一介の調教係だしな。そして、これからは、お前も一介の被虐娼婦というわけだ。まあ、とりあえず、被虐の性に目覚めさせて、せめて、ここでの生活が苦しいものばかりでないようにしてやるぜ。俺たちにできることはそれだけだ」

 

 男たちのひとりが言った。

 石秀女は歯噛みした。

 こんなことになったのは、全部あの時遷のせいだ。

 この娼館で被虐娼婦用の性奴隷として捕らわれている宋春(そうしゅん)という娘をさらうための情報をとるために、この娼館主催の秘密の宴に時遷とともにやってきたのが発端だった。

 しかし、その宴は女を嗜虐して調教するのを愉しむというとんでもない宴であり、石秀女は時遷におかしな薬物を打たれて朦朧となり、ほかの犠牲者の女たちと同様に破廉恥な恰好で、その宴に出席させられたというわけだ。

 挙句の果て、いつの間にか娼館に身体を売られたことになっていて、宴の最中に拷問まがいの官能責めになった。

 そして、宴の後で、この娼館に連れ込まれて監禁された。

 

 冗談じゃない。

 逃げようと思ったが、それはできなかった。

 犯されこそしなかったものの、石秀女は宴の会場における公開調教で、いき狂いの性拷問に遭い、その結果、足腰がたたなくなってしまって、ここの連中に抵抗することができずに拘束されたまま連行されてしまったのだ。

 

 その後、この地下娼館にやってくると、石秀女はこの娼館の別の一室で拘束されたまま淫具を一度外され、数名の男女から身体の検査をされた。

 検査をした者には、ここにいる男たちのほかにも、医師だと思う者も混じっていて、おそらく、石秀女がおかしな病気などを持っていないかどうかを調べたに違いない。

 とにかく、気味の悪い道術の道具まで使って、局部の奥から尻の穴の中まで隅々と余すところなく身体を見られた。

 そして、検査後、再び別の貞操帯を装着された。

 いま、装着させられているのがそうだ。

 

 その後、この牢に放り込まれた。

 数個の檻が並んでいる狭い部屋だが、部屋そのものにいるのは石秀女だけだ。

 そもそも、この娼館に接触した目的だった宋春という娘もいない。

 時遷によれば、石秀女の教育係に宋春がつけられるという話になっていて、時遷が潜入してくるまで宋春から目を離すなということだったが、そんな娘はどこにもいない。

 だったら、わざわざ石秀女が捕らわれる理由はない。

 とにかく、こんなところ早く出ようと思うのだが、この状況ではどうしようもない。

 

 結局、すぐに助けに来ると口にしていた時遷を待つしかないのかもしれない。

 石秀女をこんな目に遭わせている時遷が望みだというのは、まったく、腹立たしいことであるのだが……。

 

「そんなことよりも、そろそろ、その革の下着の内側に塗っている痒み薬が効果を発揮する頃だがなあ。じゃあ、調教が始まるまでの半日間、その痒みをじっくりと味わってくれ」

 

「まあ、半日後に迎えに来る頃には、お前は、その革の下着を脱がしてもらって、俺たちに股ぐらをほじってくれと泣いて頼むに違いないぜ。いままでのどんな女もそうだったしな。それが調教の始まりだ。まあ、せいぜい、頑張りな」

 

「というわけで、しばらくは我慢するだけのことだ。休むんなら休んでもいい……。もっとも、休めればだがな……」

 

 格子戸の向こうの男たちが口々に石秀女をからかう言葉をかけ、男たちからまた笑いが起きる。

 石秀女は牢の中で身をよじらせた。

 

 男たちが言うとおり、石秀女が装着させられた革の貞操帯の内側には、痒み効果のある薬剤がたっぷりと塗ってあったらしく、しかも、それが石秀女の股間をしっかりと抉っている。

 すでに甘い痒みがじわじわと込みあがっているのを知覚しないわけにはいかなかった。

 しかも、いまは、まるで熱い刃のような鋭さで、腰から背骨に昇ってこようとしている。

 石秀女は全身から流れ出る脂汗を飛び散らせながら、腰を左右に揺さぶった。

 

「く、くそっ」

 

 石秀女は悪態をついた。

 痒い……。

 本当に痒い……。

 だが、痒みを癒す方法がない。

 両手は背中側で拘束されているし、痒みが襲っている股間は、厚い貞操帯の革が刺激を外から受けることを阻んでいる。

 

「ははは……つらいだろうが、俺たちが戻るまで我慢しろ。しばらくは、客をとるための調教を受けては、休むときにはこの痒み責めだ。これを繰り返せば、鞭で打たれたり、苦しい目に遭うのが待ち遠しくて仕方がなくなる。これも、被虐娼婦の修行だ」

 

 そう言って男たちがぞろぞろと引き揚げていった。

 ただ、石秀女は、ああやって石秀女をからかって哄笑したいまの連中が、随分と顔が蒼くて元気がないことに気がついていた。

 石秀女は最後に時遷が石秀女から離れるとき、時遷が現れるまで、絶対にこの娼館で食べ物も飲み物も口にするなと命じられていた。石秀女はそれを忠実に守っていたが、おそらく、なんからの時遷の仕掛けが始まってるのだろう。

 そうであれば、時遷は動いてくれているということだ……。

 とにかく、この追い詰められた状況の中では、それだけが救いだ……。

 

 それにしても、痒い。

 畜生、時遷め。

 絶対に仕返ししてやる。

 二、三発、殴るだけじゃあ、許さない。

 石秀女は、男たちが去ってかもしばらくは耐えていたが、やがて、恥も外聞もなく、狭い牢の床を転げまわった。

 本当に痒いのだ。

 ずきんずきんと骨を砕くような痒みが股から全身に拡がる。

 

「ああ、痒い。じ、時遷の馬鹿垂れ――。あ、あたしをこんな目に遭わせるんなんて」

 

 石秀女は泣き叫んだ。

 そして、さらに時間が経過した。

 時遷は来ない。

 男衆の連中も戻らない。

 調教開始となる半日というのが、どのくらい後なのかもわからない。

 本来は、なにもなくても時間の経過はわかるのだが、いまはあまりにも痒みに狂いすぎていてわからない。

 

 いままで放置された時間はどのくらいか……?

 少なくと二刻(約二時間)はすぎた気もするが、それ以上かもしれない。

 あるいは、もっと短い時間しか経過していないのだろうか……?

 

 痒い。

 もう我慢できない。

 とにかく、すさまじく痒い。

 

「ああ、痒い。気が気が狂う。誰か。誰か来て」

 

 石秀女は我を忘れて昂ぶった声を張りあげた、

 すると、がちゃりと扉が開いた。

 

 さっきの男たちだ。

 ただ人数が減っている。

 入ってきたのは三人だけだ。

 その三人も顔色はさっきよりも青い。

 

「……へ、へへ……。ちょっと、ほかの者の具合が悪くてな……。全身で犯すつもりだったが、いまは三人だけだ……。まあいい……。とにかく、まだ調教の時間には間があるが、一回だけ、その股倉をほぐしてやってもいいぜ。俺たちの珍棒でな」

 

 三人が笑った。

 石秀女は歯を食い縛った。

 だが、心が抵抗できたのは一瞬だけだ。

 

「わ、わかったわ。お、お願いよ。この痒みをどうにかして。気が……気が狂うの」

 

 石秀女は哀願した。

 

「だったら、俺たちに、なにをして欲しいか頼むんだな。それとも、もっと、時間をかけてから、訊ねてやろうか?」

 

 男のひとりが言った。

 三人とも具合の悪そうな青い顔をしているものの、表情には卑猥なものが浮かんでいる。

 

「か、痒いのをどうにかしてと頼んでいるじゃないのよ」

 

 石秀女は格子戸の向こうに、大声を張りあげた。

 

「だが、それは特別制の道薬でな……。男の精を注がねえと、いつまでも痒みが続くという代物だ。痒みを癒すには、俺たちに穴をほじってもらうしかねえんだ」

 

「わ、わかったわ。なんでもいいのよ。この痒みがなくなるなら」

 

「だから、どこを、どうして欲しいかと訊ねているじゃねえかよ」

 

 ひとりがそう言って、ほかの者もげらげらと笑う。

 畜生……。

 石秀女は血の味を感じるくらい唇を噛みしめた。

 

「わ、わかったわよ……。膣を……」

 

 石秀女は両腿を懸命に擦り合わせながら言った。もう少しも、じっとしていられない。

 

「そんな上品な言葉じゃ駄目だ。まあ、あんまり品がねえのも困るが、いまは、一度心を潰しておく必要もあるからな。もっと、品のねえ言葉を使いな」

 

「だ、だから、わかっているじゃないか……」

 

 しかし、男たちはにやにやと笑うだけだ。

 石秀女は観念した。

 

「……お、おまんこ……」

 

「聞こえねえ」

 

「……お、おま……ん……こよ……」

 

「おまんこがどうした?」

 

 男のひとりが冷やかした。

 もう、痒みで頭の線が切れそうだ。

 もしかしたら、石秀女は涙を流しているのかもしれない。

 痒い。

 なにも考えられない。

 

「お、おまんこ、ほじって。あ、あんたらの肉棒で……あ、あたしのおまんこに、あんたらの精をたっぷりと注いで」

 

 石秀女は堪らず声を張りあげた。

 

 もう、だめだ。

 本当に狂う。

 男たちは大笑いした。

 そして、満足したようだ。

 お互いに青い顔で頷き合う。

 

「じゃあ、石秀女は檻の奥に行け。お前たちは外にいろ……。順番だ……」

 

 三人のうちの一番身体が大きい男が言った。

 石秀女は言われるままに、檻の出口に遠い壁にぴったりと背中をつけた。

 そのあいだも、怖ろしい痒みが襲い続けている。石秀女は身体を揺らして痒みを耐えなければならなかった。

 男が入ってくると、外にいるふたりがもう一度格子戸の鍵を錠前で閉めた。

 どうやら、ひとりずつ入ってきては石秀女を犯すようだ。

 いちいち鍵を閉めるのは、万が一にも石秀女が逃げ出さないようにという配慮だろう。

 

 しかし、もう石秀女には逃げ出す気はない。

 それよりも、この死ぬような痒みから逃れたい……。

 考えていたのはそれだけだ。

 こんなことになったのも時遷のせいだ。

 時遷が悪いのだ。

 石秀女は心の中で叫んだ。

 

「は、早く」

 

 石秀女は、男が石秀女に近づいて、貞操帯を小さな鍵で外しだすと、もう我慢できずに喚いた。

 

「そんなに慌てるなよ……」

 

 目の前の男が苦笑した。

 貞操帯が外れる。

 男がおもむろに下袴(かこ)をおろし始める。

 石秀女はもう抵抗する気力もなく、早く膣に性器を挿入してもらおうと思って、その場で脚を大きく開いた。

 

「い、入れて。も、もう、入れて。お、おまんこに」

 

 石秀女は悲鳴をあげた。

 

「まあ、慌てるなよ。先に両膝をこれで固定してからだ」

 

 男が笑いながら、格子戸の向こうに手を伸ばした。

 外側から一本の金属の棒が差し入れられる。長さは片腕を伸ばしたくらいであり、両端に二本ずつの革紐がついている。

 どうやら、それで膝を拘束して、股を閉じられなくするつもりのようだ。

 

 もうなんでもいい。

 とにかく、早く……。

 石秀女は股を開いたまま、男が石秀女に膝を革帯で繋ぎ終るのをいまや遅しと待ち望んだ。

 抵抗をするつもりはない。

 とにかく、石秀女は男たちが自分を犯すのを待ち望んだ。

 だが、そのとき、この部屋にあった燭台が不意に倒れた。

 この部屋にあった唯一の灯かりだ。 

 それが倒れて、突然に部屋が真っ暗闇になる。

 

「ん、なんだ?」

 

 眼の前の男の狼狽えた声が聞こえた。

 だが、これでも石秀女は諜報業を生業としている女だ。

 普段から闇夜に眼が使えるようには修練をしている。

 石秀女の朦朧としている視界に、廊下に繋がる扉が、音もなく人が入る幅だけ開いたのが映った。

 

 人影が入ってきた。

 ふたつ。

 そのうちのひとつがさっと動いて、檻の外にいるふたりの背後に寄ったのがわかった。

 部屋は真っ暗だ。

 石秀女と侵入してきた人影以外には、誰もなにも見えていないと思う。

 

「ぐあっ」

「うごっ」

 

 ふたりの男の悲鳴とともに、男たちの顎から奇妙な音が鳴った。

 顎だけではない。

 瞬く間に、男たちの手足の関節が外されて、その場に崩れ落ちた。

 ふたりが床に這いつくばったかたちになったときには、すでに意識がなくなっている。

 殺してはいないと思うが、どこかの急所を突いて気絶させたのだと思う。

 

 “そいつ”は、倒した男たちが持っていた石秀女が閉じ込められている檻に入る鍵をすでに手にしている。

 そいつが、素早く格子戸に寄って錠前を開く。

 

「だ、誰だ?」

 

 石秀女の前の男がやっと異変に気がついて叫び声をあげた。

 素早く立ちあがった石秀女は、男の首の後ろめがけて、思い切り踵を叩き落とした。

 

「おごっ」

 

 悲鳴は瞬時だけだ。

 格子戸から入って来ようとしていた人影に向かって、倒れていく大男の身体を蹴り飛ばした。

 そいつは、さっと避けて大男を避けた。

 意識のない男の身体が格子戸にぶつかって、大きな音を部屋に響かせる。

 

「よ、よくも……よくも……」

 

 石秀女は自分の声が怒りのために震えるのがわかった。

 同時に、それ以上立っていられなくなり、その場に尻もちをつく。

 

「なにすんだよ。それよりも、思ったよりも尻が軽い女なんだな。この男に犯される気が満々だったじゃねえか。必ず、助けに来ると言ったろう。痒み責めくらい少しは我慢しろよ、石秀女。もっと、余裕がある予定だったんだが、危機一髪じゃねえか」

 

 “そいつ”の顔は笑っている。

 それが石秀女の怒りの火に油を注いだ。

 

「あ、あんたに、この苦しみがわかるかい。う、うううっ。か、痒いああ、死ぬ。ああ、助けて……。じ、時遷、なんでもいい。助けて」

 

 石秀女は絶叫した。

 入ってきたのは時遷だ。

 それはすぐにわかっていた。

 時遷は全身を覆う袖のない外套のようなものを被っている。

 その時遷が石秀女の手を引っ張って、石秀女を檻の外に出した。

 逆に、床に伸びているふたりの男の身体を檻に放り入れる。

 そして、錠前をしっかりと閉じ直した。

 さらに、時遷は倒れていた燭台を起こすと、蝋燭に火を灯し直した。

 扉から入ったばかりのところの壁に張りつくようにしていたもうひとりの人影が露わになる。

 時遷と同じように頭から全身を隠す覆い付きの袖のない外套を覆っている。

 

 宋春だ。

 石秀女は、宴の会場で見世物の公開調教されたとき、命じられて石秀女を最初に責めた彼女を覚えていた。

 どうやら、すでに連れ出すことに成功はしたらしい。

 もっとも、ここから外に出ないことには、なんにもならないが……。

 

「宋春、そのままちょっと待ってくれ。このままじゃあ、俺の連れがおかしくなっちまう。すぐ済むからな」

 

 時遷が振り返った。

 

「は、はい……」

 

 宋春の少し怯えている感じの声が戻ってきた。

 

「……予定とはかなり違ったが、うまい具合にいった。お前を売り飛ばしたことで、連中もすっかりと油断してな……。俺を呆気なく、この地下の娼館に入れてくれたんだ。とにかく、よくやったぞ、石秀女」

 

 時遷がそう言いながら、石秀女の身体を仰向けに押し倒して両脚を抱えるようにしてくる。

 しかも、片手で下袴を提げて、自分の股間から一物を外に出していた。

 

「な、なにすんのよ?」

 

「なにするって、痒みを癒してやるに決まっているだろう。この連中が使ったのは特殊な道術薬でな……。男の精を受ければ、痒みは収まるはずだ。こいつらは、そうやって、ここの女を男の精なしでは生きていられないような身体に作り替えちまうのよ……。それに、こいつらは、最初の男がお前を犯したら、さらに強力な薬剤を塗るつもりだったんだぜ。危なかったな」

 

「な、なにが危なかったよ……。あ、あんたのせいで……」

 

 だが、悪態もそこまでだ。

 時遷が石秀女に股間に怒張を押したててきた。

 痒みが癒える気持ちよさで頭が真っ白になる。

 

「あぐううう」

 

 一気に貫かれた。

 もう、それでなにも考えられなくなる。

 

「あ、ああ、時遷──。ああああ──はああ──」

 

 発狂するような痒みが、時遷に股間をほじられたことですっと消えていく。

 天に昇るような快感とはまさにこのことだ。

 石秀女は派手に嬌声をあげていた。

 

「ば、ばか。声がでけえ。ここにいる用心坊たちが異変に気がついてやってきたら、どうするんだ」

 

 時遷が慌てたように、手で石秀女の口を塞いだ。

 だが、もう石秀女はなにも考えられない。

 全身の肉が蕩けるような快感で、まともな判断などできない。

 知覚できるのは、石秀女の股間を犯す時遷の肉棒の気持ちよさだけだ。

 時遷は少し乱暴に思えるくらいに、荒らしく石秀女の股を抉ってくる。

 いつも、閨ではいろいろな抱き方をする時遷だが今日は乱暴だ。

 だが、それがいい……。

 痛みともとれる激しさが、石秀女を襲っている痒みを癒してくれて、五体が痺れるような強い疼きとなって拡がる。

 

「んんんんっ」

 

 あっという間に絶頂に達した石秀女は、背中をのけ反って吠えた。

 時遷の手が覆ってなかったら、本当に吠えるような嬌声をあげていたかもしれない。

 

「だ、出すぞ。こ、これで痒みはなくなるはずだ……」

 

 時遷が顔をしかめた。

 身体の力が抜ける……。

 いろいろと言いたいことは山ほどあるが、石秀女の身体の上で時遷が本当に気を許す表情をするのに接すると、いつも、それがすっと消えてしまう。

 忌々しいが今回のことで文句をいうのはやめた。

 まあいい……。

 宋春という奴隷娘を見つけるという任務のために必要なことだったのだろう。

 時遷が石秀女の中で精を放ったのを悟った。

 石秀女はさらに熱いものが股間に満たされるのを感じた。

 

「大丈夫か……?」

 

 時遷が石秀女から離れる。

 

「はあ、はあ、はあ……」

 

 まだ荒い息をしている石秀女を時遷が強引に引き起こした。

 背中に回った時遷が、石秀女の後ろ手の拘束を外す。

 なにをどうしたのかは見えなかった。

 石秀女は痺れる腕を擦って、手の感覚を取り戻そうとした。

 その石秀女の身体に、時遷たちが身に着けているような身体を覆う袖のない外套が放り投げられた。

 

「悪いが呆けている暇はねえ、石秀女 。すぐに脱出しないとな。ここは地下の館だ。外に通じる出入口を塞がれてしまえば、袋の鼠になっちまう。騒ぎになる前に逃げるしかねえ」

 

 時遷はすでに扉のところに立っていた宋春の横にいる。

 石秀女も立ちあがって、しっかりと裸身を袖のない外套で包み、腰でぎゅっと帯を結ぶ。

 

「あ、あのう……。あ、あたしをここから助けてくれるという話みたいですけど、どういうことでしょう……?」

 

 宋春が遠慮がちに口にした。

 

「俺たちが何者かわからずに不安か、宋春? まあ、嫌だと言っても、無理矢理にさらっていくけどな。ここでの生活は終わりだ。北州都もな。お前さんは、一刻(約一時間)後には、すでに北州都から逃亡する旅の空にいる」

 

 時遷が覆いの下でにやりと微笑むのが見えた。

 

「い、嫌じゃありません。この地獄のような場所から抜け出させてくれるのなら、どこでもいきます。でも、これが……」

 

 宋春が首にある金属の輪に触れた。

 奴隷の首環だ。

 宋春は正式の手続きが踏まれた奴隷身分である。宋春の首にある首輪は、宋春の自由意思を奪い、「主人」として刻まれた相手への服従を肉体に強要するだけでなく、絶対の逃亡防止具でもある。

 宋春がこの城郭から外に出て一日もすれば、首輪にかかってい道術の影響によって首輪が絞まってしまうのだ。そして、宋春は死ぬ。

 そういう仕掛けになっているはずだ。

 奴隷にはそれに対する絶対の恐怖も刻まれている。

 

「問題ない。俺たちの仲間が外で待機している。変わり者の女医だが、道術のかかった支配の首輪を外せる力があるんだ。この前、生辰綱(せいしんこう)とともに帝都に運ばれかけていた性奴隷たちも、そいつが全部首輪を外して連れていったんだぜ」

 

「まあ、あの生辰綱の……? ここで飼われていたあたしの仲間も、その中にいたのです。求めに応じて、ここのご主人様が州政府に売ったので……。でも、盗賊たちに、全員、酷く殺されたという噂ですが……」

 

「殺されたものかい。お前さんがこれから行く場所で暮らしているよ。慣れない百姓仕事とかしているんで、そういう意味では苦労しているみたいだが、全員、亭主のところでそれなりに幸せにやっているようだ」

 

 生辰綱というのは、ここの北州知事から帝都の宰相に贈ろうとした賄賂のことで、宰相の誕生日にかこつけた金両十万枚と十人の性奴隷の贈り物だ。

 少し前に、東渓村(とうけいそん)晁公子(ちょうこうし)呉瑶麗(ごようれい)たちが、それを奪い取っている。

 かなり、有名な事件になっているから、こんな閉じ込められた娼館にいた宋春でさえも耳にしていたようだ。

 

「ほ、本当ですか?」

 

 宋春が目を丸くしている。

 

「宋春、話は後よ。逃げてしまえば、いくらでも話はできる。あたしたちは、あんたを宋万(そうまん)殿に遭わせるために連れていくのよ」

 

 石秀女は素早く言った。

 そして、廊下に飛び出す扉に張りつく。

 

「そ、宋万兄様が? い、生きているんですか? し、死んだと教えられましたけど?」

 

「生きているよ。あんたのことはずっと気にかけていたようだが、まさか、被虐娼婦なんていうものにさせられて、苦労しているとは知らなかったようだ。とにかく、話は石秀女の言うとおりに後だ」

 

 時遷が宋春にそう言ったのが聞こえた。

 かすかに開いている外を覗く。

 そこでは三人の見張りが倒れていた。

 時遷の仕事に違いない。

 石秀女は飛び出して、倒れている見張りから素早く短剣を奪った。

 時遷が宋春と引っ張って廊下に出てきた。

 

「い、行きます。兄のところに連れて行って。お願いです。どうか」

 

 廊下に出てきた宋春は言った。

 

「わかっているよ。石秀女、宋春を頼む」

 

 時遷が宋春を押し寄越す。

 石秀女はしっかりと宋春の腕を掴んだ。

 

「とにかく、全力で駆けて、宋春。それだけよ」

 

「はい」

 

 宋春が元気な返事をした。

 時遷が駆け出す。

 廊下には誰もいない。

 すぐに門を思わせる扉の前に着いた。

 そこには三人の屈強そうな男たちがいた。

 

「な、なんだ?」

 

「おい、どこに行くんだ? お前たちはなんだ?」

 

 三人がびっくりした声で叫んだ。

 しかし、そのときには時遷が飛び出している。

 石秀女も出た。

 短剣でひとりの男の喉笛を掻き斬る。

 血飛沫をあげて、目の前の男が倒れた。

 残りのふたりは時遷が始末していて床に倒れている。

 

「無暗に殺生するんじゃねえよ、石秀女」

 

 時遷が苦虫を潰したような顔をしている。

 

「あんたがあたしにやったことを、こいつらで憂さを晴らしているのよ。ありがたく思ってよ」

 

 石秀女はうそぶいた。

 時遷が倒れている男から鍵を奪い、扉を開く。

 扉の向こうは、薄暗い地下道だ。

 時遷が進み、石秀女も呆然としている宋春を引っ張って外に出る。

 しばらく駆けた。

 やがて、横に小さな階段がある場所に出た。

 

 駆けあがる。

 どこかの商屋の納屋のようだ。

 そこにも三人ほどの男がいたが、なにかの薬を飲まされたらしく、完全に眠っていた。

 

 納屋の外に出る。

 木々の植えられた庭園になっていた。

 時遷が口笛を鳴らした。

 美しい鳥の声そのものが鳴り響く。

 どこかに合図を送ったに違いない。

 

 外は明るい。

 陽は中天を西に少しだけ傾けたくらいの頃だ。

 中庭からは垣根までは、誰にも見つからずに外に出ることができた。

 庭の外は北州都の西通りだ。

 結構な人通りがあり、さまざまな商家が軒を連ねている。

 

 だが、眼の前を一台の馬車が通りかかって、視界を塞いだ。

 時遷が物もいわずに、ゆっくりと動き去るその馬車の戸を開いて乗り込んだ。

 石秀女と宋春も続く。

 そのまま馬車は動き続けている。

 

「どっちが奴隷? ああ、こっちね。ちょっと待ってね」

 

 中には小太りの色黒の女がいた。

 こいつが安女金(あんじょきん)という女医だろう。

 話には聞いていたが、顔を見るのは初めてだ。

 今回のことで、わざわざ北州都までやってきてもらったのだ。

 安女金もまたお尋ね者の身で危険なのだが、時遷の手配でやって来ることになっていた。

 どうやら、うまく北州都に潜り込めたようだ。

 しかし、石秀女が聞いていたところでは、北州都までやってくることについて、かなり渋っていたみたいだが、うまく説得もできたようだ。

 安女金の腕が青く光る。

 呆気ないくらいに簡単に宋春の首輪が外れた。

 宋春は驚いている。

 

「そこにある服に着替えてください。このまま北州都の外に出ます。この美玉商会の紋章のある馬車なら、城門で中を改められることもないと思いますが、念のためです」

 

 馭者台から声がした。

 燕青(えいせい)だった。

 その言葉の通り、馬車の床に葛籠(つづら)があり、開くと女物の服が幾つか準備されている。

 ちゃんと下着まである。

 石秀女は馬車の中で立ちあがると、袖のない外套を脱いで素裸になった。

 

「おいおい、せっかくの美女の生着替えだ。もう少し風情のある脱ぎ方をしてくれよ」

 

 すでに悠然と椅子に座っている時遷がからかうように言った。

 

「なにが風情よ。性奴隷にして売り飛ばすというなら、最初から言いなさいよ、時遷。任務のためなら身体だって売るし、多少の拷問でも調教でも耐えてみせるわ。だけど、黙って罠に嵌めるような真似はもうやめて」

 

 石秀女は下着を身につけながら言った。

 股間も碌に拭かずにここまできたので、本当は身体を洗ってから服を着たいのだが、そんな贅沢は言えないだろう。

 

「おいおい、罠に嵌めたなんて、ひでえなあ。まあ、謝るよ。機嫌直してくれ。今度、旨いものでも食わせるから」

 

「本当? だったら、あんたの手料理を食べさせてよ。それなら許してあげるわ」

 

 石秀女は言った。

 時遷は忍びの術に長けているだけでなく、料理の腕も一流なのだ。ほかにもいろいろとできるが、特に料理は最高だ。

 石秀女はすでに服を着ている。あとは、ちょっと乱れた髪を直すだけだ。

 宋春も、もうすぐ服を着替え終るようだ。

 

「わかった。わかった。約束するよ。どうせ、このまま、一度は東渓村に入る。そこで、腕によりをかけて、ご馳走するよ」

 

 時遷が笑った。

 

「よし、許す」

 

 石秀女は時遷の顔に拳を突きつけて、にっこりと笑った。そして、時遷の横にどっかりと腰を下ろす。

 宋春は、安女金の腰かけている後ろ側の席だ。

 

美玉(びぎょく)殿には挨拶なしになったが、よろしく頼むぜ、燕青」

 

 時遷が馭者台に向かって声をかけた。

 

「承知しました……。ところで、そろそろ城門です。お静かに願います……」

 

 燕青が言った。

 その言葉の通りに、馬車は衛兵の一団のいる城門に差し掛かった。

 だが、ほとんど停まるか、停まらないかという呆気なさで、馬車は城門の外に出ることに成功していた。

 

「少し進んでからは歩きになる、宋春。しかし、夕方には青竜河に通じる支流に着く。そこで、また仲間が待っていて、船に乗り換える」

 

 時遷が後ろを振り向いて言った。

 

「その先に、兄様がいるのですか?」

 

 宋春が言った。

 

「兄さんにはできるだけ早く会えるように段取りはつけるよ……。まあ、ゆっくりと説明するさ」

 

 時遷は言った。

 梁山泊(りょうざんぱく)で第二位の地位にあり、実質的に賊徒の軍を掌握している宋万を白巾賊(はくきんぞく)に引き入れるために仕組んだのが、今回の宋春救出だ。

 指示は梁山泊に潜入している呉瑶麗という女傑であり、それを時遷と石秀女が中心となってやったのだ。

 

 とにかく、成功した。

 数日後には、宋春を梁山湖に近い東渓村の隠し里に連れていけると思う。

 これで宋万は、梁山泊の首領である王倫(おうりん)を裏切って、呉瑶麗の味方になってくれるのだろうか……。

 まあ、なるのだろう。

 呉瑶麗は、宋万を引き込むために、さらに幾つかの策を弄している気配もあるし、そうであれば、晁公子の掲げる叛乱の旗があの湖塞に揚がるのも、そんなに先のことではないのかもしれない。

 石秀女は思った。

 

「それよりも、あんた」

 

 突然に安女金が声をかけてきた。

 

「な、なに? ああ、そうだ。あたしは石秀女よ。初めまして。この時遷の相棒で、あんたらの仲間よ。よろしくね」

 

 石秀女は後ろの席にいる安女金に言った。

 

「あんたのことは時遷からも、晁公子からも聞いているわ……。ところで、さっき見たけど、いい身体しているわよねえ……。このところ、呉瑶麗もいなくなって退屈しているのよね。東渓村に戻ったら愉しみにしてるわね。極楽に連れて行ってあげるわ……。まあ、地獄かもしれないけど」

 

 安女金はにやにやとした笑みを浮かべて言った。

 

「な、なに? 東渓村でなんなの? なにを言っているの?」

 

 石秀女は当惑して言った。

 

「悪いな、石秀女。ひと晩だけだ。この女医と付き合ってやってくれ。今回のことで取り引きでな……。この女とお前がひと晩だけ、閨の付き合いをすることになっている。よろしく頼む。それが、この安女金が北州都までやってきて、俺たちの仕事に協力する条件だったんだ」

 

 時遷が悪びれた様子もなく言った。

 石秀女はびっくりした。

 

「な、なにが閨よ。じょ、冗談じゃないわ。そ、それにあたしは女よ。閨の付き合いなんて、あんたがしなさいよ、時遷」

 

 石秀女は怒鳴った。

 

「あたしは男には興味はないのよ……。興味があるのは、女だけ……。しかも、あんたみたいに、元気な女の子は大好物よ」

 

 安女金が意味ありげに笑った。

 石秀女は薄気味悪いものを感じて、思わず両手で身体を抱きしめてしまった。



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第25話  李師師の女たち
83  白勝(はくしょう)、賭場で美女に誘惑される


 胴元が振ったさいころは、目の前の台を転がり、五と四の目を出した。

 数字は九。

 最初のさいころの振りで決められた「勝ち数」は六だったので、今度の勝負も流れて、次のさいころ振りに持ち越しだ。

 さいころは再び白勝(はくしょう)に回ってきた。

 

「今度こそ、負けを取り返してやるぜ」

 

 白勝は眼の前に放り投げられたふたつのさいころをひったくるように掴んだ。

 周りの見物人たちの掛け声に熱いものが混じるのがわかった。

 

 当然だ。

 彼らのほとんどは、親役の胴元が勝つか、子側の白勝が勝つか賭け金を張っているのだ。

 今度の勝負は、胴元も白勝も、最初に決められた勝ち数を二個のさいころの目で出すことができずに七回流れている。

 一回流れるごとに、見物人が張った側が勝った場合に胴元が見物人たちに支払う勝ち札は増える仕組みだ。

 当然に熱も入るというものだ。

 もっとも、彼らのほとんどは、白勝の負けに賭けている。

 だから、彼らの期待は白勝が負けることを望んでいる。

 白勝としては、面白いことではないが、この賭博場では、白勝は「博打下手の博打好き」で有名な「かも」であることは、白勝自身が知っているし、仕方がないとは思う。

 

 だが、いつもいつも期待通りになるとは限らない。

 このところ、白勝は運に恵まれている。

 あの「生辰綱(せいしんこう)事件」以来ずっとだ。

 

 生辰綱事件──。

 北州都知事の梁世傑(りょうせいけつ)から、帝都にいる宰相の蔡京(さいけい)に渡されるはずだった金両十万枚を、やはり贈答用の十数名の性奴隷の美姫とともに、まんまと数名の盗賊が騙し奪ったという事件だ。

 世間では賄賂になるはずだった莫大な財貨を奪った義賊だと拍手喝采だ。

 

 しかも、大勢の賊徒で徒党を組んで奪ったのではない。

 たった六名の男女で北州軍の精鋭二百人を騙し、痺れ薬入りの水を飲ませて、それで白昼堂々と金両と美姫を運び去ったのだ。

 ひとりも殺すことなく……。

 それが、世間の評判をいやが応にもあげている。

 そして、その犯人はまだ捕まっていない。

 無論、奪われた財も発見されぬままだ。

 

 はびこる盗賊と重い税──。

 賄賂が横行して、正直者がなにひとつ浮かばれない暗い世間において、久しぶりの小気味のいい事件だと、いまでも人の口の葉に乗り続けている。

 誰がやったのだという噂で、白勝の周りもまだまだ大きな賑わいだ。

 

 白勝の営む宿屋……。

 酒場……。

 この賭博場でもそうだ。

 いまでも、あの義賊は何者だったのだろうという話題が出ない日はない。

 しかし、その義賊のひとりが白勝なのだ。

 つまりは、この白勝が!世間でもすっかりと有名になった、あの生辰綱事件を引き起こした「義賊」のひとりということだ。

 その事実は、白勝に、心が震えるような充実感を与え続けていた。

 

 もっとも、白勝は、あのときに生辰綱を奪った男女の仲間だというわけではない。

 白勝が知っているのは、あの生辰綱強奪を企てた一味のひとりであり、博打打ちとして以前からの知り合いだった劉唐姫(りゅうとうき)という赤毛の美人だけであるし、白勝の役割は、ただ、彼らが生辰綱を奪うための拠点として白勝の経営する旅館を貸すことと、輸送指揮官を罠に嵌めるための芝居に加わったということのみだ。

 彼らが一体全体、どういう仲間であるのかということも知らないし、そもそも、彼らがどこからやってきた一味なのかということはわからない。

 知り合いだった劉唐姫でさえ、以前から見知っていた旅の女だということを承知しているだけだ。

 また、彼らが奪った荷と女を船で運んだことは知っているが、それから、どこに向かったのかも知らない。

 

 生辰綱を奪って逃げる途中で、約束の分け前をもらって彼女たちとは別れた。

 それきり連絡もないし、連絡の手段もない。

 そして、白勝には、あの強奪事件などなにもなかったかのように、以前のような平凡な日々が戻ってきていた。

 

 それだけだ──。

 だが、なにかが変わった。

 それは間違いない。

 好きな博打もそうだ。

 博打場にやってきては、有り金残らず失うということが当たり前だったのに、あの事件以降、十回は賭博場に通ったが、それぞれの日において勝ったり負けたりを繰り返しながら、最後には勝って終わるということが続いている。

 

 つまりは、ついているのだ。

 それに、多少負けたところで、白勝の宿屋の裏庭には、あのときに、もらった多額の分け前が隠してあるし、もはや、生活にも、博打の元手にも困ることはない。

 実際、分け前のうち、手のつけることのできる金については、かなり博打につぎ込んでいる。

 それはまだ、目減りしていないので、まだまだ賭博の元手に困ることはない。

 それが白勝に心の余裕を与えているのかもしれない。

 いずれにしても、それまでは、ちっともいいことなどなかった白勝のくずのような人生に、やっと転機がやってきたのだと思っている。

 

 白勝は手の中のさいころをぐっと握った。

 この賭博場でやっているのは、“あざる”という賭博だ。

 やり方は難しくなく、使うのは二個のさいころだ。

 基本的には、ひとつの勝負ごとに、親の胴元と子の賭け者の一対一で行う。

 まずは、子が、勝負の「勝ち点」を決めるために最初のさいころを振る。

 このときに、ふたつの目の合計が、“七”か“十一”であれば、子の賭けた賭け金の三倍をもらい、子の一発勝ちとなる。

 だが、それ以外の目の場合は、その合計の数字が勝負を決める「勝ち点」となる。

 あとは、親と子が交互にさいころを振り、同じ勝ち点が早く出た側が勝ちになるという遊びだ。

 また、それを見物する者は、親が勝つという方にも、子が勝つという方にも、好きな方に好きな額の金を賭けることもできる。

 白勝以外の者たちが熱くなっているのは、そっちの勝負だ。

 

「それ──」

 

 白勝は握っていたさいころを台に放った。

 一と五の“六”。

 白勝の勝ちだ──。

 

「やったぜ──。俺の勝ちだ。ほら見ろ──。このところ、俺はつきにつきまくっているんだ。最後には絶対に勝つことになってんだ。ざまあみやがれ──」

 

 白勝は声をあげた。

 胴元の勝ちに賭けていた者たちから、一斉に失望のどよめきが起こったが知ったことじゃない。

 白勝は、無表情のまま胴元が白勝に押しやった勝ち札を集めた。

 これで今日の負けの分を取り戻して、少しだけ儲けたくらいになった。

 まあ、これくらいが潮時だろう。

 白勝は、さいころを次の者に渡して、賭博場を立ち去る支度をした。

 

「あら、もう帰るの? もったいないわよ。あんたの運はたったいま上向きになったところよ。あと一勝負した方がいいわ。それで終わり──。ねえ、もう一勝負までしていきなさい」

 

 そのとき、横にいた者が白勝に向かって口を開いた。

 声の方向に視線を向けると、それはひとりの若い女だった。

 この賭博場には、頻繁に通っている白勝だが、一度も見たことがない顔だ。

 絶世の美女というほどではないが、かなりの綺麗な顔立ちをしている。

 なんとなく、こんな賭博場にやってくる女にしては、珍しい気品のようなものを感じた。

 

「誰だい、あんた?」

 

 白勝は訊ねた。

 

呂盛(りょせい)という旅の女よ。あんたのおかげで、たったいま、結構儲けさせてもらったところよ。ねえ、もう一度、賭けてよ。今度もあんたの勝ちに賭けるわ。そして、儲けたいのよ。お願いよ。もう一度だけ勝負して」

 

 呂盛がにっこりと微笑んだ。

 ふと見ると、呂盛の手元にはいま手に入れたばかりらしい勝ち札の束がある。

 白勝が持っているものもそうだが、これを出口の外にある引換所で現金と交換してもらうのだ。

 とにかく、この呂盛という女は、ほかの者とは違い、白勝の勝ちに賭けていたようだ。

 

 白勝は、若くて綺麗な女に、向こうから声をかけてもらえたということに心が浮き立った。

 ましてや、その女が白勝の勝ちに賭けたというのが嬉しかった。

 なにしろ、白勝は、この博打場では有名な博打下手だ。

 このところ、人が変わったように「ついている」のだが、それを認めてくれた最初の女がこの女だ。

 

「俺がもう一勝負しても、必ず勝つとは限らないぞ。勝つときもあれば、負けるときもある。それが博打だ。」

 

 しかし、白勝はうそぶいた。

 そのとき、白勝の前の台の周りでわっと歓声があがった。

 白勝の次の賭け者と胴元との勝負が終わったのだ。

 今度は胴元が勝ったようだ。

 この台に集まっている賭け者は白勝を含めて三人であり、その三人で交互に胴元との勝負を続けている。

 白勝がどけば、誰かが代わるとは思うが、とりあえず、まだ白勝は賭け者の席に座っていた。

 いまのは、白勝の次の賭け者の勝負が終わったことによる声だ。

 

「あんたは勝つわ。見ればわかるのよ。あんたには、ほかの男のように、がっついたところがない。なんとなく、この勝負に負けたところで、どうという事ないという顔をしている。賭けの女神は、そんな男になびくのよ──。それに、あんたには、女神以上の幸運の守り神がついているわ」

 

「幸運の守り神?」

 

「わたしよ──。わたしは幸運の女なのよ。勝利のおまじないをしてあげる」

 

 いきなりだった。

 呂盛が白勝の首に両手を回して、口づけをしてきたのだ。

 驚く白勝を力強く抱きしめて、呂盛は白勝の口に舌を差し入れてくる。

 しかも、たっぷりの唾液とともに、白勝の口腔を舐め回してきた。

 

 白勝はあまりの積極的な呂盛の口づけに呆然とする思いだった。

 呂盛の口づけは、単なる接吻ではない。

 性行為そのものだ。

 呂盛は自分の舌を先端を中心に円を描くように、白勝の舌に擦りつけてくる。

 さらに、舌先で白勝の舌の裏側を舐め回しては、自分の口に吸い込み、顔を前後させて出し入れしたりする。

 これほどの口づけは、白勝も経験はなかった。

 かなりの長い時間、接吻は続いたが、やっと白勝と唇を合わせていた呂盛がやっと顔を離した。

 

「さあ、これであんたは勝つわ。そして、わたしはあんたの勝ちに賭ける。ふたりで儲けたら、わたしが泊まっている宿屋に行きましょう。続きをしてあげるわ。わたしが泊まっている宿屋の部屋は二人部屋なのよ。だけど、今夜はわたしひとりしかいないのよ」

 

 呂盛が、いまだに白勝の首に両手を回したまま、ささやいた。そのころには、さすがに周りの男たちが、白勝と呂盛の猛烈な口づけにざわめきを発し始めていた。

 

「……あ、あんた商売女か?」

 

 思わず、白勝は言った。

 すると、呂盛がけらけらと笑った。

 

「馬鹿ねえ……あんたからはお金を取ったりしないわよ。あんたの勝ちで儲けさせてもらうつもりだしね。だから、むしろ、わたしがあげてもいい。わたしをいい気持にしてくれたらだけどね」

 

「い、いい気持ち──?」

 

 思わず、白勝は訊き返してしまった。

 すると、呂盛がさらに笑った。

 

「まさか、あんた、童貞ということはないわよねえ。なにをそんなに驚いているの? それよりも、あんたの番よ──。わたしのとっておきのおまじないをあげたから絶対にあんたの勝ちよ。これを賭けの前にしてあげた男で、いままでに勝負に負けた男はいないわ。さあ、さいころを振りなさい。わたしはあんたに賭けるから」

 

 呂盛に促されて、白勝は目の前の賭け台に意識を戻した。

 確かに、続いて行われた勝負も終わり、再びさいころが白勝の前に回ってきたところだった。

 すると、呂盛は、さっき手に入れたばかりの勝ち札も含めて、持っていた有り金すべてを白勝の勝ちに予想する場所に置いた。

 それを見て、ほかの者もそれぞれに賭け始める。

 今度は呂盛のほかにも、白勝の勝ちに賭ける者もちらほら増えた。

 ただ、やはり、白勝の負けに賭ける者の方が多い。

 

「よ、よし、勝負だ──」

 

 白勝はさいころを掴むと、台の上に振った。

 出目は、三と四の“七”──。

 胴元が振るまでもなく、子の白勝の一発勝ちが決まった。

 

「きゃあ──。やったあ──。やっぱり、あんたは最高──。あんたは女の子宮を震えさせる男よ──」

 

 興奮した様子の呂盛が、奇声をあげて白勝に抱きついてきた。

 

 

 *

 

 

 呂盛に招かれて、ふたりだけで、呂盛の取ったという宿屋の部屋に入ると、すぐに呂盛が白勝の前に跪いてきた。

 

「待って」

 

 呂盛は慣れた手つきで、白勝の腰の紐を緩めると、麻の下袴(かこ)をさげて、股布を解き取った。

 積極的な美女を前にして、すでに白勝の一物は天井を向いて、堂々とそそり勃っている。

 

「素敵なお道具だわ」

 

 呂盛は片手を白勝の腿に回して、もう一方の手を硬直した白勝の幹に添わせてきた。

 そして、すぐに大きく口を開いて、白勝の怒張を舐めあげてきた。

 

「う、うう」

 

 指と連携した呂盛の熱い舌遣いに、白勝は思わず身体を震わせた。

 その呂盛の舌が白勝の男根を含み続け、先端から亀頭の部分にかけた部分をしつこいくらいに動き回ったかと思うと、白勝の男根の先端から滲み出てきた樹液をちろちろとすくいあげてくる。

 

 確かに商売女ではない。

 白勝は、それを感じた。

 大した技巧とはいえないのだ。

 商売女には男を楽にいかせるために、口の技に長けた者が多い。

 女といえば、娼婦で済ませている白勝は、幾度となく彼女たちに口の奉仕をさせたことがある。

 それに比べれば、大した技術ではない。

 だが、そのことが、白勝に与える衝撃を増大させていた。

 

 たったいま出会ったばかりの美女が、賭場で儲けさせてくれた礼だといって、こんなにも積極的な行為をしてくれるのだ。

 しかも、この女は、随分と性に開放的な性質のようだが、男に身体を売って生計を立てないとならないような生活をしているわけでもなさそうだ。

 それが、今夜は白勝と一夜限りの恋がしたいからと、向こうから誘ってきたのだ。

 こんなことが現実にあっていいものだろうか?

 呂盛は、かなりの美女だ。

 白勝の興奮はかなりのものになっていた。

 実際、単調な奉仕にも関わらず、白勝は早くも頂上近くに追い込まれていた。

 

「ま、待ってくれ……。で、出そうだ」

 

 白勝は、腿の後ろにかかっている呂盛の腕を掴みながら言った。

 呂盛は憑りつかれたように口吻をしている。放っておけば、いつまでもこれを続けそうな勢いだ。

 

「……いいのよ。そのまま、出して……。一度出していいのよ。そっちの方が長くあたしを愉しめるでしょう」

 

 呂盛が一度口を離して、くすくすと笑った。

 だが、すぐに口いっぱいに、白勝の性器を含み直してくる。

 さらに顔全体で大きく上下するようにして、口の内側の肉を使い刺激を加えてきた。

 舌に加わるその粘膜が気持ちがいい……。

 白勝の身体に峻烈な衝撃が襲う。

 

 次の瞬間、白勝の幹は、呂盛の喉元に劣情の樹液を放っていた。

 それでも呂盛は、白勝の股間から口を離さなかった。

 顔を紅潮させて、放出する白勝の精を吸い続ける。

 やがて、白勝の幹は萎え始めた。

 すると、やっと顔を引いて、呂盛は口の中の白勝の精を飲み干す仕草をした。

 

「……素敵な精をご馳走様……。さあ、続きをしましょう……。でも、出したばかりじゃあ、少し回復するのに時間がかかるのかしら……。それまで、少し遊びましょうよ」

 

「いや、あんたのような美人が相手なんだ。続けて二度でも三度でもできるさ」

 

 白勝は言った。

 本心だった。

 その証拠に放出したばかりだというのに、白勝の一物はゆっくりと復活の兆しを示している。

 

「いいから、後ろを向いて」

 

 呂盛はなにか悪戯でも企んでいるような笑みを浮かべると、足首に留まったままだった白勝の下袴と下着を白勝の足首から抜いて、横の椅子にかける。

 白勝は下半身が裸の格好になった。

 次に、呂盛自身も服を脱いで下着姿になる。脱いだ服は、白勝の下袴をかけた椅子の背にそのままかけている。

 

「さあ、後ろを向いて」

 

 呂盛がもう一度言って、白勝を呂盛の反対側に向けた。その口元には、堪えられない笑いを我慢するような表情が浮かんでいる。

 

「なにをするんだい?」

 

「いいから、いいから……。手は後ろよ」

 

 呂盛は言った。

 

「はいはい……」

 

 白勝は苦笑しながら、素直に両手を背後に回した。

 すると、いきなり手首に固いものが嵌められた。

 

「お、おい、なんだ──?」

 

 慌てて、手を引こうとしたが遅かった。

 嵌められたのは手錠だった。

 しかも、素早く動いた呂盛は、さらに白勝の足首にも鎖が繋がった足枷を嵌めてしまった。

 

「じょ、冗談じゃない。俺にはこんな趣味なんてないぞ──」

 

 白勝は叫んで、不自由な足でなんとか、呂盛に向かって振り返った。

 

「もちろん、わたしも冗談じゃないわ……。そして、わたしにも、こんな趣味なんてないしね」

 

 呂盛は平然と答えた。

 その表情からは、これまでに浮かんでいた笑みが完全に消滅している。

 なにか不気味なものを感じて、白勝は背に冷たいものが走るのがわかった。

 

「……とりあえず、あんたには訊きたいことがあるわ。もうすぐ、わたしの仲間もやってくる。それまで、ここにいて──。あんたの仲間がどこにいるかがわからないうちに派手に動きたくなかったから、こんな凝ったことをして捕えさせてもらったというわけよ」

 

「捕らえた?」

 

 白勝は耳を疑った。

 

「けど、とりあえず、女と性交をするために、堂々とここに入ったんだから、いくらなんでも、あんたの仲間も、ここであんたが訊問をされているとは思わないでしょう」

 

 呂盛が言った。

 

「じ、訊問?」

 

 白勝はびっくりした。

 すると、呂盛が脱いだばかりの自分の服に手を伸ばして、服の内側からなにかを取り出して床に放った。

 今度こそ、本当に驚愕した。

 

 それは、一枚の金両だった。

 しかも、生辰綱強奪のときに奪った金両そのものであり、金両の表面に宰相の誕生日を祝う言葉が刻まれている。

 

「……これはあんたの家の庭に埋まっていたものの一部よ。急に派手な賭け事を始めたあんたを怪しいと睨んだわたしたちが、こっそりとあんたの家を探して見つけたものよ。さあ、これをどこで手に入れたのかを喋ってもらうわ」

 

 呂盛がにやりと笑った。

 なにがなんだか、さっぱりわからないが、この女はただの行きずりの女ではないようだ。

 なにかの目的があって白勝に近づいた……。

 それがやっとわかった。

 

 逃げなければ……。

 白勝はやっと、それに思い当り、とっさに呂盛に背を向けて、外に出る扉に向かった。

 しかし、両手首と両足首に枷を嵌められた状態では逃げることなどままならない。

 

 案の定、呂盛がくすくすと笑いながら、簡単に白勝に追いつき、白勝の顔をがっしりと後ろから両手で掴んでしまう。

 

「どこに行くの、白勝? わたしと朝までここで過ごしましょうよ」

 

 呂盛は女とは思えないような強い力で、白勝の鼻を口を両手で塞いできた。

 白勝は悲鳴をあげそうになった。

 だが、呂盛の手はしっかりと白勝の口を覆っている。

 しかも、白勝の鼻の穴は呂盛の手がしっかりと塞いでもいる。

 息をすることができない……。

 白勝は、必死になって呂盛の手を振りほどこうとした。

 

 だが、無理だ……。

 細い女の腕に、どうしてこんなに力があるのだろうと思うくらいに、白勝はしっかりと呂盛に、がっしりと顔を押さえつけられていた。

 もがき続ける白勝に対して、呂盛がくすくすと笑った。

 

「……無駄よ。いくらなんでも、こうやって拘束までしたのだから、女のわたしでもあなたを捕まえていられる……。逃げられはしないわよ……。とにかく、訊ねたいことを喋ってもらうまで殺しはしないわ」

 

「んんんっ」

 

 白勝は必死に呂盛の手を振り払おうとした。だがびくともしない。

 息ができなくて、だんだんと身体が脱力していく。

 死ぬ……。

 

「ただ、大人しくしてもらいたいから、姉さんが帰ってくるまで気絶して欲しいだけよ。姉さんが戻ったら、本格的な拷問をするわ……。多分、明日の朝までには、あんたは知っていることを洗いざらい話してくれると思うけどね……」

 

 呂盛が笑いながら、白勝の耳元に向かってささやいてくる。

 一方で、だんだんと苦しくなる呼吸に、白勝の意識はどろりとしたものに包まれていった。

 

 

 *

 

 

「……簡単には死なせないわよ、白勝」

 

 女の声がした。

 目を開けると、女がふたり、白勝を見おろしていた。

 白勝は寝台に横たわっているようだった。

 身体を起こそうとして、手首と足首が革紐で寝台の四隅に繋げられていることがわかった。

 

「んんんっ」

 

 驚いて声をあげたが、口の中に詰め物をされて、それが外に出ないように革紐を噛まされている。

 これはいったい、どういう状況なんだ──?

 白勝は恐怖に襲われた。

 

 そして、懸命に記憶を思い起こした。

 やっと女のひとりが呂盛という賭場で会った女だということを思い出した。

 この女と賭場で意気投合して、この部屋で愛し合うという話になった。だが、行為の途中で、この女に手枷と足枷を嵌められて捕まり、生辰綱事件で分け前としてもらった金両を突きつけられたのだ。

 呂盛が主張するには、その金両は白勝が営む宿屋の裏庭に隠して埋めていたものを、ひそかに掘り起こして見つけたものらしい。

 危険なものを感じて、慌てて逃亡しようとした。

 だが、その呂盛から背後から口と鼻を塞がれて、息ができなくなった。

 覚えているのはそれだけだ。

 

 おそらく、あのまま気を失ったのだろう。

 そして、眼が覚めたら、こうやって寝台に拘束され直していたというわけだ。

 もうひとりの女は知らない。

 呂盛と顔立ちが似ている気がするが、この状況を愉しむようににこにことしている呂盛に対して、無表情で厳しい表情をしている。

 

 いずれにしても、この女ふたりは何者なのか……?

 生辰綱事件を調べている女役人?

 そんな気がした。

 そして、はっとした。

 白勝は裸だ。

 気絶するときには、下袴と股布を身に着けていなかったが、いまは完全な素裸だ。

 

「白勝、この金両はあなたの宿屋の庭からひそかに掘り起こしたものよ。全部で数千枚ほどあったけど、数枚だけ抜いて戻しておいたわ。だけど、北州軍の輸送隊から盗賊が盗んだ金両は十万枚よ。残りがどこにあるか知っているわね?」

 

 呂盛が寝台の上にあがり込んで、大きく開いている白勝の股のあいだに胡坐に座った。呂盛は白勝を気絶させたときと同じで、股布一枚で乳房も剥き出しにした半裸の姿だ。

 もうひとりの女はどこにでもいるような市井の女の服装をしている。

 そいつは、部屋の隅から椅子を持ち出してきて、寝台の横に腰かけた。

 

「白勝、この金両について知っているわね?」

 

 呂盛ではなく、寝台の横に置いた椅子に座っている女が訊ねた。

 

 白勝は、顔を横に曲げて、その女を見た。

 無表情で眼に感情がない。

 全裸の白勝の股の前に座っている呂盛が愉しそうな表情をしているのと、まったくの正反対だ。

 

「はあ、はあ……」

 

 とにかく、白勝は喘ぎ声はあげたものの、なにも喋ることなく黙っていた。

 どういう風に答えればいいか迷ったのだ。

 すると、呂盛は予告なく、白勝の股に手を伸ばして、力いっぱいに片側の睾丸を握りしめた。

 

「ぐああああ──」

 

 この世のものとは思えない激痛が全身を貫いた。

 しかし、すぐに呂盛が横腹に強い殴打を叩き込んだ。

 それにより息がとまり、悲鳴が出せなくなった。

 睾丸を痛めつけられた痛みはしばらく収まらなかったが、そのあいだ、口からは風が漏れるような音が出るだけで一切の声が出せなかった。

 やがて、股の痛みはひと段落ついた。

 だがやはり、口からは乾いた喘ぎ声のようなものしか出せなくなっていた。

 

「大きな声を出せなくしただけよ。少しずつ息をしなさい。そうすれば喋れるわ。とにかく、質問には必ず返事をするのよ。うまく喋れないのなら、肯くか、首を振るかでもいいわ」

 

 呂盛が言った。

 白勝は慌てて、首を大きく縦に振った。

 呂盛がまだ握ったままの白勝の睾丸に少しだけ指をめり込ませたのだ。

 

「や、やめろ……。な、なんでも話す……」

 

 やっと声が出た。

 だが、思い切り叫んだつもりだったが、口から出たのはささやくような小さな声でしかない。

 とにかく、口に入ってくる息が小さすぎる。

 どんなに息を吸い込んでも、入ってくる呼吸が制限されているような感じだ。

 自然に白勝は、荒々しい息遣いになった。

 

「金両はあんたのものね、白勝? あんたのことは、この十日ほどずっと監視していたわ。あんたは一日に数度、必ず、あんたの宿屋の裏庭のある場所を見に行くわね。それで、試しにそこを掘り起しさせたら、それが出てきたのよ。ほかにも、いろいろと調べ尽くしているのよ……」

 

 呂盛が語りだした。

 白勝は呆然と聞いていた。

 

「……こうやって、あんたを捕えたのは、自由にさせておいても、これ以上はなにも新しいことは出てこないと思ったからよ……。いずれにしても、かなりのことをすでに調べ終わっているということを知っておいてね。いいわね?」

 

 呂盛の指がゆっくりと睾丸に食い込む。

 白勝は、慌てて、首を大きく縦に振る。

 

「いい子よ……。じゃあ、わたしたちの質問の答えが、わたしの知っていることと食い違っていたら、容赦なく睾丸を潰すわ……。その代わり、素直に知っていることを喋ってくれれば、とてもいい気持ちにさせてあげるわ」

 

 呂盛が今度は睾丸から無防備な幹に手を移動させると、するすると側面から先端にかけてを擦ってきた。

 幹全体に搾りあげられるような甘美な衝撃が伝わってきた。

 

「ううっ」

 

 驚くことに、白勝の性器はあっという間に勃起して、しかも、いきなり破裂しそうになった。

 そのとき、性器の根元にいきなり強い圧迫感が襲った。

 驚いて首を懸命に向けると、男根の根元になにか金属の輪のようなものが喰い込んでいる。

 それが強い疼きのようなものを生ませているようだ。

 

「ふふふ……。これは、あなたの性器を支配する特別な淫具よ。これをしていると、勃起を収めることもできないし、射精もできないわ。いい子だったら、外してあげるわ。だから、知っていることを言うのよ」

 

 呂盛がくすくすと笑っている。

 若い女に捕えられて全裸に剥かれ、惨めに性器を弄ばれるという異常な状況に、白勝は大きく混乱していた。

 とにかく、このふたりがただの女でないことだけは明確だ。

 だが、どういう立場の女たちであり、なによりも、どこまで生辰綱事件について把握しているのかということがわからない。

 

「質問に答えなさい、白勝。その金両はお前のものね?」

 

 もうひとりの女が初めて口を開いた。

 やはり、表情と同じで、感情のこもっていない抑揚のない声だ。白勝は、呂盛よりも、その女に対して薄寒い恐怖を覚えた。

 

「そ、そうだ」

 

 とにかく、白勝は言った。

 どう考えても、言い訳は不可能だと思った。

 このふたりは、女とはいえ、おそらく只者でない。

 逆らうことは危険だ。

 

「どうやって手に入れたの?」

 

 椅子の女が言った。

 

「も、もらった……。し、仕事に協力した見返りだ」

 

「仕事というのは生辰綱の強奪ね。お前はその連中の一味に間違いないわね。生辰綱を輸送していた北州の兵たちの証言により作らせた盗賊の似顔絵の一枚とお前の顔が一致するわ」

 

 女が無感動に言った。

 まるで、すでに知っていることを作業的に確認している。

 そんな印象まで感じさせる口調だ。

 とにかく、このことで、やはり、この女たちは、生辰綱事件を調べている女役人であるということは間違いないだろうと思った。

 

 そうでなければ、生辰綱を輸送していた兵たちの証言に触れる機会があるわけがない。

 さらに、いまの口ぶりでは、兵たちに直接の訊問をやったような気配でもある。

 しかも、なんとなく地方役人でなく、中央から派遣されている役人という感じだ。

 そうであるならば、地方役人とは比べ物にならない権力もあるということだ。

 白勝は心の底からぞっとした。

 

 黄泥岡(おうでいこう)で奪った生辰綱は、金両十万枚という途方もない巨額な財だ。

 それを奪った犯人であるとされれば、死罪は免れないだろう。

 それを女とはいえ、中央から役人が派遣されて調べている?

 とにかく、これは大変なことだ。

 白勝は寝台に接している背中に冷たい汗が流れるのがわかった。

 

「お、俺は一味ではない……。ただ協力しただけだ……。し、知っていることは全部話す。だ、だから、助けてくれ」

 

 急いで言った。

 こうなったら、すべてを話すしかない。

 拷問を受けてまで、彼女たちのことを守る義務もなければ、恩もない。

 劉唐姫たちとは、礼金をもらって、生辰綱強奪という彼女たちの計画に関与したというだけの関係だ。

 命をかけて隠しとおすだけのものではない

「話してみることね。お前が本当に知っていることを全部進んで喋るのであれば、命は取らないわ。それだけじゃなく、礼金をあげてもいい」

 

 無表情の女が言った。

 

「や、約束だぞ」

 

 白勝は語り始めた。

 最初に話したのは、劉唐姫のことだ。

 とにかく、白勝と彼女たち一味のことを繋げている唯一の女が劉唐姫だ。

 白勝は、自分は生辰綱を奪った連中とは、深い関わりはなく、ただ礼金をもらって宿屋を仕事の拠点として貸しただけだと説明した。

 話を持ってきたのは、劉唐姫という旅の女であり、おそらく、ほかの者は劉唐姫という赤毛の女の仲間だろうとも言った。

 

 ついでに、白勝が協力したのは、劉唐姫に脅かされたためだということも付け加えた。

 劉唐姫が裏切りは死だと脅したのは本当だし、満更、嘘でもないはずだ。。

 劉唐姫が白勝に生辰綱事件の計画を持ちかけたとき、白勝に拠点として宿屋を提供することを要求するとともに、もう計画を明かした以上、承知しないのであれば、殺すとはっきりと言ったのだ。

 もっとも、そのときには、白勝は進んで彼女たちの計画に加担するつもりだったから、実際には脅されたという感覚はない。

 だが、ここは脅されたということにしておこうと思った。

 

「わかったわ。お前は脅されて協力した。そして、礼金をもらった……。そう言いたいのね?」

 

 寝台の横の女が言った。

 

「そ、そうだ。お、俺は脅されたんだ。それで……」

 

「……それはもういいわ。次にそいつらの名を言いなさい。そいつらのことは、よく知らないとしても、名くらいは呼んだでしょう?」

 

「長は女……。名は晁公子(ちょうこうし)……」

 

 白勝は言った。

 

 当初の段階では、劉唐姫以外の者は、全員が白勝の前では明らかな偽名を使っていた。

 だが、白勝が拠点を提供するだけでなく、商人に扮して輸送隊を騙す役もやりたいと申し出ると、自然に心を許すようになり、本名らしき名でお互いに呼び交わすようになった。

 

 長の女は晁公子……。

 実際に細かい計画を指図したのは、男装の麗人の呉瑶麗(ごようれい)という女……。

 ほかに、安女金(あんじょきん)という小太りの道術遣い、さらに、阮小ニ(げんしょうじ)という男……。

 

 白勝は、自分が知る得る限りの情報を伝えた。

 最後に盗んだ金両と女を船で運んだとき、小柄の若い娘が船を操ってきたということも付け加えた。

 

「どんな風に輸送隊から盗んだの? それぞれがどんな役割をしているか説明しなさい」

 

 語り終えた白勝がひと息つくと、また、女が言った。

 白勝は注意深く思い出しながら、それを説明した。

 質問をするのは、椅子に座っている女であり、股の前に座っている呂盛は、途中からほとんど口を開かなかった。

 もはや、なにひとつ隠すつもりはなかった。

 それよりも、なんとかこの状況をやり過ごして助かりたい。

 

 そのためには、知っていることをすべて白状すること……。

 そのことだけを考えていた。

 質問はさらに続いた。

 白勝はそのすべてに答えた。

 ただ、知らないことも多かった。

 知らないことについては、わからないと応じるしかなかった。

 そのことで、この女たちが気分を害して、白勝を殺すことに決めやしないかと心配だったが、白勝が訊問に応じているあいだ、ふたりの女の様子が変化する様子はなかった。

 

 呂盛はにこにこと笑うばかり……。

 もうひとりの女は、無表情で冷静な外面……。

 訊問はかなり続いた。

 同じことを繰り返し聞かれたし、違う聞き方をするときもあった。

 どうやら、少しでも矛盾点が得れば、容赦なく拷問する気配だったが、白勝はなにも誤魔化すつもりがない。

 だから、質問は淡々と続く。

 

「……どうやら、知っていることは、これ以上はないようね……。もっと手こずるかと思ったけど、随分と協力的だったわ」

 

 やがて、椅子の女が静かに言った。

 すでに訊問を開始して、かなりの時間が経っていた。

 

「も、もちろんだ。俺はあんたらに協力している」

 

「そのようね。感謝するわ……。実は、お前が全体の中で大きな役割を果たしていないということは、予想をしていたのよ。それにしては、事前に期待してよりも、お前はわたしたちに有益な情報を与えてくれた……。もういいわ。楽にしてあげなさい、呂盛」

 

 女は言った。

 楽にする……。

 その言葉に少し引っ掛かった。

 だが、それについてなにも考える余裕はなかった。

 呂盛が突然に白勝の顔を掴んだのだ。

 そして、口の中に小瓶を突っ込まれる。

 

「あぐっ、んぐうっ」

 

 瓶の中から強い匂いのする液体が流れ込んできた。

 あっという間に小瓶の中に入っていた全部の液体を身体に飲まされてしまった。

 

「うおっ」

 

 思わず声をあげた。

 自分でもびっくりするくらいに身体が熱くなり、心臓が激しく高鳴り出したのだ。

 自分の心臓の動きに痛みを感じたのは生まれて初めての経験だった。

 これは、強烈な媚薬のようだ。

 白勝は悟った。

 

「すぐに極楽に連れて行ってあげるわ」

 

 呂盛がくすくすと笑いながら、その場に立ちあがって股布を脱ぐ。

 

「待っててね」

 

 呂盛が、四肢を大きく拡げて拘束されている白勝の身体を跨いだ。

 そして、いきなり股間をまさぐって自慰を始めた。

 びっくりした。

 

 白勝は痛みのような鼓動を感じながら、仁王立ちになっている呂盛の裸身を眺めた。

 この状況で信じられなかったが、白勝ははっきりと呂盛に対して欲情を感じていた。

 むんむんとむせ返るような官能美に富んだ女の身体がそこにある。

 とにかく、すぐに呂盛の股間から女の蜜の香りが漂い出し、指で弾かれる水音もかなで始める。

 

「な、なにをする気だ……?」

 

 白勝は不安になり訊ねた。

 にこにことしている呂盛の微笑みの奥に、危険なものを感じた。

 

「……極楽に連れて行くと言ったでしょう……」

 

 呂盛が白勝の腰の上に跪いて、そっと勃起している白勝の一物を握る

 白勝は小さな呻きを発した。

 呂盛が白勝の性器に加える手付きが気持ちよすぎて、大きな快感を覚えたのだ。

 

 興奮が込みあがる。

 そんな白勝の反応を愉しむかのように、次に呂盛が腰を優雅に揺らしながら、自分の腰を沈めてきた。

 そして、位置を定めると、そのまますとんと腰をおろしてきた。

 熱く濡れきった、滑らかな粘膜が白勝の幹全体を柔らかく包み込んでいる。

 

「ああ……」

 

 呂盛が声をあげる。

 そして、呂盛が、がに股で白勝の股間に跨ったまま、大きく腰を揺すりながら上下に動き始めた。

 

「おおおっ」

 

 思わず白勝は声をあげていた。

 呂盛の腰使いが巧みで、強烈な快美感が襲ってきた。

 それが続く。

 

 呂盛の腰がくねるたびに、幹の先端部を熱く粘膜が絞り擦る。

 白勝はたちまちに追い込まてきた。

 下腹部の結合部がねちゃねちゃと淫らな音を響かせる。

 それが大きくなる。

 

「ああ、いいわっ」

 

 すると、突然に呂盛が感極まったような声をあげて、ぶるぶると小刻みに身体を震わせた。

 おそらく、軽く達したのではないだろうか。

 そんな感じだ。

 しかし、呼吸を乱している呂盛は、それでも腰の動きをやめない。

 すぐに、白勝にも切羽詰った大きな快感がやってきた。

 

「う、ううっ」

 

 白勝もまた、快楽のままに精を迸らせようとした。

 だが、突然にそれが堰き止められた。

 発射しようとした精が途中で止まってしまったのだ。

 さっき性器の根元に嵌められたおかしな性具……。

 その存在を思い出したのは、出そうとして出せない射精のもどかしさに、強い疼きのようなものを感じ始めてからだ。

 

「まだまだよ。もっとわたしを満足させて──。そうしたら、それをあんたの精を堰き止めている淫具を外してあげるわ──」

 

 腰に跨ったままの呂盛が、狂気にも感じる表情で、髪を振り乱しながら叫んだ。



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84  呂光(りょこう)晁公子(ちょうこうし)を白巾賊の長と怪しむ

 呂光(りょこう)は椅子に腰かけたまま、呂盛(りょせい)が寝台に拘束している白勝(はくしょう)という男と狂ったように媾合いをしているのを漫然と眺めていた。

 おそらく、これが白勝にとって、人生最後の性行為になることは間違いない。

 呂盛は白勝を性行為の最中に興奮死したと見せかけるために、白勝を追い込んでいるのだ。

 

 訊問が終わったときに、呂盛が白勝に強引に飲ませたのは、心臓の鼓動を急激に速くさせる薬剤だ。

 それを飲んだ状態で、あんなに激しく性行為をして興奮をさせ、しかも、その興奮の最高潮のときに、淫具で堰き止めている射精を一気に暴発させるつもりなのだ。

 健康な男とはいえ、限界を越えるほどに心臓が暴発して悶絶死を起こすのは確実だろう。

 この地方の役人が検死をしたところで、女と性行為をしている最中に死んだとしか思えないはずだ。

 

 白勝を捕えるか、拷問死をさせてしまえば、呂光と呂盛が追っている生辰綱(せいしんこう)事件の主犯たちが警戒してしまって、どこかに逃亡してしまうかもしれない。

 なにしろ、あれほどに周到に計画された策を成功させたくらいの連中だ。当然に用心深いだろう。

 白勝は、彼女たちに利用されただけの気配であるが、白勝が事件後に不審な行動を起こしたりしないように、連中はひそかに監視くらいはつけているのは間違いないと思う。

 だから、白勝が役人に捕えられたと知れば、すぐに自分たちの正体が割れる危険に思い至るはずだ。

 だが、行きずりの女と情事をした挙句の「事故死」ということであれば、生辰綱事件を引き起こした女たちは、それほどの不審は感じることもないはずだ。

 

「ああっ」

 

 そのとき、呂盛がこれまでで一番大きな嬌声をあげた。

 白勝の腰の上に跨り、すっかりと上気した身体を弓なりに反らせて身体を震わせている。

 達したようだ。

 それにしても、これで何回目だろう?

 我が妹ながら、慎みの感じられないあまりの狂態に呂光も呆れて嘆息した。

 

「少しは静かにやりなさいよ、呂盛……。この部屋の両隣は、わたしたちの手の者が押さえているけど、宿屋の亭主を始め、ほかの客の連中は普通の者なのよ」

 

 呂光は言った。

 

「な、なにを……言ってん……のよ……姉さん……。少しくらい……派手に……した……方が……いいのよ……。そうすれば……白勝が……女と激しく……情交……していたという……証言が……集まるわ……」

 

 しかし、呂盛は、白勝の勃起した性器を股間で咥えて一層激しく上下運動しながら応じた。

 呂光は舌打ちした。

 まあ、確かに呂盛の言うとおりではあるのだ。

 白勝の始末は、腹上死に見せかけた殺人の隠蔽だ。

 だから、多少、大袈裟なくらいに性交の声を響かせるくらいがいい。

 だが、呂光には、男好きの呂盛が、拘束された男と情交するという行為を本当に愉しんでいるようにしか思えなかった。

 

「うおっ、うおっ、うおおっ」

 

 そのとき、白勝がおかしな奇声をあげた。

 おそらく何度目かの射精に至るような快感の頂点に達したに違いない。

 だが、そのすべてを道術の淫具に堰き止められている。

 呂盛は、白勝の興奮が限界を越えたところを見計らって、淫具を解放するつもりだろう。

 それにより、白勝の心臓の負担が巨大なものになり、白勝は興奮死するはずだ。

 

「ああ、ああ、白勝、気持ちいい。気持ちいいわ。口づけして」

 

 呂盛が、騎乗位の体勢で白勝の一物を股間に咥えさせたまま、身体を倒して、白勝に口づけを始めた。

 白勝の顔は充血して真っ赤だ。

 訊問の最初に呂盛が経絡(けいらく)打ちにより呼吸を制限したままであるので、白勝はかなり苦しそうに呼吸をしている。

 

 そんな白勝に、呂盛は、結合している股間を相変わらず激しく動かしたまま、むさぼるように白勝の唇に自分の唇を押しつけた。

 そうやって、ただでさえ呼吸がままならない白勝を、さらに呼吸困難の状態にしようとしているのだ。

 ただ、呂光には、呂盛が白勝の息の根を止めるという「作業」を冷静にやっているとは思えない。

 あれは、心から欲情している女の姿だ。

 宮廷政府に属する諜報員としての姿ではない。

 ただの淫女だ。

 呂光は、興奮した様子を示し続ける呂盛の姿に、もう一度嘆息した。

 

 呂光と呂盛は、宮廷政府から派遣された諜報員だ。

 軍人でもなければ。役人でもない。

 皇帝直属の私軍という扱いに近い。

 つまり、国軍としての指揮系統の外にあり、政府に属する実力部隊としては、いかなる武官の指揮に属さない独立集団だ。

 その任務も軍人として戦をするということではなく、主に諜報活動だ。

 ときには、命じられて暗殺などの特殊工作をすることもあるが、その命令は国軍ではなく、皇帝の寵姫である李師師(りしし)からやってくる。

 

 李師師という寵姫が、皇帝からどうして諜報活動を命じられているかについては、呂光のような下っ端の諜報員には知るべくもない。

 とにかく、存在そのものが明らかにはなっていないが、呂光と呂盛のような諜報員はおよそ二千人はいる。

 だが、ほとんどが呂光たちのように、市井の旅人や商人、地方軍人や役人、あるいは博徒など、あらゆる職業の者に成りすまして、世間の中に紛れている。

 そうやって、皇帝耳目となって、市井の動向や帝国に叛意を抱く者を炙りだすための隠密な諜報活動をするのが、呂光たちの任務なのだ。

 だから、呂光たちは仲間内で、自分たちのことを通称「忍び」とも呼ぶ。

 呂光と呂盛は、宮廷政府の忍びの中でも、大勢の部下を使う上級職に属する忍びだ。特に、呂光のような上級忍びは、仲間内では「李師師の忍び」とも称されている。

 

 呂光と呂盛の姉妹忍びの今回の任務は、二年続けて自分に対する誕生祝いの生辰綱を奪われるという事態に対して、その下手人を調べることだ。

 さらに、怒り狂った宰相蔡京(さいけい)の直々の指示も付け加えられていた。

 

 それにしても、このところ、呂光たち「忍び」に与えられる任務は、急に各地で蔓延している賊徒に関するものが多くなった気がする。

 数年前までであれば、呂光たち忍びの任務は、宰相蔡京や国軍総帥の童貫(どうかん)の政敵に関するものが主体だった。

 それが、このところの任務は、今回のような賊徒に関する調査のものがほとんどだ。

 それだけ、全国にはびこる賊徒の存在が、中央政府の抱える大きな問題になりつつあるということだろう。

 いずれにしても、白勝の証言により、生辰綱事件に直接に関わった者について、白勝を除く五人のうち、四人までが女であり、しかも、主犯格に加えて、軍師役まで女だったということがこれでわかった。

 これにより、呂光は今回の事件を引き起こしたのが、何者であったのかの予測に至ることができた。

 

 生辰綱を奪ったのは、「白巾賊」……。

 おそらく間違いない。

 

 連中は、組織の主立つ者が、「女」であることが知られていて、別名「女賊」とも称される。

 今年だけでなく、昨年の生辰綱も、銃で武装した一団により強奪しており、今年の生辰綱を盗んだのも白巾賊の女たちであることは、十分に考えられたことだ。

 

 ただ、白巾賊は、数ある賊徒の中でも、根城がどこにあるのか不明であり、首領を始めとした主な幹部でさえもわかっていない謎の組織だった。

 だが、今回初めて、属すると思われる者の名がわかった。

 生辰綱事件強奪を白巾賊の首領である女が、今回、直接に指図したかどうかはわからないが、少なくとも晁公子という女は、白巾賊で重要な役割をしている人物であることは間違いないだろう。

 

 晁公子(ちょうこうし)……。

 

 もっとも、この晁公子がどこの何者であるかということがわからなければ、呂光と呂盛の任務は終わらない。

 ただ、呂光には、晁公子という名に思い当るものがないこともない……。

 

「おお、おおっ、おおおっ」

「うおおお」

 

 そのとき、獣じみた呂盛と白勝の声が部屋に響き渡った。

 呂光は、思考を中断して、寝台の上のふたりに意識を向けた。

 呂盛は再び完全な騎乗位の体勢に戻って、片手の小指を口の端に咥えて、大きくのけ反っている。

 それまで余裕のような表情を示していた呂盛だったが、いまは苦痛のようなものに変わっていた。

 

 白勝はそれ以上だ。

 真っ赤だった顔は、不足する呼吸のために、もはや蒼白になっていた。

 また、全身の筋肉のあちこちが大きく痙攣をしていた。

 

「白勝、白勝さん、あんたは素敵だったわ」

 

 呂盛がまたもや激しく気をやる動作を示しながら、股で咥えている白勝の性器の根元に片手をやった。

 

「んおおおお」

 

 白勝が断末魔のような吠え声を発した。

 淫具によって溜められていた精が一気に噴出しているのが、ここからでもわかった。

 それで終わりだった。

 すぐに白勝の身体から緊張がなくなった。

 

 荒い息で脱力している呂盛が、やっと白勝の股間から股を抜いた。

 そのとき、かなりの量の精が性器を抜くときに垂れ落ちた。

 それだけ一気に大量の精液を白勝は放出したのだろう。

 汗だくの呂盛が、白勝の胸に耳を当てた。

 

「……心臓は停止している。死んだわ……」

 

 呂盛は静かに言った。

 そして、寝台を下りると、まずは拘束していた白勝の四肢の革紐を解き始めた。

 

 これからは単純な作業だ。

 呂光も手伝って、死後硬直が起きる前に自然な体勢に手足を曲げさせる。

 さらに、拘束によりできた手首と足首の痣を特殊な薬剤で消していく。

 そうしているうちに、勃起していた性器は血の流れを失って収縮していった。

 すべての処置が終わるまでに、半刻(約三十分)ほどがかかった。

 

「まあ、こんなものね。まだ、陽が暮れるのに時間があるから、このまま少し時間を潰そうか」

 

 呂光はひと息ついたところで、呂盛に言った。

 もっと時間がかかると思っていた白勝への訊問だったが、案外にあっさりと白勝がなんでも喋ってくれたので、思いのほか、まだ明るいうちに仕事を終えることができた。

 あとは夜陰に紛れて、白勝の死骸を置き去りにして逃げるだけだが、いまはまだ早い。

 呂光は再び椅子に腰かける態勢に戻った。

 

「ところで、やはり、楊蓮(ようれん)は無関係だったね、姉さん。姉さんが睨んだ通り、今度も白巾賊の女賊どもの仕業だったようね」

 

 呂盛がすでに屍体になっている白勝が横になっている寝台に腰かけながら言った。

 その呂盛は、汗や股の精液などを布で拭って、すでに服装を整え終わっている。

 

「まったくね。北州政府からあがった報告では、女隊長の楊蓮が主犯ということになっていたけど、やっぱり、あれは財を盗まれたことで、自分たちに罪が及ぶことがないようにと考えた同行の役人や兵が辻褄を合わせただけだったようね」

 

 呂光は言った。

 この事件について、最初に北州政府から宮廷に報告が入ったとき、生辰綱を輸送していた女隊長が近傍の盗賊と結託して、財を奪ったのだという内容で報告があがっていた。

 だが、調査を命じられた呂光と呂盛は、ちょっと調べただけで、その矛盾点を発見していた。

 それで、さらに調査の幅を拡げ、知られている賊徒が策を弄して財を奪ったのだと予想して調査を進めてみた。

 

 その結果、辿り着いたのが、拠点として経営している宿屋を提供したと考えられた白勝の存在だ。

 白勝は以前から素行が悪いことでは知られていて、小悪党として目をつけていた存在だ。

 たまたま、白勝の宿屋が事件が起こった黄泥岡(おうでいこう)に近いこともあり、少し調べると、事件を機会に、急に白勝が派手な賭博遊びをしているということがわかった。

 さらに、事件の前に、見知らぬ男女が長逗留していたという近所の者の証言も取れた。

 それで密着して調べあげ、白勝が宿屋の庭に埋めて隠していた生辰綱の金貨に辿り着いたというわけだ。

 

「まあ、そうなれば、楊蓮はもう生きてはいないのかもしれないわね、呂盛……。重要な輸送任務に失敗して自裁して果てたかもしれないし、逃亡したのかもしれない。いずれにしても、楊蓮を追っても、なにも出てくることはないでしょう……。主犯の名は晁公子……。ところで、晁公子という名であれば、心当たりがあるわ」

 

「……梁山湖(りょうざんこ)に近い東渓村(とうけいそん)の女名主の晁公子ね」

 

 呂盛が真面目な口調になり言った。

 どうやら、呂盛もまた、白勝が口走った晁公子という名で、その女名主のことを思いついたらしい。

 呂光は頷いた。

 このところ、帝国各地には、たくさんの賊徒が拠点を作って地方政府に叛乱を起こすということが頻発していたが、その中で、ほかの賊徒と明らかに一線を画すのが白巾賊だった。

 

 なにしろ、存在そのものが謎に包まれていて、しかも、時折、政府の輸送隊を襲撃する以外は、活動そのものがほとんどないのだ。

 通常、どんな賊徒でも、人が集まれば、食わせなければならない。

 食わせるためには、食を求めて襲撃を続けるしかない。

 襲撃が度重なれば、それにより、どこが拠点であるかとか、人数がどのくらいであるのかということは浮びあがってくる。

 しかし、白巾賊にはそれがない。

 

 なぜ、そこまで正体がわからないのだろうということが、かねてから不思議に思われていた。

 呂光は、今回の生辰綱事件の調べを命じられたとき、すぐに昨年の生辰綱襲撃もやっていた白巾賊について思い当り、改めて白巾賊のことを調べ直すことにした。

 そして、白巾賊がいまだに正体不明であるということから、大胆な仮説を立てていた。

 

 どこかの小さな村のような場所で、村ぐるみの盗賊団を形成している可能性だ。

 そうやって、普段は普通の村人として田畠を耕して暮らし、時折、盗賊団として、政府を襲う賊徒として徒党を組むのだ。

 まさかと思うような考えだが、ひとつの村ぐるみの賊徒と仮定すれば、完全に情報が遮断される理由も納得できるし、通常、賊徒が拠点にするような要害に、白巾賊の拠点らしい拠点が発見できないことも筋が通る。

 

 それで、呂盛とふたりで、村単位で叛乱を起こしていると考えられるような場所をあげてみた。

 まだ、十分な調査ができているわけではないが、梁山湖に近い東渓村の女名主の晁公子という存在は、女賊の長として可能性があるとしてあげた名のひとつだ。

 

 ただ、これといって証拠があるわけではない。

 しかし、もともと、女名主というのは数があるわけでもなく、その中で白巾賊ほどの賊徒の首領になれるような女傑ともなれば、かなり限られていた。

 東渓村の晁公子は、白勝のことを見つける前に、これから深く調査すべきとしていた、幾人かあげていた白巾賊の首領の候補者のひとりだった。

 

「……東渓村が拠点であるとすれば、辻褄が合うことは多いわ。白勝も自白したけど、生辰綱を輸送した手段は船よ。黄泥岡を下ってぶつかる河は、青州や梁山湖に向かうわ。河は支流に入って東渓村の横も通る」

 

 呂盛が言った。

 

「それだけじゃない。白勝の口からは、あの流刑逃亡の呉瑶麗(ごようれい)という名と安女金(あんじょきん)という名も出た。ふたりは、もっと南に逃亡したと言われているけど、流刑地から逃亡したふたりが最後に存在を確認されているのは、梁山湖の湖畔街道よ。東渓村のすぐ近くだわ」

 

「東渓村の晁公子を確定していいと思う」

 

「そうね。ただ、一応は東渓村を確認しておく方がいいわね」

 

 呂光は言った。

 

 「確定する」というのは、調査結果として宮廷政府に報告をあげるということだ。

 それにより動くのは、中央政府や地方政府の仕事になる。

 呂光たちの役割は、生辰綱を奪った連中の正体を見極めることであり、賊徒を捕えるのは、彼女たち「忍び」の仕事ではない。

 

 いずれにしても、東渓村という一個の村が賊徒の拠点だというのは、驚くべきことだった。

 そんな大胆なことを実現し、しかも、ずっと隠しおおせたというのは、その晁公子が余程の力を持った女傑であるという証拠だろう。

 もっとも、これについては、まだ呂光と呂盛のあて推量の範疇だ。

 中間報告としてあげるにしても、まだまだ確定に当たるには、情報が必要だ。

 

「……一度、東渓村に入ってみましょう。それですべてがわかると思うわ」

 

 呂光は言った。

 呂盛が肯く。

 それで、話し合いは終わりだ。

 すると、呂盛がごろりと寝台に横になった。

 驚いたことに、呂盛は交合の疲れなのか、すぐに寝息を書き始めた。

 自分が殺した男の死骸の横になんの感慨もなく寝れる……。

 その無神経さと大胆さには、呂光も思わず肩を竦めたくなった。

 

 ふと窓を見ると、やっと日暮れに差し掛かっていた。

 完全な夜になるまでもう少しだ。

 呂光は、再び、ひとりで思念する態勢になった。

 その思考の中で、晁公子というのは、一体全体どんな女性なのだろうかと色々と想像した。

 そして、東渓村に潜入するときのことを愉しみにする気持ちになっていった。



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85  呂光(りょこう)、盗賊に襲われ梁山湖に沈む

 途中から船に乗り、青竜河を船でのぼった。

 呂光(りょこう)は船が好きではない。

 酔いやすいのだ。

 しかし、今回は仕方がない。

 

 生辰綱(せいしんこう)を強奪した連中は、輸送隊の将兵に痺れ薬を飲ませて荷駄馬車のまま強奪し、そのまま峠を下り河原に出て、そこから船で盗んだ金両と女奴隷を運んだことがわかっている。

 妹の呂盛(りょせい)とともに、その生辰綱事件の調査を命じられている李師師(りしし)の忍びとしては、賊徒が使った水路を確認しておくことは必要だった。

 

 もっとも、生辰綱が盗まれた黄泥岡を下った河原で盗んだものを船に乗せたとして、考えられる方向は大きく三つあった。

 すなわち、河の流れに沿って南に向かって海に辿り着く経路がひとつ。

 青竜河から分かれる青州川に入って、二竜山、桃花山、清風山という難所に集まる賊徒が横行している「青州」の異称のある北州の東南部に出る経路がひとつ。

 そして、いま向かっている青竜河をそのまま進んで梁山湖に向かうこの経路である。

 その三つの可能性の中から、まず最初に梁山湖に向かう水路を選んだのは、殺した白勝(はくしょう)の供述により、どうやら生辰綱を強奪したのは、女賊とも呼ばれている白巾賊と名乗る謎の賊徒たちの仕業であると確信したからだ。

 

 さらに、白勝が供述したのは、生辰綱を強奪した下手人の長は、晁公子(ちょうこうし)という名の美女だということだ。

 ほかにも、呉瑶麗(ごようれい)安女金(あんじょきん)劉唐姫(りゅうとうき)という女の名と、阮小ニ(げんしょうじ)という男の名を白勝は吐いた。

 ただ、それ以外のことはわからない。

 白勝は、生辰綱強奪を企てた女たちに、自分の経営している宿屋を拠点として提供しただけで、彼女たちのことはなにも知らなかったのだ。

 呂光は、これまでの調べから、晁公子というのが、これから向かおうとしている梁山湖に近い東渓村(とうけいそん)の女名主である晁公子と同一人物ではないかと思っている。

 しかし、現段階では、それは単なる当て推量に過ぎない。

 

 白巾賊が長い間、その拠点が知られていない謎の多い賊徒だったから、あるいは、その拠点がほかの賊徒のように自然の要害に依っているのではなく、平凡な農村の中に巧みに隠されているのではないかと考えただけのことであり、いまのところ証拠はない。

 そもそも、白勝を利用した女たちが、白勝には本名を名乗らなかった可能性も高いのだ。

 

 それでも、呂光は、調べれば調べるほど、晁公子という東渓村の女名主は怪しいと思い始めている。

 評判がいいのだ。

 よすぎるくらいだ。

 重税といわれる北州の税を毎年、定まった額をきちんと納め、それでいて、農村の住民には怨嗟の声ひとつ言わせないような善政をしているらしい。

 また、それだけ豊かな農村の名主であるのに、本人の生活は質素で、さらに、かなりの美人というが、ずっと男の影ひとつなく、ひとりで暮らしている。

 

 不自然なくらいに立派で聖人的だ。

 不自然なくらいに……。

 

 だが、呂光の経験から、外面がよすぎる人間というのは、それ自体になにかの目的があることが多かったりする。

 例えば、実際には、法を犯している悪党であり、それを隠すために、平素は必要以上の善人を装っている場合などだ。

 晁公子は、なんとなく、そんな例に当てはまるような気がするのだ。

 

「姉さん、こんなところにいたの?」

 

 そのとき、呂盛が声をかけてきた。

 梁山湖に近くなると風が強くなってきたので、甲板にあがっている船客は、呂光ひとりになっていた。

 呂盛もまた、いまのいままでほかの客と同じように船室に入っていたのだ。

 いま、甲板に出ているのは、呂光と呂盛のほかには、忙しそうに動いている数名の船員しかいない。

 

「姉さんというはやめなさい。いまは、あんたの亭主ということになっているだからね。あなたとか、呂布(りょふ)様とか、あなたとか呼びなさい」

 

 呂光は呂盛をたしなめた。

 東渓村を訪問するにあたり、呂光と呂盛は、夫婦連れの薬の行商人を装っていた。

 薬は忍びとしての知識を生かして、旅をしながら、薬草からいくらでも入手できるし、行商人としての荷が少なくて済むので行動がしやすい。

 なによりも、様々な毒薬や魔道薬などを不自然なく隠し持てる。

 いずれにしても、夫婦を装うために、呂光は剣を佩いて、呂布と名乗る若い男になって、呂盛と夫婦ということになっていた。

 

「じゃあ、あなた……。いま、下の船室で青州に潜入していた手の者の報告を受けたわ。あの楊蓮(ようれん)……。生きていたわよ。どうやら、死んではいなかったようね」

 

 すると、呂盛が悪戯っぽく笑って、呂光にぴたりと寄り添ってきた。

 呂光と呂盛は、ふたりで行動する姉妹忍びだが、推理により全体の行動を律するのが呂光であり、手足となる手の者を直接に指揮する呂盛というように、役割が分かれていた。

 呂盛は、いまのいままで、しばらく青州地方に配置していた手の者の男のひとりから、報告を受けていたのだ。

 その男は、呂光たちが青州に近づいてきたので、わざわざ、梁山湖に向かうこの船に乗り込み、ふたりに接触してきていた。

 

「楊蓮? あの生辰綱の輸送隊長だった女指揮官の?」

 

 呂光は身体を船の外に向けたまま、顔だけを呂盛に向けた。

 

「そうよ、姉さん……。しかも、驚くわよ。楊蓮は、あのまま軍を脱走して、いまは二竜山の賊徒に加わっていることがわかったわ。頭領の女としてね……。まあ、女のひとりというべきかしら」

 

 呂盛がくすくすと笑った。

 

「頭領の女?」

 

 呂光はびっくりした。

 北州軍の女将校の楊蓮のことは、その評判も知っていたし、任務の傍ら、何度かその指揮に接したこともある。

 一言で称すれば「堅物」という印象だ。

 女とはいえ、軍人らしい軍人だった。

 それが、いまや、賊徒の頭領の女とは……。

 

「……いずれにしても、報告によれば、やっぱり、楊蓮が生辰綱を奪ったことで、財を手に入れた可能性は皆無ね。そんな兆候はないようよ……。ところで、二竜山の頭領は、李忠(りちゅう)という男らしいけど、楊蓮はその男にぞっこんらしいわ」

 

「へえ……。あの堅物女が男に惚れて、賊徒にねえ……」

 

「それに、その李忠というのは、なかなかの女たらしでね、女は楊蓮だけじゃないのよ。まあ、何人も女がいて、その女たちが、その李忠の寵を競い合っているという感じらしいわね。報告を受けていて、なかなかに面白かったわ」

 

 呂盛は、また笑った。

 しかし、呂光は首を傾げたくなった。

 

「二竜山の賊徒というのは、鄧竜(とうりゅう)という男じゃなかった?」

 

 呂光は思い出しながら言った。

 

「最近、その李忠というのが、鄧竜に取って代わったらしいわ。いまでは、義賊の旗を掲げていて、二竜山はかなり大人しくなったということだわ。鄧竜のときのように、非道はしないということで、人も集まっていて、急速に勢力も拡大しているみたいね……。だけど、ともかく、少なくとも、生辰綱とは関係ないようよ」

 

「じゃあ、清風山は?」

 

 呂光は訊ねた。

 

 清風山というのは、白巾賊とともに、「女賊」の別称のある賊徒だ。

 青州には、二竜山のほかに、桃花山と清風山のふたつの自然の要害があり、それぞれに、大きな賊徒が勢力を作っている。

 その中で、清風山は構成員の全員が女だという噂のある賊徒であり、得体の知れないという点では、正体不明の白巾賊に匹敵する。

 

 実のところ、呂光も呂盛も、清風山の女頭領たちの正体を知っている。

 元々、呂光たちのような、李師師に使われる女忍びだったのだ。

 だが、いまは組織を抜け、いわゆる「抜け忍」になって賊徒を作ったのが、清風山なのだ。

 地方軍だけでなく、抜け忍狩りとしても、李師師の忍びたちによる討伐が行われたが、いまだに三人に手は出せないでいる。

 一時は、清風山が白巾賊ではないかと、考えられていたこともあったが、いまでは、李師師の手の者を含めて、政府では、別の組織と判断をしている。

 

「……そっちも白。清風山には、忍びの手の者も集中してるしね。生辰綱の奪取ほどの大きなことをすれば、すぐにわかるわ。まあ、清風山の線もないわね。やっぱり、生辰綱を盗んだのは、白巾賊。その線で正しいと思うわ」

 

 呂盛は言った。

 呂光は頷く。

 もともと青州の三大賊徒を調査させたのは、生辰綱事件を調べるための、念のためという性質でしかない。

 

 本命は、白巾賊──。

 そして、東渓村──。

 呂光はその考えをいよいよ強くした。

 

「……ところで、真面目な話はこのくらいでやめましょうよ。東渓村まではしばらくある……。船が梁山湖の近くに着き、それから陸路もある……。姉さんのいうとおり、わたしたちは夫婦ということになっているのよね。だったら、もっと、夫婦らしいことをしましょう……。ねえ、いいでしょう?」

 

 そのとき、急に呂盛が甘えた声を出して、布で無理矢理に平らにしている呂光の胸に顔をしな垂れてきた。

 呂光は嘆息した。

 

「……駄目よ。任務遂行中は、お、あ、ず、け、よ。だいたい、あんたは、少し淫乱の度合いが昔から強すぎるのよね。少しは自重しなさい」

 

 呂光はぴしゃりと言った。

 

「もう、姉さんは、生真面目なんだから──」

 

 すると、呂盛が顔をあげて、ふくれっ面を呂光に向けた。

 その子供のような表情に、思わず呂光は噴き出してしまう。

 実は、呂光と呂盛は、姉妹でありながら、女同士で肉体を求め合う百合愛の関係でもある。

 呂光と呂盛は、歳が十を超える頃には、すでに「忍び」のような仕事をしていた。

 姉妹の女忍びとして、呂光と呂盛は、任務のときはもちろん、任務を帯びていないときも、常にふたりでいる。

 

 呂光たちのように、生命のぎりぎりのところで任務を遂行していると、どうしても任務と任務のあいだに、けだもののように肉体の快楽を求め合いたくなることがある。

 それは、常に、死と隣り合わせの生活をしている者に襲う、人としての本能なのかもしれない。

 呂光たちも、その例外ではない。

 

 まだ、少女と呼べる年齢のある日、突然に呂盛が、呂光に肉体で愛し合うことを求めてきたことがあった。

 あれは、初めて、呂盛が任務のために罪のない者を殺めたときのことだったと思う……。

 

 必要な情報を得るためには、非道もすれば、殺人もする。

 なんの落ち度もない者を罪人に仕立て上げることもあるし、無力な女や子供を殺めることもある。

 無論、情報を得るために、好きでもない男と愛し合ったりするのは、女忍びとして常識だ。

 それが呂光たちの仕事なのだ。

 初めての人殺しをした夜に、それを忘れたいように身体を求めてきた呂盛に、呂光は応じた。

 

 二匹の雌獣のように……。

 それ以来、ふたりは姉妹でありながら、身体で愛し合う仲になった。

 

「でも、わたしは、ちょっと遊びたい気分なのよ。東渓村が本当に白巾賊の拠点だとすれば、そこへの潜入は命がけよ。だったら、その前に、姉さんと愛し合っておきたいわ」

 

「馬鹿を言いなさい。だいたい、いまは昼間よ。なにを言っているのよ、お前」

 

 呂光は呆れて言った。

 

「だって、夜は夜で、危険に対応しなければならないといって、このところ、姉さんは相手にしてくれないじゃないのよ」

 

「いいから、我慢しなさい」

 

 呂光ははっきりと言った。

 

 こんな陽の明るいときに、しかも、船客は姿が見えないとはいえ、周りに船員のいる船の上で、いま愛し合いたいなどと、呂盛はどういう了見だろう。

 

「……じゃあ、姉さんには、お願いしない」

 

 呂盛が拗ねたように言った。

 とりあえず、駄々っ子のように甘えるのはやめてくれたようだ。

 呂光はほっとした。

 しかし、呂光は首筋にとんと強い指の圧迫感を覚えた。

 

「くっ」

 

 次の瞬間、呂光は全身の力が抜けて、両膝をがくりと崩した。

 

「あら、危ない」

 

 呂盛が倒れかける呂盛を支えるように、身体を片手で抱える。

 だが、同時に、空いている片手で、呂光の身体の前面のあちこちを素早く、十数箇所も経絡突きを打った。

 防ぎようもなかった。

 

「あ、あんた……。な、なんてことを……」

 

 呂光は全身に襲い掛かった衝撃に歯を食い縛った。

 なにをされたかは、わかっている。

 呂盛は、呂光の身体の秘孔の経絡を突き、全身から力を奪っただけでなく、性感を異常に活性化させたのだ。「つぼ」と呼ばれる秘孔を突いて、自在に身体の感覚を操作する「経絡突き」は、呂盛の得意技のひとつだ。

 呂光の全身がかっと熱くなり、毛穴という毛穴から一斉に汗が噴き出す。

 それだけでなく、全身を無数の虫が這うような疼きが駆け巡る。

 

「意地悪な姉さんには、遊んでくれとはお願いするのはやめるわ……。無理矢理に遊んじゃう」

 

 呂盛がくすくすと笑いながら、船員から見えない角度で、呂光がはいていた男物の下袴(かこ)の前に手を伸ばす。

 はっとした。

 呂光がはいている下袴の前には、男が小尿をするための穴があり、ぼたんでとめてある。

 そこに呂盛が手を伸ばし、ぼたんを外して、指を差し入れてきたのだ。

 

「ふうっ、くうっ、や、やめなさい……。や、やめるのよ……」

 

 呂光は必死で言った。

 抵抗できない……。

 さっきの経絡突きで、腕の感覚がまったくないのだ。

 両手はだらりと身体を横に垂れたまま動かない。

 しかも、身体をくねらせて、淫らな呂盛の悪戯を排除することもできなくなっている。

 

 呂盛の経絡突きには、さすがの呂光もかなわない。

 それを打たれてしまえば、あとは呂盛がもう一度経絡突きで解放しない限り、身体の弛緩と異常な火照りはこのままだろう。

 それをいいことに、呂盛は無遠慮に下袴の中に入れた指をさらに股布の内側に入れてきた。

 呂盛の指が呂光の秘部に直接に触れる。

 

「あっ、やっ、くうっ」

 

 声が出そうになり、呂光は懸命に口をつぐんだ。

 だが、呂盛はやめる素振りはない。

 それどころか、ますます、悪戯の度合いが激しくなる。

 呂光が声を我慢することを邪魔するように、敏感な肉芽をこねくりまわしてくるのだ。

 

「ほら、もう、しばらくのあいだは、姉さんは自由に動くことはできないわ。観念して、わたしの相手をすることね」

 

 呂盛が愉しそうに言った。

 呂光と呂盛が肉体を求め合うとき、必ず、責め役を妹の呂盛がして、姉の呂光が受け役をしていた。

 たとえば、お互いの性器に刺激を与え合うときには、呂盛が淫具や指を呂光に対して使い、呂光は、妹の股間に奴隷のように顔をうずめて舌で奉仕する……。

 いつの間にか、そう役割が定まったのだ。

 縄や拘束具、ときには、浣腸を使うこともあったが、決まって受けるのは、呂光だ。

 呂光が呂盛を嗜虐的に責めたことはないと思う。

 

「や、やめなさい──。いいから、やめるのよ──」

 

 しかし、いまは人目のある昼間の船の上だ。

 こんなところで、性愛に耽るなど、恥ずかしすぎる。

 

「さあ、どうしようかな……」

 

 呂盛は笑うだけだ。

 やめるどころか、下袴の内側に差し込んだ指を秘丘に這わせ続け、つるりつるりと谷間に進めてくる。

 経絡突きによって、性感を異常に昂らされたことにより、呂光の秘部はたっぷりの蜜を吐き出し続けている。

 まったく抵抗なく呂光の手は呂盛の指を受け入れいていた。

 

「ま、待って、人が……」

 

 呂光は慌ててささやいた。

 こちらに向かって、男の船員が歩いてきたのだ。

 さすがに、呂盛はその船員たちが横を通過する直前には、呂光の下袴から手を抜いた。

 そのまま、船員が通り過ぎていく。

 とりあえず、呂光は大きく安堵の息を吐いた。

 そして、まだ自由に動く首を呂盛に向ける。

 

「……も、もうやめなさい、呂盛……。もう、終わり……。必ず、あとでたっぷりと相手をするから、いまは自重するのよ」

 

 呂光は荒い息をしながら言った。

 いまも全身の異常な欲情状態は続いている。

 ほんの少しの身じろぎさえも、布が肌を擦り、そこから快感が込みあがる。

 まったく、この呂盛は、経絡突きで、どれだけ呂光の肌の感度をあげたのだ……?

 

「……いいけど、本当にやめていいのかしら、姉さん」

 

 すると、呂盛が意味ありげに笑った。

 呂光はいぶかしんだ。

 しかし、一瞬後、その呂盛の言葉の理由がわかった。

 

「か、痒い」

 

 呂光は思わず声をあげた。

 さっき、呂盛が触れていた股間から、恐ろしいほどの痒みが襲ってきたのだ。

 おそらく、さっき股間に触れたとき、呂盛はたっぷりと指先に掻痒剤をつけていたに違いない。

 だが、呂光の腕は、いまは呂盛の経絡突きによって、まったく動かない状況だ。

 

「か、痒い。あ、あんた、なんてことを……」

 

 呂光は内腿を擦り合わせながら抗議した。

 

「まあ、なんて、いやらしい動きをするの、姉さん。それじゃあ、盛りのついた雌犬のようよ。仮にも、いまの姉さんは男役なんだかが、そんなにいやらしく悶えないでちょうだい」

 

 呂盛がもう一度、呂光の背中に指を打ち込んだ。

 すると、今度は呂光の脚がまるで地に生えた木であるかのように動かなくなった。

 その脚を呂盛が軽く蹴って開かせる。

 呂盛は、猛烈な痒みが襲ってる股間を少しでも癒すために、腿を擦り合わせることもできなくなった。

 

「じゃあね、呂布様。しばらく、ゆっくりしてて……。姉さんが遊んでくれないなら、わたしはさっき報告を受けた部下と遊んでくるわ。退屈しのぎに、あいつの珍棒でも吸ってくる」

 

 そして、呂盛がくすくすと笑って、呂光から距離を取るように離れていき、再び、船室に戻っていった。

 

「ま、待って……」

 

 呂光はさすがに驚いて、声をあげた。

 だが、呂盛は、あっという間に姿を消し、呂光はひとりで船の甲板に残されてしまった。

 痒みを癒やす手段を取りあげられて、狂うような痒みを放置されたまま……。

 

 

 *

 

 

 呂光には、どういう道筋で梁山湖の湖畔街道をここまで辿り着いたのか、ほとんど記憶がなかった。

 

 ただ、妹の呂盛の悪戯により、経絡を突かれて全身の筋力を弛緩させられ、そのうえに股間にたっぷりと掻痒剤を塗られて、船上に放置され続けたということだけは覚えている。

 

 そして、あまりの痒みで気が狂いそうになり、ほとんど気を失いそうになったところで、呂盛が船内の客室から戻ってきたのだ。

 そのときは、客をおろすために、船が梁山湖に近い船止めのはしけで全員をおろそうとしているところだった。

 梁山湖には、梁山泊を名乗る大きな盗賊団が巣食っている。

 そこを船で横切るのは危険らしかった。

 だから、客を乗せる船は、梁山湖の手前で運航を中断するのが最近の決まりのようなのだ。

 

 そのはしけで、呂盛に手を引かれて、ほかの客とともに、おろされた気がする。

 ただ、多くの客は、梁山泊の盗賊団で危険な湖畔街道を避けて、山を大きく迂回する経路を選んだのだろう。

 湖畔街道を選んだのは、おそらく、夫婦連れをやつしている呂光と呂盛のふたりくらいだったかもしれない。

 とにかく、痒み責めに朦朧となっていた呂光には、定かな記憶が残っていない。

 

「い、いい……加減に……して……呂盛……。も、もう……、ゆ……ゆる……して……」

 

 男姿の呂光は、ふらふらとよろける足で懸命に前を歩く呂盛を追いかけながら。息も絶え絶えに言った。

 この嗜虐好きの妹は、ここまで呂光を苦しめながらも、まだ気が済まないのか、いまだに呂光を痒み責めから解放しようとしない。

 

 実の姉妹だが、呂光と呂盛はお互いに身体をむさぼり合う百合の関係でもある。

 しかも、妹の呂盛が「責め役」で、姉の呂光が「受け役」という役割だ。

 だから、こうやって呂盛が呂光を嗜虐するのは、いつものことなのだが、今日ばかりは度を越している。

 これだけの長い時間、痒み剤を塗られて放置され続けた記憶は、呂光にもない。

 しかも、呂光は船の上のときは、股間だけにだった痒み剤を、湖畔街道に出て人気がなくなると、股間だけでなく尻の穴にも、両方の乳首にもたっぷりと塗り足したのだ。

 さらに呂光が手で掻くことができないように、完全に両手を弛緩された。

 いまは、動くのは腰から下だけだ。

 

「駄目よ、姉さん……。じゃなかった、呂布様。さっきも言ったけど、はしけのあった村人の話によれば、もうしばらく進めば、湖畔街道沿いに、若い女がひとりでやっている食堂があるそうじゃない。そこで腕を動くようにしてあげるわ。そこで思い切り掻いたらいいわよ」

 

 呂盛が振り返って、愉しそうに笑った。

 呂光は歯噛みした。

 呂盛の企みはわかっている。

 こうやって、人気のないところでは、経絡突きで腕を動かなくしておいて呂光が自分で痒みを癒すのを邪魔をし、人のいる食堂に到着したところで腕を動くようにして、今度は呂光が人前で痒い場所を掻こうとして、羞恥に苦しむのを改めて愉しもうというのだろう。

 そして、結局のところ、食堂を出るときに、再び両手を封じるつもりに違いない。

 とにかく、わが妹ながら、今日の淫虐のむごさには呆れかえる。

 もっとも、それを一身に受け止めなければならない呂光としてはたまったものではないが……。

 

「そ、そんなに……が、我慢できるわけ……ない……。い、いいから……経絡を……と、解きなさい……呂盛……」

 

 呂光は荒い息をしながら言った。

 舌が麻痺したように動かないのも、呂盛のやったことだ。

 さもないと、呂光は恥も外聞もなく、道端で悲鳴をあげて、泣き叫んでいただろう。

 それさえもさせないように、呂盛は大きな声を出せなくする呂光の経絡をさらに突いたのだ。

 

「いいから、我慢して歩くのよ、呂布様。痒くて我慢できないのなら、さっきの贈り物を懸命に締めつけるといいわ。ほら、頑張って」

 

 呂盛がせせら笑った。

 呂布様というのは、男ということになっている呂光の仮名だ。

 どうやら、呂盛の心は、宮廷政府の忍びとしての任務者の心から、淫乱な嗜虐者としての心に完全に切り替わってしまっているようだ。

 こうなっては、呂盛には、なにを言っても無駄だ。

 呂光が苦しみ抜き、それで呂盛の性癖が満足するまで耐えるしかない。

 それをしっかりと身体で知っている呂光は歯を食い縛るしかなかった。

 

「ううっ」

 

 仕方なく、呂光は痒み剤を塗り足された後で呂盛により花唇と菊座に挿入された二本の木製の張形を股間で締めつけた。

 この悪戯な妹は、経絡突きで呂光が抵抗できないことをいいことに、湖畔街道に入ったところで、人気のない物陰に呂光を連れ込み、痒み剤を塗り足すとともに、この二本の張形を挿入したのだ。

 

 呂光は脚を進ませながら、それを締め続けた。

 少しでも痒みを癒すには、それしか方法がないのだ。

 確かに、少しだけ痒みが癒える。

 しかし、それは、長い苦悶に入口に突入することの代償だ。

 大きな愉悦の響きが、股間の付け根の前後の穴から全身に拡がってくる。

 痒みがほんの少し癒される一瞬の愉悦に引き換えに襲うのは、痒みとは別の欲望の快楽への焦燥感だ。

 それがさらに呂光を襲ってくる。

 

 それでも、張形を女陰と菊座で締めつける。

 途端に全身をただれさせるような快感が呂光が襲う。

 その気持ちよさに、歩きながら大きな快楽に包まれる。

 ただし、それはどんなに溜め込もうとも、すぐに癒される見込みのない快感への頂点への渇望を拡大することにもなる。

 

 しかし、それをやめれば、恐ろしい痒みの地獄だ。

 痒みで苦しむか、あるいは、快感の焦らしで苦しむか……。

 

 ふたつにひとつ……。

 

 いずれにしても、呂光には苦しみから逃れる方法はない……。

 呂光は、よろけながらも一歩一歩と足を進ませた。

 そうやって、しばらくは耐えて歩いた。

 だがやはり、もう限界だ。

 呂光は、ついにその場にしゃがみ込んだ。

 

「はあ、はあ、はあ……。こ、これ以上は……ぜ、絶対に歩か……ないわよ……。お、お、終わりに……しなさい……呂盛……」

 

 呂光は、座ったまま少し前を歩く呂盛を睨みつけた。

 これ以上は無理──。

 呂光はそれをこの行動によって伝えるつもりだ。

 

「置いていくわよ、呂布様。さっさと来なさい」

 

 しかし、呂盛は素知らぬ顔だ。

 そのまま歩みの速度を落とさずに進んでいく。

 だが、ここで屈服したら、いつまでもこの責め苦は終わらない。

 呂光は座ったままでいた。

 すると、呂盛はそのまま歩き続けて、ついには右に折れる道の向こうに姿を消してしまった。

 

 呂光はそれでも立たなかった。

 呂盛が諦めて、戻ってくるのを待つのだ。

 そうやって、いくらかの時間が過ぎた。

 だが、忌々しいことに、なかかな呂盛は戻ってこない。

 しかも、じっとしていると、掻痒感がますます強くなる。

 知らず呂光は、いつしか、しゃがんだままの腰を淫らに左右に動かしていた。

 

 そのとき、不意に人の気配が近づくのを呂光は感じた。

 最初は、やっと呂盛が戻ってきたのかと思ったが、人の気配は反対の背中側だ。

 しかも、複数……。

 呂光は慌てて立ちあがった。

 やってくるのは呂盛ではない。

 

 すぐに、凶悪そうな顔つきの男が五人ほど、呂光のいる場所までやってきて、すっかりと取り込んでしまった。

 しかも、全員が得物を持っている。

 

 賊か──?

 

 呂光は内心で舌打ちした。

 通常の状態であれば、賊徒が五人どころか、十人でも二十人いても、どうということはない。

 だが、いまの呂光は、まったく腕が弛緩して動かない状態だ。

 しかも、股間には激しい痒みをを呼ぶ媚薬を塗られ、股間と肛門には二本の張形……。

 こんな状態では、さすがの呂光にもどうしようもない。

 

「りょ、りょせ……い……」

 

 呂光は叫ぼうとした。

 しかし、やはり、呂盛の経絡突きによる舌の痺れで、口から出るのはか細い声だけだ。

 呂光は火照り切った身体の背に、冷たい汗が流れるのを感じた。

 

「な、なに……もの……だ?」

 

 呂光はじりじりと下がりながら、可能な限りの殺気をこめた鋭い声をあげた。

 だが、五人の賊たちは、たじろぐどころかにやにやと笑うだけだ。

 

「お前こそ、何者だ? ここは俺たち、梁山泊(りょうざんぱく)の盗賊団の縄張りだぜ」

 

 ひとりが言った。

 やっぱりか……。

 呂光は思った。

 

 そして、もう一度、呂盛が消えた方向に目をやった。

 しかし、やはり、呂盛の戻る気配はない。

 絶体絶命とはこのことだろう。

 呂光は、道の端に視線を送った。

 そこは崖になっていて、飛び降りれば梁山湖の水の中だ。

 

 飛び込むか……?

 こんな状態では、水の中で溺れ死ぬ可能性が高いが、逃げ延びることができるとすれば、それしかない気がする。

 

「退け──」

 

 呂光は駆けた。

 いまにも倒れそうなくらいにふらふらだった呂光が、いきなり激しく動くというのは、連中の意表を突いたのかもしれない。

 取り囲んだ賊徒がほんの少したじろぐ気配を示した。

 呂光にはそれで十分だった。

 五人の賊徒の囲みの外に出た。

 目の前は崖だ。

 その先は湖──。

 

「わっ、どこに?」

 

 賊徒のひとりが当惑したように叫んだ。

 しかし、そのときには、呂光の身体は湖に向かって身を投げ出していた。

 水飛沫がして、呂光は水の中に飛び込んだ。

 一瞬だけ、呆気にとられている賊徒たちの声が上から聞こえる。

 だが、それから先のことはわからない。

 

 水中にいる呂光は、懸命に水の上に顔をあげようとするのだが、動かせない腕のままでは、やはりうまく泳げない。

 しかも、水が衣類を濡らして、呂光が泳ごうとするのを阻む。

 呂光はどんどんと身体が沈んでいくのを感じた。

 

 畜生……。

 なんとか、水の上に……。

 

 呂光はもがいた。

 だが、どんなに頑張っても、呂光の身体は水の底に向かうのをやめる気配はなかった……。

 呂光は意識がどんよりとした鉛のもやに取って代わられていくのを感じた。

 

 

 *

 

 

 はっとした。

 

 生きている?

 

 目を開けて、最初に見えたのは小さな小屋の天井だった。

 身体になにかがかかっている。

 どうやら、掛布代わりの大きな衣服だとわかった。

 

 まだ、身体が重い。

 

 呂光は、いまどういう状況なのかわからなかったが、記憶を呼び起こし、やっと盗賊から逃亡しようとして、自ら梁山湖の水の中に飛び込んだということを思い出した。

 しかし、うまく泳ぐことができずに、そのまま水の中に引き込まれた。

 覚えているのは、そこまでだ。

 

 だが、ここは……?

 どうやら死んではいないようだが、これはどういう状況だろうか……?

 

「ああ、目が覚めたかい、あんた」

 

 そのとき、部屋の隅から若い男の声がかけられた。

 驚いた呂光は、驚いて身体を起こした。

 

「う、うわっ。ま、待て。身体を……、身体を隠せよ、あんた」

 

 さっき声をかけてきた男が当惑したように叫んだ。

 それで初めて、呂光は身体を起こしたことで、身体にかかっていた服の掛布がずれて、両方の乳房が剥き出しになったということに気がついた。

 

 それで、わかったが呂光は裸だ。

 上だけでなく、下半身もだ。

 まったくの素裸であり、その身体の上に服をかけられていたのだ。

 呂光は慌てて、ずれ落ちた衣類を引き寄せて胸を隠した。

 

 そして、気がついたのは、どうやら呂盛の経絡突きによる身体の弛緩は解けているということだ。

 身体は自由に動く。

 ただ、溺れかけていたというのは事実だろう。

 身体が異常にだるくて力が入らない。

 そして、周囲に呂盛はいないようだ。

 目の前で呂盛を見守っていた男のことも知らない。

 会ったことのない人物だ。

 

「こ、ここは……?」

 

 呂光は訊ねた。

 

「俺の漁師小屋だ。あんたは水に入って溺れかけていた。偶然にも、俺が通りかからなかったら、あんたは死んでいたと思う。とにかく、俺が引き上げて、ここまで連れてきたんだ」

 

 その男は言った。

 つまりは、湖に飛び込んで盗賊から逃げようとした呂光を彼が助けてくれたということだろう。

 

「ふ、服は俺が脱がせた。わ、悪く思うな。男の恰好としていたし、男だと思ってな。いずれにしても濡れたままだと、身体が冷えて死んでしまうかもしれなかったんだ」

 

 男が言い訳するように言った。

 

「あ……。そ、そうなの……。ありがとう……。お、恩に着ます」

 

 呂光はとりあえず言った。

 なんだか実直そうな若者だ。

 どうやら性質のいい男に偶然にも助けられたようだ。

 呂光の裸身を見て、動揺しているのは、なんだか初々しくて好感が持てる。

 これまで、呂光の周りにはいなかった男だと思った。

 それではっとした。

 思い出して股間を触った。

 だが、飛び込んだときにしていた張形はない。

 なくなっている……。

 

「あ、あの……。股間のものもあんたが?」

 

 呂光は思わず言った。

 あのとき、溺れかけていた呂光を助けて、呂光の服を脱がせたとすれば、なくなっている張形を抜いたのも彼だろう。

 張形を挿したまま溺れかけていた女など、おかしな女だと思ったにに違いない。

 呂光は自分の顔が赤面するのを感じた。

 

「こ、股間のもの? ああ、下着のことか……。いや、そのう……。濡れたままじゃあ、身体が冷えるし……」

 

 男が困ったように、顔を赤らめる。

 張形のことのは思い至らないようだ。

 その表情に不自然な感じはない。

 だったら、張形を抜いたのは、彼ではないのか……。

 ならば、張形は溺れているうちに抜けた?

 呂光も首を傾げた。

 

「あっ、いえ。いいんです。本当にありがとうございました」

 

 呂光は裸体を被さっている服で隠したまま、頭をさげた。

 

「それよりも、俺の名は、阮小ニ(げんしょうじ)だ。ここでひとりで暮らしでな。ところで、あんたは、まだ休んでいた方がいい。あんたの服は小屋の外で乾かしている。乾けば持ってくる。夜については、俺は船で休むから気にしないでくれ」

 

「げ、阮小ニ?」

 

 しかし、呂光は、その名に驚いてしまった。



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86  阮小ニ(げんしょうじ)呂光(りょこう)を襲い獣の愛を交わす

 夜になった。

 衣服は昼間のうちに乾いたものを阮小ニ(げんしょうじ)が渡してくれていて、呂光(りょこう)はすでにそれを着込んでいる。

 昼間のあいだは身体が重くて受けつけなかった食事も、夕食の時分には、なんとか食事を口に入れることができた。

 

 食事はおいしかった。

 阮小ニが小屋の外の板張りで作ってくれたものだったが、香草と米と魚を汁で煮込んだものであり、呂光に気を遣ってのことか、弱っている呂光にも食べやすいように、とても軟らかく煮込んであった。

 その食事ひとつで、呂光には自分をいたわってくれようとしている阮小ニの心根の優しさを感じてしまった。

 食事が終わると、呂光は阮小ニが準備してくれた寝具の上に再び横になった。

 

 いま、呂光が寝ている小屋の中には阮小ニはいない。

 小屋には、すだれのようなもので阻まれたふたつの部屋があったが、いまはそこに呂光はひとりでいた。

 ここは湖に突き出た漁師小屋であり、湖の底に建てた柱の上に作られており、小屋の下には船が止めてあって小屋の外に突き出た板張りの場所から梯子で降りて、すぐに船に乗れるようになっている。

 阮小ニはその船にいるのだ。

 

 別に小屋に一緒にいてくれて構わないと、再三口にしたのだが、呂光が若い女であることを知ってしまって気を遣っているのか、どうしても阮小ニは自分は下で休むといってきかなかった。

 その代わりに、調子が悪くなったら、いつでも呼んでくれと、一個の鈴を渡された。

 鈴が鳴れば、いつでも下からあがってくるという。

 そうやって気を遣われると、呂光もかえって調子が狂ってしまう。

 

 宮廷に雇われる諜報のような仕事をしていると、もはや、呂光を女として扱う者などいなくなるし、いたとしても、呂光の身体が目当ての下心が見え見えの者ばかりしかいない。

 呂光もそれが当たり前だと思っているし、いまさら、女としての扱いを男に求めたいという気持ちはない。

 それどころか、諜報のために、女の武器としての身体を遣って必要な情報を取り出すこともある。

 

 だが、阮小ニの態度は、本当に呂光に対するいたわりに満ちていて、きちんとした慎みを守ったものだ。

 それは、呂光にとっては、新鮮な感覚だった。

 もっとも、阮小ニが女に興味がないことはないことはわかっている。

 下心があるという証拠に、阮小ニは時折ちらちらと呂光の身体を眺めるように視線を向けてくる。

 男の「ちら見」は、女の「がん見」ともいうが、阮小ニが呂光に対して女としての興味を抱いてくれながらも、きちんと一線を保った態度をとろうと努力してくれるのは、少々呆れる気持ちにもなる。

 この世にはこんな男もいるのだなと思った。

 

 また、食事のときに、少し阮小ニと話もした。

 阮小ニには、老いた母親と暮らしている妹が近くにいるそうだ。

 

 妹の名は、阮小女(げんしょうじょ)──。

 

 船の操りも巧みらしいが、若い女でありながら、大の男を使う船大工なのだそうだ。

 その阮小女は、いまは用事があり、泊りがけで、東渓村(とうけいそん)に出かけているらしい。

 呂光は、なんの用で出かけているのだと訊ねたが、特になんの用でもなく、ただの雑用だと阮小ニは口を濁した。

 呂光としても、それ以上に深く訊ねる理由もなく、阮小女についての話題はそれで終わった。

 

 また、逆に阮小ニは、呂光が何者であり、なぜ湖に飛び込んでいたのかと質問をしてきた。

 呂光は、自分は身寄りをなくした旅の女であり、親族を頼るために畿内に向かう途中だったと答えた。

 男の恰好をしているのは、女のひとり旅が物騒だからで、いくらかの剣の覚えもあるので、なんとかここまで旅をしてきたとも言った。

 素性を誤魔化すために準備をしている偽の境遇のひとつであり、正式の役人の取り調べでも疑いようもないほどに、その素性に見合う記憶や身分を証明する書類などを準備して持っている。

 

 湖で溺れていた理由については、湖畔街道を旅をしているときに、梁山泊の盗賊団に襲われたからであり、とっさに湖に飛び込んで逃げたものの、服に水が染み込んで重くなり、泳げなかったからだと説明した。 

 本当に溺れた理由は、妹の呂盛(りょせい)が、悪戯で呂光の身体を経絡突きで弛緩させたためなのだが、無論それは言わない。

 それでも半分は本当のことであり、それについても阮小ニは信じた。

 それだけでなく、いまの梁山泊の盗賊団は、本当にどうしようもない連中だと、憤慨してくれた。

 やはり、優しい男なのだと呂光は思った。

 食事が終わると、呂光が再三、気をつかわなくていいと繰り返したのに、若い女と一緒に寝るのは失礼だからと頑なに言って、小屋の下にある船に降りていった。

 

 そして、いま、呂光は再び横になっている。

 身体がだるいのは事実だし、それに、少しひとりで考える時間が欲しくもあった。

 

 死んだ白勝(はくしょう)の自白によれば、生辰綱(せいしんこう)を奪ったのは、晁公子(ちょうこうし)という美貌の女を長とする数名の男女であり、その賊徒の中に阮小ニという名の男がいたということだった。

 白勝は、彼女たちが生辰綱を奪うための拠点として、自分の経営する宿屋を提供していて、それで生辰綱を奪うという彼女たちの仲間になったのだ。

 

 ただ、白勝は実際には、彼女たちがどこからやって来た者たちであり、どういう関係の者たちかということは知らなかった。

 しかし、呂光は、これまでの調査から、おそらく、生辰綱を奪ったのは、女賊とか、白巾賊とか称される謎の集団の一味であるに違いなく、さらに、白勝の自白から、その晁公子というのが、このすぐ近くの東渓村の女村長ではないかと推測した。

 

 そして、村に近い湖畔の場所で暮らす白勝が証言したのと同じ名の阮小ニ……。

 しかも、妹の阮小女は、晁公子という女名主のいる東渓村に泊りがけでいっているという……。

 そういえば、白勝の証言によれば、生辰綱を輸送するのに連中が使った船を操っていた若い娘が別にいたようだ。

 その娘の名はわからない。

 だか、それが阮小女ではないだろうか……?

 

 阮小女は二十歳だと阮小ニが言っていたので、娘というような年齢ではないが、阮小ニは少し童顔なので、阮小女も年齢よりは若く見えるのかもしれない。

 やはり、阮小ニは生辰綱を盗んだ一味のひとりなのだろうか?

 

 だが、あの阮小ニには、まるで賊徒らしい影がない。

 真っ直ぐな気性であり、とても正直そうな好青年だ。

 白巾賊のひとりとして、政府に刃向かうような賊徒には思えないのだが……。

 それとも、あるいは、あんな阮小ニのような男を賊徒にさせてしまうなにかが、この国にはあるのだろうか……。

 

 そのとき、呂光は部屋の外に人の気配を感じて、上体を起こした。

 いまは真夜中と言える時刻であり、すでに小屋の灯は消していて、小屋は真っ暗だ。

 それでも、夜目の利く呂光には、その気配の正体がすぐにわかった。

 果たして、そこにいたのは妹の呂盛だった。

 

「あ、あんた」

 

 怒鳴りあげようとして、阮小ニがすぐ下の船で寝ているはずだというのを思い出して、呂光は怒声をあげるのを自重した。

 呂盛は悪びれもせずに、ぺろりと舌を出した。

 

「……阮小ニの休んでいる船には、特別な香を漂わせておいたわ、姉さん。しばらくは目を覚ますことはないから大丈夫だと思う……。だけど、四半刻(約十五分)もたてば、目を覚ますと思うわ」

 

 呂盛が呂光の寝ている寝具の横に胡坐に座りながら言った。

 どうせ、眠り薬でも仕込んできたのだろう。

 呂光は大きく息を吐いた。

 

「いままで、どこにいたのよ?」

 

「もちろん、隠れて見守ってたわ。それよりも、どうする、姉さん。地方軍に知らせて、とりあえず阮小ニを捕縛させる? それとも、白勝みたいに、わたしたちで捕らえて拷問する?」

 

「やめなさい。わたしの許可なく、手を出すんじゃないわよ、呂盛。勝手なことをしたら承知しないからね」

 

 呂光は強い口調で言った。

 すると、暗闇の中で呂盛がにやりと微笑んだのが見えた。

 

「姉さんはそう言うだろうと思ったわ……。なんとなくね……。わたしもびっくりしたけど、阮小ニって男、随分と優しくて礼儀正しいのね。あれは、ただの漁師じゃないわね。きっと心に大望を持っているわ。だから、表に醜いものを出さないで済むのよ」

 

 呂盛が言った。

 どうやら、呂盛はどういう手段なのかわからないが、この小屋をずっと観察していたようだ。

 呂光は呆れた。

 

「いつから見張っていたの、呂盛?」

 

「いつからかって訊ねるなら、最初からね。姉さんが湖に飛び込んだときは驚いたわ。少しくらい犯されるくらいどうってことないじゃないのよ。姉さんに連中が悪戯しているあいだに、全員の首を掻き切ってやるつもりだったのよ。それなのに湖に飛び込んじゃうんだもの。わたしの経絡突きで身体が動かないのに、溺れるに決まっているじゃない」

 

 呂盛は悪びれる気配もなく言った。

 

「……もしかして、本当は、わたしを助けたのは、あんた?」

 

 呂光は嘆息した。

 そうでないかと思ったのだ。

 

 水の中で気を失った呂光が目を覚ましたとき、すでに呂盛の経絡の影響は消えていて、しかも、股間に挿入されていた張形もなくなっていた。

 張形については、呂光を引きあげて服を脱がせたはずの阮小ニは知らないようだったし、そうであれば、阮小ニが呂光を助ける前に、手足の弛緩を元に戻して、呂光の股間と肛門から淫具を取り出した人物が存在することになる。

 それはこの悪戯の妹以外にはありえない。

 

「水の中に沈みかけていた姉さんを最初に水の上に引きあげたのが誰かということであれば、それはわたしよ。だけど、一度引きあげて、そのまま水に流し直したのよ」

 

「流し直した?」

 

「阮小ニの船が近づいてきたのがわかったからね。こんな偶然ありえないと思ったけど、これは大きな機会だと考えたのよ。思惑通りに阮小ニは姉さんを助けて、世話をしてくれた。これで生辰綱を奪った賊徒かもしれない連中のひとりにくい込めたのよ。どう? 咄嗟だったけど、うまく対応したでしょう。誉めてよ」

 

「あんた、阮小ニの顔を事前に知っていたの?」

 

 呂光は言った。

 もはや、呂光には、呂盛に対する怒りはない。

 こんなことくらいで怒っていたら、この妹の姉は務まらない。

 それに、これが呂盛の瞬時の判断だとすれば、よい判断だと思う。

 確かに、極めて自然に阮小ニにくい入ることができた。

 これで余程のことがなければ、阮小ニは呂光を政府の手の者だと考えることはないだろう。

 そして、阮小ニにくい入れば、きっと生辰綱の奪取に加担したほかの女たちにも繋がるはずだ。

 無論、それは阮小ニが生辰綱奪取の賊徒である場合の話だが……。

 

 いずれにしても、呂盛はいい仕事をしたと評価せざるを得ないだろう……。

 それはともかく、水の上で呂盛が阮小ニが近づくのがわかったとすれば、呂盛は事前に阮小ニを知っていたことになるのだ。

 呂光にはそれが意外だった。

 だが、呂盛は首を横に振った。

 

「阮小ニの顔は知らなかったわ。あんなに色男だと知っていたら溺れ役はわたしがやったわよ。わたしが知っていたのは阮小ニの船よ。特徴のある船と教えてもらっていたので、船が寄ってきただけでわかったわ……」

 

「船?」

 

「この付近で白勝が口にした名の中で、晁公子以外の者がいないかどうか、手の者に調べさせていたのよ。ほかの名は出なかったけど、阮小ニはこの梁山湖界隈では、知らぬ者のない漁師らしいわ。妹の阮小女も若い女船大工として有名なんだけど、その阮小女の工夫の高速の船の持ち主だそうよ。そんな報告を手の者から事前に珍棒を舐めながら受けていたのよ」

 

 呂盛は笑った。

 あのときか……。

 呂光は思った。

 そのとき呂光は、この妹の仕業により、怖ろしい痒み責めを受け入ていた。

 あのときの苦しみの記憶が蘇り、呂光はいやな気分になった。

 

「……とにかく、姉さん。阮小ニを逃がしちゃだめよ。しっかりと仕込んでおいたからね。わたしはわたしで、この付近をいろいろと探ってみるわ。いずれにしても、姉さんの考えている通りだと思う。この周辺はなにか匂う……。本当に白巾賊の拠点があるのかもしれない……。だけど、それはあの梁山泊(はくきんぞく)ではないわね」

 

 呂盛がはっきりと言った。

 そして、音もなく、すっと立ちあがる。

 しかし、呂光は、呂盛が何気なく口にしたひとつの言葉が気になった。

 

「……ねえ、呂盛、仕込んだって、どういう意味?」

 

 呂光は言った。

 すると、呂盛がにっこりと微笑んだ。

 

「だって、姉さん、わたしと違って色仕掛けとが苦手でしょう? だからね……」

 

「だからねって……。それは、一体、どういうこと──? ちょ、ちょっと──」

 

 呂光は声をあげた。

 だが、次の瞬間、呂盛の姿は消えるように闇の中に溶けていった。

 もう、気配はない。

 呂盛が姿を消したのは明らかだ。

 だが、いやな予感がした。

 そのとき、荒々しく人のあがってくる音が近づいてきた。

 無論、それは呂盛などではありえない。

 

「……呂光っ──」

 

 小屋に入って来たのは阮小ニだ。

 その阮小ニが呂光の寝具の前に仁王立ちになり怒鳴った。

 呂光というのは、忍びの任務用の名なので、教えても問題はなく、そのまま名乗っていた。

 それよりも、闇の中だが、阮小ニの目が血走っているのがわかった。

 息も荒い。

 目付きが異常だ。

 これは尋常ではない。

 しかも、股間が下袴越しに大きく勃起している。

 どうやら、一時的に冷静さを失うほどの媚薬を阮小ニは服用させられたようだ。

 これが呂盛が言っていた「仕込んだ」ということなのだろう。

 あまりにも、常軌を逸した阮小ニの様子に呂光も舌打ちした。

 

「ちょ、ちょっと落ち着いて……」

 

 だが、阮小ニの顔には異常なほどの高揚が観察できる。

 あの呂盛は、一体全体、どれだけ強い媚薬を阮小ニに与えたのだろう。

 大丈夫だろうか……?

 

「やかましい。つべこべ言わずに犯させろ──。俺はあんたの命を助けたんだ。だったら、身体くらい頂いてもいいはずだ」

 

 阮小ニが大きな声で怒鳴り、呂光に飛びかかって来た。

 

「おいっ」

 

 阮小ニが呂光が身体に被せていた掛け布を荒々しく投げ捨てると、呂光が身に着けている衣服の上衣に手をかけた。

 

「や、破らないで──。脱ぐわ。自分で脱ぐから」

 

 呂光は慌てて叫んだ。

 

「うるせい」

 

 しかし、次の瞬間、目から火が出るほどに頬を打たれた。

 呂光はひっくり返り、阮小ニが掴んでいた上衣は襟元から左右にはだけて乳房がこぼれ出る。

 

「ちょ、ちょっと、ら、乱暴しないで」

 

 呂光はくらくらする頭を振って、朦朧とする視線を阮小ニに向けながら言った。

 なんという力だ。

 呂光は驚いた。

 女ながらに忍びのようなことをしているのだから、男の乱暴に対してもそれなりに抵抗のすべを知っているつもりだったし、腕力に応じる返し技もわかっているはずだった。

 

 だが、この阮小ニは強い……。

 漁師で鍛えた腕力があるだけでなく、これは相当の手練れでもある。

 それがいまの張り手一発で悟った。

 それが本気で呂光に向かってくる。

 呂光は生命の恐怖さえ感じた。

 もしかしたら、男に敵わないと感じたのは、生れてはじめてかもしれない。

 もともと、大人しく犯されるつもりだったが、そうでなくても、いまの一発は呂光の戦意を喪失させるのに十分なものだった。

 

「大人しくしろ」

 

 阮小ニが怒鳴り声をあげて、呂光の下袴に手をかける。

 今度はなにもしなかった。

 

「大人しくするわ。だから、乱暴しないで」

 

「うるせい」

 

 阮小二が怒鳴った。

 また、叩かれると思って身構えたが、今度は殴られなかった。呂光へほっとした。

 とにかく、もう服を破るなら破るに任せるつもりだ。

 ただ、できるなら破られたくはない。

 少し腰を浮かせるようにすると、呂光の腰から男物の下袴が下着ごと引きずり降ろされて、足首から抜かれる。

 

「いい女だ。ちょっとでも逃げる仕草をしてみろ。もっと痛めつけるぞ」

 

 阮小ニが血走った顔つきで怒鳴った。

 そして、今度は自分の服を脱ぎ始める。

 

「に、逃げないわ。だ、だけど、少しは優しくしてよ……」

 

 呂光は観念して言った。

 そして、まだ上半身に残っていた衣類を脱ぐ。

 これで呂光は生まれたままの姿だ。

 

「呂光、脚を開け」

 

 阮小ニが声を張りあげた。

 もう、阮小ニも素裸だ。

 闇の中だが、阮小ニの鍛えあげられた身体が呂光に迫ったのがわかった。

 怒張はこれ以上ありえないというほどにたぎり切り、すでに男の精がにじみ出ているらしく、その先端からは強い臭気がした。

 

 それにしても、この阮小ニの変わりようはなんとしたことだろう?

 昼間の阮小ニは、とても礼儀正しくて、大人しい性質だった。

 呂盛が媚薬を与えたとしても、女に暴力を振るうような男ではなかったのに……。

 呂光は当惑してしまった。

 

「口を開け」

 

 阮小ニが呂光にのしかかる。

 すぐに、むさぼるような阮小ニの口づけが襲ってきた。

 呂光の舌に阮小ニの舌が擦りつけられる。

 根元から先端に……。

 そして、また先端から根元に……。

 それが執拗に繰り返される。

 

 そして、阮小二の唾液に混じった媚薬が呂光の口に混じったのがわかった。

 その瞬間、呂光は腰が抜けた感じになった。

 

「あ……」

 

 呂光の口から声が洩れる。

 身体全体におかしな疼きが駆け抜けたのだ。

 突然に全身がかっと熱くなる。

 

 それだけではない。

 突如として、目の前の阮小ニをむさぼりたい欲求が沸き起こる。

 この男と愛し合いたい……。

 いや、食らいたい……。

 この男の性器をしゃぶり、味わい、そして、ありったけの精を注がれたい。

 獣のように絡み合うのだ。

 離さない。

 離すものか。

 この男を味わい尽くすまで、絶対にこの男を逃がさない。

 

「も、もっと吸って」

 

 阮小ニの唇が離れかけたとき、思わず呂光は叫んでいた。

 そして、今度は呂光から阮小ニの唇に唇を重ねた。

 内側がめくれるほどに、完全に重ね合わせると、そのまま顔を揺するように阮小ニの舌に舌を擦りつける。

 すぐに、もう一度阮小ニの舌が押し入って来た。

 

「はああ、あああ……」

 

 呂光は荒い息を洩らしながら、舌を絡める。

 阮小ニと呂光の唾液が混ざり合う。

 呂光の中の一片の冷静さが、これ以上、この唾液を飲むことは危険だということを告げていた。

 阮小ニがおかしくなった原因は完全に理解した。阮小ニが服用したものの一部が呂光の身体にも流れ込んできているからだ。

 

 呂盛が阮小ニに与えたのは、ただの媚薬ではない。

 おそらく道術の秘薬……。

 人間の本能を解放し、欲望だけのけだものにする操り効果のある道薬だ。

 それを呂盛に飲まされた阮小ニは、淫欲に狂う野獣と化したのだ。

 そして、阮小ニが服用させられたその道薬が、唾液を通じて呂光の身体にも流れ込んでいる。

 そのために、阮小ニと口づけをした瞬間に、呂光もまたおかしくなっている。

 

 呂盛め……。

 

 呂光はえげつない薬剤を躊躇なく使用した妹に対して、憤りの感情が沸き起こった。

 

 だが、それはすぐに阮小ニに口腔を舌で愛撫される悦びにかき消えた。

 驚くほどの快感が口腔から全身に駆け巡る。

 峻烈なうねりが満ち満ちて、頭が阮小ニから与えられる官能で一杯になる。

 

「ううん……んああっ……」

 

 呂光はだらしなく洩れる声を止められなくなった。

 気持ちいい……。

 口づけだけでこれだけ欲情するのは異常なことだ。

 それも道薬の媚薬効果だと思うが、このまま舌と舌をしゃぶり合わせるだけで達してしまいそうだった。

 こんなことは初めてだ。

 

「呂光──呂光──。お前は最高だ──。最高の女だ──」

 

 顔をあげた阮小ニが吠えるような声をあげた。

 嬉しかった……。

 呂盛が燃えているのと同じように、目の前の阮小ニが興奮してくれているのが堪らなく嬉しい。

 

「ああ、阮小二──」

 

 呂光は叫んでいた。

 わけがわからない。

 もう、阮小ニと愛し合うことしか考えられないのだ。

 そして、阮小ニの口を離すまいと思って、三度(みたび)、唇に吸い付く。

 

「呂光、呂光、最高だ。最高だ」

 

 阮小ニが呻き声をあげながら、舌を差し入れてきた。

 呂光は夢中になって、阮小ニの舌をしゃぶりまわす。

 それにしても、なんという美味しい唾液だろう。

 呂光は舌の感触だけでなく、阮小ニの唾液に混じる妖しい味に酔いしれた。

 飲めば飲むほど、全身が痺れたようになり、身体全体が気持ちよくなる。

 堪らない……。

 

「ああっ」

 

 そして、呂光は声をあげた。

 阮小ニの手が呂光の乳房を揉み始めたのだ。

 技巧の欠片もない稚拙な愛撫だが、いまの呂光には最高の手管だ。

 

「うんんっ、うんっ」

 

 阮小ニの舌を唾液をむさぼる。

 いくら舐めても舐め足りない。

 舌を合わせれば合わせるほど、欲望と官能のうねりが噴きあがる。

 そのあいだも、阮小ニの手が盛りあがった胸の頂をぐしゃぐしゃと捏ねまわす。

 呂光は自分の身体が絶頂に向かっているのをはっきりと自覚していた。

 胸と口づけだけで昇天してしまうなど信じられないことだったが、それは事実だった。

 もう興奮を止められない。

 

「うふううっ」

 

 快美感が全身を走り抜け、呂光は身体の上の裸身を力一杯に掴んだ。

 峻烈な暴発が起こった。

 四肢が絶頂の感覚で撃ち抜かれる。

 呂光は舌と乳房を自ら阮小ニに擦りつけるように、顔と胸をくねらせ続けた。

 

「もう達したのか。いやらしい女だ」

 

 阮小ニが嬉しそうに言った。

 

「そ、そうよ。いやらしい女なのよ。もっと、めちゃくちゃにして」

 

 呂光は言った。

 達しはしたが、とてもじゃないがまだ物足りない。

 もっと……。

 もっとだ──。

 前戯で絶頂をしてしまった身体は、さらなる高みを欲している。

 もっと激しい烈情に見舞われたい。

 

「いやらしくて、いやらしい女だ。俺もいやらしい男だ……。あんたを……見たときから……やりたくて……やりたくて仕方がなかった。犯したくて堪らなくなった……。だから、離れて休むことにしたのに……」

 

 不意に、阮小ニがきょとんとした表情になる。

 そして、さっきまでの荒々しさが薄らぎ、昼間のときのような柔和そうな表情にすり替わる。

 道薬の効果が薄れた……?

 そういえば、呂光もまた、やっと思考ができる状態に戻っていると思った。

 人を獣に変える危険な道薬なだけに、呂盛はそれなりに量を制限したのかもしれない。

 それで、早くも効き目が薄らいできたのに違いなかった。

 しかし、冗談ではなかった。

 こんなところでやめられては、呂光がおかしくなる。

 この身体は、まだまだ煮えたぎるくらいに煮えたぎっている。

 

「阮小ニ……」

 

 呂光は阮小ニの身体を引き起こして強引に胡坐に座らせると、自分も起きあがって阮小ニの股間に顔をうずめた。

 阮小ニの怒張は先端からにじみ出る精のために強烈な臭気を発していた。

 

「りょ、呂光……」

 

 阮小ニが一瞬、当惑した声をあげた。

 構わず、阮小ニの勃起した性器を自ら喉元まで咥える。

 

「んんんっ」

 

 先端が喉に触れたとき、呂光は甘美なめまいに襲われた。

 再び、さっきの道薬の酔いが戻って来た気がする。

 とにかく、呂光はたっぷりの唾液を阮小ニの亀頭の先端にまぶして、舌を絡みつかせた。

 いまや、この呂光の唾液にも、口移しで流された道薬の影響が残っているはずだ。

 それを阮小ニの怒張に擦りつければ……。

 

「うううっ、あああっ」

 

 すると、口の中の阮小ニの怒張が異常なまでの熱を持ち始めたのがわかった。

 そして、頭の上から阮小ニの獣のような唸り声が降って来た。

 

「んんん」

 

 呂光にもまた、さっきのような大きな興奮が戻ってきた。

 阮小ニの一物を口に含み、先端から次々に滲む精を飲み込む。

 それだけで、呂光には二度目の絶頂のうねりが沸き起こって来た。

 

「うあっ」

 

 阮小ニが吠えるような声を発すると、がっしりと髪を掴まれた。

 

「んあっ、ああっ、があっ」

 

 頭をがっしりと掴まれて、顔を前後に動かすようにされた。

 呂光は苦しさに耐えながらも、必死になって唇と舌で阮小ニの怒張を擦る。

 

「んんっ、んっ、んっ」

 

 声が出る。

 もう、絶頂は間近だ。

 自分で自分の身体が恐ろしくなっても来た。

 こんな悦びがこの世にあったのか……?

 それを味わってしまってもいいのか……?

 そんな不安にさえ襲われる。

 荒々しく擦られる口の中の阮小ニの怒張がさらに熱を帯びて膨らみを増した気がした。

 

 出すのか……?

 

 呂光の心が期待であふれ返る。

 一滴残らず、精を飲み干してやろう。

 そう思った。

 

「あっ」

 

 だが、突然に顔を阮小ニの股間から強引に剥がされた。

 そして、また押し倒される。

 

「脚を開くんだ。限界まで開け」

 

 阮小ニが怒鳴った。

 これだ……。

 これ──。

 この獣のような荒々しい阮小ニ──。

 これが呂光が求めるものだ。

 呂光は言われるままに両脚を横に拡げた。

 限界までと言われれば、柔らかい呂光の身体は水平以上に股を拡げることができる。

 とりあえず、脚を大きく開いた。

 その呂光に阮小ニが覆いかぶさり、今度は阮小ニが呂光の乳房に顔をうずめながら、指を股間に合わせてくる。

 

「あはああっ」

 

 呂光の口から咆哮が迸った。

 すでにたっぷりと濡れている呂光の股間に阮小ニの指が這う。

 一方で、上体側では乳首がちゅうちゅうと音を立てて吸われる。

 身体の芯まで溶け出すような愉悦が全身を突き抜ける。

 

「あああっ、我慢できない。我慢できないのよ──」

 

 呂光は叫んだ。

 そして、阮小ニの指が股間に挿入されたときには、ほとんど無意識に膣を締めあげていた。

 そのままむさぼるように粘膜を阮小ニの指先に擦りつける。

 

「ああっ」

 

 呂光は堪らない快感に身体を弓なりにした。

 来る──。

 絶頂の波がそこまでやって来ている。

 

「はああっ」

 

 呂光は絶叫した。

 だが、すっと指が抜かれる。

 失望したのは一瞬だけだ。

 阮小ニの体勢が変化して、濡れ切った花唇に阮小ニの怒張の先端が触れてきた。

 呂光が嬉しさのあまり、身体をぶるぶると大きく震わせたときには、すでに怒張の先端が子宮近くまで貫いていた。

 

「んふうううっ」

 

 呂光は阮小ニの背中にしがみついた。

 歓喜の頂点があっという間に呂光の全身を席巻したのだ。

 しかし、絶頂の余韻に浸る暇もなく、阮小ニの本格的な怒張の抽走が開始される。

 呂光の身体はさらなる高みに強引に飛翔させられる。

 もう、わけがわからない。

 

 律動が続く。

 呂光はひたすら狂乱し、悶え、そして、制御できない快楽の暴流を愉しんだ。

 こんなことは生まれて初めてだった。

 男女の性交というのは、呂光にとっては間諜の任務をこなすための手段でしかなかった。

 だが、いま呂光は心の底から性の悦びに浸っている。

 いま、この瞬間の呂光は、ただの女であり、一匹の雌にすぎない。

 

「ああ、阮小ニ、もう、だめ、だめようっ」

 

 呂光は悲鳴をあげていた。

 おそらく、この常軌を逸した絶頂の繰り返しは、これも道薬の影響にあるのに違いなかった。

 きっと、そうなのだろう。

 だが、もしかしたら、この阮小ニとの逢瀬が特別なのかもしれない。

 そんなことも思ったりした。

 

 そして、またやって来た。

 大きな快感の波動に突きあげられて、呂光は知らず、股間で阮小ニの怒張を締めつける。

 

「うううっ」

 

 そのとき、阮小ニが小さく呻き声をあげて、ぶるりと腰を震わせた。

 呂光の中に精を放ったのだ。

 

 不可思議な感動が呂光に襲い掛かる。

 そして、骨が崩れるような激烈な快感とともに、呂光は三度目の絶頂を果たした。 



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87  阮小ニ(げんしょうじ)、求婚し呂光(りょこう)は罪を告白する

 どのくらいの時間が流れたのか、呂光(りょこう)はよく覚えていない。

 いまは、仰臥している阮小ニ(げんしょうじ)の上に呂光が跨ったかたちで腰を上下に振っていた。

 股間は完全に結合している。

 その状態で、呂光は阮小ニと交合を続けながら激しく頬ずりしたり、舌をむさぼり合ったりしていた。

 失神寸前の状態だ。

 ただ、快楽に対する熱情のような欲望が、呂光の意識を繋ぎ止めている。

 

 狂ったような淫情の夜が続いていた。

 どちらかが上になったり、下になったりということを繰り返しながらの激しい愛し合いで、阮小ニが呂光に精を放った回数は三回か、四回のはずだ。

 一方で呂光が果てた回数など、もう数えられない。

 おそらく、二桁にはなっている。

 

「ああっ、あっ──。また、いく。いくわあっ」

 

 呂光は火のように熱くなった身体を阮小ニの上で舞いさせながら叫んだ。

 全身がすべて溶け崩れるような快感……。

 それが阮小ニとの交合で与え続けられているものだ。

 

「呂光──」

 

 阮小ニが歯を食い縛ったような顔をした。

 そして、乳房を揉んでいた手を離して、片手で呂光の腰を支えるように持ち替え、もう一方の手で呂光の菊座を愛撫し始めた。

 

「ああっ、それだめ。だめええっ」

 

 阮小ニとの指が肛門の奥深くに入っていく。

 呂光もいまのいままで知らなかったが、お尻の穴は呂光の強烈な性感帯だったらしい。今夜の交合の中でそれを発見した阮小ニは、自分が達しそうになると、すぐに呂光のお尻を刺激してくる。

 そうすると、呂光はこの世のものとは思えない恍惚感に浸ってしまい、あっという間に達してしまうというわけだ。

 

「ま、また、そこを……。ひ、卑怯よ。ああっ、阮小ニ、だ、だめええっ」

 

 呂光は騎乗位の体勢で一度起こしていた上体をがくがくと揺すると、がっくりと身体を倒して、上体を阮小ニに密着させた。

 またもや、強烈な絶頂感とともに、呂光は完全に脱力してしまう。

 

「はあ、はあ、はあ……」

 

 呂光はすっかりと身体を預けたかたちで、火照り切った顔を阮小ニの頬に密着させ、快楽の余韻に浸った。

 

「今度は俺だ」

 

 すると、くるりと身体を仰向けにひっくり返された。

 そのまま律動が開始される。

 

「ああっ、ああっ」

 

 呂光はもうなにも喋ることができずに、ただ悲鳴のような嬌声をあげた。

 この男と愛し合うことでわかったのは、阮小ニがとんでもなく性に強いということだ。 

 媚薬の影響があろうと、なかろうと、あるいは、理性を麻痺させる道薬がなくても、阮小ニの性の強さは並ではないし、体力もある。

 おそらく、このまま一日中だって、続けそうな元気さを保ち続けている。

 呂光も性にかけては初心(うぶ)ではないが、この男の前では性に未熟な少女も同様だ。

 ひたすら、翻弄され、悶えさせられ、死ぬような快楽を受け止めるだけだ。

 

「ああっ、いいっ、んふうっ」

 

 阮小ニの力強い律動──。

 呂光はまたもた高みに押しあげられ、絶叫しながら全身を弓なりにした。

 絶頂はすぐ寸前まで来ている。

 

「愛している、呂光──。あんたのような女は初めてだ──。愛している。愛している」

 

 阮小ニが感極まったような声をあげた。

 

「わ、わたしも……。あ、愛している。あなたを、愛している……」

 

 呂光も叫び返した。

 大きな衝撃がやってきた。

 呂光は身体を弓なりに反らせたまま、阮小ニの腰に密着している腰をがくがくと激しく震わせる。

 

「ま、また、わたしばっかり……。ず、ずるいわよ」

 

 呂光は少しばかり口惜しくなって、うっとりと身体の上の阮小ニを見上げた。

 だが、目が回っている。

 そして、朦朧となっている呂光の視界に映る阮小ニもまた、狂気の表情をしている。

 その阮小ニが、まるで酔っぱらったようにだらしなく緊張の溶けた顔で咆哮に似た声をあげた。

 

「お、俺の子を産んでくれ、呂光。俺の子を──」

 

 その声の中に、そんな言葉が混じったのがわかった。

 

「産むわ。あなたのを子を──。わたしを孕ませて――」

 

 呂光も呻くように言った。

 自分でもなにを喋っているのかわからない。

 おそらく、阮小ニも同じだろう。

 阮小ニが呂光の名を繰り返し呼んだ。

 その阮小ニの身体が震える。

 阮小ニが呂光に精を放つのがわかった。

 

「う、嬉しい──」

 

 呂光は声をあげていた。

 呂光の絶頂に合わせて、阮小ニが射精をするのが、どうしてこんなに悦びを覚えるのかわからないが、とにかく、呂光は幸せの絶頂にいた。

 

 女として……。

 ひとりの人間として……。

 

 呂光は阮小ニに抱きしめられたまま、そのまますっと気が遠くなるのを感じた。

 睡魔が呂光を包み込むのに任せた。

 

 

 *

 

 

 朝の光が射し込んできていた。

 呂光は微睡から覚醒した。

 

「阮小ニ?」

 

 そして、身体を起こして声をかけた。

 小屋の中には誰もいなかった。

 呂光ひとりだ。

 

 だが、ふと横を見ると、水の入った桶があり、清潔そうな手拭いが数枚準備されている。

 また、男物だが新しい服も畳んで置いてあり、その隣には昨日まで着ていた呂光の服もある。阮小ニが破った上衣まで丁寧に畳んである。

 呂光は思わず笑みを洩らした。

 とにかく、身体を拭いて、阮小ニの準備してくれた服を身に着けた。

 胸元が緩くて、注意しなければ、乳房がこぼれ落ちそうになるのが気になったが、袖と裾を折り曲げて、なんとか身に着けることができた。

 

 そのとき、小屋の下から大きな物音が聞こえた。

 呂光は小屋から張り出している縁台に出る。

 そこから下が見えるが、どうやら船で阮小ニが戻って来たところのようだ。

 その阮小ニが数匹の鮎を魚籠に入れて持っている。

 

「朝から漁? 元気ね。わたしなんて、足腰が立たなくて、まだつらいのに」

 

 魚籠を持って梯子をあがっていた阮小ニに、呂光は腕組みをして笑いかけた。

 ここまで男と女の体力の違いを見せつけられると、皮肉のひとつも言いたくなるというものだ。

 

「朝飯を作る。特製の黒たれがあって、それをつけて、生で食べるのが好きなんだが、あんたが、生魚が苦手なら、土鍋で煮て汁にするか、焼き鮎にする」

 

 阮小ニが気恥ずかしそうな口調で言った。

 

「どれも好きだけど、刺身と焼き鮎にしましょう。よければ、わたしがこしらえましょうか?」

 

「できるのか?」

 

「まあ、これでも南州の出なのよ。海の近く。元々はね……。海の魚も湖の魚も両方食べてたわ。でも、むしろ、この辺りの人は、生魚は食べないんじゃなくて?」

 

「漁師料理のひとつだ。まあ、そうはいっても、魚を開いて、身を取り出し、小さく切って食うだけだけだから、料理とは言えないかもしれないけどな」

 

「でも、わたしは好きだわ。貸して」

 

 呂光は阮小ニから魚籠を取りあげると、横にある厨房に身体を向けた。

 この小屋からせり出した板の間には、小さな厨房も作ってあり、魚を捌く台や刃物、あるいは火を熾す土間までこしらえてある。

 まずは、鮎を二匹ほど取り、素早く鱗とひれを取り、頭と内臓をとって、水で洗う。水は紐の付いた桶があり、それをおろして湖から引っ張りあげるようになっている。

 次いで、骨と身に分け、皮を剥いでから小さく切っていく。

 

「見事なもんだな。驚いたぜ。魚に慣れているというのは本当のようだ」

 

 後ろからじっと眺めていた阮小ニが、感嘆した声をあげた。

 

「よしてよ。あんたの言い草じゃないけど、魚を開いて身を出し、小さく切っただけじゃない」

 

 呂光は笑った。

 

「この土間の火の熾し方を教えて。それから、串はある?」

 

 呂光は言った。

 

 阮小ニが魔道のかかった火つけ石を取り出して、集めてある焚き木に火をつける。

 

「串はこれだ」

 

 呂光は差し出された木串に鮎を刺し、頭を下にして炎が当たるように土間の横に串を固定する。

 

「塩は使っていいの? 少しだけでいいわ」

 

「足元の箱にある」

 

 小屋側にいくつかの箱があり、阮小ニが示した場所に小壺に入った塩があった。

 それを鮎にかける。

 

「あとは串を回しながら焼くだけね。機会があれば、もっと凝った料理の腕も見せたいわね」

 

 呂光は笑った。

 

「十分だ。手伝おうかと思っていたが、かえって邪魔だと思って、手が出せなかった。随分と手慣れているな」

 

「水のそばで育ったと言ったでしょう。魚の扱いは、あなたの専売じゃないのよ」

 

 呂光は微笑んだ。

 愉しい……。

 特になんの話をしているといわけでもないのに、他愛のない会話が本当に愉しい。

 こんな気分は生まれて初めてかもしれない。

 

 魚が焼けるのを待つあいだ、阮小ニとそれぞれの生い立ちなどを改めて話した。

 呂光は南州で生まれ育ち、十五のときに親族を頼って北州の小さな城郭に移動したと説明した。

 だが、事情があっていられなくなり、いまは、畿内州か、それとも、さらに北に行く旅の途中だと付け加えた。

 

 両親のことを訊ねられたので、父は官営の製塩所に務めていた職人だったが、塩の横流しの不正をしていたという罪で首を刎ねられたと言った。

 母親は苦労の末に一年後に死に、それからは親族を転々とする日々だったとも言った。

 

「でも、父は不正などやらなかったと思うわ。わたしは幼かったから、そんなには覚えていないけど、生前の父を知っている人は、とても正直な人だったと口にするわ。おそらく、塩を横流ししていた役人の罪を着せられたのよ」

 

 呂光は憎々しく言った。

 半分は本当であり、半分は嘘だ。

 父が不正の罪を着せられて処刑されたのは本当だ。

 だが、父親が本当に不正をしていたのか、あるいは、無実であり、役人の罪を着せられただけなのかは、いまとなってはわからない。

 そして、罪人の家族として、母親も呂光たち姉妹も苦労した。

 その母も一年後に死に、姉妹で途方に暮れた。

 罪人として死んだ父親の家族の面倒を看ようという親族などなかったからだ。

 

 だが、旅芸人の一座に拾われて、その一員となった。

 そこで軽業などを覚えて、あちこちを転々としながら生活をした。

 ところが、旅芸人の座長だと思っていた男は、実は政府の間者だった。

 そうやって各地を移動しながら、宮廷政府の耳目になって情報を集める仕事をしていたのだ。

 その縁で政府の間者になった。

 軽業の能力を呂盛とともに買われたのだ。

 いまでは、一人前の政府の女間者だ。

 生き残るためにはほかに選択などなかったとはいえ、父を殺した役人の手先になって、働くようになるとは皮肉なものだ。

 

「事情って、なんだ?」

 

「まあ、いいじゃない。それよりも、あなたのことを聞かせてよ」

 

 呂光は言葉を濁した。

 阮小ニは老いた母のこと、妹の阮小女のこと、父親は船大工だったが二年前に死んだこと、父親の仕事には、なぜか妹の阮小女が幼いころから興味を持ち、いまでは古株の職人を凌ぐ技術と才能を発揮して、数名いる船大工の組長のひとりだと言うことなどを淡々と語ってくれた。

 また、阮小ニは漁師だった母の仕事を継いだのだとも説明してくれた。

 

 そのうちに、鮎が焼きあがった。

 捌いた刺身とともに、塩焼きを小屋の中に持ち込んで、話の続きをした。

 食事はおいしかった。

 阮小ニが口にしていた、生魚のための特製の黒いたれというのも美味だった。

 だが、なによりも阮小ニとの会話が面白かった。

 特段の冗談を言い合っているわけでもないのに、ごく自然に口元から笑みがこぼれた。

 呂光はそれが不思議だったが、きっと阮小ニとは相性がいいのだろう。

 やがて、ふたりの前から食べるものがなくなった。

 

「片付けるわ」

 

 呂光は立ちあがりかけた。

 だが、それを阮小ニが留めた。

 

「なに?」

 

 呂光は持ちあげかけていた皿を床に置いて、阮小ニに向かいなおす。

 

「昨日は済まん」

 

 すると、突然に阮小ニががばりと床に手をついて頭を下げた。

 

「な、なによ、藪から棒に。なにを謝っているのよ?」

 

 呂光は呆れて言った。

 

「昨夜、あんたを襲ったことだ。なんで、あんなことをしたのか、わからない。よくわからないが、俺は少しおかしくなったのかもしれない。俺はあんたを襲い、殴り、あんたを強姦した。申し訳ない」

 

 阮小ニが頭を下げたまま言った。

 呂光はとりあえず頭をあげさせた。

 どうやら、呂光に襲い掛かり、頬を殴って服を引き破り、それで呂光を犯したことなどについては、しっかりと阮小ニも記憶にあるようだ。

 だが、道薬を飲まされたとは夢にも思っていない気配でもある。

 

「馬鹿なことを言わないでよ。恥ずかしいから言いたくないけど、昨夜のわたしの狂態も覚えているでしょう。わたしも、しっかりとあんたと愉しんだわ。あんなに幸せな気分にしてくれて、ありがとうと言いたいくらいよ。とにかく、謝らないで」

 

 呂光は言った。

 

「いや、それでも、俺の気が済まないんだ。謝ったことでけだもののようなことをしたことが取り消せるわけじゃないが、けじめをつけたいんだ。図々しとは思う。とにかく、許してくれ」

 

「もう、いいと言っているでしょう。それに、けだものも悪くなかったわ」

 

 呂光は苦笑しながら言った。

 

「じゃあ、詫びを受け入れてくれたところで、あんたに頼みがある」

 

「頼み?」

 

「俺と結婚してくれ──。頼む──。あんたに惚れた。あんたは最高の女だ。二度とあんたのような女には会えない。この通りだ」

 

 阮小ニがまた、がばりと頭をさげた。

 呂光は驚いてしまった。

 

 

 *

 

 

「魚を持ってきたわ、朱貴美(しゅきび)

 

 呂光(りょこう)は、十匹ほどの魚が入っている籠をおろしながら、店の裏側から声をかけた。

 

「あいよ。持ってきて」

 

 朱貴美は厨房にいた。

 呂光は籠を担いで、裏口からそのまま厨房に進んだ。

 

 湖畔街道にある唯一の料理屋であり、朱貴美というのはその店をひとりで切り盛りしている若い女だ。

 梁山湖(りょうざんこ)に浮かぶ梁山泊(りょうざんぱく)の盗賊団に繋がっているという噂もあるようだが、確かにひと癖もふた癖もありそうな目つきをしている。

 まあ、梁山泊の盗賊の出没する湖畔街道で、女ひとりで料理屋を営むのだから、梁山泊と繋がっているというのは間違いないだろう。

 さもないと、こんな場所で料理屋などを続けられるわけがない。

 

 ともかく、危険で知られている湖畔街道だが、ここを使わなければ山沿いの狭い道を通らねばならず、それなりに往来はある。

 だから湖畔街道の唯一の料理屋というこの朱貴美の店はそれなりに繁盛しているようだ。

 

「全部、買い取るわ。どうする? つけておいてもいいし、それとも野菜を持っていく?」

 

 朱貴美が魚を確認しながら言った。

 つけるというのは魚を売った代金を帳面につけて、まとまったところで清算して代金を支払うということだ。

 阮小ニは梁山湖で獲った魚を仲買のほかに、この店にも卸してたが、細かい代金のやり取りはせず、月に一度清算するというやり方をしているようだった。

 また、朱貴美は料理のために、近傍の農村から野菜の買い入れもしていて、代金の代わりにその野菜を分けてもらうということもできる。

 それは帳面につけてある魚代から差っ引かれるので、呂光も野菜代を準備しなくていいので楽だ。

 

「二人分の野菜を分けて……。それと塩が欲しいのよ。魚を干物にしようと思うのよね。そのまま天日干しもいいけど、やっぱり塩がないと」

 

 呂光は言った。

 干物のやり方を覚えたのは、まだ呂光と呂盛(りょせい)が南州にいた頃だ。

 南州では魚を保存するために、どの家庭でもやっているようなことだったから、十歳になったときには、呂光も母親を手伝って家で干物を作っていた。

 ただ、この界隈では干物の習慣はないらしく、この朱貴美の店でも新鮮な魚を出すか、塩漬けにするかのようだ。

 干物にすれば持ち歩くのに便利だし、味も引き立つ。

 なによりも、阮小ニが大量に魚を獲ってきたとき、無駄にならない済む。

 

 この朱貴美にだって、基本的には数日で捌ける分の魚しか買ってもらえないし、城郭に持っていくために買ってくれる仲買も同じだ。

 だが、保管のきく干物なら仲買も余分に引き取ることもできるだろうし、そもそも旅人相手に直接に売ることもできると思う。

 呂光は、阮小ニに勧めて、それをやってみようと考えていた。

 

「干物?」

 

 朱貴美が首を傾げた。

 呂光は干物を説明した。

 朱貴美は興味を持ったようだった。

 

「いいわねえ。一度、味を試したいわ。でも塩がいるの、呂光?」

 

「塩はなくてもいいんだけど、できればあった方がいいのよ。味がしまるしね」

 

「いいわ。試しの分だけならただで渡す。だから、出来上がったものを持ってきて。店で出せるようなものなら、取引をしましょう」

 

 朱貴美は塩壺から塩を取って小壺に移して呂光に寄越した。

 呂光は塩を受け取るとともに、漁師小屋に持って返る野菜を魚を入れていた籠に入れる。

 

「じゃあ、今度は干物を持ってきてよ、呂光。それと阮小ニによろしく……。ああ、そうだ。阮小女(げんしょうじょ)に伝言を頼まれたわ。また、顔を出してくれと言っていたわ。お母さんが会いたがっているそうよ」

 

「近いうちに、阮小ニと行くと伝えといて、朱貴美」

 

 呂光は籠を担いだ。

 そして、何気なく客のいる店側を覗いた。

 店には五人ほどの客がいた。

 そのうちの四人は連れであり、旅の途中のようだ。

 全員が旅姿をしていて、ひとつの卓で食事をしている。

 もうひとりは若い男だ。こっちは旅人という感じはなく、ふらりと城郭からやって来たという感じだ。運城の城郭はすぐ近くだ。食事をしにやって来るというのは不自然ではない。

 

 その若い男が不意に顔をあげた。

 そして、にんまりと微笑む。

 呂光はびっくりした。

 なんのことはない。

 男だと思っていた若者は、妹の呂盛の変装だった。

 呂盛の顔を見るのは十日ぶりだ。

 呂光を湖から引きあげた阮小ニを怪しげな道薬でけしかけたあの夜から、ずっと顔を呂光に見せなかったが、やっと会うことができた。

 

 呂光は、そのまま籠を担いで、再び裏口から厨房から外に出た。

 そして、湖畔街道を少しだけ進んでから、道端に隠れた。

 果たして、呂盛はすぐにやって来た。

 

「驚いたわね、姉さん。十日会ってないだけで、すっかりと阮小ニの奥さんみたいになっちゃってんじゃない」

 

 呂盛が笑った。

 

「阮小ニが獲った魚を売るのが、わたしの仕事なのよ。仕方ないじゃないの。荷物も路銀もなく無一文なんだから……。阮小ニの世話にならないと生きてもいけないわ」

 

「だけど、板についてたわ。今度、干物を売るの? どうしちゃったのよ、姉さん? さっきの朱貴美との会話だと、阮小ニの母親にも会ったの? 阮小女というのは阮小ニの妹でしょう。もう親しくなってんの?」

 

 呂盛が皮肉っぽく言った。

 

「お母さんとは一度会っただけよ。阮小女とは二回かな……。むかしはお母さんも漁師小屋にいたらしいけど、少し身体を悪くして、いまは、阮小女と城郭に近い集落にいるのよ」

 

「そんなことどうでもいいわよ。いずれにしても、その様子じゃあ、姉さんは、しっかりと阮小ニに食いついたのね……。ところで、あの夜は、まるでけだものみたいだったわね。阮小ニがあんなに精力が強い男だとわかっていれば、やっぱり、あの役はあたしがしかたったわ」

 

 呂盛が笑った。

 どうやら、あの激しい夜のまぐわいをやっぱり呂盛はどこからか覗いていたのだろう。

 呂光は苦笑した。

 

「阮小ニからは求婚されたわ」

 

 呂光は言った。

 すると、呂盛は目を丸くした。

 

「ほ、本当?」

 

「本当よ。次の朝にすぐにね。承知はしてないけどね……。でも、考えると言っている」

 

「考える?」

 

 呂盛が呆れた声をあげた。

 呂光は、この傍若無人で自分勝手な妹が、こんな顔をして驚くのが小気味よかった。

 

「それで、阮小ニのお母さんに会ったり、阮小女と家族付き合いをしているような雰囲気だったのね? まさか、本当の本当に阮小ニの奥さんになるつもりじゃないでしょうねえ」

 

 呂盛が眉をひそめた。

 

「放っておいてよ。それよりも、そっちの首尾はどうなの? 東渓村(とうけいそん)はどうだった?」

 

 あれから十日経っている。

 呂盛もそれなりの調査をしているのは間違いないと思う。

 すると、呂盛が真顔になった。

 

「……東渓村には隠し里があったわ。その場所もわかった」

 

「隠し里?」

 

「もしかしたら、そこに白巾賊の拠点があるのかも」

 

 呂盛は言った。

 隠し里というのは、本来の里村とは別に開墾した田畠を作って、そこに作った集落のことだ。

 帝国の法では、届けのない集落を作るのは禁止されているが、重い税を逃れるために、気の利いた名主が本来の村とは別に隠し里を作らせるというのは珍しい話ではない。

 そうやって、重税を納めるためのやり繰りにするのだから、やり手の名主の常套手段ともいえる。

 だが、その隠し里の集落そのものを、丸ごと賊徒の拠点にするというのは、盲点であり、思い切ったやり方だ。

 

「それで? その隠し里には入れた?」

 

 呂光は訊ねた。

 しかし、呂盛は首を横に振った。

 

「ところが恐ろしく警戒が強いのよ。場所そのものは東渓村から出入りする者をこっそりとつけることでおおよその場所の見当はついたんだけど、厳重な見張りはあるし、道を外れれば罠だらけだし、しかも、侵入経路そのものにも仕掛けがあって、見知らぬ者は絶対に近づけないわ。それで、まだあたしも入っていないのよ」

 

 呂光は驚いた。

 この妹の忍びの技を使っても潜入が難しいというのは、とんでもなく警戒が厳重だということだ。

 ならば、その隠し村が賊徒の拠点であるというのは確かだろう。

 ただの税逃れの隠し里というだけで、そこまで厳重な警戒をするはずがない。

 

「わかった。だけど、その隠し里に一度入れば、白黒はっきりするわね。それを確かめましょう。そのうえで報告をすることにするわ」

 

 呂光と呂盛が命じられているのは、生辰綱(せいしんこう)を奪った真犯人を見つけて宮廷府に報告することだ。

 生辰綱を奪ったのは、やはり白巾賊(はくきんぞく)──。

 その拠点は長く謎のままだったが、それは東渓村の隠し里にある。

 すでに呂光は確信している。

 あとは、確かな証拠を掴むことだ。

 その隠し里に砦や隠している武器でもあれば、そこが白巾賊の拠点であることは間違いないということになる。

 

 だが、政府軍が隠し里を急襲して、なにも出てこず、本当に単なる隠し里だったら、軍の出動が空振りだ。

 それだけでなく、このところの政府軍の規律は乱れ切っている。

 出動して隠し里に入った軍は、盗賊さながらに略奪暴行の限りを尽くすはずだ。

 ただの無辜の住民に、軍をけしかけるような真似だけは避けたい。

 

「でも、どうするの、姉さん? あそこは、本当に固いわよ」

 

「あんた、運城(うんじょう)の城郭のことも、ある程度は調べさせているでしょう? そこに殺されて当然の悪徳役人のひとりやふたりいるはずよ。そいつをうまくおびき寄せて、わたしがいる阮小ニの小屋に来させてちょうだい。ただし、阮小ニが漁で留守のところを見計らうようにね。逃亡中の女手配犯がそこに隠れていると、そいつに情報を握らせるのよ」

 

 呂光はにやりと笑った。

 

 

 *

 

 

 湖畔街道から湖側に入り、まさに湖畔そのものに小屋がせり出している阮小ニの漁師小屋に役人がやって来るのが見えた。

 一緒に連れてきているのは下級役人が三人ほどだ。

 呂盛には、死んで当然の役人だけを来させるように立ち回れと指示している。

 つまりは、その四人は外道を尽くしている男たちということだ。

 だからこそ、美貌の女手配犯が隠れているという情報に接して、のこのことやってきたのだろう。

 

 こっそりと小屋から覗いていると、役人たちは、まずは漁師小屋の下にある阮小ニの船を調べる様子をみせた。阮小ニが不在なのを確かめたようだ。

 阮小ニは漁に行き、いまはいない。

 すぐにその役人たちが泥の付いた履き物のまま小屋に入って来た。

 呂光はいきなり入って来た役人たちに怯える表情を示してやった。

 

「手配書よりもずっと美貌だな、呂光」

 

 湖畔側の入り口の前にいる役人がにやにやと呂光を眺めながら言った。

 すかさず、残りの三人が呂光の逃げ場を奪うために、背中側に回り込んで湖にせり出している板張りに出る戸も塞ぐ。

 

「ひ、人違いよ。わたしは蓮光よ」

 

 呂盛はわざと声を震わせて応じた。蓮光というのは、咄嗟に作った偽名だ。

 

「どうかな? 連行して調べればすぐにわかるさ。青州で男を殺して逃亡……。手配書にはそうあるな。城郭から離れた漁師小屋に隠れるというのはうまい隠れ家を見つけたつもりだったかもしれんが、悪事は隠せんさ。手配書に似た女を見たという通報があった。俺の役目はそれを確認することだ。さあ、大人しく連行されるのか? それとも、一応抵抗してみるか? 好きな方を選びな」

 

「ゆ、許して……。見逃して……。城郭には連れていかないで……」

 

 呂光は消え入るように声で言った。

 役人がにやりと笑うのがわかった。

 呂光の反応で、呂光が手配書の女だと確信したのだろう。

 実際には、以前からの手配書に似せて、呂盛が運城の役所に書類を紛れ込ませたのは、昨日か一昨日の話のはずだ。

 しかし、この役人は、呂光のことをずっと以前から人殺しで手配されている女だと信じ込んだと思う。

 

「城郭には連れていかないでというのか? そうだな。考えてもいいかもしれんな。じゃあ、ここから少し離れた場所に、誰も使っていない山小屋がある。そこで取り調べをしてやろう。その取り調べをしているあいだ、なにをされても大人しくしていれば、まあ、それで終わる話かもしれん」

 

「わ、わたしを犯そうと言うの?」

 

 呂光は、わざと顔を蒼くしてみせた。

 役人がせせら笑う。また、背後の小役人もにやにやしている。呂光を見る目がぎらぎらとして気持ち悪い。

 そんな視線を呂光に向けていいのは、阮小二だけだと本気で思った。

 呂光は腹がたった。

 

「もしかしたら、手配書の記録をなくすために、いくらか金が必要かもしれんがな。まあ、悪い話にはせんつもりだよ、呂光。阮小ニには気に入られているようじゃないか……。なあに、黙っていればわからんよ」

 

 役人がべらべらと喋り続ける。

 どうやら、呂光を小屋から連れ出して抱き、さらに賄賂をせびれないかと考えているようだ。

 とにかく、こいつらの役割はここで死ぬことだ。

 呂光は役人に飛びかかって、隠し持っていた刃物で首を横から斬り裂いた。

 首から血を噴き出した役人が声も出せずに崩れ落ちる。

 

「うわっ」

「ひいっ」

「なんだ?」

 

 残った三人の小役人が驚いて悲鳴をあげた。

 しかし、そのときには、呂光の身体は彼らの前にいる。

 三人を殺すのに、数瞬しかかからなかった。

 これでいい……。

 後は待つだけだ。

 

 阮小ニが漁から戻って来たのは二刻(約二時間)が経ってからだった。

 呂光は阮小ニの船が近づくのを確かめると、返り血で汚れている服を破って髪を乱した。

 

 阮小ニが下から小屋にあがって来る。

 だが、小屋の中にある四人の死体と血だらけで呆然と座っている雰囲気の呂光を見て、仰天した表で立ち竦んだ。

 

「こ、これは――? そ、そうだ。怪我はないか、呂光?」

 

 やっとのこと阮小ニが呂光に駆け寄って訊ねた。

 

「け、怪我はないわ……。ご、ごめんなさい……。わ、わたし、隠していることがあって……」

 

 呂光は消沈した様子で語り始めた。

 阮小ニに告げたのは、別の城郭で手籠めにされそうになり、その男を殺して逃亡しているという女手配犯の作り話だ。

 それが呂光であり、北に逃亡をしている最中だったのだと説明した。

 ところが、ここにいることがこの役人に発覚したらしく、突然にやって来て、捕らえられたくなければ、言うことをきけと襲われそうになり、それで殺してしまったと淡々と告げた。

 陳腐な話だが、どこにでもありそうな話であり、阮小ニは信じるだろう。

 阮小ニはがっしりと呂光を抱きしめた。

 

「……わかった。もう、心配するな。お前が無事でよかった。こいつらは知っている。いつかは俺が殺してやろうと思っていた連中だ。本当に殺しておけばよかった。そうすれば、呂光がひどい目に遭わなくて済んだはずだ」

 

 阮小ニが呂光を抱きしめながら言った。

 少し心が痛んだ。

 だが、呂光は必死で、自分の嘘を自分で信じようとした。

 自分は手配犯……。

 阮小ニを騙していない。

 騙していない……。

 

「あなたの求婚に応じられなかった理由はこれよ。応じたかったけど……。でも、やっぱり、無理だったわ……。黙っていてごめんなさい。だけど、お、お願い……。逃がして。わたしは捕まりたくないの。お願いよ。わたしを役人に突き出さないで」

 

「俺がそんなことをすると思っているのか──」

 

 すると、呂光を離した阮小ニが憤慨したように言った。

 

「で、でも……」

 

「心配するなと言っている。とにかく、こいつらを船に乗せるのを手伝ってくれ。湖に沈めて魚の餌にしてやる。あとは逃げるだけだ。さっきも言ったが、こいつらは死んで当然の連中だ。人殺しを気に病むことはねえ」

 

「だけど、逃げると言っても……。それに、この役人たちを始末しても、また、やって来るわ。もう、わたしがここにいることは発覚しているのよ」

 

 呂光は自分の目から涙がこぼれるのがわかった。

 嘘の涙ではない。

 いま、呂光は阮小ニを愛しているが、手配犯だったということで、ここで逃亡するしかない女になり切っている。

 その呂光が流している真実の涙だ。

 

「俺に任せろ。隠れる場所があるんだ。お前だけでなく、ほかにも手配犯なんかが隠れている場所がな。隠し里だ。そこに俺がお前を連れていく。一緒にそこに行こう」

 

 阮小ニが言った。

 

「わ、わたしなんかのために、そんなことをしてくれるの? わたしと一緒だと、あんたも手配されるわ」

 

「当たり前だ。俺はもうお前の亭主のつもりだ」

 

「ああ、阮小ニ」

 

 呂光は阮小ニを抱き締めた。阮小ニも抱き返してくる。

 

 うまくいった……。

 ……とは考えなかった。

 

 阮小ニと別れないで済む。

 

 自分の心にある作り者の呂光が、阮小ニの愛情を感じて、心の底から喜んでいるのがわかった。



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第26話  大風雲の前
88  呉瑶麗(ごようれい)、王倫に抱かれ宋万を投げる


「あ、ああ、王倫(おうりん)殿、王倫殿──」

 

 媚薬でただれている乳房を背中側から王倫にもみしだかれ、呉瑶麗(ごようれい)は後手に手錠がかけられた身体をぶるぶると身悶えさせた。

 また、王倫の手が呉瑶麗の股間に指を挿入して、激しい抽送を続けている。

 大した性技ではないと思うが、王倫との性交の直前には、必ず強烈な媚薬を服用させられている呉瑶麗には、十分すぎる愛撫だ。

 

「ああ、あああっ、王倫殿、だめぇ、ほ、本当にだめえっ──。いくっ。もういきそうです──」

 

 呉瑶麗は甘ったるい声を洩らしつつ、腰をくねくねと淫らに揺らす。

 半分は王倫を悦ばせるための演技だが、半分は本気だ。

 とてもじっとしていられない。

 それだけ媚薬の影響が強い。

 

 この王倫は、このところ呉瑶麗が気に入り、朝に、夜にと抱くのだが、必ず、呉瑶麗を後手に拘束させ、媚薬を飲んで身体に力が入らなくなってからしか、呉瑶麗と会おうとはしない。

 それ以外は、梁山泊の中心にあるこの建物のどこかにある私室から姿を見せることはないのだ。

 異常なほどの臆病さと、用心深さだ。

 

 今日も、朝っぱらから呼び出されて、こうやって抱かれているのだが、王倫に抱かれる前に隣室で裸になり、準備されている液体の媚薬を飲み干して、そこに置いてある手枷で自ら後手に拘束することを事前に強要された。

 液剤の媚薬を飲み干してしばらくすると、身体が火照り切って、怖ろしいほどに疼くようになる。

 その頃になって、やっと声がかけられるのだ。

 そして、王倫の待つ隣室に入っていくという感じだ。

 今回に限らず、毎回のことでもある。

 

 こうやって抱かれているあいだこそふたりきりだが、部屋の外には、王倫が一声かければやってくる護衛が待機している気配であるし、この建物全体にも大勢の護衛がぎっしりだ。

 いまのところ、なかなか隙は見出せない。

 もっとも、こうやって、ここに閉じこもってくれていることで、十分に準備できることもある。

 とにかく、呉瑶麗はいまは耐えるときだと自分に言い聞かせている。

 

 王倫の愛撫が続く。

 呉瑶麗は、演技半分から、ほとんど本気だけになる。

 快感が大きくなり、なにも考えられなくなってきた。

 

「相変わらず感じやすくて、俺を愉しませる。仰向けになれ。そろそろ、精をやろう」

 

 王倫が言った。

 呉瑶麗は寝台に背を向けて、両脚を立膝にして大きく開く。

 

「お願いします。もう、入れてください……。王倫様のをください」

 

 呉瑶麗は媚びるような口調で言った。

 とにかく、早く終わらせたい。

 考えているのは、ただ、それだけだ。

 

「よしよし」

 

 相好を崩している王倫が、勃起している肉棒を呉瑶麗の股間にあてがい、一気に押し出してきた。

 

「あっ、んんんっ」

 

 すでに呉瑶麗の股間は濡れている。

 熱く疼いていた股間は、王倫の肉茎を簡単に飲み込んだ。

 

「ほら、ほら、ほら」

 

 王倫が呉瑶麗の乳房に手を伸ばして揉みながら、愉しそうに呉瑶麗の股間に律動を開始する。

 しばらく、それが続く。

 しかし、それがだんだんと激しくなる。

 

「ああっ、うあああっ、あああっ」

 

 呉瑶麗は大声をあげた。

 突然に強烈な絶頂感が襲ってきたのだ。

 この瞬間だけは、誰に抱かれているかなど関係ない。

 ただひたすらに、襲いかかる快楽に身を委ねる。

 

「いくううっ」

「おお、おおっ」

 

 すると、身体の上の王倫の顔も真っ赤になった。

 首筋に血管を浮きあがらせて、がくがくと呉瑶麗の股間に自分の股間を叩きつけるようにしてくる。

 

「すごい締めつけだ。これは病みつきになるのう……」

 

 王倫が呻くように言った。

 だが、すっと怒張を抜くように動かす。

 

「ああ、やめないで──」

 

 呉瑶麗は思わず声をあげた。

 王倫が嘲笑のような声を出す。

 

「ならんわ。それよりも舐めよ。お前の淫汁のついた俺の肉棒だ。自分を味わうといい」

 

 王倫が呉瑶麗の身体を起こさせて、股間を突き出した。

 このところ、王倫が悪戯のようにする習慣だ。

 呉瑶麗のような女に、性行為の途中で股間を舐めさせることで、悦に耽った気持ちになるらしい。

 だが、いつもそうだなのだが、呉瑶麗はこの時間は王倫の与える媚薬で頭がおかしくなっている。

 すぐに、目の前の怒張に喰らいつく。

 自分の体液で汚れていることなど気にならない。

 

「淫乱な女だ。足でも達するか?」

 

 正座になって呉瑶麗の前に、仁王立ちになっている王倫が足の指で、呉瑶麗の股間を愛撫し始める。

 

「んんんんっ」

 

 すでに熟れきっている身体だ。

 たとえ、足の指であっても、呉瑶麗の快感はすさまじいざわめきに見舞われる。

 呉瑶麗は怒張にむしゃぶりつきながら、王倫が愛撫をしやすいように、座っている股を少し開いた。

 王倫の指が肉芽に届く。

 ぐりぐりと荒々しく、足の指で押し揉んでくる。

 だが、燃えに燃えて悶え狂っている身体には、そんな荒々しい愛撫こそが望ましい。

 

「んんっ、うんんんっ」

 

 あまりの鋭い歓喜に、呉瑶麗は舌を動かす余裕さえなくなって、呻きながら怒張を上下に揺するような動きをしてしまった。

 王倫がさらに足の指で股間に刺激してくる。

 とにかく、呉瑶麗は一心不乱に舌を動かす。

 それがしばらく続くと、突然に呉瑶麗の中で爆発が起こった。

 口腔から股間に走り抜けるような絶頂感に襲われたのだ。

 

「あああっ」

 

 呻きながら全身をおののかせる。

 すると、王倫がすっと怒張を口から抜く。

 

「達したか。ならば、最後はもう一度、これでお前の濡れた股を突きまくってやろう。四つん這いになれ」

 

 絶頂の余韻に浸りながら、またもや媚薬の影響により湧き起こされる欲情に激しさに、呉瑶麗は王倫にお尻を向けて四つん這いになる。

 それだけで、おそろしいほどの昂ぶりが呉瑶麗の裸身を襲う。

 とにかく、とんでもなく強烈な媚薬だ。

 

「ああっ」

 

 呉瑶麗は声をあげた。背後に立った王倫が呉瑶麗の尻たぶを掴むと、尻の下から女陰に怒張を突きたててきたのだ。

 待ちに待った灼熱の怒張に貫かれて、呉瑶麗はあらわな声を放った。

 怒張が完全に繋がり、口奉仕のために中断された律動が再開される。

 ぐしゃぐしゃと淫らな水音を響かせて怒張が股間を出入りするたびに、呉瑶麗の背筋に、快感の波が駆けあがり、呉瑶麗は泣くような声をあげてしまった。

 

「ああ、ああああっ」

 

 呉瑶麗は声をあげ続けた。

 体内に渦巻いていて喜悦が一気に燃え拡がる。

 王倫が呉瑶麗の膣を怒張の先端で擦るたびに、脳天からつま先に貫く愉悦が響く。

 

「くっ、ううっ」

 

 抽送を続ける王倫が短い呻きを放ったのがわかった。

 来るのだ。

 呉瑶麗のまた、数瞬後に噴火のような大絶頂が訪れるのを予感していた。

 

「おおっ」

 

 そして、王倫が呻きとともに、腰をぶるりと震わせた。

 呉瑶麗は子宮に王倫の精が放たれるのを感じた。

 その感触が呉瑶麗を激しい絶頂に導いた。

 

「ああああっ」

 

 呉瑶麗は置きなこえでほえた。

 すると、さらに快感が拡大し、呉瑶麗の口からもっと大きな嬌声が迸っていた。

 それでも、快感がとまらない。

 さらに、二度、三度と打ち寄せる快楽の余波に、呉瑶麗は陶然となりながら、声を放ち続けた。

 

 

 *

 

 

 倦怠感とともに、呉瑶麗は汗と精液のまとわりついた裸身のまま隣室に戻った。

 毎回変わる王倫の今朝の寝室の横の控室であり、そこで寧女(ねいじょ)が待っていた。

 ほかには誰もいない。

 寧女ひとりだけだ。

 

 一応は、奴隷の首輪をつけた呉瑶麗の侍女ということになっているが、呉瑶麗とともに、王倫からこの湖塞を乗っ取るために潜入している刺客だ。

 しかし、この梁山泊にいる誰一人として、この寧女が呉瑶麗に匹敵する女戦士だというのは知らない。

 その寧女の横には呉瑶麗の身体を拭くための布と水桶、それと裸身を包む薄衣がある。

 呉瑶麗が入ってくると、素早く、寧女は寝室に繋がる扉に寄っていく。

 そして、少ししてから呉瑶麗にうなづいた。

 

「どこかに去ったようね。頭領殿はいなくなったわ」

 

 寧女が小声で言った。

 

「そ、そう……」

 

 だるさが我慢できなくなり、呉瑶麗は部屋にある椅子に座り込んだ。

 性交による脱力感もあるのだが、いまだに媚薬の影響が強く残っている。

 全身を苛む疼きは続いていて、それが呉瑶麗から力を奪っていた。

 

「鍵はいつものように預かっている。外すわね。杜穂(とほ)の解毒剤は部屋に戻るまで我慢ね。部屋まではなんとか歩いてよ」

 

 寧女が呉瑶麗の座る椅子の背に手を入れて、とりあえず手枷を外してくれた。

 

「あ、ありがとう」

 

 呉瑶麗は腕を前にやって痺れている手を擦りながら言った。

 

「ところで、朝っぱらから、あんたもよくやるわよね。ここまで、あんたのでっかい声が鳴り響いていたわよ。わたしに手錠の鍵を渡してきた護衛なんて、あんたの声に欲情したような顔をしてたんだから」

 

「よ、よしてよ。好きでやっているわけじゃないわよ……。と、とにかく、布を……」

 

 呉瑶麗は寧女に手を伸ばした。

 とりあえず、股間についている王倫の精だけでも少しでも早く拭き取りたい。

 

「わたしがやってあげようか? 女同士だし、恥ずかしがらなくてもいいわよ。まだ、媚薬の影響があるんでしょう?」

 

 寧女が布と桶を寄せて言う。

 

「触ったらただで置かないわよ。女同士だから恥ずかしいのよ──。媚薬に苛まれている身体をあんたに触られたくないわ──」

 

 呉瑶麗は寧女を睨んだ。

 寧女が肩を竦めてから、水に浸した布を呉瑶麗に手渡す。

 とりあえず、身体につく王倫の体液を拭った。

 次いで、薄衣をまとい、寧女に腰を掴んでもらい部屋を出る。

 呉瑶麗にあてがわれている私室に戻るためだ。

 

「呉瑶麗……」

 

 部屋の前にやってきたとき寧女が小さくささやいた。

 

「ええ」

 

 寧女が気がついたものに、呉瑶麗も気がついている。

 呉瑶麗は部屋を出る前に、不在のあいだに誰かが勝手に部屋を出入りした場合、それがわかるように、扉の下の部分に布辺を挟んであったのだ。

 

 それが床に落ちている。

 つまりは、呉瑶麗が王倫に抱かれているあいだに、ここに入った者がいるということだ。

 まあ、それが誰であるかは見当はついている。

 寧女が用心深く、先に中に入った。

 特に、なにもない。

 すべてのものは、王倫の呼び出しで寧女を連れて部屋を出たときのままだ。

 

「呉瑶麗」

 

 しかし、寧女が声をかけた。

 寧女が視線で示したものを見た。

 

 卓の上には、杜穂が準備してくれた媚薬の解毒剤の入った小瓶があるのだが、それがかすかに動いた形跡がある。

 それを寧女が指摘したのだ。

 

「座ってて、呉瑶麗……。杜穂に新しい解毒剤をもらってくる」

 

「お願い。それにしても、あの女狐め──。毎回、毎回、本当にしつこいわねえ。とりあえず、先に殺してしまおうかしら」

 

 呉瑶麗は椅子に腰をおろしながら、憤慨して言った。

 部屋にこっそり入って、杜穂の準備してくれた解毒剤に触れたのは、あの性悪女の秀白香(しゅうはくか)に決まっている。

 おそらく、致死性の毒を入れたと思う。

 

 これで五回目くらいになる、

 本当にとんでもない女だ。

 あの女は、王倫の寵愛が自分から呉瑶麗に移りそうなのを妬み、こうやって隙あれば毒殺しようと暗躍しているようだ。

 ただ、そのやり方がかなり稚拙なので助かってはいるが……。

 

「まあ、ここはわたしに任せてよ。確かに、こうたびたびだと閉口するしね。ちょっと懲らしめてやるわ」

 

「どうするの?」

 

 呉瑶麗は寧女を見た。

 

「まあ、任せて。あんたが死ぬと、わたしも自殺しなければいけないんだし、わたしも困るのよ」

 

 呉瑶麗を「主人」とする「奴隷の首輪」を嵌めさせているこの女には、呉瑶麗がこの仕事に失敗したら、自殺しろと命令している。

 首輪にかかっている道術により、寧女は呉瑶麗が死ねば、そうするしかない。

 こうでもしないと、この性悪女はいつ裏切るかもわからない。

 初めて会ったときに、寧女にこっぴどく騙された呉瑶麗は、寧女の武勇は信頼しているが、性格への信頼感は皆無だ。

 

 寧女は部屋にあった解毒剤の瓶を窓際の棚に持っていき、それから、部屋を出ていった。

 杜穂に解毒剤を貰いにいくのだ。

 王倫の愛人のひとりである杜穂は、人の感情を読めるという不思議な女であり、呉瑶麗がここに潜入してくるや、呉瑶麗と寧女が王倫に逆心があるのをあっさりと見抜いた。

 王倫は杜穂のその不思議な能力を利用して、自分を裏切る者を事前に見つけて排除するのを常としていたのだ。

 しかしながら、杜穂はすでに王倫を見限っていて、杜穂の側から、呉瑶麗の企みに協力することを申し出てくれた。

 

 もうひとりの王倫の愛人である湖畔街道で料理屋を営んでいる朱貴美(しゅきび)も、すでに呉瑶麗たちの味方だ。

 朱貴美は、かつて、王倫とともにこの梁山泊にやってきた女であり、王倫が支配する前にここにいた盗賊団の首領と幹部を一度に毒殺して、王倫を新頭領にした立役者だった。

 だが、その後、秀白香が王倫の愛人になったことで、その秀白香が王倫に媚びて、朱貴美を湖塞の外に追い出した。

 朱貴美はそれを恨みに思っていて、いまは、王倫が憎いとまで考えるようになっている。

 

 もっとも、朱貴美が王倫を裏切る決心をするに至った背中を押したのは、呉瑶麗たちのひそかな計略だ。

 こうやって、少しずつ、王倫の周りから人を剥がしている。

 

 残りは、この湖塞の賊徒兵を事実上仕切っている宋万(そうまん)──。

 彼をこちらに引き入れれば、もう、王倫の周りに残るのは、王倫の直接の護衛くらいになる。

 その手筈も整った。

 呉瑶麗がここから指示した計略が完了したという伝言は、朱貴美を通じてひそかに受け取っていた。

 今夜、朱貴美の店に連れてくることになっている。

 

 もう少し……。

 もう少しで、あの晁公子を、この梁山泊(りょうざんぱく)に呼ぶことができる……。

 そして、打倒帝国の旗を……。

 あの高俅(こうきゅう)への復讐の第一歩を……。

 

「お待ちどう」

 

 そのとき、寧女が戻って来た。

 手に新しい解毒剤を持っている。

 呉瑶麗はそれを受け取って飲んだ。

 火照り切っていた身体が一気にまともになる。

 

「ふう──。いつもだけど、杜穂の薬のおかげで助かるわ──。さて、じゃあ、行ってくる。錬成服は棚よね、寧女」

 

 呉瑶麗は立ちあがった。

 衣類が収納してある箱に向かう。

 開くと、洗濯をしてある錬成服がちゃんと畳んであった。

 呉瑶麗は薄衣を脱ぎ、下着と錬成服を身に着け始める。

 

「今日も行くの? 大丈夫なの? 朝に、夜にと媚薬漬けにさせられて犯され、しかも昼間は、賊徒たちへの武術指導?」

 

「当り前よ。武術指導役をさせてもらいたいから、あの臆病男の性器をしゃぶり続けているのよ。これは賊徒たちに帝国への叛意を抱かせるというわたしの戦いなのよ。王倫を片付けたら、すぐに晁公子殿を迎えなければならない。そのときには、歓呼をあげて、晁公子殿の掲げる帝国への叛乱の旗に団結してもらわないとならないんだから」

 

 呉瑶麗は言った。

 もちろん、どこで聞き耳を立てている者がいるかどうかわからないから、十分に注意した声だ。

 

「あっ、そう……。まあ、頑張ってね。わたしはわたしで、今日中に秀白香のことは片付けておくわ。ちょっとばかり、本気で脅せば、しばらくは大人しくなるわよ」

 

「そっちは任せた。よろしくね、寧女」

 

 着替えの終わった呉瑶麗は寧女に頷く。

 この建物を出て、日中を錬兵場ですごす許可は、すでに王倫からもらっている。

 以前、王倫に抱かれながら、ねだったのだ。

 外にいる者がこの建物に入るのも大変なのだが、呉瑶麗たちのように常に建物にいる者が外に出るのも、王倫の許可が必要ということになっている。

 王倫は、自分を害する者が出現することを極度に恐れていて、それで、建物への出入りを異常に制限しているのだ。

 

「じゃあね。寧女」

 

「はいはい」

 

 部屋を出ていく呉瑶麗に、寧女が声をかけてきた。

 呉瑶麗は振り返ることなく、手を振った。

 いずれにしても、今日はどうしても錬兵場に行かなければならない。

 そこにいるはずの宋万に、今夜、朱貴美の店に向かうように伝えるのだ。

 

 そこで、宋万を引き込む──。

 呉瑶麗の予想では、宋万は王倫を裏切ることに合意すると思う。

 ただ、宋万は、裏切りなど考えられない頑なまでの堅物でもある。

 だからこそ王倫は、賊徒兵の全指揮を宋万に託しているのだ。

 

 しかし、もしも、宋万が呉瑶麗の予想に反して、王倫を裏切ることを潔しとしなかったら……。

 そのときは、残念だが宋万は死ぬことになると思う……。

 

 建物の外に出た呉瑶麗は、「衛門」を抜け、ゆっくりと錬兵場に向かって歩いていった。

 

 

 *

 

 

「梁山泊を離れるには、王倫殿の許可がいる」

 

 宋万(そうまん)は困惑して言った。

 梁山泊の湖塞の中にある錬兵場と呼ばれている場所だ。

 いつものように、そこで兵の練兵をしていた。

 

 賊徒兵を鍛えて強くし、軍規を整えて官軍の盗伐に備えるのは、軍の指揮を任されている宋万の役割だ。

 このところ、その練兵の指導役に、女ながら元国軍の武術師範代だった呉瑶麗が加わるようになったのだが、この日の練兵がひと段落したところで、その呉瑶麗が寄って来て、今夜、湖塞を出て、梁山湖の向かいにある朱貴美(しゅきび)の店に行くように告げたのだ。

 理由は言わない。

 呉瑶麗によれば、朱貴美が宋万に用事があるという話だった。

 

 しかし、おかしな話だ。

 朱貴美が宋万に用事があれば、呉瑶麗ではなく、宋万に直接に伝えるだろう。

 なぜ、朱貴美からの宋万への伝言を呉瑶麗が持ってくるのだ。

 いずれにしても、この湖塞で賊徒軍の指揮を王倫から預かっている宋万は、勝手に湖塞を抜けるわけにはいかない。

 そう言った。

 すると、呉瑶麗は鼻を鳴らした。

 

「あのもったいぶったあの頭領の許可を取り継いでもらうには一日かかるわよ。いいから行きなさい、宋万殿。朱貴美が絶対に来いというのよ。行かないと後悔するわよ」

 

 呉瑶麗が意味ありげに微笑んだ。

 

「えっ?」

 

 宋万は当惑した。

 よこしまな想像が頭をもたげる。

 だが、慌てて、宋万は首を横に振った。

 朱貴美は、頭領である王倫の愛人なのだ。

 そんなことを考えてはならない……。

 想像すらしては、ならないのだ……。

 

「わかった。朱貴美の店には行く。だが、王倫殿の許可をもらってからだ。それが一日かかるのであれば、朱貴美の店に行くのは、一日後になるだけのことだ」

 

 宋万は、それで話は終わりという意思を示すために、呉瑶麗に背を向けた。

 最近になり、呉瑶麗がやたらに朱貴美の名を出すことに、少し苛ついてもいた。

 宋万の朱貴美への密かな気持ちを知って、わざと逆撫でしているのではないかと勘繰りたくなったのだ。

 それくらい、朱貴美の名をやたらに出す。

 

 宋万が朱貴美を意識したのは、最初の出会いからだ。

 ひと目惚れだった。

 生れて初めて女を好きだと思った瞬間であり、それ以降も、その気持ちが揺らいだことはない。

 だが、朱貴美は王倫の女だ。

 朱貴美は王倫を愛していて、そのために、王倫以前にこの島にいた首領たち幹部を毒で皆殺しにして、盗賊団の支配を王倫に与えたのだ。

 そのとき、宋万は前の首領の幹部のひとりだったが、王倫と朱貴美の叛乱を唯一事前に知っていて、あの謀反に協力した。

 王倫に共鳴したということにしているが、実は朱貴美のためだ。

 朱貴美が王倫のために命がけでやろうとしたことを宋万は協力したかったのだ。

 そして、王倫がこの湖塞を支配することになり、やがて、そのときの功績により、宋万は湖塞で第二位の地位を得た。

 軍の指揮のできない王倫に代わり、軍の統制も任された。

 

 宋万はもともと、北州軍の下級将校であり、軍の指揮や練兵のやり方というのを知っていたのだ。

 その期待に応えるべく、宋万は、賊徒たちに軍としての体裁を整えさせ、官軍が討伐にやってきたときに、いつでも反撃できるようにさせた。

 また、一度は鍛えた賊徒兵を率いて、官軍を撃退もした。

 

 王倫は、宋万のことを信頼できる実直な部下だと思っているかもしれない。

 だが、宋万が王倫に尽くすのは、すべて朱貴美のためだ。

 朱貴美が愛している王倫を首領として君臨させ続けるためだ。

 だが、その朱貴美が宋万に振り向くことはない。

 そんなことはわかっている。

 それでもいいのだ。

 

 宋万は朱貴美を愛している。

 だが、それは朱貴美が宋万を愛してくれることを望むこととは異なる。

 朱貴美が好きな男と結ばれることを宋万も望む。

 朱貴美を心から好きだからだ。

 それなのに、最近の呉瑶麗は、宋万のひそかな想いを刺激するように朱貴美の名を連発する。

 だんだんとそれに腹が立ってきていた。

 

「準備せよ。休憩は終わりだ──」 

 

 宋万は練兵の再開を賊徒兵たちに大声で告げた。

 

「待ちなさいよ」

 

 宋万の前に回り込んできた呉瑶麗が、宋万の前に立ちはだかった。

 呉瑶麗は怒った様子で宋万を睨んでいる。

 宋万は嘆息した。

 

「呉瑶麗、一体全体、なんの話なのかわからんが、どんなに言われても、王倫殿の許可なく、湖塞は抜けられん」

 

「王倫殿には知らせずに、あんたは今夜朱貴美の店に行くのよ。どうせ、王倫は聚義庁にある私室に閉じこもりっぱなしじゃないのよ。夜に行って、明日の朝に戻れば、ばれやしないわ。ばれたところで、遠くに行くわけじゃなし」

 

「しつこいなあ。なんという頑固さだ」

 

 宋万は呆れてしまった。

 

「頑固なのはあんたよ──。向かいの朱貴美のところに行くだけじゃないのよ。朱貴美だって、この梁山泊の一員なんでしょう。あそこは梁山泊の外とは言えないわ」

 

「嫌だ。決まりは決まりだ。決まりを破るつもりはない。さあ、練兵を再開する。どいてくれ。邪魔をするなら、もう、練兵を手伝ってくれなくてもいい」

 

 宋万は声をあげた。

 そして、呉瑶麗の横を通り抜けようと脇に避ける。

 しかし、その腕を呉瑶麗ががっしりと掴んだ。

 

「堅物のふりをするんじゃないわよ。妹の宋春(そうしゅん)ひとり守れない臆病者のくせに……。可哀想なあの娘がどんな目に遭っていたか、想像する力もないの……?」

 

 小さな声だが、はっきりと宋万に聞こえる声だ。

 

「な、なにっ」

 

 宋万は怒りよりも、驚きに襲われて叫んだ。

 なぜ、呉瑶麗は宋万の妹のことを口にしたのだ──?

 宋万に北州都に残した妹がいるということは、この梁山泊でもほとんど知る者もいないことなのだ。

 

 しかし、思考はそれで終わった。

 突然に宋万の身体がふわりと浮きあがったのだ。

 なにが起きたのかわからなかった。

 腕をとった呉瑶麗が宋万を投げ飛ばしたのだとわかったのは、思い切り背中を地面に叩きつけられてからだ。

 

 周囲にいた賊徒兵たちが、わっと歓声をあげるのが聞こえた。

 なにしろ、宋万は「雲裏金剛(うんりこんごう)」のあだ名もあるくらいの巨漢だ。

 雲裏金剛とは、雲の上に顔があるという意味であり、ここでも、軍でも人並み外れて大きかった。

 その宋万を身体の細い呉瑶麗が見事に投げ飛ばしたのだから、兵たちが声をあげるのは無理もない。

 投げられた宋万自身が驚いている。

 どうして、そんなことができたのだ?

 

「……勝負しましょう、宋万殿」

 

 呉瑶麗が宋万の腕を持って、宋万を立たせた。

 そして、向かい合うように立った呉瑶麗が宋万にそう言った。

 宋万は困惑した。

 

「勝負とは?」

 

「体術よ。武器なしにわたしとあなたが闘うのよ。わたしが勝てば、宋万殿は、今夜は朱貴美の店に行く。いいわね」

 

 呉瑶麗が腰を屈めて身構えた。

 宋万は嘆息した。

 さっきは見事に投げられたとはいえ、呉瑶麗と宋万では身体の大きさも違うし、力も違う。そもそも、呉瑶麗は元国軍の武術師範代とはいえ、女だ。

 剣や棒術ならともなく、体術で呉瑶麗が宋万に勝てるわけがない。

 なんで、そんなことを言うのだろう?

 

「おいおい、呉瑶麗……」

 

 宋万は呆れたということを示すために首を横に振った。

 

「あらっ、自信がないの? わたしが負ければ、なんでもいうことをきいてあげるわよ、宋万殿。股間をしゃぶれというなら、しゃぶってもいいのよ」

 

 呉瑶麗が言った。

 しかも、わざとほかの兵たちに聞こえるように大声で口に出したのだ。

 呉瑶麗の物言いに周りの兵たちは大喜びだ。

 女だが、気さくで明るい呉瑶麗のことを、大勢の賊徒兵たちが好きなのは知っている。

 呉瑶麗ははっきりいって、兵たちの人気者だ。

 女ながら元国軍の武術師範代──。

 しかも、大変な美貌だ。

 だが、高俅(こうきゅう)という国軍の将軍の罠にかかり、無実の罪で捕らえられて凌辱された。

 そして、流刑になり、そこでも殺されそうになり、脱獄してこの梁山泊に逃げてきた。

 だが、呉瑶麗は負けてはいない。

 いつか必ず、その高俅に復讐をしてやると言っている。

 ここで練兵に参加し始めたとき、呉瑶麗は自分のそんな境遇を堂々と兵たちに語ったのだ。

 兵たちは凌辱されたという呉瑶麗を蔑んだりはしなかった。

 それよりも、ただの女である呉瑶麗が、国軍の将軍という帝国そのもののような存在にはっきりと怒りをあらわにし、反逆を唱えたのに驚くとともに、それに眩しさを感じたようだ。

 

 ほかならぬ宋万自身がそうだった。

 女ながら、命を懸けてこの国に復讐をすると口にする呉瑶麗──。

 それに比べれば、宋万などちっぽけなものだ。

 たったひとりの妹がいるのに、酒場の喧嘩で上級将校を殺してしまい、怖くなってひとりで逃げた。

 結局、妹については、王倫が手を回して、不幸な境遇にならないようにはしてくれたが、それは後のことだ。

 

 あのとき、宋万は逃げた。

 さっきの呉瑶麗の物言いじゃないが、確かに宋万は妹を置いて、たったひとりで北州都から逃亡した。

 紛れもない臆病者だ。

 そして、北州都を逃亡してからは、ここにあった盗賊団に加わった。

 だが、そのとき首領だった男を裏切り、王倫に与した。

 それから、いまに至っている。

 

 王倫は宋万を律儀者として、自分を絶対に裏切らない男と評している気配もあるが、それは違う。

 宋万はただの臆病者だ。

 そもそも、軍を逃亡して賊徒に加わり、一度は首領として受け入れた男を王倫とともに裏切ったような男がなんで律儀者なのだ。

 この国に理不尽な扱いを受けながら、いまでも戦いの気持ちを抱き続けている呉瑶麗に比べて小さな男だ……。

 おそらく、宋万が呉瑶麗に抱いたのと同じような想いを賊徒兵たちも持ったに違いない。

 

 それに、呉瑶麗はさすがは武術師範代をやっていただけあり、本当に教え上手だ。

 この練兵場で呉瑶麗が兵の指導をするようになると、みるみると兵たちが武術の腕をあげるのがわかる。

 別に厳しいことを課すわけじゃない。

 ちょとしたコツや、要領を示すことで、呉瑶麗に教えを受けた者が目に見えて強くなるのだ。しかも、呉瑶麗は個人の技だけでなく、集団で戦う術にも見識があるようだ。

 自分が強くなることを実感できる呉瑶麗の教えに、兵たちはいまや争って呉瑶麗の指導を乞うようになっていた。

 

「さあ、やりましょう、宋万殿。わたしに勝てば、この身体を抱き放題よ。ただし、王倫殿には黙っていてね。嫉妬深いから」

 

 呉瑶麗が淫情的な物言いをして、周りの者を煽っている。

 美人の呉瑶麗が、賊徒兵が使うような粗野な言い方をするので周囲は大喜びだ。

 呉瑶麗に扇動された賊徒兵たちは、始まりそうな面白い見世物に拍手喝采もしている。

 あっという間に、宋万と呉瑶麗の周りを賊徒たちが囲み、臨時の闘技場のようなものができあがった。

 宋万は嘆息した。

 これでは、呉瑶麗と闘わないわけにはいかない……。

 

「手加減はせん。本気でいく……。そして、俺が勝てば、聞きたいことがある」

 

 宋万は構えた。

 さっき、呉瑶麗は妹について意味ありげなことを口にした。

 それについて教えてもらう……。

 

「訊きたいことは、直にわかるわ。あなたがわたしの言葉に従えばね」

 

 呉瑶麗が動いたと思った。

 しかし、その一瞬、宋万は呉瑶麗の姿を見失っていた。

 だが、呉瑶麗はすぐ横にいた。

 腕を取られた。

 一瞬、さっき腕を取られて見事に投げられたことを思い出した。

 驚いた宋万は身体を捻って呉瑶麗に向けるとともに、慌てて、腕を呉瑶麗から振り払った。

 だが、呉瑶麗は自ら宋万の手を離していた。

 

 気がつくと、宋万は自分が動こうとした方向に向かって腰を払われていた。

 空が見えた。

 思い切り背中を打つ。

 跳ね起きようとしたが、呉瑶麗の身体が上から降って来て、頭側から押さえ込まれる。

 そして、両腕ごと顔を抱えられた。

 

「くっ」

 

 仕方なく、無理矢理に跳ね除けようとする。

 ぎょっとした。

 力が入らない。

 しかも、錬兵服を着ている呉瑶麗の乳房が宋万の顔を抑えるようなかたちになり息ができない。

 

「あんまり顔を動かさないで、宋万殿。くすっぐたいわ」

 

 呉瑶麗が軽口を叩いた。

 その息が少しも乱れていないことで、宋万はこれはもう抜け出せないのだと悟った。

 呉瑶麗の身体はまるで巨石のようだった。

 小さな呉瑶麗の身体に押さえられて、驚くことに、宋万の巨体が完全に動けなくなったのだ。

 信じられないがそれは事実だ。

 

「参った……」

 

 宋万は言った。

 大きな歓声が周囲からどっと沸き起こった。



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89  朱姫美(しゅきび)、湖畔の店で宋万(そうまん)を誘惑する

 宋万(そうまん)梁山湖(りょうざんこ)を渡って湖畔街道側に降り立ったのは、すでに夜になってからだった。

 朱貴美(しゅきび)の店はすぐそこだ。

 店のすぐ近くに隠している船着き場があり、そこが湖塞との連絡口になっているのだ。

 すると、店の入り口は閉じられ、壁に「臨時休業」の印を描いた貼り紙があった。

 ただ、窓からは灯が洩れている。

 話し声も聞こえた。

 どうやら、朱貴美がひとりでいるわけじゃないようだ。

 

「朱貴美、俺だ。宋万だ」

 

 宋万は声をかけてから、扉を開いた。

 鍵はかかっていない。

 店の中に入って驚愕した。

 

 妹の宋春(そうしゅん)だ──。

 そこには、朱貴美のほかに十人ほどの男女がいて、三個の卓に並べられた食事と酒を愉しんでいたようなのだが、その中に宋万の妹の宋春がいたのだ。

 八年前、軍人だった宋万が上級将校を酒場の喧嘩で殺してしまい、北州都を脱走したときに置いていった宋春は十歳だった。だから、宋万の頭にある宋春は十歳のままだったが、朱貴美の隣にいた可憐な娘をひと目見るだけで、それが成長した宋春であることはすぐにわかった。

 紛れもなく、宋春だ。

 

「宋春──。なぜ、ここに?」

 

「兄様、宋万兄様──」

 

 宋春が飛び出してきた。

 宋万の胸に飛び込んでくる。

 そして、泣き崩れた。

 巨漢の宋万に抱きつくと、宋春の頭は宋万の胸にしか届かない。

 宋春は宋万の襟首をもの凄い力で掴んで慟哭した。

 宋万も二度と会えないかもしれないと思っていた妹と再会できた感激で泣きかけていたのだが、その宋万の涙が当惑で止まるくらいの激しい宋春の号泣だった。

 

「宋春、会いたかった。よ、よくぞ、生きていてくれて……。済まない。本当にすまない。すまなかった……」

 

 宋万はただ謝りながら、宋春を抱き締めることしかできなかった。

 たったひとりの肉親だった宋春を置いて逃げた。

 どんなに怒っているだろう。

 どんなに宋万を憎んでいるだろう。

 そう思い続けた。

 もしも、再会することができたら、宋春のどんな罵倒でも受け、その足元にひれ伏して謝る。

 そう決めていた。

 しかし、宋春は少しも宋万を恨んではいない気配だ。

 ただただ、宋万との再会を喜んでくれている。

 とにかく、宋万は宋春をそうやって、しばらく抱き続けた。

 

「……さあ、いつまでも、そうしてても仕方がないぜ、宋春。兄さんにはまた会える。とにかく、座れよ。俺は女を不幸にするような男は許せなくてな。酒を飲みながら、説教をしてやりたい気分なんだ」

 

 すると、ひとりの男が声をかけた。

 宋万は顔をあげて、その男を見た。

 見知らぬ男だ。

 色白だが目が異様に鋭い。髪は金髪だ。

 ちょっと見ただけで、相当の手練れだとわかる。

 

 そして、宋万は、やっとこの部屋に集まっている男女の顔を見る余裕ができてた。

 朱貴美と宋春のほかに知った顔は、梁山湖で漁師をしている阮小(げんしょうじ)ニがいた。阮小ニとは、特に親しいというわけでもないが、この界隈では有名な操船上手なので、顔くらいは知っている。

 あとは知らない。

 さっき声をかけた色男と阮小ニを除けば、全員が女だ。

 十一、二歳ではないかと思う少女もいる。

 

「はい、時遷(じせん)さん」

 

 宋春は、大人しくその色男の言葉に従って、宋万を促して卓に戻る。

 宋万のための席は、朱貴美と宋春と向かい合う場所に準備されていて、その卓を三人で囲む感じになる。

 その右隣の卓には三人いて、宋春が時遷と呼んだ色男と阮小ニ、さらにもうひとりの女──。

 左隣は女ばかりの四人の席だ。

 それにしても、これはどういう集まりだろう……?

 

「あんたが説教? 女を不幸にする男を許せない? はっ、どの口でそんなことを言うのかしら? 恋人を被虐奴隷に叩き売った挙句、今度は鬼畜好きの百合女の生贄にするような男が」

 

 時遷の隣に座っている女が呆れたような口調で言った。

 

「お前が俺の恋人ということは認めてやるが、その前に相棒であり道具だ。道具がいちいち文句を言うんじゃねえよ」

 

 時遷が笑った。

 

「それに、なによいまの言い方は、石秀女(せきしゅうじょ)。あんただって、あたしの責めに狂ったように悦びまくってたじゃないのよ。ところで、そろそろ疼いてきたんじゃないの? あたしも呉瑶麗(ごようれい)がずっといないから退屈でしょうがないのよ。また相手してあげるわよ」

 

 反対側から軽口のような言葉を発したのは、左隣にいる席にいる小太りの女だ。

 

「間に合っているわよ、安女金(あんじょきん)

 

 さっきの時遷の隣の女が真っ赤な顔になり怒鳴った。

 

「だったら、わしが慰めてやろうか? 安女金よりも、もっと気持ちよくさせてやるぞ。時遷のところなんか、戻る気にもないくらいにな」

 

 大人びた口調でそう言ったのは童女だ。

 幼い顔と喋る内容の食い違いに面食らった。

 

「やめるのよ、あんたら──。下品でしょう──」

 

 次にその童女の向かい側に座っている赤毛の女が怒ったような声をあげた。

 なんなのだろう、この女たちは?

 宋万は呆気にとられた。

 

「とりあえず、自己紹介をしましょう」

 

 そのとき、左隣の席の別の女が大きな声をあげた。

 全員がしんと静まる。

 宋万は、その女性にどこかで会ったことがある気がして首を傾げた。

 年齢は三十台の半ばだと思うが、不思議な風格がある。

 きれいな顔をした女であって、柔和に微笑んでいるだけなのに、威圧感のようなものも感じる。

 その女に備わっている貫禄に、宋万はなぜか圧倒される気分になった。

 

「わたしは晁公子(ちょうこうし)。この近くにある東渓村(とうけいそん)の女名主よ、宋万殿」

 

「おう、これは……」

 

 宋万はそれしか言えなかった。

 東渓村の女名主といえば、この周辺では有名なやり手の女名主だ。

 王倫(おうりん)の命令で略奪できる村を探すために近傍を回っているときに、遠くから垣間見たことがあったと思う。

 そのとき、宋万は、ここには絶対に手を出してはならないと思った。

 村に隙が無いのだ。

 この村を襲えば、逆に手酷い目に遭う。

 それが東渓村の印象であり、その女名主の晁公子には、東渓村以上に強く心に残った。

 とにかく、その記憶が片隅にあったので、どこかで会った気がしたようだ。

 

 また、この界隈の農村は、北州都と運城から課せられる重税で苦しんでいる場所が多いが、東渓村ではこの女名主の手腕で周辺の村に比べれば楽に暮らしているとも聞いている。

 その晁公子が彼女なのだ。

 だが、なぜ、東渓村の女名主が朱貴美と知り合いなのだろう?

 その晁公子から始まり、それぞれの卓にいる者が次々に名乗った。

 旅の女劉唐姫(りゅうとうき)──。

 女医の安女金──。

 晁公子の屋敷で働く侍女の香孫女(こうそんじょ)──。

 反対の卓に移り、まずは、漁師の阮小ニ──。

 そして、時遷と石秀女はただ名前だけを言った。

 やはり、なんの集まりなのかはさっぱりとわからない。

 

「宋万だ。宋春の兄になる。だが、一体全体、これはどういう集まりで、なぜ宋万がここにいるのだ?」

 

 宋万は言った。

 

「……兄様、あたしはこの方々に助けられたのです」

 

 宋春がそう言って、隠している感じだった襟元をくつろげて首をはっきりと露わにした。

 そこには、紛れもない「奴隷の首輪」の痕があった。

 かつて奴隷だった者が解放されたり、あるいは、禁止されている魔道で無理矢理に首輪を外したりすると、はっきりと首に数個の痣ができる。

 いまの梁山泊にも、首輪を外すことに成功した逃亡奴隷もいるので、その特徴を宋万は知っていた。

 

「奴隷の首輪か……。しかし……」

 

 宋万は宋春が「奴隷」の境遇に落ちたというのは知っていた。

 王倫が教えてくれたのだ。

 王倫には北州都に親しい知人がいて、それを通じて宋春のことを追いかけてくれていたのだ。

 それによれば、宋万は王倫が殺した将校の身内に訴えられ奴隷身分に落とされた。

 その代金を死んだ将校の身内に支払うためだ。

 だが、宋春の身柄は王倫の知人が買い取ってくれていて、奴隷扱いではなく、その屋敷で働く下女として養われていたはずだ。

 

「……兄様、あたしは娼婦でした。しかも、被虐奴隷という最低の地位の……。あたしと同じような奴隷仲間はお客さんたちに責め殺されて死にました。時遷さんと石秀女さんが助け出してくれなかったら、一年どころか、半年もせずに、あたしは死んでいたと思います……」

 

 宋春が静かに言った。

 宋万は驚愕してしまった。

 そして、宋春は淡々とこれまでの境遇を語ってくれた。

 どれもこれも、宋万が思っていたことと違うことだった。

 

 宋万は、王倫が宋春のことをその知人という分限者を通じて大切にしてくれているものと思い込んでいた。

 だが、それは違っていた。

 宋春は、たった十歳だったのに、すぐにその分限者に犯され、それからも人間扱いなどされることなく、凌辱されるだけの日々を送り続けた。

 ところが最近になり、その分限者の商売が傾き始めたため、宋春は娼館に売り払われた。その娼館でも惨い日々が続き、宋春は「嗜虐奴隷」というその手の性癖の男たちを専門に相手にする娼婦にさせれていた……。

 そんな話を無表情で語りながら、宋春は自殺せずに生きていたのは、奴隷の首輪でそれが禁止されていたからだけだとも言った。

 だが、生きていてよかったとも……。

 

 こうして宋万と再会できて、心から嬉しいと宋春は再び涙をこぼした。

 途中から宋万は、憤怒と悔悟で身体の震えが止まらなくなっていた。

 王倫からは、妹の宋春は大切にされているとずっと伝えられていたのだ。

 時折だが、宋春からだという手紙まで受け取っていた。

 それを訊ねたとき、宋春は驚いた顔をしていた。

 

「あたしはただの一度も手紙など書きません。それに、あたしは兄様は死んだとばかり思っていました」

 

 宋春ははっきりと言った。

 宋万は全身の力が抜ける気がした。

 そして、王倫に対する怒りがふつふつと沸き起こった。

 騙されていたのだ……。

 騙されて……。

 

「……そして、この時遷さんと石秀女さんに助け出されたのです。奴隷の首輪はこの安女金先生に外してもらいました。いまは、東渓村に匿われています……」

 

 宋春の話は終わった。

 宋万は、宋春の実際の境遇と、自分が思い込んでいた宋春の境遇のあまりの差に愕然とした。

 だが、真実なのだろう。

 過酷だった八年間のことを静かに語る宋春には、それが事実であるということを宋万に確信させるなにかがあった。

 宋万は、卓にがばりと頭をさげた。

 

「あ、ありがとうございます。ありがとう……。宋春は俺が梁山泊(りょうざんぱく)に連れ帰ります。あそこには家族連れの者も大勢いますから、そこで暮らさせます。皆さまの御恩は……」

 

「それは駄目だな、宋万。宋春はこの会合が終われば、東渓村に帰る。それについては、あの女に厳格に命令されている。あんたと宋春をふたりきりにもさせられない。連れていかれても困るからな」

 

 そのとき、時遷が横から宋万の言葉を遮った。

 宋万は驚いた。

 

「な、なぜだ──。宋春は俺の妹だ。俺が連れ帰る。これからは一緒に暮らすんだ」

 

 宋万は時遷に怒鳴りあげた。

 

「冗談じゃねえぞ。長く放っておいたくせに肉親面をするんじゃねえ。宋春を救い出したのは俺たちだ。とにかく、さっきも言ったが、まだ、お前には宋春は渡せねえ。あの女の指示だ」

 

「あの女? 誰だ?」

 

 宋万は言った。

 いずれにしても、やっと再会できた宋春と一緒に暮らせないというのは受け入れるのできることじゃない。

 宋万は宋春を見た。

 しかし、宋春はすでに納得済みの様子だ。

 宋万のように取り乱す雰囲気はない。

 

「……宋春を助けるように指示したのは、あんたも知っている女だ。呉瑶麗(ごようれい)だ。呉瑶麗があんたの妹が北州都にいるはずだから救い出せと俺たちに命じたんだ」

 

 時遷が言った。

 宋万は唖然としてしまった。

 

「な、なんで呉瑶麗が……? と、とにかく、なぜ、俺に渡せないんだ?」

 

「わからないのか? 宋春は人質だ」

 

 時遷がにやりと微笑む。

 

「ひ、人質──?」

 

 宋万はなにを言われたのかわからなかった。

 人質──?

 なんの──?

 どうして──?

 

「……あんたは王倫を裏切るんだ。事が終われば、あんたと宋春は仲良く暮らせる。しかし、それが気に入らないようであれば、宋春は気の毒なことになるかもしれない。つまりは、そういうことだ。わかったか」

 

 時遷がはっきりと言った。

 宋万はかっと頭に血が昇るのを感じた。

 こうなったら、強引にでも宋春を奪い去る。

 宋万は剣に手をかけた。

 

「やめなさい、宋万。王倫はあんたを騙していたのよ。都合のいいことを言ってね。あたしは王倫を見限る。あんたもそうしなさい」

 

 大きな声を出したのは朱貴美だ。

 宋万は呆気にとられた。

 

「王倫殿を見限る? だ、だが、朱貴美……」

 

 宋万はそれしか言えなかった。

 呆然としてしまったのだ。

 朱貴美は王倫を愛しているはずだ。

 だから、王倫を頭領にするために、命懸けのことをした……。

 その朱貴美が王倫を見限ると宣言したのか……?

 宋万は混乱して言葉を失った。

 しかし、朱貴美がさらに口を開いた。

 

「……しばらく前、この店に暴漢が入ったことがあったわ。そこにいる香孫女とあたしは、そいつらに強姦され、殺されかけた。助けてくれたのは、劉唐姫と呉瑶麗よ。あたしはその縁で呉瑶麗を梁山泊に入れるよう手配したの」

 

 朱貴美が言った。

 宋万は驚いた。

 

「そんなことは知らなかった」

 

「そうでしょうね。でも事実よ……。それから、これも事実よ。その暴漢を送り込んだのは王倫よ。あたしが邪魔になったようね。もっとも、あたしがそのことに気がついているとは思ってないと思うわ……。だから、知らないふりをしているのね。宋万、あの男はそんな男なのよ」

 

「なっ」

 

 宋万はそれしか言えなかった。

 今夜はなんという日だろう。

 次々に宋万を驚愕させる出来事や言葉が襲う。

 

「宋万殿、宋春をいま、梁山泊に送るわけにはいかないのは、あなたのためでもあるわ」

 

 そのとき、ずっと黙っていた晁公子がそう言った。

 

「俺のため?」

 

「そうよ。考えてもごらんなさい。宋春のことについて、王倫はあなたには、北州都で大切に保護していると伝えているのよ。その宋春をあなたが連れ帰れば、王倫は自分が宋万殿に嘘をついていたことがばれたということを知ることになるわ。そうなれば、あなただけでなく、宋春も危なくなるのよ。王倫は猜疑心が強くて、裏切りの可能性のある者はすぐに排除する……。そうなんでしょう? 宋春のことで嘘をついていたことがばれたと思えば、王倫はあなたは危険人物と思うはずだわ」

 

「そ、それは……」

 

 それはそうだ。

 宋万ははっとした。

 確かに、あの王倫がいかにもやりそうなことだ。

 

「だから、呉瑶麗も事前には、ここに宋春が待っていることを告げなかったはずよ。そんなことを言えば、あなたはすっ飛んで来ただろうし、そうすれば、あなたの不穏な動きで、王倫は宋春があなたに会いにきたという事態を察するかもしれない。そうさせないために、呉瑶麗は黙って、あなたをここに来させたのよ」

 

 さらに晁公子が言った。

 宋万は呆然とした。

 

「呉瑶麗はあなた方とはどういう関係なんだ?」

 

 とりあえず、それだけを訊ねた。

 

「呉瑶麗は仲間よ」

 

 すると、晁公子が言った。

 そして、懐から真っ白の布を出して首に巻いた。

 それを合図にするかのように、宋万以外の全身が同じように首に白布を巻く。

 朱貴美どころか、宋春までがそうした。

 白い布……。

 まさか……。

 

「わたしたちは白巾賊──。呉瑶麗はその白巾賊の軍師よ」

 

 晁公子がはっきりと言った。

 

 

 *

 

 

 宋春を含めた全員が店を出たのは、かなりの夜更けだ。

 店は、朱貴美と宋万のふたりだけになった。

 

「飲み直そうか、宋万。片付けは明日でいいわ」

 

 朱貴美がまずは目の前の瓶で自分の杯に注ぎ、次いで別の瓶で宋万の杯に酒を注いだ。

 

「……呉瑶麗には、あんな大きな力が背後にいたんだな……。白巾賊か……。梁山泊の中にいる連中にも憧れている者の多い義賊だ。その頭領は東渓村の女名主の晁公子殿か……」

 

「あたしは、すべてを彼女たちに預けることにした。あんたが決心をしてくれてよかったわ」

 

「俺は決心などすることなく、もう道はそれしかなくなっていた……。だが、朱貴美はいいのだな、それで……?」

 

 宋万は言った。

 いまの想いはともかく、かつて朱貴美がどんなに王倫のことを大切にしていたかというのは、誰よりも宋万がよく知っている。

 その朱貴美の強い想いを知っているからこそ、宋万は朱貴美のことを自分の心の奥底に追いやることができたのだ。

 

「……王倫は死ぬわ。それがいつかわからないけど、そんなに先のことではないはずよ。そして、梁山泊には、さっきの人たちが入る。きっと新しい湖塞になるわね」

 

 朱貴美は杯の酒をひと息で呷った。

 宋万は、空になった朱貴美の杯に酒を注ぎ直そうとした。

 しかし、それを制された。

 

「あたしはこっちの瓶のしか飲まないわ。あんたは、ほかの瓶を飲んで。これがあたし専用よ」

 

 朱貴美は目の前の瓶を示した。

 おかしなことを言うのだと思ったが、宋万は言われたとおりにした。

 朱貴美が自分専用だと言った瓶から朱貴美の杯に注ぎ、宋万は別の瓶の酒をもらった。

 しばらくそうやって杯を重ねた。

 

「ふふふ……」

 

 すると、やがて、突然に朱貴美が笑いだした。

 

「どうした、朱貴美?」

 

 宋万は口にしようとしていた自分の杯の手を止めて言った。

 

「……そういうところがあんたのいいところだと思ってね。下手な言葉なんかかけないで、黙って酒を飲みながら、そばにいてくれる……。あのときもそうだったわね。あたしが秀白香のせいで梁山泊を追い出されて、ここで店を開くことになったとき、あんたはやっぱり、最初の夜にひと晩中、あたしのやけ酒に付き合ってくれたわ。あのときも、あんまり喋らなったわ」

 

「うまく言葉が思いつかないだけだ。別に気を使っているわけじゃ……」

 

 宋万は自分の顔が赤面するのを感じた。

 再び、しばらく酒を飲んだ。

 朱貴美はいつもよりも、かなり酒を重ねてる気がした。

 だが、宋万は黙って、朱貴美の杯に酒を注いだ。

 やがて、朱貴美の前の瓶も、宋万が飲んでいたほかの瓶も空になった。

 宋万は、新しい酒瓶を開けようと思って、朱貴美のいる卓の後ろに準備してある別の酒瓶を手に取った。

 だが、朱貴美が驚いた様子で、それをとどめた。

 

「それは駄目よ──。その中身は毒杯よ……。あなたが王倫への裏切りに与してくれなかったら、あたしはこれをあんたに飲ませるつもりだった。宋万には悪いけどね」

 

 朱貴美がそう言った。

 宋万はびっくりした。

 すると、朱貴美は大げさな素振りで肩を竦めた。

 

「……ふふふ、軽蔑したでしょう。あんたをもしかして殺したかもしれなかったのよ……。悪い女よね……。人殺しなんてなんとも思わない……。血も涙もない冷たい女よ……。だから、惚れ抜いていた男に裏切られるなんて目に遭うのね」

 

 朱貴美が瓶を戻しながら自嘲気味に笑った。

 

「そ、そんな……」

 

 宋万はなにか言葉をかけようとした。

 だが、やはり、うまい慰めの言葉は出てこない。

 

「ねえ、宋万、あんたに頼みがあるのよ……」

 

 そのとき、朱貴美がすっと立ちあがった。

 気がついたが、その顔は火照り切って真っ赤だった。

 朱貴美はそんなに酒は弱くはなかったと思うが、なんとかく足元が怪しい。どちらかといえばふらふらしているように思える。

 

「大丈夫か?」

 

 宋万は慌てて立ちあがった。

 

「二階に来て……。一緒に……」

 

 すると、朱貴美が言った。

 

「二階?」

 

 二階は朱貴美の私室だ。

 もちろん、宋万はそんな場所には行ったことはない。

 だが、なぜ……?

 

「……あたしの中にはまだ一片の迷いがある……。あんなことをされたのに、それでも、あの王倫にあたしは未練がある……。口惜しいけどね……。それを消して欲しいの……。一生のお願いよ……。なにも言わないで……。なにも言わずに、あたしを抱いて……」

 

 宋万は驚愕してしまった。

 

「あたしを娼婦だとでも思って……。娼婦なら抱けるでしょう? 心も身体も汚れている女でも……」

 

「お前が汚れているものか──」

 

 宋万は怒鳴りあげた。

 その声は自分でもびっくりするほどに大きかったので、朱貴美がびくりと身体を竦めた。

 

「……お前は汚れてなどない。そうであるとしても、どうでもいい……。いまだから言う……。俺はお前に恋い焦がれていた。初めて逢ったときからだ。その気持ちはいまでも変わりない」

 

 すると、こくりと朱貴美が頷いた。

 

「……ごめんなさい……。あんたの気持ちは知っていたわ、宋万」

 

 朱貴美が自分から近づいてきて、宋万の首に両手を回してきた。

 宋万は、朱貴美の口を吸った。

 舌が朱貴美から差し入れられてきた。朱貴美の舌がむさぼるように激しく宋万の舌に絡み始める。

 宋万は、朱貴美の身体をぐっと抱き締めた。朱貴美の身体は驚くほどに熱かった。

 それに息があがっている。

 これは……?

 そのわりには酒臭くない。

 いや、まったく酒の匂いがしない。

 それにしては、かなり杯を重ねていたように思ったが……。

 

「宋万……」

 

 朱貴美が宋万を離して数歩下がった。

 宋万の疑念に気がついたような表情をしている。

 すると、朱貴美がくすくすと笑いながらすっと下袍(かほう)をたくし上げた。

 宋万はどきりとした。

 

「見て」

 

 朱貴美は下袍を付け根まであげて、白い太腿を露わにした。

 宋万は少し驚いた。

 太腿には、まるでおもらしでもしたような大量の愛液が滴っている。

 ほんの少し見える股布など、哀れなくらいにびっしょりだ。

 

「……飲んでいたのはお酒じゃないのよ……。水よ。ただし、たっぷりと媚薬の入ったね……。お願い、宋万。なにもかも忘れさせて。今夜のあたしにはそれが必要なの……」

 

 朱貴美が言った。

 

 そして、その場で下袍の腰紐を解いて下に落とすと、再び宋万に抱きついてきた。

 

 

 *

 

 

 一度目の射精は、まるで夢の中にいるような気分だった。

 無論、まだ、性交は続いている。

 

 確かに、朱貴美を抱いたという記憶はあるが、そのすべてがぼんやりとした記憶の中だ。

 しかし、一階の食堂で空いている卓に裸にした朱貴美を乗せ、その上で獣のように犯したということは確かに記憶にある。

 お互いに脱いだ服をそのまま床に脱ぎ散らかし、全裸でまぐわった。

 宋万は朱貴美の両足首を持って大きく股を拡げさせて、朱貴美の陰部を貫いた。

 前戯などない。

 ただ欲望のままに犯しただけだ。

 

 それでも、朱貴美の股間はあり得ないほどに濡れていて、宋万が朱貴美の股間に律動を開始すると、すぐに大きな声をあげて反応しはじめた。

 朱貴美は宋万を受け入れるために、事前に自ら強力な媚薬を飲んでいたのだ。

 それがどういう想いによるものなのかは知らない。

 

 どうでもいい。

 

 大切なのは、宋万が朱貴美を抱き、朱貴美がそれを受け入れてくれているという事実だ。

 

 宋万の激しい律動で、朱貴美は二度、三度と果てた。

 

 長い間恋い焦がれていた朱貴美を確かに抱いた。

 その凄まじい感動だけは、しっかりと記憶している。

 そして、朱貴美の中に精を放った。

 

 だが、一度の射精では宋万の股間は萎えなかった。

 宋万は朱貴美の裸身を抱きかかえ、そのまま二階に行った。

 二階にはすでに寝具が準備してあった。

 枕もふたつある。

 朱貴美は最初から、宋万をここに受け入れいるつもりだったというのをそのとき悟った。

 

「触らせて、あなたものを……。ねえ、いいでしょう」

 

 寝具に横にすると、すぐに朱貴美は宋万を引き倒して、宋万の股間に手を触れてきた。

 宋万は朱貴美の唇に自分の唇を重ねる。

 音を立てて、お互いの唾液をすすり合う。

 そして、朱貴美の乳房を揉むように擦りあげた。

 

「ああっ、気持ちいい。気持ちいいわ、宋万」

 

 朱貴美が宋万から口を離し、酔ったように叫んだ。

 そして、今度は朱貴美から宋万の舌に吸いついてきた。

 一方で、朱貴美が宋万の性器を撫でさせる手管は、ますますねちっこくなる。

 

「ね、ねえ、うんといやらしく抱いてよ、宋万。これ以上ないほどにあたしを辱めて」

 

 朱貴美が今度は宋万の怒張に下腹部を擦りつけるようにしてきた。

 

 今夜はとことん肉欲に溺れたい……。

 そんな朱貴美の気持ちがなんとなく宋万にはわかった。

 すべてのことを忘れたい。

 朱貴美はそんな気分なのだろう。

 

 やはり、心のどこかに王倫への未練が……?

 そう思ったが、だからこそ、朱貴美は宋万を誘ったのだろう。

 朱貴美がそうなら、宋万はそれに応えるだけだ。

 命を懸けて生涯愛すると心に誓った。

 その女が願うなら、その道に従う……。

 宋万にはそれしかない。

 

 一度目の裏切りも……。

 二度目の裏切りも……。

 そして、すべてを忘れるくらいに激しく抱いてくれと願うなら、ただ一途にそれをする。

 それだけだ……。

 

「壁に手をついて立つんだ、朱貴美」

 

 宋万は言った。

 朱貴美は一瞬、困惑の表情を示したが、すぐにその顔が妖しい微笑みに包まれた。

 ちらりと一度だけ宋万に挑戦的な笑みを向けると、朱貴美は部屋の壁に両手をつき、大きく脚を開いて尻をこちらに出すようにした。

 

「朱貴美……」

 

 宋万は、朱貴美の背後に歩み寄り、ふたつの乳房を鷲掴みにした。そして、荒々しく揉みあげる。

 

「はああっ」

 

 すでに熟れきっている朱貴美は、それだけで腰が砕けそうに全身を悶えさせる。

 宋万はしばらくのあいだ、首筋や脇や横腹に舌を這わせながら延々と乳房を揉み続けた。

 朱貴美は声をあげ、全身をくねらせて、開いている股間から果汁を垂らし続けた。

 

「朱貴美、好きだ。心から。お前とともにどこまでもいく。そこが地獄であろうと……。お前のいるところが極楽だ……」

 

 宋万は硬直しきっている怒張を朱貴美の尻たぶの下から一気に突きたてた。

 

「おおおおっ」

 

 朱貴美が獣のような声をあげた。

 そして、背筋をぴんと弓なりにした。

 深々と挿している怒張に朱貴美の肉襞が押し寄せる。

 そこがまるで別の生き物であるかのように、強い収縮で宋万の一物を食い千切らんばかりに締めつけてきた。

 宋万は乳房を後ろから揉みながら律動を開始した。

 性急にはやらない。

 ゆっくりとだ。

 長年憧れのように見守り続けた朱貴美の肉体だ。

 激しく抱いて、あっという間に果てるのはもったいない。

 こうやって、一晩中、いや、一日でも二日でも味わっていたい。

 

「ああっ、宋万、ああっ、ああっ」

 

 朱貴美が乱れ始める。

 次第にその両脚ががくがくを震えはじめ、その揺れが大きくなる。

 

「はううっ」

 

 いきなりだった。

 朱貴美が早くも絶頂を迎えたようだ。

 

「ああ、宋万」

 

 朱貴美ががっくりと膝を折りかける。

 だが、宋万がふたつの胸を支えて、それをとどめた。

 すると、朱貴美が上体を捻って、不意に宋万の唇に朱貴美の唇を重ねてきた。

 舌と舌を絡み合わせる。

 そのあいだもまだ律動は続けているし、胸を揉みしだく宋万の愛撫は続いている。

 そして、朱貴美が二階で抱き始めて二度目の絶頂をしたとき、その身体は完全に力を失って、その場に崩れ落ちた。

 

「はあ、はあ、はあ……」

 

 汗まみれの朱貴美が四つん這いになって肩で息をしている。

 朱貴美がしゃがみ込んでしまったことで、宋万の怒張は一度外れていたが、宋万は今度はその体勢のまま朱貴美を後ろから犯す。

 

「くううっ」

 

 律動を再開する。

 くちゃくちゃと果実が潰れるような音が部屋に響く。

 朱貴美の嬌声はだんだんと激しいものになり、ほとんど悲鳴のようになった。

 

「おおおっ」

 

 朱貴美が顔を前に突き出して、吠えるような声をあげた。

 全身が伸び切り、腰を左右に大きく震わせる。

 

「も、もう……だめ……。もうだめ、宋万……」

 

 しかし、宋万はまだまだ朱貴美を味わいたかった。

 相変わらず制御された速度で朱貴美を貫き続けていた。

 だが、確かに朱貴美はもう限界かもしれない。

 宋万は自分が果てるために、律動の速度を一気に激しくした。

 

「はああ、あああ、あああっ」

 

 すると朱貴美が全身で歓喜を表すような激しい反応を示し始めた。

 夢にまで見た朱貴美の身体──。

 宋万は心からの陶酔に陥りながら朱貴美の中で精を放った。

 

「ふううっ」

 

 同時に朱貴美は数度目になる絶頂の衝撃を迎えて、ぶるぶると身体を震わせた。

 

「はあ、はあ、はあ」

 

 怒張を抜くと、朱貴美はその場にくたくたと横倒しになった。

 一方で、宋万の一物は精を放ったばかりだというのに、まだまだしっかりと勃起して天井を向いている。

 顔をこちらに向けた朱貴美がそれに気がついた。

 

「ふふふ、強いのね……。だけど、もうくたくた。口でするわ。それで許して」

 

 そう言うなり、起きあがった朱貴美は、宋万の前で跪いた。

 そして、怒張に手を伸ばす。

 

「……そ、そんなことしてくれなくても……」

 

「ち、違う……。したいの……。それと……。こんなあたしを好きだと言ってくれてありがとう……。心の底から嬉しかった……」

 

 朱貴美が口を大きく開いて、宋万の肉棒の先端から舌を絡めるように頬張ってきた。朱貴美の口は大きくないので、宋万の一物を咥えるのは苦しそうだ。

 それでも、舌だけでなく頬の内側まで使って、懸命に奉仕を続けてくる。

 あの朱貴美が宋万の性器を咥えて奉仕をしてくれる。

 その感激が宋万を一気に興奮させた。

 熱いものが込みあがる。

 

「出すぞ」

 

 宋万は言った。

 しかし、朱貴美は口に宋万の怒張を含んだまま、一度こくりと頷いただけだ。

 

「で、出る……」

 

 宋万はもう一度言った。

 だが、やはり朱貴美は口を離さない。

 さらにねちっこく、怒張の先端に舌を這い動かしてくる。

 

「ううっ」

 

 堪らず、宋万は朱貴美の口に精を放った。

 朱貴美が喉を動かしてそれを飲む。

 またもや、感動が宋万を襲った。

 そして、やっと宋万の股間が猛々しさを失うと、朱貴美は口を宋万の股間から離した。

 

「ありがとう、宋万……」

 

 朱貴美はにっこりと微笑んで言った。

 

「お、お礼など」

 

 なんと言っていいのかわからず、宋万は当惑してしまった。

 

 

 *

 

 

 翌朝、目を覚ますと、裸のまま隣に寝ていたはずの朱貴美の姿はなかった。

 その代わり、枕元には宋万の衣服がきちんと畳んで置いてあった。洗面のための水も桶に入れてあり、清潔な布とともに準備されている。

 

 宋万が身支度をして、階下に降りていくと、すでに朱貴美は厨房で働いていた。

 朱貴美は、宋万を認めると、にっこりと微笑んで卓のひとつに朝食を並べだした。

 そして、宋万と向かい合うように座る。

 本当にこの朱貴美と昨夜は獣のように抱き合ったのか?

 そんな疑念が込みあがる。

 それくらい、いつもと同じような朱貴美の淡々とした仕草だった。

 

「どうぞ。あたしも一緒にもらうわ」

 

「ああ」

 

 食事のあいだの会話はそれだけだ。

 朱貴美は昨夜のことは口にしなかったし、宋万もそれを言わなかった。

 なんとなく、昨夜のことは一夜だけの幻という感じがした。

 朱貴美もそれを望んでいるのではないかと思ったのだ。

 やがて、食事が終わった。

 

「梁山泊に戻る。早朝に迎えに来るように事前に指示をしていた。もう、待っているはずだ」

 

 宋万はそう言った。

 朱貴美が小さく頷く。

 そして、宋万が立ちあがると朱貴美も立ちあがった。

 驚くことに、朱貴美が宋万の首に両手を回し、口を吸ってきた。

 宋万も朱貴美を抱き締めて吸い返す。

 しばらくのあいだ、抱擁を続けた。

 

「ねえ、厚かましいけど、お願いがあるのよね」

 

 やがて身体を離すと、朱貴美が言った。

 なんとなく、その顔はなにかの決意がこもっている感じだ。

 

「なんだ、朱貴美?」

 

「あんたには、ほかの女とはまぐあわないで欲しい。もしも、我慢できなくなったら、ここに来て欲しいんだよね。あたしは、もうあんた専用の娼婦だよ。それを思い出してよ」

 

 頭がくらくらしてきた。

 朱貴美がこれからも宋万のものであるということを言ってくれたのだ。

 

「毎日来る。俺はお前に恋い焦がれているのだ」

 

「だめよ。あいつが怪しむわ。あたしだって、毎日逢いたいわ。だけど、あいつが死ぬまでは自重しましょう。でも、五日は待てない」

 

 朱貴美はそう言い、赤裸々な自分の物言いに気がついたように、急に照れたようにはにかんだ表情になった。

 

「三日はここには来ない方がいいわね。でも、五日は開けないでね。あたしも我慢できなくなるから。五日に一度。そういうことにしようか」

 

 朱貴美ともう一度口づけを交わしてから店を出た。

 部下は船着き場ですでに船で待っていた。

 

 

 *

 

 

「とても充実した表情をしているわね」

 

 その日の練兵をしているとき、いつものようにやってきた呉瑶麗に声をかけられた。

 

「充実か?」

 

「ええ、嬉しいことがあったという顔よ」

 

 呉瑶麗は微笑んだ。

 この女が実は白巾賊の女軍師……。

 そして、この梁山泊に潜り込み、王倫の暗殺を企てている刺客……。

 宋万は、呉瑶麗を改めてしげしげと眺めてしまった。

 

「お前は充実しているか?」

 

 宋万はなんとなく訊ねた。

 呉瑶麗は宋万の問いかけに、少しだけ当惑したような顔をしたが、すっと近づいてきて小声でささやいた。

 

「……冗談じゃないわよ。毎朝、毎晩、好きでもない男の性器を受け入れるのよ。媚薬で無理矢理に欲情させられて……。とても、耐えられるものじゃないわ」

 

 呉瑶麗が吐き捨てた。

 その表情は苦痛と嫌悪感に満ちていて、しかも、恐ろしく殺気立っていた。

 宋万は困惑してしまった。

 

「白い布……」

 

 そのとき、呉瑶麗がぽつりと呟いた。

 

「白い布?」

 

「事を起こすときには、わたしは首に白巾賊の象徴である白布を巻く。それを見たら、あなたはここの軍をまずは押さえて」

 

 呉瑶麗はそれだけを言い、さっと離れていった。

 練兵場にいた賊徒兵たちが、呉瑶麗の武芸の教授を受けようと集まり始める。

 呉瑶麗はさっき垣間見せた苦痛の顔が嘘のように、陽気な声でその賊徒兵たちを仕切り始めた。



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第27話  白巾賊討伐
90  宋江(そうこう)、討伐を知り葉芍(はしゃく)を走らす


「くううっ、だ、だめです、旦那様──」

 

 葉芍(はしゃく)が陶酔に打ち痺れたような様子で、切なそうな甘い声をあげた。

 宋江(そうこう)は、粘っこい愛撫を葉芍の胸や下腹部に続けながら、ゆっくりとした速度で腹這いになって腰だけを高くあげている葉芍に律動をしている。

 ただし、犯しているのは葉芍の尻だ。

 宋江の肉棒は葉芍の菊門を深々と貫いていた。

 

「昼間から尻を犯されて、そんな甘い声をあげるとは、なんという淫乱な女だ」

 

「ああ、ご、ご主人様がなさっているんじゃないですか……。ああっ、あああっ」

 

 葉芍が宋江のからかいの言葉に恥辱に震えたのがわかった。

 そんな葉芍の姿に宋江の一物はますます猛々しさを得る。

 宋江は、さらに興を深めて、服の上から乳房を強く捏ねあげた。

 葉芍が甘美感に痺れたような仕草で小さな震えを示しだす。

 

 宋江と葉芍が暮らしている家だ。

 別に非番というわけでもないが、やる気の起きない事件の調べを担任することになった宋江は、それをさぼって屋敷に立ち寄り、葉芍と昼間から愉しんでいたところだ。

 

 宋江が受け持つことになったのは、四人の役人が一度に行方不明になったという事件であり、彼らの捜索を命じられていた。

 もっとも、まだ死体はあがっていないものの、おそらく殺されたのでないかというのが現段階の行政府としての判断であり、宋江もそう思っている。

 なにしろ、四人がひとりの手配女の情報に接して出ていったことまではわかっているのだ。だから、おそらく、その手配女に返り討ちになったのではないかと考えられていた。

 しかし、その女の情報については、連中はほかの者には隠したようであり、連中がどこに行ったのかはわかっていない。

 

 手配の女の名は、呂光(りょこう)──。

 発見した手配書によれば、その呂光は通称、青州と呼ばれる北州の東にある青城という城郭で男を殺して逃亡をしていたようだ。

 死んだ役人たちは、その呂光についての手がかりを得たのだろう。

 しかし、宋江のやる気を無くさせているのは、その四人がどうしようもない悪徳役人だったことだ。

 そのうちに闇で始末をしてやろうと宋江も思っていたくらいだし、死んで当然の男たちだ。

 その呂光という女が殺したのか、あるいは、ほかにも仲間がいたのかもわからないが、もはや、宋江には、その事件を深く調べる気持ちはまったくない。

 

 出仕中に家に戻って来た宋江に、葉芍は少しだけ戸惑いの表情を見せたが、宋江が両手を後ろに回せというと、家事の途中だった葉芍はすぐに両手を背中に回して宋江に向けた。

 そして、宋江は服の上から葉芍を縄で後手縛りにして、こうやって下半身だけを裸にして尻を犯し始めたのだ。

 

 葉芍によれば、葉芍が暮らした「橋の下」の子供たちは、お互いの仲間意識を深めるために性愛をするという独特の習慣を持っていたらしい。

 それは男女のときもあるし、男と男、女と女という関係のときもあったようだ。とにかく、そうやって快楽を深め合うことで、集団の信頼関係を作っていたのだ。

 そういう少女時代を送った葉芍は快楽に関することでは、十五という年齢とは思えないほどに成熟している。

 宋江を悦ばせる性の技も持っているし、少し調教しただけで、すぐにこうやって尻でも性交を受け入れることもできるようになった。

 なによりも、女を縛らないと性交できないという宋江の困った性癖にも、悦びをもって応じてくれる。

 最高の嫁だ。

 

「ああ、い、いきそうです、旦那様、いきそう……」

 

 葉芍が大きく背をのけぞらせながら言った。

 

「俺が達するまで、待て。言いつけだぞ」

 

「は、はい。我慢します。で、でも、できないかもしれません。き、気持ちいいですから……。あっ、ああっ……」

 

 葉芍が可愛いことを言う。

 ますます、宋江の興奮は大きくなる。

 そのとき、突然に外に通じる家の扉が開いた。

 

「きゃああああ」

 

「うわっ。これは申し訳ない」

 

 葉芍がけたたましい悲鳴をあげ、やってきた男が慌てた声をあげた。

 宋江はちょうど家の入口から入った正面の部屋で葉芍を犯していた。だから、その行為の真っ最中に、訪問者を迎えてしまったというかたちになってしまったのだ。

 

 入って来たのは、朱仝(しゅどう)だ。

 運城の城郭軍の上級将校であり、数名いる大隊長のひとりだ。

 運城軍では、大隊長よりも上の指揮官は副長になり、さらにその上が司令官だ。

 つまりは、朱仝は実際に兵を率いて動く、もっとも上の責任者ということだ。

 だが、宋江と朱仝は、実は悪人専門の暗殺業をしている仲であり、法逃れをする悪徳役人や軍人をひそかに処断するという「闇の処刑人」をしている間柄だ。

 

 宋江はちょうどそばにあった衝立をさっと移動させて、朱仝とのあいだを隠した。

 

「いきなり入って来るやつがあるか。なんの用だ?」

 

 宋江は葉芍を犯し続けながら言った。

 

「だ、旦那様、ちょ、ちょっと待ってください。抜いて……。抜いてください……。あっ、ああっ」

 

 葉芍が狼狽した声をあげる。

 しかし、こんな葉芍の反応を見せられては、宋江の鬼畜の火が燃えあがる。

 宋江はますます興にのって葉芍を責めた。

 しかも、葉芍も羞恥に泣き声をあげるものの、強引に宋江から逃げようとはしない。

 本気で抵抗しないのは、葉芍の素晴らしいところだ。

 

 葉芍は、宋江の変態的な性癖を受け入れるのが、自分の存在の拠り所と思い込んでいるところがあり、嫌がることはあっても、どんなことをしても最後の抵抗だけはしない。

 いまでも、衝立ひとつで隔たれただけの状況で宋江に犯されるのを見られるという状況であるのに、宋江が強く命じれば、それを受け入れる気配だ。

 

「恥ずかしければ、声を出さんことだな、葉芍……。ところで、なんだ?」

 

 宋江は入口のところで当惑している様子の朱仝に言った。

 朱仝は交合をやめる気配のない宋江に面食らっている顔だったが、すぐに苦笑の表情に変わった。

 

「……宋江殿も好き者ですなあ。葉芍殿が気の毒では?」

 

「お前が急に入って来るからいかんのだろう。それよりも、用事を言え」

 

 宋江は言った。

 そのあいだも延々と葉芍との肛姦は続いている。

 葉芍は懸命に口を伸ばし、必死になって襟首を噛むようにして声を耐えている。

 ただ、そろそろ絶頂が近いようだ。

 その証拠に葉芍の尻は一段と熱く濡れ、興奮で宋江の怒張をぐいぐい絞りあげてくる。

 

「城郭軍に出動準備命令が出ました。まだ兵にはどこに出撃するのかは知らされておりませんが、上級将校には告げられました。東渓村(とうけいそん)です」

 

 朱仝は言った。

 

「な、なんだと?」

 

 宋江は思わず律動をやめそうになり、思い直してすぐに継続した。

 

 東渓村──。

 もちろん、知っている。

 東渓村には隠し里があり、実はそこは謎の義賊で有名な白巾賊の拠点だ。

 女名主の晁公子(ちょうこうし)は、その頭領であり、そこには女を中心とした一騎当千の者たちが集まっている。

 その東渓村に城郭軍が出動するということは、ついに白巾賊の拠点が発覚したということに違いない。

 だが、なぜ……?

 

「ちょっと待っていろ、朱仝」

 

 宋江はそう声をかけてから、肛姦の律動をゆったりとしたものから、小刻みなものに変化させた。

 葉芍は苦しいだろうが、その方が宋江は早くいける。

 

「んんっ、んっ」

 

 尻を宋江の腰に打ち付けられる葉芍が、噛み殺した声を大きくする。

 

「んくううっ、旦那様──」

 

 その一瞬、葉芍は朱仝が目の前にいることを忘れたのか、いきなり大きな声をあげた。

 宋江もまた声を低く絞り出している。

 葉芍の尻だけでなく、股間の突起も刺激して葉芍から快感の極みを絞り出しつつ、自分もまた劣情の樹液を放出した。

 葉芍と宋江は寸分と違わずに、同時に達した。

 

「仲がいいのは結構ですが、俺をおふたりの遊びに巻き込まんで欲しいですな」

 

 朱仝が呆れた声をあげる。

 

「も、申しわけありません、朱仝様」

 

 宋江から怒張を抜かれて、すっかりと脱力して肩で息をしている葉芍が言った。

 

「別に奥方には責任はないですよ。さっきも言いましたが、好色な宋江殿が悪いのです」

 

 朱仝が笑った。

 

「……それでさっきのことを詳しく話せ」

 

 宋江は葉芍を拘束していた縄を解きながら言った。

 腕を縄を解かれると、葉芍は宋江に脱がされて横にあった下袍と股布を急いで身につけ始める。

 

「と、とにかく、おあがりください。い、いま、お茶を……」

 

 そして、慌てたように動き始めた。

 

「いや、葉芍殿、俺はすぐに戻らなければならんのです。とにかく、宋江殿、大規模な軍の出動は、一隊が東渓村に入って女名主の晁公子殿の身柄を押さえてからになると思います。それまでは、大きな軍の動きは隠されます。晁公子殿を捕らえるか、あるいは、逃がすかすれば、今度は全軍が出ます。目的は東渓村とその隠し里です」

 

 朱仝は言った。

 もちろん、朱仝は、晁公子が白巾賊の頭領であることを知っているし、その晁公子と宋江が昵懇であることも承知している。

 なによりも、朱仝は宋江とともに、一度ならず、数回、白巾賊の拠点に入って、幹部の女たちと言葉を交わしたことがあるのだ。

 

「東渓村はともかく、隠し里まで場所が割れているのか?」

 

「はい……。それでだけでなく、侵入路には罠があることも……。各隊には目的地は伏せられたものの、その罠避けの支度についても指示がありました。どんな罠があるかのかなり具体的な内容も教えられました」

 

 朱仝は言った。

 宋江は、唸り声をあげてしまった。

 そこまで発覚したというのはどういうことだろう。

 あの隠し村が非常に警戒が強く、罠の存在など簡単にはわからないようになっていることは、実際に入ったことがある宋江が誰よりも知っている。

 どうして、そこまで露見してしまったのだろう。

 

「わかった。とにかく、お前は軍に戻れ。いずれにしても、実際に討伐ということになっても、白巾賊とは直接当たることがないようにうまく立ち回れ。それは、雷横(らいおう)にも言っておけ」

 

 宋江は言った。

 雷横は、朱仝と同じく、運城軍の大隊長級の上級将校のひとりだ。

 朱仝とは違い堅物なので、白巾賊のことは明確に告げてはいないが、宋江と朱仝がただの役人と軍人ではないことは仄めかしている。

 この国のありように不満と憤りを抱いているということでは、宋江や朱仝、そして、晁公子とも共通点はあると思っている。

 

「わかりました」

 

 朱仝が出ていく。

 

「旦那様、あたしがひとりで知らせに行きます」

 

 朱仝が出ていくと、葉芍がすぐにそう言った。

 

「しかし……」

 

 宋江は眉をひそめた。

 東渓村はこれから軍の討伐が行われるという場所であり、そこにいまから行くのは危険すぎる。

 宋江は自分自身が知らせに行くつもりだった。

 

「旦那様は行ってはなりません。旦那様はお役人です。この状況で東渓村に行ったということがわかれば、旦那様と晁公子様の関係を不審に考える者もいると思います。その点、あたしは大丈夫です。あたしのことなど気にかける者などいるはずがありません」

 

 葉芍が毅然と言った。

 それはその通りだ。

 だが、宋江はたったいままで宋江に尻を犯されて甘い声をあげていた女とは思えない自分の知らない葉芍の一面に接して、驚いていた。

 だが、意を決した。

 宋江が知らせに行くわけにはいかない。

 軍がそういう行動をしている以上、治安を取り締まる役人のひとりである宋江たちの召集もまもなくかかるだろう。

 そのときに、宋江の行方がわからなければ、宋江も都合が悪いことになる。

 

「では、頼む」

 

 宋江は言った。

 葉芍はすぐに立ちあがった。

 

 

 *

 

 

 汗まみれの女が東渓村に飛び込んできたという知らせを受けたのは、陽が中天からやや西に傾きかけた頃だった。

 

「晁公子殿、葉芍だ。宋江殿のところの葉芍が来た。どうやら、ひとりのようだ」

 

 続いて部屋に入って来たのは、晁公子の屋敷で侍女の仕事をしている香孫女(こうそんじょ)だ。

 香孫女は見た目は十台前半の童女だが、実は歳を重ねた道士だ。

 実際の年齢は晁公子も知らない。多淫の性癖があり、時折騒動を起こす困り者なのだが、今日はいつになく真面目な表情をしている。

 

 それにしても、葉芍がひとりで来た?

 葉芍は、運城の城郭で警尉官という治安担当の役人をしている宋江の若妻であり、晁公子と宋江が昵懇になったことから何度か東渓村にもやって来たことがあった。

 だが、いつも宋江と一緒であり、ひとりでやってきたことはない。

 晁公子の印象は、宋江に従う大人しそうな可愛い娘というものであり、宋江と本当に仲睦まじそうな様子が記憶に残っている。

 

「なにかあったの?」

 

「わからん。とにかく、通す」

 

 香孫女は部屋を出ていき、すぐに葉芍を伴って戻って来た。

 葉芍は全身に水を被ったかのように汗まみれだった。しかも、真っ赤な顔をして激しく息をしている。

 もしかしたら、運城(うんじょう)から駆けてきたのかと思ったが、ここから運城は近いといっても、それなりに遠い。

 走って来るような距離ではない。

 

「香孫女、水を持ってきてあげて」

 

 晁公子が声をかけた。

 だが、香孫女が出ていこうとするのを葉芍がとめた。

 

「ぐ、軍が……き、来ます。すぐに……。白巾賊の拠点が……発覚したのです……。運城軍の朱仝様が……あたしの旦那様に、そ、それを……」

 

 葉芍が息も絶え絶えに言った。

 

「なんじゃと?」

 

 声をあげたのは香孫女だ。

 晁公子も驚いた。

 葉芍は続いて語った。

 

 それによれば、どうやら運城軍は、晁公子が白巾賊の頭領であるということだけではなく、その拠点である東渓村の隠し里のことまで承知しているようだ。

 しかも、隠し里に入る経路やその経路上の罠の内容についてもわかっている気配らしい。

 なぜ──という疑念が晁公子の頭をよぎった。

 五年間──。

 

 五年間、白巾賊は政府軍専門の襲撃を続けながらも、完全にその実態を隠しおおせてきた。

 白巾賊は戦闘員だけで百人の男女がいて、その家族を含めれば百五十人くらいになる。それだけの人数がいながら、長い期間、完全に秘密を守り通してきたのだ。

 

 それが、どうしていまになって……?

 だが、戸惑っていたのは数瞬だけだ。

 晁公子はちらりと葉芍を見たが、いまさら計略についての隠し事は不要だろう。

 

「香孫女、すぐに家人を集めなさい。この屋敷は焼き払う。わたしがすでに隠し里に逃亡したことを明らかにしないと、軍の襲撃の対象がこの村にも及んでしまうわ。それと阮小女(げんしょうじょ)に連絡して──。かねてからの手筈に従い、まずは、白巾賊の非戦闘員を船で避難させる。もしも、東渓村の住民で希望する者がいれば、一緒に連れていく可能性もある。最終的な目的地は梁山泊(りょうざんぱく)よ──」

 

 すると、香孫女がにやりと微笑んだ。

 

「すぐに呼ぶ。だが、いよいよ始まりだな、晁公子殿。少し手筈とは異なったが、呉瑶麗の梁山泊の乗っ取り計画の開始だ。隠し里にも知らせて全軍の戦闘準備をさせる。それと、朱貴美(しゅきび)にも伝えねばならんな。梁山泊に入り込んでいる呉瑶麗に教えんと」

 

 香孫女は言った。

 白巾賊の拠点を隠し里から梁山湖にある湖塞に移すべきだというのは、かねてからの呉瑶麗の考えだった。

 しかし、それには王倫という男が頭領をしている「梁山泊」と称する盗賊団が邪魔だ。

 なにしろ、あそこには一千の賊徒兵がいて、その家族を含めれば二千にもなる大盗賊団だ。

 呉瑶麗の計略は、いまの頭領の王倫を排除し、白巾賊そのものが梁山泊に移動して、梁山泊を丸ごと乗っ取ることだった。

 

 そのために呉瑶麗は、危険を冒して、王倫の支配する盗賊団に潜入し、王倫の情婦のまねをしてまで、その状況を作りあげた。

 すでに態勢は整い、決行の日は目前の予定になっていた。

 ただ、当初の手筈は、まずは生辰綱(せいしんこう)事件の真犯人として追い詰められた晁公子たちが梁山泊に逃げ込むかたちで入り込み、事前に潜入を果たしている呉瑶麗とともに王倫を処断し、その後、白巾賊が行動を起こして、その全部が入り込むというものだった。

 

 しかし、事を起こす前に白巾賊の拠点が官軍に発覚したことで、晁公子たちの梁山泊潜入に先立って、白巾賊が行動を開始することになりそうだ。

 まあ、いずれにしても、梁山泊乗っ取りの状況はできあがっている。

 拠点移動の準備ももともと整っていたし、いまこの瞬間にも白巾賊は行動できる。

 問題はない。

 

「ま、待ってください。朱貴美姉さんには先に知らせました……。通り道だったので」

 

 そのとき、やっと息が整ってきた感じの葉芍が口を挟んだ。

 晁公子は少し驚いた。

 確かに、運城から湖畔街道を駆けてきたとすれば、湖畔街道で料理屋をしている朱貴美の店はその途中だ。

 しかし、晁公子は宋江に白巾賊の活動については教えたが、呉瑶麗の梁山泊乗っ取り計画そのものは話していない。

 また、朱貴美を取り込むために幼馴染である葉芍に口をきいてもらうように頼みはしたが、朱貴美が完全に白巾賊に与しているということなど知っていたはずがないのだ。

 

 また、もうひとつ驚いたのは、葉芍が比較的安全な山道ではなく湖畔街道をやってきたらしいという事実だ。

 確かに運城から東渓村へは湖畔街道が一番近いが、あそこは梁山泊の盗賊団の縄張りであるので治安が悪いのだ。

 女ひとりでやって来るには危険な道だ。

 

「朱貴美姉さんとは知り合いなんです。少しは事情は感づいていました。朱貴美姉さんはあたしが白巾賊だというと、すぐに自分もそうだと言いました。だから、先に教えた方がいいと考えました。一刻を争うと思いましたし……。駄目でしたか?」

 

 葉芍が続いて言った。

 晁公子は葉芍についての認識を見直す思いだった。

 たったいままで、晁公子は葉芍のことを宋江に従順な大人しい若妻ということでしか評価していなかった。だが、こうやって直接に話すと、かなり聡明だということがわかる。

 白巾賊に寝返ったことを朱貴美自身が葉芍にはっきりと話すわけがないから、葉芍は晁公子が仲介を頼んだことで、ある程度のことまで見抜いたと考えるしかない。

 それで、この事態を考えて、もしも朱貴美が白巾賊に与していたとすれば、朱貴美自身の安全のためにも官軍襲撃の予告を教えるべきと思ったのかもしれない。

 いずれにしても、それを確認するために、はったりを使って朱貴美から情報を取り出したとすれば、大した娘だ。

 

「ならば都合がいい。すでに呉瑶麗には事態は伝わっているだろう。呉瑶麗ならすぐに行動を起こす──。よかった。離れている呉瑶麗だけが問題だった……。とにかく、家人を集める」

 

 香孫女が部屋を出ていく。

 晁公子は葉芍を改めて見た。

 葉芍は安心したように脱力している。

 だが、葉芍が途中で朱貴美に伝えてくれて助かったのは確かだ。

 なにしろ、呉瑶麗には朱貴美を通じて伝言をやり取りしているが、梁山泊への連絡船は昼間のみなので、いまからでは呉瑶麗への連絡が明日になってしまう可能性があった。

 だが、葉芍の機転ですでに呉瑶麗は事態の急変を知ったはずだ。ならば、こっちもそれを見越して動ける。

 呉瑶麗なら、必ずうまく対処する。

 

「休んでいってと言いたいんだけど、この屋敷はすぐに焼き払うわ。わたしも隠し里に移動する。村も大騒ぎになるからすぐに離脱した方がいいわね。あなたには誰かをつけるから運城に戻ってくれるかしら、葉芍。改めて、宋江殿にはお礼をすると伝えてくれる」

 

「伝えます……。でも、ひとりで戻れます。晁公子様もこの状況ですから、あたしになんかに人を割く余裕はないはずです……。では戻ります。すぐに出れば陽のあるうちにぎりぎり戻れると思いますし……」

 

 葉芍は立ち去る気配を見せた。

 晁公子はびっくりしてそれを押し留めた。

 

「なにを言っているのよ、葉芍。あたなは宋江殿の奥方よ。帰路で万が一のことがあれば、わたしはどう恩人に謝ればいいのよ。あなたがよくてもわたしがよくないわ。とにかく、人をつけるから待ちなさい」

 

 晁公子は大声で言った。

 葉芍は当惑したような表情で頷いた。

 すぐに家人たちは集まって来た。

 そのときには、すでに晁公子は白巾賊の象徴である白布を首に巻いている。

 ここにいる家人の半分は白巾賊であり、晁公子の正体を知っている。だが、残りの半分はまったく知らないはずだ。

 晁公子は集まった家人に、これまで尽くしてくれたことに対する感謝の言葉を述べるとともに、屋敷の焼き払いと財の分配、そして、離散を命じた。

 驚く家人たちには、自分が白巾賊の頭領であることを明かし、それを村中に触れ回るようにも指示した。

 とにかく、できるだけ多くの者に晁公子が村を逃げたということを知らせることだ。

 

 それで城郭軍の目標から東渓村が外れることになる。

 困惑している家人たちに、後始末役の家人が具体的な行動の指示を始めた。

 近いうちにここを出るつもりだったので残って後始末をする者たちとその手筈も決めてあったのだ。

 彼らは、必要なことをやり、家人たちがいなくなり次第に屋敷を焼き払い、その後、拠点にやってくることになっている。

 

 晁公子は白巾賊である家人からふたりを指名して、葉芍を運城まで送るように命令した。

 もう、ほかにここですることはない。

 

「ほかの者はわたしと一緒に拠点に移動するわよ。運城軍が攻めてくるわ。さあ、戦いよ──」

 

 晁公子は声をあげた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一刻(約一時間)後──。

 

 晁公子は隠し里に向かう路の馬上にあった。

 隠し里は、ここよりも随分と青竜河に近い。

 途中、東渓村が見下ろせる丘から一度だけ村を見た。

 屋敷が燃えていた。

 

 晁蓋(ちょうがい)との思い出がたくさん詰まった屋敷が……。

 

 

 *

 

 

 阮小ニ(げんしょうじ)が戻って来たのは夕方のことだった。

 

 ここにやって来て、数日が経っている。

 東渓村の「隠し里」と呼ばれる白巾賊の拠点の中だった。

 その中に家を一軒もらい、呂光(りょこう)は阮小ニの「妻」としてここにいた。

 

 役人殺しをした呂光を伴ってこの場所に入った阮小ニは、白巾賊の一員として本格的な戦闘練兵を受けることになり、昼間はそれに参加するようになっていた。

 呂光は知らなかったが、これまでの白巾賊における阮小ニの役割は、主に操船であり、実際に戦闘をしたりすることはほとんどなかったようだ。

 ただ、白巾賊の中では、阮小ニは、官軍でいう「将校」扱いであり、今回を機会に戦闘のほかに指揮の訓練も始めたらしい。

 これまでの実際の戦闘において実戦指揮をしたのは、主に頭領の晁公子と副長格の劉唐姫(りゅうとうき)であり、官軍などへの襲撃もこのふたりが中心に行ったようだ。

 

 また、戦闘員の総員は百名前後──。

 ただし、武器の主体は銃であり、この隠し村にあった拠点には、驚くべき数の銃と弾薬が備蓄してある。

 しかも、銃と弾薬は、この拠点以外にもあちこちに隠し持っている気配もある。

 

 さらに、ここには非戦闘員もいて、その中には生辰綱事件で連れていかれた性奴隷たちもいた。

 彼女たちは白巾賊の男の妻になって畠仕事をしている者もいたし、戦闘員そのものになっている女もいた。

 白巾賊は別名「女賊」と称されるくらいに女の割合が多い。

 それを成立させているのも、彼女たちの主要武器が、戦闘技術のいらない銃であることだ。

 

 非戦闘員には、鉄砲鍛冶士の湯隆(とうりゅう)、呉瑶麗とともに流刑所を脱獄した女医の安女金(あんじょきん)、阮小ニの妹の阮小女などの顔もある。

 

 ほかにも、安女金と一緒に流刑地から脱獄した呉瑶麗がいるはずだが、その呉瑶麗はこの拠点にはいないようであり、いまだにどこにいるのかは呂光は知らない。

 また、阮小女は母親とともに、ここではなく城郭に近い里で暮らしている。

 これらのことは、この拠点に入る侵入口と経路上にある罠の情報とともに、妹の呂盛に伝えた。

 情報のやり取りをするのは、阮小ニが練兵に行っている昼間だ。

 一度入ってしまえば、どこに侵入者避けの罠があるかもわかったし、出入りも容易だった。

 

 呂盛(りょせい)とはすでに二度情報の交換をしている。

 それによれば、三日後には東渓村に女名主の晁公子の捕縛の隊が入る。

 ほぼ同時に運城軍による大きな討伐もこの隠し里に対して行われることにもなっているようだ。

 呂光が考えているのは、それまでにここから阮小ニを出すことだ。

 そのための段取りも整っている。

 

「おかえりなさい、阮小ニ。食事の準備は整っているわ。裏で汗を流してきて」

 

 呂光は阮小ニを迎えた。

 

「ただいま」

 

 阮小ニが呂光を抱き締めて唇を重ねてきた。

 

「ん、んんっ」

 

 阮小ニの舌が呂光の舌に絡んでくる。

 呂光も舐め返す。

 そのまま、しばらくのあいだお互いの舌を舐め合った。

 すると、阮小ニの手が下袍の裾に伸びて、すっとその中に潜り込んできた。

 

「あっ、ううっ……。だ、だめ……」

 

 阮小ニの手が太腿に触れ、さらに股間の付け根をまさぐってきたのだ。

 

「どうも、陸の上の戦いの練兵というのは性に合わないようでな。疲れた。だから、疲れを癒させてもらうよ」

 

 阮小ニが股間の頂きの中心をぐりぐりと揉んでくる。

 

「だ、だめよ……。疲れているなら……あっ……」

 

 しかし、阮小ニの指は小さな股布の横から奥に入ってきてしまった。そのまま指を亀裂に潜り込まされる。

 

「そんなこと言って、濡れているじゃないか。淫乱な奥さんだ」

 

 阮小ニが笑った。

 

「ち、違うわよ……。あ、あんたが悪戯……するから……あっ、ああっ……」

 

 阮小ニが女陰の中を指で掻きまわすようにしてくる。

 大きな愉悦が呂光の身体を駆け巡る。

 阮小ニの言うとおり、呂光の股間はすでにたっぷりと濡れていた。

 しかし、これはたったいま阮小ニに抱かれた瞬間に濡れたのだ。

 自分でもびっくりするくらいに阮小ニといると欲情する。

 阮小ニと触れ合いたくて堪らない気持ちになる。

 ましてや実際に抱かれてしまうと、こんなふうにあっという間に身体が熱くなり、股間からは溢れるくらいに蜜が滴りだすようになる。

 呂光は長く妹の呂盛と性愛を交わす仲だったから、自分が淫乱のたちであるとは思っていたが、阮小ニとの関係においては、呂盛との関係とは比較にならないほどに快楽の度合いも性質も違う。

 

 阮小ニと身体を交わし合うのは、段違いに気持ちいい。

 そうはいっても、別に性愛を強いたいわけじゃない。

 ただ一緒にいるだけでいいのだ。

 くっついていたい。

 話をしていたい。

 それだけでもいい。

 逆に阮小ニがいないと寂しさを感じてつらい。

 そんな風に感じてしまう自分がおかしいと思うのだが、いまはこの気持ちはどうしようもないものになっていた。

 

「う、うううっ、くっ……。だ、だめだったら……。明日は早いのに……」

 

「わかっているよ。だから、いまやるんだ。夜は早く寝ないとな。妹さんに会いにいくことは忘れていないよ…」

 

 阮小ニの指はますますいやらしく呂光の股間を愛撫してくる。

 もう立っていられなくなり、呂光はその場に崩れるように膝を崩した。

 阮小ニはそれに合わせるように膝立ちになったが、呂光の股間に潜っている指はそのままだ。

 

 明日の朝の出立というのは、呂光が強く頼んだことであり、呂光には遠くに嫁いだ妹がいて、妻のような立場になったのだから是非一度会ってくれと懇願していた。

 場所は畿内州だ。

 それで明日の早朝に阮小ニの操船で水路で向かうことになっている。

 阮小ニは数日だけのことと考えていると思うが、実際にも妹役をやる呂盛がうまく対応し、向こうにいけば、呂盛が病気になり、予定が伸びていくことになっている。

 

 そのうちに東渓村が討伐されたという知らせが入り、慌てて戻ったときには、すべてが終わっているという段取りだ。

 それから阮小ニがどうするかはわからないが、そのときにはもう白巾賊はないのだ。

 阮小ニもどうしもないはずだ。

 

 漁師に戻るなら呂光はそのまま阮小ニの妻として暮らすつもりだし、逃亡の旅に出るならそれでもいい。

 いずれにしても、この白巾賊の拠点に官軍の討伐が行われるときには、阮小ニをここから離れさせる。

 白巾賊が討伐されてしまえば、阮小ニひとりのことなど誰も気にしない。阮小ニの賊徒としての記録など簡単に消滅させられる。

 阮小ニが追われることはない……。

 呂盛には悪いが、呂光もこれを機にいまの間者稼業から足を洗ってもいいとまで思っている。

 

 そのとき、家の外に誰かがやってくる気配がした。

 果たして、扉が外から勢いよく叩かれた。

 阮小ニが呂光から離れる。

 呂光も身体を起こして乱れた服と髪を直した。

 

「阮小ニ、緊急事態だ。もう一度、砦に戻ってくれ。ほかの者も集まる。晁公子殿もすぐに来るだろう」

 

 やって来たのは香孫女だった。

 晁公子の侍女を装って東渓村にいる外見だけ童女の道士だ。

 どうしていまここに……?

 しかも、いま晁公子もこっちに来ると言ったか?

 

 だが、もう夕方だ。

 なにかあった……。

 呂光は確信した。

 

「どうしたんだ、香孫女?」

 

 阮小ニが言った。

 

「官軍が来る。葉芍が知らせてきたのだ。それで晁公子殿は屋敷を焼き払った。行動を起こす。晁公子殿が決めた。官軍の出撃予定は数日後くらいだったが、晁公子殿が屋敷から逃亡したことがわかれば、すぐにでもこっちに来るだろうて」

 

 香孫女が応じた。

 呂光は驚いた。

 だが、官軍の行動が事前に発覚するというのは珍しいことではない。しかし、その葉芍という名が気になった。

 

「葉芍とは、誰?」

 

 呂光は素早く言った。

 

「運城の城郭にいる宋江という役人の若嫁だ。そうじゃ、呂光、この隠し里にいる非戦闘員は今夜のうちに離脱することになっておる。すでに知らせが届いている阮小女が集める船で梁山泊に逃げるのだ。お前も一緒に行け。わしや阮小ニはここで官軍と一戦せねばならん。梁山泊に行くのはそれからだ」

 

 香孫女が言った。

 梁山泊に行く?

 一体全体どういうことだろう──?

 義賊で名高い白巾賊と、ただの盗賊団である梁山泊が結託していたという話は知らない。

 いずれにしても、それ以上、呂光が口を挟むような雰囲気ではない。

 すでに阮小ニは再び出ていく準備をしている。

 とりあえず、呂光はさっきの宋江という役人の名を記憶にとどめることにした。

 呂盛に伝えて何者かを調べさせる必要があるだろう。

 

「……呂光、いま聞いたとおりだ。ここに戻って来ることはないだろう。ひと足先にみんなと一緒に梁山泊に行ってくれ」

 

 阮小ニが短く言った。

 呂光は決心した。

 

「だめよ。わたしも一緒に戦うわ。これでも役人を四人斬り殺したほどの腕はあるわ。役に立つと思う」

 

 なにかの手違いで阮小ニを安全な場所に逃亡させる前に、襲撃が早まってしまった。

 それについては舌打ちしたくなる思いだが、こうなったら直接に呂光の剣で助けるしかない。

 

「そうだな。わしも前から呂光の腕は役に立つと思っておった。その気になってくれたなら、喜んで白巾賊に迎えよう。わしが晁公子殿に口添えしてやる──。それにしても、ひと時も別れたくないのじゃな。仲のいいことだ」

 

 香孫女が微笑んだ。

 

「呂光、いいのか?」

 

 阮小二が言った。

 

「もちろんよ。一緒に官軍と戦いましょう」

 

 官軍の間者である呂光が官軍と戦うことになるが、呂光はもう腹を括った。

 阮小ニを守る──。

 それがすべてに優先する……。

 

 誰であろうとも、阮小ニには指一本触れさせない。

 役人であろうと……。

 官軍であろうと……。



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91  呉瑶麗(ごようれい)、決起の報に白巾を巻く

 呉瑶麗(ごようれい)は、一日の練兵を終え、練兵場から寝泊りしている建物に戻ってきた。

 以前は主要な幹部の集会場のような場所だったということだが、いまでは高い壁が作られ、内部は狭く入り組んだ迷路のような廊下だらけの部屋に改築されている。

 臆病者の王倫(おうりん)がやらせたことだ。

 

 その高い壁の前に門番を立たせ、内部への出入りを厳重に監視もさせていた。門の通過には事前の許可が必要であり、その王倫の許可がなければ、自由に出入りもできないという状況だ。

 それで、以前は頻繁に行われていた幹部会議も滅多に行われないものになっているようだ。

 

 呉瑶麗だって、こうやって毎日のように練兵場に行くのも、王倫の許可を受けている。

 この許可を受けるために、鳥肌が立つような甘い言葉を閨でささやき、王倫が悦ぶような痴態を演じてみせた。

 それでも、出入りの時刻はきちんと定められている。

 それくらい、この建物への出入りは厳しいのだ。

 

 “聚義庁(しゅうぎちょう)”──。

 

 それが本来のこの建物の名前なのだが、いまや臆病者の王倫が隠れる穴倉だと呉瑶麗は思っている。

 王倫の印章の入った許可証を提示して、門番のいる門を抜けた。

 そして、建物内に入ったところで、入口のところで待っていた王倫の側近のひとりに声をかけられた。

 

「王倫殿のお召しだ。すぐに準備をして来い。ぐずぐずするなよ」

 

 呉瑶麗は嘆息した。

 今夜もまた、これからあの強い媚薬を飲んで身体の性感を無理矢理に暴発させられて、小心者のくせに膨れあがった自尊心の塊のような男に抱かれるのだ。

 気が重い……。

 

「聞こえたのか」

 

 すると、目の前の側近が尊大そうな声で怒鳴った。

 むっとした。

 王倫の側近たち共通のことだが、こいつらは王倫のそばに仕えることで、自分たちも同じように権力があるものだと思い込んでいて、呉瑶麗など、王倫の抱く娼婦くらいにしか思っていない。

 

 実際のところ、この建物に閉じこもって外には出てこない王倫は、こいつらのような側近たちにしか会うことがない。

 梁山泊で第二位の地位にあるはずの宋万(そうまん)でさえ、いまでは王倫に物を伝えるのはこの側近を通じてだ。

 つまりは、王倫に伝える情報は、すべて側近が握っているということだ。

 また、王倫の命令書とかいう文書を渡して、宋万をはじめとする梁山泊の幹部たちに、なにかの実行を命じるのもこの側近たちだ。

 

 呉瑶麗がいたあいだにも、罪を鳴らされた者が三人ほど首を刎ねられたが、それを仲介したのも側近だった。

 処断された者が本当になにかの罪があったのかどうかはわからないが、その三人に共通するのは、この湖塞の中でなんらかのかたちで側近たちの誰かと諍いを起こした者であるということだ。

 側近たちは、自分たちに逆らう者がいれば、この建物の中にいる王倫に、王倫に謀反の気配のある者がいるとささやく。

 

 すると、次の日には、その男の処刑命令が記された王倫の命令書が側近に渡されて、そいつが死ぬことになるということだ。

 本来は側近たちは、ただの王倫の護衛であり、宋万のところで練兵を繰り返している賊徒兵と同じ立場なのだが、いまやこの梁山泊では大きな力を持っているといっていい。

 当然、側近たちの権力は膨れあがり、ほかの者への態度も尊大になる。

 呉瑶麗も最初は、彼らに大人しくしていたが、あまりにも度がすぎてきて、最近では鼻につくようになってきた。

 

「聞こえているわよ」

 

 呉瑶麗も怒鳴り返した。

 側近が少しだけたじろいだ表情になった。

 こんな男、いまこの瞬間にでも呉瑶麗の腕なら縊り殺すことができる。

 呉瑶麗の醸し出す殺気を感じたのか、その側近がなにかぶつぶつと口にしながら立ち去っていった。

 

 呉瑶麗は溜息をついた。

 あんな程度の悪い側近に囲まれている王倫は、呉瑶麗が手を出すまでもなく、もう終わりだろう。

 

 こんな体制になったのは、最近のことだそうだ。

 他人の心が読めて、予言ができるという不思議な女の杜穂が、まもなく、王倫に取って代わる者が現われるだろうと予言をしたのだ。

 王倫は、それを真に受け、できるだけ人に会わないことで暗殺を避けようとして、こんなふうに閉じこもったのだ。

 

 そして、本来は聚義庁として梁山泊の幹部の集まる中枢部の建物を自分の私邸同然にした小さな砦のようにして、その中に隠れたということだ。

 さらに、少しでも自分に逆らう可能性のある者は、次々に理由をつけて、側近を通じて処断していった。

 

 もともと猜疑心の強い男であり、力のある部下を排除していく傾向があったようだが、それが杜穂(とほ)の予言により、遠慮のない激しいものになったのだ。

 

 そうやって、次々に長く梁山泊を支えた者たちはいなくなった。

 また、杜穂によれば、女癖の悪い王倫は、梁山泊にやってきた賊徒の妻や娘を聚義庁に連れてきて、平気で犯したりしていたので、その点でもかなり評判が悪かったらしい。

 それがこのところの激しい粛清により、さらに王倫に対する怨嗟は激しいものになっているようだ。

 だが、王倫はそれを知らないだろう。

 

 いずれにしても、いま本当に王倫を支えられるのは、梁山泊第二位の地位で、賊徒軍の指揮をしている宋万(そうまん)だ。

 逆にいえば、宋万がいたからこそ、王倫が無道なことをしても、誰も手が出せなかったのだ。

 

 そして、王倫もまた、宋万が裏切らないということを知っている。

 宋万には、この梁山泊に逃亡してきたときに、北州都に残してきた妹がいて、王倫は宋万の妹を人質のようにして、北州都で握っていたのだ。

 だから、王倫は、絶対に宋万は王倫に逆らえないと考えている。

 

 だが、宋万の妹の宋春(そうしゅん)は、すでに白巾賊で押さえた。

 王倫の知人によって妹が大切に保護されていると思い込んでいた宋万は、実は妹の宋春が人間扱いされない被虐奴隷とされていたという事実を知り、王倫への恨みの塊のようになっている。

 もはや、宋万は、呉瑶麗たちに従うことを約束してくれている。

 それに、そもそも、白巾賊で保護した宋春の身柄はこっちにあるのだ。

 宋万は、妹を守るためにも、王倫を裏切るしかない。

 

 外に出ない王倫に代わって、梁山泊の一千の賊徒軍を事実上握っているのは宋万だ。

 その宋万が白巾賊に寝返った。

 もはや、王倫を処断するのは難しいものではなくなった。

 

 それにしても、杜穂は正しい予言をしたと思う。

 王倫は取って代わられる……。

 それは正しい……。

 この梁山泊の主人が、王倫から白巾賊の頭領である晁公子(ちょうこうし)に変わるのは遠い将来のことではない。

 

 廊下を進んで私室の前にやってくると珍しく秀白香(しゅうはくか)がそこにいた。

 呉瑶麗は思わず顔が引きつるのを感じた。

 この女は王倫の筆頭情婦なのだが、呉瑶麗がやってきてから、王倫が呉瑶麗を集中して寵愛するのを嫉み、幾度となく呉瑶麗の口にする食べ物や飲み物に毒を仕込んできた。

 無論、そんなものに引っかかる呉瑶麗ではないが、秀白香の繰り返しの暗殺未遂には、そろそろ堪忍袋の緒も切れかけてきたところだ。

 向こうでも、呉瑶麗の顔など見たくもないはずだ。

 

 最初こそ、筆頭情婦として、王倫の閨への呼び出しについては、この秀白香から伝えられていたのだが、呉瑶麗に嫉妬する秀白香のせいで混乱が多発したため、いまでは、さっきのように直接に側近の男が呉瑶麗に伝えるようになっている。

 そのことひとつでも、秀白香は呉瑶麗に怒り心頭に達していると思う。

 その秀白香が、ここでなにをしているのだろう?

 

「ご、呉瑶麗か。今日も兵たちの調練の手伝いか? 大変じゃな」

 

 呉瑶麗を認めた秀白香がぱっと顔に笑みを浮かべた。

 驚愕した。

 この女が呉瑶麗の前で笑うのを初めて見たかもしれない。

 驚きを通り越して、恐怖さえ感じた。

 今度はなにを企んでいるのだ?

 呉瑶麗は思わずたじろいだ。

 

「そ、そうだけど、なに?」

 

 呉瑶麗は警戒しながら返事をした。

 

「い、いや、別に用事というわけでもないのじゃがな。わらわの物でいらなくなったものがあるので、よければもらってくれんか。呉瑶麗には似合うと思ったのじゃ」

 

 秀白香が持っていた箱をさっと呉瑶麗の前に出して箱を開いた。

 一瞬、新手の仕掛け罠かと思ったが、中に入っていたのは、七つの色の宝石が連ねられた首飾りだ。

 一見して高価なものだとわかる。

 

「これをわたしに?」

 

 呉瑶麗はびっくりしてしまった。

 

「そ、そうだ……。どうだ、もらってはくれんか?」

 

 秀白香の顔は呉瑶麗に媚びを売るような顔になっている。

 一体全体どうしたのだ?

 

「もらっていいなら、もらうけど……」

 

 呉瑶麗はとりあえず言った。

 実際のところ、呉瑶麗は女らしい装飾具など一度もつけたことはない。

 こんなものをもらっても宝の持ち腐れだと思ったが、秀白香には悪意のようなものを感じないし、なんとなく受け取っておいた方がいいような気がしたのだ。

 

「本当か──。よかった。これを機会にそなたとは仲良くしたいな。考えてみれば、そなたには失礼なことをしたかもしれん。それも謝りたい」

 

 秀白香は首飾りの入った木箱を強引に呉瑶麗に押しつけるようにして立ち去っていった。

 呉瑶麗は呆気にとられた。

 そのとき、がちゃりと部屋の扉が開いた。

 

「呉瑶麗、戻ったのね」

 

 寧女(ねいじょ)だ。

 

「寧女、なにがあったのかしら。たったいま秀白香がこんなものを……」

 

 呉瑶麗は秀白香が呉瑶麗に贈り物だと言って、高価そうな首飾りをくれたことを説明した。

 すると、寧女がにやりと笑った。

 

「……このあいだの薬が効いたようね。あんたを排除するよりは、媚びを売る方が得策だと思ったんじゃないの。あの女はあの女で、ここで生き残るために必死なのよ」

 

 寧女が言った。

 そういえば、数日前、寧女がたびたびの秀白香の毒盛りに閉口して、秀白香にお灸をすえるとか言っていたのを思い出した。

 具体的になにをやったのかは聞いていなかったが、どうやら、その影響のようだ。

 それにしても、あの秀白香の態度を一変させるとは、寧女は秀白香になにをしたのだろう。

 

「それよりも中へ……。朱貴美(しゅきび)から伝言が来ているわ。あなたに知らせたかったんだけど、わたしは勝手には外には出られないし」

 

 しかし、すぐに寧女が表情を一変させる。

 いつになく真面目な顔だ。

 なにかあったのか……?

 

 とりあえず、呉瑶麗は私室に入った。

 寧女がすぐに朱貴美からの手紙を呉瑶麗に押しつけた。

 朱貴美からの伝言が呉瑶麗に頻繁に届くのは不自然なので、あて名は杜穂になっている。

 杜穂と朱貴美は、むかしから仲がよく、手紙のやりとりも不自然ではないらしいのだ。

 

 朱貴美は晁公子たちからの伝言を二重にした封書の裏側に記して送って来る。手紙そのものは、朱貴美から杜穂へのなんでもない時候の挨拶程度のものだ。

 無論、それは猜疑心の強い王倫に万が一手紙を検閲されたときの対策だ。

 

 呉瑶麗は手紙を読んで驚愕した。

 白巾賊の拠点が割れたという朱貴美からの伝言だ。

 朱貴美は、東渓村(とうけいそん)に伝える途中の伝言者から知ったらしく、それに対する晁公子の対応については書かれていない。

 だが、その内容によれば、まだ東渓村そのものに対する官軍の討伐は行われていないらしく、その伝言者のおかげで、晁公子にも対応するいとまくらいはありそうな感じだ。

 そうであれば、晁公子は以前から取り決めていた手筈に従って動くだろう。

 

 梁山泊の乗っ取りだ。

 

「どうしたの?」

 

 寧女が真剣な顔で訊ねた。

 

「決起よ」

 

 呉瑶麗は、まずはそれだけを言った。

 

 

 *

 

 

 斥候の報告が次々に入って来ていた。

 運城軍(うんじょうぐん)は、夜を徹してふたつの経路を使って山道を進軍しているらしい。

 数は片側が一千五百、もう一方が三百というところのようだ。

 

 こちらは百人。

 そのうちの半分が女だ。

 

「官軍は、随分と勢力が偏っているね、晁公子」

 

 劉唐姫(りゅうとうき)が言った。

 

「しかも、慣れない夜道を進んで来るとわね。余程、東渓村から逃亡したわたしを逃がすなと強く厳命されているのね」

 

 晁公子は微笑んだ。

 長く白巾賊の拠点だった隠し里の砦だった。

 その中の大部屋であり、晁公子はそこを作戦室として、情報の整理と戦闘準備の指示を続けている。

 

 夜明けまではまだもう少しある。

 昨日の昼間に葉芍から伝えられた運城軍討伐の情報で、これまでの時間を使って非戦闘員をひと足先にここから離脱させることができた。

 多くが男の白巾賊兵の家族だが、女医の安女金(あんじょきん)と鉄砲鍛冶士の湯隆(とうりゅう)も含まれている。

 そのふたりと、五艘ほどの船を準備した阮小女(げんしょうじょ)が中心となって、百人ほどの非戦闘員が梁山泊に向かうのだ。

 

 もともとの白巾賊の非戦闘員の数は五十人ほどだったのだが、東渓村にいた者のうち、晁公子が義賊で名高い白巾賊の頭領だったと知り、どうしても一緒に行きたいという者たちが五十人ほど加わっていた。

 併せて百人が船団を組んで、梁山湖を渡って梁山泊に入ることになる。

 

 阮小女としては、船を準備することよりも、それだけの船頭を揃えるのが大変だったようだ。

 それでも、阮小女は若い船大工仲間や漁師の中から、少しずつ仲間を募っていて、彼らを口説いて今回のことに協力させたらしい。

 

 もっとも、いまの梁山泊は王倫という男が支配する大盗賊団の拠点だ。

 その勢力は賊徒から編成されている兵だけで一千であり、その家族等の非戦闘員を含めると三千にもなる。

 頭領の王倫とは事前に了解をとっているわけがなく、白巾賊の非戦闘員は、警戒の厳しい梁山泊の盗賊団の湖塞に強引に入り込むことになるということだ。

 抵抗の手段のない非戦闘員だけに、王倫の命令により、全員が即座に殺される可能性もある。

 

 ただ、呉瑶麗はうまくやっているのだろう。

 梁山泊からは、前半夜のうちに、あらかじめ決めておいた照明を使った信号により、「受け入れ可能」の伝言が伝えられたそうだ。

 晁公子が確認しているのはそれまでだ。

 

 阮小女が夜のうちに非戦闘員を梁山泊に渡らせるのか、あるいは、朝になってからにするのかはまだわからない。

 いまは、その連絡を待っているところだ。

 

 いずれにしても、呉瑶麗は王倫には無断で白巾賊の非戦闘員を受け入れるつもりであることは間違いない。

 それにより、王倫がどう動き、呉瑶麗がどう対処するか……。

 もうそれは、呉瑶麗に託すしかない。

 

 一方で運城軍が城郭を出撃して、真っ直ぐに白巾賊の拠点の隠し里に向かっているという情報は隠している斥候から逐一入っていて、そちらはかなり正確に掴んでいる。

 

 もともとは、運城軍の出動は、東渓村にいる晁公子の捕縛に続いて行われる予定だったと聞いている。晁公子の捕縛を奇襲的に行うためだ。

 ただ、晁公子が屋敷を焼き払ったことで、すでに情報が漏れたと悟ったのだろう。

 

 だから、夜になってから、慌てたように運城軍が出動してきた……。

 

 しかし、夜間襲撃は白巾賊の常套手段だが、官軍は慣れていない。

 かなり苦労している様子であり、随分と手間取りながら、二経路に分断してこちらに向かってきているようだ。

 

「晁公子殿、非戦闘員は全員が船に乗ったそうです。連絡が入りました」

 

 砦の中の作戦室に阮小ニ(げんしょうじ)が入って来た。

 新妻の呂光(りょこう)も一緒だ。

 阮小ニには、船で非戦闘員の受け入れをしている妹の阮小女との連絡を指示してあった。

 

「夜のうちに入ってしまうのかしら?」

 

 晁公子は訊ねた。

 

「いえ。陽が昇ってからになるようですね。梁山泊の周りは水の流れが複雑で、しかも浅瀬が入り組んでいるので、水路が複雑なんです。阮小女ひとりなら、夜でも入れるんですけど、ほかの船頭が一緒となると、阮小女の操船にはぐれるかもしれない。それで、阮小女は朝まで待つようです」

 

「例のものは、阮小ニ?」

 

 劉唐姫だ。

 

「それも船に乗せ終わっているよ、劉唐姫」

 

 阮小ニはにっこりと笑った。

 

「いずれにしても、船に乗ったということは、万が一官軍がそっちに動いても、船で簡単に逃げれるわね。じゃあ、わたしたちもそろそろ逃げましょう」

 

 晁公子は言った。

 そのとき、部屋に新たに誰かがやって来る気配があった。

 晁公子は顔をあげた。

 入って来たのは、香孫女(こうそんじょ)だ。

 しかも、宋江(そうこう)を伴っている。

 

「宋江殿、どうして、ここに?」

 

 晁公子は驚いて声をあげた。

 

「宋江殿は、お役人として、この捕り物に参加しておったのだが、うっかりと道を踏み外して、はぐれてしまったそうじゃ。それで夜道に迷って辿り着いたところが、ここだということだそうじゃ」

 

 香孫女が愉快そうに言った。

 

「危険を賭して、ここまで来てくれたの、宋江殿? ともかく、あなたには感謝してもしたりない。あなたがいなければ……」

 

 晁公子は慌てて立ちあがって、礼を言おうとした。同時に宋江に椅子を進めたが、宋江がそれを手で制した。

 

「話は後だ。俺はすぐに夜陰に紛れて、討伐隊に合流せねばならん。必要なことだけ伝える。運城軍は二隊に分かれてやって来ている。向かって右は副長が直接指揮している一千五百。もう一方の左は三百だが、俺の息のかかったふたりが指揮をしている。三百の方を進めば、そっちの指揮官がうまく立ち回る。簡単に突破できるはずだ」

 

「おう、宋江殿――」

 

 晁公子は思わず声をあげた。

 それをわぞわざ、危険を侵して伝えに来てくれたのだ。

 晁公子は感動した。

 

「いずれにしても、本来は三日後に出動するはずだった軍であり、晁公子殿が村から逃亡したことがわかって、急遽出てきただけで、まだ、ろくに準備も整っておらん。あんたらなら、心配はないだろう」

 

 息のかかったふたりというのは、おそらく、朱仝(しゅどう)雷横(らいおう)のことだろうと晁公子は思った。

 雷横はともかく、朱仝はこの隠し里にもやって来たことがある。宋江の仲間であり、信用できる。

 どうやら、宋江は手を回して、晁公子が簡単に逃亡に成功するような態勢まで作ってくれたようだ。

 ありがたさに、本当に頭がさがる。

 

「お役人だけでなく、運城軍にも白巾賊の仲間がいるの?」

 

 突然に大きな声をあげたのは呂光だ。

 この状況で正式に白巾賊への参加を求めてきた阮小ニの妻で、阮小ニによれば、役人に親を殺された過去を持っているらしい。

 そして、青州でやはり若い役人に手籠めになりそうになり、その男を殺して逃亡してきたということだ。

 なによりも、阮小ニがぞっこんであり、それで、晁公子は白巾賊への参加を認めたのだ。

 

「この女性は知らん顔だな」

 

 宋江が微笑んだ。

 さっきから、宋江が呂光を気にしていることには気がついていた。

 だから、宋江は朱仝の名を口にしなかったのだろう。

 

「俺の妻です、宋江殿」

 

 阮小ニが応じた。

 

「そうか。運城で警尉官をやっている宋江だ。晁公子殿とは縁があってな。ただの不良役人だ。なあに、軍には俺の飲み友達がいるんだ。友達同士が争い合うのは気が咎めるので、わざわざここまでやって来たということだ。さて、必要なことは伝えた。じゃあ、俺はまた道に迷うことにするよ」

 

 宋江は出ていった。

 

「……白巾賊には役人だけでなく、軍の一部まで……」

 

 呂光が驚いたように呟いている。

 

「ともかく、これで安全に逃亡はできそうだな。三百の方に攻めかければ、わしらはこのまま突破して、梁山湖のほとりまでは辿り着けるということだ。まあ、それから、どうやって船で渡るかは、別に考えねばならんだろうが」

 

 香孫女が言った。

 しかし、晁公子は首を横に振った。

 

「突破はするわ。ただし、一千五百の方をね」

 

「大軍の方を?」

 

 劉唐姫が視線を向けた。

 

「さっき、香孫女が口にしたのが理由よ。梁山湖のほとりに無事に辿り着いたところで、そこで梁山泊に渡る態勢をとらなければならない。阮小女や呉瑶麗が船をこっちに回す前に運城軍にやって来られれば、わたしたちは湖に追い落とされて死ぬしかなくなるわ。それよりも、この機に乗じて連中を蹴散らしましょう」

 

 晁公子はにっこりと微笑んだ。

 

「よし、そうと決まれば、進軍よ」

 

 劉唐姫が大きく膝を叩いた。

 

「……しんがりはあたしがする。香孫女はあたしと一緒に来なさい。阮小ニと呂光は晁公子殿から離れないで」

 

 劉唐姫の言葉にそれぞれが頷いた。

 すでに全軍は武装の準備を終えている。

 晁公子の命令ひとつで、いつでも砦を飛び出せる。

 外で戦闘態勢をとっている百人の仲間に合流した。

 晁公子は前に出た。

 

「大きな作戦はなにもない。全員で火の玉になって官軍を突破するだけよ。白巾賊はこれをもって世に出る。もはや、白布で顔を隠す必要もない。その代わりに白旗を堂々と掲げなさい。この白旗は正義の印。この世にはびこる悪を征する象徴よ。声をあげなさい。声を──」

 

 晁公子の呼びかけに、全員が大きな声をとどろかせた。

 勝ちどきが夜の砦に響き渡っていった。

 

 

 *

 

 

 呂光は困惑していた。

 白巾賊という賊徒にである。

 呂光が事前に思っていたのは、いくら義賊を気取っていても、盗賊は所詮、盗賊だということだ。

 

 義賊を唱える賊徒は珍しいものではないし、むしろ、規模がある程度大きい盗賊団は、ほとんどが自分たちは義賊だとうそぶいている。

 まあ、それだけ民衆が帝政の悪政に飽いていて、世が変わることを熱望している証拠かもしれないが……。

 とにかく、盗賊は盗賊だ。

 

 呂光が考えていたのは、阮小ニのことだけだ。

 なんとか、阮小ニを討伐に巻き込まないようにする。

 それだけだ。

 

 しかし、それは失敗した。

 こうなったら、呂光自身の手で阮小ニを救うしかない。

 呂光は、阮小ニをできるだけ白巾賊の中心から遠ざけて、討伐の混乱に乗じて、ひそかに離脱させるつもりだった。

 場合によっては強引な手段を使っても……。

 

 ところが、白巾賊に入ってみて、その考えを変更した。

 わずか百名ほどの勢力だが、これは精鋭だ。

 実際に彼らの中に加わってみて、呂光にはそれがすぐにわかった。

 しっかりと訓練されていて、軍規もちゃんとしている。

 また、夜間行動にも習熟していて、整然とした彼らの行動は見ていて感嘆するほどだ。

 運城軍のことはよくは知らないが、一般的な地方軍の練度であれば、この白巾賊には勝てないだろう。

 しかも、勢力の多さを恃める昼間ならいざ知らず、わざわざ夜を選んでやってきているのだ。

 

 運城の県令は余程に焦って、軍指揮官に急ぐように命令したのだろうが、これは失敗だ。

 慣れない夜道を松明を持って縦隊で進んでくる運城軍は、銃を中心に武装している白巾賊にとっては、ただの的でしかないだろう。

 

 これは白巾賊が勝つ。

 数の問題ではない。

 

 しかし、それは、呂光がこのまま白巾賊に同行するしかないということでもある。

 しかも、白巾賊の頭領の晁公子は、梁山泊に渡り、頭領の王倫(おうりん)を排除して、あの湖塞を乗っ取って、白巾賊の拠点にする算段のようだ。

 そうなれば、白巾賊はそう簡単には討伐できない。

 それもわかる。

 

 なにしろ、呂光もびっくりしたが、白巾賊には討伐をしようとする運城の役人にも仲間がいて、軍そのものにも白巾賊の根が浸透しているらしい。

 これは白巾賊が勝つに決まっている。

 

 つまりは、呂光はこのまま彼女たちと一緒に、梁山泊に渡るしかないということなのだ。

 もちろん、阮小ニと別れることは考えていないので、当然にそうなるだろう。

 そうなると、呂光はもう梁山泊から出られない。

 さすがに、島に入ってしまえば、呂盛(りょせい)との連絡も難しい。

 だから、困惑していた。

 

「銃構え──。松明の集まっているところを狙いなさい。そこが敵の中枢部よ」

 

 劉唐姫の声が響いた。

 いま、呂光たちは砦を出て、進軍途中の運城軍を見下ろす丘にいた。

 白巾賊は灯りを使うこともなく、暗い夜道を簡単にここまで粛々と前進してきた。

 忍びの呂光が驚くほどだ。

 それに比べれば、眼下を通過している運城軍は、白巾賊が砦を抜けたことさえ、まだ把握していないようだ。

 いまだに、変わらぬ体勢で移動を続けている。

 

 こちら側の指揮官は運城軍の副長という話だったが、斥候を出すということも考えないだろうか。

 それとも、官軍の討伐に対しては、賊徒は砦に引きこもって隠れるものと最初から決め込んでいるのだろうか。

 呂光も首を傾げたくなる。

 

「撃て──」

 

 夜の山道に金属音のような銃声が鳴り響いた。

 

「続いて、撃て──」

 

 再び銃声──。

 あっという間に運城軍は大混乱になった。

 態勢を取れだとか、火を消せという号令が飛び交っている。

 

「よし、わしに任せい。ちょっと、音で混乱させてやるわい」

 

 そのとき、香孫女が前に出た。

 夜闇に香孫女の両手から出る青い光が輝く。

 すると、どこからか銃声とともにたくさんの馬の音が聞こえだした。

 音がするのは、運城軍が進んできた逆方向だ。

 それがだんだんと大きくなる。

 さらに眼下が混乱している。

 

 慌てふためいたように、運城軍の兵たちが我先に前に逃亡していく。

 しかも、山を駆け登る者、道を踏み外して崖に転がる者、まるで蜘蛛の子を散らすような光景だ。

 呂光はその醜態に呆れてしまった。

 

「いまよ、駆けよ──」

 

 晁公子が叫んだ。

 こちらには騎馬はない。

 馬は全部砦に置いてきている。

 とにかく、全員で固まって走り抜くということに決まっている。

 

「呂光、俺から離れるな」

 

 隣の阮小ニが立ちあがる。

 呂光は、ちょとだけ苦笑した。呂光は、阮小ニを守っているつもりなのだが、阮小ニは呂光を守ってくれているつもりなのだろう。

 

 まあ、実際のところ、阮小ニは強い。

 一対一で戦えば、もしかしたら呂光は敵わないかもしれない。

 呂光も剣を抜いた。

 

 こうなったら逡巡はしない。

 阮小ニとともに、行くところまで行くだけだ──。

 先頭で晁公子が駆けるところを左右に挟むように阮小ニと呂光で囲む。

 

 崖下に走った。

 ほかの白巾賊もしっかりとついてきている。

 

 突っ込む。

 運城軍は、まだ混乱中だ。

 そこに雪崩れ込んでいく。

 

 呆気ないほど簡単に白巾賊は、運城軍を突破してしまった。

 後方で運城軍の一部が追ってくる気配があったが、最後尾を進んでいた劉唐姫が一部の白巾賊に一斉に銃を撃たせ、さらに香孫女が道術で偽物の馬塵と馬蹄を響かせた。

 

 それで終わりだった。

 

 とりあえず、追っ手の気配はなくなり、呂光たちは悠々と山道を梁山湖に向かって進んだ。

 

 おそらく、負傷者ひとり出なかっただろう。



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92  白巾賊、湖畔で戦い官軍を退ける

 なにか騒がしい物音がした気がして目覚めた。

 いずれにしても朝のようだ。

 天井の明かり取りから朝の陽が射し込んでいる。

 王倫(おうりん)は、身体を起こした。

 

 寝室だ。

 秀白香(しゅうはくか)との交合の疲れで裸身のまま寝ていたが、横には女はいない。

 王倫はどんな状況であっても、女と一緒に寝るということはしないことにしていた。

 油断して寝首を掻かれないとも限らないからだ。

 

 女と寝るときは、必ず媚薬を飲ませてから抱く。

 その方が、女が乱れて愉しいということもあるが、用心のためでもある。

 いずれにしても、女を抱くのは、王倫にとっては食事と一緒だ。

 少なくとも一日に朝と夕の二度精を抜かなければ、王倫の淫欲は収まらない。

 

 今朝は、誰にしようか……。

 王倫は考えた。

 このところのお気に入りは、呉瑶麗(ごようれい)だ。 

 新しく入って来た元国軍の武術師範代の女であり、気が強いのだが、閨では信じられないほどに乱れる。

 その格差がいい。

 

 だが、月のものが始まったと言っていた。

 だから、昨夜は久しぶりに秀白香を抱いたが、やはり、今朝は呉瑶麗がいいかもしれない。

 月のもので王倫を受け入れられないのなら、口でさせるのだ。

 あるいは、呉瑶麗が連れてきたなんとかという奴隷女はどうだろうか。

 あれもなかなかの美貌だった。

 

 呉瑶麗は自分の侍女に手を付けられるのを嫌がっているが、そろそろ手を出してもいい頃だ。

 呉瑶麗もすっかりと王倫のとりこになっているようだから、もう逆らうことはない気もする。

 

 そのとき、側近が数名駆けこんできた。

 その報告に王倫は度肝を抜かれた。

 とにかく身支度をして、側近とともに外に出る。

 建物から外に出る門の外に誰か倒れているのが見えた。

 しかも、複数だ。

 

 慌てて駆け寄った。

 斬られて死んでいるのは王倫の側近だ。

 三人ほど死んでいる。

 いずれも、ひと太刀だ。

 

「これはどうしたことだ?」

 

 王倫は声をあげた。

 

「わかりません。こいつらは、夜の見回りの当番で外に出たものです。戻ってこないなあとは思っていたのですが、明るくなって見てみると、こんな風に死んでいたのです」

 

「門番兵はどこだ?」

 

 王倫は門を警備しているはずの門衛が空になっていることに気がついた。

 誰もない。

 

「鐘を鳴らせ。宋万(そうまん)を呼ぶのだ」

 

 王倫は怒鳴った。

 鐘には取り決めでいろいろな合図がある。

 鳴らせたのは、緊急事態を告げる鐘の音だ。

 これを鳴らせば、すぐにこの聚義庁を中心にして兵が集まり、同時に湖塞の各部署に賊徒兵たちが配置につくことになっている。

 もちろん、実際に指揮をする宋万は、王倫のもとに来ることにもなっている。

 

 しかし、なんの気配もない。

 まるで、この聚義庁一帯から突如として人が消えたような感じだ。

 そのとき、見下ろせる梁山湖に数艘の船が移動しているのが見えた。しかも、対岸には人の集団もいる気がする。

 この聚義庁のある場所は梁山泊のある島山の中腹にあるので、湖の様子や対岸を眺めることができる。

 

「なんだ、あれは?」

 

 王倫は言ったが、周りに答えられるものはいない。

 遠目でわからないが、白旗を掲げているようにも思える。

 

「ついて来い」

 

 王倫は駆けだした。

 進むのは、金沙灘(きんさたん)だ。

 

 東西にある梁山泊への船が上陸可能な船着き場がある場所のうち、東側の朱貴美の店がある側になる。

 朱貴美が管理している連絡船が日常往来するのも、その金沙灘側だ。

 湖を渡っている船が見えたのが東側だったのだ。

 王倫は三十人ほどの側近に囲ませて、その金沙灘に進んだ。

 

 またしても驚いた。

 そこには大勢の賊徒兵がいて、彼らは船で渡って来る大勢の者を歓迎しているような感じなのだ。

 船でやって来るのは若い女が多かったが、男もいる。

 共通するのは王倫が知らない者たちだということだ。

 しかも、全員が白布を首に巻いている。

 それで気がついたが、梁山泊の賊徒兵についても、ほぼ全員がやはり、白い布を首に巻いている。

 

「宋万、これは、なんだ?」

 

 王倫は集団の中で指図をしている宋万を認めて、大声で怒鳴った。

 

「おお、これは、王倫殿。王倫殿の命令に従い、白巾賊の方々を受け入れしていたところです」

 

 白巾賊──?

 王倫の命令──?

 なんのことだと思った。

 だから、そう訊ねた。

 

「おかしいですな。官軍に襲撃されて、行き場を失った白巾賊の方々を梁山泊に受け入れよ。夜のうちに、命令を受けましたぞ。さすがは王倫殿です。義賊と名高い白巾賊の受け入れを決断されるとは、これで梁山泊の名も世に轟くでありましょう」

 

 宋万は悠然と言って、なにかの書類を示した。

 王倫は眉をひそめた。

 確かに命令書に見えるが遠目だからわからない。

 とにかく、そんな命令など出した覚えもない。

 

「いいから、こっちに来い、宋万」

 

 王倫は叫んだ。

 そのとき、さらに大きな歓声がはしけから響いた。

 船から誰かが降りてきたようだ。

 

 美貌の女だ。

 その女も首に白布を巻いている。

 その横には十一、二歳の童女もいる。

 さらに、呉瑶麗も一緒だ。

 呉瑶麗は、その女たちを出迎えていたようだ。

 

「なにをしている呉瑶麗?」

 

 王倫は大声をあげた。

 しかし、呉瑶麗に先立って、その美貌の女が口を開いた。

 

「お初にお目にかかります。白巾賊の頭領の晁公子(ちょうこうし)です」

 

 その女が言った。

 

 

 *

 

 

阮小ニ(げんしょうじ)、馬──。騎馬が近づいているわ」

 

 地面に耳を当てていた呂光(りょこう)が叫んだ。

 

「馬避けの柵、銃隊は構え」

 

 阮小ニは必死になって怒鳴った。

 

 梁山湖畔だ。

 隠し里近くで一度蹴散らした運城軍だったが、白巾賊が梁山泊に渡るために湖畔に出てきたところで追いつかれた。

 ただ、運城軍は、白巾賊の多数の銃に怯えている様子であり、湖畔に集まる白巾賊を山中から遠巻きに囲むだけだった。

 

 だが、晁公子をはじめ、半数ほどが梁山泊に渡ると、一部の隊が攻勢に出てきた。

 こっちはすでに勢力は半分以下で四十人ほどだ。

 予想していたこととはいえ、さすがに劣勢に追い込まれた。

 

 梁山泊に渡った船が引き返してきて、最後に残っている阮小ニ(げんしょうじ)たちを迎えにくるのには、もう少しかかる。

 

 果たして、それまで耐えられるか……。

 あるいは、迎えの船がやってきても、それに乗ろうとしたところを一斉に攻撃されるかもしれない。

 まだ、運城軍は一千以上は残っているのだ。

 それを十数人で凌ぎきるのはかなりの至難だ。

 

「阮小ニ、そっちに騎馬が近づいているわ。防いで」

 

 劉唐姫(りゅうとうき)だ。

 

「わかっている。いまやっている」

 

 阮小ニは叫び返した。

 白巾賊は船着き場を背にして、半円を作るように湖畔に陣を作っている。

 矢弾を防ぐのは兵が抱える大盾だ。

 

 さらにその前にある湖畔街道で、その左側を塞ぐように劉唐姫以下十人、右側を阮小ニと呂光を含めた十人が守っている。

 そこでも、大盾を並べている。

 その前面が山中に繋がる林になり、その中に運城軍が展開していた。

 

 ただ、山中で遠巻きに対峙している運城軍は、こちらを用心深く伺っている様子のままだ。

 銃の射程には入ってこないし、山中に拡がる木々が邪魔で弓が遣い難いようであり、矢は射掛けてはこない。

 運城軍の指揮官らしき副長が後ろから怒鳴りまくっている声だけはよく聞こえる。

 それに押されるように、一部の隊が突出してくるのだが、そこに向かって銃弾を集めると慌てたように退がっていく。

 

 それを繰り返していた。

 あれだけの数の敵に一度に前に出てこられれば終わりなのだが、少数ずつしか前に出てこない。

 それで助かっている。

 

 特に、こちら側の山中に展開する敵は、劉唐姫の側にいる敵に比べれば、動きが鈍い気がする。

 あるいは、こちら側が宋江の息がかかっている朱仝(しゅどう)隊だろうか。

 阮小ニはそれを感じたので、まともには狙わせず、音だけをさせるような射撃だけをさせていた。

 

 だが、いま騎馬隊が出てきた。

 こっちは新手だ。

 数は五十騎ほど──。

 しかし、幅が限定された街道だ。

 そのため、展開はできずに、二列縦隊になっている。

 

「来たわ」

 

 呂光(りょこう)が叫んで、盾の後ろで剣を構えた。

 白巾賊の銃声が鳴る。

 敵の騎馬隊の先頭付近の数騎がばたばたと馬から落ちる。

 敵が一瞬ひるんだのがわかった。

 だが、敵の指揮官が大声で叱咤して、とまりかけた騎馬隊が進み出す。

 

「ちっ」

 

 阮小ニは舌打ちした。

 銃という武器は一度撃ってしまえば、弾の装填に時間がかかる。

 白巾賊はその欠点を補うために、数隊を編成して交互に撃たせているが、さすがに、この数ではそれはできない。

 盾の後ろでは必死に白巾賊の男女が弾を詰め直しているが、とても間に合わない。

 

「畜生──」

 

 阮小ニは盾の前に出て駆けた。

 近づいている騎馬に──。

 道は狭いのだ。

 最前列の数騎さえ倒せば、それで道は塞がれて後続は前に出れない。

 そのあいだに射撃準備が整う。

 

「阮小ニ」

 

 隣で声があった。

 呂光だ。

 なにをしている──。

 

 退がれ──。

 

 叫ぼうと思ったが、敵の騎馬がすぐ前だ。

 弾き飛ばされそうになるのを交わして、馬の脛を切る。

 いななきをあげた馬が棹立ちになり、先頭の騎兵を振り落とした。

 

「阮小ニ、退がって──」

 

 呂光だ。呂光は隣の騎馬を剣で斬り倒して、馬を奪っている。

 その呂光が、奪った馬を反転させて敵の騎兵を切り結び始めた。

 阮小ニも身体を起こして、呂光が騎兵を落として空馬になった馬に乗った。

 呂光と並んで、騎兵と戦う。

 

「いいから、そのまま撃て──」

 

 阮小ニは怒鳴った。

 すでに再装填は終わっているはずだ。

 だが、阮小ニと呂光がいるので射撃を躊躇しているのだろう。

 

 銃声が鳴り響いた。

 敵の騎馬隊の中間付近で騎兵が倒れる。

 混乱が起きた。

 騎兵が立ち往生し始める。

 

「呂光──」

 

 阮小ニは叫んだ。

 そのときには、奪った騎馬のまま、呂光と並んで後方に駆けている。

 馬止めが開く。

 そこに突進した。

 

「撃ちなさい──」

 

 劉唐姫がいた。

 こちら側に出てきていたのだ。

 銃の二列態勢ができたため、銃弾の間隙が縮まり、騎馬隊の動きがとまった。

 しかし、劉唐姫が、こっちに来ているということは反対側が──。

 相変わらず、こちら側の山中の敵は動きはないが、劉唐姫がいた方には、また動きの兆しがあった。

 

「戻るわ──。あとは持ちこたえて──」

 

 劉唐姫が一隊とともに、再び街道の反対側に戻る。

 

「阮小ニ兄──。劉唐姫さん──」

 

 そのとき、湖側から声がした。

 阮小女だ。

 船が五艘近づいている。

 

 その船からも、ぱらぱらと銃声が響いた。

 一度渡った白巾賊の一部がそこに乗っているようだ。

 数は少ないが、思わぬ方向から撃たれる銃弾に明らかに敵に動揺が走ったのがわかった。

 騎兵が完全に後退していく。

 それとともに、前に出る気配だった山中の歩兵の動きもなくなった。

 

「船に──」

 

 劉唐姫が叫んだ。

 阮小ニたちは前に出ている者とともに船着き場に走った。

 今度は、大盾で船着き場を確保していた隊の後ろに退がる。

 船に乗る。

 

「銃構え──」

 

 乗り込んだ一艘をすぐに出させる。

 かいは船頭からとりあげた。

 操船は阮小ニだ。

 船を移動させた。

 方向は左。

 そっち側の林から官軍が出てき始めているのだ。

 

「撃て──」

 

 その方向に船を一気に近づけて、一斉射撃をさせた。

 運城軍の兵が悲鳴をあげて、またもや林に戻っていく。

 

 視線を船着き場に向けた。

 なんとか、劉唐姫たちと残りの白巾賊も船に乗り込み終わっている。

 

「阮小女、行け」

 

 阮小ニは声をあげた。

 

「わかっているよ」

 

 阮小女から元気な声が戻って来た。 

 

 

 *

 

 

「お初にお目にかかります。白巾賊の頭領晁公子です」

 

 凛と通る声だった。

 歓声のような声をあげていた賊徒たちもしんと静まり返った。

 宋万もそのひとりだ。

 

 顔に柔和な笑みを浮かべているだけなのに、思わずたじろいでしまうような風格と貫禄がある。

 まだ十分に若い美しい女性だ。

 それにも関わらず、なぜか圧倒されてしまうものがある。

 

「白巾賊の頭領──?」

 

 王倫が驚愕している。

 しかも、顔が真っ蒼で、足が小刻みに震えていた。

 

 宋万は舌打ちする思いになった。

 王倫は仮にも、これだけの大盗賊団を率いる賊徒の頭領だ。

 それがひとりの女にこれ程に怯えるとは……。

 こんな頭領を信じて、なにも考えずに仕えてきた。

 自分の浅はかさにも腹がたつ。

 

 宋春(そうしゅん)のことで改めて、この男を見つめることができた。

 その結果、ただの小賢しいだけの臆病者だったということを思い知ってしまった。

 とても、三千の人間の頂点に立つような男ではない。

 いまも、ただただ事態の急変に対する恐怖を隠すこともできないような小者なのだ。

 

 もちろん、そんな男を信じ抜いていた自分もまた、小者には違いないが……。

 

 それに比べて、晁公子の顔には怯えも媚びの色もない。

 むしろ、これだけの盗賊団の塞に少人数で乗り込んできた晁公子の方が恐怖で怯えてもいいはずだ。

 しかし、晁公子は端然としている。

 

 そのとき、晁公子の視線がすっと湖畔に移動したのがわかった。

 宋万も見た。

 

 梁山泊の対岸の湖畔街道では、白巾賊と追っ手の運城軍がにらみ合いのような対峙をしていたが、少し前から激しそうな戦闘が始まっていたのだ。

 だが、宋万の見るところ、たったいま全員が船で湖に進むことに成功したようだ。

 

 阮小女という船団をまとめている娘と呉瑶麗が会話をしていた内容によれば、近傍の漁船などは、阮小女が手を回し、一時的に岸から離すなどをして官軍が使えないように処置したようだ。

 

 義賊だと庶民にも人気のある白巾賊だけあり、その名を出せば、事前に手を回してなくても大部分は協力してくれたらしい。

 いずれにしても、梁山泊の周囲の水路は複雑だ。

 水路を知らない官軍が簡単に追いかけて来られるわけがない。

 こっちに無事にやってきそうな阮小女たちを確認して、晁公子が安心したように息を吐いたのがわかった。

 

「な、なぜ、白巾賊がここにいる、宋万──?」

 

 王倫が怒鳴った。

 

「わたしたちが官軍の討伐を受けて、行き場を失ったからです、王倫殿。寛大なはからいには感謝いたします」

 

 だが、宋万が応じるよりも早く、晁公子がそれに答えた。

 

「だから、なぜ、その白巾賊がここにいるのだと訊ねているのだ、宋万。俺は許可をしていないぞ」

 

 またもや、王倫は宋万に言った。

 どうやら、王倫は晁公子と面を向かって話すのが怖いようだ。

 宋万は呆れてしまった。

 

「わたしたちは官軍に追われています。直接は金両十万両の生辰綱(せいしんこう)を盗んだのが理由です。民衆の生き血を吸って作ったような賄賂ですが、まだ一枚も手をつけずに運んできました。白巾賊を受け入れて頂いたお礼に、梁山泊の皆さまには一枚ずつ提供いたします。どうせ、宰相の蔡京の誕生祝いの言葉が刻んであるので、鋳潰さないと使い物にもならないものですし……」

 

 晁公子が言った。

 最初に非戦闘員とともに運ばれてきた十万枚の金両だ。

 呉瑶麗はそれを白巾賊に加わることを表明した者に一枚ずつ配ったのだ。

 それで梁山泊の賊徒兵は争って、白巾賊に加わると言って、白布を首に巻くことに応じた。

 

 無論、すでに宋万をはじめ、宋万が信頼できる者として選んでいた部下が、最初から白巾賊の象徴である白布を首に巻いていたというのが大きかったのだが、呉瑶麗の直接的な金両の提供も大きかった。

 いまや、賊徒兵だけでなく、非戦闘員のほとんどまで首に白布を巻いている。

 

 なにしろ、首に白布を巻くだけで、もれなく金両がもらえるのだ。

 雪崩をうつように、梁山泊の住民のほとんどが白巾賊を迎えることに同意した。

 呉瑶麗は、それを王倫たちがあの高い門の内側の建物に閉じこもっているあいだにすべてやってしまった。

 

「いや、そんな馬鹿な……。と、とにかく、梁山泊では受け入れることはできん。すでに、いっぱいいっぱいだ。これ以上、新たな住民を受け入れる余裕はない」

 

 王倫が慌てたように言った。

 

「そんな馬鹿な話はありませんよ、王倫殿。この湖塞を管理しているのは俺です。湖塞にはまだまだ余裕があります。三千が六千になったところで問題はありません」

 

 宋万はすかさず言った。

 

「な、なんだと、宋万──」

 

 王倫が叫んだ。

 今度は怒りの顔をこっちに向けている。

 

「王倫殿、対岸を見て下さい。運城軍が迫っているのです。戻れるわけがないじゃなりませんか。晁公子殿たちを戻せば、あそこにいる軍に嬲り殺しになるだけです。王倫殿は白巾賊の者たちに死ねと言うのですか? 重税により作った賄賂を奪うという義挙を行った者たちですよ」

 

 声をあげたのは呉瑶麗だ。

 

「なに?」

 

 王倫は宋万に対するのと同じような憤怒の表情を呉瑶麗に向けたが、すくに、はっとしたように顔色を変えた。

 

「も、もしかして、聚義庁の外に倒れていた側近たちを殺したのはお前か──? このことは、なにからなにまで、お前が仕組んだのではないか?」

 

「殺したのは、わたしよ」

 

 すると、隅の方で石に腰かけて休んでいた寧女という呉瑶麗の連れてきた奴隷侍女が言った。

 

「お前が?」

 

 王倫は意味が飲み込めなかったようだ。

 

「だから、わたしが殺したのよ。側近の連中には、うろうろするなと命令したのに、言うことを聞かないからね……。文句があるなら呉瑶麗に言ってよね。誰であろうと、一度外に出た側近を中に戻すなと命じたのは、呉瑶麗なんだから」

 

 寧女(ねいじょ)が首を竦めた。

 この寧女の剣技には、垣間見た宋万も息を巻いた。

 奴隷の首輪をしているただの侍女かと思っていたのに、あの側近の猛者たちに悲鳴もあげさせずに、ひと太刀ずつで殺していったのだ。

 大変な腕だ。

 

「呉瑶麗だと──? お、お前はやっぱり……。宋万、殺せ。呉瑶麗を殺せ。俺に対する反逆だ」

 

 王倫が叫んだ。

 

「じゃあ、死んで」

 

 呉瑶麗が王倫に向かって走る。

 王倫は悲鳴をあげた。

 

「前に──」

 

 宋万は手をあげた。

 あらかじめ決めていた手筈に従って部下たちが動く。

 だが、向かったのは呉瑶麗に対してではなく、王倫の側近たちにだ。

 王倫と側近のあいだを離すようにして、あいだに割り込んでいく。

 

 呉瑶麗が王倫の懐に飛び込んだ。

 守る者はいない。

 次の瞬間、王倫の首は胴体から離れた。

 

「あんたらも死にな」

 

 呉瑶麗に続いて、寧女が飛び込む。 

 寧女と呉瑶麗が、側近のうち剣を抜いた者を次々に斬っていく。

 

「武器を離せ──。さもなくば、全員死ぬだけだ」

 

 宋万は一喝した。

 残っていた側近たちが争ったように剣から手を離した。

 

「……終わりました、晁公子殿」

 

 呉瑶麗が剣を収めて振り返った。

 死んだのは王倫をはじめとして、十人くらいだ。

 呉瑶麗と寧女は、息も乱してない。

 

「そのようね……」

 

 晁公子が静かに言った。

 宋万は集まっている賊徒兵たちに振り返った。

 彼らは王倫が死ぬとまでは思っていなかったようであり、驚きで声もない様子だ。

 

「王倫殿は死んだ──。残念だが、王倫殿は名高い義賊である白巾賊の者たちを迎え入れることに応じず、官軍の待つ対岸に追い払えと命令したのだ。そんなことは、たとえ頭領であっても容認できるものではない」

 

 その彼らに宋万は声を張りあげた。

 賊徒たちはしんとしている。

 まだ、大きく動揺しているのが宋万にはよくわかった。

 

「われらはここに新しい頭領を迎える。白巾賊の頭領である晁公子殿である。そして、我らもまた、この瞬間に白巾賊となる。彼女たちとともに、義挙に加わるのだ。我らは、いまこの瞬間をもって、腐り切ったこの国の悪と戦う叛乱軍である」

 

 宋万は大きな声をあげた。

 静まっていた賊徒たちがざわめき始め、それが次第に大きくなっていった。

 そして、歓喜の叫びに変わり、最後には怒涛のような感激の悲鳴になった。



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93  呉瑶麗(ごようれい)、月明かりの下で酒を飲む

 聚義庁(しゅうぎちょう)で行われた簡単な宴が終わって散会になり、なんとなく外に出た呉瑶麗(ごようれい)は、聚義庁を降りる石の階段に座って梁山湖に映る月を眺めることにした。

 

 ひとりだ。

 

 湖に映える月は綺麗だった。

 呉瑶麗は、蒸留酒の瓶を横に置いて、杯に入れた酒をひとりで飲み始めた。

 考えてみれば、この梁山泊に入ってから、月を眺めるのは初めてだと思う。

 

 王倫(おうりん)の情婦を兼ねた武術指導役として、梁山泊(りょうざんぱく)に入ってからは、夜は王倫の私邸のようになっていた聚義庁に閉じ込められ、王倫に抱かれる日々だったし、昨日の夜は宋万と一緒に駆けまわっていて、月どころではなかった。

 

 だが、とりあえず終わった。

 晁公子を迎え入ることのできた梁山泊には、今日の昼間のうちに、白巾賊の象徴である大きな白旗が掲げられた。

 王倫が支配していた梁山泊にいた盗賊とその家族は、王倫が死ぬと、呆気ないくらいに簡単に、晁公子(ちょうこうし)を頭領とする白巾賊を認め、それに加わることを受け入れた。

 いまのところ、大きな動揺はない。

 

 もともと、王倫が頭領として嫌われていたということもある。

 杜穂(とほ)の予言により、王倫に取って代わる者が現われると告げられた王倫は猜疑心の塊のようになってしまい、少しでも自分に逆らう可能性のある者や頭領のできるような能力のある者を次々に粛清していっていた。

 そんな日々が、梁山泊にいた者に暗い影を落として鬱積する怨嗟の心を全員に作っていたのだ。

 

 その王倫が死んだ。

 以前からここにいた者たちは、解放されたような心になって、白巾賊の者たちを歓呼の声で受け入れた。

 

 もっとも、国に背いて新しい自分たちだけの理想郷を作るのだという夢のために戦っている白巾賊と、盗賊の色の濃い王倫に支配されていた盗賊団が本当にひとつになるには、もう少しの時間とそれなりの荒療治も必要だろう。

 だが、ここは生まれ変わるはずだ。

 

 限られた時間だったが、武術指導を通して、賊徒兵と直接に関わっていた呉瑶麗は確信している。

 彼らのほとんどは、まだまだ悪には染まっていない。

 ほとんどの者は自ら盗賊になったわけではなく、役人や政府軍の不当な扱いにより、仕方なく盗賊になった者たちばかりだ。

 好きで盗賊をしていたわけではないのだ。

 白巾賊の思想を与えれば、その理想のために一緒に戦ってくれる戦士になってくれると思う。

 

 一方で、王倫の生首は、殺した側近の首とともに、立て札をつけて湖畔街道に晒している。 

 王倫の盗賊団は、これまで近隣の農村を襲ったり、街道を進む旅人を襲ったりという悪事を繰り返していた。

 その梁山泊が変わったということを世間に知らしめないとならないし、白巾賊が梁山泊に入ったということの宣伝も必要だ。

 

 世間的には、白巾賊が凶悪な梁山泊の盗賊団を退治して、そこを新たな拠点にしたという構図にしたい。

 そのために、王倫だけでなく、死んだ側近たちも、これまでの梁山泊の盗賊団の幹部たちだということにさせてもらった。

 

 いずれにしても、以前からの梁山泊の者は、白巾賊を受け入れ、晁公子を女頭領として認めた。

 こんな閉鎖された湖塞でも、白巾賊は政府に叛乱を続けている謎の義賊として名高く、それに自分たちが加わるということに、誇りと期待のようなものを抱いているようだ。

 

「こんなところで、なにをしているの、呉瑶麗?」

 

 声をかけられて、呉瑶麗は振り返った。

 杜穂(とほ)だ。

 

 呉瑶麗と同じ王倫の情婦であり、実は人の感情が読めるという不思議な女性だ。

 王倫は、この杜穂の能力をひそかに利用して、少しでも自分に反意がある者を見つけると、次々に処断していっていたのだ。

 呉瑶麗が初めてここにやって来たときも、この杜穂は、すぐに呉瑶麗が王倫に対する刺客だと見抜いた。

 だが、杜穂は最初から呉瑶麗に加担することを決めていて、王倫の暗殺に協力することを申し出てくれた。

 この杜穂の協力がなければ、呉瑶麗が最初の日に殺されていたことは間違いない。

 

「月を見ていたのよ。ここに来てから、こうやって夜に出てくることはなかったからね」

 

「そういえば、わたしもそうかな。ずっと、あの男に閉じ込められていたしね。座っていい?」

 

 杜穂は呉瑶麗の返事を待たずに隣に座った。

 

「飲む?」

 

 呉瑶麗は、飲みかけの酒杯を杜穂に差し出した。

 杜穂は残っていた酒を一息で飲み干した。

 杯が呉瑶麗に返って来る。

 呉瑶麗は杜穂と呉瑶麗の真ん中に杯を置き、それに酒を注ぎ直した。

 

「……お酒を飲むと、他人の感情が読めるようになるのよ。それがわたしの秘密……。あんたがほっとしている感情が入ってきたわ。それとともに、なにかをやらなければならないという使命感のようなものも……。それと、やはり心の底にある強い怒り……。あんたって、基本的に真面目なのね」

 

 杜穂が笑った。

 

「あら、知らなかったわ。じゃあ、酒を飲まないと、感情は読めないの?」

 

「そういうことね。だから、素面のときはなんにもわからないわ。感情を読みたいときだけ酒を飲むのよ。これは、あの男でさえも知らなかったわ……。そうでないと大変よ。いつもいつも他人の感情が入って来るんじゃあ、やってられないもの」

 

 杜穂がにっこりと笑った。

 そういうことかと思った。

 まあ、確かに他人の感情が四六時中心に入ってきたら、混乱するどころか、気が狂ってしまうかもしれない。

 

「じゃあ、わたしとあんたが最初に会ったときにも、酒を飲んでいたの?」

 

 呉瑶麗は思い出して言った。

 あれは、王倫に最初に抱かれた直後だった。

 与えられていた私室に寧女とともに戻ると、そこに杜穂が待っていたのだ。

 しかし、酒を飲んでいたという雰囲気はなかったと思ったが……。

 すると、杜穂は首を横に振った。

 

「……あのときに飲んでいたのは煙草よ。キセルの中に、酒じゃないけど、酔いを覚える弱い薬草を煙草として吸っていたの」

 

「へえ……」

 

 呉瑶麗は、杯を少しだけ口にして、また置いた。

 杜穂がそれを取り、同じように口にする。

 少しのあいだ、それを繰り返していた。

 しばらくしてから、呉瑶麗は口を開いた。

 

「……明日、以前からここにいた者で、梁山泊を出ていくことを希望する者は全員にそれを許可する触れを出すわ。ここが白巾賊の拠点となった以上、政府軍の本格的な討伐が始まる。白巾賊は長く帝国に楯突いていた反乱者の象徴だしね。そして、もしも、負ければ、残酷な拷問の末に処刑されるでしょう。ここに残るのは、その覚悟ができる者だけということよ」

 

「まあ、ほとんどいないと思うわね。わたしもそうだけど、多くの者は、ここ以外に行くところなんてないわ。それどころか、ここに家があり、家族があり、畠もある。もう、ここが故郷なのよ」

 

 杜穂は静かに言った。

 

「じゃあ、あなたは残ってくれるのね、杜穂」

 

「もちろんよ……。もうどこにも行くことなんてないのよ……。家族もない……。だから、追い出さないでよね」

 

 杜穂が口元で笑った。

 呉瑶麗は、そういえば、杜穂には夫がいたということを以前、聞いたことを思い出した。

 杜穂は、小さな城郭で、もともとは占い師のようなことをやって生計を立てていたそうだ。

 そして、そこにやってきた隊商の一員だった若者と恋に落ちて妻になり、一緒に城郭を出た。

 だが、王倫以前の梁山泊の盗賊団に襲撃されて、夫をはじめ隊商の男たちがことごとく殺されてしまった。

 しかし、美人だった杜穂は殺されずに、頭領の情婦になった。

 そして、王倫が梁山泊の頭領になると、今度は王倫の情婦にされた。

 それは杜穂の意思とは関係のないことだ。

 杜穂は、ただ運命のままに、梁山泊の頭領だった者たちを情夫として受け入れただけだ。

 

 だが、その王倫が長く杜穂の侍女をしてくれていた女を反逆の意思ありとして処刑した。

 王倫としては、感情を読める杜穂のことを便利に思いながらも、その能力を恐怖し、自分に逆らうとこうなるのだという見せしめのために、杜穂の侍女を殺させたのだ。

 しかし、それが、それまで運命に流されるだけのことしかしなかった杜穂を行動に移させた。

 呉瑶麗がやって来て、王倫の暗殺を企てていると知ると、すすんでそれに協力することにしたのだ。

 

「そういえば、あいつはどうするの?」

 

 杜穂が思い出したように言った。

 

秀白香(しゅうはくか)のこと?」

 

 呉瑶麗は杜穂に顔を向けた。

 秀白香は、杜穂と呉瑶麗、そして、朱貴美のような王倫の「情婦」のひとりだ。

 だが、嫉妬心が強く、王倫の寵愛を受け始めた呉瑶麗を幾度となく毒殺しようとした。

 だが、今日の朝、その呉瑶麗が王倫を処断した。

 それを知った秀白香は、いまは部屋に閉じこもってひたすら怯えている。

 杜穂がうなづいた。

 

「……明日にはここを出すわ。とりあえず、運城の城郭に行かせる。もう顔も見たくないしね」

 

 呉瑶麗は言った。

 

「へえ……。殺さないのね。たびたびの毒殺未遂のときには、絶対にそのうち殺すとか言っていたじゃない、呉瑶麗」

 

 杜穂がなにか面白がるような口調で言った。

 

「……実はね……。あいつの家族は南州都にいるのよ。立派な家柄の商人でね。ちょっと調べさせたら、すぐにわかったわ。しかも、盗賊に襲われて、さらわれた秀白香のことをいまでも探し回っていたようね。ほかの者はもう死んだものと思っているのに、両親だけはそれを受け入れずに、ずっと探しているんだそうよ……」

 

「いまだに?」

 

 杜穂は目を丸くした。

 

「そうよ。それを知ったら、なんとなく殺す気はなくなったの。手を回して、秀白香が運城に生きているという噂があると教えると、親自ら、噂を確かめにやって来るそうよ……。ただの噂なのに……。秀白香は本当に、家族に愛されていたのね。考えてみれば、あいつも十九歳で王倫にさらわれるまでは、ただの商人の娘だったということよ。それを知ってしまったら殺せないわ」

 

 呉瑶麗は首を竦めた。

 杜穂はなにも言わずに微笑んだ。

 

「呉瑶麗」

 

 また、声がした。

 

 晁公子(ちょうこうし)だった。

 香孫女(こうそんじょ)劉唐姫(りゅうとうき)もいる。

 立とうとした呉瑶麗を制して、晁公子たちが呉瑶麗を囲むように階段に腰かけた。

 

「苦労かけたわね、呉瑶麗」

 

 晁公子は言って、呉瑶麗の杯に酒を注いできた。

 劉唐姫が新しい酒を持って来ていて、それを受け取って注いだのだ。

 また、香孫女が全員分の杯を持っていて、それが配られた。

 呉瑶麗に酒を注いだ晁公子が劉唐姫に瓶を返すと、それぞれの杯に酒が注がれていく。

 

「苦労など……」

 

 呉瑶麗は首を横に振った。

 苦労などとは思っていない。

 帝都で高俅(こうきゅう)に凌辱され、さらに流刑にされたうえに、そこを脱獄せざるを得なくなった呉瑶麗を匿ってくれたのは、晁公子たち白巾賊だ。

 白巾賊で拾われなければ、呉瑶麗も安女金も、ついには逃亡の行き場を無くして処刑されたに違いない。

 

「苦労ついでに、もう少し苦労してもらうわ」

 

 晁公子が合図した。

 すると、劉唐姫が丸めていた紙を呉瑶麗に渡した。

 香孫女が道術で光る小さな球体を宙に浮かべる。

 周囲が明るくなり、書かれている文字が読めるようになった。

 

「梁山泊席次?」

 

 紙にはそう書いてある。

 

「劉唐姫とも話し合ってね。この梁山泊を白巾賊が完全に乗っ取ったというかたちにはしたくないのよ。いまのままではそういう印象になってしまうわ。それで、白巾賊の者と以前からの梁山泊の者だった者が混じり合った新しい席次を作ろうと思っているの。とりあえず幹部のものをね。それを聚義庁の前に掲示するつもりよ。それで、ここにいた者も、梁山泊と白巾賊がひとつになったと感じてくれるはずよ」

 

 晁公子が言った。

 

「いい考えだと思います。でも……」

 

 呉瑶麗はもう一度、名簿に視線を落とした。

 一番上に晁公子の名がある。

 それはいいとして、次には呉瑶麗の名があるのだ。

 

「あなたには、わたしに次ぐ者となってもらうわ。これからも苦労すると思うけど、あなたの手腕でわたしを助けてちょうだい」

 

 晁公子が微笑んだ。

 

「もちろん、助けますが……。この席次の第二位は劉唐姫であるべきでは?」

 

 呉瑶麗は白巾賊としては新参者だ。

 白巾賊の叛乱は、伝説の叛徒である晁蓋(ちょうがい)の戦いから始まっている。

 国に叛乱を企てたという罪により、残酷に処刑された晁蓋は、そのことで民衆の心に残る英雄になった。

 その妻だった三人の女が、晁公子、劉唐姫、そして、ここにはいない北州都で女豪商をしている美玉(びぎょく)だ。

 その三人の女が始めた叛乱だ。

 

 白巾賊の仲間であることを隠して、豪商として軍資金を作る役目をしている美玉はともかく、席次第二位には劉唐姫がなるべきと思う。

 少なくとも、これまでの白巾賊では、劉唐姫が副頭領的な立場だったのは間違いない。

 

「あたしは副頭領なんて器じゃないわ。それは自覚している。あんたにはかなわない。なにせ、この梁山泊乗っ取りは、あんたひとりの頭から出たことなんだからね」

 

 劉唐姫が笑った。

 

「俺も賛成です。呉瑶麗は短い時間だが、すでに賊徒兵に慕われ始めている。呉瑶麗が第二位ということなら、以前からの者も収まると思う……。ただ、さっきも言いましたが、俺の席次は上すぎると思いますよ、晁公子殿……」

 

 新しい声があった。

 宋万(そんまん)だ。

 朱貴美(しゅきび)の姿も横にある。

 宋万と朱貴美は集まっていた女たちの横に座った。

 

「別にお前の能力が上というわけじゃないわ、でかいの。お前が上の方におらんと、不満に思う兵も多いじゃろう。政治的な処置だ。そのうち、能力に見合う席次に下げる」

 

 香孫女だ。

 

「香孫女──」

 

 晁公子が香孫女を叱るような声を出した。

 香孫女が肩を竦める。

 

「そのあんたの名はないわね」

 

 呉瑶麗は、再び、序列名簿に視線を落とした。

 

 

 

 

 

 

  梁山泊席次

 

  頭領 晁公子(ちょうこうし)

  軍師 呉瑶麗(ごようれい)

 

   歩兵隊長 劉唐姫(りゅうとうき)

   歩兵隊長 宋万(そんまん)

   銃工房長 湯隆(とうりゅう)

   職人頭  李雲(りうん)

   歩兵隊長 阮小ニ(げんしょうじ)

 

   聚義庁付  杜穂(とほ)

   聚義庁付  朱貴美(しゅきび)

   操船係   阮小女(げんしょうじょ)

   歩兵副隊長 陳達(ちんたつ)

   歩兵副隊長 石勇(せきゆう) 

   歩兵副隊長 呂光(りょこう)

 

   諜報責任者 時遷(じせん)

   諜報員   石秀女(せきしゅうじょ)

   医師    安女金(あんじょきん)

 

 

 

 

 

 

 香孫女の名はない。

 また、鉄砲鍛冶士の湯隆の名が、政府軍と戦う戦闘員の何人かよりも上にあるのは面白い。李雲というのも、梁山泊側のもともとの職人頭で、やはり非戦闘員の代表のような男だ。

 安女金は一番最後に名があった。

 ほかにも、宋万の直接の部下で、今朝の王倫処断に協力的だった陳達と石勇の名が入っている。

 

「わしはそんな席次などというものに入るのは嫌だ。わしが言うことをきくのは、晁公子殿と呉瑶麗だけだ。赤毛なんかの命令に従うつもりはないからな」

 

 香孫女は言った。

 

「あら? わたしの名まであるの? 朱貴美もいるわよ」

 

 杜穂が横から紙を見て愉快そうに笑った。

 朱貴美も覗き込んできた。

 

「これまで白巾賊は、将校的な立場と兵の立場の者に分けていたのよ。戦うための組織だからね。階級のようなものも必要なの。あんたらは将校級の立場ということにさせてもらうわ。そのうち、杜穂には役割を与える。それから、朱貴美の名は掲示はしないわ。一応は梁山泊とは一線を画す料理屋の女主人ということになっているしね」

 

 晁公子が言った。

 

「そりゃあ、どうも」

 

 杜穂は笑った。

 

「へえ」

 

 朱貴美も返事はしたが、なんとなく興味なさそうだ。

 そして、晁公子が呉瑶麗に視線を向けた。

 

「まあ、そういうことだから、呉瑶麗……。よろしくね。しばらくは、忙しいわよ。なにしろ、この梁山泊を白巾賊の掟に従って、新しい組織にするんだから。とにかく、呉瑶麗に任すから、好きなようにしてちょうだい」

 

 晁公子が呉瑶麗に言った。

 

「仕方ないですね……。じゃあ、任されます」

 

 呉瑶麗も笑って、杯を目の高さにすっとさし上げた。



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94  新しき梁山泊、初夜をすごす

「ねえ、安女金(あんじょきん)、いる?」

 

 呉瑶麗(ごようれい)は、養生所を訪ねていた。

 聚義庁(しゅうぎちょう)での宴会に続く、階段での集まりも終わり、晁公子をはじめそこにいた者は、それぞれにとりあえずあてがわれた寝場所に散っていった。

 

 晁公子(ちょうこうし)劉唐姫(りゅうとうき)は、王倫(おうりん)が私邸代わりに使っていた聚義庁を寝場所として使うということになり、杜穂(とほ)の案内で戻っていった。

 

 阮小ニ(げんしょうじ)呂光(りょこう)、そして、香孫女(こうそんじょ)は、梁山泊で暮らす者が集まっている集落のような場所に行き、それぞれに空いている家で休むということしたようだ。

 

 また、朱貴美(しゅきび)ももう夜なので、対岸の料理屋には戻らず、宋万(そんまん)のところに行った。

 別に作為したわけではないが、朱貴美の店で晁公子たちが宋春(そうしゅん)とともに、宋万に王倫への裏切りを求めたとき、朱貴美と宋万は男女の関係になったようだ。

 

 宋万の王倫への忠誠は、北州都で人質のようにされていた妹の宋春の存在により保たれていたものだったが、長く愛情を抱き続けていた朱貴美への想いも背景にあったのだ。

 宋万は心から朱貴美をひそかに愛していて、その朱貴美が王倫の情婦であるため、朱貴美の望むまま頭領としての王倫を守っていこうと決めていたらしい。

 

 だが、あのとき、宋春の身柄が白巾賊で保護されたということだけでなく、朱貴美の気持ちも王倫から離れていて、すでに王倫への裏切りを決めていることを宋万は知った。

 宋万が王倫を頭領として守る理由がふたつともなくなった。

 

 それで、宋万が王倫を裏切り、この梁山泊は白巾賊のものになった。

 今夜は、その最初の夜だ。

 

 ずっと梁山泊(りょうばんぱく)に潜入していた呉瑶麗は、久しぶりに安女金の顔を見たかったのだが、その安女金は聚義庁の宴には参加しに来なかった。

 だから、こうやって訪ねてきたというわけだ。

 

 安女金は梁山泊の非戦闘員の居住域に近い見捨てられた養生所にいた。

 昔、医師のできる老人が、ここで梁山泊で暮らす者の病などを看ていたらしいが、その男が死んでから、ここは誰も使わなくなっていたのだそうだ。

 安女金は診察室にある椅子に座ったままだった。

 呉瑶麗の姿を認めてにっこりと笑う。

 

「やあ、呉瑶麗、久しぶりね。やっと、落ち着いたところよ。政府軍との戦いがあったから怪我をした者が多くてね……。それに、あたしが医師だということが知れまわったらしく、たくさんのここの住人が列を作ってやって来たのよ。もう、ひとりでてんてこ舞いよ」

 

 安女金が白い歯を見せた。

 

「明日には、人を手配するわ。それに、この養生所ももっと使い心地のいいようにしなければならないわね。いくらなんでも古めかしいし、あちこち傷んでいるわ。この梁山泊には、李雲(りうん)という職人頭がいるのよ。彼に手配させるわ。聚義庁も改築しないといけないんだけど、こっちも優先するように言っておく」

 

「そりゃあ、どうも」

 

 安女金がにやにやしている。

 なにか嫌な感じだ。

 呉瑶麗は気後れした気持ちになった。

 そんな感情を振り払おうと思って、呉瑶麗はさらに口を開いた。

 

「そ、それから、晁公子殿が新しい白巾賊の席次を作ったわ。幹部だけだけど……。それで、あなたはその名簿の最後尾だったわ。でも、あんたがそれに不満なら……」

 

「不満はない……。というより、興味もない──。それよりも扉を閉めてくれない。そして、こっちに来るのよ」

 

 安女金が呉瑶麗の言葉を遮って、強い口調で言った。

 呉瑶麗は養生所の入り口で立ったまま話していたのだ。

 

「で、でも、すぐに戻らないと……。忙しいのよ。晁公子殿に梁山泊に拠点を移した白巾賊の軍師を命じられたのよ。この梁山泊の改編を任されたわ。いろいろと考えなければならないことが……」

 

「いいから──」

 

 安女金がまたもや呉瑶麗の言葉を遮った。

 呉瑶麗はびくりとなった。

 とりあえず、扉を閉める。

 安女金の前には、患者が座るような背もたれのない丸椅子があった。

 呉瑶麗はそれに座ろうとした。

 だが、安女金の足が伸びて、それを蹴飛ばして壁に押しやった。

 

「な、なによ」

 

 座ろうとした椅子を蹴りどけられたことに、呉瑶麗は抗議の声をあげた。 

 その呉瑶麗の頬にいきなり平手が飛んで来た。

 そんなに強い痛みではなかったけど、叩かれたことに呉瑶麗は衝撃を受けてしまった。

 

「……なんで、あんたがここにやってきたか、わからないあたしじゃないわよ。あたしに抱かれに来たんでしょう、呉瑶麗? ここじゃあ、任務のためとはいえ、毎日、頭領だった男に抱かれたというけど、そんなものじゃあ満足できなかったはずよ。なにせ、徹底的にあたしが調教した身体だからね。疼いているんだろう。正直に言うんだよ、この淫乱女──」

 

 安女金が鋭く言った。

 もっとも、それは本気の罵りではなく、呉瑶麗と安女金が百合の性愛をするときの「ごっこ遊び」のようなものだ。

 

 安女金は女主人──。

 呉瑶麗は、安女金に飼われる女奴隷──。

 

 よく、そういう設定で安女金と愛し合った。

 いまのは、明らかにそのときの芝居がかった口調だった。

 呉瑶麗は、それを思い出すとともに、本当に自分は安女金を女主人とする性奴隷だと想像した。

 その瞬間、呉瑶麗は自分の身体がかっと熱くなるのを感じた。

 

「あたしの言っていることが聞こえないのかい、奴隷? さっさと服を脱ぐんだ。そこで素っ裸になるんだよ。お前に椅子なんて贅沢だ。勝手に座ろうとした罰も与えるからね」

 

 安女金は引き出しから何かを取り出して、卓の上にことりと置いた。

 

「痒み剤だよ。たっぷりと塗ってやる。簡単に許してもらえるとは思わないことだね。あたしの足を舐めさせてやるよ。それであたしが気持ちよくなれば、痒みを癒してやる。ほらっ、さっさと脱げ、奴隷──」

 

 安女金が怒鳴る。

 だが、不意に表情を和らげた。

 そして、頬に笑みを浮かべる。

 

「……本当に忙しいなら、戻ってもいいよ、呉瑶麗……。でも、あたしの看たところ、あんたはすごく疲れているよ。ずっと緊張しっ放しだったんだね……。それがわかるよ。大変な思いをして頑張ったんだ。無理もないけどね……。だから、あんたには、たまには息抜きも必要だと思うよ……」

 

「わ、わたしは……」

 

 呉瑶麗は口を開きかけたが、安女全に遮られる。

 

「どうする? あたしは、あんたが望むまま、いくらでも付き合ってやるよ。本当に嫌なら強要はしないけどね……。だけど、あんたはあたしに愛されに来たんだろう? とにかく、逃げるならいまだよ。さもないと、ただで済むと思わないことだね。痒み剤は塗るよ。もちろん縄で縛る。それから、奥には山芋も準備してあるんだ。それで犯すつもりさ。それでもいいなら、そこで服を脱ぐんだ。それとも、すぐに帰るかだね」

 

 安女金はさらに言った。

 一転して優しい口調だ。

 口惜しい……。

 どうして、こんなに優しい物言いで……。

 

 狡い……。

 安女金は狡い……。

 呉瑶麗は大きく息を吐いた。

 

「嫌なら帰っていいなんて……。安女金の意地悪──」

 

 呉瑶麗は声をあげた。

 そして、下袴(かほう)に手をかけて、まずはそれを足首に一気におろした。

 

 

 *

 

 

 阮小ニの手でゆっくりと乳房を揉みあげられ、さらに乳頭に口づけをされている呂光は、全身に汗をにじませて奥歯を噛み鳴らしていた。

 とりあえず、あてがわれた梁山泊内の空き家だ。

 

 そこで、呂光は阮小ニと愛し合っている。

 

 燃えるような快美感──。

 この瞬間だけは、なにもかも忘れられる。

 身震いするような女としての幸せを噛みしめていられる。

 

「ああ、き、気持ちいい……。げ、阮小ニ、気持ちいい……。す、好き。あんたが好き。もうどうしようもない……。怖い。怖いほど好き……」

 

 呂光は喘ぎ声とともに、痴呆のように阮小ニへの愛の言葉を繰り返していた。

 

 怖い……。

 怖いのだ。

 この幸せが怖い。

 

 いまこうやって呂光を抱いている阮小ニが、呂光が実は官軍の忍びだと知れば、怒り狂って呂光を殺すだろうということはわかっている。

 殺されるのは怖くはない。

 しかし、阮小ニの愛を失うのは怖い。

 どうして、こんなに好きになったのかわからない。

 だが、もう恋に落ちてしまった。

 もはや、呂光はそれを自覚するしかなかった。

 

「俺も好きだ、呂光……。幸せになろう。晁公子殿とともに……すべての者が自由に生きていける新しい国を作ろう……。そこで俺たちの子も……」

 

「ああ、阮小ニ」

 

 乳房への口づけをやめて、呂光の下腹部に手をやった阮小ニの言葉に呂光は稲妻でも打たれたような気持ちになり、思わず力一杯に抱き締めた。

 もうなにも考えたくない。

 なにも考えまい──。

 

 いまの呂光は、ただの阮小ニの妻になった流れ者の女……。

 そして、旅の途中で阮小ニに助けられ、愛を交わし、心を通わせて夫婦になった……。

 そう思い込んだ……。

 これからは、この男を助け……、この男の夢を一緒に実現し……、そして、子を産み……育てる……。

 

 阮小ニの子を……。

 

 そう想像した。

 すると、途方もない幸福感が込みあがり、呂光はそれだけで達しそうになった。

 

「激しいな、呂光」

 

 阮小ニが嬉しそうに揶揄した。

 しかし、肉体が痺れ切るような夢心地感で朦朧となり、一切の思考はもう飛んでいる。

 

「お、お願いよ、阮小ニ──。もう、来て。あなたが欲しいの。あなたの精が欲しくてたまらない。精をちょうだい。わたしを孕ませて──」

 

 呂光は声をあげた。

 早く阮小ニを受け入れたい。

 阮小ニの精を受けるのだ。

 この男の子を宿したい──。

 その欲求は、乾きに水を求めるような渇望だ。

 

「呂光、愛している」

 

 阮小ニが感動したような口調で呂光を貫く体勢に変わった。

 阮小ニも呂光を愛してくれている。

 そう思うと、戦慄のような快感が全身に走った。

 

「あふううっ」

 

 呂光は声をあげた。

 阮小ニが入って来た。

 呼吸も忘れるような悦楽が襲い掛かった。

 全身が痺れ切る。

 

 律動が始まった。

 あっという間に呂光は達してしまった。

 腰を動かし続ける阮小ニが、苦笑のような表情をしたのがわかった。

 呂光は淫らすぎる自分の反応に少し恥ずかしくなった。

 しかし、すぐに興奮に包まれなおした。

 阮小ニの怒張の抽送はまだ続いているのだ。

 

 二度目の快感の暴発もすぐにやってきた。

 そんなに激しい愛撫を受け入ているわけではない。

 どちらかというと淡白な動きのような気もする。

 だが、いまの呂光には、信じられないような快感を与える魔道のような責めだ。

 

「も、もうだめえっ」

 

 呂光は目がくらんだようになり、阮小ニの背中にしがみついた。

 

「んんっ」

 

 そのとき、阮小ニの身体がぶるぶると震えた。

 子宮に熱いものが迸るのがはっきりとわかった。

 

 呂光は全身が飛翔するような錯覚とともに、大きな快感の中に身を投じさせた。

 

 

 *

 

 

「うううっ、も、もうだめえっ──。あ、あんた、ちょっと加減して」

 

 朱貴美は悲鳴をあげた。

 荒々しい宋万の交合が続いている。

 

 聚義庁に昇る階段で白巾賊の首脳たちと酒を少し飲んでから、この宋万の家にやって来た。

 それからずっとだが、もう三刻(約三時間)にはなるはずだ。

 

 そのあいだ、ずっと宋万は朱貴美を抱き続けている。

 もうくたくただ。

 十回は達しただろう。

 宋万は少なくとも二回精を放った。

 しかし、この男の絶倫は終わる気配もない。

 

「きゅ、休憩してても……いい。そ、そのあいだ、こうやって、やってるから」

 

 宋万は朱貴美の股間に怒張を激しく抜き差ししながら言った。

 

「な、なにが休憩よ──。あ、あんた強すぎるよ」

 

 朱貴美は苦笑した。

 だが、浅ましいほどの快感に突きあげられ、またもや朱貴美は悦楽の境地に放りあげられた。

 

 しかし、それでも終わらない。

 

 快感を極めた朱貴美に待っているのは、まだまだ続く宋万の終わらない律動だ。

 絶頂の余韻に浸ることも許されず、すぐに朱貴美は大きな快美感に包まれなおされていった。

 

 

 *

 

 

「……香孫女さん……」

 

 声がした。

 香孫女は返事をした。

 とりあえずあてがわれた家にやってきたのは、宋万の妹の宋春だ。

 兄の宋万の犯した殺人の償い金を支払うために、北州都で十歳のときに性奴隷になり、十八歳のいままで、言語に絶する仕打ちを受けて生きてきた。

 晁公子は、これまで苦労した分、大切にしてやりたいとか言っている。

 

 道術で外を確認する。

 誰もいない。

 宋春は、命じたとおりに、ちゃんとひとりでやってきたようだ。

 香孫女はすぐに宋春を迎え入れて、扉をぴしゃりと閉めた。

 

「ここに来ることは、誰にも言っておらんな?」

 

 香孫女は宋春を家にあげるとともに訊ねた。

 

「はい」

 

「宋万にもか?」

 

「兄のところには、朱貴美さんが泊まりに来ました。あたしも一緒に泊まろうと言われたのですが、若い女用の長屋をあてがわれているからと断りました」

 

「あいつらのことは気にせんでもいい。どうせ、乳繰り合っておるんじゃろう……。まあ、お前のことをわしが調教しておると知られると、いろいろとうるさく言う連中も多くてな……。わしがお前をひどい目にあわせておるということでな」

 

「そんな。香孫女さんに調教されることは、あたしの意思です」

 

「そうなんだが、うるさいのもおるのだ……。とにかく、両手を背中で組め。道術で呪縛してやる。これは便利でな。見えない鎖で拘束されたように自由が奪われるのに、服を脱がすときにも解かんでいいのだ」

 

 宋春が背中に両手を回した。

 香孫女はその両手を道術を遣って拘束する。

 

「脚を開け」

 

「はい」

 

 香孫女の前に立っている宋春が肩幅ほどに脚を開く。

 宋春の下袍をまくり上げた。

 剥き出しになった股間には下着はない。

 香孫女が脱いでくるように命じたからだ。

 

 今夜に限らず、宋春には許可なく下着を身に着けることを禁止している。

 それだけでなく、下袍は太腿の半分以上を隠すものではないことも命じていた。

 だから、宋春がいつも身に着けている下袍はとても短い。

 まあ、短い下袍は最近は帝都でも流行りだそうだから、違和感を覚える者もいないようだが……。

 

「ああっ、そ、そんなところ……」

 

 香孫女は宋春の下袍を腰紐にかけて、まくりあげた裾が下りないようにしてから、宋春の内腿に舌を這わせだした。

 宋春の股は最初から濡れていたが、すぐにとろりとした蜜が股間から垂れ落ち始める。

 

「いやらしい娘じゃな。わしに抱かれるのを想像して、濡らしておったか」

 

 香孫女は意地悪い物言いをしながら、宋春の股間に舌を這わせ続ける。

 だが、一番敏感な肉芽だけには、舌は触れないようにした。

 いきそうでいけない苦しみをたっぷりと味わわせようと思ったからだ。

 

 宋春が大きくあえぎ始めた。

 この宋春をこうやって調教し始めたのは、宋春を東渓村で預かるようになってすぐだ。

 

 最初は道術で無理矢理だった。

 だが、長く性奴隷にされていて、すっかりと淫乱体質に変えられてしまっていた宋春は、すぐに堕ちた。

 その日から毎夜のように香孫女に百合の調教を受け続けた宋春は、いまや、完全な香孫女の愛人だ。

 

 娼館から救い出した宋春に、そんなことをしていると知られたら、晁公子も劉唐姫も、あの呉瑶麗も文句を言いそうだ。

 兄の宋万に至っては、怒り狂って香孫女に斬りかかってくるかもしれない。

 だから、宋春には、香孫女との関係を誰にもばらさないようにと強く言い渡している。

 

「ああ、ああっ、いっ、いきそうです、香孫女さん……。ああっ」

 

 しばらく宋春の股間を舌でなぶっていると、宋春は完全に息があがったようになり、小刻みに身体を震わせ始めた。

 

「いくらでもいくがいい……。まあ、いけたらな……」

 

 香孫女はそううそぶくと、さらに舌の動きを激しくする。

 ますます宋春が狂乱を示しだした。

 だが、そこでさっと刺激を引きあげる。

 

「ああっ」

 

 絶頂寸前で快感をとめられた宋春が泣くような声をあげた。

 

「まだまだじゃ。もっともっと悦楽の頂上を極めさせてやるぞ、宋春」

 

 香孫女は笑った。

 そして、さらに宋春を追い詰めるために、道術の力でたっぷりと唾液に媚薬を滴らせ、それを宋春の女陰に塗りつけていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

「朝っぱらから、どこに行くのよ、呉瑶麗? それに、いつまでわたしを解放しないのよ。この梁山泊を乗っ取るのに協力したら、奴隷の首輪を外すという約束でしょう──」

 

 寧女(ねいじょ)が声をあげた。

 呉瑶麗は、寧女を伴い梁山泊を東におりる丘を進んでいる。

 

「首輪はすぐ外すわよ。安女金に金紗灘(きんさたん)で待ってもらっているわ。だけど、もしも、乗っ取りがうまくいったら、贈り物をすると言ったでしょう。それが朝一で到着したのよ」

 

「贈り物? そんなのどうでもいいわよ。それよりも、わたしは出ていくからね。路銀も融通してよね。それくらいはしてくれてもいいはずよ」

 

「まあ、どうしてもというならとめないけど、ここにいればいいじゃないのよ、寧女。あんたの剣技はすごいわ。みんなもそれを認めている」

 

「そりゃあ、どうも……。だけど、わたしには行かなきゃならないところがあるのよ」

 

「どこ? とにかく、あんたはこの梁山泊を出ない方がいいわよ。男としてのあんたは国軍を脱走した手配犯だし、女としても逃亡奴隷なんでしょう? 逃亡奴隷には、首に消すことのできない痣が残るから、すぐに捕らえられるわ」

 

「それでも行くのよ。女の意地よ」

 

 寧女が声をあげる。

 呉瑶麗は苦笑した。

 寧女がどこに行こうとしているのかわかっている。

 故郷の城郭である高唐(こうとう)だ。

 寧女を奴隷に陥れた者たちへの復讐だ。

 

 呉瑶麗と寧女が最初に再会したのは、この梁山泊の対岸の湖畔街道だった。

 そのとき、寧女は、徐寧(じょねい)と名乗っていて、顔に醜い痣のある男の恰好をしていた。

 それ以前にも呉瑶麗は徐寧としての寧女を知っていたのだが、それは顔を知っているという程度だ。

 徐寧は帝都に駐屯する国軍の将校であり、呉瑶麗は下士官と同等の武術師範代だったのだ。

 

 とにかく、任務の失敗で責任を取らされそうになった徐寧は、逃亡して王倫の盗賊団に加わることを決心した。

 その入山試験が湖畔街道で旅人の首を持ってくることであり、それでたまたま湖畔街道を進んでいた呉瑶麗と安女金を狙ったのが寧女との再会だ。

 そのとき、寧女は安女金に痣を消してもらい女姿に戻って、故郷に戻っていった。

 ところが、寧女は安女金に痣を消してもらった恩を忘れて、荷物や服、そして、路銀を奪って立ち去っていったのだ。

 本当にとんでもない女だ。

 

 それからの足取りもわかっている。

 故郷に戻った寧女は、そこで阿引(あいん)という元婚約者と再会し、騙されて奴隷の首輪を嵌められて、生辰綱(せいしんこう)の金貨とともに帝都に送られる性奴隷として売られた。

 生辰綱を奪った呉瑶麗たちが寧女をその中に見つけたのが、寧女との二度目の再会ということだ。

 

 金紗灘に着いた。

 船着き場に一艘の船がとまっている。大きな布がかかっていて、そこには、時遷(じせん)石秀女(せきしゅうじょ)がいた。

 呉瑶麗が頼んでいた荷をちゃんと運んできてくれたようだ。

 また、安女金もいる。

 

「先生──」

 

 寧女が声をあげた。

 呉瑶麗には憎々しい口調で喋る寧女だが、安女金には一段高い声でしゃべる。

 一応はこんな女でも、醜い青あざを消してくれた恩義は感じているのだろう。

 

「やあ、寧女、久しぶりね……。ところで、首輪を取っていいのね、呉瑶麗」

 

 安女金が呉瑶麗に視線を向けた。

 

「いいわ」

 

 呉瑶麗が返事をすると、安女金の手が青く光った。

 手を伸ばした安女金が、いとも簡単に寧女の首から「奴隷の首輪」を外す。

 

「おおっ」

 

 寧女が感激の声をあげた。

 

「ところで、わたしからの贈り物よ、寧女」

 

 呉瑶麗はまだ船に乗っている時遷に合図をした。

 

「これは白巾賊としての仕事じゃないからな。追加料金は払ってもらうぜ、呉瑶麗」

 

 時遷がにやりと笑った。

 

「もちろんよ。わたしが払うわ」

 

 呉瑶麗は言った。

 時遷と石秀女が荷の布を取り外す。

 そこには大きな獣を入れるような檻があった。中には素裸の男女が身体を屈めて入れられている。

 

「あ、阿引──。それに、温女(おんじょ)──」

 

 寧女が絶叫した。

 呉瑶麗は、時遷に特別の任務として、寧女を故郷の城郭で罠に嵌めた寧女の元婚約者とその恋人をさらってきてもらったのだ。

 なんだかんだと寧女も命懸けで、梁山泊に潜入した呉瑶麗を助けてくれた。

 せめてものお礼のつもりだ。

 寧女の反応から判断するに、どうやらふたりに間違いないようだ。

 

「すまないけど、呉瑶麗。奴隷商人の老婆というのは役人に捕らえられてしまったわ。阿引の部下の小悪党たちは面倒だから逃がしたわ。別に注文にはなかったからいいわよね」

 

 石秀女が言った。

 狭い檻に裸で閉じ込められているふたりは、かなり長い時間、こうやって監禁されているのか、随分と衰弱した様子で弱っていた。

 そして、寧女を認めて、なにかを言いたげに口を開けたり、閉じたりしている。

 しかし、なぜか息が洩れる音がするだけで、声は出てこない。

 

「なんで、喋らないの、時遷?」

 

 不思議に思って呉瑶麗は言った。

 

「なあに、あんまり輸送の途中で泣きわめくから、声を出せないように薬を飲ませたんだ。その安女金に頼めば、すぐに復活できるんじゃないか」

 

 時遷だ。

 

「そんなの不要よ。このまま梁山湖に放り込んでやるわ。苦しみながら死ねばいいのよ。呉瑶麗、最高の贈り物よ。口づけしたいくらい──」

 

 寧女が狂喜の声をあげながら叫んだ。

 

「だったら、今夜にでもおいで、寧女。いつぞやの続きをしてやるよ。なんだったら、呉瑶麗を責めさせてやろうか? 呉瑶麗はあたしには逆らわないからね。もしかしたら、あんたは責められ役よりも、責め役が似合いかもね。呉瑶麗は根っからの被虐癖に違いないけどね」

 

「な、なに言ってんのよ、安女金」

 

 呉瑶麗は驚いて声をあげた。

 

「ほ、本当ですか、先生?」

 

 しかし、寧女が満更でもなさそうな表情でにんまりと笑った。

 呉瑶麗は思わず身震いした。

 寧女に責めさせるなんて冗談ではない。

 そんなこと絶対に嫌だ。

 

 だが、安女金がそれを強要すれば、おそらく呉瑶麗には逆らえないだろう。

 それがわかっているだけに、呉瑶麗は安女金の発言に大いに困ってしまった。

 

 

 

 

(第一部完、第二部【英傑割拠】に続く)



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【付録】主要人物一覧

 [ ]はなぞらえている人物、また綽名なしは『水滸伝』の108星に含まれない者

 

□賊徒側(英傑)

 

 ■梁山泊

 

  晁公子(ちょうこうし)、女頭領、[托塔天王(とうたくんてんのう) 晁蓋(ちょうがい)]

  美玉(びぎょく)、北京の女豪商、[玉麒麟(ぎょくきりん) 蘆俊義(ろしゅんぎ)]

  呉瑶麗(ごようれい)、女軍師、

   [智多星(ちたせい) 呉用(ごよう)(前段:林冲)]

  劉唐姫(りゅうとうき)、歩兵隊長(女)、[赤髪鬼(せきはつき) 劉唐]

  宋万(そんまん)、歩兵隊長、[雲裏金剛(うんりこんごう) 宋万]

  湯隆(とうりゅう)、銃工房長、[金銭豹子(きんせんしゃくし) 湯隆]

  李雲(りうん)、職人頭、[青眼虎(せいがんこ) 李雲]

  阮小ニ(げんしょうじ)、歩兵隊長、[立地太歳(りっちたいさい) 阮小ニ]

  杜穂(とほ)、聚義庁付(女)、[摸着天(ももちゃくてん) 杜遷(とせん)]

  朱貴美(しゅきび)、聚義庁付(女)、[早地忽律(かんちこつりつ) 朱貴]

  阮小女(げんしょうじょ)、操船係(女)、[活閻羅(かつえんら) 阮小七(げんしょうしち)]

  陳達(ちんたつ)、歩兵副隊長、[跳澗虎(ちょうかんこ) 陳達]

  石勇(せきゆう)、歩兵副隊長、[石将軍(せきしょうぐん) 石勇]

 (呂光(りょこう)、歩兵副隊長(女)、[小温侯(しょうおんこう) 呂方(りょほう)])

  時遷(じせん)、諜報係、[鼓上皀(こじょうそう) 時遷]

  石秀女(せきしゅうじょ)、諜報係(女)、[拚命三郎(へんめいさぶろう) 石秀]

  安女金(あんじょきん)、医師(女)、[神医(しんい) 安道全(あんどうぜん)]

  寧女(ねいじょ)、聚義庁付(女)、

   [金槍手(きんそうしゅ) 徐寧(じょねい)(前段:楊志)]

  

 

  香孫女(こうそんじょ)、道術師(女)、[入雲竜(にゅううんりゅう) 公孫勝(こうそんしょう)]

  燕青(えんせい)、美玉の部下、[浪子(ろうし) 燕青]

  宋春(そうしゅん)、宋万の妹、[白花蛇(はくだか) 楊春(ようしゅん)]

  晁蓋(ちょうがい)、処刑された伝説の叛徒

  白勝(はくしょう)、宿屋亭主(腹上死)、[白日鼠(はくじつそ) 白勝]

 

 ■宋江の仲間(運城の城郭)

 

  宋江(そうこう)、運城の役人、[及時雨(きゅうじう) 宋江]

  朱仝(しゅどう)、運城軍の隊長、[美髯公(びぜんこう) 朱仝]

  雷横(らいおう)、運城軍の隊長、[插翅虎(そうしこ) 雷横]

  葉芍(はしゃく)、宋江の妻、

   [鉄扇子(てつせんし) 宋清(そうせい)(名は閻婆惜(えんばしゃく)から)]

 

 ■二竜山

 

  李忠(りちゅう)、頭領、[打虎将(だこしょう) 李忠]

  魯花尚(ろかしょう)、副頭領(女)、

   [花和尚(かおしょう) 魯智深(ろちしん)(前段:王進(おうしん))]

  楊蓮(ようれん)、副頭領(女)、[青面獣(せいめんじゅう) 楊志(ようし)]

  孫ニ娘(そんじじょう)、物資係(女)、[母夜叉(ぼやしゃ)、孫ニ娘]

  花瑛(かえい)、青城の女将校、[小李広(しょうりこう) 花栄(かえい)]

  金翠蓮(きんすいれん)、居酒屋の娘、[金翠蓮]

  金老(きんろう)、金翠蓮の父、[金老]

 

 ■少華山

 

  林冲(りんちゅう)、頭領、[豹子頭(ひょうしとう) 林冲(楊林(ようりん)を含む)]

  朱武女(しゅぶじょ)、女軍師、[神機軍師(しんきぐんし) 朱武]

  李姫(りき)、異国の戦闘族、[黒旋風(こくせんぷう) 李逵(りき)]

  郁保四(いくほし)、旗持ち、[険道神(けんどうしん) 郁保四]

 

  史春(ししゅん)、風来中の元女名主、[九紋竜(くもんりゅう) 史進(ししん)]

 

 ■柴家(滄州(そうしゅう)

 

  柴進(さいしん)、元王族の末裔、[小旋風(しょうせんぷう) 柴進]

  柴美貴(さいびき)、柴進の妹

  鄧子(とうし)、柴美貴の部下(女)、[火眼狻猊(かがんしゅんけい) 鄧飛(とうひ)]

  孟子(もうし)、柴美貴の部下(女)、[玉旛竿(ぎょくはんかん) 孟康(もうこう)]

 

 

 

□帝国側

 

 ■宮廷・国軍

  徽宗(きそう)、皇帝、[徽宗]

  高簾(こうれん)、宮廷道師長、[高簾]

  蔡京(さいけい)、宰相、[蔡京]

  童貫(どうかん)、大将軍、[童貫]

  高俅(こうきゅう)、近衛将軍、[高俅]

 

 ■北州

  梁世傑(りょうせけつ)、北州の知事、[梁世傑]

  

 ■李師師(りしし)の諜報員

  李師師(りしし)、皇帝の寵姫、[李師師]

  呂光(りょこう)、梁山泊潜入中、[小温侯(しょうおんこう) 呂方(りょほう)]

  呂盛(りょせい)、呂方の妹、[賽仁貴(さいじんき) 郭盛(かくせい)]

 

 

 

□その他

 

 ■賊徒

  王倫(おうりん)、梁山泊の元頭領(暗殺死)、[王倫]

  鄧竜(とうりゅう)、二竜山の元頭領(討伐死)、[鄧竜]

 

 ■侠客

  鎮関西(ちんかんさい)、孟城の侠客、[鎮関西]

  真名女(まなじょ)、鎮関西の妾



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