千恋*万花~福音輪廻~ (図書室でオナろう)
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Chapter1 開幕 稲上馨

千恋*万花の二次創作増えろ増えろと祈りながら初投稿です。
章ごとに書き溜めたものを放出する形になるので、不定期更新となります。
それでも良いという方はお付き合いくださってくれると嬉しいです。


場違い、という言葉がある。

時折、自分が場違いでないかという疑惑を抱く。

祓う者、戦う者、護る者、仕える者──それらの中にいたら、絶対に浮いてしまう。

 

何せ────"殺すもの"、なのだから。

 

 

 

「……朝か」

 

目が醒める。

ゆっくりと身体を起こし、伸びを一つ。

殺風景な自室は何も変わらないのだが、今年の頭から変わった事がある。

両親が仕事の都合で家を出て行った。いつ頃帰ってくるかは未定……突然の事で大変なのは、いつの時代も変わらないか。

 

一人で飯の支度をし、一人で食べ、食休みを挟み、とある一室へと向かう。

そこは暗く、大仰な札の貼られた一室。まるで何かを封じるかのような見た目だが、当然だ。

ある意味では最も悍ましいものが、ここにあるのだから。

 

そこに佇んでいるのは、一振りの刀。我が家に代々受け継がれるそれは、決してあってはならないもの。"最終手段"として存在するこの刀を抜き使命を果たす、という事は避けたい。

幸い父母の時代も、祖父母の時代もこれを抜く事は無かった。だが俺はどうだ? 無い、とは言い切れまい。

 

「杞憂なら、いいんだけどな」

 

目を伏せて、一瞥し部屋を後にする。

 

そういえば、手伝いを頼まれていたな……面倒だが、他にやることも無いのも事実。身体を動かすがてら、行くとするか。労働は何も考えなくて済む。面倒なのは否定しないが、嫌いではない。できる事なら、何もしたくないが。

 

──俺の名は稲上馨。

──ただの人間だ。

 

 

 

……穂織の街は小さい田舎だ。

だからこそ近所付き合い等は深く、祭り事はほぼ街一丸となって行動する事になる。まぁ実際には色々と違うところもあるのだが、俺の主観では、そう見えるという話だ。

 

家の代表である両親が留守の今、代理として俺はこうして顔を出さねばならないし、足りない人手分動かねばならない。

まぁ知らない顔じゃなし、さりとて困る事でもないのだが。

 

「……困った」

 

だがより働くとなると、いかんせん疲れが早く来る。その分休息を多く入れねばならぬ、ということだ。効率的に物事は運びたいが、さて上手く行っている気が欠片もしない。

 

──これほど疲れるものだったか? いや、慣れぬ事をしているからだろう。疲れなぞ、えてしてそんなものに違いない。

 

「慣れぬ顔出しは疲れるか?」

 

そんな風に頭を回す俺にかけられる声。落ち着きを払った、何処か厳格さを持つ声の主は限られてくる。

 

「玄さん。ひと段落ついたんですか」

 

ともなれば、顔を見ずとも分かるというもの。それが古くからの友人の祖父であるのならば、なおの事という奴だ。

 

「お前も奇妙な呼び方をするようになったな」

「いつまでも『廉くんのおじいちゃん』呼びじゃあ、ガキみたいでみっともないでしょう?」

「違いない」

 

鞍馬玄十郎──旅館、志那都荘のオーナーであり、同時に俺の友人である廉太郎の爺さんだ。

この春祭りの実行にも大きく関わっているし、俺の一族が持つ元来成すべき事を知っている。色んな意味で頭の上がらない人になる。

 

「廉太郎はどうだ?」

「前の件で懲りたと思いますよ。でもまぁ、本人の気質もありますからね。なんのかんの言って、あいつはいい奴ですからきっと大丈夫ですよ」

「廉太郎には甘いよな、馨」

「そりゃ友達ですから」

 

クツクツと笑いながら、廉太郎をフォローしてやる。少し前、女を取っ替え引っ替えしたみたいでえらくクラスの奴らから冷たい目で見られてたのを覚えている。

廉太郎──あいつくらいか、親友と呼べる間柄というのは。

 

「んで、なんです? 本題は」

「いやなに、少ししたら将臣が帰ってくるのでな。ウチの旅館の手伝いだ」

「将臣……? あぁ、廉の従兄弟の彼」

 

有地将臣という名前だけは知っていた。廉の従兄弟というのもあるが、廉の妹である小春がやけに熱を入れて教えてくれた、というのもある。なんでもイイ男だとか。

俺が幼少の頃は訳あって都会にいたので知らないが、どうやら入れ違うように彼は出て行き、俺は来たらしい。以来ちょくちょく顔を出していたそうだが、実は一回も会っていない。すれ違ってはいるやもしれんが。

 

「あぁ、この休みの間に手伝いに来るからな。それでまぁ、なんだ……仲良くしてやってくれ」

「彼と俺のソリが合うなら」

「廉太郎とあれほど仲の良いお前の事だ、問題無いさ」

「なるほど。──さて、続きやりますか」

「長話だったな、すまん」

「いえ、楽しかったですよ」

 

玄さんと別れて、俺は自分の仕事に戻る。

それから仕事をしては休み、仕事をしては休みを繰り返して課せられた業務を終えた後、建実神社へと向かう。

まだ最後の──外せない仕事が残っているからだ。

 

神社の本殿に入って嫌にでも目につくもの……岩に刺さった抜けない刀『叢雨丸』。妖を斬りこの地を護った所謂神刀であり、それは空想や伝説などではなく、現実のものだ。斬るべき妖──否、祟りは穂織の山中に潜み、それと戦うものもまた存在する。

無論それを知るのはごく僅かな人間のみ。俺も知る一人であり、同時に……

 

「やはり、見ているな」

 

俺の視界に薄暗いノイズの塊のようなものが目に入る。ガキの頃からずっと見えていたソレが、大人たちの言う叢雨丸の精霊たるムラサメ様なのかは知らないが……いい加減値踏みをするような視線を送るのはやめてほしいものだ。

 

「安心しろよ、事が終われば消えるさ。どうせ俺は、夏の雪に千切れる陽炎に過ぎないんだからな」

 

もしもそうなら、俺を値踏みするのもわかるというものだ。誰が好き好んで俺のような奴を近づけさせるといいうのか。

まぁ、こっちとしては仕事は仕事だ。知ったことではない。

 

「おや、早かったね馨君」

「存外、楽なものでしたので」

 

奥から現れる壮年の男性──朝武安晴さん。この神社の神主であり……そして、稲上を最終手段として欲した朝武。その現在の当主。

古き関係に当てれば、朝武と稲上は雇用主と雇われにあり──

今の関係に当てれば、家族ぐるみの付き合いが長くからある一族といったところか。

無論、彼の一人娘である芳乃さんとも幼少の頃より仲は良い。

 

「万が一の場合が発生した時の話を」

 

そしてこれから俺たちがするのは、朝武とその従者である常陸が祓うべき古くからの怨敵──祟りに関する話だ。

だが。

 

「馨君、僕はもう君がそこまで気を張る必要は無いと思うんだ」

 

やはり、この人は優しすぎる。

 

「稲上はその為にいる存在です。無いとは言い切れないのならば、その名を以て警鐘とし、生まれ落ちるならば滅する。ただそれだけです」

「昔からそんなの名ばかりだよ。真に受けないでくれ」

「それでも可能性は可能性。時が来たのならば、俺はかの剣にて魔を刈り取り、悪を滅しましょう。──たとえそれが、己の友であったとしても」

 

仕事は仕事。

成すべきことは成さねばならない。

それが生きる限り裏切り続ける俺への罰なのだから、甘んじて受け入れなければならない。

もっとも杞憂が終わって欲しいのは安晴さんだけでなく、俺もであるが。

 

「君の両親だってそんなに君が背負い込む事を良く思ってない筈だろ。もういいんだ」

「……ですが」

「君が真面目に物を考えているのは分かっている。僕らが少し楽観的っていうのも分かっている。でも馨君はまだ子供なんだ。そんなに大人ぶらないでくれよ」

 

そう安晴さんに懇願するように言われてしまっては、こちらは下がるしかない。

だが貴方は分かっていない……生きている限り裏切り続ける俺の存在は、決して許されてはいけないのだと。

 

「……わかりました」

 

芳乃さんの事を人一倍に大切に思っている彼が、何故ここまで俺を許そうとするのかは正直分からない。

──安晴さんの妻、秋穂さんは朝武の呪いと戦い続け、志半ばで没した。現実は無慈悲であり残酷……そう分かっている筈なのに、何故。

 

「ではいつも通り、討ち漏らしが起きた時のみ、俺は出ましょう。そして、億が一が発生した時にも」

「本当にすまないね……」

「いえ、仕事ですから」

 

仕事についての打ち合わせは終わった。

──もうすぐ黄昏時だな。

家に戻って、今日は身体を休めるとしよう。

野菜と米と魚が食えて、あとは風呂入って寝られればそれでいいさ。




書き溜めが完了した後、一日ごとに0時更新していきます。
とりあえず今は一章が終わっているので、順次投稿していきます。


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友愛

「だからよ、お前ならもうちょい上手くナンパ出来んじゃねーかなってさ」

「おい廉、ソレをほざく為に俺を呼び出したんじゃあねぇよなァ?」

「え、そんだけだぜ?」

「テメェッ!」

 

朝っぱらから呼びつけておいて、こんなクソくだらない事を抜かす目の前の軟派野郎に吼えても仕方あるまい。

 

「うぉ、乗り出すなよ危ねえな。俺のあんみつが倒れたらどーすんだ馨」

「ふん、小春ちゃんに罵ってもらえ」

 

ここは廉の妹の小春ちゃんがバイトをしている甘味処『田心屋』。なおオーナーは昔からよく知る馬庭芦花……まぁ、有り体に言えば幼馴染のお姉さんかな。

そんなわけで俺たちは男二人で寂しくあんみつを突いていた。

 

「そう機嫌悪くするなよ。俺の持ちだって言ったろ?」

「金の話はどうでもいい、俺とお前の仲だ。こっち分くらい出すさ。が、昨日代理仕事をやってから疲れて寝た俺を叩き起こして、挙げ句の果てにナンパの話ってのはちと割に合わねえんじゃねえか?」

「なんだよ、その手の話は面白がって聞くのがお前だろ」

「いやそうだけどさ……」

 

俺も男だ、その手の話には興味がある。が、しかしだ。俺は生きている限り誰しもを裏切り続けている。よって結ばれる女性などいないだろう。

どのみち、孤独に沈み血塗られた宿命を抱いて消えるつもりなのだから。

 

「んでなんだ、春祭りでナンパすんの?」

「出来たらかねぇ」

「弱気だな」

「将臣帰ってくるし、流石にほら」

「従兄弟の前じゃカッコイイとこ見せたいのか?」

「そういう言い方やめね?」

「おっと悪りぃ」

 

軽口の叩き合いが心地いい。やはりこいつと接している時は気楽に、何もかもを忘れて只の人間としていられる。

……そうだ、俺は親友をも裏切り続けているんだ。ホント、救われないな。

 

自己嫌悪と嬉しさが入り混じる複雑な感情を機械的に処理していると、何やらずいと身を乗り出す廉。

 

「ところで春祭り明日だろ? ──実は気になってるコとかいない?」

 

……何を聞くかと思えばそんな事か。

 

「いるはずがないだろ」

「え、常陸さんとか誘わないの?」

「何故そこで茉子の話が出る?」

 

常陸茉子──古くから知った仲であり、芳乃さんの護衛の忍者。そう、忍者である。本当に忍者なのだ。

気の知れた女友達と言うとしっくりくるのだが、別に男女のそういう訳ではないと感じている。

それに俺は……

 

「だってお前、常陸さんと仲良いじゃん。巫女姫様除いたらあんなに仲良い奴お前しか見たことねぇぞ?」

「確かに茉子とは仲が良いな。でもそれは早計だろ? 別に俺もあいつも、そういう感情は持っちゃいないし……持ったとしても違う人間に、だろうさ」

「なんでこう、お前は大人ぶるかね」

「大人になりたいのさ」

 

わけわからん、とだけ呟き、あんみつを食べる。

それからしばらくして完食したが、緑茶を飲みながら廉はいつになく真剣な表情で言った。

 

「……なぁ馨。昔からお前が何で悩んでんのか知らねえし、俺じゃ役に立てねえかもしれねえけどよ。愚痴を聞くくらいなら、俺でも出来っからさ」

「あぁ、そん時は遠慮無く頼らせてもらうさ」

 

……俺がお前に言えるほど弱ければ、何か変わったのかもしれないな。

なぁ、廉────

 

 

……この街は優しすぎると常々思う。俺のような生まれるべきではなかった存在にも等しく接するのだから。

 

実のところ、俺の考えすぎなのだろうとも理解している。だがそれでも俺は考えてしまう。恐らくそうなった時、誰であろうとも、俺は冷徹に仕事を遂げるだろうから。

出来るというのは、罪だ──

 

……一族の使命は、成人した時に親から子へと伝えられる。が、俺は何の間違いか、幼少の頃に知ってしまった。それが原因で俺は壊れたのだろう。両親に感謝しているが、何故それをもっと隠してくれなかったんだとも思っている。

……あぁ、時間さえあればきっと、俺は──だが、いざその時になれば必要なのは俺だ。

二律背反──使命を果たさなければならない俺と、何もかも捨てて自由になりたい俺がいて……きっと俺は、果たしてしまうのだろう。

まったく嫌になる。なんでこう、難儀な性格をしているのだろうか。

 

「あは、何黄昏てるんですか」

 

ベンチに座って再び頭を回していると、何処か飄々としているような雰囲気を漂わせた甘い声が耳元から聴こえてきた。

 

「俺はお前より、一つ悩み事が多いんだ」

 

別に見る必要もない。

ひょいと隣に座ってきたそいつはよく知っている。

 

「へぇ、それは是非教えて欲しいものですね」

「お前から良い匂いがする事、かな」

「口説き文句ですかそれ。それともそっちの話ですか」

「そっちの話って言ったらどうする?」

「やらしいですよ」

「男なんてそんなもんさ、茉子」

 

隣に座ったのは茉子。

廉を除けば、ここまで気の知れた仲なのはこいつくらいだ。自分たちでもわからないが、妙に気が合うというかなんというか。まぁ、そんなに悪くない関係性と言ったところか。

 

「それで、俺を笑いに来たのか?」

「別に。相変わらず猫背が目立つものですから」

「理由になってない」

「じゃあなんとなくで」

 

……昔からこいつの事はよくわからん。気が付けば懐にいて、飄々とした態度で煙に巻く。だが不快ではない。まるで猫のような女だ。

もっとも、本心は存外単純なのかもしれんが。

 

「さっき、急に廉の奴に言われた。春祭り、お前を誘って行かないのかと」

 

そんな風に切り出してみると、茉子はきょとんとした顔を見せてから、しばし沈思黙考すると、やはり合点のいかぬ顔で聞いてきた。

 

「なんでワタシがそこで出るんですかね?」

「俺も知りたいよ。なんでお前なんだろうな」

「そういえば、芳乃様も言ってたんですよね。馨くん誘ったらーって」

「……何故俺が? 芳乃さんは何を考えている?」

「そんなのワタシが知りたいですよ」

 

ふむ……何故なんだろうな?

けれどもまぁ、周りの奴らが望むならば、それはそれとしてありなのではないだろうか? 茉子といるのは心地いいし。

 

「じゃあ、回ってみるか」

 

悪くない話だとも思い、思い切って聞いてみる事にした。

 

「はい? ……ワタシが、馨くんと?」

「あぁ」

 

茉子は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。いや実に唖然とした顔をしているのだが、まったく良い顔が台無しになってるぞ。

 

「まぁ、確かに一人というのは味気ないですし。いいですよ、付き合います」

 

顔を戻してしばらく考えた後、あっさりと俺の提案を飲んだ彼女。

が、付き合いますという言い方はやめてほしい。誤解される気が……いや、別にいいか。何を気にしてるんだ俺は。

 

「急な誘いに乗ってくれてありがとな、茉子」

「いえ、気にしないで下さい。それにワタシ、馨くんと回れて嬉しいですから」

「世辞でも嬉しいよ。そういうの」

 

ニコニコと微笑む彼女の言葉がたとえ世辞だとしても、それはそれで男冥利に尽きるというもの。

ただその言葉に何か思う事でもあったのか、ややムッとした表情を見せた。

 

「なんだ、気に障ったか」

「世辞じゃなくて、本気です。そこ間違えないでくださいよ」

「なるほど、そりゃ悪かった」

 

ビシッと指差しながら言われれば、謝るしか出来ない。

 

「んでさ、ずっと気になってたんだけど。近くない?」

 

ただそれはそれとして……俺の真横に座ってるし、地味に体重かけてきてる感じするしで、本当に猫が近くで丸まっているような感じすらある。

さっき茉子を猫のようだと言ったが、いや本当にそうなるとは思わなんだ。

 

「あは、何か不都合でもあるんですか〜?」

 

ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら、更に肩に寄りかかってくる茉子に反省の二文字は無さそうだ。

服越しだというのにとても柔らかく、また不思議と良い香りがする。

 

「お前の身体がやべえ柔らかで俺がやべえ」

「ふーん、やーらしー」

「……耳に息吹きかけんのやめてくんない?」

「普通殿方はこういうのを好むと思うんですけど、違いました?」

「好物だけど、それは創作物の話であって現実じゃねぇよ」

「ちぇ、残念。もう少しそれっぽい反応して欲しかったなぁ」

 

それっぽいってなんだそれっぽいって。俺は芳乃さんじゃねぇんだから遊びがいなど無いというのは分かりきった話だろうて。

面白くなさそうなジト目を見せつつ身体を離す茉子を見て、やはり猫のようだという感想しか浮かばない。

猫の茉子……というと、さながらそちらの意味として捉えられかねないのでやめておこう。それ以上は必要無い。

 

チラリと隣に座る茉子を見る。

昔は起伏のきの字も無いチンチクリンだったが、それがよくまぁここまで変わったものだ。

 

「──む、悪い。お袋からメール……なるほど。戻るまで店は開けなくていいのか」

「馨くんちのお店って何屋なんですか。割と昔から疑問だったんですけど」

「電気屋だが」

「の割には洋服とか模型とか色々ありませんでした?」

「今は雑貨屋も兼ねてる。もっとも、最近はコンビニにお株を奪われてるよ」

 

ま、親父とお袋の本業は刀鍛冶だし、そっちの方が儲けが出るから構わんのだが。

しかし俺は刀鍛冶を継ぐつもりは無い。手伝い程度の技術は仕込まれているが、そもそも向いていないという大問題がある。

なんでってそりゃあ、色々考えて経験に従って善し悪しを見るなんて面倒だろう。労働ってのは何も考えずに済むから好きだが、刀工ってのはどうにも性に合わなかった。

最近はハサミや包丁、鎌や鉈の類まで幅広く扱っているようだ。おかげで妙に顧客が増えて稼ぎがいい。妥協しない奴らは金の羽振りがいいと笑ってたお袋の姿は記憶に新しい。

 

「なるほど、時代の変化って奴ですね」

「あと俺が和服の類よりも洋服の方が楽に着れるとガキの頃駄々こねたのもあるんだろうさ。あの頃から急に雑貨の類が増えた。まぁ、雑貨屋というかここだと珍品屋みたいなもんとも言えなくもないし、何屋なんだかは実際俺もわからん」

 

まあ雑に雑貨という意味で雑貨屋なのだろう多分。

とかく店屋なのは確かだ。

 

「しかし、お前がこの時間に一人でいるのは珍しいな。道草食ってたからってドヤされても知らないぞ」

「別にドヤされるほどの事でもないですよ、単なる買い出しですし。あっ、そうだ。なんなら一緒に見て回ります?」

 

そう提案されては、断るのは難しいというもの。別に断る理由も無いし、家にいたってやることは身体鍛えるくらいしかない。だったら人と接していた方が良いというもの。

しかし、何故だろうか。なんかやけに最近、茉子と接している時間が増えてきた気がする。おかしい、一応避けている筈なんだが。

……まぁ、それはそれとして。どうしてもしてやられたような気がしないでもない俺は。

 

「いいけど、それ意趣返し?」

 

と、困ったように聞くことしか出来なかった。

 

 

 

確かに俺は、茉子の誘いに乗った。

……乗ったのだが。

 

「どうしたんですか?」

「芳乃さん、俺さ。茉子と春祭りを一緒に回ろうって約束取り付けてさ、んでその後買い出しに付き合ったんだよ。

 

……なのに、なんであんたの家で飯食ってるの?」

 

いつの間にかあれよあれよと朝武家に連れて行かれ、何の因果か晩飯を食べている。もちろん、安晴さんも芳乃さんとも一緒にだ。

 

「流されやすいのがいけないのでは?」

 

何でもないように芳乃さんはズバッと斬り込んで来やがる。いやまったく否定できないし、実際その通りなのだから何も言い返せない。

 

「別に飯を食う相手もいないからいいんだけどさ」

 

悪い気はしない。やや罪の意識に苛まれるが、それは生きている限り終わらぬもの故割愛しよう。

 

「……けどもまぁ、茉子の飯を食う事になるとは。避けていたんだがな」

 

ただ、気の緩みからか口を滑らせてこんな事を言ってしまった。

別に俺は茉子の飯が嫌いなわけではないのだが、かと言って好きかと言われるとそうではない。いや美味いんだけどさ──

 

「珍しい事を言うね馨君。君、茉子君のご飯が嫌いだったのかい?」

「えっ、ワタシそこだけ嫌われてた? というかメシマズだと思われてた?」

「馨さん、あんまりそういうの言わない方が。ほら、茉子ショック受けてますよ」

 

……おっと、いかんな。誤解を解かねば。

ジッと見てくる茉子に声をかける。

 

「そういう意味じゃなくてだな……」

「では?」

「えぇと、その……アレだよ、うん。なんていうかさ……」

 

正直な本音を言おうと思ったら、なんか急に恥ずかしくなってきた。

絶対顔赤くなってる。頬を掻く指が止まらない。それでもしどろもどろになりながらも、なんとかして言葉を紡ぐ。

 

「あの……ほれ。俺、んな料理上手じゃねーじゃん」

「前に食べたけど雑でしたね」

「るせぇやい。んでさ、こう……食べるとさ、違うじゃないか」

「まどろっこしいんで結論言ってください」

 

急かされた……

茉子の視線は冷たい。

が、奴も思うまい。俺が何故口ごもるかを。

 

「……なんかさ、恋しく……なるんだ……」

 

本当に恥ずかしくて俯きながら、声まで小さくなった。

一度美味いものを食べると味を占めるのと同じ理屈だ。俺にとって料理とはペンギンが空を飛ぶようなもの。いや確かに作ることは出来るのだが、まあ雑な味付けと献立になるので茉子の飯を食うとどうにもまた食いたいと思うようになるのだ。

単に俺のプライドの問題である。美味い飯を食いたいが為に友人にタカリに行くなど下賎な話だ。

 

「あは〜、そういうことでしたか。意外と可愛いとこあるんですね。そのくらいなら言ってくれていいじゃないですか〜」

「男はフクザツなんだよ……」

 

さっきとは一転してニコニコとしながら「このこの〜」と脇を突いてくる茉子。お前地味に技術入れて突いてんな? ドスドス入ってくるんだけど。

 

「恋しいって……え? ま、まさか二人は……これが相思相愛──!?」

 

人が羞恥心でズタズタにされているところで、何やらあらぬ誤解がまた生まれてしまっていた模様。

 

「ごめんなさい芳乃様。実は内緒でお付き合いしてまして。つい先日から」

「おい茉子。嘘はやめろ」

 

このバカ、いらんとこでからかいおってからに──!! こいつ従える主人を弄るのにも容赦ねーなぁ!!

 

この後、安晴さんが解説したことによってこの場は丸く収まった。

……いや本当に勘弁してほしいものだ。



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始動

翌日、俺は待ち合わせの場所へと行く。30分ほど前に着いたが、どうせ茉子の事だ。そんなに待たされることも無いだろう。

その証拠に──

 

「早いですね、相変わらず」

「遅れるよかマシだと思ってね」

 

茉子はすぐに来た。

普段の格好とそう変わらないが、少しだけ綺麗に見えた。可愛いではなく、綺麗。はてさて、何故だろうか。

 

「じゃ、行こうか」

「エスコート、お願いしますね。あはっ」

 

眩しく屈託の無い笑顔だ。

いつ見ても、そう思う。

 

春祭りは観光客で賑わう。

初めて見たときは人の波の多さに辟易したものだが、慣れてしまえばそれほどでもない。

温泉に刀に祭りに舞──なるほど、人の好むものが立て並べばこうもなろうという好例だ。こちらとしては騒ぎ立てる理由がさほど分からないが……どうも、人間ってのは不思議なものに惹かれるらしい。

 

「昔も、こんな風に何回か回りましたっけ」

「片手程度だけどな」

 

そもそも春祭りの時に外にいた方が珍しい。大体は面倒くさがって家にいたもんだ。都会の人混みを思い出して嫌になるからな。

生まれは向こう故、こっちの単純明快さに初めて触れた時、こうも楽なものかと感動した。あれだこれだと考えず、ただ場所を憶えておけば全部歩いていけるなんて、とても楽な話だろ? あと健康にもいい。でも主流の和服は着るのが面倒だ。

 

もっと単純なのは"仕事"の時だが……まあ比較対象が悪いか。

しかし、俺は今年も出ていくつもりがなかったのでノープラン。ここは大人しく希望を聴くとしよう。

 

「どこ行きたい?」

「あなたとなら、どこへでも」

 

どこか蠱惑的にそう返してきた茉子。胸の高鳴りとかそういうものよりも先に呆れが来る。

こいつのこの、飄々として余裕のある態度の鼻を明かしてやりたいもんだ。何でもなくどうでもいいことを思わせぶりな言動で、あらぬ方向へと向かわせてからかう。別に悪いことではないが、こうもいいようにやられると困る。

 

「あのな、そういうこと言う? フツー」

「あれ、グイグイ系の方が好みでした?」

「別にそういうのじゃ……あぁ、もういいよわかったよ。テキトーに回ろう、アテなくさ。ほら」

 

そう言って茉子の手を握る。

……思っていたよりも柔らかいな。てっきり、もう少し硬いものかと思っていたが。

 

「……えっと、これって……」

 

見れば顔がやや赤い。

ククク、だが俺は知っている。茉子にからかいでは勝てない。だからこそ、想定外の一撃を用意する必要がある。

 

「──これで迷子にゃならねえだろ?」

「子供じゃありませんよワタシは!」

 

期待通り、茉子はガーッと吠えてくださった。

へへッ、一本だ。

 

 

 

「珍しいからってオマケつけるのは商売的によろしくないと思う」

「馨くんが出て来てるのが珍しいのか、それともワタシが出店回ってるのが珍しいのか」

「俺らが二人でいるのが珍しいか、まぁどうでもいいけどさ」

 

珍しいコンビで回っているのがそんなにウケたのか、日常生活では顔馴染みの出店の方々にやたらとオマケをもらう事になった。

行く先々で付き合っているのかと言われたが、そうではないと言えば皆怪訝な顔をする。どれほど仲良く見えても付き合っていないのは目に見えているだろうに。

 

「何回言われた?」

「数えてませんよ」

 

焼き饅頭をかじりながらそんな事を言う。

こうして回ってみると、なんだか少しわかったような気がする。女性と回ってみるという楽しさが

 

「廉の奴がどうしてナンパをするのか、なんとなくわかったような気がする」

「それ、褒め言葉として受け取るべきですか?」

「あぁ、なんか楽しいからな。お前といると」

「ふーん」

 

なんとも言えない目線を送られる。

いやそんなん送られても何もできんがな……女の気持ちってのはよくわからん。

腕時計に目を落とすと、そろそろ奉納の舞の時間だ。ここに暮らすものとして、普段なら一目見に行きたいところではあるが。

 

「茉子、そろそろ行ったらどうだ?」

「馨くんは行かないんですか?」

「まぁ……ちと野暮用があってな」

 

──今回は違う。

さっき茉子と回っていると、何か妙な感覚を覚えた。何かのピントがあったような……テレビのチャンネルがピタリとあったような……

それにおかしな話だが──山の中にしか出ないはずの祟り、それと俺が出会った時に生じる衝動が発生した。

何が起きている……? そういう風に警戒をしているからか、自然と身体に力が入る。

 

「何かありました?」

 

そんな様子を見て、祟りを祓う為に戦っている茉子は瞬時に気が付いたようだ。が、彼女の杞憂とは方向性が違う。

 

「……さぁね。先芳乃さんのとこ行きなよ。俺は後で行く。別になんともないだろうけどさ」

「あとで聞かせてもらいますからね」

「はいはい、煮るなり焼くなりどーぞ」

 

なんか呆れた感じの視線を向けられながら茉子を見送る。

御誂え向きに、今俺のいる場に人は少ない。

 

「"仕事"にならなければいいが」

 

最悪、洋の意匠の強い服では目撃者を始末しなければならなくなるやもしれん。身元割れを防ぐ為にも、着替えておくべきだ。

さて、あまり時間をかけるのも不本意だ。すぐに片付けるとしよう。

 

全速力で駆け出す。最短ルートを通り、バレなきゃいいの精神で他人の敷地を通ったりしつつ帰宅し、オマケを一通り居間にほっぽり込んでからサクッと着替える。

完全なる和服だ。これでもしもが発生しても多少の擬態効果はあるだろう。

 

また再び家を出て、自分と接続している"モノ"の送る衝動に耳を傾ける。無論、索敵の為に。

──いた……神社の方だな。微弱な感覚を捕捉した。

 

まだ夕刻には至らず。逢魔時とはなりたくないが、さて。

急ぎ足で神社に向かい、"モノ"が見たものを目で追う。それはすぐに見つかった。何故なら本来この穂織では山にしか現れぬ祟りへの衝動と同じものを感じるそれを探せばいい──瞬時に判別できた。

 

茉子ほど上手くはいかないが、気配を殺し息を潜め、物陰に隠れながら観察する。対象に近い人影は……1、2、3、4──固まっている。得物はまだ出すな、刀を抜く並びと帰る観光客が多い。始末するかは実物を見て決める。まずは見知った顔か否かの判断を……!?

 

「……何……?」

 

見えたのは見知ったどころか馴染み深い面々。

廉と小春ちゃん、それに芦花さん……となるとあれが噂に聞く有地将臣……なのか?

──あり得ない。何故ただの人間から祟りを見たときの、あの殺意にも似た衝動が生まれなければならない? "アレ"が誤認したのか? 転じているわけではない、極めて微弱な感覚……あの男、一体何者だ?

 

「イナガミの」

「──ッ!?」

 

刹那、幼い少女の声が真横から聞こえた。気を張っていた影響か、咄嗟に手が出た。真横に振った手刀は……

 

「危ないのぅ」

 

何かに当たるわけでもなく、ただ空を切った。視界に入る人間を改めて注視する。幼い少女──だが、この感覚は神刀のそれと似通ってて、かつこの視線を俺は憶えている。ついこの前も感じたもの……と、なればまさか。

 

「あんた……ムラサメ様か?」

 

半信半疑、そして資格を持たぬものには見えぬその性質から声を潜めつつ尋ねる。

 

「如何にも。しかし何故吾輩を見れるようになった? イナガミは外から来たはず……」

 

彼女は訝しげに俺に尋ねる。

……そう、ムラサメ様が見えるのは朝武の直系だけ。具体的には、朝武から派生した常陸──つまり茉子と芳乃さんだけだ。婿養子の安晴さんは見えないらしい。

 

つまり、俺が見える通りは無い。

両親も、祖父母も見えなかったのだから、その子である俺に見える筈が無い。

だが、そうじゃなかった。俺は朧げながらも見ることが出来た。何故なら──

 

「あんたが俺を見てると気付いたとき、"アレ"が見えるように視界を弄った。古い術らしいが知らん。俺にはピンボケしたものしか映らなかったが……何の因果か、さっき急に焦点が合った」

 

家にある、"アレ"。

俺と接続している"モノ"。

それが勝手にチャンネルを合わせ出した。俺の意思など関係無く。

すると合点がいったのか、一つ頷いた。

 

「なるほど、"アレ"が……お主、先祖返りだな。かつ、"アレ"に接続できるほど適していると」

「忌々しいことに、な。生まれながらの時代遅れ──そして生まれたことが罪である存在……かつてイナガミが求めた完成形を、新たな形を作らんとしていた新しき稲上が産み落とす事になるなんて」

 

本当に忌々しい。己の存在それそのもが滅び行く筈だった古き稲上の求めた傑作にして希望であり、新しき稲上が捨て去ろうとした過去の罪業だ。この世に生まれたことが消えぬ罪、生きる限り裏切り続ける大罪人。

 

「……故に生きていてはならぬ、と?」

 

だが何を思ったのか、ムラサメ様は嘆くように、俺に問うた。

 

「当然。始末を生業とし始末しなければ生きられない存在など、死んだ方がいい」

 

吐き捨てるように答えると、彼女は大きくため息を吐き……

 

「それが芳乃や茉子、いやお主に纏わる人間総てを不幸にすると知りながらか? 安晴が嘆いておるのは聞いていた。だが、何がそこまで駆り立てる? 生きていたって、いいではないか。そう急ぐな。限りある生と受けた愛を無価値とするつもりか」

 

──何かを後悔するように、俺が目を背けていた事を突き刺してきた。

そんなことはわかっている……が、己の存在がどれほど罪深いかをこいつは理解していない。いいや、理解できるはずなどない。

裏切りと苦悩と血に塗れた俺なぞ、生まれるべきではなかったのだと──!

 

「──あんたに何がわかる」

 

感情が先走って有りがちなことしか出てこない。

やめろ、やめろ──哀れみの目を向けるな。何故軽蔑しない? 何故疾く死ねと言わない? 生み出し破壊するものがヒトなのに。そのヒトなのに殺すことしかできない甲斐性無しなど──!!

 

「そんな、お主……そこまで」

「黙れ! 俺は……俺はッ! 時が来たら消えなきゃならないんだ……! この時代にはいらないから!」

 

何かを言われる前に遮る。

子供の癇癪にも似たソレは、ムラサメ様の目にはどう映ったのか。

 

「のぅ……主の名は? たしかに吾輩は主の名を知っている。だが、主自身の口から聞きたい」

 

失望か、呆れか……どちらともつかぬ再びのため息。嘆きか哀れみか、何故と問いたげな視線と声色で、俺の名を尋ねた。

名を尋ねられれば、応えねばなるまい。

 

「馨だ。稲上馨」

「馨、か。良い名だ」

 

噛み締めるように名を褒めるムラサメ様。……名を褒められるのは、悪くない。やはり俺の両親に間違いはない。間違っているとすれば俺の方だ。

 

「……ぬ?」

 

しかし、突如としてムラサメ様は何かを感じたのか……とても驚いた表情を見せた。

 

「これも運命……か。担い手が見つかったようだの。馨、しばらくそこにおった方がよいぞ。きっと、何処かで呼ばれるに違いない」

「だろうな。頃合いを見て、本堂に入るさ」

 

そうして姿を消すムラサメ様を見送り、俺は静かに座り込む。

……わかっている。

 

だがそれでも、俺は自分が許せない。

イナガミの血が流れる己が憎い。

単に度し難い異常者であれば、悩むこともなかったのだろう。しかし平凡な親より生まれた俺にあるのは平凡な精神。故に開き直れるほどのものでもなく……あぁ、吐き気がする。

 

 

……しばらく待つこと一時間以上。

なんかもう面倒くさくなって寝た……のだが。

 

「起きろ馨。いつまで寝ている」

「……んぁ……? 玄さん……?」

 

玄さんに叩き起こされてしまった。

 

「少し来い。叢雨丸の担い手が見つかった」

 

……本当に呼ばれたよムラサメ様。あんたの予知すげーや。

と、なれば……それは稲上としての仕事になるのだろう。つまり、殺すものとしての己を露わにしなければならぬ時が近づいてきたというわけだ。

なるほど。最終手段であり、現状自由に動けるこの俺に声をかけるのも通り。

 

「わかりました。が、編笠か何かありません? 貴方も知っての通り、俺は自らに失望しています。そんな俺が栄えある担い手殿に会うとなると、恥ずかしくて顔も見せられません」

「相手は将臣だぞ。そこまで気を貼らんでもいいだろう。いや待て、お前その格好は……」

「はい。何か妙な気配があったもので、"仕事"かと思いまして」

「わかった、しばし待っていろ。取ってくる」

 

あるんだ……と驚いていると本当に取ってきたよ編笠! マジであったの!?

 

「あ、あったんっすね……編笠」

「まぁ少し大きめだが顔が隠れてちょうどいいだろう」

「すみませんね、ホント」

 

これ三度笠か……いそいそと被り準備を整える。なんか人斬りみたいだな。いや本当に人斬りのようなものなのだが。

それから玄さんについて行き、本堂へと入る。

 

「待たせてすまんな」

「大丈夫だよ祖父ちゃん。って、その人は……? やっ、やっぱり俺地下行き?」

 

やけに怯えながら抜けた叢雨丸の前で座している彼が、有地将臣か。

ふむ……見た感じに雰囲気も全て、都会の少年のような感じだな。それに衝動も来ない。誤診か? ──まさかな、そこまで耄碌していまい。

しかし茉子じゃないが、からかってやりたくなるものだ。ああまで素直な反応では、特に。

だからだろうか。だいぶ妙なイントネーションで彼に話しかけた。

 

「あぁ、どうも。お初にお目にかかります、有地将臣さん。あっしは掃除屋っちゅうもんです。どうぞご贔屓に……ヒヒッ」

 

不敵な笑いを入れたせいか、更に怖がらせてしまったようだ。

 

「あ、あはは……どうも」

 

完全に引き笑いをしながら恐る恐るといった様子だ。おかげで見えない角度から玄さんに小突かれた。遊ぶな、ということなのだろう。

 

「てのはまぁご冗談で、あっしは一応顛末を知らなきゃならん人間ですんでこの場にいるだけです。脅してすんませんね」

 

ケラケラと笑いながら謝罪する。

この様子だと、仕事は単にこいつの護衛か稽古あたりか。トーシロをいきなり戦場にほっぽり混むわけにもいくまい。

聖なるものに選ばれたということは、同時に邪悪なるものの存在を証明する。神秘の残らぬ地に、祟りにしろ妖にしろ──魔性は生まれぬが、反存在を持ち込めばいつ如何なることが発生しても不思議ではない。

……となれば囲い込みか。この地に留める気だな。しかしどうやって? 馬鹿正直に物事を明かすのには、恐らく芳乃さんが反対する……彼女、背負い込んでるからな。だが隠し事などいつか暴かれるというのに。

 

その辺は、安晴さんと玄さんの手腕に期待か。

胡座かいて座ってると、奥から安晴さんがやって来る。しかし芳乃さんの姿は無い。ムラサメ様もいるのに。

 

「待たせて申し訳……何してるんだい?」

「いえいえ、掃除屋の顔出しはいかんでしょうて」

「……まあ、そうなんだけど……僕としては君にそうされるのは嬉しくないな」

 

む……いや、ダメだ揺らぐな。

出来るのは俺だけだ。ならば俺がやらねばならない。

覚悟を揺らすな、揺らすならばあの一度だけだ。

──あの女との約束だけだ。

 

「公私は別けねばなりますまい。俺も貴方も、因果な星の下に生まれた。それだけです。そして彼もまた……ね」

 

小声で仕方ないことだと呟く。

──さて、始まるか。事がどう動き、俺の仕事がどうなるかは、全てこの男次第だな。

 

「あ、聴いてるだけでいいから」

 

……へ?



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虚絶

もしかして0時更新だと人に見られてない?
直すべきかな


結局、事がどうなったかと言うと。

 

有地将臣は婚約者になった。

芳乃さんの。

 

……安晴さん、芳乃さんから言うなと言われていたんだろうな。それで頭回してこのような形になった、と。

それにしたっていきなり同居ってのはやりすぎなんじゃねーかなァ。娘さんの友人になってくれそうだからっても、ちとねぇ。

 

それが昨日の顛末だ。

俺への仕事の話は特に何も無し。本当に知っておくだけで良かったらしい。まぁあと、俺が彼を記憶しておくというのも一つの目的だったのだろう。顔と名前と声が一致しないと、色々と動き辛いのもある。居場所も分かってれば、何の問題も無い。

 

……もしかして、俺の仕事が無くなるのか? 神刀の効力がどれほどのものかは知らんが……そうしたら安心して任せられる。

それなら、俺は────

 

「……ねみィ」

 

さて、今は早朝。

何処かへ行かれる前に、顔だけでも合わせておくべきかと行動したのだ。俺にしては比較的早く起きた所為で眠くて仕方ないのだが、あの場には『掃除屋』として……『イナガミ』としていた。

公私を別けねばならぬとは昨日言ったばかりだし、昨日が公なら今日は私だ。それに掃除屋の名前は好きじゃない。

家に帰って死にたくなって、思わず包丁に手を伸ばしてしまったほどだ。が、あの女との約束もあり思い止まった。

 

──せめて、二十歳になるまでは生きろ──

 

……あの女は幼少の頃、"仕事"を知って絶望し、入水自殺を試みた俺を助け、頬を引っ叩き、そう言った。

答えを出すには早計だ。だから人生をもっと送ってみて、その上で考えろ。最低でも20になるまでは絶対に死のうとするな……だったか。

親に伝えられ、えらいことになってしまったが……今思えばこの約束も案外バカにできなかった。

 

確かに生きることは楽しい。でも生きていれば生きているほど、自身の罪深さが重くのしかかってしまう。

伝える事もできない。嫌われるのは嫌だ。だけど死んだら喜んで欲しい──我ながら支離滅裂な感情だ。

 

だからこそ、答えは変われない。

死なねばならないんだ、俺は。

 

「……む、もうか」

 

負の感情と過去の出来事を処理していると、あっさりと神社の横の朝武家に着いた。何もしたくない何も考えたくない静かに朽ち果てたいと思うようなズボラ男であるこの俺の歩行スピードは遅い筈だが……はて? まさか茉子の飯に惹かれているのか? タカリに? ダメじゃん。

でも今の時間なら飯は食い終わっている筈だ。奴の前で素直に食べたいなどと言えばからかわれるのは目に見えている。

 

「呼び鈴は……あったあった」

 

呼び鈴を鳴らしてしばらく待つ。

するとドタドタと音が聞こえる。まるで急いで来るように。

……あれ?

 

ガラリと扉を開けて現れたのは、茉子だった。

……口の横にご飯粒付けてるけど。

 

「馨くん? どうしたの?」

「いや、挨拶をと思って……あ、ご飯粒ついてるぞ。悪いな、終わるまで待ってる」

「あはは……すみません」

 

ガラガラと扉を閉める茉子を見送るが、何故すみませんなのかが分からない。というかどれだけ件の彼が起きるのが遅くても、普段の流れから考えてみて、ここまで遅くなることはないはずだが……はてさて、何があったのやら。

 

 

「お邪魔します」

「珍しいですね、馨さんがこんな朝早く起きてるなんて」

「挨拶しなきゃと思ってね」

 

開口一番それかよと思わなくもないが、俺の朝のだらしなさは芳乃さんもよく知るところ。仕方ないことだ。

 

「挨拶って、俺に?」

 

まだ慣れぬ立場だからか、おずおずとそう尋ねる有地将臣。

 

「ああ、そうだ。はじめまして。俺は稲上馨。君の事は廉や小春からよく聞いてたよ、有地将臣君」

 

軽く挨拶をして、握手の意味も込めて手を差し出す。

 

「どうも、稲上……さん?」

 

握り返しながら、やや困ったように俺の名を呼ぶ有地将臣。

ふむ、ここは助け舟を出すか。

 

「呼び捨てでも、馨でも構わないよ。俺もそうする。廉の従兄弟だしさ」

「もしかして廉太郎の言ってた気の合う奴って、お前?」

「如何にも。どうせ結構な頻度で顔を合わせるんだ。これからよろしくな、有地」

「将臣でいいよ。俺も馨って呼ぶし」

「じゃあ、お言葉に甘えて将臣と呼ばせてもらうとするか」

 

しかし……どうしても気になることがある。今朝この家で何かがあった。でなければ飯の時間が終わっていないはずがない。

茉子の家事技術はかなりのものだ。一人分増えたところで俺が遊びに来たのと変わらん。と、なればやはり……

 

「安晴さん、茉子のこと伝えました?」

「あはは、言いそびれてたんだ」

「なるほど……じゃあお前裸見られたってことかァ?」

 

あ、お茶を飲んでた将臣と茉子がむせてる。しかも顔真っ赤。ビンゴ、だな。

 

「大方、意識飛ばしたりとかして遅れたんだろ」

「なっ、なんでそこまでわかるんですか!?」

「風呂好きのお前のことだ。簡単に想像できる。朝風呂で全裸二人が相対すりゃあ、そりゃ一悶着ってものさね」

「違います! ワタシはともかく有地様は裸じゃありませんでした!! あと見られてませんから!!」

「ちょっと常陸さん!? やめてくれ!」

「ふーん、裸だったんだ、茉子。じゃあ、胸でも当てられたか。これでからかうネタが一つ増えたな」

「最低です馨くん!」

「最低だよ、男だもん」

 

ガーッと摑みかかる茉子にテキトーな返しをしつつ、体勢的によく見える胸を楽しませてもらった。役得役得。

と、そこへ。

 

「で、あなたは邪魔をしに来たんですか」

 

やけに冷たい芳乃さんの声。

そんなに嫌かね婚約者ってのは。どう見ても将臣は良物件だと思うんだが。

 

「挨拶だよ」

「その割には無駄話が多すぎです。話が終わったなら帰ってください。というか昨日もいたでしょう」

「立場が違うんだ。昨日は公、今日は私」

「そうですか。では私は舞の練習をしますので」

 

そう言い切って居間を出る芳乃さん。ふむ……これが単に嫌悪感から来ているのか、それとも巻き込むまいとするものか。恐らくは後者と見るが、さて。

 

「あんな冷たかったか? 彼女」

「頑なですね……」

「一体誰に似たのやら」

 

あんたとあんたの奥さんだよ、なんて軽口を言う気も起きない。あそこまで頑固になられちゃお手上げだ。劇物であれこれ、ともならなきゃ。

 

「さて、じゃあ僕もお仕事してくるかな。将臣くんはくつろいでていいよ」

「あの、なんかそれだとバツが悪いんで、何かお手伝いとかさせてもらえませんか?」

「境内の掃除くらいしかないけど、頼めるかい?」

「はい。わかりました」

 

いい奴じゃん。廉、小春、お前らの従兄弟めっちゃイイ男やぞ。

 

「……あとでぎゃふんと言わせます……」

 

後ろで初対面の男に胸を押し当てた挙句気絶させた痴女が何やらほざいているが、気にしなくていいだろう。

 

「あ、そうだ馨くん。どうせ暇だろ? 将臣君の話し相手になってくれないかい? 僕らは仕事あるし、茉子君は茉子君で色々あるし」

「ムラサメ様もいるでしょうが……わかりました。やりますよ」

 

まぁそういうわけで今日は朝武家に世話になることとなった。茉子の飯が美味いのが悪い、うん。

……いや本当にあいつが悪い。マジで。

そして昼過ぎ。ギスギスした雰囲気で昼を食ったりし終えたら、境内で掃除をしている将臣と、腰掛けて見る俺とムラサメ様という奇妙な構図が出来ていた。

 

「……帰りたい」

 

まぁ、将臣の呟きにも同意できる。俺も初めは都会の利便性から田舎の単純性に映ったときは嫌になったもんだ。ま、面倒が少なくて済むからすぐ田舎万歳になったんだが。

 

「女だらけは辛いか? 将臣」

「そっちは平気だけど。朝武さんの態度が……けど仕方ないってわかってるんだ。いきなり婚約者なんて、誰でも嫌だろ」

「芳乃は決して悪い人間ではない。だが少し頑固が過ぎるというか、頭が硬いというか……普段なら友である馨にあんな態度は見せないから、色々と思うものがあるのだろう」

「あとテレビのチャンネルが少ないのが一番辛い」

「ご主人……真面目に言ったのがバカらしくなったではないか」

 

案外能天気なんだな、こいつ。ま、事情もロクに話さず囲い込みなんてだいぶ無茶が過ぎる。娘に甘いのも考えものだ。だが最低でも夜の山に入るな程度は言ってあるだろう。

祟りが活発になるのは夜の山のみ──力を貯めればその限りではないが。

 

「して、ムラサメ様──数百年ぶりに男と触れ合った気分は如何に?」

「馨、主はそんなに軟派な性格であったか?」

 

なんとなくムラサメ様に振ってみると、帰ってきたのは純粋なる疑問。コテンと傾げた首が可愛らしい。

そういやそうか、見られていたのは主に安晴さんとの真面目な会話や、茉子や芳乃さんとあったときに、絶妙に壁を作っている会話くらいか。

俺の素、というものは知らないのだろう。

 

「残念、俺は元々こんな奴だよ? アレも含めて全部俺さ」

「……難儀な奴よのぅ」

 

ジト目で睨まんでください。ぼかァそーゆー人間なんですー。

ムスッとしてると将臣はあぁ、と呟いてから。

 

「馨ってムラサメちゃんが見えるのか?」

 

──なんだと?

 

「……ムラサメちゃん?」

「えっ、あぁ俺はそう呼んでるけど」

 

ムラサメ様がムラサメちゃん。

ムラサメちゃん……ムラサメちゃんだと? この威厳たっぷりで笑えない経緯を持ちながら、神刀の管理者であるムラサメ様がムラサメちゃん?

 

「くっ、くくくく……っ! む、ムラサメちゃ……ぷふっ、ムラサメ様がムラサメちゃん……アッハハハッ、ハハハハハ!」

「ツボるな!」

「いやギャグだろ!? 由緒正しき、正真正銘の神刀である叢雨丸の管理者がちゃん付けって笑うしかねぇだろ! やべっ、お前最高だよ将臣! 天才! さすが廉の従兄だ!」

「んん? んー……ありがと?」

 

なんで俺がウケてるのかわからないらしいが、単に外の人間にかかれば神刀の管理者もただの女の子扱いっていうのが面白かっただけだ。

それほどまでに無関係、だからこそ気軽に接せられる。俺もそうでありたかったものだ。

さて、質問には答えねば。

 

「ひー、笑った笑った……んで、質問は見えてるのかだよな? 答えはイエスだ。が、俺は資格を持っていたり、朝武の血筋というわけでもない。ちと例外的な方法を使っているんだ」

「例えばどんな?」

「メガネみたいなものだ。茉子が忍者であるように、俺にも別口の職業がある。それの関係で見えたり喋ったりできるようになってる。接触はできんが」

「へぇー。穂織には結構な頻度で来てた筈なんだけど、その手のことがあるなんて知らなかったなぁ」

「知らせる必要も無いからな」

 

大声で言うようなことじゃないのは事実。稲上にしろ常陸にしろ朝武にしろ、表立って何かやってますなどとは口が裂けても言えない。

伝説とは伝説であらねばならない。あやふやであることが望ましいのだ。

 

「必要無い……か」

 

将臣のため息は深い。しかし能天気だなんだと表現はしたが、こりゃ存外逸材やもしれん。探りを必要以上に入れず、必要事だけは知っておく……よくできた男じゃないか。

 

「まぁ、気にするな。男女仲など得てしてそんなもの。廉のように軽い立ち回りをしなければ、お互い落ち着くとこらに落ち着くさ。安心しろ」

「そこまで重く考えてないよ。そういや馨と常陸さんってすごく仲良さそうだけど、実は付き合ってたりすんの?」

「あ? 俺と茉子が? おいおい冗談はやめろよ」

 

次に将臣から聞かれたのはそんなたわいのないこと。

こちらは面白くもなんともない。返すべき答えは用意してある。

 

「俺も茉子もそういう関係じゃないし、意識もしてない。せいぜいが絡みやすい友達程度だ。それにあいつのことだ。惚れる男がいるとすれば、俺なんかよりもいい男だろう」

 

他の奴らにはこれを何回も言った。きっと茉子も同じ返しをする。

 

「本当にそうかなぁ。ムラサメちゃん的には?」

「何故吾輩に振るか気になるところではあるが……まぁ、あの二人が交際してないのは事実だ。ただ、側から見るとまるでそういう関係かのようなやり取りで、差し障りの無い会話をしているといったところかの」

「うわ、タチ悪いな」

「言ってくれるじゃねぇか」

 

ケタケタ笑いながら、伸びを一つ。

疑いの視線と呆れた視線を受けながら、身体をパキパキと鳴らす。何もせず話し相手になっている、というのはなんとも楽だが、これはこれで落ち着かない。

 

「んー、ちょい便所行ってくる」

 

一言断ってから、神社の便所へ向かう。

用を足して出てくると、何やら急いで去る様子の女性が見えた。はて、なんだ、迷い人か? トコトコ出て行き、おそらく事情を知っているだろう将臣に問う。

 

「何があった?」

「子供が迷子になったんだって」

「サツには?」

「これからってさ。俺も俺で見てみる」

 

ふむ、迷子か。穂織の地は狭い。山に入らなければ、と付くが。しかし将臣を外に出して迷われたら困る。ので街を見に行くとしたら俺だな。

 

「……なるほど。子供探しは難しいが、俺は街の方を見よう。あれ、ムラサメ様は」

 

そういえば姿が無い。

さっきまでいた筈だが。

 

「子供が隠れそうなところを見てもらってる」

「手が早いな。あんまり出歩くなよ? 迷子が増えても困る」

「わかってるよ」

 

そうして子供の特徴を聞いてから、俺は将臣と別れて街に出る。

しかし、正直なところを言えばほとんど俺の出る幕は無い。放っておいてもすぐに解決するだろう。人探しにおいて人海戦術に勝るものなど無い。ことネットワークが人間関係程度の田舎では。

だが、山に入られてると厄介だ。祟りと遭遇されていると困る。

 

「……あまり気は進まんが、山に行くか」

 

お荷物が一人程度なら、祟りに襲われても問題は無い。まだ有象無象だろうし、楽に"殺せる"。

街は警察に任せ、俺は山を見るとしよう。

 

神社手前の山道を通り、辺りを見回す。当然だがいない。声をかけるという手もあるが、事情を知らぬ子供には不審者に見えるだろう。何も知らぬ体を装い、街に戻すだけだ。

奥へと進み、更に見て回るも成果は無し。獣道には進まないだろうから切り捨て。俺のように慣れていなければガキが山奥で入水自殺などできやしまい。

となればやはり街、か──

しかし山に行って戻るだけで相当な時間を食う。気付けばもう黄昏時、そろそろ祟りが蠢き始める頃だ。離脱しよう。

 

街に戻り、それとなく顔見知りの人々に話を聴くと見つかっていたらしい。一件落着というわけだ。俺の仕事はなくなったし、神社に戻るとしよう。もうすぐ宵の口だしな。

 

「……ん?」

 

ちょうど境内に戻るべく歩を進めていると、人が山道を進んでいる痕跡を発見した。俺の靴跡ではなく、別の靴跡だ。しかも真新しい。穂織で夜中に山に入ることを許されているのは巫女姫──つまり芳乃さんくらいなもの。だがこれは芳乃さんのものでも茉子のものでもない。というか彼女たちはここからは入らない。

 

「……まさか言ってないのか? 冗談だろ?」

 

如何に土地知らずの観光客と言えども、普通は夜に山に行こうなどとは思わない。ただでさえイヌツキだの何だのと白い目で見られてるんだ。

もし行くとすれば、何も知らない奴か余程の阿呆か──

 

「前者だな……ッ!」

 

もはや一刻の猶予も無い。伝えたところで装備に時間がかかる。準備する必要も無く行動できる俺が行くしかない。死なれても困るし、それに祟りに喰われて祟りになられても困る。なっていたら──『処理』するまでだが。

 

祟りとは人の憎しみなどを核として現れる怨霊めいたものを製造する術式の類。起動させた者が不在となり、行き場を無くしてからが本題となる厄介な奴だ。

だが核が無ければ現れることはないし、長く続いても五十年程度だ。しかし穂織の祟りは百も続く。ともなればとても強力な核があるのだろう。

 

──そして、祟りに攻撃された人間には穢れが留まり、その人物の暗い感情を糧として新たなる祟りとなる。祟り殺されるとはこういうことだ。この地の祟りはやや異なり、特定の対象しか襲わない上、そこまでの伝染性は無いようだが。

 

それを祓い還すのがこの地では朝武と常陸。

だがそれだけでは対応できぬ事態や、最悪の事態が発生した時に──稲上の仕事がやってくる。

 

稲上の仕事はごく単純。

朝武か常陸のどちらかに予期せぬ異常が発生した時、代わりに祟りを"滅する"こと。

次に人間が祓い戻せないほど侵食された場合、これを迅速に処理すること。

最後に……朝武か常陸、その両家の内どちらかから魔を是とする者が発生した場合、これを抹殺すること。

万が一の事態──断絶などが発生したとき、穂織を滅ぼし無に帰すこと。

 

──俺より前の代では必要無い話だ。

何故なら他の血と混ざり、薄れた稲上の血ではせいぜいが第一の仕事くらいしか果たせないから。

 

……だが、俺だけは違う。

全てできてしまう。それに適した肉体と性質を持って産まれ落ちたのだから。先祖返りによって魔を殺すための魔に近しいものとなり、そして魔を殺すためだけに古き稲上が残した"アレ"に選ばれるどころか接続されてしまうほどの適合──俺の意志はそこに無い。無い上に"アレ"が……妖刀『虚絶』が、俺の肉体を勝手に動かして殺すだろう。

 

……なんと罰当たりな存在なのだろうな、俺は。

友人を殺せてしまう、無辜の生命をも殺せてしまう上に、肉体すら殺すことのみに特化した存在。真に討つべき敵はもはや無く、存在価値の無くなった時に生まれ落ちてしまった。父母の希望を裏切り、友人なのに殺せてしまうなどと裏切り、殺すことを是とし殺すためだけに存在するなどと生命すら裏切る。

 

この世に生まれたことが罪であり、俺の罪は死を以てして償われる……だが。

 

「来い、虚絶──」

 

あの女とは二十歳まで自決しないと約束した。父と母も生きてくれと言った。ならばこそ、最低限約束は守るべきだ……

どす黒い光と共に、左手に鞘に収まった一振りの日本刀が現れる。

虚絶──邪悪を以て邪悪を征するための呪物。魔を殺すことを可能とする代わりに担い手に傷を与え、祟りや魂を喰らい溜め込み、それらを燃料としてより絶大な力を発揮する……

 

虚絶を呼び出すのは術の類。俺に習得するだけの環境も無いのだが、初めてこいつに接続されたとき、勝手に落とされていた。

 

強く握りしめて、地を駆ける。そのまま木々の枝を足場に跳躍──これも虚絶が勝手に落とした技術だ。昔の稲上にとって、場を最大限活用した高速移動は基本技能だったらしい。

そして絶えず頭の中に響き渡る、衝動。

 

──殺せ──

──我が敵を殺せ──

 

虚絶の根底にある、始まりの稲上……その憎悪と殺意。それが現れたということは、間違いなく祟りが現れている。

早めに人を探したい俺の意志に反して、虚絶の声に従う肉体は祟りへと向かって行く。どうやら比較的近くにいるようだ。まっすぐ向かっている。

 

「……ミツケタ……!」

 

俺であって俺でない声が狂喜の感情を告げる。視界に捉えるは漆黒の塊……祟りだ。

そこからの行動は素早い。

 

──敵は黒い靄を触手めいた形状に変化させ、俺目掛けて飛ばしてくる。

やる気の無い直線的な殺意など……

 

「ふん……」

 

虚絶を抜刀し、これを二連の袈裟斬りで迎撃。着地と同時に納刀。脚に力を漲らせ解放。敵の懐へと跳び込みつつ、横薙ぎの斬撃を放った。

 

「──死ネ」

 

俺と虚絶が混ざり、絶対の殺意と共に呟く。

斬り抜け、斬撃射程範囲内で踏み止まり、その勢いを用いて180度旋回。祟りが霧散したのが見え、即座に柄を逆手と順手の中間に持ち替えて納刀──同時に右腕に痛みが走る。裂けたか? まぁ、あとで確かめればいい。

 

とりあえずは片付けた。まだ出ていなければだが。衝動が送られてないあたり、一応は安全だろう。

周りを見渡してみると、血が続いている。辿っていくとある一箇所で途切れているが、何かが転がっていったのか、不自然に荒れている坂があった。

鬼が出るか蛇が出るか……人であればいいが、などと思いつつ滑り降っていく。多少の怪我なら放っておいてもすぐ治るのが我が身──何も問題は無い。

 

そうして滑り降り切ると、真っ先に目に入ったのは倒れた人影と、それに寄り添う人影。

この感覚は……

 

「ムラサメ様と……将臣!? 無事か!?」

 

予想外の展開であり、予想通りの人物を見つけた。痛む腕を無視して駆け寄り、事情を聞く。

 

「ご主人には山に入るな、とは言ってなかったのだ……それでこうなってしまった。吾輩が言っておけば……」

「後悔は後にしろ。それより先に山から担ぎ出す。報告は?」

「すでに済ませた。だが持てるのか?」

「言ったろ、担ぐんだよ」

 

虚絶を家に転送し、流血し始めた右腕も動かして気絶している将臣を左肩に担ぐ。

ぐっ、流石に重いな……

 

「馨、その腕はどうした!?」

「虚絶の代償だよ……っ……!」

 

バランスが崩れる。だが問題は無い。

 

「最短で跳ぶ。先導頼んだ!」

「任されよ!」

 

浮遊して進むムラサメ様の後を、将臣を落とさぬよう慎重に跳躍して追う。時折腕が痛みを告げるが無視するしかない。流血が祟って意識も少し鈍い。

痛みと重さに耐えながらも、何とかして山から抜け出すことが出来た。

 

「……馨君かい!? 将臣君は!」

 

山道を抜けてすぐに慌てた表情の安晴さんと会った。

近くには完全武装の芳乃さんと茉子もいて、これから乗り込むつもりだったのだろう。

 

「肩に、担いでますよ……頼めます?」

「すまない、ちゃんと伝えていればこんなことには」

「謝るなら、将臣にしてくださいよ。俺は仕事を果たしただけですから。祟りが出てましたが、殺っておきました……っぉ……!」

 

将臣を渡しながら答えていたが、痛みの所為で呻き声が漏れてしまう。指を伝って流れた血が、下の小さな血溜まりに落ちて水音を立てたのか、後ろの二人もギョッとした目で俺を見ていた。

 

「馨さん、腕が……!」

「気にしないでくれよ……こんなもん、ツバ付けときゃ治るから」

「でも、そんなに血が流れて──駒川さんに診てもらった方がいいですよ!」

「芳乃様もそう言ってますし、それに全然大丈夫でもなさそうですよ? 結構やせ我慢してるんじゃないんですか。怪我人は大人しくしてて下さい」

「あ、ちょっと……!?」

 

帰ろうとしていたら、茉子と芳乃さんに捕まえられて、俺まで朝武家で待機していた駒川の下へと連れて行かれてしまった。



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陰陽

「……虚絶を抜いたね?」

「緊急時だから仕方ねえだろ。それでカマイタチ一つなら安いもんだ……イテッ、もうちょい痛くしないでくれよ。ほぼ治りつつあるってもイテェもんはイテェんだよ」

「うるさい。君はいつもそうだ、放っておけだのなんだのと……いい加減にしてくれ。杜撰に扱うのは、誰であってもいけないことだ」

 

将臣の容体を見終わった後、先に止血措置を行っていた俺の腕を診に来た女。

……この女は駒川みづは。医者の一族で知られる駒川家の出身となる診療所の主で、朝武家お抱えの医者。

 

そして、俺がガキの頃やった入水自殺を未遂にした張本人だ。

つまり俺が二十歳まで生きるという約束をした相手でもある。自分でもさっぱりわからないが、どうしてもこいつだけにはツンケンした態度を取ってしまう。感謝はしてるんだけどな。

 

「……うん、やっぱり治りかけ。肉体の修復の方が早いね。ちゃんと血は拭いた?」

「茉子に拭かれたよ……あぁ、芳乃さんは将臣に付きっ切り。玄さんも来てるってさ」

「へぇ、やっぱり彼女……まぁいいか。この様子なら、君の言ってた通り放っておいてもすぐに元通りになるね。でも包帯は巻かせてもらうよ。あと、治ったら治ったでちゃんと見せること。いいね?」

「はいはい、わかったよウッセーな。親じゃねーんだからさ」

「私は君のご両親からまたバカなことしないかどうかを報告するという役割があるからね」

 

……親父ィ、お袋ォ……なんでこいつなんだよォ……

 

「まさかとは思うけど、また企てたりしてないよね」

「大丈夫だって。この前、包丁眺めてても約束が頭にあってやる気にならなかったからさ」

「そもそも考えないということをしないのかな」

「……努力はしてんだけどさ、無理なんだ。どうしても……」

「……そうかい」

 

この女ほど、俺の狂った性格を理解している人間はいないだろう。親父にもお袋にも、いい顔はしているから多少はバレていてもその奥底までは行っていないはすだ。

俺の事情を知っているのは身内を除けば、この女と玄さんと安晴さんの三人だけ。他には誰もいない。

芳乃さんと茉子も、表向きの最終手段である稲上しか知らん。祓うことはできないが、殺すことはできるということも知っている。虚絶を振るえば代償が起きるのも。

 

「さて、こんなもんかな。終わったよ」

「悪りぃな、世話かけた」

「前の一件に比べれば、なんともないさ」

 

包帯の巻かれた腕を動かし、手首を曲げ、握り拳を作り、調子を確かめる。ふむ、概ね問題無い。明日には元通りだろう。

しかし今回の一件、非は確実に向こうにあるな。将臣が哀れだ。

 

「まったく呆れたな。関わらせまいとして山に入るなまで言ってないなんて。叢雨丸を抜いた時点で立派に関係者だろうに」

「陰口とは感心しないな」

「俺にゃ解せんね、ホント。まぁこれで是が非でも関わらなきゃならんっつーわけだ、彼は」

 

芳乃さんはやはり無関係な人間を巻き込みたくない、という善意から黙っていることを選択し、安晴さんも茉子もムラサメ様もそれに従ったのだろうが……俺からしてみれば甘い、としか言いようがない。

そも神刀に選ばれた時点で祟りの攻撃対象だ。土地に係わりの薄い俺ですら対象なのだから、安易に想像がつく。

 

「幸い命に別状はないんだろ? あとは本人次第だ」

「馨としてはどう思う」

「そんなの戦ってくれた方が気が楽で済むからそっちだよ。俺の仕事もなくなるし。けども、戦場に迷い込ませるわけにもいかん」

「なるほど」

 

難儀なもんだね、まったく。

器具を片付け終わった駒川が立ち上がったので、見送りの言葉をかける。

 

「んじゃ、お疲れさん。ちゃんと寝ろよ駒川」

「あのね、君が人を心配できるような立場かい。私は馨の方が心配で仕方ないよ」

「違いねぇや。ま、大丈夫だ。俺はちゃんと最低20まで生きるよセンセ。他ならぬあんたとの約束だ。絶対に破りはしないさ」

「どーだか」

 

悲しげに笑いながら去る駒川を見送り、気を取り直して空き部屋から居間に戻る。

開けて早々、安晴さんに頭を下げられた。

 

「本当にすまなかった、馨君。僕が一言言っておけば、君に虚絶を抜かせることもなく、将臣君を危険な目に合わせることがなかった筈なのに──」

「頭上げてくださいよ。過ぎたことは気にしても仕方ありません。今は命があることを喜びましょう」

「でも、また君に仕事をさせてしまった……」

 

実はこうして"仕事"をするのは珍しいことではない。前戦のダメージが響いている茉子の代わりに芳乃さんを護衛したり、芳乃さんが負傷した時は代わりに出撃したこともあった。

が、今回のような一件も稀にあったことだ。そこまで気にしているわけでもない。

だから安心させようと、ついでに安晴さん以外誰もいないから、俺は口を開いたのだが……

 

「別に人殺しに発展するような展開でもありませんでしたし、単に虚絶に殺せと急かされて祟りを殺っただけです。仕事にも入りません」

「ごめんね……本当は僕らの問題だから、僕らが解決するべきことだったんだけど……また君に助けられた」

「いいじゃないですか。人助けも案外悪くないもんです。ま、殺しが天職なんですけどね……ハハ」

 

お互いに変にネガティブな方向の会話へと進んでしまい、沈黙してしまった。

むむ、いかん。いかんぞ。何か気の利いたことを言わねばこの人が罪悪感に苛まれてしまう。

……あっ、そうだ。

 

「目が覚めたら説明するんですよね」

「あぁ、そのつもりだよ」

「……俺については、そっちの裁量に任せます」

「いいのかい?」

「ええ。貴方は信用に足る人ですから」

 

そんな話をしていると、ドタドタと降りてくる音が一つ。

居間に入ってきたの茉子だった。

 

「あ、馨くん……大丈夫でした?」

「問題無いよ。単に虚絶の反動だ、負傷したわけじゃない」

「本当に?」

「疑い深いなァ。ウソ言ってどーするよ」

「……よかった……」

「悪いね、心配かけて」

 

ホッと胸を撫で下ろす茉子の様子からして、どうやら本気で心配していたようだ。まったく、あの程度傷にも入らないと何度言えば分かるやら……

ガサゴソと台所の方を漁っているが、どうしたんだろうか。

 

「簡単ですが、夕餉ですよ」

「俺に?」

 

手前に用意されたのはおにぎりが三つに、具の少ない味噌汁と漬物。夜飯にしちゃあ質素だが、仕方ないことだとは理解している。

が、俺が疑問なのは別の箇所だ。

 

「あれ、安晴さんや芳乃さんは?」

「僕らは君が診てもらってる間に済ませちゃったよ。さすがに長々やってられないからね」

「……の割にはあったかいな。おにぎり」

「作り置きだと、味気ないでしょう? それにこれくらいならサッと作っても間に合います」

「そっか、ありがと」

 

微笑まれては、笑い返すしかない。

……やっぱり、こいつの笑顔は──

 

「さて、僕はお邪魔かな。席を外すよ〜」

「「えっ」」

 

そそくさと退散する安晴さんに呆気に取られてしまい、茉子も俺も止めることすらできなかった。

そうして残されたのは俺たちのみ。玄さんを含めた全員は、今頃将臣の周辺。つまり……言っちゃあアレだが、二人きりだ。

 

いや、何そんなに考えているのだろう? 二人きりになることなど多かったのに、何故だ? どこに戸惑う要素がある? 今日の茉子が、やたらしおらしいからか? ……わかんねえ。

 

「い、いただきます……」

 

とにかく飯だ飯。空腹なのはいかん。おにぎりを左手で掴んで──

 

あれ? 左手で飯を食うのは失礼に当たるんじゃなかったか? ん、んん……これ仏教の話か? いやでも……仏教ってか、神前において左手は不浄とかなんとか……じゃあ左利きはどうなるんだよって話だが……ええいままよ、もう右手使って食べてしまうとするか。

 

「やっぱり慣れませんか?」

 

右手に持ち換えようとしたとき、茉子がそう言った。

 

「えっ、いや別に」

「……右腕、無理に動かさない方が」

「あー、ほら、見ろよ大丈夫だろ? こんなブンブン回しても平気なんだから──」

 

と、腕を振り回してると近付いてきた茉子に止められる。

 

「茉、子……?」

 

ジッと見つめられて、なんかその瞳に吸い込まれてしまいそうで。なんでもない筈なのに、動くことも何もできない。

ただただ、茉子に視線が釘付けになってしまう。

 

「手伝います」

「あの……」

「見てて危なっかしいです」

「えっと……」

「ワタシは心配なんです。お味噌汁こぼされても困りますし」

「まぁそうだけど……」

「箸、左手で使えますか?」

「うん、無理」

「じゃ四の五の言わないでください。ホント、昔から馨くんは……ほら、あーん」

「あ、あ〜ん……」

 

この後めちゃくちゃ恥ずかしかった。

 

 

「はー、えらい目に合った」

 

あの羞恥プレイを潜り抜けた俺は、流石に夜も更けてきたので帰宅することに。茉子も泊りがけとは行かないから帰るとのことで、さっきまで散々あーんだの世話を焼かれた奴と隣り合わせというわけだ。いや恥ずかしい。

 

「気遣いは嬉しいんだけどさ、ちょっと恥ずかしかったな」

「別に誰もいなかったですし、恥ずかしがるようなことないと思うんですけど」

「そうかねぇ」

 

ホント、なんでこいつこんなになんでもない顔をしてるんだろ。こっちは顔から火を噴きそうだってのに。

気恥ずかしさから早歩きになると、左手をぎゅっと掴まれた。

振り向いて茉子の様子を見るも、俯いていて表情がよく見えない。

 

「ぁ……手を、繋いでください」

 

呟かれたのは、そんな可愛らしい頼み。

 

「いいけど……なんでだ?」

 

別に構わないからと握りつつ、何故と問うてみれば──

 

「──何処かへ、行ってしまいそうだから……」

「────」

 

凍り付いた。

何故? 黙っていたはずだ、なのにどうして茉子はまるで俺の最果てを知っているような発言をしている……? まさか、聞かれ──いやそんなはずはない。声量は小さかった。

 

「あ、あは……何言ってるんでしょうね、ワタシ……」

 

急に恥ずかしくなったのか、頬を赤らめつつ目を逸らして、無理に普段の調子でそんなことを言う。

ホントに何を言っているのか、とも思うが……

 

「案外、可愛いとこあるんだなお前」

「言うことがよりにもよってそれですか!?」

 

失礼な話だが、そんな茉子を見て可愛いと思ってしまった。我ながら何故?とも思うが思ってしまった以上は仕方ない。

 

「ま、そう心配すんな。いなくなる時があるとすりゃ死ぬ時だけだ」

「……心配なんですよ。ワタシの知らない間に、死んでいたりしたら……」

「お前も俺の頑丈さは知ってるだろ? そう易々とくたばりはしない」

「でも、あなたは虚絶を振るえば蝕まれる。痛みと傷を伴って、苦しみや流血と引き換えに祟りを倒す……運が良ければ無傷で祓えるワタシたちと違って、馨くんは倒そうとすれば必ず傷付くじゃないですか……!」

 

不安な声が伝えたいのは、俺にとって普通であること。

──なんだ。そんなことか……と処理してしまう程度の、何でもないこと。

不安げな茉子を安心させるべく、手を離して肩を持ち、そして目線を合わせる。

 

「茉子、大丈夫だ。お前たちの背負う重荷に比べれば軽い」

「そういうことじゃなくて──!」

「──茉子」

 

遮るように彼女の名を呼ぶ。

 

「俺を信じてくれないか」

「……バカ」

「悪いね」

 

肩に置いた手を戻すと、間髪入れずに手を握りしめられる。苦笑しながら握り返し、別れ道までずっと歩いた。

 

「おやすみ、茉子」

「おやすみ、馨くん」

 

そのやり取りを最後に、俺たちは各々の帰路につく。

 

……何が信じてくれないか、だ。吐き気がする。裏切り続けるこの俺が言うに事欠いて「信じてくれ」だと? ──愚かしいことこの上ない。信じられる要素がどこにある……!! お前は今も彼女たちを騙して、本音を隠して、挙げ句の果てに死のうとすることをやめられないクズだろうが!!

 

死なねばならないと思う俺、生きると約束した俺。

 

果たして、どちらが優先されるだろうか……

 

家に着く頃には、腕の痛みは全て消えていた。

 

 

 

ムラサメが稲上馨をはじめてみたとき、その黒々として濁り切った瞳に驚いたものだ。

人柱になることを是とし、それによって死病から逃れようとした己がそこにいた……と言っても過言ではなかったのだから。

 

稲上の家系の宿痾は知っている。

しかし年代を置くことにより段々と解放されつつあった。

馨の父──稲上千景の代では、ほとんど消えつつあり、本来馨の代で完全に消えるだろうというはずだったのに。

 

何の因果か、馨は先祖返りを果たして生まれた子であり、それ故に殺すことに適した己と元来の使命が原因で病むほど、とても繊細な人物であった。

 

声をかけてやりたかった。死に急ぐな、やめろと、救ってやりたかった。似通った境遇にある人間が闇へと堕ち行くのを、ただただ見ていることしかできなかった。

芳乃の母、秋穂に頼んでなんとかして説得しようともしたが……彼が入水自殺を試みたと聞いた段階では、もう遅かった。約束だけが生きる縁であり、他は全て自身の死へと向けられたその姿は、あまりにも悲しいものだった。

 

秋穂が亡くなってからは、娘に重荷を背負わせることの罪悪感と無力感にさいなまれる安晴の嘆きや使命に身を焦がすことを是とした芳乃、単に使命を果たす補助機械であろうとする茉子に、生きているだけで自殺願望が高まるほどに壊れてしまった馨など、彼女にとって大切な存在たちがボロボロになっていくのを見ているしかなかった。

 

だが、今は違う。

将臣の登場により馨はムラサメと接することが可能になり、芳乃や茉子の心境に一石を投じられるかもしれなくなった。全てが変わりつつある。上手くすれば、改善に向かうかもしれない。

 

「だからのぅ、ご主人……ちゃんと起きるんだぞ……」

 

眠る将臣の頭を撫で、不安な声で呟く。

 

「……あのバカ者を、なんとかせねばな……」

 

見ていられないどころの騒ぎではない。

死から逃げ生に依存した愚者だと自嘲するムラサメにとって、死を望み生を罰とする馨の存在は────

 

「酷い話だ……古い鏡を見せられておる。

 

────あんな女が、いたのだったと……」

 

終らぬ悪夢をそのものであった。

 

 

 

「……朝……か」

 

布団から身体を起こし、右腕の包帯を取る。

 

やはり治っていたらしい。傷一つ無く、元通り。

駒川に知らせるのは……いいや、あとで。別に奴も分かっているだろうしどうでもいいや。

 

寝間着の単衣の着物を脱ぎ捨て、朝風呂と洒落込む。でないとあまり目覚めが良くない。余程のことでもない限り、朝は何もかもが鈍い。身体を拭いて、その辺に転がってたズボンを引っ掴んで履く。

上は着てないが、まぁ別に誰と会うわけでもなし。今しばらくはいいだろう。

 

「飯は……ありゃ、ねぇや。パンの一つや二つあった筈だけど」

 

……仕方ない、予定変更だ。

作ろう。

 

──できた飯は、ここ最近よく食べている茉子の飯とは雲泥の差があった。どこか寂しさを覚えるが、まぁ自分だしこんなもんかとも妥協できる。

 

飯を食い終われば、食休みを挟んで身体の調子を確かめる。軽い運動をして、何も違和感が無ければ問題無いということだ。結果は当然、問題など無かったわけだが。

 

「……手持ち無沙汰だな」

 

何もしないのも暇なので、包丁をくるくる回して遊んだりしていたが、手遊びは所詮手遊び。すぐに飽きがくる。だがゲームという気分ではないのも事実。寝るというのもまた違う。

何も考えたくないし、何もしなくない。それは俺の本質だが……それはそれとして、何もしないとなんか違う日くらいある。

……ウチに習作の真剣あったよな。庭で素振りでもしてよ。どーせ壁あるし、ウチの周りに家もそんなにねーし、人の通りもそんなにだし、見られても文句言われるくらいだからいっか。

────んじゃまぁ、遊んでるか。

その内何もしたくなくなって、ごろついてパソコンいじるようになるだろ。

 

……一時間やって飽きた。

ので、汗を流して布団戻ってノートパソコンを起動する。穂織にパソコンだのスマホだのはそこまで通ってないが、親父の趣味と仕事を兼ねてで、ウチにはそういうものがある。なので勝手に使わせてもらっている。まぁ、そこまで頻度は高くない。月一程度だ。

 

「……ネットは偉大だな」

 

ただ情報を流し見るだけで外のことがわかる。都会の奴らが熱中するのも頷ける……が。いらん人間関係だの色々と面倒くさそうで、積極的に触れようとも思わんが。

三十分も持たなかった。すぐにやめてしまい、毛布を被って目を閉じる。寝てしまおう。それが楽だ──

そう思って寝ようとしたが、鳴らされた呼び鈴で嫌々布団から出て行く。脱ぎ捨てた単衣を羽織り、無茶苦茶な和洋折衷になってしまったが、問題は無い。

 

「へーぃ……今出ますよ」

 

サンダルを履き、ガラガラと扉を開けて顔を出すと、そこにいたのは──

 

「何お前ら、デート?」

「開口一番それって元気そうですね。心配して損しました。デートしてましたけど」

「常陸さんも悪ノリしないで」

 

茉子と将臣。つまりマコンビ。

 

「んで、何の用? 冷やかしなら帰れよ」

「あ、そういうのじゃなくて。お礼を言いに来たんだ」

「礼……あぁ、昨日のね」

「ありがとう、助けてくれて」

「気にすんな。それより身体に大事は無いか?」

「ああ。動く分にも、何の問題も無いよ」

「そいつは行幸」

 

しかし何故ウチに来たのだろうか? しかも二人で。気になって尋ねてみるも、どうも気分転換にデートしていたら、将臣が俺に礼が言いたいと来た模様。まぁ別に構わないのだが……

 

「おい、何の冗談だ? デートをしてる時に他の男の話をするなんて無粋だねぇ、将臣」

「常陸さんにも言われたけど、馨もそう思うんだ」

「ああ無粋も無粋。女の子に対する配慮が足りないったらありゃしない。デートだぜデート。ちゃんと相手してやれよ? ま、こいつが相手なら無粋な方がむしろちょうどいいくらいかもしれないけど」

 

ケラケラと笑いながらチラリと不満気な視線をくれる茉子を見る。

 

「気を付けろよ将臣。こいつ、思わせぶりなことをしてその気にさせてくるからな。俺も何度かコナかけられた」

「二人は本当に仲が良いんだな」

「有地さんはワタシと馨くんの関係に夢を見過ぎです」

「ただの腐れ縁だよ、俺と茉子は」

「うっわ絶対嘘だ」

「事実ですよ〜?」

「嘘じゃないモン」

 

いやだからなんでそんなに二人とも仲良いねみたいな目線送るの? どう見たって男友達みたいな雰囲気じゃないか。何を誤解する要素があるというのか。なぁ茉子……と視線を向けると一転して真面目な表情に変わる。

 

「そうだ、都合いいから今報告を」

「なんだ?」

「祟りがまた出ました」

 

昨日の今日で……? いや待て。霧散を確認後即時離脱したから、喰いそびれたのが再生したのか。

──チッ。確かに、これは失態だ。

苦い表情が表に出たのか、和やかな雰囲気は一蹴されてしまった。

 

「わかった。宵の口になり次第、俺が確実に始末する……お前らは寝てていい。楽な仕事だ」

 

自分の蒔いた種は自分で刈らねばなるまいて。人としてごく当然のことだ。自然とそう口にして、家の中に戻ろうとしたのだが。

 

「無理はしないでください。ワタシと芳乃様が片付けます。そう二人で決めました」

「昨日のことか? 気にするな、安い授業料だ。俺に任せろ、今度はヘマしない」

「いいえ。馨くんは下がっててください」

 

凛とした目で見つめられ、そう断言された。

 

「……そこまで言うなら、普段通りにしてやるよ」

 

元よりよっぽどの事態がなければ出るつもりも無い。俺が原因だから俺の手で仕留めたかっただけだ。確実に潰してくれるなら、それに越したことはないが……尻拭いを頼んでいるみたいで少し思うものはある。しかしどうせ意見を変えないだろうから、大人しくしてよう。

 

「──怖くないのか? 祟り神と戦うこと……」

 

将臣が俺に尋ねる。

なるほど、不安を覚えない人間などいないだろう。しかし……俺は別だ。

 

「将臣。俺はお前らとは色々構造が違ってな、恐れも嘆きもほとんど感じない。あるのは──」

「なんだよ?」

「ずっと頭の中に響く、"殺せ"って言葉だけさ」

 

言い切ってピシャリと扉を閉める。

──おしゃべりが過ぎたな、まったく。

 

 

「祓うんじゃなくて"殺す"……?」

「はい。祟り神を祓えるのは巫女姫だけですが、稲上のように手段を選ばなかった結果、祟り神を"殺す"ことを可能とした一族もいます」

 

馨の家から離れ神社に戻る途中、将臣は茉子から稲上について聞いていた。

 

「手段を選ばなかったって、どんなの? 安晴さんからは何か叢雨丸みたいな刀を持っているとしか聞いてないんだけど」

「ワタシも詳しいことは知りませんが、馨くんをはじめとしたこの土地の稲上一族は、代々受け継がれる刀──『虚絶』を用いているんですよ」

「拒絶?」

「虚を絶つ、と書いて虚絶だそうです。ただこの刀が問題で……」

 

茉子の声が小さくなっていき、何事かと思うが、彼女は意を決したように語り出した。

 

「曰く付きらしくて、あまりいい話も聞きません。一度ムラサメ様が妖刀であると言っている場面も耳にしました」

「妖刀って、じゃああいつ!?」

「祟り神を斬り付ける度、自身の身体が損傷していく諸刃の剣……どれだけ一撃で仕留めても、傷は必ず付きます。──有地さんの想像通りですよ」

「そんな、俺のせいで……」

 

先日、助けに入った馨が怪我をしたと聞いていたが、そういう事情があったとは。つくづく己が原因で嫌になる。

性根が良い将臣にとって、自分のせいで誰かが傷付くのは、堪え難いことであった。

そんな彼を安心させるように、茉子は言葉を選ぶ。

 

「でもあの通りピンシャンしてたから、そこまで気にしてないと思いますよ? 元気な姿を見れて、きっとホッとしてるはずです」

「だよ、な」

「……ワタシも芳乃様も、馨くんとは子供の頃からの縁なんですけどね。実はあんまり知らないんです。彼がどういう事柄に巻き込まれているのか、とかは……」

 

──頭に響く殺せという言葉

──構造が違う

──手段を選ばない

──代償を強いる妖刀

将臣も茉子も、それを知るべきではないような気がしているものの、親しい相手が苦しんでいるのならば助けになってやりたいと思ってしまえるほど、優しい人間だ。

 

「……常陸さん。もしかしたら馨は、呪詛以上に厄介なことに巻き込まれてるんじゃないかな」

「かもしれません。だけど事情を知っているであろう両親も安晴様も、何も答えてくれないんです。ムラサメ様から馨くんの話が出たのも、7年前くらいからで──」

「何を隠してるんだよ、あいつ……」

 

呪詛も祟り神も問題だが。

思った以上に馨もまた大きな問題なのかもしれないと、将臣は心中で不安を感じた。



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転機

夜。

適当な服装で夕飯を終えてから家を出て、屋根を足場に朝武家へ向かう。その屋根の上から茉子と芳乃さんが出たのを確認した後、降りて軒下に座り込む。今日は仕事服ではない。普段通り人も寄り付かないだろうから。

 

「……月が綺麗だな……」

 

虚絶を抱えるように、身体に立てかけて片膝を立てて月を見上げる。

 

「馨、隣失礼するぞ」

「ムラサメ様」

 

そんな俺の横に、ムラサメ様が現れる。座るわけではないのは、その特異な性質からだろう。

 

「ご主人に、お主のことを話した」

「ん、予想より早かったな」

「昼間、茉子とお前に会いに行った時にピンと来たらしくてな。安心せい、ご主人にしか話しておらん」

「……そうか」

「ちと耳を傾けてみたが、今は安晴の真意や、そして古き朝武が都より呼び寄せた魔物殺しの一族『伊奈神』についても話していた」

「……」

 

伊奈神──それが稲上の本来の字。

俺は稲上であって、伊奈神であるなりそこない。

 

「自罰意識が強すぎるのだお主は。7年前の入水自殺未遂もそうだ……何故そこまで己を生きていてはならぬものと定める? 主は確かに殺す者であり、虚絶と接続してしまった存在。だが誰もが稲上馨に生きてと願い、そう思っている。それを無下にしてまで死に飢える……その心はなんだ?」

 

ムラサメ様は俺の顔を覗き込みながら、逃げることは許さんとばかりに強い口調で問う。

気が緩んでいたのか、あるいは将臣の登場で役割が無くなるかもと期待していたのか……スラスラと言葉が出てくる。

 

「……殺せてしまうから。虚絶に使われる端末でしかない俺に、意志は無い」

「……そうか、そこだったのか……」

「虚絶ある限り祟りの可能性は潰えない。俺を触媒に蘇る可能性もある。だから、俺が消えれば、憂いが無くなるかな……って。それに、友達も殺さなくて済む」

「──それで妥協して二十歳までか? 過ぎたら死ぬつもりか?」

「それは……」

 

そうだった、などと言える筈がない。

ムラサメ様はまるで駄々をこねる子供を宥めるような声で、俺に告げる。

 

「この世に生まれたことが罪ならば、生きることが背負う罰と言えるだろう。お主はそこまで周りの人間が信用できんか」

「俺は殺す者だから、きっと殺せてしまうから」

「答えになっていない。信用できないかを答えるのだ」

 

逃げの一手すら封じられた。

──やけっぱちになったのだろうか、口が滑る。

 

「…………したいさ。でも、したところで虚絶は殺す」

「主の虚絶への信頼は厚いのう……確かに虚絶は殺すことのみに特化した妖刀の中の妖刀だ。だが如何に祟りに等しい憎悪と殺意の魂が中に宿っておろうが、結局は人が作ったものであろうが」

「だからって──!」

「主が魔に近しいのであれば、その感情を糧に捩じ伏せることすらできる筈だ。もっとも、主は己こそが憎いのだろうな……」

 

……縋るにはあまりにも脆い希望だ。

黙りこくる俺から離れるムラサメ様に顔も向けず、ただ月を見上げる。

 

「今から吾輩はご主人の覚悟を問うてくる。主はどうする?」

「それだけは、決まっているさ」

 

しばらくすると、誰かが歩く音が聞こえ──

 

「馨」

「来たか、将臣」

 

左手に虚絶を握り立ち上がり、月が見下ろす軒下で、ムラサメ様を連れた将臣と対峙する。その手には叢雨丸が握られており、万全の態勢であるのは見て取れる。

 

「聞いたよ、お前のこと」

「それは小事であって大事ではない。今俺がやるべきことは、お前に問うことだ」

 

虚絶を抜刀し、彼に向ける。

 

「安穏より死を友人とすること──お前はそう望んだな」

「そんな大層なものじゃない。俺は、自分に力があるのに女の子に任せっきりなのが嫌なだけだ」

「それだけか?」

「あぁ、それだけだ」

 

意地。

男ならば誰しもが背負っているもの。

俺にはあるか? ……あるようでない。

だが人が戦う動機などそんなもので十二分だ。

鞘に収め、真剣に将臣と向き合う。

 

「ならば良し。何、俺もつく。いらぬ煩悶を抱いては正道に迷うだろ? 先導、露払い、尻拭い……全部やるから安心しろよ」

「──ありがとな」

「はっ、気にすんな」

 

つかつかと歩き出し、山道へと向かう。

 

「さて、行くか」

「あぁ」

 

何故だろうな? 祟りに会いに行くのは殺意と憎悪に塗り潰されてばかりだったが……今日は、やけに清々しい。

あぁ、まったく──不謹慎な話だが今宵の殺しは、少しばかり楽しそうだ……

 

 

「ごご、ご主人……なんで黙っておるのか……?」

「怖いのか?」

「こっ!? いいや、吾輩は怖がってなどおらんとも! そうだとも!」

「わっ!」

「わきゃぁーっ!?」

 

まだ遭遇していないようで、しかも歩いても十分に間に合うから体力温存も込めて歩きで山道を進んでるが、後ろで漫才を繰り広げてる二人はそれを分かっているのだろうか。提案したのはムラサメ様なのだが。

 

「将臣ー、ムラサメ様ー。ふざけてると置いてくぞー」

「おい勘弁してくれよ」

「ふざけてなどおらぬ! 吾輩にとっては大事な問題なのだ!」

「ま、中身生娘だもんなァ」

「きききき、生娘だと!? お主は女子に対する配慮とかそういうものはないのか! この馬鹿者!」

「悪いね。でも探知はムラサメ様の方が高精度だからしっかりしてもらいたいんだけど」

 

……なんだこのデコボコは。

俺上手くやっていけるか心配だぞ。いや俺が火種か。いかんな。

そう思っていると後ろでは一転して真面目な会話が聞こえる。

 

叢雨丸に選ばれるのは必然──故、その担い手の行動には必ず意味がある……話を簡単にまとめるとこうだ。

 

「馨はどう思うんだ?」

「俺に聞くか? やるべきことが見えていて、成したいことがあるのなら、それで十分だろ?」

 

そんな話をしながら進んでいくと、見慣れた背中が二つ見えた。

 

「よぉ、お二人さん。忘れもん届けに来たぜ」

「馨さん、何を……って、有地さん!?」

「あちゃあ、来てしまいましたか」

 

茉子としてはある程度予想できていたのだろうが、芳乃さんには完全に予想外だったようだ。まぁ接している時間が俺たちの方が長いから必然と言えば必然。

背負い込み癖が裏目に出てばっかだね、ホント。

 

「何を考えてるんですか二人とも! 馨さんは普通有地さんを止める立場でしょう!?」

「悪いけど腹括った男に理屈は通じないよ。将臣は自分の意志でここにいる。俺はあくまで、道中の護衛をしてきただけさ」

 

焦りと混乱で声を上げる芳乃さんをあしらい、説明しろと将臣に視線を投げる。

 

「俺にも深く関わってる問題だから来たんだ」

「帰ってください。無理に関わる必要はありません」

「帰るようならそもそもここに来てない」

 

睨み合いを始めた二人を見て、俺はため息を吐くしかない。お互いに頑固だなからノーガードで真っ向から意見の殴り合いが発生する……なんとも面倒なことだ。

 

「もう諦めなっての。あんたが思っている以上にこいつは関わりがある。意地張ってどうこうって話じゃない」

「芳乃様、こうなってはもう仕方ないと思います。今更戻したところで祟りと会わないという可能性も捨て切れません」

「ご主人が選ばれたのは必然だ。だからこそ吾輩もいた方がいいと思うし、それに叢雨丸の力もあれば、馨もいる。芳乃が心配するようなことは起きないはずだ」

「ぐっ……もう勝手にしてください! でも大人しくすること、いいですね!」

 

いや矛盾してるやんけ、とか突っ込んだら負けだろうか。揚げ足取ってややこしくはしたくないので黙っているが。

しかし……何故だ? 普段ならもう祟りを感知して衝動が送られて、勝手に動き始める頃なのだが、今日は何故かその様子が無い。接続自体に異常は無いが、となると……将臣かムラサメ様か叢雨丸か。

ま、本質的に虚絶もまた祟りの一種。神力の塊に影響されてその力が弱まっていても不思議ではない。だがこれは困ったな。

 

──感知術式を起動する。

が、やはりあやふやなまま。どうにも調子が悪い。

今日は役立たずかと思った直後、眩い光が目に入る。どうやら、叢雨丸を戦闘用に解放したらしい。

膨れ上がる神気の奔流は荘重にして厳麗。およそ邪気と評せるものは無く、数百年分の力がそこにある。

ムラサメ様の姿は見えないが感覚的に恐らくは叢雨丸の中に戻ったのだろう。

 

「────ッ」

「馨くん?」

 

これは……来る!

祟りだ!

 

「……将臣! 芳乃さんを!」

「っ!」

「へっ? ひゃあ!?」

 

攻撃対象は芳乃さん──間に合わないと判断した俺は近くにいた将臣に声をかけ、彼は押しのけることでその攻撃から庇い、そして叢雨丸で一撃を防いだ。

 

現れる祟り。

数の暴力とあるが、全員が近接戦ではあまりよろしくない──!

近くにいる将臣に祟りは狙いを定め、触手を伸ばす。恐れが先に来たのか、奴の動きが遅い。あれでは仕留められる。

跳躍──鞘から虚絶を半分ほど抜き、それを盾にするように間に割って入る。ギンッ、と鈍い重さがのしかかるが、切ってもいないし腹で受けたので代償は生じていない。

 

「恐れるな! 臆せば死ぬぞ!」

「わ、わかって……うわぁっ!?」

 

立ち向かおうとする将臣の襟首を掴み退け、自身が接近しようとする芳乃さん──

いや、ダメだ! 俺を避けるように第二射が……!?

急に芳乃さんが倒れ込む。よく見れば

攻撃を察知し巫女服の裾を掴んだ将臣のフォローだったようだ。が、今度は下がれだの何だのと揉めている……ええい、クソ。なに足の引っ張り合いをしている……!!

 

「茉子!」

「わかってます!」

 

茉子に呼びかけて、バカをやっている二人に向かう攻撃から守るべく、防戦に徹する。

無数の触手を片っ端から迎撃するが、虚絶から送られる衝動が極めて小さいためか、だいぶ俺寄りの技量になっている。

殺しの剣術に関しては玄さんも頭を抱えるほどメチャクチャだが、それでもその技量だけは本物だと言っていた。しかし守りの剣術となるとこれが難しい。

 

「……っ。するもんじゃないな、キャラじゃないことは──!」

「今のうちに下がって!」

 

茉子の叫びに我を取り戻したのか、急いで後退する二人。それを確認した茉子も下がり──俺も納刀して距離を置く。居合は便利だからどうしても使えるようにしておきたくなってしまう。

しかし……

 

「「何をするんですか!?」」

 

この二人、案外似た者同士なのかもしれんな……?

 

「有地さんが怪我をしていたかもしれないんですよ!」

「朝武さんだってあの時危なかった!」

「なっ……あそこからちゃんと躱すつもりだったんです!」

「俺もそうだった!」

 

あの……

 

「だいたい真っ直ぐ行ってどうやって! どう見ても横からだった!」

「一瞬竦んで足を止めてたのは誰ですか! 馨さんが割って入らなかったらどうなってたか!」

「お二人とも。じゃれ合いはそこまでにしていただけませんか」

 

おっと、マジの茉子は久々に見たな。俺は祟りの様子を伺うとしよう。

 

「「でも!」」

「なんですか。文句がおありで?」

 

うわ殺気すら篭ってら……

 

「そ、そうだね。ごめんなさい……」

「……この場は茉子が正しいわね」

「とにかく目の前の祟り神に集中してください」

「わかってる。今は一刻も早くお祓いを完了しないと──!」

「抜かるな! また来る! 」

 

見え透いた大振りの一撃。

避けるのは容易く、誰も怪我を負ってはいないが──

 

「今なら……!」

 

この一撃は、誘いの一手だ……!!

 

「芳乃様! 今はダメです!」

「突き立てさえすれば終わる!」

 

まんまと寄せられた芳乃さん目掛けて触手がもたげる。

乗るはずがない、と思っていた俺たちは一手遅れた。もし遅れを取り戻せるとすれば──

 

がむしゃらに突っ込んで、真っ向から斬りかかる将臣だけ。

叢雨丸が祟りを裂き──いや浅いな。

 

傷を負ってなお健在だが、祟りは俺に向かってきてしまう。

……そりゃ俺が祟りに近いからな。補強するには持ってこいだ。

だが自由な芳乃さんにケツを見せるとは愚かな奴め──

 

「このぉ──ッ!!」

 

鉾鈴を突き立て、祟り神が地に伏せる。そこに素早く斬り込み、一刀の下に断ち切る将臣。

……前衛二人に遊撃二人かなこりゃ。まぁ、一見落着か。ホッと息が漏れる。俺は全く役に立たなかったが、生きているんだ、よしとするさ。

 

へたり込んでいる将臣に駆け寄る芳乃さんと、叢雨丸から出てきたのか、現れたムラサメ様が話しているのを見て安心する。

 

「……しかし短刀持ってくりゃよかったな」

「虚絶で受け流すのも、無理がありますもんね」

「てか、元来の得物は短刀なんだけどさ。俺」

「……そうでしたっけ?」

「そうだよ?」

 

などと茉子と話していると、変な光景が見えた。

 

「疲れてんのかな……なんかさ……芳乃さん、服……メチャクチャになってんだけど。パンツ見えてるんだけど」

 

何故か巫女服の前掛けの部分だけが無くなってる。

 

「け、怪我ない!? 大丈夫!?」

「だ、大丈夫ですよ……?」

「よ……よかった……まとめて切ったかと思ったよ」

「そう、大事が無くて良かった……ってそんなわけありますかぁぁぁぁぁっ!!!」

 

……一難去ってまた一難とはこれだな。

後ろに振り返りながら上着を脱ぎ、茉子に渡す。

 

「腰巻にしてって」

「あは、意外と初心なんですね」

「……芳乃さんのは初めてみるし」

「そういえば昔、見られてましたねワタシは」

 

…………いやまったく。

忘れたい話だ。

 

 

「青春だな」

「青春ですね」

 

山を降りて着替えた芳乃さんは、将臣に説教をするつもりだったみたいだが、逆に将臣の覚悟に聞き入っているようだった。

そんな様子を見て、外野の俺らはお茶を飲む。

 

「同じ屋根の下で暮らすんだ。顔を合わせる度に負い目を感じるのは、ゴメンだよ。だから手伝わせてくれ」

「……そんなこと言ってまた下着を見るつもりなんでしょう?」

「その件は誠に申し訳ありませんでした」

「ピンクでしたね」

「可愛い趣味してたよな」

「やめてください二人とも!! 追い出しますよ!?」

「「はーい」」

 

茶々を入れたら怒られてしまった。まぁ当然かと思いつつお茶を一口。

しかし話は手伝う手伝わないに逆戻り。将臣は手伝うと頑なに主張し、芳乃さんは大人しくしてろと頑なに主張する。

 

「大人しくしてるべきです。それが有地さんの安全に繋がりますから」

「いやですー、絶対に手伝いますー」

「子供ですか!」

「どっちが!」

 

あのさぁ……

 

「面倒くせえなこいつら」

「やれやれ、どっちも子供だの」

「仲良きことは良いことです」

 

見てていたたまれない。こっちも好き放題言葉が出てくる。呆れて物が言えるという奴? まぁいいや。

と思っていると、茉子が声を低くして言う。

 

「でもお祓いの最中、しかも祟り神を前にじゃれ合うのはよしていただきたいのですが」

「「うぐっ……」」

「……まぁ、仕方ないさ。別に喧嘩するなとは言わんけど、殺しの場でバカやられると困るんだ。終わってからにしてくれ」

 

正直なところ、あそこまで二人が揉めるのは想定外の事態だった。

 

「にしても……久々の憑依は疲れるのう」

「精霊でも疲れるんだ」

「そりゃエネルギーコントロールには神経使うから疲れるだろ。ムラサメ様は神力、俺はアレって差はあるけど、似たようなもんだ」

 

横から言葉を選びつつ、分かりやすい例として自分を挙げてみる。

 

「馨は物理的な疲労になるが、吾輩は精神的なもの……になるのか? とにかく疲れたのだ。少し休む」

「休むって、前に休む必要は……あっ、普通にしていればってそういう」

「うむ。何、用があったら強く念じれば良い。ではなご主人、芳乃」

 

そう言ってムラサメ様はスッと姿を消──

 

「あと馨。お主バカな真似はするなよ。やったらご主人を焚き付けて叢雨丸で斬らせるからな」

「いきなり物騒な!?」

 

──その前に、俺に警告をして今度こそ姿を消した。

 

「さて、そろそろお暇するかね」

「用件がなければ、ワタシも帰ろうと思うのですが」

「うん、大丈夫よ。おやすみなさい」

「二人ともおやすみ」

「んじゃ、おやすみ」

「おやすみなさいませ」

 

ガラガラと戸を開けて朝武家から去る。

 

「昨日の今日でまたお前と帰るのかよ」

 

同じ帰り道なので、また茉子と同じだ。

 

「あら、ワタシじゃ不満ですか?」

「いや、満足だよ。お前はいい女だからな」

 

まぁ不満も無いのが事実。

それほどというものでもない。

 

「……なぁ、茉子」

「なんですか?」

「普通っていいな。無理に動かされることもない、自分の意志を保ったまま、自分のやりたいようにやれる……なんて素晴らしいんだろう」

「それ、ワタシに対する皮肉ですか」

 

ムッとした表情の茉子に対して何か失礼なことを言ったかと探るが、何一つ出てこない。

皮肉……とあるが、果たして何を以て皮肉とするのか? 俺は何となく思ったものを口にした。

 

「なんだお前、自分が機械か何かだと思ってるのか?」

「……」

「おいおい、冗談はよせよ。呪詛の終わりまで尽くすって決めたのはお前だろ。そりゃお前の決定した選択ってもんじゃないのか? どこまで行っても常陸茉子は常陸茉子だ。それ以外の何者にもなれやしない。だから機械じゃないだろ」

 

偽らざる本音を語り、茉子を元気付けようとしたが……どうも失敗したみたいだ。更に黙りこくってしまう。

だから、だったんだろうか。

 

「殺すために生まれて、何度も死のうとした俺とは大違いなんだからさ」

 

──なんて、口を滑らした。

 

「……それ、どういう……意味なの?」

 

茉子の口調が崩れる。彼女の素だ。

驚愕に支配された声と目が、俺を射抜く。

しまったと思ってももう遅い。俺は自分で失態を犯したのだ。

 

「いっ、いや! 言葉の綾だって! 気にすんな! じゃあな! 腹出して寝るなよ!」

「あっ、待ってっ!」

 

会話をぶった切って跳躍まで使って逃げ出す。

──やべぇ、なんてこった……何言ってんだ俺は。



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Chapter2 前哨 日常

第2章開始です。
章は原作に沿って別けていく感じになります


「むぅ……」

「ダメか?」

 

あれから少しあとのこと。

再びの祟り祓いに出撃した俺たちは、前回よりもスムーズに事を終えた。が……

 

「いや、俺は独学というか、基本的に捨て身なんだ」

「捨て身って、あんなに避けたりなんだりしてるのに?」

「あー、性能が違うからできることも違ってな。とにかく魔に近い俺だからできることであって、人間にはおススメできない」

 

将臣から急に、戦い方を教えてくれなんて言われてしまった。

当然だが今はムラサメ様も誰もいない。朝武家の外で話してる。

 

「でもほら、なんかないか? 心構えとか、何処が弱点とか」

「心構えったって……なんだろうな。とにかく死なないように立ち回るくらい? それにどこでもダメージ入るんだから考えるだけ無駄さ。あと刀は最近使い始めたし、教えられることは何もない」

「子供の頃から虚絶に選ばれてたなら、使わされるとかで慣れてるのかと思ってたんだけど違うんだな」

「ガキの頃だと身体が未熟でな。刀に振り回されちまう。だから短刀で打ち合って、隙あらば虚絶で斬ってた」

 

虚絶からガキの肉体は自身を完全に活用できないと判断したのか、俺が出撃するときは、大抵が短刀と虚絶の二本持ちだった。高校に上がる前に、やっと虚絶をメインにし始めた程度。もともと短刀の方の才能があったことから、刀は玄さんにつけてもらった最低限の修行程度……あっ、そうか。

なぜ忘れていたのだろうか。将臣の祖父である玄さんなら刀の使いや剣術に精通している。

 

「玄さんはどうだ? あの人は昔から刀に触れてるし、お前のことをよく知ってるだろうから体力作りも効率的に行けそうな気がする」

「やっぱそうだよな。俺も祖父ちゃんに頼もうって考えてたんだけど、その前に何かやれることはって思って声かけたんだ」

「相手が悪かったな。そうだ……その、あのだな。俺さ……やっちゃったんだ」

 

都合が良いからと、しかし失態が失態故にしどろもどろになりながら語り出す。

もともと決めていたのだ、事情を知っている将臣かムラサメ様に相談をしようと。

 

「何? もしかして犯罪?」

「ちげーし。いや、この前さ、茉子と話してたらうっかり口滑らして……言っちゃったんだ。俺のこと。死のうとしたーとか、殺すために生まれたーとか……あはは。あでも、別に関係に変化が無いから平気だとは思うんだ。だけどほれ、あいつに無用な心配を押し付けたみたいでなんか不安で……なんとかなりそうな方法とか知らないか?」

 

それを聞いた将臣は、もはや呆れを通り越して虚無の表情とともに。

 

「バカだろお前」

 

痛烈に罵倒してくれやがった。

更に将臣は俺に対してグサグサと言葉の刃を突き立てていく。

 

「元から気になってたけどさ、お前矛盾してるよな。隠したいのに知っている人には判断を任せるっておかしいだろ」

「うっ、それは……だな。自分でもよくわからんのだよ」

「ムラサメちゃんが呆れてたのもわかった。生きたいのか死にたいのか、どっちかわかんないんだろ馨」

 

ぐうの音も出ない正論だ。

死なねばならないと定めているが、しかしその実、個人としては生きたいのか死にたいのかだけは考えていない。それを考えたら、決意にヒビが入りそうで怖い。

 

「死ななきゃいけない義務感だって、多分……合理的に考えてるからだろ? 獅子身中の虫みたいなものだし、同じ立場になったら間違いなく俺も感情とか全部無視して考えたらその答えに辿り着く。けどさ馨」

「悪いがその話はここまでだ。それ以上は必要無い」

 

揺らぐ危険がある。

中断しなければ。

 

「おい──!」

「俺は先に帰らせてもらう。手首、大事にな」

 

逃げるように跳躍し家へと向かう。

……優しいのは美徳だが、合理に徹せないのは、それこそ悪徳だろうに。

何故それを理解しようとしない? 合理がもたらす結論の、何が悪いというのか。

 

 

 

翌朝。

 

「あ……学校、行かなきゃ……」

 

相変わらず朝は苦手な俺なので、死体のように起きて死体のようにシャワーを浴びて、朝飯食って着替えて荷物持って登校する。

 

「ねむ……」

 

ふらつく猫背な身体を倒れないように努力しつつ、上着の違和感を無視しながら歩く。

俺の通う学校……鵜茅学院の男子制服の上着は丈が短く、開けてるとだらしないからとして大半が閉めているが、生憎俺は面倒なので羽織って終わりである。シャツも第2ボタンまで開いており、不良と見られても不思議ではない。

ついでに言えばズボンも寝惚けて転んだりなんだりで若干痛んでおり、何もしていないと言うのに、まるで暴力に明け暮れた番長めいた印象すら与えるだろう。

まぁこっそり上着の内側生地を弄って短刀を仕込めるように改造してはあるのだが。

 

学院に通じる唯一の坂を上って、あぁ面倒だと思いながら歩を進める。この調子だと、遅刻ギリギリになるだろうか? どうせ始業式しかないんだ。どうだっていいだろう……

 

と、思っていたのだが。

 

「おっと、噂をすればだな。よお寝坊助。相変わらず酷いカッコだな」

「うっせ……着ないよかマシだマシ」

 

何故か校舎前に廉がいた。いや、廉だけでなく、将臣に小春ちゃんに芳乃さんにムラサメ様に茉子──オールスターというわけか。

 

「……あぁ、おはよう、みんな」

 

挨拶をするが反応を聞く必要も無い。誰かが口を開く前に通り抜けようと足を動かして……

 

「まぁ待てよ、馨」

 

やけにニヤついた廉に引き止められる。

 

「なに」

「聞いたぜ? お前、常陸さん誘って春祭り回ったんだってな。口ではあぁ言いつつもってツンデレかよ」

 

はぁ、それか。呆れた表情でもできているだろうが、それっぽいことを言って遊んでやろう。

 

「ま、俺はお前とも将臣とも違って、コナをかけたら寄ってくる女がいるってことだ」

「いきなり俺を巻き込むなよ!?」

「あぁ、お前はコナかけられる側だったなァすまんすまん。だって小春ちゃんが──いって!?」

「馨さん、ちょっと」

 

将臣にお前の可愛い従妹がどれだけイイ男かを紹介してくれたかを説明しようとしたら、小春ちゃんに足を踏まれた。

この子ったら俺の扱いも年々荒っぽくなって……感慨深くなっちゃう。

 

「いふぁい」

 

間髪入れず茉子に頬を抓られる。

 

「コナをかけたら寄ってくる、なんて言い方はやめていただけませんか」

「ふぁってひゃ」

「せめてコナをかけ合った結果妥協すると言ってください」

 

それでいいのか? とも思うが朝っぱらから面倒なことになった。早く逃げよう。

 

「ひゃい」

「わかればよろしい」

 

……口を滑らしてしまって一週間近く、少し疑問の視線は感じるが、俺と茉子の仲に問題は無い。

一時はどうなるかと思ったが、平気そうだ。

 

「あー……面倒くさかった」

「廉太郎、こいつ本当に馨か?」

「朝のこいつはこんなのだぜ。どんな馨を見たかは知らないけど、もし理想を持ってたなら捨てちまいな。どうしようもねえ奴だから」

「うん。なんか、アレだな」

「アレってなんだこの色ボケ婚約者。てめぇが巫女姫とアレな関係だって嘘吐きまくるぞコラ」

「やめてくれ。でも俺より朝武さんへのダメージにならないかそれ」

「のっぴょぴょんだぞ」

「会話しろよ」

「将臣、諦めろ。このロクでなしの頭が回り出すまでこれが延々と続くぞ」

「うわっ、最悪だな」

 

いや眠くて会話続けるのダルいだけだから。頭回ってるから。大丈夫だから。ええい貴様ら、そんな微妙な表情で見つめるんじゃない! 俺はまともだ! まともじゃないけど!

 

「仲良くするのはいいんですが、このままだと遅刻しますよ?」

 

芳乃さんの一言で我に返り、俺たちはいそいそと校舎に向かう。途中、将臣が俺らの担任の中条比奈実──俺にとっては昔世話になった比奈ねーちゃんだが──に連れられて職員室に連れて行かれたが、まぁ取り立てて騒ぐことでもないだろう。

 

 

 

将臣の転校挨拶回り、始業式も何の問題も無く終わった。『明日からよろしくお願いします』で終わってしまい、さてとっとと帰るかと教室を出て下駄箱に向かうと──

 

「やっぱり来た」

「げっ、駒川……」

 

どういうわけか駒川が待ち伏せしてやがった。いつも通りの白衣に身を包んだ姿だが、その視線は険しく青筋が立っている。腕組みをしているのも相まって、なんかラスボスみたいだ。

 

「君のことだ、どうせ真っ先に帰るだろうと思ってここにいたが……まさかその通りに動くとは」

「なんだよ、あんたは俺じゃなくて芳乃さんとか将臣とかに用があるはずじゃなかったか?」

「もう忘れたのか? 私は言ったぞ、腕が治ったら見せに来いって」

 

そんなことを言う駒川に、俺は完全に停止する。

は? そんなこと言われたか? だって腕に怪我なんぞしたことは……

 

「あっ……」

 

前に将臣を助けるついでに始末しようとしてしそびれた祟りに虚絶を抜いた代償のことか! やっべ、完全に忘れてた……

 

「今更思い出したか」

「戦略的撤退!」

 

もう説教はごめんだ。朝っぱらから(自業自得だが)足踏まれたり頬抓られたりされて、始業式の退屈な話を聞いてただでさえ早く家に帰りたいんだ。

なので後ろに振り返って疾走。近くの窓から逃走しようと思ったが──

 

「稲上君」

「うおっ!?」

 

進行方向に比奈ねーちゃんが現れたので急ブレーキ。

そんな俺を見て彼女はため息を一つ。

 

「また駒川先生に怪我の完治を見せなかったの?」

「えっと、それは……」

 

止まった俺と止めた比奈ねーちゃん。

そんな珍光景を見ても生徒の大半は無視するか、いつものかと言って通り過ぎる。

ぶっちゃけると学院でもかなりの名物だ、俺と駒川の追いかけっこは。知らないのは新入生くらいだろう。

 

何故って虚絶を抜く事態になれば必ず負傷し、必ず駒川が見て経過を見せに来いと言う。俺は大抵それを忘れて登校するまで顔を出さない。学院の嘱託医である奴は校舎内で俺を見るとひっ捕まえる。でも説教をされるのが嫌で逃げる。だが逃走ルートを先読みされて捕獲されるのがいつものオチ。

よって生徒たちにとって、たまに起きるバカと先生の追いかけっこでしかないのだ。

──だったが。

 

「テメェ! 卑怯だぞ駒川ァ! 」

 

後ろから迫る駒川に対して俺は負け惜しみを叫ぶ。

 

「いい加減、君との鬼ごっこにも飽きた。これからは大人らしく、手段を選ばずに行こう」

「ち、ちくしょう……! 布団が待ってるのに……」

「もう、いい加減にしなさい。素直に謝ればいいのになんでできないのかな」

「それが俺なんですー……って何? なんで駒川も比奈ねーちゃんも俺の腕掴んでるの?」

 

諦めて説教を聞き流そうと思ったが、なぜか二人は俺の腕を掴んでズルズルと引きずり始めた。え、なにこれ。なんで俺宇宙人みたいに連行されてるの?

 

「私にも仕事がある。だったら君は逃げるだろ? だから中条先生に協力してもらうことにした」

「いつまで経ってもヤンチャなんだから、ホント……あと学校ではその呼び方やめてって言ったでしょ?」

「いや待って、ストップ。これ羞恥プレイ……やめて歩くから! 逃げないから!! 離せって!!! 頼むから離してくれって!!!! 恥ずかしいから離してくださいってば──!!!!!」

 

実際のところ、その気になれば振り解くことなど容易いが、それをやればまず間違いなく二人が傷付く──物理的に。なので当然できない。つまり完封されたのだ。

しかし恥ずかしさのあまりジタバタと暴れて、余計拘束されてまた教室に連れ戻される。

 

「ごめんなさい、遅くなりました」

 

そう比奈ねーちゃんが言った相手は将臣と芳乃さんの婚約者コンビwith茉子とムラサメ様。無茶苦茶呆れた視線が突き刺さる。他には誰もいない。

 

「あの……何してるんですか?」

 

芳乃さんとムラサメ様はため息、将臣が疑問、茉子に至っては無言。四者三様の反応である。

 

「傷の経過を見せに来なかった挙句、出会い頭に逃走しようとしたこのアホを捕まえててね。申し訳ない」

「私はそれの手伝いを」

「もう……離して……恥ずい……」

「まぁここなら逃げないだろうし、いいか」

 

腕を離されて自由になったので、そそくさと離れて適当な椅子に座る。が、こっちに近づく比奈ねーちゃん。いやもう勘弁して。

 

「逃げないから離れてって」

「本当に?」

「もう羞恥プレイは嫌です中条先生」

「ちゃんと反省すること。いいですか?」

「はい」

 

反省するかどうかは俺の肉体次第なのだが、今度からこうはならないよう上手くやろう。

向こうでは駒川と将臣の自己紹介とか、実は会ってたんだよーとか色々聞こえる。だがいつまでも一般人の比奈ねーちゃんを置いておくわけにも行くまい。とか思っていたら。

 

「では、私はこれで。──馨、ちゃんと言うこと聞くのよ?」

「へーへー。わかってるよ、ねーちゃん」

「もう」

 

そう言って苦笑しながら教室を後にするねーちゃんを見送ってから、意外そうにしている将臣に顔を向ける。

 

「あんだよ」

「馨って結構なクソガキだったんだな」

「うっせ。ニヤつくなぶっ飛ばすぞコラ」

 

なんか腹立つので吐き捨てる。

向こうの方では芳乃さんと駒川が叢雨丸を抜いた後の変化とかについて話している。

 

「何事も無いみたいで、安心しましたよ」

「でも、言ってくれれば私から行ったのに」

「混雑したりで大変になるかもしれませんでしたし、それに学院に二つほど用事がありましたから」

「一つはそこにいるバカですね」

「ええ。そこで不貞腐れてる、人との約束を忘れて逃げようとしたバカですよ」

 

なんかバカバカ言われてるんだけど。

 

「ホント、バカですよね馨くんは」

「茉子もかよ……」

 

なんか集中砲火食らってるんだけど。

 

「いくら身体の治りが早いからって、見せろと言われたものを見せずに忘れるのは最低ですよ」

「向こうもわかってるからいいじゃんか」

「わかっていたとしても見ない限り信用できない。ほら」

「はいはい。この通り綺麗さっぱりですよ」

 

右腕の袖を捲って、完治したことを見せる。しばらく眺めたあと、駒川は俺の頭にチョップを一撃食らわした。いてぇ。

その後は将臣の様子を見るために長くなるようだから帰っていいと言われ、お言葉に甘えて帰った。

 

 

そういえば将臣の奴、いつ修行を頼みに行くのだろうか? 遅くならない内にやるとは思うのだが……ま、いっか。

グータラしよう。



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到来

おーやってるやってる。

チラリと覗き見ると、玄さんと稽古に励む将臣の姿が。

ここは公民館。何故隠れるように修行をしているのかはわからないが、即断即決とは男らしいことだ。

 

翌日の放課後、気になって何処へ行くやらと学院から尾行してみたが、なるほどこれは無粋な真似だった。

邪魔者はそそくさと退散することにしよう。

 

「「……あ」」

 

そう思って公民館を後にすると、将臣の後をつけていたであろう茉子と遭遇した。こいつもどうやら学院からつけてたらしい。制服のままだ。

 

「忍者らしく間諜か? 趣味が悪いね」

「失礼な。単なる好奇心ですよ」

「ま、主人の男にコナかけるってのはどうかと思うが」

「それに関しては大丈夫です。きっと有地さんは、ワタシなんかよりももっと素敵な人を好きになるでしょうから」

「なんかって、可愛い美人ちゃんが何を言うやら」

 

いつも通りからかわれるのかと思っていたが、それに対する茉子の反応は普段と異なった。

 

「かわっ……せ、せめて美人だけにしてください」

 

何故か顔を赤くしてそんなことを言う。

あれ……おかしいぞ。冗談だと流されるのだとばかり思っていた。何? なんかあったの?

もしかして綺麗だとはよく言われてたけど可愛いなんて言われたことは特になかったり? となれば……

 

「ははーん、さては恥ずかしいんだな?」

「恥ずかしくないですからにぇ!」

「噛んでるじゃん。いや、なんだ。言われ慣れてるのか思ってたけどそうじゃないのか。うん、少し安心……は?」

 

……なんで安心してるんだろ、俺。

理由が一切わからない。別に可愛い子が可愛いとか言われるのは自然なことであって、むしろ言われてないことを聞いたら見る目が無いと言うべきだろう。

なのに何故俺は安心した? 相手は茉子だぞ? どこも安心する要素は無い。

 

「あは、嫉妬ですか〜?」

 

隙あらばからかってくる茉子。そのニヤついた表情がやらしい。

 

「嫉妬……何をバカな。じゃあ聞くがお前は俺が見知らぬ女からカッコいいとか言われて妬くか?」

「妬きませんけど……なんか面白くないですね。なんか」

「なんでだろうな?」

「ワタシに聞かれても困ります」

「だよな」

 

何故なのかを知る必要があるな。

もし分不相応な望みがあるとするのならば、それは捨てねばならない。

 

 

それから数日が経ったが……日に日に将臣の疲労が目に見えるようになってきた。そこまで身体を動かしていなかったというのもあるのだろうが、祟りを想定した修行ともなれば尋常なものではないだろう。

 

しかしアレでは……祟りとやり合う時に疲労の方が先に来てまともに動けないのではないのだろうか? どこかでフリーの日を作るよう進言しておくべきか、それとも……

 

まぁいい昼飯だ。

ガサゴソと荷物を漁り、ビニール袋を取り出す。その中身は──

 

「馨さん、それは」

「ん? 昼メシだよ、芳乃さん」

「生卵じゃないですか」

 

一つの生卵。

今日は寝坊したので昼メシを作るのも面倒くさくて生卵をビニールに入れて持ってきたのだ。

ヒビを入れてから割って、片方に黄身と白身を移し替えて飲む。出たゴミはビニール袋に入れ直して昼メシ終わりっと。

 

「卵そのまま食う奴なんて初めて見たぞ俺」

 

うっせー。面倒なもんは面倒なんだよ。

 

 

……しかし最近、奇妙な夢を見る。

誰かの嘆きと困惑であろうものが流れ込む夢だ。

 

──何故?

 

思考の主が何者かはわからないが、少なくとも俺に流れ込むということはつまり……祟りに関係することだ。

だがその夢は決まって同じ終わりを迎える。

──殺意と憎悪が夢を終わらせるんだ。

 

やはり……俺自身の始末も視野に入れた方がいいか。

 

祟りや呪詛が何であれ、俺には関係無い。だがそれが誰かに害をなすならば排除しなくてはならない。

それに祟りの始まりは、過去にあった朝武のお家騒動が原因だ。人によって生まれた祟り……俺がそうならないとは言い切れない。

 

やれやれ……殺しは嫌なんだがな。

──誰だって嫌か、そんなの。

 

 

それからしばらくしないうちに、また転校生が来た。

レナ・リヒテナウアーという女子だ。中々聞かない名前だが、家業の手伝いの経験則から考えるに欧州圏の姓だろうか?

 

……しかしまぁ、見事なモノをお待ちのようで。

デカい。金髪巨乳とは夢のあることだ。素晴らしい。

 

「なぁ将臣、お前もうコナかけたのか? さすが、廉の従兄だな」

「違う。祖父ちゃんの旅館の従業員になるから、その関係で案内しただけだって。常陸さんと一緒に」

「はん、茉子と……ねぇ? 両手に華とはいいご身分だな」

 

さっき小さく手を振られていた将臣に聞いてみると、どうやらもうコナをかけていたらしい。手が早いことで感心するよ。

リヒテナウアーの席は俺の近くになってしまったが、まぁ問題は……

 

──アネギミ……──

 

頭の中に響く声が一つ増えたってことだ。

……この感覚、夢のと同じだ。穏やかだが裏にひそむものがある。しかしアネギミって、姉貴ってことだよな。祟りの中にあるものが外の人間を姉呼び……? 誤認だろうか。

参ったな。存外、世界は狭く出来ているのかもしれん。また関わりが深そうな……

動揺は顔に出ていない。大丈夫だ。

 

そして休憩時間。

リヒテナウアーは茉子に話しかけに行って、その関係から集まった女子とあれこれとガヤガヤしている。

さて、何故俺がどうでもいい筈のリヒテナウアーを目で追っているかというとだ。

 

……虚絶の燃料の一つが反応しているっぽいというのもあるが、実はあの女を見たとき、はじめて将臣がここに来た時と同じく、微弱な衝動が送られてくるのだ。

大なり小なり……いやこの場合は小なりか。とにかく、何かしら祟りに連なるものがある……と見て間違いない。何せ将臣は担い手だったのだ。燃料の一つの奇妙な反応と極めて微弱な衝動。怪しむ理由としては十二分だ。

 

しかしなんかファッキンワサビとか聞こえるけどなんだよファッキンワサビって。彼女、日本語上手というか流暢だが、どうも妙なところで妙な間違いをしているのは何故なのか。

温泉を怨霊、畳を祟り──いやまさかな。彼女の親族が目撃者や関係者だとすると、辻褄が合うんだが……流石にあり得ないだろう。

 

とか考えていたら女誑しだのなんだとの聞こえる。どうやら廉が視線を向けたら迎撃されたらしい。

 

「廉太郎君サイテー」

「違う、誤解だ。二股だけは本当にやってない。アレは尾ひれが付いているだけ」

 

将臣には教えてなかったらしい。

なので茶々を入れに行こう。

 

「厳密に言うと、同じクラスの女と別れた後、すぐに他の女と付き合い出して、すぐ別れた。それが二股に見えたんだろ」

「言わんでいい」

「が俺には解せんね、どうも。別にいいじゃないか、人生経験の一つだ。甘いも辛いも棲み分けてこその人生。そこに非難される要素がどこにあると言うか」

 

俺としては本当に理解できない話だ。別れ話もよくあること。廉だからと目立っているだけで、取り立てて騒ぐようなことではないだろう。

しかし庇われた本人は物凄く微妙な顔を見せる。

 

「……お前、それ女子の前で言うか?」

「正論だぜ? なんか不満かよ。不当に言われてるのはお前だぞ、廉」

「向こうからすりゃ廉太郎が引っ掻き回してのほほんとしているのが気に入らないからだろうし、不当とは違うと思うぞ」

 

将臣の発言にウンウンと頷く廉。

 

「よくわかんねぇわ、恋愛とかってさ。面倒くさそうだし……」

 

まったく解せないのでボヤきながら、椅子と机の距離を調整して、机を脚場に椅子をキコキコと揺らす。

 

「の割には、常陸さんにコナかけたんだって?」

「あ? どこ情報だよ田宮」

 

よくつるむ内の一人、田宮から予想外の攻撃がすっ飛んで来て思わず出所を尋ねる。

 

「親父から聞いたよ。春祭りのとき、なんでも楽しげに回ってたんだって? 隅に置けねえなぁ」

「そんなに変か? 俺と茉子が二人で回るのは」

「いやいや稲上。巫女姫様のお付きの人である常陸さんと最も親しいのはお前だけだぜ? 親しい男女が和気藹々としている祭りの場で二人きり……こりゃもう邪推するっきゃないでしょ!」

「大平まで……」

 

同じくつるむ大平にまで言われる。それが聞こえた廉は──

 

「そうだ! 聞きそびれてた! いやーまさか本当にお前が常陸さんを誘って回るとは思わなかったんだ。それでどうよ、なんか甘酸っぱいことあったかよ?」

 

おい声でけぇぞ。おかげで女子に気付かれ……気付かれたァッ!?

散り散りになっていたクラスメイトのほとんどがドタドタと駆け寄ってくる。どいつもこいつも目ェギラギラさせてやがる。

えーっと……こういう時は、どうしよう。とりあえずホントのこと言おう。

 

「何もなかったぞ?」

「嘘でしょ。で、本当のところは〜?」

「柳生、無い袖は振れないって言葉知ってるか。そういうことだよ」

 

女子の柳生に問われるも何事も無いと返すしかない。

 

「茉子ー、助けてー」

「仕方ないですねえ、馨くんは」

 

休み時間いっぱいを使って誤解を解いたが、とても疲れたよまったく……

 

昼になったので、いそいそと飯を取り出す。この前は生卵だったが、今日はちゃんと作った。

……まぁ、茉子の弁当とは天と地ほどの差があるのだが。地味に将臣が羨ましい。美味いもの食えて。

 

「馨もどうだ?」

「あ? 悪りぃ、聞いてなかったわ将臣」

「お前も一緒に飯を食わないかってこと」

「いいぜ」

 

将臣と廉に誘われて昼を一緒に食うことになった──が、ここに変化が生じていた。

 

「……あぁ、リヒテナウアーさんがいるのね。けど男三人女一人じゃ、少しアレじゃないか?」

「いいんだって。レナちゃんがお前に話があるってさ」

「ふーん」

 

そう、件のリヒテナウアーも同席していたのだ。

 

「レナで構いませんよ」

「じゃ遠慮無く。あぁ、俺の事は馨でいいよ」

 

まぁ向こうの人だし、これくらいフランクなのは当然なのだろうか。いや、フランクだが硬いところは硬い……みたいな? ま、なんでもいいや。

 

「それで、なんだい? わざわざ俺を呼ぶほどの質問が、レナさんにはあるのかな?」

「はい。実はカオルの横顔がとても綺麗で、何かゲイシャのメガタ……? か何かをされているのか気になって」

「それを言うなら女形だよ。でも、残念。俺は別にそういうのじゃない。天然だ」

 

そう、俺の横顔……というか目元が見えない感じの位置で見ると、これがどういうわけか綺麗な女性に見えるのだ。

しかし俺は至って普通の男性。中性的でもなければ童顔でもない。少し肌が白っぽいだけだ。

ただ、顔のラインが女性的っぽく見える……らしい。自分じゃ全然わからないケド。

 

「……あれかぁ。レナちゃんと将臣にも見せるか? お前の女装姿」

「あぁ、見返り美人風の奴? 一年前に撮ったな」

 

一年前、クラスの連中とふざけて女装し、更に見返り美人風に、夕暮れを背に写真を撮ったが、いや我ながらとても良くできていた。

本当に、あまりにも良くできていて、学院の一年の奴らに『夕暮れ時にはとてつもない着物の美人が出る』なんて噂されちまったもんだ。

なお比奈ねーちゃんもこっそり写真撮ってたらしく、あとで問い詰められることになったが割愛しよう。

 

「生卵食ったり、女装したり……俺には馨のことがよくわからないよ」

「女装も案外楽しいぜ将臣。合っていようが合ってなかろうが、笑えてさ。ま、あの写真に関しては例外的だったが」

 

 

 

さて、そうこうしている内に授業も全て終わり、あとは帰るだけとなった。片付けも終わったし、今日も一足先に帰ろうとして立ち上がろうとしたとき──

 

──殺せ……──

──殺せ──

──殺せ!──

──殺せ!!──

──殺せ!!!──

 

刹那、頭の中で強く響く殺意。

虚絶が祟りを感知し、今まで神力に押さえつけられていた反動からか、衝動を送りつけるどころか暴れ始める。

 

肉体が制御を失い始め、勝手に動こうとする。行き先はもちろん山。とっとと殺しに行きたくて仕方ないということか。

いやダメだと強く思い、止まるべく無理矢理に足を動かした結果──

 

「カオル!? 大丈夫ですか!」

 

ガタンと大きな音を立てて、机と椅子を巻き込んで、倒れ伏した。痛みによって衝動に囚われていた肉体が完全に制御を取り戻す。

駆け寄ってきたレナさんに起こすのを手伝ってもらい、再び騒ぎ出す虚絶を無理矢理に黙れとねじ伏せる。

 

「ごめん、助かったよ……ああでも気にしないで。ちょっとコケただけさ」

「なら、いいのですが……」

「ありがとう、じゃあね」

 

軽く挨拶をしてから教室を出る。

フラつく身体が転ばないように意識を強く持ち、よたよたと歩を進める。まだ帰り始めだからか、人気は少ない。

 

「……黙れ、亡霊め……」

 

その意思を明確に言葉にして呟き、今回の初めての事態に困惑する。

狩りそびれも含めたら、たった三回だけだ、殺してないのは。それにいくら神力の塊である叢雨丸の影響によって多少俺への衝動が抑えられていたとしても、普段のこいつは祟りが出てもそれほど騒ぎ立てなかった。

最終判断はあくまで俺に任せる……といったような感覚程度でしかなく、これほどまでに暴れているのは初めてだ。

 

将臣やムラサメ様と接していたのはまだ二週間とちょっと程度のはず。祟りの頻度も考えると、たとえ出撃しなくても二週間でここまで騒ぎ立てることは決してなかった。

これほどまでに騒ぎ暴れるのは、よほど強力な祟りが出たときくらいだが、ついこの前奉納の舞を行い大凡は払った。

今までの経験から考えれば、あり得ない事態だ。

 

……なんとか家に着いた。

制服から私服に着替えて、顔を洗って布団に倒れ込む。

 

「耐えなければ……!!」

 

今日を乗り切ればいいだけだ。

今日さえ乗り切れば──!!

 

だが自身を拘束するものなどない。

夜まで待てば良いのだが……縋れるほどの希望は、無い。



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嚇怒

次話は試験的に12時に投稿してみます。
ご容赦


──始まりにあったのは、怒りだった。

 

何故?

何故神の使徒たる汝が、我を否定するのか。

我らが抱きし千年の怨讐を、何故守り神の破片なる汝が否定するのか。

 

──"ソレ"は、憎んでいた。

──"ソレ"は、羨んでいた。

──"ソレ"は、望んでいた。

 

殺すべし、殺すべし。

呪いは呪いを以て贖われるべし。

死なぬものに死を。終わらぬ悪夢に終焉を。奪われたものには、相応しい断罪を。

 

永き千年の時で憎悪を絶やさぬように、魔に成り果ててなお魔を討ち滅ぼさんとして、魔を喰らって憎悪を研ぎ澄ませる妖刀と化してなお、その始まりは保たれていた。

 

偶然とはいえ共に滅ぼすに相応しい端末も現れた。端末もまたあらゆる魔を滅ぼし最後には消えることを是とした。我らは同じ思いを束ねる鏖殺の刃──

 

だというのに。

 

あろうことか数百年も寝ていた分際で、人に戦うことを与えておいて、目が覚めてみれば言うに事欠いて『担い手から離れろ。彼を自由にしろ。そなたも眠れ』だと?

 

……ふざけるな。

男のえり好みをする貴様なんぞに戒められる我が憎悪ではない。──担い手としては我が端末の方が遥かに優秀、戦士としてもだ。

我は貴様のように守るべき民に戦いを強いるものではない。望むものに望むだけの力を与えるのみ。

貴様の戒めを渋々受け入れ観察したが、あんな様では討ち亡ぼす者として相応しくない。

それに担い手と管理者の所為で、端末の美しいほどに研ぎ澄まされていた覚悟が鈍ってしまった。

 

我は討ち亡ぼす覚悟を抱くものにこそ必滅の力を与える刃。

自らの血と傷を以て、虚を絶つ、死の剣なり。

 

──故に滅ぼすのは我だ。

 

無駄な抵抗を続ける端末の意識を労わり、深い眠りへと落とす。制御の無くなった肉体を操作し剣を携え、殺すべき魔の存在する場へと疾走する。

端末は我が怒りを殺意と誤解し、我を封じることに専念した結果、無駄な労力をかけた上にもう夜になってしまった。

 

──証明しよう、我らの殺意と憎悪を。

 

……もし"ソレ"の意志を解すものがいれば、鼻で笑ったであろう。

貴様の憎悪と同調させられた端末の意志は、一体何処にあろうか? ──と。

 

かの剣の担い手は、接続できてしまうほどに魔に近い。"ソレ"と担い手が同意した、と思っていても、事実は決してそうではない。

現実なぞ……得てしてそんなものであろう。

 

 

一方その頃──

 

「繋がらないな」

 

さて出撃だと勇んでいた婚約者御一行は、昼間から妙な動きをしていた馨に連絡を取ろうとしていたが、結果は芳しくなかった。

かれこれ連絡をしようと試みてから三十分近く経過したが、返答は一切無い。

 

(ご主人……馨の奴、まさか)

(可能性としてはそうかもしれない、とは思えるけど……)

 

虚絶の危険性に関しては、実のところ馨本人ですらよくわかっていない。ただ誰しもに祟りの殺害を可能とする代わりに、それそのものが肉体の制御を奪うほどの力と意志を持ち、祟りと呼んでも過言ではないほど恐ろしいものであるということだけが、虚絶のわかっていることだ。

 

前例が遥か昔のことである上に、外より来た者のため資料も無く、馨と虚絶の特異性の相乗効果は、発覚から十年近く経過しても未知数のまま。

魔に近いとは彼と虚絶の言であり、何を以て魔に近しいとするのかも不明。

 

……つまりはよくわからないままだ。

 

「今日は馨君無しで出たらどうだい? 彼の様子なら僕が見に行ってみるからさ」

「お願い、お父さん」

「他にできることも無いからね。それに……ちょっと、確かめたいこともある」

 

過去、安晴は馨の父であり友人でもある千景から虚絶を勝手に奪って祟りに挑んだことがあった。その時は代償の影響でえらい目にあったものだが、それでも憶えていることがある。

 

──確実に、虚絶の中には明確な意志を持った者がいる。

 

単なる怨霊の塊ではなく、明確に何者かが存在していた。たとえ人柱になったものがいても、千年もの間で呪いと共に朽ち果てる筈──だが現実は違った。

再び、それを確かめねばならない。

 

「──将臣君。もしかしたら馨君はもう山にいるかもしれない。話を聞くに、彼は恐らく制御不能になっていると推測できるから、祟り以上に気をつけるように。ムラサメ様にも伝えておいてくれ」

「はい、確かに」

 

出て行く時に、安晴は将臣に耳打ちをする──過去の経験から推測した今回の事態を。

 

「大丈夫でしょうか、馨さん……」

「まぁあやつのことだ。どうせひょっこり顔を出すだろうて」

 

不安げな芳乃を安心させるようにムラサメは言うが、その実、嫌な予感を感じていた。

 

「……馨くん?」

「常陸さん、何か見えた?」

「いえ、気のせいでしょうか……なんかそれっぽい影が見えて……」

 

茉子は忍者だが、見えぬものは見えぬ。暗闇の中で疾走する影など特に。

 

──そう、疾走していたのだ。

彼らから離れた影は、その憎悪に塗れた声を出す。

 

「ドコ、ダ……タタリ……ィ!」

 

虚絶は端末を駆り、夜の山を飛び回る。普段ならばすぐさま正確に探知し、撃滅に向かったであろうが今夜は叢雨丸への怒りから完全に見失っており、それはもはや悪鬼が如き有様。

 

「タタリ……ミツケタ、コロス……! コロス!」

 

散り散りになっているが今夜の祟りの合計は四つ。彼──いや"彼女"は燃料にする前の祟りを意図的にチラつかせ、発見した祟りを誘う。

ノコノコと誘われて来たのは三体。一体は先に襲撃先を見つけたらしく不在だ。

だが虚絶には構わない。奴らが仕留めるより早くこちらが仕留めて優位性を証明すればいいだけのこと。さすればあの寝惚けた神刀も、我が端末の優秀さを理解せざるを得ないだろう──

 

「──オソイ」

 

消えた。

──いや、疾く動いただけだ。

その疾く動いた中で、素早く抜刀し一刀両断。前回とは違い確実に殺った……と、確信したのと同時に、残った二体が攻撃を仕掛ける。

 

片方が面、片方が点──分散した触手が虚絶の端末の周囲に伸ばされ、回避困難になったところに渾身の一撃が振り下ろされる。

が──その程度で死ぬのならば、この端末の命はとうの昔に終わっているし、虚絶となった"彼女"もまた、現代まで残っていないだろう。

 

「ハッ」

 

鼻で笑う。

鞘に納刀し、ダラリとした自然体のまま迫る触手に向かって駆け出す。高速で振り下ろされる直前、斜め右に大きく跳躍。ドゴンと大きな音を立てて触手が地を破壊した時には、すでに虚絶の端末は大きな隙を晒している祟りの上空。

 

「テン、チュウ──ッ!」

 

落下しながら抜刀し、さながら杭を突き立てるように逆手持ちの刀を振り下ろす。避けるのも間に合わず、祟りは串刺しにされて喰われた。

間髪入れず地面に突き立てた刀を逆手に持ったまま疾走。地面を斬り裂きながら第二撃を用意していた祟りに突っ込む。

素早く放たれる無数の触手──この隙間を掠らせながら潜り抜けて。

 

「シニサラセッ!」

 

刀を振り上げ、まず初撃で態勢を大きく崩す。そのまま順手に持ち替えて袈裟斬り──次いで横薙ぎの一閃。

無駄に損傷が増えてしまったが、確実に仕留めるには安い対価だろう。

 

「フム……マダイルカ」

 

やはりこちらの方が早かったかと、一人納得しつつ、端末の損傷を確認する。部位欠損でなければ、どれだけ深かろうとも三日もあれば完治する身体とはいえ、内臓系への損傷は一週間程度の療養を必要とする。もっとも、戦闘に支障が出るだけで生活する分には痛みで済むが。

虚絶の傷の代償は、たとえ虚絶自身であっても選べない。

 

どうやら右の額、胴体中央、左腕、右ふくらはぎ、右肩に傷が生まれたらしい。掠ったところは破邪の効果のある穂織の水で流せば良いのだから、つまりは無傷も同然かと考える。

いや、右目に流血が入らぬよう瞑っている以上死角が生まれているか。──まあいい。

 

「ワガタンマツガ、オクレヲトルハズガナイ」

 

痛み流血する身体を無視して、虚絶は端末に指示を送る。次は、巫女姫と神刀の担い手に向かっている個体だ──!

 

 

「……石……?」

 

だが、虚絶の認識は甘かった。

彼らの戦いは刹那で決着が着いた。想定外の攻撃を、咄嗟の反撃であっさりと両断された祟りから落ちた、謎めいた破片を拾う。

これを見ていると、何か胸騒ぎのようなものを感じる。しかしそれが何かは分からぬまま……

 

「有地さん、本当に大丈夫ですか? どこか怪我は?」

「えっ? あぁ、ほら、全然大丈夫だよ」

「よかった……でもなにしてるんですか。あんな風に突っ込むなんて」

「そんなに危なっかしかったかな。気付いたら反応できてて、俺自身よくわかんないけど」

「そういうわけでは……本当によかった」

 

何せ本当に咄嗟の反撃──それも牽制となるべき初撃で仕留めたのだ。あまりにもこっちが予想外で、将臣自身もこれほど上手く行ったのは偶然だろうとすら思う。

 

「しかしあの太刀筋、かなり綺麗でしたね。今までのドタバタしたのに比べれば、見違えるようでしたよ」

「ドタバタ……まぁすっとこどっこいよりマシか」

「あれは抜き胴ですか? 形が似ているので、剣道の類かと思ったんですけど」

「昔祖父ちゃんの影響でやってたから。全然やってなくて、あんな様だったけど」

「なるほど」

 

──と、茉子が一息つけた時に。

ガサリと大きな音が立つ。

 

「──! 二人とも、下がってください!」

 

祟りの音とは大きく異なる、重い物が木の枝に乗ったような音。専門外である二人を下げるのは正解であり……

 

 

「ホウ、ヒタチノマツエイカ」

 

 

その疑問の声は誰が漏らしたものか。全員が驚愕の視線で"ソレ"を見る。

ダンッと大きな音と共に地に降り立ち、月光に照らされた鮮血が否応にも目につく。

 

「カカカッ、ドウダ、ムラサメマルヨ。ワガタンマツハユウシュウデアロウ。キサマラガヒトツシトメルヨリハヤク、ミッツシトメタワ」

 

そこに現れたのは、虚絶を携えた稲上馨。至る所から流血しながら、馨の顔で他人の表情と共に、初めて聞く女の声と混じった声で叢雨丸に対して勝ち誇る。

 

「馨!? お前、どうして──」

「ならぬご主人!! アレは馨ではない! 虚絶だ!!」

 

将臣が近づこうとしたのを、ムラサメが止める。

 

「う、そ──」

 

変わり果てたその姿は、紛れもなく魔人。魔と人の狭間の証人がそこにいる。あの時漏らした言葉の意味を今理解した茉子が、愕然としながら見つめるも、眼中に無い虚絶は感心したようにムラサメへと声をかける。

 

「サスガダナ。ワガタンマツノイシガネムッテイルノヲサッチシタカ」

「端末だと……! お主、人間をなんだと思っているのだ!? 永き時を生きる怨念め!」

「クク、クハハ──!! カエルノコハカエルダナ!! ムラサメマルモオナジコトヲホザイテイタ!!」

 

心底おかしいと言わんばかりに虚絶が腹を抱えて笑う。そしてギロリと叢雨丸を睨みつけて、極大の憎悪を乗せて呟く。

 

「ホントウニ、イイゴミブンダナァ。キサマガオトコノエリゴノミナゾシテイルアイダニ、アワレナトモタケノオナゴガドレホドイノチヲオトシタカ……シラヌホドオロカデハアルマイ!」

 

刀を振り抜き、虚絶は叫ぶ。

 

「スウヒャクネンブリニメガサメテミレバ、ソンナオトコガニナイテトハ!! モウロクシタモノダナ! タタカウベキデナイモノヲエラビチカラヲアタエルナド、キサマコソタタリガゴトキアリサマダ!」

「黙りなさい!」

「芳乃様!?」

 

嘲笑し徹底して貶す虚絶を前にして、芳乃は毅然とした態度で立ち向かう。

 

「あなたがあの恐るべき虚絶である、というのはわかりました。ですがその身体はあなたのものではなく、稲上馨のものです! 彼に返しなさい!」

「アァ、シッテルトモ。ワガタンマツ──カオルトイウナダッタカ。ダガ、ワレトワガタンマツハ、カツテソノイシヲドウイツトシタ。

 

……忌マワシキ魔ヲ討チ滅ボストナ。

 

ユエニ、ワガタンマツヲワレガアヤツルコトハ、セイトウデアル」

 

だがそんな芳乃の言葉さえも、虚絶には一切通じない。彼女は彼女の中で完結している。千年の時を経て朽ち果てぬ憎悪は伊達ではない。

 

「──我ガ望ミハ、端末ノ望ミ。ソコノニナイテトハチガイ、センシトシテモスグレテイル。タショウノソンショウナドモンダイデハナク、マタワガニナイテニフサワシイセイシツモアワセモツ……ドウダ。キサマガエランダニナイテナド、ヒカクニナルマイ」

 

まるで自分の最高傑作を自慢するかのような態度で、虚絶は語る。

だが、そんな態度が琴線に触れたのか、遂に将臣が踏み出す。

 

「あんたが言いたいことはつまり、叢雨丸に意志があるとかそういうことでもなくて、要はプライドの話だな?」

「プライド……? ナンダソレハ。ワレガショウメイスルハタダヒトツ。

ワレト、スバラシキワガタンマツノユウイセイニホカナラナイ。

 

──我ラガ抱キシ千年ノ復讐。ソノ誓イヲ、無下ニ扱ッタ叢雨丸ニナ」

 

腰を深く落とし、両手で刀を構える虚絶。

その構えは一見すると素人のソレだが、しかし一切の隙は無く。魔を滅ぼすために全てを投げ打った一族の末裔の肉体が、後の神速に備えている──!

 

「有地さん!」

 

芳乃が叫ぶ。

 

「朝武さん、常陸さんを連れて下がって!! こいつは俺が……ムラサメちゃん!」

「応さ! いつまでもしがみ付く怨霊に一泡吹かせてやろう!」

 

将臣とムラサメは、虚絶が何故敵意を漲らせているのかを朧気ながらに理解した。

虚絶は、叢雨丸を見返すために事を起こしたのだろう。

だが──

 

「気に入らないな──」

「気に入らぬのだ──」

 

わかるが、とても気に入らない。

そんなに人間らしい感情があるのならば、何故。

怨みばかりを先行させるのか。復讐ばかりを先行させるのか。素晴らしい端末と褒めるくらいには子孫に対する愛があろうに──

 

「「怨みだけならお前が祟りだろう──!」」

「ヌカセ、アオニサイドモガ──!!」

 

地を蹴って爆裂する。その踏み込みは疾すぎる。捉えられない、弾け飛ぶように駆け抜けてくる。背負うように刀を構えて、強烈な兜割りを見舞おうとしているのだけ辛うじてわかる。

だからこっちに出来るのは、正面から迫り来る敵の太刀筋の軌道を見定め、

 

「────ォッ!」

「ヌゥ……ッ!?」

 

渾身の力を以ってして、鍔迫り合いを挑む──!!

ガインッと鈍い音が響き渡り、神刀と妖刀が激突し担い手と端末が睨み合う。

 

「ぐ、っ……!」

「ズニノルナ……!!」

 

だが力の差もあれば技量の差もある。重い、重すぎる。虚絶の刀が重すぎる。千年の重みを乗せた刀身かと錯覚してしまいそうなほどに。

 

「けど──!」

 

だからこそ負けらない。

叢雨丸に選ばれたのは必然だから。選ばれた者なりに、戦い続けた者に力を示さねばならない。少なくとも、戦える者だと認められるくらいには……!

 

が、しかし。

 

「……ま、さ……おみ……?」

 

呆然とした声と共に押されていた力関係が一瞬で消滅する。

 

「そうか……俺は……」

 

虚絶を退けながら、へたり込む。

 

「世話かけた。戻ろう……話すよ、色々」

 

 

 

肉体を取り戻した時、虚絶の怒りが伝わってきた。

なるほど。確かに千年もの間研ぎ澄ませてきた復讐の叫びを、肝心な時にいなかった奴にいい加減にしろと否定されては怒るというものだ。

……案外、こいつも微かに人間らしい部分があるんだな。

 

ただ叢雨丸の発言を支持する……というわけにはいかない。可能性はあるのだ、肝心な時に動けるものが必要だろう。

 

「……まずは一つ、すまなかった。危害を加えようとして」

 

しかし話はそう単純ではない。血塗れの身体を拭きに一旦家に戻って服を取り替え、それから再び朝武家を訪れた俺は、まず真っ先に全員に土下座した。

 

「安晴さんにも、本当にすみません……もっと早く伝えておけばよかった」

「鍵開けっぱなしでもぬけの殻、なんてもしかしたらと思ってたけど。まさかここまで暴れるとは」

 

とかなんとか話しているが、実は芳乃さんと茉子からの視線がめちゃめちゃ痛い。まるで突き刺さるようだ。

 

「何を隠していたんですか、全て教えてください」

「いや、芳乃さん。別に知ったところで今回のは虚絶が──」

「いいから教えてください。お父さんと有地さん、それにムラサメ様も知っていたんでしょう? ちゃんと真実を言っているかどうか、見ていてください」

「……やべーことになった」

 

芳乃さんがとても怖い。

茉子は無言のままだが怖い。

……ええい、腹をくくるか。

 

「虚絶には、稲上の祖先が抱く復讐の意志がある。普段は祟りを感知すると殺せだと物騒なことを言うけど、身体を奪うほどでもなかったんだ。せいぜい祟りを優先させるために操作するくらいで。でも今日は違った」

「叢雨丸ですね」

「……実は叢雨丸に『いい加減にしろ』って言われて渋々見守ってみたら、将臣が不甲斐なかったのにそのままでいいみたいな態度見せられたっぽくて……それで虚絶の奴、怒ってさ。それで今日の一件に繋がるんだ」

「俺の所為ってことだよな、それ」

「いや、虚絶としては将臣にこれといって悪感情は無い。哀れみとかの方が強い。問題は叢雨丸の担い手が完璧でないのにも関わらず、有事の際に行動できる俺たちを否定したことだ」

 

まぁ、とはいえこっちの怒りは八つ当たりじみたものであるのは否定できないが。

 

「まぁ、虚絶も女だし……叢雨丸の女性だしで、女同士にゃ色々あるんじゃないのか? 俺にはよくわからんよ。とにかく、今回の一件で落ち着いたみたいだから、よっぽどのことがない限りまたこういうのは起きないだろう」

 

あと驚いたことと言えば、虚絶と叢雨丸は女であったということか。

虚絶は稲上の祖先……伊奈神京香という女性が核となっているみたいだ。

さて事情説明は終わり。恐らくは叢雨丸も今回の件で面倒くさくなって関わろうとはしないだろう。

 

「待ってください」

 

もう話すべきことは話したとして帰ろうとしたが、遂に無言をやめた茉子に手を掴まれて止められる。

 

「隠してること、まだありますよね。死のうとしたとか、殺すために生まれたとか」

「……そ、それは……えっと」

「教えてください。もう、何も知らないのは嫌なんです。ワタシは」

「もう白状してしまえよ、馨。隠すのは無理だ」

「無駄に黙ってるからややこしくなるってのは俺が実演してるだろ? ここらで本当の事言っておけよ」

 

ジッと見つめられて、そう宣言されてしまわれては──あぁちくしょう、その目で言われたら断れない。

 

「安晴さん、どこまででいいんですかね……?」

「全部じゃなきゃダメなんじゃないかな。まぁ、黙ってた僕が言うのもなんだけど……そろそろ、伝えるべきだと思う」

 

……わかった。全部だ。

言ったところで、俺のやることは変わらない。むしろ今回の虚絶の暴走は、やるべきことを確実に成し遂げられるという確証に繋がるということだ。

 

「稲上の使命は、祟りになりかかってる人間を殺すこと……誰であってもね。過去の一件で朝武に雇われた最終手段ってのはそういうことさ。たとえそれが、あんたたちであったとしても──」

「だから、死のうとしたんですか。殺しを生業とする自分を恥じて」

「違う。時代遅れなんだよ、そんな使命は。だっていうのに親父とお袋が愛した子供が、先祖返りして人殺しに最も適した存在だなんて罪そのものじゃないか。それに将臣もいる……祓う方法はいくらでもある。つまりなんだ、俺は駒川と約束した二十歳まで生きてみるってことくらいしか生きる理由が無い」

 

芳乃さんと茉子は俯き、その表情を伺うことはできない。

あぁ……お通夜ムードになっちまった。まぁそうだろう。今までにこやかに話していた友人が過去に自殺をしようとして失敗してて、かつ今も生きている理由が特にないなんて語っちまえば。

 

「まあ気にするな。そこまで死に急ぐつもりは毛頭無い。虚絶が必要になるような事態があるだろうし、呪詛が無くなってしばらくするまでは絶対にしなないさ。単に俺は、人より自滅衝動が強いだけって話だよ」

「本当にそれだけなんですか」

「心配性だなぁ、芳乃さんは。今までそんな素振りも見せてこなかったろ? 内面の話だし、答えはもう見つかってる。問題無いよ」

 

まぁ、答えは見つけるつもりがない……というのが事実だが、黙っていても問題は無い。

芳乃さんは何処から納得行かなそうにしながらも、言葉に偽りがないというのを周りの人間に確かめた上でとりあえずは飲み込んでくれた。

茉子は何も言わず、ただ一言。

 

「わかりました」、とだけ。

 

それからは普段通りの談笑で、将臣の修行についてバレかかってたりしたが、些細な問題だろう。

 

俺にとって、とても重要な問題は──

 

「……」

「……」

 

帰り道、茉子と気まずい空気のままでいること。それだけだ。

もうすぐ別れ道なのに、一切口を開いていない。やばい、どうしよう……

と、とにかく謝ろう。

 

「悪かった。黙ってて、嘘ついてて」

「……いいです。そんなの」

「そう……なんだ。あ、そろそろだな。じゃあ──」

 

また明日と言いかけて……

ポスッと、茉子が飛び込んできた。

 

「……なんだよ」

「……なんで、あなたなんですか」

「……知らない。あと胸ぐら掴まれても困る」

 

胸に顔を埋めながら胸ぐらを掴むなんて器用な真似をしているが、一体どうしたんだろうか。

 

「バカです、救いようのないバカですよ馨くんは」

「自覚してる」

「──せめて、頼まれなくたって生きてくださいよ……」

「本当にごめん。許さなくていい」

 

声を震わせている彼女になんて声をかけたらいいのか、俺にはわからない。ただ謝罪の言葉を述べながら、背中に手を回すしかできない。

まだ顔を埋める茉子は、さっきよりも声を震わせながら──

 

「……じゃあ、約束してください」

「俺にできることなら」

 

 

──生きて──

 

それが、その日彼女から告げられた最後の言葉だった。



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自由

「……生きて、か」

 

朝の眠気を湯浴みで飛ばしながら、先日の夜言われたことを、また口にする。

生きろと命じたのは駒川。

生きてと願ったのは茉子。

 

この違いは何処から生まれたのか。生きろと生きて──単に言い方の違いというだけで終わるものではない。

いや、考える必要は無い。生きろと命じられて受け入れて約束した、生きてと言われて約束した。だったら不慮の事態で死ぬ以外の死に方は許されない、そういうことだろう。

 

……今日はえらく早くに起きた。

普段ならもう一度寝るかーぐらい思うのだが、今日はなんだかそんな気になれなかった。

 

やけにリアルな感覚で、昨日茉子の背中に手を回した感触が残っている。やけに小さく、暖かく、柔らかい。どれだけ経っても、あいつは『女の子』だったんだな……とも思うし、恐らくは芳乃さんも──

 

「……何考えてる……」

 

不要な思考だとしてカット。ええい、朝っぱらからいらぬ煩悶を抱いてはロクなことがない。

しかし、生きて……とは。どうやって生きればいいんだろうな? 生きろならば考えずに済むから楽なんだが。

──それを探ることを、一つの目標としてみようか。それがわかるまでは死ねない。

 

……随分人間らしいんじゃないかな、こういうの。

 

 

「……生きて……ねぇ……」

 

学院の暇な時間を使って、頭を回す。どうやって生きればいいのか。何をして生きればいいのか。本音を言えば何もしたくない、何も考えたくない。万事が面倒くさくてだから頭を回していない。それは生きているのか死んでいるのか……

 

「……難しいな、ホント」

 

一人ボヤいても仕方ない。

あまりにも難題だ、これは。理詰めで物を考えているからだろうか。どうしたらいいのかまったくわからない。

 

「へーい、馨っちー、飯食おうぜー」

「なんのマネだよ廉」

「ありゃそんなにアレだった?」

「控えめに言って寒気がした」

「全然控えめじゃねーじゃん。んで、どうするよ」

 

チラリと確認すると、いつも通りに将臣もいる。が……

 

「悪りぃ、今日は一人の気分なんだ。ちょいと黄昏させてくれ」

 

ダメだ。生きてという言葉に頭を回してばかりで、他に集中できない。授業すら聞き流すどころか聞いちゃいねえ。それほどまでに生きてに対してどう生きればいいのかを考えてばかりだ。

 

「埋め合わせはするからさ」

「いいって。んな大事でもねーだろ」

「それもそうか。将臣にもよろしくな」

「へいへい」

 

一言断りを入れ、弁当を持って学院の外へと向かう。平屋だからな、屋上も無いし。

フラリと出て行き、ふと当てがないことに気が付く。考えるために離れたつもりだったが、その実考える場所は思いついていなかった。

 

「参ったな……」

 

まぁどこでもいいか。フラフラ歩いて、適当に目についたベンチに腰掛けて飯を食う。

食いながらどうやって生きたものかと考える。生きろではなく生きて──あぁ、まったく、本当にわからない。何が正しくて何が間違っているのか……

食い終わってからも、考えて考えて考えて……グルグルと渦巻く疑問に答えが出ない。

しばらく頭を悩ませてから、はたと気が付く。今何時だ? 時計に目を落とせば休憩時間はとうに過ぎてる上に、もう授業は始まっていた。今から戻っても、ここからなら十五分近くかかる。

 

財布の類は一通り持ってるし、鞄には教科書程度だが……いいのか? はっきり言って間に合っても半分以下しか受けられないぞ? でも行かないのもアレだしな。

 

と、そこまで考えて。

今俺はどうしたいのかと思う。

 

ぶっちゃけ面倒くさい。

バックれた方が早い。

でもバックれたらバックれたで……別に怒られはしないか。呆れられるだけで。

 

都合よく比奈ねーちゃんから電話がかかってくる。

 

「ねーちゃん?」

『稲上くん、どこほっつき歩いてるんですか? もう授業始まってますよ』

「……悪いけど俺サボっから。全部欠席にしといてくれて構わない。ごめん、比奈ねーちゃん」

『えっ? あっ、ちょっと馨……!?』

 

困惑するねーちゃんに心の中でもう一度謝罪しつつ、俺は電話を切って立ち上がる。

……なんか、気分がいい。

今はじめて、明確に自分で考えて自分で決めた気がする。今までだって学院行くのは学生だから当然だと考えてて、だから戻ったであろうことは予想できる。

 

だけど違う。俺は明確に自分の成さなきゃいけないことと、自分のやりたいことを天秤にかけて、やりたいことを取ったんだ。

 

何とかだから、みたいな理由じゃない。利益と不利益で考えたら不利益だ。でもその不利益を是として、俺は不利益を自ら選んだんだ。

そうか、これが自由か。これが生きるってことか。惰性で生命活動を続けてるのとは訳が違う。

生きて、の答えではないだろうが……だがそうか、これが俺が選んでいなかったもの……!!

 

「はっ、最高だな──」

 

上機嫌で歩き出す。さて、家帰って弁当の容器洗って……それから何をしようか? 時間は山ほどある。何もしないのも選択の一つだ。

あぁ、日常とは、こうも楽しいものだったか──!!

頬が緩む、気分が高揚する、足が軽くなる。

 

「あぁ生きるさ、生きてやるとも……!」

 

生きろと言われ約束した。

生きてと言われ考えてみた。

 

だったらこうして考えてアレコレ試してみることこそが、どうやって生きればいいのかの答えが見つかる筈だ。

生まれたことが罪である存在が生きてと言われたなら、どう生きればいいのか。普通に触れ続ければ、異常との境目が見えてくる──俺の生死の答えは、そこにある……!

 

 

 

「──で? サボったのは初めての自由に選択したことにテンションを上げてしまったからというオチなんですね?」

 

そうして得た自由を謳歌し、何をしても新鮮味を感じるほど満たされていたのだが。

 

「何故このような」

「中条先生が「不良になっちゃったかなぁ……?」とか言っていたので、無用な心配をかけることが得意なあなたに説教をしに来ました」

「ワタシはいつも通り」

「あんたまで説教かよ!?」

 

学院に置いてきた鞄を届けるついでに、家に乗り込んできた巫女姫忍者コンビに正座させられてしまった。

 

「いいですか。例の隠し事は事情が事情ですし、私でも似たようなことをしたでしょうから不問ですけど、それでも信頼されてなかったというのはショックです」

「そっから? いやでもあれは……」

「私たち友達じゃないですか!」

「あっ、吹っ切れたなコイツ!」

「ええ! 巫女姫の立場に縛られる必要はそれほどないのだと理解しました! 有地さんのおかげです!」

「あいつ来てから展開が多すぎるんだよちくしょう!」

 

説教とは程遠い、醜い言い争いというか……我ながら何をしているのだろうか?

 

「馨さんは深く考え過ぎなんですよ! 明日はきっといいことだらけくらいの感覚でいいんです!」

「ガキの頃に命の話だぞ!? 無茶言うな!」

「今でも変わらないじゃないですか! 抱え込んで一人で悩んで。相談くらい乗りますよ! だというのにあなたは……子供のときから変わってません!」

「なにを! 立派に変わったよ!」

「茉子か私が引っ張り出さないと家から出てこなかったクセに!」

「たりめぇだよ! 慣れねえ土地だったしな! お前だって木に登ろうとしてすっ転んで泣いてたじゃねえか! 宥めたのってほとんど俺だぞ!」

 

説教はどこへやら。

完全にヒートアップした俺たちは過去の出来事を掘り返しつつ罵倒なんだか罵倒じゃないんだかよくわからないことを言い合う。

 

「つか重荷を背負ってるお前に余計な世話かけられるか!」

「重荷を背負ってるのはあなたもでしょう! お父さんたちには話せて私じゃダメな理由はなんですか!」

「子供じゃん! 大人じゃねーじゃん!」

「なっ……子供じゃないもん! 私より有地さんの方が子供っぽいのに!」

「子供だ子供! 将臣を引き合いに出してる時点でな!」

「二人とも」

 

あまりにもドスの効いた声でそう言われては、止まる以外できない。

……というか、それは卑怯だろ茉子。

 

「不毛な争いはやめてください。近所迷惑ですよ」

「……ぐっ、返す言葉も無い」

「ぐぬぬ」

「芳乃様、落ち着いて端的に」

「そうね、そうよね。なにやってんだろ、私……ごめん茉子」

 

軽く深呼吸をした芳乃さんは、佇まいを正してから

 

「馨さん。もっと人を信頼して、弱いところを見せてください。相談とか、してください。私たちじゃダメなんですか」

 

と、俺の身を案じるように言った。

……この様子だと、あの後色々聞いたな? ムラサメ様か安晴さんかは知らないが、出所はいっぱいあるわけだし。

 

言われてみれば確かに誰かに相談することもなく、俺は自己判断に全てを委ねてきた。全て自分で判断して、自分で実行していた。相談などしても無意味だと勝手に断じていたが……ここまでバレたら、存外気楽に言えるのかもな。

 

「……努力してみるよ、芳乃ちゃん」

「またそんな懐かしい呼び方を」

「いいだろ? たまには」

 

微笑む芳乃さんを見て、閉じた俺を外に連れ出してくれたのは、こんな笑顔だったんだと……今更ながらに思ったが。

 

──どうしてか、本当に心惹かれたのとは違う気がした。

 




二章終了
三章は書き溜めてますのでお待ちを。
なんとかして年越しくらいには三章を書き終わりたい……


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Chapter3 決戦 分裂

急に9時にしてすみません。
これまた実験的なものですので、ご容赦


目が醒める。

……身体が重い。

 

布団から身体を起こし、首を一捻り。パキパキと鳴らしながら時間を確認。──五時? 早すぎる、気合いを入れないと起きられないはずなのに、何故……?

 

「目が醒めたか、我が端末よ」

 

疑問を打ち破る第三者の声。

肉体が反応し、布団を蹴るように後退。すぐさま枕元に置いてある短刀を手に取り構える。

 

「比奈、ねーちゃん……?」

 

だが見えたのは比奈ねーちゃんの姿。

しかしその瞳は冷酷な色を宿し、かなり古式の着物を着ている。

違う、こいつは比奈ねーちゃんじゃない!

 

「いいや、誰だお前……! 俺は比奈ねーちゃんに鍵は渡してない──!」

「まだわからぬか? でハ、コチラのホウガキサマニハワカリヤスイナ」

 

腑に落ちなさそうな表情と流暢な言葉使いから一転。憎悪に塗れた表情と人ならざる気配、そして俺の声と混ざった女の声。

間違えるはずなど無い、これは……

 

「虚絶──!?」

「カカカッ、イカニモ」

「なんでテメェが比奈ねーちゃんの姿してやがる……! 今すぐその貌を変えやがれ!」

 

怒号と共に不快感をあらわにする。俺の姿ならまだしも、よりにもよって比奈ねーちゃんの姿をしているのが気に食わない。これが虚絶でなければ、本気で殺していたところだ。

 

「フむ、なラバこれでどうだ?」

 

毒々しい気配が消えたと思ったら、黒い靄がかかる。それが消えると同時に現れたのは……俺ではなかった。

──何故か、茉子だった。

 

「貴様の記憶の中で印象深い女の姿を取ってみたが、如何に」

「不愉快極まりないな」

「では何を望む」

「……俺でいいよもう」

 

不快感を剥き出しに吐き捨ててやると、虚絶は再びその姿を変える。三度目にしてようやく俺の姿だ。

だがやはり着物のままだし、しかもそれ女物じゃねえか……

 

「で、朝っぱらから何の用だ。しかも叩き起こしやがって。生前の習性か何かを流し込みやがったな? 余計な世話だっつーの」

 

意識は眠いのに身体は起きる気マンマンなのでめちゃくちゃ気持ち悪い。

……ていうかこいつ、実体を持ってたのか? 意志だけの存在だと思ってたんだが。

 

「黄泉道に迷い彷徨える者に実を与える術を応用し、あの管理者のような状態を意図して作り出した。誰しもに見えるだろうが、緩めれば見れる者が絞られる」

「人の思考を読むな。接続されてる身にもなれ」

「我が端末よ、れな・りひてなうあー……だったか。アレは、なんだ」

「レナさん? ……いや知らない。将臣みたく、ちょいと神性に縁があるんじゃないか。にしては、お前が衝動を送るあたり怪しげではあるが」

「では洗う。駒川の者に尋ねる」

「勝手に動くつもりか」

「寺子屋があるだろう、貴様は」

 

いや五時だし、行って話を聞く分には問題と思うが……これがどういう状態なのかがわからないのはかなりまずい。

 

「……とりあえず俺の記憶を照会できるなら散歩するときの道を歩いてこい。俺は家にいる」

「解せぬが、解した。その無益を成してくるとしよう。我が端末よ」

 

そう言い残して虚絶は家を出て行く。俺は今に行き、水を飲んで胡座をかいてテレビを眺める。差し障りのない、つまらない内容ばかりでいつも通り。

しかし、突然──

 

「……あれ……」

 

視界がブレる、意識がトぶ。

家にいるはずなのに、どうしてか建実神社の近くにいる。ただボーッとしていた筈なのに、自分の行動に異常なほどの疑問と魔への飽くなき殺意が溢れ出す──

 

「戻、れ……ッ!」

 

意識があっちこっちすっ飛んで仕方ないどころではない。混ざっているどころではない、ミキサーにかけられているようだ。

俺と我が混ざって、我が端末がズレる。俺と虚絶の境目が崩壊して、やばい──!!

どうやって繫ぎ止めるべきなのか。何をするべきなのかを考えている筈なのに思考すら回らなくなりそうになったとき、虚絶が戻ってきた。

その途端混線した思考が急激に戻り始め、吐き気のようなものすら覚える。

 

「戻ったぞ我が端末よ。どうやら我と貴様の接続は、我が実体を得て行動する場合、近くばかりにいた影響で急激な距離変化が発生すると接続が解れ混ざる。我の方が質量が大きい故、貴様を呑むらしい」

「……てめ、そういうの、先に言え……ッ!! 気持ち、悪りィ……」

「水を飲み横になれ。意識の混濁は平常を保ち、原初の己が何を抱いていたかを強く抱け。貴様の始まりは確か……あの──「黙れ!!」──ふむ、失言か」

 

ごちゃごちゃうるさいんだよ亡霊のクセに──! 水を再び飲み、近くの雑誌を枕に横になる。

クソほど腹が立つが、こいつの発言は正しい。寝っ転がって自分の中身を意識していくと、自然と混濁した意志が纏まり始める。

 

──笑顔が浮かぶ。

……これは幼少の頃見たもの。誰の笑顔だったか……とても綺麗な、笑顔だったのに……

 

「──よし」

 

時間にしておよそ一時間三十分ほど意識を集中し、自らを取り戻す。

……えらい目にあった。まさかあれほどぐちゃぐちゃにされるとは……

 

「落ち着いたか」

「……朝から面倒だ」

「意志に罅が入っていなければ問題は無い。しかし貴様に関しては心配無用だ。その意志の根底にあるものは、祟りになろうとも砕け散ることはない。それほどまでに眩しい笑顔か」

「勝手に語るな」

 

……出てきた理由はレナさんについて調べるためらしい。整理していたら見えた。あと久しぶりに好き勝手動いて気分が良くなったから、肉の檻を欲したというのもある。

しかしその行動はただ一つ。あらゆる魔の撃滅。もしもレナさんが誤認でもされたら目も当てられない。

 

「で……どうする? お前と駒川に面識無いぞ」

「適当な姿を借りる。貴様ではなく、他の者からな」

「不快にさせそうだから俺行くよ……なんなら接続のギリギリを維持して距離を伸ばしておいてくれ」

「御意。では行くぞ」

「待ってご飯食べたい」

「そうか、習慣は違うのだったな」

 

──こりゃ苦労しそうだ。

七時くらいなら起きてるだろうから、それくらいに一報入れとこう。

 

 

「……つまりなんだ。お前、刀から出てきてるのか」

「統括存在たる我が離れれば必然的に我が端末に流れ込む。故、混線が発生するのも然り。我があの剣に入っていれば問題は生じん」

「そ。戻ってくれると助かるんだが」

「手が足りぬだろう。我が力を貸す」

「ありがた迷惑だこんちくしょう」

 

飯食ってのんびりした後、外に出たら出勤する比奈ねーちゃんとばったり会ったので遅刻する旨を伝え、虚絶を連れて駒川の診療所に向かう。

極限まで存在濃度を薄くし、俺以外の適当な姿を取らせた虚絶だが、その姿は古き良き大和撫子のような出で立ちだ。

というか、素材があまりにも良すぎる。本人の口から割らせた生前の姿を摸している筈なのだが、どこか美化しすぎただろうか?

 

「美化も何も、貴様の根底にあるものから派生した姿だぞ」

「……は?」

「無自覚か思考停止か。いずれにせよ貴様も男ということだ、我が端末よ」

 

いきなり何言ってんだこいつ。てかすぐそうやって人の思考を読むのをやめろ。

やれやれとため息を吐く虚絶を怪訝な表情で眺めていると、診療所が見えてくる。

 

「最大距離」

「対象のいる部屋から玄関よりやや離れた程度」

「不便だな」

「近すぎる弊害だ。慣れろ」

 

チッ、ほとんど離れられないな……

 

「荒療治だが、混線開始距離を保ち貴様の意識だけで耐えれば必然的に伸びるぞ」

「断る。俺が俺でなくなるなんてまっぴらごめんだ」

「それでこそ我が端末、素晴らしき存在よ。

──む、この感覚は担い手、それに管理者か」

 

フラフラ歩いていると見えてきたのは何故か診療所の前でたむろってる将臣御一行。ムラサメ様もいる。

 

「よ、おはよう」

 

と軽く挨拶をすると、ギョッとした目で隣の虚絶を見られる。見えないようにしているんじゃなかったのか。

 

「見える回線を持つ者には何をしようとも見える。しかしあの時は義憤に塗れた顔をしていたが、それなりに若い顔もできるものだな」

「あの、どなたですか?」

「巫女姫よ、我は我が端末を通して先日貴様と出会っている。我に啖呵を切ったその姿、忘れようにも忘れらぬ」

「端末……お主、虚絶か!」

 

一度襲いかかられた経験からか、ムラサメ様の表情は険しい。というか全員が全員、その意識を戦闘用に切り替えているようだ。朝の雰囲気ではない。

 

「如何にも、我が名は虚絶」

「乗っ取るのはやめて今度は自ら現れたか亡霊め。いつまで馨を縛るつもりだ」

「縛るのではない。盟約と成したのだ。我らは魔を討ち亡ぼすがべくその命すら天秤にかけた。なんであろうと亡ぼすと決意した素晴らしき我が端末と我は、共に憎悪と殺意を束ねる者」

「それを縛るというのだろうが!」

「否。我が端末は我が端末であり、我は我である。我と我が端末は、単に肉体を共有するのみ」

 

淡々と返していた虚絶がムラサメ様をギロリと睨みつけながら吐き捨てるように語る。

 

「だが縛るであれば貴様もそうだろうが。ムラサメなどと名乗り、父母から戴いた名誉なる名を名乗らぬ貴様こそ縛られる者。哀れなる幼子よ、救いを求めよ。その先にこそ貴様の生がある。故、その使命を──「いい加減にしろ」──無駄話だったな」

 

一瞬で興味を無くした虚絶は表情は虚無のまま佇む。

 

「悪いな、朝っぱらから。俺は駒川に用がある。どいてくれないか」

「いや、俺たちもあるんだ。これのことでさ」

 

と、将臣が見せたのは透明な欠片。

先日、朧げながらに虚絶を通して見たものと同じだ。

が、刀から虚絶が抜けている所為で衝動等は送られてこないので判別が出来ない。

……さて、これは……

 

「おい虚絶、動くなよ」

「あいわかった。何も無いに越したことは無い」

「そーかい」

 

要件が同じなら構わないやと入っていくついでに、虚絶は外に置いておく。話をややこしくされては困るからな。

 

 

「祟りのところに落ちてた、ね」

 

あの欠片は水晶のようなものであり、何か不思議なものであること。そして芳乃さんが触れようとしたとき、何故か静電気めいた反応を一つしたということくらいしかわからず、より精密な観測が必要とのこと。一つとは思えないのでムラサメ様が探してみるとのことだが、さて上手く行くやら。

 

「陰陽師の末裔であれじゃ、俺らはお手上げだな」

「でだ、馨は何の用だい? 虚絶に関係することかな」

「いや近況報告。遂にそこの二人にバレたよ。あと虚絶が叢雨丸の態度に腹立てて暴れたりとか」

「……おい、重要なことだぞ」

 

大変微妙な顔をしながら、駒川は続きを促す。

 

「まぁそれだけじゃなくてな。虚絶の件は調査が完了次第伝えるが……真面目な話もある。駒川、レナ・リヒテナウアーに憶えはあるよな」

「うん? あぁ、留学生の。でもどうして彼女が出てくるんだ?」

「将臣をはじめてみたとき、レナさんをはじめてみたとき……虚絶から微弱な衝動が送られた。が、一回きりだ。将臣が担い手だったことを考えれば、何かしら関係があるかもしれん」

 

そう言うと駒川は「なるほど」と呟いたが、代わりに反応したのは茉子と将臣だった。

 

「それ本当なんですか」

「嘘言ってどうするよ。虚絶が実体を持って現れたのもそこが所以だ。しばらく考えて分からんのと叢雨丸への当てつけのためだけに五時に叩き起こしやがった」

「でも、レナさんはどう考えたって関係者には見えないだろ」

「おかしいと思わなかったか? タタリとオンリョウなんて間違いをするかよ普通。どれだけ日本語が不自由でも、「み」と「り」は間違えても「せん」と「りょう」は間違えないだろ」

「言いがかりだよそんなの」

「だが、だ。もしも彼女の家系がこっちに来てたとき、祟りを見ていたら? 否定はできまい。それに虚絶が衝動を送った理由も知りたくてな……裏は取っておきたい」

「いくらウチが古くからの資料があるとは言っても、流石に外国人の出入りに関しては何週間洗い直すことになるかわからないよ。それでも構わない? 当面はこの欠片を優先させてもらうけど」

 

駒川の言うことはもっともだ。

外国人の出入りの記録なんてはっきり言って残っちゃいないだろうし、下手をすれば百年以上前の資料を洗い直すことになるんだから。

 

「構わねえよ。テメェの腕は確かだからな、時間かけてでも明確な情報が出るってのはいいことだ」

「褒め言葉として受け取っておくよ」

「素直に褒めたつもりなんだがね。まぁ少々危険だが……虚絶を通して祟りが見たものとかを洗ってみるのも手だし、詰まったら教えてくれ」

「わかった。とりあえずリヒテナウアーで洗ってみるよ」

「任せるぜ、駒川センセ」

 

ヘヘッと笑いながら要件は済んだとばかりに一歩下がる。

そこに耳打ちしてくる茉子。

 

「ビターな会話ですね」

「入水自殺未遂からの縁だしな」

「……本当に、あなたって人は」

 

呆れてくれるなよ、そういう風にしか考えられなかったんだしさ。

まぁそんな風に俺の頼みたいことも聞きたいことも終わってしまったし、本題も終わった。

あとは個人的に聞きたいことがある将臣が残り、俺たちは芳乃さんの希望で彼を待つことになった。

 

「戻ったか、我が端末よ」

「まだ待つぞ」

「御意」

 

出てきて早々、壁に寄りかかって腕を組む虚絶に告げると、何故か虚絶は茉子に近づき出した。

そのままジッと顔を見つめ──

 

「なるほど。やはり純情なものだな」

「はい?」

「いつの時代も、男女とは得てしてこんなものか。いやまったく、何一つ変わってない」

「おい、静かにしてろ」

「知らぬは本人ばかりか……理解ある故苦労するな、巫女姫。いや、貴様も難儀なものだったか……さてはて、如何にして成り立つものやら」

「は、はぁ……」

 

などと意味の分からないやり取りをした後、最大距離まで離れる虚絶。

本当に何のことやらさっぱり。今朝はこの女に引っ掻き回されて辛い。

 

 

それから戻ってきた将臣をからかいつつ、学院へと向かう。ムラサメ様と似たような状態である虚絶は最大距離を保つべく学院の敷地内に堂々といるが、そう見える人間もいないし問題は無いだろう。

後ろの方では廉が弁当を忘れただの騒がしいが、さりとて気にする必要は無し。俺はとっとと食って、色々試すとしよう。

 

「カオル」

 

と、暇つぶしがてら虚絶に作らせた弁当を食べようとしていたところで後ろからレナさんに声をかけられる。

 

「カオルもわたしたちと一緒に食べませんか」

「君はよく俺を誘うよね」

「……ダメでありますか?」

 

ショボくれたレナさんを見て良心が痛むが、しかし今日はそうはいかん。いや、今日もか。流石に虚絶との接触確認等は一人の方が都合いいというか……

あぁでもダメだ。そういう子犬みたいな目をされてしまっては困る。大変良くない。しばらくのお見合いの末に折れたのは──

 

「……わかったよ。今日は乗るよ」

 

俺の方だった。

 

「ありがとうございます! 大勢で食べるご飯は美味しいですからね〜」

「そうかな? 色々と面倒だと思うけど」

「そういうものではないですよ。誰かと一緒にというだけで心が躍るのです」

 

そんなことを言われてもなと思いながら向かってみれば、珍しい顔がいた。

 

「あれ、小春ちゃんいたんだ」

「いたんだって、酷いですよ馨さん」

「そうだぞー。俺の弁当を持って来てくれた可愛い妹をいたんだとは失礼な奴だな」

「ふん、ツンデレ兄妹どもめ」

「ツンデレじゃないです!」

「ツンデレじゃねえよ!」

「やれやれ、知らぬは当人ばかりか……この血筋は鈍いのが当たり前なのかね」

 

──貴様が言えたことか──

 

うるせぇよ、タコ。俺は鈍くねえ。

茶々を入れる虚絶を罵倒しつつ、席を合わせる。

 

「あれ? 馨くんの弁当の中身……なんか、古風ですね」

 

ひょいと覗き込んできた茉子のコメントは的確だ。何せ千年前の人間がベースとなっている存在に飯を作らせたのだから。

極めて古風だ。ご飯に漬物に卵焼きに、あとは煮物が少しと焼き鮭。六時半から七時半までの一時間で作ってみろと振ったが、さて。見てくれはいいがな。

 

「長年の居候してる奴を顎で使った」

「あぁ……彼女ですか。これはこれで風情があっていいですね。今度やってみようかな」

「いいんじゃないか? 好きだぜ、そういうの」

「あは、これでいい実験体が手に入りましたよ」

 

そんなやり取りをした後、飯を食べる。

……古風な味だが、懐かしい味。

千年の憎悪とは裏腹に、母親の味のような、慈しみを感じた。

 

しかし、飯の最中に下ネタはやめてくれないか廉。

──マナーがなってない。



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休息

「ほう、ここが現代の茶屋か」

「急に出てきたと思ったら、甘いもん食いたいってのは妖刀の名が泣くな」

「端末よ、我は貴様と影響し合っている。故、貴様もここに来たかったのだろう」

「否定はしねえよ」

 

休みだからと暇を潰していたら、急に虚絶が出現し甘味処へ案内しろとか言い出した。昨日飯を作らせ家の掃除をさせたことに対する反逆だろうか。まあ俺も食いたいと思う気持ちがあったし、否定しなかったが。

なので田心屋に連れて来たが……実体を持たせた上で、全員に見えるようにしているので迂闊な発言ができない。

 

「響是津京香という名を名乗れば良かったな」

「そ。手間をかけさせるなよ」

「御意」

 

そうして無表情と無感情のまま、虚絶は田心屋の扉を開ける。

 

「いらっしゃいませー」

 

出迎えるのは小春ちゃん。

しかしこの千年前の亡霊は何を勘違いしているのか。

 

「頼もう」

 

……なんて、ぶちかましやがった。

 

「はい……?」

「頼もうと言った。貴公、頼もう」

「えぇっと、何名様ですか?」

「……どうなっている……? 馨」

「はぁ……二名だけど、席空いてるかい?」

「あっ、馨さん! はい、空いてますよ。でも相席ですけどいいですか?」

 

話のわかる俺がいたからか、先程までの困惑した表情からパァーッと明るくなる小春ちゃん。子犬みたいで可愛い。

しかし、相席……相席か。大丈夫かコレ。いや、俺が手綱を握ればいい。うん。

 

「ま、仕方ないことだ。こっちは構わないよ」

「じゃあ、ちょっと待っててください。聞いてきますので」

 

そうしてトコトコと歩いて行って、しばらくもしないうちに小春ちゃんが戻ってきて案内される。

そうして相席となったが……なった先が、だ。

 

「渦中の人間と会うとは、これもまた宿痾か。実に呪わしきかな巫女姫。我らは断ち切れぬ鎖の下に集うというわけか」

「……ホント、ごめん。みんな」

「いや、いいんですけど……何故?」

「甘いもん食いたいって」

 

将臣に芳乃さんに、レナさんに茉子の席。いやはや、なんというか困ったというか……うむ、参ったな。

 

「表が無いぞ」

「メニューは後から来るよ」

「随分と変わったものだ、服装や慣習が似通っていても本質が異なっている。これも時代か」

 

千年前の遺物に振り回されて困ってしまう。俺を含めこのバケモノ大和撫子を怪訝な視線で見つめるそんな中、はじめて虚絶の人間態を見たレナさんは興味深々といった様子で尋ねてくる。

 

「カオル、そちらの女性はどなたですか?」

「我は響是津京香。貴公は……れな・りひてなうあー……? だったか」

「はい。気軽にレナと呼んでください」

「何故、名で呼ばねばらなぬ? 我と貴公は此度、はじめて顔を合わせた。故、親しくもない。慎みを持つがいい。意中の相手に呼ばせる程度こそ、女子らしいというものよ」

「イチューの相手とは、一体なんですか?」

「意中の相手なぞ、意中の相手だが」

「申し訳ありません。わたし、日本語はそれほど堪能ではなくて……」

「恥じることはない。貴公の努力は無価値に非ず。無意味に非ず。誇れ、りひてなうあー」

 

……こいつこんなキャラだったか?

 

「して、りひてなうあー。貴公、恋をしたことがあるか。意中とは即ち其れだ」

「おぉー、なるほど……イチューとはそういう。表現が多くて困ってしまいます」

「素直に表現できぬ人種故、面倒くさいのだ。そこの馨のようにな」

 

なんかすごくいい話みたいな雰囲気にまとまってるけど、こいつの本質が破壊であると思うとものすごく微妙な気分。

そうこう待っていると、奥から小春ちゃんだけでなく芦花さんも出てきてメニューを渡してくれる。

 

「あら、馨」

「や。邪魔してるよ」

「女の人まで連れてきてまぁ……」

 

と含みのある表情を見せてから隣の人形めいた虚絶に目を向けるが、当の虚絶はメニューを眺めている。

 

「金が、違うな」

「そりゃそんだけ経てばな」

「ぷりん、ぱふぇ……貴様の記憶にあるものだな」

「……そりゃね」

 

なんか、手のかかる妹持ったみてぇ。ご先祖様だけど。そうしてげんなりしていると、こっそりと耳打ちしてくる将臣。

 

「……マジで虚絶?」

「マジ」

「嘘だろ」

「……信じたくねーよ」

 

虚絶の生前はいいとこのお嬢様だし、しかも彼女の最新の情報というのは安土桃山時代で止まっている。何せそこからずっと穂織の地にいるし、しかも中々外に出られなければ接続先もほとんどいない。

俺のような奇跡が起きて、やっと数百年ぶりに情報更新だ。

 

「貴公、我はこれを」

「みたらし団子ですね。お飲み物はいかがいたしますか?」

「抹茶以外に何があるというのか。茶屋だろう」

「……あー、なんかごめんね、芦花さん。不快ならすぐ出てくからさ」

「いえ、大丈夫ですよ。緑茶ですね」

 

そんなわけでみんな思い思いに注文していくが、俺は羊羹と珈琲にした。意外と合うんだなぁ、これが。

 

「常陸の末裔よ、何故我を見る」

「いえ……別に」

「我が憎いか。それとも妬心か」

 

何か思うものがあるのか、視線を向けた茉子に一瞬で反応する虚絶。いや喧嘩は勘弁してくれよ……

 

「違います」

「よかろう。知らぬのならば知らぬままでいろ。最果てに待ち受ける喪失と出逢うその時まで」

「……」

 

不穏な空気が流れる中、はたと気がついたようにレナさんが再び虚絶に声をかける。

 

「キョーカはわたしたちとそれほど年齢が離れていないように見えますが、カオルとはどういう関係なのですか? もしかして……カップル?」

「馨とは単なる親族に過ぎん。あと我は既婚者だ。既に子供もいる」

「キコンシャ、コドモ……えぇ!? けけけ、結婚されているのでありますか! えっと、その……おいくつでありましょうか?」

「齢か。三十路だ。夫と結ばれたのは十五程度だったな。過去のこと故、朧げではあるが」

「ぜ、全然そう見えませんでした……これが東洋の神秘……! ファッキンです」

 

突っ込みたい。

君が話してるのはとっくの昔に死んでいる人物で、俺のご先祖様なんだって言いたい。子供いるって言ってたけどその子供の末裔が俺だって言いたい。

でも言えない……だって言ったらややこしくなる!

 

「……馨さん、大丈夫ですか?」

「ありがとう。芳乃さん……気持ちだけでも嬉しいよ」

 

微妙な顔を察してか、芳乃さんの気遣いが身に染みる。

が、何を勘違いしたやら。

 

「接続に問題は無いはずだが。逆流したか」

「ちげーよ」

「ならばよい」

 

もうやだこいつの相手……疲れるよ。

 

「して馨よ。我は疑問なのだが」

「はいはいなんですか」

「近頃も未だ一夫多妻の慣習は残っているのか」

「……なんで?」

「そこな男、我が知る限りでは女ばかりにかまけているように見えるが、如何に」

 

と、将臣を見ながら言う虚絶氏。

言われた側は顔を面白く変化させ、見ている側はやや冷淡な視線になる。しかしそんなことは意にせず、虚絶はペラペラと口を回す。

 

「貴様、女子に囲まれているのは衆道を隠すためか。何、恥じることはない。よくある話だ」

「違いますからね?」

「では何の為に……そうか、それは秘匿であったな。狭く早い土地故、駆け回っているものと考えていた。古き都でも陽が三度落ちれば噂は巡っていたものよ」

「そういうことなんで、内密にお願いします」

「だが答えてもらうぞ。貴様、女子の好みは?」

「はい!?」

「三者三様、否。四者四様。侍らせる女子は選り取り見取り。見目麗しい子ばかりだ。馨は「可愛い子ならなんでも好きだ」などとくだらぬ発言をしていたが、男子としてあげるのならば誰だ」

「おい俺を巻き込むな」

「答えを知っているのに黙っているからだ」

「知らねえって」

「甲斐性のない男め。送り狼になるくらいはやってみせろ。──さあ答えよ」

「え、あー……」

 

未だかつてないほどに困惑する将臣と、それをジッと見つめる芳乃さん。なんだかんだで惹かれあっているみたいだが、さて。

そんな風に眺めていると茉子がチョイチョイと肩を突き、俺を呼ぶ。なによなによとちょいと寄ってみれば。

 

「性格、よく似てますね」

「ご先祖様だしな。似てない方が問題だ」

「……何年前なんですか?」

「千年」

「千年……?」

「千年」

 

千年……とぶつぶつ呟き出したのでそっとしておこう。まあ千年なぞ途方の無い数字。遙か彼方の事柄だ。

 

「い、言わなきゃダメ?」

「それしか娯楽もあるまい。我とて暇だ。コイバナ……? なるものなのだろう、これは。年頃の童はこのようなもので盛り上がるという」

「どこ情報ですかっ」

「違うのか」

「いや違わないけどそんな性癖暴露大会じゃなくてこう、もっとなんていうか、フワッとした感じの……」

「ふむ、やはり更新は必要だな」

 

すっとこどっこい虚絶ちゃんがまた何か言おうとしたとき、運ばれてくる注文の品々。

揃い切ってみれば和洋折衷、ここも様変わりしたものだなとしみじみ思う。芦花さんが経営に関わりだしてから、だいぶ方向性を変えたのは知っていたが……大抵ここに来るときは廉とあんみつを食いに行くくらいだからな。

 

てか、芳乃さん甘いもの好きだったんだな。あんなに嬉しそうな顔をしているのはガキの頃くらいしか見たことないぞ。

 

「甘いもの、好きだったんだ」

「あれ、言ってませんでした?」

「俺、家に押しかけて外に連れ出すお転婆姫様しか知らねーよ」

「……それは言わないでください」

「ヨシノはお転婆だったのですか?」

「違います。これは馨さんの嘘で──」

「暇だからって人ん家押しかけて野っ原かけっこと木登り対決を挑み、ヘロヘロになって追っかける俺を見て今度は茉子の家まで競争だとか……付き合わされるこっちの身にもなってくれ」

「あー。ありましたね、そんなことも」

「茉子!?」

「三人は昔から仲良しなんですね」

 

茉子がしみじみと呟き、そんな様子からレナさんは通りでと納得している。しかし件の婚約者殿ははえーっといった様子でしか見ておらず、能天気なことだ。

 

「だから将臣、気を付けろよ? この女、誕生日が俺より早いからって姉貴ぶりやがったんだ。いや本当に。お前も尻にしかれないようにな」

「前から思ってたけどお前って結構口悪いよな。今日しみじみ思ったよ」

「なんだよ、人が親切心で教えてやってるのに」

「朝武さんからの視線が怖いんですが」

「わー芳乃おねーちゃんこわーい。馨くんビビっちゃうなー」

「本当に恥ずかしいからやめてくださいっ」

「はいはい、わかりましたよ」

 

顔を真っ赤にしながらプンスカと怒る芳乃さんが可愛いもんだから、いくらでも遊べそうだがやめておこう。

しかし予想外の面を見て将臣もご満悦らしい。だいぶ面白い顔をしている。

 

「でもしばらくは馨くんもねーちゃんねーちゃんって呼びながらワタシたちの後ろをトコトコ付いてきてましたよね。まるでヒヨコみたいで可愛かったですよ」

「おまっ……!? この流れでそういうこと言う?」

「ワタシだけが芳乃様をからかっていいんですよ。あは」

「面倒くさいオタクはお前は」

 

ニヤリと不敵な笑みを浮かべて俺の黒歴史を明かす忍者と、何故か勝ち誇ったドヤ顔を見せる巫女。

焦る俺を見て何を勘違いしたやら、レナさんがまた間違った知識に振り回されていた。

 

「これがツンデレ……カオルはとても良質なツンデレなのでありますね!」

「待って。どう見てもツンデレじゃないでしょ」

「カオルはツンデレだとレンタロウやコハルが言っていたのですが……?」

「純真無垢な子に何吹き込んでんだあのすっとこどっこい兄妹」

 

そこでふと、茉子が少女漫画を収集していることを思い出した。良質なツンデレの例を挙げるとすれば、その中にあるのではないだろうか?

というかよく見たら……穂織でしか出回ってない奇怪な和洋折衷の服に変えてるな、レナさん。今気づいたわ、

 

「ツンデレのなんたるかは多分、茉子に聞きゃ出てくるよ。あぁ、そうだ。服を変えたんだね。気付くのが遅れてごめん」

「えへへ……どうでありますか、似合ってますか」

「ふーむ……これは……」

 

マジマジと微笑むレナさんを見つめる。

素材が良い。服装自体は茉子や芳乃さんと同じタイプで、そこまで新しいものではない。虚絶の古式ゆかしい着物と比べれば洋の意匠がとにかく強いが。

……まず目に付くのがそのたわわに実った胸部装甲。芳乃さんのと同じモデルだから強調するようになってしまっている。が、こればっかりは仕方ない。俺も男だ、大艦巨砲主義にはロマンを感じる。

もちろんそれだけではない。いや、ここからが本題であり、真実魅力的なところだ。

 

「うん、すごく似合ってる。素敵だよ。ま、俺は普段着の君を見てないからあんまりどうのこうの言えないけどさ」

 

────首だ。

首が、いい。

普段と違った髪のまとめ方から、首がすっきり見えているし、まとめた髪が頸にかかっている。黄金比とはこれこの一絵、並ぶものが無い。

こりゃダメだ、扇情的過ぎる。お子様には見せられないほど美しい。目を奪われる。やばい。

 

「とても嬉しいのですが……その、どうしたのですか? 首をジッと見て」

「んー、君に見惚れてた」

「わぉ、カオルってばストレート」

 

素材が良いってのは、良いことだないやホント。ニコニコと笑うレナさんを見ながら、まっさか首に劣情を感じてましたなんて言えるわけもないので噛み砕いて処理しておく。

 

「お前も大概だよな、女の子を口説くときは」

「はん、フットワークの軽いお前には負けるさ……何?」

 

何故か俺の後ろに廉がいて、会話に混ざっていた。

 

 

「なるほどね。休日の有意義な過ごし方としてみんなでどっか行こうって話だったのか」

 

支払いを終え、外に出て事情を聞いてみると、適当に知り合いを誘ってなんかしようと将臣と廉が考え、待ち合わせに田心屋を使っていたようだ。まぁ女ばっか拾ってくるのは想定外だったみたいだが。

だから小春ちゃんが廉を監視するべく早引きしようとしていたが、芦花さんに止められていた。当たり前の話なのだが、年頃の女の子は難しい。

 

「そうだけど、いや馨も隅に置けねえなぁ? 昼間からナンパかよ」

「廉太郎。この人、馨の親戚。あと既婚者だし子供もいるぞ」

「マジ!? ……どう見たって大学生くらいだぞ……?」

「サンキュー将臣」

 

将臣のフォローがなければ多分話がややこしくなっていただろう。心から感謝。

しかしそうなると困った顔をしつつ、廉は言った。

 

「けども、それならお前はパスか。色々と借りようとか思ってたんだけど、その人の案内とかあんだろ?」

「童、馨に用があるのか」

「童ってまた古風な……いや別に用ってほどじゃ」

「我は構わん。どうせ馨も断るまい。それに、久方ぶりに童の戯れを眺めるのも悪くなかろう。近頃は穏やかなるものとは縁が無い故、心落ち着かせるのも一興だ」

「……えっと?」

「着いてくけど気にするなってさ。それに元気な子供の姿に癒されたいって」

「ほー、なるほど。まぁ、最近はどこも大変だよなあ」

 

まあ勝手に納得してくれたので良しとしようか。それで俺への用とはなんだったのか。それが気がかりだ。

 

「久しぶりに山で釣りしようかと思ってさ。それでノコギリと鉈を貸してもらおうかって」

「あぁ、釣りね。いいじゃないか。行くし貸すよ」

 

さて用意しなければと思ったが、何故か将臣に止められる。

そのまま芳乃さんと茉子を交えて小声で話しているが何を? と思い耳を傾けてみれば。

 

「昼間って大丈夫なのかな」

「舞は奉納しましたし、経験から言っても昼は問題無いはずですが……どうしましょうか。鉾鈴を持っていくべきかしら」

「念には念を入れて、装備は整えておきましょう。馨くんもいいですか」

「……まぁ、そこにいるし。問題無いよ」

 

なんだ、昼間の祟りについてだったか。そこの祟り絶対殺すファントムがいるからそこまで心配はしてないし、いざとなれば俺が出れば終わりなのだから何の問題も無いや。

というわけで一旦家に戻り、俺はノコギリと鉈を持ち出す。虚絶の格好はそのままだが何の問題も無いとのこと。そうしてまた合流し、山道に入った。

 

「竿が見当たりませんが、どうするんです?」

「ふっふっふっ、竿ならここに」

「あ、自前のボロンとかやめてくださいね。引きますから」

「ナチュラルに下ネタを想像する常陸さんに俺はドン引きだよ。流石の廉太郎でもそんなことは……」

「何故わかった」

「お前なぁ!? マジでいい加減にしろよ! そういうの良くないぞ!」

 

……大丈夫かコレ。

真面目に小春ちゃん呼ぶべきだったか。

 

「我が端末よ、いつの時代もあの愚行はあるものだな」

「知りたくなかったそんな日本史」

 

隣の千年前の遺物から衝撃の日本史が出てきたが、しかしそうした事柄に疎い二人は──

 

「自前の……?」

「サオ……SAO?」

 

当然のことながら理解できるわけもなく。

 

「お二人は知らない方がいいですよ」

「仕掛けた俺が言うのもなんだが、うん。知らない方が二人のためだと思う」

「気にしない方がいいよ」

「疎外感を感じる……そっちだけわかってて」

「そうですよ。教えてくれたっていいじゃないですか」

 

下ネタを知らない純真無垢な二人を汚さぬよう、汚れた三人はなんとかしてあれやこれやと言葉を濁すが探究心にはどうしようもない。

なので廉が手頃な竹を採取し、さっくりと針と糸を使って釣竿に変えたのだが、意外にも待ったをかけたのは虚絶だった。

 

「待たれよ、鞍馬の。そのようなひ弱なミミズで魚を釣る気か」

「お手軽なのはミミズだし、本格的なのになると額が大きいしで、学生は大抵こんなもんですよ。響是津さん」

「餌ならばそこらに転がってるではないか」

 

と、虚絶は言い放つと、そこらの木に止まってた鳩をムンズと捕まえて掲げる。

 

「食いつきが良く持ちが良いものこそ狙い目。いざとなれば焼いて食える。しかし鳥はさほど餌としては優れてはおらんが」

「おおう、豪快な……」

 

とかなんとか言いながら鳩を放し、用は済んだとばかりに黙る。時折時代錯誤な発言が飛び出して、俺はヒヤヒヤするのだが。

そうしてたどり着いた先は────

 

「……ここかよ」

「ほぅ、これまた貴様に縁深いところだな……端末よ」

 

よりにもよって、ガキの頃入水自殺を試みた水場の下流だった。厳密に言えば、自殺の下見に来たとき、足が着きそうだからとやめた場所だ。

 

「どうした馨、そんなシケたツラして」

「……いや、少し思うものがあっただけだ。色々あってな、古い話だが」

「あれか? 将臣みたく溺れたとか?」

「そうなのか? 初耳だぞ」

「……それを言うかねお前」

 

聞けば将臣、子供の頃に足をつったかなにかで溺れたとのこと。前歯を折ったり石を飲み込んだりで大変だったようだ。芦花さんが助けて事なきを得たそうだが……

 

「大袈裟だな、将臣」

「お前に比べればな……」

「いや違う。この程度では死なない。この上流に深いところがあってな。子供ならあそこは、確実に死ぬだろう」

「やめろよそういうの。特にお前はさ」

「悪かったよ」

 

冗談になってねーよとボヤきながら事情のわからなさそうな廉が渡したイタドリを手に取る将臣に、すまんなと声をかけておく。

しかしイタドリ……イタドリか。苦い思い出があったな。

 

「あは」

「……絶対忘れねえ」

 

騙しやがった記憶を思い出してジロリと睨みつけると、愛想笑いを向けてくる。許さねえ。

まあいいや……

 

「俺にもくれよ、イタドリ」

「ん? 珍しいな。馨がスカンポ食うなんて」

「まぁ色々あってな。虚絶は?」

「──蛙だ」

 

食うかを聞こうとしたとき、そこにはカエルを装備なさった虚絶が。

あ、ヤな予感。

 

「鞍馬の。糸と針を」

「おっと、抜け駆けはズルいですよ」

「許せ。童心に帰った、ということだ。故に──」

 

全員がイタドリに気を取られていた所為で、手に持ったカエルにほとんど気付いていなかった。

スタスタと近くの岩に近づき──

 

右手に持ったカエルを叩きつけてこれを殺し、そのまま指を突っ込んで皮を剥いだ。

 

「蛙こそ餌に相応しい……現地調達に限るな」

 

一同絶句。俺も絶句。やるだろうとは思っていたが本当にやるなよ。しかもみんな見てるところで。そのまま肉塊をちょいちょいと針につけ、竿に糸を括り付けて釣りを始める虚絶。

 

「……えっと、食べる?」

 

興味津々にイタドリを見つめていたはずの芳乃さんとレナさんも、眼前で行われた凄惨な現地調達に思わず閉口し、そんな様子に気が付いた廉がフォローの意味も込めて尋ねるも──

 

「わ、わたしはちょっと、今は……遠慮します。キョーカは結構荒っぽいのですね……」

「食べますけど……いやまさかああまで豪快なんて。なんていうか、イメージと違う」

 

……古式の餌調達方法は、ちょっと刺激が強かったみたいだ。

とりあえず。

 

「手ェ洗えよー?」

「解している。流石にな」

 

わかっているならいいやもう。

酸味しかないイタドリの話から山菜の話に移り、どうせなら夕食に使ってしまおうと採取することになった。

と、そういうわけで釣りをする組みと山菜集め組みに別れた──が。

 

「またお前とかよ」

「タダ飯でやっほいとか言ってたのはあなたでしょう? ワタシを悪く言っても困りますよ」

 

……また、茉子と二人きりである。

いや、実はたまには釣りに洒落込もうとしたのだが、よりにもよって虚絶から

 

「女子を独りにするなど男の風上にも置けんな」

 

などと正論を言われてしまい、悩んでいる内に将臣と芳乃さんコンビ、廉とレナさんコンビが遠回しに山菜取りに行けと伝えつつ釣りに行き、虚絶はそのまま釣りを続行。気付けば俺たちだけだったというわけだ。

なお、距離の問題は山に潜む祟りを電波塔代わりに使って解決している。こういうとき、人から離れた我が身は便利なものである。

 

「なんか、くっつけられたような気がしてならねー」

「あは。意識しちゃってるんですか〜?」

「誰がお前なんか」

「なんかとは聞き捨てならないですね。えいっ」

「どわっ!? やめろのしかかるな!」

 

ニコニコしながらいきなり後ろからのしかかってくる茉子に対処しながら、フラリフラリと歩いていると、妙なところに生えているヨモギを見つける。

 

「あんなとこ生えてるんだ。昔お前にヨモギとトリカブトの件でビビらされたっけな」

「ええ、ビビらせてあげましたね。……その頃にはもう、ねーちゃん呼びじゃなくなってましたか」

「ねーちゃん呼びはホント一月もしないうちに終わったよな。さて、山菜だったな。お前に散々仕込まれてっからわかるけど、何年ぶりかね……」

 

ガサゴソと山菜を採り、あーでもないこーでもないと必要なものを見分けつつ、ついでに自分の分も確保しておく。

 

「ふふっ、こうして馨くんと山に来るのはいつ以来でしたっけ」

「さぁね。少なくとも、あんまり会わなくなって以来じゃないか。具体的には……あの雨の日以来だな」

「雨の日……そうでしたね。あれは、雨の降る寒い日でした」

 

──芳乃さんの母、安晴さんの妻、秋穂さんの葬儀以来だ。

あれ以来、俺たちはそれほど会ってもいなければ会話もしていなかった。事務的な話だけはしたが、春祭りの前後で久しぶりに友人らしい会話をした。それ以降は無いとばかり思っていたのだが、将臣の登場で大きく変わってしまった。

 

「まったく、奴が現れてから何もかもが変わっちまった」

「いい変化ですよ。芳乃様にとっても、みんなにとっても。もちろん、ワタシやあなたにとっても」

「お役御免になれればいいんだけどな。虚絶がそれを許すか……」

 

やや暗い気持ちになりながらボヤくと、額を小突かれる。抗議の意味も込めて見つめ返すと、茉子は優しく微笑んだ。

 

「ダメですよ。いつもネガティブなこと言ってちゃ。明日はきっと、いいことだらけですって」

「茉子には敵わないな」

「馨くんが弟気質なだけです」

「言ってくれる。変態くノ一め」

「へんた……っ!? どこが!?」

「そういうとこ」

 

抗議する茉子をあしらいつつ、山菜を探す。そんな俺に諦めたのか、茉子もまた山菜を探し始める。ただ俺は中々お目当てのものが見つからず、ズンズンと奥へと進んでいく。

 

「……ん?」

 

そんなとき。

 

──木々の中に白い影を見た。

 

一瞬で消えてしまったが、その白い影に異様なほどの懐かしさを覚えた。会ったことすらないはずなのに。

 

「……なんだ、一体……?」

 

知っているはずなのに知らない。となると祟り関連だが……

 

「馨くん助けてぇぇぇぇ〜〜〜ッ!!」

「──茉子っ!?」

 

そんな風に思考を回していたら、茉子の叫びが聞こえた。すぐさま反転し、跳躍も使いつつその叫びの下に向かう。

 

「茉子! 大丈夫か!? 何があっ……た……?」

 

そうして見たものは──

 

「ああああ、高い高い高い高いぃぃ……!」

 

木に登った所為で、高所恐怖症を存分に発揮している茉子だった。

……いやホント、何があったんだ?

 

「……何があったんだ?」

「ひひっ、雛鳥が落ちていたので巣に戻したはいいんですけど……!! 早く助けて! あばばばば……」

「テンパるなテンパるな。えーっと……」

 

ガタガタを足を震わせている茉子から視線を外し、周りの様子を確認する。ちょうど近くにそれなりの太さの枝はある。俺が乗る分には問題無さげだが、しかし茉子を抱えて降りるとなると体重がかかりすぎて折れるような気がする。

さて、この場合は……

 

「俺めがけて飛び降りれるか」

「無理ですっ」

「即答か、困ったな。はぁ……動くなよ」

 

茉子の隣の枝に飛びつき、そのまま鉄棒のように一回転。勢いを利用してその枝の上に上がり、茉子の腰に手を回す。

 

「ひゃっ!? いきなり何を……?」

「黙ってろ。舌噛むぞ」

 

そうしてヒョイとお姫様抱っこの形にして……重っ!? こいつ信じらんねえくらい重てえ!? なんだ何突っ込んでんだ一体! あっやべっ。ミシミシ言ってる。こうなりゃヤケだ!

足場にした枝を踏んで跳ぶのではなく、あえてそのまま普通に落ちた。その甲斐あってか、枝が折れるわけでもなく、そして俺たちは問題無く地面に戻って来れた。

抱えた茉子を下ろしながら、俺は思ったことを素直に言う。

 

「……なぁ、茉子。登るのは行けて降りれないのは百歩譲って理解を示そう。だけどさ、なんでお前変に重いの?」

「女の子に体重の話題振ります? 普通」

 

ジト目で見られましても。

 

「いやお前の身長と運動量から体重逆算した上でやったけどさ、それにしたって色々と変な重さがあってな」

「そりゃ爪とか丸太とかマキビシとか色々持ってますもん。忍者ですから」

「そんな重装備は何のために──」

 

はぁ、と呆れながらため息を吐きつつ尋ねたとき、茉子はおらず、代わりに転がっているのは丸太だけ。

何してんだかと思いながら、まぁどうでもいいかと戻ろうとして。

 

「無視は酷いですよ」

「変わり身で死角に回り込んで背後を取ってる女に言われたかねえ。なんで取った」

 

後ろから抱き着くように密着された上に、首に手を回された。変わり身使ってやることがそれかよ。

というかマジでなんで急にこんなことをしてるのか理解に苦しむ。教えて茉子。

 

「なんとなく?」

「ムードがねえ」

「なんでですか。友人達と一旦別れて山の中で二人っきり、その上背中におっぱいまで押し当てられてる……これはもうムード満々じゃないですか」

 

えなにこの雰囲気。

なんでこのエロ女は誘うようなこと言ってんの? ──俺は困惑するしかない。というか吐息が耳にかかってくすぐったい。

いくら女友達とはいえ何をしているんだろうか。しかも茉子と。いや本当に。

 

「黙り込んじゃって……結構初心なんですねぇ。ワタシで興奮しちゃったんですか〜? あはっ」

「はー? 誰が初心だしィ? 俺ァお前よか余裕だと思うですけど? お前も初心じゃないかなとか思うんですけどワレェ?」

「動揺しちゃってまぁ……可愛いですよ。えぇ、とっても」

「うわウッゼ! そこまで言うなら俺ぜってぇお前じゃ勃たせねぇからな! マジで! 茉子に魅力なんて感じてやんねー!」

「はぁっ!? ワタシだって女の子ですよ! ムカつく相手であっても男の子に眼中にないとか言われるとショックです! いいですよ、そこまで言うならワタシだって馨くんなんかで興奮しませんから!」

 

ギャーギャーと言い争っているが、吐息がくすぐったくて仕方ないのでそろそろ抜けるとしよう。

ちょちょいと身体を動かして隙間を作り、そこからクルリと回転しつつ茉子の背後を取る。

構図的にはあすなろ抱き返しに等しいが……まぁいいだろう。身長差はそれほどないとはいえ、少なくとも爪先立ちしないと俺と茉子の身長差は埋まらない。なのでいい具合にすっぽり収まってくれた。

 

「……なんです急に。これでご機嫌取りですか」

 

なんか急に不機嫌そうな顔をしながら、これまた可愛らしいジト目をこっちに向けてくる。

 

「なに拗ねてんのさ」

「拗ねてません」

「まぁしてやられるのにも飽きたし、たまにはこっちからってのもいいだろ?」

「ワタシはよくありません」

「いつまでも年下扱いされてたまるかってんだ」

「そういうところですよ馨くん」

「なにが?」

「わかってないなら……あれ、今パキッて音が──」

「マジ? って──」

 

視線の先には釣りに行っていた方々。

 

「あ、あれ……? 何しに来たんだお前ら」

「そ、そうですよ。釣りはどうされたんです?」

 

予想外の客におもっくそ固まるしかできない。体勢もそのままだ。

 

「ま、茉子の助けてって声が聞こえたから来たんだけど……」

 

と、おずおずと言う芳乃さんだが、妙に顔が赤い。赤面する要素はどこにあるというのか。

 

「まさか二人がその……そういうことをしようとしてたなんて! ごめんなさい! お邪魔よね! どうぞごゆっくり!」

「……しようとしてた?」

「そういうこと……?」

「ナニってことだろ」

 

呆れた廉の発言に二人してはて? と首を傾げる。別にやましいことなんて何一つしていないはずだが、俺は。

……しかし芳乃さんの顔は赤いし、レナさんに至ってはあわあわ言いながらリンゴみたいに真っ赤になって俯いている。

一体何が……?

 

「た、たまにはこっちから……とか、ご機嫌取りとか拗ねてるとかないとか……年下扱いとか重いとか……とと、とにかくダメです!」

「待ってくれ、レナさん。俺らそんなことしてないってば」

「そうですよ。単にじゃれあってただけで何もやましいことはしてません」

「でも興奮だとか言ってたのであります! つまりそういう……エッチなことはダメです! しかもそそ、外でなんて!」

 

あ、どうしよう。

めっちゃくちゃ心当たりがある。

あんとき割と大きな声で言い争ってたから──

 

「盛んよな、年頃の童は」

「お熱いことで」

「わかってるだろお前! ニヤつくんじゃねぇぞ将臣! あぁもう、違うんだって!! なんとか言ってくれよ茉子!」

 

助けを乞う意味も込めて茉子に声をかけるが無言。いや、なぜ俯いている? 今更気が付いたので離れて前に回り込みつつ、顔を見る。

 

「……茉子?」

「……」

 

顔が赤い。

 

「なんか……人に言われると、恥ずかしくなっちゃいますね……」

「そういうとこだぞ茉子」

 

つまりなんだ、このエロくノ一。

────ガチで照れてやがる。

 

 

「つまり、お互いに売り言葉に買い言葉でふざけあってたってことでいいんだな?」

「おっしゃる通りでございます」

「そーだよ」

「ま、馨の発言はアレなことが多いし、常陸さんも思わせぶりなこと言うしで、こりゃ予想出来てたことだけど」

 

結局あの後、理解ある将臣と廉が解説をする側に回ってくれたことで事なきを得た。虚絶は釣った魚を満足気に眺めていて使い物にならなかったので数える必要は無い。

 

「やっぱり二人は付き合ってるのでありますか?」

 

真顔で言われて、思わず茉子と顔を見合わせて──

 

「こんな男なんかごめんです」

「妥協先としても選びたくねぇ」

 

互いに罵倒した。

 

「仲良しですねぇ」

「昔から茉子と馨さんは、ああして口では言い合ってるけど、素直になれば結構二人とも可愛い感じになったりするんですよ」

「いわゆるツンデレって奴だよ」

「やっぱりレンタロウとコハルは正しかったのですね」

「面倒くさい男女の典型か。いや、それともこれが素なのか……度し難いな」

「それで付き合ってないは無理あるよ」

 

────帰り道すら好き放題言われて、誠に遺憾であった。

 

「自らの行為がもたらした正当な結果であるぞ、我が端末よ」

「助けなかったお前に言われたかねー」

「してどうだ。山菜の天ぷらに魚の煮付けは」

「美味いよなお前の飯。妖刀なのに」

「夫が味に飽きても困るのは目に見えていたのでな。使用人ではなくたまに我が作っていた」

 

ご先祖様って、すげー!

 

 

 

将臣から見て、虚絶の人間態は何処かで見たことがあったが、それがなんであるかはどうしても想像がつかなかった。

だが今日の帰りに、廉太郎から尋ねられた疑問が、彼の疑惑を溶かした。

 

──なぁ、気のせいだと思うんだけど……響是津さんって、なーんか常陸さんに似てね? いや性格も見た目も全然似てないけどさ、どうしてか似てる気がしてならないんだよなあ──

 

はて、言われてみれば確かにそうだ。馨や虚絶自身は、適当に作ったパーツの寄せ集めなどと言っていたが、今思い返してみれば何処となく似ている。

だからと思い立って、ムラサメに聞いてみたのだが。

 

「……それは吾輩の口から言っていいことなのかのう」

「なんとなく想像はついてるんだけどさ。長い間見てきた観点から何か言えない?」

「馨も茉子も、恐ろしいほどに面倒くさい性格だから、それが答えとしか言えぬなぁ。それよりもご主人! あの虚絶が釣りをしたとは本当か! ええいあやつめ、吾輩が物に触れられぬことへの当てつけだな……!」

「今度、色々試してみるか。俺を通して食べてみることとかも可能かもしれないし」

「うむ、前向きに頼むぞご主人」

 

ニコニコと楽しげにしているムラサメの頭を撫でつつ、似たような経緯を待つムラサメも、釣りをするときはカエルを解体するのかなと、どうでもいい疑問を抱いた。



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死闘

──夢だ。

穏やかな森の中で白い狼と金髪の女が見える。

その狼はただ、その女の側にいれるだけで幸せそうだった。

 

──違う夢だ。

何処か見覚えのある場所で刀を携えた二人の男が見える。

双方共に怒りを宿し、殺意を向けてあって相対している。

 

──更に違う夢だ。

光の中に優しい笑顔をした子が見える。

はて、あれは……誰だったか……?

 

──また違う夢だ。

闇の中に困った表情の男と引き止める子供が見える。

あぁ、これを忘れてはならない。忘れてなるものか。

 

 

──やっと会えたな──

 

 

深い奈落の底から声が二つ響く。

それは再会を祝した歓喜の声なんかじゃない。憎悪と殺意だけだ。

何故、何故、何故、何故、何故、何故──!!! 疑問と嚇怒、憎悪と殺意、方向の違う二つの呪い。

 

俺はそれを知っている。知らない筈がない。

 

──アネギミノイノリヲケガスフトドキモノメガ──

──ケツゾクゴロシドモヲシュゴスルジャシンメガ──

 

叫ぶ呪い、響き合う殺意。

生と死の輪廻。呪怨と福音の狭間。

 

──愛と憎しみの名の下に。

いざ、この祟りを、成立しせめん──

 

 

「……なんだ、あの夢は……」

 

普段の朝は、頭の巡りが悪い筈なのだが、今日は妙な夢を見た所為でやたらと回っている。

──しかし、なんだ? 何故かはわからないが胸がざわつく。頭にざらつきがある。それだけじゃない、何処かに行けば何かに会えるという確信と、何処かに行かねばならないという強迫観念がある。

 

──我が憑代の中に眠る祟りの中でも、特に強力な反応を示すものが二つ──

 

虚絶が言うには二つの反応。

二つ……つまり、祟りは一つではないということか……?

実のところ、穂織にある祟りの始まりを俺はあまり知らない。常陸の始まり……つまりは殺された方の朝武が呪詛を残したということだけだ。

 

……祟りを起動するには、まず聖邪どちらにせよ力ある物体が核とならねばならない。その後怨念を残せば何かしらの形となって祟りは起動する……

 

何かしらの形を指定することは誰にもできない。祟りに近しい虚絶ですら、この形になったのは想定外だったのだから。それが本当に呪いなのか、あるいは害なす存在を生み出すのか……

 

そこで、朧げな記憶から二つの事例があったことを思い出した。

俺が殺してきた祟りの姿形はそう変わらない。泥の塊めいたものだ。しかし──祟りには二つの行動パターンがあった。

 

一つ、朝武か常陸の者……あるいは、将臣のように特殊な関係者だけを狙う祟り。知らずに夜山に入ったバカ共を守るために何度か出撃したときに目撃していたし、ここ最近はこちらばかりだ。

 

二つ、無差別に攻撃する祟り──これはとてもレアなケースだが、こいつに限っては並みの祟りを超えるほどに強力だったことが多々ある。

大抵、バカ共の救出時に俺が重傷を負うのはこいつが出現した時だった。だがそれは奇妙なことに、芳乃さんが出てくると単調な攻撃しかしてこなくなった。

……俺は殺す者だからいいとしても、何故か茉子にも苛烈な攻撃を仕掛けていたが。

 

──祟りには謎が多い。

この虚絶もそうだが、穂織の祟りに関しても。

 

……何故だろうか、今日はとても嫌な予感がする。

 

 

「我を呼び出してやることが料理とはな」

「お前の飯が美味いのが悪い」

「童のようなことを」

「童だよ俺は」

 

昼になってもざらつきとざわめきは止まらない。それどころか更に酷くなった。頭の中で聞こえる言い争いは更にはっきりとして聞こえ、俺の中に俺以外の何かがいるような気がしてならない。

気持ち悪ければ、一人だと気が狂いそうなので虚絶を呼び出して会話して気を紛らわせているが、いつまで持つやら。

しかめっ面と共に、虚絶の作った昼飯を食べていると、珍しく虚絶が感情らしい感情を見せてこう言った。

 

「……不味かったか」

 

それはなんというか、子供の嫌いなものをうっかり出してしまった母親のような、そんな感覚を覚えるもの。

子孫だからか? あるいは、彼女とつらなる存在だからか? いいや、俺の中に彼女の子供の残滓でもあったのか? 理由は知らない分からない分かりたくもない。俺なのに俺じゃない奴らが騒ぎ立てていて気持ち悪い。

殺せだけじゃない。守れとか助けろとか見届けろとか呪えとか奪えとかとかとかとか……

 

「いや、美味い」

「そうか。ならばいい」

「……けどな、悪い。今日は騒がしくて仕方ない。どうしたらいい」

「方法は二つ。元凶を排除することと──己が意志を以ってして捩じ伏せることだ」

「捩じ伏せる……」

「だが百の年月を背負う怨念を、たかが二十も生きていない小僧が捩じ伏せることなど到底できん。ただ一つ、それを味方にするほどの……暴走するほどの意志が無ければな」

 

暴走するほどの意志──不可能に近い。

 

「だが貴様は魔に近しい存在。死を認めぬのならば潜む祟りを食い潰してまで肉体は生にしがみつくこともできる。全ては心一つなり……我が千年、"私"であれたのもそれが所以」

「つまりなんだ、祟りみたいにその場限りの燃料でも諦めなければなんとかなる……とでも?」

「極論はな。頭を悪くして言えば、気合いと根性で不可能を可能にする……と言ったところか」

「バカだな」

「だがそれがまかり通ることもある。いわば祟りとは、行き場をなくした強すぎる執念だ。貴様にもあるのではないか。深遠に沈んだ、誰にも穢されることを許さず、そのためだけに生きて死ねるような何かが」

「……そんなもん、あるのかねぇ」

 

考えてみれば死のう死のうとバカをしていた俺に、そんなものがあるのかなど、鼻で笑えてしまう。

まぁ、その時になってみないとわからないか。そうそう死ぬつもりはないが。

 

「まぁ良い。それでどうする、夜になればはっきりと知覚可能にはなるだろう」

「答えは決まってる──人ン中で騒ぎ立てやがって。殺す」

「それでこそ、我が端末だ」

 

はっきりとした答え。それは殺すこと。殺さねばならない。

たとえそれが嘯きに唆されて決めたことでも、人の頭の中でギャーギャー騒がれては、家主も怒るというものだろう……

 

虚絶を封じている部屋に行く。

呼び出すのではなく、これを直接家から持ち出すというのは何年ぶりだろうか。

いやそんなことはどうでもいい。

 

──殺すべし。

──現世に迷い出る悍ましきものは殺すべし。

 

今はそれが正解だ。

 

 

夕刻。

日も傾いて来た。

それと同時に声が響く。虚絶だけではない。

 

──あの忌まわしき裏切り者を殺せ──

──あんな過去の遺物なぞ殺してしまえ──

──我が敵を殺せ。無念を晴らせ。殺せ、殺せ──

 

虚絶を片手に携え、元凶がいるであろう場所を目指し始める。

人通りも少なくなってきたので刀を持ち歩いていても問題はあるまい。いざとなれば祟りを用いて過負荷をかけ、記憶をあやふやにしてしまえばいい。

 

しかし山に向かうはずの足は、街中を進み続ける。

……まさか、祟りは街に出たのか? だとしたら、何故──?

 

頭が冷える。

嫌に冷静になる。

まさか、まさかと思いながら衝動の導きに従って歩き続ける。歩いて、歩いて、歩いて──たどり着いた先は。

 

「駒川の、診療所……?」

 

どういうわけか駒川の診療所だった。

衝動が更に深まる。それと同時に嫌な予感が脳裏をよぎる。冷たい汗が頬を伝う。

戸を開けようとして、すんなり開いた戸。鍵はかけられていない。あり得ない。この時間ならば既に──

 

なんだ、つまりは──

 

「駒川ァッ!」

 

あの女の名前を叫んで、勢いよく診療所内に侵入する。衝動が示す場所は、駒川がよくいる部屋で。

 

「──」

 

それを見たとき、自然と頭が冴えた。

部屋はめちゃくちゃだ。本棚は倒れ、壁や天井は傷だらけ。ガラス窓も割れて、無残な姿を晒している。

けれどそんなことはどうでもいい。

 

重要なのは、部屋に当然のように佇む、獣にも見える形状にまで変化した祟りと。

そんな部屋の隅で倒れ込む駒川。

 

……あぁ、そうか。そういうことか、

すんなりと響く声どもの雑念が消えて行く。虚絶を握る手に力が入る。

脚に力を込めて、祟りが俺に気付くと同時に────

 

「、テメェェェェェェェ──ッ!!!」

 

高速を以て踏み込み、一瞬で奴の懐に飛び込む。

 

"何があっても、こいつはここで殺す"

そんな思いが爆発するように、俺の中から殺意が溢れ出す。

何もさせずに殺してやる──! そうした感情が俺を突き動かし、流れるように抜刀。

神速の居合は信じられないほどに祟りの胴に刀身を食い込ませた。

 

が。

 

「──ッ!?」

 

食い込んだまま終わった。

斬れていない……! 祟りを斬る祟りであるはずのこれが斬れないとなれば、出てくる答えはただ一つ。

この祟りは、邪なる存在であるにも関わらず()()()()()()()()()()

その事実に固まり、展開された触手への対応が遅れる。

 

「チィッ!」

 

舌打ちをしつつ、食い込んだ刀身を引き抜いて後退する。

飛んでくる触手を迎撃し、再び踏み込んでもう一撃と睨んだ瞬間。

 

「ガッ……!?」

 

代償で膝が、破損した。

それだけではない。左腕の肩関節に裂傷が入ったらしい。ダラリと垂れ下がる。

それを逃すほど祟りは優しくない。

続けて放たれた第二射は、あっさりと俺の心臓と右腕を貫き、そのまま壁に叩きつけた……

 

 

 

崩れ落ちる馨。

どしゃりという音を立てて、自らが生み出した血溜まりに沈み込む。

 

祟りはそれを無感情で眺めながらも、反射的に殺してしまった存在に対して少し、罪悪感めいた視線を向けた。

──いやまさか、殺せてしまうとは。

 

祟りの素体となったものに引き摺られたのか、祟りは動きを完全に止めて──

「いや、まサか……心臓ヲ潰サれるトはハナ──」

 

その死体が起き上がったことに驚愕した。先程貫いたはずの穴は完全に塞がり、傷があったという証拠は服に空いた穴と着いた血だけが物語る。

男女の声が混ざりながら、それは祟りに対して容赦無く告げる。

 

「──ダガ、我ト俺ノ意志ガ合一シタ今……ソノ程度デハ死ニハシナイ」

 

そう。

心臓を貫かれる直前、馨は願った。

 

──こんなところで死ねるものか。奴を亡ぼすまでは死ねるはずなど無い。生きると約束し、彼女に生きてと願われたのだから──

 

それが彼と接続する祟りたちの共通の祈りである、まだ終われないというものに呼応し、突き立てられた触手を分解し再構成。更に魔に近しい肉体と祟りを燃料として、死ぬ前に心臓を再生させるという荒業を以ってして死を回避した。

たとえどれだけの再生能力を持っていたとしても不可能な話だが、馨の肉体とは──魔とはそういうものだ。不条理を不条理のまま成し遂げる。

人間寄り過ぎる馨であっても、数多の怨念を束ねてしまえばそれすらも可能とする。

要は、気合いと根性で不可能を可能にしたのだ。

虚絶との合一が深まり、今の馨にはその祟りがどういうものなのかをよく理解できる。

 

「ヤハリ"マトモ"カ。理性モ有レバ思考モ動イテイル。ダガ同時ニ──オ前ヘノ尽キヌ憎悪ガ俺ニ燻ッテイル。我ラニ由来セヌ、俺タチ以外ノ憎悪ト嚇怒ガ二ツ……憑代ナル剣ヨリナ」

 

その祟りは何らかの物によって呼び出されたのか、粗雑なものではない。混ざりっ気のない、純粋な祟りだ。

更に個我のようなものがあり、こちらを明確に観察している。つまり人間と同じようにまともに頭を動かしている。

祟りに近付いた馨にとって、その程度は手に取るようにわかる上、刀の中にいる祟りの中でも、特にこの祟りに対して凄まじい憎悪と殺意を束ねる存在が、これを今すぐに殺せと叫んでいる。

しかし神力を宿している以上、この獣めいた祟りの正体はもしや、哀れにも呪詛の憑代にされてしまったものかもしれない。

 

「言葉ヲ使エヌ獣……ソノ神力ガ泣イテイルナ。サゾヤ名ノアル者ノ成レノ果テガソレトハ、アマリニモ無残。デ、アルノナラバ──」

 

しかし、馨はそんなことはどうでもいいとばかりに刀を拾い上げる。

虚を絶つ刀を抜刀し、逆手に持ち変える。

 

──数年ぶりに。

 

自罰意識の塊と、他罰意識の塊が、その意志を束ね極大の殺意を持って神力を宿す獣の祟りと向き合う。

 

「我ガ、俺ガ。ソノ宿痾ヲ一時ノ眠リヘト誘オウ。ソレニ──」

 

虚絶に食われていた祟りが燃料として消費され、刀身はまるで創作物の光剣のように黒い光刃を纏う。更に赤黒い稲妻を迸らせる刀が、その素晴らしき本性を剥き出しにする。

 

「──ナンダ、案外俺モ情ニ流サレル人間ラシイ。ソコデ寝テル女ヲ傷ツケタ以上、オ前ニドンナ事情ガアロウトモ……ソノ首、一度落トサナキャ気ガ済マナイ──!!!」

 

だが素晴らしき本性を剥き出しにしているのは、間違いなく。

──馨なのだろう。

 

夜の診療所にて、人知れず闇の戦いが幕を開けた。

 

 

──荒れ狂う触手。

──それらを全て迎撃する刀。

 

触手が千切れて溶け消える度に、馨の肉体を虚絶の代償が蝕み、流血が弾ける。しかしそれが発生した瞬間から祟りと意志力によって高められた修復力が瞬く間に再生させ、その代償を踏み倒す。

触手より早く動き、祟りを断ち切きらんと刀を振るう。しかし神力という相反する性質を有する祟りには通らず、あくまでも食い込むに留まる。知ったことかとそのまま切り裂くが、浅い。

 

祟りはたまらず大きく後退し、束ねた触手を刀のような形状に変化させて無数に展開。斬撃の暴風となって襲いかかる。

黒い刀はそれらを全て見切り、効率的に破壊していく。更に切った触手を喰らい、その場で燃料を調達する。それどころか馨の中で暴れている二つの殺意がまだだと言わんばかりに暴走し、神力すら押し切らんと出力を増大させる。

 

奇妙な話だが、祟りの方がこの戦いにおいて理性的に対応していた。一方の馨は、みづはに被害が及ばぬようにと場所を選ぶだけで、あとは何も考えずにひたすらに死ねと言わんばかりに斬り込むのみ。

防御を捨てた、完全なる捨て身の剣は荒れ狂う祟りを真っ向から圧倒するほどの暴虐を示すものの、いかんせん相性の差だけは覆せず、防御の上から叩きつけることで無理矢理にダメージを通しているに等しい。

 

だが。

 

「──マダダ」

 

自らを蝕む代償を踏み倒しながら、馨はもっと寄越せとばかりに自らの内に接続されている祟りどもを燃やし尽くす。

千年の蓄えを贅沢に飲み干しながら、自らの怒りすらも薪をくべるが如く燃やし、更に目の前の怨敵から食った部品すら使い潰す。

これほどまでの大盤振る舞いであっても、この祟りに対して意志を滾らせる二つが全てを賄い切ってしまっている。千年の呪いに匹敵するどころか超えるほどの極大の出力を生み出す二つの意志が、馨と虚絶を通してその殺意と憎悪を存分に見せつける。

 

しかし祟りも押されるだけではない。近くにあった棚を拾い上げ、投げつける。無論それを両断し、突撃する馨。

だがそこに投げつけられる薬品瓶。回避は出来ない。かといって受ければ祟りに一撃を許す。

で、あれば──

 

大きく頭を振りかぶり、薬品瓶に叩きつける。頭突きによって破壊されると同時に傷が修復。更にその勢いを利用して空中で一回転。順手に持ち替えた刀を大きく振りかぶり、叩き斬るように振り下ろす。

ゾブリと食い込む刀身。しかしどれだけ出力を上げても食い込むだけに終わる。

生じた隙を逃さぬとばかりに迫る凶手──引き抜きが間に合わず、全弾が直撃する。人間が立ててはならない音を立てながら吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。

バキリと、嫌な音が左腕の肩関節から鳴る。関節が外れた上に、どうやら左腕の骨が折れたらしい。妙に痛む。だがしかし、放っておいてもすぐ治るもの。どうやら神力が通ってしまい、やや速度が低下しているが、これならば裂傷が治るのと同じ程度で済む。

 

ならばと彼は器用に立ち上がり、食い込んだ虚絶を右手に呼び出す。

 

「否、マダ足リナイ。力ヲ、モット力ヲ──」

 

呼応する祟りたち。

今や爆発的に増大した出力は可視化されるほどに膨れ上がり、黒い靄が身体から立ち上るほど。

──人が見れば正しく魔人だと言わんばかりの外見。

 

再び壮絶な激闘の開始点と化す両者。黒と黒がぶつかり合い、鮮血が舞って傷は塞がる。辺り一面には鮮血の溜まり場と斬撃痕、あるいは破壊痕しか残らず、そこが先程までは静かな診療所だったなどとは想像もつかないほど荒れ果てていた。

 

無尽蔵に回復し暴虐の限りを振るう馨と、理性ある故に押されてしまい、祟りを流し込まれ、食い千切られる度に獣の姿から通常の黒の塊に弱体化を始めてしまう祟り。

正しく消耗戦。だがそれでもなお、三十分以上も戦況が拮抗しているのはひとえに神力を宿すが故に。

永遠に続くかと思われた膠着は、祟りの一手で大きく変わる。

 

「──!!」

 

祟りが咆哮し、打撃と斬撃の結界を生み出す。死を回避するなど不可能。対処はできても確実に致命打が通る──事実、一本の刀では対処しきれない。特に神力を通されて幾分か能力が低下しつつあるこの状況では。

 

しかし、それを覆してこその千年の復讐。

 

刀を横に一閃──それと同時に空間に斬撃が生まれる。無論、漫画のように一閃で無数の斬撃を発生させたわけではない。単に祟りが触手を生み出すのと同じこと。

斬撃の属性を帯びた祟りを空間に出現させて全てをぶった切った。

 

だが、流石に無理が祟ったのか。

肉体の至る所に裂傷が生まれ流血する。特に内蔵の類もやられたのか、吐血し、反応が先程までに比べてコンマ数秒単位で遅い。

 

──その遅さが命取りになった。

 

祟りは素早く接近し体当たりを食らわせる。ゴッ、と鈍い音がして馨の肉体はまるでボールのように飛び、部屋から玄関の方まで叩き出された。

大きな物音を立てて、戸に激突する。当たりどころが悪く、肋骨が一や二は逝ったらしい。が、問題無い。

治って当然という思い込みと意志力が驚異的な速度で傷と肋骨を修復する。痛みが走るものの、ただ痛むだけ。呻き一つも上げる価値は無い。

ジリ貧とはいえこちらが有利。更に出力を引き上げれば相性ごと粉砕できる。こちらの肉体が過負荷で停止する前に仕留めればいい。殺られる前に殺る、なんと単純なことか。

決断的に出力を更に引き上げ、損壊を再生で踏み倒し──見知った気配を察知して、困惑からか出力が低下していく。

バカなと思考が告げて、その一瞬だけは、魔人は人間に戻った。

 

が、それも刹那のこと。

魔人に再び回帰し、彼は泥仕合に身を投じる。

自身でも止め難い殺戮の意に従って。

 

 

……それとほぼ同時。

 

先日、単独行動をしていたムラサメが発見したもう一つの欠片を回収した将臣たちは、それをみづはに届けるべく彼女の時間が空いている夜中に診療所へと向かっていた。

しかしその途中、霊的存在に関わりがある……それこそムラサメが見える者にしか見えないはずの、祟りに反応して現れる芳乃の獣耳を見えている上にムラサメまで見えているレナを、あれこれ言われても困るからと連れてきて。

 

「有地さん、先程から何か……」

「……扉が開いてる」

 

辿り着いた彼らを迎えたのは、開きっぱなしになった扉。

そして──

 

「これって……血、ですよね」

「だの。しかも何かが叩きつけられたのか、異常な形に凹んでいる」

「──まさか!」

「おい待てご主人!」

 

血と凹んだ扉。

いても立ってもいられず、土足のまま診療所内へと踏み込む将臣。

開けようと、扉に近づいた瞬間──

 

「──え」

 

扉を内側からぶち破って何かが通路の壁に激突した。埃が舞ってそれが何なのかはわからない。

だが、聞き覚えのある声が届いた。

 

「──シブトイ」

 

その聞き覚えのある声は間違いない。それを確かめる前に影は部屋の中に突入し、床や壁を削るような音が聞こえる。

 

「ご主人! 急に走るでない! 何があるか、わぷっ!?」

 

立ち尽くす将臣に追いついたムラサメが衝突し、妙な声を出す。

それとほぼ同時に、黒い塊が壁を破壊して別室へと吹き飛ばされる。それを追撃する人影。

──間違いなく、馨だ。

 

「かお……っ!?」

 

その名を呼ぼうとしたとき、黒い塊──祟りから刀のような触手が将臣めがけて飛来する。

 

(しまった……!)

 

化け物みたいな速度で動く馨に意識を取られたからか、触手に反応できなかった。その全てが心臓、肺、頭部、腿を狙った射線。受ければ即死する──!

 

だがそれら全てを弾き返す一陣の風。

──茉子だ。

 

「早く下がって! 祓えるものが無い以上、ここはワタシが……!」

「邪魔ダ、茉子!」

 

時間稼ぎの殿を担当しようと声を上げたが、代わりに飛んできたのは邪魔だという声。殺意のままに出力を引き上げて動く馨が尋常ならざる速度で祟りへと接敵。再び最大接近距離での、一撃絶命の威力を秘めた暴虐同士の応酬が始まる。

 

黒が飛べば赤が舞う。赤が飛べば黒が舞う。共に爆ぜながら一刻も早く相手を滅ぼすために力を振るう。

関節が外れ折れっぱなしの左腕を揺らしながら、己の身を赤く染め、燃え尽きる祟りを迸らせた魔人が黒の獣と身を削り合う。

 

「オ前ハ、俺ガ──!!」

 

憎悪を纏った声と、声なき咆哮が響き渡る。

 

「なんなのですか、あれは……!?」

 

怯えを纏ったレナの言葉。

闇と闇の潰し合いは、何も知らぬ者に恐怖すら抱かせる。こと憎悪や殺意と言った黒い感情を糧として破壊的な戦闘行動をするそれに怯えることを、誰が責められようか。

 

「今の馨とあの祟りに近づくな! もはや祟り同士の戦いにすら等しい……!」

「いいですかレナさん。私から離れないように」

「は、はい……」

 

一方前線にいる将臣と茉子は、損傷と再生を繰り返して祟りと激突する馨の状態が目に入る。

 

「常陸さん、あれ……」

「左腕の関節が外れて、骨が折れてるみたいですね……普通なら痛みで動けないはず。膝が壊れていたようにも見えますし……本当に、何が……」

 

祟りを祓う武器を持っていようとも、常人では入れぬその死の舞踏に竦んで立ち尽くすしかない。

彼らは故を知らぬから、何故か虚絶に耐性のある祟りとしか映らない。しかしその膠着状態に変化が生まれる。

逆手と順手を駆使した猛攻によって徐々に追い詰めていく馨──虚絶が食い込む頻度は下がり、往来の斬れ味を取り戻していく。

 

退がる両者。

跳ぶ馨と迎え撃つ祟り。

刀を杭の如く突き立てんとするが、落下より僅かに早く迎撃が命中する。それすら無視して、突き立てて──

 

しかし、馨はここに来て失敗を一つ犯した。

再生による代償の踏み倒しは、損傷が生まれた瞬間に再生させることで行われる。

つまり、生まれた後に広がってしまった損傷は、踏み倒しが間に合わない。なので何処が壊れてもいいように、自身に集中する必要がある。が──

 

相打ち狙いのカウンターであっても、先に攻撃されたからと言っても、なによりも優先すべきは己の代償────だがここで彼は、受けた攻撃からの復帰を優先した。

故に。

 

「──、あ」

 

爆発的出力を引き出し運用していた代償がここに来て現れる。

──右腕がひしゃげた。血飛沫が弾け、神経と肉が壊れ、皮膚は裂傷によってズタズタになる。骨も砕け、常人ならば腕を捨てるしかない状況であっても、高まった再生が後出しの形で強引に元通りに修復していく。

 

しかし早かったのは、痛み。代償を修復するため痛覚抑制に回していた出力が離れ、脳に損傷を伝える。

出力が基準値まで低下し、先程までの爆発的出力は影も形もない。それどころか再生に回ってしまった全出力による強制修復に由来する痛みが、破壊の痛みと共に馨の内で暴れまわる。

 

「──ッッッ!?!?」

 

声にならない雑音が如き絶叫。

無理な体勢で対応し、踏み倒すべきものを間違えたことから彼は空中で制御を失って床に墜落する。

 

「馨くん!」

「ク、るナ……ァッ!!」

 

割って入ろうとする茉子を言葉と視線で止めた瞬間、祟りが倒れ伏した馨めがけて無数の触手を飛ばす。

だがこれに対して身体を無理矢理起こしながら、なんと同じく黒の触手を影から展開することで完璧に防御──できていない。

続けざまに繰り出された本体の突進を受け、無様に吹き飛ぶ。ゴロゴロと転がりながら、倒れた家具にぶち当たり、山積みになっていたそれらがガラガラと落ちてしまう。

当たりどころが悪かったか、頭を切って流血しながらもなんとか意識を保った馨は、自身が挟まってしまったのを悟る。同時にジェネレーターである虚絶から離れて、コンデンサである肉体に残留していただけの祟りを、強制的な出力上昇による無茶苦茶な運用した所為か、完全に平時の状態に戻り切ってしまった。

 

今頃になって外れた関節の痛みと折れた腕の痛みが襲うが、今なお破壊的な激痛を生む右腕に比べればなんのその。

しかし動けぬ、何もできぬ。無力を噛み締めて見ることしかできないのか──

 

「──いいや、まだだ……!」

 

否、断じて否。

腕が折れた? 使えぬほど傷んでいる? ジェネレーターが無い? コンデンサに燃料が残ってない? 出力不足? そんなものはやる気の無い奴の戯言だ。本気を出せるだろう。まだ頭が回って身体が動くならやれることはまだまだある。

 

──()()()()()()()()()()()()

 

幸い燃料の原材料はここにある。それを使えば肉体再生分は賄える。限界まで、いや限界以上に引き出せば戦闘も可能だろう。

だからと心の奥底に潜む、馨自身が持つ激情を燃料に──

 

──ヤメロ、カエッテコレナクナルゾ。ヤミニミヲヤツスツモリカ。アネギミヲマモルノダ──

 

その時、昼間まで頭の中で騒ぎ立てていた声の一つが、やけに落ち着きを払った声で彼を諌めた。

いや、諌めるどころではない。気付けば接続されていたものの大半が切断され、残っているのは虚絶とのラインのみ。

 

……本人は認めたくないだろうが。

今、稲上馨はこの場にいる誰よりも無力となった。

 

「──虚絶! レナさん(姉君)を守れ!」

「ギョイ──」

 

だがただでは終わらない。終わるはずもない。内なる声が示す、レナを守れという言葉に従う為に千年前の亡霊を呼び覚ます。

床に刺さった刀より黒い泥が現れ、人型を形作り、それは響是津京香を名乗ったヒトガタとなる。

 

「……使えぬか」

 

端末の損傷具合から刀を使える状況でないと判断し、祟りからの猛攻に対し防戦で応じる茉子の援護へと向かう。

 

「常陸の末裔、この場は我と貴様で耐えるぞ」

 

荒れ狂う触手を素手で叩きのめし、本体を殴りつけ、鉄山靠めいたタックルからの勢いをつけた回し蹴りによって吹き飛ばし、距離を無理矢理に会得しつつ、虚絶はそう言った。

 

「構いませんが、どれほど」

「管理者が神力を担い手に流し込むまでだ」

「ふざけるな! 人の身に神力を流せるものか! 吾輩が何故こうなっているのかはお主もよく知るところであろう!」

「ふざけているのはそちらだ。足手纏いが二つ、死に体が一つ、半端者が一つ、戦力が一つの現状で取りに戻れなど無茶を言う」

 

ムラサメの言うことはもっともである。人の身に余る力を流せなどと宣う虚絶の言を採用できるはずがない。

だがこの場において虚絶の提案は合理そのものであった。

 

「貴様とて選択肢が無いことはわかっておろう。それにりひてなうあーの存在は未知数だ。そんなものを抱えて皆死ぬなど認められまい。二つに一つだ」

「ふぇ? ……わたしです、か?」

「りひてなうあー、我が端末……馨の近くにいろ。あの状態ではほとんど役に立つまいが、盾にはなる。行け」

「で、でもキョーカ……」

「行け!」

 

声を貼る虚絶に押され、オズオズと家具に動きを封じられた馨の近くに向かうレナ。

それを見て虚絶は更に言葉を続ける。

 

「担い手。貴様はここで終わりたくあるまい」

「当然だろ……! それしかないならやるしかない」

「彼に戦う力を与えろ管理者。ごく僅かな時間であれば問題あるまい。それに通せるものなど他にはないだろう。あれは神力を宿しているが故、我らでは通りが悪い。あそこまで追い込んだが……」

「──来ますっ!」

 

茉子の警告。

殺意の軌跡を描いて向かう触手。それらを素早く二人は迎撃──したが故に暴れ回る触手が室内を破壊し、埃を撒き散らす。

 

「……視界が!?」

 

視界を奪われた茉子は、次いで放たれた触手の一撃に対応できずに吹き飛ばされ、壁に激突した後、床に倒れ伏した。

 

「茉子!? しっかりして、茉子!」

 

倒れ伏した茉子に駆け寄る芳乃。それを逃さず触手はまとめて始末せしめんと飛来する。

 

「戦場で情を先走らせるな!」

 

それに対して同じように触手を伸ばした虚絶が防ぎ、最悪の事態は免れる。だが致命的な隙を晒した虚絶に対して、増やした触手で襲いかかる。それを庇って吹き飛ばされる将臣。

 

「ご主人!?」

「大丈夫、まだ──!」

 

そうそう何度も受けられないとは分かっているが、あと二発程度ならなんとか……攻撃を分析しながら、同時に不利であるこの状態を打開するにはと考える。やはり虚絶の言う通りに……

 

「担い手、今すぐに神力を宿せ。時間が無い」

「何があったんだよお前」

「我はあくまで"私"を中核とした憎悪の結晶……端末に燻る憎悪も、食らった憎悪も高まりつつある。そこまで我が我を保っていられん」

「──ムラサメちゃん!」

「だがご主人の身が……」

「やるんだ!」

 

もはや一刻の猶予も無い。

将臣の決意を組んで、だが渋々といった様子でムラサメは提案を飲み込んだ。

 

「少し時間を稼げ、虚絶。レナ、芳乃! なんでもいいから物を投げて牽制しろ!」

「わ、わかりました!」

「ええっと……ええ〜いっ!」

 

その辺にあったものを掴んで投げつける二人。それは攻撃ではなく牽制。祟りは馨との戦いで理性がほとんど失われたのか、反射的にそれを迎撃し続ける。その隙間を縫うように虚絶が攻撃を仕掛け、祟りを釘付けにする。

 

「覚悟しろよ、ご主人──!」

 

その間にムラサメは将臣の頭をひっ掴み、突然唇を重ねた。

 

「──?」

「ん……っ」

 

いきなり何をしているやらと、意識を保ちながら事態を見ていた馨は思うが、すぐにそれが間違いであったと気付く。

神力の譲渡なのだ、これは。

……にしては、少し美味しすぎると場違いな感想が出てくるが。

 

しかし流された本人にしてみれば、体内に炎を宿されたようなもの。絶対的な力が体内で荒れ狂い、解放を求めて絶叫している。なるほどこれはそう長くない──だからどうした。

 

将臣は祟りへと踏み込む。

虚絶と目が合う。

 

"あとは貴様が仕留めろ"

雄弁に語っているその目に応え、大きく右腕を振りかぶる。

が、ここに来て祟りは狙いをレナに変えた。

 

「──ひっ」

 

芳乃が気づくより、ムラサメが反応するよりも早く、触手がレナの喉めがけて突き進む。

それを防ぐのは──

 

「させるか……っ!!」

 

動けないはずの馨が、レナの盾となるように前に立った。

自らの内に語りかける声が、守れと強く念じたが故に、彼はその一時のみ出力を増大させ、挟まった状態からその脚力のみで脱出。咄嗟にレナの元へと向かったのだ。

しかし、馨の右腕は使用不能。左腕は折れっぱなしで役に立たない。まともに使えるのは脚だけだ。

であればどうするか──必然である。

 

「ごめんよ!」

「へ? ──ひゃぁっ!?」

 

レナに足払いを仕掛け、コケさせる。

すると彼女目掛けて飛んでいた触手は空を切り──

 

「くたばれェ──ッ!!」

 

将臣は叫びと共に、その右腕を祟りにぶち込んだ。ズブズブと入り込み、祟りは苦しみのたうち回りながら、その黒を霧散させていく。

 

「……祓え、た……?」

「本当に、祓えたんですね……」

「ご主人、すぐに抜き取る!」

 

ムラサメによる再びの接吻。

炎が引いて、唇が離れたときに残るのは激痛。だがそれよりも先に右腕に見えた黒が、将臣の意識を塗り潰していく。

崩れ落ちる将臣に駆け寄る三人。

一方、馨は尻餅をつくように崩れ落ちると、虚絶に声をかける。

 

「……腕」

「痛むぞ」

「両方ダメなのは癪だ」

「わかった」

 

虚絶は折れた左腕を掴み、それを容赦無く力ずくで曲げた。変な方向に曲がっていた腕は元の形に戻るが──

 

「────ッ、ォァ……ッ!!」

 

如何に痛みに慣れたとはいっても、ズタズタの肉体では負荷が大きすぎる。そのまま肩関節もはめ直され、激痛によって辛うじて保たれていた意識は途切れはじめて──

 

「後は、頼む」

「御意」

 

意識が切れる直前。

茉子を助けている虚絶の姿が、彼の目に妙に残った……



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温度

……痛む身体によって意識が浮上する。

不自然な右腕の痛み、反応の鈍い左腕、なんとも言えない息苦しさめいた感覚。

見覚えのある筈なのに見覚えが無い天井。少なくとも自宅ではない。

 

「……何処だ……?」

 

弱った身体を布団から起こし、まずは自分の肉体を確認。目立った傷は特に無い。──右腕を除けば。

巻かれた包帯をめくり、様子を見る。裂傷の痕に新しく出た皮膚によってやや変色している。まるで火傷の痕のようだ。これまた放っておけばどうとでもなる類だが、しかし右腕を動かそうにもあまり言うことを聞かない。

いや、動くと言えば動くのだが……動かす度に痛みを伴う。しばらくは使い物にならないだろう。

 

辺りを見回す。その景色を見て完全に思い出した。朝武家の空き部屋だ。

なんで俺の家じゃない? 虚絶がいるんだから送ったって……しかも服も変えられてるし。血塗れだとまずいのはわかるが、誰がやったやら。

……どうせ虚絶あたりだろうが。

 

騒ぎ立てていた声は静まり返っている。少なくとも平時と同じだ。虚絶は眠っているのか、うんともすんとも言わない。

頭に違和感を覚えたので左腕の確認がてら触って確かめる。折れた骨も元通り、関節も問題無し。普段なら二日三日跨がないと完治しないが、どうやら寝ている間に燃料でも使って治したのか、すこぶる好調で健康体の腕そのもの。完治している。

ただギャップがあるので、反応がやや鈍いが。

 

「……頭に包帯?」

 

痛みも何もないので引っぺがし、近くの窓に映る自分を見て確かめる。結果は当然何もない。勝手に治る程度の浅い傷だったのだろう。

一つため息を吐き、どうしたものかと頭を悩ませようとしたとき、何かを忘れていることに気が付いた。

 

「……シャワー、浴びよ」

 

頭が重い。

シャワーでも浴びよう。右腕の傷はほぼ塞がっている。染みることはないだろう。

よっこらせと立ち上がり、バランスが取れずフラフラと歩きながら風呂を目指す。何度か世話になっているので場所自体は覚えているのだ。

しかし、誰もいない。将臣の奴はこっちに担ぎ込まれているだろうから、そっちの対応に────

 

いや待て。

あいつ、神力を流し込まれてなかったか? 虚絶という制御装置無しで祟りを扱うようなものだぞ? 無事なのか? 死んでないよな? それに茉子は大丈夫だったのか?

 

……急に怖くなった。

 

俺が無力だったから、こうなった。誰の所為だと言われたら誰の所為でもないのだろうが、俺は俺を責めなきゃ気が済まない。

兎にも角にも頭の眠気を取り払うのが先決だ。

だから意を決して、脱衣所の扉を開けて──

 

「あっ」

「えっ」

 

……全裸の茉子と、目が合った。

 

 

 

「……ごめん」

「……油断し切ってたワタシの落ち度ですから、お気になさらず」

 

その後。

着替えた茉子に、居間で正座しながら謝罪した。

そんな謝罪はあっさりと流され、茉子はクシャッとその顔を嬉しさと悲しみの混じった表情に変えた。

 

「でも、本当によかった……心配したんですからね」

「ホント、ごめんな。無茶苦茶やって。けどお前たちが無事でよかった……それで、将臣は?」

 

ここで尋ねておかないと、間違いなく俺は逃げるだろう。自ら逃げ道を断つべく、死刑を待つ人間のような心情で聞いた。

 

「……怪我自体はそう重くないですが、まだ目が醒めてないんです。まる一日寝ていて……」

「……そう、か……」

 

俺の失態だ。

俺がもっと手段を選ばず迅速に片付けていたら──こんなことにはならなかった。

 

「けれど、虚絶の言葉を信用するなら、そこまで時間はかからず目が醒めるだろうって」

「奴の言うことを信用するなら、か……起きたら無茶させたことを謝んないとな」

 

胡座に戻しつつ、虚絶に起きろと声をかけてみるが反応はやはり無いまま。よっぽど出られない理由でもあるのか、ここまで沈黙しているのは珍しい。いや、反応している最近が異常だったな。

 

「一先ず、芳乃様とムラサメ様を呼んできます」

「あぁ、頼んだ」

「……それと。馨くん、もうあんな無茶しないでください」

「……善処するよ」

 

釘を刺されちった。

まあ実際死にかけたのだ。これからは気をつけるとしよう。

……我ながら、食らった一撃を分解してそれを含めた燃料で死ぬ前に再生させるなんて意味不明な方法だと思うのだが。

 

待つというほど待たずに、二人はやってきた。安堵の表情を浮かべる芳乃様に対して、複雑そうな表情を浮かべるムラサメ様。やはり虚絶が神力の流し込みを強要したからだろうか。

 

「目が醒めたなら、呼んでくれたらよかったのに……」

「ごめんね、基本的に傷は翌朝には治ってたものだから、つい」

「つい、で腕の傷もそのままに湯浴みをしようとするものがおるか。バカ者」

「返す言葉もございません……」

 

愛想笑いで誤魔化すと、三人揃ってため息を吐く。それほどまでに俺がアレなのだろうか。アレだわ。

さて、本題に入ろう。

 

「それで、ムラサメ様。あんたのその険しい表情は不甲斐ない俺への怒りかな」

「そうではない。あの状況ではあれが最善だったとわかっておる。だがな馨。吾輩の表情は心配事に由来するのだ」

「将臣のことだろ?」

「それもそうだが……お主のことだ」

「俺?」

 

なんとも言えない表情のまま、ムラサメ様は心配事の一つが俺にあると言った。また小言かなと思うが、しかし違う。芳乃さんも茉子も、真剣な表情に変わっている。

それほどまでに重要な何かがあるとでもいうのか。

 

「馨、お主は今──人よりも祟りに近づいておる。虚絶曰く、少しばかり出力を上げ過ぎたのが原因とのことだが……」

 

出てきたのは予想していたことであり、だがとても重要なことだった。

 

「あー、駒川が倒れてるの見たのが切っ掛けだったかな。あの時確か、心臓潰されたけど死ぬより早く治したからそれが原因かも」

「心臓……!? 馨さんまさか、死んで──!」

「修復自体はものの数秒で終わったから別状は無いよ? でなきゃもう死んでる。まぁそういうところから祟りに近づいているってことなんだろうさ。で? それからなんだって?」

「そういう訳で奴はお主を人に戻すべく、しばらくは刀に篭って中にある祟りの接続を解除する……と言って消えていった」

「なるほど。さっきから声かけても起きないわけだ。祟りを喰らう祟りであるアレでどうにかなるなら安い話だな」

「だが今のお主が力を振るえば更に祟りに近づいてしまい、やがては帰ってこれなくなる。よって馨、これからしばらく戦闘行動は厳禁だ」

「へいへい。大人しく人間生活を楽しんでますよ」

 

あの声が言っていた、戻って来れなくなるってのはそういうことかと一人納得する。道理で接続が強制解除されたわけだ。それでも、言った張本人がレナさん(姉君)を守れと接続してきたのは笑え……ないな。

 

「ま、本気で大人しくしてるから安心してくれ。よっぽどのことでもない限り何もしない」

「なーんか、怪しいですねぇ」

「正直、馨さんってわりと嘘つくからあんまり信用できないのよね」

 

ジト目で好き勝手言ってくれる主従二人。が、反論できないレベルで騙したり嘘ついてたりしたから何も言えない。言えるとしたら文句だけだ。

 

「ひでぇなお前ら。まぁいいや、それで、駒川は無事か? 大した傷は無かったように見えたけど」

「みづはさんなら、もう回復して診療所を開いてますよ。とはいえ、まだ診療所の修理は先で、部屋が少ないと言っていましたが」

「なるほどね……ま、あの女が生きててよかったよ。で、なんであの時レナさん(姉君)がいたの? 確かに怪しいとは睨んでたけど」

「……姉君? 一体誰を言ってるの?」

 

不思議そうに呟く芳乃さんを見て、思った以上に流されていることに気がつく。これはマズい。大真面目に大人しくしているとしよう。

祟りに近くなるとこうまで影響が出るものか。虚絶の存在の大きさを改めて実感する。

 

「レナさんのことだよ。どうも、同居人の一人が彼女を姉と勘違いしてるらしくて。俺もその影響を受けて、妙な発言をしちまうのさ」

「本当に大丈夫?」

「うぉ、あんまり近づかないでくれ。いい臭いがしてどうにかなりそうだ」

「からかわないで。こっちは真面目なの」

「あれ、芳乃さん昔みたいな口調だね。どしたの」

「……」

 

ズイと迫る芳乃さんの口調が柔らかかったもんだから尋ねてみたが、彼女はピタリと固まってしまった。よく見ればやや顔が赤い。

 

「い、意識したら恥ずかしくなってきちゃった……」

「あ、わかる。俺も芳乃ちゃんって言うとなんか気恥ずかしい」

「と、とにかく大丈夫なんですか。そっちです」

「多分ね。人と話して自分を見失わなけりゃ、そうそう堕ちることもない筈だよ」

 

対処法は頭に入っている。

なので問題はない。それよりもレナさんのことの方が気になる。

 

「それで、レナさんのことでしたよね」

「うん。何があった?」

「どういうわけか、私の耳とムラサメ様が見えたんです。それであれこれ言われても困るからと、連れてきたら巻き込んでしまいました」

「見える、ね。ますます怪しい。何がどうなってるやら。将臣と同じパターンだと何かしらの関係者という線が濃厚だけど……ま、その辺は本人にも聞いてみるしかないか」

 

とにかく、レナさんは黒だったようだ。それから話を色々聞こうとしたが、怪我人は寝てろということなので渋々部屋に戻り布団でぐったりすることにした。

 

「馨くん? 入りますよー」

 

しばらくすると、何故か茉子が入ってきた。

 

「もうお昼が近いですから、軽めの食事です。お昼ご飯は少し遅めになりますけど」

「昼が近いのになんで風呂入ってたのさ」

「あのですね。ワタシと芳乃様は、昨日から付きっ切りで有地さんとあなたの看病したんですよ」

「お前だって怪我してたじゃん」

「あの程度怪我にはなりません」

 

おにぎりが乗った皿を畳に起き、えっへんと胸を張る茉子に、ふーんと返事をしながら腹に手を当てる。

された側はピシッと固まってしまっているし、なんか顔も赤い。既視感がすごいぞ。

 

「……一体何を」

「硬いな。サポーター入ってんだろ。無理するなよ」

「無理をする馨くんには言われたくないです」

「じゃあ反面教師にしろ。というわけでお前も休んでおけ」

 

雑に言い放ち、気にしても仕方ないと左手に持って食べる。前に右腕をやられた後、気になって調べたのだが要はいつもの宗教的屁理屈だったらしい。仕方ない理由がある俺には関係無い。

しかし、俺が気にせず食っていると、茉子はどうにも浮かない様子だった。

 

「どしたよ」

「休むって、どうしたらいいんでしょうかね」

「布団でぬくぬく、せんべいもしゃもしゃしながらゴロゴロするとか。お前だったら何も気にせず少女漫画読むとかになるんじゃないか」

「何も気にせずとか無理ですよぅ……だって芳乃様が家事やって怪我しないかとか気になっちゃって」

「過保護な親かお前は。昔っからの付き合いだし、結構前から世話してるから気になるのはわかるさ。俺だって急に芳乃さ……芳乃ちゃんが自分で家事やり始めたとか言ったら驚くし心配だよ。器用なのは知ってるけど」

 

まあこいつにとってみれば、一から五まで世話してた大切な人が急にその一から五をやるわけだ。そりゃ気になるってものよな。

というか、まだ俺がこいつらを年上だと思ってた頃から茉子の過保護は割とあれだった気がする。イタドリの酸味は毒性に由来するとかトリカブトとヨモギはよく似ているとか……思い出したらなんか母親みたいだなあとか色々感じる。

残ってた分を食べ、ありがとうと言う。

 

「でも、ワタシは平気ですから。心配しないでください」

「その言葉が現在進行形で説得力を失ってるの自覚してないのか茉子」

 

そんな屈託の無い笑顔で言われても、こちらとしては非常に疑ってしまう。

いや疑わしい俺が何を言っているやらだが、しかしそれにしたって割と茉子は無茶を是とするから疑わないという選択肢が無い。

 

「あは〜」

「可愛く首かしげても騙されんぞ」

「だけど無茶が必要になることがあるじゃないですか」

「そういう言い方は嫌いだよ、大人っぽくて」

「同じこと言ってたの忘れたんですか馨くん。しかもその返しワタシ言いましたよ」

「うぐっ……」

 

確かにそんなことを言ったし、言われた記憶がある。無茶だなんだの話は俺に対するブーメランになるから嫌いだ。

だがとにかくこいつを休ませなければ。俺より治りが遅いんだ。無茶をするからこそさせないようにしなければならない。

 

しかし……どうやったらこのワーカーホリックを止められるのだろうか。従者面を引っぺがして、ただの常陸茉子にして休ませるには何が──

 

そこまで考えて。

いっそ困らせてみてはどうかと、閃いた。

 

茉子をこの部屋に引き止め、何かするのを諦めさせる方法は……あるな。

だったらそれを、最適なタイミングで行うだけだ。

 

「まぁなんでもいいんだ。とにかくお前も休め。胴への一撃は内臓や骨に影響が出ていてもおかしくはない。駒川の目を疑うわけじゃないが、念には念というだろ」

「ワタシにとって芳乃様のお世話は日常なんです。それを休めと言われても……」

「わかったわかった。もう言わない。好きにしろ」

 

とはいえ初期段階の説得は失敗。

何処かの誰かに似て、だいぶ頑固になっちまった。

 

「さて、ワタシそろそろお昼の準備をしますね」

「あ、待ってくれ」

 

と、去ろうとする茉子を呼び止める。

不思議そうに立ち止まる茉子を見て、この作戦に対する恥ずかしさが出てくるが仕方ない。

やらねばこいつは止まらない。

 

「……えっとさ、少しの間でいいんだ。手を──握ってくれないか」

「なんですか急に。あは、もしかして甘えたいんですか〜? 可愛いですねぇ」

「まぁそうとも言う」

「……え?」

 

意地の悪いにやけた表情から一転、本気で困惑している茉子を見て、作戦の成功を確信する。

どうだ、割と重傷だった俺に手を握ってくれないかと言われるのは思いの外、困惑するだろう。

するにしろしないにしろ、少しくらいはこの部屋に留まらせることはできるだろう。世話をさせてやるものか。

 

「だからその……いや、やっぱ、なんでもない。気が向いたらでいいよ、うん……」

 

だがしかし。やはり年頃の女の子に対して手を握ってくれなんて頼むのは恥ずかしくて、どっち付かずの妙ちくりんな態度になってしまった。

なんだか顔を合わせられなくなって、布団に潜り込んでしまう。なんと情けないことか。

 

……いや、正直本気で恥ずかしい。

 

幼馴染の女の子に、一般に青年と呼ばれてもおかしくない年頃になって、手を握ってくれとかさ。どういうプレイなんだとか思われかねない。

悶々とした羞恥心に苛まれ、どうしたものかと顔を埋めて困り果てる。

 

「……もぅ、しょうがないなぁ」

 

何処か呆れたような、けれども優しい声が聞こえたと思ったら、被ってた布団に隙間が生まれるのを感じる。

 

「よいしょっと……これでいい?」

 

そのままモゾモゾと布と布が擦れる音がしたと思ったら、背中からダイレクトに人の温もりが伝わる。

まるで子供を宥める大人のような優しい声色と、茉子に包まれているという状況から余計に羞恥心が生まれて、もっと顔を埋める俺は、なんか色々と違う状況になってしまったことに対して──

 

「お前……何してんの?」

 

本気で困惑する以外の方法はなかった。というか、今気付いたが茉子の敬語が外れてる。本当に素の茉子だ。

 

「後ろから抱き締めてあげてるだけだけど」

「手を握ってって言っただけじゃん……」

「嬉しくないの?」

「いや、嬉しいけど……なんか、恥ずい」

「この前したし、それにもっと前には、馨くんは抱き締めてくれたじゃん。それと同じことだよ」

「……耳元でそういうの言うのやめてくれない? 卑怯だぞ」

「あはっ、照れちゃって……そういうところは昔から変わってないんだね」

「頭、撫でるなよ……」

「ふふふっ。ワガママなんだから」

 

ああ言えばこう言うとは正にこれか。暖簾に腕押し感が凄まじい。あと胸が当たってもっと恥ずかしい。

てか、他人の家で何してんだろ俺たち……

 

「ねぇ、いつまでこうしてて欲しい?」

「それは……少し昼飯が遅くなるくらいでいいよ」

「──あぁ、そういうことだったんだ。素直じゃないし、卑怯だよ」

「卑怯なのは茉子だ、こんなの……」

「わかっててやった馨くんの方が卑怯じゃん……」

 

──近い。

こんなに茉子が近くに感じるのは初めてだ。

茉子の温もりが、茉子の柔らかさが、茉子の吐息が、茉子の臭いが、茉子という存在が、今抗えぬ魔性めいてそこにある。

 

全然思考がまとまらないし、ずっとこのままがいいと考える自分もいる。まるで母と手を繋ぐ幼子のような安心感さえ覚える。

 

だけどこれ以上は男として、理性的なブレーキがマズいという確信もある。一体どうすればいいのか。希望と絶望の狭間、あるいは天国と地獄の狭間か。

 

好きでもない女に、半ば欲情しつつ姉性めいたものを感じるなど──あぁ、まったく……俺はとんだインモラルらしい。人のことを笑えないレベルでアレだ。我ながら度し難い男だこと……

更に茉子と俺の距離が縮まり、心臓の鼓動すら聞こえてきそうな程に密着する。大真面目にどうにかなりそうだ。

 

「……馨くんの臭いがする」

「そういうの、やめない?」

「やめちゃって、いいの?」

「………………いや、その、他人の家で何やってんだろなー俺たちって思っただけで……」

「──あ」

 

そう言った途端、茉子はマヌケな声を出して──

 

「ぁ、あはは……あ、あはー……なんちゃって……?」

「疑問形にしたところで遅いってば」

「あわわわっ……!! いい、今すぐ離れます! 今すぐうどん用意してきます! というわけでワタシはこれにてドロンです!! はいっ! ま、また来るね!」

「あのさ……ありゃ、行っちゃったよ」

 

電光石火の如く茉子は布団から脱出し、顔を真っ赤にしながら敬語と素が混じっている中、何をトチ狂ったかまた来るなどと言って去ってしまった。ちゃんと皿も回収している辺り、らしいと言えばらしいのだが。

 

「これ、寝れるかな」

 

芳乃さんの家で、茉子に抱き締めてられて、彼女の香りに包まれた布団──絶対に寝付くなんて無理だ。

 

「……女の子って、すごいや」

 

ボヤきながら、布団を直して横になろうかとした時。

部屋の隅から頭だけ出していたムラサメ様を発見した。ちょうど俺の頭の向きとは真反対で、あぁ、つまり、なんだ。死角にいた彼女からしてみればさっきまでの醜態を見せられていたわけで。

 

それを如実に語る小悪魔的微笑を見てしまえば、諦観と悟りが飛来するのも致し方あるまいというもの。ため息を吐きながら、俺はこの幼刀に一言。

 

「スケベ女」

「表出ろお主」

 

────喧嘩を売ることにした。

 

「うるせえこの覗き魔め。あの醜態をずっと見てやがって」

「見てるこっちが背徳感に満ち溢れるほどお主らのやり取りはイケナイ香りがしていたぞ。単なる添い寝が、どうしてあそこまで淫らな雰囲気になるのか。吾輩にはわからんなァ?」

「お子ちゃまにはわかりませんよーだ」

「はっ、甘え上手でまるで童のような馨に言われたくないわ。なんなら、吾輩が甘やかしてやろうか? 幼い肉体に対して見合わぬ精神、これをギャップもえ……? というのだろう」

「まーた将臣から変なこと学んだな……」

 

ムラサメ様のポンコツ化が深刻すぎて俺には何も言えない。しかしニヤニヤしながらその幼い姿のまま、まるで意地悪な姉のように振る舞われるのは……うん、大変そそってよろしい。

 

姉貴みを感じる。

 

──じゃなくて!

ええい、クソ! 色で頭がバカになったか!? 何をトチ狂ってるんだ俺はっ。

姉性フェチとか業が深すぎるだろう……!! そんなんだから茉子に弟気質とか言われるんだ!! 愚か者め!

 

「クククッ、面白い顔をしておるぞ〜? それほどまでに嬉しいか」

 

挑発するようにニヤニヤと近付いてくるムラサメ様。

ちくしょう、この……ロリババァ! ──なーんて思うわけでもなし。この幼刀にどうやって一泡吹かせるかは単純だ。

からかうのが好きなら、素直になればいい。茉子がよく使うテクニックだ。

 

「じゃあ、膝枕してよムラサメ姉さん」

「のじゃっ!? 急にムラサメ姉さんとか言い出してどうしたのだ」

 

そら、面白いように動揺した。

へへへっ、甘いんだよムラサメ様。からかいにおいて俺に勝てるのは茉子くらいだ。

 

「んー? いやロリオカンに甘えてみるのも一興かと。する側でいると楽しいけど、される側になるとダメなんて、まだまだ鍛錬が足りないなァ?」

「ロリオカ……っ!? わ、吾輩は叢雨丸の管理者だぞ! もう少し威厳のある言い方をせんか!」

「はっ、悔しかったら物理干渉を可能にして膝枕の一つや二つでもできるようにしてみろっての。この出歯亀幼女が」

「ぐぬぬぬ……っ、覚えておれ〜!」

 

悔しさのあまり捨て台詞を言って何処かへと向かっていくムラサメ様。

ふっ……勝った。完全勝利だ。

 

 

 

「そういえば、馨君は今日どうするんだい? 流石にその腕じゃ一人で身の回りをやるには不便だろう」

「あー、考えてみりゃそうですな」

 

昼飯のうどんに悪戦苦闘し、持ってきた茉子に食べさせてもらった後、仕事が一息ついた安晴さんがやってきて、そんなことを言った。

 

「まぁでもそこまで世話になるわけにはいかないし、晩飯だけいただいて帰宅しようかなと思います。風呂は……どうしましょうかね」

「傷があるし、一応入っていったらどうかな。傷口自体は塞がってるわけだし、お湯であっても問題は無いと思うけど」

「じゃお言葉に甘えて」

 

「けれど、血塗れでウチに来た時は驚いたよ」とボヤく安晴さんに「すみません」と返しつつ、確かに血塗れだったなぁと回想する。

話を聞くに、あの後目覚めた駒川によって怪我人三人の処置を迅速に開始。

将臣が意識が落ちていたので最優先、茉子は意識がまだあったので手当てをした後安静に、そして俺はしばらく虚絶が肉体を動かし、朝武家についたら身を清潔にしたり服を借りたりなんだりしたようだ。

 

「しかし、これは人の手には余る代物だ。昔、僕も虚絶を担いで挑んだことがあったけど、あの時は確か内臓──心臓と肺がボロボロにされた挙句、腕や膝も代償で破壊されてね。でも目が覚めたときにはほとんど治ってた。あの時は秋穂に泣きつかれちゃったし、千景や遙香さんにも殴られたなぁ……」

「親父やお袋に殴られるって何してんですか。あの人たち手を出すことは滅多に無いのに。ってあれ、安晴さん……虚絶を使ったってどうやって?」

「いやぁ……秋穂にばかり任せてられないって、千景からぶんどって無理矢理使ったんだ。その時に中に何かいるってのは知ったんだけど、まさか君のご先祖様だったとは。彼女から見て、僕はだいぶ印象に残ってたみたいでね。会ったときには妙な反応をされたよ」

 

妙な反応? と首を傾げる。

あの殲滅にしか興味無さげな奴が何故安晴さんに反応したのだろうか。

 

「確か「無念を抱える者よ、我はそのような悲劇を二度と無いようにせねばならない。望むのならば再び求めよ。さすれば、我は貴様を鏖殺の刃とせしめよう」──だったかな」

「俺だけ使ってりゃいいものを……! あの女、コナかけやがってっ!」

「まぁまぁ。彼女、求めるものには与える性格みたいだし、いざとなったら求めろよくらいだと思うよ? そんなに気にしないでほしいな」

「ですがあいつは貴方を使い潰す気で──!」

「使い潰すなら、僕はとっくにあの時死んでるよ。あの時に代償を治癒したのは間違いなく彼女だ。その意志は殺戮に塗れていても、何処かに人の心がある。間違いなくね」

 

心当たりはあるが、信用ができない。きっとこの人もそうだ。奴を信用するなんてリスクが大きすぎる。

 

「まぁ、君もあれだ。少し芳乃たちと触れ合って、昔みたいにのんびりしなさい。最近は色々あって疲れただろう?」

「まー、そうですね……何も考えずにのんびりしますよ」

 

そう結論を出すと、仕事に戻る安晴さんを見送った。

もうやることもないので、布団で横になる。

 

「……茉子の臭いだ」

 

是が非でも想起させる、昼前の何とも言えないあのやり取り。

あの時は、本当にどうかしていたのだろう。お互いに……

 

 

結局、陽が落ちるまで悶々として過ごした俺は晩御飯にやはり苦戦した。何せ右利きである。掴めはしても細かい作業は無理だ。刀を振るだけなら例外だが。

また茉子に助けてもらいながら、晩飯も終えて風呂に入る。その程度であれば片手でも十二分だ。

 

……湯に浸かると、まず痛みが先に来た。どうやら祟りに近づいた影響とでも考えればいいのか。それとも単に傷口が痛むのか。

存外、定義とは往々にして曖昧である。

 

「……ふぃー」

 

痛みとは言っても、熱いお湯に浸かったみたいなヒリつく痛みだ。それほど気にするものでもない。

烏の行水と親に言われるほど、そこまで長くは入らない。とっとと上がって着替えてしまう。

右腕を動かしたくない為、左腕しか袖が通っていないが問題あるまい。

 

「お世話になりました。おやすみ」

 

貸してもらった服は洗って返すと伝え、心配そうにする芳乃さんと安晴さんに別れを告げて帰路に着く。

 

「今日はえらく着いてくるな」

「片手しか使わないんでしょう? ワタシが一応いないと、いざってときに不便ですよ」

「ごもっともで」

 

家まで茉子に送られたが、それは些細な問題。

帰宅した後、服は畳んでおき、転がってた寝間着の単衣に着替えて布団に入る。

慣れ親しんだ布団だが、しかし……人肌に触れすぎたからか、やけに冷たく感じた。



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解明

目が覚めてまず確認したのは、右腕の具合だ。

動かしても痛みは無い。相当早く治った。更に言えば傷痕も何もかもが元通り。数日前の腕になっている。

 

が、しかし。

 

祟りに近づいた状態で破邪の効能を持つ湯に触れた所為か、またなんとも言えない違和感が残っている。

諸々を考えれば学院に行ったところで、どのみち早退させられるふだけだろう。間違いなく駒川ならそうさせる。今の俺は重傷から急激に回復したが、未だその後遺症は未知数。あとで奴にも顔を出さねば……

やむなし、今日は休むかと決める。

 

ご近所さんな比奈ねーちゃんに会いに行こう。

朝食もまだだった比奈ねーちゃんに誘われて、彼女の家でご飯を食べながら、事情を説明した。

 

「……なるほど、わかったわ。病み上がりだから無理しない方がいいもの」

「毎回ごめんね、比奈ねーちゃん」

「いいのよ。休んでいる程度で済んでるんだから。でもびっくりしたのよ? 急に馨が怪我をしたって駒川先生から聞いて。山で落石を避けたら落ちちゃったんだってね」

「死んでないから安いもの、違うかな」

「違わないわ。生命は重いもの」

 

久しぶりに比奈ねーちゃんに頭を撫でられ、くすぐったい思いをしながら甘んじて受け入れる。

 

「ねーちゃんには、頭上がんないや」

「いつまでもねーちゃん呼びは恥ずかしいから、何か別のとか無いの?」

「俺にとって、ねーちゃんはねーちゃんだよ」

「ホント、口は達者なんだから……」

 

呆れるように、でも少し嬉しそうにそんな反応をする比奈ねーちゃんを見て、俺はこんな人を守りたいのだと、強く思った。

 

 

「……さて」

 

それから比奈ねーちゃんの出勤に合わせて帰宅し、俺は着替えることにした。腕は動くが、さて問題も多い。洋服はお気に入りの奴以外はほとんど全滅だ。出血で。

たまには和物で行こう。とはいえ、穂織らしく何とも言えない和洋折衷な服なのだが。

 

「……似合わねえ」

 

まぁ、いつも洋服か和服かのどちらかを選んでいた身としては、いかんともし難い違和感を多分に含む。

だが四の五の言ってられんのも事実。考えるのも面倒くさい。

それに、気合いを入れるのは死装束かアレだけでいい。

 

虚絶に触れることはしないでおく。どれほど動くかの確認をしたいので、家の倉庫に転がっていた竹箒の柄を、庭で振り回してみる。

理想像を描きつつ、現実との擦り合わせを始めて、一瞬で悟った。

 

……なるほど、治ったのは表面上だけらしい。反射神経に対して腕の実動が遅すぎる。コンマ単位の遅れではない、秒単位の遅れだ。遅く、鈍く、そして粗雑な太刀筋──これでは役に立たない。

左腕と比較しても差が大きい。自在に動く左に対して、右はワガママな子供だ。

 

大人しくしているのは一日程度と考えていたが……そうも言ってられんな、これは。一度破壊され、新たに再生された神経が馴染むまでは、戦闘に参加できない。ただ秒単位……あと二日もすれば今までと変わらないほどに戻るだろう。これが十秒単位で鈍かったら一週間は黙ってた。

しかし肝心なのは、祟り寄りから人間寄りに戻るまでどれだけ時間がかかることか、だが。

 

「して……どうしたものか」

 

安静にしているというのは、確かに重要だ。

だが安静にできるかと言われれば、きっとできない。何せ物が無い。買い物をしなくてはいかんし、診療所にも行かなければ。

事態が事態だ、奴に報告しておく必要がある。

 

今日はやることが多い……

そう思いながら風呂掃除なり皿洗いなりを済ませる。放ったらかしではいかんせんマズい。

雑事をこなし、先日の茉子の言葉が脳裏をよぎる。なるほど、確かに休めと言われて休もうとして、何をして休みというのか、これがわからない。

先日、茉子────そこまで考えて、あの温もりと柔らかさと香りと、したことと言ったことと言われたことが鮮明に蘇る。

 

顔が熱くなる。ブンブンと頭を振って要らぬ煩悩を払う。

何を考えているんだ俺は……盛った中学生でもあるまいし、元より恋も愛も知らぬ静かな男。性にもそこまで興味は無い……あっ、ごめん嘘。人並みにはある。

 

あぁもう、ダメだちくしょう……調子狂いっぱなしだよ。

 

大の字に寝転がり、もうやってられんと諦める。

朝っぱらから、なんか疲れた。

比奈ねーちゃんに癒されたい……

 

そうこうしながら昼飯も終えて、ぐったりしていると、携帯が鳴り響く。果たして誰だと思いながら手に持ち……それが駒川からのものだと知って急いで出た。

 

「俺だ。どうした」

『馨、調子は?』

「生命活動に支障は無い。が、右腕の反応が鈍い。そもそも祟りに寄ったこともあって、元に戻るまでは役に立たん」

『まぁ大人しくしていることだ。それで、有地君が目覚めたらしい。それで今から芳乃様のところへ向かうんだけど、君も来てくれないか』

「治りかけの怪我人に出て来いとはお前らしくもないな。何かあったか」

『例の欠片の事で、少しね』

「わかった。俺も向かおう」

 

別に武装する必要も無い。

気楽に行こう、気楽に。──ただし、土産は持ってな……!

 

 

「ちゃろー、元気してる?」

「開口一番それとか、君は相変わらず妙な性格だね」

 

朝武家に着いたときには全員揃っていた。まあ俺の家は茉子の家と並んで遠いところにあるので仕方ない。診療所の方が近いくらいだ。

将臣への土産を片手にフラリと現れてみれば、全員が将臣の部屋にいるという状況。なので割と狭い。

 

「よぉ、お互い大変だったな」

「お前こそ、腕ひしゃげてたぞ」

「もう治った。反応は鈍いがな」

「無茶苦茶だろ」

「そりゃ人間とは言い難いモン」

 

いや元気そうでよかった。

ただ奴の右腕に何か違和感を感じるが、それは一体……?

まぁいい。

 

「で、医者のお前が怪我人呼び出すくらいだ。少しどころの騒ぎじゃねーんだろ? あるいは、俺に聞きたいことでもあったか」

「その両方だ。あの場でいの一番に駆けつけてくれたのは君だからね」

「そういえば、触りは聞いたけど詳しい話はまだだったね。順を追って説明してくれないかい? 整理の意味も込めてね」

 

安晴さんの提案に頷いた駒川は、まずは祟りについて話そうと決めた。

 

「まずあの祟りは、山から下りてきたんじゃない。私の診療所で発生したんだ」

「バカな……!? あり得なかったぞ、そんなことは!」

「何か理由があるはずだ。突然現れるのは、理屈に合わないよ」

「……なるほどな。道理で──混ざってなかった上に神力まで宿してたわけだ」

「馨、詳しく頼めない? 君の意見が聞きたい。私の話はその後の方がいいだろう」

 

駒川に言われて、記憶を手繰り寄せる。色々と抜けがあるが、あの祟りに関してはかなり印象に残っている。混乱しないように、説明順を選びつつ俺は自分の見解を語った。

 

「あの祟りは、何らかの理由によって診療所内に呼び出された……無差別攻撃型の祟りだった」

「無差別攻撃型って、祟りは恨みある存在にしか襲いかからないんじゃなかったんですか。馨さん、何を知ってるんです?」

「過去、俺が殺してきた祟りは大まかに分けて二種類いた。人が侵入したから発生した祟りと、初めからそこにいた祟り……前者は朝武だけ、後者は誰であっても襲った」

 

ここで一区切りをつけ、周りを見渡す。ものすごく噛み砕いて言ったので話が通ってる。

あとは感覚的な話だ。理解させるのが難しいし、説明も難しい。が……やるしかない。虚絶のフォローもない以上、頑張らないと。

 

「そもそもの話、祟りは強力な憑代があれば、誰であっても起動できるほど簡易的な術式だ。中核となる怨みを骨格に、吸い上げた有象無象の暗い感情を肉や皮として現れる。つまり、基本的に雑食なんだ。

 

だが純粋な、混ざりっ気の無い祟りが生まれることもある。それは生まれた直後か、あるいは──有象無象を捩じ伏せるほどの力や性質を持つ例外か。

 

あの祟りがどちらにせよ、原型が神聖なモノだったのか、微かとはいえ神力を宿していたという事実の方がルーツ探しには重要だろう」

 

と、ここまで話終えて、俺は最大の懸念を伝えた。

 

「あと、あくまでこれは憶測でしかないんだが……祟りは二つある可能性がある。差別する祟りと無差別な祟り──同じ憑代を中核に、同じ姿と異なる性質で現れても不思議じゃない。

 

それに虚絶の中にいる祟りでも、診療所に出現した個体に対して極めて強い殺害衝動を送り付けてくるのが二つ……自滅衝動なのか、あるいは他殺衝動なのか。奴らが俺に対して殺せ殺せと言っていたのは覚えてるんだが、もうちょっと具体的に言ってた気がする。

それにその中の片割れが、どうにもレナさん(姉君)を姉君と勘違いしているみたいで……おっと、これはレナさん(姉君)の話でするべきだな。

 

とにかく、これくらいか……長話になっちまったな」

 

とにかくわかるものを片っ端から説明するような形になってしまったが、仕方あるまい。専門家は起きられないし、俺は人間だ。祟りの術式構成は知っているが他は微妙。

しかし確信と憶測が何かしらの形で答えに繋がったのか、駒川は欠片を見せつつ言葉を続けた。

 

「馨の話を聞いて理論的にも確信できた。この欠片が、祟りの発生源だ。この目で黒く染まり、泥が氾濫して祟りになるのは見たけど、そういう仕組みだったとは」

「それは祓った祟りから回収したものなんだよね。となると、祓うだけじゃ終わらないということかな」

「間違いなく。推測するに、穢れを祓うことではなく、この欠片──今後は憑代と呼称しましょうか。これに宿る怨みをどうにかすることで根本的解決になるかもしれません」

 

そんな話をしていると、将臣が何やら不思議な顔をしていた。

どうしたものかと尋ねると、奴は祟りと身近に接してきたお前にだからこそ聞きたいことがあると告げてきた。

 

「なぁ、祟りや憑代が宿している怨みってのは、夢とかで見るものなのか」

「あぁ、見るぞ。厳密には夢ではなくその対象の主観の追体験か、あるいは意識や記憶の混入が近いか……どれだけ通しやすいかでも変わる。──おい待て将臣、お前まさか……!?」

「あぁ、そうさ。俺は……」

「俺だけじゃない。駒川にも……いや全員に言っておけ。知っている奴が多い方が都合が良い」

 

そうして将臣は改めて語る。

殺される夢、下衆な笑顔を浮かべた鎧武者、返せという声──どれも意味深な要素だった。

 

「……推測が真実かもしれないな。でもこれで確定したのが、間違いなく憑代は一つになりたがっているということだ」

 

そう言って駒川は将臣が所持していた欠片の所在を聞き、リビングにあるのでそちらに移動する。

 

そして憑代と憑代を近づけると──それらが光り輝き、勝手に動き出して合体する。

なるほど、確かに一つになったとなれば、これが光明となるかもしれない。

 

「私はこれを削ってみたんだ。調査のために……あの祟りは、それが切っ掛けとなって現れたのかもしれない。欠片を傷つけられた怒り……砕かれた怒りなどが原因で、馨の言うところの無差別攻撃型は現れたとも仮定できる」

「そうなると、ワタシたちに対する怒りが、祟りとなっていたってことですよね? そこから考えてみれば、朝武への呪いというのは長男のものではなくて、利用された犬神のものだったのでは……?」

 

と、茉子が言ったときに皆はそれは盲点だったみたいな反応をしていたが、俺にはさっぱりわからなかった。

……長男に利用された犬神? 一体何を言っているやら……

 

「どうしたのかな馨君。腑に落ちない顔をして」

「犬神……って、なんですかね」

「……へ?」

 

安晴さんに聞かれたので聞き返してみたら、予想外の反応が返ってきた。訳を聞いてみれば知ってるものかと思っていたらしい。いや知らんがな。

というわけで詳しく聞くと、朝武の呪いの始まりは、犬神を利用して生まれたという。

 

──もう読めてしまった。が、解せないところがまだある。

 

「……神が根底にあるなら無差別だろうな。人じゃねえんだし……でもおかしいんだよ。祟りは原則として、その始まりを変えることはできない。千年過ぎても魔性殺すべしを貫く虚絶のように。だってのに、憑代は一つに戻りたがっている上に攻撃されたら影を出す……? どっちだよ、お前……」

 

正直、材料が足りない。

叫ぶ二つはなんとなくわかった。長男と犬神に由来するものであるのには違いない。

……が、長男の呪いは朝武だけを呪ったもの。犬神の怒りは人全てを対象にしたものと仮定して考えると、憑代が二つなければならない。

一つの憑代で二つの祟りを生み出し、かつ混ざらないほどに個我を保てるなど……無茶苦茶だ。

 

「……お前らは何を知って、何をしたいんだ。血族殺しの朝武殺すべしか? それとも人類殺すべしか? 一つの憑代で二つの祟り────どれだけ強力なものを使ったんだ。この憑代の正体ってなんだよ……人間には不可能だぞ……人殺しをし続けて血を啜る妖刀になった虚絶を用いても十年と保たない……お前は誰だ、何なんだ……?」

 

わからない、わからない、わからない。

致命的にまでわからない。何が最初にあったのかが。

 

「馨、落ち着け。わからぬものはわからぬ。今、吾輩たちに必要なのはこれからどうするか、だ。お主の困惑は最もだが、それは後で考えればよい」

 

ムラサメ様に咎められ、俺は思考の牢獄から抜け出す。

そうだ、今大切なのはこれからのこと。祟りがどうのこうのは終わってから考えればいい。

 

「こんな風に憑代を完全な形に戻した上で、丁寧に祀り上げれば、もしかしたら……」

「呪いが……解ける……?」

「断言はできませんが、きっと現状打破には繋がるでしょうね」

 

朝武親子の希望的観測に対して、あくまでも現実を突きつける駒川の態度は、どこまでも医者らしい。命を預かる者として、気休めは言わないということか。

 

「とにかく必要なのは、欠片集め……そうだムラサメちゃん。もしかしてレナさんは、何か欠片に関係してるんじゃないかな」

「そうだな。それに馨の中にいる祟りが反応したということは、大なり小なり関係があるはずだ。吾輩が見えることも気がかりだしな」

 

将臣の発言にムラサメ様は同意。

学院が終わり次第、見舞いに来るそうなので、そこが狙い目ということだろう。

 

欠片集めか、祟りの謎か。

天秤が傾くのは当然、問題解決だろう。

そうして駒川は帰ろうとしたのだが……

 

「あぁ、そうだ。常陸さん。寝てろとは言わないけど、あんまり動かない方がいいよ」

「みづはさんは大袈裟なんですよ」

「馨じゃあるまいし、そういうこと言わないの」

「大丈夫ですって」

 

呆れた表情の駒川に、今回ばかりは同情する。大袈裟だなんだは俺の発言ならいいのだが、茉子だとあまり洒落になってない。やせ我慢なのかどうかがわからないからな。

 

「本当に平気なの?」

「はい、何でもお任せください」

 

と、将臣の疑問に対してドヤ顔で宣言し胸をトンと叩くが……

 

「──ッ!?」

「……茉子、お前な」

「ぉ、おまかせくらはぃ……っ」

「言わんこっちゃない。痛みが引くまで動かないこと。それから衝撃を加えるようなことは厳禁。いいね?」

「……はい……」

 

涙目で駒川に返事をする茉子を見て、ああこりゃあダメだと痛感する。駒川は帰ったが、将臣以上に心配だろう。

というわけで昨日散々世話になった礼も兼ねて、俺が一肌脱ぐとしよう。

 

「大人しくしてるんだな。家事は俺がやってやるよ、昨日世話になったし」

「すみません馨くん……あ、でも家事できますよ。昨日は全部ワタシが──」

「知ってる。だからこそだ」

「そーですか」

「そーだよ」

 

プイとそっぽを向く茉子はまるで拗ねた子供だ。

……やれやれ、こんな意固地な奴だったっけか? 右腕の慣らし運転にはちょうどいい機会だ。たまには本気で家事をしよう。

 

 

 

「そういや馨。お前が持ってきた見舞い品ってなんだ?」

「あー、アレ? ──官能小説」

「バカじゃねえの」

「エロ本じゃなくて芸術だからノーカンだろ」

 

……チョイスとしては巫女ものだが、当てつけとしてはちょうどいいだろう。



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友情

それから三十分とかからない内に、レナさんは見舞いにやってきた。

ついでに、あのすっとこどっこいツンデレ兄妹も来たので、何もすることのない将臣にはちょうどいい刺激だろう。

……廉が持ってきた紙袋の中が気になるが、いやまさか……いつぞや、エロ本を貸してやるとか言ってたが。

 

「最近、ここも賑やかになってるよな」

「いい傾向ですよ。色々な意味でも」

「だな」

 

隣に座っている茉子とそんな感想を呟きながら、さぁて家事をするかと意気込んで、いざ動こうとしたのだが。

 

「あ、私がやりますからいいですよ」

「いやね、芳乃ちゃん。俺ァ君に世話になったんだし、その礼も兼ねてだね」

「あなたの世話はワタシですよ」

「じゃかしいっ。とにかく、何か手伝わせてくれ。じゃないと気が済まないんだ」

「でも怪我は治ったばかりだし、それに今はお客様です」

「俺と君は友達だろ。たまには頼ってくれ」

「普段頼ってばかりですから、そこまで迷惑はかけられません」

 

と、芳乃ちゃんと平行線の会話を続けるハメになった。もちろん、お互いに一歩も譲らないのでああでもないこうでもないと言い争いめいたやり取りが続く。

 

「二人は何をしてるんだ」

「あ、将臣。芳乃ちゃんが俺に家事を手伝わせてくれないんだ」

「有地さん、昨日治ったばかりの馨さんが家事を手伝わせてと言ってくるんです。どう考えても静かにしていた方がいいでしょう」

「なるほど。色々あるのはわかったよ。でも俺の一番の疑問は……」

 

見舞いに来た連中を連れて現れた将臣は、言い合う俺たちからやや視線を外して、ちょうど俺の足に目を向けた。

胡座をかいているが、左膝辺りには──

 

「なんで常陸さんは馨の足を枕にして横になってるの?」

「なんか重いと思ったらお前、ホント何してんの」

「にゃーん」

 

なんか知らぬ間に茉子に膝枕として使われてた。しかも使いやがってる張本人は、猫か何かのような態度を見せるばかり。

猫……猫か。思い立ってプラプラと茉子の顔の近くで指を揺らしてみる。するとペシッと叩かれて、ああ猫だと理解する。

 

「おい茉子にゃん、重てえから退け」

「デリカシーが無いですね。恥ずかしいから退いてくれくらい言えないんですか? 昨日みたいな可愛げ見せてくださいよ〜」

「はぁ? 誰が見せるかメス猫め。あんなもん眠気に当てられておかしかっただけだ。てか客に失礼だろ客に」

「……あっ、皆さんこっちに来ていらしたんですね」

 

状況を確認すると、いそいそと身体を起こす茉子。まだ来てないと思ってダラけてたのかこいつ。

まぁ……素はかなりアレだしな、茉子は。俺といい勝負してるんじゃないか?

 

「そういえば、なんで馨さんが巫女姫様の家にいるの? 学校休んだって聞いたけど」

「あぁ、それね。小春ちゃんはどうして将臣が怪我したか知ってるかい?」

 

小春ちゃんの疑問と、カバーストーリーを知るべく尋ね返してみる。辻褄を合わせないと面倒だしな。

 

「診療所で本棚の下敷きになったのは知ってるよ」

「オーケー。そこまで知ってるなら話が早い。元々、診療所に向かってたのは俺の所為なんだ。山に用事があって色々やってたんだが……落石を避けたら落ちて気絶してな。偶然、近くにいた将臣たちに連れてかれた」

「あー、お前の家遠いもんな。だから担ぎ込まれたのか」

「その通りだ廉。将臣は本棚の下敷き、茉子はそれを庇って負傷とまぁ、三人まとめて怪我人に早変わりだ」

 

スラスラと吐き出した嘘は、言葉を変えて真実だ。だから芳乃ちゃんに生暖かい視線を向けられても俺は嘘"は"言ってないし、本当の事を黙りながら言葉を変えているだけ。孵化器がやるのと同じテクニック──と言えば聞こえが悪いな。

 

が、しかし知らなくていいことは知らせる必要も無い。知られたところで問題無かったりあったりするものだが、それはそれこれはこれだ。

 

「んでまぁ、昨日までここで世話になってたが、目が覚めて帰ってな。今日は様子見がてら休んでたら、そこの寝坊助が起きたと聞いて冷やかしに来た」

「お前のおかげで寝坊したんだけど」

「そりゃ悪かった。だが美人の介抱は美味しかったろ? それでチャラにしてくれよ」

 

お互いに軽口を叩きながら、一応追求はされても平気なようにしておく。レナさんがやけに妙な視線を向けてくるが、多分真相や何が起きてるかを理解しているのだろう。

だがしかし、何故将臣が起きてきたのかが謎である。わざわざ連れて来てまで。これではまるで何か目的があるかのようではないか。

 

と思って話を聞くと、どうやら玄さんから見舞いがてら家事の手伝いをするようにと言われていたレナさんが、その旨を伝えに来たとのこと。

しかし頑固者の芳乃ちゃんはこれを遠慮する。

 

「つーかさ、芳乃ちゃんは何を意固地になってるんだよ。人の好意は素直に受け取るもんだぜ。というわけで俺にも手伝わさせろ」

「あ、馨さんは茉子と一緒に休んでて」

「えー。なんでさ」

「そうですよ芳乃様。ワタシは普通に動けますよ」

「「茉子は休んでて」」

「えー……」

 

さっきまで涙目だったアホの子が何か言ってるが無視だ無視。無言で背中をど突いてくるが無視だ無視。

 

「しかし、大旦那さんからはマコに家事を任せていると聞きましたよ? それにカオルは……うん、何か信用できません」

「酷くないかな、あね……レナさん」

「そもそもカオルは自分が怪我をしていたということを忘れてませんか」

「いいんだよ俺は。頑丈だし」

 

そう言い放つと、全員がため息を吐いた。そこまで俺は変なことを言ってないつもりなのだが。

呆れ返った廉は、仕方ないといった様子で俺に尋ねる。

 

「なぁおい馨よ。お前は山の斜面を転げ落ちて丸一日寝てたんだよな」

「そうだな」

「常識的に考えれば自分が滅茶苦茶なこと言ってるってわかんない?」

「動くし痛みも無い。休んだのはあくまでも様子見だから問題無いなら家事程度いいじゃん別に」

 

二度目のため息。

何がいけないのか本気でわからない。

 

「なら家事ったって何やるつもりだったよ」

「風呂の支度だろ、飯もだな。あとは洗い物に掃除と……まぁ概ね全部? 茉子の代わりをやろうとしてたし」

「テメェ病み上がりなの完全に忘れてるな! マジで動くなよ! 巫女姫様、レナちゃん、このバカに働かせちゃいけない。こいつ間違いなく頑丈だとかすぐ治るからでかこつけて無理しようとするって」

 

なんか罵倒された。

病み上がりなのは昨日だし、もういいと思うんだけどなぁ……

 

「なぁ小春ちゃん、俺なんで罵倒されてんだろ」

「普通の人はいくら一宿一飯の恩義があっても、病み上がりに家事を全部やろうなんて発想しないよ」

「そうかあ?」

「廉兄でもそんなことしないよ」

「……そっかぁ」

「おいそこの二人、ナチュラルに俺を貶すな」

 

廉が指差してくるがまぁいいだろう。つまり俺はよくわからんが間違えてるということらしい。しかしこれだと来た意味が無いというか、なんというか……

 

「とにかく、いくらそう言われてもお客様に手を煩わせるわけにはいきません」

 

往来の頑固さで話をまとめようとした芳乃ちゃんだが、ここでレナさんはすかさず一手を差し込む。

 

「ヨシノ、料理のさしすせそを知ってますか?」

 

料理のさしすせそ……って、なんだっけ?

聞いてる俺がなんだっけとなってしまうが芳乃ちゃんの様子に変わりはない。つまり覚えているということか。

でも芳乃ちゃんだしなぁ……

 

「知ってますよ。砂糖、醤油、お酢、せ、せ、せ……は、ええっと……背脂? ソース?」

「随分味が濃さそうだね。日本的とは言い難い」

 

将臣の毒舌が光る。

……で、本当のところはなんだっけ? ろくろを回しながら俺もボヤく。

 

「砂糖、塩、酢──までは覚えてる。せがなんだったかは忘れた。そは……ソルト?」

「なんで英語なんだよ馨。味噌だろ」

「お兄ちゃんの言う通りだよ。ちなみにせは醤油ね。確か、古い読み方に由来してるんだったっけ」

 

はえーと感心しながらえへんと胸を張る小春ちゃんに拍手をする。

が、背脂にソースという都会でしか見かけないような味マシマシの発言をした芳乃ちゃんはというと。

 

「ぐっ……確かに料理の経験はほとんどありません。でも、私はいつまでも茉子に頼ってられないし、こういう時こそ役に立ちたいんです」

「なるほど、ヨシノは可愛いですね」

 

ニコニコしながらそんなことを言うレナさんだが、それはなんというか口説き文句めいたというか。彼女は天然タラシという感じだな。

 

「では手慣れた人とやってみたらいいですね」

「けれどやっぱり迷惑じゃ……」

「友達とは助け合いですよ、ヨシノ」

「芳乃様、別に一から十まで任せるというわけでもないので、意固地になる必要もありませんよ。というよりも、流石にここまで硬いと失礼かと」

「……わかったわ。よろしくお願いいたします」

 

レナさんの説得もあってか、やっと折れた芳乃ちゃんを見てこの頑固さはどこから来たものやらと少し疑問に思う。今まで頼られる立場だったからなのだろうか? 兎にも角にも将臣が芳乃ちゃんにとって対等の存在となってくれるのを祈るばかりだ。

 

「んーと、じゃあ俺たちは撤収した方がいいかな? 流石に多くて邪魔だろうし」

「生憎、わたしは料理に関しては修行中なので、そちらを頼めますか?」

「ありゃ、そうだったんだ。よし、じゃあ小春と俺で巫女姫様のサポートだな。腕の見せ所ってね」

 

と、自信満々に言う廉を見てふと疑問が浮かぶ。こいつが飯を作っている姿が想像できないのだが、いやまさかそんなペンギンが空を飛ぶよう真似はできまい。

 

「将臣、あいつ料理できたっけ?」

「確か旅館の手伝いがてら仕込まれてたと思ったけど。小春も同じでさ」

「……マジか。ちと信用できねえ」

「料理だけは私より上手なんだよね、廉兄って。お姉ちゃんのところでバイトしてるのに」

「小春は割と不器用だもんな。いや、不器用は言い過ぎた、うん。覚えが悪いだな」

「むっ、何さ。料理スキルをナンパのためだけに向けてる廉兄に言われたくないよ」

「今時は飯の一つや二つ作れないと女にモテねーっての」

 

そんなこと言ってるクセに童貞卒業した時は人にうるさく感想言ってきやがったんだよなぁ。いや誰が友人の性事情を聞きたいかってーの。

……しかし、俺はどうしたものか。一応料理はできるし。

 

「なぁ、俺は──」

「あ、馨さんは茉子の監視がてら休んでてください。この子ったら、隙あらば仕事しようとして……」

「あは、そういうわけでワタシに構ってくださいね。馨くん♪」

「……はーい」

 

どうやら俺は、茉子にゃんの飼い主役らしい。ショボくれながら返事をすると、芳乃ちゃんは一安心といったように肩を撫で下ろした。

なおその時の俺は、まるで母親に怒られた子供のようだったと、後日レナさんが呟いていた。

 

 

鞍馬兄妹と芳乃ちゃんが料理担当、レナさんが将臣のベッドメイキング……いや、布団メイキングか。まあそんなこんなで別れることになった。俺はさっき言った通り、茉子にゃんの飼い主役なので居間からキッチンを眺めている。

さっきチラッとレナさんを連れて外に向かう将臣が見えたが、裏仕事関連だろう。

 

食材を見て何をするか〜とか、色々聞こえてくるし、何より廉と小春ちゃんが的確に芳乃ちゃんをフォローしてるしで、俺としては一安心だ。

そんな感じで眺めていると、ズボン越しに爪を立てられる痛みが走る。見れば茉子にゃんが不服そうに見つめてきている──下から。

まぁ、つまりなんだ。また膝枕してると言えばいいのか。甘えられてると言えばいいのか。

 

「なんだよ茉子にゃん」

「昨日の続きをしませんか」

「見られるよ」

「見せつけるくらいで行きましょう」

「おーいお二人さーん。エロチックな会話は控えてくれると助かるんだけどー。小春が真っ赤になったし、巫女姫様も動揺しちゃってるしで俺が大変なんだけどー」

「へーい」

「申し訳ありません」

 

怒られちったなー。ねー。と適当にやり取りをしながら、この猫の頭を撫でてやる。くすぐったそうに目を細めながら、髪型が崩れると文句をつけてくる茉子に、さてどう反応してやったものかと苦笑しながら撫で続ける。

 

「茉子」

「なんですか」

「やっぱなんでもない」

「あは、変な馨くん」

 

会話も続かない。

たまに寝返りを打つ茉子の頭を撫でているだけ。

手を止めて、悪戯してやろうと腕を膝まで動かそうとして、その手を握られる。

 

「昨日の続きってそういうことかよ」

「あは、本当にするわけないじゃないですか。それとも……言えないことを想像してたんですか〜? やーらしー」

「やらしくない男なんていません」

「お見舞いに官能小説持ってくる人に言われても説得力無いですよ」

「それは……」

 

ニヤニヤしながらゴロゴロと寝返りを打ち、言葉で丸め込んでくる茉子。そろそろ足が痛くなってきた。

 

「ごめん、足痛い」

「じゃあ添い寝してください」

「……ダメだ」

「なんで?」

「ダメったらダメだ」

「あは、恥ずかしいんですか〜?」

「他人の家でなんでこんなことやってるんだろうって気にならんのかお前はっ」

「あ……」

「今更顔を赤くしても無駄だぞ。俺の家かお前の家ならともかく、流石にだな……」

 

顔を赤くしながらスススッと離れていく茉子を呆れた目で見る。

 

「いやな? 確かにお前にとっちゃ自宅みたいなもんだよなここは。でも客もいれば個室でもないんだし、こういうのやめない? 別に付き合ってもないんだしさ。ガキの頃の姉弟関係めいたものを引きずるのもさ」

「それ、そういう関係になりたいってことですか」

「いや全然。恋愛とか面倒くさそうだし、別にいいかなぁって」

 

そんな風に返すと、なんだかその返答が気に入らなかったのか、なんとも言えない表情を見せた後、茉子は「面倒くさそうって……」と呟いて口を聞いてくれなくなった。

──俺は何かしたのか? でも単なる個人の感想みたいなものだし、した覚えもないのだが。

恋愛に関して、茉子の地雷を踏んでしまったのかもしれないが、何が悪かったかわからないので謝るのはやめておこう。下手に面倒なことになっても困る。

それから晩御飯が出来たりなんだりするまで、茉子は不貞腐れたように俺を無視し続けた。

帰り道ですら無視。そこまでするかと思ったが、彼女にとっての地雷を踏み抜いたのは確かなようだ。

 

 

 

 

──茉子が馨と出会ったのは、幼少の頃のこと。その初対面は、彼の両親が穂織に戻ってきたとき。

帰ってきたという報告回りで、常陸家に顔を出した千景と遙香の陰に隠れるように、背の低く気弱そうな少年──つまりは馨がいた。

 

今からでは考えられないことだが、幼少の頃の馨とは喋らなければ動きもしない、何を考えているかも分からず、ただ仏像か何かのように佇む、不思議な人物であった。

どれだけ声をかけてもウンともスンとも言わず、父母から何か言われても一言二言で終わる。実に困った少年……そんな印象を受けた。

 

ただ茉子にとっては所詮その程度の存在であり、馨にしてみても所詮その程度。お互いに両親が知り合いだから知り合っただけの、すぐに消える縁であろうと見ていた。

学校が一緒でクラスが一緒であろうとも、虚無がそのまま形となったような馨に触れることもなかった。

 

そんな関係が一変したのは、馨が朝武家に訪れたときのこと。あまりにも静かすぎる馨を見兼ねて芳乃が遊びに連れ出したのだ。もちろん、茉子を連れて。

そこで彼女は初めて、困ったような顔をする馨を見て、こんな顔もできるんだなと思ったのだ。芳乃が連れ回し、困ったような顔をしつつも、やっと笑顔を見せるようになった頃、茉子は納得した。

 

「この子は放っておいたらダメな子だ」と。

 

段々と口数が多くなった彼から話を聞くに、どうやら両親の鍛治仕事の関係やあまり他人と接する環境でもなかった上に、そもそも他人と接するのが面倒だとか思ってたようだ。

 

「……何もしたくないし、考えなくない」

 

とは本人が常々思っていることらしく、今考えてみれば虚絶の呼びかけがあったからかもしれない。

だがそんな馨が気に食わなかった茉子が、一度だけ彼を家から引っ張り出したときがあった。

そのときの彼は、ひどく驚いた顔をしていたのを覚えている。もっと笑えと、こんな風に笑ってみてと、笑顔を見せた。

 

……そこまでは覚えているのだが、そこから先は朧げだ。

ただいつの間にか廉太郎と意気投合して友人になっており、いつの間にかあんな風な性格になっていた。

長年の付き合いのある茉子であっても、何があったのかがわからない。とりあえず、殺人の使命と殺せてしまう己で狂気を抱いていたのは確かなのだろうが……どういう化学変化が起きて、ヒヨコみたいに後ろを着いてきた男の子が、あんな飄々とした男になってしまったのか。想像もつかない。

 

「……最低だよ馨くん」

 

……帰宅した後、茉子は布団の中で一人愚痴る。

過去に、呪いが終わったら何がしたいかと馨から尋ねられたことがあった。その時茉子は、「恋をしてみたい」と言った。それは今でも変わってないし、普通の女の子らしいこともしてみたいと思っている。

 

「いいんじゃないか? 楽しそうでさ」

 

あの時はそう笑って肯定した彼が、そう、よりにもよって肯定した彼が、そんなことは忘れたと言わんばかりに微妙な表情とどうでもよさげな態度で面倒くさそうだしと言ったのがショックだった。

 

「あのアホ、どうしてやりましょうか……?」

 

茉子は決意した。

必ずかの邪智暴虐なすっとこどっこいに仕返しをしなくてはならないと決意した。

具体的には、どちらが本音なのかを聞き出してやろう……とか。



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真相

あれからしばらく経過し、俺たちは完全に学院に復帰した。

俺は未だに虚絶からの返事が無いが、ほとんど人間寄りになったのは感覚的にわかる。芳乃ちゃんの家からお湯をもらってきて指を突っ込んで痛みを感じるかどうかをチェックしていた。あと数日とかからない内に元通りだろう。茉子はまだドクターストップがかかっているが、これもそろそろ……と言った具合か。

一番寝ていた将臣が完全に戻っているあたり、人生ってのはそういうもんらしい。

 

欠片もだいぶ集まったみたいだが、道は遠い。しかしその果てがどうなるかは、俺も知らんのだ。

そして朝方には祟りが起きたらしくて、芳乃ちゃんに耳が生えてるのを確認した。

 

「で、なんだい急に呼び出してさ。レナさん」

「少しカオルに聞きたいことがあったんです」

 

そんなこんなで昼休み。珍しくレナさんが飯を食べるより先に俺を連れて、校舎の外へと出てきた。話があるとのことだが、なんだろう告白かね。

いや真面目な話だろうし、十中八九祟り関連だろう。

レナさんは真面目な顔をしながら、意を決したように──

 

「キョーカは一体、どうなったのですか」

 

と、言ってきた。

……いや、待って。あいつら祟りの説明はしてたけど虚絶の話はしてなかったの?

さて困ってしまった。

 

「レナさん、もしかして虚絶の話を聞いてない?」

「ムラサメちゃんたちからは、ややこしくなるからカオルに聞けと言われましたが……」

「ちょっと待ってね。──おい、ご所望だぞ帰って来やがれ。いつまでも黙るほど仕事あるわけでもないだろ」

 

実際に口して呼びかけてみる。

数秒待って、久しぶりに奴の声が響いた。

 

──何用だ──

 

出てこいと念じながら、まさかこんな風に返事されるとは思いもしなかったと少し考える。

すると俺の影がドロリと伸びて、それが人型を形作り、やがては見慣れた虚絶の人間態となる。

 

「……この姿では久しいな、りひてなうあー。我に何用だ」

「キョーカ!」

 

花が咲いたような笑顔を見せて、虚絶に飛び付くレナさん。百合の花が咲き乱れそうな絵面である。

しかし虚絶は無表情。全く風情を解せない奴だ。だが疑問が一つ。

今朝呼びかけても返事が無かったのに、何故今になって帰ってきたのだろうか。そこだけだ。

 

「単に、端末ではなく本体に身を移していただけのこと。なすべきことは完了したので、貴様に再接続しただけだ。寸分の狂いもなく、今の貴様は人間だ」

「ありがとよ」

「それで、どうしたのだりひてなうあー。貴公が我に抱き着くなど……我は貴公の母君ではないぞ」

「あっ、申し訳ありません……まるで、幻みたいに消えたキョーカが心配でして……でもこうしてまた会えて嬉しいですよ!」

「我を、心配……だと?」

「はい。だって何であっても、キョーカはキョーカなのですから」

「解せぬな」

 

そう言い放ちながらも満更でもない、柔らかい表情を見せる虚絶。こんな顔ができたものだと思いながら、ということはと本体である刀を呼び出そうとする。が、ウンともスンとも言わない。どうやら接続したものの、まだ力は使うなということか。

とにかく、今は事情を説明しようか。

 

「さて、レナさん。こいつの本当の名前は虚絶──虚を絶つ刀に宿る、俺のご先祖様さ」

「改めて名乗ろう。我が名は虚絶。千年の憎悪を束ね、鏖殺の刃にて復讐と絶滅を目的とする残影なり」

 

彼女を剥がしながら、虚絶は改めて名乗りをあげるも、レナさんとしてはピンと来ない模様。

なのでもっと噛み砕くとする。

 

「要は、ウチの一族に伝わる祟り神用の刀の精霊……ムラサメ様みたいなもんさ。あれより可愛げが無いけど」

「ご先祖様の、精霊? カオルとキョーカは複雑な関係なのですね。あっ、だから結婚していて子供もいると言っていたのですか」

「如何にも。齢は享年だ」

「キョーネン……しかし、今まで何処にいたんですか。急に現れて急にいなくなってびっくりしちゃいましたよ」

「馨……我が端末の意志が落ちたが故に、その肉体を我が操作していた。それに魔に近しくなっていたため、そちらの対処もあって中々現世に実体を見せられなんだ」

 

説明を受けてもちんぷんかんぷんな様子なのだが、まぁこれしか言いようがないのも事実。他にはどうしようもない。

 

「ま、そんなわけで俺と虚絶はすぐ近くにいるし、離れることもできるってわけだ。限度あるけど」

「不思議な関係ですね。でも、なんだか漫画みたいでワクワクしますっ」

「そうだったら良かったけどね……んで、そんだけ? なら戻すけど」

「名残惜しいですが、あまり時間もありませんし、そうですね。キョーカ、またお会いしましょう!」

「我は懐かれた、と見ればよいのか? わからんな」

 

とかなんとか言いながら俺の中に戻っていく虚絶。

 

「……けども、虚絶や俺に深入りするのはよくない。知ったところで、なんとも言えない苦味しか残らないしさ」

「人は苦味も好むものですよ」

「それは知りたいって解釈でいいのかな」

「カオルが話してもいいと、わたしを信頼してからで構いません。話して欲しいと思っても、少々わたしには難しそうな事柄のようですから」

「じゃ、君が本当に後悔しないつもりなんだと判断できたら、また声をかけるよ」

 

そう告げて、俺たちは教室へ戻ろうと歩き出す。

しかし、途中で将臣にお姫様だっこをされている茉子を見かけた。

 

「マサオミってばプレイボーイなんですね。あんな風にマコでお手玉してるなんて」

「それを言うなら手玉にとっているだね。ま、お手玉でもニュアンス通じるし、目くじら立てるほどでもないけど」

 

しかしなんでもない光景のはずなのだが、やや疑問を感じる。

茉子が本気で恥ずかしがっているということはつまり、そういうことなのか?

まぁいいか。あいつが誰に何を思おうと知ったことではない。

 

「カオル?」

 

そもそも俺と茉子の距離は近すぎるのだとこの前改めて実感したばかりだろう。何を気にすることがあろうか。というか最近思い出したが、その昔あいつ恋がしたいとか言ってたような気がする。

いいじゃないか、あの二人。というか間違いなく意識してるってアレ。いやでも将臣は芳乃ちゃんの婚約者なわけだけど、あいつそもそも誰かを好きになったのか? とか色々あるし。

……そうだよ、将臣も芳乃ちゃんも婚約の話忘れてるんじゃ……?

 

「カオルっ」

「……あー、悪いね。ボーッとしてた」

「嫉妬ですか?」

「茉子みたいなこと言うな、君は。別に嫉妬じゃないよ。珍しくあいつらがじゃれてるから驚いただけさ」

「確かに、二人がああしているのは珍しいですね」

 

出歯亀をするほど無粋じゃない。

とっとと戻ろうと言って、レナさんと俺は教室へと戻った。

 

……何か、引っかかる。

だがそれはきっと、ガキの頃の思い出がそうさせているに違いない。

無意識的に自分を特別視していた、というわけか。やれやれ、これじゃいつまで経っても子供のままだな。

大人みたく、上手に処理していきたいものだ。

 

──オマエハ──

 

声が響く。

誰かの声だ。聞き覚えは……無いようである。

 

──ワタシトオマエハ──

 

しかしそれっきり、声は静まった。

何が言いたかったのかはわからないが、どうせいつものことかと思考を打ち切る。

俺の知る由も無い。

 

 

 

──ドコカ、ニテイル……──

 

 

 

夜。

流石にまだ力が使えない関係から、今日は茉子と一緒に留守番をすることになった。

 

「昼、将臣にお姫様だっこされてたけどどういう経緯だ?」

 

気になったので初っぱなから聞いてみると、茉子は失敗談を明かす子供めいた態度を見せる。バツの悪そうな顔のまま、なんとも情けない理由を言った。

 

「実は木から降りれなくなった子猫を助けようとしまして」

「お前ホント無茶するよな。それで落ちて抱えられたってわけ?」

「はい……」

「呆れて何も言えんな」

 

はん、と鼻で笑い、床につっ転がる。

しばらくすると、茉子が不自然にあたふたし始める。こいつの過保護は今に始まったことではないが、しかし──それにしたって慌てすぎだろう。

 

「なにソワソワしてんのさ」

「心配じゃないですか! 今だって芳乃様と有地さんだけじゃ対応できない事態が起きてるかもしれませんし!」

「そこまで信頼ねーのは問題だぞ茉子。お前が見てきたあの二人は、一人欠けただけで何もできなくなるほど弱いか?」

「そういうわけじゃ──」

「そういうわけ以外のなんだってんだ。ムラサメ様だっている。いざって時のやりようはいくらでもある。ちったぁ周りを信用しろ」

 

そう言ったあと、俺は内に響いていた声に内心で呼びかけてみる。が、返事はない。何かしらの意志を持っているのならば、虚絶ほどではないにしろ、ちょっとくらい意思疎通が図れると思ったのだが……違うらしい。

 

意外と暇であるが、しかし他人の家。自由に動き回るには遠慮がある。ので、俺は横になってゴロゴロするか……と思ったが、ちょうどいい話相手が呼び出せるようになったことを忘れていた。

 

「虚絶、事態をどう見る?」

「どう見るも何も、それしかないならやるしかあるまい」

「やっぱな」

「うわっ!? びっくりした……呼んだなら呼んだって言ってくださいよもぅ」

「常陸の末裔か。久しいな」

「えぇ、お久しぶりですね」

 

どこか敵意を滲ませた態度と視線を投げる茉子だが、虚絶はまったく気にしていない。それどころかそもそも認識してもいないようだ。

 

「して、我が端末よ。回路は繋ぎ直した。故に戦闘行動も可能であろう。更に言えば、あの一件の影響で貴様と我の最大距離もかなり伸びた。この地であれば真反対にいても問題無いだろう」

「急に伸びすぎだろう。流石に怪しいぞ」

「まぁ、そこまで必要になる事態はあるとは思えんが」

 

嬉しい誤算ということか。

さて、本来の責務を果たしてもらおうじゃないか。

 

「おい虚絶、構え」

「年若い女子がいるのに千年も経った未亡人がいいか。変態め」

 

心底侮蔑したように顔を歪め、そんな言葉を吐き捨てる虚絶。俺はといえばいきなりそんな反応されて困惑してしまう。

そして呆れ返ったようにため息を吐くと、茉子を見て一言。

 

「この寂しがりやの童に構ってやれ。常陸の」

「……はい?」

「母性よりも姉性を好む度し難い変態には付き合ってられん。一足先に帰るぞ」

 

と言って再び影に消えていく虚絶。

そして舞い降りる沈黙の天使。

困りに困って、俺はこの前の失態を謝ってなかったことを思い出した。

そのあとは早い。行動までのラグはほとんどなかったと言っても過言ではない。

 

「あー……この前は悪かったな。思い出したよ、お前が何を望んでたのかを」

「……えっと……? あぁ、あのことですか。なんでそんな大事なことを忘れてしまうんですか」

「過去のことは朧げでな。正直自信無かった」

「なら、そうですね……許して欲しかったら、馨くんの初恋を教えてください」

 

そう意地の悪い笑みを浮かべた茉子だが、こちらは初恋といってもそれらしいものがわからない。

いや、思い浮かぶには思い浮かぶのだが……あれは初恋だったのだろうかという疑問がある。

そうして悩みながら黙っていると、何を勘違いしたのか、更にニヤニヤし始める。

 

「あは〜、言えない相手が初恋なんですか〜?」

「……初恋は誰だったのかを思い出してただけだよ。でも、それらしいのは一つを除いてないんだ。しかもそれが初恋かどうかもよくわからなくて」

 

隠しても仕方ないので素直に言うと、少し意外そうな顔をしてから、茉子は楽しげに尋ねてきた。

 

「その子のこと、教えてください」

「全然覚えてないんだ。ただ……とても笑顔が綺麗な子だったのだけは、絶対に忘れない」

「ほほぅ、中々にロマン溢れる話ですねぇ〜。それで、続きは」

「……ガキの頃、まだ面倒くさいクソガキだった俺を、一度だけ家から連れ出してくれたんだ。その時見せてくれた笑顔が忘れられない。でもその子が男なのか、女なのか。こっちに来る前なのか来た後なのか思い出せなくて……」

 

そこまで言って、茉子がとても驚いた顔をしているのが目に入った。

そんなに意外だろうか? こういうの、結構ありがちだと思うんだけど──

 

「……茉子、もしかして、心当たりあるのか?」

「いっ、いや……ワタシには、無い……ですね……うん。無いですね、はい」

「??? そっか、無いか……実はさ、一度でいいから会ってみたいんだ。会って、あの時連れ出してくれてありがとうって言いたい」

 

偽らざる本心を口にすると、どういうわけか茉子が恥ずかしそうにしながら。

 

「ず、随分惚れ込んでるね……」

 

と、そんなことを言った。

 

「惚れ込んでいるってか、恩人だしさ」

「そんなに大切に想っているのに、顔も名前も忘れて、覚えているのは笑顔だけって、馨くんは酷い男の子だね」

「言うなよ……」

「でも、きっと会えるよ。ううん、必ず会える。だって──ずっと側にいるんだから」

 

なんて、茉子にしては珍しく、本気でそう思っているのだとわかるように、笑顔を見せながらそう言った。

──その笑顔が、誰かの笑顔と被ったような気がしたけど、俺にはそれが誰だか、わからなかった。

 

「……茉子は、優しいな」

「あは、褒めたって何も出ませんよー」

「けどありがとう、少し……安心した」

 

む、この感覚はそろそろだな。

 

「さぁて、そろそろあいつら帰ってくるみたいだし、迎えてやりますか」

「大丈夫かなぁ、怪我とかしてないかなぁ……絶対大丈夫だよね馨くん……」

「いきなり沈むなってーの」

 

目前に控えて急にあたふたしだした茉子を宥めながら、俺は帰ってきた三人を迎えるのだった。

 

 

 

 

「どうしましょう、芳乃様……ワタシが多分初恋っぽくて……」

「もう諦めて言えばいいんじゃないかしら」

 

ざっくりと。

茉子は言葉の刃を突き立てられた。

芳乃と一緒に入浴したので、物は試しと相談をしてみたのだが、茉子の不安な心は容赦無く芳乃によってトドメを刺された。

 

「そんなもの、相談するまでもない。馨に言えばよいのだ。自分こそその笑顔であると」

「ムラサメ様まで……でも言えないですよ。あんな風に美化されちゃったら、どうしたらいいのか、わかんなくなっちゃって」

 

馨は完全に忘れていたが、茉子は完全に覚えていた。

目の前の自分が初恋らしき人物に、誰かはわからないけどとても笑顔が綺麗で忘れられない。もう一度会いたいなどと言われてしまえば動揺するのも当然だろう。

 

「というか、茉子は何を初恋かもしれない程度でそんなに動揺しておるのだ。いつまでも初恋を想い続けるほど、馨も重い男ではなかろう」

「けど、まさかそんな事になっているなんて。馨さんは結構ロマンチストだと思ってたけど、これは予想外だわ」

 

ムラサメから見た馨とは、言ってはなんだが割と軽い男だ。生娘だとかなんだとか言ってきたことを含めて、そこまで初恋を重んじるような男には見えない。

 

一方芳乃から見た二人の関係は完全に友達の物であったし、自分にはそうした感情を向けられてないのは自覚している。つまりそんな事になっていたとは思いもしなかった。

 

「……あんなに言われちゃったら、夢を壊したくないって思っちゃうよ……」

「茉子は優しいのね」

「いつぞや見たあの時もそうだが、放っておけない弟を気にかける姉のようだな」

「二人ともからかわないでくださいっ」

 

そんなこんなで、風呂場からは楽しげなのか恥ずかしげなのか、とにかく賑やかな声がしばらく絶えなかった。

 

しかし渦中の男どもは。

 

「なぁ、覗きに行かね?」

「お前って本当に最低の屑だな」

「はーん? 初対面のレナさんの胸に顔を埋めたラッキースケベに言われたかねーし?」

「なんでそれ知ってるんだよ!?」

「蛇の道は蛇だよ、将臣」

 

──実にアホらしい会話を繰り広げていたのは、言うに及ばない。

 



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前兆

朝、妙な温もりと重さを感じて、将臣は目覚めた。

 

「──は?」

 

訂正。

目覚めたと同時に思考が停止した。

 

だって目の前に、何故か芳乃がいるのだから。

 

(なんで?)

 

寝惚けた、にしてはおかしい。抱きつくような姿勢なのは、単に寝相の問題だろう。だがしかし、一度居間を通らねば将臣の部屋には行けない。

つまりは何かしらの異常か何かがあったと見るのが妥当で……

 

(……女の子だ)

 

しかし健全な男子はどれだけ頑張っても桃色な思考には勝てない。いや勝とうと思えば勝てるが、芳乃と過ごす日常がもはや根付いていた彼には、その誘惑に耐えきれなかった。

 

無防備が過ぎる──なんということか。けしからん。バカなことしか考えられない。

 

(い、いや待てっ。この状況を誰かに見られたら事情説明がややこしくなる! だったらここは、一旦抜け出して──)

 

身体を起こしてとりあえず時間を確認──普段起きる時間よりやや遅い。習慣付けているのに、何故? とも思うが、これも何か原因があってのことだろうか。

 

……そこまで考えて、何かが視線の先を横切った。

──違う、何かが落ちている。

黒い、黒い雫が。

 

「──ッ」

 

すぐさま枕元に置いてあった叢雨丸を手に取り、臨戦態勢を取る。

黒い雫はシトシトと落ちて、沼のように床に広がり……その中からゾブリと腕が生えてくる。まるで地面から何かが這い出でるように、それは現れた。

 

「──ム? ナゼココニワレガ……?」

 

刀を携えた、和装の男。

しかしその声は男女の声が混じった歪な声。

──それはいつかの夜に見た、復讐の化身。

将臣の記憶に新しい、千年前の亡霊。

 

「虚絶……なのか?」

「ニナイテ? ナゼワレガキサマノモトニイル? ナニガアッ……タ……?」

 

虚絶の表情が、信じられない形へと変わる。そう、それはさながら意地の悪い表情を浮かべた茉子のような……そこまで理解して、将臣は目の前の存在が、"あの"馨の祖先であるのだと思い出した。

そして、やばいと本能的に悟った。

なんだかんだ言って、この女は──

 

「ソウカ……ヨルノイトナミヨリメザメタバカリダッタカ。イヤ、スマナンダ。ワレハカエロウ。アトハ、トシワカキダンジョダケデ、ユルリトアイヲムカエニオチルトイイ」

 

あのろくでなしの祖先であり、復讐の化身であっても、根っこはそう変わっていないのだ。

一人だけシリアス担当みたいなポジションだったのに、こんな根っこだったとは……絶望しながらも一筋の望みを託して挽回をする。

 

「いや待ってくれ! そういうのじゃない! むしろやばいんだ! 助けてくれ!」

「ナニッ? マサカ、キサマサクバンコヲシコンダノカ……!? ヤルナ、ニナイテヨ。イヤハヤ、コレハセキハンガヒツヨウダナ。マッテオレ、ヨウイシテクル」

「そうじゃなくて! 何か妙な事が起きてるみたいなんだよ!」

 

このポンコツ妖刀めと内心毒づく将臣だが、一方わざとらしい勘違いをしながらも、虚絶はこの事態の異常性は理解していた。

時間をおけば馨が起きるかとも思ったが、中々起きて来ない。しかも熟睡してるのか、呼びかけても「比奈ねーちゃん……もぅ子供じゃないよぉ……」とか寝言を発するのみ。

使えん奴だと思いながらも、さてどうにかしてやるかと優先順位を立てる。

 

「トニカク、キサマハミコヒメヲオコセ。ワレハカンリシャトヒタチノヲヨンデクル。タンマツハネテイルノデシバシマテ。カマワヌナ」

「あ、あぁ。任せた」

 

部屋を出て行く虚絶。

とにかく起こさねばと、叢雨丸を床に置いた時、妖しい赤に発光する憑代を見た。

 

(赤……? そんな話は聞いてない)

 

みづはからの報告では黒の筈だ。なのにこれは──

その謎を解明するためにも、今は彼女に起きてもらわないと。

 

「おーい、朝武さーん?」

「……すー……」

「起きてってば」

「……ぅ、ぁぇ……?」

 

あっさり起きたが、しかし、今二人の顔は近い。

だから状況を確認した芳乃はズザーっと身を離してから、一言。

 

「よ、夜這いですかっ!?」

「違う!」

 

……何故こんなことになったのだろうか。誰か俺を助けてくれと思いながら、落ち着いてもらうためにも状況を説明する。

 

「多分、朝武さんが俺の部屋に入ってきたんだよ。理由はわからないけど」

「……あっ、本当だ。私の部屋じゃない……でも、どうしてだろう……?」

「夢遊病じゃないよね」

「そんなことは今まで一度も無いですね」

「憑代が赤く光っているのも、何か関係があるかもしれない」

「確かに、赤いですね」

 

むぅ、と頭を悩ませているとドタドタと足音が聞こえ、バタンと大きな音を立てて扉が開かれる。

現れたのはとても素晴らしい笑顔をした、ムラサメと茉子────

 

「ご主人! 昨夜はお楽しみだったな!」

「ワタシお風呂の支度をしてまいりますので、どうぞごゆっくり」

 

呼んでくる、とは言っていたが。

手段を選ばないとは言っていない……ということであろうか。

 

「あの……すっとこどっこいッ!! 何を言い触らしたんだよォ──ッ!!」

 

将臣の叫びが、朝の静寂を切り裂いた。

 

 

 

 

「……なんで俺、君の家にいるの?」

 

目が覚めてみれば寝間着のまま朝武家の居間にいた。

いや、意味がわからん。しかも何故か虚絶の本体がある。

 

「実は私も知りません。有地さんは?」

「なんか、黒い雫が突然垂れてきて、それが広がった沼みたいなところから、刀を持った虚絶が主体の馨が出てきた」

 

将臣の言葉に引っかかりを覚え、合点がいった。

ということは、虚絶が呼び出されたのか。なら俺にも教えろと声を向けてみるが、返事が無い。つまり何処かへ行っているということか。

でも何処へ……

 

「虚絶ならば、レナを呼びに志那都荘へ向かった。どうも憑代が奇妙な状態でな。確認の意を込めて呼んできてくれと頼んだのだ」

「なるほど。あいつなら適当に殻を被って誰のフリでもできるからな。適任ってもんか。で、俺から離れてったと」

 

ムラサメ様の言葉から状況を整理しつつ、一人だけ寝間着というのは恥ずかしさを感じる。

 

「連れてきたぞ。あと端末よ、服だ」

「サンキュー……そしておはよう、レナさん」

 

服を受け取って挨拶をしてから居間から出て着替える。

ものの数秒とかからずに終えて、寝間着は畳んで手に持っておく。再び居間に戻ったとき、場には神妙な雰囲気が満ち溢れていた。とりあえず虚絶と同期し、記憶ややり取りを確認する。

 

……なんだか愉快なことになっていたらしい。俺も見たかったし混ざりたかった。まぁ余談だろう。

これからは真面目な話だ。そんな和気藹々としたものは、その辺にでも捨て置けばいい。

さて、と一つ起き、ムラサメ様は切り出した。

 

「レナ、今身体に何かあるか?」

「うーん……ここにいると耳鳴りがしますね。あ、でもそれだけですし、それに全然気にするほどでもないのですよ」

 

そう笑うレナさんの様子に嘘は見えない。ならばとムラサメ様は視線を芳乃ちゃんと将臣に向けた。

 

「二人はどうなのだ?」

「俺はなんか熱っぽいかな」

「私もそうですね。熱っぽくて、それで夜中には乗っ取られたみたいで」

 

熱っぽい、耳鳴り、症状はバラバラだが、芳乃ちゃんに耳が生えていることを考えれば、憑代が原因となるだろうことは簡単に予測できる。

 

「馨はどうだ? 突然現れたようだが」

「俺らは別で考えてくれ。少しややこしい。だけど、憑代に呼ばれたのは確かだ────何が、かはわからないが」

 

そう言いつつ、虚絶と確認を取り合う。

実際、俺が呼ばれたか虚絶が呼ばれたか、それとも燃料の祟りが呼ばれたのか……検討が付いていない。虚絶もそのようで、少なくとも俺たちは該当していないとのこと。

咄嗟に俺の身体を動かしていたようだ。妙な呼び出し方をされた所為でまた祟り寄りに変質したかとも思ったが、そんなことはなく、そのままらしい。

 

まったくもって謎が多い。

 

「憑代が元に戻った所為で、呪いが強くなった?」

「呪いに変化は無さそうだ。どちらかといえば、これは憑代が何かしらの力を散らしているのだろう」

「──恐らく、集合の波長のようなものか。端末と我がここに呼び出された由縁から鑑みれば、そういうことであろう」

「やはりな。と、なれば意識が無くなった肉体を、憑代が操作していたというのが正解か」

「じゃあ、昨日のあれは憑代の所為だったのね……よかった」

 

昨日? 昨日何かあったのか?

しかし二人の様子から見ても、何かがあったようには見えない。ムラサメ様は少し暖かい目線を送っているが……まぁ、つまりはそういうことなのか。

 

「けれど、どうしたらいいんだろうか?」

「それなんだが、これを利用できると思えるのだ」

 

ムラサメ様が我に妙案有りといった様子で、そんなことを言った。

 

 

そうして夜になった。

 

「憑代に身体を明け渡すって、大丈夫かな」

「あくまで操作させるだけだし、問題はないよ。俺と虚絶の関係性のようなものかな、端的に言えば」

 

学院から戻った俺たちは、朝武家に集合し、憑代の習性を利用することにした。具体的には、憑代に操作させて欠片を集めるという作戦だ。

不安そうな芳乃ちゃんを眺めながら、俺は刀をクルクルと弄ぶ。

 

が、しかし。

彼女らに黙ってとある仕込みを行なっておいた。

虚絶と俺だけがなんとなく察している事実がある。運が良ければ、あるいは悪ければ、真相を知れるやもしれん──とも思ってな。

 

俺たちの想定通りなら……確実に、釣れる。

 

片方の内、どちらかが……

 

「馨? 黙ってどうしたのだ」

「いや、なんでも」

 

思考の渦から引っ張り出され、今回の俺の仕事を再確認する。

芳乃ちゃんを囮に欠片を探す作戦において、戦闘を主に担当するのは将臣と茉子だ。では俺は? となるが、これは単純。俺の仕事はシンプルにイレギュラーが発生したときの対処のみ。

 

実に──わかりやすくていいじゃないか。

 

元よりそっちが本業だ。まぁ、大規模な戦いになるかもしれんが。何が起きるか全くわからない以上、一切の油断は許されない。

 

「さて……んで寝たの? 芳乃ちゃん」

「これから寝るところです」

 

一応用意しておいた布団に巫女服のまま入って、瞼を閉じていた彼女に声をかけたら違ったらしい。

 

「子守唄でも歌ってやろーかー?」

「結構です。茶化さないでください」

「へいへい」

 

怒られちった。

また刀を弄りつつ睡眠を待つ。

しばらくして、今度はムラサメ様が。

 

「眠ったかの」

「……まだです」

 

あ、これダメな奴だ。

皆が漫才みたいなやり取りをしていらのを横目に、俺はそそくさと部屋を抜け出す。そのまま居間に戻り──

 

「虚絶」

「承知した」

 

極秘裏に、俺個人の意思でやるべきことをやり始める。

分離して目的地に向かう虚絶を見送り、座り込む。さて、どうなることやら。上手く行ってくれればいいが。

 

まず間違いなく、これが露見した場合俺は非難されるだろう。だが、それでも、確かめねばならぬことなのだ。あの祟りはどっちで、奴の真意は何なのか……それを知れれば良い。足手纏い一人を守る程度、何の問題も無い。

 

……そんな思考があっさりできる自分が憎い。だがこれしかない以上、手段は選んでいられない。

あの憑代が、俺の想像通りの効果をもたらし、そしてあの中にいるものが俺の想像通りならば──間違いなく、今日は、決戦になる。

 

だが確証は無い。

少なからず不安を抱えながらも、茉子から芳乃ちゃんが虚ろな目で動き出したと聞いて、それを追いかけ始めた。

 

狩りになるか、それとも──

 

全ては神のみぞ知る、か…………

 

 

 

 

一行が、動き出した芳乃を追っているのとほぼ同時期のこと。

 

街から一つ、フラフラと歩きながら山へ向かう人影がいた。

 

「行かなくちゃ……」

 

譫言のように繰り返されるその言葉。

確かに、彼女の意識は存在する。

しかしそこには人間性と呼べるものがない。あるのは、強烈な衝動に突き動かされる自我のみ。

 

行かなければ、行かなければ、行かなければ──何故?

即座に思考が停止する。そうしてまた再び衝動が突き動かす。フラリ、フラリと歩きながら、譫言のように繰り返し、山を目指す。

 

……それを見る影が一つ。

 

「……これは、想定外だな。単に連れてくるだけであったが」

 

影は一人頭を抱える。

 

「仕方あるまい……結果良ければ、という奴か。なんとかして、無事に帰してやらねばな」

 

影は打算のみで動き、端末はそれに同調した。が、これは彼らの目的を達成しつつも、まったくの別方向に動いたことには動揺を隠せない。

 

「ガワか、それとも中身か……どちらに用があるのだ? 貴様は──」

 

そう呟くと、影は闇に溶けていった……



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決着

歩く、歩く、歩く──

 

憑代を抱えた芳乃ちゃんを追いかけ続ける。意識が無いはずなのにしっかりとした足取りで動くのは如何様なものか。

いや、そんな不条理が神秘って奴かね。

 

「しかし、何処まで行くんでしょう」

「欠片のところまでとかじゃないかな」

「さぁてね。知るのは憑代だけだ」

 

そんな会話をしながら追いかける。

しかし、彼女の獣耳が出っ放しというのが気がかりだ。朝からずっと……いや、恐らくは昨日の夜から、か。

何に反応した、というのがわからないのは困る。

 

「ムラサメちゃん、祟り神の気配は?」

「すまぬ。憑代の反応が強くて見えぬ」

「……こっちもダメだ。憑代がデカすぎてウンともスンとも言わねえ」

 

まぁ、実際を言えば殺戮衝動を送る虚絶がいない所為で、わちゃわちゃと頭の中で騒ぎ立てる奴らの声がもっとうるさいのだが。

おかげで何も感知できん。

 

──コロセ! コロセ! ウラギリモノヲコロセ!──

──ヒトツニモドセ、カイホウセヨ。オワラセルノダ──

 

……ただまぁ、何か変化があったらしく、正反対のことを言っているのが気がかりだ。

なんとなく、事情が読めてきたような気がしないでもないが……しかし、これでもし上手く行ってしまえば、真実を知ることができなくなってしまうのか……

いや、何を考えている。

呪いの終焉は喜ばしいことだ。終わらなきゃいけないことなんだ。

 

確かに探究心はあるのは否定はしないが……

 

雑念を払い、意識を戦闘用に切り替える。

人には見せられない、暗い焔が灯る。俺も戦いに餓える心があるのか、そうした場に暗い愉悦を見出すこともある。

だがそれ以上に俺は稲上だ。

殺すべきものを殺し、破壊するべきものを破壊する。ただそれのみ。

そんな風に思いながらも追跡を続けていたが、ある時ふと彼女の足が止まった。

 

「動きが止まった……? 将臣、ムラサメ様。準備を」

「わかった。ムラサメちゃん」

「うむ、ご主人」

 

叢雨丸の神力が解放され、同時に茉子もクナイを構える。俺は虚絶を鞘に入れたまま、すぐに抜刀できるようにする程度で済ます。

 

芳乃ちゃんが憑代を掲げるような動作をする。すると一瞬だけ極光が生まれ──何も起きていない。

 

「……今のは?」

「大きな気配が広がったな」

 

疑問だらけの将臣の声に答えるムラサメ様。

しかし、俺にはわかった。

……間違いなく、想定通りだ。

 

──確実に憑代の性質と、祟り神は別物だ。今まで術式起動かと思っていたが違う。憑代と差別祟りと無差別祟りの関係性は複雑だということくらいしかわからんが……少なくとも、呪いも祟りも、元に戻したら終わりそうなのは確かだ。

俺は専門家じゃないんで、どうのこうのは言えないが──

 

「──来る」

 

瞬間、気配を感知する。

近すぎる……しかし虚絶は何をしている? まさか、同意したことを破ったのか? まぁそれならそれで構わないが……アレが何故姉君と呼ぶのかが謎のままってのはモヤつく。

 

「朝武さんを頼んだ。祟りは俺が」

「わかりました」

「必要ならフォローに回る」

 

前に出る将臣。

対峙するように木々を掻き分けて現れる祟りが一つ……一つ?

奇妙だな。俺すら呼び出すようなもので、一つ……? 疑問が頭を支配する。だが現実は刻々と時を刻んで進んでいる。

 

「シ──ッ!」

 

将臣は触手を斬り払い、続けて接敵。素早く袈裟に斬り下ろし、逆袈裟に斬り上げる。二撃を使用するようになったのは、確実に仕留めるという意思表示か。なんにせよ、これほどまで育っているなら心配はいらなそうだ。

 

「欠片を回収したぞ」

「よし。様子を確認する」

 

芳乃ちゃんに目を向けると、その様子に一切代わりはない。だが憑代は赤く光り、耳も出たまま。

どうしたものかと少し頭を悩ませるが、続けてみるか。

 

「……待ってください。今、何か音が──」

 

作戦継続を提案しようとした瞬間に、茉子が告げる警告。

その言葉は秒とかからず実現する。ゆらりと木々の奥から姿を現わす祟り。その数は……二つ。

 

「二体か……っ! ええぃ、骸に集るハイエナの真似事か!」

「二つ? ややデカめの祟りにしか──」

「バカ言うな将臣! こいつら重なってるだけだ! ──茉子、後ろを確認しろ!」

「来てますっ!」

 

俺たちが祟りに気を取られている隙に、最悪の形で予想が現実になった。俺すら呼び出すほどの力で一や二で終わるはずがない。こうなるのはなんとなく察していたが、それにしたって早すぎる。何処から来てるんだか──!

 

「嘘だろ、数が多すぎる……!」

「呑まれるな! 有象無象だ、強力な個体はいない! だが、このままではまずい! ムラサメ様、数は!?」

「十や二十では足りぬ!」

「下手するとそれ以上ですか……」

 

周りを見渡しても祟り、祟り、祟り、祟り、祟り──それこそ百や千の祟りがいると言っても過言ではない。まだ囲まれてはいないが、時間の問題。

 

即座に切り抜ける為の案を出しては切っていく。残ったのは囮か、上に逃げること。俺や茉子なら上に逃げられるが、将臣と意識の無い芳乃ちゃんには難しい。──却下。

囮作戦なら俺が行けばいい。注意を引いて適当な場面で撤退。後日また挑む……だが虚絶がいない以上、祟りを利用した力の制御効率が落ちている。使ったところで半ば暴走しているようなものだ。

意志を以って捩じ伏せる──? まったく無茶を言ってくれるっ!

 

「逃げるしかない……っ! ムラサメちゃん、案内頼んだ!」

「了解した! 全員、こっちだ!」

 

将臣は芳乃ちゃんを抱えて駆け出す。もちろん俺たちも遅れは取らず、同化を解いたムラサメ様に先導される将臣を追いかける。

 

「有地さん、叢雨丸はワタシが!」

 

投げ渡される叢雨丸を受け取る茉子を狙った触手の一閃。

──無論、反応可能だ。踏み込みに転じ、射線に飛び込みながら抜刀し、刀身で強引に狙いを逸らす。

 

「殿は俺がやる! こういう時の為にいるんでな……っ!」

 

そう宣言しながら、逃げる四人より少し離れた位置で祟りからの攻撃や、抜けようとする祟りを片っ端から迎撃する。

できるできないのではない、やると決めたならばやるのだ──高まる意志に呼応して性能をそれなりに引き出した肉体で、発生する代償を無理矢理に踏み倒しながら、まだだと内に燻る亡霊どもを焚き付ける。

 

「食い殺されるためだけにいるなら、俺に大人しく食い潰されちまえよ浅ましい亡霊ども!! それが嫌なら奪って、殺して、食い尽くせ──!!」

 

襲いかかる祟りどもを後退しながら迎撃する中、叫んだ声に応えるように闇夜が蠢き出す。

暗い黒の沼が俺の足元に広がり、そこからまるで冥府に垂らされた一筋の糸を掴むように無数の白い腕が這い上がり、祟りに襲いかかる。

 

叩き潰し、引きちぎり、抉り、分解し、吹き飛ばされて、破壊の渦を巻き起こす。白と黒が交わり、凄惨な殺し合いを作り出す。

それを確認しつつ、速度を一定のまま保とうとした時、俺目掛けて飛んできたのは──

 

白い腕。

 

暴走したか!? と動揺してももう遅い。しかしそれはまるで俺を突き飛ばすように押し、再び祟りの足止めに戻っていった。

体勢を元に戻して、全速力で将臣たちを追いかける。

 

「無事か!」

「そっちは!?」

「踏み倒した! あと囮を少し置いてきた!」

「……あれ? 私、部屋で寝てたはずなのに……?」

 

撤退戦をしながらあれこれ報告をしていたら、芳乃ちゃんが起きた。

 

「えっ、ええっ!? な、なななんで有地さんが私を抱き抱えて──っ!? ちっ、近いです! 離れてください!」

「さ、騒がないで! 緊急事態! 舌噛むよ!」

「芳乃様、落ち着いてください!」

「お主ら状況がわかっておるのかのぅ……」

 

やれやれ、締まらないのはいつものことか。

割と窮地のはずなんだがと、漫才のようなやり取りをしている三人を見て、少し安心しながら、俺たちは逃走を続けた。

 

 

 

 

「ここならしばらくは安全だ」

「はぁ……っ、はぁっ……はぁ……っ」

「大丈夫かご主人」

「怪我は、無いから大丈夫……だ」

 

しばらく逃げ回り、ムラサメ様の誘導でかなり離れた場所まで来た。将臣の呼吸が荒いが、まぁ人一人抱えてあんだけ走り回ったんだ。無理も無い。

 

「あの……大丈夫ですからそろそろ下ろしてください」

「あっ、あぁごめん。嫌だったよね」

「別に嫌というわけでは……助けていただいて、ありがとうございました」

 

なんか甘酸っぱいやり取りしてるなぁと腰を下ろして眺めていると、茉子が近づいてくる。その視線は血塗れになった俺の身体に向けられていて、あぁまた小言かと苦笑する。

 

「踏み倒したし、戦闘には支障無いさ」

「……心配なものは心配なんです」

「悪いな、そういう仕様だし」

 

何処か不満げな顔をする茉子を宥めながら、未だ帰ってこない虚絶に不安を覚える。

 

──俺たちはレナさんの記憶を読み取るつもりだった。

彼女が欠片を家族代々受け継いでいるのは聞いたが……祟りが彼女を見て姉君と呼ぶのが気がかりだった。だから虚絶を飛ばし、その記憶を全て見て彼女の側に何かあるのかだけは探りたかったのだが。

駒川の調査も進展は無いらしく、最終手段として取ったが、何があったやら。

 

「私が眠っている間に、一体何が?」

「芳乃は憑代に身体を動かされ、山に向かった。そして憑代が一際強い信号を飛ばしたのだ」

「それで出てきた祟りを倒したんだけど、二体三体……いやそれ以上に増えて逃げ回ってたんだ」

「すまぬ、吾輩の考えが浅はかだったのだ。こうなるとは思わなんだ……」

 

謝罪するムラサメ様。

黙っていても仕方ないと思いつつ、立ち上がって隠し事を喋り出す。

 

「まぁ、現実ってのは往々にそんなもんだよムラサメ様。俺も薄々と予想していたけど黙ってたし」

「馨、お主なぁ……」

「俺を呼び出すほどの信号なら、多分とか思ってたんだ。黙ってて申し訳無い。確証も無かったから悪戯に不安にさせたくなかったし」

 

バツが悪いので視線が合わせられない。

 

「……しかし、虚絶が来ないな……志那都荘に向かわせたが、何かあったと見るべきか」

「虚絶……? そういえば、確かに彼女が出てきそうなのに静かですね。それよりも志那都荘に向かわせたとは?」

「レナさんへの疑いが晴れなくてな。白のはずなんだが、祟りに姉君と呼ばれて欠片を持っていた黒だ。虚絶に記憶を一通り見てきてもらおうかと」

「……馨、それ本気で言ってるのか?」

 

将臣が静かに問う。

 

「無論、本気だ」

「お前な……っ!」

 

胸ぐらを掴まれるが、俺は態度を変えない。変える必要も無い。

 

「人情に流されるのは良いことだが、俺は生憎と手段を選ぶつもりはあまり無い。それに記憶の読み取りに関しては彼女に一任している。何も来ないということはやってないということだ。億が一も想定して飛ばしていた」

「言い訳のつもりか」

「好きなように取れ」

「──そうかよ……っ!」

 

手が離れ、吐き捨てるように将臣はそう呟いた。

今は仲間割れをしている場合ではないが、事実報告を欠かすと面倒なことになるのは実践済みだ。

 

「だがお前の怒りはもっともだ。俺は最低なことをしたと自覚している。が……彼女はきっと、何かしらの関係があるか、あるいは彼女そのものに、なんらかの秘密が隠されている。それは間違いなく叢雨丸や俺たちの知らない歴史に通じているものだろう」

「だからって!」

「知れれば良し、知れなければそれまでだ。ついでに虚絶の人間性も──」

 

そこまで言いかけて、頬に鋭い痛みが走る。

 

「ご主人!? 怒りはわかるが何を──!」

 

ムラサメ様の驚いた声が聞こえる。芳乃ちゃんと茉子の息を飲む音が聞こえる。

 

「……殴ったな」

「殴って悪いか」

 

どうやら俺は、将臣に殴られたようだ。奴の表情は怒りに満ち溢れている。

 

「気は済んだか? 今バカをやっている暇はあまり無い」

「……少しはな。でも俺は今のお前の行動を許せそうにない」

「そうか。すまなかったな」

「謝るなら俺じゃなくてレナさんに謝れよ。それで俺は許してやる。向こうがどうかは知らないけどな」

「……じゃあ、そうするよ」

 

やはりこうなったか。

バカ正直に話すんじゃなかった。面倒な流れになった。

しかし場を持ち直さねば。俺の所為で崩れたのならば、俺が直すのが筋というものだろう。

 

「それで、どう見る。虚絶から何の返事も無いことはレナさんに何かしらあったということかもしれん。それにあれだけの量だ、全ての欠片が祟りになった可能性もある」

「ならあれを全部片付けたら欠片も全部集まるってことだよな」

「ご主人、前向きが過ぎるぞ。いや、吾輩の言えたことではないが」

「むしろ現実逃避では?」

 

などと俺たちは好き勝手に言っているが、将臣の発言に同調したのは芳乃ちゃんだった。

 

「でもどうにかしなければならないのは事実です。それに、戻るにしてもこのままじゃ……」

 

そう、一番の問題はそこだ。

放置するには危険すぎる。かといって正面から挑むには足りない。

八方塞がりだ。捨て身以外に方法は無い。

 

「神力を俺に流して一気に……」

「ダメだご主人。あれはもうやらんぞ」

「なら俺が燃料を使い切る勢いで……」

「馨くんは死ぬ気ですか!」

「ムラサメ様、何か目くらましみたいなことできましたよね」

「うむ。それで数を減らしつつ、朝まで耐えるか」

 

結局出たのはゲリラ戦。

しかし、ゲリラ戦をやるには戦力が足りなさすぎる。

 

だが、次の瞬間──

 

「──ァッ!?」

 

茉子が、何かに吹き飛ばされた。

そのままその何かは素早く将臣に接近、一瞬で吹き飛ばす。

完全に虚を突かれた俺は何もできず、それの接敵を許す。

 

それは、深紅の瞳をしたレナさんで。

その赤は憑代のものと同じで。

──虚絶の気配を内包していた。

 

思考が停止した。理解が追いつかない。そんな風に隙を作ってしまい、胴に拳が突き刺さる。

ガクンと崩れ落ちる身体を振り上げられた奴の右脚が弾く。その振り上げられた脚は高速で振り下ろされ、左肩を引き裂かんと衝撃が走る。無理矢理に地に伏した俺を跳ね飛ばす二連撃の蹴り。空に打ち上がって、落ちてきたところを容赦無く突き刺さる掌。

 

「──ご、は……っ!?」

 

無様にゴロゴロと転がりながら、なんとか視線を向け、どうなっているのかを目にする。

 

「レナさ──」

「ヨコセ……!」

 

芳乃ちゃんから憑代を引ったくり、彼女は掲げる。

それに呼応するように周りから祟りどもが現れる──が、しかし。

祟りは溶け落ち、黒い沼のように広がってレナさんの周りに集まる。彼女の影からも黒い泥めいたものが溢れて、意識を失ったのか倒れ伏した。

 

そして、倒れた彼女を守るように。

その泥は形を変えていく。

 

そうして姿を現したのは、巨大な黒獣。

いや────狼のような姿をした、祟り神だ。

 

「合体した!?」

 

茉子が身体を起こしながら驚愕する。

そりゃそうだ、前例が無い。

 

「なんと……っ! 一つに束ねおったか!」

「このようなことが……!?」

 

ムラサメ様も芳乃ちゃんも、祟り神は単騎という認識からその事実にただただ驚愕するしかない。

 

だが──

 

「将臣、お前の案が通りそうだぜ。数の有利を捨ててくれて助かった」

「まったくだな。向こうから勝手に一つになってくれるなんて」

 

立ち上がりつつ、さっきまで喧嘩してた奴に声をかける。

 

「身体は?」

「問題無いな。レナさんの身体だし、全然」

「なるほどね……俺も連撃をもらったが、全く問題無い」

 

「──ムラサメちゃんッ!」

「応さ!」

 

再び神力が迸る。

ならばこちらも負けてられんと黒い焔を燃やし尽くす。

あれからは神力を感じられない。祟りとして完璧になった所為か……まぁ、殺しやすいのならば問題は無い。

 

──怨みの叫びを轟かせろ。苦しみ嘆けと呪いを紡げ。お前らはそういう存在だろうが。

 

内側に意識を向ければ、更に奴らが狂い哭く。殺せと、奪えと、絶望させろと。そこに束ねられるは終末を求める意志。嘆きか怒りか、憎悪か復讐か。

──だがどうでもいい。

暗い力が氾濫する。いつぞや診療所で発現したほどの出力ではないが、むしろ食い潰されるほどの過剰出力でないことが助かる。

 

「え、三人ともちょっと!? 何いきなり戦意を漲らせてるんですか!」

「「「──速攻で落とす」」」

 

芳乃ちゃんが慌てているが、実際冷静じゃないのはこっちだ。

祟りが動きを見せないうちに、速攻で仕留めなければマズい。いつレナさんに攻撃するかもわからないし、時間をかければ不利になるのはこっちだ。

 

「挟む!」

「あいよ!」

 

右に展開した奴に合わせ、左に展開する。速度は将臣に合わせた。

そのまま間合いを詰め、踏み込む。刀を滑らせ、ほぼ同時の攻撃──!!

さぁ、どう出てくる……っ。

 

刹那、黒獣が動いた。

身を回転させ、触手のような尾を引力に任せて振り上げる。

 

「──くっ!?」

 

膂力が違いすぎる。

宙を舞う俺たち。呆然としている将臣を見て幾分か冷静さを取り戻す。空中の無防備な状態から、燃料をブースターのように噴射。将臣を抱えつつ着地し、殺気を背後から感じる。

 

「チィ──ッ!」

 

舌打ちをしつつ、今度は右側から噴射しつつ後方に噴射。180度ターンを描きながらザリザリと靴底を擦り減らしつつ、飛び込んできた黒獣を回避する。

振り下ろされた前脚によって地面は砕け、土の下地が剥き出しになっている。

 

「前脚一本であれだけの膂力かっ」

「パターンも能力も増すよなそりゃ……っ!」

 

将臣を下ろし、その場に佇む黒獣と睨み合う。それは低い唸り声を上げ、俺たちを威嚇するようだ。

 

「破壊力が桁外れ……だがそれでもレナには傷一つついてない。吾輩たちを引き離すのが狙いか?」

 

ムラサメ様の言う通り、レナさんから引き離された形になる。

だがそれにより、奴は明確に獣の形をしているというのがわかった。

 

「将臣、明確な形だよなアレ」

「だな、おかげで動きが見えやすい」

「と、なれば生前のクセも抜け切っておらんと見て間違いない。吾輩のように」

 

まだ虚絶を呼び戻すタイミングじゃない。彼女は最後の切り札だ。最高のタイミングで確実に仕留めるためにも──

 

黒獣が頭を低くする。

そして尾を揺らめかせ、こちら目掛けて攻撃を仕掛ける。打ち下ろすようなその攻撃は、あまりにも速く──故に見切り易い。

 

「芳乃様、少し乱暴ですけど……っ!」

「きゃっ!?」

 

茉子が芳乃様を抱え、ひょいひょいと避けている傍で、俺はむしろ接敵していく。将臣たちは後ろに下がっているが。

 

「ドっチだ、お前ハ──!!」

 

俺の声に俺でない声が混ざる。

その声は自分が何をしたいのかと問う自問の声にも似て、だがしかし、自責の声にも似て、そして嚇怒と憎悪に塗れたもののような、そんなもの。

 

接近すると同時に振るわれる前脚。

その場で跳躍する──身体を回転させながら抜刀。素早く尾を切断。額に裂傷が生まれる。踏み倒しつつ、返す刀で横に振り抜く。

 

ギンっという音を立てて噛み止められる。

 

その紅蓮の瞳と目が合う。

流れ込む意志──それはシンプルに。

 

──アネギミデハナカッタ。ユエニ、リヨウスル──

 

あぁ、なんだ。つまり。

散々騒ぎ立てていたのは人違いで、しかもガワを利用する……ねぇ? 俺が人の事を言えるほど偉い立場ではなく、むしろ記憶を覗き見るという最低なことを企てた。

しかしそれでも──

 

「用がアルのハ、ガワだケか──!」

 

振り切る。代償で骨が折れるがすぐに元に戻る。

 

ガワにしか用が無いのなら、死に絶えろ。個人に用が無いなら、その怨念を抱いて消え果ててしまえ。

どうせ死にたがっているんだろう? だったら死ね、今すぐ死ね。

 

殺意が渦巻く。

憎悪が燃え上がる。

嚇怒が咆哮する。

 

刀を振るう。

黒を切り裂けば赤が吹き出す。段々とレナさんが倒れている位置まで移動しながら、俺は黒獣に猛攻を仕掛ける。

 

いつの間にか尾が再生している。封じるには切り落とさない程度に留めるしか──!?

そこまで考えた時、複数に増大した殺意を感じる。視線を動かせば、虚空に浮き上がるいくつかの黒い刀。

即座に後退すると同時に、すぐ前まで俺がいた場所に黒が降り注ぐ。

 

──判断が遅れていたら死んでいた。無茶をすれば死ななかったろうが。

 

「一人で突っ込むな! 死ぬ気か馨!」

「あんなもんで死ぬならとっくに死んでる……それよりも、あの尾が厄介だな。生え変わるとは」

 

ムラサメ様の小言に反応しつつ、さっきまでの戦闘で得た情報を整理する。

 

「叢雨丸や虚絶では斬り落とせるから実質的に効いてない。更に致命打を叩き込まない限り、奴の再生の方が早い──」

「なら、俺か朝武さんがその致命打を打ち込めばいいんだな」

「そうなるが……茉子、頼めるか?」

 

振り向いて茉子に尋ねる。

ダメならダメでなんとかするだけだが。

 

「──わかりました。ワタシが止めます。それに、一つ策が思いついたので」

「ありがとう。任せる」

 

随分と頼もしい声と表情で買ってでくれた茉子に感謝を伝えると、将臣と芳乃ちゃんに声をかける。

 

「膳はこっちが揃える。確実に仕留めろ」

「はいっ」

「あぁ」

 

返事を聞いて構える。

恐らく、次の行動は──

 

「──!!!!」

 

黒獣が吼える。空気にすら轟くその叫びは、本能に眠る絶対的恐怖を呼び起こす。

それは月を喰らう冥狼の咆哮のようで、死界の底で慟哭を上げる者にも見える。

しかしそんな感傷は一瞬にして消えた。

 

──疾い。

黒獣が突撃してきた。そのまま尾を劔のように揺らめかせる。膂力がなによりも違いすぎる。回避しかない。

身を動かすと同時に、確認する。

 

「茉子!?」

 

芳乃ちゃんの叫びが響く。

茉子は立ち止まり、完全に立ち向かうつもりだ。俺はすぐに動こうとして──

 

茉子を信じて、動くのをやめて、こっちのことに集中した。

 

「茉子、ダメ──ッ!!」

 

振り下ろされるその一撃は、地面もろとも砕いた。

 

何を?

 

そう、丸太を。

 

意識があるなら、変わり身すら通用する──なるほど、あいつのセンスはキレがいい。なら俺がやるべきことは──

 

上空から現れた茉子が、クナイで尾の根元を突き立て止める。

 

「芳乃様! 先端を!」

「えっ、あっ、はいっ!」

 

動きを完全に止めた黒獣に近づき──

 

「やぁぁぁぁっ!」

 

鉾鈴をその先端に突き刺した。黒い煙が吹き上がり、悲鳴のような叫びが木霊し、黒獣は無理矢理にでも動こうとする。その膂力で振り切るつもりだろうが……

 

「──そいつを」

 

俺が呟き、黒獣の背後で寝てた"彼女"が起き上がり引き継ぐ。

 

「マッテイタ──」

 

刹那、俺は地面に刀を突き立てる。

 

「虚絶ッ!」

「サァ、ヨモツヒラサカガキサマヲヨンデイルゾ!!」

 

黒獣の足元に黒い沼が広がり、そこから突き出るように現れたのは真っ白な無数の腕。それらが黒獣にまとわりつき、その動きの一切を封じる──!

 

将臣が駆け出した。

そして一切の抵抗を許さずに、叢雨丸を、その脳髄に突き立てる。

ドロリと祟りは溶け落ち、穢れのような黒を撒き散らして──消えた。

 

それは一瞬だったのか?

あるいはもっと時間があったのか?

 

わからないが、地面に転がる大きな憑代の欠片が目につく。

つまりは、終わった……ということだろう。

 

「ご主人! 大丈夫か!? 穢れに飲み込まれたかと思ったぞ!」

「なんとか未遂で終わったよ……」

 

なんかスゲー怖い会話が聞こえてくるが、まぁ俺も似たようなものかと切って、大人しく虚絶を中に呼び戻す。

何があったんだろうか。

 

──あの衝動に飲み込まれたりひてなうあーに取り憑き、家に戻そうと思ったのだがな。失敗したので我は咄嗟に身体を動かす方向に変えたのだ──

 

なるほどね。

道理で返事もしなかったわけだ。

 

「もう、茉子! そういうことならそうって言ってよ!」

「申し訳ありません、芳乃様。流石に時間が無くて……でも怪我するつもりもなかったんですよ」

 

ポコポコと茉子を叩きながら心配して損をしたみたいな感じの態度を出している芳乃ちゃんを見てほっこりしていた。が──

 

──端末よ──

 

あぁ、わかってる。

あとで片付ける。

 

連鎖反応的に現れたアレをあとで処理せねば。

 

「……しかし、これで終わったんでしょうか? ムラサメ様」

「うむ。祟りは消え、穢れも祓った。憑代も落ちているし、芳乃の耳も消えておる」

「あ、ホントだ。なら……」

 

そうして彼女は憑代を拾い合わせ、一つに戻す。

 

極光が収まった時、そこには──

 

「……あれ?」

 

やけに響く、将臣の間抜けな声。

 

「一個、足りない──!?」

 

おかしなことに。

憑代は完全な形を取り戻していたが。

 

 

一箇所だけ、欠けていた。

どうやら俺たちはまだ、この件を解決したわけじゃないらしい。

 

 

 

朝武家に戻り、茉子と馨は自宅へと帰る。

衝動に連れてこられたレナを泊めるというアクシデントこそあれど、今日のところは一応これで、ということで終わった。

 

 

しかし。

 

「──ククク」

 

悍ましい笑いが山奥より木霊する。

ゆらりと姿を現わす黒い人型。その右腕には刀が握られ、物騒な雰囲気を漂わせている。

さぁ殺しに行こうと歩を進めて──

 

「待てよ、亡霊」

 

殺し屋に呼び止められる。

バカな、殺し屋は帰った筈──亡霊の意識は混乱した。

そんな様子を呆れるように見つめながら、殺し屋はその左手に携えた妖刀を握りしめる。

 

「何ビビってんだよ。俺が何かを忘れたか? はっ、復讐一色なんてご苦労なこって。ま、そうだな……奴が出てくるならお前も出てくる、だろう?」

 

だからなんだと言うのだ。

亡霊は刀を構え、殺し屋と対峙する。

 

あくまで自然体の殺し屋と、完全に殺すための体勢である亡霊。

勝ち目はどちらにあるのか、火を見るよりも明らかだ。

 

「シネ──!」

 

踏み込む。

こちらの方が疾い。

そのヘラヘラと笑う顔を凍り付かせるべく、首を狙った一閃を──

 

「話にならん」

 

放とうとした両腕が切り飛ばされた。

黒い刀が何処へと飛ぶ。

 

神速の抜刀術──後の先を取る居合の本質。

 

刀を上に振り抜いたまま、極大の殺意を宿した視線と怯えた視線が交差する。

 

「──もういい。消えろ」

 

そのまま振り下ろされ、一刀の下に断ち斬られる。

ズルズルとその黒が刀身に喰らわれ、それは一つの燃料と化す。

殺し屋の肉体に裂傷が生まれるが、それはすぐに塞がる。

 

「さて、帰るか」

 

殺し屋は静かに刀を納め、帰路に着いた。

 

その刹那の殺人を見ていたのは、輝ける月夜のみ……

 



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終焉

古い記憶。

朽ち果てた屋敷。

灰色の空。

黒い月。

墓標のように地面に突き刺さる武具。

 

知らないはずなのに知っている場所。

 

そこで俺は見たこともない、和装の女と対面していた。

 

「……ね、私さ。疲れたの」

 

女は語る。

俺は口も開けない。

 

「もしも全部が終わったら、私を眠らせて」

 

そう言った女の顔は嬉しそうで。

 

「みんな、疲れたみたいなの。だからもう、眠らなきゃ」

 

あるいは、罪人のようで。

 

「あぁでも私は地獄に行かなきゃ。螺旋を描いたのは私だから」

 

それとも──

 

「……ま、本当に地獄ってものがあればの話だけどね」

 

そう言って、どこか空虚に微笑む女を見て、俺は何も思えなかった。

 

 

 

 

 

「君の記憶を勝手に見ようとして、本当に申し訳ない」

 

翌朝。

 

「無論、この最低最悪の行為に対する言い訳は存在しない。よって思う存分罰を与えてくれ。死ねと言えば死のう。殺せと言えば殺してみせよう。無様を晒せと言うならば無様を晒そう。さぁ──」

 

俺は朝武家で土下座をしていた。

傍には虚絶を置き、死ねと言われればすぐに腹を切れるようにしてある。

 

「望むる罰を言うがいい。罪を背負う俺を裁くは君の声に他ならない」

「……ええっと、カオル?」

「言葉を紡げ、罰を語れ。俺はその通りに、罪を償おう」

「あの……」

「さぁ──ッ!」

 

困惑するレナさん。

土下座する俺。

それを微妙な表情で見つめる皆。

 

「……あのな馨。確かに俺は謝れとは言ったけど、そういうのじゃないと思うんだ」

 

将臣がそういうが、俺としてはこういうの意外に何があったというのか。

 

「いわば俺がやろうとしたのは腹を開いて内臓を見る行為に等しい。ならばこそ命を捨てても釣り合いが取れるだろう」

「……なんか、想像してたのと違う」

「馨さん……」

「誰だってそういう謝罪をされたら動揺しますよ」

 

なーんか好き勝手に言われているが、俺にはそれ以外が思い付かない。

 

「あの……カオル?」

「なんなりと、罰を与えてくれ」

「罰とかそういうのはどうでもいいのですよ」

「……人の記憶、一生を単なる謎解きの為に覗こうとしたんだぞ?」

「カオルにはカオルの事情があるのは知っています。掃除屋でしたっけ……? とても、重圧のかかる立場と仕事でしたよね」

「厳密には殺し屋だけどな。それで?」

 

レナさんはまるで俺を労うように。

 

「あなたはあなたとしてやるべきことをやったまでじゃないですか。頭を下げるほどではありませんよ」

 

なんて、笑って言ってのけた。

 

「だけど俺は……!」

「わたしが仕事の為に命ある魚を裁くように、カオルも仕事の為にわたしの記憶を見る必要があった。ただそれだけのことですし、言ってくれれば見せましたよ? 水臭いです」

「……そういう言い方はズルい」

「時に心は冷やして動くものだと、オカミから教わりましたので」

 

ああもう、なんか滅茶苦茶だ。

土下座し続けるのもバカらしくなって胡座をかいて、微笑むレナさんに対する負い目と羞恥心から視線を逸らしてしまう。

 

「……じゃあ、ホントにいいんだな。何もしなくても」

「はい。今まで通りのカオルで、今まで通りに友達でいてくれれば、わたしはそれで十分だと思いますよ」

「ふん……後悔しても知らないからな」

 

捨て台詞みたいな言葉を聞いても、レナさんは「カオルは可愛いですね」なんて言う始末。

自分の仕事を、なすべきことをなそうとしたと褒められて、たとえそれが薄暗いことでも、嬉しくなるものは嬉しくなるだろう。

それに、この稲上としての仕事を褒められたのは初めてだ。今までは皆、俺に重荷を背負わせることを謝ってばかりだったから……

 

血と死を是とする俺を、褒めてくれた──

 

更に恥ずかしくなって、顔が熱くなるのを感じる。だからなのか、単に頭がおかしくなったのか、妙ちくりんな態度と声で妙ちくりんなことを言い出した。

 

「けど友達だからとか不問にされたからとかだとしても、やるべきことが生まれたなら無理矢理にでもやるからな」

「ふふっ、仕方ないなら受け入れますよ。むしろウェルカムですっ」

「うっせぇ、比奈ねーちゃんみたいなこと言いやがって。お前なんか……」

「ほほぅ? わたしなんか、なんでありますか? ほらほら、恥ずかしがらずに言ってください、カオル」

「おお、おっ、お前なんか、お前なんか……お前なんかさん付けしてやんねーからな! 呼び捨てにしてやるし!」

 

身体を寄せるレナから逃げようと上体を逸らしつつ、俺は奇妙なことを言った。いやなんだよ呼び捨てにしてやるしって。素直になれない反抗期か俺は。

……素直になれないのは事実だが。

 

「わぉ、それはそれで嬉しいですね。なんだか今までのカオルから少し壁みたいなものを感じてましたから」

「うぐぐ……っ。あ、でもいつだか綺麗だって言ったことは本心で……ああ違う!? 俺は何を言ってるんだ!! 忘れて! いや忘れろ! とにかく俺はお前をレナって呼ぶ! そんだけだ!」

 

プイッとソッポ向きながらそんなことを声高らかに宣言するマヌケを、レナはまるで手のかかる弟か何かを見るような視線と表情で見ていた。

 

「……あと、ありがと。褒めてくれて」

「カオルはずっと頑張っているのですから、これくらい当然です。……色々思うものもあって誇ることは難しいでしょうが、折れずに逃げずに、それを成し続けるというのは、すごいことですよ」

「できてしまうとしても、折れずに逃げずに……か。改めてありがとう、レナ。もう少し考え直してみる……」

 

誰もが俺に謝っていた。

その中でも、たとえ何も知らなかったとしても、彼女は俺を肯定してくれた。

 

……俺でなければ救えなかった命もあっただろう。

 

決して褒められた使命でもなく、決して誇っていい呪いでもない。

だがそれでも、なすべきことをなしただけ、ずっと頑張っていたのだと言ってくれた。

 

──それがたまらなく嬉しかった。

 

「……ね、馨くんは弟感あるでしょう?」

「あれは見事なまでに手のかかる子供よな。吾輩びっくりじゃぞ」

「なんだか昔の素直じゃない頃みたいね、あれ」

「馨って割と可愛げあるんだな」

 

……外野がうるせぇ!

あと、将臣は俺を許す許さない以前にレナの了解を取らなかったことに文句があったらしい。

行為そのものが非難されていた、というわけではない……ようだ。なんか、意外。

 

 

それはさておきと、昨日の報告に移る。

 

「お祓いは上手く行ったのに、最後の一個だけ無かった?」

「そうなんだ。ほら、レナさん」

 

そう言って憑代を見せる将臣だが、その顔色は優れない。不安が残っているのだろう。

しかし俺は、ふとレナのことを思い出した。彼女に対する殺戮衝動が生まれたのは、祟りの中核である憑代を所持していたから。

それと同じことが起きたのは誰だ? 将臣だ。だが将臣は担い手だったからと思考を打ち切っていた。

 

……まさか、な。

 

「……将臣。少し、動くな」

「は? まぁいいけど」

 

ジッと将臣を見つめる。

外面ではなく、中身へと見るものを移していく。

満たされた神力、その中にある、聖邪双方を併せ持つ砕かれた欠片────

 

瞬間。

 

──コロセ──

──殺せ──

──殺すのだ!──

 

騒ぎ立てる衝動。頭を駆け巡る殺意。殺せ、殺せ、目の前の存在を殺せと叫び行動させようとする亡霊ども。

……間違いない、在る。

 

すぐさま見るのをやめれば、亡霊どもは誤認だと錯覚して鎮まっていく。

なるほど……

 

「神話において、伊邪那岐は振り向いた時初めて伊邪那美の状態を理解するわけだが、それと似たようなケースだな」

「比喩を交えられても俺困るよ」

「じゃ言葉を変えようか。お前だよ将臣、お前こそ最後の欠片だ」

「ふーん、俺がね。って、俺!?」

「厳密には、お前の中にある……ってところだけどな」

 

あたふたと自分を触って確認し始める将臣を眺めつつ、ハナからちゃんと見ときゃよかったと後悔した。

……最初のアレはそういうことだったのか。いやはや、レナの情報が出揃うまですっかり忘れてたが──ホント、振り向けばいたな。

 

「それに関しては多分、先にムラサメ様の方が気付いてたんだろうな。さっき用事がある、とか言って茉子と芳乃ちゃん連れてどっか行ったし」

「でも、俺の中にって……いつの話だろう?」

「ガキの頃にでも食ったんじゃねーのか? ほら、お前水場で死にかけたーって話があったろ? そんときとか」

「色々飲み込んだし、そうかもしれない」

 

思い当たる節はいくつかあるが、今重要なのは将臣の中に欠片があるということだ。

だが──

 

「けど、これがあって俺は選ばれたんだよな。叢雨丸に」

 

感慨深そうにそんなことを言った将臣だが、俺がそれに待ったをかける。

 

「……違う。お前は欠片の有無に関わらず、有地将臣であるのならば叢雨丸はお前を選んだ」

「欠片が関係無いってのはどういうことだよ」

「いつだか、虚絶が言っていたんだ。叢雨丸は選り好みしている。貴様と違って我は求める者にこそ力を与える……って」

「つまり俺は、他に選ばれる理由があったってことになるのか」

「あぁ。実は有地家の家系図と歴史を洗ってたが、神力と関わる話は出てこなかった」

 

そう、こいつと初めて会った日の翌日、玄さんから有地家の資料を片っ端からもらって洗い直したのだ。もしも何かしらの血であるのならば、とかを探るために。

 

が、結果はゼロ。

つまり将臣本人に選ばれるだけの何かがあったのだ。欠片以外に──

 

「それと類似した例がある。レナだ」

「わたしを姉と呼ぶタタミ神のお話ですね」

「聴いてたなら話は早い。リヒテナウアー家はあくまで一度穂織を訪れて、単に欠片を持っていただけだというのに、何故五百年近く前の存在であろう祟りが姉と呼んだのか……そして何故、祟りはレナのガワに用があったのか……」

「あぁ、そうだ。ガワに用があるってどういう意味なんだ? 言葉通り取っていいのか?」

 

その問いに少し黙り、的確な例を探す。

 

「……着ぐるみと、そのアクターの関係性だ。レナ・リヒテナウアーという肉体には用があるが、レナ・リヒテナウアーという個人はどうでもいい──それがあの祟りから感じ取った意志だ」

「わたしではなく、わたしの身体……? 一体どういうことなのでしょうか」

「わからない。が、少なくとも……お前はそこまで関係してなくて、向こうが勝手に用があるだけだろうな」

 

結局そこで止まったのだ。

だが偶然とは思えない。

 

欠片無くとも選ばれたであろう将臣、肉体だけを求められるレナ──生まれも育ちも、穂織の因縁とは無関係な二人が、何故聖邪双方から特別視されるのか。

……祟りに接続すれば、恐らくは答えは出てくる。だがしかし、そこまで行けば稲上馨という人間は消え、その魂と同化した祟りだけがそこに在ることになる。

つまりは、『帰って来れなくなる』ということだ。

 

「しかしひと段落ついた今、知る必要もそこまで無いんだろうな。知ったところでどうしようもない。個人としては、知りたかったところではあるが」

 

そう言って、窓から見える空を見つめる。

蒼い──とても、蒼い空だ。

見ているこっちが清々しくなるような蒼の空。

……答えは何処に? それは誰も知らない。

 

「待たせたな、ご主人」

「ムラサメちゃん」

「最後の欠片を集めに行くぞ」

 

どうやら、準備は終わったらしい。

俺も処刑人として、その終わりを見届けなければ。

 

そうして四人で本殿に向かうと、そこには巫女服に着替えた芳乃ちゃんと、側には茉子がいた。

……しかし、本殿なのにどうして少し息苦しいんだ? なんだ、不調か? 俺の身体は。

 

「来たんですね。場を整える為に、先程まで舞を奉納してたんです」

 

芳乃ちゃんの発言を聞いて、道理で少し不調だと納得する。神聖な場に不浄の端末である俺がいれば、そりゃ不調にもなるってもんか。

 

「それに吾輩の神力を散らして濃くしておいた。これでより剥がれやすくなっているであろう」

 

……訂正。

多分これ長時間いたら不調どころか自壊し始めるんじゃないか。神力は確かに俺の身に存在するが、基本的に魔寄りなので水と油、炎と氷のように相容れぬのだ。

まぁ顔に出しても仕方ない。黙っていよう。

 

「有地さん」

「憑代を持ち、強く念じるのだ。さすれば自然と出てくる」

「……」

 

憑代を茉子から受け取って将臣が目を閉じて数秒としない内に、憑代は白く輝き、その姿を完全なものとしていた。

 

「……完成してる」

「五百年の因縁が……」

「本当に全部、揃ってる……」

「やっと終わったんですよ、芳乃様!」

「おめでとうございます!」

 

現実味が無い。こんなにもあっさりと終わってしまったなんて。

本当に終わったのか?

 

「しばらく様子を見なければわからぬが、恐らくは大丈夫だ」

 

だがムラサメ様の安堵した表情からは、気休めも一切感じられない。やっと、呪いは終わりそうだということに間違いは無いだろう。

 

「あ、ムラサメ様。元に戻ったところで性質は……」

「うむ。あとは安晴に言って祀って貰えばよい。さすれば呪詛に向かっていた力が加護として使われるようになる」

「なら、お父さんを呼んできますっ」

 

そこからは早かった。

芳乃ちゃんに呼ばれてすぐ駆けつけた安晴さんによって祈祷は順調に進み、そう時間もかからない内に必要なことは全て終わった。

 

「これであとは、毎日欠かさずに祈祷をすれば、安定するだろうね。ま、これも神主の仕事だ、僕に任せてくれ」

「ありがとう、お父さん」

「今まで何の役にも立てなかったからね……お安い御用だよ」

 

安堵した表情で言葉を交わす二人を見て、あぁ……やっとあの二人も普通の親子に戻れたんだなと感慨深くなる。

 

「将臣君も、ここまで巻き込んで申し訳なかったね」

「いえいえ、全然気にしていませんよ。それに、巻き込まれたからこそ役に立てたんですから」

 

──役に立てた。

俺は?

 

……役に立ってすらいない。

 

必要とされてすらいなかった。

 

そんなことはわかっている。

不要と断じたのは他ならぬ俺だ。俺が俺自身を今の時代には要らないと決めたのだから何を悔やむ必要があるのか。

誰にも褒められず、誰にも必要とされない、讃えられない殺し屋(アンサング)。それが俺なんだと、俺自身が良く知っているだろう。

 

「本当に、運命みたいだったな」

「そうだな。ご主人だけでなく、ここにいる全員がこうして出会えたのも、運命だったのだ」

 

運命……ムラサメ様の笑顔が眩しい。

 

「それはわたしもでありますか?」

「無論だ。レナがいなければ、丸く収まることはなかったのだからな」

「そう言ってもらえるのは嬉しいですね、ふふっ」

 

嬉しいという言葉を聞いて何か引っかかりを覚える。レナに褒められたとき、俺は無自覚だった何かを垣間見たような気がした。それに通じる何かが……嬉しいと重なっている?

わからない。だから黙って事態を見守るしかできない。

 

「わたしも、皆さまと会えて嬉しいでありますよ。これからもよろしくお願いしますね」

「はい、こちらこそ」

「今後とも、よろしくお願い致します」

「いやぁ、芳乃にこんな風に接してくれる友達ができて良かったよ。今後とも、娘をよろしくね」

「お父さん!? そういう挨拶はちょっと……!」

「あれ? マズかったかな? ははは」

 

不意に笑っていた安晴さんが、真剣な表情で俺を見る。

そして──

 

「馨君、今まで……今まで本当にありがとう。娘たちの助けになってくれて。君は自分を死地に送り込み、ただ見ているだけの僕らを憎んでいたかもしれないけど、君がいてくれたからこそ救われた命もあったし、場面もあった」

「……っ」

「君にとって僕ら大人がどういう存在かはわからない。だけど、今だけはただ、君に守られていた一人の人間として、感謝をさせてくれ」

 

──()()()()()()()()()()()()()()()

 

そこで初めて自分の本心を自覚する。

……あぁ、そうか。俺はずっと、自分を肯定して欲しかったのか。初めて出たときも、皆言っていた。

「どうして」とばかりしか言わなかった──

 

今更だ。

今更すぎて何も思い浮かばない。

 

ただ嬉しくて、けれど今更すぎて悲しくて。

──会って少しだって言うのに、レナもらった、一番欲しかった褒め言葉も後押しして、感情の抑えが効かなくなった。

 

「……だったら、なんで──」

 

 

「なんで俺を……」

 

 

「俺を、ずっと褒めてくれなかったんだ──!! 父さんも母さんもっ! あんたも秋穂さんもっ! 駒川だってそうだ! どいつもこいつも俺にそんなことをしなくていいなんて言って!!」

「それは……すまない」

「謝罪なんて欲しくなかった! 心配よりもずっと先に言って欲しかった! 大人なんだからって子供を心配ばっかりしてないで、たまには褒めて欲しかったんだ……っ!! よくやったでもなんでもよかったのにっ!」

「馨さん、落ち着いてっ」

「落ち着いていられるかっ!? どうでもいいことばっかり褒めて! 肝心な本来の仕事は一つも褒められやしない! 存在そのものが裏切りだからって言っても、やるべきことが重荷だとしても、それでも……っ!!」

 

支離滅裂な慟哭と共に、枯れたはずの涙が頬を伝う。

 

「……人を助けたんだよ……たまに目撃者の記憶を消したりもしたけど、それでも命を助けるには助けたんだ……なのに……」

「馨くん……」

「お疲れ様でも、なんでもよかった……誰もそんな言葉かけてくれなかった。二人みたいに、俺も……」

 

そこまで言って、心に抱えていたものが全て吐き出せたのか、やっと思考と感情が落ち着いてきた。

 

「……すんません、おかしなこと言って。一番自分を否定していたのは俺なのに、他人に肯定して欲しかったなんて、虫が良いですよね……ガキの世迷言でした。忘れてください。それじゃあ、俺はこれで。何かあったら呼んでください」

 

涙を拭い、フラフラと立ち上がって本堂を去る。

そのまま山道に入って、ある場所を目指す。

 

そこまでは、あっさりと着いた。

 

過去に俺が入水自殺を図った場所。

成長した今では、溺れることすら難しそうだ。

 

「……人間って、面倒くさいな」

「そうでなければ我のようなものも生まれていない」

 

座り込む俺と、それを見下ろす俺の姿をした虚絶。

 

「なぁ」

「どうした」

「……嬉しかったんだ、褒められて」

「そうか」

「おかしいよな、死にたがってたのは俺なのに」

「童なぞ、得てしてそんなものだ」

「そっか……そっか」

 

 

……大人に、なりたかったな。

 

 

 

 

──褒めて欲しかったんだ──

 

その慟哭が頭から離れない。

涙を見せることなく己を律していた彼が、あそこまで取り乱すなんて初めてだった。

 

「まさか、僕らが追い詰めてたなんて……これじゃ大人失格だな」

 

自嘲を含ませた、安晴の呟きが昼食の最中の居間に響く。

 

「お父さん、馨さんだって責めるつもりじゃないと思うの。多分あれは、欲しかった言葉と自分の真相を知って感情が高ぶった結果だと思うの」

「そうかな……」

「今度、ちゃんと話し合ってみたらいいんじゃない? やっとお互いにひと段落ついたんだからさ」

「そうだね、そうしてみるよ」

 

芳乃と安晴の会話を聞きつつ、茉子は馨の慟哭を聞いて、昔から謎だったことが一つ解けた。

 

自分が忍者修行でこんなことを褒められたというと、決まって羨ましそうな顔をしていたこと。

彼が自分に対する否定感を募らせていたことを知ったのは最近だが、想像以上にとても繊細な性格をしていたのではないだろうか。それが弟っぽいところを生んでいたのではないか。

 

「……どうしたのだ、茉子?」

「いや、やっぱりワタシは馨くんのことを知らなかったなあって」

「ま、馨も繊細だしのう……でも、明日にでもなれば、普段通りに戻ってるじゃろうて。切り替えの早い男だ、それこそ心配よりも信頼をしてやれ」

 

ムラサメの言葉は馨の本心を上手いこと拾った発言で、そんなことを上手く言ってあげられたらなぁと茉子の心に影を落とす。

 

それから時間は過ぎて夕食も終えて、茉子は帰路に着く。

だが道筋は決まっていた。

 

今日は、必ず──

 

「……茉子?」

「馨くん、ちょっとデートをしましょう」

 

この面倒な男の側にいてやると決めたのだ。

 

二人並んで夜道を歩く。

デートなどと言って連れ出したが、実際には茉子の家まで送ってく程度の道でしかない。

 

「終わったな」

「うん」

 

言葉少なく、二人は呪いの終焉を喜ぶ。でも今は違う、茉子がやるべきことは謝ることだ。

ずっと、その働きに感謝していなかったことを。

 

「ごめんね。ずっと謝ってばかりで。レナさんみたいにワタシ、あなたにありがとうとかそういう言葉言ってあげたらよかったのに……」

「いいさ、今更の話だ。あとで、安晴さんにも謝らなきゃな」

 

だがそんなことを言われても、馨にしてみれば自分勝手な願望と慟哭だ。自分が謝りこそすれど、しかし謝られる筋合いは無い。

そこでプツリと会話は途切れる。無言で歩き続けて、馨かふと呟く。

 

「……恋、したいんだよな」

「うん。やっとできるようになったから」

 

幼少の頃からの夢。

恋をしたい、人間になりたい。巫女姫の道具じゃなくて──

 

「ワタシはここから初めて、ワタシを始められるんだ──」

 

そう歓喜を乗せて紡いだ言葉に、彼は優しげに微笑むだけ。

だがそこで、茉子は馨が何をしたいのかを知りたいと思った。幼馴染なのに、ほとんど知らない。だから、知りたい。

 

「馨くんは? 終わったら、どうしようと思ってたの?」

「死のうと思ってたよ。でも……今は、どうしようかな。何もない」

 

困ったように悩みながら、馨は問う。

 

「……何をしようか。何をしたらいいと思う?」

「自分で考えてよ。自分の人生、自分が主役でしょ?」

「それもそうだな。俺の人生は俺のものだ、他の誰でもない……けど、そうだな……パッと思い付いたのは」

 

馨の脳裏に浮かび上がったのは、人に本当の事を話さずに孤独であろうとした自分。それが必要無くなったのであれば。

 

「誰かの幸せを見てみたい、かな……」

 

──なんて、呟いた。

 

「きっと俺じゃあ、伊奈神の血塗られた運命を引き継がせてしまうだろうから。周りの人間が幸せになるのを見ていれば、それはそれで楽しいかなって」

 

卑屈なそれを聞いて、茉子は変わったようで変わってないのだなと察して、檄を飛ばすように言った。

 

「ネガティブな願いだね。もっとがっついたら?」

「いいんだ、これで。俺は……いや、なんでもない」

 

悲しげに笑った彼を見て。

どうしたら変わってくれるのかと、茉子は無性に悲しくなった。



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Chapter4 再始動 変動

長らくお待たせいたしました。
……1万オーバーが多数を占めるってどういうことなの……?


「……なんか、しんみりしちまったな」

 

朝起きて、昨日の醜態と、夜中に茉子を送っていった時の会話を思い出す。

 

……結局、昨日は俺が癇癪を起こしただけで、それ以上でもそれ以下でもない。変に気を使わせてしまった。

 

「……恋をしたい……か」

 

いいと思う。

思うのだが、思うのだが──なにかこう、モヤついたものを感じる。やはり姉貴のように、ずっと側にいてくれたからだろうか? 姉を取られる弟のような気分なのか? ……自分でもさっぱりわからない。

まぁ褒められて癇癪を起こすような男だ、どうせロクでもない感情だろう。

 

「誰かの幸せを見ていたいのは本当なんだよ、茉子……」

 

きっと言っても信用してくれないだろうからと、一人呟いた言葉が虚空に溶けていった。

 

 

いつも通り、学院へと向かう──その前に。

俺は私服に着替えて学院まで向かった。早朝にそんなところに行くなど、目的はただ一つ。

 

「よ、将臣。ムラサメ様」

「おはよう。珍しいな、俺のトレーニングに顔出すなんて」

「馨、落ち着いたのか?」

「無論。癇癪を起こしてもすぐ立ち直れるくらいには大人ぶってるからな。あー……悪かったな、あんな醜態を晒して」

 

あまりにも昨日の醜態が響いてか、頭を掻いて俯くしかできない。

 

「醜態ってか……当然のことだと思うぞ? 皆お前の事情には心を痛めてたし、それにいっぱいいっぱいだった。別に馨がああしたって、誰も文句はつけないさ」

「うむ。馨の献身から考えれば、あの程度は癇癪にすら入らん。むしろ正当な報酬を望んでいるのと同じじゃな。気付けなかった吾輩たちが負い目を感じるのであって、お主が醜態だと思う必要は無い」

 

だが将臣とムラサメ様からしてみれば当然らしい。あんな褒めて欲しかったなどという子供の感情を正当だと言われればこちらが困るというか……なんでそんなに肯定されているのか逆にわからない。

 

「終わった余韻をぶち壊した上に、世話になった人に負い目を与えたんだぞ。あれを醜態と呼ばずになんと呼ぶ」

「まぁ否定できないけど……でもこれで、馨も解放されたんだし、今から腹を割って話していけばいいんじゃないか?」

「そう……だな。やっと壁も何もなく、これから俺は俺を始められるんだ──」

「そうじゃそうじゃ。ついでに吾輩に泣き付いてもいいのだぞ? 茉子ばかりに弱い面を見せてはあやつも流石に困ろう。もっと他を頼ってみろ」

「うっ……それはあんまり大声で言わないでくれ」

 

いつぞや抱きしめてられたことを思い出して、顔が赤くなる。

ニヤニヤするムラサメと、頬を染めて目をそらす俺。そんな様子を見て将臣は何がなんだかさっぱりわからない様子のまま。

 

「馨は常陸さんに甘えたのか?」

「──」

 

ズバリ、当てられた。

硬直した。停止した。何も言えない考えられない。

その空白を容赦なく抉るムラサメ様。

 

「そうだぞご主人。ご主人が診療所の一件で寝ていたとき、馨は茉子に向かって少しだけ側にいてくれなどと言って、心温まる光景のはずなのにどこか背徳感すら感じさせる添い寝をしていたのだ」

「やめてよぉっ!? アレ俺は手を握って欲しいって言っただけなんだけど!」

 

サラッと暴露された事実に、慌てて反論するが、幼刀とその担い手のすっとこどっこいどもはニヤニヤしながら俺を見る。

 

「ははぁん。馨、お前割と甘え上手だろ? 弟っぽい可愛げもそこからだよな。芦花姉とかに可愛がられたんじゃないのか〜?」

「ちちちちげーし!? その昔芦花さんにおんぶされた時をたまに思い出すとかしてねーし!?」

「はははっ! お主自爆しておるぞ。そんな風に年相応の顔を見せよ。吾輩、お主の子供っぽいところは結構好きだぞ?」

「〜ッ! 朝から面倒くせぇ!」

「……朝から何をしとるんだお前たちは」

 

と、そんな風にワチャワチャしていると呆れ顔の玄さんが現れた。

 

「将臣が遅い上に、何やら騒がしいと思って来たが……なんだ、馨。そんな拗ねた子供のような顔をして」

「い、いや……なんでもないですよ。ちょっと恥ずかしい話を蒸し返されて慌ててただけです」

「しかし驚いたぞ、お前からたまにはまとめて鍛えてくれと言われるとは。もう、終わったと聞いたがまだ必要なのか?」

 

そう、先日帰ったあと、感情の噴出具合から考えて俺はまだ精神的に安定を欠いていると認識し、ここはひとつ身体を動かして修行かなと思ったのだ。

というか、少し要らぬ煩悶が多い。朝早起きして身体を動かすのは面倒だが、煩悶で苦しむのはもっと面倒だ。

 

「いえ、俺は……その、昨日昔からずっと本業を褒めて欲しかったと自覚しましてね。否定していた分際で身勝手が過ぎるというのに、それで癇癪を起こすなどまだ子供だと痛感したんです。だから身を鍛えれば自然と精神が付いてくるかと」

「……そうか。お前もまだ、子供だったのだな」

 

玄さんの様子が変わったのを察し、俺は先に手を打つ。

 

「謝るのはやめてくださいよ? 俺が素直に言い出せなかったのが悪いだけなんですから。人と人とが言葉も無しにわかり合うなんて難しいんですし、過ぎたことです」

「それもそうだな。なら……孫を助けてくれてありがとう、馨」

「いえ、俺のやるべきことでしたから。けど……むず痒いっすね、なんか」

「むず痒く思っておけ。感謝されるのも、褒められるのも、人間いつまで経っても慣れないのだからな」

 

そう言って豪快に笑う玄さんに釣られて俺も笑い出す。いやまったく、まだまだ人生経験の足りないガキだな俺は……

さて、と俺たちは一旦そんな談笑を止め、将臣に目を向ける。

 

「なぁ将臣。俺がいるんだし、元通りの生活に戻っても……あ、お前どうすんだよ? 帰るのか? 戻るのか?」

「む、そういえばお前はどうするのだ将臣。ワシはどちらでも構わんが」

 

事と次第が落ち着き、基本的に発生しても俺だけで対処できるまでレベルは低下した。なので将臣は都会に戻っても何ら問題は無いのだが──

 

「俺は残るよ。トレーニングも続ける。何回も転校するのもアレだし。それに……ここがいいんだ」

 

ここにいると、迷いなく断言した。

奴はどうやらここが気に入ったらしい。いや、それ以上の理由もあるのだろう。きっと。

それは恐らく……いや、勝手な推測か。これ以上はやめておこう。年頃の男子には繊細な話題だ。

が、ここで俺たちは失念していた。

 

「残るのは構わないが、巫女姫様との結婚の件はどうする? 何もないでいつまでもあそこに世話になるというのは、難しいぞ」

「あ……」

「そーいやそーだったなァ」

 

考えてみれば将臣は芳乃ちゃんの婚約者としてこの地に縛り付けたのだ。もはやそれが意味をなさなくなった今、さて困ったといったところか。

まぁウチの一部屋くらい貸してやってもいいし、玄さんも一室くらい準備はあるだろうけど。

 

「戦いが終わったばかりですぐ決まるというわけでもあるまい。今日は少し軽めにするから、集中を妨げない程度に考えておけ」

「ありがとう、祖父ちゃん」

「気にするな。それから将臣……迷惑をかけたな」

「気にしないでよ。家族だろ? 俺たち」

「ふっ、そう言ってもらえるとワシも嬉しい」

 

祖父と孫の団欒も終わり、俺は玄さんと将臣の修行に付き合った、が……

 

割と厳しいメニューのはずなのに、俺の肉体はサラリと流してしまった。慣れているはずの将臣が汗をかいているというのに、俺はほとんど汗もかかず疲れも無い。

 

「……なんか、便利過ぎると不安になるな」

「見てるこっちは羨ましくて仕方ないけどな」

「よせ、ロクでもない肉体だ」

 

魔に通じる存在は、常にその器をベストコンディションに保つと家の資料にはあったが、俺も似たようなものだからか、普通の人間に比べてスタミナがあると見て間違いない。

しかしそれすらも食い破って痛みと疲労を生じさせる虚絶とは……

 

「うん、いい運動になった。ありがとうございました」

「あ、ありがとうございました……」

 

全てのメニューを終え、息も絶え絶えな将臣を横目に玄さんに頭を下げる。いや、本当にいい運動になった。

 

「馨お前、ひっでぇな……!」

「軽い打ち合いだろ? あんなの」

 

そう、玄さんの提案で朝の軽い打ち合いは俺と将臣でやることになったのだが、竹刀を逆手に使って最大接近距離での立ち回りで攻めたらそっちに慣れてない将臣にはだいぶ重い負荷になったらしい。

 

「軽いって……世界の何処で実戦殺法を軽い打ち合いで持ってくる奴がいるんだよ」

「ご主人が馨のような対人特化型に慣れていないというのもあるだろうが、もう少し加減をしたらどうだ? 一応剣道なのだからな」

「あっ、忘れてた」

 

ムラサメ様がやれやれといった様子で見てくるが、忘れてたものは忘れてたのだ、仕方ない。息を整えた将臣は何か考えるような雰囲気を出したあと、急に玄さんと俺に聞いてきた。

 

「二人は俺と朝武さんの結婚ってどう思ってるの?」

 

……なんとなーく読めては来た。

そんな気はしていたともいうが。

 

「ワシはとやかく言わん。お前と巫女姫様で決めればよい。不安は多少あるが、お前のことだ。良い方向に持って行くだろう」

「俺からすりゃお似合いだしいいんじゃねーのかなとは思うさ。芳乃ちゃんの幼馴染としてなら、ちと女っ気が多いのが気になるが……ま、余談だな」

 

あれだけの死線を潜り抜け、弱いも強いも見た仲だ。魅かれ合っても不思議じゃない。

 

「……あんまり、長く悩めないか」

「存外答えは近くに転がってるもんさ。すぐ見つかる。俺みたいに回り道しなきゃな」

「今日明日で出てくる答えでもあるまい。だがケジメだけはしっかりしろよ」

 

……どうやら俺の観察対象は、将臣と芳乃ちゃんになりそうだな。

家に戻り、軽くシャワーを浴びて制服に着替える。今日の弁当を用意し、朝飯をササっと食って家を出る。

 

さっき通った道をまた通るというのは結構微妙な感じだが、朝に身体を動かすというのも悪くない。普段は昼間の暇な時間を使うが、今度から朝にしてみようかな。

 

 

 

「……ん?」

 

学院での昼。

いつも通りに一人で飯を食おうとしていたとき、それは目に入った。

 

隣の席で弁当を広げている将臣と廉。

 

しかし……しかしだ。

将臣の弁当が、茉子の作ったものには見えない。茉子は割と見栄えも気にするので、不揃いということはそれほどない。それに加えて中身がかなりシンプルなものばかり。あの凝り性が時間が無い以外の理由でそんなことを──

 

と、そこまで考えて。

 

「……なるほど」

 

将臣に視線を送る芳乃ちゃんを見つけて、納得した。

なんだ、存外……単純かもな。

 

こりゃ婚約解消は無いと見て間違いないだろう。

さっさと飯を平らげて、忘れないうちに用事を済ませようと動き出す。つかつかと歩いて向かうのは、いつものメンツで固まっている女子グループの中にいるレナだ。

 

「よ、レナ」

「あら、カオル。どうしたのでありますか?」

「いやなに、お前に野暮用がな」

 

そんな風に切り出してみると、茉子と芳乃ちゃんを除いた女子……ええっと、小野だな。柳生とは割と喋るから覚えてるんだけど、あんまり関わりが少ないんだよな。

まぁいいや。小野が信じられないものを見るような目を向けてくる。

 

「稲上君、いつの間にレナちゃんのこと呼び捨てにするようになったの?」

「知りたいかい? ま、教えてあげないけどね」

「えー、ケチー」

「ケチで結構。レナとは色々あったからね……さぁて、レナ。野暮用の話なんだけどよ」

「はい、なんでありましょう?」

 

不思議そうなレナに対して、俺は何でもないように。

 

「今度の暇な日に、俺とデートしない?」

 

そう、言った。

 

「デートでありますか。いいですねデート──ででで、デートォッ!? カオルにはマコがいるのにそういうのはいけません!」

「いやだからあれは誤解だって前言ったじゃん。まぁ本当のところを言うと、色々世話になったからそのお礼を兼ねて何かしないとなって思って」

 

なんか可愛い生き物みたいな顔と赤い頬をしたレナに呆れながら、そういう意図は無いということを伝える。

……というか、何か詫びをしなければと思って色々考えたらデートみたいな感じになったからデートって言っただけなんだけど。

 

「急にそんなこと言って、鞍馬君に何か吹き込まれたの?」

「これでも立派に年頃の男子のつもりなんだけど? 下心丸出しの方が逆に信用されたかな」

「そもそも稲上君に下心あるのか疑問なんだけど」

「あるさ。実際俺だって女の子に……いや、やっぱ言うのやめよ。ちょいと品性が無さすぎる。おい柳生、なんだその目は」

「まさか稲上君がそんな大胆だったとはーって思っただけだよー? だって春祭りに常陸さん誘ってデートしたのにねー」

「だからあれは一緒に回っただけだって……」

 

なんて周囲から見た俺像と割と乖離している事実に驚きつつ、レナに返答を聞こうかと思ったのだが。

 

「茉子? どうしたの?」

「馨くんとレナさんが……デート……」

 

──茉子のやけに驚いた声が、教室に響いた。

 

「なんだよ茉子。そんなに俺がレナを誘うのが変か?」

「そうよ茉子。どうせ馨さんのことなんだから手を出す心配も無ければ、微笑ましく終わるわ」

「……馨くんが、他の子と……」

 

聞いちゃいねえ。

 

「おーい」

「いたっ!? ……なんですか一体」

 

仕方ないのでデコピンをして無理矢理目を覚まさせてやる。

不満げな視線を向けられても、こちらとしては非常に困るのだがね。

 

「なんだってお前がフリーズするのがいかんのだろう。お前以外の女の子に声かけるのがおかしいか」

「あ、あぁ、そういうことでしたね、はい。わかってますよえぇ。いやいいんじゃないですか? ワタシとしては驚きましたけど」

 

……表情は笑顔だが、露骨に動揺している。慌てているわけではないのだが、どこに動揺する要素があったのだろうか?

大丈夫なのだろうか。妙なこと言ったつもりは無いんだが……

 

「そっか」

「そうですよ?」

「ならいいんだけど……」

 

あとで時間作って、何があったのかを聞いておくか。

さて、と気を取り直してレナと向き合う。

 

「それで、返事はどうだ?」

「えーっと、わたしは構いませんけど……いつ休みになるかはわかりませんよ?」

「構わない。都合の良い時を教えてくれればいいさ。そっちに合わせるよ。後日改めて、ね」

「はい。楽しみにしてますよ〜」

「期待されちゃったか。頑張るよ」

 

そう言って俺は離れようとして──芳乃ちゃんに耳打ちする。

 

「弁当、作ったんだね」

「なっ──なんで……!?」

「くくくっ、俺を舐めるなよ」

 

あたふたとする芳乃ちゃんに微笑みつつ、俺は自分の席に戻るのだった。

 

 

 

夜道を一人歩く茉子の頭の中は、とても複雑だった。

 

馨とレナがデート。

弟のように思っていた彼が、女の子を誘った。いつまでも弟のような、異性とは思えなかったような人が、いつの間にかそんなことを……

 

(恋をしたいと願うワタシへの当てつけですか)

 

なんだかムカムカする。

恋をしたいと願っているのは知っているクセに。する相手がまだ見つかってないのも知っているクセに。

 

(なにませちゃってるの……)

 

ここ最近は馨に振り回されっぱなしだ。初恋の件もそうだし、急に甘えてきたときもそうだし──別に好きでもなんでもない筈なのに、どうしてここまで頭の中を占めているのか。

 

その理由はすぐにわかった。

中々変われない自分と比較しているからだ。

 

(ワタシはまだスタートラインに立ったばっかりなのに、馨くんはもう踏み出してる)

 

妬心……とはまた違った感情。どちらかと言えば生意気な弟とかそのあたりが一番近い。

 

(……ワタシが初恋なのに、もう一度会いたいとか言ってるのに、他の女の子に目を向けるとかどういうことなんでしょう)

 

本人が忘れているのだから仕方ないと納得しているが、それでも乙女心とは複雑だ。彼女自身にもわからないほどに。

ただそこまで考えて──これではまるで、自分が彼を意識しているような……と気が付いて、一気に顔と耳が熱くなる。

ブンブンと頭を振って迷いを振り払う。

 

(なんですかもう! ワタシは少女漫画のヒロインじゃないんですから!)

 

唯一の趣味である少女漫画……確か最近読んでいたものもフワフワした天然ヒロインに主人公が振り回されるタイプの作品だった。

決してヒロインにはなり得ない日陰者である自分を重ね合わせたところで、ただ虚しくなるだけ──

 

「シけた顔してんな。似合ってねーぞ?」

 

自己を卑下することが自然であった茉子にとって、その言葉が聞こえたとき、遂に自分も幻聴を聞くほど弱ったかと思った。

まぁ幻聴だ。好き勝手に言っても文句あるまいと決めて、少し普段は見せない面に従うことにした。

 

「いきなり現れてなんですか。あなたの所為で割と悩んでるんですよ」

「ありゃそうだったか、それは悪いね。けどどうした? 俺で悩むなんて珍しい」

「デートですよ」

「あー、デートね。うん。別にいいじゃん」

「いいって……あなたはワタシが初恋の人だって忘れてるから気が楽でしょうけど、乙女心は複雑なんですよ」

「……え? そうなの? お前だったの? あの、綺麗な笑顔の子は」

 

随分とすっとぼけた反応をする幻聴だ。怒りを通り越して呆れが来る。

自分でもわかるほど、今ものすごくムスッとした顔をしているのだろう。

だから茉子は、俯いていた視線を上げて──

 

「一度だけ引っ張り出して、笑顔はこうするんだって教えたのはワタシだもん! 言ったじゃん。ずっと側に、いる……って……!?」

 

本当に馨がいるのを、やっと認識した。

 

「……えっと……あー……ごめん、なんか」

 

しどろもどろになりながら、とても申し訳なさそうにしている馨を見て、今まで何を言っていたのかをもう一度考え直して、羞恥心が勝った。

 

「ごっ、ごめんなさい! 忘れてくださいっ! じゃまた明日!」

「あっ……行っちまった」

 

本当に何を言っていたんだろう。

久方ぶりに本気で疾走して帰宅する茉子は、今日は早く寝ようと決心した。

 

「……多分あれ、初恋より憧れだったんだろうって思ったんだけど……」

 

一方、残された馨は過去に見た茉子の笑顔とは憧れだったんだなあと思い出していたが、言う相手もおらず、そもそもの目的を達成できなくなったので、一抹の寂しさを覚えながら、フラフラと家に戻った。

 

余談だが、茉子はあまり眠れなかったことを記しておく。



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苦悩

フラリフラリと歩くいつもの通学路。だが今日は少し違う。いつも通りに将臣のトレーニングの見物をしていたムラサメ様が、帰りに家に侵入してきて、俺を叩き起こしたのだ。

 

「おはよう、馨。吾輩が起こしにきてやったぞ?」

「え……? ムラサメ様……?」

 

そんな感じで始まった今日。

……まぁ、別に害は無いしで問題はないのだが、女の子が自分の家にいると思うと結構ドキドキした、とけだけ言っておこう。

だってムラサメ様可愛いし。いや本当に。

 

「馨、学院にいるときはどうしたらいいと思うかの?」

 

で、人が慣れない環境で割と落ち着かないでいると、いきなりムラサメ様にそんなことを言われた。

 

「いきなりだな。確かに一番暇な時間だし、困ってるのは目に見えているけど……存在が存在だし、中々難しい」

「吾輩が勝手に学院の中を散策しても構わないのだがな。じゃが、それではご主人を始めとした吾輩が見えるものの集中を欠くことになるだろう」

「いっそ認識されちまえば楽なんだがなぁ……んー、まぁ暇だったらちょっかい出しに来たら? 具体的には将臣とか。触れるのはあいつくらいだし」

 

資格無き者に見えるようにする方が困難だ。レナは長期間憑代に触れ続けた影響で見えるだけで、将臣に至っては奴が憑代だったからというトンデモ理論が残るのみ。

元より見える朝武の直系、および常陸は論外。俺は見えるようにしているし、その気になれば触れるようにもできるが、人を魔に近づけるという以上ロクなものではない。

 

そもそもムラサメ様がどういう術式で管理者となったのかが不明の為、虚絶のように1から10を行き来できるよう設定することも難しい。ハードもソフトもダメ、エンジニア側もダメとくれば八方塞がりだ。

 

更に触れられるのが将臣だけとなれば……

 

「こりゃ難題だな。伝説は知ってるから違和感無く受け入れてもらえるだろうが、どうやって実在を証明したもんかね」

「……やはり、難しいかのぅ」

 

どこか悲しげな表情をするムラサメ様。五百年も苦しみ続けたんだ、流石にそろそろ救いがあってもいい筈なんだけど、どうやったらいいのか……俺にはわからない。

そう、"俺には"わからないだけで、他の奴ならいい案が出てくるかもしれない。

 

「そうショボくれた顔するなって。俺じゃ方法が思いつかないだけだ。もっと人に聞くんだよこういう時は。この手のものは抱えたって仕方ない」

「む、そこまでする必要は無い。忘れておらんか、吾輩はもう五百年もの時を過したのだぞ。観測者側には慣れている」

 

しかしそんな俺の提案は、一瞬でいつも通りに戻ったムラサメ様にバッサリと切られてしまう。が、ここで諦めてはならない。

……いつぞや夢で聞いた、みんな疲れたという言葉が頭の中に残っている。この人も疲れている。年端もいかない子供だったのに、生と死の狭間で干渉できずにただただ眺めて──傲慢な独善、いやたとえ歪んだ偽善だろうとも、俺はそれを見過ごせるほど恩知らずではない。

 

「嘘つけ。あんたも寂しがり屋だろ? でなきゃそんなことは言わない筈だ。俺が言えた義理でもないが、素直になってくれ。俺はあんたの五百年が報われるべきだと思っている」

「むぅ……」

「将臣や芳乃ちゃんにも聞いてみるよ。その方がムラサメ様にとってきっといいからさ」

 

なんとかして、ムラサメ様の孤独を癒してあげたいと思いながらも、その具体な考えはまとまらない。

しかし偉大なる先人であり、同時に古き良き大和撫子といった格好と風貌のムラサメ様と二人だけで歩いているというのは、とてもその……あれである。男の子的に大変マズいのである。

 

「ジー……」

「な、なんだよぅ」

「いやなに、お主も女子と触れ合うと照れるのだなと」

「そりゃそうだよ、男だし」

 

ジト目で何処か楽しそうなムラサメ様から逃げるように早足で歩き出す。

ロリにドキドキするって俺はやはり……うーん……そんな度し難い性癖をしているつもりは毛頭無いのだが。

 

そうして迎えた学院での授業……なのだが。

 

「ふんふんふふーん……」

 

鼻歌を歌って教室を覗くムラサメ様。

何かそわそわした様子の将臣。

たまにチラチラと視線を送ってくる茉子。

そして色々情報過多で疲れそうな俺──

 

はっきり言おう。

むっちゃこの短時間が濃い。

 

「……くっ」

 

普通ならば先生の授業など聞き流して、後でそれなりによい記憶力と茉子を頼って如何にかするのだが、そうも言ってられない。柄でもなく集中して聞いているし書いている。

でなければ笑ってしまう。

 

……あいつらこんなに落ち着きなかったっけ?

 

「……助けて」

 

小さく呟いた言葉は授業の喧騒に消え、俺は机に突っ伏した。

 

 

「……はぁ……」

「どーしたよため息吐いて」

「いや、疲れただけ」

「? 今日の授業なんて楽なもんばっかだろ」

「色々あるんだよ……」

 

昼休み。

ぐったりした俺を見かねた廉が声をかけてくる。

 

「そういや昨日、レナちゃんをデートに誘ってたけど、デートコースとか大丈夫なのかよ」

「鞍馬さん家の廉太郎君があれこれ言ってたのを覚えてるから大丈夫ですよーだ」

「余計なもんばっか覚えてやがって」

「あんなに楽しげに話すお前を忘れられるかよ」

 

絶妙に嫌そうな顔をしている廉だが、実際初デートの時は随分と楽しげに報告してくれたもんだ。小春ちゃんも「良かったね」と言うくらいには。

 

……それがどうして、こんなに女癖の悪い男になってしまったんだか。

いや、女癖の悪いというよりも、こいつがさっぱりし過ぎているのか。

 

「何よその目は」

「いや別に? さてと、飯にするか」

 

そんな風にいそいそと弁当を取り出すとき、目に入ったもの──それは百面相。険しい顔をしたと思えば、途端に頬を緩めてバカ面に。

まぁなんだ……将臣君や、君めちゃくちゃ愉快な顔してるやで。そんな風にエセ関西人的語尾になってしまうくらいには愉快だ。

元を辿れば京都にいた由緒正しい貴族の家系なんだから、喋れたっておかしくはないんだけど、生憎とウチは分家だ。本家より本来の形に近い分家ってのも不思議な話だが。

 

「廉」

「みなまで言うな、わかってる」

「行くぞ」

「おうさ」

 

そんな面白将臣君に気が付いていた廉と共に、渦中に身を投じる。

空いていた前の席に座り、様子を見てみる。すると視線に気が付いたのか彼は一言。

 

「あげないぞ」

「芳乃ちゃんの手作り弁当が楽しみでそわそわしてたのは丸分かりだからいい」

「な、なんでわかったんだ」

「昨日の今日でお前と芳乃ちゃんの様子、それから茉子の作った弁当ではない弁当。それだけあれば十二分、俺を舐めるなよ将臣。時間だけならお前より上だからな」

「うぐっ……」

 

痛いところを突かれたと言わんばかりの面白い表情をしているのでクククと笑い、わざと将臣の弁当に箸を伸ばす。

 

が、ガシッと手を掴まれて止められる。

 

「ふーん、惚れた女の手作り料理は渡さない……ってか?」

「いきなり何言ってんだよ!?」

「図星だな。隠しても無駄だ……が、黙ってるさ。安心しろ」

 

大声を出して動揺し切っている将臣に対して小声で反応しつつ、怪訝そうな廉には「からかっただけだ」と言っておく。

 

「ま、こんな具合だし、飯をもらおうとするのは諦めろ廉」

「将臣があんなに幸せそうな顔をしてるのは久しぶりだから、俺も食べてみたかったんだけどなァ」

「ダメだ。絶対に渡さないからな。何があっても」

「はいはい、わかりましたよー」

 

おちょぼ口をしている廉が可愛くない。小春ちゃんなら可愛いのに。男女の差とは不思議なものである。

しかし唐突に、真剣な表情に変わった将臣。はてさて何のことやらと思いながら眺めていると、こんな言葉が飛び出てきた。

 

「朝武さんのお見合いの話についてなんだけどさ、知ってるよな」

「そりゃ聞いたことぐらいは」

「……それを俺に言うかね」

 

身内にお見合い話が飛びかかった身としては困る話題だ。が、友人の恋の悩みだ。力になってやろうじゃないかと隠しつつ、話を聞き始めた。

 

「今まではどんな人が候補だったんだ? 巫女姫様ともなると、やっぱり大物か」

「お前な、いくら由緒正しい血筋とはいえ外に出ればただの神社の一人娘だぞ? そういうのは無い。それに、巫女姫様にも恋愛の自由はあるんだぞ」

 

廉の発言を聞きつつ、そういやそうだったなと忘れていた事実を再確認する。

 

ぶっちゃけると俺はあんまり知らない。玄さんとかの街の顔役がお見合いには一枚噛んでいるので、そっちに近い廉の方が詳しいだろう。

 

俺が詳しい……厳密に言えば稲上が詳しいのは、少し暗めのお見合い事情の処理だな。

 

過去にあったらしい、表には言えないそういうのが。

朝武とウチの本家筋──それなり以上の力を持っている家系が、あらゆる意味で無用なものが入らないように睨みを利かせている以上、基本的には無いんだが……利益欲しさに強行手段を取ろうとする奴だっていた。

 

そんな奴らを"処理"してきたのが忍びである常陸と、祟りの拡散を防ぐためにある稲上だ。

 

もっとも、朝武が肩書きを返上して以来、ここ百年程度は大した事も無かったと記録にあるし、せいぜいが写真を持参して本人に直接渡す程度で済んでるのは過去の歴史のおかげか、穂織を守る連中のおかげか。

それでも一応睨みは効かせねばと、要らぬお節介だが無いよかマシな感じで本家は穂織に味方している。

 

「……ま、廉の言う通りだ。それに穂織はイヌツキだなんだと白い目で見られてる。過度なしがらみを産む存在はこっちとしてもごめんだし、大物でも近寄ってくるのは利益目当てだ。そんなもんは本人に届く前に弾かれる。たまに直接写真を渡しにくるのもいるが、彼女に一蹴される。ウチの本家のような例外こそあれど、基本的にはごく普通の人が候補に選ばれる」

「本家って……馨の本家ってすごいところなのか?」

 

将臣はわかるのだが、廉にもそんな始めて聞いたぞみたいな反応されても困る。

 

「あれ? 言ってなかったっけ?」

「聞いてねぇぞ」

「そっかぁ……ま、端的に言うとウチの血筋は由緒正しい京都貴族の末裔でな。それなりの財力と干渉力があるのさ。穂織への干渉を止めるならこれは方法の一つって訳で、どうしようも無かった時用に来てたは来てた」

 

……まぁ、俺の存在が長らく続いていたその話を全部無かったことにしたのだが。

何せ狩るべき稲上から、狩られるべき魔に近しい存在が生まれるなど笑えない笑い話だろう。

 

「なるほどね。でも、どうしてそんな貴族様がこんな田舎に来たんだろうな? 確か五百年前に急にやって来たんだろ?」

「そんなもん本家の資料を漁ってくれとしか言えねえな。俺ら分家にゃ資料は全く無いし。もしかしたら程のいい厄介払いだったかもな」

「稲上さん家も大変なことで」

「本家も本家で最近苦労してるらしくてな……おっと、関係無い話か。悪いな二人とも」

 

本家の話を始めるとロクな話が出てこないのでさっさと打ち切ってしまう。特に金と土地の話はモメるからな……

 

将臣が何か納得のいったような雰囲気だが、まぁつまりそういうことなのだろう。稲上家の謎が一つ解けたみたいな感じで。

 

「あぁ、ごく普通の人が選ばれるっても、多少条件があってな。えーっと、なんだけか」

「街の顔役の親類縁者とかだよ。祖父ちゃんも関わってるんじゃないかな? なんだかんだ言って顔役の一人だし」

「廉太郎は無いな。でもそういう風に選ばれるってことか」

「ひでぇなこの野郎。事実だからって何でも言っていいってもんじゃねーからな。あ、でも馨にも話は来たんだっけ?」

「俺の従兄弟だよ。名前だけ上がった。あと例外と言えばお前だな将臣」

「叢雨丸を抜いたってだけで婚約者になれたってのは驚いたぜ?」

 

本当は色々と考えた末に──なんだが、事情を知らないこいつにはわからんだろうな。

事情……そこまで考えて、今朝のムラサメ様とのやり取りを思い出す。

事情を知っていれば、駒川や安晴さん、それに玄さんのように見えなくとも納得する……のか? でも祟りが消えた今、どうやってそれを信じさせる。叢雨丸を折った将臣の存在だけで、その理由足り得るか?

 

「馨?」

「いや考え事」

 

やはり答えが出てこない。他人を頼ろう。

しかし俺が悩む間に話がだいぶ進んでいたようで、付いていくのに少しの時間を要した。芳乃ちゃんレズ説とかいう噂があったとか初めて聞いたが、お見合いを片っ端から断り続けたから……とのことらしい。

 

「けれど、どうした? 急にそんなこと聞いてきて」

「いっ、いや別に? なんでもないからさ」

「なによその中途半端な態度」

 

もう隠すのは無理だと判断して俺から切り出してやった。

 

「廉、こいつ芳乃ちゃんに惚れてんだよ」

「ッッッ!?」

「なんだ、そんなことかよ。隠してるつもりだったんだなぁ、それで」

 

慌てて周りを見渡す将臣がおかしくって笑ってしまう。あれで隠しているつもりとは……腹芸が似合わない男だな。

 

「おおお、お前ら!? てか馨!?」

「安心しろ、この程度の声量なら喧騒に消える。それに誰も聞いてない」

「むしろ気付かれない方がおかしいレベルでわかりやすいんだよ。おわかり、ボクちゃん」

「うっせぇ! こちとらそんな余裕無かったんだよ!」

「じゃ、今は余裕生まれて持て余してるんだな」

「それは……まぁ、うん……」

 

なんというか、弱々しい。

自信が無い、というわけでもないだろうが。

 

「ま、ずっと同じクラスの俺たちですら所詮知り合い程度で壁を感じるし、昔からの付き合いの馨や常陸さんにも少し余所余所しい。その上二人とも一歩引いた感じだった……お前が来てからだぜ? あんないつぞやみたいに愉快な感じになったのは」

「だな。意外かもしれないが、俺はちょいとしたきっかけがあって二人とそんなに話してもいなかったんだ。するとしても事務的なことばかり。本当にお前の一件がきっかけでまたふざけ合えるくらいには戻ったよ。──ありがとう」

「よしてくれよ。俺は何もしてないんだし」

「変化になってくれた、それだけで十二分だ」

 

そんなこんなで弁当ももう少し。

結局いつも通り、一番早く食べ終わるのは俺だった。

 

「将臣、芳乃ちゃんが好きなら気持ちだけでも伝えろ。変に拗らせると面倒なことになる。それに、お前も彼女も生真面目だからな。真剣に言えば、真剣に考えてくれる」

「お、おう」

「んじゃ、俺はお先に。廉、アドバイスしてやれ。従兄が困ってんだぞ」

「ういうい。さて将臣、何が聞きたい?」

「え、えーっと……」

 

なるほど、これが青春かと思いながら二人から離れていく。

見てる分には微笑ましいが、しかし……これは、当事者になると面倒極まりなさそうだな。

 

……まったく、物好きな奴らだ。

 

嬉しいやら苦しいやら。

誰かに想いを向けられるのも、誰かに想いを向けるのも、どちらにしても何処かで傷が生まれる。

 

──実に面倒だ。

こんなものの、どこがいいんだ……?

俺に教えてくれよ茉子。それを望むお前なら、きっとその答えを──

 

恋とは、俺には度し難いものだと決着を付けてからしばらく経てば、もう学院も終わり。さて帰るかと荷物をまとめ始めたときに、比奈ねーちゃんが寄ってくる。

 

「稲上君、駒川先生から放課後保健室に来るようにと」

「……? わかりました。すぐ行きますよ」

「また何かしたの?」

「多分違うと思う。じゃ、また明日」

 

ヒラヒラとねーちゃんに手を振って、教室を出て保健室に向かう。一体どうしたというのだろうか。

というか、普段なら診療所にいる筈で、最近の事情も考えれば学院に来る筈など無いのだが。

 

「来たぜ駒川。俺だけ呼び出すなんてどうしたよ」

「例の件が片付いてしまってね。それの報告さ」

 

入って早々に薄暗い話題。

例の件──恐らくはレナの件か。となるとリヒテナウアーを洗い終わったってことでいいんだな。

 

「リヒテナウアー家のことか? いくらお前でもそう簡単に情報は……」

「出揃ってしまったんだよ。驚くほどに「何もない」……つまりは真っ白なんだ。資料を取り寄せるまでもなく、リヒテナウアーはこっちに関係が一切無い」

「マジか。ってなると祟りはリヒテナウアーじゃなくてレナに、しかもそのガワに用があったってことかよ? つくづく意味わかんねえ」

 

リヒテナウアーが白。

レナも白。

黒いのは祟りだけ。ますます謎は深まるばかりでお手上げだ。

 

「とにかく、リヒテナウアー家がそうじゃないなら八方塞がりだ。私だけじゃどうしようもない」

「悪りぃな、助かったわ。で、そんだけ?」

「それに関係してもう一つ。彼女、確か玄十郎さんのツテで来たんだよね?」

「なんかそうらしいな。噂程度には」

「だったら恐らく、志那都壮に宿泊記録が残っている筈だ。そっちを当たれば何か出てくるかもしれない。けどもしもっと昔なら──」

「なるほどな。デートがてら、当たってみるのも手か。サンキューな」

「デート?」

「あぁ、レナとするんだ。デートってか、なんだ。お礼も兼ねた街巡り」

「ふーん、そうかい。ま、私は構わないけど、存外妬心を抱きそうな子もいるよね」

 

妬心。

そこまで考えて、昨日の茉子とのやり取りを思い出す。あんな肩透かしに終わったのは初めてだし、というか……あれはどうしたらよかったのだろうか。

ニヤニヤしている駒川にもどう反応したものかと悩み、とりあえず差し障りの無い反応をすることにした。

 

「そーかい。もう邪魔だろ? 帰るぜ」

「月並みだが、気を付けて帰るんだぞ」

「比奈ねーちゃんでもあるまいし……じゃーね」

 

一足お先にと扉を開けて、目の前で待っていたであろう奴と目が合う。

窓から差し込む光を背にした彼女は、学生服だというのに神秘的だった。

 

「待ってたんだ」

「昨日の仕返しです」

「可愛い奴。なら俺は本音を言えばいいのか? 実はアレは初恋じゃなくて、憧れだったんじゃないかと思ってたんだって」

「へ……?」

 

間抜けな顔して間抜けな声を出した茉子がなんだかおかしくってケラケラと笑い出してしまう。

 

「な、なんで笑うの。人が真剣に悩んでたっていうのにっ」

 

ムスッとした顔でする抗議。学院だというのに素が出てくるほど彼女は本気で悩んでいたみたいだ。

 

「あははっ、いや、ごめん。そっか、お前真面目だもんな。言っただろ? 初恋かもしれない程度のものでしかないって。なにマジに受け止めてるんだよ」

「で、でもあんな言い方されたら意識しちゃうってば! もう一度会いたいとか綺麗な笑顔とか……とにかくそういうところが卑怯なの! 馨くんは!」

「あ、それは、その……」

「……まぁ、許してあげるけど」

「そーかい。なんかお前の女の子らしいところ、久しぶりに見た気がするよ」

「久しぶりって、確かにそうだけど。というか女の子らしいところって何? ワタシちゃんと女の子だよ」

「拗ねるなよ、そんなつもりは無かったんだ」

 

実際、女の子らしいところとは年相応の、と付く。今まではお互いに従者と始末屋として接していたところもある。

そういう意味で、こうしてどうでもいいことを話し合って、拗ねたりなんだりは本当に久しぶりだ。

プイとそっぽ向いた茉子の頭をわしゃわしゃと撫でると、彼女はくすぐったそうにしながらも「そんなので誤魔化せませんよ」と何時もの調子に戻っていた。

昨日構ってやれなかったし、ちゃんと向き合ってやらないとなァ。

 

「……? なんですか。急に手を差し出して」

 

だから、手を出して。

 

「ちょっとで悪いけど、デートしてもらえるかな? 俺の初恋かもしれない人」

 

なんて、からかってやったりするのだ。

 

「構いませんけど何処行くんですか」

「田心屋」

「奢りで」

「いいよ」

 

……どうやらダメージになってないようだ。

 

 

 

「なにがデートしてもらえるかなですか。あんな気色悪いセリフ言ってときめく女の子がいると思ってるんですか。今時あんなの漫画でも出てきませんよ。ワタシはあなたと付き合い長いですからね。他意は無いのはわかってますけど、普通は引かれますよ」

「ごめん」

「いいですか? 大体あんな言葉で女の子がその気になるわけないじゃないですか。もう少し普通に誘ってください。いちいちデートとか言わなくていいです。普通に何処かへ行かないくらいでいいんですよ。あれでキュンキュンする女の子がいれば相当なメルヘンです」

「うん」

「そもそも馨くんは女の子の扱いが下手くそですし、その手のイロハもわかってないでしょう。どうせ廉太郎さんから又聞きしたテクをうろ覚えで使っているだけですよね」

「はい」

「ダメですよそういうのは。ちゃんと女の子には真摯に対応しなくてはなりません。みんながワタシみたいに馨くんのへなちょこ態度に慣れているわけではないのですから」

 

着いて早々パフェと紅茶を注文し、来るまでの間はどう潰そうかと思っていたらこのザマである。

──ボロクソに言われている。

呆れ返った茉子は、さっきから一切そのジト目と不満気な表情を変えることなく俺を容赦無く罵倒している。

 

「更に言えばなんですか、憧れかもしれないって。あの時初恋かどうかを聞いたんですよワタシは」

「だって、考え直せばなんか恋とは違うかなーって」

「今考え直せばでしょう? 当時はどうなんですか。わかりませんけど」

「なぁ。さっきから黙ってりゃ、まるで自分を意識して欲しいみたいな発言ばっかってのはどういう意図なんだ?」

「……あ」

「あってなんだあって。レナと俺がデートするのがお前にとってそんなに大きな事かよ。俺とお前は半分姉弟みたいなもんだしさ、別になんともないだろ?」

 

唖然とする茉子に対して、何を今更と呆れながら問う。

そう……結局、何処まで行っても俺たちは姉弟のような幼馴染でしかない。だからこそ、異性として見るのは極めて難しい。所詮は踏み込み過ぎて家族にも等しい、あくまで仲の良い友人止まり。

お互いにお互いが特別になるなど、決してあり得ないのだ。

それに俺の血は呪われている。芳乃ちゃんじゃないが、誰かにこれを背負ってくれなどとは到底言えない。

 

「茉子?」

 

黙ってしまった茉子に呼びかけると、彼女はハッとしたように一瞬身体をビクッとさせると、慌てながら答えた。

 

「た、確かにそうなんですけど……なんだか、そんな弟みたいな馨くんがいつの間にかそんなのになっちゃって生意気だなぁって」

 

視線はフラつき、あたふたとした様子から伺える通り、何か隠しているに違いない。というか挙動不審だ。

 

「本音はどうなんだよ」

 

流石に毎回あんな反応をされては困る。知れるなら知っておきたい。俺の所為なら解決してやりたいし。

根負けしたのか、茉子はおずおずと、決して視線を合わせることは無く、小声で喋り始めた。

 

「……わかんないよ、本当は」

「わからないねぇ」

「だってワタシたち、姉弟みたいにいつも一緒じゃん。だから今更何か変化なんて想像できなくて、急にこんなことになって──どう考えたらいいのかな」

「どうってお前、どうせ変わんねえよ。それに俺の面倒くささは茉子もよく知るところだろ? どうせ最期までお前の弟分さ」

 

そう言い切ると、今度は視線を合わせて真面目な顔に変わった。さっきから忙しい奴だ。

 

「それはダメです。姉的存在として見過ごせません」

「本気でそうしようとしたら文句言うクセに」

「うっ……で、でもダメだからねっ。ちゃんと人並みに幸せとか恋とか色々求めること! 約束だよっ」

「……難しいなぁ。まぁ、善処はしてみるよ」

 

人並みの幸せってなんだろうさね。

俺は今まで通りの生活で十二分に満足なんだが。

 

と、困ってると注文の品が運ばれてくる。俺がプリンパフェ、茉子が抹茶パフェだ。

今日は甘いものが食べたい雰囲気なのでプリンパフェにしたが、うむ、甘くて美味い。

この前は確か……何食ったっけ? たまにフラッと寄って食べてくけど、意外と食べたものは覚えてない。まだメニュー全制覇はしてなかった筈だが。

 

と、そんな風にスプーンを動かしていると、物欲しげな視線を感じる。

 

「……食べたいの?」

「いえ、別に」

「ふーん」

 

茉子の態度は素っ気ないが、チラチラと視線が向かってくるのが露骨にわかる。あんまりにも鬱陶しいので食べる手を止め、スススッと前にいる茉子に向けてプリンパフェを押し進める。

 

「ちょっとやる」

 

そう言えばやけに驚いた表情でこっちを見る。

 

「食いたいんだろ?」

「平気ですよ」

「なら視線を向けるな鬱陶しい」

「うぐっ……仕方ないじゃないですか、美味しそうなんだし……」

「……わかった。ほれ」

 

もう焦れったいのでスプーンで一口取ってから、茉子にズイと突き出す。

 

「口開けろ」

「えっ、これ、あーんですよね?」

 

そんなわかりきった事を言ったから、また再びあたふたと慌て出す茉子。さっきと違うのは顔が赤いことくらいだろうか。

……というか、友人の家であーんやってるんだし、もっと恥ずかしいことをしてるんだから気にする必要も無いのでは? 公衆の面前とはいえ、人目に付きづらい位置。それにお前将臣と鮎の塩焼きで甘酸っぱいことしたとか聞いたぞ本人から。

ははぁん、まさか……

 

「恥ずかしいのか」

「当たり前ですっ」

「将臣とデートしたときと似たようなもんなのにかァ?」

「〜!? それいつの間に知ったんですか!」

「蛇の道は蛇だよ茉子。あーんなんて俺たち割とやってんだし、今更恥ずかしく思う必要は無いぞ。それに──」

 

……少し、本音を言い淀む。

これこそ誤解されないだろうか? いいや、茉子はきっと俺を理解しているから、そんなことはないだろう。

たまには素直になってみる、というのも悪くない。

不思議そうに小首を傾げている茉子を見つめ直し、本音を告げた。

 

「年相応に可愛いところを見せてくれるお前は好きだよ」

 

──すると。

 

「あ、あは〜……昨日の仕返しですね? ふふ、ワタシはそんな手には引っかかりまひぇんにょっ!」

 

顔を真っ赤にして動揺し、言葉を噛んでしまった。

……やはり台詞回しに問題有りだなぁ。そんなつもりはないんだけどなあ……

 

「噛んでるじゃん。昨日の仕返しって……あー、うん。あれね。うん。てかいいからほれ、食え」

「食べさせなくていいですからっ。自分で食べますっ」

 

スプーンを手に取り食べると、それはまぁ幸せそうに顔を惚けさせるが、しかしその数秒後には突如して再び顔を紅蓮に染める。

忙しい奴だなぁ、とまた思うのだが──なんで茉子が顔を真っ赤にしていたか俺も理解した。

 

「……馨くん」

「……言うな」

 

これ関節キスじゃねーかと。

今更何を、とは思うが俺下手したらあーんよかレベルの高いことを茉子に要求していたのかもしれない。

返されたスプーンを再びパフェに戻して食べ始める。

 

「忘れよう」

「はい」

 

無かったことにしなければ。

それこそ公衆の面前で何をしているやら、である。

 

その後話すことも無く、無言でパフェを食べていたが、唐突にケータイに電話が入る。

さて何事やら……と思って確認すると、意外な人物からの電話だった。

 

 

 

 

「悪りぃ、ちょっと電話出てくるから外にいる」

「あっ、はい。わかりました」

 

いそいそと席を立って店の外に向かう馨を見送った茉子は、本当に何をしていたんだろうか──と深くため息を吐いた。

 

初恋かと思ったらそうじゃないかもとか言われて。

でも年相応の面が好きとか言われて。

急に可愛いとか言われて。

どこまでも変わりないなんて言ってたりするけど、十分に変わってきているような気がして。

 

(……顔が熱い)

 

頬の熱がまだ冷めない。

相手は弟のような人なのに。本人も認めているのに。

どうして妬心のような、複雑な感情が渦巻いてしまったんだろうか──

 

「ふふ〜ん? 青春してるね、常陸さん」

「わっ!? ま、馬庭さん……びっくりさせないでくださいよ」

 

いつの間にか笑いながら、芦花がひょっこりと茉子に話しかける。

 

「馨と何やら甘酸っぱいことしてたみたいだけど、どうしたの急に? 何かあった?」

「まぁ……お互いによくわからない部分の擦り合わせをしていたら、自分でも更に知らないしわからないことがスルッと出てきた〜みたいな感じですかね」

 

茉子にしてみても、さっぱりわからないことばかりだ。そもそもなんで自分がここまで馨に執心しているかもわからない。

 

「二人は結構、不思議な関係性だよね。アタシ、馨から初めて話を聞いたときはびっくりしちゃった」

「あは、普通は想像付きませんよね。巫女姫の従者のワタシと馨くんが友達だなんて」

 

と言って、あぁそうかと理解した。

稲上はどこまで行っても稲上──元来の使命を知る者以外には、単なる変人貴族の末裔ということで終わっている。

幼少の頃から自分たちの存在意義を知っていた二人にしてみればその触れ合いは自然だが、周りの人間から見れば不自然極まりない。

 

武家だった朝武、それに従える常陸──そして何故か田舎の穂織に来た京都貴族の稲上。どう考えても組み合わせが悪い。武家に忍者に貴族とは……

しかし、稲上は魔物殺しに総てを捧げた一族だと判れば違和感が無い……が。

それでも何故、稲上が魔物殺しとなったのかわからない。

 

「しかし、馨もあんな顔するんだね」

「馬庭さんは、馨くんがこんな人だって知ってたんですか?」

「ううん、全然。廉太郎と小春ちゃんと遊んでいるときも、一歩引いた感じだったし。同い年の子たちと比べても……なんていうかな、歪な感じがちょっと」

「歪──」

 

困ったような表情で言う芦花の発言は、近くでずっと見てきた茉子からしても納得の行くものだ。

彼の境遇と心情、暴走する殺意と意志を無視して行動できてしまう現実。

 

年相応の経験よりも先に、年不相応の絶望を見た子供。

 

そして、必要とあらば友人を殺さねばならないという使命。

 

あれで歪にならない方が不自然だ。

 

「そんなにわかりやすいんですかね」

「わかりやすかったよ? 流石に同年代の子たちの中にいれば目立つっていうか。今だと……昔に比べてだいぶ落ち着いたかな。年相応の顔は、たまにしか見えないけど。アタシが初めて馨と会ったときは、一番ギラギラしてた頃なんじゃないかなぁ」

 

芦花が馨を初めて見たとき。

──それが本当に子供なのかと恐怖心すら抱いた。

 

生きているのか死んでいるのかわからない雰囲気、腐って澱んで黒く濁った目、ゆらゆらとした立ち振る舞い、どこか破滅的な発言、笑っていない笑顔、機械的にジッと観察するような視線──

生き物としても相容れない、恐ろしいもの。

 

「ただ少しすると、急に落ち着いてほんの少しだけマシになったんだけどね」

「……」

 

マシになった──入水自殺未遂だとすぐに察せた。しかし離れていた時期があったとはいえ、全然知らない事実がポロポロと浮かび上がってくる。

 

「やっぱりワタシ、全然知らないなぁ……友達なのに」

「お姉ちゃん代わりとして嫉妬?」

「急にレナさんとデートするとか言い出して何マセちゃったのかなぁと」

「……あれ? 常陸さん知らないの? 馨って廉太郎と一緒にナンパするくらいには軽いんだよ」

「なぁっ!? おかしいと思ったらそういうことですか! 又聞きどころじゃなくてそういう風に口説いてたんですか! 本当にロクでなし! ワタシをチョロい女か何かと勘違いしてるんじゃないのかなあのバカ!」

 

芦花から明かされた真実に、茉子は驚きのあまりこの場にいないバカを罵倒した。

昔からロクでもない男だし、甘えてきたりと色々と思うところはあったが。

いや何故そうなったと茉子は声を大にして言いたい。ナンパしてたとか全然知らなかった。

 

馨がナンパ? 全然似合わない。似合うはずもない。決して似合っていない。そもそもあんなヘタレ男がナンパなどできる筈がない。どうせむしろ女の子に変な男と思われて終わりだろう。

 

が、しかし──

 

「常陸さんって、馨のことになると色んな顔するんだね。なんだか意外」

 

そんなことを言われて、そういうものなのか? と疑問を抱く。

 

「そうですか? 自分ではわからないものでして」

 

自然体で接している以上、仕方ないとは思うのだが。

 

「うん、本当に楽しそうで見てるこっちも楽しくなってくるくらいには」

 

などと笑顔で言われてしまえば、そういうものかと納得してしまうものだろう。

 

「常陸さんはさ、馨のことをどう思ってるの?」

「どうなんでしょうね。どこまで行っても姉弟みたいな関係で終わりそうな気もしますけど」

「漫画のヒロインみたいなこと言っちゃって〜」

「あは、ヒロインじゃありませんよワタシは」

 

さてはて、そこは茉子にもわからない。

そんな風にしていると、渦中の男が戻ってくる。

 

「あーびっくりしたー……ん、芦花さん? どしたの?」

「馨が留守にしてたから、常陸さんと話をね」

「へー、珍しい組み合わせだね。何、俺の陰口?」

「陰口というよりも……意外な一面? ほら、馨って今と昔じゃだいぶ雰囲気違うじゃない」

「昔の話は勘弁してくれ。面白いわけでもないでしょ」

「え〜? いつだかおんぶしてあげた時にねーちゃん呼びしてくれた話題とかあるのに?」

「やめてよぉ!? 比奈ねーちゃんもそうだけどどうしてそういうトコばっか覚えてんだよぉ……」

 

ニヤニヤと笑う芦花と弱った様子でガックリと項垂れる馨を見て、つい笑ってしまう。そんな茉子を見て、片方は微笑み、片方は更にヘコむ。

 

「さて、じゃアタシはお仕事に戻るから」

「あぁ、うん。あとあれだ、この前また食器見っけたから休みの日持ってくよ」

「りょーかーい」

 

仕事に戻る芦花に田舎特有の狭い話を振りつつ、馨は茉子の対面に座る。

 

「悪りぃな、親父から色々とね」

「千景さんから? 珍しいですね」

「ま、安晴さんから色々報告されてたみたいだし、仕事も落ち着いたみたいでさ。まだいくつか残ってるし、それに本家でまたなんかあったみたいで……その火消しだってさ」

 

やれやれと面倒くさそうにため息を吐く馨の様子から、相変わらず本家と分家で色々あってどちらも大変なのだなと察する。

 

「ま、シケた話はどうでもいい。親父もお袋も、まだ帰ってこれないってことさ。ついでに計画書だなんだとか……家帰ってやること増えちった」

 

プリンパフェを食べながら、おーおーやだやだと言いながらも満更では無さげな雰囲気。

相変わらず素直じゃないなと思いながら、同じように食べる。

 

そんな風に一通り過ごして、田心屋を後にする。もちろん代金は馨持ち。やっぱり払うと言った茉子に対して、二言は無いとゴリ押しした。

 

「少しは機嫌直ったか?」

「機嫌というか、単にモヤモヤしていただけですよ」

「お前が急にってなったら、まぁ知ってる側としては納得するだろうけど、それはそれとしてモヤつくだろうしな」

 

なんてことの無い理由だったのだとやっと分かって、あぁなんだと納得する。急な展開に驚いただけで、他は大したものではなかったのだ。

──もっと探せば他に何かあるのかもしれないが、茉子は敢えて考えないようにした。考えてはならないと、彼女自身が戒めた。

 

「あ、そうだ。ワタシ、色々考えて宴会というかそんな感じのお祝いをしたいなぁと思ったんです」

「何の?」

「ひと段落ついておめでとう……みたいな?」

「あー、そうか。宴会か。いいなそれ、伝えてみたらどうだ? 俺はちょいやることあるから場合によっちゃ出れないかもだけど」

 

馨はそう言いながら、ふと何かを思い出したかのように──

 

「あ、そうだ。可愛いとか好きとか本音だから。おべっかじゃないぜ」

「主語を付けてよっ!? それだと告白みたいじゃん!」

「本音を言うんだから告白では?」

「まぁそうだけど、そうなんだけど……」

 

そういう反応が欲しかった訳ではない。しかしこのすっとこどっこいのロクでなしは中途半端に真面目だからこういう反応をするのが当然──

 

実に、乙女心とは複雑である。

 

「……というか、馨くんナンパしてたんだって? 芦花さんから聞いたよ。ワタシの知らないところで何してたの」

「あ? それ? 物の試しにってやってみただけだ」

「それで鍛えたテクでワタシにコナかけてたんだ。ふーん……」

「あいって!? やめろ肘を入れるな勘弁して!」

 

しかしその辺の女の子と一緒くたにされていたというのは、茉子としては見過ごせないことだった。

 



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無銘

「……お、終わった……」

 

柄にもなく早起きして、昨日親父から送られてきた計画書のコピーを取り、それに不備が無いかを確認していた。

 

計画書は何かというと、シンプルに叢雨丸のレプリカ作成だ。もちろん、ただの刀でしかないので、折れないように計算すると──など、だいぶ無茶な数字や人数制限をより厳しくするとかそういうことになっている。

ついでに言えば土台となる岩ごと作るため、とんでもない予算とかがあってまぁ……不備が許されないわけだ。

 

まだ計画段階だし、あくまで一つの案として……程度でしかないが、これも重要なこと。

叢雨丸のイベントが無くなった穂織は大丈夫なのか? という心配から始まり色々と計算した結果、近いうちに財政難になる可能性が非常に高く、楽観視ができない。よって代わりとなるものを……というのがことのあらましだ。

 

「さて、とりあえず持ってくか」

 

虚絶まで引っ張り出して確認したのだ、決して不備は無い……と思いたい。というかそうなると俺の二時間が無駄になる。

書類を茶封筒に入れて、鞄にしまい込む。とっとと安晴さんに渡さねば。

 

眠たい身体に鞭を打つようにひたすらに歩く。歩いて歩いて歩き続ける。いつも通り朝武家に向かうだけなのだが、二時間も慣れないことやっていた所為か、なんだかシンドい。

 

──精神状態の影響を受けやすい肉体故、致し方あるまい──

 

……とは接続しているご先祖様の談だが、そんなこと言われてもとは思う。疲れるものは疲れるし、漲るものは漲る。

人間である以上はそこに帰結してしまう。いや、人間とは言い難いか。

 

人間でありたいんだけどな──

 

欠伸をしながら歩き、そして辿り着く。ここ最近頻繁に訪れている所為か、茉子じゃないが、だいぶ俺も毒されていたらしい。呼び鈴を鳴らすことなく入ろうとしてしまった。

 

「……いけね」

 

すんでのところで踏み止まり、呼び鈴を鳴らす。しばらくすると出てきたのは──

 

「よ」

「珍しいな馨。まだ家でグータラしてる頃なのに」

「ちょいと仕事があってね。上がるぞ」

 

将臣だったが問題は無い。

鞄から茶封筒を取り出して朝武家に上がる。居間に向かって開口一番。

 

「ちゃろー」

 

うわ、なんかみんな微妙な顔をしてる。そんなに酷いかなこれ……割と気に入ってるのに。

 

「まぁいいや。どうもです、安晴さん」

「どうしたんだい? その茶封筒」

「親父殿から、とだけ。アレですアレ」

「あぁ、アレね。わかった。あとで見ておくよ」

「一応忘れない内にと。あとすみませんでした」

「いいって、気にしないでよ」

「お言葉に甘えさせていただきます」

 

さて、やるべきことも終わってしまったし、今日は一足早く学院に行っているか……とか思っていたのだが。

 

「は? 風邪?」

『はい、芳乃様が』

 

いつまで経っても御一行様が来ないし、朝のHRで今日は休みだと比奈ねーちゃんから伝えられたしで割と困惑してしまい、どうせ暇しているであろう茉子に電話をかけたら芳乃ちゃんが風邪を引いたということだった。

 

「何かそんなに疲れるようなことあったっけ? 最近」

『ほとんど完徹状態だったみたいですけど、何があったんでしょうかね。今朝からやけに有地さんとよそよそしいというか』

「あー……うん、だいたい分かった。だからアレだ、お前もそっとしておいてやれ」

『……? まぁ、わかりました』

「じゃまた。茉子、頑張れよ」

『はい?』

 

ゲロ甘な渦中に身を置く茉子が哀れでならない。強く生きろ……とか思ったが考えてみればあいつそういうのからかうの好きだったから問題無いな。心配して損をした。

むしろ恋をしたいのなら良いモデルケースが手に入ったのでは? 俺は訝しんだ。

 

「……さぁて、どーしたもんかな」

 

休み時間もほとんど終わりだ。

見知った奴らしかいないが、気楽に接せるのが廉かレナしかいない。その廉とレナにしたって、他の奴らともよくつるむ。俺だけには構ってはくれない。

 

──意外と寂しい。

 

将臣もいない、ムラサメ様もいない、芳乃ちゃんもいない……それに茉子もいない。

いるはずなのに、いない。

疎外感よりも先に寂しさが来る。昨日茉子も言ってたが、姉弟みたいにいつも一緒──それに俺の、憧れの人がずっと側にいてくれた……だっていうのに、何故俺はずっと忘れていたのだろうか。

 

「……」

 

自分自身が、愚かしくて仕方ない。

本当はありがとうとか、俺はお前に救われたんだとか、色々言いたいのに──実に今更だ。

 

次の授業の支度しながら、あの日の笑顔を思い返す。あの綺麗な笑顔は茉子だった──茉子こそが、俺の始まりだった。

 

何も無かった俺に、火を灯してくれた恩人……

 

「──茉子」

 

小さく彼女の名を呟く。

我ながら実に狂っている、壊れている。

彼女が従えるべき巫女姫よりも、俺を優先して欲しいと思うなんて。いいや……優先して欲しいんじゃない。

 

──いつも通りに、ただ側にいて欲しいんだ。

 

本当にそれだけでいい。

 

いつか彼女が恋を実らせる、その時まで。

だけど彼女の弟分であるのは、最期まできっと。

 

 

 

 

「カオルー、一緒にご飯食べましょうっ」

「俺と食べても面白くねえだろ」

「わたしが面白いからいいのです」

「そーかい」

 

レナが俺の隣に座って、弁当を広げる。

 

「物好きな奴だな、お前も」

 

微笑むレナに、どうしたらいいものかと適当な言葉を投げるしかできない。弁当を広げながら、ふと思い立ってジッとレナを見つめる。

 

……何かが、違う気がする。

祟りがガワに用がある──とは知っていたが、実のところ具体的に何のためにとはわからなかった。祟りの始まりは犬神ならば……

 

「カオル?」

「悪い悪い、見惚れてた」

「またそういうことを言って」

 

あまりにもジッと見てたものだから、小首を傾げられてしまう。それっぽいことを言って煙に巻こうとしたら、察したような視線を向けられてしまった。

レナはこちら側だし、まぁ別に構わないんだけど……

 

「あ、デートの話なんですけど、今度の土曜日に休みをもらいまして。そこでならできますよ」

「ん。わかった。そんな感じで。待ち合わせは……学院手前の坂にしようか」

「了解であります」

「……なぁ、レナ。お前割と言葉遣い固くない?」

 

弁当をつつきながら、不意にそんなことを言ってみた。「であります」とか割とその、比較的妙に固い印象を受けていたから気になっただけなのだが。

 

「? そうでありますか? 今のでも固いのですか……」

「いや俺の印象ってだけだ。ごめん、やっぱなんでもない。けったいなことを言ったわ」

「ケッタイ?」

「あっ、ごめん。方言出た」

 

たまーに、本当にたまーに方言が飛び出る。親戚に会いに行っても基本京都言葉だし、俺も影響されたのだろう。しかし、俺の作る料理は相変わらず雑な味だこと。見てくれだけはいいんだがなぁ……

話題にも困ったので、昨日の話を振ってみる。

 

「昨日、茉子とパフェ食べに行ったんだ」

「おぉー、それは楽しそうですね」

「誘い文句はボロクソに貶されたけどな。あいつ、ホント容赦無くこっちを罵倒しやがって……しかもなんだ、俺がナンパしてたっていいじゃねえかよ。肘入れるほどか」

「ふふふっ、マコとカオルは本当に仲良しですね」

「そりゃ姉弟みたいなものだし。ガキの頃からずっと一緒だ」

 

……しかし、たった一日会えないだけでどうしてこんなにも苦しいのか。

将臣の甘さが移ったのだろうか。いつぞや虚絶が言っていたが、俺も覚悟が鈍くなったもんだ。

ふと弁当に目を落としてみると、最後の一口だけになっていた。対してレナは半分ほどで、あいも変わらず早い自分に微妙な感想しか浮かばない。

 

「……ありゃ、早かったな。これじゃ話し相手くらいにしかなれないや。俺だけ喋ってもあれだし、レナはなんか面白いことあったか?」

「んー、わたしはですねぇ──」

 

そんな風にレナの話を聞いて、それなりに楽しかった。

ただ昼食も終われば、また寂しさが飛来する。

 

──恋煩いか?──

 

続く授業の中で、珍しい奴が茶化してくる。無論、そんな筈がない。いやあり得ない。俺が恋などする筈も無ければ、していい筈が無い。

 

──難儀な──

 

よりにもよって、そんな螺旋に落としたお前が俺に言うかと嫌悪感を感じながら、ノートを取り続ける。

しかしふと気になって、奴の素体となったご先祖様は如何にして男に惹かれたのかを考えてみた。

 

……当然だが、俺は虚絶を知っていてもご先祖様については何も知らない。名前くらいだ。更に言えば、この刀が如何にして呪物となったかは、理由は知っていても経緯は知らない。

 

稲上は魔物殺しの一族……なんて聞こえのいい肩書きだが、結局はどこまで行っても人殺しを是としてきた一族でしかない。確かに魔物と呼ばれるものを狩って来たのだろうが、数だけで言えば人間を殺した方が多い。

 

戦いを是とする訳ではない。

殺しを是とする歪んだ血筋。

 

貴族がどうしてそこまで変わり果てたのかはわからない。資料も無ければこいつも語ろうとしない。

だから俺が知っているのは、常に殺しと共に在ったということだけ。

 

──過去を知りたいか──

 

知ったところで何になる。

答えは何一つ変わらない。

 

──虚を絶つ、故に虚絶。そう呼んだのは外部だ。我ら一族にとって、この刀は単にけったいな物もまとめて斬れる、良質な無銘の刀に過ぎぬ──

 

……なんだって?

虚絶が不意に語り出した真実に、心が揺さぶられる。

 

──無銘は苦痛と共に生まれ出た。美しい刀を打つ刀工に、意図して殺人のみを突き詰めた剛刀を要求した。それこそが始まりだ──

 

殺人のみを突き詰めた刀など、それのなんと異端児たるや。

千年前であろうが、刀とは基本的に美術品の側面も持ち合わせている。武器としての刀、美術品としての刀……どちらに比重を置くかは打つ者次第だ。親父は今の時代に合わせて美術品としての面を重んじるが実用品を打っていた方が気が楽だ、なんて言ってたっけ。

 

だが剛刀とは同田貫の類。しかも本拠は九州だ。いくら大元の延寿派の始まりが京都にいたとはいえ、狙って見つけられるものでもあるまい。

時代背景的に考えても、京都貴族の伊奈神が気楽に行けるものではないし、その頃は普通の貴族である以上、本来なら無縁である筈だ。

だというのに剛刀を打たせた。しかも殺人のみを突き詰めた一振りを。

 

──飾りも遊びも皆無、ただひたすらに質素。あの時代として見ても馬上太刀に匹敵する二尺八寸の長物。しかし反りは浅く、全て含めれば三尺以上にも届く。武家はともかく、普通の何もしない貴族ならば無縁……貴様の言う通りだ──

 

打刀の叢雨丸と比較しても、虚絶は確かに長い上に装飾は一切施されていない。ガキの頃から触れていた所為で感覚が麻痺していたが、太刀とも打刀ともつかぬ、刀としてあからさまに異端児である。

一体何のために? わざわざ美しい刀を打つ刀工に無骨な剛刀を打たせたんだ。意図がわからない。無理難題どころの騒ぎじゃない。もはや嫌がらせの類だ。

 

──それはな、端末……いや、馨よ。これを要求した者が、他者の苦痛を是としこれによって生を実感する破綻者であったからだ──

 

その発言に驚愕し、シャーペンが落ちた。

他者の苦痛によって生を実感する破綻者が、美しい刀を打つ刀工に対して求めた苦痛。誇りや矜持を無視して、意図して専門外の事を要求し強要する──打った側はどれほどの苦痛と苦悩を強いられたものか、想像もつかない。

 

──打った者は、破綻者の常軌を逸脱した要求と脅迫により銘も刻みたくない、その刀すら見たくないと忌避した。やがて心を擦り減らし切って生まれた一振りが、人が虚絶と呼んだ刀だ──

 

矜持と誇りある製造者の息子として、これが如何に惨たらしいことか、多少ではあるが理解できる。やりたくないことを強要され、なおかつ異端児を作れと強いられればそうもなろう。

先生に差されたので適当に答えつつ、虚絶の言葉を待つ。

 

──破綻者は求めた、更なる苦痛を。踏み躙り、殺し、奪い、喰らい……その最果てに、復讐鬼と化した"私"に討たれた。その刀を奪い、魔物と呼ぶに相応しい人間を討つべく、貴族だった伊奈神は人殺しを是とする殺し屋となった──

 

呪物と化すだけの土台がありながら、堕天するまで命を喰らい啜った妖刀……叢雨丸のような美しい伝説もなければ、苦痛より生まれ出て、他者に苦痛を与え、そして苦痛を殺す為の苦痛となった人の業。

なんと悍ましい刀か。なんと虚しい真実なのか。

 

──実際、魔物と呼ばれるものも殺したとも。祟り神の類との殺し合いも征した。だがやはり、その刃が求める敵は人だった。あまりにも永き刻の中で、魔が宿る憑代として完成し、悪を以って悪を征する妖刀へと至った──

 

……だが何故、伊奈神京香はこの刀に宿ったのか。この刀の本来の持ち主である破綻者とは何者なのか。そして、虚絶の統括者たる『虚絶』とは何者なのか。

それに関しては一切答えなかった。

 

──そして放課後。帰宅してやったことは家に置いてある虚絶を引っ張り出して、柄を外して茎を見ることだった。

 

無骨な刀剣に銘は確かに刻まれておらず、故に虚絶というその名さえも、誰かが呼んだだけという名も無き刀──ではなかった。

 

「……なんだこれ……?」

 

聞いていた話と違う。自然と疑惑の声が漏れて、表情も怪訝なものに変わり果てる。

とても掠れていてよくわからないが、茎には何かが書いてあった跡があった。

 

銘は確かに刻まれてはいない。

無銘であるのは間違いない。

 

だが何かが書かれていたのだ。

無銘の刀に、何かが──



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時間

今自分が見ているものが夢だと理解しているのは、奇妙な浮遊感があるからではない。

 

それは夢だと確信しているからだ。

……理由も無く。

 

モノクロの視界。

俯瞰視点で見てるような感覚。

 

その光景は惨劇そのものだった。

村だったのだろうか? それらしき場所に無残に事切れた亡骸が無数に転がっている。老若男女の区別無く、悍ましいほど平等に。

 

そして動く影が二つ。

刀を持った黒衣の人物と、血塗れの誰かだ。

やがて黒衣の人物が刀を突き立て、また一つ骸が増える。生者はそいつを除いて皆死んだ。

 

「あぁ──そうだ」

 

不意に。

黒衣の人物が呟く。

 

「そういう表情こそ、生きてるってものだ」

 

その視線が、何故か俺の方へ向き。

 

「なぁ? お前もそう思うだろ」

 

明確にこっちを認識して、そいつが言った。

──()()()()()()()()()()

確実に俺を認識していた。あり得ないとか夢じゃないのかよりも先に、そいつを認識した時にまず感じたのは恐怖だった。

 

いてはいけない。あれは俺と同じで時代には不要なものだ。だというのにあれを見るだけで背筋が凍り、吐き気を催し、本能的恐怖を呼び覚まされる。あれは人である筈なのに、人ではない。人の形をしながらその中身は極めて異質な、それこそ宇宙悪夢的な代物。天啓にも似て、だが決して理解できないもの。

 

俺と同じで時代には不要なものだが、あれと俺は同じではない。

 

あれは──

 

そこまで思考して、その人物が迫っていたことに気が付く。

黒衣──それは真っ黒な和服。貴族的な意匠を備えながら、しかし実用的な印象を与えるもの。

女性としては結構な長身であり、だが酷い猫背がそれを打ち消している。

 

何処か見覚えのある顔立ちに、何処か見覚えのある髪型。色白の素肌はまるで闇から浮き上がるかのよう。

その瞳は腐って澱んで黒く濁ったもので、右手に持った質素な刀に一切の穢れが無いのとは対照的である。

 

「……なんだ、お前」

 

その女は空虚な雰囲気を漂わせながら、失望したように。

 

「案外、まともなんだな──」

 

だが楽しげに、俺を嗤った。

 

途端、世界が暗転し場面が変わる。それを俺は知っている。いつぞや見た、朽ち果てた屋敷だ。

そしてやはりいる。あの見知らぬ女が。

 

「過去っていうのは消えないの。私のように。あるいは、彼女のように」

 

女は心底から吐き捨てるように、その表情を歪める。

 

「そう。私がここにいても、先客である彼女もまたここにいる。虚を絶つ由縁は、そこにあるんだからね」

 

言い切った後、女はその端正な顔を微笑みへと戻して俺に向かって言った。

 

「あなたは確かに、彼女と同質。それでも稲上馨という人間はただ一人。忘れないで、何処まで行っても人は人のままってことを──」

 

 

 

「……っ!?」

 

勢いよく身体を起こす。

見回しても、見慣れた自室の光景。どうやら夢は醒めたらしい。

 

「……あの女は、一体……」

 

思い出すだけで恐怖を掻き立てられる、あの黒衣の女。あれは果たして何者なのか……

寝汗も酷くて気持ち悪い。とっととシャワーを浴びよう。

 

そうして汗を流してさっぱりしてから時間を確認する。まぁ、普段通りの時間だ。いつもはギリギリまでグータラして、遅刻寸前を狙って行くものなのだが、今日はそういう気分じゃない。とっとと弁当を用意して、飯食って行こう。それでまた、あいつらに進展があったのかとからかってやるんだ。

 

……だって、昨日割と寂しかったし……

 

そんな折、ケータイにメールがすっ飛んでくる。果たして誰かと思えば茉子。

……あいつがメールなんて珍しい。何があったのやらと思って開いてみれば──

 

どうやら、将臣と芳乃ちゃんが正式な婚約者となったというか……付き合い始めたらしい。

早いなあいつら!? 昨日風邪とか言ってたけど実は嘘なんじゃないか!? 別に構わないけどつまりなんだ。あいつ惚れた女が風邪で弱ったから自分も休んだのか。健気だねぇ。

 

さて、根掘り葉掘り聞かんとな。

夢のことなど忘れて、俺は楽しげに学院に向かうのだった。

 

 

 

「なぁにこれぇ」

 

昨日ぶりに割と早めの登校だったが、教室入って開口一番こんなことを言う俺を許して欲しい。

黒板の前に用意された席に、将臣と芳乃ちゃんが座っている。まるで記者会見のようだ。その前にズラッと並んでカメラとかケータイとかを向けているクラスメイトたち。

シャッター音とか聴こえてくるし、どっからどう見ても記者会見である。田舎とはいえ情報の巡りが早すぎないか?

 

「あら、早いですね。ワタシもっと遅れるものかと思ってましたよ馨くん」

「おはよ……いや、まぁ、ヘンな夢見たとか色々あるんだけど……これどういうことなの?」

 

ヒョイと隣に近づいてきた茉子と軽く挨拶しつつ、この状況は果たしてなんなのかと訊ねる。まったくもって理解が追い付かないこの現実は、一体何がどうなって生まれ出たのか。

 

「芳乃様と有地さんが正式に婚約者となったのが嬉しい安晴様がものすごい勢いで色々な方面に知らせたみたいで、その真偽確認兼質疑応答の記者会見みたいな感じですね」

「それでいいのか安晴さん」

「それでいいんだと思いますよ」

「……はーぁ、なーんか疲れたわ」

 

プロポーズの話とかを質問されてノリノリで答えている将臣を見ながら、元気だなぁとか思う。

が、しかし──

 

「どうしたんですか? 今日はやけにワタシとの距離が近いですねぇ。あ、もしかして昨日寂しかったんですか? あは」

 

意識などしていなかったが、茉子と会えて嬉しいのかだいぶ距離が近かった。ニヤニヤとした表情で楽しげな視線を向けてくる茉子が、こっちの顔を覗き込んでくる。

ここでツンデレ的反応をすると多分また面倒な感じになるので、また素直に反応してやろうじゃないか。

意を決して茉子に、本音を告げた。

 

「あぁ。寂しかった」

「そ……そう、ですか」

 

が、どうやら受けが悪かったようで。

茉子はどこかぎこちなく、ただそうとだけ返した。なんとも言えない表情から、失敗したと一瞬で悟り、とりあえず反応を伺うことにした。

 

「引いてる?」

「驚いただけですっ。ま、馨くんは甘えん坊ですからそんなことだろうと思ってましたよ」

「以心伝心で何よりだ。──で、なんか寄りかかってない?」

「朝から砂糖たっぷりだからワタシも疲れました。少し寄りかからせてください」

「いいよ」

「ありがと」

 

肩に寄りかかってきた茉子が快適なように、適当に調整してやる。だが悲しいかな、普通に立ったままでは辛いので、二人で壁を背に寄り添うような体勢となっている。

……正直、すごく安心する。妙な話といえば妙な話なのだが。

 

「ん、満足しました」

「そ、よかった」

 

ニコニコしながら離れていく茉子に、少し名残惜しさを感じながら、まぁ仕方ないかと甘んじて受け入れる。

それと同時に将臣と芳乃ちゃんへの事情説明が終わり、会見が再開されていた。となれば──

 

「さて、遊ぶか」

「ですね、遊びますか」

 

俺たちは言葉少なく決意した。

遊ばねば……将臣と芳乃ちゃんで。人混みの後ろの方に陣取り、質問があるので挙手をする。

 

「はい、そこの方ー」

 

廉、お前だったのか、司会。

親友よお前は何をしてるんだと思いながらもヒョイと顔を出して二人に聞いた。

 

「お二人は昨日休みましたよね」

「はい」

「俺は茉子から風邪とお聞きしていたのですが。小野の質問に対する、二日前から付き合い始めたという言葉から考えるにヤってたしかできないので、実際昨日ナニをしていたのかが知りたいでーす。あは。というか普通に考えて茉子がいるんだからお前休む必要ねぇよなあ将臣ィ……!」

 

どよめくギャラリー。固まる二人。

俺の言わんとすることを理解した将臣が顔を真っ赤にした芳乃ちゃんの代わりに抗議してくる。

 

「テメェ馨何言ってんだァッ!?」

「るせぇ答えろやこの幸せ者め! 割と寂しかったぞ! 恋人が風邪だから休みますなんて健気じゃねーかよ!」

「男に言われても嬉しくない! 単にプリン作って風邪引いた朝武さんに食べさせてあげただけだって!」

「あはっ、やーらしーィ! お前隠語かオラァ!? さてはしっぽりか? しっぽり褥の温もりを感じてたんだろ! 俺は頭脳指数が高いからわかるんだぞ!」

「褥の温もり……?」

「朝武さんはわからなくていいから! 本当に何もしてないって!」

「手ェ出してねぇのかよ甲斐性無し! キスの一つや二つする暇あっただろうが! どーせ二人きりになるタイミングとかあっただろ!」

「キキキキスなんてできるわけないじゃないですか!? まだ抱き締めてもらっただけですっ!」

「朝武さん落ち着いてっ!」

 

あ、芳乃ちゃんが自爆した。

 

「……馨お前色々質問しすぎるからもうダメな」

 

そこで落ち着きを取り戻したので、廉が待ったをかけてくる。抗議の視線を向けながら反応した。

 

「なんでだよ廉」

「つーかうるせぇ。お前ら喧嘩すんなよ。そんな不満気な視線見せても……あーあーわかったわかった。これでラストな」

「へいへい。んじゃ、新郎の将臣君に質問。──抱き締めたとき、芳乃ちゃんから良い匂いした?」

「しました」

「有地さん!?」

「おー、やーらしー」

 

またギャラリーがどよめいて、フラッシュ音がパシャパシャと鳴る。俺には無用の長物だが、しかし……スマホいいなぁ。買い換えたいなぁ。無用の長物だけど。

そんな光景を見ていると、それなりに年相応の感情が沸くというもの。

 

「ぐぇっ」

「やらしいのは馨くんです」

 

しかし、そんな感慨は一瞬で破壊された。後ろからよく知る誰かが容赦無く首根っこをキメやがった。とても柔らかな感触と良い匂いが役得だがそうも言ってられない。

 

「まっ、茉子……ォ! ギ、ギブギブ……! 締まって……あと当たってる……っ」

「というわけでワタシから質問です。ズバリ、お二人は今後ご一緒の部屋で過ごすのですか?」

「まっ、まままま茉子まで何を言ってるの!?」

「申し訳ありません。ですがつい気になって……あは」

「〜ッ! 〜ッ!」

「しまった、馨くんとの身長差だとだいぶ締めちゃうんだった。ごめんなさい、大丈夫ですか?」

 

やっと解放されて、ゲホゲホと咳き込みながら酸素を求める。なんのかんの言って、頑丈でも苦しいものは苦しい。あとでなんか仕返ししてやる……!

 

「せめて羽交い締めにしろよお前……」

「つい反射的に……」

「ま、いいけどさ」

 

忍びとして鍛えられたら咄嗟に出てくるというのは自然なこと。それを責めるつもりは毛頭無い。俺とて意識をしなければ出てくるのが殺人技巧でも不思議では無い。

 

「それで、どうなんですか?」

「んー……まだ早いんじゃないかなと思います、はい」

「そうですね、まだ付き合い始めたばかりですし」

 

「ちぇー」とか茉子が言っているがお前どんな想像してたんだよ……

この後も質問はしばらく続き、かなりカオスな展開となった。童貞なのかどうかとかすっ飛んでいたが、お前たちにもう少しアレは無いのかと思った。うん。

果ては先生まで乱入してあれこれと話がややこしくなり、結局は比奈ねーちゃんが邪魔っけな連中(語弊があるが……)を追い出して会見を強制中断させ、事態を収束させた。

ねーちゃんは穂織に住んでいるが、出身ではないので、その辺りの意識が他とは違う。彼女からしてみれば、巫女姫はローカルアイドル的存在ではないのだろう。

いや全く、いつも頼もしい限りだ。

 

 

さて、今日も今日とて授業が始まり、俺は適当な態度でテキトーに授業を受ける。

……普通であれば、と付くが。

 

今日の異常といえば、それこそお付き合いを始めた二人しかないが、ここで常人には関係の無い話を忘れてはいないだろうか。

 

(カオル。ムラサメちゃん……ですよね? 覗いているのは)

(……だろーなァ)

 

席の近いレナが困ったように小声で尋ねてきたので、実際確認した上で返事をする。ムラサメ様が見える人間は全員気付いているが、件の二人はだいぶ幸せ気分が抜け切らないのか割とボーッとしてたりする。

……まったく羨ましい。視線を感じると集中できなくて困るのだ。

 

(……親心かな。ムラサメ様、かなり面倒見がいいから、ちょくちょく学院に来てたんだけど。ここまで露骨なのは初めてだ)

(とても可愛らしいのですが……少々気になります故、控えてもらいたいものですね)

 

ふむ……まぁ、確かにそうだな。

少し話をしてやるとしよう──そう決めて虚絶を廊下に出現させ、俺と虚絶の位置を呪術で入れ替えることにより教室から脱走する。

 

──まさか、我がこのような使われ方をするとはな──

 

虚絶の困ったような声が聞こえ、こんな声も出せるもんだなと少し感心する。が、しかし即座に打ち切ってムラサメ様に近づき、小声で話しかける。

 

「よ、ムラサメ様」

「脱走とは感心しないのぅ」

「まぁまぁ……話しない? せっかくだし。俺とあんたの仲だろ」

「吾輩たち、出会いは十数年前だが、実際言葉を交わすようになったのはつい最近じゃぞ」

「別にいいじゃん。ほら、行くぞー」

「……ま、お主とくだらぬやり取りをするのも悪くない」

 

上手く先生と鉢合わせないようにしながら、ムラサメ様と校舎の外に出る。そのまま木陰の下に俺は腰掛け、彼女はフワフワと宙に浮かぶ。

 

「……して、ムラサメ様。やっぱ寂しいの?」

「寂しいのではない。ご主人と芳乃が不安で見に来ただけじゃ」

「俺が言えた義理じゃないけど、あんたも大概面倒くさいよな」

 

なんでもないように言うムラサメ様に呆れながら、この堅物からどうやって本音を引き出したものかと悩む。

 

──おい、指されたぞ。何を答えればいい──

 

ええっと……同期するからちょいと待て。あぁ、英語の例文か。これならここの部分を言えばいい。

 

──やれやれ、英吉利だの亜米利加だのの言葉は日本語(ひのもとことば)に比べ複雑だ……鎖国とはよくできた構造だったな──

 

「おい、吾輩の相手をしてくれるのではなかったのか? 馨」

「あっと、ごめんっ。ちょっと虚絶がさ」

 

ムスーっとしたムラサメ様に謝りながら、全くあの浮かれポンチめと内心毒づく。お前の相棒が微妙な気分なんだぞ。気を利かせてやれって。

……いや、奴らの一瞬は彼女の五百年より重いのかもな。無理も言ってられんか……

雑念を振り払い、単刀直入に彼女に対して切り出した。

 

「──あんたさ、芳乃ちゃんに妬いてんだろ」

「む……」

「五百年の孤独、そこにやっと現れた温もり。俺たち定命の者には想像も付かない暗闇に差し込んだ光。いくら恋人ができたって言っても、悠久の傍観者たるあんたには、それを独占するだけの権利と義務が──」

「──それは生者にのみ許された権利であり義務だ。死者どころか世界にへばり付いた亡霊に過ぎぬ吾輩には、その資格は無い。それに吾輩はお前と違って、命の重さと向き合うことなく逃げたのだ。それは決して許されるものではない」

 

だがムラサメ様は断固たる態度と、かつて自ら人柱となることを是とした覚悟を武器に、俺の言葉を叩き斬った。

真剣な表情と絶対零度の言葉で、彼女は自身の内に燻る闇を語り出す。

 

「よいか、馨。吾輩は命ある者ではない。お主が己を祟りに近しい人と言うのであれば、吾輩は人に近しい精霊だ」

「だからって──」

「だからこそ、じゃよ。吾輩は人として生きる、人として死ぬという選択肢を与えられてなおどちらも選べず、ただあらゆるものから逃げた「なりそこない」だ。そんな愚か者がご主人の手を取って良い筈があるものか」

 

彼方を見据えるムラサメ様の目は遠い。

 

「吾輩はな……与えてもらった命を無価値にしたのだ」

「俺も同じだろっ」

「同じであるものか。お主が吾輩のような極め付けの阿呆と同じである筈がなかろう。お主はあくまでもその使命に揺らいでそれを選択した。吾輩は選択すらせずに逃げたのだっ」

「だからなんだよ!? お互いに自分という存在が許せない! そこに何の違いもありゃしねぇだろうが!」

「違うのだ!」

 

居ても立っても居られず、同じだと語れば彼女はそうではないと否定する。俺たちにしては珍しく、声を上げて睨み合うまでヒートアップしていた。

 

「……ムラサメ様、どうしてあんたは意固地なんだ。まだ子供じゃないか。俺より年下じゃないか。素直になれよ我儘言えよっ」

「吾輩はもはや人ならざるムラサメだ、ムラサメの前身であった女は既に消え果てたのだ。人柱になったときになっ」

「カッコつけんな! 時間かかっても無理矢理にでも陽だまりに引っ張り出してやるっ!俺にはあんたの手を引くことはできないけど、あんたを先導するくらいはできるからな!」

「なっ──!?」

 

もうあんまりにも頑固だし平行線なので、ムラサメ様の自罰意識など知ったことかと、俺は遠慮無くそう言い放った。

唖然とした顔が大変珍しいが、この人、要は俺と同じで人だけど人じゃないと自己を定義した所為で自らは超越者的存在だとしているのだ。

俺に生きてと願った茉子のように、俺はこの人に"生きて"欲しい。報われて欲しい。

 

あんまりじゃないか……年端もいかなかった子が、ここまで変わり果ててしまうなんて……あんまりじゃないか──

 

「俺は、あなたに報われて欲しいんですよムラサメ様……尊敬する人が報われて欲しいと願うのは、とても自然なことじゃないですか──」

「……」

 

──本音を言えば、ここに帰結する。

俺はムラサメ様を尊敬している。

これは嘘偽りの無い、本音だ。

 

「……やれやれ、そういう話か。報われるべきだ救われるべきだの話をしたとき、お主もその一人に入ってるとわかってるのかのぅ」

「そりゃ当然。けれど、俺は……まずはあんたから、と思っただけだよ。俺はあとでいいんだ」

 

何処か呆れたような表情で、ムラサメ様は俺に問う。しかしそんなことは当然理解している。そして、他ならぬ彼女も俺を心配しているということも。

根負けしてくれたのか、ムラサメ様は静かにフッと笑うと、少しだけ本音を語った。

 

「そうじゃな──確かに、吾輩は温もりを求めておるのは事実だ。じゃが、流石に恋人との時間を奪うほどではない、というのもまた事実。

 

ただ時折、ご主人が吾輩に触れてくれればそれでよい。見えるものだけが、見えておればな」

 

とても穏やか表情で告げられた、その言葉。

──何故か。

何故か俺は、その言葉に深い共感と理解を覚えた。あり得ないことだが、ムラサメ様にとっての将臣は、俺の人間関係の中で対応する存在は無い。

だというのに、それに深い共感と理解を覚えた……はっきり言えば、絶対に理解も共感もできない筈なのに。

俺は孤独であろうとしただけ──ムラサメ様の耐えた時間と環境、それと並べてみれば雲泥の差だ。普通であればそれを憐れみこそできても、理解と共感はできない筈だ。

 

「さて、そろそろ戻れ。吾輩も吾輩なりに上手いこと立ち回ってみせるさ。なぁに心配はいらぬ。実はな、今でも十二分に幸せだ。──お主にこうやって案じられるのも、悪くない。では、またな馨」

「またね」

 

話はそれまでだと言わんばかりに姿を消す彼女を見送り、虚絶とまた位置を入れ替えて内に戻す。

静かになってしまった。集中ができるようになったが……それでもなお、少し寂しい。

 

……十二分と言われても。

 

やはり尊敬する人が限られた人としか触れ合えない、その存在を知覚できないというのは、中々に応えるものだ──

 

 

そんなしんみりとした感傷を抱えながら、流れる時間に身を任せるしかできない。

……というか、相談しよう相談しようって思ってて結局してなかったな。何やってんだ俺は。──とにかく、昼休みとかその辺で相談するぞいやマジで。

 

「……なぁ、あのさ」

 

とかなんとか考えていたのだが……

 

「近いんだけど……」

「そりゃ近いんだから当然です」

 

昼休み。

というか飯の時間になった途端、茉子が俺の隣に移動してきた。しかも隙間が極限まで小さい。腕を動かせば茉子に当たるくらいには近い。

いい匂いする。

 

「レナもなんで俺の隣にいるのさ」

「いてはダメですか」

「……あぁ……うん……そう……」

 

困って廉に助けてと視線を送れば、サムズアップで返されるのみ。いやお前助けろよ、流石にキツイ。

 

「茉子はわからなくもないけど、レナの理由は……?」

「ふっふっふ、それはですねぇー」

 

レナは何故か得意げにその大きな胸を張りながら。

 

「カオルは毎回早く食べ終わってしまうので、おかずの交換が中々できないからですっ」

 

……なんて、どうでもいいことを言った。

多分今、ものすごく変な顔をしていると思う。

 

「そんな顔をするほど意外でありますか」

「いや……俺の飯なんて美味くないしやめとけって。というかそんなことかよ」

「そんなことではありません。わたしはカオルの事をあまり知らないのですから、大事な事です」

「そ、そう……かな? 嬉しいけど、さ」

 

女の子二人に挟まれるなんて初めてだ。どうしたらいいのかよくわからない。むっちゃいい匂いして困る。

 

「あ、あの……二人とも? 少し離れてくれない? ちょっとさ、健全な男子としてはかなり大変と言いますか、その……」

「寂しがり屋の馨くんが寂しくないように側にいてあげてるんですから、甘んじて受け入れてください」

「マコと普段からこれくらいの位置にいるのですから、平気でありましょう?」

「ま、茉子はいいけどレナはダメだっ。こいつなら昔から知ってるから平気っちゃ平気だけど、レナはその……えっと……もう少し自分が如何に魅力的かを自覚した方がいい」

「へー、ワタシは魅力的ではないということですか」

「面倒くさいなお前な!」

 

流石にもう構ってられない、構ったら疲れる。しょうがないからジト目を向ける二人を無視して弁当を広げる。

 

「……あの、やっぱり離れてくれない? 腕がね……」

「──胸に当たりそうだから、でしょう? はいはい、わかってますよー。ワタシ、貴方のことは粗方知ってますから」

「以心伝心で何よりだよ……というわけでレナ、もう少し離れてくれ。流石にな」

「カオルもそういう顔をするんですね」

「なんだよそりゃ」

 

そういう顔ってどんな顔だよ。

まぁいいかと食べ始める。時折横から無言で茉子がおかず放り込んできたり、取られたり、レナと交換をしたりしたが、逆を言えばそれくらいで終わった。

……気分的には大変疲れたが。

 

「二人に相談なんだが、如何にしてムラサメ様の友好の輪を増やすことができると思う?」

 

一息ついたところで、本題を切り出す。

 

「それはまた……難題ですね」

「けどいつまでも変わらないというのも問題だろう」

「ワタシは、正直どうしたらいいのか思いつきませんね。レナさんから何か意見は?」

「まずいると伝えて信じてもらえる人たちに伝えていくのはどうでしょうか? 見えないけど知っている人もいるのでありますよね」

 

……なんでもないように言われた一言が、あまりにも盲点だった。

 

完全に思考の外だった。

ムラサメ様が見えずとも、その存在があることを知っている人はいる。そういう人たちのように、俺たち見える組が、信じてくれそうな奴らに対しての橋渡し役になればいい。

……なんて単純なことだったんだ。とても簡単な答えだったのに、どうして気付けなかったのか。

感極まって、レナの手を取って感謝する。

 

「それだ──マジでありがとう! そうだよな、見える見えないより先に存在証明だよな! いやホントなんで気付かなかったんだろう……とにかくありがとな! 助かった!」

「お、おおー……どういたしまして。でも、カオル。あまり手を握らないでくれませんか……?」

 

段々と尻すぼみになる声に合わせて、視線は外れていくし頬に赤味が差していく。レナが異性と接触するのは苦手だと、聞いた話からは推測していたが……いやここまで来るか?

だとしたらかなり初心だぞ? 余計なお節介だが心配になる。

 

「悪い悪い。ついクセで」

 

パッと離すとそれはそれで、何処か名残惜しそうな視線を感じる。無論それは異性愛といったものではない。慣れておくべきかとか、そういう打算的な名残惜しさだ。

俺としては彼女が異性に慣れるのを手伝ってあげたいところだが、さてそれはいわゆるセクハラだろう。エロ本じゃあるまいし。

 

「……明日のデートで手でも繋ぐ? 慣れるがてら」

「か、考えておくでありますよ」

「男としては前向きに検討してくれると嬉しいね」

「どちらにとっていいのやら……では、わたしはこれで。あとはお二人でゆっくりしてくださいね〜」

「へ?」

「はい?」

 

笑顔で手をヒラヒラと振りながら自分の席に戻っていくレナ。

時間を確認すれば割とどころかかなり余っている。少なくとも30分は硬いだろう。

 

「二人でゆっくりったって……なァ?」

「とりあえず、外にでも行きますか」

「だな」

 

教室の中というのも味気ないので、俺たちにしては珍しく学院の外に向かう。とは言っても、外というか学院の裏山だが……

 

「こんなとこあるなんて知らなかったな」

「普通は縁が無いところですからね」

 

そんなやり取りをしながら、スカートの中身見えたりしないかなーとか邪念を抱きつつ、スイスイと進んでいく茉子の後ろを着いて行く。

 

中身がスパッツだと知っているが、役得は役得なのだ。というか、普通男ならそういうの嬉しいだろ。

……まぁ、相手が茉子だし見てもそういう感情や展開は皆無だろうが。

 

「……何見てるんですか」

 

しかし女の子はそういう視線に敏感である。足を止めてジト目……というか猫みたいな口元と、ニヤリとした小動物的表情を向ける茉子にゃん。無言で手刀を落としてこないところに彼女の優しさを感じる。

バレバレなので隠しても仕方ない。大人しく白状しよう。

 

「いやキュートでセクシーな太ももがね」

「太もも?」

「太もも」

 

が、しかし。

ここで意外なことが起きた。

太ももを見ていたと言っただけであり、こいつのことだから「お昼から盛んですね、あはっ。やーらしー」とか言ってくるものだと思っていたのだが……

 

「……ぁ、あんまり見ないで……」

 

しおらしい態度で、スカートの裾を引っ張って太ももを隠すような体勢を取って、若干満更でもなさそうに、だけどまあ恥ずかしいのか頬を朱色に染めている。

 

……可愛いんだけど。

 

そんな茉子の姿を見て、俺も動揺してしまう。

 

「な、なんだよぅ……そんなしおらしくなって、今更意識されても困るんだけど」

「ちっ、違いますっ! わ、ワタシはほら、足……太いですから……」

「えっ、あっ……そ、そうかァ? むしろ色々鍛えてるんだからそれなりに肉付きが良くないとおかしいんじゃないか?」

 

茉子の足が太いと言われても、何か違う気がする。比べる相手が違うのではないだろうか? 俺は好きだけど。

 

「いっ、いいから見ないでっ! 恥ずかしいのっ!」

「うん」

「……見ないでね?」

「じゃあ茉子の顔だけ見てるさ」

「バカ」

 

バカってなんだバカって。足見ないように上見てるのと何も変わらんやろがい。それから無言で歩き続け、それなりに景色の良いところで腰を下ろす。

 

「落ち着くね」

「あぁ」

 

肩に寄りかかってくる茉子に、なんかやけに今日は甘えてくるなと疑問に思う。

ただ、それはそれで心地良いからこのままがいいと思う自分もいて、なんだかおかしくって笑いそうだ。

 

「ワタシも、なんだか寂しかった」

「そっか」

「手、握って」

「今日の茉子は甘えんぼだな」

 

視線を合わせる必要も無い。ただ俺たちは、お互いに寄り添っていればそれでいい。

望み通り、その小さな手を握る。

……普通の女の子としては異質な、やや硬い掌。それでも彼女は紛れも無く女の子で、恋がしたいと願う普通の女の子。

 

「ねぇ」

「ん?」

「芳乃様と有地さんが付き合ったって聞いて、ワタシほっとしたの」

「なんでさ」

「芳乃様、もう因縁に囚われなくていいんだって……ワタシたちの償いは、実を結んだんだって。だから、ほっとした」

「そうかい」

「……あと、馨くんが苦しむ理由が一つ減ったから」

「優しいな、茉子は」

「そうかな」

「そうだよ」

 

茉子の温もりを感じながら、腕時計に目を落とす。俺たちの速度から言っても、そろそろ戻らないと授業には間に合わない。

 

「そろそろ戻ろうぜ。遅刻しちまう」

「ぁ……っ」

 

手を離し、ゆっくりと寄りかかる茉子が倒れないように支えつつ立ち上がり、どうせこいつも着いてくるだろうと思いながら歩き出して──

 

グイッと、腕が引っ張られた。

振り向くと、俺の手を掴む彼女がいる。

 

「茉子──」

 

俯き加減でもわかる、寂しげな瞳。

 

「もう少し……ワタシの側にいて欲しいの」

「本当にどうした。何かあったのか?」

「わかんない。わかんないけど……馨くんの側がいい」

「……茉子」

 

顔を上げて──

 

「お願い、行かないで──」

 

やけにしおらしい、彼女らしくない細く弱い声。

そして不安げな雰囲気を感じさせる、寂しげな表情が俺を引き留める。

いつも飄々として余裕を持ちながらも、心の闇を何処かに潜ませた茉子じゃない。弱い部分を曝け出して甘えてくれている、等身大の常陸茉子──

 

「わかった。じゃ、サボろうぜ」

 

なら俺は、彼女が俺にしてくれたように、俺も彼女にとっての支えになってあげたい。

たとえ一時であったとしても、彼女が弱みを晒け出せるのが俺しかいないというのなら、俺はそれを受け入れよう。

 

……それに今までワガママ一つ見せてこなかった茉子がワガママを言ったんだ。付き合ってやらないと失礼ってものだろう。

 

「うんっ、サボろ」

 

花が咲いたように満遍の笑顔を見せた茉子は、紛れも無く俺があの日見た、忘れられない綺麗な笑顔と同じだった。

あの日のあの笑顔は、やはり彼女だったのだなと強く実感する。

 

また二人で腰を下ろし、景色を眺める。

何も言わずに握ってきた手を握り返し、寄りかかる彼女に少しだけ体重を預け、目を瞑る。

茉子の鼓動と温もり、木々を通り抜ける風の音──それくらいしかわからないが……

 

「くくっ……」

「何?」

「別に」

「そ」

 

叶うのなら。

もう少しだけでなくて、ずっと──

 

 

 

 

昨日のことを思い返すと、胸にぽっかりと穴が開いたようだった。

 

こうして二人だけの空間にいることで、それが如何に自分にとって異質な状態であったかと悟る。

 

(……ダメだな、ワタシ……)

 

馨に体重を預けながら、茉子はそんな自分を自嘲する。

 

大抵、甘えてくるのは向こうなのに、今日は自分から甘えてしまっている。それが悪いとか、それに罪悪感を覚えているわけではない。

……ただ、立場が逆になっているだけだ。

 

家族にも、芳乃にもムラサメにも見せることの無い、自分のどうしようもなく弱いところ。それを知っていて、かつそれから来るものにどうしようもなくなったとき、頼れるのは馨だけだった。

 

そこにいるだけで頼りになる……とは大袈裟な話だが、実際幼少の頃からそう感じていたのは事実。

都合良く甘えていたと言えばそこまでだが、そんな茉子を拒絶することもなく、ただ受け入れてくれていた。

 

ずっと隣にいてくれる。

決して自分から離れることのない、大切な人……

たった一日だけ離れただけなのに、どうしようもなく不安だったと、彼から寂しかったなんて言われて、思わず喜んでしまった。

ワタシも同じ気持ちだったなんて──

 

(醜悪ですね、こんな感情──)

 

半ば独占欲にも等しいが、それと比べればあまりにも醜いと彼女自身がそう思って止まない。歪んでいると思っている。

その自罰意識から絶対にここから離れることはない、絶対に特定個人に執着することはない。

──だから絶対にワタシの側にいてくれる。

 

──離したくない。逃したくない。離れないで。行かないで。嫌いにならないで。ワタシは──

 

結局、授業をサボってまで二人だけの時間を確保したのは、そうした感情に従っただけ。止められなかった、止まれなかっただけ。

ごく僅かな時間とはいえお勤めを放棄し、色々あるであろう彼の時間を奪ってまでするほどのことかと言われれば、決してそうではない。授業をサボる価値があったのかといえばいつでもこんな時間は作れる。

……寂しいと言っていた馨だって、別にここまで必要とは思っていないだろう。朝の触れ合いだけで満足している筈だ。

 

(だけどワタシは──嫌な女です……)

 

醜悪な感情に蓋をすることもできず、卑怯な方法を使って他の誰にも邪魔されない、安心できる時間が欲しかった……なんて言ったら、失望されてしまうだろうか。

妬心じゃないって言いながら、実は他の人に心を開いたことに対する妬心だったって言ったら、驚いてくれるだろうか。

 

「……あったかいね」

「だな」

 

──だとしてもこの温もりを誰にも渡したくない。ワタシだけの温もりであって欲しい……それが何の感情であるかは、決して考えずに。

 

それはきっと、漫画で言えば集中線的な場面であろうと自分を納得させて。

 

ただ今だけは、この刹那だけは──

 

(レナさんにも、ムラサメ様にも渡さない……)

 

二人だけで。

──何の邪魔も入らずに。

 

「ね」

「ん」

「──今だけ、ワタシだけの馨くんでいて」

「本当にどうしたんだよ」

「そんな気分なの」

「はいはい……たまにはお前に甘えられるのも、悪くない──」

 

日光が映す影は一つのままで。

 

 

 

どうでもいい話だが。

丸々一限サボった二人は、当然怒られた。

ついでに色々と邪推された。

 



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進展

「起きろ、端末よ」

「ぅ、ぉ……ぉぉ……っ」

「──起きろ」

 

眠い感覚から無茶苦茶な引力と共に意識が覚醒される。

眠たい目を擦りながら、眼前のご先祖様にも一つ文句を言う。

 

「フツーに起こしてよ……」

「普通では起きまい」

「否定できねー」

 

フラフラと立ち上がり、洗面所で顔を洗う。

 

「レナとデート、かァ……」

 

言い出した俺が言うのも何だが、あんまりデートという気がしない。

いや、デートというつもりは元々なかったのだが。

 

「うっし、がんばろ」

 

 

俺は人と会うときは必ず30分前に着くようにしている。

別に茉子が相手ならどうでもいいが、仕事柄1分1秒が惜しい場合もある。俺の性質の関係上、起きるのは苦労するが、普段より早く寝れば良いということ。

……昨日はちょっと茉子とサボった件が尾を引いて中々寝れなかったから、虚絶に起こしてもらったが。

 

「……身に付いた習性ってのは、時として何の役にも立たねえな」

 

適当な段差に腰掛けて、プラプラと足を揺らして待つ。

 

──それ見ろ、寝ているべきと言ったではないか──

 

うるさいな、そういう奴なんだから仕方ないだろう。

 

──まぁ良い。でーと、なるものは我には縁無き故、せいぜい足掻くといい──

 

ふん、これでもナンパの経験ならあるから平気だっつーの。

 

──そういうものでもあるまい。女子に恥をかかせるなよ、貴様──

 

……わかってるよ。

それから待つこと30分きっかり。

 

「おはようございます、カオル」

「あぁ、おはよ。レナ」

 

レナは時間ぴったりに来た。誤差はコンマ数秒とかそういうレベルの話で、ここに気質の違いが現れているというべきか。

ただ彼女は改めて俺の姿を認識すると大層驚いたように。

 

「カオル、どれくらい待ったのですか?」

 

と、少し罪悪感にも似た雰囲気を見せながら尋ねてきた。

別に待つのが嫌というわけではない。遅れるのよりよっぽどマシだ。別に誤魔化す必要も無し、なら本当の事を言ってしまおう。

 

「ぴったり30分。人に会うときは30分前に場にいるってのは俺のクセでね。中々意外だろ?」

「確かにカオルらしからぬ話ですね。起きるの大変だったでありましょう?」

「そういうものでもないさ。存外、往々にしてそういう時は起きれるんだよ。じゃ、デートと洒落込もうか」

 

そう言って差し出した手は、すんなりと繋がれた。

 

 

デートコース……なんて言っても、穂織にそんな良いものは無い。大型デパートのある田舎の方がデートには困らないだろう。

これが地元民であれば、そこまで悩む必要も無いのだが──

 

「すごいですよカオル! こんなところがあったなんて知りませんでした! 目からウラ、ウロ……コ? という奴ですね!」

「そうそう、目からウロコね。ま、中々縁の無いところだ。俺みたいな物好きには縁深いが」

 

流石にレナ相手にただブラブラとするのもあれだし、古馴染みの骨董品屋に連れてきた。

ま、骨董品屋と言いつつ、アンティークよりレトロな方が多いのだが、それはまぁ時代の流れから見ても仕方ないこと。俺たちには手も出せないような値段から、ガキの小遣いでも買えそうなものまでピンキリだ。

 

「……ん。どうした、何か気に入ったのあったか?」

 

さっきからレナの視線が釘付けになっているものを見る。

それはやや古風な首飾りであり、五輪の花を模したものであろうか。白と灰色を基調に、所々黒の差し色が入った独特だが美しいもの。価格は少々貼るが、質の良いものであることを祈るばかりだ。

……買うとしたら、であるが。

 

「欲しいの?」

「欲しいと言えば欲しいのですが、あまり付ける機会が無いと悩んでしまいまして」

「あー、旅館だもんな。でもいいんじゃないか? 記念がてらとかでさ」

 

困ったように悩むレナに対して、こんなことを言ってはいるが俺は買い物で悩んだことはあまりないので心中不安である。

欲しいものは買う、欲しくないのは買わない。ていうか考えるの面倒だからそれ以外の判断材料は要らない。

 

……我ながら大変考えの浅いことだ。

 

「むむむ、やはり悩ましいであります」

 

と、ここで妙案が思い付いた。

俺、考えてみたらレナには迷惑をかけてばかりだったな。勝手に睨んで、勝手に記憶を覗こうとして、許してもらったとはいえ負い目があるのは否定できない。

詫びも兼ねていっそ贈り物にしてしまえば……いや迷惑か。好きでもない男に贈り物されても。

 

が、しかし。

結局俺は──

 

「……俺が買おうか?」

 

言っちゃったよ。

 

「はい?」

 

鳩が豆鉄砲を食らったような表情。レナにしては珍しい、そんな顔。あんまりにもおかしくってつい笑ってしまいそうになったが、それを堪えて訳を言う。

 

「贈り物なら、あっても付けない理由が増えてそれっぽくなるだろ? あとついでにお前はタダになるし、俺は色々迷惑かけた詫びになる。どうよ」

 

ところがそれを聞いた途端にレナの表情は呆れたものになる。そして一言。

 

「カオルは変なところで変に気を効かせるでありますね」

「……マジ?」

「わたし、前に気にしてないって言いました。もう忘れたのですか?」

「覚えてるけど俺が収まりつかないというかなんというか……まぁぶっちゃけると贈り物させて欲しいなーって」

「最初にそう言ってくださいよ」

「素直じゃねーのは知ってるだろ。じゃ、改めて……お前に贈り物をしたいんだけど、いいかな? レナ」

 

恥ずかしさを感じながら、苦笑めいた表情をしているのだろうとぼんやり思いながら尋ねたそれは。

 

「はいっ」

 

満遍の笑みとともに受け入れられた。

少し財布が寂しくなったが、とても嬉しそうな彼女の姿と引き換えと考えれば、実に安い話だ。

 

それから骨董品屋を出て、普段は中々お目にかかれないところを紹介していく。

 

「ちなみにあの坂を上ると夕陽がよく見えて綺麗だったりするんだぜ」

「それはロマンでありますね、今度是非行ってみます」

「あとは……そうそう、あそこの花屋は珍しい品種も揃えててな。ついでに花言葉も一緒に書いてあるから贈り花にも安心だ」

 

しかしだ。

そんな風に中々レナが行きそうにない、あるいはあんまり縁の無いところを中心に、それなりに面白くなればと思って回っているが……どう考えてもこれ、観光案内だよな。デートじゃないよな。

……てか、デートって何をすればいいんだろうな? 茉子とだってこんな感じで……バカ! 今はレナの隣にいるんだぞ! 他の女を考えるなど無粋極まりない!

ここは何か、もっと妙なものを──!?

 

「レナ、鮎を食べに行かないか?」

「アユ? まだお昼には早いですよ」

「ちょっとだけだから大丈夫だって。小ぶりだし」

「構いませんけど、どうしたんですか」

「いや、まぁ、色々とね?」

 

我ながら実に無能である。

……さっき他の女の事をとか言った矢先に茉子と将臣がブラついた時のことを思い出してなぞるなど、あぁ……まったく──どこまでも使えない男だ、俺は。

 

 

そうして鮎を食べに行くために、串焼き屋まで歩く。その道中、たわいのない話で盛り上がったり、あるいはくだらないことに微妙な反応をしたり──まぁ、結構新鮮で楽しかった。

 

「そういえば、カオルのご両親の話は全く聞きませんね」

「しても面白くないよ。特にウチの家系は関係性が面倒でな……」

 

そんなこんなで鮎の塩焼きを片手に、二人でベンチに腰掛けてる現在。

 

「複雑なのですね」

「本家と分家はいつの時代も微妙な仲なのさ。……うん、相変わらず美味い」

 

流石に実家の複雑極まりない醜悪な因縁はこの子には伝えたくない。惨たらしい話ばかりだからな。親父もお袋も、その辺りは極めて面白くない、吐き気を催すような思い出がある。

そんなもの考えたくもないし、理解したくもないし喋りたくもない。

忘れるように、鮎の塩焼きをもしゃりながら、その味に舌をうつ。

 

「おぉ、とても美味しいであります! 」

「そいつはよかった。紹介した甲斐があったもんだ」

 

顔を綻ばせて喜ぶレナを見て、俺も嬉しくなる。彼女のこういう可愛い面を見れるというのは中々無いから、結構レアな感じだ。

俺にとってのレナ・リヒテナウアーは基本的に何処か妙な言葉遣いをしながらも、芯がしっかりした強い女の子といった印象がある。

そういうものから逆算していくと、今こうして無邪気にははしゃぐレナは、普段の印象とはまた違った魅力がある。

 

「──美人だなァ」

 

大変絵になる。

金髪巨乳の美少女が、和の意匠を持った独特の衣服に身を包み、鮎の塩焼きを笑顔で頬張っている。

……綺麗だ、本当に。

 

「うん、綺麗だ」

 

比べたりなんだりとかするのは失礼極まりないが、レナは普通の女の子よりも可愛いではなく綺麗が先に来るのだ。

芳乃ちゃんと同じ、と言っても過言ではない。なんのかんので似た者同士なところあるしな。

 

ムラサメ様は尊敬の念が先に来るのでやや例外的な判定。小春ちゃんは言うまでもなく可愛いタイプだ。

芦花さんは……どうだろうか? あの人はお姉さんだから例外的な判定か。

 

──と、そこで。

 

「か、カオル……」

「んぁ?」

 

はたと気が付いた。──何に?

レナが動揺した表情と、赤く染まった顔していることにだ。

何があったのかと周りを見渡すが何も無い。となれば原因は俺にあるわけだ。しかし俺が何か……いや待てよ? 脳裏に浮かんだ可能性、そんな漫画みたいなことが……? とも思いながら、恐る恐る尋ねる。

 

「もしかして、口に出てた?」

「はい……それはもうはっきりと」

 

……どうしよう。

意図せずとはいえ、女の子に正面から綺麗だなんだの言ったのは初めてだ。

 

「あ、あはは……なんちゃってー……」

 

恥ずかしさで思考が一杯になって、何処ぞの忍者みたいなことしか言えない。なんてこったという後悔と、顔の熱でまともではなくなっているのを自覚するが、どうしようもできない。

結局二人して赤い顔で俯き、顔を逸らしながら鮎を食べ進めるしかできない。

 

「……なんか、ごめんな……」

「き、綺麗とか美人とか言われたのは嬉しいからヘーキでありますよ」

 

でも、と彼女は口籠る。

年頃の女の子に綺麗はマズかったかとも思いながら、俺は大人しく次の言葉を待つ。

そして、しばらく待って──ついに少し不安そうに彼女が紡いだ。

 

「──マコにも、そのようなことを言ったことがあるのですか?」

 

言っちゃあなんだが。

それをここで言うかね、君。

 

「あー……そう来たかァ」

 

デートのときに他の女の事を思い浮かべるなど無粋極まりないと言ったのは俺だから、あえてレナを責めたり戒めたりするわけにもいくまい。

なので甘んじて受け入れよう……だが、よりにもよって今ここで茉子の話題か。

……将臣とも、あいつはこんなやり取りをしたのだろうか?

 

モヤモヤする。

甘えられる人を取られたとすら、心の何処かで感じていた。

 

しかし将臣は芳乃ちゃんを選んだ。

……そして茉子はきっと、俺よりも素敵な相手を見つけるだろう。そうに決まっている。

 

思考が混沌としてきたので一度深呼吸して落ち着きを取り戻す。

さて、どう答えたものか。隠すようなことは何も無いが、答え方にも気を配らねばならないのが現実だ。

 

「……んーっとねぇ……言ったか言ってないかで言えば、言ってないな。あいつには」

「マコには、ということは他の子には言っているということでありますね」

「え? いや別にそういうわけじゃないよ。俺が綺麗だって言ったのは、芦花さんと芳乃ちゃんとレナ……それくらいだって」

 

するとレナはなんだかよくわからないけど、なんだかよくわからない小動物めいた大変可愛らしいぐるぐるお目目で俺を叱責した。

 

「ダメでありますよ! そんな風に女の子にすぐ綺麗とか可愛いとか言っては! 大変軽い男だと思われてしまいます!」

「べ、別にいいじゃん。友達にしか言ってないんだから」

「そういうところがいけないのです。カオルは誰にでも、言うべきと思ったら言うのでしょう」

「まぁね?」

「正直レンタロウよりオンナタラシですよ。本当に下心が無い分タチが悪いです」

 

ジト目と共にそんなことまで言われるが、ここまで言われる謂れはない!

 

「そこまで言うか!? てか廉よりタチが悪いってなんだよ!? いやまぁ、確かにさ、俺はアレだよ? そのー……どうしようもなく人間としてはダメな奴だよ」

「そういう話ではないのですよ」

「そうなんだ」

「そうですとも」

 

どういうものなのかね、と思いながら食べ終わった鮎に刺さってた串を弄ぶ。指先でクルクルと回したり、ジャグリングしたり……

 

「早いのでありますね」

「許してくれよ。職業柄だ」

 

レナはまだ鮎が半分より少し少ないくらい残っている。早いのはいいのことだが、しかしこういう時は良くない。

 

「ごちそうさまでした。美味しかったです」

「そいつは何より……さて、次は何処行こうか? 俺の都合で振り回したんだ、今度はお前が振り回してくれよ」

 

正直なことを言えば、ぶっちゃけ俺はネタ切れだ。あとはもう彼女も知ってるところしかないしでかなりマズい。

……穂織ってこんなに何もないところだったかァ……こりゃ客も来ないわ。交通も悪ければ曰く付きの噂もあるし、しかも目立ったものは温泉と刀と舞だけ──よくまぁ、今まで持ったもんだ。

 

「変なとこばっかだったろ? 遠出でも構わないぜ」

「わたしの行きたいところ、でありますか。カオルと色々回れるだけでも楽しいのですが……そうですね、行きたいところは──」

 

純粋に退屈であろうと思って声をかけたが、だいぶ好意的に受け取られていたようで嬉しい。

しかし、レナからの提案は──

 

「カオルの家に行ってみたいです」

「え」

 

……思考が完全に停止した。

そうなりながらもなんとか引っ張り出した言葉がこんなものであった。

 

「女の子ちゃんが男の家に行きたがるって迂闊に言うのは、どうかと思う」

 

将臣や廉ならここで上手く色々な方向に持ち込んで行くのだろうが、生憎と俺はそういうのがいざ目の前に来ると、一般的な反応しかできないというか……そんな経験も無いし。

 

「あはは、カオルは真面目ですね」

「お前だって女の子なんだから、たとえ親しい男でももう少し警戒心をだな」

「そういうことは決してしないと信じていますから」

 

屈託の無い笑顔でそう言われてしまうと、俺はもう困るしかできない。呻き声だか困り声だか唸り声だか判別のつかない声を出しながら、顔の熱さを実感する。

 

「信じられるのは嬉しいけど……ウチ、街の東側の端っこだぞ? ここから行って帰って来るだけで、だいぶ時間食うぞ。やめとけって」

「むぅ、それは残念です」

 

茉子の家が西側の端っこなので、その真反対であるウチは東側の端っこ。この辺に当時の関係性というか、そういうところが見えてくるが、今考えるとたとえ従者やお抱えの傭兵といっても四六時中一緒にはいたくあるまい。

 

というか、未だにそのままだしな。

引っ越しするにしても難しいし、とか色々あるし。

 

まぁどうでもいいんだけどさ。

 

「なら、カオルのオススメのお店に行きたいです! アユを食べたらなんだかお腹空いちゃいました!」

「オーケーオーケー。そういうことなら昼だな、うん。さぁて、なーにあったかなァ……?」

 

物を食べたら逆に腹が減る、なんてのは珍しい。それだけ彼女が元気ということだろう。

……しかし、そんな天真爛漫な彼女であったとしても憑代に引かれ動き出すほどに、それ相応の何かを抱えているんだろう。

──俺では、彼女にとって助けになる友人足り得ないのだろうか?

……少しだけ不安が差し込んだ。

 

 

昼を食って、それからもあれこれ回りながら楽しく過ごしたが──

 

「──結局、ここになるよな」

「半日でほとんど周り尽くしてしまいましたね」

 

2時手前に差し掛かる頃にはもう、目ぼしいところは一通り周り尽くしてしまった。あとはお互い知っているものばかりだし、と考えたときに、レナが「デザートを食べましょう!」なんて言って俺の手を引っ張って田心屋に連れてきたのだ。

 

──めちゃくちゃドキドキしたし、今もしてるんだが、一切表に出していない……つもり。

だってすごくいい匂いするし、柔らかいし、あったかいし。

 

そんな俺の内心を知ってか知らずか、レナはガラガラと戸を開けて店内に入る。……俺の手を握ったままで。

 

「いらっしゃいませ! ……あっ、レナ先輩」

「おぉー、コハル! 会えて嬉しいですよ〜。さっ、カオルも入って入って」

 

どうやら出迎えてくれたのは小春ちゃんのようだ。

グイグイと手を引っ張られて素直に入るが、実際考えても意外な組み合わせなので、俺が顔を出せば小春ちゃんはそれはもう大層驚いた。

 

「へ? 馨さん?」

「やぁ。今デート中。というわけで席空いてる?」

「あっ、はい。ご案内しますね」

 

そうして案内されれば、レナはあっさり手を離して席に座った。

……なんか俺だけドキドキしてたのがアホみたいだ。慣れてないんじゃなかったのか。いや、単にきっとそういうのじゃないはず。弄ばれてはいないはず……

 

複雑な感情を整理しながら座ると、メニューを持ってきた小春ちゃんが一言。

 

「常陸先輩といない馨さんは珍しいね」

「そんなに意外かい?」

「てっきり、何時も一緒だと思ってたから」

「なるほどね。でもこれ以上は無粋だからやめよう。デートの最中に他の子の話はね」

「勉強になります」

「大袈裟だよ」

 

決まったら呼んでくださいと言ってから戻る小春ちゃんを見送った後、レナがメニューを見ながら尋ねる。

 

「……お昼は無粋でありましたか?」

「いや、あの時は俺も他の子を思い浮かべたりしてたから自分のことを棚に上げる感じにしたくなくて黙ってた」

「マコのことを考えていたのですよね」

「まぁ、そうだけど今はお前に夢中にさせてくれ。レナ」

「すぐそういうことを言うのはやはり問題かと」

「ダメ?」

「言い回しがダメです。もっとこう、漫画みたいじゃなくて普通にすると良いのでありますよ」

「そっかー」

 

手厳しいレナに苦笑しながら俺もメニューを眺める。しかしそうか……言い回しか。今度から気を付けよう。

 

その後?

特に何もなかったさ。デザートを食べて、店を出て、また学院でと別れておしまい。

志那都荘へと向かうレナにヒラヒラと手を振って見送っただけだ。

 

「さて……」

 

傾き始めた太陽に向かって歩いていくレナが見えなくなったと同時に、俺は後ろを振り向いた。

もちろん誰もいない──が、しかし俺にはわかる。人にして人ならざる我が身は、こと異質なものを区分することに優れている。特に常人と異なる性質などはよくわかる。

 

──なので、この穂織で最も常人と異なる性質を有しているのは誰か……そう考えたとき、途中から俺を尾けていたのは誰なのかは、あっさりとわかった。

 

「出てこいよバカップル」

「誰がバカップルだ!?」

「バカってなんですかバカって!?」

 

本当に小学生のような挑発に軽々と乗って現れた将臣と芳乃ちゃん。

──昼を食った後からか、こいつらが追いかけてきていることは把握していた。

気配が隠しきれてないというか、俺には確実にバレるというべきか。将臣が特殊性の塊なので、それと同じくして動く気配など自然と絞れるというか。

 

「人のデート覗き見たァいいご趣味じゃねぇか」

「うぐっ、そ……それは……」

 

狼狽える将臣だがこっちからすれば何をしてるんだと言いたくなる。

 

「大方、茉子とムラサメ様が気を利かして二人でデートでもしてこいって言ったんだろ? ついでに足りないもの買ってきてとか」

「すげぇ、全部当てた」

「馨さんは茉子が絡むことになると頭が急に良くなるから」

「よーしーのーちゃーんー? 君の恥ずかしいエピソード今ここで暴露してもいいんだけどー?」

「なっ!? そ、それはやめてください! 子供の頃のお転婆な話なんてしても面白くないでしょう!」

「クハハハっ、悪い悪い」

 

幼馴染特有の脅し合いをする俺たちと、そんな状況に少し微妙そうな視線を投げつけてくる将臣。

ふむ……ちょっとからかうか。今の俺は多分、人をからかう時の茉子のような表情をしているのだろう。顔の動きからなんとなくわかる。

 

「愛しの女が取られて嫉妬(ジェラシー)か?」

「……そうだよ」

 

おや、意外にも膨れっ面だが素直に答えた。と、なれば──

 

「なるほどなるほど。これはもう俺はお邪魔虫だな。ちなみにこの時間帯なら陽が落ちてくるのもそろそろだから、夕陽をバックに……なんてロマン溢れることもできるぞ。あとはごゆっくりー」

「なななっ、なんてことを言うんですか!? で、でも夕陽に照らされてなんて……あぅぅぅ……」

 

ナニを想像したのやら、顔を真っ赤にして恥ずかしげな表情をする芳乃ちゃん。うん、お前がからかうのもよくわかるぞ茉子。

と、帰ろうとしたのだが──

 

「あっ、馨」

「んぁ?」

 

今度は将臣に呼び止められた。

はて、何かしただろうか? いや特にからかう以外に何をしたわけでもないのだが。

そうして不思議そうにしていると、急に真剣な表情になって。

 

「ムラサメちゃんのこと、ありがとな」

 

なんて、頭を下げられてしまった。

どうした急にとも言えなくて完全に困惑する。本当に何か感謝されるようなことをしたわけではないのだが。

あんなもん感情の発露だし。

 

「お、おいおい。頭上げてくれよ。別に俺は──」

「俺、浮かれ過ぎててさ。ムラサメちゃんが寂しくなるとかそこまで頭が回ってなかったんだ。昨日、本人からお前と話したこと聞いてハッとしたよ」

「お、おぅ……?」

「俺くらいしか触れ合えないのに、そんな俺が離れたら元通りじゃないかって。だから彼女と接せる人が増えるようにしなきゃなって思ったんだ」

「……お前、よく自分の女の横で他の女のこと言えるよな」

「真面目なんだよ、茶化さないでくれ」

「ムラサメ様がいなければ呪いの解決も無かったのですから、私たちも少しでも何かお礼がしたくて」

 

あっ、芳乃ちゃんが復活した。

 

「ちょうど常陸さんが色々終わったお祝いをしたいって言ったから、それを上手く活用してなんとかしてみようと思う。馨も、ムラサメちゃんが独りなのは嫌なんだろ?」

「そりゃ尊敬する人、報われて欲しい人が永遠の孤独に包まれたままってのは嫌だよ」

 

そこで先日のレナとの会話を思い出す。信じてくれる人に伝えてみては、と。

 

「……ま、ゆっくりと信用を勝ち取ってくしかねぇわな。ムラサメ様が見えるのは俺たちだけだが、"ここにいる"って知ってる人もいるわけだし──内祝いみたいな雰囲気になるのはどうにも避けられないが、むしろそれくらいでいいのかもな」

「もちろん馨さんも来ますよね?」

 

芳乃ちゃんに言われて、俺ははたと気が付く。

ムラサメ様の存在を明かすということは、必然的に祟り神や呪いとのことを明かさざるを得ないわけであって……つまり俺の──稲上の正体にも触れる必要がある。

流石に祝いの席に暗い話を持ち込むのは……難色を示さざるを得ないのは仕方ないことだろう。

 

「うーん……行きたいは行きたいけど、ムラサメ様の話を振ると色々明かさなきゃいかんだろ? となると暗い話な俺がいても平気かね」

「流石に一から十まで明かすつもりもないよ。その辺は適当にそれっぽいこと言えば大丈夫だって」

「それにレナさんだって、別にあなたのことを全て知っているわけではありません。ただ有事の際に必要な存在だと言っただけですから」

 

それなら安心だ。

ってことは、あれは絶妙にすれ違っていたんだな。褒められたのは嬉しいけど。

 

「了解了解。んじゃ、基本参加の方向で。急な用事が入らなきゃ行けるさ。暇だしね。日時はまだなんだろ? あとで伝えてくれ」

 

いつになるかは知らんが、ムラサメ様を知る人が増えることは素直に嬉しい。あぁ、本当に楽しみだ──

 

「けどムラサメ様って飯食えるのか? 将臣に触れられるけど、他はダメなんだろ?」

「この前パフェを指に取って食べさせてみたらすんなり行ったぞ」

「お前彼女いるのに他の子に指舐めさせるとか変態かよ」

「違うからな! 合意の上だからな!」

「色々試した結果ですっ!」

「なんかごめん」

 

こいつらも楽しそうで何よりだ。

が、そうだな……あいつはどうしてるんだろうか?

 

何処へ行くのかは知らないが、二人に別れを告げて家に帰る俺の脳裏にはやはり──

 

 

 

夜。

家を出て、いつも通りの道を歩き、いつも通りにあいつを待つ。

そして──普段より少し遅く、彼女はやってた。

 

「遅かったな」

「今日はお風呂を貸してもらったので」

「湯冷めしないのか?」

「むしろいい具合に身体を動かせていいんですよ」

「そっか」

 

歩幅を合わせて、茉子とそんなたわいもない話をしながら歩き出す。

 

「レナとデートしたよ」

「知ってます。どうでした?」

「楽しかったさ。俺はね。彼女がどうかは知らないけど」

「きっと同じ筈ですよ」

 

そう微笑みながら言われてしまえば、俺はそう言いくるめられてしまう他ない。

 

「けど、流石にウチに来たいなんて言われるのは想定外だった」

「彼女、中々に小悪魔的ですよね」

「俺を信じてるからそんなこと言ったらしい」

「あははっ、信じられるのは良いことですよ。ワタシだって信じてますもん。馨くんならどうせ手は出してこないって」

「それは男として喜ぶべきか悲しむべきか、どっちかねェ」

「あは、普通なら悲しむところでしょうけど」

「だよな」

 

そうして会話をしていると、いつも通りに分かれ道に差し掛かる。

ただ今日は──

 

「……家まで送ってこうか?」

「どうしたんですか?」

「なんとなく」

「そうですか」

 

苦笑する茉子と、別段何か変なわけでもない俺。

ほんの少しだけ彼女は悩んでから──

 

「じゃあ、お願いしちゃおっかな?」

 

ちょっとだけ照れた顔で、そう言った。

 

「何照れてんのさ。可愛い奴」

「あんまり可愛いって言わないでください。これでも恥ずかしいんですよ?」

「へぇ。お前押されるのに弱いんだ」

「語弊を招く言い方はやめてくださいっ」

「事実だろ」

「そうですけど……」

 

何でか言い澱む茉子を不思議そうに眺めていると、彼女は俺に対して。

 

「馨くんだって同じのクセに」

 

ちょっと赤みの差した頬と、拗ねたような表情で、斬り込んだ一言を放ってくれた。

悲しいかな。まったく反論できないので、俺も奇妙な反応をするしかない。

 

「じゃ相性抜群ってこと? まぁデートで鮎の塩焼きを食べに行くくらい同じだからな」

「何してるの。レナさんとのデートなのにワタシの行動をなぞらないでよ」

「正直、意外と何もなかったんだ。許してくれ。でも……将臣とお前がって思ったらモヤついた」

「あは、嫉妬(ジェラシー)しちゃってる?」

「……するさ、お前は俺にとって……」

 

つい、本音が漏れる。

するに決まっている。しない筈がない。だけど──

 

「……茉子はどうなんだ? 妬いてくれるか?」

「ワタシ?」

 

自分だけが、というのは性に合わなくて、つい彼女に尋ねてしまった。

 

「ワタシは……」

 

視線が逸れる。表情も見えない。

 

「……ワタシも、するかな……」

 

だけどやけに、その言葉から彼女が今どういう状態かというのは連想できた。

きっと、俺と同じだ。

 

……本音を言って、恥ずかしい。

しばらく無言で歩き続け、茉子が足を止める。

 

「ん、ここまででいいかな」

「そうか」

「じゃあ、おやすみなさい」

「あぁ、おやすみ」

 

そうして、俺は彼女に背を向けようとして。

 

「茉子」

「? 何でしょうか?」

 

「……またな」

「またね──」

 

また明日とは言えないけど、また会おうと言ってから、今度こそ、俺は家に戻るのだった……



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理想と約束と……

デートから2日。

昨日は田心屋に食器を見せに行ったりしたくらいしか話すことがない。せいぜい、趣味のガーデニングをやったくらいか。

何もなく学院に来て、何もなく過ごす。その筈だったが──

 

「明々後日にやるんだ」

「はい、そうなりました」

「ん、予定空けとく」

 

一限目が終わったと同時に茉子から話しかけられて何かと思ったが、どうやらお祝いのことだったようだ。

明々後日……休日だが、仕込み等を考えても結構早い方だな。しかし一体誰が来るやら。

 

「俺以外には誰に声かけたの?」

「廉太郎さんと小春ちゃん、レナさんに馬庭さん……あとは玄十郎さんとみづはさんですね。今のところは馬庭さん以外は了承を頂いていますね」

「また安晴さんの酒が回りそうなメンツだなァ」

 

しかしそうか。芦花さんはまだ未定か。小春ちゃんが行けるなら、流石に開けるのは難しいんだろう。

でも駒川も来るのか……これじゃあ、アレだな──

 

「けど駒川来るなら酒飲めねーな。ったく、別にいいじゃないか。夜な夜な酒飲んで酔っ払ったって……」

「ほほーぅ? 馨くんは夜な夜なお酒飲んで酔っ払ってた時期があると?」

「あっ」

 

失言に気付いたときにはもう遅い。

 

「あは……」

 

茉子は一瞬にして笑顔を見せる。しかしそれはトキメキを感じるような優しいものではない。圧倒的な威圧と恐怖を感じさせるものだ。

普段より数段低い「あは」が、俺に怒ったときの駒川と同質の存在を覚醒させてしまったことを淡々と示してくる。

 

「い、いや……ほら、一時期自棄になってたろ俺。やっぱりさ、色々悩んで、でも誰にも言えなくてこう……」

 

やましい理由というわけではない。実際、生きろと言われても悩むときがあったのだ。それで苦しくなって、眠ろうにも眠れないときがあったため、逃げるために酒に手を出した。夜な夜な酔いに逃げて──それが両親に見つかって以来、色々と話したり駒川に助けを求めたりなどして、ある程度の踏ん切りはつけられたが……

 

「事情が事情ですし理解は示しますけど、あなたには甘いみづはさんがするなと言ったというのは、多分自棄酒が関係無いところですよね」

「ちっ、違うよォー? そんなことないよォー? 週一のペースで350の缶を開けてただけで、別に毎日って訳じゃないよォー?」

 

ズイとジト目で迫る茉子から顔を逸らしながら、妙に高音域な声でうっかりボロを出してしまう。

 

そう……意外と酒が美味かったのだ。

 

酔いで忘れる、ということをしなくなった後、今度は何気無く何の思惑も無しに酒を飲んだのだ。そしたらこれがまた美味く感じて──週一ペースで350の缶を一本、という風にコソコソやってたら両親にバレて怒られ、話を聞いた駒川にもこっ酷く怒られた。

医学的根拠から酒を否定されてしまえばまぁ仕方ないと納得したが、それ以上に如何に魔人の身と言えどアルコール依存症とかになったら嫌だろ? と言われれば同意してしまう。多分そっちが主な理由だった。

以来、飲むのはやめた。当時は成人後の楽しみは多い方がいいというわけではなかったが……今はそう思っている。

 

……まぁ、たまに親父の酒に付き合ったりして少しだけ飲んだりしたのだがそれはそれ、これはこれだ。

 

「それはいくらみづはさんでも怒りますよ」

「ぐぅの音も出ない」

 

呆れ顔でため息を吐く茉子だが、そうされても何一つ文句は言えない。

──逃げるために酒を飲んでいたはずが、いやまさか普通に美味しいからとかいう理由で飲むようになってしまうなど……まぁ、ここ二年以上はほとんど飲んでいないので味など忘れてしまったが。

 

「まぁいいさ。時刻はさっき聞いた通りでいいんだな?」

「はい。変更があれば、またワタシから伝えます」

「ん、サンキュ」

 

連絡も終わり、離れていく茉子を見送る。

……何故かは知らないが、どうしてか必ず俺への報告は茉子を通して行われている。

理由は不明であるが、しかし俺としては茉子の隣にいられるので役得である。

 

「ん? 馨も呼ばれてるのか?」

「まぁね。多分いの一番だったんじゃないかな」

 

玄さんが来ると聞いて渋り、しかしレナも来ると聞いて参加を決意した元気な廉がヒョイと声をかけてくる。

……まぁ構想段階から声がかかっていたというか、俺も関係者だしな。

 

「ふーん……」

「なんだよ」

「意外だなって思っただけさ。お前、こういうの割と付き合い悪かったじゃん?」

「あれは……色々あったんだよ」

 

ワイワイ騒ぐのはあんまり好きじゃない……ということもあってか、大袈裟なイベントにはほとんどと言っていいほど出たことがない。

だから廉が意外というのもわかる。小春ちゃんも芦花さんも意外だと言うだろう。

……もちろん、それは何も知らなければの話だ。知っている側から見れば、出なきゃいけない話である。

 

「便利だよねぇ、色々あったって」

 

何処か拗ねたようにボヤく廉。

そりゃそうだ。こいつからしてみれば目まぐるしく状況が変化しているし、その理由も知らない。疎外感を感じても仕方ないことだろう。

 

「仕方ねえだろ。知ってもつまんねーことばっかだし、色々あったで済ませた方がいいんだよ」

「そりゃわかってるんだけどさ。昔からお前は──俺に何も言ってくれねぇもんな」

 

その言葉を聞いて、罪悪感が頭を支配する。

 

「悪いな」

「いいって」

 

口数少ないやり取り。

俺が黙るときはそういうときだとあいつも察しているのだろう。それ以上は何も言わずに、将臣に絡みに行った。

 

「あっ、そうだ。馨さん、当日の仕込みを手伝ってもらえます? 多分茉子一人じゃ忙しくなっちゃうと思うから」

 

そして俺は申し訳なさそうにやってきた芳乃ちゃんを見て、あのバカは本当に人に手伝わせる気のない阿呆だなと、自分のことは棚に上げて、それを了承するのだった──

 

どうせ安晴さんも芳乃ちゃんも手伝わせまい。手伝わせても俺か将臣か。まったくあいつは基本一人で何でもやろうとする。

そういうところが放って置けない。

 

なんか不安だなァ……

予鈴が鳴り響く中、順調に進んでくれるものかなと心配した。

 

あと、ついでに自分の英語力も心配した。

……ラテン語とかそっちは多少齧っているんだけど、英語はなーんか苦手なのよね、俺。

 

「ほら稲上、ここ答えて」

「……げっ」

 

──今日も疲れそうだ。

 

 

 

放課後も過ぎて、夜になればいつものように茉子の帰り道に同行するために、いつもの場所に向かう。

ただ、今日は違った。

 

「どうした将臣。芳乃ちゃん放っておいて茉子の相手か。ケツの軽い男だ」

 

自然と表情が険しくなり、低い声になる。

茉子の隣に将臣がいた。

 

──ムカつく。

 

どうしてお前がそこにいる?

お前は芳乃ちゃんの隣にいるべきだろう? なんで茉子の隣にお前がいる? そこは……

 

「なんだよアレか? まとめて食うつもりか? お前が色情魔であるなら殺すべき魔物だ。ふざけた真似をしてみろ、今すぐにでもその首を落としてやる」

 

沸き立ち荒ぶる妬心に従い、将臣目掛けて無茶苦茶なセリフをぶちまける。はっきり言おう、正気ではない。それほどまでに今将臣に対して妬心と疑心を抱いている。

……単に俺が筋の通っていないことが嫌いということもあるが、妬心の方が多くを占めている。

 

「落ち着けって馨! そういうのじゃないから! 全然違うから! 怖い顔やめて!」

「ならどうしてお前が茉子の隣にいる」

「元々常陸さんに聞きたいことがあったし、それに俺はお前に用があったんだよ」

「俺に?」

 

奴の真剣な表情と声から考えて嘘は言っていないようだ。

まぁ、そういうことなのだろう。恐らくは裏の話か。疑心は完全に静まるが、妬心はそれはそれとして少し燻っている。

……その理由は考えないフリをしてきたし、きっと違うだろうと思い込もうとしていたが……まぁ、そんなオチだったのだろう。

 

──クククッ、貴様も男だな──

 

茶化すな虚絶。

……認めようとしてこなかったが、こと此処に至っては致し方あるまい……認めよう。

 

──見て見ぬフリをしていたし、気付かぬフリをしていた貴様らしい、その最果てだ──

 

やめろ、そんなの俺がわかってる。

 

──まさか、一度は否定したことが事実とはなァ?──

 

もういいって!

 

──愛い子よな、馨。そういうところは"私"に似たか。奥手なのはいかんぞ? お前はとても一途で純粋な男なのだからな……クク、ハハハッ──

 

らしくない笑い声が内面に響く。

実に俺の先祖だ、ロクでもないところがよーくわかったよ……

 

「……馨? どうしたんだ? 急に黙って」

「馨くん? 大丈夫ですか?」

「え? あっ、あぁ、わかってる。大丈夫だ」

 

いかんいかん。

奴と"昔みたく戯言で楽しんでしまった"な。俺らしくもない。

将臣と茉子に笑顔を見せながら、別になんでもないと言う。

さて……

 

「んで……じゃあどうするんだ? 俺に用があるなら、立ち話だと面倒だろう。茉子には悪いが、先に帰ってもらう感じか」

「そうなるな。ごめんね、常陸さん」

「いえいえ。全然気にしてませんよ。有地さんも馨くんも、送ったり待ってたりしてくれてありがとうございます」

 

茉子を省くような形になってしまい、将臣が謝ると、茉子は笑顔でそう言って、ペコリと頭を下げた。

 

「では、おやすみなさい。また明日」

「うん、また明日」

「あぁ、おやすみ」

 

家路に着く茉子を笑顔で見送ってから、俺たちは向き合う。

先ほどとは違って、真剣な表情でだ。

 

「……さて、立ち話もなんだ。ウチ来るか?」

「頼む。割と寒い」

「いくらあったかい時期とは言っても夜に薄着はやめとけって」

 

割と薄着派な将臣には、穂織の夜中は風が透き通っていてかなり冷たいらしい。俺は慣れてしまったものだが。

上着を貸しつつ、将臣をウチに案内するのだった。

 

 

「着いたぞ」

「悪いな、道忘れててさ」

「いいさ、一度来たきりだろ? 早く入れ。俺が寒くなってきた」

「……悪い」

 

上は肌着だけの馨が家の鍵を開けて家に入っていく。それを後ろから見ていた将臣は、馨の家を改めて見る。

前に来た時は、馨に礼を言うために茉子に案内してもらった時のこと。あの時は余裕も何もなかったから、全然覚えても気にしてもいなかったが、今見てみるとかなり異質だ。

 

(……まばらな配置の家。馨の家はだいぶ現代的だけど、他の家はかなり微妙だ。それに道は整備されていると言えるけど、中心に比べれば──)

 

「何もない」という印象を強烈に与えさせる家の配置と場所。東側の端っこにあることといい、意図的なものを感じずにはいられない。それを無理矢理にそれっぽく見せかけているような……とにかく歪だ。

 

(……馨、お前は……)

 

将臣が茉子の帰宅に同行したのは、彼女の家が意外と遠いのだと知って、流石に送りが必要だろうと思ったのと、彼女が何故ムラサメが見えるのかが疑問であったこと。

そして、彼女しか知らないであろう馨の真実を知りたいと思ったことだ。

 

『ご主人。吾輩は確かに昔から馨を見ておるが──馨の内面は駒川の者以外は知り得ないだろう。芳乃や茉子であってもだ』

『馨さんは昔から一人で考えて、一人で決めてる印象があります。でも私たちも自分の事で手が一杯だったから、本心と接する機会はあまり無かったんです』

『……ワタシは、馨くんのことを何も知らないんですよ。有地さんが思っている以上に、ワタシと彼は距離があるんです』

 

ムラサメも、茉子も、芳乃も、稲上馨がどういう人間かを知っているが、しかしその本質……いや、どういう考えをしているのかを必要以上に知らない。

馨は何が好きで、何が嫌いで、いつ生まれてなどは知っているが、その根底にあるのものは朧げにしか分かっていない。

 

ただ三人とも、馨と長らく接していた所為もあってか、言いたくないことなら無理に知る必要は無いと思って引き下がってしまっていた。

……茉子だけは何か察しているようだが、それを問い詰めるほど将臣は割り切れなかった。

 

(……それとなく聞ければいいかな。ちょっと長くなりそうだけど……朝武さん拗ねないといいなぁ)

 

きっと知らないと、何処かでひどいすれ違いが起きそうな気がする。

将臣は、茉子や芳乃ほど馨という人間を知らないし、理解し切れてもいない。

 

「お邪魔します」

 

ただ悪い男ではないし、根っこは非常に純粋で少年的な人物だ。友達としてもかなり面白い奴だし、できることなら歩み寄りってやりたい。

 

……いや本当に弟のような人だなと思う。

 

何処か寂しさを感じさせる家に入りながら、しかし愛しの彼女に無理言って来たことに由来する心配事を胸の奥底に抱いた将臣であった。

 

「珈琲でいいか?」

「ああ」

「ミルクと砂糖は」

「一応用意しておいてくれ」

「へーい」

 

テキパキとコーヒーを用意する馨に返事をしつつ、将臣はリビングを見渡す。

これといって特徴も無ければ、無駄なものがほとんどないリビング。ビニール袋や雑誌が至る所に放ったらかしなのは馨の気質からだろうか。

 

(写真だ。あれは……ご両親の結婚式の写真かな? その隣は、小さい頃の朝武さんと常陸さんと馨の写真だ。あとは……廉太郎といる写真なんかもあるな)

 

リビングの壁には綺麗な状態を保った写真がいくつか飾られている。馨だけが写っているものもあれば、他の人と一緒に写っているものもある。幼少の頃と思われる写真は純真無垢な笑顔を見せているが、歳を重ねる毎に段々と馨の表情は苦笑めいたものになっていっている。

 

──そして将臣は、その写真の中に芳乃を更に大人っぽくしたような女性が写っているものを発見した。

同時によく知る安晴も写っている。と、なれば……答えはすぐに出た。

 

(……この人が、朝武さんのお母さん。名前は確か、秋穂さん……だったよな)

 

芳乃によく似ている。いや、芳乃が秋穂によく似ているというべきか。しかし内面は安晴寄りだったりするのだと過去にムラサメが語っていたのを思い出す。

なるほど、本当にそっくりだ。

 

「秋穂さんの写真が気になるのか」

「えっ、あ、まぁ……」

「本当にそっくりでな、二人は。本人も言ってたぞ。「私たちコピーアンドペーストみたいでしょ」とか」

 

いつの間にか用意してきた馨がコーヒーをテーブルに置きつつ、よいこらせとジジ臭い呟きと共に座る。

 

「ま、詳しいことが知りたきゃ安晴さんの惚気に付き合うことだな。俺はあの人を語れるほど長く接していた訳じゃない。あまりにも短い──それこそ、ただ月並みに優し過ぎる人だったとしか言えないくらいにはな」

 

何処か遠くに視線を向ける馨の表情は、悲しげなものであった。あまりにも早すぎる離別──それがどれほどの喪失と絶望を与えたのか、将臣には計り知れない。

だが彼は、それが関係者一同にとって、とても大きな意味を持った出来事であり、そういう意味では未だ部外者と言っても過言ではない自分は何も言うべきではないと理解していた。

 

少し暗い雰囲気になってしまったな、とも思いながら冷めないうちにとコーヒーを飲む。

暑くて苦く、酸味もある。が、しかし──

 

「なんか、美味しいなこれ」

 

それはそれとして美味しい。

コーヒーなんてどこも同じだと思っていたが、世界は広いらしい。それを聞いて馨はパッと身を乗り出して喋り出した。

 

「わかるか? 何せ豆を直接挽いてるからな。マシーンでやってもいいんだが、手回しでゴリゴリやるのが結局一番なんだ」

「お、おう?」

「紅茶もいい茶葉が手に入れば味が大きく変わるが、でもな将臣。珈琲にしろ紅茶にしろ、淹れる奴の淹れ方次第では最終的な味が変化するんだ。面白いだろ?」

 

目をキラキラさせながら早口で語る彼を見るのは初めてだった。今までは年不相応に大人びた面か、子供っぽい面しか見られなかった。やはり年相応の面もしっかり持っていて、普段は隠れてしまっているのだ。

 

──どうにかしてやりたい。

 

傲慢で偽善、要らぬ世話かもしれないが、将臣は本気でそう思っている。

 

「……っと、興味無い話だったよな。悪りぃ悪りぃ。庭造りと植物の手入れ、それから珈琲と紅茶を嗜むことくらいしか趣味が無くて、ついついお喋りになっちまう」

「いや、気にするなよ。それに俺、馨のそういうところが知りたかったしさ」

「俺は彼女持ちの男に口説かれてるのか? もう少し言葉を選んだ方がいい。じゃないと女の子にボロクソに貶されて知らないぞ」

 

やけにその実感のこもった言葉には頷くしかできない。

──そういえばこの前、朝武さんと芦花姉のところに行ったとき、少し前に愉快な馨を見たんだーなんて言ってたけど、それがそうだったのかな? ……なんて思ったとき、きっと馨の言う女の子は茉子のことなんだろうと察した。

 

「んで、お前茉子に何聞いたんだ」

 

楽しげ、神妙──そしてムスッとした顔にジト目。茉子の事になるとすぐこれだ。わかりやすい、露骨すぎる。

忙しなくコロコロと表情を変える馨の姿は新鮮で、普段は一切見せることないものもたまに見えるが、今日は本当に馨本来の人間性というかそういうものが剥き出しになっている。

 

「だーからそう警戒するなよ。単にどうしてムラサメちゃんが見えるのかって気になっただけだから」

「む、その話か……茉子はなんて?」

「端的に言えば朝武さんの親戚に値するからとは教えてくれたよ。ただその後のことは聞いても教えてくれなかった。シケた話になるだろうからって」

「そうか。──つまり、シケた話をしに来たってことでいいんだな。将臣」

「ああ」

 

空気が一変する。

馨は残ったコーヒーを飲み切ると、何から話たものかとボヤく。

そして、静かに語り出した。

 

「稲上と常陸と朝武。はっきり言ってその関係が良好になったのは結構最近の話だ。大昔はビジネスライク以外のものが無かった……と言っても過言ではない」

「なんか想像付かないな。だって稲上は祟り神討伐のために……」

「違う」

 

彼が言ったことであるのに、他ならぬ彼に否定された。しかも即答で。

その表情は重く、そして……

 

「祟り神を殺すために呼ばれたわけじゃない」

 

苦虫を噛み潰したような顔。

重々しく開かれた口から放たれたのは──

 

「……伊奈神は、常陸家に対する圧力と始末するための処刑人として呼ばれたんだ」

 

信じがたく、受け入れ難い真実。

疑問が頭を支配される。圧力と処刑人? どういうことだ理解できない。

 

「え? なんでだよ? どうして忍びである常陸家を始末する必要が──」

 

親戚で忍びである常陸に対する圧力をかける必要はない。家臣だったのだろう? だというのに何故? そんな関係ではないだろう。

近くで見てきても、常陸と朝武の関係は良好なのに……

 

「お前、忘れてないか?」

 

渋い顔をする将臣を諭すように、馨は無表情で言葉を続ける。

 

「安晴さんは最初に言った筈だ。──ムラサメ様を認識して話すことができるのは、直系の血筋に限られている……と」

 

そこで……脳裏に浮かび上がった可能性。直系の子孫であるのに別れたもの。呪いの始まり──神を捧げて贄とし水晶を砕いた男。

死んだ人間、あの忌まわしい輪廻を描き出した人間……

 

「まさか……」

 

凍り付く。声が震える。

それを見て馨はそれを──

 

「かつて朝武の血筋は二つに別れて争った。逆恨みから争いを起こし、そして死んだ長男──そうだ、常陸の始まりはそこにある」

 

一切の慈悲無く、虚無以外の何者でもない表情とともに、ただ容赦無く肯定した。

 

「詳しい話は知らんが、死んだ連中以外は恩赦で許されたらしい。だが家臣として迎えるのは論外。故に合意の上で、汚れ仕事の忍びというわけだ。もっとも、他の家臣たちはそれを認めるのは難しかっただろうが」

「──だから、常陸さんはわざわざ遠いところから毎朝来てるのか」

「そうなるな。そして不安要素に対するカウンターで稲上は呼ばれた。魔物狩りなんて言うが、結局は人殺しさ。そういうことだったんだよ……殺す事態になったら殺すだけ殺して出てけ。だからここにいる。まぁ、ウチは本家からの逃走用資金とかあって動けないんだけど」

 

なんてことだ。

あんなに身を粉にして尽くしている女の子に遥か昔の因縁を背負わせる? 何故だ? 何なのだその不条理は? ふざけるなよ。かつて必要であったとしても、今なお続けるものではない。

 

自然と将臣の顔が憤怒に歪む。

幼少の頃から家族のように仲の良い三人の間にあった闇は想像以上に暗く、そしてみんな違う真実を刻み込まれ、追い詰められ、そして自然と何処か歪んで行った──

 

「……クソッ」

 

心の底から吐き捨てる。

──酷い話だ。あんまりにもあんまりじゃないか、こんなのは。報われていない。身を呈してあの呪いと戦ってきた三人が、根本からしてどうしようもないところで蝕まれていたなんて。

そりゃ馨も褒めてくれと叫びたくもなる。褒められずに謝罪されてばかりであるのならば、それは必要なことだと考えてもおかしくない。

 

糞食らえだ──こんな宿痾。

 

「おいおい、そんな怖い顔するなよ」

「茶化すなよっ……逆にどんな顔して欲しいんだお前はっ」

「まだ話には続きがあるんだよ将臣。とりあえず聞けって」

 

一番心を痛めているのは馨である筈なのに、まるで早合点をした子を宥めるような表情と声でそんなことを言う。

──お前だって好きな子が不当な扱いを受けているのなんて殺したいほど嫌だろう? とか思うには思ったが、鼻歌交じりでカップに新しくコーヒーを注ぐ馨を見るとそこまで焦る事でもなさそうだとは考えられた。

 

「一口飲んどけ。落ち着くぞ?」

「……やっぱり美味いな」

「そりゃいい豆使ってるからな。豆の分くらいは美味くないと困る」

 

熱さと共に入ってくる苦味と酸味が、怒りでヒートアップした頭に届く。しばらく無言でコーヒーを飲み、ちょうど半分になったくらいで、馨は続きを話し始めた。

 

「すでに場所移動の話は朝武家から何回も出てるが、向こうが断っているんだ。もう過去の因縁は無い。全て時代と共にもう終わった話だ。心配なら茉子に聞けばいい。補強してくれる」

「……そっか。なら、よかった」

「あと俺の話だが……まぁこればかりは仕方ない。けどもう呪いを生み出そうにも苦労するご時世だ。それこそ虚絶を用いなければ数日で消える雑魚しかできんさ。そんな程度なら、その心配は無いよ」

 

ケラケラと笑いながら「ほら、なんでもないだろ? あとは気の持ちようで解決するのさ」と呟き、残ったコーヒーを飲み干す。

その姿はまるで、無理矢理自分を納得させているようにも、それだけでしかないとして受け入れているように見えた。

自分の心配は空回りだったみたいだ──その事実に、安心した。

 

ところが。

 

「んでだ、将臣……ちょっと芳乃ちゃんには言えない夜遊びしない?」

 

馨がやけにいい顔でそんなことを言う。

 

「お前存在そのものがシリアスなのに出てくる言葉割と最低だよな」

 

もはやその落差に呆れを通り越してはぁ、となるしかない。

 

「その夜遊びってなんだよ」

 

しかし恋人に言えない夜遊びとは一体……いやまさかなと少し恐怖しながら尋ねる。そして──

 

「これからクレープ焼く。んでコーヒー飲みながら食う。俺食いたいし。ものがねぇからシュガーバターだけどいいよな?」

「あっ、これは朝武さんには言えない夜遊びだわ。頼む」

「へへ、任された」

 

帰ってきた答えにYESで即答した。

 

そんなこんなで出来立ての、異常なほどに綺麗な形のクレープが皿に乗って出てくる。ついでに準備していたコーヒーも入れ、夜遊びの準備は整った。

 

「クレープ好きなのか?」

「ああ、パンケーキと並んで大好物だね」

「ちょっと意外かも。甘いもの好きって」

「ま、魚と野菜と米食えりゃいいって公言してっからな。意外なのは否定しないさ」

 

バターが溶け切らない内に食えよー、と言ってからひょいひょいと食べ始める馨。それに倣って食べ始めると、すぐにあることに気が付いた。

 

──馨の料理にしてはやけに美味い。

いや、普段が不味いというわけではない。少なくとも将臣は自分以上であると見ている。ただ廉太郎や小春、それに芦花と茉子──料理ができる人たちと比べると見劣りするのは事実だ。

見た目は一級レストランみたいに寸分の狂いも無い完璧なものなのだが、肝心の味がとても雑なのだ。濃すぎたり薄すぎたり……食べて「ほぅ」とは思えるが美味しいかと言われると味の雑さが先に来て何とも言えない。

 

そんな彼が作った料理にしては珍しく、田心屋で出しててもおかしくないものだった。

 

「昔、芦花さんの作ったクレープを食ってさ。以来どハマりしちまったんだ」

「芦花姉が?」

「ウチに用事があって来た時に、気紛れに作ってくれたんだ。その味が忘れられなくて再現するために色々やってたら……クレープとパンケーキだけは美味くなってな」

「朝武さんに食べさせてあげたら? 甘いもの好きだし」

「お前がいるだろ。教えろってんなら教えるぜ? 一通り基本は頭に入ってる」

「んじゃ、今度お願いしようかな」

 

そんな風に二人は友人らしい一時を過ごし、友人らしく笑い合い、友人らしく冗談を言い合って、友人らしく楽しんだ。

 

だからこそ。

将臣にとって、馨が何故自殺を選んだのかわからなかった。

何故なんだ? 何がそれを選択させたんだ?

──そうして気が付けば、ほとんど無意識の内に言葉がスラスラと吐き出されていった。

 

「言いたくなかったらいいんだけど……なんで馨は自殺を選んだんだ?」

 

将臣は死のうとしたという事実は知っていても、その理由を知らない。絶望したから自殺する……というのは、なんだか馨らしくないし、もし言っていたら周りの大人たちが全力でどうにかしようとするだろうし、芳乃も茉子も止めることが簡単に想像できる。

 

……しかし、馨は誰にも何も言わず死のうとした。突然のことだった。相談できる相手は両親がいるというのに。

 

彼にはどうしてもそこがわからなかった。

そして、同時にそこに何か……馨の人間性の根底があるのではないかと薄々感じていた。

 

「……死線を潜り抜けた仲であるお前になら、言ってもいいか。これは駒川だけしか知らないことだ」

 

そして馨は彼に言う義理も無い筈なのだが、しかし何を思ったのか。彼自身すらわからぬ衝動に身を任せ、何故死を選んだのかを明かし語った。

 

「俺はな、将臣。

 

──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()人間なんだよ」

 

寝耳に水という言葉があるが、馨から出てきた真実は、将臣にとってみれば、突然隕石が眼前に落ちてきたような衝撃だった。

 

……なんだそれは? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? 無茶苦茶だろ、どれだけ厳しく険しい生き方なんだ──将臣とて男。理想像を思い描くし、その通りに生きたいと思ったことがあるが……自分の性格や、環境を考えれば全て夢想に終わる。

──せいぜいが、こんな風になれたらなぁ、というボンヤリとした蜃気楼だけだ。

だが目の前の男は、愛した女の幼馴染は、蜃気楼を現実のものにしないと気が済まない……それの何と度し難く、苦しいことか。

 

「人に生まれたんだ。人として生きて、人として死ぬ。俺は最初にガツンとそう決めた。自分はこう生きて、こう死ぬってな──」

 

今も昔も変わらず、馨の願いは一つだけ。

 

──人として生き、人として死ぬ──

 

魔に近しくして生まれた少年が抱いていた、何の変哲も無い願い。

だが、彼は魔人として生まれたから、魔人として死ぬしかないのだと定義した。

 

「けど俺は魔人だった。魔人であるのが現実だった。人として生きて死ぬんだって決めたのに、蓋を開ければそれは叶わぬ願いだ。普通の人間なら、そこであれこれ考えてどうこうするんだろうが、俺は違う。それが叶わないなら、生きていたくもない──」

 

人として生き、人として死ぬ。それが願いであり全て。

自分はこう生きて、こう死ぬ──そう定めたこれを、最初に貫き通そうとした時に、最大にして最強の壁にぶち当たった。

最初に決めたのは人としての生、人としての死だというのに、友を殺す為の存在であるという、最初の現実に彼はぶちのめされた。

 

「ま、一種の潔癖症みたいなもんだと思ってもらえば分かりやすいな。有り体に言えば、何があっても絶対に間違えたくないし失敗したくないだけ。マンガやアニメの主人公みたく思い通りに行かなくなったときから、自分が憎くてたまらなくなるのさ」

「そんな……そんなのって、生きられないじゃないか!」

「生まれた時から死ぬ時まで間違い一つなく、賢者の如く生きて死ぬ。失敗したからこそ学べた? 必要な失敗だった?失敗してよかった? ──はっ、そんな戯言絶対に吐いてたまるか」

 

自分がこれと定めた道を走れない?

 

──なんという無能。

──まったくもって無様極まりない。

──恥晒しにもほどがある。

──筋が通っていない。

──吐き気がする。

 

馨とはそう思い、そう考える人間だ。

 

「やると決めたら押し通す。それ以外の選択肢なんざ在りはしない。途中でやめよう? 今からでもゴールを変える? ブレーキかけて道を探そう? ク、ク、あはっ、ハッハハハハハッ──なぁんて思えるわけねぇし選べるわけがねぇよ。大っ嫌いだ、ふざけんなってな!」

 

一度決めたのならば、後は徹頭徹尾雄々しく貫き通せなければ我慢ができない。理想型そのものになっていなければ気が済まない。傷一つ付かない理想の己であり続けていたい──それこそが、稲上馨という人間……彼の中にある最果ての真実だった。

 

「そこで諦められるようならなァ、俺は自殺を選んでねェんだよォ! 理想を目指して何が悪い! 擦り傷一つ憎んで何が悪い! 絶対! 完璧! 完全! 無敵! 最強! 最善! 最高! 男の子なら憧れて当たり前だろ!」

 

……自分は人として生きて死ぬ。そうしたいのにそうできないから。そんな己に価値も意味も無いから。

 

絶対でもない、完璧でもない、完全でもない、無敵でもない、最強でもない、最善でもない、最高でもない。

最初に思い描いた夢すら追えない。ならばと代替案を考えようとしても、それすら何一つ受け入れられない。

 

では死ね。

 

それこそ馨が、自分自身に下した判決である。

 

「……なんて悲しい性なんだよ、馨……!」

「駒川も同じことを言っていたさ。だからあいつは、俺に向かって"生きろ"と言ったんだ」

 

馨の脳裏に浮かぶのは、過去に自分の自殺を止めて、命を捨てようとした己に対する怒りを見せたみづはの姿。それが今の彼の原動力の一つ。

 

「決めたんだろ? だったら貫けよ、強い男の子なんだろ──あいつはそう言って俺に笑いかけたよ。一度の傷を嫌がるのも仕方ない。だけど魔人が人として生きられないとも決まったわけじゃない。これは失敗じゃなくて必要なことだ。傷のように見えて傷じゃない。最低でも二十歳まで生きろ、それでもダメなら、その選択を尊重する──」

 

しかし、ふと彼は顔を変える。

憧れの光に身を焦がされた殉教者ではなく、ただ一人の人間としての顔へ。

 

「……本当に二十歳まで生きるしか考えてなかったが……彼女に生きてと言われてしまったんだ」

 

そこで生きようと決めたのは、約束を守ると決めたならそれを成し遂げるという自分の性だけではない。

本当は、ずっと見て見ぬ振りをし続けてきた理由があった。

 

「──その辺はいいか。大声で言うようなもんじゃない」

「好きなんだろ、常陸さんのこと」

 

間髪入れずに弾き出された言葉。

 

「…………………………………………………………………………………………………………」

 

──たっぷり1分以上の沈黙。

そして視線があっちこっち行った後に、空のカップに手を伸ばし、中身を見て止める。

それから表情が面白いように百面相を始める。そこでやっと、ああ周りから見たとき自分もこんな顔をしていたときがあったんだろうなァ……と、将臣は納得した。

ぶっちゃけ、あれで隠せているつもりなのだろうか。関わりの浅い将臣が見ても、馨が茉子に好意を寄せているのは露骨だった。茉子がどうかはわからないが、少なくとも姉的な感情ではないのは確かだろう。

 

そして、一言。

 

「……………………………………まァ、うん………………」

 

内心さっき認めたばかりで、他人に言うのが恥ずかしいからと黙っていたこの男は、物凄く小さな声で、常陸茉子への好意を、他者に認めた。

 

「……ま、流石に惚れた女に生きてと言われたら生きようと考えるわな」

 

そう、結局はそれだ。

心の底から愛している女性に生きてと願われた。それだけで生きる理由になる。

……それに、色々考えてみて、無意識下で理解していたことがある。

 

「人として生きて死ぬ。それが貫けないのなら迷わず死ね。これは変わらんさ。押し通すのも変わらん。そして生きれば、傷を負い続ける自身を責め恨み続け──事あるごとに飽きもせず懲りもせず、己は何と罪深く度し難い存在だと苦しみ呪うんだろう」

 

しかしそう言い切って、彼は笑う。

 

「でも──それでいい。それがいいんだ。そうでなければならない。理想を貫けない、間違ってしまう、間違えてしまった苦しみを抱えてでも、生きるということが人の生であり、後悔を抱えて終わるのもまた人の死。過去を振り返ったときに、あぁ──こんな失敗もあったと認めて先に進めば十二分だ」

 

……そう口にして、ストンと胸に落ちた。

どうやら今の今まで、俺はそこまでたどり着きながら気付いていなかったらしい──馨は静かに笑い出す。

 

「やっと判った。ずっと知らなかった。生きるということは苦痛を感じることだったんだ。間違ってた──その事実に死ぬほど後悔しているし、今でも死ぬべきとすら思っている。これからもどんな些細な間違いであっても嫌だと思っている。だけどそれはそれだ。そんな間違いもあった、失敗もあった。それだけなんだ」

 

もう、死を選ぶ必要など無い。

生きるということはそういうことだと理解して、納得したのだから。

 

「死んでるように生きたくないからって、生きてるように死んでいたけど、これからはそれをやめる。死んでるように生きてやるさ。俺は生きたい……生きたいんだ」

 

生きるという前提から間違えていた。

だからこそ改めて始める。貫き通してみせると決意した。

 

「次に自殺を選ぶ時が来るとしたらそれは──俺が本当に人として生きられないとわかった時か。あるいは……茉子を、愛せなくなった時だろうな」

 

──真実人で無くなったのならば、それこそ……自分が死ぬべき存在になったのだろうと。

 

神刀の担い手と、妖刀に選ばれし者。

あらゆる意味で対極に位置する、光と闇が如き存在たちは。

 

「だからな将臣。もしものことがあったら……頼めるか?」

「あぁ。そのときは必ず俺が」

 

初めてその位置を確認し、理解をして、一つの約束をしたのだった──



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急転

そうして迎えたお祝い当日。

集合時間よりも結構早く着いた俺は、茉子と顔を合わせた。

 

「……と、言うわけで芳乃ちゃんの要請により救援に参った」

「助かります。じゃ、これが献立です。ワタシはこれをやってるので馨くんは──」

 

別に何でもなく、彼女はサラリと流して料理を作り始める。俺も献立を見て彼女のやってないものを作り始める。包丁捌きだけは俺は絶対に人並み以上のものだと自負している。味付けはヘッタクソだが。

 

「あ、それ取って」

「ん、わかった」

 

二人で黙々と準備を続ける。

俺は俺がやって問題無いものを作り、茉子は茉子がやるべきものを作る。そこにそれ以上のものはない。

 

そう、何も介在しない。

ドキドキしないし、いい匂いなんてしない。ごくごく普通の話。

目で追う必要も無い。

 

確かに、俺は茉子が好きだが……別に今まで以上を求める気は欠片も無い。何故か? 俺が彼女に抱く愛は姉弟愛と異性愛と、彼女の優しさに甘える心が入り混じってしまった歪な愛。決して真っ当な愛ではないからだ。

 

それは理屈だ……という人間もいるだろう。

 

だが冷静に考えてもみろ。彼女は俺に弟を求めている。そして俺は彼女を女として求めていると言ったら、互いの認識の不一致から面倒なことになって、お互いに後味の悪い結末を迎えることになるだろう。

 

心の底から好きだからこそ、それだけは避けなければならない。

 

──なーんて考えて、呆れたため息しか出てこない。

……いや本当に、俺は茉子しか見えていないらしい。というか茉子以外に惚れそうな女はいないと断言できるほど茉子に夢中だ。

 

割とレナや芦花さんに心惹かれてそうなものだと自分でも思ってはいたのだが、驚くほど冷静かつ的確、そして絶対的にそうではないと断言できる。

 

ならば俺は、茉子が望むなら彼女の弟分であり続ける。惚れた女に望まれているのならば、それはそれで悪くない。個人の心としては、それ以上になれたらなぁとは思わなくもないけど、俺は人を不幸にしてしまう考えや事情が多すぎる。

ま、好きな人の幸せを横目で見れるなら、なんでもいいさ──

 

「馨くん?」

「いや、なんでも」

「変な馨くんですね」

「そうかァ?」

「そうですよ」

「そっか」

 

そんなやり取りをしてみれば、クスクスと笑う茉子に吊られて俺もケラケラと笑ってしまう。

 

──初々しいな。もっとガツンと行かんか──

 

いや、枯れた身みたいなもんだし……

 

──男ならがっつけ。狼になれ。甲斐性を見せろ。大抵こういう場合というのは、お互いに満更でもなかったりするのだ──

 

お前もわかってんだろ? 茉子はあくまでも俺を弟としてしか扱ってない。だっていうのにそういう風に立ち回ったらアレじゃないか、インモラルじゃないか。

 

──今更いんもらるもクソもありはすまいて……重症だなこれは──

 

何がだよ。

 

──もういい、面倒な奴らめ。我に話かけるな。こんな面倒とは思わなんだ──

 

お前から声かけてきたんだろ!?

めちゃくちゃ言うなやお前な!

 

──まったく"私"に似たのか、"アレ"に似たのか。いやどちらにも似たのか。この面倒臭い恋愛感情もそうだが、余計なところばかり似おってからに──

 

という独白を吐き捨てるように呟いた後、虚絶は俺からの呼びかけを無視するようになった。

好き放題言ってこれとか本当にご先祖様過ぎて何も言えない。こういう余計なところも似たのだろうか? いやまぁ、ウチの家系はみんなこんな感じだしなァ。

親父も婆ァも伯父貴も、本性は面倒というかややこしい人だし。

 

「……ふっ」

 

まぁいいか。

茉子の隣は、今だけは俺のものだ。

 

──ほんの少しだけ。

こんな俺を、彼女の隣にいさせてくれ。

ほんの僅かな時間でも……

 

──それなりに面白い感じだな──

──面白いけど、趣味悪いわね──

──そういう人間だからな──

──知ってる。けどどうするの?──

──恋煩いはどうしようもない──

──使えないわね。過去の力も何も意味もなしていない──

──愛は狂気であり、そしてあらゆる要素に対して勝るものだ──

 

──だから/故に──

 

──今度こそ殺してやる──

──今度こそ死に絶えろ──

 

「……んでさ、生物はいつ届くの?」

「有地さーん? いつですかー?」

「あ、それなら3時くらいって」

「そりゃ二人で回すには無理だな。虚ぜ……あダメだ。あいつ拗ねて口聞かねえ。将臣、お前できる?」

「え、俺? 見栄えも味も保証出来ないぞ」

「無いよかマシだ。あとは芳乃ちゃんや安晴さんにも手伝って──」

「それはダメです。ワタシたちでなんとかしましょう」

「将臣、芳乃ちゃん、安晴さん。この石頭説得しよう」

 

──結局。

中々折れない茉子を見兼ねて将臣がレナと小春ちゃんに救援を求めたくらいで、芳乃ちゃんと安晴さんによって彼女の砦が陥落され、なんとも言えない雰囲気の中二人がやって来てしまい、もうどうしようもねぇやと準備を進めることになった。

 

まぁ、人が増えることはいいよな。うん。

 

 

 

「背中にへばり付くのはあまりよろしくないかと思うけど? ムラサメ様」

「やかましい。吾輩にも色々あるのだ」

 

客も揃って配膳を始める中、姿を消して将臣の背中にへばり付くムラサメ様を発見したので、虚絶のように見えなくした腕を伸ばして彼女を呼び止めた。

なんで見えたかって? メガネ様様ってことで。ピント合わせりゃ見えるのさ。余計なもんまでな。

 

「恋人持ちの男だよ?」

「吾輩にはご主人以外の何者でもない」

「違いねえ」

「恋か何かかとも、最初は思ったのじゃがな」

「え」

 

ムラサメ様の口から恋とか飛び出してきた所為で、極めて間抜けな声しか上げられない。きっと表情も間抜けなものだろう。

 

「だが相棒、戦友、友人──いくらでも当て嵌まるが、恋だけは絶対に違うとわかった。恋であるのならば……吾輩はもっと喰い付いたであろうからな」

「わぁお、肉食系」

「温もりに飢えておるのは事実じゃろう。一度だけ抱いてくれとでも迫ったろうさ。まぁ、そういう意味では惚れているのじゃな」

 

クツクツと笑いながら、ムラサメ様は心酔する的な意味で惚れていると発言した。

そんな彼女に、やはり俺は畏敬の念を抱く。純粋に、カッコいいのだ。そうした感情を正確に理解し、己を律し、自己を確立しているというのは。

 

──男の子なら憧れて当然だろ?

 

……だけどきっとこの人は、その憧れはダメな憧れだと優しく正してくれるんだろうけど。

 

「というか馨。油売ってていいものか?」

「大丈夫。ちょっとくらいは──」

「馨さんっ、仕事してくださいっ」

 

ヒョイと顔を出した芳乃ちゃんに怒られる。

 

「怒られたのぅ」

 

──全然大丈夫じゃなかった。

 

「さぁて仕事仕事……おい廉、テメェも来いよー。どうせ暇してんだろー?」

「お前、俺を口実にサボろうとしてない?」

「にゃァん、別にィ?」

「キモっ」

「ひでぇ」

 

廉のガチで嫌そうな顔を見て、ちょっとショックを受けた。

いやお前……友達だからって言っていいことと悪いことあるんだぞ?

 

割とガチで凹みつつ、配膳を続け──不意に、駒川と目が合った。

 

「やぁ」

「よぉ」

 

普段通りの、味気ない挨拶と絶妙に合わない視線。奴はいつもと同じように、少し寂しげな笑顔を見せる。俺はどうしたらいいのか、実は未だにわからないから……ただ顔を逸らして、黙るしかできない。

 

「あー……その……なんだ」

 

ただとりあえず言うべきことがあるのは事実。

しかし俺の深遠を知る人間はほとんどいないので、下手に妙なことを言ってはならない。故に──

 

「色々、言ったわ。うん」

 

端的に伝えること。

それが最適解だ。

 

「そっかぁ。言えたんだね」

「あぁ、言えた」

「でも変わらないんだろ?」

「根本だけはな。変えられない」

「それでいいさ」

 

珍しく安堵した表情と声で奴はそう言い、俺の頭をクシャクシャと撫でる。もうそんな歳でもないのだが、散々迷惑をかけたんだ。これくらい安いものだ。

 

「もういいだろ」

 

ただまぁ、口と身体は素直じゃない。

恥ずかしさに負けて、頭を撫でていた手を掴んで離させてしまう。

そんな様子を見て、奴はケラケラと笑う。

 

「素直じゃない奴」

「うっせ。今日はパーっと騒げ。んで寝ろ。たまにはしっかり気晴らししとけ。俺もあんたも、似たようなもんだからな」

「心遣い感謝するよ」

 

周りの奴らはまだ俺たちに意識は向けていないが、しかしあまり話し込むのも考えものだ。それに俺と駒川の間に飾った言葉は必要無い。

──これだけでも十二分だ。

 

「あ、お酒は程々にするんだぞ」

「わかってるってばっ」

 

……訂正。

信用されていなかった。

別にいいじゃん、ビール瓶一本空けるくらい……

 

 

そんなこんなで準備は完了。

あとは乾杯を残すのみとなったのだが……

 

「普通なら僕が何かを言うべきだろうけど、それじゃつまらないので、将臣君から何か一言言ってもらってからにしよう」

 

ここで安晴さんまさかのキラーパス。

ギョッと目を向くこの間抜けが、昨日俺の真実に踏み入ってきた男と同じとは思えん。

 

「いやいや。俺じゃダメでしょ安晴さん。ここはやっぱり、朝武さんとか常陸さんとかがやる場面ですって」

「あ、ワタシは丁重にご辞退申し上げましたので」

「私もなので、是非有地さんに」

 

とても素晴らしい笑顔とまるで音符が付いていそうなくらいに弾んだ声の茉子。対照的に、控えめに微笑みながらキラーパスをぶん投げる芳乃ちゃん。

一瞬で勝てないと悟ったのか、視線は俺へと向けられる。

焦った表情が面白い。

 

「馨っ! 頼む! お前慣れてるだろ!?」

「はっはっはっ。そんなの思えるわけねぇし選べるわけがねぇよ。面倒は嫌いだ、ふざけんなってな!」

「敢えて昨日の言い回しするかお前!?」

「まぁ俺のキャラじゃないし諦めろや。お前がやれ。面倒嫌いだし。つかやりたくないし」

「……えぇー」

「まぁどんなこと言っても許されるさ。気にせずやれよ」

 

付き合ってられんと横になる。

ただし位置の関係上、俺の眼前に広がる光景は茉子の(自称)太いおみ足という楽園である。

 

「わぁお、眼福」

 

とても眼福。

めちゃ……いや、品が無いからやめておこう。

 

「っ!? 見ないでくださいっ」

 

しかし顔を真っ赤にした茉子は、グイッと下腹部を隠すように服を掴み、そしてついでに俺を押して反対方向に向かせてしまった。

 

ちぇーっとか言いながら身体を起こす。

向こうでは将臣と芳乃ちゃんがあれこれと揉めてる。あ、ムラサメ様が将臣を丸め込んだ。

で、硬い挨拶から行ったら旧友に茶化されてやんの。プークスクス。

 

「今日は憑代を無事奉ることができたお祝いなんだけど、まぁ色々知らない人もいるから、とりあえず事情を説明させてくれ」

 

おっと、本題かな。

 

「本当に祟り神って存在がいてさ、まぁ夜な夜な暴れてたんだよ」

 

……あれ? ムラサメ様の紹介も兼ねてるのにそっち行っちゃう? 普通にムラサメ様を紹介すりゃいいのになんで……?

 

「それを朝武さん、常陸さん、そして馨が今まで命を賭して祓ってくれていたんだ」

 

厳密には違うと突っ込もうとしたが、当然ながらその辺はシケた話になるのでやめておくことにする。祝いの場には似合わない。

 

「えぇーっ!?」

「じゃあ、伝承は本当にあったことなんだ……」

「いやいや、冗談キツイぜ将臣。流石に嘘……いや待てよ? おい馨、お前よく駒川先生と追いかけっこしてたけど──」

 

疑惑の視線がこちらに突き刺さる。

仕方ねえ……言うか。

 

「ま、俺は三人とは違ってちょいと傷が出来やすかっただけだ」

「ついでに治りやすい身体だからと言って医者に報告しなかった悪ガキさ」

「駒川ァ!?」

 

予想外の伏兵である。

お前が言うのかよ。てか納得したような顔をするなそこの今知った三人。

 

「ごめんごめん。でも追いかけっこの理由まで聞かれそうだから先手を打っておかないと」

 

駒川の言ったことも事実だが、とにもかくにも、話は元に戻さねば。

 

「まぁそうだけどよ……とにかく、ほら、アレあったろ。俺や将臣が倒れた話。あれの真相は祟りとの戦いってワケ」

 

補強がてらそう言うと、いの一番に食い付いたのは小春ちゃんだった。

 

「本当ですか? 巫女姫様」

「はい。全て本当の事です」

 

こくんと頷き、しかしと続ける。

 

「それももう終わり。憑代を奉ることで祟り神の怒りは鎮められました。あんな事件は二度と起こりません」

 

……まぁ、不安要素はあるがと付くが。

このまま何も無ければいいんだがね。

 

「そ、それなら良かったけど……」

「なるほどねぇ、こりゃ色々としか言えんわな……ビビったけど」

「裏で色んなことがあったんだね。全然知らなかったよ」

 

芦花さんと廉はスッと飲み込んだようだが、小春ちゃんは少し不満気……というか、色々と感情が見えている。まぁそれだけ将臣が愛されているということだろう。

……ふと思ったけど、従兄妹同士ってどうなんだ? 近親相姦になるのか?

 

いやまぁどうでもいいか。

結局くっ付いたのは芳乃ちゃんとだし。

 

「それでなんだけどさ、三人はムラサメ様の伝説を知ってるよな」

「うん、御神刀を作るために人柱になった女の子の話だよね。でもまー坊、それとこれって何の関係が……?」

「この話のオチは、ムラサメちゃんは実在するっていうところに繋がるんだ。こんな風に」

 

と、将臣は座っているムラサメ様の頭を撫でる。しかし見えない人間には虚空に手を置いているようにしか見えない。特に今日知った三人は目を見開いている辺り、かなり異常な光景のように見えるのだろう。

──俺は見える見えないも自由だし、違和感も無いのだが。

 

「ずっと昔からここを守り続けていたんだ、ムラサメちゃんは。だから多くの人に知って欲しい。ほとんどの人には見えないけど、俺たち見える側がその橋渡し役をすればいい」

 

そんなカッコいいことを言っているが、ムラサメ様を撫でているので割と締まらない。気恥ずかしそうなムラサメ様はレアな光景だ。

しかし将臣は急に視線を俺に向ける。

 

「んでさ、馨もちょっと顔を出させてやったら?」

 

顔を出させる、とは。

つまるところ、虚絶を出せというのだろうか。あの女を? いやまあいいんだが……

 

「それ必要?」

「あの人も昔から戦ってきたろ」

「……わーったよ。皆さまあまり驚かれないように。俺のご先祖様の慣れ果てだからな」

 

そう言って手を前に伸ばす。

発言の意味がわからない人の方が多く、中には首を傾げているのもいる。玄さんですら怪訝な顔をしている。そんなに……いや不思議だわ。

 

そうして強制的に外に出す。

シトシトと黒い雫が俺の腕から垂れる。それが床に黒い沼を作り上げ、人型がその中から浮かび上がってくる。

 

真っ黒な人型。

ホラーすぎて小春ちゃんが怯えてる。

 

「……祝いの席に我を呼ぶとは、余程面白い男だな……神刀の担い手」

 

黒い人型が響是津京香と呼ばれた人型を形成し、黒い沼は消え、彼女は開口一番将臣にそんなことを言った。

 

「童どもには、改めて名乗ろうか。我は虚絶。貴公らには響是津京香の方が通りが良いか。まぁ、そういうことだ」

「……つまり何? お前はその……よくわからない存在みたいなご先祖様を親戚って紹介したの?」

「だって楽じゃん」

「マジかよ。そりゃ子持ちなワケだ」

 

ショックを受けた廉には呆れ返るしかできん。

 

「もういいか。我は貴様の、そのどうしようもなく面倒な感情に頭を抱えているのだ。故に端末よ、しばらく起こすな。我は寝る」

 

しかし虚絶は面倒くさそうにそう言い捨てて、俺の中へと戻っていった。そんなに嫌か。てかそんなに俺の頭の中に頭を悩ませるのか。

 

「き、消えちゃった」

「あー、大丈夫だよ芦花さん。どーせ人の頭ン中勝手に覗いて勝手に疲れてんだ。いい気味だよ」

「なんだか複雑なんだね」

「単に子孫とご先祖だけじゃ表せないのは事実だけど、複雑かどうかはまた別だよ。あ、ちなみにレナと将臣、それから茉子と芳乃ちゃんは初めからムラサメ様が見える組で、見えてないけど知ってる組が玄さん、安晴さん、駒川。んで俺は最近見えるようになった組ね」

 

あ、廉が玄さんを問い詰めに行った。

やれなんでそんな女の子の事を教えてくれなかったんだとか……お前ブレねぇな!

 

「あー、将臣。そろそろ締め入っとけ。俺の所為で余計長くなったしな。飯も冷める」

「と、いうわけで今日はムラサメちゃんもいるし、気になる事とか話したい事あったら俺とかの見える組に言ってくれ。間に入るから。以上! 憑代が奉られて良かったね! これで穂織は安寧だ! 乾杯!」

 

高々とグラスを掲げる将臣。意外と様になっているが中身はウーロン茶だ。俺? そりゃビールよ。飲みすぎなきゃいいってお墨付きだ。存分に楽しませてもらうんだよ!

 

『乾杯!』

「……乾杯」

 

ただやっぱり、自分が此処に出て良かったのかなと思うところがあり、少しだけ遅れてしまった。

 

──それからはどんちゃん騒ぎだ。ムラサメ様への質問、将臣の余計な一言で芳乃ちゃんが妬心を燃やしてあーんしてたりなんだり……大人組は酒も入ってなんだか楽しそうだし。

 

「──」

 

久しぶりに飲むビールの味はわからない。美味い飯に楽しい時間……あとは酔いを回す酒。充実感と満足が先に来て味とかそういうのは後回しになっている。

でもそれでいい。

一歩引いたところから見守っているのがちょうどいい。

 

「何黄昏てるのさ」

「テメェもよく知るネタでだよ」

「そうかい。じゃあほら、注いでくれ。実は楽しみにしてたんだぞ? 君とこうしてお酒が飲める日をね」

「親かってーの」

 

ヒョイと横に来て、空のコップを差し出してくる駒川に対応しつつ、本当に親のような奴だなァ……としみじみ思う。親代わりと言っても過言ではない。別に親父やお袋から愛情を感じなかったとか、そういうわけではないが……

 

「なぁ、駒川──」

「おい馨! お主もこっちに来い! 主役であろう!」

「あー、悪りぃ。呼ばれたから行ってくるよ」

「あぁ、行っておいで。君も楽しめよ?」

「言われなくても──はいはい、行くよ! ムラサメ様は寂しがり屋だなァ!」

 

──やれやれ、今日は楽しく忙しそうだ。

 

 

その後は色々あった。

掻い摘んで話すと、将臣が玄さんに勧められた酒で酔い潰れたり、芳乃ちゃんが慌てながら介抱したり、酔った廉がモテないことに泣き出したり……あとは芦花さんも彼氏が出来ないことを嘆いてたな。

 

……あれ? なんか大抵モテないことに嘆いてるなコレ。まぁ田舎だし……顔見知りだしなぁ。

 

「よし……と」

 

結局夜遅くまでやったが、酔い潰れそうになってる大人や片付けも考え出すと、あんまり回ってない組が色々を世話を焼こうとしてしまう。

今日はもういいだろ? なんて駒川に丸め込まれて俺は大人しくしていたが、まぁそれも悪くない話だ。

 

潰れた将臣は芳乃ちゃんに任せればいい。頭が回ってる廉と小春、それにレナが完全に酔いが回った玄さんのフォローをしながら帰っていった。駒川も芦花さんも帰ったし、あとは後片付けに不備がないかを確認するだけ。

 

……まぁ、あれやこれやと語ってはみたが。

 

結論から言えば、俺たちらしく、グダグタとした終わりだったということさ。

 

「月、デカイな」

「そうですね。今日は一際」

 

だからこうして茉子と帰るのも、当然と言えば当然だ。

 

「そうだ。どうでもいい話だけどさ、月が綺麗ですねってのは信憑性の無い俗説なんだとよ」

「それ、今言うことですか」

「話題がねぇんだよ」

「今日のお祝いの話題があるでしょう」

「全部楽しかったろ?」

「それは極論」

「手厳しい」

 

笑い合いながら歩く、月下の道。

いつも通り、何も変わらない。自覚しようが何をしようが、何一つ変わることもない。

 

そう、変わるはずなど無かったのに。

 

「あの……馨くんはさ」

「ん?」

 

不意に茉子が真剣な表情で俺と向き合う。

そして──

 

「好きな子とか……いるの?」

 

なんて、いきなり言ってきた。

 

「えっ……あー、そういうこと。まぁお前も色々あるもんな。特に願いの話とか」

 

──どうしよう。

まさか眼前のお前が好きな子ですなんて言えるわけもなし。別に好意を伝えても結ばれるつもりは無いと言えばいいのに、何故かそれは絶対に出来ないと確信した。

悩んで、悩んで、悩んで、悩んだその果てに、困ったような顔と共に口にできたその言葉は──

 

「いないかな」

 

なんともつまらない、そしてなんとも臆病な嘘だった。

 

「そっか」

 

茉子はそれを何でもないように受け止めて、何でもないように返した。

そうして無言のまま、いつも通りの別れ道に到着する。

 

「またな」

「うん。またね」

 

微笑む彼女と別れて、やはり何一つ変わりない日常だったなと今日を締めくくりながら、俺は一人家に向かうのだった……

 

 

 

「楽しかった?」

「ああ。普段とは全く違って、話せぬ者とも話せたし、食べれぬ馳走も食べられた。これが楽しくない訳がなかろう」

 

馨と茉子が別れたのと同時刻。

ムラサメと将臣は、外で月を眺めながらそんなことを話していた。

 

「のぅ、ご主人。吾輩が人柱になる日もな、こんな月の夜じゃった」

「そうだったんだ」

「消え逝く灯のような扱いじゃった。多くの者が別れを惜しみ宴を開いた……そして吾輩はこう成り果てた。だというに、五百も経ってみればかつてと似ているようで、しかし確実に違っている事が起きるとはな」

 

寂しさを含ませた笑い声が響く。

しかし次には花が咲いたような笑顔を彼女は見せた。

 

「じゃが、嬉しかったぞご主人。今、吾輩はここにおる……それが実感できた」

「なら良かったよ」

「さて、そろそろ冷える頃合いじゃろう。戻って芳乃の温もりでも分けてもらえ」

「前々から思ってたけどムラサメちゃんも結構アレなところあるよね!」

 

このネタでからかわれるのは一体何回目だろうか。まだキスもできていないと言ったら馨は吹き出すほど驚いていたし。

応援してくれるのは嬉しいが、どうしてこうみんな微妙な感じなのか。一番まともにアドバイスしたり応援してくれるのが女に飢えている廉太郎だけというのが、将臣の中でなんというか腑に落ちない。

……なんだかこう、ちょっと違くね? とか思ったりするのだ。

 

「けど風邪引きたくないし、戻らないとな」

 

そう呟いて立ち上がり、隣にいる戦友に微笑んで手を伸ばす。

 

「これからもよろしくな、相棒」

 

その手をがっしりと握り、彼女もまた微笑む。

 

「応さ。こちらからもよろしく頼むぞ、相棒」

 

 

 

そうして二人が戻ると、ゆらりと影から人が現れる。

 

(……行きましたか)

 

──それは茉子であった。

彼女はそのまま本殿の扉を開け、中へと入っていく。事前に安晴から借りていた鍵を使ったのだ。

 

彼女の前にあるのは、静寂と憑代のみ。

 

「ワタシのご先祖が残した呪いは……もう、終わったんですよね」

 

今の今まで罪滅ぼしの為だけに人生を費やしてきた。だがそれももう終わり。中々決心が付かなかったが──彼女は今日のお祝いと、馨との少しのやり取りを通して、ずっと昔から抱えていた本音と向き合うことを決意した。

 

これからの人生は、そのために使うと。

 

自然と言葉が紡がれる。

 

「ワタシは……人として、人間として生きて──」

 

その続きを言おうとして、止まる。

何もかもわかっているのに、言えない。

 

だけどもうそれは終わるのだと決めた。振り払うように、彼女は本音を曝け出した。

 

「好きな人に好きだって言って、抱き締めたり温もりを感じ合いたい……」

 

言い切った途端、ストンと何かが落ちたような感覚がすると同時に、彼女の中に眠っていたモノがはっきりとした形になって現れる。蓋をしていた筈の醜悪な感情が滲み出る。

 

好きな人……とは誰か。

 

──ワタシから離れない人。

──ワタシが離れられない人。

──ワタシが求めてる人。

──ワタシを求めてる人。

 

茉子はその答えを知っている。

だけど自分はその人の隣にいる資格は無いとわかっている。醜く歪んだ狂気に従って男女としての温もりを求めてしまうなんて、純粋に慕ってくれているその人への裏切りに等しい。

わかってる……わかってる。その人が女としての自分ではなく、姉としての自分を欲しているのだと。だけどそれでも、それでもとそれ以上を望んでしまう。

 

……けど、自分では彼を幸せにはできない。何処まで行っても自分たちは姉弟モドキ。他ならぬ彼が言っていたこと。抱く愛は姉弟愛と異性愛と、彼の優しさに甘える心が入り混じってしまった歪な愛。決して真っ当な愛ではない。

姉を求める彼に、女として接しようだなんて不幸以外の何者でもない。だから──

 

──ワタシは彼と結ばれちゃいけない。彼の本当の幸せと時間を奪ってしまうから。

 

そうに違いない。

決まっている。

だけどそれでも、心の底から好きだから。彼が望むのであれば、姉として。好きな人の幸せを応援したい。

 

……同じ人なのに、人として生きられなかった人。

その人と、人として──

 

「あは──愛おしいですよ……」

 

溢れ出す感情は、理性で押し留めるのも不可能だった。

彼女は今、かつてないほどに本心を剥き出しにしている……

 

──ミツケタ──

 

……刹那、無音の中に音が響いた。

扉は閉めてあるのに、何故か嫌な風を感じる。

 

──コイガシタイ……アイシタイ……ソノカンジョウ──

 

──アネギミト、オナジネガイ──

 

──アイスルトハ、ナンダ──

 

「──何者ですかっ」

 

周囲を見回しながら声を張る。

しかし音とも声とも取れない何かが、空間に響き渡るのみであり、茉子以外には「何もない」……

 

「……」

 

クナイを抜き、構える。

 

──そして、ゾワリと背筋が凍った。

祀られている憑代と呼ばれる水晶から黒い靄が立ち上っている。

そしてその靄からシトシトと暗く黒い雫が垂れ落ち……床に沼を作り上げる。

 

──インネンカ。ソノチガナガレルオマエガワタシノモトメルコタエトオナジトハ──

 

その中から、何かが生まれた。

獣の如き四足歩行の影。

赤光の瞳、剣を連想させる尾。

 

それは──あの日見た、完全な姿となった祟り神。

 

「──そんなっ!?」

 

動揺が先走った。普段の冷静さが消し飛んだ。終わったはずなのに、どうして、どうして──!?

呪いの再来。

終わっていなかったなんて……!?

 

完全に顕現すると同時に、彼女めがけて飛びかかる祟り。

思考が動揺一色に染まり上がっていた茉子の反応は、一拍どころか二、三拍遅れている。

 

無論、回避も防御もできない。

得物がクナイである以上、大物の突進は避けることでしか対応できない。しかし避けられもしない、防げもしない──

 

(……あは、ここでおしまいですか……)

 

胸に飛来するのは無念。

 

(せっかく、決意したのになぁ……)

 

こんなところで終わりたくない。

やっとひと段落ついて、やっぱりと思ったのに。

 

(……皆さん、ごめんなさい……)

 

だけど現実はどうしようもない。

馨くんも、こんな風にどうしようもない現実に打ちのめされたのかな──? なんて考えて。

 

(先に逝ってるけど……ちゃんと生きてね……)

 

ただ一人。

弟のように思っていても、ずっと心惹かれて想っていた男の子の、寂しげな笑顔を思い浮かべながら、その意識を闇に沈めた……

 

 

 

──筈だった。

 

不意に意識が浮上する。

 

(閻魔の審判はえらく早いものですね)

 

なんて内心自嘲しながら、瞼を開ける。

しかし祟り神の姿もなければ、本殿は何一つ変わっていない。

 

(──どういうこと? アレは幻覚なんかじゃない……なら、何もしなかった?)

 

血筋的に憎んでいる自分に何もしないなんてあり得ない。

もしかしたら、芳乃様に──!? そこまで考えて、考えよりも行動よりも先に声が出る。

 

「わんっ!」

 

……茉子の思考は停止した。

 

(犬の鳴き声……? それに、なんだか視線が低い。足元に散らばってるのは、ワタシが着てた服……!?)

 

 

その時。

子犬の鳴き声が、満月と星々の輝ける夜に木霊した。

 

それはまるで母を求める鳴き声のようでもあり──

 

いいや、敢えてこう言おう。

 

ただの困惑した咆哮だった……

 




Chapter5があまりにも長くなりそうなので、大体半分ほど出来上がり次第一旦投稿したいと思います。
いやぁ……また膨大な文字数になりそうで……しかも話数も多くなりそうで。
3月の終わりまでには何とか半分行きたいなぁ


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Chapter5 恋心 子犬

と、とりあえずキリがいいとこまで行ったから投稿……でもまだフルは終わってません……ごめんなさい


「……ぁんだよ、うっせぇな……」

 

俺が早朝に起きたのは、珍しいことにキャンキャン犬が吠えているからだった。家の前でキャンキャン鳴いてやがる。クソうるせぇ。しかもなんだ、この辺で犬飼い始めたなんて聞かねえから、野良だよな。

 

……仕方ない。

野良なら追い払うか。

 

「ギャーギャーうるせーんだよ、ったく……」

 

文句をボヤきながら玄関を開けると──

 

「わんっ!」

 

漆黒の塊が俺に飛び込んで来た。

 

「おわっ!?」

 

急な対応もできずにそれを胴に喰らう。咄嗟にそれを抱え込みながら、倒れ込みそうな身体をなんとかして押さえ込む。

 

「なんねなんね……」

 

なんだと思って視線を下に向けて見れば。

 

真っ黒い子犬だった。

 

いや、真っ黒い子犬というのは語弊がある。正しくは泥に汚れた子犬だった。白い毛が漆黒と勘違いするほどに汚れている。ウルウルと俺と視線を合わせて同情を誘うような声で鳴いてくるし、テシテシと前足で俺の胸を叩いてくるが、生憎と犬語はわからない。

 

「……あー、服が汚れちまったな」

 

懐かれる要素など無いはずなのだが、動物の相手をするのは嫌いじゃない。というのも、奴らの自由気ままさは尊敬にすら値するから……って話なんだが。

 

つーかこいつ、飼い犬か?

……んー、首輪もねぇし違うのか? まぁウチで預かってもいいんだが……

 

「てかなんだお前。さっきから申し訳なさそうに鳴いたりショボくれやがって。人間みてぇだなオイ。……まぁ、とにかく風呂入るがてらこいつも洗うか……」

 

服が汚れちまったと言った時、何処か申し訳なさそうな雰囲気をしたり、そんな感じの鳴き声を上げている辺り、かなり賢いというか、人間慣れしているのやもしれん。

まぁ、いいか。

猛烈に抗議したそうにキャンキャン鳴き始めた子犬を無視して、俺は家の中に戻るのだった……

 

 

 

 

(いやいやいや、ワタシですよワタシ!! 茉子ですよ!?)

 

しかし当の子犬……というか子犬になってしまった茉子はそれどころの騒ぎではなかった。

昨晩祟り神と接触したと思われる結果、何故か子犬になってしまった彼女だが、芳乃の安全を確認することもできず、不慣れな犬の身体に振り回されて散々苦労し、挙句疲れて寝てしまい、やっとのことで恐らく自分だと分かるであろう馨の元に向かったのだが──

 

「なんだよその視線は。新聞紙の上から動くんじゃねーぞ。床汚れるから」

(ダメかぁ……うう、わかるって信じてたのに……)

 

……このザマである。

必死になって行ったというのに、一切気付いてもらえずに完全に子犬扱い。泥だらけの身体の所為で今は新聞紙の上にチョコンと座っている。

 

「さて、風呂付けるか」

「待て端末よ」

 

風呂を付けようと動いた馨を止めるのは、突如として実体化した虚絶。

今度こそわかる人が来た! そう喜んだのだが……

 

「この犬、どうにも穢れめいたものを感じる……巫女姫の家より貰った温泉水があったな。あれを使え」

「あー、この前のね。お前がそういうならそうなんだろ。わかった」

(嘘でしょう!? 虚絶ですら気付かないって今のワタシどういう状態なんですか!?)

 

鼻の効く二人がこのザマでは、もはや終わったも同然。

 

(あれ? ということは……ワタシって気付かれない? これヤバいですね、果てしなくヤバいですね──どうしよう)

 

望みが絶たれた。ので自力でどうにかするしかないが、どうしようもない。チェックメイトという奴だ。

 

「……なんだ子犬よ。我を見て」

(気付いてください〜!)

「鳴かれても困る。が、しかし……この感覚は何処かで……?」

(ワタシです……常陸茉子です……今、あなたの頭の中に呼びかけています……常陸茉子なんです……)

「いや、そんな筈はあるまい。人であるのならばもっと露骨だ」

(気付いてない!? もう、どうすれば……)

 

最後の希望すら無残に千切れた。

縋るものなど何も無い。ガックリとうなだれて、悲しげに一つ鳴く。

 

だから彼女は聞きそびれたし、見そびれた。

 

「……そうか、貴様か……」

 

小さく呟かれた言葉と、あまりにも愉悦に歪んだ亡霊の表情を。

 

「あとは風呂が沸くまで待機。んで風呂上がったら洗濯か。寝間着汚れたし……やること多くて困るわ」

「安心しろ馨。朝餉と服の用意は我がやっておく。ついでに洗濯も回しておいてやろう」

「助かる。任せた」

 

風呂場から戻ってきたのは下着一丁の馨。なんでもないように転がってたズボンを履いて座っているが、中々見ないものを見てしまって、ついつい視線で追ってしまう。

 

(うわ、すごい……ぱっと見細く見えるから中々気付けなかったけど、ちゃんと殿方って感じの身体してる……)

「……なんか邪念を感じる」

(気付いて下さい気付いて下さい!! ワタシですから気付いて下さいっ!!!)

「わふん、じゃないよまったく。どっから来たのか知らないけどさ。そんなつぶらな瞳で見られてもね。……って、あー動くな動くな。床が汚れるだろ」

(違うんですよぉ……)

 

心底面倒くさそうな声と共に新聞紙の上に戻される。

と、その時である。遂に風呂が沸いた電子音が鳴る。すると馨は子犬の茉子を抱えて何処かへと向かう。

 

(へ? 一体何処へ? ……あぁ風呂場ですか。って、ワタシ今裸も同然だからこれってセクハラなんじゃ──!?)

 

今更な事実にあたふたと暴れ出すが。

 

「暴れんな面倒くせえ……テメェ自分が泥だらけだと分かってんのか?」

 

再び心底から面倒くさそうな声と共により強く抱えられてしまい、抵抗すら無意味なものとなってしまう。

 

(すごく今馨くんの匂いがする……ってなんでこんなの思ってるの!? ワタシ変態みたいじゃん! いやいやでもでも、きっと芳乃様だって好きな殿方の裸が目の前にあったら普通じゃないよね。うん、多分。きっと、めいびー)

 

まったく何処の誰へ向けたものかわからない言い訳を茉子がしている最中も馨は移動を続け、遂には脱衣所に到達してしまう。

 

「そうだ馨」

「なにさ」

 

一通り着替え等を用意していた虚絶は去り際に一言。

 

「しっかり洗ってやれ。貴重な体験だぞ? そこの子犬にとってもな」

「? よくわかんねぇけど、まぁ洗ってやるさ。流石に俺も湯船に浸かるけど」

 

そして、茉子に視線を向けて──

 

(ククククッ、貴様も貴重な体験をするといい。惚れた男に全身を撫で回されるなど、中々あるまい……楽しめよ)

 

彼女の脳内に響く愉悦に満ちた声。

──わかっていたが、わかっていて敢えて黙ってこうしていた。

つまり茉子だと気付いていて、しかし面白そうだからという理由一つで黙っている。

このロクでなし、あまりにも最低すぎる。茉子は決意した。必ずかの邪智暴虐な虚絶に一泡吹かせねばならん。

 

「わふっ!? わんわん!」

「ハッハッハッ! 元気なことだな、貴様も。馨、あとはじっくり楽しめよ」

「は? ……行っちまった。お前も妙な奴に声かけられて大変だなぁ」

 

去った虚絶に怪訝な視線を向けつつ、わしゃわしゃと茉子を撫でる馨。

 

(あっ、これ……気持ちいい……っ……ふぁ、なんだか本当に犬になったみたい……っ)

 

だがしかし事態を完全に理解して爆弾を残した虚絶。事態がかなりマズイことになってしまっている上に想い人の素っ裸を見るかもしれない茉子。そしてさっぱりわかっていない馨。

実に混沌とした状況である。

 

「さーて風呂入るか。大人しくしてろよー」

(えっ、あっ、脱がないで見せつけないでせめて最初にお風呂に入らせてぇぇぇっ!!!)

 

さっと呪力で手を作って茉子を固定しつつ、馨は素っ裸になっていく。

 

(あ、あああ……こ、これが……せめて見るのならこんな形で見たくなかったよぅ……)

 

ブラブラとモノが振動で揺れている。乙女心が折れそうだ。手の拘束が外れて、ヒョイとまた抱えられて風呂場へと入っていく。

 

(ううっ、なんだろう。このイケナイことしてる感は……ワタシ、何してるんだろ……)

「んなショボくれるなよ。ほら撫でてやるからさ」

(ひゃんっ!? す、すごっ……ダメッ、手つきやらしいよ……!)

「ほーらこことかどうだー?」

(ぁっ……ひんっ!?)

「あ、お前メスなんだな。付いてない」

(何処見てるの!?)

「なるほどね、尻尾の付け根トントンでやたらイイ声出してたのはそれかァ……性感帯?」

(馨くん!? 馨くん!! 馨くんっ!!! 最低!! セクハラ!)

「わーわー。噛むな噛むな……ほら流すぞー。はい目ェ瞑れよ……って難しいか。目のところだけ覆って……ほい」

 

湯船のお湯を桶に汲み、それを茉子に流す。すると泥で気持ち悪く固まった毛が解けていく。

 

「おーおーよしよし、いい子だねお前は。さて次はっと」

 

そのままわしゃわしゃと弄られるが、不思議と悪い気はしない。むしろ心地いいくらいだ。

そう、心地いいくらいなのだが──

 

(ひ、んっ!? 指が変なところにまで、ぇ……っ)

 

色々といかがわしい状況と、肝心の茉子自身が桃色な雰囲気であるのは……まぁ、つまりそういうことなのだ。人と犬では感じ方が違う……というか、人に置き換えると大変やらしい状況である。

 

「あとは股だな」

(股!? ダメだよそんなところ! たとえ泥に汚れててもダメだって!)

「……また暴れ出した。じゃあ浸けてやるか」

 

渋々、といった様子で馨は再び水を汲んでそこに子犬の下半身を浸ける。しかし面倒になったのか、そのまま彼女を小脇に抱えて湯船に浸かった。

 

「ふぃー……あー、あったけぇ。ほら、持っておいてやるからお前もあったまれ」

 

と、そんなことを言いながら両手で器用に持ちつつ茉子と共に湯船に浸かった途端、急に光が湯船から放たれる。

 

「……なんだ? 光ってるって……何が?」

(あ、あれ? ワタシの身体光って──)

 

刹那。

極光が二人を包んだ。

 

 

重い。

──とても重い。

いや軽いと言えば軽いのだが、先程抱えていた子犬と比べるとあまりにも重い。

 

「……あれ?」

 

というか、子犬がいない。

何処へ行ったやらと前を見ると、見慣れないものが俺の下腹部に見えた。普通ならもう一人の自分が見えるのだが……桃か何か? と勘違いする丸みを帯びた物体。ついでに胸板に感じる柔らかさと硬さ。

状況が違いすぎる。

 

……何がどうなってるんだ?

とりあえず好奇心には逆らえずその物体に手を伸ばし──

 

「ひゃん!?」

 

指が触れたところで、耳元に嬌声が聞こえた。聞き慣れた筈の彼女の、聞き慣れない声。

ギギギと身体を引いて、俺にもたれかかっているものを確認する。

 

──水に濡れ薄く上気した肌。

──しっとりと張り付いた黒髪。

──状況がよくわかっていないぼんやりとした目。

──初めてこんな間近で見た彼女の顔。

──なんだかやらしい唇。

──結構大きかった乳房と可愛らしい乳首。

──白魚のように細い指。

──スラリとした身体のライン。

──ちょっと待ってすごいエロいんだけどお前。

──むっちゃ扇情的なんだけどお前。

──てかなんで裸で俺にもたれかかってるの?

 

えっ? えっ?? えっ??? えっ???? えっ?????

 

理解できないしたくない。でも理解できるしてしまう。

というかなんだろうこの感覚。幸せと言えば幸せなんだけど全然嬉しくないというかなんというか。

どうせ見るならもっとムードのある時とかに……

 

「あっ、あれ? 喋れる……? ワタシ、戻ってる!?」

 

しかし向こうはさっぱり俺に気が付いていないらしい。

恐る恐る視線を合わせて、一言。

 

「……茉子、なんだよな……?」

「え? あ、うん。そうだけど……一体何がどうなっ──」

 

ここでお互いに状況を完全に把握した。

単刀直入に言おう。構図としてはほぼ正常位だ。しかも互いに素っ裸。その上狭い浴槽なので密着させないと入り切らない。

 

「……っ」

 

思わず唾を飲み込む。

俺は今……好きな人の裸を見ているどころではなく、好きな人と裸で密着している。

…………使い古された言葉だが、先人に倣って俺も敢えて言おう。

 

目の前に惚れた女の肢体がある。

細い線でありながら、程よく肉感的な、とてもそそる──彼女の、カラダ……

これを見てまともでいられる男などいない。

 

身体を離して見つめ合い、茉子の視線が前と後ろを行ったり来たり。ついでに俺の視線も上下に動く。

……すごい。

やましいけど仕方ない。許して。でもこんな形でこいつの裸を見たくなかった。

 

そのままカーッと茉子の顔が赤くなり……

 

「……ってぇ、なにこれぇぇぇっ!?!?」

 

耳元で叫ばれるがそんなことはどうでもいい。問題は彼女の下腹部と俺の下腹部がほぼ同じ位置にあることだ。

 

「うわぁ……っ!? 股が擦れて……っ」

「ちょっと何硬くしてるの!? お尻に当たってるんだけど!!」

「テメェこの状況がどういうのかわかってそのセリフ吐いてるんだよな!?」

「そんな大胆にセクハラされると困るよっ!」

「何が困るだ怒れよコラァ!」

「怒れるわけないじゃん!」

「じゃあ嫌がれよ! どう見たってこれ素股だろ!?」

「す、すま……っ!? いきなりナニ言ってるの!!」

「つか退けよマジで! 意外とこの体勢辛いんだぞ!」

 

流石にこの体勢のままは絶対的にヤバいので、咄嗟に手で茉子を押したらプニッとした感触が伝わる。

 

「ん……っ」

 

また再び風呂場に響く嬌声。

多分胸でも触っているんだろうけど気にしてられない。

もたれかかるような体勢ではなくなり、そのまま俺も身体をズラして普通に座って向かい合う形になる。

ついでにいきり勃ったモノを太ももで挟んでとりあえず隠しておく。そのまま視線を逸らす。

これで一安心。──というわけでもなく、今度は茉子に怒鳴られる。

 

「なんでおっぱい触ったの!?」

「うっせぇなとっとと風呂上がれや! 俺が上がれねぇだろ!?」

「女の子のおっぱい触っておいて何その反応!? もっとこう色々あるでしょ!?」

「柔らかくて感動しました! 勝手に触ってごめんね! 早く出ろ!」

「ワタシだって傷付くよその言い方!」

「だからごめんね!」

「こっち向いて謝ってよ!」

「向いたら見えちゃうだろ!?」

「……馨くんになら、いいけど……」

「へ……? お前何言って……」

 

あまりに突然のことで、俺はどう反応したらいいのかわからない。とりあえず視線は逸らし続けるけど。

いやなにそれ勘違いしろってこと? 勘違いするぞ俺。でもわかっている。どうせ家族的感情からってことだろう。うん。

 

と、完全にお互いが沈黙していると、風呂の扉が開いて──

 

「なんだ。せっかくゆっくり楽しめと助言してやったのに、何を躊躇っている。常陸茉子にも我は言ったのだがな、楽しめと」

 

とんでもない爆弾を投げ込んだ虚絶。

 

「テメェ────ッッッ!!!」

「最低ですよこの亡霊っ!!!」

 

俺たちはこのゴミクズクソロクでなしご先祖亡霊に対して、有らん限りの罵声をぶつけまくった。

 

 

……結局あの後、虚絶は茉子の服を用意し、先に茉子が出て俺が後から出た。

今は洗濯を回しつつ、しまってあった和服に袖を通した茉子と居間で正座して向き合っている。

 

「とりあえず、色々ごめん」

「ワタシもちょっと急展開すぎておかしかったから謝らないで。というか、ワタシの方こそごめん」

「じゃ両成敗で」

「うん」

 

改めて頭を下げて、ごめんとお互いに謝って気持ちを切り替える。

さて、聞き出さなきゃいけないことがいっぱいある。虚絶が朝飯作ってる間にどれだけ聞き出せるかな。

 

「……スースーする」

「悪りぃ」

「いいよ別に」

 

……流石に下着は用意できず、俺が昔使ってた単衣の着物と適当な上着を貸した。サイズが多少ズレているため、スースーすると言われても謝るしかできない。

仕方なさそうに微笑む茉子には、本当に申し訳ないと思っている。

 

さて、ここからは真面目な話と行こうか。

 

「んで……ありゃどういう状況だよ? 何があって犬になってた?」

「正直ワタシにもわからないの。昨日本殿で憑代の中から出てきた祟り神と接触してからこうで……」

 

だが、どうやら当の本人もさっぱり状況は理解していないらしく、帰ってきたのは困惑した表情と言葉だけだった。

 

しかし、祟り神と接触したとはどういうことなのだろうか。既に祟り神は消えた。万が一……とは考えていたが何かが違う気がする。まさか、茉子の血に反応して……? だったらもう死んでいる筈だ。

疑問に従い、茉子に尋ねる。

 

「なぁ、祟り神と会ったって言ってたが──そりゃ祟り神と同じ姿の別存在じゃないのか? 清められてから結構な時間が経ってるし、多分中身の方が……」

「ごめん。ワタシ専門的な話はわかんないから、端的に言ってくれない?」

「んーと……そうさね。犬神の方が反応したんじゃないかってこと。恨み以外でな」

「恨み以外で?」

「恨みならお前はもう死んでる筈だ。そうじゃないなら、別な目的があるかもしれない」

「別な目的……」

 

茉子はいまいちピンと来ないのか、訝しげな顔で悩み始める。

 

「おい、貴様ら。できたぞ。冷めぬ内に食うがいい」

「だってさ。食おうぜ。んでその後芳乃ちゃんち行って服回収して、駒川んとこ行って色々考えようぜ」

「わかった。そうしよっか」

 

しかし……茉子と二人だけで飯を食うのは、初めてなような気がする。

 

「あ、先に芳乃様に連絡入れとかないと。電話借りるねー」

「ういうい。お好きにどーぞ」

 

トテトテと電話へ向かう茉子を見送りつつ、俺は用意された朝飯に手を付け始めるのだった。

ザ・和の朝食という感じでとても美味しかったです。はい。

 

「……どう見ても夫婦か何かであろうに……」

「なんか言ったか?」

「気の所為だ」

 

 

まぁそういうわけで俺たちは二人で芳乃ちゃんちに向かうことになったのだが……

 

「ね、手繋いでくれる?」

 

出た途端にこれである。

つい先ほど裸で触れ合ったので意識をするなという方が難しいが、しかし茉子とて不安なのだろう。

 

「ん、まぁいいけど」

「あは……ありがと、馨くん」

 

そんな風に心底から安心したような笑顔を見せられてしまえば、こっちは見惚れるしかできない。

まったく惚れた弱みという奴である。

 

「……お前が嬉しいならなんでもいいけどさ」

 

そして顔を背けて頬を掻くくらいしかできない。しかも熱い。赤くなっているんだろう。

まぁそりゃそうだ。

……正直なところ、平静を保とうとかなり無理をしている。茉子は一旦人に戻れたし、なんだか光明が見えそうでもう完全に普段の調子だが、一方俺は何が何だかわからない内に惚れた女の素っ裸を見て、挙句の果てに勃ったモノが尻に当たったりとか胸触っちゃったりとかまぁ色々あったわけで。

 

純粋に恥ずかしいが、そこは俺。

多少の感情の切り離しと適切な処理というものは身につけている。

 

「じゃあ、行こうか」

「うん」

 

故に煩悩なるもの一切よ、ただ安らかに死に候え──とにかく自分を冷静に保ちながら、俺は茉子の小さな手を握り、そして芳乃ちゃんちに向かうのだった。

 

 

 

「心配したのよ茉子。さっきまで連絡も何一つ寄越さな……あっ、ふーん。朝帰りね。今日はお赤飯かしら?」

 

着いて俺たち……というか茉子の格好を見た芳乃ちゃんは開口一番これである。

 

「待ってください芳乃様! これにはとても深い事情があるんですっ!」

「そうだぞ芳乃ちゃん! 事情も聞かずに赤飯コースはよろしくない!」

「えっ? でも茉子の服が馨さんの物ってことはつまりそういう……」

「あー、わかりました芳乃様! ワタシと一緒に本殿行きましょう! それで少し理由がわかるはずですから! ねっ!」

「あっ、ちょっと茉子引っ張らないでー!」

 

……なんだか嵐のように二人は本殿へと向かっていく。俺は置いてけぼりを食らったのでとりあえずお邪魔しますと言ってから家に上がる。

 

「なぁ馨。その……遂にヤったのか?」

「テメェもか将臣ィ! ちげぇよクソ真面目な話なの。祟り関連でな」

「……! わかった、ムラサメちゃんを呼んでくる」

「助かるわ。あと駒川にも連絡取っとかねえと」

 

朝から忙しなく動く。

今日は本当に忙しくなりそうだ。

 

それからしばらくして服を持った茉子と芳乃ちゃんが戻ってきて、ムラサメ様もその少し後にやってきた。

そうしていつものメンツが揃ったところで、茉子が昨日の話と今朝の話を始めた。

 

「……つまり茉子は、憑代から出てきた祟り神らしき存在と接触してから子犬になってしまったということじゃな」

「はい。それで一番鼻の効く馨くんと虚絶を頼ったのですが……」

 

その瞬間茉子は苦い顔をした。当たり前だ、互いに醜態と醜態を晒したのだから。

そしてそのまま沈黙し、頬に赤みが差す。何を思い出しているんだろ。なんか「チラッと見たエイリアンが……」とか聞こえてくるしちょっと待てお前俺が視線逸らしてる間にナニを見たのかお前。やめてよぉ……!?

 

「「「ジー……」」」

 

その様子を見た途端、三人はわざわざ口に出しながら俺をジト目で見てくる。

 

「な、なんだよぅ……」

「馨さん、茉子に何したの?」

「いや、別に何もしてないよ芳乃ちゃん。だからそのジト目はやめて欲しいな〜って。うん」

「……本当に?」

「ほ、本当だよー。馨君嘘吐かない。嘘吐けない」

 

大変怖い表情をしている芳乃ちゃんに内心とてもビビりながら、嘘は吐かない。でも本当にあったことは隠しておく。でないと絶対面倒くさい。

──胸揉んだとか絶対言えない。裸見たとか絶対言えない。

 

「し、心配なら茉子に聞いてよねぇ〜……」

 

そそくさと芳乃ちゃんから離れつつ、俺はムラサメ様に視線を向ける。

 

「それでムラサメ様。何か変化は?」

「茉子が犬に変化したこととは別の問題等は無い。純粋に茉子の問題だけに取り組んでも良いだろう。今のところはな」

 

……一先ずは安心か。同時に問題が起きていたら困っていたところだ。

 

「しかしどうやって戻ったのだ? 茉子」

「馨くんの家にあった温泉水をかけてもらったら元に戻った……って感じでしょうか」

「確か虚絶の奴が穢れに近いものを感じたーとか言ってたっけ。詳しい仕組みはわからないけども、ここのお湯を引っ掛けりゃ何とかなるのは間違いない」

「そんな漫画みたいな……いや冷静に考えたら色々漫画みたいだったな。ここら辺の話」

 

将臣の感想はもっともだが、事実は小説よりも奇なりという言葉があるように、現実とはえてしてそんなものだ。

と、ここで俺はふとどうでもいいことに気付いた。

 

「てかお前いい加減着替えてこいよ」

 

服を持っているなら着替えてくればいいのに……茉子がすっかりそれを忘れていることに。

言われてハッとした様子を見せ、しかし何処か悩ましそうにしながら一言。

 

「後にする」

「あっそ」

「えっと……話を戻すけど、茉子が犬になったのは呪いなの?」

 

芳乃ちゃんの軌道修正により再び空気が変わる。

 

「馨、お主の見解は」

「呪いじゃなくて単に中にいた犬神が、何かに反応して茉子に取り憑いたと睨んでる」

「あの血筋だから、ではないと?」

「だったらもう茉子は死んでいる筈だ。神が無慈悲に命を奪うのは昔からのお約束だからな。そうしないなら何か理由があるんだろうよ。ムラサメ様はどう睨んでる?」

「大体同じ考えじゃが、吾輩は呪詛返しの類であると思う」

「それは違う。呪詛返しはあくまでも呪詛が起動している時に破られたら、反射的に作用するものだから、将臣の中から取り出した時点で発動していないと辻褄が合わない」

「……ならば何故茉子が?」

 

しかしここで、悩む俺たちに一石を投じる声が。

 

「なぁ。思うに常陸さんが取り憑かれたのって偶然なんじゃないか。ほらさ、意志自体はあるんだし血筋云々じゃなくて事故みたいなもんだったり……」

 

将臣の言ったことは確かに納得が行く。事故と言われれば何となくそんな感じがする。

俺の中にいたあの思念が犬神の物だとすれば、茉子に反応しなかったのが奇妙なくらいだ。つまり茉子そのものに関してはさして反応する理由もないんだろう。

 

しかし反応するだけの理由を茉子が持ってしまったから……となってもあるか? 神が起きる理由なんてあるのか?

 

「何か心当たりとかある?」

「いえ、特には……神様が反応するようなことなんて血筋以外にワタシには無いと思います」

「とにかく、みづはさんのところに行って話してみよう。そうすれば何かわかる筈よね」

「じゃな。向かうぞ」

「あ、ワタシ着替えてきます。流石にこの格好だと色々誤解生むので」

 

……結局その後、貸した服はどうするかということで揉めそうになったが、そんなことよりも先にと優先して、とりあえず貸した服の問題は棚上げしておいた。

やけに生暖かい視線を送る将臣と芳乃ちゃん、そしてとても楽しそうにニヤニヤしているムラサメ様を見て、なんてこったいとか思ったりもした。

 

 

駒川の診療所に行って早々に、俺たちは事情を話して今わかっていることと、いくつかの推論を伝えた。

 

「なるほどね。またややこしそうな話だ」

 

と、奴は言って引っ張り出した資料をパラパラとめくり、何やらブツブツと呟きながら視線を動かした。しばらくして……

 

「昔とはいえ、類似した事例はある。けどトリガーとなる要素が確認されている場合が基本だね。今回の件、確かに常陸さんは襲われるだけの理由があるけど……だったら前提が崩れてしまう」

 

そんな風に、顔をしかめながら言った。

 

「前提?」

「芳乃様、朝武家の呪いを考えてみましょう。あれは朝武を等しく呪ったものであるのにも関わらず、直接の血筋である常陸家は呪われていなかった。荒神になった犬神の思考がどれだけ憎悪一色になっていたとしても、崇めるべき自らを無下に扱った人間の血筋くらい簡単に見分けが付く筈でしょう」

「なるほど。確かに私の方だけで、茉子の方は短命でもなければ耳も出てなかった。言われてみれば違和感がある……でも、だとしたら私に反応しなきゃおかしいわ」

 

芳乃ちゃんの言う通りである。

もし血筋だけが反応するとしたら、芳乃ちゃんに反応してないとおかしい。それに憑代に近い上に、接してる時間が長いのは彼女だ。いくら奉られて薄れ始めたとはいえ、薄れる前の状態で反応してないと辻褄が合わない。

 

「まぁつまりだ。常陸さんでなければならない理由が血筋以外に必ず存在しているということなんだろう。何か、心当たりは……確か無いんだったね」

 

そう、心当たりが無いのが現状。

打破する要素が無さすぎる。

 

「──いや待て。ある筈だ……常陸さん。昨日君は、憑代の前で何を考えていた? それと何を発言した? 思い出せる限りでいい。"普段"と何か違うことをしたか、教えてくれないか」

 

しかしここで駒川、我に妙案有りと言わんばかりに真剣に茉子に問う。

 

「違うこと……」

「考えてみれば確かに違うな。わざわざ安晴から本殿の鍵を借りて、人気の無くなったところで敢えて入ったのだ。のぅ、茉子。何をしていたのじゃ?」

 

更にムラサメ様も続けて言う。

 

「えーっと、ちょっと待ってくださいね。あの時、あの時……ワタシが何を考えて何を言って何をしていたか──」

 

腕を組んでうーんと悩んでいた茉子だが、何か思い当たる節があったのか、ハッとした表情に変化した途端、顔が真っ赤に染まった。こいつの真っ赤な顔を見るのは今日2度目である。

 

「……ぁ、ぇ、どうしよ……」

「茉子、隠して困るのはあなたよ。この件、放っておいたら大変な事になるかもしれない」

「え、あ、そうですけど。芳乃様の言う通りですけど。でもその……」

「下手をすればお主の命に関わることだぞ。何をそこまで言い淀む」

「そっ、それは……えっとですね……あは〜……」

「別にほら、俺たち相手だしそんなに考えなくてもいいんじゃない? 初めから事情知ってるんだしさ」

「〜ッ!」

 

ムラサメ様、芳乃ちゃん、将臣の説得を受けて更に顔を赤くしながら、唇をキュッと噛みしめる。そこまで考えるほどってお前ナニ考えてんだお前……

 

「「茉子」」

「「常陸さん」」

「あー! もぅ! わかりました! 言います! 白状します! だから迫らないで下さい怖いです!」

 

茉子はズィと迫った俺以外の面子を手で押して遠ざけるほどには元気だ。あ、ムラサメ様は将臣が引っ張ってった。

そうして茉子は意を決したように──

 

「その……えっと、ワタシはあの時……ぃ……について」

「あんだって?」

 

思わず速攻で聞き返した俺は悪くない。だって意を決した表情で、あまりにもか細い声だったんだからさ……そりゃそうなるってもんだろ。

 

「だから! ……その、こ……………………ぃ……について……」

「いや聞こえんから。そんなに恥ずかしいことか?」

「だからっ! ……察してよ、馨くん……」

「は? 俺が知ってるお前の秘密ったって、せいぜい昔からこ────」

 

そこまで言いかかって、思わず俺も止まってしまった。

つまり、つまりだ。茉子はあの日、俺に好きな相手はいるかと問うた後に本殿に向かって……恋について考えていたら犬神が反応した……?

 

いやいやいや、なにそれ。ふざけてんのか。どうして犬神が恋で反応するんだよお前さ。

 

「馨、何か知ってるんだね?」

「へっ!? あ、まぁ知ってるけど……どう考えてもおかしいっていうか、よりにもよってそれに反応するか普通? みたいな……?」

「教えてくれないか」

「ダメっ! 言っちゃダメだからね馨くん!」

「無茶言うなや! 恥ずかしかろうとあれくらい普通だろうが!」

「ダメなものはダメなの!」

「もう隠せないから!」

 

ゼーハーゼーハーしながら言い争いに発展しかかったが、周囲からの死ぬほど冷たい視線がヒートアップした頭を冷やす。俺がここまで口走った以上、隠し通せない。

冷静に努めてながら、茉子に尋ねた。

 

「……自白か暴露か、好きなのは」

 

沈黙の末、苦渋の表情と共に茉子が選択したのは──

 

「……わかりました、腹括ります」

 

自白だった。

ぶっちゃけ俺としても助かる。

 

大きく息を吸い込んで、そして吐く。

(見た感じ)茉子は、羞恥心を完璧な精神強度で押さえ込みながら──

 

「………………………………あのぅ、恋について……考えたり、呟いたりしてました……あは」

 

本当に年頃の女の子のように、静かに言った。

惚れた弱みだろうか、やたらと可愛く見える。見惚れてしまいそうだが、そうなってはならんと意識を切り替える。

 

「恋とか愛……?」

「すまん、吾輩少し混乱してきた」

「──私でもいいはずなのに、何で茉子のそういう気持ちに……?」

「それを言い出したら俺も引っかかっておかしくないんだけど……」

 

──ますます分からん。

全員の反応からしても逆に分からなくなった。

……何故恋に反応した?

 

「恋って、茉子は気になる人いるの?」

「い、いえ。全然。だからどんな基準で好きになるかとか気になって昨日馨くんに好きな人いるかって聞いたけど、いないって話だったので」

「ふーん、そっか。そっかそっか」

 

……なんだろう? なんでか芳乃ちゃんが俺と茉子にとても優しい視線を送ってくる。ま、まさか俺のバレてる? ──まぁ将臣にバレるくらいだし全員にバレてると思った方がいいか。

 

「まぁでもこれではっきりした……というかしてしまった、かな」

「何がですか? いやワタシの内心は暴露しましたけど」

「単純な話だよ常陸さん。君が恋をすれば中にいる存在が帰ってくれる可能性があるってことだ。憑代と同じ理屈だよ」

「あー、はぁ。ワタシが恋をしなきゃいけない。確かに単純ですね────えっ? 待ってワタシが恋を? ……本当に?」

 

唖然とする茉子。

そりゃ俺だって唖然とするしかない。

 

……誰だって好きな子が他の誰かに恋をしなきゃいけないってのは動揺するだろ?



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同居

茉子が恋をする。

……まぁ人だから当然のことだろう。いつかはそうなる。それが必然だ。

だが今回は事情が事情だ。

 

普通に恋をしろなどと……かなりの難題だろう。利己を先走らせず、純然たる恋愛をする。なんと難しいことか。

 

「気が重い」

 

ガサゴソと着替え等をまとめながら一つ呟く。

 

──それでいいと思ったのは俺だ。

──そうでなくてはならないと思ったのは俺だ。

 

「もし、もしそうなったのなら……俺がそう口にすることが許されても……」

 

──結局、きっと俺はその直後にこう付け足してしまうのだろう。

『お前の事を永遠に忘れられない誰かなんて、もう忘れてくれ』……と。

 

「ケッ、人魚姫気取りか俺は……」

 

なんと醜い。

勝手に気持ちを押し込めて、いざ伝えてみれば忘れてくださいなど都合が良すぎる。それならばいっそ正面から雄々しく愛に敗れた方が格好がつくと言うもの。

……そんなこともできやしないが。

 

「……はぁ。やってらんねェ」

──恋煩いなど面倒だ、と言っていた男がこのザマとはな──

「うるせぇ。人間そんなもんだ」

──……知らぬは本人ばかりか──

「は?」

──忘れろ──

 

……さて。

唐突だが何故俺が着替えをまとめているか、といえばだが……まぁ、少しばかり時を遡って話をしよう。

 

 

 

──あの後。

まぁ、そんなこんなで恋だ云々だはとりあえず置いておいて、子犬になることへの対処の話へと移った。

 

「常陸さん、これからしばらくは芳乃様の家で暮らしてもらえるかな。色々と都合が良い」

「万が一、という時も楽ですもんね。わかりました。じゃあ戻って着替えとか持ってこないと……」

 

駒川の提案は合理であるし、そこに口を挟む必要は全くない。むしろ行き帰りが無くなる分楽になるという奴だ。

こんな形で茉子と芳乃ちゃんの距離が物理的に近づくとは思わなんだが。

 

「あと馨。君も暮らしな」

「ん、わかった」

 

反射的に返事をして……あれ?

俺が暮らす? 何処で? ──話の流れからして芳乃ちゃんの家だよな。てかそれ以外あり得ん。

つまり……同居? 茉子と? えっ、ちょっと待って。

 

「………………っておい待ちやがれ! お前何言ってるんだ!? なんだって俺が芳乃ちゃんの家で暮らす必要があるんだよ!?」

 

気付いているクセにそういうこと言うの本当にお前なァ……! とか思いながら聞き返す。

俺いる? いらんでしょ。

 

「だって君しかいないだろ。魔の存在について詳しいの。ムラサメ様だって間違いをするんだし、他の観点から見れる君を置くのは合理的だ」

「いやまぁそうなんだけど、独り身としては色々複雑というか……恋とかどうでもいい人間としては恋人同士になった男女の家で過ごすと砂糖吐くんじゃないかとか……ね?」

「ダメだ、暮らしなさい。そんなこと言っている場合じゃないのは、馨がよく知っているだろう?」

「うぐぐ……」

 

ぐぬぬと口を噛む。いやだって……ねぇ? とか色々悩んでいると、駒川は声を潜めて俺に一言。

 

「──ま、いい機会じゃないのかな。距離を詰めるにはさ」

「なっ!?」

 

よりにもよって俺を知るお前が、そんな事を言うのか!? ……驚愕以外の何者でもない。唖然とする俺に「頑張れよ」と肩を叩いた駒川を見ても、周りの奴らはそれほどピンと来てないようだ。

……バレてると睨んだけど違った? いやまぁ……茉子にさえ気付かれてなければなんでもいいんだけどさ。

 

「……一旦俺も家に戻って着替えなりなんなりを取ってくるよ」

 

 

 

……とまぁ、こんなオチだったわけだ。

 

同居……ねぇ。

なんでみんな、茉子と俺の距離を縮めようとしてるんだ。いらんお節介だよ全く……

荷物は一通りまとめ終わったが、俺は未だに自宅に留まっていた。

 

正直行く必要性がそれほど感じられない。合理ではあるが、俺がいたところで何も変わらない。

 

「……はぁ」

 

ゆらりと立ち上がり、虚絶……いや、敢えてここでは無銘刀と呼ぼうか。それが置かれている部屋に向かう。

 

……打刀とも太刀ともつかぬ、無骨で異形の刀。幼少の頃から身の丈ほどもある大剣のように認識していたが、今や長めの刀くらいの認識しかない。

本当の意味で、これを必要とする日はもう来ないが……俺を端末と言うのであれば、本体と端末である以上、最期まで付き合ってもらうぞ──

 

鞘をひっ掴み、敢えて本体を持っていくことを改めて決意する。置いておいてもいいのだが、そういう気分ではない。

……死なば諸共、と似たような感覚と言えばいいのか。とかく、こいつは俺と心中するくらい当然なのだ。

 

振り回したんだから振り回されろ。

復讐心としては当然だろ?

 

「……行ってきます」

 

荷物を纏めて持って、誰もいない寂しい家に一言告げて出て行く。

……本当に少し寂しくなる。

 

いやはや、毛布の香りが恋しくなるものだ。

 

 

そういうわけで安晴さんに事情を説明すると

 

「なるほどね。ま、自由にしてくれよ。ほら、もう我が家みたいに気軽なものだろ? なんなら僕の秘蔵のプリン食べてもいいからさ」

 

とかまぁ……その……快承してもらった。少し俺相手に甘いのはどうかと思わんでもないが、いいか。

 

「世話になるって言ってもねぇ……」

「なんじゃその辛気臭い顔は」

「色々あるのさ、ムラサメ様」

 

結局何をするわけでもなく、芳乃ちゃんは舞の奉納。将臣は資料の読み漁り、茉子が家事やって、俺とムラサメ様は暇潰しに外でボーッとしている。

 

「今日はいい天気だなァ。花が咲いて、小鳥も鳴いている……」

「吾輩、たまにお主の言う言葉がイマイチよくわからんぞ」

「いいんだよ、わからなくて」

 

適当に流しつつ、はぁ……と一つため息。

そんな俺を見兼ねたムラサメ様は、心底面倒くさそうに言った。

 

「茉子と一つ屋根の下は落ち着かんか」

「いや考えてみようぜ? 惚れた女と物理的に距離近付いてしまったら困るだろ。今まで上手くやって来れたのは調整しやすい位置だったからなのに、それが無くなったんだ。ため息も吐きたくなるだろ」

「要はドキドキしてんじゃろ」

「はい」

「いっそ告白すれば良かろう。茉子も満更ではあるまい」

「……無理だよ」

 

感情が絡まってごっちゃになっている。したいような、したくないような……それ以上を求めているような、いないような。

 

「では聞くが、馨は茉子が自分以外の男と笑顔でいるのにはどう思う」

「どうって……妬くかどうかってことか?」

「それ以外の何があるのだ。ぶっちゃけ吾輩はご主人が構ってくれないとそれなりに妬くぞ。兄を取られたようでな」

「なにその情報」

「ムラサメちゃん情報じゃが? まぁ参考までに知っておけ」

 

ドヤるムラサメ様。

──可愛いんですけど、微笑ましくて。

まぁでも妬くか妬かないかなんて分かりきった話だ。ムラサメ様も人が悪い。昔から決まっている。

茉子が他の奴といたって──

 

……と、そこまで考えて。

 

不意に頭をよぎったのは、いつぞやの光景。

茉子をお姫様抱っこする将臣の姿。

 

「──」

 

口に出かかっていた言葉が、ピタリと止まった。

妬く必要も理由も無い。茉子がそう選んだのだから──

だから……だから……だから。

 

 

だから俺は──

 

 

嫌だ。

 

 

俺の隣にいてくれるあの子(俺しか知らない茉子)が取られる。

──そんなのは嫌だ。

嫌だけど、でも俺は……きっと……

 

「顔が雄弁に語っておるぞ」

 

呆れたムラサメ様がそんな風に言う。

だがその視線は何処か優しい。

 

「──吾輩と同じ目じゃな、馨」

「そんなこと……!」

「茉子と一緒がいいのだろう」

「っ! それ、は……」

 

咄嗟に出た否定の言葉すら、内心を言い当てられて続かない。加えて俺自身、それが図星である以上、もう何も言えないのだ。

……そう、俺は別に急でなければきっと、この想いを適当に処理できた。けど事態は急を要する……いや、茉子が恋をしなくてはいけない。

好きな子が誰かに心惹かれて行くのを、指を咥えて見ていることしかできない。

 

それでいいと思ったのも事実。

諦めようと思えば諦められるのも事実。

しかし俺はどうしても、諦め切れない。理由がわからない。俺が不幸の塊だってわかっているのに、何故か……

 

「頑なに否定する理由は当然わかっておる。じゃが押し留めることでは更に苦しむだけぞ」

 

そう言われても……というのが偽らざる本音だが、それを言っても仕方ない。だから黙り込んでいると、ムラサメ様はふと。

 

「──昔話をしてやろう」

 

──なんて、急に言い出した。

何事かとも思ったが、とにかく聞いてみようと、彼女の語る言葉に耳を傾ける。

 

「かつて、愚かにも死にかけの女に恋をした男がいた。そ奴はごく普通の男じゃった。だというのにも関わらず、ある日医者に担ぎ込まれる死にかけの女に一目惚れした」

 

どうやら過去に見た恋の話のようだ。先人として、何か思うものがあるのだろう。故にこの話を振ったということか。

しかしムラサメ様の表情はとても懐かしいものを思い出すようなものであると同時に、とても優しいものだった。

 

「それから色々あって男と女は言葉を交わすようになった。無論、男は女に向かって愛を伝えたとも。じゃがこれまた必然的に、先の無い女はそれに喜びを覚えたが、同時に悲しみと共に断った」

 

しかしそれはガラリと変わり、とても楽しげな表情に。

 

「男はそれを受け入れた。何の迷いもなくだ。きっとそう言うであろうと思っていた、と笑いながら。同時にそれでも、実らぬとしても其方を愛していると告げた」

 

そして楽しげな表情で告げられたその言葉は、あまりにも潔すぎる男の引き際と、それはそれとして好きは好きだと告げたということ。

非常に参考になる話だ。俺と似たような状況で挑んだ男がいたのだから。

 

「……そして、その女の死はあっさりと訪れた。今際の際、女は男に謝った。こんな女の事は忘れてくれ、其方の心を奪ってすまないと」

 

ムラサメ様は俺を見つめる。

 

「男はなんと返したと思う?」

「そりゃ、忘れらないとか?」

「いいや。決して忘れない。其方こそ我が運命であったのだから……とな」

 

戯けたように男の言葉を告げたが、その表情はとても穏やかな──こう言ってはなんだが、何の未練も無く、静かに死に逝く人が浮かべるような──とにもかくにも、あまりにも穏やかで、言葉では言い表せないほどに"女性"であった。

普段の威厳と少女が混在するムラサメ様ではない。そこには確かに、"ムラサメ"となる前の少女がいたんだ。

 

「結局その男は、最期までその女への愛を貫き、妻を娶る事も無く駆け抜けた。まったく……運命であったとしても、命を繋ぐことに文句なぞ付けんというに……バカめ……逝くまで操を立てんでも……」

 

後半はよく聞き取れなかったが、何やらムラサメ様とは深い関わりのある話らしい……ということはわかった。

もっとも、それが彼女にとってどれだけの意味があるのかは、知る由も無いが。

 

「さて、そんな男が女に問われたことがある。何故先の無い自分に愛を伝えたのかだ。はっきり言って通る理由も無い。周りも何故と疑問に思っていたのう」

「死にかけだったんだろ? 言ったとしてもそれじゃ時間も何も無いし、断られるだろうことは予想できるよなァ」

 

正直、まったく解せない。

その男がその女をどれほど愛していたのかは知らない。だが、愛する故に愛に敗れに行く理由がさっぱりわからない。

──胸に秘めたっていいじゃないか。

それで良いと思えるなら。

 

「理由は単純じゃった。伝えないよりも伝えたい。敗れるからこそ伝えたい。正気ではなく理屈ではない。愛という名の狂気は全てに勝るのだ」

 

だが、出てきたのは理屈を通り越した、どうしようもない話。

 

「なんだよそれ。最強じゃないか」

 

ムラサメ様の言葉は、最強だった。

──全てに勝る。理屈ではない。

 

「馨、そういう答えもあったと覚えておけば良いのじゃ。これは一つの例にすぎん。そう悩むな」

 

まるで手のかかる子供を嗜めるような表情を浮かべて、彼女は微笑む。そこに安心と信頼を覚えるが、しかし……この話は、あまりにも強すぎる。

 

俺はそこまで強い男では無い。

 

──あぁ……まったく、何故俺は素直に『弟として見られるのは嫌だ』と言えないんだろうか……吐き気がするよ。

 

「どうしたらいいんだろうな、俺」

「これは受け売りだが、愛とは逃げることはできない、立ち向かうしかないのだとも言う。お主なりの方法で、お主なりに立ち向かってみればいい。吾輩も力になろう。見てきたものは多いからな」

「立ち向かうしかない……か。わかったよ、色々考えてみる」

 

こういう時に頼れるのがムラサメ様だ。ホント、この人には頭が上がらない。えっへんと胸を張る彼女を見て、頭を撫でようとして手を引っ込める。

 

……俺は彼女に触れられない。

彼女に温もりを別けられない。尊敬している人に、触れられない。

 

好きな人に想いを伝えられず足踏みをして、理屈に勝ると知ってなおあれやこれやと屁理屈を付けるか。

 

……なんと情けない男だ。

 

「馨、そんな顔をするな。初めてのことに戸惑うのは当然だろう」

 

そんな俺を見兼ねて、ため息を吐いた後、ムラサメ様は姉か母のような表情と優しい声で言った。

 

「そりゃそうだけどさ」

 

相変わらず俺は反抗期のガキのような対応である。いやまったくダメな男だ。

 

「悩んだら誰かに言え。吾輩でも誰でもいい」

「……うん、頑張る」

 

ふんす、と腕をグッと握り、改めて決意する。

みんな頑張ってるし、俺も頑張らないと──

 

なにやらムラサメ様は用事があるらしく、あの後何処かへと向かっていった。

なので俺はさてどうしたものかと頭を悩ませながら、家に戻って──

 

「あっ、おかえり」

「へっ? あっ、うん……ただいま」

 

居間にいた茉子に、笑顔でおかえりと言われて、一瞬何も考えられなくなる。なんだかそういうのって、こう……その……恋人っぽくて、いやまぁそれなりに願望はあるが実行に移せない俺にとってはつまりまぁそういうわけで……

 

とかく、しどろもどろになりながら返事を返す。

そんな様子がらしくなかったのか、彼女はクスクスと可愛らしく笑っていた。

 

「なんだか最初の頃の有地さんみたい。どうしたの? この家でおかえりって言われるの、そんなに慣れてなかった?」

「ま、色々あるのさ」

「? なにそれ」

 

不思議そうにする茉子。

お前におかえりって言われるとすごくドキドキする……なんて、言えるわけもなし。

しかしそうか、将臣の奴……美人と一つ屋根の下でよくまぁ身持ちを固くできたな。正直すごいと思う。俺なら一週間保つかどうか……

 

──けど、茉子と同居か。

ガキの頃のお泊まり会みたいにはいかなくなっちまったのを喜べばいいやら、悲しめばいいやら……

 

折り合いをつけるのも大変だと内心ため息を吐きながら、座ってまた頭を回す。

だがここで俺は、現実的な恋愛や男女のお付き合いに関して非常に知識が欠けているのではないか? ということに気が付いた。

──なるほど、そりゃあ確かに答えも出ないわな。後々で廉に聞こう。多分、そっちの方が求める答えが出てくる筈だ。

 

「流石に芳乃ちゃんの家でウチでの自堕落な生活はできんさねェ」

 

だが同時に、普段通りの生活はできんわなと一人呟く。俺の生活は物凄くテキトー極まりない──はっきり言おう、アレなものだ。自身の性質……最善を保とうとする肉体に任せっきりで何にも考えていない。腹が減ったら飯を食う、本当にその程度くらいだ。多分普通の身体なら……贅肉と仲良くやることになっているだろう。

 

「みんな気にしないと思うよ」

 

そんな俺がどういう人間かを理解している茉子は、キョトンとした顔でさもなんでもないように言うが、割と俺としては死活問題である。何せアレだ、男としてどうなんだ? 格好つかない生活を晒すってのは。

 

「俺が気にすんの」

 

と、告げてみれば、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべて。

 

「見栄張ってるんだ」

「張るさそりゃ」

「意外かも」

「そーかい。しかしどうやって暇を潰したもんかねェ……」

 

何も考えずに静かにしていたい気分ではあるが、他人の家でそれはちょっと……という奴だ。こういう時は何かしていないと落ち着かない。何かしてれば何も考えずに済む。

 

「あ、なら馨くんにしかできないことあるけど」

「は? 力仕事なら将臣にでも任せりゃいいだろ」

 

しかし、俺にしかできない事と言って何故茉子は擦り寄ってくるのか。お前俺に裸見られてるって忘れてない? お前がいいならいいんだけどさ……俺だって男だよ? そんなにアレ? 弟分? それはそれでちょっとヘコむな……見られたし。

色々と悶々と考える俺を知ってか知らずか、彼女は花の咲いたような笑みを浮かべて──

 

「ワタシに構ってっ。あは」

 

……沈黙、そして停止、からの再起動。

天然ですか。そうですか。可愛いですね。天使でしょうか。誤解しそうなんですが許されますかこれ。

 

「……ダメ?」

 

固まる俺が悩んでいるのかと思ったのか、上目遣いと小首を傾げて小さく呟く。えらく甘えた声と態度だ。

そんなことを言われたら、そんなことを言われてしまったら……

 

「いいけど」

「やった」

 

受け入れる以外の選択肢は存在しない。

えへんと喜ぶ茉子を見て、もうなんでもいいかと考えをやめてしまう。

 

「んでどんな風に構えばいい。リクエスト受け付け中」

「いつもみたいに」

「やー、テキトーね」

 

テキトーに構うとはどういうことなのか非常に不思議だが、求められたなら応えねばなるまい。

隣り合わせで座る俺たちは、さして何をするわけでもない。構え、と言われたところで……

 

いや待て。

──忘れてないかコイツ。

 

「茉子さ」

 

思い立って声をかける。

 

「ん?」

「その……今朝のこと忘れようとして無理してる? へっぽこな俺見て色々忘れようとしてる?」

 

するとどうだろうか。

唖然とした表情から、無表情へと変化したと思ったら即座に驚き、ついでに顔を真っ赤にして俺を突き飛ばした。ひでぇ。

 

「何しやがる!?」

「何思い出させてるの!?」

 

忘れてたんかい。お互いに動揺から声を上げてアレコレ言い出す。

 

「今の今まで忘れてたのかお前!? 意識してた俺がバカみてーじゃねーか!」

 

……なんか、色々とこう、その……思うものがあるんですが。

 

「──スケベ!」

 

醜態を思い出してか慌てて俺に摑みかかる茉子。痛いっす。

あと顔がいい。可愛い。羞恥とか色々混ざったその表情イイ。

 

「せっかく忘れてたのに!」

 

そしてプンスカ怒りながら猛抗議。胸を隠すようなポーズなのは今朝のことを反映してなのだろうか。それとも単なる偶然か。

 

……さてどうしたものか。

 

茉子が関わると大変馬鹿になると自負しているが、この場は俺が収めないと面倒くさい。朝の誤魔化しがバレたら何を言われるやら。

 

「あー……ごめん」

 

まぁ有効なのは謝罪だろう。

さっさと謝るに限る。

 

「……まぁ、あんな自白をさせられて、そっちに意識向いていたワタシとしてはアレですけどね……」

「そっちもごめんってば」

「わかってますよ」

 

プイとそっぽ向きながら渋々といった様子の茉子を見て、とりあえず謝るのは正解だったかと安心する。

……てか猫被ったなコイツ。被るような話題でもないと思うんだが。

ま、そっちも好きだけど。

 

「でも許す代わりに約束してください」

 

しかし茉子はまだ終わらないと、ムスッとした表情で俺に言う。

 

「何を?」

「ワタシも忘れますから、今朝見たものを忘れてください」

「……そ、それかァ……」

 

結構な無理難題にどもってしまう。

忘れようとして忘れられないのはよくある話だと思う。まさしくその状況で俺も困っている。

……正直言おう。鮮明に思い出せる。

 

これ忘れようと意識したら逆に思い出すパターンだ。やべぇどうしよう。

 

そんな風になんとか頭の中に浮かぶ茉子の裸をかき消そうと努力していると、途端にジト目になった茉子が一言ボソッと。

 

「……えっち。鼻の下伸びてるよ。やらしー」

 

……刹那、顔に熱が帯びるのがわかる。

──バカなことを言っていいだろうか。茉子にえっちって言われるの……アリだな。って、俺は何を考えているだこのバカッ!! 大変よろしくない!!

つか鼻の下伸びてる!? えっそんなに俺ってわかりやすい!? やばいぞこれ……!

 

「──マジ? そんなに伸びてる?」

 

やべぇやべぇと思いながら尋ねてみたが……

 

「嘘です。でもそういう事を言うってことは考えてたんですね」

 

ジト目は続いたまま、カマかけに引っかかってしまったことを淡々と告げた。その視線と声の熱が冷たく、罪悪感が刺激される。

 

「あっ……い、いやその……えっと……はい。忘れようと意識したら逆に鮮明に」

「それは当然でしょう。意図して忘れるのなんて記憶操作くらいでしかできないんですから」

「あれ解き方わからない人間に対してやるものだぞ。俺が自分にやっても大した効果が無い」

「普段通りに努めれば忘れるんじゃないんですか。変に意識したりせずに」

「確約はできないけども、やってみるさ」

 

どうだかみたいなため息を吐いた茉子は、そっぽを向く。

……できる気がしないが、案外早く風化しそうなもんだ。

 

ただ、うん……すごかったなぁ……と。

 

女の子──だった。

めちゃくちゃ女の子──だった。

 

……気持ち悪りぃな俺。

好きな子の裸を思い返してすごかっただの女の子だの……キモい以外の何者でもない。ただの変態じゃないか。

 

「馨くん?」

「なんでもない」

 

流石に、知られたくないなぁ……



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混乱

ここから先は頑張って書いてます……まだ全然終わりそうもないけど!


揺さぶられているのだろうか。

まだまだ眠っていたいのに誰かが俺に起きろと言っているかのようだ。

 

……というか、家には俺一人のはずなんだが、何故にこうも?

 

あぁ、虚絶か……いや待て。あいつなら無理矢理起こしてくる筈なのに、どうして揺さぶっているんだ?

 

「…………きて……さ……」

 

何か言ってる……けどまだ寝ていたい。飯なんてどうでもいいから寝ていたい。適当にパンとか突っ込めばいいから寝ていたい。

 

「起きて……」

 

……あれ、この声って……?

 

「起きて下さいっ!」

 

はっきりと聞こえた声に目を醒ます。ゆっくりとその声の方向を向くと──

 

「……なんでお前……?」

 

とても困った顔をした茉子がいた。

……はて、何故茉子が俺のトコにいる? 合鍵を渡してないのは確かだ。ならば余計にわからない。

──これは夢だろうか? 俺が茉子と長く接していたいとほんの少し、本当にほんの少しだけ、そんな願望を抱いていたからこそ見ている夢なのか?

 

「なんでって忘れたんですか? とにかく起きて顔でも洗って下さい。じゃないと朝食に間に合いませんよ」

 

呆れた声と顔。それを見て記憶に何かを感じて……あぁ、そうかと。

全て思い出した。ここが何処でどうしてこいつがここにいるのかも。

 

「……ありがと」

 

とりあえず返事をして、欠伸を一つ。

──眠気も全部ぶっ飛んだ。寝起きから茉子の声を聞いてハッキリと目が覚めた。

……いやお前、好きな女の子に通い妻みたいなことされたら目ェ覚めるだろフツー。

 

「すぐ着替えて行く。待っててくれ」

「わかりました」

 

居間に向かう茉子を見送りつつ、ガサゴソと着替えを漁り制服を取り出す。

しかし、そうか……ギリギリまで寝かしてくれたのか、あいつ。有難い話だ。

 

 

 

「そうだ、お前調子どうよ」

 

着替えて飯を食って、そのまま学院へと向かう中で、俺はふと茉子に声をかけた。昨日はあの後、犬になることはなかったが、さて今朝はどうだったのか。

 

「今朝に一度なりましたね」

「はぁ。規則性は無し、か……」

「いつも通りトレーニング行こうとした時になってびっくりしたよ」

「ふーん……俺が叩き起こされる訳でもなし、かと言って今の茉子から何かを感知できる訳でもなし……」

 

そこまでボヤいて、だが俺はふと気がつく。将臣がそう言ったということは、つまり茉子の──

 

「将臣」

「なんだよ」

「……見たな」

「何を!?」

「芳乃ちゃんという人がいながら……お前ェッ!」

「違ァう!」

 

キシャーっと掴みかかり、睨み合う俺たち。朝っぱらから元気なことだが、ぶっちゃけ俺だって見てみたいよ茉子の……あっ、いや……それよりすごいの見てたわ俺。うん。

 

──でも健全な男子的に言わせてもらうと全裸よりエロく感じるんだよね、下着はさ。

 

いやでも本物はすごかったな……じゃない!! ええい、思春期のガキか俺は!?

グギギと睨み合いながら、一つため息を吐いて落ち着いた後に──さてどうなのかを聞いた。

 

「……実際」

「朝た……芳乃を起こしに行ったよ普通にさ。見てないって」

「ホント?」

「ホントホント」

「騙したら殺す」

「信用してくれよ」

「茉子に後ろから胸押し当てられたりお姫様抱っこしたりしたの俺は思うものあるからな」

「面倒だなお前」

「面倒だよ俺は」

 

取っ組み合いをやめつつ、ため息を吐く将臣を俺は笑う。面倒でない俺など俺ではない……と言ったところか。だがしかし、やはり思うのだ。

 

羨ましいぞちくしょうと。

 

……昨日から気持ち悪いな俺。

 

先程までのやり取りは全て小声。近くにいたムラサメ様以外には聞こえなかったろう。現に茉子と芳乃ちゃんは不思議そうな顔をしているではないか。完璧。

 

「でも茉子、大丈夫なの? また急になったら今度は隠すのが大変になるんじゃないかしら」

 

心配そうに言う芳乃ちゃんの発言はもっともだ。家の中で起きたのならばとにかく、外ともなると隠すのも難しければ、更に復帰したとしても茉子は素っ裸だ。

──しかも抑制も出来なければ常に暴走状態。何がトリガーかもわからない。はっきり言えば詰んでいる。

 

「……つかお前普通に過ごしてるけどいいのか? 駒川も待機しておくとは言ってたけどさ」

 

だっていうのにこの女、普通に制服着て学院へ行こうと考えたようだ。俺たち全員が怪訝な顔をして見たって当然の話だろう。

 

「平気ですとも。だってほら、こういうのは大抵一日一回って相場が決まっているでしょう?」

 

ドヤ顔をしながらえっへんと漫画やアニメ知識的な考えを抜かす茉子を見ては、今度は呆れたため息しか出てこない。

 

……こいつは本当に変なところで楽観的だなぁ……

 

確かにお湯は手元にある。水筒にお湯を入れてきたので何も問題は無いと言えば無いが、当然ながら何も起きない方が嬉しいに決まってる。

 

「……朝からこの調子なんです」

「マジかよ……」

 

芳乃ちゃんの補足を聞いてゲンナリする。こりゃ……マズいのでは?

 

「まぁ吾輩が学院の中にいて随時見ておくことにしてもよいのだが、物理干渉ができんのでな。こちらは憑代を見ておこう。馨、虚絶を貸してはくれぬか?」

「──だとさ」

 

ムラサメ様の提案を虚絶へと伝えてみると、俺の影から黒い靄が蠢き、そのまま茉子の影に入った。

 

「もしなったとしても虚絶が服を回収するし、普通の人間には反応不能な速さで入れ替わりもしてくれるから何とかなる……と思う。あと伝達が早い」

「心配性ですねぇ。大丈夫ですよ、あは」

 

いや本当に心配なんだって。

なんか楽観が過ぎる茉子に、俺たちは一抹の不安を覚えながら登校するのであった。

 

 

 

さて、そんなこんなで授業を受けつつ、茉子を見て状況を確認する。しかし何一つ変わらない。感覚的な話でも、視覚的な話でも、だ。

 

──ふむ……均衡が崩れると子犬になるということか──

 

そんな中で、虚絶は分析結果を告げる。

 

──どうやら、中にいるものが何かしらのものに反応した場合、均衡が崩れてしまうようだ──

 

なるほどな。

茉子の座っている椅子の横に獣がいる。が、獣が反応すると椅子に座っている茉子を押し退けて……という構図か。

と、なればもうどうしようもない。本人の努力でどうにかというものではない。獣側との対話が必要だな。けど応じてくれるもんかね……

 

──難しいな。回線が違っている……魔と神の境の狭間に通じる回線など、人の身には無理な話だ。向こう側からこちらに合わせてくれなければ通じん──

 

ちっ、不可能か。

……無理をするにはやや厳しい……ともなれば、クソッ……

 

──貴様が想いを告げれば全て丸く収まるというに。この軟弱者め──

 

じゃあかしいわいっ。

俺が伝えても、彼女は俺を異性として見ていない。それが事実だ。それだけで終わる。

 

──いや貴様、本当に貴様、おい貴様……貴様は……貴様な……──

 

なんだかとても言いづらそうにモゴモゴと虚絶は言うが、最終的には「忘れろ」とだけ言って勝手に切り捨てた。なんだよお前……本当にさ。

 

──あの女の本心はまた別だ。そして恐らく、子犬になることをどうにかする条件もまた、恋などではない……──

 

しかし急に虚絶は続けた。

何を急に? しかも茉子の言葉が嘘だって言うのか。

 

──恋などという次元は通り過ぎている、奴は既にな。それに、誤魔化したという線もある──

 

……どういうことだ?

 

──我が思うにな、常陸茉子は既に恋をしている。恋をしているからこそ獣が反応した。そして常陸茉子は想いを明かすことを拒み、敢えてあのような言葉を使った……そう見ている──

 

虚絶の発言は確かに可能性がある。が、しかし茉子が敢えてそのような事を言う必要があるのかわからない。別に何かそうする必要なんて……

 

と、そこまで考えた時に。

 

虚絶が、淡々と告げた。

 

──あの場に、常陸茉子の想い人がいた……とすればどうだ──

 

思考が止まった。

茉子の想い人が、あの場にいた……?

 

……もしかして、あいつ横恋慕だったのか? それとももしかして廉だったりとか……

 

絶対に俺ではない筈だ。間違いない。

 

──愚かだな馨よ……実に愚かだ──

 

心底呆れた声で、彼女が吐き捨てる。

それだけ伝えると、一切応えなくなった。

 

……まさか、俺……?

 

いや、あり得ない。

それこそあり得ない話だ。

 

彼女は俺を異性として見ることはない。

俺だけが異性として見ているんだから。

 

ただそれだけの事だ。

 

 

それから更に時間は過ぎて昼休み。

なにやら女子トークが向こうの方で繰り広げられているが、俺の知らぬところだ。年頃の女の子らしく恋バナに花を咲かせている。

 

んで、かくいう俺たちはと言えば。

 

「……なぁ馨、マジな話お前どうするんだ?」

「するわけないだろ」

 

将臣が割と深刻そうに言ったことを切り捨てる。

 

「やるだけやってみるのもアリだと思うぞ。というかデートくらい誘ってみたらどうだ」

「普段と何一つ変わらんさ。彼女は俺を異性として見ていない」

 

──俺たちも恋バナだよ。

 

「おっ、なーに話してんだよ二人とも」

「廉」

 

そして女に飢える男が聞こえてきたワードに反応してヒョッコリと顔を出す。丁度いいか、こいつに聞きたいこともあったし。

 

「いやな、廉太郎。そのだな……」

「俺が片想いしてる。それだけだ」

 

将臣が言うか言わないかを悩んでいるらしいので、さっぱり小声で切り出してみると、そこの従兄弟コンビは鳩が豆鉄砲を喰らったような顔どころか、非力な赤子にブレーンバスターを喰らった大人のような顔をしていた。

それくらい間抜けだった。

 

「おまっ!? 馨!?」

 

ひどく驚いた様子で間抜けな声を出す将臣とは対照的に、廉はしばらく間抜け面を晒した後に、キリッとした顔に戻ってから静かに一言。

 

「常陸さんだな」

 

………………今度は俺が沈黙した。

いや、あの……そんなにわかりやすかったかな……どう考えてもどっちつかずで中途半端な感じだから余計わからないと思ったんだけど。

 

「……なんでわかったの……?」

「あれで気付かねぇのは無理あるだろ」

「いやでも……ほらさ」

「てかやーっと自覚したかって感じ?」

「色々あったんだよっ」

 

心底呆れた表情の廉にヤケクソ気味に返してから、俺はソッポを向く。

当の俺だけ長い間気付かなかったのに、周りの奴らにはバレバレってのはなんか割に合わねぇ……

多分面白い顔をしていたんだろう。そんな俺を覗き込むなり二人が笑い出す。

 

「なんだよ、拗ねんなよ馨。ほら、俺に相談してみろって」

「聞きたいことと言えばどうして男女は付き合うのかぐらいだ」

「……は?」

「そもそも恋愛に対する知識が無い」

 

だってそもそもの話、俺恋愛についてさっぱり知らないし。

そういうことだと素直に言ってみれば、何やら将臣と廉は顔を見合わせた後、「すまん」と告げてから俺から距離を置いてから何やら小声でコソコソと話している。

 

「真面目に答えるなよ? 答えたら理詰めで余計告白しなくなるだけだぞ」

「んなこたぁ俺もわかってるつーの。てかどう見ても両想いなんだから勇気を出しゃ全部解決じゃねぇか」

「それが異性として見てないだろうからってよ」

「えぇ……マジかよ。馨お前本当にお前って感じだわ……」

「……正直両方とも面倒くさいと思う」

「あぁ。俺も小春からたまに二人が田心屋でイチャついてるのは聞いてる。で、その片割れの馨がこれなら、常陸さんも多分拗らせてる可能性高いぞ」

「こっちは弟分でしかないからダメだと思ってて、向こうは姉貴分でしかないからダメだと思っててってパターンだな。死ぬほど面倒くさい」

「真面目に夜這いしろって言うか?」

「なんかそれが手取り早い気がする」

「……マジな話どうするよ?」

「俺たちじゃ非力すぎる。いくらなんでもなぁ……」

 

……長いな。

ちゃんと答えてくれるかね。奴ならばと思ったが……いや頼むぞ親友。

 

「とりあえずなんて言う」

「理屈じゃねーとしか言えねえだろ。変に説明するとあいつもっと拗らせる」

「頼むぞ廉太郎」

「これもう当人たち次第だけどなァ……」

 

大分長い作戦会議が終わったらしいのだが、それにしたって物凄く微妙そうな顔をしている将臣と廉が近づいてくる。

 

「なんだその顔は」

 

なんか割と癪に触ったのでとりあえずジャブをしてみると。

 

「自分の胸に聞け」

「右に同じく」

 

フッツーに殴り返された。

……俺の所為かよ。まぁいい。

 

「んで答えは」

「理屈じゃねーから衝動に従え。以上」

「使えねえな親友」

「ポンコツなのはテメェだよ親友」

 

ポンコツかよ、お前だって芦花さんに恋をしたら同じように悩むだろうに……

 

と、その時である。

 

「はて? 何故ここに子犬がいるのであります?」

 

──気の抜けたレナの声。

子犬というワード。

ギギギと首を動かしてみると。

 

茉子が、また子犬になってた。

 

──すまん端末よ。服が落ちるということは我が服を回収したら出られなくなった。ついでに報告が遅れた──

 

「ぶ──ッ!?」

「な──ッ!?」

 

将臣が吹き出して、俺が愕然とする。

──ラグは無し。早い、早すぎる。瞬間と瞬間の隙間とでも言うべきだろうか。速度とかそういう域のレベルではない。

 

しかも光るわけでもない。

つまりなんだ、絶対的に感知不能と。

 

これは紛れもなく、神の不条理に他ならない。

 

……変な感じだけどね。

 

「わふぅ……」

 

いやわふぅじゃないよ俺を見るなよ……

レナに抱えられ、そのたわわな果実を横顔に受けながら子犬茉子が俺を見つめている。

 

……え? マジ? 俺?

なんか芳乃ちゃんからも無言の威圧を感じるし、将臣なんて「はよ行け」みたいな感じだし、なんか虚絶に至ってはさっきから「役得しろ」とか宣ってくるんだけど、マジで俺がやんの?

 

「あれまホントだ。ていうかなんで子犬? レナちゃん知ってる?」

「全然知らないであります。でもなんだか何処かで会ったような……?」

「それにしても、常陸さんどこ行ったんだろ? 急に居なくなって何かあったのかなあ」

 

もう隠しようがねーじゃねーか!?

柳生がキョロキョロと見渡すと同時に芳乃ちゃんが青ざめていく。いや待って!? 君さっきは俺に任せたみたいな雰囲気出してたよね!? レナは関係者だからいいかと思ってたの!?

 

──何を躊躇っている。助けてやれ──

 

……どう、やって?

しっ、自然な展開が思い浮かばないんだけど……

 

──動け──

 

いや、その……

 

──何度も言わせるな動け!──

 

虚絶の叱責と同時にウルウルと泣きそうになりながらレナの腕の中で腕をテシテシと動かして視線を送ってくる茉子。

ただ事情を知らなければ可愛い仕草にしか映らんので。

 

「おー可愛い子可愛い子……よーしよし」

 

あ、小野が撫でくり回してる。

 

──早く行け! 貴様、いつまで馬鹿をやっている!──

 

再びの叱責。

ついでに将臣からも「はよ行け」的な視線が強くなっている。芳乃ちゃんは……アワアワし始めたからダメだなこりゃ……

 

──やる気があるのか? はっ、そんなザマでは何処とも知れぬ馬の骨に取られても知らんぞ──

 

別に俺のというわけでもないだろ! なんだその……そんな言い方は!? むしろ芳乃ちゃんのだっつーの!!

 

──あぁもう……!! そこまで似ることないじゃない!?──

 

……は?

思考が別の意味で停止する。

虚絶なのだが、そう、虚絶なのだが……普段の奴は超常的な言葉遣いと抑揚をするのに、なんでかこの一瞬はとても人間のように、何処にでもいそうな感じで、普通に声を荒げていた。

……猫被ってたのか? こいつも。

 

──好きな女の子のピンチでしょ! 男の子ならカッコつけなさい!──

 

あっ、うん……うん。

なんか気圧されて、間抜けな返事と共に俺は動き出す。

 

「あー……レナ? それね、俺の知り合い。のでプリーズ。すぐ戻してくるよ」

「カオル、とても目が泳いでますが……」

「うーん? アイがスイミング? オーケーオーケー。藪からスティックな言い草で確かに疑問だよなァ、うン」

 

動揺しながらの発言故に、あまりにも珍妙で素っ頓狂な物言いとなってしまう。

 

「カオル? 大丈夫でありますか? わたしの目を見て……ほら」

 

しかしレナは俺が何故そんな風になっているのかがわからないので、頬に手を当てて目と目を合わせてくる。

 

「──」

 

思わず。

比喩でもなんでもないが。

 

俺は、彼女に魅了された。

 

何故かなど言わなくていいだろう。

ジッと俺を見つめてくる、その澄んだ青空のような瞳に吸い込まれた。

 

それだけだ。

それだけの理由だ。

それだけの重大な理由だ。

 

何度も見たし、もっと間近で見たことだってあるのに。

 

──青空のようだとも。

──あるいは、宝石のようだとも。

 

"俺以外の何か"が、俺の中で蠢いていたような……ッ!?

 

「痛っ!? なんだよ!?」

 

痛みを感じて手元を見れば、近づかれて腕を前に出してたのを茉子に噛まれたらしい。なんだよ急に。

 

「おろ? 噛むのでありますか」

「あー、気にしないで。俺には当たりが強いだけだから。渡してくれるか? 知り合いのところに預けてくる」

 

心配そうなレナにとりあえず渡すように言う。時間もギリギリで、もうすぐ授業も始まってしまうが、ちょっと場所を変えて戻すだけだ。大して時間もかかるまい。

学院自体は端の方にある上、物陰も多く、誰に見られる可能性も限りなく少ない。ある意味では好都合だが好都合ではないとも言えるのだが……ま、最悪見られたら俺が仕事をすれば良い、それだけのことだ。

 

「……まぁ、カオルがそう言うのなら」

 

ただ奇怪な反応だったのも事実。

動揺が表に出ていたのか、レナからの視線には疑惑がありありと見えている。

なんとも言えない雰囲気を醸し出しながらも、まぁ……と言った感じで茉子を差し出してくる。

 

「ありがと」

 

受け取ると、パタパタと尻尾を振りながらテシテシと前足で叩いてくる。

 

「はいはい、散歩ね」

 

適当に言いつつ、教室を出て行く。

教師への言い訳? まぁなんかテキトーにだ。

他の奴らが何言ったって構わんがね。

 

フラリと外に出て、一番人目に付きづらい所の物陰へと向かう。

ただ流石に裸足で地面には立てさせないために、床のある所になったから結構微妙な感じだが……気にしても仕方ない。

さっさとお湯をかけてやって、例の光が見えたらそっぽを向いておく。

 

「なに見惚れてたの」

 

多分素っ裸なのにいきなりこれを言ってくる辺りこいつ元気だなァ……

 

「噛むほどのことかよ」

「前に言わなかった? ワタシだって妬くんだよ」

「そーかい」

 

その妬くは、きっと姉として……なんだろうが。

空回り? いや、独り相撲か。

そんな虚しいことがしたいわけでもないのに。

 

勇気も無い、何もない。

俺は彼女との関係性が壊れることに怯えている。

 

「虚絶」

「わかっておる」

 

さっさと呼び出して服を渡させる。

俺は目撃者がいないかを見るのとついでのガードか。

しばらく布がゴソゴソする音を背後で聞きつつ、しかし決して振り向かないようにしていると──

 

「端末よ、何故貴様は戻らんのだ?」

 

急に、そんなことを聞かれた。

 

「いや誰かいないと面倒だろ」

「……貴様忘れてないか? 我の姿なぞいくらでもある。故にどうとでもなるとは貴様が言ったこと。もう一度聞くぞ? 何故貴様はここにいる? そして常陸茉子よ。何故端末に帰れと言わなんだ?」

「あー……」

「……あっ」

 

……えーっと、なんでだろ?

二人してウンウンと唸っていると、呆れ返った声と共に一つ。

 

「要は貴様ら、二人だけの時間が欲しいのであろうよ。誰にも邪魔されず、自分だけが隣にいる……という時間がな」

「んなわけあるかァ!」

「違いますッ!」

 

反射的に振り向いて反論するが、虚絶の姿は無い。いつの間にか戻っていたようだ。

と、なれば当然眼前に広がるのは──

 

「……」

「…………」

 

制服を着かけの茉子。

なんか……半脱ぎみたいでとてもその……淡い水色の下着も見えて……

思考が止まる、ぐちゃぐちゃになる。どうしようもない程に動揺して何も言えない。振り向こうにも振り向けない。

 

「あ……あー、えっと……あの、あのだな茉子……?」

「えっ、あっ、はい……?」

 

だからなんとか、無理に言葉を捻り出そうとして……

 

「……下着、似合ってる」

 

いや何を言っているんだ俺はと。

 

「あっ、いや悪りぃ! 忘れてくれ!」

 

口に出した後にやっと、ハッとして後ろを向くことができた俺は、間違いなく愚かな男だ。

気持ち悪いとかもうそういう次元を通り越して最低である。真剣に死にたくなってくる。ていうか死ねよ俺。

 

最近最低なことばっかりだぞ。

こんなの合わせる顔が無い。

 

つかなんだよ下着似合ってるって。

せめてさ、エロいよなお前ってくらいにしろよ。まだそっちの方がマシだぞ。気持ち悪いぞ俺よ。

 

「急にそんなこと言って恥ずかしがってどうしたの?」

 

後ろから呆れた彼女の声が聞こえてくるけど、なんか納得行かねー。普通は女の子がキャーみたいな場面なのになんで俺が……

 

「どうしたもこうもねーよ」

「裸見てるのに」

「言われてみりゃそうだけどさ、ほら」

「気を遣ってくれてるんだ」

「いくら仲良くても女の子だろ」

 

そう言うと、何故か茉子が黙った。

というか完全に停止している。何も聞こえない。

 

「どっ、どうした? なんかあったか?」

「……」

「茉子?」

 

声をかけても無言のまま。

なんだか非常に怖くなっている。女の子と言われるのには慣れてなかったのか? 可愛いとかは言われ慣れてないとか言ってたけど、そんなこと一言も……

あっ、俺の所為で変に意識させてしまった感じだなこれは。だってこいつは恋をしなきゃ────

 

「──ワタシが、"女の子"……って言ったんだよね?」

 

突然聞こえた、その含みを持った言葉。

 

「へ?」

「"女の子"って見てるんだ」

「だってそりゃお前女の子じゃん。生物学的に」

 

何を当然なことを、どうしてそんなに年を押すように聞くのだろうか。

自分が女の子って自覚があんまり無いのかこいつ。そんな訳ないと思うのだが。

 

「そっか……そうだよね」

「逆になんだと思ったんだ」

「なんだと思う?」

「そういうのやめない?」

「やだ。やめない」

 

本当にどうしたんだろうか。

なんていうか、茉子らしくない。

 

などと思っていたら、パキリと何かを踏む音。

俺たち以外の誰か──間違いない。

 

「誰ですか!?」

 

先に反応したのは茉子。

その声に応えるように姿を現したのは……

 

「レ……レナ? どうしたお前」

 

さっき別れたばかりのレナ。

てことはこいつ、授業抜け出して──

 

「また、何かあったのかと思って付いて来たのですが……」

 

どうやら心配だったから付いて来た程度の話らしい。とりあえず安心。

 

と、ここでレナの視線が奥の茉子に向いていることに気がつく。しかも茉子もレナの方を向いているのでモロバレだ。

半脱ぎみたいな姿の茉子がな。

 

あっと気が付いてももう遅い。

一瞬にも満たない時間の間にレナの顔が真っ赤に染まり上がる。

 

「は、は……ハレンチにゃ!?」

「違いますから落ち着いてください!?」

「マジで違うんだけど!?」

「だってカオルとマコは……どう見てもアレであります!」

「アレってなんですか!?」

「てかお前マジでさっさと服着ろよ!?」

「ふふふふ服ゥッ!? ファッ禁です! なんというファッ禁! カオルもマコも外でプレイするヘンタイなのですか!?」

「なんでそうなるかなァッ!?」

「ワタシ見られる趣味なんかないもん!」

 

収集がつかなくなってきた。

とか頭で考えているが俺自身色々誤解されて気が気でない。冷静じゃない。

……好きな女の子といかがわしいことしてたと思われたら……ねぇ?

 

「そういうその……やらしい話じゃなくてな? 色々あって茉子が犬になっちゃったりしたんだよ」

 

もうどうにでもなれの精神で明かしてみると──

 

「マコが……メス犬に?」

 

素晴らしくトンチンカンな発言をした後、「メス犬……メス猫……受け攻め……ふしゅぅ〜……」などとうわ言を言ってから煙を出して倒れ込んだ。

目を回している辺り、本気で気絶しているらしい。

 

「「……えぇ……」」

 

どうしよう……

 

「これ、レナさんに事情説明しないとですね」

「その前にテメェいい加減に服着ろよ!!」

 

風邪引くぞ茉子。

 



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吐露

もうこれ書き溜めできないのでは?
完成次第上げてかなければならないレベルで話が進まない……とりあえず上げときます……

あとなんか急にお気に入り増えた。なんで?


所変わって志那都荘。

 

「それは大変でしたね」

「わかってもらえて何よりです……」

 

結局あの後、俺と茉子は適当な理由をでっち上げて早退。ついでに気絶したレナも早退させて事情を説明した。

 

「けど、アブノーマルなプレイに興じていたというわけではなくてよかったです。ヘンタイになってしまったのかと思ってしまいました」

 

……なんでそういう方向行くかなって。

が、しかしだ。レナの言うことは何も間違いではない。どう考えてもそっちに転ぶのは致し方ない──とでも言ったところか。普通であれば。

 

ただ彼女はこちら側であるからこそ、また妙な事に巻き込まれたかくらいで済むと思ったが気絶する程とはこれいかに? というかそんなにエロ耐性無いのかね君……?

 

ちょっと純情が過ぎるのではないかとも思いつつ、とりあえず話が通って何よりだと一安心。茉子迫真の説得もあってすんなり受け入れられた。

 

「……しかし、恋を知りたい神様ですか。なんとも色々考えさせる話でありますね。タタミ神となる前に何か、恋に関係することでもあったのでしょうか」

 

不思議そうなレナの発言。

言われてみれば確かに不思議である。

 

あの犬神は、レナを見て姉君と言っていた。横恋慕とはまた違った話だろうが、その姉君の恋の行方が、犬神にとって何か遺恨となるようなものであったのだろうか。

神々の恋というのは、得てしてロクでもないものだが……さてこの地の神様は何をどうして恋を知りたいと思うようになったのだろうかね。

 

少しの沈黙の後、レナは俺たちに対してとんでもない事を言ってきた。

 

「カオル、マコ。二人でデートをしてみてはどうでしょう。普段から仲の良い二人なら、普段してないことをすれば恋人っぽく見えたりして、それが解決に繋がるんじゃないかな〜と思うてあります」

「恋人のフリ……ですか」

 

茉子と俺がデート。

……いやこれ逆に難しくね? どうするんだよ。奴ら曰く「側から見れば恋人のやりとり」とか言われてるんだぞ? どないせいっちゅうんじゃ。

 

うむむと俺が唸っていると、慌てたようにレナは補足を挟む。

 

「あっ、いえ。別に無理にする話ではないと思いますので、これは一つの方法として考えておけば良いかと。わたしも正直、なんと言ったらいいのやら……といった感じなので」

 

レナ自身もその場しのぎでしかないことを自覚しているのか、やや険しい顔をしていた。

そして、レナはどういうわけか──

 

「カオル、申し訳ないですけど席を外してもらえますか」

 

なんて言った。

ま、女同士色々あるんだろうさ。

 

「ん? あぁ、そういうね。了解」

 

特に抵抗する理由も無く、俺は部屋の外で待機することにした。もちろん聞こえないようにやや離れたところに移動している。

 

──でえとなるものか。よかったな──

 

そしていきなりこのザマである。

うるせぇなクソッタレ。余計惨めになるだけだろうが。

 

──……はぁ──

 

てかお前もお前だよ。

何猫被ってたんだか。俺相手に被ったところで意味なんてねえだろう。

 

──あのね馨。あれは猫被りじゃないの──

 

うぉっ、いきなり変わるな気色悪い。

 

──そもそも、私は虚絶じゃないから──

 

は? と。

その発言に首を傾げていると、暗闇の中から現れたのは……いつぞや夢で見た和装の女。長い黒髪と相まって、大和撫子というものを具現化したようなものだ。

何処と無く見覚えのある顔立ちは、何故か忌避感を与えてくるが、その理由は全くわからない。

 

「こうして顔を合わせるのは初めてだね、子孫殿」

 

そいつは心底呆れ返ったジト目を俺に向けながら──

 

「改めて。私は伊奈神京香──遥か過去の亡霊、そして殺し殺されの輪廻を描き出した張本人。あなたの憎むべき存在の一人だよ」

 

とても優雅に、見る者を魅了するような美しい一礼と共に……自らを伊奈神京香と……そう名乗った。

 

始まりとなった復讐鬼の女。

この地の稲上の呪わしき因果を紡いだ女。

強いて憎むとすれば、この女が俺の憎悪の矛先ともなるが……

 

「あっそ」

 

そんなことはどうでもいい。

問題は──

 

「で? あんたは出てくる理由が無いよな。魔物を憎み殺し続けるだけなら虚絶の方が都合いい筈だが」

「あら、所々で出てたつもりなんだけど虚絶の愉快な点だと思われてたのかしら」

「てっきりもう残滓くらいしか残ってねえと思ってたよ」

「残念ながら意志力……ううん、気合と根性で魂を現世に縛り付けるくらいは余裕余裕」

「化け物め」

「笑えない冗談だなあ」

 

ケラケラと笑う、この化け物の目的だ。

 

「はっ、数千年前も憎しみを滾らせ続けて殺せ殺せと嘯く女を化け物以外の何者と言えばいいんだよ」

「元が大き過ぎたってことか……なるほど」

「説明しろよご先祖様」

「後でね子孫殿」

 

はぐらかされるのも想定内だ。

まぁここで誰かに聞かれても面倒なだけだし、ここはご先祖様に乗ってやるとするか。

 

腕を組んで壁に寄りかかると、そこのご先祖様は顔を覗き込んでくる。ムカつくので顔を逸らすと、また覗き込まれる。イタチごっこをするつもりは無いので仕方なく向き合って文句をつけてやる。

 

「やめろ」

「ほんとそういうところそっくり」

「……似てんの? あんたと俺が?」

 

直系の子孫とは言えない関係なんだが、何故似ているのだろうか。先祖返りの所為か? いやでも……と、頭を悩ませていると、ご先祖様はシンプルに切り込んできた。

 

「好きな相手に素直になれないところとか。実際さ、大好きなんでしょ。あの女の子のこと。夜這いかけたら?」

「んなはしたない真似出来るか。それこそ裏切りだ」

「どうかなぁ。あの子、多分ムッツリスケベだし」

「関係あんのそれ」

 

てかえらく現代語に慣れているなぁ。

 

「そりゃキミから色々吸って学習してるし。あぁ、いっそ古文の授業にしてあげた方がよかった?」

「勘弁してくれ。それとナチュラルに頭読むな」

「ごめんごめん。年頃の男の子だし色々と桃色な妄想もするよね」

「……そんなこと……」

「ちなみに私は好きな男をネタに──「わー! わー! うるせぇやめろや! 誰がご先祖様の性事情聞かせろって頼んだよ!?」……今の人ってのはだいぶ純情だねェ。別にそういう意味でもないのに」

 

んな大昔のジョークを言われても……とか思いながらため息を吐く。化け物とは言ったが、人の視点に立ては俺も化け物だ。そう警戒することもないのかもな……

 

「……あっ」

 

しかし急にとても間抜けな声を出すご先祖様。はてどうしたのやらと顔を上げると、とても間抜けな横顔を見せている。

 

「おいおいなんだその間抜け面は……って、あ」

 

そしてその間抜けを笑いながら、俺もまた間抜けな声を出して、間抜けな表情をする。

──茉子とレナが、それはもうすごい表情で俺たちを見ていた。呆れ、怒り、悲しみとかとかとか……まぁ色々なものを乗せた視線をジッと向けている。勘弁してくれ。

レナはともかく、茉子に至ってはなんか殺意みたいなものまで出してるぞオイ。

 

「誰ですかその女」

 

絶対零度の声と視線がご先祖様に叩きつけられる。

 

「絶対今アマって思ったよこの子!? びっくりだわ。えっ、ちょっと待って、いい子やなぁとか思ってたんだけどいきなりぶぶ漬け食らわしてくるって……」

 

しかしご先祖様、これをスルリと回避する。ワチャワチャと表情が変化して、何処と無く言い回しがどっかの誰かそっくりだからとても気になる。

 

「馨くんから離れて下さい」

 

そんなヘラヘラしたご先祖様に痺れを切らしたのか、だいぶ敵意を持って茉子が言い放った。こんなにツンケンしたコイツを見るのは久しぶりだが……なんだ、どうしたんだ?

 

だがご先祖様は余裕綽々といった表情で実に楽しそうに笑いながら。

 

「わーぉこれってジェラシーってヤツ? あは、実物はもっと可愛いや。キミもそう思うよね? レナちゃん」

 

茉子を可愛いと評価してからレナにキラーパスをした。もちろんレナは想定外なので──

 

「ひょわっ!? 急にわたしに振られても!?」

 

……可愛い。

 

「んー、まァこんなもんかな。また後でね馨。私帰るから。あとレナちゃん。ちょっとキミね、やらしいの直結思考はどうかと思う。気をつけるんだぞ、お姉さん心配だからな」

 

と、ご先祖様は言い放ち、ドロリと影に溶けて消えた。

その様子を見て、茉子は何かを納得したような表情を浮かべたが、しかし一瞬で不機嫌な表情になってツカツカと近寄ってくる。

 

「な、なんだよぅ」

「変な香水とか付けられてない?」

「いや全然」

「……」

 

ズイ、と顔を寄せてスンスンと匂いまで嗅がれてしまう。小声で「あは、馨くんの匂いだ……」とか言ってるの聞こえてるぞお前。

 

──ひゅー、愛されてるねぇ?──

 

やかましい!

 

──もういっそ告白しちゃえよォ──

 

出来ないんだよ俺は!

彼女が俺を異性としては見れないだろうし、そもそも俺は魔人だし……不幸にするし……

 

そう返したところで。

 

──ふーん……魔人ねェ?──

 

さっきまでの浮ついた声が鳴りを潜め、冷たく恐怖すら覚えるような、嘲りの声が響いた。

呆れ返るようなため息の後に京香は──

 

──大きく出たな小僧。殺人技巧に振り回されて、殺しと戦いの区別すら付かぬ愚者が。魔人を名乗るなよ貴様。雑兵狩りで驕ったつもりか──

 

元来の彼女の口調と共に、稲上馨の異常性を斬って捨てた。

唖然とするしかない。復讐鬼であったことは知っていたが、まるでそれは初めから戦いに生きた者の発言そのものだった。

 

自己否定はまあいい。というか、実際魔人としては底辺だろう。

力だけで見れば。

 

だが存在としてはほぼ同じの筈だ。人並み外れた性能を持ちながら、それを十全に使えば人なぞ塵芥のように潰せてしまう俺たちは紛れもなく魔人だ。

だというのに……魔人を名乗るなと言い切った。その心中がわからない。

 

──つーかさァ? キミ馬鹿だよね。人を不幸にする? だから何よ。どうせ生きている限り迷惑かけるしかないし、別にいいじゃん──

 

でも、俺は……

 

──なるほどね、キミは刀の怨念に突き動かされてきたのか。だからそういうネガティブな発想に繋がると。よし来た、ここはご先祖様に一つ任してみなさい──

 

どうするつもりだ?

 

──まぁお楽しみ。虚絶の話の後にでも──

 

「……もしかして、キョーカなのですか? あの人は」

「まぁ……君のよく知るキョーカの中身というか、複雑な話らしい」

 

レナの疑問にサッと答えつつ、余計なことしかしねぇなファックご先祖様と内心毒を吐く。芳乃ちゃんも茉子もご先祖様には色々複雑な感情を抱いているであろう……とは予想していたが、まさか俺が極めて複雑な感情を抱くことになろうとは。

 

「んで、話は終わったの?」

「ええ。別に大した話ではないので」

「でもこれは乙女の秘密なのでカオルは聞かないで上げて欲しいのであります」

「へいへい。そこまで無粋じゃないよ」

 

話を戻せば乙女の秘密。

なら首を突っ込む話でもあるまいて。

 

「じゃあ、いつまでも世話になるわけもいかんし、俺たちはここらで帰るか?」

「そうですね。確かにお邪魔でしょうし、帰らないと。またなっても困るだけだから」

 

まぁ事情説明くらいしかするつもりもなかったし、乙女の秘密とやらが予想以上に長引いた感じだしな。

茉子もさっさと帰ることに異議はないようだ。こいつだって迷惑になるのは嫌いだろう。

ただ……

 

「そうでありますか」

 

少し寂しげなレナを見ると、罪悪感というか……悪いことをしたなぁという気分になってしまう。

考えてみれば彼女、気付けば渦中にいるのに、必ずと言っていい程に知らなくていいんだと言われる側なんだよな。

 

……知る側も知らない側も辛い、か。

 

世の中ってのは不公平に出来てる。

 

悲しい程に──

 

なんとかしてやりたい。なんとかしてやりたいが……正直、あんなに人の良い彼女にこんな血と憎悪に塗れた話を振りたくもないし、関わって欲しくもない。彼女はここに来るべきじゃない。

 

「レナ、その……あんまり教えられなくてごめん」

「? 何故そのようなことを? 別に私は、なんだか悪いことをしてるみたいで少し童心が踊ってたり、このまま甘いものでも食べに行きたかったなあと思ってるだけでありますが……」

 

……はい?

あっさりとそう返されて俺は唖然とする。横で茉子はクスクスと笑った後に、困惑する俺に捕捉を入れる。

 

「ほら、レナさんはこういうこと馴染み無いですから、結構ワクワクしてたりするってさっき言ってたんですよ」

「……つまりなに? 俺の勘違い?」

「で、ありますね」

「ですね」

「はっず……」

 

赤っ恥かいたよぅ。

顔の熱を自覚して頭を抱えると、それを見た茉子は腹を抱えて本気で笑い、レナはオロオロしながらも小さく笑っていたのだったとさ。

 

「カオルは可愛いですねぇ」

「やめてよぉ!?」

 

そんなどっかの黎明みたいな言い方されると余計に恥ずかしいよレナァァァ──ッ!!

 

 

「あー、恥かいた」

「あは。真っ赤になってたの可愛かったよ」

「うるせー」

 

帰り道。

馨の隣を歩くことの嬉しさと楽しさに密かに心を躍らせながら、茉子はレナとのやりとりを思い返していた。

 

 

──馨が出て行った直後。

レナは真剣な表情に切り替えて、茉子を見つめた。

その視線は気を抜けば飲み込まれるほどの威圧を持った力強いもので、相対する彼女もまた姿勢を正して言葉を待つ。

 

「マコ」

「なんでしょう」

「カオルのこと、好きですね」

「………………………………………………………………………………」

 

単刀直入に言われた本題に、茉子はシンプルに沈黙した。実にたっぷり1分以上の沈黙である。

 

「何故……………………それを?」

 

動揺という動揺を隠せず無様を晒しながら、これまた沈黙と共に無理なポーカーフェイスで問う。

しかし帰ってきた答えは──

 

「隠すならもう少し上手く隠さないと。マサオミとカオルを同じように扱っていると自分では思っているのでありましょうが、あまりにもロコ、ロコ……コロモ、じゃない。ロコツ? という奴ですよ」

 

あぁ無情かな。

診療所での公開処刑を超える切開であった。更なる動揺が茉子を駆け巡る。多分彼女はボロボロだろう。もはやポーカーフェイスは崩れ去り、等身大の常陸茉子が現れている。

それほどまでに焦り、そして動揺した顔だ。

 

「そんなにですか……!?」

「そんなにであります。多分クラスのみんなも察してると思いますよ」

「え、マジですか。ワタシ忍者なのに……」

「ニンジャでも無理なものは無理と、古事記にも書いてあるのですからマコも諦めては?」

 

なんだか間違った日本史をぶつけられながら、茉子は深い諦めのため息を吐く。

 

(……ワタシ、そんなにわかりやすいかな……)

 

そこまでわかりやすかったかと思い返してみるが、茉子としては『いつも通り』をしているだけに過ぎない。例えそれがどっからどう見ても好きだということがモロバレなものであったとしても、彼女にとっては隠し切れているものなのだ。

 

(馨くんには、バレて……ないよね? ──怖いよ……ワタシとあなたの関係が壊れるの、怖くて……)

 

ただ、もしそれがバレていて、気を遣われていたとしたら……やっぱり、怖い。もしも想いを告げてしまったら……と思うと怖くてたまらなくなる。

そんな様子を察したのか、レナは安心させるように言った。

 

「カオルはニブチンだから、気付いていないので安心してください」

「ホント、ですか?」

「はい、ホントです。こういうことでウソは言えませんので」

「……よかったぁ……」

 

心底ホッとした様子の茉子を見ながら、レナは内心馨がそんなに敏感な男ならこんな面倒な事になってないなと感じた。

……いや、馨が敏感で積極的な男でも茉子が面倒くさいので大して変わってないかもしれない。

脳内を駆け巡る雑念を振り払い、レナは茉子の言葉を待つ。

 

しばらくして彼女は。

 

「ま、そうですね。ワタシは確かに馨くんのことが好きです。愛していますよ」

 

己の内面を隠す事なく、素面でこう告げた。

 

「そこまではっきりと言えるならなんで……」

「だからこそ、なんですよレナさん。ワタシと馨くんの関係性は兄と妹、姉と弟の表裏一体……必要に応じて互いの立場を変えて甘え合う。それが延々と続いてしまったから、ワタシは彼に想いを伝えられない」

 

その言葉にはなるほどと、レナは頷いた。

が。直後である。

 

「馨くんは兄としてワタシの弱いところを受け入れて、甘えさせてくれた。弟としてワタシに弱いところを見せて、甘えてくれた。先に来るものは、家族愛なんです」

 

……はて? と。耳を疑うような発言が飛び出てきた。

 

(いや全然ハト外れですよマコ……)

「ワタシを姉か妹として見ている。異性として見ることは無いし、ワタシだけが彼を異性として見ている。無理に想いを告げて苦しめたくないし、拒んだ後悔をさせたくない」

 

悲しげに語る茉子の言葉を聞いて、レナはふと疑問を覚える。

馨が茉子を特別扱いしている、そして茉子も馨を特別扱いしている。馨も茉子も想い合っているというのに、かつての関係性から異性として見るにはあまりにも難しいと思い込んでいる。実に面倒な……だが二人の極めて複雑な事情を考えれば、その面倒くさい部分を切り捨てられない。

 

(言ったらこれ絶対に否定される流れですね。うーむ、わたしでは難しい問題です)

 

そしてかなりの頑固者である二人に、想い合っているのだと伝えても否定されるのが関の山だ。

二人のうちどちらかが、想いを伝えねば二人は決して結ばれない。伝えてしまえば転がり落ちるように結ばれる……そういう確信がレナにはあった。

 

(これは……どうしたものでしょうか? デートで意識が変わると良いのですが)

 

……まぁ、その第一歩にして最終段階が難しすぎるのだが。

妬心を煽ったとしても、彼らは妬心の上手なやり過ごし方を知っている。まずそういう方法は難しいだろう。

 

(マサオミとヨシノみたいに、どっちかのエンジンがかかりやすければ良いのですが、これでは厳しい……どちらも奥手すぎるのです。いっそエロ同人みたいな展開でも起きたら……あっ、起きてアレでしたね……)

 

なんかもう泣きそうになった。

超奥手、かつ相手を思いやるからこそ身を引き合う男女なんて相手にしたくない。裸を見たりしてまんざらでもなさそうなのに「いやそんな事は……」は無理があるでしょと。

が、しかし。

両方とも可愛らしくて仕方ないのだ。

 

「レナさん?」

「はっ、失礼しました。とにかくマコはもっとアピールしてみるのですよ」

「アピール……」

 

と、ナニを想像したのやら、茉子は頬を赤らめて俯く。そんな様子に愛らしさを覚えてついつい抱き締めたくなったが、そこはレナ・リヒテナウアー。見事に耐えてみせた。

……が、顔がニヤケているのはご愛嬌か。

 

「……アピール……裸見たっていいって言ったのに、手も出してくれない馨くんへのアピール……」

 

ただ茉子からしてみれば、裸見ても馨の馨くんが馨さんになった程度くらいしか反応してくれないような相手に、どうやってアピールしたものか……というところだ。

そもそもそういうことして鬱陶しく思われないだろうか? また変な誤解されないだろうか? 色々と不安がある。

 

「マ、マコ? どうしたのですか?」

「でも鼻の下伸ばしてくれたし……きっと魅力が無いってことじゃないと思うけど……」

「何もその……そういうアピールではないのですが……」

「だってレナさん、馨くんですよ? 人のおっぱい触っておいてうるせぇ出てけとか宣う馨くんですよ?」

「それはきっとテンパってただけでありますよ」

「それにしたってワタシに黙ってナンパしてたりとかするし、きっと……ワタシより素敵な人見つけてるだろうし……ワタシはあくまで初恋っぽいし……」

 

拗ねた顔をしながらそんな事を言われてしまえば、「どう考えても初恋どころか現在進行形で恋してるのでありますが」と言いたくなったがここはグッと堪えた。

 

「何が笑顔の素敵な女の子なの……忘れてたクセに……」

「と、とにかくマコ! 普通にそれとなく好きだというのをアピールしましょう! 例えば恋人繋ぎしてみたりとか、そういう感じで!」

 

──このままでは危険だ。惚気られる。

眼前の危険を前に、レナは回避行動を取った。……正直、興味は尽きないところではあるが。

ただ唯一、気になったことがあるとすれば。

 

「……マコはカオルのどんなところを好きになったのですか?」

「へ? そうですね……どんなところと言えるほど具体的ではないのですが」

 

「──カッコいいところも悪いところも、バカなところもダメなところも、全部含めてどうしようもなく──」

 

「愚かしいほどに大好きなんです。正直、殺されたっていいくらいに。子供の頃から、ずっと」

 

あぁ、これは最強だと。

理由がどうでもいいくらいに愛しているのだと。

 

聞いたこっちが後悔するほどに、レナは砂糖を食わされた。

 

そして双方共に死ぬほど面倒くさい事実に、自分が人を好きになったらこうはならないようにしようと、固く誓うのであった……



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伊奈神京香

もう完成次第ポコじゃか上げます。
書き溜めは理想で、ダメそうなら即上げ。そんな感じでいきます。


「……」

「……」

 

そんなこんなで、帰ってきたはいいのだが……俺たちは特に喋ってもいなかった。

 

「やはり戻ってきておったか。何かあったの……なんじゃお主ら? そんなに黙って」

 

もちろんこんな様子ではムラサメ様とてびっくりする。呆れたというか、珍妙なものを見る顔が可愛い。

 

──ちょっと浮気者じゃないの馨──

 

うっせー、可愛いもんは可愛いんじゃい。

てか随分気軽に出てくるよなアンタ。なんだよ、今更になって。とりあえず目的だけ話せ。どうせ報告くらいしかやることないんだからさ。

 

──ま、一言で言えば私が出てくる理由が生まれたから……かな──

 

ヘラヘラした声が鳴りを潜め、落ち着いたトーンで話されたその目的は、納得が行くが極めて不穏な、そして不透明なものだった。

 

……出てくる理由。

魔物を殺せと暴れ始めるほどの憎悪を持った復讐鬼が出てくるだけの理由。

 

復讐者が出てくる理由なんて、復讐対象がいるくらいしか思い浮かばない。だが俺はこのご先祖様についても、虚絶についても、そしてかつての伊奈神がなんであったのかも知らない。

 

俺が知っているのは、俺のやるべきことくらいだった。

 

──その線はあながち間違いじゃない。でも……キミが知る必要は無い。これは私と奴の話だ。死んでも因果な鎖で結ばれた、ね──

 

教えるつもりは無いと容赦無く打ち捨てられる。だがここまで関わっておいて、それはないだろう。どうせ俺の身体を使うんだから、関係無いってのは筋が通らない。

 

──いいやダメだ。これは私の話だ、唯一の願いだ。奴が出たのならば私が殺す。私がそう決めた。ならばそれを貫き通す、死してなおも。それが出来なければ私がここに存在する意味など無い──

 

その言葉を聞いて、あぁ──と。

ようやく、この女に俺が似ているという事実を受け入れられた。

"これは俺だ"。間違いなく"俺"なんだ。これと決めたことを成し遂げられないなら生きている価値も無い。本当にそれはよくわかる。

 

……なら、